ハレプ、ドーピング違反で暫定資格停止 女子テニス元世界1位

【10月22日 AFP】テニスの不正監視団体ITIAは21日、女子元世界ランキング1位のシモナ・ハレプ(ルーマニア)が全米オープン期間中に行われた8月のドーピング検査で禁止薬物のロキサデュスタットが検出されたとし、暫定的に資格停止処分を科したと発表した。
≫続きを読む
Posted in 未分類

パイプライン爆発、欧州人が驚く「真実」ある ロシア

【10月21日 AFP】バルト海経由で欧州に天然ガスを輸送する海底パイプライン「ノルドストリーム」で先月発生した爆発をめぐり、ロシア大統領府(クレムリン、Kremlin)は21日、その裏にある「真実」が公表されれば、多くの欧州人が「驚く」ことになるだろうと述べた。
≫続きを読む
Posted in 未分類

パイプライン爆発、欧州人が驚く「真実」ある ロシア

【10月21日 AFP】バルト海経由で欧州に天然ガスを輸送する海底パイプライン「ノルドストリーム」で先月発生した爆発をめぐり、ロシア大統領府(クレムリン、Kremlin)は21日、その裏にある「真実」が公表されれば、多くの欧州人が「驚く」ことになるだろうと述べた。
≫続きを読む
Posted in 未分類

第1陣の輸入コールドチェーン食品、上海に到着 第5回輸入博

 【新華社上海10月21日】第5回中国国際輸入博覧会(輸入博)の展示品となる輸入コールドチェーン食品の第1陣が20日、上海市の物流会社、上海名聯冷鏈物流が運営する同市青浦区の第5回輸入博輸入コールドチェーン食品総倉庫に到着した。
≫続きを読む
Posted in 未分類

CATL、米大型太陽光発電・蓄電プロジェクトに電池を独占供給

 【新華社北京10月21日】中国車載電池大手の寧徳時代新能源科技(CATL)は18日、米発電大手プリマージ・ソーラー(Primergy Solar)が建設に参加する太陽光発電・蓄電プロジェクト「ジェミニ(Gemini)」の独占電池プロバイダーになったと明らかにした。
≫続きを読む
Posted in 未分類

ユーフォリア(昌平君×信)前編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 昌平君×信/ヤンデレ/無理やり/メリーバッドエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

 

秦の敗因

趙と秦の戦い。此度は秦の敗北で幕を閉じたのだった。やはり趙の宰相である李牧の軍略は凄まじい。

前線を任せられていた飛信軍は膨大な被害を受け、兵の大半を失った。飛信軍を率いていた大将軍である信も負傷した状態で帰還するのだった。

此度の敗戦によって、秦は城を一つ失うこととなる。しかし、秦の大将軍が一人も討ち取られなかったことに比べれば大したことではない。

新たな領土を広げた趙がそこを拠点としてまた攻め込んで来るかもしれないが、あちらの被害も膨大だ。秦とは逆で、趙は城を得る代わりに多くの将を失った。

軍を立て直すためにしばらく時間を要するだろう。用意周到な李牧のことだから尚更だと昌平君は睨んでいた。

結果だけ見れば、確かに此度は秦の敗北だが、昌平君の中に焦りはなかった。

これから体勢を立て直せば、趙から城を取り返すのは容易い。既に昌平君は先のことを見据えていた。

だが、もちろん李牧もこちらの思惑には気付き、落とした城を取り返されぬよう、対策を講じるに違いない。

いかなる策を用いようとも、次回は必ず秦を勝利に導く。昌平君は強い意志を瞳に秘めていた。

飛信軍の名は今や中華に轟いている。李牧でなかったとしても、無策で彼女たちを迎え撃つはずことはしないだろう。

防衛戦であったにも関わらず、前線で多くの敵を薙ぎ払った飛信軍の活躍に、秦軍の士気は確かに高まった。

しかし、強勢戦力である飛信軍が撤退を余儀なくされれば、秦軍の士気に影響が出ることは誰が考えても明らかである。李牧はそこを狙ったのだ。

地の利を生かし、武器の届かない山の上から弓矢射撃と投石を受けた飛信軍は撤退を余儀なくされた。

撤退する飛信軍を壊滅させようと追撃を行う趙軍に、他の秦将たちは兵を割く。

しかし、それも李牧の筋書き通りであった。

勢いを増した趙軍に目を向けさせておき、その隙にあらかじめ潜ませていた複数の部隊が後方を突く。見事なまでに、秦軍は李牧の策に踊らされたのである。

恐らく李牧が山の上に伏兵を隠していたのは、戦が始まる前からで、飛信軍が前線に赴くことも予想していたのだろう。

もちろん昌平君も地の利を活かした攻撃に警戒し、戦の前に兵たちに山の上を調べさせていたのだが、その時には伏兵の姿はなかったという。

木々に身を潜めていたのか、それとも兵たちが調査を終えた後にやって来たのか。今となっては分からない。

分かるのは、結果的に李牧の策通りになってしまったことだけだ。

 

治療

飛信軍の軍師である河了貂から聞いた話だと、前線で膨大な被害を受けたこともあってか、信は此度の敗戦は自分のせいだと思い込んでいるらしい。

自分の体の傷よりも、多くの兵を失った悲しみの方が堪えたようだ。

先に逝ってしまった仲間たちに勝利を捧げられなかったことを悔恨し、誰が見ても気落ちしているという。

彼女は今、療養のために与えられている咸陽宮の一室を与えられ、医師団から手厚い処置を受けている。

その日、昌平君は執務を終わらせた後に彼女がいる部屋に訪れた。あまり自責するなと一言伝えたかったのだ。

言ったところで彼女が素直に聞き入れるとは思えないし、何の慰めにもならないだろう。

本来は信ではなく、軍師である自分に責任がある。

策を講じるために軍師たちは机上での討論を行うが、実際の戦場では数千、数万の血が流れる。

深手を負い、辛い思いをするのが戦場に赴く信たちだからこそ、業は大勢の命を動かす自分が背負うべきだと昌平君は考えていた。

信がいる部屋の前には見張り役の衛兵が立っており、昌平君の姿を見るとすぐに頭を下げた。

見舞いに来たことを告げると、衛兵から布を手渡される。

「…これは?」

渡された布に小首を傾げながら問うと、この部屋に入る者は必ず鼻と口を覆うように医師団から指示が出ているのだと衛兵が答える。

話の詳細を尋ねると、どうやら信は医師団から絶対安静の指示を出されても、剣を振るうのをやめなかったらしい。

飛信軍の鍛錬は厳しいもので、信自身も兵たちにだけでなく己に厳しい鍛錬を行っていた。

当然そんなことをすれば縫った傷口はたちまち裂け、酷使した体が休まることはない。

どれだけ危険性を伝えても、亡くなった仲間たちに後ろめたさを感じるのか、信は医師たちの指示に従わずに鍛錬に打ち込んでいたのだという。

困り果てた医師団が秦王である嬴政にそのことを告げると、嬴政は自ら彼女を説得する訳でもなく「薬で眠らせろ」と命じた。

二人は成蟜から政権を取り戻す時からの長い付き合いだ。親友と言っても良いだろう。

自分が説得したところで信が大人しく従う女ではないと嬴政も理解していたに違いない。

大王がたった一人のためにそこまで命じるのは異例のことだが、逆に言えば、それだけ信との関係性が深いことを示している。

療養に集中させるため、信に眠らせる薬を飲ませるだけでなく、その効果が持続するように、特殊な香を焚いているのだそうだ。

その香の効力を受けないために、部屋に入る者は鼻と口を覆うよう指示が出たという訳だ。

毒ではないのだが、薬と同じで、吸った相手によって相性があるらしい。効き過ぎると厄介なことになるのだそうだ。

布で鼻と口元を覆って頭の後ろできつく結ぶと、衛兵が扉を開けてくれた。

「………」

布で遮られているとはいえ、僅かに甘い香りを感じ、昌平君は眉間に皺を寄せる。

(この香は…)

焚いてあるこの香に、媚薬の成分が含まれていることを彼はすぐに見抜いた。

過去に、同じ香りのものを嗅いだことがあったからだ。

反乱の罪で位を剥奪された後、病死したと言われる呂不韋が、まだ相国として秦国の政権を握っていた頃の話である。

女好きな彼が、部屋に宮女を連れ込んだ時もこの香を焚いていた。呂不韋の着物にこの香りが染みついていたのを、昌平君は覚えていたのだ。

こちらは何も訊いてもいないのに、べらべらと香の効力を話し出した呂不韋に「色話を聞かないそなたもきっと気に入るぞ」と言われた時には苦笑を浮かべることしか出来なかった。

媚薬と言えば性欲を増幅させたり、感度を上げるといったものを想像することが多いが、この香は違う。

酒を飲んだ時のような、気分を高揚させる陶酔感を起こさせ、それによって体の緊張を解くことが出来るらしい。

生娘を相手にする時は特に良いのだと、下衆な笑いを浮かべながら呂不韋が言っていた。

まさかこんな状況であの男を思い出すことになるとは思わず、昌平君の顔に嫌悪の色が表れた。

医師団も治療の一環として使用するくらいなのだから、相当な値が張るものなのかもしれない。金が好きな呂不韋が好みそうな代物ということだ。

「……、……」

部屋の奥にある寝台の上で、信は寝息を立てていた。

薬で眠らされるだけでなく、香の効果で体も強制的に脱力させられているようだ。

薬と香のせいとはいえ、こんなにも安らかな寝顔をしている彼女は他の兵たちでも見たことがないだろう。

傷が大方癒えるまでは、嬴政の指示でこの状態が続くに違いない。

特に左足の脹脛ふくらはぎの傷は深く、十針以上縫ったと聞く。

馬上で趙将と戦っている最中に、趙兵によって背後から切りつけられたという。足の骨や腱までは達しなかったのは幸いだった。

驚いた馬が飛び上がり、落馬したことで地面に体を打ち付けたのも体に響いているという。

落下の衝撃で、肋骨にひびが入ったようで、胸には厚手の包帯が巻かれていた。

他にも矢傷や切創など、信の体にはたくさんの傷痕がある。こんなぼろぼろの状態で普通の人間なら、痛みのせいで動けないに違いない。

だというのに鍛錬をして傷口を開かせるなんて、信には痛覚というものが存在しないのだろうか。

(いや…)

大勢の兵を失った悲しみと、趙に対する怒りで、体の感覚が麻痺しているのかもしれない。

昌平君は手を伸ばすと、彼女の頬にそっと触れる。しかし、深い眠りに落ちている信は頬に触れられたことにも気づいていないようだった。

 

不合理

城下町を見下ろせる広々とした露台で、まだ傷も癒えていない体に鞭打って鍛錬をする彼女の姿を見つけ、昌平君はもどかしい気持ちを抱いた。

偶然通りかかっただけだったのだが、なぜ療養に専念するよう言われていた彼女がここにいるのか。昌平君はその場で足を止めて彼女のことをじっと見据えていた。

六大将軍である王騎と摎の娘。二人が下僕の出である彼女を養子にしたのは、武の腕を見抜いたからなのだろう。

王騎と摎の見立ては間違っておらず、大将軍の座に就いた後も、信は二人に引けを取らぬ武功を挙げている。

「うッ…」

鍛錬を続けている最中に、戦で受けた傷が痛んだのだろう、苦悶の表情を浮かべて剣を手放した信を見て、昌平君はいよいよ声を掛けた。

「ただでさえ戦で酷使した体だろう。大人しく休んでいろ」

「……、…」

信が悔しそうな顔で昌平君を見上げる。

その瞳には力強い意志が秘められていて、此度の敗北に対する怒りの色が滲んでいた。死んでいった兵たちのことを想ってのことだろう。体を休めている暇などないと、信の瞳は物語っていた。

まだ体の傷は完全に癒えていないというのに、無理強いすれば再び傷が開いてしまう。

特に深手だったという左足の包帯には既に血が滲んでいた。せっかく縫い付けたというのに、これではまた医師団に診てもらわねばならないだろう。

今の彼女には何を言っても聞く耳を持たないだろう。それほど罪の意識に苛まれているのだと昌平君は分かっていた。

「…今のお前の務めは、療養に専念することだ。傷口が悪化すれば体が元に戻るまで時間がかかる。こんなにも当たり前のことがなぜ分からない」

昌平君の冷静過ぎる言葉に、信はぐっと奥歯を噛み締める。

「っ…」

何か反論しようと口を戦慄かせるが、言葉が見つからないようで、俯いて黙り込んでしまった。

きっと信も頭では理解しているに違いない。しかし、体を動かしていないと、何かに意識を向けていないと、多くの兵を失った罪悪感で心が押し潰されそうになるのだろう。

桓騎や王翦のように、策を成すために兵たちの命を手駒にしか見ていない大将軍もいるというのに、信は違う。

きっと嬴政と同じように、兵たちの命を重んじることが出来るからこそ、信は多くの兵や民に慕われているに違いない。

開いた傷口からの出血で、信の足下には血溜まりが出来ていた。

それだけではなく、鍛錬で体を酷使したせいで、疲弊している体も悲鳴を上げているようだ。信は苦しそうに呼吸をして、体をふらつかせている。

開いた傷口はまた縫い直されるだろう。昌平君は溜息を吐くと、迷うことなく彼女の腰元に手を差し込んだ。

「おわッ!?」

急な浮遊感と高くなった視界に、信が驚いて悲鳴に近い声を上げる。

「何しやがるっ!とっとと降ろせよ!」

昌平君の肩に担がれているのだと分かった信は顔を真っ赤にして、じたばたと手足を動かした。

「大人しくしていろ」

信の体を担ぎながら、昌平君は医師団がいる医務室へと歩き始めた。

軍の総司令官を務めている彼が知略だけでなく武の才も持っていることは信ももちろん知っていた。

過去には大将軍の一人である蒙武よりも強かったという話を人づてに聞いた時は、驚きのあまり言葉を失ったものだ。

「自分で歩けるっ」

昌平君の背中を両手で叩きながらそう言うと、彼の眉間に寄っている皺がますます深まった。

しかし、信の言葉に返答することもなく、黙って歩き続ける。

すれ違う者たちが驚いた顔をして二人を振り返るが、そんなものに構っている余裕などなかった。

「はーなーせーっ!」

着物を掴まれたり、背中を叩かれたり、まるで大きな野良猫でも相手している気分だと昌平君は考えた。

視界に映り込む信の左足の包帯は既に真っ赤に染まっていた。傷口が開いたのは分かっていたが、これだけ出血があるのなら、また縫われることになるだろう。

秦王である嬴政の勅令で医師団も彼女の治療に当たっていたというのに、傷が治りかける度に治療をしなくてはならない彼らの身にもなって考えてもらいたい。

「…お前を届けた後、大王様に現状報告せねばならんな」

大王様という言葉に反応したのか、信の身体がぴたりと動きを止まる。

信と嬴政は友好関係を築いていた。弟の成蟜から政権を取り戻す時からの付き合いらしく、嬴政は信のことを誰よりも信頼している。

本来ならば処罰に値するような無礼な態度も、信だからこそ許されているのだった。

そういえば、薬で眠らさせるように指示を出したのが嬴政だということを、信は知っているのだろうか。

眠らせる作用のある薬だと医師団から聞かされれば、きっと信は拒絶したに違いない。

上手いこと言い包められて眠らされたのだろうと思うと、あの治療が勅令であることは信は知らないのではないかと思った。

「…なあ、政のやつ…怒ってたか?」

表情は見えないが、信が寂しげに尋ねる。

「私の口から答えることではない。傷を癒してから確認すれば良い」

「………」

先ほどまでは暴れる野良猫を相手にしている気分だったが、今度は借りて来た猫のように大人しくなった。

 

処置

彼女を肩に担いだ状態で医務室を訪れると、待機していた医師たちがげんなりとした表情を浮かべた。

またかとでも言いたげな顔であるが、昌平君も彼らの気持ちは分かる。

「頼む」

医務室に設置されている寝台の上に信の体を寝かせると、彼女はまだ借りて来た猫のようにしゅんと縮こまっている。

すぐに医師が左足の包帯の処置に取り掛かった。血で真っ赤に染まった包帯を外す。開いた傷口が痛々しい。

幼い頃から戦場に身を置いていた信にはこれくらいの深手も慣れているようだが、こんな傷口を抱えた状態で鍛錬を続けようとするのは彼女くらいだろう。

他の医師が傷口を縫うために必要な物品を運んで来る。後は彼らに任せればいいと判断した昌平君は何も言わずにその場を去ろうとする。

「…?」

後ろから着物を引っ張られ、昌平君は反射的に振り返った。信が俯きながら、着物を掴んでいたのだ。

まるで行くなと言われているような態度だったが、どうしてそのような態度を取るのか。

後の処置は医師団たちが行うのだから、自分がこの場に留まってやることなど、何もないはずだと昌平君は考えた。

「何をしている」

問い掛けると、信は目を泳がせながら口を開いた。

「……終わるまで、腕貸せよ」

口の利き方には気をつけろといつも言っているのだが、相変わらず気をつけるつもりはないらしい。

しかし、口調とは反対に弱々しい態度だ。心細いのだろうか。

傷口を縫う時は当然痛みが生じる。傷を縫われるよりも、この傷を受けた時の方が痛かったに違いないだろう。

しかし、戦場では常に命の危険があるため、体があまり痛みを感じさせないように、痛覚を遮断することがあるという。

どれだけの深手を負っても武器を振るい続けられる将たちを大勢見て来たことから、その話には信憑性があった。

此度の敗戦で、大勢の兵たちの命を失った信もきっとそうだったに違いない。悲しみと憤りに心が支配され、自分の受けた傷の痛みなど気にする余裕がなかったのだろう。

鍛錬で体を動かしていなければ、死なせてしまった罪悪感に心が押し潰されそうになっていたのだろう。

「………」

信が着物から手を離そうとしないので、昌平君は諦めて彼女の要求に応えることにした。

医師の一人が信に布を渡す。寝台に横たわりながらそれを受け取った信は迷うことなく、その布を口に咥えた。舌を傷つけないための考慮である。

処置をしやすいよう、信は寝台にうつ伏せになり、脹脛ふくらはぎを上に向けた。

医師たちの邪魔にならぬよう昌平君が枕元に移動すると、信が彼の腕をぐいと引っ張る。

溢れ出る血を医師が清潔な布で拭っているのを横目で見ながら、昌平君は黙って彼女に腕を貸していた。

着物越しに自分の腕を掴んでいる信の手が僅かに震えているのが分かる。

「では、傷を縫います」

「う…」

医師の言葉を聞いた信が覚悟したように小さく頷く。

「―――ッ!!」

糸を通してある針が皮膚に突き刺さった途端、信に貸している腕がぎゅうっと強く握られる。

寝台に額を押し付けながら、信が布を強く噛み締めているのが分かった。

「ぅううっ…」

噛み締めた布の下で苦悶の声が上がる。

開いた傷口を弄られるというのは、当然だが苦痛が伴う。痛みによって左足が魚のように跳ねていたが、処置に差支えないように、医師弟子の手によって強く左足を強く押さえ込まれている。

「っ…」

相当な苦痛を堪えている信を見つめながらも、昌平君は彼女に貸している腕に痛みを覚える。

多少の痛みなら動じない昌平君だったが、あまりにも信が強く腕を握って来るので、腕の血流が遮られてしまいそうだった。

掴まれていない方の手を伸ばし、昌平君は腕を貸す代わりに、信の手に自分の指を絡ませる。まるで恋人や夫婦のような握り方だが、信も腕を掴んでいるより良かったらしい。五本の指が昌平君の手の甲に食い込んで来る。

裂けている傷口を縫い付けていく嫌な音も、血の匂いも、耐性がないものなら卒倒してしまいそうなものだった。

ふ、ふ、と苦しそうに息をしているが、処置はまだ続いている。間違って舌を噛ませぬためにも、口の布を外す訳にはいかなかった。

「………」

昌平君は信に強く握られている手をそっと握り返してやり、反対の手で彼女の頭を撫でてやる。

それだけで苦痛が和らぐとはとても思えないだが、他に掛けてやる言葉も思いつかなかったのだ。

しゃっくり交じりの声を聞き、信が涙を流していることは、容易に想像がついた。

 

弱気

―――処置を終えると、信の体はぐったりとしていた。

額には脂汗が浮かんでおり、ようやく布を外されたことで、大きく口を開けて、彼女は肩で呼吸を繰り返していた。頬には痛みを耐え抜いた涙の痕がいくつも残っている。

再び新しい包帯を巻かれていくのを横目で見ながら、昌平君はそういえばまだ手を握られたままでいることを思い出す。

体は脱力しているというのに、なぜか昌平君の手だけは放そうとしないのだ。疲労のあまり、手を放すのを忘れているのだろうか。

しかし、昌平君が指を離そうとすれば、まるで行くなと言わんばかりに手に力を込めて来る。

処置が終わったことは信も分かっているはずだ。握っている手がまだ震えていることから、まだ痛みの余韻と戦っているのだろうかと考える。

傷口を縫い直す処置には、これだけの苦痛を伴うことを信は分かっているはずだ。それなのに一体なぜ無茶をして、自ら同じ苦痛を受けていたのだろうと些か疑問を抱いた。

しかし、それだけ失われた兵たちに対する想いが強かったのだろう。

「…総司令官様」

処置を行っていた老年の医師が水桶で手を洗った後、険しい表情で昌平君を見た。

「傷口を弄りましたゆえ、これから高い熱が出るでしょう。今日は、信将軍を一歩も歩かせぬようにお願いします」

「………」

信にも聞こえるよう発した大きな声は、僅かに怒気を含んでいる。

他の医師や弟子たちも、彼と似たような表情を浮かべていた。無茶をする信に医師団たちも相当堪えているらしい。

開いた傷口を縫い付けるのが一体何度目かは分からないが、彼らの反応を見る限り、恐らく一度や二度ではないのだろう。困り果てて、嬴政に報告したというのも納得が出来た。

そして、彼らの怒りの矛先は言うことを聞かない信ではなく、彼女を従える軍の総司令官である自分に向いたという訳らしい。

大王の勅令で薬と香を用いてまで治療を行ったのに、確かに傷口が開いては元も子もない。

他の傷口は順調に回復しているとはいえ、このままでは左足の傷だけ治癒が望めなさそうだ。

「…善処しよう」

当たり障りのない返答をしてみたものの、結局は信の行動次第だ。きっと医師団たちも分かっているのだろうが、ここまで無茶をして何度も傷口を悪化させられると、腹が立つのも無理はない。

老年の医師が神妙な顔つきで部屋の奥にある薬が収納されている棚へ向かった。

振り返って昌平君にこちらへ来るように手招いたのは、信に聞かれてはまずい話をするからなのだろうか。

信に怪しまれぬよう自然な足取りで追い掛けると、医師は棚の引き出しを開けて何かを取り出した。

「いつも焚かせている香です」

特殊な樹皮を乾燥させた物らしい。医学と同じように、香の知識には乏しい昌平君であったが、これが呂不韋が話していた催淫効果のある香の原料だというのは分かった。

「…この香と薬の組み合わせですが、あまりにも効き過ぎるので、量の調整をせねばなりません」

「調整?」

薬の知識にはあまり得意でない昌平君が聞き返す。

香を焚く時に使用する量について説明始める医師に、看病に当たる侍女たちならまだしも、昌平君はどうしてそれを自分に話すのかと疑問を抱いた。

「…なぜそれを私に告げる?」

医師は答えず、もう一つ引き出しを開けた。中から色んな薬草を磨り潰して乾燥させた物を一摘まみ布に包み出す。こちらは眠らせる作用のある薬だと言った。

「液体に混ざると溶ける性質を持つので、粥か飲み物にでも混ぜて下さい。香は効き過ぎるので、焚くのは信将軍が眠られてからで構いません」

「………」

布に包まれた薬と香を押し付けるように渡され、昌平君は眉間に皺を寄せた。

せっかく治り掛けていた傷口が開いたのは軍の総司令官である自分の管理不足であり、責任を持ってお前が面倒を見ろということらしい。

そんな暇などある訳がないと言うのに、有無を言わさず香と薬を押し付けて来た辺り、医師も相当参っていることが分かる。

信の看病に当たっている侍女たちに渡そうと昌平君は考えた。彼女たちなら、香や薬の扱いは心得ているはずだ。

さて、問題はもう一つ残っている。

医務室から彼女が療養に使っている部屋まで、また自分が運ばなくてはならぬのか。昌平君の顔がますます強張った。

「総司令官様、もう一つお伝えしたいことが…」

医師に呼び止められ、昌平君は振り返った。

 

強引

「はあ…」

「…溜息を吐きたいのは私の方だ」

腕の中で信が何度目になるか分からない溜息を吐いたので、昌平君は冷たい瞳で見下ろした。

「自分で歩けるって言ってんのに…あの医師ども…!」

医師に何度も叱られたことに対して、信が落ち込んでいる様子はなかったが、今日は一日歩くなと言われたことに納得がいかないらしい。

これから熱が出ることを考慮して乗馬の許しも出ず、いつまでも屋敷に帰れないことを不満に思っているらしい。

嬴政の信頼している大将軍である彼女が今後、戦に立てなくなるのは困る。嬴政が医師団に治療の指示をした以上、彼らは信の傷を完治させる義務があるのだ。

彼らがその義務を果たすためには、信に大人しく眠っていてもらわねばならないのに、肝心の彼女が少しも言うことを聞かない。

「勝手を起こすせいで何度も傷を縫い直す彼らと、お前を部屋まで送る係を押し付けられた私の身にもなってみろ」

「へーへー、それは悪うございました」

「………」

少しも反省していないどころか、こんな状況に限って普段使わない敬語を用いる信に、昌平君のこめかみに青筋が浮かんだ。

背中と膝裏に腕を回し、信の体を両腕で抱きかかえながら歩く昌平君も、今の状況には納得がいかないのである。

軍の総司令官である昌平君が、飛信軍の将である信を抱きかかえながら歩いている光景に、すれ違う者たち全員が驚いていた。妙な噂を立てられるかもしれない。

療養のために与えられた部屋に戻って来ると、昌平君は思い切り彼女の体を寝台へ投げつけたい気持ちを堪えて、足に負担がかからないように寝台へと座らせた。

「…悪かったな」

先ほどと同じ言葉を掛けられるが、しゅんとした表情と元気のない声色から、謝罪の気持ちが籠っているのが分かる。

「療養に専念しろ。次に鍛錬をしているところを見つけたら、寝台に縛り付けるぞ」

「うう…」

怒気を込めた言葉が決して冗談ではないことを察し、信は怯えたように顔を強張らせた。

寝台の傍にある台に水甕と杯を見つけ、昌平君は信の死角になるように背を向けてその場所に立ち、杯に水を汲んだ。

袖の中から先ほど医師にもらった薬を取り出すと、自然な手付きで杯の中に入れる。

液体に溶け出す性質があると言っていたが、水の中に薬が落ちた途端、医師の言葉通り、それはみるみるうちに溶けていった。

用意されていた杯が黒色なのは、恐らく薬が解けているのを色で気づかれないようにするためだろう。

「信」

「ん、ああ…」

薬を混ぜたことは告げず、昌平君は彼女に杯を差し出す。

苦痛を伴う処置でかなり汗をかき、喉が渇いていたのだろう、信は疑いもせずに杯を受け取る。その時、彼女がはっとした表情を浮かべた。

(気付かれたか?)

色んな薬草を磨り潰して乾燥させたそれは、確かに独特な匂いを発していた。色は杯で誤魔化せても、薬独特な匂いは誤魔化せないだろう。

だが、毒を盛ろうとしている訳でもないし、むしろ今の彼女には必要な薬だ。咎められる理由はなかった。

黙って薬を飲ませようとしたことから逆上されるのかと思いきや、信は杯を握りながら、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

「…腕…」

「腕?」

切なげに眉を寄せた信が昌平君の腕を見つめている。

その視線を追い掛けると、袖から見える腕があり、先ほどの処置中に、強く掴まれた指の痕がくっきりと残っている。

自分がそれほどまで強い力で腕を握っていたのだと分かり、信はばつの悪そうな顔で俯いた。

追い打ちをかけるように昌平君が口を開く。

「…医師たちが、次に同じようなことがあれば、傷口を焼くと言っていた」

「ひッ…」

信が分かりやすく青ざめた。傷の縫合だけでも凄まじい苦痛だったというのに、傷口焼くだなんて想像を絶する痛みに違いない。

本当はそんなことを言っていなかったが、恐らく一つの手段として医師たちも考えているに違いない。彼らの心中を察した昌平君は、そろそろ信を抑制しておかねばと思っていた。

またいつ戦が起こるか分からない。近隣の国が趙に敗北したこの機を狙って迫って来る可能性は十分にあった。

飛信軍を率いる彼女には一刻も早く傷を癒してもらい、次の戦に備えてもらいたい。それは嬴政も昌平君も同じだった。

「………」

脅し文句が効いたのか、信は再び借りて来た猫のようにしゅんと縮こまっている。

「…飲まないのか?」

杯を握り締めたままでいる信に、昌平君はじれったくなって声を掛けた。

敗戦の事後処理に追われている最中ということもあって、正直、これ以上の時間は掛けられない。

だが、医者からあのように言われてしまった手前、薬を飲ませずに離れる訳にもいかなかった。

「だってよ…これ飲んだら・・・・・・、次いつ起きるか分かんねえだろ」

彼女の口ぶりから、薬が溶かされていることには気付いていたらしい。

「なら、大人しく寝台に横たわっていられるか?」

「………」

信は何も答えずに、頬をむくれさせている。

やはりこのままでは信は鍛錬で体を動かし続けるだろう。それほどまで、大勢の兵を失った今回の敗戦は信の心に傷をつけたようだ。

はあ、とわざとらしく溜息を吐いた昌平君が信の手から杯を奪った。

「…分かった」

「えっ?」

軍の総司令官が自分の気持ちを理解してくれたことに、それまで暗い表情を浮かべていた信の瞳に光が灯る。どうやら薬を飲まなくても良いように、見逃してくれると思ったらしい。

しかし、信が顔を上げると、昌平君はなぜか杯の水を口に含んでいた。

「は?お前、何して…」

一体何をしているのだと信が目を丸めていると、昌平君はすぐに信に顔を近づけ、自分の唇を彼女の唇に押し当てたのだった。

「んッ、んぅう――!?」

視界いっぱいに昌平君の端正な顔が映っているのと、唇に柔らかい感触が当たっていることに驚く間もなく、口の中に薬が溶かされた水が流れ込んで来る。

「むぅ―――!」

飲む訳にはいかないと思っていたそれが一気に流れ込んで来て、信はすぐに吐き出そうとした。

しかし、昌平君もそれを分かっていたようで、唇を押し当てたまま動かない。

諦めて飲み込めば良いものを、信の両手がじたばたと暴れ、昌平君の着物や髪を乱暴に掴む。

「~~~ッ!!」

必死に抵抗する信の体を両腕で抱き押さえ、その勢いを利用して、昌平君は信の体を寝台に押し倒した。

「んぐッ」

寝台に背中を打ち付けた衝撃で、信の喉がごくんと動く。

ようやく飲み込んだかと昌平君が唇を離すと、信はむせ込みながら、耳まで顔を真っ赤にしていた。

「な、な、な、何しやがるッ!」

「お前が大人しく飲まないからだ」

せっかく飲ませたというのに、指でも突っ込まれて吐き出されては困ると、昌平君は信の体を組み敷いたままでいた。

「おっ、おい、いい加減に放せよッ」

「吐き出さぬと誓えるか?首を掛けてもらうぞ」

「………」

あからさまに目を泳がせて信が沈黙する。吐き出すつもりだったらしい。

呆れた女だと昌平君は何度目になるか分からない溜息を吐いた。

傍から見れば、軍の総司令官である昌平君が、飛信軍の将である信を押し倒して、今まさにその身を味わおうとしている姿にしかみえないだろう。

「ったく、どいつもこいつも、足のケガ一つで大袈裟なんだよ…」

しかし、信の方は不貞腐れた子どものような表情を浮かべている。

これだけ密着しておいて、異性として何も意識しないのは彼女だからこそだろう。

「………」

信と同様に、自分も何も意識せずにいるべきだと頭では分かってはいるのだが、触れ合っている肌の柔らかさや、意外と細い身体、吐息、長い睫毛など、様々な情報が飛び込んで来る。

心臓が早鐘を打っていると気づかれないだろうかという不安に襲われ、昌平君はさり気なく顔を背けていた。

きっと今の自分は情けないほど赤らめていることだろう。

好いている女に薬を飲ませるという目的で口づけただけでなく、これだけ傍にいて、男が冷静でいられるはずがないのだ。生殺しも良いところである。

「なー、吐き出さねえからそろそろ放せよ。お前、重いんだよ」

「なら薬を吐き出さないことに首を掛けられるのだな」

「………」

「………」

もしも、彼女の体を抱き締めているのが薬を吐き出させないためという目的ではなく、触れたかったからだと正直に告げれば、彼女は困惑するだろうか。

いや、鈍い信のことだ。こちらも気持ちも知らずに、「触りたければ触れば良い」とでも言うに決まっている。

早く薬が効いてくれることを願いつつ、昌平君はこのままで居たいと言う複雑な想いに思考をぐるぐると巡らせていた。

「うう…にっげえー…」

信は密着していることよりも、口の中に残る苦味の方が気になっているらしい。

薬を吐き出すことも叶わず、かといって苦味の残る口を濯ぐことも許されず、信は昌平君の腕の中で芋虫のようにもぞもぞとしていた。

薬が効き始めるまでは多少の時間はかかるが、せめて吐き出せなくなるくらい体に吸収させねばならない。

口の中に苦味が残っているのは昌平君も同じである。

…信が薬を嫌がる理由は眠らされることではなく、本当はこの薬の苦味なのではないかと考えた。

 

薬効

一刻ほど経過した頃、瞼が重くなって来たらしい。うつらうつらとしている信を見て、薬が効き始めたのだろうと察し、昌平君はようやく彼女を解放した。

大人しく眠れば良いものを、身体が眠気に抵抗するように、瞼を擦っている。

(…香を焚かねば)

袖の中に入っていたもう一つの白い布を開くと、特殊な樹皮を乾燥させたものだというが、どうしてこれに催淫効果が生じるのか、昌平君には分からなかった。

部屋の隅に置かれていた灰が詰められている聞香炉に目を向ける。

この部屋に来るまでに侍女が火を点けておいてくれたのか、中の灰はまだ熱を持っていた。

香筋火箸のことを使って、医者から渡された樹皮をまだ熱い灰に埋める。

じっくりと温まっていく樹皮から、甘い香りが漂って来て、昌平君は思い出したように着物の袖で鼻と口元を覆った。

以前、部屋に訪れた際には衛兵から布を渡されていたが、そういえば今は用意がなかった。

「ぅう…ん…」

寝台の上にいる信が切なげに眉を寄せている。まだ寝入ってはいないようだが、すぐにでも意識が途切れてしまいそうだ。

信が眠ったのを見届けてから部屋を出ようと考えていた昌平君は、着物の袖で鼻と口元を覆ったまま、彼女を見つめる。

「…昌平、君…」

まさか朦朧としている意識の彼女に名前を呼ばれると思わず、昌平君は反射的に彼女に近寄っていた。

鼻と口元を覆っていない反対の手を掴まれたかと思うと、信は甘えるようにその手を頬に押し当てる。

何をしているのだと驚いた拍子に思い切り息を吸い込んでしまい、甘い香りで頭がくらりとした。

酒を飲んだ時のような、気分を高揚させる陶酔感を起こさせて、体の緊張を解く効果があるのは分かっていたが、ひっくるめて言えば催淫効果だ。

身体が熱くなっていくのを感じ、これ以上この香を吸う訳にはいかないと、昌平君の頭の中で警鈴が鳴る。

こんな即効性のある香だとは思わなかった。昌平君の脳裏に、医師の言葉が蘇る。

―――香は効き過ぎるので、焚くのは信将軍が眠られてからで構いません。

眠ってから香を炊くようにと言われていたが、まさかあの言葉は信ではなくて、香を焚く者・・・・・を気遣った言葉だったのだろうか。

もう信の瞼は落ちかけており、昌平君を掴んでいた手が寝台に力なく落ちた。

「――、―――」

朦朧としている意識で信が唇を戦慄かせている。僅かに空気を震わせたその言葉を聞き、昌平君は目を見開いた。

 

中編はこちら

The post ユーフォリア(昌平君×信)前編 first appeared on 漫画のいけない長編集【ドリーム小説】.

七つ目の不運(李牧×信)中編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 李牧×信/ギャグ寄り/甘々/趙後宮/IF話/ハッピーエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

前編はこちら

 

偽装工作完了

数刻後、約束通りに李牧は呉服店へと戻って来た。

どうやら着替えを終えたらしく、女主人が得意気な顔をしている。

彼女の後ろをついて来た女性を見て、李牧ははっと目を見張ったのだった。

「…随分と変わりましたね」

「うるせえな!お前がそうしろって言ったんだろうがッ」

憤怒して顔を真っ赤にしている信は、顔色と正反対の青い着物に身を包んでいた。

淡い青色から透明感のある水色へ階調をしている裳は、生地に特殊な染め方が施されているらしい。丁寧に蓮の花が刺繍されており、まるで生地に直接色を載せて絵を描いているようにも見える。

表着も裳と色を合わせたのだろう。しかし、表着には裳と違って金色の刺繍が施されており、信が歩く度にその刺繍がきらきらと輝いて見えた。

「………」

まるで彼女自身から光を発しているかのようで、李牧は言葉を掛けるのを忘れて、信に見惚れていたのである。

華やかなのは衣裳だけではない。無造作に後ろで纏めていただけだった黒髪も、女主人によって梳かされ、女性の美しさを引き出すように、高い位置で結われていた。

小さな傷痕が目立つ頬はおしろいを叩いたのか、見事なまでに消え去っている。

みずみずしい赤色に染まった唇は上品さを際立たせており、そこにあったのは別の女の顔だった。

「……おい、それ以上見るなら金取るぞ」

信の怒気が含まった低い声を聞き、李牧ははっと我に返る。

「すみません、あまりにも別人だったので驚いてしまいました」

「ふんッ」

信が腕を組んで大きく顔を背けた。

秦王嬴政の前に出る時や、論功行賞などの畏まった場で、信はいつもの男物の着物は着ずに、身なりを整えていた。その時も、李牧と似たような反応をされることが多い。

きちんとした身なりに整えるだけで驚かれるのは慣れているはずなのだが、李牧に限っては苛立ちしか感じなかった。

女主人も信の変貌ぶりに驚いた李牧の顔を見て、満足げな顔を浮かべている。一仕事終えたと言わんばかりの達成感を噛み締めているようだった。

かくして、偽装工作は無事に成り立ったのである。

 

城下町

信も女主人もぎょっとしてしまうほどの金銭を李牧が笑顔で支払った後、ようやく呉服店を後にした。

城下町は多くの民で賑わっていたが、呉服店に入る前にはなかった不穏な空気が広がっている。

宮廷の護衛に努めている兵たちがあちこちにいるのだ。民たちが何かあったのだろうかと不安そうにしている。

(動き出したな…)

信が見渡す限り、既に二十人近くの衛兵が城下町を歩いている。

城下町は宮廷よりも遥かに広いため、多くの人数を用いられば見つからないと思ったのだろうか。

それにしても、下女一人に対してここまで兵を割くとは何事だ。

信が眉間に皺を寄せていると、李牧は表情を変えず、信にだけ聞こえるように声を潜めた。

「…偽装工作をしたとはいえ、気づかれないとは限りません。怪しまれないよう、自然に振る舞ってください」

「お、おう」

緊張しながら相槌を打つと、李牧がぴたりと足を止めた。

「…その話し方、今だけどうにかなりませんか?」

「は?」

きょとんと目を丸めて信が聞き返す。

「いえ、宦官たちは衛兵にあなたの特徴を伝えているはずですから、そういった言葉遣いも怪しむ可能性があります」

「…んなこと言われても…」

確かに李牧の言う通りである。

後宮の中で、普段から男のような言葉遣いをする女は、信しかいなかった。外見で判断出来ないとしても、言葉遣いから怪しまれる可能性は確かにありそうだ。

とはいえ外見と違って、言葉遣いというのは簡単に変えられるものではない。

「では、寡黙な性格ということにしましょう」

「寡黙な性格?」

ええ、と李牧が笑顔を浮かべる。声を潜めながら、彼は言葉を続けた。

「どこで誰が聞いているかも分かりませんし、用心するに越したことはありません」

「まあ…それもそうだな」

承諾した信に、李牧が意味ありげな笑みを浮かべる。彼がこんな風に笑うのは何かを企んでいる時に違いない。信は嫌な予感を覚えた。

「余程の緊急事態でない限りは口を開かないように」

「な…!」

なんでだよ、と信が反論しようとするが、李牧は自分の唇に人差し指を押し当てた。

「…そういうところです。せめて城下町から出るまでは大人しくしてくださいね。これはお互いの命を保証するためです」

「………っ」

悔しそうに奥歯を噛み締める信に、李牧が穏やかな眼差しを向ける。

悼襄王が伽を命じた下女を匿ったとなれば、たとえ宰相であっても厳しい処罰は避けられないのだろう。

信も自分の正体を知られる訳にはいかなかったため、悔しいが彼の指示に従うことにした。

「門があるのはこの先です」

「………」

城下町の表通りを進んでいき、門を潜れさえすれば逃げられる。

もう少しで秦に帰れるのだと信は胸に希望を灯した。

 

城下町その二

いつもならば着物の乱れなど気にせずに大股で歩く信だったが、女性用の着物で歩く時は、歩幅を狭めないと裾を踏んづけて転倒してしまう。

過去に何度もそれで痛い思いをしていたため、信は図らずとも淑やかに歩いていた。

信が見上げるほど身長の高い李牧の方が歩幅は当然広い。しかし、今は信と離れないように、ゆっくりと歩いていた。

捻ったという右足を庇っているのかと思ったが、引き摺るような仕草はなかったので、恐らく信を気遣って速度を合わせてくれているのだろう。

「……?」

李牧と並んで歩いていると、すれ違う民たちから好奇な視線を向けられる。

脱走した下女だと気付かれたのだろうかと不安に思いながら、視線を送って来る民たちの顔を見た。

怪しんでいるというより、なぜか全員が穏やかな視線を自分たちに向けている。信は頭の中に疑問符を浮かべた。

「………」

おい、と声を掛ける訳にもいかなかったので、信は隣にいる李牧の裾をちょんと引っ張った。

「どうしました?」

すぐに足を止めた李牧が不思議そうに小首を傾げる。手招くと、李牧は体を屈めて顔を近づけてくれた。

余程の緊急事態でない限りは口を開くなと言っていたが、あれは大声で話すなという言葉のあやだったのかもしれない。

「…すげえ見られてるぞ…気づかれたんじゃねえのか?」

耳元で声を潜めながら信が不安を打ち明けると、李牧は周りにいる民たちを見渡して、それから首を横に振った。

「いえ、衛兵たちもこの辺りには来ていませんし、そんな様子はありません。ただの物珍しさ・・・・のでしょう」

物珍しさという言葉を素直に呑み込めず、信は眉間に皺を寄せた。

「…どういう意味だよ」

「そのままですよ。普段は仕事ばかりですから、私がこうして城下町を歩くのは久しぶりなんです」

へえ、と信は頷いた。

確かに宰相という立場であり、趙軍に軍略を授けている李牧ならば、与えられる仕事は後を絶たないのだろう。

将軍である信には戦以外の仕事が何たるかはよく分かっていないのだが、軍の総司令官である昌平君はいつも何が書いてあるのか分からない書簡に目を通している。

秦王である嬴政や他の文官や武官や文官にも様々な指示を出しているし、その上、軍師学校の生徒たちの教育もしなくてはならないらしい。

呉服店に入る前も視線を向けられているとは思ったが、そんな忙しい御仁が城下町を歩くのは、民たちにとっては珍しいことなのだろう。

「宰相様!」

門へ向かって表通りを歩いていると、背後から声を掛けられた。

反射的に振り返ると、宮廷の衛兵たちが数名、焦った表情を浮かべてこちらへ駆け寄って来ている。

まずいと信の心臓が早鐘を打った。

「どうしました?」

まるで信の姿を隠すように、彼女の前に立った李牧が駆け寄って来た衛兵たちに用件を尋ねる。

「それが…後宮から下女が逃げ出し、その者を探し出せという勅令が…」

勅令。つまり悼襄王の指示である。信は李牧の背後で顔を引き攣らせた。

たかが一人の下女のために、まさか悼襄王自らそんな指示を出すなんて、とても信じられなかった。

兵たちから逃げた下女の特徴を告げられ、李牧はふむと頷く。

言葉遣いも外見も男のようで、壁を飛び越える身体能力の高さがあるという特徴に信はいたたまれない気持ちになった。

まさかその張本人が李牧の背後にいる着飾った女で、正体は秦の大将軍の一人だなんて、誰も思わないだろう。

「そうでしたか…見かけたらすぐにお伝えします」

宰相の言葉に、衛兵たちは礼儀正しく供手礼をする。

「!」

李牧の身体越しに衛兵たちと目が合ってしまい、信は咄嗟に顔ごと目を逸らしてしまった。

怪しまれただろうか。俯いて李牧の背中に隠れていると、衛兵たちはなぜか頬を赤く染めて、驚いたように李牧を見たのだった。

「こ、これはお二人の貴重な時間を邪魔をしてしまい、申し訳ございません!それでは」

「え?」「は?」

李牧と信が同時に聞き返したが、衛兵たちはその場から逃げるように去っていく。

残された信と李牧はしばらく呆然としていたが、衛兵たちが遠ざかっていったことに安堵し、再び歩き始めた。

(何だったんだ?あいつら…)

衛兵の言葉を未だ理解出来ずにいる信は頭に大量の疑問符を浮かべながら、李牧の隣をついて歩く。

李牧は意味を理解したのか、それとももう興味を失くしたのか、いつものように人の良さそうな笑みを口元に繕っていた。

「…逃げ出した下女の騒動、大きくなって来たようですね」

それは他でもない信のことなのだが、李牧は辺りを見渡しながら呟いた。

勅令ということもあってか、衛兵たちが必死な形相で民たちから話を聞いていた。

後宮にいたのはたったの数日だ。後宮に務めている下女など大勢いる。宦官や女官たちも一人一人の顔や特徴など細かく覚えていないのだろう。そのおかげか捜査が随分と難航しているようだった。

(とっとと諦めて、他の女にすればいいのに…)

大王と褥を共にするのが仕事である女は後宮に大勢いるというのに、一体どうして執拗に自分を探そうとしているのだろうか。

高貴な生まれの令嬢でもあるまいし、後ろ盾もない下女の一人くらい放っておけばいいものをと信は考えた。

どうやら李牧は信の考えを表情から読み取ったらしく、少し困ったように溜息を吐く。

「ああ、すみません。少し肩を借りてもいいでしょうか?」

どうやら捻った右足が痛むのだろう。信はすぐに頷いた。

李牧の大きな手が信の左肩に寄せられる。傍から見れば、身を寄せ合いながら歩いている男女ということで夫婦か恋人にしか見えなかった。

すれ違う民たちから好奇心が含まれた視線を向けられるが、信の中では「足を捻った李牧に肩を貸しているだけ」である。

自分の正体に気付いたのではないかという不安の方が大きく、彼らが視線を向けて来る理由が好奇心であることに気付けなかった。

信の肩を借りたことで、先ほどよりも距離が近づいた李牧は、

「…稚児趣味で有名な御方です。あなたの外見から、相手をさせたがったのでしょう」

他の者たちに聞こえないように小声で囁いた。

下女になった経緯はともかく、信が見初められた理由を李牧はそのように理解している。

「うぅ…」

後宮の中で悼襄王に声を掛けられた時の、あの絡み付くような視線を思い出し、信はぶわりと鳥肌を立て、思わず両手で自分の体を抱き締めた。

幼い頃から戦場に身を置いていたことから、信は自分に怖いものなど何もないと思っていたのだが、これは新たな発見だ。

そこで、信はふと浮かんだ疑問を躊躇うことなく口に出す。

「…なんで、お前はあんな奴に仕え――もがっ」

言い切る前に李牧の大きくて骨ばった手が信の口元を塞いだ。

「ああ、あそこで綺麗な簪が売っていますね。せっかくですから見ていきましょう」

片手で口を塞がれたまま、ちょうど視界に入った簪が売っている店に引っ張られていく。

「~~~ッ!」

放せと李牧の着物を掴むと、彼は信の耳元に顔を寄せて声を潜める。

「…王の侮辱となれば、さすがに私も庇い切れませんよ」

一切の感情を読み取られない低い声に、信はぎくりと体を強張らせる。

確かにここは悼襄王が収める趙の領地であり、首府の邯鄲だ。

悼襄王に嫌悪感を抱いているとしても、彼に従っている将や兵は多くいる。李牧もそのうちの一人だ。

仕えている王の侮辱は許せないのだろう。自分だって、なぜ嬴政なんかに仕えているのかと問われれば逆上したに違いない。

「………」

反省したように縮こまった彼女を見て、ようやく手を放してくれた李牧は穏やかな笑顔を浮かべている。

他の民たちに怪しまれないようにとはいえ、簪が売っている店にやって来た信は戸惑ったように李牧を見上げた。

自分の目的はあくまで城下町から出ることであって、買い物など不要だ。

しかし、怪しまれないためだと思い、信は大人しく店の前に立った。

陳列棚に並んでいる簪は、多くの種類が並んでいる。金や銀で出来たもの、磨き抜かれた美しい黒檀でできたもの、眩い宝石が取り付けられているものなど、色とりどりだ。

女性ならば目を輝かせるものばかりで、陳列棚の周りには多くの女性客たちがいた。

当然、一般民には手の届かぬ額のものばかりのため、眺めるだけで満足しているようだった。

しかし、彼女たちの視線は今や簪ではなく、宰相である李牧の端正な顔立ちに向けられていた。

そして彼のすぐ背後にいる信に気づくと、彼女たちはぎょっとした表情を浮かべ、李牧と信の交互に視線を向けているのだった。

(やっぱり怪しまれてんじゃねえのか…)

楽しそうに簪を眺めている李牧に早く行こうと催促するように、信は背後から李牧の着物を引っ張った。

「何か欲しいものはありますか?」

振り返りざまに笑顔を向けられると、周りにいる女性たちが顔を真っ赤にしている。しかし、信は簪になど少しも興味がなく、あっさりと首を横に振った。

(早く行くぞ)

言葉遣いから、探されている下女だと見抜かれる訳にはいかなかったので、信は李牧の着物を掴む手に力を込める。

周りの女性たちが信に羨望の視線を向けていたが、それを疑いの眼差しに感じた信は嫌な汗を滲ませる。

偽装工作をしたとはいえ、李牧と二人でいるのは目立つ。

周りにいる女性たちが信の方を見ながら、何かを囁き合いながら、鋭い目つきを向けて来る。

(…やっぱり気づかれてるじゃねえか!)

睨まれているのだと分かり、信はいたたまれなくなった。

このままここにいたら、あの女性たちに逃げ出した下女だと衛兵に告げられるのかもしれない。

着物の袖で口元を隠し、なるべく顔を見られないように、信は足早にその場を離れた

 

別行動その一

その場から逃げるように去っていった信に、李牧が気づくことはなかった。

数多くある簪の中で、彼女に何が似合うだろうかと考えている内に夢中になっていたのである。

信が着ている着物と彩りが似ていることから、青水晶で花の形を象っている金色の簪を選んで店主に包んでもらっていると、先ほどから店にいた女性客に声を掛けられる。

「宰相様、あの、先ほどのお付きの方は…」

「え?」

振り返ると、そういえば信がいなくなっていることに気付く。

簪を眺めている最中に、後ろから何度か着物を引っ張られたが、大人しく待ってくれていると思っていた。

店主から簪を受け取りながら、李牧は辺りを見渡した。

遠くで彼女を探している衛兵たちの姿がちらほら見える。声を掛けられていたような気配はなかったが、衛兵たちの姿を見て怯んでしまったのだろうか。

「すみません、先ほどの女性がどちらへ行ってしまったかご存じありませんか?」

声を掛けてくれた若い女に尋ねると、彼女は門のある方を指さした。もしかしたら一人で門まで行ったのだろうか。

せっかく国を出るまで協力すると言ったのに、一人で行ってしまうなんてと李牧の瞳に寂しい色が浮かぶ。憂いの表情を見た女性客たちの顔に緊張が走った。

「あ、あの、宰相様にはお体の弱い許嫁様がいる・・・・・・・・・・・と…」

その言葉を聞き、そういえば過去にそんなことを公言したなと李牧は苦笑を浮かべた。

宰相という立場であるせいか、その地位を欲しがる者から李牧は縁談の話を持ち掛けられることが多かった。

名家の娘を中心として、他にも名のある商人の娘だったり、王宮を出入りする評判の良い妓女など、縁談として選ばれる相手は様々なのだが、李牧はそれらを全て断っていた。

しかし、いつまでも妻がいないことを不憫に思われているのか、良かれと思って縁談を持って来る者も絶えず、苦肉の策として李牧はある女性の存在を仄めかせるようになった。

それが、病弱な許嫁という架空の存在・・・・・である。

身体が弱く、滅多に屋敷から出て来られないのだと言えば、大半の者は納得して引き下がってくれる。

側近たちにもその話をしたのだが、怪しまれることもなく、事実だと受け入れてくれた。

情報が制限されると、人は良いように想像するものだ。李牧はその体の弱い許嫁と結ばれるために縁談を全て断っているのだと話がたちまち広まり、それから縁談の話はぴたりと止んだのだった。

未だに李牧が子を持たないことも、架空の許嫁のおかげなのか、勝手に納得されていた。

名前も明かしておらず、ただ病弱だということしか伝えていないのだが、絶世の美女だとか、可憐な女性なのだとか、様々な憶測が飛び交っている。

噂が一人歩きをすると、色んな枝が生えるものだ。どうやら、一緒にいた信がその病弱な許嫁だと思われたらしい。

(ちょうど良いかもしれません)

李牧は思考を巡らせた。

「ええ、彼女がその女性です。今は許嫁ではなく、妻ですが」

妻という単語を聞いて、なぜか青ざめて悲鳴を上げる女性や、歓喜の表情を浮かべる女性がいた。

李牧に声を掛けてくれた女性は後者で、思い出したように、はっとした表情を浮かべた。

「あの、御口許を押さえていましたから、もしかして、お体の具合が優れないのかもしれません…」

「それは大変です。彼女はいつ発作・・を起こすか分かりませんので、早く連れ帰らねば…では、私はこれで失礼しますね」

李牧は簪を着物の袖の中にしまうと、足早に・・・信の姿を追い掛けた。後ろから女性客たちの羨望の視線を感じたが、李牧は一度も振り返らなかった。

我ながら上手い言い訳だと李牧は表情に出さずに自画自賛する。

病弱な許嫁は架空の存在であったのだが、実際に姿を見た者がいれば、噂にさらなる信憑性が伴う。

それでいて発作という言葉を使って、病弱な印象をさらに深められた。これによって今後、李牧に未だ子がいないことも勝手に納得されるに違いない。

信が口元を抑えていたのは恐らく顔を見られないようにするためだろうが、都合よく立ち回ってくれた。

心の中で感謝しつつも、まだ彼女を逃がす訳にはいかない。

李牧は信が向かったであろう門の方向へと駆け出した・・・・・

 

別行動その二

簪を売っている店から逃げて来た信は、スカートの歩きにくさに苛立ちを覚えていた。

あの呉服店の女当主はやり手で、身包みを剥がされるように下袴を奪われてしまったのだ。

宦官の下袴だと気づかれないだろうかと信は不安だったが、女当主は商売人であり、後宮には出入りしないと言っていた。恐らく宦官との関わりがないことを知った上で、李牧もあの呉服店の女主人を頼ったのだろう。

少しでも早く趙国から脱出したい信は構わずに門を目指した。

国に入る分には色々な取り調べがあるが、出ていく分には許可は不要だろう。李牧がいなくても何とかなりそうだ。

着物の袖で口元を隠したまま、信は俯きながら前に進む。気持ちが急いているため、意識せずとも足取りが早まっていた。

裳を踏まぬように気をつけながら、ひたすら表通りを進んでいると、近くにある酒場から出て来た中年の男とぶつかってしまった。

(うおッ!)

女性らしさの欠片もない悲鳴を寸前で飲み込んだ信だったが、勢いのあまり、尻餅をついてしまう。

(いってーな!どこ見て歩いてんだよ!)

痛む尻を擦りながらぶつかって来た男を睨み付けると、彼も同じように尻餅をついていた。

大分酒に酔っているらしく、顔が真っ赤になっている。吐き散らかしている激臭を感じ、信は思わず袖で自分の鼻と口元を覆う。

麃公が日頃から愛飲している胃が燃えるような強い酒も飲むことが出来る信だったが、その激臭には耐性がなかった。

髭面の男はふらふらと立ち上がって、信を見下ろすと、にたりと嫌な笑みを浮かべた。

立ち上がると、李牧くらい背丈のある男であることが分かる。

がっしりとした体格や、体にいくつもの傷があることから、恐らく趙兵として戦に出ている者に違いない。

男は片手に持っていた酒瓶の蓋を開けて、中に入っている酒を水のように喉を鳴らして飲み始めた。

酒場にいる店員や客たちがこちらに視線を向けている。迷惑そうな視線であることから、飲み過ぎだと店から追い出されたところだったのかもしれない。

「お嬢ちゃん、良いところの娘だな?」

まるで勘定でもするかのように頭の先から足の先まで視線を向けられ、信は嫌悪感を覚えた。

「………」

こういう酔っ払いには関わらないのが一番だと、信は颯爽と立ち上がって、無言で着物についた土埃を払う。

李牧が呉服屋の女主人に支払った金銭はとんでもない額だったというのに、土埃をつけてしまった。後で着物を返せと言われないことを願うしかなかった。

そういえば嬴政からもらった着物を着ている時でも、信は構わずに地べたに座ることがあり、その度に王賁に叱られていたことを思い出した。今度からは気を付けよう。

何事もなかったかのように男の横を通り抜けようとすると、太い毛むくじゃらの腕が信の細い手首を掴んだ。

(なんだよ、この酔っ払い!)

普段の信だったらすぐに振り払っただろう。ついでに蹴りの一発でもお見舞いしていたに違いない。

しかし、今それをするのはまずい。趙国を出るためには、何としても衛兵たちの目に留まるような目立つ振る舞いをする訳にはいかなかった。

もどかしい気持ちのまま、しかし、相手を刺激しないために沈黙を貫いていると、男が激臭を吐き散らかしながら大声で笑う。

「ちょうど酌をしてくれる相手を探していたんだ!付き合ってくれよ、嬢ちゃん。別の店で飲み直そう!」

(お、おいっ!?)

強引に腕を引っ張られ、門と逆方向へ向かっていく男に、信は狼狽えた。

宮廷へ向かう方にはまだ衛兵たちがうろついている。早く門を抜けて城下町を出たい信は両足に力を込めて踏ん張り、男の手を振り解こうとした。

しかし、意外と酔っ払いの力は強い。酒が入ると力が抜けてしまいそうなものだが、この男は元々それなりの力量を持っているのかもしれない。

傍から見れば、酔っ払いの男がどこぞの高貴な娘に絡んでいる図にしか見えないのだが、面倒事には関わりたくないのか、通行人たちは見て見ぬふりを決め込んでいる。

後宮から脱走した下女を探している衛兵たちもこんな時に限って傍にいない。だが、声を上げて助けを求めれば、信の正体に気付く者がいるかもしれない。

李牧と離れたのは間違いだったかもしれない。宰相という立場があれば、それだけで虫除けになったに違いない。

(くっそ…!)

必死の抵抗を装って脛にでも蹴りを食らわせようかと信が考えた時だった。

「嬢ちゃん、俺はなあ、秦の六大将軍の王騎が討たれる瞬間をこの目で見た男なんだぞ!」

男の言葉を聞いた信の中で、一瞬、確かに時間が止まった。

抵抗していた信がその言葉を聞いて、力を抜いたので、男は得意気に言葉を続ける。

「王騎は俺たちに囲まれて身動きが取れなくなってからも抵抗を続けてたんだ!とっとと首を差し出せば良かったのによお」

どうやら、この男は馬陽の戦いで王騎軍と戦ったことがあるらしい。

天下の大将軍と名高い王騎の姿を見ただけで、自慢げに語る者は敵にも味方にも多い。それほど父の存在はこの中華では偉大なものだった。

「本当なら魏加じゃなくて、俺の弓で討ち取るはずだったんだがなあ」

腰元に剣を携えていないのは、彼が弓の使い手だったからだ。

誇らしげにあの戦のことを語る男の様子を見る限り、どうやら天下の大将軍を追い詰めたことを武勇伝のように思っているのだろう。

信の中で、男の言葉以外の雑踏が消えていく。目の奥から燃えるような熱さを感じ、信は体が小刻みに震え始めたのを他人事のように感じていた。

馬陽の戦いで行われた龐煖と王騎の一騎打ち。弓の名手である魏加という副将が、その一騎打ちに横槍を入れたのだ。

普段の王騎だったなら背後からの射撃など容易く回避していただろう。しかし、強敵である龐煖との戦いに集中していたせいで、遅れを取った。

背中に射撃を受けた僅かな隙を龐煖は見逃さなかったのだ。

「―――」

槍で貫かれる父の姿が瞼の裏に浮かび上がり、信は思わず息を詰まらせる。

信もあの戦場に、そして王騎のすぐ傍にいた。あの時、魏加が王騎の背中に弓を向けていたことに気付くことが出来たのならという後悔は今でも止まない。

「………」

瞬きもせずに体を震わせ、何の感情も持たない虚ろな瞳を浮かべている信を見て、男が不思議そうに小首を傾げている。

もしも信が背中に剣を携えていたのなら、迷うことなく男の首を撥ねていただろう。

他の誰でもない、天下の大将軍を、秦の六大将軍の一人を、最愛の父を侮辱されて、このまま黙っていられるはずがなかった。

虚ろだった信の瞳に、憤怒の色が宿る。

「おい!何するんだ!」

―――気付けば信は男から酒瓶を奪い取っていた。

頑丈なそれを、彼女は迷うことなく、男の頭部に向かって振り上げたのだった。

 

悔恨と謝罪

小気味いい音がするのと同時に、周囲からたくさんの悲鳴が聞こえた。

「え…?」

しかし、信の視界に映っていたのは、倒れ込む男の姿ではなく、額から血を流してこちらをじっと見据えている李牧だったのだ。

酒瓶が割れて、中に入っている酒を浴びたのだろう、頭も着物も酒でずぶ濡れになっている。

どうして李牧がここにいるのだろう。信は冷たい水を頭から被せられたように呆然としていた。

(な、…んで…)

驚きのあまり、信は言葉を失ってしまう。李牧が男を庇ったのだと理解するまでには時間がかかった。

額から流れる血を手で拭いながら、李牧は何も言わずに信に背を向ける。

「大丈夫ですか?」

か弱い女に殴られると思ったのか、驚いて腰を抜かしている男に、李牧は膝をついて声を掛けた。

突然現れた宰相の存在に、周りの者たちは固唾を飲んでいる。

「ああ、さ、宰相様!」

宰相に声を掛けられたことでようやく我に返った男は、驚きのあまり、酔いが一瞬で冷め切ったようだった。

李牧の後ろにいる信を指さしながら、男が喚き散らす。

「そ、そこの女が、秦の王騎の話で逆上したのです!どこの娘かは知りませんが、厳しい罰をお与え下さい!」

敵将である王騎を庇ったかのような行動を理由に、男が信を責め立てる。

騒ぎによって注目の的になってしまった信は、拳を握りながら俯いていた。

(もう、どうでもいい)

王騎を侮辱した男が許せなかった。

父が討たれたのは李牧の軍略が原因なのだが、龐煖と対峙している最中に、趙兵が弓矢を放たねば父が負けるはずはなかったのだ。

あの場で魏加が弓矢で王騎を討たんとしたのは、趙兵たちの言葉を聞く限り、どうやら彼の独断による行動だったらしい。

あの時、矢を受けなければ、天下の大将軍である父は龐煖に負けなかった。

悔やんでも悔やみ切れない想いが、信の心にはわだかまりとなっており、未だに負の色の根を張っていた。

こうなればいっそ、この場で自分は王騎の娘だと正体を告げてやろうかと信が考えた時だった。

「…すみません、彼女は私の妻でして」

ゆっくりと立ち上がった李牧の言葉の口から、妻という単語が出て来たことに、信と男だけではなく、周りにいる者たちがざわめき始める。

こんな時に何を言っているのだと、信は驚きのあまり声を出せなかった。

偽装工作は既にしたはずだが、妻を名乗れとは言われていない。恐らく、注目を集めてしまったせいで、李牧が信の正体を隠し通すために嘘を吐いたのだろう。

しかし、こちらを凝視している者たちが「体の弱い許嫁だ」と噂しているのが聞こえ、李牧は一体いつからそんな偽装工作を仕組んでいたのだろうと考える。

宰相である李牧に、病弱な許嫁がいるというのは趙では有名な噂・・・・・・・であったため、信だけが知らないだけなのだが。

「さ、ささ、宰相様の、妻…!?」

自分を殴りつけようとした無礼な女が李牧の妻だと知った男が大口を開けている。

少しも冗談を言っているとは思えない神妙な顔で、李牧は頷いた。

「妻は滅多なことでは怒りませんし、当然、相手に手を出すことはありません。それは私が保証します。だというのに、王騎将軍の話で逆上したということですが…彼女に一体何を伝えたのですか?」

「い、いえ、その…」

険しい表情で李牧が詰問すると男は言葉を濁らせた。

先ほどまでは酔いで顔を真っ赤にしていたはずの男が、今は血の気を引かせて真っ青な顔になっている。

下手したら自分が処罰を言い渡されるのではないかと恐れているのだろう。

何も語り出そうとしない男に、李牧はわざとらしく溜息を吐いた。

「…私は卑怯で姑息な策を使い、何とか王騎将軍を討つことが出来ました。しかし、逆に言えば、そのような策を使わなければ・・・・・・・・・・・・・、彼を討つことは出来なかったということです」

信は李牧の背中を見据えながら、黙ってその言葉を聞いていた。

彼女だけではない。真っ青になっている男も、こちらを注目している多くの民が李牧の言葉に耳を傾けていた。

軍略に長けていると誰からも評価されているはずの李牧自ら、用いた策を卑怯で姑息だと言ったことに驚いている者もいる。

真っ向からぶつかれば、趙軍は王騎に敵わなかったのだと、李牧は公言した。

一騎打ちに横槍を入れたのは魏加の独断によるものだったが、どちらにせよ李牧の策によって王騎軍が苦戦を強いられたことは事実である。李牧の策さえなければ、あの父が討たれることは決してなかった。

しかし、李牧は王騎を討ち取った自分の軍略を鼻にかけることはせず、むしろ自らを蔑むように語っていた。

秦趙同盟を結ぶ際も、呂不韋に似たようなことを話していたことを信は思い出しす。

「―――王騎将軍の侮辱は、彼と同じ戦場に立っていた者として、断じて許しませんよ」

信の心に、李牧のその言葉は不思議と染み渡っていった。

父を討つ軍略を企てた憎い男だとしか思っていなかったはずなのに、なぜか今だけは、李牧が一人の軍師として信の瞳に映っていたのだった。

一切の感情を感じさせない低い声で、李牧が言葉を続ける。

「たとえ、秦国の将であろうとも、天下の大将軍である彼が、今でも偉大な存在として中華全土に名を轟かせているのは変えられない事実です。その意味を、決して忘れぬよう」

氷のような冷たさを秘める李牧の瞳に見据えられ、男がその場に膝をつく。申し訳ありませんと泣きそうな声を上げながら、地面に額を擦り付けるほど頭を下げた。

「…分かっていただけたのなら良かったです。妻には日頃からそのように言い聞かせていたので、話を聞いて逆上してしまったのでしょう。どうか、妻の無礼を許して下さい」

信は謝罪する気など微塵もなかったのだが、李牧が代わりに頭を下げた。

「とんでもございません!宰相様、それに奥様、誠に申し訳ございませんでした…!」

少しも顔を上げないまま、男は李牧と信に対して何度も謝罪をする。

先ほどまで憤怒の感情に呑まれていた信だったが、今では落ち着きを取り戻していた。

思わぬ注目を集めてしまったが、民たちは李牧と彼の言葉に意識を向けていたに違いない。

敵将の武功を認めるどころか讃える発言をした宰相に、反抗するような目つきを向ける者は一人もいなかった。

むしろ、誰もが温かい眼差しを向けており、宰相である李牧を慕っている者がこれほど多いのかと信は驚かされる。

「さ、行きましょうか」

何事もなかったかのように振り返った李牧は、穏やかな瞳と、優しい笑みを信へ向けた。

冷静になった頭で、信は李牧の頭を殴ってしまったことに、ばつが悪そうな表情を浮かべている。

「あっ…!」

彼の額からまだ血が流れていることに気付き、信が慌てる。男を殴るつもりだったとはいえ、思い切り酒瓶で殴ってしまい、額の皮膚が切れてしまったのだ。

「見た目ほど傷は深くないですから、心配は要りません。こう見えて石頭なんです」

そんなことを言われても出血しているのは事実だ。信は不安そうな表情を浮かべながら、何か出血を押さえるものを探す。

だが、彼女を安心させるように、李牧は血を流しながら笑みを深めていた。傍から見れば、血を流しながら笑う怪しい男でしかない。

早くここを去りたかったが、自分が怪我をさせてしまった手前、信はどこかで手当てを受けさせなくてはと考える。

「…おや、何だか眩暈がしますね」

「李牧ッ!」

ふらついた李牧の体を信が慌てて抱き止める。

出血の量はさほどひどくないように見えたが、頭部からの出血ということもあって決して油断は出来ない。一切の加減をせずに殴りつけたため、何かあってもおかしくはないと信は不安になった。

「ああ、すみません…少し休めば、すぐに良く…」

途中で言葉が途切れた後、どうやら意識を失ってしまったらしく、李牧の体が脱力する。信は奥歯を噛み締めて踏ん張った。身長差も体格差もあるせいで、信一人だけでは完全に支え切れない。

(くそ…!宮廷に戻るしか…!)

王族が住まう宮廷になら常駐の医師がいるだろう。宰相の立場ならば、すぐに診てくれるに違いない。

宰相が意識を失ったことに、周りにいる民たちはざわめいている。

こうなれば李牧の妻を演じ切り、誰かの手を借りるしかないと信が意を決した時だった。

「…こちらでしたか」

背後から凛とした声が響き、信は李牧の体を支えながら振り返った。

 

宰相の将

そこにいたのは、李牧が従えている趙将の一人、慶舎だった。

(なんでこいつが…)

李牧の体を抱えながら、信は顔を強張らせる。

秦趙同盟が結ばれたあの日、慶舎は秦国へ来ていなかったこともあり、信の素顔を知らないはずだ。

信自身もそれを分かってはいるのだが、まるで人形のように表情を変えない慶舎に、全てを見透かされているような気持ちになってしまう。

こちらが動揺していることに気付いているのかすら、信には分からなかった。

「………」

信に支えられながら、ぐったりと動かない李牧を見て、慶舎が近づいて来る。

正面から李牧のことを支えている信を退かせると、慶舎は彼の右脇に手を差し込んで、体を支えた。

「…李牧様の指示で馬車の用意をしてあります。こちらへ」

慶舎と目が合うと、礼儀正しい言葉で声を掛けられ、信は目を丸めた。彼の態度から考える限り、恐らく信の正体には気付いていなさそうだ。

李牧が馬車を用意するよう指示を出していたようで、信は戸惑いながらも慶舎の言う通りに従う。怪我をさせた手前、このまま李牧に謝罪もせず趙を去ることはしたくなかった。

「ど、どこに…?」

傷の手当てを最優先にしたかったのだが、馬車で宮廷に戻るのだろうか。信が疑問を口にすると、慶舎は「李牧様のお屋敷です」と表情を変えないで答えた。

「医者の手配もすぐに行いますので、ご心配なさらず」

信の心を読んだかのように、慶舎が告げる。信は頷いて、慶舎とは反対の李牧の左側に立って、彼の体を支えた。

慶舎も将軍ではあるが、李牧の体格には及ばない。二人で運んだ方が早いと信は李牧の体を支える腕に力を込める。

少し進んだ先に慶舎が言っていたように馬車が停まっており、彼の力を借りながら、信は李牧の体を馬車の中へ運んだのだった。

馬車で移動している最中も、李牧は一度も目を覚まさなかった。

 

後編はこちら

The post 七つ目の不運(李牧×信)中編 first appeared on 漫画のいけない長編集【ドリーム小説】.

バーサーク(蒙恬×信)前編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 蒙恬×信/輪虎×信/嫉妬/無理やり/ヤンデレ/All rights reserved.

一部原作ネタバレあり・苦手な方は閲覧をお控え下さい。

 

白老の死

その日、大勢の家臣たちに囲まれて、眠るように蒙驁は息を引き取ったのだった。

孫である蒙恬は、冷たく強張っていく祖父のしわがれた大きな手をいつまでも握り続けていた。

自分を抱き上げてくれて、頭を撫でてくれて、時にはそっと背中を押してくれた、大きくて温かいその手は、今では氷のように冷え切っていた。

「……っ…」

祖父との別れに涙を流しながら、蒙恬は奥歯を噛み締めている。

嗚咽を堪えるためではない。今際にも顔を出さなかった父へ怒りを堪えているせいだ。

「蒙恬…」

心配そうに信が名前を呼ぶ。蒙驁の危篤の報せを聞き、身内でもない彼女は馬を走らせて駆けつけてくれ、ずっと蒙恬の傍にいてくれた。

しかし、今の蒙恬には、彼女に返事をすることも、いつものように笑顔を繕って「大丈夫だよ」と返す余裕など微塵も持ち合わせていない。

それでも信は何も言わずに傍にいてくれた。何を話す訳でもない、慰めの言葉を掛ける訳でもない。

ただ、蒙恬の祖父を失った悲しみと、父に対しての怒りを受け止めるかのように、信だけはずっと傍にいてくれたのだ。

蒙恬は、それほどまで自分を心配してくれている信の気持ちを純粋に嬉しく思ったし、情けない姿を見せてしまったという後ろめたさもあった。

―――蒙驁の大きな亡骸が従者たちに運ばれていき、葬儀の準備が始まる。

「信…」

「ん?」

隣にいる信の名前を呼び、泣き腫らした瞳を向けても、信は普段通りの態度だった。

「少し、良いかな」

「おう」

蒙恬は隣にいる彼女の肩に額を寄せる。はち切れそうに膨らんでいた心が、彼女の温もりに触れると、不思議と落ち着いてしまう。

「…ごめん」

震える声で呟くと、信は何も言わずに蒙恬の頭を撫でてくれた。

惚れている女には、こんな弱々しい姿を見せたくないと思っていたのだが、今だけは信の優しさに甘えたかった。

見舞い その一

信が屋敷を訪ねて来たと侍女から報せを受け、蒙恬は彼女を出迎えた。

端正な顔立ちをしているというのに、信は今日も相変わらず男のような着物に身を包んでいる。蒙恬の姿を見つけると信が手を挙げた。

「や、久しぶり」

おう、と信が頷く。それから蒙恬の顔をまじまじと見つめ、信は心配そうに眉を下げた。

「お前、寝れてんのか?」

…痛いところを突いて来る。蒙恬が苦笑を深めた。

目の下の隈を指でほぐしながら、蒙恬は「まあね」と適当に相槌を打つ。

―――白老の弔いの儀から既に一月が経っていた。

しかし、まだ蒙恬は祖父を失った悲しみの中にいる。

蒙恬が悲しんでいるうちにも、信は大将軍としての活躍を続けていくし、王賁だって将軍の座を目指そうと日々努力しているのだ。

このまま何もせずにいると、確実に差を付けられてしまうのは分かっていたのだが、蒙恬はどうしても前に進めずにいた。

信が背中に背負っていた大きな酒瓶を「ほい」と押し付けて来る。反射的にそれを受け取った蒙恬は目を丸めた。

「…なにこれ?」

「お前が一人で落ち込んでると思って、見舞いに来た」

信の言葉に、蒙恬はきょとんと眼を丸める。

未だ蒙恬が身内を亡くした悲しみに囚われているのを、信はどこからか聞きつけたのかもしれない。

「陰気臭えなあ、きっと蒙驁将軍が心配してるぞ!」

人の心に土足で入り込んでくるような彼女に、蒙恬はぷっと笑ってしまう。

相手の顔色や気持ちを窺うことをせずに、堂々と用件を伝えるのは信の短所であり、この上ない長所だ。しかし、蒙恬には信の真っ直ぐな気持ちが心地良かった。

「良いんだよ。じいちゃんをあの世でも心配させてやるんだ」

「孫のお前を心配して、化けて出て来たらどうするんだよ!」

本気で心配している信を見て、蒙恬は声を上げて笑った。

そういえば蒙驁が亡くなってから、従者たちに心配を掛けまいと繕った笑みを浮かべていることはあったが、こんな風に他愛もないことで笑ったことなど一度もなかった。

信が相手だと、何を考えているか腹の内を探る必要などない。信の言葉はいつだって本心なのだから、そもそも探る必要などないのだ。

だからこそ、こちらも素直に気持ちを伝えることが出来る。秦王である嬴政が信のことを信頼しているのも頷けた。

信の笑顔は、太陽のようにも、一点の曇りのない青空のようにも思えた。…どちらにせよ、自分には手の届かない存在なのかもしれないと蒙恬は考える。

長年蒙驁に仕えていた兵や家臣たちが、今も蒙驁を失った悲しみを抱えているのを蒙恬は知っていた。

どうやら彼らは孫である自分の前では、悲しむ姿を見せまいとしているらしい。

そのせいか、ここ数日の間、屋敷にはずっとぎくしゃくとした空気が満ちていた。自分の屋敷でありながらも、息が詰まりそうだった。

だからだろうか、信が来てくれたおかげで、蒙恬はほっと息を吐くことが出来た。

見舞い その二

客室に案内すると、信は椅子に腰を下ろして、さっそく持参した酒瓶を開ける。従者が気を遣ってくれたのだろう。既に台の上には二人分の杯が用意されていた。

「本当は賑やかな方が良いと思って王賁も呼んだんだけどよー、あいつ鍛錬が忙しいんだと」

「王賁らしいよね。信はいいの?」

「俺は済ませてから来たから問題なし!あとは飲んだくれるだけだ」

一日くらい手抜きをするのではなく、きちんと今日の分の鍛錬をこなしてから来るだなんて、彼女らしい。蒙恬は瞼を擦った。

「…急がないと、楽華隊もどんどん抜かされてくな。ま、飛信軍にはとっくの昔から差をつけられてるんだけどさ」

「ん?何言ってんだよ、楽華隊もすげえ勢いで上り詰めてるじゃねえか」

さらっと褒め言葉が口を衝いて来るのは信の長所だ。彼女は心に表裏がない。だからこそ、素直に思ったことを何だって言える。自分にはないものだと蒙恬は思っていた。

杯に酒を注ぎ、信が「ほら」と蒙恬へ差し出す。

「楽華隊が次の戦で武功を挙げたら、蒙恬は将軍に昇格だって、昌平君が言って…あ!今のは聞かなかったことにしろ!内緒だって言われてたんだった」

笑顔から一変、あたふたと慌てる信に、蒙恬の口元に笑みが浮かんだ。

「へえ…良いこと聞いちゃった」

盃を受け取りながら、蒙恬は口元を緩ませる。まさかこんなところで軍の総司令官からの極秘情報を聞いてしまうとは、運がいい。

いつだって本心で話す彼女が隠し事など出来るはずがないのだ。しかし、それを知っているのは蒙恬だけではなく、彼女の周りにいる者たち、そして昌平君もそうだろう。

もしかしたら、信が本人に言ってしまうことを想定した上で、昌平君も将軍昇格のことを伝えたのかもしれない。

蒙驁が亡くなって落ち込んでいる自分に「休んでいる暇はないぞ」という牽制の意図があるのかもしれないが。

うっかり極秘事項を話してしまった信は昌平君に怒られると縮こまっていた。

「俺が黙ってれば大丈夫だよ。ほら、乾杯」

杯を掲げると、信は少し目を丸めてから、笑顔で杯を突き出した。小気味のいい音を聞いてから、蒙恬と信は酒を飲む。

「ぷはー、美味ぇなあ」

信が満面の笑みを浮かべた。

焼けつくような舌触りから、かなり強い酒であることが分かる。胃に火が灯ったかのような熱さが走った。

しかし、荒々しさの後に繊細な深みも感じられる。酒が得意な人間でなければ卒倒してしまいそうな強さではあるが、美味い酒だった。

「うん。これは美味いね」

同意すると、信はまるで花が咲いたように笑みを深め「だろっ?」と聞いて来る。

「これな、麃公将軍のおすすめの酒蔵から取り寄せたんだ」

麃公といえば、戦でも、戦のない時でも酒を欠かさない将軍だ。

王騎と摎の養子として迎えられた信は、幼い頃から麃公と面識がある。麃公軍の隊として戦に出たこともあると言っていた。

王騎と摎の娘ということもあり、麃公からもまるで娘のように思われているらしい。信も麃公と同じ本能型の将で、その共通点から何か引かれ合うものがあったのかもしれない。

「うッ…」

きりりと胃が痛み、蒙恬が顔を歪ませる。強い酒のせいで燃えるように熱く感じていた胃が拒絶反応を示したようだった。

「ん?どうした?」

すぐに気づいた信が心配そうに顔を覗き込んで来る。

「…すきっ腹に飲んだから、ちょっと身体がびっくりしたのかも…」

「はあ~?飯食ってないのかよ」

驚きと呆れが混ざった複雑な表情を浮かべた信が肩を竦めていた。

…蒙驁が亡くなってから、蒙恬はあまり食事を摂らずにいた。

食欲がなかったのが一番の理由であるが、口に運んでも味を感じなかったのだ。家臣たちを心配させまいと、彼らの目がある所では無理やり食べていたが、蒙驁を失った悲しみに囚われた体が食事を拒絶しているのだと思った。

しかし、今日は違う。久しぶりに味というものを感じて、胃が痛み始めている。

「やめとめやめとけ。ぶっ倒れても知らねえぞ。俺は膝なんか貸さねえからな」

信が蒙恬の手から杯を奪い取る。見舞いの品として持って来たくせに、蒙恬がもう飲めないと分かると、独り占めするつもりらしい。

「返せよ」

「あ、おいっ」

奪われた杯を取り返し、蒙恬は信の制止も聞かず、再び酒を喉に流し込んだ。

胃が痛んだのはほんの少しだけで、すぐに落ち着いたようだった。

まるで何事もなかったかのように酒を飲み干した蒙恬に、信が苦笑する。

「良い飲みっぷりだな。そういや、蒙武将軍もすげえ飲むよな」

信が酒瓶を手繰り寄せて、空になった杯におかわりを注いでやる。

「父上は酒が強いからね。俺が酒に強いのは、父上に似たからだよ」

「ははッ、弟もお前も顔まで父親似じゃなくて良かったな!お前ら兄弟が蒙武将軍みたいなでっけぇ男だったら、俺もみんなもきっとビビッて口聞いてなかったと思うぜ!」

「それ絶対に外で言ったらだめだよ?」

家臣たちが聞いたら卒倒してしまいそうな言葉だが、蒙恬も大笑いしていた。

やはり信は相手の心に土足で踏み込んで来る女だ。相手によっては無礼だと怒る者もいるだろう、しかし、蒙恬には彼女の無礼がいつも居心地良く感じられた。

まるで太陽のように、陰った心を照らしてくれる。彼女を慕う者が多いのは、きっとみんな同じ理由だろう。

戦場ではまるで嵐のように敵兵を薙ぎ払っていくのに、武器を持たぬ女子供には一切手を出さない。投降した敵兵たちにも危害を加えないという噂がたちまち広まり、飛信軍は他国からも随分と慕われているようだった。

大王嬴政も信とは親しい。きっと秦国のどこを探しても大王に無礼な口を利くことが出来るのは信しかいないだろう。だが、彼女の無礼な態度を、嬴政は何とも思っていないようだった。

話を聞けば弟の成蟜から政権を取り戻す時から既に信頼関係を築いていたそうだ。

時々、蒙恬はそのことに危機感を抱くことがある。

後宮には大王のために足を開く女性たちが大勢いるが、世継ぎを産む女性と、嬴政が心を捧げる女性は別に違いない。

そして後者の女性が信だとしても、何らおかしくはないことだろう。それほどまで嬴政と信の仲は深いのだ。

大王の剣として、秦国の大将軍の座に就いている信だが、一歩離れて見れば男と女だ。そういう関係になったとしてもおかしくはない。

二人が恋仲であるという話は聞かないが、もしそんな噂が広まったとしたら、確実に信憑性が伴ったものになるだろう。

(前途多難…ってね)

蒙恬は肩を竦めながら酒を口に運んだ。信に想いを寄せている者など、自分を含めて大勢いる。

下僕の出であるせいか、良い意味でも悪い意味でも彼女は自分の立場を気にせずに相手に意見を申すのだ。

大王である嬴政を始め、自分よりも立場の高い者でも低い者でも、構わずに声を掛ける。どうやらその姿に心を打たれる者も多いらしい。

彼女が率いている飛信軍の兵たちの半分は、彼女に憧れを抱く者、あわよくば彼女と添い遂げたいと感じている男どもの集まりだ。

しかし、信本人はそのことに微塵も気づいていないだろう。そして蒙恬が想いを寄せていることにも。

もしも蒙恬の想いに気づいていたら、二人きりで酒を飲み交わす場など設けるはずがない。

戦場に身を置くことに才能の全て費やしたと言っても過言ではないほど、信は鈍い女だった。

もし、信が将軍にならなかったとしたら、今頃は誰かに嫁いでいたのだろうか。養子であるとはいえ王騎と摎の娘だ。王家の者として、嫁ぎ先など数多に違いない。

将軍の立場であっても、彼女に縁談を申し込む男も多いと聞く。ことごとく断っている話を聞けば、信は将軍以外で生きる道を考えていないようだ。

「ふはー。美味ぇな」

「そうだね」

酒が回って来たのだろう、信の頬が紅潮している。

同じ量を飲んでいても、すきっ腹に流し込んだはずの蒙恬はちっとも酔っていなかったのだ。

しかし、酒の酔いを演じて、深入りしても叱られないだろうと考える。

せっかく二人きりで酒を飲み交わしているのだ。この時間を利用しない手はない。

過去

「…信はさ、将軍以外の道で、生きるつもりはなかったの?」

「あ?」

不思議そうに信が目を丸めている。蒙恬はにこりと微笑んだ。

「だって、好きな人の子どもを産むって、女性にしか出来ない大役じゃん。もしも今、将軍じゃなかったら何してたのかなって考えたりしないの?」

んー、と信が酒を飲みながら考える。

それから杯を台に置くと、信は「聞いて驚け!」と偉そうに腕を組んだ。

「俺はな、下僕として生きていた頃も、拾われてからも、絶望的に仕事が出来なかった!」

「えっ?」

まさか下僕時代の話をされるとは思わず、今度は蒙恬が目を丸める番だった。しかし、下僕時代の話を聞くことが今まであまりなかったので、興味はある。

皿を割った枚数の自慢から始まり、床掃除ではいつも水をぶちまけるなど…、信がよっぽど下仕事に向いていないということが分かった。幼い頃の信はとにかく不器用だったらしい。

「仕事が出来ない分、武器を振るう方が性に合ってたんだよ」

ふうん、と蒙恬が頷く。

「俺に箒を持たせたら、備品がいくらあっても足りないって、王騎将軍によく褒められてたんだぜ」

「全部壊したってことね」

幼い頃の信の姿が容易に想像が出来て、蒙恬は思わず笑ってしまった。蒙恬が笑ったことに、なぜか嬉しそうに信も笑いながら言葉を続ける。

「その点、輪虎にはバカにされたなあ」

「…輪虎?」

しばらく聞かなかった名前が出て来たことに、蒙恬の眉間に僅かに皺が寄る。蒙恬の表情が変わったことに気付くことなく、信は笑いながら話を続けた。

「そう!あいつ、廉頗将軍に拾われてからは屋敷の仕事を任されてたんだけど、その合間で兵たちの稽古や喧嘩を見て、誰に教わるでもなく、自分で学んでたんだってよ」

器用だよなあと信が呟いた。

輪虎は、先の戦で信が討ち取った、廉頗四天王の一人だ。

王騎と廉頗が戦友であったことから、信は幼い頃から王騎に連れられて廉頗の屋敷に行くことがあったのだという。

熱っぽい瞳で話す信を見て、蒙恬は奥歯を噛み締める。

廉頗と蒙驁が総大将とした戦が行われたのはもう随分の前のことだ。

蒙恬は輪虎に辛酸を嘗めさせられたことは今でも覚えている。輪虎自身も強いだけじゃなく、軍略も凄まじかった。

楽華隊が輪虎軍の兵たちを蹴散らし、その間に信が輪虎を討ち取ったのだが、彼女自身も輪虎との一騎打ちで深手を負った。

宿敵ともいえる輪虎の名前が、どうして彼女の口から出て来るのか。

一騎打ちで輪虎に勝利した後、信は彼の首を取ることなく、亡骸を廉頗に引き渡したのだ。そのことには兵たちからは大いに賛否両論あったが、信に迷いはなかった。

泣きながら輪虎の亡骸を抱きかかえていた姿も、蒙恬は覚えている。あの時、彼女の頬を伝っていたのは雨ではなく、涙だった。

過去 その二

仕える国も主も違う将同士。いずれは敵として戦場に立つ日が来るのを信も輪虎も分かっていたに違いない。

しかし、その運命から逃げることはせず、二人は死闘を繰り広げた。そして結果的に、生き残ったのは信だった。

言葉にしてしまえば他愛のないことだ。しかし、輪虎との過去が無くなった訳ではない。

いつまでも信の心に彼との思い出は残り、そして信は彼の命の重みを背負って、これからも戦場に出るだろう。

「………」

信は目を細めて、懐かしむように自分の右腕を見つめている。

そこには戦場で刻まれて来た傷跡がいくつもあったのだが、その中でも、一つだけ深い切り傷がある。

今はもう痛みもなく、剣を持つのにも支障はないと言っていたが、その深い傷をつけた者こそ、輪虎だった。

信の処置に当たった医師団の話だと、骨が覗くほど深く斬りつけられていたのだという。

副官の羌瘣が持っていたという秘薬を使用したことで大事には至らなかったと聞いた。しかし、そのまま傷が治り切らず、腕が腐り落ちたとしても何ら不思議ではなかったそうだ。

きっと輪虎は信の右腕を斬り落とすつもりで剣を振るったに違いない。

もしも、その斬撃が腕ではなくて首に向けられていたのなら、いくら信であっても絶命していただろう。

蒙恬は傷痕から意識を逸らさせるように、そっと信の右腕を掴んだ。

「ん?」

きょとんと眼を丸めた信が蒙恬を見つめる。

信の意識が傷痕に向けられたままだったなら、きっと彼女は輪虎との思い出に浸っていたに違いない。

今、彼女の傍にいるのは自分だというのに、他の男との思い出に浸られるのは、嫌悪感に苛まれた。

それが嫉妬という名の感情だとしても、蒙恬は信を今は亡き男に渡したくなかったのである。

「山陽の戦いは、色々大変だったな」

信の腕からそっと手を放し、不自然にならないよう、蒙恬はさり気なく話題を切り替えた。
思い出したように、信が「あっ」と声を上げる。

「そういや、俺、山陽の戦いの前夜に、蒙驁将軍に会ったんだぜ」

「えっ?そうなんだ」

山陽の戦いでは、蒙驁が秦の総大将を務めていた。飛信軍も前線で大いに活躍してくれていたが、その作戦会議でもしていたのだろうか。

「蒙驁将軍がよ、一般兵の格好してて、ぼーっと空を見上げてたんだよ。俺、気づかないで踏んづけちまって」

笑いながら発せられた信の話には、孫の蒙恬の全く知らない祖父の姿があった。

あれだけ目立つ体格をしていた蒙驁だったが、なぜか信は蒙驁本人であると気づけなかったらしい。

一体どうして正体を見抜けなかったのかは分からないが、それより気になるのは祖父のことだ。

蒙驁は一般兵に紛れて、何をしていたのだろう。

「…じいちゃん、空なんか見て、何してたの?」

蒙恬が話の続きを促すと、信は頬杖をついて、その時の情景を思い出していた。

「喧嘩の相談されたんだよ。でも、あれって今思えば、廉頗将軍のことだったんだな」

「え?」

祖父である蒙驁と廉頗の関係性は、蒙恬も知っている。

それほど廉頗に強い敵対心を抱いているようには見えなかったのだが、それは蒙驁が周りに沿う振る舞っていただけなのだと、信の言葉を聞いていくうちに理解できた。

一度も勝ったことのない相手に勝利することが自分の目標であり、夢なのだと、蒙驁は信に自分と廉頗の名を語らずに話したそうだ。

「…そうなんだ」

祖父のそんな一面を知ったのは初めてのことだった。蒙恬の瞳に憂いの色が浮かぶ。

生まれた時からずっと優しい祖父だと慕っていたのに、血の繋がりもない信に、そんな悩みを打ち明けたのかと思うと、複雑な気分になった。

「…俺、じいちゃんに可愛がってもらってたけど、そんな姿、一度も見せてもらったことなかったな」

皮肉っぽく言うと、信が小さく首を横に振る。

「俺だって偶然通りかかっただけだぞ。…あんまり、身内には見せたくなかった姿だったんじゃねえのか?蒙恬だってあるだろ、そういうの」

まさか信に諭されるとは思わず、蒙恬は苦笑を浮かべた。

「お前のこと、すげえ大事にしてただろ。心配かけたくなかったんじゃねえのか?」

身内だからこそ、語らなかったのだと信は言った。

確かに優しい祖父のことだ。幼い頃から可愛がってくれていた孫に、心配を掛けまいとしていたのかもしれない。

祖父の優しい顔が瞼の裏に浮かび上がると、腑に落ちたように頷いた。

祖父との約束

「そういえば…結局、じいちゃんとの約束、果たせなかったな」

空になった杯に酒を注ぎ足しながら、蒙恬が呟いた。

「約束?」

「そう」

蒙恬がわざと明るい声色を繕って言葉を続ける。

「じいちゃんが生きてる間に、お嫁さんとひ孫を見せてあげるって言ったんだ」

口元に杯を運んでいた信がぎょっとした表情になる。

まさかそんな顔をされるとは思わず、蒙恬は思わず笑ってしまった。

「ひどいな、何その反応」

「い、いや…そんなこと約束してたのか」

狼狽えている信に蒙恬は頬杖をついた。

自分たちの年齢ならば、婚姻を結ぶことも、子どもが生まれていても、別に珍しい話ではない。家の関係で、幼い頃から許嫁を決められることだってある。

「信は?いくつも縁談断ってるって噂で聞いたけど」

「ああ、でも、まだ…そういうのは…」

養子とはいえ、天下の大将軍である王騎と摎の娘だ。さらには飛信軍を率いる女将軍ということもあって、その名は今や、秦国だけでなく中華全土に広まっている。

下僕出身であることから、低い身分の者たちからも大いに支持を得ており、彼らにとって信は憧れの存在でもあった。

裏表のない性格や、武器を持たぬ女子供や投降兵たちの命を奪わないことから、彼女を慕う者は多くいるらしい。縁談の話が来ない訳がなかった。

信の歳の娘でも、早い者ならもう嫁いで子を産んでいる。だが、彼女は秦王嬴政の信頼も厚く、容易に大将軍の座を空ける訳にはいかないのだろう。

確かに縁談を断る理由として理に適っているが、そうだと言わずにやたらと言葉を濁らせる信に、蒙恬は何か別の理由があるような気がしてならなかった。

「もしかして、良い相手でも見つけた?」

「へっ?」

そんなことを問われるとは思わなかったのか、信の顔が耳まで赤くなっている。それが酔いから来ているものではないと蒙恬にはすぐに分かった。

「べ、別に、そういうんじゃ…」

「…ふーん?」

頬杖をつき、蒙恬が横目で信の様子を伺う。

裏表のない性格である彼女が嘘を吐けないのは分かっていた。相手を騙すことも出来ないなんて、随分と損な性格だ。

顔を赤くしたまま俯いている彼女の視線の先には、傷だらけの右腕があった。

輪虎との戦いで負った深い傷跡を見つめているのだと分かり、蒙恬は目を見開く。

まだ信の心には輪虎の存在が強く根付いている。それが許せず、蒙恬は強く拳を握りしめた。

叶わぬ婚姻

「……好きなの?」

弾かれたように信が顔を上げる。

「へっ?な、なにが?」

「輪虎のこと。今も好き?忘れられない?」

信が聞き返すと、蒙恬は矢継ぎ早に問いかけた。

問われた信は口元に手を当てて、うーんと小さく唸る。蒙恬が抱えている苛立ちには微塵も気づいていないようだった。

「…そりゃあ、好きか嫌いかって言ったら、好きだぞ?」

大して迷いもせず答えた信に、蒙恬の胸の中に黒いものが広がっていく。

輪虎によってつけられた傷痕に、熱っぽい眼差しを向けていたことから、その答えは予想出来ていたのだが。

しかし、蒙恬のそんな想いも知らずに、信は頬杖をつき、昔を懐かしむように、遠くを見つめている。

どうして目の前に自分がいるというのに、自分以外の何かを見ているのだろうと蒙恬はやるせない気持ちに襲われた。

「…俺は王騎将軍と摎将軍に拾われて、あいつは廉頗将軍に拾われた孤児だ。すっげえ人たちに拾われた境遇も、そこから将軍になる過程も一緒で、…まあ、兄妹みたいなもんだろ」

「………」

兄妹のような関係と聞いて、男と女の関係がないことが分かった蒙恬は僅かに安堵した。

「…あいつにはさ、本当の妹がいたんだ。だが、廉頗将軍に拾われる時には妹は死んじまってたらしい。…酔っぱらった時に俺に話してくれたんだ。もしかしたら、輪虎は俺のことを妹と重ねて見てたのかもしれねえな」

優しい目をしている信に、蒙恬は唇を噛み締める。

男女の関係に至らなかったとしても、その眼差しを見れば、彼女が輪虎へ想いを寄せていたことが分かった。

縁談を断る理由もそこにあるのだと思うと、蒙恬はいたたまれない気持ちになる。

「…信はさ…輪虎のこと、兄以上に想ってたんじゃないの?」

「は?」

意味が分からないと言った顔をした信に、蒙恬は苦笑を浮かべながら言葉を続けた。

「だって、輪虎の話をする時の信の瞳が、完全に恋する乙女だったから」

普段のように「何言ってんだよ」と切り返してくれれば、この話題はもう終わろうと思っていた。

しかし、信は熱っぽい瞳で、蒙恬ではない誰かを見つめている。

「…そうだな。…きっと、そう、だったんだと思う」

輪虎への愛情を肯定する言葉に、蒙恬の中で何かがふつりと切れる音がした。

台に載せていた酒瓶と杯が、がちゃんと派手な音を立てて転がった。

気付けば蒙恬は信の体を押し倒していた。床に背中を打ち付けた信が苦悶の表情を浮かべている。

「な、に…して…」

床に両手首を押さえつけられて、体を組み敷かれているのだと分かると、信が戸惑ったように目を瞬かせている。

「あー…ごめん。俺、女の子には酷いことしないって決めてるんだけどさ…ちょっと無理かも」

呆然としている信の顔を見下ろして、蒙恬が口元を緩ませた。

 

後編はこちら

The post バーサーク(蒙恬×信)前編 first appeared on 漫画のいけない長編集【ドリーム小説】.

ファーウェイ、クロアチアとブルネイでデジタル人材育成を後押し

 【新華社北京10月21日】中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ、Huawei)はこのほど、2022年度の情報通信技術(ICT)研修プログラム「シーズ・フォー・ザ・フューチャー(未来の種)」の研修活動をクロアチアとブルネイで実施し、現地のデジタル人材育成とデジタルトランスフォーメーション(DX)促進を後押しした。
≫続きを読む
Posted in 未分類

ファーウェイ、クロアチアとブルネイでデジタル人材育成を後押し

 【新華社北京10月21日】中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ、Huawei)はこのほど、2022年度の情報通信技術(ICT)研修プログラム「シーズ・フォー・ザ・フューチャー(未来の種)」の研修活動をクロアチアとブルネイで実施し、現地のデジタル人材育成とデジタルトランスフォーメーション(DX)促進を後押しした。
≫続きを読む
Posted in 未分類

巨大電波望遠鏡「中国天眼」、観測史上最大の原子ガス構造発見

 【新華社北京10月21日】中国科学院国家天文台の徐聡研究員率いる国際チームがこのほど、貴州省にある500メートル球面電波望遠鏡(FAST、通称「中国天眼」)を使い、銀河群「ステファンの五つ子」と周辺の水素原子ガスのイメージング観測を行い、銀河系の約20倍の大きさとなる約200万光年の巨大原子ガス構造を発見した。
≫続きを読む
Posted in 未分類

巨大電波望遠鏡「中国天眼」、観測史上最大の原子ガス構造発見

 【新華社北京10月21日】中国科学院国家天文台の徐聡研究員率いる国際チームがこのほど、貴州省にある500メートル球面電波望遠鏡(FAST、通称「中国天眼」)を使い、銀河群「ステファンの五つ子」と周辺の水素原子ガスのイメージング観測を行い、銀河系の約20倍の大きさとなる約200万光年の巨大原子ガス構造を発見した。
≫続きを読む
Posted in 未分類

中国海洋石油集団の深海深層ガス田、埋蔵量500億立方メートル以上

 【新華社海口10月21日】中国石油・ガス生産大手の中国海洋石油集団(CNOOC)は19日、ガス田「宝島21-1」の確認埋蔵量について、天然ガスは500億立方メートル、コンデンセートは300万立方メートルをそれぞれ超えると発表した。
≫続きを読む
Posted in 未分類

ロナウドがチェルシー戦のメンバー外に、先日の試合で無断退席

【10月21日 AFP】イングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドのクリスティアーノ・ロナウドが20日、前日の試合で無断退席したことで22日に予定されているチェルシー戦のメンバーから外され、クラブでの将来が再び疑問視されている。
≫続きを読む
Posted in 未分類