アップル「弁髪」姿のスペシャリストイメージ 日韓などでも論争
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街に着くと、豹司牙が厩舎へ馬を預けに行った。
屋敷と違って多くの民衆が入り乱れている相変わらず賑やかな街並みを眺めながら、信は豹司牙が戻って来るのを待つ。
屋敷から一番近いこの街にはいつも屋敷で仕入れている茶葉を売っている店がある。昌平君や家臣たちが毎日のように愛飲することもあって、信はその店でいつも茶葉を大量に購入していたので、今ではすっかりお得意様になっている。
しかし、茶葉をよく購入するものの、自分では滅多に茶を飲まないのだと話すと、店の主は下僕の信に同情の眼差しを向けて、こっそり茶菓子をくれることがあった。
「行くぞ」
後ろから低い声を掛けられて、信は反射的に振り返る。豹司牙が馬を預けて戻って来たようだった。
…今日は豹司牙が傍にいるので茶菓子はもらえないかもしれない。
「茶葉を購入したらすぐに戻る。店へ案内しろ」
「えーっ!ちょっとくらい寄り道したって…」
歩き出した豹司牙にそんなことを言われたものだから、信は駄々を捏ねた。
しかし、すぐに鋭い眼光を向けられてしまい、勝手に口が塞がってしまう。
街へ降りるのは珍しいことではないのだが、その頻度は決して多くない。屋敷の中にいるだけでは知らない売り物があったり、食べたことのない料理が店に並んでいたり、子どもの好奇心を掻き立てる要素がいくつもあるのだ。
いつも昌平君の傍についている息抜きとして、街へ降りた時にはそれくらいの贅沢は許してほしいと訴えた。
街へ降りる時には銀子を渡されるのだが、大量の茶葉を購入しても多少のおつりがくる。
それは好きに使えと主から言われていたので、ヤギ乳を飲んだり、飴 を買ったりして、それなりに楽しんでいたのだ。
あまり長居はしないようにと言われていたので、短い時間ではあるものの、信はその時間が好きだった。
豹司牙の眼光がますます鋭くなったので、信は肩を落とす。今日は諦めるしかなさそうだ。
「…茶葉屋はこっちだ」
がっかりしながら、信はいつも茶葉を購入している店へと案内する。
前方に店が見えて来たが、いつもと店の様子が違い、信は思わず目を凝らした。
「あれ?今日は休みか?珍しいな」
いつも開いているはずの入り口が今日は閉じられている。
小走りで店に近寄ってみるものの、見間違いではなく、どうやら今日は茶葉は売られていないようだった。
街へ降りる日は決まっていないのだが、今まで店が閉まっていたことは一度もなかったので、信は驚いた。今日は店じまいしなくてはならない用事があったのだろうか。
豹司牙も閉じられている店の入り口を見て、今日は店をやっていないのだとすぐに察したらしい。
「他の店は?」
「茶葉を売ってんのはこの店だけだ」
「ならば、これ以上長居する必要はない。戻るぞ」
他に候補がないのだと言うと、豹司牙はすぐに屋敷に戻ると言い放った。
主からの指示とはいえ、下僕の信と一緒に居たくないのだろう。
「あ、おいっ!声かけりゃ、特別に売ってくれるかも…!」
足早にその場を去ろうとする豹司牙の背中に声をかけるものの、彼は振り返ることもしない。
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「なんだよ、あいつ…!」
いくら昌平君が信頼を寄せている近衛兵でも、背中に目がないことを良いことに、信はべーっと舌を出した。
しかし、せっかくここまで来たのだから、無駄足になるのは避けたい。
「おい、オッサン!今日は居ねえのか?」
閉まっている扉を乱暴に叩きながら声をかける。
こちらはいつも大量に茶葉を購入しているお得意様なのだから、休みであっても茶葉を売ってくれるのではないかと、信は扉を叩くのをやめなかった。
しばらくすると、扉が開けられて、隙間から見慣れた顔が現れる。茶葉屋の店主だ。
この街で唯一の茶葉売りをしていることもあり、それなりに需要がある店で、儲けは悪くない。
信のような(正確には昌平君だが)お得意様も多くついているので、その店構えや、でっぷりとした腹を見れば、裕福な暮らしをしていることが分かる。
信に茶菓子をこっそりくれるのもこの男で、気前の良い性格が民たちから親しまれていた。
「なんだ、信か。今日も買いに来たのか」
「ああ、休みなのに悪いな。茶葉売ってくれねえか?」
店主が表情を曇らせたので、信は思わず目を丸める。
「実はなあ、いつも茶葉を採ってる畑がこの間の豪雨でやられちまってなあ…」
申し訳なさそうに店主が頭を掻いた。
店主の言葉通り、先月この地方一帯を豪雨が襲った。この季節で豪雨が来るのは珍しく、数日間ずっと続いていたこともあり、農作物にかなりの影響が出てしまったのだという。茶葉の収穫にも影響が出てしまったようだ。
「じゃあ、しばらく茶葉は採れねえのか?」
「保存分はまだ残ってるんだけどなあ…悪いが、一日に売れる量は制限させてもらおうかと考えててなあ」
新しい茶葉が入るまでどうするか検討するために、今日は店じまいをしていたらしい。
確かにこちらがお得意様とはいえ、この店で売られている茶葉を欲している客が多くいることを信は知っていた。
「そっか…それじゃあ、仕方ねえな」
昌平君の気に入る茶を淹れようと考えていた信は肩を落とす。
まだ屋敷には購入した茶葉が残っていたが、主との約束があったので、今日は店主にとびきり美味い茶葉を譲ってもらおうと考えていたのだ。
落ち込む信を見て、店主が豪快に笑う。
「わかったぞ。お前また不味いって怒られたんだろ?いい加減に学習しろよ」
「どう淹れたって、熱いだの渋いだの色々言われるんだよ!あれはぜってー嫌がらせだ!」
昌平君によく茶の文句を言われていることを、店主の男は知っていた。信が茶葉を購入しに来る度に愚痴を聞いていたのである。
気を利かせた店主が美味い淹れ方について過去に伝授していたのだが、湯の温度や茶の蒸らし方など、子どもの信が理解出来るはずがなかった。
「でも、今回は…ちゃんとしねえとな」
普段は主の文句を言うか、他愛のない話をして笑うか、茶菓子をもらって喜ぶ信が、いつになく真顔でそう呟いた。
「なにかあったのか?」
店主の男が不思議そうに問うと、信は僅かに口角を持ち上げる。
「…あいつのお陰で、長生き出来てたのが、わかったっていうか…」
自分の半分も生きていない子どもが長生きという言葉を使ったことに、店主が豪快に笑い声を上げた。
「そうだそうだ。下僕の中でもお前はマシな方なんだぞ!」
太い指が乱暴に髪の毛を撫でるものだから、信はやめろよと後ろに仰け反った。
「医者も手配してもらったから、ちょっとくらいはな」
乱れた髪を直しながら、昌平君に感謝の意を示さなくてはと独り言ちる。
「医者…?お前、怪我でもしたのか?」
見るからに元気の塊である少年が、病や怪我を連想させる医者を口に出したことに、店主が再び首を傾げた。
「ああ、いや、まあ…」
まさか大量の布団の中に押し込められていたなど言えず、信は言葉を濁らせた。
「話せば長くなるから言わねえけど、死に掛けたところを侍医に診てもらったんだよ」
「へえ、そりゃまた…右丞相様に仕えてる侍医に診てもらうなんざ、お前さんは随分と大切にされてるんだなあ」
店主がまじまじと信を見る。それから何かを思いついたように、店主はぽんと掌を叩いた。
「そうだ。茶は売ってやれねえが、今残ってる茶葉をより美味くする方法を教えてやるよ」
「え?そんな方法があるのか!」
ああ、と店主が頷いた。
「どうせここで説明しても、屋敷に戻ったら忘れちまうだろ?やり方を書いてやるから、誰かに読んでもらって教えてもらえ」
下僕の信が字を読めないことも店主は知っており、それはまた随分と親切な提案だった。
「時間が経った茶葉でもな、煎れば風味が段違いなんだ。きっとこれなら喜ばれるぞ」
「へへ、ありがとな!」
茶葉の煎り方が記された木簡を受け取り、信は笑顔を見せる。
「煎る時間も火加減も事細かに書いてあるから、字が読める庖宰 に読んでもらって、一緒にやってもらうんだぞ。お前一人でやったら屋敷が火事になりかねん」
「いつも一言多いんだよ!」
軽口を叩き合いながら二人は笑う。銀子を渡そうとしたのだが、今日は特別だと断られた。
「お前みたいなガキでも、れっきとしたお得意様だからな。ほら、暗くなる前にとっとと帰れ」
茶葉は購入出来なかったが、普段からのお得意様としての行いが実を結び、良い情報を得ることが出来た。
店を出ると、信は豹司牙の姿を探した。
預けていた馬を連れて、先に帰ってしまったのではないだろうかと不安に思ったが、店を出てすぐのところで彼は信のことを待ってくれていた。
店を出て来た信の手に茶葉がないのを見つけ、豹司牙の視線が鋭くなる。無駄話をしていたのだと誤解されたのかもしれない。
「ちゃ、茶葉は不作で今売れねえみたいだから、代わりに残ってる茶葉を美味く煎る方法を教えてもらったんだよ」
木簡を差し出しながら言い訳をすると、豹司牙は何も言わずに歩き出した。どうやら怒ってはいないらしい。
すぐ外で待っていたことから、店主との会話が筒抜けになっていたかもしれないが、幸いにも昌平君の悪口は聞かれなかったようだ。もし聞かれていたらまたげんこつが落とされていただろう。
預けていた馬を取りに行き、豹司牙が先に馬に跨る。続けて信の腕をぐいと引っぱり、来た時と同じように前に乗せた。
馬に乗せられると、視界が高くなって、いつもと世界が変わる。
昌平君と共に馬車に乗る時も、馬車の窓から見える景色を眺めるのは好きだが、馬に跨って高くなった世界を見渡すのも信は好きだった。
自分の視界が高くなっただけなのに、見渡す世界が広がって、それだけで活力が湧き上がってくる不思議な感覚に、手足の爪先まで満たされるのである。
屋敷が見えて来たところで、信は興味本位で木簡を開いた。
何が書いてあるのか、自分で解読出来ないのは分かっていたが、そのうちの一つだけ見覚えのある漢字を見つけて「あっ」と声を上げる。
「李だ!これだけは読めるぞ」
果物を意味する文字を見つけ、信は誇らしげにそう語った。
当然後ろにいる豹司牙から反応がないのは分かっていたが、別に彼に読み聞かせるために木簡を開いたわけではない。ただの興味本位である。
「…ん?茶葉の煎り方に李ってどういうことだ?李を使うのか?」
自分の知らない茶葉の煎り方が書いてあるのは分かったが、李は果物だというのに、茶葉を美味くする方法とどういう繋がりがあるのだろうか。
「おわっ?」
豹司牙が急に手綱を引いて馬を止めたので、信は反射的に振り返った。
まさかまたお説教が始まるのかと身構えると、豹司牙が信の手から木簡を奪い取った。
「あっ、何すんだよ」
「………」
豹司牙は答えず、じっと木簡の内容を確認している。
残っている茶葉を煎って風味を上げる方法が記されているそれ見て、彼の眉毛に剣先で刻まれたような深い皺が寄った。
まさか豹司牙も茶葉の煎り方に興味があるのだろうか。この仏頂面が自ら茶を淹れている姿など微塵も想像できず、信は怪訝な顔をする。
「茶葉の煎り方なんて、お前が読んだってわかんねえだろ。庖宰 に見せろって言われてんだよ」
「…降りろ」
豹司牙が低い声で囁いた。
発言が気に障ったに違いないと直感で悟った。もう前方に屋敷が見えているとはいえ、ここから徒歩で帰れと言われたら、信の足でもそれなりに時間がかかる。
「な、なんでだよ!これくらいで怒んなよ。ちゃんと屋敷まで乗せてくれって…」
てっきり豹司牙の機嫌を損ねたことで歩いて帰れと言われているのだと信は疑わなかった。
しかし、豹司牙は木簡を手早く畳んで紐で縛る。信の手にその木簡をしっかり握らせると、いつもとは違った眼差しを向けて来た。
あの鋭い威圧感ではなく、頼みごとをするような、何かを訴える眼差しだった。
「至急、これを総司令へお届けしろ。必ずだ。他の誰にも見せてはならん」
「えっ?」
「豹司牙がそう申していたと告げろ。二度は言わん」
そう言うと、豹司牙は強引に信の体を突き飛ばした。
「おわあッ!?」
咄嗟に受け身を取ったので怪我はしなかったが、何をしやがると文句を言おうと顔を上げた時にはすでに豹司牙は馬を走らせて行ってしまった。
なぜか街の方へ戻っていく彼の姿を見て、信は頭に疑問符を浮かべる。
「なんなんだよ、あいつ…」
手に握ったままである木簡に気づいて、信は改めて内容を見返した。しかし、李以外の字は何が書いてあるのかさっぱりである。
茶葉の煎り方がそんなにも珍しかったのだろうか。それにしても急いで昌平君に見せろと言う豹司牙の意図が分からない。主と同じで、肝心なことだけは教えてくれない男だ。
(…急ぐか)
昌平君なら何か分かるのだろうと考えながら、信は遠くに見えている屋敷へと走った。
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全速力で走り続けたせいか、屋敷に到着した時には、信はすっかり息を切らしていた。
止まらない汗を拭いながら、昌平君に木簡を渡すよりも先に水が飲みたい気持ちが膨れ上がる。
喉を潤してから昌平君に木簡を渡そうと考えた。こんなカラカラの喉では、豹司牙からの伝言など伝えられそうにない。
井戸がある裏庭に向かうと、屋敷の中で従者たちはすでに夕食の準備に向けて働いていた。今朝の信の捜索によって、仕事を中断していた時間帯があり、普段よりも忙しそうだ。心の中で詫びながら、井戸のある裏庭へと降りる。
「…ふはあ、生き返った」
柄杓で水を飲むと、乾いていた喉が一気に潤った。
「おう、信じゃねえか。今朝は大変だったみたいだなあ」
後ろから声を掛けられて振り返ると、厨房を担当している庖宰 の男がいた。彼は下僕ではないのだが、信に優しく接してくれる。
屋敷で雇われたのは半年前のことだが、どうやら息子が信と同じ年齢であることから、信のことをよく気にかけてくれる男だった。昌平君に命じられて、救出された信に豪勢な料理を作ってくれたのも彼だ。
「朝からひっでー目に遭ったんだよ」
「ははは!布団しまう場所で寝てて、そのまま気づかれなかったんだって?それはお前が悪いだろ!」
自業自得だと笑われて、信はいたたまれない気持ちになる。不貞腐れた表情をしていると、庖宰の男が信の手に握られている木簡に気づいた。
「ん?お前、何持ってんだ?サボってねえでさっさと仕事しろよ」
信の勤務態度が不真面目であることは屋敷中で誰もが知っていた。しかし、信は「サボってねえよ」と反論する。
(…あ、そうだ。オッサンならコレのやり方わかるんじゃねえのか?)
茶葉屋の店主から、火加減や煎り方には細かいやり方があるので、この書簡は庖宰に見せろと言われたことを思い出す。
その木簡を誰にも見せるなと豹司牙に言われていたことを忘れ、信は茶葉の煎り方について庖宰の男に聞こうと考えた。
「なあ、茶葉を煎るのに李って使うのか?」
「はあ?李だと?」
なにを言っているのだと言わんばかりの表情で聞き返され、信が頭を掻く。
「いや、だってよ…茶葉屋のオッサンがこれに李って書いてたから…」
「どれどれ?」
庖宰の男が信の手から木簡を奪う。彼は下僕ではないし、字の読み書きをしっかりと習っているので、その木簡も問題なく読めるようだった。
紐を解いて中を見ると、庖宰が険しい表情を浮かべる。
「ははあ、なるほどな…これの通りにすりゃあ、茶葉が美味くなるってのか」
豪雨の影響で新しい茶葉を購入出来ず、代わりにこの方法を教えてくれたのだと伝えると、庖宰の男がふむふむと頷いた。
「…そりゃあお前、そもそもここの水は硬水なんだから、茶葉がどうこう考える前に、まずは水から仕入れなきゃダメだろ」
「はあ?水から変えろってのか?意味わかんねえよ」
子どもの信には水に種類が存在することなど分かるはずもなかった。
庖宰の男が辺りを見渡して、信に手招きをする。
「仕方ねえ。夕食の仕込みはもう終わってるからよ、今から急いで茶を淹れるのに適した水を買いに行くぞ。急げばまだ水売りに会えるはずだ」
まるで秘密ごとを共有するかのように、小声でそう言われたので、信は目を丸めた。
仕込みを終えているとはいえ、厨房が一番忙しくしている時間帯だ。そんな時に、自分のために仕事を抜けて良いのだろうかと心配になった。
それに、茶葉を煎るのに軟水が必要なのだろうか。
茶葉屋の店主は火加減について話してくれたが、水の話は一切していなかった。何か矛盾を感じ、信は思わず身構える。
「別にそこまで急ぐことじゃ…」
「この屋敷の近くに水売りの家があるんだ。そこなら軟水も売ってくれてるはずだ。ほら、行くぞ」
手首を掴まれて、信は狼狽えた。
裏庭には小さな門があって、そこから屋敷の外へ出入りすることが可能だった。裏門へ連れて行こうとする庖宰の強引な手つきに、何か嫌な予感を覚える。
「また屋敷を出るなら、昌平君に言わねえと…」
反射的に主の名前を出すと、庖宰の男の目つきが変わった。目つきだけでなく、人格まで変わったように凄まれる。
「な、なんだよっ」
機嫌を損ねるような言動をした覚えはなかったので、さすがに信もおかしいと強い違和感を覚える。
「とっとと来いッ!」
「おい、放せッ」
なんとかその手を振り解こうとするが、子どもの力では全然振り解くことが出来ない。
それでも両足に力を入れて、なんとかその場から連れていかれまいと踏ん張っていると、庖宰の男が乱暴に舌打った。
木簡を手放し、空いた手が信の腹部を殴りつける。
「うぐッ」
くぐもった声を上げ、信の意識はずるずると闇の中へと引きずり落されてしまうのだった。
豹司牙と共に茶葉を買いに行ったはずの信が戻って来ないことに気づいたのは、夕食の報せを受けた時だった。
馬を走らせればそこまで時間はかからないはずだし、あの豹司牙が寄り道をするはずがない。信が茶葉以外の買い物をしたいと駄々を捏ねたとしても、彼が許すとは思えなかった。
何かあったのだろうかと昌平君が席を立って部屋を出ると、ちょうど豹司牙が廊下の向こうから足早にこちらへ向かっているのが見えた。傍に信の姿はなかった。
「信はどうした」
問いかけるものの、また何か面倒事を起こしたに違いないと昌平君は考えていた。反省させるために物置にでも閉じ込められられたのだろうか。
昌平君の前で拱手した豹司牙が、怪訝そうな顔で昌平君の背後を見た。
「…お会いになっていないと?」
豹司牙からの問いと、彼の鎧に小さな返り血が付着しているのを見つけ、昌平君は思わず眉根を寄せる。
「何があった」
さっと辺りを見渡し、誰もいないことを確認してから豹司牙が答える。
「屋敷に密偵が潜んでいるようです。連絡を取っていた外部の者はすでに捕縛しております」
豹司牙の言葉に、昌平君は鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
「…信の正体が気づかれたか」
恐らくは、と豹司牙が低い声で返す。
「外部の者が密偵へ渡す予定だった書簡を確認しました。字の読めぬ信にその書簡の運搬を委ねたようで…まだその書簡をご覧になっていないということは、すでに信は密偵の手の内に落ちたかと」
豹司牙が簡潔に要点だけを伝えていく。
茶葉屋の店主が、茶葉の煎り方を記した書簡を信に渡したこと、字の読めぬ信に、それを庖宰 に見せて読んでもらうよう指示を出したこと。その書簡に、暗号が記されていたこと。
暗号を解読すると、この屋敷に李一族の生き残りがいる旨が記されており、恐らく信がその生き残りだという推測が記されていたのである。
「………」
昌平君は目を伏せて、思考を巡らせていた。嫌な汗が背中に滲む。
重臣である豹司牙が情報漏洩をするはずはない。もしも彼が情報漏洩をするような口の軽い男だったのなら、すでに信の命はなかったはずだ。
どこで情報漏洩があったのだろうか。屋敷内でも厳重に情報管理を行っていたし、信の本当の素性は昌平君と豹司牙しか知らぬ事実だ。
そして、その事実は信自身も知らないし、証明することは出来ない。
「茶葉屋の店主を捕らえるために、一度街へ戻ったのですが、信には必ず書簡を届けるよう。単独行動を委ねました。…この責は信の救出後、どうか俺の首で」
すぐさまその場に跪き、豹司牙が頭を下げる。昌平君は首を横に振った。
「良い。お前の判断に不足はなかった。私に会う前に、先に密偵が信と接触して書簡を読んだのだろう。…密偵の詳細は?」
豹司牙の鎧についている返り血から、恐らくは茶葉屋の店主を拷問にかけて、情報を吐かせたのだろうとすぐに察した。
返り血の量がそう多くないことから、茶葉屋の店主はすぐに情報を吐いたに違いない。だとすれば密偵としての経験はそう長くないか、報酬を目当てに雇われたとも考えられる。
「半年前に屋敷で雇われた庖宰の男一名のみ。書簡を渡す先を指名していたことから間違いないでしょう。これまでも何度か書簡に暗号を記して報告をし合っていたそうです」
「…至急、黒騎兵を徴収させて信の救助を。人目を避けるために、まだそう遠くへは行っていないはずだ。屋敷の周辺をくまなく探せ。密偵は殺さずに捕らえよ」
「はっ」
二人はすぐに行動を開始した。
「うう…」
腹部の鈍痛によって、意識に小石が投げつけられた。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、草と夜露の匂いが鼻をつく。じっとりと湿り気のある嫌な空気が漂っていた。
藁の上に寝かせられていたのだが、その藁も湿気を吸っており、寝心地がかなり悪い。藁の上で眠るだなんて随分と久しぶりのことだった。
ここはどこだろうと考える前に、信は記憶を失う前のことを思い出した。
「う…ッ…?」
何かで口を塞がれていることに気づき、それを外そうと腕を動かそうとしてそれが叶わないことを知る。体の前で両手は縄で一括りに拘束されており、信は狼狽える。
(な、なんなんだよ…!?)
状況が分からず、混乱しながら信は辺りを見渡した。
あばら屋の中にいるようで、縄枢 が目につく。
甕製の牖 から見える空はもう真っ暗だった。月も覆われてしまっているほど雲が濃い。
どうしてこんなところにいるのだろうかと信が記憶を失う前のことを思い出していると、砥石で刃物を研ぐ嫌な音に気が付いた。
反射的に振り返ると、簡素な台で庖宰 の男が静かに庖丁を研いでいる姿がそこにあった。
月明りもなく、簡素な竈の火だけが室内を照らしている。竈から上がる煙と湿気がじっとりと肌を包み、汗を滲ませる。
鋭く研がれた刃に男の顔がぎらりと映ったのを見て、信は背筋を凍らせた。
(まさか…こいつ、俺を殺す気か?)
床に転がったまま、信は男が庖丁を研ぐのを見つめることしか出来ない。
体を拘束してあるのはきっと逃げられないようにしているためで、口を塞いでいるのは助けを呼べないようにしているからだろう。
もしも信の予見通りならば、体の下に敷かれている藁は布団代わりなどではなく、血を吸う役割を担うことになる。もちろん殺した後の処理がしやすいための配慮だ。
竈に火をつけているのは、殺した証拠を燃やすためなのだろうか。
「っ…」
そこまで考えて、心臓を鷲掴みにされるような恐怖が信を襲い、思わず体が震え上がった。
庖宰の男がどうして自分の命を奪おうとするのか、何も理由が思いつかない。
息子と同い年である自分を何かと気にかけてくれていて、いつも昌平君や家臣たちに叱られている自分を慰めてくれたのも彼だった。食べ盛りの年齢である自分に、余った材料で夜食を作ってくれたことだってよく覚えている。
自分に父親がいたら、きっとこんな風に優しく接してくれるだろうと何度も思った。そんな彼が一体どうしてこんなことを。
「―――」
目が合うと、庖宰の男の手が止まる。
心臓が早鐘を打つものの、拘束されている信には逃げ出す術を持っておらず、硬直することしか出来ない。
もしも口が塞がれていなかったのなら、どうしてこんなことをするのかとすぐに問い詰めていただろう。
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「まさかお前が、あの李一族の生き残りだったとはなあ」
(…は?)
聞き慣れない言葉に、信は眉根を寄せる。
何の話だと瞬きを繰り返していると、庖宰の男は庖丁を研ぐのを手を止めて、刃をじっと見つめていた。竈の火に照らされたその刃に信の恐怖している顔が映る。
研ぎ終えた庖丁を握り締め、庖宰の男がゆっくりと信の方に歩み寄って来る。
「っ、…っ…!」
来るなと叫びたくても、口は塞がれており、恐怖で喉が塞がってしまう。身を捩って何とか逃げようとしても、あっという間に距離を詰められてしまった。
すぐ目の前までやって来た庖宰の男は、まるで信の反応を楽しむように、庖丁の切っ先を顔の前でゆらゆらと動かした。
「あの男はやけに下僕のガキを優遇していると思ったが、李一族の生き残りだってんならそれも納得出来る」
独り言ちる男に、信が思わず怪訝な表情を浮かべる。李一族とは何なのだろうか。
信の表情を見て、庖宰の男は不思議そうに首を傾げた。
庖丁の切っ先を向けられたまま、口に噛ませていた布を外されて信は息を整える。
「な、なんだよ…!李一族って、何の話だよ…!」
緊張と不安で声が震えてしまう。
信が嘘を吐けない性格なのは屋敷の家臣たちもよく知っている事実だったので、庖宰の男は信の言葉を聞いて、僅かに顔をしかめた。
「…お前、引き取られる前は辺鄙な集落にいたって言ってたよな?その前はどこにいた?」
「どこって言われても…そんな昔のこと覚えてねえよ。親の顔だって覚えてねえし…」
「だが、お前は李の字を読めた。それはなぜだ?」
茶葉屋の店主から渡された書簡に記されていた内容を見て、信は李の字だけはなぜか読めた。果物を意味する字でもあるのだが、字の読み書きが一切出来ない彼がなぜその字だけを知っていたのか、庖宰の男は疑問を抱いているらしい。
しかし、信にもそれはわからない。
誰かに教わったのかと問われても記憶はない。機密事項の取り扱いのことがあるので、昌平君には一切字の読み書きは習っていないし、他の下僕仲間たちから習った覚えもない。
では、どうして自分は李の字を読めたのだろうか。
信もその答えが分からずにいると、庖宰の男が庖丁を下げて、静かに話し始めた。
「…李一族が滅んだのは、今から何年も前の話だ。女も子供も一人残らず根絶やしにされたが、将軍の息子だけは未だ遺体が見つかっていない」
「………」
なんの話をしているのだと庖宰の男を見据える。
男の機嫌を損ねれば簡単に首を掻き切られてしまうのだと察して、口を挟むことはしなかった。
将軍という言葉が出て来たことから、恐らくは力のある一族だったのだろう。この国に仕えていたのだろうか。
「もしもお前が、あの時に逃げ延びた李一族の嫡男だったなら、この国を大いに揺るがすことになる。…だから、分かってくれよ」
縋るような眼差しで、自分の命を奪うことに許しを請う言葉を掛けられて、信は固唾を飲んだ。
「…ったく、あの野郎、いつになったら来るんだよ。まあいい。先にやっちまうか」
庖宰の男が独り言ちて再び庖丁を構えたので、信は恐ろしさのあまり、動けなくなってしまう。拘束されていなかったとしても、きっと逃げられなかっただろう。
「ち、ちが、う…李一族なんて、俺は、知らない」
強張った喉を震わせながら、何とか必死に言葉を紡ぐ。
信の命を奪おうとしているはずの庖宰の男の瞳に悲しみが浮かぶものの、庖丁を下げる様子はない。
涙を浮かべながら必死に首を横に振る。極限まで追い詰められた信には、もうそれくらいしか意志表示の手段が残されていなかった。
庖宰の男が庖丁を振り上げたのを見て、信は死に直結する激痛と恐怖を見越して、強く目を瞑った。
裏門の近くに落ちていた木簡は、豹司牙が話していた暗号が記された書簡だった。
普通に読めば、茶葉の煎り方を記した内容である。しかし、書き出しの文字だけを読み込むと、確かに豹司牙が話していたように、李一族の生き残りが信である可能性が高いという内容が記されていた。
庖宰の男がこの屋敷に潜んでいた密偵であり、茶葉屋の店主が情報の受け渡し役として仲介し、そこからさらに繋がっていた第三者がいることも明らかになった。恐らくはその人物が黒幕だろう。
茶葉屋の男が報酬目当てに動いていたことは豹司牙の拷問で明らかになったし、黒幕からしてみれば使い捨ての駒だったに違いない。
昌平君が定期的に茶葉を購入する常客であったことから、屋敷との繋がりを見つけ、店主は目をつけられたのだろう。
店主が庖宰の男と協力をしていたのは先月頃からで、豪雨被害による茶葉不作の経営難があり、報酬に目が眩んだのだそうだ。
ただし、黒幕が何者であるのかは茶葉屋の店主も分からないのだという。
現れる時は必ず黒衣で顔を隠し、名前も名乗らなかったようで、男であるということしか分からなかったそうだ。
その行動から、誰にも正体を知られないよう、足がつかないよう、細心の注意を払っていることが分かる。
庖宰の単独行動だったならまだしも、二人を動かしていた黒幕がいることに、昌平君は溜息を隠せなかった。
その正体を推察するのは簡単で、李一族を根絶やしにしようと企んでいる者が未だ存在しているということだからだ。
「………」
昌平君は胸に湧き上がる不安に、思わず眉根を寄せた。
黒幕の目的を考えれば、信の命を奪うことは確実だ。わざわざ生き長らえさせておく必要はないし、もしかしたら信の首と引き換えで密偵に報酬を用意しているのかもしれない。
先に信と接触した密偵が彼の命を奪おうとするのなら、きっと屋敷以外での殺害を試みるに違いない。
誰かに信の殺害を目撃されれば、昌平君に報告がいき、すぐに自分の首が飛ぶことになると分かっている証拠だともいえる。
信も無抵抗のまま殺されることはないはずだし、そうなれば確実に周囲に助けを求めることが出来ない場所で殺害を実行すると読めた。問題はその場所である。
「………」
執務室で昌平君は屋敷周辺の地図を睨むように見つめていた。
豹司牙率いる黒騎兵たちには周囲を探らせているが、万が一間に合わなかったらと思うと、それだけで心臓の芯まで凍り付きそうになる。
(…茶葉屋の店主は、信を殺すのも協力するつもりだったのか?)
大の大人が子ども一人を殺すのはそう難しいことではない。しかし、信に限ってはそうではない。
彼は昌平君が傍に置いている下僕であり、今朝の騒動のように、姿が見えなくなれば配下たちに捜索をさせることも想像出来たはずだ。
だとすれば、信の殺害を気づかせぬように、見張り役を立てていた可能性が考えられる。
書簡のやり取りと豹司牙からの証言を考えると、密偵と茶葉屋の店主が二人で実行に移そうと企んだに違いない。そうなれば、落ち合う場所が必要だ。
密偵は茶葉屋の店主が捕縛されたことには恐らく気づいていないし、合流を待ってから信の殺害を実行する予定なら、僅かながらではあるが、まだ猶予は残されている。
(どこで落ち合うつもりだった?)
この木簡は裏庭に落ちていたのだが、密偵がわざわざ証拠を残すような失態をするとは思えなかった。
信が抵抗したにせよ、あえて証拠を残したまま、その場を去った密偵の行動には、何か意味があるような気がしてならない。
証拠となる木簡を残していった行動に、密通者同士にしか解けぬ暗号が記されていることを示唆しているのではないかと考えた。
何か見落としがないか、昌平君は再び木簡に目を通す。
第三者が読んでも解読出来ない暗号が潜んでいるのならば、たとえ証拠を残しておいても何ら問題はないということだ。
「…?」
信の素性を示す暗号が記されていた木簡には、暗号を隠すために茶葉の煎り方が事細かく記されていたが、読んでいて一つ違和感を覚えた。
茶葉の煎り方について特記しているはずなのに、軟水を汲むよう指示が書かれているのだ。
(この周辺で取れるのは硬水だ。なぜ軟水を汲むと書いてある?)
軟水は水売りから購入しないと手に入らない。だというのに、その木簡には井戸で軟水を汲むよう指示していた。茶葉を煎る過程で使用するのかと思いきや、汲んだ軟水の使い道に関しては一切記されていない。
弾かれたように昌平君は屋敷周辺の地図に視線を向けた。
裏門から出て真っ直ぐ進んだ先に、今は使われていない小屋がある。もともとそこは水売りが住んでいた家だった。
現在は使われていないことを記すために、墨で斜線が引かれている。しかし、小屋の隣には確かに井戸の記述があった。
その井戸からはこの周辺で唯一軟水が取れたことが記されている。珍しいことであったので、昌平君も水源を調査させたことを記憶していた。
この周辺では滅多に取れない軟水をその井戸から汲み、水売りの男はそれで生計を立てていた。
ところが先月の豪雨被害により、井戸の水は泥交じりのものになってしまったのである。
そのため、水売りの男はその井戸水を使えなくなってしまい、別の地方へ旅立って行ったという記録が残っていた。
(…小屋で殺害を行い、使われていない井戸ならば、亡骸を隠すには都合が良い)
茶葉屋の店主が密偵と協力して信の殺害と、証拠隠滅を図ろうとしているのなら、その小屋と井戸を候補に挙げた可能性が高い。
昌平君はすぐに馬の手配をさせ、裏門から真っ直ぐ進んだところにある小屋を目指した。
殺気を剥き出しに、そのままの勢いで庖宰 が庖丁が振り下ろした瞬間、全ての時間が止まってしまったかのような錯覚に襲われた。
その瞬間、恐怖でいっぱいだったはずの信の胸が急に軽くなる。
「なあ、こんな簡単に殺しちまって良いのか?」
庖丁の切っ先が首元に触れる寸前で止まった。
それまで死の恐怖で怯え切っていた子どもが、まるで人が変わったかのように冷静な言葉を掛けたものだから、庖宰の男もあからさまに戸惑っている。
首筋に鋭い切っ先が宛がわれているというのに、信は前に身を乗り出すようにして、庖宰の男を真っ直ぐに見据えた。刃物の切っ先が僅かに皮膚を傷つけたものの、怯む様子はない。
「お前が言うように、もしも俺が李一族とかいう生き残りだったんなら、使い道は山ほどあるだろ。ここでただ殺すだけなんて、本当に良いのか?」
意外にもそれは、命乞いでもなければ、恨み言でもなかった。
しかし、れっきとした意志を持って、信が庖宰の男の目を見つめながら語り掛ける。
瞬き一つしないでいる信の瞳に、恐怖の色は微塵も浮かんでいなかった。
つい先ほどまで怯え切っていた子どもがまるで別人のように変化したことに、庖宰の男はためらい、庖丁を持つ手を震わせる。
「おい、決めるなら急いだほうが良いぞ?」
命を奪われそうになっているというのに、信は挑発するように笑った。
「俺をここに連れて来てすぐに殺せば良かったのに、お前がもたもたしてっから、豹司牙と昌平君はもう黒騎団を動かしてるはずだ。今頃ここに向かってるさ」
「な…」
男が愕然としたのを見て、信がにやりと笑う。
「昌平君を甘く見るなよ。あいつはいつだって俺の首輪の引き紐を握ってんだ。飼い犬の居場所を探るくらい訳ないさ」
その言葉には確かに信憑性があった。
今朝の騒動の時も、信の捜索を命じたのは主である昌平君自身で、たかが下僕一人のために家臣たち全員を動かしたのである。信の不在を不審に思い、黒騎団を動かしたとしても何らおかしなことではない。
「お前、茶葉屋の店主とここで落ち合うつもりだったな?」
確信を得たような信の言葉に、庖宰の男は思わず息を詰まらせる。
まさか文字の読み書きが出来ないはずの信が、あの書簡の暗号を解いたというのか。
いや、それはあり得ない。恐らくは木簡を書いたのがあの茶葉屋の店主ということで、自分たちに繋がりがあると気づいただけだろう。
「なあ、なんであいつはここに来ないと思う?」
瞬き一つせずに、庖宰の男を真っ直ぐに見据える信の瞳は、闇一色の虚ろだった。
その虚ろな瞳に映る自分の怯え切った顔を見て、庖宰の男はすっかり動揺してしまい、無意識のうちに体が後退してしまう。
「な、なんなんだお前は…!あいつが、あの暗号を解いたとでも言うのか?」
たかが子ども一人に怯える彼に、信はますます口角を吊り上げた。
「軍の総司令と右丞相はただの肩書きだと思ってんのか?」
先ほどまで恐怖で歪んでいたはずの信の顔は、今では余裕の色しか浮かんでいなかった。しかし、その瞳は今でも闇一色の虚ろであるという違和感に、庖宰の男は鳥肌を立てる。
追跡を免れるために、書簡に暗号を紛れさせたのだ。そう簡単に解読されるはずはないと庖宰の男は自分に言い聞かせたものの、昌平君を甘く見るなという信の言葉に動揺が止まない。
きっと救援が来るまで、信は言葉巧みに時間を稼ごうとしているに違いない。
騙されないぞと言い返そうとして、それよりも早く信が口を開いた。
「…ああ、もうそこまで来てるぞ?ほら」
背後にある、縄枢 を顎で示すと、弾かれたように庖宰の男が振り返った。
まさかもう昌平君たちがここまでやって来たのかと焦燥の表情を浮かべるものの、そこにいは誰もおらず、小屋の外に誰かがいる気配すらない。
庖宰の男が縄枢を振り返った瞬間に信は立ち上がっていた。そして間髪入れずに、大きく体を捻らせ、強力な回し蹴りを隙だらけの背中にぶち込んだのだった。
「ぐわあッ!」
両手は拘束されたままだというのに、子どもの威力とは思えない蹴りによって、庖宰の男が小屋の壁に叩き付けられる。その隙を逃さず、信は縄枢から勢いよく小屋の外に飛び出した。
弓矢のように一直線に駆け出していると、
(…あれ…俺、今まで何してた…?)
全速力で駆け出していることに気づいた信は、今の今まで何をしていたのかよく思い出せなかった。
「待ちやがれッ!」
「!?」
後ろから怒鳴り声が響き、庖宰の男に命を狙われていることを思い出す。
(早く逃げねえと)
もうとっくに日は沈んでおり、月にも雲が掛かっている。どこに連れて来られたのかは分からないが、近くに民居はなく、見渡す限り好き放題に伸び切っている草木ばかりだった。
遠くにぼんやりと明かりが見える。あの建物まで逃げ切れば助かるかもしれない。
夜の闇の中で信はひたすら走り、庖宰の男から逃げ続けた。
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