ロイクラトン祭り、環境に配慮しデジタル灯籠登場 タイ
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軍馬百頭が馬陽への移送中に姿を消したという報告を受けたのは、日が沈み始めた頃であった。
秦国の右丞相であり、軍の総司令官を務めている昌平君がその報告を聞いた瞬間、目を通していた書簡をうっかり落としそうになり、深い溜息を吐いた。
ただでさえ激務な日々を送っているというのに、どうしてこうも執務が重なるのだろうか。
数頭の軍馬が逃げ出したというならばまだしも、百頭すべてが盗難被害に遭うだなんて、管理体制に不備があったとしか思えない。
一頭も例外なく盗まれたということは、軍馬を盗む手助けをした内通者がいると考えるのが自然だろう。
軍馬は家畜として売り捌くより、はるかに価値がある。もともと体格に優れている馬を選抜し、そこから軍馬としての訓練を行うので家畜よりも従順なのだ。美味いかどうかは別として、戦時中は非常食としても利用できる。
それゆえ、戦に欠かせない軍馬の売買をした者は重罪として裁かれ、そして戦時中に軍馬を売買をした者は有無を言わさず死罪と定められていた。
今はまだ戦時中ではないものの、重罪であることを理解した上で決行したとなれば、もしかしたら国境を越えて他国へ密売するつもりかもしれない。他国に逃げ込めば追跡は出来ず、よって内通者を捕らえることも、裁くことも不可能となる。
すでに調教済みの軍馬百頭は本来、馬陽へ移送し、そこでも訓練を続ける予定であった。馬陽の位置から考えると、密売相手は趙国である可能性が高い。
「………」
重い溜息を吐いた昌平君が、こめかみに手を当てて何から対処すべきか、指示を決めかねていると隣から視線を感じた。
顔を上げると、護衛役である信が心配そうに眉根を寄せてこちらをじっと見据えていた。まだ今日は発言の許可を与えられていないので、口を開くことは許されないのである。
しかし、その視線から「早く休め」と言われていることを察し、昌平君は手にしていた書簡を信へ手渡した。
「対応の指示を出したら今日はもう休む」
「………」
日が昇り始める前からずっと執務に没頭していたので、昌平君が自ら休むと告げたことに、信は僅かに頬を緩めた。
普段から執務が多いのは国の行政に関与する右丞相と、軍政に関与する総司令、さらには軍師学校の指導者という三つの役職を抱えているため、仕方ないことだとは思うのだが、それにしても執務をこなしてもこなしても一向に終わりがない。
常に国政や軍政というものは常に変化し続けるものであり、それに伴って新たな執務もなだれ込んでくるのである。
しかし、今回のような軍馬盗難といった問題が生じると、早急な指示と対応を求められるため、こなしていた執務を一旦を中断しなくてはならない。問題さえ生じなければ円滑に執務が遂行出来るのにと、大人げなく苛立ってしまう。
軍馬盗難の報告を持って来た伝令に、馬陽と馬陽の周辺にいる将たちに軍馬の行方を追うよう指示を出した。
宣言した通り、残りの執務は明日に回そうと昌平君は立ち上がったのだが、
「軍馬百頭が盗難された現場近くで、桓騎将軍を目撃したという兵たちの情報がありました」
「………」
新たな伝令によって昌平君は硬直する。
まさかあの男の名前を聞くことになるとは思わず、無意識のうちに吐いた溜息はとても深かった。
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他の将ならともかく、桓騎が絶対にそんなことはしないと断言出来ないのには理由があった。
それは彼が元野盗であり、その性分を持った上で、秦将の座に就いているからである。
白老の配下になるまで、何事にも縛られることなく仲間たちと自由に生きていた桓騎が、素直に規則に従うとは思えなかった。
白老が没してからはさらに素行の悪さに磨きがかかったような気がする。むしろ彼を従えていた白老という縛りが消え去ったことで、本来の野党の性分を露わにして来たと言っても良いかもしれない。
多少のことなら目を瞑らざるを得ないのは、彼が秦国に欠かせないほどの実力を持ち主であるからだ。
だが、軍馬百頭を盗んだとなれば、いくら桓騎であっても処罰の対象となる。
さらに趙軍にそれを密売したとなれば、裏切りと同等の行為だ。軍馬だけでなく、軍の機密情報も渡した可能性だってある。
仮定とはいえ、もしもそれが事実なら桓騎が秦を見放した証拠でもあるし、明日にでも趙軍が攻め込んで来るかもしれない。
桓騎が持つ奇策は前例のないものばかりだ。相手の裏をかくことを何よりも得意としている桓騎の策は、彼以外には見破れない。
ゆえに早急な対策が取れず、もしも桓騎が秦を裏切って趙と共に攻め込んで来るとなれば、膨大な被害を受けることになるだろう。
「………」
こちらの表情を見て、信が考えを察したのか、何も書かれていない竹簡を差し出した。すぐに受け取った昌平君は再び筆を取り、簡潔に用件を書き記す。
「桓騎に伝令を。至急、宮廷に来るように伝えよ」
もしも桓騎がこの時機に屋敷を留守にしていたのなら、こちらの命令に従わないのなら、趙軍と密通しているとみて間違いないだろう。
そうならないことを祈りながら、昌平君は書き終えたばかりの書簡に封をして、伝令役に手渡したのだった。
あの男が呼び出しに応じるかは分からないが、もしも素直にやって来るとすれば、宮廷に馳せ参じるまで一日はかかるだろう。彼の屋敷から宮廷まで馬を走らせれば、それくらいの日数がかかる。
伝令が桓騎の屋敷に向かうことと、桓騎が宮廷へやって来ることを考えれば、合わせて最低でも二日はかかると予想出来た。
一通りの執務を片づけてから屋敷へ戻るつもりでいたが、宮廷に宿泊せざるを得ない状況になってしまった。
昌平君の吐いた溜息がいつもよりも数が多く、それでいて大きなものだったのは、軍馬盗難の騒動により、久しぶりの休暇を邪魔されたからである。
軍馬騒動のことがなければ、屋敷へ戻って久しぶりの休暇を満喫するつもりだったのだが、すっかり予定が崩れ去ってしまった。
急な報告が入ることによって、執務が重なることは決して珍しくはない。
しかし、宮廷で自分の護衛をする信が常に気を張り詰めていることは分かっていたので、住み慣れた屋敷で気兼ねなく休ませてやりたかった。
信は常日頃から昌平君の護衛役として傍につき、剣術の腕前は昌平君にも豹司牙にも劣らない。戦場に出せば間違いなく武功を挙げるだろう。
主のためなら駒同然に命を投げ捨てる従順なる犬。それを称して「昌平君の駒犬」と呼ばれている信だったが、昌平君が彼を戦場に出さないことには理由があった。
信は幼少期に昌平君のもとへ引き取られてから、主である昌平君以外の人間の顔を見分けられなくなってしまったのである。
昌平君以外の人物を見ても、信の目には顔に靄が掛かったように映っており、顔の判別が出来ないのだそうだ。医者に見せても前例のない病だと言われており、治療法は見つかっていない。
普段から頻繁に顔を合わせる昌平君の家臣たちは声や匂い、体つきや着物などの特徴から区別しているようだが、多くの高官や将が出入りしている宮廷では、信は敵味方の判別が出来ずに常に気を張っているのだ。
宮廷を出入りするくらいなのだから、それなりに役職に就いている者たちばかりである。しかし、自分の欲のために容易に味方や国を裏切るのは大して珍しくない。
金や権力に目を眩んで、味方を蹴落とし、最後は裏切り者として首を刎ねられて来た者たちの末路など、昌平君はもう数え切れないほどこの目で見て来た。常日頃から昌平君の傍にいる信もそれをよく知っている。
信は簡単な雑務は手伝ってくれるものの、行政や軍政に関しては携わっていないため、上層部の勢力争いについては無知に等しい。
だからこそ、主に近づく者たちは全員が敵だと疑って、信は常に護衛を行っているのである。
もちろん昌平君が褥に入ってからも気を抜くことはない。扉の外には見張りの兵がついているものの、信は昌平君と、彼が信頼している者以外は基本的に信用していないのである。
もらい湯を済ませてから信と共に部屋に戻った昌平君は、寝台に腰を下ろすと、静かに自分の太腿を二回叩いた。
いつでも敵の襲撃に備えられるよう、同じ部屋にいながら、扉の前に待機していた信が音に気づいて振り返る。
呼ばれていることに気づいた彼は昌平君の前にやってくると、すぐにその場で膝をついた。
「今夜はもう休め」
「…、……」
首を横に振って拒絶の意を示す信に、昌平君は僅かに眉根を寄せる。
主の命令には素直に従うはずの駒犬が反抗的な態度を見せるようになったのは、ここ最近のことだった。
反抗的というと主に噛みつくような態度に捉えられるが、信の場合はそうではない。主を守りたいからこそ、休むわけにはいかないと考えているらしい。
どうしてそうなってしまったのかといえば、以前、昌平君の教え子である蒙恬に唆されてから、信は余計に相手を警戒するようになってしまったのである。
あれは言葉巧みに蒙恬が信を誘導したからなのだが、どうやら信は今でもその件を深く反省しているらしい。
警戒を怠らないことは確かに重要だが、万全の体調でいるためには休息も必要だ。
宮廷で過ごす日々が長くなっていくにつれ、信の目の下の隈が日に日にひどくなっていることに昌平君も気づいていた。このままだと疲労が原因で倒れてしまうだろう。
秦国総司令と右丞相という重役であることから、過去に刺客から命を狙われた経験はある。信もそれを警戒しているのだろう。しかし、昌平君自身も、そう簡単に首を差し出すつもりはなかった。
「もう休め。これは命令だ」
低い声で命じても、信は聞き入れる様子も、背中に携えた剣を下ろす気配もなかった。それどころか立ち上がって再び扉の前に向かおうとする。
「信」
咄嗟に昌平君はその手を掴んでいた。
「おすわり」
「っ…」
睨みつけると、僅かに信の表情に脅えが浮かぶ。
これ以上は言わせるなと目で訴えると、ようやく信は背中に携えている剣を下ろして、再び昌平君の前に座り込んだ。しかし、まだ抵抗の意志があるのか、剣を手放すことはしない。
いよいよじれったくなった昌平君は信の両手から強引に剣を奪った。
発言の許可をしていないので、文句を言われることはなかったが、あからさまに不満気な目線を向けられてしまう。
こんなやりとりで時間を無駄にするより、少しでも信に休息を取らせたかった。夕食に薬でも混ぜておけばよかっただろうかと昌平君が後悔したのはその時だった。
「大人しく寝ないのなら、こちらにも考えがある」
多少強引だという自覚はあるものの、信を寝かしつける方法など幾らでもある。
先ほど奪い取った剣の柄頭に視線を下ろすと、主の意を察したのか、信がはっとした表情にいなって、みるみるうちに青ざめていくのが分かった。
暴力で押さえつけるような躾はしたくないのだが、このまま信が疲弊して倒れてしまうくらいならやむを得ない。昌平君が剣の柄を握り直した途端、信が勢いよく立ち上がった。
「……」
ようやく諦めたらしく、信は大人しく寝台に横たわる。昌平君は満足げに頷くと、枕と飾り板の間に剣を置いてから、彼の隣に横たわった。
「……、……」
風邪を引かぬよう、しっかりと肩まで寝具を掛けてやると、信が甘えるように胸に凭れ掛かって来た。
横になっただけだというのに、瞼を重そうにしていることから、やはり疲労が溜まっていたようだ。
眠気に抗わずそのまま休めばいいものを、まだ主が眠っていないことを気にしているのか、何とか起きようと目を擦っている。
身を繋げた時には気絶同然で寝入っているのだが、そうでない時は昌平君が眠ったのを見届けてから眠るようにしている忠実な駒犬だった。
そんな姿を見れば、ますます寝かしつけてやりたくなる。背中をゆっくりと擦ってやると、信が上目遣いで見上げて来た。
「早く休みなさい」
そんな目をしても聞き入れるつもりはないと、昌平君は構わずに背中を撫で続ける。
やがて、信が瞼を落とし、静かな寝息が聞こえて来たのは、それからすぐのことだった。
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二日後。桓騎は昌平君の呼び出し通りに、宮廷へやって来た。
軍馬盗難の件は書簡に記さなかったものの、呼び出しに応じたということは、少なくともこの数日は敵国との接触はしていなかったことが分かる。
もしも桓騎が趙国と密通していたとしたら、軍馬盗難の報告を聞いた昌平君から呼び出されるのも想定内だと考えているかもしれない。
だとすれば、軍馬盗難の現場近くで桓騎を見たという報告も、もしかしたら桓騎が作り上げた脚本なのではないだろうか。
知将としての才は認めているが、昌平君は桓騎という男を信頼していなかった。そもそも桓騎はこの国に忠誠を誓って、軍を勝利に導いているわけではない。
彼は地位や名誉に、何の興味も抱いていないのだ。戦に勝利することで得られる褒美の方だけが目当てなのは昔から知っていた。
褒美目当てでいてくれた方が腹の内を探ることなく、こちらも動かしやすいのだが、桓騎に限ってはそうではない。
もしも趙国が桓騎に対して今よりも良い褒美を渡すことを条件に取引したとなれば、桓騎は容易く反旗を翻すことも考えられる。
彼を従えていた白老も山陽の戦いの後で没したことから、桓騎が自分の意志でこの国に留まる理由は何一つないのだ。
逆に言えば、彼をこの国に繋げておく首輪は褒美だけということになる。
相手が桓騎でなかったのなら、ここまで苦悩することはなかっただろう。昌平君は頭痛に襲われ、ついこめかみに手をやった。
軍馬百頭が盗難された件については、秦王嬴政の耳にも報告されていた。しかし、桓騎の目撃情報については、この件に彼が関与しているかどうか、真実を明らかにしてから伝えるとして、今は箝口令を敷いている。
もしも桓騎が関わっていたとなれば速やかに上奏する必要があるが、ただの杞憂で済むのなら、秦王に報告する必要はない。
秦国が中華統一を果たすには、桓騎の存在は必要であることを嬴政も理解している。
軍馬盗難の全貌から、趙軍との密通が明らかになったのなら、厳重な処罰は免れないだろうが、死罪だけは命じられないはずだ。
そして桓騎自身もそれを理解しているに違いなかった。
目を瞑らなくてはならないことが多過ぎるあまり、昌平君の中で桓騎という存在はとても厄介なものとなっていたのである。
桓騎の来訪の報告を受け、昌平君は速やかに人払いをするよう兵たちに命じた。
趙軍との密通がこちらの杞憂であったのなら良し。しかし、桓騎がそれを認めたのならば早急に手を打たなくてはならない。
どちらにせよ、真実が明らかになるまでは不要な混乱を広めないよう、この件は昌平君だけが抱えるつもりであった。
「………」
人払いを命じた際に、信は戸惑ったように視線を向けて来た。自分も出て行った方が良いのかと確認しているようだ。
昌平君が命じない限り、信は絶対に口を開かない。いつも主からの命令に従う忠実な駒犬だが、その代償として、信は自分で物事を判断することを苦手としていた。
「私が命じるまでは動かなくていい」
「………」
その命令に信は少し驚いた表情を浮かべた。
昌平君は桓騎を斬り捨てるつもりはなかった。軍馬盗難に関わっているのか、趙と密通しているのか、真実を明らかにすることが今日の目的である。
ゆえに、これから始まるのは、桓騎の口から真実を引き出すのを目的とした化かし合いだ。
もしもこの件に桓騎が関与していたとして、素直に答えてくれるとは思えないが、必ず真実を明らかにしなくてはならない。
桓騎は微塵も相手に動揺を悟らせない男だ。彼が嘘を吐いていたとしても見抜くことは難しいだろう。
しかし、尋問を続けていけば、必ずどこかで墓穴という綻びが生じるはずだ。
「……、……」
いつになく昌平君の表情が強張っているのを見て、信も何かを察したようだった。
信は桓騎と面識はないのだが、元野盗でありながら今や中華全土で名を知られている知将であること、女や子供や老人にも残虐な行いを強いる男であることは昌平君の口から聞かされていた。
「………」
普段通りに昌平君の背後に立った信も、いよいよ桓騎が来るのだと思うと、緊張した様子を見せている。
「通せ」
外にいる兵に声を掛けると、すぐに扉が開かれる。
気だるげな雰囲気を携えた桓騎がゆっくりとした足取りで歩み寄って来た。
昌平君と信の前に立った桓騎は腕を組み、面倒臭そうに顔をしかめた。
「何の用だ?」
開口一番、無礼極まりない言葉を昌平君に向けたことに、信が背後で殺気立ったのがわかった。
命じるまで動くなと告げておいて正解だった。事前にその命令をしていなかったのなら、今頃信は剣を構えて桓騎の前に立ちはだかっていただろう。
「馬陽へ向かっている道中、軍馬百頭が盗まれた」
昌平君はさっそく本題に入った。
「へェ?…それが?」
僅かに小首を傾げながら、桓騎が聞き返す。
「軍馬百頭が盗まれたという現場近くで、お前の姿を見たという兵が何名かいる」
昌平君は桓騎の目を真っ直ぐに見据え、少しでも不審な動きがないかを確かめていた。しかし、瞳が揺れることもなければ、不自然に目を逸らすこともしない。
「総司令サマは、俺が軍馬を盗んだと疑ってるってワケか」
「軍馬が盗まれたという現場近くでお前を見たという報告があっただけだ」
「ふうん?その証言は確かなものか?」
「目撃したという情報に関しては事実だ。お前は軍馬盗難に関わっていたかどうかの事実を言えばいい。報復で目撃者の命を奪うことは許さぬ」
「へェ、中立な立場って面倒だな?」
「話を逸らすな。事実だけ答えろ」
自分の推測は告げず、あくまで事実だけを突き付けていく。その間も桓騎は普段通りに小生意気な返答をするばかりで、特に嘘を吐いている様子は見られなかった。
嘘を吐いていると見破られないようにしているのかもしれないが、ここまでは特に不審な言動はない。
「関わってはいない。軍馬百頭の使い道なんざ、たかが知れてるだろ」
桓騎は軍馬盗難の件をきっぱりと否定したものの、昌平君の中で未だ疑惑が晴れることはない。
「お前が軍馬盗難に関わっていないか、証明できる者は?」
「結局証人がいねェと信用しないのかよ。…ま、実際に軍馬盗難の現場は見たけどな?」
軍馬盗難に関して、まさか今ここで新たな情報を入手するとは思わなかった。予想外の事実を告げられて、昌平君は眉根を寄せる。
どうやら桓騎は軍馬盗難を目撃しておきながら、主犯を捕らえることもせず、見捨てたというのだ。
桓騎の作り話という可能性も考えられたが、口調から演技じみたものは感じさせないし、淡々と語っていることから恐らくこれは事実だろう。
「なぜ止めなかった」
「なんで俺がそんな面倒臭ェことをやらなきゃいけない?」
自分の管轄ではないと切り捨てた桓騎に、昌平君が吐いた溜息は深かった。
「なんだ?まさか俺が軍馬と引き換えに趙にでも寝返ると思ってやがったか?」
「そうだ」
自分がここに呼び出された経緯と理由を、聡明な桓騎はすぐに導き出したらしい。
真実を明らかにするために、あえて趙国の存在は伏せていたのだが、桓騎の方から話し出すとは、これで手間が省けた。
まどろっこしいやり取りは時間を無駄にするだけだ。
桓騎が自ら墓穴を掘るのを待つつもりであったが、軍馬盗難の件の追求も兼ねて、昌平君はさっさとこの話し合いを終わらせようと考える。
「軍馬が盗まれる現場に立ち会っておきながら見捨てたというのなら、それなりの処罰を受けてもらう」
処罰という言葉が気に食わなかったらしく、桓騎は僅かに片眉を持ち上げた。
「処罰を受けるのが嫌だというのなら、軍馬百頭を盗んだ者を捕らえて来い」
反論しようと桓騎が口を開くよりも先に、昌平君は低い声でそう言い放った。
桓騎の反論材料などたかが知れている。自分がいなければ秦の中華統一を果たせないといった類のものだ。
残念ながらその言葉は秦王嬴政までもが認める事実であり、昌平君も十分に理解している。
だからと言って、軍の秩序を乱す理由にはならない。忠誠心があろうがなかろうが、桓騎は秦将という立場だ。
(…どう動く)
あえて桓騎の怒りを煽るような挑発めいた言葉を掛けたのは、趙との密通を明らかにするためであった。
秦国に忠誠を誓っていない桓騎がこの国を見捨てるのは簡単なことだ。だからこそ、その時期を早めてやったまでのこと。
今もなお、趙と密通しているのならば、桓騎は容易に趙へと亡命するに違いない。
趙と密通していることを明らかにするには、桓騎自身が趙へ亡命するという行動を示す以外に証明する方法がなかったのだ。
どうやらこちらの挑発を受け入れたのか、桓騎が表情を崩さないまま、昌平君に一歩近づく。
「ッ…!」
さらに桓騎が一歩前に進んだ途端、信が主を庇うように前に出た。
命じるまで動くなと伝えていたのだが、一触即発の危機を察したのだろう。桓騎も昌平君も凶器となるものは持ち合わせていないものの、その視線だけで人を殺せそうなほど、二人は殺気立っていた。
「………」
「なんだ、このガキ」
二人の間に割り込んだ信は背中に携えている剣の柄を握ると、それ以上近づくなら斬るという意志を秘めた瞳で桓騎を見据える。
…とはいえ、信は飼い主以外の人間の顔を見分けられることが出来ない。昌平君以外の人間は全員、顔の辺りに靄が掛かったかのように見えるのは、桓騎も例外ではなかった。
だからこそ、信は恐れを知らない。
相手が放つ威圧感も殺意も、感じることはあっても、信の目には何一つ映らないのだ。
「ああ、こいつが総司令の駒犬ってやつか?薄汚ェ犬っころだな」
桓騎の興味が信に移ったことに、昌平君は僅かに眉根を寄せた。ちらりと昌平君に視線を向けた桓騎の口角が怪しくつり上がる。
この男に動揺を見抜かれれば、そこを突いてとことん心を見透かされることになると分かっているのに、主である自分以外の何者かが信に興味を抱くのは不快で堪らなかった。
「おい、犬っころ。お手だ」
桓騎が自分の片手を差し伸べて、信に命令をする。
しかし、信は剣の柄を握りしめたまま桓騎に鋭い視線を向けており、命令に従う気はないと態度で示していた。
愛想のない犬に、桓騎がわざとらしく溜息を吐く。
「飼い主以外には懐かねえようにしっかり躾られてんのか。せっかく軍馬を盗んだ野郎について教えてやろうと思ったんだが…残念だなァ?」
「ッ…!」
素直に従ったのなら、軍馬盗難の目撃情報を教えてやると言われ、信と昌平君は同時に顔をしかめた。
桓騎は自分に利のない取引には一切興味を示さない。分かっていたのに、まさかこの状況下で信を取引に使うとは思わなかった。
歯を食い縛った信が桓騎を睨み続けるものの、桓騎の方は少しも怯む気配がない。
「俺は愛玩動物には寛大だからな。もう一度やってやるよ」
お手、と再び桓騎が信に手を差し伸べる。
「っ…」
怒りで体を震わせながら、信は剣の柄から手を離した。
もちろんこんな男に尻尾を振るつもりはない。たとえ相手が秦王であっても、秦将であっても、信は昌平君以外の人物には従うつもりはなかった。
しかし、自分さえ大人しく従えば、桓騎が情報を教えてくれる。そしてそれは主である昌平君の執務軽減につながるのだ。その甘い誘惑に、つい桓騎の手を取ってしまいそうになる。
ただ彼の手に手を重ねるだけだ。何度も自分にそう言い聞かせるものの、主以外の者の命令に従うことが出来ず、信はためらってしまう。
「…信」
あからさまに葛藤している駒犬を、昌平君が制止しようとした時だった。
「残念。時間切れだ。俺の気はそこまで長くないんでな」
桓騎が背中を向けて、部屋を出て行こうと歩き出したのである。
(…失敗か)
昌平君は敗北を悟った。信を取引に利用されてから、形勢が逆転していたことには気づいていたのだが、先ほどの挑発が裏目に出てしまうことになるとは思いもしなかった。
こうなれば桓騎の目撃情報をさらに集めて、彼が軍馬盗難に関わっていたのか事実を探る必要がある。事件解決にはかなり遠回りになってしまうが、仕方ないだろう。
いや、それどころではない。もしも趙との密通が事実だとすれば、彼はこれから秦を出る準備を始めるかもしれない。
昌平君が眉間に深い皺を刻みながら瞼を下ろしたその時、予想外のことが起きたのだった。
「~~~ッ…!!」
信が部屋を出て行こうとする桓騎を追いかけ、両手で彼の外套を掴んだのだ。
主の命令もなしに桓騎を引き留めたことに、信自身もやってしまったと後悔しているのか、狼狽えた様子でいる。
「…おいおい、待てをするのは、人間サマじゃなくて犬の方だろ?」
外套を掴まれたままの桓騎が、やけに楽しそうな表情で振り返る。
その表情を見て、これは信を意図的に動かすための桓騎の策だったのだと、昌平君はすぐに理解した。
「犯人探しに付き合ってやってもいいぜ?」
急に手の平を返した桓騎に、昌平君は何を企んでいるのか全く分からなかった。
協力や従うという言葉を使わなかったことから、単純に気が向いただけなのだろうか。
「………」
桓騎の言葉を聞いても、どうやら信用していないのか、信は外套を掴んだまま放さない。
「犬なら犯人の匂いを嗅ぎ分けられるだろ」
信を犬扱いするだけでなく、まさか軍馬盗難の犯人探しに協力させようとしているのではないかと昌平君は危機感を抱く。
「桓騎、お前がその目で犯人を見たのだろう。その子は関係ないはずだ」
「ほう?それじゃあ、俺が軍馬盗難の犯人を捜すフリして、趙へ亡命したとしても、誰も気づかないってワケだ?」
この男はこちらの疑惑をとことん理解しているらしい。昌平君は静かに歯を食い縛った。
あれだけ近い距離で桓騎に凄まれれば、誰しもが怯えるというのに、相手の顔を認識出来ず、恐れを知らない信は今にも噛みつきそうな勢いで桓騎を睨みつけている。
「それじゃあ、明日から捜索開始だ。逃げんなよ、犬っころ」
しかし、桓騎は相変わらず楽しそうな表情のまま、信にそう告げたのだった。
The post 駒犬の愛で方(昌平君×信←桓騎)前編 first appeared on 漫画のいけない長編集【ドリーム小説】.