- ※信の設定が特殊です。
- 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
- 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
- 李牧×信/慶舎×信/秦敗北IF話/ヤンデレ/監禁/バッドエンド
苦手な方は閲覧をお控え下さい。
宰相の帰還
趙の首府である邯鄲に帰還すると、此度の勝利を大勢の民や兵たちが歓声を上げた。
宰相である李牧の名は民たちの間でも広く知れ渡っており、此度の軍略を指示したのが李牧であることから、歓声の中には、李牧の名前も含まれていた。
窓を閉め切っていることもあり、馬車の中からは外の様子は見えない。
賑やかな席をそれほど好まない李牧は、彼らに姿を見せることはせず、腕の中にいる愛しい女の寝顔を眺めていた。
初めて男を受け入れた痛みと疲労に、苦悶の表情を浮かべながら、信は深く寝入っている。
行為の最中に信が意識を失う度に、李牧は気つけ薬を嗅がせて、その意識を引き戻していた。
自分という存在をしつこいくらいに彼女の心に刻み付けたかった。
気つけ薬を入れていた小瓶が空になるまですっかり使い切った頃には、彼女の中で何度達したのか李牧もよく覚えていなかった。
信にとっては仇でもある男との姦通はこれ以上ないほどの凌辱。李牧にとっては確実に自分の子種を実らせるための行為だった。
「信…」
涙の痕が残っている頬を指で拭ってやり、泣き腫らした瞼に唇を押し当てると、塩辛い味がした。
秦国の女将軍が李牧と共に馬車の中にいるだなんて、誰が想像できるだろうか。
まずは大王がいる王座の間へ赴き、戦の勝利報告もしなくてはならないが、李牧は誰にも信の姿を見られたくなかった。
城下町を抜けて、門を潜ると、民たちは一行を追えなくなる。ようやく歓声が遠ざかっていった。
その機を狙ったかのように、馬車の窓が小さく叩かれる。信の寝顔を見つめていた李牧はようやく顔を上げた。
「…先に屋敷へ戻られますか」
慶舎の声だ。彼は馬車の中で李牧が何をしていたのか、誰といるのかを知っている唯一の家臣である。
信を捕虜として趙へ連れ帰るのは、李牧と慶舎しか知らない。
他の家臣たちを信頼していない訳ではないのだが、ほとぼりが冷めるまで、彼女が生きていることを気付かれる訳にはいかなかった。
信は決して降伏するはずのない秦の大将軍だ。捕虜として連れて来たと言っても、過去の戦いで、趙軍は彼女が率いる飛信軍に幾度も辛酸を嘗めさせられている。
信が李牧を仇だと憎んでいるように、彼女を仲間や家族の仇だと憎む者たちは大勢いるのだ。
自分の後ろ盾があったとしても、目を離した隙に李牧が見ていないところで彼女を汚されることだけは絶対に避けたかった。
時間が経ち、誰もが秦国の存在を過去のものだと認識した頃に、妻として打ち明ければ良い。
彼女が秦国の女将軍であることを知らせる必要はない。これから信は二度と武器を振るうこともなくなるし、守るべき国を失った彼女が、仲間もいないのに反乱など企てることはないだろう。
警戒すべきは彼女の脱走と、彼女を憎む者たちである。
これから胎に植え付けた子種が実れば、正式に信を妻だと公表したところで、彼女を憎む者たちも容易には手を出せなくなる。
何故なら秦を滅ぼし、趙国へ大いなる貢献をした宰相の妻であり、その赤子を身籠った女なのだ。それだけで信の価値は敗戦国の将から、十二分に上がる。
もしも妻に手を出そうものなら処罰に値するし、実際に李牧は長年仕えてくれている家臣であっても容赦なく斬るつもりでいた。
それほどまでに李牧は信のことを愛して止まないのだ。
「…そうですね、一度戻ってから王へ報告に馳せ参じます」
李牧の言葉を窓越しに聞いた慶舎が言葉を続けた。
「悼襄王様ではなく、嘉太子様が出迎えるとのこと」
「…そうですか。太子様が」
趙王ではなく、息子の嘉の名前が出たことに、李牧は頬を緩ませた。
「…戦が始まってから、流行り病のせいで、お加減が優れないのだとか」
あくまで噂を装い、慶舎が告げた。
流行り病の話など、趙国の中には少しも出回っていないことを李牧はもちろん、慶舎も知っていた。
「それはお可哀相に…勝利の報告を、見舞いの品として伺いましょう」
悼襄王が病に伏せていることに、なぜか少しも心配していない李牧の声を聞き、慶舎は何も答えずに窓から離れた。
馬車馬の手綱を握っている騎手へ、慶舎は李牧の屋敷へ向かうよう指示を出す。
趙へ帰還している最中も、勝利を祝う兵たちの歓声のせいで、信の悲鳴は誰の耳にも届かなかったことだろう。
馬車の中に敗国の女将軍がいるとは誰も思うまい。
誰にも見つからぬように手配したのだから、信の存在が気づかれなかったのは必然であった。
李牧たちを乗せた馬車は、勝利の歓声を上げ続ける一行から抜け出し、彼の屋敷へと向かうのだった。
趙王との謁見
秦を滅ぼし、急速にその領土を広げたことで、趙国の存在は他の五国からも危険視されている。全ては宰相・李牧が導いたものだった。
戦の後、悼襄王が急な病で崩御し、息子の嘉が即位することとなる。
内政やこの中華の状況などまるで興味を示さなかった悼襄王とは真逆で、嘉は優秀で民想いであり、即位する前から彼の人望は厚かった。
元より悼襄王を見限っていた李牧には、彼の子息である嘉が即位することで、ますます趙の未来が明るくなったことを胸積りした。
父親譲りの性格である弟の遷が即位することになっていたら、いくら領土を広げた趙とはいえ、未来はそう長く続かなかっただろう。
大幅に領土を広げたことで、趙の未来は安定していくと見えた。少なくとも、自分の目が黒いうちは趙が滅ぶことはないだろう。李牧は自信を持ってそう答えることが出来た。
ここらが引き際だろうと思っていた李牧だったが、大王である嘉に「もう少し手を貸して欲しい」と頭を下げられてしまい、断る訳にはいかなかったのだ。
宰相だった李牧が、此度の大功によって廷臣の最高職である相国への昇格が決まると、多くの兵と民から歓声が上がった。
代王嘉だけでなく、李牧を慕うものたちは趙に多くいる。彼らのために、李牧は最後まで己の才を活かすことを決めたのだった。
―――秦国が滅んでから、早いもので半年が経過していた。
他国に領土を奪われぬよう、城の建設や守備の手配に追われていた李牧は戦よりも忙しい日々を送っている。
この日は趙国の首府・邯鄲にて、代王嘉へ現状の報告を行った。
「此度も趙のためによく尽くしてくれた。心から感謝するぞ。そなたがいなければ、趙はここまで国を築けなかっただろう」
王宮の玉座の間で、一通り現状の報告を終えた李牧へ代王嘉は労いの言葉を掛けた。李牧は深く頭を下げる。
「勿体なきお言葉です。太子…いえ、失礼しました、大王様」
「よい。そなたにとって、私はまだまだ子どもだ。…時に李牧」
情勢についてでも相談されるのかと思い、李牧が顔を上げると、代王嘉は口元に深い笑みを浮かべていた。
「そなたの妻…秦に仕えていた女将軍だとか」
まさか代王嘉の口からそのような話が出て来るとは思わず、李牧は一瞬だけ目を見張った。
しかし、表情には微塵も動揺を出さない。それは相手に隙を与えないための、李牧の昔からの癖だった。
待機している衛兵や、官吏たちが顔を見合わせているのが視界の隅に映り込む。
李牧が結婚していたという話は、誰も知らなかったのだから驚くのも当然だろう。そして、その相手が敵国であった秦の女将軍などと、驚かない方が難しい。
これだけの地位を築いておきながら、李牧がずっと独り身であることを心配していた兵や民たちもいた。
その心配が火種となり、独り身であることに何か理由があるに違いない、実は女に興味がないのではないかなど、本人の知らぬところでさまざまな噂が広まっていると、李牧は傅抵にからかわれたことがある。
しかし、李牧には心から愛している女がいた。それが秦に仕えていた飛信軍の将、信である。
残念ながら立場は敵同士であり、李牧の一方的な片想いとなっていたのだが、秦を滅ぼした戦で、李牧は彼女の身柄を拘束し、自分の妻にしたのだった。
秦を滅ぼした功績を讃えて相国にまで上り詰めた男が、なぜ敗国の女将軍を娶ったのかと考えるのは当然である。
しかし、相国である自分の後ろ盾がなければ、見せしめとして信はすぐにでも首を晒されてしまう。女ならば斬首を免れたとしても、奴隷以下の存在に落とされるかもしれない。
信を誰にも渡さないためには、妻にするより他ないと李牧は初めから考えていたのだ。
幼い頃から秦国に仕え、秦の大王の剣として生きていた彼女にとってはこれ以上ない屈辱だろう。
李牧との結婚に、信の意志は存在しなかった。いっそ首を晒された方が救われたと思っているに違いない。
大王に嘘を吐く訳にもいかず、李牧は素直に頷いた。
「……お言葉の通りにございます」
李牧は信が生存していることだけでなく、妻としてその身柄を保護していることを認めた。
戦が終わってからしばらくの間、李牧は信の存在を隠していた。敵国の将である信を妻にしたことを良く思わない者もいるからだ。
彼女が率いていた飛信軍は投降兵や、女子供などの弱い命を奪わないことで有名な軍だった。しかし、善行と同じくらいに、飛信軍の強さは中華全土に轟いていた。そうなれば当然、誰かの仇として憎まれる。
飛信軍に恨みを持つ者から彼女を守るために、李牧は慶舎にしか信を連れ帰ることを告げていなかったのだ。
他の側近たちを信頼していない訳ではないのだが、幾度も李牧の策を打ち破った信を憎んでいる者も多い。しかし、慶舎だけは信にそのような感情を抱いていなかったため、李牧は彼にだけ信の存在を明かしたのだった。
秦が滅び、広げた領土の改築や保守に当たっている今が時期だろうと、李牧は少しずつ妻であり飛信軍の将であった信の存在を表に出すようにしていたのだ。
噂はたちまち広まり、こうして代王嘉の耳にまで届いた訳である。戦でなくとも、全ては李牧の策通りに動いているのだ。
悼襄王だったのならば、即座に信の斬首を命じていただろう。急な病で崩御してしまったため、その心配はなくなったのだが、果たして代王嘉はどう出るか。
李牧が代王嘉を見据えていると、彼はさっそく口を開いた。
「中華全土に名を轟かせた秦の女将軍…ぜひとも一度、この目で見てみたいと思ってな。李牧が妻に選ぶくらいだ。余程、肝の据わった女なのだろう」
そう来たかと、李牧は口元に笑みを繕った。正直のところ、李牧は大王の言葉に安堵した。
「…婚姻を結んだ後、夫婦で大王に御挨拶をとも考えたのですが…現在も秦国の事後処理に追われていますゆえ、どうかお許しを。それに、まだ妻の体調も優れておらず、私のわがままで申し訳ありませんが…」
李牧が謝罪すると、代王嘉は「気にするな」と首を振った。
「秦の大将軍という座だけでなく、生まれ育った国の全てを投げ売ってまで、李牧を選んだか。余程の忍耐強さと見た。…確か、飛信軍の信といったな。今後は趙の戦力として使うのか?」
自分以外の男がその名を口に出したことで、李牧のこめかみに鋭いものが走った。相手が大王でなければ、即座に首を撥ねていたかもしれない。
代王嘉は初めから李牧の妻が信だと分かった上で、李牧の口から話を聞き出そうとしていたのだ。そうでなければ誰も妻の名を答えていないのに、名前を出すはずがない。
「…いいえ」
口元に繕った笑みを微塵も崩さずに、しかし、眉を下げて申し訳なさそうな表情を浮かべた。
どうやら代王嘉は自分と信が相思相愛だと思ってくれているらしい。信の名前を安易に口にしたことは許せないが、そう思ってくれているのなら好都合だ。
その勘違いを利用して、李牧は同情を誘うように寂しそうな表情を浮かべた。
「…此度の婚姻は、私のわがままです。今後、彼女が趙の将として生きることはないでしょう。秦の将としての彼女はあの戦で死に、残ったのは私の妻である、ただの女性です」
守るべき国を、仲間や家族を全て失った信には自分しかいないのだと思うと、背筋が痺れるような愉悦が込み上げて来る。
李牧は微塵も表情には出さなかったが、信を手に入れるために、秦国を滅ぼしたのだと告げれば、誰もが驚愕するだろう。無論、それはこの先も李牧しか知らない秘密になるのだが。
悲しみの色を目に宿しながら、李牧は言葉を続けた。
「…彼女から全てを奪った私が、愛される権利などありません。憎まれて当然です。…しかし、彼女はそれでも私を受け入れてくれました。ですから、私は残りの人生をかけて、誰よりも妻を幸せにしたいと考えております。それが彼女への贖罪になると、勝手ながら信じているのです」
李牧の言葉を聞いた代王嘉が慈愛に満ちた穏やかな目を向ける。衛兵たちや官吏たちも、李牧の言葉に胸を打たれたように、瞳に涙を浮かべている者もいた。
「そなたたちが末永く幸せに過ごせるよう祈ろう。李牧がそれほど妻を愛しているというのに、安易な言葉を掛けてすまなかった」
「勿体なきお言葉、痛み入ります」
李牧が深く頭を下げる。
これで代王嘉から信の興味がなくなったと思いきや、彼はまだ気になることがあるらしく、もう一度名前を呼ばれた。
「前線に出ないそなたが、なぜその女に興味を抱いたのだ?」
趙王との謁見 その二
前線で戦う将軍とは立場が違い、李牧は軍師として後方で指揮を執っている。
秦の飛信軍といえば、その強さゆえに前線を任されることが多い。飛の旗を見ると、それだけで前線に立つ趙兵たちが恐ろしさゆえに震え上がっていた。
信が率いる騎馬隊が道を作り、その後と歩兵が続く。飛信軍が進む場所に、いかに固めようとも道が作られてしまうのだ。事実、李牧は彼女の奮闘によって幾度も策を成せずに失敗したことがあった。
まるで彼女自身が勝利の女神として、秦を幾度も勝利に導いていた。
彼女に愛情を感じるよりも、辛酸を嘗めさせられた回数の方が多いのではないかと考えているのは代王嘉だけではないだろう。
もう一度、李牧は深々と頭を下げた。
「私が秦国と密通をしていないことを、先にお伝えしておきますが…」
言葉を濁らせた李牧に代王嘉が顔を上げるように言う。
李牧が趙の相国という座に就いていること、そして秦国を滅ぼした軍略を企てたのが他でもない李牧だということから、密通を疑うなどするはずはなかった。
「…趙に来る前、実は、彼女に会ったことがあるのです。彼女のお陰で、私は命を救われました」
趙に来る前の李牧の話は、代王嘉も噂程度でしか聞いたことがなかった。
家族も仲間も全てを失い、趙に流れて来て、軍師としての才能を芽吹かせたことは知っている。
「彼女が、…妻が居なければ、私はあそこで無様に首を晒していたでしょう。きっと、大王様のお役に立つこともありませんでした」
李牧の言葉を聞き、代王嘉は神妙な顔で深く頷いていた。
「では、趙がここまで国を築けたのは、李牧を助けたその者のおかげでもあるのだな」
ええ、と李牧は頷いた。
「しかし、未だ飛信軍に恨みを持つ民や兵も多いはずです…どうか、このことは内密にしていただけますか」
「もちろんだ。他の者も、一切他言せぬようここで誓ってくれ」
代王嘉の言葉に、官吏たちは即座に供手礼をした。
安堵したように笑みを浮かべる李牧に、代王嘉が言葉を続ける。
「今の屋敷が手狭なら、新しいものを用意させよう。相国であるそなたには、今の屋敷は不釣り合いだと言う声も多く聞く」
趙王からの提案に、李牧は慌てて首を横に振った。
「そんな恐れ多いことを…今の屋敷が気に入っているので十分です。妻のことを想い、落ち着いたら、咸陽にでも移り住もうかとも考えたのですが…」
李牧の口元が自然と緩んでいく。
「…これから子どもが産まれるので、あまり妻の体に負担を掛けたくないのです」
「ほう!それはめでたい話だ」
妻の妊娠の吉報に、代王嘉だけでなく、その場にいる衛兵や官吏たちもおめでたいと笑みを浮かべた。
「そなたは昔から色話がなかったから、心配している配下もさぞ多かったであろう」
「はは…ありがとうございます。長年の片思いがようやく実った想いです。…ぜひとも大王様から、私たちの子どもの名を頂戴したいと思っているのですよ」
「ああ、もちろんだ。今から名を考えておこう。愛妻家な上に、子煩悩になる李牧の顔を見るのが今から楽しみだな」
まるで自分のことのように喜んでくれる代王嘉に深々と頭を下げてから、李牧は玉座の間を後にした。
後のことは信頼出来る部下たちに頼んでいる。ここ最近は手に入れた領地の視察へ向かい、指示を出すことが多く、自分の屋敷に帰っていなかった。
早く信の顔が見たい。
妊娠が分かってからは、無理をしていないか心配でならなかったのだが、従者たちにも口酸っぱく言っておいたし、きっと大丈夫だろう。
悪阻があった時期は注視しなくても、信も動けなかったし、脱走はしないだろうと安堵していたのだが…今は違う。
最後に会った時は大分妊婦らしい身体になっていたが、悪阻がなくなった分、信は動けるようになっていた。
秦が滅んだことは、彼女も嫌でも理解しているようだが、まだ彼女の瞳から諦めの色は見えないのが気がかりだった。
仇を討とうと自分を殺す計画を企ててくれるのならまだ良かったのだが、信は身重の体で脱走を企てるに違いない。
その胎に李牧の子を宿しながらも、彼女は李牧から逃げることを未だ諦めていないのだ。
自ら命を絶つ方法など語らずとも信は分かっているはずだ。それをしないということは生に執着している何よりの証拠である。心だけが未だ抗っているのだ。
全てを諦めて、自分に身を委ねるしか道はないと、信は一体いつになったら理解するのだろう。それが李牧にはもどかしくもあったし、同時に愛おしくて堪らなかった。
李牧には、信を放すつもりなど、一生ないのだから。
不屈の心
日を追うごとに、腹の中で子が成長しているのが分かる。
信はすっかり重くなって来た腹に手を当てながら、溜息を吐いた。
「ぅう…」
内側から腹を蹴られる何とも言い難い感覚に、信は呻き声を上げる。頼むから大人しくしていてくれと、信は腹を擦った。
最後に李牧に会った時も今のような胎動があり、李牧は大層嬉しそうに信の腹を撫でていた。
あの日、馬車の中で凌辱を受けただけでなく、李牧の子を孕んでしまった信は、両足に見えない枷をつけられている心地だった。もちろん李牧もそのつもりで信を孕ませたのだろう。
拘束具の類をつけなくても、身重になった信が無理をすれば、腹の子に影響する。
たとえ憎い男の種から芽吹いた命であったとしても、この腹の下で眠っているのは紛うことなき自分の子である。
信が率いていた飛信軍は、敵の捕虜も一切傷つけないことで有名だった。
自分の前に立ちはだかる敵兵は容赦なく殺める信だったが、武器を持たぬ女子供や老人には一切手を出したことがない。きっと、李牧はそれを逆手に取ったのだ。
敵であっても弱い命を殺せぬような女が、我が子を殺せるはずがない。李牧は、信が我が子を手に掛けることはないと読んだのだ。
せめて情が湧かぬうちにと信は処置を考えたのだが、堕胎薬の類を与えられるはずもなければ、それを手に入れるなんて許されない。
李牧の子を下ろすことも叶わなかった信は、見えない枷が頑丈になってしまったことを察した。
腹の中で成長していく子が、ここ最近は頻繁に動くのが分かるようになっていた。
初めて胎動を感じた時はいよいよ堕ろすことも叶わず、李牧の策通りになってしまったと涙が止まらなかった。
同時に、憎き男との子でありながらも、自分の子である愛おしさが込み上げ、信の心は雁字搦めになっていた。きっと李牧はそれも分かっているのだろう。
そして妊婦である自分を気遣うようにと、屋敷にいる従者たちに監視をさせているのだ。
隙を見て屋敷から逃げ出そうとしても、侍女たちが「お体に障ります」と目ざとく信を見つけ、追い掛けて来る。
何故か彼女たちは、信と李牧が相思相愛だと思っているらしい。
事情を知らない彼女たちの心配を押し退けることも出来ず、信は真綿で首を絞められるような毎日を過ごしていた。
李牧は一体彼女たちにどんな話をしたのだろう。敵国の将であるはずの自分を嫌悪するどころか、李牧と結ばれたことを祝福しているような言葉を掛けられたこともあって、信は恐ろしくなった。
あの男は平気で嘘を真実に塗り替える話術を持っている。もしかしたら自分が秦に仕えていたのも、全ては李牧のためだったとでも誤解しているのではないだろうか。
あの男は、一体どれだけ自分の心を追い込めば気が済むのだろうか。
しかし、信は孕まされてからも、決して心を渡すような真似はしなかった。李牧に心を渡さないことだけが、今の信にできる唯一の反抗だからだ。
脱走計画
今朝、食事を運んで来た侍女に「今日は体調が悪いから部屋で休む」と告げてからは、様子を見に来る気配もない。
「………」
信は扉に耳を押し当てて、廊下に人の気配がないかを確かめていた。
鍵を掛けられていないことは何よりも救いだった。
秦が敗北し、この屋敷に連れて来られてからは扉にも頑丈に鍵が掛けられていた。その後に悪阻の症状が出て、信の妊娠が分かると、李牧は彼女の目の前で扉の鍵を取り外したのだ。
逃げたければ逃げてみろと言わんばかりの態度であったが、李牧がそんなことをしたのには、見えない足枷がいよいよ完成したからだったのだろう。
身重の体で負荷を掛ければ胎児にも影響するし、信が尊い命を奪えるはずがないと李牧は読んでいたのだ。
悪阻で思うように体を動かせず、信は扉が開いているのに逃げられない日々が続いた。
最近になってようやく落ち着いてきて動けるようになったのだが、李牧は領地の視察に出ているようで、しばらく屋敷には戻らないと侍女が言っていた。
自分が生まれ育ち、両親が秦王のために広げ、守っていた地を、趙の者たちが我が物顔で踏み躙っているのだと思うと、それだけで腸が煮えくり返りそうだった。
結局自分は父の仇を討つこともできず、無様にも生き残ってしまった。それだけではなく、憎い男の子まで孕まされている。この状況を地獄と呼ばずに、なんと示せば良い。
あの戦場で仲間たちと共に逝っていれば、どれだけ幸せだったのだろうか。
扉の向こうに人の気配がないことを確認してから、信は自分の腹をそっと擦った。
「…ごめんな」
まだ顔も知らぬ我が子に、信は罪悪感で胸をいっぱいにさせながら謝罪する。自ら命を奪うことは出来ないのは、せめてもの情だった。
無様に敵国で首を晒すことはしたくなかったが、李牧の妻として生きる道を選ぶことは、彼に心を渡すのと同等の行為である。
ならば李牧の知らない間に、李牧の知らない誰かに、この首を差し出そう。今以上の苦痛など存在するはずがないのだから、何をされてもきっと耐えられる。
自分が李牧の妻になったことは趙に知れ渡っているのかは分からないが、きっと快く思わない者が大勢いるはずだ。
信が李牧を憎んでいるように、趙の者たちだって大勢の命を奪った信を許さないに決まっている。
彼らの怒りを煽れば、簡単に斬り捨てられるだろう。秦国の将軍の命など、下僕よりも軽いものなのだから。
「………」
ゆっくりと扉を開いて、隙間から信は廊下の様子を伺う。
自分の望みを叶えるためには、李牧の屋敷から抜け出す必要があった。
彼の従者が自分に何かしらの恨みを抱いていたとしても、主の命に背くことはしないはず。つまり、この屋敷にいる限り、自分は殺されないことを信は理解していた。
扉の隙間から覗き限り、従者たちが行き交う姿はなく、足音も聞こえない。部屋を出るなら今しかない。
(よし)
信は物音を立てないように扉を開き、廊下に足を踏み入れた。
馬車の中で凌辱を受けてから、目を覚ました時にはこの屋敷の一室に閉じ込められていた。
そのせいで、信はこの屋敷の構造を知らない。
窓から見える景色を見る限り、この部屋が高い階層でないことは分かっているのだが、その他の情報は全く分からなかった。
しかし、いつまでもこの部屋にいる訳にはいかない。
自分が嘆こうが怒ろうが、腹の中にいる子は日に日に成長していく。
目に見えない足枷が、より頑丈なものにならないように、逃げ出すならば今しかないと信は考えた。
蜘蛛の糸
廊下へ踏み出した途端、信の背筋がぞくりと凍り付く。
それは凄まじい殺気にも似た気配で、戦場でしか感じることのないものだった。どうしてこんな屋敷の中でそれを感じるのだろう。
「うッ」
振り返るよりも先に、後ろからぐいを着物の襟首を引っ張られる。首が圧迫されて息が詰まった。
むせ込みながら振り返ると、李牧の配下である慶舎が相変わらず無表情のまま、信を見下ろしている。
何故ここにいるのかと疑問に思うよりも前に、腕を掴まれてしまい、信は逃亡に失敗したことを察する。
李牧でないとしても、彼は屋敷の従者たちだけでなく、信頼している配下たちに自分を見張らせていたのだ。
きっと従者たちだけなら撒けたに違いない。李牧も側近たちも、てっきり領地の視察にでも出ていると思ったのに、詰めが甘かった。
「諦めの悪いの女だ」
相変わらず彼の表情は微塵も揺らぎなかったが、その声には呆れが含まれていた。
慶舎は信の腕を掴む手に力を入れると、彼女を部屋に連れ戻すために歩き始める。
「くそッ、放せよッ!」
信が腕を振り解こうとするが、慶舎の腕は決して離れない。
両足に力を入れても、慶舎は構わずに信を引き摺っていく。再び部屋の中に戻って来た信は歯痒い気持ちに襲われる。
武器を持っていたのならまだ抵抗が出来ただろうが、男と女の力量差を見せつけられているようで、信は悔しくて堪らなかった。
悪阻が落ち着いて来たことは李牧も知っているだろうが、逃亡を企てたことを李牧に告げられて、また扉に鍵を掛けられたら今度こそ逃げられなくなってしまう。
なんとか力を込めて慶舎の腕を振り解こうとするのだが、筋力の衰えた腕では彼の腕を振り解くことはおろか、足を止めることも叶わない。
「…敗戦国の将が、安易に趙の地を歩けると思うな。本来なら首を晒されるのに、李牧様の庇護下にあるからこそ、お前はまだ生きていられる。李牧様に感謝するべきだ」
たった数歩しか廊下に出ていないというのに室内に戻って来ると、信の考えなど知ったことかと言わんばかりに、慶舎は冷たい声を発した。
扉に鍵を掛けないのは李牧の命令だからなのだろうか。脱走を企てた信のことを逃すまいと、慶舎は扉を閉じ、その前に立ち塞がるように立った。
淡々と語る慶舎に、信は怒りを込めて睨み付けた。
「うるせえッ、是非とも李牧以外の野郎に殺されるつもりで逃げてんだよ…!あいつの弟子のくせに、んなことも察せないのか!」
信の言葉を聞いた慶舎が、表情を変えぬまま、さも不思議そうに首を傾げている。
感情が豊かでない男なのは知っていたが、本当に人形のように微塵も顔色を変えないのは不気味に思う。昔からこうなのだろうか。
「…なぜ李牧様を愛さない?」
「は…?」
彼の問いに、信はつい聞き返した。
「李牧様は寛大な心を持つお方だ。たかがお前という女一人のために秦を落とした。そして、お前に妻と言う役割を与えた。それなのに、なぜお前は李牧様を愛さない?」
慶舎の言葉を聞いていくうちに、怒りに染まっていた信の表情が消えていく。
「……お前、人を好きになったことがないのか?」
「好き…?」
「お前が、李牧に対して抱いてるのは尊敬とか、恩だろ。お前の従順な態度を見てりゃ、すぐに分かる」
だがな、と信が言葉を紡いだ。
「…黙って脚を開くのは、…好きになるってことじゃねえんだよ。…そんなのは、娼婦と同じだ。まだ体で稼ぐって目的があるだけ、娼婦の方がマシかもしれねえな、はは…」
俯いた信の声が震えている。涙を堪えているのだと慶舎には分かったが、なにを悲しんでいるのか、慶舎には微塵も分らなかった。
「…お前は他の女と違う。男に嫁ぎ、子を孕み、産み、育てる。それをお前はせずに戦場に出ていた」
信が自虐的な笑みを浮かべる。
「それで李牧に見初められたなんて、笑い話だよな…!俺が将軍にならなきゃ、あいつとは無縁でいられたんだ…秦が滅びるとしても、最後まで…あいつの顔なんて見なくて良かったんだ…父さんと、母さんに、拾われた時から、将軍なんか目指さなきゃ、良かった…」
堰を切ったかのように、信の瞳から涙が零れ出す。
しかし、その涙が何の感情から来ているものなのか、慶舎には少しも理解出来なかった。
続
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