リプロデュース(五条悟×虎杖悠仁)後編

  • ※悠仁の設定が特殊です。
  • 女体化(一人称や口調は変わらず)・呪力や呪術関して捏造設定あり
  • 五条悟×虎杖悠仁/ストーカー/ヤンデレ/バッドエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

中編はこちら 

 

廃校舎の鬼ごっこ

教室を飛び出したのは、ほぼ無意識だった。身体が勝手に動き出したと言っても過言ではない。

これ以上、悟と一緒にいると、今まで二人で築き上げて来た思い出が全て崩れていってしまいそうだった。

まさか大切にしていた思い出が、悟自身の手によって崩されるだなんて思いもしなかった。

何の感情かも分からない涙を流しながら、悠仁は長い廊下を走り続ける。

「悠仁?どこ行くの?」

背後で悟に声を掛けられたが、悠仁は一度も振り返らなかった。

走っているうちに、生徒用の正面玄関が目について、悠仁は学校を出ようとする。

「――痛ッ!」

夢中で大きな扉の取っ手を掴んだ時、鋭い痛みが走り、悠仁は弾かれたように手を遠ざけた。

少し遅れて、右の手の平にじくじくと火傷のような痛みが伝わって来る。

「え…?」

視線を向けると、右手が真っ赤に染まっている。取っ手を掴んだ手の平がズダズダに切り裂かれていた。

何があったのだろうと取っ手をみると、有刺鉄線のように赤黒い何かが取っ手に巻き付けられていた。触れた者は容易に切り裂かれてしまう。

(ヤバいッ)

それが物理的なものではなく、悟が呪力で塞いだのだと判断した悠仁は、即座に玄関からの脱出を諦めて、再び駆け出した。

まさか逃げ出さないように事前に細工を施していたのだろうか。

扉にあのような細工をされているのなら、きっと窓もアウトだ。廊下を走りながら、悠仁は幾つも並んでいる窓に視線を向けた。

注視すると、鍵の辺りだけでなく、窓全体を覆うように呪力で塞がれている。出入り出来る場所が塞がれているとすれば、どこから脱出すれば良いのだろう。

「悠仁?ねえ、怪我したの?」

右手から垂れる血の痕を見たのだろう、距離は開けているが、後ろの方から心配そうな悟の声が聞こえた。他に誰も居ない廃校舎だからだろう、彼の声はよく響いた。

階段を駆け上がり、悠仁は一番近くにあった教室の中に転がり込んだ。

(隠れなきゃ)

悠仁は咄嗟に身を屈める。学校の扉は全てガラス窓がついているので、廊下から教室の中を覗かれる可能性があった。

横長の黒机が並んでおり、教室の隅に薬品棚と人体模型が置いてある。独特な薬品の匂いも伴って、ここが理科室であることはすぐに分かった。

「…!」

扉越しにゆっくりと階段を上がって来る靴音が聞こえて、悠仁は身を屈めながら床を移動する。

横長の黒机の下に身を隠し、なるべき物音を立てないように悠仁はパーカーを脱ぎ、出血している右手を包み込む。血の痕を残す訳にはいかなかった。

階段を上り切った足音を聞こえる。
悟がこの教室に来ないことを願いながらも、悠仁は逃げ道を考えていた。

(玄関も、窓もダメだ…じゃあ、どこから…)

恐らく扉や窓は全て呪力で塞がれているだろう。いくら宿儺の呪力を持っているとはいえ、悟の強大な呪力を破ることは出来ない。

それに、呪力を使うことは悟にこちらの居場所を自ら示すようなものだ。

彼に気付かれずに、脱出するにはどの通路を選べば良いのだろう。

帳を解いて助けを呼んだところで、この廃校舎にはもともと誰も近づかないし、救援など当然ながら期待出来なかった。

それに、今の悟の前で助けを呼べば、仮に誰かが駆けつけたとしてもその者も殺されてしまうに決まっている。彼は自分のために同じ家の人間を簡単に殺したのだ。他人など躊躇なく殺すに決まっている。

(…屋上は…?)

正面玄関は塞がれていたが、咄嗟にこの理科室に逃げ込んだ時には、扉は呪力で塞がれていなかった。

もしも塞がれている扉が外に通ずる玄関だけだけなら、屋上へ続く扉は封鎖されていないはずだ。

屋上から降りて校舎から逃げ出せば何とかなるかもしれない。

「ッ」

乱暴に扉が開かれた音がして、悠仁は反射的に手で口に蓋をした。悟が入って来たのだ。
机の下に身を潜めたまま、悠仁は必死に息を殺し、気配を消していた。

 

理科室のかくれんぼ

「…悠仁、何してるの?もう呪霊も祓ったんだし、帰ろうよ」

悟の声を聞き、悠仁は固唾を飲み込んだ。

理科室に逃げ込んだ姿は見られていないはずだが、悟は悠仁がここにいると既に気付いている。

位置情報を発信している機械が埋め込まれていたピアスはもう外したはずだが、もしかしたら右手の血が廊下に残っていたのだろうか。

悠仁は左手で口に蓋をしたまま、机の下で縮こまっていた。

ここで捕まれば、悟はきっと優しく抱き締めてくれるだろう。一緒に帰ろうと蜂蜜のように甘ったるい言葉をかけてくれるに違いない。

だが、それでは駄目だ。悟の幸せを想っているからこそ、彼と一緒になってはいけない。

どれだけ悟が自分に執着していたとしても、逃がさないとしていても、五条悟が五条悟である限り、彼と一緒にはなれない。

いっそ彼の前を去る時に、酷い言葉をかけて、自分という存在を幻滅させれば良かったのかもしれないと悠仁は考えた。

何も言わずに去るのではなく、悟が自分を見放すように仕向けるべきだったかもしれないと今になって後悔した。

「理科室ってさ、色んな臭いがして面白いよね」

まるでそこにいる悠仁に話しかけるように、悟が声を掛ける。

悠仁が隠れている机の近くを、悟はぐるぐると回っていた。彼の長い脚が見えて、悠仁は必死に声を堪えている。

僅かな呼吸さえも指の隙間から洩れて、彼に聞かれているのではないだろうか。悠仁は懸命に息を殺し、気配を消そうと必死になった。

「………」

しばらく歩き続けて、悟は隠れている机から離れて行ったが、まだ理科室からは出て行かない。

「…へえ、こんなのも残ってるんだね」

教室の隅にある棚の前で立ち止まり、中に入っている物を眺めているようだった。

廃校舎とはいえ、教室には机や椅子が残ったままで、棚の中にも残っている物が多くあるらしい。

鍵は掛かっていなかったのだろうか、棚の引き戸を開ける音が聞こえた。

「あはっ、こんなのもあるんだ」

独り言が聞こえる。このまま自分から興味を失ってくれたら良いのだが、悟は棚の中に残されている物を物色しているようだった。

「悠仁っ!これ、劇薬だって!漫画みたい!」

新しい玩具を買い与えられたかのように、明るい声で悟が笑った。

机の下に身を潜めているのは気づかれているのかもしれないが、こんな風に話しかけてくるのは、こちらの動揺を誘うための演技かもしれない。

もしも後者ならば、悟が理科室から出た後に屋上へ向かおうと悠仁は作戦を練っていた。

「…そういえばさ、悠仁は薬品を被ったんだよね?」

思い出したように悟に声を掛けられる。もちろん返事をする訳にはいかなかったので、悠仁は沈黙を貫いていた。

だが、そこに悠仁の気配を感じているのか、悟は返事が無くても嬉しそうに微笑んでいる。

「悠仁がどんなに苦しんだか、知りたい・・・・なあ」

「!」

瓶の蓋を外した音と、蓋が床に落ちる小気味良い音が理科室に鳴り響く。嫌な予感を覚えた悠仁は弾かれたように机の下から飛び出した。

「先生ッ、待って!」

手を伸ばした時には、すでに悟は瓶の中身を、自分の頭から降り注いでいた。

液体が掛かった箇所からたちまち煙が上がり、嫌な匂いが鼻をつく。

「―――ぁああああッ」

その場に蹲った悟が喉も避けるような絶叫を上げる。

「あづいッ、あづい、痛いッ、いだぃぃ」

一度も聞いたことがなかった悟の苦痛の声に、悠仁は愕然とすることしか出来ない。

空になった瓶が床に転がっている。瓶に貼られていたシールの絵を見て、中身が人に有害な劇薬だと分かると、悠仁は掻き立てられるように悟の前に駆け出した。

「先生ッ!先生ッ」

「ぅうううッ」

悠仁の声も耳に届いていないのか、悟は痛いと泣き喚いている。

まるであの日の自分を見ているようで、悠仁はつい目を背けたくなった。

「しっかりして、先生ッ」

動揺のあまり、悠仁の双眸から涙が溢れ出る。

皮膚の焼ける嫌な匂いに気分が悪くなっていたが、それよりも目の前で起きた現実が信じられず、悠仁は必死に悟の名前を呼び続けた。

「痛いよ、悠仁…痛い、痛い」

悟が怪我をしている姿など一度も見たことがなかった。今のように痛いと泣き喚く姿を見るのも初めてだった。

「悠仁ぃ、痛い、痛い…」

痛みのせいで体が小刻みに震えている。

一番多く薬液が掛かった顔を押さえているが、その腕にも薬品がかかったらしく、服が溶けており、その下の肌は真っ赤に焼け爛れていた。

腕にかかったのが少量だとしたら、顔は一体どれだけ焼け爛れてしまったのだろうか。

「…う、ううぅっ…痛い、熱いよ、悠仁…苦し、い…」

幼子のように啜り泣いている悟を見て、悠仁の瞼の裏にあの日の自分の姿が浮かび上がった。

薬品を浴びた日、悠仁も同じように苦痛の中で悟の名前を呼びながら啜り泣いていた。

「先生…!」

まるで導かれるように、悠仁は悟の体を強く抱き締める。

こんなことで痛みが和らぐとは思えないが、あの時の自分のことを思うと、抱き締めずにはいられなかった。

苦痛の中で悟の名前を呼びながら、悠仁は悟に抱き締めてもらいたいと強く願っていたからだ。

まだお互いに想いが同じならば、悟が望んでいるのは、自分が抱き締めてやることだ。

それは傲慢ではないかともう一人の自分が囁くが、悠仁は強く悟の体を抱き締めることしか出来なかった。

「―――捕まえた」

それまで幼子のように泣いていたはずの悟が、急に穏やかな声色で呟いたので、悠仁は弾かれたように顔を上げた。

「え…」

驚いて彼から離れようとしたが、それよりも早く悟の両腕が悠仁の体を抱き締める。まるで鎖のように二本の両腕が強く悠仁の体に巻き付いた。

「悠仁の方から戻って来てくれたね。根競べ・・・は僕の勝ちってこと?」

「ひぃッ…」

近距離で視線が合う。

悟の肌はあの時の自分と同じように真っ赤に焼け爛れていて、ぐずぐずに溶けている部分もあった。

瞼も溶け落ちてしまったのか、青いガラス玉のような美しい眼球がほとんど剥き出しになっている。

目の前にいるのが、五条悟という男だと分かるまで、悠仁はしばらく時間がかかった。

「…きッ…きゃぁああああああああッ」

恐怖のあまり、喉も裂けるような悲鳴を上げた後、悠仁は意識の糸をふつりと手放した。

 

目覚め

目を覚ますと、見知らぬ和室にいた。

布団に寝かされていて、服は浴衣のような寝間着に着替えさせられていた。

ずきずきと頭が痛む。額に手を当てながら上体を起こすと、焼け爛れていたはずの肌が元に戻っていることに気付く。いや、思い出した。

「あっ…」

記憶の糸が一気に巻き戻り、悠仁は青ざめた。

呼吸を乱していると、障子が開けられた音がして、悠仁は震えながら顔を上げた。

「大丈夫?悠仁」

悟だった。あの理科室で薬品を破ったはずなのに、彼の顔には傷一つ残っていなかった。

自分の顔にも、悟の顔にもあの赤く焼け爛れた醜い傷跡はない。まるで初めからそんなものなどなかったかのように、消え去っている。

まさか夢だったのかと疑ったが、もしそうだとしたら、自分はどれだけ長い夢を見ていたのだろう。

呪術高専を自主退学したところから、本当に、全て夢だったのだろうか?

「先生…」

戸惑いながら悠仁が声を掛けると、悟が安心させるように優しい笑みを浮かべて頭を撫でてくれた。

「もう僕から離れないでね」

「…せ、先生…」

「全部、夢だったんだよ。悠仁は夢を見てただけ」

まるで思考を読み取られたのように、悟は肯定の言葉を掛けた。

もちろん悠仁だって今までのことは全て夢だと信じたいが、夢だと納得するのは別の話である。

薬品を浴びた痛みも、赤く焼け爛れた肌の感触も、同じように薬品を浴びた悟の叫び声も、薬品で醜く溶けてしまった悟の顔も、悠仁は全て鮮明に覚えている。

記憶に深く刻まれたそれらを夢という一言で片づけるのは、さすがに困難だった。

しかし、悟は悠仁の言葉を聞くつもりがないのか、彼女の体をそっと布団に横たえる。すぐに悟が覆い被さって来て、悠仁は戸惑ったように目を見張った。

「せんせ…?」

「…良かった…」

耳元で囁かれた声は安堵で震えていた。

自分を抱き締めてくれる彼の体も小刻みに震えているのが分かり、悠仁は本気で悟が自分を心配してくれていたのだと気づいた。

彼の広い背中に腕を回し、悠仁はゆっくりと目を閉じる。

悟から離れようと決意するまでは、いつもこんな風にこうして抱き締められては幸福感に浸っていた。

(ダメだ…)

懐かしい幸福感に目を閉じそうになり、悠仁は自分に喝を入れた。

今までのことが夢だったとしても、状況は変わらない。

自分は悟の隣に立ってはいけないのだと自分に言い聞かせ、悠仁は悟の胸を突き放す。

「悠仁?」

拒絶されたことに、悟は小首を傾げている。

「ごめん、先生…」

彼の体を押し退けながら立ち上がった悠仁が小さな声で謝罪する。布団に座り込みながら、悟は呆然と悠仁を見上げていた。

「やっぱり、俺…先生とは、一緒になれない…」

改めて声に出すと、これまで二人で築き上げて来た思い出が走馬燈のように瞼の裏を駆け巡り、喉がきゅっと痛んだ。

しかし、他の誰でもない、悟のための決断だ。今さら覆す訳にはいかない。

たとえ本当に先ほどまでのことが夢だったとしても、悠仁の決意は変わらなかった。

「………」

しばらく悟は黙り込んでいたが、悠仁の体を放そうとはしなかった。

再び体を強く抱き込まれ、悠仁は思わず息を詰まらせる。

もうこれ以上、悟の温もりに触れてはいけない。心が絆されてしまう。悟の優しさに甘えて、現実から目を背けてしまいそうになる。そんなことは絶対に許されないと、悠仁に言い聞かせた。

「それならさ、ねえ、もう一度、初夜をやり直そうよ」

予想もしていなかった言葉を投げ掛けられて、悠仁は弾かれたように顔を上げる。

自分を見下ろしている悟のガラス玉のような青い瞳が、恐ろしいほど冷え切っていて、悠仁は思わず息を飲んだ。

見つめているだけで、指先から心臓まで凍り付いてしまいそうなほど、恐ろしい瞳をしている。

「僕、すごい反省してるんだ」

無意識に悠仁が怯えていることにも悟は気づかず、彼は口元に笑みを浮かべて言葉を紡いだ。

「もしかして、知らないところで悠仁を傷つけたのかなって…だから、もう一度・・・・初夜をやり直そうよ。また一緒に思い出を作れば、悠仁は傍にいてくれるでしょ」

今までのことをなかったことにするかのように、そんな提案をして来た悟に、悠仁の顔が引きつった。

「せ、んせ…俺の、俺の話、聞いてよ…」

縋るように悠仁が悟の腕を掴む。しかし、悟は悠仁と目を合わせているはずなのに、自分のことなど見えていないように言葉を続けた。

「高専や呪術界には戻らなくていいよ。家の奴らには一切手出しさせないし、悠仁は正式に僕の奥さんとして五条家に迎え入れるから。だから、何も心配することはないんだよ」

震える声で懇願するが、悟の耳には届いていないようだった。

彼の青い瞳は自分にしか向けられていないはずなのに、なぜか目が合っていないように思える。

こんなにも傍にいるのに、悟は自分じゃない何かを見ているようで、悠仁は恐ろしくなった。

 

真相

「悠仁、僕ね、悠仁が薬を浴びて、泣きながら僕の名前呼んでるの知ってた」

「…え…?」

その言葉が耳に入って来て、脳が理解するまで時間がかかった。

先ほど、今までのことは夢だと言った悟が、自分の言葉でそれを否定した。悠仁が自ら薬品をかけたことは紛れもなく事実で、先ほどまでのことは夢なんかじゃない。

呆然としている悠仁に、悟はスマホの画面を見せた。

「ほら、これ」

画面には録画した動画が映し出されていた。扉の隙間から撮影したものなのか、両端に扉と壁が映っている。

再生ボタンを押すと、画面の中央で顔を押さえながら悲鳴を上げている自分の姿が映っていた。

『痛い!痛いッ、あづぃ、痛いぃッ…!』

それは紛れもなく、自ら薬品を浴びた自分の姿だった。

焼け爛れた皮膚から煙が上がっていて、動画の中の悠仁は悲鳴を上げながら、痛みに悶え苦しんでいる。先ほどの悟と鏡合わせのようである。

自分の声だというのに、耳を塞ぎたくなるほど悲痛な叫びだった。

やがて、動画の中の悠仁が啜り泣き始める。

『ぅっ…うう、いたい…せんせ…痛いよ…せんせえ…』

まるで迷子のように、弱々しく悟を求め続けている。

「本当に嬉しかったよ。悠仁が泣きながら僕の名前を呼んでくれて、興奮したなあ」

恍惚の表情を浮かべ、悟がスマホの画面の向こうにいる悠仁を覗き込んでいる。

「…見て、たの?」

誰にも見られていないと思ったのに、この動画が何よりの証拠だ。誰にも見られていないと思ったのに、悟は扉の隙間から覗き見ていたのだ。撮影までして。

愕然としている悠仁に、悟はにこりと微笑んだ。

「言ったでしょ?悠仁がいなくなった日から・・・・・・・・・・・・ずっとだよ・・・・・って」

一方的に悠仁が連絡を絶ち、高専から出て行ったことも、出ていく前に自ら薬品を浴びたのも、悟は全て知っていた。その目で見ていたのだ。

ピアスに位置情報の発信機をつけられていただけじゃなかった。言葉の通り、悟はずっと自分を見ていたのだ。もしかしたらこの動画のように、撮影もしていたのかもしれない。

「………」

動画の再生が終わり、二人の間に沈黙が横たわる。

「…悠仁。僕たち、両想いだよね?」

「っ…!」

ゆっくりと立ち上がった悟に確認するように問われ、悠仁は息を詰まらせた。

怒りでも悲しみでもない感情が悠仁の中で波を打つように広まっていく。それが恐怖だと理解した時、悠仁はその場に座り込んでしまった。

(にげ、なきゃ)

逃げろと命令しているのに、足腰に力が入らない。

「ぁ……あ…」

悟を見上げながら、悠仁は畳に爪を立てた。

心配するように悟が膝をつき、悠仁の頬を撫でる。

触れられた場所から、たちまち全身が凍り付いてしまう感覚に襲われて、悠仁はか細い呼吸を繰り返していた。

青ざめている悠仁を見て、悟が不思議そうに小首を傾げる。

「…どうしたの?僕が怖い?」

「……、……」

素直に頷くのは躊躇われた。そんなことで悟が逆上するような男だとは思っていないが、今目の前にいる男は自分の知っている悟ではない。

喘ぐような呼吸を繰り返し、悠仁は涙を浮かべながら畳の上を後退った。

ゆっくりと悟が追い掛け来て、畳の上に膝をつく。悠仁と目線を合わせた悟はにこりと微笑んだ。

「もうどこにも行かないでね、悠仁」

そう言って重ねられた悟の唇から、甘いココアの味がした。

初めて悟と唇を重ねた時と同じ、胸やけがしそうなほど、甘い味だった。

悟の骨ばった大きな手が、悠仁の寝巻着の中に入り込んできて、内腿をするりと撫でる。

「ひ…」

足の間を触られて、悠仁は鳥肌を立てた。

初めて彼に破瓜を捧げた時の痛みと、男の味を覚えて淫らに悟を求めた記憶が一気に悠仁の脳へ雪崩れ込んで来る。

「うっ…」

閉じた淫華を抉じ開けるように悟の指が入り込んで来る。

潤いもないのに指を突き挿れられ、しかし、一切の痛みを感じなかったことに悠仁は違和感を覚えた。

悟以外の男と体を交えたことはないし、高専を出てからそういう経験は一切なかった。

それどころか、自分は女としての幸せを掴むこともなければ、肌を重ね合うあの温もりを感じることは二度ないだろうと思っていた。

「ふ、ぅ…」

淫華に潜り込んだ悟の指がゆっくりと動き出し、悠仁は咄嗟に手の甲で自分の唇を塞いだ。

(なんで…)

悟が指を動かす度にくちゅくちゅと淫靡な水音が立つ。悠仁は羞恥のあまり顔に全身の血液が集まっていくのを感じた。

こんな状況でも、体は悟を求めていたのだろうか。

「っあ、せんせ、やめて…」

反応を楽しむかのように、中を擦る指の動きが単調なものから、確実に悠仁の感じる場所を探るような動きに変わっていく。

悟の手首を掴んで制止を求めるが、彼は口元の笑みを深めるばかりでやめようとしない。

「…さっきまで・・・・・、ここに僕のが入ってたんだよ。ほら」

中を擦っていた悟が指を引き抜いて、悠仁の眼前に突きつけた。粘り気のある白い液体が糸を引いて絡み付いている。

それが淫華の蜜ではなく、男の精液だと分かると悠仁は頭を鈍器で殴りつけられたかのような感覚に襲われた。

眠っている間に、この身は悟によって暴かれていたのだ。

 

二度目の初夜

羞恥で真っ赤になっていた顔が、今度は水を被せられたかのように青ざめていくのを、悠仁はまるで他人事のように感じていた。

自分が意識を失っている間にどれだけ犯されていたのだろう。

「な、んで…」

避妊をしてくれなかったのだと分かり、悠仁は震えながら悟に問い掛けた。

怯えている悠仁を見ても、悟は不思議そうに小首を傾げるばかりだった。

「僕の結婚相手に相応しくないって劣等感があったんでしょ?家のやつらを黙らせても、悠仁は帰って来てくれる気配がなかったし…僕の子供を身籠れば誰も口出せないかなって」

あっさりと答えた悟に、悠仁は息を詰まらせた。

五条悟の子を、つまり、五条家の跡継ぎをこの身に孕ませることで、五条家の人間を黙らせようとしているのだ。

青ざめながら震え始める彼女の姿を見て、悟が愛おしげに目を細める。

「んんッ」

精液がついた指を口の中に捻じ込まれた。味合わせようとしているのか、舌の上を執拗に指が動く。独特な苦みを感じ、吐き気が込み上げた。

想いが通じ合っていたあの頃は、悟に喜んでもらおうと自ら進んで口淫をしていた。

どうやれば男が喜ぶのか、分からないことばかりだったけれど、悟が自分の唇や舌で感じてくれると思うとそれだけで嬉しかったし、悟の射精を口の中で感じて、精液を飲み込むのだって何の抵抗もなかった。

悟もきっと同じように、自分のことを愛してくれていて、それは今も何も変わっていない。

自分が悟の元を離れてからも、彼は変わらず悠仁の傍にいてくれた。静かな凶器すら感じる、以前通りの悟のままだった。

「傷痕を綺麗に戻したように、悠仁の処女膜も戻してあげる。だから、これからはさ、何度でも初夜を繰り返そう?悠仁が満足するまで、僕はずっと付き合うから」

傷痕が初めからなかったかのように、怪我をした記憶ごと消されてしまったように、不都合な記憶は全て悟の中では消去されてしまったのだろうか。

自分の都合よく未来が進むように、彼は何度だって繰り返すつもりなのだ。

狂気に染まった道を、きっと悟は何度も往復して、自分の望む未来を歩もうとしている。

初めて破瓜を捧げた時に味わったあの痛みを、これから自分は一体どれだけ味わうことになるのだろう。

痛みに慣れる日は来るのだろうか。破瓜の痛みさえも不都合な記憶として忘れさせられてしまうのだろうか。

悟との幸せな思い出だけが詰まった自分が、彼と共に未来を歩むことになるのだろう。

「処女のまま子供を身籠るなんて、神秘的だね」

畳の上に押し倒されて、二度目の破瓜の痛みに堪えようと、悠仁は涙を流しながら静かに息を吐いた。

 

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リプロデュース(五条悟×虎杖悠仁)中編

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前編はこちら 

 

再会

息をするのも忘れて、悠仁はその場に立ち尽くしていた。まるで金縛りにでもあったかのように、指先一つ動かすことが出来ない。

(なんで…)

悠仁は今の状況を信じられずにいた。

唯一自由に動かせる思考を巡らせるが、一体はいつ自分を見つけたのだろう。

術者は、自分が張った帳に誰かが侵入したのならばすぐにその気配を察知出来る。しかし、帳に誰かが侵入した気配はなかった。

空はまだ絵具を塗ったかのように暗く、帳を破られた気配はない。一体なぜ彼はここにいるのだろう。

「悠仁、会いたかった」

最後に聞いた時と何も変わりない優しい声色に名前を囁かれ、後ろから抱き締められる。

肺が砕けそうなくらい力を込められて、悠仁の唇から、ひゅ、と笛を吹き間違ったかのような音が出る。

顔を見なくても、この腕の力だけでが憤怒しているのは分かった。

「ぅ…」

抱き締めている腕がゆっくりと悠仁の首に伸びたので、このまま殺されるのだろうと悠仁は覚悟した。

恨まれても仕方がないことをしたのは分かっている。謝罪もせずに姿を消したのだから、当然だ。

「……、……」

浅い呼吸を繰り返しながら、悠仁は身体の力を抜こうとした。抵抗はしないという気持ちの表れであり、これが悟への謝罪になると信じて止まなかった。

首に掛けられた手がゆっくりと離れると、顎に指が掛けられて、ゆっくりと目線を合わせられる。

もう二度と見ることもないと思っていた青い硝子玉のような美しい瞳がそこにあり、悠仁の瞳から何の感情かも分からない涙が溢れ出た。

薬品で焼け爛れた顔と体を見ても、悟は驚く様子を見せない。醜いと罵って、さっさと自分を忘れてくれたのならどれだけ良かっただろう。

しばらく無言で見つめ合い、悟の唇がゆっくりと笑みを浮かべた。その笑顔が自分との再会を喜んでいるものではないことを察する。

「ねえ、それ、誰がやったの?」

赤く爛れた肌を指さしながら、悟が刃のように冷たい声で悠仁に問い掛けた。

悟に抱き締められたまま、悠仁は口籠る。本当のことを言えば、悟は潔く見放してくれるだろうか。

「…自分でやったの?」

静かにそう問われても、悠仁は震えることしか出来ない。

長い沈黙を肯定と受け止めた悟がわざとらしく溜息を吐いた。

悟の指が頬をするりと撫でる。

その途端、空気に触れているだけでぴりぴりと痛みを感じていた肌が急に痛みを感じなくなった。

 

再生

「えっ…?」

金縛りが解けたかのように、悠仁は反射的に自分の顔に触れた。赤く焼け爛れていた肌の感覚がない。

顔に触れた手も元の肌に戻っており、悠仁は瞠目した。

「…ああ、ちょっと待ってね。僕、女の子じゃないから手鏡なんて持ってないんだ。スマホで良い?」

懐から取り出したスマホを操作して、内カメラを作動させた悟は笑顔でスマホの画面を向けた。

「―――な…」

顔が、元に戻っていた。

まるで初めから傷などなかったかのように、あの赤く焼け爛れた肌がなくなっている。

久しぶりに元の自分の顔を見た悠仁は驚愕することしかできない。

「綺麗に戻したよ。少しでも残るようだったら美容整形のことも考えたんだけどさ、僕の力で治せて良かった。顔にメスを入れるなんて可哀相だから」

慈しむように悟が言う。手付きも声と同様に優しかったが、悠仁には氷のような冷たさに感じた。

彼は呪術界における回復術の一種である反転術式を使ったのだ。

「な、んで…?」

喉から声を絞り出すと、悟がにっこりと目を細める。

「恋人がひどい傷を負ったなら、何とかしてあげたいって思うのは普通じゃない?」

悟がひどい傷と言うほど、悠仁の全身は醜いまでに赤く焼け爛れていた。しかし、それは悠仁が自らの意志で行ったことであり、微塵も後悔などしていない。

一生会えないことを覚悟して悠仁が自らつけた傷を、悟は何の躊躇いもなく消し去ってしまった。

「ぅぐッ」

悟の手が容赦なく悠仁の顎を掴む。骨が軋むくらい力を込められて、悠仁は苦悶の表情を浮かべた。

「…ねえ、誰の許可を得てその顔に傷をつけたの?悠仁であっても僕は絶対に許さないよ?」

無理やり目を合わせられ、地を這うような低い声を掛けられる。口元は笑みを携えているが、瞳も声も先ほどとは別人のようだ。

「っ…」

悠仁の身体がかたかたと震え始める。

呪力の差だとか悟の強さだとか、そういったものは以前から分かっていた。しかし、今は違う。

根本的にこの男には敵わないという絶対的な恐怖が悠仁を包み込んでいるのだ。

自分の顎を掴む悟の手を、悠仁は反射的に弾いてしまった。ぱしん、と乾いた音が二人の間を駆ける。

「………」

弾かれて行き場を失った手を見つめ、悟は肩を竦めるようにして、なぜか笑っていた。

「…悠仁はさ、顔を変えれば、僕が興味を失うとでも思ってたの?」

一頻り笑った後に、悟は悠仁に問い掛けた。

「僕は悠仁のことを好きだって何度も言ったけど、もしかして、その顔と体が好きだと思ってた?」

「………」

悠仁は何も答えない。喉が強張って何も話せないのだ。

沈黙を肯定と受け止めた悟がわざとらしく大きな溜息を吐く。

「僕ってそんなサイテーな男だと思われてたんだ」

違う、と信は声を振り絞ろうとするが、空気を僅かに振るわせるばかりで、それは音にさえならなかった。

代わりに涙が溢れて来た。頬を伝う涙が、肌に沁みて痛むことはなかった。

悠仁が悟のことを愛していたのは本当だ。

それは嘘偽りないと誓えるし、彼と過ごした日々は悠仁の中で今もなお色褪せない思い出として残っていた。

離れている時間が長ければそのうち風化していくだろうと思っていたのに、少しも忘れることが出来なかったのは、今でも悟を愛しているからだ。

悟が五条家の嫡男でなかったのなら、もしかしたら違ったのかもしれない。何度そう思ったことだろう。

何も話さず、静かに涙を流し続けている悠仁を見て、悟が不思議そうに首を傾げている。

「…悠仁はさ、僕のことが嫌いになって逃げたの?」

そんなはずはないと悠仁は黙って首を横に振った。

否定してから、どうして素直に答えてしまったのだろうと後悔する。悟の優しさに甘えて縋ろうとする自分に嫌悪し、悠仁は俯いて唇を噛み締めた。

素直に打ち明けたところで、悟が五条家の嫡男である事実は変えられないし、自分が彼につり合う立場にはなれない。

「じゃあ、なんで逃げたの?」

今度は穏やかな声を掛けられる。悟が怒りを押さえていることはすぐに分かった。

青いガラス玉のような美しい瞳は、背筋が凍り付いてしまいそうなほど冷たい瞳をしていたからだ。刃のような鋭い眼差しを向けられているだけで、悠仁の身体は情けないほど震え始めた。

「連絡も取らないように、居場所を掴まれないように、随分と徹底したみたいだけど、そんなことで僕が諦めると思った?」

もちろん思わない。

いずれ諦めてくれることを信じて、悠仁はそのように行動をしていたのだ。

一年月日の近くが経っていたが、悠仁が少しも悟のことを忘れられなかったように、悟も同じだった。

しかし、気持ちが同じだったとしても、自分と悟の立場が変わる訳ではない。

悟に五条家の嫡男という立場を捨ててもらいたいなんてことは一度も思ったことはないし、自分さえ身を引けば解決するのだとばかり思っていた。

だから、このまま時間が経って、悟が自分のことを忘れてくれればそれで良かったのだ。

悟に気持ちも伝えず、身勝手な行動をしたことは傲慢だという自覚は十分にある。

恨まれても仕方のないことをしたと分かっているのに、悠仁はどうして自分の気持ちをわかってくれないのだと逆上してしまいそうだった。

全ては悟を想ってのことだった。

「…そうそう。何で僕がここに居たのか分かる?」

一向に悠仁が話そうとしないので、悟が急に明るい口調で話題を切り替えた。

こちらを見据えている瞳からは憤怒の色が消えていない。笑顔を浮かべているのは表面だけで、その仮面を外せばすぐにでも殺されてしまいそうだった。

「僕ね」

悟は窓に顔を向ける。帳によって真っ黒に塗り潰された空を見上げながら、悟は言葉を続けた。

「ここで悠仁のことを待ってたんだ。悠仁が帳を張る前から・・・・・・・

「ッ…!」

その言葉に、悠仁は目を見開いた。

帳に何者かが侵入した気配も、破られた形跡もないのに、なぜ悟が入って来れたのかと悠仁は疑問でならなかった。

しかし、悟は悠仁が帳を張る前からこの学校で待っていたのだという。

気配を察知出来なくて当然だった。帳を破って侵入したのではなく、初めから彼は帳の中に居た・・・・・・のだから。

呪霊の気配が消え去ったのは、帳の中にいる悟が祓ったからなのだろう。怪しむことをせず、すぐに逃げ出すべきだったのだ。

(…いや…)

悟は、悠仁が呪霊の気配を消えたことを不思議に思い、校舎内を探索すると分かっていたのだろうか。

まさか帳の中に悟がいるとは思わなかったとはいえ、なぜ誘き寄せられていることに気づかなかったのだろう。

そもそも悟はどうして自分がこの学校に来ることを知っていたのか、悠仁には分からなかった。

机に置いたままのココア缶を手に取り、悟が付着している砂を手で払った。

飲み口に砂が付いていないことを確認すると、彼はプルタブを開ける。小気味良い音が教室に響き渡った。

「…ん、甘い」

ココアを一口だけ口に含むと、味わうようにゆっくりと嚥下する。

早くここから逃げ出すべきだと分かっているのに、悠仁の脚は棒のように動かなかった。

悟が手に持っているココア缶が、今朝、公園のベンチに置かれていたものと同じ種類なのは、単なる偶然なのだろうか。

嫌な予感がして、心臓が早鐘を打つ。

―――もしも、悟が手に持っているココアがあの公園で買ったものだったなら?

悠仁は血の気のない唇を戦慄かせた。

「…いつ、から…」

「ん?」

「いつから、俺のこと…気づいて…」

ココアをもう一口啜りながら、悟が不思議そうに小首を傾げる。

唇をぺろりと舐めた悟は、楽しそうに双眸を細めた。

「悠仁がいなくなった日から、ずっとだよ」

 

再起

悟の言葉を、悠仁はすぐには信じられなかった。

「どうして…」

掠れた声を振り絞る。

まさか悟は、悠仁が居なくなった日から、ずっと自分のことを追い掛けていたというのか。

東京の呪術高専を自主退学してから、もう一年近くが経っている。スマホだって変えたし、位置情報を特定されるような類のものは全て手放した。連絡を全て絶ち、足が付かないように注意を払って呪術師としての仕事の依頼を受けていた。

逃げることが出来ていると思っていたのは自分だけで、悟は傍でずっと自分を嘲笑っていたのかもしれない。

今までずっと自分の居場所を知っておきながら、どうしてすぐに姿を現さなかったのだろう。

悠仁が瞠目していると、悟は静かにココアに口をつけていた。空になった缶を机に置き、彼は気だるげな表情を浮かべる。

「気の迷いかと思ってさ。ちょっと時間置いたらすぐに帰って来てくれるって思ってたんだよね」

「………」

「僕、何か悠仁に嫌われるようなことしたかなあって反省してたんだけど、全然思い浮かばないの」

青い瞳が悠仁の姿を捉える。

「ねえ、なんで逃げたの?僕のことが本当に嫌いになったなら、そう言ってくれれば良かったのに、悠仁ってば何も言ってくれないんだもん」

「…、……」

唇を戦慄かせたが、声は喉に張り付いて出て来ない。僅かに空気を震わせるばかりで、悠仁は涙を浮かべながら俯いてしまった。

嫌いになって逃げ出した訳ではないのだと悟に言えば、彼はなおさら逃げた理由を詰問して来るだろう。

悟さえ自分のことを忘れてくれればそれで良かったのにと、悠仁は奥歯を噛み締めた。

「他の誰かと浮気する訳でもない、真面目に呪霊を祓って呪術師を続けて…ねえ、僕、悠仁が何したいのか全然分かんない」

子どもが初めて目にしたものを「あれは何」と問うように、目を輝かせながら悟が問う。
しかし、彼を納得させる答えなど悠仁は持ち合わせていなかった。

家柄や立場など、悟にはどうでも良いことなのだから、どうしてそんな理由で逃げたのか理解出来ないと言うに決まっている。悠仁にはどうしようも出来ない問題だというのに、悟にしてみればその程度の認識なのだ。

「僕のことが嫌いになった訳じゃないのなら、他の誰かを好きになったんじゃないなら、なんで?なんで、逃げたの?」

骨ばった大きな手が悠仁の肩を掴む。目を背けることさえ許されず、悠仁は思わず固唾を飲み込んだ。

今さら逃げ出すことは叶わない。そもそも逃げ出せてもいなかったのだから、もう諦めるしかないのかもしれない。

「………」

瞬き一つ見逃すまいとして、悟が悠仁の顔を見つめている。青いガラス玉のような美しい瞳が、氷の刃のような冷たさを秘めていて、とても恐ろしく感じられた。

「…先生と、一緒に、なれない」

情けないほど弱々しい声を喉から振り絞ると、肩を掴む悟の手に力が込められた。

目の前にある悟の表情は微塵も変わっていないのに、爪が食い込み、痛みに悠仁の顔が歪む。

「俺のこと、忘れて、幸せになってほしかった、から…」

ぎりぎりと肩から伝わる痛みを堪えながら、悠仁は必死に言葉を紡いだ。

身勝手極まりない傲慢な行動だという自覚はある。しかし、いっそのこと、軽蔑してくれればとさえ思っていた。

悟が幸せになるためには、自分という存在が、彼の世界から消えるべきなのだ。

「…だから、僕に嫌われたくて、そんなことしたの?」

肩を掴んでいた手が離れ、悠仁の頬を擦る。今は元に戻っているが、悟が触れているのは赤く焼け爛れていた箇所だ。

頷くこともせずに悠仁は沈黙する。それを肯定と受け止めた悟は、体のどこかが痛んだような顔をして、悠仁のことを強く抱き締めた。

「…何が悠仁をそうさせた・・・・・の?」

低い声で囁かれ、悠仁は心臓を直接握られたかのような感覚に襲われた。

悠仁を強く抱き締めたまま、悟は彼女の耳元で言葉を続ける。

「僕の家の奴らになんか言われたんでしょ?それとも他の奴ら?」

「あ、あの…」

腕の中で悠仁は喘ぐような呼吸を繰り返す。

独断で行ったのだと言おうとした途端、物凄い勢いで悟に顎を掴まれる。骨が軋むくらい強く掴まれて、悠仁は痛みと恐怖で体を硬直させた。

「悠仁が居なくなってから、家の奴らが急に縁談の話振って来るようになったから、おかしいと思ったんだよね」

「……、……」

「悠仁は優しいから庇うかもしれないけどさ。…いい子だから、本当のことを教えて?」

優しい声色で尋ねられ、かちかちと歯が鳴る。

悟の青い瞳に、恐怖で凍り付いた表情を浮かべている情けない自分の顔が映っていた。

 

真実

何も話そうとしない悠仁に、追い打ちをかけるように悟が問い掛ける。

「僕の家の奴らに脅されたんでしょ?」

「………」

首を縦にも横にも振らず、口を噤んだままでいる悠仁を見て、悟は確信した。

悠仁の唇に指をそっとなぞったかと思うと、彼は静かに微笑む。

「誓約でも交わした?僕に話さないことを条件に、ってところかな」

「………」

悠仁は何も答えられない・・・・・・・・

それを肯定と認めた悟は悠仁に真っ直ぐな視線を向け、決して逸らそうとしなかった。まるで悠仁の瞬き一つ見逃すまいと注視しているようだ。

何も話していないというのに、青いガラス玉のような瞳に全てを見透かされているような心地になる。

「その誓約はもう無効だから、悠仁はなんにも気にしないでいいんだよ」

沈痛な面持ちで唇を固く引き結んでいる悠仁に、悟は明るい声色で言う。

「え…?」

悟が何を言っているのか理解出来ず、悠仁は呆然とすることしか出来ない。

「気になるなら確かめてみたら?誓約に背くことをすれば、すぐに分かるよ」

利害による縛りである誓約。それを破ることは罰を受けること、即ち、死を意味する。呪術界では常識のことだ。

まさか自分の居場所だけでなく、誓約のことまで知っていたというのか。悠仁は直接心臓を鷲掴みにされたような感覚に息を詰まらせた。

「悠仁」

いつまでも口を閉ざしたままでいる悠仁に、悟が穏やかな声を掛ける。

「本当のこと、教えて?誰と、どんな誓約を交わしたの?」

頬に手を添えられて、そう問われると、悠仁は術にでも掛けられたかのように唇を動かした。

「…五条家の人に、先生に近づくなって、言われた」

それは誓約に反する行為・・・・・・・・であると、悠仁は分かっていた。体が飛散してしまう罰を覚悟することも出来ないまま、勝手に口が動いていたのだ。

しかし、いつまでも苦痛はやって来ない。体に異変も起きないことから、悠仁は瞠目する。
悠仁本人からその言葉を聞けた悟は満足そうな笑みを浮かべている。

「ほら?なんともないでしょ?」

「………」

「だって、悠仁が誓約を交わした相手はもういないんだから、誓約自体、成り立たない・・・・・・んだよ」

全身の血液が逆流する感覚に、悠仁は眩暈を覚える。

悠仁が誓約を交わした相手を、同じ家の人間を、彼は殺したのだ。言葉を噛み砕かなくても、悠仁には分かった。

誓約が第三者によって打ち破られるということは、誓約を交わした、どちらかの人間の死しか有り得ない。

悠仁が五条家の人間と誓約を交わしたことを、なぜ悟は知っていたのだろう。

悟の想いに応えてはいけないのだと自分を戒めるようになったのは、彼の家臣だと名乗る人物が現れてからだ。

彼は五条家の嫡男である悟がいかに尊い存在であるか、そしてそんな彼の妻に相応しい人物とはどんな女性かを悠仁に言い聞かせた。

その後にはっきりと、お前は五条家の人間には相応しくないと、そう言われた。他人に言われなくとも、悠仁にはその自覚は元々あった。

身寄りもなく、名家の出でもない悠仁が誇れるのは、両面宿儺の強大な呪力だけ。

五条悟という男に相応しい女の条件を何一つ満たしていない自分は、悟に近づいてはいけないのだ。

家臣を名乗る男は、悟に今の話を言わないことを誓約にして、悠仁を悟から遠ざけた。その制約は、決して男の保身ではない。

自らの命を天秤にかけて、その男は悠仁が悟に近づかないことを確かめようとしていたのだ。もしも悠仁が誓約に反したことで男が死ねば、他の家臣が気づく。

そうなれば、再び悠仁に悟に近づかぬよう説得しに別の家臣が来るかもしれないし、強行手段に出るかもしれなかった。

だからこそ、悠仁は何も言わずに悟の前から姿を消したのだ。誓約に反さないよう、悟にこれ以上の迷惑を掛けないために。

それがまさか悟自ら、家臣を消し去っただなんて思いもしなかった。第三者によって誓約が破られた気配も感じなかった。

「…まだ、つけていてくれたんだね」

頬に添えられていた悟の手が、するりと肌の上を通って耳に触れる。右の耳朶に埋め込まれている小ぶりな銀色のピアスを指先で軽く突かれた。

悟と交際を始めた頃に、初めて彼から贈られたプレゼントだった。

呪術高専は他の高校と違って校則が緩い。アクセサリーに関しても同様で、任務に支障をきたさなければ特に咎められることはなかった。

―――指輪はちゃんとした時に、ちゃんとしたものを贈りたいから。

照れ臭そうに悟がはにかんだのを、悠仁は今でも覚えていた。

いつも大人の余裕を見せつけている彼が、そんな風に余裕のない顔を自分だけに見せてくれることが、恋人としてこの上ない優越感に浸ることが出来た。

ピアッサーを使ってピアス穴を開けてくれたことも、あの時のじんと痺れるような熱い痛みも、ちょっとだけ大人になったと誇らしげに思えた日のことも、悠仁はちゃんと覚えている。

ピアスをつけているのは右耳だけで、もう一つのピアスは悟の左耳にある。左右のピアスを悟と悠仁でそれぞれつけていた。

悟とのことは全て忘れなくてはと思うのに、いつまでも色褪せない思い出として、心に根付いている。

悟の左耳にも同じデザインのピアスがついているのを見て、離れている間も同じようにピアスをつけてくれていたのだと分かった。

「悠仁」

身を屈めた悟が耳元に唇を寄せて来たので、悠仁は反射的に目を閉じた。

「…うん、電池切れてなくて良かった」

安堵したように囁かれた言葉に、悠仁は目を見開いた。

唇の柔らかい感触を耳元に感じたかと思うと、再び悟に抱き締められる。

「そのうちこうなるんじゃないかなって思ってたんだ」

まるで今日までのことを事前に察していたかのような口ぶりだった。

「まさか誓約を交わさせてまで、僕から悠仁を遠ざけるとは思わなかったけど、もう大丈夫だよ。悠仁に近づかないように、ちゃあーんと五条家当主としてお説教しておいたから」

「………」

「でも、悠仁が自分を傷つけるくらい苦しい想いをしていたんだから、もっと…もっと、苦しめてから殺すべきだったね」

声色は穏やかだったが、青いガラス玉のような瞳からは憤怒を感じる。毛穴という毛穴に針が突き刺さるような、嫌な感覚に全身が包まれる。

やはり彼があの男を殺したのだ。

「せ、んせ…」

「ん?なあに」

「…さっきの、電池って…なに…」

先ほど悟が独り言のように囁いた言葉は、悠仁の中でわだかまりとして残っていた。

呪術高専を自主退学した後にスマホはすぐに新しい物に取り換えたし、何処にも足がつかないように徹底していた。

悟が先ほど言った言葉が、自分の居場所を知っていたと繋がりがあるような気がしてならない。

悠仁の問いに、悟は肩を竦めるようにして笑った。

優しい手付きで右耳のピアスを撫でつけられた瞬間、悠仁は火傷でもしたかのように、悟の腕を振り解いて後ろに下がった。

「………」

二人きりの教室に、悠仁の荒い呼吸だけが響き渡る。

帳を下ろしたせいで、自分たちだけがこの世界に取り残されてしまったかのような錯覚を覚えた。

目の前に立っている悟から静かな狂気すら感じる。外見は五条悟その人のはずなのに、なぜか中身だけが全くの別人のように思えた。青い瞳を直視出来ず、悠仁は後退る。

「逃げてもいいよ?すぐに見つけちゃうけどね」

悟がスマホを操作する。見せつけるように悠仁に画面を翳すと、そこには地図が表示されていた。

地図が示しているのはこの学校であり、その中心で赤い丸が点滅している。赤い色に目がちかちかとした。

「ッ…!」

震える手で悠仁は右耳のピアスを乱暴に外し、床に投げ捨てた。今日まで身体の一部だったピアスを急に外したことで、耳朶がしくしくと切なく疼いた。

小気味良い音を立てて転がったピアスを見下ろし、悟が憂いの表情を浮かべる。

「初めて僕が悠仁に贈ったプレゼントなのに…」

残念そうに言いながら、ピアスを拾い上げた悟はまるで悠仁に見せつけるように、そのピアスに舌を伸ばした。

大切な恋人からの初めての贈り物であるお揃いのピアスに心を躍らせていた自分を、悠仁は思い切り殴りたくなった。

まさかあのピアスに位置情報を知らせる機能がついていたなんて誰が想像出来ただろう。きっと悟も知られまいとして何も告げずに贈ったに違いない。

渡されたあの日からずっと悟は自分のことを監視していたというのか。

瞼の裏に、幸せだった日々の記憶が過ぎる。

悟も自分と同じ想いでいてくれたのは知っていた。だけど、今目の前にいる悟のことを悠仁は何も知らない。

自分に愛を囁いてくれた悟が、自分をずっと監視していた事実に、悠仁の中で何かが音を立てて崩れ落ちていった。

 

後編はこちら

The post リプロデュース(五条悟×虎杖悠仁)中編 first appeared on 漫画のいけない長編集【ドリーム小説】.

リプロデュース(五条悟×虎杖悠仁)前編

  • ※悠仁の設定が特殊です。
  • 女体化(一人称や口調は変わらず)・呪力や呪術関して捏造設定あり
  • 五条悟×虎杖悠仁/ストーカー/ヤンデレ/バッドエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

 

家出少女

毒々しさを感じさせるピンクや紫のネオンの明かりに照らされている深夜の町並みは、見るだけで眼球がしくしくと痛む。

少女はマスクで鼻から下を覆い、パーカーのフードで目元まで深く被って、顔のほとんどを隠していた。

酒に酔った者たちがたむろしている中、その少女の存在だけはどこか浮いていた。

顔を隠しているその少女に、好奇心を持って視線を向ける者たちもいるが、すぐに目を背けてしまう。

僅かに覗く少女の顔の肌は、醜いまでに赤く爛れており、見る者の背筋をたちまち凍らせる。マスクとパーカーのフードを外せば、化け物のような顔が現れるだろうというのは安易に想像が出来た。

パーカーのフードを引き下げている手も包帯に包まれており、顔と同じように赤く爛れていた。

(…風が沁みるなあ…)

季節は晩秋になっていた。陽が沈むのも早くなったし、風も冷たくなって来た。

冷たい風は容赦なく少女から体温を奪っていく。特に赤く爛れた肌に、冷たい風はナイフで切りつけられる様な痛みを与える。

少女は、寒さにかじかむ手を擦り合わせるよりも先に、パーカーのフードを深く被り直して、人混みの中を掻き分けるように進んでいった。

 

家出少女 その二

深夜の公園は人気がなく、街灯の青い明かりに照らされていた。

先ほどの毒々しい色をしたネオンに比べると、随分と落ち着いた色合いで、ほっとしてしまう。

ベンチに腰を下ろし、ポケットに入れていたスマホを取り出すと、冷え切った指先で画面を操作する。

今回の依頼人の電話番号を表示すると、少女はスマホで電話を掛けずに、公園内にある公衆電話を使って電話を掛けた。

コール音が五回ほど響くと、相手が着信に応じた。

「…あ、祓いましたんで。それじゃ…」

必要最低限の連絡事項を告げると、少女は相手の相槌を待たず、すぐに電話を切った。登録していた電話番号を念のため着信拒否設定し、連絡先を削除する。

もう二度と関わることがないのだから、いつまでも連絡先を入れておいても意味はないのだ。少女は、同じ依頼人から二度目以降は仕事を引き受けないことを徹底していた。

十七という年齢でありながら、少女は呪術師という職業に就いている。呪術師とは、人の負の感情から具現化される呪霊と呼ばれる存在を祓う者のことを指す。

霊能力者とは似て非なるものであるが、大半の者はこの手の知識に疎いので、そのように依頼人に説明することも珍しくなかった。

呪術師というのは誰にでもなれるものではない。大前提として呪霊という存在を目視できること、それを祓う力を持っている者ではなくてはいけないのだ。

本来ならば日本国内に東京と京都の二校しかない呪術高等専門学校で、学生として任務をこなしていく年齢なのだが、少女は三か月前に東京の呪術高専を自主退学をした。

学長が不在の間に、退学届けを置いただけの一方的な行動だったが、退学届けを受理してもらえたかは分からない。

伝えていた連絡先も全て変更してしまったので、向こうとしても少女と連絡を取る手段がないのだから、受理せざるを得ないだろう。

呪術高専を自主退学した理由は、決して呪術師という職業が嫌になったからではない。

嫌になったのならば、今も呪術師として呪霊を祓うようなことはしていなかっただろう。

国内に二校しか呪術を学ぶ学校がないように、人手不足の業界であり、学生の頃から仕事は山ほどあった。組織に所属していなくても、十分に生きていける。よって、一人の少女が明日を生きるのに必要な賃金も余るほど支払われるのだ。

金銭の指定はしないが前払いで、呪霊を祓った後は二度と連絡をしないという条件をつけても、依頼は絶えない。

それだけ呪霊という存在は国内に湧いているし、冬が近づけば、その数も増えていく。少女のように、学校を卒業してから自由に仕事をしている者も珍しくはない。

学生であることのメリットとしては、経験者のもとで強さが磨かれていくことと、強さに見合った仕事を依頼されることだろう。

呪術師はその強さによって階級分けをされている。同様に、呪霊も強さによって階級が分けられており、その強さに対応出来る呪術師が派遣される仕組みになっているのだ。

少女の階級は特級であり、呪術師の中でも数えるくらいの人数しかいない最上級の階級である。

自主退学をしたのは、自分の強さに慢心している訳ではない。ある男から・・・・・逃げるためだった。

 

自主退学

少女、虎杖悠仁には恋人がいた。

悠仁が破瓜を捧げたのもその男で、通っていた呪術高専の教員だった。名前を五条悟という。

二人は生徒と教員の関係でありながら、男女の関係になったのだ。

悠仁には身寄りがなく、教員と生徒の関係を咎めるような者は誰もいなかった。呪術界には御三家と言って、代々その名を継いでいく名家が三つある。そのうちの一つに五条家があり、悟は五条家の嫡男だった。

由緒ある家柄の生まれである彼は、それを示すかのように、呪術界の中では最強だと言われている。

悠仁は悟と同じ階級だが、彼と戦うことになれば、手も足も出せぬまま敗北することは目に見えていた。同じ特級呪術師でも、悟とは天と地ほどの実力差がある。

呪術師としての経験だとか、呪霊を祓った数だとかは関係ない。生まれた時から、ずば抜けた力の持ち主だからこそ、五条悟は呪術界最強を名乗っているのだ。

悠仁は悟のことを呪術師としても尊敬していたし、確かに愛していた。

五条家の嫡男である悟に嫁ぎたいという女性はごまんといるのだが、そのような女たちには一目もくれず、悟も悠仁のことを愛してくれていた。

―――学校卒業したらさ、僕と結婚してよ。

悟にプロポーズをされたのは、何度目かの情事の後だった。程良い疲労感と甘い余韻に浸っている時にそんな言葉を掛けられて喜ばない女はいない。

最愛の男と恋人から夫婦になれるなんて、嬉しくないはずがない。

―――…考えとくね。

しかし、悠仁は言葉を濁らせた。

悠仁は謙虚で、自分の立場を弁えているつもりだった。

今後も呪術界の中心として活躍する御三家の一つ、五条家の嫡男との結婚。嫡男の悟が望んだことだとしても、お互いの意志一つで安易に出来るものではない。

両親は蒸発し、唯一の育て親だった祖父も病で亡くなった。身寄りのない悠仁が、由緒正しい家柄に嫁ぐなど、歓迎されるはずがないのだ。

特級呪術師である実力を持っていても、悟と結婚をするための条件が足りない。

言葉にせずとも悟は悠仁の不安を察したのか、何も気にすることはないと言ってくれた。
それでも、これからの呪術界と五条家の継続、そして悟の未来を想えばこそ、悠仁は身を引くしかないと考えた。

それが、虎杖悠仁が呪術高専を自主退学した理由である。

求婚の返事を悟に告げないままだったが、自主退学をして連絡を絶ったことで、悟もきっと分かってくれると悠仁は信じていた。

悠仁が悟の求婚を断った理由はもう一つある。

それは悠仁の呪力の源だ。

千年以上も前に存在したと言われる呪いの王、両面宿儺。呪術界では禁忌とされる強大な存在である。

悠仁は生まれながらに、両面宿儺の呪力を受け継いだ特殊な体質だった。

虎杖家の先祖に両面宿儺との繋がりはなかったことから、悠仁が両面宿儺の呪力を受け継いだのは奇跡に近い偶然だという。

受け継いだのは強大な呪力だけであり、凶暴な本体は依り代である悠仁の中で眠り続けている。

両面宿儺の本体に意識を奪われず、呪力を扱えるのは、千年に一人の逸材らしい。

しかし、悠仁が扱えるのは両面宿儺の力の全貌ではなく、一部に過ぎなかった。僅かな力だとしても、倒せなかった呪霊は一体もいない。それほどまでに両面宿儺の呪力は強大なものであり、人間も呪霊も恐れるものだった。

だが、悟には勝てたことは一度もなかった。力の全貌を扱えるようになったなら、悟に傷一つくらいはつけられるかもしれないが、試す機会は永遠に来ないだろう。

 

甘いもの

「はあ…」

深夜の公園には悠仁以外誰もおらず、彼女はようやくマスクを引き下げて、パーカーのフードを脱ぐ。

ようやくまともに呼吸が出来たような気がした。

「っ…いてて…」

冷たい夜風が吹き出し、悠仁は引き攣るような顔の痛みを覚えた。冬が近づいて来ているからだろう。火傷に冷たい風は容赦なく沁みるのだ。

右の額から顎にかけて、悠仁の顔の半分は赤く爛れていた。爛れているのは顔の半分だけでなく、手足もだ。

服の下のほとんどは包帯が巻かれているが、包帯が覆われている部分は全て赤く爛れている。

呪術界関係者ならば、呪霊との戦いで負った傷だと思うかもしれない。一般人から見れば醜いそれも、呪霊と戦って負った傷ならば勲章と呼べるものだった。

しかし、この火傷は勲章ではない。悠仁が自ら・・薬品を浴びたことで負った火傷である。

皮膚が焼かれるのは、気を失うほどの激痛を伴った。薬品を浴びた時に比べたら今感じている痛みなど些細なものだ。

しかし、危険を察知して回避するために、痛みに慣れないように、体というものは厄介に作られている。

今でも鼻にこびりついている薬品の匂いや、皮膚が焼け爛れる匂いには慣れたが、あのまま痛覚も一緒に焼かれてしまえば良かったのにと悠仁は思った。

「………」

冷え切った身体を気遣い、温かい飲み物を飲もうと思った悠仁は自動販売機へと向かった。

毒々しいネオンの明かりと違って、公園の街灯や自動販売機の白い明かりは心が落ち着く。
小銭を入れて、悠仁は幾つもある飲み物のボタンの前で指をうろうろとさせた。

ホットココアのボタンを押そうとして、何かに指が弾かれたように、すぐ横のホットコーヒーのボタンを押す。鈍い音と共に、取り出し口に缶コーヒーが落ちた。

無意識のうちに甘いものを求めていた自分に驚き、悠仁はしばらく動けずにいた。

悟は極度の甘党だった。悠仁も女という性別であり、甘いものを欲する気持ちは分からなくはないのだが、悟ほどではない。

彼は一人で堂々と女性客が多いカフェにも堂々と来店して季節限定の新作ケーキを頼むこともあった。悠仁に差し入れてくれる飲み物やお菓子も、彼がお勧めする甘い物がほとんどだった。

仕事の疲れは甘いもので取るのだと女性のようなことを言う悟と付き合っているうちに、悠仁も甘いものをよく摂取するようになっていたのだ。

無意識にココアを選ぼうとしたことに、自分はまだ悟のことを忘れられないのだと思い知らされた気がした。

取り出し口から缶コーヒーを取り出し、悠仁はすぐにプルタブを引き、コーヒーを啜った。

「…にが…」

口の中に広がった苦味に、悠仁は思わず顔をしかめる。しかし、構わずにコーヒーを流し込んだ。

この苦味が喉を通っていけば、悟との思い出を全て黒く染めてくれるかもしれないとバカなことを考えていた。

口の中の苦味に意識を向けていると、悠仁は身体が疲労していることを思い出した。

今日は廃工場に住み着いていた特級呪霊二体を相手にしたのだ。両面宿儺の呪力があれば、いかに最上階級である呪霊を祓うことは容易かったが、膨大に呪力を消費してしまった。

普通の人間と異なる力を持っていたとしても、肉体は人間である。動けば腹は減るし、疲労も溜まるのだ。

「……、…」

悠仁は目を伏せると、口の中で呪文を呟いた。みるみるうちに悠仁の足下に血溜まりが広がっていき、吸い込まれるように悠仁の体が落ちていく。

次に目を開くと、悠仁は大きな血溜まりの真ん中に膝を抱えて座っていた。

生得領域の中である。家とは異なるのだが、自分の中にある空間にやって来ると、ほっとしてしまう。

あちこちに人の骨が積み重なっており、血の池地獄のような光景が広がっているが、悠仁にとっては見慣れた空間であり、ここは今の彼女にとって唯一落ち着ける空間だった。

生得領域は心の中と言っても良い空間であり、自分が許可をしなければ他の誰も入って来れない。

今も悟が自分のことを探しているのかもしれないと思うと、公共のホテルなど、自分がそこにいたという足跡を残す訳にはいかなかった。

連絡を取る手段がないのだから、悟が悠仁を探していたとすれば、手探りの方法しかない。厄介なのはこの世界で悟しか持っていない六眼の能力だ。

呪力を詳細に見分けることが出来るというその能力を使って、悠仁が呪霊を祓う時に利用する呪力を見つけるかもしれない。

悟が自分に興味を失くしたと分からない以上、警戒はしておいて良いだろう。あと数年はこの生活が続くことを覚悟していた。

深く心に根を張っている思い出が簡単に消え失せることはないけれど、考えない時間が長ければ長いほど、思い出というものは風化していくものである。悠仁はそう信じていた。

五条家の嫡男という立場や、彼の端正な顔立ちに惹かれる女性は多い。

薬品に身体が爛れた自分とは違って、名家である五条家に相応しい美しい女性と家庭を作ってくれることを悠仁はひたすら願っていた。

(あれ…?)

頬を伝う涙に気付き、悠仁は瞠目した。

もう涙なんて枯れたと思っていたはずなのに、まだ悟のことを想っている自分がいる。

赤く爛れた皮膚に涙が沁みて、悠仁は痛みに顔を強張らせた。

早く止めなくてはと思うのだが、泣くなと自分を叱りつければするほど涙が止まらなくなってしまう。

「っ…せ、んせ…」

恋人同士になってからも、悠仁が悟を呼ぶ時は「先生」のままだった。

名前で呼んでくれて良いんだよと言ってくれたこともあったけれど、気恥ずかしさがあって、結局最後まで「悟」と呼んであげることは出来なかった。破瓜を捧げた時でさえも、名前で呼んであげられなかった。

心残りがあるとすれば、期待してくれていたのに、一度も名前で呼んであげられなかったことかもしれない。

彼のことを嫌いになって別れたのならば、どれだけ良かっただろう。

 

目覚め

生得領域の中で眠ったが、頻繁に目を覚ましてしまう。

この生活を始めてから、一年近くが立つが、一度も熟睡出来たことがなかった。

生得領域には誰も入って来ないと分かっているのに、いつまでも眠っていると悟に見つかってしまいそうな気がするのだ。

目を覚ます度に、自分に何度も大丈夫だと言い聞かせて、再びうつらうつらと眠りに落ちかけた途端、また目を覚ましてしまう。

明日も呪霊を祓う依頼が入っているのだから、しっかり体を休めなくてはと思うのだが、悟が自分のことを忘れてくれるまでは、ずっと寝不足が続くかもしれない。そもそも彼が自分を忘れる手段など確かめようがないのだが。

目の下の隈はいつまでも濃く残っており、公衆トイレの鏡を見た時に自分でも驚いたものだ。

すれ違う人々は自分の赤く爛れた肌に驚いたり、同情するような視線を向けて来るが、この隈の濃さも気味悪さを強調させているのかもしれない。

この前も、呪霊を祓い終えて、深夜に公園で休憩をしていると、若い男たちに声を掛けられた。

しかし、街灯に照らされた悠仁の顔を見るなり、化け物でも見たような悲鳴を上げて一目散に逃げ出していったのだ。

悟が今の自分の姿を見たら、あんな風に自分から遠ざかるのだろうか。

もしそうなら、過去に恋人だった立場として多少はショックを受けるに違いないが、きっとその方が悟のためだろうと悠仁は自分を納得させた。

…結局いつも通り、熟睡は出来なかった。日が昇り始める頃に、悠仁は生得領域を解除する。

冬が近づいているせいだろう、朝陽が昇るのは随分と遅くなっていた。

まだ薄暗い公園で両腕を伸ばして身体の凝りを解していると、座っていたベンチに缶が置かれていることに気付く。

「…ん?」

ココアだった。誰かがゴミ箱に捨てず置いていったのだろうかと、悠仁は缶を手に取った。

(誰のだろ…)

プルタブが開けられておらず、まだ購入したばかりなのか、缶は温かい。

反射的に辺りを見渡したが、自分以外に公園にいる者は誰もいなかった。誰かの忘れ物だろうか。

「…ッ!」

昨夜、悟と交際していた時の癖でココアを購入しようとしたことを思い出し、悠仁は火傷でもしたかのようにココアを手放してしまう。

缶が乾いた音を立てて地面に落ちたが、悠仁はとても拾う気にはなれず、逃げるようにしてその場から駆け出した。

悟がこんな場所にいるはずはないと頭では分かっているのだが、少しでも可能性があるのならいち早く逃げなくては。

外部に展開しない生得領域ならば呪力の気配は察知されないと思っていたのだが、六眼という能力を持つ悟なら、微弱な呪力であっても気づくかもしれない。

もしも自分を追い掛けて来て、どうして逃げたのだと迫られても、彼を納得させられるような言葉を持ち合わせていなかった。

納得するかどうかは悟次第だし、何も言わずに彼の前から消えた自分を悟は恨んでいるかもしれない。

彼のことを想うだけで罪悪感が胸に圧し掛かる。

これは贖罪だ。悟を傷つけたのは分かっているし、自分はその罪を一生背負って生きなくてはいけないのだと悠仁は思った。

この醜い傷痕は、自分への罰なのだ。

 

廃校舎の噂

冬が近づくと、日照時間に比例して人々の負の感情が増えていく。つまり、呪霊の数もその分増えるのだ。

同じ依頼人から二度と依頼は受けないようにしている悠仁でも、仕事は山ほどあった。

一般人は呪霊が何たるものかをよく分かってないのが大半だ。

呪術師たちの後方支援を行っている補助監督を通さなくても、ある程度の金を払えばきちんと祓ってくれる悠仁の存在は便利で助かるらしい。

呪霊との戦いによっては建物の損壊もあるし、そういった手配も国へ申請してくれるのならば補助監督を通した方が絶対に良いと思うのだが、素人にはその良し悪しはよく分からないものなのだ。

とにかく起こっている問題さえ解決出来れば、つまり呪霊という恐ろしい化け物さえ退治してくれれば良いと考えている人間も少なからずいる訳である。

今日の依頼は廃校舎にいる呪霊を祓うことだった。

以前から取り壊しが決まっているのだが、呪霊が悪さをするせいで作業員や、深夜に肝試しのために忍び込んだ若者が何人も被害に遭っているのだという。

取り壊し作業が始まってからそのような被害続き、今では誰も近づきたがらず、工事が少しも進まないのだという。

素人の話だけでは呪霊が何体いるのか、どの程度の階級なのかは少しも想像できない。

後方支援をしてくれる補助監督がいたのなら、窓と呼ばれる呪霊を目視出来る協力者からいくつか情報をもらえただろう。

しかし、悠仁の呪力をもってすれば、階級の高い呪霊が何体いたところで意味はない。目の前に現れる呪霊は全て祓うのみだった。

依頼人とは基本的に対面せず、メールや公衆電話でやりとりを行っている。顔を知られたくないのと、少しでも自分という呪術師の存在を広めないためだった。

送られて来た地図を頼りに、電車を幾つも乗り継いで廃校舎に到着した頃には、既に陽が沈みかけていた。

取り壊しが決定している廃校舎の周りには住宅もなく、この廃校舎だけが浮いて見えた。

立ち入る前から呪霊の気配を感じ、悠仁は琥珀色の双眸で廃校舎をじっと見つめた。この距離から気配を感じるということは、高い階級の呪霊なのかもしれない。

万が一にも一般人に見られないために、悠仁は口の中で呪文を唱え、結界の一種である帳を下ろした。

絵具を塗ったかのように、空が闇に包まれていく。帳が下りたのを確認してから、悠仁は廃校舎の中へと足を踏み入れた。

校舎には幾つもの教室がある。一つずつ回っていくのは億劫ではあったが、祓うためには仕方がない。

(なんか懐かしいな)

通っていた母校ではないにせよ、学校という空間に悠仁の胸は懐かしさでいっぱいになる。

休み時間に教室で友人らと他愛もないことで笑い合ったり、苦手な勉強をこなしたり、当たり前のことを当たり前だと思ってこなしていた日々が瞼の裏に蘇る。

「………」

教室の窓から見える校庭を見下ろして、悠仁は溜息を吐いた。

一つ上の先輩たちにボロボロになるまで挑んだことだって、任務帰りに数少ない同級生とファーストフード店で腹を満たしたことだって、色褪せない思い出として残っている。

そして、何よりその中心にはいつだって悟がいた。

自分よりずっと年上で、生徒の成長を導く教員という立場であるというのに、悟はいつだって子どものように無邪気だった。かと思ったら急に大人と呪術界最強の一面を見せつけてくれる。

そのギャップも悠仁は好きだった。口だけではなく、確かに実力を兼ね備えている尊敬すべき人間で、たまらなく愛おしいと感じる存在だった。

「っ…」

喉がきゅっと締まり、目頭が熱くなる。

忘れようと何度も努力しているというのに、ふとしたことをきっかけに悟とのことを思い出してしまう。

今でもまだ悟の存在は心に根が張っているのだと自覚せざるを得ない。

(集中しないと)

悠仁は深呼吸をして、呪霊の捜索に頭を切り替えた。

瞬間。身体に弱い電流が流されたような感覚に、悠仁の身体が小さく跳ね上がる。

「…えっ?」

それまで校舎内にあったはずの呪霊の気配が消えたのだ。

 

廃校舎の噂 その二

まだ呪霊の存在を見つけてもいないのに、一体どうして気配が消えたのだろうか。

この帳の中にいるのは自分と呪霊だけのはずだ。第三者の侵入があればすぐに気配で気づく。

まれに複数の呪霊がいた場合、呪霊同士で呪力を奪い取ろうと共食いのような行動が見られるというのは知っていた。

しかし、目を閉じて感覚を研ぎ澄ませてみるが、呪霊の気配はどこにも感じられない。

呪霊の数がどれだけいたのかは分からないが、縄張り争いでもして、相打ちになったとでもいうのだろうか。

依頼を受けた以上は、本当に祓えたのか確かめる必要がある。依頼人に終了した連絡を入れる前に、悠仁は本当に呪霊がいなくなったのか捜索を続けることにした。

前金は既に支払われているのだが、持ち逃げするような真似はしたくなかった。

依頼人には連絡先しか知られていないので、追われるようなことはないのだが、この方法でしか生きていくことを知らない悠仁には、足を付かないようにしながらも、悪い評判を立てられる訳にいかない。

(本当に呪霊が消えたのか…?なんで…?)

疑問が拭えないまま、悠仁は一つ一つの教室を確かめていく。

一階の奥にある教室の扉を開け、中を見渡した。ここにも呪霊の気配はなかった。

呪霊のせいで取り壊し作業が少しも進まなかったと聞いていたが、その教室も机や椅子が残っており廃校舎というよりは深夜の学校という印象の方が強かった。

「…ん?」

中央にある机に何か置いてあることに気付き、悠仁は導かれるように近づいた。机の上に缶が置いてあった。

肝試しのために忍び込む若者も居たと言っていたし、ゴミをそのまま置いて帰ったのかもしれない。

しかし、プルタブを開けられていないココアの缶には見覚えがあり、悠仁は手に取って凝視する。

今朝、公園のベンチに置かれていたココア缶を落として逃げ出したことを思い出した。どこの自動販売機でも販売しているものだったので、同じ種類なのはきっと偶然だろう。

(…なんで、砂がついてんだ…?)

未開封の缶に砂が付着しているのを掌で感じて、悠仁は眉根を寄せた。

(いや、まさかな)

あの時のココアが独りでにこんなところに移動したというのか。そんな馬鹿なことがあるものかと悠仁は苦笑を滲ませた。

当然ながら持ち帰って飲む気にもなれず、悠仁は机にそのココア缶を戻す。

「―――甘いもの、好きじゃなくなったの?」

背後から囁かれた聞き覚えのあり過ぎる声に、悠仁の心臓は、その一瞬、確かに止まったのだった。

 

中編はこちら

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