夜目、遠目、恋慕のうち(王賁×信)後編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 王賁×信/蒙恬×信/シリアス/甘々/ツンデレ/ハッピーエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

中編②はこちら

 

解毒

医師団の治療を受けて五日目の夜。陽が沈んだあとに、王賁はようやく両目の包帯を外された。

「ゆっくりと目を開いてみてください」

指示通りにゆっくりと瞼を持ち上げると、部屋の明かりが差し込んで瞳がずきずきと痛んだ。

しかし、その痛みが落ち着いてくのと同時に、少しずつ色を映し出す。これまで靄が掛かっていた視界がすべて洗い流されたように目の前の景色をはっきりと映していた。

「…見える。手指も、不自由はない」

視力だけでなく、両手の震えや痺れもなくなっていた。掌握をしてみるが、問題なく力も入る。

毒を受ける前の自由な体を取り戻したのだと実感し、王賁は長い息を吐いた。医者も大層安堵した表情を見せた。

「解毒は完了したようです。また何かしらの症状が出るかもしれませんので、あと数日はこの部屋で安静にしていらしてください」

「感謝する。これで将としての未来を潰えずに済んだ」

「いえ、とんでもございません。…そのお言葉はどうぞ信将軍にお伝えください」

深々と頭を下げ、医者は他にも執務があると言い、部屋を後にした。

 

 

部屋は灯火器の明かりで照らされていたが、以前のように、視界が暗闇に邪魔されることはない。
今までは蛍石の明かりを頼りにしていたが、それも不要になるほど視力が戻ったのである。

「………」

以前のように、目の前の景色を映してくれる両目に対して安堵の感情が込み上げて来て、放心状態になっていた。

信が嬴政と医師団を頼んでくれなかったら、もうこの両目が光を映すことはなかっただろう。
医者に言われたように、信に感謝を伝えなくてはと思うのだが、気恥ずかしさがあるのは彼女に弱みを知られてしまったからかもしれない。

このまま将の座を降りるしかないのだと諦めていた自分に、彼女が喝を入れてくれなかったら、今でも自分は蛍石の僅かな明かりに縋って夜道を歩いていただろう。

これからも信と蒙恬と肩を並べて将の座に就いていられるのだと思うと、胸に歓喜が湧き上がって来る。

礼を言うならすぐにでも伝えるべきだ。あまり日が空くと気恥ずかしさのせいで、伝えられなくなってしまうかもしれない。

自分の治療は宮廷に滞在していると信は話していた。しかしもう夜は遅い。明日必ず感謝を伝えようと心に決め、王賁は寝台に横たわった。

 

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真相

翌朝。目を覚ましても視界は変わりなかった。寝台から降りて体を動かしてみても、両手は自由に動かせる。

解毒によって症状が消失したとはいえ、しばらくは安静にするようにと医師から言われており、療養に専念しなくてはならない。

「っ…」

窓から差し込む陽の光が目に当たり、突き刺さるような痛みが走った。眩しくて目が開けていられないのだが、医者が言うにはそれも時間が解決するという。

窓から差し込む温かい光くらいならば、問題なく目を開けられるし、はっきりと色も分かる。

槍を振るうのもしばらく控えるよう言われたものの、治療を乗り越えて視力を失わずに済んだ王賁にとって、この療養期間は少しも苦痛ではなかった。

しかしこの五日間、ずっと横になっていたせいで下肢の筋力も衰えていることを自覚し、王賁は一刻も早く戦に出陣出来るように体を取り戻さなくてはと考えた。

しかし、まずは信に礼を言わなくてはならない。

見返りに何を要求されるのかは分からないが、彼女のことだから美味い酒と料理を要求されそうだ。僅かに口角を持ち上げ、王賁は部屋を出た。

広い宮廷を歩き回ったものの、どこにも信の姿がない。礼を伝えようと思ったのだが、先に屋敷へ戻ってしまったのだろうか。

信も自分も将としての執務がある。いつまでも宮廷に留まっている訳にもいかなかったのだろうと勝手に納得し、王賁は自分の屋敷へ帰還することを決めた。

書簡で礼を伝えるわけにはいかない。一度屋敷に帰還したあとに、信の屋敷に訪ねようと考えた。

療養の間に借りていた部屋で荷を纏めていると、蒙恬が訪れた。

「元気そうで何より」

本当にそう思っているのか疑わしいほど不満気な顔で、快気祝いの言葉をかけられた。

先日見舞いに来た時は、軽口を叩きながらも心配してくれていることが声色から察していたのだが今日は違う。

言葉と態度がつり合っていない時の蒙恬は、大抵本心を隠している。それなりに長い付き合いなので分かっていたが、今の状況に限っては悪い冗談とも思えなかった。

「何の用だ」

「まさか帰るつもりか?まだ信に会ってないだろ」

王賁は頷いた。宮廷のどこにも彼女の姿がなかったから、屋敷に戻っているのだと王賁は信じ込んでいた。

しかし、どうやら蒙恬の口ぶりから察するに、まだ信は宮廷にいるようだ。

 

 

「…賁。今回の解毒治療について、俺の口から説明してあげる」

「そんなものは不要だ」

もう解毒は出来たのだから、その経緯など知ったところで意味はないと王賁は言い捨てる。構わずに荷を纏めていると、

「聞け」

蒙恬はそれを許さないと言わんばかりに、王賁の肩を掴む。肩に指が食い込むほど強く力を込められて、思わず眉根を寄せた。

「信は、お前に飲ませる血清を作るために、自ら毒を受けたんだ」

「…は?」

その言葉を聞き、王賁はまさかと目を見開く。
眦が裂けんばかりに目を開いた蒙恬に睨まれ、決して冗談ではないことを悟る。

医学に携わっていない王賁でも、血清に関しての知識は浅く持っていた。体に毒を入れることで免疫を作り、その血を抗毒血清と呼び、すなわち解毒剤にするのだと。

―――快方に向かった際は、どうぞ信将軍に今のお言葉をお伝えください。

治療を開始したばかりの頃に、医者がそう言った言葉を思い出す。昨日包帯を外された時も、医者は似たようなことを言っていた。

あの時は嬴政と医師団の協力を求めた信の行動のことを指しているのだとばかり思っていたのだが、そうではなかった。

そして、医者が解毒剤の詳細を語ろうとしなかった理由と真相が結びついた。

信が抗毒血清を作るために自らの身を差し出したからで、恐らくその事実を医師に口止めをしていたからだ。

蒙恬は幾度か王賁の見舞いにも来ていたし、信にも会ったと話していたが、彼女の詳細については語ろうとしなかった。蒙恬自身も信から口止めをされていたのだろう。

 

 

信の心情は分かる。もしも自らを犠牲にして解毒剤を作るなど言ったら、王賁は確実に止めていたし、その解毒剤を飲むことはしなかった。きっと自分ならそうしたに違いないと王賁は断言出来た。

「…今、信は医師団の監視下にある。お前を助けた代わりに、信が死ぬかもしれない」

殺意に近い怒りが込められた瞳に睨まれながら、信じられない事実を教えられ、王賁は心臓の芯まで凍り付いてしまいそうになった。

普段から冷静沈着な友人があからさまに狼狽えている姿を見て、蒙恬は「やっぱりそうか」と溜息を吐いた。

「…まあ、信のことだから全部黙ってると思ったけど…俺も口止めされてたし」

予想通り、蒙恬は今回の件を信から口止めされていたらしい。

真実を打ち明けた蒙恬は、もうこれ以上隠しても意味はないと悟ったのか、今までの経緯を語り始める。

毒に侵された王賁に一刻の猶予も残されていないと知るや否や、信は自分が血清の材料になると医師団に名乗り出た。

抗毒血清を作るために協力してくれる人材を選別をする時間も惜しいと、信は医師団を説得したのである。

「医師団も手を尽くしてくれているから、どうなるかは信次第だろうけれど…でも、お前は今すぐ会うべきなんじゃないか。信に言うことがあるはずだろ」

最後まで蒙恬の言葉に耳を傾けることなく、王賁は弾かれたように駆け出していた。

 

激昂

宮廷を走り抜けて、医師団の仕事場がある建物に向かった王賁はそこで信の姿を探した。

今回のことで礼を言うために宮廷を探し回ったが、医師団のもとにいるとは全くもって盲点であった。

自分の世話をしてくれた医者を見つけ、信のことを問い質すと、彼はこれまでのことを白状したのだった。どうやら彼も信から口止めをされていたらしい。

だが、素直に打ち明けたということは医者の見立てでも、信の状態が良くないということだろう。王賁は氷の塊を背中に押し付けられたような感覚に陥った。

すぐに信にいる部屋に案内させると、そこには変わり果てた彼女の姿があった。

信は寝台の上で眠っていたのだが、胸が上下に動いていなければ、つまりは呼吸をしていなければ死人だと見間違えてしまうほど、その顔色は悪かった。

「信…」

やっと喉から絞り出した声は情けないほどに震えていて、しかし、名前を呼ぶのが精いっぱいだった。

まるで笛を吹くようなか細い音が信の口から洩れている。今にも止まってしまうのではないかと思うほど呼吸は弱々しい。

布団を掛けられていたが、覗いている左腕は包帯で覆われていた。
包帯の隙間から見えた手指は人間のものとは思えないような紫色になっており、今にも張り裂けてしまいそうなほど膨れ上がっている。

これはもう手遅れだと王賁は直感した。

「なぜ、ここまで…」

膝から力が抜けてしまい、王賁はその場にずるずると座り込んでしまう。

「…お前の解毒が終わるまで、信は毒を受けた体で五日間も過ごしたんだ」

どうやら追いかけて来ていたらしい蒙恬が、ゆっくりと背後から近づきながらそう言った。

王賁の解毒治療に必要な血清を提供するために、信は五日間も強力な毒を受けた状態で過ごしていた。

無事に王賁の解毒が完了し、すぐに信の解毒治療も始まったのだが、これほどまでに根付いた毒を取り除くのは容易ではない。

適切な解毒薬を飲ませているというのに、症状が少しも改善しないのだそうだ。
わざわざ蒙恬から説明を受けなくても、今の彼女の状態を見ればそんなことは嫌でも理解出来た。

 

 

包帯に包まれた左手に触れると、血液が通っていないのではないだろうかと思うほど、氷のように冷え切っていた。

そこが毒蛇に噛まれた箇所らしい。利き手ではなく左手を選んだのは信らしいなと思うが、今はそれどころではない。

「…誰が、お前に助けを求めた」

腹の底からせり上がって来たのは、怒りだった。

このまま信が死んでしまうかもしれないという恐れの感情よりも、怒りが勝ったのである。
それは信の死が自分のせいだと認めたくない罪悪感の裏返しでもあった。

「俺のことなど、捨て置けば良かっただろうッ!」

毒に蝕まれ、二度と戦場に立てなくなった役立たずの将など見殺しに出来たはずだ。

蒙恬の屋敷で酒を飲み交わしたあの夜、信に気づかれなければきっとこんなことにはならなかった。

もう治療法がないと諦めていたが、信はそうではなかった。嬴政と医師団の力によって、最後の治療法を見つけてくれた。

それがまさか信自身の命と引き換えという治療法だったなんて、誰が想像出来ただろう。

解毒剤と言われて飲まされていたあの苦い薬の正体が信の血だったのだと思うと、王賁は喉を掻き毟りたい衝動に襲われる。

しかし、どれだけ信に罵声を浴びせたところで、彼女の体を蝕む毒が抜けることはない。

信が無理やりにでも自分を宮廷へ連れて来たおかげで解毒が出来たことに、強い感謝の気持ちが込み上げたのだが、彼女の命と引き換えに生き長らえたことだけはどうしても認められなかった。

 

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危機

「もう、助からないのか」

自分でも驚くほど冷静に、王賁は医者に訪ねていた。
王賁の背後で医者は深々と頭を下げながら、重い口を開く。

「解毒剤の量を増やし、全てお飲み頂ければ、確実に軽快するのですが…ただ…」

「構わん。続けろ」

言葉尻を濁らせたので、王賁は続けるように指示する。

「もう呼びかけにも反応がなく、薬を口に含ませても飲み込むことが出来ずにいるのです。水や食事も…」

解毒剤だけでなく、水や食事も飲み込めぬほど衰弱しているのだと聞かされ、王賁は鈍器で頭を殴られたような感覚に襲われた。蒙恬も体の一部が痛むように眉根を寄せている。

医者の手には今煎じたばかりの解毒剤があった。口に流し込んでも飲み込む力がなく、眠りながら吐き出してしまうらしい。

口に流し込むのは簡単だが、飲み込ませるのは医者でも至難の業だ。少量でもいいから解毒剤を飲ませないと、もう命の灯は消えゆく一方なのだと医者は宣告した。

「…貸せ」

解毒剤が入った器をふんだくり、王賁は迷うことなく口に含んだ。

濃い緑色のどろりした煎じ薬の苦さが舌の上に広がった瞬間、反射的に吐き出してしまいそうになった。しかし、王賁は強く拳を握り締めてそれを堪えると、信に唇を重ねた。

血色の失った唇も氷のようで、人間と唇を重ねているとは思えないほど冷たかった。

信と唇を重ねたのはこれが初めてではない。以前、酒の酔いによって魔が差したのだ。
互いに忘れようと誓った過去だが、あの時の口づけとは比べ物にならないほど、無機質なものだった。

「ん…」

薬を口移しで流し込むものの、信が喉を動かす気配はない。意識がないのだから当然だ。

しかし、王賁は信の頬をしっかりと掴んで顔を固定させると、解毒剤を嚥下するまで唇を塞いだままでいた。

 

 

「っ…うぅ、ん…」

僅かに呻き声が洩れる。唇を塞がれて息苦しさを感じているのかもしれない。
しかし、僅かに信の喉が上下に動いた気配を感じ、王賁は唇を離そうとした。その時、

「う…!」

きりきりと下唇が摘ままれるように痛み、思わずうめき声を上げた。

「賁?」

その声を聞き付けた蒙恬が心配そうに駆け寄って来る。

咄嗟に王賁は信から顔を離したが、口の中に解毒剤ではない苦みが広がって、下唇の痛みが尾を引いている。手で拭ってみると血がついていた。どうやら信に下唇を噛まれたらしい。

「優しい口移しのつもりが、噛まれたんだ?」

下唇に血が滲んでいるのを見て、蒙恬が肩を竦めるように笑う。

気にせずに王賁が信に目を向けると、彼女は解毒剤を飲み込んでくれたようだった。意識がない中でも苦みを感じているのか、僅かに眉を寄せている。

毎度噛みつかれるのはごめんだが、口移しなら解毒剤を飲ませることが出来そうだ。医者もほっとした表情を浮かべている。

「王賁だとまた噛みつかれるかもしれないから、次は俺が飲ましてあげるよ」

明るい声色で蒙恬が提案する。顔は笑っているが、目が本気だったので決して冗談ではないことが分かった。

「いらん。俺がやる」

「えー?信は賁からの接吻嫌がってるみたいだけどなあ。俺は信になら舌を噛まれてもいいけど」

「………」

無言で睨みつけると、恬がこちらの怒りをますます煽るように蒙恬が軽快に笑った。

「冗談だって。信に救われたお前が、責任もってちゃんと解毒剤を飲ませてやれよ」

「無論そのつもりだ」

その返事を聞いた蒙恬は満足そうに頷いた。

「唇が使い物にならなくなったら俺が代わってあげるから、いつでも呼んだらいい」

「貴様はとっとと帰れ」

殺意を感じ取ったのか、蒙恬はさっさと踵を返して部屋を後にした。

 

風前の灯火

次に薬を飲ませる時刻に部屋を訪れると、驚くことが起きた。相変わらず顔色は悪いままだったが、ずっと眠り続けていた信が僅かに目を開いていたのである。

「信!」

寝台に駆け寄ったのはほとんど無意識だった。

「分かるか」

「…、……」

声を掛けると、信が唇を震わせた。しかし、唇の隙間から掠れた空気が洩れるばかりで、声にはなっていない。

台の上に置かれていた水差しを手に取って、それを彼女の口元に当てようとして、王賁は自分の口に水を含んだ。虚ろな瞳で信が王賁の行動を見つめている。

「っん…」

薬を飲ませた時のように水を口移しすると、信の目が大きく開かれた。

「ぅ、ん、んんっ…」

氷のように冷え切った手で力なく体を押しのけようとしたので、王賁は彼女の両手を押さえ込んで水を流し込む。

「ッ…!」

反射的に喉を動かして水を飲み込んだ信は、またもや抵抗しようとして、王賁の唇に再び噛みついたのだった。先ほどの傷口が再び開いてしまう。

唇が血が滴り、信の口の中に流れ込んでしまったのか、彼女は血の味にますます顔をしかめていた。

 

 

「………」

なんとか顔を離すと、信がぼんやりとした表情で王賁の事を見据えている。瞳は開いているはずなのに、目は合わなかった。

「…信?」

声をかけても反応がない。それどころか、瞼がゆっくりと閉ざされていく。

やっと感謝を伝えられると思ったのに、自分を助けた代償を信がその命で払おうとしているなんて、認めたくなかった。

「信っ…目を覚ませ!」

泣きそうな声で名前を呼んだあと、王賁は思い出したように台の上にあった解毒剤を口に含んだ。

慣れることのない苦みに再び吐き気が込み上げるが、構わずに口づける。

「ん…ぅ」

解毒剤を流し込んでも飲み込む気配はまるでなかった。それどころか薄く開いたままの口から解毒剤が溢れ出てしまう。

「飲めッ!ここでくたばるのは許さんぞ」

しっかりと顔を固定させながら、王賁は口移した解毒剤を飲むように指示をした。つい声に怒気が籠ってしまう。

彼女の耳にこの声が届いているのかどうかは分からないが、怒鳴らずにはいられなかった。

 

毒蛇の傷痕

「…、……」

信は薄口を開いたまま眠り続けていた。王賁は再び解毒剤を口に含むと、先ほどよりも乱暴に彼女の顔を押さえ込んで口移す。

「う…」

僅かな呻き声がしたものの、もう噛みつかれることはなかった。噛みつく気力もなくなってしまったのだと思うと、それだけで王賁は心臓の芯が凍り付いてしまいそうになる。

「…、っ…」

心の中で何度も解毒剤を飲むように訴えながら、王賁は信と唇を重ねたままでいる。

…やがて信の喉が上下に動いたのを察して、王賁はようやく唇を離した。

「こほっ…」

小さくむせ込んだ声を聞き、王賁が視線を下ろす。涙で潤んだ瞳と目が合った。

「信?」

「お、う…ほん…?」

掠れた声で名前を呼ばれた途端、王賁の瞳に熱く込み上げるものがあった。

目を覚ますようにと何度も願っていたはずなのに、いざそれが実現されると何を話すべきなのか分からなくなる。

しかし、意外にも先に口を開いたのは信の方だった。

「よか、った」

まさかこんな状態で彼女からそんな言葉を掛けられるとは思いもしなかった。

自分の身を案じるのではなく、王賁が解毒治療を終えたことに安堵しているらしい。

「なにが良かっただ、このバカ女ッ」

安堵した束の間、先ほどよりも怒りが込み上げて来て、王賁は彼女の体を抱き締めた。氷のように冷え切った体に、王賁は自分の体温を分け与えるように包み込む。

「だ、って、こうする、しか」

言い訳じみた言葉に、王賁はますます苛立ちを覚える。自分を助けるために、彼女が命を懸けたのは紛れもない事実だ。

「お前の犠牲で生き長らえただなど、王一族の恥だ。もしもこのまま死んだら舌を噛み切って死んでやる」

「な、んで…素直に、感謝、でき、ね、んだよ」

せっかく助けてやったのに自害を宣言されるとは信も予想外だったようで、顔に苦笑を浮かべていた。

 

 

寝台に腰かけたまま、王賁は信の左手を持ち上げた。

毒蛇に噛ませたそこは紫色で下手に触れれば弾けてしまうのではないかと思うほど腫れ上がっていた。

信が普段武器を握るのは反対の腕だが、もしも隻腕になったら戦では不利になる。馬の手綱を握りながら武器を振るうことが出来なければ、騎馬戦は特に不利だ。

「………」

このまま腕を切り落とすことにならないことを祈りながら、王賁は彼女の左手をそっと握り締める。

普段の自分ならば絶対にそんなことはしないと断言出来たのだが、包帯を外したあと、手の平に唇を押し当てた。どこか呆けた様子で信がその姿を見つめている。

「お、王、賁…?」

蛇の歯形が残っている親指の付け根の辺りにも唇を押し当て、強く吸い付く。まだここに毒素が残っているのなら、少しでも吸い出して楽にさせてやりたかった。

しかし、歯型は残っているものの、毒は吸っても出て来ない。未だ信に噛まれた唇がひりひりと痛むが、王賁は構わずに強く吸い付いていた。

「あつ、い…」

急に熱いと言われて、王賁は彼女の左手からようやく唇を離した。ずっと唇を当てて吸い付いていたからだろうか。

これほどまでに冷え切った手に、熱いという感覚は未だ残っている。それだけでも分かって安心した。

王賁は懐から以前まで肌身離さず持ち歩いていた蛍石を取り出した。左手首に紐を通すと、腫れ上がった手指にその石を握らせる。

夜目が利かなくなった王賁が持ち歩いていたものだと思い出したようで、信が何か言いたげな視線を向けて来た。

 

蛍石の贈り主

「…父から贈られたものだ」

「え…?」

王翦からの贈り物だったのだと知り、信は驚いたように目を見開いた。
先の戦で毒を受けたことを伝えたというのに、彼は何の興味も示さなかったと話していたはずだ。

医者の手配どころか見舞いにも来なかったという王翦に、信は無性な苛立ちを覚えていたのだが、やはり彼は父親として息子のことを気に掛けていたのだ。

王翦のことだから、王賁が夜道を照らすのに使っていたように、そちらの使い道を主旨として贈ったように思う。
御守りとして送ったというのなら、それはそれで父親としての愛情に違いないが。

「………」

蛍石を握らせた信の左手ごと包み込み、王賁はじっと目を伏せた。
言葉に出さずとも、早く信が良くなることを祈ってくれているのが分かる。

(あ、まずい…)

不意に強い眠気が瞼に圧し掛かって来て、信はいけないと思いつつ、瞼を下ろしてしまった。

次に目を覚まさなかったらどうしようという不安を感じる間もなく、信の意識は眠りの世界へと溶けていってしまった。

 

 

静かな寝息が聞こえて来て、王賁は目を開いた。

先ほどとは違って、どこか安らいだような寝顔をしている信の姿がそこにあり、王賁は複雑な気持ちを抱く。

「信…?」

名前を呼ぶが、反応がない。

解毒剤を飲み込んだことで症状が回復に向かっていくのなら良いが、今の状態で深い眠りにつくことで、二度と目を覚まさないのではないかという不安があった。

蛍石を大切そうに握り締めてくれているのを見て、王賁はただ彼女の無事を祈るしか出来なかった。

もしも彼女の解毒に犠牲が必要だと言われたのなら、王賁は躊躇うことなく自分の命を差し出しただろう。

せっかく助けてやったのにと信から怒鳴られるのは目に見えていることだが、彼女の命を奪ってまで生き長らえるつもりなどなかった。

それは信も同じ考えなのかもしれないが、だからこそ分かってほしかった。

本当に信の命がこのまま散ってしまったのなら、王賁は自ら舌を噛み切って命を絶つという先ほどの言葉通りにするつもりだった。

愛しい女の命を犠牲にしてまで生き長らえた弱者に、戦場に立つ価値などない。

これからも共に生きたい。まだ彼女に伝えていない言葉がたくさんある。感謝の言葉だって伝えそびれてしまった。

「…死ぬな、一緒に生きろ」

王賁は僅かに開いている彼女の唇に、再び自分の唇を重ねたのだった。

…それから、驚くべきことが起きた。

 

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もう一つの抗毒血清

「王賁様!」

翌朝。信の世話をしていた医者が王賁の部屋に飛び込んで来た。

信に何かあったのだと直感する。最悪の状況が頭に思い浮かび、顔から血の気が引く。
医者の話を聞くよりも先に、王賁は部屋を飛び出していた。

(死ぬなと言ったのに)

一方的に取り付けた約束とはいえ、裏切られた気分だ。自分の許可なく勝手に死ぬなんて絶対に許さない。

「信!」

扉を蹴破る勢いで開けると、昨夜とはまるで別人のような信の姿がそこにあった。

「数日とはいえ、まともに食ってなかったから、どれだけ食っても足りねえ~!お代わりだ!」

それは王賁が良く知る信そのもので、実は毒を受けていなかったのかと思うほど元気に寝台の上で食事を頬張っていたのである。
右手に箸を、左手には椀をしっかり握っており、さらにはお代わりまで所望している始末。

「…は?」

部屋に入るなり、その豹変ぶりを目の当たりにした王賁は、夢でも見ているのではないかと思わず自分の頬を捻った。夢ではなかった。

「あ、王賁!」

何杯目かのお代わりの最中らしいが、王賁の来訪に気づいた信が満面の笑みで手を振る。

左手は未だに青みがかっていたものの、腫れはすっかり引いており、昨日よりも随分と改善したように見えた。手首には蛍石が括られた紐が巻かれている。

状況が理解出来ない王賁に、追いかけて来た医者が説明を始めた。

…どうやら、信の抗毒血清を飲んで王賁が解毒をしたように、信も王賁の抗毒血清・・・・・・・によって解毒が叶ったのではないかという。

遅延性の毒を受けていたことで、図らずとも王賁の中で抗毒血清が出来ていたらしい。しかし、彼女に血を飲ませた覚えはなかったはずだ。

昨日までのことを思い返してみると、

(まさか)

王賁は信に口移しで解毒剤を飲ませていた。その際、下唇に噛みつかれ、血を流したことを思い出す。

たった数滴だったかもしれないが、それが強力な解毒剤の役目を果たしていたのかもしれない。

それだけではない。腫れ上がっていた左手にも、早く治るように願掛けの意味を込めて唇を押し付けた。

もしかしたら毒蛇に噛まれた傷口に血が付着したことで、抗毒血清が働き、図らずとも解毒が叶ったのかもしれない。

医者の見解を聞きながら納得した反面、幾度となく信に口づけをしていたのを他者に見られていたのだと思うと羞恥が込み上げて来る。

しかし、信といえば王賁の気持ちなど露知らず、今度は湯浴みをして来るとまで言い出して寝台から立ち上がった。

 

 

「おわッ」

「信!」

信の足元がふらつき、王賁は咄嗟に駆け出して彼女の体を抱き止めた。昨日と違って、人間らしい温もりが戻っていた。

信の体を抱き締めたまま、つい長い溜息を吐いてしまう。

「わ、悪ぃ…」

腕の中で顔を上げた信は、申し訳なさそうに謝罪する。

これだけ元気になったとはいえ、ずっと寝たきりの状態でいたのだ。信の意志と反して、体は随分と弱っている。そして数日の間で随分と痩せたようだ。

王賁も解毒治療を終えてから筋力が衰えたことを実感していたので、無理はさせられなかった。

「王賁?」

抱き締めたままでいると、不思議そうに信が名前を呼んだ。

はっと我に返り、王賁は慌てて彼女から手を放した。振り返ると、医者が一礼して、物音を立てぬように部屋を出ていく姿があった。気を遣わせてしまったようだがありがたい。

「…そうだ。これ、返すぜ」

昨日彼女に渡していた蛍石を差し出される。
昼間の内に陽の光を存分に浴びたそれは、夜には美しく光り輝くことだろう。しかし、王賁はもう足元を照らす必要はなかった。

「いい。お前が持っていろ」

左手はまだ青みがかっており、ひんやりと冷たかった。一晩でこれだけ回復したのなら、数日で左手も改善するだろう。

左手の状態によっては、体にこれ以上毒が廻らないように切り落とすことになるのではないかと危惧していたが、杞憂で済みそうだ。

しかし、完治するまで御守りとして持っておいてほしかった。

「そんじゃあ…もう少しだけ、借りとく。ちゃんと返すからな」

素直に蛍石を受け取った信は少し照れ臭そうに笑った。

「もうこれで夜道を照らす必要はないんだよな?」

確認するように信が王賁を見上げた。頷くと、心底安堵したような表情を見せる。
今は自分が解毒治療を受けている最中だというのに、信は王賁が助かったことを本当に喜んでいるようだった。

(そういうところだ)

いつだって自分を犠牲にして、誰かを救おうとする信に、王賁は無性に苛立ちを覚えた。同時にそれを上回る愛おしさが込み上げて来る。

「夜になっても、ちゃんと俺の顔、見分けられるんだよな?」

その問いにはどんな意図があったのだろう。
考える前に、王賁は彼女の顎をそっと持ち上げていた。

「たとえこの目が潰えたとしても、お前のことなら見分けられる」

唇を重ねる瞬間、信が恍惚とした瞳に涙を浮かべ、ゆっくりと瞼を下ろしていく姿が見えた。

 

ボツシーン・プロット(1470文字程度)はぷらいべったーにアップしてます。

現在このお話の後日編を執筆中です。更新をお待ちください。

王賁×信←蒙恬のバッドエンド話はこちら

嬴政×信のバッドエンド話はこちら

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夜目、遠目、恋慕のうち(王賁×信)中編②

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見舞い

王賁の治療が始まってから三日目。信は昨日よりもさらに体調の悪化を自覚していた。

微熱が続いているせいか、倦怠感が取れない。水を飲むのに体を起こすのも一苦労で、ひたすら寝台に横たわっていた。

しかし、王賁の方は抗毒血清が効き始めたおかげで症状も改善して来ているという。

王賁が快方に向かっているのなら毒を受けた甲斐があるものだが、今や王賁のことを心配する余裕もなくなってしまうほど、信の体調は悪化していた。

一番つらい症状は倦怠感だが、その次は左手が腫れており、思うように動かなくなっていたことだった。

さらに今朝、目を覚ましてから舌がもつれて、上手く発音が出来なくなっていたのである。

医者によると随分毒が回って来たという。倦怠感が強いのは脈が乱れ始めて来ているのも影響していると言っていた。

王賁の治療が終わるまであと二日。時間が経過するにつれて今よりも体調が悪化するのかと思うと、信は億劫な気持ちに襲われていた。

もう少しだと自分を激励するものの、倦怠感のせいか頭がぼうっとして、何かを考えることさえも億劫になっている。

「…?」

扉が叩かれた。返事をするのも億劫で、信は寝台の上から扉の方を見つめる。

「信?入るよ」

聞き覚えのある声がして、扉が開かれる。蒙恬だった。

「おー、蒙、恬…」

寝台の上から返事をすると、蒙恬は信の姿を見て、言葉を探すように唇を震わせた。

いつもなら、手を振りながら笑って挨拶をするのだが、今は声を出すのが精一杯で、腕を持ち上げることも、笑みを繕うことも出来なかった。

 

 

早足で近づいて来た蒙恬は、言葉を選ぶように何度か視線を泳がせてから、ようやく唇を動かした。

「…賁のことも、医師団から全部聞いた」

「あ、ああ…」

そういえば蒙恬の屋敷で宴の最中に抜け出してしまったのだった。その時のことを謝らなくてはと思い、起き上がろうとするのだが、体に上手く力が入らない。

毒に苦しむ信の姿を目の当たりにして、蒙恬は体の一部が痛むように顔をしかめた。

「信…前からバカなのは知ってたけど、本当にバカなことをしたんだな」

まるで慈しむように、しかし棘を持たせた言葉を蒙恬から掛けられる。

医師団から話を聞いたというが、二人で宴を抜け出してから宮廷に向かったことも、王賁が毒を受けた話も、どこで知ったのだろうか。

しかし、それを探ることも、問いかけることも出来ないほど、今の信は衰弱し切っていた。

「バ、バカって、言うな、…んな、バカなこと、しねえと、王賁が、し、しん、死んじ、まう、から」

舌がもつれてしまうせいで、不自然に言葉が途切れ途切れになってしまう。なんとか言葉を紡ぎ切ったものの、ちゃんと伝わっただろうかと不安を覚える。

痛々しい信の姿に蒙恬は顔を歪め、それからゆっくりと口を開いた。

「信はそう思っているのかもしれない。…でも、俺は自分の知らない間に、大切な友を二人を失うかもしれなかったんだよ。…俺だけじゃなくて、信と王賁のことを大切に思う人たちのこと、一度でも考えてくれた?」

「………」

低い声で、まるで信を諭すように、しかし、詰問されているようにも感じた信は思わず眉根を寄せてしまう。

蒙恬の言うことはもっともだ。
しかし、信の中では、王賁も自分も死ぬという結末は、可能性として考えもしなかった。絶対に王賁を助けてみせると誓っていたし、自分もたかが毒如きに負けるつもりはなかったからだ。

しかし、憤怒の表情を浮かべている蒙恬の瞳に悲しみの色を見つけた信は、ここに来て罪悪感を覚えた。

王賁を助ける気持ちを優先し過ぎたあまり、他のことを何も考えていなかったことに気づいたのである。

嬴政はとやかく言うことなく、信の選択を肯定してくれたが、きっと葛藤していたに違いない。

 

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見舞い その二

「…わ、悪、い…俺…」

反省したように信が縮こまり、もつれた舌で謝罪する。顔色の悪さも伴って、今にも泣きそうなほど弱々しい態度だった。

蒙恬は小さく溜息を吐いてから、首を横に振った。そんな顔をさせるつもりはなかったと、彼は俯いて前髪で表情を隠す。

王賁の体が毒に侵されていたことも、信が嬴政と医師団を頼って王賁と共に宮廷に向かったことを、蒙家の息がかかった者たちからの報告で知った。

自分の力を過信しているからか、昔から人を頼ることを知らない王賁のことだから、毒に侵されていることも重臣くらいにしか口外しなかったのだろう。

恐らくは信が彼の蛍石を届けに行った際にそのことを知り、嬴政と医師団のいる宮廷へ直行したに違いない。

そして、医師団を頼るということは、もはや簡単には解毒出来ないほど、毒が進行してしまっている証拠だ。

その結論に行きついた時、どうして黙っていたのだと蒙恬はやるせなくなった。

王賁にも名家である嫡男としての自尊心であったり、色々と思うことがあったのだろう。気持ちはわからなくもないが、偶然にも毒を受けたという事実を知った信が、自分を犠牲にして抗毒血清たる解毒剤を製薬しようとしたことにも驚いた。

命を落とす危険があるかもしれないのに、信が我が身を差し出したのは、きっと王賁に残されている時間が少なかったからに違いない。

友人だというのに、どうして二人はそんな大切なことを自分抜きで決断してしまうのかと、蒙恬は子供のように拗ねている自分を自覚し、そして恥じた。

少し言葉を選ぶように間を置いたあと、蒙恬はゆっくりと顔を上げる。

「…俺も、大人げなかったね。二人が死ぬかもって知って、怖くなったから…ごめん」

謝罪を受けた信は首を横に振った。

「お前は、悪く、ない」

「………」

薄く笑みを浮かべた蒙恬は彼女の冷え切った左手に自分の手を重ね、包み込むように握り締める。

「じゃあ、これで仲直り」

「……、……」

信もなんとか口角を持ち上げたものの、強烈な倦怠感のせいで、その手を握り返すことも出来ない。瞼が重く、すぐに目を閉じてしまう。

「信」

その様子を見た蒙恬が切なげに眉根を寄せて、信の手を握り直した。

「なにか、俺に出来ることある?」

自分に出来ることなら何でもしてあげたい。
それは友人として出来ることなら何でもやってあげたいという善意であって、決して見返りを求めるようなものではなかった。

「…風呂、入り、たい…」

信は瞼を閉じたまま、ゆっくりと色の悪い唇を開いた。

「えっ?お風呂?」

まさかそんなことを頼まれるとは思わず、蒙恬は呆気に取られる。

毒を受けてからずっと横になっていて、風呂に入れていないのだという。
これで信の性別が自分と同じだったのなら、もちろんと手を貸していたのだろうが、さすがに女性を風呂の介抱をするわけにはいかなかった。

信とは友人関係にあるが、異性であることには変わりない。もしもそんな現場を誰かに目撃されたら、確実に誤解されてしまう。

 

 

「いや、それは…ほら、今はふらふらだから、お風呂に入るより、拭いてもらったら?頼んで来るよ」

さりげなく入浴の介助を断って、別の提案をしてみる。

「…なら、からだ、拭いて、くれ…」

まさか頼まれることになるとは思わず、蒙恬はぎょっと目を見開いた。

「お、お湯を持ってくるのは頼んで来るけど、さすがにそれは、うん、俺はそういうのに不慣れだから、侍女にやってもらった方が良い」

体を拭くだけとはいえ、着物を脱がせなくてはならないのは同じだ。

女性の裸体を見ることに抵抗がある訳ではないのだが、蒙恬の中では女性が肌を曝け出すというのは、夜の二人きりの褥の中であると決まっていた。

看病の一環だと自分に言い聞かせても、やはり信の裸体を見ることには抵抗がある。きっと信は何も気にしないだろうが、蒙恬の中ではこれまで築いて来た友人関係に亀裂が入ってしまうのではないかという心配があった。

「汗かいて、気持ち悪ぃんだ…頼む…」

蒙恬の返事を聞いていないうちに、信は寝台の上で着物を脱ぎ始めた。

呼吸を圧迫させない目的で今は帯は閉められていない。胸元がはだけないように着物の内側に紐が取り付けられていて、その紐を解けばすぐに前が開くようになっていた。

「わわわッ!し、信!前隠して!」

普段と違って今はさらしも巻いていない信の胸が露わになり、蒙恬は驚いて両手で自分の目を隠す。

両手で目を覆った上に、蒙恬は強く目を閉ざして顔を大きく背け、絶対に見ない意志を訴えた。

「はあ?な、なんだよ、体、拭くだけ、だろ」

大袈裟と言っても過言ではないくらいに友人の裸体から目を背ける蒙恬に、信はもはやからかう余裕もなく、早くしてくれと催促する。

「いや、まずは湯の準備をしなくちゃいけないだろ!?風邪引くからまだ着てた方がいい」

「あー…それも、そうかあ…」

諭されるように声を掛けられて、信はようやく納得したように頷いた。
彼女の判断力が普段以上に鈍っているのは蒙恬も察していたし、もし体調が悪くなければ自分に体を拭いてほしいなどと頼むことはなかったかもしれない。

「そ、そう。だからまずは着物を着て…」

前が開きっぱなしになっている着物を何とか着直してもらおうと思ったのだが、信は「んー」と気怠げな声を上げる。

しかし、着物の紐を再び結ぶのも億劫なようで、信は胸元を露わにしたまま静かに寝息を立て始めていた。

「し、信ッ!そんな恰好で寝るなよ!」

僅かに目を開いた蒙恬が指の隙間から、まだ彼女が半裸であるのを見つけ、慌てて声を掛ける。

一夜を共にする美女だったなら喜んでその豊満な胸に飛び込んでいたが、信は昔からの友人だ。異性を相手にするのに慣れているはずなのに、どうしていいか分からず、蒙恬は困惑していた。

 

秦王の見舞い

その時、背後で扉が開く音がして蒙恬は反射的に振り返った。

てっきり信の様子を見に来た医者か世話係だろうと思っていたのだが、そこにいたのは秦王嬴政であり、蒙恬は息を詰まらせてしまう。

「だ、大王様ッ!?」

慌てて拱手礼をして頭を下げるものの、今度は冷や汗が止まらなくなった。

信と嬴政は親友で、彼女のために見舞いに来たのだというのはすぐに分かったものの、こんな状況で秦王が来るとは思わなかった。

「…何をしている?」

寝台の上で半裸で眠っている信と青ざめている蒙恬を交互に見て、当然の疑問を投げかけられる。

「おっ、恐れながら!あの、これには事情が…!」

毒で弱っており、抵抗も出来ない信を襲おうとしていたと誤解されても仕方のない状況だ。

元下僕の身でありながら、信が嬴政の親友であることは秦国では広く知られている。親友が寝込みを襲われていると誤解されたら、蒙恬の首どころか、蒙一族の末裔まで処刑にされてしまうかもしれない。

蒙恬は自分の名誉と首を守るため、即座に弁明しようとした。

「おー、政じゃねえか…悪ィけど、体、拭いて、くれねえか…」

どうやら見舞い客が増えたことに気づいたらしく、信が寝台の上からか細い声を掛けた。
その言葉を聞き、嬴政は呆れたように肩を竦める。

「お前というやつは…」

それから嬴政は自らの手で、乱れている信の着物を整えてやった。
大王自らが妃でもない女性の着物を整えるなど前代未聞だろう。相変わらずの態度に、蒙恬はあんぐりと口を開けていた。

もしも信の着物を整える嬴政の姿を昌文君が見たら、きっと彼は激昂するだろう。いくら信が毒に弱っていたとしてもだ。

汗でべたつく体が気持ち悪いから拭いてほしいと訴えた信に、嬴政はこれまでの経緯を察したのだった。

「毒に蝕まれていても中身は相変わらずだな。少しだけ安心した」

肩まで布団をしっかりと掛けてやりながら、嬴政は溜息交じりに呟いた。

「んー…相変わ、らず、難しい、こと、言ってんな…」

「いくら毒を受けて弱っているからといって、そのようなことで蒙恬に面倒を掛けるな」

蒙恬は供手礼を崩さず、恐れ多いと言わんばかりに頭を下げる。
多忙な政務の合間に、親友の顔を見に来たらしい嬴政が部屋を出て行ってから、蒙恬はようやく安堵の息を吐いたのだった。

 

 

その後、様子を見に来た医者から、入浴は体力を大きく消耗することを理由に禁じられ、代わりに侍女が清拭を行うということに話が決まった。

「風呂は…?」

医者とのやり取りを聞いていなかったのか、信が蒙恬の方を見る。

「しばらくはだめだって。侍女に頼んでおくから、あとで体を拭いてもらおう」

真っ青な顔に虚ろな瞳をしたまま信が頷いたので、蒙恬はこんな状態であと二日も耐えられるのだろうかと不安を覚える。

弱気になっている様子は見られないが、体が衰弱と疲弊しているのは誰が見ても明らかだった。

毒は彼女の体を蝕んでいく一方だ。
このまま体力だけでなく気力までも落ちてしまえば、王賁は助かっても、信が犠牲になってしまうかもしれない。
二人の友人として、それだけは何としても回避したかった。

先ほど様子を見に来た医者が置いて行った食膳を見て、蒙恬は信に声を掛ける。

「信、食事にしよう?」

「んー…飯は後でいい…」

いつもなら食事と聞いたなら目を輝かせて喜ぶというのに、今の彼女は少しも食欲がないらしい。休ませてあげたい気持ちもあったのだが、少しでも体力をつけてもらいたかった。

それに、きっと今少しでも食事をさせなければ、すぐに眠りに落ちてしまうに違いない。次に目を覚ました時、今よりも毒が進行しているのは間違いないだろうし、食べさせるなら今しかないと考えた。

蒙恬は寝台の傍に椅子を引き寄せて腰を下ろすと、粥の入った器と匙を手に取った。

「…食欲がないのは分かるけど、少しでも食べて」

粥をすくった匙を信の口元に近づける。すると、信が大人しく口を開けてくれたので、蒙恬はほっと安堵した。

口の中に粥を入れると、信がもくもくと咀嚼する。噛み砕かなくても飲み込めるほど柔らかく煮込んであるのだが、たった一口の粥を飲み込むまでにかなりの時間を要した。

「信、ほら、口開けて」

「……、……」

二口目の粥を口元に運ぶが、信はなかなか口を開けない。
食べたくないと拒絶をしているのではなく、すでに瞼が半分落ちかかっており、眠気に負けそうになっているのだ。

こんなにも弱っている信を見るのは初めてのことだった。

 

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蒙恬の看病

蒙恬は一度食事を中断し、匙と粥を机に置いた。

ほとんど意識の糸を手放しかけている信に向き直り、彼女の耳元に顔を寄せる。思い切り息を吸い込み、

「信、起きろッ!!」

「どわあッ!?」

耳元で叫ぶと、信が飛び起きた。

「な、な、なっ、何だよっ!?」

いきなり耳元で叫ばれて、半ば強引に起こされた信は蒙恬を見上げた。

いつも薄ら笑いを浮かべ、女性たちから黄色い声援を浴びているはずの端正な顔立ちの蒙恬が、珍しく怒りを剥き出しにしていたので、信は驚いた。

「王賁を助ける代わりに信が犠牲になるなんて、俺は許さない」

「……、……」

反論する気もなくさせるほど、蒙恬は低い声でそう言い放った。顔を真っ赤に染めて、肩で息をしている蒙恬を見れば、本気で怒っているのだと分かる。

それほどまでに蒙恬が怒りを剥き出しにしているのを見るのは初めてのことだったので、信は罪悪感に襲われた。

「…悪い…」

信は力なく謝罪をすると、気まずい沈黙が二人の間に横たわる。
わざとらしく溜息を一つ吐いてから、蒙恬は椅子に腰かけ直した。粥の入った器と匙を再び手に取る。

「それじゃあ、これ全部食べるなら許してあげる」

「………」

許してもらうために条件を飲むしかない。
食欲がないのは確かだが、これ以上蒙恬を心配させるわけにはいかなかったし、王賁の回復を見届けるためにも、少しでも食べて体力をつけなくては。

頷くと、蒙恬は匙で粥をすくって信の口元に宛がった。

「ほら、口開けて」

「う…」

こんな風に人に食事を食べさせてもらった経験がなく、戸惑ってしまう。

それに、名家の嫡男ともあろう男が、元下僕である信に看病をしている姿なんて見たら、きっと従者たちは驚くだろう。

「………」

食べてくれないのかと蒙恬が切なげに見つめて来るので、信は諦めて口を開けた。ぱくりと匙を口に含み、粥を啜る。

粥はすっかり冷めていたのだが、一口飲み込んだだけでも胃が温まるような感覚があった。

ずっと食事を摂っていなかったせいで、空腹だったことを思い出したのか、もっとよこせと腹の虫が鳴る。その音を聞いた二人は顔を見合わせて、小さく笑った。

信が粥を飲み込んだのを確認してから、蒙恬がすぐに二口目を差し出した。

「…なんか犬猫に餌付けしてる気分。変な感情芽生えそう」

「馬鹿、言うなよ。俺は、人間だ」

まだ少し食べたばかりだというのに、蒙恬の冗談にもちゃんと反応が出来るようになって来た。

本当ならこんな風に食べさせてもらわなくても良かったのだが、左手を上手く動かせないせいで、蒙恬の好意に甘えることにしたのだ。

 

 

こんな風に誰かに看病をしてもらうなんて、いつが最後だっただろう。

物心がついた頃にはもう親はいなかったし、下僕仲間であった漂と肩を寄せ合って生きてい
た。漂がこの世を去ってからは、天下の大将軍に一歩でも近づくために、武功を挙げるのに必死で、王賁や蒙恬に後れを取るものかと意固地になっていた。

特に王賁の前では欠点や弱みといったものを見せないように努めていた。生まれながらの身分差というものを口うるさく指摘する王賁に、これ以上馬鹿にされたくなかったのである。

共に武功を競い合う好敵手だったというのに、いつからか安心して背中を預けられる味方になり、今では肩を並べて酒を飲み交わす友人にまで関係が発展していた。

王賁を失いたくないという気持ちに嘘偽りない。
抗毒血清を作ると決めたときに、どれだけ苦しんでも王賁を救い出し、絶対に自分も生きると誓ったのに、危うく意志が揺らぎかけていた。

毒の進行によって、苦痛も比例していくことは事前に聞いていたものの、これほど辛辣なものだとは正直思わなかったのである。

蒙恬が喝を入れてくれなかったのなら、きっと今も食事を抜いて眠り続けていたことだろう。

「…王賁には、会いに行ったのか?」

なんとか粥の半分ほどを食べ終えた頃、信は思い出したように蒙恬に問いかけた。わざわざ宮廷に来たのは自分と王賁の見舞いのためだろう。

「ああ、ここに来る前に顔を見て来た」

粥を匙で掬いながら、蒙恬が失笑する。

「少なくとも、今の信よりは元気だった」

王賁の様子については医者から聞かされていたものの、蒙恬の目から見ても元気だったというなら、本当に回復へ向かっているに違いない。

「良かっ、た…」

安心するとまた瞼が重くなってくる。

「信、まだ残ってる」

まだ粥を食べ終えていないのに眠るなと叱られてしまい、信は苦笑を深めた。

自分の毒治療は王賁が治療を終えたあとだ。三人でまた酒を飲み交わす日々を夢見て、信はなんとか粥を食べ切った。

「それじゃあ、また明日も来るから」

粥を全て食べ終えてくれたことで蒙恬は安心したように微笑んだ。

「蒙、恬」

立ち上がった蒙恬を引き留めようと、信が右手を伸ばす。上手く力が入らず、彼の着物を掴むことは叶わなかったものの、用があるのかと気づいた蒙恬が顔を覗き込んでくれた。

「王賁には、薬の、ことを、言わないで、くれ」

王賁が飲んでいる抗毒血清が、百毒を受けた自分の血であることを知られたくなかった。

抗毒血清を作ると決めたのは自分の意志であり、誰に頼まれたものでもないし、決して王賁に貸しを作ったわけでもない。もちろん彼を救うために自分を犠牲にするつもりもなかった。

だが、王賁がその事実を知ればきっと憤怒するのは分かっている。こちらが何を言おうとも、王賁はきっと許してくれないだろう。彼が義理堅い男なのは、蒙恬も信も知っていた。

「…うん、わかった」

なにか蒙恬は考える素振りをみせたものの、信の気持ちを考慮して頷いて、静かに頷いてくれた。

「気をしっかり持てよ。王賁の治療が終わり次第、次はお前の番なんだ」

その言葉を聞いて、信は返事の代わりに何とか笑みを繕った。

こんなところで負けるわけにはいかないと何度も誓ったものの、蒙恬が部屋を出て行ってから結局、気持ち悪さに耐え切れず、食べ切った粥をすべて戻してしまうのだった。

 

五日目

その後、信は深い眠りに落ちてしまい、目を覚ますと五日目の朝を迎えていた。

この時には信の左手の感覚はほとんどなくなっており、指の曲げ伸ばしどころか、腕を持ち上げることも出来ないほど、左腕は指先まで醜く腫れ上がっていた。赤紫に腫れ上がった指はまるで人間のものとは思えず、化け物の手のようだった。

「……、……」

反対に、顔と唇はまるで死人のように血色を失っており、天井を見上げながら呼吸を繰り返すのがやっとである。

(今日で、何日目だ…?)

これまで感じたことのない強い倦怠感に、信は今日が何日目であるのか、どうして自分がここにいるのかも思考を巡らせることも億劫になっていた。

時折、瞼の裏に王賁の姿が浮かび上がる度に、信の意識は夢の世界から引き戻される。
嬴政や蒙恬とも約束したのに、こんなところでくたばる訳にはいかない。

(でも…)

しかし、信はいよいよ死の気配を察するようになっていた。

戦場で強敵と戦った時とは違う、静かに迫って来る死の気配に、信は成す術もなく、今では弱々しい呼吸を繰り返すのが精一杯である。

もしも自分の命を代償に、王賁が助かったとして、王賁がそれを知ったらどう思うだろうか。

相手に借りを作るのを良しとしない王賁のことだから、怒鳴りながら自分の亡骸をぶん殴るのではないだろうか。死者への冒涜だと化けて出た自分にも、怯えることなく掴みかかってくるかもしれない。

「…はは…」

乾いた笑いを浮かべ、信は王賁の無事を祈ることしか出来なかった。

 

更新をお待ちください。

王賁×信←蒙恬のバッドエンド話はこちら

嬴政×信のバッドエンド話はこちら

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夜目、遠目、恋慕のうち(王賁×信)中編②

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 王賁×信/蒙恬×信/シリアス/甘々/ツンデレ/ハッピーエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

中編①はこちら

 

 

見舞い

王賁の治療が始まってから三日目。信は昨日よりもさらに体調の悪化を自覚していた。

微熱が続いているせいか、倦怠感が取れない。水を飲むのに体を起こすのも一苦労で、ひたすら寝台に横たわっていた。

しかし、王賁の方は抗毒血清が効き始めたおかげで症状も改善して来ているという。

王賁が快方に向かっているのなら毒を受けた甲斐があるものだが、今や王賁のことを心配する余裕もなくなってしまうほど、信の体調は悪化していた。

一番つらい症状は倦怠感だが、その次は左手が腫れており、思うように動かなくなっていたことだった。

さらに今朝、目を覚ましてから舌がもつれて、上手く発音が出来なくなっていたのである。

医者によると随分毒が回って来たという。倦怠感が強いのは脈が乱れ始めて来ているのも影響していると言っていた。

王賁の治療が終わるまであと二日。時間が経過するにつれて今よりも体調が悪化するのかと思うと、信は億劫な気持ちに襲われていた。

もう少しだと自分を激励するものの、倦怠感のせいか頭がぼうっとして、何かを考えることさえも億劫になっている。

「…?」

扉が叩かれた。返事をするのも億劫で、信は寝台の上から扉の方を見つめる。

「信?入るよ」

聞き覚えのある声がして、扉が開かれる。蒙恬だった。

「おー、蒙、恬…」

寝台の上から返事をすると、蒙恬は信の姿を見て、言葉を探すように唇を震わせた。

いつもなら、手を振りながら笑って挨拶をするのだが、今は声を出すのが精一杯で、腕を持ち上げることも、笑みを繕うことも出来なかった。

 

 

早足で近づいて来た蒙恬は、言葉を選ぶように何度か視線を泳がせてから、ようやく唇を動かした。

「…賁のことも、医師団から全部聞いた」

「あ、ああ…」

そういえば蒙恬の屋敷で宴の最中に抜け出してしまったのだった。その時のことを謝らなくてはと思い、起き上がろうとするのだが、体に上手く力が入らない。

毒に苦しむ信の姿を目の当たりにして、蒙恬は体の一部が痛むように顔をしかめた。

「信…前からバカなのは知ってたけど、本当にバカなことをしたんだな」

まるで慈しむように、しかし棘を持たせた言葉を蒙恬から掛けられる。

医師団から話を聞いたというが、二人で宴を抜け出してから宮廷に向かったことも、王賁が毒を受けた話も、どこで知ったのだろうか。

しかし、それを探ることも、問いかけることも出来ないほど、今の信は衰弱し切っていた。

「バ、バカって、言うな、…んな、バカなこと、しねえと、王賁が、し、しん、死んじ、まう、から」

舌がもつれてしまうせいで、不自然に言葉が途切れ途切れになってしまう。なんとか言葉を紡ぎ切ったものの、ちゃんと伝わっただろうかと不安を覚える。

痛々しい信の姿に蒙恬は顔を歪め、それからゆっくりと口を開いた。

「信はそう思っているのかもしれない。…でも、俺は自分の知らない間に、大切な友を二人を失うかもしれなかったんだよ。…俺だけじゃなくて、信と王賁のことを大切に思う人たちのこと、一度でも考えてくれた?」

「………」

低い声で、まるで信を諭すように、しかし、詰問されているようにも感じた信は思わず眉根を寄せてしまう。

蒙恬の言うことはもっともだ。
しかし、信の中では、王賁も自分も死ぬという結末は、可能性として考えもしなかった。絶対に王賁を助けてみせると誓っていたし、自分もたかが毒如きに負けるつもりはなかったからだ。

しかし、憤怒の表情を浮かべている蒙恬の瞳に悲しみの色を見つけた信は、ここに来て罪悪感を覚えた。

王賁を助ける気持ちを優先し過ぎたあまり、他のことを何も考えていなかったことに気づいたのである。

嬴政はとやかく言うことなく、信の選択を肯定してくれたが、きっと葛藤していたに違いない。

 

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「…わ、悪、い…俺…」

反省したように信が縮こまり、もつれた舌で謝罪する。顔色の悪さも伴って、今にも泣きそうなほど弱々しい態度だった。

蒙恬は小さく溜息を吐いてから、首を横に振った。そんな顔をさせるつもりはなかったと、彼は俯いて前髪で表情を隠す。

王賁の体が毒に侵されていたことも、信が嬴政と医師団を頼って王賁と共に宮廷に向かったことを、蒙家の息がかかった者たちからの報告で知った。

自分の力を過信しているからか、昔から人を頼ることを知らない王賁のことだから、毒に侵されていることも重臣くらいにしか口外しなかったのだろう。

恐らくは信が彼の蛍石を届けに行った際にそのことを知り、嬴政と医師団のいる宮廷へ直行したに違いない。

そして、医師団を頼るということは、もはや簡単には解毒出来ないほど、毒が進行してしまっている証拠だ。

その結論に行きついた時、どうして黙っていたのだと蒙恬はやるせなくなった。

王賁にも名家である嫡男としての自尊心であったり、色々と思うことがあったのだろう。気持ちはわからなくもないが、偶然にも毒を受けたという事実を知った信が、自分を犠牲にして抗毒血清たる解毒剤を製薬しようとしたことにも驚いた。

命を落とす危険があるかもしれないのに、信が我が身を差し出したのは、きっと王賁に残されている時間が少なかったからに違いない。

友人だというのに、どうして二人はそんな大切なことを自分抜きで決断してしまうのかと、蒙恬は子供のように拗ねている自分を自覚し、そして恥じた。

少し言葉を選ぶように間を置いたあと、蒙恬はゆっくりと顔を上げる。

「…俺も、大人げなかったね。二人が死ぬかもって知って、怖くなったから…ごめん」

謝罪を受けた信は首を横に振った。

「お前は、悪く、ない」

「………」

薄く笑みを浮かべた蒙恬は彼女の冷え切った左手に自分の手を重ね、包み込むように握り締める。

「じゃあ、これで仲直り」

「……、……」

信もなんとか口角を持ち上げたものの、強烈な倦怠感のせいで、その手を握り返すことも出来ない。瞼が重く、すぐに目を閉じてしまう。

「信」

その様子を見た蒙恬が切なげに眉根を寄せて、信の手を握り直した。

「なにか、俺に出来ることある?」

自分に出来ることなら何でもしてあげたい。
それは友人として出来ることなら何でもやってあげたいという善意であって、決して見返りを求めるようなものではなかった。

「…風呂、入り、たい…」

信は瞼を閉じたまま、ゆっくりと色の悪い唇を開いた。

「えっ?お風呂?」

まさかそんなことを頼まれるとは思わず、蒙恬は呆気に取られる。

毒を受けてからずっと横になっていて、風呂に入れていないのだという。
これで信の性別が自分と同じだったのなら、もちろんと手を貸していたのだろうが、さすがに女性を風呂の介抱をするわけにはいかなかった。

信とは友人関係にあるが、異性であることには変わりない。もしもそんな現場を誰かに目撃されたら、確実に誤解されてしまう。

 

 

「いや、それは…ほら、今はふらふらだから、お風呂に入るより、拭いてもらったら?頼んで来るよ」

さりげなく入浴の介助を断って、別の提案をしてみる。

「…なら、からだ、拭いて、くれ…」

まさか頼まれることになるとは思わず、蒙恬はぎょっと目を見開いた。

「お、お湯を持ってくるのは頼んで来るけど、さすがにそれは、うん、俺はそういうのに不慣れだから、侍女にやってもらった方が良い」

体を拭くだけとはいえ、着物を脱がせなくてはならないのは同じだ。

女性の裸体を見ることに抵抗がある訳ではないのだが、蒙恬の中では女性が肌を曝け出すというのは、夜の二人きりの褥の中であると決まっていた。

看病の一環だと自分に言い聞かせても、やはり信の裸体を見ることには抵抗がある。きっと信は何も気にしないだろうが、蒙恬の中ではこれまで築いて来た友人関係に亀裂が入ってしまうのではないかという心配があった。

「汗かいて、気持ち悪ぃんだ…頼む…」

蒙恬の返事を聞いていないうちに、信は寝台の上で着物を脱ぎ始めた。

呼吸を圧迫させない目的で今は帯は閉められていない。胸元がはだけないように着物の内側に紐が取り付けられていて、その紐を解けばすぐに前が開くようになっていた。

「わわわッ!し、信!前隠して!」

普段と違って今はさらしも巻いていない信の胸が露わになり、蒙恬は驚いて両手で自分の目を隠す。

両手で目を覆った上に、蒙恬は強く目を閉ざして顔を大きく背け、絶対に見ない意志を訴えた。

「はあ?な、なんだよ、体、拭くだけ、だろ」

大袈裟と言っても過言ではないくらいに友人の裸体から目を背ける蒙恬に、信はもはやからかう余裕もなく、早くしてくれと催促する。

「いや、まずは湯の準備をしなくちゃいけないだろ!?風邪引くからまだ着てた方がいい」

「あー…それも、そうかあ…」

諭されるように声を掛けられて、信はようやく納得したように頷いた。
彼女の判断力が普段以上に鈍っているのは蒙恬も察していたし、もし体調が悪くなければ自分に体を拭いてほしいなどと頼むことはなかったかもしれない。

「そ、そう。だからまずは着物を着て…」

前が開きっぱなしになっている着物を何とか着直してもらおうと思ったのだが、信は「んー」と気怠げな声を上げる。

しかし、着物の紐を再び結ぶのも億劫なようで、信は胸元を露わにしたまま静かに寝息を立て始めていた。

「し、信ッ!そんな恰好で寝るなよ!」

僅かに目を開いた蒙恬が指の隙間から、まだ彼女が半裸であるのを見つけ、慌てて声を掛ける。

一夜を共にする美女だったなら喜んでその豊満な胸に飛び込んでいたが、信は昔からの友人だ。異性を相手にするのに慣れているはずなのに、どうしていいか分からず、蒙恬は困惑していた。

 

秦王の見舞い

その時、背後で扉が開く音がして蒙恬は反射的に振り返った。

てっきり信の様子を見に来た医者か世話係だろうと思っていたのだが、そこにいたのは秦王嬴政であり、蒙恬は息を詰まらせてしまう。

「だ、大王様ッ!?」

慌てて拱手礼をして頭を下げるものの、今度は冷や汗が止まらなくなった。

信と嬴政は親友で、彼女のために見舞いに来たのだというのはすぐに分かったものの、こんな状況で秦王が来るとは思わなかった。

「…何をしている?」

寝台の上で半裸で眠っている信と青ざめている蒙恬を交互に見て、当然の疑問を投げかけられる。

「おっ、恐れながら!あの、これには事情が…!」

毒で弱っており、抵抗も出来ない信を襲おうとしていたと誤解されても仕方のない状況だ。

元下僕の身でありながら、信が嬴政の親友であることは秦国では広く知られている。親友が寝込みを襲われていると誤解されたら、蒙恬の首どころか、蒙一族の末裔まで処刑にされてしまうかもしれない。

蒙恬は自分の名誉と首を守るため、即座に弁明しようとした。

「おー、政じゃねえか…悪ィけど、体、拭いて、くれねえか…」

どうやら見舞い客が増えたことに気づいたらしく、信が寝台の上からか細い声を掛けた。
その言葉を聞き、嬴政は呆れたように肩を竦める。

「お前というやつは…」

それから嬴政は自らの手で、乱れている信の着物を整えてやった。
大王自らが妃でもない女性の着物を整えるなど前代未聞だろう。相変わらずの態度に、蒙恬はあんぐりと口を開けていた。

もしも信の着物を整える嬴政の姿を昌文君が見たら、きっと彼は激昂するだろう。いくら信が毒に弱っていたとしてもだ。

汗でべたつく体が気持ち悪いから拭いてほしいと訴えた信に、嬴政はこれまでの経緯を察したのだった。

「毒に蝕まれていても中身は相変わらずだな。少しだけ安心した」

肩まで布団をしっかりと掛けてやりながら、嬴政は溜息交じりに呟いた。

「んー…相変わ、らず、難しい、こと、言ってんな…」

「いくら毒を受けて弱っているからといって、そのようなことで蒙恬に面倒を掛けるな」

蒙恬は供手礼を崩さず、恐れ多いと言わんばかりに頭を下げる。
多忙な政務の合間に、親友の顔を見に来たらしい嬴政が部屋を出て行ってから、蒙恬はようやく安堵の息を吐いたのだった。

 

 

その後、様子を見に来た医者から、入浴は体力を大きく消耗することを理由に禁じられ、代わりに侍女が清拭を行うということに話が決まった。

「風呂は…?」

医者とのやり取りを聞いていなかったのか、信が蒙恬の方を見る。

「しばらくはだめだって。侍女に頼んでおくから、あとで体を拭いてもらおう」

真っ青な顔に虚ろな瞳をしたまま信が頷いたので、蒙恬はこんな状態であと二日も耐えられるのだろうかと不安を覚える。

弱気になっている様子は見られないが、体が衰弱と疲弊しているのは誰が見ても明らかだった。

毒は彼女の体を蝕んでいく一方だ。
このまま体力だけでなく気力までも落ちてしまえば、王賁は助かっても、信が犠牲になってしまうかもしれない。
二人の友人として、それだけは何としても回避したかった。

先ほど様子を見に来た医者が置いて行った食膳を見て、蒙恬は信に声を掛ける。

「信、食事にしよう?」

「んー…飯は後でいい…」

いつもなら食事と聞いたなら目を輝かせて喜ぶというのに、今の彼女は少しも食欲がないらしい。休ませてあげたい気持ちもあったのだが、少しでも体力をつけてもらいたかった。

それに、きっと今少しでも食事をさせなければ、すぐに眠りに落ちてしまうに違いない。次に目を覚ました時、今よりも毒が進行しているのは間違いないだろうし、食べさせるなら今しかないと考えた。

蒙恬は寝台の傍に椅子を引き寄せて腰を下ろすと、粥の入った器と匙を手に取った。

「…食欲がないのは分かるけど、少しでも食べて」

粥をすくった匙を信の口元に近づける。すると、信が大人しく口を開けてくれたので、蒙恬はほっと安堵した。

口の中に粥を入れると、信がもくもくと咀嚼する。噛み砕かなくても飲み込めるほど柔らかく煮込んであるのだが、たった一口の粥を飲み込むまでにかなりの時間を要した。

「信、ほら、口開けて」

「……、……」

二口目の粥を口元に運ぶが、信はなかなか口を開けない。
食べたくないと拒絶をしているのではなく、すでに瞼が半分落ちかかっており、眠気に負けそうになっているのだ。

こんなにも弱っている信を見るのは初めてのことだった。

 

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蒙恬の看病

蒙恬は一度食事を中断し、匙と粥を机に置いた。

ほとんど意識の糸を手放しかけている信に向き直り、彼女の耳元に顔を寄せる。思い切り息を吸い込み、

「信、起きろッ!!」

「どわあッ!?」

耳元で叫ぶと、信が飛び起きた。

「な、な、なっ、何だよっ!?」

いきなり耳元で叫ばれて、半ば強引に起こされた信は蒙恬を見上げた。

いつも薄ら笑いを浮かべ、女性たちから黄色い声援を浴びているはずの端正な顔立ちの蒙恬が、珍しく怒りを剥き出しにしていたので、信は驚いた。

「王賁を助ける代わりに信が犠牲になるなんて、俺は許さない」

「……、……」

反論する気もなくさせるほど、蒙恬は低い声でそう言い放った。顔を真っ赤に染めて、肩で息をしている蒙恬を見れば、本気で怒っているのだと分かる。

それほどまでに蒙恬が怒りを剥き出しにしているのを見るのは初めてのことだったので、信は罪悪感に襲われた。

「…悪い…」

信は力なく謝罪をすると、気まずい沈黙が二人の間に横たわる。
わざとらしく溜息を一つ吐いてから、蒙恬は椅子に腰かけ直した。粥の入った器と匙を再び手に取る。

「それじゃあ、これ全部食べるなら許してあげる」

「………」

許してもらうために条件を飲むしかない。
食欲がないのは確かだが、これ以上蒙恬を心配させるわけにはいかなかったし、王賁の回復を見届けるためにも、少しでも食べて体力をつけなくては。

頷くと、蒙恬は匙で粥をすくって信の口元に宛がった。

「ほら、口開けて」

「う…」

こんな風に人に食事を食べさせてもらった経験がなく、戸惑ってしまう。

それに、名家の嫡男ともあろう男が、元下僕である信に看病をしている姿なんて見たら、きっと従者たちは驚くだろう。

「………」

食べてくれないのかと蒙恬が切なげに見つめて来るので、信は諦めて口を開けた。ぱくりと匙を口に含み、粥を啜る。

粥はすっかり冷めていたのだが、一口飲み込んだだけでも胃が温まるような感覚があった。

ずっと食事を摂っていなかったせいで、空腹だったことを思い出したのか、もっとよこせと腹の虫が鳴る。その音を聞いた二人は顔を見合わせて、小さく笑った。

信が粥を飲み込んだのを確認してから、蒙恬がすぐに二口目を差し出した。

「…なんか犬猫に餌付けしてる気分。変な感情芽生えそう」

「馬鹿、言うなよ。俺は、人間だ」

まだ少し食べたばかりだというのに、蒙恬の冗談にもちゃんと反応が出来るようになって来た。

本当ならこんな風に食べさせてもらわなくても良かったのだが、左手を上手く動かせないせいで、蒙恬の好意に甘えることにしたのだ。

 

 

こんな風に誰かに看病をしてもらうなんて、いつが最後だっただろう。

物心がついた頃にはもう親はいなかったし、下僕仲間であった漂と肩を寄せ合って生きてい
た。漂がこの世を去ってからは、天下の大将軍に一歩でも近づくために、武功を挙げるのに必死で、王賁や蒙恬に後れを取るものかと意固地になっていた。

特に王賁の前では欠点や弱みといったものを見せないように努めていた。生まれながらの身分差というものを口うるさく指摘する王賁に、これ以上馬鹿にされたくなかったのである。

共に武功を競い合う好敵手だったというのに、いつからか安心して背中を預けられる味方になり、今では肩を並べて酒を飲み交わす友人にまで関係が発展していた。

王賁を失いたくないという気持ちに嘘偽りない。
抗毒血清を作ると決めたときに、どれだけ苦しんでも王賁を救い出し、絶対に自分も生きると誓ったのに、危うく意志が揺らぎかけていた。

毒の進行によって、苦痛も比例していくことは事前に聞いていたものの、これほど辛辣なものだとは正直思わなかったのである。

蒙恬が喝を入れてくれなかったのなら、きっと今も食事を抜いて眠り続けていたことだろう。

「…王賁には、会いに行ったのか?」

なんとか粥の半分ほどを食べ終えた頃、信は思い出したように蒙恬に問いかけた。わざわざ宮廷に来たのは自分と王賁の見舞いのためだろう。

「ああ、ここに来る前に顔を見て来た」

粥を匙で掬いながら、蒙恬が失笑する。

「少なくとも、今の信よりは元気だった」

王賁の様子については医者から聞かされていたものの、蒙恬の目から見ても元気だったというなら、本当に回復へ向かっているに違いない。

「良かっ、た…」

安心するとまた瞼が重くなってくる。

「信、まだ残ってる」

まだ粥を食べ終えていないのに眠るなと叱られてしまい、信は苦笑を深めた。

自分の毒治療は王賁が治療を終えたあとだ。三人でまた酒を飲み交わす日々を夢見て、信はなんとか粥を食べ切った。

「それじゃあ、また明日も来るから」

粥を全て食べ終えてくれたことで蒙恬は安心したように微笑んだ。

「蒙、恬」

立ち上がった蒙恬を引き留めようと、信が右手を伸ばす。上手く力が入らず、彼の着物を掴むことは叶わなかったものの、用があるのかと気づいた蒙恬が顔を覗き込んでくれた。

「王賁には、薬の、ことを、言わないで、くれ」

王賁が飲んでいる抗毒血清が、百毒を受けた自分の血であることを知られたくなかった。

抗毒血清を作ると決めたのは自分の意志であり、誰に頼まれたものでもないし、決して王賁に貸しを作ったわけでもない。もちろん彼を救うために自分を犠牲にするつもりもなかった。

だが、王賁がその事実を知ればきっと憤怒するのは分かっている。こちらが何を言おうとも、王賁はきっと許してくれないだろう。彼が義理堅い男なのは、蒙恬も信も知っていた。

「…うん、わかった」

なにか蒙恬は考える素振りをみせたものの、信の気持ちを考慮して頷いて、静かに頷いてくれた。

「気をしっかり持てよ。王賁の治療が終わり次第、次はお前の番なんだ」

その言葉を聞いて、信は返事の代わりに何とか笑みを繕った。

こんなところで負けるわけにはいかないと何度も誓ったものの、蒙恬が部屋を出て行ってから結局、気持ち悪さに耐え切れず、食べ切った粥をすべて戻してしまうのだった。

 

五日目

その後、信は深い眠りに落ちてしまい、目を覚ますと五日目の朝を迎えていた。

この時には信の左手の感覚はほとんどなくなっており、指の曲げ伸ばしどころか、腕を持ち上げることも出来ないほど、左腕は指先まで醜く腫れ上がっていた。赤紫に腫れ上がった指はまるで人間のものとは思えず、化け物の手のようだった。

「……、……」

反対に、顔と唇はまるで死人のように血色を失っており、天井を見上げながら呼吸を繰り返すのがやっとである。

(今日で、何日目だ…?)

これまで感じたことのない強い倦怠感に、信は今日が何日目であるのか、どうして自分がここにいるのかも思考を巡らせることも億劫になっていた。

時折、瞼の裏に王賁の姿が浮かび上がる度に、信の意識は夢の世界から引き戻される。
嬴政や蒙恬とも約束したのに、こんなところでくたばる訳にはいかない。

(でも…)

しかし、信はいよいよ死の気配を察するようになっていた。

戦場で強敵と戦った時とは違う、静かに迫って来る死の気配に、信は成す術もなく、今では弱々しい呼吸を繰り返すのが精一杯である。

もしも自分の命を代償に、王賁が助かったとして、王賁がそれを知ったらどう思うだろうか。

相手に借りを作るのを良しとしない王賁のことだから、怒鳴りながら自分の亡骸をぶん殴るのではないだろうか。死者への冒涜だと化けて出た自分にも、怯えることなく掴みかかってくるかもしれない。

「…はは…」

乾いた笑いを浮かべ、信は王賁の無事を祈ることしか出来なかった。

 

後編はこちら

The post 夜目、遠目、恋慕のうち(王賁×信)中編② first appeared on 漫画のいけない長編集【ドリーム小説】.

夜目、遠目、恋慕のうち(王賁×信)中編①

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 王賁×信/シリアス/甘々/ツンデレ/ハッピーエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

前編はこちら

 

 

診察

すぐに医師団の診療が始まり、信は王賁の体が毒に蝕まれていることを説明した。

秦国一と言われる医療技術を持つ医者たちは、苦しそうに呼吸を繰り返す王賁の脈を測ったり、舌の色を見たり、瞼を持ち上げて眼球の動きを確認している。

こちらからの呼び掛けには頷いて応じるものの、会話をするほどの余裕はないらしい。瞼を持ち上げるのも辛そうだ。

一人の医者が王賁の指先を刃物で小さく傷つけ、銀針の先端に血を付着させている。銀針の先端の色を見て、何かを考えているようだった。

(おいおい、もしかして、かなりまずいのか…?)

ここに連れてくればきっと何とかなると思っていた信だったが、王賁の診察をしながら医者たちが何とも言えない複雑な表情で互いに目線を合わせていたことに、なにか嫌な予感を覚える。

どうやら王賁の診察が終わったのか、嬴政と信の前に並んだ彼らは報告を始めるべく、頭を下げた。

「毒の症状がかなり進行しています」

その言葉を聞き、信は苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。

毒を受けた王賁本人が自覚していたことだし、今さら驚くことではないが、医師団に言われてしまうと事態は相当深刻になっていることを認めざるを得ない。

「な、なあ、治るんだろ?」

縋りつくように信は医者たちに尋ねたが、その声にも不安が滲んでしまう。
誰よりも不安で仕方がないのは王賁だと分かっているのだが、問わずにはいられなかった。

 

 

「…銀針が反応しませんでした。恐らく、これは奇毒です」

「え?」

奇毒という言葉に、信は思わず息を飲んだ。

毒の有無は、銀の色の変化によって判断することが出来る。
その知識は過去に食事に毒を盛られた経験のある嬴政から聞いたことがあったので、信も理解していた。

礜石ヒ素を含む鉱物は比較的入手しやすい毒物であり、王族の毒殺だけでなく、貴族たちの世継ぎ問題などでも利用されるのだそうだ。この毒は銀製のものに反応を示す。

そのため、食器を銀製のものにしたり、食前に銀針を浸すなどして、色の変化がないことを確かめてから食事をするらしい。王族はこの確認方法だけでなく、さらに毒見役もついている。

しかし、医師団の見立てによると王賁の血液に触れさせた銀針は、色の変化がなかった。
このことから、王賁が受けた毒は、砒霜※ヒ素のことの類ではないことが分かる。

王賁が受けた毒が砒霜でないとすれば、まずはその毒の正体を突き止めた上で解毒を行わなくてはならない。

鍵穴に適した鍵がないと扉が開かぬように、毒にも適した治療法を用いらねば解毒することが出来ないのである。

「ただ、今から毒を分析して、解毒法を探すとなれば…」

寝台に横たわる王賁に聞こえぬよう、医師団が声を潜めながら言葉を濁らせた。信と嬴政は互いに顔を見合わせ、言葉を失った。

「そ、そんな…」

もっと早く王賁を医師団へ連れて来ることが出来ればと、信は目の前が暗くなり、膝から力が抜けてしまう。

「信っ」

咄嗟に嬴政が体を支えてくれたので倒れ込むことはなかったが、まるで頭から冷水を浴びせられたように体が竦んでしまう。

 

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抗毒血清

秦国一と称される医師団でさえも王賁の毒を取り除くことが出来ないということは、あとは彼が死に至るの待つだけなのだろうか。

「他に方法はないのか」

嬴政が険しい表情を浮かべて問いかけると、一人の医者が前に出た。

「恐れながら、一つだけ方法が…」

深刻な事態であることは重々承知しているし、秦王を前に匙を投げるわけにはいかなかったのだろう。

「構わぬ。話せ」

嬴政が発言を許可すると、男の医師は恐ろしいほど厳粛で、神妙な顔つきのまま口を開く。

「人を百毒にあたらせ、体内で血清を作り、その者の血を解毒剤として飲ませる方法があります」

医学に携わったことのない者でも理解できるよう、その男は説明を始めた。

今から王賁の体を蝕む毒の正体を調査し、そこから解毒薬を調合始めるのでは間に合わない。

そのため、異例ではあるが、強力な抗毒血清を人間の体内で製薬して治療を試みるとのことだった。

王賁の体を蝕む毒よりも、さらに強力な毒を体に投与し、その者の体内で免疫を作るということだ。そしてその免疫を持つ血を解毒剤として王賁に飲ませる。

確実に助かるかどうかはやってみないと分からないが、このまま王賁を見殺しにするか、その治療法を試してみるかの二択しか残されていなかった。

 

 

「ただし、血清を作る過程で、かなりの危険を伴います。耐えられるかどうかは…」

医師の忠告に、嬴政と信が顔を見合わせる。
誰かが血清をその身で作らねばならないので、王賁が受けた毒よりもさらに強力な毒を受ける必要がある。

血清というのはその字の通り、血液で作られるものだ。
百毒に耐えられた者から血を採取し、それを薬として王賁に飲ませることで解毒を試みると医師は言った。

「………」

信は重々しく眉根を寄せた。

「じゃ、じゃあ、解毒薬を作るために、毒を飲んだやつは、死ぬのか…?」

「毒の作用に苦しむのは確実でしょう。しかし、王賁様に血清を飲ませるためには何としても生きてもらわねばなりません」

もしも血清を作る者が毒を受けて死んでしまった場合、王賁に薬を与えることは出来ない。だからこそ、毒に負けぬ体力と自信を持つ者を人選しなければ、この治療法は望めないと医師は言った。

「もちろん、王賁様の解毒が完了次第、その者の解毒も行います。こちらはすでに解毒方法は分かっているので、王賁様の解毒が終わるまで持ち堪えられる方でなければ…全力は尽くしますが…」

「………」

不自然に医師が言葉を切ったので、信は複雑な気持ちを抱いた。
つまり、王賁の解毒治療をする過程において、犠牲が出るかもしれないとうことである。

事情を知っている王賁の重臣ならば、喜んで身を差し出す者もいるだろう。しかし、迷っている時間はなかった。苦しげに呼吸を繰り返している王賁の姿を見て、信は力強く拳を握る。

「…分かった。俺が王賁の解毒薬になる」

 

 

「信…」

親友が危険な提案に名乗り出たことに、嬴政は体の一部が痛むように顔をしかめた。

もしかしたら秦の未来を担っている王賁と信を失うことになるかもしれないのだ。引き留めることはしないが、賛同出来ないのも無理はない。

事態は一刻を争うものの、信と嬴政の親友という関係性は秦国で知らぬ者はいない。医者は確認するように嬴政を見やる。引き留めるなら今しかないと、その眼は訴えていた。

しかし、信は一度決めたことを引き下げることはしないことを、嬴政は昔からよく知っていた。だからこそ、彼は反対しなかった。

「信」

「ん?」

嬴政に名前を呼ばれ、信は反射的に振り返った。

「死ぬなよ」

短いが、決して軽くないその一言には、嬴政の全ての想いが秘められていた。
まだ中華統一は出来ていない。道半ばで息絶えるのは決して許さないと、嬴政の瞳が力強く物語っている。

親友の想いをしっかりと受け止めた信は拳を持ち上げた。

「当たり前じゃねえか。ここらで王賁に恩を売っとくだけだ。それもこれも全部、中華統一を果たすためなんだからな」

二人の間に横たわっていた緊迫した空気を和ませるように、信がカカカと笑う。
嬴政はそれ以上何も言うことはなく、同じように拳を持ち上げて、信の拳とぶつけあった。

 

製薬

医者に連れられて、信は部屋を出た。
日頃から医師団が在住している建物は宮廷の敷地内にあり、そこでは患者の治療や製薬を主として行っている。王賁もそちらへ身柄を移され、常に医者の目が届くその場所で療養することとなった。

寝台の上で苦しそうに呼吸を繰り返す王賁を見て、信の胸は締め付けられるように痛む。

意識はあるのだが、倦怠感が強く、固く閉ざされた瞼を持ち上げるのも億劫のようだった。

もしも信が毒を受けて抗毒血清を作るとなれば、王賁は全力で止めるだろう。借りを作りたくないだとか、色んな言葉を並べて、解毒剤を飲むのを拒絶するかもしれない。王賁とはそういう男だ。

だから彼には信の体で抗毒血清を作る話は黙っていてもらうことにして、解毒剤の調合していることだけを伝えてもらった。

「信将軍」

医者に名前を呼ばれて、信は弾かれたように顔を上げた。神妙な顔つきで見つめられて、どうやら準備が出来たらしいことを悟る。

信は頷いて、寝台に横たわる王賁の姿をもう一度見つめた。

「…王賁、待ってろよ」

なるべく笑顔を繕って、信は王賁に言葉を掛けた。それが虚勢だというのは信自身も分かっていたが、王賁の前で怯える姿など絶対に見せたくなかった。

 

 

案内された別部屋に足を踏み入れると、その部屋は他と違ってなぜか湿気が多かった。

この部屋だけ窓がないことも気になったのだが、棚に並べられているそれら・・・を見て、信はぎょっと目を見開く。

「へ、蛇ッ…!?」

棚にはいくつもの竹で出来た長方形の籠が並べられていたのだが、その中に一匹ずつ蛇が収容されているのだ。

初めて見た訳ではないのだが、竹籠に収容されている蛇はどれも種類が違い、初めて見る蛇も多かった。一体何のためにこれだけの数を飼育しているのだろうか。

「すべて毒を持っています。不用意に触らないようにお気を付けください」

「あ、ああ…」

まさか全部が毒蛇だとは思わず、信は狼狽えた。

今回の王賁のような毒は特殊だが、戦で毒を受けることは珍しくない。ここでこんなにも毒蛇を飼育している理由には、治療に用いるからなのだろう。

「信将軍」

医者は一番奥の棚に置かれていた竹籠を手に取り、それを抱えて信の前へとやって来る。

その竹籠の中にいた蛇は、他の蛇に比べると随分と小柄な蛇だった。全長は子供の腕ほどしかない。全身は白いのに、舌と瞳だけは血のように赤く、気味が悪い。

眠っていたところを起こされて機嫌が悪いのか、その蛇は目をぎらりと光らせて、信のことを睨みつけていた。

「この中で一番強力な毒蛇です」

「え?こんな小せぇ蛇が?」

これだけの数がいるというのに、こんな小さな白い蛇が一番強力な毒を持っているということに、信はすぐには信じられなかった。

実力を見た目だけで計り知れないのは人間だけでなく、蛇も同じらしい。

「毒性を考えれば一噛みされれば十分ですが、王賁様に症状の改善が見られなければ、さらに噛まれる必要が出て来るかもしれません」

「………」

信も毒を受けたことがないわけではなかったが、自らが望んで毒を受けることになるのはこれが初めてであった。

口ごもった信を見て、医師の男は確認するように彼女の顔を覗き込む。

「…代わりの候補者を探すのなら、今ならまだ間に合います」

「だ、大丈夫だ!」

どうやらまだ迷っていると誤解されたようで、信は咄嗟に言い返す。
彼女の覚悟を受け入れたのか、医師の男は力強く頷いた。

「では…」

蛇が入っている竹籠の蓋を開け、信に差し出す。
赤い目をした白蛇は小柄な体格に似合わず、大口を開けて威嚇をしている。まるで触るなと警告しているようだ。

「う…」

信は籠の中に右手を入れようとして、すぐに左手へすり替えた。もしも毒のせいで腕を落とすことになったら、利き腕が使えなくなるのは困ると思ったからだ。

恐る恐る左手を蛇の目前に伸ばすと、

「あいたッ!」

親指の付け根をカプリと噛まれ、咄嗟に悲鳴を上げた。しかし、噛まれた痛みはさほど強くなかったのは幸いだった。

反射的に手をひっこめたのと同時に、すぐに医者が竹籠の蓋を閉じる。棚に蛇を戻すと、信が噛まれた左手をまじまじと観察する。

血は出ていなかったが、小さな二穴があり、蛇の牙がしっかりと食い込んだことが分かる。患部を見ると、左手がずきずきと痛み始めた。

 

見舞い

「これから一刻もしないうちに、ひどい悪寒が来るでしょう。熱が上がる前兆ですので、部屋でお過ごしください」

「あ、ああ。その前に、王賁に会うことは出来るか?」

「はい。ただ、今は処置中かと…」

「一目見るだけでいい」

治療の邪魔はしないというと、医者は王賁がいる部屋に案内してくれた。

彼は寝台に横たわっており、数人の医者が彼に鍼を施している最中であった。
抗毒血清を飲ませるという治療方針で決定したというのに、何をしているのかと問うと、王賁の体内にある毒を一か所集めているのだそうだ。

気血の流れを整えながら、全身に回っている毒を両目に集めています」

信はぎょっとした。

「りょ、両目って!んなことしたら、本当に目が見えなくなっちまうんじゃ…!」

「俺の意志だ。余計な口を出すな」

信の疑問に答えたのは王賁自身だった。瞼が閉じられていたので眠っているのかと思ったが、どうやら起きていたらしい。

玉座の間で倒れた時と違い、今は楽に呼吸をしていたので医師団の処置のおかげで少しは落ち着いたようだ。

「お前の意志って…なんで目なんだよ」

他に候補があったのではないかと信が聞き返すと、今度は王賁の鍼を施している医者の一人が信の疑問に答えた。

毒を一か所に集めるにあたっては、心臓と頭から離れた場所が候補となる。
王賁の希望を聞き、彼は武器を握る両手から離れたところ、戦場を駆ける両脚から離れたところにして欲しいと答えたのだそうだ。

療養中は医師団が近くにいるし、夜目が弱くなっていたのは随分と前からなので、今さら視力に影響したとしても問題はないという理由から目を選んだそうだ。

しかし、信は不安な表情を隠せなかった。

(もし、解毒剤が効かなかったら…)

言いかけて、信はその言葉をぐっと飲み込んだ。
自分が不安を口にしたところで、何も変わらない。それに一番不安なのは王賁のはずだ。

「…今、医師団たちが薬を作ってくれるからな。それまでへばるんじゃねえぞ」

自分が抗毒血清を作る材料になったとは言わず、信は力強く王賁を励ました。
王賁は何も答えなかったが、僅かに口角を持ち上げたのを見て、信もつられて微笑む。

「っ…」

そのとき、まるで冷水でも浴びせられたかのように、全身に突き刺すような寒気を感じた。先ほど医者が言っていた熱が出る前兆の症状だろう。

「…信?」

僅かに信の動揺を聞きつけたのか、目を閉じたままの王賁が怪訝そうな表情を浮かべる。

「な、なんでもねえ!それじゃあ、俺は用があるから…あ、でも宮廷にはいるから、なんかあったら呼べよな!」

王賁が両目を開いていたのなら、もしかして普段から嘘を吐けない信の顔を見て、何か隠していると勘付いたに違いない。

こればかりは王賁が目に毒を集めると選択してくれたことに感謝した。

 

 

医者に案内された部屋は、王賁が治療を受けていた部屋と同じ構造になっていた。

「うううー…さみぃ…」

何重にも重ねられた布団の中で、信は自分の体を両腕で抱き締める。寒くて堪らないのだ。

真冬に着る厚手の羽織も借り、青銅の火鉢で部屋も暖めているというのに、まるで氷の中に閉じ込められているような悪寒のせいで、体の震えが止まらない。

寒さが落ち着けばすぐに熱が上がると医者は言っていたが、幼少期から大きな病にかかることなく、ずっと健康体で生きていた信にはこの寒さは随分と堪えるものだった。

多少の風邪なら経験したことはあるが、こんな悪寒を経験するのは初めてだったので、信はつい弱音を吐いてしまいそうになる。

しかし、顎が砕けてしまいそうなほど強く奥歯を噛み締めて、声を堪えた。

(負けてたまるか!)

たかだか悪寒如きに弱音を吐くなんて情けないと自分に喝を入れる。
王賁は毒を受けてから今もなお苦しんでいるのだ。抗毒血清を作って彼を助けるためにも、こんなところで負けるわけにはいかない。

少しでも寒さを紛らわそうと、両手で体を擦った。

医者の話では、体が毒に対する免疫を作るために、これから高い熱が出るのだという。その熱が引いた頃に血を採取し、まずは一度目の抗毒血清としてそれを王賁に飲ませる。

五日間、血清を飲ませ続けて王賁の症状が改善すれば、すぐに信の解毒治療も始めるとのことだ。もしも王賁の症状が改善しなければ、信の解毒治療は後回しになるどころか、もう一度あの毒蛇に噛まれなくてはならない。

あの白蛇の解毒法は分かっているというが、あまりにも強力な毒が体内に留まっていれば王賁の症状が改善する代償に、自分の臓器や手足が壊れてしまうのではないかという不安があった。

二度と戦場に立てなくなるのは自分か王賁か、二人の命が天秤にかけられていた。

 

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一度目の投薬

一刻ほど経った頃、信はそれまでの悪寒が嘘だったのではないかと思うほど暑さに襲われ、布団を除けた。

「あ、あっちい…」

全身の毛穴からどっと汗が噴き出て来る。肌が火照っているのが分かり、吐く息も熱かった。

体内の水分が全て出ていってしまうのではないかと思うほど汗が止まらない。用意されていた水甕から杯に水を注いで一気に飲み干した。

「はあ…」

喉は潤ったが、倦怠感が凄まじく、頭がぼうっとする。
先ほどまで悪寒で震え、間を置かずに発熱したせいだろうか。まるで養父の王騎と一戦交えた時のような激しい疲労感もあった。

「う…?」

羽織を脱ごうとして腕を動かすと、左手に力が上手く入らないことに気づく。あの白蛇に噛まれた親指の付け根は青痣のように変色していた。

試しに左手で掌握をしてみたが、こわばりが強く、上手く指を曲げ伸ばしすることが出来ない。

(…利き腕はやめておいて正解だったな)

咄嗟に右手を庇って、代わりに左手を噛ませた自分を褒めてやった。

解毒すれば左手も問題なく使えるようになるだろうか。もしも使えなくなったり、左手を落とすことになったらと色々と不安はあったが、信は考えないように別のことに意識を巡らせた。

熱が出たのも、左手に症状が出たのも、今まさに体内で毒に対する免疫が作られている証拠だ。

高熱のせいでぼうっとする頭で解熱剤の処方をしてもらえないかと考えたが、部屋に案内されるときに、王賁に飲ませる解毒剤の効果の妨げになる可能性があるから、薬を飲むことは許されないと医者が話していたことを思い出す。

王賁が薬を飲み続ける五日間、自分は毒に苦しまなくてはならないということだ。

(わかっちゃいたけど…結構キツいかもなあ)

息を荒げながら、信は天井を見上げた。
しかし、自分が耐えた先に王賁が救われるのだから、なんとしてもあと五日は耐えねばならない。

 

 

高熱のあまり、意識が朦朧としていたのだが、眠ってしまっていたらしい。

小さな物音に意識を引き戻されて重い瞼を持ち上げると、男の医者が何か処置の準備をしている姿があった。

眠る前よりは体の倦怠感は幾度か楽になっていた。
暑さを感じなくなっており、どうやら熱が引いたらしい。汗を流し過ぎたせいか、肌寒さを感じるほどだった。

「………」

声を出すのも億劫だったので見つめていると、信が目を覚ましたことに気が付いたのか、医者の男が頭を下げた。

「これより、王賁様に一度目の投薬を行います」

医師の男が短剣を手に近づいてきて、そっと左手首を掴まれた。

失礼しますと、毒蛇に牙を立てられた親指の付け根に短剣の先端が突き立てられる。
僅かな痛みに顔をしかめたが、痛みは長くは続かなかった。

左手から流れる血液を数滴だけ器に流し、器の中にもともと入っていた薬湯とかき混ぜる。どうやら採取する血液は少量で十分らしい。

簡単に止血をした後、医者の男は製薬したばかりの解毒剤を王賁に飲ませるために部屋を出て行った。

王賁を苦しめる症状が少しでも改善するように、信は祈らずにはいられなかった。

「うー…?」

先ほど短剣で傷をつけられた左手に再びこわばりが現れる。肘から先の感覚が鈍くなっていて、力が入りづらい。

眠る前よりも青痣の範囲が広まっているような気がして、信は思わず目を背けてしまった。

王賁の解毒が終わるまでは何としても耐えねばならない。
まさか毒を受けた初日からこんなにも苦しい想いをするとは思わなかったが、弱音を吐く訳にはいかなかった。

 

二度目の投薬

目を覚ました信は窓から差し込む日差しを見て、すでに昼を回っていることに気づく。

起き上がろうとしたのだが、倦怠感がひどく、上体を起こすのもやっとだった。

寝台に手をついた時、蛇に噛まれた左手の青痣が広まっていないことに安堵する。昨夜よりは手のこわばりも軽くなっていた。

「うう…」

時間をかけてなんとか体を起こしてみたものの、立ち上がる気力が湧かない。ずっと横になっていたいという欲求が凄まじいほど、鉛を流し込まれたかのように体が重かった。

昨夜、蒙恬の屋敷を出てから何も口にしていないので、胃は空っぽになっていたのだが、食欲は全くなかった。

寝台の傍にある台に食事が用意されていたのだが、手をつけることなく、信は再び寝台に横たわる。

熱が上がる前にたくさん汗をかいたので、体がべたべたとして気持ちが悪い。湯浴みをしたかったが、支えなしではとても一人で動けそうになかった。

(王賁は…)

昨夜、医者が王賁に薬を飲ませてくれたはずだが、どうなったのだろうか。
あと四日間は薬を飲ませ続けなくてはならないので、初日に飲ませただけではまだ改善していないかもしれないが、少しでも楽になっていてほしい。

「…王賁…」

這ってでも王賁の様子を見に行きたかったのだが、信は再び起き上がるほどの体力も気力もなく、気づいたらそのまま意識を失うようにして寝入ってしまった。

 

 

「…様、王賁様」

何度か名前を呼ばれ、王賁ははっと目を開いた。

「っ…」

しかし、目を開いているはずなのに視界は真っ暗で、王賁は思わず息を詰まらせる。

それから今は医師団の管理下で治療を受けていることを思い出す。
一時的に毒を両目に集めており、外部から入る光さえも刺激として与えぬよう、今は両目を包帯で覆われているのだった。

暗闇の世界では今が昼なのか、それとも夜なのか、王賁には分からなかった。

「お薬をお持ちしました」

昨日薬を飲ませてくれた男の医者の声がする。支えられながらゆっくりと体を起こすと、左手に薬の入った器を、右手に匙を握らされた。

何も映ってはいないのだが、両手の感覚はしっかりとしている。王賁は匙で中に入っている薬をすくい上げた。

色々な薬草を磨り潰して製薬したのか、水気の多い薬であることは昨日口にして分かった。何色をしているのかは分からないが、とにかく苦みが強い。鉄さびのような味も混じっている気がする。

しかし、昨日よりも体が楽になっている感覚は確かにあった。視界が利かないのは仕方ないことだが、手のこわばりもないし、息苦しさやだるさもない。

昨日は器と匙を渡されたものの、手のこわばりが強かったため、医者が薬を飲ませてくれたのだが、まさかこんなすぐに効果があるとは思いもしなかった。

匙を使って薬を口に含む王賁の姿を見て、医者がほっとしたように息を吐いたのが聞こえた。

苦みを堪えながら、何度かに分けて薬を飲み切ると、医者が王賁の手首に触れ、脈を測った。

「…脈も落ち着いております。昨日よりも顔色が良くなりましたな。この調子なら薬を飲み切ることが出来れば、解毒が叶うやもしれません」

「一晩で随分と楽になった。感謝する。貴重な薬草を使ったのか?」

医師団の技術は鍼治療に特化していると聞いたが、こんなにも体が楽になったのは毒を一か所に集めることと、調合してくれた薬のお陰だろう。

「ええ、まあ…」

薬の原料について問うと、医者は僅かに言葉を濁らせる。しかし、そのことを王賁は大して気に留めなかった。

「快方に向かった際は、どうぞ信将軍に今のお言葉をお伝えください」

「…そうだな」

王賁は素直に頷いた。

彼女がここに連れて来てくれなかったのなら、治療を受けることは出来なかった。
きっと毒に蝕まれて、視力や手足を失い、将としての立場も、生きる希望も失っていたことだろう。

解毒の治療が終わり、視力が元に戻ったのなら、真っ直ぐに彼女の目を見て感謝を伝えようと王賁は考える。

…薬湯の後味は、未だ口の中で尾を引いており、王賁は思わずその苦みに溜息を零した。

 

中編②はこちら

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夜目、遠目、恋慕のうち(王賁×信)前編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 王賁×信/シリアス/甘々/ツンデレ/ハッピーエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

 

宴の夜

その日は蒙恬の屋敷に招かれて、信は蒙恬と王賁と三人で小さな宴を行っていた。

楽しく酒を飲みながら先日の戦での武功を讃え合っていた時、小気味いい音を立てて王賁の手から杯が滑り落ちたので、信と蒙恬は反射的にそちらへ視線を向けたのだった。

「おい、大丈夫かよ」

幸いにも杯の中身は空だったので、着物を汚すことはなかったが、王賁が急に立ち上がったので、信は不思議そうに小首を傾げた。

「そろそろ失礼する」

「へっ?おい、もう帰んのかよ?」

驚いた信が王賁の背中を呼び止めるものの、彼は振り返ることもしない。

三人で同じだけの量を飲んでいたはずなのに、王賁は顔色一つ変えず、少しも酔いを感じさせないしっかりとした足取りだった。

立ち上がった蒙恬が廊下で待機している従者に声を掛けようとしたが、

「見送りはいらん」

「そう?」

きっぱりとそう言い放って客間を出て行ったので、蒙恬は興味を失くしたかのように、すぐに椅子へ腰を下ろした。

彼がもともと人付き合いが得意でない性格だと知っている信と蒙恬はそれ以上引き留めることはしなかったが、宴は盛り上がって来た最中だったこともあり、まだ物足りなさを感じてしまう。

「…残念だけど、俺たちだけで飲もうか」

蒙恬がそう言って杯を掲げたので、信は頷いて乾杯する。

「ん?」

杯を口につけようとした時、王賁が座っていた席に、きらりと光る何かが落ちていることに気が付いた。

それは鉱物の類で、透き通った青緑をしている美しい石だった。

手の平に収まるくらいの大きさで、赤い紐が括られている。石には小さく光が灯っていて、足元くらいなら照らすことが出来そうだった。

思わず手に取って眺めていると、蒙恬があっと声を上げる。

「蛍石だ。綺麗だね。賁の忘れ物?」

「ほたるいし?」

蒙恬曰く、どうやらこの光沢のある鉱物は蛍石というものらしい。

王賁は装飾品など一切興味のなさそうな男だが、これを持ち歩いているのだろうか。紐が括られていたが、着物にぶら下げていた訳ではなかったらしい。

別に忘れたところで、代わりならいくらでもあるだろう。しかし、彼は戦場を共にする相棒とも呼べる槍が刃毀れしても必ず修繕して使っているし、その点から考えると王賁はこだわりの強い男なのかもしれない。

さらには頑固な性格で、それ考えると蒙家に忘れ物をしたと言い出せずに諦めてしまうかもしれない。そして蒙恬が忘れ物をしたことをネタにして、後日に王賁をからかうかもしれない。

そうなれば自分も確実に巻き添えを食らうし、面倒なことになるのは目に見えていた。

「これ、あいつに届けて来る」

美しい蛍石を手に取り、信は今ならまだ王賁に追いつくはずだと席を立ち上がる。

頬杖をつきながら蒙恬が「信は律儀でいい子だねえ」と笑っていたが、信は構わずに部屋を後にしたのだった。

 

王賁の隠し事

もうすでに陽が沈んでいるので、柱に取り付けられている灯火器の明かりだけが廊下を僅かに照らしている。

正門へと繋がっている廊下を走っていると、向こうに王賁の姿が見えた。

「おい、王賁…っ!?」

背後から王賁に声を掛けようとした途端、鈍い音を立てて、王賁が柱に顔面から激突したのを見て、信は言葉を失った。

額を押さえながらよろめく王賁を見て、相当な激痛に悶えていることが分かる。
普段から生真面目で、滅多に表情を崩すことのない王賁の珍しい姿に、信は思わず噴き出しそうになった。

もしもこの場を見られたと知ったら、王賁は確実に逆上するだろう。痴態を見られたと自己嫌悪に陥るかもしれない。このことを蒙恬に告げ口をしたらますます怒りを煽ることになるのも分かっていた。

「っ…」

信は咄嗟に口元を押さえて柱に身を潜める。

客間を出る時もしっかりとした足取りだったので、少しも酒に酔っていないと思っていたのだが、もしかしたら相当酔っているのだろうか。

柱からそっと覗き込むが、どうやら王賁は信には気づいていないようだった。いつも気配には敏感な彼が珍しい。

「…?」

額の痛みが落ち着いた後、彼は柱に手を触れながら、ゆっくりと前に歩き出した。

客間を出る時とは違い、歩幅が随分と狭い。柱に触れることで道を確かめているような、どこか不自然な歩き方に信は違和感を覚える。

それはまるで何かを警戒しているような、気を抜けないでいるような歩き方で、普段から見ている王賁の堂々とした歩き方とは大いに違っていた。

「王賁っ!」

疑問を抱きながら、信は身を隠していた柱の陰から飛び出し、彼に声を掛けた。

信に気づいて王賁がこちらを振り返ったが、なぜか視線が合わない・・・・・・・

王賁が意図的に信から目を逸らしているのではなく、こちらは彼の視界に立っているというのに、彼は信の姿を探しているように顔を動かしていたのだ。

昼間はそんな様子はなかったので、さすがにこれはおかしいと思い、信は小走りで彼に駆け寄った。酔いのせいか、それとも額を強く打ち付けたせいかは分からないが、馬車に乗るまで付き添った方が良さそうだ。

「おい、大丈夫か?」

肩を掴んで声をかけると、まるで弾かれたように王賁が顔を上げて、ようやく目が合った。彼の瞳に僅かな濁りが見えて、信ははっとする。

「お前、もしかして、目が…」

言葉を遮るように、王賁が信の口を手で塞いだ。その勢いのまま、柱に体を押し付けられて身動きが取れなくなってしまう。

 

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「…誰かに話したか」

彼女の手に握られている蛍石を奪い取りながら、王賁が低い声を放つ。

口を塞がれたまま、咄嗟に首を横に振って否定したものの、王賁は疑いの眼差しを向けられたままだった。

「っ…!」

その時、首筋にひやりと冷たいものが押し当てられて、視線を向けると、短剣の刃が宛がわれていた。護身用にいつも持ち歩いているものだろう。

嘘を吐いたら容赦なく斬り捨てるという意志が伝わって来る。蒙恬と違って冗談を言う男でないことを信はよく知っていたし、味方であっても容赦なく斬り捨てることが出来る冷酷さは紛れもなく王翦の血を引き継いでいる証だ。

「……、……」

酒の酔いでほんのりと赤く染めていた信の顔が青ざめていく様子を、王賁は瞬き一つ逃さすことなく見据えていた。

しかし、嘘を吐いている様子はないと感じたのか、すぐに短剣が下ろされる。解放されたことに信は安堵の息を吐いた。

王賁に刃の切っ先を向けられることは初めてではないのだが、何度されても慣れることはないし、心臓に悪い。

「このことは誰にも話すな」

短剣の刃を鞘に納めながら、王賁は低い声で言い放った。もはやそれは命令で、信の意見など許さないという意志が込められていた。

「な、なあ、いつからだ?」

王賁の夜目が弱くなった・・・・・・・・ことを知った信は、眉根を寄せながら尋ねた。
口の堅い彼のことだから答えてくれないと思っていたのだが、王賁は静かに瞼を下すと、

「…先の韓軍との戦で毒を受けた。その影響らしい」

「えっ?」

毒という言葉に、信が思わず驚愕する。王賁や彼が率いる玉鳳隊が毒で負傷したという報告は聞いていなかったはずだ。

戸惑っている信を見て、王賁が静かに言葉を紡いでいく。

…先の韓軍との戦は秦軍の勝利で幕を閉じたのだが、撤退する韓軍の追撃を王賁率いる玉鳳隊が行っていた。

韓軍の殿しんがりが玉鳳隊の追撃から免れようと、目を眩ますために黒煙を放ったのである。

玉鳳隊を先導し、殿と戦っていた王賁はその黒煙に目を負傷し、撤退を余儀なくされた。
すでに秦軍の勝利は確定したこともあり、殿からの反撃で撤退したことには特段問題はなかったのだが、どうやらその黒煙に毒の成分が含まれていたらしい。

咸陽に帰還してから、王賁と同じように黒煙を浴びた玉鳳隊の兵たちは毒で肺を蝕まれ、血痰を吐いた。遅延性の毒であったことから、時間が経過してから体に症状が現れたのである。

幸いにも優秀な医師たちが、毒の分析と解毒剤の調合を早急に行ったことで、犠牲は出なかった。毒を受けた者は今も療養を続けているが、快調へと向かっているらしい。

しかし、黒煙を目に受けた王賁の視力だけはどうにもならず、陽が沈むと、途端に視界が暗闇に包まれてしまい、明かりなしでは行動が出来なくなったのだという。

(だから…)

蛍石と呼ばれる鉱物を持ち歩いているのはそのためだったのかと信は納得した。

普段から蛍石を持ち歩いていたのは、太陽の光を当てるためだったのだろう。蓄光し、暗闇で発光させることで足元を照らし、毒にやられた目を補助していたに違いない。

今もなお、毒は王賁の目を蝕んでおり、日に日に視力が低下して来ているのだという。
自分の話であるというのに、まるで他人事のように淡々と語る王賁を、信は呆然と見つめていた。

「じゃあ…このまま、見えなくなっちまうのか…?」

「その可能性は高い。この距離でも、お前の顔がよく見えん」

手を伸ばせばすぐに触れられる距離にいるというのに、王賁の瞳には信の姿がおぼろげにしか映っていなかった。

柱に取り付けられている灯火器の明かりがあっても、昼間と違ってよく目が見えないのだと言われ、信は思わず唇を噛み締めた。

 

王賁の隠し事 その二

「…調合された毒は、韓の成恢せいかいが発案したものだそうだ」

韓の将軍・成恢は、自らを実験台として毒の調合を行うほど、毒を扱うことで有名な男であった。

合従軍戦で桓騎の策に陥れられ、秦の老将・張唐ちょうとうが討ち取ったのだが、どうやら彼が残していた毒の調合に関しての書記は今も韓で利用されているらしい。まさかこんな形で成恢の報復を受けることになるとは思わなかった。

「遅延性とはいえ、強力な毒だ。今さらあがいても意味はない」

「意味はないって…じゃあ、ど、どうすんだよ」

狼狽えた信が王賁に問いかけると、彼は至って冷静に首を横に振った。

「治療法がない以上、諦めるしかないだろうな」

「んな簡単にッ」

言いかけて、信は胸倉を掴まれた。
おぼろげにしか見えていないというのに、迷いなく手を伸ばしたのは、王賁の感情が波立ったからだろう。

「治る見込みもないというのに、何が出来る?」

その言葉は、信の胸に抉るような痛みを与えた。
治療法がない事実も、このまま視力を失うかもしれないという恐れに苦しんでいるのは他でもない王賁だ。

信が掛けた言葉は安易な同情ではないし、同じ将として幾度も戦場に立った王賁もそれは分かっていた。

しかし、治療法がない以上、どうしようもないのだ。

言葉にせずとも、王賁がそう訴えていることに、さすがの信も理解した。
だが、本当にこのまま彼が視力を失えば、将の座を降りることに直結してしまう。

「…?」

その時、胸倉を掴んでいる王賁の手が小刻みに震えていることに気が付いた。

感情の高ぶりによる震えではないと信が見抜いたのは、着物を掴んでいたその手が脱力するように滑り落ちたからだ。

反対の手も同じように震えており、握っていた蛍石が床に落ちてしまう。

(まさか…)

信は咄嗟に王賁の手を掴んだ。未だにその手は小刻みに震えており、しかし不自然な強張りを感じさせる。

指の曲げ伸ばしにも制限が掛かりそうな強張りに、信は先ほど王賁が杯を落とした時のことを思い出した。

落とした杯を拾おうともしなかったのは、すぐに帰るつもりだったからだと思っていたが、まさか手指にまで毒の影響が出ているというのか。

思わず言葉を失い、王賁の手を見つめる。彼は信の手を振り払う素振りも見せず、ただ口を閉ざしていた。

(そんな…)

黒煙に交じっていた毒は王賁の全身を蝕んでおり、視力だけでなく、握力にまで影響が出ている。もう王賁の体を蝕む毒は、容易には取り除けないほど深く根付いてしまっていたのだ。

このままでは将の座を確実に降りることになるだけでなく、命にも危険が及んでしまう。

どうやら王賁もそれを分かっているようだった。

 

 

何か方法はないのかと信は必死に思考を巡らせる。

「そ、そうだ!医師団に治療してもらおうぜ。俺が政に頼んでみる!」

「バカか、貴様」

考えた提案をまさか一蹴されるとは思わず、信は目を丸めた。

「治療法がないと言われたのに、今さら医師団を頼って何になる」

こんな状況でも普段通りの言葉を浴びせるのは、この後のことを受け入れているからなのか、それとも虚勢なのか、信には分からなかった。

「じゃあ、このまま何もしないでいるつもりなのかよッ」

つい声を荒げてしまい、信は慌てて口を閉じた。ここは蒙恬の屋敷で、誰が聞いているか分からない。

こちらの問いに何も答えようとしない王賁を見て、信は思わず唇を噛み締めた。

いつものように小難しいことを考えている表情ではあるものの、その瞳には哀愁の色が浮かんでいる。それが諦めだと察した信は、弾かれるように王賁の腕を掴んでいた。

「お前が何を言おうと、医師団に診せる。治療法がなくても、毒の進行を遅らせるくらいは出来んじゃねえのか!この国で最高の医者どもなんだぞ!?」

信の言葉を聞き、王賁は呆れたように肩を竦めた。
もう彼の中では微塵も希望など残っていないのだと分かったが、ここで素直に引き下がることは出来ない。

「今から咸陽宮に行くぞッ!政に頼んで医師団に診てもらう!」

信は王賁の腕を強引に掴んだ。
すぐにその手を振り解こうとするものの、毒のせいで上手く力が入らないのだろう、王賁は険しい表情を浮かべることしか出来ないようだった。

屋敷を出たところで待機してあった馬車に彼を押し込むと、信は御者に王賁の屋敷ではなく、宮廷に向かうよう指示をした。

まさかこんな時刻から宮廷へ行けと命じられるとは思わず、御者は驚いていたが、信が睨みを利かせるとすぐに馬を走らせる。

(…あ、蒙恬に何も言わないで行っちまったな)

せっかくもてなしてくれた蒙恬に何も言わずに出て来てしまったが、今度酒を奢って許してもらおうと考えた。

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宮廷へ

馬車の中では会話らしい会話をすることはなかった。

隣り合わせで座っていたが、特に王賁から文句を言われることもない。医師団の診察に希望を持っているようにも見えなかったが、何を言っても信が引く気配がなかったので仕方なく付き合ってやっているという気持ちが伝わって来た。

自分が出来ることといえば、親友である嬴政に事情を話して、医師団の治療を依頼することくらいだ。

医学に携わっていない自分に治療の手伝いは出来ないし、もしも医師団が匙を投げたとしたら本当にお手上げとなってしまう。

それでも、このまま何もせずに、王賁が将の座を降りるの黙って見過ごすわけにはいかなかった。

共に戦場に立ち、幾度も競い合い、今では安心して背中を任せられるようになった友を、決して捨て置けない。

毒を受けて視力が弱まっていることを他言するなと言った王賁は、恐らく重臣たちにしかこの件を伝えていないのだろう。

彼の父である王翦にも伝えていないのだろうかと考えたが、王賁の重臣がそのような事態を王翦に黙っている訳がない。いくら王賁が王一族の嫡男とはいえ、現当主の座に就いているのは王翦だ。

名家のしきたりだとかそういうことは少しも分からない信だったが、きっと親としての情くらいはあるだろう。王翦も医師を手配したり、何か気遣いを見せたのだろうか。

「なあ」

「父なら何も興味を示さなかった」

まるで信の疑問をあらかじめ想定していたかのように、王賁は冷たく言い放った。

王賁の言葉に、多少は予想していたものの、信は重い溜息を吐く。
父親がどういうものか、顔も名前も知らない戦争孤児の信だったが、王翦の無情さにはつくづく呆れてしまう。

将の座を降りなくてはならないどころか、命にも危険が及んでいるというのに、息子を心配する素振りも見せないなんて。

今度会ったら問答無用で一発殴ってやろうと考える信だが、その考えすらも見抜いたのか、王賁は呆れたように肩を竦めた。

「今の俺では、父の手駒にすらならん」

「おいっ」

まるで自分の命を軽視するかのような発言に、信はつい声に怒気を滲ませた。

あまり感情を表に出さない王賁だが、彼がそんなことを言うのは初めてで、まるで自暴自棄になっているようにも感じた。

睨みつけたものの、今の王賁にはきっと見えていないだろう。もし見えていたとしても、彼が睨み一つで怯むとは思えないが。

腕を組んでむくれ顔をしていたが、不意に瞼が重くなって来た。酒を飲んでいたので酔いが回り始めたのだろう。

宮廷に到着するまで、特に馬車の中でやることはないとはいえ、王賁の秘密を共有したというのに、このまま安易に寝入っていいものだろうか。

重い瞼を擦って何とか眠気を遠ざけようとするのだが、体は正直で欠伸がこみ上げて来る。なんとか噛み堪えるものの、その姿が見えているのかいないのか、王賁が顔を上げた。

「まだ宮廷には着かん。眠っていろ」

どうやら信が睡魔と戦っていることを勘付かれてしまったらしい。
自分から医師団に治療を受けさせると引っ張ったくせに、緊張感がないと思われただろうか。

気まずい視線を向けると、王賁は腕を組んで静かに瞼を下ろしていた。

もしかしたら彼も酒を飲んだせいで眠気を感じていたのかもしれない。王賁が眠るのならと、信も瞼を下す。信の意識はすぐに眠りへと溶け込んだ。

 

 

隣から静かな寝息が聞こえて来て、王賁は瞼を持ち上げる。

視界は相変わらず薄暗闇でぼやけているものの、信が眠っているのは寝息と気配で分かった。

まさか信に目のことを気づかれ、宮廷に行くことになるとは思わなかった。医師団の治療を受けさせるというが、もう治療法など残されていないだろう。試すだけ無駄だ。

だが、信の性格を考えると、医師団から治療法がないと言われない限り、きっと諦めないだろう。信がそういう女だと知っていたからこそ、王賁は彼女を諦めさせるために、今回の提案を飲んだに過ぎなかった。

「………」

左肩に重みが圧し掛かって来て、反射的に視線を向けると、眠った信が寄りかかっていた。
こんなにも密着しているというのに、王賁の瞳に彼女の寝顔が映ることはない。

しかし、気持ちよさそうに眠っているのだろうということは静かな寝息から想像出来た。これまでも彼女の寝顔を見たことは何度かあったが、まるで腹を満たした赤ん坊のような、何の不安も抱いていない寝顔であることを覚えている。

王賁は羽織を脱いで、眠っている信の体を包み込んだ。馬車の中とはいえ、夜は冷える。

毒に蝕まれた自分が風邪をひいたところで寿命を縮めるだけだし、それならまだ秦の未来を担う彼女のことを優先したい。

羽織を掛けてやった時に、また手の痺れが強くなっていることに気づき、王賁は溜息を飲み込んだ。

医者の話ではこのまま視力を失い、手も足も動かなくなり、やがては呼吸器官も麻痺していくだろうとのことだった。

遅延性の毒ということもあって、長く苦しみながら死に至るだろうというのは予想していたのだが、それならば早々に命を捨ててしまった方が楽になれるのではないかと考えた。

この苦しみを耐えた抜いたところで、待っているのが死という末路なら、今死んでも後で死んでも変わらないのではないだろうか。

そんなことを安易に口に出せば、きっとバカなことを言うなと信に殴られるだろう。
簡単に彼女の行動を予見出来るようになっている自分に気づき、王賁は思わず苦笑を浮かべた。

 

 

信が目を覚ました時には、すでに夜が更けていて、窓から朝日が差し込んでいた。瞼に突き刺さる白い光によって、意識に小石が投げつけられ、信はゆっくりと目を開く。

寝具を使わずに、どんな場所でも眠ることが出来るのは下僕時代に培ったものだ。しかし、体は痛む。

(ん?)

自分の体に青い羽織が掛けられていることに気づいた。それが王賁の羽織だと分かって、信は驚いて顔を上げた。体が冷えぬように気を遣ってくれたのだろう。

「………」

普段から口数が少ない彼の気遣いに、信はもどかしい気持ちを抱く。まだ眠っている王賁の顔をまじまじと見つめ、信は切なげに眉根を寄せた。

医学に携わっていないこともあって、何も根拠はないのだが、王賁が毒如きに負けるとは思えなかった。

(王賁…)

未だ眠っている王賁に羽織を掛け直してやり、彼の肩に頭を寄せる。
胸の底から湧き上がる不安が抑えられず、信は彼の手に自分の手を絡ませた。常日頃から鍛錬を欠かさないタコだらけの骨ばった手だと分かる。

「…大丈夫だ。絶対、助けてやるから」

思わず口を衝いたそれは王賁に向けた言葉でもあったし、彼を心配する自分自身を安心させるためでもあった。

「あ…」

握っていた手に力が込められ、思わず顔を上げると、王賁と目が合った。起こしてしまったのだろうか。

「お、わっ?」

慌てて離れようとしたが、急に肩を引き寄せられた。王賁の胸に顔を埋める形になり、突然のことに、信の心臓が早鐘を打つ。

てっきり問答無用で押しのけられると思っていたのに、抱き寄せられたことに信は頭に疑問符を浮かべていた。

しかし、自分を抱き締めている彼の両腕が震えていることに気づくと、信は堪らず彼の体を抱き締め返す。

その震えが毒によるものなのか、それとも死が迫りつつあることに対する恐怖なのか、はたまた両方なのかは信には分からなかった。

 

頼みごと

咸陽宮に到着すると、信は大急ぎで親友の姿を探した。官吏たちから嬴政が玉座の間にいると聞き、信は王賁を引っ張って廊下を駆け出す。

「放せ。ここは宮廷だぞ。無暗に走るな」

明るいうちは視力に問題はないと言っていたが、王賁が手を振り払わないところを見ると、手の痺れは不規則に起こっているらしい。

「ごちゃごちゃうるせえな!急がねえと」

信は王賁の手を離さないまま、玉座の間へと向かった。

見張りをしている兵たちも血相を変えた信の姿を見て驚いたものの、拝謁の届け出を出していなかったため、阻まれてしまう。

いくら親友とはいえ、秦王と対面するならば幾つもの手順を踏まなくてはならない。それがしきたりというものだ。

「頼む!通してくれ!政に話があるんだよッ!」

しかし、信はそんなもの知ったことかと言わんばかりに、大声で兵たちに懇願した。後ろにいる王賁も信の無礼としか言いようのない対応に呆れている。

 

 

「やかましい!大王様の御前で何事だ!」

兵たちが対応に困っていると、扉の向こうから昌文君の怒鳴り声が響いた。

「オッサン!俺だ!政がそこにいるんだろッ?頼むから話をさせてくれ!」

「その声、信か?」

内側から扉が開けられる。険しい表情を浮かべた昌文君が現れると、見張りをしていた兵たちが頭を下げた。

目が合うと、呆れた表情を浮かべた昌文君が通してくれた。
部屋に足を踏み入れると、玉座に腰かけて木簡に目を通していた嬴政が親友を見て、口角を持ち上げる。

「信、王賁、よく来てくれた」

前触れもなく押しかけたのは信の方だというのに、嬴政は彼女の無礼など少しも気にしていない様子で玉座から立ち上がった。

「突然の拝謁、申し訳ありません」

信に引っ張られた王賁が、即座にその場に膝をつき、拱手と共に謝罪を述べる。嬴政はすぐに顔を上げるように声を掛けた。

「気にするな。どうせ信に引っ張られて来たんだろう」

親友の無礼は今に始まったことではないと嬴政は笑った。信一人ならまだしも、王賁をこの場に連れて来たことに嬴政は急ぎの何か用があるのかと問いかける。

「医師団の力を借りてえんだ」

王賁が口を開くより先に、信が答えた。

「なにがあった?」

秦国一の医療技術を持つ医師団の存在を口に出したことに、聡明な嬴政は重病か重症の者がいるのかと感付いた。

「前の韓軍との戦で、」

これまでの経緯を信が説明しようとした時だった。
立ち上がろうとした王賁が苦悶の表情を浮かべ、その場に倒れ込んでしまったのである。

「王賁ッ!」

驚いた信が駆け寄って声を掛けるが、王賁は額に脂汗を浮かべながら歯を食い縛るばかりで返事も出来ないでいるようだった。

「しっかりしろ、おい、王賁ッ!」

肩を揺すって呼びかけ続ける。王賁が苦しむ姿を見て、嬴政も昌文君も驚いた様子で医師団を呼び寄せた。

 

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