平行線の交差、その先に(桓騎×信←蒙恬)後編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/蒙恬×信/年齢操作あり/年下攻め/ギャグ寄り/甘々/ハッピーエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

中編②はこちら

 

相愛

縁談を受けようとしている桓騎に、信は何度か視線を彷徨わせてから口を開く。

「…そんなの、お前の好きにすれば良いだろ」

何とも思っていなさそうな表情を装って、そう返した信が虚勢を張っているのはすぐに分かった。てっきり逆上されるとばかり思っていたので、桓騎の中で信のその反応は予想外だった。

「お前だって、もうガキじゃねえんだし、誰もが認める立派な将だ。妻の一人や二人いても別におかしい話じゃねえだろ」

静かに右手が拳を作ったのを、桓騎は見逃さなかった。
その仕草が何かを堪える時の信の癖・・・・・・・・・・・だと知ったのは、秦趙同盟で李牧がそれを指摘してからだった。

「へえ」

こうなればとことん本音を引き出すまで意地悪をしたくなる。幼稚な考えだと頭では分かっているのだがやめられない。

こういった駆け引きは最後までどうなるか分からないから楽しめるのだ。

「なら、この間届いた縁談の話でも聞きに行ってみるか。県令※県の長官の娘らしい。若くて美人だってな」

「……、……」

信が何か言いたげに唇を戦慄かせたが、すぐに口を閉ざしてしまう。

本当は嫌だと思っているくせに、自尊心だったり、こちらの気持ちを考慮して本心を言えないのだろう。

どう言い返して来るかとにやけを堪えていると、信は体の一部が痛むかのような切なげな表情を浮かべ、桓騎から目線を逸らした。

「勝手にしろよ…俺に、止める権利なんてない…」

うっすらと涙を浮かべいる痛ましいその表情を見て、そんな顔をさせたくてからかったつもりではなかったのにと、良心がずきりと痛む。

「信」

先に白旗を上げたのは桓騎の方だった。

「冗談だ。悪かった」

信の身体をしっかりと抱き締める。いきなり抱き締められたことに驚きはしたものの、信はその腕を振り解くことはしなかった。

桓騎の胸に顔を預け、涙を堪えるように、ぎゅっと拳を握っている。

いつもの癖で爪が食い込んで血を流さぬよう、桓騎は右手を掴んで、拳を無理やり開かせた。

「痛ッ…」

昔からずっと爪の痕が残っている其処に軽く噛みついてから、桓騎は彼女を真っ直ぐな眼差しで見つめた。

「もう縁談なんて届いてねえよ」

「えっ!?」

信が弾かれたように顔を上げる。

 

「な、なんでだよっ?そんなワケねえだろッ」

知将として名を広めている桓騎に縁談が届いていないなど、そんなはずがないと信が驚いている。

これだけの武功を挙げておきながら、未だ伴侶がいない将軍なんて、女が放っておくはずがない。

訳が分からないといった顔をしている信に、桓騎は苦笑を深めた。

「本当だ。俺がお前にしか興味ないことを、秦国で知らないバカはいないからな」

そう言ってから、秦国で桓騎が信にしか興味がないという話を知らなかった人物が一人だけいたことを思い出した。目の前の愚鈍な女だ。

彼女を安心させるために嘘を吐いたのではなく、以前から桓騎のもとに縁談が来なくなったのは紛れもない事実である。

桓騎が信に想いを寄せているということは、秦国では民にまで広まっている。それは桓騎が芙蓉閣にいる時から、信を手に入れるために外堀を埋めて続けた成果でもあった。

そのせいか、どれだけ高い地位と美貌を持つ女性であっても、信一筋である桓騎には縁談を断られるという噂も同じくらい広まっていたのである。

将軍昇格をしてから、桓騎に直接届いていた縁談も、日を追うごとに少なくなっていた。

秦趙同盟の後に二人が結ばれたという噂が広まってからは、誇張なしに桓騎のもとに縁談話が来ることはなくなっていたのである。

桓騎がずっと信に想いを寄せていたという話が秦国に広まっていたことを、民衆の噂に関心を示さない彼女はずっと知らずにいた。

もちろん桓騎軍や飛信軍の兵たちも桓騎と信の関係にはとっくに気づいているのに、未だに信は隠せている気になっているらしい。

蒙恬の想いに気づいていなかったこともそうだが、彼女は自分自身のことになると、とことん鈍いのだ。

「もうあのクソガキにちょっかい出されないように、さっさと俺と婚姻しろよ」

「な、ななな、な…!」

何度目になるか分からない桓騎からの熱烈な告白に顔を真っ赤にした信は、陸から上がった魚のように口をぱくぱくと開閉させたものの、言葉が出ないでいるらしい。

幼い頃から何度もお前が好きだと伝えているはずなのに、まるで初めて聞いたかのようなその反応が堪らなく愛おしかった。

 

 

「は、放せ、放せってばッ!」

やがて羞恥心が限界に達したのか、信は桓騎の腕の中から抜け出そうと、膝の上でじたばたと暴れ出す。

その動きをみれば、薬が抜け始めているようだ。しかし、完全には抜け切っていないようで、桓騎が彼女の体を抑え込むのは簡単だった。

幼い頃は彼女から容赦なく平手打ちもげんこつを食らっていたが、成長した今ではこんなにも信の体が小さく感じてしまう。

もしも薬が完全に抜け切っていたら、容赦なく一発殴られていただろうが、惚れている女の弱っている姿を見ることが出来るのは、自分だけの特権だ。

「悪かったって言ってるだろ」

「うるさいッ!さっさと放せって!」

素直に謝っているというのに、信は話を聞こうとしない。

お前の顔なんて見たくないと言わんばかりに、顔ごと視線を逸らされたので、桓騎は僅かに苛立ちを覚えて、強引に唇を重ねた。

「んんッ」

信が嫌がって首を振ろうとするが、桓騎は彼女の体を抱き締めたまま、放さなかった。

遠慮なく舌を差し込むと、甘く噛みついて来る。どうやらそれで抵抗しているつもりらしい。その気になれば噛み切ることも容易いだろうに、そうしないのは無意識に男を煽っているからなのだろうか。

大量に水を飲ませたことで薬は抜け始めているのだから、もうそれは言い訳に使えないはずだ。

こうなれば本当に舌を噛み切られたとしても、彼女の本音を引き摺り出してやろうと思い、桓騎は目を細めて唾液を啜った。

「ん、ぅ、むっ…むぐぐっ」

苦しそうな声を上げているものの、逆に桓騎に舌を絡め取られて甘く噛みつかれ、ぶわりと鳥肌が立てたのが分かった。意識的に起こせる反応ではない。

こうなればこちらの勝ちだと桓騎は確信する。

「ふ、ぁ…は、ぁ…」

口づけを交わしていくうちに、信の瞳がとろんと情欲に色づいていく。

未遂であったとはいえ、この顔を蒙恬に見られたかもしれないと思うと、桓騎の胸に激しい嫉妬の感情が渦巻いた。

こんなにも独占欲を募らせていることに、信は呆れてしまわぬだろうかと時々不安を覚えることがある。

信が過去に関係を持っていた李牧とは、信自身が決別を決めたというのに、今回の蒙恬のことがあったせいか、目を離せば自分以外の男に奪われてしまうのではないかという心配事が絶えない。

それだけ信のことが愛おしくて、誰にも奪われたくなかったし、決して失いたくなかった。

「ぁ…ぅ、はぁ…」

長い口づけを終えると、信が肩で息をしていた。

呼吸が整うと、甘い視線を向けられて、桓騎の口角が自然とつり上がる。信の情欲に火が点いたことをすぐに察した。

 

相愛 その二

言葉を交わすことなく、邪魔になった鎧を乱雑に外しながら、桓騎は信の身体を寝台に横たえる。

「っ…」

すぐに身体を組み敷くと、恥ずかしそうに信が目を逸らした。しかし、嫌だとは言わないし、抵抗する素振りは見せない。

それだけで、彼女が自分を受け入れてくれているのだとすぐに分かった。

今さら生娘のように震えないのは、もう幾度となく体を重ねたからである。
しかし、彼女の破瓜を奪ったのは李牧で、信の体に女としての男に抱かれる喜びを教え込んだのも彼だろう。

信がこの行為を嫌悪しないどころか、好意的なのは李牧の仕業だと分かっていた。誰にでも軽率に足を開く女にならなくて良かったと心の底から思う反面、本当なら自分が信の破瓜を破りたかったとも思う。

「っ…」

言葉に出さずとも自分が欲しいとせがんでいるくせに、恥じらいが消えない初心なその態度に、思わず笑みが零れてしまう。

「あ、明日…」

「分かってる」

明日の早朝にここを出立をすることは知っていた。しかし、それを理由にやめろとは言われない。

最愛の彼女に求められれば何でも応えてやりたかったし、自分の意志一つで簡単に鎮火できるほど、桓騎が信を欲する気持ちは弱くなかった。

「う…」

身を屈めて、桓騎が首筋に唇を押し当てると、信の身体が緊張で強張ったのが分かった。
同時に嗅ぎ慣れない香の匂いが鼻につき、桓騎は思わず眉根を寄せる。

(あいつの香か)

恐らく蒙恬が着物に焚いている香の匂いだろう。
未遂であったとはいえ、信はこの寝台に寝かされていた。酒に混ぜた薬で眠らされたのなら、抱き上げられてこの寝台まで運ばれたに違いない。

この女の体に、自分以外の男が触れた証など何一つ残したくなかった。もしもその身が蒙恬によって暴かれていたのなら、二度と信を外に出すことなく、自分の屋敷に閉じ込めていたかもしれない。

嫉妬の感情に襲われ、容赦なく首筋を上下の歯で挟み込むと、信が痛みに顔をしかめる。

「痛ぇ、って…!」

血が滲むほど強く歯を立てて赤い歯形が残ると、ようやく蒙恬に襲われた危機から、自分という存在を上書き出来たような気がした。

「お前、なんでいつも噛むんだよ…」

痛みを和らげるように刻まれたばかりの歯形を擦りながら、信が文句を言う。指摘されてから、そういえば情事になるとよく彼女の肌に痕を残している自分に気が付いた。

「さあな」

それが独占欲の表れであることはもちろん桓騎も自覚したのだが、言葉に出すことはしない。

信が自分よりも大人であることは事実だし、また彼女から子ども扱いされるのは嫌だった。

着物の襟合わせを広げると、見慣れた傷だらけの肌が現れた。信が幾つもの死地を生き抜いた証でもある傷痕は何度見ても崇高を感じてしまう。先ほど新たに刻んだ歯形にも指を這わせると、くすぐったそうに信が身を捩った。

「ぁ、…」

程良く膨らんでいる胸に指を食い込ませると、心地よい弾力があって、肌は吸い付くように滑らかだ。

「っ、ん…ぅ」

胸の芽を指で弾くと、信が切なげに眉根を寄せて声を押し殺そうとする。羞恥心があるからなのか、信は情事の最中にあまり声を上げようとしない。

確かに今ここで声を上げれば、桓騎軍の仲間たちにその声を聞かれることになるだろう。しかし、仲間たちはすでに二人の関係を知っていたし、信へ長年片思いをしていたことや、桓騎の信に対する独占欲も分かっている。

自分も混ぜてくれなど無粋な真似をするような輩は仲間の中に誰一人としていない。

もちろん桓騎軍のそのような事情を知らない信は、誰かに自分の喘ぎ声を聞かれることを恥ずかしいと思っているらしい。

胸の芽を指で摘まんだり、押し潰したりしていると、敏感なそこがもっと愛でてほしいと頭を持ち上げた。これで弄りやすくなったと桓騎が笑みを深めて愛撫を続けていると、みるみるうちに信の呼吸が激しくなっていくのが分かった。

まるで感じているのを誤魔化すように、信の両手が動いて、桓騎の着物に手を掛ける。

「う、んんッ…」

仕返しでもするつもりなのか、僅かに頭を持ち上げた信が首筋に歯を立てて来る。それくらいの痛みで怯むはずがないのだが、気を遣っているのか、甘く噛んで来るところがまた愛おしい。

ますます情欲の炎が激しくなり、桓騎は信の脚の間に手を伸ばした。

 

「だ、だめだ、って…!」

僅かに湿り気と熱気を感じる其処をさっそく愛撫し始めようとした途端、信が随分と慌てた様子で手首を押さえ込む。

「はあ?」

なぜ制止されたのか分からず、桓騎は怪訝に眉間を曇らせた。

「あ、明日の早朝に、ここを発つんだぞっ…!」

言葉に出さずとも欲しいと求めて来たのは信の方なのに、彼女は将としての役目を全うしようと生真面目なことを言い出した。

もちろんそんなことは知っていると、桓騎は邪魔をして来る信の手を脚の間から遠ざける。
不安と羞恥が入り混じった複雑な顔で見据えられると、桓騎の鼓動が速まった。

「…いつも一度で終わらねえだろ、お前…」

自分で言っておいて恥ずかしくなったのか、たちまち顔を赤らめていく信を見下ろして、桓騎は肩を竦めるようにして笑った。

「お前こそ、一度で満足出来るのか?」

「ッ…!」

まさか聞き返されるとは思わなかったのだろう、湯気が出そうなほど、信がますます顔を赤らめた。

毎度、回数など数えていないのだが、一度だけで済んだ覚えがないのは確かだ。そして信もそれを自覚しているのか、俯いたまま顔を上げられなくなってしまったらしい。

「せいぜい一度で終わるように気張れよ。明日の出立に遅れるわけにはいかねえだろ?」

嘲笑を浮かべながら、煽るようにそう言うと、信がきっと目尻をつり上げてこちらを上目遣いで睨みつける。

「桓騎っ…」

「とっとと終わらせりゃ、明日の出立には何も影響ないだろ?なら、早く終わらせてみろよ」

もちろんそんな挑発をすれば信が機嫌を損ねてしまうことを桓騎は理解していたし、同時に彼女の勝負心に火を点けることになるのも分かっていた。それを見越した上で桓騎はその言葉を投げつけたのだ。

二人は身体の相性は良くても、戦略の面では抜群に相性が悪い。これが桓騎の策であることも知らずに、まんまと信は彼の策に陥ってしまったのだった。

「ああ、くそ…!お前ってやつは…!」

小声で文句を言う生意気な態度さえも愛らしい。

情事をやめるという選択肢が信の中にないことは分かっていたし、こうなれば意地でも引かなくなるだろう。絶対に自分から勝負を降りることはしない。信とはそういう女だ。

身を起こした信は躊躇う様子もなく、着物越しに男根に触れて来る。すでに男根は信を求めて硬くそそり立っていた。

吸い寄せられるように、男根に指を絡ませて、ゆっくりと扱き始める。

「ん…」

桓騎の脚の間に顔を埋めると、唇を割り広げて、赤く艶めかしい舌を覗かせる。

舌が男根の切先に触れた途端、沁みるような刺激が腰にまで響き、桓騎は思わず生唾を飲み込んだ。

好いている女が自分の脚の間に顔を埋めている光景は、何度見ても夢かと思うし、躊躇いもなく口淫をする姿を見ると、ますます興奮が煽られる。そんな官能的な姿を見て、男が一度でやめられるはずがなかった。

 

勃起して鋭敏になっている切先を舌で優しく突かれながら、上目遣いで見上げられると、それだけで達してしまいそうになる。

「ふ、ぅん、ん…」

男根を美味そうに咥え込む姿を見て、桓騎は余裕のない笑みを浮かべた。

「っ…んん、ぅう、ふ…」

男根に吸い付きながら、信の手が自らの脚の間に伸びた。
すでに彼女の淫華は濡れそぼっていて、自分の指をすんなりと受け入れている。

男根を咥えながら、自らの淫華に指を突き挿れて自慰に耽る信を見るのは初めてではなかった。

信が頭を動かす度に彼女の唇から水音が響き、信が指を動かす度に、淫華から卑猥な水音が立つ。何度見ても刺激的な光景だ。卑猥な水音に鼓膜までも犯されているようである。

「信…」

軽く息を乱しながら、信の黒髪を撫でつける。手入れを一切行っていないその髪は日焼けをしているせいか、随分と傷んでいて指通りが悪かった。

外見や仕草には女らしさの欠片もないというのに、信は情事が始まると、途端に雌を感じさせる。

そうなるように李牧が育てたのだろうが、自分を求めてくれていると思うと、身体の芯が燃えるように熱くなった。

「はあ…」

熱烈な口淫によって完全に男根が勃起すると、信がようやく男根を口から離した。

その目は完全に雌の色を浮かべており、もう彼女は男根を淫華に咥え込むことしか考えられずにいるようだった。

「ん…」

桓騎の肩を両手で掴みながら信が唇を重ねて来る。先ほどまで激しい口淫をしていたとは思えないほど軽い口づけを何度も交わしながら、桓騎は彼女にされるままでいた。

肩を掴んだ手に力を込められると、呆気なく押し倒されてしまう。

息を乱しながら信は桓騎の体に跨り、再び唇を重ねて来た。今度は自ら舌を絡ませて来る。
その口づけに応えながら、桓騎は先ほどまで弄ってやっていた彼女の柔らかい二つの膨らみに手を伸ばした。

「ふう、ぅっ…」

口づけを交わしながら胸の芽を摘まんでやると、切なげな吐息を洩らしながら鼻奥で悶えている。

指の腹で引っ掻いたり、押し潰したりして遊んでいると、信が嫌がるように身を捩った。

「も、早く…終わらせる…」

こんな状態になっても、どうやらまだ理性の類は消え去っていなかったらしい。

瞳を潤ませながら、信は両方の膝を屈曲させ、大きく足を開いた形でしゃがみ込んだ。硬くそそり立つ男根の掴んで、切先を淫華に当たるように固定させる。

先ほどまで信が自分で弄っていた其処は蜜で濡れそぼっていた。

「あ…はあっ…ぁ、あ…!」

腰を落としていくにつれて、淫華がゆっくりと桓騎の男根を飲み込んでいく。淫華は奥までよく濡れていた。

「ううっ…ぁ…」

まず一番太い切先を飲み込むと、信の口元から甘い吐息が洩れる。彼女の中はいつだって温かくて、男根を貪ろうと吸い付いて来た。

「ふっ…ぅうう、ん…」

時間をかけて男根を全て飲み込むと、逞しく割れた桓騎の腹筋に手をついて、荒い息を繰り返していた。

中途半端に脱がせていた着物が信の肩に引っ掛かっていて、肌が隠されている部分があるが、返ってそれが欲をそそられる。

絶対に一度で終わるはずがないだろうと桓騎は心の中で考えた。

 

 

「ん、っふ、ぅ…」

手の甲で口元を押さえ、声を堪えようとする彼女のいじらしい姿を下から見上げ、桓騎は胸の内が燃えるように熱くなった。

無駄な肉など一切ついておらず、引き締まった腹筋と、女性らしい美しいくびれ。

水を飲ませ過ぎたせいで僅かに腹は膨らんでいたが、まるで自分の子を孕んでいるかのように見えて、それもまた官能的である。

信が腰を前後に動かす度に揺れる豊満な二つの膨らみも堪らない。

見ているだけで、女に耐性のない男なら達してしまいそうなほど、信の裸体は女の色気が込められていた。

肌に刻まれている戦場の傷は、そこらの男でも持っていないものだが、だからこそ堪らなく愛しいとも感じるし、尊さすら覚える。

誰にこの姿を見せたくないし、誰にも渡したくない思う。

「ん、んんっ」

信も気持ち良いのか、腰を揺らしながら甘い声を洩らしている。

後ろに手をつき、仰け反った体勢で腰を揺らす姿は、どう見ても騎乗位に経験があるとしか思えなかった。誰に教え込まれたのかはもう分かり切っていることだが、信が今その腹に咥えているのは紛うことなく自分だ。

「ふ、はあッ、あっ、ぁあっ」

反り返った男根が腹の内側にある自分の良い所に当たるのだろう。
飲み込めない唾液を口の端から垂らして快楽を貪る信を見れば、まるで自分の男根を彼女の自慰の道具として使われているような気もするが、それはそれで堪らなかった。

信の騎乗位に翻弄され、桓騎も息を切らし始める。
彼女が腰を動かせば動かすほど、中で男根が淫華と馴染んでいき、結合観がより増していった。

切なげに眉根を寄せながら腰を動かす信の姿も堪らないが、繋がっている部位を見やると、自分の男根が彼女の淫華に食われている光景がよく見える。

引き締まった信の内腿に手を這わせ、女の泣き所でもある花芯を指の腹で擦り付けると、信の体が大きく震えた。

「い、今、そこ、ぁ、さわ、ん、なァッ…!」

動かしていた腰を止めて悶えてしまうほど、敏感な花芯への刺激は強過ぎたらしい。

「なら、悪さしねェように掴んどけよ」

言いながら信の腕を掴んで、その手に自分の指を絡ませる。
手を握り合うと、信は恥ずかしそうにするものの、快楽を求める体は腰の動きは自制出来ないようだった。再び腰を動かし始めた。

「はッ、ぁあっ、はぁ、ん」

前後に揺らしていた動きから、今度は上下に跳ねる動きに変わる

これも随分と慣れているような動きで、やはりあの男李牧との情事で経験したのだろうか。

他の女と違って、信は特に下肢の筋力が特に鍛えられているせいか、淫華が男根を搾り取るように吸い付いて来るのが堪らない。今まで抱いた女では感じられないほどの気持ち良さだった。

「あッ…ん、ぁあッ、ぁ」

信が持ち上げた腰を下ろす度に、男根の先端が子宮に口づける。

彼女の中は温かくて包み込んで来るような気持ち良さがあるのに、あの男のことを考えるだけで苛立ちが込み上げて来た。

もちろん信は自分とあの男と重ねて見ていることはしていないと分かっている。それでも、信の破瓜を破り、彼女の多くの初めて・・・を我が物にしたあの男に嫉妬の念が止まなかった。

「ぁあっ、や、っ、あぁッ…」

気持ち良さに戸惑いながらも、信は腰の動きを止めることが出来ずに、泣きそうな声を上げた。

「ッ、はぁ…ぁあッ、も、もうッ…」

絶頂が近いのだろう、信が泣き出しそうな弱々しい表情を見せる。
桓騎は信と絡ませている手を放し、彼女の細腰をしっかりと掴むと、下から激しく腰を突き上げた。

「ふ、ぁあ…ッ!」

不意を突くような激しい刺激によって、信が仰け反って目を剥いた。
さらに追い打ちを掛けるかのように、桓騎は触るなと叱られたばかりの花芯を再び指の腹で擦る。

「ひいっ、あ、待っ、ぁ、ああーッ」

彼女の引き締まった内腿が痙攣したかと思うと、中がうねるようにして、男根を強く締め付けられた。桓騎も切なげに眉根を寄せながら、彼女の最奥で熱を放った。

男根と繋がっている部分のすぐ真上から小さな水飛沫が上がり、花芯を弄っていた桓騎の指を濡らす。

「あ…ぅ…」

しばらく体を硬直させていた信だったが、身体の芯から力が抜けたように前屈みに倒れ込んで来た。

咄嗟に起き上がり、彼女の体を抱き止めた桓騎は、生温かい感触が腹を伝っているのを感じていた。

「ぁっ、ぁあ…」

下腹部に手を当てて、なんとか止めようとしているらしいが、一度堰を切ったそれは止められず、繋がっている部分を温かく濡らしていく。

「ふ、うぇ…ふぐ、…うぇ…」

ぐすぐすと信が鼻を鳴らしながら、しゃっくりまで上げ始めたので、桓騎はぎょっと目を見開いた。

「信?」

俯いている顔を覗き込む。信は真っ赤な顔で涙を浮かべており、その身を震わせていた。

「さ、触んなって、言った、のにぃ…」

弱々しい声に責め立てられ、桓騎の良心がちくりと痛んだ。

情事の最中に、信が蜜とも尿とも異なる飛沫を上げて絶頂を迎えるのは、これもまた初めてのことではなかった。

どうやら信は粗相をしたかのような感覚が苦手で、普段以上に羞恥心が掻き立てられてしまうらしい。

そのせいで身を繋げている時に、さらなる刺激を加えられることを嫌がるのだが、人の嫌がることをするのが大好きな性格である桓騎がもちろん聞くはずもなかった。

「…何も恥ずかしいことじゃねえだろ」

慰めるように、信の頭を撫でながら囁くが、信は首を横に振った。

「は、恥ずかしい、に、決まってる、だろ…!ぅう…お、お前が、たらふく、水、飲ませた、からぁ…」

途切れ途切れに言葉を紡いだ信は、大量の水を飲まされて膨らんだ腹に手をやりながら訴えた。どうやら本当に粗相をしたと勘違いしているらしい。まだ薬が抜けきっていないせいで、あまり頭が働いていないのだろうか。

信の身体に、男に抱かれる悦びを教え込んだのは李牧だ。
しかし、彼女のこの反応を見る限り、確証はないのだが、李牧は彼女がこのような絶頂を迎える姿をあまり見ていないのではないかと思った。

優越感に胸を満たしながら、腹を濡らした飛沫を指で掬い取ると、桓騎は見せつけるようにしてそれを舐め取った。

「ば、バカッ…!」

信じられないと言わんばかりの表情で、信が目を見開く。
構わず桓騎は彼女の顎を掴むと、強引に唇を重ねた。

「んっ…」

熱い吐息を交えながら、何度も唇を重ね合う。
半開きの唇からは飲み込めない唾液が滴っていて、信の唇を艶めかしく色づけていた。

 

平行線の交差、その先の真実

「信」

「う…?」

口づけの合間に声を掛けると、信が恍惚の表情を浮かべながら、小さく小首を傾げる。

「俺を飛信軍に入れなかったのも、俺の縁談を断ってたのと同じ理由だったのか?」

その言葉の意味を信が理解するまで、やや時間がかかった。

「ち、ちがう…!」

か細い声で否定されるものの、あまりの説得力のなさに苦笑してしまう。

信が桓騎の縁談を断っていた理由は、桓騎を他の誰にも渡したくない独占欲からだった。もちろんそれを言葉には出さないが、先ほどの態度から一目瞭然である。

そんな独占欲を持っていたというのに、彼女が桓騎を自分の軍に入れなかった理由は、愛情の裏返しだったのかもしれない。

「あれは…体力試練も受けないで軍に入るのは、贔屓だとか色々言われるから…!」

小癪にも、本音を隠そうとする信に、桓騎は苦笑を深めた。

「それなら体力試練を受けるって言っただろ。それなのに、お前は返事を濁らせて白老のとこに預けたよな?」

「うぐぐっ…」

体力試練も受けないで飛信軍に入ることは問題だと言われていたのだが、それならば桓騎はもちろん体力試練を受けるつもりでいたし、自分の実力を見せつける良い機会だとも考えていた。

だが、体力試練を受ける前に、蒙驁のもとに身柄を送られることが決まり、飛信軍に入る機会を全て信自身に奪われたことを桓騎は未だに根に持っていた。

縁談を断ったのが独占欲の類なら、傍で監視しておける飛信軍に入れておくべきだったはずだ。だが、信がそれをしなかった理由が必ずある。

それはきっと、先ほど彼女が明日の出立準備に遅刻するのではないかと気にしていたように、将としての役目を全うするためだ。

わざと俺を遠ざけた・・・・・・・・・んだろ」

私情を挟まぬように、信は桓騎を自分のもとから遠ざけたのだ。それは一人の女としての幸せではなく、将としての役目を優先した証拠でもある。

だが、自分を遠ざけた上で、信は桓騎の縁談を断り続けていた。

少々矛盾を感じる行動の裏に、信が女として桓騎を想ってくれていたことが分かる。
言葉に示さずとも、嘘を吐けない彼女の顔を見れば、それは決して自惚れではなかった。

「不器用な女だな。俺が欲しいならそう言えば良かっただろ。俺ならガキの頃でも満足させてやったのに」

「ち、違う!俺に稚児趣味はない!」

「…なら、俺がますますイイ男に育ってから惚れたのか?」

からかうように、謙虚さを一切持たない言葉を掛けると、

「お前を好きになったって分かんなかったんだよッ!」

信が泣きそうなほど顔を歪めて怒鳴ったので、桓騎は呆気に取られた。

痛いほどの沈黙が二人の間に横たわる。
信を見れば、彼女は顔を真っ赤にしたまま唇を戦慄かせていた。本音を打ち明けたことで後悔しているのかもしれない。

「…じゃあ、俺を遠ざけたのは、それをはっきりさせるためだったのか?」

「………」

目を逸らしながら、信が僅かに首を縦に振った瞬間、桓騎の中で何かがふつりと音を立てた。それは理性の糸だったのかもしれない。

「うあッ!?」

向かい合うように繋がったまま、桓騎はその体を強く抱き締めていた。この女は何度自分のことを惚れさせるつもりなのだろうか。

「あっ、えっ、ま、また…!?」

先ほど信が達してから、しばらく淫華の中で大人しくしていた男根が再び頭を持ち上げる。それを腹の内側で感じたのだろう、信が狼狽えた視線を向けて来た。

「…一度で終わりそうにねえな」

「え?」

不吉な独り言を聞きつけた信が何だと聞き返そうとした時には、身を繋げたまま桓騎にその体を押し倒されていた。

 

後日編~蒙恬の協力者~

案の定、激しい情事によって、信は起き上がることが出来なくなってしまい、翌朝の出立に影響してしまった。

もちろん信は激怒し、秦国へ帰還してから数日後が立った今でも、彼女の機嫌は戻ることはない。

しばらく信から屋敷への出入りを禁じられた桓騎は、不機嫌を丸出しで過ごしており、そんな主を見た配下たちはまたいつものケンカかと呆れ顔である。

信の機嫌が戻るまでにはそれなりに時間がかかるだろうが、その前にやらなくてはならないことがあった。

「摩論を呼べ」

軍の参謀を務めている摩論を呼び寄せた。
机にどんと両脚を乗せて待っていると、すぐに摩論が「何かありましたか?」と部屋に入って来る。

「…お前、あのクソガキにいくら渡された?」

「えッ?」

桓騎から鋭い目つきを向けられ、開口一番そんなことを言われた摩論は分かりやすく声を裏返した。

その反応だけ見れば、既に答えを得たようなものだが、桓騎は確信を得るために、ゆっくりと言葉を続ける。

「オギコから全部聞いたぞ。お前があいつから金を受け取ってるところを見たってな」

どこか落ち着きなく、いつも整えている自慢の鼻髭を弄りながら、摩論が笑みを繕う。

「はは…何のことでしょう?まさか私が蒙家の嫡男殿に、賄賂をもらったと疑っているのですか?」

「俺はクソガキとしか言ってねえぞ。何で蒙家の名前が出て来る?」

「あッ」

信頼をしていた配下がこうもあっさりと墓穴を踏むような男だったことに、桓騎は落胆を隠せない。

しかしそれを上回るのは、摩論が自分を裏切って蒙恬に協力をしたことに対する怒りだった。

「お前の上手い手料理が食えなくなるのは残念だが…」

両脚を床に降ろし、椅子に座り直すと、摩論が顔面蒼白になってその場に跪いた。

「すみませんッ!金子を三つほどもらいましたぁ!」

床に額を擦り付ける勢いで、摩論が蒙恬に協力したことを白状する。

予想はしていたが、蒙恬から提示された報酬に目が眩んだのかと桓騎は肩を竦める。
元野盗の仲間たちは金が入るとなれば容易に動いてしまう短所があった。もちろん単純な動機なので扱いやすい面もあるが、よりにもよって蒙恬がそこに目を付けるとは思いもしなかった。

「その報酬と引き換えに、何を指示された?」

冷たい目で見下ろしながら問いかける。命が惜しいのか、摩論は素直に答えていく。

「や、やましいことは何も…ただ、彼に言われたように、信将軍に酒を勧めただけです…」

「…その酒ってのは?」

「城の地下倉庫にあったものです。お頭が飲んでいたのと同じものをお出ししました…」

「ほう」

制圧を終えた後、城の地下倉庫にあったという地酒を飲んだことを思い出す。

あの部屋に杯は二つあったし、酒瓶の中身も大分減っていた。蒙恬と信が酒を飲み交わしていたことは間違いない。

酒自体に薬を盛っていたとすれば、蒙恬にも影響があっただろうし、彼が薬の効かぬ体質であることは聞いたことがない。

このことから、酒自体に細工をしていなかったのは間違いないだろう。消去法で考えると、細工をされていたのは、信が口を付けた杯の方だ。あの場に駆け付けた時も同じ推測をしたが、それは当たっていた。

杯に仕込んでおいた薬を飲ませるために、蒙恬は信に酒を飲ませる口実を作るよう、摩論を利用したということである。

(あのクソガキ…よくもやりやがったな)

摩論が信へ酒を勧め、そしてお人好しの信は蒙恬を誘った。蒙恬はそれを分かっていて、杯に薬を仕込んでおき、信だけを眠らせたということだろう。

そして信のことだから、何の疑いもなく口をつけて、まんまと眠らされたに違いない。

自分以外の男に組み敷かれている信の姿を思い出すだけでも心臓に悪いというのに、もしも駆けつけるのがあと少しでも遅かったらと思うと、それだけで心臓が凍り付いてしまいそうだ。

本当に最悪の事態に陥っていたのなら、いくら蒙驁の孫とはいえ、跡形もなく彼の存在を消して、信の記憶からも処理をしていたに違いない。

…オギコの活躍、それから王翦軍と偶然の合流によって、なんとか未遂で救出することが出来たし、その後は美味しい想いをすることが出来たので、結果だけ見れば未遂で済んだのだが。

「はあー…」

長い息を吐いた桓騎の眼光の鋭さに押され、摩論は相変わらず顔色が優れない。

「…摩論」

「はひっ」

低い声で呼びかけると、もはや半泣き状態になっている摩論が慈悲を乞うような顔で返事をする。

「今まで美味い飯を作ってくれたことに免じて、指三本で許してやるよ。手ェ出せ」

腰元に携えていた短剣を取り出した桓騎が鞘を引き抜く。ぎらりと刃が怪しく光り、摩論は背筋に氷の塊を押し当てられたような感覚に陥った。

 

金子三つと信の操に対して、指三本に留めたのは、桓騎なりの慈悲だった。

本当ならば手足三本落としたいところだったが、指三本だけにしたのは、今まで参謀として自分に付き従ってくれた、せめてもの礼だ。

蒙恬の策略に利用された摩論も被害者といえばそうなのだが、信が自分にとって大切な存在であることを知っていたくせに、蒙恬の企み止めようともしなかったことが許せなかったのだ。

無様に泣き喚く摩論の右手首を掴み、反対の手で短剣を構える。もちろん脅しなどではなく、本気で指を落とすつもりだったし、摩論もそれを分かっていたのだろう。

「ひいいい!お頭っ、どうか、どうか、許してください!」

耳障りな悲鳴を聞きながら、どの指から落とそうか考えていると、慌てた様子でオギコが部屋に飛び込んで来た。

「お頭~!」

オギコの登場により、部屋に束の間の沈黙が訪れる。

桓騎が短剣を構えて摩論の指を落とそうとしている光景を見て、オギコが小首を傾げている。どうしてそんなことになっているのか状況が分からないでいるのだろう。

「…二人とも、何してるの?」

「ああ、オギコさん!よか、良かった!助けて~ッ!」

一方、摩論といえば、オギコが来てくれたことによって、助かったとでも思っているのか、歓喜の涙を流していた。

しかし、桓騎は手首から手を放すことなく、オギコに用件を尋ねる。

「手短に話せ、オギコ。俺は忙しいんだ」

「信から伝言ッ!」

「…なに?」

これには桓騎も驚いて、オギコの方を向いた。
桓騎に屋敷の出入りを禁じたことから、しばらくは口を利かないという意志を示したのだろうが、伝言とは何だろうか。

「えーとね、”蒙恬と、蒙恬に関わってた人を罰したらダメだぞ”、だって!」

「………」

伝言の意味を理解した途端、思わず舌打ちをしてしまった。

今回のことに関わっていたのが蒙恬だけじゃないことに勘付いたのだろう。普段は鈍いくせに、時々こういった勘が働くことがあるのは困りものだ。本能型の将としての才能なのだろうか。

最愛の女からの命令に逆らうことは出来ず、桓騎は大人しく摩論を解放した。

僅かに身を屈め、桓騎は摩論の耳元に唇を寄せる。

「…次にまた信を売るような真似をしたら、今度は指三本じゃ済まされねえぞ」

ドスの利いた声で摩論を睨みつけると、彼は何度も頷いて、逃げるように部屋を出て行った。

状況の読めないオギコは円らな瞳で何度も瞬きを繰り返す。

「…お頭、摩論さんと何して遊んでたの?」

短剣を向けていたというのに、二人が遊んでいたと疑わないオギコに、桓騎は口角をつり上げる。

口元に人差し指を押し当てながら、

「内緒話だ。信からの伝言はちゃんと守ったぞ」

その言葉を聞いて、安心したオギコは無邪気な笑みを浮かべたのだった。

 

おまけ小話②「出立前のひととき(2000文字程度)」はぷらいべったーにて公開中です。

このお話の本編はこちら 

蒙恬×信←桓騎のバッドエンド話はこちら

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平行線の交差、その先に(桓騎×信←蒙恬)中編②

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/蒙恬×信/年齢操作あり/年下攻め/ギャグ寄り/甘々/ハッピーエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

中編①はこちら

 

独占欲の暴走

帯を外し、着物を脱がせていくが、信が目を覚ます気配は少しもなかった。

本当は僅かに意識がある状態で、体の自由が利かない程度のものを想定していたのだが、こればかりは仕方がない。

酒の酔いと合わさって、薬が強く効いているのだろう。量は調整したものの、ここまで効くとは正直予想していなかった。

本当ならば、信の意識がある中でこの身体を暴き、桓騎を裏切ったことと、その身を自分に差し出したことを彼女に教えてやりたかった。

着物を全て脱がせると、傷だらけの肢体が現れる。しかし、蒙恬はその傷だらけの体を少しも醜いとは思わなかった。

「信…」

名前を囁いて、蒙恬は彼女の肌に指を這わせた。
傷がある部分は凹凸を感じ、それ以外の場所はしっとりと吸い付いて来る。

「…ん…」

肌の上で指を滑らせ、胸の膨らみを撫でると、信の体がぴくりと跳ねた。

意識は眠りに落ちているというのに、体が反応しているのだと分かると、蒙恬の口角がにやりとつり上がる。

「信…好きだよ」

耳元で甘い言葉を囁くと、吐息がくすぐったいのか、信の顔がその刺激を避けるように傾いた。

「は、ぁ…」

もしかして耳が弱いのだろうかと思い、舌を差し込むと、僅かに身を捩って切なげに眉根を寄せている。

顔の横に力なく落ちている彼女の手に指を絡ませて、その体を組み敷き、恋人同士のように向かい合う。

もしも信が起きていたのなら、間違いなく蒙恬は殴り飛ばされていただろう。三日は寝込んでしまうくらいぼこぼこにされただろうし、罵声を浴びせられたに違いない。

それだけのことをされても仕方がないと言える凌辱を、蒙恬は今まさに彼女に行おうとしているのだ。

信を傷つけることがないように薬を盛ったのだが、結果的には心に酷い傷を負わせることになる。

決して傷つけたくないのに、結果としては傷つけてしまうというその矛盾に、蒙恬は自分の余裕のなさと醜いまでの独占欲を自覚するしかなかった。

どうせ桓騎の邪魔は入らないし、時間はある。

結果として傷つけてしまうことになるのなら、せめてその体を隅々まで味わって愛してやろうと思い、蒙恬は身を屈めて彼女と唇を重ねようとした。

 

 

「信ッ!ねえ、信ってばあッ!」

二人の唇が触れ合う寸前、激しく扉が殴打され、耳障りな甲高いが飛び込んで来る。

桓騎の配下であるオギコだ。再び邪魔が入り、蒙恬が乱暴に舌打った。

元野盗の集団で形成されている桓騎軍の千人将であるオギコは、特に桓騎に従順だった。
…とはいえ、有能とは言い難く、右腕というような立ち位置ではない。

その大柄な体格とは反対に、世間の立ち回り方の知らなさから仕方なく野盗として生きていたのか、はたまた世間知らずな面を良いように利用されて野盗になったところを桓騎に拾われたのか、とにかく桓騎のことを大いに慕っている男である。

桓騎が自分を敵視していることから、オギコにも警戒されていることは知っていたが、まさかここでも邪魔をされるとは思わなかった。

しかし、閂を嵌めた扉を通ることは出来ない。今のオギコに出来るのは、扉越しに眠っている信に呼びかけることだけだ。

「信!ねえ、摩論さんから聞いたけど、あの蒙恬って人とまだ一緒にいるの!?大丈夫ッ!?変なことされてない!?」

この機を逃せば信を手に入れることは出来ない。外野はやかましいが、このまま続けてしまおうと蒙恬が手を動かした時だった。

「信ってばー!返事してよッ!」

「…う、ん…?」

薬で深い眠りに落ちているはずの信の瞼が鈍く動いたのである。

酒の酔いもあって、声を掛けられたくらいでそう簡単には目覚めないと思っていたのだが、やはり幾度も死地を乗り越えている彼女はただの女ではない。

だが、もしも信が目を覚ましたところで、薬の効果が消えるわけではない。本来、蒙恬が狙っていた策通りに、意識がある中で自分にその身を犯されることになるだけだ。

むしろ目を覚ましてくれた方が都合が良いと心の中でほくそ笑みながら、蒙恬は再び身を屈めて唇を重ねようとした。

 

救出

「―――信ッ!どこにいるッ」

今度はオギコじゃない声が響き、蒙恬は反射的に顔を上げた。

間違いない。この声は桓騎だ。

ずっと想いを寄せていた女を手に入れられる興奮によって速まっていた鼓動が、今度は激しい動揺で、より一層速まった。

(もう戻って来た?一体どうして…!)

数日かかるあの距離をもう往復して来たのかと、蒙恬は眉間にしわを寄せた。

桓騎がこちらの企みに気づくとすれば、蒙驁の屋敷に到着してからとしか思えない。
祖父には信の補佐に行くと伝えていたから、話題の一つとして桓騎に告げのただろう。

そして鋭い桓騎のことだから、その話からすぐにこちらの目的を導き出し、大急ぎで引き返して来たのかもしれない。
しかし、彼が引き返して来たとしても、決して間に合わぬように蒙恬はこの状況を作り上げたのだ。

蒙驁の屋敷に向かっている桓騎と途中ですれ違わぬよう、細心の注意を払いながら、念入りに計画した策だったというのに、まさかもう戻って来るとは思いもしなかった。

(待てよ…)

どうして桓騎が予想よりも早く駆けつけることが出来たのか。蒙恬は口元に手をやって思考を巡らせる。口元に手をやるのは蒙恬が考える時の癖だった。

急いで引き返すとすれば、途中で馬を替える必要がある。だが、蒙恬の企みに気づいた桓騎は引き返すのに精一杯だったに違いない。

替えの馬を事前に手配しておくことなど、そんな状況では出来なかったはずである。ならばその替えの馬はどこで手に入れたのか。

桓騎が途中で替えの馬を手に入れる方法があるとすれば…。

(――王翦軍と会ったのか!)

蒙恬は再び舌打った。

城の制圧を終えて、秦国へ向けて帰還している王翦軍と道中すれ違ったのだ。
王翦軍は秦への帰還、そして桓騎は再び魏へ戻る。目的は違えど、通る道は同じだ。

まだ疲れ切っていない馬を王翦軍から拝借し(桓騎のことだから強引に奪ったに違いない)、彼は止まることなく、この魏の汲まで駆けつけたのだろう。

そういえば信は、危篤状態である蒙驁の見舞いには王翦と共に行くように、桓騎へ指示を出していたらしい。

―――桓騎の野郎…わざと声掛けなかったな…!

面倒臭がった桓騎が彼に声を掛けることなく、単独で蒙驁の見舞いに行ったことが、結果的に実を結んだということだ。

偶然に偶然が重なっただけではあるが、まるで天が桓騎の味方をしたかのような結果に、蒙恬はいたたまれない気持ちを抱いた。

「お頭!こっち!この部屋だよッ!」

オギコが桓騎を呼ぶ声がする。こちらへ向かって来る足音が聞こえ、蒙恬は深い溜息を吐いた。どうやら作戦は失敗に終わったらしい。

「おい、聞いてるかクソガキ」

扉をぶち壊す勢いで乱暴に殴打され、ドスの効いた声で脅迫される。もちろん恐ろしくはないが、このまま続けていれば本当に扉を壊されてしまうだろう。

「俺を出し抜いたことは褒めてやっても良いが、それ以上・・・・しやがったら、白老の孫でも容赦しねえからな」

それ以上というのは、きっと信をこの手で汚すことだろう。

残念ながら接吻の一つも出来なかったことを心の中で毒づきながら、諦めて信の上から身を退いた。

「おい、聞いてんのかッ!」

「…ん…ぁ…桓、騎…?」

聞き覚えのある声が微睡んでいた意識に小石を投げつけたようで、信がゆっくりと瞼を持ち上げていく。

薬で溶かしたはずの意識が蘇ったのも、やはり天が桓騎の味方をしているのだろうか。
未だぼんやりとしている信と目が合う。

「蒙、恬…?」

「おはよう、信。…ごめんね?」

乱れた着物を整えながら、蒙恬は目覚めの挨拶の後に謝罪する。

しかし、その言葉の意味が理解出来ないようで、信は寝ぼけ眼のまま、不思議そうに小首を傾げていた。

閂を外して部屋を出ると、殺気で目をぎらぎらとさせた桓騎と、そんな彼に狼狽えているオギコが立っていた。

「あーあ、せっかく信と良い気持ちで寝てたのに、台無しにされちゃった」

両手を頭の後ろで組みながら、蒙恬がちゃらけるように言う。

未遂であったものの、寝てた・・・という言葉に反応したのか、桓騎のこめかみにふつふつと青筋が浮かび上がった。

普段は冷静冷酷な桓騎がここまで感情を顔に出すのは珍しい。それだけ信のことが心配だったことも、彼女のことを大切に想っていることも分かった。

その余裕のない顔を見れただけでも良しとするかと、自分を無理やり納得させながら、蒙恬は部屋を後にした。

 

 

意外にもあっさりと部屋を出て行った蒙恬を横目で睨みつけてから、桓騎はすぐに部屋の中に飛び込んだ。

「信!」

信は寝台の上に横たわっており、薄目を開けていた。

着物に乱れはなかったが、桓騎がここに駆けつけるまでに、もしかしたら全てが終わってしまったのではないかと不安を覚える。

帯を外して強引に襟合わせを開き、念のため脚の間も覗き込んだが、どうやら本当に未遂だったようだ。

「おい…何してんだよ」

眠そうな顔で、しかし、寝起きの頭でも着物を脱がせられたことを察して、信の顔に怒りの色が宿る。すぐ傍ではオギコが桓騎の行動の意図が分からず、円らな瞳をさらに真ん丸にしていた。

「おい、放せ…」

未遂だったことに安堵しながら、着物を整えてやっていると、桓騎の手首を掴もうと持ち上げた信の手が途中でぱたりと落ちてしまう。まるで力が入らないかのようだ。

寝起きにしてはおかしいと感じた桓騎はまさかと目を見開いた。

「…オギコ、ありったけの飲み水持ってこい」

「う、うん、わかった!」

弾かれたようにオギコが部屋を出て行く。二人きりになると、桓騎は険しく目尻をつり上げた。

「あのクソガキに何された」

「え…?な、何って…?」

「何か飲まされたか?」

まだ頭が働いていないのか、それともそうなるよう仕組まれていたのか、信はぼんやりとしながら言葉を返す。

「ええと、あ…そうだ、寝る前に、酒…飲んだ…」

酒と聞いて、やはり薬を盛られたかと桓騎は舌打つ。

辺りを見渡すと、台の上には酒瓶が一つと、杯が二つ置かれている。二つの杯はどちらも空だったが僅かに濡れており、信も蒙恬も同じ酒を飲んだことが分かる。

信の酒の強さは、彼女と共に過ごす時間の長い自分がよく知っている。いつも余裕で酒瓶を数本空けるというのに、たかだか数杯飲んだところで眠りに落ちるはずがないのだ。薬を盛られたとみて間違いないだろう。

「あいつが持って来た酒を飲んだのか?」

「いや…ここの地酒だって、城に置いてあったのを、摩論がくれた…」

参謀の名前が出てきて、桓騎の溜息がますます深まる。
そういえば、この城を制圧した時に、摩論が地下倉庫にあったという地酒を見つけて持って来てくれたことを思い出した。

もしも酒自体に細工をしたのなら、蒙恬も薬を飲むことになる。信と二人きりになる状況を作り上げた張本人が、まさかそんな失敗を犯すとは思えなかったし、先ほどの様子を見る限り、彼が薬を飲んでいないのは明らかだ。

もしも蒙恬が薬が効かないという特殊体質なら、酒を飲んだとしても不思議ではないが、そんな話は聞いたことはない。

…だとしたら細工をしたのは信が口をつける杯の方・・・・・・・・・・だろうと、桓騎はすぐに答えを導き出した。

信が見ていない隙をついて杯に薬を盛ったのか、それとも杯を準備する段階から薬を仕組んでいたのか。

自分を出し抜くために策を企てた用意周到な蒙恬のことだから、後者の気がしてならない。そしてその場合、仲間の中に、杯を準備した協力者・・・がいることも考えられる。

元野盗の集団である配下たちのことを桓騎はよく知っていた。きっとその者に蒙恬が金目の物をちらつかせ、それを報酬として手渡すのを条件に協力を呼び掛けたに違いない。

その協力者には、後日厳しい制裁を与えるとして、今は信の身体から薬を抜かせることを考える。

酒と同じように、こればかりは大量に水を飲んで体外に流し出すしかないだろう。

「お頭っ、持って来たよ!」

飲み水の入った大きな水甕を両手で抱えたオギコが戻って来た。
もしもオギコがいなければ、信と蒙恬のいる部屋を隅々まで探し回っていただろうし、その隙に信が汚されてしまったかもしれない。

王翦軍から新たな馬を借りて走らせている間も、すでに信が蒙恬にその身を犯されているのではないかと思うと、気が気でなかった。

「…オギコ、よくやったな。偉いぞ」

「えっ?お頭に褒められたー!やったあー!」

水甕を台に置いたオギコが嬉しそうに目を細めた。

彼もこう見えて元野盗の一人なのだが、金目の物にはあまり興味を示さない男だ。素直で扱いやすく、愛着がある。

さすがに配下全員がオギコのような性格だと、それはそれで苦労しそうだが、桓騎は腹の内に黒いものなど何一つ抱えていない彼のことを気に入っていた。

オギコが部屋を出て行ってから、桓騎は寝台の上で信の体を抱き起こし、さっそく水を飲ませ始めた。

 

救出 その二

寝台の上で、信は桓騎に横抱きにされた状態で大量の水を飲ませられていた。

大きな水甕の中身がようやく半分になった頃、信が力なく首を振る。

「ん、んぅ…も、もう、飲めねぇ、よ…」

哀願されるが、桓騎は無慈悲にも水を汲んだ杯を彼女の口元に宛がう。

「飲め。薬を流すにはそれしかない」

きっと酒の酔いも合わさって、薬の効果は強く出ていることだろう。二日酔いの時のように、大量の水を飲んで排泄を促すことしか方法はないと桓騎は考えていた。

「も、ほんと、腹、いっぱい、だって…」

飲み終えたのは水甕の半分とはいえ、それでもかなりの量である。誰であっても全て飲むのは至難の業だろう。彼女の腹の膨らみを見れば、苦しがっているのも無理はなかった。

しかし、桓騎は新たに水を注いだ杯を容赦なく口元に宛がう。

「知らねえよ。とにかく飲め」

八つ当たりに等しい行為だと自覚はあった。

たとえ幼い頃から知っている蒙恬だったとしても、彼も立派な男だ。
これほどまでに手の込んだ策を企てるほど、信を手に入れようとしていたというのに、信は味方を疑うという警戒心が足りない。

もしもオギコが居なかったら、帰還中の王翦軍とすれ違わなかったら、確実に信は蒙恬に食われていただろう。想像するだけでも腸が煮えくり返りそうになる。

「ううーっ」

水を飲むのを拒絶しようと、信が目と唇をきゅっと閉じた。まるで苦い薬を嫌がる子どものようだ。

「ったく…」

飲まれなかった水が滴り落ち、顎から胸元まで濡らしてしまったので、桓騎は諦めて杯を離す。

やっと解放されたと言わんばかりに信が安堵の表情を浮かべている間に、桓騎は残りの水を口に含んだ。

今度は杯ではなく、桓騎の唇が押し当てられ、驚いた信は目を見開いて唇を薄く開いてしまう。

「ん、ふぅぅんッ!?」

何とか桓騎の体を押し退けようとするが、桓騎の唇が蓋の役割を担っているせいで、流れ込んで来た水を吐き出すことは許されず、信は泣きそうな顔で水を飲み込んだ。

「げほっ…桓騎、お前ッ…!」

涙目で睨みつけられるが、桓騎は肩を竦めるようにして笑った。

「まあ、これだけ飲んだなら大丈夫だろ」

自分を押し退けようとした両手には少しずつ力が戻って来ているし、一気に大量の水を飲んだこともあり、薬の効果はもう持続していないのだろう。これなら、明日動く分には差し支えなさそうだ。

明朝から撤退を始めることはオギコから聞いていた。どうせあとは撤退するだけなのだから、馬車の荷台に寝かせておいて良かったのだが、今回の蒙恬のこともあったし、できれば自分の目の届く場所にいてほしかった。

 

 

ようやく解放されたことに、信は長い息を吐いて、身体の芯から力が抜けてしまったかのように脱力した。

一度に大量の水を飲まされたことで、顔に濃い疲労を浮かべ、信がそういえばと桓騎を見やる。

「なあ、桓騎」

「ん?」

「…蒙恬は、なんで俺に、薬なんて盛ったんだ?」

桓騎の手から空の杯が滑り落ち、小気味良い音を立てて床を転がる。

「な、なんだよ…?」

まるで信じられないとでも言わんばかりの顔で視線を向けられて、信は狼狽えた。

「信…お前、それ本気で言ってんのか?」

冗談を言えるような女ではないと頭では理解しているものの、蒙恬の行動の意図が分からないと言った信に、桓騎は呆れを通り越して、呆然とするしかなかった。

信は、蒙恬から向けられている好意に、少しも気づいていなかったのである。

「………」

桓騎は自分の顎を撫でつけた。
ここで蒙恬が薬を飲ませて何をしようとしていたのかを告げるのは簡単だ。しかし、それは同時に信がこれまで気づかなかった蒙恬の好意を自覚させることになる。

異性として意識されていたのだと知れば、きっと信もこれからは蒙恬への態度を見直すことだろう。

しかし、信のことだから、自分に好意を持っている人間を無下には出来ないし、冷酷に遠ざけることなど出来るはずがない。

むしろ拒絶出来ないのを良いことに、蒙恬がまた信に襲い掛かるのではないかと危機感を抱いた。

あの男がそう簡単に信を諦めるとは思えない。信に好意を気づかれようが気づかれまいが、必ず手中に収めようとするはずだ。

「…お前に聞かれちゃまずい話をしてただけだ」

「ふうん…?わざわざ薬なんて飲ませなくても…」

苦しい言い訳ではあったが、半分は事実だ。それに、信自身はそれほど気にしていないようだったので、桓騎はそれ以上何も言わなかった。

(面倒だな)

こうなれば、一刻も早く信と婚姻を結ぶしか方法がない。

きっと蒙恬が此度の計画を企てたのは、信がまだ桓騎と婚姻を結んでいなかったからで、なおかつ邪魔者である桓騎が来ない絶好の機会を狙ってのことだったに違いない。

祖父の腹黒さを受け継いだあの男のことだから、信と桓騎が婚姻を結んだとしても諦めるとは思えない。

もしかしたら自分を亡き者にして彼女を手に入れようとするかもしれないし、可愛い孫の頼みとあらば、白老・蒙驁も容易に副官である桓騎を見放して、信が蒙家に嫁ぐように、あれこれ手回しをするかもしれない。

それはその時に考えるとして、今は彼女の無事を噛み締めようと、桓騎は信の体を強く抱き締めた。

 

思い出

桓騎がずっと抱き締めたまま放してくれないので、信は慰めるように彼の背中をそっと擦ってやった。

その手には先ほどよりも力が入っていて、目を覚ましたことと、大量に水を飲ませたことで薬が抜け始めていることが分かる。

「…寝てる間、ずっと、懐かしい夢見てたんだ」

抱き締められたまま、信は薄く笑みを浮かべていた。

「お前と出会った日、芙蓉閣に連れて行って、医者に診せたんだよ」

懐かしい思い出を夢で見ていたのだと、信が呟く。

「…生憎、そんな昔のことまで覚えてねえよ」

その言葉は半分本当であり、半分嘘だった。

どうやら信に拾われた時の話らしいが、その時の記憶にはところどころ靄が掛かっていて、覚えている部分とそうでない部分があるのだ。

朦朧としていた自分を、信が抱き上げてくれたことはかろうじて覚えているものの、その後の記憶は途切れてしまっている。

あの時は飢えと疲労で酷く衰弱していたし、雨に打たれ続け、指先まで凍えていた。
もしもあのまま信が助けてくれなかったら死んでいたに違いない。医者じゃない者でも分かるほど、当時は死ぬ寸前だったのだ。

次に覚えているのは、温かい布団の中で目を覚ました時だった。芙蓉閣へ保護されてから、五日も経っていたらしい。

自分の世話を任されていた芙蓉閣の者たちから、飛信軍の信将軍に保護されたという話を聞き、余計なことをしてくれたものだと立腹したのは覚えている。

あの雨の中で死んでしまった方が楽になれたに違いないと、桓騎は信じて止まなかったのだ。

その後、自分の様子を確かめるために、芙蓉閣を訪れた信に文句を言おうとして、言葉を失った。

―――桓騎、目が覚めたんだな。良かった。

世辞でもなく、本当に自分の回復を喜んでいるといった彼女の笑顔に、桓騎は文句を言おうとしていたことをすっかり忘れてしまったのだ。

そんな眩しい笑顔を見せられれば、余計なことをしやがってなんて、口が裂けても言えなかった。

思い返してみれば、桓騎はその時から、信のことを異性として意識していた。

それは命を助けられた恩ではなくて、単純にこの女を自分のものにしたいという、男の本能のようなものだったのだと思う。

当時のことを覚えていないという桓騎に、信が少し寂しそうに笑った。

「薬を飲ませてやったり、一緒に褥に入って身体を温めてやったのになあ」

「……はっ?」

桓騎がその言葉を理解するまでには、随分と時間が掛かった。

 

(薬の口移し?添い寝?)

慌てて記憶の糸を手繰り寄せるも、やはり思い出せない。どうやら意識がない時に、随分と信から手厚い看病を受けていたようだ。

信と初めて口づけを交わしたのは、彼女が風邪を悪化させた秦趙同盟の夜だとばかり思っていた。

まさか意識を失っている時に、彼女に薬の口移しをされていたなんて知らなかった。
さらには信自らが、素肌で冷え切った身体を素肌で温めてくれていたとは。

そんな貴重なことを断片ですら覚えていないだなんて、何て勿体ないことをしたのだと桓騎は自責した。

「なんで、たかがガキ一人にそこまで…」

つい愚痴のような口調で零してしまう。わざわざ問わなくても、桓騎はその答えを理解していた。

素性も分からぬ死にかけの子供を保護したのは、信に目の前の人々を救いたいという信条があるからだ。

あの雨の日に倒れていたのが自分でなかったとしても、きっと彼女は迷うことなく助けていただろう。

将軍という立場である信が手厚い看病までする必要はないのに、自らの手で目の前の人々を助けようとする。そんな彼女だから、多くの兵や民に慕われ、秦王からも厚い信頼を得ているに違いない。

そして、自分もそんな彼女だから、心を奪われたのだ。

「………」

桓騎に理由を問われた信は困ったように笑うばかりで、答えようとしない。

その反応を見て、桓騎は嫌な想像をしてしまった。愛おしさ余って独占欲が掻き立てられる分、心配が激しくなる。

「まさか、お前…俺の他にも保護したガキや女たちとも寝てたのか?」

「はっ?」

何を言っているのだと信が硬直する。

驚きのあまり言葉を失っている信を見て、桓騎の眉間に深い皺が寄った。

「…おい、お前は仕事として割り切ってるかもしれねえけどな、薬を口移しで飲ませて、人肌分け与えるなんて、そんな簡単に操売るような真似をしてんじゃねえよ」

「は、はあッ!?勘違いするなッ!」

低い声で説教じみたことを話すと、信がたちまち顔を真っ赤にさせて声を荒げた。薬を飲まされていたはずなのに、桓騎の言葉に怒りが込み上げたのだろう。

「他の奴らにはしてないし、それにッ、お、俺は口移しで飲ませたなんて言ってない!ちゃんと着物も着てたぞ!」

必死になって否定した信に、そういえば口移しをしたとも、素肌で温めたとも言っていなかったことに気づいた。それはただの桓騎の願望であった。

 

思い出 その二

(そういや…)

桓騎が知らなかったことと言えばもう一つある。
ふと、蒙驁から聞いた話を思い出した。

―――…ああ、そうじゃ。桓騎よ。縁談と言えば…。

それは桓騎がずっと知らなかった話で、しかし、信がずっと隠蔽していたらしい秘密である。

「…俺に届いてた縁談を、全部お前が断ってた・・・・・・・・・って、本当か?」

「えッ!?」

ぎょっとした表情を浮かべた信のその反応から、蒙驁から聞いた話が事実であると瞬時に理解する。

信の手配によって桓騎が蒙驁のもとへ身を寄せていた頃、初陣を終えてからみるみる知将の才を開花させていった桓騎のもとに、ひっきりなしに縁談が届いていた。

本来、縁談というのは両家の親同士で決めるものであるが、戦争孤児として身寄りのない桓騎には、縁談相手を自らで選ぶ権利があった。

知将として多くの武功を挙げていく桓騎が、今後も秦国で活躍をすることを見込んでいた家系が多いのだろう。届いた縁談はそれはものすごい数だったという。

桓騎に届いた縁談は、彼が付き従っていた蒙驁を経由して届いていた。

しかし、身内というわけではなく、副官として桓騎を傍に置いている蒙驁は判断に迷い、桓騎の縁談については保護者同然である信に任せたのだという。

きっと信のことだから、届いた縁談話に目を通すことなく「お前が決めろ」と全て丸投げするに違いないと、蒙驁の話を聞いた時、桓騎は考えた。

しかし、桓騎のもとに届いた縁談話が返って来ることはなかった。

つまり、信が桓騎の縁談を全て断ったということで、そしてそれが事実なら、信が桓騎を結婚させたくなかった・・・・・・・・・・・・・・・意志があったということになる

長年付き従っている白老は、冗談は言っても嘘は言わぬ男であった。

しかし、昔からずっと自分からの好意を適当にあしらっていたはずの信がそんなことをするはずがないと、蒙驁の話を聞いても、桓騎は半信半疑だったのである。

だが、どうやらそれは蒙驁の言う通り、事実だったことを確信し、桓騎の頬はみるみるうちに緩んでいく。

「あっ、いや、あれは、その…違うッ」

桓騎にからかわれまいと、信があたふたと言葉を紡いだ。

嘘が吐けないのは、この世の中を生き抜く上で損な性格だと思うが、信に限っては愛おしさしか感じられない。

顔を赤らめていくのがまた愛らしくて、桓騎は彼女の体を思い切り抱き締めてしまう。

「ど、どうせ断っただろ?なら、お前が断ろうが、俺が断ろうが、変わりないだろっ」

桓騎の腕の中で開き直ったかのように事情を始めるが、言い訳をすればするほど墓穴を掘っていることに信は気づいていないらしい。

「ふうん?」

ますます口角がつり上がってしまい、桓騎は懸命に笑いを噛み堪えていた。

 

「…聞いてもいねえのに、なんで俺が縁談を断るって分かってたんだ?一人や二人くらい、気に入る女がいたかもしれねえだろ」

届いていた縁談のほとんどは貴族の娘や、秦王の傍に仕えている高官の娘だったという。

知将の才を発揮した戦での活躍、それに加えて、街を歩けば女性からたちまち黄色い声を上げられる端正な顔立ちをしている桓騎に、下賤の出であることは目を瞑る娘たちは多かったらしい。

蒙驁の話を聞く限り、どれだけの縁談が来ていたのかは知らないが、とても指で数えられるほどではなかったのは明らかだ。

もしかしたら気に入る縁談があったかもしれないのに、桓騎が縁談を全て断ると確信していた信の気持ちを追求すると、彼女は困ったように顔を赤らめて眉根を寄せた。

「そ、それ、は…」

その反応に、信もその頃から自分と同じ気持ちでいてくれたのだろうと自惚れてしまう。

きっと桓騎は、縁談を全て断り、最終的には自分を選ぶ。
傲慢にも思えるが、信がそう思ってくれていたのかと、考えるだけで堪らなく愛おしさが込み上げた。

愛情には底がないということを、信と関わる中で初めて知った。…憎しみにも底がないということは、李牧と関わって知ったのだが。

「あ、あの時は、まだ、お前も将として未熟だったし、将軍昇格に向けて、武功を挙げている時だったから…その、邪魔にならないようにって…」

さっさと認めれば良いものを、小癪にも私情は挟んでいないと訴える信に、桓騎は素直じゃないなと苦笑を深めた。

そういう素直じゃないところも彼女らしいと思うのだが、たまには信の素直な気持ちが聞きたいと思い、桓騎は意地悪な質問をすることにした。

「…なら、今届いてる縁談には、お前は一切口を出さねえってことだな?」

「えっ」

信が呆気にとられたような表情になる。
桓騎のもとに届いていた縁談を信が断っていたのは、将軍に昇格する前だ。蒙驁の副官ではあったものの、一応、桓騎の立場は信の管轄下にあった。

その後、桓騎が将軍昇格をした途端、それまでのことが嘘だったかのように、縁談話が雪崩れ込んで来て、今まで一つも来なかった縁談が大量に届いたことで、大層戸惑ったことを覚えている。

恐らくは、桓騎が将軍に昇格したことで地位が確立し、蒙驁や信を経由しないで縁談が届くようになったのだろう。

しかし、自分の元へ直に縁談が届くようになったとしても、桓騎はそれをずっと断り続けていた。

信以外の女と結婚なんて、考えられるはずがなかったからだ。

 

後編はこちら

おまけ小話①過去編「宴の夜」(3600文字程度)はぷらいべったーにて公開中です。

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平行線の交差、その先に(桓騎×信←蒙恬)中編①

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/蒙恬×信/年齢操作あり/年下攻め/ギャグ寄り/甘々/ハッピーエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

前編はこちら

 

桓騎の嘘と心配事

「信、その人に騙されちゃだめえーッ!」

部屋の外で待っていたはずのオギコが飛び込んで来た。

「オギコッ?ど、どうしたんだよ」

本当に野盗だったのかと疑うほど、オギコの円らな瞳に涙が浮かんでいたので、信は驚いた。隣で小さな舌打ちが聞こえたが、きっと気のせいだろう。

オギコに両肩を掴まれて、信は体をがくがくと揺すられる。

「信!浮気したらお頭が悲しむよ!お頭が泣いちゃうよ!?」

「う、浮気ぃッ?」

まさかオギコの口からそんな物騒な言葉が出て来るとは思わず、信は眉根を寄せた。

どこから話を聞いていたのかは知らないが、妙な誤解をされては堪らない。

確かに蒙恬の妻になる話をしていたが、それはあくまで蒙驁を安心させるための単なる偽装工作だ。本当に婚姻を結ぶわけではない。

しかし、オギコはこちらの話を聞く素振りを見せず、蒙恬を指さした。

「その人っ、ずっと前からお頭が嫌いって言ってた!信のこと狙ってるって!」

「え、俺?」

まさかオギコからそんなことを言われると思わなかったのだろう、蒙恬が呆気にとられた顔を浮かべる。

同じく呆気に取られている信の腕をぐいぐいと引っ張り、オギコはまるで蒙恬から守るように自分の背中に隠そうとした。

「信は強くても騙されやすいから心配だって、お頭いつも言ってたよ!特にその人は危ないって!」

「え?え?」

まさかここに来て、桓騎が自分の心配を、それも蒙恬から騙されるのではないかということを話していたと知り、信は困惑した。

いつも戦況を手の平で転がしているあの桓騎でも、心配事を口に出すことがあったのかと驚いていると、蒙恬が困ったように苦笑を深めた。

「心外だなあ。俺が信将軍を騙すと思われてるだなんて」

やれやれと肩を竦めながら蒙恬が笑うものだから、信も同じようにオギコに呆れた笑みを浮かべた。

「そうだぞ、オギコ。蒙恬が俺を騙すなんて、そんなことするワケねーだろ。今は、その…作戦会議してたんだ。悪いが、話は後でな」

さすがに最初から説明するのは面倒だったし、オギコが全てを理解するとは思わなかったので、信は適当に話を終わらせることにした。

しかし、オギコは信の腕を掴んだまま離さない。

「オギコ?」

なおも引き下がろうとしない態度に、信は珍しいなと目を丸めた。

「信!騙されちゃダメ!信は、お頭のお嫁さんになるんだからッ!」

真面目な顔でオギコがそう言い放つものだから、信は頭がくらくらとした。

(桓騎のやつ、オギコになんつー話をしてんだよッ…!)

昔から桓騎が自分に想いを寄せているのは知っていたが、まさかそれを仲間たちにも話しているとは思わなかった。

円らな瞳に涙を浮かべているオギコに真っ直ぐ見つめられると、信の良心がぐらぐらと揺れてしまう。

オギコが蒙恬を敵視したまま引き下がらないので、信は仕方ないと頷いた。
きっと自分と蒙恬が二人でいる限り、オギコは心配してここから立ち去らないだろう。

「あー…それじゃあ、蒙恬は王翦軍の補佐を頼む」

こちらの制圧手続きは摩論が取り仕切っているので、二人でいたところで特にやることはないのだ。撤退の準備も城の制圧手続きが終わらない限りは始められない。

王翦軍の方は、王翦を慕う優秀な配下たちによって制圧手続きをしているだろうが、主が不在である分、なにかと指揮を必要としているかもしれない。

蒙恬は王翦よりも立場は下だが、優秀な知将であると秦国で評価されている。信からの命令だと言えば、王翦の配下たちも嫌な顔をすることなく指揮を任せてくれるだろう。

しかし、蒙恬は不思議そうな顔で小首を傾げていた。

「え?王翦将軍なら、制圧手続きを終えて、すでに撤退をしているようでしたけど…」

「…はっ?」

 

王翦がすでに撤退を終えていると聞き、今度は信が小首を傾げる番だった。

「間違いないのか?」

「ええ。俺が到着する前には・・・・・・・・・、すでに撤退を終えているようでした。道中すれ違ったので、間違いないかと」

鈍器で頭を殴られたような衝撃に、信は思わず座り込んでしまいそうになった。

「桓騎の野郎…わざと声掛けなかったな…!」

副官の二人で蒙驁の見舞いに行くように伝えた時、桓騎は王翦には自分から声を掛けると言った。しかし、蒙恬の証言によると、王翦自身が制圧と撤退の指揮を取っていたという。

どうやら桓騎は彼に声を掛けずに蒙驁のもとへ行ったらしい。きっと桓騎のことだから面倒臭がったに違いない。

危篤の報告は王翦にも送られていたようだし、帰還後に見舞いに行ってくれるならと思ったが、今はそれよりも桓騎が自分に嘘を吐いたことが許せなかった。

しかし、過ぎてしまったことを悔やんでも仕方がない。
桓騎へのお説教は帰還後にするとして、今は目の前のことに集中しなければ。

信は溜息を吐いてから蒙恬に向き直った。

「こっちは今、摩論が仕切ってんだ。せっかく来てもらったのに、悪いが…」

今は特にやることがないのだと申し訳なさそうに信が告げると、蒙恬はにっこりと人の良さそうな笑みを浮かべた。

「いえ、信将軍と一緒にいられれば、それで」

端正な顔立ちである蒙恬に笑顔でそんな甘い言葉を囁かれれば、女なら確実に心を奪われるだろう。

しかし、信の心は微塵も揺らぎはしなかった。
信の鈍さはある意味、長所であるが、それは裏を返せば短所にもなり得る。桓騎が危惧していたのはそこだった。

甘い言葉を囁けばすぐに女を落とせる蒙恬が、唯一信だけは落とせない。それは蒙恬の勝負心に火を点けてしまう。

いずれ蒙恬が強硬手段に出ると睨んでいた桓騎は、蒙恬と信を二人きりにさせる訳にはいかなかったのである。

謙虚さとは異なるかもしれないが、とにかく、信は自分のこととなると自覚が足りない。それが危ないのだと桓騎が愚痴を零していたのをオギコがよく覚えていたことが幸いしたのだった。

桓騎以外の仲間たちにもバカだと罵られるオギコではあるが、こう見えて物覚えは良い方なのである。

「ねえ、信!やっぱりこの人危ないよ!お頭がこの人と信を二人きりにさせたらダメって言ってたの、オギコ、聞いてたもん!」

「あのなあ、オギコ…」

困ったように信が頭を掻く。
決してオギコを信頼していない訳ではないのだが、いきなりそんなことを言われても困ってしまう。

「信将軍、お待たせしました」

ちょうどその時、制圧手続きを終えた摩論が部屋にやって来た。
蒙恬の姿を見て、なぜ彼がここにいるのかと驚いていたものの、彼はまず報告を始める。

「提出する書簡の準備も終わりましたので、明日の早朝に出立しましょう」

「はあッ!?明日の朝だとッ?」

数日待たされた上に、まさか今夜もここで一夜を明かすことになるとは思わず、信はつい声を荒げた。

しかし、摩論は冷静に相槌を打つ。

「ええ。もう日が沈み始めていますし、今から出立準備を行えば、夜になってしまいます。明日の朝から出立準備を始めるのが適切かと」

窓を見れば、確かにもう日が沈み始めている。そういえば蒙恬がここに到着した時にはすでに日が傾き始めていた。

夜に野営をするには様々な危険が伴うものだ。
当然だが、陽が沈むと視界が悪くなる。あとは秦へ帰還するだけとはいえ、移動には不向きな時間帯となる。

魏軍からの奇襲の心配はないとしても、夜間の冷え込みを軽視するわけにはいかない。負傷した兵たちに酷な環境で休養を取らせることになってしまう。

諦めて朝まで待てという摩論の言葉に、信は歯がゆい気持ちに襲われた。

蒙驁のことが心配だし、桓騎がちゃんと彼の見舞いに行けたのかも気になるが、自分がいかに焦ったところで、確かに今から撤退を始めるのは現実的ではない。

「…分かった。明朝にここを発つぞ。全員に伝えろ」

「畏まりました」

信は諦めて、今夜もこの城に留まることを決めた。

明日ここを発つとして、秦に帰還するまでにはまた数日掛かる。
帰還したら蒙驁のところに顔を出したいが、桓騎にも説教をしなくてはならないなと考えた。

 

焦燥と苛立ちに険しい表情を浮かべていた信だったが、摩論の美味い手料理で腹を満たすと、すぐに機嫌は良くなった。

腹が満たされれば機嫌が良くなるだなんて、我ながら単純だと思ってしまう。

報告を受けた後から、摩論がやけに気前良く接して来たので、信はてっきり制圧手続きが遅くなったことを許してもらおうとしているのだと疑わなかった。きっと城の中に、金目の物をたくさん見つけたのも、彼の機嫌が良い理由だろう。

本来ならば手に入れた物資は、価値に関係なく上に報告しなくてはならないのだが、信は仕方なく目を瞑ることにした。

いくら桓騎の管轄下にあったとしても、元野盗の連中で形成されている軍だ。時には卑怯な手を使って金品を奪うこともあることを信は知っていた。

もしもこれが制圧した城ではなく、魏の民たちが住まう村から強引に押収していたとなれば、信も黙ってはいなかっただろう。

「信将軍。食後にこちらをどうぞ」

酒瓶を差し出され、信はまさかここで酒が飲めることになるとは思わず、目を見張る。

「地下倉庫に保管されていました。どうやら地酒のようでして、お頭も大層気に入っておりました。どうぞこの機にご賞味あれ」

「おう」

酒瓶を渡されて、信はすぐに受け取った。
大した働きはしていないが、制圧手続きが終わるまで大人しく待ってやったのだから、これくらいの気遣いは受け取ってやろうと、信は上機嫌になる。

「あ、いいなあ」

蒙恬がもの欲しそうに酒瓶に視線を向けている。
目が合うと、蒙恬は慌てて口を閉ざし、何事もなかったかのように咳払いをして取り繕っていた。

「お前も飲むか?」

酒瓶を手に取りながら気さくに誘いを掛けるが、蒙恬は困ったように眉根を寄せている。

桓騎と違って、自分の立場をよく心得ている蒙恬は、安易に信からの誘いを承諾出来ないのだろう。

次の戦で武功を挙げれば蒙恬も五千人将だが、それでも将軍である信よりも下の立場だ。
しかし、幼い頃は無邪気に自分に絡み付いて来た少年の頃に比べると、蒙恬も立派に成長している。

軍師学校を首席で卒業したという話を聞いた時は、自分のことのように喜んだものだ。懐かしい思い出につい頬が緩んでしまう。
いずれは自分と肩を並べて戦に出る日も近いだろう。

「どうせもう、あとは帰還するだけなんだ。そう畏まるなよ」

信がそう言うと、蒙恬は少し悩む素振りを見せてから、甘えるように上目遣いになった。

「…じゃあ、お言葉に甘えて」

にやっと蒙恬が口角をつり上げる。

「信と一緒に飲むなんて、久しぶりだね?前の祝宴以来だっけ」

「ああ、そうだな。あの時は介抱させちまって悪かったな」

祝宴で酒の失敗をしたことを思い出し、信は照れ臭そうに笑う。

「ううん。あの時の信、面白かったよ」

将軍という呼称をつけず、敬語もなしに会話をするのは随分と久しぶりだった。

李牧率いる合従軍との激しい防衛戦の後は、被害を受けた城や領土の修繕と療養に専念していたため、祝宴は行われなかった。

深手を負った信もずっと屋敷で療養していたため、酒を飲むのも久しぶりで、つい上機嫌になってしまう。

 

 

二人分の杯を摩論に用意してもらってから、蒙恬は笑顔で信に酒を注いだ。

ちょうど喉が渇いていたのもあって、蒙恬が自分の杯に酒を注ぐのを待たずに信は杯を呷った。

「…おっ、美味い酒だな」

倉庫で見つけたという地酒は、清涼感を感じられるすっきりとした味わいのものだった。後味に独特な苦味を覚えたが、口当たりが軽いせいか、飲みやすい印象がある。

しかし、酒を流し込んだ喉がじんわりと熱くなったので、それなりに強い酒なのだろう。飲み過ぎないように気をつけた方が良さそうだ。

「うん、これは味わい深いね」

向かいの席に座っている蒙恬も、美味そうに杯を呷る。
あっと言う間に空になってしまった杯におかわりを注ぎながら、信は夕食の感想でも語るような、さり気ない口調で蒙恬に問い掛けた。

「で?本当は何しに来たんだよ」

 

 

驚いたように蒙恬が顔を上げる。

「…何のこと?」

わざとらしく聞き返されたので、信は肩を竦めるように笑った。

「別に話したくないなら良い」

こちらも興味がある訳ではないと素っ気なく返し、信は酒を口に運んだ。

蒙驁が危篤状態を脱したとはいえ、蒙恬にとって大切な祖父であることには変わりない。
いつ何が起きても看取りが出来るよう、傍についてやれば良いのに、蒙恬が自分の補佐をするためだけに、わざわざやって来たとはとても思えなかったのだ。

屋敷に来るような距離ではなく、魏の敵地まで来るのだから、何か相当な理由があるに違いないと信は睨んでいた。

そしてそれが蒙驁を安心させるために、蒙恬の妻のフリをするという頼み事でないことも分かっている。

あれはきっと自分をからかっただけだろう。オギコが止めに来てくれなかったら、蒙恬の口から種明かしをされると信じて疑わなかった。

「………」

何かしら自分の協力を必要としているのかもしれないと思っていたが、蒙恬は困ったような笑みを浮かべるばかりで、何も答えようとしない。

気のせいならそれでいいし、いずれ本当に手が必要になったのなら、その時はきっと蒙恬の方から話し始めるだろう。あまり深く考えないことにした。

「…桓騎と結婚するの?」

まさかここで桓騎の話を、しかも婚姻の話題を投げ掛けられて、信は大きくむせ込んだ。酒が引っかかった喉が焼けるように熱くなる。

「いきなり、何の話…!」

どうにか呼吸を整えながら蒙恬を睨みつける。
しかし、いつものような薄い笑みはそこになく、まるで体の一部が痛むかのような顔で、じっと信のことを見つめていた。

そんな痛ましい表情をしている蒙恬を見るのは初めてのことで、信は呆気にとられた。

「蒙恬?」

空になった杯を机に置くと、蒙恬は静かに手を動かして、信の手を上から包み込むように握って来た。答えるまで逃がさないとでも言っているかのようだ。

「…分かんねえよ」

抵抗のつもりで、信は視線を逸らす。しかし、答えをはぐらかした訳ではない。本当に分からないのだ。

今の関係になるより、もっと以前から桓騎から求婚はされていたのだが、適当にその話を流して、返事をずっと先延ばしにしていた。

信の生きる道が将という道しかないことも桓騎は受け入れており、自分の妻になったとしても、将の座を降りる必要はないと言われた。

子を成すこともないのなら、婚姻を結ぶ意味などないと思っていたのだが、桓騎としては自分たちの関係に正式な名前が欲しいらしい。

李牧とのことがあってから、求婚される数と頻度が増えたのはきっときのせいではない。
嫉妬深い彼のことだから、自分の妻という名目をつけることで、虫除けをするつもりなのだろう。

しかし、信が彼の求婚を承諾しないことには理由があった。

戦以外何も知らぬ自分は、これからも幾度となく命の危機に晒される。そんな女を妻に迎えても、良いことなど一つもない。

親友の嬴政が中華統一の夢を果たすまで、簡単にやられるつもりはないのだが、李牧と再会してから弱気になってしまうことがあった。

王騎を討ち取るほどの軍略を企てた李牧に、勝てるのだろうかと不安が耐えないのだ。

李牧率いる合従軍が秦を滅ぼそうと侵攻して来たのは、そう遠い昔の話ではない。

秦趙同盟で再会をした時に、李牧が趙へ来いと言ったのは、秦がいずれ滅びる未来を予言してのことだった。李牧と決別をしても、絶対にこの国を守り抜くと心に誓っていたが、合従軍の侵攻の伝令が聞いた時は愕然とするしかなかった。

防衛は成功に終わったが、もしも山の民の救援がなかったのなら、蕞は敵の手に落ち、あの戦いで嬴政の首も奪われていただろう。

あの戦いで、信は李牧の揺るぎない意志を目の当たりにした。次に同じようなことが起きれば、果たして自分は国を守り切れるだろうか。

合従軍の侵攻があってから、信は心の中で不安を抱えており、桓騎からの求婚の返事を考えられずにいたのだ。

 

仕組まれた罠

「信?」

声を掛けられて、信ははっと我に返った。

急に押し黙ってしまったこと彼女に、蒙恬が不思議そうに小首を傾げている。
何でもないと返し、信は蒙恬に握られていた手をさっと離した。

「桓騎のこと、考えてた?」

こちらの反応を少しも見逃さないと言わんばかりの眼光を向けられる。

「いや…」

敵の宰相、それも合従軍を率いて秦に攻め込んで来たあの男と過去に繋がりを持っていたことは、そうやすやすと打ち明けられるものではない。下手をしたら密通の疑いを掛けられてしまう。

もちろん自分を全面的に信頼してくれている仲間たちが、簡単に謀反の疑いを向けて来るとは思えないが、王騎を討ち取った軍略を企てた男と関係を持っていた事実を快く思わない者たちだっているだろう。

「ふうん?」

追求されることはなく、蒙恬は大人しく引き下がってくれた。
そのことに安堵していると、急に瞼が重くなって来て、信は反射的に目を擦った。

「ふあ…」

堪えようと思ったのに、大きな欠伸が出てしまう。程良く酒が回って来たのだろう。

「信将軍、もうお休みになった方がよろしいのでは?」

眠そうにしている信を見て、蒙恬が気遣うように声を掛けてくれた。
先ほどまでは砕けた口調で会話をしていたというのに、急に蒙恬が礼儀正しい口調に切り替わったことに苦笑を深める。

桓騎も蒙恬のように、こういった立場の使い分け・・・・・・・を上手く出来るようになってもらいたいものだが、あの性格はきっと生まれ持ってのもので一生変わることはないだろう。

「…そうだな。明日は早いし、そろそろ休むか。お前も休めよ」

「はーい」

間延びした返事を聞いてから立ち上がった途端、

「ッ…!」

目の前がくらりと揺れて、信は咄嗟に机に手をついた。

「大丈夫?」

こちらに駆け寄って来た蒙恬が、心配そうに顔を覗き込んで来る。
口にした時から強い酒だと分かっていたので、飲み過ぎないように気をつけてはいたのだが、一気に酔いが回ってしまったのかもしれない。

「…、…ぁ、…っ…?」

心配させないよう、何ともないと言おうとして、信は舌のもつれを自覚した。
口が上手く回らず、舌に僅かな痺れを感じる。

(何か、おかしい…)

身体に上手く力が入らず、信はずるずると椅子に座り込んでしまう。自分の意志と反して脱力してしまう身体に、信は違和感を覚えた。

(なんだ?何が起きてる?)

舌の痺れだけでなく、身体の芯から力が抜けたように、信は机に突っ伏してしまう。

瞼は変わらず重い。酔いが回ったせいで眠気が来たのかとも思ったが、舌の痺れや脱力感から察するに、酔いが原因ではないことは明らかだった。

「…信。動けないなら、運んであげる」

動けずにいる信を見下ろしている蒙恬は、やけに楽しそうな・・・・・・・・声色だった。

こちらはまだ何も答えていないというのに、動けないことを知っているかのような言葉に、信は警戒する。

しかし、背中と膝裏に手を回されたかと思うと、簡単に身体を横抱きにされてしまう。

「ほら、ゆっくり休んで?」

部屋の奥にある寝台に身体を寝かせられると、もう休んで良いのだと体が訴え始め、信の睡魔はますます重くなって来た。

「…蒙、恬…ッ…?」

気を抜けば目を閉じてしまいそうなのを何とか気力で堪えながら、信はどうにか蒙恬を睨みつける。

もつれた舌で名前を呼ぶと、彼は驚いた顔をしていた。

「まだ起きていられるんだ?すごいね」

彼の独り言を聞きつけ、それが何を意味しているのかを考えるが、頭も働かなくなって来た。

こうなれば自ら痛みを与えて、強制的に睡魔を遠ざけようと、信は腕を動かす。太腿に爪を立てようとしたのだが、蒙恬は軽々とその手を押さえ込んだ。

「眠っていいよ、信。その方が俺も心が痛まないし。押さえつけて無理やり犯す趣味はないから」

「っ…」

言葉の半分も理解出来ないまま、信は瞼を下ろしてしまう。視界が真っ暗になった途端、たちまち睡魔によって、意識が塗り潰されていく。

「…そうだ。本当は何しに来たか、教えてあげるね」

蒙恬の指がそっと信の前髪を梳いた。

「夜這いってところかな?」

その声はもう、信の意識には届いていないようだった。

 

 

「…信?」

名前を呼んでみたが、もう彼女の意識には届いていないようで、返事はない。代わりに静かな寝息だけが聞こえた。

確実に眠っていることを確認してから、蒙恬は一度寝台から離れると、扉の方へ向かう。

途中で邪魔が入らないように、扉にかんぬきを嵌め、準備が整ったと言わんばかりに目を細める。

再び眠っている信のもとへ近づいた蒙恬は、手を伸ばして、彼女の頬に触れた。

「あーあ、もう泣き落としは効かなくなっちゃったか。昔はこれで楽勝だったのになあ」

幼い頃だったならば、信はきっと騙されてくれただろう。
泣き落としも演技だと気づかれているのなら、多少強引な手段で落とすしかない。

(まさか桓騎に先を越されるとはね…)

名前を口に出すのも腹立たしいくらいだが、信が桓騎と恋仲になったのは事実だ。

素性も分からぬ下賤の出であるあの男は、保護してくれた信のことを随分と慕っていた。生意気にも彼女を娶ろうとしており、蒙恬はずっと昔から阻止しなくてはと考えていた。

桓騎が信に惚れ込んでいるように、蒙恬だって桓騎が信と出会うよりも、もっと前から信に想いを寄せていたのである。

自分の方が桓騎よりも長く一緒にいたのに、蒙恬はどうして信があの男を選んだのかが今でも分からなかった。

素性が分からないとしても、信が目の前で困っている人々を放っておけないたちであり、桓騎も彼女に助けられた多くの人々の中のたった一人に過ぎない。

信も桓騎のしつこさには困っているように見えたし、彼からの好意を軽くあしらっている姿を見ていたので、二人が結ばれることはないと過信していた。

しかし、秦趙同盟の後に二人はめでたく結ばれ、その噂が大いに秦国で広まった時、蒙恬はあまりの衝撃に眩暈を起こしてしまった。

こんなことになら、早々に行動をして関係の発展を阻止しておくべきだったと後悔している。

それでもまだ、蒙恬には一つだけ勝算が残されていた。

 

蒙恬の勝算

これが卑怯な方法であることは、蒙恬はもちろん理解していた。

一生信に嫌われることになり兼ねないこと分かっていたし、それでも蒙恬がこの卑怯な方法を実行に移したのは、他でもない信を手に入れるためである。

「ごめんね、信」

薬で眠っている彼女に謝罪するものの、その口角は僅かにつり上がっている。
罪悪感で良心が痛まない訳ではなかったし、信に嫌われることは極力避けたい。しかし、それよりも彼女を手に入れる報酬の方が大いに価値があった。

(俺の方が、桓騎よりずっと長く一緒にいたのに)

つい愚痴のように零してしまう。共に過ごした時間で言うならば、明らかに桓騎より自分の方が長い。

幼い頃、ようやく自分の足で立てるようになった頃から、信とは面識があった。

王騎の養子として引き取られた信は、時々蒙家の屋敷に訪れていたのである。

父の蒙武と、信の養父である王騎はあまり仲が良くなかった。
冗談を言って相手をからかうことが大好きな王騎の性格と、いつだって武に一途である蒙武の性格と単純に馬が合わないらしい。

それゆえ、王騎から蒙武に何か言伝がある時は、よく信が駆り出されていたのである。王騎自身も蒙武をからかい過ぎてしまうという自覚があってのことだったのだろう。

伝令に任せれば良いものを、王騎が信に言伝を頼んでいた理由は、蒙恬も聞いたことがないのでよく分かっていない。

父である蒙武が本能型の将であることから、彼と関わる機会を少しでも作ることで、王騎は娘の信に何かを学ばせようとしていたのかもしれない。

信のことは蒙武も嫌悪している様子はなかったし、言伝も素直に聞いているようだった。それから考えると、やはり信に使いをさせたのは、王騎に考えがあってのことだったのだろう。

王騎が討たれた今となってはそれが何か知る由もないし、以前酒の席でそれとなく信に尋ねた時も、彼女は知らないと言っていた。

理由が何であれ、王騎のおかげで、信は蒙家の屋敷に顔を出してくれて、蒙恬は彼女に想いを寄せるようになっていたのである。

 

…それが気づけば、桓騎という男に信の心が盗まれてしまっていた。

芙蓉閣という信が立ち上げた保護施設があり、そこは行き場のない女子供の避難所である。桓騎は信に保護された戦争孤児だという。

信が身寄りのない子供を保護するのは別に珍しいことでもないし、桓騎が特別な存在になるとは予想もしていなかった。

調査によると、桓騎は保護された幼少期からずっと信に好意を寄せていたという。

将軍としての執務もあり、頻繁に芙蓉閣に訪れることが出来ない信を呼び出すために、あれこれと問題を起こしていたらしい。

とっとと追い出せば良いものを、信は桓騎に説教をするために、将軍としての執務を投げ出してまで芙蓉閣に赴いていた。それを分かった上で、桓騎は騒動を起こしていたのだ。

聞けば聞くほど、桓騎は幼少期から聡明な頭脳を持っており、信との時間を作るために様々な策を仕掛けていたようだ。

蒙恬が桓騎の存在を知ったのは、祖父の蒙驁の副官として彼が採用されてからである。

それまでは桓騎の存在どころか、彼が信に好意を寄せていて、熱心に彼女の心を掴もうとしていることなんて微塵も知らずにいた。

思えば、その時に邪魔をしていれば、信の心は桓騎のもとに渡らなかったかもしれない。

当時の自分は桓騎よりも幼かったとはいえ、名家の嫡男である立場を鼻にかけていて、信のことも手に入れられるという根拠のない自信を持っていたのである。

それがいざ、蒙恬が初陣を済ませた頃には、彼女は桓騎のことを男として意識をし始めていた。

二人が正式に交際を始めたというのはつい最近の話であるが、桓騎がずっと信のことを愛していたように、信も少しずつ桓騎に心を傾けていたことを蒙恬は気づいていたのである。

信自身は自覚がなかったようだが、物思いに耽るように、遠目で桓騎のことを見つめている姿を何度も見たことがあった。

桓騎を通して別の誰か・・・・を思い浮かべているのか、それとも純粋に桓騎のことを異性として意識しているのか分からなかったのだが、二人が結ばれた今となっては後者であったことが分かる。

仮に前者だったとしても、桓騎を通して信が思い浮かべていた誰か・・は、きっと自分ではない。

それは普段、信が自分に接してくれる態度から、嫌でも認めざるを得なかった。

 

それでも、蒙恬はどんな手を使ってでも信のことを手に入れたかった。

卑怯だと罵られようが、信に嫌われることになろうが、最終的に彼女がこの腕の中にいれば良い。

桓騎は自分に引けを取らぬほど独占欲が強い男だ。
オギコの話を聞く限り、きっと自分が信を手中に収めようとしていることには勘付いている。だからこそ、桓騎という邪魔がいない間にことを進める必要があった。

信を手に入れるためならば、何だって利用する。祖父の蒙驁でさえもだ。
偉大なる父を持つ自分の腹の黒さは、一種の才能かもしれないし、祖父から受け継いだものかもしれなかった。

信は元下僕出身だが、これまで多くの人々と関わって来た情があるのか、家族の話を持ち出されることに弱い面がある。そこを突けば彼女の心は簡単に揺らぐのだと蒙恬は予想していた。

下賤の出であるものの、将軍にまで這い上がった実力を持つ信が蒙家に嫁ぐことになれば、蒙驁だけでなく家臣たちも喜ぶことだろう。

信の養父である王騎が生存だったなら話はまた違ったが、彼女に後ろ盾がない今だからこそ成し遂げられる策だった。

―――だからこそ、信を自分の妻にする前に、先に母親・・にしてしまえばいい。

たかが一人の女を手に入れるために、これだけの策を練ることになった自分の余裕のなさには苦笑するしかない。

今まで相手にして来た女性たちと信は、何もかもが違うのだ。手に入れる方法が異なるとしても、それは仕方のないことだろう。

蒙恬は自分にそう言い聞かせて、眠っている信の額に唇を落とした。

 

中編②はこちら

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平行線の交差、その先に(桓騎×信←蒙恬)前編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/蒙恬×信/年齢操作あり/年下攻め/ギャグ寄り/甘々/ハッピーエンド/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

このお話は「平行線の終焉」の桓騎×信の後日編です。

 

 

恩人

このお話の本編はこちら

 

芙蓉閣にいた時、飛信軍の副官になれば、信を守ることが出来ると桓騎は疑わなかった。

しかし、残念ながらそれは、彼女自身に阻止されることとなる。

体力試練も受けずに飛信軍に入るのは、贔屓だの縁故採用だと言われてしまうからと話していたが、本当にそれだけだったのだろうか。

自分に告げた理由の他に、何か別の理由があったのではないかと、桓騎は彼女と結ばれた今になってから考えるようになっていた。

 

 

白老・蒙驁の容体が優れないという。

山陽の戦いで廉頗と派手にやり合って左腕を失い、合従軍との防衛戦にも力を尽くした。年齢もそうだし、無事でいる方が不思議なくらいだ。

いよいよ死期が近づいているのかと、桓騎は腹を括ることにした。

蒙驁の容体が優れないという報告は魏の慶都に入ってから聞いていたのだが、引き返して見舞いにいくようなことはしなかった。

今さら自分が顔を出したところで、人の死期というものは変えられない。この汲の城を落とすことで、白老への手向けにしてやろうと考えたのである。

副官として彼に貢献はして来たが、会いたがっている訳でもないだろうし、きっと王翦も自分と同じで見舞いなど行かないだろう。

白老と親しまれた彼のことだから、身内や多くの家臣たちに見送られるに違いなかった。最期に立ち会うのは、彼と共に過ごした時間が長い者たちが相応しい。

汲の城を落とした後、制圧の事後処理を側近たちに任せ、手に入れたばかりの城の一室で、桓騎が優雅に酒を煽っている時だった。

「お、お頭!大変!大変だよ!」

いつも落ち着きのないオギコが普段以上に慌てながら、血相を変えて本陣に駆け込んで来たのだ。

「どうした、オギコ」

桓騎は視線だけをそちらに向けた。

城の制圧は終えているし、敵兵も大方片付けている。他に何か問題になるようなことがあるとすれば、敵の増援だろうか。

王翦の方も城を落としたという報告は聞いていたし、今さら二つの城を取り戻すために魏軍が兵を割くとは思えなかった。

「何でか分からないんだけど、信が来たの!もうそこまで来てる!」

「信が?」

突然の訪問者に戸惑っているのはオギコだけではなく、他の兵たちもだった。

そしてまさかここで信の名前を聞くとは思わず、桓騎自身も呆気にとられてしまう。

此度の侵攻戦に出陣したのは桓騎軍と王翦軍だ。飛信軍は出陣を命じられていない。
それに、李牧率いる合従軍との防衛戦に勝利してから、信はずっと自分の屋敷で療養しているはずだった。

山の民たちが救援に駆け付けるまでの七日間、彼女は死力を尽くして秦王と蕞を守り抜いたという。

さらにはそんなぼろぼろの状態であるにも関わらず、王騎の仇である龐煖とも死闘を繰り広げたというのだから、桓騎は彼女の死すらも覚悟していた。

合従軍との戦いで任された桓騎軍と飛信軍の持ち場は異なり、彼女の死を見届けるという約束も叶わぬのかと途方に暮れたものだ。

しかし、結果的には生きていたのだから、信の生命力には感服してしまう。それは秦国と秦王を守り抜くという彼女の意志強さが証明したものだろう。

まだ完治していないというのに、どうしてこの地に彼女自らやって来たのだろうか。

城を落とすにあたって苦戦することなど何一つなかったし、救援を頼んだ覚えなどなかった。信自らやって来るとは、何か用があってのことだろう。

逆に言えば、何か用がなければ信は自分のところへ来ない。芙蓉閣にいる時もそうだった。だからこそ、幼少期の桓騎は色々と面倒事を起こし、お説教という用件を作っていつも彼女を呼び寄せていたのである。

そんな彼女と今では恋人同士になったというのに、未だに用がないと会いに来てくれないだなんて随分と寂しいものだ。

戦にまで赴いたのだから、総司令から伝令でも頼まれたのかもしれない。
信を出迎えるために桓騎が立ち上がった時、彼女はすぐそこまでやって来ていた。

「桓騎!」

城の制圧は成したとはいえ、ここは未だ魏の領土である。だというのに、信は数人の護衛しか連れていなかった。

随分と不用心だと思ったが、それだけ火急の用なのだろうか。

「お前、こんなところで何してんだよ!」

「…は?」

汲の城を落とすという大役を終えたばかりだというのに、労いの言葉を掛けられるどころか、まさか開口一番そんなことを問われるとは思わなかった。

「見りゃ分かんだろ。立派にお役目を果たしたところだ」

事実を告げたまでだというのに、その言葉が癪に障ったのか、信が大股でずんずんと近づいて来る。まだ体のあちこちに包帯が巻かれており、傷が治りきっていないのは明らかだった。

すぐ目の前まで迫って来た顔は幼い頃から見慣れているはずだが、何度見ても可愛らしげのない顔だと思う。
それでも自分が惚れた女であることには変わりなかった。

「蒙驁将軍の報せを聞かなかったのかよ!後のことは俺が引き受けるから、早く行ってやれ!」

 

「……は?」

まさか今から蒙驁のところに向かえと言うのか。
知将と名高い桓騎であっても、これほど先の読めない言動をするのは後にも先にも信だけだと断言出来た。

頬杖をつきながら、桓騎は足を組み直し、長い息を吐く。信の口から蒙驁の話が出るとは思わなかった。

「…わざわざそのために来たのか」

「それ以外に何があるんだよ?王翦将軍もいるんだし、城を落とすのに救援なんかいらねえだろ」

当然のように答えた信に、桓騎は謎の頭痛に襲われ、思わずこめかみに手をやった。

労いの言葉の一つもないのは、逆に言えば信が桓騎の実力を認めているからだと言えるだろう。

しかし、もしも信がここに来た理由が、自分に会いに来たという愛らしいものであったのなら、今すぐにでもこの制圧した城の一室でその体を隅々まで愛していたに違いない。
残念ながらその期待は大いに裏切られてしまった。

「王翦将軍の方も俺たちが引き受ける。早く行ってやれ」

…とことんおせっかいな女だ。道端で死に掛けていた素性の知らない子供自分を保護しただけのことはある。

城の制圧に関しては側近たちに任せていたし、確かに今から馬を走らせれば間に合うかもしれない。

「急げよ。きっと蒙驁将軍もお前のことを待ってる」

すぐに動き出す気配のない桓騎に、信が苛立ったように声を荒げた。

蒙驁に恩がないといえば嘘になる。
もともとは信が彼のもとに身柄を引き渡したことで出来た縁ではあるが、規律に縛られるのを好まない自分の性格をよく理解し、その上で自由にさせてくれた。きっと信もそれを見越して、蒙驁将軍に頼んだのだろう。

飛信軍に入れずに拗ねていた時期もあったが、信と同じ将軍の座に就いている今なら、それが当時の彼女なり心遣いであったことが分かる。将軍という立場は色んな責任を問われる面倒なものだ。

しかし、それでも桓騎は腰を上げる気にはなれなかった。

「…手向けならここでもできる」

蒙驁へ行くつもりはないという桓騎の言葉を聞き、信のこめかみに青筋が浮かび上がった。

「桓騎ッ」

感情的になりやすい彼女に凄まれるものの、桓騎が怯むことはない。

幼い頃から彼女に幾度も叱責を受け、げんこつも平手打ちも一切の加減されることなく受けて来たのだ。今さら凄まれたところで何とも思わない。

眉一つ動かすことのない桓騎に、先に折れたのは信の方だった。こうなれば意地でも従わない頑固者だということを思い出したようだ。

「…じゃあ、王翦将軍にお前の分も頼んで来るからいい」

踵を返した信の腕を掴んだのは、ほとんど無意識だった。

 

 

敵対心

それまで話に興味を示さなかった桓騎から急に引き止められたことに、信は驚いて振り返った。

「なんだよ、放せよ」

睨まれるものの、桓騎は黙って信の腕を掴んでいた。
信がここに来たのは総司令に命じられた訳でもなく、ただの善意だ。恩人である白老に礼を言う機会を授けてくれようとしているのだろう。

日頃から白老には、武功を挙げることで恩を返していたつもりだ。それは言葉で伝えるものよりも、分かりやすい感謝であると桓騎は思っていた。王翦も同じことを考えているだろう。

それぞれの軍でそれぞれの規則やり方があるように、自分と白老の関係性も他と一括りには出来ないのである。

しかし、信は昔から忠義に厚い将だ。
世話になった者には、武功を挙げて自分の活躍を知らしめるだけでなく、言葉で感謝を伝えるという礼儀正しい一面も持っている。それはきっと、養父である王騎からの言いつけなのだろう。

(王翦のとこに行かせる訳には行かねえな)

自分はともかく、王翦にも白老のもとへ行くよう伝えにいくのは見逃せなかった。

信は将の中でも王翦と同等の立場だが、いつも仮面を被っていて何を考えているのか分からないあの仏頂面男が得意でないらしい。

しかし反対に、戦の才を持つ者なら何だって手に入れたい王翦から、信は一目置かれている存在である。今も目を付けられているのは変わりない。

確かあれは、桓騎が五千人将に昇格したばかりの頃だ。

五千人将へ昇格したことに祝杯を挙げてくれた信が、以前王翦から誘いを受け、二人きりで酒を飲み交わしている時に、ずっと自分の軍に来るよう口説かれていたと話したのである。

その時の信は、王翦が独自で軍を作ろうとしているなんて迷惑な話で、いつ秦王へ反旗を翻すか分からないと愚痴を零していた。

その話を聞いて、桓騎は激怒した。
幼い頃、信に保護されてから、桓騎がずっと彼女に想いを寄せていることを王翦も知っていたはずなのに、その上で彼女を手中に収めようとしていたのだ。

怒りを抑えられず、王翦の屋敷に怒鳴り込みに行き、軽くあしらわれたのも、信が慌てて追い掛けて来たのも、今となっては懐かしい思い出である。

 

しかし、未だ王翦は信のことを諦めた気配を見せていない。

さらには趙の宰相である李牧にまで目をつけており、信と李牧を手中に収めようとまで企んでいるらしい。信も李牧も承諾するとは思えなかったが、絶対にそんなことはさせまいと桓騎はいつも王翦を目の敵にしていた。

王翦も厄介だが、李牧と信の二人を会わせたくなかった。もしもそんなことになれば、比喩ではなく、本当に嫉妬のせいで腸が煮え切ってしまいそうだった。

「…王翦には俺から伝えておく。それなら良いだろ」

渋々ではあるものの、妥協案を口にすると、信が目を真ん丸にした。

「えっ?あ、ああ…」

二人で白老の見舞いに行けと言いに来たのだから、桓騎の妥協案を断る理由はなかったのだろう。呆気に取られた顔で信が頷く。

オギコに馬を用意するよう伝えてから立ち上がった桓騎は、まるで一つの動作のように、自然な手付きで信の体を抱き締めた。

「か、桓騎っ!?」

いきなり抱擁されるとは思わなかったようで、信が腕の中で硬直している。

他の兵たちの目もあるというのに迷うことなく彼女を抱き締めた桓騎は、離れていた時間を埋めるように、信の温もりに浸っていた。

桓騎が幼い頃から信に想いを寄せていたことも、秦趙同盟の後にめでたく結ばれたということも秦では誰もが知る周知の事実であるので、他の兵たちは少しも気にしていない。

長年の想い人と結ばれた時、仲間たちが三日三晩かけて盛大な祝いをしてくれたのは良い思い出である。あの時は誇張なしに全員が吐くまで飲んだ。

「お頭~!準備出来たよ~!早く信を放してあげて!」

ばたばたとやって来たオギコに言われ、桓騎はようやく信のことを解放した。

この場を見られたことに信は顔を赤らめていたが、オギコ自身は少しも気にしていない。今となっては周りの目を気にしているのは信だけである。

「王翦には俺から伝える。城の制圧に関しては摩論に任せてあるから、お前はここにいろ。王翦のとこには行くなよ」

「あ、ああ…分かった…」

大人しく頷いてくれた彼女を褒めるように、桓騎は穏やかに笑んだ。

自覚がなかったのだが、どうやら仲間たち曰く、「こんなお頭、見たことがない」と驚愕するほど優しい笑顔らしい。普段からどんな面をしていると思われているのだろうか。

「オギコ、摩論たちにも伝えておけ」

「わかった!いってらっしゃい!」

城を出る時に背後から信の視線は感じていたが、振り返ると一緒に連れて行ってしまいそうだった。用意されていた馬に跨ると、手綱を握る手に力を込めて自分を制する。すぐに横腹を蹴りつけて馬を走らせた。

そしてもちろん、王翦がいる城には寄らずに、桓騎は早々に白老の屋敷を目指したのだった。

 

見舞い

屋敷に到着すると、従者はすぐに白老の部屋へと案内してくれた。

喪を想像させる黒い布は屋敷のどこを見ても掛けられていない。従者たちの落ち着き払っている様子を見る限り、どうやら間に合ったらしい。

来訪を伝えてから部屋に入ると、寝台で上体を起こしている白老がゆっくりとこちらを振り返った。

「フォ?お主が来るとは珍しいのう。王翦と共に魏の城を落としに行ったのではなかったか」

「………」

てっきり意識もないのだとばかり思っていたのだが、呑気に茶を啜っている白老を見て、桓騎は呆気にとられた。

おいクソジジイと言い掛けて、寸でのところで言葉を飲み込む。

彼の副官という立場になってから、規律に縛ることなく好き勝手にやらせてくれた恩を感じている手前、乱暴な言葉遣いは慎むようにしているのだ。

「……危篤と聞いていたんだが?」

顔を引き攣らせながら問いかけると、もともと細い目をさらに細め、蒙驁がフォフォフォと高らかに笑う。

「危篤だった・・・のは嘘ではない。しかし、今は見ての通りじゃ」

「………」

こめかみが締め付けられるように痛み、桓騎はつい皺が寄ってしまった眉間をほぐすために指を押し当てた。

信が蒙驁の危篤の報せを知って、桓騎のもとに駆け付けるまで数日。そして、入れ替わりで桓騎が蒙驁のもとへ駆けつけるまで数日。どうやらその間に、蒙驁は危篤状態を脱し、随分と持ち直したらしい。

本当に危篤だったのかと疑いたくなるほど元気そうな彼を目の当たりにして、桓騎は肩透かしを食らった気分になった。

確かに最後に会った時と比べるとやつれた印象はあるが、呑気に茶を啜っている姿を見る限り、元気だと言って良いだろう。

「わざわざ足労掛けてすまんのう。まだ臥せっている時にお主が来てくれたなら、泣き顔を見せてくれただろうに。残念じゃのう」

誰がてめえのために泣くかよと心の中で毒づきながら、桓騎は腕を組んで蒙驁をぎろりと睨んだ。

「…そんだけ口達者なら、しばらくあの世からの迎えは来なさそうだな」

溜息交じりに呟き、近くにあった椅子に腰を下ろした。
わざわざ駆けつけてやったというのに、まさかここまで回復しているのなら、制圧の手続きを終えてからでも良かったではないか。

信のお節介を迷惑だとは思わないが、こんなことなら王翦にも声を掛けて、いっそ道ずれにするべきだったと後悔すら覚える。

「フォフォ、せっかく来てやったのに損したという顔じゃな」

帰還するまで会えないと思っていた信と会えたのは、蒙驁の危篤のおかげだと頭では理解しているものの、なぜか心は釈然としなかった。相変わらずこちらの調子を狂わせる男だ。

多くの家臣や兵たちから白老と慕われる人柄は、桓騎は嫌いではなかったのだが、自分でも気づかぬ間に彼の手の平の上で転がされているような感覚がどうも好きになれなかった。

奇策を用いて敵味方を自分の思い通りに動かす桓騎には、相手の思惑通りに動かされるのは不慣れなのである。

 

 

「そんだけ無駄口叩けるなら。改まって話すこともねえな。もう行くぜ」

無駄足だったとは言わないが、これだけ体調が回復したのなら、また話す機会は多くあるだろう。

立ち上がって部屋から出ようとした時、蒙驁が思い出したように顔を上げた。

「そういえば、恬が魏の汲へ向かったようじゃが…お主、会わなかったか?」

恬というのは、蒙驁の孫にあたる蒙恬のことである。
軍師学校を首席で卒業するほど聡明な頭脳を持っており、たちまち武功を挙げて昇格していく功績は、名家の嫡男として誇らしいもので、蒙驁にとっても自慢の孫だ。

あの美貌に惹かれる女は大勢いるようで、縁談話が絶えないのだと何故か蒙驁が自慢げに語っていたことを思い出す。

蒙武と顔つきも体格も少しも似ていないことから、初めは養子かと疑ったのだが、本当に血の繋がった息子だという。母親の顔が見てみたいものだと思ったのは桓騎だけではないだろう。

次の戦で武功を上げれば、蒙恬は五千人将へ昇格だという話は聞いていたのだが、彼が魏に行くよう命じられた話は初耳だった。

自分と王翦の二つの軍だけで城の制圧も成し遂げたし、救援など頼んだ覚えもない。
信のように独断で事を起こすような、感情に左右される男ではないと思っていたし、だとすれば蒙恬が魏に行く理由とは何だろうか。

「何で白老の孫が…総司令から指示でもあったのか?」

茶を啜った後に、白い顎髭を撫でつけ、蒙驁がゆっくりと口を開いた。

「信の補佐に行くと話しておったから、恐らく独断じゃろうな」

「なッ…!?」

これはさすがの桓騎も予想外だった。
まさかここで再び信の名前が出て来るとは思わなかったし、この機に蒙恬が信と接触を図ろうとしていただなんて想像もしていなかった。

 

(あのクソガキ…!)

思わず奥歯を噛み締める。
蒙驁の孫とはいえ、さして付き合いもなかったので、桓騎と蒙恬はお互いの存在を認知し合う程度だった。

過去の戦で楽華隊を動かしていたことはあったが、蒙驁の孫である手前、捨て駒として扱う訳にはいかず、蒙恬自身もその聡明な頭脳で敵を出し抜き、それなりに武功も挙げていた。

自分と数えるくらいしか歳の差は離れていないのだが、桓騎は蒙恬のことを毛嫌いしている。
その理由は無論、蒙恬が信のことを、異性として意識しているからだ。

数え切れないほどの縁談話が来て、女に不自由することのないはずの蒙恬は、どうやら信に気があるようだった。

直接それを本人に問い質したことはない。しかし、蒙恬が信を見つめるあの目は、一人の男として女を見る目だと断言出来た。

きっと蒙恬が今まで相手にして来た女には、信のような女は一人もいなかったに違いない。だからこそ彼女に惹かれたのだろう。

男に媚を売ることも知らぬ、自分の目指すべき道をひたすらに歩む信に惹かれる気持ちはよく分かる。

しかし、相手が蒙恬であっても、李牧であっても、桓騎は信を誰にも渡すつもりはなかった。

「やれ、恬のあの女好きは一体誰に似たのか…まさか信に惚れるとは思わなんだ」

どうやら蒙驁も、蒙恬が信に想いを寄せていることを知っているらしい。

そういえば、婚約者というような堅苦しい肩書きではないものの、信と自分が男女の仲になったことを蒙驁に伝えていなかった。

正式に婚姻が決まったならば、報告すべきだと考えていたのだが、まだ信から求婚の承諾を得られていないのである。

秦趙同盟の後、信への片想いがようやく実ったことが秦国ではいつの間にか広まっており、城下町を歩けば民たちから祝福の言葉を掛けられることも珍しくなかった。

流行り物に詳しい蒙恬が、自分たちのその噂を知らぬはずがない。その上で信に接触を図るということは、自分への挑発も兼ねているのだろうか。

蒙驁の容体が回復したことと、蒙恬が信へ接触を図ろうとしていることが、何か関係があるような気がして、桓騎は嫌な予感を覚えた。

特に気になるのは、大切な祖父の容体が持ち直したばかりの状況で、蒙恬がなぜ信の補佐を優先した・・・・・・・・・・・のか。

「…信は見舞いに来たのか?」

気になっていたことを尋ねると、蒙驁は大きく頷いた。

「覚えてはおらんが、儂がまだ眠っている時に来てくれたようじゃ。それですぐに魏にいるお主のもとへ向かったと聞いておる。恬が魏へ行ったのは、儂が目を覚ましてからじゃ」

なるほどと桓騎は顎を撫でつける。

信が桓騎のもとへ向かうのを蒙恬は知っていた。そして蒙驁の容体の回復を見届けてから、蒙恬が信の補佐へ向かったのだとしたら、やはりこれは自分を出し抜くための策だと言える。

確実に自分という邪魔者が居ない間に、信と二人きりになる機会を見計らっていたに違いない。

蒙恬が信を見るあの目が、一人の男として女を見る目だと気づいた時から、桓騎は蒙恬の存在を危険視していたのだが、それは正解だったようだ。

 

新たな恋敵

名家の嫡男であり、初陣を済ませてからたちまち武功を挙げていく蒙恬が、大勢の娘から縁談を申し込まれているのは噂で聞いていた。

しかし、蒙恬は結婚適齢期であるにも関わらず、妻になる女性を見極めたいだとか適当な理由をつけて縁談を受けることはせず、好みの女をとっかえひっかえに褥を共にしているのも有名な噂話だ。

きっと結婚相手を見定めたり、世継ぎを作る素振りを見せることで、家臣たちを安心させていたのだろう。

しかし、確実に蒙恬の狙いは信だ。彼女を手に入れるために、自分を出し抜く機会を虎視眈々と狙っていたに違いない。そしてそれがまさに今というワケだ。

(よくもこの俺を出し抜きやがったな)

さすがに蒙驁の前で、彼の大切な孫に暴言を吐く訳にはいかなかったので、桓騎は強く歯を食い縛って暴言を飲み込んだ。

きっと蒙恬は桓騎と信の男女の関係には気付いているだろうが、まだ婚姻を結んでいないこの機を狙って、信にちょっかいを掛けようとしているに違いない。

信は腕っぷしの強い女だ。男に迫られても、簡単にその身を委ねるようなことはしないと断言出来た。

しかし、残念ながらそれは相手による。いくら信が強いとはいえ、蒙恬のような男に策を講じられれば、簡単にその体を組み敷かれることになるだろう。

そして鈍い信のことだから、彼に上手く丸め込まれ、全てが終わってから、ようやく騙されたと気づくことになるかもしれない。それでは手遅れなのだ。

あの男は自分の端正な顔立ちと、甘え上手な性格をこの上ない武器として攻め立てるに違いない。

相手の懐に入り込むのを何よりも得意とする蒙恬が、いつ信に襲い掛かるかと思うと、それはもう気が気ではなかった。

彼女と李牧の過去を知っているのは今のところ桓騎だけだが、何かの拍子に信がそんな古傷を抱えていることを蒙恬に知られれば、奴は間違いなくそこを狙って信の心を盗み取るだろう。

李牧との過去を知らなかった時でさえも、桓騎は蒙恬と信が接触しないよう、今まで手を回していた。
蒙恬率いる楽華隊が飛信軍の下につくことが決まった時も、上手く根回しをして桓騎軍の下につくようにしていたのは、他でもない信を守るためである。

蒙驁は桓騎の裏工作に関して何も言わなかったが、きっと見て見ぬフリをしていたのだろう。

…くれぐれも誤解のないよう言っておくが、自分が蒙恬と李牧に敵わないというワケではない。信が彼らの卑怯な策略に陥る可能性が高いだけである。

いくら信の心に自分という存在が刻まれていようとも、彼女の鈍い性格だけは変えられないし、信が女である以上、男に敵わない部分が出て来るのも変えられない事実だ。

愛人も込みで、さっさと結婚させとけ。こっちは迷惑してんだ」

苛立ちを隠し切れずに、桓騎は蒙驁を睨みつけた。

「フォフォ。信が嫁に来てくれたら、それはそれで蒙家は安泰なんじゃがのう」

自分が信にずっと想いを寄せていることは蒙驁も昔から知っているくせにと、桓騎は顎が砕けそうなほど歯を食い縛った。

人の良さそうな顔をしておいて、腹の内に隠し切れない黒さを抱えているのは確かに蒙家の血筋だと思われる。このクソジジイにしてあのクソガキありというわけだ。

むしろ腹の内の黒さを一切感じられない蒙武こそが、本当に蒙家の血筋なのか疑わしくなる。

(信が食われるかもしれねェ)

蒙恬がいつまでも縁談を受けずにいる理由が、信との婚姻を狙っているのだとしたら、彼が考えていることは一つだ。

それは信と婚姻に至るための既成事実を作り上げることである。
もしも信が蒙恬との子を孕めば、いや、孕まずとも一夜を共にしたとすれば、蒙恬の思惑通りに婚姻へ運ぶことが出来る。

単純なことだ。蒙恬は信の善意を利用しようとしているのである。

凌辱であろうが、言葉巧みによる誘いであろうが、どちらにせよ彼に抱かれれば、恋人である桓騎を裏切ってしまったと信はひどく落ち込むだろう。

その傷ついた心を埋める役割も蒙恬が担い、心身ともに自分のものにするつもりに違いない。

名家の権力を自由に扱い、情報操作も得意とする男だ。外堀を埋めるためにせっかく秦国に広めていた自分たちの恋物語の噂も簡単に塗り替えられてしまうかもしれない。

信を手に入れるための努力が踏み躙られるどころか、水の泡になってしまうと思い、桓騎はすぐにでも信のもとへ駆けつけようとした。

「…ああ、そうじゃ。桓騎よ。縁談と言えば…」

普段は見せることのない桓騎の慌てた表情を見据えながら、蒙驁が楽しそうに目を細めた。

 

予期せぬ来客

魏の慶都にある汲の城の制圧は、桓騎軍の参謀である摩論が中心となって取り仕切っている。

この城の一室で待っているよう摩論に言われてから、どれだけの時間が経っただろうか。

桓騎も摩論に後のことは一任していると話していたし、信は口を出すつもりもなかったのだが、未だ制圧手続きが完了しないことに、苛立ちが増していくばかりだった。

(遅い…!)

立ち上がって、部屋の窓から城下を見下ろす。投降した兵たちや、汲に住まう民たちを取りまとめている秦兵たちの姿があった。

捕虜たちは戦力の補充として宛がわれる。捕虜の中にも怪我人がいたが、差別なく救護班が手当てを行っていた。

手に入れた領土は、税制や支配機構を設定した上で管理をしなくてはならない。今後、汲の城も戦略のために改修する必要がある。

帰還後には城内の構造や、手に入れた物資、はたまた投降兵たちの記録の提出と報告をしなくてはならないため、制圧をしてからもやることはそれなりにあるのだが、それにしても時間がかかり過ぎている。

信がこの地に到着した時にはすでに城は落としていたし、すでに制圧手続きは始まっていた。

桓騎がここを出立してからすでに数日が経ったというのに、未だに制圧手続きが終わっていない。一体何にそんな時間をかけることがあるのだろうか。急がなければ夜になってしまうではないか。

一刻も早く帰還したいのに、未だ城の制圧を終えたという報告が入らず、信は苛立ちを隠し切れずに大声を上げた。

「おいっ、まだ終わんねえのかよ!いつまでかかってんだッ!?」

信の文句を聞きつけ、部屋の外にいたオギコが驚いて飛び込んで来た。

「信、怒らないで~!摩論さんたちも頑張ってるんだから!オギコが肩揉んであげる!ほら座って座って!」

オギコに宥められ、信はやれやれと椅子に腰を下ろす。
摩論が何かと理由をつけて城の制圧手続きを長引かせているのは、きっとめぼしいものを見つけたに違いない。

桓騎軍の者たちは元野盗の集団だ。金目の物には特に目がなく、桓騎も好きにしろと自由にさせているらしい。きっとそういう規律に一切興味がないところが彼らには好印象だったに違いない。

元野盗の集団を仲間にしたと聞いた時は寝首を掻かれるのではないかと危惧していたが、それは無用な心配だった。

縛られることを何よりも嫌う桓騎と元野盗たちは随分と性格が合うようで、たちまち「お頭」と慕われるようになって、今や大勢の元野盗団が桓騎軍に集結していた。

彼らを配下に従える時は、何度か器を試されるようなことはあったようだが、何の問題もなく従えているところを見る限り、桓騎は仲間たちからその器を大いに認められたのだろう。

人を惹き付ける魅力を備えているのだと思うと誇らしかったのだが、まさか気性の荒い野盗集団たちまで手懐けてしまうとは思いもしなかった。

「………」

桓騎と王翦を蒙驁の見舞いへ行かせることが出来て良かったと思うものの、今際に間に合っただろうか。

蒙驁の危篤の報せを聞き、桓騎のもとへ駆けつける前に、信も馬を走らせて見舞いに行った。言葉を交わすのは最後になるかもしれないと思ったからだ。

かろうじて返事はしてくれたものの、蒙驁が目を開けることはなかった。きっともう長くはないだろう。戦場で多くの死と対面して来た信に、直感のようなものが走った。

すぐに桓騎に知らせなくてはと思い立ったのもその時で、此度の将軍交代は完全なる信の独断である。きっと総司令である昌平君は目を瞑っていてくれるだろう。

その後、蒙驁の容体に関しての報告は来ていない。
ここから帰還した後で、実はもう亡くなっていたという報せを聞くことになるのではないかと信は不安を抱いていた。

「いでででッ!オギコ、力入れすぎだ!」

溜息を吐いた拍子に、両肩に激痛が走り、信は飛び上がった。

「あれれっ、ごめんね?お頭は強めが良いって言うから、つい…もっと弱くするね!」

「ジジイかよ、あいつは…」

オギコに肩を揉まれながら、信は溜息を吐いた。

桓騎のことを任せられたのは、蒙驁のあの人柄を信頼してのことだ。
それは決して間違いではなく、自由にさせていたことで桓騎の才を芽吹かせてくれたのも彼のおかげだと信は思っている。

桓騎自身も言葉にはしていないが、蒙驁には恩を感じているようだし、伝えたいこともあるだろう。

見舞いに行った時に、桓騎の面倒を見てくれたことには大いに感謝を告げたのだが、信も長年世話になった立場として、出来ることなら蒙驁の最期の瞬間を看取ってやりたいと考えていた。

もしも蒙驁が亡くなれば、悲しむ家臣たちは大勢いるに違いない。

(そういや…)

ふと、信は蒙驁の孫にあたる蒙恬のことを考えた。

彼は桓騎よりも幾つか年下だが、さすが蒙驁の孫であり、蒙武の息子と言ったところか、初陣を済ませてからあっと言う間に昇格していった。

次の戦で武功を挙げれば、蒙恬はいよいよ五千人将に昇格となり、将軍への昇格もあと少しとなる。

蒙驁の見舞いに行った時、彼は大切な祖父の危篤に悲しげな表情を浮かべて、ずっと蒙驁の手を握り続けていた。

最愛の祖父に将軍になる姿を見せてやれないと悔やんでいる蒙恬と、自慢の孫の成長を見届けることが叶わない蒙驁のことを思うと、信は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。

 

「ん?」

馬の嘶きが窓から聞こえて、信は反射的に顔を上げた。
それからこちらに近づいて来る足音が聞こえたので、ようやく制圧き手続を終えたという摩論からの報告だと信は疑わなかった。

待ちくたびれたと長い息を吐いていると、

「信将軍!」

「…は!?」

しかし、扉を開けて入って来たのは摩論でも他の側近でもなく、蒙恬だった。

白老が危篤だというのに、ここに蒙恬がいることをすぐには信じられず、信はもしかしたら白昼夢でも見ているのかと思った。

「えっ、ええーっ!?信、なんで!?何でこの人ここにいるの!?」

肩揉みをしていたオギコも同様に驚いていることから、夢ではないことを知る。

蒙恬はにこにこと笑顔で近づいて来ると、礼儀正しく供手礼をする。

「祖父の見舞いに来て下さったこと、感謝します。お陰で峠は超えました。まだ全快とは言い難い状態ですが…」

「え?そ、そうなのか?」

蒙恬自らが蒙驁の容体について知らせてくれたことに、信は呆気に取られてしまう。危篤は脱したらしいが、まだ心配な状態らしい。

しかし、そこでふと気づく。

大切な祖父が危篤を脱したとはいえ、今はまだ彼の傍についているべきではないのだろうか。伝令を寄越してくれればよかったのに、どうして蒙恬自ら伝えに来たのだろうか。

「…蒙恬…わざわざそれを伝えに来たわけじゃねえよな?」

「ええ、目的は他にもあります。制圧と撤退の補佐をしに馳せ参じました」

そんなことを言われるとは思わず、信は溜息を吐いた。
制圧の手続きは摩論に任せているし、撤退の指揮に補佐など不要だ。どうせ帰還するだけなのは兵たちも分かっているだろう。

「俺一人でも十分だ。お前は蒙驁将軍の傍についていてやれ。峠を越えたからって、いつ何があってもおかしくないんだろ」

せっかくここまでやって来た蒙恬の気遣いを無下にしないよう、信は言葉を選びながら返した。

「……そうしたいところなんですが…」

「?」

素直に従わない蒙恬を見て、信は他に何か別の目的があるのかと考える。

「実は、祖父との約束があるんです」

「約束…?」

はい、と蒙恬が切なげに眉根を寄せた。

あの蒙武の息子とは思えないほど端正な顔立ちである蒙恬が、そんな悩ましい表情を見せれば、女も男も性別は関係なく理性が揺らぐだろう。

しかし、信は桓騎と同様で、幼い頃から蒙恬のことを知っていることもあって、少しも心が揺れ動かされることはなかった。

蒙恬が蒙驁との大切な話を持ち出したことから、信は後ろにいる兵たちに目線を送って下がるように指示を出す。
心配そうにオギコがこちらを見ていたが、彼も兵たちと共に部屋を出ていった。

扉が閉められて、二人きりになったことを確認してから、蒙恬はゆっくりと口を開く。

「俺…祖父に、お嫁さんを見せてあげるって、約束していたんです」

「ああ、結婚の話か。そういやお前、許嫁も居なかったよな?」

あっさりと聞き返したのは、その約束の内容が自分と少しも関係性がないことを確信したからだった。

しかし、蒙恬が縋るような眼差しを向けて来たので、信は嫌な予感を覚えた。

「お願いします。フリだけで良いんで、俺のお嫁さんになってください」

「…はっ?」

蒙恬に深々と頭を下げられて、信はようやく彼から「自分の妻になってくれ」と頼まれていることを察したのだった。

「いや無理だろ!何言ってんだお前!?」

即座に断ったものの、蒙恬が縋りつくように上目遣いで見上げて来る。

「お願いします。こんなこと、信将軍にしか頼めなくて…」

こういう時に端正な顔立ちを使って甘えて来るのは、自分の顔が良いことを自覚している何よりの証拠だ。信は後退りながら何度も首を横に振った。

「頼む相手を間違えてるだろッ!」

名家の嫡男であり、この美貌と、将としての武功がある蒙恬ならば、縁談話は山ほどあるに違いない。

わざわざ自分じゃなくたって、その中から好みの女を選べばいいはずだ。
しかし蒙恬は「いいえ」ときっぱり首を横に振る。

「信将軍が嫁に来てくれるなら蒙家も安泰だって、祖父を安心させてやりたいんです」

もっともらしいことを言われるが、さすがに蒙驁を騙すなんて良心が痛むことに協力する訳にはいかなかった。

「悪いが、お断りだ」

「そんなっ…」

即座に拒絶すると、蒙恬が泣きそうな表情になる。

「じゃあ、俺…じいちゃんとの約束、守れないんだ…最後まで、じいちゃんを心配させてばっかりで…」

「お、おいっ?」

両手で顔を覆い、めそめそと女のように泣き始める蒙恬に信は狼狽えた。
もしも蒙恬にこんな顔をさせたことを、彼の配下に知られでもしたら確実に面倒なことになる。

名家の嫡男として、それはもう大切に育てられた男である。家臣や従者たちが今も蒙恬を大切に想っているのは変わりなかった。

彼が引き連れて来た護衛達は部屋の外で待機しているが、蒙恬の声を聞いて、よくも主を泣かせたなと襲い掛かって来るのではないかと不安になる。

 

「俺じゃなくても、本当に嫁になってくれる女なんて大勢いるだろ!」

蒙驁を安心させてやりたいという蒙恬の気持ちに応えてやりたいとは思うものの、桓騎という恋人がいる以上、安易には承諾出来なかった。

妻のフリをする候補どころか、本当に妻になってくれる女性など、縁談の数だけいるはずだと伝えてみるが、蒙恬は首を横に振る。

「俺のことを慕ってくれる女性たちに、祖父を安心させたいからという理由で結婚するなんて…そんな道具みたいに扱うこと、俺には出来ません…!」

「俺は良いのかよッ!?」

結婚適齢期であるにも関わらず、蒙恬は多くの美女と褥を共にしているという噂を聞いており、信は蒙恬が結婚相手の女性を見定めているのだとばかり思っていた。

名家の嫡男であり、秦の未来の担う将である。下心を持つような女を妻にする訳にはいかないのだろう。

妻となる女性がどんな人物か見定めるのも大変だなと信は思っていたのだが、桓騎から「遊んでるだけだろ」と教えられたことがある。

女性を食い物にしているといえば語弊があるかもしれないが、色んな女性と褥を共にして、人生を謳歌しているらしい。

まさか蒙恬がそんなことをする男だとは思わず、信は桓騎の話を聞いて驚いた。

それでも蒙驁との約束を守りたいという姿は、祖父想いの優しい孫にしか見えない。

「お願いします…祖父を安心させてあげたいんです…!」

幼い頃から蒙恬を知っている信は、その優しさを踏み躙ることが出来ず、狼狽えてしまう。

初陣に出る前の蒙恬は「信!」と親を追う雛鳥のように自分の周りを付き纏って来て、家臣たちが目の保養にするのも頷けるくらい愛らしい子だった。

いつも生意気なことを言ったり、自分を呼び寄せるために何かと芙蓉閣で騒動を起こしていた桓騎と違って無邪気で愛らしかった蒙恬が、どうしてこんな桓騎にも引けを劣らぬ面倒な性格に育ってしまったのだろう。

自分の端正な顔立ちと甘え上手な部分を武器に出来るのだと気づいてから、蒙恬は途端に可愛げがなくなったように思える。もちろん本人には口が裂けても言えないが。

狼狽えている信を見て、蒙恬はあと一押しだと悟ったのか、さらに泣き落としを始めた。

「…祖父はずっと、俺のお嫁さんになる女性に会うのを楽しみにしていたんです…最後まで、その約束を果たせられないのかと思うと…」

「うううっ…」

このままでは渋々承諾してしまうと信も薄々勘付いていた。

これは蒙恬のためではなく、蒙驁のためだと自分の良心を説得してしまいそうになるが、信の瞼の裏に桓騎の姿が浮かび上がる。

扉が勢いよく開けられたのは、その時だった。

 

中編①はこちら

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