恋は毒ほど効かぬ(桓騎×信)番外編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/毒耐性/シリアス/IF話/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

このお話の本編はこちら

 

帰還後の一人酒

※このお話は本編で割愛した屋敷帰還後のシーンです。

 

あとのことは配下たちに任せ、桓騎は信を連れて先に屋敷へと戻った。

罗鸿ラコウが用意した催眠の香は強力だったようで、強靭な精神力を持つ信でも、未だ目を覚ます気配がない。

一級品の嫁衣に身を包んだままである信を寝台に寝かせてやり、桓騎は小さく息を吐いた。

こちらの策略通りに進んだとはいえ、信が人質に取られるのは気分が悪いものだ。

罗鸿が出世のために、利用はしても信を傷つけることは絶対にないと確信していたため、今回の行動に踏み込めたが、もしも命の危険に晒されていたらと思うとそれだけで反吐が出そうになる。

しかし、信の命の危険など、心配するだけ無駄だと思った。彼女も自分と同じ将軍という立場である以上、次の戦で死ぬかもしれないのだから。

彼女を戦から遠ざける方法なら幾らでも知っているが、それは信の意志と反することだと分かっていた。

もしも彼女から戦を奪えば、きっと自分を愛してくれなくなることも桓騎は理解していた。
信が毒耐性と引き換えに子を孕めなくなったことは知っている。もしそうでなければ、早々に子を孕ませて戦場から遠ざけていたに違いない。

だが、自分たちの仲が深まったのは、毒耐性という奇妙な体質が共通していたからだ。

毒酒の味を分かち合うことがなければ、仲が深まることはなかっただろう。皮肉なものだ。作戦通りに終わったというのに、桓騎の気分は晴れずにいた。

(…後で飲み直すか)

湯浴みのあとに毒酒を飲み直そうと考えながら、桓騎は一度部屋を後にした。

 

 

湯浴みを終えてから部屋に戻っても、信はまだ寝息を立てていた。

気持ち良さそうに眠っている姿を見ると、どうしても起こす気にはなれない。
桓騎はもともと眠りが浅い方で、普段から信よりも先に目を覚ますことが多いのだが、彼女の寝顔は何度見ても飽きないものだ。

ご馳走を前にしている夢なのか、にやけている時もあれば、仲間たちと楽しく過ごしている夢なのか、穏やかに微笑んでいる時もある。

同じように戦場で多くの命を奪い、多くの別れを経験しているというのに、そういえば悪夢でうなされている姿を一度も見たことがなかった。

腹を満たした赤ん坊のような無邪気な寝顔を見せられると、寝込みを襲う気にはなれない。一級品の嫁衣で美しく着飾っていたとしてもだ。

…しかし、目の前の女を好きに扱ってしまいたいという欲求が湧き出るのは、今まさに理性と性欲が争っている証なのかもしれない。

彼女が目を覚ました時には、貸しを倍にして返してもらわなくてはと考えた。

気を紛らわすために、桓騎は戸棚から鴆酒の酒瓶と杯を手に取って席に着く。普段なら信と互いに酌をし合うのだが、今日は手酌で鴆酒を味わうことにする。

罗鸿の屋敷で蛇毒の酒を飲んだが、豪勢にもてなされるよりも、信と二人きりで他愛もない話に花を咲かせながら、静かに毒酒を味わう方が桓騎は好きだった。

もちろん仲間たちと飲む賑やかな酒も好きだ。しかし、信と毒酒を飲み合って過ごしている時間は、不思議と心が休まる。

常人からしてみれば、毒を飲んで安らぐだなんておかしな話だろうが。

 

副作用

ぐっすりと寝入っている信を見れば、きっと翌朝まで目を覚ますことはないだろう。
鴆酒を一瓶飲み干した頃、桓騎は自分もそろそろ休もうと椅子から立ち上がった。

「ッ…?」

くらりと眩暈を覚える。足元がふらついたことから、酒の酔いが回ってしまったのだと推察する。

しかし、体の内側が燃え盛るような灼熱感には覚えがあった。毒の副作用である。

(飲み過ぎたな)

再び椅子に座り込み、桓騎は長い息を吐いた。
桓騎の方が毒の副作用を起こすのは随分と久しぶりのことで、思い返してみれば、最後に副作用を起こしたのは、信が毒耐性を持っていると知るよりも前だったかもしれない。

罗鸿の屋敷で蛇毒の酒を一瓶空け、鴆酒までも飲んだのだ。普段より毒を多く摂取したせいだろう。

「ちっ…」

こうなれば副作用が収まるまで耐えるしかない。時間が経てば酔いが覚めるように、副作用もいつまでも続くわけではない。

もちろん性欲の暴走に対して、ひたすら女を相手にする方法もあるが、信は今眠っている。
眠っている彼女の身体を使って自慰に浸る方法も考えたが、信の体に触れてしまえば、きっと身を繋げずにはいられないだろう。

「はあ…」

自然と息が荒くなっていく。暑さを紛らわせようと襟合わせを開き、窓を開けて風を浴びてみるが、灼熱感が引く気配はない。

無意識に信へ視線を向けてしまうのは、身体が本能的に彼女を求めているからなのかもしれない。

薬で眠っている女を抱くことに抵抗はないのだが、信に限っては別だ。

副作用が治まるまでには、それなりに時間がかかる。情欲に駆られるまま信と体を重ねれば、早く副作用は落ち着くのは分かっていたが、倍増する性欲を発散すれば、彼女の体に負担を掛けてしまうことになる。

彼女が毒の副作用を起こした時には喜んで付き合うのだが、今日に限っては別だ。

「ちっ…」

井戸の冷水を頭から被れば多少は気が紛れるだろうと思い、桓騎は部屋を出ることにした。

立ち上がった拍子に、再び足元がふらついてしまう。咄嗟に机に手をついた途端、派手な音を立てて、空の酒瓶が床に転がってしまった。

「…ん…桓、騎…?」

その音を聞いて、どうやら信が眠りから目を覚ましてしまったようだ。
未だ眠そうな瞳を擦りながら、ゆっくりと寝台から身を起こした信を見て、こんな時に起きるなよと桓騎は内心毒づいた。

 

 

目を覚ましたばかりの信は、桓騎が苦しそうに息を荒げていることに小首を傾げていた。いつの間にか屋敷に戻って来ていることには少しも気づいていないらしい。寝起きでまだ頭が働いていないのだろう。

「どうした…?」

珍しく桓騎が苦しそうにしている姿を見て、心配そうに眉を寄せている。
隠すようなことでもないと顔に苦笑を浮かべながら、桓騎は椅子に腰を下ろした。

「…久しぶりに、毒が回った」

すぐには理解出来なかったようで、信が何度か瞬きを繰り返す。

「体…つらい、のか…?」

呼吸を乱しながら、桓騎は頷いた。
胸が締め付けられるように痛み、体の内側が燃えるように熱くなる。

「…ああ、辛い。どうにかなっちまいそうだ」

素直に答えると、信がはっとした表情になる。ゆっくりと寝台から降りて、近づいて来た彼女は心配そうに顔を覗き込んで来た。

それから導かれるように視線が下がっていく。

「あっ…?」

狼狽えるような声を上げてから、信は再び桓騎の顔を見た。
副作用を起こしてから、既に桓騎の男根は苦しいほどに張り詰めていて、早く触れてほしいと訴えているのだ。着物越しでも当然それは分かった。

「ま、待ってろ、今…」

そう言って、信は一級品の嫁衣が皺になるのも構わずにその場に膝をついた。迷うことなく桓騎の脚の間に顔を寄せると、着物越しに男根に触れる。

「っ…」

着物越しに信の手の平を感じて、桓騎は生唾を飲み込む。

屹立を確かめるように、信は手の平で何度か桓騎の男根を愛撫し、それから下衣に手を伸ばして来た。

「ん…」

下衣を引き下げて、現れた男根に、信は迷うことなく赤い舌を伸ばす。唾液を纏った舌が敏感になっている切先に触れると、沁みるような刺激が走って、思わず腰が震えそうになった。

 

赤い舌が先端をくすぐるように突いて、ざらついた舌の表面が陰茎を這う。根元に指を絡ませながら、何度も舌が陰茎を往復していく。

裏筋を刺激するように、尖らせた舌先が這うと、喉が引き攣るほど気持ちが良かった。

時折上目遣いでこちらの反応を確かめて来るのも堪らない。
挑発的な視線も好みだが、自信なさげにしている生娘を思わせるその視線も、全てが今の桓騎には刺激的だった。

「ん、ぅ…」

紅で瑞々しく象られた唇を開き、男根を咥え込む。
淫華とは違った肉襞が吸い付いてきて、桓騎は思わず歯を食い縛る。そうしないと呆気なく彼女の口の中で果ててしまいそうだった。

惚れた女が自分の脚の間に顔を埋めている官能的な光景に、顔が燃えるように熱くなる。

信が頭を動かす度に、口の中から滲み出る唾液が淫靡な水音を立てた。桓騎の荒い呼吸と、淫靡な水音が室内に響き渡る。

「んんぅ…ん…」

鼻で必死に息をしながら、信は奥まで男根を深く飲み込んだ。
喉を突かれれば苦しくなるのは分かっているだろうに、信は涙目になってさらに奥まで咥えようとする。

男根が喉奥できゅっと締め付けられると、甘い快楽が体の芯を走り抜ける。

「ッ…!」

情けない声が洩れそうになり、桓騎は力強く歯を食い縛って、首筋に幾つも筋を浮かべた。

堪えることなく、彼女の口の中で精を放って楽になりたいという欲望と、いつまでもこのまま快楽に浸っていたいという気持ちが鬩ぎ合う。

「ん、ん、んむっ、ぅ…」

頭を前後に動かして、信は桓騎の男根を唇で扱く。時折、頭を動かすのをやめて強く吸い付いて来るものの、舌は休むことなく動き回っていた。

桓騎を副作用の苦しみから救うため、懸命に口で奉仕をする信の姿を見るだけで、もう堪らなかった。

吐精欲の衝迫に目の奥が燃えるように熱くなる。

「はあ、…ぅ、く、ッ…!」

腹の奥から、四肢がばらばらになってしまいそうな衝動にも似た喜悦が駆け上がっていくのが分かった。

膝と腰が震え出し、桓騎は咄嗟に信の頭を抱き込んでいた。

「う、んんッ」

頭を抱き込まれた信が男根を深くまで飲み込む。彼女の喉奥で精を吐き出しながら、桓騎は獣のように息を荒げていた。

「う”……、ぅう、ん…」

果てたばかりの男根を咥えたまま、切なげに信が眉根を寄せて、桓騎を見上げた。

その加虐心を煽られる視線を向けられるだけで、男根が再び硬くなっていく。
例え毒の副作用を起こしていなかったとしても、その表情だけで情欲に駆られてしまう。信のこんな表情を前にすれば、男なら全員そうなるだろう。

絶対に彼女を誰にも渡すまいと桓騎は心の中で誓った。

「ふ、は…」

ゆっくりと信が男根から口を離すが、口の中には吐き出したばかりの精液が溜まっていた。

「んっ…」

少しも躊躇うことなくそれを嚥下した信に、桓騎は褒めるように頭を撫でる。

男が吐き出した子種など味わうものではないと嫌悪して吐き出す者も多いというのに、信は違った。

まるで馳走や甘味でも口にしているかのように、嬉々として精を飲み込む彼女に、気になって理由を尋ねたことがある。

決して他の男の精を飲んで比較した訳でないことを前提に、信が恥ずかしそうに話してくれたのだが、どうやら彼女にとって、桓騎の精は毒酒に近い味らしい。

普段から毒物を嗜好品として摂取している影響で味に変化があるのだろうか。美味そうに飲み込む信を見ても、さすがに自分の精の味など知りたくはなかった。

「んん…」

まだ足りないと言わんばかりに、信は尿道に残っている精まで吸い尽くし、芯を取り戻したばかりの男根に舌を這わせていく。

「もういい」

このまま副作用が落ち着くまで、彼女の口淫がもたらす快楽に浸る方法もあったが、桓騎は一刻も早く身を繋げたくて堪らなくなっていた。

もう彼の表情には、余裕など微塵も残されていない。

この情けない顔を見せたのは、恐らく後にも先にも信だけだろうと桓騎は思った。

模擬初夜

寝台に彼女を運ぶ余裕さえも残されておらず、桓騎は発情した雄の瞳で信を見下ろした。

「乗れ」

椅子に腰を掛け直した桓騎が指示を出すと、それまで脚の間に顔を埋めていた信がゆっくりと立ち上がる。

赤い嫁衣には眠りの作用がある香が焚かれていたようだが、今は茉莉花の甘い繊細な香りだけが感じられた。いつまでも催眠の作用は持続しないらしい。

その香りを嗅ぐだけでも、桓騎の情欲は酷く煽られた。信が自分の体を跨ぐのを待ち切れずに、その細腰を引き寄せる。

「ちょ、ちょ、っと、待てっ」

信は両腕を突っ張って桓騎を制する。まさかここでお預けを食らうとは思わず、桓騎は眉間に不機嫌の色を露にした。

もちろん自分は犬ではないので待てなど出来ないし、命じられたとしても従う義理はなかった。

「お、お前の、デカいから、ちゃんと…しとかないと、その…苦しいんだよ」

顔を赤らめた信が視線を逸らしながらそう言ったので、桓騎は呆気に取られる。

中を指で解して広げておかないと、桓騎の男根を咥え込むのが苦しいのだそうだ。痛いではなく苦しいと言った彼女に、もはや破瓜を破った時の面影は残されていなかった。

破瓜を破った時は、信が毒の副作用を起こしていたため、それほど強い痛みを感じていないようだったが、初めて男を受け入れて女になった信の変貌ぶりは今でも思い出せる。

「っ、おい…!」

嫁衣の中に手を忍ばせ、脚の間に指を這わせると、信の体がぴくりと跳ねる。熱気と湿り気のある其処は既に蜜が溢れているのが分かった。

なんとか口角を持ち上げて、桓騎はなけなしの余裕を繕った。

「こっちはもう準備出来てるじゃねえか」

「ま、まだ、だって…」

信は桓騎と体を重ねることを嫌悪しているわけではない。
しかし、何をしてほしいか具体的に言葉に出さないあたり、羞恥心が抜け切れていないことが分かる。あどけなさを残しているところも愛おしかった。

「んッ、うぅ…」

淫華の入口をそっと指の腹で擦ってやると、信が切ない声を洩らした。これだけ濡れていれば唾液を利用する必要もなさそうだ。

桓騎がいつだって爪を短く整えているのは、いつ何時であっても信と身体を重ねても問題ないようにしているためで、彼女の内側を傷つけないようにする配慮だった。

もちろん信自ら淫華を指で解す姿も、桓騎にとっては目で味わうご馳走なのだが、今はその姿を観賞している余裕などない。

「あっ…」

入り口を見つけ、そこを指で突く。抵抗なく指を飲み込んでいくが、いつも桓騎の男根を飲み込み、とっくにその形を覚えているはずの其処は確かにまだ狭そうだった。

しかし、滑りが良いせいか、根元まで桓騎の指を飲み込んだ淫華は、さらに指を奥へ引き込もうとするかのように締め付けて来る。

こんな小さな口にいつも男根が食われているかと思うと不思議で堪らなかった。

「あっ、や…」

中で指を動かす度に、信の腰がくねる。
逃がさぬように細腰を抱き込んで中を弄っていると、両方の膝が笑い出し、立っているのが辛くなって来たようだった。

「う…」

前のめりになって椅子に腰かけている桓騎の肩にしがみついて来る。
縋るものを探して抱きついて来る信が愛おしくて、早く彼女の淫華に食われてしまいたいという気持ちが切迫した。

 

「はあ、あっ、ぅッ…」

余裕のなさが指に伝わって彼女の中を傷つけないよう気をつけながら、桓騎は中を広げるようにゆっくりと指を動かした。

指を動かす度に蜜がどんどん溢れて来て、淫華はすっかり奥まで濡れていた。
卑猥な水音に鼓膜を犯され、腰をくねらせる信を見れば、それだけで達してしまいそうになる。

信の反応を見ながら指を増やしていき、三本目をその腹に受け入れる頃には信の顔も蕩けていた。口の端から飲み込めない唾液が滴り落ちていて、唇を艶やかに輝かせている。

淫らなその表情を目の当たりにした桓騎は生唾を見込み、信の頭を抱き寄せて、貪るように唇を重ねた。

「んんっ、う…んッ、ぅう」

舌や唾液に吸い付き、舌先で歯列をなぞってやると、信も激しい口づけに応えるように舌を伸ばして来た。

口づけを交わしながら指を引き抜くと、彼女の細腰を掴んで引き寄せる。熱い吐息を掛け合いながら、向かい合うように信を膝の上に跨らせた。

「は、はあっ…」

立ち膝でいる彼女の脚の間にある、先ほどまで指で解していた入り口に、男根の切先を押し当てた。

そのまま腰を下ろせば一つになれるというのに、抵抗しているつもりなのか、信は恥ずかしそうに顔を背けて腰を下ろそうとしない。

「おい、とっとと腰下げろ」

いつものように乱暴な口調で指示をすると、信は切なげに眉根を寄せながら首を横に振った。

嫌がっているような素振りは見られないが、まさか焦らしているつもりなのだろうか。

「あっ、よ、汚れる…!」

嫁衣が汚れてしまうと、今さら心配し始める信に、桓騎は笑いそうになった。
もうとっくに汗を吸い、皺だらけになっているというのに、今さら汚すのがなんだというのか。

「今さらだろ。心配なら口で咥えとけ」

手を使えと言わなかったのは、どうせこの後に両手を首に回して来るだろうと思っていたからだ。

「う…」

言われた通りにお互いの下半身を覆い隠している嫁衣を持ち上げて、信は口に咥える。

汚れるのを心配しているくせに、唾液で汚すのは構わないのだろうか。もう信もあまり頭が働いていないらしい。

「これなら良いだろ」

彼女の心配事は一応取り除いてやったことだし、これ以上のお預けを食らうのはごめんだった。

「ふ、ぅうッ…」

ぶるぶると内腿を震わせながら、信が腰を下ろしていく。ゆっくりと花弁を押し開いて男根を飲み込んでいく光景はいつ見ても官能的だった。
まるで結合部を見せつけているようにも感じて、桓騎の情欲が一層煽られる。

「んんんーッ」

自重によって根元まで男根を飲み込むと、嫁衣を咥えたままでいる信が鼻息を荒くしていた。背中に回されている信の腕に、ぎゅうと力が入る。

「はあ…」

すぐにでも腰を動かしたくて堪らなかったが、男根が彼女の中で馴染むまでは決して動かない。

それは信の破瓜を破った時から、決まりごとに縛られるのを何よりも嫌う桓騎が一度も反したことのない暗黙の規則だった。

 

模擬初夜 その二

着衣のまま体を繋げるのは初めてではなかったが、嫁衣を着た信を観るのは初めてのことで、桓騎はその姿を目に焼き付ける。

宴や畏まった席に出る時の着飾った信も魅力的だが、婚儀の時にしか着ることの出来ない赤い嫁衣は特別だった。

他の女を抱く時にはお目にかかれない割れた腹筋も、筋肉で引き締まった内腿も、桓騎の情欲を煽る要素でしかなかった。

「んッ、く…ん、ふッ…」

桓騎と繋がっている部分に嫁衣が落ちないようにと、歯を食い縛ったのが分かった。

中で男根が馴染んだのを確認してから、桓騎は信の細腰を抱え直す。

「ふうっ…」

腹に深く埋まっていた男根の位置が変わり、信が思わず熱い吐息を洩らした。

口に嫁衣を咥えたまま、信は桓騎の肩を掴んでいた手を首に回し、強く抱きついて来る。
まるで胸を押し付けられているようにも思えて、桓騎は堪らず、目の前の柔らかくて豊満な胸に吸い付いた。

「んんっ、ふ、ぅうー」

すでに芽はそそり立っており、上下の唇で挟んで、舌で押し潰すように口の中で転がしてやると、信の腰が小さく跳ねた。

連動するように男根を食らっている淫華が口を窄める。

何か言いたげに、信が桓騎を見つめて来る。普段から口が自由に使えるのだが、今日は違う。熱い息と共に吐き出されるくぐもった声は桓騎の鼓膜を心地よく震わせてくれた。

堪らなくなって、つい胸の芽に軽く歯を立ててしまう。

「ふうッ、んーっ」

女の体とは面白いもので、身を繋げたまま、新たな刺激を与えれば、男にさらなる極上の夢を見せてくれる仕組みになっている。

もともと余裕がなくなっていた桓騎は、目の前にある信の豊満な胸に吸い付きながら、腰を突き上げた。

二人の身体が揺れるのに合わせて椅子が軋む。
抱き締めている信の体は赤い嫁衣に包まれていたが、布越しでも彼女の体が熱く火照っているのが分かった。

「信ッ…」

すでに一つになっているというのに、まだ繋がりたくて、桓騎は信の体を強く抱き締める。

淫華に男根が食われているように、他の部分も彼女の皮膚の内側にいきたい。身も心も、何もかもを彼女に全て捧げたかった。

 

 

夢中で腰を突き上げる度に、二人の息はどんどん荒くなっていく。
絶頂に駆け上っていくこの感覚は、他の何にも代えがたいものであって、特別な時間だった。

「んんっ、あッ、か、桓騎っ…!」

いよいよ嫁衣を咥えていられなくなったらしい信が口を開けて、肩で息をしている。もう嫁衣の汚れなど気にしていられないらしい。

信の体を突き上げる度に、男根の先端に柔らかい肉壁がぶつかる。

それが毒耐性を手に入れる代償でもう機能を果たしていない子宮だと分かると、桓騎はさらに奥へ進もうと信の体を抱き込んだ。

「うああッ、あっ、んうッ、ま、待っ、ぇ…!」

機能を果たしていないと言っても、子を孕むことが出来ないだけだ。
指や硬い男根の切先で其処を突かれると、それだけで信はどうしようもなくなってしまうので、ここは女の共通した弱点だと言っても良い。

そして弱点といえば、もう一つある。桓騎は嫁衣の中に手を忍ばせると、鋭敏になっている花芯を指の腹で擦ってやった。

「やああッ」

「ッ…!」

悲鳴に近い声が上がるのと同時に、信の体が大きく跳ね上がる。食い千切られるように淫華が男根を締め付けて来たので、桓騎も思わず歯を食い縛って、快楽の波に意識が攫われないように何とか堪えた。

信は男根で奥を突き上げながらここを弄られるのが弱いのだ。

破瓜を破った時もこうして責め立て、初めて絶頂を迎えた時の信の姿はよく覚えている。

「はあっ、ぁっ、うう、か、桓騎っ…桓騎…!」

涙を流しながら、信が縋りつくように体を預けて来る。お互いにもう限界が近いことは察していた。

花芯を擦りながら、より一層激しく腰を突き上げる。

「あっ、は、あぁ、ああーッ」

髪を振り乱して喜悦の声を上げた信が、桓騎の背中に爪を立てて来る。全身を貫く快楽に、下腹部まで痙攣を起こしていた。

「ッ…!」

淫華が子種を求めてきつく男根に吸い付いて来る。体の内側で何かが大きく弾けた感覚があった。

続けて燃え盛るような欲望と、目も眩むような強い快感が腹の底から沸き上がる。
さざ波のように、快楽が体の芯を突き抜けて遠ざかっていくまで、桓騎は信の体を抱き締めたまま動かなかった。

 

恋人の毒

互いの呼吸が落ち着いてからも、二人はまだ身を繋げたままでいた。

顔に疲労を滲ませた信が桓騎の膝から降りようとするが、桓騎は細腰を両腕でしっかりと抱き寄せて放さない。

まだ情事を続けようとしていることに気づいたのか、信が顔を赤らめて上目遣いで睨んで来た。

「も、もう良いだろっ…」

「まだ治まんねえな」

それは嘘ではなかった。未だ信の淫華に飲まれている男根は再びを芯を取り戻し始めている。

「うう…」

腹の内側で桓騎の男根が硬くなったことを感じ、信が狼狽えた視線を向けた。

副作用が起きたばかりの時の苦しみは多少和らいだが、まだ物足りなさを感じる。桓騎は信の後頭部を掴んで、強引に唇を重ねた。

 

「んんっ…う…」

言葉に出さずとも、まだ足りないという桓騎の想いを信は察したようだった。口内に差し込んだ舌に、信がおずおずと舌を絡ませて来る。

彼女が毒の副作用を起こした時は症状が落ち着くまで何度も付き合ってやっているというのに、立場が反対になると、信は羞恥心が消えないせいなのか、たかだか数回で終わらせようとする。

しかし、そのうち信の方から桓騎を求めて泣きながら腰を振るようになるのは、桓騎の体を通して間接的に毒を摂取しているからなのだろうか。

精液が毒酒の味に近いというのなら、唾液や汗だけでなく、吐息にさえも毒の成分が含まれているのかもしれない。

もしそうなら、信が副作用を起こした時に、症状を落ち着かせるために身を重ねた桓騎自身も興奮が止まないのも頷ける。

…つまりは、信の方も今まさに桓騎という毒を摂取しているというワケだ。

「はあっ…」

長い口づけを終えると、信が惚けた表情で桓騎のことを見つめて来た。
物足りなさを訴えていたのは桓騎の方だったのに、信の双眸からもっとして欲しいという意志が伝わって来る。

もう嫁衣の汚れも乱れも気にする余裕がなくなっているようで、信は桓騎の首に再び腕を回して抱き着いて来た。

「ふ、…ぅ、んんっ…」

肩に顔を埋め、信が腰を前後に揺すり始める。
これはもう桓騎という毒に呑まれたと言っても良いだろう。

恋という感情を少しずつ膨らませていくよりも、流し込んだ毒で支配してしまう方が手っ取り早く、それでいて強力だ。恋という感情を実らせるのならば、先に相手を毒で支配をしてからでも遅くはない。

そんな関係を、他者から狂っていると言われたのならば、その通りだと嘲笑うだろう。
自分たちの頭と体はいつだって、互いの毒で犯されているのだから。

「信」

「んっ…」

耳元で熱い吐息を吹き掛けながら名前を囁くと、それだけで信の体がぴくりと震えた。

赤い嫁衣を身に纏っている信を見れば、まるで婚儀の後の初夜を連想させる。
もちろん信の破瓜を破ったのはとっくの昔だが、いつもよりも新鮮な気持ちで彼女を抱くことが出来るのは嫁衣のおかげだろう。

こればかりは罗鸿ラコウに感謝しなくてはと頭の隅で考えたものの、淫らな表情を浮かべている信の熱っぽい瞳と目が合った途端、そんなことはすぐに忘れてしまうのだった。

 

後日編「~奪い得た財産の使い道~」(2900文字程度)はぷらいべったーにて公開中です。

番外編①(李牧×信)はこちら

番外編②(桓騎×信←王翦)はこちら

番外編④(桓騎×信)はこちら

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恋は毒ほど効かぬ(桓騎×信)後編

  • ※信の設定が特殊です。
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  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
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このお話は「毒酒で乾杯を」の番外編です。

中編②はちら

 

取引

「だ…誰か!誰かおらんのか!」

罗鸿ラコウは桓騎の言葉を信じようとせず、母屋の方に向かって声を掛けた。

すぐに桓騎の亡骸を処理できるよう、家臣たちには近くで待機しておくように指示を出していたというのに、まるで誰も居ないかのように屋敷は静まり返っている。

護衛も連れずに桓騎が信と二人きりでやって来たことに、罗鸿は事を進めやすいと気を良くしていたのだが、それもきっと桓騎がこちらを油断させるための策だったに違いない。

自分が二人をもてなしている間に、母屋の方ではまさか桓騎の仲間たちが侵入していたというのか。

「…そういやお前、俺たちが来る前に井戸の水を飲んだな?」

まるで罗鸿の行動を全て知っているかのような口調で、桓騎が問いかける。

確かに喉の渇きをいやすために水を飲んだ。しかし、それは人間なら誰でも行うことで、別に訝しむことではない。

桓騎の話術に呑まれてなるものかと、罗鸿は両足に力を入れる。

一杯だけなら・・・・・・、そうだな…せいぜい残りは一刻ってところか?」

桓騎の言葉が何を意味しているのか分からず、罗鸿は眉根を寄せる。

知将と名高い彼の前で動揺を見せてはいけないと分かっているのだが、桓騎という存在を前にすると、言いようのない不安に襲われてしまう。

「依頼の品を用意してくれた礼に、遅延性の毒にしておいてやったんだよ」

井戸に毒を投げておいたのだと打ち明けた桓騎に、罗鸿は全身の血液が逆流するようなおぞましい感覚を覚えた。

喉元に手をやり、乱れる呼吸を整えようとするのだが、冷や汗が止まらない。

家臣たちが来ないのも、その毒にやられたからだと直感で察した。

桓騎と信がこの屋敷に来る前に、井戸に毒を投げ込まれていただなんて、誰が予見出来ただろうか。

 

本来ならば信を別室で眠らせている間に桓騎を毒殺し、家臣たちがその亡骸を処理するという計画であったのに、誰一人として様子を見に来る気配もない。

母屋で待機している家臣たち全員が井戸の毒水を飲んで絶命している姿が浮かび、罗鸿は青ざめることしか出来なかった。

飲んで即効性のあるものであったなら、屋敷内は大きな騒ぎになっていたはずだ。毒を飲まなかった者が医者を呼びに走ったり、異変に気付いて毒の出所を探ったに違いない。

しかし、桓騎が言ったように遅延性の毒ならば、全身を蝕まれてから毒を飲まされたことに気づくことになる。しかし、それでは手遅れだ。

これ・・と同じ毒酒を使った。効果はお前も十分知ってんだろ?」

桓騎が薄く笑みを浮かべながら、罗鸿の動揺を煽るように言葉を紡いでいく。

「…そりゃあ当然か。この毒酒をお前に売ったのは・・・・・・・・俺だからな・・・・・

「…な…なに…?」

冷や汗が止まらず、慌てて記憶の糸を手繰り寄せる。
動揺することしか出来ない罗鸿に、桓騎は思い出し笑いを噛み堪えながら話を続けた。

「神経毒っては、少しずつ体を蝕んでく。…そろそろ呼吸に支障が出始める頃だな」

聞き覚えのある説明に、罗鸿は固唾を飲み込んだ。

蛇毒の酒を手に入れる時、闇商人としての繋がりがある者から情報を仕入れ、毒酒の製造を行っている男と引き合わせてもらった。

その毒酒を製造した男は顔のほとんどを隠していたのだが、罗鸿は不審がることはなかった。保身のために、顔を知られないようにしている仲間は多い。

毒酒の売買さえ終われば、もうこの男とも会うことはないだろうと思っていたし、罗鸿は深く追求しなかった。

しかし、それは間違いだったのだ。
桓騎は初めから、こちらの策に気づいており、その上でこちらを好きに動かしていた。

毒酒を売買するところから桓騎の策通りだったのだとすれば、一体いつから自分は彼の手の平で踊らされていたのだろうか。

「あ…」

唇を戦慄かせて、なんとか呼吸を繰り返す罗鸿は自分の喉元に手をやった。

毒を飲まされたことを桓騎に指摘されてから、呼吸の苦しさは自覚していた。間違いない。これはきっと毒の症状だ。

どれだけ息を吸っても楽にならず、罗鸿は死が近づいて来ているのだと認めざるを得なかった。

桓騎の楽しそうな表情からは殺意というものをまるで感じられなかったのだが、残酷なまでの愉悦が浮かんでいる。

きっと自分が毒でもがき苦しむ姿をせせら笑うつもりでいるのだ。

全ては信に手を出した自分の愚かさが招いたことだと、罗鸿は今になって後悔した。

「ど、どうか、どうかお許しください!」

自分が膝を折ることで、桓騎をさらに楽しませることになると分かりつつ、罗鸿はその場に再び手と膝をついて、地面に額を擦りつけつ勢いで頭を下げた。

この中華度全土で、桓騎軍の残虐性を知らない者はいない。女や子供、老人に至るまで容赦なく死に至らしめる桓騎が、謝罪一つで許してくれるとは当然思えなかった。

今から医者のもとへ駆け込む方法もあったが、解毒剤の調合には時間がかかる。

飲まされた毒の種類によっては解毒剤の種類は異なるし、解毒の方法が解明されていないものだってある。

こうしている間にも、無情にも毒は体内を侵食していく。

何とか命だけは助けてほしいと訴えると、桓騎が長い足を組み直して何かを考える素振りを見せた。

「…なら、また取引でもするか?交渉はお前の得意分野だろ」

微かに希望を感じさせる言葉に、罗鸿は縋る思いで何度も頷いた。

 

 

桓騎は懐から小瓶を取り出し、それを見せつけるように、罗鸿の眼前に翳す。中には薄い桃色の液体が入っていた。

「解毒剤だ。俺はよく毒を飲む機会があってな、常にこれを持ち歩いてる」

毒を飲む機会があるというのは物騒なものだが、多くの者たちから恨みを買っている桓騎のことだから、食事や飲み物に毒を盛られることがあるのだろう。

解毒剤を持ち歩いていると知り、ここで罗鸿はようやく桓騎が死ななかった理由を納得したのだった。

小瓶の中身が解毒剤だと知るや否や、罗鸿は助かったと言わんばかりにその小瓶に手を伸ばす。

「まだ取引の途中だろ?」

罗鸿の手が小瓶を掴む前に、桓騎は彼の手から小瓶を遠ざける。

「俺はこれをお前に譲る。…その代わり、お前は俺に何をしてくれる?」

「う、うう…」

もしもこれまで築いて来た地位も財産も失うとしても、命には代えられない。

これまで闇商人として生きて来た罗鸿だが、命を狙われる危険がなかったわけではない。しかし、高い金を払って護衛を雇ったり、事前に手を打つことでその危険を幾つも回避して来たのだ。

だからこそ、罗鸿は怠慢していた。

相手が秦の大将軍だとしても、これまで上手く生き抜いて来た自分の悪運を過信し過ぎていたのである。

しかし、桓騎という強敵を前に、罗鸿は自分の悪運がとうに尽きていたとようやく思い知った。

「しょ、将軍が、ご所望のものを、何でも、何でもご用意いたします!信将軍にも、金輪際近づかないとお約束します!」

解毒剤を手に入れるために、罗鸿は必死に訴えた。
自分の命の灯が消え去ろうとしている今の状況で自分に出来ることといえば、無様に許しを乞うことだけである。

「何でも、お望みのものを必ずご用意しますッ、どうか、どうか」

「…交渉成立だな」

満足そうな桓騎の言葉を聞き、取引が成立したのだと察した罗鸿の双眸に希望が灯る。

解毒剤を手に入れて、命さえ助かればこちらのものだ。

今回のところは仕切り直すとして、再び桓騎が所望したものを提供する際に、再度暗殺計画を試みよう。

表面だけの態度だとしても、完璧な服従を装えば、ほとんどの相手は騙される。
いくら桓騎であっても、此度の交渉を通して罗鸿のことを多少は支配下に置けたと誤解するはず。

命の危機に晒されているというのに、未だ信との婚姻も、その先にある高い地位の確立も諦めずにいる罗鸿は心の中でほくそ笑んだ。

 

交渉成立

「…ほらよ。お望みの品だ」

桓騎は跪いている罗鸿ラコウの前に、再び解毒剤が入った小瓶を突き付けた。

すぐさま掴み取ろうとする罗鸿だが、先ほどと同じように、桓騎は小瓶を遠ざける。

「おっと、手が滑っちまった」

それだけでなく、桓騎は手首の捻りを利かせて、小瓶を遠くへと投げつけたのだった。誰が見聞きしてもわざとだと分かる白々しい態度である。

四阿しあ ※東屋のことを取り囲んでいる池に、小瓶が小気味良い音を立てて落ちてしまい、驚いた鯉たちが水飛沫を上げて跳ねた。

「ああ、そんなッ!」

命綱でもある解毒剤を手に入れようと、罗鸿はまるで犬のように追い掛ける。上質な着物が濡れることも構わず、池に飛び込んで、手探りで小瓶を探し始めた。

「おいおい、早く見つけねえと毒がどんどん回っちまうぞ」

投げ捨てたのは自分だというのに、桓騎は手伝う素振りを見せず、空になっていた杯に残っている毒酒を注ぎながら大らかに笑っていた。

「うう、くそっ、くそっ…!」

息苦しさが増して来る中、罗鸿は必死に池底にある小瓶を探す。

夜のせいで辺りは暗く、小瓶らしきものは水面からは全然見つからない。
池の深さは膝くらいまでだが、罗鸿は四つん這いになって、顔を池に時々沈めながら必死に小瓶を探した。

解毒剤を飲んで命を繋ぎ止めたのならば、いつか必ず桓騎に報復してやると罗鸿は心に誓う。

「あっ…!?」

何かが指先に触れ、藁にも縋る気持ちでそれを手繰り寄せる。水面から上げると、それは桓騎が投げ捨てた解毒剤の小瓶だった。

しっかりと蓋がされていたので、中の薬は無事だったらしい。

「よか、良かった…!」

安堵のあまり手が震えてしまうが、罗鸿は何とか蓋を取り外すと、一気に中身を飲み干した。

 

舌の上に広がる仄かな甘みに、思わず眉根を寄せてしまう。この味には覚えがあった。

「…ん?ああ、そりゃあ解毒剤じゃなくて、お前からもらったお近づきの証・・・・・・だな」

頭上から影と声が降って来て、罗鸿は声の主を見上げる。

桓騎は四阿で腕を組みながら罗鸿を見下ろしており、口元には楽しそうな笑みを繕っていたものの、その双眸は決して笑っていなかった。

獲物を狩る獣のような、貪欲と殺意に満ちたその鋭い瞳に見据えられると、それだけで体が動かなくなってしまう。

「悪いが、もっと良い代物・・・・・・・を知っている。要らねえからそれは返すぜ」

飲んだのが解毒剤ではなく、初めて会った時に桓騎に渡した強力な媚薬であったことを知り、罗鸿の心は絶望の真っ只中に落とされた。息苦しさが増していく。

まるで笛を吹いているような音を立てて、か細い呼吸を繰り返す罗鸿を、桓騎はただ見下ろしていた。

この男は、最初から自分を助けるつもりなどなかったのだ。

刃のように研ぎ澄まされた瞳を見て、それを直感した罗鸿はいよいよ死が迫っていることを自覚した。

 

桓騎の策~仕上げ~

昏々と眠り続けている信の身体を、まるで荷のように桓騎は肩に抱えた。

乱暴に抱きかかえたというのに、信は未だに寝息を立てており、目を覚ます気配がない。よほど強力な催眠作用のある香を嗅がされたのだろう。

百歩、いや、千歩譲って罗鸿の策通りに事が進んだとしたら、もしかしたら今頃は、意識のないまま信はあの男に身体を暴かれていたかもしれない。

石橋を歩いていると、池の中で金色の鱗を持つ鯉たちが気ままに泳いでいる姿が見えた。
あとであの鯉たちも質屋に出してしまおうと考えながら、桓騎は母屋と向かう。

「終わったか」

母屋の廊下を渡り、一番奥にある広間の扉を開けると、豪勢な屋敷には不釣り合いな格好をした仲間たちがこちらを見る。

「おう、お頭。遅かったな」

「屋敷にいたのはこれで全員か・・・・・・?」

その問いに、屋敷の制圧を任せていた雷土が頷いた。
信の着付けも行っていた侍女たちも含め、家臣たちは全員この場に集められていた。後ろ手に拘束され、轡を噛まされている。

元野盗である気性の荒い仲間たちに拘束された家臣たちは、全員が身の危険を察して青ざめた顔のまま震えていた。

予定通り、桓騎と信が屋敷に招かれてから、仲間たちは早々に屋敷の制圧をこなしてくれたようだ。

「へへ、かなり良い代物ばっかりだったぜ」

拘束されている家臣たちと少し離れた場所に、家財道具や金品がごっそりと並べられていた。

摩論が自慢の髭を指でいじりながら、回収した財宝を眺め、その価値を吟味している。にやけを隠し切れていないことから、相当な値打ちであることはすぐに分かった。

 

 

罗鸿が自分たちをもてなしている間、側近たちは桓騎の指示通りに行動を起こしていた。

もちろんこの計画は、罗鸿の誘いを受けてから企てたものではない。
信から罗鸿に悩まされていると打ち明けられたあの日から、桓騎は既に仲間たちの手を借りて下準備を進めていたのである。

手始めに、日頃から付き合いのある情報屋に罗鸿の正体を探らせた。

彼の正体は、表向きは宮廷御用達を目指している豪商。しかし、裏の世界ではそれなりに名が知れ渡っている闇商人であった。

金になることなら何でもするという罗鸿の信条には共感出来るものがあったが、人の所有物を奪おうと企んだことには、何としても制裁を与えなくてはならない。

そこで桓騎は、罗鸿から奪えるものを根こそぎ奪ってしまおうと、元野盗の性分を発揮してしまったのである。

彼の屋敷の構造から侵入経路まで完璧に把握し、仲間たちと共に今日という日に備えていた。

信と桓騎の関係を知って焦った罗鸿が、手っ取り早く桓騎を殺せる道具を探し始めることも想定内であったし、祝いにかこつけて酒に細工をすると考えるのは難しいことではなかった。

それを利用して、桓騎は素性を隠しながら、罗鸿に蛇毒の酒を高額で売りつけたのである。

罗鸿にとって、桓騎の暗殺は気づかれる訳にはいなかった。信との婚姻が破談になるどころか、大将軍の殺害を企てたとして死罪に直結することになるからだ。

そのため、信が見ている手前、罗鸿が直接手を出すことはしないと桓騎は睨んでいた。

だからこそ、毒殺の現場とその後の死体の処理を信に見られないよう、彼女を眠らせるか、何かと理由を付けて別室に隔離されるかのどちらかだとは思っていたが、まさかこうも予想通りに動いてくれるとは思わなかった。

 

 

もしも罗鸿が潔く信のことを諦めてくれたのならば、闇商人であることを延尉ていい ※刑罰・司法を管轄する官名に告げないでおくつもりだった。

もちろんタダではなく、口止め料と引き換えにだが、罗鸿も自分の地位を守るために納得のいく額を用意してくれるに違いないと睨んでいた。

信の話を聞いた時から、桓騎にとって罗鸿は良い金づる・・・・・だったのである。

しかし、残念なことに罗鸿は信のことを諦めなかった。だからこそ桓騎は、人の女を奪おうとした罗鸿へ制裁も兼ねて、根こそぎ奪うことを決めたのである。

罗鸿の策通り、信が眠らされてしまったのも、桓騎にとっては都合が良かった。

彼女は桓騎軍の素行の悪さを個性として受け入れているものの、他者のものを奪うことを良しとしない。

大将軍として他国の領土や大勢の命を奪っているくせに何を言うのだと笑うと、逆上されてしまったことがあった。

…思えば、摩論が茉莉花まつりか ※ジャスミンの一種の茶を淹れてくれたのはあの時だったかもしれない。

もしも信と毒耐性という共通点がなければ、きっと性格の不一致から今のような関係を築くことはなかっただろう。

今も寝息を立てている信の姿を横目で見やり、出会いとはよく分からないものだと苦笑してしまう。

「お頭。用が済んだんなら、とっととずらかろうぜ」

雷土に声を掛けられて桓騎は頷いた。
しかし、お宝を持ち帰る前にまだやらなくてはならないことがある。

未だ拘束されている家臣たちの前に立った桓騎は、にやりと笑みを浮かべた。

 

目覚め

…目を覚ますと、見慣れた部屋の天井が視界に入り込み、信はしばらく寝台の上から動けずにいた。

窓から差し込む温かい光に、すでに昼を迎えていることに気づく。

「はっ?な、なんで…?」

罗鸿の屋敷でもてなされていたはずだったのに、どうして桓騎の屋敷にいるのだろうか。

記憶の糸が途中で途切れており、その後のことを一切覚えていないのだ。
酒に酔った記憶もなかったのだが、こんな風に記憶が途切れているのはあまりにも不自然だ。

確か母屋の一室で侍女たちに嫁衣の着付けをしてもらい、化粧が終わってから桓騎と罗鸿がいる四阿へ戻ったはずだった。

未だに赤い嫁衣を身に纏っていることから、罗鸿の屋敷から帰って来たのだと分かったが、四阿に戻ってからの記憶が一切ないのは何故なのだろうか。

いつの間にか桓騎の屋敷に帰って来ていたことから、確実に桓騎が何かを知っているに違いない。
信は桓騎から事情を聞こうと、寝台から起き上がり、床に足をつけて立ち上がった。

「あっ、え…!?」

立ち上がるのに腹に力を入れた途端、脚の間から粘り気のある何かが伝っていく嫌な感触に瞠目する。

さらには、下腹部に違和感があった。何度も覚えがあるそれは、身体を重ねた翌朝に感じる甘い疼きで、まさかと思い、嫁衣の中に手を忍ばせて恐る恐る確認する。

「~~~ッ…!」

寝起きだというのに顔が燃え盛るように熱くなる。

一級品の嫁衣が見事なまでに皺だらけになっていたことも合わさって、記憶はないのだが、昨夜に桓騎と身を交えたことを信は嫌でも察したのだった。

「か、桓騎ぃーッ!!」

堪らず信は悲鳴とも怒鳴り声とも取れる大声を上げた。屋敷中にその声が響き渡る。

記憶がなくなっている間、彼は自分に何をしたのだろう。以前、王翦の前で辱めを受けた記憶が蘇り、まさか罗鸿の前でも同じことをしたのではないかと恐ろしくなった。

 

「うるせえな。やっと起きたか」

声を聞きつけたのだろう、呆れ顔の桓騎が部屋に入って来るなり、信は一級品の嫁衣がさらに乱れるのも構わずに大股で近づいた。

「お、お前、俺が寝てる間に、な、な、何しやがった!」

両腕を伸ばして桓騎の胸倉を掴んだ信は、嫁衣と同じくらい真っ赤な顔のままで昨夜のことを問い詰めた。

物凄い剣幕で迫る信に、桓騎は少しも動揺することなく、肩を竦めるようにして笑う。

「言っとくが、誘って来たのはお前の方だぞ?」

「嘘吐け!じゃ、じゃあ、なんで記憶がないんだよッ!?」

「ああ、昨夜は毒酒も飲んでねえな。俺の技量が良過ぎて、トんじまったんじゃねえのか」

澄まし顔でさらりと言って退ける桓騎に、信は悔しそうに奥歯を噛み締める。恥ずかしげもなくそんな言葉を口に出せるところもそうだが、顔も良いところが余計に腹立たしかった。

この男に口で勝てるはずがないし、そういえば一度も勝てたことがない。それは嫌というほど分かっていた。

「そ、そういや、罗鸿ラコウはどうしたんだよ」

思い出したように信が罗鸿の名を口に出すと、桓騎がとぼけるように小首を傾げた。

「ああ、お前はもてなされてる最中に寝ちまったからな」

不自然に記憶がないこともそうだが、全てを知っているような口ぶりで話す桓騎に嫌な予感を覚えて、信は不安そうに眉根を寄せた。

「お前…何したんだよ?」

まるでこちらが何か事を起こしたを前提として問いかける信に、桓騎は苦笑を深める。

「とりあえず湯浴みして来い。総司令からお前宛てに呼び出しがあったぞ」

信の問いには答えず、桓騎は寝ぐせの目立つ頭を優しく撫でてやった。

上手くはぐらかされたことに信は納得がいかないと顔を曇らせたが、総司令である昌平君からの伝令を無視することは出来なかったらしい。

「…ん?なんで昌平君が俺がここにいるって知ってんだ?」

「お前が俺の屋敷に入り浸ってるって知ってるからだろ」

罗鸿の件があって、信は十日ほど桓騎の屋敷に滞在をしていた。それ以外でも桓騎の屋敷には頻繁に訪れているのだが、まさか昌平君にそれを知られているとは思わなかった。

昨夜のことがどうしても気になったが、軍の総司令からの呼び出しとなれば何か重要な話があるのではと思い、信は湯浴みと支度を済ませてから、すぐに宮廷へと出立した。

 

 

宮廷に到着するなり、信は待機していた兵に、昌平君が執務を行っている部屋へと案内された。

「おい、昌平君。用って何だよ…ん?」

「来たか、信」

部屋に入ると、そこにいたのは昌平君だけではなかった。

二人の男は信を見るなり、礼儀正しく供手礼を行う。
しっかりとした身なりを見れば、それなりに地位のある者たちだと分かる。しかし、見慣れない顔であることから昌平君の配下でも宮廷の高官でもなさそうだった。

「えっと…?」

昌平君の話によると、二人は咸陽の官署に務めている延尉ていい  ※刑罰・司法を管轄する官名と捕吏だという。

地方行政に携わっている役人たちが、国の行政を取り纏めている右丞相である昌平君と話をしているのは何ら不思議なことではない。

しかし、三人がまるで自分のことを待っていたような態度に、信は此度の呼び出しと何か関係があるような気がしてならなかった。

てっきり軍事の指示だろうと思っていたのだが、別件らしい。

「咸陽で名を広めていた闇商人を捕縛したそうだな。その時の状況について詳しく尋ねたいそうだ」

読む気も失せてしまうような、文字がびっしりと綴られている木簡に目を通しながら昌平君が本題を切り出した。

「は?闇商人…?」

信が頭に疑問符を浮かべていると、延尉と捕吏が顔の前で手を合わせながら信に深々と頭を下げた。

「ずっと足取りを追っていたのですが、なかなか捕らえるに至らず…信将軍には感謝しております」

感謝の言葉を贈られるも、信は小首を傾げることしか出来ない。

「お、おい、何か勘違いしてねえか?俺は闇商人なんか捕らえた覚えは…そもそも、何の話だよ」

身に覚えがないのだと言えば、延尉と捕吏だけでなく、普段は冷静沈着である昌平君も珍しく目を丸めていた。

闇商人の罗鸿・・・・・・だ。お前に縁談を申し入れていただろう」

「は…?罗鸿が闇商人だとッ!?」

まさに今初めて知ったという反応に、三人が瞠目する。

昌平君は延尉と顔を見合わせると、手に持っていた書簡を信に差し出した。

反射的に受け取った書簡を見やると、それは帳簿のようで商売の取引や資金の動きに関する内容が記されていた。

金勘定に疎い信であっても、そこに記されている膨大な資金を見ればただの商売ではないことが分かる。

「…な、なんだ、これ…?」

「それが罗鸿が闇商人であることを示す動かぬ証だ」

狼狽している信に、昌平君が普段通り冷静な口調で答えると、捕吏が丁寧に説明を足してくれた。

「罗鸿がこれまで過去に行っていた裏商売です。この帳簿と一緒に、捕縛された罗鸿が官署の前に置かれていた・・・・・・のです」

少しも状況が理解出来ず、信はぽかんと口を開けている。その様子を見て、昌平君は何かを察したように頷いた。

「…罗鸿の正体を突き止めるのに、婚約者を名乗っていた訳ではないようだな」

咸陽で信と罗鸿の婚姻の噂が広まっていた時、宮廷にもその噂が舞い込み、昌平君はそれが本当なのかを信本人に確認したことがあった。

もちろんそんなはずがないと全面否定していたし、そして今もなお驚いている信の反応を見て、昌平君は彼女がこの事件を解決したのではないことを理解する。

それどころか、信に事件を気づかせぬよう、念入りに裏で手を回していた人物がいるのだと気づき、そして昌平君はそれが誰であるかをすぐに察したのだった。

「ではもう一度、調査の報告を頼む」

右丞相の命令により、延尉と捕吏は再び闇商人罗鸿に関しての調査報告を始めるのだった。

 

桓騎の策~裏工作~

宮廷へ行ったはずの信が血相を変えて屋敷に戻って来ることは、桓騎の想定内であった。

昨夜のことで少々寝不足気味だった桓騎は欠伸を堪えながら、彼女を出迎える。

「か、桓騎ッ!お前、昌平君たちから全部聞いたぞッ!」

右丞相と軍の総司令を担う男の名前を再び聞き、これから面倒なお説教が始まりそうだと肩を竦める。

昌平君たちと複数形で語ったことから、恐らく延尉と捕吏からも話を聞いたのだろう。

罗鸿ラコウが闇商人だって、お前、最初から知ってたのか!?」

胸倉を掴む勢いで詰め寄って来た信に、ここでと知らないフリをしても彼女の怒りを煽るだけかと考える。

「…お前が眠っている間、偶然・・あいつの商売帳簿を見つけたんでな。調べてみりゃ、とんでもねえ利子や賄賂が絡んでるって分かったんだよ」

何か言いたげな顔で信が唇を戦慄かせている。きっと知りたいことが山ほどあり過ぎて、何から聞き出すべきか悩んでいるのだろう。

「あ、あいつを官署の前に置いてたのもお前の仕業か…!?」

「さあ?よく覚えてねえな」

当然ながら、眠らされていた信は昨夜のことを一切覚えていない。だからこそ何とでも言い訳を思いついた。

…本当はあの男の亡骸をバラして家畜の餌にでもすれば、証拠隠滅が図れると思っていたのだが、信との婚姻騒ぎもあって、名前と存在を広めている商人が急に失踪したとなれば大勢が怪しむだろう。

突然の失踪によって、信に何かしらの疑惑が掛けられることは目に見えていたし、それは桓騎としても気分が良いものではない。

もしそうなっても、罗鸿が闇商人であることを後付けで広めてしまえば、失踪した理由など勝手に納得されると思っていた。

しかし、今回は信が絡んでいることもあって、桓騎は死人を出さず・・・・・・、なるべく穏やかに解決することを最優先としたのだった。

結果としては穏便に解決してやったのだから、むしろ感謝してほしいものだ。

しかし、全てを打ち明ければ、それはそれで信が騒ぎ出すのは目に見えていたので、桓騎は都合の良い部分だけを答えることにしたのである。

 

上手い具合にとぼけようとしている桓騎に、信の目つきが鋭くなる。

「…側近たちも動かしたんだろ」

「ん?」

桓騎が信頼している側近たちも今回の件に協力していたことは事実だ。

眠らされていた信がそこまで予見するとは思えなかったが、もしかしたら桓騎が関わっていたと知った昌平君が何かしら予見を伝えたのかもしれない。

「罗鸿の身柄を取り押さえてから、あいつの屋敷を調査した捕吏が、屋敷はもぬけの殻だった・・・・・・・・って言ってたぞ。お前らが全部持ってったんだろ」

信が勘付いた理由は単純なもので、屋敷にあった金目の物が全てなくなっていたことから側近たちが協力したのだと気づいたらしい。

官署の前に縄でぐるぐる巻きにされていた罗鸿(拘束されているというのになぜか悶々としていたらしい)と、彼の傍に置かれていた帳簿から、闇商人の疑いで身柄を確保した延尉と捕吏は、すぐに罗鸿の屋敷の調査を行った。

しかし、調査のために屋敷に乗り込んだ途端、役人たちは驚愕した。

あの豪勢な屋敷に相応しい家具や調度品だけではなく、初めからそうであったかのように家臣や使用人たちも一人残らず消え去っていたのだという。

その話を聞いた桓騎は椅子に腰を下ろすと、頬杖をついて目を細めた。

「昨夜は美味い酒でもてなされたからな。酔ってて覚えてねえよ」

しかし、信の疑惑はますます深まるばかりだった。

「…都合よく忘れたフリしても無駄だぞ。じゃあ、なんで今日はオギコたちがいねえんだよ」

いつも付き従っているはずのオギコや他の側近たちが揃いも揃って屋敷を空けていることに、信はいち早く気づいたらしい。

「屋敷から持ち出した物を質に出してんじゃねえのか?秦国中にある質屋を回れば証言が取れるはずだ」

「ちっ…」

時々鋭い感が働くのは少々厄介だ。これ以上隠し通すのは無理かもしれない。

信の機嫌を損ねても面倒なことにしかならないので、桓騎は小さく溜息を吐いてから素直に打ち明けることにした。

 

 

「…罗鸿から財産を一式譲り受けた・・・・・だけだ。家臣たちにも十分な取り分を渡してやったし、奪ったワケじゃねえ」

奪ったのではなく、譲り受けたと主張するものの、信は当然ながら納得出来ないでいるようだ。桓騎のことだから、穏便に譲り受けたとはどうにも考えづらい。

しかし、主が役人に捕らえられてしまい、働き口を失った家臣たちや使用人にも十分な取り分を与えたことに信は驚いた。

てっきりお宝を独り占めしているとばかり思っていたので、桓騎が家臣たちのその後の生活を気遣うとは思いもしなかったのである。

しかし、そのお宝を譲ってもらうために、罗鸿に何をしたのだろうか。

「桓騎、お前…まさか罗鸿を脅したんじゃねえだろうな?」

脅したという言葉が気に食わなかったらしく、桓騎が片眉を持ち上げる。

「人聞きが悪いな?命だけは助けてくれって懇願して来たのは向こうの方だぞ」

「やっぱり脅したんじゃねえかッ!」

残念ながら予想が当たってしまい、信はやるせない気持ちに襲われた。

 

桓騎への貸し

桓騎と信が罗鸿の屋敷に招かれた直後から、作戦通り、雷土を筆頭に屋敷の制圧が始まった。

まずは家臣たちを取り押さえること、その次に闇商人である証拠となるものの確保、あとは金目になりそうなものの徴収。

優秀な仲間たちはこの三つの目的を、罗鸿が桓騎と信をもてなしている間に早々に行ってくれていたのである。

桓騎が毒酒を飲んだ後、その死体を片付ける役目を担っていた家臣たちが一人も現れないことから、罗鸿は家臣たちが全員、桓騎が話していたように、井戸の毒によってやられてしまったのだと信じ込んでいた。

もちろん家臣たちの亡骸を見たわけではなく、単なる桓騎の言葉のあや・・・・・だったのだが、追い詰められた罗鸿は家臣たちが全滅させられたのだと疑わなかった。

人間は精神的に余裕がなくなれば、言葉の術に陥りやすくなる。
言葉巧みに相手を陥れるそれは、桓騎がもっとも得意とするところであった。

井戸に毒を流したというのも虚言でしかないのだが、味方を失ったと思い込んだ罗鸿は、その虚言にまんまと陥れられた。
毒を飲んだと信じ込み、勝手に一人で苦しがる姿は滑稽だった。

結局のところ、一人として犠牲は出ておらず、罗鸿は桓騎に返された強力な媚薬を飲み干して一人で悶々と苦しんだというワケだ。

それからもう一つ・・・・、今回の騒動を幕引きするために行っていたことがあったのだが、それは言うに及ばないだろう。

「…で?礼は?」

「へ?」

話を切り替えるために、桓騎は今回の貸しをどう返却するのかと切り出した。

「今回の件は一つ貸しっつったろ。俺とお前の仲に免じて、百でいいぜ?」

「百ぅっ!?なんで一の貸しが百にまで膨れ上がってんだよ!?」

「金勘定には疎いくせに、計算できるんだな」

感心しながら返すと、信は狼狽えながらも今回の貸しをチャラにする方法を考えている素振りを見せた。

「まあ、金で払うなら、別に…」

大将軍という立場である信は、十分過ぎる給金も戦での褒美も得ており、大金を用意することなど容易いことだ。

桓騎軍と違って、飛信軍は派手に金を使うことはない。
そこらの娘なら目を輝かせそうな着物や装飾品にさえ信は興味を持たないので、貯め込む一方なのだろう。

それにしても、今回協力した目的が金のためだと思われているのかと桓騎は苦笑した。

「まさか、お前…俺が金目当てに動いたと思ってんのか?」

心外だと、わざとらしく肩を竦める。

「は?じゃあ、なんだよ」

何だか既視感のあるやり取りだと考えながら、桓騎は苦笑を深めた。

「返すどころか、さらに貸しの上乗せをしてやろうか」

「はあ?」

何を言っているのだと信が聞き返す。

戸惑いながらも視線を逸らすことなく、桓騎を見つめ返している円らな黒曜の瞳は、これまで手に入れたどのような宝石よりも美しい。

小さく咳払いをしてから、桓騎は目の前の女をじっと見据えた。

 

 

「…これから先、面倒な男に絡まれない方法・・・・・・・・・・・・を教えてやるって言ってるんだよ」

僅かな緊張が声に滲んでしまったことに、ダセェなと内心狼狽しながらも、桓騎は腕を組んで信の返事を待った。

「………」

何度も瞬きを繰り返している彼女が、返事を迷っているというより、こちらの言葉の意味を少しも理解出来ていないことを桓騎は直感的に悟った。

「…すでにお前が面倒な男だけどな?」

斜め上の返答に、桓騎は思わず噴き出してしまう。自分との付き合いが長くなって来たせいか、随分と面白い返しをするようになって来たものだ。

もちろん桓騎を笑わせるためではなく、素で答えているというところが憎めない。

「言うようになったじゃねえか。…で、どうする?知りたいか?」

少し俯いてから、信は悩ましげに眉根を寄せて桓騎を上目遣いで見上げた。

もしも信が知りたいと答えたのなら、次に言う言葉は、ずっと前から決まっていた。

「それ聞いたら、また貸しか?勘弁してくれ」

「………」

しかし、こちらの意図を少しも理解していない上に断られてしまい、桓騎の口角が思わず引きつる。
やはりこの鈍い女にはもう少し噛み砕くか、直球で伝えるべきだったらしい。

「ん?なんだよ?」

表情に出すことはないが、哀愁が漂っていたのか、信が小さく小首を傾げている。本当に何も理解していないようだ。鈍感女めと心の中で毒づく。

「…つーか、今回は俺が助けたんだから、それでチャラだろ!」

今度は桓騎が小首を傾げる番だった。

「助けた?何の話だ」

聞き返すと、信の顔がみるみるうちに赤くなっていく。過去に幾度となく見たことのある反応だ。

「そ、その、…毒酒のせいで、お前が苦しいって言うから…」

何とか言葉を紡いでいくものの、羞恥によってその声は掻き消されていた。
しかし、桓騎の口角は自然とつり上がってしまう。

目覚めた時には何も覚えていないと言っていたが、どうやら昨夜、屋敷に帰って来てからのことを思い出したようだ。

真っ赤にした顔を上げられなくなってしまった信は、再び昨夜のことを思い返しているのだろう。

昨夜は普段以上に毒を摂取し過ぎたせいで、随分と久しぶりなことに、桓騎の方が毒の副作用――まるで媚薬を飲まされた時のように性欲の増強と感度が上昇する――を起こしてしまったのだ。

信よりも桓騎の方が毒の許容量は多い体質なのだが、罗鸿に売りつけた蛇の毒酒はかなり強いものだった。

それに加え、屋敷に帰ってから毒酒を飲み直したことが良くなかったらしい。

…とはいえ、副作用で苦しむ自分を懸命に慰めてくれた信の淫らな姿はしっかりと目に焼き付いている。

一級品の嫁衣を身に纏い、ひたすらに自分の名前を呼んで身を委ねる信との淫らで甘い時間は、まるで婚儀の後の初夜を想像させた。

きっと毒の副作用を起こさなければ、あそこまで信が自分を介抱してくれることはなかっただろう。

いつだって自分たちが身を寄せ合う時には、必ず傍に毒酒がある。

二人で毒酒を飲み交わすのは、桓騎が信に恋心を抱くよりも前から続けていた習慣でもあって、今となっては随分と厄介な存在だ。

恋心を打ち明けようと葛藤するより、毒酒を飲んだ方が、いつだって素直な想いを打ち明けられる。

しかし、いつまでもそれを言い訳に本心を隠しておくことはしたくなかった。

今回の件で、信がいかに戦場以外ではいかに弱い存在であるかを思い知らされた。それは桓騎の信に対する独占欲をさらに大きく掻き立てることになったと言っても過言ではない。

「…桓騎?」

「仕方ねえから、昨夜のことでチャラにしてやる」

渋々と言った様子で貸し借りを相殺すると、信は安堵したように笑った。

 

…その後、信は咸陽を歩く度に、罗鸿との婚姻を祝福していた民たちから、今度は別の言葉を掛けられるようになっていた。

罗鸿の闇商人としての悪事が公になったことから、民たちはいずれは自分も被害に遭っていたかもしれないと恐怖を抱いた。

しかし、それを未然に防いだのは民を救うために、信が婚約者のフリをして彼に近づき、結果として闇商人である証拠を見つけ出し、罗鸿を捕らえたおかげである。

民への被害を未然に防ぐことが出来たのは信将軍の活躍があってこそ。
罗鸿が捕らえられてから、これまでの婚姻話を塗り替えるように、すぐさまその噂は咸陽に広まっていった。

不自然なほど・・・・・・急に広まったその噂は、信の活躍を讃えるものであったが、桓騎軍の存在を感じさせるものは何一つとして含まれていなかった。

信は民たちから感謝の言葉を掛けられる度に、脳裏に恋人の姿が浮かび、複雑な想いを隠し切れず、ぎこちない笑顔を浮かべていたという。

そして時々、罗鸿から譲ってもらったあの一級品の嫁衣を着るよう強要して来る恋人に、付き合い切れないと信はとことん呆れてしまったのだが、…それはまた別のお話。

 

本編で割愛した屋敷帰還後の番外編はこちら

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恋は毒ほど効かぬ(桓騎×信)中編②

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/毒耐性/シリアス/IF話/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

このお話は「毒酒で乾杯を」の番外編です。

中編①はこちら

 

もてなし

後日、他の民たちの目を避けるためにという名目で、二人は罗鸿ラコウの指示通りに、夜になってから彼の屋敷に訪れた。

罗鸿は二人が護衛も連れずにやって来たことに驚いていたものの、すぐにあの胡散臭い笑顔で出迎えてくれた。

大きな門を潜ると、すぐに広大な庭院が現れた。石橋が掛かっている池の中央には四阿しあ ※東屋がある。

池の水には淀みや苔一つないことから、頻繁に手入れが施されているようだ。金色の鱗を持つ立派な鯉が幾匹も泳いでいる。

これほどまでに大きな屋敷を築き上げることや、その手入れを任せるのに人を雇う財力はそこらの商人では得られない。

屋敷の外装もそうだが、この広大な庭院を見れば、罗鸿が商人として大いに成功していることを物語っていた。

「どうぞこちらへ」

罗鸿が石橋を渡り、池の中央にある四阿へと案内される。すでに四阿には二人の侍女が待機していた。

設置されている椅子に腰を下ろす。机には酒瓶と杯、それから両手に抱えられるくらいの大きさの桐箱が用意されていた。

二人が椅子に腰かけたのを見届けてから、罗鸿が二人に深々と頭を下げた。

「ささやかですが、私からお祝いをさせていただきます。まずはご依頼いただいた品の一つをご覧ください」

用意されていた桐箱の蓋を開けると、そこには赤い嫁衣・・が収納されていた。
絹糸で繕ったその嫁衣は光沢があり、美しい花の刺繍が施されている。着物の価値が分からぬ者でも高級品であると見ただけで理解出来る代物だ。

「一級品の嫁衣をご用意いたしました。婚儀の際にはぜひこちらをお召しください」

「へえ…」

吐息を零しながら信も美しい嫁衣に見惚れている。手に入れたいというよりは、芸術品でも鑑賞しているような顔だった。

金目のものに一切の興味を示さないはずの信がそんな反応を見せるのは珍しいことで、こればかりは罗鸿に依頼しておいて良かったかもしれないと考える。

 

「信将軍。せっかくですからご試着をしてみてはいかがでしょう」

信の反応に気を良くした罗鸿が両手の手の平を擦り付けながら、胡散臭い笑みを浮かべる。

「え?でも…」

桓騎との婚姻は、罗鸿を諦めさせるための偽装工作だ。かなりの値打ちものであるこの嫁衣を実際に着る機会がないことを、信は心のどこかで申し訳なく思っているのだろう。

「良いじゃねえか。試しに着てみろ。修整も必要になるかもしれねえだろ」

それらしい言葉を使って試着を勧める桓騎に、信は少し戸惑いながらも頷いた。

待機していた侍女の一人が嫁衣の入った桐箱を箱抱え、もう一人が信を連れて行く。着付けのために母屋の一室へ案内するらしい。

罗鸿が試着を勧めたのは、きっと信をこの場から遠ざけるためだろう。
恐らく信はこれが罗鸿の策だと気づいていないに違いないが、桓騎はそれを見抜いており、あえてその策に乗ってやろうと、信に試着をするよう命じたのだ。

「信」

三人が四阿を出て、石橋を踏み込んだところで、桓騎は信の背中に声を掛けた。

面紗めんしゃ ※ベールのことはつけるな。それは婚儀の時で良い」

「あ、ああ、分かった」

魔除けの意味が込められており、花嫁の顔を覆うためのうすぎぬを外すのは、婚儀の時に夫となる男の役目である。

単なる試着だとしても、面紗をつけるのは正式な婚儀の場であるべきだ。
規律に縛られることを何よりも嫌っているこの自分が、婚儀の習わしに従おうとしている矛盾に桓騎は苦笑した。

もちろん婚儀を挙げるのは作り話なのだが、彼女が嫁衣を身に纏う姿は是非とも見ておきたい。

(…さァて)

侍女たちに案内され、回廊を通っていく信の姿が見えなくなると、桓騎はいつものように、両足を机へどんと乗せた。

招かれている立場だとしても無礼極まりない態度であることは十分に自覚していたが、罗鸿の感情を煽る目的もあった。

冷静さを取り繕ってはいるものの、余裕を失くした罗鸿が行動に出るならそろそろだろう。

彼自身が行動に移すのはこれからで、しかし、もうすでに水面下では事が進んでいることを、桓騎は書簡を受け取る前から予見していたのである。

「桓騎将軍。信将軍がお戻りになるまで、こちらの美酒をご堪能ください。ささやかですが祝杯でございます」

胡散臭い笑みを深めながら、罗鸿が用意してあった酒瓶を手に取った。

祝い酒として杯に注がれていくそれを見て、桓騎は僅かに目を細める。

「…酌をするやつが、野郎なのは気に入らねえな」

桓騎は注がれた酒をすぐに飲むことはせず、退屈そうに背もたれに身体を預ける。

「どうぞご勘弁を」

そんな理由で酒を飲まれないとは思っていなかったようで、罗鸿が困ったように頭を下げた。

先ほどの侍女たちは信の着付けを行っているようで、戻って来る気配はない。かといって他の侍女が来ることはなく、この場にいるのは桓騎と罗鸿だけだった。

「私はしがない商人で、そう多くは侍女の手配も出来ませんので…」

もっともらしい理由で罗鸿が答える。しかし、桓騎は注がれた酒を飲むことはしなかった。

「随分と謙遜するじゃねぇか?信にはあれだけ自信満々で迫ってた野郎が、どういう風の吹き回しだ?」

遠慮なく棘のある言葉を投げかけると、罗鸿の笑顔が引き攣ったのが分かった。
何を思ったのか、彼はその場に躊躇いなく膝をつく。

「まさか桓騎将軍と信将軍が婚姻を結ばれるとは存じ上げず…どうかご容赦を…」

恐れをなしたというよりは、単に桓騎の機嫌を損ねないようにしているのだろう。少しも誠意のこもっていない謝罪に、桓騎は肩を竦める。

目的を叶えるためなら、容易く膝をついて頭を下げることも厭わない自尊心の低さにはむしろ感心してしまう。

男の膝には大いなる価値があるというのに、商人というものは相手の機嫌を伺わなくてはならない面倒な商売だ。

「隠してたからな。信が縁談を断り続けてたのもこれで納得しただろ」

「返す言葉もございません」

詫びを入れるその顔は、やはり申し訳なさを繕っただけの表情であった。

それから桓騎はこれまで信に貢いで来た贈り物は何なのか、どこで仕入れた品なのかを罗鸿に問うた。

別に興味がある訳ではなく、罗鸿の出方を見るための時間稼ぎである。

他愛のない話を続けていると、どうやら痺れを切らしたのか、罗鸿がわざとらしく咳払いをする。

「桓騎将軍、まだ信将軍はお戻りになりません。先に美酒を堪能してはいかがでしょうか?」

先ほど注いだまま放置していた酒を飲ませようとすることから、やはり酒に何かしらの細工をしているのだと桓騎はすぐに見抜いた。

他の家臣や侍女たちが来ない二人きりの状況で酒を勧めるだなんて、どうぞ疑ってくださいと言っているようなものである。

細工の正体はきっと眠り薬か毒の単純な二択だろう。しかし、早急に桓騎の処理を考えている今の罗鸿が選ぶなら、当然後者になる。

さっさと桓騎を消してしまいたいという焦りが全面的に表れていることに、罗鸿本人は気づいていないようだ。

「…お前も飲めよ。一級品の嫁入り道具を用意してくれた礼だ」

台の上に置かれていた酒瓶を手に取ると、恐らくは信が飲むために用意されていた杯に酒を注いでやる。

「………」

酒を注ぎながら、桓騎は罗鸿の表情に変化がないか横目で確認する。

もしもここで酒を勧められたことに動揺するならば、この酒瓶の中身が毒酒であると見て間違いないだろう。

「いえ、この酒はお二人の祝いのために取り寄せた貴重な代物です。私が頂くには値しません」

表情に動揺は見られなかったが、桓騎の誘いを上手い具合に回避したことから、中味が毒酒であることを確信する。

胡散臭い笑顔で罗鸿は仮面をした気になっているのだろうが、その瞳からはひしひしと殺意が沸き上がっていた。はっきりと殺意を感じるようになったのは、信がこの場からいなくなってからだ。

幼い頃から過酷な環境で育ち、今でも将として戦場に出れば死と隣り合わせである桓騎の前では、殺意は隠しても意味がない。

そして奇策を用いて相手を攻め立てる桓騎には、ずる賢い策略など、たとえここが戦場でなくとも無意味なのである。

きっと罗鸿からしてみれば、桓騎さえいなければ、あともう一押しで信を手に入れることが出来たと歯痒い想いをしていることだろう。

だが、そもそも人の女を盗ろうとした方が悪いのだ。

最後は自分が勝利を噛み締めて高らかに笑っている姿を想像しながら、桓騎は罗鸿の策に乗ってやろうと、自分に注がれた酒杯に手を伸ばした。

 

もてなし その二

罗鸿ラコウ様」

ちょうどその時、先ほど信を母屋へ連れて行った侍女の一人が現れた。嫁衣の着付けが終わったのか、侍女が罗鸿に何かを耳打ちする。

桓騎が違和感に覚えたのはその時だった。
侍女の鼻から顎まで厚手の布で覆われており、顔の半分が隠されていたのである。

仕入れた嫁衣は桓騎の注文通り、一級品の代物なのだから、着付けの際、侍女の化粧や香油がつかないように配慮したのかもしれない。

未だ桓騎が酒を飲まずにいることには気がかりのようだが、侍女の話を聞いた罗鸿は桓騎の方に向き直り、あの胡散臭い笑顔を浮かべた。

「信将軍の御支度が整ったようです。それでは、さっそくこの場にお連れしなさい」

「え…よろしいのですか?」

侍女が聞き返すと、罗鸿はきっと彼女を睨みつけた。
その視線に怯えた侍女は足早に四阿を後にする。支度を終えた信を連れて来るらしい。

良い金づるである桓騎と信の前では、いつだって笑みを絶やさずにいたのに、侍女に見せた鋭い目つきに、桓騎はそちらが罗鸿の本性かと考えた。

そんな表情を呆気なく披露してしまうくらい、もう彼には余裕が残されていないのだろう。

「いやはや、信将軍の花嫁姿が拝めるとは、なんたる幸福でしょう」

罗鸿の鼻息は僅かに荒かった。
信の嫁衣姿を心待ちにしていたのか、それともこれから邪魔者を消して自分の策略通りにいくことを想像し、出世の喜びを噛み締めているのか。

…どちらにせよ、それは今しか味わえない幸福だと桓騎は心の中でほくそ笑んだ。

 

「お連れしました」

二人の侍女に連れられて、赤い嫁衣に身を包んだ信が回廊から現れる。

「ほう」

その姿を見て、自然と口角が上がってしまう。

桓騎に言われた通りに面紗はしていなかったが、顔には化粧が施されている。
信の顔に刻まれている小さな傷痕が隠れているのは白粉を使ったからだろう。唇には紅が引かれており、上品さが際立っている。

いつもは後ろで一括りに結んでいるだけの髪も丁寧に結われていた。美しく着飾った信の姿に、桓騎はつい感嘆の溜息を零す。

いつも背中に携えている秦王から授かった剣は預けて来たらしい。確かに嫁衣を着て、剣を背負う女など聞いたことがない。

頭のてっぺんから足の先まで着飾った彼女は滅多に見られないので、こうして目に焼けつけるようにしている。今の信の姿を生き写しておく道具がないことが悔やまれる。

絵で描く程度ではだめだ。筆と紙に乗せたところで信の美しさが再現出来るはずがない。

罗鸿ならば今の信の姿を、まるで時を止めたかのように、生き写すことが出来る類の珍しい品を持っているのではないだろうかと考えた。

「…?」

ふと、二度目の違和感を覚える。

ここに来てから信はまだ一滴だって酒を飲んでいないはずなのに、まるで酔ったかのように足元がふらついているのである。

それに加え、とても眠そうな瞳をしており、瞼が落ちかけている。侍女たちの支えがなければすぐにでも倒れ込んでしまいそうだった。

「信?」

「……、……」

声を掛けても、信から返事や反応はない。すでに意識の半分を手放しているようだった。

布で鼻と口元を覆っている二人の侍女に支えられながら何とか四阿へと戻って来た信だが、椅子に座るや否や、化粧や着物の乱れも気にせず、机に突っ伏してしまう。

「おい、信」

「……、……」

不自然なほど・・・・・・、すぐに寝息を立て始めた信に声を掛けるが、深い眠りについてしまったのか返事はない。

本当に眠っているのかと彼女に顔を近づけたその時、茉莉花まつりか ※ジャスミンの一種の香りが鼻についた。嫁衣に焚いてあった香だろうか。

茉莉花自体に鎮静作用があり、気分を落ち着かせる効果があるのだという知識は桓騎も知っていた。

以前、信が屋敷に来た時に、些細なことで言い争いになってしまい、その時に摩論が茉莉花の茶を淹れてくれたのである。

二人が屋敷で喧嘩をすると自分たちが胃を痛めるのだと、さり気なく嫌味を言われながら、茉莉花の効能についても話してくれたのだ。

(眠らされたか)

あれだけ不安定な足取りであったにも関わらず、連れて来た侍女たちは心配するような素振りも見せず、早々に席を外していった。

つまりは信があのような状態になるのを初めから知っていたに違いない。

摩論が茶を淹れてくれた時に嗅いだものと、着物に焚く香では僅かに匂いが違った。恐らくは茉莉花以外に催眠作用のある薬も一緒に焚かれていたのだろう。あるいは、着付けを行う部屋の香炉に薬を仕組んでいたのかもしれない。

そして信の着付けを行った侍女たちが鼻と口元を布で覆っていたのは、着付けの際にその強力な香の影響を受けないようにしていたに違いない。

顔の半分を隠す理由を信に問われれば、貴重な嫁衣に化粧がつかぬようにと答えただろうし、その返答で信も納得して着付けを任せただろう。

それら全てを罗鸿が指示を出したのだと思うと、彼はなかなかの策士であることが分かる。よほど信との婚姻を諦められずにいるらしい。

 

桓騎の推察

桓騎のその読みは当たっていた。

罗鸿の狙いは信であり、彼女を傷つけることは絶対に出来ない。それはここに来る前から断言出来た。

婚姻を結ぶにあたっては、信自身にも良い結婚相手という印象を抱かせておかないと、彼女と親しい者たちから反対されるのは目に見えているし、そうなれば付き合いの短い罗鸿よりも仲間たちの言葉を信用するはずだ。

そして、桓騎自分という邪魔者を消そうとしていることを信に勘付かれれば、間違いなく彼女に阻止されるどころか、瞬時に信頼を失うこととなる。

そうなれば罗鸿がいかに上手い言葉で弁解しようとも、信頼を失ったことで結婚への可能性も絶たれてしまう。むしろ桓騎の殺害を企てた罪で処罰を受けることになり兼ねない。

(そういうことか)

桓騎の中で、罗鸿が考えたであろう筋書きが浮かび上がった。

罗鸿が描く成功への道筋は、信に気づかれぬように桓騎を始末することである。

酒と嫁衣に仕掛けをしていたことを考えると、恐らくは信に席を外させて香で眠らせ、その間に桓騎の毒殺を試みるつもりだったに違いない。

毒酒で倒れた桓騎を人目のつかぬよう遺体の処理を行い、信は嫁衣を着せられたことで強引に婚姻の儀を執り行うつもりだったのだろう。

香のせいで抵抗の出来ない信を無理やり手籠めにするつもりだったのか、彼女に後ろ盾がないことから、婚儀の手順を大いに無視して婚姻を結ぶつもりだったのかは定かではないが、どちらにせよ卑劣なやり方だ。

秦の大将軍である桓騎を手に掛けたとなれば、罗鸿の死罪は確実となる。その罪から逃れるために、事故にでも見せかけて処理をするつもりだったのだろう。

罗鸿の筋書き通りにいかなかったことといえば、桓騎が酒を飲まずに時間稼ぎをしていたことだろう。

もしも罗鸿の筋書き通りに事が進んでいたのなら、桓騎が信とこの場で合流することはなかった。

支度を終えたことを報告しに来た侍女が、この場に信を連れて来て良いのかと罗鸿に聞き返していたことから、それは間違いないだろう。

 

報復開始

「やや、眠られてしまいましたね。随分とお疲れのご様子でしたから、致し方ありませんな」

静かに寝息を立てている信を見て、罗鸿が心配そうに独りごちる。眠り香を用意したのは他でもない彼自身のくせに、白々しい演技だ。

屋敷を訪れた時、信は疲労など微塵も感じさせなかったというのに、相変わらず罗鸿の言葉には演技じみたものを感じる。

罗鸿の冷静ぶりから、桓騎が警戒していることは初めから分かっていたようにも思える。もしかしたら、桓騎が酒を飲まなかった時の策も用意していたのかもしれない。

「風邪を引かれては大変です」

罗鸿が着ている羽織を脱いだのを見て、桓騎は僅かに頬を引き攣らせた。

机に突っ伏して眠っている信の身体が冷えぬように、嫁衣の上から自分の羽織を掛けようとする罗鸿に、反吐が出そうになる。すでに信の夫になったつもりなのだろうか。

「おい」

自分でも驚くような低い声で言い放つと、罗鸿は驚いたように身を竦ませた。

「腕が惜しければそいつに触るな」

今日は腰元に剣は携えていなかったが、いつでも腕を切り落としてやるという桓騎の態度に、罗鸿はみるみるうちに顔を青ざめさせていく。

「………」

何事もなかったかのように罗鸿は羽織に袖を通し、桓騎の威圧感に対抗すべく、まずは咳払いを一つした。

桓騎と彼の軍の残虐性については秦国でも有名だったので、罗鸿も聞いたことがあったに違いない。

躊躇なく子供も老人も例外なく殺す野盗の恐ろしさを前に、逃げ出さないのは度胸がある証拠か、それとも命知らずのどちらかだろう。

 

(ん?)

瞬きをした途端、罗鸿の顔つきと雰囲気が別人のように変わる。いよいよ本性を出して来たかと桓騎は心の中でほくそ笑んだ。

もしもここで完全に信から手を退くのなら見逃してやっても良かったのだが、交渉を始めようとする彼の態度から、信との婚姻をまだ諦めていないのだと察した。

救いようのないやつだと不敵な笑みを浮かべ、桓騎は相変わらずの余裕を見せつける。

「で?そいつに聞かれちゃ不味い話があるんだろ」

御託を並べられるのは面倒だと、桓騎の方から本題に切り込んだ。
しかし、小癪にも罗鸿の方はとぼけるつもりでいるのか、小首を傾げている。

「はて、何のことでしょう?仰る意味が分かり兼ねます」

仕方ないと肩を竦めた桓騎は、今日のために仕入れておいた・・・・・・・とっておきの情報を告げることにした。

もう信も眠っていることだし、今はお互いに本性を曝け出す絶好の機会だ。腹の内がより黒いのはどちらか証明してやろう。

「…贈賄なんざ、手慣れてるじゃねえか。さすが闇商人・・・だなァ?」

贈賄という言葉に反応したのか、もしくは闇商人か、はたまたどちらもか。罗鸿の顔があからさまに引き攣ったのを桓騎は見逃さなかった。

「か、桓騎将軍、どうかそのような悪い御冗談はおやめください」

口元を袖で隠しながら女のように笑うのは、商人として動揺を見抜かれまいと顔を隠そうとしているだろうか。

だが、嘘や隠し事の類は、相手に勘付かれては何も意味がない。

相手が信のように嘘や隠し事が一切出来ない真っ直ぐな性格であったらなら、まだ許容出来たかもしれないが、残念ながら罗鸿に関してはそうはいかない。

元野盗として、人の所有物を盗むことには手練れている桓騎だったが、自分の所有物を狙おうとしている輩には、一切の容赦なく制裁を与えるほど無慈悲で独占欲が凄まじいのである。執着と言ってもいい。

自分以外の誰かに、所有物を横取りされることは絶対に許せなかった。

「随分と物騒な商売してるんだってな?金になるんなら人間を売ることも・・・・・・・・厭わねえらしいじゃねえか」

罗鸿がぐっと歯を食い縛ったのが分かり、桓騎はさらに挑発するようにせせら笑った。

情報というものは金でやり取りできるものである。極秘事項であればあるほど金額も上乗せになるのだが、それだけの価値があると言ってもいい。

 

信に貸しを作ると言った日から、桓騎はさっそく動き出していた。

表向きには出回らない情報も、そちらの方面に知人の多い桓騎ならば、入手することは容易なのである。

もちろん彼らには随分と良くしてもらっているため、謝礼を払う必要もなく、情報を頂けたというワケだ。

…信に勘付かれたら色々と面倒になりそうなので、彼女には今後もその交友関係については内密にする予定である。

「知ってるだろうが、俺の気はそう長くない」

低い声を放った。
見逃してやる条件もまだ提示していないというのに、どうやら罗鸿はまだ挽回する機会あると哀れにも信じているようで、その顔に胡散臭い笑みを貼り付けていた。

「将軍。積もる話は、ぜひともこちらの美酒を味わってからにしましょう」

酒が注がれている杯を差し出しながら、罗鸿が微笑んだ。どうやらまだ毒殺を諦めていなかったらしい。

本来なら早々に桓騎を毒殺し、その死体の処理を行う気でいたのだろう。

桓騎を含め、桓騎軍を憎んでいる者は大勢いる。それを理由に死体の処理はどうとでもなると考えていたに違いない。

もしもそんなことになれば、気性の荒い仲間たちがどのように罗鸿へ報復をするのかも楽しみだが、生憎まだ死んでやるつもりはなかった。

「そんなに美味い酒なのか」

「ええ、ええ!それはとっても!酒蔵から仕入れるのにも、あまりにも人気で買い手が多く、苦労した代物でして」

理由付けて酒を飲ませようとする罗鸿に、もう一芝居打ってやるか・・・・・・・・・・・と、桓騎は注がれた酒を迷うことなく口に運んだ。

「………」

喉を伝う強い痺れに、やはり毒酒の類だと察する。
何度か飲んだことのある味だ。つい最近も飲んだ蛇毒の酒である。毒酒の中でもそう珍しいものではないが、毒に耐性のない者が飲めば即死する代物であることには変わりない。

胃が燃えるように熱くなり、常人なら卒倒してしまいそうな強さの酒だった。

この手の毒は神経に作用するもので、体の痺れを引き起こす。
手足の麻痺から始まり、神経と筋肉の両方に麻痺が起こることで、呼吸器官にも影響するし、そうなれば死に直結する。

もちろん常人ならば抵抗も出来ずに絶命してしまうだろう。しかし、桓騎に限っては・・・・・・・そうでなかった。

「…ほう。確かに美味い酒だな?何処の酒蔵で仕入れた物だ?」

あっと言う間に杯を空にした桓騎が、感想を言いながら酒瓶を手に取って自らお代わりを注いだことに、罗鸿の顔があからさまに引きつっている。

狼狽える視線の先を追い掛けると、台の上にある杯と酒瓶がある。自分に飲ませる酒を間違えたのではないかと考えているのかもしれない。

きっと彼の中では、毒酒を飲んで倒れた桓騎の死体の処理を早々に行うつもりでいたのだろう。

「え、ええと、北方…いえ、蕞の方で贔屓にしている酒蔵、でしたかな?ははは、どうも物覚えが悪くて、申し訳ございません…」

予定を崩されたどころか、毒が効かぬ人間などいるのかと、罗鸿の思考は混乱の渦に陥ってしまったらしい。

「へえ」

二杯目の毒酒も軽々と飲み干した桓騎に、罗鸿の顔色はどんどん悪くなっていく。

「…信も寝ちまった。酌をしてくれる奴が居ねえのが残念だな」

残念そうに言うと、

「あ、ぜ、ぜひとも私が…」

罗鸿が三杯目の毒酒を杯に注いでくれた。その手は僅かに震えており、動揺を隠し切れていない。

なぜ死なないのかとその顔に深々と書かれているのがまた滑稽だった。
種明かしをするつもりはないのだが、その反応はなかなかに楽しませてくれる。

「こんなに美味い酒を俺が独り占めしちまうのは勿体ねえな。叩き起こして信にも飲ませてやるか」

その提案を聞いた罗鸿が驚いて声を裏返した。

「いえ!随分と御休みになっているご様子ですから…!また後日、信将軍には同じものをお贈り致します」

桓騎は得意気に口角を吊り上げたまま罗鸿を見やった。

「なら、お前が付き合えよ」

遠慮する必要はないと、桓騎は近くにあった杯を罗鸿に突き出した。先ほど自分が注いでやったものだ。

この自分が酒を注いでやるのは、信を含めて数える程度の人数しかいないのだが、罗鸿をその数に加えるつもりはない。

もうじき、この男とは永遠の別れになるのだから、加える必要などないのだ。

笑えるくらいに顔を青ざめた罗鸿が杯を受け取らずにいるので、桓騎はわざとらしく小首を傾げた。

「俺からの杯は受け取れねえか」

「あ、い、いえ、あの、貴重な酒ですから、どうぞ桓騎将軍がご賞味いただければと…!」

苦し紛れの言い訳も、そろそろ浮かばなくなって来た頃だろう。罗鸿が企てた計画は、桓騎の毒耐性によって全て狂わされたらしい。

毒酒を注いだ杯を一向に受け取ろうとしないので、桓騎は仕方なく自分で飲むことにした。
酔いが回り始めたことを自覚し、桓騎は頬杖をついて、罗鸿を見つめる。

そろそろ種明かしをしても良い頃合いだろうか。

「…で?家臣たちが誰一人助けに来ない・・・・・・・・・のは、何でだろうなァ?」

愉悦を浮かべた目を細めながら罗鸿に簡単な問題を提示すると、彼は血の気の引いた唇を戦慄かせる。

「ま、まさか…」

すぐに正解を教えてやるのはつまらない。桓騎は口角をつり上げながら言葉を紡いだ。

「桓騎軍の噂は知ってるか?」

「………」

黙り込んでいるのはその噂を知っているからか、そうでないからか、桓騎にとってはどちらでも良かった。

「留守中に忍び込むのも得意だが、俺たちは夜に動く・・・・方がもっと得意なんだよ」

元野盗である自分たちは夜目がよく利くのだと教えてやると、面白いくらいに罗鸿の体が震え始めた。

自分の手の平で転がしている相手が、思い通りに動く姿を見下ろすのは優越感を抱くものだ。
桓騎は歯を剥き出して笑い声を上げた。

 

 

回想

秦の大将軍である桓騎を手に掛けることは、死罪に値するものだ。

その重罪の代償を背負いながらも、しかし罗鸿ラコウは信との婚姻を諦められずにいた。

彼女を手中に収めておけば、彼女の周りの者たちを商売相手にすることが出来る。中でも秦王嬴政との繋がりは喉から手が出るほど欲しい。

信は下僕出身でありながらも、武の才を見抜かれたことで名家である王家の養子となり、そこから他の名家や高官たちとの繋がりを広く持っている。

そんな彼女を妻に娶れば、たちまち商売も広がり、天下の豪商と称えられる日も近くなるだろう。

信との婚姻を狙っている男は数え切れないほどいることは分かっていたし、彼らを出し抜いて、ここまで婚姻の話を手繰り寄せたのは自分の他にいなかった。

だが、確実に自分が信と婚姻するためには、まず桓騎と信の婚姻を何としても阻止しなくてはならない。

桓騎を毒殺したとしても、彼の亡骸が見つかれば捜査が始まる。

あの男が自ら毒を仰ぐはずがない。自死ではなく、何者かの仕業だと必ず勘付く者が現れるだろう。

もちろん検死が入れば、確実に毒を盛ったことを見抜かれ、犯人探しが始まるに違いない。屋敷に招いた自分に疑いの目が向けられるのは当然のことだった。そうなれば信と婚姻するどころではない。

信が桓騎と共にこの屋敷に招かれたことを証言できる以上、二人を屋敷に招いた罗鸿は確実に桓騎を毒殺した罪に問われる。

だからこそ、信の意識がない間に桓騎を毒殺し、その亡骸を隠蔽する必要があった。

桓騎軍は桓騎を含めて元野盗の集まりだ。彼が他の将と違って、秦王に忠誠を誓わずにいる素行の態度は民にまで知れ渡っていたし、急に失踪したとしても何らおかしなことではない。

中華全土に知れ渡っている桓騎軍の残虐性から、彼に恨みを持っている者も多くいる。報復をされたと考えるのがきっと自然だろう。

それを利用して、罗鸿は桓騎を水面下で処理するつもりだった。

金になるならどんな代物でも扱う闇商人である自分だが、力で敵うことはない。
ならば、商人らしく頭を使った策を用いるべきだろう。桓騎が酒好きだという話は聞いたので、それを利用するまでだと考えた。

闇商人の繋がりから、暗殺道具である毒酒を製造している酒蔵を捜し出し、そこで罗鸿は蛇毒で作った毒酒を見つけたのである。

売ってくれた男は気前が良く、毒酒の効果を見せるために、野ネズミにその毒酒を注いだ。

野鼠がすぐに絶命したことから、それが本物の毒酒であると信用した罗鸿は、すぐに購入したのである。なかなかに良い値であったが、桓騎を処分するためには致し方ない出費だった。

騙されたのではないかと疑ったが、野ネズミが絶命したあの姿を見れば、毒酒は本物であると認めざるを得ない。

毒酒を売ってくれた男の話によれば、人間なら一杯飲めば確実に死に至るだろうとのことだった。

 

 

では、どうして桓騎はその毒酒を飲んで生きていられるのか。

自分が注ぐ酒を間違ったのではないかとも思えたが、さすがに直接飲んで確かめるのは代償が大き過ぎる。

本来ならば、信が嫁衣の着付けを行うために席を外している間に、桓騎を毒殺する予定だった。

信のために用意した嫁衣には、催眠作用のある香を焚きつけている。これで彼女を眠らせているうちに、桓騎の亡骸を隠蔽しておけば策は成る。

信が朝に目を覚ましたのなら、桓騎は急用で先に帰宅したとでも言えば良かった。彼女を言い包めることは容易いものだ。

そして嫁衣を着ている彼女を民たちに見せつければ、確実に罗鸿と婚姻を結ぶのだと誤解し、また噂が広まるだろう。そこまで念入りに情報操作が行われれば、もう桓騎は助けに来ないし、信も自分と婚姻をするしかない。

桓騎の亡骸を隠蔽するだけでなく、家臣たちとは口裏を合わせ、もしも桓騎の行方を追う調査が入ったとしても、屋敷を出て行く姿を見たと証言させるつもりでいた。

だから、何としてでもここで桓騎を仕留めておく必要があった。

…だというのに、桓騎は三杯目になる毒酒を飲んでも、少しも苦しむ様子を見せない。

罗鸿は、目の前で歯を剥き出して笑っている男を、呆然と見つめることしか出来なかった。

 

更新をお待ちください。

番外編①(李牧×信)はこちら

番外編②(桓騎×信←王翦)はこちら

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恋は毒ほど効かぬ(桓騎×信)中編②

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/毒耐性/シリアス/IF話/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

このお話は「毒酒で乾杯を」の番外編です。

中編①はこちら

 

もてなし

後日、他の民たちの目を避けるためにという名目で、二人は罗鸿ラコウの指示通りに、夜になってから彼の屋敷に訪れた。

罗鸿は二人が護衛も連れずにやって来たことに驚いていたものの、すぐにあの胡散臭い笑顔で出迎えてくれた。

大きな門を潜ると、すぐに広大な庭院が現れた。石橋が掛かっている池の中央には四阿しあ ※東屋がある。

池の水には淀みや苔一つないことから、頻繁に手入れが施されているようだ。金色の鱗を持つ立派な鯉が幾匹も泳いでいる。

これほどまでに大きな屋敷を築き上げることや、その手入れを任せるのに人を雇う財力はそこらの商人では得られない。

屋敷の外装もそうだが、この広大な庭院を見れば、罗鸿が商人として大いに成功していることを物語っていた。

「どうぞこちらへ」

罗鸿が石橋を渡り、池の中央にある四阿へと案内される。すでに四阿には二人の侍女が待機していた。

設置されている椅子に腰を下ろす。机には酒瓶と杯、それから両手に抱えられるくらいの大きさの桐箱が用意されていた。

二人が椅子に腰かけたのを見届けてから、罗鸿が二人に深々と頭を下げた。

「ささやかですが、私からお祝いをさせていただきます。まずはご依頼いただいた品の一つをご覧ください」

用意されていた桐箱の蓋を開けると、そこには赤い嫁衣・・が収納されていた。
絹糸で繕ったその嫁衣は光沢があり、美しい花の刺繍が施されている。着物の価値が分からぬ者でも高級品であると見ただけで理解出来る代物だ。

「一級品の嫁衣をご用意いたしました。婚儀の際にはぜひこちらをお召しください」

「へえ…」

吐息を零しながら信も美しい嫁衣に見惚れている。手に入れたいというよりは、芸術品でも鑑賞しているような顔だった。

金目のものに一切の興味を示さないはずの信がそんな反応を見せるのは珍しいことで、こればかりは罗鸿に依頼しておいて良かったかもしれないと考える。

 

「信将軍。せっかくですからご試着をしてみてはいかがでしょう」

信の反応に気を良くした罗鸿が両手の手の平を擦り付けながら、胡散臭い笑みを浮かべる。

「え?でも…」

桓騎との婚姻は、罗鸿を諦めさせるための偽装工作だ。かなりの値打ちものであるこの嫁衣を実際に着る機会がないことを、信は心のどこかで申し訳なく思っているのだろう。

「良いじゃねえか。試しに着てみろ。修整も必要になるかもしれねえだろ」

それらしい言葉を使って試着を勧める桓騎に、信は少し戸惑いながらも頷いた。

待機していた侍女の一人が嫁衣の入った桐箱を箱抱え、もう一人が信を連れて行く。着付けのために母屋の一室へ案内するらしい。

罗鸿が試着を勧めたのは、きっと信をこの場から遠ざけるためだろう。
恐らく信はこれが罗鸿の策だと気づいていないに違いないが、桓騎はそれを見抜いており、あえてその策に乗ってやろうと、信に試着をするよう命じたのだ。

「信」

三人が四阿を出て、石橋を踏み込んだところで、桓騎は信の背中に声を掛けた。

面紗めんしゃ ※ベールのことはつけるな。それは婚儀の時で良い」

「あ、ああ、分かった」

魔除けの意味が込められており、花嫁の顔を覆うためのうすぎぬを外すのは、婚儀の時に夫となる男の役目である。

単なる試着だとしても、面紗をつけるのは正式な婚儀の場であるべきだ。
規律に縛られることを何よりも嫌っているこの自分が、婚儀の習わしに従おうとしている矛盾に桓騎は苦笑した。

もちろん婚儀を挙げるのは作り話なのだが、彼女が嫁衣を身に纏う姿は是非とも見ておきたい。

(…さァて)

侍女たちに案内され、回廊を通っていく信の姿が見えなくなると、桓騎はいつものように、両足を机へどんと乗せた。

招かれている立場だとしても無礼極まりない態度であることは十分に自覚していたが、罗鸿の感情を煽る目的もあった。

冷静さを取り繕ってはいるものの、余裕を失くした罗鸿が行動に出るならそろそろだろう。

彼自身が行動に移すのはこれからで、しかし、もうすでに水面下では事が進んでいることを、桓騎は書簡を受け取る前から予見していたのである。

「桓騎将軍。信将軍がお戻りになるまで、こちらの美酒をご堪能ください。ささやかですが祝杯でございます」

胡散臭い笑みを深めながら、罗鸿が用意してあった酒瓶を手に取った。

祝い酒として杯に注がれていくそれを見て、桓騎は僅かに目を細める。

「…酌をするやつが、野郎なのは気に入らねえな」

桓騎は注がれた酒をすぐに飲むことはせず、退屈そうに背もたれに身体を預ける。

「どうぞご勘弁を」

そんな理由で酒を飲まれないとは思っていなかったようで、罗鸿が困ったように頭を下げた。

先ほどの侍女たちは信の着付けを行っているようで、戻って来る気配はない。かといって他の侍女が来ることはなく、この場にいるのは桓騎と罗鸿だけだった。

「私はしがない商人で、そう多くは侍女の手配も出来ませんので…」

もっともらしい理由で罗鸿が答える。しかし、桓騎は注がれた酒を飲むことはしなかった。

「随分と謙遜するじゃねぇか?信にはあれだけ自信満々で迫ってた野郎が、どういう風の吹き回しだ?」

遠慮なく棘のある言葉を投げかけると、罗鸿の笑顔が引き攣ったのが分かった。
何を思ったのか、彼はその場に躊躇いなく膝をつく。

「まさか桓騎将軍と信将軍が婚姻を結ばれるとは存じ上げず…どうかご容赦を…」

恐れをなしたというよりは、単に桓騎の機嫌を損ねないようにしているのだろう。少しも誠意のこもっていない謝罪に、桓騎は肩を竦める。

目的を叶えるためなら、容易く膝をついて頭を下げることも厭わない自尊心の低さにはむしろ感心してしまう。

男の膝には大いなる価値があるというのに、商人というものは相手の機嫌を伺わなくてはならない面倒な商売だ。

「隠してたからな。信が縁談を断り続けてたのもこれで納得しただろ」

「返す言葉もございません」

詫びを入れるその顔は、やはり申し訳なさを繕っただけの表情であった。

それから桓騎はこれまで信に貢いで来た贈り物は何なのか、どこで仕入れた品なのかを罗鸿に問うた。

別に興味がある訳ではなく、罗鸿の出方を見るための時間稼ぎである。

他愛のない話を続けていると、どうやら痺れを切らしたのか、罗鸿がわざとらしく咳払いをする。

「桓騎将軍、まだ信将軍はお戻りになりません。先に美酒を堪能してはいかがでしょうか?」

先ほど注いだまま放置していた酒を飲ませようとすることから、やはり酒に何かしらの細工をしているのだと桓騎はすぐに見抜いた。

他の家臣や侍女たちが来ない二人きりの状況で酒を勧めるだなんて、どうぞ疑ってくださいと言っているようなものである。

細工の正体はきっと眠り薬か毒の単純な二択だろう。しかし、早急に桓騎の処理を考えている今の罗鸿が選ぶなら、当然後者になる。

さっさと桓騎を消してしまいたいという焦りが全面的に表れていることに、罗鸿本人は気づいていないようだ。

「…お前も飲めよ。一級品の嫁入り道具を用意してくれた礼だ」

台の上に置かれていた酒瓶を手に取ると、恐らくは信が飲むために用意されていた杯に酒を注いでやる。

「………」

酒を注ぎながら、桓騎は罗鸿の表情に変化がないか横目で確認する。

もしもここで酒を勧められたことに動揺するならば、この酒瓶の中身が毒酒であると見て間違いないだろう。

「いえ、この酒はお二人の祝いのために取り寄せた貴重な代物です。私が頂くには値しません」

表情に動揺は見られなかったが、桓騎の誘いを上手い具合に回避したことから、中味が毒酒であることを確信する。

胡散臭い笑顔で罗鸿は仮面をした気になっているのだろうが、その瞳からはひしひしと殺意が沸き上がっていた。はっきりと殺意を感じるようになったのは、信がこの場からいなくなってからだ。

幼い頃から過酷な環境で育ち、今でも将として戦場に出れば死と隣り合わせである桓騎の前では、殺意は隠しても意味がない。

そして奇策を用いて相手を攻め立てる桓騎には、ずる賢い策略など、たとえここが戦場でなくとも無意味なのである。

きっと罗鸿からしてみれば、桓騎さえいなければ、あともう一押しで信を手に入れることが出来たと歯痒い想いをしていることだろう。

だが、そもそも人の女を盗ろうとした方が悪いのだ。

最後は自分が勝利を噛み締めて高らかに笑っている姿を想像しながら、桓騎は罗鸿の策に乗ってやろうと、自分に注がれた酒杯に手を伸ばした。

 

もてなし その二

罗鸿ラコウ様」

ちょうどその時、先ほど信を母屋へ連れて行った侍女の一人が現れた。嫁衣の着付けが終わったのか、侍女が罗鸿に何かを耳打ちする。

桓騎が違和感に覚えたのはその時だった。
侍女の鼻から顎まで厚手の布で覆われており、顔の半分が隠されていたのである。

仕入れた嫁衣は桓騎の注文通り、一級品の代物なのだから、着付けの際、侍女の化粧や香油がつかないように配慮したのかもしれない。

未だ桓騎が酒を飲まずにいることには気がかりのようだが、侍女の話を聞いた罗鸿は桓騎の方に向き直り、あの胡散臭い笑顔を浮かべた。

「信将軍の御支度が整ったようです。それでは、さっそくこの場にお連れしなさい」

「え…よろしいのですか?」

侍女が聞き返すと、罗鸿はきっと彼女を睨みつけた。
その視線に怯えた侍女は足早に四阿を後にする。支度を終えた信を連れて来るらしい。

良い金づるである桓騎と信の前では、いつだって笑みを絶やさずにいたのに、侍女に見せた鋭い目つきに、桓騎はそちらが罗鸿の本性かと考えた。

そんな表情を呆気なく披露してしまうくらい、もう彼には余裕が残されていないのだろう。

「いやはや、信将軍の花嫁姿が拝めるとは、なんたる幸福でしょう」

罗鸿の鼻息は僅かに荒かった。
信の嫁衣姿を心待ちにしていたのか、それともこれから邪魔者を消して自分の策略通りにいくことを想像し、出世の喜びを噛み締めているのか。

…どちらにせよ、それは今しか味わえない幸福だと桓騎は心の中でほくそ笑んだ。

 

「お連れしました」

二人の侍女に連れられて、赤い嫁衣に身を包んだ信が回廊から現れる。

「ほう」

その姿を見て、自然と口角が上がってしまう。

桓騎に言われた通りに面紗はしていなかったが、顔には化粧が施されている。
信の顔に刻まれている小さな傷痕が隠れているのは白粉を使ったからだろう。唇には紅が引かれており、上品さが際立っている。

いつもは後ろで一括りに結んでいるだけの髪も丁寧に結われていた。美しく着飾った信の姿に、桓騎はつい感嘆の溜息を零す。

いつも背中に携えている秦王から授かった剣は預けて来たらしい。確かに嫁衣を着て、剣を背負う女など聞いたことがない。

頭のてっぺんから足の先まで着飾った彼女は滅多に見られないので、こうして目に焼けつけるようにしている。今の信の姿を生き写しておく道具がないことが悔やまれる。

絵で描く程度ではだめだ。筆と紙に乗せたところで信の美しさが再現出来るはずがない。

罗鸿ならば今の信の姿を、まるで時を止めたかのように、生き写すことが出来る類の珍しい品を持っているのではないだろうかと考えた。

「…?」

ふと、二度目の違和感を覚える。

ここに来てから信はまだ一滴だって酒を飲んでいないはずなのに、まるで酔ったかのように足元がふらついているのである。

それに加え、とても眠そうな瞳をしており、瞼が落ちかけている。侍女たちの支えがなければすぐにでも倒れ込んでしまいそうだった。

「信?」

「……、……」

声を掛けても、信から返事や反応はない。すでに意識の半分を手放しているようだった。

布で鼻と口元を覆っている二人の侍女に支えられながら何とか四阿へと戻って来た信だが、椅子に座るや否や、化粧や着物の乱れも気にせず、机に突っ伏してしまう。

「おい、信」

「……、……」

不自然なほど・・・・・・、すぐに寝息を立て始めた信に声を掛けるが、深い眠りについてしまったのか返事はない。

本当に眠っているのかと彼女に顔を近づけたその時、茉莉花まつりか ※ジャスミンの一種の香りが鼻についた。嫁衣に焚いてあった香だろうか。

茉莉花自体に鎮静作用があり、気分を落ち着かせる効果があるのだという知識は桓騎も知っていた。

以前、信が屋敷に来た時に、些細なことで言い争いになってしまい、その時に摩論が茉莉花の茶を淹れてくれたのである。

二人が屋敷で喧嘩をすると自分たちが胃を痛めるのだと、さり気なく嫌味を言われながら、茉莉花の効能についても話してくれたのだ。

(眠らされたか)

あれだけ不安定な足取りであったにも関わらず、連れて来た侍女たちは心配するような素振りも見せず、早々に席を外していった。

つまりは信があのような状態になるのを初めから知っていたに違いない。

摩論が茶を淹れてくれた時に嗅いだものと、着物に焚かれている香では僅かに匂いが違った。恐らくは茉莉花以外に催眠作用のある薬も一緒に焚かれていたのだろう。あるいは、着付けを行う部屋の香炉に薬を仕組んでいたのかもしれない。

そして信の着付けを行った侍女たちが鼻と口元を布で覆っていたのは、着付けの際にその強力な香の影響を受けないようにしていたに違いない。

顔の半分を隠す理由を信に問われれば、貴重な嫁衣に化粧がつかぬようにと答えただろうし、その返答で信も納得して着付けを任せただろう。

それら全てを罗鸿が指示を出したのだと思うと、彼はなかなかの策士であることが分かる。よほど信との婚姻を諦められずにいるらしい。

 

桓騎の推察

桓騎のその読みは当たっていた。

罗鸿の狙いは信であり、彼女を傷つけることは絶対に出来ない。それはここに来る前から断言出来た。

婚姻を結ぶにあたっては、信自身にも良い結婚相手という印象を抱かせておかないと、彼女と親しい者たちから反対されるのは目に見えているし、そうなれば付き合いの短い罗鸿よりも仲間たちの言葉を信用するはずだ。

そして、桓騎自分という邪魔者を消そうとしていることを信に勘付かれれば、間違いなく彼女に阻止されるどころか、瞬時に信頼を失うこととなる。

そうなれば罗鸿がいかに上手い言葉で弁解しようとも、信頼を失ったことで結婚への可能性も絶たれてしまう。むしろ桓騎の殺害を企てた罪で処罰を受けることになり兼ねない。

(そういうことか)

桓騎の中で、罗鸿が考えたであろう筋書きが浮かび上がった。

罗鸿が描く成功への道筋は、信に気づかれぬように桓騎を始末することである。

酒と嫁衣に仕掛けをしていたことを考えると、恐らくは信に席を外させて香で眠らせ、その間に桓騎の毒殺を試みるつもりだったに違いない。

毒酒で倒れた桓騎を人目のつかぬよう遺体の処理を行い、信は嫁衣を着せられたことで強引に婚姻の儀を執り行うつもりだったのだろう。

香のせいで抵抗の出来ない信を無理やり手籠めにするつもりだったのか、彼女に後ろ盾がないことから、婚儀の手順を大いに無視して婚姻を結ぶつもりだったのかは定かではないが、どちらにせよ卑劣なやり方だ。

秦の大将軍である桓騎を手に掛けたとなれば、罗鸿の死罪は確実となる。その罪から逃れるために、事故にでも見せかけて処理をするつもりだったのだろう。

罗鸿の筋書き通りにいかなかったことといえば、桓騎が酒を飲まずに時間稼ぎをしていたことだろう。

もしも罗鸿の筋書き通りに事が進んでいたのなら、桓騎が信とこの場で合流することはなかった。

支度を終えたことを報告しに来た侍女が、この場に信を連れて来て良いのかと罗鸿に聞き返していたことから、それは間違いないだろう。

 

報復開始

「やや、眠られてしまいましたね。随分とお疲れのご様子でしたから、致し方ありませんな」

静かに寝息を立てている信を見て、罗鸿が心配そうに独りごちる。眠り香を用意したのは他でもない彼自身のくせに、白々しい演技だ。

屋敷を訪れた時、信は疲労など微塵も感じさせなかったというのに、相変わらず罗鸿の言葉には演技じみたものを感じる。

罗鸿の冷静ぶりから、桓騎が警戒していることは初めから分かっていたようにも思える。もしかしたら、桓騎が酒を飲まなかった時の策も用意していたのかもしれない。

「風邪を引かれては大変です」

罗鸿が着ている羽織を脱いだのを見て、桓騎は僅かに頬を引き攣らせた。

机に突っ伏して眠っている信の身体が冷えぬように、嫁衣の上から自分の羽織を掛けようとする罗鸿に、反吐が出そうになる。すでに信の夫になったつもりなのだろうか。

「おい」

自分でも驚くような低い声で言い放つと、罗鸿は驚いたように身を竦ませた。

「腕が惜しければそいつに触るな」

今日は腰元に剣は携えていなかったが、いつでも腕を切り落としてやるという桓騎の態度に、罗鸿はみるみるうちに顔を青ざめさせていく。

「………」

何事もなかったかのように罗鸿は羽織に袖を通し、桓騎の威圧感に対抗すべく、まずは咳払いを一つした。

桓騎と彼の軍の残虐性については秦国でも有名だったので、罗鸿も聞いたことがあったに違いない。

躊躇なく子供も老人も例外なく殺す野盗の恐ろしさを前に、逃げ出さないのは度胸がある証拠か、それとも命知らずのどちらかだろう。

 

(ん?)

瞬きをした途端、罗鸿の顔つきと雰囲気が別人のように変わる。いよいよ本性を出して来たかと桓騎は心の中でほくそ笑んだ。

もしもここで完全に信から手を退くのなら見逃してやっても良かったのだが、交渉を始めようとする彼の態度から、信との婚姻をまだ諦めていないのだと察した。

救いようのないやつだと不敵な笑みを浮かべ、桓騎は相変わらずの余裕を見せつける。

「で?そいつに聞かれちゃ不味い話があるんだろ」

御託を並べられるのは面倒だと、桓騎の方から本題に切り込んだ。
しかし、小癪にも罗鸿の方はとぼけるつもりでいるのか、小首を傾げている。

「はて、何のことでしょう?仰る意味が分かり兼ねます」

仕方ないと肩を竦めた桓騎は、今日のために仕入れておいた・・・・・・・とっておきの情報を告げることにした。

もう信も眠っていることだし、今はお互いに本性を曝け出す絶好の機会だ。腹の内がより黒いのはどちらか証明してやろう。

「…贈賄なんざ、手慣れてるじゃねえか。さすが闇商人・・・だなァ?」

贈賄という言葉に反応したのか、もしくは闇商人か、はたまたどちらもか。罗鸿の顔があからさまに引き攣ったのを桓騎は見逃さなかった。

「か、桓騎将軍、どうかそのような悪い御冗談はおやめください」

口元を袖で隠しながら女のように笑うのは、商人として動揺を見抜かれまいと顔を隠そうとしているだろうか。

だが、嘘や隠し事の類は、相手に勘付かれては何も意味がない。

相手が信のように嘘や隠し事が一切出来ない真っ直ぐな性格であったらなら、まだ許容出来たかもしれないが、残念ながら罗鸿に関してはそうはいかない。

元野盗として、人の所有物を盗むことには手練れている桓騎だったが、自分の所有物を狙おうとしている輩には、一切の容赦なく制裁を与えるほど無慈悲で独占欲が凄まじいのである。執着と言ってもいい。

自分以外の誰かに、所有物を横取りされることは絶対に許せなかった。

「随分と物騒な商売してるんだってな?金になるんなら人間を売ることも・・・・・・・・厭わねえらしいじゃねえか」

罗鸿がぐっと歯を食い縛ったのが分かり、桓騎はさらに挑発するようにせせら笑った。

情報というものは金でやり取りできるものである。極秘事項であればあるほど金額も上乗せになるのだが、それだけの価値があると言ってもいい。

 

信に貸しを作ると言った日から、桓騎はさっそく動き出していた。

表向きには出回らない情報も、そちらの方面に知人の多い桓騎ならば、入手することは容易なのである。

もちろん彼らには随分と良くしてもらっているため、謝礼を払う必要もなく、情報を頂けたというワケだ。

…信に勘付かれたら色々と面倒になりそうなので、彼女には今後もその交友関係については内密にする予定である。

「知ってるだろうが、俺の気はそう長くない」

低い声を放った。
見逃してやる条件もまだ提示していないというのに、どうやら罗鸿はまだ挽回する機会あると哀れにも信じているようで、その顔に胡散臭い笑みを貼り付けていた。

「将軍。積もる話は、ぜひともこちらの美酒を味わってからにしましょう」

酒が注がれている杯を差し出しながら、罗鸿が微笑んだ。どうやらまだ毒殺を諦めていなかったらしい。

本来なら早々に桓騎を毒殺し、その死体の処理を行う気でいたのだろう。

桓騎を含め、桓騎軍を憎んでいる者は大勢いる。それを理由に死体の処理はどうとでもなると考えていたに違いない。

もしもそんなことになれば、気性の荒い仲間たちがどのように罗鸿へ報復をするのかも楽しみだが、生憎まだ死んでやるつもりはなかった。

「そんなに美味い酒なのか」

「ええ、ええ!それはとっても!酒蔵から仕入れるのにも、あまりにも人気で買い手が多く、苦労した代物でして」

理由付けて酒を飲ませようとする罗鸿に、もう一芝居打ってやるか・・・・・・・・・・・と、桓騎は注がれた酒を迷うことなく口に運んだ。

「………」

喉を伝う強い痺れに、やはり毒酒の類だと察する。
何度か飲んだことのある味だ。つい最近も飲んだ蛇毒の酒である。毒酒の中でもそう珍しいものではないが、毒に耐性のない者が飲めば即死する代物であることには変わりない。

胃が燃えるように熱くなり、常人なら卒倒してしまいそうな強さの酒だった。

この手の毒は神経に作用するもので、体の痺れを引き起こす。
手足の麻痺から始まり、神経と筋肉の両方に麻痺が起こることで、呼吸器官にも影響するし、そうなれば死に直結する。

もちろん常人ならば抵抗も出来ずに絶命してしまうだろう。しかし、桓騎に限っては・・・・・・・そうでなかった。

「…ほう。確かに美味い酒だな?何処の酒蔵で仕入れた物だ?」

あっと言う間に杯を空にした桓騎が、感想を言いながら酒瓶を手に取って自らお代わりを注いだことに、罗鸿の顔があからさまに引きつっている。

狼狽える視線の先を追い掛けると、台の上にある杯と酒瓶がある。自分に飲ませる酒を間違えたのではないかと考えているのかもしれない。

きっと彼の中では、毒酒を飲んで倒れた桓騎の死体の処理を早々に行うつもりでいたのだろう。

「え、ええと、北方…いえ、蕞の方で贔屓にしている酒蔵、でしたかな?ははは、どうも物覚えが悪くて、申し訳ございません…」

予定を崩されたどころか、毒が効かぬ人間などいるのかと、罗鸿の思考は混乱の渦に陥ってしまったらしい。

「へえ」

二杯目の毒酒も軽々と飲み干した桓騎に、罗鸿の顔色はどんどん悪くなっていく。

「…信も寝ちまった。酌をしてくれる奴が居ねえのが残念だな」

残念そうに言うと、

「あ、ぜ、ぜひとも私が…」

罗鸿が三杯目の毒酒を杯に注いでくれた。その手は僅かに震えており、動揺を隠し切れていない。

なぜ死なないのかとその顔に深々と書かれているのがまた滑稽だった。
種明かしをするつもりはないのだが、その反応はなかなかに楽しませてくれる。

「こんなに美味い酒を俺が独り占めしちまうのは勿体ねえな。叩き起こして信にも飲ませてやるか」

その提案を聞いた罗鸿が驚いて声を裏返した。

「いえ!随分と御休みになっているご様子ですから…!また後日、信将軍には同じものをお贈り致します」

桓騎は得意気に口角を吊り上げたまま罗鸿を見やった。

「なら、お前が付き合えよ」

遠慮する必要はないと、桓騎は近くにあった杯を罗鸿に突き出した。先ほど自分が注いでやったものだ。

この自分が酒を注いでやるのは、信を含めて数える程度の人数しかいないのだが、罗鸿をその数に加えるつもりはない。

もうじき、この男とは永遠の別れになるのだから、加える必要などないのだ。

笑えるくらいに顔を青ざめた罗鸿が杯を受け取らずにいるので、桓騎はわざとらしく小首を傾げた。

「俺からの杯は受け取れねえか」

「あ、い、いえ、あの、貴重な酒ですから、どうぞ桓騎将軍がご賞味いただければと…!」

苦し紛れの言い訳も、そろそろ浮かばなくなって来た頃だろう。罗鸿が企てた計画は、桓騎の毒耐性によって全て狂わされたらしい。

毒酒を注いだ杯を一向に受け取ろうとしないので、桓騎は仕方なく自分で飲むことにした。
酔いが回り始めたことを自覚し、桓騎は頬杖をついて、罗鸿を見つめる。

そろそろ種明かしをしても良い頃合いだろうか。

「…で?家臣たちが誰一人助けに来ない・・・・・・・・・のは、何でだろうなァ?」

愉悦を浮かべた目を細めながら罗鸿に簡単な問題を提示すると、彼は血の気の引いた唇を戦慄かせる。

「ま、まさか…」

すぐに正解を教えてやるのはつまらない。桓騎は口角をつり上げながら言葉を紡いだ。

「桓騎軍の噂は知ってるか?」

「………」

黙り込んでいるのはその噂を知っているからか、そうでないからか、桓騎にとってはどちらでも良かった。

「留守中に忍び込むのも得意だが、俺たちは夜に動く・・・・方がもっと得意なんだよ」

元野盗である自分たちは夜目がよく利くのだと教えてやると、面白いくらいに罗鸿の体が震え始めた。

自分の手の平で転がしている相手が、思い通りに動く姿を見下ろすのは優越感を抱くものだ。
桓騎は歯を剥き出して笑い声を上げた。

 

 

回想

秦の大将軍である桓騎を手に掛けることは、死罪に値するものだ。

その重罪の代償を背負いながらも、しかし罗鸿ラコウは信との婚姻を諦められずにいた。

彼女を手中に収めておけば、彼女の周りの者たちを商売相手にすることが出来る。中でも秦王嬴政との繋がりは喉から手が出るほど欲しい。

信は下僕出身でありながらも、武の才を見抜かれたことで名家である王家の養子となり、そこから他の名家や高官たちとの繋がりを広く持っている。

そんな彼女を妻に娶れば、たちまち商売も広がり、天下の豪商と称えられる日も近くなるだろう。

信との婚姻を狙っている男は数え切れないほどいることは分かっていたし、彼らを出し抜いて、ここまで婚姻の話を手繰り寄せたのは自分の他にいなかった。

だが、確実に自分が信と婚姻するためには、まず桓騎と信の婚姻を何としても阻止しなくてはならない。

桓騎を毒殺したとしても、彼の亡骸が見つかれば捜査が始まる。

あの男が自ら毒を仰ぐはずがない。自死ではなく、何者かの仕業だと必ず勘付く者が現れるだろう。

もちろん検死が入れば、確実に毒を盛ったことを見抜かれ、犯人探しが始まるに違いない。屋敷に招いた自分に疑いの目が向けられるのは当然のことだった。そうなれば信と婚姻するどころではない。

信が桓騎と共にこの屋敷に招かれたことを証言できる以上、二人を屋敷に招いた罗鸿は確実に桓騎を毒殺した罪に問われる。

だからこそ、信の意識がない間に桓騎を毒殺し、その亡骸を隠蔽する必要があった。

桓騎軍は桓騎を含めて元野盗の集まりだ。彼が他の将と違って、秦王に忠誠を誓わずにいる素行の態度は民にまで知れ渡っていたし、急に失踪したとしても何らおかしなことではない。

中華全土に知れ渡っている桓騎軍の残虐性から、彼に恨みを持っている者も多くいる。報復をされたと考えるのがきっと自然だろう。

それを利用して、罗鸿は桓騎を水面下で処理するつもりだった。

金になるならどんな代物でも扱う闇商人である自分だが、力で敵うことはない。
ならば、商人らしく頭を使った策を用いるべきだろう。桓騎が酒好きだという話は聞いたので、それを利用するまでだと考えた。

闇商人の繋がりから、暗殺道具である毒酒を製造している酒蔵を捜し出し、そこで罗鸿は蛇毒で作った毒酒を見つけたのである。

売ってくれた男は気前が良く、毒酒の効果を見せるために、野ネズミにその毒酒を注いだ。

野鼠がすぐに絶命したことから、それが本物の毒酒であると信用した罗鸿は、すぐに購入したのである。なかなかに良い値であったが、桓騎を処分するためには致し方ない出費だった。

騙されたのではないかと疑ったが、野ネズミが絶命したあの姿を見れば、毒酒は本物であると認めざるを得ない。

毒酒を売ってくれた男の話によれば、人間なら一杯飲めば確実に死に至るだろうとのことだった。

 

 

では、どうして桓騎はその毒酒を飲んで生きていられるのか。

自分が注ぐ酒を間違ったのではないかとも思えたが、さすがに直接飲んで確かめるのは代償が大き過ぎる。

本来ならば、信が嫁衣の着付けを行うために席を外している間に、桓騎を毒殺する予定だった。

信のために用意した嫁衣には、催眠作用のある香を焚きつけている。これで彼女を眠らせているうちに、桓騎の亡骸を隠蔽しておけば策は成る。

信が朝に目を覚ましたのなら、桓騎は急用で先に帰宅したとでも言えば良かった。彼女を言い包めることは容易いものだ。

そして嫁衣を着ている彼女を民たちに見せつければ、確実に罗鸿と婚姻を結ぶのだと誤解し、また噂が広まるだろう。そこまで念入りに情報操作が行われれば、もう桓騎は助けに来ないし、信も自分と婚姻をするしかない。

桓騎の亡骸を隠蔽するだけでなく、家臣たちとは口裏を合わせ、もしも桓騎の行方を追う調査が入ったとしても、屋敷を出て行く姿を見たと証言させるつもりでいた。

だから、何としてでもここで桓騎を仕留めておく必要があった。

…だというのに、桓騎は三杯目になる毒酒を飲んでも、少しも苦しむ様子を見せない。

罗鸿は、目の前で歯を剥き出して笑っている男を、呆然と見つめることしか出来なかった。

 

後編はこちら

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恋は毒ほど効かぬ(桓騎×信)中編①

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/毒耐性/シリアス/IF話/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

このお話は「毒酒で乾杯を」の番外編です。

前編はこちら

 

作戦開始

十日ぶりに帰還した屋敷は、一見何の変わりもないように見えた。
信は辺りを見渡して、罗鸿ラコウの姿がそこにないことを確認する。

「あれ?今日は来てねえのか…?」

いつもなら、贈り物が積まれている牛車が何台も並んでいるのだが、今日はそれも見当たらない。

罗鸿が咸陽で名を広めているのは、異国の品だとか他では手に入らない希少価値が高いものだとか、そういった品々を扱っているからだという。

その価値を知る物ならば驚愕してしまいそうだが、信にしてみればぎらぎらと光る目が痛いものばかりで、使い方も分からないし、何より置き場所に困る。

もちろんそんなものは要らないと毎度押し返すのだが、入手するまでの苦労や、二度と手に入らない希少なものだと商品の価値について長々と語り始めるので、これがまた面倒だった。

桓騎なら遠慮なくその貢ぎ物を受け取り、配下たちに分け与えたり、さっさと質に出してしまうか、元値の倍で他者に売りつけそうだと考え、信は小さく笑ってしまう。

「なんだ?」

いきなり笑った信に、桓騎が気味の悪そうな視線を向けて来る。何でもねえよと返した。

「…罗鸿のやつ、今日は来ねえのかも。俺がしばらく留守にしてたからか?」

今日は心強い味方がいるせいか、それともまだ罗鸿が現れていないせいか、信は随分と自分の心に余裕があるように感じた。

すぐに主を出迎えた従者に馬を預け、留守中に変わったことはなかったかを尋ねる。

「それが…」

どうやら信が不在の間も、罗鸿は頻繁にやって来たらしい。

信が屋敷に戻って来る日や行先についてを執拗に尋ねられたが、従者たちが一切答えなかったせいか、ここ数日は姿を現わしていないという。

自分の行方を調べるために、罗鸿が副官たちのもとへ行っていないか心配だったが、飛信軍の鍛錬を邪魔するようなことはなかった。

以前から罗鸿には迷惑していることを仲間たちに愚痴を零しており、副官たちや昔からの仲間たちも、その話を聞いて自分のことのように怒ってくれた。忠義に厚い自慢の将と兵たちである。

そんな大切な仲間たちに何か迷惑が掛かることがあれば、信もさすがにこれ以上の横暴は許さないと考えていたのだが、その心配は無用だったらしい。

罗鸿の目的は信との婚姻で、きっと飛信軍の副官たちに迷惑を掛ければ、すぐに斬り捨てられることを彼も分かっているのだろう。

だというのに、どうしてさっさと諦めてくれないのか。信には罗鸿の考えが少しも分からなかった。

 

 

「せっかく来てもらったのに、悪いな」

桓騎を客室に案内しながら、信は申し訳なさそうに眉根を下げた。

罗鸿が待ち構えていたのなら、桓騎も何かしら行動に出るつもりだったに違いない。

今までの罗鸿の行動から、きっと今日も待ち構えているとばかり思っていたのだが、今日は違った。

彼も商人としての仕事があるため、そう長い時間は構ってられないのかもしれない。そのまま商売に徹していてくれれば良いのだが、信が帰還したとなれば、きっとまた来るに違いない。

桓騎が屋敷に滞在してくれている間に来てくれることを願いながら、信は従者が淹れてくれた茶を啜る。

…罗鸿に会ったら、桓騎は何をするつもりなのだろうか。

向かいの席にどっかりと腰を下ろしている桓騎は、相変わらず余裕そうな表情を浮かべている。

目が合うと、彼はにやりと口角を持ち上げた。悪巧みを思いついた時のいつもの笑い方だった。

「門番として、雷土でも貸してやろうか?」

「いや、それは遠慮しとく…」

屋敷の門番をしている兵たちも、飛信軍で大いに訓練をこなしている者たちなのだが、罗鸿はそんな彼らに凄まれても引くことはなかった。

しかし、元野盗であり、桓騎の側近である雷土を立たせておけば、その辺の輩は怯えて近づくことはなくなるだろうと桓騎は笑った。

雷土も素直に引き受けるとは思えないが、お頭と慕っている桓騎からの指示で、なおかつ報酬を握らせておけば、本当に門番を引き受けてくれるかもしれない。

しかし、そんなことをすれば罗鸿だけでなく、屋敷の従者たちまで怯えてしまうだろう。

門番として雷土を採用する提案をしながらも、きっと桓騎はもう罗鸿への対抗策を考えているに違いないと信は思っていた。

彼は考えなしに動く男でない。桓騎自身は動かずとも・・・・・・・・・・、彼の頭の中には、いつだって勝利への道筋が描かれていることを信は知っていた。

いつだって余裕の表情を崩さない桓騎であるが、過去に何度か余裕のない表情を見せてくれたことがある。

それは情事の最中で、絶頂が目前に迫っている時の切なげに眉根を寄せている顔だ。きっとそれを知っている者は限られているだろう。

むしろそれ以外で、桓騎が余裕を崩した表情は見たことがないかもしれない。

一度だけ見たことがある珍しい表情といえば、過去に王翦の屋敷に赴き、三人で酒を飲んだ時のことだ。

あの酒の席で注がれたのが毒酒で、信は毒酒の副作用――媚薬を盛られたような状態――を起こしてしまい、王翦が前にいるというのにも関わらず、副作用を落ち着かせる名目で桓騎に淫らな悪戯をされてしまった。

…結局のところ、あれは信へ近づくなと王翦へ釘を刺すために、最初から最後まで桓騎が仕組んだ策であったのだが。

子供じみた独占欲もそうだが、王翦の前であのような辱めを受けたことに信は激怒した。

そして、その制裁として試みた策により、信は初めて桓騎を唆すことに成功したのである。
あの時に見た桓騎の愕然とした表情は、きっと信しか知らない秘密だろう。

 

「信」

「ん?なんだよ」

名前を呼ばれたかと思うと、桓騎に手招かれて信は立ち上がった。

「わっ…!?」

近づくと腰に手を回されて抱き寄せられて、椅子に腰かけている桓騎の膝の上に座る体勢になる。

密着したことで、信の脳裏に昨夜のことが浮かび上がった。

今日は早朝から屋敷に戻る日だったので、嫌だと言ったのに、桓騎の厭らしい手付きのせいで情欲に火が点いてしまい、結局いつものように身体を重ねてしまったのである。

酒も飲んでいなかったのに、あんな風に甘い声を上げて桓騎を求めた自分の浅ましい姿を思い出し、信は顔を真っ赤にした。

「お、おいッ…昨日も…!」

昨夜も散々体を重ねたというのに、まさかまだ足りないというのか。

今日は流される訳にはいかないと、信が桓騎の悪さをしようとしている手を掴む。

昨日も・・・?なんだ?」

わざと言葉の続きを促す桓騎に、わざと羞恥心を煽っているとしか思えず、信は悔しそうに奥歯を噛み締める。

その反応を見て、桓騎の口角がますます持ち上がった。

「…続きは?ほら、言えよ」

耳元に唇を寄せて低い声で囁かれる。

たったそれだけのことなのに、信の体が下腹部に甘い疼きが走り、全身が桓騎を求めているのだと分かった。幾度も男の味を覚えさせられ、桓騎の甘い言葉や手付きに一々反応するようになってしまったのである。

厄介な体になってしまったとは思いながらも、それに危機感を抱いていないあたり、彼に心を差し出してしまったことを認めざるを得ない。

「あ…」

耳元に熱い吐息を掛けられて、身体の芯から力が抜けてしまいそうになる。体が崩れ落ちそうになるのを何とか堪え、信は桓騎の胸に凭れ掛かった。

まるで甘えるような態度に桓騎の口角はつり上がる一方だ。

桓騎の膝の上に乗せられながら、彼の脚の間にあるそれが僅かに硬くなっていることが分かると、信は羞恥によって顔が上げられなくなる。

桓騎の骨ばった手が、いよいよ信の着物の帯に伸びた時だった。

 

「信将軍」

「うわあああッ!?」「うぐッ」

屋敷のことを任せている従者に扉を叩かれ、信は思い切り桓騎のことを突き飛ばしていた。

派手な音を立てて椅子ごと後ろに転げ落ちた桓騎は、思い切り背中を床に打ち付け、くぐもった声を上げる。

首切り桓騎と恐れられているはず彼のそんな無様な悲鳴を聞いたことがあるのは間違いなく信だけだろう。

「信将軍っ?」

「ななな何でもない!どうしたッ?」

扉越しに物音を聞きつけた従者が、何事だと焦って声を掛けて来たが、信は乱れた着物を慌てて整えながら部屋を出る。

「…ったく」

痛む背中を気遣いながら、桓騎はゆっくりと身を起こした。何事もなかったかのように取り繕った信が、咳払いを一つしてから扉を開ける。

取り繕ったとはいえ、未だに顔を真っ赤にした信が肩で息をしている信を見て、従者が不思議そうに小首を傾げていた。しかし、思い出したようにすぐに報告を始める。

「あの商人の男です。信将軍のご帰還をどこから聞きつけたのか、またやって来ました。いつものように屋敷の外で待っています」

罗鸿ラコウか…」

従者の男が困ったように眉根を寄せる。

「まだご帰還していないと伝えましょうか?」

信は頭を掻きながら首を横に振った。

「いや、何を言ってもあの男なら待つだろ。今日は桓騎将軍と出迎える」

すっかり不機嫌になっている恋人の姿をちらりと横目で振り返り、信は従者に罗鸿を招き入れるように伝えた。

「おい、さっさと行くぞ」

「ちっ…」

信が先に部屋を出ていくと、未だ背中を痛そうにしながらも、桓騎は大人しく彼女の後を追い掛けた。

 

商人罗鸿

「信将軍!」

屋敷を出ると、数台の牛車が目に留まった。先頭の牛車のすぐ傍に立っていた男が、真の姿を見るなり駆け寄って来る。彼が罗鸿ラコウだろう。

年齢は桓騎よりも少し上に見えた。信とはそれなりに歳の差があるようだ。

身を包んでいる上質な着物や、丁寧に整えてある髪と髭、それから恰幅の良さを見れば、それなりに裕福な暮らしをしていると分かる。
咸陽では有名な商人と言っていたから、身なりから裕福さを感じさせるのも頷けた。

「お久しぶりでございます。お会い出来るのを楽しみにしておりました」

人の良さそうな笑みを浮かべ、罗鸿は深々と頭を下げる。
商売人としていつも笑顔を繕っているのだろう、笑い皺が目立つ顔だった。どこか胡散臭さが抜けないのは、笑顔さえも商売の武器として利用しているからなのかもしれない。

「私用でしばらく留守にしてた」

屋敷を空けていた事情を簡潔に伝えた信が横目で視線を送って来る。どうやらこの男が罗鸿だと教えているのだろう。

「…で?今日は何の用だ。言っとくが、貢ぎ物や土産は受け取らねえからな」

腕を組みながら、信が罗鸿の後ろにある幾つもの牛車に視線を向ける。

荷台には布で覆われているが、毎度持って来る贈り物の数々が詰まれているのだろう。
罗鸿はまだ何も話していないというのに、うんざりしながら断る信を見れば、本当に迷惑をしていることが分かる。

「そうおっしゃらず!他でもない信将軍のために、此度も珍しい異国の品を集めて参りました」

罗鸿と言えば、信にそのような態度を取られても、人の良さそうな笑みを微塵も崩すことはない。それはまるで余裕の表れのようにも見えた。

商人というものは交渉術に長けていないと利益を得ることが出来ない職だ。武や知略を用いて戦う将と違い、商人は自分の口が何よりの武器となる。

ある意味においては、相手の出方を探る知将に近い才を持っていると言っても良い。確かに信とは相性が悪そうだ。

信の隣に立つ桓騎と目が合うと、罗鸿は不思議そうに目を丸めた。

ずっと信の隣にいたというのに、桓騎の存在に今気づいたということは、よほど信と再会出来たことが嬉しかったのだろう。

それから罗鸿は思い出したように、はっとした表情になる。

「桓騎将軍ではございませんか!お噂はかねがね伺っております。まさかお目にかかれるとは、光栄にございます」

先ほどと同じように深々と頭を下げて自己紹介を始める罗鸿だったが、商人としての顔が輝いたのを桓騎は見逃さなかった。良い金づるに出会えたとでも思われたのかもしれない。

罗鸿が狙っているのは、信を中心とした商売相手の繋がりだ。

桓騎と違って、信は秦将や高官たちと仲が良い。人の心に土足で上がり込んで来るような彼女の性格を好む者は多く、名家の嫡男たちとも仲が良かった。

きっと罗鸿は信と婚姻を結ぶことで、商人としての地位を強固なものに確立し、秦王嬴政だけでなく、秦国の中でも上に立つ者たちを商売相手にするつもりでいるのだろう。

しかし、好いている女をまるで道具のように利用されるのは、決して気分が良いものではない。

「………」

腕を組んで桓騎が静かに罗鸿ラコウを見据える。
外道だと罵られるほど残虐な行いをすることで有名な桓騎に沈黙の視線を向けられると、大抵の者はそれだけで怯えて逃げ出すことが多いのだが、彼は違った。

自分の着物の懐に手を差し込むと、

「桓騎将軍、どうぞこちらを」

罗鸿は薄ら笑いを浮かべながら、取り出したそれ・・を桓騎に差し出した。

 

渡されたそれは小瓶だった。中に薄い桃色の液体が入っている。香料の類だろうか。

「………」

すぐには受け取らず、これが何なのか目で問うと、罗鸿は信に背中を向けてから着物の袖で口元を隠し、声を潜めて話し始めた。

「…夜の宴・・・に相応しいかと。飲み物に混ぜても味は変わりませんし、数滴だけでもすぐに効果が現れますよ」

その言葉から、これが媚薬の類であると桓騎はすぐに合点がいった。

すぐ傍にいる信に聞こえぬように話す辺り、桓騎と信の男女の関係には気づいていないようだ。

もしも罗鸿が自分たちの関係を知っていたのなら、このような無礼極まりない待ち伏せや貢ぎ物の押し付けなどはしなかっただろう。

自分たちの関係は大々的に知られている訳ではない。むしろ知っているのはお互いの従者たちと、親しい者くらいだろう。秦王嬴政とその妻である后も含まれている。

「桓騎将軍。こちらですが、とても希少な商品でございまして…」

桓騎が黙って話を聞いていると、罗鸿は次にその商品の製造工程について語り始めた。

この媚薬は一部の地域でしか育たないという貴重な植物から作ったものだという。
花蕾や果実を乾燥させてから、さらに樹脂や根茎と長時間煮込み、何度もろ過を繰り返す過程を経て、採取出来るのはこの小瓶に入っている僅かな量だけらしい。

工程はともかく、とにかく希少価値の高いものであることは分かった。

随分と鼻息を荒くしながら罗鸿が話し始めたものだから、隣で信が何の話をしているのだと気味悪そうに顔を歪めている。

(気に入らねえな)

こんな男に信を奪われようとしている状況の悪さを改めて理解し、桓騎は小さな溜息を吐いた。表情に出さないまま、嫌悪感を抱く。

先ほど、罗鸿はこの媚薬を着物の袖から取り出していた。
牛車の荷に積んでいなかったのは、価値の高いそれが移動中に破損しないようにという気遣いだったのかもしれないが、懐に忍ばせていたことから、常備していた・・・・・・と言っても良い。

もしも、自分がこの場に居なかったら、信は知らずにその媚薬を飲まされていたかもしれない。

飲み物に混ぜても味が変わらないと言ったのは罗鸿本人だ。信がそのような仕掛けに気づけるはずはないし、飲ませるのは容易なことだろう。

もしかしたら信から罗鸿のことを打ち明けられる前に、そんな危機的状況に陥ることがあったかもしれなかったのだ。

どれだけの効力を持つ媚薬かは不明だが、日頃から自分に抱かれ慣れている信のことだから淫らな獣に豹変してしまうに違いなかった。

それを口実に、罗鸿は信から肉体関係を迫られただとか、新たな噂を流すつもりだったのかもしれない。

もし信が媚薬を飲まされたとして、毒の副作用が現れた時と同様に男を求めるようになったら、罗鸿の策通りに事が進んでしまう。

冷静な判断が出来ず、本能のままに快楽に溺れるあの姿を桓騎は良く知っていたし、絶対に他者に知られてはならないと思っていた。

副作用のことを考慮して、自分以外の前で毒酒を飲むなと口酸っぱく伝えていたのはそのためである。

信のあのような淫らな姿を前にして、正気でいられる男はきっといないだろう。
自分でさえ冷静でいられる自信はないし、趙の宰相だってそうだった。そこらの男が我慢出来るとは思えない。

婚姻の口実を作るためにあれこれ手を回している罗鸿も骨抜きになり、自分の地位の確立のためだけでなく、異性として信のことを手に入れようとするに違いなかった。

「どうぞ、お気に入りの女子おなごにでもお使いくださいませ」

「………」

怒りを煽るように追い打ちを掛けられて、桓騎のこめかみに熱くて鋭いものが走った。

自分の知らない場所で信がこの男から卑猥な言葉を掛けられることも、肌を隅々まで見られ、ましてや触れられることなんて、絶対に許す訳にはいかないと思った。

趙の宰相に抱かれたと知った時は腸が煮えくり返りそうになったし、裏で手を回し、呂不韋と趙の宰相の暗殺まで計画していたのは桓騎だけの秘密である。

いつまでも桓騎が受け取らずに沈黙を貫いていると、痺れを切らしたのか、罗鸿が強引に小瓶を握らせて来た。

「どうぞ遠慮なさらずお受け取り下さい。これはお近づきの証です」

遠慮などしていないというのに、有無を言わさずに押し付けて来るこの強引さに、信も困り果てているのだろう。

話を聞くだけで理解していたつもりだが、これは確かに面倒な男だと思った。
この汚らわしい手が、指一本でも信の体に触れる前に、腕ごと落としてやろうかと考える。

「桓騎?」

名前を呼ばれて、反射的に振り返る。隣で信が心配そうに桓騎を見つめていた。

いつまでも黙り込んでいる桓騎の口元が僅かに引き攣っている異変には気づいたようだが、渡されたこの小瓶の正体が媚薬の類だということには気づいていないようだった

 

反撃開始

日に日に信への独占欲が深まっていることは自覚していたし、信もそれには気付いているようだったが、普段の自分を知っている彼女に、感情を剥き出しにする無様な姿は見せたくなかった。

静かに息を吐いて、僅かに波立った心を落ち着かせてから、桓騎は罗鸿ラコウの方に向き直る。

「…もっと他に珍しい品はあるか?」

桓騎は小瓶を手の中で弄びながら問いかけると、罗鸿の瞳が輝いた。仕入れた品々に桓騎が興味を示したのだと思ったのだろう。

「ええ、ええ!もちろん用意してございますとも!桓騎将軍がお望みならば、何だって取り寄せましょうぞ!」

またもや鼻息を荒くしながら、罗鸿が何度も頷く。

「なら、日を改めて用意して来い。気に入ったものがあったら良い値で買ってやるよ」

「おお…!ありがとうございます!」

信と同じく大将軍の地位に就いている桓騎となれば、戦での褒美や普段からの給金など、その辺の者とは比べ物にならないほど得ている。

思わぬ商売の機会が飛び込んで来たことに、罗鸿は満面の笑みを浮かべて頭を下げた。

「何かお好みはございますか?桓騎将軍のお気に召す品を揃えて参ります」

胸の前で両手の手の平を擦り付けながら、罗鸿が問う。顎を撫でつけた桓騎は少し考えるふりをした。

「…なら、良い嫁入り道具・・・・・を揃えておけ」

「は…?嫁入り道具…ですか?」

「そうだ」

意外だったのだろう、罗鸿が目を丸めている。隣にいる信も何の話だと小首を傾げていた。

一般的に嫁入り道具とは、女性が婚儀で着用する嫁衣かいや、嫁ぎ先で使用する家財道具のことを指す。家具や調度品、着物や装飾品など、それらは花嫁の実家の地位や財力を示すものでもあった。

本来なら女性の実家が用意すべきものということもあって、罗鸿は桓騎が何のために嫁入り道具を欲しているのか、理解出来ずにいるようだった。

それでも結婚を連想させる物であることから、桓騎自身か、彼の身内の祝い事が関わっているのだろうと良いように解釈したらしい。

「ええ、ええ、もちろん一級品をご用意させていただきます!」

気前の良い返事に、得意げに口角を持ち上げた桓騎は信の肩に腕を回し、その体を強引に抱き寄せた。

もう罗鸿には興味を失ったように、信だけを視界に入れ、桓騎は優しい眼差しを向ける。

「俺のところに輿入れするのに必要だろ?なあ、信?」

その言葉に驚愕したのは罗鸿だけでなく、声を掛けられた信自身もだった。

何を言い出すんだと信が口を開きかけた途端、桓騎は肩に回していた手で彼女の二の腕を思い切り摘まむ。

「ぅんッ!?」

突如走った痛みに、信が身体を跳び上がらせながら不器用な返事をした。

思わず笑いを噛み堪えていると、

「え、ええと?お、お二人は、これから、ご結婚される…ということで、ございましょうか?」

驚愕の表情のまま、罗鸿が尋ねて来た。

「ああ、そうだ。こいつの育て親はもういないからな。嫁入り道具は自分で用意しなきゃならねえだろ?」

信の育て親である王騎と摎が馬陽の戦いで没しているのは、秦国で広く知れ渡っている事実だ。

しかし、桓騎と信の男女の関係を知らなかった罗鸿は、二人の結婚話など微塵も予想していなかったのだろう、あからさまに狼狽え始める。

桓騎が他者を手の平で弄ぶのが堪らなく面白いと感じるのは、この動揺っぷりを目の当たりにした瞬間だった。

「………」

信が何か言いたげに視線を送って来たが、桓騎はいつでも二の腕を摘まめるように肌の上に指を這わせる。

どうやらそれで桓騎の意図を察したらしく、信は大人しく口を噤んで縮こまっていた。

罗鸿の目には、信がまるで桓騎に甘えるかのように、その身を委ねているように見えたらしく、苦笑が引き攣り笑いになっている。

お前の入る余地はないのだと言わんばかりに、見せつけるように桓騎は信の体を抱き締めたままでいた。

「そ、それはそれは…!おめでたいですな…!いやはや、日頃から噂話には耳を傾けているものの、そのような吉報は初耳でした…」

何とか冷静さを取り繕うとしている罗鸿の姿が滑稽で、桓騎はさらなる動揺を煽るように言葉を紡ぐ。

「秦王を驚かせてやろうと思ってずっと内密にしていた。…あいつの面白え顔を拝むために、このことはくれぐれも外部に洩らすなよ」

もっともらしい理由で信がこれまで縁談を断っていた理由を代弁し、釘を刺すようにドスの効いた声で低く囁くと、罗鸿は青ざめながらも頷いた。

信といえば、この国で絶対的権力を持つ親友をあいつ呼ばわりした桓騎に呆れた視線を向けている。

「で、では、あの、一級品をご用意させていただき、また日を改めて、お伺いいたします…」

「ああ、頼んだぜ」

先ほどまでの商人としての勢いが鎮火されたようになり、罗鸿は縮こまって頭を下げた。

いくら罗鸿が信の夫の座を狙っていたとしても、桓騎には敵わない。それは商人という立場が将軍よりも下だという自覚がある証拠だった。

信がずっと縁談を断り続けていた理由をようやく理解した罗鸿は、狼狽えることしか出来ずにいるらしい。先ほどまでは威勢よく商売をしていたくせに、あたふたと言葉を選んでいる姿に、桓騎は笑いを噛み堪えるのが大変だった。

ふと、放置されたままの牛車に気が付いた。

積んである荷は布で覆われているため、何が詰まれているのかは分からない。しかし、信が興味を抱かないものということは、恐らく金や銀で作ったような高級な物なのだろう。

どうせこれらは全て信への貢ぎ物で、信本人は不要だと言うのだから、自分が代わりにもらってやろうと考えた。配下たちへの手土産にちょうどいい。

この高級な品々を、全て信へのご機嫌取りのために押し付けるということは、それを仕入れるにあたって相当な金を貯め込んでいることも分かる。

良い金づるを見つけた・・・・・・・・・・と考えたのは罗鸿だけでなく、桓騎もであった。

「今日の貢ぎ物はもらっておいてやるよ。こいつの夫になる俺の物でもあるだろ?」

「そ、そうですね…」

信との婚姻どころか、彼女のご機嫌取りのために用意した貢ぎ物までもが桓騎に奪われることとなり、罗鸿はその顔に苦笑が隠せずにいた。

しかし、桓騎が何か文句があるのかと言わんばかりに鋭い一瞥をくれてやると、彼は逃げ出すようにその場を後にしたのだった。

 

穏便解決?

罗鸿ラコウの姿が見えなくなった後、信は桓騎の腕の中から抜け出した。

険しい表情を浮かべているのを見て、てっきり笑顔で感謝されるとばかり思っていた桓騎は小さく小首を傾げる。

呆れたように信が肩を竦めた。

「お前…いくら何でも、あんなこと言って騙すなんて…」

「騙す?」

心外だと桓騎は肩を竦めた。

「悪い虫を追い払ってやったのに、礼もなしか?」

口を尖らせて不機嫌を顔に出すと、信は少し考えてから、罗鸿が置いていった牛車を指さした。

「じゃあ、あれ全部やるから、これで貸し借りはナシな?」

「………」

ひくりと口元が引き攣る。
それなりに価値があると見て、罗鸿から上手い具合に奪い取った品々だが、まさかそれを今回の礼として宛がわれるとは思わなかった。

「ま、あの様子ならもう来ないだろうし、本当に助かったぜ。ありがとな」

花が咲いたような笑顔を向けられる。罗鸿と違って胡散臭さは微塵も感じられず、本当に安堵しているといった表情だった。

どうやらこれで清算した気になっているらしいが、礼を言われても桓騎の胸は釈然としない。

何故なら、この件はまだ終わりではないからだ。

「…あいつ、まだ諦めてねえぞ」

「えっ?」

罗鸿に渡された小瓶を手で弄びつつ、桓騎が独り言ちると、信が驚いたように聞き返す。

「な、なんで…?」

あれだけしつこく縁談を迫って来た男がこのまま素直に引き下がると本当に思っているのかと、桓騎は唇に苦笑を浮かべた。

「少しは頭を使えよ。…動き出すのは、向こうの準備が整ってからだろうがな」

まるで罗鸿の行動を先読みしているかのような言葉に、笑顔を取り戻したはずの信の表情が曇る。

「わっ?」

切なげに皺が寄せられた彼女の眉間を指で弾き、桓騎はにやりと笑う。

「心配すんな。全部上手くいく」

その言葉を聞いた信の頬が自然と緩んだ。

 

罗鸿からの誘い

その後も桓騎は信の屋敷に滞在していた。

予想では十日ほど経ってから罗鸿ラコウが再び現れると睨んでいたのだが、彼が一級品の嫁入り道具を手配したと屋敷に書簡を寄越したのは、五日が経ってからのことだった。

早急に動き出したところから、桓騎と信の関係を知って、よほど余裕がなくしていることが分かる。

実際に罗鸿と会って分かったことだが、彼が私欲のために信を利用しようとしていたのは間違いないだろう。彼の目は信を異性として好いているものではなく、高い地位を得るために踏み台にしか見ていない。

そしてそれは、桓騎が罗鸿を排除するのに十分過ぎる理由であった。

(さァて…どう出るか)

書簡を読み終えた後、桓騎は頬杖をついて、気だるげに目を伏せる。

罗鸿から送られて来た書簡には、桓騎が依頼した一級品の嫁入り道具を用意したと記されていた。

嫁入り道具の受け渡しに当たっては、ある条件が記されていた。
桓騎が信との婚姻を内密にしていることを伝えたからだろう、罗鸿は他の民たちからの目を気にしてか、夜になってから受け渡したいと申し出たのである。

二人が婚姻を未だ公には出来ない事情から、罗鸿の屋敷でささやかながら祝いの席を設けたいことや、嫁入り道具だけでなく、祝いの品も贈りたいという言葉が綴られていた。

このことから予想出来るのは二点。

一つは罗鸿が今後も良い商売相手として、自分たちと繋がりを持っておきたいと考えていることである。

そしてもう一つは、罗鸿が信との婚姻を諦め切れていなかった場合の話だ。桓騎はきっと後者に違いないと睨んでいた。

 

「…なあ、本当に行くのか?」

不安げに瞳を揺らしながら、同じく書簡を読んだ信が問いかけて来た。罗鸿の誘いに乗ってやろうと言ったのは桓騎の方である。

「せっかくの誘いだからな」

余裕たっぷりの笑みを見て、信は不安そうに眉根を寄せる。

桓騎が信頼している配下にさえ策を共有しない男であることは知っていた。それは桓騎の中で勝利への道筋が浮かんでいるからだと、理解していたのだが、それでも信は不安の色を隠せない。

桓騎が浮かべている勝利への道筋を疑っている訳ではなく、いつもの極悪非道な首切り桓騎が何をしようとしているのかという不安であった。

捕虜や女子供には一切手出しをしないことを信条としている信は、桓騎がこれまで行って来た血も涙もない命の奪い方を良いものだとは思えなかった。
たとえそれが、桓騎の信条であったとしてもだ。

「………」

切なげに眉根を寄せた信に、桓騎は薄ら笑いを浮かべるばかりで何も語ろうとしない。

桓騎が自分にさえ策を告げようとしないのは、全く異なる信条を貫く信から口を出されるのが面倒だと思っているからだろうか。

「信」

いつまでも顔から不安の色を消せずにいる彼女に、桓騎は優しい声色で名前を呼んだ。

「安心しろ。お前が不安がるようなことはしない」

「本当か?」

間髪入れずに信が聞き返すと、

「……あいつ罗鸿の出方次第だがな」

意味深な沈黙の後に桓騎がそう言ったので、信はひと悶着起こることを予想して、深い溜息を吐いた。

 

中編②はこちら

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恋は毒ほど効かぬ(桓騎×信)前編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/毒耐性/シリアス/IF話/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

このお話は「毒酒で乾杯を」の番外編です。

 

信の縁談

「…なあ、桓騎」

屋敷で酒を飲み交わしていると、信は酔いで顔を仄かに赤らめながら、桓騎を見つめて来る。

それが情事の誘いではないことは、悩ましく眉を寄せた表情からすぐに察した。

「しばらく、泊まっても良いか?」

機嫌を伺うように、上目遣いでそう問われて断る男はいないだろう。好きなだけ泊まっていけばいいと返す前に、桓騎は理由が気になった。

「珍しいな。なんかあったか」

前触れもなくふらりと桓騎の屋敷にやって来た信と酒を飲み交わし、一夜を共に過ごすことは珍しくはないのだが、彼女は翌日になるとすぐに帰ってしまう。

いつも飛信軍の鍛錬の指揮を欠かさず行い、信自身も副官の羌瘣と手合わせをしたり、日々腕を磨いているのだ。

面倒見の良い彼女が自身の鍛錬や、軍の指揮を怠るとは想像出来ず、桓騎は理由を尋ねた。

「…罗鸿ラコウって商人を知ってるか?咸陽じゃ有名なやつらしいんだけどよ」

「いや、知らねえな」

聞き覚えのない名に、桓騎は首を振った。

下賤の出でありながら、褒美に一切興味を示さない彼女の口から商人の話が出るとは珍しい。
その男と屋敷に滞在したがっている理由がどう繋がっているのかと、桓騎は耳を傾けた。

「実は…そいつから、ずっと縁談を申し込まれてるんだけどよ…」

空になった杯に鴆酒ちんしゅのお代わりを注ぎながら、信が眉根を寄せていた。

ほう、と桓騎が興味深そうに片眉を持ち上げた。

信に縁談の話が届くというのは珍しいことではなかった。
大将軍である彼女の夫となり、その立場を利用して伸し上がろうと計画する男など山ほどいる。少しでも彼女に近づくために、飛信軍に入ろうと体力試練に挑む男も後を絶たないくらいだ。

縁談を申し込んでいる男たちもそれなりに秦国で名を広めている地位の者たちばかりで、そして信も、かなりの数の縁談を断っているというのも噂で聞いていた。

きっと信が大将軍という立場に留まっているだけなら、そこまで縁談の数も多くはなかったに違いない。

しかし、信は秦王である嬴政の親友という、唯一無二の立場に立っている。
今の地位に満足せず、伸し上がりたい男たちからしてみれば、秦王と繋がりのある信は良い踏み台なのだ。

縁談を申し込んで来た男たちと一人ずつ会っていたら時間がいくらあっても足りないと、溜息混じり話していたことはまだ記憶に新しい。

異性から好意を寄せられていることに対する自慢ではない。
信自身も縁談を申し込む彼らが自分の地位を狙っているのだという自覚があるからこそ、相手が誰かと聞く前から縁談をひっきりなしに断っているのだという。

嬴政が信を親友として大いに信頼を寄せているのは、彼女のそういった態度も含めてのことだろう。

彼女が大将軍の座に就き続ける限り、そして嬴政が王として即位し続けている間はきっと縁談の話が絶えることはないだろう。

しかし、信が顔も名も知らぬ男たちに靡くような女でないと確信していたこともあって、桓騎は過去に彼女の縁談話を聞いても不安を覚えることは一度もなかった。

 

「…で、その商人が何だっつーんだよ?」

鴆酒を口に運びながら、桓騎が話の続きを促した。

いつもは縁談を申し込まれてもさっさと断るくせに、珍しく信が縁談を申し込んで来た男の話を掘り下げたことに、桓騎は何があったのか気になった。

屋敷に帰りたくないと彼女が言ったのは、これが初めてのことである。
しかし、前向きに縁談を受け入れるか悩んでいるというワケではなさそうだ。彼女の表情を見て、その商人に惚れていることは絶対にないと断言出来た。

だとすれば、よほどその罗鸿ラコウとか言う商人に、決して無視できない事情・・・・・・・・・を抱えていると見て良いだろう。

「……あー、えーと…」

言葉を選ぶかのように信が俯いて表情を隠したので、桓騎は僅かに眉根を寄せた。何か普段とは違うことが起きているのだと、ある程度の予想は出来た。

「厄介事に首を突っ込んだか」

杯を口元に運びながら冗談交じりにそう言うと、信が大袈裟なまでに肩を竦めたので、桓騎は呆れ顔になってしまう。

お人好しの彼女が人助けをすることは珍しくないし、恋愛感情を抱くようになる男がいるのも珍しい話ではなかった。

しかし、信がこれほどまでに困り果てているということは相当厄介な問題を抱えているのかもしれない。

色々と訊き出したい気持ちを押さえるために、鴆酒を流し込んだものの、毒の程良い痺れが喉を襲うばかりで、一切味を感じなかった。

…まさか信は、その縁談話を受け入れざるを得ない状況に陥っているのではないだろうか。

「…まさか、本気でその商人の野郎と婚姻を結ぶつもりかよ」

こんなにも良い男が目の前にいるというのに、信は意外と男を見る目がないようだ。

怯えさせぬように穏やかな声色で問うものの、不自然に頬が引き攣ってしまう。付き合いの長い側近たちにこんな顔を見られたら大いに笑われるだろう。

知将として中華全土にその名を広めている冷静沈着な桓騎であっても、信のことになると途端に感情が露わになってしまうのは、やはり惚れた弱みなのだろうか。

「いや、そんなワケないだろ!」

すぐに否定されたので、表情には出さず安堵したものの、信の顔色は優れない。

「ただ、その…少し、…本当に少しだけ、面倒なことになってるだけだ」

「面倒なこと?」

聞き返すと、信が重い口を開いた。

「…そいつが、俺と結婚するって噂を勝手に民たちに流してるみたいで…」

「ああ?」

これには桓騎も思わずドスの利いた声を返した。少し・・という緩衝用語を使っていても、十分過ぎるほど面倒な事態になっていることは安易に予想がついた。

どうやら信も迷惑しているのだろう、重い溜息を吐き出した。

「お前は断ったんだろ?なんでそんな噂を広めてんだ?そいつだって、下手したら虚言を理由に首が飛ぶだろ」

「…一度、屋敷に泊めたせいで、それを言いふらしてるんだよ。それが何でだか結婚の噂にすり替わってて…」

桓騎のこめかみに鋭いものが走った。

まさか自分という存在がありながら、その商人を屋敷に泊めてやったというのか。顔に暗い影を差している桓騎を見て、信がぎょっとした表情を浮かべる。

「こればっかりは俺の首を掛けてもいい!誓ってやましいことはしてない!」

わざわざ宣言されなくても、嘘を吐けない信が隠し事など出来るはずがないのだ。

もしも自分以外の男と寝たのが事実だとしたら、たらふく毒酒を飲ませ、わざと副作用を起こさせてから、三日三晩は信の方から泣きながら自分を求めるように仕向けたに違いなかった。

以前、秦趙同盟が結ばれた際、信は呂不韋の企みによって毒殺されかけた趙の宰相を救い、その流れで彼と褥を共にしていたことがあった。

何度許しを乞われても弁明をされても、桓騎はそれを全て無視し、抱き殺す勢いで彼女を三日三晩は文字通りめちゃくちゃに犯したのである。

毒耐性を持っていることはともかく、副作用のことを考慮して人前で毒酒は絶対に飲むなと口酸っぱく伝えていたのに、自分の忠告を無視して裏切った信が悪い。

「………」

日を追うごとに情けないほど信に対する独占欲が増している自分を自覚し、桓騎は小さく溜息を吐いた。

 

僅かに鼓動が速まっている心臓を落ち着かせるために、桓騎は黙って鴆酒を口に運ぶ。

信は嘘を吐けない欠点を持っているが、決して弱い女ではない。簡単に寝込みを襲われたり、自分以外の男に組み敷かれるとは微塵も思わなかった。

しかし、どういった経緯があって男を屋敷に泊めたのか、桓騎の聡明な頭脳を以てしても、今回の経緯ばかりは分からなかった。

「…その罗鸿ってやつ、直接俺の屋敷に赴いて、縁談を申し込み来たんだ」

呆れた表情を浮かべたまま、信が罗鸿との経緯についてを話し始める。

正式に縁談を依頼する場合、直接会うまでにはそれなりの作法というものがある。まずは書簡のやり取りを行い、自分の身分を示す必要がある。そこで相手に気に入られてから、会う権利を獲得できる。

第一に重視されるのは顔でも体でもなく、身分だ。
相手の親からも信頼されるような地位に立っていなければ、その時点で話は無かったことになる。

縁談を申し込まれる女は、届いた縁談話を自らが吟味することはない。親が決めた相手と結婚をさせられることがほとんどだろう。一族の繁栄のために、娘であっても利用できるものは利用する。それがこの国の習わしだ。

しかし、信の場合は違う。養父である王騎が存命だったならまた違っただろうが、相手を見定めて結婚相手を決める権利は彼女自身にあった。

悪く言えば、断る手段も信本人にしかないということである。だからこそ、罗鸿という商人はそこを付け入ったのだろう。

信さえ頷かせることが出来れば結婚が認められるのだから、交渉に長けている商人ならば、どんな手段でも厭わないのかもしれない。

やましいことはしていないというが、一体どのような経緯があって屋敷に泊めてやったのだろう。

信だって女だ。男が彼女の屋敷に泊まったと言えば、その話だけを聞いた者たちが良からぬ想像をしてしまうのも分かる。

聡明な頭脳を持つ桓騎でさえも、その商人と信の関係を疑ったのだから、民たちは信がその商人と結婚するという噂を鵜呑みにしているに違いない。

もしもこれがその商人の策略だとしたら、それなりに厄介な相手だと桓騎は舌打った。

信がその策略に陥り、万が一でもその商人と結婚することになったら、正気でいられる自信がない。

幸運だったのは、完全にその策略から抜け出せなくなる前に、信が打ち明けてくれたことだった。

いくら信のことを愛しているとはいえ、彼女に関する噂話まで全て把握している訳ではない。
万が一、信が誰にも打ち明けずに、その策略に陥り、めでたく罗鸿との婚姻を結んでから助けを求められなくて本当に安堵した。

もしもそうなったとしても、速やかに罗鸿の存在を闇に葬り去って結婚自体をなかったことにするまでだが、信のためを想うならば穏便に済ませるのが一番の得策だろう。

戦では正攻法で攻め入る信と、奇策で攻め入る桓騎のやり方は、平行線のように交わうことはなく、理解し合えるはずもないのである。

「……面倒な奴に好かれるな、お前は」

つい愚痴のように零してしまうが、信の耳には届かなかったようだ。もちろん、面倒な奴というのには桓騎自身も含まれている。

秦趙同盟の時に信が趙の宰相と褥を共にした時は、桓騎は全力で手回しをして国中に噂が広まぬよう情報操作を行った。

あの時もしも自分が情報操作を行わなければ、秦趙の仲をより強固にするためだとか訳の分からない理由で、信は政治の道具として趙の宰相に嫁がされていたかもしれなかった。

報告によれば、趙の宰相が信と褥を共にしたことには丞相の呂不韋が絡んでいたという。厄介な輩共に絡まれたものだと毒づいたことを思い出す。

いくら戦場で多大なる強さを誇っていたとしても、本当に信はこの手の策には弱い。

だからこそ、桓騎は彼女から目を離せられなかったし、ますます他の男に手放したくなかった。

 

 

信の縁談 その二

詳しく話を聞けば聞くほど、罗鸿ラコウという商人に対して、嫌悪を抱くばかりだった。

書簡のやり取りを省いて、直接屋敷に赴いて縁談を申し込んで来たというのは、いくつも前例があったので、ここまではまだ珍しい話ではなかった。

事前の訪問を申し合わせすることもなかったので、もちろん見張りの兵から門前払いを食らったそうだが、信に会うまでは帰らないと、罗鸿はずっと門の前で粘り続けていたのだという。

大抵の者ならば、ガタイの良い兵に睨まれると逃げ帰るのだが、罗鸿はそうではなかった。

門番の兵たちも、鍛錬の指揮に出ていた信に報告はせず、そのうち帰るだろうと放っておいたようだが、彼の粘り強さは今まで縁談を申し込んで来た男たちとは比べ物にならないほどだった。

やがて雨が降り始めても、彼は寒さに凍えながら、ひたすら信のことを待ち続けたのだという。

陽が沈み始めた頃に帰還した信を見るなり、罗鸿はずぶ濡れの姿で自己紹介を始め、大胆にも縁談を申し込んだ。

状況が分からずに混乱する信に、門番が縁談を申し込むためにずっとここで待っていたのだと説明をされたらしい。

その時に信は罗鸿に面と向かって縁談を断ったし、門番もその時のことはちゃんと覚えているのだと力強く桓騎に訴えた。

言葉を濁らせることはせず、縁談には応じられないと何度も告げたのに、それでも罗鸿は引かなかったのだという。諦めの悪い男だと言うのはその話から十分に理解出来た。

「…それで?」

頬杖をつきながら桓騎が話の続きを促す。
どれだけ断りの返事を入れても引かない罗鸿が、冷え切った身体を震わせているのを見て、信は今夜だけ屋敷に泊まって明日帰るように伝えたのだという。

そのまま風邪でも引かれるのも夢見が悪いし、縁談を断られた勢いで血迷ったことをされては困ると思ったのだろう。

それは縁談を承認したものではなく、誰が聞いても信の善意による行為だと分かる。この話を聞けば誰もがそう思うだろう。

しかし、一晩屋敷に泊まって帰宅した罗鸿は、縁談の話を持っていった後に信の屋敷に泊まったのだと民たちに嬉々として語り、それがなぜか回り回って信が縁談を承認したという噂にすり替わり、咸陽で大いに広まってしまったのだという。

 

「はあ…」

一通りの経緯を語り終えた信は疲れ切った顔で机に突っ伏した。
どうやら一月近くその噂話に振り回されているようで、精神的にも参ってしまっているらしい。

「噂なんて放っておきゃ、そのうち消える」

信の口から話を聞いた桓騎も罗鸿の図々しさに静かに腹を立てながら、しかし、今は彼女を慰めるように穏やかな口調でそう伝えた。

もう少し早くその話を知っていたのなら、早々に情報操作を行い、信に気付かれぬように罗鸿ごと処理・・をしていただろう。

「それが…」

言いにくそうに言葉を濁らせたので、まさかまだ何かあるのかと桓騎がひくりと口角を引き攣らせた。

あまりにも咸陽でその噂が広まり過ぎて、丞相である昌平君や昌文君たちの耳にも届いたのだという。つまり、宮廷にもその噂が広まっているということだ。

用があって宮廷に訪れた際、昌平君から事実確認をされた信は驚愕した。

怒りのあまり罗鸿の屋敷に乗り込んで、一体何のつもりなのだと本人に問い詰めたのだという。

「………」

眉間に寄った皺を解すために目を閉じ、桓騎は無言で眉間に指を押し当てた。

そんなことをすれば、ますます罗鸿の思うつぼだと、きっと彼女は分からなかったのだろう。そういう鈍いところがあるから、趙の宰相にも呂不韋にも政治の道具として扱われたに違いない。

案の定、それは罗鸿の策略だったようで、屋敷に訪れた信はあれよあれよという間に彼の一族の者たちに厚遇されたのだという。

信が自ら罗鸿の屋敷を訪れたのを目撃した民たちは、罗鸿の結婚の噂は本物だと誤解することになる。そして今では、咸陽を歩けば民たちから祝福の言葉を掛けられるようになったのだとか。

その日を境に、屋敷に帰れば罗鸿が信のご機嫌取りのためか、異国から仕入れたという珍しい品物や着物を揃えて、彼女のことを待ち構えているのだそうだ。

民たちの間で広まった誤解にも、罗鸿の行動にも信はうんざりしており、今では自分の屋敷に帰るのも億劫になっているのだという。

「はあ…何でこんなことに…」

後悔しているとしか思えない独り言に、桓騎はやれやれと肩を竦めた。
善意で罗鸿を屋敷に泊めたことがまさかこんな大事になるとは思わなかったと、信は激しい後悔の念に駆られていた。

「………」

最初から自分を頼れば良かったものをという言葉を寸でのところで飲み込む。今さら彼女を責めたって何も変わりないし、それに信が罗鸿を屋敷に泊めたのは善意でしかない。その善意を利用した罗鸿に全て非があるのだ。

きっと罗鸿からしてみれば、このまま信の判断能力と反発力を奪っていけば、確実に自分のものに出来ると見ているだろう。

そして信が屋敷に乗り込んで来ることや、それを逆手に婚姻の噂を広めるのも策だったのならば、それだけ信との縁談に執着していることが分かる。

信が縁談を断ったのは確かだし、そして罗鸿も、信から縁談を承諾されたとは一言も言っていない・・・・・・

屋敷に泊まったことや、信が屋敷にやって来たという事実だけを広め、それが結婚の事実とすり替わるように情報操作を行ったのだから、相当頭がキレる商人なのだろう。

繁栄を意味する名であることから、商人としての才を芽吹かせたのも頷けるが、信を娶るのではなく、普通に商売をしていれば良かったものをと桓騎は小さく舌打った。

彼に唯一の誤算があったとすれば、それは紛れもなく信と深い繋がりを持っている桓騎自分の存在である。

他国だけでなく、秦国の中でも恐れられている残虐性と奇策の持ち主である自分を敵に回したのが罗鸿の誤算であり、敗因だ。

こちらの勝利を前提に桓騎がそう考えているのは、それが確定次項であり、当然の結果だからである。

「信」

「ん…?」

顔を上げた信の瞳はうっすらと潤んでいる。酔っているせいだろうが、男の情欲を揺るがせるその表情を他の誰かに見られるだなんて、絶対に許せなかった。

「一つ、貸しだぞ」

何度か瞬きを繰り返している信が、桓騎から協力を得られるのだと理解するまで少し時間がかかった。

「へへ、やっぱり頼りになるなあ、お前…」

安堵したのか、ふにゃりと顔を緩ませた笑みが堪らなく愛おしかった。

 

桓騎と信の関係性

そのうち信が机に突っ伏して眠ってしまったので、桓騎は彼女の体を抱えて寝台へと運んだ。

罗鸿という商人の話を始めた時から、顔に不安の色を宿していたが、今は親の腕に抱かれて眠る子どものように安心しきった顔を見せている。

普段なら共に就寝するのだが、桓騎は寝台に腰掛けたまま信の寝顔を見つめていた。

「………」

顔に掛かっている前髪を指で梳いてやってから、桓騎はもう少しだけ飲もうと立ち上がり、棚に収納してある酒瓶を眺めた。

一人で飲むのなら、信があまり好まない鰭酒にしようと思い、自分で浸けた酒を手に取る。
杯に注いだ酒から独特な生臭さが立ち上った。今回もよく毒魚の鰭を炙ったが、匂いは取れなかったようだ。

信はこの生臭さが苦手だというが、舌の上に広がり、喉に流れていくこの強い痺れには堪らない旨味がある。

(…婚姻か)

自分たちはこうして酒を飲み合っては体を重ねる男女の仲ではあるものの、婚姻を結んでいる訳でもないし、かといって許嫁のような堅苦しい関係でもない。

お互いに下賤の出であることから、そういった形式に縛られることないし、言ってしまえば気ままで楽な関係だ。

今後もその関係は平行線のように続いていくのだと桓騎は信じて疑わず、そしてそれは信も同じだと思っているに違いない。

お互いに将という立場にある以上、次の戦で死ぬかもしれない。桓騎は将軍というものに未練も誇りもないのだが、信はそうではない。

秦王に対する忠義が厚い女将軍。それ以上、信のことを知らずにいれば、桓騎は今も一人で毒酒を嗜んでいたに違いない。

そんな自分たちを引き結んだのは、毒に対する耐性があることだった。
その共通点がなければ、きっと信と毒酒を飲み交わすことなく、今の関係に至ることもなかっただろう。

信は秦将であることに誇りを持っており、国を守ることに命を懸けられる女だ。
この国を守ることが本望であり、役目であり、それ以上は何も望まないと言っていたことを桓騎は覚えていた。

裏を返せば、それは、女としての幸せを諦めているということである。

戦から離れ、自分と婚姻をして家庭を築くだなんて、夢にも思っていないだろうし、桓騎もそんな未来を想像したことなど一度もなかった。

「………」

ゆっくりと振り返り、桓騎は信の寝顔を見つめた。
ここに至るまでに、戦以外で彼女が幸せに生きる道は幾つもあったはずだ。下賤の出であっても、男と結婚して子を産み、女としての幸せを得ていたのかもしれない。

(…全然思い浮かばねえな)

頬杖をつきながら、信のもう一つの未来を考えてみたが、やはり少しも思い浮かばない。

着物の隙間から僅かに覗く傷だらけの体を見て、信が将という立場であるからこそ、自分は彼女に惹かれたのだと断言出来たし、将でない彼女など彼女ではないと断言できた。

だからといって、自分以外の男が彼女を狙っているという話を見過ごすわけにはいかなかった。

自分以外の男と幸せそうに微笑み合う信の姿など、考えたくもない。

それは紛れもなく独占欲の類だと自覚していたのだが、信はそのことに気付いていないだろう。本当に鈍い女だ。

苦笑を浮かべながら、桓騎はこれからも彼女の隣に居続けることを望んでいる自分に気が付いた。

 

 

「んー…」

寝台の上で眠っているはずの信が声を上げたので、起こしてしまっただろうかと桓騎は振り返る。

酔いと眠気のせいで潤んだ瞳と目が合った。

「……、……」

どこか気恥ずかしそうに、しかし、熱っぽい視線を送って来る信に、桓騎は杯に残っている鰭酒を一気に飲み干す。彼女が何を訴えているのか、すぐに分かった。

毒酒を一定量以上飲み、体に副作用が現れた時は媚薬を飲んだ時のように性欲と感度が増強するのだが、今日は違う。
息を荒げている様子もなければ、苦しさを訴えることもない。

副作用は関係なしに、自分のことを求めている瞳だ。それが酔いのせいだとしても、桓騎はとても気分が良かった。

自分に好意を向けている女が抱いてくれとせがんでいるのだ。断る気にはなれない。
空になった杯を台に置くと、桓騎は寝台へと向かう。

横たわったまま信が腕を伸ばして来たので、桓騎はその腕を抱き込みながら、褥に倒れ込んだ。

すぐに信の体を組み敷くと、言葉を交わすことなく、唇を重ね合う。

「ん、んぅ」

舌を絡めながら、信が性急な手付きで背中に腕を回して来る。

「んぁ…」

早く欲しいと訴えているような健気な態度に、口づけを交わしながら笑みが零れてしまう。
舌を絡ませながら、彼女の帯を解いて着物の襟合わせを開く。

現れた傷だらけの肌はもう隅々まで見慣れていたが、何度見ても飽きることはなかったし、この情欲が冷めることなど考えられそうもなかった。

 

信が目を覚ました時、桓騎は隣にいなかった。

隣にはまだ温もりが残っており、恐らく、先ほどまではここにいたのだろう。情事の途中で意識を失うように眠ってしまったようで、信は着物を着ていなかったのだが、風邪を引かぬように気遣ってくれたのか、肩までしっかり寝具が掛けられていた。

(なんだよ…)

桓騎は口は悪いが、こういう気遣いが出来る男だ。普段の態度を知っているからか、こういう気遣いの格差を知ると、いつもむず痒い気持ちに襲われる。

(あー、さすがに寝過ごしたな…)

窓から差し込む温かい日差しを浴び、すでに昼を回っていることを知る。

ここ最近は罗鸿ラコウのことで悩まされており、寝付けないほどではなかったが、こんなにも安心して眠ったのは随分と久しぶりのことだった。

情事の甘い疲労と、少しだけ疼くような痛みがあるが、随分と気分が良かった。

「ふあぁ」

大きな欠伸をして、信は瞼を下ろす。すっきりとした目覚めではあるが、もうひと眠り出来そうだった。

しばらくはこの屋敷に滞在する許可を得たことだし、ゆっくりと過ごさせてもらおうと信は二度寝することを決める。

「………」

眠ることだけに集中すればよかったものの、昨夜、桓騎に話したことを思い出してしまう。

罗鸿の狙いは、自分との婚姻の先にある秦王嬴政との繋がりであると、信も分かっていた。
たかが一商人ならば、秦王と謁見することはおろか、一生のうちに一度も姿を見ないでその生涯を終えてしまうかもしれない。

だが、親友の夫という立場にあれば、祝辞を贈られることは間違いないだろうし、どのような男であるか確かめられるのは必然だ。

秦将と秦王の後ろ盾を持つことで、商人はこの上ないものに昇格する。商売の一種だと考えているに違いないが、もともと将として生を全うする気でいる信には、男との婚姻など考えられるはずがなかった。

(…眠い)

再び瞼に睡魔が圧し掛かって来る。
桓騎の屋敷に行くことは、屋敷を任せている従者たちに告げてあるし、軍のことも信頼できる副官たちに任せてあるので何ら問題はないだろう。信は再び目を閉じた。

(きっと、大丈夫だ)

桓騎が力を貸してくれるというのだから、きっと全部上手くいくだろう。

…すでにこの時、桓騎が一連の作戦を練り終えて、動き始めていることなど、信は知る由もなかった。

 

 

桓騎の屋敷で十日ほど過ごした信は、そろそろ屋敷に帰ろうと考えていた。

軍の指揮や鍛錬は副官たちに任せているとはいえ、さすがにこれ以上屋敷を留守にすれば心配をかけることになる。

それを桓騎に告げると、引き止められることはなかったのだが、

「俺も行く」

「えっ?お前も?」

まさかそんな提案をされるとは思わなったため、信は驚いて聞き返した。

「罗鸿の野郎が屋敷で待ち構えてんだろ?」

「まあ、それは…多分な…」

しつこいほど屋敷で信の待ち伏せをしていたあの男が、数日留守にしたところで諦めるとは思えなかった。

過去に罗鸿のしつこさを見兼ねた副官の楚水が穏やかに説得を試みたが、少しも効果がなかった。かといって強引に事を起こせば、女子供や投降兵には手出しをしないと飛信軍の評判に泥を塗ることになる。

血気盛んな飛信軍の中でも冷静さがあり、なおかつ礼儀もしっかりと得ている楚水ですらも罗鸿を黙らせることは出来なかったのである。

しかし、桓騎が傍にいてくれれば、多少の抑止力になるかもしれない。

元野盗である桓騎と桓騎軍の素行の悪さは秦国でも有名だ。他国でも怯えられるほど残虐性を持っている彼と信が親しいのだと分かれば、もしかしたら罗鸿も我が身可愛さから手を引いてくれるかもしれない。

 

「…じゃあ、頼む」

同行を許可すると、桓騎は得意気に口角をつり上げた。

どうせ断ってもついて来るだろうと思ったが、水面下で物事を進められるよりは傍で監視しておいた方が良いだろう。

知将と名高い桓騎は、味方にも策を告げることのない男だ。
もしかしたら既に自分の知らないところで物事を進められているのではないかという不安もあったが、一緒にいる間はそんな様子は見られなかった。

「とっとと諦めてくれりゃあ良いんだがな…」

二人で馬を走らせながら、信が溜息交じりに呟いた。

桓騎の存在を知って、罗鸿が潔く婚姻を諦めてくれれば話は早い。しかし、秦王と親友である自分を踏み台にして商人として成功することを諦められないのかもしれない。

自分の夫になったところで、嬴政が商いの手助けなどするはずがないのに、やはり秦王と接点を持つということは、民にとってはこの上ない権力のようなものなのだろう。

屋敷へ向かいながら、信の溜息はますます深くなっていった。

 

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