毒を喰らわば骨の髄まで(桓騎×信←王翦)後編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/王翦×信/毒耐性/シリアス/IF話/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

このお話は毒酒で乾杯をの番外編です。

中編はこちら

 

毒の副作用

肩で息をする信を見て、王翦が仮面の下で僅かに顔をしかめた。

耐性を持っているにも関わらず、苦しがる信の姿に何が起きているのか分からないのだろう。

毒を摂取し過ぎると、媚薬を飲まされたかのように性欲と感度が高まるのは信も知っていたが、それを知らない王翦からしてみれば、苦しんでいる姿にしか映らないだろう。

「ッ…」

息を切らしながら、信は自分にしっかりしろと喝を入れる。時間さえ経てば落ち着くのだが、まだ当分先だろう。

あの場では毒を盛った庖宰ほうさい ※料理人 の男を庇うために飲まざるを得なかった。

もしも桓騎と王翦が鰭酒だと気づかなければ、信は飲んだふりをしてやり過ごしていただろう。そして本来、毒を盛られるべき相手が桓騎だったことは気づかなかったに違いない。

庖宰の男を庇ったことに後悔していないのだが、何としてでも毒の副作用で理性を失うことだけは避けなくては。
今の状況をどう切り抜けるか、信は靄が掛かり始めた思考で必死に考える。

とにかく、まずはこの場から離れなくてはと思い、一人になれる場所を探すために、信は立ち上がろうとした。

「っあ…!」

後ろからぐいと腕を引かれて、信は椅子に腰掛けている桓騎の膝の上に座り込んでしまった。

振り返ると、桓騎は悪い笑みを浮かべており、思わず背筋が凍り付く。何かを企んでいる時の顔だった。

毒の副作用で苦しんでいる時に桓騎がしてくれること・・・・・・・・・・といえば、一つしかない。

初めて鴆酒の毒が回って倒れた時も、嬴政の命を狙った刺客から毒の刃を受けた時も、彼は足腰が立たなくなるまで自分を抱いて、その副作用を落ち着かせた。

あの時は幸いにも嬴政がすぐに部屋を出て行ってくれたのだが、もしも親友の前で桓騎とまぐわっていたとしたら、二度と嬴政の前に顔を出せなかっただろう。

「ば、ばかッ、放せッ…!」

しかし、今は王翦が目の前にいるにも関わらず、桓騎が自分を抱こうとしているのだと察した信は必死に彼の腕を振り解こうとする。

どうやら桓騎の方も信が自分の企みに気づいたのだと分かったようで、ますます笑みを深めていた。首筋の赤い痣を隠していた襟巻きを解かれてしまう。

「桓騎ッ?」

戸惑っている信の体を両腕で抱き押えながら、

「悪いがこいつは俺のだ。潔く諦めろ」

まるで宣戦布告のように、桓騎は王翦へ言葉を投げかけた。

腕の中で顔を真っ赤にしている信へ視線を向け、それから勝ち誇ったような笑みを向ける。

驚いている信が腕の中から逃げ出すより前に、桓騎は堂々と彼女の着物の襟合わせに手を潜らせ、反対の手で帯を解いた。

普段よりも緩く巻かれているさらしの中に忍ばせた手で柔らかい胸を揉みしだく。

「お、お前、何してッ」

意図して弄ったのだとしか思えない手付きに、信は桓騎が本気であることを察した。

身体を重ねるようになってから、彼の手によって優しく育てられて来た二つの膨らみはすっかり感度が高まってしまい、特に先端の芽は敏感になっていた。

桓騎以外の誰かの目があるとしても、感度の上がったそこを刺激されれば、全身い甘い痺れが走るのだ。

当然それは桓騎も分かっている。王翦がいる前だというのに、わざとやったとしか思えない。

敏感な胸の芽を指で弾かれると、思わず声が上がりそうになる。

「触んなっ…!」

慌てて桓騎の手首を掴むが、決してやめることはなかった。

「擦れるだけで感じるようになっちまったもんな?」

普段は着物の下でさらしを巻いているらしいが、さらしがなければ着物に擦れてくすぐったいだと、恥じらいながら話していたことを桓騎は思い出した。

耳に熱い吐息を吹き掛けながら、からかうように囁けば、顔を真っ赤にした信が悔しそうな顔で睨んで来る。

「誰のせい、で…!」

「ん?もしかして俺か?」

「あっ…」

親指と人差し指を使って胸の芽を強く挟むと、信の身体が小さく跳ねた。

「立派に育てちまって悪かったな。十分俺好みだ」

少しも悪いと思っていない口ぶりで、桓騎は胸の芽を指の腹で擦り付けた。

 

 

「ふ、ぅうっ…」

鰭酒の毒は強力であり、酔いが回るのは早い。
それを一気飲みしたのだから、いつもの副作用が出るのも、そして副作用の強さも普段の比ではなかった。

身体が火照り、普段よりも感度が上昇している。桓騎もそれを分かった上で、胸の芽を重点的に攻めているのだろう。

「~~~ッ…!」

羞恥で顔を真っ赤に染めながら、信は桓騎の指先から与えられる快楽に歯を食い縛った。

しかし、桓騎が指を動かす度に全身に甘い痺れが全身を貫き、腰が砕けそうになる。

「ふッ、うんん…」

淫らな声を堪えようとして、歯を食い縛っているというのに、鼻奥で悶える情けない声が上がってしまう。

その反応を楽しむかのように、桓騎が喉奥でくくっと笑った。

「おい、王翦が見てる前でなんて声上げてる」

「っうぅ…」

そんなことは分かっている。信は強く瞼を閉じたまま、背後からは桓騎の、そして前から王翦の視線をしっかりと感じていた。

羞恥のあまり、目を開くことも叶わない。毒のせいで頭がぐらぐらとして、理性を繋ぎ止めておくのがやっとだった。

仮面で顔を隠している王翦は、浅ましい声を上げる自分をどんな目で見ているのだろう。想像するだけで恥ずかしくて死んでしまいそうだった。

いっそ、意識までも毒に飲み込まれてしまえばと思ったが、強靭な理性がそれを許さない。
王一族の当主の前で、痴態を晒すのだけは絶対に嫌だった。

「やめ、ろ、って…!頼む、から…」

力が抜けそうになりながらも、信は抵抗を試みた。
何とか桓騎の手を胸から引き離そうとするのだが、耳に舌を差し込まれると力が抜けてしまう。

「ふ、ぅッ…」

背筋に戦慄が走る。未だ触れられてもいない下腹部がずくずくと疼いて、信は口の端から呑み込めない涎を流した。

淫らな姿を見せる信に苦笑を深めながら、桓騎は右手で胸を弄り、左手で彼女の下腹部に触れる。

足の間に、はしたない染みが広がっているのは分かっていたのだが、まだ触れずにいるのは楽しみを後に残しておくためだった。

「う、っん、ぅく…」

臍の下の、下生えよりも少し上の辺りを着物越しに指で押してやると、信の体がびくりと震える。

毒の耐性を得るのと引き換えに生殖機能を失った其処が、男の子種を求めて疼いているのだ。

「っ、…ぃ、やだ、って…!」

膝を擦り合わせながら、信が小さく首を横に振っている。

まさかまだ抵抗する気力が残っているのかと内心驚きながら、桓騎はその理性を完膚なきまでに砕いてやりたいと思った。

ここが二人きりの褥の中だったのならば、信は淫らに声を上げて、早く欲しいと訴えていただろう。それをしないのは王翦がこの場にいるからだ。

そんな分かり切ったことを考えながらも、桓騎は行為をやめるつもりはなかった。王翦へ信に手出しをさせぬよう、釘を刺しておく・・・・・・・必要があった。

しかし、腕の中で淫らな声を上げて身を捩る信を見れば、王翦のことなどどうでもよくなって、情欲に身を任せてしまいたくなる。

(堪んねえな)

とことん泣かせたくなる加虐心が駆り立てられるのは、信の魅力なのかもしれない。

もちろんここまで淫らに育てたのは他の誰でもない自分であり、そのことに桓騎は優越感さえ覚えていた。

 

毒の副作用 その二

まだ胸と下腹にしか触れていないというのに、信は嫌悪と陶酔を織り交ぜた複雑な表情を浮かべていた。

「っん、うぅ…」

下袴の中に手を差し込み、確かめるように桓騎は足の間に指を這わせた。ぬるぬると粘り気のある蜜が指に纏わりつき、思わず口角がつり上がってしまう。

はしたない染みが出来ていた時から気づいていたが、嫌がる口とは正反対に、淫華は蜜を溢れさせ、早く触れてほしいと誘っているのだ。

「こんなにしてりゃあ、辛いだろうなあ」

「やッ…」

腰を軽く浮かせた隙に下袴を脱がす。膝辺りまで中途半端に脱がせたせいで、かえって身動きが取れなくなってしまったらしい。

羞恥によって、全身の血液が顔に全て集まってしまったのではないかと思うほど、信は真っ赤にしている。

信の眼前で淫華の蜜を纏った二本の指を広げてみせると、いやらしく糸を引いていた。

彼女を辱めるような言葉を投げかけておきながら、桓騎の視線は王翦へと向けられている。

目の前で桓騎が信に淫らなちょっかいを掛けているというのに、彼は少しも動揺することなく、黙って酒を口に運んでいる。視線は少しも合わなかった。

興味がないのか、それとも戯れに付き合ってやっているのかは定かではなかったが、確実に見聞きはしているだろう。そしていつまでも席を外そうとしないところを見る限り、留まる意志があるのは確かだ。

動揺を誘う訳ではないのだが、この女は自分のものであることを桓騎は目の前の男に知らしめたかった。

元より、王翦に釘を刺すつもりで・・・・・・・・今日の誘いに乗ってやり、信を連れて来たのだ。目的は果たさねばなるまい。

膝の辺りで引っ掛かっている下袴を脱がそうとする桓騎の手を、信は必死になって押さえ込んでいた。

毒が回っていないとしても、普段から力量差があるというのに、まだ諦めていないようだ。残っている僅かな理性を打ち砕かねばならない。

背後から耳に舌を差し込むと、信が身体を強張らせた。

「ひッ、ぃ…」

ただでさえ敏感な其処が滑った舌の感触に支配され、信が鳥肌を立てたのが分かった。

力が抜けた一瞬の隙をついて、下袴を奪い取ると肩越しに涙目で睨みつけられる。その潤んだ瞳に見据えられれば、それだけで情欲を煽られるものなのだと信はいつまでも学習しない。

 

 

「こんな、の、いや、だ…!」

羞恥心などさっさと手放してしまえばいいのに、辱めを受けている気分でいるのか、いよいよ信が啜り泣き始めた。

それまで強気に腕を掴んでいたというのに、くしゃくしゃに顔を歪めて、幼子のように声を上げる信を見ると、桓騎の中の残虐心が駆られてしまう。

頬を伝う涙を見ると、同時に罪悪感も浮かび上がって来た。

(悪いな)

心の中で謝罪しながらも、桓騎は手を止めることはしない。

こんなことをすれば信に嫌われるのは百も承知だったが、それを上回る独占欲に支配されていることも桓騎には自覚があった。

身じろぐ信の身体を二本の腕で強く抱き締めてやり、桓騎は項に唇を寄せる。

「ふ、あ…ッ」

僅かな刺激であっても、信は火傷をしたかのように身体を反応させた。足の間からは相変わらず蜜が溢れ出ている。

堰を切ったように涙を流している信を見て、先に折れたのは桓騎の方だった。

「信」

脇下に手を忍ばせて、彼女の身体を反転させる。向かい合うように膝上に座らせると、信の視界から王翦は消える。

「ぁ、う…」

身体の向きを変えただけで、この場から王翦が居なくなったワケではないのだが、極限状態まで追い詰められていた信は僅かに安堵したようだった。

縋るものを探しているのか、首元にぎゅうとしがみ付いて来る彼女に、つい頬が緩んでしまう。

「ッ…ぅ…?」

狼狽えながらも、信の視線が下げられたことを桓騎は見逃さなかった。着物越しに硬く勃起している男根を感じたのだろう。

蜜を流している其処を擦るように腰を動かせば、信が身体を震わせた。すぐにでも欲しいと蠢いている下の口を焦らすように、着物越しのむず痒い刺激を続けた。

いつもなら焦らすなと睨まれるところだが、背中に感じる王翦の視線が気になるのか、信は唇を強く噛み締めて身体を震わせている。

「う、んんッ…」

入り口を擦っているだけだというのに、身体が普段よりも敏感になっているせいで、もはや唾液を飲み込む余裕もないのか、信が肩に顔を埋めて来た。
こうなれば毒の副作用に支配されて堕ちるまであと僅かだろう。

にやりと意地悪に笑んだ桓騎が手を伸ばし、急所とも言える花芯に触れた。

「ぁううッ」

指が擦れただけだというのに、胸の芽を弄った時と同じで、信は甘い声を上げる。

「っ…ふぅ、…ん、く…」

腕に爪を立てて、なおも堪えようとする信を見下すと、我慢比べをしているような心地になった。桓騎は鰭酒を一滴も飲んでもいないのだから、勝敗の予想などする必要はないのだが。

しつこいくらいに花芯を指の腹で擦りつけていくと、信の身体が小刻みに震え始める。

「あッ…!」

二本の指できつく花芯を摘まんでやると、腕の中で信の身体が大きく仰け反った。

「信」

その体を強く抱き締めながら、耳元に唇を寄せて、低い声で名前を囁く。
彼女の白い内腿が痙攣し、着物越しに触れている入り口がぎゅうときつく口を閉じたのが分かった。

「う…っ…」

身体を硬直させた後、抜け殻になってしまったかのように信の身体がくにゃりと脱力する。

肩口に顔を埋めたまま動かなくなった信を見下ろし、桓騎は何度か瞬きを繰り返した。

(…マジかよ)

お楽しみはこれからのはずだった。
しかし、桓騎の燃え滾った情欲など知るかと言わんばかりに、信は意識の糸を手放してしまったらしい。

「……、……」

「………」

まさか信の不戦勝で終わるとは、流石の桓騎も予想しておらず、室内には信の寝息と王翦が酒を飲んでいる音だけが響き渡った。

 

桓騎の策

信に口づけをしなかったことで、幸いにも鰭酒を一滴も口にしなかった桓騎だが、ここまで大きく膨らんだ情欲の捌け口を失くしてしまい、お預けを喰らった気分になった。

(こうなりゃ、仕方ねえな)

羞恥と快楽に狭間で意識を失ってしまった信を見つめながら、桓騎が穏やかに笑む。

無理強いをするのは昔から好きだが、信に限ってはそうではない。眠っている間にその体を抱くのは容易いことだったが、桓騎はそうしなかった。

「………」

二人のまぐわいを見せつけられた王翦は、静かに酒杯を口に運んでいるばかりで微塵も表情を変えていない。

王翦が信を気に入っていることは知っていたので、自分も混ぜろと立ち上がるのだとばかり思っていたが、意外にもそれはなかった。

いつも何を考えているか分からない男であっても、あれだけ信の淫らな姿を見せられれば、少しは反応を示すと思っていた。信のあの姿にも反応を示さないとは、本当に男なのだろうか。

「…貴様の趣味は、とことん理解出来ぬ」

呆れたような口調に、桓騎がにやりと笑った。

「他人に理解されるような趣味も愛し方も知らねえだけだ」

「だから毒だと知りつつ飲ませた・・・・・・・・・・・のか?犯人を引き摺り出す目的だけでなく、私の前で王騎の娘を抱くために」

まるで意図的に毒を飲ませたとでも言いたげな王翦の口調に、桓騎はさらに口角をつり上げた。

何を言っているのだと、桓騎はとぼけようとしたが、

杯をすり替えた・・・・・・・理由が他にあると思えんな」

王翦に言葉に遮られてしまった。まさか見ていたのかと桓騎は舌打つ。

この部屋にもてなされ、鰭酒を注がれていたのは、初めから・・・・桓騎だった。

毒耐性を持っているのは信だけでなく、桓騎もであり、黙って飲み干しても良かったのだが、彼はわざと信の杯とすり替えたのである。

―――…あいつら…

―――どうした?

―――いや、何でもない。

二人の気を逸らすために、わざと大きな独り言を洩らしたのだが、どうやら王翦には杯をすり替えた瞬間を見抜かれてしまったようだ。

しかし、桓騎が考えなしに動く男でないことを王翦は知っている。二人はそれだけ長い付き合いだった。

彼の意図を探るために、王翦は桓騎が杯をすり替えたことを、あえて指摘しなかった。

騒動になるのを避けるためか、信は注がれた酒が鰭酒であることを隠そうとしていたというのに、反対に桓騎といえば、王翦の話を聞いて毒殺されるのは自分だったのだと推測まで打ち明けていた。

(…解せんな)

その理由が王翦には分からなかったのだ。
初めから鰭酒だと気づいていたのなら、なぜ杯をすり替えてまで信に飲ませる必要があったのか。

毒見役として飲ませたのかもしれないが、ならばなぜ信に黙って・・・・・杯をすり替えたのか、その理由だけが分からない。

未だに信を抱き締めて放さずにいる桓騎から、こちらを挑発する笑みが消えないのを見て、王翦は小さく肩を竦める。

(…なるほど)

きっと、これは牽制・・だ。

信は意識を失う最後までずっと抵抗をしていた。鰭酒を飲んだことで抵抗出来ない状態でなければ、きっと桓騎のことを殴りつけてでもやめさせただろう。

彼女が抵抗出来ないように鰭酒を飲ませ、まるで王翦に見せつけるように声を上げさせながら抱き、この女は自分のものだと王翦に牽制したのだ。

注がれた酒が毒だと気づいた瞬間から、僅かな間で桓騎がここまでの策を立てたことに王翦はいっそ感心してしまった。

(実に厄介な男だ)

同時にとんでもない独占欲を胸に秘めている男だとも思った。
桓騎がいる限り、飛信軍を率いる有能な将を副官にすることは愚か、不用意に近づけば彼の恨みを買うことになる。

今は腕の中で寝息を立てている信を見て、厄介な男に好かれたものだと同情してしまう。

しかし、今まで見たことのないほど穏やかな表情を浮かべている桓騎を見れば、彼自身は信が傍にいるだけで幸福なのだろう。

…逆に言えば、今の桓騎にとって信の存在は、これ以上ないほどの弱点ということにもなる。

彼女を利用することで、今見せている穏やかな顔がどのように歪むのか、焦燥感に駆られた人間らしい桓騎の一面も垣間見えるに違いない。それに興味がないといえば嘘になる。

「…せいぜい呆れられぬように気をつけろ」

「あぁ?」

忠告も兼ねてそう言うと、桓騎の瞳に一瞬怒りの色が宿った。しかし、王翦は顔色一つ変えない。

女の機嫌というものがどれだけ変わりやすいのか、桓騎は知っているのだろうか。

きっと目を覚ました信から、今日のことを散々責め立てられるのは明白だろうに、それでも彼は王翦の目の前で彼女を抱いたのだ。未遂ではあったが。

奇策を用いて、いつも戦況を思い通りに動かしているというのに、信に対しては随分と不器用な男だ。

彼女の怒りを簡単に包み込んでしまうほどの余裕を持ち合わせているようだが、それがいつまで続くものか見物である。

そして、信がいつまでも桓騎の言いなりになっているとも思えない。

彼女の心が揺らいでいるところに甘い言葉でも掛ければ、すぐにこの身へ凭れ掛かって来るだろう。

(…毒の味か)

王翦は酒で喉を潤しながら、毒酒というものはどのような味がするのかと考える。それを口実に、改めて信を酒の席に誘おうか。もちろん桓騎は呼ばず、二人きりで。

王一族当主からの誘いとなれば、信は断ることは出来ないだろう。

「…こいつに手ェ出してみろ。お前であっても容赦しねえぞ」

王翦の考えを読んだのか、桓騎が声を低めて言う。
殺気しか込めていない瞳に睨まれると、王翦は苦笑を浮かべるしか出来なかった。

「…かん、き…?」

物騒な会話で目を覚ましたのか、腕の中で信が身じろいだ。
着ていた羽織りをその身に掛けてやりながら、桓騎は穏やかな笑みを向けたまま彼女の頬を撫でる。

そして、王翦に再び見せつけるようにして唇を落とした。

「ん、ぅ…」

寝ぼけ眼でいる信も、桓騎から与えられる優しい口づけに応えるように薄く口を開けている。

意識を失っていたせいか、王翦がいることをすっかり忘れているようだ。

口ではああ言っていたが、どうやら信は心からこの男に夢中になっているらしい。そしてそれは桓騎も同じである。

鰭酒はたった数滴であっても死に至らしめる強力な毒だ。信の口内に残っている分であっても、殺せるほどの効力を持っている。

口付けても苦しむ様子がないことから、恐らく桓騎にも毒の耐性があるのだと、王翦はその時点で見抜いたのだった。

彼らは互いに毒として、骨の髄まで蝕んでいるのだろう。

その毒が、どれほど甘美なものなのか、知将と称えられる王翦でさえも、それを知る術だけは持たなかった。

 

後日編・桓騎の策~全貌~

翌朝、客室の寝台で目を覚ました信は、昨夜のことを思い出し、当然ながら憤怒した。

羞恥と怒りで顔を真っ赤にしながら、自分を抱き締めたまま眠っている桓騎をそのままに、愛馬の駿と共に帰ってしまったらしい。

信が屋敷を出てしばらくしてから目を覚ました桓騎は、腕の中に信がいないことに気付き、珍しく慌てた様子だった。

いつも信よりも先に目を覚ましていたので、慢心してしまったらしい。

桓騎という知将が一人の女に取り乱す姿を見るのは初めてだったので、王翦は昨夜の詫びだと受け取ることにしたのだった。

来客が帰宅したことで、屋敷はいつもの穏やかさを取り戻していた。

「…昨夜の庖宰ほうさい ※料理人 はどうした」

王翦が家臣たちに声を掛けると、彼らは戸惑ったように目を合わせる。

恐らくは逃げるようにして暇をもらったのだろう。
まだ彼がいるのなら、客人へ毒を盛ったことにどんな理由があるのかを尋ねようと思っていた。恐らくは私怨だろうと王翦は考えていた。

桓騎軍の素行の悪さは当然ながら王翦も知っている。彼らが手に入れた領地の民たちを虐殺することだって珍しくなかった。

もしかしたら、庖宰ほうさい ※料理人 の男は、その生き残りかもしれない。

王翦のもとに仕えながら、桓騎を暗殺する機会を伺っていたのだろうか。

しかし、毒を盛ったと気付かれて処刑される代償も承知の上だとしたら、なぜ桓騎のもとに仕えなかったのかが些か疑問である。

自分に恨みを持っている者を桓騎がいちいち覚えているはずがない。
顔を知られていないのなら、桓騎軍に入って本人に近づくのも一つの手だったはずだ。王翦の屋敷に仕えるなんて、桓騎との接点が無さ過ぎる。

…もしかしたら、あの庖宰の男に、桓騎に毒を盛るよう指示した真犯人がいる・・・・・・・・・・のかもしれない。

昨夜、庖宰の男に尋問しても、毒を盛ったことはおろか、理由を語ろうとしなかった。

言えない理由は処罰を恐れているのだとばかり考えていたが、真実を口外することによって、別の問題があったのかもしれない。

桓騎に毒を盛るよう指示した者がいる線が合っているのなら、庖宰の男は家族を人質にでも取られたのだろうか。

「あの、それが…」

家臣たちが気まずそうに口を開く。

続けて聞かされた言葉に、桓騎の策はまだ全貌が明らかになっていなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・のだと、王翦はようやく悟ったのだった。

「………」

蓋を開けてみれば、さまざまな厄介事が絡んでいることに気付いた。

冷静に考えれば、昨夜の時点で分かったかもしれないが、酒と面白い見世物のせいで王翦の思考は普段よりも鈍っていたのである。

 

 

王翦の屋敷を飛び出した桓騎は、自分の屋敷ではなく、信が住まう屋敷へと馬を走らせていた。

たかが女一人のために馬を走らせる余裕のない今の自分に、桓騎は苦笑を深めてしまう。それだけ信の存在に心を搔き乱されていることを自覚せざるを得なかった。

信の屋敷に到着すると、門番を務めている兵が険しい表情を浮かべた。

その表情だけで、信が自分を屋敷に入れるなと指示したことが分かる。しかし、桓騎は構わなかった。

もう侵入経路は頭に入っている。堂々と正門を通って入る必要はないのだが、最短距離はこの正門を通る道順だ。

馬から降りるのと同時に、腰元に携えていた護身用の剣を引き抜き、兵が身構えるよりも先にこめかみを打つ。

倒れ込んだ兵の胸がちゃんと上下に動いているのを確認してから、桓騎はさっさと正門を通った。

幸いにも内側から閂はされていなかったようで、あっさりと門が開いた。飛び越えることはしなくて済んだようだが、桓騎は違和感を覚えて、つい足を止めた。

(…妙だな)

信が激怒して屋敷に引き籠ることはこれまでも何度かあった。

その時は正門の入口に多くの兵たちが並び、頑丈に警備され、決して外側から開けられぬよう内側には必ずと言っていいほど閂を嵌められていた。正門以外の侵入経路を桓騎が把握していたのはそのためである。

桓騎の姿を見た時の兵の表情から察するに、恐らく信は「桓騎が来ても絶対に通すな」と命じたに違いない。しかし、何故か今日は警備の数が少な過ぎる。
閂が嵌められていなかったことにも、何か意図があるような気がしてならない。

「………」

桓騎は口元に手をやって思考を巡らせるものの、止めていた足を動かして信の私室へと向かった。

元下僕である信には家臣はおらず、屋敷を出入りする者は限られている。それでも屋敷を巡回している兵が数名いるのだが、やはり今日は普段よりも人数が少ない気がしてならない。

妙な静けさに、やはり違和感を覚えながらも、桓騎は身を隠しながら信の私室へと辿り着いたのだった。

扉を開けた途端、串刺しにされては堪らないので、扉越しに中の様子を伺う。剣を身構えているような気配は感じられなかった。

物音を立てぬように扉を開き、中を覗き込むと、奥の寝台に大きな膨らみがあった。
恐らく、王翦の前であのような痴態をさらしたことを悔いて、布団に潜っているのだろう。

「…信」

名前を呼んで寝台に近づく。恐らく聞こえているだろうが、信は布団に潜ったまま微塵も動かず、顔を出そうともしない。

「おい、とっとと機嫌直せ」

信は自分の女だと王翦に知らしめるためには、ああするしかなかったのだ。彼女に手を出すなと釘を刺したので、きっと副官の誘いもこれでしなくなるだろう。

今回、王翦との酒の席に信を同席させた目的は果たされたのだが、その代償として信の機嫌を大いに損ねてしまった。

自分と身を繋げることは嫌いではないくせに、他人に見られる羞恥心は抜けないことも桓騎は知っていた。

だからこそ、王翦の従者を利用して・・・・・・・・・・鰭酒を飲ませた・・・・・・・というのに、信はなかなか理性を手放さなかった。

王翦に釘を刺すのを目的としているのに、彼に毒を飲ませるわけにはいかなかった。
自分の女を奪うものを消すという意味では飲ませても良かったのだが、王翦の命が亡くなれば面倒な騒動になる。

だからこそ、間違えて配膳だけはせぬよう、印のつけた酒瓶――鰭酒――を自分の杯に注がせ、その後は信が黙って鰭酒を飲み干してくれれば良かったのだが、あの様子では全てを飲み干すことはなかっただろう。

なるべく生臭さがつかないように、毒魚の鰭をよく炙って酒に浸け込んでおいたのだが、やはり今回の鰭酒も信の口には合わなかったらしい。

毒酒の事前準備は出来たとして、酒の席で信に鰭酒を飲ませるためには、王翦の従者を利用するしかなかったのだ。

あの庖宰ほうさい ※料理人 の技量には前々から目をつけていたこともあり、今回の騒動に利用するのをきっかけに、自分の従者に引き抜いたのである。

十分な金を握らせただけでなく、王翦のもとを辞めざるを得ない状況を作ってやった。
今頃は暇をとって王翦の屋敷から抜け出し、桓騎の屋敷でさっそく料理の下準備でもしているだろう。

…そろそろ王翦は策の全貌に気づいただろうか。

彼はともかく、信の方は一生この策に気付くことはないだろう。あの庖宰の男が何らかの私怨で、恋人を毒殺しようとしたと思い込んでいるに違いない。

―――酒が苦手なんだよな?美味そうだから俺にくれよ。

あの時、信は毒の副作用が起きるのも構わずに、自らの意志で鰭酒を全て飲み干した。

庖宰の男に処罰が下されぬように、毒を盛った証拠を隠滅させたのだ。…もちろんそれは桓騎の読み通りである。

誰かのために、いつだって必死になる彼女の純粋さが、時折憎らしいほどに愛おしく思うことがあった。

 

後日編・信の策~失敗~

布団越しに彼女の身体を撫でながら、桓騎は重い口を開いた。

「…悪かった。機嫌直せ」

今回の件は、独占欲の強さゆえに企てたことだった。十分に自覚はあったし、それで信がどのような想いをするのかも分からなかったわけではない。

だが、信に嫌われたとしても、桓騎は彼女を手放すつもりなど微塵もなかった。

しかし、そのせいで信の笑顔が見れなくなるのが嫌だと叫んでいる自分がいるのも事実だ。

信のことを考えるだけで、他の男に奪われぬようにと考えるだけで、余裕がなくなり、心が搔き乱されてしまう。

「信」

返事もないことから、もう自分と口も利きたくないのだろうかと桓騎の胸が針で突かれたように痛む。

無視を続ける態度から、ちゃんと顔を見て謝罪をしろと言われているような気がして、桓騎は布団を掴んで引き剥がした。

「………は?」

布団を捲った中にあった物を見て、間抜けな声が上がってしまう。

てっきり、布団の中に信がいるとばかり思っていたのだが、そこに信の姿はなく、代わりにたくさんの布が積み重なっているだけだったのだ。

まさかと目を見開いた桓騎は、顔から血の気が引いていく感覚を初めて知った。

開いた木簡がそこに置いてあり、

―――俺がいつまでも引き籠ってると思ったら大間違いだからな。バカ桓騎。

感情のままに書き殴ったのだろう、見るに堪えない信の字がそこにあった。

「あの女ッ…!」

血の気が引いた感覚の後、一気に全身の血液が頭に戻って来る。

まさかこの自分がよりにもよって、信の策に嵌められる・・・・・・・・・ことになるとは思いもしなかった。

正門の警備が普段よりも緩かったのも、閂がされていなかったことに違和感はあったが、全て信の策だったのだ。

王翦の屋敷を出た後、この屋敷に直行する桓騎の行動を信は事前に見抜いていたに違いない。

まんまと信の策に嵌められた桓騎は、ずっと誰も居ない寝台に向かって・・・・・・・・・・・・、謝罪を繰り返していたということになる。

もしもこんな姿を誰かに見られていたら、大笑いされていただろう。

(くそッ!)

ここまで心を搔き乱して来る女はきっと生涯、信だけだろう。桓騎は舌打ってすぐに部屋を飛び出した。

この屋敷にいないとすれば、今はどこにいるのだろうか。

頭も心も信のことでいっぱいになっている今の桓騎には、普段から知将として見せている冷静な面影など微塵もなかった。

 

 

荒々しく桓騎が部屋を飛び出していった物音が響いた後、室内に再び沈黙が戻って来た。

「………」

誰もいないことを確認してから、信はゆっくりと寝台の下から・・・・・・這い出て来る。

口元を手の平で押さえながら大笑いしそうになる自分を制し、しかし、目元には隠し切れない笑みが滲んでいた。

すぐに自分のもとに謝罪へ訪れたことから、桓騎の誠意は認めてやろうと思いながら、信はゆっくりと窓辺に近づいた。

誰が見ても慌てた様子で馬に跨った桓騎の姿が見えて、信は噛み締めた歯の隙間から笑い声が漏れてしまう。

きっとこれから自分を散々探し回り、結局見つけられず、くたくたに疲れ切った桓騎の姿を夕刻には拝めることだろう。

あの木簡の内容から、まさか最初から屋敷にいる・・・・・・・・・とは思うまい。
しかも、寝台の下にずっと身を潜めていただなんて、さすがの桓騎でさえも予想出来なかったようだ。

知将と名高い桓騎を策に嵌めてやったのだと思うと、もしかしたら自分にも知略型の将の才があるのではないかと自負と優越感に浸ってしまう。

軍略はからきしである信だが、桓騎と共に過ごして来たことで、良い刺激を受けたのかもしれない。

相手の裏をかく・・・・・・・というのがこんなにも気分が良いものだと知った信は、不敵な笑みを浮かべていた。

今日は桓騎のことを気にせずにゆっくりと寛ごうと欠伸をした途端、

「…ッ!?」

外にある厩舎から、愛馬の遠吠えかと思うほど大きな嘶きが響き渡った。

まるで桓騎を呼び止めているかのような嘶きに、信がまずいと青ざめる。すぐに窓を開けて身を乗り出し、厩舎にいる駿を睨みつけた。

「駿、静かにしろって!桓騎にバレるだろッ!」

慌てて愛馬に声を掛けたのだが、先に身を潜めるべきだった。

「あ…」

顔を上げた先で、こちらを振り返った桓騎と目が合ってしまった。

恐ろしいほど憤怒した表情に切り替わった桓騎がこちらに戻って来るのを見て、信は此度の策が失敗に終わったことを察した。

―――ああ、言っとくが、お前の愛馬も俺の味方だからな。

先日、桓騎が話していた言葉を思い出し、信は顔を引きつらせる。まさか最後の最後で愛馬に裏をかかれるとは予想外だった。

しかし、今まで見たことがない恋人の新たな一面を知れて嬉しいと思ってしまう。

きっと自分は救いようのないほど、骨の髄までこの男を愛しているのだと、認めざるを得なかった。

 

おまけ後日編「桓騎の策~失敗~」(2000文字程度)はぷらいべったーにて公開中です。

このお話の本編(桓騎×信)はこちら

このお話の番外編③はこちら

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毒を喰らわば骨の髄まで(桓騎×信←王翦)中編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/王翦×信/毒耐性/シリアス/IF話/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

このお話は毒酒で乾杯をの番外編です。

前編はこちら

訪問

屋敷に到着すると、すぐに家臣の者たちが出迎えてくれた。

通された客間で、既に王翦が酒を飲み始めている。桓騎の後ろにいる信の姿を見ても、彼が表情を変えることはなかった。

さすがに重厚な兜は脱いでいるが、目元だけは黒い仮面で覆われていた。彼の素顔を知っている者は、果たしてこの中華にいるのだろうか。信はふとそんなことを考えてしまう。

桓騎に以前尋ねたことがあったが、彼も王翦の素顔は見たことがないのだという。

二人が席に着くと、

「…王騎の娘も来たか」

静かに酒を口に運びながら、王翦が独り言のように呟いた。その言葉に信は緊張し、体を縮こませる。

「本当は二人で話すつもりだったんだろ?悪いな」

桓騎によって無理やり連れて来られたようなものだというのに、信はそれを告げず、謙虚に謝罪した。

隣の席に座っている信を横目で見つめながら、桓騎はこれが王一族の中での彼女の立場なのかと考える。王騎という後ろ盾を失ったことで、当主である王翦に頭を下げなくてはならなくなったのだろう。

「桓騎に連れて来られたのだろう」

謝罪を聞いても、王翦は大して気にしていない様子だった。それどころか、こちらが何も言っていないというのに、信がここに来ることになった過程まで見抜いたらしい。

得意げに笑った桓騎が隣にいる信の肩に腕を回す。

「宝は隠しておくより、持ち歩いた方が守りやすいからな」

「お、おいっ?」

首回りを隠している襟巻きを奪われないように、信が慌てて桓騎の腕を押さえ込む。

ちょうどその時に侍女たちが部屋に入って来て、客人である桓騎と信へ料理と酒を運びにやって来た。

丁寧な手付きで杯に酒を注いでくれたが、桓騎はあとは手酌でやるので酒瓶は置いていくよう指示をする。

王翦のような名家の主ともなれば、手酌をする機会などないのだろうが、信と桓騎は違う。しかし、桓騎の指示に王翦は何も言わなかった。

恐らく王翦も桓騎と酒を飲み交わす時は、従者の出入りを断っているのだろう。侍女たちは素直に従っていた。

「…あいつら…」

何か気になるのか、桓騎が侍女たちの後ろ姿を見つめている。

「どうした?」

彼の視線を追い掛ける・・・・・・・・・・が、すでに侍女たちは部屋を出て行った後だった。

「いや、何でもない」

話を逸らすように、桓騎は酒が注がれた杯を手繰り寄せた。
乾杯はしなかったが、向かいの席に座っている王翦に杯を掲げると、桓騎はすぐに酒を口にした。

王翦は盃を掲げることはしないが、視線を向けながら静かに酒を飲んでいる。

蒙驁の副官として付き合いの長い二人には、これくらいの距離感がちょうど良いのだろう。

大いに談笑をしながら賑やかな宴をする飛信軍と違い、何だか大人の貫録というものを感じられた。

信も二人に続いて、注がれた酒を口に運んだ。

 

毒酒の罠

(うッ…!)

一口飲んだ途端、信の顔が大きく強張った。

口に含み、喉を通るまでに強い痺れを感じたのである。そして、独特な生臭さが鼻腔を抜けて、思わず泣きそうなほど顔を歪めてしまった。

もてなされた立場ということもあって、無礼をする訳にもいかず、信は咄嗟に俯いて前髪で表情を隠す。

桓騎と王翦にちらりと視線を向けたが、二人は話をするのに夢中のようで、信の変化には気付いていないようだった。

(これ、鰭酒ひれしゅか…?)

口に含んだ瞬間に強い痺れと、独特な生臭さを感じたことから、毒魚の鰭を使ったのは明らかである。

(まさか毒酒でもてなされるとはな…)

自分の杯に注がれたのが鰭酒なら、桓騎が飲んでいるのも同じものだろう。
さすがに王翦は自分たちと違って、毒の耐性がないので普通の酒を飲んでいるに違いなかった。

そこまで考えて、そういえば王翦に過去に一度でも毒の話をしたことがあっただろうかと考える。

「信?」

隣に座っている恋人が暗い表情を浮かべていると、いち早く気づいた桓騎が振り返る。

「どうした。もう酔ったか」

「あ、いや…」

慌てて首を振った。

もしかしたら、桓騎が自分たちの特殊な体質なことを告げたのかもしれない。
王翦がせっかくこの酒を用意してくれたのだから、その気遣いを無下にする訳にはいかないと信は再び鰭酒に口づける。

やはり独特な生臭さが鼻につき、信は顔を引き攣らせた。

「…王翦将軍。この酒はどこから取り寄せたんだ?」

口元に笑みを繕いながら信が尋ねた。

 

 

毒酒を作れる者は限られている。毒酒を作ることを生業としている者はとても少ないのだ。

桓騎が贔屓にしている鴆者鴆酒を作る者は酒蔵で、普通の酒の製造も行っていると聞いた。普段は鴆者であることは隠しているらしい。

確かに暗殺道具を作る者が勤めていると広まれば、売り上げにも大いに悪い影響が出るだろう。

「北方の酒蔵からだ」

王翦の返答に、桓騎が納得したように頷いた。

「寒い地方なら強いワケだ。そういや、北の酒は初めて飲む・・・・・な」

肩を竦めるようにして桓騎が笑う。彼の言葉を聞き、信は目を見開いた。

(初めて…?それじゃあ、桓騎の酒は…鰭酒じゃないのか?)

酒を注いでくれたのは侍女たちだったが、将軍同士の話があると言って、今この部屋にいるのは信と桓騎と王翦の三人だけである。

それぞれの食膳には酒瓶が添えられている。全員が同じ酒瓶だったので、同じ種類の酒だと思っていたのだが、どうして自分にだけ鰭酒が与えられたのだろう。

「桓騎…」

一度、王翦が部屋から出たのを見計らって、信は机の下から遠慮がちに彼の着物を引っ張った。

「ん?」

何か言いたげに視線を送って来る恋人を、桓騎が不思議そうに見やる。

信が毒に耐性を持っていることを知っているのは飛信軍の一部の兵たちと、彼女の側近に当たる者たちだけだ。一方の桓騎も公言はしておらず、桓騎軍の側近たちだけらしい。

以前、後宮で嬴政の正室である向の食事に毒が盛られたことがあり、彼女の護衛につくよう指示された時は、嬴政や彼の一部の側近たちに特殊な体質を知られてしまった。

後宮の騒動はそれなりに大きく広まっていたようだし、もしかしたら、どこからか情報が洩れて王翦が聞きつけたのだろうか。それならば鰭酒を事前に用意していたことも納得がいく。

だが、桓騎も同じ体質であることは知られていないのだろうか。自分にだけ鰭酒が注がれたことに、信は違和感を覚えた。

「王翦将軍って…毒のことを知ってるのか?」

小声で問い掛けると、桓騎は首を横に振ったので、信は思わず言葉を詰まらせた。

「………」

王翦が毒耐性のことを知らないのに、なぜ自分に鰭酒が振る舞われたのだろう。

そして、桓騎も自分たちの毒耐性の話題を出されたことに、何か勘付いたようだった。

「あっ」

信が制止するよりも先に、桓騎が鰭酒の入っている杯を手に取る。ちょうどその時、一度席を離れた王翦が部屋に戻って来た。

「…ほう?」

杯を顔に近づけただけで、桓騎は独特な匂いからこれが鰭酒だと気づいたようだった。
何者かが意図的に信を毒を盛ったのだという事実に、桓騎の額に青筋が浮かび上がったのが見えた。

「面白ェことするやつがいたもんだな」

いきなり低い声でそう囁いた桓騎に、王翦が何事かと見つめている。

(やめろって!)

冷や汗を浮かべながら信が桓騎の着物をぐいと引っ張る。

桓騎はともかく、自分は王家の中で後ろ盾のない弱い立場だ。養父である王騎の死によって、後ろ盾がなくなったのが一番の理由である。

今さら王家を追い出されることには何も未練もないが、当主である王翦のもとで騒ぎを起こしたとなれば、亡き養父の顔に泥を塗ったのも同然の行為だ。それだけは絶対に避けたかった。

「…何事だ」

桓騎の目の色が変わったことに気づいた王翦が静かに問い掛けた。毒を盛られたことを桓騎が告げるよりも前に信はあたふたと話し始める。

「いや、な、何でもねぇんだ!美味い酒だな!」

咄嗟に桓騎の手から杯を奪い取り、信はまだ残っている鰭酒を一気に飲み込んだ。苦手な生臭さが鼻腔を突き抜け、鳥肌が立った。目頭に思わず涙が滲んだが、何とか笑顔を繕う。

「誰かがこいつの杯に毒を盛った」

こちらの気持ちなど少しも考えず、桓騎があっさりと白状したので、信は目を剥いた。

 

 

毒酒の罠 その二

王翦が目を大きく開いたことから、彼も珍しく動揺していることが分かる。

「毒だと?」

「ああ、間違いない。魚の毒だ」

平然と答える桓騎に、信が諦めたように溜息を吐く。王翦と目が合い、信は狼狽えたように視線を彷徨わせた。

「…そなた、毒が効かぬのか」

頷きながら、さすがだと敬服した。
毒酒を飲んだというと、大抵の人間は驚くか、すぐに医師の手配をしようと慌てる者の二択である。

しかし、王翦は毒酒を飲んで平然としていられる信を見て、すぐに毒の耐性があることを察したらしい。

「お前が知らなかったってことは、もてなしで振る舞ったワケじゃねえのは確実だな」

信が毒への耐性を持っていることを知った上で鰭酒を振る舞ったというならば分かるが、そのような珍しい耐性を持っていることを王翦は知らなかった。

つまり、意図的に信の杯に毒酒を盛り、彼女を毒殺しようとした者がいるということである。

それが王翦ではないのは明らかだ。彼は姑息な手段を使って相手を死に至らしめるようなことはしない。それは信も桓騎も断言出来た。

信に毒を盛った犯人はこの屋敷に仕えている者だろう。きっと杯に鰭酒を盛った犯人は、信が毒耐性を持っていることを知らなかったに違いない。

もしも毒酒を注ぐ杯を間違えれば、主を殺すことになる危険すらあったというのに、それだけの危険を冒してでも信を殺そうとした意志が伺える。

「…誰が盛った?」

桓騎の声が普段よりも低くなり、信が狼狽えた。

部屋には桓騎と信と王翦の三人しかいないのだが、酒に毒を盛れる人物は限られている。
酒を注いでくれた侍女か、酒を用意した者か、もしくは彼らの目を盗んで盛った者の誰かだろう。

そして唯一分かっていることといえば、毒殺を企てるほど信を憎んでいる者だろう。

「桓騎、やめろ…」

特殊な体質でなければ、今頃のたうち回りながら息絶えたかもしれないのに、彼女の表情からは事を大きくしたくないという意志が伺える。

まるで自分さえ我慢していれば丸く収まるのだという態度に、桓騎は不機嫌に舌打った。

「お前が本家に来たくないって言ってのは、このことだったのか?」

「おいッ…!」

王翦の前で堂々と問われ、信が桓騎の着物をぐいと引っ張った。

「………」

三人の間に沈黙が横たわる。
まるで顔色を伺うように、冷や汗を浮かべながら信が王翦に視線を向けた。

こんな風に、相手の機嫌を伺う素振りを見せる彼女を見るのは初めてだった。それほど王家の中で、信の立場は弱いものなのだろう。王騎がまだ生きていた頃は違ったのかもしれない。

「お前は何にビビってんだよ」

からかうように信の肩を小突くと、信がきっと目尻をつり上げた。まるで黙れと言わんばかりの態度だ。

王翦を苦手だと言う話は聞いたことがないが、確かに戦と自分の野望以外何を考えているか分からない男であることは桓騎も同意していた。

息子の王賁ほど、王翦は名家という立場にこだわりはないようだが、信にとっては敬うべき立場だ。

秦王には普段から無礼な態度で接しているくせにと心の中で毒づきながら、縮こまる信を見て、桓騎は苦笑を浮かべた。

 

 

「………」

王翦は相変わらず表情を変えないでままでいる。

恋人である桓騎以上に何を考えているのか分からない男で、信は緊張のあまり、固唾を飲み込んだ。

「なぜ王騎の娘が狙われた」

王翦の言葉に、桓騎の片眉が持ち上がる。

「はあ?どっからどう考えても、こいつを殺そうとしてのことだろ」

本来、毒酒は暗殺道具として使われるものだ。

信と桓騎は毒が効かぬ特殊な体質を持つ者であり、毒酒を嗜好品として愛飲しているが、もしも毒の耐性がなければ、信は絶命していただろう。

信の王家の中での立場の弱さはこれで証明されたが、王翦はどうして信が狙われたのかを理解出来ずにいるらしい。

毒を仕込んだのが王翦でないとしても、桓騎は彼の態度が無性に腹立たしくなった。

王一族の本家当主にあたる王翦さえ、家臣たちを説き伏せていたら、王騎という後ろ盾を失った信の立場を気に掛けてくれていたのならという想いが溢れて止まなくなる。

しかし、王翦は桓騎の気持ちなど露知らず、鋭い眼差しを向けて来た。

「…貴様はともかく、王騎の娘が屋敷に来ることを、家臣たちは誰一人として知らなかったはず・・・・・・・・だ」

その言葉を聞いた信がはっとした表情になる。

桓騎から今日の誘いを受けたのは昨夜のことで、本来、王翦の屋敷に訪れるのは彼だけだった。

信も同行することを事前に連絡していないし、信が桓騎と共に屋敷に訪れることを知らなかったのは王翦だけでなく、彼の家臣たちもだ。

鰭酒を作る過程は複雑ではないのだが、浸けておく時間が必要であり、最低でも一晩は要する。取り寄せるとなればまた違った過程と日数が発生する。

前もって彼女が屋敷に来ることを知っていたのならまだしも、その情報もないのに彼女が鰭酒を盛られた理由は何なのだろうか。

誰かが意図して毒酒を盛ったのは事実だが、本当に信を殺すつもりだったのだろうかと王翦は疑問を抱いた。

もしも信が今日の酒の席に来なかったとしたら、毒酒は注がれていたのだろうか。それとも、毒酒を飲ませる相手は最初から信ではなかったのかもしれない。

王翦の推測を聞き、信が目を丸めている。

「…じゃあ、本当に鰭酒を飲まそうとした相手・・・・・・・・・・・・って…」

「俺か?」

桓騎がにやりと笑った。

 

毒酒の罠 その三

頬杖をついた桓騎に、王翦は普段通り冷たい眼差しを向けている。

「王騎の娘のおかげで、命拾いしたようだな」

まるで挑発とも取れる王翦の言葉に、桓騎が苦笑を深めた。桓騎自身も信と同じく毒への耐性があるのだが、彼が王翦にそれを告げることはなかった。

毒耐性があることを王翦に打ち明けないことには何か理由があるのだろうと考え、信は二人の間に口を挟まなかった。

「…毒酒を盛る直前になって殺す標的を変えたか、それとも間違えたか。どっちにしろバカの犯行だな」

毒殺されかけたのは自分だというのに、桓騎は少しも動揺する素振りはない。

こんなことで動揺するような男ではないのだと信も分かっていたのだが、あまりにも重々しい空気に包まれて、つい黙り込んでしまう。

(やっぱり、来るんじゃなかった…)

俯いて着物をきゅっと握り締めた信は、重い空気の中でひたすら後悔していた。

桓騎を殺そうとした者がいるのなら、それは確かに許せないが、どちらにせよ王翦に迷惑をかける形になってしまった。

亡き養父への罪悪感に苛まれ、俯いたまま顔を上げられなくなってしまう。

隣で暗い表情を浮かべている恋人に気付いた桓騎が、王翦の死角となる机の下でそっと手を握ってくれた。

思わず桓騎の方を見ると、彼は表情を微塵も変えていなかった。
しかし、心配するなと言ってくれているような優しい目をしていて、信の胸がきゅっと締め付けられる。

「ただ酒を飲み交わすだけじゃつまらねェ。犯人探しに付き合えよ」

大胆に足を組み直した桓騎が、背もたれに身体を預けながらそう言った。王翦は静かに杯を置き、じっと桓騎の目を見据えている。

「良いだろう」

「…えッ!?」

まさか王翦が承諾するとは思わず、信は立ち上がっていた。

 

 

「味方に毒を盛る者など信用出来ぬ。最初から排除しておくに限る」

仮面越しに真っ直ぐな視線を向けられて、信は思わず口籠る。

「ましてや、私の副官になる将に毒を盛る者など、弁明の余地はない」

「え?…それって、俺か?」

そうだ、と王翦が頷いた。

過去に断ったはずなのに、なぜ王翦の副官になることを前提としているだろうと信は思ったが、隣にいる桓騎からつまらなさそうな視線を向けられているのは分かった。

「ど、どうやって犯人を捜すんだよ?」

王翦と桓騎からの視線に耐え切れず、信は話題を切り替えた。

秦軍の知将として名高い二人が揃っているのだから、無策で犯人を捜し出すことはしないだろう。

桓騎は台の上に両足をどんと乗せ、挑発するように王翦を見やった。

「鰭酒は鴆酒と違って、そう難しいモンじゃないからな。作ろうと思えば誰でも出来るだろ」

毒酒の準備が誰にでも出来るものならば、入手経路から犯人を追うのは困難かもしれない。

恐らく桓騎もそれを分かっていて、王翦に犯人を見つけ出す方法があるのか問うているのだ。まるで王翦の頭脳を試すかのような態度である。

「………」

顎に手をやりながら王翦が口を噤んだ。犯人を捜し出す方法を考えているのだろう。

隣で桓騎がにやりと笑んだので、信は嫌な予感を覚える。

「…連帯責任なら、全員殺すのが一番手っ取り早いだろ」

「おいッ!」

あまりにも物騒な策に、信は思わず桓騎の肩を叩いてしまう。

自分が敵とみなした相手にはとことん容赦がない桓騎の性格は知っているが、さすがにそんな提案を許す訳にはいかなかった。

確実にこちらを殺すつもりで毒を盛ったのだとしても、ここは戦場ではないのだ。

憤怒で顔を真っ赤にしている信に、桓騎は肩を竦めるようにして笑った。

今の発言を冗談だと撤回することはなく、桓騎は鰭酒の入っている酒瓶を見やる。王翦もじっと机の上に並べられている酒瓶を見つめていた。

見たところ、三つの酒瓶は全て同じだった。中に鰭酒が入っていることを見分ける目印がないことに気づいたのは、王翦と桓騎のどちらが早かったのだろう。

「…王翦将軍?」

ゆっくりと王翦が立ち上がったので、何をするのだろうと信は小首を傾げた。彼は三つの酒瓶を台の中央に集め、まだ中身が存分に残っていることを確認していた。

部屋を出た王翦が、酒と料理の料理の用意をしてくれた厨房の者たち、部屋を出入りした侍女たちを呼び出した。そして人数分の杯を持ってくるように指示を出している。

主から突然呼び出されたことに、従者たちは戸惑いを隠せないでいるようだった。合わせて十人の従者が部屋に集まり、机の上に従者たちの杯が用意された。

何をするのだろうと信が黙って見ていると、王翦は従者たちに背を向けながら、持って来させた杯に酒瓶の酒を注ぎ始める。

(あ…)

しかし、王翦は鰭酒が入っている酒瓶にだけは手をつけていない。鰭酒の入っていない二つの酒瓶を使って、杯に酒を注いでいる。

しかし、主の後ろ姿しか見えない従者たちには、三つの酒瓶から酒を注いでいるように見えるだろう。

「…桓騎将軍からのもてなしだ。飲むが良い」

全ての杯に酒を注ぎ終えた王翦は高らかにそう言った。

まさか自分に酒をもてなしてくれるとはと従者たちが驚いている。しかし、王翦も桓騎も従者たちの中に、不審な動きをしている者がいないか目を光らせているのが分かった。

(…もしかして…)

これが彼の策なのだと信は気づいた。

どうやら杯を持って来るよう命じていた時点で、桓騎は既に気づいていたようだが、彼は決して王翦の策に口を挟む真似はしなかった。

 

王翦の策

いきなり酒を振る舞われたことに、従者たちはあからさまに躊躇っている。

それは毒酒を盛ったことを気づかれたのではないかという動揺ではなく、客人がいる手前、立場の低い自分たちに酒を振る舞う主の行動を理解し兼ねてのことだった。

しかし、これこそが王翦の策なのだろう。

鰭酒を用意した者がこの場にいるのなら・・・・・・・・・、渡された杯に鰭酒が混じっているのではないかと警戒するはずだ。そのためにわざわざ背を向けて酒を注いで見せたのだ。

「遠慮は無用だ。飲むが良い」

主に酒を勧められ、もちろん断る従者はいなかった。王翦に声を掛けらた従者たちは各々、静かに杯に口をつけていく。

「………」

信は注意深く従者たちの行動を見つめていた。

もしも、酒を口にしない者がいるとすれば、それは酒瓶の一つが鰭酒であることを知っている犯人だけ。

口に含めば即死するほど強力な毒だと知っていれば、主の命令であったとしても安易に口づけることは出来ないはずだ。

(もしかして、あいつか?)

庖宰ほうさい ※料理人の男が一向に酒を飲もうとしないことに気が付いた。杯を持つ手が震えており、顔も青ざめている。

桓騎も気づいたようで、横目でその男に鋭い眼差しを向けていた。

「ッ…?」

信が立ち上がろうとした瞬間、机の下で桓騎に手を押さえられる。桓騎は信と目を合わせず、口を噤んだまま、その手を放そうとしなかった。今はまだ動くなと言いたいのだろう。

「…飲めぬのか」

庖宰の男に問い掛けた王翦は腕を組み、冷たい眼差しを向けていた。

普段から仮面の下の表情を変えない男だが、今はその瞳にはっきりと敵意が浮かんでいるのが分かる。

重々しい空気が室内を満たしていく。他の従者たちも主の威圧感に怯えていた。

王翦からあんな目つきで睨まれたら、自分でさえも足が竦んでしまうだろうと信は思った。

しかし、桓騎は何を思っているのか、台から足を下ろすと、つまらなさそうに頬杖をついていた。

もしもこの場を仕切るのが王翦ではなく、桓騎だったのなら、あの男に惨たらしい罰を与えていたに違いない。

信の前ではそのような発言は控えるようになったのだが、それでも桓騎軍の素行の悪さは未だ健在している。

 

信の策

「…答えよ。なぜその酒を飲まぬ」

単刀直入に王翦が男に問うた。

庖宰ほうさい ※料理人の男は、今にも失神してしまいそうなほど顔から血の気を引かせている。

飲まぬ・・・のではなく、飲めぬ・・・のか」

「………」

室内に広がる重々しい空気と沈黙に、信はまるで自分が責められているような錯覚を覚えた。

このまま男が答えても、答えなくても王翦は彼を罰するつもりだろう。

「っ…」

あの男が桓騎を殺そうという明白な目的を持って毒酒を盛ったのなら、許す訳にはいかない。

どのような私情があるのかは分からないが、秦軍に欠かせない知将の一人である桓騎を毒殺しようとした罪は重い。

毒殺は叶わなかったとはいえ、重罪として扱われ、処罰は免れないだろう。

それに、毒酒を盛る相手を間違えていたとすれば、王翦が死んでいたかもしれないのだ。

奇跡的に信と桓騎が毒への耐性を持っていたことが幸いし、犠牲は出なかったものの、毒酒を盛ったことを認めれば、男は間違いなく斬首となるだろう。

(でも…)

信はきゅっと唇を噛み締めた。胸が締め付けられるように痛む。

まるで「余計なことはするな」と言わんばかりに、桓騎が信に鋭い眼差しを向け、机の下で掴んでいる手に力を込めて来た。

しかし、信はその手を振り解いて立ち上がると、王翦から男を庇うように間に立った。

「…何の真似だ」

王翦の低い声に、信は思わず息を飲む。仮面越しに睨まれると、それだけで膝が笑い出してしまいそうになった。

彼の息子であり、友人の王賁がこの威圧感を受け継がなかったことを幸いに思いつつ、己に喝を入れ、信は庖宰の男を振り返る。

「酒が苦手なんだよな?美味そうだから俺にくれよ」

有無を言わさず、信は男の手に握られたままの杯を奪い、一気に飲み干した。庖宰の男が何か言いたげに口を大きく開いたが、言葉にはならなかった。

「…うん、美味い」

本当は自分に注がれるはずだった酒が喉に染み渡り、信は長い息を吐いた。

「飲まねえなら俺が全部飲んじまうぞ!」

王翦と桓騎から呆れた視線を向けられているのは分かったが、信はあえて自然に振る舞った。

机の上に置いてあった鰭酒の酒瓶を手に取り、信は迷うことなく口づける。

「~~~ッ!」

苦手な生臭さが鼻腔を突き抜けて、思わず身震いしたが、嚥下するのはやめない。針を刺すかのように、毒酒の独特な痺れが喉を伝う。

「ぷはっ」

あっと言う間に酒瓶を空にした信は手の甲を口を拭い、空笑いをしながら涙目で王翦を見た。

「あー、悪い悪い。全部飲んじまった!いや~、本当に美味い酒だな~!」

すっかり空になった酒瓶と杯を勢いよく台に置き、信はこれで証拠は無くなったと言わんばかりに王翦に挑発的な視線を向ける。

わざとらしい演技をする信に、桓騎があからさまに溜息を吐いたのが見えた。

「…下がって良い」

王翦は何の感情も読み取れないいつもの瞳で、従者たちを下がらせる。

毒酒を盛ったと思われる庖宰の男もそそくさと逃げていった。

 

弁明

客間から従者たちが出ていき、三人だけになると、緊張が解けたかのように信はずるずるとその場に座り込んでしまった。

「なぜ証拠を消すような真似をした」

腕を組んだ王翦が冷たい眼差しで信を見下ろしている。

あのまま毒を盛ったとされる庖宰ほうさい ※料理人の男を処罰すれば済む話だったのに、彼を庇うような行動をした信の真意が分からないのだろう。

そのまま視線を合わせていると、王翦の威圧感に呑まれて何も言えなくなってしまいそうだったので、信は俯いて視線を逸らした。

「そういう、つもりは…ただ、俺が鰭酒を飲みたかった、だけ…で…」

視線を逸らしていても、身が竦んでしまいそうなほど伝わって来る王翦からの威圧感に、語尾が掠れてしまう。

「…あの様子じゃ、自分からいとまを取りに来るだろ。それか、今から逃げ出す準備してるだろうな」

それまでだんまりを決め込んでいた桓騎が、助け舟を出すような言葉を掛けた。

いつものように、目を抉り出して手足を切り落とせとでも言うのかと思っていた信は、桓騎がまさかそのような発言をするとはと驚いた。

「…かもしれぬ」

信が鰭酒を飲み干してしまったことで、王翦はあの男を処罰する気を失せたのか、何も言わずに椅子へ腰掛けた。

先ほどと似たような重々しい空気が室内に広まり、信は唇を噛み締める。

「あ、の…」

掠れた声で王翦に声を掛けるが、返事どころか、視線さえも向けてくれなかった。

恋人に毒を盛ったあの男を庇ったことに、信は微塵も後悔していない。

一歩間違えれば主を殺してしまう危険もあった上で、毒殺を目論むくらいなのだから、余程の事情があったに違いないと思ったのだ。同時にそれは自分の甘さであることも自覚していた。

「王翦、将軍…」

だが、王一族の中で、後ろ盾もない弱い立場の自分が勝手をしたことを謝罪しようと、信が頭を下げようとした時だった。

「私の副官になれ、王騎の娘」

まさかそのような言葉をかけられるとは思わず、信がぽかんと口を開ける。王翦は仮面越しにじっと信のことを見据えている。

自分を副官にすることをまだ諦めてなかったのかと、眉間に困惑の色を浮かべた。

「俺は…」

何度誘いを受けても答えは同じだ。
王翦が野心家でなく、秦国と嬴政に忠義を尽くしてくれたのならば、副官になっても良いとは思っていたが、その気持ちは今でも変わりない。

しかし、王翦の方も野心家であることは変わっていない。お互いの気持ちは平行線のままだ。
何度誘われても答えは同じだと、信は誘いを断ろうとした。

「う”…」

突然心臓が何かに掴まれたかのように、胸が重く痛み、信は呻き声を上げる。

息が乱れていき、今度は燃えるように胸が熱くなっていく。

(ま、まずい…!)

似たような症状を過去にも体験していた信は、毒の副作用が始まったのだとすぐに勘付いた。

急に蹲って苦しげに喘ぐ信を見て、王翦が何事かと見つめている。

そして、背後では桓騎が不敵な笑みを浮かべていたのだが、信がそれに気付くことはなかった。

 

後編はこちら

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毒を喰らわば骨の髄まで(桓騎×信←王翦)前編

  • ※信の設定が特殊です。
  • 女体化・王騎と摎の娘・めちゃ強・将軍ポジション(飛信軍)になってます。
  • 一人称や口調は変わらずですが、年齢とかその辺は都合の良いように合わせてます。
  • 桓騎×信/王翦×信/毒耐性/シリアス/IF話/All rights reserved.

苦手な方は閲覧をお控え下さい。

このお話は毒酒で乾杯をの番外編です。

 

恋人との晩酌

その日、信は久しぶりに桓騎の屋敷で鴆酒ちんしゅを堪能していた。

桓騎が贔屓にしている酒蔵には鴆者鴆酒を作る者がいる。毒鳥である鴆の羽根を浸して作る毒酒は、本来なら暗殺道具として使用される物だ。

しかし、桓騎と信がその毒酒を堪能できるのは、二人とも毒が効かぬ特殊な体質だからである。

「…信」

三杯目の鴆酒を飲み終えた桓騎は杯を机に置くと、真剣な眼差しを向けて来た。

「明日はお前も来い」

「ん?どこに?」

恋人からの誘いに、信が小首を傾げる。

「王翦のところだ」

桓騎と同じ蒙驁の副官を務めていた将軍の名前が出たことに、信は瞠目した。

王一族の中でも本家に分類されている彼は、信と僅かに繋がりがある。

信は、王騎の養子だ。王騎は分家の生まれであるが、天下の大将軍としてその名を中華全土に轟かせていた。
王騎が討たれた後、信の立場は王家の中でかなり弱いものとなっていた。

もとより、下僕出身である信を養子として引き取ると決めた時も大いに反対を受けたのだと聞く。

もちろん王騎と摎の口からではないのだが、王家の集まりがある時に信は冷たい視線を向けられていることを幼心に察していた。

下僕出身である信が王家の一員となったことで、名家に泥を塗ったと陰口をたたかれていたことも知っていた。

それを面と向かって信に言って来る男といえば、王翦の息子である王賁だ。

しかし、信がひたむきに将軍となる努力をしていたことや、自分より先に将軍昇格をした実績からか、彼は下僕出身であることに関しては一切口を出さなくなった。

それでも未だ信が下賤の出であることを疎ましく思っている家臣たちは大勢いる。

(王翦か…)

王翦は野心家で、戦の才さえあれば、誰であろうと手元に置こうとする男であった。

そのせいか、特に家の生まれや身分は気にしないようで、王家の中でも、彼だけは信の生まれについて口を出したことがなかった。

そもそも興味がないのだろうと思っていた。

「あいつ、お前のことを気に入ってるだろ」

頬杖をついた桓騎が低い声で呟いた。

初陣を済ませてから多くの武功を重ね、信が着実に将軍昇格へと近づいていた頃に、王翦から突然「自分の副官になれ」と声を掛けられたことを思い出した。

「…そういや、副官になれって言われたことはある。断ったけどな」

普段から仮面で顔を覆い、滅多に表情を変えないので、王翦は何を考えているのかよく分からない男だと思う。

しかし、自分の軍に迎え入れるのは戦の才がある者ばかりだという噂は知っており、副官の誘いを受けた時、信は彼に実力を認められたような気がして嬉しくなった。

副官の誘いを断った理由としては、野心家である彼がいつか嬴政の玉座を狙い、刃を向けるのではないかと危惧したからだ。

だからといって、信は王翦のことを嫌いにはなれなかった。むしろ純粋に尊敬していると言ってもいい。

もしも王翦が野心家でなく、嬴政と秦国に忠義を尽くす将だったならば、迷うことなく彼の副官になっていたかもしれない。

 

恋人との晩酌 その二

わざとらしく桓騎が溜息を吐き出したので、なぜ不機嫌になるのだろうと小首を傾げる。

「…俺が見てない所で、お前に手ぇ出すつもりだろうからな。先に釘を刺しておく・・・・・・・・・

「え?だから、副官の話は断ったって…」

桓騎の目つきが鋭くなったので、信は慌てて口を閉ざす。どうして不機嫌になるのか、信には理由が分からなかった。

ぐいと杯を煽り、鴆酒を飲み干した桓騎が酒瓶が空になっていることに気付く。

普段は二人で一本を空けるのだが、どうやら桓騎はまだ飲み足りないようだった。立ち上がると、彼は奥に並べている戸棚から違う酒を物色していた。

「たしか鰭酒ひれしゅがあったな」

「鰭酒ぅ?」

信があからさまに顔をしかめた。

鰭酒とはその名の通り、魚の鰭を酒に浸して旨味を染み込ませた酒のことを指す。
桓騎が取り寄せてくれる幾つもの毒酒を嗜んでいた信だが、毒魚で作った鰭酒は好きになれなかった。

常人には確かめようがないことだが、実は毒酒にも美味いと不味いが存在するのである。
そして鰭酒は信の中で後者に分類されていた。

鰭酒の作り方は複雑ではない。干した鰭に軽く焦げ目をつけ、酒に漬けて数日寝かせれば完成する。

しかし、魚の種類によっては鰭が薄く、しっかりと焦げ目をつけることが出来ないものもあるらしい。

その下処理が上手くいかないと、魚独特の生臭さが残ってしまい、それが酒の味にも影響する。

基本的に好き嫌いのない信だが、初めて飲んだ鰭酒に生臭さが残っていたこともあって、その匂いが嫌な記憶として刻まれてしまった。

しっかりと下処理がされた鰭酒を飲んだこともある。そちらは生臭さはなく、確かに美味いと思ったのだが、初めて飲んだ時の嫌な記憶が根深く残っているせいか、今でも好きになることが出来ない。

魚の毒は強力であり、火を通しても、長時間酒に浸けておいても、毒の成分が少しも薄れることがない。そのため、他の毒酒よりも強いのだそうだ。

それを裏付けるように、鰭酒は鴆酒と違って、そんなに量を飲まなくても、毒の副作用――まるで媚薬を飲まされた時のように性欲の増強と感度が上昇する――が出るのも早い。

常人が飲めば、口に含んだだけで即死する代物であるのはすぐに分かった。

(うーん…臭いさえなければなあ…)

下処理がしっかりされていない鰭酒でも、独特な生臭さ慣れてしまえば、喉を伝う強い痺れにも旨味を感じることが出来るのかもしれない。

鰭酒が入っている酒瓶を手に戻って来た桓騎が杯になみなみと中身を注ぐ。彼は信と違い、毒酒の中でも特に鰭酒を好んで飲んでいた。

彼は信よりも鼻が利く・・・・のに、生臭さは気にも留めていない。
それどころか、鰭酒を気に入るあまり、桓騎は自ら鰭酒を浸けているらしい。

「うー…」

桓騎の杯から生臭さを感じないよう、信は指で自らの鼻を摘まんだ。

「まだ苦手か」

「う…」

鼻を摘まんだまま頷くと、桓騎が笑った。一度苦手意識が芽生えてしまうと、なかなか改善することが出来ないものである。

信の反応を楽しみながら、桓騎は鰭酒を飲み始めた。

桓騎が自分と同じように毒への耐性を持っていると知るまでは、信は宴の時くらいしか酒を飲まなかった。一般的に出回らない毒酒など、飲んだことすらなかったのだ。

それが今では彼の晩酌に付き合わされることが日常となっており、彼が取り寄せた珍しい毒物も頻繁に口にしている。

酒好きであり、その中でも毒酒に目がない桓騎が豪快に杯を仰ぐ姿を見ると、つられて信も飲み過ぎてしまう。

その延長で、毒を摂取し過ぎると、まるで媚薬を飲まされたかのように性欲と感度が増幅する副作用が現れることも分かったのだが…。

桓騎との出会いがなければ、毒酒の味も、男と肌を重ねる温もりも、何もかもが分からずじまいだっただろう。

「っ…」

そこまで考えて、信は先日の情事を思い出し、つい俯いてしまった。顔が燃えるように熱くなる。

 

 

この前の情事も、翌日に足腰が立たなくなってしまうほど激しいものだった。

桓騎と初めて身を繋げた時に感じた破瓜の痛みなど、もう思い出せそうにない。
まだ桓騎と今のような関係を築いていなかった頃、嬴政から極秘任務として桓騎軍の素行調査を頼まれたことがあった。

その時はお互いに将としての面識しかなかったのだが、素行調査をするにあたって、彼は酒と女が好きであるという噂を聞いていた。

戦場にも娼婦を連れ込むくらい、女とそういうこと・・・・・・をするのが好きなのだというのを聞いて、嫌悪感を抱いたことはよく覚えている。

それが、信と今の関係になってからは、まるで今までのことが嘘だったかのように娼婦を連れ込まなくなったらしい。

桓騎軍の副官である雷土が意味ありげな笑みを浮かべながら、そのことを教えてくれた時、信はどういう反応をすれば良いか分からなかった。

信は未だ桓騎に尋ねたことはない。彼のことだから「必要ないからだ」とだけ簡潔に答えるのが目に見えていたからである。

どうして娼婦を相手にしなくなったのか、その理由を考えた時に、桓騎に気に入られている自覚があった。

以前、嬴政の妻であり、后の向が後宮で毒殺されかけた時、信は勅令で彼女の毒見役として護衛についたことがある。

その時、桓騎は宦官に扮して、ずっと信のことを傍で見守ってくれていたのだ。
本来なら王族か宦官か侍女しか入れない後宮に出入りすることは本来は許されないことである。恐らく嬴政も気づいてはいるものの、見なかったふりをしているらしい。

桓騎が宦官に扮して後宮に潜入していたことは、公にはなっていないが、それを知っている彼の側近たちは大層驚いていた。

一人の女のために、自らが動き出す桓騎の姿など一度も見たことがないのだという。

信には他の女と違うところがあり、桓騎はきっとそれを好んでいるのだと彼女は考えていた。

他の女ならば、男の子種を植えられれば芽が出るものだ。しかし、信は違う。
どれだけその胎に子種を植えられようとも、毒に侵された土では、芽を生やすことなどない。

毒の耐性を持つと引き換えに、女としての生殖機能を失った自分の体が、桓騎にとって都合が良い・・・・・のだろうと信は思っていた。

しかし、あの後宮での騒動で、そうではないのだと桓騎自身に教え込まれた。…だが、信は彼の想いを今でも素直に受け入れることが出来ずにいる。

もちろん今のように酒を飲み交わしたり、今まで通り体を重ねることだってあるのだが、信は本当に自分で良いのだろうかと、訳もなく不安に駆られるようになっていた。

自分を養子として引き取ってくれた王騎と摎のような大将軍を目指し始めた頃から、女としての幸せは手放したつもりだった。

子を孕むことも出来ない、将として生きる道しか知らない女が、これからも桓騎の隣にいても良いのだろうか。

もちろんそれを桓騎に問い掛けたことはない。そんな不安を零したところで、彼を困らせるだけなのは目に見えていた。

「………、………」

だから信はずっとその不安を胸に秘めておくことに決めたのだが、それでも時折口を衝いてしまいそうになる。お前は本当に自分で良いのかと。

「…信?」

急に口を閉ざして俯いた信に、桓騎が不思議そうに首を傾げる。

「嫌だったか」

鰭酒の生臭さに反応したのかと勘違いしたようだ。
何でもないと慌てて笑みを繕い、信はそろそろ屋敷に戻ろうと立ち上がった。

「おい、どこ行く」

腕を掴まれ、桓騎が眉根を寄せて見つめて来る。
酒が入っている彼に「帰る」と言って、素直に帰してもらった記憶がない信は、咄嗟に厠だと嘘を吐いた。

 

協力者

疑われることなく手を離され、信は部屋を後にした。

もう桓騎の屋敷の構造は分かっていたので、迷うことなく外へと向かう。従者たちは寝入っている時間だろう。幸いにも、廊下には誰も居なかった。

夜通し見張りをしている門番たちはいるだろうが、桓騎の命がなければ彼らに捕まることもない。

背後を気にしながら、屋敷の裏に建てられている厩舎へと向かうと、愛馬の駿が待ちくたびれたと言わんばかりに大きく嘶いた。

「しぃーっ」

信は慌てて自分の唇に人差し指を当てて、静かにするように言った。
繋いでいる駿の手綱を解こうとしていると、駿が再び嘶きを上げる。まるで狼の遠吠えを思わせるような、大きい嘶きだった。

「駿ッ、静かにしろって…!」

「もう遅ぇよ」

背後から足音と共に低い声がして、信がぎくりと身を強張らせる。

冷や汗を浮かべながらゆっくり振り返ると、部屋にいるはずの桓騎がそこにいた。

真上から降り注ぐ月明りのせいだろうか、普段よりも彼の人相の悪い顔がさらに悪く見える。

「あ、ええっと、これは、その…」

解こうとしていた手綱を咄嗟に手放し、信はあたふたと言葉を探している。

桓騎が一歩距離を詰めて来たので、信は親に叱られる子供のように縮こまった。

「帰るならちゃんとそう言え」

意外にも、桓騎は優しく信の頭を撫でるだけで、詰問するような厳しい言葉は掛けなかった。

「黙って消えられたら、夢見が悪いだろ」

穏やかな声色でそう言われると、信の胸に罪悪感が浮かぶ。

「わ、悪い…」

素直に謝罪すると、桓騎の口の端がにやりとつり上がったので、信は嫌な予感を覚えた。
逃げなくてはと動き出すよりも前に、信の体は桓騎に軽々と抱き上げられてしまう。

「うおおッ!?」

まるで荷物のように肩に担がれ、急な浮遊感と反転した視界に戸惑った信が女性らしさの欠片もない悲鳴を上げた。

「んな簡単に逃がすワケねえだろ」

まるで勝ち誇ったかのように桓騎が笑われる。降ろせと喚きながら、信がじたばたと手足を動かすが、桓騎が放す素振りはなかった。

「ああ、言っとくが、お前の愛馬も俺の味方だからな」

信を担いでいる反対の手で、桓騎が駿の首筋を撫でる。気持ち良さそうに撫でられている愛馬の姿を見て、ぎょっとした。

まさか主の逃亡を阻止するために、桓騎に居場所を知らせようと嘶いたのではないかと信は青ざめる。

「駿!お前、いつの間に桓騎に懐いてたんだよッ!?」

泣きそうな顔で信が問うが、駿は耳を軽く動かすだけで返事をしない。

主人に似て・・・・・愛馬も扱いやすかったな」

「な、にィッ…!?」

まるで諦めろとでも言いたげな態度に、信は愛馬に裏切られたことをようやく理解する。

桓騎はくくっと喉で笑いながら、信の体を担いだまま再び屋敷へと戻っていったのだった。

 

目覚め

…結局その夜は散々だった。

黙って逃げ帰ろうとしたことを理由に、桓騎に攻め立てられ、激しく抱かれてしまった。

目を覚ました時には昼を回っていて、信は怠さの残る体を起こしながら、部屋に入って来た桓騎を睨みつけた。

「そろそろ支度しとけ。もう少ししたら出るぞ」

王翦の屋敷に行く話をしていたことを思い出したが、まさかまだ付き合わせるつもりかと信は大きく顔を背けた。

「行かない」

「あ?」

頭まで寝具を被りながら、信が不機嫌を露にする。

首筋や鎖骨の辺りにはいつものように赤い痕をつけられているし、どう考えても着物では隠せないだろう。

黙って帰ろうとしたことは自分に非があるが、それにしてもこんなになるまで抱くことはないだろうと思った。

「一人で行けよ。もともと王翦将軍に呼ばれたのはお前だけだろ」

怒気を込めた声でそう言うと、桓騎が小さく溜息を吐いた。

「とっとと機嫌直せ」

寝具越しに優しい手付きで撫でられるが、そんな簡単に機嫌が直るわけがない。信はむくれ顔のまま、布団の中で無視を決め込んだ。

桓騎とこのようなやり取りをするのは珍しいことではない。

そのうち、腹を空かせた信が諦めて寝台から出て来ると、まるでそれまでのことを忘れたかのように、普段通りに戻るのだ。

目を覚ましたのも恐らく空腹だったからだろうが、正直にそうとは言わないところから、信が相当機嫌を損ねていることが分かった。

こうなればしばらくは口を利かないだろう。子どものような拗ね方だが、どうにかして恋人の機嫌を直さなくてはと考えている桓騎を見る限り、効果は覿面である。

「今度来る時までに鴆酒を多く取り寄せておいてやる」

「………」

「…この前、摩論に作らせた鴆の飯はどうだ?お前、美味いって食ってたろ」

「………う」

河豚フグの卵巣の塩漬けは?」

「………うう」

百足ムカデの串焼きは?」

「………ううう…!」

寝起きで空腹である彼女に、これまで反応の良かった毒料理を伝えていくと、布団の中から呻き声が上がった。

美味い物で誘惑することに慣れている桓騎の口角がますますつり上げる。

「とっとと機嫌直せ」

穏やかな声色でそう言うと、ようやく信が布団から顔を覗かせた。

まだ桓騎を許すまいという怒りと、空腹には逆らえないという諦めが混ざり合い、複雑な表情を浮かべている。

完全に諦めた訳ではないのだろうが、こうなればもう桓騎の勝利は確実である。

つまり、あとは信が布団から出てくれば、それだけで良かったのだ。

「……あんまり、本家に行きたくねえんだよ」

「あ?」

桓騎に対する文句とは別の言葉が出て来たので、思わず聞き返してしまった。

「俺のこと、良く思わねえやつが多くいるから…」

目を逸らしながら、信が言葉を続ける。

下僕出身でありながら、摎と王騎の養子として引き取られ、王一族という名家の一員に加わった信の話は秦国で有名である。

地位の低いの者たちからは羨望の眼差しを向けられ、英雄扱いをされている信だが、もちろんそれをよく思わない者たちも存在しているのも事実だ。

特に王一族の本家の者たち、信と好敵手でもある王賁からはその風当たりが強かった。

王騎は王一族の中では分家の人間である。そんな彼から、将の才を見出されなければ、信は今も下僕として生きていただろう。

もともと後ろ盾のなかった立場の弱い彼女を養子にすると決めた時も、王一族の中では随分と揉めたらしいと桓騎は信から聞いていた。

馬陽の戦いで摎と王騎の二人を失ったことで、信は完全に後ろ盾を失くしている。

そんな自分が、今でも王家の人間であることを気に食わない者が大勢いるのだと、信は苦虫を噛み潰すような表情で打ち明けた。

 

味方

これまでも、王家の人間から冷たい目を向けられているという話は信の口から幾度も聞いていた。

今や将軍の座に就き、王騎と摎に劣らぬ武功を挙げている彼女が、まさかそんなことを気にしているとは思わず、桓騎は些か驚いた。

「…本家の人間は、王翦のガキみたいな野郎どもの集まりか」

桓騎は、王翦の息子である王賁の存在を口に出した。彼は信と幼馴染にあたる存在らしい。

偉大なる父の背中を見て育って来たせいか、王賁は王家嫡男の立場に強い誇りを持ち、そして下賤の出の者を嫌っている。

王賁のように、自尊心の高い男の厄介さは桓騎もよく知っていた。
しかし、信は意外にも首を横に振る。

「いや…王賁は、普段はああ言ってるけど、ちゃんと俺のこと認めてくれてるっていうか…」

未だ布団に身体の半分以上を隠しながら、もごもごと口を動かしている。

王賁は信が下賤の出であることを気に食わずに、事あるごとに立場を弁えろと毒づいて来る。

しかし、信が戦で着実に武功を挙げていき、将軍になった実力を認めたのか、以前ほど生まれのことは言わなくなった。

それは信のことをいつも目で追っていた桓騎も気づいていた。

顔を合わせればいつも口論になっていた二人は、いつの間にか信頼関係を築いており、今では互いの背中を任せ合うほどに成長している。

王賁が率いている玉鳳隊の兵たちも、下僕出身である信をいつも嘲笑っていたというのに、今ではそんなこともなくなった。

恐らく王賁の信に対する態度や接し方から、主が信の実力を認めたことを理解したのだろう。

それでもまだ信の存在をよく思わない者が王家にはいるらしい。

しかし、それは桓騎も同じだ。
蒙驁にその将の才を買われたことは、信が王騎と摎の養子となったことと同じくらい、桓騎の人生を大きく変えた。

山陽の戦いの後に蒙驁が亡くなってから、桓騎は信と同じように後ろ盾のない立場で、秦軍を勝利へと導いていた。

信が下賤の出であることを批判するよりも、元野盗である桓騎の悪行を指摘する批判の方が圧倒的だろう。

だが、桓騎はそういった者たちの声を聞きはするものの、まともに相手をしたことはなかった。興味がないというのが一番の理由である。

蒙驁も自分の素性をわかった上で、将の才を買ったのだ。どれだけ悪行に手を染めてようが、秦軍を幾度も勝利に導いた桓騎の奇策は替えが効かない。

それは信だってそうだ。
王騎と摎に劣らぬ武功を中華全土に広めているというのに、後ろ盾がないからという理由で何に怯えているのだろう。

「…本家に行って、そんな話を聞いたら、そいつらの四肢を捥いで、口と目を縫い付けて、頭から油をかけて焼き殺して…豚の餌にでもしちまうかもしれねえな」

まるで天気の話題でも口にしているかのように、あっさりとした口調で桓騎が呟いた。

「おいッ!勝手なことすんなよッ」

あまりにも物騒な言葉に、信が青ざめながら布団から起き上がった。

しかし、一晩中激しく抱かれた体には負担だったのか、腰を押さえて沈み込んでしまう。
優しい手付きで彼女の頭を撫でてやるものの、桓騎は今の発言を撤回することはない。

冗談だと笑うこともなく口を閉ざした恋人に、信の顔はますます青ざめていった。

「…わかった。俺も行く」

未だ怠さを残す体を気遣いながら、信はゆっくりと床に足を下ろした。

「本家には行きたくねえんだろ?」

ここで寝てりゃいいと桓騎は穏やかな声色で告げるが、信は大きく首を横に振った。

王翦が住まう屋敷…王一族の本家で、桓騎がそのような虐殺を行ったらと不安で堪らないのだろう。

「………」

顔も名も知らぬ者たちを庇うような信の行動に、桓騎の胸に苛立ちが募る。

もちろん信が傍にいたとしても、桓騎は彼女のことを悪く言う者たちに容赦なく鉄槌を下すつもりでいた。

 

 

「…桓騎?」

昨夜から床に散らばったままだった着物に袖を通しながら、信が不思議そうに小首を傾げた。

「何怒ってんだよ」

どうやら不機嫌が眉間の皺として出ていたらしく、信が苦笑を浮かべる。

先ほどまで怒っていたのは信だったというのに、今ではすっかり立場が逆転していた。

野心家である王翦は家柄や生まれなど気にせず、才ある者だけを求めており、信が下僕出身であることを気にする素振りを一度も見せたことがない。
桓騎が元野盗出身であることにも、彼は興味を示したことがなかった。

息子の王賁も、今は信の生まれについて触れることはないのだから、もしかしたら王翦の家臣たち、戦に出ていない王家の人間が信を毛嫌いしているのかもしれない。

秦王の側にいる高官たちのように、口だけが取り柄な者たちだろう。

そういった人間を、自分と信と同じように後ろ盾のない地位へと引き摺り下ろしてやり、痛めつけて無様な泣き顔を見ることが出来れば、どれだけ愉悦だろう。

後ろ指を差されるのは自分だけでいい。自分以外の人間が彼女を傷つけることを、桓騎は許せなかった。

「…桓騎?」

もう一度名前を呼ばれて、桓騎ははっと我に返る。

女という存在とは、褥だけの付き合いだと思っていた。それが今ではこんなにも思考がいっぱいになってしまうほど、信に夢中になっている。

彼女を傷つける者は絶対に許さないと、子供じみた癇癪を起こしそうになった自分に、桓騎は嘲笑した。

以前の後宮での騒動もそうだったが、どうやら自分は信のことになると随分と余裕を失くしてしまうらしい。もちろん、そんな無様な姿を気づかれぬように取り繕っていたが。

「どうした?」

「いや、何でもない」

これまでは考えられなかった自分の新たな一面に驚きながらも、信の顔を見ると、当然だとも思ってしまう。

彼女と出会う前の自分が今の自分を見たら、きっと鼻で笑うだろう。

しかし、桓騎は目の前の女を愛していることに微塵も後悔をしていなかった。

 

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王家

支度を済ませてから二人は屋敷を出た。今からなら夕刻には到着するだろう。

赤い痣を隠すために、信は厚手の布を襟巻きとして首元に巻いていた。
ちょうど夏が過ぎ、日が沈むにつれて冷え込むようになって来たので、怪しまれることはないだろう。

「信?」

馬を走らせていると、後ろで愛馬を走らせている信の口数が少しずつ減っていくのが分かった。

時折振り返るものの、彼女は桓騎の視線に気づいておらず、暗い表情を浮かべて俯いている。

手綱はしっかりと握っているとはいえ、振り落とされてしまうかもしれない。

「おい」

手綱を引いて、桓騎は馬の足を止めた。

信は手綱を握っているだけで指示を出していないというのに、愛馬の駿は桓騎の動きを見て、同じように足を止める。賢い馬だ。

急に馬が止まったというのに、信は驚くこともなく、ただ俯いていた。

「信」

「…えっ?」

名前を呼ぶと、信が弾かれたように顔を上げる。ようやく桓騎と駿が止まったことに気付いたようだった。

「引き返すか?」

連れ出したのは自分だというのに、桓騎はつい問い掛けていた。

屋敷に向かう約束はしていたが、行かなかったところで、王翦も桓騎の性格を理解している。

王翦とは同等な立場であり、行かなかったからと言って無礼だと罵られることもないだろう。

言葉巧みに、半ば強引に連れ出した自覚はあるのだが、ここまで信が嫌悪を示すのは初めてのことだったので、桓騎は内心驚いていた。

「いや、行く」

素直に頷けば良いものを、信は首を横に振った。

「一人で行かせたら、お前は本当に容赦なく殺しちまいそうだからな」

あははと笑った信を見て、桓騎は無理をしていることが分かったのだが、心では下賤の出あることを悪く言う者たちに複雑な思いを抱いているに違いない。

しかし、こうなってしまえば、信はもう引き返さないだろう。妙なところで頑固になる性格は呆れてしまう。

しかし、信が気にしているような者たちとは関わることはないだろう。

王翦はあまり賑やかな席を得意としない。客人を招いても、その者とだけ静かに酒を飲み交わす方が好きらしい。それゆえ、家臣の出入りも最低限である。

信が気にしているような事態が起きなければ良いのだがと内心考えつつ、もしもそんな輩がいたら、桓騎は言葉にしたように殺すつもりだった。

たとえ王翦に憎まれることになろうとも、それだけ桓騎の中で信を守りたいという想いは大きく膨らんでいた。

 

中編はこちら

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