雷を指揮する? 杖で指揮して死亡? 意外すぎる指揮者のハナシ――『指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?』

今年12月より取り壊されてしまう、吹奏楽の甲子園とも呼ばれる「普門館」。中学時代、吹奏楽部だった私も「いつかあの黒い床の舞台で演奏してみたい!」と夢見ていました。中学3年生では岩手県大会金賞を受賞したものの、東北大会へは出場できず、夢は叶わず。大人になってからもなんとなく普門館は気になっていて、「いつかそのうち行ってみよ〜」なんて軽い気持ちで過ごしていました。しかし、2011年の東日本大震災をきっかけに耐震調査を行ったところ、震度6以上でホールの天井が崩落する恐れがあるとして、今年11月のホール開放を最後に、12月から取り壊すことが決定しました。

(参考:http://www.kosei-kai.or.jp/fumonkan/

 

いつまでもあると思うな、親と金と普門館。

 

ということで、今回は『指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?』(藤野栄介・著/学研プラス・刊)より、吹奏楽やオーケストラには欠かせない指揮者について色々と探っていこうと思います。

 

 

指揮者のはじまりはバロック時代!

みなさんは、指揮者っていつ頃からいたのかご存知ですか?

 

管弦楽という、管楽器、弦楽器、打楽器を組み合わせたジャンルが登場したバロック時代に、「せーの」と合図を出したのが指揮の始まりと言われています。また当時は、作曲家が演奏者と指揮者を兼ねていたため、演奏しながらヴァイオリンの弓を動かしたりする人もいたそうです。そんな中に驚くようなエピソードがあったのでご紹介します。

 

ジャン・バティスト・リュリという作曲家は、演奏中に杖で床を叩いている際に誤って自分の足を叩いてしまい、破傷風で死んだというエピソードなどがよくクラシック史の中で語られていますが、この「杖で床を叩く」という行為が「指揮」のはしりとも言われます。

(『指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?』より引用)

 

え??  杖で指揮??  死ぬ??

 

このリュリさん、ルイ14世の病気快癒を祝した演奏会で指揮をしている最中だったそうですが、今のような軽い指揮棒ではなく、金属の重く長い指揮棒で床を叩くという方法で指揮をしていたそうです。快気祝いでテンションが上がっていたんでしょうね。

 

「ルイ14世おめでと〜〜! ドンドンドン……痛っ!」

 

と自分のつま先を叩いてしまいます。後日その傷が膿み、命を落としたそうなのですが、悲しすぎるよ!!  けれど、何かのコントか映画にでもなりそうなくらいなエピソードとも思ってしまいました。リュリさんに幸あれ!

 

 

指揮者に必要な4つの能力

現代において指揮棒で命を落とす……ということはなくなりましたが、あの軽い棒で指揮者はなにをやっているのか? と聞かれるといまいちピンとこない人が多いと思います。一般的に「右手で拍を刻んで、左手で表情を示す」とも言われますが、プロの指揮者も「指揮は教えられない」というほど、明確な定義や手法が固まっておらず、「朗読」に近いものだと「指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?」では語られています。また同じ楽曲でも、指揮者が変わると演奏が変わる理由を以下のように語っています。

 

・基礎的能力や指揮法などのアンサンブルを合わせる能力
・楽曲を読み取る力(スコアリーディング)
・オーケストラをエンロールする(巻き込む)力
・何がなんでも目指すレベルに導いていくという意思の強さ、実行力

(『指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?』より引用)

 

とは言ってもよくわからないなーという方のために、わかりやすい例を以下でご紹介します。

 

 

同じベートーベンの「運命」でも指揮者によって演奏時間が変わる

みなさんにお馴染みベートーベンの「運命」ですが、同じ「ンタタタ ターン」というフレーズのテンポによって、曲全体の印象を大きく変えてしまうそうなんです。

 

軽快に「タタターン!」とやると30分11秒で、重厚感がある「ダッ、ダッ、ダッ、ダーン!」と演奏すると38分38秒と、全部で4楽章ある演奏時間が8分も変わってくるというのです。

 

もちろん、「タタターン!」だけ早くしているわけではないのですが、指揮者がどんな「運命」と感じたかによって、同じ楽譜でも表現が変わるということなんですよね。自分なりの表現をしなければいけないので、プロが言う指揮は教えられないというのも納得! 演奏会で運命を聞く機会があったら、ぜひ指揮者にも注目してみましょう。

 

 

演奏も人生も止まれない! やり直せない

また、オーケストラだけでなく観客を巻き込む力をもっている指揮者のエピソードもご紹介します。

 

野外で演奏会をしていた時、突如雷が鳴り出し、観客は演奏に耳を傾けるどころではなくなっていたそうです。その際、指揮者(マエストロ)が行った行動で観客の雰囲気がほぐれたのですが、一体どんな指揮をしたのでしょうか?

 

そのとき、なんとマエストロは、突然、オーケストラではなく、雷に向かって指揮をし始めたのです。ステージ右側から雷が落ちる音が聞こえれば右に、左側から雷の落ちる音が聞こえればすぐさま左にタクトを振ります。観衆は彼のその滑稽な指揮姿にびっくりした様子でしたが、しばらくすると笑い声も聞こえてくるようになりました。

(『指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?』より引用)

 

 

演奏中に雷は鳴り止み、無事に演奏会は終了。終了後、指揮者のもとには喜びと感謝を伝えたい観客で列ができたそうです。なんだか心温まる〜♪

 

もう普門館で指揮者の姿を見ることはできませんが、これまでに普門館で演奏された楽曲の音源は聞くことができます。音源だけでは姿の見えない指揮者ですが、想像力を豊かにして、「この指揮者の性格は頑固そうだな」「こっちの指揮者はせっかちだな」などと、同じ楽曲で聴き比べてみるのも楽しいかもしれません。あぁ〜普門館言って見たかったなぁ。

 

【書籍紹介】

指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?

著者:藤野栄介
発行:学研プラス

指揮者って、いったい何をやっているの? あの指揮棒で何を指示しているの? オーケストラは、個性あふれる専門家集団。その集団を、指揮棒ひとつでまとめ、美しい音楽を奏でるための方法を、現役指揮者が公開する。

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彼女はファッションで武装する――『時代を切り開いた世界の10人 5巻 マーガレット・サッチャー』

幸か不幸か、私は会社勤めをしたことがありません。大学を卒業する前に結婚し、専業主婦になったからです。当然のことながら、通勤のための洋服についてまったく知識がありません。就職活動もしなかったので、今で言うところのリクルート・スーツを着たこともないのです。

 

大学を卒業した後、周囲の友だちは就職し、スーツを身にまといバリバリ働いていました。私はそんな彼女たちを「かっこいいな~~」と思って、ただ見ていたのです。

 

 

エッセイストは何を着るべきか

私はといえば、ジーパンにトレーナーで過ごす毎日…。念願の息子も生まれ、それはそれで幸福だったのですが、一方で自分がどんどんくすんでいくようで、「なんとかしなくちゃ」と焦っていたのは確かです。

 

子育てが一段落した頃、私は自分のしたいことを見つけました。エッセイを書くようになったのです。最初は投稿するだけで満足でしたが、やがて原稿料をもらうようになりました。もっとも、服装は相変わらずで、ほとんどパジャマのような姿で一日を過ごしていました。エッセイストは在宅勤務ですから、通勤とは無縁です。むしろ、専業主婦の頃より、家にいる時間が増え、お出かけ着はさらに必要なくなりました。

 

しばらくすると、講演会や審議会などの仕事が転がり込むようになり、突如、服を買う必要に迫られました。急なことで何を着ていいかわからず、とりあえず紺や黒のパンツスーツを揃えました。そんなとき、紺のパンツスーツは鉄壁に思えました。とりあえず文句は言われません。

 

 

「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」

私自身は満足したまま、年月が過ぎていたのですが、7年ほど前のこと、大先輩の女性に「あなた、いつも紺色の上下ばかり着てるわね。エッセイストという職業は、華がないと駄目よ。それじゃ、まるで制服じゃないの」と、注意されました。

 

そして、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」という映画を観るよう、アドバイスされました。メリル・ストリープが英国首相を演じ、アカデミー主演女優賞を獲得した作品です。

 

政治家のドラマにはそれほど興味はない私ですが、すぐに観ることにしました。「彼女が身にまとう服は、女が社会で働くとき自分を守る鎧のように機能的で美しいから、参考になるわ」という彼女の言葉を信じたのです。

 

 

サッチャーのファッション

映画を観て納得しました。メリル・ストリープ演じる鉄の女・サッチャーは、側近のアドバイスを受け入れ、見事な金髪をセットし、綺麗な色のスーツを着ています。首には夫に贈られたパールのネックレスを忘れません。

 

私のように、背広のような服装などしません。ふーん、なるほど。私は感心しました。紺色のパンツ・スーツは変わらず好きでしたが、明るい色のスーツも着るようにしました。
パールのネックレスも、それまではお葬式用だと思っていましたが、仕事に行くときにしてみると、なかなかに上品に見えると知りました。

 

だからというわけでもないでしょうが、苦手だった会議や講演も、少しはましに発言できるようになったような気がします。スーツという名の鎧に守られていたのかもしれません。

 

 

誰もがレジェンドになり得る!!

映画でマーガレット・サッチャーのファッションを学んだことがきっかけで、私はサッチャーその人について、もっと知りたくなりました。そこで、“時代を切り開いた世界の10人シリーズ”から『時代を切り開いた世界の10人 5巻 マーガレット・サッチャー』(高木まさき、茅野政徳・監修、弦川琢司・文、黒曜燐・絵/学研プラス・刊)を選び、読んでみました。

 

このシリーズはレジェンドと呼ばれるようになった主人公を取り上げています。物語は、彼らが何かを成しとげた場面から始まります。なぜ偉業を成し遂げることができたのかという謎に迫るために、効果的な手法だからでしょう。レジェンドの一生をひもとくのは本当にワクワクする体験です。

 

前書きにも書いてあります。

“私たちはだれもがレジェンドとなり得る。本シリーズはそんな思いもいだかせてくれる”と。

(『時代を切り開いた世界の10人 5巻 マーガレット・サッチャー』より抜粋)

 

 

マーガレット・サッチャーという人生

マーガレット・サッチャーは、イギリスの田舎町で食料品店を営むアルフレッド・ロバーツの娘として生まれました。勤勉な両親のもとで、きびしく育てられた彼女は、お店を手伝いながら、勉学に励み、オックスフォード大学に進学します。そして、弁護士となって活躍を始めます。

 

それだけでも素晴らしいことなのに、彼女は政界入りを模索するようになりました。イギリスをもっと良い国にしたいという熱意を持っていたのです。夫となったデニスが会社を経営し、経済的に安定したことも助けとなりました。結婚生活は順調でマークとキャロルという双子の子どもも授かります。

 

けれども、彼女は貪欲でした。新人議員として活躍した後、その仕事ぶりが皆に認められ、ついに保守党の党首まで上りつめたのです。イギリスで初めての女性首相として行った政策は男性顔負けの徹底的なもので、やがて「鉄の女」と呼ばれるようになります。

 

 

鉄の女の政策

マーガレット・サッチャーは、当時、ストが続き経済的に破綻をきたしていたイギリスを誇りある国に立ち直らせようと、必死にたちむかいます。

 

さらには、アルゼンチン軍が領海侵犯を犯すと、迷うことなくフォークランドに軍隊を送ることを決断して宣戦布告しています。開戦から1か月の間、アメリカをはじめとする国々から、話し合いで解決しては」どうかという調停案を受けても、耳を貸さずに雄々しく攻撃を断行。とうとう敵を降伏に追い込んだのです。

 

彼女が戦いを挑んだのはアルゼンチンだけではありません。ストライキばかりする労働組合にも強硬な対策を断行したり、国営企業を民営化して競争力を高めたりしました。
今まで誰もがなしえなかった方法で、イギリスの内部に対しても容赦のない戦いを繰り広げたのです。

 

辞任は夫のアドバイスで

11年半もの間、首相をつとめてきた彼女でしたが、とうとう身を引くときがきました。党内に意見の不一致があることには気づいていたものの、腹心と信じていた副首相のハウが辞表を出すに至り、「見捨てられた」と感じたといいます。さらに、夫・デニスの「ぼくは君の屈辱的な姿を見たくないよ」の言葉が決定打となり、彼女は首相の座をおりたのです。

 

私は彼女の物語を軽い気持ちで読み始めました。服装の参考にしようと考えてのことでした。けれども、結果的には悩みながらも雄々しく挑む彼女の姿に感動しました。マーガレット・サッチャーは、ぶれない強さを持つと同時に、妻として母としての役割を果たしているのだろうかという苦しみを抱えた女性だとわかったからです。

 

男性にも女性にも何かを訴えかける本、それが『時代を切り開いた世界の10人 5巻 マーガレット・サッチャー』だと、思います。

 

【書籍紹介】

時代を切り開いた世界の10人  5巻 マーガレット・サッチャー

著者:高木まさき(監修)、茅野政徳(監修)、弦川琢司(文)、黒曜燐(絵)
発行:学研プラス

どん底のイギリス経済を立て直し、フォークランド紛争に勝利し、国民の自信と誇りを取り戻したイギリス初の女性首相。中流家庭に育つも、強いリーダーシップで「鉄の女」と呼ばれるに至るその素地は、父の教育によるものだった。リーダー教育に格好の教材。

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終戦記念日にカントの言葉から戦争と平和について考えてみる――『永遠平和のために』

8月15日、73回目の終戦記念日を迎えた。

 

今は亡き実家の母親は、ポツダム宣言受諾を申し入れ無条件降伏したこの日のことをいつもこう語った。「玉音放送を聞いてから、家に帰って布団を敷いて寝たの。もう空襲がないから安心して眠れるって思ったからね」と。

 

母にとって、平和とは空襲警報に怯えずに眠ることを指したのである。そういう経験を持たない私は、何を基準にして平和について考えるべきなのだろう? 終戦記念日を迎えるたびに私は悩む。

 

カントについて、あなたはどのくらい知っていますか?

永遠平和のために』(池内 紀・訳/集英社・刊)は、18世紀に生きた哲学者・カントの著作を、ドイツ文学者でエッセイストの池内 紀が翻訳したものだ。この本には、本文が始まる前にカントの言葉が写真と共に紹介されている。言葉のひとつひとつが実に力強く、乾いた土が水を吸い込むように心にしみこんでくる。

 

実は、私はカントのことをほとんど知らないまま今日まで来てしまった。知っているのは、有名な哲学者であること。時計のように正確に、規則正しく生きた人だというエピソード、そのくらいだ。

 

『純粋理性批判』という著作も知ってはいるが、わかっているのはタイトルだけ。きちんと読んだことはない。まして、71才のときに『永遠平和のために』という本は、出版されたことすら知らなかった。

 

 

名編集者がいきついた先はカントだった

そんな私が、なんだか難しそうなこの本『永遠平和のために』を読もうと思った理由は、ただひとつ。名編集者として知られた池孝 晃が、長い編集生活の最後にカントにいきつき、わかりやすい日本語にして若者に届けたいという情熱をこめて作った本だと知ったからだ。

 

なぜカントなのか? なぜ『永遠平和のために』なのか? その謎を解きたくて私は読み始めた。

 

『永遠平和のために』は2007年に出版された本だが、しばらく絶版のような状態にあったという。しかし、世の中が推移するうちにじわじわと読まれ始め、今も版を重ねている。良い本は時を越えて読み継がれていくものだということだろう。

最近の若者は駄目なのか?

ところで、最近日本の若者は政治にも外国の情勢にも平和にも興味を持とうとせず、ゲームばかりしていて本も読まないと多くの人が言う。海外旅行をして見聞を広めたいと願う人も減る一方で、授業にも反応しないと嘆く先生も多い。

 

私は人に何かを教えたことがないのでよくわからないが、そうなのだろうか? と、いぶかしく思う。一見したところは無気力に見えても、日本の若者は馬鹿じゃない。いい物を判別する力を持っている。

 

少なくとも、私が若いときよりはずっと物知りだし賢い。私がよくわからないパソコンのことや、音楽のことを聞くと、熱心に教えてくれる。自慢じゃないが、そして、本当に自慢などしている場合ではないが、若い頃の私は何も考えていなかった。年上の人に何かを教えたりもしなかった。ぼーーっと起きて、学校に行き、あぁ、何とかしなくちゃなあと思っているうちに、一日が終わった。

 

心優しき友だちは「アッコは、あぁ見えていろいろ考えているんだよ」とかばってくれたが、半ば昼寝しているかのように漂っていて本当に何も考えていなかったのである。

 

 

トライし、挫折したカント

そんな私だが、大学の頃、突如、哲学書を読んでみようと思いたちカントにトライしたことはある。しかし、その難解さに驚きすぐにギブアップして放り出した。内容が難しい以前の問題として、何がなんだかさっぱりわからなかった。これは果たして日本語だろうかと思った。翻訳が悪いというより、日本語になりにくい考え方が記してあるのではないかと感じた。だからといって原著で読む能力も気力もない。

 

振り返ってみれば、哲学書を読む訓練をしていなかったからかもしれない。そもそも、カントは1724年生まれであり、つまり294年前の人だ。こうなると、歴史の彼方におぼろげに存在するという感じだ。

 

故郷も東プロシアの首都ケーニヒスベルグで、ここは複雑な事情からもう存在せず、現在ではロシア領カリーニングラードにあたる。今やなくなってしまった町に、300年近く前に生まれた人の言葉にそれでなくてもぼーーっとしている私が反応するのは、やはり無理だったのだ。カントに私を導いてくれる水先案内人が必要だったのに、探そうともしなかった。

 

カントの几帳面ながら数奇な生涯

今回、カントの年譜を読み、やはりそこには人を惹きつける何かがあると確信した。年譜を読むのが大好きな私にとって、それは舌なめずりしたくなるような内容だ。

 

カントは1724年に革具職人の息子として生まれ、生涯を通じて東プロシアを出ずに暮らした。出不精だったのか、旅が嫌いだったのか、住んでいる町に満足していて外に出る必要を感じなかったのか。それとも、当時の人は生まれた町で育ち、生き、死んでいくものだったのか。それはよくわからないが、とにかく限られた地域の中で几帳面に生き、学ぶ。それがカントの暮らしだった。

 

当時、男は父親の職業を継ぐのが普通の生き方だった。しかし、カントは革具職人にはならず勉学の道を選び、31才頃から家庭教師で生計を立て、王立図書館の司書となった。やがて、46才でケーニヒスベルグ大学の講師となって、論理学や数学を教えたあと哲学教授となったという。

 

彼は哲学で生計を立てた最初の人なのである。そして、57才で『純粋理性批判』を著し、79才で「これでよい」という最期の言葉を残して息を引き取るまで、ただひたすらものを考え続けた。

カントの言葉 その1

『永遠平和のために』では、まさに納得と思う言葉が私にもわかるように示されているが、中でもすごいと私がうなったのは……。

 

いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない。

内部抗争がまだ決着をみていないのに、よそから干渉するのは、国家の権利を侵害している。その国の国民は病んだ内部と闘っているだけで、よその国に依存しているわけではないからだ

(『永遠平和のために』より抜粋)

 

おそろしいほど、今に通じる考え方ではないか。

 

 

カントの言葉 その2

他にも

隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとってじつは「自然な状態」ではない。
戦争状態、つまり敵意がむき出しというのではないが、いつも敵意で脅かされているのが「自然な状態」である。だからこそ平和状態を根づかせなくてはならない。

(『永遠平和のために』より抜粋)

 

まったくもって、胸をえぐる言葉だ。

 

平和な世の中を享受し、ぼーっと生きていた若い頃の自分に、「ほら、ぼやぼやしていないで、この本を読みなさい。今すぐ」と差し出したくなる。けれども、それはできない。
私はすでにいたずらに年を取ってしまった。今まで、政治や戦争について、よくわからないからと目を背けて生きてきた。それが楽だったからだ。後悔しているが、もう遅い。

 

だからこそ、これから社会に出る若者たちに、気力がないと非難される彼らに、この本をプレゼントしたい。ここには、あなたたちの未来を変えてしまうような衝撃的な、しかし、予言に似た言葉が並んでいる。

 

それにしても、300年近く前に生まれた人が、すでに今の世を射通すような言葉を残していたなんて。やはり、カントはすごい。さらには、書物という媒体のすごさも改めて認識する。書物として残されていなかったら、私たちはカントの考えに触れることはできなかった。

 

もちろん、翻訳した池内紀も、写真家の野町和嘉・江成常夫も、銅板画家の山本容子も、そして、何より、この本を編んだ編集者・池孝晃がすごいと思う夏の午後である。

 

 

【書籍紹介】

 

永遠の平和のために

著者: イマヌエル・カント(著)、池内紀(訳)
発行:集英社

【「憲法9条」や「国連」の理念は、この小さな本から生まれた】「戦争状態とは、武力によって正義を主張するという悲しむべき非常手段にすぎない」「常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである」「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」。1795年、71歳のカントは、永い哲学教師人生の最後に、『永遠平和のために』を出版した。有史以来、戦争をやめない人間が永遠平和を築くために必要なこととは? 力強い平和のメッセージ。

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大阪で海老蔵に「にらまれた」話――『團十郎と海老蔵』

8月4日、小林麻耶アナウンサーが結婚を機に仕事を辞めて主婦業に専念すると発表しました。その時、私の頭をよぎったのはかつて大阪の松竹座で行われた市川海老蔵の舞踊会のシーンでした。

 

 

2009年 春

あれは、2009年の春のこと…。大阪で新型のインフルエンザが猛威をふるったことがあります。新型のためワクチンも効き目がないとのことで、皆が不安に陥っていました。大阪への出張を自粛する会社まであり、関西在住の私としては、鬱屈した思いになりました。

 

その頃、東京で大事な会議がありました。1年も前に決まっていたスケジュールでしたし、体調も良いので出かけたのですが、「関西から来たの? 休めばいいのに。移さないでよ」、言われました。冗談ではなく、本気で迷惑がられているのがわかり、ひそかに傷つきました。

 

 

海老蔵がにらみにやって来る!!

暗い気分で神戸の家に帰ると、友達から連絡がありました。「市川海老蔵が大阪の松竹座で特別舞踊公演に出演するわよ。そのとき、大阪の人をにらんでくれるらしいよ。行っておいでよ」というのです。

 

「にらんでくれる?」

 

訳がわからず煩悶する私に、歌舞伎通の彼女は教えてくれました。にらみとは、目をぐっと中央部に寄せ、より目の状態で客席をにらむことをさします。単なるポーズではなく、悪者や病気を祓うために行われる厄払いの儀式で、市川家に代々伝わるものだそうです。

 

人気者の市川海老蔵がインフルエンザ騒ぎの大阪にわざわざやってきて、予定になかったにらみを披露するというのですから、これは行かずにはいられません。

 

私はあわてて席を予約しいそいそと出かけ、海老蔵の「にらみ」をこの目で見ました。それが良かったのでしょうか。猛威をふるったインフルエンザに、かからずにすんだのです。

 

 

にらんでいたから、頑張ることができたのでは?

以来、ずっと勝手に恩義を感じていたのですが、小林真央さんが病気になったという報道があり、よけいなお世話と知りながら、お気の毒で仕方がありませんでした。ちょうど家族に病人がいたこともあって、胸に迫りました。とても他人事とは思えませんでした。

 

けれども、私は考え直しました。きっと市川海老蔵は毎日、愛妻をにらみににらんで、病気を撃退するよう頑張っているだろうと思ったからです。残念なことに、闘病の末、真央さんは亡くなりました。けれども、最期の最期まで頑張り周囲の人を励まし続けたといいます。これも一種の癒やし、言い換えればにらみの力ではないでしょうか。

 

 

市川宗家とは何なのか?

團十郎と海老蔵』(江宮隆之・著/学研プラス・刊)は、團十郎と海老蔵という歌舞伎界でも特別な大名跡について事細かに教えてくれる本です。おかげで私は、おぼろげにしかわからなかった團十郎と海老蔵の世界に踏み込んで、理解することができました。

 

市川家は歌舞伎界の最高権威の家として尊敬を集める特別な家です。「市川宗家」と呼ばれ、他に類を見ない存在として君臨しています。著者・江宮隆之は、尊敬をこめて團十郎と海老蔵を調べ上げ、代々の歴史について、詳しくわかりやすく解説しています。

 

江戸時代の初代から現代の十二代目まで、歌舞伎役者・市川團十郎(海老蔵)の歴史は、そのまま歌舞伎そのものの歴史であるといっても決して過言ではありません。

歌舞伎界の市川家では、市川團十郎と市川海老蔵という名前が最も大事な名前です。現代の市川家では、新之助、海老蔵、團十郎というように名前を変えていく方法を取っています。まるで成長する度に名前を変える出世魚のような世界ではありませんか。

(『團十郎と海老蔵』より抜粋)

 

 

初代から12代まで、そして、13代へつながる道

著者は豊富な資料にあたり、初代團十郎から十二代團十郎までを描ききりました。どの人が一番魅力的かは人によって違うでしょう。長命な人もいれば、若くして亡くなった方もいます。

 

それぞれの團十郎が極めて強い個性を持っていて、すべて紹介したいところですがかないません。『團十郎と海老蔵』を読んで、理解を深めていただきたいと思います。

 

私はといえば、初代・團十郎の人生に驚かされました。

 

「荒事」と呼ばれる芝居を得意とし、時代の寵児となった役者です。「にらみ」を開発したのも初代だとか…。ところが、あろうことか舞台に出演中、役者仲間に刺し殺されたというのです。あまりにも衝撃的な最期ではありませんか。

 

現在の市川海老蔵は、脈々と続くこうした先達の芸を継承しながら13代團十郎を襲名することになるのです。それも愛妻の助けなしに…。本当に大変だと思います。重責に押しつぶされそうなときもあるに違いありません。

 

けれども、彼はこれまで伝統を守りながらも新しい舞台を目指して、アメリカ公演やパリ公演にも挑戦し大成功をおさめています。13代の襲名披露がどんなものになるのか? そもそもどこでやるのか? いつやるのか? 考えただけでもワクワクします。13代團十郎の誕生を楽しみに待ちたいと思います。

 

【書籍紹介】

團十郎と海老蔵

著者:江宮隆之
発行:学研プラス

團十郎という名跡は海老蔵が襲名するものと思われがちだが、過去には團十郎引退後に海老蔵を名乗った人物も多い。初代から未来の13代まで、歴代の團十郎の数奇な運命と襲名の舞台裏を紐解きながら、なぜ團十郎は特別なのか? 大名跡のもつ数々の謎に迫る!

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自由研究にもってこい!「もし、戦国武将が○○だったら」――『戦国ストライカー! 織田信長の超高速無回転シュート』

サッカーを題材にしたマンガやゲームなどは結構ある。それだけ人気のあるスポーツの証拠だろう。リアリティ重視のものもあれば、必殺技が飛び交うものまで、いろいろなパターンがある。

 

 

戦国武将の遺伝子を組み込まれたサッカーゲーム

戦国ストライカー! 織田信長の超高速無回転シュート』(海藤つかさ・著/学研プラス・刊)は、サッカーを題材にした小説だ。

 

タイトルを見るとわかるのだが、戦国武将が登場する。ただし、戦国武将がサッカーをするわけではない。小説内に出てくる「戦国ストライカー」という戦国武将がサッカーをするというゲームから、武将たちが飛び出してサッカー少年に憑依し、サッカーをするというストーリー。なかなかファンタジー感あふれる内容だ。

 

この架空のゲーム「戦国ストライカー」には“ゲームクローン”という技術が使われているという設定。これは、戦国武将たちの「本物の遺伝子」を取り込んでいるということ。なので、ゲーム内でも各キャラクターがそれぞれ意思を持って動き回るようだ。

 

ちょっと未来の設定のようだが、2018年の世界ならAIを使って再現できるような気がしないでもない。遺伝子には叶わないと思うが。

 

 

戦国武将のサッカー選手としての能力は?

結構な数の戦国武将が登場するが、メインとなるのは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人だ。主人公のタケルに憑依するのは、織田信長。ゲーム内では、戦国武将としての能力(強さ)が、すべてサッカーの能力(攻撃力・守備力)に置き換えられており、以下のようになっている。

信長のポジションはフォワード。機動力がスゴくて、味方がボールを奪うと一気に敵陣までダッシュし、カウンターアタックを決める。おまけに突破力もスゴくて、少しくらい敵に囲まれても、得意のドリブルでディフェンダーを切りさいていく。(中略)ただ、信長は、闘志が強すぎて暴走したり、調子の波が激しくて安定感に欠けていたりする。

『戦国ストライカー! 織田信長の超高速無回転シュート』

 

戦闘力は高いものの、熱くなると周りが見えなくなるという信長の性格がそのままサッカーに反映されているようだ。そこで重要になってくるのが、参謀役。そう、豊臣秀吉だ。

 

秀吉はミッドフィールダー。パワーはないもののスピードとテクニックに長けており、信長へパスをつなぐ重要な役目を担っている。ただ、女性への声援に弱い面がある。

 

ゴールキーパーの徳川家康は、守備力に優れ、リーダーシップが高い。ただし、成長速度が遅め。大器晩成タイプだ。

 

敵方として出てくるのは明智光秀や松永久秀、浅井長政など。明智光秀はオールマイティでどのポジションでもこなす。松永秀久はラフプレーが得意。浅井長政はイケメンという設定。信長、秀吉、家康と対立していた武将たちがライバルとなっているのも史実に基づいている。

 

 

夏休みの自由研究のテーマにいかが?

僕は、それほど日本史、というか戦国武将について詳しいほうではないが、この小説を読んでいるとそれぞれの戦国武将がどんな性格をしているのか、そしてどんな因縁があるのかがわかり、おもしろかった。

 

基本的には熱血サッカー小説なので、「努力・友情・勝利」的なストーリーも楽しめる。結構お得な感じだ。この小説はサッカーが題材だったが、野球やバスケットボール、バレーボールといったチームスポーツのメンバーを戦国武将で考えると、結構おもしろいかもしれない。歴史好きの小学生などの自由研究のテーマとして取り上げてもおもしろいかも。チームメンバーを決めるだけでなく、試合展開なども詳細に考えると、よりリアリティが出る。

 

歴史上の人物と現代をシンクロさせるというのは、創造力がポイント。それぞれの人物の性格をしっかり把握して、どんなプレイをするのか。そんなことを綴った自由研究、どうですか?

 

【書籍紹介】

 

戦国ストライカー! 織田信長の超高速無回転シュート

著者:海藤つかさ
発行:学研プラス

サッカー少年・タケルを危機から救うため、織田信長が現れた! タケルに同化した信長は、その驚異的なシュート力で点をとりまくる。さらに、豊臣秀吉、徳川家康も参戦して…。戦国のスター武将たちが現世に飛び出して、大サッカーバトルを繰り広げる!

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第二次大戦史もミリタリーも全然詳しくないライターが「歴史群像150号」の特別付録のボードゲームをやってみた

暑い日が続いて、クーラーで涼みながらお家でのんびりボードゲームをしたいけど、ひとりでできるものってなかなかないんだよなぁ〜なんて思っていたら、あった!!  しかもミリタリー・戦史マガジン『歴史群像』の特別付録…!

 

その名も「バルジの戦い」。

 

「バルジってどこ?」なんて言ってしまうほど、この戦いを知りませんでした(ごめんなさい)。とりあえず、世界史よりも日本史、ミリタリーよりもお家でヒキコモリーしていたい私が『歴史群像 2018年 08 月号』(歴史群像編集部・編/学研プラス・刊)の特別付録ボードゲームをやってみましたので、その様子をご覧ください(笑)。

 

 

付録の前に…本誌のドイツ軍特集がすごすぎる!

第二次世界大戦におけるドイツ軍と聞いて思い浮かぶのは、なんとなく冷酷で残虐なイメージが強いのですが、その裏側にはとてつもない「戦略」の数々がありました。戦争と聞くと、まず実際に戦いをする兵士たちに注目してしまいますが、戦いを指示し、戦略を考える人たちがいたわけですから、その戦略を知ることは驚きの数々でした。使う武器、敵陣に向かうルート、戦車…今の平和な日本に暮らしていては知らないことばかり。「本当にこんなことやってたの!?」と思ってしまいます。

 

 

ドイツの軍服もすごい

↑特集は「ドイツ陸軍」。作戦術から野戦服まで濃厚な記事が並んでいます!

 

すごいといえば、『歴史群像 2018年 08 月号』で図説されている36年型野戦服の記事も知らないことがたくさんでした。36年型野戦服とは、1936年11月15日付で制式化されたドイツの軍服で、1940年まで仕様が変更されず大量生産されたものです。

 

36年型野戦服は、製造期間と兵士の動員数からして、少なく見積もっても100万着単位で製造されているはずである。

(『歴史群像 2018年 08 月号』より引用)

 

すごい数…! 今のように、一度に何着も作れるような時代でなかったことは容易に想像できますが、『歴史群像 2018年 08 月号』では写真付きで軍服ができるまでを知ることができます。ものすごい人数の人たちが一着一着丁寧に寸法をとり、ミシンで縫い付け、毎日500着が作られていたそうです。36年型ができるまでにも、28年型・33年型・35年型と過去に3デザインの軍服があったそうです。いやぁ、軍服ひとつにも、それぞれ歴史があるものなんですね!

 

その前に「バルジの戦い」って何?

「●●の戦い」と聞くと、ついつい場所と思ってしまいますが、このバルジは地名ではありません。

 

ベルギー北部の要港アントワープを目指して行われたこの作戦では、戦線が西に向かって大きく張り出したため、当時のイギリス首相のチャーチルは「バルジ(張り出し)の戦い」と表現しました。

(『歴史群像 2018年 08 月号』より引用)

 

ちなみに、戦いが行われたのは1944年12月16日から翌年の1月25日までの寒い日で、場所もなんと森の中! 雪が積もった山の中を、戦車や飛行機部隊を使って、連合軍のアメリカ軍と、ヒトラー率いるドイツ軍が戦いました。最初はドイツ軍がどんどん進撃し、バルジを作りましたが、結果としてそのバルジはアメリカ軍によって元の戦線まで戻されてしまい、連合軍の勝利で幕を閉じます。アメリカ軍はこの戦いで8万名もの戦死者を出しており、勝利とは言っても…という気もしちゃいますよね。

 

 

戦場に入り込んで戦っているような感覚に…

↑こちらが「バルジの戦い」のボードとコマと説明書。こ、細かい……

 

ということで、バルジの戦いについて知識がついたところで、いざゲーム開始です! 準備をして、ルールブックを見ながらいざ!  と思ったのですが、なんだかんだで終了まで5時間かかりました(笑)。どんなルールかを簡単にご説明いたします。

 

このゲームは、野球の「回」と同じような「ターン」という手順を計5回繰り返すことで進行します。1回のターンは、実際の3日間を表しています。

(『歴史群像 2018年 08 月号』より引用)

 

と、これだけみると「なーんだ、簡単じゃん」と思うのですが、使うコマが59個あったり、コマそれぞれに意味があったり、ルールブックの説明だけでも15ページ近くあるためまずこれを理解するのに時間がかかる!

 

ただ、基本はサイコロを振ってコマを進め、敵とぶつかったらそこでもサイコロを振って勝敗を判定するというもの。このゲームの場合、どれだけ西に向かって進撃できるかでゲーム自体の勝敗が判定されますが、戦場には川が何本も流れていて、橋がかかっていますが、そこを守る米軍をいかに早くやっつけられるかがカギとなります。ここでもたもた戦いを続けていると、前進することができないからです。

 

後半は「とりあえずバルジ作るか!」と謎の気合いが入り、細かな戦法よりも、とにかくゲームの目的である、いかに西に向かって前進するかの一点に集中することに切り替えて、良い目が出ることを祈って、ひたすらサイコロを振り続けました。

 

まさに自分自身が戦場に入り込み、コマたちと一緒に戦っているような、そんな5時間を過ごしたのでした。(闘志を高めるBGMがあるとさらに良いかもしれません!)

 

このタイプのゲームは、初心者でも、ルールブックを見ながら何回かやると自然にルールを覚えていくそうです。覚えてしまえば、この付録では1~2時間で終わるように設計されているとのこと。

 

 

もうひとつの付録「モスクワ攻防戦」

↑こちらは2人用の「モスクワ攻防戦」のボード

 

時間はかかったものの、とても勉強になったこちらのボードゲーム。なんともうひとつ2人でプレイするボードゲームも付いてます。歴史群像の編集部の人たち凄まじい! 2人用のボードゲームは「モスクワ攻防戦」。

 

モスクワ攻防戦は、1941年の秋から冬にかけて、第二次世界大戦の東部戦線(独ソ戦)の最初の決戦であったモスクワ攻防戦を再現する、2人用ボードゲームです。一方のプレイヤーがドイツ軍を、もう一方のプレイヤーがソ連軍を担当します。

このゲームは、独ソ両軍の地上部隊の行動に焦点を当てており、各プレイヤーは定められたルールに基づいて、自分部隊の移動や行動を決断し、モスクワ攻防戦の勝者となることを目指します。

(『歴史群像 2018年 08 月号』より引用)

 

ちなみにこちらの戦いは、3か月ほど続いた戦いで、結果的にソ連軍が勝利を収めています。このゲームでも終盤に訪れる「冬将軍」とどう戦うかなどしっかり史実も盛り込まれているので、「もしドイツ軍が勝っていたら」と思いを馳せながら楽しんでみると良いかもしれませんね。

 

ミリタリーよりヒキコモリーな生活を送っている私が、5時間のゲームを通じて今まで怖いと思って避けていた戦争映画を見なければと、謎な使命感に駆られるようになりました。当たり前ですが、私は戦争体験をしていません。これからもできればしたくありませんが、「どんなことであれ、これまでの歴史があったから私がいる」ということを深く感じられました。

 

【書籍紹介】

歴史群像 8月号(№150)

著者:歴史群像編集部
発行:学研プラス

太平洋戦争、戦国合戦、西洋戦史、現代紛争。古今東西の「戦い」をテーマに歴史の真相に鋭く切り込むナンバー1戦史マガジン! 読み応え満点の特集記事を4本(通常号では異なる時代、ジャンルから厳選した3本。今月号は記念号のためドイツ陸軍大特集号となっており、構成が異なります)。を始め、独自の切り口で「発見」のある記事満載。オリジナルなビジュアルにこだわったカラー記事も充実!

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【朝の1冊】「壬生浪士組」に「甲陽鎮撫隊」と名前が変わった幕末の団体とは?

団体名というのは、最初に付けたときから変わらない場合と、さまざまな状況により変更していく場合がある。

 

プロ野球チームの場合、オーナー企業が変わると球団名も変更される。バンドもメンバーの脱退や、再デビューの際にバンド名を変えるということもよくあることだ。イギリスのバンド、カジャグーグーからボーカルのリマールが抜けて「カジャ」に改名したときは、「リマールはグーグーだったのか」と思ったものだ。

 

 

「壬生浪士組」結成

「壬生浪士組」(みぶろうしぐみ)、「甲陽鎮撫隊」(こうようちんぶたい)。実はこの2つの団体名は、日本の歴史上において有名な団体の変更前、そして変更後の名前だ。わかるだろうか。

 

正解は「新選組」だ。

 

歴史に詳しい人ならばすぐにわかることかもしれない。しかし、歴史にとても弱い僕は、今回マンガで読める日本の伝記『新選組』(大石 学・監修、ひのみち・絵、こざきゆう・脚本/学研プラス・刊)を読んで、新撰組が3回名前が変わっていることを初めて知った。

 

1862年(文久2年)、当時の政治の中心地であった京都は、周囲の藩から尊王攘夷、倒幕運動の志士が集結。その結果、京都所司代と京都町奉行では防ぎきれないと判断。清河八郎が、徳川家茂将軍の上洛の際に、将軍警護の名目で江戸において浪士を募集した。

 

1863年(文久3年)2月8日に「浪士組」として200人あまりの浪士が江戸を出発。2月23日の京の壬生村に入ったところ、清河八郎は浪士組を天皇配下の兵にしようと画策。それに反発した近藤勇、土方歳三、沖田総司などが京都に残ることを決意。このとき、会津藩主の松平容保の下、京の警護を任される。このとき付けられた名前が「壬生浪士組」だ。

 

 

「新選組」? 「新撰組」?

同年8月18日、会津・薩摩両藩の「公武合体派」が、「尊王攘夷派」の長州藩と公家の一部を京から追放。俗に言う「八月十八日の政変」の歳に、松平容保より「新撰組」の名前をいただく。

 

ちなみに「新撰組」と書く場合と「新選組」と書く場合があるが、どちらも実際に使われていたようだ。

新選組の隊名には「選」と「撰」の字の両方が使われていた。局長の近藤自身が両方を使っており、会津側に提出した書面には「新選組惣代 近藤勇」と書いていた。なお、会津藩側が組に送った書状には「撰」が多用されていたといわれる。

(『新選組』より引用)

以前から、どちらが正解なんだろうと思っていたが、結局どちらでも正解だったようだ。

 

 

戊辰戦争で「甲陽鎮撫隊」に

1867年(慶応3年)10月、徳川慶喜将軍が大政奉還を行う。新選組は戊辰戦争で新政府軍に敗北。戦力が低下した結果、新政府軍の甲府進軍を阻止する任務に就く。そのとき「甲陽鎮撫隊」となる。

 

ほどなくして、近藤勇は新政府軍にとらわれ処刑、沖田総司は結核で死亡、土方歳三は蝦夷地へ向かい新政府軍と対立。最後は弁天台場での戦いで戦死。ほどなく降伏。これが箱館戦争だ。

 

 

命をかけて己を貫くのはすごいことだ

幕府のためにつくすという一心で、急変する時代の波に翻弄されながらも、それぞれの武士道をただただつらぬき通した新選組。

(『新選組』より引用)

新選組の歴史を追ってみると、愚直なまでに自分たちの信念を貫いたんだということがわかった。時代の移り変わりにより、周囲が寝返ったり思想を変えたりするなか、新選組のメンバーは常に幕府に尽くしてきた。その忠誠心は「誠」という旗に記された文字にも見て取れる。

 

命をかけて己を貫く。そんな生き方には憧れるが、心身ともに軟弱な僕には新選組は荷が重すぎる。やはり、彼らはすごいとただただ感心するばかりだ。

 

【書籍紹介】

新選組

著者:大石 学(監修)、ひのみち(作画)、こざき ゆう(脚本)
発行:学研プラス

伝記まんがシリーズに、大人気の剣豪集団・新選組が登場。幕末の世を高き志に忠実に生きた熱き男たちの姿を描く。

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【今日の1冊】「強敵」と書いて「とも」と読む。人生にはライバルが必要だ――『最強ライバルビジュアル大百科』

「お友達と仲よくするのよ」

 

多くの子供達は、そう言われて育つものだろう。 人間というのは一人では生きていくにはあまりに弱い。私自身、辛いとき、悲しいとき、家族や友達に助けてもらいながらなんとか毎日を乗り越えてきた。たった一人で荒野に立ち尽くしているような気持ちでいるとき、そっと背中に手を当ててくれる味方ほど有り難いものはない。

 

 

ライバルも大切な人間関係だ!

しかし、味方だけが貴重な存在というわけではない。人間同士は激しくぶつかり合う必要もある。たとえ望んではいなくても、敵と味方に分かれて戦わざるをえない状況に陥ってしまうときも多い。

 

歴史をひもといてみても、ライバル関係にある人々が古今東西を問わずに激突していることがよくわかる。『最強ライバルビジュアル大百科』(入澤宣幸、田代脩・著/学研プラス・刊)は、そんなライバル関係を考察した本だ。

 

埼玉大学名誉教授である田代修の監修を得て作成されたものだが、扱う時代も卑弥呼の時代から水木しげるまでと、まさに古代から現在までと長きにわたり、ライバルが数珠つながりで歩いているようだ。

 

 

ずらりと続くライバルたち

取り上げられているライバルがあまりに膨大なので最初は圧倒されてしまうかもしれない。それでも『最強ライバルビジュアル大百科』は活躍した時代ごとにライバル関係がくっきりと分けてあるから、順を追って読んでいけば挫折することはないだろう。章ごとにごく簡単に説明すると、以下のようになる。

 

第1部 古代
卑弥弓呼VS卑弥呼から始まり、聖徳太子VS蘇我馬子、最澄VS空海などを経て、平清盛VS後白河上皇まで。

第2部 中世 
源義経VS平教経から始まり、北条時宗VSフビライ、一休VS蓮如、織田信長VS足利義昭などを経て、北政所VS淀殿VS初VS江まで。

第3部 近世
真田昌幸VS徳川家康から始まり、徳川家光VS天草四郎、篤姫VS和宮を経て、坂本龍馬VS新撰組まで

第4部 近代・現代
西郷隆盛VS徳川慶喜から始まり、伊藤博文VS板垣退助、山本五十六VS東条英機を経て、水木しげるVS手塚治虫まで

 

多くのライバルたちが、歴史という巻物の上で対峙しているようで、ページを繰る手が早くなることだろう。

 

索引+数々の工夫が嬉しい

巻末に便利な索引がついているため、見たい人物をたやすく逆引きできるのも魅力だ。それだけではない。他にも、数々の工夫が凝らされている。いくつかあげてみよう。

 

1.ライバルのグループ分け:日本の歴史の中で、ライバル関係にあったと思われる、主な人物やグループを選び、時代ごとに分けてある。

2.人物の想像画がある:必ずしも歴史的に正確ではないと但し書きはついてはいるが、劇画調のイラストは胸に響くし、難しい名前の人物も、ビジュアルで示されるとわかりやすい。

3.人物の名前:呼び名がいくつかある場合は、代表的な名を用いているので、混乱を防ぐことができる。

4.勝敗が示される:ライバル関係であるからには、勝敗はつきものだ。しかし、勝ったのか、負けたのか、判断が難しい場合もある。その場合は「不明」とするのも納得できる。「引き分け」も多い。人間関係は、そうは簡単に勝ち負けで判断できないものだということだろう。

 

 

時代劇にも便利な一冊

時代劇を見ていると、物語に集中したいのに人間関係がわからなくなり、「えーっと、これは誰だっけ」となることがある。そんなときも、『最強ライバルビジュアル大百科』があれば「あ、そうだった!」と、気づくことができる。頭の中にある記憶の断片をつなぐのに役立つのだ。

 

歴史の暗記が苦手な人でもこの本を眺めてさえいれば、ウンウンうならずとも自然とライバルたちの人生が頭に入っていくだろう。歴史の試験が苦手な学生にはぴったりかもしれない。暗記しようと張り切らなくても、大河ドラマが頭に流れ込んでくるようなものだからだ。

 

たとえば、現在、大河ドラマで話題の西郷隆盛については、3組ものライバル関係が取り上げられている。

 

まずは、西郷隆盛VS徳川慶喜のライバル関係。これは、新政府軍を指導した西郷隆盛の勝利に終わっている。徳川慶喜も戦いを受けてたったものの、結局は戦意を失い、静岡で静かな生活を送ることとなった。

 

次に、勝海舟VS西郷隆盛のライバル関係。これは引き分けのまま終わったとされている。勝海舟は西郷隆盛に直接会い、江戸城の無血開城を成し遂げたからだ。

 

最後に、大久保利通VS西郷隆盛のライバル関係。彼らは同じ新政府のリーダーとして友好な関係を築いていたが、やがて対立。西郷隆盛は故郷の鹿児島で政府に対して西南戦争を起こすも敗れて自害。二人の戦いは大久保利通の勝利で終わった。

 

 

あなたのライバルはどんな人?

多くのライバル達が対立したり和解したりする様は、現在にも通じる関係である。時代が変わっても人間関係は、その根底のところでは変わらないということだろうか。

 

ライバル関係とは相手を意識することであり、敵対視しつつも、なくてはならぬ人間だと認めていることでもある。勝ち負けではっきり決めることができない関係も多く存在する。時に激突し、また時に歩み合う、それがライバル同士の姿であり、人が生きてる限り続く、人間関係だと言えるだろう。

 

あなたにもライバルがいるだろうか? それはどんな人だろう。
ライバルと良い関係を築いているだろうか? 自分で自分に聞いてみよう。

 

ライバル、それはあなたと対立しながらも、あなたを支えるものでもあるだろう。

 

【書籍紹介】

最強ライバルビジュアル大百科

著者:入澤宣幸、田代脩
発行:学研プラス

古代から現代に至るまで、80以上の日本史の重要人物とそのライバルの対決を迫力満点のイラストとエピソード、人間関係や社会情勢などがよくわかるコラムで紹介。時代を超えた人物同士の夢のライバル対決ページや、勢力同士のライバル関係なども掲載。

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【今日の1冊】漫画家・谷口ジローが教えてくれるガイドブックにはないルーヴル美術館の魅力――『千年の翼、百年の夢』

フランスでは“漫画”が芸術として高く評価されているのをご存じだろうか? 近頃は図書館、大手書店ではMANGAのコーナーはどんどん拡張している。そもそもベルギー、フランスなどフランス語圏にはB.D.(バンド・デジネ)と呼ばれる独自の漫画文化があり、代表的な作品には『タンタンの冒険』がある。

 

日本の漫画家も彼の地では大人気で、中でもレジェンドと呼ばれ、高く評価されているのが谷口ジロー氏だ。2011年にはフランス政府芸術文化勲章シュヴァリエも受章していて、昨年、逝去の際はフランスのどのメディアも大きなニュースとして扱っていた。

 

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ルーヴル美術館のBDプロジェクト

さて、パリの美術の殿堂といえばルーヴル美術館。かつては歴代フランス王の宮殿だったが、これをそのまま利用し、1793年に美術館として公開された。収蔵品も多く、開館以来、世界中の人々を魅了し続けている。

 

そのルーヴル美術館に“ルーヴルBDプロジェクト”というものがある。漫画を芸術として認め、その漫画を通じてルーヴル美術館の魅力を世界に発信しようと近年にはじまった企画だ。

 

ルーヴル側が必要な資料を提供し、作家たちにはルーヴル美術館をテーマにした作品を自由に描いてもらうという新しい試みだ。著名な漫画家たちがコラボしてきたが、その中でも、絶賛されたのが、谷口ジロー氏の『Les Gardiens du Louvre』(ルーヴル宮の守り人)という作品。『千年の翼、百年の夢』(谷口ジロー・著/小学館・刊)はその日本語版だ。

 

豪華版とコミック版が出ているが、谷口氏が描く、パリの風景、ルーヴル宮、そして名画の“モナ・リザ”や“モルトフォンテーヌの思い出”などをじっくりと鑑賞するには、やはりオールカラーの豪華版をおすすめしたい。

夢と現の間にあるもの

誰でもそうだと思うが、美術館に足を踏み入れると時間が止まったように感じるものだ。そして作品を鑑賞しているとその感覚はさらに過去へ過去へと遡っていく。本書で谷口氏が描いたのも、そんな夢想の中の時空、夢よりもずっと現実によりそった次元の物語だ。

 

主人公の作家は、ヨーロッパの出張帰りにパリを訪れるが体調を崩し、ホテルで寝込んでしまう。なんとか回復し、ルーヴル美術館に行ったものの、その広さと、入場者の多さに酔ってしまい、気を失ってしまう。そこに「ムッシュー、どうしました? 大丈夫ですか?」と現れたのが、ルーヴルの守り人だった。不思議と人ごみが消え、静まり返った館内。守り人に導かれ、作家はひとり“モナ・リザ”と対面することができた。普段、モナ・リザの部屋はあまりにも人が多く、絵を鑑賞できる雰囲気ではないのだ。

 

「でも、なぜ? 僕は……」と作家が問うと、守り人は言った。

 

ルーヴル宮は、夢の迷宮、夢と現の間にあります。気の遠くなるほど長い歴史の中、古代から19世紀までの多くの美術品が収集されてきました。それらひとつひとつのものには魂が宿ります。展示されるもの、されないものすべてのものに。何百年も私はここでとても多くのものを見てきました。そして私たちは守り続けているのです。

このルーヴル宮を訪れるたび、あなたは夢の続きを見ることでしょう。

(『千年の翼、百年の夢』から引用)

 

そして、「あなたは誰?」に、守り人は応える「サモトラケのニケよ」と。

 

サモトラケのニケはギリシャ文明の大理石の彫像。ルーブルのドゥノン翼とシュリー翼の間、ダリュの階段の踊り場に、この「勝利の女神」は翼を広げて立っている。実物には頭部はないが、谷口氏の漫画では顔まで丁寧に描かれている。

 

 

コロー、ゴッホなど巨匠たちもよみがえる

主人公の奇妙な体験は、さらに続く。フランス絵画の数々を鑑賞し、19世紀フランスの画家カミーユ・コローによる名画“モルトフォンテーヌの思い出”に見入っていると、いつの間にか隣にひとりの日本人が立っていた。それは浅井忠、1900年のパリ万博にあわせてフランスに留学していた明治時代の画家だ。浅井氏が最も尊敬した画家がコローだったのだ。

 

そこに再びルーヴルの守り人が現れ、作家はいつの間にか森の中に浅井氏とともに去っていた。

 

素描の森ですよ。コローの。(中略)自然の中に、自然を越えた美の秩序をとらえなければならない。素描は画家にとっては大切な仕事です。素描がなければ絵画は成り立ちません。

(『千年の翼、百年の夢』から引用)

 

そして視線の先にはデッサンをするコローがいて、こちらを振り返り微笑み返すという、読み手にとってワクワクする展開が続く。

 

さらに、本書には私たち日本人が大好きな画家ゴッホも登場する。主人公がゴッホの最期の地、オーヴェル・シュル・オワーズを訪ねると、過去の世界に紛れ込みそこにゴッホが現れ、会話をし、なんと部屋にまで案内されるのだ。そして一枚のデッサンに目が留まる。

 

これは今とりかかっている絵だ。『ドービニーの庭』だよ。まだスケッチだけど。色はね、こんな風にイメージしている。前景は緑とピンクの草地、左手には緑と薄紫の木の茂み。真ん中はバラの花壇

(『千年の翼、百年の夢』から引用)

 

と熱く語るゴッホ。谷口氏は漫画の中でゴッホを見事によみがえらせているのだ。

 

 

ルーヴルは不思議の迷宮

本書では、第二次世界大戦中にドイツ軍の侵攻から美術品を守る作戦中にタイムスリップし、モナ・リザやサモトラケのニケなどをパリから安全な地方へと搬送した様子も克明に描かれている。

 

また、ラストのクライマックスでは主人公が震災で失った妻とルーヴル美術館の中でつかの間の再会を果たす、という展開にも感動させられる。守り人は言った。

 

記憶です。それは現のなかの識閾が覚醒させたものです。あなたに喜びを感じてもらいたかった。光を…生きるということ生きてここにあるということ。ささやかなほんの小さなものにも”生”の時があり、物語がある。ものに宿る魂への鎮魂…、あなたはそれらの間を見ることができたのです。

(『千年の翼、百年の夢』から引用)

 

この漫画を読み終えると、ルーヴル美術館にたまらなく行きたくなる。私もその中のひとりだ。

 

【書籍紹介】

千年の翼、百年の夢

著者:谷口ジロー
発行:小学館

『孤独のグルメ』の谷口ジローが描く“孤独のルーヴル”!! ルーヴル美術館&オリジナル誌の共同企画。ヨーロッパで絶大な人気を誇る谷口ジローが挑む美術史の迷宮。ゴッホやコローなど巨匠たちが麗筆で蘇る!! 芸術家たちの魂が集う、美の迷宮ルーヴル美術館を訪れた作家は、ルーヴルの守り人に導かれ、美術史の旅に出る。ゴッホ、コロー、など巨匠たちと出会い、言葉を交わした作家が、最後に出会う人とは…!?

 

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【今日の1冊】高杉晋作の愛人おうのに見る、男に愛される3つのポイント――『高杉晋作』

『SIDOOH(士道)』(髙橋ツトム・著/集英社・刊)というマンガを勧められて読み、高杉晋作にすっかり惚れてしまった。勝つのが困難だと言われた幕府との戦いを、深夜の奇襲で一気に有利に運んだり、三味線弾きながらレヴォリューション! と叫んだりと、何をするにもドラマチックな人だったのだ。そんな高杉晋作が惚れ抜いた女がいるというのだからうらやましくなり、名将に愛される女の条件について探ってしまった。

 

 

ひたすら好き

時代小説『高杉晋作』(三好徹・著/学研プラス・刊)によると、幕末の武士で、女を連れて旅先にまで出向いたのは、坂本龍馬と高杉晋作だけだったという。龍馬が連れていたのは妻のお龍であったが、晋作が連れていたのは妾である、おうのだった。もともとは芸者だった彼女を水揚げし、自分の女としたのである。晋作は彼女と逃避行をしたり、金比羅参りに出向いたりもしている。

 

この、おうのという女性、どの本を読んでも、デキた女だとは書かれていない。文字も読めないだとか、ひどいものだとちょっと鈍いとかのろいとまで書かれている。『高杉晋作』でも、おうののことは「おっとりしている」と記されている。お龍は龍馬に危機を知らせにいくような機転の利く女性だったが、おうのはそうではなかったようだ。では、なぜ晋作は彼女を愛したのか。それはおうのが一心に晋作を慕っていたかららしい。一途に愛されると男は弱いのだろう。

 

 

黙っている

おうのは余計なことは言わず、黙って晋作に従っていたという。時代小説『晋作 蒼き烈日』(秋山香乃・著/NHK出版・刊)では「こちらが話しかけねば、おうのはいつまででも黙っているから、好きなだけ黙考できる」と書かれているし、『高杉晋作』のほうでは「本当は、かなりの苦労をしたらしいが、それを決して表にあらわさない」とそのおとなしいさまを高く評価している。

 

幕末の女なので、惚れた男に何か言われたらそれに従うしかないのかもしれないけれど、おうのの場合、誰に何を言われても逆らわないような気質だったという。けなげに晋作に惚れ抜いていた彼女の姿からは、裏切りなど微塵も見えない。常に裏切りや報復などの話に満ちていたであろう時代で、晋作がほっとできる唯一の人がおうので、だからこそ側から離したがらなかったのかもしれない。

 

 

死後も愛する

高杉晋作は27歳という若さで肺結核で亡くなってしまったのだが、おうのは彼の死後は尼となり、67歳で亡くなるまで彼の墓をずっと守って生きたという。晋作は自分が死んだ後に身寄りがなくなってしまう彼女の身を案じ、支援者に「おうのを頼む」と頭まで下げている。なので周辺の人々も、その思いを引き継ぎ、墓守りになった彼女を支え続けたのかもしれない。

 

晋作とおうのは、死の間際には引き裂かれる。本妻が晋作のもとにやってきて、世話をするようになったからだ。『高杉晋作』によると、それでも彼女に会いたい晋作は、病の身をおしてカゴを出し、おうののところへ向かう。けれど道中で苦しみだし、たどり着くことはかなわなかったそうだ。自分を心底慕ってくれた女性のことを、晋作も最期まで求めていたのだろうとわかる、感涙のエピソードだ。

 

かしましく忙しい現代の女性に、おうののようであれと言うのは難しいことかもしれない。男女平等の現代、自由になるお金が増えたせいもあるのか、男遊びや不倫に耽る女性も増え、貞淑という概念は遠くなりつつあるかのようだ。

 

とはいえ、とある女優の姿浮かぶ。綾瀬はるかさんだ。彼女はおっとりとしていて、あまりしゃべりすぎず、人を裏切るようなこともしなそうなイメージだ。優しく温かい雰囲気の彼女は、結婚したい芸能人ランキングでも常に上位にいる。古くから日本男児が惚れる女というのは、こういうタイプなのかもしれない、と思うと彼女の人気も納得がいくのである。

 

【書籍紹介】

高杉晋作

著者:三好徹
発行:学研プラス

一口に維新回天の大業というが、長州藩が窒息死寸前の状態から息を吹き返し、討幕を成しとげることができたのは、晋作の功山寺決起が成功したからだった。高杉晋作に心を惹かれ、萩、山口、下関、博多などを再度たずねて余すことなく描き切る渾身の一作。

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【今日の1冊】じつは空海はいまも生きている――「最強! 日本の歴史人物100人のひみつ」

私は旅行が大好きだ。雑誌の取材はもちろん、プライベートでもあちこちに旅行にでかけている。今年のゴールデンウィークに、関西のとある温泉地に行ったとき、その温泉に「弘法大師が発見した」という伝説があることを知った。

 

 

ゆかりの温泉が各地にあるワケ

弘法大師とは、空海のことだ。実は、「弘法大師が見つけた温泉」は「武田信玄の隠し湯」と並んで、全国各地にある伝説なのである。これほどの温泉を見つけている空海、なかなかの温泉マニアである。「マツコの知らない世界」にゲスト出演してもいいレベルだろう。

 

もちろん、これらの伝説はあくまでも創作だろう。空海は中国から密教を日本に伝え、真言宗の開祖となった高僧だ。伝説がたくさんあるということは、それだけ尊敬されているという証拠でもある。

 

 

空海は超能力者!?

そんな空海だが、超能力者として描写されることも多い人物なのだ。「最強! 日本の歴史人物100人のひみつ」(大石学・監修/学研プラス・刊)から興味深いエピソードを紹介しよう。

 

空海が遣唐使として、中国に渡ったときのことだ。子供に言われるがまま、空海が流れる水の上に“龍”という字を書いた。最後の一画を書き終えると、なんと、文字が本物の龍になったというものだ。

 

空海にまつわる神秘的なエピソードは事欠かない。超能力者であったのならば、温泉をどんどん発見したという伝説にも納得がいくというものだ。

 

 

筆を投げつけて文字を直す

こうした伝説が生まれたのは、空海が万能人だったことが背景にある。僧としての業績は言わずもがなだが、学校の建設を行ったり、田んぼや畑の整備をすすめたり、さらには文字の上手さでも抜きんでていた。

 

“弘法にも筆の誤り”という言葉がある。弘法とはもちろん空海のことだが、どんな達人でも誤りを犯してしまうということの例えだ。

 

空海は平安京の応天門の額に字を書いたとき、間違って点をひとつ書き忘れてしまった。空海は下から筆を投げつけて完成させたといわれる。それにしても、門の下から筆を投げて命中させるなど、やはり超能力者としか思えない!

 

 

空海は今も生きている!?

さて、真言宗の聖地といえば、高野山だ。世界遺産にも登録されている高野山は、山全体が霊場である。ここにある「奥の院」は、日本屈指のパワースポットのひとつとして有名だ。

 

奥の院を訪れると、鬱蒼とした木々に囲まれ、静かな雰囲気が漂っている。訪れた誰しもが、明らかにここは空気が違うと感じることだろう。

 

空海は835年に亡くなったとされる。しかし、この奥の院では今も空海が生きて、生身のままで瞑想を続けているというのだ。そのため、1日2回、僧が食事を用意する光景が毎日続いている。高野山の奥地で、空海は今もなお私たちを見守ってくれているのである。

 

 

【書籍紹介】

最強! 日本の歴史人物100人のひみつ

著者:大石 学(監修)
発行:学研プラス

小学生の興味が強いテーマを、よりわかりやすく・より楽しく見られるように情報を精選して紹介する「SG100」シリーズ。第5弾は日本の歴史人物。古代から明治時代にかけて100人を厳選。人物像がわかるエピソードと大迫力のイラストのビジュアル百科。

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【今日の1冊】あの偉人達もじつはポンコツだった!?――『しくじり歴史人物事典』

ポンコツと決めつけるほどの理由にはならないとしても、欠点は誰にでもある。ただし、決定的な場面で出てしまうと強いインパクトが残り、“そういう人”というレッテルを貼られがちだ。ほかがいかに立派であっても、ポンコツな部分にまつわるネガティブな刷り込みが消えることはない。むしろその人の本質として認識されるようになる。

 

 

『しくじり先生 俺みたいになるな!!』

テレビ朝日系で放送されていた『しくじり先生 俺みたいになるな!!』という番組が好きだった。アスリートでは村主章枝さんや亀田興毅さん、芸能人ではルー大柴さんや斉藤こず恵さん、そして文化人なら茂木健一郎さんや堀江貴文さんといった面々が出演し、大成功の後にやってきた大失敗について語り、そこから何かを学ぼうという内容だ。

 

番組で取り上げられたのは、上で紹介したような現代日本の有名人だけではない。アインシュタインやエジソン、そして日本人なら伊能忠敬など歴史に名を残す偉人たちの見事なまでのしくじりっぷりも紹介されていた。冒頭で触れたように、偉大な業績を残している人に限って、ほんの少しのしくじりがクローズアップされがちな傾向は否めない。結果として、何百年という信じられないほど長い時間にわたっていじられ続けることになる。

 

 

ポップな歴史書

日本史を彩る数多くの偉人たちの知られざる一面を掘り下げていく『しくじり歴史人物事典』(大石学・監修/学研プラス・刊)は、ポップな歴史書といった趣の一冊だ。構成を見てみよう。

 

第1章 作戦でしくじった! (織田信長はじめ5人)

第2章 能力足りずにしくじった! (蘇我入鹿はじめ5人)

第3章 極端すぎてしくじった! (平清盛はじめ7人)

 

また、それぞれの人物についての解説が以下のような同じ項目で展開されていく。

 

・人生すごろく(一生をすごろく風に紹介する簡単な年表)

・しくじりでござる(“しくじりポイント”を偉人自らが解説)

・みんなのコメント(偉人の関係者から集めたコメント集)

 

児童書なのだが、大人もニヤリとしてしまう。そのニヤリとしてしまうポイントを中心にして、まずは第1章に収録されている織田信長についての項目に触れていこう。

大人がニヤリとする作り

まずは「人生すごろく」。ちょっと気の利いたキャッチフレーズに続き、人生がすごろくになぞらえて説明されていく。ところどころに大きな出来事がちりばめられているので、全体を漠然と眺めるだけで、特に意識して覚えようとしなくても重要な点は頭に入るはずだ。

 

しくじりに関しては、やはり本能寺の変がクライマックス。文章だけでは頭に入りにくいかもしれない情報も、この本のように切り口や角度を変えた形で示されると抵抗がない。締めくくりとして記されるのが、本人による反省の言葉だ。

 

「小さな心のスキが大きな失敗をまねく」

『しくじり歴史人物事典』より引用

 

筆者が一番ニヤリとさせられたのは、3つ目の項目「みんなのコメント」。織田信長その人を評する関係者のみなさんはルイス・フロイス(宣教師)、豊臣秀吉、そして徳川家康。それぞれの立場からそれぞれの言葉を語る。ちなみに、コメントの内容には史実として残されているものにひとひねりアレンジが加えられている。特に刺さったのは、ルイス・フロイスの次のようなひと言だ。

 

「自信過剰で、人の意見を聞かないんです」

『しくじり歴史人物事典』より引用

 

多くの戦国武将たちと交流のあったフロイスは、信長について「傲慢で名誉心が強く、家臣の言うことをほとんど聞かない」という文章を実際に残しているようだ。指導者としてネガティブな要素であることは間違いない。でも、筆者はこのひとことで、信長という人間にさらなる魅力を感じた。古き良きアメリカのロックスターみたいだ。フロイスのコメントには、こんなものもある。

 

「とても清潔でキレイ好き。屋しき内も整とんされていました」

『しくじり歴史人物事典』より引用

 

誰の言うことにも耳を貸さないイケイケ戦国武将が、実は清潔でキレイ好き。家の中もせっせと整理整頓してました。想像すらできないギャップである。歴女と呼ばれる人たちはこういうところに萌えるのかな、なんて思いながら読み進む。

 

 

歴史って、あえて勉強するものじゃないのかも

2022年、高校の歴史教育のカリキュラムが見直されることが決まっている。「歴史総合」という新科目が必修科目として導入される方向性は既定路線だ。

 

「歴史総合」という科目はこれまで別の科目だった日本史と世界史を融合したものになるらしい。その結果、ひとつの科目の中でカバーするべき領域からあふれてしまうものが出てくる。受験のための情報としてのプライオリティを軸にすると、坂本龍馬や大岡忠相、武田信玄、上杉謙信、吉田松陰といった大スター級の人々が漏れてしまう可能性が大きいことが明らかになった。

 

偉人の人間らしさは、受験には直接関係ない。そうだけれども、歴史の面白さの核となるのはまさにその部分に関するエピソードではないだろうか。人間らしさという要素をピックアップして見せる『しくじり歴史人物事典』のアプローチこそが、実は歴史の学習メソッドとして王道なのかもしれない。興味が持つことができれば、さらに知りたいという気持ちも芽生える。

 

何十年か後の時代、「歴史総合」という新科目の導入が“しくじり”として認識されていないことを祈るばかりだ。

 

【書籍紹介】

しくじり歴史人物事典

著者:大石 学(監修)
発行:学研プラス

日本の歴史を動かした“すごい”偉人たち。そんな彼らの思わずツッコミたくなる“しくじり”にスポットをあて、ゆるいイラストとともにゆるく紹介。読めば読むほど、愛すべき人物に見えてくるから不思議です。笑えてじつはタメになる人物事典。

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モーツァルトは下ネタばかり、アンデルセンは豚肉恐怖症――『ざんねんな偉人伝 それでも愛すべき人々』

子どものころ、いわゆる歴史上の偉人の伝記を数多く読んでいた。湯川秀樹、キュリー夫人、野口英世、夏目漱石などなど、確かうちに全集のようなものがあったので、それを片っ端から読んでいた。

 

やはり、後世に名前を残すような人たちは、とても努力をし、逆境を乗り越え、普通の人にはできないようなことを成し遂げたんだ。偉いなー。そう思っていた。

 

偉人はちょっと変わった人が多い?

大人になると、偉人と呼ばれている人たちも、実はお金や女性にだらしないといった面があったり、それほどいい人ではなかったというようなこともわかってきた。まあ、聖人君子というのはそうそういないだろうし、何か大きなことを成し遂げるには、多少逸脱した思考回路みたいなものが必要なのかもしれない。

 

ざんねんな偉人伝 それでも愛すべき人々』(真山知幸・著/学研プラス・刊)という書籍は、偉人の残念なエピソードが満載だ。

 

たとえば、モーツァルトがおしりとかうんちのことばかり書いた手紙を大量に書いていたりとか(小学生か!)、豚肉恐怖症やデンマーク風果実スープ恐怖症、広場恐怖症、旅券恐怖症など、とにかく恐怖症のデパートだったアンデルセン、清貧のイメージがあるが実は割と俗っぽい宮沢賢治とか、残念極まりないエピソードが目白押しだ。

 

でもまあ、才能のある人というのはどこか常人とは違うところがあると思うので、多少のことはしょうがないのではないだろうか。

 

天才画家・ダリの無銭飲食テクニック

そんな残念エピソードのなかで、僕がおもしろいなと思ったのが、画家のサルバドール・ダリだ。彼は自己プロデュースに長け、マスコミへの露出も多かったという。かなりの売れっ子でお金持ちだったようだが、セコい一面もあったという。

 

レストランに友人らを呼んでごちそうをすることもあったというが、支払いには必ず小切手を使っていたそうだ。しかし、そこがポイント。

 

ダリは、その小切手の裏に、ウェイターの目の前で落書きをするようにしていた。落書きとはいえ、天才画家のスケッチである。たいていのレストランの支配人は、小切手を額に入れて飾るため、換金されることはない。

(『ざんねんな偉人伝 それでも愛すべき人々』より引用)

小切手も換金されなければ支払いが発生しない。ゆえに支払いが無料になるということだ。

 

真似しようと思っても、小切手が使えないし、有名人でも天才画家でもない。ダリならではのテクニックといえる。

 

偉人は変わり者が多いようで、この書籍には65人の国内外の偉人が登場する。こういうのを読むと、僕のようなだらしない人間はとても安心する。

 

ただし、真似しようと思ってはいけない。時代が違うし、そもそも豪快で極端なエピソードが多いので、現代で同じようなことを一般人がやったら、すぐ社会から抹殺されるかもしれない。

 

あくまでも、「昔の偉い人はおもしろいなー」くらいでとどめておくのが一番だ。

 

 

【書籍紹介】

ざんねんな偉人伝 それでも愛すべき人々

著者:真山知幸
発行:学研プラス

エジソン、野口英世、アインシュタインら、歴史を変え、時代を作った天才たち。しかし、彼らの素顔は、失敗を繰り返し、トンデモ行動のオンパレードの超変わり者だった。それでも、彼らが時代を超えて愛される理由とは?驚きながら楽しく読める、新しい伝記。

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『世界遺産の街を歩こう』――GW、家にいながら「世界遺産」をバーチャル・トリップしてみませんか?

世界遺産の街を歩こう』(学研パブリッシング・編/学研プラス・刊)は、街や地域全体が世界遺産に登録されている場所を49ヵ所厳選し、紹介した本。もし、このGWどこにも出掛けられず家でため息をついている方がいたら、ぜひおすすめしたい。美しい写真を眺めているだけで旅した気分に浸れること間違いなしの一冊だ。もちろん、これから旅に出掛ける方にはガイドブックとしても使える。

 

 

 

意外と知らない世界遺産の基本とは?

2017年の時点で、世界遺産総数は1073件。「祝!○○が世界遺産に登録!」というニュースが毎年のように飛び込んでくるが、そもそも「世界遺産って何?」と聞かれて、あなたはそれを明確に答えられるだろうか? 本書ではこの基本を詳しく解説している。

 

世界遺産誕生のきっかけとなったのが、1960年に着工されたエジプト・ナイル川のアスワン・ハイ・ダムの建設だ。これによってヌビア遺跡が水没する恐れがあったため、遺跡内のアブ・シンベル神殿を移築することとなった。その後、歴史的価値のある遺跡や建築物を、国際的な組織によって守ろうという機運が生まれたのだ。

(『世界遺産の街を歩こう』から引用)

 

世界遺産とは、自然と人類の歴史によって生み出され、過去から引き継がれ、次世代に受け継ぐべき貴重な文化財や自然環境のことを指す。1972年のUNESCO総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づき、世界中の顕著で普遍的な価値のある文化遺産、自然遺産が選ばれることとなった。

 

ちなみに記念すべき世界遺産第1号は、アメリカのイエローストーン国立公園やエクアドルのガラパゴス諸島など12件だった。

 

 

街全体が世界遺産とは?

この本で厳選し紹介している世界遺産49件は、街やエリア全体が世界遺産として登録されているところだ。

 

「旧市街」、「歴史地区」、「古都」といった名称で呼ばれ、古くからの建物が密集している地域一体を指す。その地域のなかでも、特に重要とされる宮殿や寺院などの建物はリストのなかに記載されているが、ベンチや公衆トイレ、電話ボックスはどうかといえば、厳密な定義は成されていない。いずれにせよ、世界遺産の街では景観を壊すことがないようにさまざまな工夫が成されており、そうした努力の痕跡を見つけ出すのも、旅の楽しみの一つといえよう。

(『世界遺産の街を歩こう』から引用)

 

本書では、さらに世界遺産に登録されるための“登録基準”についても詳しく解説している。

何度でも行きたくなるヨーロッパの歴史散歩

本書ではヨーロッパで34件の世界遺産の街が紹介されているが、私が何度も訪れているにもかかわらず、また行きたいと思うのが、「北のヴェネツィア」と呼ばれるベルギーの“ブルージュ歴史地区”だ。

 

私たち家族は長年パリで暮らしていたが、日本からのお客が来るとパリ案内をしたあとは、必ずブルージュに連れて行った。パリから車で北に向かって2時間半走るとブルージュに着く。

 

ベルギーの北西部にあるこの街は「水の都」、「北のヴェネツィア」など、さまざまな異名で美しさを称えられる古都で、運河では白鳥が戯れるとてもロマンティックな街。連れて行った親族や友人たちは皆、ここが気に入り「わぁ~、素敵な街ね。さすが世界遺産」と言っていたものだ。

 

ブルージュの起源は、九世紀に初代フランドル伯のボードゥアン一世が築いた城塞とされる。切り妻屋根のフランドル地方特有の家々と、教会や鐘楼が建ち並び、街中には運河が流れている。そんな中世にタイムスリップしたような街並みは、「屋根のない美術館」とも称されている。

(『世界遺産の街を歩こう』から引用)

 

ブルージュでは観光用のボートに乗って街中を流れる運河をクルーズすると、この街の美しさを堪能できる。この他に厳選されているのが、北・西ヨーロッパ編では、イギリス・エディンバラ市街、フランス・パリのセーヌ河岸、スイス・ベルン旧市街、オーストリア・ウィーン歴史地区など8ヵ所。

 

南ヨーロッパ編では、バチカン市国、イタリア・ヴェネツィア、イタリア・フェレンツェ歴史地区、ギリシャ・コルフ旧市街、スペイン・古都トレド、スペイン・グラナダ、トルコ・イスタンブール歴史地区など18ヵ所。

 

東ヨーロッパ編では、チェコ・プラハ歴史地区、ハンガリー・ブダペストのドナウ河岸、ポーランド・ワルシャワ歴史地区、ロシア・サンクトぺテルブルグ歴史地区など8ヵ所。それぞれの街並みが、うっとりするような美しい写真とともに紹介されている。

 

 

アジア、中南米、アフリカの世界遺産の街も行ってみたい

私は”水”のあるところが好きなのかもしれない。アジア編のページをめくっていて「あっ、ここ素敵!行ってみたい」と思ったのが、中国の麗江旧市街だ。雲南省西北部の標高2400mに位置する麗江は、かつて少数民族ナシ族の王都として栄えた高原の都市。

 

旧市街には、水路や石畳が敷かれた通り、延々と連なるいぶし銀の瓦屋根の木造建築など、800年以上の時を経た今も当時の面影が残されており、ナシ族をはじめとして少数民族が昔ながらの暮らしを営んでいる。

(『世界遺産の街を歩こう』から引用)

 

アジアならではの情緒ある景観がとても美しい! アジア編ではこの他に、ネパール・カトマンズ谷、ベトナム・古都ホイアン、ウズベキスタン・ブハラ歴史地区など7ヵ所が選ばれている。

 

さらに中南米編では、メキシコ・メキシコシティ歴史地区、キューバ・オールド・ハバナ、ペルー・クスコ市街、ブラジル・サルヴァドール・デ・バイア歴史地区の4ヵ所。

 

アフリカ編では、モロッコ・マラケシ旧市街、チュニジア・チュニス旧市街、エジプト・カイロ歴史地区、マリ・ジェネン旧市街の4ヵ所が紹介されている。

 

さぁ、あなたならどこの世界遺産の街を歩きたいと思うだろうか? また、実際に訪ねることはできなくても、この本が私たちを日本にいながら世界遺産の街へと連れて行ってくれる。

 

 

【書籍紹介】

世界遺産の街を歩こう

著者:学研パブリッシング(編)
発行:学研プラス

世界遺産のなかで150カ所近くある歴史地区、旧市街、およびそれに相当する地域から、ヴェネツィア、フィレンツェ、ドゥブロヴニク、パリなど特に若い女性に人気のあるエリアを厳選!豊富なビジュアルでいながらにして世界遺産の街歩きが楽しめる!

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「ファッションビルのひみつ」――日本で初めてルイ・ヴィトンを買ったのは板垣退助!

今年は明治維新150周年の節目の年です。幕末~明治時代には、現代の私たちの生活に身近なものがたくさん発明されたり、広まったりしています。

 

 

例えば、牛丼やあんパンなどの食べ物は、明治時代に生まれた和洋折衷の食べ物の代表です。そして、明治時代は都市の人々の間では洋服が流行するなど、ファッションの西洋化が大きく進んだ時代でもあるのです。

 

龍馬のファッションセンスは凄い

ファッションビルのひみつ」(まさやようこ他・著/学研プラス・刊)には、ファッションに関する雑学が満載です。なかなかマニアックな豆知識が紹介されていますが、本書や最近の話題の中から、明治維新に関するファッションのお話をいくつか紹介してみたいと思います。

 

幕末に活躍した維新志士と言えば、新しい時代を切り開くため、強い志を持って集まった若者たちです。そんな幕末のヒーローたちは、意外にもおしゃれ好きでした。

 

坂本龍馬はブーツを愛用していました。しかも、ブーツを履き、写真まで撮影しているのです。誰もが知る、有名な龍馬の写真がそれです。よく見ると、はかま姿でブーツを履いているのがわかります。和服にブーツを合わせるなんて、龍馬のファッションへのこだわりもなかなかのものです。

 

 

幕末に日本に伝わったネクタイ

クールビズがどんなに盛んになっても、ビジネスパーソンに必携なファッションアイテムと言えば、ネクタイですよね。初めて日本に伝わったのも、幕末の頃です。日本に持ち帰ったのは、ジョン万次郎といわれています。

 

漁師だった万次郎は、漁をしているときに遭難してしまい、アメリカの船に助けられました。彼はそのままアメリカへと渡り、10年間を異国の地で過ごして、1851年にようやく日本に帰国するのです。

 

その帰国時の所持品のなかに、ネクタイが3個あったと伝わっているのです。万次郎はその後、通訳者として活躍し、海外の文化を日本に紹介する橋渡し役をしたのです。

 

 

ルイ・ヴィトンの日本初の愛用者は?

電車に乗っていると、見かけないことはないルイ・ヴィトンのバッグ。では、ヴィトンの製品を、日本で初めて所有したのは誰か、ご存じですか?

 

その人物は、板垣退助といわれています。教科書でお馴染みの、白いおひげが立派な人物です。これまでは、土佐藩出身の後藤象二郎とする説が有力でしたが、板垣は後藤よりも3週間早く、ヴィトンのトランクを買ったことが顧客名簿からわかっています。

 

板垣が愛用したヴィトンのトランクは現存しています。当時はまだ、今のようなファッションブランドというよりは、旅行鞄メーカーとして有名だったヴィトンですが、それを選んだ板垣の目は確かなものだったといえるでしょう。

 

 

大久保利通は写真とファッションが大好き

最後に、写真の話題を紹介します。西郷隆盛は写真が大嫌いで、写真がいまだに発見されていません。一方で、大久保利通は大の写真好きで、その数たるや維新志士の中でもトップクラスの量が残っています。

 

大久保の写真は、はかま姿だったり、蝶ネクタイでびしっと決めたものまで、服装だけでもいろいろあります。相当のファッション好きで、新しいもの好きだったといえます。

 

明治維新で活躍した人々の多くは20~30歳の若者でした。「ファッションビルのひみつ」で紹介されている「ルミネ」などのファッションビルに集まる人々と、年齢層が同じといえます。時代は変われど、そしてどんな動乱の時代であっても、やはり若者はファッションが大好きなのです。

 

 

【書籍紹介】

ファッションビルのひみつ

著者:まさやようこ(イラスト)、WILLこども知育研究所(構成/文)
発行:学研プラス

洋服のショップや、カフェ、書店などいろいろなショップがはいっているファッションビル。そこにはお客さまが心地よく買い物ができる工夫や、おもてなしがいっぱい! そんなファッションビルで働く人たちは、どんな仕事をしているのかな? さあ、探ってみよう!

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文字から見えてくる天下人の人柄――伊集院 静が語る偉人たちの書

綺麗な文字を書く人を私は無条件で尊敬してしまう。なぜなら私の書く文字は時として自分でも何と書いたのがわからなくなってしまうほどの乱筆だからだ。ある編集者から「ワープロやパソコンは君のような人のために生まれたようなものだな」としみじみ言われたこともあるくらいだ。

 

だからこそ他人の書いた文字にはとても興味がある。『文字に美はありや』(伊集院 静・著/文藝春秋・刊)を思わず手に取ったのもそのような理由からだ。本書は歴史上の偉大な人物たちが書いた文字を一挙に紹介し、伊集院氏がわかりやすく解説した一冊。文字の誕生から現代のロボットによる書まで、すべてを教えてくれる。

 

 

 

龍馬の恋は「龍」の一文字からはじまった

人の手が書く文字、書というものは、そこにその人の気持ちがあらわれるものだという。

 

幕末の英雄、坂本龍馬は生涯に多くの手紙を書いたが、現存するものは130通あまりだそうだ。龍馬の文字の特徴は躍動感があり、ひらがなは特に自由奔放だと伊集院氏は解説している。本書には龍馬の手による「龍」が載っている。

文字の勢いは義之の書の勢いを感じさせる。龍馬が幼少で学んだ手本の文字が義之の書であったかは定かではない。定かではないが、『千字文』(子供が書を学ぶために作られた異なる千字の漢字で構成された手習い文)を見て書いていれば、その基本は遣唐使たちが持ち帰った王義之の文字である。

(『文字に美はありや』から引用)

 

さらに、お龍との恋も「龍」の一字からはじまったらしい。お龍が茶を運んできた折、龍馬が彼女に名前をたずねると、お龍は龍馬の手のひらに”龍”の文字を書いたとの逸話があるそうだ。

 

英雄はくすぐったくも嬉しくもあったろう。「そいはわしの”龍”と同じじゃきい」龍馬が叫んだかどうかは知らぬが、 義之の”龍”を医者の娘である龍も手習っていたことは十分考えられる。

(『文字に美はありや』から引用)

 

さて、龍馬もお龍も手本としたらしいのが王義之の書。“書聖”と呼ばれている人は、今も昔もこの王義之ただ一人だそうだ。

 

 

王義之の前にも後にも彼を超える書家はあらず

今、私たちが目にする高級料理店のメニューの文字、仕舞ってある卒業証書の文字、麻雀牌の“九萬”の字……、などなどの手本になっているのが王義之が書いた文字と言われている。

 

“書聖”と呼ばれるのは世界で彼一人。西暦303年に生まれた人だからおよそ1700年後の今日まで彼の文字は峰の頂にいるのだ。音楽、絵画、小説などの創作分野で一人の作品が範であり続ける例は他にはない。王義之の生きた時代が書の草創期だったこともあるが、楷書、行書、草書のすべての字を残し、以後、現代に至るまで皆がこれにならってきたのだ。

 

ところが、その真筆は世界中のどこにも存在しないという。それは中国の歴代皇帝が彼の書を欲しがり、唐の太宗などは中国全土に散在していた義之の書の収集を命じ、手に入った名品を宮中の奥でかたときも離さず、没すると陵墓に副葬させてしまったのだそうだ。このような愚行が王義之の書を幻にしてしまったというわけだ。

 

しかし、その模写は残った。唐時代の初期、模写専門の職人が素晴らしい模本技術を開発、髪の毛1本の細さを重ねて書の筆の勢い、カスレまでを再現したのだそうだ。これが大評判となり、日本からやって来ていた遣唐使たちも持ち帰った。こうして王義之の文字が海を渡り、日本における書、字体の手本となったというわけだ。

 

この本では王義之の最高傑作と呼ばれる『蘭亭序』についても詳しく解説されている。

信長、秀吉、家康。天下人の書とは?

伊集院氏は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の自筆の書を比較し、独自の解説をしているのだが、この項もとてもおもしろい。それぞれの一部分を引用してみよう。

 

信長は書というものを自分らしいかたちで書くことを本望としていたのかもしれない。伝信長所用の陣羽織同様に、デザインというものが、当時、理解できていた唯一の武将かもしれない。それが秀吉、家康との違いとも言える。自筆の書から見えるのは、信長のモダニズムと言ってもいいだろう。

(『文字に美はありや』から引用)

 

秀吉の書は自由でおおらか。当時はすでに書には流派、手習いの風習があったが秀吉の書にはその形跡がないという。おそらく独学で書のトレーニングをしたのだろうと伊集院氏は見ている。

 

天下人まであとわずかとなった秀吉の書は、実に堂々としているし、あきらかに筆遣いが達者になっている。紙質も上質になったであろうが、墨の入れ方も修練をしている。ここに秀吉の生きざまがうかがえる。

(『文字に美はありや』から引用)

 

家康の自筆は、孫娘、千姫に送った手紙が取り上げられている。

 

家康の他の書状の字を見ると、文脈も簡素で要点をまぎれがないように伝えてあり、正直、固い文字が多い。ところが千姫に宛てた書はまことに丁寧で、思いが込もる。

(『文字に美はありや』から引用)

 

さて、天下を取ったこの三人の戦国大名に共通するのは、書は重要なものではなかったことと、伊集院氏は結論づけている。その証拠に書が達者であったと言われる武田信玄、上杉謙信は天下を取ることができなかった、と。

 

本書では、この他にも、“弘法も筆のあやまり”の空海、スペインの画家ジョアン・ミロの書を題材にした絵画、水戸黄門、大石内蔵助、近藤勇、西郷隆盛、松尾芭蕉、夏目漱石、井伏鱒二、太宰治、高村光太郎、立川談志、ビートたけし、など偉大な人々の書いた文字を取り上げている。

 

また、巻末では伊集院氏が書道ロボット“筆雄”と対面したエピソードもあり、これもとてもおもしろい。

 

書、文字は何であるのかを深く掘り下げた読み応えのある一冊だ。

 

 

【著書紹介】

文字に美はありや。

著者:伊集院 静
発行:文藝春秋

歴史上の偉大な人物たちは、どのような文字を書いてきたのか。1700年間ずっと手本であり続けている”書聖”の王羲之、三筆に数えられる空海から、天下人の織田信長、豊臣秀吉や徳川家康、坂本龍馬や西郷隆盛など明治維新の立役者たち、夏目漱石や谷崎潤一郎、井伏鱒二や太宰治といった文豪、そして古今亭志ん生や立川談志、ビートたけしら芸人まで。彼らの作品(写真を百点以上掲載)と生涯を独自の視点で読み解いていく。2000年にわたる書と人類の歴史を旅して、見えてきたものとは――。この一冊を読めば、文字のすべてがわかります。「大人の流儀」シリーズでもおなじみの著者が、書について初めて本格的に描いたエッセイ。

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わが国の将軍様は、なにを食べていたのか? グルメな時代小説『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』

金正恩氏による米朝首脳会談の申し入れ。電撃訪中による習近平氏との首脳会談。近ごろの北朝鮮情勢からは目が離せません。

 

正恩氏のお父さんである金正日氏、すなわち「北の将軍様」の専属料理人を務めていた日本人が、テレビのワイドショーで話題になったことがあります。

 

わが国の将軍様にも、専属の料理人がいました。『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』(小早川涼・著/学研プラス・刊)という時代小説を読むと、江戸時代や徳川将軍家の食文化を知ることができます。

 

 

 

包丁人・鮎川惣介

『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』は、江戸城のキッチンである「御膳所」につとめる料理人が、するどい嗅覚と食材知識を活かして、殺人事件の謎解きをするミステリ小説です。

 

最高権力者の生死を任される役職なのに、包丁人(正式には台所人)の地位は高くありません。

 

『包丁人侍事件帖』本編によれば、鮎川惣介は「50俵高の御家人」です。「30俵2人扶持」が江戸時代における下級武士の代名詞ですから、将軍の食事係というプレッシャーが強い役職のわりには、報酬は多くありません。ただし、惣介には「御役金10両と残った食材を持ち帰れる」という役得があったそうです。

 

将軍家の食卓

朝餉は鯉の細作りの酢の物を向う付けに、汁は豆腐としらが牛蒡(ごぼう)。二の膳には、はんぺんの吸い物と鰡(ぼら)の味噌付け焼きに青のりを振ったもの。
昼餉は小蕪(こかぶ)の汁に鯛の刺身、蒲鉾(かまぼこ)や玉子焼きを添えて、焼き肴は鱚(きす)。吸い物は、つぶ椎茸。お壺には海鼠腸(このわた)がついて、銚子に入った酒も膳に載った。

(『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』から引用)

 

将軍様の台所は、御膳所(ごぜんしょ)であって、御台所(おだいどころ)ではありません。江戸城のなかでは御台所といえば、それは「みだいどころ」という読み方になって、将軍の正室(正妻)を意味します。

 

『包丁人侍事件帖』は、十一代将軍・徳川家斉(いえなり)が治めていた時代のはなしです。文化文政期といわれ、徳川家の権威と経済力が盛んな時代だけあって、おいしそうなものを食べています。

 

鮎川惣介は、御家人(ごけにん)です。いわゆる御目見以下(おめみえいか)と呼ばれる立場であり、本来ならば将軍と面会することはできません。徳川家斉が、一介の料理人を呼びつけるのには理由がありました。

家斉と御庭番(おにわばん)

最初は料理にお褒めのことばを賜ったのがきっかけだった。以来、家斉からの呼び出しは、月に一度か二度の割でもう一年近くつづいている。
(中略)
御目見得以下の惣介が、台所組頭はもちろんのこと、御膳奉行さえ飛び越えるのだから、とてつもない仕来り破りだ。

(『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』から引用)

 

上役である「御膳奉行」や「若年寄」を飛び越えて、一介の料理人が将軍となにやら話しているらしい。城内の者たちは、惣介のことを「台所人に身をやつした御庭番」と見なします。

 

御庭番とは、徳川将軍家の諜報員(スパイ)です。特に、徳川家斉は「御庭番」をよく活用したと言われています。グルメな時代小説『包丁人侍事件帖』シリーズはフィクションですが、惣介との雑談を通して、家斉が江戸市中や城内の様子について探りを入れています。まさに「御庭番」と同じような役目を果たしています。

 

 

将軍家の食事制限

家斉は雑炊をゆっくり食べた。
「葱を口にしたのは、一橋家を出て以来だ。味噌にも醤油にもよく合う薬味でありながら、なにゆえ御膳所では使われんのだろうな」

(『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』から引用)

 

徳川家斉といえば、子だくさんの将軍としても有名です。家斉の正室と側室が産んだ子は、男女合わせて50名以上を数えます。さぞや「精力増進の食事」を心がけていたと思いきや……。じつは、徳川家のしきたりでは、精のつきそうな食材を避ける風習があったようです。

 

絶対に禁止というわけではありませんが、「葱(ねぎ)、にら、らっきょう」などのニオイが強いものや、魚のイワシやサンマなどの脂が強いものは、なるべく避けていたようです。

 

ただし、将軍がどうしても食べたいときには、好きなものを食べることができました。本来であれば、肉は「鶴(つる)、雁(がん)、鴨(かも)、兎(うさぎ)」以外はもちいられませんでしたが……。十五代将軍・徳川慶喜は「豚肉」が大好きだったので、ときどき食べていたそうです。

 

ちなみに、慶喜の実父である水戸藩主の徳川斉昭は「牛肉好き」で有名でした。慶喜は一橋家へ養子に出たので、豚肉を好むようになってからは「豚一さま」と呼ばれていたとか。俗説かもしれませんが、歴史ゴシップ好きのあいだでは知られた話です。

 

豚肉好きだけあって、「ブーブー」と文句を言いながらも、大政奉還を決断しました。豚一さま、アンタはえらい!

 

 

【著書紹介】

包丁人侍事件帖 将軍の料理番

著者:小早川涼
発行:学研プラス

将軍の料理人・鮎川惣介の勤める江戸城の御膳所に、京から謎の料理人桜井雪之丞がやって来た。大奥での盗難、夜鷹殺し、放火など、事件の陰には必ず雪之丞の姿が…。惣介が自慢の嗅覚で解決する事件の背後には、将軍家斉公の継嗣にからむ闇の手が働いていた!

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屏風の裏に潜む「魔」に魅せられる――屏風絵と狩野派の深遠なる世界

屏風が好きでたまりません。そのくせ、改めて考えてみると、屏風とはいったい何なのか? わかっていないような気がします。

 

百科事典をひいてみると、「室内調度の一つで、風を防ぎ視界をさえぎる目的から起こった」と、あります。風を屏(ふせ)ぐという言葉に由来するというのです。

 

けれども、私にとっての屏風はあくまでも室内で使う物で、風に吹かれたら倒れてしまいそうな気がします。

屏風、その様々な使い方

屏風は、広げると壁全体を覆う大きな一枚の絵になります。美しく描かれた屏風は観るものを圧倒し、壮大な美術品として私たちの目の前に独特の世界を広げます。

 

一方で、金一色の屏風もそれはそれで美しい。芸能人が婚約発表の記者会見で用いる定番です。あでやかな大振り袖に身を包んだ女性の背景として、金屏風ほどふさわしいものはないと思います。

 

さらに、着替えをするときに衝立として視界を遮るために使われることもあります。実用的ながらなんとなく艶っぽい雰囲気を醸し出します。

 

私は屏風の裏も好きです。美しい彩色とはうって変わった地味な彩色。けれども、裏に潜んでこっそりと華やかな世界を垣間見ることができたら、それこそ至福の時だといえましょう。

 

 

屏風と言えば狩野派

昨年、九州国立博物館で「新桃山展」という興味深い展覧会が行われました。大航海時代の日本美術が数多く集められ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら、そうそうたる人々が愛した桃山美術が勢揃いし、有名な「南蛮人渡来図屏風」や「泰西王侯騎馬図屏風」、そして、メキシコからやってきた本邦初公開の「大洪水図屏風」など、度肝を抜くような逸品ぞろいでした。

 

中でも目を見張ったのは「檜図屏風」と「唐獅子図屏風」です。豪勢な桃山美術そのものといったこれらの屏風は、狩野永徳の筆によるものです。

狩野永徳に痺れる人へ

狩野永徳は桃山時代に活躍した絵師です。祖父の狩野元信の指導のもと、幼い頃から画才を発揮して織田信長や豊臣秀吉に重用されました。安土城や聚楽第の障壁画を製作し、見事な作品を残した天才絵師だと言われていますが、残念なことにそれらは失われてしまいました。

けれども、災いを逃れ、生き延びた作品が、その圧倒的な表現を今に伝えています。日本美術史の上で、狩野永徳ほど天才の名を欲しいままにした人はいないのではないでしょうか?

 

素晴らしい屏風を観た後、私は狩野永徳のことを知りたくてたまらず、いくつかの研究書や小説を読みました。

 

洛中洛外画狂伝 狩野永徳』(谷津矢車・著/学研プラス・刊)は、狩野永徳の半生を描いた物語です。上下巻に別れた長い小説でしたが、面白くて、あっという間に読み終わりました。歴史的事実に裏打ちされた物語が目の前にあるスクリーンで上映されているようでした。

 

 

著者・谷津矢車が語る歴史にハマった理由

著者の谷津矢車は1986年生まれだといいます。ということは『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』を書いたとき、まだ27才だったことになります。その若さで、これほどの歴史小説を書くことができるとは!と、驚かないではいられません。

 

大学で歴史学を学んだとのことで、史料の扱い方をこころえているのでしょう。それになにより、昔語りが大好きなことが、作品に力を与えているのでしょう。

 

彼はインタビューで、「歴史にハマったきっかけ」について、以下のように述べています。

 

歴史にハマったきっかけを思い返すと、祖父母と一緒に見ていた「大岡越前」や「水戸黄門」が最初です。小学校3年生ぐらいで、池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」にハマり、その後、いま映画化でも話題のマンガ『るろうに剣心』に5年生ぐらいで出会っています。そこで幕末に思いっきり入り込んでしまったんです。

 

思いっきり…。そう、思いっきり入り込むところに、著者の魅力があると思います。

 

 

物語の始まりは…

『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』は、その冒頭から不吉な波乱を暗示しています。物語は、まだ狩野永徳になる前、狩野家の若総領・狩野源四郎であった彼が、織田信長に出会うシーンから始まります。

 

天下人になるのに一番近い人物と言われる織田信長。その激しい気性によって「うつけ殿」と呼ばれた信長が、思わず「異形、よな」と、呟かないではいられなかったのが、この本の主人公・狩野源四郎です。

 

源四郎はその衣装からして異様です。右半身が白、左半身が黒の片身合わせでやってきたというのですから…。陰陽が交差し、まるで弔い装束ではありませんか。信長が怒りを覚えたのも当然でしょう。まして、その態度はふてぶてしく、謎に満ちています。

 

それだけではありません。屏風絵を献上する条件として、源四郎は長い長い物語を聞いて欲しいと、言い放つのですから、命知らずとしか言いようがありません。

 

しかし、そこは信長。「――聞いてやる。話してみい」と答え、源四郎の言葉に耳を傾けるのでした。

 

 

信長が聞いた物語

信長は約束通り、長い話をただ聞いてくれました。質問を浴びせることもなく、目を閉じたまま、言葉の流れるままを、ただ耳で追っていたといいます。

 

語り終えた後、源四郎も約束通り、まだ名前もついていない屏風を差し出します。
「金で縁取りされた京の町の六曲一双」が、それです。

 

この後、何が起こったか? については、言わぬが花でしょう。ただ、屏風には美しさ、残酷さ、そして、未来をも写し取る力があることを感じたことだけはご報告しておきたいと思います。

 

屏風にまつわる物語を、歴史の彼方から蘇らせ、表面からも裏面からも描ききったところに、『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』の魅力があると思います。

 

あなたも屏風の裏にもぐりこんで、物語を味わってみてはいかがでしょう。

 

【著書紹介】

 

洛中洛外画狂伝 狩野永徳

著者:谷津矢車
発行:学研プラス

その絵は、誰のために、何のために、描かれたのか? 狩野派の若き天才が挑んだのは、一筆の力で天下を狙う壮大な企てだった――。天才絵師・狩野永徳が「洛中洛外図屏風」完成に至るまでの苦悩と成長を描いた話題作文庫化。下巻に特別描き下ろし短編を収録。

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「NINJA」こそが、インバウンド需要拡大のためのキラーコンテンツだ!

世界各国から多くの観光客が集まり、2か月間連続で毎日満席というお店が赤坂にある。席数が極端に少ない、隠れ家的なお寿司屋さん? それとも、カリスマシェフが経営するリストランテ? 違う。忍者屋敷をコンセプトにしたテーマレストラン「NINJA AKASAKA」だ。新宿にある同じ系列のお店も、かなりの時間的余裕を持って予約しなければならないらしい。

 

日本の特撮ヒーローものが大好きなアメリカ人の話

“ニンジャ”という日本語は、“シアツ”とか“アニメ”と同じく、日本語のまま通じる英語になっている。こうした傾向は、アメリカに限って言えば、1984年に出版されて後にアニメや映画にもなった『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』(TMNT)というアメリカン・コミックスがきっかけだったんじゃないかと思っていた。

 

なんていう話を日本の特撮ヒーローものが大好きなアメリカ人の友人――筆者と同じ1962年生まれ――としていたら、こう言われた。「TMNTのそもそものコンセプトは、アカカゲにあると思う」

 

彼は、『ウルトラ』シリーズから始まって、ちょっと渋めの『ミラーマン』とか『シルバー仮面』、さらには『スーパーロボット・マッハバロン』など実写ロボットもの、そして昭和『仮面ライダー』シリーズを全エピソード揃えているほどのマニアだ。

 

 

燃えよNINJA

日系人社会がしっかり根ざしているホノルルで生まれ育ったせいか、本当に詳しい。大学に入った頃に一番ハマったのは『変身忍者嵐』だったという。そしてこの頃、シンクロニシティーめいたことが起きた。

 

ショー・コスギ(不動産会社のCMでおなじみのケインのお父さん)が主演した『Enter the Ninja』(日本語タイトル『燃えよNINJA』)という1981年製作のアクション映画を見た彼は、嵐の件もあって、一気に持って行かれたようだ。この映画、筆者も見たことがある。ごく簡単に言えば、カオスなカルトムービーだ。

 

『Enter the Ninja』を見た彼は忍者に関する資料を徹底的に調べ、やがて行き当たったのが日系の貸しビデオ屋で見つけた『仮面の忍者赤影』だったということらしい。

 

ニンジャという言葉はとても響きがいいようで、アメリカではミキサーとかコーヒーメーカーのブランド名にもなっている。そう言えば、『サスケ』のアメリカ版タイトルも『American Ninja Warrior』だ。世代に関係なく、多くの人々がこのワードに惹きつけられる理由は何だろうか。

“忍びの者”を立体的にとらえる

そういう疑問に対する答えのヒントとなるかもしれない『忍者・忍術ビジュアル大百科』(山田雄司・監修/学研プラス・刊)という本を紹介したい。構成を見てみよう。

 

第1部:忍者の姿・道具

第2部:心・技・体

第3部:闇の激闘

第4部:忍者列伝

 

ビジュアルとうたっているだけにイラストや図表が豊富だ。第1部では装束とか武器が豊富に紹介されていて、図鑑のような楽しみ方ができる。手裏剣と言えば十文字のシンプルなタイプしか見たことがなかったので、こんなに種類があるとは驚いた。

 

第2部では、さまざまな忍びの術について触れられている。このパートは一見派手に感じられる忍術に対し、科学的なファクトに基づく冷静な解説が加えられていて、納得させられる。そうかと思うと“不動心”とか“非情の心”、また“人の心を理解する”など、忍者の心得についての文章がコラム的にちりばめられていて、精神面からの考察も面白い。

 

第3部では伊賀忍者VS甲賀忍者といった対決基軸、それに風魔党や三ツ者など初心者にはわかりにくいグループの特色と任務について触れられている。ここで示されている忍者屋敷の詳細なイラストに心惹かれる人は多いはずだ。

 

第4部は歴史に名を残す忍者たちの紳士録だ。源義経、伊勢三郎義盛、加藤段蔵、果心居士……。 石川五右衛門が大泥棒になる前は伊賀忍者だったこと、知ってましたか? 全部で17人紹介されているのだが、恥ずかしながらまったく知らない名前がいくつもあった。

 

 

待たれる英訳

全編にルビがふってあるので、分類は児童書ということになるだろう。でも、50半ばの筆者でも読み進むスピードは全然落ちなかった。そして、読み進めていて気づいたことがある。

 

欧米にニンジャファンが多い理由は『スターウォーズ』シリーズとか、HBOの『ゲーム・オブ・スローンズ』のような大河ドラマ的な話のキャラクターを忍者に重ね合わせるからじゃないだろうか。共通しているのは、大義とか忠義といった概念だ。

 

そして今、忍者という言葉はただキャッチーなだけではなくなった。実際、日本各地の忍術道場を訪れる外国人の数は年々増加している。響きのよさだけに飛びつくだけではなく、“不動心”とか“人の心を理解する”ことを自ら体験し、学び取ろうとする人たちの数は、筆者の想像よりもはるかに多いに違いない。だからこの本、英訳したらかなり売れるだろう。

 

忍者が引っ張っていく日本のポップカルチャーシーン。そんな妄想も楽しいと思いませんか?

 

【著書紹介】

忍者・忍術ビジュアル大百科

著者:山田雄司、入澤宣幸
発行:学研プラス

驚異的な身体能力と技、豊富な知識と経験、卓越したコミュニケーション能力を持つ超人的な存在、それが忍者だ! 様々な忍術や忍具を駆使して、彼らは歴史の影で活躍していた。迫力満点なイラストと豊富な写真資料で、いまだ謎に満ちた忍者の真の姿に迫る!

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勝麟太郎は「ホラ吹きおじさん」? それとも「幕末の英雄」? 学習まんが『人物日本史 勝海舟』を読めばわかる!

勝海舟といえば、「世渡り上手」「口八丁」という印象があります。

 

なぜなら、徳川政権の末期において「軍艦奉行」「陸軍総裁」を務めた上級官僚であったにもかかわらず、明治維新後には、かつては敵対していたはずの新政府で要職(元老院議官・枢密顧問官)に就いているからです。

 

勝海舟は、厚顔無恥で節操のない人物だったのでしょうか? 『人物日本史 勝海舟』(樋口清之・監修、ムロタニツネ象・漫画/学研プラス・刊)という本でおさらいしてみましょう。
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勝海舟はインチキ野郎なのか?

もちろん違います。新政府に迎え入れられたのは、勝海舟のすぐれた手腕や知見が必要とされたからです。

 

貧乏御家人から有力幕臣への大出世、近代的な海軍の立ち上げ、坂本龍馬の抜擢、江戸城の無血開城など。歴史的偉業を成しとげる原動力を培ったのは、勝海舟が「麟太郎(りんたろう)」を名乗っていた青年時代のことでした。

 

 

出世の秘訣は…立ち読み!?

勝麟太郎 は、外国語を自由に読み書きできる幕臣のひとりでした。実家は「小普請」という役職を代々受け継いでいましたが、無役(むやく)だったので何もすることがありませんでした。砲術に興味をもった青年時代の麟太郎は、オランダ語を学び始めます。

 

外国語がわかるということは、海外情勢について「伝聞」ではなく、外国語で報じられた一次情報を理解できるということです。低い身分の出身でありながら、時流を察知して、頭角をあらわすことができた理由のひとつです。

 

海外の最新技術を学ぶためには、原語で書かれた専門書が必要です。当時の蘭書(オランダ語の技術書)はとても高価でした。貧乏な麟太郎は、本屋でよく立ち読みをしていたそうです。この「立ち読み」が、麟太郎にとって人生の転機になりました。

 

 

転機は「翻訳のアルバイト」だった!

あるとき、麟太郎の立ち読みっぷりを見かけたお金持ちが、麟太郎に翻訳の仕事を持ちかけました。渋谷利右衛門という人物です。商人にとっては、海外情勢に通じることは将来を見通すことにつながり、利益を得ることに役立つからです。

 

洋書をタダで読めて、しかも翻訳料までもらえる。「芸は身を助ける」の格言どおり、暇をもてあまして好奇心ではじめた蘭学研究は、麟太郎の立身出世を大いに助けました。

 

この時期に、麟太郎は「ある大物」と知り合いになります。この人物との出会いが、のちに「江戸城の無血開城」を成功させたといっても過言ではありません。その人物とは……

 

 

運命の出会い

翻訳を注文していたのは、のちの薩摩藩主・島津斉彬(しまづ・なりあきら)です。低い身分だった西郷隆盛や大久保利通などの資質を見抜いて重用した人物です。

 

当時の斉彬は、藩主を継がせてもらえず、世子という身分に甘んじていましたが、将来のことを見据えて海外情報の収集をおこなっていました。

 

海舟研究の決定版である『勝海舟』(松浦玲・著/筑摩書房・刊)という本によれば、はじめは匿名注文だったので、麟太郎は気づかなかったそうです。斉彬は江戸住まいだったので、若き日の麟太郎と面会しています。このときの印象を、斉彬は「なかかなの人物である」と評しており、そのことを西郷隆盛はよく覚えていたそうです。

 

ご存じのとおり、勝海舟と西郷隆盛は、新政府軍による徳川慶喜追討をめぐる交渉の当事者です。西郷の独断によって江戸総攻撃は回避されました。まさに「信頼は一日して成らず」です。

 

 

結論:勝海舟は偉人である

斉彬が「汝のことは伊勢に頼み置けり」と何度も言う、その「伊勢」が初めのうちは誰のことか解らなかったというのがリアリティーがあって面白い。

権力中枢に近ければ「伊勢殿」「伊勢守様」が常用されており「伊勢」は筆頭老中阿部伊勢守正弘以外ではありえない。

しかし四十俵の無役小普請では雲の上のことだからピンとこない。また斉彬が阿部正弘を「伊勢」と呼捨てにする仲だとは想像もつかなかった。

(松浦玲・著『勝海舟』から引用)

阿部正弘は、大久保忠寛(一翁)という人物を重用していました。その大久保忠寛が、小普請組にすぎなかった青年時代の勝麟太郎を抜擢します。長崎海軍伝習所で操船技術を学んだあと、麟太郎みずからも軍艦奉行として、日本の近代海軍の立ち上げに関わっていきます。

 

脱藩浪人だった坂本龍馬を見出して、神戸海軍操練所(勝塾)に加えたのは勝海舟です。龍馬が操船技術を身に着けていなければ、薩長同盟は成立しなかったかもしれません。敵対していた長州藩のために、どの藩にも属しない中立の立場だった龍馬が、薩摩藩の船で薩摩藩が購入した武器弾薬を運んだからこそ、不倶戴天の敵同士が手を結ぶことができました。

 

日記の記述ミスが多いこと、座談における記憶違いにもとづいたリップサービスなどから「ホラ吹きおじさん」とも言われる勝海舟ですが、先述した学習まんが『人物日本史 勝海舟』や『勝海舟』(松浦玲・著/筑摩書房・刊)を読むかぎりでは、私心を捨てて公共のことを考え尽くした偉人だったことが理解できます。お試しください。

 

【著書紹介】

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人物日本史 勝海舟

著者:樋口清之(監修)、ムロタニツネ象(漫画)
出版社:学研プラス

江戸幕府重臣・勝海舟は、咸臨丸を指揮してアメリカに行き、進んだ文明にふれた。そして新しい日本をきずくため、新政府軍と話し合って江戸城の明けわたしを実現させた。まんがで楽しく学べる一冊。

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侮るなかれ⁉ 小学校の日本史の問題、あなたはできますか?

日本史の教科書に坂本龍馬が登場しなくなる――? 最近、日本史にまつわるこんなニュースが話題になった。

 

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暗記中心の教科書を改革する一環で、教科書に登場する用語を半分くらいに減らすという案が出されたのだ。それによると、龍馬だけでなく上杉謙信や吉田松陰も消える可能性があるのだとか。

 

もちろん、まだ決定事項ではないものの、誰もが知る人物が登場しなくなるのはかなり違和感がある。

 

 

小学校の日本史は意外に難しい

最近、日本史の本を執筆する機会があり、小学生~中学生の日本史の教科書を読んでみた。私の時代よりもカラーになっていて、写真もきれいで読んでいて楽しかった。

 

そして、驚いたのが、難しい用語、単語のオンパレードだったことだ。「こんなの習ったっけ?」と思うようなものばかりだった。

 

答えられますか? 小学校の社会科』(学研教育出版・編/学研プラス・刊)には、小学校の教科書に載っている用語を中心に、中学受験などにも役立つ問題がたくさん掲載されている。腕試しのつもりで解いてみたら、意外にこれがわからなかった。

 

簡単なものからすぐには出てこないものまで、10問を抜粋してみた。ぜひやってみていただきたい。あなたは何問解けるだろうか?

 

 

さっそく問題にチャレンジ!

Q:以下の●●にあてはまる用語を答えなさい。なお、漢字もしくはカタカナで書いたとき、文字数が●の数に当てはまるようにしてください。

(1)旧石器時代~縄文時代、人々は地面を掘って柱を立てた●●住居に住んだ。

(2)奈良時代、戸籍に登録された6歳以上の男女に●●●が与えられた。

(3)1192年、源頼朝は●●●●●に任じられ、鎌倉幕府を開いた。

(4)栄西は●●宗、道元は曹洞宗を広めた。

(5)桃山時代、●●●が茶の湯からわび茶の作法を大成した。

(6)江戸幕府は1641年にオランダ商館を長崎の●●に移した。オランダと清だけに貿易を許した。

(7)8代将軍・徳川吉宗が行ったのは●●の改革。

(8)江戸時代末期、大老の●●●●が、1858年、アメリカ合衆国と日米修好通商条約を結んだ。

(9)1867年、徳川慶喜が政権を朝廷に返したできごとを●●●●という。

(10)1919年、●●講和会議でベルサイユ条約が結ばれた。

 

 

あなたはいくつできただろうか?

答えは以下の通りだ。

 

(1)竪穴 (2)口分田 (3)征夷大将軍 (4)臨済 (5)千利休 (6)出島(7)享保 (8)井伊直弼 (9)大政奉還 (10)パリ

 

源頼朝が鎌倉幕府を開いた年は「いいくに(1192)つくろう」のゴロ合わせで覚えているが、征夷大将軍という言葉がパッと出てこない。出島は、この前、長崎に旅行に行ったので答えられた。井伊直弼、名前は知っているが漢字で書けと言われたら苦戦しそうだ。

 

 

日本史の教科書は変化している

現在の日本史の教科書から消えている言葉に、「士農工商」「鎖国」などがある。

 

士農工商は江戸時代の身分制度を指す言葉だが、実際はこのような区分の身分制度は存在しなかったことが、研究でわかってしまったのだ。また、江戸幕府は決して海外と外交の扉を閉ざしていたわけではなく、先ほどの(6)の問題にあるように、出島で一部の国と貿易を行っていたのだ。

 

ちなみに、源頼朝と聞いて思い浮かべるあの有名な肖像画は、どうやら源頼朝を描いたものではないらしい。現在、教科書には掲載されないか、載っても「伝源頼朝像」と書かれている。

 

日本人は歴史好き

歴史離れが進んでいるという割には、戦国武将をテーマにしたゲームが流行っているし、大河ドラマの舞台には観光客が押し寄せている。

 

来年は明治維新150周年の記念すべき年ということで、書店には特集した本がたくさん並んでいる。教科書の用語ひとつでこれほど話題になるのだから、やはり日本人は潜在的に日本史が大好きなのだ。

 

【著書紹介】

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答えられますか? 小学校の社会科

著者:学研教育出版(編)
出版社:学研プラス

小学校で習った社会科をこの一冊でクイズ形式で楽しくおさらいできる。都道府県、歴史人物・年号、地図記号、国会や憲法のことなど、今さら聞きづらい「社会の常識」を、豊富なビジュアルで自然に頭に入りやすい問題に。中学入試レベルのチャレンジ問題も。

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日本の歴史が変わる!? ランキング急上昇の歴史本に注目の声が集まったAmazon「本」ランキング(11月2日付け)

現在世間で注目を浴びている商品が一目で分かるAmazon「人気度ランキング」。今回は「本」のランキングを紹介していこう。(集計日:11月2日、夕方)

 

縄文人はタネをまいていた!? 斬新な切り口の書籍が注目度急上昇

1位『Lis Oeuf♪』vol.7(エムオン・エンタテインメント・刊/1,296円)

 

2位『シニア ビューティメイク』(えがお写真館、赤坂渉・著/扶桑社・刊/1,080円)

 

3位『身の丈にあった勉強法』(菅広文・著/幻冬舎・刊/1,404円)

 

4位『ブルーム スクイーズ コレクションブック – 限定! 「レインボー牛乳ひたしパン」つき』(株式会社ブルーム・著/ワニブックス・刊/3,240円)

 

5位『タネをまく縄文人: 最新科学が覆す農耕の起源』(小畑弘己・著/吉川弘文館・刊/1,836円)

出典画像:Amazonより出典画像:Amazonより

 

同書は、狩猟・採集で生計を立てていたとされる縄文人が、実は栽培もしていたのではないかと論じている。発売されたのは一昨年だが、ここにきて「売れ筋ランキング」が急上昇。

 

11月1日に古代歴史文化に関する優れた書籍を表彰する「第5回古代歴史文化賞」が行われ、同書が大賞に選ばれたことから売上が急に伸びたよう。ネット上では「図書館のは貸出中だったよ」「これまた斬新な学説が出てきたな(笑)興味深い!」「面白そうなので是非読んでみたい。大きい書店に行けばあるかな?」「タネをまく縄文人が本当なら大事件だよ!」「まとめられた方に感謝」といった反響が起こっている。

 

「育児に悩むパパママにオススメの一冊」って? ニュースサイトに掲載されて大反響

6位『これからの日本、これからの教育』(前川喜平、寺脇研・著/筑摩書房/929円)

 

7位『大逆転裁判 -成歩堂龍ノ介の冒險- 公式原画集』(電撃攻略本編集部・編/KADOKAWA/アスキー・メディアワークス・刊/3,240円)

 

8位『フツーのサラリーマンですが、不動産投資の儲け方を教えてください!』(寺尾恵介・著/ぱる出版/1,620円)

 

9位『幸せの神様に愛される生き方』(白駒妃登美・著/扶桑社/1,620円)

 

10位『ママは悪くない! 子育ては“科学の知恵”でラクになる』(ふじいまさこ・著、NHKスペシャル「ママたちが非常事態!?」取材班・監修/主婦と生活社・刊/1,080円)

出典画像:Amazonより出典画像:Amazonより

 

産後の“イライラ”や夫に対する“不満”、子育て中の“孤独感”などを取り上げ大反響を呼んだ、2016年放送のNHKスペシャル番組「ママたちが非常事態!?」。同書はこの番組を漫画化した一冊になっている。

 

発売されたのは2016年12月だが、IT系総合ニュースサイト「Impress Watch」の記事によって再注目されたよう。11月2日の朝に、「Impress Watch」が「育児に悩むパパママにオススメの一冊」として同書を紹介する記事を掲載したため売上が伸びたとみられる。

 

Amazonランキングを見ると、自分からは手に取らないようなジャンルの面白そうな本がてんこ盛り。「タネをまく縄文人」が事実だと実証されると、歴史の教科書の記述が変わるかも!? 今後の動向に注目したい。