ホンダNボックスシリーズが販売で2冠!

ホンダは4月5日、軽自動車「N-BOX」シリーズが2017年度(2017年4月〜2018年3月)における販売台数が22万3449台を記録し、軽四輪車新車販売台数において3年連続となる第1位を、さらに登録車を含む新車販売台数においても第1位を獲得したと発表した。ホンダが新車販売台数において、同年の暦年・年度ともに首位を獲得したのは2002年度に「フィット」が達成して以来、15年ぶりになる。

 

 

 

 

N-BOX/N-BOXカスタム(2017年9月フルモデルチェンジ)

 

N-BOXシリーズは「N-BOX」、「N-BOX +(エヌボックス プラス)」、「N-BOX SLASH(エヌボックス スラッシュ)」をラインアップし、幅広い層から支持を獲得。2017年9月にフルモデルチェンジされた新型N-BOXは、軽乗用車最大級の室内空間や存在感あるデザインに加えて、先進の安全運転支援システム「Honda SENSING(ホンダ センシング)」の採用や、優れた走行性能・燃費性能の面でも好評を得ている。なお、4月19日には、新たにスロープ仕様の追加が発表される予定だ。

 

 

 

N-BOX+(2017年8月終了)

 

 

 

N-BOX SLASH(2018年1月マイナーチェンジ)

 

●N-BOXシリーズ発売以来の歩み
2011年12月 N-BOX発売
2012年 6月 累計販売台数10万台達成
2012年 7月 N-BOX+発売
2012年11月 累計販売台数20万台達成
2013年 3月 年度軽四輪車販売台数第1位獲得
2013年 5月 累計販売台数30万台達成
2013年10月 累計販売台数40万台達成
2013年12月 年間軽四輪車販売台数第1位獲得
2014年 3月 年度軽四輪車販売台数第1位獲得
累計販売台数50万台達成
2014年10月 累計販売台数60万台達成
2014年12月 N-BOX SLASH発売
2015年 3月 最高月間販売台数3万633台を記録
2015年 4月 累計販売台数70万台達成
2015年11月 累計販売台数80万台達成
2015年12月 年間軽四輪車販売台数第1位獲得
2016年 3月 年度軽四輪車販売台数第1位獲得
2016年 6月 累計販売台数90万台達成
2016年12月 年間軽四輪車販売台数第1位獲得
累計販売台数100万台達成
2017年 3月 年度軽四輪車販売台数第1位獲得
2017年 6月 累計販売台数110万台達成
2017年11月 累計販売台数120万台達成
2017年12月 年間四輪車販売台数第1位獲得
2018年 3月 年度四輪車販売台数第1位獲得

 

 

 

【中年名車図鑑】80年代の軽自動車市場にさまざまな刺激を与えた“羨望”の一台

商用車の“軽ボンバン”が隆盛を誇っていた1980年代中盤の 軽自動車市場。ここにダイハツ工業は第2世代となるL70型系のミラを送り込む。1.3BOXと称する高効率のパッケージングを採用した新型は、ベーシックモデルのほかに高性能バージョンの「TR-XX」や多用途車の「ウォークスルーバン」を設定した。今回は豊富なラインアップで歴代屈指の人気を獲得した2代目(1985~1990年)の“羨望=MIRA”で一席。

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【Vol.45 2代目 ダイハツ・ミラ】

国内販売で32カ月連続して前年同月実績を上回るなど、大成功作に昇華したL55型系の初代ミラ。イタリア語で“羨望”を意味する車名を冠した軽ボンネットバンは、1985年8月になると第2世代のL70型系に移行した。

 

■1.3BOXの新パッケージを採用した第2世代

2代目ミラの最大の特長は、1.3BOXと称する高効率のパッケージングにあった。プラットフォームは新設計で、ホイールベースは従来比で100mm延長(2250mm)。パワーユニットが収まるフロントセクションを可能な限りコンパクトにまとめ、同時にボディ高を高めに設定してクラストップレベルの広さを誇るキャビンスペースを創出する。懸架機構には前マクファーソンストラット/後セミトレーリングアームの4輪独立懸架を採用(FFモデル。4WDモデルは5リンク)。ボディタイプは当初が3ドアハッチバックのみの設定で、1986年1月に5ドアハッチバックを追加した。

 

搭載エンジンは吸排気効率の向上や圧縮比のアップ、機械損失の低減などを図った新開発のEB型547cc直列3気筒OHCユニットで、自然吸気(34ps)と空冷式インタークーラー付きターボ(52ps)の2機種を設定する。組み合わせるトランスミッションにはフロアタイプの4速MT/5速MTのほか、フロアおよびコラムタイプの2速ATを用意。駆動機構はFFと4WDの選択が可能だった。

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クラス初の4面フルフラットシートやダブルハッチバックドアを装備。広くて快適な室内空間が話題にクラス初の4面フルフラットシートやダブルハッチバックドアを装備。広くて快適な室内空間が話題に

 

エクステリアについては、1.3BOXスペーシィシェイプデザインと称する新スタイルを採用したことが訴求点。具体的には、フラッシュサーフェス化した直線基調のボディやスラントした短めのノーズ、ルーフ後端を伸ばしてほぼ直立させたリアセクション、四隅に配したタイヤ、広めにとったグラスエリアなどによって実用的かつスタイリッシュなフォルムを実現した。一方で内包するインテリアは、リビング感覚を謳う広くて快適な室内空間に、低めに設定して有効な前方視界と開放感を演出したインパネを配して、明るく運転のしやすい居住スペースを構築する。また、クラス初の装備として4面フルフラットシートやダブルハッチバックドア(ガラスハッチのみとゲート全体での開閉が可能)、助手席クッショントレイ付きシート、クォーターボックス、ラゲッジボード、テンションレデューサー付ELRシートベルト、グラフィックモニターなどを設定していた。

 

■イメージリーダーは最強版のターボTR-XX

スポーツバージョンの「TR-XX」。フルエアロの外観にスポーティなインテリアを組み合わせるスポーツバージョンの「TR-XX」。フルエアロの外観にスポーティなインテリアを組み合わせる

 

1985年10月になると、スポーツバージョンの「TR-XX」が追加される。搭載エンジンは空冷式インタークーラー付きターボ(グロス52ps。後にネットで50psとなる)で、外装は専用バンパーやサイドステップ、リアハッチスポイラーといったフルエアロパーツで武装。内装には専用の3本スポークステアリングやガングリップタイプのシフトレバー、大型の速度&回転メーターとグラフィックタイプのターボインジケーター、固めのクッションを持つバケットシートなどを装備した。

 

2代目ミラのイメージリーダーに位置づけられたTR-XXは、後にデビューする鈴木自動車工業のアルト・ワークスや三菱自動車工業のミニカ・ターボおよびダンガンZZ、富士重工業のスバル・レックス・コンビVXスーパーチャージャーなどとともに“軽自動車第2次パワー競争”(第1次は1960年代終盤から1970年代初頭)を展開していく。TR-XXに関しては、1987年8月にインタークーラーの水冷化やAT車の追加などを実施。同年10月には燃料供給装置をEFI化したEB25型エンジン(58ps)搭載車を設定する。また、同エンジンを積むフルタイム4WD仕様も追加した。さらに1988年10月になると、最高出力を64psとしたEB26型エンジン搭載車が登場。内外装もよりスタイリッシュに刷新された。

アルト・ワークスやミニカ・ターボ、スバル・レックス・コンビVXスーパーチャージャーなどとともに“軽自動車第2次パワー競争”を展開していくアルト・ワークスやミニカ・ターボ、スバル・レックス・コンビVXスーパーチャージャーなどとともに“軽自動車第2次パワー競争”を展開していく

 

毎年のように進化を図っていった2代目ミラのターボモデル。一方で、燃料供給装置にキャブレターを組み込んだターボ付きEBエンジン搭載車も継続して設定される。スペック上ではEFIを採用する58ps仕様や64ps仕様に劣った50ps仕様。しかし、アクセルレスポンスのよさや吹き上がりの俊敏さなどは、50ps仕様が上回った。当時のECU技術では、このあたりにまだまだ壁があったのだ。絶対的なパワーよりもスポーツミニらしい軽快な特性を重視する走り好きは、あえて50ps仕様を選択する。こうした傾向をメーカー側も把握していたのだろう。地道な人気を誇るキャブターボは、2代目のモデル末期まで新車カタログに掲載された。

 

■隠れた名車「ウォークスルーバン」

L70型系の2代目ミラにはもう1台、隠れた名車が存在した。フロントセクション以降をパネルバンボディに変更した「ウォークスルーバン」だ。運転席から荷室へと歩いて移動できるウォークスルーバンがミラに最初に設定されたのは初代(L55型)のモデル末期の1984年5月で、2代目でも引き続きウォークスルーバンがラインアップされる。製造は優れた車体製造技術を持つ荒川車体工業(1988年よりアラコに変更)が担当。最大の室内容積と軽量化を両立させるために、乗降用ドアは左側のみの折戸式で、リアゲートには上下開き式と3枚折戸式を用意した。乗車定員は1名乗りが基本で、助手席はオプションで用意する。また、フロントガラスおよびAピラーは直立に近い位置にまで立て、サイドミラーには通常のフェンダータイプのほかに縦長タイプを設定。荷台部にはプレスラインやサイドガラスなどを組み込んだ。

 

軽自動車の規格内で成立させた稀有なウォークスルーバンは、そのユニークなルックスや使い勝手の良さから、デリバリーなどの商用としてだけではなく、バイク等のトランスポーターとして個人ユーザーからも高い人気を獲得する。また、ラウンディッシュなフロントガラスおよびAピラーに、上ヒンジ式ウィングドアを荷台部に配した移動販売車の「ミチート」も設定され、市場から好評を博した。

 

ミラ・ウォークスルーバンの人気に刺激を受け、鈴木自動車工業はアルトに、三菱自動車工業はミニカに、ウォークスルーバンを設定する。しかし、ボディ全体の造り込みや機能性の面でミラにはかなわず、販売台数は伸び悩んだ。結果として、1990年の軽自動車規格改定以降でウォークスルーバンをラインアップしたのはミラだけとなり、そのミラも次の規格改定である1998年に生産を中止した。ここで人気が衰えるかに見えたミラ・ウォークスルーバン。だが、コアなファンがその唯一無二のキャラクターを見逃さなかった。ユーズドカー市場では21世紀に入っても活発な取引が展開され、660ccエンジン搭載車のみならず2代目の550ccエンジン搭載車も長く生き残ったのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

【中年名車図鑑】フランス某ベストセラーカーも真似た!? マンガにもなった絵心を誘う軽自動車

ホンダは1974年のライフを最後に、軽乗用車の生産を取りやめていた。しかし、1980年代前半には軽ボンバン(ボンネットバン)を中心に市場での軽自動車の人気が復活。ホンダも再度このカテゴリーへの参入を画策し、1985年に新世代の軽自動車を発売した――。今回は革新的なパッケージングとスタイリングで脚光を浴びた初代トゥデイ(1985~1998年)で一席。

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【Vol.43 初代ホンダ・トゥデイ】

1985年8月、本田技研工業の新しい本社社屋“ホンダ青山ビル”が東京都港区南青山に竣工した。新時代を迎えた同社は、さっそく翌9月に新型車を発表する。約11年ぶりのHONDAブランドの軽乗用車となる「トゥデイ」(JW1)のデビューだ。

 

■軽自動車の人気が高まった背景

ホンダのエントリーカーは1970年代後半がシビック、1980年代前半はシティがその役割を担っていた。一方、80年代初頭から中盤にかけて、日本の自動車市場では軽ボンバンを中心とする軽自動車の販売台数が飛躍的に伸びていく。1980年には100万台を突破して約106万台を記録し、1984年には約149万台にまで達していた。第2次オイルショックに端を発する軽自動車の見直し風潮、そしてセカンドカー需要の伸長などが、販売台数増加の主要因である。この傾向をコンパクトカー造りに長けたホンダが見逃すはずがない。シティのデビューが一段落したころから、軽乗用車の本格的な開発に着手しはじめた。

 

■異例のロングホイールベースで広い室内空間を実現

当時は、第二次オイルショックのなか軽自動車が見直されはじめた時期。トゥデイはその軽自動車需要を見越して開発された当時は、第二次オイルショックのなか軽自動車が見直されはじめた時期。トゥデイはその軽自動車需要を見越して開発された

 

デビューしたトゥデイを見て、業界関係者は驚いた。AA型シティのトールボーイスタイルとは正反対、さらに既存の軽乗用車よりもずっと低い全高(1315mm)を採用してきたのである。しかも、ホイールベースが2330mmと軽自動車としては非常に長かった。これらのプロポーションが実現できた要因は、新開発のシャシーやメカニズムにあった。フロアパン前部はサイドシル一体成形の“バスタブ型”を採用。さらにEH型545cc直列2気筒OHCエンジン(31ps/4.4kg・m)と組み合わせるギアボックスをクランク軸と一直線上に置き、そのうえでデフを真下に配置した。集積型のシャシーとコンパクトな動力源――これらを具現化したからこそ、フロントタイヤを目一杯前方に配置することができ、最大限の室内前後スペースを構築できたのである。

 

室内に入ると、その独特の雰囲気に引きつけられる。低いノーズのラインとほぼ一直線上につながる大きく傾斜したAピラー、そのAピラーに沿う広大な面積のフロントガラス、レーシングカーのような大きな1本アームのワイパーなど、すべてがオリジナリティにあふれていた。ステアリングやインパネ、シートのデザイン、インテリアカラーも非常に凝っており、全体的にカジュアルでお洒落なムードが漂っていた。

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インテリアは傾斜したAピラー、大きなフロントガラスによって個性的な雰囲気を演出。シートデザイン、カラーリングも凝っていたインテリアは傾斜したAピラー、大きなフロントガラスによって個性的な雰囲気を演出。シートデザイン、カラーリングも凝っていた

 

セカンドカー・ユーザーが多いことも想定して、トゥデイは維持費の安い4ナンバーの軽ボンバン(フロントにボンネットを配した商用登録のハッチバックスタイル軽自動車)として設定される。5ナンバー仕様が登場したのは、1988年2月発表のマイナーチェンジ時だった(発売は同年3月)。このときはE05A型547cc直列3気筒OHC12Vエンジン(PGM-FI 仕様のMTが42ps/4.6kg・m、同ATが42ps/4.7kg・m)の採用、5速MTと3速ATの設定(従来バンは4速MTと2速AT)、角目ヘッドランプの装着、電動サンルーフの装備などもニュースとなった。

 

ホンダ独自のコンセプトを満載した初代トゥデイだったが、一部のファンからは熱烈な支持を集めたものの、販売成績は大成功とまでは至らなかった。室内高の低さや可愛すぎるルックス、スポーツ仕様の未設定などが、当時のユーザーの購入欲をあまりそそらなかった要因だ。最終的に乗用モデルは新規格への移行(1990年2月。搭載エンジンはE07A型656 cc直列3気筒OHC12V)を経て、1993年1月に第2世代へとモデルチェンジ。商用モデルはトゥデイPROとして継続販売され、また1994年9月には快適装備を組み込んだトゥデイ・ハミングを設定して、1998年10月に軽自動車の規格改定が行われる直前まで販売を続けたのである。

 

一方、この初代トゥデイの概念構成に非常に近いコンパクトカーが1992年にフランスでデビューする。車名は「ルノー・トゥインゴ」。ルノーの開発陣がトゥデイを参考にしたかどうかは明言されていないが、車両コンセプトやデザインアプローチが近いことは確かだった。トゥインゴはその後10年以上、ルノー車のボトムラインを支える重要なモデルとして位置づけられる。もし初代トゥデイの輸出仕様があったなら……本田技研工業の世界戦略車として予想以上の大ヒットを記録していたかもしれない。

 

■イメージキャラクターには当時の人気女性タレントを起用

ところで、初代トゥデイはクルマ自体のインパクトも強かったが、イメージキャラクターでも大注目を浴びた。起用されたのは当時売り出し中だった今井美樹さん。同時期に出演した味噌汁のCMを覚えている人も多いだろう。トゥデイではCMやポスターのほかに、カタログでもキュートなルックスを披露した。ちなみに、2代目トゥデイでは当時“3M”と呼ばれたアイドルの一角、牧瀬里穂さんがイメージキャラクターに起用される。一方、3Mのうちの宮沢りえさんはダイハツ・オプティ、観月ありささんは三菱パジェロ・ミニのイメージキャラクターを務めた。

 

トピックをもうひとつ。初代トゥデイはコミックの世界でも引っ張りだこで、藤島康介さん作の『逮捕しちゃうぞ』やヘッドギア企画(コミック版の作者はゆうきまさみさん)の『機動警察パトレイバー』でのミニパト仕様を筆頭に、多くの漫画に起用される。それだけ初代トゥデイのスタイリングが魅力的で、絵心を誘ったのだ。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。