固定残業制という制度

2回目の連載では、株式会社吉原精工の残業ゼロの達成に大きく寄与した「固定残業制」という概念をご紹介しました。

本連載以降では、固定残業制という制度を労働基準法等の法令の視点を交えながら解説していきます。

1.残業代の計算方法

そもそも労働基準法では、使用者は労働者に、1週間について40時間をこえて労働させてはならないと定められています(労基法32条1項)。週40時間制です。

そして、1日について8時間をこえて労働させてはならないとも定められています(労基法32条2項)。

戦後の労働基準法は週48時間制を採用しており、週休1日制が原則でした。その後、漸進的な法改正の結果、現在の週40時間制の原則は、平成9年4月1日から完全に実施されています。ちなみに学校週5日制も、このような労働時間短縮をめぐる政治的動向が背景になったとの指摘もあります(私が小学生の頃の話ですね。土日が休みになったときは小躍りしたものです)。

さて、ここに月給30万円をもらっているAさんがいました。このAさんが勤めているB会社では長時間労働が常態化しており、毎月80時間程度の残業時間が発生しています。B会社は、就業規則も特に作成しておらず、個々の従業員との間で雇用契約書も作成していませんでした(このパターンの会社は実際には非常に多いのです)。

ここで、このようなB会社における残業代の計算方法を確認しておきましょう。意外と残業代の計算方法のプロセスを理解している人は少ないので、一度思考過程を一緒に辿っていきましょう。

Aさんがもらっている月給30万円は、何に対する対価かというと、所定労働時間に対する対価です。所定労働時間とは何かと言うと、始業時間から終業時刻までの時間から休憩時間を除いた時間のことです。B会社は就業規則も雇用契約書も無いので、ここでは、1日8時間、1週40時間が所定労働時間と考えることになります。

そうすると、月あたりの所定労働時間は下記のとおり、173時間となります。

週40時間÷1週間7日×365日÷12か月=173.8時間

今何をしているのかというと、残業代の計算の前提として、Aさんの時給は一体いくらなのかを考えています。Aさんは月給30万円、月の所定労働時間は173時間ということまで分かりました。

そうすると時給は、30万円÷173時間=1,734円ということになりますね。

さてAさんは、毎月80時間程度の残業をしているという設定です。したがってAさんの残業代は、1,734円×1.25×80時間=17万3,400円ということになります。なかなか高額な残業代です。

時給単価に1.25を乗じている、すなわち、通常の時給を25%増しにして計算しようというのが労働基準法のルールです(労働基準法37条、深夜等は割愛)。よって合計金額は、基本給30万円+残業代80時間分17万3,400円の47万3,400円となります。

2.固定残業制とは何か

固定残業制とは、文字通り一定の金額により残業代を支払うことを言います。

吉原会長(吉原会長については以前の連載参照)が行った改革は、労働時間を短くするために、労働時間が仮に80時間から50時間になったとしても、給料は下がらないという仕組みを構築することによって、従業員の生産性を上げよう(どうせ同じ給料をもらうなら、仕事の効率を上げてさっさと帰ろう!と動機づけ)というものです。

Aさんのケースで説明すると、残業が80時間あった場合、47万3,400円のところ、仮に残業が50時間に減ったとしても47万3,400円を変わらず支給し続けますよ、という制度です。

ここまで聞くと素晴らしい制度ですね。しかし、この固定残業制の使い方を一歩間違えてしまうと

①残業代を1時間分も支払っていないこととなるばかりか、②残業代計算の基礎となる時給単価が極端に跳ね上がるというダブルパンチを喰らうことになります。実際に正しく運用できていない企業で、多額の残業代を支払う羽目になっているケースが多々生じています。次回は正しく固定残業制を導入する為の方法と、失敗例を見て行きましょう。

今、時代が求める「経営者の考え方」とは

第1回目の連載では、経営とは、全人格を賭けた戦いであり、経営において最も大切なことは経営者の考え方であると書きました。

では、「経営者の考え方」とは一体なんなのでしょうか。経営者のタイプは千差万別であり、解は決して一つではありません。それを承知の上で、ここでは、敢えて私が一つの正解だと信じて疑わない原会長の考え方を紹介します。

原会長:株式会社原精工の原博会長のこと。社員7人という小規模の町工場において、残業ゼロ、社員の年収全員600万円超え、年3回10連休を導入という働き方改革の先駆者、体現者とも評すべき神奈川県綾瀬市在住の経営者のこと。

本書:『町工場の全社員が残業ゼロで年収600万円以上もらえる理由』(ポプラ社)のこと

経営改革を社員目線で考える

それは、「経営改革を社員目線で考える」という考え方です(本書p.135)。

要するに、「自分が社員なら満足して働けるか」という視点から経営を考えるということです。株式会社吉原精工の労働条件をざっくりと見てみましょう。

①残業ゼロ

基本的な労働時間は、午前8時30分から午後5時まで。休憩は1時間。一日7時間30分就労の完全週休2日制です。

「社員は、17時に仕事を終えたらクルマでさっさと帰宅します。18時にはみんな風呂から上がり、さっぱりしてビールを飲む生活を送っています」(本書p.50)

②ボーナスは夏冬手取り100万円

→ポイントは「手取りで100万円」というところです。つまり、社会保険料や税金などを諸々差し引いて100万円(だから実質は約140万円!)。これを帯付きで現金で手渡しするというのです。

→しかも、ボーナスの金額は、古参社員も新入社員も一律手取り100万円です。一見、古参社員の反発を招くのではないか、と思いますが、原会長は「配慮しなければならないのは、伸び盛りの若手」であると断言します(本書p.71)。ボーナスの原資を「利益の半分」とすることによって、社員一丸となって利益を出そうと奮闘する効果があるのだと言います。古参社員は、能力に見合った基本給を支給していれば少々のことで辞めることは無いとのことです。

③年3回10連休

「有給休暇のうち14日間を私が割り振るのは、ゴールデンウイーク、お盆、年末年始にそれぞれ10連休をつくるためです」(本書p.76)

有給休暇制度を効果的に利用し、年3回の10連休を実現しています。

 

以上が、大まかな労働条件です。社員が気持ちよく働ける環境が整備されていると言えますね。

残業ゼロを達成できた理由

では、ここから原会長の改革を法的に分析していきましょう。

まずは、残業ゼロを達成するために原会長が最初に導入した「残業代は基本給に組み込んで支給する」という固定残業制という制度です(定額残業制という呼び方もあります。)。

株式会社原精工も昔から残業時間がゼロだった訳ではありません。むしろ、設立した1980年から多いときで月80時間から月100時間程度の残業時間があったとのことで、残業ゼロを達成できたのは、リーマン・ショックが起きた2008年以降のこと。そう、残業ゼロに至るまで実に30年ほどの歳月を要しているのです。

残業ゼロの達成に一躍を買ったのは固定残業制。

原会長は、それまでに支払っていた残業代と同じ水準の金額を、固定給に組み込むことで、「給料が下がらないのだったら、できるだけ時給単価を上げるために生産性を上げて早く帰れるようにしよう」という意識を社員に植え付けることに成功したのです。

次稿以降では、この固定残業制という制度を労働基準法等の法令の視点を交えながら解説していきます。この制度は、まさに経営者の覚悟が問われる制度だと断言できます。誤った目的(もっとはっきり言うと、従業員に利益は残さず、会社に利益が残ることを目的とした使用方法)でこの制度を利用することはお勧めしません。制度自体の有効性を争って従業員から裁判を起こされ、会社が負けるという例が昨今増加傾向にあり、固定残業制に対する法の目は厳しさを増しています。誤った使い方により、結果的に会社に大ダメージが発生するケースが増えている現代でこそ、正しい使い方を次稿以降学んでいきましょう。