見積業務とは何なのか?

こんにちは月井精密の名取です。今日は見積りについてのお話です。

面倒な作業

見積作業はとても面倒な作業です。

受注できるかどうかわからない案件に対して、正確に工程を算出し、受注できる価格までコスト削減した上に、利益まで見越して設定しなければならない。それもできるだけ短時間に、大量に処理を完了し提出しなければならない。しかし、忙しいからといって雑に見積もってしまうと後で後悔したりもします。

現に月井精密でもリーマンショックの時に大変痛い思いをしました。装置一式の新規案件を見積もる際、不景気のため仕事欲しさに採算度外視で見積りを提出した案件が5年間も毎月継続受注となり、大赤字の案件となってしまいました。客先は大幅な原価低減となって当時は大変喜んでいましたが、月井精密の決算書には大打撃でした。

他社での生産に切り替えてほしいと願い出ましたが、その価格で請け負う他の工場が見つからず、その案件の受注を断れない状況になってしまいました。結局無理を言って他社での生産に切り替えてもらいましたが、いい加減に見積もってしまったことにより結果的には客先に迷惑をかけてしまう形になってしまいました。

そんな経験から見積りをきちんと行おうと決心し、見積業務とは何なのかを真剣に考えるようになりました。

KKD

多くの工場は「見積りとはK勘とK経験とD度胸である」と答えます。僕も先代から「見積りはKKDだ」と教わりました。これがさっぱり理解できませんでした。

例えば売上比5%の純利益の会社は5%の見積り間違いで純利益が丸ごと無くなってしまいます。1万円に対して500円の誤差です。年間を通じてこれだけ正確な見積を続けるのは至難の業であると思いました。そこでまず感覚的な「どんぶり勘定」をやめ、見積業務を細分化することから始めました。

見積業務とは?

  • 時間チャージの設定
  • 顧客ごとにレートを設定
  • 納期ごとにレートを設定
  • 社内の工程算出(旋盤、マシニング、レーザー、ベンダーなど)
  • 社内の工程ごとの作業者を決める
  • 社内の経費算出(工具代、材料代、電気代、管理費など)
  • 外注先探し
  • 外注先への見積り依頼
  • 外注先から帰ってきた見積書の集計
  • 合算
  • 事業計画と照らし合わせて利益を上乗せ
  • 見積書作成
  • メールで送信
  • 受失注を分析
  • 案件ごとに利益が上がっているかどうかを分析
  • 時間チャージ、顧客ごとのレート、納期ごとのレートの修正

までが見積業務です。

この一連の流れをいかに早く正確にこなしPDCAを回せるかがカギとなります。製造業にとって技術力と見積力は両輪です。どちらが欠けても工場経営はうまくいきません。次回はこの面倒な見積業務をクラウドとIT技術を使ってどうスピーディーにこなせるかをご紹介したいと思います。

月井精密のデジタル化への道【2】

こんにちは。名取磨一です。

前回のブログでは、デジタル化へまい進するため、NCのマシニングセンターを購入しようと銀行へ向かう事を決意したところまででした。銀行の反応は如何に。

事業計画書

それまで自分では借金の経験がなく、会社は借金などしなくとも、うまく回っていくものだと思っておりました。しかし、製造業においては定期的に大きな設備投資をする必要があり、数千万円もする機械を現金で一括購入することの方がリスクが大きいということを税理士や金融機関の方から教えてもらい、借金をするということに強い抵抗感を感じつつも、初めて銀行融資を申し込むことにしました。

その際にどのように事業計画書を作成したらよいのかもわからず、融資担当の方に経理の仕方、会計の仕分け方、管理会計、決算書の読み方など手取り足取り教えてもらい、なんとか事業計画書を完成させ、銀行に行くと意外にも温かい目で事業計画のプレゼンを聞き入れてくれました。融資を受け、弊社にとって初めての数値制御の工作機械であるマシニングセンターを設備することができました。

CAD/CAMとの出会い

しかし、どんなに生産性の高い工作機械を設備しても、ダウンタイムを減らし稼働率を上げなければ、売り上げにはつながりません。早急にマシニングセンターのプログラムを早く作る方法を教えてもらう必要がありました。

山梨県都留市でマシニングセンターの達人がいると聞き、知り合いから紹介してもらって1週間泊まり込みで修業させてもらいました。そこで生産効率を劇的に上げることのできるツール「CAD/CAM」に出会いました。

CAD/CAMはまさに僕の考える「デジタルものづくり」には欠かせないツールで、これを使いこなせばどんなメーカーの工作機械でも動かすことができると知り、今度はドイツ製の5軸マシニングセンターを導入し、ドイツのものづくりを学ぶために、シュトゥットガルトに修業に向かいました。

当時はまだ生産効率がとても低い状態でしたが、好景気の追い風もあり順調に設備投資を重ね、人員も増加し、受注量も伸びていきました。しかしこの時、売り上げは伸びているのに利益が思ったほど伸びない状況にあることに気が付きました。中小製造業によくある「忙しいのに儲からない現象」です。

原因は見積りに

当時は北京オリンピックと円安の影響で毎月のように材料代や工具代、燃料代が上がっていましたが、僕が行っていた見積り方法はまさに「どんぶり勘定」でした。そのため、経費が上がって利益を圧迫していることに気が付きませんでした。

そんな中、突然やってきたのがリーマンショックでした。新規案件はストップし、依頼される仕事のボリュームは半減し、次から次に値引きの価格交渉に応じなければなりませんでした。客先からは毎日のように「どこまで値下げできる?」と聞かれ、今まで受けていた仕事をどんどん値下げしていきました。

低価格対応と円高対策のため、タイのアユタヤにてローカル企業とジョイントベンチャーを組んでNatori High Precision Thailand CO.,LTD.を設立し海外生産を進めることで損益ギリギリの状況が続きました。

会社を維持するためには、どこまで値下げしたら赤字がどれくらいで納まるのかが正確に算出できるシステムがないと会社維持は不可能なのではないかと思いました。

その時初めて製造業には「技術力」と「見積力」が必要であるということに気が付きました。

このように、設備投資や人員の増加、リーマンショックや海外進出など中小製造業は会社の状況が刻々と変化する中、見積り金額自体も刻々と変化していかないと、きちんとした最終利益を確保できなくなるのではないか、との思いから助成金を活用し、大学と連携し合いながら「クラウド見積りネットワークサービスTerminalQ」を開発し、株式会社NVTを立ち上げました。

現在は「日本で試作・タイで量産」という製造の流れを確立し、「世界中で使えるクラウド見積りネットワークサービスTerminalQ」を使って国内2工場、海外1工場、協力企業約100社をつないで連携をとりながら「デジタルものづくり」を推進しております。

今後ともよろしくお願いいたします。

月井精密のデジタル化へ道【1】

こんにちは。名取磨一(なとり きよかず)と申します。

月井精密株式会社 http://www.tsinc.jp

Natori High Precision Thailand CO.,LTD. http://www.tsinc.jp/natori_high_precision-thai.html

株式会社NVT https://terminal-q.com

の代表取締役をしております。今後ともよろしくお願いいたします。

今回は自己紹介

僕は都立日野高等学校を卒業後、18歳で祖父の経営する月井精密株式会社に入社しました。進学したいという気持ちもありましたが、当時祖父は75歳。技術を教えてもらうには進学を待つ時間的余裕がありませんでした。同級生300名の中で卒業後一般企業に就職したのは僕一人だけでした。

月井精密には当時数名の社員がおりましたが、僕が入社した直後に全員辞めてしまい、僕と祖父の二人だけの職場が二年間続きました。休日は日曜日だけという過酷な会社でしたが、高校時代からバイク好きということもあり機械が大好きで、汎用旋盤・汎用フライス盤に没頭する毎日がとても楽しかったです。

職人気質の祖父は、ものづくりにおいて、「見る・聞く・嗅ぐ・感じる」ことが最も重要である。と教えてくれました。特にドリルの研ぎ方、エンドミルの研ぎ方、完成バイトの研ぎ方など、刃物の研ぎ方を教わるのがとても楽しかったです。

加工する材質の硬度に合わせて自分で研いだ刃物を汎用の工作機械に装着し、手動で機械を操作して金属を削る。その時に機械から出る音や振動や臭いを感じ取り、それが製品の仕上がりにどう影響するのかを仮説を立てて検証し推理し、改善していく。刃物というものの奥深さにどっぷり浸かった充実した毎日でした。

そんなある日

祖父が脳梗塞で倒れました。工場内で真っ青になって震えていた祖父を発見し、急いで救急車を呼んだため、一命はとりとめましたが、左半身が不随になってしまいました。一級技能士の職人にとっては翼をもがれるほどの致命的なダメージでした。その日から祖父は入院とリハビリの毎日で、工場には来られなくなってしまいました。

たった一人の職場で、誰とも会話することもなく朝から深夜まで仕事をする毎日。当時20歳の僕には過酷な日々でした。見積・加工・納品・経理・会計・給料計算、すべての業務を一人でこなさなければならない上に、誰も教えてくれない状況は正直辛かったです。

デジタル化への道

そこでまず取り組んだことは、インターネット回線を引くことでした。当時の工場は、なんとまだアナログ回線の黒電話でした。社員は僕一人という状況では困ったときのインターネット検索が生命線だと思い、生まれて初めてパソコンを購入しインターネットの環境を整備しました。

そこから一気にすべての業務がアナログからデジタル化されていきました。手書きの見積書・納品書・請求書は販売管理システムに、タイムカードや給料計算は勤怠管理ソフト、会計は会計ソフト、FAXはメール、買い物はアマゾンと大塚商会、月末の振り込みや入金チェックはネットバンキング、手書き設計はCADへ。

祖父がリハビリから戻ってきたとき、劇的に変化した工場環境と事務処理環境を見て、祖父は社長を退く決断をしたそうです。20歳で事業承継を受けた僕はアナログ技術の伝承の難しさに直面しました。若い社員を採用し、「技術は、見て・聞いて・感じるものだから、10年間本気で修行して、やっと身に着くものなんだ!」と言い聞かせたところで「よし!10年後に給料がもらえるようになるなら10年間修業しよう!」なんて言う若者はいるはずもなく、八王子市の主催する集団面接会に来た新卒者に、どんな会社で働きたいかを聞いて回りました。

すると、デジタルツールやIT機器を使いこなしている会社、情報の透明性の高い会社、修業期間の短い会社、などの意見が多かったので、月井精密の当面の第一目標は「IT機器を使いこなし、暗黙知を数値化し、情報の透明性を高め、修業期間を短くして、若い人材が早く自立できるような空間を提供すること」となりました。

まず、手動の工作機械では新人が技術の習得までに3年はかかってしまうので、数値制御の工作機械を導入し、数か月間の教育で自力で製品が作れるような社内体制にしようと考えました。マシニングセンターの見積をもらうと1400万円とあり、20歳の僕には見たこともない数字でしたが、とりあえずプレゼン資料を持って銀行に相談に行くことにしました。

つづく