意外と多い固定残業制の誤用

3回目の連載では、固定残業制についての説明をしました。

その使い方を一歩間違えてしまうと、①残業代を1時間分も支払っていないこととなるばかりか、②残業代計算の基礎となる時給単価が極端に跳ね上がるというダブルパンチを喰らうことになるとの警笛も鳴らしています。

では、具体的にどのような使い方が正しいのでしょうか。

結論から申し上げます。固定残業制に関する最高裁判例の概要は以下のとおりです。

「基本給のうち割増賃金に当たる部分が明確に区分されて合意され、かつ労基法所定の計算方法による額がその額を上回るときはその差額を当該賃金の支払期に支払うことが合意されている場合のみ、その予定割増賃金分を当該月の割増賃金の一部又は全部とすることができるものと解すべき」(最判昭和63年7月14日労判523号6頁)

一読では理解が難しいと思いますので噛み砕いて説明します。要するに、固定残業制として有効だと認められるためには、

  1. 明確区分性
  2. 清算の合意

の2つが要件として必要だということです。

具体例で紹介しましょう。

第3回目の連載で取り上げたAさんの給与体系を元に説明します。

Aさん
月給:30万円(月の所定労働時間173.8時間)
残業:毎月50時間程度
固定残業制導入前 基本給30万円業代10万8375円=40万8375円

これが通常の給与体系に基づいた給与計算方法です。

経営者が「こんなにも長時間労働が生じている状態は良くない。労働時間を短くして、なおかつ賃金が変わらないようにしよう。」と決意し、残業時間が仮にゼロになったとしても給料総額を変えない規定にしました。その規定が以下のとおりです。

Aさんの月給を41万円とする。
ただし、この給料の中に残業代は含まれているものとする。

仮に固定残業制を導入している経営者がこの記事を読まれていて、「うちの会社も同じような規定になっているな」と感じられたら要注意です。これがまさにダブルパンチを喰らう典型例です。私は過去に何度もこのような「粗い」規定を目の当たりにしました。

この規定は、Aさんからすると、自分の基本給が一体いくらなのか、残業代として支払われている金額は一体いくらなのか、が全く理解できない規定になっています。要するに、先ほどの判例の1.明確区分性を満たしていません。したがって、固定残業制として有効なものとは認められません。

その結果、どのようなことが起きるのか。

仮に、この規定を導入後、残業ゼロに移行するまでの間、1年間、平均して毎月30時間の残業が発生していたとしましょう。固定残業制が認められない結果、何と、残業代の計算としては、Aさんの基本給は総額41万円を基準として計算することになるのです。

<固定残業制が認められない結果>

Aさんの月給は41万円とみなされ、基礎時給金額=41万円÷173.8=2359円となる。

<1年分の残業代はどうなるか>

時給2359円×1.25×月当たりの残業時間30時間×12か月=106万1550円

以上のとおり、何と、1年分の残業代として106万1550円が未払いとして扱われてしまうという結果になります。実際にこのような計算方法により会社が何百万円という残業代を請求されるケースが後を絶ちません。

少なくとも規定としては、以下のようにすべきです。

Aさんの月給を30万円とし、固定残業代として11万円支給する。11万円は50時間の残業時間に相当する。
Aさんが50時間を超えて労働した場合は、50時間を超えた分の残業代を別途支給する

固定残業制を導入している企業は今一度自社の規定を見直しましょう。

今、時代が求める「経営者の考え方」とは

第1回目の連載では、経営とは、全人格を賭けた戦いであり、経営において最も大切なことは経営者の考え方であると書きました。

では、「経営者の考え方」とは一体なんなのでしょうか。経営者のタイプは千差万別であり、解は決して一つではありません。それを承知の上で、ここでは、敢えて私が一つの正解だと信じて疑わない原会長の考え方を紹介します。

原会長:株式会社原精工の原博会長のこと。社員7人という小規模の町工場において、残業ゼロ、社員の年収全員600万円超え、年3回10連休を導入という働き方改革の先駆者、体現者とも評すべき神奈川県綾瀬市在住の経営者のこと。

本書:『町工場の全社員が残業ゼロで年収600万円以上もらえる理由』(ポプラ社)のこと

経営改革を社員目線で考える

それは、「経営改革を社員目線で考える」という考え方です(本書p.135)。

要するに、「自分が社員なら満足して働けるか」という視点から経営を考えるということです。株式会社吉原精工の労働条件をざっくりと見てみましょう。

①残業ゼロ

基本的な労働時間は、午前8時30分から午後5時まで。休憩は1時間。一日7時間30分就労の完全週休2日制です。

「社員は、17時に仕事を終えたらクルマでさっさと帰宅します。18時にはみんな風呂から上がり、さっぱりしてビールを飲む生活を送っています」(本書p.50)

②ボーナスは夏冬手取り100万円

→ポイントは「手取りで100万円」というところです。つまり、社会保険料や税金などを諸々差し引いて100万円(だから実質は約140万円!)。これを帯付きで現金で手渡しするというのです。

→しかも、ボーナスの金額は、古参社員も新入社員も一律手取り100万円です。一見、古参社員の反発を招くのではないか、と思いますが、原会長は「配慮しなければならないのは、伸び盛りの若手」であると断言します(本書p.71)。ボーナスの原資を「利益の半分」とすることによって、社員一丸となって利益を出そうと奮闘する効果があるのだと言います。古参社員は、能力に見合った基本給を支給していれば少々のことで辞めることは無いとのことです。

③年3回10連休

「有給休暇のうち14日間を私が割り振るのは、ゴールデンウイーク、お盆、年末年始にそれぞれ10連休をつくるためです」(本書p.76)

有給休暇制度を効果的に利用し、年3回の10連休を実現しています。

 

以上が、大まかな労働条件です。社員が気持ちよく働ける環境が整備されていると言えますね。

残業ゼロを達成できた理由

では、ここから原会長の改革を法的に分析していきましょう。

まずは、残業ゼロを達成するために原会長が最初に導入した「残業代は基本給に組み込んで支給する」という固定残業制という制度です(定額残業制という呼び方もあります。)。

株式会社原精工も昔から残業時間がゼロだった訳ではありません。むしろ、設立した1980年から多いときで月80時間から月100時間程度の残業時間があったとのことで、残業ゼロを達成できたのは、リーマン・ショックが起きた2008年以降のこと。そう、残業ゼロに至るまで実に30年ほどの歳月を要しているのです。

残業ゼロの達成に一躍を買ったのは固定残業制。

原会長は、それまでに支払っていた残業代と同じ水準の金額を、固定給に組み込むことで、「給料が下がらないのだったら、できるだけ時給単価を上げるために生産性を上げて早く帰れるようにしよう」という意識を社員に植え付けることに成功したのです。

次稿以降では、この固定残業制という制度を労働基準法等の法令の視点を交えながら解説していきます。この制度は、まさに経営者の覚悟が問われる制度だと断言できます。誤った目的(もっとはっきり言うと、従業員に利益は残さず、会社に利益が残ることを目的とした使用方法)でこの制度を利用することはお勧めしません。制度自体の有効性を争って従業員から裁判を起こされ、会社が負けるという例が昨今増加傾向にあり、固定残業制に対する法の目は厳しさを増しています。誤った使い方により、結果的に会社に大ダメージが発生するケースが増えている現代でこそ、正しい使い方を次稿以降学んでいきましょう。