「サブカルのシモキタ」開発で再注目。熱気と個性が下北沢に戻ってきた!

下北沢は「サブカルチャーの聖地」「若者のまち」として1970年代から人気を集めてきた。しかしここ20年はチェーン店が増加し、「かつての熱気が失われたのでは」ともささやかれていた。しかし現在、再び脚光を浴びているのだ。
京王井の頭線と小田急線が通る下北沢エリア(東京都世田谷区)は2013年から在来線の地下化や高架化が行われ、ここ数年は「下北線路街」「ミカン下北」などさまざまな複合施設のオープンラッシュ。大規模開発で駅前も整備された。現在はどのような進化を遂げているのだろうか。

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

開発から10年、まちやカルチャーの専門家3人の目線から現在の下北沢はどう見えているのか

SUUMOジャーナルでは、2021年8月にも下北沢の開発の様子をお伝えした。あれから1年、新しい商業施設も増え、さらなる進化を遂げている。
そこで今回は、2022年6月30日にTSUTAYA BOOKSTORE下北沢のSHARE LOUNGE(シェアラウンジ)で開催された「書店から考える〈ウォーカブルな街「下北沢」を支える新施設と人〉」をテーマにしたトークイベントに登壇した、下北沢に縁の深い3名に下北沢のまちの現在についてインタビューを行った。

左からB&B/BONUS TRACKの内沼晋太郎さん、CCC門司孝之さん、『商店建築』編集長の塩田健一さん(写真撮影/嶋崎征弘)

左からB&B/BONUS TRACKの内沼晋太郎さん、CCC門司孝之さん、『商店建築』編集長の塩田健一さん(写真撮影/嶋崎征弘)

「商業施設」を通じてまちの移り変わりを追い続ける雑誌『商店建築』編集長の塩田健一さん、下北沢を代表する本屋B&Bの共同経営者で商業施設「BONUS TRACK」を運営する散歩社の取締役・内沼晋太郎さん、TSUTAYA BOOKSTORE下北沢の物件開発担当のカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)門司孝之さん、それぞれの目から今の下北沢はどう見えているのだろうか。

開発が始まった当初の10年前、下北沢のまちを大手チェーン店が席巻していた(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

10年前に内沼さんらが「本屋B&B」をオープンした時、「こういう店ができたのは久しぶりだ」と言われたという。

下北沢が長年「サブカルチャーのまち」「若者のまち」として愛されてきた背景には、個性派個人店が多く存在していたことがある。

しかし、まちの人気にともない、店舗の賃料が上昇。潰れた個人店の跡には、高い賃料が弊害となり小さな個人店は入ることができず、大手チェーン店ができる……という流れが生まれ、下北沢の特色を生む個性派個人店がオープンする「余白」がなくなりつつあったのだという。

こうして大手チェーン店が席巻するなか、内沼さんらがオープンさせた「本屋B&B」には、「チャレンジできる場所」としての下北沢らしさがあったようだ。

「本屋B&B」は2回の移転を経て、現在は「BONUS TRACK」内にある(写真撮影/嶋崎征弘)

「本屋B&B」は2回の移転を経て、現在は「BONUS TRACK」内にある(写真撮影/嶋崎征弘)

毎日イベントを開催する、店内でビールが飲めるなど、当時から書店として型破りの挑戦をしてきたこともあって、「本屋B&B」は今や下北沢を代表する存在になった。

「本屋B&B」が個人店復活の先駆けとなったこと、時を同じくして下北沢の大規模開発で個人店の入居を想定した商業施設づくりが始まったことから、現在では、特色ある個人店が再び活気を生んでいる。

一方、TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢は今回の開発で新規参入した “大手チェーン”だが、他の地域と同じ店づくりはしていない。店舗開発を担当した門司さんは、下北沢のカラー、個性に寄り添った展開を心掛けたようだ。

もともとTSUTAYAや蔦屋書店は地域の特性に合わせた店舗づくりをしているが、「本屋B&B」をはじめ、個性派書店が数多くある下北沢だからこそ、逆に「本のラインナップは個性を打ち出すのではなく、総合書店として話題の本やコミックをしっかりとそろえる」ことにしたという。

その代わり、地域の人々が横のつながりを持つことができる場所に、とSHARE LOUNGEを設けた。

「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」。「これまで下北沢の書店には、意外と文芸書やコミックなどの売れ筋を扱うところが多くはなかったんです」と内沼さんは振り返る(写真撮影/嶋崎征弘)

「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」。「これまで下北沢の書店には、意外と文芸書やコミックなどの売れ筋を扱うところが多くはなかったんです」と内沼さんは振り返る(写真撮影/嶋崎征弘)

SHARE LOUNGEではビールサーバーや軽食を用意している(写真撮影/嶋崎征弘)

SHARE LOUNGEではビールサーバーや軽食を用意している(写真撮影/嶋崎征弘)

既存の個人店との役割を分けながら、新しい地元の場所を創出したかたちだ。

そんな“大手チェーン店”の参入を、「本屋B&B」の内沼さんは当初は「脅威を感じた」一方で、実際にできた店を訪れて「TSUTAYAという新しいこのピースが入ったことで、下北沢というまち全体で、本を買うことが楽しくなる環境がより整った」と感じた。

「本屋というのは、まちに住む人や訪れる人の影響を受けて品ぞろえをするため、まちの特色を代弁する存在になりやすいです。現在の下北沢は、全国どこを見渡しても稀有な、本屋めぐりが楽しい特別なまちになっていると思います」(内沼さん)

「本屋B&B」と「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」は、現在の下北沢における個性派個人店と大型チェーン店の新たな関係性を表しているようだ。本屋だけでなく、今やほかのジャンルにおいても、同様の動きが生まれつつある。

7月号で下北沢を特集した『商店建築』編集長の塩田さんは、取材を通じて「いずれの商業施設も、『個人商店が集まった、顔が見える商業施設づくり』をテーマにしていたことが印象的だった」と話す。

「下北沢に新しい商業施設がオープンするたびに取材をしてきました。新しいアイデアが結集してできあがったまちという印象がある一方で、すごく懐かしい、昔の商店街のような要素を感じます。昔の商店街にあった、お店をやっている人が奥に住んでいて、その人たちの生活やお茶の間が見えていた世界観が、ここ最近で続々とオープンした施設に入っているお店にも垣間見られるんです。顔の見える個人商店が集まっているような雰囲気です」(塩田さん)

下北沢は、歩きまわって楽しい仕掛けが散りばめられたまちに生まれ変わった

下北沢の魅力は、“特色のある個人店が多いこと”だけではない。
塩田さんは、下北沢が「ますます歩いて楽しい“ウォーカブルなまち”になった」と感じたという。
「下北沢にはもともとたくさんの路地があり、特色ある店がここかしこに存在していました。しかし近年、まちが整備されたことで、ますます“歩き回って面白い”仕掛けがたくさん散りばめられました」(塩田さん)

『商店建築』7月号「変貌する『下北沢』」特集(写真提供/商店建築社)

『商店建築』7月号「変貌する『下北沢』」特集(写真提供/商店建築社)

まず、2020年4月にオープンした商業施設「BONUS TRACK」の存在は大きいという。「BONUS TRACK」には、書店や発酵食品の店、コワーキングスペースなど13のテナントが立ち並んでいる。

「訪れた人が、歩いたり、溜まったり、そこでの過ごし方を自由に選べる。そういった“回遊性”を楽しめる、絶妙な構成でつくられているんです」(塩田さん)

「BONUS TRACK」。「本の読める店 fuzkue」や、全国の発酵食品を販売する「発酵デパートメント」など13テナントが立ち並ぶ。(写真撮影/嶋崎征弘)

「BONUS TRACK」。「本の読める店 fuzkue」や、全国の発酵食品を販売する「発酵デパートメント」など13テナントが立ち並ぶ。(写真撮影/嶋崎征弘)

施設内は、路地裏を歩いているような感覚を楽しめる「余白」を意識したつくり。食事をしたり、知り合いや店の人と立ち話をしたり。時には広場でポップアップイベントも開催される(写真撮影/嶋崎征弘)

施設内は、路地裏を歩いているような感覚を楽しめる「余白」を意識したつくり。食事をしたり、知り合いや店の人と立ち話をしたり。時には広場でポップアップイベントも開催される(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

「その後に誕生した『reload(リロード)』や『ミカン下北』などの商業施設のつくりもユニークです」と塩田さん。
「外観からはわからないのですが、建物の中に入ると、まるで路地に迷い込んだ感覚になります。商業施設のなかに、路地が張り巡らされた小さなまちがあるようです。こういった施設が増えたことで、下北沢の“歩いて楽しいまち”のイメージが広がったように思います」

2021年6月に小田急線線路跡地にオープンした「reload」(写真撮影/嶋崎征弘)

2021年6月に小田急線線路跡地にオープンした「reload」(写真撮影/嶋崎征弘)

「reload」は、“店主の顔が見える個店街”がコンセプト。下北沢で長年ビジネスを営んできた店から、下北沢初出店の店舗まで個性豊かな顔ぶれ。「歩くたびに見える景色が違う」と塩田さん。テナントは路地や階段で結ばれ、ちょっとした迷路探索気分(写真撮影/嶋崎征弘)

「reload」は、“店主の顔が見える個店街”がコンセプト。下北沢で長年ビジネスを営んできた店から、下北沢初出店の店舗まで個性豊かな顔ぶれ。「歩くたびに見える景色が違う」と塩田さん。テナントは路地や階段で結ばれ、ちょっとした迷路探索気分(写真撮影/嶋崎征弘)

従来の商業施設は、どの施設にも同じような店が並んでいたり、画一的なレイアウトだったりして、歩き回る楽しさよりも動線の効率化が優先されているものが多い。そのため、施設内に入ると、せっかくのまち歩きの楽しさが分断されてしまっていた。

しかし、新しく登場した商業施設の回遊性を大切にしたつくりは、楽しいまち歩きの延長線上となり、下北沢が施設内を含めて“歩いて楽しいまち”に昇華された形だ。

また、塩田さんは「下北沢駅からまちに出る方法にも、複数の選択肢があるのもおもしろい」と言う。駅を上るとカフェや居酒屋が並ぶ「シモキタエキウエ」へ、井の頭線・中央口改札、小田急線・東口改札から出て右手側に歩くとすぐに「ミカン下北」があり、駅を出た瞬間からそれぞれに違ったまち歩きがスタートする。

2022年3月に高架下に誕生した「ミカン下北」は、外側からはズラリと並ぶテナントが見えるが、中に入るとストリートが登場する(写真撮影/嶋崎征弘)

2022年3月に高架下に誕生した「ミカン下北」は、外側からはズラリと並ぶテナントが見えるが、中に入るとストリートが登場する(写真撮影/嶋崎征弘)

「ミカン下北」のストリート。レトロな提灯街を思い起こさせるショップの数々、歩く人との距離の近さが、下北沢の路地感をそのまま表現しているかのようだ(写真撮影/嶋崎征弘)

「ミカン下北」のストリート。レトロな提灯街を思い起こさせるショップの数々、歩く人との距離の近さが、下北沢の路地感をそのまま表現しているかのようだ(写真撮影/嶋崎征弘)

新しさと懐かしさが同居する

国土交通省は今、「『居心地が良く歩きたくなる』空間づくり」を推進し、全国で支援などを行っている。そんななか、塩田さんは「下北沢の開発はこれから他の地域のモデルになる」と断言する。

「他に類を見ない最先端の商業施設がここにできあがりました。一方で、全国で商業施設をつくりたいと考えている人が理想とするものが、今、下北沢に出そろっているということになるのではないでしょうか。だから、今後は規模の大小はあるとしても、下北沢を参考にして、日本中にたくさんの個性的な商業施設ができあがってくると思うし、できてほしい」

新しい商業施設が続々とできる一方で、居酒屋や古着屋などが雑多に立ち並ぶ以前から変わらない風景も。昔ながらの路地裏巡りも、下北沢の変わらない醍醐味のひとつ(写真撮影/嶋崎征弘)

新しい商業施設が続々とできる一方で、居酒屋や古着屋などが雑多に立ち並ぶ以前から変わらない風景も。昔ながらの路地裏巡りも、下北沢の変わらない醍醐味のひとつ(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

ここも駅前で整備されたエリア。誕生した商業施設を緩やかに新たな道で繋ぎ、まちがより一層ウォーカブルになった(写真撮影/嶋崎征弘)

ここも駅前で整備されたエリア。誕生した商業施設を緩やかに新たな道で繋ぎ、まちがより一層ウォーカブルになった(写真撮影/嶋崎征弘)

まち全体で課題を共有していく必要がある

「本屋B&B」「BONUS TRACK」を手掛けてきた内沼さんは現在、下北沢と長野県御代田町で二拠点生活を送っている。「BONUS TRACKという場所に20年間かかわる覚悟を決めたので、東京という場所、下北沢というまちを客観視するために、住まいを移しました」と話す。

そうして見えてきたのは、「それぞれの店が、自分の店のことだけを考えるのではなく、課題を共有しながら運営していくことが大切」ということ。

下北沢が「歩くのが楽しいウォーカブルなまち」となり、個人店が再び集う「若者たちが挑戦できるまち」として復活しつつある今、以前よりもまちの一体感は高まっているのではないか。かつては個人店という点同士がまちをかたちづくっていた。しかし今後はまち全体としてお互いを高め合い、より魅力的なまちをつくっていく予感を感じた。

●取材協力
BONUS TRACK
本屋B&B
TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢
ミカン下北
reload
商店建築

新品なのに捨てられる「建材ロス」問題。オトクに販売し建築業界の悪しき慣習に挑む  HUB&STOCK

まだ食べられる食材が廃棄される「フードロス問題」はよく知られていますが、実は建築業界でも同様に余剰となった新品の建築資材が廃棄されている「建築資材ロス問題」があります。まだ使える建材をレスキューして、再利用につなげる、そんな会社をはじめた建築士の挑戦をご紹介します。

新品を廃棄!? 背景は「納期厳守」の建築業界の慣習

日本の、特に都市部などの利便性の高いエリアでは、ビルやマンションの槌音が絶える日はありません。新しいビルが建設されるとき、建築会社は内装材をはじめ資材を必要量よりやや多めに発注します。「引き渡し日」を死守するため、長年、行われてきた業界の慣習です。

そうして、無事に建物が完成すると、使われなかった新品の建築資材、端材が発生します。多くの場合、工事後にまとめて廃棄しています。まだ新品で使えるのにも関わらず、会社が処分費用を払って、です。

建築会社からレスキューしてきた建築資材。どれも使われていない、新品です(写真提供:HUB&STOCK)

建築会社からレスキューしてきた建築資材。どれも使われていない、新品です(写真提供:HUB&STOCK)

こうした余剰の建築資材を集め、必要となる人や企業へ届けようとはじめたのが「HUB&STOCK(ハブ&ストック)」です。立ち上げたのは、一級建築士の豊田訓平さん。ゼネコン、一級建築士事務所を経て、2021年にはじめたスタートアップ企業です。

HUB&STOCKをはじめた一級建築士の豊田さん(写真提供:HUB&STOCK)

HUB&STOCKをはじめた一級建築士の豊田さん(写真提供:HUB&STOCK)

「今、東京をはじめ首都圏で合計約100万トンの建築混合廃棄物が出ています(2018年度)が、うち約2割がこうした新品だと思われます。東京の最終処分場の処理能力は既に限界です。最終処分場がいっぱいになってじゃあ、地方に持っていって捨てていいのか?と。一方で建築会社も建築資材を捨てたくて捨てているわけではありません。半端な量なのと、資材流用になってしまうので、他の現場では使えない。『もったいないよね』『なんとかできないかな』、皆そう思っているけど、既存の仕組みでは難しい。迷っていたときに、社会起業家集団ボーダレス・ジャパンの人と会って話をし、『もう、やるしかないじゃん』と腹を括ってはじめました」(豊田さん)

HUB & STOCKの倉庫には今、約600種類、1万2000点もの、今すぐ使える建材がずらりと並んでいます。資源として「すでに利用可能な状態」の建材を再利用するのは、環境負荷として非常に負荷が低く、無理も無駄もありません。ただ、業界の慣習でなかなか変えられない側面があり、文字どおり豊田さんが身ひとつ、真っ向から挑戦している状況です。

豊田さん自身が回収してきた資材たち。きれいに仕分けされ、ところ狭しと並びます(写真撮影/嘉屋恭子)

豊田さん自身が回収してきた資材たち。きれいに仕分けされ、ところ狭しと並びます(写真撮影/嘉屋恭子)

多いのは床材。これがすべて廃棄されていたと思うと信じられません(写真撮影/嘉屋恭子)

多いのは床材。これがすべて廃棄されていたと思うと信じられません(写真撮影/嘉屋恭子)

自ら会社に出向いて建材を仕入れ。販売はホームセンターで実施

立ち上げから1年が経過し、余剰となった資材提供をしてくれる会社も、1社また1社と増え、現在、一都三県の協力してくれる20もの建設会社にまで増えたそう。また、引取時はどんなに少額でも引取費用を支払っているといいます。そのため、建設会社から見ると、(1)資材を保管、廃棄する手間がなくなる、(2)廃棄処分費用が不要になる、(3)収入になる、と3つのメリットがあることになります。

豊田さんが仕入れるのは主に床材、壁紙、タイル、巾木など。一つずつ、タグをつけて保管するだけでなく、なおかつ実際の使用例まで見せられるのは、豊田さんが一級建築士である強みです。

巾木がずらり。素人が見てもなんだかわかりませんが、タグ付け、仕分けができているので、いつでも出荷できる状態です(写真撮影/嘉屋恭子)

巾木がずらり。素人が見てもなんだかわかりませんが、タグ付け、仕分けができているので、いつでも出荷できる状態です(写真撮影/嘉屋恭子)

「1つの建設会社から出る建築資材は、だいたい2トントラック一杯分です。初めての取引先は青山だったんですが、トラックを運転して行きました。今は2~3カ月に一度程度、回収しています。モノによっては重さ60kgある建材を自身で搬入搬出しているので、だいぶ足腰が鍛えられました(笑)」(豊田さん)

保管されている建材は現在、ホームセンターなどで、メーカーの希望小売価格の7~8割引き、卸売価格の2~3割引きという、アウトレット価格で販売されています。
「DIYをする人やプロからは、必要な資材がすぐに買える貴重な場だけあって、『ぜひ売ってほしい』『店舗を見たい』という要望を多くいただいているのですが、今は、自分ひとりで回しているので、弊社で直接、販売できるキャパシティがないんです。首都圏であればホームセンターの山新さんで、『アウトレット建材コーナー』を設置してもらい販売しています。ホームセンターは全国で約5000店舗あるので、『新古建材を循環する流れ』をつくる意義を考えると、自社で販売するよりもこちらのほうが有利と考えてのことです」と豊田さん。

とはいえ、スタートアップ企業のHUB&STOCKが、ホームセンター大手企業といきなり取引するのは容易ではありません。そこでホームセンターの業界紙に取り上げてもらった記事を片手に、豊田さんが各社社長宛てに直筆の手紙を書き、販売交渉にあたったそう。当たり前ですが、1人で何役もこなすその努力に頭が下がります。

新古建材を使って原状回復をした例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

新古建材を使って原状回復をした例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

異なる柄のタイルカーペットも組み合わせることで有効活用できる例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

異なる柄のタイルカーペットも組み合わせることで有効活用できる例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

言われなければ新古建材を使っているとはわかりません。豊田さんのデザイナーとしての腕の確かさを感じます。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

言われなければ新古建材を使っているとはわかりません。豊田さんのデザイナーとしての腕の確かさを感じます。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」のデスクまわりの様子(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」のデスクまわりの様子(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」部屋全体(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」部屋全体(写真提供:HUB&STOCK)

課題は売る建材がない!? 将来は地域拠点やアジアでの進出も視野に

現状、苦労して黒字を計上できる月も出てきたといいますが、このところ建材不足と価格高騰という追い風が吹いていて、ありがたくもあり、困っている状況でもあるといいます。

「とにかく課題は山積みなんですが、今は建材が高騰しているので、とにかく欲しいので売ってくれ、という引き合いが多いですね。要望が多いのはとくに床材です。利用用途としては、賃貸物件の原状回復、個人のDIYなどでしょうか。当社に入ってくる資材は特性上、少量ロットになるので、個人のリフォームや原状回復と相性がいいんですよ」(豊田さん)

まさかの資材不足の影響がココにもきているそう。
「今、ここにある断熱材もすでに行き先が決まっています。いい建材がたくさんあるので、売れていくのはうれしいですね。メーカーはじめ、企業との協業も水面下で進んでいるんですが、まだまだ言えないことも多くて困ります」と苦笑いをします。

いちばん上に載せられた断熱材。すでに使いたいと申し出があるといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

いちばん上に載せられた断熱材。すでに使いたいと申し出があるといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

「賃貸でも分譲でも、住まいに無関係な人はいません。ぜひ、建築の資材問題を知ってもらいたいですし、欲しいなと思ったらホームセンターで手に取ってほしいですね。実は新築の建材廃棄問題は、メーカーでも卸売会社でも発生しています。販売できなかった商品は処分されているんですね。メーカーさんもこのままじゃいけないのは、わかっている。弊社で引き取り、アウトレット建材ということで販売していけたらいいなと思っています」(豊田さん)

今後の展望としては、建築資材を地域で循環させていくモデルを確立すること。

「利便性のいい土地に大拠点をつくると輸送費のほうが高くなるので(笑)、関東や中部、関西など、その地域地域にあわせたストックをつくり、循環させていくモデルをつくりたいですね」といい、日本のみならず、さらには海外展開も視野に入れているといいます。
「日本だけでなく、現在、発展著しいアジア各地でも同様の問題は起きるはずです。将来はアジアにもビジネスモデルを輸出していけたら」と話します。

ほかにも、余った建材どう組み合わせてデザインするか、設計手法のコンサルティングなども考えているそう。「デザインありき」ではなく、建材をどうやって組み合わせて空間を見せるか、考えただけでもおもしろそうです。今後、国内では中古住宅のリフォーム、修繕、メンテナンスはますます広がりを見せることでしょう。そんなときの、ホームセンターで新古建材を選ぶことが当たり前の選択肢になる、そんな日はそう遠くない気がします。

●取材協力
HUB&STOCK

わずか6畳のプレハブ書店。本屋が消えた町に住民らが「六畳書房」を立ち上げた理由 北海道浦河町

海からのんびり歩くこと3分、木々に囲まれた中にあるプレハブ小屋が見えてきた。人口約1万2000人の町唯一の書店「六畳書房」だ。本屋のなくなった町で、2014年に初代店主と住民ら有志が立ち上がりスタートした。現在の店主は武藤あかり(むとう・あかり)さん、書店勤務の経験はない。なぜ、この地に、いったいどのような経緯でこの店ができたのか、北海道の浦河町を訪ねた。

「浦河町」っていったいどんなところ? 夏は涼しく冬は温暖な地域

札幌から車で約3時間、太平洋に面した浦河町。夏は涼しく冬は温暖で雪が少ない。大きな娯楽施設や商業施設はなく、道を歩いていると、「こんにちは」と声をかけてくれるのどかな町だ。

競走馬の生産地としてよく知られ、町の中心部から車を10分ほど走らせると、牧草地が広がり馬ののんびり歩く姿を見ることができる。町内にはJRA(日本中央競馬会)の日高育成牧場をはじめ約200の牧場があり、道路には「馬横断注意」という看板が掲げられているほど馬が多く自然豊かな場所だ。

牧場が広がる浦河町。乗馬体験も人気だ(写真撮影/岡みなこ)

牧場が広がる浦河町。乗馬体験も人気だ(写真撮影/岡みなこ)

「馬横断注意」の看板。道路のいたるところで見ることができる(写真撮影/岡みなこ)

「馬横断注意」の看板。道路のいたるところで見ることができる(写真撮影/岡みなこ)

そんな浦河町に「六畳書房」ができたのは、2014年のこと。地元の書店やチェーン書店が次々と撤退し「本屋のない町」になっていた。

「町に本屋が欲しい」──。住民たちの切実な思いに、地域おこし協力隊で札幌から浦河町に来ていた武藤拓也(むとう・たくや)さんが立ち上がった。ある日、拓也さんらは、ユニークなフェアを次々生み出してきた札幌の「くすみ書房」が行ったクラウドファンディングで、店主の久住邦晴(くすみ・くにはる)さんを講演に呼べるというリターンを見つけ講演会を開いた。久住さんからのアドバイスを得て、一口5000円の寄付を100人近くから集め、古民家の六畳間に小さな書店を完成させた。開店は週1回、皆の力で開いた書店だからと、拓也さんは自分自身のことを店長ではなく、店番と呼んだ。

だが、開店からわずか3年後に拓也さんの仕事が忙しくなったことや資金面など、さまざまな理由が重なり閉店してしまった。また町から本屋がなくなってしまう──。浦河町に移住してきた夫妻が中継ぎとして運営を引き受け、自宅の居間で営業を再開した。

自分と対話を続け、3代目店主に手を挙げた

あくまで中継ぎ、“長く続けられる人を”と3代目を探していたところに、手を挙げたのが現在店長を務めるあかりさんだった。浦河出身のあかりさんは、「ここから出たい」と札幌の高専へ進学したが、結婚を機に浦河町へUターンをして地元で子育てを始めた。

子どもが1歳になるころに育休から復帰したものの、勤務先はホテルでシフト制。子どもの急な発熱などで、穴を開けてしまうこともあり、両立の難しさをひしひしと感じていた。忙しい日々の中でふと、「あれ、私のやりたいことってなんだった……?」と思いを巡らせた。

20代、映像作品の制作にのめりこんでいたころの気持ちを思い出したあかりさん。浦河町に戻ってきてからも細々と制作は続けていたが、それまでのような制作方法に限界を感じていた。「30代を子どもと一緒に浦河でどう過ごそうか」と悩みに悩んだ末、「つくり手ではなく表現物を紹介する側でもいいのでは」とこれから進む道筋を見つけた。

以前から「六畳書房」が3代目店主を募集していたことを知っていたため、「私がやりたいんですが……」と手を挙げた。

木々に囲まれた中にある「六畳書房」。町の中心部からも近い(写真撮影/岡みなこ)

木々に囲まれた中にある「六畳書房」。町の中心部からも近い(写真撮影/岡みなこ)

「本当にやるの? やりたいの?」初代として「六畳書房」を立ち上げた夫は驚いたようにこう言ったが、あかりさんの決意は固かった。

2020年11月に引き継ぎスタートしたものの…襲ったコロナ禍

2020年11月に引き継ぎ、当初は出張本屋としての運営を考えていたが、コロナ禍にぶつかりイベント販売もままならない状況になってしまった。出張型は諦め、自宅近くの場所に、あかりさんの祖父の使っていたプレハブを移設した。店を構え、2021年7月に3代目店主あかりさんの「六畳書房」がついに開店した。偶然にも譲り受けたプレハブは“6畳”の広さだった。

店内の様子(写真提供/六畳書房)

店内の様子(写真提供/六畳書房)

店内に入るとすぐ目につくのが新刊やおすすめの書籍が並ぶ棚だ。取材した日は浦河町出身で『少年と犬』で2020年に直木賞を受賞した馳星周(はせ・せいしゅう)さんの新著『黄金旅程』が山積みされていた。同作は、直木賞受賞後の第一作で浦河町を舞台にしている。

絵本など児童書は子どもの手の取りやすいところに並べられ、子どもが座って読めるように、座卓を使ったちょっとした小上がりも用意されている。

座卓に座って本を選んだり、読んだりすることもできる(写真撮影/岡みなこ)

座卓に座って本を選んだり、読んだりすることもできる(写真撮影/岡みなこ)

浦河町出身の直木賞作家・馳星周さんのサイン(写真撮影/岡みなこ)

浦河町出身の直木賞作家・馳星周さんのサイン(写真撮影/岡みなこ)

営業は週3回程度 表現力豊かなポップがお出迎え

表紙の色や雰囲気なども見つつ、本の位置を考え、陳列していくあかりさん。「立ち読み歓迎。どうぞごゆっくり本をお選びください」と書かれた貼り紙や、「今読みたいロシア・戦争の関連本」「店長推しマンガ」「ナンセンス絵本の神と言われる長新太さんの絵本」「『カニ ツンツン』なんか笑っちゃってうまく読めない!(笑)」など本の紹介や思わず本を開いてみたくなる感想が書かれた手書きのポップが随所に貼られ、それらを読むだけでも楽しい気持ちになる。

月50冊の新刊が入ってくる「六畳書房」。本の陳列を見直すあかりさん(写真撮影/岡みなこ)

月50冊の新刊が入ってくる「六畳書房」。本の陳列を見直すあかりさん(写真撮影/岡みなこ)

「立ち読み歓迎」の貼り紙、あかりさんの温かさを感じられる(写真撮影/岡みなこ)

「立ち読み歓迎」の貼り紙、あかりさんの温かさを感じられる(写真撮影/岡みなこ)

営業は月によって変わるが、主に水~土の間で週3日程度。事前にTwitterやInstagramなどSNSで営業日を告知している。Instagramには、その時のおすすめや新しく入荷した本などをあかりさんの感想などコメントを添えて投稿している。

例えば、『本のフルコース 選書はひとを映す鏡』(著・佐藤優子)の紹介では、「旅先に持っていきたい1冊」と端的だけど心くすぐる一言が記されていた。「六畳書房」に行ってみようかな、本を手に取ってみようかなと思うような仕掛けが凝らされ、「SNSを見て来た」というお客さんも増えているそうだ。

猫やカモメのお客さんも来店! 1時間近くかけて来店する人もいる

来店客は、1人も来ない日もあれば、5組~10組どっと来店する日もあるそう。猫やカモメのお客さんがひょっこり現れることもある。客層も幅広く、老若男女問わずさまざまなお客さんが来店する。書店のない近隣の町から車で1時間近くかけて来る人もいるそうだ。ネットが使えず読みたい本を購入できない高齢者からの注文も受けており、数は少ないながらも住民のインフラ的な存在にもなっている。

「六畳書房」から見える浦河の港。潮の香りが漂ってくる(写真撮影/岡みなこ)

「六畳書房」から見える浦河の港。潮の香りが漂ってくる(写真撮影/岡みなこ)

店に並ぶ本は、新刊8割、古本が2割ほどで、新刊入荷は月50冊程度。選書はあかりさんがいいと思うものや、常連さんの好みに合いそうな本、話題の本、お客さんにおすすめを教えてもらったりして仕入れている。

一般的な書店にある返品制度が六畳書房ではさまざまな理由から使えず、買い切りになっているため、売れ残りにならないよう慎重な選書をしているそうだ。「本当はマンガなどももっと入れたい」と言うが、返品できないというリスクもあり、大々的な販売には踏み切れていない。

一番の売れ筋は意外にも「絵本」だという。自分の子ども用だけでなく、出産などお祝い向けに買って行く人が多い。手に取って、本を開き、プレゼントする人のことを思い浮かべながら選ぶことができる。リアル書店ならではのよさだ。

本を選ぶことは旅行と一緒 予想外の出会いがうれしい

絵本に限らず、自分が興味なかった分野の本でも、書店で平積みされているのを見たり、表紙を見たり、手に取ってみたりして買って読んでみると意外にも面白くのめりこんでしまうことがある。「六畳書房」ではその寄り道の楽しさや偶然の出会いなどリアル書店ならではの醍醐味を味わうことができるのだ。

あかりさん自身も“予定調和でない出会い”はとても大切にしており、お店の運営においても重視しているという。

「予定していないものに出会うことを大切にしています。例えば旅行に行って、予定通りに動こうとしても、そのとおりにいかないことのほうが多いですよね。でも、帰ってきてから記憶に残っているのは想定外のことだったりしますよね。

本棚を眺めていて全然知らなかった本を手に取ってみることも旅行と同じです。アマゾンやネットフリックスはネット上でなんでも見られるように思えますが、その人に最適化されたものが次々と表示されているだけで偶然の出会いは起こりにくい」(あかりさん)

浦河の街並みを一望できるルピナスの丘(写真撮影/岡みなこ)

浦河の街並みを一望できるルピナスの丘(写真撮影/岡みなこ)

何かが起きる場所としての「六畳書房」

だからこそ、浦河町で本屋を開く意味があるという。「田舎は都会と比べると知らない人に出会う機会も、知らない物に出会うことも少ない。手に取れるカルチャーや訪れることのできる文化施設が少ないのが都会との違いです。ここの書店を何かが起こる場所にしたかった」(あかりさん)

あかりさん自身も「六畳書房」を始めてからいくつもの偶然の出会いがあった。訪ねてきたお客さんの中には地元は近いが六畳書房で初めて出会い、話してみると札幌時代に近所に住んでいたことや趣味が似ていることがわかり、泊まりがけで遊ぶ仲になった同い年の人もいる。この「場」がなかったら起こりえなかったことだ。

長く続けるために「商売としてきちんと続けるつもりでやらないと、続かない」と言い、利益を出すことを目指している。しかし、現在はまだまだ利益が出ているとはいえない。そのため、本屋の営業以外にも本や映画やローカル情報の話をする有料の動画配信も始めた。また、今は週3回程度の営業だが、子どもの成長に合わせて今後少しずつ日数を増やすことも視野に入れているという。

「ここに住んでいる人たちが町に愛着を持てる存在になれたらいいなと思っている」というあかりさんの言葉が強く印象に残った。

人と人、物と人が偶然出会う場は、ネット通販が主流になったこの時代でも必要なものであるということを「六畳書房」を通して改めて実感した。町の本屋さんという場を通して、人と人とが出会い、そこで交流を深めることで町にも活気が湧いてくる。これまでだったら家で過ごしていた時間を本屋に行く時間に充て、町を歩き、行く途中や店でさまざまな人との出会いも生まれる。さらに、歴代の店主や住民の想いが詰まった「六畳書房」が浦河にあることで町に愛着を感じ、ここに住んだり訪れたりする理由になるかもしれない。六畳と小さくても町にとって貴重な存在であることは確かである。

●取材協力
・「六畳書房」(Twitter/@rokujoshobo、Instagram/@rokujoshobo)

『魔法のリノベ』ドラマ秘話。コロナ禍で人生を見つめ直している今こそ共感のテーマ 脚本家・プロデューサーインタビュー

「まさかリノベがドラマになるとは。感慨深い……」「国土交通省住宅局イチオシ」など、不動産業界のみならず、住まいを管轄する国土交通省まで注目しているのが、今クールのテレビドラマ『魔法のリノベ』(主演:波瑠)です。その魅力はどこにあるのでしょうか。プロデューサーの岡光寛子さん、脚本を担当するヨーロッパ企画の上田誠さんにお話を伺いました。

きっかけはコロナ禍。2年の構想制作期間を経て実写ドラマ化!リノベを扱ったドラマ『魔法のリノベ』が放映中(写真提供/カンテレ)

リノベを扱ったドラマ『魔法のリノベ』が放映中(写真提供/カンテレ)

今ある建物に対して、新たな機能や価値を付け加える「リノベーション(以下、リノベ)」。修繕をして元通りにする「リフォーム」ではなく、間仕切りを広くする、住宅設備をより現代的で使いやすいものへと変更するなどの工事をすることをいいます。

2022年7月から放映されているテレビドラマ『魔法のリノベ』(カンテレ・フジテレビ系、月曜午後10時)は、このリノベをテーマにしたお仕事ドラマ。このところ住まいや不動産を扱ったドラマはあるものの、主に家を買う、売る、借りるといった題材を扱っているため、「まさかリノベがテーマになる日がくるとは……」と不動産や住宅関連企業、国土交通省まで注目、SUUMOジャーナルも放映開始から熱く見守るなど、まさに「業界騒然」なドラマなのです。

まずは、リノベを扱うようになった、その背景などを岡光プロデューサーに伺いました。
「今回のドラマは、星崎真紀さんの同名マンガが原作です。きっかけとなったのは2年前のコロナ禍。半強制的に自宅で過ごす時間が増え、家や家族、仕事や人生についてあらためて考えた人は多かったはず。私もそのひとりですが、住まいをリノベすることで人生もリノベしていく、人間関係や壊れたものを再生していくというテーマに惹かれました。脚本を上田さんにお願いし、月曜22時にふさわしい実直なお仕事ドラマに、遊び心とクセを付け加え、ヒューマンとコメディが行き交うエンタメにしています」と話します。

波瑠さんが演じる主人公の小梅。もともとは大手リフォーム会社にいましたが、人間関係でやらかし、転職してきます(写真提供/カンテレ)

波瑠さんが演じる主人公の小梅。もともとは大手リフォーム会社にいましたが、人間関係でやらかし、転職してきます(写真提供/カンテレ)

ドラマそのものは、大手リフォーム会社にいた主人公の小梅(波瑠)が、理由あって家族経営の「まるふく工務店」に転職してきたところからはじまります。主人公とコンビを組むのは工務店の長男でもあり、2回の離婚歴があるシングルファーザー福山玄之介(間宮祥太朗)。それぞれ凹凸はあるものの、回を重ねるごとによき理解者、よい雰囲気になっていく、という展開です。

ドラマは1話完結、課題を抱えた家族(ゲスト俳優)がリノベを依頼し、それらを主人公の小梅たちが解決していく、という展開です。そのため、毎週視聴するとよりおもしろいですし、途中から見てもわかりやすいストーリー仕立てです。和モダンと夫婦のかたち、夫婦の寝室どうする、事故物件で暮らしたい、風水と強烈な占い師、防犯と親子など、「今らしさを感じるリノベ」を扱っています。どの回も、何度も見返したくなるおもしろさです。

小梅とコンビを組むのは、間宮祥太朗さん(右)演じる福山玄之介。バツ2のシングルファーザーで圧倒的お詫び力「詫びリティ」の持ち主(写真提供/カンテレ)

小梅とコンビを組むのは、間宮祥太朗さん(右)演じる福山玄之介。バツ2のシングルファーザーで圧倒的お詫び力「詫びリティ」の持ち主(写真提供/カンテレ)

ミニチュア、CAD、アイテム、エンディングまで見どころいっぱい!

ドラマのストーリー、展開もおもしろいのですが、ドラマの舞台となる「1階 工務店」と「2階 玄之介の部屋」に本物の住宅設備を採用しているだけでなく、提案する間取りをCAD(実際に建築の現場で使用されている設計ソフト)とミニチュア模型までちゃんとつくり込んでいてドラマ中に登場したり、リノベ依頼者の家のリノベ前と後のセットを組んで多角的に見せたりしています。主人公たちが使っているお仕事道具なども限りなくリアルで、「予算、すごいことになっているのでは」「凝っているなあ……」という感想しかありません。

1階まるふく工務店の様子(写真撮影/カンテレ)

1階まるふく工務店の様子(写真撮影/カンテレ)

2階にある玄之介と進之介の部屋。キッチンや内窓など、LIXILの本物の住宅設備を使ったセット。室内用窓を採用するとはさすが!(写真撮影/カンテレ)

2階にある玄之介と進之介の部屋。キッチンや内窓など、LIXILの本物の住宅設備を使ったセット。室内用窓を採用するとはさすが!(写真撮影/カンテレ)

「今回の制作費は特別なものではなく、通常のドラマと同じ範囲でやりくりしています。ミニチュアに関しては『シルバニアファミリー』や『ブロックおもちゃ』のように、小さな住まいのもつよさ、シズル感を表現したくてぜひ取り入れようと。住まいのビフォーやアフターも毎回、工夫としてしっかりつくっています。原作に似た物件を探してきたり、それをどう表現するか美術技術VFXチームと相談したり、まさにスタッフ全員の総力戦ですね」と岡光さん。

また、リノベのプロが監修し、脚本のたたき台の段階、脚本執筆後の段階、撮影の段階と、逐一、相談したり、チェックしてもらったりしているそう。当然、出演者が持っている仕事道具なども極力、プロ仕様になっているので、リアリティーが増すようになっています。

オープニングに登場するミニチュア。「1階 まるふく工務店」の様子です(写真提供/カンテレ)

オープニングに登場するミニチュア。「1階 まるふく工務店」の様子です(写真提供/カンテレ)

CADの画面をスタッフが見ているシーン(写真撮影/カンテレ)

CADの画面をスタッフが見ているシーン(写真撮影/カンテレ)

設計図面。リノベのビフォーとアフター、住まいの課題と解決法などをセリフに落とし込んでいるので、「なるほどねー」と納得しながら視聴できます(写真撮影/カンテレ)

設計図面。リノベのビフォーとアフター、住まいの課題と解決法などをセリフに落とし込んでいるので、「なるほどねー」と納得しながら視聴できます(写真撮影/カンテレ)

会社のロゴや住所まで入ったリノベーションを提案するシート。「もう散らからない」というコピーがリアル(写真撮影/カンテレ)

会社のロゴや住所まで入ったリノベーションを提案するシート。「もう散らからない」というコピーがリアル(写真撮影/カンテレ)

セット内のチラシまでつくり込まれています(写真撮影/カンテレ)

セット内のチラシまでつくり込まれています(写真撮影/カンテレ)

「まるふく工務店」の外観。看板やのぼりもあり、「どこかにありそう……」な感じを醸し出しています(写真撮影/カンテレ)

「まるふく工務店」の外観。看板やのぼりもあり、「どこかにありそう……」な感じを醸し出しています(写真撮影/カンテレ)

まるふく工務店のマスコット、「まるふくろう」(写真撮影/カンテレ)

まるふく工務店のマスコット、「まるふくろう」(写真撮影/カンテレ)

ドラマはもちろんファンタジーの部分もありますが、お仕事ドラマの場合は「説得力」と「リアルさ」がカギになります。だからこそ細部に手を抜かないという、制作陣の意気込みを感じます。また、個人的に大好きなのが、エンドロールで紹介されるリノベ後の住まいの様子です。特に出演者がリノベ後の家で幸せそうにしている姿を見ると、見ているこちらもウキウキするので、筆者は何度も見返しています。「まだ月曜日……(白目)」となりがちな時間帯にコレを視聴できるの、いいですよね。

第1話のリノベ後の住まい。夫妻の関係をすぐに見抜いた小梅の観察力、提案力に驚かされます。築60年の住まいを「一気に刷新したい」と乗り気の夫、あまり積極的になれない妻。その根っこにあったわだかまりを見つけ、解決しました(写真撮影/カンテレ)

第1話のリノベ後の住まい。夫妻の関係をすぐに見抜いた小梅の観察力、提案力に驚かされます。築60年の住まいを「一気に刷新したい」と乗り気の夫、あまり積極的になれない妻。その根っこにあったわだかまりを見つけ、解決しました(写真撮影/カンテレ)

大きなキッチンにそば打ちなどのお話に登場したアイテムがちらりと映り込んでいます(写真撮影/カンテレ)

大きなキッチンにそば打ちなどのお話に登場したアイテムがちらりと映り込んでいます(写真撮影/カンテレ)

和モダンのよさ、夫妻のこれからの暮らしが想像できて、明るい気持ちになります(写真撮影/カンテレ)

和モダンのよさ、夫妻のこれからの暮らしが想像できて、明るい気持ちになります(写真撮影/カンテレ)

すべて新しくすればいいというものではないのが、リノベの魅力だと思います(写真撮影/カンテレ)

すべて新しくすればいいというものではないのが、リノベの魅力だと思います(写真撮影/カンテレ)

空間は人間関係を変える。まさにリノベに魔法はある!

ドラマは回を進めるごとに人間関係がより複雑になってきてハラハラする場面も。特に主人公がかつて在籍していた会社の後輩である桜子の怖さ、イラっとさせる具合が絶妙で、Twitterでも「桜子」がトレンド入りしていました。もちろん、社内でのやりとりのコメディシーンは、見ていてニンマリしてしまいます。脚本家の上田誠さんは、セリフをどのように考えたのでしょうか。

脚本を担当する上田誠さん(写真提供/ヨーロッパ企画)

脚本を担当する上田誠さん(写真提供/ヨーロッパ企画)

「マンガ原作があるので、これを非常に大切にしています。それこそ文字起こしをするくらい自分の血肉にして、脚本にとりかかりました。星崎先生もかなりリノベについて取材をされていらっしゃって、尋常ではないこだわり、想いを感じています。ドラマのクライマックスはリノベ案のプレゼンなので、営業の言葉遣いを逸脱することなく、その上で心に残る台詞を目指しています。『どうぞイメージなさってください』『リノベは魔法なんです』というセリフを、役者さんがどう表現するかは見どころのひとつだと思っています」と上田さん。

クライマックスのセリフはいつも同じですが、毎回、言い方が微妙に異なります。役者さんってすごいですね(写真提供/カンテレ)

クライマックスのセリフはいつも同じですが、毎回、言い方が微妙に異なります。役者さんってすごいですね(写真提供/カンテレ)

なるほど、決めセリフがあるからこそ、毎回の変化がおもしろいんですね。また演者さんも役に入り込むことで、「何かやってやろう」というアドリブも出てくるんだとか。これも脚本家と出演者、信頼関係のなせる技ともいえるのでしょう。また、ドラマは、住まいや家族に潜む「闇」や「魔物」「不満」を毎回発見して対峙、解決していくミステリー仕立てにもなっています。これは新築の住まいを買う/借りるだけでは、なかなかできない展開です。

案件が無事終わると、ふたりで打ち上げに行く。ひと仕事終えたあと、緊張がすこしゆるみ、信頼感、距離感がより近づいていきます(写真提供/カンテレ)

案件が無事終わると、ふたりで打ち上げに行く。ひと仕事終えたあと、緊張がすこしゆるみ、信頼感、距離感がより近づいていきます(写真提供/カンテレ)

「既存の住宅を舞台にするので、必ず家族や夫婦の問題が根っこにあるんですよね。第2回がわかりやすいですが、冒頭に夫妻の行動があって、手がかりや引っかかりがある。見ながらアレはなんだったのかと考えていただき、観察やヒアリングを進めるなかで、小梅たちと一緒になって解決し、気持ちよくエンドロールまで向かってもらえたらと思います」と岡光さん。

なるほど、リノベーションはミステリー、その発想はありませんでした。では、上田さんから見たリノベーションの魅力はどんな点にあるのでしょうか。
「舞台を長年、やってきた経験から、空間の変化が人間のコミュニケーションに与える影響を目の当たりにしてきました。人間関係の問題は、空間で具体的に解決できることもあるんです。だからこそ、リノベに魔法はあります!と言いたいですね。また、リノベを通して、人生や家族が再生していく様子も見てほしいなと思います」と話します。

まるふく工務店の面々。左から玄之介と三男の竜之介、従業員の小出誠二、主人公の真行寺小梅、越後寿太郎。小さな会社らしい、わちゃわちゃしたやり取りは見ていて心和みます(写真提供/カンテレ)

まるふく工務店の面々。左から玄之介と三男の竜之介、従業員の小出誠二、主人公の真行寺小梅、越後寿太郎。小さな会社らしい、わちゃわちゃしたやり取りは見ていて心和みます(写真提供/カンテレ)

ドラマでは、住まいや家族に潜む問題を「魔物」と表現しています。ひとりでも、夫妻でも、家族であっても、家に潜んでいる「魔物」に向き合うのは時間、お金、何より気力が必要です。だからこそ、新築物件と同じように「家に自分たちを合わせる=リノベ済み」物件のほうを選ぶ人が増えている傾向もあるようです。でももし、ドラマのように、プロの手を借りつつ、自分たちの課題と向き合い、解決できるのであれば、きっと「暮らしに家を合わせた」家が手に入るのだと思います。仲間といっしょにパーティを組み、前に進む。まさにリノベは人生そのもの、ですね。

リノベの「魔法」にかけて、突然現れるRPG風のシーン。「魔物」も出てきます!(写真提供/カンテレ)

リノベの「魔法」にかけて、突然現れるRPG風のシーン。「魔物」も出てきます!(写真提供/カンテレ)

●取材協力
『魔法のリノベ』(月曜22時~22時54分、フジテレビ系)
Tver
カンテレ
ヨーロッパ企画/脚本家 上田誠さん

外国人は家賃滞納ナシでも入居NGが賃貸の実態。積極受け入れで入居率100%のスーパー大家・田丸さんの正攻法

高齢者や障がい者、シングルでの子育て世帯など、さまざまな事情で住まいが借りにくい人のことを「住宅弱者」「要配慮者」といいますが、「外国人」もそんな不動産が借りにくい「住宅弱者」にあたります。一般に「大家が敬遠する」と言われますが、積極的に外国人を受け入れている大家・不動産管理会社もいます。その内の一人、東京都杉並区で不動産管理業を営む田丸賢一さんにリアルな事情を伺いました。

増え続ける在留外国人。部屋探しでは門前払いされることも

コンビニや建設現場、100円ショップ、飲食店などで、外国出身と思しき人を見かけることが増えました。筆者は横浜市在住ですが、子どもの通う小学校や習いごとの風景を見ても、多国籍だなと痛感します。実際、統計データでは外国人居留者はコロナ前の令和2年度は約288万人(※2020年6月時点。出入国在留管理庁より)、令和3年末でも276万635人と、日本の人口が減り続けるなか、「もはや外国人の手がなければ日本社会は成り立たないのでは」と感じている人もいることでしょう。

ただ、SUUMOジャーナルでもたびたびご紹介してきましたが、外国人は生活の基盤である住まいが借りにくいことで知られています。そんな中、10数年以上前から外国人を積極的に受け入れ、自社の物件は切れ目なく満室を維持し、入居率100%を続けているのが、東京都杉並区にある株式会社田丸ビルの田丸賢一さんです。2021年11月、外国人との不動産契約やそのノウハウを一冊にまとめた『「入居率100%」を実現する「外国人大歓迎」の賃貸経営』(現代書林)を上梓しました。まずは外国人に部屋を貸し出すようになった経緯から伺いましょう。

「弊社は不動産賃貸業と不動産管理業を行っており、私はその3代目です。創業者がもともと困っている人に家を貸そうという人で、昔の書類を見ても日系外国人を受け入れてきた経緯がありました。そのため、私が会社を引き継いだときにも、外国人に部屋を貸すのは自然な流れでした」(田丸さん、以下同)
ただ、田丸さんによると、部屋を借りたいと不動産会社を訪れても、外国人というだけでおよそ2人に1人は拒否されてしまうといい、令和の今でも門前払いは珍しいことではないそう。

田丸賢一さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

田丸賢一さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「以前、外国人に部屋を貸し出した際に汚されたり、部屋の扱いが悪かったといったトラブルがあり、もうコリゴリというケースが多いように思います。個人が悪いのか、契約に問題があったのか、原因はさまざまなんですが、入居前や入居後のコミュニケーションや説明をていねいに行うことで回避できるケースが多いんです」

ではどのようなトラブルがあり、田丸さんはどのような方法で回避しているのか、その内容を聞いていきましょう。

生活音とゴミの仕分け、入居者が増えた!が3大問題

まず、大前提として、外国人の多くがトラブルを起こしたくないと考えているといいます。

「外国人といっても出身国や年齢、収入、背景もさまざまですが、多くが就労目的で日本に来るわけで、日本社会に溶け込み、日本の常識にあわせて暮らしたいと願っています。なぜなら、彼らが一番恐れているのが国外退去処分だから。日本で得た収入から母国に仕送りをしたいので、トラブルを起こして強制送還されるのは避けたいんですよ。だから家賃の滞納のような問題行動はまずありません」

田丸さんの会社で契約した外国人には、真面目で礼儀正しく、お中元やお歳暮、帰国時のお土産などを欠かさないという人も少なくないそう。一方で、文化や風習の違い、コミュニケーション不足から、今までトラブルにも多数、直面してきました。

「”生活音がうるさい、ゴミの仕分けができていない、入居者が増えた”が3大問題でしょうか。まず、生活音がうるさいというのも、よくよく調査すると、外国人が住んでいる部屋が原因ではなく、実は他の部屋が発生源だったというケースも多いんです。これは外国人に限りませんが、生活音の問題はとてもデリケート。だからこそ管理会社がすぐに動いて、ていねいに聞き取りをして、コミュニケーションをとることが大切なんです」

外国人に限らず、集合住宅で生活音の問題は避けて通れません。外国人の入居者がいればなおのこと目立つため、先入観で「あの部屋に違いない」と決めつけた苦情がくるのだそうです。入居者の間にたつ管理会社がすばやくていねいに対応して誤解を解くことで、外国人への偏見が少なくなり、お互い快適に暮らせるのだといいます。

また、ゴミの仕分けは、自治体から配布される「母国語」のパンフレットを必ず渡し、ていねいに説明しているといいます。

杉並区のゴミの仕分けのページは多言語で対応している(杉並区ホームページより)

杉並区のゴミの仕分けのページは多言語で対応している(杉並区ホームページより)

こちらは横浜市のゴミの仕分けのページ。ベトナム語、フィリピン語、ネパール語などの言語もカバーしている(横浜市ホームページより)

こちらは横浜市のゴミの仕分けのページ。ベトナム語、フィリピン語、ネパール語などの言語もカバーしている(横浜市ホームページより)

「ポイントは母国語です。日本人は外国人というと英語で対応しがちですが、それだと通じない。大切なのはその人の出身国の言葉で話し、理解をしてもらうこと。場合によっては通訳をいれたりして、お互いの不安や不信感がないように説明、納得、理解、契約、書類にサインしてもらうことなんです」

田丸さんはゴミの分別だけでなく、基本的に入居希望者の母国語を用いて「説明、納得、理解、契約」という段階を踏んでいるのだそう。ゴミを分別すること自体が母国の習慣になく、戸惑う人も多いそうですが、きちんと説明することで協力してくれる人が大半だといいます。

ここまでは想像できそうなトラブルですが、最後の「入居者が増える」というのは、どういうことなのでしょうか。

「外国人は異国で働いているということもあり、横のつながりが非常に強い。家賃を節約したいということで、先に日本に住んでいた人の部屋に勝手に出入りして、共同生活を始めてしまうんです。不動産大家・管理会社は、当たり前のように1人で住むと思い、説明はしません。そこであつれきが生じるんですね。
過去には16平米のワンルームに8人が暮らしていたことも(苦笑)。退去後の部屋の傷みぐあいはひどかったですよ。その時以降、契約書類には入居者は1人までと明記し、契約時に説明、納得、理解を得るようにしています」

よく「ワラビスタン」「リトル・インディア」「リトル・ブラジル」など、特定の外国人が多い地域がありますが、異国で奮闘しているとその人を頼って仲間が1人また1人と増えて、自然発生的にコミュニティが生まれるのかもしれません。

外国人専門の賃貸保証会社、多言語の契約書類などツールは揃っている

こうして聞いてみると、田丸さんもいきなり外国人に部屋を貸し出して「成功」しているわけではなく、多数の経験を繰り返すことで、外国人に歩み寄った母国語でのコミュニケーション、当たり前に思える慣習や契約内容もていねいに説明、理解・納得したうえで「契約」し、明文化して残すという現在のかたちに行き着いたようです。

「外国人は基本的にはあまり経済的余裕がありません。そのため非常に防衛や自衛の意識が高く、契約内容・書類についても一つずつ知りたがります。賃貸保証会社の利用料、火災保険料、礼金、敷金、鍵交換、ハウスクリーニング代など、逐一、このお金は何?なんで?と聞いてきます。日本人ではここまで突っ込んで聞く人は少ないですし、僕も鍛えられました」

「鍵交換はしなくていいから、費用をまけて」「退去時のハウスクリーニングは、自分でやるから安くして」などと、交渉を持ちかけられることもしばしば。その都度、相手が納得できるまでていねいに説明して歩み寄っているそう。こうしてお話を伺っていると、外国人を受け入れて問題が起きたときに、「やっぱり失敗した…」ではなく、どうやって改善すればいいかを考えているからこそ、うまくいっているのだなあと痛感します。

田丸さんによると、現在では、外国人専門の賃貸保証会社があるほか、国土交通省では、「外国人の民間賃貸住宅入居円滑化ガイドライン」も整備され、不動産契約に必要な制度や多言語に対応した書類は揃っているといいます。

「ただ、問題なのは、行政は書類を作っておしまいになっていることです。国交省から不動産業界の団体に告知はありますがあまり知られていないし、活用方法は不動産業界や大家におまかせの状態です。当然、トラブルになったときの受け皿もない。生活音の問題でも紹介したとおり、既に入居している人が嫌がる場合もあります。日本社会のなかに、まだまだ偏見があるなあと痛感しています」

国土交通省の「外国人の民間賃貸住宅入居円滑化ガイドライン。申込書や重要事項説明書、定期賃貸住宅標準契約書が多言語でずらりと揃う(国土交通省のホームページより)

国土交通省の「外国人の民間賃貸住宅入居円滑化ガイドライン。申込書や重要事項説明書、定期賃貸住宅標準契約書が多言語でずらりと揃う(国土交通省のホームページより)

大家は家賃滞納、騒音、他の入居者とのトラブルを避けたい、不動産仲介会社は外国語での説明に対応できるスキル、時間がない、管理会社は面倒事やトラブルを避けたいなどなど、「外国人を受け入れづらい」条件は揃ってしまっています。これまで日本の歴史を振り返ると「外国にルーツのある人が社会全体で少数だった」「たいていの場合、日本語が通じた」のが現実です。いきなり「多様性だ」「外国人の受け入れだ」と正論を突きつけられても、「受け入れがたい」「話が通じずに怖い」と戸惑う気持ちがあることでしょう。

ただ、これから先、日本で働く外国人は増えていくことが考えられます。外国人は家賃滞納をしにくいこと、きちんと母国語で説明して理解してから入居してもらえばトラブルは起きづらいことがもっと知られるようになれば、外国人を受け入れる大家が増えるかもしれません。人口が減少している日本を支えてくれる外国人が増えてくれる今、共生社会の模索は、まだはじまったばかりです。

●取材協力
田丸ビル

人気の花火職人が山里で始めたカフェ兼宿。コロナ禍で気づいた豊かさや幸せの答え 「山の家」福岡県みやま市

コロナ禍によって人々の価値観が変わった。大切なことが明確になった、という人も多いかもしれない。今回紹介する筒井良太、今日子夫妻がカフェ兼宿「山の家」(福岡県みやま市)を始めたのも、コロナがきっかけだった。「足元に目を向ける」「地元のものを生かす」と口でいうのは簡単だが、誰かに提供するには形にしないとならない。お土産品、飲食店、カフェやゲストハウス……さまざまな形があるけれど、筒井夫妻が始めたのは、みやまの宝を集結した家だった。なぜ宿を?山の家を訪れて話を聞いた。

趣のある「山の家」

福岡県の南に位置するみやま市。福岡の繁華街からわずか車で1時間ほどだが、まるで風景が変わる。道脇には清流が流れ、小高い山々や田畑が広がる。今年3月、ここに「山の家」と呼ばれるカフェ兼宿がオープンした。築100年以上の屋敷を改修して店を始めたのは、同じみやま市で玩具花火をつくってきた「筒井時正玩具花火製造所」の筒井良太、今日子夫妻だ。

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

山の家に到着すると、お屋敷、といっていいような風格ある古民家が、緑の茂るなかに立っていた。山の家という名から、標高の高い場所にあるのかと想像していたが、思っていたより平地からすぐの場所にある。

中へ入ると思わず声が漏れた。「うわぁ素敵ですね」。
年月を経た家の重厚な空気感に、ラインの美しいカウンターや洗練された椅子とテーブル。ショーケースには美味しそうなケーキが並び、レジ向こうは座敷になっていて、女性スタッフが座って花火づくりの作業をしていた。

古い壁から出てきた竹格子はあえて残してある。窓際のカウンター上部には長崎の陶器ブランド「JICON」のオレンジ色の照明が存在感を放っている。(写真撮影/藤本幸一郎)

古い壁から出てきた竹格子はあえて残してある。窓際のカウンター上部には長崎の陶器ブランド「JICON」のオレンジ色の照明が存在感を放っている。(写真撮影/藤本幸一郎)

玄関から向かって左半分のスペースが「カフェ・フイユ」。右ののれんをくぐった先が宿「山の家」になる。

「カフェフイユ」のフイユとはフランス語で「葉っぱ」のこと。「葉っぱに「予約席」の文字(写真撮影/藤本幸一郎)

「カフェフイユ」のフイユとはフランス語で「葉っぱ」のこと。「葉っぱに「予約席」の文字(写真撮影/藤本幸一郎)

「じつはすごく贅沢な暮らしをしていた」

筒井夫妻は、ここから車で5分ほどの場所で「筒井時正玩具花火製造所」兼ギャラリーを営んできた。なぜ、宿を?

「コロナ禍で何がほんとうに贅沢で豊かなのか。幸せって何だろうって考え直した時、「みやま」ってなんていいところなんだろうって改めて思ったんです。

今まではお金を稼いでいいもの買って、というのが贅沢だったけど、明らかに以前とは考え方が変わった。ここでは採れたての野菜が食べられたり、週末には炭でパンを焼いて青空の下で食べたりして」

川はきれいで緑は豊か。夜には星も見える。子どもたちはのびのびと花火もできるし川遊びもできる。周囲には優しい地元の人たち。それまで当たり前に享受してきたあれこれが、いかに贅沢であるかに気づいた。

「この豊さを、都会から訪れる人たちにも楽しんでもえたらいいなと思ったんですね。地元のいいものを集めた場所がつくれたらいいなって」

そうして昨年2021年、導かれるように知人に紹介されたのがこの物件だった。

筒井今日子さん。夫の良太さんとともに「筒井時正玩具花火製造所」を営む(写真撮影/藤本幸一郎)

筒井今日子さん。夫の良太さんとともに「筒井時正玩具花火製造所」を営む(写真撮影/藤本幸一郎)

“ユミちゃんのケーキ”が食べられる店

今年の春には、まず「カフェ・フイユ」を先行してオープン。メニューには地元の美味しいものが詰まっている。切り盛りするのは、「ユミちゃん」の愛称で呼ばれる、パティシエの高巣由美(たかす・ゆみ)さん。もともと地元で「ランコントル」という予約制のケーキ屋を営んでいた。

カフェをやるなら、ユミちゃんにお願いできないかと今日子さんはまず思ったのだそうだ。

パティシエで、カフェフイユのオーナー、高巣由美さん(写真撮影/藤本幸一郎)

パティシエで、カフェフイユのオーナー、高巣由美さん(写真撮影/藤本幸一郎)

「ユミちゃんのケーキはほんとに人気で、でも予約して数日待たないと食べられない。それがこのカフェでいつでも食べられればみんな喜ぶだろうなと思ったんです。蓋を開けてみると、思ったとおりでした(笑)」(今日子さん)

ショーケースにはチーズケーキやガトーショコラなど美味しそうなケーキが並び、持ち帰りもできる。看板商品はレーズンサンド。クリームには近くの酒蔵の甘酒や酒粕を使用。それとは別に、酒粕パンも販売している。

ケーキの並ぶショーケースの横には、筒井時正玩具花火製造所の線香花火をはじめ、びわの葉茶や九州の工芸品も並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

ケーキの並ぶショーケースの横には、筒井時正玩具花火製造所の線香花火をはじめ、びわの葉茶や九州の工芸品も並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

ランチのスープセット。今は食事のメニューはホットサンドとスープセットのみだが、カレーも近く提供する予定(写真撮影/藤本幸一郎)

ランチのスープセット。今は食事のメニューはホットサンドとスープセットのみだが、カレーも近く提供する予定(写真撮影/藤本幸一郎)

11時の開店時間を過ぎると、カフェはお客さんでいっぱいになった。若者や女性が多いのだろうと想像していたのだが、年配者も多い。地元の人らしいお母さんたちが少しお洒落した装いで集まっている。「パン買いに来たよ~」とにこにこ声をかける女性もいる。

「お店をオープンする前に、地元の人たち先行でお披露目会をしたんです。そうじゃないとなかなか接点がもてないんじゃないかと思って。地元が元気になったらいいなと始める店でもあるから」(今日子さん)

「ユミちゃん、ユミちゃん」とお客さんが楽しげに声をかけているのが聞こえてきた。

おしゃべりに興じるご近所さん(写真撮影/藤本幸一郎)

おしゃべりに興じるご近所さん(写真撮影/藤本幸一郎)

長いこと、地域には背を向けてきた

もともと「筒井時正玩具花火製造所」は、少し変わった花火メーカーでもある。

花火の国産メーカーは、安い海外品におされて数が減っている。なかでも線香花火をつくる会社は、いま全国に4軒しかない。一時期は残り一社となった製造所が廃業し、絶滅寸前に陥った。このままでは線香花火は日本でつくられなくなってしまうぞという時に、筒井時正玩具花火製造所3代目の筒井良太さんが廃業前の製造所へ出向いて修行をし、技術を引き継いだのだった。

国産の線香花火は、海外産に比べて火花が大きく、長く火が落ちない。その質の良さを生かして、二人は自社の線香花火をギフトや雑貨として「一箱40本で1万円」の高価なオリジナル商品として発表した。

「そんな高い花火が売れるはずない」と周囲に反対されながらも、インテリアライフスタイル展などに出展し、販路を増やしてきた。花火を製造する工房横には、線香花火を試せるギャラリーも設けた。新しい花火のあり方を切り開いてきた10年間だった。

筒井時正玩具花火製造所の線香花火。火花が大きく長くもつ(提供/筒井時正玩具花火製造所)

筒井時正玩具花火製造所の線香花火。火花が大きく長くもつ(提供/筒井時正玩具花火製造所)

だからこそ、これまではほとんど地元に関心を向けてこられなかったのだという。

「花火を売れるようにするのに必死やったんで。どうしてもそっちが先になってしまって」と良太さん。

けれど、自社のギャラリーを訪れたお客さんにリピーターが少ないことに気付く。

「自分のところだけ頑張っていてもダメだなって。お客さんにとっては、ここへ来た後、あそこでお昼を食べて、最後ここに寄って帰ろうなどいくつか立ち寄れる場所があるといいですよね。だからみんなでまちを盛り上げていけたらいいなと思ったんです」(今日子さん)

筒井さんたちは山の家を始める前にもう一軒、「川の家」という宿を近くで運営している。花火をできる場所がどんどん限られていることも宿を始めるきっかけだった。

「今、3割の子どもたちは花火をしたくてもできないまま、大人になってしまうと知ったんです。それがショックで。公園も浜辺もどこも禁止、禁止でしょう。川沿いなど屋外であればいくらでも花火を楽しめますから」(今日子さん)

筒井時正玩具花火製造所の線香花火(写真撮影/藤本幸一郎)

筒井時正玩具花火製造所の線香花火(写真撮影/藤本幸一郎)

びわプロジェクト

山の家をオープンするに至るには、これまでに筒井さんが地元の人たちと進めてきたいくつもの活動が背景にあった。

そのひとつが、「びわプロジェクト」だ。

ある時、筒井さんたちに、びわ畑を引き取ってもらえないかと相談があった。広さ1500坪の畑は、そう簡単に「はい」と引き受けられる規模ではなかったが、調べてみると、びわにはさまざまな活用法があることがわかった。びわの葉を使ったお茶、お灸、びわ染め。

今日子さんは、すぐに営利目的で活用するのは難しいけれど、地域のみんなとびわ畑で新しいことを始めるのにはいいと考えた。

「山の家」宿側の縁側から見える庭(写真撮影/藤本幸一郎)

「山の家」宿側の縁側から見える庭(写真撮影/藤本幸一郎)

「びわプロジェクト」を立ち上げるのに造園家、農家、市役所の職員など有志約20名が集まり、みやま市の地域ブランドをつくろうと活動が始まったのが2020年6月。それから月に一度、みんなで楽しみながら作業を続けていて、現在は約50名のプロジェクトメンバーがいる。

昨年の6月には立派な実がたくさん収穫できて、道の駅などで販売した。

(提供/びわプロジェクト)

(提供/びわプロジェクト)

びわプロジェクトの活動の様子(提供/びわプロジェクト)

びわプロジェクトの活動の様子(提供/びわプロジェクト)

「ゆくゆくはびわを活用して商品化、ブランドにしてお金をまわしていくことも考えているんですけど、いま動いてくれる人たちはほとんどがボランティア。それじゃあ長続きしないと思って、びわコインという地域通貨を発行しています。でもベースはみなさんの地元がよくなるようにって気持ち、郷土愛によるものなんです。

みやまには、誰かが何かを始めるんやったら、よっしゃ一緒にやってやろうと関わってくれる人がたくさんいる。そんな人が50人もいるってすごいじゃないですか」(今日子さん)

このびわプロジェクトは、2年目からウコンも含めた「薬草研究会」として発展。びわゼリー、びわ大福、びわフローズンを試作したり、びわやウコンの効能、加工、商品開発に向けての意見交換をして、収穫から活用まで考えている。

その、地元の人たちと活動してきたひとつの出口として「山の家」がある。近々、ウコン(ターメリック)とびわ茶、みやまの特産品であるセロリを用いたカレーも新しいメニューとして、カフェで提供される予定。宿で出すお茶もびわ葉。部屋着やのれんもびわ染めした。

宿「山の家」は、人とのつながりで生まれた

年内には宿「山の家」もオープンする予定。全面に庭の緑が見える広々としたお座敷と、現代風にアレンジされた中の間の二部屋、屋敷の右半分が貸切で使用できる。

座敷(写真撮影/藤本幸一郎)

座敷(写真撮影/藤本幸一郎)

中の間(写真撮影/藤本幸一郎)

中の間(写真撮影/藤本幸一郎)

「初めは接客のプロを雇ってお任せしようと思っていたんです。でも知人に、老舗旅館と勝負しても勝てないのではと言われて、そうだなって。私たちはあくまで花火屋。サービスレベルなどで勝負しても、長年旅館をやっていらっしゃるところにはかないっこない。であれば、せめて私たち自身が直接お客さんと話したり、最大限のもてなしをする方が私たちらしいやり方なんじゃないかと思うようになりました」

泊まらなくても「山の家」を気軽に体験できるよう、カフェと宿の定休日である水曜限定の、ジビエ料理「Nuit」と「山の家鍼灸所」をオープンした。

「地元の人たちにも楽しんでもらえるといいなと思って。この家は格子から漏れる光がきれいで、夜の雰囲気がすごく素敵なんです」

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

さらに今年、筒井さんたちは「有明月」という名前の一般社団法人を設立した。地元の人たちとのつながりも増え、より機動力のある形で動けるようにとの思いから。お寺の住職さんと朝のお勤めを体験するツアーを実施したり、元商工会の職員さんと事業計画づくりのサポートをする仕事をしたり。

「行政にしかできないことはもちろんあると思いますが、小さくても自分たちでできることはどんどんやろうって気持ちなんです。役場の職員さんも、個人的に関わってくれていたりします」

山の家を始めるうえで協力してくれた人たちは数えきれない。今日子さんの話に登場する人たちはみんな、個性的で魅力的で聞いていて飽きない。ジビエ料理にしたのも、ハンティングから手がける若きシェフとの出会いがあったから。カフェの器を依頼したのは海外に暮らす作家さん。びわの栽培を教えてくれた佐賀のおじいさんの話。

「私たちがやっていることって、結局すべて人とのつながりから始まってるんです。ああ、この人と一緒に何かしたいなって思ったら一緒にやる。そうしてひとつひとつ、つながってきた結果が山の家かもしれない」(今日子さん)

そんな山の家の成り立ちを聞いていると、田舎の未来像が見えるようだった。

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

●取材協力
山の家
カフェ・フイユ

NY現地レポ! 新型コロナ、戦争、物価高。「モノ不足」に市民が悲鳴

コロナ禍になって3年目。アメリカでは「モノ不足」が叫ばれるようになって久しい。
2020年3月、日本と同様、アメリカでも人々は未曾有の脅威に備え「買いだめ」に走った。それによりトイレットペーパー、消毒液、不織布マスク、風邪薬、長期保存用のパスタや米といった食料品、ミネラルウォータなどがスーパーの棚からごっそり消えた。
感染拡大の落ち着きとともに品不足は解消されたが、コロナ禍3年目の今年になっても、さまざまな「モノ不足」が社会問題になっている。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

アメリカで深刻な粉ミルク不足

日本では、新型コロナや戦争などに関連して材料不足・労働力不足による値上げや品不足が取りざたされているが、それだけとも限らない。例えば今春、ベビーフォーミュラ(粉ミルクなど乳児用ミルク)の品薄が子を持つ親にとって切実な問題となった。

そもそもの原因は、粉ミルクを飲んだ乳児4人が細菌による感染症で入院、うち2人が死亡したことだ。この粉ミルクは米最大手アボット・ラボラトリーズのミシガン州の工場で製造されたもので、同社は問題発覚後、製品を回収し工場の稼働を停止した。その影響で消費者がパニック買いをしたことで、5月半ばには全米で粉ミルクが常時より43%減り、どの店でも品薄状態に陥った。

きっかけは1社の感染症によるもので、厳密に言えば労働力不足や戦争などが関連したものではないが、コロナ禍で社会不安が広がるなか、人々がニュースに敏感になり、ちょっとした異変を感じては買いだめに走り、商品が棚からごっそりなくなるという意味では、この2年で発生したほかの品不足騒動と類似している。

その後FDA(アメリカ食品医薬品局)は、外国製粉ミルクの輸入を認める方針を発表し、ヨーロッパからの輸入に頼る緊急対策を打ち出した。さらに、工場の衛生環境の見直しなどを条件にアボット社の再稼働を許可したことで、問題はさしずめ落ち着いたように見られるが、店によってはまだ品薄状態だ。足りない地域の人々は、他州に買いに行ったりオンラインで購入したりしている。

7月下旬になっても、ニューヨーク市内のドラッグストアでは乳幼児用製品が品薄状態  (c) Kasumi Abe

7月下旬になっても、ニューヨーク市内のドラッグストアでは乳幼児用製品が品薄状態 (c) Kasumi Abe

ドラッグストアでは、タンポンも不足気味だ。まったくないわけではないが、商品によっては空の棚が目立つ。

タンポン売り場。7月下旬、ニューヨーク市内のドラッグストアにて (c) Kasumi Abe

タンポン売り場。7月下旬、ニューヨーク市内のドラッグストアにて (c) Kasumi Abe

ニューヨークタイムズによると、タンポンの品薄状態はインフレによる消費者物価の上昇が背景にあるという。また、金融関連の専門メディア、ブルームバーグによると、インフレにより今年5月の時点で、生理用ナプキンの平均価格は今年の初めに比べて8%以上上昇し、タンポンの価格は10%近く上昇した。

タンポンの製造を行うタンパックス(Tampax)社は、コットンやプラスチックなどの原材料を入手するのに高いコストがかかっていることにより(製造が)非常に不安定であると発表している。

コロナ禍以降のモノ不足について、ニューヨークタイムズは、粉ミルクやタンポン以外にも「トイレットペーパー、自動車、厨房機器などの世界的なサプライチェーンが品薄の危機に晒されている」と報じた(筆者の住むエリアでは、トイレットペーパーの仕入れはここ1~2年ほど安定しているが、全米では品薄の場所もあるようだ)。

また筆者は本屋を取材した際、出版業界でも紙不足と労働力不足で印刷が減っているという話も聞いた。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

米労働省労働統計局(U.S. Bureau of Labor Statistics)によると、2021年6月と比べて、食品価格は10.4%上昇した。具体的に卵は33.1%、レタスは11.4%、パンは10.8%値上がりし、消費者物価指数(CPI)は1981年以来もっとも高い上昇率だという。ガソリンの高騰も報じられている。

インフレ以前もアメリカの都市部では物価、家賃、外食費は高かったのだが、以前ならスーパーでちょっとしたものを購入し て5000円~1万円程度で済んでいたものが、インフレの今は、6000円~1万1000円出さないといけない状態だ。買い物1回あたりは約1.1倍と微増だが、塵も積もれば結構な出費となる。筆者も極力外食を減らし自炊を増やしているのはもちろんのこと、単価が高くなったもの自体の購入自体をやめた、もしくは購入する回数を減らしたケースもある(例えば、6ドルから数セント値上がりしついに7ドルに達したお気に入りのジュースなど。6ドルでも高いと思ったが、7ドルになると手が出せない域になったと感じた)。

価格高騰の波は、さまざまな分野に影響を及ぼす

例えばニューヨークでは、数々の映画でもおなじみの観光地であるセントラルパークのボートハウスが2022年10月16日、150年の歴史に幕を閉じることが7月21日に発表された。閉店理由は「人件費と物価の上昇による」という。「また1つ、ニューヨークのアイコンがなくなる」と、市民を失望させるニュースだった。市内ではコロナ禍以降、店舗の閉店が増えるなど、ボートハウスの閉店は氷山の一角だ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

また、都市部では住宅不足による家賃高騰も続いている。

新型コロナがサプライチェーンにもたらす影響

コロナ禍初期、行動制限により世界中の工場が操業を停止した。それにより何が起こったかというと、サプライチェーン(商品や製品が消費者の手元に届くまでの調達、製造、在庫管理、配送、販売、消費という一連の流れ)の一時停滞と、世界の物流の寸断だ。

コロナ禍3年目のいま、初期とは別の問題が生じている。一時は停滞していた経済活動が回復し、需要が増えたのはいいが、供給が追いつかない状態なのだ。コロナ禍以降、住宅着工件数が急増したことで、輸入木材の価格は2021年10月の時点で、コロナ禍前の2019年12月に比べて1.8倍に、自動車や電子機器に使われる銅の価格は2021年11月、2019年12月の1.5倍にはね上がった。木材や銅などの資源価格が急激に上昇し、コンテナ不足などもあり物流が混乱している状態だ。

労働力も足りない

コロナ禍以降の不足は「モノ」など物質だけではない。「人」や「労働力」もそうだ。

筆者は日常生活のあらゆる場で、人手不足を感じている。例えば、銀行に行くにも予約が取りにくい状況だ。その理由を行員に尋ねると「Labor shortage(人手不足、労働力不足)」と説明される。薬局では、万引き防止で鍵のかかった商品を出してもらおうと店員を呼んでも、しばらく誰も来てくれないことがある。スタッフが足りていないのだ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

現在は真夏のプールシーズン真っ盛りだが、ライフガード不足でいくつかの公共プールの閉鎖(もしくは入場制限)が報じられた。

また、今はそれほど深刻ではないものの、今後はオリーブオイルの品薄も懸念されている。オリーブの生産国の1つ、イタリアでオリーブ急速衰退症候群といってオリーブの樹木を枯らす細菌が急速に蔓延しているのが原因だ。専門家によると、そのせいで過去5年間で生産量が約50%も損なわれるなど大きな被害が出ている。これに加え、世界中のサプライチェーンの問題、労働力不足、ウクライナでの戦争も供給に影響を及ぼすというのだ。

このようにコロナ禍以降の「人・モノ不足」は、アメリカのみならず世界各地での切実な問題だ。
市井の人の視点としては、モノ不足に関して「まったくない」状態ではないので行政の目立った対策はないものの、以前と比べて「チョイスが限られるようになった」のは事実。世界的なサプライチェーンの問題はしばらく続きそうだが、それさえ解決できたら少しは人・モノ不足も解消されていくだろうと、人々は期待を寄せている。

「空家特措法」施行から7年、空き家問題はどうなった? 実家の相続方針は早めに検討を

空き家問題がクローズアップされ、「空家等対策の推進に関する特別措置法(空家特措法)」が2015年に施行されてから7年。国土交通省が定期的に、市区町村の取り組み状況について調査しているが、全国で空き家対策が進んでいることが分かる結果となった。

【今週の住活トピック】
「空き家対策に取り組む市区町村の状況について」(令和4年3月31日時点調査)を公表/国土交通省

空家特措法により地方自治体の空き家対策を促した結果は?

空き家といえども、誰かが所有している私的な財産だ。本来は所有者が、適切に管理する義務がある。ところが、所有者が分からない、あるいは長年放置されているといった空き家が増加し、近隣トラブルが生じているという問題が表面化した。その対策として制定されたのが「空家特措法」だ。

空家特措法の狙いは2つあり、第一に国の指針に沿って、各地方自治体で空き家の実態を把握し、適切な管理を促したり空き家やその跡地を活用したりする体制を整えること。第二に、近隣トラブルを引き起こすような空き家(「特定空家等」と呼ぶ)を減らしていくことだ。

国土交通省が公表した調査結果によると、第一の狙いの核となる自治体の「空家等対策計画」の策定状況を見ると、1397市区町村(全自治体の80.2%)が策定済みだった。また、第二の狙いである「特定空家等」に対する自治体の措置状況(法施行から2021年度末まで)は、「助言・指導」が3万785件、「勧告」が2382件、「命令」が294件、「行政代執行」が140件、「略式代執行」が342件だった。

助言・指導  30,785件
勧告     2,382件
命令     294件
行政代執行  140件
略式代執行  342件
合計     33,943件

ちなみに、「勧告」に従わない場合は、「固定資産税・都市計画税の住宅用地に係る課税標準の特例」の適用対象から除外され、「命令」に従わない場合は、50万円以下の過料が課せられる。また、「行政代執行」は、特定空家等の所有者に代わって行政が強制的に措置を行うことで、「略式代執行」は、特定空家等の所有者が特定できない場合に行政が措置を行うことをいう。

このように空き家対策は徐々に進んでいて、空き家を取り壊して更地にしたり、問題となる部分を修繕などによって適切な管理になったりした事例も増えている。調査結果によると、空家特措法によるものが1万9599件、自治体の取り組みによるものが12万2929件、合計14万2528件の管理不全の空き家が改善されているということだ。

空家特措法の措置により除却や修繕等※がなされた特定空家等 19,599件
左記以外の市区町村による空き家対策の取組により、除却や修繕等※がなされた管理不全の空き家 122,929件
合計  142,528件
※除却や修繕等:除却、修繕、繁茂した樹木の伐採、改修による利活用、その他適切な管理

固定資産税の軽減目的で空き家を放置は通用しない

各自治体がそれぞれの実態に応じて取り組む空き家対策のほかに、空き家のまま放置される原因を減らしていくための措置もなされている。

まず、自治体から「勧告」を受けても従わない場合の「固定資産税・都市計画税の住宅用地に係る課税標準の特例」の適用除外について説明しよう。土地や建物を所有する場合に、固定資産税などが課される。とはいえ、マイホームは生活の基盤であるので、人が居住する建物の土地には課税額を軽減する措置がある。それがこの特例だ。

具体的には、固定資産税についてはその評価額が「小規模宅地」(敷地面積200平米まで)では1/6に(都市計画税については3/1)に、「一般住宅地」(200平米を超える部分)では1/3(同2/3)に軽減される。特定空家等に該当する空き家の中には、更地にしてしまうとこの軽減措置が受けられなくなるので、老朽化した家を取り壊さないというケースも多いことから、空き家を残したとしてもこの軽減措置が受けられない措置を導入したというわけだ。

相続した実家の利活用には減税措置も

次に、「空き家の譲渡所得の特別控除」の適用がある。不動産を売却して得た費用は、譲渡所得として課税対象になるが、実際に居住していたマイホームであれば、譲渡所得から最大3000万円が差し引ける「居住用財産の特別控除」の適用が受けられる。ただし、相続した実家などは売却する本人が居住していないので、相続後に売却する場合は対象外となる。相続した実家などについても、利活用を促す目的で、譲渡所得から最大3000万円差し引けるようにしたのが、「空き家の譲渡所得の特別控除」だ。

この特別控除の適用を受けるためには、ポイントが2つある。1つは、故人が亡くなる直前まで住んでいた、あるいは要介護になって老人ホームに入所したために亡くなるまで空き家になっていた場合。もう1つが、実家が、1981年(昭和56年)5月末日までに建築(いわゆる旧耐震基準)された住宅で、相続人が耐震リフォーム(いわゆる新耐震基準)をしたうえで土地と建物を売却した場合、あるいは、住宅を取り壊して更地にして売却した場合。

2つの条件を満たした場合は、3000万円までの控除によって、譲渡所得税が0円になる事例が増える。今回の国土交通省の調査では、「空き家の譲渡所得の特別控除」に係る確認書の交付実績も調べている。それを見ると、2021年度末までの累計は、962市区町村で5万743件の交付実績があった。2021年度単年で見ても、631市区町村で1万1976件が交付されており、年々増加している。特に、住宅価格の高い都市圏で交付実績が多いのが特徴だ。

さて、空き家対策については、相続登記の申請を義務化するなど、政府は次々と手を打っている。今後も「不動産を負動産にしない」手立てが続くことだろう。実家が空き家になる可能性があるなら、早めに家族で話し合い、登記はどうなっているのか、誰がどのように実家を引き継ぐのか、売ったり貸したりできる状態かなど、具体的に検討しておきたいものだ。

●関連サイト
・国土交通省「空き家対策に取り組む市区町村の状況について」(令和4年3月31日時点調査)
・国土交通省「都道府県別等の調査結果」(令和4年3月31日時点調査)

屋根の上には中央線! 高架下の学生向け賃貸「中央ラインハウス小金井」完成から2年、コロナ禍での住み心地

2020年3月、JR中央線東小金井駅から武蔵小金井駅間の高架下に建設された、学生向け賃貸住宅「中央ラインハウス小金井」。JR中央線の高架下を敷地としていること、3人の有名建築家が各棟を設計、専用カフェテリアでの食事付き、などが話題となった。現在、入居開始から3年目。コロナ禍をまともに受けつつ、どのように学生たちが過ごしているのか、お話を伺った。

中央線の高架下の有効活用が「食事付き学生専用マンション」

「入居開始後、最初の入居者は地方出身の1年生(当時)がほとんどでした。新築の「デザイナーズマンション」であることに加え、管理人がいて学生専用である安心感、朝夕の食事付きであることも親御さんからの支持が大きいです。いわゆる学生寮に比べればプライベートな居住空間はしっかり確保され、門限もない自由さもいいようです」と当物件の管理運営を担っている株式会社学生情報センター 広報室の寺田律子さん。

周辺には商店街も。そもそもここに学生向け賃貸住宅が計画されたのは、中央線の高架化に伴い生まれた土地の有効活用という観点から。多くの大学に通学できる利便性から、法政大学、東京農工大学、国際基督教大学はじめ約30校の学生が暮らしている(写真撮影/桑田瑞穂)

周辺には商店街も。そもそもここに学生向け賃貸住宅が計画されたのは、中央線の高架化に伴い生まれた土地の有効活用という観点から。多くの大学に通学できる利便性から、法政大学、東京農工大学、国際基督教大学はじめ約30校の学生が暮らしている(写真撮影/桑田瑞穂)

高架下かつ第一種低層住居専用地域で、「寄宿舎」カテゴリによる建築確認申請により建設をしているため、共同施設が必要になる。当物件には食堂があり、おのずと目玉は学生専用カフェテリアに。平日の朝と夕に、管理栄養士監修のボリューム感ある食事は「美味しい」と評判だ。さらに、専用カフェテリアが営業しない週末は自炊も。専用部分にキッチンがない学生は共用キッチンで調理をする。

メニューの一例(写真は夕食)。食事は朝食・夕食の提供で1万7600円/月(税込)。提供時間は月~金曜の7時~9時、18時~21時 (画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

メニューの一例(写真は夕食)。食事は朝食・夕食の提供で1万7600円/月(税込)。提供時間は月~金曜の7時~9時、18時~21時 (画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

外から中が見える、開放的なカフェテリアは居住する学生専用。近所の住民の方から「これは何?」と聞かれることも多いとか(写真撮影/桑田瑞穂)

外から中が見える、開放的なカフェテリアは居住する学生専用。近所の住民の方から「これは何?」と聞かれることも多いとか(写真撮影/桑田瑞穂)

高架下ということで騒音や揺れが気になるのでは、とイメージする人は多そうだが、実際はほとんど気にならない。
C棟に住むAさん(大学3年・男性)は、「むしろ、昔から鉄道が好きで、高架下のマンションということでがぜん興味を覚えました。都市学にも興味があり、こんな新しい土地活用は、恰好のネタにもなると思いました。暮らすのは一番の実践です」と話す。

棟は3通り。専用部分はミニマムに。共用スペースをシェア

実際の部屋や共用スペースを案内していただいた。
各部屋専有部は10~15平米とコンパクトだが、机やベッド、収納などが備え付けられ、洗濯機や冷蔵庫など家電も付いている(棟によって内容は異なる)。必要最低限の荷物で生活が始められるとあって、地方から上京する新1年生に人気の物件だ。

共用部を通らず入室でき、2住戸ごとにオートロックがあるなど、最も独立性の高い「C棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

共用部を通らず入室でき、2住戸ごとにオートロックがあるなど、最も独立性の高い「C棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

C棟の部屋は13.04~15.94平米で、ロフト、キッチン、浴室付きが最も人気が高い(写真撮影/桑田瑞穂)

C棟の部屋は13.04~15.94平米で、ロフト、キッチン、浴室付きが最も人気が高い(写真撮影/桑田瑞穂)

勉強や食事などができるコミュニティスペースを併設している「L棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

勉強や食事などができるコミュニティスペースを併設している「L棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟の部屋は10.75~11.36平米(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟の部屋は10.75~11.36平米(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟にある共用キッチン(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟にある共用キッチン(写真撮影/桑田瑞穂)

コインランドリー(写真撮影/桑田瑞穂)

コインランドリー(写真撮影/桑田瑞穂)

最も天井の高い「H棟」(10.44~11.59平米)。シャワーユニットとロフト付き。冷蔵庫付き(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

最も天井の高い「H棟」(10.44~11.59平米)。シャワーユニットとロフト付き。冷蔵庫付き(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

ロフトから見たH棟の部屋(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

ロフトから見たH棟の部屋(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

コロナ禍で交流イベントが白紙に。現在は少しずつ挑戦中

「共用部を充実させることで、付加価値を付けられたらと考えています。当初は、さまざまなイベントを提供することで、自然と交流を生み出す手伝いもできたらと考えていました」と寺田さん。というのも、多くの学生専用マンションを手掛けてきた同社は、これまでウェルカムパーティーやゲーム大会、ハロウィーンイベントなど、さまざまな仕掛けで、入居する学生たちの交流を促してきた実績があったからだ。

しかし、完成と同時にコロナ禍に。当然、さまざまなイベントは白紙になった。新入生も突如すべての授業がオンラインになるなか、実家にも帰れないという状況が続いた。前出のAさんも「最初の3カ月間は、初めての一人暮らしとコロナ禍のダブルで精神的につらかったです」と思い返す。

ただし、この学生向け賃貸住宅なら、会話を通しての交流は難しくても、同じ建物内に人がいる安心感や自分の部屋以外のスペースを使えるメリットがある。
「共用スペースで料理をしていれば、当然他の学生と同じ時間に料理したりすることがあるので、そこで会話をして顔見知りになっていくことができました」とH棟の住民の学生Sさん(大学2年・男性)

「感染状況をみながら、イベントも少しずつ再開しました。例えば、カフェテリアでスタッフが楽器を演奏するイベントなどを試みました」と当物件の事業開発主体であり、沿線のコミュニティを創発する株式会社JR中央線コミュニティデザインの山口剛さん。パーティーは無理だが、音楽を通して自然とそこに居る人たちの一体感が増す仕掛けだ。

6月にカフェテリアで行われた音楽イベント。スタッフがアコースティックギターとバイオリンを奏でて(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

6月にカフェテリアで行われた音楽イベント。スタッフがアコースティックギターとバイオリンを奏でて(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

学生自ら企画に参加。東京五輪の観戦イベントも

学生が自ら企画したイベントもある。前出のSさんは、東京五輪のサッカー戦をカフェテリアで一緒に観戦するイベントを担当した。

「せっかく、ただのアパートではなく学生マンションに住んでいるので、他の学生とも気軽に交流できる環境をつくりたいと思ったんです。一緒に企画したり、実際に来てくれた人と話している中で、他の大学の話を聞いたり、北から南まで出身地がバラバラで、故郷の話を聞いたり、すごく面白かったんです。もともとは部屋の美しさと食堂があったことで決めた物件ですが、いろんなバックグラウンドを持つ学生が集まっている良さを実感しました」(Bさん)

シェア工作室で地域にも開かれた場所に

そして、住人の学生だけでなく地域にも開かれた交流の場となっているのが、ナレッジルームだ。さまざまな工具、道具が用意されているため、材料を持ち込んでDIYをしたり、不用品を分解してつくるアートを楽しむこともできる。入居している学生のなかには、壊れていたものを自分で直したり、自分の部屋用にと棚や箱などぴったりサイズのものをDIYする人も。

「何をするかは自分で決める」が基本だが、小さなワークショップを開催することもある。小学生でも、初回のみ保護者の同伴が必要だが、保護者の許可があれば小学生だけで利用することも可能だ。
「ここは高架下で多くの方が“ここは何だろう”と思う場所。その注目度を活かして、学生だけでなく、地域の皆さまにも自然に交流が生まれる場所になったら理想的だなと思っています」と山口さん。

毎週月・火曜13時~18時、日曜10時~15時(不定期)にオープン。クリエイティブ・フィールドVIVISTOPを運営するVIVITA JAPAN(株)のスタッフに相談もできる(写真撮影/桑田瑞穂)

毎週月・火曜13時~18時、日曜10時~15時(不定期)にオープン。クリエイティブ・フィールドVIVISTOPを運営するVIVITA JAPAN(株)のスタッフに相談もできる(写真撮影/桑田瑞穂)

あらゆる工具のほか、ミシンやロックミシン、カッティングマシーン、シルクスクリーンなどが準備されている(写真撮影/桑田瑞穂)

あらゆる工具のほか、ミシンやロックミシン、カッティングマシーン、シルクスクリーンなどが準備されている(写真撮影/桑田瑞穂)

また、ナレッジルームで行われるイベントを学生が手伝うケースもある。
C棟に住むCさん(大学3年)は、「たまたま夏に募集があって、ヒマだったので参加しました。一般の来場者向けに、デイジーの種を空き缶で育てるプラントづくりを考案し、当日たくさんの方にレクチャーしました。緊張しましたがとても楽しくて、やってよかったですね。それきっかけで、スタッフの方と仲良くなり、たまに顔を出しています」と他にはない体験を楽しんだようだ。

正直、コロナ禍で、当初思うような交流の場が設けられていないのは事実だ。
「しかし、こちらの物件ではありませんが、オンラインを使ったe-スポーツ大会、有給のインターシップなど、新しい試みを実施しています。今後は学生さんたちもさまざまなイベントを企画する側から参加していただけたら面白いですね」(寺田さん)

できた当初は“高架下にできた学生寮”という珍しさで注目を集めた「中央ラインハウス小金井」。実は、中央線の高架化に伴い、学生向け賃貸住宅のほかにも、新たな商業施設、コワーキングスペース、保育園、クリニックなどが整備されている。つまり、駅の高架下という立地は、自然と地域住民が目にすることの多いロケーションなのだ。こうした特性を生かし、今後は、地域との交流も加速していくかもしれない。

現時点では、交流が入居の決め手になった学生はそれほど多くないが、今後は変わるかもしれない。就職活動において「自ら考え、自ら動いてきたか」を重視する傾向にある今、自分が暮らす場がその舞台になるのは絶好の機会だ。今後は「交流をしたいから」「イベントを自分で考えてみたいから」入居するという学生が増えるかもしれない。今後にも期待したい。

今回お話を伺った学生情報センター寺田律子さんと、JR中央線コミュニティデザインの山口剛さん(写真撮影/桑田瑞穂)

今回お話を伺った学生情報センター寺田律子さんと、JR中央線コミュニティデザインの山口剛さん(写真撮影/桑田瑞穂)

●取材協力
・中央ラインハウス小金井
・学生情報センター

日本製3Dプリンターでつくった倉庫やサウナ、公衆トイレなど続々! 全国初の建築確認申請も取得 鎌倉市・ポリウス

国内外で3Dプリンターの家や建築物の研究・開発が進んでいる。今年から国内でも販売をスタートする予定という企業もあり、ますます現実のものとなりつつある。
そんな国内でも盛り上がりを見せる3Dプリンターの家・建築物界隈で話題になっているのが、今年2月に登場した、日本製の3Dプリンターでつくった、建築基準法に適合(10平米以上の建築物施工)させた倉庫だ。手掛けたのは、神奈川県鎌倉市に拠点を構える会社Polyuse(ポリウス)。3Dプリンターの家・建築物の最新事情とともに、どのようなものなのか取材した。

建設業界のDX化の流れで導入進む

建設用3Dプリンターの開発は、2012年ごろから活発に行われるようになり、海外ではすでに住宅も施工されている。しかし、日本国内では地震、台風といった自然災害から生活を守るための建築基準法の基準を、3Dプリンターを用いた建築でクリアするのが難しく、長らく課題となっていた。

(写真提供/ポリウス)

(写真提供/ポリウス)

それでも、このコロナ禍の2、3年では、建設業界でのDX化は加速していると建築ITジャーナリストの家入龍太さんは話す。パンデミックにより、人材不足の深刻化、対人作業の削減や効率化、持続可能な住宅建設への意識の高まりが相まって、3Dプリンターをはじめとした最新の施工D X機器を現場に積極的に導入する動きがあるからだ。

「今は業界全体として、新しい機器導入には積極的です。3Dプリンターも、最新機器の一つとして建築現場で導入されています」(家入さん)

日本国内でも少しずつ住宅業界や建築業界で、3Dプリンターが浸透してきているとはいえ、前述の建築基準法をクリアするのは簡単ではなく、建築確認申請が不要な10平米以下のコンテナやユニットハウス、タイニーハウスがつくられることが多かった。また、日本の建築現場で導入されている3Dプリンターは、ほとんどが海外製だ。

そんななかで、自社製(日本製)の建設用3Dプリンターを使い、かつ、国内で初めて建築基準法に適合する形で生活空間としても十分な18平米の広さを確保した倉庫をつくったベンチャー企業Polyuse(ポリウス)の試みは、日本の3Dプリンターの家・建築物の進化の大きな一歩となったと注目を集めている。

左からポリウス代表取締役・大岡航さん、材料開発責任者/博士(工学)・鎌田太陽さん(写真提供/ポリウス)

左からポリウス代表取締役・大岡航さん、材料開発責任者/博士(工学)・鎌田太陽さん(写真提供/ポリウス)

今後、ここから日本国内での3Dプリンターの家・建築物はどう進化していくのだろうか。

やってみないと進まない3Dプリンター関連の開発

ポリウスは、今年4期目を迎えた平均年齢27歳の建設D Xベンチャーだ。国内唯一の建設用3Dプリンターメーカーで、建設業界が抱える人材不足やインフラの老朽化といった課題を、3Dプリンターを利用して解決しようと挑んでいる。
国土交通省が主導するプロジェクトにて排水土木構造物の印刷造形を手掛けたり、国内初の3Dプリンター適用の公共工事を高知県で国土交通省土佐国道事務所・入交建設と共に道路改良工事の現場で必要な土木構造物を造形・導入したりといった、工事現場で活躍するマシンやそのマシンがつくる建材の提供を行ってきた。

そんなポリウスが3Dプリンターの建築物に挑むことになったきっかけは、群馬県高崎市にあるMAT一級建築士事務所からの相談だった。施主やMAT一級建築士事務所に、18平米の倉庫を3Dプリンターで印刷した建材を用いるアイデアを提案し、12体の建築部材を印刷するエンジニアとして、ポリウスに白羽の矢を立てた。

建設業界のDX化を支えるポリウスの面々。自社生産する3Dプリンターと共に(写真提供/ポリウス)

建設業界のDX化を支えるポリウスの面々。自社生産する3Dプリンターと共に(写真提供/ポリウス)

10平米を超える建築確認申請が必要なプロジェクトであったため、ビジネス的側面では、法整備の課題をクリアしなくてはならなかった。そもそも3Dプリンターでつくる建物が、安全基準や建築基準法における現状の枠に含まれていないため、既存の基準と照らし合わせて何が問題なのか、実際に建物をつくり、申請し、精査しないことにはわからなかったからだ。

「3Dプリンター関連の開発は、現在の基準に当てはまらないものばかり。やってみないと、何ができて、何が今後において具体的な課題や障壁になるのかがわからない。ビジネス面においても、技術面においてもプロジェクトを行った意義はありました」とポリウスの代表取締役・大岡航さんは話す。

一方ポリウスの材料開発責任者/博士(工学)の鎌田太陽さんは「コンクリートが固まりにくい冬場の施工という点で、描き出すコンクリートを、強度を担保しながらスケジュールどおりに硬化させることに、たびたび微調整が必要でした」と話す。さらに「高さが1.5m 、長さが2m ある部材を12体印刷したが、最初のパーツと最後のパーツでは出来に若干の違いがあって成長過程がわかります」と続ける。

各構造物ごとに異なるサイズや形状を製作できる(写真提供/ポリウス)

各構造物ごとに異なるサイズや形状を製作できる(写真提供/ポリウス)

実物に触れた人たちからは「コンクリート打ちっぱなしのよう(に頑丈そう)」「曲面がおしゃれ」といった感想が。表面の積層模様が美しい(写真提供/ポリウス)

実物に触れた人たちからは「コンクリート打ちっぱなしのよう(に頑丈そう)」「曲面がおしゃれ」といった感想が。表面の積層模様が美しい(写真提供/ポリウス)

耐震性をどう担保するか

今回のプロジェクトのカギは、自社製の3Dプリンターと、建築基準法をいかにクリアしたか。まずは、3Dプリンターの家や建築物において、国内でたびたび議論される耐震性や耐火性について聞いてみた。

「木造、RC造の家、といった現在の建築基準に準ずる分類が、3Dプリンターでつくる家には該当しないんです。そのため、今回はあえて構造体を鉄骨造にしつつ、さらに鉄筋も組み込み、印刷方法自体も工夫しました。それらにより強度が高い3Dプリンター建築物としての構造体を実現し、従来の基準もクリアしました。その後も建築物としての頑丈さや安全面での検証を続けています」(大岡さん)

窓やドア、屋根など「安くて良いものは積極的に既製品も使用している」とのこと(写真提供/ポリウス)

窓やドア、屋根など「安くて良いものは積極的に既製品も使用している」とのこと(写真提供/ポリウス)

今回の倉庫づくりは、設計から施工・仕上げまで合計1月半ほどの期間を要し、費用は600万円ほどだという。3Dプリンターの家づくりは、「安くて早い」が売りだが、プレハブなら1坪あたり50,000~200,000円でつくれる中で、この600万円を“手ごろ”と片付けるのは難しい。しかし「群馬県の倉庫の躯体施工自体は約1日前後で終了しました。弊社での3Dプリンター建築物は既存と比べても遜色なく強固で耐久性も高い建築物です。もちろん今後技術開発を進めていくうえで、価格は十分に下がる見込みもたっており、スピードも格段に速くなってきています」と大岡さんは話す。

(写真提供/ポリウス)

(写真提供/ポリウス)

だがポリウスの見立てでは、3Dプリンターでつくられる住宅が、一般的に普及するにはもう少し時間がかかりそうとのこと。

今、続々とプロトタイプがリリースされ始めているが、大岡さんは慎重な見方を崩さない。「いわゆるプロトタイプと、皆様が安全にかつ満足した暮らしができる販売住宅には、天と地の差があります。耐震基準をはじめとした法的整備はもちろん、3Dプリンター建築物における基礎や仕上げの工程や3Dプリンター特有の構造に対しての基準等、まだまだいろいろな課題が残っています。そして、弊社の直近の3Dプリンター建築においては、公共施設や仮設住宅、学校、公園といった身近にあるレベルの建築物での印刷を優先的に開始させていただいております。その過程を経て、車ぐらいの価格で購入することが数年以内にできるように進めていきます」と話す。

仮設住宅のデザイン(写真提供/ポリウス)

仮設住宅のデザイン(写真提供/ポリウス)

仮設住宅のデザイン(写真提供/ポリウス)

仮設住宅のデザイン(写真提供/ポリウス)

海外プリンターとの差別化がカギ

今回のプロジェクトのもうひとつのカギが、自社製の3Dプリンター。
2000年代初頭から、技術を磨いてきたオランダや米国をはじめとした欧米プリンターメーカーに対して、後発の日本製プリンターの役割は何だろうか。

「大前提は日本特有の建設課題や価値観に徹底してコミットしているという点です。中でも、建築基準法や必要強度規格のような安全基準への対策と狭小領域という2つの点では海外特有の操作性や大型の機体サイズが存在する3Dプリンターに対して、弊社は徹底して日本の建設業界の方々が簡単に運べてかつ使いやすく、そのうえで日本の国内で建築する際に必要となる機体や材料のカスタマイズや、操作オペレーション面でのサポート体制のカスタマーサービス等々では、自信を持って現場で一緒に考えています」と大岡さんは話す。

続けて、「海外の3Dプリンターを日本に輸入し導入する動きは進んでいますが、日本の基準にない外国製の材料を使うことを推奨されていることが多く、国内基準への適用の調整や運搬費用が嵩むうえ、国際情勢に影響されて貨物の遅れが納期に影響するケースも出てきています」と建設DXの陰に見え隠れする問題を指摘する。

オランダやアメリカ製の大型の3Dプリンター機器に比べ、コンパクトなポリウスのマシンは、縦3m×横3m×高さ3mほど。国内で生産しているうえ、使用するコンクリートの材料も国内で調達できるため、輸送コストとリードタイムの両面で、大きなメリットを持つ。

さらに日本の耐震面や気候といった独特な風土や、建設現場のサイズにあわせ、マシンの改良依頼に応えなければならない場合もあるが、海外製品の場合、「その対応に時間も費用もかかる」という。

コンパクトなポリウスの3Dプリンター(写真提供/ポリウス)

コンパクトなポリウスの3Dプリンター(写真提供/ポリウス)

また、プリンターを開発する過程で、実際に運用する建設会社や施工会社の意見を取り入れた形で機器をつくり、最適化しているということも海外製との大きな違いだ。

みんなが使える公共物から

今後ポリウスでは、大型の住宅建設を進めていく前に、まずは土木分野での地道な技術開発を進めていくという。「建築物という大きなものをつくる時は、鉄筋とどう組み合わせるかも大きな壁になります。いかに耐震性を担保するかを達成するには、技術開発や実証実験に時間がかかる。一方土木は鉄筋なしの『無筋構造物』も多い。耐震性を強く求められない構造物から技術を磨いていき、スムーズかつ早く技術を一般の方へお届けできると考えて着手しています」と鎌田さんは話す。

現在、彼らのところへ舞い込んでいる建築物の相談の多くは、飲食店、仮設住宅、大型サウナ施設、キャンプ場、公共トイレといったいわゆる「みんなが使える公共物、共用物」が中心だという。この秋には、高知県のキャンプ場のトイレを印刷することが決まっているという。ようやく一般ユーザーが、3Dプリンターの建物に触れる機会が登場しそうだ。

高知県のキャンプ場で印刷が決まっているトイレ棟(写真提供/ポリウス)

高知県のキャンプ場で印刷が決まっているトイレ棟(写真提供/ポリウス)

(写真提供/ポリウス)

(写真提供/ポリウス)

「日本の建設会社に一番近い3Dプリンターメーカーとして存在していきたい」と話す鎌田さん。同時に、「私たちは技術提供しているいちエンジニアであって、脇役。プロジェクトの主人公はあくまでも業界を引っ張る建築家や建設会社や国土交通省で、業界が抱えている課題に真剣に向き合っている彼らが、より良い仕事をし、そこによりスポットライトが当たることが、この先若手人材が業界に参入するきっかけにもなると思っています」と続ける。

現在、ポリウスの3Dプリンターを導入したい、3Dプリンターでものづくりにチャレンジしたいと考えている行政や大学、建築業界関係者は多く、「勉強したい」「技術についてもっと教えてほしい」と前向きな声が集まっているという。

こうした前向きなアプローチやコンソーシアムといった緩やかな協力関係を用いて前進しようとするアプローチは、セレンディクスの飯田国大さんのインタビューでも聞かれたように、日本の3Dプリンターを利用したいと考える建設業界全体に見られる。

3Dプリンターの建物領域はまだまだ伸び代の大きな分野。ゆるやかに周辺とつながりながら、あくまでもカメのように慎重に、一歩一歩着実に進んでいく彼らの姿勢こそ、世界では後発の日本産3Dプリンターメーカーが世界を狙っていくための最速の方法なのかもしれない。

●取材協力
Polyuse(ポリウス)

京都の細長すぎる家に思わず二度見!1階は立ち飲み兼古本屋、2階は自宅の”逆うなぎの寝床” バヒュッテ

京都にある「細長ぁ~い」お店が話題です。間口がおよそ18mあるのに対し、奥行きはたったの2~3m。この悪条件のなか、なんと住居兼店舗を実現。狭小な敷地の有効活用が高い評価を受け、2021年度「グッドデザイン賞」を受賞しました。

連日にぎわうこの店には、未利用地の活用に頭を痛める人々を救うヒントがあるはず。古書、雑貨、立ち呑みの三つの商いを一堂で行う「バヒュッテ」の清野郁美さんに運用の秘訣をうかがいました。

狭い? 広い? 思わず二度見してしまう不思議な建物

「グッドデザイン賞」を受賞したウワサのお店は、叡山(えいざん)電鉄「修学院」駅を下車し、徒歩およそ5分のところにあります。

駅前のアーケード商店街「プラザ修学院」を抜けると、そこは白川通りという名の車道。ここに築かれた建物こそが、目指すお店「ba hütte.(バヒュッテ)」です。オープンは2019年5月30日。2022年で4年目を迎えます。

あなたは、きっと二度見するでしょう。木立のなかに現れたその建物を。あまりにも、あまりにも「細い」。いや、「細い」を通り越して、「薄い」のです。

白川通りに面して立つ、思わず二度見してしまう細長い建物。これがグッドデザイン賞を受賞した「バヒュッテ」(写真撮影/吉村智樹)

白川通りに面して立つ、思わず二度見してしまう細長い建物。これがグッドデザイン賞を受賞した「バヒュッテ」(写真撮影/吉村智樹)

しかし、通りの反対側から眺めてみると、今度は「ひ、広い!」。間口はなんと、およそ18mにも及ぶといいます。

広いのか、はたまた狭いのか。見る角度によって印象が大きく変わる、まるでトリックアートのような建物。隣接する大学施設や神社の樹木と相まって、とてもファンタジックな印象を受けます。

白川通をはさんで反対方向から眺めると、とても大きな建物に見える(写真撮影/吉村智樹)

白川通をはさんで反対方向から眺めると、とても大きな建物に見える(写真撮影/吉村智樹)

しかし、横から見ると窓サッシと同じサイズの奥行きしかない。神社の石碑もあり、神秘的なムードが漂う(写真撮影/吉村智樹)

しかし、横から見ると窓サッシと同じサイズの奥行きしかない。神社の石碑もあり、神秘的なムードが漂う(写真撮影/吉村智樹)

間口が広く、奥行きが浅い「逆・うなぎの寝床」

「うちの店はよく“逆・うなぎの寝床”と呼ばれますよ」

そう語るのは「バヒュッテ」店主、清野(せいの)郁美さん(38歳)。

古本・雑貨・立ち呑み「バヒュッテ」店主、清野郁美さん(写真撮影/吉村智樹)

古本・雑貨・立ち呑み「バヒュッテ」店主、清野郁美さん(写真撮影/吉村智樹)

「逆・うなぎの寝床」とは言い得て妙。「うなぎの寝床」といえば間口が狭く、反面、奥行きが深い建物のこと。江戸時代、京都は間口の広さに比例して税金の額が決められていました。そのため、住民はこぞって間口を狭くし、奥行きが深い家を建てたのです。京都の建築様式が「うなぎの寝床」と呼ばれているのは、そのためです。

バヒュッテは、うなぎの寝床の正反対。間口は驚くほど広く、しかしながら奥行きはたったの2.2~3.7mしかありません。間口が約18mもありながら、建坪はなんと、わずか8.7坪しかないのです。

清野「自分は見慣れているので日ごろはなんとも思わないのですが、たまに旅から帰ってきて、改めて自分の店を見てみると、『ほそっ!』と思います(笑)。江戸時代だったら、うちの店はものすごくたくさんの税金を払わなきゃいけませんね」

細長い店内には古本と雑貨がひしめく。とはいえ天井が高く、意外と閉塞感がない(写真撮影/吉村智樹)

細長い店内には古本と雑貨がひしめく。とはいえ天井が高く、意外と閉塞感がない(写真撮影/吉村智樹)

細長いだけではありません。敷地は、実はきれいな長方形になっていない不整形地。ご近所の人が言うには、以前この場所には小屋のように簡素な造りの魚屋さんがあったのだとか。さらにそれ以前は水車小屋が立っていました。代々、“地元に根付く小屋がある場所”だったようです。

更地にした状態。細長いうえに台形の不整形地。最南端の奥行きは驚きのわずか2.2m(画像提供/バヒュッテ)

更地にした状態。細長いうえに台形の不整形地。最南端の奥行きは驚きのわずか2.2m(画像提供/バヒュッテ)

かつてはここで鮮魚店が営まれていた(画像提供/バヒュッテ)

かつてはここで鮮魚店が営まれていた(画像提供/バヒュッテ)

清野「偶然なのですが、バヒュッテの『ヒュッテ』も小屋という意味なんです」

なんと、この地のさだめに引き寄せられたかのように、新たな小屋(ヒュッテ)が誕生していたのでした。ではバヒュッテの「バ」とは?

清野「世代を超えた交流の“場(バ)”になったらいいな、と思い……というのは後付けで、本当は“バ!”というパワーがある語感が好きなので名づけました」

本、雑貨、お酒。どれもはずせない要素だった

パワフルな語感のバヒュッテは、建物の細長さのみならず、業態もインパクト強め。コンセプトは「古本と雑貨と立ち呑みのお店」。壁一面に本棚があり、シブめなセレクトにうならされます。

殿山泰司、田中小実昌、深沢七郎、色川武大など「風来坊」「無頼派」と呼ばれた作家や役者の本が数多く並ぶ。風変わりな店の雰囲気とよく合っている(写真撮影/吉村智樹)

殿山泰司、田中小実昌、深沢七郎、色川武大など「風来坊」「無頼派」と呼ばれた作家や役者の本が数多く並ぶ。風変わりな店の雰囲気とよく合っている(写真撮影/吉村智樹)

2016年に結婚した清野郁美さん。パートナーの清野龍(りょう)さん(42)は20年以上にわたり大手書店にお勤めのベテラン書店員です。清野さんも同じ書店に10年以上働いていており、二人はかつての同僚でした。

夫妻ともども本が大好き。バヒュッテで販売している本はほぼすべて、ご両人の私物。センスのいい本ばかりと思ったのもどうりで。二人は二階で暮らし、夫の龍さんは、書店の勤務が休みの日はバヒュッテを手伝うのだそうです。

京都の大手書店で店長を務め、休日になるとバヒュッテを手伝う夫の龍さん。本とともに生きる日々(写真撮影/吉村智樹)

京都の大手書店で店長を務め、休日になるとバヒュッテを手伝う夫の龍さん。本とともに生きる日々(写真撮影/吉村智樹)

雑貨は、ポーチやペン、ノート、手ぬぐいと、バリエーション豊か。

手ぬぐい、靴下、ステーショナリーなど雑貨の品ぞろえも豊富(写真撮影/吉村智樹)

手ぬぐい、靴下、ステーショナリーなど雑貨の品ぞろえも豊富(写真撮影/吉村智樹)

そして注目すべきは、L字になった魅惑の立ち呑みスタンド。背徳の昼呑みが楽しめます。建築物としてのユニークさにばかり目を奪われがちですが、古書店で飲酒ができる点もかなり希少でしょう。

L字の立ち呑みスタンドで午後2時からお酒が楽しめる。意外とない“チョイ呑み”スポットだ(写真撮影/吉村智樹)

L字の立ち呑みスタンドで午後2時からお酒が楽しめる。意外とない“チョイ呑み”スポットだ(写真撮影/吉村智樹)

清野「私自身、本が好きで雑貨が好きで、そしてお酒が大好きだったんです。だから本、雑貨、お酒、三つともそろえました。狭いスペースで欲張りすぎなんですけれど、どれ一つ、はずせなかったですね」

清野さんの朗らかなキャラクターに惹かれ、夕方から続々とお客さんが呑みにやってきます。語感で選んだという「バヒュッテ」の「バ」は、コミュニティーの「場」として根付き、成熟していったようです。

南側の出入口には「外呑み」できるスペースが設けられている(写真撮影/吉村智樹)

南側の出入口には「外呑み」できるスペースが設けられている(写真撮影/吉村智樹)

「理想の物件に出会えないのならば土地を買って建てよう」

住居兼店舗である「バヒュッテ」は店舗としても住居としても非凡な、言わば珍建築のハイブリット。その発想は、どこから生まれたのでしょうか。

清野「結婚するタイミングで、夫と『家を借りようか。それとも買おうか』と話し合っているなかで、『お店もやれたらいいね』という気持ちが芽生えてきたんです」

本好きの二人は、「古本の販売を基本とした、自分たちらしいお店を営みたい」という夢を共有するようになりました。しかしながら、物件探しは簡単にはいきません。

清野「はじめは、『住むマンションは買って、店はテナントを借りる』という方針で動いていました。とはいえ、いいなと感じる住居、面白いと思えるテナント、二つを同時に探すのがものすごく大変で」

「自分たちらしい店がやりたいと思い、はじめは居住とテナントを別々に探していたが、なかなかいい物件に巡り合えなかった」と語る清野さん(写真撮影/吉村智樹)

「自分たちらしい店がやりたいと思い、はじめは居住とテナントを別々に探していたが、なかなかいい物件に巡り合えなかった」と語る清野さん(写真撮影/吉村智樹)

なかなか理想郷にたどり着けない清野さん夫妻。そこで、大胆な発想の転換を試みたのです。

清野「だったら、『いっそ思いきって土地を購入して、拠点を新たに建てたほうが、自分たちにあったかたちにできるんじゃないか』って、考え方が変わってきたんです」

店舗兼住居を借りるのではなく、「建てる」。言わば一世一代の大勝負に出た清野さん。そうしてたどり着いた場所が、「逆・うなぎの寝床」。ユニーク極まりない、尻込みする人が多い不整形地ですが、画期的な業態の店舗を開こうとする二人の新しい門出として、むしろ適していたのです。この土地に出会うまでに、「およそ3年もの月日を要した」と言います。

清野「長かったですね。やっと出会えた、そんな気がしました。私も夫も一目惚れ。『ここ、ここ!』って即決しました。並木道なので緑が豊富。散歩コースだから人通りもそれなりにある。隣接している建物がなく、たとえ少々音をたてたとしてもご近所に迷惑が掛からない。すぐそばに商店街があり、さらにスーパーマーケットがあって、病院があって、銀行があってと、至れり尽くせり。『住む』と『商売をする』の両立を可能とする唯一の物件だったんです」

レアな土地に誕生した、レアな城。遂にバヒュッテは完成し、細長さを逆手に取った仕様がたちまち話題になりました。そうして遂に「グッドデザイン賞」の受賞に至ったのです。

木材を斜めにとりつける大胆な構造。建築のプロたちも驚いた

バヒュッテがグッドデザイン賞に輝いた大きな理由の一つが「筋交い(すじかい)」。筋交いとは建物を強くするために、柱の間などに斜めに交差させてとりつけた木材のこと。とはいえ、実際に筋交いが空間を堂々と斜めに横切る店舗はそうそうありません。バヒュッテのシンボルともいえる武骨な筋交いは、何度見ても驚かされます。

バヒュッテのシンボルといえる、大胆に設えられた「筋交い」。初めて見た人はギョッとする(写真撮影/吉村智樹)

バヒュッテのシンボルといえる、大胆に設えられた「筋交い」。初めて見た人はギョッとする(写真撮影/吉村智樹)

清野「筋交いをしなきゃいけない理由は、通りに面した柱を減らすためです。『間口は全面ガラス張りにする』という設計士さんのアイデアがあり、そのために壁面に大きな筋交いが必要となったんです。これだけ大きいと、隠しようがない」

集成材でできた筋交いで壁側をしっかり固め、揺るぎない構造に。これにより間口の開放感がグンと増しました。

では、そもそも間口を全面ガラス張りにした理由は、なんなのでしょう。それは、「歩道すら建築の一部だと錯覚させるため」。狭いゆえに、外の景色も店内に採り入れようという発想なのです。筋交いは功を奏し、抜群の採光と眺望を手に入れました。視覚的効果がこれほどの爽快感をもたらすとはと、感心してしまいます。

筋交いが建物をしっかり支え、間口の全面ガラス張りを可能にしている。ガラス張りによって店内にいながら屋外の街路樹など眺望を楽しめる。おかげで狭さを感じない(写真撮影/吉村智樹)

筋交いが建物をしっかり支え、間口の全面ガラス張りを可能にしている。ガラス張りによって店内にいながら屋外の街路樹など眺望を楽しめる。おかげで狭さを感じない(写真撮影/吉村智樹)

地面を掘って天井を高く見せる効果は絶大

もう一つ、バヒュッテの構造には大きな特徴があります。それは古本や雑貨が並ぶ店舗部分の地面を掘り下げていること。その深さは約600mm。

清野「地面を掘ったのも設計士さんのアイデアです。掘って床を下げ、天井を高く見せ、狭さを感じなくさせているんです」

書籍や雑貨のコーナーは600mm掘り下げ、それによって天井を高く見せた(写真撮影/吉村智樹)

書籍や雑貨のコーナーは600mm掘り下げ、それによって天井を高く見せた(写真撮影/吉村智樹)

確かに掘られた床に立っていると、窮屈さをまるで感じません。天井が高く、ガラス戸から陽光が差し込み、まるで教会にいるような敬けんな気持ちにすらなってきます。

とはいえ、それは怪我の功名ともいえます。実はこの敷地、かたちがいびつなだけではなく、南北で高低差もある難物だったのです。地面を掘って店舗に床高の変化をつけたのは、やっかいな敷地を店舗として成立させる苦肉の策でもありました。そしてこの店内の起伏が、グッドデザイン賞を受賞したポイントとなったのです。

不整形かつ南高北低の傾斜地というなかなか難易度が高い立地。店内の床を掘り、地面をフラットにせざるをえなかった。最高で地上440mmの基礎を設け、雨の侵入を防いでいる(写真撮影/吉村智樹)

不整形かつ南高北低の傾斜地というなかなか難易度が高い立地。店内の床を掘り、地面をフラットにせざるをえなかった。最高で地上440mmの基礎を設け、雨の侵入を防いでいる(写真撮影/吉村智樹)

工事の様子(画像提供/バヒュッテ)

工事の様子(画像提供/バヒュッテ)

細長い店舗兼住居が「新時代の町家建築」と高評価に

2021年度「グッドデザイン賞」に選ばれたこの類まれなる店舗併用住宅「バヒュッテ」を設計したのは京都市北区にある「木村松本建築設計事務所」。

公益財団法人「日本デザイン振興会」は、バヒュッテを「京都に出現した新時代の町家建築だ。働くことと暮らすことが混ざり合った都市住宅の新しい在り方を示すことに成功している。街の本屋がどんどんと閉店していく中で、古本屋がこうやって暮らしと溶け合うのは、大変に現代的な現象であるとも言える。時代の流れを生む重要なデザインである」と評価しました。それが受賞の理由。

設計者の一人である木村吉成さんはバヒュッテを、「クライアント、構造家、施工者が一丸となってつくった建物」と語りました。自分たちでも会心の作だったという熱い想いが伝わってきます。木村松本建築設計事務所はさらにバヒュッテの設計を高く評価され、日本建築家協会が主催する「JIA新人賞」も同年に受賞。いっそう箔をつけたのです。

グッドデザイン賞の受賞を機に、特殊な構造を一目見ようと、バヒュッテには設計士、建築関係者、大学教授、建築を勉強する学生たちが続々とやってくるようになりました。なかには他府県からわざわざ見学に訪れる人もいるのだとか。

世代や国籍を問わず、建築に関心がある人たちが集まり、交流が始まるという(画像提供/バヒュッテ)

世代や国籍を問わず、建築に関心がある人たちが集まり、交流が始まるという(画像提供/バヒュッテ)

清野「みんな怪訝な表情で10分ほど写真を撮っていかれます。そして居合わせた見学者さん同士でビールを飲んで盛りあがる場合もしばしばあるんです。そんなときはいつも、『こういう仲をとりもてたのが、この構造の一番の効果かな』と思うんです。ただ、ここを設計してくれた木村さんは、『ここまで立ち呑み屋として発展するとは自分でも意外だった。酒がすすむ効果までは考えていなかった』とおっしゃっていましたね」

間口をガラス張りにして閉塞感を拭い去り、筋交いを隠すことなくさらけだした構造には、設計士すらも気がつかなかった、飾らずに楽しく会話させる効能があったのかもしれません。

立ち呑みコーナーには続々と人がやってきて、会話に花が咲く。「立ち呑み屋としてここまで機能するとは」と設計士自身も驚いたという(写真撮影/吉村智樹)

立ち呑みコーナーには続々と人がやってきて、会話に花が咲く。「立ち呑み屋としてここまで機能するとは」と設計士自身も驚いたという(写真撮影/吉村智樹)

珍しい日本酒やクラフトビールがそろう。BGMはアナログレコード。やさしい音色が穏やかな空間に溶け込む(写真撮影/吉村智樹)

珍しい日本酒やクラフトビールがそろう。BGMはアナログレコード。やさしい音色が穏やかな空間に溶け込む(写真撮影/吉村智樹)

不整形地もアイデア次第で活用できる

さて、気になるのは居住部分。さまざまな仕掛けで狭さを感じさせないように設計されたバヒュッテですが、家となるとさすがに「細長すぎるのでは」と心配になります。

間取図。「店を通らずに居住スペースへ行ける」点にこだわったという(画像提供/バヒュッテ)

間取図。「店を通らずに居住スペースへ行ける」点にこだわったという(画像提供/バヒュッテ)

建築模型。周辺の木立は当初から大切な要素だった(画像提供/バヒュッテ)

建築模型。周辺の木立は当初から大切な要素だった(画像提供/バヒュッテ)

清野「お客さんからよく、『本当に夫婦で二階に住んでいるの?』『人が住めるんですか?』と聞かれます。確かによその家よりも細長いので、友達を数人呼ぶと、横一列に並んで座る感じになりますね。『ちょっと、どいて』って言わないと通れませんし。でも、不便を感じるのはそれくらいかな。ロフトになっていて、狭さを感じないです。総面積だと小さめのマンション一部屋ぶんくらい十分にありますよ」

居住スペース。陽当たり良好。西日が強いため厚さが異なる2枚のカーテンで光の量を調節する(写真撮影/吉村智樹)

居住スペース。日当たり良好。西日が強いため厚さが異なる2枚のカーテンで光の量を調節する(写真撮影/吉村智樹)

それを聞いて安心しました。そして、いよいよ核心である「お値段」について踏み込まねばなりません。バヒュッテの建築には、いったいいくらかかったのでしょう。

清野「土地だけで2680万円。魚屋さんの建物を撤去する費用に10万円。そして店舗兼住居の建築費に3000万円。計およそ6000万円ですね。借入は35年の住宅ローンです。35年じゃないとローンが組めなかったので」

人気の京都市左京区内で、しかも駅から徒歩5分ほど場所の土地が2680万円とは安い。さらにもとあった鮮魚店店舗の撤去費用がわずか10万円とは破格にお得。不整形地でも固定観念を覆し、冴えたアイデアさえあれば存分に活かせるのだと、バヒュッテは教えてくれます。

お客さんに寄り添いながら流動してゆく店に

いまや修学院駅周辺エリアのランドマークであり、大切なコミュニティーの「バ」となったバヒュッテ。今後はどんなお店にしたいと考えているのでしょう。

清野「自分たちでこうしたいというより、お客さんに寄り添いながら流動してゆく店でありたい。もともとは古本と雑貨をメインに考えていて、午前11時オープン、夜は早く閉まるお店でした。けれども立ち呑みコーナーが人気となって、現在は昼下がりの午後2時から午後8時までになったんです。お酒の品ぞろえもお客さんの好みに合わせて変わってきました。そんなふうにニーズを探りつつ、自分たちがやりたいことをすり合わせて、変化させていく。そんなお店にしたい。現状維持はつまらないですしね」

夜になるとさらに存在感が増すバヒュッテ。全面ガラス張りの間口から漏れる灯りが街の治安にも貢献している(写真撮影/吉村智樹)

夜になるとさらに存在感が増すバヒュッテ。全面ガラス張りの間口から漏れる灯りが街の治安にも貢献している(写真撮影/吉村智樹)

開店して4年。いまや地元のコミュニティーの場として欠かせない存在となった(写真撮影/吉村智樹)

開店して4年。いまや地元のコミュニティーの場として欠かせない存在となった(写真撮影/吉村智樹)

街角に現れた、見る角度によって大きさが変わる不思議な小屋。そこは、人間の多様性や多面性を受け入れるやさしさがありました。

●取材協力
ba hütte.(バヒュッテ)
住所 京都府京都市左京区山端壱町田町38番地
営業時間 14:00 ~ 20:00
定休日 火曜日 水曜日 臨時休業あり
電話 075-746-5387
地上2階 /敷地面積:52.60平米 /建築面積:29.00平米 /延床面積:53.64平米

伊豆下田の絶景・名店6選で移住気分。地元写真家が推す“日常の贅沢”を追体験

5年前に東京から静岡県・下田に移住したカメラマンの津留崎徹花です。
私が住んでいる下田は美しい海や山、温泉にも恵まれているため観光地として人気の場所です。
もちろん旅行でもその魅力に触れていただけるのですが、住んでいるからこそ味わえることもたくさんあります。
たとえば温泉や海水浴、おいしい海の幸山の幸も特別なものではなく、ごく当たり前の日常となるのです。
なんてことない日常のなかで目にする夕暮れ時の海。
そうした自然の美しさに触れると「これが本当の贅沢なのではないか」と感じます。

今回「じゃらんニュース」と「SUUMOジャーナル」の合同で、
「じゃらんニュース」では下田観光をする場合のモデルコースを、「SUUMOジャーナル」では下田に住んだらこんな暮らし方ができるというおすすめ情報を掲載しています。
タイムスケジュールに沿ってご紹介していますので、参考にしていただけたらと思います(撮影は5月です)。

AM5:30 爪木崎自然公園(静岡県下田市須崎)

絶景スポットで、海から昇る朝日を拝む。

 駐車場のすぐ横にある芝生の広場から、こんな絶景を眺めることができます(写真撮影/津留崎徹花)

駐車場のすぐ横にある芝生の広場から、こんな絶景を眺めることができます(写真撮影/津留崎徹花)

下田に住んでいるとふとした時に、「あぁ、本当にきれいだ…」とため息が出るような景色に出会います。
快晴の日に車を運転していると、輝く海の美しさにハッとしたり。
買い物の帰りに、夕日を浴びて真っ赤に染まりゆく広々とした空を眺められたり。
そして、一日の始まりにちょっとだけ早起きをして、近くの海で朝日が上るのを見ることだってできるのです。

私のお気に入りの場所は、須崎半島の突端に位置する爪木崎。
水仙祭りや柱状節理で有名な景勝地なのですが、日の出もまた想像以上に素晴らしいのです。
わざわざ遠出をしなくても、日常のなかに絶景が広がっている。
これは下田で暮らしているからこその豊かさだと感じます。

爪木埼の灯台と朝日を眺める(写真撮影/津留崎徹花)

爪木崎の灯台と朝日を眺める(写真撮影/津留崎徹花)

早起きは三文の徳、ぜひこの景色を堪能してください(写真撮影/津留崎徹花)

早起きは三文の徳、ぜひこの景色を堪能してください(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日には、ハッとするような美しいブルーが広がります(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日には、ハッとするような美しいブルーが広がります(写真撮影/津留崎徹花)

AM10:00 農産物直売所・旬の里(静岡県下田市河内)

朝どれのみずみずしい地場野菜が並ぶ、おすすめ直売所!

柑橘天国、伊豆下田。なかでもこの「旬の里」は、一年を通して常に柑橘を購入できるお店です(写真撮影/津留崎徹花)

柑橘天国、伊豆下田。なかでもこの「旬の里」は、一年を通して常に柑橘を購入できるお店です(写真撮影/津留崎徹花)

下田といえばおいしい魚のイメージがあるかと思うのですが、実は海の幸だけではなく山の幸にも恵まれています。
「旬の里」はその名の通り、旬の山菜や野菜などがずらりと並ぶ人気の直売所です。
生産者さんがその日に採れたものを直接お店におろしているので、新鮮そのもの。
春になるとタケノコや山菜が並び、夏にはトマトが棚いっぱいに並びます。
秋にはツヤツヤのナスや栗、冬にはどっかりとした白菜や大根が鎮座。
朝採れたばかりの地物野菜を持ち帰り、その日のうちに味わう。
そうして「またこの季節が巡ってきたのか」と、四季の移ろいを感じるのは下田暮らしの楽しみのひとつです。

早朝、地元の生産者さんが次々と採れたばかりの野菜や果物を納品。みずみずしくおいしい地物をいただけるのは本当にありがたいです(写真撮影/津留崎徹花)

早朝、地元の生産者さんが次々と採れたばかりの野菜や果物を納品。みずみずしくおいしい地物をいただけるのは本当にありがたいです(写真撮影/津留崎徹花)

野菜だけではなく、地元の方が手作りしたパンやお惣菜、漬物などもそろっています(写真撮影/津留崎徹花)

野菜だけではなく、地元の方が手作りしたパンやお惣菜、漬物なども揃っています(写真撮影/津留崎徹花)

夏にはこんな立派なスイカもずらり、お値段もとてもリーズナブルです(写真撮影/津留崎徹花)

夏にはこんな立派なスイカもずらり、お値段もとてもリーズナブルです(写真撮影/津留崎徹花)

PM12:00 FermenCo.(静岡県下田市吉佐美)

注目店!海を見ながらピザを頬張る、極上のひととき。

キリッと冷えたナチュラルワインと香ばしいマルゲリータ、最高です(写真撮影/津留崎徹花)

キリッと冷えたナチュラルワインと香ばしいマルゲリータ、最高です(写真撮影/津留崎徹花)

白い砂浜と透明度抜群の美しい海が広がる入田浜は、地元でも人気のビーチ。
その入田浜の目の前に、昨年「FermenCo.」フェルメンコというピザ屋がオープンしました。
絶好のロケーションもさることながら、とにかくこちらのピザがとてもおいしいのです。
「FermenCo.」の大きな特徴でもあるのがピザの生地。
小麦粉と水だけで起こすサワードウという自家製発酵種を使い、長時間かけてじっくりと発酵させています。
さっぱりとしたなかに小麦本来の甘みが感じられるのが、サワードウならではの優しい味わい。
店内に響く心地のよい音楽、目の前には青い海、そしてナチュラルワインを傾けながらおいしいサワードウピザを楽しむ。
贅沢すぎる時間を、ぜひ。

入田浜がすぐ目の前に。シンプルで洗練された店内の雰囲気も心地よく、つい長居してしまいます(写真撮影/津留崎徹花)

入田浜がすぐ目の前に。シンプルで洗練された店内の雰囲気も心地よく、つい長居してしまいます(写真撮影/津留崎徹花)

イタリアから仕入れたこだわりのピザ窯。400度以上にもなる高温の窯で焼きあげたピザは、ふっくらとした食感と炭火の香ばしさが楽しめます(写真撮影/津留崎徹花)

イタリアから仕入れたこだわりのピザ窯。400度以上にもなる高温の窯で焼きあげたピザは、ふっくらとした食感と炭火の香ばしさが楽しめます(写真撮影/津留崎徹花)

モッツァレラチーズやマッシュルーム、卵などがトッピングされたビスマルクもおすすめです。トリュフオイルの香りが独特のアクセントに(写真撮影/津留崎徹花)

モッツァレラチーズやマッシュルーム、卵などがトッピングされたビスマルクもおすすめです。トリュフオイルの香りが独特のアクセントに(写真撮影/津留崎徹花)

PM15:00 鈴与鮮魚店(静岡県下田市一丁目)

キンメだけじゃない、下田のおいしい地魚を食べるなら迷わずこのお店へ!

夕方になると地元の常連さんがお刺身を買いにくるのをよく見かけます。わが家もお刺身を買うならここ、と決めているのです(写真撮影/津留崎徹花)

夕方になると地元の常連さんがお刺身を買いにくるのをよく見かけます。わが家もお刺身を買うならここ、と決めているのです(写真撮影/津留崎徹花)

下田といえば金目鯛が有名ですが、そのほかにも四季折々のおいしい地魚がたくさんあります。
鈴与鮮魚店さんの店先に並ぶ魚は、そのほとんどが地元であがった天然ものの良質な魚。
「売ればいいってもんじゃないんだよね、いいものを仕入れないと意味がないから」と話すのは店主の鈴木さん。
そうしたこだわりは、一口味わってみれば納得がいきます。
魚の臭みなどみじんなく、うま味だけがすっと身体に染み込んでいく感覚。
こだわりがあるからこそ、時には店先の魚が乏しくなることも。

「海が荒れれば魚は上がらない、自然相手だからいい日もあれば悪い日もあるんだよ。」とご主人。
冷凍や養殖ものを扱えば、天候に左右されずに商売ができます。
けれど、地元で上がった天然の魚を一番おいしい旬の時期に提供したいというのがご主人の姿勢。
魚の種類によっては仕入れてから一晩寝かせ、翌日身が緩んだらようやく骨を抜く。さらにもう一日寝かせてから店先で販売するのだそう。そうして一番おいしいタイミングでお客さんに提供するのです。

「今日はお魚が並んでいるかな?」そんな風に魚を買いにいくのも、下田暮らしの楽しみのひとつです。

仕入れた魚を丁寧に処理するご主人(写真撮影/津留崎徹花)

仕入れた魚を丁寧に処理するご主人(写真撮影/津留崎徹花)

店先に並んでいる魚は身が引き締まっていて、とにかく美しい。この日に並んでいたのは色鮮やかな地金目鯛や高級魚のオオモンハタ、芭蕉イカ(あおりイカ)など(写真撮影/津留崎徹花)

店先に並んでいる魚は身が引き締まっていて、とにかく美しい。この日に並んでいたのは色鮮やかな地金目鯛や高級魚のオオモンハタ、芭蕉イカ(あおりイカ)など(写真撮影/津留崎徹花)

お刺身の盛り合わせの一例(写真撮影/津留崎徹花)

お刺身の盛り合わせの一例(写真撮影/津留崎徹花)

PM17:00 下田ビューホテル(静岡県下田市柿崎)

外浦海岸を一望!日帰り入浴ができる絶景温泉。

ジャグジー付きの内風呂からも海が一望できます(写真撮影/津留崎徹花)

ジャグジー付きの内風呂からも海が一望できます(写真撮影/津留崎徹花)

東京で暮らしていた頃は、長期休暇を利用して温泉旅行へ出かけていました。
けれど今は、温泉地としても人気のある下田に住んでいます。
つまり、「あぁ、疲れた~」というときにすぐ温泉につかることができるのです。
家族で近くの温泉宿に宿泊することもあるのですが、ひとりでふらっと日帰り入浴に行くことも多々あります。
なかでもお気に入りの日帰り入浴が下田ビューホテル。
昭和47年に開業した下田ビューホテルは、クラシカルな雰囲気がとても素敵で、お風呂は内風呂と露天風呂があり、美しい外浦海岸を一望することができる絶景温泉なのです。
青い海を眺めながらゆっくり入浴していると、一日の疲れがしだいに解けていきます。
特別な旅行ではなく、日常に温泉があるという暮らし方はとても心地のよいものです。
(新型コロナウィルス拡大防止のため、現在下田市在住の方のみ日帰り入浴が可能です。)

お風呂は男女ともに露天風呂と内風呂があります(時間帯によって入れ替え制)(写真撮影/津留崎徹花)

お風呂は男女ともに露天風呂と内風呂があります(時間帯によって入れ替え制)(写真撮影/津留崎徹花)

ラウンジでのランチを予約すると無料で温泉が利用できます。メニューは和定食や海鮮丼などで2500円(税込)(ランチは要事前予約、2名様より予約可能)(写真撮影/津留崎徹花)

ラウンジでのランチを予約すると無料で温泉が利用できます。メニューは和定食や海鮮丼などで2500円(税込)(ランチは要事前予約、2名様より予約可能)(写真撮影/津留崎徹花)

こちらは客室からの眺め。日帰り入浴だけではなく、宿泊してのんびりするのもおすすめです(写真撮影/津留崎徹花)

こちらは客室からの眺め。日帰り入浴だけではなく、宿泊してのんびりするのもおすすめです(写真撮影/津留崎徹花)

PM18:00 外浦海水浴場(静岡県下田市外浦)

仕事が終わったら、さあビール片手に海へ行こう!

ふじのくに限定「静岡麦酒」で乾杯!(写真撮影/津留崎徹花)

ふじのくに限定「静岡麦酒」で乾杯!(写真撮影/津留崎徹花)

「今日もよく頑張った…という仕事終わり、飲みにいく?どこに?近所の海に!」
という贅沢なことができてしまうのが下田暮らしの良いところです。

私が夕暮れどきによく足を運ぶのは、外浦海水浴場。
下田には9つの海水浴場があるのですが、なかでも波が穏やかなのがこの外浦海水浴場です。
夏になると小さい子ども連れの海水浴客でひしめき合う人気のスポットなのですが、人けのなくなる夕方になると、ちょうど夕日が海の方向へ差し込みます。
波のない静かな海が真っ青に色づき、そして空はピンク色に染まっていく。
なんとも美しい色合いの景色を眺めながら、冷えた缶ビールで乾杯。
一日頑張った自分への最高のご褒美です。

こんな景色が家のすぐそばで見られるなんて、これほど贅沢なことはないです(写真撮影/津留崎徹花)

こんな景色が家のすぐそばで見られるなんて、これほど贅沢なことはないです(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日中もまた、素晴らしい景色が広がります(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日中もまた、素晴らしい景色が広がります(写真撮影/津留崎徹花)

下田で暮らし始めてから5年が経ちます。東京に住んでいたときには渋滞に巻き込まれながら旅行に出かけていました。けれど今はちょっと休息をしたければすぐ目の前に海や温泉がある、贅沢な環境だとつくづく思います。
そして、時が経てば経つほど下田の魅力を感じています。豊かで美しい自然、そうした自然を生かしながら寄り添って暮らしてきた地元の方々の知恵には、学ぶことがとても多いと感じる日々です。
今回の記事をきっかけに下田に興味を持ってくださったらとても嬉しいです。ぜひ一度、下田に足を運んでください。

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●紹介スポット
爪木崎自然公園
[住所]静岡県下田市須崎
[営業時間・定休日・料金]散策自由
[アクセス]伊豆急下田駅より約15分
伊豆急下田駅よりバス「爪木崎」行き 爪木崎下車
[駐車場]あり(500円)
「爪木崎自然公園」の詳細はこちら(爪木崎)

農産物直売所・旬の里
[電話] 0558-27-1488
[住所]静岡県下田市河内281-9
[営業時間]8:30~17:00
[定休日]なし/年末年始のみ休業(12/31~1/3)
[アクセス]【電車】伊豆急蓮台寺駅から徒歩5分
【車】伊豆急下田駅から国道414号松崎方面に向かい車で約5分
[駐車場]あり(無料)
「農産物直売所・旬の里」の詳細はこちら

FermenCo. フェルメンコ
[電話]0558-36-3643
[住所] 静岡県下田市吉佐美348-37
[営業時間11:00-14:30
[定休日]月・火曜日
[料金]ピザ1300円~
マルゲリータ1500円
ビスマルク1900円
ナチュラルハウスワイン グラス600円
[アクセス]【電車】伊豆急下田駅より車で10分
【車】(東京方面より)新東名長泉沼津ICより伊豆縦貫道を通り、下田方面へ約1時間半
[駐車場]入田浜海水浴場の駐車場を利用(夏季期間有料)
「FermenCo.」の詳細はこちら

鈴与鮮魚店
[TEL]0558-22-0458
[住所]静岡県下田市一丁目14−47
[営業時間]11:00~17:00
[定休日]毎週水曜日・月末だけ水・木曜日
[アクセス]伊豆急下田駅から徒歩約3分
[駐車場]なし

下田ビューホテル
[電話]0558-22-6600
[住所]静岡県下田市柿崎633
[営業時間]日帰り入浴 11:00-14:00
[定休日]繁忙期は日帰り入浴の受け入れなし
[料金]1500円(ランチ2500円)
[アクセス]
【電車】JR特急踊り子号で伊豆急行の伊豆急下田駅へ。 伊豆急下田駅より車で6分。送迎あり。
【車】
<東京方面から>
東名高速道路を名古屋方面~東名厚木IC~小田原厚木道路~石橋ICから国道135号で白浜へ
<名古屋方面から>
東名高速道路を東京方面~新東名・長泉沼津IC~〔東駿河湾環状道(有料)~伊豆中央道(有料)~修善寺道(有料)〕~国道136号、国道414号から国道135号で白浜へ
※新東名長泉沼津ICから約1時間35分
[駐車場]あり(80台無料)
「下田ビューホテル」の詳細はこちら

外浦海水浴場
[住所]下田市外浦
[営業時間・定休日・料金]散策自由
[アクセス] 伊豆急下田駅より約7分
[駐車場]あり(夏季期間有料)
「外浦海水浴場」の詳細はこちら

好きすぎて長野にサウナ移住。The Saunaをつくったら、聖地になり移住希望者も続々で人生が変わった話 野田クラクションべべーさん

サウナは今、空前のブーム。なかでも全国各地の自然や水質を活かしたアウトドアサウナは、その地域にしかない唯一無二であり、サウナーたちにとって欠かせない体験のひとつとなった。そのアウトドアサウナの先駆者である『The Sauna』支配人の野田クラクションべべーさんは、東京生まれの東京育ち。だが5年前、サウナをつくるために長野県信濃町に移住した。サウナに熱狂し、サウナをきっかけに移住したその後の暮らしはどうだろうか。サウナ移住のいきさつと、移住後の暮らしについて話を伺った。

誰に言うでもなかった密かな趣味、サウナを仕事にしようと思い立った

野田さんは、もともとWEBメディアの広告代理店・株式会社LIGを経営する社長のカバン持ちとしてインターンで就業(その後正社員に)。ブログコンテンツの企画のために社長の無茶ぶりに応え、タイで仕入れたTシャツを1ヶ月で200枚を売るために訪問販売したり、海外で野宿生活を送ったりなどもしていた。そんな日々のなか、1年間車中泊をしながら日本全国を回る企画で国内を放浪していた時にハマったのが、サウナ。開眼のきっかけは、高知県田野町にある入浴施設・たのたの温泉だと振り返る。

「その日は、お遍路で100km程度の道程を3日間かけて歩いてたんですよ。日差しの強い中、お風呂も入らずに歩き続けていたので、両手が日焼けでとっても痛かった。なのでまずは、と水風呂に入ったんですよね。で、体が冷たくなったから、そのままサウナへ。するとサウナ室内でのオルゴール調のBGM、夕方の外気浴、目の前で流れる小川の音と、グルービングがバチッとハマって、はー、気持ちいいなってふわっと体が軽くなった。さらに、その日はすごくよく眠れたんです。それがサウナに目覚めたきっかけですね」

それを機に、東京に戻った後もサウナに通うようになった。

お遍路巡りをする当時の野田さん。20kgの荷物を抱えて毎日30km歩いているなか、サウナのととのいに目覚めた(写真提供/野田さん)

お遍路巡りをする当時の野田さん。20kgの荷物を抱えて毎日30km歩いているなか、サウナのととのいに目覚めた(写真提供/野田さん)

その後、ラッパー活動(これも仕事)を通じて本気で音楽をやる人たちに出会ったことで、改めて「自分が本気になれることって何だろう」と考え始めた野田さん。誰に話すわけでもない、それでも通い続けていたサウナならやれる。サウナへの道を進む決断をした。

最初は、会社を辞めてサウナ施設へ転職するつもりだった野田さん。昔からお世話になっている編集者の先輩に相談したところ、社長の運営する長野の宿泊施設「LAMP」内でのサウナ建設をすすめられた。

「まだ湖に飛び込むようなサウナは日本にないから、やってみれば?」。その一言で、野田さんの人生は本格的にアウトドアサウナへと舵をきっていく。アウトドアサウナは、フィンランドが本場。それを知った野田さんは早速社長に旅費を借りて現地視察。自然の地形を活かしたサウナを見て、これを野尻湖でやろう!と決心し、その勢いのまま2018年11月に信濃町に移住した。

サウナ発祥の地・フィンランドでは、サウナはコミュニケーションツール。人々がサウナに入る風景があちこちで見られる(写真提供/野田さん)

サウナ発祥の地・フィンランドでは、サウナはコミュニケーションツール。人々がサウナに入る風景があちこちで見られる(写真提供/野田さん)

サウナ後、湖や池に飛び込む現地の人々(写真提供/野田さん)

サウナ後、湖や池に飛び込む現地の人々(写真提供/野田さん)

移住するやいなや、自身で損益分岐表をネットなどで調べながら作成。クラウドファンディングで約6カ月で264万円の建設費を集めることに成功した。

そして半年後、The Sauna 第1号棟の「ユクシ」が誕生する。

The Sauna全景。長野県・野尻湖のほとりにある宿泊施設LAMPの敷地内につくったThe Saunaは、全部で4棟のログハウス式サウナが並ぶ。手前が第1号棟の「ユクシ」(写真撮影/新井友樹)

The Sauna全景。長野県・野尻湖のほとりにある宿泊施設LAMPの敷地内につくったThe Saunaは、全部で4棟のログハウス式サウナが並ぶ。手前が第1号棟の「ユクシ」(写真撮影/新井友樹)

薪ストーブでサ室内は高温に。フィンランド式のセルフロウリュで、スタッフが用意したアロマ水をじゅわーとアツアツのサウナストーンにかける(写真撮影/新井友樹)

薪ストーブでサ室内は高温に。フィンランド式のセルフロウリュで、スタッフが用意したアロマ水をじゅわーとアツアツのサウナストーンにかける(写真撮影/新井友樹)

サウナ中に白樺の小枝を束ねた「ヴィヒタ」で体を叩く「セルフウィスキング」をするのがフィンランド流。フィンランドには「ヴィヒタ抜きのサウナは塩抜きの料理」という格言もあるとか。葉っぱは長野県の白樺、林檎の木の葉など長野県産のものを使用。ヴィヒタはオプションで購入可能(2500円~)(写真撮影/新井友樹)

サウナ中に白樺の小枝を束ねた「ヴィヒタ」で体を叩く「セルフウィスキング」をするのがフィンランド流。フィンランドには「ヴィヒタ抜きのサウナは塩抜きの料理」という格言もあるとか。葉っぱは長野県の白樺、林檎の木の葉など長野県産のものを使用。ヴィヒタはオプションで購入可能(2500円~)(写真撮影/新井友樹)

十分に体が温まったら水風呂タイム。サウナ小屋の隣の水風呂のほか、徒歩5分ほどと少し離れてはいるが、野尻湖へ“ドボン”もできる(写真撮影/新井友樹)

十分に体が温まったら水風呂タイム。サウナ小屋の隣の水風呂のほか、徒歩5分ほどと少し離れてはいるが、野尻湖へ“ドボン”もできる(写真撮影/新井友樹)

アウトドアサウナは体験がすべて。だから地元の誰とつくるかを大事にした

“ぜんぶ、しぜん。”をコンセプトにしたThe Saunaは、地元の資材を使うことはもちろん意識しながらも、最も大事にしたところは、地元の誰とつながるか、ということだという。

「利用者にストーリーを話せるサウナにしたい」。そう考えた野田さんが声をかけたのは地元のログハウス会社。「これまでつくったことがない」と言われながらも、一緒にサウナをつくりあげた。また、ヴィヒタを長野の白樺の生産者と共同開発したり、フードメニューに信濃町に移住してきた農家さんがつくった無農薬野菜を取り入れたりもした。

サウナ上がりのご飯、“サ飯”も楽しみの一つ。写真手前は、花山椒を効かせた名物の「ラムマーボーご飯」(1200円)。写真はプラス100円で野沢菜をトッピングしている。写真右上の「リーフサラダ」(ハーフサイズ500円)は地元の有機野菜を使用。移住者でもある地元農家のスペイン人・フリアンさんがクワも使わず育てた野菜は、肉厚で味が濃い。写真奥は手づくりシロップを加えた「本気のレモンスカッシュ」(500円)※すべて税込(写真撮影/新井友樹)

サウナ上がりのご飯、“サ飯”も楽しみの一つ。写真手前は、花山椒を効かせた名物の「ラムマーボーご飯」(1200円)。写真はプラス100円で野沢菜をトッピングしている。写真右上の「リーフサラダ」(ハーフサイズ400円)は地元の有機野菜を使用。移住者でもある地元農家のスペイン人・フリアンさんがクワも使わず育てた野菜は、肉厚で味が濃い。写真奥は手づくりシロップを加えた「本気のレモンスカッシュ」(500円)※すべて税込(写真撮影/新井友樹)

さらに、と、野田さんは続ける。

「アウトドアサウナって、やはり自然だから、天候によって体験が変わるんです。虫が多くて気持ちよくサウナに入れない日が10点だとしたら、雨上がりで水温が低くてむちゃくちゃ水風呂が綺麗な100点の日もある。同じ場所でも同じ体験ができるとは限らないところも醍醐味なんです。

だからこそ、アウトドアサウナにはスタッフのサービスがとても大事。お客さまにとって心地よいサービスができれば150点になる日もある。The Saunaはそこをすごく重要視してますね。うちは、サ室の温度を保つために薪の管理などをする担当者、いわゆる“サウナ番”がいるのですが、特に設けなくてもいいポジションかもしれない。でも、最高の体験になるように演出するためには必要なんです」

サウナ前にはワイン樽を切ってつくった水風呂が。黒姫山の伏流を引き込んだ、冷たい天然水がサウナでほてった体を急速に冷やす(写真撮影/新井友樹)

サウナ前にはワイン樽を切ってつくった水風呂が。黒姫山の伏流を引き込んだ、冷たい天然水がサウナでほてった体を急速に冷やす(写真撮影/新井友樹)

外気浴スペースは樹に囲まれたスペースなどいろんな場所にある。水風呂で体を冷やした後、ととのいイスに座れば訪れる、開放感。鳥のさえずりに木々の枝葉の揺れ、小川の音。すっかり五感が解き放たれ、まるで森と一体化したような感覚を味わえる(写真撮影/新井友樹)

外気浴スペースは樹に囲まれたスペースなどいろんな場所にある。水風呂で体を冷やした後、ととのいイスに座れば訪れる、開放感。鳥のさえずりに木枝の木々の枝葉の揺れ、小川の音。すっかり五感が解き放たれ、まるで森と一体化したような感覚を味わえる(写真撮影/新井友樹)

サウナから出ると、サウナ番のスタッフが準備してくれたお茶と塩飴が並べてある(写真撮影/新井友樹)

サウナから出ると、サウナ番のスタッフが準備してくれたお茶と塩飴が並べてある(写真撮影/新井友樹)

“やんわり、すっと”を心がけてほどよい距離感でのサービスを常に考えている。その後、ドラマの『サ道』(テレビ東京系)やととのえ親方の情報発信などのおかげでサウナへの認知度が上がり、The Saunaは今では人気のサウナスポットになった(写真撮影/新井友樹)

“やんわり、すっと”を心がけてほどよい距離感でのサービスを常に考えている。その後、ドラマの『サ道』(テレビ東京系)やととのえ親方の情報発信などのおかげでサウナへの認知度が上がり、The Saunaは今では人気のサウナスポットになった(写真撮影/新井友樹)

勢いで移住したが、コロナ禍で信濃町の魅力をかみしめた

とにかくサウナをつくりたい。その一心で長野県信濃町に移住し、最初の1年はただがむしゃらで、当初は楽しむ余裕もなかった。一人でも多くのお客さんを呼ぶことに夢中で、まちを楽しむどころではなかった。

ところが国内で新型コロナが蔓延し、約2カ月の休業を余儀なくされたとき、LAMPの宿で自身が提供していたサービスを経験してみた。その時に初めて信濃町の魅力に気がついたという。

「野尻湖のおかげで釣りが趣味になりました。起きて5分後には釣りができるんですよ。また春と秋には山菜狩りやきのこ狩りが、夏にはカヤックやSUP、冬にはクロスカントリーやスノーシューが楽しめます。新潟県の上越にもアクセスが良くて山へお出掛けもできる。信濃町は長野駅から車で30~40分程度なので、移動もそこまで苦じゃない――その環境の豊かさを初めて知った時に、『なんていい場所だろう』と改めてこの場所が好きになりました」

釣りを楽しむ野田さん(写真提供/野田さん)

釣りを楽しむ野田さん(写真提供/野田さん)

生活も早寝早起きにシフトチェンジし、東京では難しかった健康的な生活を送っているそうだ。

「何より、自然のことを考える機会が多くなりましたね。嫌でもアウトドアで自然に触れるので、SDGsは意識するようになった。以前はそこまで深く考えることはなかったんですけれどね。例えば、木を永続的に残していくためにはどうしたらいいかとか、自分がおじいちゃんになった後もこの環境をどう維持していくかといったことを考えるようになって、先進的なフィンランドの取り組みを積極的に学んだりするようになりました。今はフィンランドや他の国の人と直接対話がしたくて、人生で初めて英語を学びたいなと思うようになりました」

野尻湖では、カヤックボードの上に寝そべって日光浴を楽しむこともできる(写真撮影/新井友樹)

野尻湖では、カヤックボードの上に寝そべって日光浴を楽しむこともできる(写真撮影/新井友樹)

湖のほとりで森林浴とヨガを楽しむ人がいるのも日常的な光景(写真撮影/新井友樹)

湖のほとりで森林浴とヨガを楽しむ人がいるのも日常的な光景(写真撮影/新井友樹)

The Saunaは、アウトドアサウナ初心者の利用が多い。つまり、信濃町に初めて触れる機会にもなるというパブリックな一面もあることをとても意識しているという。だからこそ、信濃町の暮らしや観光などについての情報もシェアしているとのこと。

「そのためにも、信濃町の良さをどう多くの人たちと共有できるかを考えるようになりました。信濃町の魅力を知ってもらえれば、ゆくゆくは移住者も増えて、地域の活性化につながるかもしれない。そのためには地域の経済成長が大事です。なので、自分たちのサウナやサービスのクオリティを高めることで、もっと地域に人が来てくれるきっかけになればいいなと思いますね」と話す野田さん。

こうして、個人の“好き”からはじまった勢いまかせのサウナ移住は、徐々に地域をどう盛り上げていけるかという視点へと広がっていったのだ。

最近ではサウナビルダーとして全国のサウナの立ち上げにも関わる野田さんだが、野尻湖の風景が一番好きだと話す(写真撮影/新井友樹)

最近ではサウナビルダーとして全国のサウナの立ち上げにも関わる野田さんだが、野尻湖の風景が一番好きだと話す(写真撮影/新井友樹)

移住はデメリットもメリットもある。どこで判断するかがポイント

野田さんが移住して今年で5年。アウトドアサウナは、野田さんの活動をきっかけに今や他の地域でも増え、その地域でしか体験できないサウナに魅せられて移住する人が少しずつ出てくるまでになった。野田さんのたった一人の決断もまた、多くのサウナ移住検討者たちへ背中を見せる形となった。

「正直、勢いで移住を決めた僕のパターンはあまり参考にならないかもしれないですが、決めるってことが大事な気がします。信濃町でいえば冬は積雪量が多いので雪かきが必要です。田舎だと虫も多かったりするし、それ以外でも嫌なことだってある。でも都会だって嫌なことはある。その嫌な部分も含めて決断するってことが大事だと思うんですよね。

第三者から見た、住みやすさを条件にするのも、良いは良い。けれどどこの部分で移住を決めるかを自分で実際に通ってみて考えることが割と重要かなと思います」と真っ直ぐ前を見て野田さんは語る。

(写真撮影/新井友樹)

(写真撮影/新井友樹)

The Saunaには、全国から「サウナやアウトドアを楽しみたい、学びたい」という人が移住してきて、スタッフとして働いている。移住希望者には、まずはヘルパー制度という期間を設け、まちや季節感などを実際に体験してから判断してもらうそうだ。

「移住は合う人合わない人がいます。まずは自分にとってどうなのか、できれば、地域の春夏秋冬を見てもらった上で判断してもらえたらいいなと思いますね。住んだ後の人との関係も出てくるので、ローカルルールやまちの集会など理解しておくとスムーズかなと思います。役所などのオンライン移住相談で話を聞くなど、まずは自分の条件やイメージに合うかを一次情報で判断していけたらいいですね」

自分の生活の条件だけでなく、何が好きか、何が許容できて、何ができないのかといった、自分の価値観をどこに置くか。その点が決断するポイントの一つかもしれない。

勢いでしたサウナ移住だったが、価値観や人生観、ライフスタイルもガラッと変わったという野田さん。野田さんは今日もまたサウナを通じて、新たな地域の価値を探っていく。

(写真撮影/新井友樹)

(写真撮影/新井友樹)

●取材協力
LAMP野尻湖
The Sauna
野田クラクションべべ―さん

シニア向け分譲マンションって高齢者施設とどう違う? 平均価格や提供サービス例は?

東京カンテイが、『シニア向け分譲マンション』の供給動向について分析した結果を公表した。ところで、シニア向け分譲マンションとはどういったものか、ご存じだろうか? 分析結果を参考にして、その実態を見ていこう。

【今週の住活トピック】
「『シニア向け分譲マンション』の供給動向分析」を公表/東京カンテイ

シニア向け分譲マンションとはどんなもの?

東京カンテイが分析したのは、これまで供給された(2023年までに竣工予定のものを含む)全国の98物件、1万4947戸(2022年6月末時点)のシニア向け分譲マンションについてだ。

『シニア向け分譲マンション』について、東京カンテイでは、区分所有建物(いわゆるマンション)であること、などの同社のデータベース登録基準に合致するという前提の下で、次のように定義している。
・敷地内にケア施設がある、または一棟全体が高齢者に配慮した設計である
・管理費とは別にケア関連サービスを受けるための費用条項がある

分譲マンションなので、購入して所有権を持ち、売却したり相続させたりすることができる。一般的な分譲マンションと違うのは、ハードとなる建物はバリアフリーなど高齢者が安全に住むことへの配慮がなされ、ソフト面では高齢者が望むさまざまなサービスの提供が求められるという点だ。

シニア向け分譲マンションは、一般的に、おおむね自立して生活できる高齢者を対象にしている。そのため、提供するサービスも健康維持が目的であったり、生活満足向上が目的であったりするものも多い。分析結果から具体的に見ていこう。

平均価格は4386万円、徒歩15分圏内の供給も多い

まず、どのエリアに供給されているかと言うと、以前は「東海地方」(特に静岡県)など、気候が温暖で過ごしやすい、あるいは自然豊かで温泉があるといった地域での供給が多かった。近年になると、東京・神奈川・千葉や大阪・兵庫などの都市圏での供給が多くなっている。

出典/東京カンテイ プレスリリース「シニア向け分譲マンション供給動向」より転載

出典/東京カンテイ プレスリリース「シニア向け分譲マンション供給動向」より転載

次に「最寄駅からの所要時間」を見ると、最多は「バス便」(30.6%)になる。これは、自然が豊かな地域に立地している影響が大きいが、バス停まで3分以内などの物件も多いという。一方、2番目に多いのが「徒歩5分以内」(24.5%)で、徒歩15分圏内の物件が全体の6割を占める。このように、自立した高齢者が対象なので、徒歩で移動できる場所の物件が多いのが特徴だ。

出典/東京カンテイ プレスリリース「シニア向け分譲マンション供給分布」より抜粋し、筆者が作成

出典/東京カンテイ プレスリリース「シニア向け分譲マンション供給分布」より抜粋し、筆者が作成

気になる価格はどうだろう?
2020年以降の供給物件で見ると、平均専有面積は60.08平米、平均価格は4386万円となっている。関東地方に限定して見ると、平均専有面積は59.15平米、平均価格は4245万円なので、全国平均とさほど変わらない。

また過去の推移を見ると、バブル期に面積は広く(66.14平米)、価格は高く(5879万円)なったが、2000年以降は、平均専有面積はおおよそ60平米、平均価格は3000万円台で落ち着いている。ただし、平均坪単価は2000年代199.9万円、2010年代200.5万円、2020年以降240.4万円と、近年は上昇傾向にある。

シニア向け分譲マンションではどんなサービスを提供している?

さて、シニア向け分譲マンションには、どんな施設が設けられているのだろう?

同社では、2000年以降に竣工した73物件を対象に、「食事サービス」「娯楽サービス」「医療サービス」「介護サービス」の4つに区分して、それぞれの設備の付帯状況を調べている。それぞれの区分で多いものを見ていこう。

■シニア向け分譲マンションにおける付帯施設の導入状況(対象:2000年以降竣工の73物件)
「食事サービス」
・レストラン・食堂94.5%

「娯楽サービス」
・ホビールーム60.3%
・娯楽室57.5%
・AVルーム46.6%
・カラオケルーム45.2%
・温泉28.8%
・体操室19.2%

「医療サービス」
・医療提携87.7%
・クリニック・診療所24.7%

「介護サービス」
・訪問介護事業所21.9%
・居宅介護支援事業所19.2%
※出典/東京カンテイ プレスリリース「シニア向け分譲マンションの付帯施設&ランニングコスト」より抜粋

食事サービスを提供する「レストラン・食堂」の導入率は94.5%と極めて高い。分譲マンションなのでキッチンが部屋にもあるはずだが、ここで提供される食事は栄養士などが考えた食事になっているので、家事負担の軽減だけでなく健康面でもメリットがあるだろう。

娯楽サービスでは、「ホビールーム」や「娯楽室」「AVルーム」「カラオケルーム」の導入率が特に高い。以前は、趣味ごとに部屋が設置される事例が多かったが、広い部屋を多目的に使えるように変わってきているという。AVルームやカラオケルームは、一般の大規模マンションでも多く設置される共用施設なので、利用者が多いということだろう。

また、医療サービスでは、「医療提携」の導入率が極めて高い。自立した生活を送れると言っても、病気やけがの心配もあって、医療サービスは頻繁に受けたいということだろう。半面、介護サービスは医療サービスに比べると導入率は高くはない。

こうしてマンション内に施設が多く設けられたり、いろいろなサービスを提供したりするので、管理費や修繕積立金は、一般の分譲マンションより高額になる。各種サービスによる便利さが高まれば、それに伴ってランニングコストも増えるということだ。こうした施設を活用して住人同士の交流を深めたいという、アクティブなシニアに向いていると言えるだろう。

高齢期に住む拠点はさまざまにある

高齢者の住まいとしては、ほかにも「有料老人ホーム」や「サービス付き高齢者向け住宅」などがある。

まず、有料老人ホームは、食事提供や家事支援、健康管理、介護サービスなどのいずれかが提供される介護施設で、利用料を支払う形になる。「介護付」「住宅型」などのタイプがあり、介護付きではホームが介護サービスを提供するが、住宅型では外部の介護サービスを利用する形になる。

次に、サービス付き高齢者向け住宅(以下、サ高住)は、高齢者が安心して住めるような建物で、安否確認や生活相談といったサービスが受けられるが、毎月賃料を支払う(長期間の賃料を前払いする場合もある)賃貸住宅である。「一般型」と「介護型」があり、一般型は主に介護度が軽い人が対象だが、介護度が重い人にも対応できるようにしたのが「介護型」だ。国の支援もあって、サ高住の供給数が増えているのも特徴のひとつだ。

住宅型の老人ホームや一般型のサ高住の中には、シニア向け分譲マンションに近いものもあるが、契約形態や費用面などに違いがあるので、違いをきちんと理解しておきたい。

さて、自宅を高齢期に向けてリフォームして住み続けることも含めて、高齢期を過ごす拠点にはさまざまある。立地、居室の状況、提供されるサービスの有無、介護サービスの受け方などがそれぞれ異なるので、どのように暮らしたいか、どういったマネープランを立てるかなどをよく考えて選んでほしい。

●関連サイト
東京カンテイ「『シニア向け分譲マンション』の供給動向分析」

南海トラフ地震の津波対策へ地元企業が300億円の寄付。10年かけ全長17.5kmの防波堤ができるまで 静岡県浜松市

内閣府が実施した南海トラフ巨大地震の被害想定によると、全国のなかで甚大な被害が予測される都市の1つである静岡県浜松市。2012年、地元を創業の地とするハウスメーカーが、地震による津波対策のために300億円を寄付したことが話題に。2020年に全長17.5kmに及ぶ防潮堤が竣工しました。民間の寄付金をきっかけにはじまった全国初のプロジェクトが地域にもたらしたものとは。地震による津波対策の先進事例を、プロジェクトに携わった静岡県浜松土木事務所に取材しました。

南海トラフ巨大地震により、浜松市だけで約1万6千人の死者が予想されていた浜松市中心部にあるアクトシタワーと馬込川(画像/PIXTA)

浜松市中心部にあるアクトシタワーと馬込川(画像/PIXTA)

2011年に起きた東日本大震災は、東北地方を中心に、太平洋沿岸の広範な地域に甚大な被害を与え、約1万5900人の死者(2022年3月警察庁発表)を出しました。特に、大きな被害をもたらしたのは、それまでの想定を大幅に上まわる巨大な津波でした。これを受けて、大震災による津波対策の見直しやいっそうの強化が急務になったのです。

津波対策について、東日本大震災以前と大きく変わったポイントは、津波の想定レベルの設定です。

中央防災会議では、今後の津波対策を構築するにあたり、基本的に2つのレベルの津波を想定しています。レベル1は、発生頻度は高く、津波高は低いものの大きな被害をもたらす津波、レベル2は、発生頻度は極めて低いものの、発生すれば甚大な被害をもたらす津波 (東日本大震災クラス相当)です。

レベル1については、津波を防ぐ施設高の確保など海岸保全施設整備等のハード対策によって津波による被害をできるだけ軽減。それを超えるレベル2の津波に対しては、ハザードマップの整備など、避難することを中心とするソフト対策を重視する方針です。

静岡県では、東日本大震災の直後から津波対策の総点検を行い、2011年9月、新たな行動計画として「ふじのくに津波対策アクションプログラム(短期対策編)」を取りまとめていました。同年12月、津波防災地域づくり法が成立。2012年に、内閣府から南海トラフの巨大地震モデルが提示されました。

南海トラフ巨大地震では、関東から九州の広い範囲で強い揺れと高い津波が発生すると想定されています。静岡県では、『第4次地震被害想定策定会議』を設置し、新たな地震被害想定を実施。2013年6月と11月に報告を公表。その結果、静岡県特有の課題が明らかになったのです。

シミュレーションでは、防潮堤と水門により宅地浸水深2m以上の範囲を98%低減することが期待できる(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

シミュレーションでは、防潮堤と水門により宅地浸水深2m以上の範囲を98%低減することが期待できる(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

静岡県浜松土木事務所 沿岸整備課長 石田安秀さんはこう話します。
「浜松市は津波の到達時間が短く、多くの人口・資産が集中する低平地において広範囲に大きな被害が想定されました。静岡県の南海トラフ巨大地震の津波による想定死者数は、全国で最も多い9万6000人(2013年時点予測)でした。特に低平地が広がる浜松市は、沿岸部に人口が集中し、工場など働く場所もあります。津波による浸水面積は約4200ha、最大津波高さは14.9m、家屋の流失は約2600棟。地震発生から津波が海岸に到達する時間は、わずか約15分です。東日本大震災の東北エリアの場合で40~60分ありましたから、十数分では、避難時間が確保できません。浜松市だけで約1万6000人もの命が失われると想定されたのです」

浜松市沿岸部。海岸近くに人・家・工場が集中。国道1号線が海沿いを走っている(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

浜松市沿岸部。海岸近くに人・家・工場が集中。国道1号線が海沿いを走っている(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

天竜川河口から浜名湖今切口までの17.5kmが整備区域に指定された(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

天竜川河口から浜名湖今切口までの17.5kmが整備区域に指定された(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

一条工務店グループの寄付により全国にない防潮堤整備が始動。「何としても命を守る」

国の指針では、レベル1の津波をしっかり防ぐことを目標に補助金を使った防潮堤の整備や、避難施設の整備が全国で進められています。浜松市では、レベル1を防ぐための防潮堤はすでに整備されており、地域の課題となるのは、レベル2の津波対策です。国は、ハザードマップなどを整備して避難するソフト面での対策を重視していました。

「地域特性から、ソフト面の対策のみでは、沿岸域の住民の命を守ることは多くの困難が伴うと考えていましたが、レベル1を超える津波を防ぐための防潮堤工事には、前例のない規模の整備費用を地元だけで捻出する必要があり、整備ができない状況でした」

ターニングポイントは、一条工務店グループからの300億円の寄付でした。「創業の地である浜松市の多くの命、財産を津波から守ってほしい」と多額な寄付を県に申し出たのです。

2012年6月に、一条工務店グループ、静岡県、浜松市で「三者基本合意」を締結。一条工務店グループは300億円の寄付、県は浜松市沿岸域の防潮堤整備、浜松市は必要な土砂の確保と市民への理解促進を行うことが合意されました。2012年9月に浜松市沿岸域防潮堤整備事業に着手。レベル1を超える大津波に備える、全国初のプロジェクトがはじまりました。

一条工務店グループは、静岡県に防潮堤整備に用いる費用として300億円を寄付。静岡県、浜松市と「三者基本合意」を結んだ(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

一条工務店グループは、静岡県に防潮堤整備に用いる費用として300億円を寄付。静岡県、浜松市と「三者基本合意」を結んだ(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

目標としたのは、「想定最大津波に対しても命を守る減災効果を得る」こと。

「どんなに備えても想定以上の震災が生じる可能性は残り、レベル2以上の津波が来た場合、防ぎきることはできないだろうと言われています。レベル1を超える津波への対策の基本方針は、『減災』です。減災とは、人命を守りつつ、被害をできる限り軽減すること。最優先は、避難するまでの時間を稼ぐこと。次に、家屋の流失を防ぐのが防潮堤の役割です」

レベル2の津波が発生すると想定される南海トラフ巨大地震に対して、防潮堤と馬込川河口の水門で、既存防潮堤で防ぎきれないレベル1以上の津波から街を守る計画です。浸水深2m以上が、木造家屋が倒壊する目安とされています。減災効果をシミュレーションして整備規模を決定し、限られた事業費の中で最大限の減災効果が得られるように設計されました。

宅地の浸水シミュレーションでは、整備前の浸水深2m未満と以上をあわせた1464haが、整備をすることで、280haまで減災できると見込まれた(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

宅地の浸水シミュレーションでは、整備前の浸水深2m未満と以上をあわせた1464haが、整備をすることで、280haまで減災できると見込まれた(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

静岡県・浜松市・市民が一体となった「オール浜松」で整備が進む

これほど大規模な防潮堤を短期間でつくりあげる事業は、全国的に前例がありません。県・市・一条工務店グループは、検討会議を重ねるとともに、地元自治会の要望や意見を反映するため推進協議会を立ち上げ、浜松商工会議所と連携し、横断幕やロゴマーク等を作成。地域と連携しながら一般市民に理解を求めていきます。工事には地元の建設会社が広く参画できるようにすることも決まりました。

民間企業の寄付ではじまった大津波から街を守るプロジェクト。その後、「自分の街を守りたい」という思いが市民に広がり、大きなうねりとなって、「オール浜松」運動へつながっていきました。静岡県・浜松市・市民が一体となり、プロジェクトを推進する運動です。この運動により、市民や民間企業の寄付を募ったところ、浜松商工会議所、自治会連合会、市民団体から、約13億円もの寄付が集まったのです。

「2014年から本格的にはじまった工事で、最も気を使ったのは、土砂の運搬です。工事には防潮堤に使う大量の土砂が必要です。運搬した土砂は、山一つ分に相当する200万平米に及びました。それをダンプトラックが工事現場へ運びます。騒音や交通規制などで日常生活に影響が生じるため、周辺住民には丁寧に説明をして理解していただきながら慎重に進めました。問題があっても『どうしたら実現できるか』を考えながら、市民が苦労を分かち合ってくれました」

浜松市内の阿蘇山からダンプトラックに土砂を載せ、市街地を通って工事現場へ運搬した(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

浜松市内の阿蘇山からダンプトラックに土砂を載せ、市街地を通って工事現場へ運搬した(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

土砂とセメントと水を混ぜて製造したCSGを、ブルドーザで均一にならしているところ(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

土砂とセメントと水を混ぜて製造したCSGを、ブルドーザで均一にならしているところ(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

宅地の浸水面積8割減、浸水深2m以上の範囲は98%少なくなった

2020年3月、8年に及ぶ工事を終えて、浜松市沿岸域防潮堤がついに竣工しました。防潮堤の中心には、ダム技術により開発された土砂よりも強度があるCSGを使用。区間により異なりますが、その両側を土砂やコンクリートで覆い、強化した構造です。高さは標高13~15m、CSGを覆う両側の盛土等を含んだ堤防の幅は約30~60mで、17.5kmに及びます。

既存堤防とさざんか通りの間に新設された防潮堤(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

既存堤防とさざんか通りの間に新設された防潮堤(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

防潮堤により市街地を津波から守ることができる(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

防潮堤により市街地を津波から守ることができる(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

CSGの両側を土砂で覆ってから海岸防災林を再生(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

CSGの両側を土砂で覆ってから海岸防災林を再生(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

防潮堤に、今後整備される馬込川河口津波対策の水門を加えた効果として、宅地の浸水面積は約8割少なく、宅地の浸水深さ2m以上の範囲は98%低減することが期待できます。

「防潮堤は津波をすべて防げるものではなく、避難することが前提ですが、津波の到達時間が長くなることで、安全な場所に避難するための時間をかせぐことができます」

「オール浜松」による事業の推進や減災効果に重点を置いた防潮堤の整備など今回の防潮堤事業に関する一連の手法は「浜松モデル」と言われ、「静岡モデル」として地域の特性に合った津波対策を提唱するきっかけになりました。現在は、県内の沿岸21市町のうち8市町で実施されています。防潮堤の建設期間中、3万人を超える人が、日本全国や海外から視察に訪れました。

浜松まつりでは、防潮堤の上から凧揚げを観覧している(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

浜松まつりでは、防潮堤の上から凧揚げを観覧している(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

「今回の事例は、公共事業のクラウドファンディングとも言えますね。私財を投じた津波対策の昔の事例に、和歌山県広川町の『稲村の火』や広村堤防などがあります。今回の事例が、事業や制度に限界があるときに、企業や市民の参加や寄付によって街の防災が進展するきっかけになればと思っています」

浜松市沿岸域防潮堤は、市民から親しみを込めて「一条堤」と呼ばれているそうです。堤防の上部は道路になっていて、犬の散歩や浜松まつりの凧上げを見に訪れる人も。今も、水門工事が着々と進められています。国による公助、自治体による共助に加えて、自らが考えて行動する自助がさらに安心なまちづくりにつながると感じました。

●取材協力
・静岡県浜松土木事務所

入居者全員クリエイター! 築49年の今も作家たちのアイデアで進化する「インストールの途中だビル」品川区中延

東京都品川区中延にある「インストールの途中だビル」は、2012年にスタートした6階建てのビル型シェアアトリエ。現代美術家、ファッションデザイナー、演劇団体、キャンドル作家、靴職人など多業種のクリエイター20組以上が共同利用している。今年10周年を迎えたこの異色の物件には、どのような歴史やライフスタイルがあるのか。訪れて話を聞いてみた。

駅から徒歩1分、騒がしい立地が好条件に「インストールの途中だビル」が入る光洋ビルは築49年(写真撮影/小林景太)

「インストールの途中だビル」が入る光洋ビルは築49年(写真撮影/小林景太)

「インストールの途中だビル」は、東急大井町線・都営浅草線の中延駅から徒歩1分とアクセス良好な場所にあり、6階建てビルの2階から5階を使って運営される。国道1号沿いで、向かいと左右をパチンコ店に囲まれる騒がしい立地だが、音を伴う「ものづくり」の環境としては周りに気を使う必要がないため、むしろ好条件と支持されている。

運営するのは、自らを「まちづくり会社」と称する合同会社ドラマチック。建物の再生事業や全国の公共施設の運営、地域で活動したい人に向けての拠点づくり・イベント運営などを行っている。

「インストールの途中だビル」を立ち上げたドラマチック代表社員の今村ひろゆきさんにお話を伺った。

「インストールの途中だビル」責任者の今村ひろゆきさん(画像提供/ドラマチック)

「インストールの途中だビル」責任者の今村ひろゆきさん(画像提供/ドラマチック)

時間の経過とともにきれいになる。アップデートを前提としたスタート

今村さんがこのビルを知ったのは、2011年4月ごろ。ドラマチックの活動が新聞に掲載された日に、一通のメールが届いた。内容は「中延駅のすぐそばにビルを持っているが、どうにかしてくれないか」というもの。

「ビルを見に来たらびっくりしました。会社の事務所として使われていたようですが、壁もカーペットも汚れていてヤニ臭く……(笑)。しかし、駅チカでほぼ一棟まるまる空いている物件なんてそう無いですし、すごいポテンシャルを感じました」

しかし、普通のシェアオフィスやコワーキングスペースとして利用できる状態に改装するには、初期費用がかなりかかってしまう。

「活動場所を探しているアーティストの知り合いが複数いたので、アトリエとして使うのはアリだなと。ものづくりをしているとどうしても周りが汚れてしまうので、それなら最初からきれいである必要がないですしね」

オープン準備の様子(画像提供/ドラマチック)

オープン準備の様子(画像提供/ドラマチック)

シェアアトリエとして運営する方針を定めてから、どのような準備をしたのか。

「掃除と、窓を拭くこと。基本はそれだけです(笑)。あとは入居ブースごとに仕切りで区画を分けて、そのほかは入居者の自由ということにしました。壁を塗ってもいいし、照明を変えてもいい。正直まだ会社としてもお金が無かったころなので、アイデアで工夫していくしかありませんでした」

廊下の照明は、入居者の提案で蛍光灯から電球に変更。階段のウォールアートは入居者がテープで制作した(写真撮影/小林景太)

廊下の照明は、入居者の提案で蛍光灯から電球に変更。階段のウォールアートは入居者がテープで制作した(写真撮影/小林景太)

合同会社ドラマチックを立ち上げる前は、商業施設の開発をしていたという今村さん。

「新しくつくった商業施設は、時間が経てば建物が古くなって集客も減り、廃れていきます。でもこの『インストールの途中だビル』は未完成な状態から始まり、徐々に人が集まって場がアップデートされていく。いわゆる商業的な開発の流れとは逆の場をつくっていければと思いました」

コミュニケーションの中で生まれるアイデアをインストールし、よりよい環境をつくるという方針が、施設名の由来ともなるコンセプトだ。こういった事業は一般的にリノベーションを済ませてから開始するものと思い込んでいたが、入居者に使ってもらいながら整えていくという手法は、空き物件を活用するうえでの可能性を広げるアイデアだと感じた。

24時間制作可能。展示会やパフォーマンスができるスペースも

「入居している方は『ものづくりをする』という点では共通していますが、活動のジャンルは本当にばらばらですね。ビルが揺れるほどの大きな音を出して金属の彫刻物をつくる方もいます。ここでの活動を本業としている方は3割ぐらいでしょうか」

各アトリエに住宅の機能はないが、24時間出入り可能。賃料はブースの広さによって変わり、月額2万1800円から。入居金5万円と水道光熱費が別途かかる。利用を続ける中で「もう少し広いスペースを使いたい」といった要望があれば、今村さんらが大工仕事ができる入居者に依頼して仕切りを動かし、ブースを拡張することも。

過去に入居していた版画作家のアトリエの様子(画像提供/ドラマチック)

過去に入居していた版画作家のアトリエの様子(画像提供/ドラマチック)

このブースも上の写真と同じ間取りだが、利用者によって部屋の印象は大きく異なる(写真撮影/小林景太)

このブースも上の写真と同じ間取りだが、利用者によって部屋の印象は大きく異なる(写真撮影/小林景太)

ビル内には約50平米のレンタルスペースもあり、入居者は1時間200円で借りられる。演劇の稽古など広い場所が必要な活動や、作品展・イベント会場、打ち合わせ・撮影の場として使われるという。

レンタルブース「インストジオ」(写真撮影/小林景太)

レンタルブース「インストジオ」(写真撮影/小林景太)

屋上は無料で開放され、植物を育てるなど息抜きの場所となっている。気候のいい時期はここで飲食をしながら入居者同士の近況報告会が行われることも。

イベント開催時の様子(画像提供/ドラマチック)

イベント開催時の様子(画像提供/ドラマチック)

入居するクリエイターたちにとって、このビルは制作の場だけでなく、発表や交流の場ともなっているようだ。では、実際の入居者の方々にお話を聞いてみよう。

アトリエが稽古場にも舞台にもなる

まずは「インストールの途中だビル」が始まった当初から入居している演劇団体「Prayers Studio」さん。稽古場として常時利用するほか、アトリエ内に舞台と客席をつくって公演も行う。

代表の渡部朋彦さん、設立メンバーの妻鹿有利花さんが、入居当時のことからお話ししてくれた。

「Prayers Studio」代表・渡部朋彦さん(左)、妻鹿有利花さん(写真撮影/小林景太)

「Prayers Studio」代表・渡部朋彦さん(左)、妻鹿有利花さん(写真撮影/小林景太)

「ここに来るまでは区民施設などを都度借りて稽古しながら活動していました。小道具なども徐々に増えていき、どこかに拠点を構えたいと感じていたところ、劇団員がこのビルのことをTwitterで偶然見つけたんです。すぐに連絡して、4月1日のオープンぴったりのタイミングで入居しました。月末には公演を控えていたので、さっそく本番前は徹夜で稽古しましたね」(渡部さん)

50平米の部屋は、仕切りで楽屋などを設ける(写真撮影/小林景太)

50平米の部屋は、仕切りで楽屋などを設ける(写真撮影/小林景太)

声を出すことが不可欠な演劇の活動にとって、入居者全員がものづくりに理解のある環境は理想的だという。現在、Prayers Studioは11人のメンバーで4チームに分かれて活動しており、ブースには常に誰かがいるような状況。ここを拠点として活動を続けてきた結果、ビル周辺の中延エリアに引越してきた劇団員も多い。

「天井はあえて梁を見せて高さを出し、蛍光灯やカーペットは外して、客席やカーテンの仕切りを設置しました。また、24時間活動できるといっても音に関しては多少気を使います。遅い時間に大道具を組み立てたり大声を出したりするのは控えるなど。逆に私たちの公演期間はほかの入居者が音を出す作業を控えてくれて、積極的に協力してくださりありがたいです」(渡部さん)

もともと天井にあった板を転用したドア(写真撮影/小林景太)

もともと天井にあった板を転用したドア(写真撮影/小林景太)

入居者同士で生まれる活動のつながり

10年間入居していることもあり、入居者とのコミュニケーションが創作活動やプライベートにつながることもあったという。

「キャンドル作家の方に制作を依頼して、アトリエで香りを焚かせてもらったり……」(妻鹿さん)

「結婚を考えている劇団員が、アクセサリー作家さんのワークショップで婚約指輪をつくったことも。その後も結婚式の引き出物としてキャンドルをつくってもらったり、式の撮影も入居者のフォトグラファーさんにお願いしたり(笑)。逆に入居者の方の個展で僕がナレーションをやったり、劇団員がファッションブランドのモデルを務めたりしたこともありますね」(渡部さん)

想像以上に濃いつながりだった。このほかにも、中延商店街のお祭りでの公演や、子ども向けのワークショップ、観客参加型の舞台上演など、地域と関わる活動も多く行ってきたPrayers Studio。現在も「拠点を持つ劇団」という強みをきっかけに、外部のクリエイターと共同で舞台演出上の新企画に取り組んでいる。

「夜、活動を終えて帰宅するときに、ほかの部屋に明かりがついていると『自分も負けていられないな』と思います。モチベーションが刺激される環境ですね」(妻鹿さん)

舞台と客席の配置は、公演内容によって変える(写真撮影/小林景太)

舞台と客席の配置は、公演内容によって変える(写真撮影/小林景太)

イベントでたまたま訪れたビルに入居して9年目

続いては、ファッションブランド「NeLL」のデザイナー・hee(ヒー)さん。「誰でも着られる服」というコンセプトに基づき、1つの素材で1サイズのみの服をつくる『One=Everyone』というシリーズが好評だ。

「NeLL」デザイナーのheeさん(写真撮影/小林景太)

「NeLL」デザイナーのheeさん(写真撮影/小林景太)

NeLLのアトリエ(写真撮影/小林景太)

NeLLのアトリエ(写真撮影/小林景太)

このアトリエには、本職の仕事場として週5日ほど通うheeさん。入居のきっかけは、ビルの屋上で行われた2周年イベントだという。

「最初は、ただ好きなミュージシャンの方がライブをすると聞いて来たんです。でも中に入ってみたら結構良さそうな場所だったのと、ちょうど当時使っていたアトリエを出なくてはいけないタイミングだったので、後日改めて内見をしました」

求めていた条件は「ある程度の広さ」「汚しても大丈夫なこと」など。いずれも問題なさそうで、「夜でもミシンの音など気にせず作業できるのは気楽でいいな」と感じ、入居を決めたそう。

NeLLの展示会で渡したノベルティ。制作は同ビルに入居するキャンドル作家さん(写真撮影/小林景太)

NeLLの展示会で渡したノベルティ。制作は同ビルに入居するキャンドル作家さん(写真撮影/小林景太)

「入居して9年目になりますが、実は今のブースを使い始めるまでにビル内で3回引越しました。一緒に借りていたメンバーが離れるタイミングなどで、その都度ちょうどいい広さのブースに移っています。このビルは『駆け出しの人を応援する場』だという感覚もあるので、本当は早くここを出られるように頑張らなきゃいけないと思うんですけど、なかなか居心地が良くて今に至ります(笑)」

ジャンルを問わない出会いが活動の幅を広げる

heeさんに「入居してから感じた良い点」を聞いてみた。

「やっぱり入居者の知り合いができることですね。創作活動の話や展示など自分の作品を知ってもらう方法について情報交換できますし、そこから依頼が発生することもありました。インストールの途中だビルでは、月一回の定例会があって、コロナ禍で頻度は落ちてしまいましたが、ビルのメンバーとコミュニケーションをとれます。年末の忘年会など交流機会は割とあって楽しいです」

2014年には、インストールの途中だビルが主催となり近隣の商店街で「中延EXPO」を開催。ダンサーやミュージシャンが即興で演奏しながら街を練り歩くイベントで、heeさんはパフォーマーの衣装を提供したという。

「中延EXPO」の様子(画像提供/LAND FES)

「中延EXPO」の様子(画像提供/LAND FES)

「今後もさまざまなジャンルの人と関わっていきたい」と語るheeさん。ビルのレンタルスペースで開催される音楽イベントでミュージシャンの衣装提供なども予定しているとのことだった。

これからもインストールは続いていく

シェアアトリエという空間を活かし、地域や外部との交流も図ってきたインストールの途中だビル。

「料金設定もそうですが、『これからがんばっていこう』という段階のクリエイターを応援したい気持ちがあります。そのために、ハード面である物件に手を加えていくのではなく、人同士のつながりというソフト面でメンバーの活動を応援して、ビルを盛り上げていきたいです。運営を続ける中で、活動が成功して売れっ子になっていった方もいて、そういう過程を見られるのはうれしいですね」と今村さん。

あえてセオリーどおりの「快適な空間」を用意せずにスタートしたこのシェアアトリエでは、入居者自身が過ごしやすいように作業環境をつくることができる。いわば全員が「ビルのクリエイター」として一つの居場所を構築していくことは、ライフスタイルの充実に大きく寄与していると感じた。

インストールの途中だビルは今年で10周年を迎え、入居者はのべ100名を超える。今村さんは「今後も新しいクリエイターの方と出会えるのが楽しみ」とほほえみ交じりに語っていた。

●取材協力
・インストールの途中だビル
・まちづくり会社ドラマチック
・Prayers Studio
・NeLL

シェア型書店やよろず相談所がつなぐ、令和のご近所づきあい。大田区池上で「半径2kmリビング化」が拡張中

東京都大田区の池上地区で「ノミガワスタジオ」を運営するアベケイスケさん。メインはギャラリー兼イベントスペースだが、他にも放課後や休日に親子と談笑したり、「本」を介したコミュニケーションスペースとしての顔も持つ。また、地域の人がアベさんにさまざまな相談をしにくる「よろず相談所」としての側面も。アベさんがこうしたスペースを始めた背景には、幼少期に大分県の別府で体験した“地縁文化とお互いに世話を焼く温かさ”があったという。「地域の人を知ると安心感が生まれ、暮らしはもっと心地よくなる」と話すアベさんに、地域交流のあり方について伺った。

「人と人とのつながり」に安心感を覚えた別府での生活

――はじめに、アベさんが運営する「堤方4306(つつみかたヨンサンマルロク)」と「ノミガワスタジオ」について教えてください。

アベケイスケ(以下、アベ):「堤方4306」は動画配信のスタジオに加え、ギャラリー、間借り喫茶など、誰もが利用できる多目的スペースとして運営してきました。2020年に現在の場所へ移転し、同時にスタートしたのが「ノミガワスタジオ」です。ギャラリー&イベントスペースとして、ランドスケープの設計事務所「スタジオテラ」と共同で運営しています。

デザイナーのアベケイスケさん。大田区に住んで19年目(写真撮影/松倉広治)

デザイナーのアベケイスケさん。大田区に住んで19年目(写真撮影/松倉広治)

1階に「ノミガワスタジオ」と「堤方4306」が、2階に「スタジオテラ」のオフィスが入る(写真撮影/松倉広治)

1階に「ノミガワスタジオ」と「堤方4306」が、2階に「スタジオテラ」のオフィスが入る(写真撮影/松倉広治)

アベ:また、時折イベントを開催するだけでなく、毎週金・土曜はシェア型の書店「ブックスタジオ」として営業し、地域のみなさんにご利用いただいています。

――シェア型の書店って何ですか?

アベ:本棚をいくつかの区画に分け、それを個人や団体に貸し出す形態の書店です。借りた人(棚主)はそこに自分が選んだ本を陳列し、販売することができます。吉祥寺にある「Book Mansion」の中西さんが発案したコンテンツで、「ブックスタジオ」を立ち上げる際にご協力いただきました。入会金のほか、1区画当たりの賃料は月額4000円ですが、現在のところ44区画中28区画が埋まっていますね。来月また一つ面白い本棚が生まれます。ちなみに、お店番は当番制で、その時々の棚主さんである“店主”と訪れた人の、本を介した交流を促進する狙いもあります。

ノミガワスタジオに設置されたブックスタジオ。なかには町田から来ている棚主さんもいるそう(写真提供/ノミガワスタジオ)

ノミガワスタジオに設置されたブックスタジオ。なかには町田から来ている棚主さんもいるそう(写真提供/ノミガワスタジオ)

――地域のコミュニケーションスペースとしての役割もあるんですね。

アベ:はい。ノミガワスタジオの目の前には小学校があるので、親子で立ち寄る方も多いです。最初は子どもが遊びに来て、後日に親御さんを連れてくるパターンとか。この場所で知り合いになる親御さんたちもいて、ご近所付き合いにも貢献しているのかなと思います。ちなみに、池上は寺町情緒が色濃く残り、昔ながらの住民が多く暮らすエリアですが、最近ではマンションも立ち新しい人たちも増えています。そんな新しい住民のみなさんが地域になじんだり、顔見知りをつくる場所としても役立てばうれしいです。親御さんたちからは「なんで、こんなことしているんですか?」と聞かれますけどね。

夕方には学校帰りの子どもや親が集う。親同士が「〇〇に行ってくるから、ちょっとだけ見てて~」と、互いに子どもを見守り合う光景も日常茶飯事なのだとか(写真撮影/松倉広治)

夕方には学校帰りの子どもや親が集う。親同士が「〇〇に行ってくるから、ちょっとだけ見てて~」と、互いに子どもを見守り合う光景も日常茶飯事なのだとか(写真撮影/松倉広治)

――ちなみに、なぜなんでしょう?

アベ:これには僕の幼少期の体験が大きく影響しています。僕は三重県で育ったのですが、両親の実家は大分県の別府で、夏休みや正月のたびに帰省していました。そのときに、別府には観光地ならではの「外から来た人に対して寛容で、温かい空気」が流れていると感じたんです。僕自身も、帰省中の短い生活のなかで地域の人にお世話を焼いてもらった思い出が、強く記憶に残っています。

例えば、気付いたら商店街でおばさんたちの井戸端会議に参加してたり、お呼ばれしてご飯をご馳走になったり、銭湯でタオルをお湯に入れておじさんに怒られたり。ペットが飼いたかった私に猫の散歩をさせてくれたり、近所の大人に声を掛けてもらうこともしばしば。何気ないことですが、早くに父を亡くした私には地域にいつも見守られている感覚があって、地域の人の寛容さがとても居心地がよかった。今思えば、普段暮らしている街以上に地域のつながりや人情が残っていて「人と人とのつながり」に、安心感を覚えていたんでしょうね。「袖振り合うも多生の縁」ですね。

――別府での生活を経験したから、なおさら良さがわかるわけですね。

アベ:そうですね、僕にとって別府の生活はとても心地よくて。感覚的に「家から半径2km以内にいる人たち」のことを知っていると、地域に精神的な居場所があると感じられ、居心地の良さにつながると思います。リラックスできる場所が家の中だけでなく、家の外にも拡張されるというか。ですから、池上に暮らす人もノミガワスタジオでの会話を通じて、そんな居心地のキャッチボールができたらと思っています。ちなみに、僕はこれを「半径2kmリビング化計画」と呼んでいます。家から半径2km圏内に会話のできる場所やあいさつできる人を複数つくり、日々を充実させていきませんか?という考え方です。

営業日は金・土曜日。下校時間はアベさんが子どもたちを見守っている。アベさんいわく「別府の経験があるからこそできる」活動とのこと(画像提供/ノミガワスタジオ)

営業日は金・土曜日。下校時間はアベさんが子どもたちを見守っている。アベさんいわく「別府の経験があるからこそできる」活動とのこと(画像提供/ノミガワスタジオ)

――ちなみに、「堤方4306」ではどんな動画を配信しているのでしょうか?

アベ:近年、メインに配信しているのは「池上放談」という地域の人へのインタビュー動画です。10年前くらいから「普通の人が一番面白い!」と思っていて、別府や自身の生い立ちから「この人は、どうしてこんな人に育ったのだろう…」と知りたくなったことをきっかけに始めたのがインタビューの配信でした。例えば、昨年に亡くなられた地域のおじいちゃんがいるのですが、生前にインタビュー配信に出ていただいたことがあるんです。すごく生き生きと自分の半生を語っていただき、お話を聞いている僕もうれしくなりました。そんなふうに普通の人の人生に触れることや、スイッチが入ったときの話を聞くことは単純に楽しいですし、それが「ご近所のあそこの店主」となれば会いに行きたくなったりもします。それだけでも地域の他のみなさんにとっても意義があると思うんです。

地域の人にインタビューする動画「池上放談」(画像提供/堤方4306)

地域の人にインタビューする動画「池上放談」(画像提供/堤方4306)

――どうしてですか?

アベ:インタビュー動画を見た人が自分の住む街や人のことを深く知れば、安心につながり、さらに居心地が良くなると思ったからです。居心地が良くなれば自然と笑顔になり、それが周囲にも伝播していく。そんなふうに笑顔の輪を広げ、自宅以外にもリラックスして暮らせるエリアを拡張していってほしい。そんな思いから始めました。私にとっては、ごく普通の感覚ですが、この安堵感を知らない人も多いのかなと。「半径2kmリビング化」がその人たちに伝わればいいなと思っています。

過去のインタビュー配信「お米やさんと釜飯屋さん」(画像提供/堤方4306)

過去のインタビュー配信「お米やさんと釜飯屋さん」(画像提供/堤方4306)

アベ:余談ですが以前、私が街の諸先輩たちに「街の昔話を聞かせてほしい」と、あるお店に伺いました。すると先代の80代くらいの方が「いやいや、私は語れない。そこのお店のご主人がちょうど良い」って言うんです。すると、今度は80代半ばの方が「いやいや、私もまだ若くて語れない。それならあそこの……」って言うんです。「いやいやいやいや、じゃあ、幾つになったら語るんですか!(笑)」と。とにかく、お話が聞きたかったです。

地域の人が「街」について語る機会を

――ノミガワスタジオでは他にも、地域の人や場所とコラボしたさまざまなイベント、プロジェクトも実施しているそうですね。これまでの事例を教えてください。

アベ:養源寺というお寺の本堂をお借りして、『まちの本屋』というドキュメンタリー映画の上映会を行いました。近年は「お寺をもっと開かれた場所にし、外に知ってもらうための努力も必要」と考えている住職さんもいらっしゃいます。そんなこともあり、本堂を使ったイベントに快くご協力いただけました。

本と街をテーマにした映画の上映会を行うことは、ブックスタジオの棚主さん同士が会話できる良い機会になるのではと思い、企画しました。今回は主に棚主さん向けでしたが、今度は一般の方も含めてまた『まちの本屋』の上映をしたいですね。

上映会の様子。上映当日は大小田直貴監督も来場するなど大成功に終わった(画像提供/ノミガワスタジオ)

上映会の様子。上映当日は大小田直貴監督も来場するなど大成功に終わった(画像提供/ノミガワスタジオ)

上映開始まで本堂の廊下でそよ風に和む至福の時間(画像提供/ノミガワスタジオ)

上映開始まで本堂の廊下でそよ風に和む至福の時間(画像提供/ノミガワスタジオ)

アベ:ゆくゆくは、こうした催し物ができるお寺をもっと増やしていき、「回遊イベント」のようなことがみんなでできればと思っています。近隣のお寺さんのなかには、地域の動きに協力して下さる人も増えている気がします。そのため、いろんなお寺の住職さんと仲良くなろうとしている最中です(笑)

――他にはどんなイベントを?

アベ:大田区と東急が推進するまちづくり協定の枠組み「池上エリアリノベーションプロジェクト」の一環で、2021年6月から11月末まで半年にわたって「温 THE TOWN」というイベントが行われていたのですが、これを個人的に引き継いで続けています。

「温 THE TOWN」は休業中の銭湯「久松温泉」の2階を活用し、落語のイベントやトークセッションなど文化的な交流や発信をするというもの。名前の通り“まちの体温を少し上げる”プロジェクト(画像提供/温 THE TOWN)

「温 THE TOWN」は休業中の銭湯「久松温泉」の2階を活用し、落語のイベントやトークセッションなど文化的な交流や発信をするというもの。名前の通り“まちの体温を少し上げる”プロジェクト(画像提供/温 THE TOWN)

アベ:とはいえ、予算がないので今のメインコンテンツは紙相撲なんですけどね(笑)。ただ、これが意外と大人も子どもも夢中になってくれるんですよ。銭湯になじみのない子どもや大人も遊びにきてくれて、「半径2kmリビング化計画」につながる接点が増えたかな。ちなみに、ノミガワスタジオキッズはみんな経験者ですし、今夏は近隣小学校の夏休み講座に土俵を持って出向きます。夢は巡業のように、他県での紙相撲ツアーをしたいですね(笑)

「温 THE TOWN」で行われた紙相撲大会の様子。小さな力士が大きく映し出され動くさまは意外にも迫力があるもの(画像提供/温 THE TOWN)

「温 THE TOWN」で行われた紙相撲大会の様子。小さな力士が大きく映し出され動くさまは意外にも迫力があるもの(画像提供/温 THE TOWN)

他には、今年度はスタッフとして「池上まちよみプロジェクト」に関わっています。昔の街の写真をもとに“地域のアーカイブ”をつくって、オンライン、オフラインで可視化する活動ですね。以前に地元のお年寄りと写真を見る機会があったのですが、「これはあそこじゃないか?」「これが今のあそこ」と、イキイキした様子でお話しくださるんですよ。そんなふうに、街の人が気軽に見に来て、街の歴史や現在について知ったり、思い出を語ったり、世代に関係なく雑談するきっかけになったらうれしいです。

「池上まちよみプロジェクト」で地域の方々と昔の街の写真や記事を眺める様子(画像提供/ノミガワスタジオ)

「池上まちよみプロジェクト」で地域の方々と昔の街の写真や記事を眺める様子(画像提供/ノミガワスタジオ)

目指すは落語に出てくる「ご隠居」

――池上は2019年から3年間にわたり「池上エリアリノベーションプロジェクト」が展開されるなど、積極的に活性化の取り組みが進められてきたエリアです。アベさん自身、街の盛り上がりや地域の人の変化を感じることはありますか?

アベ:もちろん感じますし、地元以外の人からも、池上は盛り上がっているように見えるみたいです。散歩をしていると、街ゆく人に「良いところですね」と声を掛けられたりしますからね。おそらく、以前にはなかった景色が生まれていて、街全体に楽しい雰囲気が漂っているのだと思います。

(写真撮影/松倉広治)

(写真撮影/松倉広治)

アベ:それに、以前からここに暮らしている住民の方も、街に対してこれまでにない可能性を感じているんじゃないでしょうか。ここにいれば「何か楽しそうなことが起こりそう」という期待感を持ってくれていると思うんです。僕らはそのムードを消さないよう、地域のみなさんと連携して、さらに盛り上げていかなければいけないですよね。ただ、頑張りすぎず、楽しみながら(笑)

――もっと多くの人を巻き込むには、何が必要でしょうか?

アベ:まずは「気軽さ」だと思います。まちづくりって面倒なことも多いですし、誰もが高いモチベーションを持ってコミットするのは難しいですよね。だから、運営側がそんなに頑張らなくても何となく「街を良くするのに役立っている」「居心地がいい」と思える。そんな参加ハードルの低い機会をみんなでつくれたらいいですね。

まちづくりって、色んなフェーズがあると思うのですが、極論何も特別なことをする必要はないと思うんです。特にここは寺町で心地のよい広い空間や緑も多く、お寺のメインストリートはすごく良い景色です。でもそれらは、檀家さんが支えてくれているものであって、街の人は享受しているだけです。だから、ちょっとでも何かできるとしたら自転車に小さいトングとゴミ袋を常備して、気付いたらゴミ拾いをするルーティンも面白いかなと思っています。

――それは誰にでもできるし、とても良いルーティンですね。

アベ:そう思います。きっと街への愛着が強ければ強いほど、綺麗な方がうれしいはずなんですよね。だって、自分の部屋にゴミが落ちていたら拾うし、タバコの吸い殻を床に捨てたりはしないじゃないですか。自分が住んでいる街のことも自分の部屋くらい愛着を持てるようになったら、心地よい状態を保とうとするはず。みんなが自然とそういう意識になるように、池上の良さを感じられる企画をこれからも考え、まわりと話していきたいですね。

池上の駅前商店街(画像提供/ノミガワスタジオ)

池上の駅前商店街(画像提供/ノミガワスタジオ)

――これから特に力を入れようとしていることは何ですか?

アベ:一つは、今以上に街の人に話を聞いて、動画配信を増やしていきたいです。普通に暮らしているだけだと、地域の人やそこで活動しているプレイヤーと知り合う機会ってなかなかないじゃないですか。だから、自分がそのパイプ役になれるような取材活動は続けていきたいですね。あとは、今目指しているのは「長屋のご隠居」ですかね。

――ご隠居?

アベ:そう、ご隠居さんです。落語に出てくる長屋のご隠居のところには、さまざまな相談事が舞い込みます。そして、それら一つひとつをお世話していく。僕も地域でそんな存在になれたらと思います。実際、こうしてスペースを構えていると、本当にいろんな相談を受けますからね。不動産屋じゃないのに物件探しの相談を受けたり、池上で商売をしたい人の話とか、最近は小学生の恋の悩み相談も。そもそも解決ではなく、言いたいだけなときもありますし(笑)。本当にいろいろありますよ。でも、そうやって何でも言ってきてくれることが本当にうれしいんです。これからも地域のご隠居として、この街と関わっていきたいですね。

●取材協力
ノミガワスタジオ
BOOK STUDIO

パリの暮らしとインテリア[15] 芸術を愛するパリジャンが猫と暮らす、アートと植物いっぱいの70平米アパルトマン

フランス・パリの北東19区には、市内最大級の緑地といわれる約25ha(東京ドーム約5.3個分)のビュット・ショーモン公園があります。ナポレオン3世の時代19世紀に造園された公園で、起伏に富んだレイアウトと高台からパリを一望する景観は、今もパリ市民を魅了してやみません。ここから徒歩10分ほどのアパルトマンに、ヨアン・メルロさんはパートナーのティエリーさん、愛猫フォアンと暮らしています。RMN-GP(フランス国立美術館連合)に勤務し、私生活ではアンティーク探しを楽しむヨアンさん。芸術を愛する彼の、個性的な70平米を訪ねました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

玄関を中庭側につくる! 思いがけない選択肢ヨアンさんの家のすぐそばにある憩いの公園「Square du Sergent Aurelie Salel」。周辺には借景の恩恵にあずかるアパルトマンが多く、これらの物件は人気が高く高額である(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ヨアンさんの家のすぐそばにある憩いの公園「Square du Sergent Aurelie Salel」。周辺には借景の恩恵にあずかるアパルトマンが多く、これらの物件は人気が高く高額である(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「このアパルトマンを購入して10年になります。地上階(日本でいう1階)の35平米と、地下の35平米、合わせて70平米の物件で、もともとはショップでした。それをロフト風に改装し、私たち好みの住まいにつくり替えて暮らしています」
と、緑いっぱいの玄関先で迎えてくれたヨアンさん。

ここは、通りに面した建物の後ろ側にある静かな中庭。集合住宅の共有スペースです。ヨアンさん宅は、住まいそのものは歩道に面した地上階ですが、玄関はいったん建物の中に入った中庭側にある、というアクセスです。なかなか個性的ですね。いったいどうやって見つけた物件なのだろう、と不思議になり聞くと、ティエリーさんが近所のカフェで元オーナーと出会ったことがきっかけなのだそう。まるでフランス映画のシナリオのようですが、思えば30年くらい前までは、部屋探しをしている人に「あそこのカフェで聞いてみるといいよ、あそこの親父はこの界隈のことならなんでも知っているから」と、パリジャンたちは言ったものでした。今では不動産会社をあたるのが一般的になったとはいえ、こんな出会いもまだ健在というのは心温まります。もしかすると、ティエリーさんは、コミュニケーション力のある方なのかもしれません。そしてヨアンさんも、引き寄せる力の持ち主なのかも。

ご近所さんからも好評のグリーンたち。朝はここにテーブルを出して朝食をとることも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ご近所さんからも好評のグリーンたち。朝はここにテーブルを出して朝食をとることも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

というのも、中庭に配された美しいグリーンのほとんどが、2人が道端で「保護した」ものだからです。

「植木鉢が25個もありますから、みんな『ここの住人はガーデニングが趣味だ』と思うようです。でも実は、ここにある植物の品種すら知らないのですよ。例えば一番大きく成長しているこの木、道端で見つけた時は乾ききって本当に助けが必要な状態でした。それがご覧ください、今では屋根を越えているでしょう。葉が大きくてきれいだね、と、いろんな人から品種を聞かれますが、そんなわけで答えられないのです」

パリの道端には古い家具や食器類が無造作に置いてあったりするものですが、観葉植物は珍しい! 道端で保護したり、友人から分けてもらったり、旅先から持ち帰ったり。そうして集まった名も知らない植物たちを、こんなに元気に育てられるとは驚きます。北向きながらも一日中柔らかい光で満たされた中庭は、カンカン照りにならず、植物にとってちょうどいい環境なのかもしれません。優しげに葉を揺らす植物に迎えられながら、ヨアンさんは玄関のドアを開けました。

物件の個性を活かして改装

「もともとは通りに面したドアが玄関でした。それを塞いで中庭側の元裏口を玄関にしたおかげで、プライベート感がぐっと高まりました。反対に、中庭に面した壁全体に一直線に続く窓をつくり、開放感を出しています。こうしたことで、ショップだった当時のロフト風の雰囲気を、効果的に活かすことができたと思います」

アトリエ風に水平一列につくった窓から、中庭の柔らかい光が差し込む。北向きの地上階とは思えない明るさ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アトリエ風に水平一列につくった窓から、中庭の柔らかい光が差し込む。北向きの地上階とは思えない明るさ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

玄関前は、愛猫フォアンのコーナーです。レジのあった一角は、箱のようなキッチンに。ダイニングコーナーに向かって開く窓をつけた、半オープンキッチンです。家の中に窓というのは意外ですが、この窓があるおかげで中庭からの自然光がキッチンの中まで届きます。装飾的な効果と実用性の、両方を兼ね備えた開口、というわけです。

コレクションのマグネットを貼り付けたドア。この一角が愛猫フォアンのコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コレクションのマグネットを貼り付けたドア。この一角が愛猫フォアンのコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レジのあったボックス部分をキッチンに。ちょうどうまい具合に半分閉じ、半分空いているところが、結果的に使いやすいキッチンとなった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レジのあったボックス部分をキッチンに。ちょうどうまい具合に半分閉じ、半分空いているところが、結果的に使いやすいキッチンとなった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ダイニングコーナーは、石造りの壁が印象的です。これは改装工事中に偶然見つけたオリジナルで、せっかくの持ち味を活かすために専門家に依頼し、漆喰(しっくい)で修復してもらったこだわりの作。

改装工事中に発見した19世紀の石造りの壁! 修復してインテリアに活かしたところは、ヨアンさんの審美眼の賜物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

改装工事中に発見した19世紀の石造りの壁! 修復してインテリアに活かしたところは、ヨアンさんの審美眼の賜物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「そもそもの物件がクラシックなアパルトマンではありませんから、あえてこの物件らしいボヘミアンな雰囲気を活かしたい、それをインテリアのテーマにしよう、と思いました。ティエリーはここを初めて訪問したときから、地下へ下りる階段が気に入っていたのですよ」

リビングにニュッと飛び出た階段の柵を、規格外と捉えるか、魅力と認識するか。人それぞれのジャッジの分かれ道であり、物件との相性がものをいう部分だといえそうです。

空間を有効利用して、ものを厳選する

地下の35平米には、ベッドコーナーとドレッシングコーナー、書斎コーナーがあります。やはり地上階と同じで仕切りは設けず、ロフト風のレイアウト。地下なので窓はありませんが、スケルトン階段の開口のおかげで、思いのほか自然光が入ってきます。その階段下を書斎コーナーにしてデスクを置き、スペースを最大限に活用。

リビングから、地下の眺め。落ち着く色合いで統一したベッドまわりが、整然とした印象を与える(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングから、地下の眺め。落ち着く色合いで統一したベッドまわりが、整然とした印象を与える(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面全体に造り付けた本棚は、文字通り「用の美」。収納力抜群で、使い勝手もよい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面全体に造り付けた本棚は、文字通り「用の美」。収納力抜群で、使い勝手もよい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「スペースの有効活用という点では、収納家具を使わずにドレッシングコーナーをつくったことも効果的でした。自分の持ち物に合わせて、一番下には靴、その上にTシャツ類、その上にはコートやスーツなどを掛け、さらにその上には帽子という具合に棚を組み、地厚なカーテンで覆っています。収納家具以上の収納力があって、しかも存在が邪魔になりません」

左側に見えるベージュのカーテンの後ろ側が、ヨアンさんこだわりのドレッシングコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

左側に見えるベージュのカーテンの後ろ側が、ヨアンさんこだわりのドレッシングコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

確かに、収納家具の存在感というのは威圧的なもの。それを置かずに、ベージュのカーテンの向こう側全てをドレッシングにする、という選択は、結果として空間全体をスッキリさせ、広く感じさせています。家具はどうしても凹凸がありますが、カーテンはペタリと平面になり、視界の邪魔にならないせいでしょう。

厳選されたものだけを置いた階段前の一角。どのオブジェにも、まるで最初からここに置くために選んだかのような、それぞれの居場所が感じられる。「オブジェ集めが好きな分、たくさん置きすぎないよう心がけているから」とヨアンさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

厳選されたものだけを置いた階段前の一角。どのオブジェにも、まるで最初からここに置くために選んだかのような、それぞれの居場所が感じられる。「オブジェ集めが好きな分、たくさん置きすぎないよう心がけているから」とヨアンさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アートを身近に! パリならではのメリット

地上階と地下、元ショップだった70平米を大改装してつくった、ショーモン公園そばのスイートホーム。自分たちのライフスタイルに合った快適な住まいを完成させ、そこに暮らす喜びは、格別に違いありません。ところがそれだけでなく、なんとヨアンさんカップルは、ノルマンディーの海沿いにも一戸建てを所有しています。毎週木曜日から週末をノルマンディーで暮らし、週の始まりをパリで過ごす、行ったり来たりの生活を始めてもう5年とのこと。パリの住まいとノルマンディーとの距離は約200kmで、車や電車で大体2時間半で移動しているそうです。コロナ禍以前からリモートワークがメインだったからこそ、こんな贅沢も可能なわけですが、それならいっそノルマンディーに引越してしまっても良いのでは? この物件なら、いいお値段ですぐに買い手が決まりそうですし……。

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

「いえいえ、それはできません! ギャラリー巡りをしたり、エキシビションを見たり、そういうパリ暮らしが私には不可欠なのです。先日、興味本位で査定をしてもらったところ、10年前の購入時の5倍ほどの値段がついて驚きました。でもできるだけ、金銭的な必要に迫られない限りこの住まいは売らず、パリとノルマンディーを行き来する生活を続けたいのです。いざとなったら貸すこともできますから」

職業柄、そしてまた趣味や娯楽の面からも、芸術の都パリから切り離された生活は考えられないのでした。でもそれができるなら、それに越したことはありません!
そんなヨアンさんのインテリアは、もちろん、アートがいっぱいです。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス国立美術館工房が製造販売するフランソワ・ポンポンの複製もインテリアに登場(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス国立美術館工房が製造販売するフランソワ・ポンポンの複製もインテリアに登場(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ものとの出合いを楽しむ秘訣、実は……?

趣味はアンティーク探し、というヨアンさん。蚤の市を巡るのはもちろんのこと、オークションの「ドルオー」にも足を運びます。

「オークションと聞くとみんな高いものを想像しますが、実はものすごく安いものも出されるのです。この間は80ユーロ(約1万円)のテーブルを買いました。大きくて立派なテーブルなので、ノルマンディーの家で使っています。オークションには本当にいろんなものが出品されるので、細かくチェックするのがコツです」

蚤の市や、オークション「ドルオー」で入札したオブジェたち。時代を経た魅力あるオブジェを見つけるのがヨアンさんの長年のホビーである(写真撮影/Manabu Matsunaga)

蚤の市や、オークション「ドルオー」で入札したオブジェたち。時代を経た魅力あるオブジェを見つけるのがヨアンさんの長年のホビーである(写真撮影/Manabu Matsunaga)

幼いころから両親に連れられ、競売場(オークションハウス)に出かけていたヨアンさんには、オークションは特別なものではなく数ある買い物の手段の一つ。オークションを利用している人たちが口をそろえていうのは、特に面倒な手続きはないし、何よりも専門家が査定しているので品物や価格に間違いがなく安心、ということ。そう聞くと、一度くらいは体験したくなります。

「アンティーク以外には、友人からプレゼントされたものも多いです。みんな、私が集めているものを知っているので、ドアに貼るマグネットやらオブジェやらをよく贈ってくれます。ものを集めている割には整然としていますか? そうですね、確かにパリの住まいに置くものは厳選しています。そのかわり、ノルマンディーの家は集めたオブジェであふれかえっていますよ!」

フランス国立美術館工房の複製と、ヨアンさんのアンティークコレクション(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス国立美術館工房の複製と、ヨアンさんのアンティークコレクション(写真撮影/Manabu Matsunaga)

友人がプレゼントしてくれた肘掛け椅子。ここに愛猫フォアンと座る時間は、ヨアンさんにとって最良のひととき(写真撮影/Manabu Matsunaga)

友人がプレゼントしてくれた肘掛け椅子。ここに愛猫フォアンと座る時間は、ヨアンさんにとって最良のひととき(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ティエリーさんがデザインして自作したテーブルも、オブジェのような美しさ! 日曜大工店で木とガラスを切ってもらい、自分で組み立てた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ティエリーさんがデザインして自作したテーブルも、オブジェのような美しさ! 日曜大工店で木とガラスを切ってもらい、自分で組み立てた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリとノルマンディー、二つの住まいを行き来する生活は、それぞれの良さを享受しながら暮らせるところがいい。ヨアンさんの話を聞きながら、そう思いました。一つの住まいに完璧を求めないで済む分、ストレスが少なく、それぞれの持ち味を冷静に見極めて、それらを十分に楽しめる気がするのです。人やものとの出会いも、そんな心の余裕があってこそでしょう。

ヨアンさんお気に入りのビストロ。人情味がたまらないそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ヨアンさんお気に入りのビストロ。人情味がたまらないそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

人気のパティスリー「ブノワ・カステル」もご近所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

人気のパティスリー「ブノワ・カステル」もご近所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

多くの人は、二つではなく一つの住まいに暮らしていると思います。自分が暮らしている住まいを、ヨアンさんになった気分で眺めることができたら、別の捉え方ができるかもしれません。不満やあら探しではなく、いいところを認めて、それをもっと謳歌したくなる。そんな気がします。

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
ヨアン・メルロさん
インスタグラム
フランス国立美術館工房

マンションで農業はじめました! 空き地の整地からスタート、防災・コミュニティづくりの新機軸に 「ブラウシア」千葉市

「農業委員会、始めました!!」。マンションの広報誌にそんな見出しが躍ったのは今年6月。発行元は千葉県千葉市中央区千葉港にある「ブラウシア」だ。なぜマンションで農業を?理由を探るべく現地を訪ねてみると、そこではコミュニティと防災を見据えた今までにない取り組みが始まっていた。

玉ネギ1000個! 1000平米の畑で始まった本気の野菜づくり

千葉みなと駅から徒歩3分の「ブラウシア」は438戸の大規模マンション。なにかと話題になるのは、現役理事と“オブザーバー”と呼ばれる元理事が協力し合った管理組合のアグレッシブな活動だ。5年前、最寄りのバス停に空港行きリムジンバスの停車を誘致したのは、大きな実績の一つ。最近では千葉市で初となる事前決済式で待ち時間なしのキッチンカーを導入するなど、マンションにメリットのあることならどしどし取れ入れる“スーパー管理組合”なのである。

京葉線と千葉都市モノレールの千葉みなと駅からすぐの場所に立つ「ブラウシア」。竣工は2005年(写真撮影/一井りょう)

京葉線と千葉都市モノレールの千葉みなと駅からすぐの場所に立つ「ブラウシア」。竣工は2005年(写真撮影/一井りょう)

そんなマンションに新たに加わった活動が農業委員会だ。
まず驚いたのはその“本気度”。活動場所はマンションから車で15分ほどの遊休地。1000平米もの土地を借り、ホウレン草、春菊、玉ネギ、ジャガイモ、ナス、トウモロコシなど四季折々の野菜を栽培しているという。育てる量も半端なく、ジャガイモは種イモで50kg分、玉ネギはなんと1000個!

活動の様子はマンションの広報誌「ブラウシアニュース」6月号の表紙を飾り、「一緒に汗を流してみませんか?」と住民への参加も呼びかけている。

「野菜を自分でつくってみたい、土に触れたいなど活動を始めた理由はいろいろですが、とにかく楽しいんです」

こう話すのはメンバーの一人でオブザーバーの加藤勲さんだ。

「農作業は重労働ですが、リモートワークの運動不足解消やストレス発散にもってこい。作業後のビールのおいしさは格別ですし、もちろん、収穫したての新鮮な野菜を味わえるのも特権です。そうやって住民同士で一緒に畑で汗を流せば打ち解けやすく、連帯感も生まれます。コミュニティの醸成にもなることから、農業委員会という形で居住者なら誰でも参加できるようにしました」

「ブラウシアニュース」6月号の表紙(画像提供/ブラウシア管理組合法人)

「ブラウシアニュース」6月号の表紙(画像提供/ブラウシア管理組合法人)

初心者ばかりのメンバーで雑草が茂る土地を野菜畑に

ブラウシアでこの農園活動が始まったのは2021年の秋。きっかけをつくったのは「小湊鐵道」の社員であり、近隣のマンションに住む佐々木洋さんだった。

「畑として使っているのは弊社が所有する土地。将来的な沿線開発を見込んで購入していたのですが、諸般の事情で開発が進まず未活用のままだったのです。点在しているその土地を私が所属していた部署で管理していたのです」

佐々木さんが日ごろから頭を痛めていたのは雑草問題だ。放置された土地には雑草が茂り、その種が周りの畑に害を及ぼすことから、度々クレームが舞い込んでいた。

「1人でコツコツと草刈りをしていましたが、手作業なので1時間で刈り取れるのは車一台分のスペースがやっと。その場所で野菜づくりを始めました。畑として使えば雑草問題が解決できますから。ただ、1人でやるのには限界があって。私はブラウシアの近くのマンションに住んでいて、管理組合の活発な活動はよく知っていました。個人的な知り合いもいたので、『一緒に農園をしませんか』と話をもちかけました」(佐々木さん)

実は、小湊鐵道とブラウシアにはちょっとした縁もあった。小湊鐵道が運営するゴルフ場「長南パブリックコース」の法人会員にブラウシア管理組合法人として登録していたのだ。住民は会員料金で利用でき、マンションのゴルフコンペを開いたこともあったという。

突如、舞い込んだ農園の話だが、さすがスーパー管理組合、その後の動きは早かった。さっそく、理事会有志が畑候補地の視察に訪れ、翌月には加藤さんと前・副理事長の光藤智さんが農園活動のメンバーに立候補。佐々木さんを交えた3人体制のスタートとなった。
「手始めは土地の整備作業。みんなで雑草を抜いて整地をし、畝を立て、植え付けしてとやっていくうちに結束も固まりました」
と加藤さんは振り返る。

整地前の土地。生い茂る雑草を手作業で取り除いたそう(画像提供/ブラウシア農業委員会)

整地前の土地。生い茂る雑草を手作業で取り除いたそう(画像提供/ブラウシア農業委員会)

草刈りを終えた土地はご覧のとおり、まっさらに。ただし、この後に耕作の作業が待っている(画像提供/ブラウシア農業委員会)

草刈りを終えた土地はご覧のとおり、まっさらに。ただし、この後に耕作の作業が待っている(画像提供/ブラウシア農業委員会)

耕作中の一コマ。畑を丁寧に耕すことで元気な野菜が育つ。この日は自治会長など理事会の有志も助っ人として参加した(画像提供/ブラウシア農業委員会)

耕作中の一コマ。畑を丁寧に耕すことで元気な野菜が育つ。この日は自治会長など理事会の有志も助っ人として参加した(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農園活動がスタートして間もない畑の様子。ホウレン草や春菊などが栽培された(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農園活動がスタートして間もない畑の様子。ホウレン草や春菊などが栽培された(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農具などを置く小屋を使いやすい位置に移設するときの作業風景。酷暑のなか、理事会メンバーも大勢駆けつけた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農具などを置く小屋を使いやすい位置に移設するときの作業風景。酷暑のなか、理事会メンバーも大勢駆けつけた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

移設を終えた小屋。廃材を使って屋根や壁を補修し、雨風が凌げるように。貯水槽も移設できた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

移設を終えた小屋。廃材を使って屋根や壁を補修し、雨風が凌げるように。貯水槽も移設できた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農業委員会のメンバーは随時募集中で、今年4月からは光藤さんと同じく副理事長を務めていた今泉靖さんが加わって4人体制になった。

「といっても、まだ少人数なので細かいルールは設けず、何をどのくらい植えるかなどはその都度、話し合って決めています。活動日も特につくらず、それぞれが都合のつくときに行って作業をし、状況や活動結果はグループLINEで共有しています。気をつけているのは隣接する畑の耕作者とできるだけ良好な関係を維持すること。もちろん、土地の所有者である小湊鉄道さんの意向を汲むことも大前提です」(加藤さん)

聞けば、加藤さんはベランダ菜園はやっていたものの、本格的な農作業は初体験。ほかのメンバーも同様で、YouTubeで勉強したり、農作業の経験を持つ先輩たちに聞いたりしながら手探りで始めたそうだが、今ではLINEに専門用語が飛び交うほど詳しくなった。
そんな熱意もあって野菜づくりは順調に進行。収穫物はメンバーで分けても食べきれず、理事会などでお裾分けするなかで農業委員会の認知度はじわじわと広まっているそうだ。

畑に立つ農業委員会のみなさん。左から加藤さん、初参加の鈴木さん、光藤さん、今泉さん、小湊鐵道の佐々木さん。メンバー間で野菜の生育状況を日々共有・相談し合うなかで、経験値と知識を急速に向上させている(写真撮影/一井りょう)

畑に立つ農業委員会のみなさん。左から加藤さん、初参加の鈴木さん、光藤さん、今泉さん、小湊鐵道の佐々木さん。メンバー間で野菜の生育状況を日々共有・相談し合うなかで、経験値と知識を急速に向上させている(写真撮影/一井りょう)

畑に植える苗は各自ベランダで育成。愛らしい芽が伸びる様子に“萌える”メンバーも(写真撮影/一井りょう)

畑に植える苗は各自ベランダで育成。愛らしい芽が伸びる様子に“萌える”メンバーも(写真撮影/一井りょう)

目指すは公認サークル化。今後は農作業の体験会なども計画

農業委員会として、目下、目指してしるのは公認サークル化だ。
「農具や種の購入はメンバーの自費で賄っていますが、公認サークルになれば補助費を受け取れるので活動の幅を広げられます。今、計画しているのは植え付けや収穫などの体験会の開催。より多くの住民で畑作業を楽しむことができますよね。あるいは、採れた野菜をマンション内のイベントの景品にしたり直売をしたり。農園活動に参加できる機会を増やし、それを通じて住民同士のコミュニティをバックアップしていきたいと思っています」(加藤さん)

そんな活動の第一歩として、6月初旬には玉ネギとジャガイモの収穫体験が実施された。あくまでも試験的に催した会だが、小さな子どものいる2組の家族のほか、自治会長や元理事のオブザーバーなど総勢12人が畑に集結した。

まずは玉ネギの収穫作業からスタート。芽の部分を持って引き出すと、土のなかから丸々とした玉ネギが現れて、「楽しい!」「もっと採る!」と子どもたちはたちまち熱中し始めた。大人も「次はここを抜こうかな」「あ、こっちもあった」と口々に話しながらにぎやかに作業が進んでいく。

玉ネギは全部で1000個を栽培。赤玉ネギも植えられ「辛味が少ないからオニオンスライスにして食べると最高ですよ」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

玉ネギは全部で1000個を栽培。赤玉ネギも植えられ「辛味が少ないからオニオンスライスにして食べると最高ですよ」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

小2の娘さんと2歳の息子さんと参加したIさん。「コロナ禍で外に出る機会が少なかったので、久しぶりにいい汗をかきました」(写真撮影/一井りょう)

小2の娘さんと2歳の息子さんと参加したIさん。「コロナ禍で外に出る機会が少なかったので、久しぶりにいい汗をかきました」(写真撮影/一井りょう)

掘り出した玉ネギは畑の上でしばらく乾燥させた後、芽や根を切り落とす(写真撮影/一井りょう)

掘り出した玉ネギは畑の上でしばらく乾燥させた後、芽や根を切り落とす(写真撮影/一井りょう)

玉ネギをすべて掘り出したら、次はジャガイモの収穫だ。男爵イモやメークインなど4種類のジャガイモが植えられているという。
農業委員会のメンバーからレクチャーを受け、参加した子どもが茎を持って引き抜くと根のところにいくつものジャガイモが!
「抜いた周りも掘ってみて。まだまだあるよ」
との声に従い土を掘れば、ジャガイモがゴロゴロと出てきて大きな歓声が挙がった。宝探しのような楽しさに時間を忘れて収穫に励む参加者たち。子どもはもちろん、大人も童心にかえって土と戯れられるのは農園活動の魅力だろう。

こうして2時間ほどですべての収穫が完了。親子で作業した参加者に感想を訊くと、輝く笑顔でこんな答えが返ってきた。

「普段の生活で土に触れることはなかなかないので、こういう機会があれば参加してみたいと思っていたんです。子どもたちはすごく楽しそうでしたし、自分もリフレッシュできました」(Iさん)
「観光農園の収穫体験に参加したことはあるのですが、マンションで実施されていることにびっくり。作業しながら、同じマンションに住む人たちと交流をもてるのもうれしいですね。子どもの友達も誘ってまた参加したいです」(Mさん)

掘り立ての玉ネギとジャガイモはメンバーと参加者で分配したが、それでも余るほどの大豊作。筆者もお裾分けしてもらったが、つくった人たちの顔が浮かぶ新鮮な野菜はおいしさもひとしおだった。

畑から掘り出されたジャガイモ。1つの種イモから10個前後のジャガイモが収穫できる(写真撮影/一井りょう)

畑から掘り出されたジャガイモ。1つの種イモから10個前後のジャガイモが収穫できる(写真撮影/一井りょう)

全員でジャガイモを収穫中。「土の香りに癒されます」と顔を綻ばせるメンバーも(写真撮影/一井りょう)

全員でジャガイモを収穫中。「土の香りに癒されます」と顔を綻ばせるメンバーも(写真撮影/一井りょう)

Mさんは小4の息子さんと5歳の娘さんの3人で参加。好奇心旺盛な息子さんは大きなミミズを見つけて大喜びだった(写真撮影/一井りょう)

Mさんは小4の息子さんと5歳の娘さんの3人で参加。好奇心旺盛な息子さんは大きなミミズを見つけて大喜びだった(写真撮影/一井りょう)

災害時にはマンションに野菜を供出。防災面でも“頼れる農園”に

こうしてマンション内のコミュニティを育む農園活動だが、実はこの活動にはもう一つ、別の目的もある。それは防災だ。
加藤さんは5年前、管理組合下におかれた防災委員会で初年度から委員長を務め、防災活動に人一倍力を注いでいる。マンションが農園をもつことは災害時の強みになると力を込めていう。

「政令指定都市のなかで震度6以上の地震が今後30年以内に起こる確率が最も高いのが、僕らが住む千葉市と言われています。そのため防災体制の強化は管理組合の重要課題であり、防災委員会ではさまざまな施策を講じています。そのなかで話題に挙がるのは備蓄の問題。マンションとしての備蓄はスペースの点から難しく、世帯それぞれで水や食料などを確保してもらうのが大原則ではあるのですが、農園があれば多少なりとも食料の確保に役立つのではないかと。被災時には収穫物をマンションに供出しようと思っています」(加藤さん)

確かに災害で避難生活を余儀なくされたとき、畑にイモ類などの野菜があれば食料になり、炊き出しもできるだろう。育ちが早い葉物野菜なら避難生活を送りながら栽培することも可能だ。
「こうした考えに賛同して農業を一緒にしてくれる仲間が増えたら、新たに整地し、農地を広げることも考えています。そうすれば安心感はより高まるはずです。小湊鐵道さんの協力あってのことですが」(加藤さん)

6月初旬に収穫したジャガイモは段ボール3箱分!「備蓄しやすいイモ類は被災時も活躍するはず」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

6月初旬に収穫したジャガイモは段ボール3箱分!「備蓄しやすいイモ類は被災時も活躍するはず」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

夏に向けてトウモロコシもすくすく成長中(写真撮影/一井りょう)

夏に向けてトウモロコシもすくすく成長中(写真撮影/一井りょう)

もちろん、農園活動で育まれたコミュティも防災の大きな力になる。日ごろから住民同士が良好な関係を築いておけば、万が一のときにお互い助け合うことができるからだ。
特に今回、強く感じたのは畑で生まれるコミュニティの深さ。手足を土で真っ黒にしながら無心で作業をすると誰もが”素”に戻るからだろうか、人と人の心の距離がすーっと自然に近くなることを実感した。農作業を手伝い合ったり、収穫した野菜をみんなで集めて運んだりと共同作業が多いのも、交流を深めるよいきっかけになるだろう。

農園活動はどのマンションでも真似できるわけではないけれど、マンションコミュニティの新しい形が生まれていることは確かである。

●取材協力
ブラウシア管理組合法人

コロナ、がん、認知症など重い社会課題に”太陽のアプローチ”を。「注文をまちがえる料理店」小国士朗さんが起こした『笑える革命』

世界にはさまざまな「社会課題」がありますが、そのほとんどはどこか重々しく、深刻な雰囲気をまとっています。そんな、ともすれば目を背けてしまいたくなる課題に対し、「笑って考える」という独特のアプローチで向き合う人がいます。

小国士朗さん。認知症の状態にある高齢者などがホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」をはじめ、社会課題をテーマにした話題のプロジェクトを数多く手掛けてきました。

「みんなで手を取り合って、にこにこ、へらへら、わっははと笑いながら革命をしたい」と語る小国さん。そんな「笑える革命」に取り組む理由や思いについて伺いました。

全ての企画には「原風景」がある

――小国さんはこれまで社会課題をテーマにしたさまざまなイベントやプロジェクトを手掛けていますが、最初に大きな話題を呼んだのはNHK在職時の2017年に企画した「注文をまちがえる料理店」でした。この企画は、どんな経緯で生まれたのでしょうか?

小国:企画の起点になったのは、2012年に『プロフェッショナル 仕事の流儀』というテレビ番組の取材で訪れた、とあるグループホームでの出来事でした。ロケの合間に入居者のおじいさん、おばあさんからお昼ご飯をご馳走になることがあったのですが、その日の食卓に出てきたのは事前に聞いていたハンバーグではなく餃子。でも、そんな“まちがい”を気にする人なんてそこには誰もいなくて、みんな美味しそうに餃子を食べている。そんな「風景」が強烈に印象に残ったんです。

小国士朗さん。株式会社小国士朗事務所 代表取締役/プロデューサー。2003年NHK入局。『プロフェッショナル 仕事の流儀』『クローズアップ現代』などのドキュメンタリー番組を中心に制作。その後、番組のプロモーションやブランディング、デジタル施策を企画立案する部署で、ディレクターなのに番組を作らない“一人広告代理店”的な働き方を始める。150万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」の他、個人的なプロジェクトとして、世界150カ国に配信された、認知症の人がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」なども手掛ける。2018年6月にNHKを退局し、現職。「deleteC」「丸の内15丁目プロジェクト」「Be Supporters!」など多数のプロジェクトに携わっている(写真撮影/片山貴博)

小国士朗さん。株式会社小国士朗事務所 代表取締役/プロデューサー。2003年NHK入局。『プロフェッショナル 仕事の流儀』『クローズアップ現代』などのドキュメンタリー番組を中心に制作。その後、番組のプロモーションやブランディング、デジタル施策を企画立案する部署で、ディレクターなのに番組を作らない“一人広告代理店”的な働き方を始める。150万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」の他、個人的なプロジェクトとして、世界150カ国に配信された、認知症の人がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」なども手掛ける。2018年6月にNHKを退局し、現職。「deleteC」「丸の内15丁目プロジェクト」「Be Supporters!」など多数のプロジェクトに携わっている(写真撮影/片山貴博)

小国:僕はそれまで、「間違いは指摘して正すのが当たり前」だと思っていました。でも、そうではなくて、その場にいるすべての人がそれを受け入れれば間違いではなくなるのだと気づいた。目からウロコが落ちると同時に、ふと“注文をまちがえる料理店”というワードと、そこで働くおじいさん、おばあさんの姿、間違えて運ばれてきた料理を笑いながら食べているお客さんの姿が浮かびました。

認知症の状態にある高齢者や若年性認知症の方がホールスタッフを務めるイベント型のレストラン「注文をまちがえる料理店」。オーダーや配膳を間違えても、それを一緒に笑い飛ばすおおらかな雰囲気に包まれている(画像提供/小国士朗さん)

認知症の状態にある高齢者や若年性認知症の方がホールスタッフを務めるイベント型のレストラン「注文をまちがえる料理店」。オーダーや配膳を間違えても、それを一緒に笑い飛ばすおおらかな雰囲気に包まれている(画像提供/小国士朗さん)

――小国さんの企画には、全てにそうした「原風景」があるそうですね。

小国:そうですね。これまでに携わってきた企画には全て、心を動かされた「原風景」があります。僕はただ、それをちょっとずらしたり、拡張しているだけなんです。

例えば、みんなの力でがんを治せる病気にすることを目指すプロジェクト「deleteC」も、とある原風景が企画の発端になっています。この企画はもともと、自身も乳がんを患っていた友人の中島ナオさんから「がんを治せる病気にしたい」と相談を受けたのが始まりでした。でも、そんなことを言われても正直、医者でも研究者でもない僕にできることなんて何もないと思っていたんです。

そんな時、ふとナオさんが見せてくれた一枚の名刺を見た瞬間に衝撃を受けました。

アメリカのがん専門病院に勤務する上野直人医師の名刺。「Cancer(がん)」の文字の部分に赤線が引かれている(画像提供/小国士朗さん)

アメリカのがん専門病院に勤務する上野直人医師の名刺。「Cancer(がん)」の文字の部分に赤線が引かれている(画像提供/小国士朗さん)

小国:その名刺は「Cancer(がん)」の文字の部分に赤線が引かれていました。僕はこれを見て感動するとともに、こんなアイデアが浮かびました。「世の中の商品やサービスの名前から“C”の文字を消して、それらの売上の一部を、がんの治療研究に寄付しよう」と。

つまり、この名刺を見た時に受けた衝撃が「deleteC」の原風景です。「Cancer」の文字を消した名刺に僕が心を動かされたように、コンビニで“C”が消えた商品を見た人が「何これ?」と前のめりになってくれるんじゃないかと。僕が感動した原風景を、企画を通して共有するようなイメージですね。

――その、共有できる「風景」がないと、企画はうまくいかないのでしょうか?

小国:必ずしもそうではないと思いますが、僕の場合は「風景」にものすごくこだわります。多くの人が参加したくなる企画や、社会全体に広がっていくようなプロジェクトには、本能的に体が動いてしまう要素があると思います。そして、そんな本能的な行動を呼び起こすのが、企画者自身が心を動かされた原風景です。それがないと、単に奇を衒(てら)ったコンセプトありきの、薄っぺらいものになってしまう気がするんです。

Cの文字を消したC.C.Lemon。この商品を買うと、売上の一部ががん治療の研究費用として寄付される(画像提供/小国士朗さん)

Cの文字を消したC.C.Lemon。この商品を買うと、売上の一部ががん治療の研究費用として寄付される(画像提供/小国士朗さん)

(画像提供/小国士朗さん)

(画像提供/小国士朗さん)

社会課題の解決には、北風よりも「太陽のアプローチ」で

――小国さんは著書『笑える革命』のなかで「北風ではなく、太陽のアプローチを心がける」と書いています。社会課題を取り上げる時、あるいは解決しようとする時に、なぜ「太陽のアプローチ」が必要なのでしょうか?

小国:NHKで社会課題を取材していた際、僕は基本的に北風的な番組づくりをしていました。つまり「このままだとヤバイですよ」「みなさん、このままでいいんですか?」といういわゆる不安訴求型のアプローチですね。もちろん、社会の大きな問題に気づいてもらうためには、こうしたド直球の伝え方も必要です。

『笑える革命』(光文社)(写真撮影/片山貴博)

『笑える革命』(光文社)(写真撮影/片山貴博)

でも、世の中がその課題に気づいた後もずっと北風を吹かせ続けていると、次第にそのテーマが顔を出しただけで目をそらしたくなってしまう。やっぱり北風がビュービュー吹いている谷には、そもそもみんな寄り付きませんから。だから、「課題解決」を目指すフェーズでは正攻法ではない「太陽のアプローチ」が必要なのだと思います。

――太陽のアプローチとは具体的にどのようなものですか?

小国:ワハハと笑いながら、思わず行動を起こしたくなるようなアプローチです。一見、暗くて重い社会課題とは似つかわしくないやり方ですね。

例えば、NHKの『テンゴちゃん』(2020年3月に放送終了)という番組で、2018年に放送した「8・15無念じいといっしょ」という企画は、まさに太陽的なアプローチだったと思います。長崎県で自身の被曝体験を次世代に語り継ぐ「語り部」の森口貢さん(当時82歳)が、VTuber(バーチャルユーチューバー)に扮して若者たちと語り合う、という企画です。

――82歳の語り部VTuverとは、かなりぶっとんだ企画ですね。

小国:森口さんはそれまでずっと、小中学校などで子どもたちに向けて戦争の悲惨さを伝える活動を続けてこられました。しかし、とある中学校で語り部をしていた際、そこにいた生徒数名から心無い暴言を吐かれることがあったんです。でも、森口さんはそこで「自分の伝え方が悪かったんだ」と反省し、どうすれば若い人にもっと伝わるのか、発信の仕方を試行錯誤していました。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

だったら、いっそのこと森口さんを当時流行りはじめていたVTuberにしちゃうのはどうだろうと、番組のメンバーが言い始めたんですね。82歳のおじいさんが戦争を語ると、中学生にとっては重すぎると感じてしまうかもしれない。でも、VTuberを通せば受け入れやすく、自分ごととして捉えてもらえるのではないかと考えました。結果、1時間の生放送の間に1万5000通の質問や便りが森口さん宛に届くなど、驚くほどの反響があったんです。森口さんが言っていること自体はいつもと変わらないのですが、見せ方、表現の仕方を変えるだけでこんなにも多くの人に届くのだと実感しましたね。

――そうした太陽のアプローチが広く社会の関心を呼び、「笑える革命」につながっていくと。ただ、こうした方法は“奇策”ととられ、快く思わない人も出てきそうですが。

小国:もちろん、僕もできることなら正攻法で届けたいと思います。正攻法で世の中に広がって人が動くなら、それが一番いい。でも、それだけでは届かないことをNHKのディレクター時代に思い知らされてきました。NHKでは『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』といった社会課題を取り上げる番組を制作していましたが、もともとその問題に関心がある人は見てくれるんです。でも、大きくコトを動かすためには「関心がない」あるいは「(その問題を)知らない」人たちに、いかに届けるかが重要だと思っていました。

――そして、そのためには北風的なアプローチだけでは限界があると。実際、小国さんが個人として初めて手掛けた「注文をまちがえる料理店」は、国内外で大きな反響を呼びましたよね。多くの人に「届いた」という実感はありましたか?

小国:そうですね、番組づくりでは全くなかった手応えを「注文をまちがえる料理店」で初めて感じることができました。SNSなどでの反響・熱量もすごかったし、国内外のメディアが撮影に来ました。“世の中がざわついている”という感覚があって、これが「届く」ということなんだなと。

(画像提供/小国士朗さん)

(画像提供/小国士朗さん)

(画像提供/小国士朗さん)

(画像提供/小国士朗さん)

特に、海外のメディアが関心を寄せてくれたのは、自分のなかで大きかったですね。なぜなら、日本って「課題先進国」と言われているわりに、国内に解決策が少ない気がしていたんです。僕が『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』をつくっていたときも、「課題」は国内でいくらでも取材できる。でも、「解決策」が国内になかなかないから、ノルウェーやオランダ、イギリス、アメリカの事例を取材するという状況が当たり前になっていました。それってヘンじゃないですか。課題先進国であるなら「解決先進国」であってもいいはずなのに、その答えを海外に求めるのは違うような気がしたんです。

そんなモヤモヤがあったなか、規模は小さいけれど自分が企画したプロジェクトに対し、海外メディアが関心を示して世界に発信してくれた。ノルウェーの公衆衛生協会の偉い方がが「これが高齢化社会の次のモデルだ」と言ってくれたりした。このことは素直に嬉しかったですね。

「当たり前」を営み続けられる社会であってほしい

――もともとはテレビ番組のディレクターだった小国さんが、こうした社会課題をテーマにした企画を手掛けるようになったきっかけを教えてください。

小国:番組ディレクターとしての仕事には、大きなやりがいを感じていました。でも、33歳の時に病気になり、医者から「(激務である)ディレクターの仕事を続けるのはおすすめしません」と言われてしまったんです。

当時は、自分の一番の武器を突然奪われてしまったように感じて落ち込みましたが、同時にどこかホッとしているところもありました。先ほども言いましたが、ディレクターの仕事は楽しかったものの、いくら良い番組をつくれても、それが思うように届かないジレンマがあった。本当に届けたい人に大切なテーマが届かないというモヤモヤを抱えたまま、長く番組づくりを続けているような状態でした。

そんな時に病気になり「これで、やっと“降りられる”」と思えました。そして、安堵すると同時に、これからは「番組をつくらないディレクターになろう」と考えるようになった。テレビというものにこだわらず、自分が大切だと思うことを届け切るために、あらゆる手段を探求していこうと。

――その「届けきりたいこと」とは、それまで番組づくりで取材してきたさまざまな社会課題だったのでしょうか?

小国:いえ、僕はそもそも社会課題そのものに関心がある人間ではありません。関心があるのは、「誰も見たことがない風景」や「誰も触れたことがない価値観」を形にして、多くの人に届けることです。そもそも“Tele-vision(テレビジョン)”という言葉の意味は「遠く離れた場所でのできごとを映す」ことですから。

社会課題というのは、当事者以外にとっては遠く離れた場所での出来事、つまり“Tele”ですよね。だから、それを映したい、届けたいと思うんです。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

――今は当事者ではなく「遠く離れた場所での出来事」のように思えても、いつかは自分がその問題に直面する時が来るかもしれません。すぐに何か具体的な行動を起こすことは難しくても、それについて日頃から考えておくのは大事なことですよね。

小国:そのためには、「日々の暮らし」と「社会の課題」を自然な形で結びつけることが大事だと思います。もちろん、「注文をまちがえる料理店」のように尖ったコンセプトのイベントを開催して、多くの人にそのテーマについて考えてもらうことにも意義はあるのですが、イベントというのは単発で終わってしまう。イベントをきっかけに認知症について関心を寄せてくれた人も、そのうち忘れてしまうかもしれません。

だからこそ、暮らしの中に社会課題にタッチできる接点をつくり、常にそのことについて身近に感じられるような状態にしていきたいんです。例えば、「deleteC」はコンビニやスーパーで「Cを消した商品」を買うだけで、がんの治療研究を少しだけ前に進めることができる。日々の買い物が、そのまま「がんを治せる病気にする」という社会の実現を後押しするわけです。

――そうした接点を数多く社会に実装していけば、みんなが普通に暮らしているだけで様々な社会課題を解決できるかもしれません。

小国:はい。そうなれば日本だけでも1億人ぶんのパワーが集まるわけですから、とてつもなく大きなインパクトを与えられるのではないでしょうか。

――では最後に、小国さんがこれから取り組んでみたいテーマがあれば教えてください。

小国:今は「当たり前を営む」ことに関心があります。というのも、今ってこれまで当たり前だったことが、当たり前じゃなくなっていると感じるんです。例えば、ウイルスによって当たり前のことができなくなったし、考えられないような戦争も起きてしまった。こうやって「当たり前が当たり前でなくなる」というのは、とても怖いことだと思います。

ひと箱50枚入りのマスクを55枚分の料金で販売する「おすそわけしマスク」。残りの5枚分は福祉現場に寄付(おすそわけ)される仕組み(写真提供/小国士朗さん)

ひと箱50枚入りのマスクを55枚分の料金で販売する「おすそわけしマスク」。残りの5枚分は福祉現場に寄付(おすそわけ)される仕組み(写真提供/小国士朗さん)

だって、本来は「認知症の人と共生できる社会をつくりましょう」も「気候変動をストップしましょう」も、当たり前のことですよね。でも、今はその当たり前を声高に叫ばなければいけないくらい、いろんなことが歪んでいたり、こんがらがっていたりする。同じように、「戦争なんてないほうがいい」という当たり前のことすら、いずれは当たり前に言えなくなる社会になってしまうかもしれません。

だからこそ、これからも多くの人が「当たり前」を営み続けられるよう、その尊さを実感できるような企画をやっていきたいですね。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

●取材協力
小国士朗さん

倉敷がいま若者に人気の理由。廃れない街並みの背景に地元建築家と名家・大原家の熱い郷土愛

江戸情緒あふれる町並みが魅力の観光地・岡山県倉敷。観光の中心地点となる美観地区を流れる倉敷川に沿って、江戸時代から残る木造の民家や蔵を改装したショップやカフェ、文化施設などが立ち並びます。空襲を免れたことで旧家が残り、観光資源として活用されている倉敷ですが、それだけではなく、印象派絵画のコレクションで知られる「大原美術館」や、工場跡をホテルにコンバージョンした「倉敷アイビースクエア」など、決して広くはないエリアに国内有数の観光施設が点在しています。
古い建物が残る地域は日本各地に見られる中で、倉敷にこれほど魅力的なスポットが集中する理由はどこにあるのでしょうか。
倉敷で生まれ育ち、すみずみまで知り尽くす建築家の楢村徹さんに、長年倉敷の古民家再生にかかわってきたからこそ見えてきたまちの魅力を伺いました。

倉敷の土台を築いた名士、大原家近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷はまちも人も恵まれた場所ですね。古いものが残っていて、常に新しいことを仕掛けていこうというエネルギーがある。一朝一夕ではない、時間をかけて育まれた文化が根付いています」
建築家として全国のまちを訪れてきた楢村さん。自身の出身地であることを差し引いても、倉敷は面白いまちだといいます。
伝統的な町並みの印象が強い倉敷のまちに対し「新しい」というワードも不思議な気がしましたが、確かに倉敷を代表する建造物は建設当時の最先端を行くものです。大原美術館に採用されているヨーロッパの古典建築を再現するデザインは、建築家の薬師寺主計がヨーロッパ各国の建築を学び設計したもの。文化の面でも欧米列強を追いかけていた当時の日本において、芸術の殿堂と古代ローマ建築をモチーフとするデザインとの組み合わせは、ここでしか見られないオリジナルなアイデアです。蔦で包まれた外壁が特徴のアイビースクエアも、産業遺産である工場をホテルに転用する、日本でも先駆け的なプロジェクトでした。

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

伝統を崩さず、新しさを採り入れる

さらに總一郎は、建築家の浦辺鎮太郎とともに市と連携して倉敷市民会館や倉敷市庁舎、倉敷公民館など市民の生活を支える施設を整備していきます。
大原美術館と並び倉敷観光の中心を成す倉敷アイビースクエアも、もともと倉敷紡績の工場だったものを浦辺の設計でコンバージョンして蘇らせた文化複合施設です。

「倉敷には江戸時代以来の商人のまちとしての歴史があって、時代ごとに築きあげてきたものが積み重なっていまの倉敷をつくっているんです。空襲にもあいませんでしたから。ドイツに中世につくられた道や建物がそのまま残っているローテンブルクというまちがあるんですが、總一郎さんが倉敷をドイツのローテンブルクのようなまちにしようと呼びかけた。そこからいろんな人たちが協力して古いまち並みを残してきた結果、一周遅れのトップランナーといった感じで注目されるようになってきた。いま我々がやっているのはそれを生かして新築ではできない魅力をさらに積み重ねていく、新しいエッセンスを加えて次の世代にわたしていくと、こういうことです」

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷は町家造りの建物が並んでいて、広場になるような場所がないんです。だけど建物の正面から一歩奥に入ると、細い路地がポケットパーク的に点在しています。日常的に使わないから物置として放置されていたりもするんですが、大きなテーマとして、そういった本来裏の空間である路地空間を表の空間として皆が入ってこられる場所にすることと、それらをつないでいくことでまちに奥行きをつくりだして歩いて散策できるまちにすること、このふたつに取り組んでいます」

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「もともと私は古民家が好きとか、古い建物が好きとかそういうわけでもないんです。新しいデザインを追求した結果、古民家がもっている歴史の積み重ねに新しい要素を加えることを考えました。若いころに読んでいたヨーロッパの建築雑誌には、石造りの古い建物をリノベーションした建築が載っていて、これが非常にモダンで格好良いんです。そういうものを見て、自分もやってやろうというモチベーションでしたから、一番新しいデザインだと思ってやっています。長い年月を朽ちることなく耐え抜いてきた古民家に使われているのは、選びぬかれた本物の材料です。いまでは手にはいらないような貴重な材料でつくられているから、時間が経っても古びない、むしろ味わいが増していく魅力があると思います」

いいものをつくることが、保存への近道

楢村さんは建築家として独立した30年以上前に同世代の建築家たちと「古民家再生工房」を立ち上げ、全国の古民家を改修する活動を続けてきました。当時はバブル真っ只中。建築業界では次々に建て変わる建物の更新スピードと並走するように、目まぐるしくデザインの傾向が変わっていきました。そんななか、地道に古民家の改修を続ける楢村さんたちの活動はどのように受け止められたのでしょうか。

「建築の設計に携わっている専門家ほど、『お前らそんな仕事しかないのか』と見向きもしない傾向はありました。でも建物を建てるのは一般の人なんだから、専門家からどう言われようが自分たちが信じたことをやっていけば良いとは思っていました。
地元のメディアに働きかけてテレビやラジオ、雑誌に取り上げてもらったり、講演会や展覧会を自分たちでずっと継続してきて、一般の人たちに建築デザインの魅力や古民家再生の良さを知ってもらおうと活動してきました。
それまでは古民家というと保存する対象で、古い建物を東京の偉い先生が見に来てこれは残すべきだとか、大切に使ってほしいとかそういうことを言ってきたわけです。でも建物の持ち主からすれば、歴史的な価値がどうとか言われてもよくわからないですよね。
それを我々はアカデミックな見方ではなくて、現代の目で見て良いデザインに生まれ変わらせようという視点で設計してきたから受け入れられたんだと思います。若い人たちがここに住みたいと思うようなものにしてしまえば、保存してほしいなんて言わなくても使い続けてもらえるわけですからね」

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「そんなことを十年以上やっていたら、倉敷で中心市街地の活性化事業がスタートしたときに声をかけてもらって。もう十五年以上、倉敷の町家再生に携わっています。といっても単に建物を改修するだけではダメで、そこをどんな場所にするのか、お店をやるならどんな内容にするのかとか、どうしたらちゃんと事業として回っていくのかとか、中身のことも一緒に考えていくから設計の仕事は全体の3割位ですね。
なにかお店を入れようと思ったら周りとの調整も必要だし、1つの建物を生まれ変わらせるのに4、5年かかるのが普通です。その間はお金にもならないし、思うようにいかないことばかりで大変ですが、誰かがやらなくちゃいけないことですから。本当はなにも描いていないまっさらな白紙に、倉敷がこんなまちになったら良いななんてイメージを描いていくのが一番楽しいんですが、実現しないとなんの意味もない。思い描いたうちの8割でも7割でも、かたちにして次につないでいくことが、我々がいますべきことだと思っています」

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「理想は観光客に対してではなく、倉敷に住む人にとって良いまちにしていくこと、その結果、外の人が来ても楽しめるまちになるといいなと思ってやってきました。最近は若い人たちが倉敷のまちづくりに関わるようになってきています。私の事務所から独立して町家の改修をやっている人もいるし、頑張って新築をつくっている人も。
そうやって若い人たちが集まってきて、やりたいことを実現できる土壌があって、それがちゃんと経済的にも成り立つだけのポテンシャルがある。これまで倉敷が積み重ねてきた文化の地層に、新しい要素を付け加えながら、次の倉敷をつくっていってほしいですね」

●取材協力
楢村徹さん

ドラマ『魔法のリノベ』放送開始! リノベーション理解や事業者選びのヒントにも

7月から「魔法のリノベ」というテレビドラマがスタートした。リノベとはリノベーションのこと。住宅関連のテーマのドラマなので、さっそく視聴した。住宅の間取りや製品などが多く登場するのだが、住宅建材・設備機器メーカーの企業LIXILが製品をドラマの撮影セットに提供しているという。で、ドラマはと言うと……。

【今週の住活トピック】
システムキッチンや水栓、サッシ、インテリアなどLIXIL製品をドラマ撮影セットに美術協力/LIXIL

テレビドラマ「魔法のリノベ」放送スタート!

関西テレビの「魔法のリノベ」サイトを見ると、「人生こじらせ凸凹営業コンビが、“住宅リノベ”で家や依頼人の心に潜む魔物をスカッと退治!」とある。どうやら、住宅のリノベーションを通じて、依頼した家族の人生のリノベーションまでしてしまうことが、「魔法のリノベ」という意味らしい。

原作は星崎真紀さんの漫画だ。筆者は漫画を拝読していないので、放送されたテレビドラマでしか、その内容を把握できていない。初回は、波瑠さん演じる真行寺小梅が、間宮祥太朗さん演じる福山玄之介が営業を務める『まるふく工務店』に転職してくる下りが描かれ、中山美穂さんと寺脇康文さんが演じる夫婦の古い家をリノベする…という展開だった。

LIXILによると、このドラマの「1階 まるふく工務店」と「2階 玄之介の部屋」に、システムキッチンや水栓、サッシ、インテリアなどの製品を美術協力しているという。

玄之介の部屋(出典/LIXILニュースルームより)

玄之介の部屋(出典/LIXILニュースルームより)

玄之介の部屋のリビングで、小梅が登山用の寝袋にくるまって寝ていて、芋虫状態で子どもに発見されるというシーンがあった。工務店の2階というからには、それなりの設備機器が設置されていて当然だろう。LIXILでは、最新のシステムキッチンやキッチン・リビング収納、非接触で吐水/止水ができるタッチレス水栓、ハイブリッド窓、内装壁機能タイル、インテリア建材などを美術協力していているという。

美術協力しているLIXILの製品(出典/LIXILニュースルームより)

美術協力しているLIXILの製品(出典/LIXILニュースルームより)

住宅のリノベーションとはなんだ?

今ではよく使われる用語になっている「住宅のリノベーション」だが、実は正式な定義はない。

一般的に住宅業界では、リフォームは経年劣化した部分を建築当時の水準に戻す改修工事のこと。リノベーションとは、キッチンなどの設備の交換や間取りの変更などの大規模な改修工事だけでなく、いまの生活を快適にするレベルに住宅の性能を引き上げることも含んでいる。たとえば、第1話で中山美穂さんの実家をリノベーションする際に、キッチンの交換や間取りの変更に加えて、古い家なので耐震性も引き上げようという話が出ていた。耐震基準なども年代によって変わってくるので、いまの基準に引き上げることが安全性確保のために大切だからだ。

リノベーション業界の団体である(一社)リノベーション協議会のホームページを見ると、リノベーションを次のように定義している。

「リノベーションとは、中古住宅に対して、機能・価値の再生のための改修、その家での暮らし全体に対処した、包括的な改修を行うこと。例えば、水・電気・ガスなどのライフラインや構造躯体の性能を必要に応じて更新・改修したり、ライフスタイルに合わせて間取りや内外装を刷新すること」

この定義について、リノベーション協議会の会長である内山博文さんに話を聞いた。
この定義は10年以上も前、協議会を立ち上げる時に決めたもので、当時はリフォームとリノベーションの違いもあいまいだった、という。包括的な改修としたのは、住宅の機能改修というハード面だけでなく、そこに住む利用者のソフト面も含めて、住宅の価値を上げていこうという考えだった。

10年以上経ったいまでは、世の中にリノベーションがポジティブに受け取られて、今住んでいる住宅をリノベーションするだけでなく、中古住宅を買ってリノベーションをして住むという選択肢も一般的になってきた。リノベーションが、新築という規制の枠にはまらない、自分らしい暮らしをデザインするのに最適な方法だと気づいたからだろうと、内山さんは見ている。

リノベーションで魔法はかけられる?

さて、ドラマタイトルに「魔法の」という修飾語がついているが、「リノベーションで魔法はかけられるか?」と内山さんに聞いてみた。「事業者もいろいろあるので、すべての事業者に当てはまるとは思わないが」という前置きはあったが、「生活者の目線で一緒に課題を解決できる事業者が増えてきたと思っている」と、会長らしい視点のコメント。生活者の希望を超えるものを提案できる、ある意味で魔法が使える事業者も数多くいるということだろう。

第2話では、夫婦別寝室プランを夫婦それぞれで希望するが、希望している理由に加えて、夫婦の関係性を読み取ってプランを提案していた。生活者と同じ目線で課題を解決してこその提案だ。

最後に、「このドラマに、どんなことを期待しているか?」と聞いた。内山さんは「ドラマは、2社のリノベーション事業者が競争する展開となっているので、どういう会社を選んだらよいかということが、視聴者に伝えられることに期待している」という。

ドラマでは、事業者側の都合を上手に隠して顧客に提案するライバル会社と、生活者目線で提案する小梅たちの会社が競争をする形になっている。実際に、リノベーションをやるという事業者は多いが、事業者の提案はそれぞれ異なる。当初の玄之介の営業のように、顧客の希望条件をそのまま図面にする提案もあれば、小梅のように生活者の代わりに課題を解決する提案もある。なかには、顧客の希望を無視した事業者側の都合による提案もあるかもしれない。

建築の専門知識のない一般の消費者には、その違いがわかりにくいだろう。となると、各社から見積もりを取った結果、工事費用の金額だけに目が行きがちということも。ドラマ効果で、提案内容をしっかり見極めるということが一般的になって、自宅での暮らしの価値を上げるようなリノベーションが実現することを、筆者も大いに期待している。

●関連サイト
ドラマ「魔法のリノベ」ホームページ
LIXILニュースルーム「7月スタートのカンテレ・フジテレビ系月10ドラマ「魔法のリノベ」 番組枠内で“夏の断熱リフォーム”を訴求するインフォマーシャルを放映開始」

マンションも木造の時代に! 耐震性や遮音など住みごこち満足度98%のお墨付き 「MOCXION INAGI」東京都稲城市

法律の改正により国土交通省が民間での木材活用を推進したこともあり、2021年から木造ビルが各地に誕生し、今、かつてないほど「木造建築」に注目が集まっています。なかでも、2021 年に完成した「MOCXION INAGI(以下、モクシオン稲城)」(三井ホーム)は木造マンションの幕開けを象徴するような建物です。入居者の実際の住み心地や満足度、マンションの性能、今後どのように普及していくかについて紹介します。

遮音、耐震性もバッチリ! 入居者の98%が住み心地に満足と回答

高層ビルやマンションは珍しいものではありませんが、その多くはコンクリートと鉄骨鉄筋で、構造でいうと、鉄筋コンクリート(RC造)や、鉄骨鉄筋コンクリート(SRC造)にあたります。だからこそ、記事冒頭のように一見よくある新築マンションが「木造なんだよ」と言われたら、多くの人は驚くのではないでしょうか。

「木造マンション」という新しいカテゴリーを生み出した「モクシオン稲城」一見、よくあるマンションですが、実は「木造」なんです(写真撮影/片山貴博)

「木造マンション」という新しいカテゴリーを生み出した「モクシオン稲城」一見、よくあるマンションですが、実は「木造」なんです(写真撮影/片山貴博)

そんな驚くような木造マンション「モクシオン稲城」が2021年11月、東京都稲城市に完成しました。総戸数は51戸、間取りは2LDK~3LDK、専有面積は50平米~96平米で、シングルからディンクス、子どものいる世帯が暮らしています。1階はRC(鉄筋コンクリート)造で、2~5階に木造枠組壁工法を採用しています。賃料は稲城駅の周辺物件の相場よりも高額な設定でありながらも、見学した人の約7割が入居を申し込みたい(内覧即申し込み含む)と回答し、募集開始後約1カ月で満室になるほどの人気物件です。

エントランスの上部にも木をあしらっています。木ってやっぱりカッコいい(写真撮影/片山貴博)

エントランスの上部にも木をあしらっています。木ってやっぱりカッコいい(写真撮影/片山貴博)

木造の建物というと、音や耐火性、耐震性などが心配という人もいるかもしれませんが、住み心地はどうなのでしょうか。

「入居から4カ月が経過した今春、アンケートをしましたが、入居している47世帯からの回答のうち98%もの人が満足と回答してくださっています」と話すのはこのプロジェクトの推進責任者の依田明史(よだあけし・三井ホーム)さん。では、どのような点に魅力を感じているのでしょうか。

「入居開始が12月だったので、入居者のみなさんは冬をマンションで過ごされたわけですが、断熱性にすぐれ、結露が少なくて快適、天井高や断熱、遮音といった点で高く評価していただいています。耐震性でいうと、3月には東京都で震度4の地震が発生しましたが、その際も揺れてモノが落ちるなどもなく、コンクリートのマンションに住んでいたときと体感はまったく変わらなかったとのコメントも聞きました」(依田さん)

「木造」マンションを推進した依田さん。完成するまでは「木造でしょ」と言われることが多く、悔しい思いをしたことも(写真撮影/片山貴博)

「木造」マンションを推進した依田さん。完成するまでは「木造でしょ」と言われることが多く、悔しい思いをしたことも(写真撮影/片山貴博)

見学のきっかけは、「木造マンションに興味」「脱炭素に貢献」

木造建築物をめぐる法改正などの背景はSUUMOジャーナルでもお伝えしてきましたが、そうはいっても、「一戸建てではない木造建築に住みたい!」と意欲的な人は実はまだごく少数なのではないでしょうか。そもそも、入居者のみなさんは、「木造マンション」のどのあたりに魅力を感じて、見学にいらっしゃったのでしょう。

「見学者のみなさんに来場のきっかけのアンケートをしたのですが、『木造マンションに興味があった』が2位、『木造マンションは地球環境にやさしく脱炭素に貢献』が6位となっていました。実はこの『脱炭素に貢献』というのは、マーケットにおける環境意識の変化を知りたくて手探りで選択肢に入れたのですが、驚くほど上位に来ていました。私たちが思っている以上に、環境意識が高まっているのだと思います」と依田さんは分析します。

回答数89、複数回答可

回答数89、複数回答可

近隣エリアからの見学者は当然のことながら多かったそうですが、東京都品川区や文京区といった都心部からの住み替えもあったといい、いかに木造マンションが注目されていたかがわかります。

「コロナ禍で、多くの企業でテレワークが導入されたことで、郊外で少し広め、質のよい建物に住みたいという需要をくみ取れたと思います。室内の広さを確保したい、地球環境意識の高まりなど、まさに時代の流れにあった建物が完成したと思っています」(依田さん)

エントランスホールには木をふんだんにあしらった和モダンな雰囲気に(写真撮影/片山貴博)

エントランスホールには木をふんだんにあしらった和モダンな雰囲気に(写真撮影/片山貴博)

廊下は建物に内包された「内廊下方式」に。高級感があっていいですよね(写真撮影/片山貴博)

廊下は建物に内包された「内廊下方式」に。高級感があっていいですよね(写真撮影/片山貴博)

部屋番号も木製。こういう遊び心のある造りも心躍ります(写真撮影/片山貴博)

部屋番号も木製。こういう遊び心のある造りも心躍ります(写真撮影/片山貴博)

1階のモデルルーム。木造マンションへの関心は高く、デベロッパー、不動産会社、金融機関など見学希望が絶えないそう(写真撮影/片山貴博)

1階のモデルルーム。木造マンションへの関心は高く、デベロッパー、不動産会社、金融機関など見学希望が絶えないそう(写真撮影/片山貴博)

5階のモデルルーム。最上階ですが表面に木材を使って仕上げています(写真撮影/片山貴博)

5階のモデルルーム。最上階ですが表面に木材を使って仕上げています(写真撮影/片山貴博)

テレワークを想定した部屋。コロナ禍のテレワーク需要に応える結果に(写真撮影/片山貴博)

テレワークを想定した部屋。コロナ禍のテレワーク需要に応える結果に(写真撮影/片山貴博)

RC造(写真左)には柱や梁(はり)のでっぱりがありますが、木造(写真右)は壁面工法のため梁のでっぱりがなく、部屋がより広く、のびやかな空間になるのがおわかりいただけますでしょうか(写真撮影/片山貴博)

RC造(写真左)には柱や梁(はり)のでっぱりがありますが、木造(写真右)は壁面工法のため梁のでっぱりがなく、部屋がより広く、のびやかな空間になるのがおわかりいただけますでしょうか(写真撮影/片山貴博)

写真を見ていただくとわかると思いますが、エントランスや内廊下、キッチン、リビングなど、随所に木が使われていて、一般的な賃貸物件のデザイン・仕様とは一味違います。

建物をつくる、住む、解体する。すべてのステップで環境負荷を軽減

木造建築の強みとして(1)快適で住み心地がよい、(2)断熱性にすぐれる、(3)軽量で施工性にすぐれるが挙げられますが、それだけではありません。

「『木』で建物をつくるということは、S(鉄骨)造、RC(鉄筋コンクリート)造、SRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造と違い、二酸化炭素を大気中に戻さないわけですから、この建物で炭素を数十年間貯蔵しているわけです。この建物だと約736.4トン、貯蔵している計算になり、これは樹齢35年の杉の木に換算すると約3,000本に相当します。また、建築にかかる二酸化炭素排出量はRC造の半分程度で、将来、解体するときも二酸化炭素の排出量が抑えられるでしょうし、解体後も木材なら再利用も可能です」と依田さん。

コンクリートは二酸化炭素を吸収してくれませんが、木は二酸化炭素を吸収して大きくなります。木材を使っている住まいだとそれだけで「二酸化炭素を貯蔵している」というのは、新しい発見です。また、冒頭に挙げたとおり、(2)木材は断熱性にすぐれているという特性を活かし、省エネルギー集合住宅の証である「ZEH-M oriented(ゼッチ・エム・オリエンテッド)」の認証を取得。住んでいる人から見ると、真夏の冷房、真冬の暖房使用量が少なくて済み、より省エネルギーになるというわけです。よく、“つくる責任、使う責任”といわれますが、トータルで見ても環境性能にすぐれる木造建築は、非常に時代に合った建物といえそうです。

中層建築・大型建築を可能にした高強度耐力壁「MOCX wall」(写真撮影/片山貴博)

中層建築・大型建築を可能にした高強度耐力壁「MOCX wall」(写真撮影/片山貴博)

モデルルームでは生活音を再現し、音の伝わり方を体験できて、遮音性の高さに驚くはず(写真撮影/片山貴博)

モデルルームでは生活音を再現し、音の伝わり方を体験できて、遮音性の高さに驚くはず(写真撮影/片山貴博)

木材に加えて、構造的にも高気密・高断熱とすることで、住宅性能評価の「断熱等性能等級4」「一次エネルギー消費量等級5」を取得(写真撮影/片山貴博)

木材に加えて、構造的にも高気密・高断熱とすることで、住宅性能評価の「断熱等性能等級4」「一次エネルギー消費量等級5」を取得(写真撮影/片山貴博)

課題は部資材や人材確保。「木造マンション」を当たり前の時代に

実は木造マンション、環境負荷が低いだけでなく、工期を短縮できることから、RC造と比較して「建築費が安く、工期も早い」という利点もあったそうですが、昨今のウッドショックの影響と世界情勢による建築費の高騰から「安くて早い」とは断言しにくくなったとのこと。

「住宅建材全般の急激な値上がりが激しいのと、工事を実施する土地の周辺事情により建築費と工期は違ってきます」と依田さん。

もう一つ、今まで木造住宅の普及のネックになってきたのがとポータルサイトでの「ジャンル」です。

「一般的にはアパートよりマンションの方が価値が高いと認識されています。しかし、今まで弊社でどんなによい木造賃貸住宅をつくっても、SUUMOほか、ポータルサイトでは規約によりマンションで募集登録できませんでしたし、同業他社からは『木造アパートはマンションでないため経年すると価値が下がり入居者募集に苦労しますよ』と言われてきました。どんなにいい木造建築をつくっても評価されないのだと、悔しい思いをしてきたんです。今回、一定の要件のもと、木造住宅でも『マンション』として募集できるようになりました。さらに、プロ投資家に向けて、住宅性能評価書と投資判断に重要とされるエンジニアリングレポートを取得することで、木造でもRC(鉄筋コンクリート)造と同等の減価償却期間47年が可能となることを証明し、木造建物に投資する門戸を広げました」(依田さん)

今後の課題は、木材の確保、部資材の調達、施工監理などの人材育成だといいます。
「普及を考えたときの木材や、木造マンションに合った建材、部資材の確保は課題といえるでしょう。あわせて施工してくれる人材は必要不可欠なので、その点を解決していきたいですね。これは私の後輩の役割となると思いますが、RC造と同様に、木造マンションが当たり前の選択肢として世の中に広まっていったら、と願っています」(依田さん)

「同潤会アパート」や「霞が関ビルディング」のように、時代の転換点を象徴するような「建築物」がありますが、後世から振り返ってみたとき、「モクシオン稲城」もそのような存在になるのかもしれません。

●取材協力
モクシオン稲城

倉敷の木密地域が「防災大賞グランプリ」! 美観地区を防災とにぎわいの拠点に 岡山・あちてらす倉敷

全国にある木造住宅が密集する地域は、木密地域(もくみつちいき)と呼ばれ、火災の発生や、細い路地を緊急車両が通れないなどの防災上のリスクを抱えています。岡山県倉敷市では、長年、駅前の木密地域の再開発を構想し、2021年10月に複合施設「あちてらす倉敷」をグランドオープンしました。地域防災の強化とともに住環境を改善したプロジェクトは、強靭な国づくり、地域づくりの活動等を実施している企業・団体を評価・表彰する「ジャパン・レジリエンス・アワード(強靭化大賞)2022」で最高位の「グランプリ」を受賞。こちらの事例を通じて、木密地域における街づくりの課題と、どう乗り越えてにぎわいに結びつけたのかを取材しました。

木造住宅が密集する市街地は、火災や自然災害のリスクが高い

倉敷市では、倉敷駅に近い市中心部(阿知3丁目東地区)に老朽化した木造住宅が密集する地域があり、過去には火災が発生していました。さらに狭小敷地が多く、狭い道路や行き止まり道路が多いため、消防車による消防活動が難しいという防災面での課題がありました。

再開発前の阿知地区の木密地域。駅前に老朽化した住宅や店舗が立ち並んでいた(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発前の阿知地区の木密地域。駅前に老朽化した住宅や店舗が立ち並んでいた(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発前の商店街。シャッターを下ろしたままの店舗が多く、人通りが少なかった(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発前の商店街。シャッターを下ろしたままの店舗が多く、人通りが少なかった(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

2011年の東日本大震災で住宅密集地域が甚大な被害を受けたことから、翌年、国土交通省は「地震時等に著しく危険な密集市街地」を公表。当時、全国で約6000haにのぼり、そのうち東京都が約1683ha、大阪府が約2248haを占めていました。首都直下型地震が予想される東京都で、一層の木密地域解消を目標に「不燃化10年プロジェクト」がはじまったのもこの時期でした。

一方で、木密地域には、固有の文化やコミュニティが形成され、特色をもった地域の魅力がつくり出されている場合もあります。阿知地区の南側は、白壁土蔵のなまこ壁、軒を連ねる格子窓の町屋など日本の伝統的で美しい街並みが保全されている美観地区と接しています。再開発では、防災力を向上するだけでなく、倉敷の個性や魅力が伝わる街づくりを目指しました。

柳並木が連なる倉敷川沿い。国から重要伝統的建造物群保存地区に指定されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

柳並木が連なる倉敷川沿い。国から重要伝統的建造物群保存地区に指定されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

古い商店街を含む市街地が、ホテルと分譲マンション・商業・公共施設を有した複合施設「あちてらす倉敷」に生まれ変わった

JR岡山駅から在来線で約20分、JR新大阪駅からは新幹線と在来線で約1時間半の倉敷駅。南側には、昭和初期から続く一番街商店街がありましたが、近年は空き店舗が目立ち、建物の老朽化が進んでいました。倉敷市では、1994年ころから、木密地域の再開発を構想していましたが、建て替えが進みにくい状況でした。2007年4月から始まった「倉敷市阿知3丁目東地区第一種市街地再開発事業」に2016年1月から参画した旭化成不動産レジデンス開発営業本部齋藤淳さんに開発の経緯を伺いました。

再開発エリアは、倉敷中央通りと倉敷一番街商店街にはさまれた約1.7haで、駅からは徒歩5分。倉敷駅と美観地区の中間地点にある(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発エリアは、倉敷中央通りと倉敷一番街商店街にはさまれた約1.7haで、駅からは徒歩5分。倉敷駅と美観地区の中間地点にある(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

「再開発事業は、倉敷市の意向をふまえながら、事業コンサルタントで設計監理者のアール・アイ・エーと工事を請け負った特定業務代行者藤木工務店と共に官民一体で推進してきました。旭化成不動産レジデンス、株式会社NIPPOは、マンション事業者としてマンションの商品開発を担いました。過去に何度も火災があったと聞いていましたし、再開発途中に西日本豪雨による真備町の洪水がありました。火災、水害への備えはもちろんですが、美観地区の玄関口として、街全体の魅力を高める街づくりが必要だと考えていたんです。それらをふまえ、『あちてらす倉敷』の開発に着手しました」(齋藤さん)

再開発工事中の阿知3丁目地区。再開発事業では、施行地区内の木造建築物を解体し、建て替えや道路整備を行った(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発工事中の阿知3丁目地区。再開発事業では、施行地区内の木造建築物を解体し、建て替えや道路整備を行った(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

完成した「あちてらす倉敷」。中央通路をはさんで右側が分譲マンションや市営駐車場のある南棟、左側がホテルや店舗のある北棟(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

完成した「あちてらす倉敷」。中央通路をはさんで右側が分譲マンションや市営駐車場のある南棟、左側がホテルや店舗のある北棟(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

倉敷市に再開発の構想が浮上してから約27年、2021年10月10日、「あちてらす倉敷」がグランドオープンしました。白壁や木格子など倉敷美観地区の建築表現を取り入れた外観の施設には、「ホテル グラン・ココエ倉敷」が入る北棟、分譲マンション「アトラス倉敷ル・サンク」を中心に商業・医療施設、市営駐車場を含む南棟があります。

北棟外観。1~2階が店舗とホテルエントランスで、上階はホテルの宿泊施設(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

北棟外観。1~2階が店舗とホテルエントランスで、上階はホテルの宿泊施設(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

南棟外観。左にある住宅棟に隣接する2~4階が市営駐車場、さらに上階はマンション居住者専用駐車場になっている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

南棟外観。左にある住宅棟に隣接する2~4階が市営駐車場、さらに上階はマンション居住者専用駐車場になっている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

木造住宅の建て替えや雨水浸透桝で火災・水害に備え、施設内の市営駐車場を避難場所へ

「あちてらす倉敷」には、防災のための工夫が随所に設けられています。

「再開発前は、幅4mに満たない道路や路地が多く、倉敷駅南口周辺には避難場所がありませんでした。そこで、耐火性能の高い鉄筋コンクリート造へ建て替え、道路を拡幅するなど、防災性の強化を行っています」(齋藤さん)

そのほか、力を入れたのは、豪雨による水害対策です。洪水ハザードマップによると、このエリアは、洪水浸水想定区域で想定浸水深は約1.4mあり、雨水への対策が必要でした。

「公共空地などに浸透性ブロック舗装と雨水貯留ブロックを用い、全域に雨水浸透桝を設置。雨水浸透桝は、エリア内の民間企業の協力も得られ、開発街区全体で108カ所設置でき、街全体で雨水処理能力が大幅にアップしました。さらに、避難のため、南棟にある24時間利用可能な市営駐車場の台数を再開発前より増やし、緊急時、車ごと避難できるようにしました。南棟にある市民交流施設の『あちてらすぽっと』も、避難場所として使えます」(齋藤さん)

市営駐車場と「あちてらすぽっと」の2階の床は、想定浸水高さを上回る高さに設計(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

市営駐車場と「あちてらすぽっと」の2階の床は、想定浸水高さを上回る高さに設計(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

「あちてらすぽっと」。常時はワークスペースや休憩場として利用されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

「あちてらすぽっと」。常時はワークスペースや休憩場として利用されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

再開発エリア内の公共空地と民有地の一部をオープンスペースとして活用し、にぎわいを創出

再開発で改善されたのは、防災面だけではありません。中央通路や、芝生広場を公共空間として設けることで、さまざまなイベントが催されるようになりました。

「エリア内には、約500平米ものオープンスペースがあります。中央通路や駅前古城池霞橋線の沿道は、市所有の公共空地ですが、都市再生推進法人制度を導入することで、民間がイベントの企画や運営など、にぎわいのための取組みを実施できるようになりました。芝生広場は、半分が公共空地で、残りが民有地ですが、あわせて誰でも使えるオープンスペースとして開放されています」(齋藤さん)

南棟と北棟の間にある中央通路は、歩行者専用(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

南棟と北棟の間にある中央通路は、歩行者専用(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

オープンカフェなど、人と集う場として中央通路が活用されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

オープンカフェなど、人と集う場として中央通路が活用されている(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

周囲にデッキがある芝生広場(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

周囲にデッキがある芝生広場(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

北棟1階西側は店舗が並び、旧商店街のにぎわいを取り戻しつつある。道路をはさんだ向かい側の商店街も人通りが増えてきた(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

北棟1階西側は店舗が並び、旧商店街のにぎわいを取り戻しつつある。道路をはさんだ向かい側の商店街も人通りが増えてきた(画像提供/旭化成不動産レジデンス)

「倉敷駅近くに魅力のあるホテルや商業施設ができたので、美観地区や大原美術館をじっくり見ることができます。瀬戸内の美味しいものを食べたり、ホテルに泊まって、ゆっくり倉敷を堪能して欲しいです。今後は、街の滞在時間が増えていくと期待しています」(齋藤さん)

コロナ禍の影響で減少していた観光客はゴールデンウィーク明けに復調の兆しがあり、外国人観光客も多かった美観地区の客足はこれから戻ると予想されています。安全と暮らしやすさを両立しながら、街の個性を生かす取り組みは、全国にある木密地区の街づくりのヒントになると感じました。

●取材協力
・旭化成不動産レジデンス

空き家リノベを家主の負担0円で! 不動産クラウドファンディングが話題 鎌倉市・エンジョイワークス

人口が減り始めた日本では、売ったり、貸したりといった活用がなかなか進まない「負動産」と揶揄される空き家が増えています。一方で、所有者の経済的な負担を減らしつつ、住まいとして現代の暮らしに合うよう、再生する試みがはじまっています。どんな仕組みなのでしょうか。仕掛け人の株式会社エンジョイワークスが始めた「0円! RENOVATION 」の取り組みを、実際のプロジェクト「鎌倉雪ノ下シェアハウス」とともにご紹介しましょう。

鎌倉駅から徒歩12分。空き家が海を見下ろすシェアハウスに

2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台でもあり、日本を代表する古都・鎌倉。戦前から避暑地として栄え、今なお「住みたい街」として根強い人気があります。そんな鎌倉駅から徒歩12分、細道を抜けた緑豊かな小高い丘に、今年、一軒家を改装したシェアハウスが誕生しました。

地名は「雪ノ下」ですが、源実朝が鶯の初音を聞いたことから、古くは「うぐいすがやつ」と呼ばれていたそう。地元の人は「うぐいす村」と呼んでいます(写真撮影/桑田瑞穂)

地名は「雪ノ下」ですが、源実朝が鶯の初音を聞いたことから、古くは「うぐいすがやつ」と呼ばれていたそう。地元の人は「うぐいす村」と呼んでいます(写真撮影/桑田瑞穂)

鎌倉駅から徒歩圏内でこの風景。緑のトンネルを抜けると……(写真撮影/桑田瑞穂)

鎌倉駅から徒歩圏内でこの風景。緑のトンネルを抜けると……(写真撮影/桑田瑞穂)

建物からの眺め。緑は濃く、鳥のさえずりが耳に愛らしい(写真撮影/桑田瑞穂)

建物からの眺め。緑は濃く、鳥のさえずりが耳に愛らしい(写真撮影/桑田瑞穂)

もともとこの一軒家は1960年に、個人の邸宅として建てられたものです。ここ15年ほど空き家になっていましたが、2年程前にこの建物に一目惚れした現オーナーが購入し、別荘として活用する計画だったそう。とはいえ、空き家だったため、建物の痛みが激しく、個人でDIYをして利用するのは難しいと断念、取り壊すには惜しいことから旧村上邸などの「鎌倉市内はじめ湘南エリアでの空き家再生」に実績のあった「エンジョイワークス」に物件を委託されたそう。

物件活用の方法として、ドミトリーなども考えられましたが、個室がしっかりとれること、昔から住んでいる地域の住民との関係、鎌倉らしい暮らしができる立地など、もろもろを考慮して、「シェアハウス」として活用するアイデアが出たそう。

シェアハウスとなる個室は全5部屋、家賃は部屋ごとに異なるものの、平均で7万5000円(Wi-Fi使用料、共益費込み)。庭には桜や紅葉が植えられていて、2階の一部の部屋からは海が見え、隣接した鶴岡八幡宮から早朝に祝詞(のりと)も聞こえるなど、まさに「鎌倉らしい暮らし」を満喫できる物件です。

鎌倉・雪ノ下にできた女性専用シェアハウス。今の建物にない味わい、ひと目見て夢中になります(写真撮影/桑田瑞穂)

鎌倉・雪ノ下にできた女性専用シェアハウス。今の建物にない味わい、ひと目見て夢中になります(写真撮影/桑田瑞穂)

「鎌倉雪ノ下シェアハウス」の間取りイラスト。左側は1階部分+庭、右側は2階部分(画像提供/エンジョイワークス)※応募時のイメージ。現状とは間取りが異なっている部分あり

「鎌倉雪ノ下シェアハウス」の間取りイラスト。左側は1階部分+庭、右側は2階部分(画像提供/エンジョイワークス)※応募時のイメージ。現状とは間取りが異なっている部分あり

エントランスからして、もうかわいい(写真撮影/桑田瑞穂)

エントランスからして、もうかわいい(写真撮影/桑田瑞穂)

玄関(写真撮影/桑田瑞穂)

玄関(写真撮影/桑田瑞穂)

建物には、部屋にマントルピース(装飾暖炉)があったり、化粧梁があったりと、かつての所有者の思い入れを感じる、凝った造りです。今回、1100万円ほどの費用をかけてリノベーションし、現在の暮らしに合うように、手すりをつける、壁を塗り直す、キッチン・設備などを交換する、傷んでいる部分を直すといった工事をしていますが、照明やバス・洗面所などはあえてそのままとし、物件が持つレトロな味わいを極力、残すようにしたといいます。

浴室はタイル貼りのまま。改修も考えたものの「このままのほうがいい」との意見で残したそう(写真撮影/桑田瑞穂)

浴室はタイル貼りのまま。改修も考えたものの「このままのほうがいい」との意見で残したそう(写真撮影/桑田瑞穂)

浴室に隣接した洗面所。籐のかごが建物の雰囲気とよくあっています(写真撮影/桑田瑞穂)

浴室に隣接した洗面所。籐のかごが建物の雰囲気とよくあっています(写真撮影/桑田瑞穂)

1階の個室。写真右側にあるマントルピース(装飾された暖炉)も照明も、従来からあったもの(写真撮影/桑田瑞穂)

1階の個室。写真右側にあるマントルピース(装飾された暖炉)も照明も、従来からあったもの(写真撮影/桑田瑞穂)

(写真撮影/桑田瑞穂)

(写真撮影/桑田瑞穂)

「大きな庭もありますので、ハーブや野菜などを育てることもできます。ゆっくり、ていねいな暮らしをしたいと考える女性に住んでもらえたらいいなと思っています」と話すのは、物件の企画・運営に携わる株式会社エンジョイワークスの事業企画部の羽生朋代さん。

物件所有者も投資家も、入居者も。みんながうれしい仕組みとは?

驚くのは今回の物件改修に際し、物件所有者の負担は「ゼロ円」だという点です。では、どのような仕組みになっているのでしょうか。

まず、物件所有者はエンジョイワークスと定期賃貸借契約を結びます。このときの賃料は、1年間の固定資産税程度の金額です。次にエンジョイワークスがプロジェクトに興味のある人に物件を紹介し、活用のための資金とアイデアを募ります。エンジョイワークスは不動産特定共同事業の匿名組合営業者としてファンドを組成し、ファンドに出資する投資家を募ります。

図版提供:エンジョイワークス

図版提供:エンジョイワークス

今回の「鎌倉雪ノ下シェアハウス」の場合、リノベーション費用にかかる総額を約1100万円と想定、1口5万円からの投資を募ったところ、約30名の投資家が「参加したい」と申し出があったそう。

ファンド募集期間中は、エンジョイワークスがイベントや意見交換会を4回ほど実施し、プロジェクトの認知を高め、共感を集め、投資家を募り、集まったファンド資金でリノベーション工事を進めます。今後は、エンジョイワークスが一定期間シェアハウスとして運営し、投資家へ利益を還元したところで、オーナーに返却するという仕組みになっています。

鎌倉は住みたい街として人気はあっても、「そもそも賃貸募集物件が少ない」「鎌倉らしい物件が少ない」という弱点を抱えているそう。今回のシェアハウスは、そうした「鎌倉らしい物件を提供する」という意味でも、入居者にもメリットがある、まさに「いいことづくめ」のプロジェクトといえるのです。

ここで、入居者を含めた4者のメリットを整理してみましょう。

入居者を含めた4者のメリット

2階の居室から見える緑。壁色にグレイッシュカラーを採用し、よりモダンな雰囲気に(写真撮影/桑田瑞穂)

2階の居室から見える緑。壁色にグレイッシュカラーを採用し、よりモダンな雰囲気に(写真撮影/桑田瑞穂)

エンジョイワークスの羽生朋代さん(写真撮影/桑田瑞穂)

エンジョイワークスの羽生朋代さん(写真撮影/桑田瑞穂)

一般に建物所有者が古民家を改修して、現代の暮らしにあうようリノベーションしようとしても金融機関からの融資が受けられない(個人・法人問わず、土地の評価額以上の借り入れが難しい)ため、税金ばかりかかって個人では維持しきれないというのが、古民家再生の大きな課題になっています。

この「0円! RENOVATION 」は、そうした所有者の負担を極力減らし、個人や企業などで事業を応援したい人からの投資という形で資金をまかない、再生するというのが大きなポイントといえそうです。また、日本には家を持っていても、「再生しようにもお金も知識もない」「誰かわからない人には貸したくない」「手放したくない」という人は多いもの。建物の良さを再発見、価値化できるのであれば、「うちもお願いしたい」という人も増えてくることでしょう。

投資家は利益よりも、「つながり」「地域活性化」「空き家再生」「社会課題の解決」に興味大

では、投資家にはどのような人が多いのでしょうか。一般的な不動産投資よりも、「プロジェクトが小さいこと」「アイデア」が出せる点が魅力に思えますが、どのような点に惹かれて、投資を決めるのでしょうか。

「利益というよりも、シェアハウスの運営を学んでみたい、地域の活性化に興味があるといった人が多いように思えます。また建物が好き、プロジェクトに参加してみたい、DIYを手伝いたいといった人もいらっしゃいましたね」と話を聞いていると、単に利益を求めて出資するというよりも、「つながり」「建物再生に携わりたい」「地域をよくしたい」という思いが背景にあるようです。

イベント時の様子(写真提供/エンジョイワークス)

イベント時の様子(写真提供/エンジョイワークス)

また、今回の物件は、かなり山深い場所に建っています。そのため、当初は庭全面に野草が生えている状態だったそう。そこで、草刈りイベントを実施したところ、投資家を含め協力的な参加者が多く1時間程度であっという間に庭がきれいになったそう。その後に実施したイベントも盛況で、単に投資しておしまいではなく、「社会への投資をしたい」「携わっていきたい」という関心の高さが伺えます。

「やはり、空き家や地域再生に関心が高いんだなと思いました。みなさん、あの建物がどのように再生していくのか、ワクワクしていらっしゃるようです。一方で私は運営の当事者でもあるので、早く入居者に入っていただき、利益を還元していかないといけないという、責任を感じています」

こうしていくと、物件を通して、オーナーさんと投資家のみなさんが、「建物の再生の物語」を共有しているように思えます。

共有スペースのリビングダイニングで。壁を壊して柱を見せている(写真撮影/桑田瑞穂)

共有スペースのリビングダイニングで。壁を壊して柱を見せている(写真撮影/桑田瑞穂)

キッチン上部には、昭和レトロなガラスを残したそう。いいですよね、昭和のガラス……(写真撮影/桑田瑞穂)

キッチン上部には、昭和レトロなガラスを残したそう。いいですよね、昭和のガラス……(写真撮影/桑田瑞穂)

庭の家庭菜園で採れたサンチュ(写真撮影/桑田瑞穂)

庭の家庭菜園で採れたサンチュ(写真撮影/桑田瑞穂)

「鎌倉に限らずですが、日本全国、不動産を持て余しているオーナーさんはたくさんいらっしゃいますし、よい物件がないという入居希望者もたくさんいらっしゃいます。『自分がいいと思うものに投資したい』『社会をよくするためにお金を使いたい』という投資家もたくさんいらっしゃる。こうした思いを結びつけて、地域の資産である建物や住まいを守っていけたら」と羽生さん。

現代の法律と金融の仕組みでは、どんなに思い入れのある建物でも、残し、住み繋いでいくことは、かんたんなことではありません。その一方で、「空き家のまま終わらせたくない」「建物を残したい」「物件を地域に開いて、暮らしを豊かにしたい」という志を持った人は確実に増えています。家を「負動産」ではなく、価値ある「不動産」にするカギは、不動産とお金、そして人と人を結びつける仕組みにありそうです。

●取材協力
エンジョイワークス
0円! RENOVATION

タイニーハウス暮らしを体験できる村が八ヶ岳に誕生。小屋ブームを広めた竹内友一さんに聞く「HOME MADE VILLAGE」の可能性

消費や時間に捉われることなくシンプルに暮らす選択のひとつとして提示されている「タイニーハウス(小さな小屋)」。現在の日本では、所有者がそれぞれの場所で使用するにとどまっているが、コミュニティも含めた暮らし体験を目的としたタイニーハウス専用の村「HOMEMADE VILLAGE(ホームメイド ビレッジ)」が八ヶ岳(山梨県北杜市)の麓に誕生した。手掛けたのは、日本におけるタイニーハウス文化の先駆者である竹内友一さん。どんな場所なのか、話を聞いた。

小さい家でエネルギー削減。必要なモノを外にも求めることで暮らしがシンプルになる(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

タイニーハウスが広まったのは、2008年の欧米でのリーマンショックを経験して“所有することが豊かである”という価値観に疑問を持つ人が増え、暮らしを見直す動きが起きたことから。やがて日本にも伝わり、最低限の持ち物でシンプルに暮らすミニマリストが話題に。その後、東日本大震災をきっかけに2012年ころからタイニーハウスも注目されるようになった。

このタイニーハウス(小さな家)の日本における伝道師とも言える存在が、株式会社ツリーヘッズを主催する竹内友一さんだ。

竹内友一さん。アメリカ西海岸のタイニーハウス居住者にインタビューしたロードムービーを制作、上映するなど日本のタイニーハウスの先駆者的存在(写真撮影/嶋崎征弘)

竹内友一さん。アメリカ西海岸のタイニーハウス居住者にインタビューしたロードムービーを制作、上映するなど日本のタイニーハウスの先駆者的存在(写真撮影/嶋崎征弘)

木の上の小屋「ツリーハウス」を手がけていた竹内さんが初めてタイニーハウスに触れたのはWEB情報だった。重い心臓病を経て本当にやりたい暮らしを求めた女性がタイニーハウスを選択したというエピソードを目にし、その生き方に強く共鳴したという。すぐさま渡米して話を聞き、2014年には彼女を日本に招いてワークショップを開催。すっかりファンになり、タイニーハウスで暮らすアメリカ西海岸の人々にインタビュー、自主映画制作につながった。それ以来、日本各地での上映会やワークショップでタイニーハウスの普及を行ってきた。

SDGsの広がりも後押しとなり、竹内さんは個人や企業の求めに応じて21棟のタイニーハウスを作成(2022年7月現在)。農場でのダイレクトな自然体験を家族や友人と楽しめる、音楽プロデューサー・小林武史さんプロデュースの「木更津クルックフィールズ」の宿泊用タイニーハウスも、竹内さんの作品だ。

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

HOMEMADE VILLAGE敷地内に置いてある3棟のタイニーハウスは、すべて竹内さんが手掛けたもの(写真撮影/嶋崎征弘)

HOMEMADE VILLAGE敷地内に置いてある3棟のタイニーハウスは、すべて竹内さんが手掛けたもの(写真撮影/嶋崎征弘)

「小さな家」という概念のもと、タイニーハウスにはさまざまなタイプがある。小屋タイプ、トレーラーで牽引するタイプ、キャンピングカーやバンなども含まれ、最近では、日本でも無印良品やスノーピークなどさまざまな企業が特色を打ち出して提供している。

竹内さんが主に提供しているのは、オーダーメイドで依頼者の理想に寄り添いつつクリーンエネルギーの活用・循環を図る移動型。「アメリカ西海岸で取材したタイニーハウスは、どれも個性的でした。キッチンやシャワーを共同利用できるコモンハウスを中心にしたタイニーハウス用スペースも各地にあって、移動も自由。ゆるやかなコミュニティで繋がるシンプルな暮らしがとても魅力的でした」(竹内さん)


simplife – a tiny house film from simplife on Vimeo.電灯やミニ冷蔵庫、クーラーなどの電気はソーラーパネルでまかなう。屋根に載せると躯体に負担がかかり、駐車場所によっては太陽光を集められないため、日のあたる地面に置くのが最良。移動するときはハウス外付けの収納スペースに収納(写真撮影/嶋崎征弘)

電灯やミニ冷蔵庫、クーラーなどの電気はソーラーパネルでまかなう。屋根に載せると躯体に負担がかかり、駐車場所によっては太陽光を集められないため、日のあたる地面に置くのが最良。移動するときはハウス外付けの収納スペースに収納(写真撮影/嶋崎征弘)

荒地を自ら整えて、タイニーハウス用工場と土地を八ヶ岳に

2018年、竹内さんは念願だったタイニーハウス用の工場と土地を八ヶ岳の麓、山梨県北杜市に得た。
「知人から紹介してもらって所有者から譲り受けることができました。もともと植物エキス抽出工場だった建物は崩壊寸前、空き地には木や雑草が繁ったまま。現況取引を条件に、安く買うことができました」と竹内さん。

工場機械などの廃棄や建物リノベーション、土地の整備を自分たちで行うのは予想以上の大変さだった。「土地はタダ同然でしたが、整備や修復にはかなりお金がかかりました」(竹内さん)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

古い工場を改装したタイニーハウス工場。設計士や職人はプロジェクトごとに仲間に声をかけるのだそう (写真撮影/嶋崎征弘)

古い工場を改装したタイニーハウス工場。設計士や職人はプロジェクトごとに仲間に声をかけるのだそう(写真撮影/嶋崎征弘)

ワークショップ開催で課題が見えてきた

4年ほど地道な整備を続けて、現物のタイニーハウスを見て学んでもらうワークショップを開催できるようになったのが2019年。

「この場所を『HOMEMADE VILLAGE』と名付けて、タイニーハウスの住民たちが集い手づくりの生活を営む、お手本の場所になることを目指しました」(竹内さん)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

「ワークショップは好評で、毎回20人くらいが集まってくれました。小さくても暮らすことができそう、小さいからこそインテリアにもこだわれるしエネルギー消費も減らせる、と気に入ってくれる人が多かったです」(竹内さん)

初回参加者からはタイニーハウスをオーダーする人も現れたが、「課題も見えてきました。見るだけではなかなか小さな暮らしに一歩踏み出しにくい。そして、他人とのコミュニティに飛び込むという不安の解消も難しかった」(竹内さん)

そしてコロナ禍。ワークショップの試みは中断せざるを得なかった。

変化に合わせて暮らし方をもっと自由に。タイニーハウスビレッジの広がりを期待

一方で、八ヶ岳エリアには都市部からの移住者や2拠点居住者が増加。空き物件が一気になくなり、タイニーハウスへの問い合わせも増えて、その役割も強く感じるようになったのだそう。
「インテリアなどのこだわりを諦めず、そのときどきの自分に合う住居として、タイニーハウスは最良の提案のひとつだと再認識しました」(竹内さん)

「宿泊して暮らしを体験できるようにここをアップデートする」と決意を固めた竹内さん。「外に求められるものは外に求めて小さく暮らす」タイニーハウスの原点を実現するべく、今はモデルハウスとして展示しているタイニーハウスを宿泊用に、事務所で使っている建物はコモンスペースにするため、資金や賛同者を募るクラウドファンディングに挑戦することにしたのだ。

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

廃材を利用してオールドアメリカンテイストに仕上げたタイニーハウス室内。ロフトに布団を引いて快適に眠ることができる(写真撮影/嶋崎征弘)

廃材を利用してオールドアメリカンテイストに仕上げたタイニーハウス室内。ロフトに布団を引いて快適に眠ることができる(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

都内在住の女性が暮らしていたタイニーハウス(写真撮影/嶋崎征弘)

都内在住の女性が暮らしていたタイニーハウス(写真撮影/嶋崎征弘)

家具類は病院の建て替えで不要になったもの。近所の温浴施設を利用できたためシャワーをなくし、その分居住スペースを広くしている。5年ほど住んだ後、今は別住宅に居住。「暮らしの変化に合わせやすいのもタイニーハウスの魅力」と、竹内さん(写真撮影/嶋崎征弘)

家具類は病院の建て替えで不要になったもの。近所の温浴施設を利用できたためシャワーをなくし、その分居住スペースを広くしている。5年ほど住んだ後、今は別住宅に居住。「暮らしの変化に合わせやすいのもタイニーハウスの魅力」と、竹内さん(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

微生物の力で排泄物を分解して堆肥にするコンポストトイレ。災害時にも利用できることから普及が進んでいるという(写真撮影/嶋崎征弘)

微生物の力で排泄物を分解して堆肥にするコンポストトイレ。災害時にも利用できることから普及が進んでいるという(写真撮影/嶋崎征弘)

こちらは八ヶ岳でのワーケーションを想定したモデルハウス(写真撮影/嶋崎征弘)

こちらは八ヶ岳でのワーケーションを想定したモデルハウス(写真撮影/嶋崎征弘)

高性能の断熱材や木製サッシを使うなど省エネを追求。明るく温かみがある空間だ(写真撮影/嶋崎征弘)

高性能の断熱材や木製サッシを使うなど省エネを追求。明るく温かみがある空間だ(写真撮影/嶋崎征弘)

「数日間滞在してもらうことで本当に自分に必要なものがわかってくるはずです。共用のスペースの利用についても、いろいろなアイディアが湧くのではないでしょうか」(竹内さん)

「HOMEMADE VILLAGE」は、あくまで宿泊体験やモデルハウス展示としての場所だ。
「ここでの宿泊体験や勉強会で出会った人たちが仲間になって土地探しを始めたり、事業として考える企業が出てきたり、さまざまなことを期待する場所です。移動可能なタイニーハウスならではの自由な発想で、新たなタイニーハウスビレッジが各地にできることが理想です」(竹内さん)

事務所として利用している建物にはキッチン、シャワー、トイレも完備されている。クラウドファンディングで集まった資金で事務所機能を移転し、ここは宿泊体験者のコモンハウスにする予定(写真撮影/嶋崎征弘)

事務所として利用している建物にはキッチン、シャワー、トイレも完備されている。クラウドファンディングで集まった資金で事務所機能を移転し、ここは宿泊体験者のコモンハウスにする予定(写真撮影/嶋崎征弘)

荒地を開墾して無農薬野菜を栽培。ワークショップでは収穫体験も(写真撮影/嶋崎征弘)

荒地を開墾して無農薬野菜を栽培。ワークショップでは収穫体験も(写真撮影/嶋崎征弘)

場内で刈った草や生ゴミなどを堆肥化。臭いは全くない。畑があってこそ堆肥が活きる(写真撮影/嶋崎征弘)

場内で刈った草や生ゴミなどを堆肥化。臭いは全くない。畑があってこそ堆肥が活きる(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

竹内さんが手がけるタイニーハウスの本体価格は500万円くらいから。一般住宅に比べると安価ではあるが、すぐに決断できる金額でもない。
しかし、タイニーハウスの需要が高まれば基本部分の量産ができ、価格改定に繋がる。「規格化したタイニーハウスの販売を予定しています。家を手づくりしたい人が多いのもワークショップでわかっているので、内装のDIYができる場所としての活用も考えています。宿泊体験中に技術を学べば手づくりパーツできる部分が増える。コスト削減になりますね」(竹内さん)

外寸法で4.5m×2.5m。自動車としての登録が可能なため固定資産税は不要(写真撮影/嶋崎征弘)

外寸法で4.5m×2.5m。自動車としての登録が可能なため固定資産税は不要(写真撮影/嶋崎征弘)

「僕も自分の子どもたちが自立したら妻と自分のタイニーハウスを持って住みたいなと思っています。何度も家族に提案しているのですが、『4人は無理!』と今は反対されていて」と笑う竹内さん。

家族構成は変化していく。自分を取り巻く環境も日々変わるなか、そのときどきで最適な暮らしを選べた方がいい。
「仲良くなった友人と離れても、また別の場所に家ごと移動してコミュニティの輪を広げていける、そんなタイニーハウスビレッジを増やしていきたい」
竹内さんの夢も広がっていく。

●取材協力
・株式会社ツリーヘッズ 
・HOMEMADE
・simplife

節電するという人9割超!住宅に自然の力を取り入れ省エネできる「パッシブデザイン」への関心も過半数超える

LIXIL住宅研究所では、異例の早さの梅雨明けとなった6月末に、全国の一戸建て居住者を対象に「今夏の家庭での節電」などについて調査を実施した。その報告書を見ると、節電に取り組むのは、電気料金の高騰が大きな理由となっているが、節電を社会的な課題を解決するために必要なことと見ていることもうかがえる。“パッシブデザイン”への関心度も調査しているので、結果を詳しく見ていこう。

【今週の住活トピック】
「今夏の家庭での節電に関する調査結果報告書」を公表/LIXIL住宅研究所

電気代や電力不足は気になるが、節電はそれだけの理由ではない?

猛暑が続くと、エアコンなどの冷房を使わざるを得ない。となると、電気料金の高騰も気になるところだ。LIXIL住宅研究所の調査結果によると、「今年の夏、電気料金の高騰は、自宅の家計費に影響があると思うか」という問いに、あるという回答が84.7%(深刻な影響がある:34.0%+若干影響がある:50.7%)だった。

次に、「今年の夏、自宅での節電に取り組もうと思うか」を聞くと、93.4%(徹底的に:11.9%+できるだけ:54.8%+最低限は:26.7%)が取り組もうと思うと回答した。では、取り組もうと思った人たちが、節電に取り組む理由は何だろう? その理由は次の通りだ。

出典:LIXIL住宅研究所「今夏の家庭での節電に関する調査結果報告書」

出典:LIXIL住宅研究所「今夏の家庭での節電に関する調査結果報告書」

電気代の負担減や電力不足への懸念などが理由として挙がる一方で、「節電に協力すべき」「無駄なことはしたくない」「脱炭素社会の実現のため」など、家計や生活へ支障があるからとということだけではなく、社会のために必要なこととして節電に取り組む前向きな姿も浮かび上がってくる。

エアコンの効率的利用のほかに、日差しや風を意識した節電対策も

では、自宅で節電に取り組もうと思っている人たちは、どんな節電対策を考えているのだろうか?

「扇風機を使用する(買う・増やす)」(55.1%)や、「冷房の設定温度を高めに設定する」(49.8%)、「家族が集うリビングなどを集中的にエアコンで冷やす」(30.3%)、「省エネタイプの家電(エアコンや照明器具など)に買い替える」(18.3%)といった対策が、上位に入っている。これらの対策は、一般的によく言わることだが、筆者は別の項目に注目してみた。

出典:LIXIL住宅研究所「今夏の家庭での節電に関する調査結果報告書」

出典:LIXIL住宅研究所「今夏の家庭での節電に関する調査結果報告書」

「日差しが直接部屋に差し込まないように、すだれやよしずを置く」(34.6%)
「窓際やベランダなどに水盆をおいたり打ち水して、温度が下がった風が入ってこさせる」(13.6%)
「植物による緑のカーテンを育てて日差しを和らげる」(12.0%)

これらに共通するのは、夏の暑い日差しを遮ったり、涼しい風を室内に通したりと、自然のエネルギーを上手にコントロールして、節電しようとする取り組みだ。

さて、今回の調査結果で興味深いのは、「省エネ性に優れたパッシブデザインの住宅(一戸建て住宅)について興味があるか」と聞いている点だ。どうやら興味があるという人が多いようだ。
「既にパッシブデザインの住宅に住んでいる」(4.7%)
「パッシブデザインの住宅にとても興味がある」(13.6%)
「どちらかというと興味がある」(40.7%)

「パッシブデザインの住宅」ってどんな住宅?

では、そもそも「パッシブデザイン」とは何だろう?

パッシブ(passive)とは英語で「受動的」という意味で、反対は「積極的、能動的」のアクティブ(active)となる。「アクティブデザイン」を先に説明すると、太陽光発電や冷暖房機器などの最新の設備を効率的に組み合わせることで、快適な居住空間を確保することを目指す設計手法のことだ。

これに対して、「パッシブデザイン」は自然エネルギーを有効に利用して、快適な居住空間を確保することを目指す設計手法だ。いずれの場合も、住宅の断熱性や気密性を高くして、夏の暑さや冬の寒さの影響を受けにくくするという点は共通する考え方だ。

パッシブデザインを具体的に見ていこう。夏涼しくするには、熱を遮り、室内に風を通すことが重要になる。かたや冬暖かくするには、冷気を遮断したうえで、熱を取り込んで蓄えることが重要になる。そのためには、主に次のような設計上の工夫が求められる。

○日差しを遮蔽する
夏の日差しは室内の温度を上げてしまうので、深い軒をつくって遮ったり、夏は葉を茂らせ冬は葉を落とす落葉樹を窓のそばに植えたりすることが有効になる。

○日差しを採り入れる
夏は太陽の位置が高いので深い軒が日差しを遮ってくれるが、冬は太陽の位置が低いので室内に日差しが届き、熱や光を室内に採り入れることができる。熱を壁や床にためることで蓄熱され、暖かさを保つこともできる。

軒

※軒とは:屋根の下部の突き出している部分のこと。屋根の延長上にある軒によって、雨や強い日差しから建物を守ることができる。(写真/PIXTA)

○風を取り込む
窓から風を取り込むことは、換気のためだけでなく、室内の熱を外に出す効果もある。暖かい空気は天井近くに上昇し、涼しい空気は床近くに留まるという特性があるので、高窓などから暖かい空気を外に出し、住宅の下の方にある窓から空気を取り込んで、住宅内に風の流れをつくることができる。

このほかにも、いろいろな設計上の工夫があるが、自然エネルギーを利用するには、日照時間や日差しの入る角度、窓の向きや大きさ・配置、その地域の風の通り道や時間帯の風の変化など、さまざまな設計上の計算が必要となる。
 
さて、もともと日本の住宅は、深い軒や庇(ひさし)、多くの窓、吹き抜けなどを上手に使って、夏涼しい家になるよう工夫していた。パッシブデザインは、以前から研究されてきたものなのだが、最近は、オフィスの設計手法として注目されている、「バイオフィリックデザイン」というものも登場している。

バイオフィリックデザインとは、植物や木材、自然光や自然音など、自然を感じさせる要素を採り入れることによって、そこで働く人の幸福度や生産性などを高めようとするものだ。日本でも、いくつかの企業が取り組んでいるほか、実証実験を行っている自治体もあり、職員のオフィスに対する満足度や主観的な作業効率の向上などを調べているという。

四季のある日本では、気候の変化に対応しなければならないのだが、自然の変化を身近に感じることもできる。自然と上手に付き合ってきた我々なので、節電についてもできる範囲で、自然エネルギーを活用したいものだ。

●関連サイト
LIXIL住宅研究所「今夏の家庭での節電に関する調査結果報告書」

建築家・谷尻誠のサウナ道。「日々ととのい立ち止まる暮らしを全国に。一家に1サウナ時代がきたら素晴らしい」

サウナブームと呼ばれて久しいが、なかには自宅にサウナをつくってしまう上級者もいるようだ。建築家・谷尻誠さんもその1人。3年前にサウナに目覚めたという谷尻さんは自宅をはじめ、建築家としてサウナ付きのホテルやテントサウナなども手がけてきた。そして、現在は広島のオフィスにもサウナを作る計画があるという。

今回は「SUUMO」×「じゃらん」のコラボ企画として、そんなサウナをSUUMOでは「おうちサウナ」、じゃらんでは「旅サウナ」、それぞれの視点から楽しみ方を紐解いてみたい。そこで、谷尻さんに、日常でどのようにサウナを楽しんでいるかや、自宅のサウナの話、職場でのサウナの話などについて聞いてみた。

サウナはコミュニケーションの場でもある

――谷尻さんがサウナにハマったきっかけを教えてください。

谷尻誠さん(以下、谷尻):サウナに目覚めたのは3年ほど前です。“ととのえ親方”こと、プロサウナーの松尾大さん指導の下、アウトドアサウナを体験したのがきっかけですね。

谷尻誠さん(写真撮影/嶋崎征弘)

谷尻誠さん(写真撮影/嶋崎征弘)

――そのときにサウナの気持ちよさを知ったと。

谷尻:はい、めちゃくちゃ気持ち良くて、ハマってしまいましたね。それから週に3~4回はサウナに入るようになり、キャンプに行く時は常にテントサウナを持参し、さらには自宅にもサウナをつくってしまいました。自社のサウナストーブを入れて、スチールの花壇に水を溜めた水風呂を設置した簡易的なものですけれどね。

企業とコラボしたサウナストーブ、火が見える仕様となっている(画像提供/(株)DAICHI)

企業とコラボしたサウナストーブ、火が見える仕様となっている(画像提供/(株)DAICHI)

――自宅サウナ、羨ましいです。どれくらいのペースで入っていますか?

谷尻:週3回くらいですかね。夜のルーティーンとして、ゆっくり入っています。あとは週末に日ごろの疲れを癒やしたり、冬場はスノーボード帰りに入ることが多いですね。時々、事務所のスタッフが入りにくることもありますよ。リラックスしながらコミュニケーションをとるスペースとしても重宝しています。

――今では、ご自宅以外にもホテルやキャンプ場のサウナを設計するなど、もはや趣味の域を超えていますよね。

谷尻:ちなみに、いまは「ととのえベンチ」という外気浴用の水平ベッドを設計しています。温浴施設の外気浴スペースにはリクライニングチェアが設置されていることが多いのですが、僕は仰向けになって空を見上げられる状態のほうが心地いいんです。そこで、専用のベッドをつくってしまおうと。

ととのえベンチ(写真提供/(株)DAICHI)

ととのえベンチ(写真提供/(株)DAICHI)

ととのえベンチ(写真提供/(株)DAICHI)

ととのえベンチ(写真提供/(株)DAICHI)

サウナは「一家に一室」の時代?

――サウナブームの影響で、住宅やホテルなどにサウナを導入したいというニーズは増えているのでしょうか?

谷尻:そうですね。住宅やホテルなど「サウナ付きの●●」という依頼は多くなってきました。だから今度、松尾大さんと「サウナに特化したゼネコン」をつくることにしたんです。これまで、ホテルや自宅の設計をする建築家とサウナをつくるメーカーは別々でした。でも、それを一つにして、ホテルの設計もサウナの企画も、さらには工事までワンストップで行える会社があったらいいんじゃないかと。ホテルもサウナも統一されたイメージでつくることができますし、最初からサウナありきで設計すれば、より心地よいものになるはずですから。

――今やサウナで集客ができるようになりましたもんね。今後、谷尻さんのように自宅にサウナをつくる人も増えると思いますか?

谷尻:増えるんじゃないでしょうか。洗濯機や冷蔵庫のように“一家に一室”の時代がきてもおかしくないと思います。じつはそこまでスペースもとらないし、心身ともに健康になれるし、そうなったら素晴らしいと思いますよ。

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

サウナに入ることで、いったん立ち止まる

――サウナに目覚めて、一番良かったことは何ですか?

谷尻:「いったん止まること」を覚えたのは大きいです。サウナ室にはスマートフォンも持ち込めないし、いったん立ち止まるような感覚があるんですよ。仕事や生活に忙殺されていると、そういう時間ってなかなか持てませんよね。常に何かしら考えていたり、手を動かしていたりする。「正」という字は、「一に止まる」と書くって言うじゃないですか。あれは本当にその通りで、いっとき止まって考えてみると、いいアイデアが閃いたり、前向きな思考になれたりするんです。

――デジタルデトックスじゃないですけど、脳がリフレッシュされそうですよね。

谷尻:だから今、広島にあるオフィスにもサウナを作る計画を立てています。まだ構想段階ですが、ビル全体を改修して、1階にレストラン、2階にギャラリー、3階にオフィス、そして、5階をサウナにする予定なんですよ。

――それはすごい。どんなコンセプトのサウナになるんですか?

谷尻:都市部にあるビルなので、なかなか理想通りとはいかないのですが、それでも外気浴をしながら自然を感じられるような空間はつくりたいですね。あとは、他で見たこともない、どこにもないようなサウナにしたいです。例えば、5階の窓を全て外してしまうとかね。そうすれば、サウナ室を出た瞬間から外気浴をしているような気分を味わえるんじゃないかと思います。

屋上から穴を開け、日光が植物を照らすようなデザイン(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

屋上から穴を開け、日光が植物を照らすようなデザイン(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

大きいバルコニーをつくり、水風呂と外気浴スペースを設けるそう。画像は外気浴スペース(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

大きいバルコニーをつくり、水風呂と外気浴スペースを設けるそう。画像は外気浴スペース(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

水風呂(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

水風呂(画像提供/SUPPOSE DESIGN OFFICE)

――オフィスにサウナ。スタッフさんが羨ましいです。

谷尻:もちろん疲れを癒やしてもらったり、コミュニケーションを円滑にしたりする目的はあるのですが、自分自身で体験することでサウナーの気持ちを分かってほしいという思いがあります。

――サウナを設計する上では、とても大事なことですね。

谷尻:そうなんです。あまりサウナに入ったことのない人だと、ただサウナ室を設計すればいいと思ってしまうんですよ。でも、サウナってサウナ室だけでなく、水風呂や外気浴スペースへの動線などもすごく大事です。さらには、サウナ後に何を食べたいのか、どういう環境でくつろぎたいのかなど、本当に気持ちよくなるためのポイントはたくさんあります。だから、スタッフそれぞれが「サウナとは何なのか」を考え、理解してもらいたい。そのために、サウナに“社員旅行”したこともあるんですよ。広島オフィスのサウナも、うちのスタッフはいつでも入れる状態にしようと思っています。(広島事務所の5Fのサウナは近日会員募集予定)

――となると、さらにサウナへの理解が深まりますね。その上で、谷尻さんたちがこれからどんなサウナをつくってくれるか、楽しみです。

谷尻:僕自身も楽しみです。うちに限らず、オフィスにサウナがあると生産性が上がると思うんです。例えば、出社してデスクにつく前、昼食後、仕事が終わった後など、サウナに入ってリフレッシュすることでメリハリがつく。頭がぼーっとした状態でダラダラ働くより、よっぽどいいです。ですから、まずはうちが率先して、そんな働き方を実践していきたいですね。

谷尻さんのようにサウナを「コミュニケーションの場」として楽しむサウナーは少なくない。とはいえ、昨今のご時世ではなかなか難しい。そんなときにサウナが一家に一室の時代がくれば、より快適なサウナライフが送れることだろう。

●取材協力
SUPPOSE DESIGN OFFICE
DAICHI silent river

●関連記事
谷尻誠さんのサ旅については「じゃらんニュース」で
建築家・谷尻誠のサウナ建築と“サ旅”。滝壺や船上、雪風呂など「その土地ならではのサウナ体験をつくりたい」

省エネリフォーム向け「グリーンリフォームローン」新設!最大500万円・融資手数料不要、実家にも利用可!

菅政権下で政府は、「2050年カーボンニュートラル」(温室効果ガス実質排出ゼロ)を宣言した。この実現に向けて、政府は今、住宅の省エネルギー性能の向上を目指している。既存の住宅については、省エネリフォームを推進しているが、住宅金融支援機構では、省エネリフォームを資金面から支援する「グリーンリフォームローン」を創設した。どういったローンなのだろうか?

【今週の住活トピック】
2022年10月から「グリーンリフォームローン」の取り扱いを開始/住宅金融支援機構

最大500万円、返済期間10年以内、融資手数料・担保・保証不要など使い勝手がよい

まず、どういったリフォームローンなのか、商品概要を広報資料で見ていこう。

出典:住宅金融支援機構の「グリーンリフォームローン」に関するプレスリリースより抜粋転載

出典:住宅金融支援機構の「グリーンリフォームローン」に関するプレスリリースより抜粋転載

対象となるのは、住んでいる持ち家の省エネリフォームだけでなく、セカンドハウスや実家などの省エネリフォームも対象となる。年齢的にローンを借りづらい親に代わって実家の省エネリフォームを行う際に、融資を受けることもできる。

融資額は工事額が上限だが、最大500万円(※1)まで。ローンの返済期間は10年以内、全期間固定金利で申し込み時点の金利が適用される。また、融資手数料も不要で、無担保・無保証、団体信用生命保険は利用可能(※2)。住宅ローンを返済中でも利用しやすいなど、条件的には使い勝手がよいローンといえそうだ。

※1:省エネリフォームと併せて行うその他のリフォームも融資対象になるが、その場合は省エネリフォームの工事費の金額までが対象。
※2:住宅金融支援機構の「高齢者向け返済特例」を利用する場合は、有担保、団体信用生命保険の加入不可。

ただし、重要なのは「一定の省エネリフォームが求められる」という点だ。定められたリフォーム工事の実施を証明するために、検査機関による現場検査なども必要になり、その手続きや検査料などの負担が発生する。

「グリーンリフォームローン」の対象となる省エネリフォームの基準とは?

「グリーンリフォームローン」の適用金利などの詳しい内容はまだ決まっていないが、省エネの性能の水準によって、「グリーンリフォームローンS」という、さらに低金利なローンも提供される予定だ。

出典:住宅金融支援機構の「グリーンリフォームローン」に関するプレスリリースより抜粋転載

出典:住宅金融支援機構の「グリーンリフォームローン」に関するプレスリリースより抜粋転載

基準について簡単にいうと、住宅の一部でも「省エネ基準を満たす断熱性能を引き上げるリフォームをする」か、「指定の省エネ設備を設置する」かすれば、「グリーンリフォームローン」の対象になり、さらに「ZEH水準を満たす断熱性能を引き上げるリフォームをする」と「グリーンリフォームローンS」の対象になる。といっても、部位や省エネ性能の基準などが細かく定められているので、対象となるかは建築士や施工会社などにきちんと確認する必要がある。

「省エネ基準」、「ZEH水準」、「断熱等性能等級」について解説

「省エネ基準」や「ZEH水準」、その基準となる「断熱等性能等級」などの専門用語が多く出てくるので、少し説明を補足しよう。

まず、省エネ基準は国が法律で定めているもので、住宅の省エネ基準は法律の改正などに応じて、段階的に引き上げられている。ここでいう「省エネ基準」は最新の省エネ基準(平成28年基準と呼ばれる)のことで、2025年度までにすべての新築住宅に適合させることが義務化されることになっている。つまり、今ある住宅について現時点では、最新の省エネ基準に適合していない住宅が多いわけだ。

省エネリフォームで課題となるのは、住宅の構造体としての断熱性能だ。夏の暑さや冬の寒さを住宅に伝えにくく、室内の冷暖房による熱を外に逃がしにくくする「断熱性能」を高めることがカギになる。断熱性能のレベルのモノサシとして用いられているのが、「住宅性能表示制度」による「断熱等性能等級」だ。

住宅性能表示制度は、住宅の性能を統一基準で評価しようとするもので、新築の場合で10分野のモノサシがあり、その1分野に省エネ性能がある。その省エネ性能は、外皮(外気に接する建物の壁や天井、床、窓など)のモノサシとなる「断熱等性能等級」と一次エネルギー消費量のモノサシとなる「一次エネルギー消費量等級」に分かれる。

この断熱性能等級は等級1から等級5まであり、最新の省エネ基準は等級4、ZEH水準は等級5に該当する。なお、今後、さらに断熱性能の高い等級6や7が新設されることになっている。

ちなみに、ZEH(ゼッチ)とは、ネット・ゼロ・エネルギー・ハウスの略称で、太陽光発電などで創出したエネルギー量と住宅内で消費するエネルギー量が年間でおおむねゼロになる住宅のこと。ここでいう「ZEH水準」とは、住宅の外気に接する壁や床などの断熱性能に注目したもので、ZEH住宅かどうかを問うているわけではない。

出典:住宅金融支援機構の「グリーンリフォームローン」に関するプレスリリースより転載

出典:住宅金融支援機構の「グリーンリフォームローン」に関するプレスリリースより転載

「グリーンリフォームローン」の申し込み方法や適用金利などの詳しい内容が決まるのはこれからだが、住宅の構造体の断熱性能を引き上げるリフォームをするには、それなりに費用もかかる。それを支援するために、対象となる省エネ基準のレベルは高いものの、比較的使い勝手のよいリフォームローンを用意しようということだろう。

説明したように、政府は住宅の省エネ性能の引き上げに力を入れている。そのため、最新の省エネ基準を新築の最低レベルとして、今後求める省エネ性能のレベルをZEHやそれ以上に引き上げようとしている。省エネ性能の高い新築住宅が増えれば、省エネ性能の低い既存の住宅へのニーズが薄れる可能性もある。

住宅内の暑さ寒さに対する快適性に加え、住宅市場への流通性なども考えると、リフォームをするなら省エネ性を高めるという選択肢も検討してはいかがだろう。

●関連サイト
住宅金融支援機構/「グリーンリフォームローン」の取り扱いを開始

子育てや家事もシェアする「シェアハウス日日」。孤育てや強制ない距離に共感、学生や会社員の入居者も

住まいを探すときの選択肢として、すっかり定着したシェアハウス。家賃をおさえるため、趣味を共有したい、異文化交流したい、など目的に合わせてさまざまなタイプがありますが、多いのは20代から30代のシングル向けの、大人がほどよい距離を保ちながら暮らすという物件です。ただ、今回はそんな物件とはちょっと趣が異なる、子育てやDIYなど、暮らしを分け合うシェアハウスをご紹介します。

築90年の古民家に子育て中の夫妻、入居者4人が暮らす階段から玄関を見たところ。建物全体に年を経た味わいがあります(写真撮影/相馬ミナ)

階段から玄関を見たところ。建物全体に年を経た味わいがあります(写真撮影/相馬ミナ)

DIYや食事、子育てといった日々の営みを“シェア”する「シェアハウス日日(にちにち)」は、北千住駅から少し歩いた住宅街の一角にあります。長年、空き家となっていましたが、所有者が活用方法を模索するため行政主催の空き家活用コンペにこの物件を提供。Tさんたちの企画が採用され、シェアハウスになることが決まったといいます。現在、暮らしているのは、管理人ご夫妻とそのお子さん、入居者4名の計7名です。管理人のTさん、Kさん夫妻はシェアハウスの運営をしつつ、古民家をリノベーションした日用品と喫茶の店「KiKi北千住」を営んでいます。

「シェアハウスの運営を通じて、暮らし方や建築、不動産のあり方を考えています」(管理人のTさん)といいます。

口コミや紹介などで自然と次の人が決まっているとのことで、「常に満室フル稼働」というよりは、住まいや暮らしの価値観の合う、理解のある人を求めているそう。
建物の築年数は古いものの、基本的な内装とバスやトイレなどの水回り、キッチンはプロの手によって改修されています。間取りは1階にキッチン、リビング、バストイレ、ご夫妻の居室、2階に寝室があり、家賃は5万円、共益費が1万4000円。1階のLDKのほか各部屋もDIY可能で、共有部分にはDIY道具も置いてあります。
基本的に入居者は自炊して暮らしていますが、時間が合う時には食材を持ち寄ってパーティをしたりします。

共有部に置かれたDIY用品。「私達にはDIYスキルがあるので、入居者に経験がない場合でも、教えることも可能だと思ったんです」と妻のKさん。KiKi北千住をセルフリノベーションした経験があるほか、「大工インレジデンス」(大工技術を提供する代わりに家賃や食費を提供してもらえる)という仕組みがある九州のシェアハウスで、住み込み大工をしていたこともあるそう(写真撮影/相馬ミナ)

共有部に置かれたDIY用品。「私達にはDIYスキルがあるので、入居者に経験がない場合でも、教えることも可能だと思ったんです」と妻のKさん。KiKi北千住をセルフリノベーションした経験があるほか、「大工インレジデンス」(大工技術を提供する代わりに家賃や食費を提供してもらえる)という仕組みがある九州のシェアハウスで、住み込み大工をしていたこともあるそう(写真撮影/相馬ミナ)

取材前、シェアハウスで子育て、食事を分け合っていると聞いて、あまりイメージがわかなかったのですが、実際に和やかにランチをともにしている様子を拝見していると、とても自然な様子です。まるで昔からの友人や親戚のようなあたたかさに驚きます。

娘ちゃんを囲んでランチの様子。みんなのアイドルです!(写真撮影/相馬ミナ)

娘ちゃんを囲んでランチの様子。みんなのアイドルです!(写真撮影/相馬ミナ)

“孤育て”やイライラとは無縁! シェアハウスでの子育て

ご夫妻で決めた上でシェアハウスで子育てをしているわけですが、まずはその成り立ちから聞いてみました。

妻のKさんはこう言います。「シェアハウスの運営を通じて、子育てを夫婦以外の第三者も巻き込んで、ゆるやかなコミュニティの中でする方が、親にとっても子どもにとってもよい環境なのではないかと思い、試してみたかったんです」

そのため、シェアハウスの企画が立ち上がり、夫のTさんからシェアハウスで子育てしようという話が持ちかけられたとき、ここで子育てをするというのは実に自然な流れだったといいます。

左が妻のKさん、右がTさん。(写真撮影/相馬ミナ)

左が妻のKさん、右がTさん。(写真撮影/相馬ミナ)

入居時、建物は未完成の状態でしたが、その後、入居者といっしょに壁を塗ったり、床を貼ったり、棚をつくったりと、DIYを続け、現在のかたちに落ち着いています。夫妻は共働きのため、現在、娘さんは保育園に通っていますが、まだまだ手がかかる年齢です。シェアハウスでの子育ては、まわりに気を使って大変ではないんでしょうか。

「子どもがいることに理解をして入居してもらっているので、寧ろ子ども好きな人が多いですね。ごはんづくりやお風呂、トイレといったちょっとした時間も、入居者のだれかが娘の面倒を見ていてくれることもあります。小さなことかもしれないけど、ストレスがなくて助かっています。親以外の大人が、子どものことを可愛がってくれると、子育ての喜びも増しますし、逆に大変なことも笑いあえる環境というのがとても有難いです」とKさん。

おそうじの当番表。ありがとうと書き込まれているので、はげみになります(写真撮影/相馬ミナ)

おそうじの当番表。ありがとうと書き込まれているので、はげみになります(写真撮影/相馬ミナ)

娘さんは入居者みんなのアイドル、かわるがわるに遊んでもらったり、抱っこしてもらったりと、可愛がられています。親戚のような、きょうだいのような、「ゆるい親戚」という言葉が実にしっくりきます。

「夫が料理好きで、食いしん坊なんです。ふるまうのが好きで、それで突然、パーティがはじまることも多いですね」とKさん。Tさんが自然と続けます。
「近所に足立市場があるんですが、お刺身にしたり、鍋にしたり。新鮮な魚が近くにあって、市場に行くだけでもイベント感があるので楽しめます」とにこやかです。ほかにも味噌をつくったり、たこ焼きパーティをしたり、誕生日を祝ったりしています。

キッチンのタイルは入居者みんなで貼ったもの(写真撮影/相馬ミナ)

キッチンのタイルは入居者みんなで貼ったもの(写真撮影/相馬ミナ)

料理をしているといい香りが漂います(写真撮影/相馬ミナ)

料理をしているといい香りが漂います(写真撮影/相馬ミナ)

この日はみんなが大好きなパスタをつくってくれました(写真撮影/相馬ミナ)

この日はみんなが大好きなパスタをつくってくれました(写真撮影/相馬ミナ)

配膳はみんなで分担。カウンターもDIYで造作しました(写真撮影/相馬ミナ)

配膳はみんなで分担。カウンターもDIYで造作しました(写真撮影/相馬ミナ)

完成した料理。サラダも盛り付けて、みんなでいただきます(写真撮影/相馬ミナ)

完成した料理。サラダも盛り付けて、みんなでいただきます(写真撮影/相馬ミナ)

「東京にあるもう一つの実家」。居心地の良さに出たくないほど

では、入居者はどのように感じているのでしょうか。大学生のAさんは、半年ほど前に別のシェアハウスからこのシェアハウスへ引っ越してきた住人です。通学にかかる時間は増えてしまいましたが、居心地のよさから「第二の実家」とまで言い切ります。

「前に暮らしていた知人のデザイナーさんから、お部屋を引き継いで暮らしているのですが、あまりにも居心地良すぎて、大人になってもずっとここに住んでいたいです(笑)」とおっとりと話します。前の住人が壁を白く塗ってくれていた部屋の雰囲気に合わせて、フローリングシートを張ったり、ロフトの壁を塗ったりお部屋をAさんらしくアレンジしています。

Aさんのお部屋の入り口にあるサイン。アートバーで制作したそう(写真撮影/相馬ミナ)

Aさんのお部屋の入り口にあるサイン。アートバーで制作したそう(写真撮影/相馬ミナ)

お気に入りのお部屋で。広さもインテリアも「すべてがいい感じ」だそう(写真撮影/相馬ミナ)

お気に入りのお部屋で。広さもインテリアも「すべてがいい感じ」だそう(写真撮影/相馬ミナ)

「室内の白い壁は前の入居者さんががんばってDIYして、白いまま残してくださりました。インテリアは私の好みのものを揃えたのですが、白い壁の雰囲気とよくマッチしていて、すべてがいい感じなんです」といいます。あまりにも暮らしが快適なため、「欲しい物もあまりないかな」と話すほどで、その満足度の高さが伺えます。Tさん夫妻の娘とも仲良しです。

「年の離れたお姉さんというよりも、純粋に友達という感じでしょうか。いっしょになって遊んでいます。めちゃくちゃかわいくて毎日癒やされてます。」といい、子どものいる暮らしがとても楽しいよう。

意地悪な質問ですが、シェアハウスにありがちな生活音やトラブル、暮らしでいやな経験をしたことはないのでしょうか。
「管理人夫妻がいっしょに住んでいらっしゃるので、何かあっても感情的になるのではなく、冷静に『指摘』してくれるので助かっています。通勤してくる管理人、清掃スタッフだとまた違うのではないでしょうか。トラブルや困りごとはないですね」といいます。このあたり、入居前に顔をあわせていたり、紹介を経由して人が集まったりすることで、「入居者同士の感覚が近い」のもあるのかもしれません。

Aさんの個室。シンプルですが個性が出ていてすてき(写真撮影/相馬ミナ)

Aさんの個室。シンプルですが個性が出ていてすてき(写真撮影/相馬ミナ)

もうひとり、1カ月ほど前からここで暮らしはじめたFさんにもお話を伺いました。

「出身は千葉ですが、以前は福岡で一人暮らしをしていました。この春に東京に戻ってくることが決まり、家具家電をそろえる費用がかからないシェアハウスを探していたんです。管理人Tさんが私の大学の先輩というご縁もありましたし、勤務先の近くにあるので、通勤にも便利ということで、入居を決めました」と立地や実用性も重視しての入居となったそう。入居して間もないものの、すでにシェアハウスに馴染んでおり、前出のAさんのことはまるで妹のようと話すなど、気持ちのよい関係が築けています。 

「入居前に心得をブログにまとめてくれていたので、共通理解ができているのは大きいと思います。共有部分の掃除や汚れが気になることもないし、分担も自然とできています」。なるほど、管理人夫妻の人柄やシェアハウスでつくりたい「暮らし」のイメージが明確だからこそ、大きくぶれないのかもしれません。

自分の好きな作品をディスプレイ(写真撮影/相馬ミナ)

自分の好きな作品をディスプレイ(写真撮影/相馬ミナ)

トイレには、元住人が作った作品の姿も(写真撮影/相馬ミナ)

トイレには、元住人が作った作品の姿も(写真撮影/相馬ミナ)

今後の展望についてTさんに聞いてみました。
「昨今、北千住の人気が出てきてしまったので、なかなかいい物件と出会いにくくなっているというか。ただ、空き家活用や建築のお悩みごとや街への想いは地元のみなさん、お持ちなんですね。物件との出会いは人との出会いでもあるので、不動産や建築を通して、この街にもっと根ざしていけたらいいなと思います」とTさん。

この建物ができた今から90年ほど前の日本では、長屋暮らしが一般的でしたし、家族や親類縁者、住み込みの従業員でいっしょに食事をしたり、建物の普請や手直しをすることが多かったはずです。シェアハウス日日の暮らしがなんとなく懐かしいのは、新しいようでいて、実は古くからある暮らしそのものだからなのかもしれません。

入居者ごとにマステが決められていて、貼っておけば誰のものかわかる仕組み。賢い!(写真撮影/相馬ミナ)

入居者ごとにマステが決められていて、貼っておけば誰のものかわかる仕組み。賢い!(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

●取材協力
シェアハウス日日

白馬村から雪が消える?! 長野五輪スキー会場も直面の気候変動問題、子ども達の行動で村も変化

スキーやスノーボードをする人、山を愛する人はもちろん、そうでない人にもおなじみのリゾート地、長野県白馬村。長野五輪も開催されたこの村は、サーキュラーエコノミー(循環経済)に本気で取り組み、2021年にはグッドデザイン賞も受賞しました。人口1万人弱の小さな村で今、何が起きているのでしょうか。現地で取材してきました。

スノーリゾートで人気の街が雪不足の年も。気候変動を体感し、危機感連休明けの5月、白馬の人たちは「今が一番いい季節」と口をそろえていました(写真撮影/嶋崎征弘)

連休明けの5月、白馬の人たちは「今が一番いい季節」と口をそろえていました(写真撮影/嶋崎征弘)

“白馬村とサーキュラーエコノミー”と聞いて、その関係にすぐにピンとくる人は少ないかもしれません。また、大変お恥ずかしい話ですが、筆者は「サーキュラーエコノミー」を正しく理解しておらず、「環境問題に関することでしょ?」などとぼんやり捉えていましたし、正直に話すと、環境問題に特に意識の高い人達にしかまだ定着していない言葉なのかなと思っておりました。

植えられたばかりの稲が風にそよいでいます。山の近さがおわかりいただけるでしょうか(写真撮影/嶋崎征弘)

植えられたばかりの稲が風にそよいでいます。山の近さがおわかりいただけるでしょうか(写真撮影/嶋崎征弘)

サーキュラーエコノミーとは、日本語に直訳すると「循環型経済」で、廃棄されてきた製品や原材料を資源ととらえ、限りなく循環させていく経済の仕組みのことをいいます。今まで製品は生産、消費、廃棄が一方通行で大量生産大量消費を繰り返すことで経済を発展させてきましたが「サーキュラーエコノミー」では、使用が終わった製品を廃棄せずに資源と捉えて循環させ、廃棄物と汚染を発生させずに、環境と経済を両立するという考え方です。

欧州を中心に今、急速に世界中に広まりつつある考え方ですが、では、なぜ日本のリゾート地である白馬村でいち早く取り組んでいるのでしょうか。その背景を聞いてみました。

お話を聞かせてくださった白馬村観光局の福島洋次郎さん。真冬でも日課である犬散歩が大好きな愛犬家です(写真撮影/嶋崎征弘)

お話を聞かせてくださった白馬村観光局の福島洋次郎さん。真冬でも日課である犬散歩が大好きな愛犬家です(写真撮影/嶋崎征弘)

「そもそものはじまりは地元の高校生のアクションなんです。この数年、雪不足の年があったと思ったら、ドカ雪の年があったり。『気候変動の影響かね』『スノーリゾートなのに雪がないなんて笑えないよね』なんて私たちも話していたんですが、子どもたちは自分ごととして捉え、2019年、気候変動危機を訴える『グローバル気候マーチ』を起こしたんです」と話してくれたのは、白馬村観光局で働く福島 洋次郎さん。

子どもたちの真剣な意思表示を、白馬村の大人たちは無視しませんでした。2019年、『白馬村気候非常事態宣言』を白馬村の村長が打ち出し、白馬村では持続可能社会のあり方を考える「サーキュラーエコノミー」に取り組むようになったのです。雪の減少による観光客減という背に腹は代えられない面もあったのかもしれませんが、山を愛し、気候変動を肌に感じるからこそのスピード感といえるかもしれません。

5月の白馬の峰々。圧倒的に尊く、「これは次世代に引き継ぐべき宝だ!」という思いに駆られます(写真撮影/嶋崎征弘)

5月の白馬の峰々。圧倒的に尊く、「これは次世代に引き継ぐべき宝だ!」という思いに駆られます(写真撮影/嶋崎征弘)

取材で訪れたのはウィンターシーズンが終わり、新緑が眩しい5月でした。大きく美しい空と山に残る雪、緑に圧倒され、「環境問題はファッションやきれいごとではないんだ」と胸に迫ってきます。「意識高い」などと思っていた自分の浅はかさ、愚かさが心底恥ずかしくなりました。

雪解け水が地下を通り、湧水となってできた青木湖。夏のアクティビティとしてサップ体験が人気です(写真撮影/嶋崎征弘)

雪解け水が地下を通り、湧水となってできた青木湖。夏のアクティビティとしてサップ体験が人気です(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

湧水ならではの透明感と美しさ。都会で薄汚れた心を浄化してくれました(写真撮影/嶋崎征弘)

湧水ならではの透明感と美しさ。都会で薄汚れた心を浄化してくれました(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

断熱改修、自然エネルギー由来の導入など、行動が早い

そこからの動きは素早く、2020年夏には白馬村で初めての「GREEN WORK HAKUBA」が開催されました。これは、白馬村の事業者や村外のパートナー企業がカンファレンス、ワークショップを重ねながら、白馬村の課題を掘り出し、持続可能なリゾートへと変化するために、解決法や取り組みを考えるプロジェクトです。広告会社の新東通信内に設置された「CIRCULAR DESGIN STUDIO.」と協力して立ち上げました。

過去の「GREEN WORK HAKUBA」開催時の様子(写真提供/CIRCULAR DESGIN STUDIO.)

過去の「GREEN WORK HAKUBA」開催時の様子(写真提供/CIRCULAR DESGIN STUDIO.)

「サーキュラーエコノミーを発信する日本のトップ研究者、SDGsに力を入れていて環境保全にも取り組む企業関係者などが白馬村に滞在・宿泊しながら、持続可能な経済、白馬村のあり方について、ディスカッションしたりアイデアを出し合ったりします。山の目の前、大自然・屋外でワークショップするとね、普段は出ないようなアイデア、素直な議論ができるんですよ」と福島さんは続けます。

GREEN WORK HAKUBAのワークショップ会場「白馬岩岳マウンテンリゾート」(写真撮影/嶋崎征弘)

GREEN WORK HAKUBAのワークショップ会場「白馬岩岳マウンテンリゾート」(写真撮影/嶋崎征弘)

自然に囲まれてワークショップをする「GREEN WORK HAKUBA」、今年も7月に開催予定です(写真撮影/嶋崎征弘)

自然に囲まれてワークショップをする「GREEN WORK HAKUBA」、今年も7月に開催予定です(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬三山に向かって漕ぎ出すブランコは、ゼロ・カーボンだけど体験したくなるアクティビティ。発想がすごい(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬三山に向かって漕ぎ出すブランコは、ゼロ・カーボンだけど体験したくなるアクティビティ。発想がすごい(写真撮影/嶋崎征弘)

すごいのはアイデアを出して終わりだけではなく、行動まで進めてしまうところ。たとえば、課題としてあげられていたのが、白馬南小学校をはじめとした校舎や建物の断熱性能の低さ。2021年秋には、企業やプロの協力をとりつけ、小学生のDIYによって断熱改修が行われたそう。

「企業に断熱材を提供してもらい、建築士の先生、地元の工務店のプロに手ほどきを受けながら、小学生自身が校舎の断熱改修を実施しました。すると教室が大幅に暖かくなり、今まで昼にはなくなっていた灯油が午後まで残り、驚くほど暖かくなったそうです」(福島さん)

(写真提供/白馬村観光局)

(写真提供/白馬村観光局)

「建物の断熱性を高めてエネルギー消費量を減らし、二酸化炭素の排出量を削減しつつ、教室も暖かくなって健康・快適になる」、そんな経験、お金を払ってでもしてみたいです。しかも小学生のうちから経験できるなんて、うらやましい……。そして何よりすばらしいのが、絵に描いた餅だけでなく、行動をしているところ。すばやい取り組みを見ると、みなさん本気なんですね。

リフトは自然エネルギー由来の電力へ切り替え、照明もLED化するなど、省エネや環境への負荷を低くするための投資・修繕を現在進行形で実施中(写真撮影/嶋崎征弘)

リフトは自然エネルギー由来の電力へ切り替え、照明もLED化するなど、省エネや環境への負荷を低くするための投資・修繕を現在進行形で実施中(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

岩岳マウンテンリゾートの自動販売機で販売しているのは瓶入りのコーラ!(写真撮影/嶋崎征弘)

岩岳マウンテンリゾートの自動販売機で販売しているのは瓶入りのコーラ!(写真撮影/嶋崎征弘)

瓶のほうが再利用は容易です。そしてなぜでしょう、大変美味しく感じます(写真撮影/嶋崎征弘)

瓶のほうが再利用は容易です。そしてなぜでしょう、大変美味しく感じます(写真撮影/嶋崎征弘)

エコなスキー場、ゴミ削減、ゼロ・カーボンの移動など、やりたいこと山積み!

とはいえ、サーキュラーエコノミーの取り組みははじまったばかり。やりたいことばかりが出てきて、実現できるものもあれば、追いつかないものもあると、福島さんは苦笑します。

村を見下ろすこの特等席。よい風景があれば実は何もいらないのかもしれません(写真撮影/嶋崎征弘)

村を見下ろすこの特等席。よい風景があれば実は何もいらないのかもしれません(写真撮影/嶋崎征弘)

「白馬も基本的に車社会なので、旅行者もレンタカーを借りる人が多いんです。でも、サーキュラーエコノミーをうたっているのに、自動車頼みでいいの? という意見があって、『人力車で村をめぐる』というアクティビティがうまれました。しかも引き手は白馬在住のプロ山岳ランナー。白馬でしかできない体験です。ただ、選手なので遠征のときは利用できないんですよ(笑)」と明かします。

また、白馬には約500件の宿泊施設があり、年間250万人が訪れているそう。当然、排出されるゴミの量も半端ではなく、当然、人口約9000人の村では処理しきれないので、周辺自治体と広域で運営する焼却施設に廃棄しています。

「排出ゴミの削減は切実な課題なんです。1つのホテル、1つのスキー場だけは限界があるので、連携してなにかできないかという取り組みもはじまっています。たとえば、ホテルのアメニティを協同のブランドにするなどですね。脱プラを進めるためにも、容器がプラスチックの液体ではなく石鹸のように固体のアメニティにしたいなど、アイデアはたくさんでています」といいます。

白馬ノルウェービレッジのカフェでは、出た食品廃棄物をコンポストで肥料にしています。できた肥料を畑で使い、夏には立派な野菜ができます(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬ノルウェービレッジのカフェでは、出た食品廃棄物をコンポストで肥料にしています。できた肥料を畑で使い、夏には立派な野菜ができます(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬ノルウェービレッジ(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬ノルウェービレッジ(写真撮影/嶋崎征弘)

こちらはコンポストでつくった肥料を使って夏野菜を育てている畑。ナス、きゅうり、トマトなどは併設のカフェでも出しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

こちらはコンポストでつくった肥料を使って夏野菜を育てている畑。ナス、きゅうり、トマトなどは併設のカフェでも出しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬村は耕作放棄地が少なめ。畑や水田を利用希望者へと受け渡すマッチングも促進しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

白馬村は耕作放棄地が少なめ。畑や水田を利用希望者へと受け渡すマッチングも促進しているそう(写真撮影/嶋崎征弘)

また、スキー場の設備の劣化やメンテナンス、季節ごとの閑散期と繁忙期の差や、各施設の収益力アップも課題になっているそう。
「いくら環境にやさしくても雇用を維持できなければ、持続可能とはいえません。白馬のスキー場は高度経済成長期につくられた設備も多いので、当然、メンテナンス・新しい設備投資も必要になる。夏のアクティビティのバリエーションを増やしたり、テレワークの場所としてアピールしたり。リゾートとして注目されるための新規の設備を設けたり、中長期で必要な設備投資をしつつ、暮らしている人の満足度や幸せ度を上げていけたらいいですよね」(福島さん)

将来的には「カーボンニュートラル(二酸化炭素の排出を全体としてゼロにする)」から一歩進んで、「カーボンネガティブ(二酸化炭素を排出せずに、他地域の二酸化炭素を吸収している)」という構想もあるとか。

地球温暖化は世界の問題で、一つの地域で取り組んでも、その効果は限定的かつ、努力した地域に効果が変えるというものでもありません。白馬村のような先進的的取り組みがさらに様々な地域で展開されていく必要があります。環境と地方の観光、経済を両立する。小さな村ではじまった本気の取り組みが、他の町や村にもよい競争として波及し、さらなる好循環(まさにサーキュレーション!)を生み出すことを期待したいです。

●取材協力
白馬村観光局
GREEN WORK HAKUBA
CIRCULAR DESGIN STUDIO.

NY、経済活動再開で家賃相場が30%増の地域も! シビアな世界の不動産事情

新型コロナウイルス感染症拡大で、2020年以降大打撃を受けたアメリカ・ニューヨーク。一時はロックダウンで街から人が消え去り、さらにはリモートワーク/テレワークなどの新たな働き方の浸透によって、多くの市民が市外や州外へ転出した。それに伴って、市内の不動産価格や家賃が下落。あれから2年。コロナ禍3年目となった今、感染状況は一進一退だが、不動産価格や家賃相場は再び上昇傾向になっている。そこには全世界から人が集まる大都市ならではの「ある理由」があった。

NYと日本、いま「住みたい街」とは?

アメリカの大都市ニューヨークでは、東京や大阪などと同様に、街によってそこを選ぶ人の世代やライフスタイルが異なる。収入が十分でない若年層が注目するのは、マンハッタンの外れの地域や、川を越えたクイーンズだ。タウンハウスという一軒家を借りて何人かでシェアしていることもある。子育てをしているファミリー層はマンハッタンから電車で1時間ほどの郊外にある、広い庭付きの一軒家が好まれる傾向がある。富裕層はマンハッタンのパークアベニューやアップタウン、トライベッカなどに好んで住む傾向だ。個性を求めているアーティストには、クリエイティブで独自の文化があるマンハッタンのダウンタウンや、広いロフトが多いブルックリンなどが人気だ。

ブルックリン(写真/PIXTA)

ブルックリン(写真/PIXTA)

ちなみに日本では、今コロナ禍による影響も大きな要因となって、都心よりも郊外の人気がやや上昇している。在宅時間が長くなり、人々が利便性に優れた都心だけでなく郊外の住環境などにも目を向けた結果だろう。 今年発表された「SUUMO住みたい街(駅)ランキング2022」でも、横浜駅や吉祥寺駅、恵比寿駅の人気は相変わらずだが、上位に埼玉県の大宮市や浦和市など、郊外の都市がランクインしたのが特徴的だった。

ニューヨークも同様、観光客が多いマンハッタンの繁華街ではなく、中心部から少し離れた場所や郊外などが「住みたい街」として注目されている。

2年前、この街は新型コロナウイルスの感染拡大によって大打撃を受け、経済が壊滅状態となった。感染を避けるため、またはリモートワーク/テレワークの浸透によって、多くの市民が市外や州外へと続々と転出したことが地元メディアでも報じられた。それによって、不動産価格や地価、家賃の下落が起きたのだ。不動産の調査をする「ストリート・イージー」によると、2021年1月~3月期のマンハッタンの月の家賃の中央値はコロナ騒動が勃発した時期の前年同期比17%減の2700ドル(当時の為替で約29万円)だった。これは集計を開始した10年以来で最低の数値だった。

コロナ禍3年目、不動産市場が再び活況に

しかしコロナ禍3年目となる今、ニューヨーク市内での不動産価格や地価、家賃の上昇が伝えられている。

「ニューヨークは戻った」という見出しを掲載したビジネス誌『FORTUNE(フォーチュン)』のウェブ版記事は、「アメリカの金融資本の需要はかつてないほど高まっている」とし、マンハッタンの家賃が記録的な金額に達したと報じた。

マンハッタン(写真/PIXTA)

マンハッタン(写真/PIXTA)

同誌によると、マンハッタンの家賃は昨年に比べて24%も上昇したという。中央値は昨年より705ドル(9万円以上。1ドル128円計算。以下同)も値上がりし、(今年3月時点で)3700ドル(47万円超え)に。家賃の上昇は、オフィス勤務の復活や学校再開に伴い人々が市内に戻り、空室が少なくなったことを意味する。空室率は昨年2月の時点で12%近かったが、今年の同時期は1.32%まで下がっている。

マンハッタン以外でも、ブルックリンで昨年に比べて10.5%上昇し、中央値は2900ドル(37万円超え)、クイーンズで14.5%上昇し中央値は2888ドル(37万円超え)に達するなど、市内の至るところで家賃が上昇している。

地元メディアのニューヨークポストによると、特に中心部や繁華街(マンハッタンのアッパーウェストサイドやダウンタウン、ブルックリン)の駅近くの物件において家賃が上昇傾向にあるという。

NY、エリア別の家賃相場

家賃が東京の2倍もしくはそれ以上とも言われるニューヨーク。家賃相場はエリアにより、また間取りやビルの状態などによって異なる。
ニューヨークは全体的に家賃が急上昇しています。特にマンハッタンは前年同月比で30%くらい上がっていると思います。ブルックリンも負けずに上がっています」と話すのは、滝田不動産(Yoshi Takita REALTOR(R))の代表、滝田佳功(たきたよしのり)さん。

Living NY社に勤務する、ニューヨーク州認定の不動産エージェント、木城祐(ひろし)さんも、「特に家賃が上昇しているのはマンハッタンです。アッパーマンハッタン(北部)など一部エリアを除いて、上がり続けています」と話す。

アッパーウエストサイド(写真/PIXTA)

アッパーウエストサイド(写真/PIXTA)

木城さんによると、昨年は入居者を呼び込むための優遇措置で、家賃割引や仲介料なしといった物件もあったが、現在の市場ではそれらの優遇措置はほぼ見られないという。

「日本人留学生などに人気のイーストビレッジ地区やローワー・イーストサイド地区ではパンデミック中、入居者が大量に流出し、多数の空室が出て大家は頭を抱えました。しかし昨年秋に市内の大学が対面授業の再開を発表するや否や、学生が州外や国外から市内に戻り、瞬く間に空室がなくなってしまったのが印象的です」(木城さん)

また前述の「優遇」の恩恵を受けた入居者も1年契約が終わった途端に家賃が大幅に高騰し、住み続けられず慌ててほかのアパートを探すケースもよくあるという。

滝田さんは、学校が再開して学生が戻ってきたあと、学生寮のルームシェアが撤廃されたため、寮以外の一般のアパートを借り始めた学生も多いという情報を聞いており、そんな事情も家賃上昇に拍車をかけている一因になっていそうだ。

学生だけでなく、新しくビジネスを始める人々や一度は郊外や州外に引越しをしたがやはりニューヨーク市内での生活が良いと感じた人などが戻り、市内を拠点にしたことで、家賃の高騰に拍車をかけた。

家賃以外で、暮らしで変化したこと

ニューヨーカーの暮らしを圧迫しているのは家賃だけではない。物価高騰も暮らしを圧迫している。
家賃上昇に加え、最近アメリカでは記録的なインフレが続いている。2021年から加速して39年ぶりの高水準となり、ガソリンや日用品、食費などあらゆる物価が高騰している。特にロシアによるウクライナ侵攻後、ガソリン価格が過去最高値を更新した。

また、物不足も深刻だ。住宅建築需要の増加によって、木材不足・価格高騰(ウッドショック)や半導体などあらゆる不足が連日ニュースとなっている。そして最近は、粉ミルク不足も大きな社会問題となっている。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

今後、家賃相場の高騰に対するなにか対策がされていくのか

また、インフレとは無関係に、世界を代表する大都市ニューヨークは、世界中から移住者が増え続けており、家賃は恒常的に毎年上昇し続けている。ブルックリンのアパートに住む筆者の家賃も、13年前の引っ越し当初の家賃と比べて、円にして数万円単位で値上がりしている。家賃上昇と物価高騰のWパンチで、ますます大都市は住みにくくなっている。

「この街を一層ユニークで味のあるものにしてきたのは、ここで生まれ育ったニューヨーカーたち。そんな彼らが、物価上昇と家賃の高騰に悲鳴を上げている。以前と同じ住居やエリアに住み続けられないのだとしたら、それはとても残念なことです」と、木城さんは話す。

滝田さんも、以下のように言う。
「ニューヨーク州の条例では、コロナ禍に家賃が払えなくなった住民のために『Eviction Moratorium(強制立ち退き猶予)』が設けられ、今年1月15日まで、大家による強制立ち退きは禁止されていました。またハードシップ手当として、家賃支払いができない人のための補助金も出ていたので、本当に家賃が支払えなくて退去させられた人は少ないと思います。また、生活費に困窮した市民が申請し、審査に通れば、よりリーズナブルな家賃で住める『アフォーダブルハウジングのプログラム』などの措置もあります」

最近物価高騰が報じられる日本だが、それでもコンビニに行けば、数百円単位の美味しいものに出合うことができる。当地でも昔から1ドルピザなるものがあったが、コロナ禍で次々に閉店が報じられている。物価上昇と家賃上昇などで、この大都市はさらに住みにくい街として汚名を着せられていくのか? 人々は戦々恐々としている。

●取材協力
Yoshi Takita REALTOR(R)
Living New York

世界的クライマー・平山ユージが町おこしに本気トライ! 埼玉県小鹿町をクライミングの聖地へ

2021年前後からクライマーが一気に増えて話題となっている場所がある。埼玉県秩父郡小鹿野町にある二子山だ。そのきっかけは「世界の平山ユージ」と呼ばれるプロクライマーが、クライミングによる町おこしを提案したことだった。

10代から海外で修行、日本クライミング界をリードしてきた平山ユージさん

平山ユージさんは1969年生まれ。15歳でクライミングを始めてから瞬く間に頭角を現し、高校生にして国内トップクライマーの地位についた。17歳になるとアメリカで半年間のトレーニングを経験し、19歳でクライミングの本場に身を置くべく単身渡仏、マルセイユを拠点にヨーロッパやアメリカの難関ルートを制覇。

人口壁で行われる競技会に参加するようになると、1998年に日本人として初のワールドカップ総合優勝を果たし、2000年には2度目の総合優勝。53歳となった今も難関ルートを制し続け、国内外のクライマーから尊敬を集める現役のプロクライマーだ。

平山ユージさん。現役であり続けるとともに、後輩の育成とクライミングの普及にも余念がない。2010年に株式会社Base Campを立ち上げ埼玉県と東京都でクライミングジム3店舗を経営している。世界選手権など重要大会でのテレビ解説もわかりやすく大好評(写真撮影/前田雅章)

平山ユージさん。現役であり続けるとともに、後輩の育成とクライミングの普及にも余念がない。2010年に株式会社Base Campを立ち上げ埼玉県と東京都でクライミングジム3店舗を経営している。世界選手権など重要大会でのテレビ解説もわかりやすく大好評(写真撮影/前田雅章)

入間市に本店を構えるClimb Park Base Camp。ボルダリング壁とロープを使うルートクライミング壁を備え、国内でも最大級の規模を誇る。初心者からオリンピック選手まで多くのクライマーが通い、周辺の店舗にもにぎわいを与えている (写真撮影/前田雅章)

入間市に本店を構えるClimb Park Base Camp。ボルダリング壁とロープを使うルートクライミング壁を備え、国内でも最大級の規模を誇る。初心者からオリンピック選手まで多くのクライマーが通い、周辺の店舗にもにぎわいを与えている (写真撮影/前田雅章)

「二子山の岩場は、世界に比するポテンシャルがある」

「小鹿野町に二子山を中心としたクライミングによる町おこしを提案したのが2008年。当時は形にならずすっかり忘れていたのですが、2018年に町会議員さんから突然電話をいただきました」と平山さん。

平山さんと二子山との出合いは1989年。渡仏中にクライミング仲間から「いい岩場がある」と教えてもらい、一時帰国して登ったときだった。クライミングできるルートは限られていたが、東岳と西岳からなる二子山の雄大さに、整備すれば海外の有名な岩場にも匹敵する場所となる可能性を感じたのだという。

しかし、クライミングルートの整備や開拓は、勝手にできるものではない。
「二子山の所有者の理解や、町の協力がないと成り立ちません。最初はクライミングエリアとして二子山のポテンシャルに引かれたのが大きかったですが、クライマーが訪れたり移住したりする経済効果や、クライミングというスポーツによる住民の健康やコミュニティ促進は、町の発展にも貢献できると確信して企画を提出しました。埼玉の郊外にある秩父、小鹿野町はどうしても少子高齢化が進んでいきますが、都心部からほど近い広大な自然は、町の貴重な資源。クライミングならその資源を十分活用できますから」(平山さん)

四季の道小鹿野展望台からの小鹿野町。晴れた日には百名山・両神山を望む。小鹿野町は日本の滝百選・丸神の滝、平成の名水百選・毘沙門水も有する自然豊かな町 (写真撮影/前田雅章)

四季の道小鹿野展望台からの小鹿野町。晴れた日には百名山・両神山を望む。小鹿野町は日本の滝百選・丸神の滝、平成の名水百選・毘沙門水も有する自然豊かな町 (写真撮影/前田雅章)

町への提案から10年、「クライミングで町おこし」がスタート

提案から10年ほどたった2018年、平山さんは小鹿野町観光大使を委嘱された。
「町会議員に当選したばかりの高橋耕也さんが、過去の企画書を見つけて電話をくれました。少子高齢化問題が明らかになってきたこと、東京オリンピック競技種目にスポーツクライミングが選ばれたこと、町の再生を志す若い世代の議員が当選したこと、いろいろな事柄がうまくはまったのがこのときだったのでしょうね」(平山さん)

そして、平山さんたちクライマーが町に通い続けていたということ。
「企画を提出したことをすっかり忘れていましたが、頻繁にクライミングには来ていました。顔なじみになった、『ようかみ食堂』の店主が高橋議員とつないでくれました」(平山さん)

平山さんは、早速二子山でクライミングエリアの整備を進めるため、クライミング仲間と地元住民による小鹿野町クライミング委員会を2019年に発足。2020年には一般社団法人小鹿野クライミング協会とし、2022年現在は会長職を務めている。

一般社団法人小鹿野町クライミング協会(撮影時・小鹿野町クライミング委員会)メンバーを中心にしたボランティアが、草木をはらい、古く錆びたボルトの打ち替えなど根気がいる地道な作業を重ねて、二子山に魅力的なクライミングルートを再生・開拓している(2020年5月)(写真提供/平山ユージInstagram @yuji_hirayama_stonerider)

一般社団法人小鹿野クライミング協会(撮影時・小鹿野クライミング委員会)メンバーを中心にしたボランティアが、草木をはらい、古くさびたボルトの打ち替えなど根気がいる地道な作業を重ねて、二子山に魅力的なクライミングルートを再生・開拓している(2020年5月)(写真提供/平山ユージInstagram @yuji_hirayama_stonerider)

また、同時期に町営クライミングジムのオープンにも、平山さんは深く携わることになる。

小鹿野町役場の宮本さんにお話を伺うと、「閉館が決定した県営施設の埼玉県山西省友好記念館を残してほしいとの地元の声を受け、町では再利用方法を検討していました。『クライミングで町おこし』を実行するタイミングと重なり、平山さんの全面協力のもと、初心者にも上級者にも楽しんでもらえる本格的クライミング施設が誕生しました」とのこと。

「両神山や二子山といった町自慢の観光資源は、天候に左右されやすい弱点があります。充実した室内施設があれば、国内外のクライマーが長期滞在をプランニングしてくれるきっかけになると考えています」(宮本さん)

唐代の寺院をモデルにした豪奢な記念館をリノベーションした「クライミングパーク神怡舘(しんいかん)」。取り壊すのはもったいない、と埼玉県から町が譲り受けて2020年7月オープン(写真撮影/前田雅章)

唐代の寺院をモデルにした豪奢な記念館をリノベーションした「クライミングパーク神怡舘(しんいかん)」。取り壊すのはもったいない、と埼玉県から町が譲り受けて2020年7月オープン(写真撮影/前田雅章)

傾斜80度~130度のボルダリング壁8面を備える神怡舘。ロープクライミング用のスペースも用意して、二子山など外岩でのクライミングに向けた安全技術の講習も行う(写真撮影/前田雅章)

傾斜80度~130度のボルダリング壁8面を備える神怡舘。ロープクライミング用のスペースも用意して、二子山など外岩でのクライミングに向けた安全技術の講習も行う(写真撮影/前田雅章)

神怡舘の運営を任命された宮本さんの所属は「小鹿野町おもてなし課 山岳クライミング推進室」。「クライミングで町おこしをする」町の本気度が垣間見える部署名だ。クライミング経験なしだった宮本さんにとっては若干無茶振り人事だったものの、2年でインストラクターも務められるようになったそう。

「クライミングは小中学校の体育の授業にも採用されていて、ハマって通う生徒も多いですよ。職場のクラブ活動としての利用も盛んです」と宮本さん。「クライミングは老若男女が楽しめる素晴らしいスポーツ。ルートごとにレベルが設定されているので目標を決めやすく、お年寄りでも無理なく続けられます。小学生と大人がここで友達になって、競い合い励まし合う姿も日常の光景。神怡舘は住民の健康増進とコミュニティづくりに、とても大切な場所になっています」(宮本さん)

「国内でも有数の規模で、ルートセットも一流です」(平山さん)。学校の授業をきっかけに、将来の活躍を期待されるスーパーキッズも出てきている。取材当日もスーパーキッズが、「ここで友達になった」という20代の社会人らとグループでルートの攻略を研究していた(写真撮影/前田雅章)

「国内でも有数の規模で、ルートセットも一流です」(平山さん)。学校の授業をきっかけに、将来の活躍を期待されるスーパーキッズも出てきている。取材当日もスーパーキッズが、「ここで友達になった」という20代の社会人らとグループでルートの攻略を研究していた(写真撮影/前田雅章)

二子山への入山者が1.7倍に。コロナ禍で増加の事故にもクライマーの知見を活かす

2019年に約4000名だった二子山の入山者数は、2021年に約6800名と急増した。コロナ禍によるアウトドアブームの影響もあるが「2018年までも4000~5000人程度でした。入山者全員がクライマーとは限りませんが、クライミング専門誌に二子山新ルートが紹介された途端、一気にクライマーが増えた実感があります」(宮本さん)
2022年のゴールデンウイーク前後は「びっくりするほど多くのクライマーが二子山に来てくれました」と平山さん。「クライマーの飲食店や温泉の利用も増えて、喜んでいます」(宮本さん)

一方で、一般登山者による事故の増加も顕著になった。
「コロナ禍でアウトドアを始める人が増え、さらに接触を避けての単独行動も増えたことが大きな要因です。上級者と安全確保しながら登るクライミングよりも、ハイキングや登山での事故が圧倒的に多いのです」(宮本さん)

その対策として、町の消防署と小鹿野クライミング協会による情報交換会が開かれている。
「山をよく知るクライマーと救助のプロ、それぞれの立場から危険な場所やヘリコプター救助時の誘導方法などについて、実りある情報交換ができました。両神山や二子山などの大自然を、多くの人に安全に楽しんでもらいたいですね」(宮本さん)

町になじみ、広がっていくクライミングの魅力

平山さんたちクライマーの町おこし活動は、クライミングの枠をはみ出し始めている。

「今年の尾ノ内氷柱づくりには平山さんたちに協力してもらいました」(宮本さん)
尾ノ内氷柱は、尾ノ内渓谷の沢から水をパイプで引き上げてつくられる人工の氷柱群。高さ60m、周囲250mに及ぶ氷柱群がライトアップされた幻想的な風景は、冬の一大観光スポットだ。
「高所での作業は大変危険ですが、クライマーにはお手のものです。地元に恩返しできるいい機会でしたし、作業を任せてもらえるのもクライミングが町になじんできたからかと思うと、うれしかったですね」(平山さん)

「企画の打ち合わせやイベントの出演や、クライミング以外でもしょっちゅう町に来ています」(平山さん)

つり橋とライトアップの景観が美しい尾ノ内氷柱。鑑賞時期は例年1月~2月(写真提供/小鹿野町)

つり橋とライトアップの景観が美しい尾ノ内氷柱。鑑賞時期は例年1月~2月(写真提供/小鹿野町)

「小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの有名クライミングタウン」(平山さん)

10代から世界の名だたる岩場を登ってきた平山さん。「小鹿野町を世界中からクライマーが集まる場所にしていきたい」と語る小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの街。例えば「イタリアにあるアルコ。100を超える岩場に数千のルートがあり、クライマーなら一度は訪れたい憧れの街です。滞在中はクライミングだけでなく、中世の街並みでの散歩や、おいしい食事やお酒も楽しめる。住民のクライミングへの関心も高いので、すぐに仲良くなれます」(平山さん)

「二子山の開発から数年たって、小鹿野町にもクライミングが浸透してきたように感じています。日本の小鹿野町が、欧米に並ぶクライミングスポットになる、未来へのルートが見えてきました」(平山さん)

「イタリアのアルコのレストランの壁にはトップクライマーの写真が飾られていて、僕も“ユージ!”と地元の人から声をかけられていました」(平山さん)。今は小鹿野町の小学生クライマーからも「ユージさん」と親しみを込めて呼ばれている(写真撮影/前田雅章)

「イタリアのアルコのレストランの壁にはトップクライマーの写真が飾られていて、僕も“ユージ!”と地元の人から声をかけられていました」(平山さん)。今は小鹿野町の小学生クライマーからも「ユージさん」と親しみを込めて呼ばれている(写真撮影/前田雅章)

アウトドア以外でも、小鹿野町には古き良き日本の姿がある。有名なのは江戸時代から続く庶民の歌舞伎。農家直売所には新鮮な野菜が並び、商店街では地酒・地ワインも手に入る。疲れた身体を癒やす温泉と、おもてなしが温かい飲食店も点在している。

江戸時代から庶民による歌舞伎が広まった小鹿野町。小鹿野歌舞伎として町内に6カ所ある舞台での上演のほか、各地で訪問公演も行っている(写真提供/小鹿野町)

江戸時代から庶民による歌舞伎が広まった小鹿野町。小鹿野歌舞伎として町内に6カ所ある舞台での上演のほか、各地で訪問公演も行っている(写真提供/小鹿野町)

昭和の面影を残す小鹿野町の商店街(写真撮影/前田雅章)

昭和の面影を残す小鹿野町の商店街(写真撮影/前田雅章)

二子山は世界にも誇れるクライミングスポットとして成熟中だが、「町に宿泊施設がもっと必要」と平山さんの先への課題は明確だ。欧米のようにキャンプ場や自炊できる民泊、コンドミニアムが増えれば、長期滞在も気軽になってくる。

ほんの数年で進化を見せている小鹿野町のクライミングシーン。さらに注目が集まることで宿泊の整備も進み、滞在者や移住者が増え、小鹿野町出身のクライマーが世界で活躍していく、そんな未来もすぐそこなのかもしれない。

●取材協力
・小鹿野町
・Climb Park Base Camp

世界的クライマー・平山ユージが町おこしに本気トライ! 埼玉県小鹿野町をクライミングの聖地へ

2021年前後からクライマーが一気に増えて話題となっている場所がある。埼玉県秩父郡小鹿野町にある二子山だ。そのきっかけは「世界の平山ユージ」と呼ばれるプロクライマーが、クライミングによる町おこしを提案したことだった。

10代から海外で修行、日本クライミング界をリードしてきた平山ユージさん

平山ユージさんは1969年生まれ。15歳でクライミングを始めてから瞬く間に頭角を現し、高校生にして国内トップクライマーの地位についた。17歳になるとアメリカで半年間のトレーニングを経験し、19歳でクライミングの本場に身を置くべく単身渡仏、マルセイユを拠点にヨーロッパやアメリカの難関ルートを制覇。

人口壁で行われる競技会に参加するようになると、1998年に日本人として初のワールドカップ総合優勝を果たし、2000年には2度目の総合優勝。53歳となった今も難関ルートを制し続け、国内外のクライマーから尊敬を集める現役のプロクライマーだ。

平山ユージさん。現役であり続けるとともに、後輩の育成とクライミングの普及にも余念がない。2010年に株式会社Base Campを立ち上げ埼玉県と東京都でクライミングジム3店舗を経営している。世界選手権など重要大会でのテレビ解説もわかりやすく大好評(写真撮影/前田雅章)

平山ユージさん。現役であり続けるとともに、後輩の育成とクライミングの普及にも余念がない。2010年に株式会社Base Campを立ち上げ埼玉県と東京都でクライミングジム3店舗を経営している。世界選手権など重要大会でのテレビ解説もわかりやすく大好評(写真撮影/前田雅章)

入間市に本店を構えるClimb Park Base Camp。ボルダリング壁とロープを使うルートクライミング壁を備え、国内でも最大級の規模を誇る。初心者からオリンピック選手まで多くのクライマーが通い、周辺の店舗にもにぎわいを与えている (写真撮影/前田雅章)

入間市に本店を構えるClimb Park Base Camp。ボルダリング壁とロープを使うルートクライミング壁を備え、国内でも最大級の規模を誇る。初心者からオリンピック選手まで多くのクライマーが通い、周辺の店舗にもにぎわいを与えている (写真撮影/前田雅章)

「二子山の岩場は、世界に比するポテンシャルがある」

「小鹿野町に二子山を中心としたクライミングによる町おこしを提案したのが2008年。当時は形にならずすっかり忘れていたのですが、2018年に町会議員さんから突然電話をいただきました」と平山さん。

平山さんと二子山との出合いは1989年。渡仏中にクライミング仲間から「いい岩場がある」と教えてもらい、一時帰国して登ったときだった。クライミングできるルートは限られていたが、東岳と西岳からなる二子山の雄大さに、整備すれば海外の有名な岩場にも匹敵する場所となる可能性を感じたのだという。

しかし、クライミングルートの整備や開拓は、勝手にできるものではない。
「二子山の所有者の理解や、町の協力がないと成り立ちません。最初はクライミングエリアとして二子山のポテンシャルに引かれたのが大きかったですが、クライマーが訪れたり移住したりする経済効果や、クライミングというスポーツによる住民の健康やコミュニティ促進は、町の発展にも貢献できると確信して企画を提出しました。埼玉の郊外にある秩父、小鹿野町はどうしても少子高齢化が進んでいきますが、都心部からほど近い広大な自然は、町の貴重な資源。クライミングならその資源を十分活用できますから」(平山さん)

四季の道小鹿野展望台からの小鹿野町。晴れた日には百名山・両神山を望む。小鹿野町は日本の滝百選・丸神の滝、平成の名水百選・毘沙門水も有する自然豊かな町 (写真撮影/前田雅章)

四季の道小鹿野展望台からの小鹿野町。晴れた日には百名山・両神山を望む。小鹿野町は日本の滝百選・丸神の滝、平成の名水百選・毘沙門水も有する自然豊かな町 (写真撮影/前田雅章)

町への提案から10年、「クライミングで町おこし」がスタート

提案から10年ほどたった2018年、平山さんは小鹿野町観光大使を委嘱された。
「町会議員に当選したばかりの高橋耕也さんが、過去の企画書を見つけて電話をくれました。少子高齢化問題が明らかになってきたこと、東京オリンピック競技種目にスポーツクライミングが選ばれたこと、町の再生を志す若い世代の議員が当選したこと、いろいろな事柄がうまくはまったのがこのときだったのでしょうね」(平山さん)

そして、平山さんたちクライマーが町に通い続けていたということ。
「企画を提出したことをすっかり忘れていましたが、頻繁にクライミングには来ていました。顔なじみになった、『ようかみ食堂』の店主が高橋議員とつないでくれました」(平山さん)

平山さんは、早速二子山でクライミングエリアの整備を進めるため、クライミング仲間と地元住民による小鹿野町クライミング委員会を2019年に発足。2020年には一般社団法人小鹿野クライミング協会とし、2022年現在は会長職を務めている。

一般社団法人小鹿野町クライミング協会(撮影時・小鹿野町クライミング委員会)メンバーを中心にしたボランティアが、草木をはらい、古く錆びたボルトの打ち替えなど根気がいる地道な作業を重ねて、二子山に魅力的なクライミングルートを再生・開拓している(2020年5月)(写真提供/平山ユージInstagram @yuji_hirayama_stonerider)

一般社団法人小鹿野クライミング協会(撮影時・小鹿野クライミング委員会)メンバーを中心にしたボランティアが、草木をはらい、古くさびたボルトの打ち替えなど根気がいる地道な作業を重ねて、二子山に魅力的なクライミングルートを再生・開拓している(2020年5月)(写真提供/平山ユージInstagram @yuji_hirayama_stonerider)

また、同時期に町営クライミングジムのオープンにも、平山さんは深く携わることになる。

小鹿野町役場の宮本さんにお話を伺うと、「閉館が決定した県営施設の埼玉県山西省友好記念館を残してほしいとの地元の声を受け、町では再利用方法を検討していました。『クライミングで町おこし』を実行するタイミングと重なり、平山さんの全面協力のもと、初心者にも上級者にも楽しんでもらえる本格的クライミング施設が誕生しました」とのこと。

「両神山や二子山といった町自慢の観光資源は、天候に左右されやすい弱点があります。充実した室内施設があれば、国内外のクライマーが長期滞在をプランニングしてくれるきっかけになると考えています」(宮本さん)

唐代の寺院をモデルにした豪奢な記念館をリノベーションした「クライミングパーク神怡舘(しんいかん)」。取り壊すのはもったいない、と埼玉県から町が譲り受けて2020年7月オープン(写真撮影/前田雅章)

唐代の寺院をモデルにした豪奢な記念館をリノベーションした「クライミングパーク神怡舘(しんいかん)」。取り壊すのはもったいない、と埼玉県から町が譲り受けて2020年7月オープン(写真撮影/前田雅章)

傾斜80度~130度のボルダリング壁8面を備える神怡舘。ロープクライミング用のスペースも用意して、二子山など外岩でのクライミングに向けた安全技術の講習も行う(写真撮影/前田雅章)

傾斜80度~130度のボルダリング壁8面を備える神怡舘。ロープクライミング用のスペースも用意して、二子山など外岩でのクライミングに向けた安全技術の講習も行う(写真撮影/前田雅章)

神怡舘の運営を任命された宮本さんの所属は「小鹿野町おもてなし課 山岳クライミング推進室」。「クライミングで町おこしをする」町の本気度が垣間見える部署名だ。クライミング経験なしだった宮本さんにとっては若干無茶振り人事だったものの、2年でインストラクターも務められるようになったそう。

「クライミングは小中学校の体育の授業にも採用されていて、ハマって通う生徒も多いですよ。職場のクラブ活動としての利用も盛んです」と宮本さん。「クライミングは老若男女が楽しめる素晴らしいスポーツ。ルートごとにレベルが設定されているので目標を決めやすく、お年寄りでも無理なく続けられます。小学生と大人がここで友達になって、競い合い励まし合う姿も日常の光景。神怡舘は住民の健康増進とコミュニティづくりに、とても大切な場所になっています」(宮本さん)

「国内でも有数の規模で、ルートセットも一流です」(平山さん)。学校の授業をきっかけに、将来の活躍を期待されるスーパーキッズも出てきている。取材当日もスーパーキッズが、「ここで友達になった」という20代の社会人らとグループでルートの攻略を研究していた(写真撮影/前田雅章)

「国内でも有数の規模で、ルートセットも一流です」(平山さん)。学校の授業をきっかけに、将来の活躍を期待されるスーパーキッズも出てきている。取材当日もスーパーキッズが、「ここで友達になった」という20代の社会人らとグループでルートの攻略を研究していた(写真撮影/前田雅章)

二子山への入山者が1.7倍に。コロナ禍で増加の事故にもクライマーの知見を活かす

2019年に約4000名だった二子山の入山者数は、2021年に約6800名と急増した。コロナ禍によるアウトドアブームの影響もあるが「2018年までも4000~5000人程度でした。入山者全員がクライマーとは限りませんが、クライミング専門誌に二子山新ルートが紹介された途端、一気にクライマーが増えた実感があります」(宮本さん)
2022年のゴールデンウイーク前後は「びっくりするほど多くのクライマーが二子山に来てくれました」と平山さん。「クライマーの飲食店や温泉の利用も増えて、喜んでいます」(宮本さん)

一方で、一般登山者による事故の増加も顕著になった。
「コロナ禍でアウトドアを始める人が増え、さらに接触を避けての単独行動も増えたことが大きな要因です。上級者と安全確保しながら登るクライミングよりも、ハイキングや登山での事故が圧倒的に多いのです」(宮本さん)

その対策として、町の消防署と小鹿野クライミング協会による情報交換会が開かれている。
「山をよく知るクライマーと救助のプロ、それぞれの立場から危険な場所やヘリコプター救助時の誘導方法などについて、実りある情報交換ができました。両神山や二子山などの大自然を、多くの人に安全に楽しんでもらいたいですね」(宮本さん)

町になじみ、広がっていくクライミングの魅力

平山さんたちクライマーの町おこし活動は、クライミングの枠をはみ出し始めている。

「今年の尾ノ内氷柱づくりには平山さんたちに協力してもらいました」(宮本さん)
尾ノ内氷柱は、尾ノ内渓谷の沢から水をパイプで引き上げてつくられる人工の氷柱群。高さ60m、周囲250mに及ぶ氷柱群がライトアップされた幻想的な風景は、冬の一大観光スポットだ。
「高所での作業は大変危険ですが、クライマーにはお手のものです。地元に恩返しできるいい機会でしたし、作業を任せてもらえるのもクライミングが町になじんできたからかと思うと、うれしかったですね」(平山さん)

「企画の打ち合わせやイベントの出演や、クライミング以外でもしょっちゅう町に来ています」(平山さん)

つり橋とライトアップの景観が美しい尾ノ内氷柱。鑑賞時期は例年1月~2月(写真提供/小鹿野町)

つり橋とライトアップの景観が美しい尾ノ内氷柱。鑑賞時期は例年1月~2月(写真提供/小鹿野町)

「小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの有名クライミングタウン」(平山さん)

10代から世界の名だたる岩場を登ってきた平山さん。「小鹿野町を世界中からクライマーが集まる場所にしていきたい」と語る小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの街。例えば「イタリアにあるアルコ。100を超える岩場に数千のルートがあり、クライマーなら一度は訪れたい憧れの街です。滞在中はクライミングだけでなく、中世の街並みでの散歩や、おいしい食事やお酒も楽しめる。住民のクライミングへの関心も高いので、すぐに仲良くなれます」(平山さん)

「二子山の開発から数年たって、小鹿野町にもクライミングが浸透してきたように感じています。日本の小鹿野町が、欧米に並ぶクライミングスポットになる、未来へのルートが見えてきました」(平山さん)

「イタリアのアルコのレストランの壁にはトップクライマーの写真が飾られていて、僕も“ユージ!”と地元の人から声をかけられていました」(平山さん)。今は小鹿野町の小学生クライマーからも「ユージさん」と親しみを込めて呼ばれている(写真撮影/前田雅章)

「イタリアのアルコのレストランの壁にはトップクライマーの写真が飾られていて、僕も“ユージ!”と地元の人から声をかけられていました」(平山さん)。今は小鹿野町の小学生クライマーからも「ユージさん」と親しみを込めて呼ばれている(写真撮影/前田雅章)

アウトドア以外でも、小鹿野町には古き良き日本の姿がある。有名なのは江戸時代から続く庶民の歌舞伎。農家直売所には新鮮な野菜が並び、商店街では地酒・地ワインも手に入る。疲れた身体を癒やす温泉と、おもてなしが温かい飲食店も点在している。

江戸時代から庶民による歌舞伎が広まった小鹿野町。小鹿野歌舞伎として町内に6カ所ある舞台での上演のほか、各地で訪問公演も行っている(写真提供/小鹿野町)

江戸時代から庶民による歌舞伎が広まった小鹿野町。小鹿野歌舞伎として町内に6カ所ある舞台での上演のほか、各地で訪問公演も行っている(写真提供/小鹿野町)

昭和の面影を残す小鹿野町の商店街(写真撮影/前田雅章)

昭和の面影を残す小鹿野町の商店街(写真撮影/前田雅章)

二子山は世界にも誇れるクライミングスポットとして成熟中だが、「町に宿泊施設がもっと必要」と平山さんの先への課題は明確だ。欧米のようにキャンプ場や自炊できる民泊、コンドミニアムが増えれば、長期滞在も気軽になってくる。

ほんの数年で進化を見せている小鹿野町のクライミングシーン。さらに注目が集まることで宿泊の整備も進み、滞在者や移住者が増え、小鹿野町出身のクライマーが世界で活躍していく、そんな未来もすぐそこなのかもしれない。

●取材協力
・小鹿野町
・Climb Park Base Camp

※訂正:22年7月1日、読者のご指摘により一部修正をいたしました。
小鹿町→小鹿野町

白馬の山・湖・空・雪原、大自然で「エクストリームワーケーション」! 今までの“労働観”が変わった

ワークとバケーションを組み合わせた「ワーケーション」、多くの人が興味を寄せていて、旅行サイトやホテルなどの宿泊施設でもさまざまなプランを目にするように。そんななか、あえて大自然など仕事をするには厳しい環境下でワーケーションをする「エクストリームワーケーション」を実践している人がいます。その“極限の仕事ぶり”を現地からお伝えします。

パソコンさえあれば、極限状態でも仕事はできる!

エクストリームワーケーションを実践しているのは、株式会社ニットで会社員をしている西出裕貴さん。定額全国住み放題のサービス「ADDress」を利用し、その利用者仲間で「エクストリームワーケーション部」を結成、現在、部長を務めています。仕事はフルリモートということもあり、全国の複数の拠点で暮らしていますが、今回はエクストリームワーケーションの場所として長野県白馬村の河川敷で仕事をするというので、さっそくお邪魔してきました。

ほんとにここで仕事……? この日は白馬のコーヒー屋さん「 HAKUBA COFFEE STAND」の大石学さんも、コラボ動画をつくるために同席していました。プロにコーヒーを淹れてもらうとか、ちょっと何がなんだかわからない状況です(写真撮影/嶋崎征弘)

ほんとにここで仕事……? この日は白馬のコーヒー屋さん「 HAKUBA COFFEE STAND」の大石学さんも、コラボ動画をつくるために同席していました。プロにコーヒーを淹れてもらうとか、ちょっと何がなんだかわからない状況です(写真撮影/嶋崎征弘)

ワーケーションといっても、滞在先のホテルに缶詰になり、子どもたちや家族が遊んでいて、大人は都会と同様にPC前で作業に追われる――なんていう様子をイメージする人も多いはず。もともと、エクストリームとは「極限の」「過激な」という意味で、「エクストリームワーケーション」は直訳すれば、「過激な・極端なワーケーション」になります。単にワーケーションをするのではなく、ありえない限界の環境で働くということでしょうか。ちょっと過去の写真を拝見するだけでも、これで仕事になるの……? と疑問はつきません。

(写真提供/西出さん)

(写真提供/西出さん)

(写真提供/西出さん)

(写真提供/西出さん)

(写真提供/西出さん)

(写真提供/西出さん)

取材日、山の稜線は美しく、川のせせらぎは耳に心地よい、最高な環境でした。いくらPCとネット環境が整えば働けるとはいえ、これで働けるのでしょうか。西出さんとともにエクストリームワーケーション活動をする仲間のヒョンさんにも話を聞いてみました。

澄み渡った青空と眩しい太陽。心躍る環境です(写真撮影/嶋崎征弘)

澄み渡った青空と眩しい太陽。心躍る環境です(写真撮影/嶋崎征弘)

会社員でありながら、多拠点生活を送る西出裕貴さん(写真撮影/嶋崎征弘)

会社員でありながら、多拠点生活を送る西出裕貴さん(写真撮影/嶋崎征弘)

「大自然のなかにいると、それだけで幸福度が上がるという研究もあるほどですし、景色や環境からインスピレーションを得られることも。例えば、一般財団法人たらぎまちづくり推進機構(熊本県多良木町)と『ADDress』が連携して3日間にわたってさまざまな講座を行う『たらぎつながるDAYS』という関係人口創出プロジェクトを行ったときに僕も講師を務めたのですが、そのなかで『楽しく働けるワーケーションマップを作ろう』というコンテンツのアイデアにつながりました。こんな環境下だからこそ、仕事の考え事やアイデア出しが捗るし、展開や構想を練ることができると思っています」(西出さん)

ヒョンさんも、「自然の環境のなかだと、考えごとや何気ない会話がよい仕事、企画につながる気がしますね。ただ、メールの返信やオンライン会議などの、『作業』的なものは近くの屋内のワークスペースを利用しています」と続けます。

「『エクストリームワーケーション』と聞くと、“極限状態で働くワーケーション”という印象を持つ方が多くいますが、極限状態でなくても大丈夫です。エクストリームワーケーションとは、自分の好きな 、あるいは心地良いワークスタイルを探究していくこと。“極限”は人によって異なります。今までやっていないこと、あるいは普段の働き方を一段深めてみることも一種の“極限状態”です。なので普段の働き方と異なるワークスタイルをすることはもちろん、ガジェットや音楽、コーヒーなど働く中で自分の好きなもの・これなら楽しく働けそうと思うものを取り入れてみることも、立派なエクストリームワーケーションです。ぜひ、できるところから、楽しみながらワクワクするワークスタイルを探究してもらえたら嬉しいですね」(西出さん)

1回あたりのエクストリームワーケーションは1時間から2時間程度で終えて移動し、屋内のワークスペースに移動することが多いそう。ワクワクする、気持ちが晴れやかになる環境やアクティビティを選ぶことが多いといいます。そのため、アウトプットの質が大切になる「クリエイティブ」「思考型」の仕事がより向いていると解説します。

左のヒョンさんは、IT企画職・マーケティング職で現在はフリーランス(写真撮影/嶋崎征弘)

左のヒョンさんは、IT企画職・マーケティング職で現在はフリーランス(写真撮影/嶋崎征弘)

父の余命宣告で考えた、働くことと場所、移動の意味

今でこそアクティブにストレスなく仕事をしている西出さんですが、もともとは多くの人と同様に、仕事漬けの日々だったといいます。

「都内のシングル向け物件に暮らして、朝出社して深夜の日付が変わるころに帰宅、土日は眠って夕方にぼんやり家事して夜は遊びに行って……そんな生活を送っていまいた。転機になったのは、父の余命宣告です。大病を患い、あと1年と宣告されたんです。僕は関西出身なので、年に2回帰省していたんですが、単純に考えれば会えるのはあと2回。そのとき今のこの働き方でいいのか、自分は幸せなのか、すごく考えて、考え抜いて、フルリモートワークの会社に転職したんです」(西出さん)

眼下に流れる川のせせらぎが心地よく、日ごろのイライラ、モヤモヤを洗い流してくれるよう(写真撮影/嶋崎征弘)

眼下に流れる川のせせらぎが心地よく、日ごろのイライラ、モヤモヤを洗い流してくれるよう(写真撮影/嶋崎征弘)

お父様の余命宣告をうけ、転職という大きな決断をした西出さん、さっそく大阪と東京の2拠点生活をはじめ、ワーケーションにもチャレンジしていたそう。そんなさなかの2020年、新型コロナウィルスの流行に伴い、移動が制限される状況になってしまいます。

「移動できなくなってしまって、狭い空間で仕事することが増えました。ここであらためて、働き方はもちろん、自分は行動を制限されることがつらいのだな、と痛感しました。家族であっても、いつも同じ空間にいなくてはいけないのはストレスも大きい。同時に仕事のパフォーマンスも落ちることを痛感しました」(西出さん)

転職のきっかけとなったお父様を無事に見送り、現在では全国の感染状況を鑑みつつ、さまざまな場所で多拠点生活を送っています。
「スーツケースとリュックに荷物を詰めて、移動して暮らしています。大阪の実家に帰るのは衣替えのときくらいですね(笑)」

一方のヒョンさんは、現在、夫と二人暮らし。コロナ禍をきっかけに完全在宅勤務となりましたが、家以外のくつろぎの場所を求めて、2021年から「ADDress」で多拠点生活をスタート。そして「エクストリームワーケーション」を体験するなかで、なんと会社を退職することを決断し、現在はフリーランスになりました。

大自然を背景に記念に一枚。繰り返しますが仕事中の1枚です(写真撮影/嶋崎征弘)

大自然を背景に記念に一枚。繰り返しますが仕事中の1枚です(写真撮影/嶋崎征弘)

ちゃんと仕事にも集中します(写真撮影/嶋崎征弘)

ちゃんと仕事にも集中します(写真撮影/嶋崎征弘)

「会社はフルリモートOKで、お給料の不安もなく、安定・安心なのはわかっていたんですが、ぜんぶ守られているでしょう。そこから一度、飛び出してみたくて(笑)」と決断した理由を話します。

なんでしょう、一度、「エクストリームな状態」で働いてしまうと、オフィスビルに通って仕事をするというスタイルに戻れなくなるのでしょうか。「どこでもできる!」というのが大きな自信につながり、変化を恐れない人になれる、そんな魅力があるようです。

パフォーマンスアップ、ストレス減、プライベート充実……といいことづくめ

エクストリームワーケーションを通して西出さんが実感したのは、「自分の好きな、あるいは心地良いワークスタイルを自ら主体的に選べることが働く上で最も豊かな気持ちになること」

(画像提供/西出さん)

(画像提供/西出さん)

「決められた時間に決められた場所に行って、時間になったら帰るのが当たり前になっていますが、でも、本来、人って心地よく働ける時間も場所も違うでしょう。朝型の人もいれば、超夜型の人もいる。別に都会の高層ビルで働かなくてもいい。好きな場所で好きなように働くことができれば、もっと多くの人が幸せになれると思うんです」と話します。

ほかにも、エクストリームワーケーションの良さとして、「ボーダレスなので、一緒にエクストリームワーケーションをするメンバーは社外の人でもOK。他の会社の方・職業が異なる方・あるいは実際にその地域に住む人としてもよいので、地域の人とのつながりができること」を挙げてくれました。

「今回のエクストリームワーケーションの極限ポイントは、“コーヒー”と“リモートワーカーと働くスタイルが正反対の白馬のコーヒー屋さんとコラボをすること”でした。『HAKUBA COFFEE STAND』学さんは、ADDressで白馬を訪れるようになったことで繋がった友人で、コーヒーに対するこだわりや新しいものをどんどん取り入れて追求し、継続していく姿にいつも尊敬の念が尽きません。この絶景の中、尊敬する学さんがセレクトしたコーヒーを飲んで仕事をしたら絶対楽しいだろうなぁと思ったし、学さんもYouTube配信でいろんな人とコラボしたいと話していたので、もしかしたらWin-Winの関係になるかもと思って、今回コラボ打診しました。そしたら『いいね!やろう!』と二つ返事でOKをもらえたので、嬉しかったですね」(西出さん)

「HAKUBA COFFEE STAND」の大石さんが淹れてくれたコーヒーでひと息(写真撮影/嶋崎征弘)

「HAKUBA COFFEE STAND」の大石さんが淹れてくれたコーヒーでひと息(写真撮影/嶋崎征弘)

ヒョンさんは、大きなストレスにもなる人間関係のあつれきが減ることも挙げます。

「この環境だとノーストレスなんです。出社している時のように会社の人に気を使ったりすることもなく、ストレスを感じそうな時も自然が緩和してくれます。また、複数の拠点で働くので、複数のコミュニティとつながっていられる。何か嫌なことがあっても、別のコミュニティの人と話してると、大した悩みじゃなかったなと、気にならなくなるんですよ」と朗らかです。

豆を挽いて挽きたてコーヒーを淹れてもらう。この日、大石さんはYouTubeでライブ配信をしていました(写真撮影/嶋崎征弘)

豆を挽いて挽きたてコーヒーを淹れてもらう。この日、大石さんはYouTubeでライブ配信をしていました(写真撮影/嶋崎征弘)

静岡県出身の大石さん。白馬の環境に惹かれ、移住してきた一人です(写真撮影/嶋崎征弘)

静岡県出身の大石さん。白馬の環境に惹かれ、移住してきた一人です(写真撮影/嶋崎征弘)

地方ならではの出会いがある多拠点生活。多数の人と接点ができることで、人間関係のストレスが減るといいます(写真撮影/嶋崎征弘)

地方ならではの出会いがある多拠点生活。多数の人と接点ができることで、人間関係のストレスが減るといいます(写真撮影/嶋崎征弘)

外で飲むコーヒーはまた格別です!(写真撮影/嶋崎征弘)

外で飲むコーヒーはまた格別です!(写真撮影/嶋崎征弘)

エクストリームな環境下でも仕事ってできるんですね(写真撮影/嶋崎征弘)

エクストリームな環境下でも仕事ってできるんですね(写真撮影/嶋崎征弘)

もちろん、現在の世の中で「エクストリームワーケーション」ができる業種・業態は限られています。ただ、テレワークをできる人が、「エクストリームワーケーション」や「ワーケーション」を導入することで、渋滞や混雑が緩和できたり、繁忙期の負荷が軽減され、結果としてすべての働く人の幸せ度があがるのかもしれないなと思えました。

かつてない感染症を経験した今、「定時出社」「満員電車に揺られる」「都会のビルで長時間労働」のようなかつてのノーマルには戻らないかもしれません。働く場所や暮らしはもっと自由でいい。なんなら、自分達で好きな心地良いワークスタイルをつくってもいい。だとしたら、西出さん、ヒョンさんのように、変化を楽しんだもの勝ち、なのかもしれません。

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

●取材協力
エクストリームワーケーション
西出 裕貴さん(note)
ヒョン さん
HAKUBA COFFEE STAND

タクシー相乗り、ついに解禁! 気になる料金や乗車方法など最新事情を聞いた

国土交通省はタクシーの「相乗りサービス」制度を2021年11月から導入した。その仕組みやメリットとは? 今後「相乗りサービス」はどこに住んでいても使えるようになるのだろうか? 先陣を切って参入し、実際に同サービスを2022年2月24日から開始した、タクシーの相乗りサービスを手がけるNearMe(ニアミー)の髙原幸一郎社長と、事業開発担当の真弓聖悟さんに話を伺い、今後の展開を探った。

アプリなどを使い同乗者をマッチングするサービス

国土交通省が2021年11月から導入したタクシーの「相乗りサービス」制度とは、配車アプリなどを使い、目的地が近い利用者同士をマッチングして、タクシーに相乗りできるようにする制度。従来は客同士が事前に相談して相乗りするケースはあっても、システムとして運用されるのは初めてとなる。国としては、このサービスによってタクシー事業者の生産性向上を図るのが狙いだ。

(写真提供/NearMe)

(写真提供/NearMe)

(画像提供/NearMe)

(画像提供/NearMe)

原則として乗車距離に応じて利用者ごとに料金が案分される(下図参照)。そのため利用者としては割安にタクシーを利用できる。これまでタクシーの相乗りといえば、多くは同じ方面を利用する知り合い同士での利用に限られていたうえ、先に降りる人が最後まで乗る人に「なんとなく案分」して支払っていたが、このサービスを利用すれば明朗会計できるというわけだ。

(画像提供/国土交通省)

(画像提供/国土交通省)

さらに「自宅から勤務先など、相乗りタクシーによるドアツードアが普及すれば、朝晩などの需要の多いときに配車ができない状況を減らすことができ、相乗りをすることで環境負荷の削減になります。また電車やバスなど公共交通機関の混雑の解消にもつながりますし、東日本大震災の時のように災害等で公共交通機関が止まってしまった場合、『自由に移動できる車』をシェアすることで、たくさんの人が恩恵を受けやすくなります」とNearMe(ニアミー)の髙原社長。

同社はタクシーの相乗りサービス解禁を受けて、いち早く2022年2月24日から「nearMe.Town(ニアミータウン)」を開始した。サービスエリアは東京都の中央区・千代田区・港区・江東区の4区だ。同社は従来から自宅やホテルと空港をドアツードアで送迎する「nearMe.Airport(ニアミーエアポート)」サービスなどを展開している交通関連サービス事業者だ。
タクシーの相乗りサービス「ニアミータウン」を利用するには、まず専用アプリやウェブサイトからの会員登録が必要だ。その後アプリやウェブサイト上で利用したい日時と乗降場所を設定する。すると24時間以内に配車可否のメールが届くので、あとはそれを見て利用する。支払は登録しておいたクレジットカードで乗車後に決済されるので、誰一人タクシー内で財布を出す必要はない。

(写真提供/NearMe)

(写真提供/NearMe)

(画像提供/NearMe)

(画像提供/NearMe)

電車やバスよりも同乗者を特定しやすいので安心

実際どんな人が利用しているのだろう。同社の真弓さんによれば「ニアミータウンの利用者の約40%は通勤や通学に利用される方です。また買い物や子どもの塾への送迎など、昼間の利用も意外と多いようです」という。

利用者からは「一人でタクシーを使うより安く使えて便利」という声だけでなく、「通勤時のストレスが緩和された」「乗り替えをしなくていいから便利」「コロナ禍で混雑を避けたいが、これなら安心」といった声が上がっているそうだ。

(写真提供/NearMe)

(写真提供/NearMe)

一方で「どれくらいの金額や時間で利用できるのかわからない」「相乗りはなんだか不安」といった声もあるという。これに対して同社では「申し込み画面に『このくらいの距離なら料金はこれくらい』といった事例を挙げるなど、利用イメージが湧きやすいよう随時改善しています」(真弓さん)。さらにサイトには問い合わせ用のチャットも用意されている。

また、見知らぬ人とのタクシーの相乗りは、確かに不安に思う人も多いかもしれない。しかし「会員登録は2段階認証ですし、いつ誰がどこで乗ったか把握できます。電車やバスも、広い意味で『相乗り』ですが、それらよりも追跡しやすいサービスです」(真弓さん)。決済とつながっていることからも、素性のわからない人が利用することがなく、万が一の際でも、相手を特定することが容易というわけだ。

「実際ニアミータウンより先に、私たちは約2年前から空港と自宅やホテルを結ぶ同様の相乗りサービス『ニアミーエアポート』を運用していますが、これまでにトラブルは起きていません」(真弓さん)

公共交通機関のほかに「割安に乗れるタクシー」が加わった

タクシーの相乗りサービス制度がもたらす恩恵を考えるためにも、既存の交通機関との相違点をもう少し細かく見てみよう。まず従来のタクシーとの違いは先述の通り「安く利用できる」という点だ。一方複数人で利用するため、一人で乗るよりも多少到着時間は読みにくくなる。ただし「ニアミータウン」のAIが、何人かいる利用者の中から最適なマッチングと、それによる最適なルートを提示するので、それほど心配する必要はないだろう。

また電車やバスといった公共交通機関よりも時間や乗降場所の融通が効き、混雑した車内とも無縁であることは言うまでもない。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

一方で最近流行の「ラストワンマイル」の乗り物、例えばシェアリングの自転車や電動キックボードなどと比べると、長距離を移動できるという違いがある。現状「ニアミータウン」の利用者は5km前後の移動にこのサービスを使うことが多いという。電動キックボード等で移動するにはハードな距離だし、特に雨の日はタクシーのほうが楽だ。そもそも「ラストワンマイル」とは駅や停留所からの「あとワンマイル」なのだから。

「今はサービスエリアが4区のみですが、今後エリアが拡大すればもっと利用距離が延びる可能性はあります」(真弓さん)

ちなみに以前紹介したシェアリングのタクシー利用サービス「mobi」も、特定エリアの半径2km以内が基本のラストワンマイルサービスだ。そのため同じタクシーでも、自宅と勤務先のドアツードアで利用できる「ニアミータウン」とは自然と利用目的が異なる。

またカーシェアリングと違い、車を取りに行ったり、行き先で駐車場を探したり、そもそも自分で運転する必要がないのもタクシーの相乗りサービスの特徴だ。

つまり「タクシーの相乗りサービス」は我々利用者にとって、文字どおりタクシーの利便性をそのまま享受でき、多少時間は読みにくくなる可能性はあるが、利用料金が安くなるというサービス。ラストワンマイルの乗り物とは距離がまったく違うため、公共交通機関とは違う新たな移動の選択肢が増えた、あるいはタクシーの新しい利用方法が生まれた、と捉えるとわかりやすいだろう。

(写真提供/NearMe)

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新しい街づくりに欠かせない!?タクシー相乗り

先述の通り、現在は中央区・千代田区・港区・江東区の4区でサービスが展開されている「ニアミータウン」だが、今後は「なるべく早い時期に東京都の23区にサービスエリアを広げていき、将来的には全国各地で展開したいと考えています」(髙原社長)という。

「ただし人口密度が低く、シェアする人が少ないエリアでは現状のビジネスモデルでは成り立ちません。過疎地での高齢者の通院など、顕在化している社会問題をこのサービスを使って解決したいと考えていますが、そういったエリアでは行政とタッグを組むなど、プラスアルファの施策を考える必要があります」(髙原社長)

一方で「これから生まれる新しい街」には、最初から「ニアミータウン」が利用できる可能性があるかもしれないという。現在「ニアミータウン」は三井不動産とShareTomorrowが提供しているモビリティサービス「&MOVE」と連携しているが、実はこうした不動産ディベロッパーとのタッグが、「移動が便利な新しい街づくり」にひと役買いそうなのだ。

(写真提供/NearMe)

(写真提供/NearMe)

三井不動産とShareTomorrowの「&MOVE」は三井不動産が手がけたホテルやマンション、商業施設等の利用者に提供されているもので、例えば自宅マンションから商業施設へ行く際に、これまで専用アプリを使ってタクシーやカーシェアリング、シェアリングサイクルといった「移動手段」を提供していたのだが、その選択肢の1つに「ニアミータウン」が加えられた。

ここから見えてきたのが、駅から多少離れているマンションでも、タクシー相乗りサービスがあれば移動の不安が解消されるというメリットだ。例えば「眺望はいいけれど駅から少し離れたエリア」にも、マンションが建てられる可能性があるというわけだ。そうなると『徒歩何分』という従来のマンションの価値の1つが希薄になる。

しかも大規模なマンションほどシェアする人が増える、つまり人口密度が高くなるので、タクシー相乗りサービスはその利便性を発揮しやすい。また大規模なマンションができれば、近くにレストランやスーパーをはじめ、様々な商業施設もできるだろうし、そうなればちょっとした街が1つ出来上がる。そんな「これから生まれる新しい街」づくりに、タクシー相乗りサービスがひと役買う可能性があるというわけだ。

タクシーの新しい乗り方は、単に利用料金を安く抑えられるというメリットがあるだけでなく、新しい街を作る可能性も秘めている。今後どんな場所に「移動が便利な新しい街」が生まれるのか、注目してみたい。

●取材協力
株式会社NearMe
nearMe.Airportサービスサイト
nearMe.Townサービスサイト

口コミで移住者急増! アート、オーガニックなど活動が拡散し続ける理由を地元不動産会社2代目に聞いた 神奈川県二宮町

改札口から出ると、鎌倉や辻堂、藤沢に代表されるようないわゆる「湘南」の華やかさとは異なるゆるりとした空気が流れる二宮駅。「湘南新宿ラインで大磯と国府津の間」といえば、何となく海沿いのまちを想像いただけるだろうか。神奈川県二宮町(にのみやまち)は、5年ほど前から少しずつ「ものづくり」を好む人たちに支持されて移住者が増え、転入人口が転出人口を上回る年が増えているという。今、二宮で何が起きているのか。小さなまちの中で暮らす人とその営みを、美しい海と里山の風景とともにお届けする。

「幸福の本質が二宮にある」と気づいた、不動産会社の2代目吾妻山の中腹から二宮駅と相模湾を望む。自然と人の営みとが美しく調和している(写真撮影/相馬ミナ)

吾妻山の中腹から二宮駅と相模湾を望む。自然と人の営みとが美しく調和している(写真撮影/相馬ミナ)

“二宮”といえば最初に名前が挙がる人、それがまちの人が「プリンス・ジュン」と呼ぶ太平洋不動産の宮戸淳さんだ。宮戸さんは父が創業した不動産会社の店長として、日々、二宮の住まいやまちの魅力をブログで発信し、イベントがあればプリンス・ジュンとして参加し、場を盛り上げてきた。

太平洋不動産の宮戸淳さん。父が創業した不動産会社の店長をしている(写真撮影/相馬ミナ)

太平洋不動産の宮戸淳さん。父が創業した不動産会社の店長をしている(写真撮影/相馬ミナ)

町内のイベントなどの際には「プリンス・ジュン」として登場し、場をわかせる(写真/唐松奈津子)

町内のイベントなどの際には「プリンス・ジュン」として登場し、場をわかせる(写真/唐松奈津子)

宮戸さんは生まれも育ちも二宮。高校を卒業してから千葉の大学に進学し、東京の不動産会社に就職した。「10年間、二宮を離れたことで地元の良さを再認識した」と言う。

「僕は、都心ではお金を使うこと、つまり消費によって心を満たしていたと思います。ところが、二宮に戻ってきて、日常生活の中で目に入る風景に癒やされていることに気づいて。自然を身近に感じて心が満たされる、幸福の本質はここにあると思いました」(宮戸さん)

町の南側は海。ちょっとした街角にも海の気配を感じることができる(写真撮影/相馬ミナ)

町の南側は海。ちょっとした街角にも海の気配を感じることができる(写真撮影/相馬ミナ)

一つのパン屋の存在で「人の流れが変わった」

しばらくは東京にいたころと同じ感覚で不動産の仕事をしていた宮戸さん。その意識を大きく変えたのが、今や二宮を代表するお店となった小さなパン屋「ブーランジェリー・ヤマシタ」の店主、山下雄作さんとの出会いだった。

「もともと山下さんは会社員をされていて、静かな場所で暮らしたいと10年前に茅ヶ崎から二宮に移住してきた方。お住まいを私が紹介したんです。その2年後、8年ほど前に山下さんが誰も見向きもしないような放置された空き家を見つけて『ここでパン屋をやりたい、所有者さんに当たってほしい』と相談されました」(宮戸さん)

山下さんはその空き家をたくさんの人の力を借りながらもできる範囲で自分の手でリノベーションした。出来上がった店舗を見たときのことを思い出し、宮戸さんは「こんなオシャレなお店が二宮にできるなんて衝撃だった」と言う。

取材に訪れた日も、店の前には「何を買おうか」とパンを楽しみに待つ人の行列ができていた(写真/唐松奈津子)

取材に訪れた日も、店の前には「何を買おうか」とパンを楽しみに待つ人の行列ができていた(写真/唐松奈津子)

「食堂」と呼ぶイートインスペースは、信頼できる大工さんとともに倉庫だった場所をリノベーションして雰囲気のあるすてきな店舗に改装(写真撮影/相馬ミナ)

「食堂」と呼ぶイートインスペースは、信頼できる大工さんとともに倉庫だった場所をリノベーションして雰囲気のあるすてきな店舗に改装(写真撮影/相馬ミナ)

ハード系のパンが中心に並ぶ店内。午後早めの時間には売り切れていることもしばしば(写真撮影/相馬ミナ)

ハード系のパンが中心に並ぶ店内。午後早めの時間には売り切れていることもしばしば(写真撮影/相馬ミナ)

「ブーランジェリー・ヤマシタはおいしいパン、オシャレなお店というだけでなく、二宮の人の流れそのものを変えました。店内では展示会や演奏会などが開催され、日々の暮らしにアートや音楽を取り入れながら、心豊かに暮らそうとする人たちが集まるようになったんです。お店一つで地域の価値が変わった、と感じた瞬間でした」(宮戸さん)

空き家の入居者をプレゼン方式で募集

山下さんのような人が増えれば、まちの価値自体がどんどん上がっていく。町内には、まだ放置されている空き家がいっぱいある。そのことに気づいた宮戸さんは「自分のまちの見方、不動産との関わり方自体が変わっていった」と話す。

まず、町内に点在する空き家について、プレゼン形式で入居者を募集することにした。現在、諏訪麻衣子さんと養鶏も営む農家が一緒に営業しているお店「のうてんき」も、その一つ。当初は、宮戸さんが空室になった平屋をコミュニティスペースにする目的で地域の人たちと一緒にリノベーションし、「ハジマリ」という屋号でお店を開いてみたい人たちに貸したり、ワークショップを開催したりしてきた。今はとれたての卵やオーガニック野菜などを農家が直接販売できる場所としてオープン。「二宮の農家さんを応援したい」と活動している諏訪さんと仲間たちがお店番をやりながら、その野菜と卵を使った料理を振る舞っている。

古い平屋を町内のアーティストがペイント。カラフルなガーランドとともに訪れる人を温かく迎えてくれる(写真撮影/相馬ミナ)

古い平屋を町内のアーティストがペイント。カラフルなガーランドとともに訪れる人を温かく迎えてくれる(写真撮影/相馬ミナ)

古い平屋を改装した「のうてんき」の店内(写真撮影/相馬ミナ)

古い平屋を改装した「のうてんき」の店内(写真撮影/相馬ミナ)

外のテラスでも食事ができる(写真撮影/相馬ミナ)

外のテラスでも食事ができる(写真撮影/相馬ミナ)

二宮の農家がつくった、採れたて野菜が諏訪さんの手で美しく、体に優しい料理に。この日のランチメニューは2種類(お豆と野菜)のカレー(写真撮影/相馬ミナ)

二宮の農家がつくった、採れたて野菜が諏訪さんの手で美しく、体に優しい料理に。この日のランチメニューは2種類(お豆と野菜)のカレー(写真撮影/相馬ミナ)

以後、町内のさまざまな場所でマルシェが開催されるようになった。2016年、町と地域と神奈川県住宅供給公社が連携し、二宮団地の再編プロジェクトが始まったころから「二宮が面白いよ」という声が口コミで広がる。まさに転入が転出を超過し始めた5年ほど前から、宮戸さんも肌でまちの盛り上がりを感じられるようになってきたそう。それまでは何か面白いことがあれば首を突っ込んでは追いかけ、ブログで紹介してきた宮戸さんだが「町内の各所で自発的に面白い活動が展開・拡散し続けた今は、もはや自分の手に負えない」と笑う。

月に1つのペースで増えて続ける「壁画アート」で彩られるまち

そんな宮戸さんが今、準備を進めているのが、2022年10月に開催予定のアートイベント「二宮フェス」だ。このイベント開催の背景には2年半前から「Area8.5(エリア・ハッテンゴ)」としてこの地域を盛り上げようという動きの中で、Eastside Transitionのアーティストである乙部遊さんと、ディレクターの野崎良太さんによる壁画アート活動がある。

彼らには「アートでこのエリアに彩りを与え、活性化し、他のエリアからも注目されたい。この活動を通じて、このエリアに住む若い世代に地元への誇りや愛着を持ってもらいたい」という想いがあった。そして、想いに共感したEDOYAガレージの江戸理さんが手始めに自宅の外壁に絵を描いてもらうことにしたのだ。

乙部さんがNYから二宮に移り住む前から、作品のファンだったという江戸さん(写真撮影/相馬ミナ)

乙部さんがNYから二宮に移り住む前から、作品のファンだったという江戸さん(写真撮影/相馬ミナ)

自宅ガレージのシャッターと壁に乙部さんに絵を描いてもらったのがArea8.5内のアート活動の始まり(写真撮影/相馬ミナ)

自宅ガレージのシャッターと壁に乙部さんに絵を描いてもらったのがArea8.5内のアート活動の始まり(写真撮影/相馬ミナ)

このカッコ良さに注目をする人が増え、2人のもとには壁画制作の依頼が相次ぐようになった。創業109年を迎える地元の印刷会社、フルサワ印刷の真下美紀さんもその活動に魅せられた一人だ。壁画の完成後、若い人はもちろん、近隣に住む年配の人も会社の前を訪れては「よくぞ描いてくれた」と褒めてくれるのだと言う。

大正時代から続く老舗、フルサワ印刷の外壁。Eastside Transitionの作品が町内を彩る(写真撮影/相馬ミナ)

大正時代から続く老舗、フルサワ印刷の外壁。Eastside Transitionの作品が町内を彩る(写真撮影/相馬ミナ)

アメリカン雑貨を扱う「D-BOX」の看板(写真撮影/相馬ミナ)

アメリカン雑貨を扱う「D-BOX」の看板(写真撮影/相馬ミナ)

町内の壁画は今も月に1カ所のペースで増え続けており、野崎さんによれば、2022年5月末時点で「既に18カ所目の壁画制作の予定まで決まっている」らしい。

Eastside Transitionが経営するアートギャラリー「8.5HOUSE」(写真撮影/相馬ミナ)

Eastside Transitionが経営するアートギャラリー「8.5HOUSE」(写真撮影/相馬ミナ)

店内ではさまざまなアート作品やTシャツを扱う(写真撮影/相馬ミナ)

店内ではさまざまなアート作品やTシャツを扱う(写真撮影/相馬ミナ)

「オーガニック」「エコ」の流れは二宮のまちにとっての「必然」

もう一つの新しい波として、宮戸さんは「オーガニック」「エコ」の流れが二宮に来ていることを挙げる。

「アーティストや編集者、映像製作などのクリエイターやものづくりに興味のある人、この景色に魅力を感じる人が集まってきました。二宮の自然が好きで集まった人たちなのでオーガニック志向やエコ意識が高いことは、ある種の必然と言えるかもしれません」(宮戸さん)

先に紹介した「のうてんき」で提供される料理も体に優しいごはんだった。さらに、そのテラスから畑と空き地を挟んだ向かいには、植物で囲われた独特のオーラを放つ古家がある。この家も宮戸さんがプレゼン形式で入居者の募集を行った物件だ。今はオーガニック製品の量り売りを行う「ふたは」の店舗として、天然素材の優しさと、手仕事のぬくもりや喜びに満ちた空間になっている。

ツタに覆われた「ふたは」の外観(写真撮影/相馬ミナ)

ツタに覆われた「ふたは」の外観(写真撮影/相馬ミナ)

店のドアは植物に埋もれて、異世界への入口のよう!(写真撮影/相馬ミナ)

店のドアは植物に埋もれて、異世界への入口のよう!(写真撮影/相馬ミナ)

店内には量り売りの天然素材や食料品が並び、外観からは想像できないほど明るくて心地のいい空間になっている(写真撮影/相馬ミナ)

店内には量り売りの天然素材や食料品が並び、外観からは想像できないほど明るくて心地のいい空間になっている(写真撮影/相馬ミナ)

豊かな自然と東海道にはじまる新旧の営みが、未来をはぐくむ

町を見下ろすことができる吾妻山、湘南の海を望む梅沢海岸などの美しい風景も、昔から変わらない二宮の代表的なスポット。50年以上前から町の北側を中心に28棟856戸(うち、10棟276戸は2021年3月時点で賃貸終了)を展開してきた神奈川県住宅供給公社の「二宮団地」では、再編プロジェクトによって町の魅力づくりや小田原杉を使った部屋のリノベーションを行うなど、新しい風も吹いている。自然と親しみの深い土地は、このまちで育つ子どもたちにも温かいまなざしを向けてきたことだろう。

約87haもの里山に開発された「二宮団地」。50年以上の時を経て、里山の美しい景色に溶け込んでいる(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

約87haもの里山に開発された「二宮団地」。50年以上の時を経て、里山の美しい景色に溶け込んでいる(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

近年の子どもたちや親子の居場所として注目したいのが、「みらいはらっぱ」だ。東京大学果樹園跡地の活用を町が計画し、2021年から地元企業が運営。貸し出しスペースを利用して、さまざまな企業・団体や個人がそれぞれのアイデアで参加・活用をしている。

「みらはらSTAND」では、平日に(一社)あそびの庭が子どもたちのサードプレイスを提供。土日はイベントやワークショップも開催されている。かわいいルーメット(キャンピングトレーラー)は、テレワークをはじめ多用途に使える子連れOKのシェアスペースとして運用を始めようというところだ。

毎週月・水・金曜日の10時~17時には、「はらっぱベース」として子どもたちの居場所事業を行う(写真撮影/相馬ミナ)

毎週月・水・金曜日の10時~17時には、「はらっぱベース」として子どもたちの居場所事業を行う(写真撮影/相馬ミナ)

ルーメットがテレワークなどに使えるシェアスペースに改装され、子どもたちも興味津々(写真撮影/相馬ミナ)

ルーメットがテレワークなどに使えるシェアスペースに改装され、子どもたちも興味津々(写真撮影/相馬ミナ)

二宮を訪れて出会う誰もが「人が優しい」と口にする。「ずっと住んでいた人も、移住して来た人も優しくて、新しい取り組みをみんなが応援してくれる」と。

江戸日本橋から、京都三条大橋までの東海道、その53の宿場を指す東海道五十三次で「8」大磯と「9」小田原の間にあるまち。Area「8.5」の由来はここにある。昔から多くの人が行き交い、交流してきた土地柄だからこそ、できた空気感なのかもしれない。その空気と自然をまとう二宮のまちに心地よさを感じた人たちが、日々の暮らしを営みながら、これからも新しい何かをつくり続けていくのだろう。

●取材協力
・太平洋不動産
・ブーランジェリー・ヤマシタ(Facebook)
・のうてんき
・8.5 House(Eastside Transition)
・EDOYAガレージ(Facebook)
・フルサワ印刷
・D-BOX
・ふたは
・みらいはらっぱ
・あそびの庭
・二宮団地(神奈川県住宅供給公社)

タイニーハウスやバンライフがコロナ禍で浸透! 無印やスノーピークなども続々参入する”小屋”の魅力とは?

「小屋」「タイニーハウス」「バンライフ」などのコンパクトな暮らしは、この10年ですっかりおなじみの存在となった。特にこの数年は、新型コロナウィルスの影響で「働く場所」「移動できる暮らし」としての拠点としても注目を集めています。いま、小屋やタイニーハウス事情はどうなっているのでしょうか。現在地を取材しました。

無印良品やスノーピークも参入! 小屋やタイニーハウスは憧れのライフスタイルに

「やはりコロナ禍の影響で、小屋の存在感、注目度は増しているように思います」と話すのは、約10年前から日本の小屋・タイニーハウス(小さな家)文化を牽引してきたYADOKARI株式会社の遠藤美智子さん。アメリカでは、タイニーハウスは2008年のリーマンショック以降にライフスタイルを見直した人が中心となって広まってきましたが、日本では東日本大震災を経験した2011年以降、徐々に広まってきました。特に2020年以降、リモートワークやテレワークが普及し、インターネット環境が整っていればどこでも働ける人が増えたため、「都会にいる必要はない」「自然のなかで暮らしたい」という声が増加、「小屋を郊外や地方に構えて2拠点生活をしてみたい」というニーズをよく聞くようになったそう。

YADOKARIが運営する「タイニーズ 横浜日ノ出町」では、鉄道の高架下に3種類のタイニーハウスを並べている。小屋ライフのお試しにぴったりだ(写真撮影/桑田瑞穂)

YADOKARIが運営する「タイニーズ 横浜日ノ出町」では、鉄道の高架下に3種類のタイニーハウスを並べている。小屋ライフのお試しにぴったりだ(写真撮影/桑田瑞穂)

「小さな家全般のことをタイニーハウスといい、弊社でも複数取り扱っていますが、先日もトレーラーを改造したトレーラーハウスのお引渡しがありました。土地代と中古トレーラーハウス代合わせて600万円以内で収まりました。都内に拠点を持ちながら、週末は愛犬といっしょに小屋で暮らしたい。今の暮らしにちょうどよい『選択肢』として定着しているように思います」と遠藤さんは続けます。
「先日、弊社で扱う小屋を一堂に展示する一般向けのイベントを湘南で開催したのですが、非常に多くのお客さまがいらっしゃいました。子どもたちも来場していて、とても和やかな雰囲気でした。今まで対企業として小屋を扱うことが多かったので、小屋への関心の高さ、広がりに私たちが驚いたほどです」と話すのは、同じくYADOKARIの齊藤佑飛さん。

イベント時の様子。次回は展示場の見学予約を開催予定(7月3日(日)、6日(水)予約制)(写真提供/YADOKARI)

イベント時の様子。次回は展示場の見学予約を開催予定(7月3日(日)、6日(水)予約制)(写真提供/YADOKARI)

こうした小屋人気の背景には、無印良品やスノーピーク(建築家の隈研吾氏デザイン)、カインズホームなど、さまざまな業種からの参入が続いたことも大きく影響しているそう。
「デザイン性や価格など、さまざまな特徴を持つ小屋が増えました。バリエーションも豊かになり、ますます個人の好みに合った小屋が選べるようになっています」と遠藤さん。

YADOKARIの遠藤美智子さん(左)と齊藤佑飛さん(右)(写真撮影/桑田瑞穂)

YADOKARIの遠藤美智子さん(左)と齊藤佑飛さん(右)(写真撮影/桑田瑞穂)

移動と定住、インドアとアウトドア。小屋にも派閥がある!?

固定の場所で暮らすタイプの小屋に加えて、今では、バンや軽自動車などを改造して移動しながら暮らす「バンライフ」や「モバイル小屋」も増えています。そこにはユーザーの志向やタイプに少し違いがあるそう。現在よく耳にするようになった「小屋」の種類とタイプを解説してもらいました。

■スモールハウス(小屋)、タイニーハウス
広さ10~20平米弱の小さな住まい。住まいになるため、基礎の上に建てます。移動させずに1カ所に定着するため、周囲で畑を耕したり地元の人と交流したりする人もいます。無印良品やスノーピークから販売されている商品のほか、組み立てキットなど、さまざま商品が登場しています。今後は3Dプリンターの家も登場するといわれています。

(写真提供/加藤甫)

(写真提供/加藤甫)

■コンテナハウス、トレーラーハウス
貨物コンテナを小屋として改造したものが「コンテナハウス」、さらに自動車で牽引できる家が「トレーラーハウス」です。「タイニーズ 横浜日ノ出町」の小屋は「トレーラーハウス」にあたります。バス・トイレがあり、人が暮らしを営めますが、法律上は車両です。移動もできるのが特徴です。

YADOKARI株式会社が運営する「タイニーズ 横浜日ノ出町」のカフェ部分は、コンテナを改造した「コンテナハウス」です。コンテナらしい無骨な風合いが、独特の味わいを醸し出しています(写真撮影/桑田瑞穂)

YADOKARI株式会社が運営する「タイニーズ 横浜日ノ出町」のカフェ部分は、コンテナを改造した「コンテナハウス」です。コンテナらしい無骨な風合いが、独特の味わいを醸し出しています(写真撮影/桑田瑞穂)

「タイニーズ 横浜日ノ出町」にある小屋は「トレーラーハウス」。建物のそのものは、住宅を手掛ける大工さんに施工してもらったといいます(写真撮影/桑田瑞穂)

「タイニーズ 横浜日ノ出町」にある小屋は「トレーラーハウス」。建物のそのものは、住宅を手掛ける大工さんに施工してもらったといいます(写真撮影/桑田瑞穂)

タイニーハウス「Wonder」の前で。小屋といいつつも、ゆとりがあるのがおわかりいただけますでしょうか(写真撮影/桑田瑞穂)

タイニーハウス「Wonder」の前で。小屋といいつつも、ゆとりがあるのがおわかりいただけますでしょうか(写真撮影/桑田瑞穂)

「Wonder」のお部屋。4人まで宿泊できますが、狭さを感じません(写真撮影/桑田瑞穂)

「Wonder」のお部屋。4人まで宿泊できますが、狭さを感じません(写真撮影/桑田瑞穂)

シャワーやトイレもあります。トイレは水洗。工具を使わずに着脱できる配管を使用し、下水道につなげている。すぐ移動ができるよう、土地には固定していないとのこと(写真撮影/桑田瑞穂)

シャワーやトイレもあります。トイレは水洗。工具を使わずに着脱できる配管を使用し、下水道につなげている。すぐ移動ができるよう、土地には固定していないとのこと(写真撮影/桑田瑞穂)

「Wonder」のシャワーブース。こうして見ると小屋といっても案外、広さがあることがわかります(写真撮影/桑田瑞穂)

「Wonder」のシャワーブース。こうして見ると小屋といっても案外、広さがあることがわかります(写真撮影/桑田瑞穂)

「タイニーハウスに興味がある人に加え、友達と個室に宿泊したい、個性的な部屋に泊まりたいという需要で利用する人も増えてきました(齋藤さん)」(写真撮影/桑田瑞穂)

「タイニーハウスに興味がある人に加え、友達と個室に宿泊したい、個性的な部屋に泊まりたいという需要で利用する人も増えてきました(齋藤さん)」(写真撮影/桑田瑞穂)

■キャンピングカー・バン
自動車の居住性を高めたのが「キャンピングカー」や「バン」です。基本的には車の延長上にあるため、居住面積は小さめです。アウトドア好きな人が多く、旅をしながら暮らしたい、いろいろなところに行きたいという、「移動」したい人“バンライファー”に向いている形態です。お風呂やトイレがついていないこと、また車中泊の場所には注意が必要です。

(写真提供/加藤甫)

(写真提供/加藤甫)

★番外編 
■サウナトレーラー
サウナの本場・フィンランドでは、自動車で牽引できる「サウナトレーラー」があるそう。バカンスの時期になると自宅の車につないで別荘に持っていき、好きな場所でサウナを楽しむといった使い方です。きれいな川、湖がある場所に移動すれば、最高の水風呂で“ととのう”ことは間違いなさそう。YADOKARIで販売をはじめたので、これから一気に盛り上がりそうです。

(写真提供/YADOKARI)

(写真提供/YADOKARI)

なるほど、移動を重視するアクティブ派は「バン」「キャンピングカー」、好みの場所に定住したい派は「小屋(タイニーハウス)」、「コンテナハウス」(移動はできるけれど、基本は1カ所で過ごす)といえるのかもしれません。「生き方」や「好きな暮らしのタイプ」にあわせて小屋が選べるようになっているあたり、小屋・タイニーハウス文化の広がりを感じます。

オフグリッドにコミュニティ、まだまだ可能性は広がる

「今まで弊社では、主に企業と組んで、小屋のプロデュースや土地の活用法をご紹介・提案してきました。シェアオフィス、コワーキングスペース、最近ではビジネスの側面からトレーラーハウスの引き合いがとても多いですね。ただ、このコロナ禍で大きく価値観が変わり、都会で暮らす意味を問い直す人や、住宅ローンや家賃にしばられない暮らしがしたい、という人がさらに増えたように思います。広さや駅からの距離、家賃などといった今までの物件の選び方とは異なる価値観を提案していけたらいいですね」と遠藤さん。

(写真提供/加藤甫)

(写真提供/加藤甫)

「もともと住まいって、広さよりも、どう過ごすかのほうが大事なはず。僕自身も今は小さな家に暮らしていて、広い家にあまり興味はありません(笑)。自分の身の丈にあったサイズの家が心地よいと思うんです。必要なら拡張したり、縮小したりする。柔軟な暮らし方ができるんだよと伝えていけたらいいですね」と齊藤さん。“うさぎ小屋”のようだと揶揄されてきた日本では、「広さこそ、豊かさ」と考えていた時代が続いていたわけですが、その価値観は今、大きく変わったようです。

では、今後小屋がさらに普及するうえで課題となっているもの、次の展開などについて聞いてみました。

「現状の課題のひとつは、ローンが組みにくいことがあります。小屋は住宅ローンのような超低金利ローンは利用できないのです。お金を借りるにしても金利が高くなってしまうのは、悩ましいですね。今後の展開や展望でいうと、やりたいことが多くて。自然エネルギーを活用したオフグリッドハウス(外部の電力と切り離され、独立した住まい)や、小屋で暮らす人が集まるコミュニティ、災害発生時の仮設住宅など、アイデアはたくさんあるので、ひとつずつ実現していけたらいいですね」(遠藤さん)

以前、YADOKARIが提唱する「ゼロハウス構想」(住宅ローンや家賃などの金銭的負荷を減らして可処分所得や時間を人、文化の醸成に再投資する)という考え方を聞いたとき、正直、筆者は「理想はわかるけれど、実際にはね……?」と疑っていました。ただ、小屋の価格が手ごろになり、空き家や活用しにくい土地が増えてきたこと、どこでも仕事ができるようになっているなどの時代の変化を考えたときに、「ゼロハウス、無理じゃないかも」と思うようになりました。

暮らし方も働き方も大きく転換している今なら、好きな場所で、小さく豊かに暮らすが、「リアル」な選択肢になりつつあります。小屋暮らしに興味があるのであれば、今が恰好のタイミングかもしれません。

●取材協力
ヤドカリ
タイニーズ 横浜日ノ出町

郊外の空き地で、焚き火や養蜂に住民みんなが挑戦!「“禁止”はNG」が合言葉の「nexusチャレンジパーク 早野」

今から100年以上前、近代都市計画の祖といわれる英国のハワードが提唱した、豊かな自然環境と都市が融合した「田園都市構想」。この考え方に影響を受けて誕生したのが、東急田園都市線とその沿線に広がる住宅街です。今年春、そのお膝元ともいえる場所に、東急が「nexusチャレンジパーク 早野」をオープン。これまで活用されていなかった土地に、“みんなでチャレンジできる遊び場”をつくったといいます。さっそく取材してきました。

ヤギ、養蜂、コーヒー焙煎、シェア農園……住民が遊べる広場

「nexus(ネクサス)チャレンジパーク 早野」があるのは、東急田園都市線あざみ野駅からバスで10分ほど、虹ヶ丘団地とすすき野団地のあるエリア。今年4月、約8000平米の敷地に登場したのは、地産地消マルシェなどのイベントに利用できる「ネクサスラボ」、シェア型のコミュニティ農園「ニジファーム」、焚き火を囲んで遊べる「ファイヤープレイス」、養蜂やカブトムシの育成などに挑む「生き物の森」で構成されていて、基本的に住民が自由に使うことができる広場です。

斜面のある土地を利用してできたnexusチャレンジパーク 早野。緑が濃く、パーク全体になんともいえないワクワク感が漂っています(写真撮影/片山貴博)

斜面のある土地を利用してできたnexusチャレンジパーク 早野。緑が濃く、パーク全体になんともいえないワクワク感が漂っています(写真撮影/片山貴博)

取材時は「チャレンジデイ」ということで、パークでどんなチャレンジができるのかを知ってもらうイベントを行っていました。当日は、「ヤギとのふれあい」「焚き火でコーヒー焙煎」などの体験や、「どんなところかひと目みたい」という地元のみなさんでにぎわっていました。周囲は団地で、緑にあふれる環境。この日は晴天で、風が吹き抜ける中、子どもたちが自由に駆け回っていて、とても清々しい気持ちになりました。

子どもにも大人にも大人気のヤギさん。「葉っぱだよ~」とたくさんもらっていて、お腹いっぱいになっていました(写真撮影/片山貴博)

子どもにも大人にも大人気のヤギさん。「葉っぱだよ~」とたくさんもらっていて、お腹いっぱいになっていました(写真撮影/片山貴博)

ファイヤープレイスで実施されていた「焚き火でコーヒー焙煎」体験(写真撮影/片山貴博)

ファイヤープレイスで実施されていた「焚き火でコーヒー焙煎」体験(写真撮影/片山貴博)

自分で焙煎したものを手挽きして世界に1つの極上の一杯を抽出!(写真撮影/片山貴博)

自分で焙煎したものを手挽きして世界に1つの極上の一杯を抽出!(写真撮影/片山貴博)

ニジファーム(写真撮影/片山貴博)

ニジファーム(写真撮影/片山貴博)

ニジファームで栽培しているハーブを摘んで、来場者がハーブティを楽しんでいました(写真撮影/片山貴博)

ニジファームで栽培しているハーブを摘んで、来場者がハーブティを楽しんでいました(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

ベンチに腰掛けてお茶をしたり、シャボン玉をしたりと、思うまま「自由に試し、遊べる場所」です(写真撮影/片山貴博)

ベンチに腰掛けてお茶をしたり、シャボン玉をしたりと、思うまま「自由に試し、遊べる場所」です(写真撮影/片山貴博)

焚き火もOK! 自由に、楽しく、街で試してチャレンジ

都市部でも郊外でも、何かと制約や禁止が多い昨今ですが、ここではハチやヤギのような生き物はいるし、焚き火もOKという、きわめて自由度の高い場所としてデザインされています。

「生き物の森」に設置された養蜂箱。ここではちみつが取れるか、チャレンジしているそう(写真撮影/片山貴博)

「生き物の森」に設置された養蜂箱。ここではちみつが取れるか、チャレンジしているそう(写真撮影/片山貴博)

「企画のかなり早い段階で、パーク内に『禁止』と書くのはやめようね、という話になりました。禁止といわれてしまうと、とたんにあれもこれもダメになってしまう。大切なのはチャレンジできること。ダメだから、と諦めるのではなく、どうやったらできるか? という発想で進めているんです」と話すのは、nexusチャレンジパーク運営チームの清水健太郎さん。

確かに、「ダメ」や「迷惑でしょ」といわれてしまうと、大人も子どももとたんに遠慮や萎縮が出てしまうもの。あくまで「チャレンジをする場所」と位置づけ、まずはやってみたいことを募り、法律や地域のルールにも配慮しながら、「どうやったらできるか」を考えていくといいます。

看板(写真左)には禁止という文言は見当たらず、「思いやりをもって、チャレンジを応援しよう」という文言が。また、チャレンジパークでやってみたいことを募集したところ(写真右)、“リレー”や“水あそび大会”、“肉フェス”、“工作”など自由な発想が描かれています(写真撮影/片山貴博)

看板(写真左)には禁止という文言は見当たらず、「思いやりをもって、チャレンジを応援しよう」という文言が。また、チャレンジパークでやってみたいことを募集し(写真右)、“リレー”や“水あそび大会”、“肉フェス”、“工作”など自由な発想が描かれています(写真撮影/片山貴博)

模造紙に書かれた、パークでチャレンジしたい内容を見ていくと「フェス」や「おまつり」「ざっそうとり大会」「無料カフェ」など、ユニークな内容がずらり。いいですよね、毎週、文化祭やおまつり気分。早くも「チャレンジパークにいくと、楽しいことがあるよ」「楽しい人がいるよ」という場所になりそうな予感がします。

nexusチャレンジパーク運営チームのみなさん(写真撮影/片山貴博)

nexusチャレンジパーク運営チームのみなさん(写真撮影/片山貴博)

「こうした自由な遊び場を通じて、地域の人の想いを結びつけ、コミュニティとして育つ空間をつくりたい」と話すのは、前出の清水さん。住む人が自然とつながり合い、語り合い、一緒にチャレンジし、また語り合う、そんなサイクルを生み出す、これこそが、運営チームのみなさんがこの場で実現したいことだそう。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

東急田園都市線沿線は、閑静な住宅地として大いに発展してきましたが、2020年の新型コロナウイルス感染症拡大により、その住宅で『働く』ことが当たり前になりました。コロナ禍で私たちのライフスタイルは大きく変わり、以前のような毎日決まった時間に通勤する人の動きに、もう戻らないだろうともいわれています。

「家での滞在時間が増えたということは、居住地域で過ごす時間が増えたということ。だとしたら、新たな居場所が必要だよね、と。これまでは「住む」の意味合いが強かった場所に、「学ぶ」「働く」そしてnexusチャレンジパークのような「遊ぶ」場がある、そんな『街づくり』、『歩いていて楽しい街』にしていきたい。」と清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

大人が遊ぶというと、お酒を飲むとか、イベントに行くとかになりがちですが、焚き火遊びや野遊びができる場が近所にあったら、やっぱりそれは楽しいし、利用したくなりますよね。

街のバディ(仲間)を発掘。人が人を呼ぶ楽しさ、つながる喜び

また、もう一つこだわったのは、運営や企画に携わるのが「地域の人」という点です。

「今回、記録撮影に入っているカメラマンさん、地元にお住まいなんです。ひょんなことから地域に住んでいるカメラマンさんとの出会いがあり、お願いすることになりました。今回来てくれたヤギのオーナーさんも、団地の方が紹介してくださり話がまとまったんです。チャレンジパーク内の施工関係は地元の桃山建設の専務が参画されていたりと、地域の仲間、つまりバディを発掘しながらつくりあげています。今後もそんな輪を広げていきたいですね」と、清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

パーク敷地内にある竹林から竹を切り出すところから体験する「巨大そうめん台」づくり。子どもと一緒になり、のこぎりで竹を切っているのは、地元の建設会社・桃山建設の川岸憲一さん。本物の大工さんと竹を切り出す体験なんて、そうそうできない……(写真撮影/片山貴博)

パーク敷地内にある竹林から竹を切り出すところから体験する「巨大そうめん台」づくり。子どもと一緒になり、のこぎりで竹を切っているのは、地元の建設会社・桃山建設の川岸憲一さん。本物の大工さんと竹を切り出す体験なんて、そうそうできない……(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

切り出した竹を真っ二つに割っていきます。子どもだけでなく、親世代でも人生初、という声も聞かれました。確かに!(写真撮影/片山貴博)

切り出した竹を真っ二つに割っていきます。子どもだけでなく、親世代でも人生初、という声も聞かれました。確かに!(写真撮影/片山貴博)

その後、節をくり抜いて、台のうえに竹を並べて巨大なそうめん流し台が完成。この日はそうめんは流さず、水を流して遊ぶ子どもたち。笑顔がまぶしい(写真撮影/片山貴博)

その後、節をくり抜いて、台のうえに竹を並べて巨大なそうめん流し台が完成。この日はそうめんは流さず、水を流して遊ぶ子どもたち。笑顔がまぶしい(写真撮影/片山貴博)

地域コミュニティを創出するプロに依頼し、それらしい空間をつくるのは容易いことでしょう。でも、そうはせず、時間はかかっても、その土地で暮らしてきた人々の気持ち、地域の縁によって育てていくのが、チャレンジパークのコンセプト。

ちなみに、撮影を担当していたカメラマンさんによると、「この地域には映像ディレクターにプログラマーなど、優秀な人が多くて、才能の宝庫です。自由にやっていいといったら何でもできるのではないでしょうか」とのことです。

「昔と違って地域に住んでいる人って、実はなかなか出会わないし、知り合いになる機会って限定されていますよね。でも、農作業をする、とか焚き火をする、一緒に遊ぶという活動や体験の共有があると、ぐっと距離が縮まるでしょう。地域に住む人が、自然と、互いにつながる場になっていけたら」と清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

今年2022年に創立100年を迎える東急グループ。沿線も街も成熟していますが、一方で、街として成熟するということは、自由な余白がなくなるということでもあり、規則が増えるということでもあります。

成熟した街に、もう一度、余白と自由を取り戻す。緑豊かな田園の環境と都市の利便性、美しさの融合が「田園都市」だとしたら、このnexusチャレンジパークは、本来の意味での「田園都市」としてアップデートする試みといえるのかもしれません。

●取材協力
nexusチャレンジパーク 早野

パリ郊外の古い一戸建てを大改造しモロッコ空間に!緑いっぱいサンルームでガーデンパーティも パリの暮らしとインテリア[14]

二人暮らしから赤ちゃんが生まれて家族が増え。ライフスタイルの変化とともに、住まいに求める内容も変化します。パリ郊外の街モントルイユに暮らすドミニクさん夫妻は、25年前、変化に合わせて暮らしを大きく変えました。未知の環境をどのように選び、どのようにして新しいライフスタイルをつくり上げたのでしょうか ? 緑いっぱいの一戸建てを訪問し、話を伺いました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

エレベーター無しの7階から、庭のある郊外の一戸建てへ

ドキュメンタリストのドミニク・メタン・ド・ラージュさんは、パリ郊外の街モントルイユに引越して25年になります。ドキュメンタリストという職業はあまり馴染みがありませんが、映画やテレビ番組を制作する際に、歴史的資料やデータといった諸々のドキュメント(文書)を集める仕事なのだそう。今はちょうどNetflix向けに資料集めをしている真っ最中です。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

仕事場は自宅。フランス政府が文化を守るために舞台関係者などを金銭的支援するアーティスト認定制度「アンテルミッタン」を獲得しているドミニクさんは、自由業者にはない安定の保証を得つつ、時間や場所の制約なしで作業ができるライフスタイルに、心から満足しているよう。これというのも25年前、パリを脱出し、環状線の外側の郊外へ飛び出したおかげなのでした。

庭に面した壁を取り壊してつくったサンルーム。キッチンからリビング、サンルームまでひと続きになって庭に抜ける(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭に面した壁を取り壊してつくったサンルーム。キッチンからリビング、サンルームまでひと続きになって庭に抜ける(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「パリ生活は、ミュージシャンが多く住むオベルカンフ通り周辺が拠点でした。夫は今もそうですが、以前は私もレコード会社に勤めていたこともあって、あのエリア特有の自由でクリエイティブな空気がとても気に入っていたのです。ただ、アパルトマンはエレベーター無しの7階で……子どもが産まれてからは、不自由を感じるようになって。そもそも寝室が1つしかなく、リビングの一角に夫婦のベッドコーナーをつくってなんとかやり過ごしていたのです。でも、次男を妊娠した1996年、片方の腕で長男を抱いて、もう片方で紙おむつの大きなパックやミネラルウオーターを抱えながら、毎日7階まで階段を昇る生活をやめる時がきた、と悟りました」

ファミリーのポートレート(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ファミリーのポートレート(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさん夫妻にとって、音楽は人生の重要な要素(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさん夫妻にとって、音楽は人生の重要な要素(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリの古いアパルトマンの、木の階段を昇り降りする日々、しかも小さな子どもと一緒! 想像するだけでよく頑張りましたと絶賛したくなりますが、そのくらいパリ暮らしが気に入っていて、パリ以外の場所での生活は考えられなかったということでしょう。

「実は1年ほどパリ市内で物件探しをしていたのです。でも値段が高いばかりで、ちっともいい物件に出会えませんでした。そんな時、友人のひとりがモントルイユのことを教えてくれました。当時はまだ安かったですし、感じのいい一戸建てが多いんだよ、と」

友人のすすめですぐに不動産屋とコンタクトを取り、3軒目に訪問したこの家でピンときて、即決断。パリではさんざん苦労した物件探しも、モントルイユに来た途端、たった1カ月で目的達成できました。

春には壁伝いに白い藤の花が咲く。クレマチスやケマンソウ、オダマキなど、たくさんの花の見ごろを、ドミニクさんは楽しみにしている。時には庭で読書も(写真撮影/Manabu Matsunaga)

春には壁伝いに白い藤の花が咲く。クレマチスやケマンソウ、オダマキなど、たくさんの花の見ごろを、ドミニクさんは楽しみにしている。時には庭で読書も(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「条件はまず第一に、メトロに近いことでした。なぜなら、パリの友人たちは、みんなが必ずしも車を持っているわけではないからです。友人たちとこれまで通り行き来しやすいよう、交通の便がいいことは絶対でした。第二の条件は、十分な広さがあること。ここは一戸建てですし、庭もあります。住空間は約130平米、庭がだいたい50平米くらい。内見をした時に、庭をどんなふうに手入れして、家をどう改装するか、そこで私たち家族がどんな暮らしを送るのか……情景がすぐにイメージできたのです。家の裏に広い公園があることも、決断を後押しする大きなポイントでした。交通量の多い大通りを渡ったりせずに、すぐに遊びに行ける広い公園があることは、子どもたちにとって何より嬉しいことですから」

アーティストのアトリエが多いモントルイユの環境や、隣人が地下を改装してバンドの練習をしていたことも好印象だったそう。物件購入後、田舎の家そのものだったこの一戸建てを、ドミニクさん夫婦は自分達のライフスタイルに合わせて大改装していきました。

2階建てを3階建てにつくり替えて、寝室を増やす ?!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

夫妻と、息子2人。合計4人の家族全員が、快適に暮らせるようにと購入した一戸建て。その希望に応えるポテンシャルはありながらも、購入時の家は現在の姿とは全く違っていました。

「2階建てとはいえ、中は昔ながらのつくりのせいで廊下ばかりが場所をとり、肝心な各部屋はとても小さかったのです。しかもトイレは、屋外に後付けされていました。私たちはまず、寝室をもう1つ増やすために2階の天井を低くして、屋根裏を寝室につくり変えることにました。つまり、2階建ての家の中身を、3階建てに変えたのです」

冬に家全体を暖めてくれる薪ストーブ。イームズのラウンジチェアはドミニクさんへの60歳の誕生日プレゼント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

冬に家全体を暖めてくれる薪ストーブ。イームズのラウンジチェアはドミニクさんへの60歳の誕生日プレゼント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさんが母から受け継いだナポレオン3世スタイルの長椅子は、ヒョウ柄に張り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさんが母から受け継いだナポレオン3世スタイルの長椅子は、ヒョウ柄に張り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モントルイユ在住アーティスト、ナタリー・シューの作品などを窓辺に。さまざまなスタイルのオブジェをミックスするのがドミニクさん好み(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モントルイユ在住アーティスト、ナタリー・シューの作品などを窓辺に。さまざまなスタイルのオブジェをミックスするのがドミニクさん好み(写真撮影/Manabu Matsunaga)

3階に新しく寝室をつくって、ここを長男の部屋にする、というプランでした。

「1階は、庭の魅力を最大限に取り入れたかったので壁をすべて取り払い、代わりにサンルームをつくりました。このおかげで、サンルームの屋根の部分が、2階のバルコニーになったのです。これは本当にいい判断だったと思っています。サンルームのガラスが納品されるまでの間、ベニア板で塞いで暮らしていた1カ月以上にわたる悪夢も、今では笑い話ですね」

天井を低くしたり、壁を取り壊したり。かなりの大工事を経験せねばなりませんでしたが、こうして完成した住まいは広々とした4LDK。もちろんトイレもちゃんと家の中です! さあ、どんな間取りになったのか、玄関から順を追って見ていきましょう。

庭のメリットを最大限に生かす住まいのレイアウト

まず、ピンク色にペイントした玄関を入ってその先へ。右側がキッチンとリビングです。リビングは例のサンルームに続き、その先にドミニクさんお気に入りの庭が広がっています。廊下を挟んでリビングの向かい側、つまり玄関の先の左側は、仕事部屋兼テレビルームです。モロッコ風のニッチは美と実益を兼ねていて、ドミニクさん自慢のコーナーの一つです。

モロッコやアジアなど、色々な文化スタイルをあえてミックス。旅先から持ち帰ったものも多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モロッコやアジアなど、色々な文化スタイルをあえてミックス。旅先から持ち帰ったものも多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階には夫妻の寝室と、長男の部屋が。サンルームの屋根を利用してできたバルコニーは、夫妻の寝室からひと続きになっています。このバルコニーも、ドミニクさんのお気に入り空間です。一人で静かに過ごす日中、ベッドの上で読書をして、気が向いたらバルコニーに出て空を眺める。そんな時間をドミニクさんは心から愛しているのです。

そしてこの上階、屋根裏につくった寝室が次男の部屋、という次第。今では長男・次男ともに独立し、一緒に住んではいません。現在、次男の部屋にはプロジェクターをセットして、ホームシアターとして使っているとのことでした。ここも、ドミニクさんのお気に入り空間です。

ベッドの上で読書をするのも好きな時間(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドの上で読書をするのも好きな時間(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ここにもモントルイユのアーティスト、ナタリー・シューのオブジェが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ここにもモントルイユのアーティスト、ナタリー・シューのオブジェが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルーム上につくったベランダ。夫妻の寝室からアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルーム上につくったベランダ。夫妻の寝室からアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルームの屋根を活用してつくったバルコニーは、一人リラックスタイムを過ごすのに最適な場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルームの屋根を活用してつくったバルコニーは、一人リラックスタイムを過ごすのに最適な場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

インテリアはミックスで

家を一周して一番印象に残るのは、なんと言ってもモロッコ風のアクセントです。ピンク色の壁とポインテッドアーチ型のニッチは、まるでモロッコの都市・マラケシュにいるよう。なぜモロッコテイストなのかなと思い尋ねたたところ、ドミニクさん夫妻は15年前からモロッコで賃貸の一戸建てを借りていて、バカンスのたびに彼の地へ行くのが習慣になっているのだそう。夫の両親がモロッコに住んでいたこともあり、愛着のある土地なのだと教えてくれました。

モロッコから運んだスパイス棚も「用の美」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モロッコから運んだスパイス棚も「用の美」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「モロッコの職人芸術には、かなりインスパイアされていると思いますよ。ポインテッドアーチ型のニッチのように、装飾性と実用性を兼ねたものが多いこともその理由かも知れません。加えて、モロッコからパリまではバスを使った格安の配送サービスがあるので、家づくりに必要なものを買ってパリに送ることが簡単にできるのです。例えば、壁のピンクの顔料はモロッコで買ったもの。普通のペンキよりもずっと発色がいいのです」

そして全てをモロッコスタイルにするのではなく、ミッドセンチュリーデザインや、モントルイユのアーティストのオブジェ、世界中の旅先から持ち帰ったものなど、いろいろなスタイルをミックスしていることにも気づきます。あえてひとつのスタイルに統一しないのは、フランスの人々の住まいによく見られる特徴です。ファッションと同じように、住まいづくりにも自分の個性を尊重して、自分のために空間をつくる。だからこそ自分が心地よく暮らせるのだということを、個人主義の彼らは経験から熟知しているのです。

シンク上のミッドセンチュリー風の棚は、なんとドミニクさんのお父様の手づくり作品!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

シンク上のミッドセンチュリー風の棚は、なんとドミニクさんのお父様の手づくり作品!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

照明はミッドセンチュリーデザインをセレクト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

照明はミッドセンチュリーデザインをセレクト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面を覆う印象的な「カケモノ」は、ドキュメンタリストとして関わったテレビ番組で使用したもの。撮影後、ゴミになる前に譲ってもらった。「カケモノ」とは装飾用の幕のことで、フランスの演出業界では一般的な表現。日本の掛け物からきている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面を覆う印象的な「カケモノ」は、ドキュメンタリストとして関わったテレビ番組で使用したもの。撮影後、ゴミになる前に譲ってもらった。「カケモノ」とは装飾用の幕のことで、フランスの演出業界では一般的な表現。日本の掛け物からきている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

時には60人を招いてガーデンパーティも!

一戸建てを大改装し、自分達の暮らしに合うようつくり替えたドミニクさん。家の中の多くの部分がお気に入り空間になっていることから分かるように、改装工事は大成功でした。

「でも実は、この家で一番気に入っているのは庭なんです。庭は、日々の生活に心の安らぎと喜びを与えてくれます。自然は毎日変化し、時間ごとに変化しますから、見飽きるということがありません。時にはここで、大勢を招いてガーデンパーティをします。一番最近は夫の70歳のバースデーパーティ。60人を招待しました!」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そんなに大勢をどうやって !? 食器だって足りないのではと心配になりますが、フランスの人たちは招待客でもパーティの準備に参加する、いわゆる「持ち寄り」精神が旺盛なのだそう。食器はともかく、料理の方はみんなで持ち寄って参加するので、招待する側だけが何日も前から仕込みをしたり、プロのケータリングを頼んだりせずに済むそうです。気負わずに大人数のパーティができるのはいいですね。

「パリの西にあるモントルイユは、近年人気が上昇し続けている街です。エコロジーに根ざした環境と、パリジャンやパリジェンヌとは違ったメンタリティーの人たちが住んでいることが、その人気の理由です。街そのものは特別美しくはありませんが、17世紀から19世紀にかけて作られた『桃の壁』という文化遺産があって、多くのアソシエーションがここで都市型農園や参加型菜園などのプロジェクトを進めています。つまり、いいエナジーのある街。いろいろなバランスがいいので、老後も田舎へ引越すことは考えていません。もし引越すならモロッコです! そのくらい、今のライフスタイルに満足しています」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この壁面の内側に「桃の壁」がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この壁面の内側に「桃の壁」がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園は、四季折々の姿を見せてくれる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園は、四季折々の姿を見せてくれる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園。この存在は息子たちの成長にとって非常に大きかった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園。この存在は息子たちの成長にとって非常に大きかった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「住まい」とは、家の中だけではなくて、庭や環境、街のエナジーまでも含む自分を取り囲む空間のこと。物件探しをする際は、周辺の環境もしっかり見なくては! そう肝に銘じさせられる、ドミニクさんのお宅訪問でした。

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
ドミニクさん

各国の専門家がデザインした「防災都市」とは? 世界で相次ぐ気象災害と共生めざす

日本全国で地震や風水害、土砂崩れなど自然災害が頻発していますが、今後は世界中で災害が増加、激化すると予測されています。では、私たちの暮らす「場所」はどのように変わるべきなのでしょうか。 2022年4月に東京・日本橋で開催された「リジェネラティブ・アーバニズムー災害から生まれる都市の物語」展の統括プロデューサー・阿部仁史さんと次世代の都市や暮らし、ライフスタイルのあり方について考えてみました。

「災害」ではなく「自然現象」と人間が協調しながら生きていく「都市」

東日本大震災から11年が経過した今年4月、東京・日本橋で展覧会「リジェネラティブ・アーバニズム展ー災害から生まれる都市の物語」が開催されました。環太平洋大学協会[APRU]に属する11大学が参加する国際共同プロジェクト「ArcDR3」で、災害にしなやかに対応する社会に向け、都市がどうあるべきかを各大学が研究し、その最新成果が発表された形です。とはいえ、「リジェネラティブ・アーバニズム」といわれてもピンと来るひとは少ないはず。まず、阿部仁史さんにこの考え方について伺いました。

「リジェネラティブ・アーバニズム展ー災害から生まれる都市の物語」の展示風景(写真提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「リジェネラティブ・アーバニズム展ー災害から生まれる都市の物語」の展示風景(写真提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「ひとことでいうなら、『自然と共生していく都市のつくり方』でしょうか。防災の専門家に教えてもらったのですが、そもそも『自然災害』という言葉が適切ではないのです。地震や水害、森林火災は本来自然に発生している単なる『自然現象』です。ただ、人間の暮らす領域が広がり、自然現象と人の行為が交わるとき、自然のサイクルが強く人間のシステムが壊れれば『災害』となり、一方で人間のシステムが大きく自然のサイクルが傷つけられると『環境破壊』になるわけです。では、なるべくあつれきが起きないような方法が見つかればいいのではないか。やわらかく、人間と自然がお互いに協調し、調整しあうような都市デザインができないか、というのがこのプロジェクトの趣旨であり、本展のタイトルとした背景もそこにあります」と話します。

今まで、都市や住まいは自然災害から「人命や財産を守る」ことが至上とされ、自然災害で被災すると「もと通りに戻す」ことが求められてきました。「リジェネラティブ・アーバニズム」は、それとはまったく考え方を変え、災害を「起きるもの」「共生するもの」と捉えて設計できないかを考えているのです。

また、展覧会名を「アーバニズム」としているのは、「アーバン」、つまり都市部だけでなく、郊外や農村など自然に近い領域、そもそも人間の生活のあり方、ライフスタイル、社会制度にもふれてるからです。広く、大きく「人が営む場所と自然とのあり方」をテーマにしていると捉えるとイメージがつかみやすいかもしれません。

ではなぜ、今、「災害と都市」なのでしょうか。
「いくつか理由はありますが、1つは地球全体で災害が頻発しているということ。気象が変動して今までの状況とは異なってきているという点があります。2つ目はやはり人口が増えて、人間が住まう領域が拡大し、本来住んでいなかったところに住むようになっている。つまり、自然との距離感が保てないところまできている点があります。3つ目はテクノロジーの発達によって、地球上で起きている災害の情報が伝わるようになり、自分の身近に感じられるようになっている点があると思います。やはり環境問題と災害というのは表裏一体の関係にありますから、SDGsも含む環境を考える動きともあいまって、関心が高まっているのだと思います」(阿部さん)

一部の予測によれば、2050年には人類は97億人になり、うち2/3にあたる60億人が都市に住むといわれています(※1)。人口の増加と都市、人間のあり方は、「今」考えておかないといけない、喫緊の課題なのですね。

「森林火災が起きても延焼しない」「洪水時に都市が漂流する」ユニークな都市ばかり

この展覧会では、水成、群島、時制、火成、共生、遊牧、対話という、架空の7つの都市の物語が展示されました。都市の構想を練ったのは、東北大学や東京大学(日本)、UCLAとカリフォルニア大学バークレー校(米国)、メルボルン大学(豪州)、国立成功大学(台湾)など、各国を代表する11大学です。7つの都市は架空、想像の都市ということもあり、どれもとてもユニークですが、阿部さんに印象に残った都市の例を紹介してもらいました。

(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「アメリカやオーストラリアでもっとも身近な災害が山火事です。落雷などで山火事が頻繁に発生するのですが、火事が起きることで、生態系が維持されるようにもなっています。こうした森林火災が起きることを想定した『火成都市』では、森林と人間の居住エリアのあいだにバッファとなる緩衝地帯をもうけ、人間が下草などを管理することで、ゆるやかな防火機能をもった農村田園地帯をデザインしています。つまり火災は起きるけれども、被害は減らせるという発想です(エディティッド・エッジ(原生調整帯と都市調整帯))」

なるほど、人と自然のまじわるエリア、ゾーンがグラデーションになっています。ほかにも、洪水発生時には水がいったん都市部の遊水池や公園のような場所に流れ込み、一時的にヴェネチアのような景観を形成する都市(フィルタリング・ランドスケープ)や、みつばちとの共生を考えた都市(ミツバチ・コモンズ)なども提案されました。

「エディティッド・エッジ(原生調整帯と都市調整帯)」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「エディティッド・エッジ(原生調整帯と都市調整帯)」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「フィルタリング・ランドスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「フィルタリング・ランドスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「ミツバチ・コモンズ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「ミツバチ・コモンズ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「都市機能は一定であることが前提とされていますが、四季が移ろうように、都市機能そのものが変化する景観としてあってもよいわけです。たとえば洪水であふれた水が都市に入ってくることを、人間の方が受け止められる都市機能にする。それによって発生する変化を楽しむという発想もあっていいと思うのです」

なるほど、平時と非常時の二重の都市計画ラインとでもいう感じでしょうか。

「東日本大震災でも、『此処(ここ)より下に家を建てるな』という石碑が歴史的に受け継がれていたことが話題になりました。あれは、住む場所と働く場所をわけ、海抜60mの地点より上に家を建てることで集落を守るという知恵だったわけです。平時と非常時、二重の海岸線が機能した例です。そもそも今回の展覧会は2015年、宮城県仙台市で開催された「国連防災世界会議」が開催されたプラットフォーム『ArcDR3(Architecture and Urban Design for Disaster Risk Reduction and Resilience)イニシアチブ』がもとになっています。未曾有の被害となった東日本大震災を教訓として世界で共有し、今後の都市の希望に変えられないかという試みでもあります」(阿部さん)

災害の多い国で暮らしているためか、私たちは、「ああ、また災害だ」で終わってしまいがちです。「災害を悲劇で終わらせない」、これこそが「リジェネラティブ・アーバニズム」のスタート地点なのだとすると、とても有意義な試みであることは間違いありません。

よりよい都市像と住まい方へ。世界をよりよく変えていく

今回の都市の物語は、あくまで「提案」「想像」とありますが、実装することは可能なのでしょうか。

「シンガポールでは、行政が主導して、環境問題を施策として推進しています。国家の成り立ちからして、災害や上下水道整備、環境問題に取り組むことが死活問題なのです。そういった先進的な取り組み、実証実験を行いながら、環境や防災都市計画そのものをビジネスモデルとして国外に売り込むことも考えています」(阿部さん)といい、単なる提案で終わらせない他国の取り組みに可能性を感じます。

「今まで日本社会は、高度経済成長を通し、都市や人工物は『壊れない』ことを前提に堅牢堅固な建物を作ることに腐心してきました。実際には竣工して終わりではなく、短・中・長期でメンテナンスをして適切に入れ替えていかなければ、建物は維持できません。建造物が美しいのは当然として、大きな自然の一部として、新陳代謝をし入れ替わっていく、ゆらぎがあり、壊れるものであると捉えなおすことで、新しい枠組みや都市像が見えてくるのだと思います」(阿部さん)

阿部仁史さん(写真提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会 Photo by Kentaro Yamada)

阿部仁史さん(写真提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会 Photo by Kentaro Yamada)

日本は高度経済成長期に急激な都市化が進みましたが、そのときに建設された建造物が今、まさにうつろいのさなかにいます。これを単なるスクラップ&ビルドで高層化し新しく塗り替えるべきなのか考えさせられます。筆者と同じように考える人は「リジェネラティブ・アーバニズム」展を見学した人にも多いようで、見学後のアンケートには、

「都市化、都市への一極集中化が良いことのようにされているけれど、そもそもの議論が必要だと思う」
「まだ世界にはリスクがいっぱいで、最低限にも満たない暮らしを強いられる人がいることに気づかされた」
「総合的に、グローバルな観点から考察する必要がある」

などのコメントが寄せられていました。

都市というとアスファルト舗装された土地、立ち並ぶ高層ビル、添えられた緑を思い浮かべていましたが、それは20世紀モデルであり完成形ではありません。よりしなやかで強靭、変貌と変化があり、自然現象と共生する都市デザインである「リジェネラティブ・アーバニズム」の新しい試みと価値観に期待が止まりません。

豪雨や洪水によって市街地の浸水リスクが高まると、都市のモビリティと景観が一気に災害モードに切り替わる「フルーイッド・シティスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

豪雨や洪水によって市街地の浸水リスクが高まると、都市のモビリティと景観が一気に災害モードに切り替わる「フルーイッド・シティスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

造成時に掘り出した土砂を盛土して、池や島など、凹凸した起伏ある景観を人工的に作り出す「アイランド・ディストリクト」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

造成時に掘り出した土砂を盛土して、池や島など、凹凸した起伏ある景観を人工的に作り出す「アイランド・ディストリクト」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

急激な海面上昇による潮位の変化や洪水に柔軟に対応する、モジュール型の「親水性(しんすいせい)居住ユニット」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

急激な海面上昇による潮位の変化や洪水に柔軟に対応する、モジュール型の「親水性(しんすいせい)居住ユニット」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

津波や高潮の危険性を抱え、先人たちによってその危険性や身を守る術などが伝えられてきた沿岸部。そこを住民や観光客を引き込む水辺の公共空間として再整備することで、地域の防災意識を高めている「メモリアル・ランドスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会制作実行委員会)

津波や高潮の危険性を抱え、先人たちによってその危険性や身を守る術などが伝えられてきた沿岸部。そこを住民や観光客を引き込む水辺の公共空間として再整備することで、地域の防災意識を高めている「メモリアル・ランドスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会制作実行委員会)

●取材協力
ArcDR3展覧会製作実行委員会
※1 国際連合広報センター

旅するカレー研究家・水野仁輔に聞く「おうちスパイスカレー」の世界。”世界一簡単”なレシピも紹介

このコロナ禍で、おうち時間の過ごし方が見直され、新しい楽しみのトビラを開いた人も少なくない。スパイスからつくる「おうちカレー」もそのひとつだろう。一方で、スパイスカレーは世界中で食べられているグルメであり、そこでしか味わえない魅力もある。きっと、コロナ禍が落ち着いたら遠出して食べたい「旅カレー」もあることだろう。
今回は「SUUMO」×「じゃらん」のコラボ企画として、そんなカレーを「おうちカレー」「旅カレー」それぞれの視点から楽しみ方を紐解いてみたい。そこでSUUMOジャーナルでは、スパイスを求めて20年、各国に旅をしながら、著書やnoteなどでカレーレシピを発信し続けているカレー研究家の水野仁輔さんに「おうちカレー」の話を聞いてみた。

スパイスだけを持参し、各地の食材でカレーをつくる水野仁輔さん(カレー研究家)。カレー専門の出張料理人として活動する傍ら、スパイスを求めて世界中を旅したり、友人とカレーを研究したり、カレーについて学べる学校を開講したりと、約20年間にわたりカレー・スパイス中心の生活を送ってきた。『スパイスカレー新手法』など、これまでに手掛けた関連著書は60冊以上(写真撮影/嶋崎征弘)

水野仁輔さん(カレー研究家)。カレー専門の出張料理人として活動する傍ら、スパイスを求めて世界中を旅したり、友人とカレーを研究したり、カレーについて学べる学校を開講したりと、約20年間にわたりカレー・スパイス中心の生活を送ってきた。『スパイスカレー新手法』など、これまでに手掛けた関連著書は60冊以上(写真撮影/嶋崎征弘)

――水野さんは20年間にわたってカレーとスパイスを探求してきたということですが、何がきっかけだったのでしょうか?

水野仁輔さん(以下、水野):子どものころ、地元・浜松市に「ボンベイ」というカレー屋ができたんです。当時の静岡・東海地方では珍しかったタンドール(※1)を導入していて、本格的なインド料理を食べることができました。そのお店が僕の原点ですね。スパイシーな味付けのカレーが大好きで、中学生、高校生になってからは自分のお小遣いで通うようになりました。

(※1)インド料理などで使われる壺窯型のオーブン

――子どものころから甘口のカレーではなく、スパイシーなカレーに親しんでいたとは。

水野:僕にはとても美味しく感じられました。大学進学を機に上京しましたが、ボンベイの味は忘れられず、似た味を求めてさまざまな有名店のカレーを食べ歩いたり、インド料理店でアルバイトをしてみたりと、カレー中心の生活でしたね。バイト先で覚えたカレーを誰かに食べてもらいたくなって、よくホームパーティーも開いていたんですが、最初は数名の友人だけだったのが段々と増えていって。社会人一年目のころには公園に30名くらい集めて、カレーイベントを開いたりもしましたね。

――イベントまで。そのころからすでに、スパイスカレーの美味しさを周りに広めていたんですね。

水野:イベントといっても、僕が公園でカレーをつくり、みんなに食べてもらうだけでしたけどね。それでも思いのほか好評で、これを機に「東京カリ~番長(※2)」というグループを作って活動を始めたんです。多くのイベントやクラブから「カレーをつくってほしい」というオファーをいただき、当時は毎月のように出張していましたね。

(※2)2000年に結成されたカレーの出張料理ユニット。日本各地のイベントやクラブなどに出張し、創作カレーを販売。「二度と同じカレーはつくらない」がポリシー

日印混合インド料理集団「東京スパイス番長」メンバーでインドを訪れたときの写真(写真提供/水野仁輔さん)

日印混合インド料理集団「東京スパイス番長」メンバーでインドを訪れたときの写真(写真提供/水野仁輔さん)

水野:特に、スパイスカレーは「香り」が強いため、つくっている途中から盛り上がるんですよ。「香り」はその場にいる全員が感じることができますし、調理中は目紛しく変化します。他の料理では、なかなか体験できないんですよね? それが成功の要因だと思います。

――それから20年経った今も出張料理は続けられていますよね。

水野:はい。目標は47都道府県の制覇です。12人のメンバーで、全国各地へ出張していますよ。ちなみに、昔はあらかじめカレーを仕込んでいましたが、今はスパイスだけを持参し、その土地の市場やスーパーで買った食材を使ってカレーをつくっています。

――それは楽しいですね。それに、地元で買えるものを使っているということで、参加者も自宅で真似しやすそうです。ちなみに、日々カレーを研究するにあたって、どのように情報やヒントを得ているんでしょうか?

水野:コロナが流行する前は、月の半分ほど海外に足を運び、各地のカレーやスパイスからヒントを得ていました。そして、帰国後にそのカレーを“解剖”してレシピをつくったり、新しいカレーを開発するための研究に活かしたり、という形ですね。1人でコツコツやるというより、シェフ仲間や「カレーの学校(※3)」の卒業生たちと一緒に、アレコレ実験しながら研究することが多いです。

(※3)水野さん主宰の“カレープレーヤー”養成所。通信講座で、カレーにまつわるさまざまな授業を行う

(写真提供/水野仁輔さん)

(写真提供/水野仁輔さん)

「カレーの学校」授業の様子(写真提供/水野仁輔さん)

「カレーの学校」授業の様子(写真提供/水野仁輔さん)

水野さんのおうちでのカレーの楽しみ方って?

――みんなでカレーづくりすると、面白い化学反応が生まれそう。

水野:いろんな仲間が集まって、カレーの話をしたり、探求するのは本当に楽しいです。それぞれが面白いアイディアを持っているので、1人では思いもしなかった発想が飛び出したりもするんですよ。そのため、ここのオフィスは卒業生、カレー仲間のシェフには常に無料で開放しています。使いたい人は自由にどうぞって(笑)。

――気前がいいですね。

水野:スパイスや調理器具は常備していますし、部屋には僕が世界中から集めてきた本がそろっています。もはや、僕がいない日でも一日中、みんなでカレーを楽しんでいますよ。そうやって一緒にカレーを面白がってくれる仲間たちがいて、本当に恵まれていると思います。これは、カレーがつないでくれた縁ですね。

――楽しそうです。読者が自宅でみんなでカレーづくりをするなら、どんな楽しみ方をするのがおすすめですか?

水野:みんなで集まってつくること自体が楽しいんですが、何人かでつくるのなら複数のカレーをつくってワンプレート盛り合わせをするのがいいと思います。あとは、カレーをメインとしたホームパーティーを楽しむなら、「カレーはあるから他を持ち寄りにしよう」と言って、前菜やつまみ、デザート、お酒などを持ち寄ってもらったらいいと思いますよ。

水野さんのオフィスには世界各国の本屋で収集したカレー・スパイスの本や資料が並ぶ(写真撮影/嶋崎征弘)

水野さんのオフィスには世界各国の本屋で収集したカレー・スパイスの本や資料が並ぶ(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

――私もみんなでスパイスカレーをつくってみたいです。ちなみに初心者にオススメのスパイスはありますか?

水野:「ターメリック」「レッドチリ」「コリアンダー」。おまけとして「クミン」というところですね。この4つの組み合わせがオススメです。4人分のカレーをつくる場合の配合は、ターメリック小さじ1、レッドチリ小さじ1、コリアンダー小さじ3、クミン小さじ3がいいでしょう。分量の基本として、「黄色」のターメリックと「赤色」のレッドチリは少なめ。コリアンダーやクミンのような「茶色」は多め、と覚えておくといいと思います。これを加えるだけで、市販のカレー粉よりも抜群に良い香りになりますよ。

急きょ「カレーの学校」が開講(写真撮影/嶋崎征弘)

急きょ「カレーの学校」が開講(写真撮影/嶋崎征弘)

――意外と簡単! さっそく試してみます。

水野:そう、簡単なんです。スパイスカレーってハードルが高いと思われがちなんですけど、じつはそんなこともないんですよ。それでいて、いったん体験してしまうとスパイスの奥深さに気づいて、探求が止まらなくなるんです。

ターメリック(右上)、レッドチリ(右下)、コリアンダー(左下)、クミン(左上)(写真撮影/嶋崎征弘)

ターメリック(右上)、レッドチリ(右下)、コリアンダー(左下)、クミン(左上)(写真撮影/嶋崎征弘)

水野:ちなみに、初心者の人には「ハンズオフカレー」をオススメしています。僕が考案した世界一簡単なカレーのつくり方で、材料をすべて鍋に入れて蓋をしたら、あとは火にかけるだけ。スパイスがそろっていない場合は市販のカレー粉で代用可能ですが、今日は「AIR SPICE(※4)」のスパイスを使ってつくってみましょう。

(※4)レシピ付きのスパイスセットが毎月届く、サブスクサービス

「世界一簡単」な鍋に食材とスパイスを入れるだけ「ハンズオフカレー」

【ハンズオフカレーの作り方】
●材料(4人分)

クリーム色の「パウダースパイスA」と茶色の「パウダースパイスB」を使用(写真撮影/嶋崎征弘)

クリーム色の「パウダースパイスA」と茶色の「パウダースパイスB」を使用(写真撮影/嶋崎征弘)

・植物油…大さじ3強(40g)
・玉ねぎ(粗みじん切り)…小1個(200g)

■パウダースパイスA
・オニオンパウダー…大さじ1
・ジンジャーパウダー…小さじ1
・ターメリックパウダー…小さじ1
・ガーリンクパウダー…小さじ1/2弱

■パウダースパイスB
・クミンパウダー…大さじ1
・コリアンダーパウダー…小さじ2
・パプリカパウダー…小さじ1
・ガラムマサラパウダー…小さじ1/2
・グリーンカルダモンパウダー…小さじ1/2
・ブラックペッパーパウダー…小さじ1/2

・塩…小さじ1と1/2(8g)
・鶏もも肉(一口大に切る)…400g
・トマト(粗みじん切り)…小1個(150g)
・水…150ml
・ココナッツミルク…100ml
・ミント(あれば、ざく切り)…1/2カップ

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

●作り方
材料を上から順にすべて鍋のなかに入れ、強火で3分ほど鍋の中央がフツフツとするまで煮立て、蓋をして弱火で30分ほど煮る。30分後、塩で味を調整する。

「カレー調理に技術は要らない」ということでハンズオフカレーと名付けたそう(写真撮影/嶋崎征弘)

「カレー調理に技術は要らない」ということでハンズオフカレーと名付けたそう(写真撮影/嶋崎征弘)

――本当に簡単ですね。

水野:そうですね。基本、鍋に食材とスパイスを入れて30分ほど放置するだけですから。ちなみに、30分はあくまで目安で、使用する鍋や火力によって適切な時間は異なります。ただ、このカレーは“しゃばしゃば”だと味気なくなってしまうので、ある程度は煮詰めるようにしてください。

30分後。スパイスの良い香りが部屋中に広がる(写真撮影/嶋崎征弘)

30分後。スパイスの良い香りが部屋中に広がる(写真撮影/嶋崎征弘)

完成。ビールやスパークリングワイン、ジンジャーエールなど発泡系のドリンクと合わせるのがオススメとのこと(写真撮影/嶋崎征弘)

完成。ビールやスパークリングワイン、ジンジャーエールなど発泡系のドリンクと合わせるのがオススメとのこと(写真撮影/嶋崎征弘)

――おいしい……! スパイスの刺激とココナッツミルクやミントの爽やかさが不思議とマッチしていて、とても複雑な香りと味わいですね。

水野:おそらく、これまで自宅で食べてきたカレーとは全く別物だと思います。でも、いつものカレーと違うことといったら、スパイスの香りだけなんですよ。それだけ、料理にとって香りがいかに重要な要素であるかということですよね。

道具にもこだわると、もっとカレーの世界が広がる

――カレーづくりにおすすめの調理環境や道具などについてもお聞きしたいのですが、水野さんはキッチンに対するこだわりはありますか?

水野:それが、特別これといったこだわりはないんですよ。あとは、自分にとって使いやすい状態になっていればいいかなと。そういうのって決まった法則があるわけじゃなくて、日々使っていくうちに整っていくものだから、結局は使い慣れた自宅のキッチンが一番オススメです。

――では、調理道具のこだわりは何かありますか?

水野:同じものがずらっと何個もそろっている状態が好きですね。ここのキッチンにも、鍋やカセットコンロ、キッチンタイマー、ゴムベラなんかも、同じものが5個ずつくらい揃っているんですよ。ぱっと見の景観が統一されている状態が気持ちよくて。だからこそ、“一つ目”を決めるまで徹底的に調べ尽くして、お気に入りを見つけたらまとめて買うようにしています。

――それは独特のこだわりですね(笑)。でも、木ベラは違うものが何種類もあるようですが?

水野:木ベラに関しては特に好きな調理道具なので、新しい形を見つけるとすぐに買ってしまうんです。それに、どんなカレーをつくるかによって鍋の形が変わり、最適な木ベラの形やサイズも変わってくるんですよ。例えば、食材を潰しながら加熱したり、焦げないように鍋底をこする必要がある場合は、丸い形状の木ベラよりも「平らな形状」の木ベラのほうが鍋底に当たる部分が広いので使いやすいです。

水野さん愛用の木ベラ。なかでもお気に入りは、長く握っていても疲れない太いグリップの木ベラ。素材は固くて持ちやすいオリーブがオススメとのこと(写真撮影/嶋崎征弘)

水野さん愛用の木ベラ。なかでもお気に入りは、長く握っていても疲れない太いグリップの木ベラ。素材は固くて持ちやすいオリーブがオススメとのこと(写真撮影/嶋崎征弘)

――木ベラ以外に、カレーづくりに欠かせない調理道具はありますか?

水野:基本的には鍋と木ベラがあれば十分だと思いますが、よりステップアップを目指すなら「すり鉢」と「スパイスクラッシャー」は持っておいても良いかもしれません。スパイスをすり鉢でパウダー状にしたり、ホールスパイスをスパイスクラッシャーで粗挽きにすると、より香りが立ちますよ。

水野さんがインドで購入した「スパイスクラッシャー」(写真撮影/嶋崎征弘)

水野さんがインドで購入した「スパイスクラッシャー」(写真撮影/嶋崎征弘)

――最初からパウダー状になっているものと、その場ですりおろすのとでは香りが変わってくるのでしょうか?

水野:まるで違います。可能なら、全てのスパイスを自分で挽いてほしいですね。おそらく「今まで自分が買ってきたスパイスは何だったんだろう」と思うくらいに差は歴然だと思います。コーヒーが好きな人も粉で買わずに、家で豆を挽くじゃないですか? それと同じで、挽きたてはとにかく香りが良いんです。

好きなカレー屋を見つけると街の暮らしがもっと豊かになる

――おうちカレーも楽しいのですが、カレー屋さんってどの街にもあり、お気に入りのお店を見つけると、その街での暮らしが俄然楽しくなったりすると思います。最後にぜひ、水野さんオススメのカレー屋さんも教えていただきたいのですが、最近も食べ歩きはしていますか?

水野:じつはここ数年は食べ歩きをしていません。というのも、行くお店はもう決まっていて、6軒のカレー店に20年近く通っているんです。「ムルギー(東京都渋谷区)」「デリー(東京都文京区)」「ピキヌー(東京都世田谷区)」「ブレイクス(東京都渋谷区)」「共栄堂(東京都千代田区)」「ナイルレストラン(東京都中央区)」ですね。この6軒さえあれば、僕は幸せなカレーライフを送れます。カレーづくりのヒントやアイデアの種は、食べ歩き以外のところでも得られますしね。

必要最低限の調理道具だけがそろう、整理整頓されたキッチン(写真撮影/嶋崎征弘)

必要最低限の調理道具だけがそろう、整理整頓されたキッチン(写真撮影/嶋崎征弘)

――6軒それぞれカレーの特徴が異なりますが、共通して好きなポイントはありますか?

水野:どのお店もカレーの“表情”が美しいです。僕は基本的に運ばれてきた料理をすぐ食べるようにしているのですが、この6軒のカレーだけはいつも写真におさめたくなってしまいますね。単に綺麗に盛り付けられているというだけでなく、ソースの色味やテクスチャーなど、僕なりの判断基準があります。完全に僕の主観と経験に基づくものなので、解説するのが難しいんですけどね。

それから、どこか落ち着く雰囲気も共通しています。お店の人との「最近どう?」みたいなコミュニケーションも心地よくて、行きつけのバーを訪れるような感覚に近いかもしれません。

――そんなふうに、自分なりのお気に入りのお店を見つけるのも楽しそうです。

水野:自宅の近くにそんなお店があったら、きっと毎日が楽しいと思います。僕の知人にも、好きなカレー店を追いかけて引越した人がいるくらいですから。そうまでする価値があるくらい、カレーは生活を豊かにしてくれるものだと思いますよ。みなさんもぜひ、ふらっと立ち寄れる距離でお気に入りのカレー店を探してみてください。そして、ぜひ店主や常連客とコミュニケーションをとって、仲良くなってほしいですね。

●取材協力
水野仁輔さん
note
AIR SPICE

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”池袋の隣の地味な駅=大塚”が4年で大変貌! 星野リゾート進出など地元不動産屋7代目の軌跡

「最近、大塚がアツいらしい」。そんな話を耳にすることが増えてきた。きっかけは、2018年に、あの星野リゾートが都市型ホテル「OMO」東京第1号を大塚で開業したこと。「東京大塚のれん街」も同時に登場し、大きな話題になった。
その旗振り役は、行政でも大手デベロッパーでもない、地元・大塚の山口不動産。
今回は、代表取締役CEOの武藤浩司さんに、大塚のこれまでとこれからどうなっていくのか、個人的な心のうちを含めて、お話を伺った。

仕掛け人は社員7名の不動産会社

2022年4月に大塚で街イベント「ba fes.(ビーエーフェス)」が開催されると聞き、足を運んだ。本格クラフトビールを楽しめるビアフェスのほか、ステージパフォーマンス、フリーマーケット、「OMO5東京大塚by星野リゾート」でのDJイベントなど、さまざまな催しが大塚の街のあちこちで開催され、おおいににぎわっていた。

4月22日(金)~24日(日)に行われた「北東京を象徴するビアフェス」。地元、南大塚のビアバー「TITANS」が厳選する、東京北部のマイクロブリュワリーと海外のブリュワリーのビールが集合(写真撮影/相馬ミナ)

4月22日(金)~24日(日)に行われた「北東京を象徴するビアフェス」。地元、南大塚のビアバー「TITANS」が厳選する、東京北部のマイクロブリュワリーと海外のブリュワリーのビールが集合(写真撮影/相馬ミナ)

会場は、東京大塚のれん街の隣、山口不動産が管理する駐車場にて開催(写真撮影/相馬ミナ)

会場は、東京大塚のれん街の隣、山口不動産が管理する駐車場にて開催(写真撮影/相馬ミナ)

フェス専用のリサイクルカップを使用するなど、環境に配慮も(写真撮影/相馬ミナ)

フェス専用のリサイクルカップを使用するなど、環境に配慮も(写真撮影/相馬ミナ)

ba01ビル地下1階の「ping-pong ba」では、地元民が出品するフリーマーケットも(写真撮影/相馬ミナ)

ba01ビル地下1階の「ping-pong ba」では、地元民が出品するフリーマーケットも(写真撮影/相馬ミナ)

街の景色を変えた仕掛人は山口不動産の代表、武藤さん。所有するビルに「ba(ビーエー)」と名付け、駅前のロータリーや分電盤にも「ba」のロゴが施されている。大塚駅に降り立った人に「これはなんだろう」と思わせる仕掛けだ。
「そもそも、山口不動産は、この辺りに広い土地を持っていた地主である山口家が、自分の土地・不動産を管理する会社。祖母が山口家の13代目でした。他のどの街でもあるような、不動産を保有して賃料収入を得るだけの会社でした」。親族経営ゆえに冒険はしないのが基本。テナント収入で利益を得ることが優先され、銀行から多額の融資を受けてまで新事業を推進することには消極的になりがちな体質だ。
「でも、それだけでは、面白くないし、小さな会社だからこそ、意思決定はスピーディに行えることも利点なんです」

開発前の大塚(写真提供/山口不動産)

開発前の大塚(写真提供/山口不動産)

現在の風景。大塚駅北口には、ba01、ba02、ba03、ba05、ba06、ba07と6つの建物が点在(写真撮影/相馬ミナ)

現在の風景。大塚駅北口には、ba01、ba02、ba03、ba05、ba06、ba07と6つの建物が点在(写真撮影/相馬ミナ)

baのロゴ(写真提供/山口不動産)

baのロゴ(写真提供/山口不動産)

山口不動産は、この駅前広場のネーミングライツ(命名権)を取得して、2021年3月に「ironowa hiro ba」と命名。豊島区は、支払われた命名権料を広場の維持管理に充てる、という仕組み。その向こうに見えるのは、「OMO5東京大塚by星野リゾート」(写真撮影/相馬ミナ)

山口不動産は、この駅前広場のネーミングライツ(命名権)を取得して、2021年3月に「ironowa hiro ba」と命名。豊島区は、支払われた命名権料を広場の維持管理に充てる、という仕組み。その向こうに見えるのは、「OMO5東京大塚by星野リゾート」(写真撮影/相馬ミナ)

山口不動産代表取締役CEO武藤浩司さん。東京大学を卒業後、メガバンク、大手監査法人を経て、同社へ入社。2018年より現職。インタビュー取材に同席した会社の看板犬・Naluちゃんと一緒に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

山口不動産代表取締役CEO武藤浩司さん。東京大学を卒業後、メガバンク、大手監査法人を経て、同社へ入社。2018年より現職。インタビュー取材に同席した会社の看板犬・Naluちゃんと一緒に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「星野リゾート」誘致からスタートした「baプロジェクト」

「ba」とは「場」の意味。「魅力ある『場』を提供していける会社になりたい」という想い、「b」は『being』で「いること」、「a」は『association』で「つながり」という意味合いもある。
この「ironowa ba project(いろのわ・ビーエー・プロジェクト)」は、2018年に、星野リゾートの都市型ホテルが入るビルを「ba01」、賃貸マンションの建物を「ba03」として同時に竣工したことから始まった。さらに、カフェや飲食店が入居している駅前のビルを「ba06」、その向こう側にあるオフィスビルを「ba07」と改名した。

狙いは「“大塚”のまちの体温をあげたい」。

星野リゾート側も、都市観光ホテルブランドを立ち上げるにあたって、観光地ではないけれど滞在すれば、その街の魅力を暮らすように体験できる立地を想定しており、下町情緒の残る「大塚」はまさにぴったりだった経緯もある。
「これまで大塚といえば『池袋の次の駅』といったイメージくらいしかなく、わざわざ降りる場所ではなかったでしょう。それを何とかしたかったんです。『どこに住んでいるの? 』 って聞かれて『大塚』って答えたら、『すっげぇ、いいなぁ 』って憧れられる。それが目標です」と武藤さん。

「寝るだけでは終わらせない、旅のテンションを上げる都市観光ホテル」をコンセプトにした「OMOブランド」。都内初となった「OMO5東京大塚by星野リゾート」は、単に宿泊するだけでなく、「ご近所を楽しむ」という視点でユニークなサービスを展開(写真撮影/相馬ミナ)

「寝るだけでは終わらせない、旅のテンションを上げる都市観光ホテル」をコンセプトにした「OMOブランド」。都内初となった「OMO5東京大塚by星野リゾート」は、単に宿泊するだけでなく、「ご近所を楽しむ」という視点でユニークなサービスを展開(写真撮影/相馬ミナ)

縦空間や壁面を有効活用した櫓(やぐら)寝台のような造りで、秘密基地気分で楽しめるゲストルーム(写真提供/山口不動産)

縦空間や壁面を有効活用した櫓(やぐら)寝台のような造りで、秘密基地気分で楽しめるゲストルーム(写真提供/山口不動産)

同時オープンでインパクト。積極的なテナント誘致で街の顔を変えていく

そのための戦略は、ある意味シビアだ。
注目度の高い星野リゾートと、内装や賃料などの厳しい交渉の末、誘致に成功。この誘致が決定されたことで、飲食店プロデュースの株式会社スパイスワークスの下遠野亘さんを巻き込むことができた。昭和の風情の居酒屋が並ぶ「東京大塚のれん街」と星野リゾートのホテルの同時オープンにこぎつけたことで、大いに話題になり、各メディアに取り上げられた。
「星野リゾートの都市型ホテルの都内一号店でなければ、さらには同時オープンでなければ、インパクトは与えられないと考えました」

昭和の佇まいを残しながら改築した居酒屋の集合体「東京大塚のれん街」(画像提供/山口不動産)

昭和の佇まいを残しながら改築した居酒屋の集合体「東京大塚のれん街」(画像提供/山口不動産)

さらに、入るテナントも「このお店が大塚にあったらイメージがよくなるはず」という観点を優先。さらに食通が足繁く通うことで知られる目黒にある焼鳥店「やきとり阿部」の阿部友彦氏が手がける「やきとり結火」の出店を自ら打診。武藤さん自身が、求心力のあるテナントを仕掛けている。

「やきとり結火」は、焼鳥の名店「鳥しき」で修業し独立した店主の阿部友彦氏の3店舗目になる。ソムリエによるワインのセレクトと焼鳥のマリアージュを楽しめる (画像提供/山口不動産)

「やきとり結火」は、焼鳥の名店「鳥しき」で修業し独立した店主の阿部友彦氏の3店舗目になる。ソムリエによるワインのセレクトと焼鳥のマリアージュを楽しめる(画像提供/山口不動産)

「採算性だけを考えれば、コンビニやドラッグスストア、飲食のチェーン店のテナントを入れるのが正解なのかもしれません。だけど、それではどこでもある街になるでしょう。大塚だからこそ出会える味、経験を提供したいんです。メガバンクや監査法人で働いたこともあるので、数字がいかに大事かは理解しています。しかし、数字だけみていても楽しくない。クリエイティブなこと、アイデアフルなことに投資したい。要はバランスですね」

持続性のあるイベント開催で、大塚を知ってもらうのが第一歩

こうして、「ironowa ba project」の発足を皮切りに、さまざまな分野の人を巻き込み、大塚の街を盛り上げる試みにもトライしている。前出のフェスもそのひとつ。山口不動産グループが直接経営する、星野リゾートのOMO5が入るba1の1階「eightdays dining」では、休日には店外のデッキで小さなイベントを開催することもある。

山口不動産グループが経営するカフェダイニング「eightdays dining」(写真提供/相馬ミナ)

山口不動産グループが経営するカフェダイニング「eightdays dining」(写真提供/相馬ミナ)

ビアフェスでは、「eightdays dining」デッキ部分にお店が出店していた(写真提供/相馬ミナ)

ビアフェスでは、「eightdays dining」デッキ部分にお店が出店していた(写真提供/相馬ミナ)

当初は社員のみの活動だった清掃活動も、お揃いのユニフォームや軍手を身に着けて認知度を上げたことで、テナントで働く人、賃貸マンションに暮らす人なども巻き込んでいき、インスタ等を通してたくさんの人が参加する清掃活動「#CleanUpOtsuka」へと発展した。

「#CleanUpOtsuka」は週2回開催。日常活動のほか、100人規模のゴミ拾いイベントを定期的に開催している。 (画像提供/山口不動産)

「#CleanUpOtsuka」は週2回開催。日常活動のほか、100人規模のゴミ拾いイベントを定期的に開催している(画像提供/山口不動産)

「定期的に開催することで顔見知りが増えたり、大塚という街に愛着を持ってもらえます。コロナ禍で変更を余儀なくされましたが、持続的に開催すれば、『大塚ってなんか面白いな』と興味を持ってもらえる方が増えるはず。実際に、大塚駅のあちこちにある『ba』ロゴに興味を覚え、ネット検索から、僕のnoteにたどり着いた方が、当社の物件を契約してくださったんです」

とはいえ、「まちづくりの仕掛け人」という紹介のされ方には違和感があるという武藤さん。
「おこがましい気がして (笑)。まちを『つくっている』という意識なんて僕にはないですし、僕がしたいのは、“大塚に来てみたら、住んでみたら楽しいな”と思ってもらうこと。僕は、“大塚のまちの体温をあげたい”というのが一番近いかなと思っています」

駅南口は開発が進む北口と雰囲気が異なる。サンモール商店街では趣のある路地散策を楽しめる(写真撮影/相馬ミナ)

駅南口は開発が進む北口と雰囲気が異なる。サンモール商店街では趣のある路地散策を楽しめる(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

都電荒川線が走る、大塚おなじみの風景(写真撮影/相馬ミナ)

都電荒川線が走る、大塚おなじみの風景(写真撮影/相馬ミナ)

「あくまでも個人的な思い」もモチベーションのひとつに

純粋に「育った街を盛り上げたい」という想いとは別に、武藤さん個人の「自分の人生もなんとかしたい」という切実な事情も動機になっている。
そもそも、山口不動産は、元地主の親族経営の会社。武藤さんの祖母は、外孫である武藤さんに期待し、いずれは会社を継がせたいという、未来予想図があった。武藤さんは、東京大学を卒業後、メガバンクへ入行し、大手監査法人へ。ただ、ほどなくしてうつを患ってしまい、退職。当初描いていたよりずっと早く、祖母の会社の山口不動産に入社することになった。

「冒険をせずとも、粛々と日常の業務をこなしていけば、食べてはいけるんですよね。でも、それで本当にいいのかとずっと自問していました。私自身、友人たちの活躍に置いて行かれた気分にもなっていたんです。祖母の想いはあれど、自分が社長職を継げるかどうか、保証も何もなかった。親族内でも社内でも認めてもらうのは、実績が必要だ。そういう自分自身の焦燥感も、モチベーションになっていたと思います」
 
「今後の目標は? 」という質問に、「SUUMOの『住みたい街ランキング』で大塚が上位になること」と答えてくださった武藤さん。このプロジェクトを通して、同じ志を共にする人材も雇用でき、良い循環が生まれているという。武藤さん自身が、自分のうつのこと、親族間の確執、決して成功だけでははない失敗のアレコレなど、「通常なら隠しておいても普通のこと」を、note「僕はまちづくりなんてしてない~大塚からまちの体温を上げる」で発信していることも注目されている。

「noteで赤裸々に語ったおかげで、僕個人に興味を持ってくださったメディアから取材を受けることが多く、大きなPRになっています」(画像提供/山口不動産)

「noteで赤裸々に語ったおかげで、僕個人に興味を持ってくださったメディアから取材を受けることが多く、大きなPRになっています」(画像提供/山口不動産)

「発信を始める前に比べて、僕たちの取組みに共感してくださる方、協力の意思表示をしてくださる方が目に見えて増えたのが、何よりも嬉しい変化でした」。
こうした「あくまでも個人的なエモーション」が、人々を巻き込み、街を変える原動力になる。そんなある意味、原始的なうねりのようなものを「大塚」という街は生み出しているのかもしれない。

●取材協力
ironowa ba project | 山口不動産株式会社
note「僕はまちづくりなんてしてない~大塚からまちの体温を上げる」

子育て支援の“東西横綱”千葉県流山市と兵庫県明石市、「住みたい街ランキング」大躍進の裏にスゴい取り組み

2022年3月に発表された「SUUMO住みたい街ランキング2022」において、首都版で得点が最も伸びた街(自治体)に選ばれた千葉県流山市と、関西版で子育て世代の投票を特に集めた兵庫県明石市。共に子育てサービスが充実し、子育て環境が充実している点が支持につながりました。全国初の支援を次々と打ち出している流山市と明石市では、どのように子育てができるのでしょうか。子育て支援の最新事情を取材しました。

“「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」”から12年、定着した駅前送迎ステーション、保育園数は5倍に

「住みたい街ランキング2022首都圏版」の、昨年より得点がジャンプアップした自治体ランキングで1位を獲得した流山は、自然豊かな住宅都市。つくばエクスプレス快速で秋葉原駅まで約20分。そのほか市内には、JR武蔵野線、常磐線、東武野田線、流鉄流山線など5線11駅があり、バス網も整備されています。流山おおたかの森駅前には、大型ショッピングモールや子育て支援施設、公園が充実。駅前に多くを集結させ、時間効率性をアップしたことで子育て世代や共働きカップルの得点が高い結果になりました。

流山おおたかの森駅前。2022年春開業したCOTOE(コトエ)は、約40店舗が入居する複合商業施設。保育所や学習塾が入ったこもれびテラスも近くにある(画像提供/流山市役所)

流山おおたかの森駅前。2022年春開業したCOTOE(コトエ)は、約40店舗が入居する複合商業施設。保育所や学習塾が入ったこもれびテラスも近くにある(画像提供/流山市役所)

流山グリーンフェスティバルの様子。春には住宅街で個人邸のオープンガーデンが催される(画像提供/流山市役所)

流山グリーンフェスティバルの様子。春には住宅街で個人邸のオープンガーデンが催される(画像提供/流山市役所)

流山が子育て家族の街として注目されたのは、「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」のキャッチフレーズで2010年から展開された市のプロモーション活動です。2007年から開始されていた駅前保育送迎ステーション(保護者それぞれで保育園に子どもを送らなくても、駅前のステーションにまで送っていけば、そこから市内各所の保育園に送迎してくれる仕組み)も注目を集めました。流山市の子育て支援のサービスや支援を続けるなかでの課題、新しい子育て支援について、流山市マーケティング課河尻和佳子さんに伺いました。

「当時全国に先駆け開設した駅前保育送迎ステーションは、現在も稼働しています。2022年3月の利用児童は131名。『通勤前後に子どもを送り出せて時短になる』と保護者に好評ですが、実は徐々に利用者は減っています。理由は保育園の定員が入園を希望する児童数に追いついてきたためです。駅前保育送迎ステーションはもともと家の近くの保育園に預けられず、離れた園に空きはあっても待機児童になってしまうのを解消する目的ではじめた施策なので、保育園数が増えて利用者が減ることは目標に近づいていると言えます」(河尻さん)

駅前保育送迎ステーション。おおたかの森駅前、南流山駅前で児童を預けられる。通勤に使う駅で送り迎えができるので、通勤している共働き世帯に好評のサービスだ(画像提供/流山市役所)

駅前保育送迎ステーション。おおたかの森駅前、南流山駅前で児童を預けられる。通勤に使う駅で送り迎えができるので、通勤している共働き世帯に好評のサービスだ(画像提供/流山市役所)

保育園数は、10年余で5倍になり、定員も4倍強に増加。大規模な共同住宅等を建設する場合、事業者に保育所の設置を要請しています。今後、子どもたちが通うための小学校の新設も予定されているそうです。

流山市がさまざまな子育て支援策を打ち出し始めたのは、井崎義治市長が就任した2003年以降。流山市では今後住民の高齢化が進行し、将来、市の財政が厳しくなるリスクがありました。そこで、共働きが多い若い世代への子育て環境の整備を行い、移住者を呼び込み、少子高齢社会を支えようと考えたのです。全国初のマーケティング課を市役所に創設し、首都圏の子育て世代をターゲットにインターネット等でプロモーション活動をしたところ、「自分に語り掛けてくるようだ」と30代~40代の子育て世代から予想以上の反響がありました。

「流山市の人口は、10年間で約3.8万人増えています。年齢別人口でみると35~39歳代の人口が伸びており、その多くが首都圏からの移住者です。4歳以下の子どもの数も増え、合計特殊出生率は1.55。人口増加はつくばエクスプレス開業の効果もありますが、子育て施策が注目され、メディアでの露出が増え、知名度やイメージが向上したことも大きいと感じています」(河尻さん)

オンラインコミュニティNの研究室や女性創業支援で、自己実現をバックアップ

移住してきた子育て世代が街に定着している流山市では、今後、どのような支援が求められていくのでしょうか。

「日本の人口が減り続けるなかで、流山市の人口増加は2027年がピークと推計しています。今後も魅力ある街として共働きの子育て世代に選ばれるには、子育て環境の整備だけでは足りません。『子育てしながら、なりたい自分になれるまち』を目指し、そのきっかけの場づくりなどをしていきます」(河尻さん)

商工振興課では、女性の創業・起業支援として創業スクールを開講。100人以上に及ぶ卒業生の中には、創業のほか、NPO団体や街のコミュニティを立ち上げる人もいます。民間のシェアサテライトオフィスTrist(トリスト)は、都内に通勤していた子育て女性によって「地元でスキルを活かした仕事をしたい女性を応援する」ために設立されました。現在は、市内2拠点でリモートワークの場として、企業と一緒に復職プログラムを開発したり、利用者同士のコミュニティもつくられています。

講師を迎えて開講される創業スクールの授業風景(画像提供/流山市役所)

講師を迎えて開講される創業スクールの授業風景(画像提供/流山市役所)

2022年度の募集パンフレット。募集を開始すると2日で定員が埋まる盛況ぶり(画像提供/流山市役所)

2022年度の募集パンフレット。募集を開始すると2日で定員が埋まる盛況ぶり(画像提供/流山市役所)

さらに市民の「やってみたい」を形にするため、2022年1月末から、市民のためのオンラインコミュニティ「Nの研究室」が開設されました。

「アイデアの提案や仲間探しの場になればと企画しました。コメント欄では、2カ月で80人強の市民が参加し活発な意見交換が行われています。『虫が苦手なママのための昆虫教室』や『市内の名所で家族写真を撮るサービス』などの発案がプロジェクト化に向け進行しています」(河尻さん)

当初否定的なコメントが増える可能性を案じていたが、熱い議論が交わされ「面白そう」と市外から参加する人も(画像提供/流山市役所)

当初否定的なコメントが増える可能性を案じていたが、熱い議論が交わされ「面白そう」と市外から参加する人も(画像提供/流山市役所)

実際に、流山市に移住し、子育てをしている田中さん(専業主婦・30代)に、流山市の住み心地を取材しました。田中さんが夫と共に約3年間暮らしたアメリカ・ニューヨークから、里帰り出産のため愛知県の実家に戻ったのが2020年の1月ごろ。出産を経て6月に流山市へ引越し、1か月後に帰国した夫と家族3人で暮らしています。流山市へ移住した理由は、都心に出やすく、夫の通勤に便利なこと、徒歩圏内に商業施設や公園がたくさんあることが決め手でした。

「児童センターや支援センターを積極的に活用しています。月ごとにさまざまなイベントがあり、子どもは喜んで通っています。最新の子育て情報を知ることができるLINE配信も便利です」(田中さん)

コミュニティのイベントで娘を遊ばせる田中さん。「まわりのお母さんたちが子どもの成長を一緒に見届けてくれることがうれしい」と話す(画像提供/田中さん)

コミュニティのイベントで娘を遊ばせる田中さん。「まわりのお母さんたちが子どもの成長を一緒に見届けてくれることがうれしい」と話す(画像提供/田中さん)

田中さんは、NY mom’sナガレヤママムズという3歳以下の子どもをもつ母が参加できるコミュニティの3期目の運営に携わりました。昨年度の流山マムズ参加人数は、約90名。活動内容は、Facebookでの情報交換、月に一度の交流会、季節のイベント、月に数回少人数で集まる会、部活動(英語部、絵本部、ダンス部、ホームパーティー部などです。流山市に移住して間もない母親の加入が多く、情報交換の場になっているそうです。

田中さんの流山市の子育て支援についての満足度は、10点満点中8点。

「流山市は新しい保育園がたくさんでき、駅前保育送迎ステーションなど働くお母さんのための選択肢がたくさんあるのが良いですね。私は専業主婦なので、幼稚園ももっと充実させていただけたらうれしいなと思います」(田中さん)

自己実現の満足度を訪ねると、「料理が苦手なので8点くらいですが、10点を目指しています!」と明るく答えてくれました。

所得制限なく5つの無料化を続ける明石市。すべての子育て世代に支援を明石城跡につくられた明石公園では、週末にマルシェが催されることも(画像提供/明石市役所)

明石城跡につくられた明石公園では、週末にマルシェが催されることも(画像提供/明石市役所)

面積約50平方kmの兵庫県明石市は、目の前に明石海峡や淡路島を望む、海に面した街です。明石市では、2011年の泉房穂市長就任以降、「子どもを核としたまちづくり」を掲げてきました。「住みたい街ランキング2022関西版」では、夫婦+子育て世帯を対象にしたランキングで明石市として10位、明石駅は過去最高の7位。兵庫県民ランキングにおいては、初のベスト5入りと支持を集めました。明石市の子育て支援について、明石市役所に取材しました。

明石市の無料化施策の特徴は、現金を配るのではなく、サービスを提供すること。しっかり子どもに支援を届けていくために、今すでに発生している公共サービスを無料にしています。例えば、『おむつ定期便』では、経済的負担の軽減に加え、毎月支援員が家庭を訪問することで必要な支援につなげています。さらに、親の所得に関わらず、すべての子どもたちにサービスを届けるため、5つの無料化はすべて所得制限なしで提供されています。

【明石市独自である子育て支援の5つの無料化】※すべて所得制限、自己負担なし

1. こども医療費
2013 年より、中学3年生までの医療費を無料化。さらに 2021年に対象を高校 3 年生まで拡大
2. 中学校給食費
すべての市立中学校で提供している給食を、2020 年から無償化
3. 保育料
2016年から、第2子以降の保育料の完全無料化
4. 公共施設の入場料
天文科学館(市内外問わず高校生以下)、明石海浜プール(市内在住・在学の小学生以下)など
5. おむつ定期便
2020年より、子育て経験がある見守り支援員(配達員)が、0 歳児の赤ちゃんがいる家庭に紙おむつなどを直接お届け

おむつ定期便では、おむつを渡すだけでなく、子育て経験のある支援員が相談にのってくれる(画像提供/明石市役所)

おむつ定期便では、おむつを渡すだけでなく、子育て経験のある支援員が相談にのってくれる(画像提供/明石市役所)

市内に5カ所あるあかし子育て支援センターでは、就学前の子どもが入り混じって遊ぶ(画像提供/明石市役所)

市内に5カ所あるあかし子育て支援センターでは、就学前の子どもが入り混じって遊ぶ(画像提供/明石市役所)

ボールプールや滑り台、読み聞かせのできる図書コーナーもある(画像提供/明石市役所)

ボールプールや滑り台、読み聞かせのできる図書コーナーもある(画像提供/明石市役所)

長年子育て支援を継続した結果、定住人口は9年連続で増加し、2020年の国勢調査で30万人を超え過去最高に。25~39歳の子育て層が増加しており、0~4歳人口も増えています。合計特殊出生率は、2020年統計時に1.7に上昇しました。人口が増えるとともに、明石駅の公共施設がさらに充実し、商業施設、商店街ににぎわいが生まれ、市外からも人が集まるように。交流人口が増加し、商業地地価も毎年上昇しています。

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

人口が増加してからも、次々と新しい子育てサービスを実施。2020年9月に市内全公立幼稚園で給食をスタート(副食費は無料)したり、離婚前後の子どもを支援したり、さまざまな施策を行っています。離婚前後の養育支援では、面会交流のコーディネートのほか、2020年7月~2021年3月に、養育費の不払いがあった際、市が支払い義務者に働きかけを行い、不払いが続く場合に1か月分(上限5万円)の立て替えを行いました。「子どもに会えて成長を確認できてうれしい」「養育費がちゃんと支払われるようになった」と利用者から感謝の声が寄せられたそうです。

すべての子どもをまちのみんなで応援することが、まちの未来をつくる

明石市では、全小学校区に子ども食堂を配置していますが、運営団体は、まちづくり協議会や民生児童委員協議会、地区社会福祉協議会、ボランティア団体など住民主体の活動です。2020年度の子どもの利用者は、3916名でした。

食材は、地産地消にこだわり、管理栄養士によるバランスのとれた食事を提供したり、団体によって様々な工夫をしている(画像提供/明石市役所)

食材は、地産地消にこだわり、管理栄養士によるバランスのとれた食事を提供したり、団体によって様々な工夫をしている(画像提供/明石市役所)

小学校内や公民館、民間施設などで実施され、ボランティアによって運営されている(画像提供/明石市役所)

小学校内や公民館、民間施設などで実施され、ボランティアによって運営されている(画像提供/明石市役所)

また、街づくりの一環としてはじまった「本のまちづくり」は、子どもたちのこころの豊かさを育むことにつながっています。2017年に、子育て施設などが入る明石駅前ビルに移設オープンした、あかし市民図書館を中心に、「いつでも、どこでも、だれでも手を伸ばせば本に届くまち」を掲げ、さまざまな取り組みを行っています。

2017年からは、4か月児健診時に絵本2冊と読み聞かせ体験をプレゼントする『ブックスタート』、2018年から、3歳6か月児健診時に絵本1冊のプレゼントと読み聞かせのアドバイスを行う『ブックセカンド』を開始しました。2020 年の 4 月~5 月に未就学児を対象に実施した『絵本の宅配便』では、コロナ禍で外出自粛を余儀なくされた子どもと保護者がいつもと変わらず楽しい時間を過ごせるよう、絵本を各家庭まで配送。利用者には大変喜ばれ、多くのお礼のお手紙が図書館に寄せられたそうです。こうした取り組みが評価され、「Library of the Year2021」において、あかし市民図書館が優秀賞とオーディエンス賞をダブル受賞しました。

移動図書館車の「めぐりん」で本を選ぶ子どもたち。大小2台の移動図書館車が市内を巡回して本を届け、子どもが本に接する機会を市がたくさん提供している(画像提供/明石市役所)

移動図書館車の「めぐりん」で本を選ぶ子どもたち。大小2台の移動図書館車が市内を巡回して本を届け、子どもが本に接する機会を市がたくさん提供している(画像提供/明石市役所)

すべての子どもを街のみんなで支えるという、明石市が進める子どもを核とした街づくり。無償化するだけでなく、子ども食堂での見守りや面会交流支援など、寄り添う支援を行うことで、安心して子育てができる環境をつくっていると感じました。

それぞれ独自のサービスで支持を集めている流山市と明石市。ふたつの街づくりで共通するのは、子育て世代のニーズに応えられるように、常に変わり続けていること、子どもと一緒に自分の未来が描けることでした。

●取材協力
・流山市役所
・明石市役所

月に一度、満月の日は大切な人に会いに。「コロナ禍で会えない」から始まった生活直売店 福島県いわき市

月に一度、満月の日にだけオープンする店がある。そう聞いたのは一年ほど前のことだ。運営するのは鈴木智子さん。ご主人の康人さんとともにomotoという名のユニットを組み、鉄と布を素材とする生活道具を製作して展示を行う布作家である。私自身、2人とは数年前に知り合い、度々お会いしてきた。その智子さんが2年ほど前から、いわき市の自宅を月に一度開放して生活用品のお店を開いているという。この日だけごく普通の民家の前にコーヒースタンドが立ち、まるで小さなマルシェが出現したかのようになる。それにしてもなぜお店を?しかも満月の日に。そんな話を伺うために、いわきを訪れた。

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

満月の日にだけ開く小さなお店に、女性たちが次々と

JRいわき駅から歩くこと約20分。周囲には大型スーパーやチェーン店が立ち並ぶ都市郊外の風景が続く。初めて訪れると「この近くにそんなお店が……?」と不安になるが、大通りから一歩奥まった位置に「生活直売店」の看板が見える。家の前にはテーブルが置かれ、コーヒースタンドも。そこだけ小さなマーケットのような空間が広がっている。

この家は、普段は智子さんと康人さん夫妻の住まいで、2人がつくる包丁やナイフなどの鍛冶道具や、布小物、衣服を製作するアトリエでもある。2人はomotoの名で全国のセレクトショップやクラフトマーケットなどに出展し作家活動を行っている。

その自宅兼アトリエが、月に一日だけ満月の日に「生活直売店」として様がわりする。

玄関入ってすぐ脇の棚には味噌や醤油などの調味料や食品。普段は作業場として使っている左手の部屋には食品や小物が陳列され、美味しそうな焼菓子やパンが並ぶショーケースも。奥の居間には衣服や雑貨などが販売されている。いずれも智子さん自身がセレクトした品で、「普段うちで使っているものか、使ってみて気に入ったもの」だという。もちろんomotoの品も置いてある。

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

いわき市内のお客さんもいれば、県外からわざわざ訪れる人も少なくない。月に一度、この日しか開いていない小さなお店に、次々に洗練された格好の女性が入ってくるのに驚いた。みな満月の日を把握しているのだろうか? そう疑問に思ったが、omotoのインスタグラムを見て訪れる人が多いのだそうだ。

数カ月ぶりに会う智子さんは、とても元気そうに見えた。

 omotoの2人、鈴木康人さんと智子さん(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

omotoの2人、鈴木康人さんと智子さん(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

日常的な場で、大切な人たちに会えるように

智子さんが「生活直売店」を初めてオープンしたのは、コロナ禍が本格化した2020年のことだ。なぜお店を始めたのだろう。そう問うと、こんな話をしてくれた。

「近所によく通っていた自然食品店があったんですが、その店の女性が亡くなって会えなくなったのが一つのきっかけでした。お店の娘さんだったんですが、年齢も近くて、お店に行くたびに話をして。一言か二言他愛ない話をするだけですが、時々深い話になることもあって。とても気の合う人だったんです。彼女の顔を見に行くようなところもあって、いつもその店で買い物して毎回元気をもらっていました」

女性はしばらく入院していたのだが、コロナ禍でお見舞いに行くことも叶わなかった。

「会いたい人に会えずにいるうちに、会えなくなってしまう。そんなことが本当に起こるんだなって」

コロナ禍で、私たちは嫌というほどそのことを教えられた。
さらに、日常の些細なやり取りに人はどれほど励まされ、元気をもらっているのか。気付くきっかけにもなった。

「だから定期的に会いたい人たちに会える機会をつくれたらいいなと思ったんです。買い物の場なら、日常的に周囲の人たちに会うことができる。彼女がやっていたようなお店なら友達も来れるし、全然知らない人と出会う可能性も広がると思ったんです」

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

実はお店を始める一年ほど前まで、鈴木夫妻は月に一度、やはり満月の夜に「満月講」という会を開いていた。この時は主にいわきの友人知人が一人一品、料理を持ち寄って楽しむ会で、メンバーは知り合い限定の親密な場だった。

満月の日なら、月によって休日にも平日にもなる。休日の異なる参加者全員に平等な日の選び方だったという。だが2019年秋の台風19号による水害で、休止を余儀なくされる。

「川の水が氾濫して約1.8メートルまで浸水したんです。いわき市の一部が水没して、うちも目の前まで水がきました。それでしばらく満月講をお休みにしていたら、翌年コロナが始まってそのまま再開できずで」

コロナ禍で、人と会う機会はぐっと減った。この期間、誰にも会えず不安を抱いた人は多かったのではないだろうか。静まり返ったまちを歩いて気付いたのは、たとえそれが見知らぬ誰かであっても、笑い声や話し声を耳にして得られる活力があるのだということ。誰にも会えない間、静かに心が蝕まれていくような、元気が失われていく感覚があった。

お店が開く日のみ、こうした看板が立てられる。室内の案内図(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

お店が開く日のみ、こうした看板が立てられる。室内の案内図(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

友人のおすすめ品を買える、小さな生協

そうして智子さんが始めた「生活直売店」では、その名のとおり、日用品や食品、衣服など日常生活で使う品を扱っている。お客さんにとって嬉しいのは、一般的なスーパーでは取り扱っていないような品も手に入ること。智子さんが実際に愛用している品が多いため、味噌も醤油も一種と種類は少ないが、乾物から下着まで品数は豊富。それも友人のおすすめを買えるといった安心感がある。

智子さん自身、2011年の東日本大震災以降、食べるものには気を遣ってきた。調味料や食材などできるだけ天然素材や無添加のもので美味しいものを選ぶ。衣類や生活雑貨も一度は使ってみたもの。日持ちのしない食品などは仕入れ前に事前予約を受け付ける。ちょっとした生協のようだ。

例えば、「これまでに出合ったなかで一番しっくりきた」と智子さんがお勧めしてくれたのが兵庫県の「薪火野」というベーカリーのパン。お客さんにも人気。中でも「パンデピス」は香辛料によるスパイシーな風味と蜂蜜の甘さがじんわり感じられる保存性に優れたパン菓子で、しっかりした硬さの生地と奥深い味で美味しい。そこらのパンとは違うぞという風格と味わいがあった。残念ながらパンデビスは今は新しいパンに変わっているが、スコーンやカンパーニュなどもあり、それぞれが限定品なので、予約する人も多い。

「薪火野」の「パンペイサージュ」(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

「薪火野」の「パンペイサージュ」(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

家の前のコーヒースタンドでは、毎回違う出店者がコーヒーやドリンク、サンドイッチなどの軽食をふるまう。規模は小さくても小さなマルシェのようで、お客さんが都度新しさを感じられる工夫がされている。

「いわきの人たちって新しいもの好きなんです。目新しいものに探究心があるというか。なのでいつも用意する定番品と、その月にしかない新しい企画や展示をするスタイルがいいかなと思って。飲食も違う出店者に出てもらえば、毎回違う味のコーヒーを飲めてお客さんの楽しみにもなりますし」

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

もともと鈴木夫妻の家は古い家具や生活道具が並ぶしっとりした内装で、落ち着いた雰囲気(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

もともと鈴木夫妻の家は古い家具や生活道具が並ぶしっとりした内装で、落ち着いた雰囲気(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

オンラインとは違った買い物を

智子さんと話している間にも、お客さんが次々に訪れる。
「こんにちは~」「ちょっと見ていいですか?」「どうぞ~」「もう一つ腕抜き買っちゃった」「ありがとうございます!」そんな言葉が交わされて、智子さんは心から嬉しそうな顔をしている。お客さんの中には常連さんも少しずつ増えている。

「コロナでどこにも行けなくなって、オンラインで買い物する機会が増えましたよね。でも店頭販売にはモノを売り買いするだけじゃない良さがあると思うんです。写真と実物を見るのとでは全然違うし、モノの見方や使い方を知ったり。そんな買い物ができる場所をつくりたいと思ったのも、お店を始めた理由の一つかもしれません」

もともとomotoの2人が刃物や衣服を製作する上で大事にしてきたのも「一生使える品」であること。対面で説明して気に入って買ってもらえたら、その後メンテナンスも請け負う。お客さんにはモノと長く付き合ってほしい。自分たちも長く付き合うつもりで品物を売っている。そんなスタンスでものづくりを行ってきた。

鍛冶職人の康人さんがつくるデザイン性のある包丁。その布カバーを智子さんがつくる(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

鍛冶職人の康人さんがつくるデザイン性のある包丁。その布カバーを智子さんがつくる(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

智子さんが手がけるomotoの衣服。染めも行っている(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

智子さんが手がけるomotoの衣服。染めも行っている(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

お客さんもスタッフも

そんな成り立ちの店だからか、生活直売店は買い物の場としてだけでなく、集まった人たちの束の間の憩いの場になる。

店は毎回お昼12時ごろにオープンして閉店は19時。昨年夏に訪れたときは、夕暮れ時になると、どこからともなく店の前に人が集まってきて、ベンチに腰かけて夕涼みしながら話が弾んだ。康人さんがもぎたてのキュウリをお皿に山盛り出してくれて、スタッフもお客さんも一緒になってみんなでかじった。蚊取り線香の匂い。夏休みの夜のような、懐かしく穏やかな空気が心地よかった。

昔はこんな夕涼みの光景があちこちにあったのだろう。今はそうした暮らしからどれだけ遠く離れてしまったのかと思う。

お客さんは、ご近所さんや県外からの方も。常連さんも多い(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

お客さんは、ご近所さんや県外からの方も。常連さんも多い(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

いま智子さんの知り合いの女性たちが数名入れ替わり立ち替わり、スタッフとして店を手伝ってくれている。それもお金を稼ぐためというより、友達の延長上で手伝いをしながら買い物客との交流を楽しんでいる。そんな風に見えた。

カメラマンで、普段omotoの活動写真を撮っている白石ちか(シロヤマ写真館)さんも、生活直売店の時は度々お手伝いをしている。

「お客さんと話すのもすごく楽しいんです。感覚を共有できるようないいお客さんばっかりなので。ほかのお店で展示会が減っていることもあって、月に一回ここで知人に会えるのは本当に嬉しい」

手伝って得たバイト代を、この生活直売店で買い物するのに使うと言うスタッフもいた。楽しく働いたお金でいい品物も手に入る。お客さんが少ない日もあるだろうけれど、omotoの2人と顔を合わせて楽しく時間を過ごせればそれで十分なのかもしれない。

私自身、智子さんや康人さんに会いに出かけて、話して帰ってくるとそれだけでいつも元気をもらう。そこに直売店のようなきっかけがあると、遠方からでも出かける後押しになる。

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

「私はお店を始めてから積極的に外に出るより、できるだけここに居て来てくれる方たちを迎え入れたいなと思うようになりました。外に出ることも自分にとって大事ではあるけれど、ここを充実させる方に気持ちが強くなっています」(智子さん)

智子さんは将来、お店を常設にすることも考え始めている。これから先、どういった形になるかはわからないけれど、この店が身近な人たちとの大切な接点であることは変わらないだろう。そしてその入口は、まちに開かれ、少しずつ広がっている。

お客さんにとっても、こうした小さくても信頼できる店が生活圏内にあることは心強い。店はいまも昔も、そこに集まる人たち同士が心を通わせ合える貴重な場所になるからだ。

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

(写真撮影/白石ちか(シロヤマ写真館))

●取材協力
omoto「生活直売店」

「付加価値リノベ」という戦略。元ゼネコン設計者が自邸を入魂リノベ、資産価値アップで売却益も

一級建築士・管理建築士の伯耆原洋太(ほうきばら・ようた)さんは今、新しい住まいと暮らしのスタイルを模索している。大手ゼネコンの設計部に勤め、今春独立した伯耆原さんは、2019年に中古マンションを購入。自らリノベーションを施し、そこに暮らした後で売却した。リノベーションによる付加価値がついたことで、購入時を上回る価格で売れたという。そして、現在はその売却益を原資に次の家を購入し、再びリノベーションにとりかかっている。つまり、「家を買う」→「自らリノベ」→「一定期間住む」→「売却」というサイクルを実践しているのだ。

「ライフスタイルや家族構成の変化で住みたい家は変わる。それなら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいい」と語る伯耆原さん。詳しくお話を伺った。

「自分がデザインした」と言えるものをつくりたかった

――まず、伯耆原さんのご経歴からお伺いします。もともとは大手のゼネコンにいらっしゃったと。

伯耆原:早稲田大学で建築を学んだ後、「竹中工務店」の設計部に就職しました。入社後は10万平米を超えるオフィスのビッグプロジェクトに配属されました。当時、会社内では一番大きなプロジェクトだったと思います。4年ほど携わっていましたが、竣工目前で次のプロジェクトへ異動が命じられまして。しかも、今度はさらに大きなプロジェクトでした……。

設計士・伯耆原洋太さん(写真撮影/小野奈那子)

設計士・伯耆原洋太さん(写真撮影/小野奈那子)

――さらに大きな案件に携われるのは良いことのようにも思いますが。

伯耆原:もちろん誇らしいことですし、自分一人ではとても関われないようなプロジェクトなので、貴重な経験だとは思います。ただ、入社当初は中小規模のプロジェクトにもっと濃密に携わりたかった。ビッグプロジェクトになればなるほど関わる人間も多いため、「ここは僕がデザインした!」と言うのは難しい。僕は自己表現の欲が強いので(笑)、そこに対しては葛藤がありましたね。

――自邸をつくることになったのも、その思いが関係しているのでしょうか?

伯耆原:そうですね。会社の仕事って、良い意味でも悪い意味でも、いち社員が責任を負い切れないじゃないですか。だから30歳が近くなった時に、個人として挑戦したいなと考えるようになりました。そして「自分のデザインを、自分の全責任においてつくりたい」と強く思うようになったんです。

とはいえ、個人としての実績がない僕にいきなりクライアントが現れるわけはありません。そこで、プロジェクトを自分で仕込み、クライアントは自分、デザインも自分という座組みで自邸をつくることにしました。

――その時にはすでに、一定期間住んでから売却することを考えていたのでしょうか?

伯耆原:ぼんやりと、「自邸は一生に一つじゃなくてもいいんじゃないか」とは考えていました。ライフスタイルや家族構成が変わることで、いま住みたい家と10年後・20年後に住みたい家はまるで違うものになるのは言うまでありません。だったら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいいのではないかと。そこで、買った家を自分でリノベーションし、一定期間暮らしたあとに売却して、また次の家へ、というビジョンが浮かびました。

自邸=自分をプレゼンできるショールーム

――そこから、会社に所属しつつ自邸のプロジェクトをスタートさせたと。まずは物件選びについて教えてください。

伯耆原:物件については、最低限の不動産価値があることは大前提でした。というのも、どんなに素敵なリノベーションができても、不動産としての価値はエリアや駅までの所要時間、築年数、坪単価などが大きく物をいいます。売却を前提として考えると、その空間に住みたいと思ってもらえるような「デザイン」と物件自体の「不動産価値」の2つがそろっていなければ、このスキームは成り立たないだろうと。

あとは、当時の自分の生活スタイルや仕事のことを考えて、希望は「都心の60平米くらいの中古マンション」。予算に合う物件をひたすら探しました。

――物件はすぐに見つかりましたか?

伯耆原:それが、けっこう苦戦しましたね。当時は毎日のようにSUUMOと睨めっこし、内覧を重ねる日々でした。そこで気づいたのは、完璧な物件など存在しないということ。だから、「ここだけは譲れない」という要素を決めておいて、マイナス要素だけど目をつむれる範囲を決めておくことが大事なのだと思います。

僕の場合、最終的には世田谷区の中古マンションを購入しました。

――どんなところが気に入りましたか?

伯耆原:リノベーションでは変えられない部分に重きを置いて選びました。その1つが天井の高さ。日本の中古マンションは2400mm前後が多いのですが、ここは天井高が2700mmもあります。これだけあれば、全てのプロポーションが全く違って見えてくるんですよ。あとは吹き抜け、螺旋階段、ルーフバルコニーという幼いころからの憧れだった要素が備わっていたことも大きかったですね。

購入した三宿エリアの中古マンション(リノベーション前)。築年数は17年でJRと東京メトロの駅まで徒歩10分圏内。また、60平米弱で当時の住宅ローン控除が適用されたそう(写真提供:伯耆原洋太)

購入した三宿エリアの中古マンション(リノベーション前)。築年数は17年でJRと東京メトロの駅まで徒歩10分圏内。また、60平米弱で当時の住宅ローン控除が適用されたそう(写真提供:伯耆原洋太)

――購入時点でリノベーションのプランはある程度固まっていましたか?

伯耆原:どんなデザインにするかまでは固まっていませんでしたが、テーマとしては「30歳の子どものいない夫婦」の住む家をイメージしていました。いわゆるDINKSだからこそ、挑戦できる空間にしたいなと。最大の気積(床面積×高さ)として豊かに空間を感じられることを重要視しました。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

伯耆原:また、これは自邸であると同時に、建築家としての自分を売り込むためのショールームでもあると考えていました。当時はゼネコンに所属していましたが、いつまで会社に必要としてもらえるかは分かりません。そのなかで、今後のキャリアを考えて個人名を知ってもらう意味でも、建築的・空間的に魅力的なものをつくろうと思っていましたね。

――どれくらいの期間をかけて設計されましたか?

伯耆原:会社の仕事と同時並行なので、約4カ月かかりましたね。なお、この物件はそこまで古くなかったこともあり風呂・トイレ・キッチンは変えず、リビングのみを施工しています。

リノベーション風景。工事施工費は500万程度に抑えたそう(写真提供:伯耆原洋太)

リノベーション風景。工事施工費は500万程度に抑えたそう(写真提供:伯耆原洋太)

―――ちなみに、仕事ではオフィスビルを設計していたということですが、マンションのリノベーションは未経験でしたか?

伯耆原:そうですね。オフィスビルの設計と住宅リノベーションとでは当然ながら勝手が違います。使う素材や規模感もまるで異なるため、けっこうな挑戦でした。ただ、それだけにワクワクしましたね。特に、職人さんとダイレクトにやり取りできるのは会社で中々経験できないので、すごく楽しかったですよ。

購入から約半年で完成。寝室とも2枚のカーテンで仕切り、デスクは昇降式(写真提供:伯耆原洋太)

購入から約半年で完成。寝室とも2枚のカーテンで仕切り、デスクは昇降式(写真提供:伯耆原洋太)

思った以上の反響が自信に

――そして、いよいよ“自邸兼ショールーム”が完成するわけですが、ゆくゆくは売却する予定とはいえ、しばらくは住むつもりだったわけですよね?

伯耆原:60平米弱なので子どもが小学生になるころには手狭になるだろうと考えていましたが、実際はわずか1年で売却することになりましたね。

――早い! なぜですか?

伯耆原:一番の要因はコロナ禍でリモートワークに切り替わり、ライフスタイルがだれも想像しなかったくらい劇的に変化したことです。物件を購入したのはコロナ前でしたが、住み始めたのは2020年の春。ちょうど1回目の緊急事態宣言の真っ只中でした。夫婦ともにリモートワークになって、同時にテレビ会議に入ってしまうと音が聞き取りづらかったんです。間仕切りを増やす等、正直工夫はいくらでもできましたが、ワンルームのコンセプトを中途半端に変えたくなかったのと、もう一回、自分の作品をつくりたいという想いが強くなり、売却を考えました。

一人で在宅時はルーフバルコニーで仕事することも(写真提供:伯耆原洋太)

一人で在宅時はルーフバルコニーで仕事することも(写真提供:伯耆原洋太)

――いつから売却に出していましたか?

伯耆原:住み始めてから数カ月後ですね。出した当時は売るためというよりも、単純に反応をみたいなと思いまして。自分がリノベーションした空間がプロや一般の方々にどう評価されるのか、どれくらいの人が興味を示してくれるのか、試してみたい気持ちがありました。

――反応はいかがでしたか?

伯耆原:内覧者はめちゃくちゃ来てくれましたね。多分、50組100人以上は来たんじゃないかな。おかげで僕の土曜日は毎週潰れまして。前半はカップルや夫婦が来ており、後半は裕福な一人暮らしの人が多く来てくれました。

それから、「ArchDaily」や「architecture photo」などの建築界隈で有名なメディアにも取り上げられました。また、驚いたのはリノベーション雑誌の「LiVES」から取材を受け、この部屋が表紙を飾ったことです。

「LiVES」の表紙(写真提供:伯耆原洋太)

「LiVES」の表紙(写真提供:伯耆原洋太)

――売却はいつ決まったのですか?

伯耆原:手放したのは2021年の春です。クリエイターの人がセカンドハウスとして購入してくれました。もちろん、立地とマンション自体が好条件というのはありますが、最後の決め手は内装と言って購入してくれたので喜びもひとしおでした。

――建築家としての腕試し的なところもあったかと思いますが、相当な自信になったのではないですか?

伯耆原:そうですね。依頼されてつくったものではなく、僕が自発的につくったものが評価され、そこに住みたい人がいるというのは自信になりました。それに、多くのメディアに取り上げられ「完全に自分がデザインした」上で個人名を知ってもらうこともできましたし、自邸を自分自身のショールームにできました。それに、つくれれば売れるし、売れることでまたつくれる可能性がちらっと見えてきたのも良かったと思います。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

2件目はとにかく広い物件&リノベーション

――2021年の春に1件目を売却した後は、また新たな物件を購入したのでしょうか?

伯耆原:はい。売却で得たお金を原資に新たな家を購入しました。そして、近所の賃貸物件に住みながら、新しい家の設計と現場の監理をしました。今度は部分リノベーションではなく、フルリノベーション。最近やっと竣工し、引っ越しも終えたところです。

――今回の物件はどういう条件で探したのでしょうか?

伯耆原:今回は予算内でとにかく広い物件を探しました。今後、ライフスタイルに多少の変化があっても対応できる追従性を持てるからです。ただ、なかなか良い物件は見つからなかったですね。しかも、僕がリノベーションしたいので、すでにされていないことが条件でしたから、余計に見つけづらかった。当然ですが、SUUMOの検索には「リノベ済み」というチェック項目はあっても「未リノベ」はないんです(笑)。

調べた物件をエクセルで管理しながら粘り強く探した結果、最終的には世田谷区に希望の条件に合った90平米のマンションを購入することができました。

リノベーション前の状態(写真提供:伯耆原洋太)

リノベーション前の状態(写真提供:伯耆原洋太)

――どんなところに惹かれましたか?

伯耆原:これまでに見たことがないつくりで「ここなら面白いデザインができる」と思えましたね。それと、天井の高さと開口の量に惹かれました。ただ、ここの物件は正確な現状図面がなかったんです。だから、図面を書くために全て自分で実測する必要がありました。

そして、実測の結果、いろんな問題も出てきました。それでも現場で関係者全員とコミュニケーションしながら解決する能力は会社で揉まれていたので、やり切れました。それに、1件目を経験していたことで、2件目ではコスト感やスケジュール管理など予測しながら進められましたね。

設計図。パズルゲームのように様々なプランを模索。結果、Cのプランを採用し、廊下はなく、広いリビングとキッチンが部屋の拠点となった(写真提供:伯耆原洋太)

設計図。パズルゲームのように様々なプランを模索。結果、Cのプランを採用し、廊下はなく、広いリビングとキッチンが部屋の拠点となった(写真提供:伯耆原洋太)

デッドスペースとなりがちな廊下を徹底的になくし、間仕切りを増やしてもリビングに必ず隣接する平面計画(写真提供:伯耆原洋太)

デッドスペースとなりがちな廊下を徹底的になくし、間仕切りを増やしてもリビングに必ず隣接する平面計画(写真提供:伯耆原洋太)

伯耆原:90平米にもなると、どこになにを配置するか、いろんなパターンが考えられます。リノベーション前は部屋の真ん中にトイレ、お風呂、洗面所が構えており、せっかくの「開口の抜け」が塞がれていました。

そこで僕のプランでは大きなワンルームにして、真ん中には回遊できるキッチンを配置。そうすることで、この物件の一番の強みである「開口の抜け」を最大化させました。

――実際、かなり広々とした印象を受けます。

伯耆原:ワンルームだからこそ、汎用性があると思うんです。不動産的な思考だと、60平米もあれば2LDK・3LDKと壁で区切る物件が非常に多いじゃないですか。でも、個人的には空間をいかに広く使えるかが大事だと考えていて、光が抜け、風が通ると暮らしが豊かになると思っています。新しい部屋が必要になったら、その時に仕切ればいい。この部屋も仕切りを用いることで、最大4LDKまでカスタム可能です。いろいろな場所でリモートワークできるので快適ですよ。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

――この住居には、いつまで住む予定ですか?

伯耆原:一生いるつもりはないですが、次のステップが決まるまでは住みます。「売る」という選択肢を持っていることが大事だと思います。ちなみに、次は一戸建の自邸を手掛けたいです。

また、今年の春に会社を辞めて、建築事務所を設立しました。建築設計料だけでお金を稼ぐのではなく、自邸に配置する家具のデザインやプロダクトの販売、さらには“自邸のショールーム化やスタジオ化”を通して、「建築家によるライフスタイル」を提案していくような発信ができたらいいですね。

●取材協力
伯耆原洋太さん
HAMS and, Studio
Twitter

「付加価値リノベ」という戦略。建築家が自邸を入魂リノベ、資産価値アップで売却益も

一級建築士・管理建築士の伯耆原洋太(ほうきばら・ようた)さんは今、新しい住まいと暮らしのスタイルを模索している。大手ゼネコンの設計部に勤め、今春独立した伯耆原さんは、2019年に中古マンションを購入。自らリノベーションを施し、そこに暮らした後で売却した。リノベーションによる付加価値がついたことで、購入時を上回る価格で売れたという。そして、現在はその売却益を原資に次の家を購入し、再びリノベーションにとりかかっている。つまり、「家を買う」→「自らリノベ」→「一定期間住む」→「売却」というサイクルを実践しているのだ。

「ライフスタイルや家族構成の変化で住みたい家は変わる。それなら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいい」と語る伯耆原さん。詳しくお話を伺った。

「自分がデザインした」と言えるものをつくりたかった

――まず、伯耆原さんのご経歴からお伺いします。もともとは大手のゼネコンにいらっしゃったと。

伯耆原:早稲田大学で建築を学んだ後、「竹中工務店」の設計部に就職しました。入社後は10万平米を超えるオフィスのビッグプロジェクトに配属されました。当時、会社内では一番大きなプロジェクトだったと思います。4年ほど携わっていましたが、竣工目前で次のプロジェクトへ異動が命じられまして。しかも、今度はさらに大きなプロジェクトでした……。

設計士・伯耆原洋太さん(写真撮影/小野奈那子)

設計士・伯耆原洋太さん(写真撮影/小野奈那子)

――さらに大きな案件に携われるのは良いことのようにも思いますが。

伯耆原:もちろん誇らしいことですし、自分一人ではとても関われないようなプロジェクトなので、貴重な経験だとは思います。ただ、入社当初は中小規模のプロジェクトにもっと濃密に携わりたかった。ビッグプロジェクトになればなるほど関わる人間も多いため、「ここは僕がデザインした!」と言うのは難しい。僕は自己表現の欲が強いので(笑)、そこに対しては葛藤がありましたね。

――自邸をつくることになったのも、その思いが関係しているのでしょうか?

伯耆原:そうですね。会社の仕事って、良い意味でも悪い意味でも、いち社員が責任を負い切れないじゃないですか。だから30歳が近くなった時に、個人として挑戦したいなと考えるようになりました。そして「自分のデザインを、自分の全責任においてつくりたい」と強く思うようになったんです。

とはいえ、個人としての実績がない僕にいきなりクライアントが現れるわけはありません。そこで、プロジェクトを自分で仕込み、クライアントは自分、デザインも自分という座組みで自邸をつくることにしました。

――その時にはすでに、一定期間住んでから売却することを考えていたのでしょうか?

伯耆原:ぼんやりと、「自邸は一生に一つじゃなくてもいいんじゃないか」とは考えていました。ライフスタイルや家族構成が変わることで、いま住みたい家と10年後・20年後に住みたい家はまるで違うものになるのは言うまでありません。だったら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいいのではないかと。そこで、買った家を自分でリノベーションし、一定期間暮らしたあとに売却して、また次の家へ、というビジョンが浮かびました。

自邸=自分をプレゼンできるショールーム

――そこから、会社に所属しつつ自邸のプロジェクトをスタートさせたと。まずは物件選びについて教えてください。

伯耆原:物件については、最低限の不動産価値があることは大前提でした。というのも、どんなに素敵なリノベーションができても、不動産としての価値はエリアや駅までの所要時間、築年数、坪単価などが大きく物をいいます。売却を前提として考えると、その空間に住みたいと思ってもらえるような「デザイン」と物件自体の「不動産価値」の2つがそろっていなければ、このスキームは成り立たないだろうと。

あとは、当時の自分の生活スタイルや仕事のことを考えて、希望は「都心の60平米くらいの中古マンション」。予算に合う物件をひたすら探しました。

――物件はすぐに見つかりましたか?

伯耆原:それが、けっこう苦戦しましたね。当時は毎日のようにSUUMOと睨めっこし、内覧を重ねる日々でした。そこで気づいたのは、完璧な物件など存在しないということ。だから、「ここだけは譲れない」という要素を決めておいて、マイナス要素だけど目をつむれる範囲を決めておくことが大事なのだと思います。

僕の場合、最終的には世田谷区の中古マンションを購入しました。

――どんなところが気に入りましたか?

伯耆原:リノベーションでは変えられない部分に重きを置いて選びました。その1つが天井の高さ。日本の中古マンションは2400mm前後が多いのですが、ここは天井高が2700mmもあります。これだけあれば、全てのプロポーションが全く違って見えてくるんですよ。あとは吹き抜け、螺旋階段、ルーフバルコニーという幼いころからの憧れだった要素が備わっていたことも大きかったですね。

購入した三宿エリアの中古マンション(リノベーション前)。築年数は17年でJRと東京メトロの駅まで徒歩10分圏内。また、60平米弱で当時の住宅ローン控除が適用されたそう(写真提供:伯耆原洋太)

購入した三宿エリアの中古マンション(リノベーション前)。築年数は17年でJRと東京メトロの駅まで徒歩10分圏内。また、60平米弱で当時の住宅ローン控除が適用されたそう(写真提供:伯耆原洋太)

――購入時点でリノベーションのプランはある程度固まっていましたか?

伯耆原:どんなデザインにするかまでは固まっていませんでしたが、テーマとしては「30歳の子どものいない夫婦」の住む家をイメージしていました。いわゆるDINKSだからこそ、挑戦できる空間にしたいなと。最大の気積(床面積×高さ)として豊かに空間を感じられることを重要視しました。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

伯耆原:また、これは自邸であると同時に、建築家としての自分を売り込むためのショールームでもあると考えていました。当時はゼネコンに所属していましたが、いつまで会社に必要としてもらえるかは分かりません。そのなかで、今後のキャリアを考えて個人名を知ってもらう意味でも、建築的・空間的に魅力的なものをつくろうと思っていましたね。

――どれくらいの期間をかけて設計されましたか?

伯耆原:会社の仕事と同時並行なので、約4カ月かかりましたね。なお、この物件はそこまで古くなかったこともあり風呂・トイレ・キッチンは変えず、リビングのみを施工しています。

リノベーション風景。工事施工費は500万程度に抑えたそう(写真提供:伯耆原洋太)

リノベーション風景。工事施工費は500万程度に抑えたそう(写真提供:伯耆原洋太)

―――ちなみに、仕事ではオフィスビルを設計していたということですが、マンションのリノベーションは未経験でしたか?

伯耆原:そうですね。オフィスビルの設計と住宅リノベーションとでは当然ながら勝手が違います。使う素材や規模感もまるで異なるため、けっこうな挑戦でした。ただ、それだけにワクワクしましたね。特に、職人さんとダイレクトにやり取りできるのは会社で中々経験できないので、すごく楽しかったですよ。

購入から約半年で完成。寝室とも2枚のカーテンで仕切り、デスクは昇降式(写真提供:伯耆原洋太)

購入から約半年で完成。寝室とも2枚のカーテンで仕切り、デスクは昇降式(写真提供:伯耆原洋太)

思った以上の反響が自信に

――そして、いよいよ“自邸兼ショールーム”が完成するわけですが、ゆくゆくは売却する予定とはいえ、しばらくは住むつもりだったわけですよね?

伯耆原:60平米弱なので子どもが小学生になるころには手狭になるだろうと考えていましたが、実際はわずか1年で売却することになりましたね。

――早い! なぜですか?

伯耆原:一番の要因はコロナ禍でリモートワークに切り替わり、ライフスタイルがだれも想像しなかったくらい劇的に変化したことです。物件を購入したのはコロナ前でしたが、住み始めたのは2020年の春。ちょうど1回目の緊急事態宣言の真っ只中でした。夫婦ともにリモートワークになって、同時にテレビ会議に入ってしまうと音が聞き取りづらかったんです。間仕切りを増やす等、正直工夫はいくらでもできましたが、ワンルームのコンセプトを中途半端に変えたくなかったのと、もう一回、自分の作品をつくりたいという想いが強くなり、売却を考えました。

一人で在宅時はルーフバルコニーで仕事することも(写真提供:伯耆原洋太)

一人で在宅時はルーフバルコニーで仕事することも(写真提供:伯耆原洋太)

――いつから売却に出していましたか?

伯耆原:住み始めてから数カ月後ですね。出した当時は売るためというよりも、単純に反応をみたいなと思いまして。自分がリノベーションした空間がプロや一般の方々にどう評価されるのか、どれくらいの人が興味を示してくれるのか、試してみたい気持ちがありました。

――反応はいかがでしたか?

伯耆原:内覧者はめちゃくちゃ来てくれましたね。多分、50組100人以上は来たんじゃないかな。おかげで僕の土曜日は毎週潰れまして。前半はカップルや夫婦が来ており、後半は裕福な一人暮らしの人が多く来てくれました。

それから、「ArchDaily」や「architecture photo」などの建築界隈で有名なメディアにも取り上げられました。また、驚いたのはリノベーション雑誌の「LiVES」から取材を受け、この部屋が表紙を飾ったことです。

「LiVES」の表紙(写真提供:伯耆原洋太)

「LiVES」の表紙(写真提供:伯耆原洋太)

――売却はいつ決まったのですか?

伯耆原:手放したのは2021年の春です。クリエイターの人がセカンドハウスとして購入してくれました。もちろん、立地とマンション自体が好条件というのはありますが、最後の決め手は内装と言って購入してくれたので喜びもひとしおでした。

――建築家としての腕試し的なところもあったかと思いますが、相当な自信になったのではないですか?

伯耆原:そうですね。依頼されてつくったものではなく、僕が自発的につくったものが評価され、そこに住みたい人がいるというのは自信になりました。それに、多くのメディアに取り上げられ「完全に自分がデザインした」上で個人名を知ってもらうこともできましたし、自邸を自分自身のショールームにできました。それに、つくれれば売れるし、売れることでまたつくれる可能性がちらっと見えてきたのも良かったと思います。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

2件目はとにかく広い物件&リノベーション

――2021年の春に1件目を売却した後は、また新たな物件を購入したのでしょうか?

伯耆原:はい。売却で得たお金を原資に新たな家を購入しました。そして、近所の賃貸物件に住みながら、新しい家の設計と現場の監理をしました。今度は部分リノベーションではなく、フルリノベーション。最近やっと竣工し、引っ越しも終えたところです。

――今回の物件はどういう条件で探したのでしょうか?

伯耆原:今回は予算内でとにかく広い物件を探しました。今後、ライフスタイルに多少の変化があっても対応できる追従性を持てるからです。ただ、なかなか良い物件は見つからなかったですね。しかも、僕がリノベーションしたいので、すでにされていないことが条件でしたから、余計に見つけづらかった。当然ですが、SUUMOの検索には「リノベ済み」というチェック項目はあっても「未リノベ」はないんです(笑)。

調べた物件をエクセルで管理しながら粘り強く探した結果、最終的には世田谷区に希望の条件に合った90平米のマンションを購入することができました。

リノベーション前の状態(写真提供:伯耆原洋太)

リノベーション前の状態(写真提供:伯耆原洋太)

――どんなところに惹かれましたか?

伯耆原:これまでに見たことがないつくりで「ここなら面白いデザインができる」と思えましたね。それと、天井の高さと開口の量に惹かれました。ただ、ここの物件は正確な現状図面がなかったんです。だから、図面を書くために全て自分で実測する必要がありました。

そして、実測の結果、いろんな問題も出てきました。それでも現場で関係者全員とコミュニケーションしながら解決する能力は会社で揉まれていたので、やり切れました。それに、1件目を経験していたことで、2件目ではコスト感やスケジュール管理など予測しながら進められましたね。

設計図。パズルゲームのように様々なプランを模索。結果、Cのプランを採用し、廊下はなく、広いリビングとキッチンが部屋の拠点となった(写真提供:伯耆原洋太)

設計図。パズルゲームのように様々なプランを模索。結果、Cのプランを採用し、廊下はなく、広いリビングとキッチンが部屋の拠点となった(写真提供:伯耆原洋太)

デッドスペースとなりがちな廊下を徹底的になくし、間仕切りを増やしてもリビングに必ず隣接する平面計画(写真提供:伯耆原洋太)

デッドスペースとなりがちな廊下を徹底的になくし、間仕切りを増やしてもリビングに必ず隣接する平面計画(写真提供:伯耆原洋太)

伯耆原:90平米にもなると、どこになにを配置するか、いろんなパターンが考えられます。リノベーション前は部屋の真ん中にトイレ、お風呂、洗面所が構えており、せっかくの「開口の抜け」が塞がれていました。

そこで僕のプランでは大きなワンルームにして、真ん中には回遊できるキッチンを配置。そうすることで、この物件の一番の強みである「開口の抜け」を最大化させました。

――実際、かなり広々とした印象を受けます。

伯耆原:ワンルームだからこそ、汎用性があると思うんです。不動産的な思考だと、60平米もあれば2LDK・3LDKと壁で区切る物件が非常に多いじゃないですか。でも、個人的には空間をいかに広く使えるかが大事だと考えていて、光が抜け、風が通ると暮らしが豊かになると思っています。新しい部屋が必要になったら、その時に仕切ればいい。この部屋も仕切りを用いることで、最大4LDKまでカスタム可能です。いろいろな場所でリモートワークできるので快適ですよ。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

――この住居には、いつまで住む予定ですか?

伯耆原:一生いるつもりはないですが、次のステップが決まるまでは住みます。「売る」という選択肢を持っていることが大事だと思います。ちなみに、次は一戸建の自邸を手掛けたいです。

また、今年の春に会社を辞めて、建築事務所を設立しました。建築設計料だけでお金を稼ぐのではなく、自邸に配置する家具のデザインやプロダクトの販売、さらには“自邸のショールーム化やスタジオ化”を通して、「建築家によるライフスタイル」を提案していくような発信ができたらいいですね。

●取材協力
伯耆原洋太さん
HAMS and, Studio
Twitter

築50年の古アパートに入居希望殺到? 高円寺・小杉湯コラボの“銭湯付き物件”が話題 「湯パートやまざき」

若者に人気の街、高円寺(東京都杉並区)。この街に全国に名を馳せる銭湯、「小杉湯」がある。1日の利用者数は500人前後。電車を乗り継いでやってくる熱狂的ファンもいるのだ。

ミルク風呂やフルーツ風呂などの日替わり湯が人気で、さまざまなイベントも行っている。しかし、最新のホットニュースは、小杉湯が連携する築50年の空き家だったアパートを活用した「湯パートやまざき」のオープンだ。都内の銭湯で使える1カ月分の入浴券付きで家賃は5万円~6万円程度。

プロジェクトのきっかけは? 室内の雰囲気は? どんな人が住んでいる? さっそく取材に行ってきました。

「終電で帰ってきても利用できる」銭湯

JR新宿駅から中央線快速で2駅、6分で高円寺に着いた。北口には高円寺の代名詞ともいえる純情商店街のアーチ。「キングオブコント2021」で空気階段が優勝した際は、「高円寺芸人 鈴木もぐらさん おめでとう!!」という横断幕が掲げられた。

高円寺は芸人が多く住む街でもある(写真撮影/片山貴博)

高円寺は芸人が多く住む街でもある(写真撮影/片山貴博)

駅から歩くこと5分。昭和8年創業の老舗銭湯、小杉湯が見えてきた。玄関には社寺にみられる丸みを帯びた「唐破風(からはふ)」、屋根には三角形の「千鳥破風(ちどりはふ)」が施されている。

2021年1月には国の登録有形文化財(建造物)に登録された(写真撮影/篠原豪太)

2021年1月には国の登録有形文化財(建造物)に登録された(写真撮影/篠原豪太)

「終電で帰ってきても利用できるように」という思いから、営業時間は深夜1時45分まで。待合では漫画が読み放題で、壁にはアート作品や著名人の色紙も飾られていた。

風呂上がりにのんびりと過ごせるスペース(写真撮影/篠原豪太)

風呂上がりにのんびりと過ごせるスペース(写真撮影/篠原豪太)

ペンキ絵はいまや日本に3人しかいない銭湯絵師、中島盛夫氏によるもの。ペンキ絵は定期的に描き換えられ、現在の絵は2020年11月に上書きされた。

鮮やかな色使いで富士山と海辺の風景が描かれている(写真撮影/篠原豪太)

鮮やかな色使いで富士山と海辺の風景が描かれている(写真撮影/篠原豪太)

高円寺に新風を吹き込むシェアスペース

さらに、2020年3月にオープンしたのが「小杉湯となり」という会員制の銭湯付きシェアスペース。文字通り、小杉湯の隣で銭湯まで徒歩3秒という立地だ。

建て主は小杉湯、建築設計は東京を拠点に活動するT/Hが担当した(写真撮影/片山貴博)

建て主は小杉湯、建築設計は東京を拠点に活動するT/Hが担当した(写真撮影/片山貴博)

エントランスの脇には緑が映える中庭も(写真撮影/片山貴博)

エントランスの脇には緑が映える中庭も(写真撮影/片山貴博)

1階は食堂のような場所で、シェアキッチンとテーブル席を自由に使える(写真撮影/片山貴博)

1階は食堂のような場所で、シェアキッチンとテーブル席を自由に使える(写真撮影/片山貴博)

Tシャツやスウェットなどの小杉湯となりオリジナルグッズも販売中(写真撮影/片山貴博)

Tシャツやスウェットなどの小杉湯となりオリジナルグッズも販売中(写真撮影/片山貴博)

2階はWi-Fi、電源、プリンター完備のお座敷。ここで仕事をするもよし、ゴロゴロするもよし(写真撮影/片山貴博)

2階はWi-Fi、電源、プリンター完備のお座敷。ここで仕事をするもよし、ゴロゴロするもよし(写真撮影/片山貴博)

スタッフや会員が選書している大きな本棚もある(写真撮影/片山貴博)

スタッフや会員が選書している大きな本棚もある(写真撮影/片山貴博)

こちらは「1話だけ読んでも面白いエッセイ」という棚(写真撮影/片山貴博)

こちらは「1話だけ読んでも面白いエッセイ」という棚(写真撮影/片山貴博)

「湯パートやまざき」のキーパーソンたち

さて、ここからが本題だ。

3階の個室で「湯パートやまざき」についての話を聞かせてくれたのは、「小杉湯となり」発起人で株式会社銭湯ぐらし代表の加藤優一さん(34歳)、株式会社まめくらしに所属し、「高円寺アパートメント」の女将として住人や地域の人たちとの関係性を育む宮田サラさん(28歳)、そして、「湯パートやまざき」の住人1号となった勝野楓未さん(23歳)の3人。

加藤さんと勝野さんは定休日以外は毎日小杉湯に通う。宮田さんも週に1、2回は訪れるという小杉湯愛に満ちた面々だ。

右から加藤さん、宮田さん、勝野さん(写真撮影/片山貴博)

右から加藤さん、宮田さん、勝野さん(写真撮影/片山貴博)

旧国鉄の社宅を株式会社ジェイアール東日本都市開発がリノベーションした賃貸住宅、「高円寺アパートメント」(写真提供/株式会社まめくらし)

旧国鉄の社宅を株式会社ジェイアール東日本都市開発がリノベーションした賃貸住宅、「高円寺アパートメント」(写真提供/株式会社まめくらし)

「この『小杉湯となり』が立つ場所には、もともと風呂なしアパートがあったんですが、取り壊しが決まった後、1年間は空いた状態でした。そこで、僕を含めた多様なクリエイターで共同生活を始めることになったんです。その生活で気付いたのが、街全体を家のように楽しむ豊かさでした。風呂なしアパートが寝室で、銭湯が浴室、台所は近くのお店と考えると、暮らしの選択肢が広がります。その考え方を実現したのが『小杉湯となり』であり、『湯パートやまざき』もプロジェクトの一つです」(加藤さん)

(画像提供/加藤優一)

(画像提供/加藤優一)

「小杉湯となり」ができる前にあった、風呂なしアパート。当時、期間限定の新住人で外壁に絵も描いた(写真提供/加藤優一)

「小杉湯となり」ができる前にあった、風呂なしアパート。当時、期間限定の新住人で外壁に絵も描いた(写真提供/加藤優一)

きっかけは空き家活用のための勉強会

「湯パートやまざき」は、前述の「小杉湯となり」から徒歩7分ほど離れた場所にある。「湯パートやまざき」プロジェクト発足のきっかけは、空き家を活用して高円寺を盛り上げるための勉強会だった。対象は空き家を持っているが活用に悩んでいる大家さんたち。

「去年の6月に第一回の勉強会を開催したら、10人ぐらいの方が参加してくれました。みなさん、空き家のまま放置しておくのはもったいないし、街のために活用できたらと思っていらっしゃる方々でした」(宮田さん)

同年8月に開催した第二回勉強会の様子(写真提供/加藤優一)

同年8月に開催した第二回勉強会の様子(写真提供/加藤優一)

この勉強会には現「湯パートやまざき」の大家・山崎さんのご家族が参加しており、「10年ぐらい空き家になっているアパートを何とか活用できないか」という相談を受ける。そこで、「じゃあ、みんなで物件を見に行きましょう」となった。

現「湯パートやまざき」に向かう参加者たち(写真提供/加藤優一)

現「湯パートやまざき」に向かう参加者たち(写真提供/加藤優一)

住人募集の告知から3日間で応募が殺到

「最初に外観を見た感想は、『一般的な風呂なしアパートだなあ』というもの。でも、中に入るとレトロな家具の雰囲気が良くて、随所に大工さんの技巧も凝らしてある。ここに銭湯を組み合わせることで“湯パート”としてリブランディングしようと思いました」(加藤さん)

去年の11月ぐらいから「銭湯ぐらし」にかかわり始めた勝野さんは、東京大学大学院で建築を学んでいる学生。加藤さんと宮田さんが「湯パートやまざき」のリブランディングとなるコンセプトや企画を考え、彼女がより具体的なイメージ図を描いた。

現在、大家さんは住んでいないが部屋は残してある(イラスト/勝野楓未)

現在、大家さんは住んでいないが部屋は残してある(イラスト/勝野楓未)

勝野さんがnoteに描いたイメージ図とともに、住人募集の告知をTwitterにアップしたのが2022年1月30日。すると3日間で50人の応募があり、あわてて募集を締め切ったという。

「『シェアハウスほど近すぎず、普通のアパートほど遠くない、ほどよい関係』がみなさんに刺さったのでは」と加藤さんは振り返る。個室はあるが1階にシェアスペースもあり、価値観の近い人が入居することもイメージできる。また、「近所に小杉湯があることも大きかったと思います。ほかには、大家さんの顔が見えることや、DIYができること、そして、1人ではできないけど誰かとはやってみたいという“小さな暮らしが実現できる”という点に魅力を感じていただけたと思います」と話す。

以前は家賃3万円だったが、小杉湯を起点に「街を家と捉える」プロジェクトの一つとして生まれ変わらせるにあたり、家賃に入浴券1カ月分を組み込んだ家賃5~6万円の「銭湯付きアパート」へ(頭が出た分の金額は、大家さんと株式会社銭湯ぐらしで按分している)。入浴券は都内共通入浴券なので都内の銭湯ではどこでも使えるが、ご近所にある小杉湯のファンが集う結果となったようだ。

「応募してくれたのは20歳から30代後半の方で、6割ぐらいが女性でした。職業はいろいろ。高円寺に住んでいないけど、高円寺が好きという人もいれば、コロナ禍で1人で暮らすのが寂しいという人もいました。必ずしも小杉湯ファンだけではなかったですね」(勝野さん)

共有スペースには螺鈿細工のたんすやレトロなテーブル

内見会やオンラインでのヒアリングを経て、勝野さんを含む3名の住人が決まった。勝野さんは2月の半ばから、残りの2名も3月中旬から住み始めている。

コンセプトは「暮らしの要素をシェアする、懐かしくて新しい共同生活」。というわけで、さっそく物件を案内してもらった。

「ようこそ、『湯パートやまざき』へ!」(写真撮影/片山貴博)

「ようこそ、『湯パートやまざき』へ!」(写真撮影/片山貴博)

高円寺駅から徒歩9分、小杉湯から徒歩7分。防犯上の理由から詳しい場所は書けないが、閑静な住宅地にある木造2階建てのアパートだった。

まずは、1階の共有スペースを拝見。

螺鈿細工のたんすやレトロなテーブルが雰囲気たっぷり(写真撮影/片山貴博)

螺鈿細工のたんすやレトロなテーブルが雰囲気たっぷり(写真撮影/片山貴博)

ホワイトボードには住人らによる「今後やりたいこと」が貼ってあった(写真撮影/片山貴博)

ホワイトボードには住人らによる「今後やりたいこと」が貼ってあった(写真撮影/片山貴博)

このキッチンも共同で使用する(写真撮影/片山貴博)

このキッチンも共同で使用する(写真撮影/片山貴博)

「湯パートやまざき」での暮らしを選んだ理由

次に2階の勝野さんの部屋へ。

階段には収納用の隠し棚があった(写真撮影/片山貴博)

階段には収納用の隠し棚があった(写真撮影/片山貴博)

入口のドアの上には今やなかなかお目にかかれない電気メーターが(写真撮影/片山貴博)

入口のドアの上には今やなかなかお目にかかれない電気メーターが(写真撮影/片山貴博)

「ここが私の部屋です」と勝野さん(写真撮影/片山貴博)

「ここが私の部屋です」と勝野さん(写真撮影/片山貴博)

間取りは6畳プラス、ミニキッチン(写真撮影/片山貴博)

間取りは6畳プラス、ミニキッチン(写真撮影/片山貴博)

張り替えたばかりの青畳が香る。

「布団は押入れに入れてあって、寝るときに出します。日当たりが良いので外に干すとすぐに乾くんですよ。設計の勉強に使う金尺は置き場所がないので柱に掛けました」

実は勝野さん、ここに住む前は隣駅の阿佐ケ谷に住んでいた。風呂トイレ付きで床はフローリングというアパート。しかし、銭湯ぐらしやまめくらしの「街を大きな家と捉えて大きく暮らす」という考え方に共感したことと、コロナ禍で家に全部そろっている必要はないと考え方が変わったことから、「湯パートやまざき」への転居を決めたそうだ。

共同作業の第一歩はバルコニーのペンキ塗り

勝野さん以外の住人2名にもオンラインで話を聞いた。

そのうちの1人は転職で大阪から上京したばかりの27歳の女性。たまたま、加藤さんのツイートを目にし、応募した。東京に知り合いが1人もいない状態での共同生活は楽しく、初めて訪れた高円寺を徐々に開拓したいそうだ。

彼女の部屋はこんな感じ。裸電球がいい味を出している(写真撮影/本人)

彼女の部屋はこんな感じ。裸電球がいい味を出している(写真撮影/本人)

もう1人は建築設計事務所で働く28歳の男性。彼もまたTwitterでの告知を見てすぐに応募したという。多忙のため終電で帰ることが多い生活だが、会ったら「オッス」というぐらいの距離感がちょうどいいと言っていた。

現在入居者の住居となっている部屋には、図書館司書として働いている大家さんの親族がセレクトしたセンスあふれる本の数々が置いてあった。

住人も本好きな人たちなので、いずれは共有スペースをミニ図書館にする予定(写真撮影/宮田サラ)

住人も本好きな人たちなので、いずれは共有スペースをミニ図書館にする予定(写真撮影/宮田サラ)

そして、生活を豊かにしてくれそうなのが通りに面した広いバルコニー。勝野さんのイメージ図には望遠鏡のイラストとともに「流星群や満月を観察」と書かれていた。

机とテーブルを置けばコーヒータイムも楽しめる(写真撮影/片山貴博)

机とテーブルを置けばコーヒータイムも楽しめる(写真撮影/片山貴博)

「今度、みんなで柵にペンキを塗るんですよ。いずれは菜園もやりたいです」

取材後、3人の予定が合った日にペンキ塗りを実行(写真撮影/宮田サラ)

取材後、3人の予定が合った日にペンキ塗りを実行(写真撮影/宮田サラ)

大家さんの思いとともにそれぞれのスタイルで暮らす

築50年とはいえ、必要最低限の補修のみで大がかりなリノベーションはしていない。つまり、長く住んだ大家さんの思いを残した形だ。3人は今後、大家さんの思いとともに「暮らしの要素をシェアする、懐かしくて新しい共同生活」を送る。それぞれのスタイルで、街を取り込みながら。

老舗銭湯の「小杉湯」を軸に新しい風は吹き続ける。スタートしたばかりの「湯パートやまざき」の試みが軌道に乗れば、高円寺にまだまだたくさんあるという空き家アパートの活用が一層進むだろう。

●取材協力
小杉湯となり
銭湯ぐらし
まめくらし
湯パートやまざきSNSアカウント
Instagram:@yupart_yamazaki
Twitter:@yupart_yamazaki

地味だった大阪の下町・昭和町、“長屋の活用”で人口増!「どこやねん」から「おもろい街」へ

建物の老朽化、空き家問題、高齢化、人口流出。都市の多くが頭を抱える問題です。そのようななか大阪の下町「昭和町」では、長い歴史を誇る長屋をローコストで再活用し、街に活気をもたらしています。成功に導いたのは、代々続く地元の不動産会社。三代目社長の「気づき」がきっかけでした。「長屋の保存活動ではない。やっているのは長屋の“活用”だ」。そう語る三代目社長に、奏功の秘訣をおうかがいしました。

「私は長屋の保存活動はしていない」

「誤解されるのですが、私は長屋の保存活動はしていないんです」

「丸順不動産」代表取締役、小山隆輝さん(57)はそう言います。

「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。電動アシスト自転車と首からさげたカメラがトレードマーク(写真撮影/出合コウ介)

「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。電動アシスト自転車と首からさげたカメラがトレードマーク(写真撮影/出合コウ介)

大阪府大阪市阿倍野区(あべのく)「昭和町」。大阪メトロ御堂筋線の巨大ターミナル駅「天王寺」から南へ一駅くだった場所にある細長いエリアです。

「昭和町」はその名のとおり昭和時代の面影を感じさせてくれる、のんびりした雰囲気に包まれた街。あべのハルカスがそびえる大都会、天王寺のそばだとは信じがたい印象。近年はテレビをはじめとしたメディアがこぞって「下町レトロ散歩」特集の舞台に昭和町を選ぶようになりました。

昭和町のゆったりムードに大きく貢献しているのが「長屋」。現在ではあまり見かけない長屋ですが、昭和町には築100年前後という貴重な長屋が奇跡的に数多くのこっています。

昭和町の随所にのこる長屋。古風で落ち着いた雰囲気を活かし、ヨガサロンを開く例もある(写真撮影/出合コウ介)

昭和町の随所にのこる長屋。古風で落ち着いた雰囲気を活かし、ヨガサロンを開く例もある(写真撮影/出合コウ介)

なかでもおしゃれなお店が6軒ずらり並ぶ「桃ケ池長屋」は昭和町エリアのランドマーク的存在。桃ケ池長屋をはじめ古い家屋のリノベーション計画が功を奏し、国勢調査によると1995年(平成7年)から2020年(令和2年)までのあいだに965人(大阪市における住民基本台帳人口数)が増加しました。大阪市の多くの街が人口流出や高齢化による人口減にあえぐなか、これは快挙です。

昭和町の長屋に新たな命を吹き込んだエキスパートが、大正13年(1924年)創業の「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。

小山「昭和町5丁目で生まれ、昭和町4丁目で育ちました。57年の人生を昭和町の徒歩5分圏内で過ごしています」

小山さんは生粋の昭和町っ子。先述の「桃ケ池長屋」や、大正14年築という長屋をリノベーションして大阪古民家カフェブームの先鞭をつけた「金魚カフェ」など、数々の物件をブレイクさせた立役者です。電動アシスト自転車をこぎながら日々、昭和町の風景を撮影しSNSで発信し続ける。そんな不動産界のインフルエンサーとしても知られています。

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

金魚カフェ(写真提供/小山さん)

ただ、活躍ゆえに“誤解”が生じている様子。

小山「ときどき“長屋再生人”と紹介されます。いいえ、違うんです。長屋を文化財として保存したいわけじゃない。元通りにしたいわけでもない。やりたいことは“長屋の活用”です。だって、長屋だけきれいになってもしゃあないやないですか。そうではなく、長屋など既存の建物を活用し、エリアの価値を向上させたいんです。目指すは“上質な下町”。そのためにも、いいプレイヤーを昭和町に集めたい。それが私のメインテーマですわ」

長屋の保存ではなく、再生でもない。メインテーマは「長屋の活用」と「エリアの価値向上」。その言葉の真意をさぐるべく、先ずは小山さんが手がけ、いまや大阪の人気スポットとなった「桃ケ池長屋」を案内していただくことにしましょう。

「昭和町ってどこやねん」と言われた知名度の低さ

「桃ケ池長屋」へ向かう道すがら、長屋が注目される以前の昭和町の姿はどんなものだったのかを、小山さんは語ってくれました。

小山「とにかく街の知名度が低かった。こんな話があるんです。昭和町でBarをやっていた男性がミナミやキタにいる友達のところへ遊びに行った。友達に『昭和町で店をやってるから、遊びに来てな』と言ってショップカードを渡した。するとそのカードを見た友達が、こう言ったんです。『昭和町って、どこやねん』。同じ大阪市内、同じ御堂筋線沿線にもかかわらずですよ。それくらい地味で目立たない街でした」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

現在ではメディアの人気コンテンツとなり、憧れの気持ちを抱いて訪れる若者も多い昭和町にも、そんな無名時代があったのです。

小山「私が二十代のころは少子高齢化が進み、人口は減少。『昔はにぎやかな商店街やったのに誰一人として歩いていない』。そんな寒々とした風景でした。このままではあかん。昭和町をなんとかしなければならない。最初にそう思ったのが25年くらい前。子どものころから通っていた散髪屋さんのおっちゃんが私に、『あんたら不動産屋ががんばらなんだら、街がようならへんやんか。人もお店も増えへんやないか』と言ったんです。それ以来、“不動産屋ができる、街をよくする方法”を考えるようになりました」

街の人が危機感を抱くほどさびれていた昭和町。それを解決する糸口の一つが、長屋だったのです。

「上質な下町」のシンボルとなった「桃ケ池長屋」

やってきた「桃ケ池長屋」。「昭和4年(1929)の資料が残っている」という、大正時代と昭和のはざまに誕生した4軒長屋と近隣の2軒の計6軒。「焼き菓子カフェ」「洋裁工房」「おばんざい(お惣菜)」など6つのお店が並んでいます。年に1、2回、不定期で長屋総出のイベントを行い、その日はたくさんのお客さんでにぎわいます。小山さんが目指す「上質な下町」と呼べる空間づくりに大いに貢献しています。

桃ケ池長屋(写真撮影/出合コウ介)

桃ケ池長屋(写真撮影/出合コウ介)

かつての桃ケ池長屋(2003年撮影)(写真提供/小山さん)

かつての桃ケ池長屋(2003年撮影)(写真提供/小山さん)

そのうちの一軒、平成23年(2011年)に入居した「カタルテ」は器と雑貨のお店。注目すべき作家の一点ものをはじめ、店主の宮倉さんが焼き物の産地である信楽や丹波立杭などに足を運んで選んだ逸品が並びます。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

実は「桃ケ池長屋」という名称は、「昔からあったものではない」のだとか。

宮倉「桃ケ池長屋という名前は長屋のみんなでつけました。勝手にね(笑)。『長屋でイベントをするときに呼び名をつけたいね』『じゃあ近くに桃ケ池公園があるし、桃ケ池長屋にしようか』って。そうして勝手に名前を呼んでいたら、だんだん定着してきたんです」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

店舗兼住居のこの「カタルテ」、梁など昭和の趣を残しながらも無理やりな懐古趣味はなく、見事に現代と調和しています。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

宮倉「アルミサッシなど、古い長屋と雰囲気が合わない建具は入れたくなかったので、大家さんによい方法はないかと相談しました。大家さんがとても理解がある方で、ご自身がお持ちの取り壊す古い建物から『要るものがあるなら持っていっていいよ』と言ってくださって。大工さんと一緒にメジャーを持って計りに行き、使えそうな建具を運んできました」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

「カタルテ」は、古い長屋に別の古い建具を継ぐという、ありそうで意外とない方法で新しいスペースをデザインしていたのです。

小山「この物件は家主さん、借主さん、大工さん、三者の美意識が合致した好例です。私が長屋に着手しはじめた当時はまだ大工さんは“きれいにするのが当たり前”でした。『あそこを残して。ここを残して』と言っても理解してもらえなかった。ひたすら、闘いでしたね」

「桃ケ池長屋」が好評を博した秘訣、それは小山さんのトータルプロデュース力にありました。

宮倉「小山さんが、世代が近い人を横並びでつないでくださったんです。世代が近いから相談できるし、『イベントを一緒にやろうよ』という動きになっていきました。長屋が一つのカラーをもっているおかげで続けられているのかな。小山さんのはからいがなかったら、何年かで店を辞めちゃっていたかもしれない」

小山「一軒一軒で考えるのではなく、世代をできるだけ合わせていく。いいプレイヤーを揃える。それが『長屋が街を変える』第一歩やと思うんです。ぜんぜん違うテイストのものを並べても、街としておもろくないですから。そやから僕はしっかりとお話をして人となりを見ます。『どんな人か』が大事やから」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

お話を聞くにつけ、いいこと尽くしのように感じる長屋のリノベーション。とはいえ、およそ100年も前の建物の再利用です。不便はないのでしょうか。

宮倉「気になる点は物音でしたね。壁が共有なので。お隣さんの会話の内容がわかっちゃうくらい筒抜け。『こちらが出した音も向こうに聞こえているんだろうな』と思って、電話する場合はわざわざお風呂場で話をしていました」

決して厚くない壁。しかも共有。長屋は言わば一つの大きな家。共同体だからこそ両隣との関係性が重要になってきます。

宮倉「お互いにお店をしていて、一緒にイベントをする仲間。人柄がわかっているから許容できました。『お互い様だよね』って。ときにはお隣の物音に安心感をおぼえる日もありました。まったく見知らぬ人だったら『うるさいよ』ってなっていたかもしれません」

一軒一軒ではなく、長屋全体をどうするかをトータルで考える。小山さんの発想と手腕はトラブル回避にも活かされていたのです。さらに、長屋での商いは物音などのリスクを超えた大きなメリットがあると宮倉さんは言います。

宮倉「広さに対する家賃の安さは魅力ですね。プラス、この雰囲気。ピカピカじゃなくって、歴史があるものにしか出せない温かな雰囲気が得られるのはとてもありがたいです」

タウン誌などにもたびたび採りあげられる桃ケ池長屋。「やりたいことは長屋の保存や再生ではなく“活用”」「長屋の活用によるエリアの価値向上」。小山さんの信条は、「桃ケ池長屋」というかたちではっきりと可視化されていたのです。

長屋の雰囲気になじんでいる看板猫のエモンちゃん(写真撮影/出合コウ介)

長屋の雰囲気になじんでいる看板猫のエモンちゃん(写真撮影/出合コウ介)

「長屋が文化財なら、昭和町はお宝だらけや」

そもそも、なぜ昭和町には昭和初期の長屋が多く残っているのでしょう。理由は大正時代にさかのぼります。

小山「大正時代から昭和のはじめにかけて大阪市は経済が大きく発展しました。“大大阪”“東洋のマンチェスター”と呼ばれるほどだったんです。そのため人口が急増した。かつての東京市(1943年/昭和18年に廃止)よりも多かった。結果、たちまち住宅難が起きました。各地から続々と転入してくるため、住む人を吸収できなくなってきたんです」

サラリーマン家庭の住居の用意に急を要した大阪市。そこで建てられたのが、長屋でした。大阪市は特有の土地区画整理計画「長屋建築規則」を制定。長屋という名のニュータウン開発事業に乗り出したのです。

小山「大正時代までこのあたりは畑やったんですけれども、区画整理をして、長屋の寸法に街割をしたんです。そやから当時は長屋がザーッと並んでいました。言わば元祖ベッドタウンです。区画整理がスタートしたのが昭和のあたま頃やったんで、“昭和町”という地名になったんです」

なんと、昭和町という地名自体が、長屋の開発が由来だったとは。そんな深い縁がある長屋に再びスポットが当たる出来事がありました。それが「寺西家阿倍野長屋の再評価」。

「寺西家阿倍野長屋」とは昭和7年(1932年)に建築された近代的な4軒長屋。戦前の庶民の都市住宅としての様式を今に残す貴重な建築であることが評価され、平成15年(2003年)、長屋としては全国初となる「登録有形文化財」に指定されたのです。

寺西家阿倍野長屋(写真提供/丸順不動産)

寺西家阿倍野長屋(写真提供/丸順不動産)

小山「登録文化財になったという新聞記事を見て、『そんな文化財になるような長屋なんかあったか?』と探しに行ったところ、そこにあったのはどこにでもある普通の長屋。『これが文化財になるんやったら町中が文化財だらけや。これを使わない手はないやろ』と思いました」

現場へ行って寺西家阿倍野長屋を見上げた小山さん。そのとき「散髪屋のおっちゃん」から言われた「あんたら不動産屋ががんばらへんかったら、街がようならへん」のひと言が蘇ってきたのだそう。

小山「昭和町の長屋は、確かに質が高い。『京都では町家のリノベーションを当たり前にやっている。だったら昭和町は、長屋でそれができるんやないか』。そうひらめいたんです。意識して素敵なテナントを誘致したり、古い建物のよさを残したりすれば、街が元気になるんじゃないかと。散髪屋のおっちゃんのあの一言と長屋が頭の中でピタッとくっついた瞬間でしたね」

日本建築の粋を集めた「お屋敷長屋」

このように長屋や既存の古い建物およそ30軒を蘇らせてきた小山さんに、もう一軒のケースを見せていただきました。「水回り以外は昭和初期の雰囲気のまま」という、5戸が連なる長屋です。

2019年より家族3人で居住している建築士、城田研吾さんはこう言います。

城田「物件を見る前は、『長屋をDIYしたい』と考えていました。部屋を自由に改造できる条件で物件を探していたんです。けれどもこの長屋を初めて内見したとき、『このまま住みたい』と思いました。手を入れる必要がない、理想の住まいだったんです」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

屋内は丸窓の「灯りとり」、欄間、土壁、漆喰など、惚れ惚れとするほど昭和の意匠が遺されています。特に立派な床の間が印象的。

玄関(写真撮影/出合コウ介)

玄関(写真撮影/出合コウ介)

キッチンとリビングをつないで広々とした空間をつくりだしている。段差を考慮したテーブルをオーダーメイドし、二間をまたぐように設置した(写真撮影/出合コウ介)

キッチンとリビングをつないで広々とした空間をつくりだしている。段差を考慮したテーブルをオーダーメイドし、二間をまたぐように設置した(写真撮影/出合コウ介)

小山「フルサイズの床の間が、この長屋の特徴です。床の間は無駄と言えば無駄なんですけれども、当時は『床の間のない家なんて家やない』という文化があり、必須の設えだったんでしょう。ほかにも門があり、庭があり、燈籠が建てられている。大きなお屋敷の様式を全部きゅっと詰め込んである。だから“お屋敷長屋”と呼ばれる場合もあります。しっかりした邸宅で、落語に出てくる、八っつあん熊さんがいるような庶民の長屋とはずいぶん違いますね」

寝室(写真撮影/出合コウ介)

寝室(写真撮影/出合コウ介)

書斎(写真撮影/出合コウ介)

書斎(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

棚は城田さん自身が造作(写真撮影/出合コウ介)

棚は城田さん自身が造作(写真撮影/出合コウ介)

取材時、中庭には赤い桃の花が咲いていました。城田さんはこの家を「もものきながや」と名づけ、風流な景色を楽しんでいます。いやあ、若くしてこの長屋を気に入るとは、シブいご趣味ですね。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

城田「僕らの世代は原体験がないぶん、逆に昔の趣が残っている家って好きなんじゃないですかね」

小山「新車に乗りたい人がいれば旧車に乗りたい人もいる。新しいジーンズが好きな人がいれば、リーバイスのヴィンテージを好む人もいる。それと同じとちゃいますか」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

長屋はジーンズに例えるならばヴィンテージ。長屋の魅力がさらに鮮明になってきました。

昭和町の住民と店とをつなぐ「バイローカル」活動

小山さんの取り組みで刮目(かつもく)すべきもう一つの軸、それが昭和町の住民と地元の商売人との縁をつなぐ「buy-local(バイローカル)」という活動。具体的には昭和町にある素敵な商店およそ80軒が掲載されたマップつきの小冊子を年に一回発行し、PRしてゆく行いです。小山さんは2013年4月から、街の有志とともにバイローカル活動をはじめました。

小山「バイローカルとは、そもそもはアメリカのコロラド州で生まれた『小さな商店の雇用を守ろう』という運動でした。コロラド州のバイローカルは大資本に立ち向かう抗議活動やけど、昭和町はそこまで好戦的やない。志だけを継いで、街の“よき商い”を昭和町に住む人にもっと知ってほしい、そんな気持ちでやっています。理想は“内発的発展”。地域の人たちが自分の街にある店を選択し、守り、昭和町の中で365日、経済が循環する環境を整えていきたいんです」

小冊子のほか、使いやすいMAPも配布している

小冊子のほか、使いやすいMAPも配布している

マップを見ていると、新旧の魅力的な個人商店が満載。「少し歩くとこんなにたくさんのオリジナリティと出会えるのか。昭和町カルチャーすごい!」と驚かされます。

バイローカルマップを配布する大事なイベントが、長池公園にて開催される年に一度のマーケット。出店数は50店舗前後。あまりの人手に昨年は平日開催にせざるをえなかったというから、いかにバイローカルという理念が昭和町に根付いたかがうかがい知れます。

小山「人を寄せて儲けるのが目的ではない。マーケットを開くことで、地元の人とお店の人とでコミュニケーションをとってもらいたいんですよ。『あんたんとこのお店、どこやの? 今度遊びに行くわ』『あんたのお店、前から知ってたんやけど、どんなお兄ちゃんがやってるかわからへんかったから、行くん怖かってん。なんや~、あんたかいな~。ほんならこれから行くわ~』みたいな。バイローカルのマーケットを通じて知らないお店と出会ってほしいんです。ゆっくり話をしてほしいから、本音は、あんまりたくさんの人に来てほしくない(笑)」

2020年開催時の様子(写真提供/小山さん)

2020年開催時の様子(写真提供/小山さん)

自分が住む街にどんなお店があるのか、意外と知らないものです。バイローカルは住民と店とのマッチングの機会をつくり、街がよい商いを支える地盤をつくりました。おかげで、こんな利点があったのだそうです。

小山「2020年の夏はコロナでしんどい時期でしたけれども、街の人がテイクアウトでお店を支えた。お店も必死やけど、街の人たちも必死でした。『この店がつぶれたら絶対に困る』ってね」

昭和町なら駅から離れていても商売が成立する。それが理想

「長屋なんて更地にしてアパートを建てましょう」「コインパーキングにしてしまいましょう」が当たり前ななか、あえて古い建物の活用で街を衰退から救った小山さん。今後の展望は。

小山「これまでの経験で得た知見を活かし、おもろいエリアをさらに広げていきたい。街のはずれにも素敵なお店があって、周遊しながら楽しめる。そういうふうにならんと街ってしまいに廃れると思うんですよ。駅前でないと商売が成り立たん、そんなんではあかん。『昭和町なら住宅地でも商売が成立するんですよ』と伝えていかなければ。駅前一極集中ではなく、歩いて行ける場所、あるいは自転車でまわれるエリアに、自分の暮らしを豊かにしてくれるお店がいくつも点在している。それが街の理想形かなって思うんです」

確かに、バイローカルのマップを見ていると、点々とあるすべてのお店をぐるりと回遊したくなります。そうしてきょろきょろしているうちに、きっとさらに街が好きになる。

バイローカル会議の様子(写真提供/小山さん)

バイローカル会議の様子(写真提供/小山さん)

小山「象徴的な出来事がありました。駅前のいい場所に店舗が空いたので、お客さんをご案内したんです。けれども、そのお客さんが言うには、『すっごいええ場所やねんけれども、ここだと家賃を払うために仕事をせなあかん。ちゃんとていねいに商いをしたいから、もっとさびしい場所でいいです』と。その感覚なんです、昭和町は」

昭和町を訪れないと出会えない素敵な個性がある。希少となった長屋も、現代でいえば個性的な存在です。小山さんは今日も電動アシスト自転車で街を駆け抜けながらええもんを見つけ、昭和町をさらに「おもろい街」にすべく奮闘しています。

「私はただの不動産屋さん。けれども、街のことを考える不動産屋さんです。そやから、なんでもします。街の不動産屋はなんでもやりますよ」

●取材協力
丸順不動産株式会社
Facebook:@marujunfudousan
暮らしと商いの不動産(丸順不動産の物件ブログ)
丸順不動産の三代目は毎日なにをしてるんや?(公式ブログ)
Twitter:@KoyamaTakateru
Instagram:@takaterukoyama
365日バイローカルライフ
昭和なまちのバイローカル
器と暮らしの雑貨 カタルテ
Mono architects モノ アーキテクツ(城田研吾さんの設計事務所)

NY「ビリオネア通り」の不動産が活況! 億万長者だらけの最新マンションに潜入

ニューヨークには、世界の億万長者が好んで住んでいる通りがいくつかあります。その最たる通りの名は、「Billionaires’ Row(ビリオネアズ・ロウ)」。「億万長者の並び」という意味で、世界の名だたる実業家や投資家など選ばれし者が注目するストリートです。

なぜここがそのように富裕層の人々から関心を向けられているのでしょうか。この通りの一角に今年新築されたばかりのマンションを特別に内見させてもらいながら、不動産専門家に話を聞きました。

NYのビリオネア通り(億万長者通り)って?

ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークからほんの2ブロック南にある東西に延びる通り、「ビリオネアズ・ロウ(億万長者通り、ビリオネア通り)」は、実業家や投資家、セレブなど世界中の富裕層が好んで売買する高級物件が集まっており、富の象徴となっています。

(写真提供/7w57)

(写真提供/7w57)

この通りには以前より、お金持ち御用達の高級老舗デパート「Bergdorf Goodman(バーグドルフ・グッドマン)」や「Nordstrom(ノールドストローム)」、ルイ・ヴィトン、シャネルなど世界を代表するハイブランド店が点在しています。この通りが住居や投資物件としてビリオネアや投資家の関心を集め始めたのは、かれこれ13年ほど前にさかのぼります。

2009年、当時としては市内でもっとも高層のコンドミニアム「One57 (ワン57)」が この通りに着工しされ、14年に完成しました。これに続けとばかりに、11年には、それよりもさらに高層(当時、市内で一番高い住居用)ビルとして85階建ての「432 Park Ave.(432パークアベニュー)」もこの通りに着工され、15年 に完成。それを機にビリオネアズ・ロウはゆうに80フロアを超える縦に細長い超高層ビルの建設ラッシュが続き、「Race to the Sky(空に向かった競争)」として活気付きました。現在は8棟ほどの超高層タワーマンションが立ち並んでいます 。

「432 Park Ave.」(写真撮影/安部かすみ)

「432 Park Ave.」(写真撮影/安部かすみ)

縦に細長いビルが立っている通りが、ビリオネアズ・ロウになる(写真撮影/安部かすみ)

縦に細長いビルが立っている通りが、ビリオネアズ・ロウになる(写真撮影/安部かすみ)

「マンハッタンの57丁目は、不動産市場の動きを注視する目の肥えた(実業家や投資家などの)世界中のバイヤーたちを魅了する超高層のラグジュアリーなコンドミニアムが集合したことで『ビリオネアズ・ロウ』という称号(呼び名)で呼ばれるようになりました。ここ10数年以上にわたって販売記録を更新し続けています」と説明するのは、米不動産大手コーコラン社のライセンス・セールスパーソン、ジョアンナ・パッシュビー(Joanna Pashby)さん。

432パークアベニューには一時期、女優のジェニファー・ロペス氏が当時の婚約者、アレックス・ロドリゲス氏と共にペントハウスを購入し話題になるなど、セレブも多くこの通りに物件を所有するようになりました。

またほかにも、イギリスの歌手スティング(Sting)ほか、デル(DELL)の創設者、マイケル・デル(Michael Dell )氏、アリババの共同創設者、ジョセフ・ツァイ(Joe Tsai)氏、HGTVネットワークの創設者、ケニス・ロウ(Kenneth Lowe)氏、日本の女優、松居一代氏など世界のそうそうたる富裕層がビリオネアズ・ロウに物件を購入したことが、メディアなどで報じられています。

特にデル氏が2015年に購入したワン57の最上階2フロアにわたるペントハウスの価格は、100.47ミリオンドル(1ドル130円計算で130億円超え)。市内で販売された最も高額なアパートとして話題をかっさらいました。

57丁目には、超高級の老舗デパート「Bergdorf Goodman」(写真)や「Nordstrom」、世界のハイブランド店などが軒を連ねる(写真撮影/安部かすみ)

57丁目には、超高級の老舗デパート「Bergdorf Goodman」(写真)や「Nordstrom」、世界のハイブランド店などが軒を連ねる(写真撮影/安部かすみ)

ビリオネアズ・ロウの5分圏内には、広大で緑豊かなセントラルパークが広がり、四季折々のレクリエーションが楽しめる(写真撮影/安部かすみ)

ビリオネアズ・ロウの5分圏内には、広大で緑豊かなセントラルパークが広がり、四季折々のレクリエーションが楽しめる(写真撮影/安部かすみ)

新築の「7w57」にいざ潜入

パッシュビーさんが次に注目するのは、ビリオネアズ・ロウの五番街と六番街の間に新築されたコンドミニアムの「7w57」です。

7w57は今年春に完成したばかりの、20階建て高級アパートメント(コンドミニアム)です。

「15戸のコンドミニアム(15家族分の住居物件)があり、ペントハウスは2フロア(この2フロアもカウントすると、ビル自体は22階建てということになる)で、セントラルパークを望む屋外スペースもあるんです」とパッシュビーさんは案内してくれます。

米コーコラン社のライセンスセールス、パッシュビーさん(写真撮影/安部かすみ)

米コーコラン社のライセンスセールス、パッシュビーさん(写真撮影/安部かすみ)

7w57の外観(写真提供/7w57)

7w57の外観(写真提供/7w57)

ロビー。当地の高級物件では言わずものがなの、24時間ドアマンサービス(写真提供/7w57)

ロビー。当地の高級物件では言わずものがなの、24時間ドアマンサービス(写真提供/7w57)

パッシュビーさんは、まず6階の2ベッドルームのお部屋から案内してくれました。

ニューヨークの高級物件で、特にコロナ禍以降の需要が高いプライベートエレベーターが、このアパートメントにも備えられています。プライベートエレベーターを降りると、アート作品が飾られたギャラリー風の長くてゆったりとした廊下の向こうに、広々とした豪華なリビングルームが広がっています。全面ガラス一面に映し出された57丁目の通りの景色自体が、まるで「アート作品」のようです。

窓全体がアート作品のような、6階のリビングルーム(写真提供/7w57)

窓全体がアート作品のような、6階のリビングルーム(写真提供/7w57)

リビングルームから57丁目のビリオネアズ・ロウを見下ろす(写真撮影/安部かすみ)

リビングルームから57丁目のビリオネアズ・ロウを見下ろす(写真撮影/安部かすみ)

(写真撮影/安部かすみ)

(写真撮影/安部かすみ)

窓側から見た6階リビングルーム(写真撮影/安部かすみ)

窓側から見た6階リビングルーム(写真撮影/安部かすみ)

6階の住居スペースは、1723スクエアフィート(約160平米)の面積に2ベッドルーム(寝室)、2.5バスルーム(浴室とトイレ)、リビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む5部屋が完備されています。

(画像提供/7w57)

(画像提供/7w57)

6階のキッチンスペース。洗浄機が備えられているのはもちろん、「料理の煙を換気扇がすぐにキャッチし吸い取ってくれ、キャビネットには指紋が付きにくいんですよ」と、使い勝手がいいように細かい部分まで配慮されています(写真提供/7w57)

6階のキッチンスペース。洗浄機が備えられているのはもちろん、「料理の煙を換気扇がすぐにキャッチし吸い取ってくれ、キャビネットには指紋が付きにくいんですよ」と、使い勝手がいいように細かい部分まで配慮されています(写真提供/7w57)

キッチンスペース(写真提供/7w57)

キッチンスペース(写真提供/7w57)

ホテルのような、バスルーム(写真提供/7w57)

ホテルのような、バスルーム(写真提供/7w57)

(資料提供/7w57)

(資料提供/7w57)

ベッドルーム(写真提供/7w57)

ベッドルーム(写真提供/7w57)

もう一つのベッドルーム(写真提供/7w57)

もう一つのベッドルーム(写真提供/7w57)

また最上階の2フロアと屋上テラスで展開するペントハウスは、2801スクエアフィート(約260.2平米)の面積に、2ベッドルーム(寝室)やリビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む5部屋に、2.5バスルーム(浴室とトイレ)などに加え、セントラルパークを眼下に望む広い屋外スペース(北と南の2カ所、1017スクエアフィート(約94.4平米)なども完備されています。

ローワーレベル(下階)(画像提供/7w57)

ローワーレベル(下階)(画像提供/7w57)

アッパーレベル(上階)(画像提供/7w57)

アッパーレベル(上階)(画像提供/7w57)

テラス(屋外スペース)(画像提供/7w57)

テラス(屋外スペース)(画像提供/7w57)

ペントハウスのリビングルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのリビングルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのキッチン(写真提供/7w57)

ペントハウスのキッチン(写真提供/7w57)

ペントハウスのバスルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのバスルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスの2フロアをつなぐ階段(写真撮影/安部かすみ)

ペントハウスの2フロアをつなぐ階段(写真撮影/安部かすみ)

ペントハウスの北側に位置する屋外スペース。ここと別に南にも屋外スペースがあり、専用のキッチンやお手洗いスペース、ストレージ(倉庫)などを完備(写真提供/7w57)

ペントハウスの北側に位置する屋外スペース。ここと別に南にも屋外スペースがあり、専用のキッチンやお手洗いスペース、ストレージ(倉庫)などを完備(写真提供/7w57)

目の前は豪華なセントラルパークとアイコンビルのザ・プラザ(プラザホテル)。四季折々の季節がここから楽しめる(写真提供/7w57)

目の前は豪華なセントラルパークとアイコンビルのザ・プラザ(プラザホテル)。四季折々の季節がここから楽しめる(写真提供/7w57)

問い合わせは国内外の富裕層からきているとのこと。コロナ禍3年目でさらに不動産市場が活気付いているニューヨークで、このような超高級物件の需要は相変わらず高いようです。

住居用としてもそうですが投資先としてもますます目が離せないビリオネアズ・ロウ。「Race to the Sky(空に向かった競争)」は、今後もさらに活気付いていきそうです。

●取材協力
7w57
※記事中の部屋情報

6階
$3,950,000(1ドル130円計算で約5億1000万円)
5Rooms, 2 Bedrooms, 2.5baths
約1723 平方 ft(約160平米)

ペントハウス
$12.5 million(1ドル130円計算で約16億円)
2 Bedrooms, 2.5 baths

屋内スペース
約2801平方 ft(約260.2平米)

屋外スペース
約1017 平方 ft(約94.4平米)

●関連URL
One57(ワン57)
432 Park Ave.(432パークアベニュー)

3Dプリンターの家、日本国内で今夏より発売開始! 2023年には一般向けも。気になる値段は?

2022年3月、愛知県小牧市に完成した3Dプリンターの家が話題になっている。広さは10平米で、完成までの所要時間が合計23時間12分、300万円で販売予定とのこと。手掛けた兵庫県西宮市にある企業、セレンディクスCOOの飯田国大さんに、詳細や今後の展望について話を聞いた。

まずはグランピングでの利用として展開予定10平米のスフィアは、グランピングを想定して設計された建物(C)CLOUDS Architecture Office

10平米のスフィアは、グランピングを想定して設計された建物(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

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完成したのは「Sphere(スフィア)」と名付けられたプロトタイプ。広さ10平米の球体状で、今後はこれをもとに改良されていく。最初に量産向けにつくられる10棟の用途はグランピング。10平米を超えない場合、現行の建築基準法外の建物と扱われ、水回りはない。今回は10棟が建設される予定だ。さらに2022年8月には、一般向けの販売もスタートさせるという。

スフィアは直感的に「未来」を感じさせるデザインで、スマートロックやヒューマンセンサーといったIoT、オフグリッドのシステム(電力を自給自足できるシステム)、ホームオーナーの要望に対応する個人ロボットなどといった最先端の技術も多数取り入れられている。

スフィアは未来を感じさせるデザイン。機能面でも、IoTなどの最新技術が投入される予定だという(C)CLOUDS Architecture Office

スフィアは未来を感じさせるデザイン。機能面でも、IoTなどの最新技術が投入される予定だという(C)CLOUDS Architecture Office

日本人の4割がマイホームを持つことができない

「ゴールは、3Dプリンターで家をつくることではない。未来の家、世界最先端の家をつくり、人類を豊かにすることが目的なんです」と飯田さん。そのために、最終的には「100平米で300万円の家を実現すること」を目指している。

「現在、日本人の住宅ローンの平均完済年齢は73歳といわれていることをご存知ですか?」

投げ掛けられた飯田さんの言葉にハッとした。

「2020年度の住宅金融支援機構の住宅ローン利用者の平均値から見ると、借入時の平均年齢は40.3歳、借入期間の平均は33.1年で、単純計算で、完済時の年齢は73歳となる。また、総務省『平成30年住宅・土地統計調査』によると、持ち家率は61.2%となっており、約4割の人は家を持ってはいないということになります」(飯田さん)

こうした大きな負債を長期にわたって抱える住宅ローンという問題を、既存の「家づくり」の常識にとらわれない手法で解決することにしたのだという。

(C)CLOUDS Architecture Office

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この「3Dプリンターの家」完成のニュースは、世界26カ国59媒体に翻訳され掲載された。それだけ、住宅に関する万国共通の問題は深刻で、多くの人の関心の的だと言えるだろう。

車を買い替えるように家を買い替えられるようにしたい

3Dプリンターの家は海外ではすでに提供され始めているが、それらとスフィアとはいくつかの違いがある。

1つ目は、「鉄筋などの構造体が必要ない」こと(べた基礎には躯体を接続するために鉄筋を使用してつないでいる)。そのため、自然災害に対して物理的な耐久性があるという“球体”のフォルムも実現できた。球体の安定性は、壁厚30cm以上、10平米で重さ22トンになるコンクリート構造により、頑丈さを確保している。

(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

2つ目は、「家づくりに対する考え方」。「海外の3Dプリンター住宅のメーカーは、既存の家づくりの延長線上でしか考えていないと感じます。既存の家づくりにおけるパーツを3Dプリンターでつくる目的で利用していることが多いのです。そのため、『資材のコスト・人件費・施工時間』において抜本的な改革ができていなかったんです」と飯田さんは話す。

スフィアでは、3Dプリンターで出力した場合に最適な形を導入することで、施工時間計24時間以内を実現。単一素材(コンクリート)を利用することで資材のコストが低くすみ、3Dプリンターが自動ですべての作業を行うため人件費もかからない。こうした従来の家づくりとは違ったアプローチで既存の平均住宅価格の10分の1を目指している。

今回完成させたスフィアは、コロナ禍でプリンターの準備が遅延したため、最終的に海外で書き出し(印刷)・施工した。しかし今後は、建設予定地にプリンターを持ち込んで直接印刷していくことで、さらに時間や労力の面での負担を減らしていくという。

海外で書き出した家が、日本に届いた様子(C)CLOUDS Architecture Office

海外で書き出した家が、日本に届いた様子(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

「今回の住宅の壁の書き出しには12時間ほどかかっていますが、現在、私が最も信頼を置いている住宅用の3DプリンターメーカーのApis Cor(アピスコ社/米国)に改善ポイントを求めたところ、最終的には4時間でできるようになると言っていました」と飯田さん。

時間が短縮されれば、生産が効率化でき、人件費も下がり、その分販売価格も下げられる。
「将来的には、車を乗り換えるように、家を買い替えられるようにしたいと思っているんです」(飯田さん)

飯田さんは、住宅の価格を安くするだけでなく、都市部から離れた土地の価格が安い場所に建てることで、さらにコストダウンができないかと考えているという。未来には空飛ぶ車が一般的になっているかもしれない。そうすれば、今より移動も格段に便利になる。飯田さんは現在、政令指定都市である福岡市から車で90分かかる場所に住み、そのプロジェクトの実現を目指している。

データを共有することで世界中で同じスペックの家を建てることができる愛知県小牧市に建てられたスフィアの建設現場。壁の厚さがよくわかる(C)CLOUDS Architecture Office

愛知県小牧市に建てられたスフィアの建設現場。壁の厚さがよくわかる(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

スフィアの住宅性能面はどうだろう。写真の壁の厚さからわかるように、断熱性能は日本より厳しいヨーロッパの住宅基準をクリアし、耐震面では日本の最先端の耐震技術を採用している。

「壁厚が30cm以上、10平米で20トン以上の重さがあるコンクリート製の家です。ビルのような頑丈さで、住んでいても安心感をもってもらえるはずです」と飯田さん。

こうした高品質の住宅を、既存の住宅価格の10分の1で提供できれば、住宅価格が10年で2倍になっているカナダをはじめ、住宅価格の高騰といった先進国で進行しつつある住宅問題に対する課題解決につながると考えている。

世界中でデータを共有できるという点も3Dプリンターならではの大きな強みだ。データを共有すれば、同じスペックの家を世界中のどこでもつくることができる。

スフィアのデータ(C)CLOUDS Architecture Office

スフィアのデータ(C)CLOUDS Architecture Office

世界中の企業90社が開発に参加

日本では長年、建築基準法の関係や、技術的な点から「3Dプリンターの家づくりは不可能だ」といわれてきた。スフィアが構想から3年と驚異的なスピードで完成したことに対して、飯田さんは「コンソーシアム(共同事業体)による、オープンイノベーション(課題を共有し、意見やアイデアを取り込んで進める手法)だから実現できました」と話す。

コンソーシアムとは、同じ目的のもとに、異なる事業や専門をもった人・企業が集まった組織のこと。今回のプロジェクトには世界中の企業90社が参加。今後、参加を検討している企業を含めると150社を超えるという。

「セレンディクス1社で3Dプリンターの家をつくろうとしていたら、課題だらけだったでしょう」と飯田さん。スフィアのデザインをした、ニューヨークの曽野正之とオスタップ・ルダケヴィッチのデザインを、実際の図面に落とし込んだのは、ヨーロッパにいるチームで、さらに日本の耐震基準を通せる形に修正したのは、コンソーシアムに所属する日本の専門家たち、そして海外で書き出し(印刷)を行ったのは中国とカナダだったという。その上で、今回の施工時には、日本でコンクリート住宅を長年扱い、ノウハウをもった企業「百年住宅」が参画することで、1パーツ6トンにもなる壁を難なく取り扱えるようになった。

「コンソーシアムに参加してくださったのは、30年ローンで住宅が販売されている時代の限界を感じている人たちの集まり」とのこと。中には大手住宅メーカーなどの人もいて、未来の住宅にまつわる環境づくりに協力したいと考えているのだという。

スフィアを2つつないだ様子(C)CLOUDS Architecture Office

スフィアを2つつないだ様子(C)CLOUDS Architecture Office

「今回のスフィア開発に対して、実はセレンディクスは1円も出していないんです。コンソーシアムに関連する企業が、手弁当で協力してくれています」(飯田さん)。もちろんそれぞれの参加者や参加企業には、「技術を提供したい」「販売にかかわりたい」といった理由がある。

だがそれ以上に、同じ「課題を解決したい」という目的をもつことが、プロジェクトを一緒に動かす原動力になっていると話す。飯田さんは、オープンイノベーションの力強さを目の当たりにし、それぞれの力を結集させて新しいものをつくり出すことへの熱意と可能性を見出したと語った。

セレンディクスCOO飯田国大さん(写真提供/セレンディクス)

セレンディクスCOO飯田国大さん(写真提供/セレンディクス)

2023年春に3Dプリンターの家(49平米)を一般販売予定

「いきなり3Dプリンターハウスに住め、というと抵抗がある人も多いと思うので、まずは別荘やグランピング施設としてなじんでもらい、その次に一般の住宅にも導入していこうと考えています」と飯田さん。

一方で「プロジェクトを立ち上げて以来、300件以上の購入希望の問い合わせがある」という。特に、60歳以上のシニア層からの問い合わせが多いことに驚いたという。

シニアからの問い合わせの理由には、「家のリフォームが必要になったが、見積もりで1000万円以上だった」や「一生賃貸でいいと思っていたが、60歳を過ぎたら家が借りにくくなった」といったことなど。手ごろに手に入る終の住処を購入したいというニーズが改めて浮き彫りになっているという。

こうした背景から、建築基準法に準拠し、鉄筋構造を含めた49平米の平屋の建設へ舵を切った。慶應義塾大学の研究機関と一緒に開発を進めている通称「フジツボハウス」は、2023年春には500万円以下の価格で販売開始予定だ。

慶應義塾大学の研究機関と共同研究で進められている49平米の平屋住宅は、来年から販売開始予定(C)CLOUDS Architecture Office

慶應義塾大学の研究機関と共同研究で進められている49平米の平屋住宅は、来年から販売開始予定(C)CLOUDS Architecture Office

「2025年以降、すべての人から住宅ローンを無くしたいと思っている」と話す飯田さん。今、さまざまな企業が着目し、開発を進めている3Dプリンターの家。3Dプリンターの家によって世界中の住宅問題を解決できる日がくるのか、待ち遠しい。

●取材協力
セレンディクス

住宅展示場もメタバース化! 仮想空間にアバターで参加、内装変更やペット目線の内見も自在に

“VR”だ、“メタバース”だと、近年のITの進化はスピードを増している。折りしも、大和ハウス工業が「メタバース住宅展示場」を公開するという。いったいどんなものなのだろうか?プレス向けの体験会があるというので、筆者も参加してみた。

【今週の住活トピック】
オンラインでコミュニケーションが図れる業界初の「メタバース住宅展示場」公開/大和ハウス工業

“VR展示場”の先を行く“メタバース住宅展示場”?

実は筆者は、“メタバース”と“VR”の違いがよくわかっていない。インターネットで違いを調べると、“メタバース”とはインターネット上の仮想空間のことで、“VR”は仮想現実と訳されるとある。仮想=バーチャルという点は共通だが、VRは仮想空間を支える技術や手段のことのようだ。

このようにITは苦手な筆者ではあるが、いちおう新しいものは試してはいる。VR展示場・VRモデルハウスなどは体験したことがあるし、VRゴーグルなども何度もつけたことがある。筆者が経験したVRモデルハウスの印象は、CGあるいは実写の360度画像が見られたり、印のある場所に移動できたりするもので、VRゴーグルをつければさらに臨場感のある画像が見られるというもの。

で、メタバース展示場の登場である。どこがどう違うのか、興味津々だ。大和ハウス工業のプレスリリースには、次のような説明がある。

「『メタバース住宅展示場』は、スマートフォンをはじめ、タブレットやパソコンから簡単に見学できることに加え、お客さまと当社担当者がアバターとなり、仮想空間上の住宅展示場内を案内することができるため、質問や相談も気軽に行えます。また、アバターを用いてお客さま同士での会話もできる他、ヘッドマウントディスプレイを装着して見学した場合は、実際の住宅展示場にいるかのような臨場感も体験いただけます。」(大和ハウス工業プレスリリースより引用)

移動がスムーズで情報量も豊富、ストレスなしで見学できた

で、体験会に参加してみた。筆者が自宅のパソコンで、案内された体験会用のURLをクリックすると、見学する住宅の外観画像が浮かび上がった。

「メタバース展示場」外観画像(画像提供/大和ハウス工業)

「メタバース展示場」外観画像(画像提供/大和ハウス工業)

名前を入力して、カメラとマイクをオンにした。右端に「外観」「1F-玄関」「1F-LDK」「1F-台所」・・・「2F-トイレ」「2F-主寝室」「2F-洋室1」・・・「1F-平面」「2F-平面」「鳥瞰」「画面共有」といったボタンが並んでいる。試しにあちこちクリックして見たら、部屋が次々と変わる。

「鳥瞰」の画面、角度を変えたり拡大縮小したりもできる。空を飛んでいるアバターは、その角度から鳥瞰画像を見ている(画像提供/大和ハウス工業)

「鳥瞰」の画面、角度を変えたり拡大縮小したりもできる。空を飛んでいるアバターは、その角度から鳥瞰画像を見ている(画像提供/大和ハウス工業)

そのうち、参加者が集まってきて「1F-LDK」に集合するように声がかかった。入ってみると説明者と参加者のアバターがいた(冒頭画像のイメージが該当)。ずんぐりした形状で自分の顔だけがカメラから組み込まれている。「私のアバターはどこにいるのでしょうか?」と質問したら、自分のアバターは自分では見られないそうだ。初歩的な質問をしてしまったことが恥ずかしい。

「1F-平面図」の画像、ところどころに矢印が回転している部分があるが、これをクリックすると色や柄の選択ができて壁や床、扉を変えられる(画像提供/大和ハウス工業)

「1F-平面図」の画像、ところどころに矢印が回転している部分があるが、これをクリックすると色や柄の選択ができて壁や床、扉を変えられる(画像提供/大和ハウス工業)

・部屋は右側に表示されるメニューのボタンをクリックすれば自由に移動できる
・その空間の中も移動したり、空を飛ぶように上がったり床の目線まで下がったりできる(ペット目線で見られるというのが狙いだそうだ)
・鳥瞰や各階平面図もあるので、屋根の形状を見たり部屋のつながりを見たりもできる
・矢印が丸くなっているマークがある部分は、色や柄を変えることができる
など、基本的な説明を受けたあとは、自由見学を促された。

平面図に移ってみたら、先客がいて画面をふさいでいる。「移動して別の場所や角度から見るようにしてください」とアドバイスをもらった。このように、その場でいろいろ質問できるので、ストレスがない。参加者たちが好き勝手にいろいろなものの色・柄を変えるので、筆者が見ている間にも壁や床がころころ変わる。2階洋室に移動して、窓ガラスに近づいたら、ガラスに室内の照明が反射していた。かなり細かく再現されているようだ。

「浴室」で色替えをしてみた。鏡には室内の様子が写るほどの再現性だ(画像提供/大和ハウス工業)

「浴室」で色替えをしてみた。鏡には室内の様子が写るほどの再現性だ(画像提供/大和ハウス工業)

表示されている参加者の名前をクリックすると、その人のいる場所に移動できるというので、説明者に自分のいる場所に来てもらうことも可能だという。「画面共有」機能を使えば、詳しい資料などを見ながら説明を聞くこともできるという。

現物の見学に加えて、より深く確認するという利用法も

さて、実際に参加してみた印象でいうと、私が以前に体験したVR展示場よりも、移動がスムーズで、細かい点を確認できることや、担当者と同じ空間で会話ができることから、ストレスなく見学ができた。通常では見られない鳥瞰や平面図も見られる点も、より多くの情報を得られるので面白かった。今回の体験では、ヘッドマウントディスプレイなしだったが、付けて見ればもっと臨場感があったのかもしれない。

コロナ禍で実際の展示場に行くことにためらいを感じる人などの間口を広げる、という利用方法もあるだろうが、この住宅商品を建てると決めたあとで、プランを確認したり壁紙の違いを試したりなどの確認行為として利用する方法もあるだろう。筆者は、展示場やモデルハウスは、実際に五感を使って空間を感じることを強くお勧めしているので、バーチャルだけというのはお勧めをしていない。ただ、実物の見学に加えて、メタバースでの見学ができれば、見落とした、気づかなかった、ということがないように思う。

「これだけのものをつくるには、相当費用もかかっただろう」。そう思って聞いてみたら、数十万円でできたという。ならば、その費用を負担しても、自分の建築予定の家をメタバースで見たいという人も出てくるのかもしれない。

筆者は、「 “メタバース”はゲームやショッピングの世界のものだ」と思っていた。しかし、今回体験してみて、住宅分野でも十分活用できるものだと分かった。メタバースを始めとするVR技術は住宅分野でも、今後ますますすそ野が広がっていくだろう。

●関連サイト
オンラインでコミュニケーションが図れる業界初の「メタバース住宅展示場」公開/大和ハウス工業

百貨店、閉店ラッシュで奮起。鳥取大丸と伊勢丹浦和店、地元民デイリー使いの“たまり場”へ

2019年以降、郊外中核都市における百貨店の閉店ラッシュが続いています。その一方で、街の百貨店では今、住民と一体となり活性化させる動きが出てきました。今回は、鳥取県鳥取市「鳥取大丸」と埼玉県さいたま市「伊勢丹浦和店」に、「愛する街をもっと自分ごとに」する地方百貨店での新たな取り組みについてお話を伺いました。

地方老舗百貨店が、市民参加型スペースを導入する一大決心

2020年4月、「鳥取大丸」(鳥取県鳥取市)の5階と屋上に「トットリプレイス」がオープンしました。ここは創業や、イベントを実施してみたい市民が、自身の力を試して挑戦することができる市民参加型の多目的スペースです。
フロア内には1日単位から飲食店舗を出店できる「プレイヤーズダイニング」、菓子製造のできる工房「プレイヤーズラボ」、調理器具・機材の揃ったキッチンスペースでパーティや料理教室などができる「プレイヤーズキッチン」、屋上には音響施設を完備したステージがあり、ライブやパフォーマンスの発表の場にも使える「プレイヤーズガーデン」などバラエティにあふれています。

こうしたシェアキッチンや創業支援スペースなどは、都市部では増えてきていますが、地方でかつ百貨店での取り組みとなると、珍しい試みのように思います。コロナ禍でのオープンとなりましたが、5店舗分の区画があるチャレンジショップは、既に多くの人がトライアルしているそう。

トットリプレイス内にある、月単位で借りられるチャレンジショップブース「プレイヤーズマーケット」。ここには雑貨やアクセサリー作家などで、初めてお店経営に挑戦したいという人がトライアルで出店している。(画像提供/鳥取大丸)

トットリプレイス内にある、月単位で借りられるチャレンジショップブース「プレイヤーズマーケット」。ここには雑貨やアクセサリー作家などで、初めてお店経営に挑戦したいという人がトライアルで出店している。(画像提供/鳥取大丸)

「ここに勤めて30年経ちますが、栄枯盛衰ありました。開店当時からリニューアル前の2018年までの間に売上は約3分の1となり、従業員の数も減っています。街に住む市民が高齢化し、若者が街から離れていくなかで、百貨店としても従来のスタイルを続けていてはいけない、と危機を感じていました」そう話すのは、鳥取大丸の田口健次さん。2年がかりで“百貨店再生”をテーマにリニューアル計画を立て、オープンにたどり着いたそうです。

現在の鳥取大丸の現在の外観。前身の丸由百貨店を経て1949年にオープンした、地域を支える百貨店(画像提供/鳥取大丸)

現在の鳥取大丸の現在の外観。前身の丸由百貨店を経て1949年にオープンした、地域を支える百貨店(画像提供/鳥取大丸)

街の人にとって“ハレ”の場所ではなく、“デイリー”な場所でありたい

「トットリプレイス」のある5階は、リニューアル前までは催事場として使用されてきましたが、催事イベントは常に実施されるものではないため、スペースを有効活用しきれているとは言い難い状況でした。百貨店にとって、催事は売上や客足への起爆剤となる大切なイベントですが、田口さんはこの広いスペースをもっと「市民が日々愛着を持って足をのばしてくれる場所」にしたいと考えて、市民参加型活動の場へと転じる決意をしたそうです。

トットリプレイスにリニューアル前は、催事場だった5Fフロア。写真は2010年頃の催事の様子(画像提供/鳥取大丸)

トットリプレイスにリニューアル前は、催事場だった5Fフロア。写真は2010年頃の催事の様子(画像提供/鳥取大丸)

リニューアル後のスペースには展示エリアも設けられている(画像提供/鳥取大丸)

リニューアル後のスペースには展示エリアも設けられている(画像提供/鳥取大丸)

プレイヤーズダイニングスペースでは、飲食物の販売が可能(画像提供/鳥取大丸)

プレイヤーズダイニングスペースでは、飲食物の販売が可能(画像提供/鳥取大丸)

実は、もともと百貨店から程近い場所に、市民スペースである男女総合参画センターがありました。しかし百貨店のリニューアルを機に合併させ、キッチンやショップなどのスペースを充実させて、設備を整えました。

5階トットリプレイスのフロアマップ。市民参加スペースに加え、飲食店もそろう(画像提供/鳥取大丸)

5階トットリプレイスのフロアマップ。市民参加スペースに加え、飲食店もそろう(画像提供/鳥取大丸)

「リニューアルをしたことで、人の流れが少しずつ変わってきたように思います。以前は街のなかに本当に若い世代の人がいるのか?と思うほど見かけることがなかったのが、リニューアル後は、街中でも今まで百貨店内であまり見なかった若い世代の人を見かけるようになりました。『トットリプレイス』を訪れ、その足で店内で食事や買い物をする、という流れも生まれているようです。百貨店も、もはや物を売るだけではない時代。こうした憩いの場のような、市民の“ハレ”だけではなく“日常”に寄り添えることがこれからは大切なのだと感じています」(田口さん)

まだまだ長引くコロナ禍で、制限を設けながらスペースを使用しており、試行錯誤が続いています。アフターコロナにはさらに市民の姿でにぎわう様子が待ち遠しいですね。

眠っていた屋上スペースを利活用、市民にイベント企画を委ねて地域活性化

一方、市民団体にイベントの企画を委ねて百貨店の活性化に取り組んでいるのは、「伊勢丹浦和店」(埼玉県さいたま市)です。

伊勢丹浦和店の外観(画像提供/伊勢丹浦和店)

伊勢丹浦和店の外観(画像提供/伊勢丹浦和店)

ずっと手を入れていなかった屋上の“有効活用”と、市民のチャレンジの場とすることを目的に、2019年10月19日、20日に「うらわLOOP☆屋上遊園地」を実施しました。共同主催したのは、パパ友たちが立ち上げた一般社団法人「うらわClip」。屋上にメリーゴーラウンドやこどもサーキットなどのアトラクションを設置したほか、地元店によるマルシェをオープンし、日ごろは閑散としている屋上が大にぎわい。2日間で約4000人が来場しました。

2019年の「うらわLOOP☆屋上遊園地」実施時の様子。3世代ファミリーでの来場も目立ち、屋上遊園地を楽しむ姿が見られました(画像提供/伊勢丹浦和店)

2019年の「うらわLOOP☆屋上遊園地」実施時の様子。3世代ファミリーでの来場も目立ち、屋上遊園地を楽しむ姿が見られました(画像提供/伊勢丹浦和店)

伊勢丹浦和店の担当者である甲斐正邦さんと「うらわClip」の共同代表である長堀哲也さんは、約6年前に地域の市民祭で知り合ったそう。「意気投合をして“いつか一緒に何かをやりたいね“と話していて。その後、屋上遊園地の実現となりました」と話す長堀さん。

2021年秋には、伊勢丹浦和店40周年記念のイベントとして、デパートの屋上文化の新たな価値を生み出す「デパそらURAWA」を10~12月の土日祝限定でオープン。このために再び市民団体「デパそら実行委員会」を立ち上げて、伊勢丹浦和店との共催という形をとりました。

「都市型アウトドアスペース」をコンセプトに、屋上にハンモックやテントを備えるほか、地元ミュージシャンのライブを開催するほか、地元とつながりのあるクラフトビール店が出店するなど、駅前スペースでありながらもアウトドア気分を満喫できる空間になりました。

「デパそらURAWA」実施時の様子。ウッドデッキやハンモックもあり、来場者は思い思いに過ごしていた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「デパそらURAWA」実施時の様子。ウッドデッキやハンモックもあり、来場者は思い思いに過ごしていた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ピクニックスペース以外にも子ども向けアトラクションやイベントもちりばめられていて、飽きることなく過ごせる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ピクニックスペース以外にも子ども向けアトラクションやイベントもちりばめられていて、飽きることなく過ごせる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

アウトドアスペースは予約も可能。テントを貸し切って、3世代で誕生日パーティを楽しむ姿も。コロナ禍ということもあり、こうした屋外でのイベントニーズも高かったそう(写真提供/伊勢丹浦和店)

アウトドアスペースは予約も可能。テントを貸し切って、3世代で誕生日パーティを楽しむ姿も。コロナ禍ということもあり、こうした屋外でのイベントニーズも高かったそう(写真提供/伊勢丹浦和店)

ここ数年、夏のビアガーデン以外では活用されていなかった屋上スペースは、開店40周年を記念してリニューアル。「デパそら」という晴れやかなイベントに合わせてより使いやすく過ごしやすい空間にするべく、設備を大改装しました。ウッドデッキや青々と美しい芝生スペースが設けられ、見違える姿に変身し、今では誰もが心地よく時間を楽しめるパブリックスペースになっています。

改装前の屋上スペース。床面に無骨な風合いが残る(写真提供/伊勢丹浦和店)

改装前の屋上スペース。床面に無骨な風合いが残る(写真提供/伊勢丹浦和店)

改装後の屋上スペース。ウッドデッキも設置され、くつろげる憩いの空間に(写真提供/伊勢丹浦和店)

改装後の屋上スペース。ウッドデッキも設置され、くつろげる憩いの空間に(写真提供/伊勢丹浦和店)

そして、2022年春に「デパそらURAWA」が復活します。都市型アウトドアスペースに加え、夜はビアガーデンも楽しめるそう。百貨店という場に「日常」が味わえる場所が、朝から夜まであるというのは、市民にとっても嬉しいところです。

街をより良くするために、リスクよりも挑戦

市民主体で、百貨店でのイベントを実施するというのは、さまざまな課題やリスクもあったのではないでしょうか。

「もちろん、課題やリスクはゼロとは言えません。しかし、誰かが始めないとこうした面白い挑戦はできない。それに、“屋上”という誰も利活用できていなかった場所をより良くするには、十分すぎるほど魅力的なコンテンツでした。長堀さんとはすでに信頼関係が構築されていたし、彼は誰よりも浦和の街のことを想い行動できる人。この街にとって私たち伊勢丹ができることは、地元愛のある個人や団体が活躍できる場を作り出すことであり、屋上はその象徴的な場所だったのです」(甲斐さん)
「浦和で生まれ育った自分にとって、百貨店はやはり憩いの場であってほしいと思っています。街づくりの活動に参加・企画をしていて感じるのは、自分たちは街の特性を良くわかり、人脈は豊富にあるけれど、まちづくり団体だけではできることが限られる。こうした地域のシンボルのような百貨店と協業できれば、互いの良さを生かして、より浦和という街を盛り上げられます。そして何より願うことは、“デパそら”に訪れる子どもたちが暮らす街に愛着を持ち、自分ごととして捉えてくれること。そして未来において街づくりの担い手になってくれれば嬉しいです」(長堀さん)

伊勢丹浦和店の甲斐さん(向かって左)と、デパそら実行委員会の長堀さん(右)。立場は違えど地域を愛する気持ちは同じ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

伊勢丹浦和店の甲斐さん(向かって左)と、デパそら実行委員会の長堀さん(右)。立場は違えど地域を愛する気持ちは同じ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さまざまな立場の人を巻き込み、協業していくことが理想

日本に百貨店が誕生して100年以上が経ちました。ちょっと特別な買い物や食事ができる、レジャーを楽しむことができる「百貨店」は、地域の人の消費や憩いを支えてきた大切な場所です。しかし、時代を経て地域の中でより長く根付いていくためには、「挑戦すること」「市民との協業」が必要だと、2店の担当者は話します。“街をよくしたい”という思いは市民も、周辺の商店も、大型施設であるショッピングセンターや百貨店もみな同じです。転換期に差し掛かる百貨店も、街の“キーマン”たちと協力し、新しい価値を模索し始めています。

●取材協力
・鳥取大丸
・伊勢丹浦和店
・デパそら実行委員会
・うらわClip

会話はNG、読書したい人限定の店「フヅクエ」お酒やコーヒー片手に長居も 西荻窪など

家でもカフェでもなく、ただゆっくり一人で本を読むことができたら。自宅で過ごす時間が増えた今、外へ出てほどよい緊張感のある場所で読書に浸る。そんな贅沢を叶えてくれるのが「本の読める店fuzkue」(以下、フヅクエ)だ。おしゃべりはもちろん、仕事も勉強もNG。シャットアウトされた空間で、飲物を片手に好きなだけ本に没頭する。本好きにとっては至福の時間だろう。「好き」を共有するお客さんの心をとらえ、ニッチでも特定のニーズに振り切るフヅクエは、今後のお店のあり方を示唆しているようでもある。

どんなお店か?

JR西荻窪駅から歩いて約10分。「fuzkue西荻窪」(東京都杉並区)は通りから一歩奥まったところに入り口がある。大きな窓からはゆったりしたソファが見える。

中に入ると洗練された空間に、静謐な空気が流れていた。図書館よりずっと澄んだ静けさ。中途半端な時間帯のせいか、お客さんは2人。背筋の伸びる思いで一番手前のソファに腰かけた。

ガラスの向こうに店内が見える。階段を数段降りた、半地下の位置にある入口からしてフヅクエの雰囲気。(写真撮影/古末拓也)

ガラスの向こうに店内が見える。階段を数段降りた、半地下の位置にある入口からしてフヅクエの雰囲気。(写真撮影/古末拓也)

まず運ばれてきたのは普通のメニューより少し厚めの「案内書きとメニュー」。
最初にこうある。

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「本の読める店」とは
愉快な読書の時間のための店です

「本の読める店」は、「愉快な読書の時間を過ごしたい」と思って来てくださった方にとっての最高の環境の実現を目指して設計・運営されています。この店が考える「たしかに快適に本の読める状態」は、大きく分けて2つの要素から成り立っています。ひとつは穏やかな静けさが約束されていること、もうひとつは心置きなく過ごせること。
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そのあとに、店で過ごすための細やかな決まりごとが続く。たとえば「勉強、仕事、作業」は禁じられていること。「ペンの取り扱い」について。パソコンは見るのもNG。スマホはOKだが動画視聴はNG、といった具合。でも語り口がとてもやわらかで、嫌な感じは一切しない。お店の主旨を知って訪れるお客さんは、読書のための雰囲気を保つためだと理解している。

50ページ近くある「案内書きとメニュー」(写真撮影/古末拓也)

50ページ近くある「案内書きとメニュー」(写真撮影/古末拓也)

西荻窪店は、フヅクエの3店舗目として2021年6月にオープンした。一号店は2014年に初台に、二号店は2020年に下北沢で開店。創業者の阿久津隆さんは、まちにじっくり本が読める場所が少ないと感じて、8年前にフヅクエを始めた。

「カフェで読もうとしても、隣のお客さんが複数人でおしゃべりしたり、勉強する人のせわしない気配やパソコンのキーボードを叩く音が気になったりと不確定要素が多いですよね。家には家族がいたり、一人だとだれてしまったり。とにかくじっくり読書を楽しむ、そこに特化した店をつくりたいと思ったんです」

初台店ができたときのフヅクエのウェブサイトには、チェーン店の片隅では味わえない、「なんとなくほっとできる、なんだかよくわからないけれど人間味みたいなものを、 親密さみたいなものを感じられる、そんな場所で本を読みたい」と書かれている。

そうした阿久津さん自身の願いを叶えるための店であり、ほかにないから自分がつくろうという提案でもある。

初台でフヅクエを始めた阿久津隆さん(写真撮影/古末拓也)

初台でフヅクエを始めた阿久津隆さん(写真撮影/古末拓也)

「本を読みたい人」に振り切る

一号店がオープンしたころは、まだ100%読書をするための店ではなかった。読書目的のお客さんを含む「一人の時間を応援する」という、より広い主旨で、仕事も勉強もOKだった。それ以降、店のしくみをブラッシュアップするたびに、フヅクエはどんどん「本を読みたい人のための店」に特化していった。

たとえば料金体系も、お客さんが気兼ねなくゆっくり過ごせるように、を第一に考えられている。長時間滞在を前提に、ドリンクやフードをオーダーするごとに、席料が小さくなる。コーヒー一杯700円を注文した場合は席料が900円だが、コーヒーを2杯オーダーすると席料は300円に。2杯のコーヒーにケーキなんて頼むと、席料はゼロ。2年ほど前から1000円前後で1時間だけ利用することもできる「1時間フヅクエ」も始まった。

こうしたしくみは「どれだけ居ても大丈夫ですよ、そのためのお店です」という店側からの意思表示でもある。

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

ただし「こうしたお客さんに向けた店です」という姿勢をはっきりさせるほど、裏を返せば、それ以外のお客さんを排除してしまうことにもなるだろう。

「世の中にはいいお店と悪いお店があるわけではなくて、For Meのお店かNot For Meのお店があるだけだと思うんです。どれだけクオリティの高い店でも肩身を狭く感じればNot For Meだろうし、どれだけ汚かったり怖かったり評判が悪かったりする店でも、For Meに感じる人にとっては尊い場所のはずで。大事なのは、For You、つまりどんな人にFor Meの店だと感じてもらいたいのかを決めて、とにかくその人に届けようとすることじゃないかと思います。フヅクエにとってのYouは気持のいい読書の時間を過ごしたいと思う人なんです」

相当ニッチにも思えるフヅクエだが、SNSでは「こんなお店があってよかった」といった声、反応が多く届いた。紛れもなく、そうした声がフヅクエと阿久津さんを支えてきた。

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

「お客さんに読書の時間を楽しんでほしいなと考える店はたくさんあると思います。でもなかなかそこに100%振り切るのは勇気というか、覚悟がいりますよね。そもそも自分の店をおしゃべりできない空間にしたいと思う人なんて滅多にいないはずで(笑)そこを愚直に追求してきたのがフヅクエかなと」

今も、そうした特殊なお店とは知らずに入ってくるお客さんもいる。そのことがわかると、必要に応じてスタッフが店の主旨を説明するのだそうだ。

「『そうなんだ、じゃあやめとこうか』とか『じゃあまたゆっくり一人で来ます』といって帰られる方ももちろんいます。それはむしろ嬉しいことで、ミスマッチが起きなくてよかったと安堵する感じがあるんです。過ごしたくもない時間を過ごして不満を持って帰られるのが一番避けたいことなので」

今は100%「読書を楽しむ」ための空間として、お客さんを守るためのルールがしっかり確立している。

まちにひらかれた店

西荻窪店はフヅクエにとって初のフランチャイズ店。店長は、阿久津さんの本を読んで共感したという、酒井正太さん。

「お店のしくみもうそうですが、フヅクエの考え方が何より面白いと思ったんです。もともとは西荻窪界隈で本屋をやりたいと思っていたんですが、フヅクエを知って、自分がやりたいのはこっちかもなって思って。それで阿久津さんにお会いして物件を探して」(酒井さん)

右が西荻窪店の経営者、酒井正太さん(写真撮影/古末拓也)

右が西荻窪店の経営者、酒井正太さん(写真撮影/古末拓也)

西荻窪には、個人経営の小さな本屋がいくつもある。今野書店、旅の本屋のまど、本屋ロカンタン、BREW BOOKS……と新刊書店も古本屋もそろっていて、お隣の荻窪の本屋Titleもフヅクエから徒歩10分圏内。近所の本屋で本を買ってフヅクエでじっくり読む。そんな休日の過ごし方をまるごと提案できるのも、西荻窪ならでは。

さらに、店の周囲は住宅街。

「学生さんからご年配の方まで、比較的近所の方が利用してくださっているような印象です。オープン当初から通ってくれているおばあさんもいらして。こんなお店が欲しかったってすごく喜んでいただいて、それはすごく嬉しいですね」(酒井さん)

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

「初台や下北沢店のときは、まちに対してちゃんと挨拶をできなかったな、という反省があったんです。とくに初期はあまり多くの人目に触れたくないとさえ思っていたので。でもお客さんを守り切るためのルールを整えることもできましたし、西荻窪はもっとまちに開かれた場にしたいねと酒井さんとも話していたんです」(阿久津さん)

初めての人でも入りやすいよう、店の手前はゆったりした開放感のある空間に。相席できる広いソファを置き、店の奥へ行くほど一人で深く読書に浸れるような設計になっている。

西荻窪店では、地元のラム酒専門店とのコラボレーションにより、他店よりラム酒の種類が豊富に置いてあったり、近所のケーキ屋「Kequ」の焼き菓子を持ち込むお客さんもいたりする。近所の本屋ロカンタンにはフヅクエコーナーもあり、オリジナルグッズやショップカードを置いてくれているそうだ。同じまちに仲間が多いことがうかがえる。

本棚の本は、お客さんが自由に読むことができる。メニューにはビール、ウィスキー、カクテルなどアルコールも豊富(写真撮影/古末拓也)

本棚の本は、お客さんが自由に読むことができる。メニューにはビール、ウィスキー、カクテルなどアルコールも豊富(写真撮影/古末拓也)

ゆかいなミスマッチを

これまでは「いかにフヅクエでゆっくり過ごしてもらうか」ばかりを考えてきたという阿久津さん。だが、ルールがかたまったことでお客さんの幅を広げても大丈夫かもしれないと、2年前から全店舗で「1時間フヅクエ」を始めた。

「西荻窪店を始める前の冬に、1000円ちょっとで過ごせるライトな1時間用プランをつくったのは、6年目にして大きな変化でした。あるときふと、短時間の読書に対応できない状態は本の読める店としておかしいんじゃないか、とやっと気づいて。長時間を前提にしていたのはお客さんを守るためでもあったのですが、そもそも読書以外、何もできない店になったので、短い時間用の過ごし方を用意しても今の雰囲気を損なわれることはないと判断して導入しました」

あくまでお客さんの読書の時間を守るために、フヅクエは存在する。だが「1時間フヅクエ」を導入したことで利用者の幅も広がった。

「今は愉快な事故がもっと起きたらいいなと思っていて。たとえば、そうとは知らずに来た人が、帰るのもなんだしそれなら1時間本を読んで過ごしていくかとなって、いざ過ごしてみたら案外気に入っちゃって、たまには読書もいいものだな、みたいなことを起こせたらすごく楽しいですね。1時間フヅクエをつくったことで、偶然の読書の時間を生めるようになった感じですね」

実際に、フヅクエを訪れる前までは全然本を読んでいなかった人が「今月は6冊読んだ」なんてツイートを見かけることもあって、それは阿久津さんにとってとても嬉しいことだという。

店内には本を読むのに邪魔にならないような音楽が流れている(写真撮影/古末拓也)

店内には本を読むのに邪魔にならないような音楽が流れている(写真撮影/古末拓也)

「幸せな読書の時間の総量を増やす」

トークイベントなどは行わないフヅクエだが、これまで店で不定期に開催してきたのが「会話のない読書会」。お客さんが集まって同時に同じ本を読む。

「感想を述べ合うわけでもなく、それぞれの世界に入っているんですが、同じ空間で全員同じものを読んでいるという。あれはまたやりたいですね。映画と同じで、一人で読むのとは明らかに違う体験になります」

なぜあえて、その時間を共有するのだろう。

「たとえば映画も、映画館で見る方が“体験”になって記憶に残りやすいと思うんです。家では、できることの可能性がひらかれすぎていて、一時停止したり、見るのをやめることもできちゃうし。ある意味、半強制的にでも集中できる状態に自分を閉じ込めるのは大事なことなんじゃないかなと思って。今そういう時間が圧倒的に減っているので。スマホから離れられるのも大きい」

シャットアウトされる時間の貴重性。わざわざ電波の入らない「秘境」に行かずとも、読書に没頭する以外にない店があれば、日常からすっとスイッチオフできる。

「削ぎ落としたほうが贅沢。いまはそういう部分があるんじゃないですかね」と阿久津さんは言う。

店の敷居の奥には、一人でこもることのできるスペースも(写真撮影/古末拓也)

店の敷居の奥には、一人でこもることのできるスペースも(写真撮影/古末拓也)

一方で、いまフヅクエのミッションとして掲げているのが「幸せな読書の時間の総量を増やす」。

店舗を訪れるだけでなく、どこに居ても本を読む人が増えたらという思いから「#フヅクエ時間」というサービスを始めた。サイトを開くと、いまこの瞬間に本を読んでいる人の投稿が、日本地図上に点灯して示される。いまこの時も日本のどこかで本を楽しんでいる人がいる。そのことを誰かと共有していると思うだけでなぜだかほっとする。

フヅクエのウェブサイトで、こんな言葉が心に残った。

「より安心して何かを好きでいられる社会をつくる」

自分の「好き」に忠実であることは、ときに難しい。だがフヅクエは、こと読書に関してはとことん追求することを許容し背中を押してくれる。

「好き」が起点にあるお店は、お客さんからもこれほど愛されるのだなということが店の空気から伝わってきた。フヅクエの存在は、読書に限らず、誰かの「好き」を肯定することの、心強い味方になるのではないかと思えた。

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

●取材協力
本の読める店「fuzkue」

パリの暮らしとインテリア[14]パリジェンヌ、息子&猫と郊外へ。移住してでも欲しかったアートとグリーンいっぱいの住まい

大きな窓から差し込む自然光、白い空間を飾る無数の額、心地よく配されたグリーン……1年前の引越しで手に入れた新しい環境に、心から満足しているエヴ=マリーさん。27平米から54平米へ、約2倍になった住空間と、念願のバルコニーのある暮らしです。これと引き換えに手放したのは、大好きなパリ暮らしへのこだわりでした。エヴ=マリーさん決断の物語です。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

大好きなパリ暮らしにさよなら!

エヴ=マリー・ブリオラさんは息子のエミール君と、大きな猫のノラちゃんと暮らしています。ちょうど1年前、パリ北西の郊外の街、ル・プレ・サン・ジェルヴェにある54平米の集合住宅に引っ越してきました。パリに愛着を持つパリジェンヌにとって、パリを離れる決断はとても重大です。しかしエヴ=マリーさんには、広い住空間とバルコニーのある暮らしを得る、という明確なヴィジョンがあったのです。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「パリのそのアパルトマンには15年以上暮らしていて、パリらしいオスマニアン建築(※)にも、街でのライフスタイルにも、とても満足していました(※オスマニアン建築:19世紀のパリ改造を象徴する集合住宅の建築様式。石造りの壁、凝った装飾を施した鉄柵のバルコニーなどが特徴)。でも息子が8歳になり、27平米の暮らしがだんだんと手狭になってきて……そこへコロナ禍の外出制限(ロックダウン)が重なったのです。オフィスで働く生活が一変し、自宅勤務が当たり前になった時、慣れ親しんだパリ暮らしにお別れする決意をしました」と、エヴ=マリーさん。

そのころエヴ=マリーさんは、自身が2018年に創業した手編みキットのブランドKnit in Parisの経営者として、責任ある仕事をしていました。そしてそれ以前の仕事は、DIYとインテリアデコレーション専門のジャーナリストだったそう。20年以上にわたって、『MARIE CLAIRE IDEES(マリクレール・イデ)』をはじめとするフランスのメジャー雑誌で仕事をしていたのです。つまり、快適な住まいづくりのプロ! 

「新しい暮らしのイメージが具体的に、はっきりとありましたから、物件は3週間もかからずに見つかりましたよ」

決断したら早いところは、さすが、自ら会社を立ち上げた経験の持ち主です。しかも郊外暮らしをスタートした後に仕事も一新し、この1月から非営利団体の広報責任者を務めているとのこと。もともとジャーナリストだったエヴ=マリーさんにとって、情報を集めて文章を書き、それを効果的なグラフィックで見せていくという点で、現在の仕事は長くキャリアを積んだフィールドと共通しているのだそうです。
新しい街で、新しい住まいをつくり、新しい仕事を始めたエヴ=マリーさん。彼女が「大満足しています!」と言う住まいに、お邪魔しました!

エミール君とノラちゃん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

エミール君とノラちゃん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

条件に合わせて街を決め、さらに物件を絞り込む

「15年以上暮らしたパリの27平米のアパルトマンを賃貸に出して、その家賃収入で広い住まいを借りて住む」
これがエヴ=マリーさんの引越しプロジェクトでした。「広さ、バルコニー、地下物置」という条件を満たす物件は、郊外に多く見つかりましたが、ル・プレ・サンジェルヴェに絞り込んだことには理由がありました。なぜならこの街からは、パリの中心部レ・アルまでメトロ1本でアクセスできるのです。東京に例えるなら、新宿駅に地下鉄1本でアクセスできる感覚。これなら、パリのギャラリーやエキシビジョン巡りをする生活が続けられますし、エミール君も転校せずに通学できます。この立地が、全く未知の街だったル・プレ・セン・ジェルヴェを、有力な引越し先にしたのでした。

街の様子(写真撮影/Manabu Matsunaga)

街の様子(写真撮影/Manabu Matsunaga)

街が決まったら、次は物件です。これも条件が明確だったため、検索ですぐに絞り込みができたと言います。広さ、バルコニー、そして地下物置。

念願のバルコニー! エミール君とノラちゃんの安全のためにネットを装着した(写真撮影/Manabu Matsunaga)

念願のバルコニー! エミール君とノラちゃんの安全のためにネットを装着した(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「内観したときに、ここで暮らしている様子がすんなりとイメージできました」
ということで即決。このジャッジの速さと正確さは、インテリアに携わる仕事をしてきた経験のたまもの。多くを見て知っている分、迷いがないわけです。ダイニングスペースのある広いキッチンと、広いリビング、子ども部屋、バルコニーと地下物置のある日当たりのいい10階の物件を、予算内で見つけることができました。

「気に入らないところはバスルームだけ。でも賃貸なので、ある程度の妥協はやむを得ませんね。バルコニーからの眺めと、遮るものがなくいつでも明るい10階の環境は、何ものにも代えられませんから」

こだわりのインテリア。選び方や配置のコツは?

エヴ=マリーさんの住まいは個性にあふれている印象。なぜかな、と思ってぐるりと見渡し気づくのは、やはり特徴的なインテリアづかい。白で統一した空間に、たっぷりと配したグリーン、そして壁を覆う額。

ダイニングスペースのある広いキッチン。ここにも額を飾り、グリーンをたっぷりと配している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ダイニングスペースのある広いキッチン。ここにも額を飾り、グリーンをたっぷりと配している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「写真やイラストが好きで、たくさん購入してしまうのです。息子が生まれたころ、つまり9年くらい前から少しずつ集め始めて、引越しを機に数えたところ、なんと額が89枚もありました! 友達に手伝ってもらって1つ1つ包むのに、丸1日かかりましたよ。以前の住まいは27平米でしたから、それこそ1cmの隙間もないくらい、壁一面に飾っていました。そこに対する友達の反応ですか? 上々でしたよ!」

今は飾るべき壁がたくさんあることも、エヴ=マリーさんには喜びです。額を飾るコツを聞くと、壁に飾る前にまず床に平置きして、全体のバランスを見るのだそう。どこに何を置くか配置が決まったら、しっかり採寸して壁に穴を開けて釘を打ち、飾っていきます。こうすれば失敗を未然に防ぐことができるわけですが、もし失敗したときは「後で壁を塗り替えればいい」と頭を切り替え、やり直します。

「モダンな額と、ナポレオン3世スタイル(19世紀中頃のフランスで流行した建築様式、室内装飾様式。第二帝政期スタイルとも呼ばれる)が好きで、額はこのモダンスタイルとナポレオン3世スタイルの2タイプに統一しています。アンティークの額はeBay(主に中古品を売る転売サイト)や蚤の市で見つけることが多いです。まだまだたくさん飾りますよ、せっかく広い壁があるのですから! 以前の住まいのように、1cmの隙間もないくらい飾りたいです。それからグリーンも大好きなので、自然光がたっぷり入る今の環境は最高ですね」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

白い壁と白い家具、モダンな額とナポレオン3世スタイルの額、そしてグリーン。このベースにそってインテリアを整えているので、たくさんのアートを飾っても、雑然とせず統一感があります。そしてそれはキッチンやサロンだけでなく、廊下も、子ども部屋も、家の中すべてに言えることなのでした。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どものころからアートを生活に取り入れて

エミール君の部屋は、9歳の男の子の部屋とは思えないシックなインテリア。モダンな額とナポレオン3世スタイルの額が壁を覆い、家具はやはり白が基調です。額の中の絵や写真をよく見ると、自分が小さかったころに描いた絵や顔写真などがあって、ああ、やっぱり子ども部屋なんだと気付かされる感じ。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「エミールの部屋に飾るものは、もちろん本人の意見を反映していますよ。彼自身、自分がつくり上げた飾り付けを誇りに思っているようです。私が何かを飾るときに、どちらにしようか悩んだりすると彼に意見を聞くこともあります。子どもの意見を聞くことは重要ですし、アートについて考える機会を与えることも大切だと思っています。私が幼かったころ両親がしてくれたように、人生の中でアートは重要だということを、ごく自然に学んでくれたら」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

エミール君はお小遣いができると、近所の園芸店へ植物を買いに行くのだとか。アートとグリーンを愛する心は、しっかりと育まれているようです。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

あれ? でもちょっと待ってください。エミール君の部屋はありますが、エヴ=マリーさんの寝室がありません! 

「私はリビングのソファベッドに寝ています。70年代建築のこの物件はよくできていて、玄関からの廊下に沿ってまずバスルーム、その向かいに子ども部屋、その先にリビング、キッチン、と続き、リビングを通らずにキッチンやバスルームに行ける間取りになっています。つまり、リビングのドアを閉めてしまえば、ここは独立した私の部屋。実はさっきまで、私の母がキッチンでエミールの宿題を見てくれていました。その間、私はこうしてプライバシーを確保しながら、お客様と話ができます。この間取りのおかげで、あと10年はここに住めそうです。引っ越しはとても大変な作業なので、しばらくは動きたくありませんから!」

リビングからもキッチンにアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングからもキッチンにアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新しい生活と共に始まる、これからの豊かな暮らし

理想の間取りとバルコニー、そして収納力たっぷりの地下物置のある住まい。そして、以前は知らなかった郊外の街。そのどちらにも大満足しているエヴ=マリーさんを見ながら、決断の大切さを思いました。外出制限中の「パリ暮らしにさよならする」決断があったからこそ、現在の暮らしがあるのです。

「この街には、私が大好きなアムステルダムを思わせるレンガ建築の一角があったり、オーガニックやヴィーガンの食材店が充実していたり、住んでみて嬉しい発見がたくさんありました。朝は車の騒音ではなくて、小鳥のさえずりと共に目覚めます。ほんとうに、パリのすぐそばなのに。この街そのものの暮らしの魅力と、パリへのアクセスの良さと、その両方が得られたのはラッキーだったと思います」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのオーガニック専門店(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのオーガニック専門店(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「ラッキー」は、自分の基準がはっきりわかっている、ということなのかも知れません。基準さえ明確なら、あとは何を決めるのも早いし、失敗も少ないはずですから。
引越してから2年目になる今年の夏も、エヴ=マリーさんは友達を自宅に招待し、自慢のバルコニーでアペリティフを楽しむことでしょう。自分の基準、重要ですね。

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
エヴ=マリー・ブリオラさん
著書
動物好きのエヴ=マリーさんがボランティアをしている動物保護非営利団体Truffes Sans Toit

漫画家・山下和美さん「世田谷イチ古い洋館の家主」になる。修繕費1億の危機に立ち向かう

東京都世田谷区豪徳寺にある、推定およそ築130年の洋館。「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる政治家・尾崎行雄の旧居と伝えられてきた邸宅だ。1年前、取り壊しの危機にあった洋館は、保存を望む有志によって買い取られ、今なお往時の姿を留めている。ただ、一時的に解体を免れたものの今後も建物を維持し続けるための課題は山積み。当面の補修費用だけでも、およそ1億円がかかるという。

そうまでして、なぜこの洋館を守りたいのか? その思いやこれまでの紆余曲折、これからについて、2019年にスタートした「旧尾崎邸保存プロジェクト」発起人の漫画家・山下和美さん、笹生那実さんに聞いた。

世田谷イチ古い洋館に惹かれて

――山下さんが最初に洋館に出合った時のことを教えてください。

山下和美(以下、山下):13年前、家を建てる土地を探していた時に豪徳寺を訪れ、初めてこの洋館を見ました。水色の外観は清里高原(山梨県)にあるペンションみたいなかわいらしさがありながら、時を重ねた建物にしか出せない品のある古さが感じられる。一目で惹かれましたね。この街に家を建てたのも、洋館の存在があったからです。近くに住み始めてからはより愛着が湧き、散歩をする度に眺めていました。

山下和美さん。漫画家。『ランド』『天才柳沢教授の生活』『不思議な少年』『数寄です!』『寿町美女御殿』など、数々の作品を発表。現在は、洋館の保存活動の経緯を描いた『世田谷イチ古い洋館の家主になる』をグランドジャンプ(集英社)で連載中(写真撮影/相馬ミナ)

山下和美さん。漫画家。『ランド』『天才柳沢教授の生活』『不思議な少年』『数寄です!』『寿町美女御殿』など、数々の作品を発表。現在は、洋館の保存活動の経緯を描いた『世田谷イチ古い洋館の家主になる』をグランドジャンプ(集英社)で連載中(写真撮影/相馬ミナ)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

――それがじつは、世田谷区内に現存する「最も古い洋館」だったと。

山下:界隈では「旧尾崎行雄邸」と呼ばれていましたが、建てたのは尾崎行雄の妻テオドラの父親である尾崎三良男爵で、明治21年築という説が有力のようです。つまり、築130年以上。鹿鳴館(明治16年築)とあまり変わらない時期に建てられ、世田谷区に移築された洋館と知った時には、なおさら残す価値があると思いました。ちなみに、三良男爵の日記には、新築時に伊藤博文ら政府要人を招いたという記述もあります。

――笹生さんは、この洋館の存在をどうやって知りましたか?

笹生那実(以下、笹生):山下さんが洋館の保存活動をしていることを知って興味を持ち、一人でこっそり見に行ったんです。想像以上に大きくて、風格があって圧倒されました。また、立派だけどかわいくもあり、とても魅力的な建物だなと感じましたね。

笹生那実さん。漫画家。主な作品に『薔薇はシュラバで生まれる』『すこし昔の恋のお話』『25月病』などがある(写真撮影/相馬ミナ)

笹生那実さん。漫画家。主な作品に『薔薇はシュラバで生まれる』『すこし昔の恋のお話』『25月病』などがある(写真撮影/相馬ミナ)

――笹生さん、山下さんはもともと洋館がお好きだったのでしょうか?

笹生:洋館には子どものころから憧れがありました。私は横浜出身で、山手の西洋館エリアを見て育ちましたから。きれいな建物と広い庭、大きな犬を連れて散歩している住人。とても華やかで、本当に外国にいるような気持ちになりましたね。

――山下さんも、多くの古い洋館が残る小樽で幼少期を過ごしたそうですね。

山下:小樽(北海道)には明治維新のころにたくさんの洋館が建てられて、私が暮らしていた1960年代にはあちこちにまだ残っていました。その一部は父が勤めていた小樽商科大学の宿舎としても使われていて、職員であれば安く住むことができたんですよ。実際、私が赤ん坊のころに円柱形の不思議な洋館に住めることになり、母と姉が見学にも行ったらしいんですけど、「押入れがないと布団が仕舞えない」と母が反対して断念したそうです。当時はベッドを買うという発想がなかったみたいで。残念ながら、憧れの洋館に住むチャンスを失いました。ちなみに、今はもうその建物は取り壊されてしまったそうです。

世田谷の静かな住宅街に建つ洋館。周囲の緑と水色の外観が調和している(写真撮影/相馬ミナ)

世田谷の静かな住宅街に建つ洋館。周囲の緑と水色の外観が調和している(写真撮影/相馬ミナ)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

解体工事の2週間前に始めた「ネット署名」が流れを変える

――現在は山下さんたちが所有し、保存されている洋館ですが、一時期は取り壊し寸前までいったそうですね。

山下:3年前に近所の人から「洋館が取り壊されるらしい」という話を聞きました。跡地に建売住宅を作る計画があって、すでに土地と建物は不動産会社を通じて工務店に売却済みという状況だったんです。私たちが買い戻すとなると、3億円はかかるという話でした。

正直、私も借金して自宅を建てたばかりで、とてもそんなお金はない。それでも、何とか残す手はないかと2019年に保存プロジェクトを始めたんです。

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

――お金のこと以外に、何が特に大変でしたか?

山下:不動産会社との交渉がうまく進まず、1年近くも膠着状態になってしまったのは辛かったですね。不動産会社の言い値や契約内容に不明瞭な点があっても、私たちにそれを確かめるすべはありません。その時には前オーナーである家主さんとの接触も、不動産会社側によって完全にシャットアウトされていましたから。そうこうしているうちに解体工事の日程も決まってしまい、もはや絶望的な状況でした。

洋館の内部。洋館として「きばりすぎていない」シンプルなつくりに惹かれたと山下さん(写真撮影/相馬ミナ)

洋館の内部。洋館として「きばりすぎていない」シンプルなつくりに惹かれたと山下さん(写真撮影/相馬ミナ)

1階と2階をつなぐ手すり付きの階段(写真撮影/相馬ミナ)

1階と2階をつなぐ手すり付きの階段(写真撮影/相馬ミナ)

館内随所に130年の年月を重ねた風格がにじみ出ている(写真撮影/相馬ミナ)

館内随所に130年の年月を重ねた風格がにじみ出ている(写真撮影/相馬ミナ)

――そんな絶望的な状況から、潮目が変わったきっかけは何だったのでしょうか?

山下:解体工事の予定日まで2週間を切ったギリギリのタイミングで(保存を求める)ネット署名を集め始めたのですが、そこから少しずつ流れが変わっていきました。たくさんの賛同者が集まってくれて、多くの人に保存プロジェクトのことを知ってもらえたんです。

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

また、世田谷区議会議員の神尾りささんからもご連絡をいただき、協力してもらえることになりました。神尾さんはもともとワシントンを拠点に仕事をしていて、尾崎行雄に対して特別な思い入れがあったというんです(※編集部注:尾崎行雄は東京市長時代、ワシントンD.C.のポトマック河畔に3000余本の桜の苗木を寄贈し、日米友好に努めた)。

――それは心強い。

山下:神尾さんは、私たちが立ち上げたネット署名を海外に発信することを提案してくれました。アメリカ側からも“日米友好の象徴”である旧尾崎行雄邸保存の動きを起こそうと、英訳までやってくれたんです。

それからは本当に目まぐるしく、短期間でいろんなことが起こりましたね。さまざまなメディアにもこの一件が取り上げられ、世間的な関心が高まったこともあって、解体工事だけは延ばしてもらえました。

――工事を延ばしつつ交渉を進め、最終的には強力な支援者が現れて一時的に洋館を買い取る形になったそうですね。

笹生:はい。金額が金額だけに大変でしたが、、最終的には「取り壊しを防ぐための一時所有なら」ということで支援してくれたんです。

3つの部屋が連なる不思議な間取り。1階と2階を合わせて7つの部屋がある(写真撮影/相馬ミナ)

3つの部屋が連なる不思議な間取り。1階と2階を合わせて7つの部屋がある(写真撮影/相馬ミナ)

1億円の補修費用、どう捻出?

――所有が保存プロジェクトに移り、取り壊しは回避されました。ただ、このまま維持していくのは大変ですよね?

笹生:そうですね。一時的に解体は免れましたが、次はこれをどう維持・活用していくかという問題があります。当初は洋館を曳家(ひきや/建物をそのままの状態で移動させる手法)で移動し、広くなった土地を分譲して資金を得ることも考えましたが、なかなか買い手は見つかりませんでした。

山下:それに、既存の建物として今の場所にあるぶんには仕方ないけど、場所を移動するなら現在の建築基準法等の法令に合わせなくてはいけないんです。その後、世田谷区にも相談してさまざまなアイディアもうまれましたが、時間がかかりそうでした。

現在は、洋館を使いたい民間企業とテナント契約を結び、収益を得ながら有効活用する道を探っています。

窓ひとつとっても味わい深い。ただ、つくりが複雑なため、補修できる業者を見つけるのも一苦労だという(写真撮影/相馬ミナ)

窓ひとつとっても味わい深い。ただ、つくりが複雑なため、補修できる業者を見つけるのも一苦労だという(写真撮影/相馬ミナ)

――現時点での手応えはいかがですか?

山下:さまざまな企業が興味を示してくれましたが、最終的には都内の有名コーヒー店が本店を洋館に移したいと名乗り出ていただきました。しかも、洋館自体はそのままにして、昔の建物の雰囲気を大事にしたいと言ってくれて。厨房などは、洋館の横にある朽ちかけた小屋を改装してつくるということでした。今は具体的な詰めやスケジュールの調整を行なっているところです。

2階の洋室。かつてはここに6家族が間借りし、暮らしていたこともあったそう(写真撮影/相馬ミナ)

2階の洋室。かつてはここに6家族が間借りし、暮らしていたこともあったそう(写真撮影/相馬ミナ)

テレビのアンテナ。戦後、一部の部屋は賃貸住宅として活用され、現代の暮らしが営まれてきた(写真撮影/相馬ミナ)

テレビのアンテナ。戦後、一部の部屋は賃貸住宅として活用され、現代の暮らしが営まれてきた(写真撮影/相馬ミナ)

――ただ、築130年の建物は老朽化も進んでいて、補修費用だけでも莫大な額になると思います。家賃収入だけで賄うことは難しいのでは?

山下:当面の補修費用だけでも、およそ1億円はかかります。大家となるからには耐震工事は必須ですし、現在の古い建物のままでは寒すぎるので、暖房器具も入れなくてはいけない。ただ、普通にエアコンを入れてしまうと、せっかくの雰囲気が台無しになってしまいます。外観だけでなく中身も明治を感じさせる趣を残すには、通常よりさらにハイレベルな工事や技術が必要になるんです。他にも、窓のつくりがものすごく複雑だったりするので、修繕できる業者も限られてきます。そうなると、どうしても費用はかさんでしまう。

笹生:正直、家賃収入だけではとても足りません。そこで、保存プロジェクトでクラウドファンディングによる寄付を募り、約1800万円のご支援をいただくことができました。他にも、知人の漫画家など支援の声を挙げてくださる方がいますので、当面はお借りできるところからお借りして、家賃収入で少しずつ返していければと考えています。

取材時に洋館を案内してくれた山下さんと笹生さん。一部のスペースはお二方のギャラリーとしても活用する予定(写真撮影/相馬ミナ)

取材時に洋館を案内してくれた山下さんと笹生さん。一部のスペースはお二方のギャラリーとしても活用する予定(写真撮影/相馬ミナ)

――とりあえず取り壊しを免れたものの、保存への取り組みはまだまだ続いているわけですね。

山下:そうですね。ずっと進行中です。一番の悩みは、私たちがこの世からいなくなった後のことです。その時には絶対にまた同じ問題が起こりますよね。私たちの願いは洋館を後世にも残し続けることなので、いずれは永続的に所有してもらえるところに譲りたいと考えています。

笹生:いくつか目星はつけているので、私たちが元気なうちに何とか道筋をつけたいです。これからテナントが入り、洋館が活用されている様子を発信できれば、周囲の見方も変わってくると思います。ですから、まずは目の前の計画をしっかり進めていきたいですね。

山下さんの『世田谷イチ古い洋館の家主になる』。保存プロジェクトの詳細な経緯が描かれている(写真撮影/相馬ミナ)

山下さんの『世田谷イチ古い洋館の家主になる』。保存プロジェクトの詳細な経緯が描かれている(写真撮影/相馬ミナ)

●取材協力
旧尾崎邸保存プロジェクト(Twitter)
旧尾崎行雄邸保存プロジェクト(Facebook)
『世田谷イチ古い洋館の家主になる』(グランドジャンプ)※試し読みあり

通勤時間1分。「会社のとなりに住む人は幸せか?」を聞いてみた

この世には、「会社のとなりに住む人たち」がいる。

通勤時間を極限まで減らし、空いた時間を生活やさらなる仕事に割り振る。限られた人生の時間を、究極の方法で生み出す者だ。

コロナ禍で、働き方の可能性を大きく広げたリモートワーク。それでも補完しにくい、直接的なコミュニケーションが可能なオフィスの役割も見直されるいま。彼らの生活に迫ってみた。

90万円の部屋に住み、となりの会社へ通う社長

今回はそんな日常生活を送る2人に話を伺った。この両者、家賃は10倍ほど違う。まずは90万円もの高額な家賃を払いながら、会社のとなりに住む1人目の声を聞く。

左はオフィスがあるアークヒルズ、右は住居の泉ガーデンレジデンス。本当にとなりだ(写真撮影/辰井裕紀)

左はオフィスがあるアークヒルズ、右は住居の泉ガーデンレジデンス。本当にとなりだ(写真撮影/辰井裕紀)

位置関係はこの通り(写真撮影/辰井裕紀)

位置関係はこの通り(写真撮影/辰井裕紀)

六本木のアークヒルズサウスタワーに会社を構え、システムエンジニアリングサービス事業とSaaS事業を営む株式会社エージェントグロー。このエリアは完全なる「ビジネス一等地」だが、よりによってとなりにある超高級マンション、泉ガーデンレジデンスに居を構えている人がいる。同社代表取締役の河井智也さんである。

「ウマ娘」にハマる河井社長(撮影時のみマスクを外しています。写真撮影/辰井裕紀)

「ウマ娘」にハマる河井社長(撮影時のみマスクを外しています。写真撮影/辰井裕紀)

会社のとなりへ住むようになったいきさつを語ってくれた。

「実家暮らしが長かったんですけど、27~28歳で一人暮らしを始めてから、ずっと職場の近くに住むようにしています」

そこには理由があった。

「実は私、元引きこもりのニートで。家は貧乏でしたし、学歴もそれほどじゃなくて」

世の中は不平等だ。

「ですがある日、『どんな人にも時間は平等なんだよな』と気付いたんです」

当時住んでいた新横浜の実家から、都心へは通勤に1時間以上かかる。その通勤時間を時給2000円で計算すると「1年でおよそ100万円」になる。

「時間を有効活用して通勤時間を仕事や勉強に費やそうと思い、『会社の近くに住もう』と決めました」

そう一念発起して、18億円を超える売り上げと317名もの従業員を抱える会社を築いた。

かつて河井さんのオフィスがあった溜池交差点(写真撮影/辰井裕紀)

かつて河井さんのオフィスがあった溜池交差点(写真撮影/辰井裕紀)

創業当初のオフィスは溜池山王にあり、赤坂に住んでいた。

「当時は会社から7分くらいのところに住んでいたのですが、会社が移転したのに伴い徒歩10分ぐらいになっちゃって。それを機に『新社屋から一番近い部屋に引っ越そう!』って決めたんです」

部屋の中。さまざまな日本画が飾られている(写真提供/河井智也)

部屋の中。さまざまな日本画が飾られている(写真提供/河井智也)

真ん中に見えるのが自宅と会社を行き来する裏道(写真撮影/辰井裕紀)

真ん中に見えるのが自宅と会社を行き来する裏道(写真撮影/辰井裕紀)

新しい住まいは1LDKで66平米ほど。リビングは16.5畳(約30平米)でバルコニーも広々としている。

「赤坂のときは妻と2人暮らしで2LDKに住んでいたんですけど、引っ越し先を決める際に『個室がふたつあるより、リビングの大きいところに住みたいね』と話して。画家の妻が大きな作品を描くにも便利なので、広いリビングのある1LDKに引っ越しました」

始業の10分前に起きても会社へ間に合う

一人暮らし時代の家賃は15万円、赤坂のときは30万円。六本木で48万円と来た。そしてこの記事が出るころには、同じマンションの高層階に引っ越している。床面積は2倍近くに広がるも、家賃はさらに90万円へ跳ね上がった。

「子どもが生まれてから物がすごく増えて手狭になり、リビングがさらに広い2LDKに引っ越しました。物置が大きいので、たくさんある妻の画材もしまえますね」

リビングは19畳と広々している(画像提供/河井智也)

リビングは19畳と広々している(画像提供/河井智也)

90万円もの高額な部屋に住む、決断に至った心中とは。

「環境がよければ、お金を稼げますから。家賃が高くとも、たくさん頑張って成果を出せばいいので」

力強く語る。そのために寝る時間も大切にしている。

「家が会社のとなりにあるおかげで、徒歩1分で帰宅できます。会社を出るのが24時を過ぎても7~8時間は眠れますし、仮に寝坊して8時50分に起きても、定時の9時に間に合いますよ」

エスカレーターを乗り継げば泉ガーデンレジデンスからアークヒルズまで雨に濡れずに移動できる(写真撮影/辰井裕紀)

エスカレーターを乗り継げば泉ガーデンレジデンスからアークヒルズまで雨に濡れずに移動できる(写真撮影/辰井裕紀)

「電車通勤が不要」なのも、会社のとなりに住む利点という。

「なかなか気づかないですけど、電車に乗るのは意外と精神的に削られるんですよ。人とすごく近いとかで。会社に着いた時点でもう、ちょっと疲れちゃうんですよね」

“仕事のパフォーマンスに直結する”との考えから、電車に乗らなくていい家を選んだ。

東京メトロ南北線 六本木一丁目駅も近いがほぼ使わない(写真撮影/辰井裕紀)

東京メトロ南北線 六本木一丁目駅も近いがほぼ使わない(写真撮影/辰井裕紀)

近いから家庭生活も大事にできる

会社の成長にも、「会社のとなり」生活が活きた。

「一番大きいのは、採用面接ですね。面接に来る求職者の方の大半は平日の日中帯に働いていますから、だいたい定時後か土日の面接を希望されるんですよ。コロナ前は対面の面接がメインだったんですが、さまざまな事情で来社できなくなる方もたまにいらっしゃって」

家が遠ければ通勤時間が気になるが、家がとなりにあれば精神的にも余裕ができる。土日の面接でもゆとりを持って対応でき、良い社員が続々と入社してくる好循環が生まれた。そして、「結婚生活」においてもメリットがある。

「1歳にならない子どもがいるんですが、子どもに何かがあって妻からヘルプがあったらすぐ帰れるんですよね。家のベランダから会社の明かりが見えるほど近いので、お互い安心できます」

中央右側が家。バルコニーから合図を送れる距離だ(写真撮影/辰井裕紀)

中央右側が家。バルコニーから合図を送れる距離だ(写真撮影/辰井裕紀)

ちなみに行きつけのお店は?

「自宅近くのお店にはだいたい入ったことがあるので、誰かとごはんを食べるときにいいお店はある程度把握しています」

さすがの網羅ぶりを見せる河井さんに、いくつか店をピックアップしてもらった。

「THE CITY BAKERY BRASSERIE RUBINは、パリのパン屋さんのレストランです。広くて子連れで行きやすいうえにテラス席もありますし、妻も好きなお店です。あとは陳麻婆豆腐とか。辛いのが好きな社員も多いので、みんなでランチによく行きますよ」

陳麻婆豆腐(写真撮影/辰井裕紀)

陳麻婆豆腐(写真撮影/辰井裕紀)

ランチセットは1,100円。ごはんを大盛りにすれば食べごたえもある(写真撮影/辰井裕紀)

ランチセットは1,100円。ごはんを大盛りにすれば食べごたえもある(写真撮影/辰井裕紀)

歩かなくなって30キロ太った(撮影時のみマスクを外しています。写真撮影/辰井裕紀)

(撮影時のみマスクを外しています。写真撮影/辰井裕紀)

メリットは多いが、意外な盲点も。

「会社の近くとなると大都会であることも多いので、まず家賃が跳ね上がります。職場近くにずっといると生活もマンネリ化しがちなので、旅行などでリフレッシュするように心がけます」

近くに住むからこそ、遠出する余裕もできるという。そして河井社長は笑って話す。

「会社のとなりに住むようになって、30キロ太ったんですよ。あまりに太りすぎてみんなから『痩せろ』と言われて。歩くってカロリー消費に大切だったんだなと。あわててジムに通い始めましたね」

老後は、会社を離れて住むことも考えている。

「歳を取って会社の近くに住まなくてよくなったとき、競馬ファンの私は『競馬場の近く』にでも住んでいるかもしれません(笑)。そのとき自分が熱中しているものや、やりたいことを叶えられるところに住むのが一番だと思いますから」

それまでは、仕事がやりやすい「会社のとなり」生活を謳歌する。

「仕事で成果を出したり年収を上げたりしたい人は、絶対会社の近くに住んだ方がいいと思いますね」

(写真撮影/辰井裕紀)

(写真撮影/辰井裕紀)

あの大阪の大手ゲーム社員も「会社のとなりに住む」

もう1人。誰もが知るあの大阪の大手ゲーム会社のとなりに住むのが、キャラクターデザイナーのolorさんだ。

olorさんの近影(画像提供/olor)

olorさんの近影(画像提供/olor)

「会社への距離は……本当に1分くらいですね。距離は50mもないです」

JR吉祥寺駅前 (写真/PIXTA)

JR吉祥寺駅前 (写真/PIXTA)

いったいなぜ会社のとなりに住んだのか。それは東京時代にさかのぼる。

「吉祥寺に住み、渋谷まで通勤していました。会社までは50分かかり、出退勤ラッシュに苦しんでいたんです。人混みに眼鏡を割られたこともありますし、酔ったとなりの人からゲロを吐かれたことも3回あります(笑)」

olorさんが勤めるゲーム会社の社屋(画像提供/olor)

olorさんが勤めるゲーム会社の社屋(画像提供/olor)

電車を逃して会社に何度も泊まったこともあり、通勤の苦労は深く脳裏に刻まれた。そこから3年前に転職し、東京から大阪に移住する。

8年住んだ吉祥寺は気に入っており、「関西の吉祥寺」のようなところを探したが、なかった。そこで目を付けたのが、会社のとなりだったのだ。

「さすがに会社のとなりは、仕事モードのオンオフができなさそうで悩みました。ですがこだわりポイントがすべて集まっていたのも、会社の近くだったんです。川の真ん中にあってオシャレな中之島公園もあるし、10分歩けば大阪城。ショッピングモールもあったので」

そして「通勤・退勤ラッシュにつかまらない」のも理由のひとつだった。

遊覧船が通る中之島公園。イベントも開催されてにぎわう(画像提供/olor)

遊覧船が通る中之島公園。イベントも開催されてにぎわう(画像提供/olor)

関西の物件は東京よりは安いと思っていたが、本社があるのは大阪市でも都会の中央区だ。7万2000円の家賃では広い部屋を借りられなかった。

「吉祥寺時代の6畳から9畳になりましたが、実質キッチンが3畳ほど取っている1Kなので、やっぱり狭いです」

olorさんの部屋。キッチンが部屋のスペースを取っている(画像提供/olor)

olorさんの部屋。キッチンが部屋のスペースを取っている(画像提供/olor)

猛暑や梅雨も関係なく過ごせる

「残業が多い業界で近所に住む社員も多いですが、本当にすぐとなりだと知るとびっくりされましたね」

だからプライベートでもよく同僚と遭遇する。

「気まずくはないですけど、ピザを買って帰るところを目撃されて『今日ピザなんですね』とか言われることはあります(笑)」

行きつけのお店も、やはり近くの店になる。

「いつも同じところばっかりに行ってしまうのが問題です(笑)」

長い行列のできるつけ麺の井手本店や、たっぷりの鶏むねからあげが食べられる万喜鶏などは、olorさんも何十回と通っている。

焼き鳥屋の万喜鶏。「めちゃくちゃなボリュームの鶏のむねからあげが好きで、よく行きます」(画像提供/olor)

焼き鳥屋の万喜鶏。「めちゃくちゃなボリュームの鶏のむねからあげが好きで、よく行きます」(画像提供/olor)

+200円で倍近くからあげが増える(画像提供/olor)

+200円で倍近くからあげが増える(画像提供/olor)

住んでみると徒歩1分もかからず出勤できるし、電車のラッシュとは無縁で、まるで体力を消耗しなかった。猛暑や梅雨も苦にならないし、自分の時間が増えた。

「家と会社への往復があまりにもカンタンですから、家のPCの調子が悪くなったときも、出勤して会社のPCでやり過ごせました。退社後には『olorさんがデータを確認しないと進めない』などの連絡もたまに来るんですが、パジャマのまま会社に行ってすぐ解決できますよ」

「ついでに」の行動ができない

だが、デメリットもある。olorさんが勤めるような大企業は都会にあるため、「都市のノイズがうるさい」

「働くならいいんですが、住むのは大変です。そばに片側5~6車線くらいあるすごく大きい道路があり、緊急車両のサイレンが毎日のように鳴るし、バイクの暴走族もいます。休日にはデモまで」

さらにまわりには高い建物が多く、日当たりも微妙だという。

「会社と家の往復では仕事のオンオフができません。インドア派の私でも、変化がなくて息苦しさを感じます」

関西に来て3年経つが、その実感も薄いという。会社もデスクワークのため、1日10分も歩かない。

「あと、通勤に距離があるとお店や公園に寄ったり、映画を観たりできます。家が近すぎると、意識してアクションを起こさないと外での行動ができません。お家に入ったら『もう出たくない』となるので」

物も増えて手狭になり、引っ越しを計画中(画像提供/olor)

物も増えて手狭になり、引っ越しを計画中(画像提供/olor)

「会社から離れる幸せ」も見えてきた

なので、次は会社から離れたところへのマイホーム購入を考えている。

「大阪は東京ほど電車が混まないっていうし、30分以上離れてもいいかなと。物も増えましたし、関西で落ち着いてもいいと思ったので」

探しているのは交通の便のよさとともに、自然豊かな街だ。

「京都と大阪の真ん中にある高槻市とか、大阪・枚方市の樟葉とか。老後も考えたら、京都の宇治市もいいかなって。通勤は1時間かかりますが、電車1本ですぐ京都市内には出られるので。趣味のバイクで琵琶湖にもすぐ行けますから」

宇治市御蔵山から見渡す秋晴れの山科方面の景色      (写真/PIXTA)

宇治市御蔵山から見渡す秋晴れの山科方面の景色 (写真/PIXTA)

そうやって引っ越しを考える日々だが、それでも「会社のとなり生活」は、メリットの方が多いと語る。

「移動がない分、自分の時間は明らかに増えます。仕事が生活のメインの人か、完全にインドアの人にはいいと思いますし、都会生活が好きな人には最適だと思いますよ」

会社のとなりに住みたくなった人には。

「単調な毎日になりやすいので、帰宅後や週末のプランを意図的に組み込んで、気分のオンオフをしたほうがいいですね」

夕日が沈む琵琶湖(写真撮影/辰井裕紀)

夕日が沈む琵琶湖(写真撮影/辰井裕紀)

テレワークで、時間と距離の自由を得た現代人。しかし、もし行き詰まりを感じているようであれば、「会社のとなりに住む」のも選択肢の一つだ。多くのメリットとともに、デメリットも確実にある。そこを見きわめて納得できたら、こう生きるのもいいだろう。

会社のとなりに住むメリットと、離れて住むメリット。一緒に見つめられるはずだ。

●取材協力
株式会社エージェントグロー
olorさん

埼玉県民も驚いた!? 人口8000人の横瀬町が「住み続けたい街」に選ばれた理由

埼玉県の北西部、秩父郡に属する横瀬町。県内でも知名度が高いとはいえない街だが、「2021年 住み続けたい街(自治体/駅)ランキング首都圏版」(SUUMO調べ)でTOP50位以内にランクインした。埼玉県下に限れば、なんと4位! 人口8000人の横瀬町が、「なぜ住み続けたい」と思われているのか? どんな魅力が隠されているのか? その謎を紐解くべく、横瀬町で生まれ育ち、街づくりに関わる田端将伸さん(横瀬町役場まち経営課)に聞いてみた。

「横瀬町で何かやりたい人」をバックアップする仕組み

――さっそくですが、地域住民が投票した「住み続けたい街ランキング」にて、なぜ横瀬町が上位にランクインしたと思いますか?

田端将伸(以下、田端):じつは横瀬町では、数年前から官民が連携した街づくりプロジェクトを進めてきました。今回の埼玉県下で4位という結果は、それが少しずつ実を結びはじめている証ではないかと思います。

横瀬町職員の田端将伸さん(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町職員の田端将伸さん(写真撮影/藤原葉子)

――どのような取り組みなのですか?

田端:まちづくりのアイデアを形にできるプラットフォーム「よこらぼ」を使い、さまざまなプロジェクトを行っています。個人、団体・企業を問わず、「横瀬町で何かをやってみたい」という熱意を持つ人が、「よこらぼ」を通じて、さまざまなことにチャレンジできるんです。

――なるほど。具体的なプロジェクトについて伺う前に、そもそも「よこらぼ」はどういった経緯で生まれたのですか?

田端:きっかけは富田町長と、ある起業家の立ち話からでした。「サービスのアイデアはあっても、それを実証する場がなかなかない。ぜひ、横瀬町でやらせてもらえないか?」という提案があったんです。当時、東京都内には数多くのベンチャー企業が台頭していましたが、同じような悩みを抱えている起業家は多かったようで。そのとき、これはチャンスかもしれないと考えたんです。

――なぜですか?

田端:どこの自治体も企業誘致を試みています。しかし、横瀬町のような山間地域に来てくれる企業って、なかなか見つからないんですよ。そこで、企業そのものを誘致するのは難しくても、「プロジェクト」を誘致することならできるかもしれないと考えました。

横瀬町を実証実験の場として積極的に活用してもらえば、人、物、お金、情報がどんどん入ってくるのではないかと。そこで、そのための窓口として2016年に「よこらぼ」を立ち上げました。そして、企業の実証実験だけでなく、個人にも「自分のやりたいこと」「横瀬町をよくすること」などを提案してもらうことにしたんです。

「小さな行政」の利点を生かし、ハイスピードでプロジェクトを回す

――立ち上げ当時の反響はいかがでしたか?

田端:最初に想定していた通り、都内のベンチャー企業による実証実験の応募が多かったです。例えば、「廃校など町の遊休スペースを貸し出すプロジェクト(採択No.02)」や「被写体中心の360度自由視点映像サービスの実証(採択No.20)」、都内のクリエイターたちがチームで挑んだ「中学生を対象としたキャリア教育プログラム(採択No.08)」などですね。応募が集まることで新聞やWebメディアなどでも紹介され、記事を見た企業が「うちもやりたい」と声を挙げてくれる、いい循環ができていました。ちなみに、現在までに189件の応募があり、そのうち108件を採択しています(2022年3月1日時点)。

世界初の特許技術、360度自由視点映像サービス「SwipeVideo」でフォームをチェック(画像提供/横瀬町)

世界初の特許技術、360度自由視点映像サービス「SwipeVideo」でフォームをチェック(画像提供/横瀬町)

都内のクリエイターによる、中学生を対象にした半年間のキャリア教育プログラム「横瀬クリエイティビティー・クラス」(画像提供/横瀬町)

都内のクリエイターによる、中学生を対象にした半年間のキャリア教育プログラム「横瀬クリエイティビティー・クラス」(画像提供/横瀬町)

――採択率およそ6割と、けっこう高いですね。「よこらぼ」に寄せられたアイデアはどのようなフローで採択しているのでしょうか?

田端:毎月、審査会を開き、町民代表や役場の職員らで審査をしています。早ければ、応募から約一ヶ月という早いスピードで各プロジェクトをスタートできるように心掛けています。このペースはずっと守り続けてきました。これは、小さな町、小さな行政だからこそできる強みといえるかもしれません。

――だから、5年で100件以上のプロジェクトを実行できたんですね。

田端:そうですね。また、スピードだけでなく横瀬町の「コミュニティの強さ」も、プロジェクトを進める上でプラスに働いていると思います。ここで何かしらのサービスの実証実験をやろうとすると、住民が積極的に協力して、実証のサービスや商品を使ってくれようとするんです。リアルな住民に使ってもらい、フィードバックを得られるのは、企業側にとっても魅力なのではないでしょうか。他にも、Wi-Fiなどが使える現地オフィスの提供、行政権限を生かした法的なサポートも行っています。

――手厚いですね。最近では、どんなプロジェクト事例がありますか?

田端:最近では「電動アシスト付きの手押し一輪車による、運搬労力の削減プロジェクト(採択No.107)」という事案がありました。そこで、農園と建設作業場に手押し一輪車を持っていき、実証を行ったんです。一見すると、どこででも実験可能な内容に思えますが、このような実証実験をしてくれる自治体は、ほぼないでしょう。

また、地方では農園も建設現場も、最近は労働力不足が深刻化しています。そこで、電動の手押し一輪車で重い荷物を運べるようになるだけでも、多少なりとも生産性は上がるはずです。地方の課題を解決しつつ、企業にとっても良いフィードバックが得られる。なおかつ、町民のためになり、横瀬町の知名度も上がる。こうした良いサイクルを生むプロジェクトが多いように思います。

手押し一輪車のタイヤを交換するだけで、電動化することができる(画像提供/横瀬町)

手押し一輪車のタイヤを交換するだけで、電動化することができる(画像提供/横瀬町)

――ただ、毎月の審査会でどんどん新しいプロジェクトが採択されるとなると、町民の協力を得るのも大変な気がしますが。

田端:そこは私たちのほうでも意識していて、いつも同じ町民ばかりにお声がけして負担が偏らないよう、案件ごとにご協力いただく方を調整しています。ただ、今は基本的にみなさん快く協力してくださいますね。確かに、最初は説明するのが大変だった時期もありました。例えば、「シェアリングエコノミーのプロジェクトです」と言っても、特にご高齢の方には伝わりづらいですよね。ですから、噛み砕いて分かりやすい言葉で丁寧に伝えることは意識していましたし、「よこらぼ」の冊子をつくるなどして、活動そのものへの理解を深めるように努めていました。

――それは根気が必要ですね……。

田端:ただ、全員に完璧に理解してもらってからやろうとすると、いつまでたっても前に進みません。ですから、そこにばかりエネルギーを注ぎすぎず、同時並行でプロジェクトを次々と回し、参加してもらうことで理解してもらいました。すると、結果的に町民が他の町民を巻き込むような形になり、「よこらぼ」自体の認知度や理解も深まっていったように思います。最近では、「何をやっているかは未だにわからないけど、この街を変えているんだよね」と言ってくださる人も多いです(笑)。

――町民も街の変化に気づいているんですか?

田端:そう思います。だからといって、今のところ暮らしが豊かになったとか、幸せになったかとか、具体的な何かがあるわけではありません。それは、まだまだ先の話。でも、隣町や少し離れた街の人から「横瀬を褒められる」ことがあり、嬉しかったという声はいただいています。そうした周囲からの評価を聞いて、改めて横瀬に誇りを持ってくださる人もいたのではないでしょうか。

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

町民一人一人の「やりたい」を起点に、街を活性化していく

――企業以外の団体や個人のプロジェクトにはどんなものがありますか?

田端:企業以外の団体では、大学と連携することが多いです。例えば「介護における、転倒リスクを予防する」プロジェクトなどがあります。また、「よこらぼ」の認知度向上に伴い、個人の応募も増えてきましたね。最近も、地元の人が「横瀬の材料を使ったお菓子をつくりたい」というプロジェクトを応募してくれたんです。横瀬町のPRにもつながると考え、すぐに採択しました。はじめに、販売先の紹介などの支援をしましたが、今ではしっかり自走しています。けっこう売り上げも良いみたいですよ。

――それは素晴らしいプロジェクトですね。

田端:そのプロジェクトは、自身が小さいころから思い描いていた夢だったそうで。その夢を「よこらぼ」のおかげで叶えることができたと、嬉しそうでした。こうした、「自分がやりたいこと」を起点にプロジェクトを立ち上げ、結果的に街づくりの担い手になってくれるような町民が、これからも増えていってくれるといいですね。

――そうした「街づくりの気運」みたいなものは高まっているのでしょうか?

田端:そうですね。高まりつつあると思います。例えば、「よこらぼ」をきっかけに作られた「Area898」というコミュニティスペースがあるのですが、これも町民のみなさんの提案でした。

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

田端:「よこらぼ」がスタートしてから、地域外からも多くの人が訪れるようになり、新しい出会いやコミュニティも生まれました。しかし、せっかく交流が生まれたのに、横瀬町には人と人が交わる“リアルな場所”がなかったんです。そこで、ある町民団体から「よこらぼ」を通じて「新しいコミュニティ・イベントスペースをつくりたい」という提案があり、JA旧直売所跡地を使って「Area898」を整備することになりました。

――確かに、駅前などには日常的に交流できそうな場所が見当たりませんでした。

田端:そうなんです。だから、よく見る商店街の光景で「あら、〇〇さん。こんにちは」というシーンも生まれない。それってすごくもったいない気がしたんです。そこで「集まりたくなる場」を町民と行政でつくったわけです。

今では「Area898」に連日、人が集っている(画像提供/横瀬町)

今では「Area898」に連日、人が集っている(画像提供/横瀬町)

――「Area898」の利用状況はいかがですか?

田端:横瀬町民はもちろん、横瀬に関わる町外の人たちも集まるようになりました。自分の好きなこと、楽しいこと、やりたいこと、共有したいことを軸に「Area898」に人が集い、新しい活動が生まれるようになりましたね。かなり、面白い場所だと思いますよ。私が会議をしている横で、お年寄りがスマホ相談会を受けていたり、中学生が勉強をしていたり。誰でも無料で利用できることで、多くの住民が集まりやすい環境ができたと思います。

Wi-fiも完備。その後、住民から寄贈されたボルタリング、黒板、スクリーンなどが徐々に加えられていった(写真撮影/藤原葉子)

Wi-fiも完備。その後、住民から寄贈されたボルタリング、黒板、スクリーンなどが徐々に加えられていった(写真撮影/藤原葉子)

JA旧直売所に残っていたものも再利用。パレットはブランコに、米びつはショーケースに生まれ変わった(写真撮影/藤原葉子)

JA旧直売所に残っていたものも再利用。パレットはブランコに、米びつはショーケースに生まれ変わった(写真撮影/藤原葉子)

田端:また、2022年の3月からは「よこらぼ」「Area898」と並ぶ、新たな試みもスタートさせています。それが「ENgaWAプロジェクト」。横瀬の中心部にあった給食センターの跡地に作った、“チャレンジキッチン”です。

――「エンガワ」。どんな場所なんでしょうか?

田端:町内でとれる農作物を使った、新しい商品の開発などを町民と一緒に考えるスペースです。コロナ禍で農作物が売れずに余ってしまったため、新たな活用方法を模索する場所として誕生しました。商品開発だけでなく、食のイベントなどを通した町民同士の交流スペースとしても活用していきたいと考えています。最近も、地元の大豆を使ったイベントを開催しました。

節分に合わせて2月5日に開催された「大豆フェスティバル」

節分に合わせて2月5日に開催された「大豆フェスティバル」

オリジナルメニューは4品。写真はオリジナルスイーツ「くるむー焼」(画像提供/横瀬町)

オリジナルメニューは4品。写真はオリジナルスイーツ「くるむー焼」(画像提供/横瀬町)

――地産地消だけでなく、地域の人がメニューまで開発してしまうというのは面白いですね。

田端:ありがとうございます。ちなみに、「ENgaWA」のメンバーは農作業のお手伝いもしています。農家さんの負担を少しでも軽減し、その見返りとして収穫した農作物をおすそ分けしてもらっているんです。

――本当に、助け合いの心が根付いていますね。そして、それが見事に街づくりの源泉になっている。

田端:それもこれも、「よこらぼ」というベースがあったからだと思います。とはいえ、当たり前ですが全ての町民が積極的に街づくりに関わりたいわけではありません。ですから、決して無理な呼びかけや、ましてや強制などはしません。あくまで、興味がある人がガッツリやればいい。そうでもない人は基本スルーでいいし、なんとなく興味が出てきた時だけ参加してくれればいい。そういう、ゆるさが大事だと思うんですよね。行政は環境だけを整えて、あとは町民の意思に委ねる。このやり方が、今のところはうまくいっているのではないかと感じます。

「大豆フェスティバル」をお手伝した町民の方々(画像提供/横瀬町)

「大豆フェスティバル」をお手伝した町民の方々(画像提供/横瀬町)

「閉鎖的な田舎」からの脱却を

――お話を伺っていて、横瀬町が「住み続けたい街」として評価されている理由がなんとなくわかりました。町民自らが「街をよくしよう」と活動しているわけですから、愛着も生まれますよね。

田端:だとすれば、嬉しいことですね。今も人口は減り続けていますが、“何か面白いことをやりたい人”は確実に増えていると感じます。ですから、今後はさらにいろんなチャレンジができそうな気がしますね。また、「よこらぼ」で実証実験に来た人が、プロジェクト終了後も遊びに来てくれたり、二拠点居住のような形で頻繁に訪れてくれることも増えてきました。こんなふうに、移住とまではいかなくても横瀬町を第二の故郷のように思ってくれるのは、とても嬉しいことですね。

空き家バンクも、最近はすぐに埋まってしまうそう。去年の登録件数14件のうち、13件が成約(画像提供/横瀬町)

空き家バンクも、最近はすぐに埋まってしまうそう。去年の登録件数14件のうち、13件が成約(画像提供/横瀬町)

――今後も横瀬が「住み続けたい街」であり続けるためには、何が必要だと思いますか?

田端:「関わりしろのある街の可能性」を示し続けることじゃないかと思います。街がチャレンジし続けていれば、若い人にもきっと「この街だったら、まだやれることがあるんじゃないか」と思ってもらえるでしょうから。

ただ、チャレンジには失敗がセットです。だから、横瀬町では失敗を咎めません。それに、チャレンジといっても、別に大きなことでなくていいんです。例えば、ウォーキングだっていいし、盆栽だっていい。それが直接的に街づくりにはつながらなくても、一人ひとりがやりたいことをやっている。そんな街でありたいです。そのためにも、私たちが率先して、チャレンジしている姿を見せ続けていきたいですね。

(写真撮影/藤原葉子)

(写真撮影/藤原葉子)

●取材協力
よこらぼ
Area898
ENgaWA

谷根千エリアを地元目線で取材! 街の見方が変わるローカルメディア「まちまち眼鏡店」がスタート

谷根千「谷中・根津・千駄木」を拠点に、活動を続ける一級建築事務所HAGI STUDIOが、2022年3月末に谷根千のローカルWebメディア「まちまち眼鏡店」をローンチした。おもしろいところは、情報を発信するだけでなく、谷根千に住んでいる人、この街を愛する人なら誰でも参加できるという、街全体を巻き込もうとしているところ。メディアを通じて、どのようにコミュニティをつくっていくのか、その想いや背景を取材した。

地元密着の建築事務所だからこそ、メディア発信が必要左から、千十一編集室の影山裕樹さん、『まちまち眼鏡店』店長の坪井美寿咲さん、副店長の柳スルキさん、HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん(写真撮影/片山貴博)

左から、千十一編集室の影山裕樹さん、『まちまち眼鏡店』店長の坪井美寿咲さん、副店長の柳スルキさん、HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん(写真撮影/片山貴博)

「HAGI STUDIO」は、ちょっと変わった建築事務所だ。例えば「宿(まちやど hanare)」を運営しているし、「教室・イベント(まちの教室KLASS)」も開く。さまざまなジャンルの「食(HAGI CAFE、TAYORI等)」のお店や、カフェやギャラリーなどの「複合施設(HAGISO)」も運営している。ただし、場所は谷根千エリアが主軸。活動範囲は狭く、そして深い。
「事務所から自転車で行ける範囲で7件ほどの拠点があります。それらの運営をするなかで、自然と街の人々と関わることが増え、自分たちで発信するローカルメディアの必要性を感じていたんです」と代表取締役の宮崎晃吉さん。とはいえ、本業が忙しく、なかなか重い腰を上げられなかったという。
「そんななかコロナ禍で、遠くに行けない事態になり、地元への関心が高まりました。谷根千は、観光地であり住宅街であり、寺町であり職人の街であり、商業地でもあります。生まれも育ちもココという人もいれば、最近はマンションが増え、新しい住民も増えています。同じ街でも、違う人が見れば、違ったふうに見える。人の目線を借りることで、街の魅力を再発見するのは、街の豊かさにつながる。それでメディアをつくろうと思いました」(宮崎さん)。

HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん。学生時代に住んでいた木造アパート「萩荘」を改修し2013年『最小文化複合施設HAGISO』として生まれ変わらせる。以来、谷根千エリア内での建物再生と運営、全国での建築設計を手掛ける(写真撮影/片山貴博)

HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん。学生時代に住んでいた木造アパート「萩荘」を改修し2013年『最小文化複合施設HAGISO』として生まれ変わらせる。以来、谷根千エリア内での建物再生と運営、全国での建築設計を手掛ける(写真撮影/片山貴博)

背景にはステレオタイプな谷根千イメージへの危機感が

こうしたローカルメディアを考えた背景には、既存メディアで谷根千が「昭和」「レトロ」というステレオタイプに扱われていることに、一種の危機感があったそう。
「あまりにもイメージが定着しすぎると、街がそれを追いかけるようになる。“昭和レトロな店しかこの街らしくない”とか。それでは街の解像度が粗い。実際はもっと複雑です。分かりやすいほうが消費しやすいのも分かりますが、複雑さは街の豊かさにつながるもの。複雑なものをそのまま享受するのは、分かりやすさを優先する既存のメディアでは難しいだろうと思ったんです」(宮崎さん)

では、手掛けるローカルメディアの柱とはなんだろうか?
「まず、観光客向けではなく、暮らす人に軸足を置くこと。読み手もつくり手になるような参加するメディアであること。このメディアを媒体にして、さまざまな属性を持つ人々のコミュニティ化が出来たら理想的だと考えました。これは単身者、ファミリー、高齢者、暮らす人働く人と、多様性のある谷根千ご近所エリアだからこそできることです」とはメディア監修を行う、千十一編集室の影山裕樹さん。

千十一編集室代表の影山裕樹さん。全国各地でローカルメディアや地域プロジェクトのディレクション、コンサルティング、制作を行う。今回はメディアのプロとして監修を行う(写真撮影/片山貴博)

千十一編集室代表の影山裕樹さん。全国各地でローカルメディアや地域プロジェクトのディレクション、コンサルティング、制作を行う。今回はメディアのプロとして監修を行う(写真撮影/片山貴博)

誰かの目線の「眼鏡」に見立てたウェブメディアがコンセプト

メディア名は「まちまち眼鏡店」。といっても眼鏡を売っているのではない。「誰かの目線で暮らしが深まるローカルメディア」をコンセプトに。多様な視点を”眼鏡”に見立て、まちを紹介する試みだ。
いわゆる観光客向けの情報サイトではない。具体的には、Web上で特集や、インタビュー、エッセイ、動画、ラジオ音源を掲載し、まちに関わる人たちが、どんな見方でまちを見ているのかを追体験できるメディアを考えている。「眼鏡店」と名付けたWebだから、運営するスタッフは「店長」「副店長」と、ちょっと変わった肩書にした。

「まちまち眼鏡店」という名は「ひとの数だけまちの見方がある」という気づきをもとに、まちを見る目を眼鏡に見立てたことから(画像提供/HAGI STUDIO)

「まちまち眼鏡店」という名は「ひとの数だけまちの見方がある」という気づきをもとに、まちを見る目を眼鏡に見立てたことから(画像提供/HAGI STUDIO)

コンテンツ例(画像提供/HAGI STUDIO)

コンテンツ例(画像提供/HAGI STUDIO)

軒先、塀の上などで思い思いに園芸を楽しむ路地裏の風景は谷根千ではおなじみ。「“路上園芸鑑賞家”の村田あやこさんとまち歩きをした際、その家の個性、最近の流行まで分かったんです。その気づきがメディアづくりのきっかけにもなりました」(宮崎さん)(写真撮影/片山貴博)

軒先、塀の上などで思い思いに園芸を楽しむ路地裏の風景は谷根千ではおなじみ。「“路上園芸鑑賞家”の村田あやこさんとまち歩きをした際、その家の個性、最近の流行まで分かったんです。その気づきがメディアづくりのきっかけにもなりました」(宮崎さん)(写真撮影/片山貴博)

読み手がつくり手にもなる。制作過程が目的にもなるメディア

収益面でも挑戦がある。
通常のメディアは、媒体でもWebでも、広告収入でまかなうのが普通だ。しかしローカルメディアは対象が限られているため、こうしたマスメディアの広告ありきのスキームは限界がある。
そこで、目指すのは「当事者たちによる自立した収益モデル」。地域の事業者で構成されるパートナー会員に加え、個人のメンバー会員も募集。「編集会議」と「まちの作戦会議」に参加する権利が得られる。メンバーについては現状、オープン記念につき10月末まで無料で登録ができるとのこと。

読み手がつくり手も担うことで、制作物であるWebメディアとその制作過程(ビハインド)の両方がコミュニティの場となるのだ。

「毎月の編集会議はリアルとオンラインの併用を想定。未定ですが、それぞれの興味あるものをフックに、地域に関われるリアルな場を設けたいと考えています。イメージは部活。例えば写真部、カレー部、猫部、お茶部など。引越して、いきなり町内会はハードルが高いけれど、例えば、一見では入りにくいお店に、地元の常連さんと一緒に入ってみるのが、地元での関わりのきっかけになるかもしれません」(宮崎さん)

編集会議の様子(画像提供/HAGI STUDIO)

編集会議の様子(画像提供/HAGI STUDIO)

メディアを活用することで、リアルの場の活性化も期待

ローカルメディアの登場によって、現在実施している「リアルな場」も良い影響を与えることも期待を寄せている。

例えば、「HAGI STUDIO」が手掛ける「まちの教室 KLASS」は、地域の方が教え、教わることができる学び場だ。
「ただし多くは単発で、なかなか継続的な流れにならないのが残念でした。集客がままならないケースもありました。コロナ禍でオンラインも試みたのですが、“初めまして”でいきなりネット上は難しいと感じていました」と、HAGI STUDIOのKLASS担当、柳スルキさん。
「例えば、メディアが発信し続けることで、ゆるくつながる場になります。また、部活的なチームのようなものができれば、先生役も希望者がリレーでまわすこともできます。知り合いの中でなら、教える側になるのもハードルが低く、継続的な活動ができやすくなります。またチームとして顔見知りになればオンライン上のやり取りもスムーズになると思います」(柳さん)

柳スルキさん。韓国生まれ日本育ち。KLASS担当のスタッフで、ローカルメディア『まちまち眼鏡店』副店長(写真撮影/片山貴博)

柳スルキさん。韓国生まれ日本育ち。KLASS担当のスタッフで、ローカルメディア『まちまち眼鏡店』副店長(写真撮影/片山貴博)

コロナ前のKLASSの教室の風景。アイランドカウンターのキッチンがあり、料理教室が人気。地域の方を講師に迎え、近所の大工さんによる箸づくりや金継ぎ教室なども(画像提供/HAGI STUDIO)

コロナ前のKLASSの教室の風景。アイランドカウンターのキッチンがあり、料理教室が人気。地域の方を講師に迎え、近所の大工さんによる箸づくりや金継ぎ教室なども(画像提供/HAGI STUDIO)

また、取材をするという名目の上、普段つながりがないような街の人々から思わぬ話が聞け、街への理解が深まる面も。『まちまち眼鏡店』店長の坪井美寿咲さんは、宿泊施設「まちやど hanare 」では、ゲストの要望に合わせた街の情報を提供したり、案内したりする「まちのコンシェルジュ」としても働いている。
「私は、生まれも育ちも谷中。だからよく知っていると思っていたのですが、取材となると、消費者の私では気付けない面を知る機会を得ます。例えば、子どものころからよく買い物にいった魚屋さんに思わぬ物語があることを知ったり、寺の住職からは“こんな話、聞かれるまで忘れていた”なんてエピソードを聞いたり。逆に、ホテルの宿泊ゲストと街歩きを一緒にしたときは、自分がまったく気付いていなかった街頭ランプの美しさを教えてもらいました。メディアでの取材と、コンシェルジュの両方の業務で、街への解像度が上がってきたことを実感しています」

坪井美寿咲さん。「私は、地元、谷中の工務店の娘で、今も街のあちこちに知り合いが(笑)。街の皆さんに見守っていただきながら幼少期を過ごしました」(写真撮影/片山貴博)

坪井美寿咲さん。「私は、地元、谷中の工務店の娘で、今も街のあちこちに知り合いが(笑)。街の皆さんに見守っていただきながら幼少期を過ごしました」(写真撮影/片山貴博)

どこか懐かしいモダンなデザインの街灯ランプ。「ホテルのお客様が写真を撮られていました。私はいつもこの下を通っているのに、特別視をしたことがなかった。人の数ほど、街の見方があると実感した出来事でした」(坪井さん)(写真撮影/片山貴博)

どこか懐かしいモダンなデザインの街灯ランプ。「ホテルのお客様が写真を撮られていました。私はいつもこの下を通っているのに、特別視をしたことがなかった。人の数ほど、街の見方があると実感した出来事でした」(坪井さん)(写真撮影/片山貴博)

取材したのは4月の発行前の3月初旬。地元の人、編集者・ライターといった書くプロ、音楽家や料理家の専門家による「寄稿」をベースとして考えているとのこと。街の目利きによる、編集のプラットフォームだ。 
「通常、広告で成り立つネットの世界では、“PV(ページビュー)をいくら稼げるか”みたいなことが重要視されますが、今や単体でメディアを成立するにはもう難しい時代にきているのかなと。このローカルメディアは、地域に関わりたい人たちにとって、この街で暮らす上で必要なツールになることができれば成功だと思っています」(影山さん)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

●取材協力
・まちまち眼鏡店
・HAGI STUDIO

空き家を日替わりで活用。地域住民によるコーヒー店から結婚式場まで 東京都調布市深大寺

東京都調布市深大寺で空き家問題に取り組むコミュニティ「空き家をスナックする会」。「まずやってみる」をコンセプトに、メンバー自らが空き家のDIY改装を行い、工作や料理のワークショップ、間借りでの店舗運営、さらには結婚式など、さまざまな形で活用している。発起人の薩川良弥さんに、活動の背景やこれまでの事例、今後の展望について聞いてみた。

地域の人たちと空き家の活用方法を模索

――はじめに「空き家をスナックする会」とはなんですか?

薩川良弥(以下、薩川):空き家を活用することによって、街の活性化につなげることを目的としたコミュニティです。メンバーはオンラインでつながり、アイデアを出し合いながら企画を固め、みんなで実践していくチャレンジ型のチームですね。2018年3月に立ち上げて、現在の会員数は70名ほどです。

「空き家をスナックする会」の運営者、薩川良弥さん(写真撮影/松倉広治)

「空き家をスナックする会」の運営者、薩川良弥さん(写真撮影/松倉広治)

薩川:現在、主に運営している元空き家のスペースは2箇所。調布の深大寺エリアにある「いづみや」と「COMORI」です。「空き家をスナックする会」のメンバーであれば利用が可能で、それぞれが企画を発案して自ら協力者を募り、これまでにさまざまな形で利用されています。

――「いづみや」、「COMORI」はどんな施設ですか?

薩川:「いづみや」は元お蕎麦屋さんでした。10年ほど空き店舗だった建物を改装し、今は地域に住むメンバーに間借りしてもらって日替わりのお店を運営しています。リアルな店舗で思い思いの“商売”ができるということで、人気の施設になっていますね。現在、月の半分は埋まっていますよ。

もう1つの「COMORI」は、一般的な二階建ての一戸建て住宅なのですが、静かに1人の時間を過ごす、お一人様向けの宿として運営しています。深大寺の自然を感じながら集中したり、何も考えずに過ごしていただくことができます。

――薩川さんはなぜ「空き家をスナックする会」をつくろうと思ったんですか?

薩川:私はもともとコミュニティマネージャーの仕事をしていて、場の運営とコミュニティづくりをメインに活動してきました。そのなかで「いづみや」の存在を知り、私なりに活用方法を模索してみたんです。

外観や看板は現在もそのまま使用している(写真撮影/松倉広治)

外観や看板は現在もそのまま使用している(写真撮影/松倉広治)

薩川:一般的な空き家活用って、フルリノベーション後に貸すか売るか、もしくは自分で運営するかじゃないですか。でも、私の場合は地域住民に“参加”してほしかったんです。住民のみなさんに改装や運営にも加わってもらい、空き家活用を体験してもらうことで長期的に街に愛される場所になるのではないかと思ったんです。そこで、空き家とコミュニティをセットにしたオンラインサロンとして「空き家をスナックする会」を開くことにしました。

――空き家問題という街の課題について、住民自らが考えるきっかけにもなりますね。

薩川:そうですね。自分自身も、そうやって住民たちが自ら盛り上げていくような街で暮らしたいと思いますし、メンバーも同じような気持ちで参加してくれているように感じます。

――なるほど。ちなみに、「空き家をスナックする会」の“スナック”の由来って?

薩川:以前、(芸人で著作家の)西野亮廣さんが「これからは産業がスナックする」と話されていたんですよね。スナックに集まるお客さんって美味しいお酒やツマミというよりは、コミュケーションを求めていると。だから、ママに「片付けといて」と言われたら、お客さんも働く。つまり、商品を提供して消費するだけではなく、一緒につくり上げることがこれからは重要なんじゃないかというお話で、まさにそのとおりと思ったんです。その象徴がスナックなんです。

――たしかに。みんなで場をつくっている感じがします。

薩川:だから、空き家もオーナーさん、地域住民、行政、地域の企業、みんながフラットな関係でつくれたらいいなと思い、スナックという言葉を用いました。

壁面のペイントや置物はお蕎麦屋さん時代からのもの(写真撮影/松倉広治)

壁面のペイントや置物はお蕎麦屋さん時代からのもの(写真撮影/松倉広治)

空き家のオーナーさんへ飛び込み提案のはずが……なぜか「茶飲み仲間」に

――活動を始めるにあたって、最初はどんな課題がありましたか?

薩川:一番大変だったのは、そもそも空き家が見つからないことでした。いや、空き家自体はあるんですけど、安く借りられて、自由にリノベーションして活用できるような“都合のいい空き家”なんて、実際にはそうそうない。建物自体は魅力的でも、オーナーさんの意向であまり大掛かりなことはしたくないというケースもありますからね。そこで、いい感じの建物を見つけるたびに、手紙を出していました。100件くらいには投函したと思います。

――100件! すごい行動力ですね。

薩川:そんなことを半年ほど続けましたが、実際にオーナーさんと出会えた数でいうと7~8人でしたね。そんな時に「いづみや」の賃貸情報が出たんです。不動産会社を介して物件を見学させてもらい、オーナーさんともお話しすることができました。ただ、不動産会社が設定した賃料が高くて……。当時、とてもそんな予算はありませんでした。

「いづみや」のオーナーさん(右)と話し込む薩川さん(画像提供/薩川良弥)

「いづみや」のオーナーさん(右)と話し込む薩川さん(画像提供/薩川良弥)

――どうされたんですか?

薩川:とにかく、必死に熱意を伝えました。「いづみや」でやりたい事業プランを持っていき、「現状の家賃では難しいのですが、ただただチャレンジしたいんです」と。当時のプランは、1階はコミュニティースペースとして運営し、2階は民泊として外国からの観光客向けに貸し出す、みたいなものでしたね。

――想いは伝わりましたか?

薩川:もちろん、すぐに結論は出ませんでした。ただ、オーナーさんには「信用できるやつだな」と認識していただけたようで、連絡を取り合うようになったんです。気付いたら、一緒にお茶をする関係になっていましたね。

――なんと……!

薩川:それから2~3カ月後くらいですかね、「1日だけお試しで営業してみる?」というようなことを言っていただきまして。僕はそこで「いづみやで何かしたい人は、きっといっぱいいます。僕が地域住民を集めるので、どのように生まれ変わらせるのがいいか、みんなで考える会を開きたいです」と提案しました。

オーナーさんは半信半疑でしたが、告知したところ一瞬で40席が埋まったんです。空き家の活用に興味がある人は多いだろうと思っていたけど、正直、ここまでの反応は予想していませんでしたね。オーナーさんも、ここまで人が集まるならと、私が管理することを条件にしばらく使わせてもらえることになりました。

地域住民と一緒に「いづみや」の活用方法を話し合った時の様子(画像提供/薩川良弥)

地域住民と一緒に「いづみや」の活用方法を話し合った時の様子(画像提供/薩川良弥)

――事業の内容云々の前に、薩川さん自身を認めてもらえたような感じですね。

薩川:そうであれば嬉しいですね。オーナーさんとは今も月に一度、活動の報告会をさせていただき一緒にお茶を飲んでいます。私はもちろん、オーナーさんも楽しそうで、良好な関係を築くための大切な時間になっていると思います。

ちなみに、「いづみや」の運営が始まってから4年が経った今も賃貸借契約は結んでおらず、オーナーさんのご好意で月額の家賃ではなく、その都度安価で貸していただいています。お金だけではなく、人と人との関係性によって成り立っているんです。「いづみや」でやりたいのも、まさにそれ。この場所で地域住民がつながることで、さまざまな街の課題を解決していきたいと思っています。

特に何もしなくても、人と人が自然につながるコミュニティが理想

――「いづみや」では、当初どんな活動をしましたか?

薩川:当初から今のような「間借り」で運用することを考えていたので、まずは飲食許可を取得するための改装を行いました。資金はクラウドファンディングで募り、最終的に200万円ほどのご支援をいただくことができました。

クラウドファンディング前の「いづみや」のキッチン(画像提供/薩川良弥)

クラウドファンディング前の「いづみや」のキッチン(画像提供/薩川良弥)

メンバーとキッチンを改装(画像提供/薩川良弥)

メンバーとキッチンを改装(画像提供/薩川良弥)

クラウドファンディングで支援を受け、生まれ変わったキッチン(画像提供/薩川良弥)

クラウドファンディングで支援を受け、生まれ変わったキッチン(画像提供/薩川良弥)

――間借りをする人はどうやって集めましたか?

薩川:口コミもありましたが、多くは実際に「いづみや」に来たお客様ですね。その日に入っているお店の人と話すなかで「私は木曜日だけ借りているんですよ」みたいな会話から少しずつ増えていきました。大々的に告知をしているわけではないので一気に借り手が増えることはありませんが、このゆるやかなスピード感と、こぢんまりとした規模感が逆に良いと思っています。

なぜなら、そのほうが関わるメンバー全員に当事者意識が生まれます。実際、掃除もみんなでやるし、お店の使い方も私が決めるのではなく、みんなで話し合っています。そうやって、みんなで少しずつ意見を出し合いながら運営していくスタイルが理想的だと思うんです。

――新しく加わる人もネットの情報だけではなく「場の雰囲気」を見て決めているから、ギャップを感じることも少なそうです。

薩川:そうですね。空き家活用ってなんとなくイケてる!お洒落!みたいなイメージだけが先行して、現場の実態を知らないまま来られてしまうと、ちょっと難しいように思いますね。正直、古い空き家って隙間風もすごいし、不便なところもたくさんあります。それに対して「ちゃんと管理して直してくれないと困るよ!」と言われてしまうと、少し辛いかなと。そんな部分も含めて、この場所を愛してくれる人と一緒にやっていきたいです。

――現在、どんな店舗が入られていますか?

薩川:今日(取材日)のコーヒー屋さんをはじめ、壺の焼き芋屋さん、バリ料理屋さん、薬膳カレー屋さん、チャイ屋さん、グルテンフリーカフェ、ほかにも単発でそば打ち体験イベントなどを開催しています。基本的には地域住民が多く、何かチャレンジしてみたい、この場を活用してみたい、という方々にご利用いただいています。

毎週木曜日に出店している自家焙煎コーヒー「みよし珈琲(344coffee)」。コーヒー豆は「いづみや」で焙煎している(写真撮影/松倉広治)

毎週木曜日に出店している自家焙煎コーヒー「みよし珈琲(344coffee)」。コーヒー豆は「いづみや」で焙煎している(写真撮影/松倉広治)

――薩川さんも毎日いるわけじゃないですよね? それでも問題なく運営できていますか?

薩川:そこは入居いただいているみなさんのおかげですね。本当に人柄が良い方ばかりで、私がここにいられない時でも安心して場を任せられます。それに、最近は私がいなくても、自然と人と人のつながりが生まれているんですよ。今日のコーヒー屋さんでも、ここでお客さん同士が出会い、ランチ仲間になったりしています。そうやって、こちらが特に何もしなくても勝手につながりが生まれていくのがコミュニティの本質だと思います。そういう意味では、順調に場が育ってくれているのかなと。

――過去にはここで結婚式もやられたそうですね。

薩川:はい。といっても、私の結婚式なんですが。いづみやで食事を提供し、裏の駐車場にミュージシャンを呼んで、野外パーティーみたいな結婚式でした。我ながら良い式だったなと思うので、次は他のカップルの結婚式もやりたいですね。

薩川さんの結婚式。オーナーさんもとても喜んでくれたそう(画像提供/薩川良弥)

薩川さんの結婚式。オーナーさんもとても喜んでくれたそう(画像提供/薩川良弥)

街の人たちの力を結集し、完成した「森の宿」

――もう一つのスペース「COMORI」の経緯も教えてください。

薩川:こちらも「いづみや」と同じオーナーさんの所有物件で、何年も空き家でした。そこで、サロンのメンバーだけでなく、「いづみや」で出会った方々と一緒につくり上げたんです。例えば、WEBデザイナーのメンバーにサイトをつくってもらったり、コーディネーターに家具を選定してもらったり。企画の段階からみんなで考え、みんなの力を借りながら一緒に形にしていきました。そのぶん、完成した時の喜びも大きかったですね。最初から理想としていた「空き家という課題を、街のみんなで解決する」ことができたのは、とても感慨深かったです。

深大寺の小さい森の中にある、お一人様用の宿「COMORI」(写真撮影/松倉広治)

深大寺の小さい森の中にある、お一人様用の宿「COMORI」(写真撮影/松倉広治)

茶室をイメージした和室(画像提供/薩川良弥)

茶室をイメージした和室(画像提供/薩川良弥)

空き家を通じて、街と街をつなげたい

――4年にわたり「いづみや」を運営してきて、街の人たちからの反応は変わってきていますか?

薩川:少しずつ「いづみや」の存在を認知していただいていると感じます。当初は深大寺という場所柄、観光客の方が中心だったのですが、最近は地域住民のお客様が増え、近所のお蕎麦屋さんなども世間話がてらお茶を飲みに来てくださるようになりました。大きなことではないかもしれませんが、4年かけて街の人が気軽に立ち寄ってくれる場所になったことは、素直に嬉しいですね。

今では地域の交流の場にもなっている(写真撮影/松倉広治)

今では地域の交流の場にもなっている(写真撮影/松倉広治)

――街に「いづみや」のような場所があるだけで、街がどんどん面白くなっていく気がします。今後はどんな展開を考えていますか?

薩川:「いづみや」も「COMORI」も古い建物なので、2階の積極的な活用は避けてきました。とはいえ、せっかくスペースがあるので、なんとか活用したいです。これもメンバーや街のみなさんと一緒に模索していきたいと思います。また、これからは他の空き家の活用も手がけていきたいですね。

オンラインサロンを通じて、それぞれのスタンスで空き家活用に関われる仕組みづくりも模索している(写真撮影/松倉広治)

オンラインサロンを通じて、それぞれのスタンスで空き家活用に関われる仕組みづくりも模索している(写真撮影/松倉広治)

――調布以外での活動も考えていますか?

薩川:そうですね。今は調布でコミュニティとして活動させてもらっていますが、空き家を通じて「街」と「街」がつながっていくようなことができたら面白いと思います。「空き家をスナックする会」がハブとなって人や情報をつなぐことで、姉妹都市のような関係性が生まれるかもしれません。そして、もしかしたら調布からそこに移住するメンバーも出てくるかもしれないですよね。

理想は、空き家を軸に他の街のコミュニティともつながっていき、その輪をどんどん広げていくこと。そのためにも、これからもチャレンジしていきたいですね。

全国的に増え続けている「空き家問題」。しかし、オーナーさんとつながることで、地域にとって意義のある場所へ変化させることができるかもしれない。今後、薩川さんが手がける空き家が楽しみだ。

●取材協力
空き家をスナックする会
深大寺いづみや
COMORI

省エネになる「木製内窓」に熱視線! 後付けもOK、樹脂や金属の窓枠と何が違う?

コロナ禍での経済活動の再開、おうち時間が増え、住環境の見直しをする人が増えています。住まいの省エネには窓のリフォーム、特に高性能な内窓の取り付けが効果的と言われています。そんななか、YKK APが木材・木建具事業者による木製内窓の商品化の支援を2021年に開始し、話題になっています。樹脂やハイブリッド(アルミと樹脂の複合)などとの違い、取り組みの背景などについて紹介します。

YKK APの窓の部材・部品を使って木製・建具事業者が自社ノウハウで製品化

今すでにある窓の内側に、もう一つの窓を取り付ける「内窓」。工事も簡易で、グリーン住宅ポイント制度や自治体の補助金などができるたびに話題になっていますが、昨今は光熱費の高騰などを背景に、「省エネになるらしい」「家の光熱費の節約にいいらしい」などとして、興味や関心を持つ人が増えています。

左はアルミ樹脂複合窓、右は樹脂窓(写真提供/YKK AP)

左はアルミ樹脂複合窓、右は樹脂窓(写真提供/YKK AP)

窓のサッシ(枠)の素材といえば、樹脂またはハイブリッド(アルミと樹脂の複合)が主流ですが、国産木材を使った、「木製内窓」にも関心が集まっています。高い断熱性能を持つ木製内窓を取り付けることで、元からある窓と付けた内窓の間に断熱効果のある空気層ができ、さらに木材のサッシは金属性に比べ熱を伝えにくいことから、より断熱効果を高めてくれます。木製内窓のメリットは大きく4つで、(1)断熱性が高まる(2)結露の軽減、(3)光熱費の節約、(4)木製素材ならではのあたたかみ、デザイン性があげられます。一方で、(1)価格が高くなる、(2)窓に求められる断熱や耐候性、おさまり(部材が美しく取りつけられた状態)などを確保するのが難しいといった難点があり、なかなか普及に至りませんでした。

今回、木製内窓を開発・発売したのは岐阜県岐阜市にある後藤木材で、その商品化を支援したのがYKK APです。YKK APといえば超大手、高性能な樹脂サッシを取り扱っていて、過去には木材を使った窓を生産していたこともあるといいます。今回、自社での開発でなく、木製内窓の商品化を支援する立場として“木製・木材加工のプロ”へ専用の部材・部品を開発し提供することに至った背景には、どのような理由があるのでしょうか。

木製内窓(写真提供/凰建設 森亨介さん)

木製内窓(写真提供/凰建設 森亨介さん)

「日本は森林資源も豊富にあり、木材は再生可能な材料でもあります。弊社でも活用を図ってきましたが、木材の調達加工、品質を確保しつつ製品化となるとやはり難しい。窓のことならすこしは得意なんですが(笑)、木材加工のプロである後藤木材さんに相談にいき『木材サッシ、木製の製品化にどうやって取り組むのがよいか』とヒアリングをしていたところ、『後付できる内窓をつくってみませんか?』という話になりました。こうした取り組みは初めてですので、お互いに手探りではじまったんです」と話すのはYKK APの住宅本部 住宅事業推進部商品企画部部長でもある山田司さん。

3年ほどの試行錯誤の末、YKK APが窓に必要な複層ガラスや部品や部材、ノウハウを提供し、後藤木材は独自の圧密技術(圧力をかけて木の強度を高める)の強みを活かして木材の調達や加工、組み立て、取り付けまでを行うという事業の枠組みができあがりました。
「YKK APが表にでるのではなく裏方になって、地方にたくさんある木材を扱う会社と組み、ネットワークを広げることが木製内窓にとってもよいのでは、という結論になりました」(山田さん)

木製内窓の提供イメージ。窓に必要な部品、部材、情報提供はYKK APが行い、木材加工ノウハウをもつ木材建具事業者が製品化する(画像提供/YKK AP)

木製内窓の提供イメージ。窓に必要な部品、部材、情報提供はYKK APが行い、木材加工ノウハウをもつ木材建具事業者が製品化する(画像提供/YKK AP)

木材・建具会社など13社から問い合わせ。試作品を製作した会社も

最近では伝統工芸×おもちゃなど、異なる業種・業態のコラボ商品やサービスを目にすることが増えましたが、今回の木製内窓は、「それぞれのプロフェッショナルが得意分野を活かす」という、ある意味で、「王道のコラボ」といえるかもしれません。YKK APは今回のビジネスモデルを後藤木材だけでなく、全国の木材加工・建具企業にも応用していきたいと考えているそう。

「2021年7月にプレスリリースを発表しましたが、13社から問い合わせがあり、6社が商品化を検討、1社が試作品の段階に来ています」と前出の山田さん。
驚いたのは、木材加工だけでなく、建具や家具といったいわゆる工芸品の会社からの問い合わせがあったことだそう。確かに欧米のインテリアと比較した場合、窓のデザイン面では現在の内窓は物足りなさを感じてしまうのが現状です。さまざまな木材加工のノウハウを持つ会社が木製内窓に参入することで、技術面や価格面でも新しい発見があることでしょう。

窓次第で部屋の雰囲気はぐっと変化する(写真提供/YKK AP)

窓次第で部屋の雰囲気はぐっと変化する(写真提供/YKK AP)

「窓辺を美しくしたいという潜在的な需要はありそうですし、何より日本には豊富な森林資源があります。1社で完結するのではなく、他社と強みを活かしつつ、窓の高性能化、断熱化を図っていけたらいいですね」と続けます。

10cmあれば取り付け可能。極薄で高性能な「木製サッシ」

一方、部材の提供を受け、木製内窓の開発にあたった後藤木材の後藤栄一郎社長と内外装事業部上條武さんは、地元の工務店である凰建設の森亨介専務とともに、数年前から木製サッシの製品化に興味を持っていたといいます。

「弊社は杉・ひのきという柔らかい木を複数層重ねて圧縮して強度を増す独自の技術を持っており、床材、テーブルカウンターなど幅広い用途で商品展開をしてきました。また、ユーザーと接点を持つ工務店の意見を聞きたいと、数年前から森さんとも懇談・勉強を重ねてきました。以前に木製窓をつくったこともあったんです」(後藤社長)。

とはいえ、木製サッシを自社のみでつくるのは容易ではなく、風圧や遮音、気密、断熱といった性能については、森さんにリスクを負ってもらうかたちとなり、性能面でもしっかりとしたものを世に送り出したいという思いを抱いていたそう。

「今回、内窓の製品化にあたっては、富山県にあるYKK APの技術施設に行き、木製内窓の試作品確認会や検証試験を行い、強度、施工のしやすさ、おさまり、断熱、防音など徹底的に試験でき、樹脂の内窓と同程度の性能が担保できました」(上條さん)といい、胸を張って送り出せる「木製内窓」が完成したそう。

驚くべきはその薄さで、なんと10cm! 自然素材である木材は節などがあるため、薄くて強度を出すのは容易ではないそう。一方で、10cmという薄さを担保したことで、既存のマンションや一戸建ての窓に施工しやすく、多くの窓に取り付けることができ、見た目にも美しく収まります。

断熱性や気密性といった性能面、薄さを両立(写真提供/後藤木材)

断熱性や気密性といった性能面、薄さを両立(写真提供/後藤木材)

「完成した内窓を今回、我が家で取り付けましたが、施工時間や手間などは樹脂の内窓とほぼ変わりません。なれてくれば1窓1時間あれば施工可能になりそうです」(森さん)

木製内窓を組み立てる様子。10cmと薄いため、マンション/戸建てともにおさまりのよい商品に。木枠ってやっぱり見ていて惚れ惚れします……(写真提供/後藤木材)

木製内窓を組み立てる様子。10cmと薄いため、マンション/戸建てともにおさまりのよい商品に。木枠ってやっぱり見ていて惚れ惚れします……(写真提供/後藤木材)

欧米の高性能窓に遜色なし。日本の技術を集めた窓に木製内窓を取り付けたところ。YKK APが誇る高性能樹脂窓「APW430」と遜色ない断熱性の数値を出せるそう(写真提供/凰建設 森亨介さん)

木製内窓を取り付けたところ。YKK APが誇る高性能樹脂窓「APW430」と遜色ない断熱性の数値を出せるそう(写真提供/凰建設 森亨介さん)

左側が内窓を取り付けていない箇所、右側が内窓を取り付けた箇所のサーモ画像。左側の窓は青みが強く、右側の窓は緑色になっていて、温度に差があることがわかります。「暮らしがてきめんに変わったということはありませんが、気がつくと快適」(森さん)といいます(写真提供/凰建設 森亨介さん)

左側が内窓を取り付けていない箇所、右側が内窓を取り付けた箇所のサーモ画像。左側の窓は青みが強く、右側の窓は緑色になっていて、温度に差があることがわかります。「暮らしがてきめんに変わったということはありませんが、気がつくと快適」(森さん)といいます(写真提供/凰建設 森亨介さん)

木製内窓の第一号は、ともに研究をしてきた森さん宅の住まいに設置。もとから木のぬくもりを感じる住まいでしたが、木製内窓が違和感なくなじみ、「元からこのような住まいだったのでは?」と見紛うほど。

「住んでしまうとすぐに慣れてしまい以前との差が分かりにくいのですが、朝晩の冷えは気にならなくなりましたし、やはり常に快適です。また、既存の窓と内窓をあわせるとYKK APさんのトリプルガラスのAPW430を上回る熱貫流率0.84w/(平米・K)の性能が出せるように。木製の内窓でここまで性能値を出している商品はないので、自信をもっておすすめできます」と森さん。

ちなみに、森さんがこの木製内窓と相性がよいと考える住まいは、(1)既存~新築マンション、(2)2005年~最近に建てられた一戸建て、(3)防火地域に建てる新築一戸建てだそう。

「特に(1)マンションの場合、窓部分は共用部のため、個人で簡単には窓を取り換えることができませんが(新築・中古ともに)、こうした内窓であれば取り付けやすいでしょう。マンションは躯体自体の断熱性は高いものの、北側は底冷えしたり、直射日光を強く受ける夏場は冷房効率も悪くなるので、弱点ともいえる窓の部分を対策するのにお金をかける価値は十分にあることでしょう」

(写真提供/凰建設 森亨介さん)

(写真提供/凰建設 森亨介さん)

「現在13社から問い合わせがありますが、木製内窓の商品化支援を進め、もっとつながりをつくっていきたいですね。後藤木材様をはじめ、今後、商品化される事業者の技術やノウハウを蓄積・共有することで、生産性向上やコストダウンにもつなげていただきたいと思います。また、森林資源の活用をして、地域活性化にもつなげていただきたいと思います」(山田さん)

後藤木材の後藤さんも、地域活性、森林資源の活用を課題に挙げます。
「戦後に植林された木材は今、使い時を迎えています。1本の丸太からさまざまな製品をつくりたいですし、地域で使って、地域にお金を落としていきたい。今回のように業界や会社の垣根を超えて、知恵を出していけたら」といいます。

森さんは、「今回の内窓のように大勢の人が集まっていいものをつくっても、住まいに採用されなかったとしたらあまりにさみしいので(笑)、まず知ってもらうこと、そして体感してもらうことが大切だと思います。日本の住まいの高断熱化は、本当に窓がカギとなっているので」と力説します。

今年は、「こどもみらい住宅支援事業」がはじまり、記事で紹介した内窓「ゴトモクのウチマド」を使ったリフォームも補助対象となっています。もし、「家が寒い」「光熱費が高い」と気になっているのであれば、この木製内窓、ぜひ検討してみてはいかがでしょうか。ちなみに我が家は2012年築、省エネ等級4ですが、この冬の電気代は3万円を超えました。今、真剣に検討中です。

●取材協力
YKK AP
後藤木材
凰建設 

佐賀県庁の食堂は県民集まるおしゃれカフェ! 住民向けイベントも。デザインはOpenA

セルフサービス方式のカフェの受付、木材の貼られたカウンターの脇にはランチやスイーツの品書きの黒板が。スチールパイプと木のシンプルなテーブルや椅子が並ぶラウンジ。ランチの混み合う時間を終えると、一角ではセミナーのためにプロジェクターを設置して、それに合わせてテーブルを並べ替えしている人々の姿が見える。洒落た大学キャンパスのカフェラウンジのようにも見えるが、ここは「県庁の地下食堂」(佐賀県佐賀市)だという。

県庁の職員食堂を、市民に開かれたカフェラウンジに

「放課後の時間になると、ライトコートに面したテーブルで近所の県立高校の生徒が自習している姿が見られます。役所の暗い地下食堂……から明るく開放的に一新され、職員だけでなく市民が訪れてくれる空間に生まれ変わりました」と話してくれたのは、佐賀県庁・総務部人事課の佐藤優成さんだ。

きっかけは、テナントとして入居し、県庁職員向けの食堂を経営していた事業者の経営不振からの撤退だった。県庁職員の昼食の受け皿である大切な食堂だが、佐藤さんによると「中小企業診断士に調査してもらったところ、職員の昼食需要だけでは採算が取れず経営が成り立たないという結果でした」という。そこで「県庁に訪れる市民や周辺住民にもランチ需要だけでなくホテルラウンジ的なカフェとして利用していただく方針とし、プロポーザル方式で事業者を募りました」(佐藤さん)と説明してくれた。

カフェのメニューやイベントなどの提案内容から、運営事業者としてサードプレイスが選定された。2018年3月に客席部分のみ整備してプレオープン、その後、厨房スペースの改修を行い、同年9月に佐賀県庁地下ラウンジ「SAGA CHIKA」がフルオープンした。
カフェはセルフサービス方式で、ラウンジは誰もが自由に出入りできる。職員や市民にとって、持ち込んだ飲み物やお弁当を食べることもできる、パブリックな空間という位置づけだ。

「SAGA CHIKA」の一角、セルフサービス方式のカフェ「CAFE BASE」。カウンター脇の黒板に、日替わりのランチ、スイーツのメニューが並ぶ(写真撮影/村島正彦)

「SAGA CHIKA」の一角、セルフサービス方式のカフェ「CAFE BASE」。カウンター脇の黒板に、日替わりのランチ、スイーツのメニューが並ぶ(写真撮影/村島正彦)

ラウンジには、誰もが自由に出入りでき、飲み物やお弁当を持ち込むことも可能だ。地下だがライトコートからの視線を遮らないことで、外光を感じられる空間となっている(写真撮影/村島正彦)

ラウンジには、誰もが自由に出入りでき、飲み物やお弁当を持ち込むことも可能だ。地下だがライトコートからの視線を遮らないことで、外光を感じられる空間となっている(写真撮影/村島正彦)

会議やセミナーにも使える柔軟な利用、県産食材の売り場スペースも

「SAGA CHIKA」の改修・インテリアなどを担当したのは、OpenA(オープン・エー)だ。
OpenAは、建築設計を中心にリノベーション、公共空間の再生、地方都市の再生、本やメディアの編集・制作などまで、幅広く行っている。
企画・デザインを担当したOpenAの加藤優一さんは、「既存の空間をスケルトン状態にして、間仕切りフレームと移動可能なテーブル・椅子などを設けることで、様々な活用ができる緩やかな空間にしました」と話す。間仕切りやカウンター、ロングベンチなどには、佐賀県産のスギ材を用いた。

「SAGA CHIKA」の一角のカフェ「CAFE BASE」を運営するのは、サードプレイスの清田祥一朗さんだ。県庁も立地する佐賀城内地区にある県立博物館のカフェの運営も行っている。
清田さんは、隣県の福岡県出身で、オーストラリアで経験したカフェ文化に触れたことで、カフェ経営に夢を描いたのだという。その後、学生時代を過ごした佐賀に住まいを移し、現在は佐賀市内で3店舗を経営している。
県内の農家との繋がりを大切にして、県産の食品を使った料理を提供するとともに、ラウンジ内では佐賀県産の小麦粉や野菜、醤油・味噌など加工食品の販売も行っている。

既存の空間をスケルトン状態にして、間仕切りフレームと移動可能なテーブル・椅子で構成した(写真撮影/村島正彦)

既存の空間をスケルトン状態にして、間仕切りフレームと移動可能なテーブル・椅子で構成した(写真撮影/村島正彦)

間仕切りフレームやテーブル・椅子には県産材のスギ材を活用した(写真撮影/村島正彦)

間仕切りフレームやテーブル・椅子には県産材のスギ材を活用した(写真撮影/村島正彦)

カフェカウンターの脇では、佐賀県産の小麦粉がレシピカード付きで販売されている(写真撮影/村島正彦)

カフェカウンターの脇では、佐賀県産の小麦粉がレシピカード付きで販売されている(写真撮影/村島正彦)

羊羹、醤油、味噌など、佐賀県の名産品が販売されている。会計は、カフェカウンターで(写真撮影/村島正彦)

羊羹、醤油、味噌など、佐賀県の名産品が販売されている。会計は、カフェカウンターで(写真撮影/村島正彦)

ワークショップ、イベント開催で市民が足を運び親しまれる県庁に

2022年3月現在、「SAGA CHIKA」フルオープンから約3年半が経つ。
清田さんは「2020年春からの新型コロナウイルスの蔓延で、当初考えていたイベントなど満足に行えない状況ではあります。これまで、コーヒーセミナーや味噌づくりワークショップ、お酢のメーカーのトークイベントなど、地域の食関連の会社と連携しながら、市民の方にSAGA CHIKAに足を運んでもらうきっかけづくりを行っています」と話す。

また、カフェラウンジは、職員で混み合う昼休み以外は県庁内や外部の会議やセミナーにも場所貸しをしている。ラウンジのスペースを4つのブロックとして、事業者が県と協力してイベントなどを開催することは予約制で利用できる。取材で訪れた日には、ラウンジの一角で県の流通貿易課の民間事業者向けのセミナーが開催されていた。

人事課の佐藤さんは「旧来の職員食堂は、主に昼休みに職員だけが利用する場所になっていました。刷新されてオープンなスタイルになったSAGA CHIKAには、市民の方が足を運んでくれるようになり、施設の利用価値も高まり、県の発信する情報に触れていただく機会も増えたと思います」と話す。

エレベーターホールから「SAGA CHIKA」の入り口部分に当たる空間は、2021年4月に「SAGA TRACK」というスポーツ情報発信スペースとしてオープンした。2024年開催の「SAGA2024(佐賀国民スポーツ大会)」を市民にアピールする施設だ。佐賀県出身の柔道家、故・古賀稔彦氏のバルセロナ五輪のメダルや、「SAGA2024」のために整備が進められている「SAGAサンライズパーク」の模型展示など、「SAGA CHIKA」へ訪れる市民への広報にも一役買っている。

カフェを運営するサードプレイスでは、地元の食材関連の会社と連携してワークショップなど企画・開催している。写真は、お酢メーカーのトークイベントの様子(写真撮影/清田祥一朗)

カフェを運営するサードプレイスでは、地元の食材関連の会社と連携してワークショップなど企画・開催している。写真は、お酢メーカーのトークイベントの様子(写真撮影/清田祥一朗)

この日は、ラウンジの一角で県の流通貿易課の民間事業者向けのセミナーが開催されていた(写真撮影/村島正彦)

この日は、ラウンジの一角で県の流通貿易課の民間事業者向けのセミナーが開催されていた(写真撮影/村島正彦)

「SAGA CHIKA」のエントランス脇には、2021年4月に「SAGA TRACK」が整備、オープンした。これは、2024年開催の「SAGA2024」のPR施設という位置づけだ。空間デザイン監修をOpenAが行った(写真撮影/村島正彦)

「SAGA CHIKA」のエントランス脇には、2021年4月に「SAGA TRACK」が整備、オープンした。これは、2024年開催の「SAGA2024」のPR施設という位置づけだ。空間デザイン監修をOpenAが行った(写真撮影/村島正彦)

用事がないと訪れない、市民には馴染みの薄い県庁。「SAGA CHIKA」は、リノベーションによって、職員の昼食利用のニーズに応えると共に、地域に開かれ、ランチやコーヒーを楽しむ市民の憩いの場に。「お堅い印象、入りづらい」をデザインの力と、カフェ事業者の企画・運営力による、市民に親しみやすい公共空間づくりの成功例と言えるだろう。

●取材協力
・佐賀県総務部人事課
・OpenA
・サードプレイス

ニューヨーカー、日本に魅了され自宅を「Ryokan(旅館)」にリノベ! 日本の芸術家は滞在無料

ニューヨーク・マンハッタンの繁華街にある、8階建てのビル。エレベーターで上階に上がるまで、このビルの中に「和の空間」が存在しているなんて誰が想像できるでしょう?
持ち主は、26年前の訪日以降、日本の大ファンになり日本の文化に敬意を表すニューヨーカーの男性です。一体彼はなぜ、自宅を和室空間にリノベーションしたのでしょうか? お部屋を見せてもらいました。

訪日で日本文化に魅了され、自宅を和の空間に大改造

ニューヨーク・マンハッタンのダウンタウン地区。地下鉄ユニオンスクエア駅から徒歩5分の便利な場所に、煉瓦造りのコンドミニアム(日本でいう分譲マンションにあたるもの)があります。この辺ではよく見かける 歴史的なヨーロッパ建築の8階建てビルです。

エレベーターで7階に上がり、廊下の奥のドアを開けると、なんと2間の「和室」が広がっています!

京都から取り寄せた畳以外の和の素材は、アメリカ現地で調達したもの。全部で約700スクエアフィート(65平米)(写真撮影/安部かすみ)

京都から取り寄せた畳以外の和の素材は、アメリカ現地で調達したもの。全部で約700スクエアフィート(65平米)(写真撮影/安部かすみ)

持ち主は、スティーブン・グローバス(Stephen Globus)さんというマンハッタン生まれ・育ちの生粋のニューヨーカーです。彼は26年前、出張で初めて日本を訪れ、京都・龍安寺の冬景色の美しさに息を呑んだと言います。その後も、東京・新宿の友人の日本家屋に滞在する機会が幾度かあり、「畳の生活」に魅了されたそうです。

ニューヨークに戻ってからも「畳の間が恋しい」と思うようになり、当地にある日系の施工会社、MiyaSに相談したところ、ニューヨークでも和の空間をつくることができると知り、早速自宅の大改築を依頼。2004年に完成したのが、この和室空間なのです。

茶会用に水屋も備わっている(写真撮影/安部かすみ)

茶会用に水屋も備わっている(写真撮影/安部かすみ)

床の間(写真撮影/安部かすみ)

床の間(写真撮影/安部かすみ)

「日本人はチェックアウトの際、必ず来た時よりも綺麗に掃除して出発しますね」と感心する、家主のグローバスさん。お気に入りの浴衣を羽織って(写真撮影/安部かすみ)

「日本人はチェックアウトの際、必ず来た時よりも綺麗に掃除して出発しますね」と感心する、家主のグローバスさん。お気に入りの浴衣を羽織って(写真撮影/安部かすみ)

構想の段階では、ただ「自分のために和室を」いうコンセプトでしたが、完成すると噂は瞬く間に広がっていき、「茶室として利用できないか?」という周囲のリクエストが多く集まったそうです。それに応え、せっかくなので茶室として一般向けに、スペースの提供を始めました。そうして茶会イベントが徐々に増え、日本人や日系の人々、日本文化が好きな地元の人の間で「話題の場所」になりました。

ただ、ここはそもそも茶室専用に つくったわけではなかったため、茶道口(点前をするときの亭主用の出入り口)や炉(ろ)がない状態です。本格的な茶会イベントが頻繁に行われると、どうしても不便が生じてしまうようになりました。

そこでグローバスさんは、今度は8階の別の自室スペースとペントハウスのスペースを利用して、本格的な茶室にリノベをしたのです。そうして誕生したのが「グローバス和室」(憩翠庵)でした。

現在は、7階を「グローバス旅館」としてアーティスト向けのゲストハウスにし、8階とペントハウスの「グローバス和室」を、当地在住の茶の講師(表千家流、上田宗箇流)に使ってもらい、一般向けに茶会を定期的に催しています。

8階は茶室スペースの「グローバス和室」。写真は昨年12月に行われた着物の展示イベント(写真撮影/安部かすみ)

8階は茶室スペースの「グローバス和室」。写真は昨年12月に行われた着物の展示イベント(写真撮影/安部かすみ)

「グローバス旅館」について特筆すべきは、ここはアーティストであれば「無料」で滞在できる場所ということです。その理由をグローバスさんに聞いてみると、「私は芸術が好きなので、日本とアメリカの文化交流の場をつくりたいのです。才能ある日本人アーティストにニューヨークで夢を叶えてほしい」と言います。

「予算が限られた中で活動をしている芸術家が多く、いざニューヨークでアート活動と言っても滞在費用はかさみますから、才能ある芸術家のサポートができたら嬉しいです」。つまり、ここで芸術活動をしてもらう代わりに、無料でこの和室空間を彼らの滞在先として提供したい、ということなのです。

これまで滞在したアーティストやパフォーマーの数は100人を優に超え、茶会、絵の展示会やライブ・ドローイング・パフォーマンス、生け花、舞踊、琴や三味線などの演奏会、着物の展示会などさまざまなイベントが行われてきました。

例えば2016年、当地在住の日本人カップルのために、福岡県の宮地嶽神社から宮司や巫女を招き、神前結婚式を行っています。「その時は6人の巫女さんが当旅館に滞在しました」(グローバスさん)。

グローバス旅館の奥の部屋(写真撮影/安部かすみ)

グローバス旅館の奥の部屋(写真撮影/安部かすみ)

2部屋にある布団は3人分なので、それ以上のグループでは過去に、寝袋で滞在した人もいたそうです。「私の提供しているものは、カルチュラル・グッドウィル(文化に絡んだ親善活動)です。つまり私がトップアーティストを支援したいという気持ちによるものですから、(通常の)ホテルやホテルのようなサービス、アメニティがここにあるわけではないことをご理解ください」。そして、「ニューヨークで夢を叶えてもらって、私が日本に行った時に彼らのプログレス(進化)を見るのを楽しみにしているんですよ」と、目を輝かせながらグローバスさんは言います。

ここでの芸術イベントおよび滞在に興味があれば、下のウェブサイトの「Contact」から問い合わせてみてください。

障子の外は、ニューヨークの日常の景色が広がっている。室内は外界の音が遮断され、ここがマンハッタンというのを忘れてしまうほど静か(写真撮影/安部かすみ)

障子の外は、ニューヨークの日常の景色が広がっている。室内は外界の音が遮断され、ここがマンハッタンというのを忘れてしまうほど静か(写真撮影/安部かすみ)

2年に及ぶコロナ禍。年の大半をビーチで過ごす

普段はベンチャー・キャピタリストとして活動するグローバスさん。2020年春、ニューヨークで新型コロナウイルスの感染が大拡大し、人々の間ではリモートワークがニューノーマルとなりました。これを機に州外や国外に居住地を移した人も多いです。

グローバスさんも人口密度が高く、ウイルスが蔓延する市内に留まることをやめ、2020年と2021年はそれぞれ5月から11月の間、セカンドハウスのある郊外のロングアイランド(ニューヨーク州南東部に広がる 地域)にある、車の通行が禁止されている島、ファイアーアイランドのビーチハウスで生活しました。

また今年頭まで、家族の住むフロリダやヨーロッパ、そしてハワイにも滞在。「仕事をしている以外は、人の密度が低いビーチを散歩するような生活でした」と、すっかり大自然の中で充電してきた模様です。

州民の大多数がワクチン接種を完了し、感染状況が落ち着きつつあるニューヨークには、2月に戻ってきたばかりです。避難生活中も着物の展示イベントなどを開催し、そのようなイベントを行うたびに、スーツケースを抱えて、戻って来ていました。

久しぶりに故郷であるニューヨークに戻り、アメリカ用につくられたやや深めの堀ごたつに腰掛けてくつろぐグローバスさん。「やっぱり和の空間は心が落ち着きますね」と言いながら、心底リラックスしているようでした。

●取材協力
グローバス和室
グローバス旅館(ゲストハウス)
889 BroadwayNew York, NY 10003

パリの暮らしとインテリア[13] アーティスト河原シンスケさんが暮らす、狭カッコいいアパルトマン

パリを拠点に活動するアーティストの河原シンスケさんは、若者に人気のエリア、バスティーユに暮らしています。話題のレストランやショップが次々と誕生するそばで、庶民の市場やおじさんたちのカフェが健在しているミックス感が、とても居心地良いのだそう。アーティスト・河原シンスケ(かわはら・しんすけ)さんの住まいにおじゃましました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

今の自分に合わせて選んだ、コンパクトな住まい

ヨーロッパ、アメリカ、アジアの、さまざまな都市を舞台に活動するアーティスト、河原シンスケさん。日本に生まれ、武蔵野美術大学を卒業し、アーティスト活動を始めてからはパリに暮らしています。

河原さんのアートに頻繁に登場する動物、うさぎ。うさぎをモチーフにしたオブジェが室内のあちこちに点在している。うさぎの黒いキャンバス画は河原さんの作品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんのアートに頻繁に登場する動物、うさぎ。うさぎをモチーフにしたオブジェが室内のあちこちに点在している。うさぎの黒いキャンバス画は河原さんの作品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

その生活は文字通り移動の連続で、フランスでエルメスとのコラボレーションを続けつつ、東京都南青山にあるギャラリーSCÈNEや宮城県仙台市の仙台うみの杜水族館、ブリュッセルの@elevensteens 等で展覧会を開催する、といった具合。フットワークの軽さは引越しにも影響するのか、パリ暮らしの約30年の間に、なんと7回も住居を変え、そのたびに改装を重ねたそうです。

「パリで最初に住んだワンルームは、レピュブリック広場近く、今人気の北マレにある小さな住まいでした。そのあとでエッフェル塔の正面にある住まいや、90平米もある歴史的なアパルトマンなど、広さも、建築年代も、さまざまな住居に暮らしました。8年前に引越してきた今の住まいは、日本式でいう1階(海外では日本の2階部分を1階と数える)にあります。日本やフランスの地方都市への移動が多くなったころに、生活をコンパクトにしたいと思って、これまで住んだことがない20平米のワンルームを買いかえました」と、河原さん。

住まいの目の前は車の入らない路地。通行人の行き来もあまり激しくなく、若者エリアにありながらエアポケットにいるよう。古き良きパリの風情の中に、若者に人気のレストランが点在している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

住まいの目の前は車の入らない路地。通行人の行き来もあまり激しくなく、若者エリアにありながらエアポケットにいるよう。古き良きパリの風情の中に、若者に人気のレストランが点在している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

20平米はともかく、フランスでは1階の物件は人気がありません。集合住宅の入り口の階なので、人が出入りするたびにドアを開閉する音が響いたり、窓の目の前を通行人が行き来したり。都市の喧騒がそのまま住空間の中に入ることが、敬遠される理由です。日当たりも良くありません。住みにくいことが大前提になっている証拠に、かつて建物の入り口脇の1階は、管理人が暮らすスペースの定番でした。そこをなぜあえて、河原さんは選んだのでしょう?

「移動が多い私にとって、スーツケースを簡単に出し入れできる1階の住まいは何より楽です。段差がないので、作品の搬出の際も便利。そしてコンパクトな住まいは戸締まりが簡単で、セキュリティ面の心配も少ないでしょう。以前、90平米に住んでいた時は、出張のたびにチェックポイントが多くてなかなか面倒でした。今は東京からパリに戻って荷物を置いて、そのままブリュッセルへ出張、ということもとても楽にできます」

あえて暗く演出した室内はひっそりとしたムードがあり、とても落ち着く。壁画アートに見える木製の壁は、全て収納の扉(写真撮影/Manabu Matsunaga)

あえて暗く演出した室内はひっそりとしたムードがあり、とても落ち着く。壁画アートに見える木製の壁は、全て収納の扉(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階には1階のメリットがある。これは意外な発見でした。でも、日当たりや通行人による騒音はどうでしょう?

「もちろん日当たりの良い住まいの方が、悪い住まいよりはいいですよね。でも住まいというのは、その時その時の予算の中で、自分が何を優先するかで決まると思うのです。これから先また変わるとしても、今の私にとっての優先順位はまず、移動が楽な1階であること、そしてコンパクトであること。その優先順位の中で納得のいく物件を選び、そしてその中で、自分にとって暮らしやすい空間づくりに挑戦したいと思いました」

「狭くて落ち着く大人な場所」を表現

「自分にとって暮らしやすい空間」をつくる! そう明確な意図があった河原さんは、物件を購入するや否や大改装に着手しました。入り口のドアを塞ぎ、逆に塞がれ使われていなかったほうのドアを開け、こちらを入り口に変更。リビング側から住まいに入るつくりに変えました。リビングの奥に続く細長い空間は、キッチン兼バスルームに。システムキッチンは、奥行きをリビングとの仕切りになった入り口の開口に合わせてオーダーメイドしたものです。そのおかげでシステムキッチン全体が壁面のようにペタンと空間に収まり、全く圧迫感がありません。

リビングの開口に合わせて、ペタンと平面になるようデザインしたシステムキッチン。その向かいにバスタブが設置されている。洗濯機とトイレも、バスタブの延長に並列(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングの開口に合わせて、ペタンと平面になるようデザインしたシステムキッチン。その向かいにバスタブが設置されている。洗濯機とトイレも、バスタブの延長に並列(写真撮影/Manabu Matsunaga)

オーダーメイドのシンクは奥行き約30cmとコンパクト。収納扉の取っ手は、バーナーを使って自分で焼き色を入れ加工した。河原さんは料理の腕前も有名。シンプルでおいしいおしゃれなレシピを日本の雑誌で連載中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

オーダーメイドのシンクは奥行き約30cmとコンパクト。収納扉の取っ手は、バーナーを使って自分で焼き色を入れ加工した。河原さんは料理の腕前も有名。シンプルでおいしいおしゃれなレシピを日本の雑誌で連載中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンに立った時に、背の側になる壁面がバスタブとトイレです。こちらも、リビングからの開口部の幅に合わせた奥行きにそろえて、スッキリと造り付けました。なんと、今バスタブが置かれている壁面が、以前の入り口ドアの場所だというのですから、河原さんの大改装がどれだけ抜本的なものだったのか想像できるというものです。白いパネル式のスライドドアでトイレや洗濯機をカバーして、1枚の壁にして隠す仕組みも、河原さんの考案によるオーダーメイドです。

「一人暮らしだからこんなことも可能」と、大胆な場所に設置したバスタブ。なんと今はタイルで覆われている壁が、物件購入時にはドアだった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「一人暮らしだからこんなことも可能」と、大胆な場所に設置したバスタブ。なんと今はタイルで覆われている壁が、物件購入時にはドアだった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンの向こうは小さな中庭。リビングの窓と合わせて、窓はトータル2カ所ある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンの向こうは小さな中庭。リビングの窓と合わせて、窓はトータル2カ所ある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「小さな住まいだからといって、学生の一人暮らしみたいな場所にはしたくありませんでした。これまでもずっとそうでしたが、ここでも『真似できない独特の空間をつくる』ことをポリシーに、住まいづくりをしています。もし家族がいたら20平米は狭すぎるでしょうし、予算は同じでも優先したいこと、しなければならないことは他にあったでしょう。でも私は今一人で、自分が満足するための空間づくりに集中することができるのです。ここには『狭くて落ち着く大人な場所』をつくりたいと思いました」

居心地の良さに必要な条件は、どうやら広さや日当たりにあるとは限らないようです。河原さんの住まいに居ると、確かにそう感じます。今の自分が満足するには何を優先するべきか、そこがカギになる、とスッと納得できるのです。では、1階にあるこの20平米がなぜ心地よいのか、そのポイントを探っていきましょう。

キッチンとリビングの間の開口部上に、トレーニング用のバーを設置。ジムの役割も備え、今の自分にとって必要な全てを装備した空間に。2カ月間続いたコロナ禍のロックダウン中も、この住まいのおかげで快適に過ごすことができた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンとリビングの間の開口部上に、トレーニング用のバーを設置。ジムの役割も備え、今の自分にとって必要な全てを装備した空間に。2カ月間続いたコロナ禍のロックダウン中も、この住まいのおかげで快適に過ごすことができた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

床暖房と、暗い照明

まず、住空間の快適さのために、河原さんは床暖房を取り入れました。床暖房は暖房装置としての性能が優れていることに加え、もし暖房器具を取り付けるとなった場合に必要な、気に入ったデザインを見つける時間や労力をまるまるカットすることができます。多忙な人ならなおのこと、この素早いジャッジは参考にしたいところです。さらには、暖房器具そのものを住空間に取り付けなくて済む、という大きなメリットもあります。小さい住まいにとって、電気機器等の家電の出っ張りは、できればない方がありがたい!

暖房器具としても、装飾のオブジェとしても、活躍している暖炉。暖炉はもともとあったものを残した。来客のあった時などにムードづくりも兼ねて使用するとか。暖炉の奥行きと窓の開口に合わせて、壁面収納をオーダーした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

暖房器具としても、装飾のオブジェとしても、活躍している暖炉。暖炉はもともとあったものを残した。来客のあった時などにムードづくりも兼ねて使用するとか。暖炉の奥行きと窓の開口に合わせて、壁面収納をオーダーした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そして照明。1階であるが故の暗さをカバーするために、天井にスポットを付ける、という発想が一般的なところですが、河原さんはその反対。できるだけ暗くする目的で、アンティークやヴィンテージのライトを採用しました。

うさぎモチーフのネオンを照明に。明るさを抑えた照明をいくつも組み合わせるのが、心地よさのポイント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

うさぎモチーフのネオンを照明に。明るさを抑えた照明をいくつも組み合わせるのが、心地よさのポイント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「ライティングはくつろぎの演出にとってとても重要な要素です。落ち着きやリラックス感を得られるよう、できるだけ暗い照明にしたいと思いました。ライトの他に、キャンドルも毎日の生活に取り入れています」

『狭くて落ち着く大人な場所』は、床暖房の快適さと、抑えた照明がポイントであると言えそうです。実は、リビングにある唯一の窓の前には、屏風が置かれています。自然光をさえぎるのはもったいない、と多くの人が思うところですが、こうすることで窓の前を歩く通行人の存在が気にならず、なんとも言えない隠れ家的ムードが生まれるのでした。

窓の前の屏風は、河原さんの作品。ここにもうさぎが登場している。花は河原さんの生活に欠かせない大切なディテール(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓の前の屏風は、河原さんの作品。ここにもうさぎが登場している。花は河原さんの生活に欠かせない大切なディテール(写真撮影/Manabu Matsunaga)

既製品に手を加えて、自分だけのオリジナル家具に

あえて照明を暗くして、心地よさを演出した小さな住まい。コンパクトだからこそ、空間を最大限に生かすために、システムキッチンや収納をオーダーすることが不可欠だったことがわかりました。照明と、造り付けのオーダー家具の他はどうでしょう? 他の部分の、心地よさのポイントは? そう思って河原さんの住まいを眺めて気づくのは、目に入る全てが河原さん流だということです。

「コンパクトな生活をしたくて決めた20平米の暮らしでしたから、持ち物も厳選して、徹底的にミニマムにしました。ここには必要なもの、気に入っているもの、実際に使うものしかありません。小さい子どものいる家だったら、お客さん用の食器と普段使いのものを使い分けた方が安心です。でも、ここはそうではない。気に入っていて、使う食器だけがあれば十分で、たくさん持つ必要がないのです」

リビングのベッドは毎朝布団を収納に片付け、毎晩眠る前にベッドメイキングしている。毎日きちんとやるのは大変だ、と思ってしまうが「日本の布団だってそうでしょう?」と言われてみれば確かにそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングのベッドは毎朝布団を収納に片付け、毎晩眠る前にベッドメイキングしている。毎日きちんとやるのは大変だ、と思ってしまうが「日本の布団だってそうでしょう?」と言われてみれば確かにそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そのように厳選されたものが集まっているから、目に入る全てが河原さん流なのでしょう。壁のペイントや、作品のインスタレーション、そして既製品にバーナーで焼き色をつけた家具など、河原さんの手によるものと、アンティークのベッドや椅子、ヴィンテージの照明といった河原さんが選んだお気に入りが混在し、『真似できない独特の空間』がつくられているのでした。

イケアのテーブルと椅子は、バーナーで焼き色を入れて自分で加工した。このテーブルで6人が着席するディナーを振る舞うことも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

イケアのテーブルと椅子は、バーナーで焼き色を入れて自分で加工した。このテーブルで6人が着席するディナーを振る舞うことも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バーナーで焼き色を入れた収納家具と壁面。ここが入り口のドア(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バーナーで焼き色を入れた収納家具と壁面。ここが入り口のドア(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アールデコのカトラリーホルダーも日常使いの小物。そしてこれも、やはりうさぎ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アールデコのカトラリーホルダーも日常使いの小物。そしてこれも、やはりうさぎ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんのお話を伺いながら、いつか取材した女性内装デザイナーの話を思い出しました。家づくりは洋服選びと違って経験値が少ない分、失敗が怖くて冒険ができません。そう彼女に伝えると、「あなたの住まいなのですから、あなたが好きなようにすればいいのです。第一、外科の手術ではなくてインテリアです、失敗したらやり直せばいい。もし誰かに悪趣味だと言われたとしても、あなたの家はあなたのためのものですよ」との言葉。自分にとっての優先順位を明確にして、自分がいいと思うものを選ぶ、という河原さんのお話と、核心は同じです。そして同時に思うのです、自分が選ぶこと、自分が決めることに、なんと私たちは不慣れなことか! そう河原さんに伝えると、そっと背中を押してくれる言葉が返ってきました。

「予算や、家族等の条件や、色々を含めて、その中で最大限に楽しもうと考えてはどうでしょう? せっかく自分で、住まいづくりができるのですから」

河原さんのように、セオリーではなく、自分を優先してみる! そう考えるだけでプレッシャーから解放され、気が楽になります。住まいづくりを自由に楽しむことができそうです。

自分のバッグのオリジナルペイントは、フランスのファッション&アクセサリーブランドである「ピエール・アルディ」とのコラボの楽しみとして始めた。その後オーダーが殺到し、4月中ごろからピエール・アルディのサイトにも登場することに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分のバッグのオリジナルペイントは、フランスのファッション&アクセサリーブランドである「ピエール・アルディ」とのコラボの楽しみとして始めた。その後オーダーが殺到し、4月中ごろからピエール・アルディのサイトにも登場することに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

個性的なドクロのドアノブは、道端で拾ったもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

個性的なドクロのドアノブは、道端で拾ったもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井の高さを生かして設置したインスタレーション。鏡の額装を兼ねている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井の高さを生かして設置したインスタレーション。鏡の額装を兼ねている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのパリ暮らし。そしてこれから。

フランス人が敬遠する1階のワンルーム、しかもコンパクトな20平米をあえて選んで、自分のための快適な空間づくりに挑戦し、それを実現した河原さん。住まいがあるエリアもお気に入りで、19世紀から続くアリーグルの市場や、目利きが選ぶアンティークショップ、おしゃれなカフェやベトナムレストランなど、庶民の活気と最新アドレスが混ざり合うパリならではの環境を、一人のパリジャンとして日々、満喫しています。朝ちょっと外に出てテラスでカフェを飲む。そんななんでもないことが当たり前にできるのも、パリ暮らしの魅力だ、と。

天気がいい時、気分転換したい時、打ち合わせの時、ふらりと活用できるカフェはパリジャンにとって第2のリビング(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天気がいい時、気分転換したい時、打ち合わせの時、ふらりと活用できるカフェはパリジャンにとって第2のリビング(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんがよく立ち寄るヴィンテージのショップ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんがよく立ち寄るヴィンテージのショップ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリジャンの暮らしに花は欠かせない。庭は無くとも、新鮮な切花が部屋にあればフレッシュな季節感を感じられる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリジャンの暮らしに花は欠かせない。庭は無くとも、新鮮な切花が部屋にあればフレッシュな季節感を感じられる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

19世紀から続くアリーグル市場はいつでも庶民の活気に満ちている。河原さんのお気に入りスポットの一つ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

19世紀から続くアリーグル市場はいつでも庶民の活気に満ちている。河原さんのお気に入りスポットの一つ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「でも実は、そろそろ次を考え始めているのですよ。気に入っていても、飽きるので(笑)。次の住まいは、広々とした郊外もいいかもしれませんし、コロナ禍以降人気の上がっている地方都市も面白いかもしれません。ヨーロッパのほかの都市という選択肢だってあり得ます。いろいろな考えが浮かんでは消えてゆき、まだ確定していません。というのも、ギャラリーや美術館の多いパリの暮らしがやっぱり好きですし、世界中どこへ行くにもここは便利ですから」

新しい住まいづくりは新しいチャレンジ! そう捉えている河原さんだからこそ、暮らし変えを躊躇せず、常に前に進んで行けるのだなあと実感しました。

(文/角野恵子)

●取材協力
河原シンスケさん
HP
Instagram
●関連サイト
ピエール・アルディ

ランニングして朝食を楽しむ、ゆるコミュニティがじわじわ増殖中! コロナ禍で仲間づくりどうしてる?

長引くコロナ禍で、運動不足に悩む人が増えました。屋外で取り組めるランニングは、コロナ禍にもおすすめのスポーツ。とはいえランニングにはストイックなイメージがあり、少しハードルが高く感じることもあるでしょう。今回はランニングを楽しく気軽にできると人気のコミュニティ、「ランニングと朝食」の活動を深掘りします。ランニングでまちを知り、朝食でコミュニケーションを楽しむユニークな活動の内容とは? 主宰者の林 曉甫(はやし・あきお)さんに聞きました。

仲間と「はじまりの時間」を共有し、心地よい休日をスタートする「ランニングと朝食」は国内外に全27チーム(2022年3月4日時点)あり、イベントにはフェイスブックのグループページにて参加表明をすることが必要(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」は国内外に全27チーム(2022年3月4日時点)あり、イベントにはフェイスブックのグループページにて参加表明をすることが必要(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」は、フェイスブックの承認制グループを軸にしたランニングチーム。登録者900人超えの、このランニングサークルの活動内容は至ってシンプル。それは「走って、食べて、おしゃべりする」ことです。

グループに参加すると、メンバーの各地での活動の様子や、「東京チーム」「東横線チーム」や「中央線チーム」「シアトルチーム」「鎌倉チーム」など国内外で活動する27チームの、週末ランニングの予定と参加者募集情報が流れてきます。

実際にチームランに参加しているメンバーは、フェイスブックグループのなかの一部ですが、個人で走って美味しい朝食を食べたことをシェアする人も目につきます。また自ら投稿をせずとも、フェイスブックの「ランニングと朝食」グループに休日に流れてくる投稿――各地のメンバーのランニング風景や美味しい朝食の写真を見るだけでもOK。刺激を受けて、良い休日を過ごそうというモチベーションが高まりそうです。

主宰者の林 曉甫さんは、実は「大切なのは、走ることそのものではない」と言います。

「初期メンバーが『ランニングと朝食』について、『それって、はじまりの時間を共有することだね』と指摘してくれたのですが、それが正にこの活動を言い当てていると思います。週末の朝に走ることと朝食を食べることで、はじまりの時間を共有することが大切。ポイントは走る、ではなく共有することなんです」(林 曉甫さん)

フェイスブックの承認制「プライベートグループ」が活動のハブ。基本的に走る意欲や朝食が好きであれば承認しているそう。メンバーの数は1000人に迫る(フェイスブックより)(写真提供/ランニングと朝食)

フェイスブックの承認制「プライベートグループ」が活動のハブ。基本的に走る意欲や朝食が好きであれば承認しているそう。メンバーの数は1000人に迫る(フェイスブックより)
(写真提供/ランニングと朝食)

「ランニングと朝食」主宰者の林 曉甫(はやし あきお)さん(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」主宰者の林 曉甫(はやし あきお)さん(写真撮影/蜂谷智子)

走らずに朝食を食べるだけでも歓迎のランニングチーム

ランニングコミュニティというと、運動が得意な人、意識が高い人でないと付いていけない気がして、参加に勇気が要ることも。でも「ランニングと朝食」には、そんな心配は無用です。

走る距離も決まっていないし、目標タイムもありません。速く走れなくても、途中で歩いてしまってもOK。朝食を食べるだけの参加だって歓迎です。

「この活動自体のユニークネスをあげるとしたら、徹底してハードルを設けないこと。そもそも僕がこの活動を始めたのが、『独りだと走り続けられないから、誰かと走りたい』という動機だったりします。タイムの向上とか、距離を走れるようにとか、そういうことは全く考えてなかったんですね。

活動開始からもうすぐ6年。周囲の友人だけだったメンバーも今や1000人に迫る勢いですが、『共にやる』という軸はブラさずにいます。参加者が子どもであっても、遠方に住んでいても、参加して欲しい。ランニングスタイルもそれぞれで、途中歩いてもいいし、走らないで朝食会場で合流したっていいのです」(林さん)

「誰かと一緒に楽しく体を動かして、美味しいものを食べたい」というのは誰もが抱くシンプルな欲求。そんな願いを気負わずにかなえられるからこそ、「ランニングと朝食」が、これだけのメンバーを集めているのかもしれません。

コロナ禍においては、マスク着用でソーシャルディスタンスを取り、感染対策を取りながら活動している(写真撮影/蜂谷智子)

コロナ禍においては、マスク着用でソーシャルディスタンスを取り、感染対策を取りながら活動している(写真撮影/蜂谷智子)

走ることでまちの解像度が上がり、体の経験値として積み重なっていく

27もチームがあると、自分の地元とは違う地域の「ランニングと朝食」チームに参加する楽しみもあります。

「旅先で地元のチームに参加することもできます。僕自身は東京チームが家から近いのですが、東横線沿線の東横線チームで走ったり、京都や鎌倉のチームにジョインしたり。そうやって『ランニングと朝食』つながりで知らない者同士が時間を共有したり、知らないまちを走ったりということが、楽しいですね。

走ったり朝食を食べたりしながらしゃべることで、知らない人とも距離が縮まりますし、走ることでまちの解像度も上がります。例えば東京だと移動は基本電車です。なかでも地下鉄に乗ってしまうと身体感覚があやふやなまま隣のまちに移動しているということが往々にしてあります。そこを走ってみることで体の経験値として、まちの記憶が積み重なっていくのではないでしょうか」(林さん)

軽いランニングの距離が5kmだとして、家から5km圏内にどんな風景があるのか、5km走るとどんな場所へ行けるのか、実は私たちはよく知りません。いつもは電車で移動してしまう5kmを自分の足で走ることで、素敵な風景やおいしい朝食のお店を発見することもありそうです。

「ランニングと朝食」では、メンバーが見つけた、休日にモーニングを食べられる店をマップにアーカイブしているそう。その履歴が積み重なって、今や登録されている朝食スポットは国内外で500件以上。「はじまりの時間を共有する」ための、貴重なデータです。

各地の朝ごはん情報。朝食を出すお店の多彩さに、驚く(写真提供/ランニングと朝食)

各地の朝ごはん情報。朝食を出すお店の多彩さに、驚く(写真提供/ランニングと朝食)

「ランニングと朝食」が、“アート”になる理由

「ランニングと朝食」はフェイスブックのシステムを有効活用したコミュニケーションの設計で、気軽さと親密さの程良いバランス。林さんは、本業ではNPO法人インビジブル理事長/マネージング・ディレクターという肩書きを持っています。仕事でアートによる地域活性化に携わる林さんは、実は「ランニングと朝食」の運営でも、アートや地域活性化の手法を参考にしているそうです。

「ランニングとアートにどんな関係があるのかと疑問に思われるかもしれませんが、アートとは額装して飾るような作品だけを指すのではありません。1990年代後半ぐらいから世界各地で行われているリレーショナル・アートやソーシャリー・エンゲージド・アートと言われる分野があります。それは、特定の活動やアクションによって社会を巻き込んでいくプロセスも含めて、ひとつの作品として見せていくものです。

『ランニングと朝食』は、我々にとって他者との関係性をつくるということはどういうことなのだろう……ということを、問いながらできる活動であり、ゆるやかなコミュニティであり、アートプロジェクトです。また社会的な寄与という点でも、このコロナ禍において週に一度でも誰かと走ったり話したりすることによる、精神的肉体的な影響があると思います。

林さんが参加するアーティスト支援を行う社会彫刻家基金は、書籍発行のためのクラウドファンディングを実施中だ※2022年5月31日まで(写真提供/社会彫刻家基金 撮影:丸尾隆一)

林さんが参加するアーティスト支援を行う社会彫刻家基金は、書籍発行のためのクラウドファンディングを実施中だ※2022年5月31日まで(写真提供/社会彫刻家基金 撮影:丸尾隆一)

僕は本業の方でも、アートが単に作品を体験したりモノをつくったりする場を超えて、例えば人のメンタルヘルスなどのウェルビーイング(身体、心、社会的に健康であること)にどう寄与するのかということについて、研究者を交えて調査ができたらいいなと思っています。

そういった本業で考えていることが、この『ランニングと朝食』でのコミュニケーションと、リンクしている部分がありますね」(林さん)

アートの概念は多様ですが、関係性に注目したリレーショナル・アートやソーシャリー・エンゲージド・アートの世界では、何かを生み出したり、ある状況をつくったりする過程での「人々の関係性」そのものに斬新さや美しさを見出します。

ランニング中に見た美しい風景を誰かとシェアしたり、朝食の会話で気づきがあったりといったことも、アートなのだと考えると、ワクワクしませんか?

主宰としてプロジェクトを運営しつつ、「参加する時はいち個人として楽しみたい」と林さん(撮影時のみマスクを取っています)(写真撮影/蜂谷智子)

主宰としてプロジェクトを運営しつつ、「参加する時はいち個人として楽しみたい」と林さん(撮影時のみマスクを取っています)(写真撮影/蜂谷智子)

ある日の「ランニングと朝食」、東横線チーム編走り出す前のミーティング。10分程度で軽く自己紹介をして、ルートの説明を聞きます(写真撮影/蜂谷智子)

走り出す前のミーティング。10分程度で軽く自己紹介をして、ルートの説明を聞きます(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」のリアルな活動は週末の朝に始まります。東京だけでも10チームがあるのですが、今回は東横線沿線を走る「東横線チーム」を取材しました。

まず各チームマネジャーが集合場所と朝食を食べる目的地を決めて、フェイスブックのグループで呼びかけます。コース選びや朝食会場選びは、チームマネジャーの個性が出るところ。東横線チームのチームマネジャーは小嶋一平さん。本業では化粧品会社のSNSマーケティングを担当する小嶋さんは、朝食のお店の洗練されたチョイスに定評があります。今回の東横線チームは中目黒駅から駒沢公園までの約4kmのラン。駒沢公園に接した景色の良いカフェで朝食を食べるコースです。

目黒川沿いを走って駒沢まで4km、約60分のランニング(写真撮影/蜂谷智子)

目黒川沿いを走って駒沢まで4km、約60分のランニング(写真撮影/蜂谷智子)

ランナーに人気の駒沢公園の周辺にはモーニングの選択肢が多い(写真提供/ランニングと朝食)

ランナーに人気の駒沢公園の周辺にはモーニングの選択肢が多い(写真提供/ランニングと朝食)

集合後に軽くミーティングをして、自己紹介をします。お互いが初めての方や、久しぶりの方もいました。その後はランニング。ペースはゆっくりめで、お互いの近況報告をしながら走れるくらいのペース。途中で立ち止まったりしても大丈夫。チームから外れてしまっても、朝食会場で待ち合わせればいいという考え方です。ランナーはマラソン大会に出場しているような、走り慣れている方も、初心者の方もいたようです。

朝食のカフェに着く頃には、体が温まってお腹も空いてきます。取材した日も、朝食だけ参加の方が数人いました。違うルートを走って、朝食だけ参加ということも可能とのこと。朝食の際に話してみると、参加者は年齢も仕事も多種多様でした。

ランチ会場のKOMAZAWA PARK CAFÉは野菜たっぷりのブッダボウルやフルーツをトッピングしたフレンチトーストが人気(写真提供/ランニングと朝食)

ランチ会場のKOMAZAWA PARK CAFÉは野菜たっぷりのブッダボウルやフルーツをトッピングしたフレンチトーストが人気(写真提供/ランニングと朝食)

最近から参加するようになった20代女性は、去年地方から東京に転勤してきたそう。転勤してからリモートワークでなかなか知り合いができないのが悩みでした。今ではこのサークルが人との出会いのきっかけになっているとのこと。また、30代の男性は船舶勤務から地上の勤務になって、運動不足を感じたのが参加のきっかけだそうです。

キャリアの話や最近見た映画の話、家族の話など、それぞれに会話を楽しみながら1時間程度で朝食は終了。解散時間は朝の9時半で、まだ一日は始まったばかりです。まさに「はじまりの時間を共有する」活動だと感じました。

走って、食べて、おしゃべりする。その時間がアート!

2021年に新型コロナウイルスが蔓延してからというもの、体験を共有する機会や、たわいのない会話が失われがちになりました。そんななかで走って、食べて、おしゃべりする時間をアートだと捉えて慈しむことができれば、日常がより輝くものになるかもしれません。

●取材協力
ランニングと朝食
林 曉甫さん
>NPO法人インビジブル
>アーティスト支援を行う社会彫刻家基金のクラウドファンディング
●撮影協力
KOMAZAWA PARK CAFÉ

量産型”折りたたむ家”は10坪で約580万円!イーロン・マスクも住むと話題の最新プレハブ住宅

コロナ禍で高インフレが続く米国では、タイニーハウス(小さな家)などの低価格住宅への需要は増すばかりだ。そんななか、ネバダ州ラスベガスを拠点に置く企業BOXABL(ボクサブル)による、5万ドル(約580万円)のプレハブ住宅「カシータ」というモデルが話題になっている。テスラ社のイーロン・マスクが住んでいると報じられたことも。いったいどんな住まいなのか、BOXABL社ディレクターのガリアーノ・ティラマーニさんにインタビューをした。

住宅を“折り畳む” !? 工数や配送コストを下げて低価格を実現

イーロン・マスクがテキサスの住居としてタイニーハウスを利用していると米国INSIDERが報じ、話題になったのがBOXABL(ボクサブル)社のプレハブ住宅「カシータ」。

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

BOXABL社のプレハブ住宅は、1部屋(モジュールと呼ぶ、約35平米)に水回りや電化製品もすべて完備されているのに約580万円と低価格。その秘密は、折り畳めるようにしたことで配送コストを、生産工程の自動化したことで生産コストを下げたこと。2021年10月の受注開始以来、全米50州から7,000万件以上の注文が入っているという。同社の共同創業者で、ディレクターのGaliano Tiramani(ガリアーノ・ティラマーニ)さんに詳しい話を聞いた。

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

オンライン取材に応じたボクサブルの創業者でディレクターのガリアーノ・ティラマーニさん(写真提供/筆写撮影)

オンライン取材に応じたボクサブルの創業者でディレクターのガリアーノ・ティラマーニさん(写真提供/筆写撮影)

ガリアーノさんらが事業を立ち上げたのは2017年。きっかけは、当時カリフォルニア州で、庭付き一戸建て住宅の庭に付属住宅(ADU)を建て、それを賃貸したり、居住スペースを広げたりする需要が高まっていたことだったという。CEOでガリアーノさんの父であるパオロさんは、工業デザイナーやエンジニアとしてプレハブ住宅の生産に関わるなかで、現代の住宅における2つの課題に気が付いた。

一つ目は、「建築現場における人間による作業量の多さ」だ。それは100年前からほぼ変化がなく、一棟の家を建てるのに数カ月から数年の時間を要し、大量の人材が必要だ。
二つ目は、「配送」。プレハブ住宅は工場で部材生産、加工し、組立を行うことで価格を抑えることができるが、ガリアーノさんによると「多くのプレハブ住宅の生産者が、配送時のトラブルで損をしてきた」とのこと。具体的には、何度も運ぶことでの燃料コストの負担や、配送途中に部材を傷つけてしまったりなどである。

これらの課題に対し、「住宅を折り畳むこと」と「配送しやすいサイズにした上で、工場での大量生産すること」で、高品質の住宅を手ごろな価格で提供する仕組みをつくり上げた。

「今はあらゆる製品が、『組立てライン』さえ構築できれば、低コストで高品質なものがつくれる時代だ。しかし住宅にはその考えが欠けていた。私たちの技術は、住宅業界の価格に大きな影響を与えると考えている」とガリアーノさん。

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

1分間に1戸の生産を目指す

ボクサブルが採用したのは、自動車のオートメーション方式だ。ポルシェの生産方式を真似て、まるで自動車工場のように、住宅を自動化してつくる。最終的には、1分間に1戸を目標に生産を拡大する予定だという。

プレハブ住宅「カシータ」は、現在1日あたり2棟生産されている。2022年の年末までに、1日あたり10棟の生産が可能な体制になる見込みだとガリアーノさんは話す。現在は、最初に受注を受けたフロリダの現役軍人用住居156棟の生産と建設を行っている。

「需要を満たすには、現在の工場の10倍の大きさが必要」と、はやくも拠点を拡大する計画を進めている。

(写真提供/BOXABL)

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「ボクサブル流こそ未来の住宅だ」

「カシータ」は、375平方フィート(約10坪・約35平米)のモジュールで、8フィート×13フィート(約2.4m×約4m)に折り畳まれて台車に引かれて運ばれていく。料金には洗濯乾燥機、食器洗い機、オーブン、電子レンジなど、ソファとベッド以外の主な家具が含まれていて、引き渡し時はそれらがすべて完備されている状態。現地で住宅を“広げ”、排水と電気の接続さえ終えれば、すぐに生活が開始できる。モダンな家具や設備を配置し、機能性を重視し生活しやすさを追求したデザイン性にこだわりを持った、小さいが快適な住空間が広がる。

(写真提供/BOXABL)

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ガリアーノさんは、「私たちは、世界中のさまざまな環境条件に対応できるよう、カシータの工学技術に多くの時間を費やしてきた。猛暑や強風、地震、水害など、さまざまな環境条件に対応できるような建材を選び、従来の建物よりも強く、安全で、エネルギー効率に優れた建物になるよう、細心の注意を払ってつくり上げた」と胸を張る。ジオバーニさんも、「私達が使っているのは、木材よりもエネルギー効率が高く、低コストで、長持ちし、強度が高いなど、より優れた素材だ」と話す。

「カシータ」が使用しているのは、木材ではなく、鉄やセラミックボード、断熱材として発泡スチロールなどの素材。発泡スチロールは、軽量で硬質な「独立気泡」の断熱材であるため、最小限の水分しか吸収しない。その結果、吹雪やハリケーン、洪水などの厳しい天候にも耐えることができるという。さらに、最大25万ポンド(125t)の圧力に耐えることができ、耐震構造になっている。

ボクサブルが使用している壁面パネルの耐火テストの様子

さらに、「昨今注目を集めている3Dプリンター住宅よりも未来志向だ」と続ける。「(3Dプリンター住宅は)ほとんどの場合、コンクリートの外壁を3Dプリントしているだけだ。家というのは、コンクリートの外壁よりももっと多くの要因がある。私たちは、その解決策が『組立ライン』にあると思っている」(ガリアーノさん)

(写真提供/BOXABL)

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すでに完備されたキッチン、オーブン、冷蔵庫(写真提供/BOXABL)

すでに完備されたキッチン、オーブン、冷蔵庫(写真提供/BOXABL)

確かに3Dプリンターの家は、原材料の面で無駄がないと言われているが、そのサステナビリティ性は、外壁を作りにおける工程を削減できる、ということに限られる。一方でボクサブルの組立ラインは、住宅の外見だけでなく、室内装備に至るまでデザインを統一することで、建築時の無駄を省き、また住宅としてのエネルギー効率を高めているという。

ボクサブルは今後、生産の過程で出る廃棄物を減らし、エネルギー効率も向上させていくことを目指す。「効率化」が、サステナブルな生産に結びつくと考えているという。また、カシータのリサイクルや二次流通についてジオバーニさんは、「将来的に、カシータを売却したり、移動させたりすることも可能だ」と話してくれた。

すでに海外展開も視野に

「カシータ」は現在1種類のみだが、今後は顧客のニーズに合わせて、サイズや形を変えた住宅生産も検討しているという。

さらに、海外展開も視野に入れている。
「海外では、私たちの技術を活用してパートナー工場をつくりたいと考えている。すでにWebサイト経由で問い合わせを受けた国際的な大企業と話し合いを始めている」と話すガリアーノさん。

海外展開もすでに視野に入れている(画像提供/BOXABL)

海外展開もすでに視野に入れている(画像提供/BOXABL)

とはいえ、まだまだ課題もある。日本でも木材価格が高騰するウッドショックや給湯器の部品不足が話題になったが、米国の建築業界でも原材料不足と、価格の高騰が問題になっている。これにともなってカシータの販売価格も、今後は6万ドル(約690万円)に引き上げざるを得ないと話す。

「壁面パネルは自社生産している。スチールや発泡スチロールも自分たちで生産し、垂直統合を進めており、最終的にすべての部品を自社生産に切り替えられれば、もっと生産スピードを上げられる」とガリアーノさん。自社生産に加え生産効率が上がれば、価格のコントロールもしやすくなるとのこと。

「カシータ」は災害があった被災地に、すぐに住みやすい住宅を提供することも可能だ。ほかにも既存の物件の庭先に小さな個室を建て、趣味部屋にしたり、賃貸したりすることも可能だ。その可能性は無限に広がる。土地に限りがある日本でも、新たな住宅のヒントになるかもしれない。

※原稿中の日本円は2022年2月28日時点のレートで計算したもの

●取材協力
BOXABLディレクター Galiano Tiramani氏

月額5000円でお迎えから目的地まで乗り放題! 新交通サービス「mobi」はじまる 渋谷や名古屋市など

呼べばすぐ専用車がお迎えに来てくれる。そんな定額乗り放題のAIオンデマンドサービス「mobi(モビ)」が、昨年7月から東京都の渋谷エリアで始まりました。現在は、愛知県名古屋市千種区と京都府京丹後市、海外でも展開されています。子どもの送迎や買い物に便利そうですが、具体的にはどんなサービスなのでしょう。同サービスを運営しているウィラーの広報担当である清水美帆さんに伺いました。

乗りたいと思ったときにすぐお迎えにきてくれる

「自分専属の運転手を持つように、日常生活の中で乗りたいだけ乗れるサービスだ」。「mobi(モビ)」サービスを知るために体験してみた、私たち取材班の素直な感想です。

利用した区間は渋谷駅から渋谷区松濤にある小さな公園まで。スマートフォンの専用アプリを操作して車を手配し、すぐ近くにある規定の乗降場所へ移動。そこで待つこと約5分で、最大7名まで乗れる車両が現れました。

乗降場所で待っていると、約5分で車両が迎えに来てくれた(写真撮影/片山貴博)

乗降場所で待っていると、約5分で車両が迎えに来てくれた(写真撮影/片山貴博)

この車体のロゴが目印(写真撮影/片山貴博)

この車体のロゴが目印(写真撮影/片山貴博)

あとは目的地近くにある乗車場所まで、AIが提示する最適なルートに沿って運転手が車を走らせるだけ。この時は他に相乗りしてくる利用者がいなかったため、あっという間に目的地まで到着しましたが、タイミングによっては途中で他の利用者を乗せていくこともあります。そのため自家用車やタクシーと比べて、目的地までの到着時間がかかることを想定して利用する必要があります。また、運行エリアは渋谷区内に設定された半径2km圏内となっています。

足元も広々(写真撮影/片山貴博)

足元も広々(写真撮影/片山貴博)

車内でスマートフォンの充電も出来る(写真撮影/片山貴博)

車内でスマートフォンの充電も出来る(写真撮影/片山貴博)

とはいえ1人あたり月額(30日間)5000円。同居する家族を会員として追加することもでき、追加料金は1人につき500円。例えば、家族3人で利用しても月々6000円ですから自家用車の購入費や維持費などと比べても、遙かに割安です。

一方で「相乗り」ならではのメリットもあります。渋谷エリアでサービスが始まってから半年以上が経ちましたが、子どもの通学や習い事の送迎などに使う親子は、当然同じ時間帯に利用します。そのため車内で母親同士が顔なじみになり、ママ友に発展するケースが珍しくないそうです。「運転手も何人かの固定メンバーで運用していますから、運転手とも顔なじみになり、安心して子ども一人だけでも塾の送迎に使える、という声もいただいております」と清水さん。

さらに「mobiを利用するようになってから『朝食を食べに街中のカフェへ行くのが楽しい日課になった』というように、ライフスタイルが変化し、日常に溶け込んでいる様子が窺えるコメントもいただいています」

渋谷の街を走るmobi(写真撮影/片山貴博)

渋谷の街を走るmobi(写真撮影/片山貴博)

ラストワンマイルを解決する1つとして登場

最寄り駅やバス停から、自宅をはじめとした最終目的地までのちょっとした区間のことを、交通の「ラストワンマイル」と言います。このラストワンマイルの移動手段として、最近は都市部なら電動キックボードや電動アシスト自転車、車を使ったシェアリングサービスがあります。この定額乗り放題サービスもその1つに挙げられます。

しかしmobiは電動キックボードや電動アシスト自転車と違い、自ら運転する必要がありませんし、雨の日も気軽に利用できます。

またカーシェアリングサービスは(当たり前ですが)運転免許を持った人が利用しなければなりません。しかしmobiなら、子どもだけ乗せて塾への送迎に使う、なんて使い方もできます。また自家用車やカーシェアリングと違い、目的地周辺で駐車場を探す必要もありません。

渋谷区といえば「ハチ公バス」と呼ばれるコミュニティバスもありますが、それとの大きな違いは乗降場所(公共バスで言うバス停)が圧倒的に多いこと、また決まった路線や時刻での運行ではないことです。例えば渋谷エリアでは、半径約2kmのエリア内に約150箇所もの乗降場所が用意されています。この範囲は、渋谷区の面積に対して約8割。ですから、さすがに全ての人の自宅前とはいかないにせよ、自宅周辺で乗り降りができるのです。

買い物や通勤などで渋谷駅との往復で利用するという使い方もある(写真/PIXTA)

買い物や通勤などで渋谷駅との往復で利用するという使い方もある(写真/PIXTA)

さらにママ友ができたり、運転手と顔なじみになることなんて、他のラストワンマイルサービスやコミュニティバスでは、なかなかありえません。このような地域のコミュニティを形成しやすいということも、大きな特徴と言えそうです。

現在mobiは渋谷以外にも名古屋市千種区と京都府京丹後市、さらにシンガポールとベトナムでも展開されています。エリア内定額乗り放題で、アプリや電話で配車を依頼し、AIを使って最適なルートを走るというサービスの根本は同じなのですが、地域によって利用者の年齢や属性、利用目的に多少の差はあるそうです。

「例えば京丹後市は車がないと通勤や買い物にも不便で、そのため家族1人に車が1台あるようなエリアです。しかし子どもの送迎や買い物などをmobiで行えるようになり、家族での所有台数を減らしてもよいかもいう考えをお持ちの方もいらっしゃいます。『車にかかる維持費が減ったから、その分を別の費用に充てることができる』『マイカーを使う頻度が減った』と喜ばれています」

京丹後市(写真/PIXTA)

京丹後市(写真/PIXTA)

京丹後市で活動中の車両。エリア特性等によって使用する車両は変わる(写真提供/WILLER)

京丹後市で活動中の車両。エリア特性等によって使用する車両は変わる(写真提供/WILLER)

また免許返納を考えているけれど、買い物などに車が手放せない、という高齢者の背中も押してくれるサービスのようです。

さらにmobiには、法人会員制度も設けられており、エリア内の飲食店や病院、塾などでお客さまや従業員の送迎にも活用されているとのこと。このようにエリアのニーズに沿ってサービス内容をアレンジすることも可能だそうです。

今後の課題は到着時間の短縮と、アプリの使いやすさの向上

現状の課題としては、先述したように「1. 目的地までの到着時間が読みにくいことと2. スマートフォンに馴染みのない高齢者へのサポートが挙げられます」と清水さん。

1. の到着時間、つまり乗降している時間を縮める対策ですが、そもそも「mobi」では相乗りする際に車が向かう順番や運行ルートなどを、AIを使って最適化しています。AIは日々学習していくのが特徴の1つですから、利用者が増えるほど最適化ルートの提案が進歩し、時間短縮を図れます。

また「お客さまの声などをもとに、よりスムーズに乗り降りしてもらえる場所や、最適なルートをたどる場合にどこで乗ってもらえばよいかなど、乗降場所の微妙な位置修正といった最適化も常に行っています」

アプリ上に表示された乗降場所の中から行き先と出発地を指定(操作画面より)

アプリ上に表示された乗降場所の中から行き先と出発地を指定(操作画面より)

所要時間等や配車状況も確認できる(操作画面より)

所要時間等や配車状況も確認できる(操作画面より)

さらに利用者が多い時間帯は、車を増やすことで相乗りする人数を減らし、その結果として乗降時間を短くするなどの調整も随時行っているそうです。

もう一つの課題、2. の高齢者へのサポートですが、高齢者を含めてスマートフォンに不慣れな方のために、現在でもアプリだけでなく電話による配車応対も行っています。「また誰でも扱いやすいよう、アプリのユーザーインターフェースの改善を日々行っています」

アプリを用いるメリットは、改良されたらすぐにアップデートされること。いずれ高齢者でも簡単に操作できるようになる日も近そうです。少なくとも、スマートフォンに慣れている世代は、現状でも戸惑うことはありません。

KDDIとの協働で、サービスエリアの拡大も

昨年末、ウィラーはKDDIと共同で今後のサービスを全国へ展開していくことを発表しました。

高速バス運行事業者、そして京都丹後鉄道の運営事業者でもあり、すでにこの事業を国内3エリア・海外2エリアで展開し、独自のITマーケティングシステムを持つウィラー社。

そこに全国の地方自治体とつながりが深く、大量の人々の移動データを所有し、その活用に長けたKDDIが加われば、サービスエリアが加速的に増えていことも期待できそうです。将来的には自動運転による自動運行も既に検討が始まっているのだとか。

既に同社では東京都豊島区や愛知県名古屋市などで自動運転の実証実験を行っている(写真提供/WILLER)

既に同社では東京都豊島区や愛知県名古屋市などで自動運転の実証実験を行っている(写真提供/WILLER)

そうなると、例えば渋谷区のサービスエリアが拡大、例えば隣の港区へもこのサービスで行き来できるようになるのでしょうか。

「渋谷区とは別に港区でも展開することはあり得ますが、両区の行き来は行いません(設定した2kmが区をまたぐ場合はある)。サービス提供エリアがどんどん増えていくイメージです。例えば渋谷から港区六本木に行く場合、渋谷駅から地下鉄や公共バスが利用できます。mobiはその渋谷駅までのラストワンマイルの移動を自由にすることが目的ですから」

もし鉄道やバスで移動するような広い範囲をサービスエリアにすると、車の移動距離が増えてしまい、呼んでも到着まで時間がかかるようになります。それでは「呼べばすぐ迎えに来る」というサービスのメリットが薄れてしまいます。ちなみに1マイルは約1.6km。同社では半径約2kmを目安に運営しています。

一方自治体としては、地元エリア内で人々の移動が増えるということは、買い物に行くことや、駅やバスなどの公共交通の利用につながる外出のきっかけづくりをはじめとする行動が増えるため、地域の活性化に繋がります。また近隣住民同士のコミュニティが形成されることは、安心安全な街づくりにもメリットです。さらに高齢者は家でじっとしているより、積極的に外に出掛け、交流を持つなど、動いたほうが心身ともに健康になりますから、自治体としては医療費の抑制にもつながります。

子どもの塾への送迎から開放され、自治体も地域が活性化するなど、たくさんの人々がWin-Winの間柄になれるサービス。都心部、地方都市など今後たくさんの街でサービスが始まり、ラストワンマイルの課題が解決していくことを期待したいです。

●取材協力
mobi

「松本十帖」で“二拠点生活”。温泉街再生プロジェクトで共同湯文化に浸る【旅と関係人口2/浅間温泉(長野県松本市)】

コロナ禍を背景に、開放感と地域への共感、貢献感など心が満たされる場所(心のふるさと)へのニーズが高まっている。従来の観光を目的とせず、現地の暮らしを体験したり、文化に触れたり、現地の人々と交流する旅である。地域のファンとなり、何度も訪れることで、結果的に関係人口が増えた地域も。旅からはじまる地域との新しい関係とは。これからの旅の在り方のヒントとして、長野県松本市の浅間温泉リノベーションプロジェクト「松本十帖」を紹介する。

宿泊客以外も利用できるカフェを併設。開かれた宿が街歩きの起点に

長野県松本市の浅間温泉は、飛鳥時代から約1300年続くとされ、温泉街から車で10分の距離に松本城があり、安曇野や上高地、白鳥など信州全域への観光拠点になっている。いま、時代の変化に置いて行かれ、歴史があっても廃れていく温泉街が後を絶たないが、浅間温泉街も例外ではない。城下町の奥座敷という恵まれたロケーションにありながら、全盛期に比べ、温泉街を歩く人の姿は減少していた。

そこで、温泉街再興の起爆剤として2018年3月に始まったのが、貞享3(1686年)創業の歴史を持つ老舗旅館「小柳」の再生プロジェクト「松本十帖」だった。ホテル単体の再建ではなく、温泉街を含む「エリアリノベーションのきっかけ」になることを目指した画期的な取り組みだ。

江戸時代には松本城のお殿様が通い、明治時代には与謝野晶子や竹久夢二ら多くの文人に愛された浅間温泉。昭和の時代には温泉街に芸者さんも多かった(画像提供/自遊人)

江戸時代には松本城のお殿様が通い、明治時代には与謝野晶子や竹久夢二ら多くの文人に愛された浅間温泉。昭和の時代には温泉街に芸者さんも多かった(画像提供/自遊人)

路地の坂を歩けば温泉街に来た旅情が催してくる(画像提供/自遊人)

路地の坂を歩けば温泉街に来た旅情が催してくる(画像提供/自遊人)

4年の歳月をかけて2021年5月に誕生した複合施設「松本十帖」は、宿と街の関係を深める新しいモデルとして注目を集めている。もともと老舗旅館「小柳」が建っていた敷地内に、「HOTEL松本本箱」と以前の名前を冠したまったく新しい「HOTEL小柳」がオープン。ホテル内には、ブックストア、ベーカリー、レストランなどがあり、宿泊者以外も利用できるように入口を4か所設けて、地域に閉じていた旅館を「解放」。2軒のカフェ「Cafeおやきとコーヒー」「哲学と甘いもの。」は、“温泉街を人々が回遊すること”をイメージして、あえて敷地外につくった。

敷地内の小道を歩いていくと宿泊棟の「HOTEL松本本箱」が現れる(画像提供/自遊人)

敷地内の小道を歩いていくと宿泊棟の「HOTEL松本本箱」が現れる(画像提供/自遊人)

小柳旅館の大浴場を本屋に改装したブックストア松本本箱。選書は日本を代表するブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)さん率いる『BACH』や、日本出版販売の選書チーム「YOURS BOOK STORE」による(画像提供/自遊人)

小柳旅館の大浴場を本屋に改装したブックストア松本本箱。選書は日本を代表するブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)さん率いる『BACH』や、日本出版販売の選書チーム「YOURS BOOK STORE」による(画像提供/自遊人)

「HOTEL小柳」1階にある「浅間温泉商店」は、良質な生活雑貨や食品を取りそろえている(画像提供/自遊人)

「HOTEL小柳」1階にある「浅間温泉商店」は、良質な生活雑貨や食品を取りそろえている(画像提供/自遊人)

「松本十帖」は、さまざまな施設が集まった総称。敷地内の「HOTEL松本本箱」のなかにブックストア松本本箱があり、「HOTEL小柳」にはベーカリーやレストランなどがある。2軒のカフェはホテルから150mほど離れた敷地外にある(画像提供/自遊人)

「松本十帖」は、さまざまな施設が集まった総称。敷地内の「HOTEL松本本箱」のなかにブックストア松本本箱があり、「HOTEL小柳」にはベーカリーやレストランなどがある。2軒のカフェはホテルから150mほど離れた敷地外にある(画像提供/自遊人)

古民家を借り受けて改装した「Cafeおやきとコーヒー」は、ホテルのレセプションを兼ねている。そもそもホテル敷地内には駐車場がない。宿泊者の駐車場はホテルまで徒歩2、3分のカフェ「Cafeおやきとコーヒー」の横にあるのだ。宿泊者は、まず、カフェでチェックインし、おやきとコーヒーのウェルカムサービスをいただいてから、温泉街を歩いて、歴史ある温泉街を訪れたという気持ちを高めながら、ホテルへ向かう。ホテルに着くと、Barを兼ねたフロントでは、スタッフが温泉街の成り立ちや文化を紹介してくれる。

「Cafeおやきとコーヒー」の建物は、かつては芸者さん専用の浴場であり、また置屋(休憩室)でもあった(画像提供/自遊人)

「Cafeおやきとコーヒー」の建物は、かつては芸者さん専用の浴場であり、また置屋(休憩室)でもあった(画像提供/自遊人)

宿泊者には、チェックイン手続き後、2階のカフェスペースでウェルカムスイーツのおやきと飲み物がふるまわれる(画像提供/自遊人)

宿泊者には、チェックイン手続き後、2階のカフェスペースでウェルカムスイーツのおやきと飲み物がふるまわれる(画像提供/自遊人)

ホテルから温泉街全体へ波及させ、地域活性化を目指す「松本十帖」は完全な民間プロジェクト。一般的に公的資金を投入して行うようなプロジェクトを引き受けた株式会社自遊人代表取締役でクリエイティブディレクターの岩佐十良(いわさ・とおる)さんに、プロジェクトにかける想いを伺った。

「私が思い描くのは、メインストリートに人があふれるほどにぎわう浅間温泉街の姿。『松本十帖』が、その呼び水になれば。『地域に開かれた宿』と注目されていますが、私にとって地域に開かれた宿が当たり前という感覚です。そもそも温泉街は、街歩きを楽しむ場所としても発展してきました。しかし、昭和30年代以降、観光バスでやってきて宿の中で楽しむ団体旅行が主流になり、街なかにあったラーメン屋やカラオケ、バーまでも施設内に取り込んで、大型化していきました。宿泊施設の中で完結するようになった結果、温泉街が廃れてしまったのです。でも、そういう時代は終わりました。宿に来てもらうだけでなく街に出てもらう。『松本十帖』は、双方向から仕掛けをつくっています」(岩佐さん)

「小柳旅館」の再生プロジェクトは、岩佐さんにとって民間企業として何ができるのかの挑戦でもあった。設備投資が莫大な旅館運営を行うのは並大抵の苦労ではないという(画像提供/自遊人)

「小柳旅館」の再生プロジェクトは、岩佐さんにとって民間企業として何ができるのかの挑戦でもあった。設備投資が莫大な旅館運営を行うのは並大抵の苦労ではないという(画像提供/自遊人)

また食べたい! もっと知りたい! 旅の心残りがリピートのきっかけ

温泉街に人を呼び戻すには、まずは、「行ってみたい」と思わせる宿がいる。雑誌「自遊人」を発行する出版社の経営者である岩佐さんは、新潟県大沢山温泉の「里山十帖」など地域の歴史や文化を体験・体感でき、ライフスタイルを提案する複合施設としてのホテルをプロデュース、そして自ら経営してきた。「HOTEL松本本箱」「HOTEL小柳」の設計を依頼したのは、注目の建築家、谷尻誠氏と吉田愛氏が率いるサポーズ デザイン オフィスと、長坂常氏が代表を務めるスキーマ建築計画など。サポーズ デザイン オフィスが「HOTEL松本本箱」を手掛け、スキーマ建築計画が敷地内の「小柳之湯」や「浅間温泉商店」「哲学と甘いもの。」などを手掛けた。小柳旅館解体時に現れた鉄筋コンクリートの躯体やもともとの内装を活かしながら、洗練されたホテルに生まれ変わった。

「HOTEL松本本箱」最上階のスイートルームからは、北アルプスの山並みが見える(画像提供/自遊人)

「HOTEL松本本箱」最上階のスイートルームからは、北アルプスの山並みが見える(画像提供/自遊人)

ホテルから徒歩3分ほどの距離にあるカフェ「哲学と甘いもの。」(画像提供/自遊人)

ホテルから徒歩3分ほどの距離にあるカフェ「哲学と甘いもの。」(画像提供/自遊人)

難解な哲学の本に疲れたらスイーツを(画像提供/自遊人)

難解な哲学の本に疲れたらスイーツを(画像提供/自遊人)

ユニークなのは、昔からある地域住民のコミュニティ「湯仲間」で管理し利用する共同浴場を、あえて「松本十帖」の中に復活させたこと。「Cafeおやきとコーヒー」の2階席の階下には、湯仲間しか入れない共同浴場「睦の湯」がある。地域住民しか入浴できない温泉を、観光客が出入りする「松本十帖」に取り入れた狙いはどこにあるのだろうか。

「従来の考え方では、観光客が入れないんだったら意味がないじゃないかと思われるかもしれませんが、私はこういった見えない文化も観光資源だと思っているんです。『睦の湯』など、浅間温泉各所にある共同浴場には、地元のタンクトップ姿のおじさんが、四六時中温泉街を歩いて温泉に入りに来ます。これこそが、生活に根付いた温泉街の姿ですよね。観光客も『入れない風呂があるなんて面白そうだ』と感じてくれます。そこで、観光客と湯仲間のおじさんの間に『どんなお風呂なんですか』『めちゃくちゃいい湯だよ』といったような会話が生まれるかもしれません」(岩佐さん)

それが、岩佐さんが「生活観光」と呼んでいる地域の風土・文化・歴史を体感できる新しい旅。「睦の湯」を通して、偶発的な会話が生まれるように「松本十帖」という場所がデザインされているのだ。観光客用には、「松本十帖」の敷地内に「小柳之湯」を用意している。設備は「睦の湯」と同じく、シャンプーやボディーソープはなく、脱衣所と半露天のシンプルな浴槽のみ。源泉かけ流しの小さな湯舟に浸かれば、生活の中に息づく温泉街を感じられる。

敷地の真ん中、正面入り口前に設けられた「小柳之湯」(画像提供/自遊人)

敷地の真ん中、正面入り口前に設けられた「小柳之湯」(画像提供/自遊人)

観光客は、「小柳之湯」で浅間温泉各所にある湯仲間専用の共同浴場を疑似体験できる(画像提供/自遊人)

観光客は、「小柳之湯」で浅間温泉各所にある湯仲間専用の共同浴場を疑似体験できる(画像提供/自遊人)

ホテルにはリピーターも多いが、大きな理由は“食”にある。ホテルの夕食は、地域の「風土・文化・歴史」を表現した料理で、レストラン名は、「三六五+二(367)」。三六七(三六五+二)は信州をS字に流れる日本一の大河、千曲川(信濃川)の総延長が367kmであることに由来する。365日の風土と歴史、文化(+二)を感じてもらいたいという思いが込められている。食材は地場の野菜や千曲川・信濃川流域と日本海でとれた魚が中心。キャビアなどの豪華食材を使うことはなく、季節のものを厳選し、いつ来ても違う味に出会える。ほかに、1万冊を超える蔵書を誇るブックカフェ「松本本箱」のとりこになり、リピーターになる人もいる。料理と本で「また食べたい」「もっと知りたい」という「旅の心残り」を誘う。松本十帖は、コロナ禍による閉塞感からの解放にとどまらず、自分の感性を磨いたり、思考を整理したり、ポジティブな目的を持って訪れる人が多いそうだ。

夕食は『三六五+二(367)』『ALPS TABLE』ともにコース料理。いずれも地域の風土・文化・歴史を表現した「ローカルガストロノミー」がコンセプト(画像提供/自遊人)

夕食は『三六五+二(367)』『ALPS TABLE』ともにコース料理。いずれも地域の風土・文化・歴史を表現した「ローカルガストロノミー」がコンセプト(画像提供/自遊人)

公式サイトで「地味だけど滋味」と表現される料理が体に沁みる(画像提供/自遊人)

公式サイトで「地味だけど滋味」と表現される料理が体に沁みる(画像提供/自遊人)

日常でも非日常でもない「異日常」へ もう一人の自分に会いに帰る旅

岩佐さんが手掛けたホテルを何度も訪ねている鈴木七沖さん(すずき・なおき、57歳・編集者)に魅せられる理由を伺った。25年間、本づくりに携わり、現在は映像制作も手掛けている鈴木さんは、神奈川県茅ケ崎市在住で、「箱根本箱」には6回、新潟の「里山十帖」には3回、「松本十帖」にはオープン直後に訪れている。「松本十帖」の敷地外のカフェでチェックインした鈴木さんは、細い温泉街の道を歩いて宿まで移動しながら、気持ちが整っていく感じがしたという。本をゆっくり読むため外出することは少ないが、温泉に入ったり、食事をしたりするのがいいリセットになる。

「箱根本箱」滞在中の鈴木さん。ホテルでは原稿を執筆したり、自身が制作した映画の編集を行うことも。「たくさんの本が装置になって新しい発想が生まれるんです」(画像提供/鈴木七沖さん)

「箱根本箱」滞在中の鈴木さん。ホテルでは原稿を執筆したり、自身が制作した映画の編集を行うことも。「たくさんの本が装置になって新しい発想が生まれるんです」(画像提供/鈴木七沖さん)

里山十帖のイベントで話し合う岩佐さんと鈴木さん。同じ編集者として岩佐さんのものづくりのコンセプトに共感している(画像提供/鈴木七沖さん)

里山十帖のイベントで話し合う岩佐さんと鈴木さん。同じ編集者として岩佐さんのものづくりのコンセプトに共感している(画像提供/鈴木七沖さん)

「僕の場合は、観光する目的ではなく、自分の考えを整理したり、発想力を豊かにするために宿泊しています。何回も通っている理由は、なんていうか、自分の‘‘残り香‘‘がする場所になっているからなんです」(鈴木さん)

‘‘残り香‘‘とは何かたずねると、鈴木さんは、「日常ではない場所にいるもう一人の自分」だと答える。

「『松本十帖』だけでなく岩佐さんの手掛けたホテルでは、日常ではなかなか出会えないもう一人の自分に出会えるんです。旅行に行くというより『帰る』という感覚。自分と対話できる時間と空間がたっぷりある。僕にとって魔法が生まれる場所です」

普通の観光であれば、南の島に行ってきれいな海で泳ぐなど非日常を楽しむのが目的だ。鈴木さんの体験は、日常でも非日常でもない「異日常」という表現がしっくりくる。鈴木さんは街づくりのオンラインサロンを運営しているが、「異日常」は二拠点生活の感覚に近いという。

「異日常は、日常では思いもよらないアイデアだったり、もう一つの感性だったりを気付て「ぜひ出店したい」と「cafeおやきとコーヒー」の目の前におしゃれなパン屋さんができた。岩佐さんは、「浅間温泉街を起点に松本市内にいろんなマップマークが出てくれば、大きなうねりが起きる可能性がある」と期待を寄せる。宿から街に人の流れができれば、地域のファンになり、関係人口として関わる人も増えるはず。新しい旅の形には、人口減少問題解決の鍵となる地方再生の可能性が秘められている。

●取材協力
・松本十帖
・鈴木七沖さん

賃貸で内装をオーダーメイド&DIYで自分好みに! 夏水組プロデュース「西荻北ホープハウス」

オーダーメイドで自分好みの内装が決められる賃貸住宅があるという。東京都杉並区・JR西荻窪駅からほど近く(徒歩4分)の西荻北ホープハウスだ。オーダーメイドのみならず、入居後にDIYも可能で「原状回復」の縛りもないのだという。女性を中心に魅力的なインテリアを提案している「夏水組」の坂田夏水さんにお話を聞いた。

憧れのウィリアム・モリスの壁紙で、おうち時間も快適に

リビングの壁と玄関ドアにウィリアム・モリスの壁紙を選んだAさんは「好みのインテリアに囲まれているから一日家にいても飽きません」と話す。昨年に会社員からフリーランスに転じた女性で、在宅の仕事でほぼ一日を家で過ごすことから、この部屋の居心地の良さに満足そうだ。

オーダーメイドで壁紙が選べることに魅力を感じ、物件を内見してすぐにこの部屋に決めたという。いくつか壁紙のサンプルを見せてもらったなかから、モリスの柄から2種類を選んだ。
モリスは、19世紀後半の英国で産業革命による粗悪な工業製品を嫌って、生活と芸術の調和を目指したアーツ・アンド・クラフツ運動を興した。工業製品に対して、中世の美意識や手仕事に重きを置いた。これは遠く日本の柳宗悦らによる民芸運動にも影響を与えた。
「古い物件でも、手を入れてリニューアルされることに共感をおぼえます。37平米とひとり暮らしに広さも十分で、キッチン周りも広く使いやすく改修されていて料理が楽しくなりました」と話してくれた。

壁紙などオーダーメイドのマテリアルは、夏水組がプロデュースするDecor Interior Tokyoでコーディネートの相談にのってくれる(画像提供/夏水組)

壁紙などオーダーメイドのマテリアルは、夏水組がプロデュースするDecor Interior Tokyoでコーディネートの相談にのってくれる(画像提供/夏水組)

Aさんが入居の際に選んだウィリアム・モリスの壁紙を貼ったドア(画像提供/夏水組)

Aさんが入居の際に選んだウィリアム・モリスの壁紙を貼ったドア(画像提供/夏水組)

築古の賃貸にかかわらず、魅力的なリニューアルによって人気物件に

西荻北ホープハウスのリノベーションを5年前から任っているのは、空間デザインやリノベーションを手がける夏水組(武蔵野市)の坂田夏水さんだ。デザイン事務所・夏水組のほか、東京・吉祥寺と大阪・梅田でDecor Interior Tokyoというインテリアマテリアルショップも経営していて、自分らしい豊かな空間をつくる提案をしている。

不動産投資家のオーナーBさんと夏水組の坂田夏水さん。リニューアルを終えた西荻北ホープハウスの部屋で。現オーナーは、1年ほど前に前のオーナーから購入した(写真撮影/村島正彦)

不動産投資家のオーナーBさんと夏水組の坂田夏水さん。リニューアルを終えた西荻北ホープハウスの部屋で。現オーナーは、1年ほど前に前のオーナーから購入した(写真撮影/村島正彦)

「こちらのマンションは1975年に建築されて、築年数も40年以上と老朽化が進んでいて、私がご相談を受けたときには、総戸数42戸のうち空き室が30%以上ありました」と話す。

この空き室について、夏水組プロデュースにてリニューアル工事を進めて、ほどなく満室に導いたという。
築古のマンションだけに、入居者が長く住んでいた部屋、入れ替わりがそれなりにあった部屋などあり、入居者が代わるタイミングで行われるリフォーム工事によって、部屋の状態にはバラつきがあった。そこで、坂田さんは、3つのリニューアルプランを提示したという。

もとの間取りには手を入れずトイレやお風呂など水回りを中心にリニューアルする「スタンダードプラン」。2つ目は、キッチンを使い勝手の良い間取りにする「キッチンプラン」。そして、3つ目は間仕切り壁を無くして開放感のあるお部屋にする「フリープラン」という3タイプだ。いずれのプランにおいても、エントランス正面のクロスやバスルームのタイルなどは、部屋ごとに違うものとして、費用を抑えつつも個性をもたせたという。

玄関周りの壁紙は部屋ごとに違うものをあしらい個性を持たせた(画像提供/夏水組)

玄関周りの壁紙は部屋ごとに違うものをあしらい個性を持たせた(画像提供/夏水組)

「賃貸住宅のリニューアルは、オーナーさんの負担が原則です。オーナーさんの資金も限られているなかで、部屋ごとの老朽化の具合やこれまでのリフォーム投資を無駄にしないよう、リニューアルの仕方も選択性にしました」と坂田さん。

西荻北ホープハウスのオーナーのBさんは「提案していただいたリニューアルは、空き部屋が出ても次の入居者がすぐに決まり、オーナーとしてもリニューアルへの投資の面からも不安がありません」と話してくれた。

西荻北ホープハウスでは、壁紙だけでなく、DIYも楽しんで欲しい

夏水組にリニューアルを依頼しているのは、5年前から西荻北ホープハウスの管理を請け負っている地元の不動産会社・リベスト(武蔵野市)だ。

リベスト・中道通り店の店長代理・荒井康友さんは「当社で管理をさせていただく以前は、建物の築年数がそれなりに経過していることもあり、空室率が高い状況でした」と話す。

そこで西荻北ホープハウスの管理の請け負いと同時に、築年数の経過にも調和したデザイン力のある夏水組にリニューアルを依頼するようになったという。また、部屋が空いて内装のリニューアルを行っている途中であれば、壁紙やタイル等の入居者が選べる箇所も多く、「期間限定・内装を自分好みにオーダーメイド可能」と記した間取り図付きのチラシを出せば、すぐに次の入居者が決まることも多いという。
荒井さんは、「西荻北ホープハウスは、こうしたインテリアにできるということが評判をよび、空き室待ちが発生することもあります」と話してくれた。

坂田さんは、国交省が賃貸住宅の流通促進の一環として取り組む「DIY型賃貸の普及」にも共感して、住まい手の啓発につとめているという。「西荻北ホープハウスでも、DIYができることをアピールしています。築古の物件でオーナーさんの理解があれば、住まい手が自分の住まいを自分でつくる楽しみを実現できます」と話す。

西荻北ホープハウスでは、オーナーの意向もあり「DIY可能」な賃貸物件だ。坂田さんは「住まい手自身、住みながら家に手を入れて愛着を持ってもらいたい」と話す(画像提供/夏水組)

西荻北ホープハウスでは、オーナーの意向もあり「DIY可能」な賃貸物件だ。坂田さんは「住まい手自身、住みながら家に手を入れて愛着を持ってもらいたい」と話す(画像提供/夏水組)

坂田さんが経営するインテリアマテリアルショップDecor Interior Tokyoでは、壁紙などインテリア商品の販売だけでなく、壁紙の貼り方や小物のデコレーションなどワークショップも積極的に行って、自分の住まいを自分でアレンジする楽しみの輪を広げているという。

夏水組がプロデュースするDecor Interior Tokyo(吉祥寺店・梅田店)では定期的にインテリアワークショップを行っている(画像提供/夏水組)

夏水組がプロデュースするDecor Interior Tokyo(吉祥寺店・梅田店)では定期的にインテリアワークショップを行っている(画像提供/夏水組)

坂田さんは「ヨーロッパでは、古い建物を、住まい手自らがインテリアにこだわりを持って修復やDIYしながら、豊に暮らしています。そんな文化を若いときに暮らす賃貸住宅でトライして楽しみを知ってもらうことで、日本にも根付かせていきたい」と語ってくれた。

画一的でなく、部屋ごとに個性の感じられる西荻北ホープハウスを見ると、住まい手が自由に楽しんで暮らしていることがうかがえる。最近ではリノベーションへの注目から、築古の賃貸住宅を中心に、借り手が好みのインテリアにできるDIY可能な賃貸が増えてきている。こうした流れを受けて、国土交通省では、貸主と借主のトラブルを未然に防ぐためにDIY型賃貸借に関する契約書式例やガイドブックを作成して公開している。参考にしてもらいたい。

●取材協力
・夏水組
・Decor Interior Tokyo
・リベスト
・国土交通省 DIY型賃貸

金物のまち・新潟県三条市が人気NO1移住地に! スノーピークなど若者が熱視線の4事例

新潟県三条市が、人気移住地域ランキング「SMOUT移住アワード2021上半期ランキング」(面白法人カヤック発表)でNo.1に輝いた。その評価ポイントは、「市内のエリア特性を見事に生かし、移住関心者の心を掴んだこと」。「移住関心者の心を掴む」として挙げられているのが、三条市に本社を構えるスノーピーク。敷地内にキャンプ場を併設している、アウトドア業界を牽引する企業だ。
そのほかにも、一大金物産地である燕三条地域を成す三条市には、人口比あたり日本一社長が多いと言われるほど多くの企業が存在している。人気の理由を深堀りするため、「スノーピーク」と、話題の金物づくり企業「庖丁工房タダフサ」と「諏訪田製作所」、そして工場と工場、クリエイターをつなぎ文化の継承を担う「三条ものづくり学校」を訪れてみた。

「スノーピーク」アウトドアは趣味かつ仕事!全国から集まる若者が永久保証品質の担い手

国内外でアウトドア関連事業を幅広く展開するスノーピークは、三条市を代表する企業だ。「人生に、野遊びを。」をスローガンとする同社の製品は、多くのキャンパーから支持されている。

本社の地下にあるスノーピークミュージアム。創業からの歴史とこれまでの製品が展示されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

本社の地下にあるスノーピークミュージアム。創業からの歴史とこれまでの製品が展示されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

創業は1958年。三条市で山井幸雄(やまい・ゆきお)さんが金物問屋を立ち上げ、趣味の登山用に本格的なギアをつくりだしたのが始まりだ。

幸雄さんが開発した、雪山登山時に靴に装着するアイゼンと、岩にボルトを打ち込むハンマー(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

幸雄さんが開発した、雪山登山時に靴に装着するアイゼンと、岩にボルトを打ち込むハンマー(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

その後、息子の太(とおる)さんが2代目社長に就任し、オートキャンプ領域を切り開いた(現在会長職)。
キャンプ用品はバックパッカーやクライマー向きのものが中心だった時代。欲しいものを自らつくり現場で試すという信念を父親から受け継ぎ、誰もが気軽にアウトドアを楽しめる上質な用品を、次々と産み出していった。

山井太さん(左)は三条市生まれ。東京の大学で学び、外資系商社を経て2代目社長に就任した。2020年に娘の梨沙さんが3代目となり、2021年4月より代表取締役会長。執行役員でもある妻の多香子さん(右)とは商社で同期入社だったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

山井太さん(左)は三条市生まれ。東京の大学で学び、外資系商社を経て2代目社長に就任した。2020年に娘の梨沙さんが3代目となり、2021年4月より代表取締役会長。執行役員でもある妻の多香子さん(右)とは商社で同期入社だったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

暴風雨にさらされてもテントを守る頑丈なペグ。焚火のような強い直火に耐えうる鍋。室内で使用する以上に堅牢さを求められるアウトドア製品づくりは、燕三条の職人の技術が支えている。
「たとえば鍋は、大きさによりコンマミリ単位で板厚を変えねばなりません。どのくらいの厚さがベストなのか職人の経験に頼りながら、試作を繰り返します。同時に使いやすさ、美しさを追求しますから『お前が持ってくる依頼はめんどくさいものばっかりだ』と言われながらも、『こんなの無理ですよね、できないですよね』と職人魂を焚き付ければ焚きつけるほど(笑)、こちらの要求を超えてくるのが燕三条の職人です。『試作品つくるために機械もつくっちゃったよ』なんて、びっくりさせられることもよくありました」(太さん)。
高品質を誇りに、「キャンプ製品に永久保証をつけたのは我々が世界初です」と太さんは胸を張る。そんなスノーピークは2011年に、本社をキャンプ場・店舗・工場・オフィスが一体となった「Headquarters」へと進化させ、三条市街地から山を身近に望む丘稜地帯に移転した。

取材当日は大雪。雪中テント泊を楽しみにするキャンパーが関東から訪れていた(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

取材当日は大雪。雪中テント泊を楽しみにするキャンパーが関東から訪れていた(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「社員もみんなキャンパー、自然の中で過ごすのが大好きなことが入社の条件のひとつです」と語るのは、執行役員の吉野真紀夫(よしの・まきお)さん。自身も釣りとキャンプの愛好家だ。「山も川も海も近いこの場所は、アウトドア体験から製品をつくり試すのにふさわしい、素晴らしい場所です」

「これを眺めながら仕事だなんて、最高でしょ?」と雪景色にはしゃぐ吉野さん。晴れたときには広大なキャンプ場とその奥の山並みが本社屋から一望できる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「これを眺めながら仕事だなんて、最高でしょ?」と雪景色にはしゃぐ吉野さん。晴れたときには広大なキャンプ場とその奥の山並みが本社屋から一望できる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

アウトドア愛好者の憧れの会社となったスノーピークには、全国から入社希望者が殺到する。「今や社員のほとんどは新潟県以外の出身。私も東京出身です」(吉野さん)
「社員たちのアイデアは、地元の工場の職人さんたちに、それこそ打たれ研磨されて世界に誇れる商品になっていきます。新人のうちは不勉強を嘆かれつつもモノづくりへの熱い気持ちは同じ。心に火をつけて最高のギアをつくっていくのです」(吉野さん)

キャンパーであることを優とするスノーピークの採用基準と、常にキャンパーでいられるフィールド、そして、そのフィールド体験をカタチにできる燕三条のモノづくり。そんな吸引力が、若者をスノーピークに惹き寄せているようだ。

社員が自由に使える打ち合わせスペースはまるでキャンプサイト。「これからは衣食住働遊の全領域で、自然と触れ合える生活を提供していきます」(山井太さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

社員が自由に使える打ち合わせスペースはまるでキャンプサイト。「これからは衣食住働遊の全領域で、自然と触れ合える生活を提供していきます」(山井太さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「庖丁工房タダフサ」世界のバイヤーが認める鍛冶仕事は子どもたちの憧れ

庖丁工房タダフサは、世界中のバイヤーが注目する話題の企業だ。創業は1948年。現在は3代目となる曽根忠幸(そね・ただゆき)さんが経営を担う。
タダフサの主力製品はその名の通り包丁だ。手作業でつくられる鋼の包丁は極上の切れ味。例えば家庭用の万能三徳包丁は9000円(税別・取材当時)と高額だが、生産が間に合わないほどの人気を誇っている。

工場併設のショップ。鋼製包丁はオールステンレスに比べると手入れが必要だが、その重力だけで固い人参が切れる体験をすると、買わずにはいられない。研ぎ直しサービスもあるので安心(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

工場併設のショップ。鋼製包丁はオールステンレスに比べると手入れが必要だが、その重力だけで固い人参が切れる体験をすると、買わずにはいられない。研ぎ直しサービスもあるので安心(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

会社ロゴには、鋼材をつかむ、つかみ箸をデザインした。以前は鍛冶職人が最初に修行としてつくるならわしがあったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

会社ロゴには、鋼材をつかむ、つかみ箸をデザインした。以前は鍛冶職人が最初に修行としてつくるならわしがあったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「祖父の寅三郎(とらさぶろう)が大工道具の曲尺づくりを始めたのが創業のきっかけです。腕利きが認められるようになって、農具や漁業用具などさまざまな刃物を手掛けました。家庭用の包丁も問屋から注文が入るようになり、その後父・忠一郎(ちゅういちろう)に工場を引き継ぎました。職人が全工程を手作業で行うのは、創業当時と同じです」と曽根さん。

曽根忠幸さん。東京の大学卒業後3年間の会社勤めを経験し、鍛冶職人に。2012年代表取締役に就任。会長職に就いた忠一郎さんは伝統工芸士に認定されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

曽根忠幸さん。東京の大学卒業後3年間の会社勤めを経験し、鍛冶職人に。2012年代表取締役に就任。会長職に就いた忠一郎さんは伝統工芸士に認定されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

職人の数も少しずつ増え、やがて時代のニーズとともにホームセンターからの注文も入るようになった。「ホームセンターは納期が厳しかったです。長時間労働を強いられ利益も薄いのですが、売上が大きいので断れませんでした」(曽根さん)。

2011年に中川政七商店の中川政七さんに工場経営を相談したことが転機となった。
当時の市長が三条市の活性策として「モノづくり」に道を求め、中川さんにコンサルティングを依頼。多くの金物工場の中からまず1社、タダフサが先鞭をつけるべく選抜されたのだ。

中川さんと打ち合わせを重ねて気がついたのは「自分たちで何をつくるべきか考えてこなかった」ということだった。ユーザーや問屋、ホームセンターのオーダーに応え続けた結果、当時は900種もの商品数があり、その材料や資材などの在庫を抱えていたのだそう。

検討の結果、ユーザーが選びやすい「基本の3本」包丁と、料理の腕が上がったときの「次の1本」に主力商品を整理。利益に見合わない大量発注は請け負わない決断をした。
「特殊な刃物は受注製造制にして、出来上がりまで少し待ってもらうことにしました。ウチの包丁はちゃんと研げば数十年使えますからね、買い替えも数十年に一度です」と曽根さん。

左から「基本の3本」パン切り、万能三徳、万能ペティ、「次の1本」牛刀、出刃、小出刃、刺身(写真提供/庖丁工房タダフサ)

左から「基本の3本」パン切り、万能三徳、万能ペティ、「次の1本」牛刀、出刃、小出刃、刺身(写真提供/庖丁工房タダフサ)

曽根さんは、工場見学者を受け入れて作業と技術を見てもらうことにもこだわっている。
「品質はむしろ海外から評価されていて、2021年の売り上げのうち3割以上が海外関連を占めています。こういった事実は、職人の励みにもなりますね」(曽根さん)

タダフサの包丁ができるまでは大まかに21行程。材料の切断、鋼材の鍛造、焼入、研磨、歪み取りといった工程を職人が1丁1丁作業していく。その様子を見学してもらうことで製品の確かさが伝わり、「この値段ならむしろ安い」と購入してくれる。「モノづくりの背景を知ってもらうことで、価値がより高まります」(曽根さん)

工場見学には、海外のバイヤーも多かった。新型コロナ拡大状況などによる見学可否はHPで確認を(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

工場見学には、海外のバイヤーも多かった。新型コロナ拡大状況などによる見学可否はHPで確認を(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

また、タダフサの“工房心得”には「三条の子どもたちの憧れとなるべき仕事にすること」が刻まれている。「自分も父の仕事をしている姿を見るのが大好きでした」と曽根さん。「鍛冶職人のカッコ良さを見てもらい、技巧の素晴らしさに触れてもらうことで三条が産地として継続するはずです」(曽根さん)

三条市の小学生は社会科見学で工場に訪れる。「息子が『鍛冶屋になる!』と言ってくれているのがものすごく嬉しい」(曽根さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

三条市の小学生は社会科見学で工場に訪れる。「息子が『鍛冶屋になる!』と言ってくれているのがものすごく嬉しい」(曽根さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

曽根さんは、燕三条の工場を一斉にオープンする「燕三条 工場(こうば)の祭典」を2013年初代委員長として開催した、立役者でもある。2020年はオンライン開催となったが、2019年には4日間で5万人の来場者があり、職人仕事に熱い視線が集まった。

「商品を絞り、高品質を伝えることで売り上げは倍以上、利益率も上がりました。憧れの職業となるよう働く環境も整えています。うちは週休二日制、勤務時間は8時間。残業も多少ありますが、残業代は当然支払います。月に1回、会社負担でマッサージも受けられるようにして、仕事の疲れも癒してもらっています」(曽根さん)

実際、タダフサには職人に憧れる若者の入社希望が増えている。2011年の社員数は12人だったが、2022年1月時点で33人。憧れの現場には、女性の職人も4名、オーストラリアから移住してきた若者も働いている。

「職人希望者が増えて嬉しいのですが、鋼を扱う作業は冬は寒いし夏は暑い。過酷な環境で作業に没頭して技巧を磨いていけるかどうかには、向き不向きがあります。ただ、三条の鍛冶職人は世界一。しっかりと家族を養うことができる収入も得られますし、手に職をつけることにより一生涯の仕事ともなります」(曽根さん)

世界基準の技術を持つ。プライベートも大切にできる収入を得る。若者がプライド高く励む鍛冶の現場が、庖丁工房タダフサにあった。

「諏訪田製作所」はオープンファクトリーの先駆者。進化を続ける創業95年企業

「工場の祭典」は職人の後継者不足と製品の低価格化を解決する一策として、燕三条エリアの工場が一斉に工場見学を開放し、一般見学者が地図を片手に思い思いの工場を巡る一大イベント。画期的な取り組みで、全国的にも話題を集めている。
開催の先駆けとなったのが、2011年に「オープンファクトリー」として工場を刷新し、見学者を迎え入れた諏訪田製作所だ。

諏訪田製作所は材料の仕入れから製造、修理まで一貫して自社で行っている。主力商品はニッパー型のつめ切り。「創業96年を迎えます。以前から地元の愛用者が、修理などの相談でフラッと工場に来ることが多かったそうですよ」と、諏訪田製作所の水沼樹(みずぬま・たつき)さん。

来場者の受け付け体制を整えたほうがお互いに良い、ということと、3代目代表取締役・小林知行(こばやし・ともゆき)さんが「生産工程を見せることで商品価値を上げたい、そして職人にプライドを持ってもらいたい」と決断したことが工場を公開する「オープンファクトリー」のきっかけだった。

のどかな田園地帯に建つ諏訪田製作所。2019年に新築された工場はひときわ異彩を放つ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

のどかな田園地帯に建つ諏訪田製作所。2019年に新築された工場はひときわ異彩を放つ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

正面ドアを入ると、つめ切りの端材を使ったアートが迎えてくれる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

正面ドアを入ると、つめ切りの端材を使ったアートが迎えてくれる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

インテリアにこだわったカフェレストランとショップも併設されていて、工場というより美術館を訪れたような感覚に陥る(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

インテリアにこだわったカフェレストランとショップも併設されていて、工場というより美術館を訪れたような感覚に陥る(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

黒と赤で統一された工場スペースでは、職人たちの様子を間近に見ることができる。オープン前は「見学者を受け入れるなんてとんでもない。集中できない」と反対の声があったそうだが、一流の職人こそ作業に没頭している。そんな心配は無用だった。
直接ユーザーから製品の良さを聞く機会が増え、精緻な技巧を誉められることで、職人たる誇りが醸成されることにも繋がった。

見学コースと作業場所は仕切られていて安全性も保たれている。集塵機がある工場は冷気が吸い込まれてしまうためエアコンをつけないことも一般的だそうだが、諏訪田製作所では倍の数のエアコンを設置して働きやすい環境を維持(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

見学コースと作業場所は仕切られていて安全性も保たれている。集塵機がある工場は冷気が吸い込まれてしまうためエアコンをつけないことも一般的だそうだが、諏訪田製作所では倍の数のエアコンを設置して働きやすい環境を維持(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

職人の家族もオープンファクトリーに訪れる。そのカッコいい姿に子どもたちは憧れて、また職人になることを目指す(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

職人の家族もオープンファクトリーに訪れる。そのカッコいい姿に子どもたちは憧れて、また職人になることを目指す(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

見学コースを抜けると、職人技に感動した逸品が並ぶショップに繋がる。1万円のつめ切りも、もはや高いとは感じない。自宅用に、大事な人へのプレゼント用にと、お買い物が進む。その後はスイーツが自慢のカフェレストランで休憩し、SNSで情報共有したくなる。そんな仕掛けも巧妙だ。

「刃と刃の境目がわからない」ことで高品質がわかる諏訪田製作所のつめ切り(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「刃と刃の境目がわからない」ことで高品質がわかる諏訪田製作所のつめ切り(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

水沼さんは、第1回「工場の祭典」に参加して諏訪田製作所を見学し、入社を決めたうちのひとり。出身は山口県、東京の大学に進み中小企業経営を学んでいて、燕三条エリアには製造から販売まで一貫して行う工場・企業が多いことに魅力を感じていたのだそう。
「モノづくりって、人類が原始からやっていることですよね。石包丁とか土器とか。残念ながら自分は器用ではないので現場仕事には向いていないのですが、モノをつくる過程でデザインも必要だし、広報や営業も大切です。大企業とは違って職人にも経営者にも近い中小企業の工場で、いろいろなことを学びたいと考えていました」(水沼さん)

「三条に来たのは、諏訪田製作所があったから。妻は花屋を経営しています。彼女も大阪からの移住者で、燕三条で出会いました」と水沼さん(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「三条に来たのは、諏訪田製作所があったから。妻は花屋を経営しています。彼女も大阪からの移住者で、燕三条で出会いました」と水沼さん(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

実は、水沼さんは代表取締役 小林さんの大学スキー部の後輩。「工場の祭典」の前にスキー部のOB会で出会っていた。小林さんはその時にロン毛で登場。「多くの先輩がいらっしゃる中で社長にはとても見えず、ナニモノ?と強く印象に残りました(笑)」(水沼さん)。
その後ゼミ仲間と「工場の祭典」に行くことになり、小林さんに再会。経営者としての手腕と諏訪田製作所のモノづくりに惚れ込んで入社を決めた。

取材の最後に小林さん(右)にお会いできた。この日は金髪。左は取材に同行したSUUMO編集長(写真撮影/池上香夜子)

取材の最後に小林さん(右)にお会いできた。この日は金髪。左は取材に同行したSUUMO編集長(写真撮影/池上香夜子)

諏訪田製作所の社員は約60人。熟練の職人も多いが、会社の成長にともない若者の入社が増えて、今は全体の半数が20代と30代。男女比はほぼ半々なのだそう。
その若い世代にも、モノづくりを極めたくて入社してきた人が多い。「他の工場と距離が近いのも燕三条エリアの特徴だと思います。自社製品以外に、お互いの得意技術を活かしたモノづくりができる近さは魅力的です。世界に誇れる技術がたくさんあり、販路も世界中。競争意識はありますよ。まさに切磋琢磨できる、理想のモノづくり環境です」(水沼さん)。

完璧な使い心地のつめ切り、芸術作品のようなその商品でさえ、時代に合わせてモデルチェンジを繰り返す諏訪田製作所。地域を超えて日本の工場を先導する諏訪田製作所には、未来を切り拓いていく若者の姿があった。

工場と工場、そしてクリエイターを繋ぐ「三条ものづくり学校」。職人技の継承と新たな繋がりを産み育てる

燕三条エリアの特筆すべきところは、各企業が優れた商品を生み出しているだけではなく、企業間の連携も図れている点だ。そのなかで、工場と工場、そしてクリエイターをつなぎ、文化の継承を担う役割を果たしているのが、閉校した小学校をリノベーションした「三条ものづくり学校」。東京都世田谷区のIID世田谷ものづくり学校を運営する株式会社ものづくり学校が三条市から委託を受けて2015年4月に開校した。

「燕三条エリアのモノづくりの技術やアイデアを育み、地域に貢献することが設立の目的です」と三条ものづくり学校の斎藤広幸(さいとう・ひろゆき)さん。「教室だったところを小規模のクリエイターなど事業者にオフィスとして貸し出すほか、一時的に利用可能なレンタルスペースもあります」(斎藤さん)

小学校当時そのままの外観(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

小学校当時そのままの外観(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

オフィス入居の応募条件は「ものづくりに関わる事業を行う法人もしくは個人事業主であること」。30室はほぼ満室状態だ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

オフィス入居の応募条件は「ものづくりに関わる事業を行う法人もしくは個人事業主であること」。30室はほぼ満室状態だ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「三条市の工場は規模が小さいところがほとんど。組合も専門分野ごとにバラバラで、連携が乏しいという弱点がありました。職人の技術と伝統を絶やさぬよう光を当て、時代にあった商品開発に繋がる役目を果たしたい。そのため、最初はデザイナーやクリエイターに入居を促すことから始めました」(斎藤さん)

斎藤さんは開校以来200社を超える工場に出向いている。「工場、職人の技術や経営ノウハウについてインタビューして、他の工場で参考にしてもらえるようHPなどで紹介しています。直接相談を受けることも増えていて、それが新しい商品に結びつくこともあります」(斎藤さん)

例としてあげてくれたのが、「鉛筆切出(えんぴつきりだし)」。創業から60年、鍛造技術を親子二人で守り、大工道具である切出し小刀を専門につくっている増田切出工場と、ものづくり学校にオフィスを構えるカワコッチという任意団体のデザイナーが共同開発し、ステーショナリーに仕上げた。

従来の切出小刀に窪みを加えることで鉛筆が削りやすくなった。荷物の開梱など生活のちょっとした場面で幅広く使える。IDSデザインコンペ2019準大賞を受賞(写真提供/三条ものづくり学校)

従来の切出小刀に窪みを加えることで鉛筆が削りやすくなった。荷物の開梱など生活のちょっとした場面で幅広く使える。IDSデザインコンペ2019準大賞を受賞(写真提供/三条ものづくり学校)

三条ものづくり学校ではワークショップや交流会などがたびたび開催され、入居者同士のコミュニケーションも活発だ。「全て把握することはできませんが、大小のアイディアが飛び交っているようです」(斎藤さん)。

工場に眠っていた廃材や廃盤となった製品、クリエイターが廃材からつくった作品などを事業者自身が販売する「工場蚤の市」。2019年4月は2日間の開催で約2万人が訪れた。マニアックな部品が並ぶが、「地域の工場や技術が可視化できて、一般の人も出展者もいろんな発見があったと思います」(斉藤さん)

2019年「工場蚤の市」。職人による体験教室も大人気だった。2020年・2021年は「Factory Piece Market」と題し規模を縮小して開催(写真提供/三条ものづくり学校)

2019年「工場蚤の市」。職人による体験教室も大人気だった。2020年・2021年は「Factory Piece Market」と題し規模を縮小して開催(写真提供/三条ものづくり学校)

斉藤さん。自身も三条ものづくり学校での活動を事務局内に引き継ぎ中(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

斉藤さん。自身も三条ものづくり学校での活動を事務局内に引き継ぎ中(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

日本の多くの地方工業都市では、若者の流出が課題となることが多い。その流出を止めるには魅力的な働く場所・企業と、その環境の整備が有効なのではないだろうか。
三条市を訪れてみると、世界で戦えるモノづくりを基盤に、働きたくなるよう職場を洗練して勤務環境を整えた企業と、地元産業の職人に光を当てて繋ぐ自治体の取り組みが見えてきた。
今回訪問した企業の共通項は「高単価」「世界水準」。成し遂げていたのが、2代目・3代目だったことも共通点だった。創業者とは違う経験を通して、自社の発展と、地域・国・産業の発展とを地続きで見渡す視野の広さに感銘を受けた。

●取材協力
・スノーピーク
・庖丁工房タダフサ
・諏訪田製作所
・三条ものづくり学校
●関連リンク
・燕三条 工場の祭典

災害時に雨水タンクが活躍!? 家庭設置には補助金、スカイツリーや国技館にも設置 東京都墨田区

実は貴重な水資源である「雨」を活用する方法として、じわりと広がりつつあるのが雨水タンクです。話を聞いた墨田区だけでなく、さまざまな自治体で購入補助などの助成制度を設けています。今回は雨水活用の方法と水資源、住まいでの導入方法について取材しました。

30年以上前から雨水活用に取り組む東京都墨田区。その理由は?

乾燥して寒~い冬が終わり、空気がゆるみはじめると雨の日が増えます。「春の長雨」といわれるように春、そして梅雨になれば雨の日が続くことも少なくありません。近年では、「ゲリラ豪雨」のように短時間に激しく降ることも珍しくなくなりました。そんな身近な雨を、官民挙げて「水資源」として活用をしているのが墨田区です。でも、なぜ墨田区なのでしょうか。特定非営利活動法人「雨水市民の会」の笹川みちる理事に聞きました。

「雨水市民の会」の笹川みちる理事

「雨水市民の会」の笹川みちる理事。墨田区の取り組みは世界中から視察が来るそう(写真撮影/片山貴博)

雨水市民の会が運営する雨水カフェ

事務所では淹れたてのコーヒーを楽しめる「雨カフェ」も営業中。※現在は不定期営業のため営業日については雨水市民の会にお問い合わせください(画像提供/雨水市民の会)

「墨田区は海抜ゼロメートル以下の場所が区内のあちこちにある地帯なんです。また、40年以上前から豪雨と水被害に悩まされてきました。錦糸町駅前なども一面、水びたしになったこともあったとか。都市で起きる浸水には、降った雨が河川に排水できずに発生する『内水氾濫』、河川から水が堤防をこえて発生する『外水氾濫』があります。下水道は都市に降った『内水の排除』という役割を果たしていますが、近年では、この下水道の排水能力を超えてしまうゲリラ豪雨が頻発しています。浸水被害を防ぐために、貯留浸透施設、つまり小さなダムを街なかに造る必要がある。その小さなダムこそ、『雨水タンク』なんです」とその背景を教えてくれました。

墨田区の公園にある海抜マイナス表記の案内板

墨田区の公園では海抜のマイナス表記が。ひとたび河川が氾濫すれば被害は甚大(写真撮影/片山貴博)

東京の下水道は、高度経済成長期の急速な都市化に伴って整備されたもの。現在のような人口密度や豪雨、コンクリート化が想定されておらず、昨今のゲリラ豪雨に見舞われると下水道では処理しきれないといいます。そのため、ダムのように一時的に雨水を貯め、ゆるやかに流す取り組みが必要なのです。雨水処理のバッファを大規模なダムだけでなく、地上のあちこちにつくると思うとイメージがつかみやすいかもしれません。

「現在、墨田区では条例を制定し、大規模な建造物やマンションなどには雨水タンクの設置を義務付けています。例えば、両国国技館、墨田区役所、東京スカイツリータウン®、オリナス錦糸町などにも大規模な雨水タンクが設置されていますし、大規模な分譲マンションにも地下に雨水タンクが設置されているはず。現在、区内には大小あわせて731カ所のタンクがあるんですよ」

こうしてタンクで雨の流出抑制を行うことで、下水道への負荷を軽減し、内水氾濫を防いでいるのです。また、墨田区では、一般家庭が雨水タンクを設置する際にも助成金(価格の半分まで、最大5万円)を出しているそう。言われてみないと気がつきませんが、街を守るための地道な取り組みがなされてきたんですね。

墨田区の路地にある路地尊(ろじそん)

墨田区の路地にある路地尊(ろじそん)は、建築家の隈研吾氏が「新・東京八景」として選んだ、風景のひとつ。隣接する建物の屋根に降った雨を地下タンクに貯め、災害時の水資源として手押しのポンプと組み合わせている。地域のシンボル(写真撮影/片山貴博)

貯めた雨水は散水、洗車や掃除、打ち水、非常時のトイレ用水に

では、貯めた雨水はどのようにして活用できるのでしょうか。

「貯めた雨水は、木々に散水したり、洗車などに使ったり、トイレ用水として活用する人が多いですね。規模の大きい建物ほど水も貯まりますので、マンションでは緑地の散水に使ったり、スーパーではトイレ用水として活用しているところもあります。また災害発生時には初期消火に役立ちますし、生活用水、手を加えれば飲水としても活用できるんですよ」

なるほど、日常、災害時と雨水が利用できる幅は思ったより広いようです。一般家庭で設置しやすいサイズは140~200L程度、金額にして5万~6万円程度で、さらに自治体によっては助成金を設けていることもあるとか。ただ、日本の水道代は非常に安いだけに、コスト面だけでメリットがあるかというと悩ましいところだそう。一方で、近年、災害が頻発していることや、普段の掃除に使えるとあれば、導入を考える人も多いことでしょう。

「洗車に使うのであれば、車庫やカーポートの屋根の雨を集められる場所、ガーデニングに使うのであれば庭に近い竪樋にタンクを接続すると使いやすいでしょう。ただ、タンクで貯めた水をトイレ用水にする場合は、屋外からだと配管やポンプの設置が必要だったり、雨水が足りなくなったときには水道水を補給する設備が必要なので、かなり大掛かりなリフォームになります」

市販されている外付けの雨水タンクはドラム缶程度の大きさです。トイレ用水に使用する場合はさらに容量の大きなものがオススメです。雨水タンクを置きたい場合は、新築時やリフォーム時にあらかじめ設置場所を考えておくのがよさそうです。

一般的なサイズ(200L)の雨水タンク。通常の色は紺色ですが、外壁にあわせて色を塗れば目立ちません(写真撮影/片山貴博)

一般的なサイズ(200L)の雨水タンク。通常の色は紺色ですが、外壁にあわせて色を塗れば目立ちません(写真撮影/片山貴博)

雨樋と鉢を組み合わせた雨水活用のイメージ

とある軒先の雨水活用の例。雨樋と鉢を組み合わせることで、貯水機能を果たしています。雨水タンクの貯水量は80L~500Lと幅がありますが、一戸建てでは120~200Lがひとつの目安に(写真撮影/片山貴博)

気になるのは雨水タンクを設置すると虫、特にボウフラなどが湧きそうなことです。注意点などはあるのでしょうか。
「虫対策としては、(1)フタをすること、(2)竪樋から直接雨水を取水すること、(3)雨水を日常的に使って回転させること、を徹底すれば問題ありません。雨水は純水に近いため栄養分が少なく、もともと虫が湧きづらいですしね」。どうやら虫は十分に対策できそうです。

公園に設置された雨水タンク

公園に設置された雨水タンク(左)。上部にあるフタをはずしたところ(右)。竪樋から直接雨を貯めているため不純物が入りにくく、虫が湧くことはありません(写真撮影/片山貴博)

成熟した都市に必要なのは雨水タンクのようなグリーンインフラ

一つ、気になるのが雨のきれいさです。飲料として活用することはできるのでしょうか。
「雲から降る雨って、天然の蒸留水ですごくきれいな状態なんです。ただ、混じり気の少ない超軟水なので大気中の窒素化合物などの汚れを吸収して大地に降りてきます。よく雨水は汚いといわれますが、汚れているのは都市の空気なんです。ただそうやって汚れを吸収して降ってくるため、残念なことにそのままでは飲み水には適さないといわれています」

雨上がりの空がきれいなのは、雨が大気中の汚れを拭ってくれるからだそう。また、もともと空気がきれいなエリアでは、雨を飲水としている地域は少なくないそうで、オーストラリアでは「ピュアレインウォーター」として発売しているところもあるといいます。都市だからこそ、雨が飲水にならないというのは少し寂しい気もしますが、仕方がないことなのかもしれません。

雨水タンクに貯まったきれいな水

雨水タンクの水は見た目は驚くほどきれいで生活用水には十分。汚れているのは都市の大気……(写真撮影/片山貴博)

ここまでの話を整理すると、雨水タンク普及のカギとなりそうなのは、費用というより認知拡大や設置場所といえそうです。では、なぜ今、雨水活用なのでしょうか。

「日本は水道料金も安いですし、降雨量も多いので、水資源が豊かな国という印象の人は多いと思いますが、1人あたりの水資源は、世界平均よりも少ないんです。都市部に人口が密集している、川の勾配が急で滝のように流れていく、というのがその理由です。また、高度成長期に整備された上下水道のインフラは老朽化しつつあり、かつてのように大規模なダムや、貯水池をつくるということも難しくなっています。自然の持つ機能を活用して、地域の魅力・居住環境の向上や防災・減災につなげる取り組みを『グリーンインフラ』といいますが、雨水活用はその一つ。災害が頻発する今こそ大切な取り組みだと思っています」

確かに高齢化が進み、人口が減り始めている現在の日本では、今までの上下水道や貯水ダム、貯水池のような巨大なインフラを新たにつくるどころか、維持するのが精一杯でしょう。ただ、ゲリラ豪雨が頻発していることを考えると、既存にある住まいの一部に工夫を加えて対応するのがいちばんリアルで、有効な対策なのかもしれません。

「いきなり大きな雨水タンクを導入する必要はないので、少しずつ、できることからやってみよう、の精神で始めてみるのがいいと思います。雨水タンクがあると、雨が降るのも楽しみになりますし、台風がくるからタンクを空にしておこう、など意識するようになります。何より雨が貯まるのは楽しいですよ」と話します。

白鬚神社に設置された雨水タンク

白鬚神社にも雨水タンクがありました(写真撮影/片山貴博)

そういえば、神社仏閣など、昔ながらの日本建物には、鎖樋(くさりとい)と水鉢といった工夫があります。雨水を排水しつつ、水の流れを風景として楽しみ、貯まった水は打ち水として使う。日本の暮らしになじみ、受け継がれてきた智慧、それが雨水活用。今こそ、取り入れてみてはいかがでしょうか。

●取材協力
雨水市民の会

寂れていた街がAIやビッグデータ活用で蘇った! バルセロナに学ぶ市民参加型のまちづくりとは?

ビッグデータやICTを活用したまちづくりで注目されるスペイン・バルセロナ。データを活用して、市民と行政がともにまちづくりへの意見交換をして、さまざまな政策実現に結びつけているという。20年前からバルセロナで都市計画に携わった経験を持つ、東京大学特任准教授の吉村有司さんに話を聞いた。

デジタルテクノロジーを市民生活の向上に役立てる(写真提供/吉村さん)

(写真提供/吉村さん)

吉村有司
東京大学先端科学技術研究センター特任准教授
愛知県生まれ、建築家。2001年より渡西。ポンペウ・ファブラ大学情報通信工学部 博士課程修了。バルセロナ都市生態学庁、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て2019年より現職。ルーヴル美術館アドバイザー、バルセロナ市役所情報局アドバイザーを兼任

バルセロナ(写真/PIXTA)

バルセロナ(写真/PIXTA)

――先生はアーバンサイエンスというデジタルテクノロジーやビッグデータを都市計画・まちづくりに活用するという研究に取り組まれています。

吉村 バルセロナでは、デジタルテクノロジーをうまく活用して、市民生活を向上させよう、公共空間の再生を図ろうという試みを行っています。データを公開することによって、市民一人ひとりに街の現状を認識してもらって、街をどのように変えていったらよいか考えてもらおうとしています。
バルセロナ市では、Decidim(デシディム)という、参加型のプラットフォームをオープンソースで開発して、運用しています。まちづくりの分野に、市民参加を積極的に促すための仕組みです。市民に気軽に意見を書き込んでもらって、対話や議論をしてもらい、都市の施策に反映しようというものです。

このDecidimについては、市役所では大々的に広告するなどして、市民の認知度も高く、PCやスマホなどから、高齢者などのデジタルが苦手な人達でも、できるだけ使いやすくし、書き込みや投票など誰もが参加しやすくしています。また、オンラインだけでなく、実際の対面でのグループディスカッションでの話し合いで補完もしています。
選挙による市長や議員の選出、議会での議論の末の予算執行という間接的な民主主義から、地域の市民一人ひとりが意思決定のプロセスに参加できる「民主主義のアップデート」と言えるでしょう。つまり、市民自身が、提案を行い、議論し、優先順位を決め、決断を下すのです。
Decidimは実験的な段階ですが、2016年から2019年にかけて行われた第1段階では、約4万人の市民が参加して、約1500の施策に落とし込まれました。
また2020年からの第2期の取り組みでは、住民からの提案について議論され、2021年6月に投票が行われました。これには、参加型予算として、市の予算のうち3~5%に当たる使い方を、Decidimで得られた市民の意見をもとに決めようというものです。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

Decidimは、バルセロナ市以外では、ニューヨーク市やヘルシンキ市など、300以上の公的機関や団体などで使われています。日本でも、兵庫県加古川市や東京都渋谷区などで取り組みがはじまっています。

―― まちづくりへの市民参加は、日本の自治体などでもこれまでさまざまに取り組まれてきました。ICTなどデジタルツールを用いて、市民の意見を採り入れ、議論し、決断までしていくという仕組みは画期的と思いました。ただ、公の場で個人の意見を表明することが苦手だったり、文化的な背景も違う日本でもDecidimを使いこなすことができるのでしょうか?

吉村 昨年(2021年)、渋谷でDecidimによる「ママチャリプロジェクト」を行いました。電動自転車の利用者が街を移動するGPS情報や環境情報などで、危険な箇所などを探り、快適なママチャリのための環境整備を行おうというものです。
ここでは、行政が行うワークショップは平日の昼間で時間的にキビシイ……、まちづくりの会合は男性ばかりで発言しづらい……。子育て中のママさん、パパさんたちからは、オンラインだと時間に縛られない、デジタルツールであれば家で子どもと居ながら参加できるといったメリットがあるという声が聞かれました。

(画像/渋谷区「親子にやさしいまちづくり」HPより)

(画像/渋谷区「親子にやさしいまちづくり」HPより)

19世紀半ばからデータに基づく都市計画に先鞭をつける

――バルセロナ市が、世界に先駆けてデジタルを駆使した取り組みに挑戦しているのはどうしてなのでしょうか?

吉村 スペインでは1930年代に始まった内戦、1975年までの長い独裁体制が敷かれた暗い歴史があります。一方で、独裁体制の後、1978年に新憲法を制定して以降、市民の民主化や自治に対する意識がとりわけ高いことが挙げられるかもしれません。
さらに、データを用いた都市計画・まちづくりについての取り組みは、実は19世紀にまでさかのぼります。
1850年代、イルデフォンソ・セルダ(1815~76年)という、土木技師がバルセロナの近代都市化に重要な役割を果たしました。セルダは、住戸一軒一軒を訪問調査し、人々の暮らしや家族構成などに関するデータを集め、それを分析することで、これをバルセロナの都市拡張の都市計画に活かしたと言われています。セルダが示した都市計画案は、1859年に承認されました。直感ではなく、データという根拠をもとに理論を構築して、バルセロナの都市づくりに応用したのです。つまりアーバンサイエンスという考え方が150年前からあったわけです。

―― 先生の経験を通して、バルセロナの都市計画・まちづくりのあり方ついて教えてください。

吉村 バルセロナには2001年に渡り、バルセロナ都市生態学庁やカタルーニャ先進交通センターなど行政系の機関に所属していました。モノ、ヒト、クルマなどの動きを通して、都市の分析をする仕事をしてきました。
都市生態学庁には、建築家や都市計画家だけでなく、数学者や物理学者など多様な専門家が集まっていて、都市のデータをもとに議論を行い政策に反映させていました。
また、市民の意見を聞くことも大切です。バルセロナには自分の街に愛着とプライドを持っている住民が多く、建築家・都市計画家なりがデザインをトップダウンだけで決めていくことには抵抗がある市民が多いと感じました。
ただし、いまの都市は大きくなりすぎました。また多様な人が暮らしていて、そうした状況で市民の意見を聞くことはたいへんです。そこで、市民にデータを公開しながら、デジタル技術を活用して意見を聞く仕組みを整備していきました。

スーパーブロック(歩行者空間化)を市民と自治体担当者が輪になって議論している様子(写真提供/吉村先生)

スーパーブロック(歩行者空間化)を市民と自治体担当者が輪になって議論している様子(写真提供/吉村先生)

スーパーブロック(歩行者空間化)された街路の現在の使われ方(写真提供/吉村先生)

スーパーブロック(歩行者空間化)された街路の現在の使われ方(写真提供/吉村先生)

吉村さんが2005年に担当していたグラシア地区の歩行者空間化(スーパーブロックの実証実験)の現在の姿。死んでいた街が蘇った(写真提供/吉村先生)

吉村さんが2005年に担当していたグラシア地区の歩行者空間化(スーパーブロックの実証実験)の現在の姿。死んでいた街が蘇った(写真提供/吉村先生)

歩いて楽しい街には経済波及効果があることが分かった

――ビッグデータの分析から、人々が歩いて楽しめる都市空間が街の経済に効果があることが分かったそうですね。

吉村 都市においてクルマ中心の道路空間を、歩行者に解放する動きが世界的に進められています。また、新型コロナによって、道路空間をオープンカフェなどに転用することが注目を集めています。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

ところが、道路に面する小売店や飲食店の店主などから「これまでクルマで買い物に来ていたお客さんが来なくなって、売上げが落ちる」という言い分がありました。
都市計画に関わるわれわれは、歩行者数が増えると、売上げは上がるはずだと考えていました。ただ、これを経済学的に裏付けるデータや論文は見当たりませんでした。
そこで、バルセロナ市やスペイン全土の都市の歩行者空間にされている道路をオープンストリートマップ(OSM)から自動抽出して、個人情報などに十分に注意しながらもその道路に面している事業者の売上情報との比較を行いました。すると、レストランやカフェなど飲食店については、歩行者空間にした後には、売上増に結びついているという結果が出ました。(*)データサイエンスにもとづく、まちづくりの可能性を示した成果と言えるでしょう。
*:東京大学先端科学技術研究センター+マサチューセッツ工科大学+ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行の共同研究

バルセロナ等の都市で歩行者空間の分布(画像/東京大学先端科学技術研究センター)

バルセロナ等の都市で歩行者空間の分布(画像/東京大学先端科学技術研究センター)

日本でもデータ活用によるまちづくりの可能性が広がる

――ビッグデータの解析や研究が、まちづくりのあり方やその効果検証に使えるのですね。

吉村 日本においても、国にはデジタル庁が創設され、東京都でも昨年4月にデジタルサービス局ができ、ビッグデータの収集や公開などの環境整備がはかられつつあります。
東京都の「デジタルツイン実現プロジェクト」は、センサーなどから取得したデータをもとに、建物や道路などのインフラ、経済活動、人の流れなど様々な現実空間の要素を、コンピューターやコンピューターネットワーク上の仮想空間上に「双子」のように再現しようというものです。
これまでの平面の地図上だけでなく、3次元空間の中で、従来は重ね合わせることが難しかったデータを可視化し、AIによって高度な分析・シミュレーションが可能になるでしょう。まちづくりや防災、交通、エネルギーなど、様々な分野で活用が期待されています。

東京都が行う「デジタルツイン実現プロジェクト」ウェブサイト(画像/東京都ホームページ)

東京都が行う「デジタルツイン実現プロジェクト」ウェブサイト(画像/東京都ホームページ)

これからのまちづくり・都市計画は、トップダウン型の一人のヒーローではなく、市民を中心としたボトムアップ型の取り組みが求められると考えています。
そのために、データはとても重要です。そのデータに基づいて、みんなで議論することが可能になります。
市民や行政、専門家を含めて、自分たちの街をみんなで良くしていける時代が訪れることを期待しています。

――市民も身近にまちづくりに参加できる時代が訪れているということですね。今日はありがとうございました。

●取材協力
・東京大学先端科学技術研究センター 
●関連サイト
・デジタルツイン実現プロジェクト
・渋谷区「親子にやさしいまちづくり」

おしゃれ別荘に月額5.5万円で家族や友人と泊まり放題! サブスク「SANU」八ヶ岳、山中湖など

毎月定額でさまざまな暮らし方ができる「住まいのサブスク」。空き家やゲストハウスを活用したADDressやHafH(ハフ)、ホテルが泊まり放題になるサービスも登場するなど、コロナ禍でテレワークが定着したこともあり、暮らし方のひとつとして普及しつつあります。2021年11月、そんな住まいのサブスクのなかでも、大自然にあるセカンドホーム、いわゆる別荘暮らしが月額5万5円でできるサービス「SANU 2nd Home」が登場し、注目を集めています。実際の利用者の声とあわせてご紹介しましょう。

毎月5万5000円! 豊かな自然の中でもう一つの家―セカンドホームが利用できる

SANU 2nd Home(サヌ セカンドホーム)は、「Live with nature. / 自然と共に生きる。」をコンセプトにした、住まい・別荘のサブスクサービスです。月額利用料は5万5000円で、会員登録をすれば会員本人に加えて、家族や友人など3人まで無料で宿泊できます。利用できる住まいは「SANU CABIN」と呼び、都市部から車で1.5~3時間程度の白樺湖、八ヶ岳などのアクセスのよい場所に、2022年2月現在、2拠点5棟が誕生しており、春頃までに新たに5拠点45棟にオープンする予定です。

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

1回の滞在は4泊まで、週末・休前日やピークシーズンにプラス料金が発生するなどの条件はありますが、憧れの別荘が、ホテルのように使いたいときに使え、しかも定額制とあれば興味がわくのではないでしょうか。2021年11月にサービスを開始しましたが、初期の会員枠は完売し、現在、キャンセル待ちの登録希望者(ウェイティング会員)が1500人以上いる状態だそうで、いかに注目を集めているかがわかります。

今回、SANU 2nd Homeを運営する株式会社Sanuを創業したのは本間貴裕さんと福島弦さん。今まで本間さんは蔵前のNui. HOSTEL & BAR LOUNGEや東日本橋のCITANといった人気ホステルを運営してきましたが、今回の「自然の中にもう一つの家を持つ」というビジネスモデル構築のきっかけとなったのは、自身のコロナ禍の「疎開体験」だといいます。

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

「以前から漠然と自然と人をつなげる仕事をしたいと考えていたんですが、2020年の緊急事態宣言下、都市部での密な暮らしへの違和感がはっきりとしてきました。そこで、千葉県の自然豊かな環境に家を借りて過ごしたんですが、それがとても心地よくて。オンラインで仕事しつつ、合間に野に咲く花を摘んできて活けたり、サーフィンをしたり。そこで、海や山に近い場所にある住まいを、スマートフォンで会員登録すればすぐに利用できるサービスがあったらいいなと思いついたんです」(本間さん)

なるほど、本間さん自身の「あったらいいな」をかたちにしていったんですね。別荘やホテルとの違いは、「個人の空間を確保できる」そして「暮らし」の延長線上にある点だ、といいます。
「ホテルにはキッチンがないことが多く、調理や洗濯などができないことが多いもの。また、自分もバックパッカーだったからわかるのですが、アドレスホッパーのように住まいを持たずに転々とホテルやゲストハウスを渡り歩く生活をするのは万人には向きません。自宅のようにくつろぎつつ過ごせて、思いついたときに利用できる気軽さを目指しました」(本間さん)

そのため、利用する人の暮らしやすさを考え、キャビンは内装を統一し、一度滞在すると他のキャビンに滞在しても「どこに何があるかわかる」状態にしているといいます。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

海、山、湖、川…。日本の豊かな環境を建物や室内でも楽しめるように

筆者が個人的にすてき!だと思ったのは、周囲の環境だけでなく、建物やインテリアそのものが美しく、滞在したくなるという点です。また、キャビンの内装は統一しているものの、大きい窓の先に広がる風景は二つとして同じものがなく、キャビンごとにまったく異なる景色が映ります。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

「海や山や湖、川、高原など、日本の自然環境は本当に豊かです。季節ごとの変化や表情の移り変わりを部屋にいても楽しめるように配慮しています。季節が変わるたび、何度でも来たくなる、繰り返し使ってもらうことがこのサービスで大切にしたいこと」と本間さんは話します。このあたりは、何より本間さん自身が「美しい自然が好き」という想いがあるからでしょう。

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

また今回、「建物に岩手県釜石市の杉材を使用しています。それにはコロナの影響も大きく関係しています」と解説するのは、同じく創業者の福島弦さん。

「サービスの設計を考え、建築プランも決まり、いざ着工するぞという段階になって、コロナ禍で海外からの木材の輸入が少なくなったことで国内の木材価格が高騰し、調達できなくなる『ウッドショック』が起きたんです。でも、まあ着工はできるでしょと軽く考えていたら、なんと1棟目からすでに調達できない、と。そこで、日本各地の森林組合さんにお願いしてまわり、結果的に協力してもらえることになったのが釜石地方森林組合だったんです」

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

日本では、戦後に植林した杉材が樹齢50年前後になり、今、建材として“使いどき”になっていますが、長年の木材価格低迷や人手不足などの問題もあり、思うように木材として提供できない状態が続いています。今回SANU 2nd Homeでは、釜石地方森林組合と協力し、木材を提供してもらうだけでなく、キャビンのために伐採した杉の木(50棟でおよそ7500本分)と同じ本数の苗木を、釜石地方に植林する予定です。こうして事業で使った分だけ新しい木々を植えることで、地方の林業、そして森が蘇ることになりますし、事業を通じたカーボンネガティブ(CO2吸収量がCO2排出量を上回る状態)を達成することができます。

(写真提供/ADX)

(写真提供/ADX)

「針葉樹の杉だけではなく、ナラや樫、シイノキなどの広葉樹など異なる種類の苗木を植えることで、多様性のある豊かな森になる。SANU CABINをつくることで、林業が活性化し、日本の森が美しくなっていくとしたら、こんなにうれしいことはないですよね」と話します。

もちろん、SANU 2nd Homeで提供したいのは「自然のなかでの暮らし」といいますが、サービスを考えるうえでも、「持続可能性」が考えられているのはやはり時流といえるでしょう。

旅行やホテルとも違う居心地のよさ! 仕事にもプラスに

SANU 2nd Homeを利用している石田さんと野村さん(ともに30代)にも話を聞いてみました。

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

「11月はサービス開始直後から3泊、12月は4泊、1月には4泊と、今のところ毎月利用しています。初めて訪れたのは白樺湖のSANU CABINでしたが、窓からの開放感がすごくて、部屋のカーブがきれいでとても印象に残っています。キッチンも充実していますし、3泊で滞在予定でしたが、すぐに4泊にすればよかった!と思いました」(石田さん)

滞在中は、山に登ったり、自転車でサイクリングにいったり、焚き火をしたりと、存分に野遊びを楽しんでいるそう。もちろん、自宅にいるように仕事をしたり、料理をしたり。ときには地域の店で外食や買い物などをし、地域の人と交流ができるのも、ホーム感があり、二人のたのしみになっています。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「八ヶ岳では周辺の店を紹介したオリジナルのマップがあったんですが、掲載されている店はすべてめぐりました。お店の人との会話でもSANU 2nd Homeに滞在しているというと、どういうサービスなのか聞かれたり。興味関心の高さを感じました」

料理好きな野村さんにとっては、キッチンが充実しているのも、楽しいといいます。
「キャビンが同じかたちをしていて、どこに何があるのかわかるのは、我が家のような安心感がありますね。自分の別荘があるとこんな感じなのかなと思いました」(野村さん)。使い方を聞いていると、生活や暮らしの延長に利用してもらいたいという、サービスの狙い通りと言えるのかもしれません。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

SANU 2nd Homeのように自宅と別に拠点があると、仕事をするうえでもプラスになっているといいます。
「自宅で働いていると、曜日や時間などのメリハリがなくなってしまいがちですよね。その点、SANU 2nd Homeに行くぞと予定を入れることで、1週間がフラットにならずに、○曜日までにこれを終わらせるなどの意識をするようになりました。違う場所に行くことが、よい刺激になっていると思います」(石田さん)。また、場所も車で2~3時間程度で、ほどよいそう。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「ホテルやコテージと比較しても、定額料金の価格設定には納得感があるのですが、カーシェアや高速代に加えて、珍しい食材を買ったりすることで、意外とお金を使っているんです(笑)。想定外といえばそれくらいでしょうか。あと、仕事をしていると、背景が映り込むので、『どこにいるの?』と聞かれるんですよね。SANUだよ~と答えると、『いいな』『今度一緒に行きたい』などポジティブな反応がほとんど。私の周りでも移住ほどではなくても、旅行とは違う、地方の体験への興味は高まっている気がします」(野村さん)

お話を聞いていると、「いいな~~!」というみなさんの気持ちにはげしく共感します。旅行ではなく、暮らしと遊びをシームレスに楽しめる。そんなライフスタイル、やっぱり憧れますよね。

別荘を持つよりも手軽で、さまざまな拠点で飽きることもなく生活できるサブスクサービス「SANU 2nd Home」。都市部にある家ももちろん好きだけど、自然のある暮らしもしたい。コロナ禍の転換期に生まれたサービスですが、きっとコロナが収束しても、ひとつの暮らし方として、定着していくに違いありません。

●取材協力
SANU 2nd Home

おしゃれ別荘に月額5.5万円で家族や友人と泊まり放題! サブスク「SANU 2nd Home」八ヶ岳、山中湖など

毎月定額でさまざまな暮らし方ができる「住まいのサブスク」。空き家やゲストハウスを活用したADDressやHafH(ハフ)、ホテルが泊まり放題になるサービスも登場するなど、コロナ禍でテレワークが定着したこともあり、暮らし方のひとつとして普及しつつあります。2021年11月、そんな住まいのサブスクのなかでも、大自然にあるセカンドホーム、いわゆる別荘暮らしが月額5万5円でできるサービス「SANU 2nd Home」が登場し、注目を集めています。実際の利用者の声とあわせてご紹介しましょう。

毎月5万5000円! 豊かな自然の中でもう一つの家―セカンドホームが利用できる

SANU 2nd Home(サヌ セカンドホーム)は、「Live with nature. / 自然と共に生きる。」をコンセプトにした、住まい・別荘のサブスクサービスです。月額利用料は5万5000円で、会員登録をすれば会員本人に加えて、家族や友人など3人まで無料で宿泊できます。利用できる住まいは「SANU CABIN」と呼び、都市部から車で1.5~3時間程度の白樺湖、八ヶ岳などのアクセスのよい場所に、2022年2月現在、2拠点5棟が誕生しており、春頃までに新たに5拠点45棟にオープンする予定です。

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

1回の滞在は4泊まで、週末・休前日やピークシーズンにプラス料金が発生するなどの条件はありますが、憧れの別荘が、ホテルのように使いたいときに使え、しかも定額制とあれば興味がわくのではないでしょうか。2021年11月にサービスを開始しましたが、初期の会員枠は完売し、現在、キャンセル待ちの登録希望者(ウェイティング会員)が1500人以上いる状態だそうで、いかに注目を集めているかがわかります。

今回、SANU 2nd Homeを運営する株式会社Sanuを創業したのは本間貴裕さんと福島弦さん。今まで本間さんは蔵前のNui. HOSTEL & BAR LOUNGEや東日本橋のCITANといった人気ホステルを運営してきましたが、今回の「自然の中にもう一つの家を持つ」というビジネスモデル構築のきっかけとなったのは、自身のコロナ禍の「疎開体験」だといいます。

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

「以前から漠然と自然と人をつなげる仕事をしたいと考えていたんですが、2020年の緊急事態宣言下、都市部での密な暮らしへの違和感がはっきりとしてきました。そこで、千葉県の自然豊かな環境に家を借りて過ごしたんですが、それがとても心地よくて。オンラインで仕事しつつ、合間に野に咲く花を摘んできて活けたり、サーフィンをしたり。そこで、海や山に近い場所にある住まいを、スマートフォンで会員登録すればすぐに利用できるサービスがあったらいいなと思いついたんです」(本間さん)

なるほど、本間さん自身の「あったらいいな」をかたちにしていったんですね。別荘やホテルとの違いは、「個人の空間を確保できる」そして「暮らし」の延長線上にある点だ、といいます。
「ホテルにはキッチンがないことが多く、調理や洗濯などができないことが多いもの。また、自分もバックパッカーだったからわかるのですが、アドレスホッパーのように住まいを持たずに転々とホテルやゲストハウスを渡り歩く生活をするのは万人には向きません。自宅のようにくつろぎつつ過ごせて、思いついたときに利用できる気軽さを目指しました」(本間さん)

そのため、利用する人の暮らしやすさを考え、キャビンは内装を統一し、一度滞在すると他のキャビンに滞在しても「どこに何があるかわかる」状態にしているといいます。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

海、山、湖、川…。日本の豊かな環境を建物や室内でも楽しめるように

筆者が個人的にすてき!だと思ったのは、周囲の環境だけでなく、建物やインテリアそのものが美しく、滞在したくなるという点です。また、キャビンの内装は統一しているものの、大きい窓の先に広がる風景は二つとして同じものがなく、キャビンごとにまったく異なる景色が映ります。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

「海や山や湖、川、高原など、日本の自然環境は本当に豊かです。季節ごとの変化や表情の移り変わりを部屋にいても楽しめるように配慮しています。季節が変わるたび、何度でも来たくなる、繰り返し使ってもらうことがこのサービスで大切にしたいこと」と本間さんは話します。このあたりは、何より本間さん自身が「美しい自然が好き」という想いがあるからでしょう。

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

また今回、「建物に岩手県釜石市の杉材を使用しています。それにはコロナの影響も大きく関係しています」と解説するのは、同じく創業者の福島弦さん。

「サービスの設計を考え、建築プランも決まり、いざ着工するぞという段階になって、コロナ禍で海外からの木材の輸入が少なくなったことで国内の木材価格が高騰し、調達できなくなる『ウッドショック』が起きたんです。でも、まあ着工はできるでしょと軽く考えていたら、なんと1棟目からすでに調達できない、と。そこで、日本各地の森林組合さんにお願いしてまわり、結果的に協力してもらえることになったのが釜石地方森林組合だったんです」

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

日本では、戦後に植林した杉材が樹齢50年前後になり、今、建材として“使いどき”になっていますが、長年の木材価格低迷や人手不足などの問題もあり、思うように木材として提供できない状態が続いています。今回SANU 2nd Homeでは、釜石地方森林組合と協力し、木材を提供してもらうだけでなく、キャビンのために伐採した杉の木(50棟でおよそ7500本分)と同じ本数の苗木を、釜石地方に植林する予定です。こうして事業で使った分だけ新しい木々を植えることで、地方の林業、そして森が蘇ることになりますし、事業を通じたカーボンネガティブ(CO2吸収量がCO2排出量を上回る状態)を達成することができます。

(写真提供/ADX)

(写真提供/ADX)

「針葉樹の杉だけではなく、ナラや樫、シイノキなどの広葉樹など異なる種類の苗木を植えることで、多様性のある豊かな森になる。SANU CABINをつくることで、林業が活性化し、日本の森が美しくなっていくとしたら、こんなにうれしいことはないですよね」と話します。

もちろん、SANU 2nd Homeで提供したいのは「自然のなかでの暮らし」といいますが、サービスを考えるうえでも、「持続可能性」が考えられているのはやはり時流といえるでしょう。

旅行やホテルとも違う居心地のよさ! 仕事にもプラスに

SANU 2nd Homeを利用している石田さんと野村さん(ともに30代)にも話を聞いてみました。

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

「11月はサービス開始直後から3泊、12月は4泊、1月には4泊と、今のところ毎月利用しています。初めて訪れたのは白樺湖のSANU CABINでしたが、窓からの開放感がすごくて、部屋のカーブがきれいでとても印象に残っています。キッチンも充実していますし、3泊で滞在予定でしたが、すぐに4泊にすればよかった!と思いました」(石田さん)

滞在中は、山に登ったり、自転車でサイクリングにいったり、焚き火をしたりと、存分に野遊びを楽しんでいるそう。もちろん、自宅にいるように仕事をしたり、料理をしたり。ときには地域の店で外食や買い物などをし、地域の人と交流ができるのも、ホーム感があり、二人のたのしみになっています。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「八ヶ岳では周辺の店を紹介したオリジナルのマップがあったんですが、掲載されている店はすべてめぐりました。お店の人との会話でもSANU 2nd Homeに滞在しているというと、どういうサービスなのか聞かれたり。興味関心の高さを感じました」

料理好きな野村さんにとっては、キッチンが充実しているのも、楽しいといいます。
「キャビンが同じかたちをしていて、どこに何があるのかわかるのは、我が家のような安心感がありますね。自分の別荘があるとこんな感じなのかなと思いました」(野村さん)。使い方を聞いていると、生活や暮らしの延長に利用してもらいたいという、サービスの狙い通りと言えるのかもしれません。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

SANU 2nd Homeのように自宅と別に拠点があると、仕事をするうえでもプラスになっているといいます。
「自宅で働いていると、曜日や時間などのメリハリがなくなってしまいがちですよね。その点、SANU 2nd Homeに行くぞと予定を入れることで、1週間がフラットにならずに、○曜日までにこれを終わらせるなどの意識をするようになりました。違う場所に行くことが、よい刺激になっていると思います」(石田さん)。また、場所も車で2~3時間程度で、ほどよいそう。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「ホテルやコテージと比較しても、定額料金の価格設定には納得感があるのですが、カーシェアや高速代に加えて、珍しい食材を買ったりすることで、意外とお金を使っているんです(笑)。想定外といえばそれくらいでしょうか。あと、仕事をしていると、背景が映り込むので、『どこにいるの?』と聞かれるんですよね。SANUだよ~と答えると、『いいな』『今度一緒に行きたい』などポジティブな反応がほとんど。私の周りでも移住ほどではなくても、旅行とは違う、地方の体験への興味は高まっている気がします」(野村さん)

お話を聞いていると、「いいな~~!」というみなさんの気持ちにはげしく共感します。旅行ではなく、暮らしと遊びをシームレスに楽しめる。そんなライフスタイル、やっぱり憧れますよね。

別荘を持つよりも手軽で、さまざまな拠点で飽きることもなく生活できるサブスクサービス「SANU 2nd Home」。都市部にある家ももちろん好きだけど、自然のある暮らしもしたい。コロナ禍の転換期に生まれたサービスですが、きっとコロナが収束しても、ひとつの暮らし方として、定着していくに違いありません。

●取材協力
SANU 2nd Home

更地だらけの温泉街が再生! 移住者や二拠点生活者が集まる理由とは【旅と関係人口1/長門湯本温泉(山口県長門市)】

今、コロナ禍で帰省できない人や、都会で生まれ育った‘‘ふるさとを持たない‘‘人たちが多い。そんななか、従来の観光だけを目的にしていない、新しい旅のスタイルが生まれている。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」。その結果、地域と関わりを深める人が現れているのだ。それを裏付ける事例が、リピーターを巻き込んだ街づくりで温泉街を復活させた山口県長門市、長門湯本温泉だ。実際に観光などで訪れたことから、移住や二拠点生活で関わることになった人々の想いも紹介する。

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

新しい旅のスタイル。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」

働き方改革や新型コロナウイルス感染症の影響で人々の価値観が変わり、旅のニーズも変化している。都市部のふるさとを持たない人の中には、田舎に憧れを持ち、関わりを求める動きがある。求められているのは、従来の観光ではなく、現地の暮らしを体験し、滞在することを目的にした旅のかたち。その結果、地元の人や土地への愛着が生まれ、‘‘第二のふるさと‘‘ができる人が増えているという。

観光庁では、2022年度の概算要求で掲げた新規プロジェクト「第2のふるさとづくり」を始動させた。「何度も地域に通う旅、帰る旅」という新たなスタイルを定着させる取り組みだ。それぞれの地域も地域活性化を図るため、受け入れる体制を整えている。リピート型の新しい旅は、本格的な地域貢献につながる可能性があるのだ。

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

観光客が減り、老舗旅館廃業も……。苦境の温泉街を地元×リピーターで復活させた!

長門湯本の温泉街は、2020年3月にリニューアルオープンしたばかり。新設された高台の駐車場から竹林の中の階段を降りると音信川に出る。旅館が並ぶ川沿いには、おしゃれなカフェや雑貨屋をのぞきながらそぞろ歩く女子旅の人、川辺に張り出したテラスからは、川床や親水公園で遊ぶ子どもたちが見える。立ち寄り湯「恩湯(おんとう)」では、地元の人と一緒に観光客が入浴する様子も。ライトアップや季節ごとに行われるイベントを楽しみに何度も訪れる人も増えた。

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

今の活況からは想像できないが、長門湯本の温泉街は、2014年に大きな危機に見舞われていた。当時の様子を、長門市役所に勤めたのち、現在は長門湯本温泉まち株式会社エリアマネージャーをしている木村隼斗さんに伺った。

「人口約3万3000人の長門市にある湯本の温泉街は、600年の歴史がある山口県最古の温泉です。昭和50年代のピーク時には、宿泊者数40万人もの歓楽街でした、しかし、その後は訪れる人が減り続け、ついに、2014年に150年続いていた老舗旅館が廃業になりました。温泉街の中心部には複数の老朽化した施設が残り、公費での解体が必要なまでに。すっかり更地が多くなった温泉街を見て、このままでは誰もいない街になってしまうと危機感を募らせていました」(木村さん)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

長門市役所は、2016年に温泉街の再生計画をスタート。誘致したリゾートホテルと提携してマスタープランをつくり、街全体をリノベーションするプロジェクトが始まった。

「長門湯本に限らず、大型バスで宿泊施設に滞在し、施設内で飲食して帰る団体旅行から、個人旅行がトレンドになりました。川沿いの温泉街は全国で珍しくはありません。この土地にしかない魅力をつくり出すのはどうしたらいいか。箱となる施設をつくるのではなく、小さくても、個人的な思いや魅力が伝わる街にしたいと考えました」(木村さん)

プロジェクトの出発点は、長門湯本温泉の立ち寄り湯「恩湯」だった。施設の老朽化や利用客の減少により、2017年5月に公設公営での営業を終了していた温泉施設を民間で再建するプロジェクトが始まる。さらに、2017年8月から2019年にかけて、温泉街で3つの「社会実験」を実施。川床や置き座で「川を楽しむ」、道路の一部を出店ブースや休憩スペースに活用し「道を楽しむ」、湯本提灯やライトアップで「夜を楽しむ」ことをテーマとした。

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

「伝統ある立ち寄り湯を残したい! という思いで地域の若手有志が集まり、年配の旅館経営者も応援してくれました。いきなり理念や絵を見せるだけで『やります』と言っても、地元の賛同は得られません。『社会実験』イベントは、うまくできるかの実証実験で、将来目指すところを仮設で実現してみて課題を洗い出すために行いました。イメージや問題点を共有した上で、観光客の反応や地元の方々の受け止めを見て改善していったのです」(木村さん)

温泉街衰退の危機から6年が経った2020年3月に、リニューアルした「恩湯」と隣接する飲食施設「恩湯食」がオープン。冬季には、長門市出身の童謡詩人「金子みすゞ」の詩をテーマにしたライトアップ「音信川うたあかり」を行うなど季節ごとにさまざまなイベントを行っている。

「イベントを通じて、長門湯本で新しいことが始まっていると知り、山口県内や近県から訪れる人が増えました。宿泊者数はコロナの影響できびしいものの、宿泊費の単価がやや上がり、温泉街の満足度を高めることで宿泊事業にプラスの効果を生み出せる可能性を感じる兆しもあります。一人旅や女子旅で訪れる人が増え、温泉街に人が戻ってきていると実感しています」(木村さん)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

地元の人や川への愛着が決め手。温泉通いから移住してカフェやバーを経営へ

イベントの出店者選びでは、ただ商売をするだけでなく、ものづくりや地域への思いがある出店者や、居心地のいい場所をつくるサービスを選んだ。結果として、イベントや長門湯本に出店する人は、長門湯本につながりがある人や何度も観光で訪れている人が多い。

「売れ行きだけじゃなくて、自分たちが楽しめるかどうかを大事に感じる出店者さんも多い。ここなら関わってもいいなと思える未来を共有して一緒に実現したいと思っています」と木村さん。イベント出店をきっかけに移住・二拠点生活を始めた人もいる。

音信川沿いにあるカフェギャラリー、cafe&pottery音の店長、横山和代さんもそのひとり。約400年続く萩焼・深川窯の若手作家の器と自家焙煎コーヒーのカフェが女性観光客に人気だ。横山さんが長門湯本に関わるようになったきっかけは、家族と訪れた温泉だった。静岡出身の横山さんは、岡山で家族と暮らしていたが、夫の転勤で山口県山口市に移住。釣りと温泉好きな夫と娘を連れて、山口市から毎週末、長門湯本の温泉に通うようになった。

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「川沿いの温泉街がとても気に入りました。山口市内から車で1時間ほどかかりますが、月2、3回日帰り旅行で訪れるようになりました。当時入浴料が200円だった恩湯は地元の人が日常で使う温泉で、洗い場でおばあちゃんがまだ1歳だった娘を見てくれるなど、あたたかな交流をしてもらいました。仕事の都合でいったん山口を離れたのですが、あまりに居心地がよかったので、1年半後、また山口に戻ってきたんです」(横山さん)

そのころ、温泉街では、社会実験のイベント「おとずれリバーフェスタ2018」が催されていた。楽しそうな出店者の様子を見て、横山さんは、自分も出店してみることに。イベントに関わることで、木村さんをはじめとする街づくりに携わる人との出会いもあった。そして、イベント後に、長門湯本でカフェをしてみないかと誘われる。

「みなさん長門湯本をよくしようと熱い人たちで、いつも楽しそうに仕事をしているんです。いつの間にかいい意味で巻き込まれていました。旅館の方々や萩焼の若手作家さんからお声掛けいただき、とりあえず1年間だけやってみようとカフェを始めました。」(横山さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

娘と一緒に山口市内から長門湯本に通う生活が始まった。本格的に移住を決めた理由は、娘の存在が大きい。

「私がカフェで忙しいと、木村さんや近所の人が娘の面倒をみてくれました。娘にとって、長門湯本がいちばん楽しい場所、大好きな場所になっていたんです。ついには、『長門の保育園に行きたい』と言い出して。長門市役所もとても協力的で、住まいの相談にも乗ってくれました。紹介してもらったのは、庭に果樹や栗の木がある古民家。2021年6月に移住することになりました」(横山さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

カフェを訪れるのは、地元の人と観光客が半分ずつ。店内は、萩焼のギャラリーになっている。萩焼は、山口県萩市一帯でつくられている陶器で、長門市にも窯元がある。その窯元の作家の器を常設。地元の人でも「長門にこんないいものがあったのか」と驚く人もいるという。不定期に催される展示会目当てに訪れる人も増え、cafe&pottery音が地元と観光客をつなぐ場所になっている。

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

夕暮れの温泉街に浮かび上がる「THE BAR NAGATO」のマスター、黒田大介さんは、大阪との二拠点生活をしながら週末3日間経営するスタイルで、長門湯本と関わっている。バーテンダーとして30年の経験を持つ黒田さんは、長年大阪の北新地でバーを営んできた。

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「もともと、温泉街のライトアップイベントのデザイナーと知り合いで、長門湯本でバーをやらないかと誘われたんです。それは無理だけど、イベントだけならと、2017年と2018年の『おとずれリバーフェスタ』に出店者として参加することに。ところが、地元の人ととても気が合って。人のつながりがどんどん増えていきました。街づくりに携わっている市役所の人、イベントのデザイナー、出店者がみんなプロフェッショナルで、自分も携わることに魅力を感じました」(黒田さん)

2回目のイベントに参加したとき、市役所から築70年の長屋を紹介された黒田さん。「改装したら、絶対いい場所になる」と夢が膨らんだ。長屋をリノベーションして2021年3月に「THE BAR NAGATO」をオープン。大阪から長門湯本へは新幹線を使いドアツードアで片道6時間ほどかかるが、毎週来るのが楽しみだという。

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

長屋の2階にある「THE BAR NAGATO」の店内は、映画のセットのような空間にデザインされ、こだわりのウィスキーやカクテルが飲める。バーを訪れる人にリピーターも増えて来た。

「日帰りや旅館に素泊まりの人が来てくれますね。湯本を拠点にして長門市内へ足を伸ばしているようです。私がなぜここでバーを経営することになったか、聞かれることもあります。長屋のリノベーションを手がけたオーナーの木村大吾さんが店を訪れたとき、街づくりについてお客さんと盛り上がることもありました。『来るたびによくなるね』と驚くリピーターのお客さんも多いです」(黒田さん)

旅で訪れた人を引き付けているのは、温泉だけでなく、街全体に長門湯本をよくしたいという熱い想いが込められているから。地元の人と訪れた人で一緒につくる新しいふるさと。「これから始まる街にいるわくわく感があるんです」という横山さんの言葉がとても印象的だった。

●取材協力
・長門湯本温泉
・cafe&pottery音
・THE BAR NAGATO

パリの暮らしとインテリア[12] 陶芸作家が暮らすアール・デコ様式のアパルトマン

陶芸作家ソン・ヨンヒさんは、サンマルタン運河沿いのアール・デコ様式のアパルトマンに住んでいます。2年前から画家や写真家などのアーティスト仲間とリニューアル工事に着手し、現在も手を加えながら暮らしています。モノトーンを基調にした空間に、鮮やかな色合いの家具やアンティークの家具を配置して、パリ・シックを見事に体現したおうちです。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

ノスタルジックな下町の雰囲気が残るグルメなおしゃれエリア10区で暮らす

ヨンヒさんは、レースなどの繊細なモチーフにこだわったセラミック作品を生み出す陶芸作家で、絵画も手掛けています。彼女が住むのは10区の主役ともいえるサンマルタン運河沿い。さまざまな小説の舞台になり、名画にも登場しています。とりわけ有名なのはマルセル・カルネ監督の映画『北ホテル』映画『アメリ』など。パリの庶民の暮らしぶりを撮り続けたロベール・ドアノーの写真にも多く登場するフォトジェニックな界隈です。パリのおしゃれなボボ(ブルジョワ・ボヘミアンの略。裕福で高学歴、オーガニックやエコロジーに関心があり、自由なボヘミアンスタイルを好む人々)に好まれる地区で、運河の両サイドには、いまのパリの空気を感じられるようなバーやカフェ、雑貨店がひしめき合っています。もっとも、こうしたエリアも昔は下町で、歩いて数分でインド、オリエンタル、アフリカやアラブ人街があるさまざまな文化が交差しています。

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

特にシャトー・ドー(Château d’eau)界隈やフォブール・サン・ドニ通り(rue du faubourg Saint Denis)は活気があり、チーズ専門店、エピスリー(食材店)、炭火焼きサンドイッチの店などの新店が次々と誕生しています。ヨンヒさんのおうちの周辺は、パリきってのブランジュリーの激戦地区。古代小麦やオーガニックにこだわった「マミッシュ(Mamiche)」や「サン・ブランジュリー(Sain Boulangerie)」、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」といった、いまパリで最も注目を集める店が軒を並べています。「私は食に興味があるので、さまざまな国の料理や食材に囲まれている、この界隈での生活にとても刺激を受けています」とヨンヒさんは語ります。週末の朝はフレッシュな食材が勢ぞろいする「マルシェ・ヴィレット」に行くのが日課。このあたりはパリで第二の中華街ともいわれるベルヴィル街で、懐に優しい中華料理店、新鮮なお豆腐屋、北アフリカ名物クスクスの店など、食の宝庫。ベルヴィルは、19世紀末から移民が移り住み、現在、アジア系、北アフリカ系、ユダヤ系の集まる、コスモポリタンなパリを象徴する地区となっています。

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

心地よい暮らしを求めてリノベーション

ヨンヒさんが渡仏した2000年当初は、パリ郊外の住宅街サン=モール=デ=フォセの友人宅に3カ月間お世話になった後、パリ16区の高級住宅街ジャスマンに3カ月、パリの東ヴァンセンヌ城から目と鼻の先のワンルームに2年間ちょっと暮らしていました。その後、家族の介護のために日本とフランスを行き来していましたが、2005年にフランスに戻り、彫刻家の故・藤江孝さんが生前に住んでいた南郊外ヴァンヴのアパルトマンに1年間居住。その翌年、渡仏直後に出会い、ずっと心の支えになってくれた後の夫の持ち家であるアパルトマンに引越し、現在で16年になります。

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

このアパートは1930年代に建てられたアール・デコ様式の建築で、直線的で機能的なデザインに特徴があります。後に夫となるピエール・リシアンさんは、フランス映画界の重鎮でした。ヌーヴェルヴァーグ(1950年代末に始まったフランスの映画運動)の金字塔『勝手にしやがれ』の助監督を経て、映画宣伝として世界で初めてプレスブックをつくった後、アメリカやアジアの新しい才能を世界に発信し続けた筋金入りの映画人。カンヌ映画祭を長きにわたって影で支えた立役者であるリシアンさんの世界各地の旅に同行し、ヨンヒさんも年の3分の1はパリを不在にする日々が始まります。映画に関するさまざまな雑貨やオブジェのコレクターであった夫は、映画のみならず文学、絵画に関する書籍や何万単位のDVDなど所有量が半端ではありません。まるで映画博物館のようで、「人を招待できる場所ではなかった」とヨンヒさんは述懐します。当時、二人は1階下に35平米のワンルームも所有し、友人知人をもてなしていました。フランスでは自宅に招き合って交流を深める習慣があります。ヨンヒさんはとびきりの料理上手。頻繁に招き招かれの生活を送りながら、夫と世界各国の映画人が深い関係を築いていくのに何役も買いました。
ところが2018年の春、夫が急逝します。ヨンヒさんは失意の時を過ごしますが、1年としばらく経ってから決意をします。「これから生きていく上でより快適に、心地よく暮らせる空間を」とリノベーション工事に着手。その上での絶対条件が「夫の思い出を散りばめた空間」にすることでした。

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

ところが、リニューアルは最初から難題に突入。“フランスあるある”で、夏のバカンス前から始める工事には困難がつきまといました。まずは工事の始まる数カ月前からアパートの管理組合の許可を取り、準備を粛々と進めなければいけないことが後になって判明します。バカンス前には工事が殺到するため、職人の確保も困難を極めます。リニューアルの第一歩はガス工事をする必要があるのに、当初来てくれる人たちのキャンセルが相次ぎました。しかもフランスではさまざまな部品がすぐに届かないことも大きな要因。「このままでは(“完成しない建築”とも言われる)サグラダ・ファミリアのようになってしまう!?」という不安がよぎったそうです。

そこで、2019年6月からヨンヒさんは業者の手を借りずに、画家、写真家などのアーティスト仲間と、一つ一つのディテールにこだわり抜きながら、唯一無二の空間づくりを開始することにしました。
現場監督は室内装飾家であり画家でもある鈴木出さん。彼は壁の質感や色に徹底的に気を配り、丁寧な作業を続けてくれました。元はパリでアンティーク店を営んでいたパク・ソンジンさんは、水道、電気、内装などでマルチな才能を発揮。花瓶をランプに変身させたり、古い家具を加工したりすることはお手の物です。いまはベルリンに居を移して写真家として活躍するパクさんは、工事のためにパリとベルリン間を往復する生活を2年以上も続けました。サックス奏者の北学さんは、アール・デコ様式の古くなった黒いボロボロのドアを溶接し、10日かけて丹精込めて修復しました。サッカーの指導者でジュエリー作家でもある向和孝さんは、強靭な体格を活かして壁を壊したりしたほか、ペンキ塗りを担当。そのほかにも随時、友人知人の手を借りて、一つ一つを丁寧につくり上げていきました。

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

試行錯誤のなかで始めた工事ですが、いろいろな気づきもありました。85平米でサロンと2つの寝室がある間取りのアパルトマンは、最初はやたらにドアが多いことや部屋の形がデコボコしていることなどを不思議に思ったそうですが、実は、どの部屋にも窓があってもプライバシーが守られる機能的な設計だったことが分かりました。リビング、お風呂、トイレの壁は左官技法によって、その空間にぴったりとくる質感の壁をつくり上げました。砂の割合などを緻密に計算してつくる左官による仕事は水回りの水分を早く吸収してくれます。現場監督の鈴木さんは画家の本領を発揮して、表面を美しく整えてくれました。

アンティークを日常生活に溶け込ませて、格調高く

内装は白、黒、グレーのモノトーンを基調に、イエロー、青、赤といったカラフルな色を差し色にした、クラシックとモダンが調和した現代的なパリ・シック。「古いものだけだと重たい印象になるので、明るいトーンの差し色や、少しだけラグジュアリーなものを融合してメリハリがあるように心掛けました」

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

パリでは一つの年代に統一するのではなく、「クラシックとモダンの調和」が好まれる傾向にあります。古いものを現代的なものと融合させてこそ「センスのある人」とみなされます。
かねてからのアンティーク好きのヨンヒさんは、外国を旅行すればその国の骨董街を訪ねて、日常的にアンティークを取り入れてきました。彼女の週末の楽しみの一つは「蚤の市散策」。クリニャンクールの蚤の市(マルシェ・オ・ピュス・サントアン)では、がらくたの山からアンティークのステンドグラスを発見。ドアノブや蛇口も蚤の市の“戦利品”です。

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

4回も旅行で訪れたポルトガル北部ポルトへの目的の一つも、本物のアンティークのタイル探し。昨今、ポルトガルですら本物は希少価値が高く、市場に出回っているものの多くはレプリカだそうです。

ヨンヒさんがポルト中心部のアンティーク街でたまたま入った店では、鮮やかな黄色のタイルに熱狂。高めのものでは1枚100ユーロのタイルも珍しくない中、25枚で400ユーロにまけてもらいました。値段交渉の駆け引きもアンティーク品や掘り出し物探しの醍醐味です。
サロン入り口のステンドグラスの横に配置された人形は、パリ7区のアンティークの老舗店で一目惚れ。高額でしたが、「こんなに優しい表情の人形はかつて見たことがない」と3回も通った末に、「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで購入しました。1700年代につくられたこの人形は、フランス語ではサントン、英語圏ではサントスと呼ばれ、クリスマスに飾る装飾で「小さな聖人」を意味します。

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんが一日で最も多くの時間を過ごすサロンには、「タベルナクル」と呼ばれる、祈りのための装飾的な祭壇があります。「大切な人を身近に感じるために、サロンの一番見晴らしのいい場所に置きました」

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

サロンでのくつろぎの時間こそ、最高の贅沢

彼女が一日のうち、一番くつろげるのは、夕方の黄昏時。「風通しのいい窓際でアペリティフをしながら、静かに過ごすのが至福の時間です」。日差しがさんさんと降り注ぐ窓辺には植物や花を配し、都会にいながらも自然を愛でる暮らしを送っています。窓からはサンマルタン運河が一望でき、四季折々の、胸にしみるような美しさを見せます。

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夫が亡くなった後も、彼女の周りには友人が集います。フランスでは女主人が席につかないと食事を始められない、という暗黙のルールがあります。食事とおしゃべりを楽しみながら交流を深めていくのがフランス流。女性がキッチンで料理にかかりっきりは、良しとされない文化があるのです。そこで今回のリノベーションでは、サロンにつながる食堂の奥にオープンキッチンを設置。「料理をしながら和気あいあいとしたおしゃべりが楽しいのです」。フランスの食事はスタートから終了までがとても長いため、長時間座っていても座り心地のいい椅子を探すために苦心したヨンヒさん。古い椅子を8脚そろえるために時間をかけて、決して妥協を許しませんでした。テーブルは長方形だと端に座った人たちがコミュニケーションを取れないので、正方形を選択しました。

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

寝室とゲストルームは白い壁にシンプルでリラックスできる空間を演出。

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

それぞれの部屋には310cm×320cmのタンスを設置し、ここにほとんどの衣類やモノを収納できるようにしました。このタンスは長年の友人である、93歳のアルジェリア人の家具職人によるものです。彼は13歳の時に故郷アルジェリアからフランスに渡って以来、80年もの間、家具一筋で生きてきた熟練の職人。仕事にシビアで、こだわりの強さは半端ではありません。フランスの木を購入し、車で南仏マルセイユ港まで運び、船でアルジェリアに渡り、そこのアトリエで制作し、パリに持ってくる事をなんども繰り返してくれたのです。「今は使い捨ての家具が多いが、家具を接着剤で貼るのではなく、全部組み合わせる方法でつくったから何百年も使えるんだ」と誇らしげに話すのが彼の口癖だったそう。

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんは今のアパルトマンが気に入っているので、引越しは考えていませんが、将来は田舎で生活をするのが夢です。「花や野菜を育てたりしながら、創作活動を続けたいです」とヨンヒさん。

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

友人知人のアーティストや職人たちの、確かな「手」によってつくり上げた、唯一無二のパーソナルな空間。サンマルタン運河を眺めながら、ゆったりと心地よく暮らす、本当の贅沢を垣間見た気がしました。

(文 / 魚住桜子)

パリの暮らしとインテリア[12] 陶芸作家が暮らすアール・デコ様式のアパルトマン

陶芸作家ソン・ヨンヒさんは、サンマルタン運河沿いのアール・デコ様式のアパルトマンに住んでいます。2年前から画家や写真家などのアーティスト仲間とリニューアル工事に着手し、現在も手を加えながら暮らしています。モノトーンを基調にした空間に、鮮やかな色合いの家具やアンティークの家具を配置して、パリ・シックを見事に体現したおうちです。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

ノスタルジックな下町の雰囲気が残るグルメなおしゃれエリア10区で暮らす

ヨンヒさんは、レースなどの繊細なモチーフにこだわったセラミック作品を生み出す陶芸作家で、絵画も手掛けています。彼女が住むのは10区の主役ともいえるサンマルタン運河沿い。さまざまな小説の舞台になり、名画にも登場しています。とりわけ有名なのはマルセル・カルネ監督の映画『北ホテル』映画『アメリ』など。パリの庶民の暮らしぶりを撮り続けたロベール・ドアノーの写真にも多く登場するフォトジェニックな界隈です。パリのおしゃれなボボ(ブルジョワ・ボヘミアンの略。裕福で高学歴、オーガニックやエコロジーに関心があり、自由なボヘミアンスタイルを好む人々)に好まれる地区で、運河の両サイドには、いまのパリの空気を感じられるようなバーやカフェ、雑貨店がひしめき合っています。もっとも、こうしたエリアも昔は下町で、歩いて数分でインド、オリエンタル、アフリカやアラブ人街があるさまざまな文化が交差しています。

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

特にシャトー・ドー(Château d’eau)界隈やフォブール・サン・ドニ通り(rue du faubourg Saint Denis)は活気があり、チーズ専門店、エピスリー(食材店)、炭火焼きサンドイッチの店などの新店が次々と誕生しています。ヨンヒさんのおうちの周辺は、パリきってのブランジュリーの激戦地区。古代小麦やオーガニックにこだわった「マミッシュ(Mamiche)」や「サン・ブランジュリー(Sain Boulangerie)」、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」といった、いまパリで最も注目を集める店が軒を並べています。「私は食に興味があるので、さまざまな国の料理や食材に囲まれている、この界隈での生活にとても刺激を受けています」とヨンヒさんは語ります。週末の朝はフレッシュな食材が勢ぞろいする「マルシェ・ヴィレット」に行くのが日課。このあたりはパリで第二の中華街ともいわれるベルヴィル街で、懐に優しい中華料理店、新鮮なお豆腐屋、北アフリカ名物クスクスの店など、食の宝庫。ベルヴィルは、19世紀末から移民が移り住み、現在、アジア系、北アフリカ系、ユダヤ系の集まる、コスモポリタンなパリを象徴する地区となっています。

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

心地よい暮らしを求めてリノベーション

ヨンヒさんが渡仏した2000年当初は、パリ郊外の住宅街サン=モール=デ=フォセの友人宅に3カ月間お世話になった後、パリ16区の高級住宅街ジャスマンに3カ月、パリの東ヴァンセンヌ城から目と鼻の先のワンルームに2年間ちょっと暮らしていました。その後、家族の介護のために日本とフランスを行き来していましたが、2005年にフランスに戻り、彫刻家の故・藤江孝さんが生前に住んでいた南郊外ヴァンヴのアパルトマンに1年間居住。その翌年、渡仏直後に出会い、ずっと心の支えになってくれた後の夫の持ち家であるアパルトマンに引越し、現在で16年になります。

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

このアパートは1930年代に建てられたアール・デコ様式の建築で、直線的で機能的なデザインに特徴があります。後に夫となるピエール・リシアンさんは、フランス映画界の重鎮でした。ヌーヴェルヴァーグ(1950年代末に始まったフランスの映画運動)の金字塔『勝手にしやがれ』の助監督を経て、映画宣伝として世界で初めてプレスブックをつくった後、アメリカやアジアの新しい才能を世界に発信し続けた筋金入りの映画人。カンヌ映画祭を長きにわたって影で支えた立役者であるリシアンさんの世界各地の旅に同行し、ヨンヒさんも年の3分の1はパリを不在にする日々が始まります。映画に関するさまざまな雑貨やオブジェのコレクターであった夫は、映画のみならず文学、絵画に関する書籍や何万単位のDVDなど所有量が半端ではありません。まるで映画博物館のようで、「人を招待できる場所ではなかった」とヨンヒさんは述懐します。当時、二人は1階下に35平米のワンルームも所有し、友人知人をもてなしていました。フランスでは自宅に招き合って交流を深める習慣があります。ヨンヒさんはとびきりの料理上手。頻繁に招き招かれの生活を送りながら、夫と世界各国の映画人が深い関係を築いていくのに何役も買いました。
ところが2018年の春、夫が急逝します。ヨンヒさんは失意の時を過ごしますが、1年としばらく経ってから決意をします。「これから生きていく上でより快適に、心地よく暮らせる空間を」とリノベーション工事に着手。その上での絶対条件が「夫の思い出を散りばめた空間」にすることでした。

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

ところが、リニューアルは最初から難題に突入。“フランスあるある”で、夏のバカンス前から始める工事には困難がつきまといました。まずは工事の始まる数カ月前からアパートの管理組合の許可を取り、準備を粛々と進めなければいけないことが後になって判明します。バカンス前には工事が殺到するため、職人の確保も困難を極めます。リニューアルの第一歩はガス工事をする必要があるのに、当初来てくれる人たちのキャンセルが相次ぎました。しかもフランスではさまざまな部品がすぐに届かないことも大きな要因。「このままでは(“完成しない建築”とも言われる)サグラダ・ファミリアのようになってしまう!?」という不安がよぎったそうです。

そこで、2019年6月からヨンヒさんは業者の手を借りずに、画家、写真家などのアーティスト仲間と、一つ一つのディテールにこだわり抜きながら、唯一無二の空間づくりを開始することにしました。
現場監督は室内装飾家であり画家でもある鈴木出さん。彼は壁の質感や色に徹底的に気を配り、丁寧な作業を続けてくれました。元はパリでアンティーク店を営んでいたパク・ソンジンさんは、水道、電気、内装などでマルチな才能を発揮。花瓶をランプに変身させたり、古い家具を加工したりすることはお手の物です。いまはベルリンに居を移して写真家として活躍するパクさんは、工事のためにパリとベルリン間を往復する生活を2年以上も続けました。サックス奏者の北学さんは、アール・デコ様式の古くなった黒いボロボロのドアを溶接し、10日かけて丹精込めて修復しました。サッカーの指導者でジュエリー作家でもある向和孝さんは、強靭な体格を活かして壁を壊したりしたほか、ペンキ塗りを担当。そのほかにも随時、友人知人の手を借りて、一つ一つを丁寧につくり上げていきました。

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

試行錯誤のなかで始めた工事ですが、いろいろな気づきもありました。85平米でサロンと2つの寝室がある間取りのアパルトマンは、最初はやたらにドアが多いことや部屋の形がデコボコしていることなどを不思議に思ったそうですが、実は、どの部屋にも窓があってもプライバシーが守られる機能的な設計だったことが分かりました。リビング、お風呂、トイレの壁は左官技法によって、その空間にぴったりとくる質感の壁をつくり上げました。砂の割合などを緻密に計算してつくる左官による仕事は水回りの水分を早く吸収してくれます。現場監督の鈴木さんは画家の本領を発揮して、表面を美しく整えてくれました。

アンティークを日常生活に溶け込ませて、格調高く

内装は白、黒、グレーのモノトーンを基調に、イエロー、青、赤といったカラフルな色を差し色にした、クラシックとモダンが調和した現代的なパリ・シック。「古いものだけだと重たい印象になるので、明るいトーンの差し色や、少しだけラグジュアリーなものを融合してメリハリがあるように心掛けました」

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

パリでは一つの年代に統一するのではなく、「クラシックとモダンの調和」が好まれる傾向にあります。古いものを現代的なものと融合させてこそ「センスのある人」とみなされます。
かねてからのアンティーク好きのヨンヒさんは、外国を旅行すればその国の骨董街を訪ねて、日常的にアンティークを取り入れてきました。彼女の週末の楽しみの一つは「蚤の市散策」。クリニャンクールの蚤の市(マルシェ・オ・ピュス・サントアン)では、がらくたの山からアンティークのステンドグラスを発見。ドアノブや蛇口も蚤の市の“戦利品”です。

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

4回も旅行で訪れたポルトガル北部ポルトへの目的の一つも、本物のアンティークのタイル探し。昨今、ポルトガルですら本物は希少価値が高く、市場に出回っているものの多くはレプリカだそうです。

ヨンヒさんがポルト中心部のアンティーク街でたまたま入った店では、鮮やかな黄色のタイルに熱狂。高めのものでは1枚100ユーロのタイルも珍しくない中、25枚で400ユーロにまけてもらいました。値段交渉の駆け引きもアンティーク品や掘り出し物探しの醍醐味です。
サロン入り口のステンドグラスの横に配置された人形は、パリ7区のアンティークの老舗店で一目惚れ。高額でしたが、「こんなに優しい表情の人形はかつて見たことがない」と3回も通った末に、「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで購入しました。1700年代につくられたこの人形は、フランス語ではサントン、英語圏ではサントスと呼ばれ、クリスマスに飾る装飾で「小さな聖人」を意味します。

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんが一日で最も多くの時間を過ごすサロンには、「タベルナクル」と呼ばれる、祈りのための装飾的な祭壇があります。「大切な人を身近に感じるために、サロンの一番見晴らしのいい場所に置きました」

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

サロンでのくつろぎの時間こそ、最高の贅沢

彼女が一日のうち、一番くつろげるのは、夕方の黄昏時。「風通しのいい窓際でアペリティフをしながら、静かに過ごすのが至福の時間です」。日差しがさんさんと降り注ぐ窓辺には植物や花を配し、都会にいながらも自然を愛でる暮らしを送っています。窓からはサンマルタン運河が一望でき、四季折々の、胸にしみるような美しさを見せます。

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夫が亡くなった後も、彼女の周りには友人が集います。フランスでは女主人が席につかないと食事を始められない、という暗黙のルールがあります。食事とおしゃべりを楽しみながら交流を深めていくのがフランス流。女性がキッチンで料理にかかりっきりは、良しとされない文化があるのです。そこで今回のリノベーションでは、サロンにつながる食堂の奥にオープンキッチンを設置。「料理をしながら和気あいあいとしたおしゃべりが楽しいのです」。フランスの食事はスタートから終了までがとても長いため、長時間座っていても座り心地のいい椅子を探すために苦心したヨンヒさん。古い椅子を8脚そろえるために時間をかけて、決して妥協を許しませんでした。テーブルは長方形だと端に座った人たちがコミュニケーションを取れないので、正方形を選択しました。

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

寝室とゲストルームは白い壁にシンプルでリラックスできる空間を演出。

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

それぞれの部屋には310cm×320cmのタンスを設置し、ここにほとんどの衣類やモノを収納できるようにしました。このタンスは長年の友人である、93歳のアルジェリア人の家具職人によるものです。彼は13歳の時に故郷アルジェリアからフランスに渡って以来、80年もの間、家具一筋で生きてきた熟練の職人。仕事にシビアで、こだわりの強さは半端ではありません。フランスの木を購入し、車で南仏マルセイユ港まで運び、船でアルジェリアに渡り、そこのアトリエで制作し、パリに持ってくる事をなんども繰り返してくれたのです。「今は使い捨ての家具が多いが、家具を接着剤で貼るのではなく、全部組み合わせる方法でつくったから何百年も使えるんだ」と誇らしげに話すのが彼の口癖だったそう。

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんは今のアパルトマンが気に入っているので、引越しは考えていませんが、将来は田舎で生活をするのが夢です。「花や野菜を育てたりしながら、創作活動を続けたいです」とヨンヒさん。

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

友人知人のアーティストや職人たちの、確かな「手」によってつくり上げた、唯一無二のパーソナルな空間。サンマルタン運河を眺めながら、ゆったりと心地よく暮らす、本当の贅沢を垣間見た気がしました。

(文 / 魚住桜子)

自宅を銭湯にして、震災後のまちに集う場を 熊本市「神水公衆浴場」

熊本地震のあと、県庁そばの中心部一帯は、一時ゴーストタウン化した。地名でいうと熊本県熊本市中央区神水。神の水と書いて「くわみず」と読む。ここで生まれ育った黒岩裕樹さんは、まちに少しでも前向きな空気を生み出せたらと、自宅のお風呂を公衆浴場にすることを思い立つ。2020年8月、熊本市でおよそ20年ぶりに新しい銭湯「神水公衆浴場」が誕生した。

自宅のお風呂を銭湯に

まちづくりの世界では「人と人のつながり」や「コミュニティ」が大事といったことがよく言われる。だがコワーキングスペースなど交流施設としてつくられた場所が、いつまでたっても閑散としている…なんて話も多い。それはそうだ。場所だけ人工的に用意されても、そう都合よく人と人の関係が生まれるものではないからだ。

その点、銭湯は少し前提が違っている。誰でもお風呂には日常的に入るので、まず必然性がある。リピート性もある。常連さん同士、言葉を交わすうちに顔見知りになり、おのずと人間関係ができていく。そんな営みが自然に起こる。

東バイパスに面した、神水公衆浴場の入口(写真撮影/野田幸一)

東バイパスに面した、神水公衆浴場の入口(写真撮影/野田幸一)

熊本地震の後、まちが閉塞的な空気に覆われていたとき、新しい拠点としてお風呂をつくろうと考えたのが、構造設計士の黒岩さんだった。黒岩さんは、職業柄、神水の地盤下には、阿蘇の伏流水が流れていることを知っていたそうだ。

「何百年も前に阿蘇山が噴火して、溶岩がこの辺りまで飛んできているんです。その岩盤を貫通した下に阿蘇の水が流れています。地名が神水というだけあって、水質は温泉に近い。震災の後は、やっぱりこの辺りも人が減って閑散としていたので。空気を少しでも変えたかったんです」

黒岩さんが住んでいたマンションは、地震で大規模半壊の状態になった。子どもの校区を考えると遠くに離れない方がいいと、近くに新しい家を建てることにした。

「もともとうちは小さな子どもが4人いるので、子どもたちをお風呂に入れるのも一苦労。ユニットバスにはおさまらないので、どうせ広い風呂をつくるなら、周囲の友人家族も使えるような銭湯にしたらどうかと考えました。あとはこの土地の資源である水を活かして、まちに開放的な場をつくれたらと思ったんです」

神水公衆浴場を始めた、黒岩構造設計事ム所代表の黒岩裕樹さん(写真撮影/野田幸一)

神水公衆浴場を始めた、黒岩構造設計事ム所代表の黒岩裕樹さん(写真撮影/野田幸一)

どんなお客さんが?

神水公衆浴場は、交通量の多い東バイパスに面している。白木の木造の入り口にはまだ新しいのれんがかかっていた。

いまは本業に無理がかからないよう、週に4日、16時~20時の4時間のみ営業している。週末は黒岩夫妻が番台に座るが、平日は黒岩さんの両親が手伝ってくれている。お客さんの8割は常連さん。多くは歩いてか、自転車で通える範囲に暮らすご近所さんで、仕事帰りに立ち寄る人も多い。

「想像していたより若い人も来てくれます。20代の単身者や30代のファミリー層、それに高齢の方も。始めてみて驚いたのは、お客さんにありがとうって言われることです。客商売なので、本来こちらがありがとうございます、なんですけど。お年寄りは家のお風呂を洗うのも大変みたいで『助かるわ』と言われます」

この地域にもかつては2軒の銭湯があったが、震災後、廃業してしまった。20年ぶりに開業した銭湯だった。

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

開店の16時になると、さっそく常連さんらしい年配の女性が入ってきた。料金は350円。

「いまお湯、熱い? 私熱いのだめなんよね~」と、女性はのんびり言いながら、女風呂の方へゆっくり歩いていった。間を置かず、今度は若い男性の二人連れが入ってくる。日に15~20人。一週間に述べ100人ほどのお客さんが訪れる。

なぜ、銭湯だったのか?

直接的なきっかけは、やはり2016年の熊本地震だった。黒岩さん自身、2~3カ月の断水を経験したという。

「九州は温泉も多いので、車で20~30分も走れば温泉があるし、近くには健康ランドもあります。でも当時はどこもすごい行列で。洗い場までお湯があふれていたんです。それが数日ではなく数カ月続きました」

ここ数年の間に起きたほかの災害の現場でも、断水やお風呂に入れないことは、人びとを疲弊させる要因の一つだった。地下水を汲み上げるしくみがあれば、電力が復旧し次第、お風呂も提供できる。

そして、銭湯をつくろうと思った理由にはもうひとつ。黒岩さんは構造設計士として、多くの仮設住宅をつくる現場を目の当たりにしたのだった。

「できていく仮設住宅は窓が小さくて閉鎖的な空間で。窓の面積が少ない方がコストが抑えられるからそうなるんですが。余震が続いて、精神的にも落ち着かないのに、そんな仮設に住む人たちのことを考えると、やりきれなくて」

少しでもほっと落ち着ける開放的な場所を提供できたら。さらにまちの閉塞的な空気を前向きに変えられたら。そう願って始めた銭湯だった。

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

銭湯は、防災拠点にもなる

神水公衆浴場は、建物の1階部分が銭湯で、2階が黒岩さん家族の住居になっている。一階脇の木の螺旋階段をのぼると、居住空間であるドーム状の空間に出た。

細長いカウンターキッチンに広々としたリビング。子どもたちの遊び場でもある。右は妻のヒロ子さん(写真撮影/野田幸一)

細長いカウンターキッチンに広々としたリビング。子どもたちの遊び場でもある。右は妻のヒロ子さん(写真撮影/野田幸一)

1階の外は交通量の多い道路だが、2階の窓の外には街路樹の緑しか見えない(写真撮影/野田幸一)

1階の外は交通量の多い道路だが、2階の窓の外には街路樹の緑しか見えない(写真撮影/野田幸一)

天井の高い空間が仕切られていて、リビングの裏手が寝室。居住空間の真下が銭湯にあたるため、広い一間でもあたたかかった。

黒岩さん夫妻は二人とも、構造設計士。内装や意匠は手がけないため、設計はワークヴィジョンズの西村浩さんに依頼した。居住スペースの天井に用いたCLT同士の継ぎ手、バタフライ構造などは黒岩さんたちの提案によるものだ。

「自宅なので少しでもコストを抑えられたらと思って、金物を使わない施工法にして、自分も大工の一人になって一緒に工事しました。職人をやっている友人も多いので、幼稚園のころの同級生から大学時の友人たちまで総動員で手伝ってもらいました」

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

この建物の設計デザインは、2021年のグッドデザイン賞で、大賞に次ぐ金賞を取った。グッドデザイン賞のページにはこんな記載が掲載されている。設計士の西村さんによる解説だ。

「災害頻度が年々高まる状況に、行政頼みの防災対策には限界が見える。小さくても地域全体に数多く散らばる拠り所が必要で、住宅の基本機能を開く・シェアする災害支援住宅を目指した」

お風呂は人びとの憩いの場であると同時に、災害時にはよりどころにもなる。黒岩さんの妻、ヒロ子さんはこう話した。

「防災とまで言えるかはわからないですけど、結果的にそうなったらいいなと思っています。実際震災のときに不安だったのは、知らない人同士が、防災拠点である学校や体育館に集まって寝泊まりしなきゃいけなかったこと。そのなかに一人でも知り合いが居れば、ぜんぜん気持が違うと思うんです。

熊本市は比較的都会なので、田舎のような人づきあいがあるわけでもない。でも銭湯があることで、近所の方と挨拶したり、顔見知りができると、非常時に違ってくるのかなと思います」

黒岩さんも続けて言う。

「熊本の震災だけでなく、記憶にあるだけでも雲仙の噴火や、大雨による水害など、災害って数年に一度は起こっていますよね。だからそう稀(まれ)な話ではないのかなと思います」

ただ、いくら自宅の延長とはいえ、お風呂は家のなかでもっともプライベートな空間。一般開放することに抵抗はなかったのだろうか。そう聞くと、ヒロ子さんは言った。

「大賛成でもなかったですが、絶対反対ってほどでもなくて。私も建築をやってきたので、考え方としてはわかるなと。ただ、いまは子どもがまだ小さいので、正直それどころではなくて。反対もしなかったけど、いまはお風呂より子育てが大変(笑)。それが落ち着いたらもう少し日常生活のルーティンのなかに、銭湯の仕事も自然と組み込めるようになると思います」

結局、被災後の建設ラッシュに奔走するうちに自宅の建設は後回しになり、銭湯のオープンは地震から5年後の2020年8月になった。だが震災前に比べて店が減り、マンションなどの増えた街並に、銭湯は新しい風を入れた。

お風呂を共同で使うのはあたりまえの文化だった

取材で訪れた日、番台に座っていたのは黒岩さんのお父さん。当初は銭湯を始めることには大反対だったのだそうだ。

「突然風呂屋をやると言うもんだから。そりゃあもう家族どころか親戚一同びっくりでした。風呂屋といえばいまは厳しい産業でしょう。危ないんじゃないかと思ったけど、本人の意思がかたいもんだから。でもまぁオープンして1年半過ぎましたし、徐々にではありますが成果が出ているかなと。いいお風呂でしたと言って帰られるお客様の反応からそう思いますね」

黒岩さんのお父さん、重裕さん (写真撮影/野田幸一)

黒岩さんのお父さん、重裕さん (写真撮影/野田幸一)

黒岩さんは言った。

「もともと共同浴場って九州には普通にあった文化なんです。みんなで管理費を出し合って共同でお風呂を使っていた。いまも小国や鹿児島のほうには残っていますが、それと同じ話だと思えば、それほど特別なことではないのかなと」(黒岩さん)

帰りぎわ、肝心のお風呂に入らせてもらった。浴室は天井が高く広々としていて開放感があって気持いい。何といっても、お湯がよかった。温泉の水質に近いと黒岩さんが話していただけあって、骨の髄まで緩めてくれるようなお湯だった。

脱衣所のようす(写真撮影/野田幸一)

脱衣所のようす(写真撮影/野田幸一)

洗い場の壁には、グラフィックデザイナー・米村知倫さんに描いてもらった絵(写真撮影/野田幸一)

洗い場の壁には、グラフィックデザイナー・米村知倫さんに描いてもらった絵(写真撮影/野田幸一)

時間になって、お父さんと交代するためにお母さんもやってきた。お母さんはこんな話をしてくれた。

「いろんなお客さんが来られるけど、こちらもちゃんと目を見て話すから、変な人は来ないですよ。『ゆっくり入ってきてね~』とか『いま一人だから泳げるよ~』とか冗談を言ったりしてね。

最初は反対しましたけど、いまは楽しんでやらせてもらっています。歳を取ると人と出会うことも減って、世界が狭くなるでしょう。だからむしろこうして人と話す機会をくれてありがとうねって、今は息子たちに言っているんです」

(写真撮影/野田幸一)

(写真撮影/野田幸一)

●取材協力
神水公衆浴場

空き家だらけの下町に2000世帯も転入! 大阪・蒲生四丁目がオシャレなまちに「がもよんモデル」

「がもよん」の愛称で親しまれる大阪の下町が、2021年度グッドデザイン賞「グッドデザイン・ベスト100」に選出されました。昭和の風情が今なお息づく庶民的な街がいったいなぜ、ここにきて注目を集めているのでしょう。それはこの街が日本中の市区町村が頭を抱える「空き家問題」「古民家再生」に対し先鋭的な取り組みをしてきたからなのです。

「がもよんモデル」と呼ばれる、その方法とは? 実際に「がもよん」の街を歩き、キーパーソンをはじめ関わった人々にお話を伺いました。

街をむしばむ「空き家問題」に悩まされた「がもよん」

「がもよん」。まるでドジな怪獣のような愛らしい語感ですが、これは大阪府大阪市城東区の蒲生(がもう)四丁目ならびにその周辺の愛称。「がもう・よんちょうめ」略して「がもよん」なのです。

大阪城の北東に位置する「がもよん」には住宅がひしめいています。蒲生四丁目交差点を中心として半径2kmに広がるエリアに約7万もの人が暮らしているのです。かつては大坂冬の陣・夏の陣の激戦地。現在は大阪きっての住宅密集地となっています。

住宅が軒を連ねる蒲生四丁目。通称「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

住宅が軒を連ねる蒲生四丁目。通称「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

大阪メトロ長堀鶴見緑地線と同・今里筋線が乗り入れる「がもよん」は、副都心「京橋」まで地下鉄でわずか3分で着く交通利便性が高い場所。それでいて昭和30年(1955年)ごろに発足した城東商店街や入りくんだ路地など、のんびりした下町の風情がいまなお薫るレトロタウンなのです。

味わい深い小路が縦横に延びる「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

味わい深い小路が縦横に延びる「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

そんな「がもよん」は下町ゆえの問題もはらんでいました。旧街道に沿う蒲生四丁目は第二次世界大戦の空襲を逃れたため戦前に建てられた木造の古民家や長屋、蔵が多く残っていたのです。住民の少子高齢化とともに築古の空き家が増加し、住む人がいない建物は日に日に朽ちてゆきます。街は次第に寂れたムードが漂い始めていました。

2000世帯以上の流入を成し遂げた「がもよんにぎわいプロジェクト」

そんな下町「がもよん」が2021年10月20日、グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出されました。

グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよんにぎわいプロジェクト」(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよんにぎわいプロジェクト」(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

約5800件から選ばれたのは、一般社団法人「がもよんにぎわいプロジェクト」の事業。「がもよんにぎわいプロジェクト」とは閉業した昭和生まれの商店や老朽化した古民家などの空き家を事業用店舗に再生する取り組みのこと。これが「住民が地域活性化に参加できる“エリア全体のリノベーション”を実現した」と高く評価されたのです。

「“がもよんにぎわいプロジェクト”を始めて13年。今回の受賞が全国で増加する空き家問題を解決する一手となり、活動を支えてくれた地域の人が、街を誇りに感じてもらえたらうれしいですね」

そう語るのは「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事であり、建設・不動産業を営む会社R-Play(アールプレイ)の代表取締役、和田欣也さん(56)。

「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事、和田欣也さん(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事、和田欣也さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは無人物件の所有者と事業オーナーとのマッチングによって空き家問題を解決し、「貸す人も借りる人も地域も喜ぶ」三方よしの新たなビジネスモデルを打ち立てています。しかも公的な補助金はいっさい受け取らず、民間の力だけで。「経済自立したエリアマネジメント」を成立させたのです。

「この5年間で、がもよんは2030世帯も住民が増えたんです(令和2年 国勢調査)。『にぎわう』という当初の目標は達成できているんじゃないかな」

「がもよんにぎわいプロジェクト(GAMO4)」のラッピングバスが大阪市内を走る。知名度がアップし、さらににぎわいをもたらす(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

「がもよんにぎわいプロジェクト(GAMO4)」のラッピングバスが大阪市内を走る。知名度がアップし、さらににぎわいをもたらす(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

地道な「街歩き」で人々と接してきた効果は絶大

和田さんがこの10余年に「がもよん」内にて手掛けた空き家再生の物件は40軒以上。そのうち店舗は33軒。刮目すべきは、再生した物件のほぼすべてがしっかり収益を上げ、成功していること。家庭の事情で閉業した一例を除き、業績の不振によって撤退したケースはなんと「ゼロ」なのだそう。コロナ禍の渦中ですら一軒も潰れることなく営業していたのだから感心するばかり。

成功の秘訣は、自らの足で街を巡り、路地に立ち、街の空気を感じること。和田さんが「がもよん」を歩くと、皆が声をかけてくる。いわば「街の顔」なのです。

「僕の顔、み~んな知っています。街を歩けば、近所のおばちゃんから『あそこに新しい店ができたなー。こんど連れて行ってーや』と声をかけられる。サービス券を渡したら、『孫も連れて行くから、もう一枚ちょうだい』って」

和田さんは「がもよん」エリア内にある40軒以上の空き家を再生してきた(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは「がもよん」エリア内にある40軒以上の空き家を再生してきた(写真撮影/吉村智樹)

「ここは“がもよん”や。梅田とちゃうぞ」と敬遠された

そんな和田さんには他のまちおこしプランナーにはない大きな特徴があります。それは「耐震診断士の資格」を取得していること。過去に「あいち耐震設計コンペ最優秀賞」「兵庫県耐震設計コンペ兵庫県議長賞」を受賞している和田さん。実はこの耐震診断士資格こそが「がもよんにぎわいプロジェクト」の発端といえるのです。

「がもよんにぎわいプロジェクト」が誕生したきっかけは、2008年6月、築120年以上の米蔵をリノベーションしたイタリアンレストラン「リストランテ・ジャルディーノ蒲生」(現:リストランテ イル コンティヌオ)の開業でした。

再生物件の第一号。古い米蔵をイタリアンの店に蘇らせた「リストランテ イル コンティヌオ」(旧:リストランテ・ジャルディーノ蒲生)(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

再生物件の第一号。古い米蔵をイタリアンの店に蘇らせた「リストランテ イル コンティヌオ」(旧:リストランテ・ジャルディーノ蒲生)(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

老朽化したまま放置された米蔵の扱いに悩んでいた現スギタハウジング株式会社の代表取締役、杦田(すぎた)勘一郎さん。「古い米蔵が醸し出す温かな雰囲気を残したい」と、当初は「そば屋」をイメージしてテナントを募集しました。しかしながら、反応がありません。「先代から引き継いだ古い建物を守りつつ、次の世代へ良い形で残したい」と願うものの、和食という固定観念にとらわれていた様子。

そこで杦田さんは、耐震のエキスパートである和田さんに参加を呼びかけ、古民家再生プロジェクトがスタートしました。そして和田さんは「蔵だから和食、では当たり前すぎる」と、「柱や梁を残し、蔵の装いをそのまま活かしたイタリアンレストラン」への転用を提言したのです。

「フルコースでイタリアン。一番安いコースを3000円くらいで食べられる。そういうタイプの予約制の店は、がもよんにはなかった。ないからこそ、やりたかったんです」

しかし、蔵の所有者は「そんなワケのわからんものにするくらいなら更地にせえ」と猛反対。周囲からも「がもよんでイタリアンなんか流行るわけがない」と奇異な目で見られ、理解が得られませんでした。

「めちゃくちゃ敬遠されました。13年前はまだ外食の際に予約を取る習慣ががもよんにはなかったんです。ジャージにつっかけ履きのままで、ふらりとメシ屋の暖簾をくぐるのが当たり前やったから。『予約がないと入れない? はぁ? なにスカシとんねん。ここをどこやと思っとんのじゃ。がもよんやぞ。梅田ちゃうで』と、訪れた客から捨て台詞まで吐かれる。梅田に比べて破格に安い値段設定にしたのですが、それでも受け入れてもらえませんでした」

「高級レストランへの再生をなかなか理解してもらえず、ナンギした」と当時を振り返る和田さん(写真撮影/吉村智樹)

「高級レストランへの再生をなかなか理解してもらえず、ナンギした」と当時を振り返る和田さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは「失敗したらギャラはいらん」と覚悟の姿勢を見せて所有者を説得。建築のみならず腕利きの料理人のスカウトまで担ったのです。

古い物件ゆえに耐震や断熱の工事に時間がかかります。蔵は天井が低く、地面を掘り下げる必要が生じるなど工事は困難を極めました。周囲は「失敗を確信していた」といいます。

ところが結果は……オープンと同時にテレビをはじめマスコミが「下町に不似合いなイタリアンの店が誕生」と報じ、噂を聞きつけて他都市からわざわざ訪れる客やカップル、家族連れなどで予約が取れぬほどの盛況に。街のランドマークとなり、がもよんの外食需要が掘り起こされたのでした。

このイタリアンの件を機にタッグを組んだ和田さんと杦田さん。杦田さんは「自分は空き家を数多く所持している。一軒の店の再生という“点”で終わらず、地域という“面”で活性化に取り組まないか」と提案し、これが「がもよんにぎわいプロジェクト」へと発展していったのです。

目の当たりにした阪神淡路大震災の悲劇

和田さんが古民家を再生するにあたり、もっとも重要視するのが「耐震」。

「耐震にはうるさいので、疎ましがられます。『和田さんはさー、耐震野郎なんだよ』とよくからかわれました。喜ばしいことですよ。それくらい耐震を考えて街づくりをしている人が少ないということです」

和田さんが耐震に重きを置く背景には1995年に発生した阪神・淡路大震災がありました。

「震災でお亡くなりになった約7000人のうち、圧死したのはおよそ3000人。多くの人が自分の家につぶされて亡くなっている。最も安心できるはずのわが家に殺されるって、なんて悲しいんだろうと」

和田さんは震災の後、ブルーシートや水を車に積んで被災地へボランティアへ出かけました。そこで見た光景は「忘れることができない」悲壮なものだったのです。

「雪がちらつく寒い夜、公園に被災した人が集まっている。けれども誰も眠っていないんです。『襲われるんじゃないか』と不安になって眠ることができない。みんな殺気立っていました」

生き残った人たちまで疑心暗鬼に駆られる悲劇を二度と繰り返したくない。そのため耐震の重要性を説くものの、当初はなかなか理解してもらえませんでした。

「古民家改修の耐震設計は一から行うより大変なんです。どうしてもお金と時間がかかる。そのわりに目に見えた効果がない。お店に入って『耐震がしっかりしているか』なんて、わからないじゃないですか。そもそも地震が来るかどうかすらわからない。耐震を軽んじれば時間も予算も削減できる。なので、所有者の説得には何度も心が折れそうになりましたよ」

阪神・淡路大震災の経験から、耐震工事の重要性を痛感した和田さん(写真撮影/吉村智樹)

阪神・淡路大震災の経験から、耐震工事の重要性を痛感した和田さん(写真撮影/吉村智樹)

「ちょっと背伸びして」味わえるフードタウンへ

イタリアンの店「ジャルディーノ蒲生」のヒットをきっかけに旗揚げされた「がもよんにぎわいプロジェクト」。このプロジェクトはいったい、なにをテーマとするのか。これが和田さんに課せられた最初の命題でした。

同じころ、大阪の各所では「古い街を活性化させようとする動き」が起こっていました。先駆事例を挙げるなら、北区の中崎町は「雑貨」、天王寺区の空堀(からほり)町は「アート」といったように。

そこで和田さんが選んだプロジェクトのテーマは「ごはん」。

「雑貨はお客さんが『店に入っても何も買わない』選択ができてしまう。アートは『自分には縁がない』と考える人がいる。けれども誰しも必ず食事はする。月に一度は外食をするでしょう。なので、人口密度が高くファミリーが多いがもよんを『フードタウンにしようやないか』と」

食べ物でのまちおこし。下町なら「B級グルメ」が定番。しかし和田さんは、あえてB級を選びませんでした。

「がもよんでB級グルメって、そのまんまでしょう。ギャップがない。目指したのは“地元の高級店”。お祝いごととか、正月に娘や息子が帰ってくるとか。そういうときに『ちょっと、ごはんを食べに行こうや』となりますよね。でもファミレスでは『ざんない』(しのびない)。とはいえオータニはさすがに高い。そのあいだくらいの、“ちょい背伸びする料金”でおいしいものが食べられる街にしましょうよ、と提案しました」

こうして古民家の趣を大切に残しつつ、一店舗一店舗オリジナリティに溢れる飲食店の誘致が始まったのです。

「古民家再生」の気概に触れ、腕のいい料理人が集結

「和田さんと杦田さんから、『がもよんには本格的な和食割烹がない。店をやっていただけませんか』とお誘いをいただいて」

そう語るのは、オープン5年目を迎えるカウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん。

カウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん(写真撮影/吉村智樹)

カウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんたちからの出店の依頼を引き受けた最も大きな理由は「古民家の再生プロジェクト」という点が琴線に触れたから、なのだそう。

「空き家って、どの街でも大きな問題になっているじゃないですか。私も微力ながら問題解消のために協力できるのでは、と思いまして」

紹介された空き家は「93年前までの資料しか残っていない」という、築100年越えの可能性がある四軒長屋の一棟。もともとは大きな邸宅で、一軒を四軒に分離させた異色の建築です。恐るべきことに、工事前はなんと「耐震措置ゼロ」というつくりでした。

もともとは築100年を超えるとみられる古民家だった(写真撮影/吉村智樹)

もともとは築100年を超えるとみられる古民家だった(写真撮影/吉村智樹)

「和田さんにしっかり耐震工事をやっていただきました。それでいて、できるかぎり元の建物の情緒を残してもらって。なので、とても気に入っています。欄間は当時の家のまま。ガラスも今ではつくる職人さんがいない、割れたら終わりという貴重なものなんです」

風情ある欄間は当時の家のまま。カウンター中央にはしっかりとした太い柱が設えられ、耐震対策は万全(写真撮影/吉村智樹)

風情ある欄間は当時の家のまま。カウンター中央にはしっかりとした太い柱が設えられ、耐震対策は万全(写真撮影/吉村智樹)

「割れると再現できない」という貴重なガラス戸(写真撮影/吉村智樹)

「割れると再現できない」という貴重なガラス戸(写真撮影/吉村智樹)

再生した古民家に「満足している」という多羅尾さん。さらに気に入ったのは「がもよんにぎわいプロジェクト」に加盟している店同士の「仲の良さ」でした。

「ミナミや北新地って各店がライバル関係なんです。けれども、がもよんは店舗さん同士の仲が良くて。一緒に飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったり。皆さんで協力し合ってまちおこしをしている。『自分もその輪に入って力になれたら』という気持ちが湧いてきましたね」

古民家に惹かれUターンする人も

かつての「がもよん」の住人が、古民家再生の取り組みに惹かれ、再びこの街へ転入してきた例もあります。

そのうちの一軒が2021年6月にオープンしたイタリアンカフェ『amaretto(アマレット)』。エスプレッソのみならず抹茶やほうじ茶のティラミスなど絶品のイタリアンスイーツが楽しめるお店です。

ほろ苦い「ほうじ茶のティラミス」が人気(写真撮影/吉村智樹)

ほろ苦い「ほうじ茶のティラミス」が人気(写真撮影/吉村智樹)

店主の脇裕一朗さんは他都市でさまざまな飲食関係の業務を経験したのち独立。故郷であるがもよんへ帰ってきました。そうして初めての個人店を開いたのです。

イタリアンカフェ「amaretto(アマレット)」のオーナーシェフ、脇裕一朗さん。古民家再生の取り組みに関心を寄せ、がもよんへUターンした(写真撮影/吉村智樹)

イタリアンカフェ「amaretto(アマレット)」のオーナーシェフ、脇裕一朗さん。古民家再生の取り組みに関心を寄せ、がもよんへUターンした(写真撮影/吉村智樹)

「イタリアの田舎町にある雰囲気の店にしたかったので、古民家を探していたんです。そんなときに以前に住んでいたがもよんが古民家再生でまちおこしをしていると知り、『それはちょうどいいな』と思って和田さんにお願いしました」

吹抜けに建て替えた古民家は、天井はそのまま。梁も玄関戸があった位置も往時の姿を今に残しています。

たっぷりとした広さがあるアプローチも古民家時代のまま。「このスペースが気に入ったんです」と脇さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

たっぷりとした広さがあるアプローチも古民家時代のまま。「このスペースが気に入ったんです」と脇さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

さらに脇さんが気に入ったのは、街を包む活気でした。

「がもよんは、いい意味で雰囲気は昔っからの下町のまんま。けれども人口が増え、『新しいお店がいっぱいできているな』という印象です」

プロジェクトが生みだす店同士の連帯感

「がもよんにぎわいプロジェクト」は店舗物件の保守管理にとどまらず、マネジメントの一環として、店舗同士が集うコミュニティも運営しているのが特徴。割烹『かもん』の多羅尾さんがプロジェクトに関心を抱いたのも、この点にありました。

コミュニティの本拠地は元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。ここで毎週木曜日に店主ミーティングが開かれているのです。

元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。定期的に店主が集まりミーティングが開かれる(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。定期的に店主が集まりミーティングが開かれる(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

「がもよんにぎわいプロジェクトは加盟金などない非営利団体。鬼ごっこと同じです。『入りたい』と思ったら入っていい。『もういやや』って感じたら抜けていい。ミーティングも任意参加。そんな気楽な関係やけど、参加してくださる方はとても多いんですよ」(和田さん)

ミーティングではハード面での相談はもちろん、経営ノウハウの共有、情報交換や共同イベント企画など、店主さんたちが腹を割って話し合います。そうすることで店同士が経営動向を把握し、悩みを解消し合い、連帯感を生む。支え合い、ひいては、がもよん一帯の魅力を押し上げているのです。

「お店の周年記念には、花を贈り合う。そんな温かな習慣が生まれています。お店同士の仲がいいと、お客さんにもそれが伝わる。常連客が『あっちの店にも行ってみるわ』と他店へも顔を出すようになり、経済が回るんです」

店主同士、仲がいい。この良好な関係を築くため、和田さんには決めている原則があります。それは「同じ業態の店舗はエリア内で一つだけ」というルール。

「例えばラーメン屋さんやったら一軒だけ。同業者がお客さんを奪い合って共倒れになったらプロジェクトが持続できない。それに大家さんも、店子と店子がライバルになったら悲しいでしょう」

「競争ではなく共闘できる環境づくり」。それが和田さんのモットーなのです。

「空き家の活用は普通、物件の契約が済んだら関係は終わる。でも、がもよんにぎわいプロジェクトは“契約からがスタート”なんです。『がもよんに店を開いて良かった』と思ってほしいですから。そのために、やれるサポートはやっていくつもりです」

「まちおこしは“店同士の仲の良さ”が大事」と和田さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

「まちおこしは“店同士の仲の良さ”が大事」と和田さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

こうして和田さんたちの取り組みは「売り上げ」という目に見える形で効果を表し、いつしか「がもよんモデル」と呼ばれ、評価され始めました。

赤と黒が織りなす戦乱のゲストハウス

成功のノウハウを蓄積し、発起から10年を過ぎて地域密着型まちづくりモデルとして成熟してきた「がもよんにぎわいプロジェクト」。その手法は次第に飲食店というワクを超え、他分野へ応用されるようになってきました。

例えば2018年に「戦国の世」をイメージしてオープンしたゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。

がもよんが戦国武将「真田幸村」ゆかりの地であることから、幸村のイメージカラーである赤と黒を基調として内装。寝室には人気アニメ『ワンピース』とのコラボでも話題の墨絵師・御歌頭氏が描く大坂・冬の陣が壁全面に広がっており、大迫力。

ゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。かつて「大坂・冬・夏の陣」の合戦場だったがもよん。真田幸村の激闘を描いた真っ赤な寝室が話題に(写真撮影/吉村智樹)

ゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。かつて「大坂・冬・夏の陣」の合戦場だったがもよん。真田幸村の激闘を描いた真っ赤な寝室が話題に(写真撮影/吉村智樹)

「『民泊ブームの逆路線を行こう』。そんな発想から生まれた宿です」

そう語るのは、和田さんの右腕として働くアールプレイ株式会社の宅建士、田中創大(そうた)さん。

和田さんの右腕として働く宅建士、田中創大さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんの右腕として働く宅建士、田中創大さん(写真撮影/吉村智樹)

確かに、野点を再現した居間、黒で囲まれた和の浴室など、民泊ではありえない非日常感があります。

「もともとは大きな住宅でした。『せっかく広々とした場所があるのだから、旧来のホテルや旅館とは違う、がもよんに来ないと体験できないエンタテインメントを感じてもらおう』。そのような気持ちから、見てのとおりの設えになりました」

ブッ飛んだ発想は海を越えて口コミで広がり、コロナ禍以前は英語圏や中華圏から宿泊予約が殺到したのだそう。

改修不能な空き家が「農園」に生まれ変わった

古民家の再生によりまちおこしを図る「がもよんにぎわいプロジェクト」。とはいえ古民家のなかには改修不能な状態に陥った物件もあります。そこで和田さんたちが始めたのが貸農園「がもよんファーム」。

住宅地に突如現れる貸農園「がもよんファーム」(写真撮影/吉村智樹)

住宅地に突如現れる貸農園「がもよんファーム」(写真撮影/吉村智樹)

2018年、平成最後の年に大阪に甚大な被害をもたらした「平成30年台風第21号」。風雨にさいなまれた空き家4棟は屋根瓦が崩れ落ちるなど倒壊の危険性をはらんでいました。

「がもよんファーム」は、そんな空き家が連なっていた住宅密集地にあります。「え! ここに農園が?」と驚くこと必至な、意外な立地です。

案内してくれた田中さんは、こう言います。

「台風の被害に遭った空き家を修復しようにも、当時は大阪全体の業者さんが多忙で、工事のスケジュールが押さえられない状況でした。『このまま放置はできない』と、仕方なく解体し、更地にしたんです」

台風により大きな被害を受けた古民家の跡地に貸農園を開いた(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

台風により大きな被害を受けた古民家の跡地に貸農園を開いた(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

台風の被害が大きかった建物を解体撤去して拓いた貸農園「がもよんファーム」。令和元年(2019)5月、新元号の発表とともに開園。全29区画。1区画が5平米(約2.5平方m)。1 区画/月に4000円という手ごろな賃料。

開園に先立ち、設置したのが農機具を預けられるロッカー。

「住宅街なので鍬(くわ)を持参するのはハードルが高い。『手ぶらで来られる農園』をアピールしました」

農器具を預けられるロッカー。手ぶらで往き来できる(写真撮影/吉村智樹)

農器具を預けられるロッカー。手ぶらで往き来できる(写真撮影/吉村智樹)

それにしても、いったいなぜ「農園」だったのでしょう。

「街の空き地はコインパーキングにするのが一般的です。けれども、夜中にエンジンの音が聴こえたり、狭路なので事故につながったり。『駐車場では、近隣の人々に喜んでもらえないだろう』と。それで地域のかたが利用できる農園を開きました。これまで農園という発想がなかったです。なんせ畑がぜんぜんない地域だったので。初めての経験で、手探りでしたね」

反応が予想できず、恐る恐る始めた「がもよんファーム」。ところが開園後1カ月で全区画が埋まる人気に。しかも8割以上のユーザーが開園当時から現在まで利用を継続しているというから驚き。いかに貸農園のニーズが潜在していて「待望の空間」だったかがうかがい知れます。

前例がないため不安だった貸農園の開園。しかし、またたく間に予約で全区画が埋まった(写真撮影/吉村智樹)

前例がないため不安だった貸農園の開園。しかし、またたく間に予約で全区画が埋まった(写真撮影/吉村智樹)

さらに幸運だったのが、がもよん在住歴13年という元・農業高校の教師、加藤秀樹さんが退職直後に区画の借主になってくれたこと。加藤さんが他の利用者に栽培のアドバイスをするなどし、おかげで世代間交流が盛んに。農園から新たなコミュニティが生まれたのです。

「がもよんファーム」の救世主と呼んでも大げさではない元・農業高校の教師、加藤秀樹さん(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんファーム」の救世主と呼んでも大げさではない元・農業高校の教師、加藤秀樹さん(写真撮影/吉村智樹)

「週に3回、夏は週に4回は『がもよんファーム』へ来ます。自宅から歩いて13~14分なので近いですし。『がもよんファーム』の存在はホームページで知りました。この辺で『がもよんバル』(※)というのをやっていて、『今年もあるのかな』と思ってホームページを見てみたら、たまたま農園が開かれるニュースを見つけたので」(加藤さん)

※がもよんバル……和田さんたちが開催する飲食イベント。店と地域の人をつなぐ取り組み

「加藤さんは一般の人ではわかりにくい病気を発見してくれて、『気をつけたほうがいいですよ』とアドバイスをしてくださるので助かります」(田中さん)

加藤さんの助言によりキュウリがたくさん実り「ご近所に配って喜ばれたのよ」とほほ笑むご婦人も。

さらに『がもよんファーム』は新たなニーズを開拓しました。

「趣味で園芸を楽しんでいる利用者だけではなく、アロマのお店がハーブを育てていたり、クラフトビールの工房がホップを育てていたりします」(田中さん)

ゆくゆくは、がもよん生まれの地ビールがこの街の名物になるかもしれません。住宅密集地に誕生した貸農園が商業利用の需要を発掘したのです。これもまた、街全体を活気づけるエリアリノベーションであり、「古民家再生」の姿といえるでしょう。

「がもよんモデル」を世界へ

こうして文字通り「にぎわい」を創出し、「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよん」。和田さんが考える今後は?

「喫茶店でお茶を飲んでいたらね、後ろの席で女性が『昔はな、がもよんに住んでるって言うのが恥ずかしかった。なので、京橋に住んでるねんって言ってた。でも今は『がもよんに住んでるって自慢してるねん』と話していたんです。思わず『よしっ!』って小さくガッツポーズしましたよ。自分が住む街を誇りに思えるって、素敵じゃないですか。こんな気持ちを日本中、世界中の人に感じてほしい。がもよんモデルには、それができる力があると思うんです。なので、ほかの街でも展開していきたいですね」

「がもよんモデルを全国、全世界へと広げてゆきたい」。和田さんの夢は大きい(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんモデルを全国、全世界へと広げてゆきたい」。和田さんの夢は大きい(写真撮影/吉村智樹)

空き家問題への対策から誕生した新たなビジネスモデル「がもよんモデル」。地域のお荷物だった空き家が収益を生み、「わが街の自慢」にイメージチェンジする。和田さんはその方法論を全国に広げたいと考えています。

これからますます深刻になってゆく空き家問題。しかしながら、空っぽだからこそ、新しい価値観を芽生えさせるチャンスでもある。がもよんが、それを教えてくれた気がします。

●取材協力
がもよんにぎわいプロジェクト

ビカクシダだらけ!? デザイナー夫妻が猫と暮らすインダストリアルな賃貸

インダストリアルな室内に、ビカクシダ(コウモリラン)や自然のオブジェなどが置かれ、白とグレーの猫が悠々とたたずむ。そんな自然物が似合う「博物館」をテーマにした部屋で暮らす森田賢吾さん・仁美さん夫婦に、ライフスタイルとリンクする「ステキなお部屋づくり」について伺いました。

「ペット可・バイク駐車可・変わった物件」を条件に部屋探し

クリエイティブディレクターでグラフィックデザイナーの森田賢吾さんと、クリエイティブディレクターでテキスタイルデザイナー、イラストレーターの森田仁美さん。多摩美術大学の同級生のご夫妻は、お互いに好きなものを集めているうちに部屋が狭くなり、2019年に今の住まいに引っ越しました。
Twitter(@Hi__MoriMori)で、普通ではないお住まいとジャングルのような植物、カッコイイ家具、2匹の猫の美しさに興味をひかれ、訪問させていただきました。

まるで絵のよう。クールなインテリアに植物や猫が生命のぬくもりを添える(写真提供/森田さん)

まるで絵のよう。クールなインテリアに植物や猫が生命のぬくもりを添える(写真提供/森田さん)

この賃貸物件を見つけたのは、夫の賢吾さん。「東京周辺で、猫が飼えて、バイクが置ける場所があって、おしゃれなデザイナーズ物件」の4つを条件に、お部屋探しのアプリを5、6個ダウンロードして時間があれば見ていました。不動産会社に行って、「コンクリートの箱みたいな部屋でいいので、変わった物件はないですか」とイメージに近い写真を見せて相談しましたが、東京都内はペット可物件が少なく、条件やイメージに合う部屋はなかなか巡り合えませんでした。

陽が当たる窓際は猫も植物も大好きな場所(写真撮影/相馬ミナ)

陽が当たる窓際は猫も植物も大好きな場所(写真撮影/相馬ミナ)

「不動産屋さんが紹介してくれるのは、ほとんどが一般的な普通の部屋でした。これはと思う物件はスピード勝負ですぐに内定していたり、なかなか条件が合わなかったり。この物件はポータルサイトで見つけて、内見して即決しました」(賢吾さん)

「部屋自体に個性やスタイルがあるより、ニュートラルな部屋で、自分たちが好きで集めてきたものを置いてスタイルができ上がるような物件がいいと思っていました」と話す仁美さん。夫婦の趣味が合うので、決断はスムーズでした。

コンセプトを「博物館&インダストリアル」に決めてぶれない部屋づくり

住まいはインテリアや家具、暮らし方で表情が変わるもの。ブランディングの仕事をしている森田さん夫妻は、コンセプトから始めました。

「まずこの部屋をどういう世界観にしたいか、お互いに意見を出してコンセプトを決めました。『木や石、植物などの自然物が映える、博物館のような家』をコンセプトにプランニングしたことで、想像どおりの家になりました。持っている家具をリストアップして、サイズを測って間取図に落とし込んだり、世界観資料のようなものをつくって、仕事でやっていることを部屋でもやりました」(賢吾さん)

住まいのメインステージは、窓が大きいリビングです。天井と壁の一部はコンクリートの打ちっぱなしで、床は黒いストロングフロアに壁は黒やグレー。モノクロがベースですが、陽当たりが良く明るい雰囲気。デザイン書やレコードなどを収納している本棚は、アメリカでガレージに置くようなものを、キッチンの棚はお店の厨房などで使用されているものを買って、無骨さを生かした部屋づくりを目指したそうです。

シンプルなリビング。低い家具でまとめているため広く感じる(写真提供/森田さん)

シンプルなリビング。低い家具でまとめているため広く感じる(写真提供/森田さん)

リビングのテーブルは恵比寿にある人気のインテリアショップ「パシフィック・ファニチャー・サービス」で購入。使うほどに色が濃くなり味が出てくる無垢材の寄せ木の天板が特徴的です。

テーブルと木の色が合う椅子はイームズ(写真撮影/相馬ミナ)

テーブルと木の色が合う椅子はイームズ(写真撮影/相馬ミナ)

対面式キッチンは吊り戸棚もキャビネットもなく、圧迫感も生活感も感じられず、キッチンというよりお店のカウンターのよう。キッチンとダイニング・リビングの間の段差が空間を仕切らずに分けています。家具は、キッチンの前壁のステンレスと木の色とできるだけ合わせるなど、マテリアルやカラーを統一しています。

カフェのようなキッチン。レトロなペンダント照明も素敵(写真撮影/相馬ミナ)

カフェのようなキッチン。レトロなペンダント照明も素敵(写真撮影/相馬ミナ)

家具はアメリカ系のインテリアショップや業務用の家具屋さんで買ったものがほとんど。「私たちは好みが似ていて、デザインされすぎているものより、インダストリアル感がある武骨なものが好きなんです。自然物、木のモノ、植物沢山が映えるように主張し過ぎる家具は置かないし、可愛い家具や小物に惹かれても、コンセプトのインダストリアルから外れるなら選びません」(仁美さん)

リモートワークの際に夫婦が並んで作業ができるワークスペースもシンプルに(写真撮影/相馬ミナ)

リモートワークの際に夫婦が並んで作業ができるワークスペースもシンプルに(写真撮影/相馬ミナ)

また、浴室もコンクリートの壁に囲まれていて19世紀後半のアメリカで流行した猫脚の浴槽が設置されています。浴室とトイレ、洗面台が同じ空間にあるため、来客時に水まわりが丸見えにならないよう内装屋さんに頼んでガラスドアにカッティングシートを貼ったそうです。

猫脚の浴槽が置かれたガラス張りの水廻り。ビカクシダが水分を補給中(画像提供/森田さん)

猫脚の浴槽が置かれたガラス張りの水まわり。ビカクシダが水分を補給中(画像提供/森田さん)

自慢のコレクションを飾り、生活感があるものは徹底的に隠す

両親が水産大学出身であったことから、子どもの頃から魚の造形に興味をもち、釣りや魚の絵を描いて過ごし、たくさんの魚や昆虫を捕ってきて飼育をしていたという賢吾さん。自然が豊かな環境で、動物たちが多くいる実家で育ち、よく昆虫を捕ったりしていた仁美さん。森田さん夫婦は、そんな原体験をベースに、自然や動物、生き物に興味をもち続け、自分たちの目線を通した「博物館」を居住空間で表現しています。

家具と同様、コレクションも厳選された美しいモノばかり。テレビ台の隣にある六面体のオブジェは、イタリアのデザインデュオ、alcarol(アルカロール)が製作したもので、世界遺産のドロミテ山の低層で眠っていた”むした苔をまとった木材”を使用したスツール。「池をそのままくりぬいて形にしたような、水の中に入っているような気持ちになれる不思議なオブジェです」と仁美さん。

感性に合うアートを厳選。テレビ台の横にある椅子は本来座るもの。テーブルの上にあるのは賢吾さんが作成した苔のテラリウム(写真撮影/相馬ミナ)

感性に合うアートを厳選。テレビ台の横にある椅子は本来座るもの。テーブルの上にあるのは賢吾さんが作成した苔のテラリウム(写真撮影/相馬ミナ)

夫のコレクションの石。自然に造られた形や柄、色が美しい(写真撮影/相馬ミナ)

夫のコレクションの石。自然に造られた形や柄、色が美しい(写真撮影/相馬ミナ)

石の博物館やジビエ屋で購入した化石や骨。コレクターにとって垂涎の逸品(写真撮影/相馬ミナ)

石の博物館やジビエ屋で購入した化石や骨。コレクターにとって垂涎の逸品(写真撮影/相馬ミナ)

流木で出来た牛の骨格は、アーティスト・古賀充さんの作品(写真撮影/相馬ミナ)

流木で出来た牛の骨格は、アーティスト・古賀充さんの作品(写真撮影/相馬ミナ)

すっきりと暮らす秘訣を聞くと、「植物、石、アートなどのコレクションやデザイン書、レコード、DJの機材などは出しっぱなしだし、収集癖があるのでモノはたくさんあります。ただ生活感があるもの、例えば商品としてデザインされたパッケージなどがあると生活空間がごちゃごちゃしてしまうので、見えない所に隠しています」と賢吾さん。

キッチンは食器棚の代わりに、飲食店の厨房にあるようなステンレス製の収納台を設置。家電もステンレスや黒で統一。流しの下の空洞には、サイズを測ってコンテナボックスやダストボックスを収めています。

調味料も台車式の収納ボックス内に収納(写真撮影/相馬ミナ)

調味料も台車式の収納ボックス内に収納(写真撮影/相馬ミナ)

「調味料や油や鍋などは、キッチンに出しておいた方が使いやすいかもしれませんが、夫が生活感のあるものを出しておくのが嫌いなので、使うときに出して、出したらすぐしまうことが習慣になりました」(仁美さん)

細かいものや日常品は収納グッズを利用。アメリカのバンカーズや無印良品の収納ボックスなどの、同じ形のフタ付きのツールボックスをいくつか重ねたり並べたりしてモノを隠しています。

寝室の収納。収納ボックスは棚のサイズに合うものを選んだ(写真撮影/相馬ミナ)

寝室の収納。収納ボックスは棚のサイズに合うものを選んだ(写真撮影/相馬ミナ)

猫と両立する「スッキリきれいなインテリア」

森田家には2匹の猫がいます。仁美さんは、実家で10匹~15匹くらいの保護猫と暮らしていましたが、賢吾さんは結婚して初めて触れあった猫の人懐っこさに驚いたそうです。

白猫のやっこちゃん。猫もアートのように美しい(写真撮影/相馬ミナ)

白猫のやっこちゃん。猫もアートのように美しい(写真撮影/相馬ミナ)

凛と佇む姿が部屋の雰囲気に溶け込んでいる、しじみちゃん(写真撮影/森田さん)

凛とたたずむ姿が部屋の雰囲気に溶け込んでいる、しじみちゃん(写真撮影/森田さん)

「最初の頃は、机の上にあるものを片っ端から落とすので、お気に入りガラスの置物を壊されたこともありましたが、『猫はモノを落とす生き物だから、しまっておかない人間が悪い』と夫に話して理解してもらいました。おかげで、モノを出しておかないきっかけになったかもしれません。

猫のおもちゃも、夜寝る前にはしまいます。出しっぱなしより、時々出した方が喜んで遊んだりしますね。植物にいたずらするのは、かまってほしいときなので、猫草で気をそらすようにしています」(仁美さん)

やっこちゃんのお気に入りの場所。猫は狭い凹みが大好き(写真撮影/相馬ミナ)

やっこちゃんのお気に入りの場所。猫は狭い凹みが大好き(写真撮影/相馬ミナ)

自然と向き合うこと、ビカクシダを育てることもクリエイティブ

仁美さんは、この部屋に越して急激に植物への興味が出てきたそうです。最初は多肉植物や大きい花瓶に枝ものを刺したりしていましたが、コケ玉に着生したビカクシダ(コウモリラン)をひとつ買って、調べるうちに、植物の概念を覆すような生態やインテリアとしての面白さに惹かれたそうです。植物は種類により猫との共生に気をつける必要がありますが、森田さんは猫たちが、多肉植物やビカクシダなどに反応しないことをテスト済みの上、増やしています。

ビカクシダは丸い葉っぱ(貯水葉)と長い葉っぱ(外套葉)から成る(写真撮影/相馬ミナ)

ビカクシダは丸い葉っぱ(貯水葉)と長い葉っぱ(外套葉)から成る(写真撮影/相馬ミナ)

自然界では地面に生えるのではなく木に寄生して生きるビカクシダ。板に貼り付ける人もいますが、仁美さんは、「室内に自然物があるような感じにしたい」と、コルクの木の樹皮にくくりつけています。

天井に突っ張りポールを設置して吊るしたビカクシダ。一つひとつ形が違い、葉っぱの形に装飾性があり面白い(写真提供/森田さん)

天井に突っ張りポールを設置して吊るしたビカクシダ。一つひとつ形が違い、葉っぱの形に装飾性があり面白い(写真提供/森田さん)

「同じフォーマットでも少しずつデザインや色が違うものを集めたくなるコレクター魂が刺激されて、今は20株ほどあります。部屋の陽当たりがいいので、すごい早さで植物が育つんです。全部大きくなると大変なので、これ以上は増やせないと思っています」

お手入れは「陽当たりが良く、常にサーキュレーターをつけて、風がそよそよと吹く状態を作っておくこと。水苔が乾いたら浴室でコルクの樹皮と植物の間にある水苔にたっぷりと水をあげて、水を切って部屋に戻します。数が多いので手はかかりますが、ビカクシダを育てて約2年、一度も枯らしたことがありませんし、最近はホームセンターなどに育てやすく品種改良されたものも売っているので、初めての人もトライしやすいと思います」と仁美さん。Twitterを始めたのも、愛好家がビカクシダをどう育てているのか、情報を収集するためだそう。

一年を通して水苔が乾いたらたっぷりと水を与える(写真撮影/相馬ミナ)

一年を通して水苔が乾いたらたっぷりと水を与える(写真撮影/相馬ミナ)

「ビカクシダはS缶やフックを使って天井や突っ張り棒に吊るしたり、ハンガーラックにかけるなど、壁に掛けて飾れるので生活面積を邪魔しません。床が広いまま増やせるのも魅力です」

ハンガーラックに沢山並べて吊るしている(写真提供/森田さん)

ハンガーラックに沢山並べて吊るしている(写真提供/森田さん)

希少性の高いビカクシダは金額が高いので、胞子から育て始めた仁美さん。「時間をかけて育てられた達成感もあり、愛着が違うので、興味がある人は育ててみるのもいいかもしれません。ちょこちょこ手を加えて見ていると、一気に大きくなったり変化が分かりやすく、自然と向き合うことが楽しい。植物を育てるのはクリエイティブな作業です」

撒いた胞子が芽を出し9カ月位でここまで育った(写真撮影/相馬ミナ)

撒いた胞子が芽を出し9カ月位でここまで育った(写真撮影/相馬ミナ)

ビカクシダは仁美さんの趣味ですが、賢吾さんは、最近渓流でのテンカラ釣りに凝っていて、イワナなど川魚のはく製や毛鉤(けばり)を作るための素材(鳥の羽など)を少しずつ集めているそう。「お互いに好きなものは認めて応援しています。これからも、まだまだ興味が広がって変化するかもしれません」と仁美さん。

独自の世界観をつくり上げている森田夫妻。「植物が沢山ある自然と向き合う暮らし。日常生活でありながら非日常に住むスペシャル感というか、非日常が日常になっていて、居心地がとてもいい」と仁美さん。「好きなモノを自分の身のまわりに置いて、好きを感じられる趣味部屋のような家。趣味、ライフスタイルイコール部屋みたいな感じはします」と賢吾さん。

好きなことを優先し、コンセプトを決めて、しっかりプランニングして統一感をもたせることで完成した、オリジナリティあふれる「博物館のような住まい」。夫妻のような特別なセンスがなくても、取り入れたり試せるヒントがあるのではないでしょうか。

●森田賢吾さん
クリエイティブディレクター・グラフィックデザイナー
多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。大貫デザイン、博報堂デザインを経て2016年デザインユニットknotを設立。JAGDA正会員。ハイクオリティなビジュアルコミュニケーションを軸としたブランディングデザインを多数手がける。NY ADC賞、 D&AD賞、 ONE SHOW、TOPAWARDS ASIA、グッドデザイン賞、亀倉雄策賞・JAGDA賞ノミネートなど国内外の賞を多数受賞。
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●森田仁美さん
クリエイティブディレクター・ テキスタイルデザイナー・イラストレーター。多摩美術大学テキスタイルデザイン学科卒業。アパレル小物の企画デザインや生産に携わった後に独立。国内の靴下工場のCDO(チーフデザインオフィサー)としてものづくりの現場のブランディングを行う傍ら、イラストの仕事も手がける。
Twitter (モリヒト)

指先ひとつで渋谷を変える! アプリで参加「shibuya good pass」

100年に一度と言われる大規模な再開発が進む「渋谷」。筆者はそんな街に暮らして20数年が過ぎた。新しいビルが次々に建ち、駅へのアプローチが変わり、その変化についていけない気持ちになることがある。街のイメージと住民の間に大きなギャップが生まれそうだった。
そこに博報堂と三井物産が共同で進める、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」が進んでいると聞いた。すでにスタートしている、渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」について博報堂ミライの事業室の大家雅広さんと三井物産エネルギーソリューション本部New Downstream事業部の寺西五大さんに話を聞いた。

デジタル活用で生活者の声を集め、まちづくりに活かす「生活者ドリブン・スマートシティ」

筆者は東京都内でいろいろな区に住んでみたが、渋谷が一番長くなってしまった。渋谷に住んでいると言うと「あんなにぎやかなところに住めるの?」と言われることもある。おまけに渋谷駅前は再開発中だ。住む街としてのイメージはつきにくいかもしれない。

ところが都心のまん中なのに、意外に住み心地がいい。町内会の活動もしっかりしている。ただ大きなビルがどんどん建って、毎週のように駅までの道のりが変わるので、少し取り残されそうな不安があった。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

そんななか、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」を実現するために、博報堂が渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」がスタートしたらしい。これは博報堂と三井物産が共同で進めるまちづくり構想で、テクノロジーが主役ではなく生活者が主役のスマートシティだそうだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

「渋谷エリアにおける暮らしをより良くしていくために、デジタルアプリサービスを通じて、生活者の声や応援を集めます。その声を、さまざまな都市サービスに反映させていくとともに、みんなの声を可視化することで、生活者共創によるまちづくりのモデルをつくっていきます。モビリティ、エネルギー、ワークプレイス、都市農園、スポーツなど、さまざまな都市サービスとの連携も予定しています。生活者が主体的に関わる創造的なまちづくりを通じて、次世代の持続可能なスマートシティモデルの実現を目指したいと思っています」(大家さん)

渋谷でできるgoodな体験のための「shibuya good pass」

「今回、私たちが開発したshibuya good passは、行政、企業、生活者が力を合わせてよりよい渋谷の街をつくっていくことを実現するサービスです。『みんなでつくる、goodな渋谷』がキーメッセージ。スマートフォンで利用できるデジタルサービスとして、2021年夏よりベータ版の提供を始め、すでにいくつかのプロジェクトがスタートしています」(大家さん)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

登録は無料で、会員になると渋谷で展開される活動やプロジェクトに参加したり応援したりできるほか、渋谷エリアでのさまざまな提携サービスを利用することができる。カフェのメニューを試したり、クーポンを利用できたり、「ありのママカフェ」というママたちの座談会や料理講座やピラティス教室などイベントに参加したりといったサービスが受けられる。

なかでも昨年実施された“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)は代表的なイベントだ。「ササハタハツ」とは、京王線笹塚駅・幡ヶ谷駅・初台駅のそれぞれ頭文字を採ったエリアのこと。エリア内にある、玉川上水旧水路緑道は、渋谷区の事業として再整備計画が進められている。再整備コンセプトは「FARM」。地域の人々で食と暮らしを楽しみ、こどもから大人、年齢や障がいの有無に関係なく、誰もが参加できる場所に生まれ変わろうとしている。その再整備コンセプトを体現する実験イベントが“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)だ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

農・食・コミュニティに関する社会課題や地域課題を解決するために、生産者直売マルシェ・体験イベント・ワークショップなどが企画された。注目すべきは「みんなの声”でつくるGOODなideaギャラリー」というテーマで、緑道沿いに渋谷の街に対する“みんなの声”が書かれたポスターを設置したこと。さらに当日来場した方たちの声として、これから再整備が進む緑道やこの町でやってみたいことを集めた。設置されたポスターのビジュアルはshibuya good passのInstagramにも連動していて、いいね!の数に応じて、近くのデジタルサイネージにも“みんなの声”が可視化された。

こういったカタチで、一般の人々の意見が行政やプロジェクトで届くのはわかりやすいし、オープンな意見交換の場にもなる。すでに「仮設FARM」を設置して一定期間利用してくれる人の募集も始まっている。今後どのように活用していくか、また住民自身がどのようにかかわっていくか、注目していきたいと思う。

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

新しい地域交通「shibuya good mobi」など、エネルギーやインフラからも考える

またイベント参加だけではなく、地域のエネルギーやインフラについても、一般の人が意見を出し、どのシステムを利用するか選択できるシステムを生み出している。

「三井物産のエネルギーソリューション本部は2020年4月に発足。グローバルな社会課題である気候変動問題の産業的解決をビジネス成長の機会と捉え、さまざまな事業領域において蓄積した知見、事業基盤、ならびに顧客・パートナー基盤を結集しました。三井物産ならではの複合的かつ機動的な取り組みで次世代領域における新事業創出にチャレンジしています」(寺西さん)

「good energy」は地球環境にやさしい再生可能エネルギーを地域で共同購入し、まちづくりに還元するサービスだ。電力の共同購入希望者が一定数集まったところで、新電力をはじめとする電力会社が参加のもと、一番安い電力供給者を決めるリバースオークションを行う。共同購買によって、電気代を安くするとともに、コストダウンが図れた部分の一部で地域の活動を援助することが出来る、
例えば、「シブヤ大学」(誰もが参加できる学び場づくり)、「TEN-SHIP アソシエーション」(高齢者の方々の困りごと支援)、「stride」(障害を抱える方々の就労支援)、「渋谷の遊びを考える会」(子どもたちの遊び場づくりを通じた子育て支援)などのNPO法人や一般社団法人、コミュニティ運営のために寄付されるといったことだ。地域コミュニティ単位での電力共同購入をサポートするリバースオークションのシステムも導入しており、多くの人が利用するほど安く利用できる可能性も高まる。

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

「shibuya good mobi」は、WILLERと連携した月額定額乗り放題で半径約2kmのエリア内を回遊できるモビリティサービスで、すでにサービスを開始している。
渋谷は比較的交通の利便性が高い街だが、エリア内を自由に回遊できるような移動サービスがなく、同サービスを利用することで行動範囲が広がったり、お子さんの送迎が快適になったり、自分時間が増えるなどライフスタイルが変わり、より生活が豊かになる。アプリで車両を呼び出すと、好きな時間に好きな目的地まで移動でき、月額定額料金のためおサイフを気にすることなく何度でも利用できる。同時にどのような人がどのようなニーズで移動しているかを継続的に把握できるため、そのニーズを汲み取って走行ルートやサービスが最適化していくこともできる。交通事業者から一方的に提供されるのではなく、地域に暮らす人々の共創によってブラッシュアップされていくモビリティサービスだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

どちらのサービスも提供されるだけでなく、自分が参加・利用することで地域に貢献できたり、自分の暮らしをより快適に変えていくことができる点が注目だ。

「shibuya good pass」がこれから目指すもの

現在の会員は女性が多く、特に30代40代が中心だそうだ。渋谷区はもともと住民の女性の割合が多い。2021年のデータで、男性が約11万716人、女性が11万9790人と、女性が9000人多い。それだけ女性に暮らしやすい環境が整っているかも知れない。現に私自身も都内での暮らしは渋谷が一番長くなった。今後、それがどのように発展していくかも見守りたい。

このほか、渋谷に住む人や通う人、働く人、事業者や行政など渋谷に関わるすべての人々が、好きなオフィスを、好きな時に、選んで使えるワークプレイスサービス「shibuya good place」など、約 10 カテゴリーの連携サービスの実証実験を開始。また市民参加型の活動として、市民の声をまちづくりや政策に反映させるためのオープンプラットフォーム「decidim」を活用した「shibuya good talk」の実証実験と、地域の企業活動・市民活動を応援するクラウドファンディングの取り組み「shibuya good idea fund」も開始している。

博報堂と三井物産は、こうしたアイデアをまず渋谷で実装し、その後は国内の複数の都市に展開する計画だそうだ。どんな都市でも、働く人、住む人、遊びに訪れる人や企業、行政がうまく連携を取れるようになるのはテーマの1つだろう。どんなに大規模な開発が進もうとも、そこには人間同士のコミュニケーションは必要だ。官民一体となった双方向のつながりが生まれることに期待したい。

●取材協力
shibuya good pass

住民主体で渋谷を変える! アプリで参加「shibuya good pass」

100年に一度と言われる大規模な再開発が進む「渋谷」。筆者はそんな街に暮らして20数年が過ぎた。新しいビルが次々に建ち、駅へのアプローチが変わり、その変化についていけない気持ちになることがある。街のイメージと住民の間に大きなギャップが生まれそうだった。
そこに博報堂と三井物産が共同で進める、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」が進んでいると聞いた。すでにスタートしている、渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」について博報堂ミライの事業室の大家雅広さんと三井物産エネルギーソリューション本部New Downstream事業部の寺西五大さんに話を聞いた。

デジタル活用で生活者の声を集め、まちづくりに活かす「生活者ドリブン・スマートシティ」

筆者は東京都内でいろいろな区に住んでみたが、渋谷が一番長くなってしまった。渋谷に住んでいると言うと「あんなにぎやかなところに住めるの?」と言われることもある。おまけに渋谷駅前は再開発中だ。住む街としてのイメージはつきにくいかもしれない。

ところが都心のまん中なのに、意外に住み心地がいい。町内会の活動もしっかりしている。ただ大きなビルがどんどん建って、毎週のように駅までの道のりが変わるので、少し取り残されそうな不安があった。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

そんななか、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」を実現するために、博報堂が渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」がスタートしたらしい。これは博報堂と三井物産が共同で進めるまちづくり構想で、テクノロジーが主役ではなく生活者が主役のスマートシティだそうだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

「渋谷エリアにおける暮らしをより良くしていくために、デジタルアプリサービスを通じて、生活者の声や応援を集めます。その声を、さまざまな都市サービスに反映させていくとともに、みんなの声を可視化することで、生活者共創によるまちづくりのモデルをつくっていきます。モビリティ、エネルギー、ワークプレイス、都市農園、スポーツなど、さまざまな都市サービスとの連携も予定しています。生活者が主体的に関わる創造的なまちづくりを通じて、次世代の持続可能なスマートシティモデルの実現を目指したいと思っています」(大家さん)

渋谷でできるgoodな体験のための「shibuya good pass」

「今回、私たちが開発したshibuya good passは、行政、企業、生活者が力を合わせてよりよい渋谷の街をつくっていくことを実現するサービスです。『みんなでつくる、goodな渋谷』がキーメッセージ。スマートフォンで利用できるデジタルサービスとして、2021年夏よりベータ版の提供を始め、すでにいくつかのプロジェクトがスタートしています」(大家さん)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

登録は無料で、会員になると渋谷で展開される活動やプロジェクトに参加したり応援したりできるほか、渋谷エリアでのさまざまな提携サービスを利用することができる。カフェのメニューを試したり、クーポンを利用できたり、「ありのママカフェ」というママたちの座談会や料理講座やピラティス教室などイベントに参加したりといったサービスが受けられる。

なかでも昨年実施された“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)は代表的なイベントだ。「ササハタハツ」とは、京王線笹塚駅・幡ヶ谷駅・初台駅のそれぞれ頭文字を採ったエリアのこと。エリア内にある、玉川上水旧水路緑道は、渋谷区の事業として再整備計画が進められている。再整備コンセプトは「FARM」。地域の人々で食と暮らしを楽しみ、こどもから大人、年齢や障がいの有無に関係なく、誰もが参加できる場所に生まれ変わろうとしている。その再整備コンセプトを体現する実験イベントが“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)だ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

農・食・コミュニティに関する社会課題や地域課題を解決するために、生産者直売マルシェ・体験イベント・ワークショップなどが企画された。注目すべきは「みんなの声”でつくるGOODなideaギャラリー」というテーマで、緑道沿いに渋谷の街に対する“みんなの声”が書かれたポスターを設置したこと。さらに当日来場した方たちの声として、これから再整備が進む緑道やこの町でやってみたいことを集めた。設置されたポスターのビジュアルはshibuya good passのInstagramにも連動していて、いいね!の数に応じて、近くのデジタルサイネージにも“みんなの声”が可視化された。

こういったカタチで、一般の人々の意見が行政やプロジェクトで届くのはわかりやすいし、オープンな意見交換の場にもなる。すでに「仮設FARM」を設置して一定期間利用してくれる人の募集も始まっている。今後どのように活用していくか、また住民自身がどのようにかかわっていくか、注目していきたいと思う。

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

新しい地域交通「shibuya good mobi」など、エネルギーやインフラからも考える

またイベント参加だけではなく、地域のエネルギーやインフラについても、一般の人が意見を出し、どのシステムを利用するか選択できるシステムを生み出している。

「三井物産のエネルギーソリューション本部は2020年4月に発足。グローバルな社会課題である気候変動問題の産業的解決をビジネス成長の機会と捉え、さまざまな事業領域において蓄積した知見、事業基盤、ならびに顧客・パートナー基盤を結集しました。三井物産ならではの複合的かつ機動的な取り組みで次世代領域における新事業創出にチャレンジしています」(寺西さん)

「good energy」は地球環境にやさしい再生可能エネルギーを地域で共同購入し、まちづくりに還元するサービスだ。電力の共同購入希望者が一定数集まったところで、新電力をはじめとする電力会社が参加のもと、一番安い電力供給者を決めるリバースオークションを行う。共同購買によって、電気代を安くするとともに、コストダウンが図れた部分の一部で地域の活動を援助することが出来る、
例えば、「シブヤ大学」(誰もが参加できる学び場づくり)、「TEN-SHIP アソシエーション」(高齢者の方々の困りごと支援)、「stride」(障害を抱える方々の就労支援)、「渋谷の遊びを考える会」(子どもたちの遊び場づくりを通じた子育て支援)などのNPO法人や一般社団法人、コミュニティ運営のために寄付されるといったことだ。地域コミュニティ単位での電力共同購入をサポートするリバースオークションのシステムも導入しており、多くの人が利用するほど安く利用できる可能性も高まる。

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

「shibuya good mobi」は、WILLERと連携した月額定額乗り放題で半径約2kmのエリア内を回遊できるモビリティサービスで、すでにサービスを開始している。
渋谷は比較的交通の利便性が高い街だが、エリア内を自由に回遊できるような移動サービスがなく、同サービスを利用することで行動範囲が広がったり、お子さんの送迎が快適になったり、自分時間が増えるなどライフスタイルが変わり、より生活が豊かになる。アプリで車両を呼び出すと、好きな時間に好きな目的地まで移動でき、月額定額料金のためおサイフを気にすることなく何度でも利用できる。同時にどのような人がどのようなニーズで移動しているかを継続的に把握できるため、そのニーズを汲み取って走行ルートやサービスが最適化していくこともできる。交通事業者から一方的に提供されるのではなく、地域に暮らす人々の共創によってブラッシュアップされていくモビリティサービスだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

どちらのサービスも提供されるだけでなく、自分が参加・利用することで地域に貢献できたり、自分の暮らしをより快適に変えていくことができる点が注目だ。

「shibuya good pass」がこれから目指すもの

現在の会員は女性が多く、特に30代40代が中心だそうだ。渋谷区はもともと住民の女性の割合が多い。2021年のデータで、男性が約11万716人、女性が11万9790人と、女性が9000人多い。それだけ女性に暮らしやすい環境が整っているかも知れない。現に私自身も都内での暮らしは渋谷が一番長くなった。今後、それがどのように発展していくかも見守りたい。

このほか、渋谷に住む人や通う人、働く人、事業者や行政など渋谷に関わるすべての人々が、好きなオフィスを、好きな時に、選んで使えるワークプレイスサービス「shibuya good place」など、約 10 カテゴリーの連携サービスの実証実験を開始。また市民参加型の活動として、市民の声をまちづくりや政策に反映させるためのオープンプラットフォーム「decidim」を活用した「shibuya good talk」の実証実験と、地域の企業活動・市民活動を応援するクラウドファンディングの取り組み「shibuya good idea fund」も開始している。

博報堂と三井物産は、こうしたアイデアをまず渋谷で実装し、その後は国内の複数の都市に展開する計画だそうだ。どんな都市でも、働く人、住む人、遊びに訪れる人や企業、行政がうまく連携を取れるようになるのはテーマの1つだろう。どんなに大規模な開発が進もうとも、そこには人間同士のコミュニケーションは必要だ。官民一体となった双方向のつながりが生まれることに期待したい。

●取材協力
shibuya good pass

災害時の大停電、切り札は「地域マイクログリッド」。電気の地産地消は進むか?

気候変動の影響で、災害が頻繁に発生しているなか、「地域マイクログリッド」が注目されています。これは「既設の送配電ネットワークを活用して電気を調達し、非常時にはネットワークから切り離して電気の自給自足をする柔軟な運用が可能なエネルギーシステム」(資源エネルギー庁「地域マイクログリッド構築のてびき」より)のことで、現在各地域に導入推進をしています。一体どのような仕組みなのか、資源エネルギー庁の担当者にお話を聞きました。

エネルギーは中央集権型から分散型へ

2018年の北海道胆振東部地震や2019年に発生した台風15号の被害により大規模停電被害が発生し、“インフラ断絶“が大きな課題になったことは、多くの人にとって記憶に新しいと思います。これは、エネルギーのシステムが中央集権型システムで、電気が一括供給されていることが原因でした。通常、電力は各地域の大手電力発電所で大量につくられ、そして送電線からその地域の施設や住宅に供給されます。この中央の送電システムが断絶すると、一気に全体のライフラインが絶たれてしまいます。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

そこで着目されたのが、リスク分散が期待できる分散型エネルギー。従来の大規模・集中型エネルギーとは違い、集中型エネルギーを使いつつも、各地域の特徴も踏まえ、小規模かつさまざまな方法や地域からの分散型エネルギーも上手に活用することで、「電力レジリエンス強化」をすることができるのです。「レジリエンス(resilience」とは、「弾力」「回復力」「強靭」といった意味で使われ、防災分野においては、災害発時にその影響を強くしなやかに乗り越え、速やかに回復できる状態を指しています。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

中央集権型から分散型への変化。多様な環境と供給方法に対応することができる(資料/資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会(第6回会合) 資料1」)

中央集権型から分散型への変化。多様な環境と供給方法に対応することができる(資料/資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会(第6回会合) 資料1」)

分散型エネルギーの好活用「地域マイクログリッド」

さらに分散型エネルギーは、地域のエネルギーをその地域で消費することによる省エネ効果を見込むことも。そのために国が推進しているのが「地域マイクログリッド」です。

「地域マイクログリッドは、平常時は下位系統の潮流を把握し、災害等による大規模停電時には自立して電力を供給できるエネルギーシステムです。平常時は地域の再生可能エネルギーを有効活用しつつ、電力会社などとつながっている送配電ネットワークを通じて電力供給を受けますが、非常時には事故復旧の一手段として送配電ネットワークから切り離され、その地域内の再生可能エネルギー電源をメインに、他の分散型エネルギーと組み合わせて自立的に電力供給可能なシステムです」(担当者)

このモデルは、都市部・郊外・離島では、送配電ネットワークの密集度や非常時に期待される役割がそれぞれ異なるため、対象エリアの特性に合わせ、その仕組みも最適化していきます。

経済産業省 資源エネルギー庁が2021年4月に公表した「地域マイクログリッド 構築のてびき」によると、地域におけるマイクログリッドのシステムモデル例が次のように示されています。

地域マイクログリッドの仕組み例。非常時に断絶されても、リスクヘッジできる仕組みになっている(資料/資源エネルギー庁「地域マイクログリッド 構築のてびき」)

地域マイクログリッドの仕組み例。非常時に断絶されても、リスクヘッジできる仕組みになっている(資料/資源エネルギー庁「地域マイクログリッド 構築のてびき」)

このモデル図では、平常時と非常時の電気の流れが異なることを示しています。非常時には大型の発電所との送配電ネットワークを切り離し、再エネ電源等から直接の送電を受けることで、生活復旧に必要最低限の電力が確保できるようになっているのです。

なぜ今マイクログリッドなのか?

なぜ今、マイクログリッドが注目されているのでしょうか? それはマイクログリッドによって「分散型電源」である再生可能エネルギーを効率よく活用できるからです。そもそも、電力はエネルギーの状態で貯めておくことはできない上に、送電の間にその一部が失われる「送電ロス」があります。電力を生み出すところと使うところが離れるほどそのロスは大きく、本来地域で電力を作って地域内で消費する分散型モデルの方が無駄なく使えるのです。近年、太陽光発電など再生可能エネルギーを普及させる取り組みが進み、分散型電源を活用しやすいマイクログリッドというエネルギーシステムが注目を集め始めました。そうしたなか、国は地域マイクログリッドの構築を後押しするために、補助事業も行っています。2018年度と2020年度には、それぞれ10組を超える民間企業や地方自治体などが参画したマスタープランが採択されました。これから徐々に取り入れようとしている企業や団体も増えてきているようです。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

地域マイクログリッドでプラン採択された団体は多くありますが、事業完成という実例はまだない状況です。一方で、自営線を活用する事例としては、宮城県大衡村の第二仙台北部中核工業団地にある『F-グリッド』(2015年開始)が挙げられます。

宮城県大衡村の、第二仙台北部中核工業団地にある「F-グリッド」(資料/経済産業省『地域マイクログリッド構築の手引き』)

宮城県仙台市大衡村の、第二仙台中核工業団地にある「F-グリッド」(資料/経済産業省『地域マイクログリッド構築の手引き』)

「F-グリッド」が導入された地域内では、日頃から蓄積しているエネルギーをF-グリッド内各工場へのエネルギー供給のみならず、余剰電力は東北電力を通じて近隣の地域防災拠点である大衡村役場などへ供給し、さらにはプラグインハイブリッド車と、充放電システムを拠点に配置をしているため、有事の際にすぐに災害支援活動ができる体制を備えています。

その一方で、「地域マイクログリッド」の構築には技術的にもクリアしなければならない点やビジネスモデルとして収益を確立することに課題点があり、これをクリアすることが普及の鍵となるようです。

あらゆる地域で安定稼働するまで、まだ少し時間がかかりそうですが、地域にこうした安心材料が一つでも増えると、市民にとってはとても嬉しいですね。

また補助事業とは別の制度を利用する形で、マイクログリッドの仕組みを導入している事例もあります。千葉県木更津市にある、広さ30ヘクタールの農場で食や農業体験ができるサステナブルファーム&パーク「クルックフィールズ」では、2021年2月に蓄電池システムを導入しました。「クルックフィールズ」では、2019年9月の台風15号による停電を経験して、長期停電時でも家畜のいる牛舎等への電力の安定供給や、地域住民の避難所として電力供給を自前で行えるようにしたいと思い導入に踏み切ったとのこと。自立したライフラインだけではなく、何かあったときには地域との人たちと助け合える、今後こうした施設は増えていきそうです。

太陽光発電設備を導入後に蓄電池施設も導入し、マイクログリッドの仕組みを作っている。(写真提供/クルックフィールズ)

太陽光発電設備を導入後に蓄電池施設も導入し、マイクログリッドの仕組みを作っている(写真提供/クルックフィールズ)

地域マイクログリッドによる期待と効果とは?

地域マイクログリッドは、対象エリアの分散型エネルギーを活用します。こうした分散型エネルギーの活用によって、災害時や非常時のレジリエンス強化だけではないメリットがあると期待されています。それは環境負荷削減と、エネルギーの高効率での地産地消ということです。地域マイクログリッドに取組むことそのものが地域に新たな産業振興をもたらす可能性もあります。エネルギー課題と街づくりを一体化して取組むことで、地域の活性化につながるかもしれません。
こうした災害や非常時に強い、そして自分たちだけで自立した暮らしを営むことができる街づくりというのは、生活する人としては安心感があり、住みやすいのではないでしょうか。今後住まいを選ぶ一つのキーワードとして、マイクログリッドを取り入れるエリアは、注目ポイントになりそうです!

●取材協力
・資源エネルギー庁
・(株)KURKKU FIELDS

コロナ禍のNYで高級物件ニーズ高まる!「4億円超アパート」に潜入 米国ニューヨークよりレポート

新型コロナウイルスによるパンデミックで、一時は冷え込んだニューヨーク(アメリカ)の不動産業界も、昨年春から再び以前のような活気が市場に戻ってきました。今、新築物件もどんどん建設されています。
そんななか、マンハッタンの高所得者が多く住むアッパーウエストサイド地区で建設が進められている新築物件をのぞいてみる機会がありました。ニューヨークの高級アパートメント(日本でいう高級マンション)での暮らしってどんな感じなのでしょうか?「4億円超」の新築物件を特別に内見させてもらいました 。

国内外から注目されている高級エリアの新規物件

高級エリアであるアッパーウェストサイド地区は、ニューヨークの中でも比較的治安が良いとされています。同地区は、コロンビア大学やアメリカ自然史博物館があるなど文化的施設に恵まれ、落ち着いた雰囲気です。

今回内見に来たブティックビルディング「212 West 93rd Street」は93丁目で現在建設が進められていて、最寄りの地下鉄駅から徒歩1分。セントラルパークやリバーサイドパークまで数ブロック。もし近くに住んだら毎朝早起きして、セントラルパークにジョギングや犬の散歩をしに行ってみたい、そんな想像が膨らみます。

また、近所には日本食レストランや人気スーパー、Trader Joe’sやWhole Foods Marketなどもあり、都心から地下鉄で15分と少し離れた落ち着い生活、楽しく充実したニューヨーク生活が送れそうです。

セントラルパークもすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

セントラルパークもすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

人気スーパーの、Trader Joe's(写真撮影/Kasumi Abe)

人気スーパーの、Trader Joe’s(写真撮影/Kasumi Abe)

最寄りの駅もすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

最寄りの駅もすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

「212 West 93rd Street」は14階建てで、中には20のコンドミニアム(20家族分の住居)があります。

ロビーには24時間ドアマンが常駐し、ペット可の物件です。犬や猫を飼っているニューヨーカーはとても多いので、大切なポイントでしょう。またほかにもこの物件の「あるポイント」が高く評価され、現在多くの問い合わせが国内外からきているということです。

(写真撮影/Kasumi Abe)

(写真撮影/Kasumi Abe)

コロナ禍で専用エレベーターや屋外テラスへの需要高まる

「コロナ禍を乗り切りパンデミックから何とか抜け出そうとしているニューヨークではこの数カ月、高級不動産物件の需要が非常に高まり、市場は再び活気に満ちています」と説明するのは、ヘンリー・ハーシュコウィッツさん。この物件の独占販売およびマーケティングエージェントをしている米大手不動産情報サイト「Compass」の不動産ブローカーです。

「物件購入者は新たな優先順位を設けて物件を探しています。この5階にある5Bのコンドミニアムのような、専用エレベーターや屋外テラスが完備した物件です」とハーシュコウィッツさん。これらはコロナ以前は「贅沢なプラスアルファ」だったのが、パンデミックで『必要なもの』という評価が付くようになったそうです。一時はロックダウンしたニューヨーク。感染拡大防止のため、密を避けソーシャルディスタンスが求められる中、そのようなプライベートが守られた自分専用のエレベーターや、テラス、バックヤードなど自分専用の「屋外スペース」の需要が高まっているとのことです。

さっそく、5Bの物件を見せてもらいました。

5Bは、2048スクエアフィート(約190平米)の面積に、4ベッドルーム(寝室)、3バスルーム(浴室とトイレ)、リビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む全8室が完備されています。

5Bの間取り(画像提供/212 West 93rd Street)

5Bの間取り(画像提供/212 West 93rd Street)

(写真撮影/Kasumi Abe)

(写真撮影/Kasumi Abe)

ロビーから専用エレベーターに乗ると、5階の5Bで止まりました。専用エレベーターと言えば、フロア直結のタイプや住居直結のタイプなどがありますが、この物件の5Bのタイプはエレベーターと居住スペースが直結していて、扉が開くと目の前に「ギャラリー」と呼ばれる、広くて長いスペースが広がります。壁にお気に入りのアートを飾ると、お招きしたゲストに鑑賞してもらいながら奥のリビングルームにご案内できる素敵なウェルカムスペースになりそうです。

お気に入りの絵を飾ったりアートを置いたりできそうなギャラリースペース(写真撮影/Kasumi Abe)

お気に入りの絵を飾ったりアートを置いたりできそうなギャラリースペース(写真撮影/Kasumi Abe)

リビング兼ダイニングルームや、それぞれのベッドルームは自然光で明るく、天井も高く広々とした印象です。大きなカウチやキングサイズのベッドを置いてもゆとりがあるスペースで、「おうち時間」をゆっくりくつろげそうです。

ビルの設計はODA、内装や家具、照明などのインテリアはGRADE New Yorkによるもの(※モデルルームのため、インテリアは販売物件についてきません)(写真撮影/Kasumi Abe)

ビルの設計はODA、内装や家具、照明などのインテリアはGRADE New Yorkによるもの(※モデルルームのため、インテリアは販売物件についてきません)(写真撮影/Kasumi Abe)

以下の写真が、コロナ禍で需要が伸びている、リビング兼ダイニングルームに隣接したテラススペースです。このビルの70%のコンドミニアムに、このような広々とした屋外テラスを完備されています。「中には、平均的なマンハッタンのスタジオアパートよりも広いテラスもありますよ」とハーシュコウィッツさん。

また、このような屋外テラス付き物件はマンハッタンではそれほど多くないということ。確かに街中を見て回っても、自分の住宅にテラスやベランダがあるのは「ほんの一部の特別な物件」ということがわかります 。

テラスだけで250スクエアフィート(約23.2平米)あり、大きなチェアやテーブルを     置いても十分ゆとりがあるほど(写真撮影/Kasumi Abe)

テラスだけで250スクエアフィート(約23.2平米)あり、大きなチェアやテーブルを置いても十分ゆとりがあるほど(写真撮影/Kasumi Abe)

向かいには高層ビルが立っていますが、大きな通りを挟んでいるのでご近所との圧迫感などは感じません(写真撮影/Kasumi Abe)

向かいには高層ビルが立っていますが、大きな通りを挟んでいるのでご近所との圧迫感などは感じません(写真撮影/Kasumi Abe)

5Bの気になるお値段ですが、販売価格は419万5000ドル(約4億8000万円超)。これに加えて3288ドル(約33万円)の共益費と3148ドル(約32万円)の税金が毎月かかります。共益費はドアマンや共有部の清掃、光熱費などで、この物件だけが特別なわけではなく、ニューヨークの高級物件を購入した場合は通常これくらいになります(支払い方法は、契約内容次第)。

ピンからキリまでさまざまな物件があるニューヨークでは数億円単位の物件は決して珍しくありませんが、その中でもこのビルは、(設備や周りの環境も含めた)物件自体の価値を総合的に判断すると、かなりラグジュアリーな物件と言えるでしょう。

また5Bの隣のユニット、5Aも同様に専用エレベーターがついています。

(写真撮影/Kasumi Abe)

(写真撮影/Kasumi Abe)

1562スクエアフィート(約145平米)の面積に、3ベッドルーム(寝室)、2.5バスルーム(浴室とトイレ)、リビングルーム、ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む全6室が完備されています。

5Aの購入価格は290万ドル(約3億3000万円超)。こちらの物件にも共益費と税金が毎月かかります。

5Aのベッドルーム(写真撮影/Kasumi Abe)

5Aのベッドルーム(写真撮影/Kasumi Abe)

バーベキューグリルも完備の眺望の良い屋上(完成予想図)。私だったらラップトップ(ノートパソコン)を持参し、マンハッタンの景色を見ながら執筆仕事をしたり、天気の良い日は日向ぼっこしたり、友人を招待してバーベキューパーティーをしたりしたいです(写真提供/212 West 93rd Street)

バーベキューグリルも完備の眺望の良い屋上(完成予想図)。私だったらラップトップ(ノートパソコン)を持参し、マンハッタンの景色を見ながら執筆仕事をしたり、天気の良い日は日向ぼっこしたり、友人を招待してバーベキューパーティーをしたりしたいです(写真提供/212 West 93rd Street)

そのほか、住民専用のスポーツジム、ビル自体にキッズルーム、ロッカーや倉庫スペースなども完備されています。ロビーなどの共有部分は2020年に工事がスタートし、今年の第1クオーター(1~3月)にすべての共有部分が完成予定です。

お問い合わせは、プライベートをより重視した人、中心地ではなく少し離れた落ち着いた環境をお求めになられている高所得者層の人(国内、国外)からあるようです。内見を終え、コロナ以降もこのようなプライベート空間が充実したアパートの需要が高まっていくと思いました。

■取材協力
212 West 93rd Street

※記事中の部屋情報
#5B – 212 West 93rd Street
$4,195,000 ↓
8 rooms, 4 beds3 baths約190平米

#5A – 212 West 93rd Street
$2,900,000 6 rooms, 3 beds2 baths, 1 half bath
約145平米

駅遠の土地が人気賃貸に! 住人が主役になる相続の公募アイデアって?

祖父がなくなり不動産を相続することになった相続人の安藤勝信さんは、納税のため所有する賃貸アパートの隣地を売却。土地を継承し、地域のために活用してくれる売却先をプロポーザルで公募し、結果もともとの賃貸アパートの住人と新たな住人が温かなコミュニティでつながる地域になった。現地で話を聞いた。

借りる人の希望を聞きながら建築する新スタイル「賃貸コーポラティブ」

最寄駅から徒歩30分、バス便の立地に2戸の一戸建てと11戸の長屋住宅から成る13戸の賃貸コーポラティブ区画が、2021年5月に東京都世田谷区に誕生した。

コーポラティブハウスとは、入居予定者が建設組合をつくり、主体となって建築する集合住宅のこと。通常は事業主が集合住宅の概要を計画し、購入予定者が区分所有部分のプランを建築士とつくりあげていく形態で、賃貸での例はほとんどない。

「賃貸なのだけど、持ち家のような不思議な感覚です」と話してくれたのは、ここの賃貸コーポラティブに住む川浪さん。一戸建ての室内は、デザインを仕事とする川浪さんのこだわりにあふれている。

(写真撮影/片山 貴博)

(写真撮影/片山 貴博)

玄関ドアを開けるとモルタル仕上げの土間、そこに大きなテーブルを置いて仕事用のスペースにしている。本棚も川浪さんのオーダー(写真撮影/片山 貴博)

玄関ドアを開けるとモルタル仕上げの土間、そこに大きなテーブルを置いて仕事用のスペースにしている。本棚も川浪さんのオーダー(写真撮影/片山 貴博)

「コロナ禍になって、できる限り自分にとって居心地の良い空間で過ごしたいと思うようになりました。でもこの変化の時代に、一生の選択をして家を持っても同じ場所に住み続けるかはわかりません。賃貸は気軽だけれど、空間の自由度が低くて限界があるし、事務所利用可能な住居物件自体がほとんどないんですよ。そんなとき、カスタマイズ可能な戸建て賃貸を見つけたんです」(川浪さん)

オーナーの田畑至誠(たばた・しじょう)さんが用意していた建物オプションは壁紙や床材の選択などだったが、「エアコンを埋め込んでもらったり、床はオプション外の少し特殊な素材でお願いしたり。できる限りの希望を聞いてもらえました」(川浪さん)
基本計画以上のコストアップは、入居者が負担することになっている。「工期の期限と躯体への影響がない範囲で、と限度があるとはいえ、一般的な賃貸では考えられないことです」と川浪さんは笑顔で話す。

夫妻とふたりの子どもとの4人家族。1階は仕事用スペースとキッチンダイニング、2階は居室(写真撮影/片山 貴博)

夫妻とふたりの子どもとの4人家族。1階は仕事用スペースとキッチンダイニング、2階は居室(写真撮影/片山 貴博)

賃貸にDIYとコミュニティを解放したら好循環が生まれた

この賃貸コーポラティブ区画の敷地一帯には、もともと賃貸アパートと駐車場があった。誕生するまでは、「奇跡のような出会いがあった」と祖父の土地の相続人だった安藤勝信(あんどう・かつのぶ)さん。賃貸コーポラティブの隣地の、賃貸アパートの経営者でもある。

安藤さんの祖父母は、世田谷区で都市農場と賃貸アパートを経営していた。
「祖父は賃貸アパートの入居募集に苦労していました。東京では駅から遠い物件は人気がなく、さらに古くなるごとに賃料を下げざるを得ない。下げても満室になるとは限りません」(安藤さん)
そんな状況を見かねて、賃貸アパートの経営を安藤さんが法人をつくって買い受けたのが8年ほど前。一度内装を取り壊し、入居者の希望を内装に反映する形で募集を開始したところ、あっという間に満室になった。
さらに、敷地でのBBQや家庭菜園、焚き火台を使った小さな焚き火といった住民の要望を叶えるうちにコミュニティも深まり、居心地のいい人気物件として生まれ変わらせることができたのだ。

住人共用の菜園(写真撮影/片山貴博)

住人共用の菜園(写真撮影/片山貴博)

「賃貸経営はよくクレーム産業と言われがちです。設備不具合のクレームや住民同士のトラブルにオーナーや管理会社が追われがちなのです。ですが本当は、少しだけお互いを知る機会があれば、生活音が『苦情』から『お疲れさま』に変わることもあるのではないでしょうか。
DIYもできますから、好きな壁紙を貼ればいいし、前の住人と好みが合えば新しい人にそのまま入居してもらうこともできる。前に住んでいた住人と次に住む住人が会うこともあります。募集して待っている立場から、入居者を探せるようになりました」(安藤さん)

相続発生。プロポーザルで売却後も土地の継承を図る

アパート経営から8年ほど経ち、祖父の相続を経験した安藤さん。アパートが建つ敷地の一部、駐車場部分を納税のために手放さざるを得なかった。
「土地は先祖から授かったものではなく未来から預かったもの。亡くなった祖父がよく言っていた言葉です。
アパートのコミュニティの延長でもある土地を、将来にも良い形でバトンを渡したい」と安藤さんが相談したのは、不動産コンサルタントの田中歩(たなかあゆみ)さん。購入希望者から土地利用についてプロポーザル(提案)を受けた上で、共感できる人に売却することを提案してくれたのだそう。

安藤さんは田中さんの伴走のもと「未来へのバトンプロポーザル説明会」を開催し、思いを共有してくれる売却先を探すこととなった。

未来へのバトンプロポーザル説明会(写真提供/安藤勝信)

未来へのバトンプロポーザル説明会(写真提供/安藤勝信)

開催場所は安藤さんが納税資金を借り入れた東京中央農業協同組合のホール。銀行勤務の経験がある田中さんが「通常、相続税は10カ月内に納めねばなりません。プロポーザルからの売却では間に合わないので、納税資金を借り入れる提案をしたんです。延滞税より金利が低いですから」と教えてくれた。
「農協は地域の事業を協同組合の立場で助けてくれる仲間です。とはいえ、担当の安藤也侑(あんどう・あつむ)さん(以降、也侑さん)が自分達に共感して頑張ってくれなかったら、この協同事業に行き着けなかったかもしれません。説明会から売却、融資返済までを上司に取り付けてくれたんですから」(安藤さん)

元の敷地図。左側の駐車場部分が説明会の対象だった(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

元の敷地図。左側の駐車場部分が説明会の対象だった(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

売却部分と所有部分を一体化。コミュニティが繋がる区画に

説明会には不動産会社や投資家など数十人が集まった。

その中でもうひとり、この土地の未来に熱くなる人物が現れた。分譲コーポラティブマンションの企画やコンサルティングに携わる藤田弘之(ふじた・ひろゆき)さんだ。
「同業者から説明会の情報を得て参加したのですが、説明を聞いてびっくり。自宅の近所で、なんと借りている駐車場の売却計画でした。駐車場がなくなると困る、という思いもあって計画にのめり込みました(笑)」

説明会は、一方的に安藤さんが説明するのではなく、参加者がアイデアを出し合うワークショップの体をなした。
借りる人の好みを反映する賃貸アパートの成功例を知り、地域コミュニティへの思いを聞いた藤田さんは「入居予定者と一緒に建物仕様を決めていく、コーポラティブの手法がぴったりだと思いました」と語る。
「当初想定されていた一戸建ての分譲ではなく、中長期でオーナーの思いを引き継ぎやすい賃貸にすべき、とも提案して採用されました。先にコミュニティが醸成されていたアパート部分との繋がりも大事にしたかった。そのため、以前から信頼していた不動産投資家の田畑さんに購入を持ちかけました」(藤田さん)

敷地配置は、右上のアパート敷地と一体で書き換えられた。A、Bの一戸建てとC1~D1までの長屋が新築された賃貸コーポラティブ。「道を通して区画全体に統一感を持たせたいと、そのために売却部分を変更してもらいました。借入先の農協の也侑さんは大変だったでしょうし、新オーナーの田畑さんの共感がなければ実現できませんでした」(藤田さん)(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

敷地配置は、右上のアパート敷地と一体で書き換えられた。A、Bの一戸建てとC1~D1までの長屋が新築された賃貸コーポラティブ。「道を通して区画全体に統一感を持たせたいと、そのために売却部分を変更してもらいました。借入先の農協の也侑さんは大変だったでしょうし、新オーナーの田畑さんの共感がなければ実現できませんでした」(藤田さん)(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

田畑さんは全国で不動産を運用している投資のプロフェッショナル。賃貸物件であれば利益のためコスト効率を重視するところだが、藤田さんから紹介された安藤さんのコミュニティ重視型の賃貸経営に深く共感した。

田畑さんが土地の購入を決め、入居募集を始めてみると多くの応募があった。田畑さんは、「初期費用がかかっても好きに住みたいというニーズ」「転職歴などでローンが組めない高収入層」「オフィスと自宅を賃貸住宅で併用したい個人事業者」の多さに改めて気付かされたという。

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

安藤さんが経営する賃貸アパート(右側)と田畑さんが新オーナーとなった賃貸コーポラティブD棟(左上)。小道と植栽の統一で区画に一体感が生まれている(写真撮影/片山 貴博)

安藤さんが経営する賃貸アパート(右側)と田畑さんが新オーナーとなった賃貸コーポラティブD棟(左上)。小道と植栽の統一で区画に一体感が生まれている(写真撮影/片山 貴博)

コーディネーターの立場からプロジェクトを担当したのは、渡邉友紀(わたなべ・ゆうき)さん。「用意していたオプションは限られたものでしたが、実際は分譲コーポラティブと同じようにこだわる人が多く、キッチンセットだけで100万円かけた人もいました」(渡邉さん)

賃貸コーポラティブの契約は、一般的な賃貸借契約と同様の2年で更新。原状回復については住戸ごとの仕様に合わせて入居者と話し合い、詳細に取り決めている。
「住みながらのDIYも原則自由です。こだわりがある入居者によるリフォームは、建物の劣化ではなく価値アップに繋がりますし。また、普通の賃貸にはないようなコミュニケーションが入居者とも生まれて、経営のモチベーションにもなっています」(田畑さん)

前列左から安藤さん(アパート経営者・土地の相続人)、川浪さん(入居者)、田畑さん(隣地新オーナー) 後列から也侑さん(農協)、田中さん(不動産コンサルタント)、渡邊さん(コーポラティブコーディネーター)、藤田さん(コーポラティブコンサルタント)(写真撮影/片山 貴博)

前列左から安藤さん(アパート経営者・土地の相続人)、川浪さん(入居者)、田畑さん(隣地新オーナー)
後列左から也侑さん(農協)、田中さん(不動産コンサルタント)、渡邊さん(コーポラティブコーディネーター)、藤田さん(コーポラティブコンサルタント)(写真撮影/片山 貴博)

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

「自分好みの家はとても快適。家族もこの家と環境にすっかり馴染んでいます。初期費用もかけているので、愛着も湧きますし、その分長く丁寧に住みたいと思うようになります」という川浪さんの言葉に、笑顔になった田畑さん。
「考え方の近い人と暮らせることで、監視しあうような緊張感が生まれにくくて、むしろお互いにより豊かになるようなアイデアを持ち寄れるようなオープンな雰囲気があります」(川浪さん)

「今回大変なこともありましたが、やってみて本当によかったです。このような形が今後どこかで、ゆっくり広まってくれたらいいなと思っています」(安藤さん)

自分に合う住まいで暮らすこと、隣人を大切にできること。この事例をヒントに、理想に叶う賃貸がもっと増えることを期待していきたい。

●取材協力
安藤勝信さん(株式会社アンディート)、田中歩さん(あゆみリアルティーサービス)、藤田弘之さん(トライク・コンサルティング)、田畑至誠さん(グレープEQ)、渡邉友紀さん(NENGO)、安藤也侑さん(東京中央農業協同組合)、川浪さん(入居者)

房総半島の小屋で二拠点生活。都会と地方を行き来する新しい生き方

新型コロナウイルスの影響で、働き方と住まいの関係が大きく変わる今、タイニーハウスなどの小屋暮らしや、時間とお金に余裕のある人しか実現できない絵空事ではなくなりつつあります。今回は、房総半島にある「シラハマ校舎」で二拠点生活を楽しむ2家族にインタビュー。等身大の二拠点生活に迫ります。

購入待ちは40組以上! 廃校跡地に建つ18棟の無印良品の小屋小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎があるのは、房総半島の先端、千葉県南房総市白浜町。東京都心からは車で2時間あまり、公共交通機関なら最寄駅から路線バスに30分ほど乗る必要があるためか、関東にありながらもどこか“秘境”、時間以上に遠方に来たような雰囲気が漂います。

シラハマ校舎は、廃校となった長尾小学校・幼稚園の敷地と建物をコンバージョン(用途変更)した施設で、18の小屋とレストラン(完全予約制)、シェアオフィス、コワーキングスペース、宿泊施設から成ります。事業がはじまったのは2016年ですが、小屋は2019年に完売し、現在は40組以上のウェイティングリストがある大人気物件です。

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋は「無地良品の小屋」として販売されているもので、複数戸が村のようにずらりと並ぶのは世界でもここだけ。建物は規格品に沿っていますが、ディスプレイや外観に少しずつオーナーの個性が現れるので、見ているだけでも楽しいもの。小屋の内部の広さは9平米で、大人がなんとか4人宿泊できるサイズ。バスやトイレ、キッチンは校舎のものを使用するので、建物は寝室・リビングとして役割を果たします。価格は1棟300万円ほどで、比較的短時間で来られること、密が避けられることといったことに加え、「小屋」で維持管理がかんたんであることなどに惹かれ、特にコロナ禍以降はひっきりなしに問い合わせが来ているといいます。

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

今回、取材させてもらった2家族は、「コンパクトでチャレンジしやすい」「メンテナンスもラク」という小屋にひかれて、二拠点生活をはじめたといいます。2家族が知り合ったきっかけはシラハマ校舎だったそうですが、今では会社の人以上に「顔を合わせている」というほどの仲良しに。では、実際にどんな使い方をしているのか、話を伺ってみましょう。

「小屋? ナニソレ?」からはじまった二拠点生活

小屋のオーナーである西岡ご夫妻は埼玉県在住で、二人の男の子とともに、週末や長期休みにこのシラハマ校舎で過ごしています。もともと夫が釣りやキャンプが好きだったことがきっかけで、小屋の購入を考えたそう。

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「子どもが小さいかったころ、いっしょに『おさるのジョージ』という米国のアニメを見ていたんです。主人公のおさると黄色い帽子のおじさんは、普段、都会で暮らしているんですが、週末や長期休みは田舎で過ごすんですね。自分はあれで二拠点生活のイメージをつかんで、楽しそうだなあと思っていたんです。その後、小屋の存在を知り、妻に相談したんですが、『小屋を買う』って言っても『え?何を言ってるの?』って、なかなか二拠点生活や小屋について理解が得られず……。確かに別荘とも違うし、キャンプとも違う。家はすでにあるし、イメージがつかみにくかったんだと思います。そこで、ここにいるときは、食事は自分がつくるという約束で購入しました(笑)」といいます。現在は月1回または、2週間に1回程度、週末、家族で過ごしているそう。

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「私はアクティブではないので、夫に連れられてきています。家事は夫がする約束ですが、やっぱりそれだけでは追いつかないので、実際は私もやっています。男の子はエネルギーの塊なので、ここで発散しています」と妻が言うとおり、5年生と3年生の兄弟は元気いっぱい、芝生の上を元気に走り回っています。

「お兄ちゃんは塾に通っていますが、小屋に行くという理由で、夏期講習や冬期講習は休んでいます。どうやらうちだけみたいなので、驚かれますね」と夫。現代の子育てでは、子どもたちを静かにさせるためにゲームや動画は欠かせませんが、こうした大人気のゲーム端末は持って行かず、スマートフォンで観る動画も必要最低限のみ。その代わり、親である夫が子どもたちと向き合い、全力で遊んでいるのが印象的です。とはいえ、全力で遊び過ぎてしまうため、この冬休み期間中は、一度、寝込んでしまったとか。

「この間、万歩計を見たら、一日2万歩を記録していました。だからそんな毎週末は来られません」と苦笑いしますが、やはり小屋があることが、「人生の楽しみ」につながっているそう。

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「敷地管理などをシラハマ校舎の管理人である多田さんにおまかせできるのは大きいです。荷物は常に置いておけるし、別荘ほど大きくないから、管理もラク。家族4人でテーマパークや旅行に行けば1回あたり10万~20万はあっという間。それを考えれば、建物の金額は高くないと感じています」と話します。一生のうち親子が一緒に過ごせる時間は案外、短いもの。都会とは違う場所があることで、子どもの可能性を伸ばし、また親もリフレッシュできるのかもしれません。

二拠点生活は暮らしの延長線。毎週通っているから親子で発見がある

藤田さん夫妻は、2020年に小屋を購入。西岡さん夫妻と同じく2人のお子さんがいる4人家族で、東京都在住。ほぼ毎週、シラハマ校舎に来ているといいます。

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「コロナ禍では長く過ごしたこともあり、今ではすっかり気心がしれた仲に。毎週水曜になると白浜の天気をチェックして、木曜になると西岡さんに連絡して(笑)、金曜日の夜9時に自宅を出発、夜11時ごろにここに到着するスケジュールでしょうか。土日はまるまるここで過ごしています」。旅行ではなく、あくまでも暮らしの延長線、自然なことだそう。夫婦交代で校舎内のコワーキングスペースで仕事をすることもあります。

「ここにいると他の小屋を利用している家族を含めた子ども同士で遊んでくれるから、気持ちの面でラクになります。ただ、その分、金曜日までは大忙し。子どもの習い事も予定も、ぎゅっと平日に詰め込んでいます。家事はテレワークだから平日でもできている部分もありましたが、最近は出社することも増えたので、正直、家事はまわっていません(笑)」と妻はあっけらかんと話します。西岡さんと同様、もともと夫妻ともにアウトドア好きで、小屋の購入を決断したそう。

「当初は購入を迷っていたんですけれど、小屋がどんどん売れてしまって、あと残り1棟ですって言われてあわてて申し込んだんです。その後、コロナの流行があって、強制的にテレワークになって……。ここがあってほんとに良かったなと思いました。家族みんなにとっての、息抜きの場所になっていますから」と夫が話します。

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「キャンプって、設営と撤収でけっこうな時間がかかるし、それから焚き火をして料理をするのは大変。用具の手入れや後片付けもある。この小屋だとその必要がなくて、来て布団を敷けばすぐに眠れるし、すぐ遊べる。理想のかたちでした」と妻は言います。さらに旅行との違いとして、いつもの場所に来る良さがある、と続けます。

「毎週、来ているので季節ごとの雲の形や海の色、緑の様子、波の様子など、変化に気がつけるし、親子で発見があるんです。それは通っている強みだなと思います」と妻。

「二拠点生活で良いのは、まったく異なる価値観に触れられることでしょうか。都会は効率よくて仕事もあって、情報や人も集まっていて、出会いや刺激がある。でも、白浜は漁師町ということもあり、地元の人はたくましくてちょっとあらっぽいところもある。この前なんて、『サラリーマンはいいよな、会社にいけばお給料がもらえるんだろ』って言われたり(笑)」。なるほど、都会と地方を行き来し、価値観がゆさぶられるというのは、貴重な体験といえるかもしれません。

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

海釣りのために船を共同購入!

さらに藤田さんと西岡さんは最近、共同で船を購入したのだとか!
「西岡さんの影響で海釣りにハマって、船を買おうかという話が持ち上がって、トントン拍子で購入しました。高いものではなくて、本当に漁船(笑)」(藤田さん)と楽しそう。

(写真提供/藤田さん)

(写真提供/藤田さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

いちばん好きな季節は夏。釣れないと子どもたちは海に潜ってしまうこともあるそう。たくましい……。

(写真提供/西岡さん)

(写真提供/西岡さん)

「二拠点生活の話を会社の人や友人に話すと、みんな『いいね』とか『私にはできない』っていうんですけど、そんなに難しくないです。やればできるし、やったら絶対楽しい(笑)。子どものためといいつつ、大人が人生を楽しまないと」と妻。

今後のシラハマ校舎は防災拠点としての活用も

実はシラハマ校舎は、2018年の台風によって停電する被害に遭いました。その経験も踏まえ、今後は隣の敷地にマイクログリッド・オフグリッドハウス(※送電網が「オフ」な状態、送電網につながらずともライフラインを維持できる住まいのこと)をつくり、防災拠点としての活用も見据えているそう。小屋と防災を組み合わせた新しい展開ですね。

コロナ禍では、おうちキャンプを楽しむ人が増えましたが、テントに入ると小さな空間が持つ豊かさに気づかされます。小屋はそんな小さな豊かさを体現した存在です。リフレッシュの場所として、地域交流の場所、防災の拠点として。日本人の暮らしになじむ小屋はまだまだ増えていくに違いありません。

●取材協力
シラハマ校舎
現在は新型コロナウイルスの影響もあり、建物内部は見学できません

コロナ禍で「小屋で二拠点生活」が人気! 廃校利用のシラハマ校舎に行ってみた 千葉県南房総市

新型コロナウイルスの影響で、働き方と住まいの関係が大きく変わる今、タイニーハウスなどの小屋暮らしや、時間とお金に余裕のある人しか実現できない絵空事ではなくなりつつあります。今回は、房総半島にある「シラハマ校舎」で二拠点生活を楽しむ2家族にインタビュー。等身大の二拠点生活に迫ります。

購入待ちは40組以上! 廃校跡地に建つ18棟の無印良品の小屋小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎があるのは、房総半島の先端、千葉県南房総市白浜町。東京都心からは車で2時間あまり、公共交通機関なら最寄駅から路線バスに30分ほど乗る必要があるためか、関東にありながらもどこか“秘境”、時間以上に遠方に来たような雰囲気が漂います。

シラハマ校舎は、廃校となった長尾小学校・幼稚園の敷地と建物をコンバージョン(用途変更)した施設で、18の小屋とレストラン(完全予約制)、シェアオフィス、コワーキングスペース、宿泊施設から成ります。事業がはじまったのは2016年ですが、小屋は2019年に完売し、現在は40組以上のウェイティングリストがある大人気物件です。

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋は「無地良品の小屋」として販売されているもので、複数戸が村のようにずらりと並ぶのは世界でもここだけ。建物は規格品に沿っていますが、ディスプレイや外観に少しずつオーナーの個性が現れるので、見ているだけでも楽しいもの。小屋の内部の広さは9平米で、大人がなんとか4人宿泊できるサイズ。バスやトイレ、キッチンは校舎のものを使用するので、建物は寝室・リビングとして役割を果たします。価格は1棟300万円ほどで、比較的短時間で来られること、密が避けられることといったことに加え、「小屋」で維持管理がかんたんであることなどに惹かれ、特にコロナ禍以降はひっきりなしに問い合わせが来ているといいます。

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

今回、取材させてもらった2家族は、「コンパクトでチャレンジしやすい」「メンテナンスもラク」という小屋にひかれて、二拠点生活をはじめたといいます。2家族が知り合ったきっかけはシラハマ校舎だったそうですが、今では会社の人以上に「顔を合わせている」というほどの仲良しに。では、実際にどんな使い方をしているのか、話を伺ってみましょう。

「小屋? ナニソレ?」からはじまった二拠点生活

小屋のオーナーである西岡ご夫妻は埼玉県在住で、二人の男の子とともに、週末や長期休みにこのシラハマ校舎で過ごしています。もともと夫が釣りやキャンプが好きだったことがきっかけで、小屋の購入を考えたそう。

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「子どもが小さいかったころ、いっしょに『おさるのジョージ』という米国のアニメを見ていたんです。主人公のおさると黄色い帽子のおじさんは、普段、都会で暮らしているんですが、週末や長期休みは田舎で過ごすんですね。自分はあれで二拠点生活のイメージをつかんで、楽しそうだなあと思っていたんです。その後、小屋の存在を知り、妻に相談したんですが、『小屋を買う』って言っても『え?何を言ってるの?』って、なかなか二拠点生活や小屋について理解が得られず……。確かに別荘とも違うし、キャンプとも違う。家はすでにあるし、イメージがつかみにくかったんだと思います。そこで、ここにいるときは、食事は自分がつくるという約束で購入しました(笑)」といいます。現在は月1回または、2週間に1回程度、週末、家族で過ごしているそう。

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「私はアクティブではないので、夫に連れられてきています。家事は夫がする約束ですが、やっぱりそれだけでは追いつかないので、実際は私もやっています。男の子はエネルギーの塊なので、ここで発散しています」と妻が言うとおり、5年生と3年生の兄弟は元気いっぱい、芝生の上を元気に走り回っています。

「お兄ちゃんは塾に通っていますが、小屋に行くという理由で、夏期講習や冬期講習は休んでいます。どうやらうちだけみたいなので、驚かれますね」と夫。現代の子育てでは、子どもたちを静かにさせるためにゲームや動画は欠かせませんが、こうした大人気のゲーム端末は持って行かず、スマートフォンで観る動画も必要最低限のみ。その代わり、親である夫が子どもたちと向き合い、全力で遊んでいるのが印象的です。とはいえ、全力で遊び過ぎてしまうため、この冬休み期間中は、一度、寝込んでしまったとか。

「この間、万歩計を見たら、一日2万歩を記録していました。だからそんな毎週末は来られません」と苦笑いしますが、やはり小屋があることが、「人生の楽しみ」につながっているそう。

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「敷地管理などをシラハマ校舎の管理人である多田さんにおまかせできるのは大きいです。荷物は常に置いておけるし、別荘ほど大きくないから、管理もラク。家族4人でテーマパークや旅行に行けば1回あたり10万~20万はあっという間。それを考えれば、建物の金額は高くないと感じています」と話します。一生のうち親子が一緒に過ごせる時間は案外、短いもの。都会とは違う場所があることで、子どもの可能性を伸ばし、また親もリフレッシュできるのかもしれません。

二拠点生活は暮らしの延長線。毎週通っているから親子で発見がある

藤田さん夫妻は、2020年に小屋を購入。西岡さん夫妻と同じく2人のお子さんがいる4人家族で、東京都在住。ほぼ毎週、シラハマ校舎に来ているといいます。

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「コロナ禍では長く過ごしたこともあり、今ではすっかり気心がしれた仲に。毎週水曜になると白浜の天気をチェックして、木曜になると西岡さんに連絡して(笑)、金曜日の夜9時に自宅を出発、夜11時ごろにここに到着するスケジュールでしょうか。土日はまるまるここで過ごしています」。旅行ではなく、あくまでも暮らしの延長線、自然なことだそう。夫婦交代で校舎内のコワーキングスペースで仕事をすることもあります。

「ここにいると他の小屋を利用している家族を含めた子ども同士で遊んでくれるから、気持ちの面でラクになります。ただ、その分、金曜日までは大忙し。子どもの習い事も予定も、ぎゅっと平日に詰め込んでいます。家事はテレワークだから平日でもできている部分もありましたが、最近は出社することも増えたので、正直、家事はまわっていません(笑)」と妻はあっけらかんと話します。西岡さんと同様、もともと夫妻ともにアウトドア好きで、小屋の購入を決断したそう。

「当初は購入を迷っていたんですけれど、小屋がどんどん売れてしまって、あと残り1棟ですって言われてあわてて申し込んだんです。その後、コロナの流行があって、強制的にテレワークになって……。ここがあってほんとに良かったなと思いました。家族みんなにとっての、息抜きの場所になっていますから」と夫が話します。

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「キャンプって、設営と撤収でけっこうな時間がかかるし、それから焚き火をして料理をするのは大変。用具の手入れや後片付けもある。この小屋だとその必要がなくて、来て布団を敷けばすぐに眠れるし、すぐ遊べる。理想のかたちでした」と妻は言います。さらに旅行との違いとして、いつもの場所に来る良さがある、と続けます。

「毎週、来ているので季節ごとの雲の形や海の色、緑の様子、波の様子など、変化に気がつけるし、親子で発見があるんです。それは通っている強みだなと思います」と妻。

「二拠点生活で良いのは、まったく異なる価値観に触れられることでしょうか。都会は効率よくて仕事もあって、情報や人も集まっていて、出会いや刺激がある。でも、白浜は漁師町ということもあり、地元の人はたくましくてちょっとあらっぽいところもある。この前なんて、『サラリーマンはいいよな、会社にいけばお給料がもらえるんだろ』って言われたり(笑)」。なるほど、都会と地方を行き来し、価値観がゆさぶられるというのは、貴重な体験といえるかもしれません。

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

海釣りのために船を共同購入!

さらに藤田さんと西岡さんは最近、共同で船を購入したのだとか!
「西岡さんの影響で海釣りにハマって、船を買おうかという話が持ち上がって、トントン拍子で購入しました。高いものではなくて、本当に漁船(笑)」(藤田さん)と楽しそう。

(写真提供/藤田さん)

(写真提供/藤田さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

いちばん好きな季節は夏。釣れないと子どもたちは海に潜ってしまうこともあるそう。たくましい……。

(写真提供/西岡さん)

(写真提供/西岡さん)

「二拠点生活の話を会社の人や友人に話すと、みんな『いいね』とか『私にはできない』っていうんですけど、そんなに難しくないです。やればできるし、やったら絶対楽しい(笑)。子どものためといいつつ、大人が人生を楽しまないと」と妻。

今後のシラハマ校舎は防災拠点としての活用も

実はシラハマ校舎は、2018年の台風によって停電する被害に遭いました。その経験も踏まえ、今後は隣の敷地にマイクログリッド・オフグリッドハウス(※送電網が「オフ」な状態、送電網につながらずともライフラインを維持できる住まいのこと)をつくり、防災拠点としての活用も見据えているそう。小屋と防災を組み合わせた新しい展開ですね。

コロナ禍では、おうちキャンプを楽しむ人が増えましたが、テントに入ると小さな空間が持つ豊かさに気づかされます。小屋はそんな小さな豊かさを体現した存在です。リフレッシュの場所として、地域交流の場所、防災の拠点として。日本人の暮らしになじむ小屋はまだまだ増えていくに違いありません。

●取材協力
シラハマ校舎
現在は新型コロナウイルスの影響もあり、建物内部は見学できません

管理費が急に値上げ! 都心マンションの「駐車場」が抱える根深い問題

多くのマンションは駐車場を所有し、使用者が使用料を負担する仕組みにしていますが、空いているケースも見られます。駐車場からの収益は管理費に充当することが望ましいとされており、空きがでることで、管理組合の収入が減り、管理費の値上げを迫られることも。「マンション・バリューアップ・アワード2020」受賞事例の中から、駐車場の収益改善で、管理費の値上げを阻止した成功事例を紹介します。

車所有者が年々減少。駐車場の空き問題が管理組合の財政を圧迫

公共交通機関が充実し、カーシェアリングの普及が進む都市部のマンションでは、車を所有する人が減少し、マンションの駐車場の契約者が減る傾向があり、駐車場使用料の収入減につながっています。さらに、機械式駐車場などメンテナンスコストや修繕費が計画当初よりも値上がりすれば、想定外の経費が増えることに。管理組合の財政を圧迫し、管理費の値上げを迫られる場合があるのです。

空き駐車場問題に直面したマンションの管理会社は、様々なノウハウを活かし、駐車場の維持管理費の削減や使用料金の収益改善の提案をしています。「住み心地の向上」や「建物の適切な維持・管理」の優れた事例やアイデアを募集する「マンション・バリューアップ・アワード2020」(マンション管理業協会開催)を受賞した管理会社に、経緯と成功のポイントを聞きました。

タワーマンションの空き駐車場問題を、区画改修で改善

財政部門(組合財政の健全化)の部門賞を受賞したのが、住友不動産建物サービスが管理している東京都港区のタワーマンション「ワールドシティタワーズ」の事例です。4年前より「ワールドシティタワーズ」の担当になった営業所長の友光学さんは、着任早々さまざまな課題に直面しました。

「消費税増税による支出増加や人件費の高騰などで管理組合の支出が大幅に上がってしまい、このままいけば、管理費の値上げは避けられない状況でした。管理費を上げずにいかに諸問題に対応できるか、2017年1月頃からさまざまな検討をはじめました」(友光さん)

総戸数2000戸を超える「ワールドシティタワーズ」(画像提供/住友不動産建物サービス)

総戸数2000戸を超える「ワールドシティタワーズ」(画像提供/住友不動産建物サービス)

マンションの駐車場の空き問題は管理組合の収入減に直結するため、理事会の悩みの種になっている(画像提供/住友不動産建物サービス)

マンションの駐車場の空き問題は管理組合の収入減に直結するため、理事会の悩みの種になっている(画像提供/住友不動産建物サービス)

助成金や補助金を活用し、共用部分の照明のLED化やテレビブースターなど共聴設備更新工事などの経費削減を進めながら、倉庫を賃貸化して収入を得たり、資源ごみの買取りによる収益改善策を講じました。さまざま検討を重ねるなかで、着目したのが、駐車場の待機者リストでした。

「1302台の駐車場区画には平置きと機械式駐車場があります。機械式駐車場には、車高、車幅、車長の異なる様々なタイプのパレット(1台分の駐車スペース)がありました。そのなかに人気のあるパレットと人気のないパレットがあることに気づきました。平置き及び特大駐車場は満車で、1台目の待機者が36名もいることに着目。人気なのは、車幅1950cmの大きな外車が入れられるパレット。人気のないパレットをつぶして人気のあるサイズにできないか。そこから、駐車場の区画改修の検討が始まりました」(友光さん)

機械式駐車場のメーカー、住友不動産建物サービスの技術担当者と何度も打合せを重ねた結果、設備的な問題点をクリアし、1つの駐車場の設備あたり5000万円の改修費用が発生する見積りが出ました。

「待機者リストには2種類ありました。現在、マンションの敷地外に借りている人で一台目を駐車するため待っている人、マンションの駐車場を借りてはいるが、大きなパレットに移動したい人です。マンションの駐車場を借りてくれれば、その分が管理組合の収入増になります。その場合の使用料を計算すると、5000万円が8年位で回収できると試算。管理組合にメリットがあると判断し、理事会に提案しました」(友光さん)

理事会はすぐに提案を承認し、駐車場の区画改修プロジェクトが開始しました。

友光さんは、2年前から担当に加わった岩佐淳史さんと協力しながら、コツコツとデータを集め、わかりやすいプレゼン資料を作成。居住者のメリットが伝わり、総会ではスムーズに可決されました。プロジェクト開始前の検討期間を入れると、工事完了までに3年がかかりましたが、1302台のうち元々321台あった空きを、改修後は、201台の空きに減らすことができたのです。

「年間約1600万円の駐車場使用料の増収が見込まれています。改修工事だけで120台減ったとは言えませんが、空き問題を解決するだけでなく、待機者のニーズを満たせて、居住者の利便性向上にもつながったと思います」(友光さん)

管理会社の経験を信頼して、一緒にマンションの資産価値を守る

今回の事例が成功した背景のひとつとして、友光さんは、4年前からはじまった住友不動産建物サービスの「現場密着型の管理」を挙げます。

「担当者は基本的にマンションに常駐するようになり、居住者の方と近い感覚を持てるようになりました。雑談のなかで、マンションの困りごとを直接聞けるようになったんです。理事会との関係性も格段に良くなりました。今まで引き出せなかった問題を知ることで、会社にストックされたノウハウや個人の経験から改善策が導かれていく。良い循環が生まれるようになりました」(友光さん)

友光さんと岩佐さん。「マンション・バリューアップ・アワード2020」受賞で、「居住者からの感謝の言葉が何よりうれしかった」と言う(画像提供/住友不動産建物サービス)

友光さんと岩佐さん。「マンション・バリューアップ・アワード2020」受賞で、「居住者からの感謝の言葉が何よりうれしかった」と言う(画像提供/住友不動産建物サービス)

契約者が年々減少。機械式駐車場の平面化で解決

駐車場の空き区画問題の解決策のひとつとして、「平面化工事」があります。平面化工事とは、機械式駐車場を砕石等で埋め戻し、アスファルト舗装等で仕上げをしたり、機械式駐車場を撤去したあとに鋼板スラブを設置する工事のこと。機械式駐車場の利用者の減少に合わせて台数を減らすことができ、メンテナンスコストや修繕費用を削減する目的で行われています。

大和ライフネクストが管理する総戸数42戸の大阪市内のマンションは、「平面化工事」の成功事例として、「マンション・バリューアップ・アワード2020」財政部門で佳作を受賞しました。担当したマンション事業本部の竹ノ下巧さんに平面化に至るまでの経緯を聞きました。

当時、築24年を迎えたマンションは、年々駐車場の空き区画が増えている状況でした。そして、2020年4月に、ある所有者が複数の駐車場区画を全て解約したため、駐車場35区画のうち空きが14区画に。マンションの収入が著しく減少する事態になりました。

「解約の書面を受け取ってすぐに、理事会に報告し、管理費を値上げするか、それとも他の方法があるのか検討しました。実は、マンションは、その前年に、修繕積立金の改定を行ったばかり。さらに、管理費を上げるのは居住者の理解を得られないと思い、何とかしなければという気持ちでした」(竹ノ下さん)

駐車場を借りたい方がいない状況を受けて提案したのが、機械式駐車場の平面化です。マンション所有の二段式機械式駐車場のうち一部を平面化することで、無駄な区画を削減し、機械式駐車場の維持費用の削減を試みました。

駐車場の解約による収入減は、約60万~75万円/月で、その分が管理費の値上げになってしまいます。理事会に提案したのは、35台分ある機械式駐車場の一部18台を800万円の工事費用をかけて埋め戻し、平置き駐車場9台に改修するというもの。その結果、機械式駐車場の維持メンテナンス費用を40%ほど削減できる計算です。

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大和ライフネクストの事例では、2段式駐車場の一部である18台を平面駐車場9台に変更した。写真と本文とは関係ありません(PIXTA)

大和ライフネクストの事例では、2段式駐車場の一部である18台を平面駐車場9台に変更した。写真と本文とは関係ありません(PIXTA)

プロジェクトが始まり、竹ノ下さんは、大和ライフネクストの工事部と相談しながら提案資料を作成。保守費用、機器類交換、撤去・平面化の費用など今後30年間のシミュレーション等をつくりました。

そして、埋め戻しをするスペースの契約者で改修後は場所を移動する予定の居住者の家を訪ね、一人一人に説明。さらに、総会の前に住民アンケートを実施しました。このままでは、管理費の値上げになること、そのために、800万円を使って改修工事をすることについて賛否を問うことに。結果は8割が賛成でどちらともいえないが2割。反対者はいませんでした。埋め戻しと料金改定の2つの軸をしっかり切り分けた提案が理解され、事前説明のかいもあって、1回の総会で無事可決。工事までにかかった期間は約1年でした。

2021年に実施された改修工事により、将来見込まれていた機械式駐車場のメンテナンス費用が減り、金額にして今後30年間で約3000万円のコスト削減ができました。8年ほどで800万円の工事費用を回収でき、修繕積立金の負担が約2200万円軽減されることとなったため、管理費値上げ分とほぼ相殺できました。

竹ノ下さん。いちばん苦労した点は、「総会をスムーズに通すための下準備」。居住者の不安を解消する提案を心がけた(画像提供/大和ライフネクスト)

竹ノ下さん。いちばん苦労した点は、「総会をスムーズに通すための下準備」。居住者の不安を解消する提案を心がけた(画像提供/大和ライフネクスト)

管理組合、管理会社両方にメリットがある提案を常に探る

経営企画室の金坂将史さんは、機械式駐車場そのものが悪ではなく、時代のトレンドにあった収益改善・経費削減が必要と言います。

「そもそも40年前は、平置き駐車場が多かったんです。その後普及した機械式駐車場は、狭いスペースでも数を確保でき収益が出る計算で取り入れられた商品でした。しかし、時代が変わり、住民の高齢化や社会的な車離れによって、駐車場利用者が減り、空き駐車場に悩むマンションが増えてきました。大和ライフネクストが管理している全国のマンションでも5年ほど前から平面化の波が来ています。更新工事は、長期修繕計画に入っていますが、平面化はそこにないイレギュラーな工事。建物担当が注目していないとできない提案です」(金坂さん)

大和ライフネクストでは、2021年10月に空き駐車場課題解決に特化した組織を立ち上げ、11月より「駐車場診断」「駐車場サブリース」のサービス提供を開始しました。大和ライフネクスト管理受託マンションを中心に、管理受託外マンションやビル等建物の駐車場にも対応しています。

「収益化をやりたいという声は居住者からはなかなか出ないので、管理費の改善をするなかで、提案することが多いですね。経費削減や収益が上がる提案をしないと管理会社として生き残っていけないと考えています。管理組合、管理会社双方にメリットがあり、管理組合にとってリスクの少ない提案が、他社との差別化にもつながります」(金坂さん)

管理組合が抱える空き駐車場問題に、管理会社は、マンション管理のプロとして挑んでいました。管理組合と管理会社が垣根を越えて、お互いをパートナーとして信頼できれば、様々な問題の解決が早まりそうです。あなたのマンションでも、もしかしたらここ何年かで駐車場利用率に変化が起きているかもしれません。着目し話し合ってみてはどうでしょうか。

●取材協力
・住友不動産建物サービス株式会社
・大和ライフネクスト株式会社
●参考
マンションバリューアップアワード(一般社団法人マンション管理業協会)

明治大学(和泉キャンパス)学生の一人暮らしにオススメの街2022年! 家賃相場ランキングも

新年度が始まる4月に合わせて、そろそろ引越しを考えている人も増える時期。進学を機に大学の近くで一人暮らしを始める予定の学生もいるだろう。そんな新入生や、これから入学を目指す人の参考になるように、今回は明治大学 和泉(いずみ)キャンパスの最寄駅である明大前駅にアクセスしやすく、家賃相場が安い駅を調査。さらに不動産会社の方がおすすめする、和泉キャンパスに通う学生が住む街もご紹介していきたい。

明大前駅まで電車で15分以内の家賃相場が安い駅TOP15(17駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 調布 6.40万円(京王線/東京都調布市/12分/0回)
2位 三鷹台 6.50万円(京王井の頭線/東京都三鷹市/13分/0回)
2位 久我山 6.50万円(京王井の頭線/東京都杉並区/9分/0回)
4位 仙川 6.55万円(京王線/東京都調布市/11分/0回)
5位 富士見ケ丘 6.60万円(京王井の頭線/東京都杉並区/9分/0回)
6位 つつじケ丘 6.70万円(京王線/東京都調布市/12分/0回)
7位 成城学園前 6.90万円(小田急小田原線/東京都世田谷区/15分/1回)
8位 松原 6.97万円(東急世田谷線/東京都世田谷区/8分/1回)
9位 井の頭公園 7.00万円(京王井の頭線/東京都三鷹市/15分/0回)
9位 永福町 7.00万円(京王井の頭線/東京都杉並区/2分/0回)
11位 下高井戸 7.10万円(京王線/東京都世田谷区/1分/0回)
11位 千歳烏山 7.10万円(京王線/東京都世田谷区/7分/0回)
11位 西永福 7.10万円(京王井の頭線/東京都杉並区/4分/0回)
14位 経堂 7.20万円(小田急小田原線/東京都世田谷区/13分/1回)
15位 宮の坂 7.30万円(東急世田谷線/東京都世田谷区/12分/1回)
15位 桜上水 7.30万円(京王線/東京都世田谷区/2分/0回)
15位 高井戸 7.30万円(京王井の頭線/東京都杉並区/8分/0回)

「ハウスメイトショップ渋谷店」店長の山本泰史さんおすすめの駅
ランク外 明大前駅 7.80万円(京王線/東京都世田谷区/0分/0回)
ランク外 千歳烏山駅 7.10万円(京王線/東京都世田谷区/10分/1回)
ランク外 下北沢駅 8.40万円(京王線/東京都世田谷区/1分/0回)

大学名を冠した「明大前駅」周辺は生活する街としても魅力的

東京都内を中心に、4キャンパス・10学部を抱える明治大学。なかでも東京都杉並区にある和泉キャンパスは、主に法学部や商学部といった文系学部の1・2年生が通っている。大学から徒歩5分ほどの最寄駅はその名も「明大前駅」。明治大学予科(当時)が移転してきたのを機に1935年から、この駅名になったのだとか。

明大前駅(写真/PIXTA)

明大前駅(写真/PIXTA)

明大前駅は新宿駅まで京王線の特急で1駅・最短約5分、渋谷駅まで京王井の頭線の急行で2駅・最短約6分という好立地。2022年春のダイヤ改正により京王線特急の停車駅が増えて明大前駅から新宿駅まで2駅になるものの、便利さほど変わらない。駅ビル「フレンテ明大前」が併設され、スーパーや書店、飲食店などがある点も魅力の一つだ。駅周辺は細い路地に沿ってコンビニや100円ショップ、ファストフード店やラーメン店といったリーズナブルな飲食店が建ち並び、学生にも愛用されている。大型の商業施設はなく、駅前から少し離れると住宅街。また、明治大学以外にも日本女子体育大学の付属高校など学校が点在しており、通学時間帯の駅周辺は学生の姿でにぎわっている。

明大前駅周辺で住まい探しをする学生は実際に多く、「ハウスメイトショップ渋谷店」店長の山本泰史さんもイチオシだそう。

「大学生の住まい探しは、キャンパスまでドア・トゥ・ドアで30分以内、もしくは電車で2~3駅圏内がおすすめ。近年は自転車でも通える距離内でお探しになる方が増えています。また、住む街を選ぶ際はアルバイトや部活動など、授業以外の利便性も考慮したいところ。その点、明大前駅は渋谷駅や新宿駅に乗り換えなしでアクセスできて非常に便利。駅前商店街に飲食店も多く、コンパクトながら生活に必要な施設はそろっています」

そんな明大前駅から徒歩15分圏内にある、シングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。以下同)の家賃相場は7万8000円。便利な街だけあって、学生の一人暮らしにとって安くはない。もう少し家賃相場がお手ごろで魅力的な街として山本さんがおすすめしてくれたのが、今回調査したランキングの11位にも入っている京王線・千歳烏山駅だ。

千歳烏山駅(写真/PIXTA)

千歳烏山駅(写真/PIXTA)

家賃相場は明大前駅より7000円低い7万1000円となっており、「家賃を抑えたい方におすすめです」とのこと。「風情あふれる商店街があり、ドラッグストアや定食屋さんなど日常使いできる店が多数、建ち並んでいます。また、家具や工具を買いたい場合はホームセンターが隣駅の仙川にありますので、カーシェアなどを利用すれば20分程度で行くことが可能です」と山本さん。千歳烏山駅から明大前駅までは、京王線の準特急で1駅・約7分。先ほど述べた2022年春のダイヤ改正で準特急は廃止されるが、特急の停車駅として新たに加わり明大前駅から1駅で行ける点は同様だ。駅前には韓国発のフライドチキン専門店や家系ラーメン店といった若者に人気の飲食店や、昭和レトロな喫茶店、行列のできるベーカリーもある点も魅力だろう。

明大前駅まで乗り換えなし&15分以内の駅でも家賃相場は1万円以上も下がる

続いてランキング上位になった駅も見ていこう。明大前駅まで電車で15分圏内にある、家賃相場が最も安かった駅は京王線・調布駅。家賃相場は6万4000円で、明大前駅より1万4000円も下がる。調布駅は明大前駅と同様に、各駅停車から特急まですべての列車が停車する京王線を代表する駅の一つで、準特急や特急に乗れば約12分で明大前駅に到着する。

調布駅前(写真/PIXTA)

調布駅前(写真/PIXTA)

駅のホームは地下にあり、地上部分には2017年にオープンした駅ビル「トリエ京王調布」が建っている。3館に分かれたこの商業施設には、ファッション店や食品フロア、レストラン、家電量販店に映画館までそろい、日々の買い物から休日の息抜きにまでお役立ち。ほかにも駅周辺には「調布パルコ」をはじめ商業施設が充実し、大いににぎわっている。調布は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげる氏ゆかりの地でもあり、駅北側の「布多天神社」の参道に連なる「天神通り商店会」には鬼太郎や妖怪たちのモニュメントが点在している点も注目だ。

2位は京王井の頭線・三鷹台駅で家賃相場は6万5000円。明大前駅までは各駅停車で7駅・約13分で行けるほか、若者にも人気の街・吉祥寺駅に2駅・約3分で到着する。駅周辺は線路と沿うように神田川が流れており、川の北側にあるドラッグストアとコンビニの先には立教女学院の敷地と住宅地が広がる。商店が多いのは川と線路の南側。スーパーやコンビニのほか、三鷹台駅前通り沿いの商店街を中心にラーメン店や宅配ピザなどの飲食店も点在している。1駅隣には9位・井の頭公園駅があり、駅名通りに緑豊かな井の頭恩賜公園の最寄り駅なので電車や自転車で足を延ばしてもいいだろう。

三鷹台駅前周辺(写真/PIXTA)

三鷹台駅前周辺(写真/PIXTA)

京王井の頭線・久我山駅も、三鷹台駅と同じ家賃相場6万5000円で2位にランクイン。三鷹台駅から井の頭公園駅とは逆方向、明大前・渋谷方面に1駅進むと久我山駅に到着する。駅舎と一体になったビルには朝から営業しているベーカリーやファミレス、書店があるほか、駅の北側と南側それぞれにスーパーやドラッグストア、コンビニも備わっている。気軽に利用できる持ち帰り弁当店やコーヒーショップにラーメン店、居酒屋もあり、食事には困らないだろう。三鷹台駅前を流れる神田川は久我山駅前にも続いており、川沿いには緑地や「都立高井戸公園」「宮下橋公園」などほっと寛げる場所もある。

流行に敏感な人には、新スポット目白押しの下北沢駅も要チェック!

さて、明治大学の学生が住む街として前出の山本さんはもう1駅、おすすめしてくれた。それは京王井の頭線・下北沢駅。

「バンド、サブカル、古着の聖地。駅前商店街はいつも20代の若者でにぎわっており、学生さんにとても人気がある街です。そのぶん少々、家賃は高いですが……」と話す山本さん。家賃相場を調べてみると8万4000円で、明大前駅よりもアップしてしまう点は確かにネックかもしれない。しかし明大前駅までは京王井の頭線の各駅停車で3駅・約3分、そして渋谷駅までは急行で1駅・約4分、各駅停車でも4駅・7~8分。小田急線も乗り入れているので、通勤急行や快速急行に乗って2駅・約9分で新宿駅にも出られるアクセスのよさが魅力的。

「reload」(写真撮影/相馬ミナ)

「reload」(写真撮影/相馬ミナ)

「BONUS TRACK」(写真撮影/相馬ミナ)

「BONUS TRACK」(写真撮影/相馬ミナ)

下北沢の街自体も山本さんがおすすめするように若者に人気があり、わざわざ遠方から遊びに来る人も少なくない。小田急線の地下化により生まれた線路跡地の開発が進められ、2020年4月には飲食店や物販店、コワーキングスペースなどが立ち並ぶカルチャー発信地「ボーナストラック」ができたほか、2021年6月~9月には下北沢駅と東北沢駅の中間エリアに商業空間「reload(リ・ロード)」や都市型ホテル「MUSTARD HOTEL SHIMOKITAZAWA(マスタードホテル 下北沢)」、エンタメカフェ「ADRIFT(アドリフト)」が相次いで誕生。この線路跡地一帯「下北線路街」では2022年1月にもミニシアターや宿を備えた商業施設が開業予定なので、今後はますます下北沢の注目度が高まりそうだ。話題の施設が集まる刺激的な街で暮らしてプライベートを充実させたい人に、下北沢はうってつけかもしれない。

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下北沢は開発でどう変貌した? 全長1.7km「下北線路街」がすごかった!

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている明大前駅まで15分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/8~2021/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年10月1日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

パリの暮らしとインテリア[11] 内装建築家が郊外の集合住宅をエコリノベーション

内装建築家のカミーユ・トレルさんは、エコ建築が専門です。1年半前に購入したフランスのパリ郊外にある住まいを訪ねると、得意のエコ建築でフルリノベーションを行っている真っ最中でした。ここにパートナーと17歳の長女、6歳の長男と、家族4人で暮らしています。そしてもうすぐ5人に! なぜ郊外なのか、そしてなぜエコ建築なのか? 魅力を探りました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

緑の多い環境と広々とした住まいを求めて、郊外へ

遠くヴェルサイユの森からビエーヴル川が流れ、そのほとりに木々が連なる静かな街、ヴェリエール・ル・ブイソン。ここはかつてフランス国王の狩猟のための森でした。緑豊かな環境は今も守られ、保存の行き届いた石畳の市内は、古いフランス映画のような可愛らしさがあります。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

内装建築家のカミーユさんは1年半前、この街の中心部にある集合住宅の2階を購入し、引越してきました。子どもたちが通うシュタイナーの学校があること、そしてパートナーの前妻が住む街なので家族みんなが近くに暮らせることが、決断の理由でした。もちろん、緑の多い環境であることも。

築年数約200年の集合住宅2階とその上の屋根裏部分が、カミーユさんの住まい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

築年数約200年の集合住宅2階とその上の屋根裏部分が、カミーユさんの住まい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どもたちが通うシュタイナー学校(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どもたちが通うシュタイナー学校(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「子どものころは、セーヌ川で船上生活をしていました。父が選んだ船暮らしでしたが、自然を身近に感じられる毎日が私は本当に好きで。当時の経験が今も大きく私に影響を与えていると感じます」と、カミーユさん。
実は、この住まいに引越す前も、パリ郊外に暮らしていたといいます。そのくらい緑豊かな環境は、カミーユさんにとって不可欠なのです。
「パリへのアクセスが便利な郊外は、美術館や文化施設など都市の豊かさを享受できます。それでいてパリ暮らしよりもずっと静かで、ずっと広い住まいに暮らせるのですから、コロナ禍の外出制限を機にパリ市民が大勢引越してきたというのも頷けます」

グラン・パリ構想が着々と実現される郊外エリア。住み心地は?

2016年 、パリ市とその周辺の131の市町村を1つの大都市とする「メトロポーム・デュ・グラン・パリ」が発足しました。現在、周辺地域を結ぶメトロ「グラン・パリ・エクスプレス」の建設工事が進んでいます。カミーユさんが暮らすヴェリエール・ル・ブイソンにも、メトロ18線(注:現在パリには14の路線が存在する)の駅が建設される予定です。今の所、パリへ出るには車か列車で約30分の道中になりますが、メトロ18線が登場すれば移動はぐっと楽になるでしょう。この街に引越してくるパリジャン・パリジェンヌも、よりいっそう増えそうです。

グラン・パリ開発が進む街の一つ、クレムラン・ビセトルに建設予定の集合住宅。MEFエドワー・フランソワ建築事務所が手掛ける(MEF - Kremlin bicetre)

グラン・パリ開発が進む街の一つ、クレムラン・ビセトルに建設予定の集合住宅。MEFエドワー・フランソワ建築事務所が手掛ける(MEF – Kremlin bicetre)

「グラン・パリに関しては、個人的に良い面と悪い面があると考えています。良い面は、郊外が近くなることで、より多くの人々が緑豊かな環境の広い住まいに暮らせるようになることです。コロナ禍を体験し、多くの人が暮らしの質を考え直した今、これは本当に歓迎すべきことだと思います。悪い面は、石造りの建物が取り壊されてビルに変わってしまうこと。まだあと100年は使える住居を壊すなど誰も望んでいませんし、私も同じ考えですから」
カミーユさんの心は複雑ですが、オルリー空港からも近いヴェリエール・ル・ブイソンが、今後注目の高まる街であることは間違いありません。

エコ建築は、今を生きる自分たちのため。そして将来の環境のため。

集合住宅の2階を購入し、その後屋根裏も買い足して、築年数約200年の物件を得意のエコ建築でリノベーションしているカミーユさん。カミーユさんにとってエコ建築は、環境を考慮した持続可能なアプローチで住まいやオフィスをリノベートすること。例えば、フランスのエコ認証の付いたペンキを選ぶことはもちろんですし、その認証が信頼できるものであるかどうかを調べることにも手を抜きません。また、エコ認証のないものでも、例えば無垢材の木の中古家具を採用することは、環境インパクトを最小限に抑えるという意味で持続可能なアプローチであり、エコであると捉えています。

玄関を入ったフロアに広々としたリビングとキッチンがあり、さらにシャワー、トイレ、長女の部屋があります。上階の屋根裏に行くと、長男の部屋と夫妻の寝室。夫妻の寝室には、バスタブとシャワーもつけました。

住まいはトータルで104平米(写真撮影/Manabu Matsunaga)

住まいはトータルで104平米(写真撮影/Manabu Matsunaga)

以前は映画業界で働いていたカミーユさんらしく、ポスターや電飾を使って暮らしを楽しく演出している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

以前は映画業界で働いていたカミーユさんらしく、ポスターや電飾を使って暮らしを楽しく演出している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2匹いる犬たちも広い暮らしをのびのび満喫中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2匹いる犬たちも広い暮らしをのびのび満喫中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コンパクトなキッチンも、オープンにして広々と(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コンパクトなキッチンも、オープンにして広々と(写真撮影/Manabu Matsunaga)

クライアントの仕事を優先しているため、自分の住まいは後回しになり、仕上がりのスピードはゆっくりです。今もまだペンキを塗っていないファイバーボードの壁が、剥き出しになっていたりします。しかも、エコ素材のペンキは、通常のものよりも乾くのに時間がかかるので、工事を急ぐ現代人には敬遠されがちなのだそう。金額が高いことも障害になります。それでもエコ建築を選ぶのは、なぜでしょうか?

天井の断熱材には綿・麻・ジュートでできたナチュラルファイバーを使用。暖房のエネルギーを節約するために断熱は入念に。その厚みのため天井の梁が隠れてしまったが、味わいがあるので可能な限り残すようにした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井の断熱材には綿・麻・ジュートでできたナチュラルファイバーを使用。暖房のエネルギーを節約するために断熱は入念に。その厚みのため天井の梁が隠れてしまったが、味わいがあるので可能な限り残すようにした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

屋根裏の仕切りにはフランスのエコ基準をクリアしたファイバーボードと石膏ボードを使用。軽量素材なので上層階のリノベートに適している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

屋根裏の仕切りにはフランスのエコ基準をクリアしたファイバーボードと石膏ボードを使用。軽量素材なので上層階のリノベートに適している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「建築素材のなかには、そこに含まれる有害物質が人間の身体に悪影響を及ぼすことは、今や誰でも知っています。そして自分の住空間が汚染されていると思いながら暮らすのは、気分のいいものではありません。この仕事を始める前、私は映画のセットをつくる仕事をしていました。それが妊娠をきっかけにヘルシーな住空間について考えるようになり、産休を利用して住まいをD I Yでエコリノベして……自然と、今の仕事につながりました」
つまり、エコ建築を選ぶ理由の核には、家族の健康への思いがある、ということ。
「私のクライアントも、生まれてくる赤ちゃんの健康のためにエコ建築を選ぶ人がほとんどです。仕事では個人宅以外にも、オフィスやレストランも手がけますが、『以前よりずっと快適に感じる』とか『アレルギーが治まった』など、住空間であれ仕事空間であれ、反響はとてもポジティブですよ」と、カミーユさん。
加えて、人の身体に優しいエコ建築は、持続可能でもあります。未来を生きる子どもたちの世代のために、せめて負の遺産を残さない努力はしたいという想いも、カミーユさんは強くお持ちでした。

床、階段、本棚などなど、いたるところに木の無垢材を多用(写真撮影/Manabu Matsunaga)

床、階段、本棚などなど、いたるところに木の無垢材を多用(写真撮影/Manabu Matsunaga)

味わいのある天井の梁はあえて剥き出しにして、エコ基準をクリアしたペンキで白く塗り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

味わいのある天井の梁はあえて剥き出しにして、エコ基準をクリアしたペンキで白く塗り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

中古品のリサイクルは、2つのエコとおしゃれな暮らしの味方

開放感があって、温もりも感じられて。カミーユさんの住まいの心地よさは、エコ建築以外からももたらされている気がする……そう思いながら住まいの中を1つ1つ見てゆくと、家具や雑貨のほとんどが木や自然素材をベースにしたもの、そしてレトロなデザインのものであることに気づきます。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングのダイニングコーナーの一角に置かれたピアノは、パートナーの仕事道具。なんと彼は、フランスを代表するミュージシャンたちとコンサートを行う著名なピアニスト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングのダイニングコーナーの一角に置かれたピアノは、パートナーの仕事道具。なんと彼は、フランスを代表するミュージシャンたちとコンサートを行う著名なピアニスト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「チャリティーショップや蚤の市で見つけたものがほとんどです。つまり中古品。家具や雑貨をリサイクルすることは、環境へのインパクトを抑える効果的なアクションの一つなのですよ。私のクライアントたちも、中古品の再利用をとても歓迎してくれます。質の良い魅力的なオブジェを、安く購入できる、と」
エコノミックでエコロジック。2つのエコが、おしゃれなインテリアづくりのカギだったとは!
新品のもの、例えばキッチンツールやバスまわりのグッズは、パリの生活雑貨セレクトショップ「ラ・トレゾルリ」(La Trésorerie)で購入することが多いとのこと。ここへ行けば自然素材ベースのタイムレスなデザインのものがそろっているので、カミーユさんの趣味にぴったり。さらに言うと、ヨーロッパで生産された伝統的な品々が厳選されているため、サスティナビリティーや輸送のCO2の配慮面も安心です。こうして選んだものを長く愛用すれば、ここでもエコノミックでエコロジックな2つのエコが実現できると言うわけです。しかもこんなにおしゃれに!

藤の棚は、今やインスタ映えの必須アイテム! チャリティーショップで格安で見つけた。棚に並べた食器も同様(写真撮影/Manabu Matsunaga)

藤の棚は、今やインスタ映えの必須アイテム! チャリティーショップで格安で見つけた。棚に並べた食器も同様(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁の絵画もチャリティーショップで購入した中古品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁の絵画もチャリティーショップで購入した中古品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

古いものこそ最先端?

特注でつくり付けた木の無垢材の階段をのぼって、屋根裏へ。階段の突き当たりの踊り場がデスクコーナーになっています。デスクコーナーも中古品の寄せ集めでつくられていますが、それがなんとも可愛らしい!

中古品を集めて作ったデスクコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

中古品を集めて作ったデスクコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「タイプライターは飾り? いえいえ、もちろん使っています! なぜかはわかりませんが、私は古い素材の質感と古いデザインに、とても魅力を感じるのです。手触りも良く使いやすい。今は新しいものが安く簡単に買えますが、遠い国でどんな手段で作られていることか……品質も疑問です。安いものを買ってすぐにゴミにしてしまうよりも、古いものを長く使った方が心地いいと私は思います」
その古いものが、今やヴィンテージとしてもてはやされ、インスタグラマーの間では引っ張りだこになっているのですから、面白いものです。カミーユさんの考えに共感する人は、きっと多いはず。そう思い、カミーユさんのインスタアカウントをチェックしたところ、17,511人のフォロワーが! やはり、そうでしたか。

木の無垢材のクローゼットはオーダーメイド。上にカゴを並べ、小物を収納している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

木の無垢材のクローゼットはオーダーメイド。上にカゴを並べ、小物を収納している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

長男の部屋にも天窓をつけ、自然光をたっぷりと取り入れるようにした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

長男の部屋にも天窓をつけ、自然光をたっぷりと取り入れるようにした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

仕事もプライベートも、自分ペースがいちばん贅沢

「私がインスタグラムに上げているのは、子どもと一緒に森を散歩したり、日常のコーナーを飾ったり、そんな写真ばかりです。それに共感してくれる人が大勢いるということは、贅沢の基準や優先順位がとても個人的なものになってきているということかも知れません。若い世代は環境問題に敏感ですし、自分にとって何が大切かをよく考えています。そしてそんな人たちは、どんどん増えていると感じます」
こう語るカミーユさんが自分のために大切にしているとっておきの時間は、バスタイム。毎週1回、自然光の注ぐ天窓下のバスタブにゆっくり浸かって、「心と身体の大掃除」を楽しむのだそうです。市内にあるアーユルヴェーダのサロンでヨガをしたり、オーガニック食材店でアロマオイルを買ったりするのも、お気に入りの自分時間とのこと。自分ペースで豊かに暮らす、カミーユさんの生活のひとコマを垣間見てしまったら、誰でもこの街に引っ越したくなりますね。

ラ・トレゾルリで購入したバス小物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ラ・トレゾルリで購入したバス小物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのオーガニック食材店(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのオーガニック食材店(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
カミーユさん
Instagram
●関連サイト
「ラ・トレゾルリ(La Trésorerie)」

早稲田大学(早稲田キャンパス)学生の一人暮らしにオススメの街2022年! 家賃相場ランキングも

引越しをするタイミングで多いのは、進学や就職など新生活を始めるとき。この春から大学に進学し、初めての一人暮らしをスタートさせる人もいるだろう。そんな新入生や、これから入学を目指す人の参考になるように、今回は早稲田大学・早稲田キャンパスの最寄駅にアクセスしやすく、家賃相場が安い駅を調査。さらに不動産会社の方から、早稲田キャンパスに通う学生が住む街としておすすめの駅について教えてもらった。ではさっそく見ていこう。

早稲田キャンパス最寄駅まで電車で20分以内の家賃相場が安い駅TOP10

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数/到着駅)
1位 小竹向原 6.9万円(東京メトロ副都心線/東京都練馬区/11分/0回/西早稲田(東京メトロ副都心線※以下略))
1位 野方 6.9万円(西武新宿線/東京都中野区/12分/0回/高田馬場(JR・西武新宿線※以下略))
3位 下井草 7万円(西武新宿線/東京都杉並区/15分/1回/高田馬場)
3位 千川 7.0万円(東京メトロ副都心線/東京都豊島区/9分/0回/西早稲田)
5位 都立家政 7.2万円(西武新宿線/東京都中野区/14分/0回/高田馬場)
5位 阿佐ケ谷 7.2万円(JR総武線/東京都杉並区/11分/0回/高田馬場)
7位 東長崎 7.3万円(西武池袋線/東京都豊島区/15分/1回/高田馬場)
7位 沼袋 7.3万円(西武新宿線/東京都中野区/8分/0回/高田馬場)
7位 鷺ノ宮 7.3万円(西武新宿線/東京都中野区/10分/0回/高田馬場)
10位 新桜台 7.35万円(西武有楽町線/東京都練馬区/14分/1回/西早稲田)

「ハウスメイトショップ新宿店」店長の大堀智史さんおすすめの駅
ランク外 和光市 6.50万円(東武東上線/埼玉県和光市/23分/1回/高田馬場(JR・西武新宿線))
ランク外 朝霞台 5.25 万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/27分/1回/高田馬場(JR・西武新宿線))
ランク外 朝霞 5.70万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/26分/1回/高田馬場(JR・西武新宿線))

複数の駅に囲まれた早稲田キャンパス周辺は学生が集う街

2022年に創立140周年を迎える早稲田大学を代表するキャンパスと言えば、国の重要文化財に指定された大隈講堂が建つ東京都新宿区の早稲田キャンパス。6つの学部生が通うキャンパスは、JR山手線と西武新宿線、東京メトロ東西線が通る高田馬場駅から東へ歩いて20分ほど。駅から早稲田キャンパスに向かう通りは「早稲田通り」と呼ばれている。数多くの飲食店に加えて古書店も建ち並んでいる点は、さすが大学お膝元の街といった趣だ。またこの一帯には早稲田大学のほかに学習院女子大学もあるほか、高校や専門学校、学習塾も多いので、学生らしき若者の姿もよく見かける。

早稲田キャンパスのすぐ近くにはサークル活動の拠点である学生会館を備えた戸山キャンパスがあるほか、高田馬場駅から徒歩15分ほどの場所には西早稲田キャンパスも。各キャンパスの近くには東京メトロ東西線・早稲田駅や東京さくらトラム(都電荒川線)早稲田駅、東京メトロ副都心線・西早稲田駅もあり、そちらを利用する学生も少なくない。

そこで今回は高田馬場駅(JR・西武新宿線)をはじめ、早稲田駅(東京メトロ東西線・都電荒川線)、西早稲田駅(東京メトロ副都心線)のいずれかの駅の20分圏内にある駅を調査対象とし、それぞれの駅から徒歩15分圏内にあるシングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。以下同)の家賃相場が安い駅を順位付けした。その結果が上記のランキングというわけだ。

ちなみに高田馬場駅の家賃相場は8万7000円。同じくキャンパス最寄駅の早稲田駅(東京メトロ東西線・都電荒川線)と西早稲田駅はどちらも8万9000円。都心部だけあり学生にとっては手ごろとは言いがたい金額だが、早稲田大学の学生たちは実際、どんな場所に住んでいるのだろう。早稲田大学の学生にも利用されている、「ハウスメイトショップ新宿店」店長の大堀智史さんにお話を伺った。

「特に早稲田大学の方は、大学周辺で物件を探していらっしゃるように感じます」と話す大堀さん。「どこに住むとよいかは人それぞれで、例えば学業に専念したいなら移動時間を極力減らすために早稲田駅周辺、大学以外にもアクセスしやすいほうがよければJR山手線も通る高田馬場駅周辺や、高田馬場駅まで2駅のターミナル駅・新宿駅周辺などがよいでしょう」。早稲田駅の周辺は高田馬場駅ほどの繁華街ではないので、落ち着いて暮らせる住環境のよさを求める人にもおすすめだそう。

高田馬場駅(写真/PIXTA)

高田馬場駅(写真/PIXTA)

東京メトロ東西線 早稲田駅周辺(写真/PIXTA)

東京メトロ東西線 早稲田駅周辺(写真/PIXTA)

通学時間を短く、家賃も抑えたい場合はランキングがお役立ち

通学時間をなるべく短縮するなら大学の近くに住むのがいいし、実際にそうしている学生も多い様子。とはいえ、広さなどそのほかの条件も加味した家賃が自分の予算と合わなければ、近さだけを重視して住まいを決めるのは難しい。そんな場合は、今回調査した家賃相場が安い駅のランキングを参考にするのもいいだろう。ランキングトップ10の駅は家賃相場が6万円台~7万円台なので、家賃相場が8万円後半だった早稲田キャンパスの徒歩圏内と比べるとだいぶ負担を抑えることができる。

最も家賃相場が低かったのは、東京メトロ副都心線・小竹向原(こたけむかいはら)駅の6万9000円だ。早稲田キャンパスの最寄駅の一つである西早稲田駅までは、5駅・約11分。西早稲田駅に向かう途中には都内屈指の繁華街・池袋駅もあり、遊びに出るにも便利な立地と言える。また、池袋駅からJR山手線に乗り継ぐと、小竹向原駅から計約15分で高田馬場駅に行くことも可能だ。そんな小竹向原駅周辺の様子はというと、大型商業施設はない住宅街。コンビニやドラッグストア、スーパーに100円ショップなどはあるので、日々の暮らしには困らないだろう。気軽に利用できるチェーン系の飲食店はファミレスが1軒ある程度だが、持ち帰り弁当店があるので自炊が面倒なときに役立ちそうだ。

小竹向原駅前(写真/PIXTA)

小竹向原駅前(写真/PIXTA)

小竹向原駅と同じく家賃相場が6万9000円で1位となった、西武新宿線・野方駅は東京都中野区に位置。1駅下り方面に5位の都立家政駅、1駅上り方面には7位の沼袋駅があり、いずれも西武新宿線1本で高田馬場駅に行くことができる。野方駅を出ると北口側の北原通り、南口側の駅前通りをはじめ5つの商店街が続いている。通りに並ぶ商店は飲食店からスーパー、食料品関係の個人商店、雑貨店など約320店! 大学帰りや休日に商店街をめぐるのも楽しそうだ。

野方駅周辺(写真/PIXTA)

野方駅周辺(写真/PIXTA)

トップ10の駅で大学最寄駅までの所要時間が最も短かったのは、東京都中野区にある7位の西武新宿線・沼袋駅で家賃相場は7万3000円。前述の通り1位の野方駅の隣に位置し、高田馬場駅へは4駅・約8分で到着する。沼袋駅周辺の商店は駅北側に多く点在しており、駅前にラーメン店などの飲食店やベーカリー、さらに北へ進むと100円ショップやドラッグストアも。大型スーパーは見当たらないが、小型のスーパーやコンビニはあるので、学生の一人暮らしなら日常生活に必要なものはそろえられそう。駅南口から2分も歩くと、「中野区立平和の森公園」へ。広大な園内は緑豊かで、池や滝のある水辺の広場や草地広場、林間を通るジョギング・ウォーキングコース、バーベキューサイトなどがあるので、友達と遊びに訪れるのもいいだろう。

高田馬場駅から25分前後の東武東上線沿線なら家賃相場は5万円台~6万円台に

トップ10にランクインした駅の家賃相場は早稲田キャンパス周辺に比べると下がってはいる。だけど「さらに安く住める街はないか?」と考える学生もいるだろう。そこで「ハウスメイトショップ新宿店」店長・大堀さんに、家賃を抑えたい人向けのおすすめの街を教えてもらった。

「東武東上線の和光市駅がいいでしょう」と大堀さん。和光市駅から東武東上線で池袋駅に出て、そこからJR山手線に乗れば高田馬場駅までは計約23分で行ける。「東武東上線の急行に加えて快速急行の停車駅でもあり、快速急行なら池袋駅まで1駅・最短約12分です。さらに和光市駅は東京メトロの有楽町線・副都心線の始発駅でもあり、副都心線1本で早稲田大学近くの西早稲田駅までも約24分で到着できます」

和光市駅 南口(写真/PIXTA)

和光市駅 南口(写真/PIXTA)

そんな和光市駅は埼玉県和光市にあり、東京メトロの駅としては最北端かつ最西端に位置している。2020年3月には駅ビル「エキア プレミエ和光」が全館開業した。改札階である地下1階から地上3階にかけてレストランや食料品店、さらにユニクロなど多彩な店舗がずらりと並び、4階~7階部分は「和光市東武ホテル」となっている。また、駅南口には書店やファストフード店などが並ぶ専門店街を併設した「イトーヨーカドー和光店」もあるなど、大型のスーパーも点在している。暮らしやすそうな街並みながら、埼玉県という立地からか家賃相場は6万5000円。ランキングトップ10の駅と比べてもだいぶリーズナブルになっている。

さらに家賃を抑えたい人に向け、大堀さんは和光市駅と同じ東武東上線の沿線で、埼玉県朝霞市にある朝霞台駅と朝霞駅もおすすめしてくれた。

朝霞台駅は東武東上線の急行停車駅で、家賃相場は5万2500円。「急行なら池袋駅まで3駅、最短約17分で到着。東京メトロ副都心線直通の東武東上線に乗れば、乗り換えせずに西早稲田駅まで約32分で行くことができます」と話す大堀さん。また、「朝霞台駅の駅前ロータリーをはさんでJR武蔵野線の北朝霞駅があり、2つの路線を利用できる点も便利ですよ」とのこと。高田馬場駅までは池袋駅からJR山手線に乗り換え、計約27分で行ける。朝霞台駅は改札前コンコースにファストフード店やベーカリー、書店などがあり、駅前には複数のコンビニや気軽に入れる飲食店も。すぐ近くにスーパーもあるので、日常の買い物には困らない環境だ。池袋など都内へのアクセスのよさから、首都圏のベッドタウンとして人口を増やしている。

北朝霞・朝霞台駅 駅前広場(写真/PIXTA)

北朝霞・朝霞台駅 駅前広場(写真/PIXTA)

朝霞駅は朝霞台駅の隣に位置しており、家賃相場は5万7000円。「こちらは準急が利用でき、池袋駅まで3駅・最短約16分です」と大堀さん。朝霞台駅と同様に池袋駅で乗り換えて、高田馬場駅までは約26分。また、副都心線直通の東武東上線に乗ると、西早稲田駅まで約28分だ。朝霞駅には駅ビル「エキア朝霞」が併設されており、ラーメン店やハンバーガー店、カフェといった飲食店に、服飾雑貨店、書店やドラッグストアなど23店舗が利用できる。駅前にも複数の飲食店が点在するほか、安さを売りにしたスーパーもあるのは自炊派で食費を節約したい人にもうれしいポイントだろう。

朝霞駅 南口(写真/PIXTA)

朝霞駅 南口(写真/PIXTA)

大堀さんおすすめの3つの駅は高田馬場駅まで25分前後ほど離れている半面、家賃相場は5万円台~6万円台におさまっている。一方で早稲田キャンパスの徒歩圏内にある、高田馬場駅や早稲田駅、西早稲田駅は家賃相場が8万円後半だ。そして今回調査したランキングトップ10の駅は高田馬場駅まで20分以内、家賃相場は6万円台~7万円台前半という結果だった。都心にあるキャンパスに近いと家賃は高く、離れると安くなるものの通学に時間と費用がかかる、と一長一短である。冒頭で大堀さんがアドバイスしてくれた通り、「どこに住むとよいかは人それぞれ」。何よりも通学時間が短いことを重視するか、家賃の安さをとるか……。まずは自分がどんな学生生活を送りたいのかをよく考えてから、住む街を選ぶことが大切だろう。

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている高田馬場駅、西早稲田駅、早稲田駅(メトロ、都電)まで20分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/8~2021/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※早稲田駅については、メトロ、都電を最寄りとする物件両方の中央値を掲載しています
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年10月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

「ひばりが丘団地」50年の歴史に新展開! マルシェなど住民主体の新しいエリアマネジメント

高度経済成長期に建設された団地の建て替えが続くなか、旧ひばりが丘団地エリア(東京都西東京市/東久留米市)でのUR都市機構(以下、UR)と民間事業者間の垣根を超えた住民主体のエリアマネジメントに注目が集まっています。まちづくりからエリアマネジメントまで取組む日本初の事例として団地再生事業を機にスタート、2014年にエリアマネジメント組織「(一社)まちにわ ひばりが丘」(以下、まちにわ)が発足し、関係事業者でエリアマネジメントを実施してきましたが、2020年6月末からは活動主体が住民主体に移行しました。
2014年から今まで、特に住民主体になってからの様子について、ひばりが丘のエリアマネジメントをリードしてきた「まちにわ」の岩穴口康次(いわなぐち・こうじ)さん、若尾健太郎さん、渡邉篤子さんにお話を聞きました。

「街全体ににぎわいを」と複数のスポットでイベント開催団地の西側、「ひばりテラス118」脇の公園では「にわマルシェ」が開催された(写真撮影/片山貴博)

団地の西側、「ひばりテラス118」脇の公園では「にわマルシェ」が開催された(写真撮影/片山貴博)

2021年12月11日と12日、ひばりが丘パークヒルズ(建て替え後の団地名称)では「STAY HIBARI(ステイひばり)」というイベントが行われました。もともと33.9ha、184棟もの公団住宅が立っていた広大な敷地。団地内の北集会所エリア、南集会所エリア、5番街広場、ひばりテラス118エリアの4カ所それぞれでマルシェやフリーマーケット、ボーネルンド社の提供する屋外の遊び場「PLAY BUS(プレイバス)」などが展開されたのです。その中の1つ「にわマルシェ」をステイひばりの主催者であるURとともに企画・運営したのが住民主体のエリアマネジメント組織、まちにわです。

2日間で飲食店やハンドメイド雑貨を扱う店など約30店が出店(写真撮影/片山貴博)

2日間で飲食店やハンドメイド雑貨を扱う店など約30店が出店(写真撮影/片山貴博)

団地の南集会所近くにはキッチンカーが出現(写真撮影/片山貴博)

団地の南集会所近くにはキッチンカーが出現(写真撮影/片山貴博)

マルシェのほか、集会所内では団地自治会が主催する親子で楽しめる「むかしあそび」コーナーも(写真撮影/片山貴博)

マルシェのほか、集会所内では団地自治会が主催する親子で楽しめる「むかしあそび」コーナーも(写真撮影/片山貴博)

青空の下、数々の商品が広げられたマルシェやフリーマーケット、広大な芝生の上に現れた遊び場には、子ども連れの家族を中心に多くの人びとが集まっていました。また各スポットを巡るスタンプラリーが行われ、団地内を回遊する子どもたちの姿を目にすることができました。

当日、団地の北集会所前で開催されたフリーマーケット「たんぽぽマーケット」の様子(写真撮影/片山貴博)

当日、団地の北集会所前で開催されたフリーマーケット「たんぽぽマーケット」の様子(写真撮影/片山貴博)

団地中央に広大な芝生が広がる5番街広場ではボーネルンド社の「PLAY BUS(プレイバス)」の遊具に多くの家族連れが集まった(写真提供/UR都市機構)

団地中央に広大な芝生が広がる5番街広場ではボーネルンド社の「PLAY BUS(プレイバス)」の遊具に多くの家族連れが集まった(写真提供/UR都市機構)

ひばりが丘団地は近年、どう変わった?

ひばりが丘団地は、約60年前の1959年、東京都市圏の住宅難に対応するため、全184棟、2714戸を有する首都圏初の大規模住宅団地として建設されました。建設から数十年の歳月を経て、緑豊かな団地へと成長した一方で、生活スタイル・居住者ニーズの変化への対応が求められるようになりました。そこで、URは1999年から団地の再生事業に着手したのです。

1960年代のひばりが丘団地の空撮画像(資料提供/UR都市機構)

1960年代のひばりが丘団地の空撮画像(資料提供/UR都市機構)

江戸東京博物館で復元展示されたひばりが丘団地の一室(資料提供/UR都市機構)

江戸東京博物館で復元展示されたひばりが丘団地の一室(資料提供/UR都市機構)

4階建てと2階建てだった団地の建物を高層化して建て替えたことで生まれた広大な土地には、高齢者や子育てを支援する公共公益施設を誘致した他、約7haは、民間の事業者に住宅を整備してもらうことにしました。その際、URと民間事業者の開発エリアが分断されることがないように、開発からエリアマネジメントまで継続的にまちづくりを進めるため、URで初めて取り入れられたのが「事業パートナー方式」です。エリア全体の価値を向上させるために、URと連携・協議しながら開発を進められる民間事業者を募ったのです。

開発後(2017年)のひばりが丘団地の土地利用状況(資料提供/UR都市機構)

開発後(2017年)のひばりが丘団地の土地利用状況(資料提供/UR都市機構)

この街はURの建物と民間事業者の開発した建物が混在する形で美しく整備されており、一見してどちらの建物かは素人目には簡単に判別できません。民間事業者の発想・ノウハウを活用しながら、調和したまちづくりを目指したというURの意図がしっかりと反映された結果と言っていいでしょう。

左手前がUR、右手側が民間事業者の集合住宅。エリア全体で一体感が出るように調和が図られている(写真提供/UR都市機構)

左手前がUR、右手側が民間事業者の集合住宅。エリア全体で一体感が出るように調和が図られている(写真提供/UR都市機構)

ランドマークとして残された当時の建物も

建て替えによって誕生したURの新しい賃貸住宅は、「ひばりが丘パークヒルズ」と名付けられました。近年のライフスタイル・ライフステージに合わせて選択できる広さや間取りの住宅は全部で1504戸、30棟に。ペットと快適に暮らせるよう、足洗い場やエレベーターにペットボタンなどを設けたペット共生住宅も1棟あります。

ひばりが丘パークヒルズ一帯の様子(写真撮影/片山貴博)

ひばりが丘パークヒルズ一帯の様子(写真撮影/片山貴博)

一方で、ひばりが丘団地の団地再生にあたっては、古い建物を全て解体して建て替えるのではなく、歴史を継承し、資源を有効活用する観点から、3つの異なるタイプの住棟を1棟ずつ残す形で活用が図られています。

例えば、三方に広がる星型の形状をした「スターハウス」は、管理サービス事務所として使用。前面の広場には上皇ご夫妻が皇太子・皇太子妃時代に訪問したバルコニーが移設され、ウッドデッキと一緒にメモリアル広場として整備されました。

上空から見ると星型をした「スターハウス」は団地のシンボル。写真右下に見えるバルコニーや広場は、当時の皇太子ご夫妻が立ったバルコニーを移設してメモリアル広場としたもの(写真撮影/片山貴博)

上空から見ると星型をした「スターハウス」は団地のシンボル。写真右下に見えるバルコニーや広場は、当時の皇太子ご夫妻が立ったバルコニーを移設してメモリアル広場としたもの(写真撮影/片山貴博)

また、「にわマルシェ」の舞台となった「ひばりテラス118」はもともと6世帯が住むことができた長屋形式の2階建て住宅(テラスハウス)。リノベーションされたこの建物は、現在、カフェやコミュニティースペース、お花屋さんや近隣で創作活動を行う作家が作品を販売するシェアスペースになっています。

「ひばりテラス118」は長屋形式のテラスハウスだった旧118号棟をエリアマネジメントセンターとしてリノベーション(写真撮影/片山貴博)

「ひばりテラス118」は長屋形式のテラスハウスだった旧118号棟をエリアマネジメントセンターとしてリノベーション(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

2014年から本格的にスタートしたひばりが丘団地の「エリアマネジメント」

さらにURが開発計画を練るなかで、注力したポイントが「エリアマネジメントの推進」でした。地域の環境やエリア全体の価値向上に向けて住民が主体的に取り組む組織をつくるため、事業パートナーと共にエリアマネジメントの仕組みを考え、2014年に「一般社団法人まちにわ ひばりが丘」を設立したのです。

現在、事務局長を務める若尾さんは、設立当初から関わってきました。「当時の事務局長が人を巻き込むのが上手な人で、イベントに参加しているうちに手伝うように言われて運営側にまわるようになった」(若尾さん)のだそう。代表理事の岩穴口さん、スタッフの渡邉さんも最初はボランティアとして2015年ごろからまちにわの活動に参加するようになりました。

以来、地域の文化祭的なイベント「にわジャム」や、ハンドメイド雑貨とフード・ドリンクを提供するお店が集まる「にわマルシェ」といったイベント、講座・サークル活動などを定期的に行ってきました。そしてコロナ禍でイベントの開催が難しくなった最中の2020年、それまでは民間の開発事業者と開発街区の各管理組合を正会員として運営してきたまちにわは、住民主体の組織へと生まれ変わったのです。既存のUR賃貸住宅の自治会や地域の関係者とは、設立当初から連携して活動しています。

住民主体になる前、2017年のまちにわの組織図。正会員は開発事業者と地域住民からなり、理事会は開発事業者の社員で構成、UR職員が監事を務めていた。(資料提供/UR都市機構)

住民主体になる前、2017年のまちにわの組織図。正会員は開発事業者と地域住民からなり、理事会は開発事業者の社員で構成、UR職員が監事を務めていた。(資料提供/UR都市機構)

コロナ禍を経て、住民主体のエリアマネジメント組織へ

「まちにわは、もともと設立後5年を目処に住民主体の組織となることを目指して設立されたので、組織変更は決まっていたのです。予定外だったのは新型コロナウィルス感染症の流行・拡大。当初から人と人との接点をどうつくっていくか、ということを目的に活動してきた中で、接すること自体がNGになり、戸惑いもありました。
コロナ以後の2年間はイベント等の開催ができなくなり、それまでの5年間で培ってきたつながりをどうつなぎとめていくか、ということを一生懸命に考えてきました」(岩穴口さん)

2018年には2~3カ月に1回の頻度で開催していたマルシェも、2019年の緊急事態宣言発令以後は中止に。2020年は10月下旬から12月中旬まで9週間、毎週末の土日に芝生入口にゲートを設け、3~4店舗ずつ、入場制限を行いながら開催したそう。

今回、URが主催する「STAY HIBARI(ステイひばり)」と同時開催された「にわマルシェ」は1年ぶりの開催。「URと調整しながら一緒に企画・開催できたことが嬉しい」(岩穴口さん)と語る(写真撮影/片山貴博)

今回、URが主催する「STAY HIBARI(ステイひばり)」と同時開催された「にわマルシェ」は1年ぶりの開催。「URと調整しながら一緒に企画・開催できたことが嬉しい」(岩穴口さん)と語る(写真撮影/片山貴博)

「ひばりが丘のエリアマネジメントに主体的に関わる人(まちにわ師)を育てる『まちにわ師養成講座』の開催なども経て、住民が自ら何かをやる空気が少しずつできていました。例えば『ひばりンピック』というスポーツ大会を住民発のイベントとして開催しようと準備していました。結果的にはコロナで開催中止となってしまいましたが、住民が発案したものを実行に移せる土壌が整ったのです」(渡邉さん)

「まちにわ師養成講座」の様子(写真提供/UR都市機構)

「まちにわ師養成講座」の様子(写真提供/UR都市機構)

他にも、住民がつくった「まちにわ組」というLINEのオープンチャットには、現在110人ほどが登録しているそう。誰でも入れて、個人アカウントを明かさなくても入れるが、「いざというときのためにも、できれば本名で登録してほしい」と投げかけています。

「先日、地震があったときにもオープンチャット内で頻繁にやりとりがありました。『インターネットがつながらない』『ガスが止まりました。どうしたらいいですか』といったSOSに対し、詳しい人が具体的な解決方法を示してくれました。普段は『この店おいしいよ』という、他愛ないコミュニケーションにも使われています」(若尾さん)

今後まちにわでは、LINE等がうまく使えない人のために、スマホ講座なども企画しているそうです。

住民の「やりたいこと」を支援する場所として

このような広がりを受け、岩穴口さんは「これまではまちにわが水先案内人として先導する役目だったが、これからは住民の方がやりたいことを後押し、支援をしていく立場へと変わっていく」と言います。

「僕たちが施す、ということではなく、やりたい人たちができる場所を用意する、ということに主眼を置きつつあります。少しずつコロナとの付き合い方が見えてきて、今後リアルなつながりが増えてくると思いますし、やはり『つながりづくり』を重視したい。

一方で、一部の人だけが集まる状態では、他の方を阻害してしまうことになりかねません。これまでは新しいマンションの住人に向けての取り組みが多かったのですが、今後は高齢者の方も含めて、どのように取り組んでいくか、そのバランスが重要だと思います。社会問題はこれからもどんどん出てくると思うので」(岩穴口さん)

2019年まで、3000人を超える人が集まるバルやマルシェを出店した「にわジャム」は今年、オンライン形式でつながりづくりを意識した交流会やワークショップを実施(写真提供/UR都市機構)

2019年まで、3000人を超える人が集まるバルやマルシェを出店した「にわジャム」は今年、オンライン形式でつながりづくりを意識した交流会やワークショップを実施(写真提供/UR都市機構)

(写真提供/UR都市機構)

(写真提供/UR都市機構)

実際に、昔から住まわれているUR賃貸住宅の自治会から「まちにわと一緒に取り組みを考えさせてほしい」といった連携のオファーも出てきたのだそう。

「僕たちは昔のひばりが丘団地エリアで民間事業者が開発したマンションに住む各世帯から月300円をいただいて運営をしています。その対価をどういう風に提供していくか、それは常に考えるべきことです。子育て世帯、高齢者と、世代も異なる全ての人が、小さな取り組み一つひとつに全て賛成をしてくれるという状態は現実的にはありえません。ただ、まちにわの大きな世界観に共感してもらい、まち全体がよくなっていくことを一緒に目指せればいい。そのためにコンセプト、ビジョン、ミッションといったものを共有できるよう常に発信しています」(若尾さん)

今回お話を聞かせてくれたまちにわ事務局長の若尾健太郎さん(左)、代表理事の岩穴口康次さん(中央)、渡邉篤子さん(右)(写真撮影/片山貴博)

今回お話を聞かせてくれたまちにわ事務局長の若尾健太郎さん(左)、代表理事の岩穴口康次さん(中央)、渡邉篤子さん(右)(写真撮影/片山貴博)

「普段は楽しく、いざというとき助け合える」がまちにわのコンセプトだそう。普段から住民の「やりたいこと」を支援しながら、付き合いのある関係、顔が見える関係を築いておくことで、非常時の助け合いにもつながる、という考えがそこにはあります。

「みんなで情報共有しながら、つくり上げる過程こそが面白い」と言う若尾さんの言葉通り、人と人とのつながりこそが、まちが生む最大の価値なのかもしれません。

●取材協力
・UR都市機構
・一般社団法人まちにわ ひばりが丘

京都らしい街並みが消えていく…。1年に800件滅失する京町家に救世主?

古都・京都の風情を残す「京町家」。 筆者もある種の憧れを感じてきたが、このたび「京町家等の不動産情報ポータルサイトが公開された」という報道を見て、そのサイトをのぞいてみた。そこには、実際に賃借や購入ができる京町家の物件情報に加え、京町家を活用した事例の紹介もされていた。このサイトを見ているだけでも面白いのだが、サイト公開に至る経緯などの詳しい話を聞きに行くことにした。

1日に2軒の京町家がなくなっている!京町家を保全する活動が盛んに

ポータルサイトの名前は、「MATCH YA(マッチヤ)」だ。 文化的価値を持つ京町家や古民家、近代和風住宅などの歴史的建造物に特化して、マッチングのための“不動産情報”や活用したい企業や起業家の参考になる“活用事例”が紹介されている。運営するのは、経済、不動産、建築、金融、法律、市民活動、行政の団体で構成され、所有者や居住者と協力して京町家などの保全・継承を担う「京町家等継承ネット」(事務局:公益財団法人京都市景観・まちづくりセンター)だ。

今回、取材に対応していただいたのは、事務局の京都市景観・まちづくりセンター(以下、まちセン)の西井明里さん、網野正観さん、京町家等継承ネットに協力する株式会社フラット・エージェンシーの寺田敏紀さん、浜田幸夫さんの4名だ。

「MATCH YA」公開に至る経緯には、いくつか要因がある。

直近の要因は、新型コロナウイルスの影響だ。京町家への関心は、日本全国あるいは海外へと広がっているが、コロナ下でテレワークが普及したり、京都への来訪が難しくなったりしたことで、インターネットを活用した京町家の物件や活用事例の紹介の重要性が高まった。

そして、より根源的な要因は、京町家が年々減少していることだ。京都市が行った2016(平成28)年の調査によると、その時点の京町家は約4万軒(うち約5800軒が空き家)あり、7年前と比べて約5600軒の京町家が滅失しているという。1日当たり2軒が取り壊された計算になり、空き家率も高まっている。

京町家は建物や街並みというだけでなく、京都の生活文化を残すものでもある。京町家には、京都の暮らしの文化、建築が持つ空間の文化、職住共存を基本として発展してきたまちづくりの文化が息づいている。そこで、20年ほど前から京町家を残そうという活動が盛んになるが、「MATCH YA」開設も、この京町家の保全・継承を目指すビッグプロジェクトの取り組みの一つにすぎなかった。

20年以上にわたる「京町家を残そう」という活動

「MATCH YA」を運営する「京町家等継承ネット」の事務局であるまちセンは、住民・企業・行政が連携してまちづくりを推進する橋渡しをしようと、1997年に設立した。京町家が街から姿を消していく現状を目の当たりにして、2001年から「京町家なんでも相談」を、2005年から「京町家まちづくりファンド」を始めた。

ちなみに、今回の取材場所として指定されたのは、取材時点で「MATCH YA」に賃貸物件として掲載されていた京町家だ。ここは、京町家なんでも相談に所有者が改修の相談に来て、「京町家まちづくりファンド」で外観改修助成を行った物件だという。地道で長期的な活動が、成果を生んでいる事例ということだろう。

取材場所になった「元カフェの町家」。かつて豆腐屋として建てられた名残である、大きな土間が特徴(筆者撮影)

取材場所になった「元カフェの町家」。かつて豆腐屋として建てられた名残である、大きな土間が特徴(筆者撮影)

京都市も、京町家の保全・継承に本腰を入れるようになる。2007年に「京町家耐震改修助成制度」を設け、2012年には「京都市伝統的な木造建築物の保存及び活用に関する条例」を制定し、2013年には新たに鉄筋コンクリート造等の非木造建築物も対象に加え、名称も「京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」に改正した。さらに2017年に「京都市京町家の保全及び継承に関する条例(京町家条例)」を制定した。

こうしたなか、2014年にはまちセンを事務局として「京町家等継承ネット」が設立された。京町家の保全継承には、公的な支援制度も必要なうえ、伝統技術の継承、法律等の専門知識、改修費用のための金融支援、利活用を促す市場流通のための不動産業の協力や経済界の支援など、幅広い領域のサポートが不可欠であることから、31の関係団体が会員となったネットワークで京町家の継承に当たろうという組織だ。

「京町家を守りたい」という京都の“ホンキ度”がすごい!

実は、筆者自身も東京で、歴史ある建物の保全活動をする団体の会員になっている。ただし、とてつもなく高いハードルを感じている。歴史ある建物を保全しようとすると、安全性や意匠性を担保するための改修費用がかなり掛かり、建て替えた方が安く済むということが多い。たとえ所有者が愛着ある建物を保全したいと思っても、次の代に相続が発生すると、相続人たちの話し合いで売却されてしまうことも多い。行政側も、よほど著名な建築家が設計したり著名な人が住んでいたりしない限り、保全に動くことは少ない。

ところが、京町家の場合は、行政も含めて、あの手この手で可能な手を打ち続けている。保全継承の“ホンキ度”がハンパないと感じた。たとえば、京都市ではすでに紹介したように、現実的に京町家の保全継承を支援する条例を定めている。

まず、京町家であるという認識がなく、単なる古い家と思っている所有者も多い。そこで、条例で京町家について定義をした。
〇京町家の主な定義
築年:昭和25年以前に建築
構造:伝統的な構造で建てられた、平入り屋根の木造一戸建て(長屋建て含)など
形態・意匠:通り庭、火袋、通り庇などの京町家特有の形態を1つ以上有すること

典型的な京町家の改修事例

釜座町町家の改修事例(画像提供:京町家等継承ネット)

釜座町町家の改修事例(画像提供:京町家等継承ネット)

また、京町家条例では京町家を個別にあるいは地区を指定して、保全継承のために相談対応や補助金などの支援をする一方で、解体をする場合は着手する1年前までに届け出をすることを定めている。解体までに保全継承の手立てはないかを検討する時間が1年生じることで、保全継承につなげたい狙いだ。

一方、条例で法律の制限を緩和する策を講じた。建築基準法が制定された昭和25年より前の伝統的な構造で建てられた家は、建築基準法に合致していない。こうした家を増築したり、住宅から飲食店や宿泊施設などに変更したりすると、現行の建築基準法に適合させなければならない。となると、壁や筋交いなどの構造材を補強するなどで、京町家らしい文化的な意匠や形態を保全することができない事例も出てくる。

そのため、景観的・文化的に特に重要なものとして位置付けられた建築物について、建築物の安全性の維持向上を図ることにより、建築基準法の適用を除外して、改修が行えるようになった。2017年からは、「包括同意基準」(一定の構造規模・安全基準・維持管理の方法の基準からなる技術的基準)を制定して、一般的な京町家の改修手続きの簡素化なども図っている。

京都では、京都市内の京町家の調査を継続して行っている。調査によって、典型的な京町家だけでなく、長屋や看板建築などの見た目ではそうとはわかりづらい京町家の存在も明らかになった。京都市と立命館大学、まちセンが2008・2009年度に実施した大規模調査では、専門調査員とボランティアの市民調査員が、京都市内の約5万軒の京町家について外観調査とアンケート調査を行い、京町家の実態を把握した。2016年にも追跡調査により、京町家の滅失状況などを捕捉している。

京町家まちづくりファンドの改修前後の事例(画像提供:京町家等継承ネット)

京町家まちづくりファンドの改修前後の事例(画像提供:京町家等継承ネット)

また、まちセンでは京町家の価値を客観的に把握してもらうために、文化的価値や建物の基礎情報などをまとめた「京町家カルテ」などの作成等も行っている。

京町家を「保全継承したい人」と「活用したい人」をマッチング

しかし、このように行政・民間を問わず京町家の保全継承に取り組んでいるとはいえ、個々の京町家の所有者が補助金等の支援を受けて改修工事を実施し、自ら活用者を探すことは難しい。所有者の相談などに応じて、活用計画を立てて活用してくれる人を探してくれる存在が必要だ。

そこで、京都市やまちセンでは、「マッチング制度」によって、不動産会社などの登録団体が活用の提案や助言をする仕組みを整えている。

改修費用についても、公的な補助制度のほか、地元不動産会社の働きかけなどにより地元金融機関において京町家向けのローンが提供されたり、賃貸の場合に所有者(貸主)と活用事業者(借主)の費用分担で、借主が全額負担して家賃を低減する方法なども提案している。

冒頭のポータルサイト「MATCH YA」は、こうしたマッチングの取り組みのひとつでもある。同サイトに京町家の掲載を依頼できるのは、事前に登録した不動産会社のみで、申請された物件をさらにまちセンで「MATCH YA」の要件に合うかどうか審査したうえで物件情報として掲載するなど、厳しい運用をしている。京町家に興味のある個人だけでなく、店舗やオフィスなどとして活用したい企業にもアピールしたいとしている。

京町家の保全継承とひとくちにいっても、所有者だけではなく、多方面の専門家の知恵を絞らないと実現できない。京町家の保全継承には生活スタイルに合わせた改修が不可欠だが、取材時に「京町家を健全に改修する」という言葉を何度か聞いた。建築基準法のような同じルールに従うのではなく、個別の京町家の構造体がどんな状態か把握し、伝統的な構造に適した耐震補強や意匠を保持しながら防火性能を高める方法を検討して、京町家として健全に改修をすることで、こうした改修技術を引き上げることも必要となる。多方面での地道な努力によって、ようやく京町家の保全継承が実現するというわけだ。

とはいえ、京町家はあくまで個人の所有財産だ。所有者側に京町家を保全継承しようというマインドや環境が整わなければ、実現するには至らない。ここまであの手この手を尽くしても、残念ながら滅失してしまう京町家も相当数あるだろう。

京町家の長い奥行きの敷地を生かした通り庭や奥庭、大戸、出格子など季節を取り込む工夫や独特のデザインは、ぜひ守ってほしいと思うが、所有者や関係者だけで保全継承を担うのは難しい。ファンドに寄付をしたり活用に手を挙げたりなど、多くの人たちが京町家の保全継承に長く関心を払うことが大切だろう。

●関連サイト
京都市、京町家等の不動産情報ポータルサイトの公開について
「MATCH YA」未来と町家をマッチするポータルサイト
京町家等継承ネット

慶應義塾大学(日吉&三田キャンパス)学生の一人暮らしにオススメの街2022年! 家賃相場ランキングも

間もなく訪れる新年度より、大学進学を機に慣れない土地での生活が始まる人も多いはず。そんな人の参考になるように、今回は慶應義塾大学で学部数の多い三田キャンパスと日吉キャンパスに通いやすく、家賃相場が安い駅を調査! 各キャンパスの最寄駅である田町駅、三田駅、赤羽橋駅いずれかまで電車で20分圏内、日吉駅まで電車で15分圏内に位置し、家賃相場が安い駅のランキングをご紹介する。さらに、不動産会社の方に聞いた各キャンパス周辺にある学生が住む街としておすすめの駅についても見ていこう。

三田キャンパス最寄り:田町駅、三田駅、赤羽橋駅いずれかまで20分以内の家賃相場が安い駅TOP20

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数/到着駅)
1位 昭和島 7.2万円(東京モノレール/東京都大田区/19分/1回/田町(JR山手線・京浜東北線※以下略))
2位 流通センター 7.8万円(東京モノレール/東京都大田区/18分/1回/田町)
3位 大森町 8.1万円(京浜急行本線/東京都大田区/18分/1回/三田(都営地下鉄浅草線・三田線※以下略)
4位 平和島 8.2万円(京浜急行本線/東京都大田区/13分/0回/三田)
4位 武蔵小杉 8.2万円(JR横須賀線/神奈川県川崎市中原区/18分/1回/田町)
6位 川崎 8.25万円(JR東海道本線/神奈川県川崎市川崎区/16分/1回/田町)
7位 大岡山 8.3万円(東急目黒線/東京都大田区/16分/0回/三田)
7位 田園調布 8.3万円(東急目黒線/東京都大田区/20分/0回/三田)
9位 梅屋敷 8.35万円(京浜急行本線/東京都大田区/19分/1回/三田)
10位 洗足 8.4万円(東急目黒線/東京都目黒区/16分/0回/三田)
10位 糀谷 8.4万円(京浜急行空港線/東京都大田区/20分/0回/三田)
12位 西馬込 8.5万円(都営浅草線/東京都大田区/14分/0回/三田)
12位 馬込 8.5万円(都営浅草線/東京都大田区/12分/0回/三田)
14位 旗の台 8.51万円(東急大井町線/東京都品川区/18分/1回/田町)
15位 中延 8.6万円(都営浅草線/東京都品川区/11分/0回/三田)
15位 緑が丘 8.6万円(東急大井町線/東京都目黒区/17分/1回/三田)
15位 荏原町 8.6万円(東急大井町線/東京都品川区/18分/1回/田町)
18位 大森 8.7万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/10分/0回/田町)
18位 戸越公園 8.7万円(東急大井町線/東京都品川区/15分/1回/田町)
18位 西大井 8.7万円(JR横須賀線/東京都品川区/12分/1回/田町)

「ハウスメイトショップ目黒店」の須田さんオススメの駅
10位 洗足
15位 中延
ランク外 武蔵小山 9.0万円(東急目黒線/東京都品川区/11分/0回/三田)

日吉キャンパス最寄り:日吉駅まで15分以内の家賃相場が安い駅TOP15(16駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 白楽 5.7万円(東急東横線/神奈川県横浜市神奈川区/11分/0回)
2位 高田 5.9万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/5分/0回)
3位 妙蓮寺 6.0万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/9分/0回)
3位 東白楽 6.0万円(東急東横線/神奈川県横浜市神奈川区/13分/0回)
5位 大口 6.3万円(JR横浜線/神奈川県横浜市神奈川区/13分/1回)
6位 日吉本町 6.4万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/2分/0回)
7位 大倉山 6.5万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/4分/0回)
7位 日吉 6.5万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/0分/0回)
7位 東山田 6.5万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市都筑区/7分/0回)
7位 菊名 6.5万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/5分/0回)
11位 小机 6.55万円(JR横浜線/神奈川県横浜市港北区/14分/1回)
12位 綱島 6.9万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/1分/0回)
13位 元住吉 7.0万円(東急東横線/神奈川県川崎市中原区/1分/0回)
14位 中川 7.13万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市都筑区/15分/1回)
15位 平間 7.2万円(JR南武線/神奈川県川崎市中原区/11分/1回)
15位 武蔵新城 7.2万円(JR南武線/神奈川県川崎市中原区/12分/1回)

「ハウスメイトショップ目黒店」の須田さんオススメの駅
12位 綱島
13位 元住吉
ランク外 武蔵小杉 8.2万円(東急東横線/神奈川県川崎市中原区/3分/0回)

慶應義塾大学を代表する2つのキャンパス周辺の環境&家賃相場は?

慶應義塾大学の主なキャンパスといえば、多くの学部の1・2年生が通う日吉キャンパスと、同様に複数の学部の2~4年生や大学院生が通う三田キャンパス。特に東京都港区にある三田キャンパスは慶應義塾の原点といえる地だ。最寄駅である田町駅にはJRの山手線や京浜東北・根岸線が乗り入れており、駅周辺はビジネス街として発展。駅から大学へと向かう通り一帯はリーズナブルな飲食店がひしめく学生街としても愛されている。田町駅のすぐ近くには都営三田線と浅草線が通る三田駅が位置。キャンパスから北へ徒歩8分ほどの場所にある都営大江戸線・赤羽橋とあわせて、この3駅が主に大学の最寄駅として利用されている。

田町駅前(写真/PIXTA)

田町駅前(写真/PIXTA)

三田駅(写真/PIXTA)

三田駅(写真/PIXTA)

赤羽橋駅周辺(写真/PIXTA)

赤羽橋駅周辺(写真/PIXTA)

そんな田町駅周辺のシングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。駅から徒歩15分圏内。以下同)の家賃相場は11万1000円、三田駅の家賃相場は11万3000円、赤羽橋駅の家賃相場は12万2000円。大学への通いやすさなら最寄駅周辺に住むのが一番だろうが、学生にとってこの家賃相場は相当高めに思える。実際、今回お話をうかがった「ハウスメイトショップ目黒店」の須田さんによると、「徒歩で通える三田周辺は家賃が高めのため、電車を使ってドア・トゥ・ドアでキャンパスまで30分以内にある物件を探す方が多い印象です」とのこと。上記ランキングで記載している所要時間は「電車の乗車時間(乗り換え時間含む)」であり「物件~駅~大学間の所要時間」は含まないので、その点は物件探しの際に考慮したい。とはいえ家賃相場に注目するとトップ20の駅は7万円台~8万円台で、田町駅や三田駅、赤羽橋の周辺よりも2万5000円~5万円ほど費用をおさえることが可能だ。

慶應義塾大学 日吉キャンパス(写真/PIXTA)

慶應義塾大学 日吉キャンパス(写真/PIXTA)

神奈川県横浜市港北区に位置する日吉キャンパスの最寄駅は、東急東横線と東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンラインが乗り入れている日吉駅。駅を出るとまず見事なイチョウ並木に目を奪われる。この並木沿いを進むと敷地面積約10万坪という広大なキャンパスにたどり着く。駅周辺にはにぎやかな商店街があり、学生が日常使いできる飲食店も多彩。駅直結の「日吉東急アベニュー」には食料品店からユニクロなどの服飾・雑貨店、家電量販店までそろっており、日常生活に必要な買い物はすべて駅周辺でまかなえそうだ。駅前の商店街を抜けると静かな住宅地が広がっており、住む街としても魅力的だ。

日吉駅周辺(写真/PIXTA)

日吉駅周辺(写真/PIXTA)

7位にランクインし、起点駅でもある日吉駅周辺の学生向け賃貸物件の家賃相場は6万5000円。都心に位置する三田キャンパスに比べれば、学生にも手が届きやすい価格帯だろう。実際、「日吉駅もしくは、近隣駅の徒歩圏内で探される学生が多いですね」と「ハウスメイトショップ武蔵小杉店」店長の高橋良平さん。日吉キャンパスは単位取得のため学校に行く機会が多い1・2年生時に通う人が多いので、特にキャンパスへの近さが重視されるようだ。

高橋さんは「近すぎると友人のたまり場になり、遠すぎると通うのが面倒になるので、学校から20分ほどの範囲で探すのもいいですよ」とアドバイスをくれた。友達と過ごすばかりでなく一人の時間も大事にしたいタイプや、大学がある街以外での生活も楽しみたいなら、最寄駅とは別の場所に住むのがいいかもしれない。

とにかく家賃が安いことを望むなら、駅からの距離や広さを妥協するのもよいだろう。しかし一度住まいを決めたらそう簡単には引越しするわけにもいかないので、安さばかりではなく住みやすい街かどうかも気になるところ。そこで先に登場したお2人に、三田・日吉の各キャンパスに通う学生の住む街としておすすめの駅を教えてもらった。

三田キャンパスに通う学生の住まいとしておすすめの駅3選

まずは三田キャンパスに通う学生も利用するという、「ハウスメイトショップ目黒店」須田さんがおすすめする街を紹介しよう。住む街を選ぶ際のポイントは、「交通の利便性が高い駅であること」と話す須田さん。「三田キャンパスを利用する3・4年生は、アルバイトや就職活動など学校外での活動が増えてくる時期。そのため学校への行きやすさをふまえた上で、他の場所へのアクセスの利便性も高い駅を選ぶのがよいでしょう。特におすすめは東急目黒線の沿線。都営三田線と相互直通運転されていてキャンパスがある三田駅まで乗り換えせずに行けること、目黒駅に出れば都内の主要駅に行きやすいJR山手線に乗り換えられる点が魅力です」

武蔵小山駅前の様子(写真/PIXTA)

武蔵小山駅前の様子(写真/PIXTA)

なかでも須田さんイチ押しは、急行停車駅でもある東急目黒線・武蔵小山駅。大学最寄りの三田駅までは都営三田線直通の東急目黒線なら約11分で行くことができる。家賃相場は9万円と少々高めで、今回のランキングでは27位だった。「開発が進み、近年は家賃相場が上がった点はネック。ですが、東京で最も長いアーケード商店街があって、買い物や外食にたいへん便利な環境です。にぎわいのある街なだけに適度に人目があり、治安の面でも安心感があると評判で、学生の一人暮らしでも安心でしょう」。都内最長だというアーケード商店街「武蔵小山商店街パルム」は、全長約800m! 店舗数は約250軒にのぼり、例年は夏の納涼市や秋のサンバパレードなどイベントも豊富。あちこちの街へ出かけにくいコロナ禍では、自分の住む街自体にこうした楽しみがあることが特に魅力的に思える。

武蔵小山商店街パルム(写真/PIXTA)

武蔵小山商店街パルム(写真/PIXTA)

もう少し家賃相場をおさえたいなら、「東急目黒線の東京都区間内では比較的に家賃相場が安い、洗足(せんぞく)駅もおすすめです」と須田さん。洗足駅の家賃相場は8万4000円で10位にランクインしており、三田駅までは約16分でたどり着く。「駅前にスーパーやドラッグストアがそろっていて買い物に便利な環境です。駅周辺は閑静な住宅街で落ち着いた印象です。ただ、人通りが少ない点が心配なら、住まい探しの際に駅までの道のりチェックも忘れずにしましょう」。この洗足駅前には美しいイチョウ並木が続き、並木通り沿いを中心に商店街が広がっている。日々の食事に役立つ惣菜店もあるほか、神保町に本店がある欧風カレーの名店「ボンディ」の支店も。商店街をめぐり、自分のお気に入りの店を探すのも楽しそうだ。

洗足駅前の風景(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

洗足駅前の風景(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

須田さんがもう1駅、おすすめしてくれたのが15位の都営浅草線・中延(なかのぶ)駅。家賃相場は8万6000円で、三田駅までは約11分。「都営浅草線と東急大井町線が利用できて便利。若者に人気の自由が丘駅までも1本で行くことができます。駅近くには商店街が3つあり、八百屋さんや精肉店などが並んでいるので食費をおさえる助けにもなるかも。駅前にユニクロがあるのもうれしいところです」。商店街のなかでも注目は、「なかのぶスキップロード」と呼ばれる中延商店街。中延駅から北に延びており、東急池上線の荏原中延駅まで約330mも続くアーケード商店街だ。買い物に利用できる商店街独自のポイントシステムも用意されているので、ポイントを貯めつつお得に買い物が楽しめる。

なかのぶスキップロード(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

なかのぶスキップロード(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

日吉キャンパスに通う1・2年生が住むなら、こちらの駅がおすすめ!

続いて日吉キャンパスに通う学生におすすめの街を、「ハウスメイトショップ武蔵小杉店」店長の高橋さんに伺った。先述した通り、日吉キャンパスに通う学生は日吉駅や近隣駅に住むことが多いのだそう。「日吉駅や日吉近隣の東急東横線沿線は、飲食店をはじめ商業施設が充実している駅も多く、初めての一人暮らしでも安心して居住できる環境ですよ」と話す高橋さん。なかでも特におすすめの駅を3つ、教えてくれた。

おすすめ度1位は日吉駅の隣、東急東横線と東急目黒線が通る元住吉駅で、家賃相場は7万円で家賃相場ランキングでは13位に登場している。「駅を挟んで東西2つの商店街があり、チェーン系の店舗・地元の個人商店も含め約270店舗の商店が立ち並んでいます。主にファミリー層が住むエリアなので、落ち着いた住環境を求められる方には非常におすすめできる駅です」。また、駅から徒歩7分ほどの場所に広大な「川崎市中原平和公園」があったり、駅前を流れる渋川沿いに約2kmにわたる桜並木が続いていたりと、自然を感じられる環境なのも魅力だという。気軽に遠出しづらいコロナ禍において、近所にリフレッシュできる場所があるのはうれしいものだ。

元住吉駅(写真/PIXTA)

元住吉駅(写真/PIXTA)

続いておすすめしてくれたのは東急東横線と東急目黒線、JR南武線が乗り入れている武蔵小杉駅。日吉駅までは2駅・約3分、家賃相場は8万2000円だ。「家賃の価格帯は少し上がりますが、住みたい街ランキングでも上位に入る、人気が高いエリアです。『ららテラス 武蔵小杉』や『グランツリー武蔵小杉』など大型商業施設も充実。乗り入れ路線も多く、都内への玄関口として非常に利便性が高い駅です」。

武蔵小杉駅東口の様子(写真/PIXTA)

武蔵小杉駅東口の様子(写真/PIXTA)

「SUUMO住みたい街ランキング2021 関東編」(リクルート調べ)で14位にランクインした武蔵小杉駅は神奈川県川崎市にあるが、駅東側を流れる多摩川を越えると東京都大田区に。東急東横線の通勤特急に乗れば、自由が丘駅まで1駅・約5分、渋谷駅まで3駅・約15分で行くことができる。日吉キャンパスまでの近さはもちろんのこと、せっかく進学で上京するならば都内までの近さも重視したい人にとっては、うってつけの環境といえるだろう。また、武蔵小杉駅は今回調査した「三田キャンパス」周辺の家賃相場が安い駅ランキングで4位にランクインしてもいる。1・2年次は日吉キャンパス、3年次以降は三田キャンパスに通う予定の学生なら、進級後も引越しせず済み続けられる点も便利そう。

高橋さんおすすめの3つ目の駅は、12位にランクインしている東急東横線・綱島駅。元住吉駅とは逆側、日吉駅から下り方面へ1駅目に位置しており、家賃相場は6万9000円。「スーパーやドラッグストア、飲食店など、駅周辺には幅広いジャンルの店舗がとても豊富。2022年度には東急新横浜線の新綱島駅が開業予定で、ますます利便性が高まる点も注目です!」と高橋さん。

新綱島駅のイメージ(写真/PIXTA)

新綱島駅のイメージ(写真/PIXTA)

東急新東横線は日吉駅~新横浜駅を結ぶ路線として開業予定で、同じく開業準備が進む新横浜駅~羽沢横浜国大駅・西谷駅を結ぶ相鉄新横浜線とともに、相鉄・東急直通線の連絡線としての役割を担う。開業したあかつきには相鉄線と東急線との相互直通運転が可能となる。新しく誕生する新綱島駅は綱島駅から100mほどの位置なので、この辺りに住むと将来的には2駅2路線が利用できるわけだ。

さて今回はランキング調査に加え、これまで多くの学生を新生活へと送り出してきた不動産会社のお話を参考に、学生におすすめの街をご紹介した。安さ重視でランキングの駅を参考に探すもよし、環境重視でおすすめに挙げてもらった街で探すのもよし。自分好みの街に住んで、ぜひ楽しい新生活を送ってほしい。

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている田町駅、三田駅、赤羽橋駅まで20分以内、日吉駅まで電車で15分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/8~2021/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年10月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

知的障がい者の一人暮らしをサポート。24時間体制の介助「パーソナルアシスタンス」とは?

重度の知的障がいと自閉症をもちながらも、都内でアパートを借り、1人暮らしをする岡部亮佑さん。自分らしい生活ができる理由は、公的な制度の利用に加え、本人の自己選択に基づき、24時間体制でサポートするパーソナルアシスタントの存在。とある平日に同行し、アシスタントチームのマネージャーである中田了介さんと、亮佑さんの父親で社会福祉学者の岡部耕典さんにお話を聞きました。

将来の自立を考え、11歳から介助者のいる暮らしをスタート

日本の人口の7.4%(936.6万人)に当たる障がいがあるとされる人のなかで、知的にハンディを負う人は108.2万人。障害者手帳を有する65歳未満の知的障がい者は96.2万人ですが、そのうち81%が親や兄弟・姉妹をはじめとした同居者、また14.9%がグループホームといった施設に住んでおり、1人暮らしをする人は、わずか3%にとどまっています(2016年 厚生労働省 生活のしづらさなどに関する調査)。
そんななか、岡部亮佑さん(以下、亮佑さん)は重度の知的障がいと自閉症をもちながら24時間体制で介助者の力を借り、自立した生活をしています。

通所施設から帰宅中の岡部亮佑さん(右)とパーソナルアシスタントの中田了介さん(左)(写真撮影/田村写真店)

通所施設から帰宅中の岡部亮佑さん(右)とパーソナルアシスタントの中田了介さん(左)(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんは赤い洋服が好きで、自分で選ぶことも。休日は自立生活センターの仲間とプールや川で遊んだり、パーソナルアシスタントと公園や銭湯に行ったりして過ごします(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんは赤い洋服が好きで、自分で選ぶことも。休日は自立生活センターの仲間とプールや川で遊んだり、パーソナルアシスタントと公園や銭湯に行ったりして過ごします(写真撮影/田村写真店)

今年28歳になる亮佑さんが、実家を離れて1人暮らしを始めたのは、学校生活を終える18歳のときのこと。しかし、それ以前から介助者が身近にいる日々を送っていました。背景には、ご両親の考えがあります。
「常に見守りが必要で、集団生活でストレスを抱えがちな息子の将来を思えば、早い段階で自立を支えてくれる人を見つけ、環境を整えたほうがいい」と、小学校5年生のときから平日は放課後から夕食までの約4時間、休日は丸1日を介助者と過ごしてきたのです。
常時8人ほどが交代で訪れていたため、大人に差しかかるころには、本人の意思をくんだ上で適切に対応できるチームがつくられていました。
ハンディを負う当事者が、主体性をもって生活するべくアシスタントを育て、サービスを利用していくことを“パーソナルアシスタンス”といい、北欧やイギリス・カナダなどでは一般的です。亮佑さんは、まさにその概念を日本で体現しているといえます。

本人の意思を尊重しつつ、リスクを回避するのもアシスタントの役割

平日は通所施設、土日はプライベートの時間を過ごす亮佑さん。現在、かかわっているパーソナルアシスタント(以下、アシスタント)は、全て当初から契約している自立生活センター「特定非営利活動法人 グッドライフ」のスタッフです。
「自立生活センター」とは、障がいのある当事者が中心になり、地域生活をかなえるための各種サービスや情報提供などを行う民間機関のこと。中田了介さんが亮佑さんのアシスタントチームのマネージャーとなり、自身もアシスタント業務に入りながら、全体のスケジュール調整や課題解決を図っています。
中田さんは、亮佑さんが介助者利用を開始したころからのメンバー。付き合いは17年にもなると言います。
ある平日の2人に同行させてもらいながら、お話を伺いました。

高校時代の同級生が介護の専門学校に通っていたことから関心をもち、介護福祉士になった中田さん。最初は老人ホームでキャリアを積んでいましたが、先輩に誘われ自立生活センターで仕事をするように(写真撮影/田村写真店)

高校時代の同級生が介護の専門学校に通っていたことから関心をもち、介護福祉士になった中田さん。最初は老人ホームでキャリアを積んでいましたが、先輩に誘われ自立生活センターで仕事をするように(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんの日常でアシスタントがつかないのは、通所施設の間だけ。この日は施設終了時間の16時に中田さんが訪れ、ともに自宅に向かいました(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんの日常でアシスタントがつかないのは、通所施設の間だけ。この日は施設終了時間の16時に中田さんが訪れ、ともに自宅に向かいました(写真撮影/田村写真店)

自閉症には「言葉のやりとりの難しさ」「特定のものごとへの強いこだわり」といった、共通して見られがちな傾向があるものの、一人ひとりで個性や人となりはさまざまです。亮佑さんの場合は好きなことが明確で、常にやりたいことがいっぱい。中田さんはパーソナルアシスタントとして、本人の自己決定に基づいてサポートしていきますが、ただ、時としてそうでない場面が出てくると言います。

「例えば本人の嗜好のまま食事をすると、ソースを大量にかけたり、甘いジュースをとことん飲んだりしてしまうことが。『健康を害しても好物だから構わない』と納得しているならよいですが、そうではありません。ぎりぎりまで尊重しますが、『これは止めておこう』と促すこともあります」(中田さん)

帰り道が、毎回同じだと執着が生まれてしまうことや、その時々で調子に違いがあるため、アシスタントが臨機応変に変えます。亮佑さんが中田さんに腕を添えるのは比較的、状態が優れないときですが「この人は大丈夫」と感じている証しでもあります(写真撮影/田村写真店)

帰り道が、毎回同じだと執着が生まれてしまうことや、その時々で調子に違いがあるため、アシスタントが臨機応変に変えます。亮佑さんが中田さんに腕を添えるのは比較的、状態が優れないときですが「この人は大丈夫」と感じている証しでもあります(写真撮影/田村写真店)

自動販売機の前で清涼飲料水の見本を指さし、飲みたいことを示す亮佑さん。何本も欲しいと伝えますが、促されて1本に。リュックから財布を取り出し、中田さんがお金を払います(写真撮影/田村写真店)

自動販売機の前で清涼飲料水の見本を指さし、飲みたいことを示す亮佑さん。何本も欲しいと伝えますが、促されて1本に。リュックから財布を取り出し、中田さんがお金を払います(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんには感覚が繊細なところがあり、人の騒がしい声などを聞くと、調子が傾いて行動が落ち着かなくなることが。また、マンホールを踏んだり、水に触れたりするのを好むため、道端で見掛けると突進しそうになることもあります。放っておくと社会生活の輪から外れてしまうため、これを制して周囲の人と調和できるようにすることもアシスタントの役割です。

公園は、帰りによく立ち寄る場所。この日はたまたま居合わせたお子さんとともにブランコをこぎました(写真撮影/田村写真店)

公園は、帰りによく立ち寄る場所。この日はたまたま居合わせたお子さんとともにブランコをこぎました(写真撮影/田村写真店)

「行動の傾向が目立ちやすく、変わった人に映るかもしれませんが、『やりたいな』と思うことをしているのはみんなと同じ。亮佑さんの場合は『赤信号で渡らない』など、基本的なルールをわかっていますが、障がいの内容は本当に人それぞれです」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

「行動の傾向が目立ちやすく、変わった人に映るかもしれませんが、『やりたいな』と思うことをしているのはみんなと同じ。亮佑さんの場合は『赤信号で渡らない』など、基本的なルールを分かっていますが、障がいの内容は本当に人それぞれです」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

今日は公園に約40分滞在。最後は中田さんもブランコに参加。自閉症の人は「同調」を好むところがありますが、「合わせなくては」と苛立ちになり得るため、偏り過ぎないことが大切と言います(写真撮影/田村写真店)

今日は公園に約40分滞在。最後は中田さんもブランコに参加。自閉症の人は「同調」を好むところがありますが、「合わせなくては」と苛立ちになり得るため、偏り過ぎないことが大切と言います(写真撮影/田村写真店)

公園を出たら、手袋とゴミ袋を買いにホームセンターへ。亮佑さんが要求しなくても生活のなかで必要になる日用品は、前日のアシスタントがノートに書き込み、翌日の担当者が買うようにしています(写真撮影/田村写真店)

公園を出たら、手袋とゴミ袋を買いにホームセンターへ。亮佑さんが要求しなくても生活のなかで必要になる日用品は、前日のアシスタントがノートに書き込み、翌日の担当者が買うようにしています(写真撮影/田村写真店)

時間をかけてきたからこその、当事者とアシスタントの心地いい関係

当事者の身の回りでできないことに対し、介助者がどうかかわっていくかは、事業所によって考えが異なります。自立の一環として一緒に取り組む人もいますが、亮佑さんのアシスタントチームでは、本人が関心の無いことは無理強いしない方針。例えば食事は基本的に食べたいものがあるのでそれに沿いますが、掃除や洗濯・日用品の買い足しは、完全にアシスタントが行います。

「ただ、はっきり『する・しない』の線引きをしているわけではなく、そのときの状況を見た上で長年の感覚に頼ることが多いです。毎日の洋服選びや休日に出掛けるスポットなどは、日ごろから本人の親しんでいるものがわかるので、自然と答えが落ち着きます」(中田さん)

これは亮佑さんとアシスタントチームが17年の月日のなかで、心地よいあり方を育んできたからこそ。
一方で、入所施設やグループホームだと、こうはいかないと話します。

本人の好みで自炊をすると味つけが偏りがちなため、最近は外食が中心。「食事、何にしようか」と中田さんが聞くと「うどん、ポテト」と亮佑さんが言い、これらがそろう回転寿司店へ(写真撮影/田村写真店)

本人の好みで自炊をすると味つけが偏りがちなため、最近は外食が中心。「食事、何にしようか」と中田さんが聞くと「うどん、ポテト」と亮佑さんが言い、これらがそろう回転寿司店へ(写真撮影/田村写真店)

「施設ではどうしても複数の入居者を1人のスタッフで見るため、後回しになることが出てきます。以前いたグループホームで、たまたま1対1で入居者を見るようになった時期があるのですが、自由に過ごせることで穏やかになり、知らなかった一面が見えてきた方がいました。異動の多い施設だとなおさら、一人ひとりとじっくり向き合い、理解していくのは難しいでしょう。一概に1人暮らしがよいとは言いませんが、違いはあると思います」(中田さん)

築約30年・2DKのアパートは自分名義で借りたもの。お茶を入れ、絵を描き、音楽を聴き、ゲームをしてと、帰宅後もやりたいことがたくさん。ただ本人ができることが必ずしも安全とは限らないため、中田さんは常に注意をめぐらせています(写真撮影/田村写真店)

築約30年・2DKのアパートは自分名義で借りたもの。お茶を入れ、絵を描き、音楽を聴き、ゲームをしてと、帰宅後もやりたいことがたくさん。ただ本人ができることが必ずしも安全とは限らないため、中田さんは常に注意をめぐらせています(写真撮影/田村写真店)

頸椎損傷やALSの人の在宅介護をしたこともある中田さん。亮佑さんが就寝中、隣で横になりますが、少しの気配で起きることができると言います(写真撮影/田村写真店)

頸椎損傷やALSの人の在宅介護をしたこともある中田さん。亮佑さんが就寝中、隣で横になりますが、少しの気配で起きることができると言います(写真撮影/田村写真店)

各種制度の利用に加え、息子のよき支援者をつくることに尽力

1人暮らしがすっかり板についている亮佑さんですが、どうやってここまでの土台を築いてきたのでしょう。
父親であり、社会福祉学者でもある岡部耕典さんにお話を聞きました。

早稲田大学教授で福祉社会学・障害学を専門とする岡部耕典さん。これまで障がい者政策・制度改革にも携わっていました(写真提供/岡部さん)

早稲田大学教授で福祉社会学・障害学を専門とする岡部耕典さん。これまで障がい者政策・制度改革にも携わっていました(写真提供/岡部さん)

現在、亮佑さんの生活支援は夜間を含む介護(重度訪問介護)と施設への通所(生活介護)、生計は「障害年金」「特別障害者手当」「東京都重度心身障害者手当」で成り立っています。岡部さんご夫妻は、自分では環境を整えられない息子の親として、資金面の基盤を用意するだけでなく、自立を支えてくれる支援者をつくることに力を入れてきました。
重度訪問介護とは、重度の肢体不自由者もしくは行動上著しい困難がある知的障がい者および精神障がい者が、生活全般にわたる介護を受けられる制度のこと。認定された事業所であればどこでも利用できますが「パーソナルアシスタンスの考えに理解があること」「丸1日のサポートに対応できること」を重視すると、おのずと見えてきたのは自立生活センターだったと言います。
ただ、長時間の重度訪問介護制度を使うのは、地域によっては壁が高いのだとか。

「自治体によって姿勢が異なるため、きちんとコミュニケーションを取り、利用する側の意志を伝えていくことが必要です。例えば依頼する予定の事業所と、一緒に相談や申請に行くのもよいでしょう。自立生活センターなど、重度訪問介護の制度を熟知し、手続きに慣れている事業所もあります」(岡部さん)

いずれにしても地域で暮らすようにしたいとなったら「うちの子どもにできるはずがない」と思い込まず、重度訪問介護を利用した自立生活を選択肢に入れてみたらよいのでは、と話します。

「まずは、できるだけ早い段階から短時間でも介助者を利用してみて、本人が慣れていくこと。当事者を理解し、相談に乗り、ともに励んでくれるアシスタントを事業所と一緒につくり上げていくことが大事ではないでしょうか」(岡部さん)

思いがけないことを経験しながらも、自分らしい生活を営んでいく

今、亮佑さんが住むのは1人暮らしを始めて2軒目の物件。通所施設に近く、より静かな環境を求めて住み替えを決めたものの、希望するエリアで不動産会社から紹介してもらえたのは2軒だけ。部屋探しには、ままならない現実があると言います。また、道端などで人と接触したとき、一方的に非があるとされるケースも少なくないそうです。

「だからといって特別扱いされるのも違っていて、仮に迷惑をかけたならほかの人たちと変わらない対応をしてほしいと思うんです。そうすることで当たり前のように社会になじんでいけるのではないでしょうか」(中田さん)

中田さん自身、自閉症の人と接したのは亮佑さんが初めてで、言葉の少ないところに最初は躊躇したとか。しかし、今では意思疎通が図れないとは、まったく思わないと言います。

「たまに『何でこんなことにこだわるの?』と思って『あっ、そうか』と気付くんです。そのくらい自閉症であることを忘れています(笑)。
当事者と介助者は相性がありますし、もちろん役割を担っているので大変な場面もあります。でも1人と長く付き合うと、よく知った仲になるだけにラクでいられるんです。いろいろなところに出掛けると楽しいですし、『気持ちが通じ合った』『うれしいことが伝わった』と思える瞬間があるのが、この仕事のよさ。亮佑さんからたまに新しい言葉を聞けることがあり、日々の発見も面白いです」(中田さん)

亮佑さんは絵が得意で、国立新美術館で作品を展示するほか、都内のアート展で佳作を取ったことも。「フリーハンドで正確な直線や真円を描けるのですが、直に目にすると本当にすごいと感じます」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんは絵が得意で、国立新美術館で作品を展示するほか、都内のアート展で佳作を取ったことも。「フリーハンドで正確な直線や真円を描けるのですが、直に目にすると本当にすごいと感じます」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

「自閉症や知的障がいとされる人は、街のあちこちにいます。確かに触れたことのない言動を目の当たりにすると、驚いて『何かされるのでは』と感じるかもしれませんが、アシスタントが一緒であればまず大丈夫でしょう。どうあるべきかの答えはないかもしれません。でも、まずは知ってほしいと思います」(岡部さん)

最後に、これからの亮佑さんの暮らしの課題を問うと、中田さんは「今は十分な生活ができていて、これ以上はないほどだと思うので、現状維持かなと。この状態を長く続けられたらと、切に願います」と話しました。

ただただ自分らしく暮らしを営む。そうであることの意味がここにあるのかもしれません。

家を建てるなら知るべき8年後のリスク。ZEH基準未満の住宅は市場価値が下がる!?

2020年10月に菅前首相が宣言した「2050年までに脱炭素社会の実現」。でも、あと約30年あるなあ、なんてぼんやり思っている場合ではなかった。この宣言を受け、国はまるでせきを切ったかのように一気に動き出したのだ。それに伴い、私たちの住宅環境がこの10年で激変するかもしれない。脱炭素化社会実現に向けて具体的な施策を話し合う「脱炭素社会に向けた住宅・建築物の省エネ対象等のあり方検討会」はじめ、政府の政策動向に詳しい自然エネルギー財団の西田裕子さんに、今後の住宅に関する施策のポイントと、家の買い方やリフォーム等の注意点を伺った。

あと8年後にはZEH基準が最低の省エネ基準になる

2021年10月に第6次エネルギー基本計画が閣議決定された。当然、2050年までに脱炭素社会の実現に向けた計画なのだが、電気自動車の普及促進くらいでは全く足りなかった。その内容はもう明日明後日の私たちの考え方を大きく変えなければならないような方針がびっしりと詰まっていたのだ。

「例えば2050年までにゼロカーボンにするために2030年、つまりあと8年で2013年度から46%削減する目標が掲げられました。この46%削減目標は2021年10月31日~11月13日に開催されたCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)に向け、国連に日本の目標として提出されています」と西田さん。

(写真/PIXTA)

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あと8年で約半減。岸田首相も宣言時に2030年までを「勝負の10年」と言ったとおり、「これまでの削減方法の積み上げでは難しい数値」だと西田さんはいう。そこで「脱炭素社会に向けた住宅・建築物の省エネ対策等のあり方検討会」では、具体的な施策が話し合われた。

まず決められたのが2050年と2030年それぞれで目指すべき姿だ。私たちの住む家を含む「住宅・建築物」では下記のような目標が掲げられている。

※1/ZEHとは使うエネルギーを減らして、太陽光発電等でエネルギーをつくり、1年間で消費する一次エネルギー量をおおむねゼロ以下にする住宅のこと。ZEBはこのビル版 ※2/ストック平均で住宅については一次エネルギー消費量を省エネ基準から20%程度削減、建築物については用途に応じて30%または40%程度削減されている状態 ※3/住宅・強化外皮基準および再生可能エネルギーを除いた一次エネルギー消費量を現行の省エネ基準から20%削減。建物も同様に用途に応じて30%削減または40%削減(小規模は20%削減)

※1/ZEHとは使うエネルギーを減らして、太陽光発電等でエネルギーをつくり、1年間で消費する一次エネルギー量をおおむねゼロ以下にする住宅のこと。ZEBはこのビル版
※2/ストック平均で住宅については一次エネルギー消費量を省エネ基準から20%程度削減、建築物については用途に応じて30%または40%程度削減されている状態
※3/住宅・強化外皮基準および再生可能エネルギーを除いた一次エネルギー消費量を現行の省エネ基準から20%削減。建物も同様に用途に応じて30%削減または40%削減(小規模は20%削減)

「2050年にはストック、つまり既存の建物全てを平均するとZEH基準になるということです。平均ですからZEH基準に満たないものも少しはあるでしょうが、基準以上もあるという状態。これを実現するためにもまず、2030年には新築の住宅全てにZEH基準を義務化しなければなりません」

2020年に現行の省エネ基準でさえ義務化が見送られ、代わりに基準に適合しているかどうか“説明”することが“義務化”された。それと比べて省エネ基準より高いZEH基準があと8年で義務化されるというのは、かなり“今までのツケを払う”感がある。しかし、そうまでしないと「2030年に46%削減」「2050年にゼロ」を達成することは不可能なのだ。いつかはやろうと後回しにしてきた姿勢が、世界中で異常気象を起こしている。もう待ったなしだ、ということだ。

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さらに2030年のZEH基準義務化を達成するために、2025年には現行の省エネ基準がついに義務化される。「つまりあと3年で現行の省エネ基準が、あと8年でZEH基準が最低限の基準となるわけです」

一方、再生可能エネルギー(基本的には太陽光発電)は、2030年には新築の6割に導入するという具体的な目標も掲げられた。「2021年10月に第6次エネルギー基本計画が閣議決定されました。これには2030年までに日本の電源構成における再生可能エネルギーの割合を、2019年の18%から36~38%に引き上げる目標が定められています。これを達成するのに、荒廃した農地での太陽光発電利用や洋上風力の導入が間に合うかどうか。制度改革が必要になるなどリードタイムがかかり過ぎるからです。一番可能性があるのは住宅等建築物に太陽光発電を載せることです」

要は8年後には、ZEH基準の断熱・省エネ性を備え、太陽光発電を載せた住宅が“最低基準”になるということなのだ。

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8年後を待たず、今すぐZEH基準以上で建てないと資産価値が下がる

だから今ZEH基準以下の住宅を建ててしまうと、8年後の2030年には家の価値が自動的に下がってしまうことになる。何しろ周りはZEH基準以上の住宅ばかりになるのだから。

そうはいっても「急にZEH基準の家を建てろと言われても……」と戸惑う人も多いだろう。それは私たち消費者だけでなく、住宅メーカーや工務店、さらに窓や建材のサプライヤーも同じだ。しかし「2030年にZEH基準が最低基準」と目標が明確になったことは「ZEH基準以下の商品は今後つくっても売りにくくなるということです」。そのためZEH基準以上の商品マーケットが活性化するだろうと西田さんは指摘する。

「例えばZEH基準以上の断熱に必要な高断熱窓はすでに販売されています。ただ現状はZEH基準以下でも家を建てることができるため、マーケットとしては小さく、そのため価格も思うように下がりませんでした。しかしこれからはZEH基準に満たない住宅に使われる性能の窓をつくっても売れないわけですから、ZEH基準以上の住宅に合った高断熱窓が多く生産されることになります。既に高断熱窓は生産量の増加に伴い、価格が下がってきていますから、さらに量産効果による価格低下が期待できます」

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太陽光発電についても、先述の通り2030年には新築の6割に搭載される目標だ。FIT制度(再生可能エネルギーの固定価格買取制度)による売電価格が下がって、太陽光発電の設置をためらう人もいるだろうが、太陽光発電システムの価格も10年前に比べてかなり安くなってきている。発電した電力を自宅で使って光熱費を抑えたり、安いとはいえ売電して収入を得ることで初期費用は今なら約10年で回収可能だという。もちろんその先はプラスになるだけだ。さらに災害時にも活用できる可能性もある。何より周囲に太陽光発電が搭載された住宅が建つようになれば、備えていない家の価値が目減りしてしまう。

「設備が今後さらに安くなることを見越して、今はまだ搭載しないでおくにしても、将来的にどこに搭載するか検討しておいて、屋根のスペースを空けておいたり、配線等を家に引き込む準備だけでもしておいたほうがいいでしょう」

脱炭素社会に向けて、既に地域格差が生まれている

一方で、国のこうした施策より先に住宅の省エネ化を進めてきた自治体もある。例えば既に京都府京都市や鳥取県は、現状の省エネ基準より高い独自の基準を設け、脱炭素社会に向けた住宅の推進を図っている。東京都もその一つだ。

東京都では2019年から現在の省エネ基準より高い断熱・省エネ性能の基準を設け、クリアした住宅を「東京ゼロエミ住宅」と認定する「東京ゼロエミ住宅新築等助成事業」を開始。「それをさらに強化する方向で動いています。東京都の考え方としては、簡単にいえば国より早くZEH基準以上の住宅を普及させようというものです」

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(写真/PIXTA)

さらに、年間2万平米以上供給するような住宅メーカー等に、ZEH基準以上の住宅を一定割合建てることを義務化する検討も始まった。先日、小池知事が「新築住宅へ太陽光発電の設置を義務化することを検討」と発言したことはニュースにもなった。

太陽光発電については、東京都のように住宅密集地の場合、発電効率の劣る住宅もあるから義務化は難しいのではないかと西田さんに尋ねると「義務化されるのは住宅メーカー等、建てる側に対してです。ですから、ある住宅は2kWhの小さな太陽光発電だけど、別の住宅では8kWhとか、その住宅メーカーが手掛ける住宅のトータルで何kWh以上というように義務化されるでしょう」

このように自治体によって既に温度差がある。今後は脱炭素住宅が建てやすい・建てにくいという「自治体格差」がより見えやすくなりそうだ。脱炭素化に向けて積極的な自治体ほど、補助金制度等が充実していく。何しろあと8年でZEH基準が最低基準になる。住んでいる自治体はどう考えているのか、近隣はどうか、今のうちに確認しておくことが必要だ。

既存住宅や賃貸住宅でもZEH化が必須になりそう

以上はこれから新築住宅を建てることを検討している人に向けた心構えだが、とはいえ既存住宅や賃貸住宅で暮らす人が無関係でいられるはずはない。

国土交通省が試算した「住宅・建築物の新築・ストックの省エネ性能別構成割合(~2050)」を見てみよう。

BEIとは一次エネルギー消費量のこと。簡単にいえば数値が小さいほど断熱性能が高い。2030年に新築に義務化される「ZEH基準以上」とは、BEIの数値でいえば0.8以下、ということになる

BEIとは一次エネルギー消費量のこと。簡単にいえば数値が小さいほど断熱性能が高い。2030年に新築に義務化される「ZEH基準以上」とは、BEIの数値でいえば0.8以下、ということになる

ご覧のように図1の新築戸建のグラフは目標通りにいくと仮定して2030年以降は全てがZEH基準以上となっている。その一方で図2のストック、つまり既存住宅のほうは2050年でも約40%しか達成していない。

「現在は、新築に関する政策は固まってきましたが、既存住宅に関してはこれからという状況。既存住宅は基準に適合しないから壊すということはできませんから、改修リフォームの誘導施策や省エネ性能表示の義務化など、やらなければならないことがたくさんあります。それは今後の課題です」

何しろここまで見てきたように、今年に入って急にあれこれが決まってきている状況。既存住宅への対応が後回しになったのは致し方ないというべきか。しかし既存住宅についても避けて通れない問題だけに、今後新築同様に矢継ぎ早に施策が決まっていく可能性はある。実際、新築・リフォームとも省エネに対する多額の補助予算が決定しています。

少なくともZEH基準以上の住宅が増えるほど、そうではない既存住宅の価値は下がる。それにZEH基準以上ということは、断熱性能がとても高いため結露は発生しないし、ヒートショックの心配もほとんどないなど健康にも良く、光熱費も削減できるので住む人にとってはメリットが多い。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

「その家の事情に合ったリフォーム方法を提案してくれる省エネコンサルタントなどがもっと重要になってくるでしょう。それだけのマーケット規模があるのですから。例えば積水ハウスは、自社で建てた住宅のリフォームで、子どもが巣立って2階はあまり使わないという施主に対し、1階部分のみZEH基準の改修を行うというような改修提案も始めています。内側に高断熱窓を備えるといった応急措置から根本的な改修まで、今何をしたらいいか省エネのコンサルティングをできるような人が、今後は求められると思います」

賃貸住宅についても、現在検討されている省エネ性能表示が義務化されれば、どの賃貸住宅が快適か一目でわかるようになる。もう「家を買えば快適だけど、賃貸だから我慢」という時代ではないのだから、賃貸住宅でもZEH基準以上が入居者から求められるようになるだろう。賃貸住宅のオーナーからしても、ZEH基準に達していないと賃料の値引きの材料にされやすくなる。それでは賃料収入が先細るばかりだ。

振り返れば「2050年までに脱炭素社会の実現」宣言が号砲となり、あっという間にあれこれ決まってきた住宅にまつわるさまざまな施策。西田さんは「世界的な動きに対して遅かったが、それでもギリギリ間に合うタイミング」だという。30年後だから子どもたちの問題だなと思っていたら、実は自分に突きつけられていた課題。唐突ではなく、今までは霧が多くてよく見えなかっただけのようだ。

●関連情報
経済産業省「第6次エネルギー基本計画が閣議決定されました」

●取材協力
シニアマネージャー(気候変動)西田 裕子さん
シニアマネージャー(気候変動)
西田 裕子さん
専門は、都市再開発や再開発についての調査研究、都市のサスティナブルデベロップメント(環境建築/都市づくり)関連の政策。2017年まで、東京都において気候変動、ヒートアイランド対策の政策立案および国際環境協力を担当。世界の大都市ネットワークであるC40と連携して、都市の建築の省エネルギー施策集「Urban Efficiency」を取りまとめるなど、世界の都市をサポートする活動をしてきた。早稲田大学政治経済学部卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院卒、行政学修士。
自然エネルギー財団では、中長期戦略の策定、建築部門のエネルギー転換とともに、自治体やビジネスセクターなど非政府アクターの気候変動対策を支援する

リノベーション・オブ・ザ・イヤー2021受賞作に見る、最新トレンド18選

1年を代表するリノベーション作品を決める「リノベーション・オブ・ザ・イヤー」。その授賞式が2021年12月7日に開催されました。応募作品228から選出された総合グランプリをはじめ、各受賞作から最新のリノベーションの特徴を読み解きました。

【注目point1】自然災害、コロナ禍……リノベーションが地域復興の力に

ここ数年、毎年のように発生する大規模な自然災害に加え、一昨年から続くコロナ禍によって、大きな苦境に陥っている地域の文化や経済。物理的に破壊された地域や施設、観光経済に打撃を受けた地域。日本各地に暮らす人々にも多くの暗い影を落としています。

今年のグランプリ作品は、そうした地域に落ちた暗い影を吹き飛ばすような大型案件。2020年、球磨川の氾濫により甚大な被害を受けた「球磨川くだり」の観光拠点となる施設を復興したものでした。被災前、人吉城を踏襲した和風建築だった建物を、川向きに大きく開口した新旧融合の意匠により再生。本瓦の大屋根にガラス張りの開口部を組み合わせ、復興のシンボルとなる美しい佇まいを見せています。

災害復興だけでもかなりの費用やマンパワーなどが必要ですが、観光施設という、コロナ禍においては切り捨てられられがちな要因をものともせず、1年という比較的短い期間で再生を果たした点で、選考委員から「もっとも強烈にコロナの逆風が吹いた分野でのリノベーション」「関係者の決意に胸が熱くなる」「未来期待の創造もなしえた」と高い評価を受けました。

いまだ続くコロナ禍という大きな逆境を乗り越え、地域のシンボルとなる美しい自然と融合した憩いの場をつくり、地域に希望の光がもたらされる。リノベーションが生み出す大きな可能性を感じとることができました。

●総合グランプリ
『災害を災凱へ(タムタムデザイン+ASTER)』株式会社タムタムデザイン

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和の風情を宿す「HASSENBA」(人吉市)。木船での川下りという100年の歴史ある文化や景観を蘇らせています(写真提供/株式会社タムタムデザイン)

和の風情を宿す「HASSENBA」(人吉市)。木船での川下りという100年の歴史ある文化や景観を蘇らせています(写真提供/株式会社タムタムデザイン)

【注目point2】ワークスペースとプライベート空間の切り離しに特徴

暮らしが劇的に変わったこの2年。テレワーク、おうち時間の充実などは今や普通のこととなってきています。今回のエントリー作品はコロナ禍においてプランされたものがほとんど。そのため、2020年同様、今回も「ワークスペースの設置」という職住融合を形にした作品が数多く見受けられました。

そんな傾向において、今回受賞した「商店街の昔ながらの家」「都市型戸建を再構成する。」の2作品は、ワークスペースとプライベート空間とを切り離すことを重視した点で注目が集まりました。一気に普及したオンライン会議によって、ワークスペースの独立性を確保する必要に迫られた結果だと思われます。

2作品とも、ワークスペースを玄関の土間スペースと合体するという特徴があり、いずれも店舗の奥に居住スペースがある店舗併用住宅や農作業スペースのある農家などをイメージした、職住融合家屋である点が共通しています。「職住一体の暮らしを商店街のお店になぞらえて、新しいオンとオフのつくり方を提示している」と選考委員から評価されました。

●500万円未満部門・最優秀賞
『商店街の昔ながらの家』株式会社ニューユニークス

マンションの玄関ドアを開けると、8.86畳の土間ワークスペースが。店舗の奥に居住スペースがある昔ながらの商店のつくりを想起させます(写真提供/株式会社ニューユニークス)

マンションの玄関ドアを開けると、8.86畳の土間ワークスペースが。店舗の奥に居住スペースがある昔ながらの商店のつくりを想起させます(写真提供/株式会社ニューユニークス)

●1000万円以上部門・最優秀賞
『都市型戸建を再構成する。』株式会社アートアンドクラフト

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1フロアの面積が約25平米ほどのコンパクトな都市型3階建て。写真上のように1階の玄関を兼ねた土間のワークスペースと非日常感を味わえる屋上の対比が印象的(写真提供/株式会社アートアンドクラフト)

1フロアの面積が約25平米ほどのコンパクトな都市型3階建て。写真上のように1階の玄関を兼ねた土間のワークスペースと非日常感を味わえる屋上の対比が印象的(写真提供/株式会社アートアンドクラフト)

【注目point3】家族の成長に合わせた2回目リノベ

リノベーションは、家族の成長や人数の変化、ライフスタイルなどに応じて、住まいをより快適に変えていくという役割があります。だから1回では終わらず、中には2回、3回……と行う人も。今回は子どもの成長に合わせて、住み替えではなく、2回目のリノベーションを選んだという作品が受賞しています。

「リノベはつづくよどこまでも」「ハウスインハウスでタイニーハウス」の2作品は、家族4人で約68平米、家族3人で55平米といずれもコンパクトですが、間取り変更によって小さいながらも子どものスペースを生み出しています。ロフトや家内小屋空間など、ユニークな方法で空間を区切っているのが大きな特徴で、さまざまなリノベ手法の可能性があることが見て取れます。

作品名「リノベはつづくよどこまでも」が表すように、今後、必要に応じて全体的に、また部分的にリノベを重ねて長く住み続けることへの可能性を感じさせました。

●1000万円未満部門・最優秀賞
『リノベはつづくよどこまでも』株式会社ブルースタジオ

子どもの誕生やライフスタイルの変化に合わせて2度目のリノベでアップデート。子ども部屋やワークスペースをロフトでゆるやかに区切る、家族がつながるプランです(写真提供/株式会社ブルースタジオ)

子どもの誕生やライフスタイルの変化に合わせて2度目のリノベでアップデート。子ども部屋やワークスペースをロフトでゆるやかに区切る、家族がつながるプランです(写真提供/株式会社ブルースタジオ)

●ラブリーデザイン賞
『ハウスインハウスでタイニーハウス』株式会社ブルースタジオ

広い玄関土間の一角を子ども部屋に。収納付き2段ベッドとデスクというミニマムな空間が、小屋風のつくりで楽しい雰囲気に仕上がっています(写真提供/株式会社ブルースタジオ)

広い玄関土間の一角を子ども部屋に。収納付き2段ベッドとデスクというミニマムな空間が、小屋風のつくりで楽しい雰囲気に仕上がっています(写真提供/株式会社ブルースタジオ)

社会的課題を解決する作品や個性派リノベなどにも注目集まる

リノベーションが持つ社会的役割は大きく、社会のさまざまな課題を解決する手法としてその有効性を最大限発揮しています。いくつか事例を見ていきましょう。

1. 地域の活動拠点を担う施設へのコンバージョン
使われなくなった建物を、地域の人々が集う別の目的の施設へ変えていくことは、各自治体や各地方で進められています。受賞作の「BOIL_通信発信基地局から、地域参加型の文化発信基地局へ」は、神奈川県川崎市の「若い世代が集う賑わうまちづくり」の一環として、NTT基地局を文化施設にコンバージョン。「Blank~ワークライフバランスからワークライフシナジーへ~」は東北での活動拠点を担う施設となるべく、マンションをコンバージョンした複合施設です。

●無差別級部門・最優秀賞
「BOIL_通信発信基地局から、地域参加型の文化発信基地局へ」リノベる株式会社

楽しい雰囲気のフロントヤード。建物内にはブレイクダンス等のダンススタジオ、シェアキッチン、ブルワリー、コワーキングスペースが(写真提供/リノベる株式会社)

楽しい雰囲気のフロントヤード。建物内にはブレイクダンス等のダンススタジオ、シェアキッチン、ブルワリー、コワーキングスペースが(写真提供/リノベる株式会社)

●無差別級部門・最優秀賞
「Blank~ワークライフバランスからワークライフシナジーへ~」株式会社エコラ

築46年のマンションを、SOHO、アパートメント、ホテル、ワークスペース、シェアラウンジ、カフェ、イベントスペースに。地域に人の流れを生んでいます(写真提供/株式会社エコラ)

築46年のマンションを、SOHO、アパートメント、ホテル、ワークスペース、シェアラウンジ、カフェ、イベントスペースに。地域に人の流れを生んでいます(写真提供/株式会社エコラ)

2. 可変性の高い仕掛けで、産業廃棄物を最小限に
間取り変更を伴うリノベーションは、産業廃棄物増加の問題も生じさせます。受賞作「doredo(ドレド)−気軽に居場所を作り、作り直せる暮らし方−」は、木製の「箱」を組み合わせることで、部屋数や収納量などを変更できるフレキシブルさが特徴。暮らしに合わせて自分で間取りを変更することができるため、工事で生じる廃棄物問題を解決する有効な手法になる可能性を提示しています。一般的な「nLDK」という間取りの概念を壊すこのプランは、今後、より求められていくのではと感じました。

●R1フレキシブル空間賞
「doredo(ドレド)−気軽に居場所を作り、作り直せる暮らし方−」株式会社リビタ

箱型モジュール「doredo」を自由に組み合わせて、間仕切り兼収納とする可変性の高さが特徴。住みながらワークライフバランスやライフスタイルに合わせての間取り変更が可能に(写真提供/株式会社リビタ)

箱型モジュール「doredo」を自由に組み合わせて、間仕切り兼収納とする可変性の高さが特徴。住みながらワークライフバランスやライフスタイルに合わせての間取り変更が可能に(写真提供/株式会社リビタ)

3. 空き家問題を解決する住宅性能向上リノベ
全国にある空き家は約849万9000戸(「平成30年 住宅・土地統計調査」より)と、過去最多を記録。衛生環境や景観、治安などの悪化につながると危惧されている空き家問題を解決する方法として、リノベーションは有効です。高性能リノベーション、間取りや設備変更リノベーションで居住性能を格段に高めることで、新たな住み手を生み出しています。

●グリーンtoグリーン賞
「Green House」株式会社タムタムデザイン

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写真上、築約45年。蔦の絡まる写真はビフォーの状態。内装だけでなく耐震性や断熱性も高め、地球や住む人に優しい住環境を実現しています(写真提供/タムタムデザイン)

写真上、築約45年。蔦の絡まる写真はビフォーの状態。内装だけでなく耐震性や断熱性も高め、地球や住む人に優しい住環境を実現しています(写真提供/タムタムデザイン)

●R5アフォータブル性能リノベーション賞
「国交省の長期優良住宅化リフォーム補助金のおかげで」株式会社まごころ本舗

築約39年。国からの補助金200万円を受けることで高性能化を実現。この家のように、“長期優良化リフォーム再販物件”が広がることが期待されます(写真提供/株式会社まごころ本舗)

築約39年。国からの補助金200万円を受けることで高性能化を実現。この家のように、“長期優良化リフォーム再販物件”が広がることが期待されます(写真提供/株式会社まごころ本舗)

●省エネリノベーション普及貢献賞
「省エネリノベーションをもっと身近に」株式会社インテリックス

燃費計算や断熱材、高性能内窓、熱交換式換気装置、全館空調エアコンを標準仕様化することで、わかりにくくコストも高いという省エネリノベーションをパッケージ化&低コスト化(写真提供/株式会社インテリックス)

燃費計算や断熱材、高性能内窓、熱交換式換気装置、全館空調エアコンを標準仕様化することで、わかりにくくコストも高いという省エネリノベーションをパッケージ化&低コスト化(写真提供/株式会社インテリックス)

また、理想のライフスタイルを目指した個性派リノベが今回も目立っていました。

●フリーダムリノベーション賞
「ビートルに乗ってリゾートへ? いえ、ここは団地の一室です。」株式会社フロッグハウス

築40年の団地のリビングにドーンと可愛いビートルが鎮座! ビーチ気分に浸れる内装も個性的です(写真提供/株式会社フロッグハウス)

築40年の団地のリビングにドーンと可愛いビートルが鎮座! ビーチ気分に浸れる内装も個性的です(写真提供/株式会社フロッグハウス)

●ニューノーマルリノベーション賞
「暮らし方シフト2020」株式会社リビタ

165平米超のゆとりある空間

都心を離れ、郊外のメゾネットマンションで眺望と鳥の囀りを味わう暮らしにシフト。165平米超のゆとりある空間には夫婦それぞれのワークスペースと衣装部屋をリノベでプランしています(写真提供/株式会社リビタ)

都心を離れ、郊外のメゾネットマンションで眺望と鳥の囀りを味わう暮らしにシフト。165平米超のゆとりある空間には夫婦それぞれのワークスペースと衣装部屋をリノベでプランしています(写真提供/株式会社リビタ)

●絶景リノベーション賞
「穏やかな瀬戸内の海とともにある日常」よんてつ不動産株式会社

海を眺めながら過ごしたいという施主の憧れを実現。細かく分かれていた間取りを広げ、寝室の壁を引き戸にすることで、寝室までもオーシャンビューに(写真提供/よんてつ不動産株式会社)

海を眺めながら過ごしたいという施主の憧れを実現。細かく分かれていた間取りを広げ、寝室の壁を引き戸にすることで、寝室までもオーシャンビューに(写真提供/よんてつ不動産株式会社)

最後に注目したいのが、古き良き建物を生かしたリノベです。古民家は、古き良き情緒を感じさせてくれる地域の宝。とはいえ普段の使い勝手などを考えるとなかなか住み手が見つからない問題も。そんな古民家をリノベーションの力でより魅力的に快適に変えた作品を見ていきましょう。

●地域資源インテグレート賞
「アフターコロナを見据えた、地方建築家の新たな職能への挑戦」paak design株式会社

重要伝統建築群保存築に立つ築88年の古民家

重要伝統建築群保存築に立つ築88年の古民家を、最新テクノロジーによって、チェックイン/アウトまで完全非接触の宿泊施設に(写真提供/paak design株式会社)

重要伝統建築群保存築に立つ築88年の古民家を、最新テクノロジーによって、チェックイン/アウトまで完全非接触の宿泊施設に(写真提供/paak design株式会社)

●フォトジェニック賞
「古民家が継なぐ、ふたりの夢」株式会社アトリエいろは一級建築士事務所

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築100年超の古民家で指圧院とカフェを開業。移住+古民家リノベによって夫婦それぞれの夢が叶えられました(写真提供/株式会社アトリエいろは一級建築士事務所)

築100年超の古民家で指圧院とカフェを開業。移住+古民家リノベによって夫婦それぞれの夢が叶えられました(写真提供/株式会社アトリエいろは一級建築士事務所)

●ビジネスモデルデザイン賞
「目黒本町の家」株式会社ルーヴィス

築68年、昭和の趣が残る古民家。両隣が隣家と接するため、天窓と2階床に透過素材を用いて、1階に光を届けています(写真提供/株式会社ルーヴィス)

築68年、昭和の趣が残る古民家。両隣が隣家と接するため、天窓と2階床に透過素材を用いて、1階に光を届けています(写真提供/株式会社ルーヴィス)

●地域貢献リノベーション賞
「中山道脇のロングライフシンボル、町並みを応援する家」株式会社WOODYYLIFE

築40年の日本家屋。物置化していた広縁を濡れ縁に変更してデッキを拡張。地元産木材をはじめ、自然素材でどこか懐かしさを感じる、中山道の町並みに似合う外観に(写真提供/株式会社WOODYYLIFE)

築40年の日本家屋。物置化していた広縁を濡れ縁に変更してデッキを拡張。地元産木材をはじめ、自然素材でどこか懐かしさを感じる、中山道の町並みに似合う外観に(写真提供/株式会社WOODYYLIFE)

リノベーションが困難を乗り越え希望を見出す力となる

コロナ禍に揺れ、それを抜きには語れない年が2年続きました。テレワーク、オンライン会議が当たり前のように行われる状況では、家の中に専用スペースをつくらざるをえない人も増え、そうした「ワークスペースの拡充リノベ」が、リノベーション業界の大きなテーマとなっているのが今回の受賞作品から見てとれました。

ライフスタイルを見直すことが余儀なくされ、生活拠点をも見直すような事例も多かったでしょう。いずれの見直しにおいても、暮らしの質を高める手法としてリノベーションが有効であることを、各作品は教えてくれています。

2020年に洪水による大きな被害とコロナウイルス感染対策の影響をもろにかぶった観光施設の復興がたった1年(関係者にとっては長い1年だったでしょうが)で成し遂げられ、地域の希望となったことに、地元・熊本をはじめ、選考委員会や、投票(反響数830いいね!)した方々も驚いたのではないでしょうか。

希望や心の拠り所が求められる時代、リノベーションは、人が楽しく集える場所を生み出し、仕事も暮らしも快適に過ごせる住まいを数多くつくっています。授賞式を終えて、以前にも増してリノベーションが時代にも人々にも求められていることを感じました。

次回も、人々が希求する素敵なリノベーション作品に出合える日を心から楽しみにしています。

赤絨毯に盛装が決まっている受賞者のみなさん。2022年も素敵な作品を期待しています(写真提供/リノベーション協議会)

赤絨毯に盛装が決まっている受賞者のみなさん。2022年も素敵な作品を期待しています(写真提供/リノベーション協議会)

●関連記事
「洪水被害をうけた熊本県人吉市にもう一度、光を」。倒産寸前の川下りを新名所にした「HASSENBA」のドラマ

●取材協力
リノベーション協議会「リノベーション・オブ・ザ・イヤー2021」

木造住宅や建築が地球を救う!? 法改正で住まいの潮流は変わる?

2021年10月に木材利用に関する法律が改正された。もっと建築物に木材を利用しましょう、というものだが、なぜ今、国は木材利用を促進するのか。その背景には、単に脱炭素社会を進めるためだけでなく、森林を健全に保つことで人々の生活を豊かにし、地域経済を活性化しようという目標があった。今後の住宅やまちの建築物はどうなっていくのだろうか。具体的に見てみよう。

日本の人工林の半数以上がすでに利用期を迎えている

2021年10月に改正された法律は「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律」。要はもっと木材を利用しましょう、利用しやすい環境も整えます、という法律なのだが「改正」という通り、もとの法律は10年以上前の平成22年に制定された「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」だ。

「戦後復興による木材需要の高まりを受けて、日本全国で植林活動が盛んに行われるようになりました。それにより現在では約54億立方メートルという豊かな森林資源を保有するまでになりました。植林から50年以上が経って大きく育ち、本格的な利用期を迎えた人工林がたくさんあるのです」と林野庁の林政部木材利用課、櫻井知さん。

平成29年(2017年)時点で利用期を迎える51年生以上の人工林が全体の50%に達している。なお「齢級」とは、植林からの年数を5年の幅でくくった単位。植林した年を「1年生」として、「11齢級」なら51年~55年生となる(資料提供/林野庁)

平成29年(2017年)時点で利用期を迎える51年生以上の人工林が全体の50%に達している。なお「齢級」とは、植林からの年数を5年の幅でくくった単位。植林した年を「1年生」として、「11齢級」なら51年~55年生となる(資料提供/林野庁)

高性能林業機械による伐採の様子(写真提供/林野庁)

高性能林業機械による伐採の様子(写真提供/林野庁)

樹木は高齢になると成長量が減少し、CO2吸収量も減少するため、森林サイクルを回して若い森林を増やすことが重要だ。森林サイクルを回すメリットは、CO2削減だけではない。このサイクルを回すことで下記図の通り、全国各地の山間部の経済や雇用、生物の多様性、国土や水資源の保全、豊かな海の創出、健康の促進……多様なSDGsにも貢献することになる。「森林」にはそれだけたくさんの産業や、それに伴う人々が関わっていることになる。

人工林を伐って、使って、植えて、育てるという森林サイクルが回ることで、様々なSDGsに貢献することができる(資料提供/林野庁)

人工林を伐って、使って、植えて、育てるという森林サイクルが回ることで、様々なSDGsに貢献することができる(資料提供/林野庁)

木材は国外依存度が高く、安定的な供給が課題

そこで平成22年(2010年)に公共建築物での木材利用を促進する「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」が定められた。さらに木材の利用量を増やすため、2021年に入って公共建築物等だけでなく民間の建築物での利用も促す法律に改定されたというわけだ。

木材の利用事例。江東区立有明西学園(写真提供/ウッドデザイン賞運営事務局)

木材の利用事例。江東区立有明西学園(写真提供/ウッドデザイン賞運営事務局)

木材の利用事例。東急池上線戸越銀座駅(写真提供/ウッドデザイン賞運営事務局)

木材の利用事例。東急池上線戸越銀座駅(写真提供/ウッドデザイン賞運営事務局)

改定内容の大きな特徴は、対象物を単に民間建築物に広げただけでなく、建築主などの事業者による木材利用の取組を国や地方自治体が後押ししたり、川上から川下まですべからく見通しをよくし、お互いの信頼関係をつくることができるよう「建築物木材利用促進協定制度」が新設されたことにある。

木材の流通経路は、川の流れに例えて、よく「川上」「川中」「川下」と呼ばれる。「川上」は森林所有者や丸太の生産者、造林などの林業従事者など、主に原材料としての木材を供給する立場のこと。「川中」は木材の流通に関わる業者や、単板・合板、チップ等の加工業者、プレカット(施工前にあらかじめ使用サイズや形状に加工しておくこと)業者などが当てはまる。「川下」は住宅メーカーなどの施工会社、家具製造会社、バイオマス事業者、建築主や消費者など、木材の最終利用者や最終製品の提供者や利用者を指す。

「山に木が植えられてから、住宅などに使用される間には、たくさんの人々が関係しています。そのため川上からは川下の、逆に川下から川上も、それぞれが抱えている課題が見えにくくなっています」。また間に多くの人々が絡むということは、お互いの信頼関係が築きにくいということもある。

特に信頼関係が重要だということは、最近のウッドショックで例えるとわかりやすい。新型コロナウイルス感染症拡大により、アメリカでは一時期経済が落ち込んだ一方で、急速に新築戸建需要が高まり、木材の供給が需要に追いつかなくなった。そのため木材の価格が世界的に高騰。また、コンテナ不足によって、欧州、北米の現地サプライヤーは、アメリカ向けの供給を増やしたことなどにより、日本向けの供給量は減少。これがウッドショックだ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

先述の通り森林資源が豊かな日本は、一見ウッドショックと無縁かと思われがちだが、日本でも木材価格が高騰した。これまで多くの木材を輸入していた日本は、そもそもウッドショックを受けやすい。だからといって豊富なはずの国内に目を向けても、蛇口をひねるように木材は増えないからだ。例えば製材事業者ひとつとっても、これまで以上の製材を行うためには設備投資が必要になる。「投資後も木材の利用が進むようなら製材事業者としても投資するでしょうが、一時の需要だけで投資するのはリスクが高いのです」と櫻井さん。

投資の難しさを理解するために、もう1つ加えるならば、木は植えて50年後にようやく伐採できるということ。春に植えて秋には収穫できる稲作とはタイムスケールが大きく異なるのだ。ウッドショックで言えば「伐れば植えなければならないが、植えた木を50年後に買ってくれるんですか?」と懐疑的になってもおかしくはない。林野庁では、中期的な戦略として、サプライチェーン・マネジメントの構築によるハウスメーカー等からの国産材の安定需要の獲得、加工流通施設の整備等による国産材製品の供給量の増大や競争力の強化、ICTを活用した生産流通管理等による原木の供給量増大を図っていくこととしている。そこで「建築物木材利用促進協定制度」にも、国や地方自治体が川上・川中・川下の三者の信頼関係の構築に一役買うことが期待されている。

法改正により川上から川下まで、信頼関係が築ける環境をつくる

「建築物木材利用促進協定制度」とは、建築主となる民間の事業者等が、安心して木材の利用に取り組めるようにするため、国や地方公共団体、そしてその先の川中や川上サイドと結ぶ協定だ。主に下記のような形態が考えられている。国や地方公共団体が協定に関わることで、事業者等による取組が社会的に認知されやすくなったり、川上から川下までの関係する各者がお互いの信頼関係を構築しやすくなる。

建築物木材利用促進協定制度による協定のイメージ例。建築主となる事業者は、木材供給事業者等と本協定を締結することで、木材の安定的な供給を受けやすくなる。一方で木材を供給する側も安心して供給できる(資料提供/林野庁)

建築物木材利用促進協定制度による協定のイメージ例。建築主となる事業者は、木材供給事業者等と本協定を締結することで、木材の安定的な供給を受けやすくなる。一方で木材を供給する側も安心して供給できる(資料提供/林野庁)

川下である建設事業者側から見れば、これまで製材を販売する川中までは知っていたとしても、森林所有者など木材を供給する川上の事情まではあまり把握していなかった。しかしこの協定制度によって、利用する木材の産地にこだわることができたり、川上では今どんな種類・樹齢の木材が供給可能であるか、再造林は確実に行われているかなど、全体の流れを隅々まで把握できるようになるから、事業計画を立てやすい。逆に川上の木材供給側は川下の考えを直接聞けるようになるため、木材の供給や植林計画が立てやすくなる。その信頼関係は国や地方自治体等が入ることで裏付けもされる。

新設された「木材利用促進本部」は、いわばこの協定制度の旗振り役といったところ。建築物での木材利用促進に関する基本方針の策定や、実施の推進を行う。これまでは農林水産大臣や国土交通大臣の役割だったが、民間企業を広く巻き込む今回の改正後は環境大臣、経済産業大臣、総務大臣、文部科学大臣といった、関係するすべての大臣が加わっている。

さらに官民協議会「民間建築物等における木材利用促進に向けた協議会」(通称「ウッド・チェンジ協議会」)が昨年9月に立ち上がった。これには日本経済団体連合会(日本経団連)、経済同友会、日本商工会議所の経済3団体をはじめ、日本建設業連合会など建築サイド、全国森林組合連合会や全国木材組合連合会など木材供給サイド、全国知事会など行政サイド……という具合に、川上から川下までの各界の関係者が一堂に会する協議会だ。「法改正を契機として、経済3団体を含む幅広い団体に参画いただくことができました」と櫻井さん。今回の法改正は、木材の利用促進にオールニッポンとして一丸となって取り組もうという意思の表れともいえる。

環境問題への取り組みは、もはや企業の至上命題

実際に、民間企業が木材利用を進めている事例も出てきている。例えば三井ホームは国産材も用いて木造マンション「モクシオン」を建設。また三菱地所は建材用の木材の製造から販売までのビジネスフローを統合することで、中間コストを抑制し、新たな建材の生産や、プレファブ化を行う新会社「MEC Industry」を設立。通常の一戸建てでの商品力・供給力を高めるだけでなく、中高層建築・大規模建築物においても木材利用を推進していくことを目指している。

昨年10月に竣工した東京都中央区銀座の「HULIC &New GINZA 8」(ヒューリック アンニュー ギンザエイト)も民間企業による木材利用促進事例の一つだ。

HULIC &New GINZA 8。約60mという高さのうえ、細長いため先進的な技術が必要だった。設計施工は竹中工務店、基本デザイン監修を隈研吾建築都市設計事務所が担当した。

HULIC &New GINZA 8。約60mという高さのうえ、細長いため先進的な技術が必要だった。設計施工は竹中工務店、基本デザイン監修を隈研吾建築都市設計事務所が担当した。

日本初の耐火木造12階建て商業ビルで、木造+鉄骨造のハイブリッド建築。内装では木材を利用した柱や梁、天井が現し(構造材が見える状態のまま仕上げる方法)となっていて、外装材にも木材が利用されている。しかもこの建築で使用された木材と同等量の、約1万2000本が福島県白河市で植林され、森林サイクルを回している。

貸室内観。外観には天然木のルーバーをあしらい、内装では耐火集成材の柱や梁、CLT(直交集積板)の天井が現しとなっている

貸室内観。外観には天然木のルーバーをあしらい、内装では耐火集成材の柱や梁、CLT(直交集積板)の天井が現しとなっている

ヒューリックプロパティソリューション(株)の浦谷健史副社長は「きっかけは2018年の、経済同友会で提言としてまとめられた『地方創生に向けた“需要サイドからの”林業改革~日本の中高層ビルを木造建築に!~』。主に都心における建築での木材利用を促進し、それにより林業の活性化を図り、地方の創生に繋げていこうという趣旨です。もともと当社は約10年前からCO2削減に着目して事業を展開してきましたが、これに地方創生を加えた方針に賛同し、自ら第一号のビル(HULIC &New GINZA 8)を建てて世の中に木造利用の促進を訴えようと考えたのです」

CO2削減に以前から着目していたというが、それはなぜか? 「ESG投資(環境・社会・企業統治に配慮している企業を重視・選別して行なう投資)が注目されているように、これからの企業にとって、企業価値を高めるために環境問題に取り組むことはもはや必須だからです」

実際、同社は約7年前から太陽光発電事業に参入し、全国各地にメガソーラーを建設。そこで発電した電力を、本社ビルをはじめグループ全体で活用している。2024年までに自社で使用する電力を再生可能エネルギーへ100%転換、2030年には同社が保有する全ての建物において 電力由来のCO 2 排出量ネットゼロ化を達成するという目標も掲げられた。ちなみに、このメガソーラーのひとつが福島県にあり、それが縁で今回の福島県白河市の森林サイクル活動につながったそうだ。

太陽光発電施設(埼玉県加須市)。ヒューリックのメガソーラー。他に福島県等にもある。同社はメガソーラー以外にも自社ビル屋上に太陽光発電パネルを設置している(写真提供/ヒューリック)

太陽光発電施設(埼玉県加須市)。ヒューリックのメガソーラー。他に福島県等にもある。同社はメガソーラー以外にも自社ビル屋上に太陽光発電パネルを設置している(写真提供/ヒューリック)

法改正によって森林サイクルが回りやすくなってきた

今回の法改正について浦谷さんは「改正の目的である『民間建築物に木材利用を広げよう』ということは、まさに当社がHULIC &New GINZA 8で身をもって示そうとしたこと。改正の趣旨や改正点は、当社が取り組んでいる姿勢と同義だと考えています」という。

加えて、実際に手がけたからこそわかる、木材利用の課題についても教えてくれた。それはコストだ。高層化や耐火に対応できる木材は最近の技術で、まだ広く普及していないこともあって、現状では高層化・耐火建築物に木材を利用しようとすると、鉄筋コンクリート造よりもコストが高くなるという。

ただし浦谷さんは同時に、この法律によって日本の木材の生産者(川上)や製造者(川中)の活動が促進されれば、市場が活性化されてコストが下がるだろうと期待していている。また「建築物木材利用促進協定制度」などで、福島県白河市とのような関係が他地域とも築けることに期待を寄せる。「やはり国産材を使いたいですし、建物によってそれぞれ特徴にあった木材を利用したいと思います。そのために全国の様々な木材生産者等とつながりやすくなることはとても有効だと思います」

同社は今後も、現在計画中の新宿区の老人ホーム建設をはじめ木材利用を推進していくという。「これを一時のブームで終わらせてはいけません。木材利用は継続的にやること、森林サイクルを回すことに意味があるのですから」

森林サイクルを回すことで脱炭素化が図れるだけでなく、地域経済も潤い、雇用が増え、森や海が保全されて私たちの生活まで豊かになる。今回の法改正では木材利用を国民運動として展開するため「木材利用促進の日」(10月8日)と「木材利用促進月間」(10月)が法定された。私たちもまずは家を建てる際に、利用する木材に思いをはせることから森林サイクルについて考えてみてはどうだろう。

●取材協力
林野庁
ヒューリック

「この8年が地球温暖化を食い止める正念場」。COP26や海外から見る脱炭素の最新事情

2020年10月、菅前首相の「2050年カーボンニュートラル宣言」により、地球温暖化対策の「脱炭素」に対する日本全体の関心が高まりました。しかし、すでに世界では、さまざまな分野で脱炭素化が進み、新たなビジネスも生まれています。SUUMO編集長池本洋一が、NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサーとして「脱炭素」を追ってきた堅達京子さんに最新事情を聞きました。2021年10・11月にイギリスで行われたCOP26取材時の様子、そして住宅業界の脱炭素の動きはどうなっているのでしょうか。

各地を襲う洪水や巨大台風。地球温暖化を食い止める瀬戸際にきている

近年、世界中で、ハリケーンや大雨による洪水など異常気象が深刻化しています。日本でも、2019年台風15号19号による大水害、2020年熊本豪雨、2021年8月の記録的な大雨など自然災害が頻発。「地球が何かおかしい」と感じる人も多いのではないでしょうか。地球温暖化の主な原因となっているのが、産業革命以降、化石燃料の使用によって増加した二酸化炭素(CO2)などの大気中の温室効果ガスです。

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

2021年10・11月、イギリスのグラスゴーで行われたCOP26は、地球温暖化の進行により起きている問題について、国際社会がどのような対策をとるのか、話し合うための会議でした。

そもそも、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにする「2050カーボンニュートラル」が意識され始めたのは、2018年のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)1.5℃特別報告書です。世界の科学者が発表する論文や観測・予測データを、選ばれた専門家がまとめています。当時は、温暖化対策の国際合意「パリ協定」で決めた産業革命前の地球の平均気温からの上昇を2℃に抑えることが野心的目標でした。まだ1.5℃は努力目標だったのです。しかし、2018年の特別報告書は、1.5℃に抑えた場合と2℃に抑えた場合の影響の大きな違いを科学的に示し、1.5℃に抑えるには、2050年までに世界のCO2排出量を正味ゼロにすることが必要だと明らかにしたのです。

そして、2021年8月のIPCC第6次評価報告書においては、1.5℃達成のために残された時間が少ないことに警鐘が鳴らされました。このため、COP26では、1.5℃を目指すことが公式文書に明記され、世界のスタンダードな目標になりました。

地球の平均気温が上がるとどんな危機が訪れるのでしょうか。COP26の取材を終えて帰国したNHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー堅達京子さんはこう言います。

「地球の平均気温が1.5℃や2℃上昇する危険性はピンと来ないかもしれませんが、1.1℃上昇した現在でも北極圏の氷や永久凍土が溶け始めています。気温の上昇が続けば、海水温が上がり、大気や海流の動きが変わることで、アマゾンの熱帯雨林がサバンナ化し、ついには南極の氷床が融解する可能性があるのです。この『温暖化のドミノ倒し』が起こる境界は、2℃前後と見られています。回避するためには、2030年までにCO2排出量の大幅な削減が必要です。1.5℃から先を食い止めないと、『温暖化のドミノ倒し』で、ホットハウス・アース(灼熱地球)になり、人類文明にとって最大の危機が訪れます。1.5℃は地球のガードレール、今が地球温暖化を食い止める正念場なんです」(堅達さん)

2020年は北極圏で38℃を記録。グリーンランドなどでも氷床が融解している(写真/PIXTA)

2020年は北極圏で38℃を記録。グリーンランドなどでも氷床が融解している(写真/PIXTA)

堅達さんは、気候変動やSDGsをテーマに数多くの番組の取材・制作に携わってきました。中でも、2017年12月、NHKスペシャル「激変する世界ビジネス”脱炭素革命”の衝撃」を放送すると、「脱炭素」という言葉が初めてツイッターのトレンドワードになり、検索数も急上昇。大きな反響を呼びました。2021年9月には、著書『脱炭素革命への挑戦』を出版しました。世界の潮流と日本の課題が、とてもわかりやすくまとまっていると、ビジネス界だけでなく、本を読んだ一般の人々からも、「今、読むべき本」との声が寄せられました。

堅達京子さんは、2007年に行ったIPCCの議長へのインタビューで気候変動問題の深刻さを痛感。「なぜ、これほど重要なことを伝えてこなかったのだろう」と思い、以後、ライフワークとして脱炭素の現状を伝えることに取り組んできた(画像提供/堅達京子)

堅達京子さんは、2007年に行ったIPCCの議長へのインタビューで気候変動問題の深刻さを痛感。「なぜ、これほど重要なことを伝えてこなかったのだろう」と思い、以後、ライフワークとして脱炭素の現状を伝えることに取り組んできた(画像提供/堅達京子)

「2030年まで、あと8年で何とかしなくてはいけません。イギリス滞在中、BBCでは、COP26を朝から晩まで放送し、オリンピック並みの関心の高さがうかがえました。地球温暖化による危機が差し迫っているリアリティを感じた2週間の取材でした」(堅達さん)

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

脱炭素化なくしてビジネスはできない!? 産業を仕組みから変える!

世界では、むしろこの危機をビジネスチャンスと捉える動きがあります。その動きを加速させたのは、2020年7月にEU(欧州連合)が新型コロナウイルスによる景気後退対策として創設した「欧州復興基金(Next Generation EU)」です。約94兆円に上るその基金は約3分の1が気候変動対策に充てられ、「グリーンリカバリーファンド」とも呼ばれています。

「『グリーンリカバリー』(緑の復興)とは、コロナ禍からの復興で必要になる巨額の資金を、脱炭素社会を構築する経済刺激策に投じようという考え方です。脱炭素を実現するには、化石燃料に頼ってきた産業の仕組みそのものを変えないといけません。世界各国は‘‘脱炭素革命‘‘に向け、大きく舵を切ったのです」(堅達さん)

2020年9月には、CO2の最大排出国である中国が、「2060年までにカーボンニュートラルを目指す」と表明し、アメリカは、バイデン政権発足直後の2021年2月に「パリ協定」に復帰。アメリカのグローバル企業も脱炭素に向けて行動を本格化しました。

「変化を印象づけたのは、アップルによる『2030年カーボンニュートラル宣言』です。ポイントは、自社だけでなく、iPhoneなどの自社製品の部品を提供するサプライヤー全体に及ぶこと。EUでは、2035年にCO2を排出するガソリン車やディーゼル車などの新車販売を全面的に禁止します。脱炭素なくして世界でビジネスができなくなる日も遠い未来ではありません」(堅達さん)

EV化を促進しているEUでは、EVステーションの増設が進む(写真/PIXTA)

EV化を促進しているEUでは、EVステーションの増設が進む(写真/PIXTA)

脱石炭火力で期待される洋上風力発電。イギリスやドイツでは、3000基以上がすでに稼働している(写真/PIXTA)

脱石炭火力で期待される洋上風力発電。イギリスやドイツでは、3000基以上がすでに稼働している(写真/PIXTA)

住宅業界で急がれる脱炭素化。世界は? 日本は?

金融界の変化と産業界が挑み始めた脱炭素化の取り組み。住宅業界についてはどうでしょうか。

「長期にわたって社会のインフラとして使い続ける住宅・建築物は、まっさきに手掛けるべき分野です。COP26議長国のイギリスでは、EV充電スタンドの新築住宅での設置を義務化しました。アメリカも200万戸以上のサステナブルな住宅や商業ビルの建設や改修を行うことを決め、カリフォルニア州では新築住宅の太陽光設置を義務化しています。日本でも2021年6月に政府が『グリーン成長戦略』を閣議決定しました。まだまだスタート地点ですが、今後、遅れていた住宅分野の脱炭素化が加速すると期待しています」(堅達さん)

2050年までに目指すべき住宅・建築物の姿とされているのが、ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)・ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)です。これは、快適な室内環境を実現しながら、建物で消費する年間の一次エネルギーの収支ゼロを目指した建物のこと。必要となるのは、断熱性能を高めることによる省エネと、太陽光発電設備等による再エネ(再生可能エネルギー)の導入です。

2枚のガラスの間に、乾燥空気やガスを封入した複層ガラスは、断熱性能が高い(写真/PIXTA)

2枚のガラスの間に、乾燥空気やガスを封入した複層ガラスは、断熱性能が高い(写真/PIXTA)

「省エネ」に加えて、「創エネ」も必要。日本でも、新築住宅への太陽光パネル設置義務化の議論が始まっている(写真/PIXTA)

「省エネ」に加えて、「創エネ」も必要。日本でも、新築住宅への太陽光パネル設置義務化の議論が始まっている(写真/PIXTA)

2030年までに、新築される住宅・建築物において、ZEH・ZEB基準の水準の省エネ性能が必要になり、新築戸建て住宅の6割において太陽光発電設備が導入される見込みです。

住宅業界の大手メーカーによる開発競争も激しくなってきました。進む注文住宅の脱炭素化に対し、遅れていた賃貸分野では、積水ハウスが、賃貸住宅「シャーメゾンZEH」を展開。2021年1月時点の累計受注戸数は3806戸です。大東建託は、LCCM(ライフ・サイクル・カーボン・マイナス)賃貸集合住宅を埼玉県草加市に2021年6月に完成させました。建設から解体までを通じてCO2排出量をマイナスにするLCCMの基準を満たす賃貸集合住宅は日本で初です。

大東建託の脱炭素住宅「LCCM賃貸集合住宅」(写真提供/大東建託)

大東建託の脱炭素住宅「LCCM賃貸集合住宅」(写真提供/大東建託)

脱炭素住宅の普及には、消費者の認知が重要です。「2020年注文住宅動向・トレンド調査」(2020年8月リクルート調べ)によると、建築者(全国)の ZEH認知率は67.0%。そのうち、導入した人は21.8%でした。ZEH導入による光熱費の経済的メリットは、平均で6865円/月です。2025年に、省エネ基準適合義務化、省エネ表示の広告義務化を控え、光熱費の目安など省エネ性能を不動産情報サイトでラベル表示する試みも検討が始まりました。

「メリットをビジュアル的にわかりやすく表示し、『見える化』するのは大事ですね。地球に優しいだけでなく、ヒートショックの防止、光熱費の節減など消費者のメリットがあり、中長期でみれば初期投資コストを取り戻せることもアピールするとよいでしょう」(堅達さん)

脱炭素化がスタンダードになったヨーロッパ。日本は遅れを取り戻せるか

日本では、環境問題を意識高い系の人がすることだとひとごとに考えたり、コストが高いと言われている再生可能エネルギーの推進は景気対策に水を差す、と考える人もいますが、ヨーロッパの人々はどのように受け止めているのでしょうか。
「特にSDGsの教育を受けた若者の意識は高いです。COP26開催期間中、グラスゴーでは、若者主導のデモが行われました。赤ちゃんを連れた参加者もいて、沿道の家から温かな声援が送られていました。自分の子どもやその子どもたちのために、今がんばらないといけないという気運が高まっているのです」(堅達さん)

滞在したビジネスホテルの朝食に出たヨーグルト。リサイクルカップを紙で巻いた簡易包装で、目立つところに環境性能表示のQRコードが。脱炭素化の取り組みが、具体的な商品に落とし込まれていた(画像提供/堅達京子)

滞在したビジネスホテルの朝食に出たヨーグルト。リサイクルカップを紙で巻いた簡易包装で、目立つところに環境性能表示のQRコードが。脱炭素化の取り組みが、具体的な商品に落とし込まれていた(画像提供/堅達京子)

世界では、CO2排出量1トンにつき規定の金額を税として徴収する炭素税(カーボンプライシングの1種)の引き上げが議論されています。2020年12月に行われた国連の気候野心サミットでは、カナダは連邦炭素税を2030年にCO2排出量1トンあたり、約1万5000円にまで大幅に引き上げると発表しました。さらに、EUで検討している「国境炭素税」は、地球温暖化対策が不十分な国からの輸入品に事実上の関税を課すものです。脱炭素に対し結果を出さないと、企業の利益や国益が守れないようになってきているのです。日本でも実質的な炭素税である『地球温暖化対策税』が2012年から導入されていますが、企業などが負担しているCO2排出量1トンあたり289円は世界に比べると極めて低い金額です。

「日本でもCO2を減らした企業が得をして減らさなかった企業が損をする仕組みづくりが必須だと思います。住宅業界に関しては、政府が補助金や法人税、固定資産税の税制優遇措置を進め、施主側も省エネに配慮した建物の設計を要求し、当初に必要なコストを受け入れることが必要です。とはいえ、我慢ばかりの脱炭素では、理解は得られないと思います。省エネに配慮した性能の高い住宅は住む人にとって、快適で健康面のメリットがあります。ノルマとして脱炭素を捉えるのではなく、未来への投資としてポジティブに考えてもらえたら」(堅達さん)

最後に、堅達さんが日々行っていること、私たちができることを聞きました。

「私は、家に内窓をつけて断熱性能を高め、フードロス軽減のため、ベランダにコンポストを置いています。なかなか習慣にするのは難しいけど、肉の生産で出る温室効果ガスを減らすため、一週間に1回は肉を食べない日も始めました。脱炭素を進めている企業を応援するなど消費者としてできることもたくさんあります」(堅達さん)

すでに、マイボトル、エコバッグ、車のシェアリングなど、身近なところで取り組みが進んでいます。脱炭素化は不可逆の流れ。さっそく今日からできることをしながら、今後の展開を注視したいと思います。

●取材協力
NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー
堅達 京子(げんだつ・きょうこ)さん 
1965年、福井県生まれ。早稲田大学、ソルボンヌ大学留学を経て、1988年、NHK入局、報道番組のディレクター。2006年よりプロデューサー。NHK環境キャンペーンの責任者を務め、気候変動やSDGsをテーマに数多くの番組を放送。NHKスペシャル『激変する世界ビジネス “脱炭素革命”の衝撃』 『2030 未来への分岐点 暴走する温暖化 “脱炭素”への挑戦』、BS1スペシャル『グリーンリカバリーをめざせ! ビジネス界が挑む脱炭素』はいずれも大きな反響を呼んだ。
2021年8月、株式会社NHKエンタープライズに転籍。日本環境ジャーナリストの会副会長。環境省中央環境審議会臨時委員。文部科学省環境エネルギー科学技術委員会専門委員。世界経済フォーラムGlobal Future Council on Japanメンバー。東京大学未来ビジョン研究センター客員研究員。
主な著書に『脱炭素革命への挑戦 世界の潮流と日本の課題』『NHKスペシャル 遺志 ラビン暗殺からの出発』『脱プラスチックへの挑戦 持続可能な地球と世界ビジネスの潮流』。

認知症になっても住める街へ。街全体で見守る「ふくろうプロジェクト」始動 栃木県下野市

2021年、高齢者人口は3640万人(※1)と過去最多となりました。みなさんの身のまわりでも、年齢を重ねた父母や祖父母が高齢者だけ、または一人で暮らしているというご家庭は多いのではないでしょうか。高齢者、また認知症になった人を見守る、栃木県で地域ぐるみのユニークな「ふくろうプロジェクト」がはじまりました。その試みと街への影響をご紹介します。

ゴミ収集をしつつ、ひとり歩きの高齢者の足元を確認

今年11月、栃木県下野(しもつけ)市ではじまったのが、「ふくろうプロジェクト」です。この取り組みは、認知症になっても暮らしやすい街を目指すというもので、その内容はゴミ収集車とスタッフが通常のゴミ回収を行いつつ、歩いている高齢者の足元をさりげなく気にするというもの。認知症になると、街を徘徊してしまい、徘徊中に自宅に帰れなくなってしまったり、交通事故に巻き込まれてしまったりすることもあるといいます。

そこで大切になるのが、徘徊の早期発見です。このプロジェクトではまず街を縦横に走るゴミ収集車に着目し、清掃員がゴミを回収しながらまちゆく高齢者の足元を見て、気になる人がいれば警察や地域包括支援センターに連絡するという仕組みが考案されました。

では、なぜ高齢者の「足元」なのでしょうか。このプロジェクトの発案者である、横木淳平さんに聞いてみました。

「もともと、靴を見るのは私の職業病みたいなものなんです。街を歩いていても、ついつい高齢者の足元を見てしまう。それは、徘徊している人は、状況やサイズにあっていない履物を履いていることが多いことから。スリッパやサイズのあわない靴、子どもの靴など、明らかに違和感のある靴を履いていること多いんですね。高齢者も徘徊しようと思って徘徊しているのではなくて、ご自身は目的があって出かけたけれど、家がわからない、何が目的だったかわからないなどの理由で歩いてしまう。だから靴に違和感があるんです」

ゴミ収集車につけられた「ふくろうプロジェクト」のステッカー(写真提供/ふくろうプロジェクト)

ゴミ収集車につけられた「ふくろうプロジェクト」のステッカー(写真提供/ふくろうプロジェクト)

なるほど、確かにその違和感は人間の目だからこそ気付ける観点ですね。今回のプロジェクトは、ゴミの回収という通常業務にあたりつつ「さり気なく」気にするというのもポイントです。

「今、できることから、ちょっとだけ世の中を良くしようというのが今回のプロジェクトの趣旨です。だから、気になる人を見つけたら、警察や地域包括支援センターに引き継いで、その後は通常業務にあたってもらいます」と横木さん。大切なのは、できるだけ多くの人に、無理なく、継続的に協力してもらう仕組みだといいます。

高齢者を取り巻く環境は悪化する。だからこそ視線を増やすことが大切

「今回はゴミ収集車と清掃員に協力してもらいましたが、運送会社、新聞や郵便、飲料の配達など、街のなかに今にいる人達にちょっとだけ、視線という機能を貸してもらえるだけで、高齢者が街にずっと住み続けていくことができるようになります。今後も高齢者人口、認知症の人口は増え続けていきます。まちなかには空き家も増えますし、ゲリラ豪雨、熱中症の増加のように、命の危険を感じるような天候も増えています。超高齢化社会の到来を考えると、もともとある高齢者施設だけでは受け皿になりきれない。だからこそ、普段の生活のなかで、ちょっとだけ助けてもらう、そんな仕組みが大切なんです」と話します。

認知症は一度発症すると進行を遅くすることはできても、治すことはできないといわれています。また高齢者の数に対する施設の受け入れ数など、高齢者をとりまく環境は厳しくなる一方です。であれば、プロの介護事業者だけでなく、周囲の人のちょっとした「見守り」があることで、高齢者が安心して暮らせるようにというのは納得の発想です。

プロジェクト発案者である横木さん(右)と廃棄物収集運搬業を営み、今回プロジェクトをともに行うことになった有限会社国分寺産業の田村友輝さん(左)(写真提供/ふくろうプロジェクト)

プロジェクト発案者である横木さん(右)と廃棄物収集運搬業を営み、今回プロジェクトをともに行うことになった有限会社国分寺産業の田村友輝さん(左)(写真提供/ふくろうプロジェクト)

「やさしい視線が多い街って、やっぱり住みやすいと思うんですよ。認知症だから、高齢者だから、家や施設で寝ていてもらえばいい、そんなことは絶対にないはず。生きる希望に満ちた暮らしをかなえてあげたい。徘徊を問題行動だと考えるのではなく、地域に居場所がある、役割がある、そんな街が住みやすい街と言えるのではないでしょうか。こうした視線が行き届いた街は、地方創生・復活のコンテンツにもなり得ると思っています」(横木さん)

筆者自身、母親になってわかったことですが、親になると子どもや子ども連れの人に助けられたり、助けたりということが格段に増えます。そして多くの人は、「少しおせっかいかもしれないけれど、助けたい」と思っているのだとしみじみ思います。まだ介護は経験していませんが、多くの人は子育てと同様、どこかみんなで助けたい/助けられたいと思っているはず。今回は、そんな「相互の思い」をかたちにした事業といえるでしょう。

発見はゼロでいい。できることからはじめてみよう

今回は「仕組み」として整えることで「発見」や「おせっかい」がしやすくなるのもポイントです。
「運用にあたって、できる限り本業に支障をきたさない、気楽に参加しやすようにと、極限までハードルを下げ、誰でも参加できる仕組みを考えました。それは、街にヒーローをつくりたいから。介護やゴミ収集の仕事は、やはり敬遠されがち。特に、コロナ禍でその過酷さが注目されました。しかし今回のプロジェクトのように『人助けができる』『まちの目線になる』ということで、仕事の価値をさらに広げ、関心をもつ人を増やしていけたらいいですよね」と横木さん。

「街にヒーローをつくりたい」と話す横木さん。徘徊を見つけてもらえたら、それこそご家族にとってはヒーローですよね(写真提供/ふくろうプロジェクト)

「街にヒーローをつくりたい」と話す横木さん。徘徊を見つけてもらえたら、それこそご家族にとってはヒーローですよね(写真提供/ふくろうプロジェクト)

極限までハードルを下げたというだけあって、ゴミ収集のほかに新聞配達などの企業からも声がかかっているそう。確かに街を駆け巡っているという点は同じですから、親和性は高そうです。

「はじまってまだ半月なので、今のところ、徘徊に気がついたという報告はあがってきていません。でも、いいんです、結果ゼロ件でも想像以上に多かったでも。やってみないとわからない。できることからはじめて、ちょっとだけ社会を、地域を良くしたい、そういう思いを共有できる仲間が増えていくことが大事ですし、広がっていくことが大切だと思っています」(横木さん)

思いは通じているようで、今のところ、行政や地域の人からも好評で、「応援しているよ」と声をかけてもらえることが多いといいます。そもそも、「靴を見る」という今回のプロジェクトそのものが、じんわりと認知症への理解へとつながります。

またテレワークが普及した昨今では、住んでいる街で1日の多くの時間を過ごす人が増えたことになります。単に「いる」だけではなく、「関心」や「かかわり」「やさしい視線」が増えていけば、今住んでいる場所も、より住みやすい街となっていくことでしょう。

高齢者や認知症だけでなく、障がいがある人、子どもたち。社会で暮らしているのは、健康な成人だけではありません。誰しも居場所があって、役割がある。「理解する」「ちょっとだけ気にかけてみる」「行動をほんのりと見守る」というあたたかい視線こそが、2020年代の住みやすい街に必要なのかもしれません。

※1総務省統計局より

●取材協力
横木淳平さん 
介護3.0

枯らした観葉植物の駆け込み寺!? 唯一無二の姿に再生&販売するリボーンプランツ店「REN」に行ってみた

コロナ禍で在宅時間が増え、自然の癒やしを求めてインテリアに観葉植物を取り入れた方も多かったのではないでしょうか。一方で、育て始めたけど枯らしてしまったという人も少なくないかもしれません。素人からみて、枯れていると思う植物でも、プロが見ると、一部再生できる場合があります。枯れてしまった観葉植物を捨てるよりケアして次の人の元へ。そんな素敵な取り組みを紹介します。

枯らした観葉植物に捨てる以外の選択肢。再生して再販するサービス

インテリアショップや雑貨店で気に入った観葉植物を育ててみたけれど、何だか元気がない、いつの間にか枯れてしまった……そんな経験はないでしょうか。罪悪感がありつつも、どうしたらよいかわからず捨ててしまうことも多いでしょう。

「枯れたので捨てる」という悲しい最後ではなく、プロによる正しいケアで再生を目指し、再販して新たに望んでいる人の元へ届けるサービスを展開しているのが、観葉植物専門店RENです。

地上4階建て築55年の東京生花本社ビルをフルリノベし、元々別の場所にあった観葉植物専門店RENの店舗として2021年8月にリニューアルオープンした(写真撮影/相馬ミナ)

地上4階建て築55年の東京生花本社ビルをフルリノベし、元々別の場所にあった観葉植物専門店RENの店舗として2021年8月にリニューアルオープンした(写真撮影/相馬ミナ)

1階には再生観葉植物「リボーンプランツ」、手間をかけて仕立てた一点ものの「スペシャリティプランツ」が販売されている(写真撮影/相馬ミナ)

1階には再生観葉植物「リボーンプランツ」、手間をかけて仕立てた一点ものの「スペシャリティプランツ」が販売されている(写真撮影/相馬ミナ)

観葉植物専門店として2005年に創業したRENでは、2020年8月より「観葉植物の下取りサービス」を開始。下取りから再生まで一貫して対応し、再生した植物を新たに再販する観葉植物の二次流通を実践するサービスは、業界初の試みです。

店舗は、白金高輪駅や三田駅などから徒歩10分、桜田通りから脇の道へ入ったところにあるレンガ造りの建物で、中に入ると、ほかでは見ないような独特な枝ぶりの個性的な観葉植物がいっぱい。育てられなかった人から下取りし、プロによる適切なケアで再生された「リボーンプランツ」です。流木のように立ち枯れた枝から芽吹いた葉が美しいシェフレラ、土を洗い、幹の途中から出る気根を活かしたガジュマル。吊り棚状のモジュールで浮遊して展示されている観葉植物はどれも生き生きとしています。

腐っていた樹皮をそぎ落とすことで、新しい枝や葉が芽吹いた (写真撮影/相馬ミナ)

腐っていた樹皮をそぎ落とすことで、新しい枝や葉が芽吹いた (写真撮影/相馬ミナ)

真ん中は、茂りすぎた葉を剪定して枝ぶりを活かしたフィカス・ベンガレンシス。両側は人気のガジュマル。土にうまっていた根を表出し、荒々しい自然の趣が出た(写真撮影/相馬ミナ)

真ん中は、茂りすぎた葉を剪定して枝ぶりを活かしたフィカス・ベンガレンシス。両側は人気のガジュマル。土にうまっていた根を表出し、荒々しい自然の趣が出た(写真撮影/相馬ミナ)

立ち枯れてしまったシェフレラの幹は、流木のような味わいがあるので活かし、生きている幹からは葉が新生した。生と死をイメージして仕立てたという(写真撮影/相馬ミナ)

立ち枯れてしまったシェフレラの幹は、流木のような味わいがあるので活かし、生きている幹からは葉が新生した。生と死をイメージして仕立てたという(写真撮影/相馬ミナ)

RENマネージャーの山田聖貴さんに企画の背景や反響を伺いました。

「人が理解できない生物を探求したい」という思いから植物業界に入った山田さん。「まだ答えは出ないけれど、植物のケアを通じて私の知見や気持ちを後の人に受け継いでもらえたらうれしいですね」(写真撮影/相馬ミナ)

「人が理解できない生物を探求したい」という思いから植物業界に入った山田さん。「まだ答えは出ないけれど、植物のケアを通じて私の知見や気持ちを後の人に受け継いでもらえたらうれしいですね」(写真撮影/相馬ミナ)

「いま、コロナ禍の『おうち時間の充実』として、観葉植物を取り入れたいという需要が増加傾向にあります。そのなかで、お客様より『弱ってしまったり、枯れてしまったりしたらどうしたらいいか?』という声が増えてきました。最近はフラワーロスなど花にまつわる課題にはスポットが当たっていますが、観葉植物についてはケアをするという概念がありませんでした。RENの母体は、創業1919年のいけばな花材専門店東京生花です。社是である『活ける』を花だけでなく、植物全体に広くとらえ直したときに、物として販売するだけでなく、生きている植物をケアすることは、SDGs観点からもこれから重要になると考えました。そこで、観葉植物についての相談や植え替え、下取り、再生まで行う『プランツケア』のサービスが生まれたのです」(山田さん)

サービスの利用は、電話やコミュニケーションアプリによるオンライン無料相談・診断の後、必要に応じて、「植え替えサービス」「出張プランツケア」「下取りサービス」が選べます。例えば、「植え替えサービス」は、植物3号1050円+植え替え料1300円で総額2350円(税別)。都内の一部エリアを対象にした「出張プランツケア」は、観葉植物の疑問や困りごとについて専門知識のあるプランツケアマイスターが自宅やオフィスに出張し解決するサービスです。剪定や病害虫駆除を行い、料金は15000円(税別)です。

観葉植物の二次流通となる「下取りサービス」は、うまく育てられなかったり、引っ越しなどの事情で手放されたりした観葉植物を再販可能な個体に仕立て直してから店舗で販売する仕組み。枯れてしまったと思っても、実はプロの目で見れば再生可能な場合があるのです。下取り額分は、新たな植物を買い替えるときに割引されます。すべてのサービスは、他社で購入した鉢植えにも対応しています。さらに、定額制で年間ケアが受けられる植物のサブスクリプションサービス「プランツケアクラブ」(年間定額4680円)も開始しました。

「プレスリリースした当初は、植物をケアして長く付き合っていくというコンセプトが伝わらず、ほとんどリアクションがありませんでした。今まで、植物をケアするという概念がなかったのだから、仕方がないのかもしれません。展示会などで『リボーンプランツ』を実際に見てもらい、アピールを続けた結果、少しずつ認知されてきたと感じています。今では、月に約300件の相談があり、実際注文があったうち、植え替えサービスは100件、出張プランツケアは30件、下取りサービスは20件の利用です。今年のゴールデンウイークには、お店に行列ができるほどの反響があり、モンステラの大鉢を抱えた方が並んでいるのを見て、とてもうれしかったです」(山田さん)

店舗デザインは、国内外で活躍するデザイナーの「NOSIGNER(ノザイナー)」が担当。天井から吊り下げたモジュール什器で360度植物の表情を見てお気に入りを探せる(写真撮影/相馬ミナ)

店舗デザインは、国内外で活躍するデザイナーの「NOSIGNER(ノザイナー)が担当。天井から吊り下げたモジュール什器で360度植物の表情を見てお気に入りを探せる(写真撮影/相馬ミナ)

世界にひとつのリボーンプランツは、ヴィンテージのような味わいが人気

REN店舗内で開催された「サードウェーブプランツ展」(2020年1月)や「リボーンプランツ展-植物の持続可能性」(2020年9月)で、コンセプトとしてきたのは、「インテリアでもファッションでもない家族としての植物」です。

「観葉植物には何度かブームがありました。第1の波は、観葉植物が日本に普及し始めたころ、画一的で育てやすい品種。インテリアとして広く受け入れられて家具店やインテリアショップで販売されるようになり、定着したんです。第2の波は、約10年前の多肉植物や塊根植物など個性的な品種のブームでした。アパレルショップでも植物が販売され、ファッション感覚で楽しむ人が増えましたが、管理の難しさ・育成環境に課題があったのです。RENが提案するのは、育てやすい品種でありながら個性豊かな一点物の植物。育てやすく個性的な植物を、長く付き合っていける家族やパートナーとして、おうちに迎えてもらいたいです」(山田さん)

実際にリボーンプランツを目にして驚いたのは、長い年月を経て風格を増した盆栽のような味わいがあること。観葉植物は、流通コストがかからないようにまっすぐで画一的な形をしているものが多いのですが、リボーンプランツは枝が曲がったり、ねじれたりと、植物本来のたくましさ・生命力を感じます。

立ち枯れてしまったシェフレラの幹。盆栽では、幹や枝が朽ち、白骨化した枝をジン、幹をシャリといい珍重する。RENの観葉植物には、生け花や盆栽のノウハウが活かされている(写真撮影/相馬ミナ)

立ち枯れてしまったシェフレラの幹。盆栽では、幹や枝が朽ち、白骨化した枝をジン、幹をシャリといい珍重する。RENの観葉植物には、生け花や盆栽のノウハウが活かされている(写真撮影/相馬ミナ)

プランツケア前のガジュマル。枝が伸び放題で、葉も密に茂っている(画像提供/REN)

プランツケア前のガジュマル。枝が伸び放題で、葉も密に茂っている(画像提供/REN)

プランツケア後のガジュマル。枝葉が剪定されてすっきり。葉が重なると病害虫になりやすい。適度に隙き、幹や枝を見せる。どの枝を残すかはプロの経験が生きる(画像提供/REN)

プランツケア後のガジュマル。枝葉が剪定されてすっきり。葉が重なると病害虫になりやすい。適度に隙き、幹や枝を見せる。どの枝を残すかはプロの経験が生きる(画像提供/REN)

「植物はしゃべらないけれど、形は言葉のようなもの。プランツケアで心がけているのは、植物本来の姿をよりよく導くこと。下取りした観葉植物が形になるまでは、1年かかるのは普通で、3年、5年かけて美しく再生していきます。曲がった枝や経年変化した幹を見て、植物が発する声を聞いていただけたら」(山田さん)

ショップには、「リボーンプランツ」として再生された観葉植物たちが、これから新たに育ててくれる人との出会いを待っています。

「プランツケアラボ」はまるで手術室。プロの技術で再生して植物の命をつなぐ

ショップの奥には、観葉植物の剪定や植え替えを行うプランツケアサービスの拠点「プランツケアラボ」があり、ちょうど、植え替え作業をしていました。鉢がパンパンになるほど伸びていた古い根を丁寧にほぐしながら崩し、大きい器に植え替えます。オンライン相談では、「ちょっと調子が悪いので見てほしい」という問い合せが多いそうです。画像診断をすると、水のやりすぎによる根腐れや育ちすぎの状態がほとんど。根腐れの場合は植え替えを行い、育ちすぎた場合は、剪定し、鉢を大きくします。

「植物の根は内臓。土は腸内環境に似ています。いい土には、微生物が食べる有機物が必要です」と山田さん。空気を含む天然の有機培養土、鉱物由来珪酸液などを使い、植物のメンテナンスを行っています。

「プランツケアラボ」には、専門の道具が並ぶ。盆栽の道具や幹を削ぐための彫刻刀など様々な工具を使い分ける(写真撮影/相馬ミナ)

「プランツケアラボ」には、専門の道具が並ぶ。盆栽の道具や幹を削ぐための彫刻刀など様々な工具を使い分ける(写真撮影/相馬ミナ)

植え替えを行う東京生花代表取締役社長の川原伸晃さん。2011年に、植物店として史上初めてのグッドデザイン賞の受賞に導いた(写真撮影/相馬ミナ)

植え替えを行う東京生花代表取締役社長の川原伸晃さん。2011年に、植物店として史上初めてのグッドデザイン賞の受賞に導いた(写真撮影/相馬ミナ)

一般的な観葉植物でも、個性を生かして仕立てているので、他にはないオリジナルな一鉢になる(写真撮影/相馬ミナ)

一般的な観葉植物でも、個性を生かして仕立てているので、他にはないオリジナルな一鉢になる(写真撮影/相馬ミナ)

2階の「アウトドアプランツ」コーナーには、オリーブの鉢が並ぶ。流通しているものの多くはスペイン産のオリーブは、意外にも東京の気候に合う植物だという(写真撮影/相馬ミナ)

2階の「アウトドアプランツ」コーナーには、オリーブの鉢が並ぶ。流通しているものの多くはスペイン産のオリーブは、意外にも東京の気候に合う植物だという(写真撮影/相馬ミナ)

ショップを訪れた人のなかには、年配のご夫婦が30年育てた観葉植物を「私が引き継ぎます」と言って買い取った人、引っ越しのため手放さざるを得なかった大鉢の観葉植物をトラックで搬入した人もいるそうです。

「観葉植物をインテリアの一部ではなく、命のある植物として、家族として、大切に思う人やその思いを受け継ぎたい人が少しずつ増えてきています」(山田さん)

観葉植物を手放すしかなくても、再生されて、新しく望む人の手に届けられるのなら、気持ちよく送り出せそうです。枯れてしまった植物の命が再生・循環する仕組みは、社会と植物の持続可能な新しい関係創出につながっています。

●取材協力
・観葉植物専門店REN

高齢の母が住む賃貸の1室がシェアスペースに? 住人の交流や見守りはじまる

賃貸マンションに入居していた住人の一人が、高齢のお母さんを同じマンションに呼び寄せたところ、自然とその部屋がシェアスペースに。住人同士の交流が深まった、という話を聞きました。「お母さんの部屋がシェアスペースに」とは一体どんな空間で、集まる人たちはどのように交流し、どう感じているのでしょうか。

東京都世田谷区内にある賃貸マンションの大家である安藤勝信さん、住人のKさん、Nさん(Kさんの母)、Eさんにお話を聞きました。

「どなたか、母と一緒に犬の散歩に行ってもらえる人を知りませんか?」

全10戸からなるこのマンションに住むKさんが、住人同士のグループLINEに投稿したのは、3月ごろのこと。神奈川県内で医師として働くKさん(40代)は、日中は仕事で不在にしています。Nさん(70代)は、一通りの日常生活は自分でできるものの、数年前からアルツハイマー病を患っており、慣れない環境に一人でいることは不安な状況でした。また、Nさんが飼うトイプードルのラッキーも、昼間に一度は散歩に連れ出す必要もありました。

マンションの3階で、共用テラスのチェアに座るNさんとラッキー(写真撮影/片山貴博)

マンションの3階で、共用テラスのチェアに座るNさんとラッキー(写真撮影/片山貴博)

Kさんは10年ほど前、この賃貸マンションができた当初からの住人です。長野県にある実家で暮らしていた両親のうち、父が入院することになり、母のNさんを同じマンションの別室に呼び寄せたのでした。

「2~3年前からできれば近くで住みたいと考えていたものの、高齢の両親が賃貸物件を借りることは、簡単なことではありませんでした。近年、高齢者や生活に一定の不安を抱えた人が本人にとって快適な賃貸物件を借りようとするときに、入居をみとめてもらいにくいなどの問題があります。大家の安藤さんに『なかなか物件探しが難しくて……』と話をしたところ、『このマンション内にお引っ越し予定の部屋があるよ』と教えてもらい、母の部屋としてもう1室借りることにしたのです」(Kさん)

この賃貸マンションができたときからの住人である娘のKさんと母Nさん(写真撮影/片山貴博)

この賃貸マンションができたときからの住人である娘のKさんと母Nさん(写真撮影/片山貴博)

お母さんの部屋が住人みんなのシェアスペースに!?

このマンションには、1階に大家の安藤さんファミリーも住んでいて、他にもう一つファミリー向けの住戸、加えて写真スタジオがあります。2階と3階は単身者向けの部屋がメインで、そのうちの2つにKさんとNさん母娘が住んでいます。

取材当日、母のNさんの部屋を訪れると、玄関ドアの外側には、日替わりのメニューが書かれたホワイトボード「ラッキー&NさんCafe」の看板がありました。この日のおすすめは、「ミニプッチンプリン」と「贅沢ルマンド宇治抹茶カカオ」だそう。最後には「本日、14時ごろまでお待ちしています」とメッセージが添えられています。

Nさんの玄関ドアにかけられたラッキーの写真と本日のおすすめメニュー。その日は取材直前の14時まで「ラッキー&NさんCafe」がオープンしていた模様(写真撮影/片山貴博)

Nさんの玄関ドアにかけられたラッキーの写真と本日のおすすめメニュー。その日は取材直前の14時まで「ラッキー&NさんCafe」がオープンしていた模様(写真撮影/片山貴博)

マンションができたときから、安藤さんは新しく入居する人がいれば歓迎会を開くなどして「住人同士の自然なコミュニケーションによる関係構築を大切にしてきた」そう。そのため、マンション退去後も近隣に引っ越した前住人が食事会に参加することも自然なことだと言います。さらに前述のグループLINEが交流をきっかけに自発的にできたことで、何かあったときのやり取りも気安く便利なものになりました。

Nさんとラッキーの散歩には、グループLINEでのKさんの呼びかけに応じる形で、同じマンション内で在宅ワークをしている住人と近隣に住む前住人の2人が交代で付き添うように。Nさんも「オートロックの開け方すらわからなくて困っていたときに、助けてもらったことも。そういう繋がりがありがたい」と喜んでいます。

さらにKさんが他の住人にも「お茶を飲みにだけでも寄ってください」「暇な時に来てくださったら嬉しいです」と声をかけるうちに、Nさんの部屋が、住人みんなが出入りするシェアスペースのようになっていったのだそうです。

ラッキーとNさんと仲良しになった、安藤さんの娘さんもちょくちょく遊びに来るそう(写真撮影/片山貴博)

ラッキーとNさんと仲良しになった、安藤さんの娘さんもちょくちょく遊びに来るそう(写真撮影/片山貴博)

住人同士で食事会を開催、住人発案のグループLINEも

私たち取材陣が訪れたその日も、夜はNさんの部屋で住民同士の食事会が開催されると言います。筆者が「今日はどなたが参加されるんですか?」と尋ねると、Kさんは指を折りながら「今日は私たちと◯◯さんと、◯◯さん、◯◯さん……。あれ? 2階以上に住んでいる単身者は全員ですね(笑)」と答えてくれました。

しかも、開かれる場所はNさんの部屋ですが、主催者は部屋の主人であるNさんでも、娘のKさんでも、大家の安藤さんでもないと言います。何でも、前回の食事会をしたときに、住人の一人が他の住人に誘われて料理教室に通い始めたため、習った料理をつくるよ!という話になったのだそう。先にフォカッチャをつくっておこうか、と盛り上がるKさんたちは、本当に楽しそう。食事会は特に定期的に開催しようとしているわけではなく「開催すると盛り上がってじゃあまた次はいつにしようか、となる」(Kさん)のだそうです。

屋上の共用テラスには大家の安藤さんや住人が手入れする小さなハーブガーデンがある。ここにあるレモングラスを切ってKさんが淹れてくれたハーブティー。住人はハーブを自由に取って料理などに使っているのだとか(写真撮影/片山貴博)

屋上の共用テラスには大家の安藤さんや住人が手入れする小さなハーブガーデンがある。ここにあるレモングラスを切ってKさんが淹れてくれたハーブティー。住人はハーブを自由に取って料理などに使っているのだとか(写真撮影/片山貴博)

食事会の詳細を住人同士でやり取りするときに活用されるのは、やはり、グループLINEです。これは大家の安藤さんが作成したものではなく、今回お話を聞かせてくれた一人、グラフィックデザイナーのEさん(30代)の歓迎会が2年前に開かれた時にできました。前に住んでいた人が「やり取りが面倒だから繋がっちゃおうよ」と声をかけてつくることになったものだと言います。

“対流”が先で構造は結果、住人同士の“信頼”で成り立つ緩やかなコミュニティ

筆者が「大家さんでなく、住人さん、しかも前に住んでいた人が退去後も食事会に参加し続けていて、住人同士のグループLINEを作るなんて初めて聞きました!」と、大家の安藤さんに声をかけると「コミュニティってつくるものではないと思うんですよね」という答えが返ってきました。

「熱量の中で自然とできていくものであって、つくろうとすると、むしろ指の間からすり抜けていくようなものだと思うんです。ましてや大家が押し付けるものではない、と私は考えています。例えば、私が先にグループLINEという構造をつくってしまうと、きっと裏アカ(裏アカウント、表のアカウントに対して秘密裏にやり取りされるアカウント)ができたりするものでしょう(笑)」(安藤さん)

このマンションのオーナー、安藤勝信さん。みんなでワイワイ話している間、BGMのように心地よいギターの音色を聞かせてくれた。ときどきNさんの部屋で演奏して練習しているそう(写真撮影/片山貴博)

このマンションのオーナー、安藤勝信さん。みんなでワイワイ話している間、BGMのように心地よいギターの音色を聞かせてくれた。ときどきNさんの部屋で演奏して練習しているそう(写真撮影/片山貴博)

現在のグループLINEも作成されたのはEさんの歓迎会が開かれた2年前。つまり、このマンションができてから8年間は住人プラス大家の安藤さんのグループLINEはない状態でやってきたということです。それまで何か連絡が必要なときにどうしていたのかを聞くと、安藤さんは一人ひとり個別に連絡をしていた、と言います。

「大家である私にとっては、当然グループLINEのような仕組みがあった方が連絡も1回で済むので楽なんです。ただ、なんとなく違和感があって私からはつくりませんでした。。仕掛けるという視点側にいるとそういった構造からつくりがちです。私にできることは住まい手にとっての良き環境になること、それをコントロールしようとすれば、相手の方は私に信頼されていないと感じてしまうでしょう。お互いの信頼をベースに、時間とともに住む人同士の関係が構築されていくことが、自然で居心地のいい関係に繋がるのではないでしょうか」(安藤さん)

マンションのエントランス脇の掲示板も、住人たちがおすすめのお店やメッセージを自由に貼り付け、コミュニケーションの場になっている(写真撮影/片山貴博)

マンションのエントランス脇の掲示板も、住人たちがおすすめのお店やメッセージを自由に貼り付け、コミュニケーションの場になっている(写真撮影/片山貴博)

同じくエントランス脇の素敵なライティングビューローには、住人たちがお土産をシェアしたり、おすすめの本を並べて、自由に貸し借りしている。自分の置いた本が棚に見当たらないときは「誰かが借りて読んでくれてる!と思って嬉しい」(Eさん)のだそう(写真撮影/唐松奈津子)

同じくエントランス脇の素敵なライティングビューローには、住人たちがお土産をシェアしたり、おすすめの本を並べて、自由に貸し借りしている。自分の置いた本が棚に見当たらないときは「誰かが借りて読んでくれてる!と思って嬉しい」(Eさん)のだそう(写真撮影/唐松奈津子)

「ヘルプを出してもらえることが嬉しい」お互いさまの関係

たしかに住人の一人であるEさんの話を聞いて印象的だったのが、「Kさんがお母さんのことでヘルプを出してくれたのが嬉しかった」という言葉でした。Eさんは在宅で仕事をしているので、Nさんの玄関に「お待ちしてます」の看板がかかっているときにはお茶を飲みに訪れ、時にはNさんと一緒に台所に立って簡単な夕食の準備をしながらKさんの帰りを待つこともあるそうです。

住人の一人、グラフィックデザイナーのE さん(写真右)。Nさんの部屋のキッチンとリビングを行き来しながら手慣れた様子でお茶を運んでくれた(写真撮影/片山貴博)

住人の一人、グラフィックデザイナーのE さん(写真右)。Nさんの部屋のキッチンとリビングを行き来しながら手慣れた様子でお茶を運んでくれた(写真撮影/片山貴博)

「結局、Nさんとラッキーのお散歩は他の方がお手伝いしてくださることになりましたが、Kさんに頼ってもらえたことがまず嬉しかったんです。私は仕事の合間にお邪魔してNさんと一緒にお茶を飲んでいるだけですが、こんなことで喜ばれるなら、私も嬉しい。そして、コロナ禍でなかなか外出しづらいなか、私自身にとっても、とてもいい過ごし方のひとつになっているんです」(Eさん)

住む「人」次第で、ルールも変える

Eさんは内見の時から住人とのコミュニケーションが始まっていたといいます。

「住み始める前、お部屋の内見に来たときにKさんなど住人の方が3階の共用テラスに座ってお茶を飲んでいて。よかったら座って一緒にいかがですか、と席を勧めてくださったのが嬉しかったことを覚えています」(Eさん)

Eさんが見学に来た時も住人たちがみんなでお茶を楽しんでいたそう(写真撮影/片山貴博)

Eさんが見学に来た時も住人たちがみんなでお茶を楽しんでいたそう(写真撮影/片山貴博)

実は、Eさんの見学が終わった後、安藤さんは他の住人たちに「今日見学に来た人で誰が入居するのがいいかな?」と聞いてEさんの入居が決まったのだそう。

「新しく入居される方も、既に住んでいる私たちも、お互い選び選ばれる関係だと思っています。この人に住んでもらいたい、と思ったら構造や秩序を形づくるルールも、人に合わせて変わっていいと思うんです。

例えば、もともとこのマンション内で飼育可能な動物は猫のみでした。でもEさんに住んでほしいと思ったら、Eさんはヨウムというインコを飼っていたので鳥がOKになりました。Nさんが入居するときにも、住人みんなにNさんの状況と愛犬がいることは大丈夫?と聞いたんですよ。それで全員賛成だったからいま、Nさんもラッキーもここに一緒に暮らしています」(安藤さん)

3階の共用テラスで記念撮影。写真右下に生えているのが、取材時に切ってハーブティーとしていただいたレモングラス(写真撮影/片山貴博)

3階の共用テラスで記念撮影。写真右下に生えているのが、取材時に切ってハーブティーとしていただいたレモングラス(写真撮影/片山貴博)

Kさんが、母Nさんの入居できる物件を探していたときに苦労した背景には、高齢者の孤独死や家賃滞納などの問題が増え、大家さんや不動産会社に負担のかかる場面が生じていることなどがあります。そのリスクを回避し、関係する人みんなが安心・安全に過ごすためにルールや体制などの“構造”が必要なこともあるでしょう。

一方で、安藤さんが「今は量より質で、人が主役でなければならない」と言うように、住まいにおいても住む人、一人ひとりにとって心地よく、ちょうど良い距離感での関係構築やサービス提供が求められているように感じます。そのバランスを考えるとき、この賃貸マンションで時間とコミュニケーションを重ねながらできてきた小さなコミュニティの在り方は、参考になるのではないでしょうか。

●取材協力
株式会社アンディート代表取締役安藤勝信さん(オーナー)とお住まいのKさん、Nさん、Eさん、ラッキー

隈研吾ら東大と積水ハウスがタッグ! 研究施設T-Boxで目指すテクノロジー×建築の未来とは?

東京大学と積水ハウスは、東京大学工学部1号館に研究教育施設「T-BOX」を新設した。ここでデジタルテクノロジーと建築との関連性の研究や、次世代の建築人材の育成を目指すという。なぜこの施設が必要なのか? デジタルテクノロジーによって未来の住まいはどう変わるのか? 東京大学の平野利樹特任講師と、積水ハウスの古村嘉浩デザイン設計部長に伺った。

海外と比べると遅れている建築の教育現場

2021年10月に、東京大学と積水ハウスは「国際建築教育拠点(SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)」の研究施設として「T-BOX」を東京大学工学部1号館に新設した。国際建築教育拠点(SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)とは、「未来の住まいのあり方」をテーマに両者で設けた研究の場のこと。その名に「KUMA」とあるように、建築家であり東京大学特別教授でもある隈研吾氏がアドバイザーとして参加している。これまで東京大学で特別講座を開くなどしていたが、実際に体を使って学べる研究施設「T-BOX」も誕生したというわけだ。

「T-BOX」発表記者会見の様子。左から3人目が隈研吾氏。右から4人目が仲井嘉浩代表取締役社長。左から2人目に今回お話を伺った平野利樹東京大学特任講師(写真提供/SEKISUI HOUSE - KUMA LAB)

「T-BOX」発表記者会見の様子。左から3人目が隈研吾氏。右から4人目が仲井嘉浩代表取締役社長。左から2人目に今回お話を伺った平野利樹東京大学特任講師(写真提供/SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)

東京大学の平野利樹特任講師は、「ここでは、デジタルテクノロジーと建築の関係性を探究するとともに、国際的な建築人材を育てるための教育のネットワークのハブとしての役割を果たすことを目指しています」という。

平野さん(写真提供/ SEKISUI HOUSE - KUMA LAB )

平野さん(写真提供/ SEKISUI HOUSE – KUMA LAB )

「SEKISUI HOUSE – KUMA LABは3つのテーマを掲げて活動しています。1つは国際デザインスタジオとして、世界的に活躍している海外の建築家や教育者、研究者などをお呼びし、学生を指導してもらうというものです。2つ目はデジタルファブリケーション(デジタルを活用したモノづくり)センターとしての役割です。3Dプリンターをはじめデジタルテクノロジーを使って実際にモノをつくることで、その技術をどう建築に活用できるのかを探究していきます。最後にデジタルアーカイブセンターとしての機能。これは有名な建築物の図面や模型といった歴史的に価値のある資料を、デジタルテクノロジーでアーカイブ化し、データベースとしてさまざまな研究に役立てるというものです」

東京大学の工学部1号館4階415号室を改修してT-BOXのスペースがつくられた(写真提供/SEKISUI HOUSE - KUMA LAB)

東京大学の工学部1号館4階415号室を改修してT-BOXのスペースがつくられた(写真提供/SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)

この3つのテーマで活動することを通して、次世代の建築界で活躍する人材を育成していくという。日本ではおそらく初の試みだが、なぜこうした研究施設が必要なのか? そこには世界と比べて、日本の建築の教育現場が遅れているという背景があるようだ。

「デジタルファブリケーションの面では、アメリカの大学ではもう3Dプリンターや大型のCNC加工機(コンピュータ制御によってどんな複雑なカタチでも切ったり、彫ったりなどの加工ができる機械)、レーザーカッター等々を学生が使うのが当たり前になっています」。

(写真提供/SEKISUI HOUSE - KUMA LAB)

(写真提供/SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)

当たり前、の一例を挙げると、建築の模型づくりがある。日本の学生たちは図面を描いた後に、それを元にカッターを使って自分で模型をつくるほかなかったが、アメリカの学生は図面をデータ化して、校舎の各フロアに何十台も並んでいる3Dプリンターを使い模型を作成する。模型提出日の前夜にデータを入力すれば、あとは寝ていても提出期限である次の日の朝には模型が出来上がっているというわけだ。

3Dプリンターで作られた建築模型の例(写真提供/SEKISUI HOUSE - KUMA LAB)

3Dプリンターで作られた建築模型の例(写真提供/SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)

「東京大学でも研究室単位でデジタルファブリケーションの機械がいくつかありますが、誰もが自由に使えるわけではありませんでした」。こうした機械を東京大学の建築学科の学生はもちろん、建築学科以外の学生や教職員も広く自由に使えるようにすることを、T-BOXで目指しているのだという。

T-BOXには3Dプリンターをはじめ、さまざまなデジタルファブリケーションの機械が並ぶ(写真提供/SEKISUI HOUSE - KUMA LAB)

T-BOXには3Dプリンターをはじめ、さまざまなデジタルファブリケーションの機械が並ぶ(写真提供/SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)

これまでの枠を突き破る発想が育まれる可能性は無限大

もちろん誰もがデジタルファブリケーションの機械を使える環境だけが、建築界の明るい未来像ではない。「こうした機械を当たり前のように使うことで、従来にはない発想が生まれることを期待しています」

確かに、生まれた頃からパソコンやスマートフォンがあったデジタルネイティブ世代は、現在IT業界で目覚ましい活躍をしている。20世紀には思いもよらなかったサービスや機械が生まれているのはそのためだ。

それと同じようなことが将来、建築界で起こりえるということ。例えば3Dスキャンのデータは、点群と呼ばれる点の塊で示される。2次元の紙の上に描かれる点と線と、モニターに表示される点群とでは比較にならないほどデータ量が違う。そのデータを眺めるのと、紙の上の図面を眺めるのとでは、おのずと発想が異なっても不思議ではない。

T-BOXにある大型のCNC加工機。コンピュータ制御によってさまざまな素材を複雑なカタチで切ったり、彫ったりといった加工ができる(写真提供/SEKISUI HOUSE - KUMA LAB)

T-BOXにある大型のCNC加工機。コンピュータ制御によってさまざまな素材を複雑なカタチで切ったり、彫ったりといった加工ができる(写真提供/SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)

「自らの手でカッターを使って模型をつくっていることも、発想の制約になっていたかもしれません。3Dプリンターやレーザーカッターならもっと複雑な形状も可能ですから」。新しいデジタルテクノロジーを使えば、これまで考えもしなかった形状を発想することもできるということだ。

3DデータとCNC加工機を用いて、発泡スチロールから形状を削り出している様子(写真提供/平野利樹)

3DデータとCNC加工機を用いて、発泡スチロールから形状を削り出している様子(写真提供/平野利樹)

さらにSEKISUI HOUSE – KUMA LABの国際デザインスタジオとしての機能により海外の有名建築家等から大いに刺激や情報を得られる。あるいはデジタルアーカイブセンターとしての機能により、過去の名建築の再評価などからヒントも生まれる。T-BOXの環境から、これまでの枠を突き破る発想が育まれる可能性はこのように無限大のようだ。

「従来にはない自由な発想」が未来の住宅での暮らしを豊かにする

東京大学とT-BOXを設立した積水ハウスのデザイン設計部長・古村嘉浩さんも、こうした「従来にはない自由な発想」に期待をかける。「我々住宅メーカーは住宅づくりの工業化によって、耐震性・品質耐久性といった安心・安全、さらに省エネやユニバーサルデザインなどの快適性を高めてきました。その成果として“100年暮らせる”構造体としての住宅をつくることはできるようになっています。ではその先は?といえば、“人生100年時代”を迎える成熟社会では、感性価値が求められるようになると考えています」

古村さん(写真提供/積水ハウス)

古村さん(写真提供/積水ハウス)

住宅の感性価値といってもさまざまある。建築物としての色やカタチ、景観を取り込んだ間取り、素材の手ざわり……。しかし未来に求められる感性価値とは、そういった“従来”の要素だけではなく、“その先”の発想も必要になるらしい。

ロンドンデザインビエンナーレ2021に、平野さんが日本代表作家として出展したインスタレーション「Reinventing Texture」。東京とロンドンの都市空間に点在するさまざまなテクスチャを3Dスキャン技術で収集し、それらをデジタルモデリングで加工・組み合わせ、デジタルファブリケーションと和紙の張り子技法によって高さ約1.8m×幅約8mのレリーフとして制作した((c)Prudence Cuming)

ロンドンデザインビエンナーレ2021に、平野さんが日本代表作家として出展したインスタレーション「Reinventing Texture」。東京とロンドンの都市空間に点在するさまざまなテクスチャを3Dスキャン技術で収集し、それらをデジタルモデリングで加工・組み合わせ、デジタルファブリケーションと和紙の張り子技法によって高さ約1.8m×幅約8mのレリーフとして制作した((c)Prudence Cuming)

例えば100年保つ住宅といっても、その時間の流れの中で暮らす人のライフスタイルは絶えず変化し、それに伴って感性も変わってくる。今でもリフォームや模様替えである程度変えることはできるが、その時々の気持ち、感性に合わせてもっと手軽に、簡単に住宅のカタチや表情を変化させることができれば、暮らしている人の気分も弾む。

大がかりなリフォーム工事をしなくても、3Dプリンターでつくった小さなピースで壁をつくれるなら、ピースの組み替えだけで簡単に間取りを変えられるかもしれない。あるいは、かつての日本家屋は欄間をはじめさまざまな名工の手仕事による装飾が施されていたが、そうした職人技をデジタルテクノロジーで、時代に合ったカタチで再現できるのではないか、などなど。未来の住む人の感性を刺激できることは、たくさんありそうだ。

3Dスキャン技術によって再現されたデジタルモデリングの一部((c)Prudence Cuming)

3Dスキャン技術によって再現されたデジタルモデリングの一部((c)Prudence Cuming)

「名工の手仕事でいえば、昔の建築物には今の職人ではできない加工もあります。しかしデジタルスキャンやCNC加工機を使えば、それを再現できるかもしれません」と平野さん。今ではできない名工の手仕事を再現できる。これもまた、従来にはない自由な発想を生む源になる。「世界的に見て、T-BOXのように未来に向かって新しいモノを創造するデジタルファブリケーションセンターと過去を振り返ってこれまで作られてきたモノを研究するアーカイブセンターが併設されている研究施設は世界的にも稀」(平野さん)なのだから、最先端技術と歴史的価値による、思いもよらぬ化学変化も期待できる。

同様にSDGsな建材や、最近高まっている木材利用の方法も、自身がライターとして「例えば~」とここに書きたくても書けないのが悔しいくらい、想像を超えた発想で実現できる可能性がある。聞けば聞くほど、まるでT-BOXは誰も見たことのない花を生む土壌のようだ。その花が咲く時期はいつくるのか。期待しながらその春を待ちたい。

●取材協力
国際建築教育拠点(SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)

音楽で生きていくため10代で移住。国立音楽院で学び、宮城県加美町が支援

田んぼに囲まれた宮城県加美町の国立音楽院宮城キャンパスで、他地域から移住してきた若者たちが演奏技術、楽器の製作・リペアや音楽療法などを学んでいる。
「好きな音楽を一生の仕事に活かす」を謳う国立音楽院の本校があるのは、話題のカフェが集まる都会、東京都世田谷区三宿エリア。音楽による地方創生を目指す加美町からの提案が、宮城分校のきっかけだった。

音楽資源を見直した町の創生キャンパス周辺に広がる田畑。冬には雪が降り積もり真っ白な光景となる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

キャンパス周辺に広がる田畑。冬には雪が降り積もり真っ白な光景となる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

「この町には、もともと暮らしに音楽が馴染んでいました」と教えてくれたのは加美町ひと・しごと推進課 菅原敏之さん。
東北新幹線仙台駅の隣駅の古川駅から車で20分ほどの加美町中心部には、1981年に開設された中新田バッハホールがある。パイプオルガンを備え、国内外から音響の素晴らしさが評価されている本格的クラシック専用ホールだ。市町村合併などの事情で利用が低迷していた時期もあったが、2011年に猪股洋文加美町長が就任し、中新田バッハホールを核とした音楽によるまちづくりに注力。無料コンサートが毎月開催され、小中学校の音楽活動も支えてきた。中新田バッハホールを拠点とする市民オーケストラも創設されている。

「上多田川小学校の廃校決定と合わせて、地域の方に利用の方法を検討していただきました。その中で教育施設としての提案があり、音楽関連の人材育成ができる機関を誘致して再利用する、という計画が作成されたのも自然な流れでした」(菅原さん)

国立音楽院は学校法人ではなく、音楽に関連する技術や資格への学びを提供する、いわば音楽関連職育成スクール。東京にある本校は50年以上の歴史があり、2021年度は360人ほどが学んでいる。
「国立音楽院はミュージシャン向けのカリキュラムも充実していますが、それ以上に楽器製作者や修繕をするリペアラー、育児教育につながる幼児リトミック指導員、介護を担う音楽療法士を育成している点が魅力でした。移住促進策としても、楽器製作者にふさわしい場所提供など必要な支援をイメージしやすく、また、音楽を用いた育児と介護は、住民の住み心地に直結します」(菅原さん)

町の中心部にある中新田バッハホール。加美町の音楽でのまちづくりは、2017年に地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

町の中心部にある中新田バッハホール。加美町の音楽でのまちづくりは、2017年に地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国立音楽院東京本校。高校生は通信高校と提携して卒業資格を得られる。音楽大学に通いながらのダブルスクール生、社会人学生も多い。宮城キャンパスのほか鳥取県にも分校がある(写真提供/国立音楽院)

国立音楽院東京本校。高校生は通信高校と提携して卒業資格を得られる。音楽大学に通いながらのダブルスクール生、社会人学生も多い。宮城キャンパスのほか鳥取県にも分校がある(写真提供/国立音楽院)

若い移住者を支援する町と学校のセッション

加美町では、地域再生戦略交付金などを活用して旧校舎のリフォームと机などを準備。国立音楽院は加美町に使用料を支払う形で、2017年4月に宮城キャンパスが開校した。

町外からの移住者に対して、加美町では年間6万円(最長5年、30歳未満)の家賃補助を行なっている。希望者にはアルバイト先を紹介していて、「未成年の学生の代わりに、応募電話をすることもあります」(菅原さん)と、加美町の移住支援は親戚同様の温かさ。
その支援を軸に、国立音楽院も東京校以外の選択肢として宮城キャンパスへの移住を提示している。「音楽を学ぶうえで、生活コストが安いのはいいことです。また、当校はもとより不登校の生徒も受け入れています。都会より自然の中での学びの方が合う子どももいますから」(国立音楽院代表 新納智保さん)

学生の住まいは、町中心部の民間アパートを国立音楽院が紹介しているが、2022年度は中古で購入した社員寮を新たに学生寮としてオープンする予定だ。町の中心部からキャンパスまではバスで20分程度。学生は通学バスに加えて上多田川地区と市街地を結ぶ地域バスも利用できるようになっており、地域が学生の受け入れと応援に力を入れていることがわかる。

2021年度の生徒は61名。新型コロナ感染拡大の影響を受けて前年の80名より減少したが、次年度は増加を見込んでいる。
「生徒のうち約半数、29名は全国各地からの移住者です。国立音楽院のスタッフも含めて、町全体では2015年~2020年累計で244人が移住してくれました。人口減少傾向がすぐに増加に転じるわけではありませんが、移住者に10代が多いのは特筆すべき結果です」(菅原さん)

国立音楽院宮城キャンパス。草刈りなどを地元が協力してくれ、敷地内は綺麗に整備されている。学舎としてだけではなく、地域のコミュニティの場でもある(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国立音楽院宮城キャンパス。草刈りなどを地元が協力してくれ、敷地内は綺麗に整備されている。学舎としてだけではなく、地域のコミュニティの場でもある(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

旧校舎をそのまま活用したキャンパスで伸びやかに学ぶ

旧上多田川小学校の校舎は1998年に建て替えられた。もともと児童数が少なく、複式学級(児童数が少ない学校で取り入れる2つ以上の学年を一つにした学級)を前提にした校舎だったため教室は3つのみだった。「柱、床、壁の状態はよく、ほとんどそのまま利用できました。学年別授業のための間仕切りも有効活用しています」(菅原さん)

エントランスホール。薪ストーブを設置した以外、建具は元の小学校のまま。エントランスホールで開く「月イチライブ」には地元の聴衆が駆けつける(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

エントランスホール。薪ストーブを設置した以外、建具は元の小学校のまま。エントランスホールで開く「月イチライブ」には地元の聴衆が駆けつける(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国家資格であるピアノ調律技能士育成のための教室。防音ブースを置いただけだそう。東京本校には防音ブースがないが、宮城キャンパスでは他からの音に干渉されず繊細な音に没頭できる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国家資格であるピアノ調律技能士育成のための教室。防音ブースを置いただけだそう。東京本校には防音ブースがないが、宮城キャンパスでは他からの音に干渉されず繊細な音に没頭できる(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ヴァイオリン製作科ではヴァイオリン、ヴィオラなど擦弦楽器(さつげんがっき)の製作・修理・調整を生徒たちが学んでいる。ヴァイオリン製作を本格的に教える学校は、日本では2校のみとのこと(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ヴァイオリン製作科ではヴァイオリン、ヴィオラなど擦弦楽器(さつげんがっき)の製作・修理・調整を生徒たちが学んでいる。ヴァイオリン製作を本格的に教える学校は、日本では2校のみとのこと(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ギターの製作室。各教室の窓外には豊かな自然が広がっている(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

ギターの製作室。各教室の窓外には豊かな自然が広がっている(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

管楽器のリペア室では授業が行われていた。この日はティンパニーが題材。あらゆる楽器をリペアできる人材の育成を目指している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

管楽器のリペア室では授業が行われていた。この日はティンパニーが題材。あらゆる楽器をリペアできる人材の育成を目指している(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

音楽を身体で表現し感性や表現力を養う「幼児リトミック」の実習は、宮城キャンパス内や町内外の幼稚園・保育所・カルチャーセンターなどで行われている。福祉関係として、高齢者施設での音楽療法士を育成するコースもある(写真提供/国立音楽院)

音楽を身体で表現し感性や表現力を養う「幼児リトミック」の実習は、宮城キャンパス内や町内外の幼稚園・保育所・カルチャーセンターなどで行われている。福祉関係として、高齢者施設での音楽療法士を育成するコースもある(写真提供/国立音楽院)

スタッフも生徒も音楽演奏が大好き。バンド練習室は元校長室だった(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

スタッフも生徒も音楽演奏が大好き。バンド練習室は元校長室だった(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

21歳移住者「学んだ音楽の力で地域への貢献が実感できます」

北川日香里さん(21歳)は高校卒業後、国立音楽院東京校で管楽器のリペアを2年間学んだのち、2020年に加美町へ移住してきた。
「リペアを学び続けながら働きたいと考えていました。東京校で知った加美町の移住セミナーに参加してみて、地域の人と交流できる環境に興味を持ちました」と北川さん。加美町の地域おこし協力隊隊員に採用され、音楽による地域振興活動と、その活動の一環として宮城キャンパスでのリペア作業に携わる日々を送っている。

「地域おこし協力隊」は、国からの地域振興予算をもとに地域振興を担う人材を3年間登用し、給与を支払う制度。楽器の修理事業を根付かせたいという町の期待に対し、リペアラー修業を続けながら地域貢献を目指す北川さんは打ってつけの人材だった。

コロナ禍で苦戦した場面はあったが、北川さんは全世帯に配布される町内広報誌の作成や、「真夏の畑でライブ」を主催。地元の人から声を掛けられることも多いそう。「親しみを込めて話しかけてくれるのが嬉しいです。ライブ演奏も楽しんでもらえたし、自分の活動で音楽でのまちづくりが広がる実感が持てるのも、加美町の規模だからかも」(北川さん)

北川日香里さんは長崎県五島列島出身。中学校・高校の吹奏楽部時代に楽器修理が島内でできず、輸送費と待ち時間に悩まされたのがリペアラーになったきっかけ。ゆくゆくは地元の長崎で開業するのが夢(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

北川日香里さんは長崎県五島列島出身。中学校・高校の吹奏楽部時代に楽器修理が島内でできず、輸送費と待ち時間に悩まされたのがリペアラーになったきっかけ。ゆくゆくは地元の長崎で開業するのが夢(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

「宮城キャンパスでも、東京校と同じレベルの授業を提供しています」と宮城キャンパス長の宮内佳樹さん。「各学科の講師は、専門分野のプロフェッショナルです。東京校講師による出張講義もあり、オンライン授業の仕組みもコロナ禍以前から整備しています。都会では勉強以外の誘惑も多いので、学びに向き合う環境としてはこちらの方がまさっていると思います」(宮内さん)

宮城キャンパス長の宮内さん。さまざまなバンドやライブに参加するギタリストでもある。東京だけが音楽の場ではないと気づき、家族とともに東京から加美町に移住してきた(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

宮城キャンパス長の宮内さん。さまざまなバンドやライブに参加するギタリストでもある。東京だけが音楽の場ではないと気づき、家族とともに東京から加美町に移住してきた(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

「住まいのある町の中心地はスーパーもコンビニもあって、生活にはまったく支障がない」と話すのは管楽器リペア科講師の土生啓由さん。土生さんも東京校からの転勤組だ。「楽器店が身近にないのは残念な点です。高級品も含め完全に整備された楽器に触れる機会が少ないですから。ですが、生徒の数が東京校より少ない分、身近に生徒の成長を感じられるのが嬉しいです」

講師の土生さん。仕事に没頭すると昼食を抜くことも多いそうだが、「月に1回程度、地元の方が主宰してくれる交流ランチ会を生徒もスタッフも楽しみにしています。給食室で調理してくれる地元産の野菜が美味しいです」(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

講師の土生さん。仕事に没頭すると昼食を抜くことも多いそうだが、「月に1回程度、地元の方が主宰してくれる交流ランチ会を生徒もスタッフも楽しみにしています。給食室で調理してくれる地元産の野菜が美味しいです」(写真撮影/フォトスタジオクマ 熊谷寛之)

国立音楽院宮城キャンパスで定期的に行われている幼児リトミック教室は、親同士が子育ての悩みを相談できる大事な場。中高年を対象とした「若返りリトミック®」は楽しみながら運動イベントとして好評で、そのほか「地元とのランチ会」「月イチライブ」「クリスマスコンサート」は地域コミュニケーションの活性に繋がっている。

集客が制限されるなどコロナ禍の打撃は大きかったが、国立音楽院宮城キャンパス開校は、音楽による生き生きとした暮らしを実現しつつある。

加美町の菅原さんは、「これからは、卒業後の就労先を増やして移住を定着させていくことを頑張らなければなりません。楽器のリペア事業者の支援や、介護の音楽療法士・幼児リトミック指導員の活躍の場を広げていきたいです」と語る。

国立音楽院宮城キャンパスは2021年度で5年目を迎え、2022年3月で卒業する生徒(3年コース生)は3期生となる。
おうち時間に楽しむ楽器への需要が増え、2021年はショパンコンクールでの日本人上位入賞が話題となった。音楽に関連する仕事への気運が高まるなか、音楽での地域創生もますます期待していきたい。

●取材協力
・加美町
・国立音楽院宮城キャンパス

築80年めざす「いなさん団地」。建て替え計画の頓挫から逆転、マンション長寿命化へ 千葉県千葉市

有名建築家が手掛けたり、DIYやリノベを取り入れたり、若い世代を呼び込んだり……この数年、さまざまな「団地」の取り組みが脚光を集めています。ただ、その多くは賃貸で企業や自治体、URなどが所有し、大家さんとして取り組んでいるものですが、区分所有者が多数いる分譲「団地」ではどのような取り組みがされているのでしょうか。千葉県千葉市の稲毛海岸三丁目団地・通称「いなさん団地」を取材しました。

外壁、玄関やサッシを一新し、空き家対策としてDIY賃貸も

広々とした空に美しい芝生、ツートンカラーの外壁、美しい植栽……。「稲毛海岸三丁目団地」、通称「いなさん団地」を見た人なら、「えっ!築50年以上なの!?」と驚くのではないでしょうか。エレベーターこそないものの古さを感じさせず、むしろ今の建物にない「余裕」や「ゆとり」を感じさせる建物が並んでいます。独特の味わいに惹かれて、若い人が転居してくるというのも納得です。

敷地には桜や松、藤など季節の木々が植えられている(写真撮影/土屋比呂夫)

敷地には桜や松、藤など季節の木々が植えられている(写真撮影/土屋比呂夫)

団地内の公園。遊具を塗り替える際、子どもたちがデザインした絵をもとにしたという(写真撮影/土屋比呂夫)

団地内の公園。遊具を塗り替える際、子どもたちがデザインした絵をもとにしたという(写真撮影/土屋比呂夫)

この「いなさん団地」は、1968(昭和43)年から分譲され、8万4000平米の広大な敷地に5階建て27棟が配置されています。京成線京成稲毛駅から徒歩12分、京葉線稲毛海岸駅から徒歩約14分でアクセスでき、周囲には近年でも新築マンションの分譲が続くなど、住宅街として根強い人気を感じさせるエリアです。

「2016年に大規模修繕工事を終え、外壁塗装やサッシ交換、玄関などの共用部の工事をしました。NPO法人と管理会社、団地で連携し、空き家対策としてDIY可能な賃貸住戸をつくり、若い世代に住んでもらう取り組みもはじめています」と話すのはこの団地で理事長を務める草刈徹さん。理事長になってからは、管理組合を法人化するなど、住民の住みやすさのために日夜奔走しています。

いなさん団地で理事長を務める草刈徹さん(写真撮影/土屋比呂夫)

いなさん団地で理事長を務める草刈徹さん(写真撮影/土屋比呂夫)

大規模改修工事で交換した玄関扉。耐震枠、ダブルディンプルキー、A4サイズが入る郵便受けなど、細かな点まで配慮されている(写真撮影/土屋比呂夫)

大規模改修工事で交換した玄関扉。耐震枠、ダブルディンプルキー、A4サイズが入る郵便受けなど、細かな点まで配慮されている(写真撮影/土屋比呂夫)

断熱性・防音性を考え、全戸二重サッシに交換し、「驚くほど静かで部屋も暖かくなりました」(左)。サッシ上部には、通風孔も設けてある(右)

断熱性・防音性を考え、全戸二重サッシに交換し、「驚くほど静かで部屋も暖かくなりました」(左)。サッシ上部には、通風孔も設けてある(右)

専有部の給排水管の交換工事は、床を剥がさずに新たに給排水管を敷設することでコストと住民の負担を削減(写真撮影/土屋比呂夫)

専有部の給排水管の交換工事は、床を剥がさずに新たに給排水管を敷設することでコストと住民の負担を削減(写真撮影/土屋比呂夫)

このように現在、共用部も専有部も美しく手入れされている団地ですが、誕生して半世紀、現在に至るまでは、さまざまなできごとがありました。

無償で1.5倍の広さの新築マンションに!? 団地を揺るがした建て替え計画

「築20年を超えたころでしょうか、ちょうどバブル期、自己負担ゼロで1.5倍の広さの新築マンションに建て替えるという話がありました。当然、多くの住民が賛成にまわりました。当時、私は会社員でしたが、賛成にまわりましたよ」と述懐します。

「いなさん団地」のように敷地にゆとりがあり、駅から平坦、子育て世代に人気のエリアであれば、こうした建て替え計画が浮上するのは不思議なことではありません。ただ、建て替えをするのであれば、それが確定するまでの間、外壁や給排水設備の交換などの大規模修繕工事はできませんし、何をするにも「宙ぶらりん状態」となります。当然、メンテナンスをしなければ、建物は傷んでいきます。住民のみなさんには「新しい建物にタダで住みたい」「住宅ローンの残債が残っている」「スラム化させたくない」と、さまざまな思いがあったことでしょう。

しかし、バブル経済崩壊とともにこの建て替え計画も二転三転。2005年、最終的なプランでは、各住戸で約200万円程度負担し、さらに各人で引越し費用や引っ越し先を確保する必要が出てきました。それでも、建て替え決議では82.3%の賛成が得られたのですが、棟別に見たときに賛成4/5に達しない棟が8棟あり、当時の区分所有法で必要だった、「全棟について同一の建て替え決議」をクリアできず、建て替え問題はここでいったん終了となりました。

団地の歴史をまとめた冊子。50年の歴史と人々の思い出がつまっています(写真撮影/土屋比呂夫)

団地の歴史をまとめた冊子。50年の歴史と人々の思い出がつまっています(写真撮影/土屋比呂夫)

「やっぱりみなさん、この団地に愛着があるし、より良いものにしたいんですよね。建て替えをするとなると工事期間中の仮住まいと戻るのとで2回の引っ越しが必要になるし、心身ともに大きな負担になるでしょう。だから、ひと言で賛成/反対とは言い切れないものがあるんですよね」と草刈さんは解説します。

管理会社まかせにしない。できることは自分たちで

その後、築40年の節目となる2009年、最終的に「いなさん団地は、修繕・改修でいく」ということが決まり、それからは住民が一丸となって、『長寿命化を目指そう』で意見がまとまったと言います。

「建築やコンクリートの専門家に話を聞きましたが、『コンクリートは100年持つ』というので、じゃあ『築80年をめざそう』『ビンテージマンションをめざそう』ということで住民の意向がかたまりました。建物のメンテナンスはもちろん、住民の住みやすさを考えて、この10年、さまざまな対策を講じているんです」といいます。

外壁工事の際に提示されたサンプル。見本とパースを頼りに、住民で色彩を最終決定したのだそう(写真撮影/土屋比呂夫)

外壁工事の際に提示されたサンプル。見本とパースを頼りに、住民で色彩を最終決定したのだそう(写真撮影/土屋比呂夫)

冒頭にあげた大規模修繕工事などのさまざまな試みは、この「長寿命化」の一つだったのです。また長寿命化のために資金面での裏付けとして、修繕費積立金は月額平均4000円を値上げし、現在に至っています。

「現在、清掃や管理業務は管理会社に委託していますが、管理会社まかせにせず、馴れ合うことのない、緊張感が必要だと思います。また、住民ができることは自分たちでやっていて、20カ所の花壇や芝生などは、団地の『植栽会』が担っています」(草刈さん)といい、その甲斐もあって、建物を囲む芝生は青々として美しい姿を保っています。また、住民同士で電球の交換や日頃の不便を解消しあったりと、コミュニティ活動も盛んなのだそう。

団地の花壇。少しずつ個性があるので見て歩くのも楽しい(写真撮影/土屋比呂夫)

団地の花壇。少しずつ個性があるので見て歩くのも楽しい(写真撮影/土屋比呂夫)

いなさん団地にお住まいの女性。分譲開始時に入居し、定年まで勤務したのち、現在は植栽会などに参加し、団地での人脈を広げて暮らしを楽しんでいるそう(写真撮影/土屋比呂夫)

いなさん団地にお住まいの女性。分譲開始時に入居し、定年まで勤務したのち、現在は植栽会などに参加し、団地での人脈を広げて暮らしを楽しんでいるそう(写真撮影/土屋比呂夫)

大規模修繕工事を終え、次は住民の利便性を高めようと、宅配ロッカーや自動販売機などを導入。さらに管理棟に太陽光発電パネル、AEDを設置するなど、できることは次々と取り入れています。

敷地内に新設された宅配ロッカー(左)とAED装置。着々と設備を新しくしています(写真撮影/土屋比呂夫)

敷地内に新設された宅配ロッカー(左)とAED装置。着々と設備を新しくしています(写真撮影/土屋比呂夫)

「受け取り用の宅配ロッカーは、各社比較検討して、団地の住民だけでなく、周囲の住民も利用できるようにしました」といいます。さらに住民では車を手放したり、免許返納している人が増えていることから、カーシェアやシェアサイクルサービスの導入も検討しているとか。敷地に余裕がある分、こうした設備面でのアップデートは容易なのかもしれません。

もちろん、課題がないわけではありません。団地内には数十戸の空き家がありますし、全戸数768戸に対してはごくわずかとはいえ、管理費や修繕積立金の滞納もあるといいます。

「住民の意識が高いからか、管理費や修繕積立金の滞納はほとんどないんです。ただ、数戸あって、そのうち数件は『相続絡み』ですね。こればかりは粛々と弁護士と対応していくしかないですね」といいます。また、現在、団地内の空き家は70弱。こちらも多くはありませんが、冒頭に紹介した通り、管理会社と元千葉大の教授が主宰するNPOと連携して、DIY可能な賃貸が4戸誕生し、いずれも4組の若いペアが住み始めているなど、新しい試みがうまくまわりはじめています。

「千葉市では新婚カップルを対象に、高経年化した団地に住むと30万円補助金が出るんですが、当団地もこの制度の対象になっています。NPOと連携したリノベーションプロジェクトをして、若い人に住んでもらえたらうれしいですね」と草刈さん。人生100年が言われるようになった最近では、うまくいけば団地も築100年も見えてくるかもしれません。

「それは私たちが決めることではないので、次の世代の住民におまかせすることになると思います。まずは築80年まで、決められた計画通りに、メンテナンスしていければ」と話します。スクラップからストックの時代へ。いなさん団地の取り組みは、マンション長寿命化の時代の道しるべとなることでしょう。

●取材協力
いなさん団地