保護猫と暮らす三軒茶屋の「サンチャコ」。地域と人とを結ぶ新しい暮らし方

ワーキングスペースとレンタルスペース、賃貸住宅からなる複合施設「SANCHACO(サンチャコ)」。飲食営業可能なレンタルスペースを除いて保護猫が施設内を歩き回わり、住民や地域の人々が触れ合っている光景に、思わず笑顔になる場所だ。オーナーであり、全国でまちづくりや地域活性化のプロジェクトに携わる東大史(あずま・たいし)さんの発想から実現した。保護猫を軸とした本施設を手掛けたきっかけなどを伺った。
ネコファースト! 保護猫をハブに地域コミュニティを維持

「サンチャコ」があるのは、東急田園都市線「三軒茶屋」駅から歩くこと5分ほどの、にぎやかな大通りから一本入った路地。ローカル感が色濃い東急世田谷線の「西太子堂」駅にもほど近く、のどかな雰囲気だ。

三軒茶屋駅付近(写真/PIXTA)

三軒茶屋駅付近(写真/PIXTA)

「サンチャコ」の外観。防火規制区域内のため、木造耐火建築物として建てられた(画像提供/チームネット)

「サンチャコ」の外観。防火規制区域内のため、木造耐火建築物として建てられた(画像提供/チームネット)

「三宿のあたりに軍の拠点が置かれた明治時代から、三軒茶屋では商店街が形成され、自動車が普及する前から市街地化していました。そのため道路幅が狭く、個性的な個人店舗が多いのが特徴です。再開発によって画一的で無個性な、人々が交流できなくなっている街が増えているなか、三軒茶屋では地域コミュニティを保てるよう、ここに代々土地を継いできた者として何ができるか考えた結果が『サンチャコ』でした」と東さん。自身が生業としてきた地域資源を活かす活動と、大好きな猫とを掛け合わせた事業を実現した。

social inclusion(ソーシャル・インクルージョン=社会的包容力)、sensuousness(センシャスネス=審美性)、sustainability(サステナビリティ=持続可能性)の3つのSをキーワードに、猫の幸せ・人の幸せ・地域コミュニティの幸せを結びつける場所にしたいと話す。

エントランスに猫のあしあと。ほかにも猫モチーフが施設のいたるところに(写真撮影/片山貴博)

エントランスに猫のあしあと。ほかにも猫モチーフが施設のいたるところに(写真撮影/片山貴博)

“猫の幸せ”を実現するために、「サンチャコ」では保護猫の譲渡を軸に活動を行っている。取材をした2020年10月時点で、3匹の保護猫が居住。飼い主が亡くなってしまった近隣の猫たちで、サンチャコに来るまでは近所の方がお世話をしていたそう。猫たちがサンチャコに引越してからも、その方が猫当番のひとりとしてサンチャコを訪れていて、居住者をはじめ、自然と地域交流が生まれている。

オーナーで自身も保護猫を飼う東大史さん(右)と、建築プロデュースをしたチームネット代表の甲斐徹郎さん。東さんに抱かれているのは、16歳の長老、三毛猫のミーちゃん(写真撮影/片山貴博)

オーナーで自身も保護猫を飼う東大史さん(右)と、建築プロデュースをしたチームネット代表の甲斐徹郎さん。東さんに抱かれているのは、16歳の長老、三毛猫のミーちゃん(写真撮影/片山貴博)

1階はものづくりの拠点と譲渡会などイベント会場に

「サンチャコ」は木造3階建て。1階がワーキングスペースとレンタルスペース、2・3階が賃貸のメゾネット住宅というつくりだ。保護猫が主に過ごすのは、1階奥の共用スペース「にくきゅう」とワーキングスペース「neco-makers」。猫たちが脱走しないように入口を古民家で使われていた建具で二重に囲ったり、猫たちがリラックスできるよう床には奥多摩産の木材を敷いたりと、工夫されている。

棚から来客の様子を伺うハチワレのハナちゃん。共用スペースの棚などはDIYで制作。「三軒茶屋は商店が元気な街で、近所に木材屋や金物屋などがあるんです。DIYのワークショップなどで、その街の文化を伝えていけたら」と東さん(写真撮影/片山貴博)

棚から来客の様子を伺うハチワレのハナちゃん。共用スペースの棚などはDIYで制作。「三軒茶屋は商店が元気な街で、近所に木材屋さんや金物屋さんなどがあるんです。DIYのワークショップなどで、その街の文化を伝えていけたら」と東さん(写真撮影/片山貴博)

ワーキングスペースは、2021年度からのオープンに向けて準備中。一般の人も利用できる会員制で、現在会員を募集している。高機能ミシンやレーザーカッターなどが設置される予定だ。「ものづくり拠点としてここにクリエイティブな人たちが集まり、猫好き同士の異業種コラボからさまざまなプロジェクトが生まれて、三軒茶屋の街に『サンチャコ』のコンセプトが広がってくれることを期待しています」(東さん)

そのほか、譲渡会や猫の飼い方教室などの猫に関するイベント、DIYをはじめとした各種ワークショップなどを構想。譲渡会では、10歳を超えたシニア猫にも出会う機会を設けていきたいという。

ワーキングスペースで毎月開催される「SANCHACO茶会」の様子。まちづくりや地域活性化、保護猫にちなんだゲストを迎えて意見交換などが行われる(写真撮影/片山貴博)

ワーキングスペースで毎月開催される「SANCHACO茶会」の様子。まちづくりや地域活性化、保護猫にちなんだゲストを迎えて意見交換などが行われる(写真撮影/片山貴博)

「『サンチャコ』の周りには高齢の単身者が多いのですが、猫を飼うと生きがいや外との繋がりが増えて良いと思っているんです。ただ、多くの譲渡会で出会えるのは子猫がほとんど」。猫の寿命は20年くらいあり、小さいうちは手が掛かるということもあって、お年を召した方の場合、既存の譲渡団体からはNGになってしまうことが多いという。

「一方で、うちにいるようなシニア猫でしたら落ち着いていてお世話も比較的楽ですし、何かあればここで面倒を見られる。そうやって猫との暮らしをアシストしていければ。孤立している単身高齢者も猫を通じて地域と繋がっていけるんじゃないかなと思います」と今後の展望を教えてくれた。

カフェやスナックを介してサンチャコに関わるきっかけづくり

道路に面したレンタルスペース「NECO NO HITAI(ネコノヒタイ)」でも、地域との交流の機会をつくっている。カフェやスナックなどの飲食営業やギャラリーができるスペースだ。「通りすがりの方にも、レンタルスペースで開かれるカフェなどを通じてこの建物に興味を持ってもらえたら」と東さん。レンタルスペースからは、猫がいるスペースが見えるようになっている。

道路から見る「NECO NO HITAI(ネコノヒタイ)」(写真撮影/片山貴博)

道路から見る「NECO NO HITAI(ネコノヒタイ)」(写真撮影/片山貴博)

取材日に営業をしていたのは、「AWO STAND(アヲスタンド)」で、ご実家がお茶屋さんという丸谷阿礼さんが店主となり、加賀棒茶などを提供していた。丸谷さんは、世田谷で地域猫の世話をする団体「きぼうねこ」を立ち上げて活動している。サンチャコの説明会に参加したことをきっかけに、何か携われることはないかと、カフェを開くことにしたのだそう。

丸谷さんが営業する「AWO STAND(アヲスタンド)」(不定期開催)。日本茶とノンアルコールドリンクを提供(写真撮影/片山貴博)

丸谷さんが営業する「AWO STAND(アヲスタンド)」(不定期開催)。日本茶とノンアルコールドリンクを提供(写真撮影/片山貴博)

丸谷さんのほかにも、サンチャコの説明会に参加した方が何かしらで関わっていきたいと、夜にスナックを営業している。このスペース自体が、サンチャコと、さまざまな形で地域や猫に関わりを持ち続けたい方とが繋がる場として機能。さらにここで開かれるカフェなどが、サンチャコと地域とを繋げる大きな役割を果たしている。

レンタルスペースで保護猫の情報を紹介。サンチャコに暮らす保護猫はみな譲渡可能(写真撮影/片山貴博)

レンタルスペースで保護猫の情報を紹介。サンチャコに暮らす保護猫はみな譲渡可能(写真撮影/片山貴博)

猫初心者へ間口を広げる新しい不動産の形

最後に、2・3階の賃貸住宅を見てみよう。賃貸住宅では、一年くらいを目途に保護猫を譲り受けることを推奨し入居してもらっているのが特徴だ。

「不動産市場では、ペットを飼ってみたいけど、飼育経験がないので迷っているという方が2割くらいいるらしいんです」と東さん。昼間や旅行中は共用スペースで入居者みんなで猫の世話をするなど、初心者でも猫を無理なく飼えるような環境を用意することで、ニーズに応える新しい不動産の形を提案している。

猫の種類が各部屋の名前に。玄関前にはかわいらしいサインがあしらわれている(写真撮影/片山貴博)

猫の種類が各部屋の名前に。玄関前にはかわいらしいサインがあしらわれている(写真撮影/片山貴博)

賃貸住宅は全室メゾネット。写真の部屋は2020年10月末現在で空きがある「ハチワレ」(写真撮影/片山貴博)

賃貸住宅は全室メゾネット。写真の部屋は2020年10月末現在で空きがある「ハチワレ」(写真撮影/片山貴博)

お話を伺った入居者のMさん夫妻が、まさにその2割に当てはまる。「ここ数年ずっとペットを飼ってみたいと思っていたんですけど機会がなかったんです。他の物件に決めかけていましたが、心のなかで何かが引っかかっていて。そんな折に、『サンチャコ』を見つけて、ここだ!と」と妻。入居してからは、週一回の猫当番で共用部の猫のお世話をしながら、いつか自宅で猫を受け入れる準備をしている。

共用スペースに置かれた「にゃんこ連絡帳」。猫の特徴や体調の変化などが記されている。またLINEのグループをつくるなど、初心者でも安心して猫のお世話ができるような配慮も(写真撮影/片山貴博)

共用スペースに置かれた「にゃんこ連絡帳」。猫の特徴や体調の変化などが記されている。またLINEのグループをつくるなど、初心者でも安心して猫のお世話ができるような配慮も(写真撮影/片山貴博)

「いろんな猫がいるので、猫も性格がさまざまなのだと、ここに暮らして初めて知りました」と妻が話すように、活動は猫それぞれ。賃貸住宅は全4部屋。猫が上下運動できるよう階段があるメゾネットだが、キャットウォークなどは設けられていない。猫の動きによって空間をアレンジできるよう、部屋はシンプルなつくりになっている。

猫用に棚などが必要になれば、1階のワークスペースでDIYすることができる。「共用スペースの棚を真似して、サポートしてもらいながら自分たちの部屋にも棚をつくってみました」と夫。実はDIYを始めてみたかったという夫は、DIYができる環境も入居の決め手になったそう。

住み心地や今後の暮らしについて伺うと、「以前住んでいた街と違って、三軒茶屋は個性的なお店がいっぱいあるので、街歩きが楽しみです。ただ、ずっとここに暮らすというよりは、いずれ卒業しなきゃというイメージで入居しました。猫との暮らしを始めたい次の人にバトンを渡すことで、循環が生まれるのではないでしょうか」と夫。「仕事と家庭とじゃないですけど、猫と仕事との両立ができるようになったら卒業なんじゃないかなと思います。ここで猫の飼育方法を学んで、一人前にならなきゃ」と妻も、卒業に向けてサポートを受けながら猫と一歩一歩歩んでいる。

賃貸住宅の共用廊下へ繰り出すノンちゃん。「夜、玄関扉前で“入れて~”と鳴いていることもあるんですよ」と妻が教えてくれた(写真撮影/片山貴博)

賃貸住宅の共用廊下へ繰り出すノンちゃん。「夜、玄関扉前で“入れて~”と鳴いていることもあるんですよ」と妻が教えてくれた(写真撮影/片山貴博)

猫と暮らす、猫と働く、猫の世話をしに訪れる……サンチャコではさまざまな猫との接し方があり、自分に合ったスタイルで、猫の幸せ、そして地域コミュニティと繋がることができる。猫も人も地域も幸せになれるサンチャコの仕組みが、より多くの場所で広がると、動物の殺処分や孤独死など大きな社会問題の解決策のひとつになっていくのではないだろうか。

●サンチャコ
●ワーキングスペース neco makers●取材協力
・合同会社シナモンチャイ
・株式会社チームネット

月収2万円で「山奥ニート」歴7年。自分の価値や感情を生まれて初めて知った

最寄駅から車で2時間という和歌山県の山奥に、廃校になった小学校を再利用して、全国からニートや引きこもりの若者14人が共同で生活するシェアハウス「NPO共生舎」がある。月額1人2万円で、ネット付きの居住スペースと食事代をまかなう。「自分自身がかつて引きこもりで、今は山奥ニート」と話すのは、同NPO理事で、この春に著書『「山奥ニート」やってます。』(光文社 刊)を上梓し、話題を呼んでいる石井あらたさんだ。その山奥生活について、詳しい話を聞いた。5月に発売された書籍『「山奥ニート」やってます。』は1万8000部(3刷)と売れ行き好調(写真提供/石井あらたさん)

5月に発売された書籍『「山奥ニート」やってます。』は1万8000部(3刷)と売れ行き好調(写真提供/石井あらたさん)

地域の人々との交流は大切な生活の一部

“山奥ニート”石井さんの生活は、朝はだいたい11時に起きてから今日は何をしようかと考え、焚き火をしたり、リビングで他の人とゲームをしたり、読書したりという、まさにその日暮らし。「自分も含めてニートは先のことを考えるのが苦手だと思う。『今』だけを考えて生きている」と話す石井さん。都会がコロナ禍でマスクや消毒に追われる緊張感ある生活なのと対照的に、コロナ禍でも生活は以前と全く変わりないと話す。

一方で共生舎は、これまで見学者や移住希望者の受け入れを行っていたが、この8月からは全面停止。再開のめどは立っていないという。「(感染症リスクを考えると)地域の方たちと交流しにくくなる」というのが理由だ。石井さんたちが暮らすのは、平均年齢80歳、山奥ニートの他に、徒歩圏内の住人はたった5人という集落。10代から40代の共生舎の住民たちは、キャンプ場の清掃や、梅農家のお手伝いなどをしながら、同じ村や近くの村に住む人たちと関わっている。また、スポーツを一緒に楽しんだり、祭りなどの村の行事にも積極的に関わっているので、こうした配慮は重要だ。

石井さんたちが住む五味集落までの道(写真提供/石井あらたさん)

石井さんたちが住む五味集落までの道(写真提供/石井あらたさん)

五味集落(写真提供/共生舎)

五味集落(写真提供/共生舎)

地元の年配者との交流は自然の流れ(写真提供/石井あらたさん)

地元の年配者との交流は自然の流れ(写真提供/石井あらたさん)

“山奥ニート”になったきっかけは福島でのボランティア

今は、好きなことをしたり、地元の人々のお手伝いをしながら、気ままに山奥ニートライフを送る石井さん。ブログのアフィリエイトで得る月2万円が主な収入だが、それでも家賃0円ということもあって、十分な生活を送れていると感じている。

そんな石井さんが山奥ニートになったきっかけは、2012年に東日本大震災のドブ掃除のボランティアとして出向いた福島での出来事に遡る。当時、すでにニート生活2年目。たまたま友人と旅をしていた広島で東北の被災状況を見て、改めて自分の人生を振り返り「好きなことをやって、死ぬ瞬間に後悔しないようにしたい」と思ったそうだ。そんな石井さんをさらに突き動かしたのが、NPO の人に言われた一言だった。

「ニートや引きこもりの人は、大きな力を溜め込んでいる。でもそれを活かせる機会がない。でもこういう非常時では、それが何より助かる」

以来、「誰かに必要とされたい」という思いを募らせ、同じ思いを持つニート仲間を探しはじめた。同時にニートが集まれば、何か起こるのではないかと漠然と考えるようになった。「同じ種類の人間が集まれば、互いに強化しあって、そこから何か文化のようなものが生まれるのではないか」と思ったのだ。

こうしたなかで出会ったのが、今も山奥で生活を共にする“ジョーくん”だ。彼の紹介で、2014年にNPO 共生舎のことを知り、「親の目を気にせず、思う存分引きこもる」ために山奥で生活することを決めた。

山奥の遊びの鉄板、焚き火。夏は河原で泳いだり、バーベキューも楽しめる(写真提供/石井あらたさん)

山奥の遊びの鉄板、焚き火。夏は河原で泳いだり、バーベキューも楽しめる(写真提供/石井あらたさん)

「こんな場所が近くにあるのは、ちょっと自慢」(石井さん)(写真提供/石井あらたさん)

「こんな場所が近くにあるのは、ちょっと自慢」(石井さん)(写真提供/石井あらたさん)

人がいること自体が希少な山奥だから感じる“人”の価値

アニメを観て、ゲームをして、SNSして、寝る。ある意味、今も「引きこもったまま」。それでも、都市部で暮らしていたときよりも人とのふれあいは圧倒的に増えた。村おこしやビジネスなどで能動的に集落に関わっているわけではない。「引きこもる範囲が自分の部屋から、集落に広がったんです」と石井さん。

山奥で暮らし始めてみて、こもることが目的でやってきたにもかかわらず、NPOの事務を一手に引き受け、その生活が楽しい故に、自然と集落の人や地域の人たちとの交流が増えていった。そんな中で石井さんが気付いたことは「便利なところには、便利な分、人が多い。人間が希少な分、山奥では一人の人間の力が非常に大きいので、価値が大きい」ということ。

お祭りのお手伝いも集落から感謝されている(写真提供/石井あらたさん)

お祭りのお手伝いも集落から感謝されている(写真提供/石井あらたさん)

「この山奥ぐらい不便な場所というのは、僕たち共生舎の住民がここからいなくなったら向こう100年人が住まなくなってもおかしくない。そのおかげで、(地域に住むほかの)みんなが優しくしてくれる。人間が希少なので、何よりも貴重な存在として扱ってくれる」と続ける。

つい先日、11月3日に行われた集落の祭りを共生舎の住人十数人で手伝った。毎年、山の上のお宮までお参りに行くのだが、そこまでたどり着ける地域の人は2人しかいない。「『あんたらがいなかったら、寂しい祭りになっただろうなぁ。来てくれてありがとう』と言われました。枯れ木も山のにぎわいじゃないですけど、一人ひとりは大して役に立ちませんが、頭数いるだけでも喜ばれるのが山奥です。お酒飲むのに付き合うだけで、すごく喜んでくれるんですよ」と、山奥生活で、改めて「人がいることの価値」を体感していると話す。

ニワトリも放し飼い(写真提供/石井あらたさん)

ニワトリも放し飼い(写真提供/石井あらたさん)

家でも人の気配を感じながら、心地よく生活している

石井さんが拠点にしている共生舎での住民たちのメインの交流場は、広いリビング。共生舎はいわゆるシェアハウスだが、廃校になった小学校を利用しているため、スペースは十分すぎるほどに広い。

シェアハウスといえば、都会だと音や臭いなどが問題になりがちだが、そういったトラブルは皆無。それぞれがソーシャルディスタンスを保ちながら生活しているという。

広々としたリビングでは、テレビの前を陣取ったり、本棚前で読書したりと、好きなことを悠々と楽しめる(写真提供/共生舎)

広々としたリビングでは、テレビの前を陣取ったり、本棚前で読書したりと、好きなことを悠々と楽しめる(写真提供/共生舎)

「40畳ぐらいあるリビングに、8~10人が常にいて、好きなことをしています。
リビングが広いと、部屋の隅と隅で別の話ができるんです。そうすると、あっちのほうで面白い話をしてるなと思ったら、そっちに席を移って話に加わることができる。狭いリビングだと、一つの話をしていたらその話に参加するしかない。別々の部屋だと、面白いことしているか分からない。広い一つのリビングだからこそ、自分が加わる話題を選ぶことができて、ある種Twitterのような、ゆるいコミュニケーションができます。実際、リビングにいるけどそれぞれで別のことで遊んでいる光景をよく見ますね。
上手に距離を保ちながら、一緒にゲームをしたり、映画を観たりする人もいれば、一人で読書する人もいます」

住居スペースの広さを確保しにくい都市部と比べ、山奥は家の中も、外も開放的なのだ。

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

山奥生活に向いているのは、自分で楽しいことが見つけられる人

石井さんが集落にやってきてから過去7年に、累計40人がこの共生舎で生活をしてきた。見学には200人が訪れた。「住みたいという人を選り好みしようとはしなくなった」が、いくら広い居住空間で生活しているとはいえ、血のつながりや、もともと知り合い同士でもない他人が共同生活を送るには、ルールが必要。

NPOの運営は現在石井さんを含む古参の3人が“独裁政治”で担っている。「ニートたちは概ね仲がいいのですが、何かを決めるときは3人で相談して決めています。そんなことは1年に1度あるかないかですが」と話す。「ほとんどの場合、この山奥が合う人は残って、合わないと思う人は自然と去っていく」

共生舎の住民でノリでつくったミニコミ誌。16Pのうち4Pの共生舎の概要のほかは、漫画やレシピ、映画の感想、ボードゲームの攻略記事などかなり自由な内容。Vol2も予定している(写真提供/石井あらたさん)

共生舎の住民でノリでつくったミニコミ誌。16Pのうち4Pの共生舎の概要のほかは、漫画やレシピ、映画の感想、ボードゲームの攻略記事などかなり自由な内容。Vol2も予定している(写真提供/石井あらたさん)

今年だけですでに4人が入れ替わった。「(山奥での生活は、)自分で楽しいことが見つけられる人が向いていると思う」と石井さん。都会のいいところである、思いもよらない出会いはなかなかないので、出会いなしには生きられないという人には、山奥は向かないのかもしれない。またお互いが好き勝手にやっていることを面白がれるかどうか、それが共同生活の秘訣だ。

ちなみに、住民全員がニートというわけではなくリモートワークで働く人がいたり、一時的な滞在組と永住組が混在したりしている。

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

「『(仕事をしていてもしていなくても、滞在でも永住でも)どちらでもいいよ』というスタンスは、ニート支援をする他のNPOなどの組織と比べて、とても珍しい立ち位置。誰にも先のことなんて分からないのに、どうするかなんて決められないから。だから『どちらでもいい』んです」と、いたってシンプルな理由で寛大な方向性が決められている。

過ごし方も、仕事をする・しないも、お互いとの関わり方も、「どちらでもいい」。時にNPOなどの取り組みの“●●しなければならない”に息苦しさを感じる人もいるように思う。

ただ、共同生活をする上で、それぞれが何らかの手伝いをすることはほぼ暗黙の了解で義務のようにはなっているとのこと。食事を用意する、掃除をする、ゴミ出しをするといったことを、住民は厳しい決め事をせずに自然と手を貸し合いながら生活している。

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

山奥ニートになって、“自分が知らなかった感情”を知った

著書で、生まれて初めて「マジギレした(マジで怒った)」事件について触れた石井さん。普段は温厚で、嫌なこともすぐに忘れる性格だが、山奥生活を始めて3年目に、どうしても人やモノに当たらずにはいられない日があった。それは「自分の知らなかった感情」だった。

“マジギレ”だなんて、ネガティブなイメージがあるかもしれないが、今では石井さんはポジティブに受け止めている。「“マジギレ”したというのは、それだけ僕が人と関わって生きているという証拠だと思う。人と関わったからこそ、自分を知ることができた。自分がムカっとする相手に会ったときにどんな反応をするのかを知るということは、逆に自分が何に心地よさを感じ、何に嫌悪するのかが分かるようになるということだから」(石井さん)

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

自分の感情を自然に発露できた山奥での生活のおかげで、怒り、心地よさ、嫌悪といった「感情」が自分の中に芽生えたと感じている。

それに、感情的であることは悪いことではないとも思っている。
「一人で生きていくということはかなり大変で、強い人でないと生きられない。弱い人は、弱い人同士が繋がって、生きていく方がいい。感情的になるということは、弱さも見せていくということ。だから、人と人の“しがらみ”もある程度必要だと思うんです」

コロナ禍で山奥生活を再確認

石井さんは、1カ月だけ共生舎に住んだことのある女性と3年前に結婚した。現在3カ月に1度、1カ月ほど名古屋に住む妻のところに滞在する“二拠点生活”を送っている。

山奥の生活はコロナ禍での変化がまったくない分、「マスクが必須になった都会は、以前以上に息苦しく映る」と石井さん。街中を歩くにもどこか罪悪感を抱かずにはいられず、何も考えずに歩ける山奥の暮らしがやはり好きだと再認識している。

とはいえ、都会の生活も嫌いではない様子。「山奥の生活の一番の魅力は生活費の安さ。都会の良さは、遊ぶ場所がある、新しい面白い人と出会える、食べ物の選択肢が多いということ。それぞれにいいところがある。都会のいいところを山奥に持っていけたら面白そうだと思うんですよね」

2020年2月10日(ニートの日)に登壇した「ニート祭り」の様子(写真提供/石井あらたさん)

2020年2月10日(ニートの日)に登壇した「ニート祭り」の様子(写真提供/石井あらたさん)

コロナ禍でオンラインでのコミュニケーションが一般的になり、石井さんは山奥にいながらにして地元の友達とのオンライン飲み会も頻繁に楽しむようになった。確かに、山奥での不便さも尊いものだが、都会の良いところも取り入れれば、より住みやすくなりそうだ。

「山奥にも住む人が増えたら最高」と話し、「共生舎に住むことは物理的に難しくても、周辺集落にもっと人が移り住んでくれたらうれしい」と続ける。「将来的には、妻も山奥生活することを考えているようです」

コロナ禍のこの半年、外出規制になったり、先の予定を全てキャンセルすることも余儀なくされた。予定やルーティンがベースにあった毎日が一変し、日々の過ごし方や、暮らしたい場所、仕事観など、価値観が大きく変わった人も多いだろう。それぞれが新しい生き方を模索するなかで、“山奥ニート”石井さんの「先を考えず、その時その時を思うままに暮らしているのに充実感を感じられている」生き方は、凝り固まった私たちの価値観にちょっと変化を与えてくれるように思う。

石井さんは、「就職して働いている人は、やっぱり立派です」と言いつつ、このウィズコロナ時代を「先のことを考えることが苦手な僕たちにとっては生きやすい時代」と話す。「働くこと以外なら、なんでもやる気があるんです」という石井さんは、山奥の暮らしをもっと楽しんでやろうと大きな野望を抱いている。

『「山奥ニート」やってます。』(石井あらた 著、光文社 刊)●取材協力
石井あらたさん
1988年生まれ、名古屋市出身。自称「山奥ニート」。浪人・留年・中退の末ひきこもり。2014年から和歌山県の山奥に移住。NPOの支援を受けるはずが、移住3日後に代表が亡くなり、理事として自主運営を開始。人口5人の限界集落の木造校舎に、ネットを通じて集まった男女14人と暮らしている。2017年に会社員の女性と結婚。現在は山奥と街の二拠点生活をしている。
Twitterアカウント:@banashi
ブログ:山奥ニートの日記
YouTube:山奥ニート葉梨はじめ
『「山奥ニート」やってます。』(石井あらた 著、光文社 刊)

ふるさと納税で“体験型”返礼品が増加中!ウィズコロナ時代の地域応援

2008年に制度が開始し、「おトク」というイメージで2015年ころから急速に利用が広まったふるさと納税。返礼品は食品や伝統工芸品のイメージが強いが、近年、バリエーションが広がっている。なかでも「体験型」が増加しており、地域活性につながっているという。
「体験型」増加の背景と実態、そしてウィズコロナ時代の今だからこその「ふるさと納税」活用について、ふるさと納税サイト「さとふる」広報と、自治体担当者へ聞いた。

5割近くの自治体が「体験型」の開発を実施・検討

「さとふる」でも体験型の返礼品は増えており、バリエーションも多彩だ。旅行券・宿泊券、食事券、テーマパークや水族館等アミューズメント施設の入場券や、マリンスポーツ・ゴルフ・スカイダイビング等アクティビティの体験チケットもある。
地域産業を活かした「コスメの手作り体験」「伝統工芸品づくりの体験」や、「農業体験」「漁師体験」「地元テレビやラジオへの出演券」、中には「1日町長体験」などユニークなものも。

「寄附額1万円前後、都心から程近い場所の旅行券や、その土地で利用できる観光チケット、花火大会の入場券なども人気があります」と、「さとふる」広報の谷口明香さん・道岡志保さんは語る。
二人によれば、「体験型」増加の背景には2つの理由があるという。

ひとつは、ふるさと納税をPRの場として捉える自治体・事業者が増えたこと。食品や伝統工芸品などの特産品でなくとも、「その地域ならではの体験」を提供することで地域活性化や地域PRにつなげたいと考える自治体や事業者がアイデアを出しあい、オリジナルの返礼品を生み出している。

もうひとつが、2019年の地方税法改正だ。制度の趣旨に反する返礼品増加や過度な競争を抑制するため、返礼品の基準が変更された。それに伴い、全国的に返礼品の見直しが行われた。「さとふる」の調査によれば、法改正後、新しい取り組みを開始・検討した自治体は6割以上。取り組み内容として最も多かったのが「体験型返礼品の開発(45.7%)」だった。

化粧品の原料が採掘される愛知県東栄町では「手作りコスメ体験」を提供(画像提供/さとふる)

化粧品の原料が採掘される愛知県東栄町では「手作りコスメ体験」を提供(画像提供/さとふる)

複数の市町をまたいだツアー型の返礼品も

2019年度の調査で、ふるさと納税の寄附受け入れ額が前年度比1.3倍となった埼玉県も「体験型」に力を入れる自治体のひとつだ。その背景について、埼玉県 企画財政部 地域政策課 地域振興担当の高田尚久さんは、「実際に寄附自治体を訪問する機会をつくることで、地域により深く触れてもらい、魅力を体験していただきたい」と語る。

県内各市町村で、それぞれの特色を活かした返礼品が生まれている。
例えば2019年度、県内で最も受け入れ額が多かった秩父市では、「秩父プレミアムツアー~オトナの酒蔵めぐり~」と題して、普段見学できない「イチローズモルトウイスキー」秩父蒸留所の見学ツアーを提供。開始以降、定員いっぱいまで申し込みがあるという。
航空自衛隊入間基地を擁する狭山市では、市庁舎屋上から航空祭を観覧できるチケットが人気だ。
※コロナウイルス感染症拡大のため、本年は秩父蒸留所見学ツアー、入間航空祭、ともに中止。

秩父市の返礼品「オトナの酒蔵めぐり」の様子(画像提供/秩父地域おもてなし観光公社)

秩父市の返礼品「オトナの酒蔵めぐり」の様子(画像提供/秩父地域おもてなし観光公社)

狭山市の返礼品「入間航空祭観覧席」。ブルーインパルスの曲技飛行も見られるとあって、毎年人気(画像提供/大金歩美)

狭山市の返礼品「入間航空祭観覧席」。ブルーインパルスの曲技飛行も見られるとあって、毎年人気(画像提供/大金歩美)

県では、こうした県内各地で提供されているプランを県ホームページで一覧化して紹介するほか、市町村と県の協力により複数市町村を周遊・滞在する体験型返礼品のコースも開発している。
「地域全体を周遊・滞在し、満喫していただきたい。単独ではアピール度が弱い返礼品を複数組み合わせることで魅力を高める狙いもあります」と高田さん。
例えば、小川町・川島町いずれかへの寄附に対する返礼品として一昨年用意されたのが、「畑から蔵へ 大豆の旅」と題された体験型プラン。小川町にある農場で大豆の収穫体験を行った後、川島町にある醤油の蔵元で、仕込み蔵の見学と醤油づくりの一部工程が体験できるというものだ。

小川町での大豆収穫体験の様子(画像提供/小川町)

小川町での大豆収穫体験の様子(画像提供/小川町)

体験型返礼品の実施後に観光者の数が増加した自治体は複数あり、地域を訪れるきっかけとして機能しているという。
「訪問していただいた際、市内の別の場所に立ち寄ったとの声もあります。寄附をきっかけに地域のグルメや名所に触れていただくことで、各市町村のPRにつながっているようです」(高田さん)

継続的に寄附を行ったり、2回3回とその地域を訪問するリピーターも生まれている。「地域が好きになった」「また来たい」という声のほか、移住に興味を持つ寄附者もいるとのこと。自治体内で新規創業した事業者が返礼品の提供者となる事例もあり、地元起業者への支援にもつながっている。

コロナ禍での「体験型」実施方法には各地域頭を悩ませており、今年は中止としたプランも複数存在するという。一方、コロナ禍で近距離の旅行(マイクロツーリズム)が人気を集めるようにもなった。高田さんは「都心から1~2時間でアクセスできる本県の体験型返礼品が注目される機会も増えるのではないか」と期待を寄せる。

都内でも、「ここでしか味わえない体験」を提供

従来、ふるさと納税制度における「過度な返礼品競争」について反対の立場を表明してきた渋谷区も、「ふるさと納税の影響による税収減を看過できない」と、2020年度より制度活用を開始した。渋谷区総務課ふるさと納税担当主査の増子義明さんは、こう意気込む。
「ご存じのとおり、渋谷区ではふるさと納税で寄附が集まる農産物や海産物等の特産品はありません。しかしながら、渋谷でしか味わえない魅力的な体験やサービスは多数ある。商品を売るのではなく、渋谷のコトを体験してもらうことで、渋谷のファンにシティプライドを持ってもらい、渋谷区の応援団を増やす取り組みにつなげていくことを目指しています」

2020年10月現在、レストランでの食事券やホテルのスイートルーム宿泊券、高層ビル展望施設のチケット、ファッション性の高いTシャツやトートバックといった返礼品のバリエーションが準備されている。

渋谷区の返礼品の中には「渋谷スクランブルスクエア」の展望施設「SHIBUYA SKY」入場チケットも。約230mの高さから、スクランブル交差点や富士山、東京スカイツリーなどを一望できる(画像提供/渋谷区)

渋谷区の返礼品の中には「渋谷スクランブルスクエア」の展望施設「SHIBUYA SKY」入場チケットも。約230mの高さから、スクランブル交差点や富士山、東京スカイツリーなどを一望できる(画像提供/渋谷区)

一方、コロナ渦での募集開始となり、店舗の休業や事業自粛などを受け、申し込み受付開始当初は返礼品の一部が提供できない状況にもあった。
「正直、申し込みは少ないものと覚悟していた」という増子さん。
しかし、蓋を開けてみれば、約1カ月で113名と、想定を超える数の寄附申し込みがあった。

現時点では特定の返礼品に人気が集まっている訳ではないが、レストランでの食事券が比較的申し込み件数が多いという。提供を延期している返礼品についても、今後、コロナウイルス感染状況の推移を見ながら、「事業者と調整の上、順次提供していく予定」とのことだ。

オンラインを活用したプランも登場

新型コロナウイルスの影響を受け、移動自粛が続く中、新たに生まれたのがオンラインを活用した「体験型」だ。
山形県庄内町では「蔵元と語りながら地酒を飲もう〈地酒3種付き〉」と題し、テレビ会議で現地の酒造と寄附者をつなぐプログラムを行った。寄附者は事前に郵送で届いた地酒を片手に参加。蔵元から日本酒の基本知識や酒造の特徴を教わりながら、和気あいあいと語らったほか、オンラインで酒造の案内も行なわれた。

参加者からは「地域とつながって応援できるという、ふるさと納税の本質を実感できてよかった」「コロナが落ち着いたら実際に庄内に行って、直接蔵元さんに会ってみたい」といった声があがり、事業者からも「初めての人への販促として良い企画、ここから蔵のコアなファンが増えたらうれしい」との感想が得られた。

山形県庄内町の返礼品「蔵元と語りながら地酒を飲もう」の様子(画像提供/株式会社ROOTs)

山形県庄内町の返礼品「蔵元と語りながら地酒を飲もう」の様子(画像提供/株式会社ROOTs)

「さとふる」では、お盆の帰省の時期に合わせた「オンライン帰省を楽しむ」特集を公開。地酒やフィンガーフードなど、パソコンの前で、遠方の家族と一緒に楽しめるような返礼品や、送り先を2カ所に分ける方法などを紹介した。
「帰省自粛の流れを受けて、以前からあった『お墓参り』や『見守り代行』の返礼品も今後、よりニーズが高まってくるかもしれません」(谷口さん)

「地域を応援する手段」としての活用が増加

「さとふる」では、新型コロナウイルスによる外出自粛要請が出た4月ころから、寄附額が全体的に増えているという。4月単月の比較では、昨年比1.8倍以上となった。

「自宅で過ごす時間が増え、食品等の返礼品ニーズが増したことももちろん大きいと思います。
そこに加えて、新型コロナウイルスの影響で経済的に困っている事業者が多いことは広く知られた事実。移動自粛で現地に行くことも難しくなった中で、地域を応援したい・手助けしたいという思いを持つ方は増えているのではないかと思います」(谷口さん)

ふるさと納税を活用した「応援」の仕方もさまざまだ。
例えば、コロナ禍で打撃を受けた産業の代表例である観光業。ふるさと納税では、宿泊チケット等の発送をもって寄附先の自治体から事業者へ代金が支払われるため、宿泊施設に先にお金を落とすことができる。

文化・芸術・スポーツに対する支援例もある。例えば長崎県諫早市では、返礼品に地元サッカーチーム「V・ファーレン長崎」のユニフォームを用意。寄附金の使い道としても「Jリーグ『V・ファーレン長崎』への応援」を選べる。

長崎県諫早市の返礼品。地元サッカーチームV・ファーレン長崎のユニフォーム(画像提供/さとふる)

長崎県諫早市の返礼品。地元サッカーチームV・ファーレン長崎のユニフォーム(画像提供/さとふる)

「都内のレストランで、地域食材を味わう」返礼品も。熊本県上天草市や三重県松阪市の返礼品の中には、都内のレストランで、地域の食材を使ったコースを楽しめるというプランがある。

三重県松阪市の返礼品。東京都中央区日本橋のレストランで、松阪・三重食材のコースが楽しめる(画像提供/さとふる)

三重県松阪市の返礼品。東京都中央区日本橋のレストランで、松阪・三重食材のコースが楽しめる(画像提供/さとふる)

実際に、ふるさと納税が地域の大きな助けとなることを示唆するデータもある。
「さとふる」と事業構想大学院大学の調査によれば、返礼品原材料の調達、生産・加工、雇用等が全て地域内で行われた場合、最大767億円の域内雇用者所得が生まれるという試算だ。

「事業者単位でなく、地域全体に還元できるのがふるさと納税の特徴のひとつ。特定の事業者だけではなく、広く地域を応援したいということであれば、より有効な手段になり得ると思います。
また、自身の想いに合わせて税金の使い道を指定できること、スマホやパソコンから気軽に参加できることも特徴です。
地域経済に貢献しながら、美味しいものや楽しい体験を得ることができる。多くの人が楽しみながら参加することで、全国の地域にお金が巡っていく。気軽にできる地域貢献として、ご活用いただけると良いなと思います」(道岡さん)

スマホひとつで、気軽にできる地域貢献

コロナ禍で、地域経済は大きな打撃を受けた。例えばGO TOトラベルで旅行を楽しむことも地域貢献になるが、ふるさと納税を活用することで、より深く地域を知り、地域経済全体へ貢献することもできる。
同時に、地方移住への関心が高まる中、地域と関わる第一歩としても活用できそうだ。
今この時期だからこそ、ふるさと納税の活用に、今いちど注目してみてはいかがだろうか。

●取材協力
さとふる
埼玉県
東京都渋谷区

「共につくろう、変わり続けるものづくりのまちを」工房一斉開放イベント 福井「RENEW」現地レポート

3万人の来場者が、全国から集う「RENEW(リニュー)」。2015年から福井県で毎年秋に開催されてきた、年に一度の工房一斉開放イベントです。

イベントの舞台である「丹南エリア」とは、鯖江市・越前市・越前町のこと。全国屈指のものづくりが盛んなエリアとして知られています。RENEWでは、それぞれの工房・企業を一斉に開放。来場者は職人と直接話したりワークショップに参加したりしながら、ものづくりを体感できます。
RENEWのイメージ・赤丸が目をひくポスター(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

RENEWのイメージ・赤丸が目をひくポスター(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

2020年、新型コロナウイルスによって多くのイベントが中止に追い込まれるなか、RENEWは7月に現地開催を決定。

「くたばってたまるか」

このステートメントを掲げ、現地では感染対策に留意し、オンラインで楽しめるコンテンツも用意。出展者76社(現地64社・オンライン12社)が参加し、2020年10月9日(金)から11日(日)の3日間、予定どおり開催を実現したのでした。

総合案内所である「うるしの里会館」周辺には、多くの人が集まる(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

総合案内所である「うるしの里会館」周辺には、多くの人が集まる(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

直前には台風の影響が心配されながらも、来場者は前年を上回る延べ約3万2000人にのぼり、オンラインからも延べ約1万4000人が参加。1出展者あたりの売上も前年より大幅に上昇し、ものづくりのまちは、いつにも増してエネルギーに溢れていました。

今年のRENEWが掲げたコンセプトは、「共につくろう、変わり続けるものづくりのまちを」。2020年のRENEWが見せてくれた、変わり続けるまちの新たな「景色」をお届けします。

※ 開催までの道のりはこちら

受け継がれてきたものづくりを「体感」する

RENEWの会場である福井県の丹南エリアには、多くの産業が集中しています。伝統的につくられてきた漆器、和紙、刃物、箪笥(たんす)、焼物、そして地場産業である眼鏡、繊維など。この土地にものづくりの技術が蓄積され、継承されてきました。

車で約45分ほどの圏内に点在する工房・企業を思い思いにめぐりながら、それぞれの出展者が提供するワークショップへの参加も可能(画像提供/RENEW実行委員会)

車で約45分ほどの圏内に点在する工房・企業を思い思いにめぐりながら、それぞれの出展者が提供するワークショップへの参加も可能(画像提供/RENEW実行委員会)

総合案内所がある「越前漆器&眼鏡エリア」は、徒歩圏内に最も出展者が集中。工房に併設された直営ショップが続々と増加している熱いエリアです。5年間RENEWを続けてきたことで、エリア外からの移住者が増加。ものづくりを継承しようと移住してきた若き職人たちが、率先して説明してくれるため、「工房」や「職人」の存在がグッと身近になります。

77歳の伝統工芸士に学んだ若き職人たちが、蒔絵(まきえ)を施したアクセサリーを販売する/駒本蒔絵工房 / KOMAYA(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

77歳の伝統工芸士に学んだ若き職人たちが、蒔絵(まきえ)を施したアクセサリーを販売する/駒本蒔絵工房 / KOMAYA(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

駒本蒔絵工房では、漆塗りのパーツに蒔絵(まきえ)を描いて、オリジナルアクセサリーをつくるワークショップへ。

参加者が漆で蒔絵を描いた後は、仕上げに職人が金箔や銀箔を施す(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

参加者が漆で蒔絵を描いた後は、仕上げに職人が金箔や銀箔を施す(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

職人さんによる熟練の技を間近で見られるのは、RENEWならではの醍醐味です。蒔絵職人さんと和やかにお話しできたおかげで、「また、ここに来たいな」と思うひとときを過ごしました。

越前和紙が受け継がれてきたエリアで、伝統的な紙すきからアート作品の制作まで「紙」を軸に幅広い制作を手がける/長田製紙所(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

越前和紙が受け継がれてきたエリアで、伝統的な紙すきからアート作品の制作まで「紙」を軸に幅広い制作を手がける/長田製紙所(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

「ほら、光の当たり具合によって紙の見え方が違うでしょう」

普段見ない角度から眺めてみたり、おそるおそる触らせてもらったり。越前和紙を製造する長田製紙所で、紙すきの工場に差し込む淡い光と職人さんの言葉を頼りに、ふすまサイズの紙と向き合います。

「手のおもむくままに」下書きなしでふすまの柄が描かれていく/長田製紙所(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

「手のおもむくままに」下書きなしでふすまの柄が描かれていく/長田製紙所(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

ふすまが一番美しく映えるように光がおさえられた工房で、身近な存在だったはずの「紙」が、はっと驚くほどに美しい姿を見せてくれます。紙すきの営みが、1500年以上続いてきたことを実感する瞬間です。

打刃物のハンドル「柄(え)」を製作する山謙木工所が、2020年に直売するショップをオープン/柄と繪(etoe)(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

打刃物のハンドル「柄(え)」を製作する山謙木工所が、2020年に直売するショップをオープン/柄と繪(etoe)(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

越前打刃物エリアでは、国内外から高い評価を受けている刃物を集めたファクトリーショップ「柄と繪(etoe)」へ。1カ月前にオープンしたばかりの建物に、作り手によって特色の異なる刃物がずらりと並びます。

「この刃物はご高齢の職人さんがつくっていて、製造できる数に限界があります。だからもう値段がつけられないんです。でも、その方しか持っていない素晴らしい技術でつくられているので、ここに置かせていただいています」

ものづくりの新たな発信基地に置かれたその刃物に、受け継がれていく歴史を感じずにはいられませんでした。

「これまでどおり」を支えた、適切な対策の積み重ね総合案内所の横には、「ローカルフード」として鯖江や福井にちなんだ食事を提供するキッチンカーが並んだ(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

総合案内所の横には、「ローカルフード」として鯖江や福井にちなんだ食事を提供するキッチンカーが並んだ(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

現地開催を実現するために、運営方法の変容が必要になった今年のRENEW。しかし昨年までに何度も訪れたことがある来場者は「いい意味で、例年と変わっていなくてよかった」と思ったんだとか。これまでと変わらずに職人さんと話して工房を見学でき、RENEWの空気を満喫できたといいます。

「現地開催することがゴールではなく、一人の感染者も出さないことが最低条件」

実行委員会はこの軸をぶらすことなく、コロナ禍で「これまでどおり」を実現する仕組みづくりに奔走しました。

受付で配布されるリストバンドで、参加者の行動経路を把握できる仕組みに(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

受付で配布されるリストバンドで、参加者の行動経路を把握できる仕組みに(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

昨年までは受付がなく、来場者は気ままに好きな箇所をめぐっていましたが、今年は受付を必須に。毎日検温した後、工房見学やワークショップで必須になるリストバンドが配布されます。それぞれの工房・企業でリストバンドの番号を記録するので、万が一の場合でも感染者の追跡が可能です。

参加者は地図が掲載されたパンフレットを持ち歩き、思い思いに気になる場所をめぐる(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

参加者は地図が掲載されたパンフレットを持ち歩き、思い思いに気になる場所をめぐる(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

新型コロナウイルスが現れて以来、対策をしていてもどこか後ろめたさがあった「移動」。その後ろめたさには、「移動した先で受け入れてもらえるのだろうか」という不安もありました。

しかしRENEWでは、適切な対策を用意した上で「ぜひ来てください」と受け入れる姿勢を発信してくれたことで、去年までと同じように安心して楽しめたように思います。県外からの来場者も多く、久しぶりの再会を喜ぶ場面もありました。

来場者を歓迎してくれたのは、工房を案内してくれた職人さんも同じ。「RENEWのおかげで、遠くから工房に来てくれる人がいるんだ、と知ることができました。だから今年も変わらず、たくさんの人が来てくれてうれしいです」と話してくれました。

3密を避け、RENEWのシンボル・赤丸マークの上に並ぶ来場者(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

3密を避け、RENEWのシンボル・赤丸マークの上に並ぶ来場者(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

「開催できるか、できないか。いつもどおりに開催できない環境なら、何ならできて、何ならできないのか。工夫できることはないのか」

現地開催の決断に向けて、RENEW実行委員長の谷口康彦さんはこう考えたと言います。

この言葉のとおり、適切な対策を重ねて地元や行政の理解を得れば、多くの人が安心して楽しめるイベントを実現できるかもしれない。2020年のRENEWは、コロナ禍でのイベント開催への希望も見せてくれました。

ものづくりのまちを「共につくる」ための、新たな挑戦

2020年、RENEWは3年間掲げてきたコンセプト「来たれ若人、ものづくりのまちへ」を初めて変更。

「共につくろう、変わり続けるものづくりのまちを」

掲げたコンセプトを体現するために、新たな企画を複数立ち上げていました。

越前市にある和紙問屋「杉原商店」の和紙ソムリエによるセミナー。「RENEW TV」としてオンラインコンテンツを数多く配信した(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

越前市にある和紙問屋「杉原商店」の和紙ソムリエによるセミナー。「RENEW TV」としてオンラインコンテンツを数多く配信した(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

現地開催と並行して、今年はオンラインでもRENEWを開催。ゲストによるトークから現場レポート、動画による工房見学まで、さまざまなコンテンツを配信しました。

今年初の取り組みのなかでもRENEWらしさが際立ったのが、産地の新たな可能性を探究する「RENEW LABORATORY」。各地で活躍する新進気鋭のデザイナーと、ものづくりを受け継ぐ5社がタッグを組み、120日間かけてオンラインで商品開発に取り組むプロジェクトです。普段使いできる漆のお弁当箱から、眼鏡づくりを解説する絵本まで、このプロジェクトによって完成した5つの商品が、初めてお披露目されました。

タッグを組んだデザイナーと出展者は、全員RENEWに関わったことがある作り手たち。RENEWが積み重ねてきた信頼関係があったからこそ、コロナ禍でもリモートで商品を完成させられたのでしょう。

デザイナーと出展者が1組ずつ手を携え、5チームが同時に商品を開発。デザイナー自らブースに立ち、ものづくりに込めた思い、職人へのリスペクトを熱く語るため、来場者も興味津々(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

デザイナーと出展者が1組ずつ手を携え、5チームが同時に商品を開発。デザイナー自らブースに立ち、ものづくりに込めた思い、職人へのリスペクトを熱く語るため、来場者も興味津々(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

足を止めてデザイナーとじっくり話し込む来場者が多く、「デザイナーの仕事ぶりや発想に触れられて、おもしろかった」と話す来場者も。時代に合わせて手段を変えながら、産地として真摯にものづくりと向き合い、柔軟に挑戦していく姿勢を感じました。

作り手、伝え手、使い手をつなぐために開催されている「ててて往来市 TeTeTe All Right Market」は、今年初めてRENEWに登場(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

作り手、伝え手、使い手をつなぐために開催されている「ててて往来市 TeTeTe All Right Market」は、今年初めてRENEWに登場(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

RENEWの会場にて同日開催されたのは、マーケットイベント「ててて往来市 TeTeTe All Right Market」です。福井県内だけでなく、近隣県含めて19組の作り手が出店。RENEWと開催時間をずらすことで作り手どうしの交流が実現し、ものづくりの可能性を拡げる新たなつながりが生まれていました。

誰もが自分に言い聞かせた「くたばってたまるか」

「コロナ禍でイベントを開催するには、誰かがリスクを引き受ける必要があります。1番目が出てこなければ、2番目、3番目が続かない。民間有志で運営しているRENEWが、1番目を引き受けることが望ましい、と考えました」

開催に至った経緯をこのように話してくれた、RENEW実行委員長の谷口さん。当日は予想以上に来場者が集い、満車になった駐車場の対応に追われながらも、「今年RENEWが担うべき役割は果たせたんじゃないでしょうか」と穏やかな表情で語ります。

2015年からの5年間で、RENEWに関わるお金も人も一気に増えました。名前が知られるようになったRENEWで万が一のことがあれば、他のイベントの開催判断にも大きくマイナスの影響が出てしまうでしょう。それでも現地開催を決断した背景には、「役割」を担う覚悟があったのです。

「RENEWに求められる役割は、かなり大きくなっています。5年前はいわば村おこしのサイズでしたが、今やすでに『自分たちの』という大きさではありません。時代のなかで必要とされている役割を常に考えながら動いています」

RENEW開催直前には、RENEW実行委員会が国土交通省の「地域づくり表彰」にて、国土交通大臣賞を受賞(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

RENEW開催直前には、RENEW実行委員会が国土交通省の「地域づくり表彰」にて、国土交通大臣賞を受賞(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

初開催から5年の歳月を経て、RENEWは各地の工芸祭がベンチマークする最先端の事例となりました。役割が大きくなっている──その強い実感の先に実現されたのが、今年のRENEWだったのです。

「うーん、正直……『わー、しんどいなぁ』と思うときもありますよ、1ミリくらいね。でも、少し無理をしてでも、そのしんどさを『糧』と言わなきゃいかんでしょう。そういう何もかもを凝縮したのが、今年掲げた『くたばってたまるか』でした。

この言葉もね、実行委員会の誰が言い始めたのか、もう覚えていないんですよ。でも、誰が言っても同じ気持ちでした。外側に発信するだけでなく、自分たちに言い聞かせていたんですよ。くたばってたまるか、と」

その決断を行政が支え、賛同した工房・企業が今年もRENEWへの出展を決め、思いに共鳴した参加者がRENEWに参加する。

「前を向く」「自分がやる」と決めた一人ひとりの思いが共鳴しあい、覚悟を後押しする土壌が、今年のRENEWを支える柱になっていました。

今年から結成された、RENEWと産地のサポーターチーム「あかまる隊」。ワークショップの企画や当日運営、取材などを担当し、県内外から約30名が集まった(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

今年から結成された、RENEWと産地のサポーターチーム「あかまる隊」。ワークショップの企画や当日運営、取材などを担当し、県内外から約30名が集まった(写真撮影/Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)

時代に応え、時代を切り拓く「ものづくりのまち」

谷口さんは最後に、「最近よく聞かれること」について話してくれました。

「これからRENEWはどうするんですか、と何度も聞かれます。現段階で言えるのは、答えは今出すものではないということ。一年後の社会が抱える課題、RENEWに求められる役割は当然読めませんから、その答えを今の時点で出すものではない。変化に対応しましょう、それが答えですね。

そもそも私たちは、RENEWが時代の先頭で戦っている、なんて意識を持っていないんですよ。時代に応えようとしている、というのかな。うん、みなさんと一緒に時代を『つくっていく』ような感じかもしれない。それぞれの役割を担うみなさんと一緒にね」

コロナ禍であろうと3万2000人の来場者を受け入れられる産地のあり方、伝統産業が試みたことのない新しいものづくりの方法があること、そして開催を決断したRENEWにこれだけ多くの人が集まって、一緒にこの街の変化を見届けられたこと。今年のRENEWは、新しい景色をたくさん見せてくれました。

新型コロナウイルスの影響でさまざまな変更を余儀なくされた今年だけでなく、これまでも、そして来年も。

常にその瞬間の社会を捉え、変化に対応し自分たちで時代をつくっていく。未来への志を共有し、自らを更新し続ける産地の意志を感じました。

共につくろう、変わり続けるものづくりのまちを。共につくろう、変わり続ける「未来」を。

(画像提供/RENEW実行委員会)

(画像提供/RENEW実行委員会)

●撮影
Tsutomu Ogino(TOMART:PhotoWorks)
●編集
Huuuu.inc

「ウォーターズ竹芝」で浜松町駅まわりが素敵に! 水辺のまちはどう変わっていく?

駅から遠く不便、街の印象が薄い、などのイメージを持たれがちだった竹芝。浜松町駅周辺の開発とあわせて、「WATERS takeshiba(ウォーターズ竹芝)」として生まれ変わっています。この開発を通して浜松町~竹芝エリアはどのように変わっていくのか。また“住む場所””暮らす場所“としてはどうなのか?
ウォーターズ竹芝の開発を手がけたJR東日本の大野一聡さんに、まちづくりの狙いとこれからの水辺活用についてお話を聞きました。

ショッピングにホテル、エンターテインメントまでがそろう「ウォーターズ竹芝」

ウォーターズ竹芝がオープンし、素敵な場所になったと聞いて現地に向かった筆者。訪れたのが土曜日のお昼ごろだったこともあり、水辺に抜けるウォーターズ竹芝のテラスには小さな子どもを連れた家族の憩いの姿が。なんとも絵になる風景です。

「ウォーターズ竹芝では、水辺のワークライフスタイルと文化・芸術を提案できるまちづくりを目指しています。商業施設やホテル、劇場、オフィスのほかに船着場や干潟があるので、近隣にお住まいの方がよくお子さまを連れてお越しくださっていますね。コロナ収束後には、東京観光にいらっしゃる国内外のお客さまにもぜひ訪れていただきたいです」(大野さん、以下同)

ウォーターズ竹芝のテラス。空に抜ける芝生と水辺が開放的で気持ちがいい(画像提供/JR東日本)

ウォーターズ竹芝のテラス。空に抜ける芝生と水辺が開放的で気持ちがいい(画像提供/JR東日本)

船着場からの船に乗れば、美しい東京の水辺観光を楽しめる

船着場からの船に乗れば、美しい東京の水辺観光を楽しめる

ウォーターズ竹芝の空撮写真。水辺と緑の豊かなロケーションであることがよく分かる(画像提供/JR東日本)

ウォーターズ竹芝の空撮写真。水辺と緑の豊かなロケーションであることがよく分かる(画像提供/JR東日本)

ひと足、施設の中に入ると、外の開放感とはまた異なるラグジュアリーな雰囲気も感じられます。入っているお店も、都会的な海を目の前に、高級感漂うスタイリッシュな空間で音楽を楽しみながら飲食できる「BANK30」、レンタルスペースやキッチンにカラオケ設備を備える「SHAKOBA」など、大人が夜を楽しむためのコンテンツがそろっています。

施設のひとつ「アトレ竹芝」タワー棟のレストスペース。ゴージャスでラグジュアリーな大人の雰囲気(画像/アトレ竹芝)

施設のひとつ「アトレ竹芝」タワー棟のレストスペース。ゴージャスでラグジュアリーな大人の雰囲気(画像/アトレ竹芝)

浜離宮恩賜庭園や東京スカイツリーなど東京の眺望が楽しめる「メズム東京」のロビー(画像提供/メズム東京)

浜離宮恩賜庭園や東京スカイツリーなど東京の眺望が楽しめる「メズム東京」のロビー(画像提供/メズム東京)

レストラン「シェフズ・シアター」では、東京に集まる食材をつかった本格的なフレンチを「ビストロノミー」スタイルで楽しめます。オープンキッチンでライブ感も満点(画像提供/メズム東京)

レストラン「シェフズ・シアター」では、東京に集まる食材をつかった本格的なフレンチを「ビストロノミー」スタイルで楽しめます。オープンキッチンでライブ感も満点(画像提供/メズム東京)

40平米からある客室には、全室デジタルピアノや猿田彦珈琲のドリップコーヒーなど、五感を魅了する体験が用意されています。浜離宮恩賜庭園に面している客室は全室バルコニー付き(画像提供/メズム東京)

40平米からある客室には、全室デジタルピアノや猿田彦珈琲のドリップコーヒーなど、五感を魅了する体験が用意されています。浜離宮恩賜庭園に面している客室は全室バルコニー付き(画像提供/メズム東京)

劇団四季の上演が行われる「JR東日本四季劇場[秋]」撮影/下坂敦俊)

劇団四季の上演が行われる「JR東日本四季劇場[秋]」(撮影/下坂敦俊)

アトレ竹芝の中にある劇場型コミュニティスペース「SHAKOBA(シャコウバ)」。レンタルスペース、キッチン、カラオケ設備などを備える(画像提供/JR東日本)

アトレ竹芝の中にある劇場型コミュニティスペース「SHAKOBA(シャコウバ)」。レンタルスペース、キッチン、カラオケ設備などを備える(画像提供/JR東日本)

気軽に友人や家族と観劇やショッピングを楽しみながら、また記念日など、シーンに合わせて活用できそうです。

「『感性に遊び場を。』をコンセプトに、成熟した大人の方に楽しんでいただけるよう、多彩なお店がそろっています。新しい体験や学び、出会いを求める多くの方に満足してもらえる豊かな場所になればと思っています」

こんなに駅から近かった!? 水辺のアクセスに驚き

このウォーターズ竹芝、施設も本当に素敵なのですが、今回訪れて思ったのは「海までこんなに近かったっけ?」ということです。JR浜松町駅より徒歩6分の山手線内で一番東京の水辺に近い場所ですが、歩いていくとより近くに感じられることでしょう。さらに陸のアクセスだけでなく、海からもアクセスできるのがすごいところです。

海側をパノラマ画像で撮影。右奥が竹芝ふ頭、手前の高架はゆりかもめ。左奥の水色に反射する窓の建物がウォーターズ竹芝の施設のひとつ「メズム東京」が入るタワー棟(撮影/唐松奈津子)

海側をパノラマ画像で撮影。右奥が竹芝ふ頭、手前の高架はゆりかもめ。左奥の水色に反射する窓の建物がウォーターズ竹芝の施設のひとつ「メズム東京」が入るタワー棟(撮影/唐松奈津子)

「ウォーターズ竹芝前の竹芝地区船着場からは浅草・両国・お台場・豊洲・葛西などとを結ぶ定期航路船を運行しています。加えて7月からは羽田空港と竹芝を結ぶ羽田空港アクセス船の実証実験を始めています。11月からはナイトクルーズ船の運航も開始予定です。東京の水辺観光と日常の交通を支える場所になればと考えています」

浅草からの船! 筆者も乗りもの好きの息子とパパと一緒に、以前、日の出桟橋までホタルナに乗ったことがあります。「銀河鉄道999」の松本零士氏のデザイン、本当に格好いいんですよね。それがウォーターズ竹芝の船着場にも停泊している姿に興奮しました!

ウォーターズ竹芝の船着場に停泊するホタルナを発見!(撮影/唐松奈津子)

ウォーターズ竹芝の船着場に停泊するホタルナを発見!(撮影/唐松奈津子)

全国的に広がる「ミズベリング」の活動

そして今、観光や水運だけではなく、空間設計においても「水辺」が見直されつつあります。今回のウォーターズ竹芝のように近年、水辺を活用した心地のいい場所が増えてきたように感じるのは筆者だけではないでしょう。これには国土交通省が推進する「ミズベリング」の取り組みが全国の水辺活用を後押ししているようです。

「河川利用の規制緩和と合わせて、昔からのにぎわいを失ってしまった日本の水辺の新しい活用の可能性を創造していくプロジェクトが『ミズベリング』です。各地で『ミズベリング◯◯(地名)』として、水辺活性化に向けた活動が始まっています。

ミズベリング竹芝は、このミズベリングの枠組みを活かしてJR東日本が2017年3月に立ち上げました。竹芝エリアの水辺活性化に向けて、水辺総研、東京海洋大学、ココペリプラスなど、さまざまな団体と連携をして社会実験を進めています。

例えば干潟では、ハゼなど東京都の絶滅危惧種をはじめとする水生物調査やフィールドワーク、豊かな東京湾再生に向けた活動を行っているんですよ」

シアター棟の奥の階段を降りたところには干潟が。江戸前の海であった東京湾の再生に向けた環境づくりが行われている(画像提供/JR東日本)

シアター棟の奥の階段を降りたところには干潟が。江戸前の海であった東京湾の再生に向けた環境づくりが行われている(画像提供/JR東日本)

干潟のイメージ。クロダイ、スズキ、ハゼ、エビ、カニなどのほか、東京都の絶滅危惧種に指定されているミミズハゼなど多様な生物が存在する(画像提供/JR東日本)

干潟のイメージ。クロダイ、スズキ、ハゼ、エビ、カニなどのほか、東京都の絶滅危惧種に指定されているミミズハゼなど多様な生物が存在する(画像提供/JR東日本)

浜松町~竹芝エリア全体が変わりつつある!

オフィスや商業施設だけではなく、芸術・文化、交通、そして教育まで! 大野さんによると、そもそもこの浜松町~竹芝エリアは東京を代表する歴史とさまざまな可能性を持つエリアだったと言います。

「もともと増上寺や浜離宮など、江戸時代から続く歴史資産を有するエリアです。さらに1964年の東京オリンピックへ向けてモノレールや東京タワー、世界貿易センタービルなど、東京を代表する多くの施設が整備され、浜松町はまさに日本最先端の場所だったと言っても過言ではありません」

ウォーターズ竹芝のビジュアル・マップ。このエリアの見どころの多さがよく分かる(画像提供/JR東日本)

ウォーターズ竹芝のビジュアル・マップ。このエリアの見どころの多さがよく分かる(画像提供/JR東日本)

そして今また、このエリアは大きな開発計画の最中にあります。今回、浜松町駅を降りて、まず目の当たりにしたのも、駅周辺の至るところで大規模な工事が行われている様子でした。

工事が行われている浜松町駅の南側、浜松町二丁目付近の様子(撮影/唐松奈津子)

工事が行われている浜松町駅の南側、浜松町二丁目付近の様子(撮影/唐松奈津子)

筆者が訪れたのは9月上旬。ペデストリアンデッキはまだ完成しておらず、工事中の様子を仰ぎ見ながら歩きました。9月14日に開業した東京ポートシティ竹芝などの新しい建物はもちろん、きれいに舗装された歩道に「あれ、浜松町とか竹芝ってこんなにきれいな街だったっけ?」と印象を新たにしました。

浜松町駅から竹芝ふ頭へは建設中のペデストリアンデッキが伸びる。駅の向こうには東京タワーが!(撮影/唐松奈津子)

浜松町駅から竹芝ふ頭へは建設中のペデストリアンデッキが伸びる。駅の向こうには東京タワーが!(撮影/唐松奈津子)

東京ポートシティ竹芝脇の歩道を歩くと、船の舵輪をモチーフにした時計に出会う(撮影/唐松奈津子)

東京ポートシティ竹芝脇の歩道を歩くと、船の舵輪をモチーフにした時計に出会う(撮影/唐松奈津子)

“住む場所”“暮らす場所”としての可能性は?

それでは“住む場所”“暮らす場所”としてのポテンシャルはどうでしょうか。“働く場所”としてのオフィス街、また海辺は“遊びに行く場所”というイメージが強く、マンションなどの住宅はあまり見たことがないように思います。けれども、考えてみれば通勤が必要なオフィスワーカーにとってアクセス利便性はもちろん、ウォーターズ竹芝の風景は、筆者のように子どもがいるファミリーにとても魅力的に映ります。

「近隣で開業した東京ポートシティ竹芝以外にも、現在の周辺エリアでの開発が進んでおります。浜松町、竹芝、近隣の芝浦地区も含めて、今後10年で住む場所、暮らす場所としての機能も充実していくでしょう。私たちも水辺や文化、芸術を核にしたまちづくりを進め、訪れる人にも住む人にも居心地のいい場所となることを目指しています」

たしかに隣駅の田町駅周辺もここ数年で開発が進み、商業施設やマンションがかなり増えてきました。住むにも便利で、気持ちのいい水辺がある場所として、大きな可能性を秘めていますね。

アトレの2階から芝浦方面を望む。これからも開発が進み、水辺エリア全体がより住みやすく暮らしやすいエリアとなるだろう(撮影/唐松奈津子)

アトレの2階から芝浦方面を望む。これからも開発が進み、水辺エリア全体がより住みやすく暮らしやすいエリアとなるだろう(撮影/唐松奈津子)

ウォーターズ竹芝では、10月24日に劇団四季の『オペラ座の怪人』の公演が始まり、まちびらきが行われました。「これからも浜松町~竹芝エリアにはしばらく目が離せないな」――そんな予感と期待を膨らませながら、筆者も母として「今度は生きもの・乗りものが大好きな6歳の息子を連れて来よう」と思いながら竹芝を後にしました。

●取材協力
・ウォーターズ竹芝

ご近所さんを車に乗せる「乗合サービス」、富山県朝日町の交通の切り札に

人口減少や高齢化によって、地方の公共交通機関が危機に瀕しているのは周知の事実。当然、さまざまな施策で「住民の足の確保」に取り組んでいるのですが、そんななかで今、富山県朝日町の実証実験に注目が集まっています。一体どんな仕組みなのでしょう? 同町の寺崎壮さんに話を伺いました。
よくある地方の課題に、新しい乗合サービスで挑む

新潟県との境にある富山県朝日町。東京23区の面積の約1/3ほどに、ヒスイの取れる海岸から北アルプスの標高3000m級の山々まである町です。現在約1万1200人が美しい自然に囲まれて暮らしていますが、ご多分に漏れず、人口の減少や高齢化によって公共交通の維持管理が難しい局面に立たされています。そこで同町は2020年8月3日から「ノッカルあさひまち」という新しい公共交通の実証実験を開始しました。

市街地から離れた里山の風景(写真提供/富山県朝日町)

市街地から離れた里山の風景(写真提供/富山県朝日町)

街の中の様子(写真提供/富山県朝日町)

街の中の様子(写真提供/富山県朝日町)

その仕組みは、分かりやすくいえばUberやグラブなどに代表されるようなライドシェアに似ています。ライドシェアとは車を持っている人が移動する際に、他の人を乗せてあげるというサービスのこと。日本では規制があり、あまり普及していませんが、既に欧米や中国、東南アジアなど海外では多くの人々に利用されています。

「ノッカルあさひまち」がUberやグラブと大きく異なるのは、民間企業ではなく同町が運営主体だということ。つまりちょっとした自治体が運営する乗合サービス、というわけです。サービスの開発にあたっての実証実験は、朝日町・スズキ株式会社・株式会社博報堂が参画する協議会のもと運営されています。「町では公共交通についてさまざまな角度で検討していたのですが、その折に地方の移動問題の解決に取り組んでいる博報堂さんとスズキさんに、今回ご協力を頂く機会を得たのです」(寺崎さん)。博報堂とスズキは日本各地の地方部で地域活性化に貢献したいという思いを共有しており、このサービスを今後ほかの地域でも活用したいと考えているとのことです。特に、地方部においては自動車の販売台数全体に占める軽自動車の割合が高く、軽自動車やコンパクトカーを主に販売しているスズキ株式会社にとって地方部が元気であることは非常に重要です。

「ノッカルあさひまち」の仕組み(画像提供/富山県朝日町)

「ノッカルあさひまち」の仕組み(画像提供/富山県朝日町)

「ノッカルあさひまち」が行われる以前から、そして現在も町のコミュニティバスが1日40便運行されています。それでも“住民の足の確保”という観点からすれば、多くの課題を抱えていました。例えば地区によっては次のバスまで4~5時間空いてしまいます。

だからといってバスの本数を増やそうとなると、車両もドライバーも必要になりますが、30人乗りなら1台につき購入費が約2000万円、8人程度が乗れるワンボックスタイプでも約500万円が必要になります。またドライバーなどの人件費や燃料費、整備費用等維持費は1台あたり年間でざっと1000万円という計算です。

ほかにも、高齢者にとっては自宅や目的地からのバス停までの距離があり、歩くのが大変というケースもあります。また山間部の道路は通常のバスはもちろん、ワンボックスタイプ(実際に導入済み)でも通行が難しい場所もあり、ルート設定にも制限があります。

集落のなかにはバスが運行できないところも(画像提供/富山県朝日町)

集落のなかにはバスが運行できないところも(画像提供/富山県朝日町)

朝日町のコミュニティバス(写真提供/富山県朝日町)

朝日町のコミュニティバス(写真提供/富山県朝日町)

ワンボックスタイプのバス(写真提供/富山県朝日町)

ワンボックスタイプのバス(写真提供/富山県朝日町)

こうした状況もあって同町では、近隣同士で「よかったら乗っていく?」「ありがとう、じゃあお願い」と乗り合いをすること自体、以前から珍しくはなかったそう。そこで「町が仕組みをつくることで『乗せてもいい』『乗りたい』を顕在化させ、公共交通の補足として活用できないかと考えたのです」

安心して『乗せてもいい』『乗りたい』といえる仕組みに

ノッカルあさひまちは、海外にあるような既存のライドシェアサービスとは運用面で異なる点がたくさんあります。
まずは町民が町民のために運行するということ。ドライバーを町民に担ってもらい、町民の移動の手助けをしてもらう、助け合いの精神が前提になっています。

一般ドライバー運行時の車両イメージ(写真提供/富山県朝日町)

一般ドライバー運行時の車両イメージ(写真提供/富山県朝日町)

しかし、町民なら誰でもドライバーになれるのかと言えば、そうではありません。「海外のライドシェアサービスと違い、無料の実証実験を経た後は、われわれは『自家用有償旅客運送』という道路輸送法に基づいた制度を活用して、有料で運行することを目指しています」

自家用有償旅客運送とは「既存のバス・タクシー事業者による輸送サービスの提供が困難な場合」に自治体やNPO法人などが、自家用車を用いて提供する運送サービスのこと。そのためドライバーも、タクシードライバーのように第二種免許を持っている人か、国の定めた講習を受講した人に限られます。これなら運転に不安のあるような人がドライバーとなることがなくなります(ただし「有償」の文字の通り、サービスが有料の場合。無料の実証実験等は除く)。

さらに海外のライドシェアでは、ドライバーと利用者とのトラブル(暴力や強盗など)という話もよく耳にしますが、例えば協議会が問題のある人物だと判断したら、採用時にふるいにかけて落とすこともできます。万が一トラブルが起こったとしたら、ドライバーと利用者とで直接解決するのではなく、朝日町が主体となってトラブル解決に当たります。このように利用者は安心して利用することができます。

もう一つ「ノッカルあさひまち」ならではの、既存サービスとの違いがあります。それは地元タクシー会社とタッグを組んで行うサービスだということ。実証実験段階では地元のタクシー会社に「ノッカルあさひまち」の予約受付や配車の実務が委託されていますが、町では将来的に運営サービスそのものを委託しようと考えています。

実証実験の様子(写真提供/富山県朝日町)

実証実験の様子(写真提供/富山県朝日町)

国は、交通事業者が実施主体に参画し、運行業務の委託を受けることで地域の交通事業者の合意形成手続きを簡素化することを目的とした「交通事業者協力型自家用有償旅客運送制度」を含む法律を2020年5月27日に成立させ、2020年6月3日に公布しました。
朝日町は、この制度をいち早く活用し、地元のタクシー会社と協力し地域一体となって自家用有償旅客運送を行うこととしたのです。

ライドシェアサービスは、タクシーと乗客を取り合いになるとして海外では問題になっています。日本でもそのような意見もあり、自家用車を活用した乗合サービスがなかなか普及しない理由のひとつになっていますが、なぜ朝日町ではタクシー会社が協力してくれるのでしょうか。

「もともと朝日町にはタクシー会社は1社しかなく、人口減の問題は、タクシー会社としても町と同じ危機感を持っています」。このまま町の人口が減り、交通網が少なくなっていくのを黙って見ているのではなく、町の人が気軽に乗れる新しい交通サービスをつくり出して、町に貢献するとともに、新しい仕事に進出することで企業の存続を図ろうと「ノッカルあさひまち」に協力しているというわけです。

実際、先述した町のコミュニティバスの運営は、既に同じタクシー会社が請け負っています。またヒスイの取れる美しい海岸や北アルプス登山など観光資源のある朝日町は、北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅から予約制のバスを運行していますが、このバスも同社が業務委託されています。

春の朝日町の風景(写真提供/富山県朝日町)

春の朝日町の風景(写真提供/富山県朝日町)

実証実験の第一段階で見えて来たいくつかの課題

こうしてみると、既存のライドシェアサービスよりも安心して利用でき、タクシー会社とも協力的なため、万事が上手くいきそうな「ノッカルあさひまち」なのですが、やはりそうは簡単にいかないようです。

2020年8月3日から9月末にかけて、まずスズキが提供してくれた3台の軽自動車を使い、町の職員がドライバーになって実証実験が行われました。同年10月26日からは、町民ドライバー+自家用車による運行という無料の実証実験で、より本来のサービスに近い内容で第二段階の実験がスタートしました。さらに来年2021年1月からは第三段階として有料による実証実験を行うことを想定しています。

(写真提供/富山県朝日町)

(写真提供/富山県朝日町)

これらのスケジュールは今のところ予定通りですが、9月末までの実証実験ですでにいくつかの課題が見つかりました。

「まず予約の取り方です。当初はインターネットを活用してスマートフォンによる予約を主に想定していましたが、高齢者の方ほどスマートフォンの操作に不慣れなため、結局は電話による予約が大半を占めました」

電話による予約となると、車両手配のオペレーション上、どうしても利用前日の午前中までに予約しないとなりません。「利用者からはそれが面倒、不便というご意見をいただきました」。特に通院の場合、行きはまだいいのですが、帰りは診療次第で時間が変わるので予約できない=利用できないのです。

「ノッカルあさひまち」実証実験で使用されている車両。実証実験後は各家庭の自家用車が使用される予定(写真提供/富山県朝日町)

「ノッカルあさひまち」実証実験で使用されている車両。実証実験後は各家庭の自家用車が使用される予定(写真提供/富山県朝日町)

予約ページとドライバー紹介ページ

予約ページとドライバー紹介ページ

これはドライバー側も同じで、「車で通院するから誰か乗りますか?」という場合、何月何日はこの時間・ルートでと、事前に登録できますが、帰りの時間を事前登録できません。

また現在は12月までは無料サービスによる実証実験ですが「有料の場合、いくらが適正なのかを決めないとなりません。現在アンケート集計も合わせて行っていて、おそらくバスよりも高く、タクシーより安いというレベルになるとは思いますが……」

寺崎さんの歯切れが悪いのは、「どのような仕組みにすれば事業の持続性が保てるのか」という点です。自家用車で町民を乗せてくれるドライバーにも報酬は必要か、その場合いくらが適切で、そのためには料金をどうすればいいか。さらに保険など運用するための経費も考慮する必要があります。

こうした予約・ドライバーの事前登録のあり方や、料金設定が今のところ見えてきた主な課題です。

商業の活性化や旅行者、移住者の増加に繋がれ!

一方、9月末までの実証実験(ドライバーは町の職員)における利用者、つまり乗る側の反応はどうでしょうか。第一段階での利用者数は1週間で5~6人。「バスだとあちこちのバス停を回ってから、ようやく目的地に着くけれど、これならまっすぐ向かえるので助かる」「タクシーより安い料金なら利用したい」という声のほか「ドライバーとおしゃべりをしながら外へ出掛けられるのは楽しい」、高齢者から「久しぶりに外出するきっかけになった」という声もあったそう。利便性の向上とは別の、うれしい成果も見つかりました。

協議会メンバーによる仕組みづくり会議の様子(写真提供/富山県朝日町)

協議会メンバーによる仕組みづくり会議の様子(写真提供/富山県朝日町)

また、先述の通り通院ニーズに対しては課題が浮かび上がりましたが、ドライバー・利用者とも買い物ニーズについては概ね好評で、今後は「ノッカルあさひまちのドライバーや利用者がお買い物の際におトクになるような仕組みを考え、それによる町の商業施設や商店街などが潤う施策も考えられます」

このように「ノッカルあさひまち」は、全国の高齢化や過疎化に悩む地方に先駆けて、自治体が主導する自家用車を活用した乗合サービスを公共交通の補足として使えないかと、船出をしたばかり。今後の実証実験の第二、第三段階で、さらに課題が見つかることもあるでしょうが、そもそもライドシェアサービスは、世界中で利用されているほど成功しているビジネスモデル。しかも以前から近隣同士では「よかったら乗っていく?」「ありがとう、じゃあお願い」という土壌のあった朝日町です。そうした地方ならではの強いコミュニティが存在しているのですから、自治体が主導する乗合サービスが成功する可能性は大いにありそうです。

また冒頭でお話したように観光資源の豊かな朝日町ですから、「ノッカルあさひまち」による観光事業の活用も考えられます。さらに昨今のコロナ禍で、地方への移住が注目されていますが“高齢になっても移動の自由が見込める朝日町”になれば、移住先の候補に入っても不思議ではありません。こうした旅行者や移住者の増加は、もちろん町の活性化に繋がります。そんな可能性を秘めた「ノッカルあさひまち」。今後も目が離せません。

●取材協力
富山県朝日町
ノッカルあさひまち

コロナ禍で失われた高齢者の居場所。豊島区で「空き家を福祉に活かす」取り組み始まる

空き家増加が日本の社会問題として取り上げられる一方、高齢者、障がい者、低額所得者など、住宅の確保が困難な人たちが増加しています。これら2つの問題を一緒に解決する方策として豊島区で市民有志が立ち上げたのが「としま・まちごと福祉支援プロジェクト」です。

一体どんなプロジェクトなのか、企画・運営する一般社団法人コミュニティネットワーク協会の理事長、渥美京子さんにお話を聞きました。

コロナで高齢者の居場所がなくなった!

2020年4月の緊急事態宣言以降、休校・休園、自宅待機、店舗の営業自粛など、多くの人が行動制限されました。それは若い世代、子育て世代のみならず、高齢者や障がいをもつ人も一緒です。渥美さんによると「それまで高齢者のお出かけ先となっていた百貨店や大型電機店などの商業施設、地域センターなどの公共施設に行きづらくなり、自宅に引きこもる高齢者が増えた」と言います。

池袋駅前の大型電器店などは、豊島区の高齢者にとって憩いの場でもあった(画像/PIXTA)

池袋駅前の大型電器店などは、豊島区の高齢者にとって憩いの場でもあった(画像/PIXTA)

「特に定年退社まで仕事一筋で頑張ってきた男性は、仕事以外に趣味がない、会社関係以外の人づき合いが少なく、歳をとると同時に引きこもりがちになる傾向があります。

そうでなくても高齢者の多くの人、特に一人暮らしをしている人は『将来介護が必要になったらどうしよう』『孤独死したらどうしよう』という不安を抱えています。それでも『住み慣れた街を離れたくない』『都心は家賃が高いが住み続けたい』という人が多いのです」(渥美さん、以下同)

一般社団法人コミュニティネットワーク協会の渥美京子さん(撮影/片山貴博)

一般社団法人コミュニティネットワーク協会の渥美京子さん(撮影/片山貴博)

空き家を福祉に活用「としま・まちごと福祉支援プロジェクト」

そのような高齢者や障がいをもつ人、生活困窮者に住まいと居場所、就労できる場所を提供する目的で始められたのが「としま・まちごと福祉支援プロジェクト」です。

「豊島区の空き家率は2018年で13.3%と23区内で最も高い数字です。一方で高齢者等への大家さんの入居拒否感は根強く、日本賃貸住宅管理協会の調査では、高齢者世帯の入居に拒否感がある大家さんが70.2%、障がい者がいる世帯の入居に対しては74.2%にものぼります。空き家と住宅確保が困難な人びとをマッチングすることで、双方が抱える問題を一緒に解決できないかと考えたのです」

豊島区の空き家率は2018年で13.3%と23区内で最も高く、約9割が賃貸用(画像提供/豊島区住宅課)

豊島区の空き家率は2018年で13.3%と23区内で最も高く、約9割が賃貸用(画像提供/豊島区住宅課)

「としま・まちごと福祉支援プロジェクト」は空き家を活用したセーフティーネット住宅を中心に、見守り拠点・交流拠点を通じて地域住民と福祉支援を行う(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

「としま・まちごと福祉支援プロジェクト」は空き家を活用したセーフティーネット住宅を中心に、見守り拠点・交流拠点を通じて地域住民と福祉支援を行う(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

プロジェクトのポイントの1つ、空き家を活用した共生ハウス西池袋では、2017年にできた住宅セーフティーネット制度をもとにした豊島区の家賃補助制度が利用できます。家賃補助を受けることで家賃月額4万9000円で住むことも可能です(水道・光熱費等を含む共益費は別途1万円)。

「加えて共生ハウスから徒歩圏内に『共生サロン南池袋』という地域交流・見守り拠点を設けています。新型コロナウイルスの感染防止対策をしながら、日がわりで健康講座やスマホ・パソコン講座、卓球、麻雀カフェなどを企画運営することで、入居者や地域の人々が交流・相談・学習できる居場所づくりを目指しています。お酒がないとなかなか外に出ない男性たちが交流できるようにお酒や料理を持ち寄って『おたがいさま酒場』なども開催しているんですよ」

「共生サロン南池袋」で行われるスマホ・パソコン講座の様子(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

「共生サロン南池袋」で行われるスマホ・パソコン講座の様子(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

夜には地域の人びとが日がわり店長として「おたがいさまサロン」や「おたがいさま酒場」を開催(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

夜には地域の人びとが日がわり店長として「おたがいさまサロン」や「おたがいさま酒場」を開催(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

「共生ハウス西池袋」から徒歩圏内に、「共生サロン南池袋」がある(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

「共生ハウス西池袋」から徒歩圏内に、「共生サロン南池袋」がある(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

人と人とのつながりが、不可能を可能に

空き家の福祉への活用は、全国のさまざまな自治体で試みられていますが、まだまだ本当に成功事例といえるものが少なく、採算性をはじめとして多くの問題を抱えているようです。共生ハウス西池袋ができるまでにも、いろいろな困難があったのではないでしょうか。

「最も難関だったのが、空き家を貸してくださる方と出会えるかということでした。実は今回のプロジェクトは物件が決まるより前に国土交通省の令和元年度・住まい環境整備モデル事業に認定されたのですが、事業モデルをつくったものの、実際に活用できる空き家がなかなか見つからずに困っていたとき、力を貸してくださったのが民間の不動産会社の人たちでした」

空き家を見つけるのに苦労していたとき、協力して物件を探してくれたのが地域の不動産業界の人々だった(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

空き家を見つけるのに苦労していたとき、協力して物件を探してくれたのが地域の不動産業界の人々だった(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

協会の主催するセミナーに講師として登壇した不動産会社の人が、地元の不動産会社に声をかけて見つかった空き家が今回の物件でした。

「もともとは夫をなくされてお一人になった高齢者女性のご自宅でした。ご本人が介護施設に入居されてからは甥御さんが管理をされ、ファミリー向けに賃貸に出す方向で検討されていたそうです。その矢先に今回の『高齢になっても住み慣れた池袋で安心して暮らし続けられるようにする』というプロジェクトの趣旨に共感し、ぜひ協力したいと言ってくださったのです」

築35年の空き家が『共生ハウス西池袋』としてシェアハウスに生まれ変わった(撮影/片山貴博)

築35年の空き家が『共生ハウス西池袋』としてシェアハウスに生まれ変わった(撮影/片山貴博)

高齢者や障がいをもつ人にも配慮してリフォーム

7年間、住む人がいなかった空き家がリフォームを経て、シェアハウス型のセーフティネット専用住宅(高齢者、障がい者、低額所得者など、住宅確保が困難な人の入居を拒まない賃貸住宅)に生まれ変わりました。高齢者や障がいをもつ人が住むことを想定しているので、リフォームをするときも細やかに配慮されたそうです。

「前回の介護保険の改正で、要支援1、2は介護給付から予防給付に代わり、住民による自助努力が強化されました。また、介護認定は厳しくなる方向にあり、今後も介護予防に比重がおかれていくといわれています。『共生ハウス西池袋』では、そのような人が入居できるように配慮してリフォームを行いました。例えば、居室の入口は開け閉めがしやすいようにすべて引き戸に。1階と2階を行き来する階段やお風呂、トイレには手すりを取り付けています」

「共生ハウス西池袋」はシェアハウス型で居室は4つ。豊島区の家賃低廉化補助制度の対象者は、家賃4万8000円~4万9000円で入居できる(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

「共生ハウス西池袋」はシェアハウス型で居室は4つ。豊島区の家賃低廉化補助制度の対象者は、家賃4万8000円~4万9000円で入居できる(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

4つある居室の入口はすべて、出入りがしやすくプライバシーを守る鍵付きの引き戸になっている(撮影/片山貴博)

4つある居室の入口はすべて、出入りがしやすくプライバシーを守る鍵付きの引き戸になっている(撮影/片山貴博)

階段やお風呂、トイレには入居者の安全を守る手すりが取り付けられている(撮影/片山貴博)

階段やお風呂、トイレには入居者の安全を守る手すりが取り付けられている(撮影/片山貴博)

実際に筆者も「共生ハウス西池袋」の中を見学させてもらいました! 新築同様にリフォームされた各居室はすべて二面採光でとても明るい雰囲気、クローゼットやベッドの下などに収納もしっかり確保されています。高齢者や障がいのある人だけではなく、若い単身世帯にもこの家賃は十分に魅力的です。

「家賃低廉化補助制度は、豊島区に引き続き1年以上居住、月額所得15万8000円以下などの条件を満たせば、若い単身世帯の人も活用できます。特定の人たちだけではなく、健康な若い世代も共生ハウスに入居することで、多世代交流など多くの区民に開かれた場所になれば、と考えています」

各居室はすべて二面採光で明るく清潔な印象。収納付きのベッドが既に備え付けられている(撮影/片山貴博)

各居室はすべて二面採光で明るく清潔な印象。収納付きのベッドが既に備え付けられている(撮影/片山貴博)

住民の交流の場にもなる共用部、キッチン・ダイニング(撮影/片山貴博)

住民の交流の場にもなる共用部、キッチン・ダイニング(撮影/片山貴博)

地域包括ケアと「福祉×福祉」の取り組みへ

住まい(セーフティネット住宅)と地域交流拠点(共生サロン)の整備がセットになったこのプロジェクト。ところが、渥美さんたちの構想はそれだけにとどまりません。

「これから先、少子高齢化が“待ったなし”で進み、介護保険財政は厳しくなると言われています。障がい者事業には民間の株式会社などの参入が相次いでおり、補助金頼みの展開は厳しくなることが予想されます。
こうしたなかで、持続可能な仕組みをつくるために考えているのが、『福×福』連携です。具体的には、介護事業と障がい者の就労支援事業を組み合わせます。例えば『農福連携』は『農産物の加工を施設を利用する障がい者が担う』ことですが、『介護保険事業(福祉)』と『障がい者の就労支援事業(福祉)』を掛け合わせたのが『福福連携』です。例えば、デイサービスの利用者が共生サロンのプログラムを楽しむときに、就労支援B型の利用者が準備や掃除、ときには卓球コーチなどをする。これによって、賃金を得るシステムを新たに取り入れたいと考えています。福祉の問題を本質的に解決していくためには、このようないくつもの横の連携が必須なはずです」

高齢者や障がいをもつ人が安心・安全に住み続けるためには、住まいそのものだけではなく、医療・介護などの付帯サービスが欠かせない(写真/PIXTA)

高齢者や障がいをもつ人が安心・安全に住み続けるためには、住まいそのものだけではなく、医療・介護などの付帯サービスが欠かせない(写真/PIXTA)

これまでサービス付き高齢者向け住宅である「ゆいま~る」シリーズの展開をはじめ、全国で高齢者や障がい者の支援を行ってきた協会だからこそできたこともあるのでしょう。渥美さんたちは現在、栃木県那須町でも廃校を活用し、高齢者の居住・介護・交流を目的とした複数の施設を有するまちづくりを行っているそうです。

一般社団法人コミュニティネットワーク協会の那須支所が取り組む「小学校校舎を活用した、那須まちづくり広場プロジェクト」(画像提供/那須まちづくり株式会社)

一般社団法人コミュニティネットワーク協会の那須支所が取り組む「小学校校舎を活用した、那須まちづくり広場プロジェクト」(画像提供/那須まちづくり株式会社)

自身の親のことや、また自分が歳をとって1人になったり、障がいをもったりする可能性を考えたときに、住み慣れた地域で、地域の人とともに住み続けられる支援策があればとても心強く感じることでしょう。

このプロジェクトでは、資金調達においても多くの市民の力を借りようと11月27日までクラウドファンディングを行っているそうです(「共生サロン南池袋」のキッチン設置が資金の用途)。サロンや酒場の名前の通り「おたがいさま」の気持ちで地域の人びとが支え合い、つながり続ける社会のモデルとして、このプロジェクトの成功を願わずにいられません。

●取材協力
・としま・まちごと福祉支援プロジェクト
・一般社団法人コミュニティネットワーク協会
・共生サロン南池袋クラウドファンディング (Readyfor)

「新橋駅」まで電車で30分以内・家賃相場が安い駅ランキング 2020年版

「サラリーマンの聖地」のフレーズでおなじみの新橋は、日本有数のビジネス街であるとともに、リーズナブルな飲食店が連なり、ビジネスパーソンにとっては親しみのあるエリア。近年は、JR九州が運営するホテル「THE BLOSSOM HIBIYA.」などの入った複合施設「アーバンネット内幸町ビル」が新しくオープンするなど、再開発も進んでいる。そんな新橋駅へ電車で30分以内で行ける、ワンルーム・1K・1DKを対象にした家賃相場が安い駅ランキングを紹介。狙い目の場所を探してみよう。●新橋駅まで電車で30分以内、家賃相場の安い駅TOP13駅
順位/駅名/家賃相場/(沿線名/駅の所在地/新橋駅までの所要時間(乗り換え時間を含む)/乗り換え回数)
1位 葛西臨海公園 6万円(JR京葉線/東京都江戸川区/26分/1回)
2位 弁天橋 6.05万円(JR鶴見線/神奈川県横浜市鶴見区/29分/2回)
3位 お花茶屋 6.4万円(京成本線/東京都葛飾区/29分/1回)
4位 京急新子安 6.5万円(京急本線/神奈川県横浜市神奈川区/30分/1回)
4位 小菅 6.5万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/29分/1回)
4位 新子安 6.5万円(JR京浜東北線/神奈川県横浜市神奈川区/25分/1回)
4位 小岩 6. 5万円(JR総武線/東京都江戸川区/24分/1回)
8位 四ツ木 6.6万円(京成押上線/東京都葛飾区/24分/0回)
8位 鶴見小野 6.6万円(JR鶴見線/神奈川県横浜市鶴見区/29分/2回)
8位 鹿島田 6.6万円(JR南武線/神奈川県川崎市幸区/25分/1回)
11位 六町 6.7万円(つくばエクスプレス/東京都足立区/30分/1回)
11位 青井 6.7万円(つくばエクスプレス/東京都足立区/28分/1回)
11位 新川崎 6.7万円(JR横須賀線・湘南新宿ライン/神奈川県川崎市幸区/18分/0回)

横浜の「沖縄タウン」は、単身者のごはんの強い味方

日本の鉄道の発祥の地は新橋駅。駅のシンボルであり、待ち合わせの目印としても親しまれるSLはその象徴だ。現在も交通の要所であるが、ランキング入りしたのは東京23区内と神奈川県の駅が占めた。

1位の葛西臨海公園駅は、JR京葉線の沿線駅。京葉線は東京駅か八丁堀駅で乗り換えが必要になるが、東京駅で乗り換える場合、同線は東京駅の中でもプラットホームへの移動に少し距離があり、所要時間26分のうち、乗り換えのための移動時間が10分以上かかる。乗り換え時間にはその考慮と注意が必要だ。

葛西臨海公園(写真/PIXTA)

葛西臨海公園(写真/PIXTA)

葛西臨海公園駅のすぐそばには、駅と同名の大きな公園がある。緑と水と人とのふれあいがテーマになっており、鳥類園や水族園ゾーンでは、小動物とふれあえるほか、観覧車なども備えている。葛西海浜公園にも隣接しており、湾岸リゾートの雰囲気があふれる。ほかにも公園が多く、緑と身近にふれあえる地域だ。

2位は横浜市鶴見区の弁天橋駅。横浜市は坂道が多いことで知られ、自転車での移動が大変、などと言われるが、弁天橋付近は比較的平坦な場所が多い。

沿線であるJR鶴見線は京浜工業地帯を走る路線であり、弁天橋駅もすぐ目の前にJFEエンジニアリングの鶴見製作所などがあるが、駅から少し行くと住宅街が広がる。徒歩10分ほどにある「仲通り商店街」は、沖縄料理店や食材店が充実しており、「沖縄タウン」として知られている。立ち飲み屋やブラジル料理店などもあり、自炊の手間を省きたい単身者や、さまざまな食を楽しみたい人にとっては、楽しくも心強い味方だろう。

レトロな下町の雰囲気を満喫しつつ、再開発に期待

同率4位には4駅がランクイン。所要時間の一番短い小岩駅は総武線の各駅停車駅だが、東京駅まで約17分、新宿へも約30分で、交通利便性は十分高い。

駅前には昭和レトロな風情のある「フラワーロード」「昭和通り商店街」「サンロード」の3つの大きな商店街があり、それぞれをつなぐ形で小さな商店街も数多く展開。なかでも「フラワーロード」は約1.7kmもの長さに、名前の通り愛らしい花壇が並び、地域の人たちのうるおいになっている。

小岩駅の駅前の風景(写真/PIXTA)

小岩駅の駅前の風景(写真/PIXTA)

やや雑多なイメージもある小岩だが、現在再開発が進行中で、道路幅の拡張や整備、無電柱化などに加え、商業施設などの開業が予定されている。「フラワーロード」をはじめとする商店街も、店舗の移転はありつつも、敷地内の整備が行われる予定だ。。人情味あふれる商店街が存在する魅力はそのままに、より快適な生活を送れるようになりそう。今後への期待も込めて注目したいエリアだ。

同率8位には3駅がランクインしている。その中で所要時間が最短なのは、四ツ木駅だ。

普通列車のみの停車駅だが、京成線の沿線だけに、羽田空港と成田空港に乗り換えなしでも行くことができる。全国各地への出張が多い人や、旅行が趣味の人にとっては、大きな利点だろう。駅前は落ち着いた下町の住宅街で、戸建て住宅も多い。飲食店などは多いとはいえないが、少し移動すれば大型スーパーもあり、日用品には困らなさそう。

四ツ木は人気サッカー漫画『キャプテン翼』の作者、高橋陽一氏の出身地。そのため、駅構内などで同漫画のキャラクターとコラボレーションしていたり、近辺の公園にキャラクターの銅像が立てられていたりもする。日本の漫画には海外のファンも多いが、四ツ木でも海を越えてキャプテン翼ファンが遊びにきている姿を目にすることも度々だ。

ランキング中、唯一所要時間が20分を切るのは、同率11位の新川崎駅。横浜駅とは隣駅で、東京駅まで約20分、品川駅へも約15分で乗り換えなしで行くことができる。

新川崎駅前(写真/PIXTA)

新川崎駅前(写真/PIXTA)

駅と直結の大型商業施設「新川崎スクエア」があり、買い物に困ることはない。歩行者用デッキでJR南武線の鹿島田駅とつながっており、川崎や立川方面へ行く際には同線も利用できる。

時代は令和になったとはいえ、日本のビジネスシーンではいまだに「飲みニケーション」は有効で、大切な親睦手段。新型コロナ禍ではしばし縁遠くなってはいるものの、新橋駅は、そんな飲みニケーションと切り離せない場所でもある。本格的に楽しむのはコロナ禍が去った後になってはしまうが、楽しく飲んだ余韻を満喫するためにも、帰りの“足”の身軽さを確保するのは有効な手段といえるかもしれない。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている新橋駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2020/5~2020/7
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

瀬戸内を“かわいい”で広める。瀬戸内デニムでつなぐ地元愛【全国に広がるサードコミュニティ9】

瀬戸内の魅力を発信しようと、岡山在住の有志の声がけからスタートした「瀬戸内かわいい部」。岡山名物であるデニムのB反(生産過程でついたわずかな傷やほつれが原因で市場に流通されない生地) を使ったピクニックシートの開発・販売など、瀬戸内をキーワードに、部活的な活動の枠を超えた広がりを見せています。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や町内会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。瀬戸内かわいい部とは?

瀬戸内の魅力的な風景やお店、出来事を発信し、内外に瀬戸内のファンを生み出そうとSNS上で始まった瀬戸内かわいい部という活動があります。「かわいい」という切り口を立てることで主に女性から共感を集め、現在 #瀬戸内かわいい部 が付けられたInstagramの投稿は1000を超えます。2年間で開催したリアルイベントで出会った約300名のうち50人程度は県外の人で、瀬戸内かわいい部のイベント目当てに今も頻繁に瀬戸内にやってきます。

特に明確なメンバーの条件があるわけではなく、主にSNS上でハッシュタグ#瀬戸内かわいい部をつけて写真を投稿する参加者もいれば、Slack上のコミュニティ運営やイベントの企画を行うコアメンバーまでその関わり方はさまざまです。

きっかけは2018年の西日本豪雨により、被災地に近い観光地・倉敷美観地区(倉敷市内の町並保存地区・観光地区)への観光客が激減したことにショックを受けた地元在住のデザイナー・やすかさんが、美観地区の魅力を発信する動画を制作し、SNSに投稿したことから。それを見て「観光地の復興支援になれば」と訪ねてきてくれた人たちに、岡山のおすすめスポットを案内して回ったのが、そもそもの始まりでした。

「その時までは正直、地元が好きじゃなかったんですが、外から訪れる人が岡山の桃のジュースの美味しさや、岡山のカフェのゆったりした雰囲気を率直に褒めてくれたのがうれしくて。もっと地元の魅力を発信したいと思って、まずは個人のSNSでハッシュタグをつけて写真をアップしようと考えました。でも、岡山だけだと狭いから、#瀬戸内かわいい部にしようと」(やすかさん)

瀬戸内かわいい部メンバーでシーグラスを探しに(画像提供/瀬戸内かわいい部)

瀬戸内かわいい部メンバーでシーグラスを探しに(画像提供/瀬戸内かわいい部)

SNS発信、リアルイベント、そしてプロジェクト

最初はハッシュタグだけの活動でしたが、次第に仲間どうしでカメラを持って尾道に行ったりとワンデーイベントを不定期で開催するようになります。そんななか、岡山出身で東京在住、現在はフリーランスでPRの仕事をしているみなみさんが参画し、瀬戸内かわいい部のホームページを立ち上げようと提案しました。

瀬戸内かわいい部のメンバー(画像提供/瀬戸内かわいい部)

瀬戸内かわいい部のメンバー(画像提供/瀬戸内かわいい部)

「ホームページをつくるにあたって、活動の柱を三つつくりました。一つはSNS発信。もう一つが撮影会や交流会などリアルイベントの開催。三つ目がプロジェクトです。単発ではなく、長期的に進められるプロジェクトがあったほうがいいんじゃないかと。私が東京にいて、なかなかイベントに参加できないので幽霊部員になっちゃうな……という思いもありました。デザインだったり記事を書いたりなど、離れているメンバーの関わりシロのある場所にしたかった」(みなみさん)

2019年4月開催/和菓子さんぽin倉敷美観地区(画像提供/瀬戸内かわいい部)

2019年4月開催/和菓子さんぽin倉敷美観地区(画像提供/瀬戸内かわいい部)

2019年4月開催/和菓子さんぽin倉敷美観地区(画像提供/瀬戸内かわいい部)

EVERY DENIMとの出会い

その後しばらくして、やすかさんは瀬戸内発・兄弟デニムブランドEVERY DENIMの島田舜介さんに出会います。そこで島田さんから「デニムの生地を生産する過程でわずかな傷が入り廃棄されるB反のデニムがある。そういうB反デニムから小物なんかつくったら面白いかもしれない」と言われ、メンバーに報告。するとメンバーから「だったらそれをプロジェクトにしませんか」と提案されます。こうして、瀬戸内かわいい部としてデニム生地を使った小物を企画開発するプロジェクトを立ち上げることがきまりました。

ホームページをつくるため、一度自分たちの活動の方向性を整理したのが功を奏し、第三の柱であるプロジェクトが動き始めます。最初は、瀬戸内が好きな人たちで気軽にハッシュタグを共有するゆるやかなコミュニティだったのが、より積極的な活動を行う集団として踏み出した瞬間でした。

ちなみに、プロジェクトで企画開発した商品は「ピクニックシート」。紆余曲折のうえピクニックシートに落ち着いた理由について、やすかさんはこう語ります。

「まず、瀬戸内と言えば青だよね、と。波の穏やかな海の青さ。次に、どこにでも連れていけて、使えば使うほど自分の色に馴染んでいくデニムの“相棒感”みたいなものを伝えたい。そして、出来上がった商品を持っている人同士が繋がって、瀬戸内好きな人の輪が広がってほしいな、という思い。これらを総合してピクニックシートに落ち着いたんです」(やすかさん)

(画像提供/瀬戸内かわいい部)

(画像提供/瀬戸内かわいい部)

離れたメンバー同士のやりがいをつくるには?

ところが、ここからが大変でした。離れたメンバーもいるコミュニティ内で意思疎通を図るために、主にSlackを使って交流していたのですが、いざ商品を開発しようとなると、納期や定価、販売方法など決めなければいけないことが盛りだくさん。ただ瀬戸内かわいい部は企業じゃなくてコミュニティ。「企業の商品開発ならまず納期や予算から逆算して考えるけれど、そういう条件や制約はいったん抜きにして、まずは自分たちが本当につくりたいものを考えてみてほしい」とスタートしたつもりでしたが、商売となるとメンバーからシビアな長文のコメントがバンバン投稿されて、やすかさんたちが驚くことも。

それもそのはず、瀬戸内かわいい部自体が実社会でそれぞれのスキルを持って活動するフリーランスや仕事人の集まりです。自分が関わるプロジェクトであるならばなおさら、妥協したくないという思いがみんなにあったことに気づかされました。こうしてオンラインのコミュニケーションの限界に気づいた運営メンバーは、可能な限りメンバーに直接会いに行って話すことにしました。

「個人的な話は目的が決まっているオンライングループ上では言い出しづらい。ある日、東京に住む同じ世代の女性メンバーと一回会って話してみたら、瀬戸内に関わりもなく、ものづくりのスキルもないので……と引っ込みがちだったんだけれど、保育士の仕事をされていて、アクティブラーニングに強い関心があり、熱心にお話ししてくれたのが印象的で。この熱量を発揮できるきっかけさえあればもっとおもしろくなる、そのために個人の関心やスキルをもっと活かしてもらえばいいんじゃないか、とその時思ったんです」(みなみさん)

商品のリリースに先立って、一泊二日の合宿を敢行。ここで普段出会えないメンバーの意見をすり合わせたそう(画像提供/瀬戸内かわいい部)

商品のリリースに先立って、一泊二日の合宿を敢行。ここで普段出会えないメンバーの意見をすり合わせたそう(画像提供/瀬戸内かわいい部)

メンバーそれぞれの想いが乗ったデニムプロジェクト。ピクニックシートを複数つなげるというコンセプトはみんなで共有していたけれど、デザイン一つとっても、例えばフリンジをつけたいとか、中綿を入れたいとか、角にはハトメかリボンか……などさまざまな意見がありました。そこで、サンプルお披露目会の直前に一泊二日の合宿を敢行。バチバチとした空気も流れたそうですが、徹底的に話し合うことで方向性が一つにまとまり、ようやく販売に踏み切ることができました。

スキルを活かしたギルド的集団に

2019年に香川県高松市に家族でUターンしてきたまみこさんは現在、瀬戸内かわいい部の「スポ根」担当。お二人のお子さんを抱えながら、フリーランスでWebコンテンツのディレクションやデザインをしています。ちょうど移住したころに瀬戸内かわいい部に参画しました。

「もともと、つまらないと思って地元を離れた自分が瀬戸内を知れる場所を探していたんです。入ってみれば、結婚しても、子どもがいても、仕事があっても、挑戦していいんだと思える場所でした。絶対的に強いパワーを持った人がいなくて、みんな平等という感覚が共有されていたのも大きくて。私にも協力できることがある、それを認めて受け入れてくれるのはとてもうれしかったです」(まみこさん)

まみこさんはピクニックシートをつくるにあたって広報スケジュールを設定したり、ターゲットは誰なのか?を決めるペルソナ会議をファシリテートしたりとプロジェクトが前進するためにご自身の経験やスキルを存分に活かすことができたと言います。デザイナーなので、急遽つくらなければならないWEB用バナー広告などのデザインも担当しました。

(画像提供/瀬戸内かわいい部)

(画像提供/瀬戸内かわいい部)

一方、やすかさんも本業はデザイナーなのでオンラインイベント用の動画 の制作はやすかさんが。他にもアパレルの仕事をしていて工場とのやりとり経験のあるメンバーがいて、仕様書をつくったり、実際の発注作業はその人が担当することに。情報発信が得意なメンバーは、瀬戸内かわいい部のnote担当、LINE @担当と、それぞれの役割が増えていき、さながらギルドのような集団になってきました。ただ、瀬戸内かわいい部はあくまで部活。商品をつくるのが目的ではなく、みんなで合宿したり、お互いのことを知ったり、瀬戸内を好きになっていくプロセスこそが重要、とやすかさんは語ります。

「みんなの居心地のいい場所にしたい、というのが一番。利益を追求するような活動でもないし、商品を完売させなければというミッションもない。一緒につくる過程そのものが楽しい時間であってほしいし、コミュニティに参加していることが誇りになるような、そんな場所にしていきたいです」(やすかさん)

移住フェアの様子(画像提供/瀬戸内かわいい部)

移住フェアの様子(画像提供/瀬戸内かわいい部)

(画像提供/瀬戸内かわいい部)

(画像提供/瀬戸内かわいい部)

瀬戸内かわいい部は、大人の文化祭

仕事とプライベートの中間に、部活的な活動が一つある生活ってわくわくしませんか? 三人が口をそろえて言うのが「文化祭」というキーワード。デニムプロジェクトは瀬戸内かわいい部にとって、いわば「大人の文化祭」でした。年に一度ガッと集中してものづくりに打ち込む。メンバーそれぞれがそれぞれの道のプロであるからこそ、つくるもののクオリティに妥協はしません。

「でも、最初に疲れちゃったらダメだよってアドバイスされて。その人は別のコミュニティを運営していて、デザインも頑張って、noteでの発信も頑張って、すごくクオリティ高いコミュニティだったんだけれど、疲れて辞めちゃったそうです。みんなお仕事や家庭がある中で、毎日大量のSlackが続くとさすがに辛い。楽しい気持ちを維持しながら全力を注げるようにしたいです」(みなみさん)

そこで、デニムプロジェクトが1年間の活動期間を終えてひと段落したことを機に、少しのあいだ充電期間をとることにしました。デニムプロジェクトの広まりを受けて、自治体が主催する移住フェアにも呼ばれるようになった瀬戸内かわいい部。瀬戸内内外のメンバーがいるコミュニティ自体に興味を持ってもらい、コミュニティ運営に関するトークショーに呼ばれることも増えてきました。しかし、周囲の期待に過度に応えすぎないことも重要です。次のプロジェクトに全力で取り掛かるため、休めるときはしっかり休む。それくらい緩急があったほうが、コミュニティは持続しやすいのかもしれません。

(画像提供/瀬戸内かわいい部)

(画像提供/瀬戸内かわいい部)

地域の魅力を発信するためのコミュニティというと、コミュニティビジネスとはどう違うの? という疑問も湧いてきます。NPO法人コミュニティビジネスサポートセンターのホームページによると、コミュニティビジネスとは「市民が主体となって、地域が抱える課題をビジネスの手法により解決する事業」と定義づけられています。コミュニティビジネスはあくまでビジネスであって、地域の経済的課題を解決することに重点が置かれています。

瀬戸内かわいい部はビジネスというよりは親睦団体であり、メンバー各々の自己実現、楽しいことをしたいという自発性が最も大事なポイントです。でも、地域を元気にしたり、盛り上げるのは必ずしもお金だけではないと思うんですよね。楽しそうにしている人たちのところには自然とモノ・コト・人が集まってくる。スタートして3年、まだまだ始まったばかりのコミュニティですが、瀬戸内かわいい部から地域の課題をあっと驚く方法で解決するアイデアや商品が生まれるのも、そんなに遠い未来の話ではないかもしれません。

●取材協力
瀬戸内かわいい部

テレワークが変えた暮らし【10】理想を求めて葉山へ。社会活動「スポーツを止めるな」もスタート

東京都新宿区から神奈川県葉山町に3年前に家族で引越した会社員の最上紘太さん。ライフシフトの見直しをきっかけに移住を決意。そして、このコロナ禍でテレワーク中心となり、生活スタイルにさらに変化が訪れた。コロナで苦しむ学生アスリートを支援するため、一般社団法人「スポーツを止めるな」を仲間と立ち上げるなど活動を広げている。移住、テレワークで最上さんの暮らしはどう変わったのだろうか。
葉山でネットと波を乗りこなすダブルサーフィン生活を手に入れた

「老後に葉山を拠点にして生活することは、学生時代から思い描いていました」と語る最上さん。最上さんの高祖父にあたる明治の文化人、陸 羯南(くが かつなん)氏が葉山に移り住んで以降、そこは最上さんや、親戚みんなの憧れの地となる。小さいころから訪れていた葉山は、中学時代からラグビーに打ち込んできたスポーツマンの最上さんにとって、都会から遠くないのに、自然の中でワークアウトをしたり、スポーツを楽しめたりする理想の場所という印象が強かった。

「東京での仕事が忙しくなる一方、世間では働き方の見直しが議論を呼び、“人生100年時代”が叫ばれるようになりました。都会のド真ん中に住んで、マンションと会社を往復する生活がベストな生き方なのか、4年ほど前から真剣に考え始めたんです」と話す。

幼少期からの憧れの地・葉山への移住を自然と考えるようになっていくうちに、富士山も海も見える今の家が立つ土地を見つけ、迷わず購入。地の利を最大限に活かし、環境にも配慮した理想の家を1年かけて建てた。以来、休みの日には海でスタンドアップパドル(SUP)を楽しんだり、家族で磯遊びをしたりと、海の側での生活を満喫しているという。

最上さん宅から望む富士山(画像撮影・提供/最上紘太)

最上さん宅から望む富士山(画像撮影・提供/最上紘太)

コロナ禍で、理想のテレワークのある暮らしを実現

家を建てたころは、仕事は都内のオフィス勤務がメインだった。勤務先では、テレワークは今ほど浸透していなかったというが、最上さんはすでに「将来的にはテレワークを基本とした暮らしをすること」を理想に、日当たりもいい、お気に入りのスポットに書斎をつくっていた。

そんな最上さんのテレワークが本格的に始まったのは、新型コロナウイルスによる自粛生活が始まったこの3月。毎日都内へ通勤する生活からフルリモート生活に一変した。

以前は休日の朝5時から海に走りに行っていたが、出勤時間がなくなった分、始業時間前を利用した毎日の習慣に。地元のランニングコースを開拓する余裕もでき、葉山は海だけでなく山々やハイキングコースが充実していることにも気がつけたという。

こうして毎日気分に合わせて海や山などさまざまなコースを走ることで、「コロナ禍でも気分転換と健康維持が可能になりました」と続ける。さらに、家族で山登りに行ったり、海で朝食や夕食をピクニックで楽しんだりと、バケーション気分を日常に取り入れられるようになった。このことで、仕事における集中力も格段に高まったという。

「地元で過ごす時間が圧倒的に増えたことで、これまで以上に家事に関わり、自分時間も確保できています。ご近所付き合いも増え、葉山への愛着が一層深まりました」

葉山に点在するハイキングコースは、うっそうと繁る木々に囲まれ、清々しい空気が漂う。早朝はほぼ人がいないので集中して走り込めるという(画像撮影・提供/寺町幸枝)

葉山に点在するハイキングコースは、うっそうと繁る木々に囲まれ、清々しい空気が漂う。早朝はほぼ人がいないので集中して走り込めるという(画像撮影・提供/寺町幸枝)

地産地消の食卓がかなうのが三浦半島の魅力

最上さんにとって、葉山生活の魅力の一つは食だ。「朝採れ野菜をはじめとする食が豊か」と最上さん。

特に「葉山しらす」は、初めて食べて以来、冷蔵庫に欠かせなくなった。朝に漁港にあがる釜揚げしらすは、新鮮かつ手ごろな値段で手に入れられる。佐島や横須賀などへ少し車を走らせればその日に水揚げされたばかりの旬の魚が手に入る。漁港まで行かなくても、地元の魚屋には朝獲れ鮮魚がたくさん並ぶ。

葉山しらすを使ったピザ(画像撮影・提供/最上紘太)

葉山しらすを使ったピザ(画像撮影・提供/最上紘太)

ほかにも、野菜や、養鶏場や養豚場で育てられた肉、ブランドの「葉山牛」など、三浦半島にいるだけで、豊かな食を手軽に得られるようになった。「都内に住んでいたころより、ずっと質の良い食材を手ごろに入手できるようになりました。おかげで、子どもに旬のものを感じて食事を楽しむことを教えられるし、これまで料理をしたことがなかった自分が庭でバーベキューするようになり、料理にも興味を持つようになりました」と話す。自粛期間で外食もしづらくなり、時間の余裕もできてからは、おいしいと耳にした調理法を試して、おつまみをつくり、オンライン飲み会で披露するということもできるようになったとのこと。

海では、バーベキューだけでなく、ホットサンドやホットドックをつくって朝食にしたり、近くのレストランのテイクアウトを利用して、海ディナーを楽しむこともあるという(画像撮影・提供/寺町幸枝)

海では、バーベキューだけでなく、ホットサンドやホットドックをつくって朝食にしたり、近くのレストランのテイクアウトを利用して、海ディナーを楽しむこともあるという(画像撮影・提供/寺町幸枝)

(画像撮影・提供/寺町幸枝)

(画像撮影・提供/寺町幸枝)

テレワークだからこそできた、スピード感ある動き

テレワークで生まれた時間は、ボランティア活動にも活かされている。最上さんが一般社団法人「スポーツを止めるな」の共同代表理事に就任したのも、コロナ禍の最中のことだ。大学卒業後も、学生時代のラグビー仲間たちと公私共に交流が深い最上さんは、本業で培ったスポーツ分野での広報活動への造詣の深さから、コミュニケーションプロデューサーとして、立ち上げから組織運営に関わってきた。

同組織は、新型コロナによるさまざまな自粛で進学や就職問題に直面している学生たちを、トップアスリートたちが協力して支援する活動だ。その活動は、社会貢献と期待され、多くのメディアや企業から注目を集めている。

引退試合を逃した中高生ラガーマンたちのために、日本ラグビーフットボール選手会に所属するトップアスリートによる過去の試合への「解説」をつけたビデオ制作を行う「青春の宝」プロジェクトはその一つの活動だ。プロジェクト運営に必要な人選や手配、重要となるメディアへのPRなど、代表理事の3人がスピード感を持って手分けしてこなす必要が求められているというこの活動。共同理事全員が本業を持つ中で、「テレワークなくしては、この組織運営は実現しなかったと思います」と最上さんは話す。

「以前なら、全国を視野に入れた活動となると、“東京”を拠点にせざるを得なかったと思いますし、専業である必要もあったでしょう。しかし多くの動きがリモートでこなせるようになった今、世界を飛び回るトップアスリートから、全国各地で活躍するスポーツ関係者たちとパッとオンラインで繋がり、必要に応じた動きをするというやり方で、十分に日本全国を巻き込む活動は可能だと感じています」と続ける。

グッズ活用で仕事の効率もアップ

本業に、ボランティアにと多忙極める最上さんが、仕事をこなす上で役立っているのが、テレワークのために購入したパソコン周辺機器やガジェットだ。

「毎日少なくとも、5、6本のオンラインミーティングをこなしているのですが、ノートパソコンとひたすら向き合っていると、思った以上に疲れることに気がつきました」と3月以来、少しずつテレワークグッズを取り入れるようになった。

例えば大型のパソコンワイドモニターとワイヤレスキーボード。オンラインミーティングで複数の資料を確認しながら打ち合わせを進めることも多く、ノートパソコンの画面ではとても管理しきれない。ノートパソコンと同期させた巨大モニターを持つことで、より効率的にミーティングをこなせるようになったという。長い日は1日10時間以上パソコンの前に座りっぱなしになる最上さんにとって、ノートパソコンスタンドやタブレットスタンド、グリーンスクリーンなどは、今や手放せないアイテムだ。

テレワークのお役立ちグッズが充実する、最上さんのデスク周り(画像撮影・提供/最上紘太)

テレワークのお役立ちグッズが充実する、最上さんのデスク周り(画像撮影・提供/最上紘太)

最上さんはテレワークが始まったことで、多くの地元の仲間との繋がりが強固になり、葉山生活が充実したと感じている。その様子は東京の仲間にも伝わり、都心から引越ししたいと相談を受けることも増えているのだとか。

「コロナ禍では、いろいろなものが分断されたと言われていますが、地域のまとまりや、新たな繋がりが生まれつつあると実感しています」(最上さん)

このコロナ禍を通じてテレワークが定着した人も多い。今後このような人たちがプライベートを充実させ、仕事でもさらに活躍することで、その魅力はどんどん波及していくに違いない。一瞬欲張りに映る生活だが、これからの「ニューノーマル」になる、取材を通じてそんな期待が思わず膨らんだ。

●取材協力
・一般社団法人スポーツを止めるな

お宝風景発見!「金沢民景」に学ぶ街歩きの新視点

新型コロナウイルス禍により、旅行に少し躊躇してしまう日々が続いています。それならば、この機会に地元の街をめぐってみましょう。「う~ん。うちのジモト、面白い場所がないんだよな~」。そんなふうに嘆いているあなた、いま話題のミニコミ誌「金沢民景(かなざわ・みんけい)」を読んでみませんか。街の見方が変わって、フレッシュな気持ちでジモト旅を楽しめますよ。
なんと1冊わずか100円。街の見方が変わるミニコミ誌が話題

「金沢民景」とは、石川県金沢市の住民がつくりだした風景を撮影し、テーマごとに一冊にまとめたミニコミ誌のこと。

金沢の風景をテーマごとに一冊にまとめた「金沢民景」(撮影/吉村智樹)

金沢の風景をテーマごとに一冊にまとめた「金沢民景」(撮影/吉村智樹)

2017年9月に第一号が発行され、現在までに17号を数えます。カラー16ページ。一冊なんと100円(税込)! という驚きのお値打ち価格。手のひらにすっぽりおさまる愛らしいA6サイズ(105×148ミリ)。街歩きのお供にピッタリです。

金沢民景のサイズ感がわかる写真

ポケットに入れて街歩きしやすいハンディサイズ(撮影/吉村智樹)

この「金沢民景」は、一冊ごとに「たぬき」「バス待合所」など、ひとつの視点に絞って編集されているのが特徴。

金沢民景かポート号の見開きページ

「金沢民景」……石川県金沢市の住民がつくり出した風景を収集し、テーマごとに一冊にまとめたミニコミ誌。「言われてみれば確かに不思議な光景」が豊富に収められ、物件の持ち主に取材をし、なぜこのような状態になったのか解説している(撮影/吉村智樹)

警察署に集められた焼き物のたぬきの写真

かつて陶器店の軒先に立っていた看板「たぬき」が現在は警察署に集められたという何ともユニークな光景(「たぬき」の巻より、画像提供/金沢民景)

どのテーマも暮らしに根を張っており、地元の人には見慣れた風景。それゆえに気にしなければ通り過ぎてしまうものばかりです。「妻壁(つまかべ)」「ひな壇造成」など耳慣れぬ建築用語がテーマの号があるかと思えば、「バーティカル屋根」などページを開くまで「それがなにを指しているのか分からない」謎めいた物件まで、多種多彩。

妻壁の写真

建物の短辺部分が屋根によって三角形に切り取られた外壁を「妻壁」と呼ぶ(「妻壁」の巻より画像提供/金沢民景)

ひな壇造成の写真

金沢の地形は起伏に富んでおり斜面に沿うよう町が形成されている「ひな壇造成」と呼ばれるもの(「ひな壇造成」の巻より、画像提供/金沢民景さん)

発行しているのは金沢で設計事務所を営んでいる建築士の山本周さん(35)。
ほかにも金沢に住んでいたり、お勤めだったり、なおかつ街歩きが好きな人たちが集まって編集しているのです。

「民景」って、いったいなに? 私たちが住む街でも民景は見つけることができるの? そして民景が私たちに語りかけてくるものとは? 代表の山本周さんにお話をうかがいました。

山本周さんの写真

「金沢民景」発行人の山本周さん(写真撮影/吉村智樹)

暮らしのなかから生まれたデザイン、それが「民景」

――「金沢民景」をとても楽しく拝読しました。巻数の多さと、観察力に圧倒されました。金沢の街への愛情が伝わってきます。「民景」は、もともとある言葉なのですか。

山本:「 “民景”は造語です。『住民がつくった風景』の略なんです。街に住んでいる人が、暮らしのなかで必要になって生まれたデザイン、それを民景と呼んでいます。実用性と街の人々の美意識が重なってつくられた風景を誰かが評価しなければ、という気持ちで、この言葉をつくりました」

街で見つけた民景を撮影する山本さんの写真

まるで用水路の上を浮かんでいるように見えるロッカー。山本さんは暮らしが生んだデザインを「民景」と呼び採集している(写真撮影/吉村智樹)

――「金沢民景」に掲載された画像を観ていると、確かに暮らしから生まれたデザインだと感じます。やむにやまれず生まれたアートというか。

山本:「いろんな格闘の跡が見えますよね。そこが人間らしくていいなと感じたんです」

風除室の写真

強風から家を守るために玄関に設置された「風除室」(「風除室」の巻より、画像提供/金沢民景)

「金沢の街並みが大好き」

――「金沢民景」の発行人である山本さんは、ご出身も金沢なのですか。

山本:「実は生まれは新潟なんです。その後、日本の各地を転々としました。幼少期は埼玉。小学校から高校時代までを神戸で過ごし、金沢美術工芸大学への進学のために金沢にやってきました。大学・大学院と、金沢には計6年いました。それから関東で就職したんですが、4年前に金沢に戻ってきました。金沢の街並みが好きで、自分に合うんです」

さまざまな時代の建物が混在する金沢

――「民景」を意識するようになったのは、いつからですか。

山本:「やっぱり大学進学のために金沢に来てからですね。金沢の景色や建物を初めて見て、びっくりしたんです。金沢は戦災に遭いませんでした。なので、100年以上も前の建物がたくさん遺っています。しかも有名な建築だけじゃなくて、一般のお宅も。現在も誰かがちゃんと住んでいるんです。明治、大正、昭和、いろんな時代の建物がごっちゃに混ざっている。そのなかで生活が営まれているのが面白かったですね」

門柱の写真

柵が取り払われたため「門柱」だけが残った。時代の経過を感じられて味わい深い(画像提供/金沢民景)

カーポートの写真

雪から車を守るため家を建てたあとに設置された「カーポート」。猫除けネットや所せましと並ぶ植木鉢など時間の経過とともに生活色に彩られていった(画像提供/金沢民景)

ピロティの写真

古民家の一階部分を鉄骨で補強し、大胆に「ピロティ」(一階に壁がなく開放空間とした建築形式)に変えてしまった(画像提供/金沢民景)

――確かにこちらのオフィスへうかがう途中の風景は、古い建物と新しい建物が混在していました。バラエティに富んでいて、きょろきょろしてしまいました。

山本:「ここ(オフィス)のまわりは武家屋敷が並んでいます。江戸時代からの風景が残っているんです。そのすぐ隣には、昭和な雰囲気の通りがあります。さらにその向こうは平成生まれのオフィス街。歩いているだけで、いろんな時代を通り過ぎることができます」

バルコニーから街を眺める山本さんの写真

さまざまな時代の建物が混在する金沢の街をバルコニーから眺めるのが好きだという山本さん(写真撮影/吉村智樹)

――金沢はやっぱり素敵な街ですね。とはいえ山本さんは関東で就職していたんですよね。そこを捨ててまで、金沢への転居を決めたきっかけはなんですか。

山本:「北陸新幹線の長野~金沢間が開業したのが2015年。新幹線が初めて金沢に停車した日が僕の誕生日だったんです。それで勝手に金沢にご縁を感じて。『こりゃ戻らなきゃいけない』って。大学時代に『いいな』と思っていた街なみや、古くていい感じの通りが新幹線の開通とともに整備されて公園になっていたのはとても残念でしたが、時代の変わり目に立ち会えたのは貴重な経験だったと思います」

金沢駅の写真

新幹線開通とともに整備された金沢駅周辺(写真撮影/吉村智樹)

「金沢民景」はサークルではなく“町内会”

――「金沢民景」は山本さんひとりではなく同好の人たちが集まってつくっているそうですね。メンバーはどういう方々なのですか。

山本:「メンバーのほとんどが金沢在住です。現在は7~8人でやっています。年齢も職業もバラバラです。僕はサークルというより、町内会だと思っています。町内会って会員の世代がさまざまだし、メンバーがしょっちゅう会わないじゃないですか。けれども、なにかをつくるときには一致団結する。そういう点で町内会に近いですね。そして民景の画像は町内会の共有財産という感覚です」

――「共有財産」! 景色が財産とは、いい言葉ですね。どうやってメンバーから「あそこにいい民景がある」という情報を集めているんですか。

山本:「金沢民景のグループLINEがあるんです。それぞれ自分が撮った画像をLINE上のざっくりしたフォルダへ納めていく。そうやって情報を共有しています。みんな生活がありますから、リアルではほとんど会えません」

腰壁の写真

まるで帯を巻いているかのような見事な「腰壁」。山本さん曰く「町内会」のメンバーから情報が届く(画像提供/金沢民景さん)

――あちこちから新情報が届いて、楽しそうですね。「金沢民景」はテーマごとに一冊にまとめておられますが、最初から毎号ひとつの視点でミニコミ誌にまとめる計画だったのですか。

山本:「いやあ、はじめのころは、そこまで強い気持ちはなかったですね。ミニコミ誌にする予定すらなかったんです。特にテーマは設けず面白い物件があったらカメラにおさめ、みんなでコメントをしあっていただけでした。『この屋根、いいよね』『この柱、味があるね』って。そのうち、例えばカーポートの写真が溜まってくるなど自然に“分野分け”ができだしたんです。メンバーにひとり、ミニコミ誌制作や製本に詳しい人がいたので、『では分野ごとに一冊にまとめましょう』と。そういうふうに進んでいきました」

カーポートの写真

「曲線が美しいカーポートがある」など情報が集まってくる(画像提供/金沢民景さん)

夫が編集し、妻がデザイン。一冊ずつ手づくりで発刊

――どうやって次号のテーマを決めているのですか。

山本:「傾向が近い風景がLINEグループのフォルダのなかにおよそ50枚~100枚が集まって、『この分野、おもしろそうだな』と思ったら、ですね。いい情報がたくさん集まったら一冊にまとめる、そんな流れです。ですので発行は完全に不定期です。発行しなきゃいけない日はあんまり決めずに、気が向いたら」

――ゆるそうに聞こえますが、「気が向いたら」で、3年で17冊はすごいです。そして判型が小さくて、かわいいです。

山本:「学生のころからカラーブックス(※)が好きだったんです。種類がたくさんあって、集めていくうちにひとつの世界ができあがる、あの感じが好きでした。『カラーブックスのような小さなサイズの図鑑をつくりたい』、そんな気持ちはずっとありました」

カラーブックスの写真

※カラーブックス……出版社「保育社」から発売されていたカラーページが豊富な文庫本のシリーズ。1962年に創刊。37年に亘り909点が刊行され、コレクターズアイテムとなっている(写真撮影/吉村智樹)

――それに温かな手づくり感が伝わってきます。

山本:「装丁はデザイナーの妻がやっていて、一冊ずつがハンドメイドなんです。なので、あんまり大量にはつくれません」

「民景」を見つけると街の特徴が浮かび上がってくる

――それにしても、路上観察系のミニコミ誌で、ここまで細かくテーマ分けされたものは初めて見ました。

山本:「分野で分けると、地域の特徴が見えてきます。例えば“バルコニー”。歩いているうちに、なぜか広いバルコニーを設けている家がたくさん集まっているエリアに出くわしました。調べてみると町割(まちわり/一定範囲の土地に複数の街路や水路を整備し、それによって土地を区画整備すること)が細かくて、お庭が造りにくいのだとわかったんです。なので皆さん、バルコニーをお庭のように使って楽しんでいる。バルコニーという視点から街の特徴が分かってくる。そういう逆の発見があるんだって気がついたんです」

我が町の当たり前が通用しない。地域によって「民景」は異なる

――街の景色がテーマごとに一冊にまとまると、こんなにクリエイティブな世界だったんだと驚かされます。例えば街で石臼がこんなにも再利用されているって、気がつきませんでした。

山本:「自宅で蕎麦やうどんを打っていたり、大豆をすりつぶしていたり、石臼は、かつてはどこのご家庭にもありました。生活習慣が変わって石臼を使わなくなり、捨てるわけにもいかず、再利用しているようなんです。地域によっては石臼を供養する塚があるんですよ」

軒先にある石臼の写真

植木鉢の台座になっている石臼。蕎麦を打つ習慣があった街では石臼の再利用(?)が見受けられる(「石臼」の巻より、画像提供/金沢民景さん)

――読んでいて「これはまさに金沢民景だな」と感じるテーマもありました。とりわけ「風除室(ふうじょしつ)」は、私が住む京都市内では見たことがないです。

山本:「風除室は、海風を遮ったり、山の方だと雪で玄関の開け閉めができなくなるのを防いだりするために設けてあるんです。『雪吊り』も北陸や新潟にあります。雪が少ない地方だと、ないかもしれませんね」

風除室の写真

玄関の前にもう一室が誕生する「風除室」(「風除室」の巻より、画像提供/金沢民景)

雪吊りの写真

北陸特有の水分が多く重い雪から木の枝を守るために吊るされた「雪吊り」は雪深い地方ならではの民景(「雪吊り」の巻より、画像提供/金沢民景)

民景は「境目」をつなぐ工夫のなかから生まれる

――民景を見つけるコツはありますか。

山本:「“境目”ですね。なにかとなにかの変わり目を見ていく。すると、そこにいいデザインが現れる場合が多いです。川と住宅地の境目、お家とお家の境目、道路と家の境目、時代と時代の境目。そういった境界線付近を見ていくと、そこにはなにかしらの工夫がされている」

――つまり、工夫を見つけるのが大事なんですね。

山本:「 “工夫”に感心する、それが民景の面白さのひとつだと思います。斜面と平地の境目には、きっと困っている人がいる。そして、そこには悩みを解消するための工夫が生まれる」

――先ほどおっしゃった「いろんな格闘の跡」ですね。でも民景って、どこにあるのかが、分からないですよね。「ここに注目」って地図に載っているわけではないですものね。

山本:「地図に載っていれば見つけるのがラクですよね。ただ、それでも地図は見たほうがいいんです。地図を見ていると、新しい街はだいたいグリット(罫線)のようにきれいに整備されています。ところがときどき、なかにごちゃごちゃっとして整理されていない、細い路地が集まっている場所があるんです。『ん? ここはなんかあるぞ』とピンとくるんですよ。そういう場所を実際に歩いてみると、いい民景がたくさん見つかる場合が多いです」

インタビュー中の山本さんの写真

「民景」を発見すると「なぜ、こうなったのか。理由を知りたくなる」という(写真撮影/吉村智樹)

掲載する際は撮影許可を取る。そこにドラマがある

――一冊にまとめる際は、LINEグループのフォルダに集まった画像を掲載しているのですか。

山本:「いいえ。集まった情報をもとに物件がある場所を訪れ、掲載許可の取得を兼ねて、可能な限りインタビューしています。そして、どういう経緯でこの物件ができたのか、誰がなぜこの色にしたのか、風除室はなぜつくったのかなど、お話をうかがいます。そして一眼レフで撮りなおして掲載しています。残念ながら許可が取れず載せられない物件もありました。やっぱり気持ち悪いじゃないですか。突然『この屋根は何のためにあるんですか?』って訊いてこられたら。『わ、やべーやつ来た!』って思いますよね」

――取材をする側の度胸が必要ですね。

山本:「そうですね。でも、掲載許可をいただくために物件の持ち主を取材する、その行為自体はとても楽しいんですよ。例えば屋根の上に、手すりがまるで蛇のような形状のバルコニーがあったんです。それが気になって、勇気を出してバルコニーがあるお宅のインターフォンを押してみました。すると、お母さんが対応してくれて。それから2時間くらい、ずっとお母さんといろんな話をして、最後には人生相談にまで発展しました(笑)。その体験がすごく楽しくて」

――民景にはドラマがあるんですね。

山本:「お母さんは植物を育てるのが大好きだったんです。そしてお父さんが、たまたま日曜大工が趣味でした。そんなお父さんが屋根の上に陽(ひ)がよくあたっているのに気がついて。それでお父さんがお母さんのために植物を育てられるバルコニーをどんどんどんどんつくっていったそうなんです。つまり、お母さんのためだったんです。謎のバルコニーには、そういうストーリーが背景にあるんだって分かって。その分かっていく過程が面白くて。『民景には物語があるんだ。逸話をみんな聞いてやろう』と思って、それからインターフォンを押すようになりました」

バルコニーの写真

手すりがうねるようなバルコニー。そこには夫婦の情愛の物語があった(画像提供/金沢民景)

今後一冊にまとめたいテーマは「雪除け屋根」

――今後、刊行したいテーマはありますか。

山本:「いま気になっているのが、『雪除け屋根』。冬になるとお寺の境内に現れる三角形の屋根です。お寺の屋根に雪が積もると、塊になって下にばーっと落ちてきて危ないじゃないですか。手を合わせている人に雪の塊が当たると怪我をしかねない。そういった事故を防ぐために、三角形のトンネルのようなものを設置します。落ちてきた雪が三角屋根に当たると左右に飛び散るんです」

雪除け屋根の写真

屋根から落ちてきた雪から通路を保護する「雪除け屋根」(画像提供/金沢民景)

――雪国特有の造形物でしょうか。初めて見ました。見た目のインパクトが強いですね。

山本:「パワーが集まってきそうですよね(笑)。この三角屋根の物件は僕も金沢に来て初めて見ました。金沢のいろんな場所にあります。ただ冬にしか登場しないのが難点で。いつか一冊にまとめたいのですが、かなり時間がかかるだろうなと思います」

――民景を見つけて画像や冊子にして保存する行為は、郷土史という観点でも民俗学としても重要なことだと感じました。

山本:「ぜひ、『民景』という言葉も皆さんに使っていただいて、ご自身の街をみていただければ」

民景とは、人々がそこで暮らした証しなんですね。取材を終えて金沢駅へ向かう道すがらの光景は、行きがけよりもさらに尊い輝きを放って見えました。

新型コロナウイルスの影響で遠出がしづらい今だからこそ、ご近所を散歩してみませんか。歩いた経験がない路地をめぐってみましょう。自宅周辺の民景をさがすことで地域の再評価へもつながります。日本各地からさまざまな表情を見せる民景が見つかれば、通り過ぎていた価値が見直され、街への愛情が生まれ、日本が元気を取り戻せる。そんな気がした一日でした。

山本周さんプロフィール写真山本周
1985年生まれ。建築士。金沢市の住民がつくり出した風景を収集する活動「金沢民景」を主宰し、活動の記録をミニコミ誌にまとめ続けている。(写真撮影/吉村智樹)

金沢民景 Webサイト/Instagram/Twitter

透明トイレ、行燈トイレ、イカトイレ? 渋谷が公共トイレでまちづくり

2020年7月にSNSなどで話題をさらった東京・渋谷区の「透明トイレ」。この公共トイレは、渋谷区内17の公共トイレが生まれ変わる「THE TOKYO TOILET」プロジェクトのひとつ。2021年の夏までにすべての公共トイレが設置予定で、そのうち、7カ所が今年の夏に完成した。安藤忠雄、伊東豊雄、隈研吾、槇文彦ら16人の著名クリエイターによる、トイレの常識を覆すデザインには、性別、年齢、障害を問わず快適に過ごせる工夫がなされている。プロジェクトを企画した日本財団に詳しい話を聞いた。
16人のクリエイターの斬新なトイレ、デザインの狙いとは

渋谷区のはるのおがわコミュニティパークに完成した「透明トイレ」は、完成するやいなや、近隣に住む男性が発信したツイッターで拡散。6.8万リツイート、25万いいね(2020年10月2日現在)を集め、ニュースは、「トイレ技術の最先端」として、世界にも発信された。注目されたのは、トイレの壁が透明であること。利用者がトイレに入るとガラス製の壁が不透明になり、中が見えなくなる仕組みだ。「そんな技術があったのか!」「利用時に本当に見えないのか不安になる」と話題になった。

SNSで話題を集めたはるのおがわコミュニティパークトイレ。デザインは建築家の坂茂さん(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

SNSで話題を集めたはるのおがわコミュニティパークトイレ。デザインは建築家の坂茂さん(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

「関心を持ってもらったのはうれしかったのですが、プロジェクトの公式発表前だったこともあり、驚きました。インパクトのある見た目だけが注目されないよう、プロジェクトの目的をしっかり伝えていこうと気持ちを引き締めました」と日本財団経営企画広報部の佐治香奈(さじ・かな)さんは語る。

「もともと、日本財団では、障がい者支援などを通じ、多様性を受け入れる社会づくりを目指してきました。公共トイレに着目したのは、さまざまな人が利用するトイレに問題意識を持ってもらい、障がい者・LGBTQ・子どもなどへの意識を変えるきっかけになればという思いからです」

日本財団と渋谷区は、社会変革により、社会課題の解決を図るソーシャルイノベーションに関する包括連携協定を結んでいる。公共トイレの事業も、日本財団が、先駆的な取組みのひとつとして、渋谷区に企画を提案し、渋谷区はこれを快諾。オリンピック、パラリンピックに合わせて、渋谷区内17の公共トイレを改装する「THE TOKYO TOILET」プロジェクトが始動した。

クリエイティブの力でトイレの常識をひっくり返す

世界や日本各地からさまざまな人が集まる渋谷区のキャッチコピーは、「ちがいをちからに変える街」。日本財団と渋谷区が共に目指しているのは、障害やLGBTQ、子どもなどを受け入れる多様性や思いやりのある社会をつくること。障がい者支援でトイレの改善に取り組んだこともある日本財団は、訪れる人の多くが利用する公共トイレを起爆剤にして街に変化を起こしたいと考えた。

公共トイレは、公共という名がついていながら、汚い、臭い、暗い、怖いというイメージがあり、利用者が限られているという実態がある。

今までのイメージをくつがえすトイレをつくるために協力を仰いだのが、安藤忠雄、伊東豊雄、隈研吾、槇文彦ら16人のクリエイターだった。トイレの設計施工には大和ハウス工業、トイレの現状調査や設置機器の提案にはTOTOが参加した。

「透明トイレ」で新しいのは見た目だけではない。建築家の坂茂さんがデザインした、外壁が透明なトイレには、トイレに入る前に、中が綺麗かどうか、誰も隠れていないかを確認できるという衛生上、防犯上の狙いがある。

「透明トイレ」のほかにも、西原一丁目公園には夜になると光る「行燈トイレ」、タコの遊具によってタコ公園と呼ばれている恵比寿東公園には「イカトイレ」など、今までにない斬新なトイレが完成している。

暗かった夜の西原一丁目公園を明るく照らす坂倉竹之助さんの「行燈トイレ」(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

暗かった夜の西原一丁目公園を明るく照らす坂倉竹之助さんの「行燈トイレ」(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

タコの遊具があり、「タコ公園」と呼ばれている恵比寿東公園に完成した槇文彦さんの「イカトイレ(写真奥の白い建物)」(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

タコの遊具があり、「タコ公園」と呼ばれている恵比寿東公園に完成した槇文彦さんの「イカトイレ(写真奥の白い建物)」(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

「行燈トイレ」は、もともと薄暗く、夜になると物騒な雰囲気すらあった西原一丁目公園を明るくする目的があった。子どもが訪れることが多い恵比寿東公園の「イカトイレ」は建物の影に人が潜まないように裏のないデザインになっている。

田村奈穂さんによる東三丁目公衆トイレではプライバシーを守れるように、さっと入ってさっと出られるように外壁をデザイン(写真撮影/エスエス 北條裕子)

田村奈穂さんによる東三丁目公衆トイレではプライバシーを守れるように、さっと入ってさっと出られるように外壁をデザイン(写真撮影/エスエス 北條裕子)

すべてのトイレに多目的トイレを設置している(写真撮影/片山貴博)

すべてのトイレに多目的トイレを設置している(写真撮影/片山貴博)

「利用者の方から、子どもが安心して遊べるようになった、夜も安全に歩けるようになったという声が寄せられています。完成した7つのトイレを巡る人もいるそうです。トイレについて皆で語ろうという機運をつくれたのではないでしょうか」と佐治さん。

「トイレは宝石箱、利用者は宝石」と語る安藤忠雄さんのトイレを訪ねた大きな屋根の庇の下は、コンクリートのたたきになっており、軒下でひと息つける空間になっている(写真撮影/片山貴博)

大きな屋根の庇の下は、コンクリートのたたきになっており、軒下でひと息つける空間になっている(写真撮影/片山貴博)

2020年9月15日に、安藤忠雄さんがデザインした神宮通公園トイレが、報道陣に公開された。まわりはビルが立ち並ぶが、公園内には緑が多い。木立の間にたたずむのは、「小さなあずまや」をイメージしてつくられたトイレだ。大きくせり出しているトイレの屋根の庇(ひさし)は、雨宿りのできる軒先をつくる目的がある。トイレとして利用するだけでなく、ちょっと休憩ができるような、パブリックな価値を持たせた。

「依頼を受けて、思い切ったプロジェクトだなというのが第一印象。クリエイターの名前を見て、刺激されました。完成した他のクリエイターのトイレを見て、みんな小さい建物にも全力投球するものだなと思いましたね。トイレは小さいけど、大きな発信力がある。私はこのトイレをデザインするにあたって、トイレは宝石箱、入る人は宝石だと考えました。公園全体を輝かせるものであるようにと願っています」と安藤忠雄さん。

「完成したのはまだ7カ所だけですが、インド、中国、ヨーロッパ各国から、完成したトイレと同じものをそのままつくってほしいというオファーが日本財団に届いています。しかし、維持管理の問題もあるので、形だけ輸出するのは慎重でありたい」と笹川順平常務理事は言う。
完成して終わりではなく、5年後、10年後にも「いいトイレだね」と使ってもらえることをプロジェクトのゴールにしているからだ。

「私のつくったトイレはUFOだとか言われている。渋谷の街に新しいものが舞い降りてきた。そんなイメージを持ってもらえたらいいですね」と安藤さん(写真撮影/片山貴博)

「私のつくったトイレはUFOだとか言われている。渋谷の街に新しいものが舞い降りてきた。そんなイメージを持ってもらえたらいいですね」と安藤さん(写真撮影/片山貴博)

外壁は風と光を通す縦格子になっている(写真撮影/片山貴博)

外壁は風と光を通す縦格子になっている(写真撮影/片山貴博)

メンテナンスでつなげる、次に使う人への思いやり

全17カ所のトイレの維持管理は、日本財団・渋谷区・一般財団法人渋谷区観光協会が三者協定を結び、実施している。「THE TOKYO TOILET」では、完成した後のメンテナンスについても、今までの常識にとらわれない方法を取り入れた。トイレの清掃員が着用するユニフォームは、若者に人気のファッションデザイナーNIGO®さんが監修したもの。清掃する側のモチベーションを高めようと依頼した。今後は、トイレの維持管理状況を特設ウェブサイトで随時更新する予定もある。

軒先の空間で取材に答える安藤さんと日本財団の笹川常務理事。笹川常務理事が着ているのが清掃員のユニフォームだ(写真撮影/片山貴博)

軒先の空間で取材に答える安藤さんと日本財団の笹川常務理事。笹川常務理事が着ているのが清掃員のユニフォームだ(写真撮影/片山貴博)

赤い印がすでに完成したトイレ。渋谷に行く際は、最寄りのトイレを訪ねてみては(画像提供/日本財団パンフレットより)

赤い印がすでに完成したトイレ。渋谷に行く際は、最寄りのトイレを訪ねてみては(画像提供/日本財団パンフレットより)

清掃員が、ユニフォームを着て清掃していると、「ありがとう」「きれいに使いますね」と声をかけてくれる人が増えたという。日本財団、渋谷区の思いを形にしたクリエイター、TOTO、大和ハウス工業、未来に引き継ぐための維持管理。そして、利用者自身が次に使う誰かに思いやりのバトンをつなぐ。小さな問題意識から変わっていく街。それこそが、多様な人を受け入れるまちづくりの一歩なのではないだろうか。

●取材協力
・日本財団
・THE TOKYO TOILET

仕事後にひとっ風呂!「小杉湯となり」で銭湯コミュニティを高円寺に

ワークスペースで根を詰めて仕事をしてから、30秒後には湯船でリフレッシュ――。そんな夢のような空間がある。舞台は若者に人気の街、東京・高円寺。昭和8年創業の人気銭湯、小杉湯の隣に誕生した「小杉湯となり」。

その狙いは? 利用料金は? 銭湯以外の売りは? ここを運営する株式会社銭湯ぐらしの代表・加藤優一さんに聞いた。
2階のワークスペースでガチの原稿を書く

小杉湯は高円寺駅北口から徒歩5分。

庚申通りを途中で左折します(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

庚申通りを途中で左折します(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

1日の平均利用客数は約300人。「終電で帰ってきた人にも利用してほしい」という思いから、営業時間は深夜1時45分までだ。

レトロな唐破風屋根が存在感を放つ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

レトロな唐破風屋根が存在感を放つ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

そして、その隣にあるのが一転モダンな外観の「小杉湯となり」。1階はカフェ、2階はワークスペース、3階は貸しスペースだ。2階の一角をちょいとお借りして、締め切りを過ぎたガチの原稿を書く。

建主は小杉湯、建築設計はT/Hが担当した(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

建主は小杉湯、建築設計はT/Hが担当した(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2階では皆さん、黙々と仕事をしていらっしゃる。

これは……集中できるぞ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

これは……集中できるぞ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

原稿終了。合宿所のような雰囲気のおかげか、なかなかのものが出来上がった気がする。

番台の看板娘に470円を払って、いざ入浴

お次は、いよいよ銭湯タイムだ。下駄箱に靴を預けると、番台の看板娘に470円を払う。仕事道具以外は持ってきていないが、無料のレンタルタオルがあった。

「はーい、ごゆっくり」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「はーい、ごゆっくり」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小杉湯には名物のミルク風呂、週替わり風呂、日替わり風呂、水風呂と温度と香りの違う4つの浴槽があり、わざわざ電車やバスに乗って遠方から訪れる客も多い。

「温冷交互浴」は小杉湯の代名詞(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「温冷交互浴」は小杉湯の代名詞(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

入浴後はロビーでくつろぐ。風呂上がりといえばビールだろう。

クラフトビールの品ぞろえがすごい……(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

クラフトビールの品ぞろえがすごい……(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

迷った末に大森山王ブルワリーの小杉湯限定ボトルにした。代表の町田佳路さんが自ら醸造している。

最高やないか……(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

最高やないか……(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

物語はここに建っていた風呂なしアパートから始まる

さて、時計の針をちょっと戻して「小杉湯となり」の話に戻す。

物語はもともとこの場所に建っていた風呂なしアパートから始まる。老朽化のために取り壊しが決まり、住民は次々に退去。それを機に「銭湯ぐらし」というプロジェクトがスタートした。

発起人は現・株式会社銭湯ぐらし代表の加藤優一さん(33歳)。あの「東京R不動産」の発起人がつくった設計事務所Open Aの社員でもあり、そこでは空き家の活用や全国の衰退したまちの再生などの仕事に携わっている。

小杉湯が好きすぎて、いまだに近所にある家賃3万円の風呂なしアパートに住んでいる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小杉湯が好きすぎて、いまだに近所にある家賃3万円の風呂なしアパートに住んでいる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「取り壊しまで約1年。空き家にしておくのももったいないということで、小杉湯3代目の平松佑介さんに相談しました。最終的には、高円寺のクリエイターたちに声をかけることに。家賃0円で住める代わりに、銭湯に寄与する創作活動をしてもらうというプロジェクトを始めました」

こちらが在りし日の風呂なしアパート(写真提供/小杉湯となり)

こちらが在りし日の風呂なしアパート(写真提供/小杉湯となり)

「銭湯ぐらし」ではクリエイター同士による付かず離れずのコミュニティが生まれた。

共通点は「銭湯のある暮らし」を楽しんでいること(写真提供/小杉湯となり)

共通点は「銭湯のある暮らし」を楽しんでいること(写真提供/小杉湯となり)

コロナ禍の直前にプレオープンを果たすも……

アパート解体後も当時のメンバーらが中心になって、“銭湯込みでホッとできる開かれた場所づくり“を模索。その活動が2020年3月にプレオープンを果たした「小杉湯となり」として結実する。

1階はカフェ、2階はワークスペース、3階は貸しスペースになっている。
「スーパー銭湯はひとつの施設ですべてを完結させようとしています。でも、ここはあくまでも“拠点”。1日に1回、湯上りに小杉湯となりでリラックスしてそのあとちょっと飲みに行くとか。街に暮らすようなライフスタイルを定着させる場をつくりたいという思いがありました」

銭湯のような光が入る設計(写真提供/小杉湯となり)

銭湯のような光が入る設計(写真提供/小杉湯となり)

しかし、すぐにコロナ禍が到来。4月、5月は施設内営業をやめて、デリバリーとテイクアウトのみで対応した。

高円寺の飲食店とコラボした企画の一例(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

高円寺の飲食店とコラボした企画の一例(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

また、外出を控えている人たちのためにEC事業で「銭湯のあるくらし便」も始めた。「米ぬかやハーブなどの入浴セットで銭湯気分を味わってほしい」という試みだ。

捨ててしまう米ぬかなどを活用したお風呂のもとをお届け(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

捨ててしまう米ぬかなどを活用したお風呂のもとをお届け(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

自粛期間が終わったあとも、加藤さんはホッとできる場所をどうやって守っていくか悩んだ末、当面は会員制にして7月から再始動させることにした。月額2万円で各設備を使い放題というシステムだ(コロナが収束した後の運営方法や料金については、スタッフや会員と相談しながら決めていく予定)。

募集をかけると40名の枠はすぐに埋まった。現在は60名で運用している。1階はキッチン付きのカウンターとテーブル席、2階は畳を敷いた小上がりのワークスペース、3階はトイレ・シャワー完備の6畳間だ。

こちらは徐々に稼働を始めたころの1階の様子(写真提供/小杉湯となり)

こちらは徐々に稼働を始めたころの1階の様子(写真提供/小杉湯となり)

「最初は一人暮らしでフリーランスの人が集まるイメージ。でも、実際は夫婦ともにリモートワークになって家の中での居場所づくりが難しい方や、在宅育児等で息が詰まって気分転換をしたい女性などからも応募がありました」

男女比は半々ぐらい。純粋なコワーキングスペースというよりは、シェアキッチンでご飯をつくりに来る人や、風呂に入った後に昼寝して帰る人など、使い方は自由だ。加藤さんはここを「街の中にある、もう一つの家」と呼ぶ。

会員たちにも話を聞いてみよう。1階ではフリーランスデザイナーの男女が仕事をしていた。

スタバ感覚でコーヒーを飲みながら働いている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

スタバ感覚でコーヒーを飲みながら働いている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

男性(20代)が言う。

「ここを利用するのは気分転換ですね。拡張リビングというか。集中するときは2階、音を聞きながらの作業は1階と使い分けています。小杉湯ですか? 週に4、5回は入るかな。家にお風呂はありますけど(笑)」

会員の女性が手づくりのバスクチーズケーキを振る舞う

その時、キッチンから「バスクチーズケーキ食べたい人~?」という声。ほぼ全員が手を上げる。

スペインのバルが発祥のチーズケーキなんだそうですよ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

スペインのバルが発祥のチーズケーキなんだそうですよ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

彼女はイラストレーターのハラユキさんで、やはりここの会員。9月初旬から10月中旬にかけて小杉湯でスペインをテーマにしたイベントを開催するため、現地の料理を研究していた。

8月に『オラ!スペイン旅ごはん』を出版したばかり(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

8月に『オラ、スペイン旅ごはん』を出版したばかり(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

1階には駄菓子屋もあった。本当です。アルバイトのみずきさんが“経営”する「みずき屋」だ。

あ、伝説の「ペペロンチーノ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

あ、伝説の「ペペロンチーノ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「小杉湯に通っていたら、加藤さんに声をかけてもらって銭湯ぐらしに参加させてもらいました。駄菓子屋を開くのがずっと夢だったので、めっちゃ楽しい。今、大学3年生なんですが、コロナ禍で学科の実習ができないから、最近は主にここにいます(笑)」

今日は屋内のみだが、週末は軒下でマルシェを開催。ほかにもスタッフが自主開催するテイクアウトのカフェも人気だ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

今日は屋内のみだが、週末は軒下でマルシェを開催。ほかにもスタッフが自主開催するテイクアウトのカフェも人気だ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

掲示板で情報交換、ランチのおすすめマップも

さらに、屋内をもっと見て回ろう。加藤さんにあらためて案内してもらった。

掲示板では会員同士が情報交換(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

掲示板では会員同士が情報交換(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「平日ランチおすすめマップ」もうれしい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「平日ランチおすすめマップ」もうれしい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「2階には本棚を置きました。小杉湯関係者や高円寺の飲食店の人などが、それぞれの趣味のコーナーをつくっています」

中には銭湯ぐらしメンバーのお子さん「なっちゃん」の本棚も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

中には銭湯ぐらしメンバーのお子さん「なっちゃん」の本棚も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

銭湯のような“ゆるっ”としたコミュニティをつくりたい

最後に3階へ。ここは貸しスペースとして利用されている。

2階と比べて眺望が一段広がる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2階と比べて眺望が一段広がる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

この辺りはそれほど高いビルがないので、抜け感が楽しめる。

「テラスにハンモックを入れたんですよ」とうれしそうな加藤さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「テラスにハンモックを入れたんですよ」とうれしそうな加藤さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小杉湯の屋根越しに高円寺駅方面を望む(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小杉湯の屋根越しに高円寺駅方面を望む(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「まずは会員制にして利用者にとって安心安全な場所をつくる。コロナが終息したら、どのように高円寺というまちに開いていくかをみんなで考えたいと思います」

芝生の養生が済んだら多目的に使える中庭(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

芝生の養生が済んだら多目的に使える中庭(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小杉湯に入って印象的だったのは、脱衣場でも、洗い場でも、そして浴槽でも、利用客同士が細やかな互いへの気遣いを見せていたこと。銭湯は年代を超えた人々が集まる学校のようなものなのかもしれない。

「そうなんですよ。銭湯は顔は見たことがあるけど名前は知らないという関係性がある場所。あれぐらいの距離感を目指して、“ゆるっ”としたつながりのある場所をつくりたいです」

ほどよい距離感が心地いい。しかも、すぐ隣に皆さんが大好きな銭湯。芝生の養生が終わるころには“いつもの日々”が戻っていてくれますように。

●取材協力
小杉湯
小杉湯となり

2020年の地価は下落へ転換? 分野別にみるコロナ禍の影響

2012年の民主党から自民党への政権交代以降、一貫して上昇を続け、2017年をピークに高原状態にあった地価は新型コロナウイルスで様相が一変しました。
新型コロナウイルス影響で先行き不透明な地価

国土交通省が8月29日発表した7月1日時点の基準地価は、全国平均(全用途)の変動率が前年比マイナス0.6%と、2017年以来3年ぶりの下落。商業地はマイナス0.3%と5年ぶりに下落に転じ、昨年、28年ぶりに上昇した地方圏の商業地は再び下落に転じました。住宅地はマイナス0.7%と下落幅を拡大させています。下落地点数の割合は60.1%と2年ぶりに半数を超え、新型コロナウイルスの影響に伴う外出自粛や在宅勤務の普及を要因に不動産取引が鈍り、オフィスやホテル、店舗の需要も急失速する中、先行きの不透明感が反映された格好です。

経済停滞が長期化すれば、回復を続けてきた地価が下落へと転換しそうですが、その内訳をみると異なった様相も見えてきます。とりわけマイホームの世界は、新築中古・マンション戸建てともにさしたる影響はないどころか、足元では活況を呈していると言っていいでしょう。分野別に現状を探ってみます。

インバウンド需要が激減した商業地

新型コロナの影響が最も大きかった分野で、大きな地価押し上げ要因となっていたインバウンド需要が今年に入って激減し、不透明感が強まっています。訪日外国人客がほぼ消滅したことに加え、緊急事態宣言などの外出自粛や店舗への休業要請で国内の経済活動も大幅に停滞しました。

かつてホテルや商業施設用の不動産取引が活況だった地方の観光地や、東京の銀座や新宿、大阪の道頓堀付近など、繁華街エリアにおいて値下がりが目立ちます。金沢市の繁華街の、ある地点は前年の19.6%の上昇から4.5%の下落に。岐阜県高山市の奥飛騨温泉郷は観光客減が響きマイナス9.3%と下落率が最大。道頓堀に近く、多くの訪日客が訪れる大阪市中央区の地価変動率はマイナス4.5%。前年は商業地で全国3位のプラス45.2%でした。いずれも観光客向けの店舗やホテル需要が弱まったことが響いています。3大都市圏の商業地はプラス0.7%となんとか上昇を維持したものの、伸びは鈍化。東京、大阪で上昇幅が縮小し、名古屋は8年ぶりに下落に転じています。

最高価格は東京都中央区の「明治屋銀座ビル」で、1平方メートル当たり4100万円。最も上昇率が大きかったのは住宅地、商業地とも、リゾート開発が活発な沖縄県宮古島市でプラス30%を超えています。地域別では地方圏と名古屋圏の下げが大きい一方、札幌、仙台、広島、福岡の底堅さも目立ちます。三大都市圏より高利回りを求めた投資マネーが流れ込み再開発が進んでいるためです。

(画像/PIXTA)

(画像/PIXTA)

リモートワークも増えるオフィス街

大手町・丸の内といったオフィス街には取り立てて変動がありません。一部企業がオフィス床を減少させるとのアナウンスもありますが、、その動きは限りなく限定的です。というのも、リモートワークで生産性が低下した企業も多く、またソーシャルディスタンスを保つには一定の床面積が必要となるからです。なにより多くのオフィス賃貸契約は、3~5年問といった長期契約のものが多く、期間中に解約すると違約金が発生するパターンが多いのです。渋谷区のオフィス空室率が3%台前半とやや高まったのは、機動的に動けるIT系企業が集積していたため。それでもオフィス市場の好不調を占う5%には程遠く、大手町・丸の内や虎ノ門・新宿といったオフィス街には何ら変化がないのです。変化が訪れるとしてもずいぶんと先の話になりそうです。

息を吹き返してきた?住宅地

東京、大阪、名古屋の3大都市圏の住宅地はすべてマイナスとなり、東京、大阪が下落したのは7年ぶり、名古屋は8年ぶりです。地方圏は住宅地がマイナス0.9%と下落幅が拡大。札幌、仙台、広島、福岡の4市は住宅地がプラス3.6%、商業地がプラス6.1%といずれも上昇を維持したものの、伸び率は縮小しています。

しかし最も元気なのがこのセクター。一時期半減した新築・中古一戸建て市場もすっかり息を吹き返し、在庫を減らしつつ順調に取引がなされているどころか、緊急事態宣言中のマイナスを補って余りある勢いといっていいでしょう。8月の首都圏中古マンション取引件数は前年同月比プラス18.2%、平均価格は同プラス5.3%と絶好調。とりわけ都心3区(千代田区・中央区・港区)の中古マンション成約平米単価は過去最高を更新し、引き続き在庫が減少し底堅い。新築・中古戸建ても同様です。新築マンションの発売戸数は前年同月比8.2%減も都区部以外は大幅増、契約率も68.5%とまずまずです。

(資料/東日本不動産流通機構)

(資料/東日本不動産流通機構)

下落率の大きい災害地域

昨年の台風19号で浸水被害を受けた長野市の地点はマイナス13.1%、福島県郡山市の地点はマイナス12.6%と大幅に下落。付近の丘陵が土砂災害警戒区域に指定された東京都日野市の地点がマイナス18.4%と、全国住宅地では下落率ナンバーワンでした。

■まとめ

今回は90年バブルやリーマンショック前のバブルとその崩壊とは異なります。日米欧の同時金融緩和、とりわけ日米は無制限金融緩和を行うことで、金融システムが崩壊することを阻止したためです。一時1万6000円台をつけた日経平均株価も現在は2万3000円台と、すっかりコロナ前の水準に戻っています。とりわけマイホームの世界は、継続されるであろう日米欧の同時金融緩和を受けた超低金利といった追い風を受け、当面は好調を継続しそうです。

「くたばってたまるか」福井・ものづくりの街が工房一斉開放イベント「RENEW」で示す覚悟

工房の扉をあけると、漆のつんとしたにおい。ラジオの音だけが響くなか、所狭しと並んだうつわに囲まれ、若い職人さんが黙々とハケを動かしている。

工房を案内してくれた職人さんが口を開いた。

「ここは塗り場といって、毎日、200個から300個の漆器を塗り上げているんです」

1日300個、気が遠くなるような数だ。漆器ってこうしてひとつひとつ、手塗りされているんだな。「そういえば、塗るのに使っているハケって、何の毛でできているんですか?」ふと浮かんだ疑問を口にすると、職人さんはよくぞ聞いてくれた、という顔をして、うれしそうに答えてくれる……。職人自ら、工房を案内してくれる/漆琳堂(写真撮影/Rui Izuchi)

職人自ら、工房を案内してくれる/漆琳堂(写真撮影/Rui Izuchi)

こんにちは、RENEW事務局長の森一貴です。

「RENEW(リニュー)」とは、福井県丹南エリアを舞台に開催される、ものづくりを“見て・知って・体験する”体感型マーケット。普段立ち入ることのできない産地の工房・企業が一斉開放され、来場者は自由に工房見学やワークショップを楽しむことができます。2020年の開催日程は10月9日(金)から11日(日)の3日間。

RENEWのイメージ・赤丸がはためく総合案内所(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

RENEWのイメージ・赤丸がはためく総合案内所(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

2015年に始まり5年の歳月を経たRENEWは、出展者約80社・来場者約3万人を数える、日本最大級のものづくりイベントに成長しました。今回はRENEWがどのようにして生まれ広がってきたのか、事務局の立場からお伝えしたいと思います。

工房を一斉開放し、ものづくりに触れる

福井県の中央部に位置する福井県丹南エリア(鯖江市・越前市・越前町)は、日本でも有数のものづくりの産地。越前漆器、越前和紙、越前打刃物、越前箪笥、越前焼、眼鏡、繊維の計7つの地場産業が、端から端まで車で約40分という狭い圏内に集まっています。

このエリアで年に一度だけ開催されるのが、ものづくりを“見て・知って・体験する”体感型マーケット「RENEW(リニュー)」です。

RENEW期間中は約80の工房や事業所を一斉開放。2m以上もある和紙の大紙を漉く(すく)現場に立ち会ったり、うずたかく積まれた木地のサンプルに圧倒されたり、眼鏡職人に手ほどきを受けながら自分オリジナルの眼鏡をつくったりと、ものづくりの産地ならではの体験ができます。

漆器の木地を手掛ける木工所。サンプルが所狭しと並ぶ/井上徳木工(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

漆器の木地を手掛ける木工所。サンプルが所狭しと並ぶ/井上徳木工(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

RENEWは2020年で6回目を迎えます。この5年の間に、丹南エリアの産地には新たな店舗やギャラリーが20店舗以上もオープン。さらに通年で工房見学を楽しめる施設も開設され、就職者・移住者も増加するなど、この町の景色は着実に変わってきています。

2019年にオープンした、福井のグッドプロダクトを扱うスーベニアショップ「SAVA!STORE」

2019年にオープンした、福井のグッドプロダクトを扱うスーベニアショップ「SAVA!STORE」(写真撮影/森一貴)

1701年創業の漆器メーカー「関坂漆器」の倉庫を改装したセレクトショップ/ataW

1701年創業の漆器メーカー「関坂漆器」の倉庫を改装したセレクトショップ/ataW(写真撮影/森一貴)

しかし、RENEWもはじめから成功を予期していた訳ではありません。2015年当時、RENEWはまだ始まったばかりの、小さな地方イベントにすぎませんでした。

待っていても、スーパーマンは来ない。合言葉は「ないならつくる」

RENEWが生まれたのは、鯖江市東部にある「河和田(かわだ)」という町。

三方を山に囲まれた中山間地域・河和田(写真撮影/instagram : @cityflaneurs)

三方を山に囲まれた中山間地域・河和田(写真撮影/instagram : @cityflaneurs)

河和田は人口約4000人と小規模な地区ながら、200近い漆器の工房を抱える越前漆器の里です。この町では「河和田アートキャンプ」というアートプロジェクトの卒業生を中心に、2010年ごろより徐々に移住して職人になる人が増えてきたそうです。

その移住者第一号が、RENEWの発起人。大阪府出身で、現在デザイン事務所・TSUGI(ツギ)の代表およびRENEWディレクターを務める新山直広さんです。

デザイン事務所TSUGIのメンバー。新山さんは左から三番目(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

デザイン事務所TSUGIのメンバー。新山さんは左から三番目(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

新山さんは、移住してきた職人の友人とよく話していたことがあったと言います。

「僕たちの仕事は、30年、50年後も残っているのだろうか」

越前漆器の売上はここ数十年、右肩下がりが続いています。当時、新山さんは鯖江市役所に勤めており、越前漆器の産業調査に取り組んでいました。その一環で東京を訪れた際、よく知る職人さんの漆器がワゴンセールで叩き売りされているのを見た新山さんは、愕然とします。

「もたもたしていたら、本当に産業がなくなるかもしれない」

そこで新山さんたちは、2013年に若手移住者によるサークル「TSUGI」を結成。自分たちで漆器をつくって河和田の食を楽しむ「ふくいフードキャラバン」など、自分たちなりの取り組みを始めていました。

福井新聞社と実施した、ふくいフードキャラバン「かわだ くらしの晩餐会」の様子 その過程で思いついたのが、「工房を開放する」というアイディア

福井新聞社と実施した、ふくいフードキャラバン「かわだ くらしの晩餐会」の様子
その過程で思いついたのが、「工房を開放する」というアイデア(写真撮影/森一貴)

漆器や眼鏡の工房が集積するのがこの町の強み。ならば実際に産地に来てもらい、職人と出会ってもらえば、ものづくりの価値は必ず伝わると新山さんは考えたのです。

そんな中で新山さんが出会ったのは、同じ河和田地区にある谷口眼鏡の社長であり、現RENEW実行委員長・谷口康彦さんでした。谷口さんは当時、河和田地区の区長会長。いわば村長としての目線で、「河和田をどうにかしなくては」と考えていたと言います。

谷口眼鏡の工場にて。右側が谷口さん

谷口眼鏡の工場にて。右側が谷口さん(写真撮影/森一貴)

出会った二人はすぐに意気投合。その時の合言葉は「ないならつくる」。早速谷口さんが地元の有志に声をかけ、新山さんのアイデアを伝える場を設けました。

その最初の会議のことを、新山さんはこう振り返ります。

「待っていても、スーパーマンは来ない。欲しい未来は自分でつくるしかないんです。そう確信していたけど、やっぱり緊張しました。みんな下を向いて腕組みをしていて、本当に冷や汗がとまらなかったです」

第一回目のRENEW出展者会議

第一回目のRENEW出展者会議(写真撮影/森一貴)

会議風景。打ち合わせは深夜まで続くことも

会議風景。打ち合わせは深夜まで続くことも(写真撮影/森一貴)

「とはいえ、まずは一回やってみようよ」と、谷口さんが地域の人たちに声をかけてくれたことで開催が決定。手探りでパンフレットや看板、垂れ幕などをがむしゃらに準備し、なんとか2015年10月31日、第一回目の開催にこぎつけました。

しかしその「まずは一回」が、町を大きく変えることになりました。2015年のRENEW当日、来場者がひっきりなしに訪れ、普段は静かな河和田の町が人で溢れ返ったのです。

全国から来場者が集った/ろくろ舎(写真撮影/Rui Izuchi)

全国から来場者が集った/ろくろ舎(写真撮影/Rui Izuchi)

全国から来場者が集った/総合案内所の様子(写真撮影/Rui Izuchi)

来場者の多くが立ち寄った総合案内所の様子(写真撮影/Rui Izuchi)

初年度のRENEWのなかで、「忘れられないシーンがある」という新山さん。

「『この時期は忙しいんだよ』と、最後まで出展を渋っていた眼鏡の職人さんがいたんです。なんとか説得して参加してもらったのですが、打ち上げの時にその職人さんは、目に涙を浮かべながら『新山くん、本当にやってよかったよ、ありがとう』と伝えてくれたんです」

話を聞くと、彼の工房に眼鏡が大好きな青年がやってきたのだそう。東京から来たその青年にとっては、職人さんのありふれた作業のひとつひとつが新鮮で驚きに満ちたもの。職人さんの話を熱心に聞き、質問してくれたのが、本当にうれしかったと言うのです。

河和田地区にある眼鏡の工房/ハヤカワメガネ(写真撮影/Rui Izuchi)

河和田地区にある眼鏡の工房/ハヤカワメガネ(写真撮影/Rui Izuchi)

新山さんは「その話を聞いたとき、RENEWをやった意義があったなと、心の底から思えたんです」と、当時を振り返ります。

第一回目のRENEWは出展者21社、来場者約1200人。近年の来場者数から比べれば、少ない人数です。しかし、そこで事務局側も出展者側も全員が同じ景色を共有できたことが、後々の変化につながったのかもしれません。

その後、2017年には中川政七商店とコラボレーションした「RENEW×大日本市鯖江博覧会」を開催。越前市など河和田地区以外の地区を初めて巻き込み、4日間で約4万2000人の来場者が訪れました。

2017年の様子。中川政七商店の担当者は、半年以上福井に通い詰めた(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

2017年の様子。中川政七商店の担当者は、半年以上福井に通い詰めた(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

これを足がかりに、RENEWは市町村の枠組みを超え、7産業を巻き込むイベントに発展。2019年には、グッドデザイン賞や総務省ふるさとづくり大賞の受賞といった機会にも恵まれました。

和紙の原料を混ぜる様子/やなせ和紙(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

和紙の原料を混ぜる様子/やなせ和紙(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

蒔絵師の工房。小物づくりワークショップなどを実施/駒本蒔絵(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

蒔絵師の工房。小物づくりワークショップなどを実施/駒本蒔絵(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

「前を向こう」。変わり続ける町の覚悟

しかし2020年、RENEWを待ち受けていたのが新型コロナウイルスでした。株式会社和えるが6月に発表したレポートが報じたのは、このままの状況が続くと「伝統産業の4割が年内に廃業の危機」という現実。

RENEWも開催が危ぶまれる状況ではあったものの、イベント名を「Re:RENEW2020」に変更し、7月10日に開催を決断する宣言文を発表しました。

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「くたばってたまるか」、強いキャッチコピーと新しいイベント名には、コロナ禍での開催に向けて、「更に新しく変わっていこう」という覚悟が込められています。

もちろんRENEW実行委員会は、何度も中止を考えました。それでも開催へと踏み切った思いを、実行委員長の谷口さんはこう話します。

「今年は間違いなく、こうした産業観光イベントのほとんどが中止になりますよね。RENEWも、中止になっても止むを得ない状況だとは思います。……でも、その中でファイティングポーズをとり続けることがRENEWの役割だと思うんです。全国がコロナで打撃を受けているなかで、この町に対しても、日本全国の産地に対しても、“前を向こう”というメッセージを伝えていきたいんです」

谷口さんはRENEWを通じ「持続可能な地域づくり」を目指す(写真撮影/Rui Izuchi)

谷口さんはRENEWを通じ「持続可能な地域づくり」を目指す(写真撮影/Rui Izuchi)

コロナウイルスへの対応を考えると、今年の開催は例年に比べ、圧倒的に難易度の高い準備が必要であることは明らか。しかしその「前を向こう」という覚悟が、今年のRENEWを支えているのです。

更に「前を向こう」というメッセージに呼応して、内容にも大きな変化が生まれています。

今年は工房見学やワークショップを楽しめるRENEWに加え、“作り手”、“伝え手”、“使い手”を繋ぐマーケット「ててて往来市 TeTeTe All Right Market」の同時開催が決定。またオンラインでも「RENEW TV」や「オンラインRENEWストア」の実施が決まっています。

ててて往来市のイメージ。うるしの里会館の軒下で開催される

ててて往来市のイメージ。うるしの里会館の軒下で開催される(写真撮影/森一貴)

また、商品開発プロジェクト「RENEW LABORATORY」や、福井のものづくりを学ぶメディア「産地の赤本」といった新たな企画を次々に立ち上げ、準備を進めてきました。

RENEW LABORATORY。井上徳木工×堀内康広によるプロジェクト

RENEW LABORATORY。井上徳木工×堀内康広によるプロジェクト(写真撮影/森一貴)

加えて今年から、RENEWと産地のサポーターチーム「あかまる隊」を創設。県内外から約30名が集い、職人さんたちとの飲み会を企画したり、独自に動画配信を行ったりと、これまでのRENEWでは想像もできなかった景色が生まれています。

あかまる隊による訪問取材の様子

あかまる隊による訪問取材の様子(写真撮影/森一貴)

産地やRENEWを取り巻く環境はこの半年で、ものすごいスピードで変化してきました。新山さんはこの状況を「不謹慎かもしれないけれど、実は、少しワクワクしているんです」と述べます。

「町が変化するためには、危機感が重要だと僕はずっと思ってきました。それが今、産地の全員が同じ危機感を共有しています。これはものすごいチャンスなんです。今年はもしかしたら、産地の人々がもっと創造性をもって新たなプロダクトやサービスをつくっていくための、ひとつの元年になるかもしれません」

共につくろう、変わりつづけるものづくりのまちを職人たちが暮らす、ものづくりの町・福井県丹南エリア

職人たちが暮らす、ものづくりの町・福井県丹南エリア(写真撮影/森一貴)

この町にあるのは、「つくる」という文化なのだと感じます。それはモノをつくることだけではなく、仕事や暮らし、人間関係、町、そして文化までをもつくりつづけていく、変わりつづける文化です。

2020年10月9日(金)~11日(日)の3日間にわたって開催される、「Re:RENEW2020」。前を向く産地の姿を、ぜひ見にきてください。

●取材協力
RENEW 2020
●編集
Huuuu.inc

「くたばってたまるか」福井・ものづくりの町が工房一斉開放イベント「RENEW」で示す覚悟

工房の扉をあけると、漆のつんとしたにおい。ラジオの音だけが響くなか、所狭しと並んだうつわに囲まれ、若い職人さんが黙々とハケを動かしている。

工房を案内してくれた職人さんが口を開いた。

「ここは塗り場といって、毎日、200個から300個の漆器を塗り上げているんです」

1日300個、気が遠くなるような数だ。漆器ってこうしてひとつひとつ、手塗りされているんだな。「そういえば、塗るのに使っているハケって、何の毛でできているんですか?」ふと浮かんだ疑問を口にすると、職人さんはよくぞ聞いてくれた、という顔をして、うれしそうに答えてくれる……。職人自ら、工房を案内してくれる/漆琳堂(写真撮影/Rui Izuchi)

職人自ら、工房を案内してくれる/漆琳堂(写真撮影/Rui Izuchi)

こんにちは、RENEW事務局長の森一貴です。

「RENEW(リニュー)」とは、福井県丹南エリアを舞台に開催される、ものづくりを“見て・知って・体験する”体感型マーケット。普段立ち入ることのできない産地の工房・企業が一斉開放され、来場者は自由に工房見学やワークショップを楽しむことができます。2020年の開催日程は10月9日(金)から11日(日)の3日間。

RENEWのイメージ・赤丸がはためく総合案内所(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

RENEWのイメージ・赤丸がはためく総合案内所(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

2015年に始まり5年の歳月を経たRENEWは、出展者約80社・来場者約3万人を数える、日本最大級のものづくりイベントに成長しました。今回はRENEWがどのようにして生まれ広がってきたのか、事務局の立場からお伝えしたいと思います。

工房を一斉開放し、ものづくりに触れる

福井県の中央部に位置する福井県丹南エリア(鯖江市・越前市・越前町)は、日本でも有数のものづくりの産地。越前漆器、越前和紙、越前打刃物、越前箪笥、越前焼、眼鏡、繊維の計7つの地場産業が、端から端まで車で約40分という狭い圏内に集まっています。

このエリアで年に一度だけ開催されるのが、ものづくりを“見て・知って・体験する”体感型マーケット「RENEW(リニュー)」です。

RENEW期間中は約80の工房や事業所を一斉開放。2m以上もある和紙の大紙を漉く(すく)現場に立ち会ったり、うずたかく積まれた木地のサンプルに圧倒されたり、眼鏡職人に手ほどきを受けながら自分オリジナルの眼鏡をつくったりと、ものづくりの産地ならではの体験ができます。

漆器の木地を手掛ける木工所。サンプルが所狭しと並ぶ/井上徳木工(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

漆器の木地を手掛ける木工所。サンプルが所狭しと並ぶ/井上徳木工(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

RENEWは2020年で6回目を迎えます。この5年の間に、丹南エリアの産地には新たな店舗やギャラリーが20店舗以上もオープン。さらに通年で工房見学を楽しめる施設も開設され、就職者・移住者も増加するなど、この町の景色は着実に変わってきています。

2019年にオープンした、福井のグッドプロダクトを扱うスーベニアショップ「SAVA!STORE」

2019年にオープンした、福井のグッドプロダクトを扱うスーベニアショップ「SAVA!STORE」(写真提供/TSUGI)

1701年創業の漆器メーカー「関坂漆器」の倉庫を改装したセレクトショップ/ataW

1701年創業の漆器メーカー「関坂漆器」の倉庫を改装したセレクトショップ/ataW(写真提供/ataW)

しかし、RENEWもはじめから成功を予期していた訳ではありません。2015年当時、RENEWはまだ始まったばかりの、小さな地方イベントにすぎませんでした。

待っていても、スーパーマンは来ない。合言葉は「ないならつくる」

RENEWが生まれたのは、鯖江市東部にある「河和田(かわだ)」という町。

三方を山に囲まれた中山間地域・河和田(写真撮影/instagram : @cityflaneurs)

三方を山に囲まれた中山間地域・河和田(写真撮影/instagram : @cityflaneurs)

河和田は人口約4000人と小規模な地区ながら、200近い漆器の工房を抱える越前漆器の里です。この町では「河和田アートキャンプ」というアートプロジェクトの卒業生を中心に、2010年ごろより徐々に移住して職人になる人が増えてきたそうです。

その移住者第一号が、RENEWの発起人。大阪府出身で、現在デザイン事務所・TSUGI(ツギ)の代表およびRENEWディレクターを務める新山直広さんです。

デザイン事務所TSUGIのメンバー。新山さんは左から三番目(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

デザイン事務所TSUGIのメンバー。新山さんは左から三番目(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

新山さんは、移住してきた職人の友人とよく話していたことがあったと言います。

「僕たちの仕事は、30年、50年後も残っているのだろうか」

越前漆器の売上はここ数十年、右肩下がりが続いています。当時、新山さんは鯖江市役所に勤めており、越前漆器の産業調査に取り組んでいました。その一環で東京を訪れた際、よく知る職人さんの漆器がワゴンセールで叩き売りされているのを見た新山さんは、愕然とします。

「もたもたしていたら、本当に産業がなくなるかもしれない」

そこで新山さんたちは、2013年に若手移住者によるサークル「TSUGI」を結成。自分たちで漆器をつくって河和田の食を楽しむ「ふくいフードキャラバン」など、自分たちなりの取り組みを始めていました。

福井新聞社と実施した、ふくいフードキャラバン「かわだ くらしの晩餐会」の様子

福井新聞社と実施した、ふくいフードキャラバン「かわだ くらしの晩餐会」の様子(写真提供/TSUGI)

その過程で思いついたのが、「工房を開放する」というアイデア。

漆器や眼鏡の工房が集積するのがこの町の強み。ならば実際に産地に来てもらい、職人と出会ってもらえば、ものづくりの価値は必ず伝わると新山さんは考えたのです。

そんな中で新山さんが出会ったのは、同じ河和田地区にある谷口眼鏡の社長であり、現RENEW実行委員長・谷口康彦さんでした。谷口さんは当時、河和田地区の区長会長。いわば村長としての目線で、「河和田をどうにかしなくては」と考えていたと言います。

谷口眼鏡の工場にて。右側が谷口さん

谷口眼鏡の工場にて。右側が谷口さん(写真提供/谷口眼鏡)

出会った二人はすぐに意気投合。その時の合言葉は「ないならつくる」。早速谷口さんが地元の有志に声をかけ、新山さんのアイデアを伝える場を設けました。

その最初の会議のことを、新山さんはこう振り返ります。

「待っていても、スーパーマンは来ない。欲しい未来は自分でつくるしかないんです。そう確信していたけど、やっぱり緊張しました。みんな下を向いて腕組みをしていて、本当に冷や汗がとまらなかったです」

第一回目のRENEW出展者会議

第一回目のRENEW出展者会議(写真提供/RENEW実行委員会)

会議風景。打ち合わせは深夜まで続くことも

会議風景。打ち合わせは深夜まで続くことも(写真提供/RENEW実行委員会)

「とはいえ、まずは一回やってみようよ」と、谷口さんが地域の人たちに声をかけてくれたことで開催が決定。手探りでパンフレットや看板、垂れ幕などをがむしゃらに準備し、なんとか2015年10月31日、第一回目の開催にこぎつけました。

しかしその「まずは一回」が、町を大きく変えることになりました。2015年のRENEW当日、来場者がひっきりなしに訪れ、普段は静かな河和田の町が人で溢れ返ったのです。

全国から来場者が集った/ろくろ舎(写真撮影/Rui Izuchi)

全国から来場者が集った/ろくろ舎(写真撮影/Rui Izuchi)

全国から来場者が集った/総合案内所の様子(写真撮影/Rui Izuchi)

来場者の多くが立ち寄った総合案内所の様子(写真撮影/Rui Izuchi)

初年度のRENEWのなかで、「忘れられないシーンがある」という新山さん。

「『この時期は忙しいんだよ』と、最後まで出展を渋っていた眼鏡の職人さんがいたんです。なんとか説得して参加してもらったのですが、打ち上げの時にその職人さんは、目に涙を浮かべながら『新山くん、本当にやってよかったよ、ありがとう』と伝えてくれたんです」

話を聞くと、彼の工房に眼鏡が大好きな青年がやってきたのだそう。東京から来たその青年にとっては、職人さんのありふれた作業のひとつひとつが新鮮で驚きに満ちたもの。職人さんの話を熱心に聞き、質問してくれたのが、本当にうれしかったと言うのです。

河和田地区にある眼鏡の工房/ハヤカワメガネ(写真撮影/Rui Izuchi)

河和田地区にある眼鏡の工房/ハヤカワメガネ(写真撮影/Rui Izuchi)

新山さんは「その話を聞いたとき、RENEWをやった意義があったなと、心の底から思えたんです」と、当時を振り返ります。

第一回目のRENEWは出展者21社、来場者約1200人。近年の来場者数から比べれば、少ない人数です。しかし、そこで事務局側も出展者側も全員が同じ景色を共有できたことが、後々の変化につながったのかもしれません。

その後、2017年には中川政七商店とコラボレーションした「RENEW×大日本市鯖江博覧会」を開催。越前市など河和田地区以外の地区を初めて巻き込み、4日間で約4万2000人の来場者が訪れました。

2017年の様子。中川政七商店の担当者は、半年以上福井に通い詰めた(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

2017年の様子。中川政七商店の担当者は、半年以上福井に通い詰めた(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

これを足がかりに、RENEWは市町村の枠組みを超え、7産業を巻き込むイベントに発展。2019年には、グッドデザイン賞や総務省ふるさとづくり大賞の受賞といった機会にも恵まれました。

和紙の原料を混ぜる様子/やなせ和紙(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

和紙の原料を混ぜる様子/やなせ和紙(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

蒔絵師の工房。小物づくりワークショップなどを実施/駒本蒔絵(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

蒔絵師の工房。小物づくりワークショップなどを実施/駒本蒔絵(写真撮影/TOMART:PhotoWorks)

「前を向こう」。変わり続ける町の覚悟

しかし2020年、RENEWを待ち受けていたのが新型コロナウイルスでした。株式会社和えるが6月に発表したレポートが報じたのは、このままの状況が続くと「伝統産業の4割が年内に廃業の危機」という現実。

RENEWも開催が危ぶまれる状況ではあったものの、イベント名を「Re:RENEW2020」に変更し、7月10日に開催を決断する宣言文を発表しました。

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「くたばってたまるか」、強いキャッチコピーと新しいイベント名には、コロナ禍での開催に向けて、「更に新しく変わっていこう」という覚悟が込められています。

もちろんRENEW実行委員会は、何度も中止を考えました。それでも開催へと踏み切った思いを、実行委員長の谷口さんはこう話します。

「今年は間違いなく、こうした産業観光イベントのほとんどが中止になりますよね。RENEWも、中止になっても止むを得ない状況だとは思います。……でも、その中でファイティングポーズをとり続けることがRENEWの役割だと思うんです。全国がコロナで打撃を受けているなかで、この町に対しても、日本全国の産地に対しても、“前を向こう”というメッセージを伝えていきたいんです」

谷口さんはRENEWを通じ「持続可能な地域づくり」を目指す(写真撮影/Rui Izuchi)

谷口さんはRENEWを通じ「持続可能な地域づくり」を目指す(写真撮影/Rui Izuchi)

コロナウイルスへの対応を考えると、今年の開催は例年に比べ、圧倒的に難易度の高い準備が必要であることは明らか。しかしその「前を向こう」という覚悟が、今年のRENEWを支えているのです。

更に「前を向こう」というメッセージに呼応して、内容にも大きな変化が生まれています。

今年は工房見学やワークショップを楽しめるRENEWに加え、“作り手”、“伝え手”、“使い手”を繋ぐマーケット「ててて往来市 TeTeTe All Right Market」の同時開催が決定。またオンラインでも「RENEW TV」や「オンラインRENEWストア」の実施が決まっています。

ててて往来市のイメージ。うるしの里会館の軒下で開催される

ててて往来市のイメージ。うるしの里会館の軒下で開催される(写真提供/ててて協働組合)

また、商品開発プロジェクト「RENEW LABORATORY」や、福井のものづくりを学ぶメディア「産地の赤本」といった新たな企画を次々に立ち上げ、準備を進めてきました。

RENEW LABORATORY。井上徳木工×堀内康広によるプロジェクト

RENEW LABORATORY。井上徳木工×堀内康広によるプロジェクト(写真提供/RENEW実行委員会)

加えて今年から、RENEWと産地のサポーターチーム「あかまる隊」を創設。県内外から約30名が集い、職人さんたちとの飲み会を企画したり、独自に動画配信を行ったりと、これまでのRENEWでは想像もできなかった景色が生まれています。

あかまる隊による訪問取材の様子

あかまる隊による訪問取材の様子(写真提供/RENEW実行委員会)

産地やRENEWを取り巻く環境はこの半年で、ものすごいスピードで変化してきました。新山さんはこの状況を「不謹慎かもしれないけれど、実は、少しワクワクしているんです」と述べます。

「町が変化するためには、危機感が重要だと僕はずっと思ってきました。それが今、産地の全員が同じ危機感を共有しています。これはものすごいチャンスなんです。今年はもしかしたら、産地の人々がもっと創造性をもって新たなプロダクトやサービスをつくっていくための、ひとつの元年になるかもしれません」

共につくろう、変わりつづけるものづくりのまちをRENEW実行委員会の幹部メンバー

RENEW実行委員会の幹部メンバー(写真提供/RENEW実行委員会)

職人たちが暮らす、ものづくりの町・福井県丹南エリア。

この町にあるのは、「つくる」という文化なのだと感じます。それはモノをつくることだけではなく、仕事や暮らし、人間関係、町、そして文化までをもつくりつづけていく、変わりつづける文化です。

2020年10月9日(金)~11日(日)の3日間にわたって開催される、「Re:RENEW2020」。前を向く産地の姿を、ぜひ見にきてください。

●取材協力
RENEW 2020
●編集
Huuuu.inc

ベルリンの巨大墓地が農園に!プリンツェシンネン庭園に見る素敵なドイツの墓地文化

私たちが住むドイツの農園の営みについて寄稿した前回、ベルリンのコミュニティ農園「プリンツェシンネン庭園」について紹介した。実はその活気あふれる庭園は、もともと荒廃した墓地だったというのだ。日本の嫌悪施設のひとつである墓地が、ドイツのライフスタイルの変化と共に、どのように役割を変化させていったのか。これからの都市での生活やコミュニティ形成において、魅力的でユニークな公共空間の活用事例として、ご紹介したいと思う。
東京ドームの約1.6個分?都市型農園は、まるで巨大な市民公園

プリンツェシンネン庭園は、ベルリンのノイケルン地区ヘルマン通り(Hermannstrasse)駅から徒歩1~2分で、ふらりと立ち寄れる場所にあるコミュニティ農園。農地面積は、7.5ha。基本的に誰でも参加でき、自然に触れ合いながら時間を過ごし、知らない人との共同作業を楽しめる都市の公園のような場所だ。アーバンファーミング(都市型農園)とも言われ、ドイツにはなじみのある光景だ。

さて実際に取材時、農園を利用している人の声を聞いてみた。「野菜を育てることや、知らない人と一緒に作業する点が気に入ってます」、 「近所に住んでいますが、公園のように気軽に足を運べるのがいい。毎日変わる畑の様子を見るのは子どもにとっても面白い」など、暮らしの一部になっているようだ。またこの庭園には、近所の小学校や幼稚園の子どもたちが農作業を体験できる専用プランターも設置されている。

大通りに面しているプリンツェシンネン庭園。庭園の中に入ると、街の喧騒を忘れてしまうほどの、緑と静寂に包まれる (写真撮影/Shinji Minegishi)

大通りに面しているプリンツェシンネン庭園。庭園の中に入ると、街の喧騒を忘れてしまうほどの、緑と静寂に包まれる (写真撮影/Shinji Minegishi)

自宅で植物を育てることはできるが、「収穫する」体験ができるのはここならではの醍醐味。「子どもの時から、自分が食べるものに関心を持つことは大事なこと」と、利用者のリサ(Lisa)さんは語る(写真撮影/Shinji Minegishi)

自宅で植物を育てることはできるが、「収穫する」体験ができるのはここならではの醍醐味。「子どもの時から、自分が食べるものに関心を持つことは大事なこと」と、利用者のリサ(Lisa)さんは語る(写真撮影/Shinji Minegishi)

まず注目したいのは、人々が気軽に農作業を共同で行える場所が、ベルリンのど真ん中にあるということだ。これを日本の首都東京で例えると、中野駅あるいは下北沢駅から歩いて1~2分の場所に、誰でも参加できる面積7.5ha(東京ドーム約1.6個分)のコミュニティ農園がある、ということになる。さすがに東京で似たような例はないだろう。

なぜ、そうしたことがベルリンでは実現できたのだろう? 取材に応じてくれたプリンツェシンネン庭園の広報担当ハンナ・ブルックハルト(Hanna Burckhardt)さんから興味深い話を聞けた。なんと、プリンツェシンネン庭園はかつて、墓地であったということだ。

撮影当日は、畑で共同作業をする日。入れ替わり立ち替わり、20名以上のメンバーが農作業に参加していた。水やり、土おこし、草むしりや収穫などの作業を分担し、終始活気が感じられた(写真撮影/Shinji Minegishi)

撮影当日は、畑で共同作業をする日。入れ替わり立ち替わり、20名以上のメンバーが農作業に参加していた。水やり、土おこし、草むしりや収穫などの作業を分担し、終始活気が感じられた(写真撮影/Shinji Minegishi)

土葬から火葬へ~ライフスタイルの変化による墓地の荒廃

ここでドイツにおける墓地事情について見てみよう。ベルリンの街を散歩していると、都市中央部でもドイツ語でフリードホフ(Friedhof)と呼ばれる墓地を、多く見つけることができる。試しにGoogle Mapsでベルリンの都市部、東京の山手線に相当するリングバーン圏内で「Friedhof」を検索、加えて東京の山手線圏内で「墓地」を検索してみてほしい。東京の検索結果よりも、ベルリンでは墓地がより多く点在していることが視覚的に分かるだろう。

これはヨーロッパ全土におけるキリスト教教会による過去の都市管理のなごりでもあるのだろうが、ベルリンにおける人々の居住区と墓地の距離感は、東京における距離感よりもはるかに近いようだ。例えば、ドイツ人同士のカップルにデートコースを尋ねたら、「今日は一緒に墓地を散歩した。あそこの墓地、とても綺麗なの。行ってみたら?」って答える人も少なくない。また、緑が多く静かで気持ちいい墓地の散歩コースを楽しむドイツ人家族も少なくない。

こうした墓地との距離感は、日本人にとって多少、驚きかもしれない。そこで、今回の記事においてドイツの墓地風景を紹介するため、私たちはベルリン出身の大女優/歌手、マレーネ・ディートリヒのお墓があるシェーネベルク第3市営墓地を訪れた。この墓地は、ベルリンの山手線、リングバーンのブンデスプラッツ(Bundesplatz)駅から徒歩6分、居住区と密接して立地する墓地だ。

日本でいう地下鉄・JRの2本の線が交差する大きな駅から徒歩6分。おしゃれなカフェも隣接する閑静な住宅地に、緑地として静かにたたずんでいる(撮影/Shinji Minegishi)

日本でいう地下鉄・JRの2本の線が交差する大きな駅から徒歩6分。おしゃれなカフェも隣接する閑静な住宅地に、緑地として静かにたたずんでいる(撮影/Shinji Minegishi)

十分に手入れが行き届いた公営墓地。撮影当日も2名の庭師が水やりや落ち葉拾いなどの作業をしていた (撮影/Shinji Minegishi)

十分に手入れが行き届いた公営墓地。撮影当日も2名の庭師が水やりや落ち葉拾いなどの作業をしていた (撮影/Shinji Minegishi)

「ここは、この子とよく来るお気に入りの散歩コース」と話してくれた女性。ここ以外にも家族でゆっくり散歩に行くという、ベルリンのお気に入りの墓地も教えてくれた(写真撮影/Shinji Minegishi)

「ここは、この子とよく来るお気に入りの散歩コース」と話してくれた女性。ここ以外にも家族でゆっくり散歩に行くという、ベルリンのお気に入りの墓地も教えてくれた(写真撮影/Shinji Minegishi)

緑が多いドイツの墓地では、墓地を自由に走りまわる野生のリスに出会うことも(撮影/Shinji Minegishi)

緑が多いドイツの墓地では、墓地を自由に走りまわる野生のリスに出会うことも(撮影/Shinji Minegishi)

1930年のドイツ映画『嘆きの天使』で一世を風靡、第二次世界大戦ではナチス党に反発してドイツを去り、アメリカ市民となりハリウッドで女優兼歌手として活躍。波乱万丈な人生を送ったマレーネ・ディートリヒの遺骸は、彼女の故郷ベルリンの墓地に眠っていた。

さて、欧米における典型的なお葬式として、個人の遺骸を棺に納めて土に埋める土葬のシーンを、数々の欧米映画で見た人は多いだろう。過去、宗教上(キリスト教、特にカトリック)の理由からヨーロッパでは土葬が一般的だった。しかし現在ヨーロッパでは、葬儀方法において、土葬から火葬へのシフトが進みつつあるのだ。

特にドイツではそのシフトは急速で、ある土葬/火葬率の比較統計では1960年代、土葬90%、火葬10%であったのに対して、火葬率が急増、2009年には土葬49%に対して火葬が51%と火葬が逆転、2019年時点では火葬が70%、土葬が30%となっている。「個人の遺骸を棺に納めて土に埋める土葬のシーン」は、もう“旧式の文化”となりつつある。実際に私たちがマレーネ・ディートリヒのお墓参りをしたシェーネベルク第3市営墓地にも、ウルネ(Urne、日本の“骨壺”に相当)だけを納めた火葬用の墓もあった。

さて、土葬から火葬への葬儀方法の変化はなぜ、加速しているのか? 火葬して墓地を利用する場合、長期の埋葬に耐えうる高価な棺を買う必要もなく、墓地の利用面積も少ないため遺族にとって経済的。また、墓地を利用しないドイツ人も増えている。これらはドイツ人の教会離れ、キリスト教離脱者の増加とシンクロしている。教会離れの原因のひとつには、キリスト教信者ならば払わなければならない教会税の負担がある。良し悪しは別として、ドイツ人も日本人も、人々が“合理的”に生きざるを得ない世界に生きている。

こうして昨今、利用者の減少にともなう墓地の空き地化/荒廃、墓地の運営者にとって墓地区画の維持コストの負担が、ドイツ全土で問題となっているのである。

ベルリンの名誉墓碑(Ehrengrab)とされるマレーネ・ディートリヒが土葬されているお墓。その近くには写真家のヘルムート・ニュートンのお墓も(撮影/Shinji Minegishi)

ベルリンの名誉墓碑(Ehrengrab)とされるマレーネ・ディートリヒが土葬されているお墓。その近くには写真家のヘルムート・ニュートンのお墓も(撮影/Shinji Minegishi)

ウルネ(骨壺)が納められている、れんが造りの建物。扉はなく、自由に入ってお参りをすることができる(撮影/Shinji Minegishi)

ウルネ(骨壺)が納められている、れんが造りの建物。扉はなく、自由に入ってお参りをすることができる(撮影/Shinji Minegishi)

かつては墓地だったプリンツェシンネン庭園

ここで、プリンツェシンネン庭園の広報担当ハンナさんの話に戻ろう。彼女の話によると、この庭園が造られた背景には、墓地荒廃問題に悩む教会と、都市部に緑地を造りたいという庭園創始者であるロバート・シャウ(Robert Shaw)さんの願いとの幸せな出会いがあったということだ。

1865年、教会が墓地としての利用を目的に、ベルリンの、当時まだ発展していない地域の農地であったこの土地を購入した。しかし2000年代に入り、この教会でも、墓地利用者の減少に伴う墓地荒廃が問題となっていた。
いまやベルリンの人気地区となったノイケルンのこの土地は、商業目的での利用が認められておらず、デパートやオフィスなどが建設できないという制約もあった。そのため、学校や緑地など、非営利の公共空間として運営維持する必要があり、土地の活用に教会は頭を悩ませていた。

一方ロバートさんは、2009年から別の場所で、「アーバンファーミング」コンセプトの市民公園のような農園を運営していた。当時はベルリン中心部の農業に適さない空き地を使っており、プランターのみで農作業をしていた。当時から、空き地活用の新しいアイデアとして、メディアでも注目を集めていた。すでに数千人規模の利用者がいたにも関わらず、土地の契約は2019年末までで、その後予定されている土地の再開発に伴い、契約更新ができないという苦境に立たされていた。

創始者のロバート・シャウ(Robert Shaw)さん。都市の真ん中で、農作業を通してお互いに教えあったり助け合ったりしながら、自然と人が共存できる場所をつくりたかったと語る(撮影/Shinji Minegishi)

創始者のロバート・シャウ(Robert Shaw)さん。都市の真ん中で、農作業を通してお互いに教えあったり助け合ったりしながら、自然と人が共存できる場所をつくりたかったと語る(撮影/Shinji Minegishi)

2017年、こうした両者が出会い、ロバートさんの市民庭園を現在の場所へ誘致することが決まった。2019年末に移転が行われ、敷地は6000平方mから7.5haに拡大された。移転後、農作業に関する専門知識を持った大学の研究者もパートナーとして加わり、ともに協力して土の質を調べた。このことによって、地植えも可能となった。土壌を汚さないよう使用する農薬なども限定している。

さて、この農園利用者は特に参加費用を支払う必要もない。いったいこの庭園はどのように収益を得ているのだろうか? 「私たちは非営利団体であり、行政支援は受けていません」とハンナさんは答えた。

主な収入源は、屋上農園を設置したいというオフィスビルや、コミュニティ形成を目的とした都市内/外の農園を設置/運営する際のサポート費用から来ているという。農園を設置した後の維持管理には専門知識も必要なため、2週間に一度訪問し、農園所有者にコンサルティングを実施する。

庭園の17名のメンバーはフルタイムの社員ではなく、コンサルティング、広報活動や農園運営などの仕事をワークシェアしている。

7.5haの敷地全体の完成は2035年を目指している。「農地拡大のスピードと、コミュニティーの広がるスピードの歩調をあわせてこそ、サスティナブルな開発ができる」、というハンナさんの言葉が印象的だ(撮影/Shinji Minegishi)

7.5haの敷地全体の完成は2035年を目指している。「農地拡大のスピードと、コミュニティーの広がるスピードの歩調をあわせてこそ、サスティナブルな開発ができる」、というハンナさんの言葉が印象的だ(撮影/Shinji Minegishi)

大量生産をする必要がないため、栽培する品種には多様性を楽しめる工夫している。現在はトマトだけでも17種類を育てているという(撮影/Shinji Minegishi)

大量生産をする必要がないため、栽培する品種には多様性を楽しめる工夫している。現在はトマトだけでも17種類を育てているという(撮影/Shinji Minegishi)

撮影当日は、フランスからのインターン生も農作業に参加していた。一般の参加者とも談笑しながら作業を楽しんでいる(撮影/Shinji Minegishi)

撮影当日は、フランスからのインターン生も農作業に参加していた。一般の参加者とも談笑しながら作業を楽しんでいる(撮影/Shinji Minegishi)

プリンツェシンネン庭園のサービスについて尋ねた。
「現時点では、売店、カフェ、野外ワークショップスペースなどを提供しています。今後、採れた野菜を調理したランチの提供も予定しています。

そのほか、使われていない墓石を使ってオブジェを制作する芸術家や、リサイクル・マテリアルで編み物をしている人、本当にいろんな人々、アーティストが活動しています」(ハンナさん)

売店では、ガーデニングに関するグッズや、この庭園で有機栽培された野菜の苗や、プランター栽培で用いられるオーガニック堆肥が配合された土も販売されている(写真撮影/Shinji Minegishi)

売店では、ガーデニングに関するグッズや、この庭園で有機栽培された野菜の苗や、プランター栽培で用いられるオーガニック堆肥が配合された土も販売されている(写真撮影/Shinji Minegishi)

農作業を手伝いながら、空きスペースでリサイクル素材を使って機織りをしているテキスタイルアーティスト(写真撮影/Shinji Minegishi)

農作業を手伝いながら、空きスペースでリサイクル素材を使って機織りをしているテキスタイルアーティスト(写真撮影/Shinji Minegishi)

使われなくなった墓石は、石畳用の石として再利用されるのが一般的。新しい使い道を模索する、一般公開のワークショップも開催されている(写真撮影/Shinji Minegishi)

使われなくなった墓石は、石畳用の石として再利用されるのが一般的。新しい使い道を模索する、一般公開のワークショップも開催されている(写真撮影/Shinji Minegishi)

墓地から農園へ。プリンツェシンネン庭園の目指すもの

ハンナさんは、スウェーデンとオーストリアで、人間生態学(Human ecology)を学んだ。大学のケーススタディでこの庭園を取材する機会があり、人間と自然、社会のつながりのあり方を発信する場として魅力を感じ、広報担当となった。

「こういった空間で得られる経験や人間関係が、これから社会における豊かさのひとつかもれしれない」と語るハンナさん(写真撮影/Shinji Minegishi)

「こういった空間で得られる経験や人間関係が、これから社会における豊かさのひとつかもれしれない」と語るハンナさん(写真撮影/Shinji Minegishi)

「この庭園は、わざわざ商業的な広告や宣伝をして、より多くの人々に活動に参加してもらう場所ではありません。口コミで存在を知って、自然と近所の人が集まればいい。コミュニティというものは、自然につくられるものだと思うのです。厳しいルールを設けず、時間や場所、作業と農作物をオープンにシェアできればいい、と考えています。

共同作業の日に収穫した野菜は、参加者が持って帰っていいことになっています。農作業に参加せず、野菜だけを取っていく人もいないわけではありません。公共の場所である以上、ある程度はそうしたことも起こるでしょう。しかし、たいていの場合、欲張る人はいないし、みんな必要な分だけ、少しずつ分け合って持ち帰っています。

こういった作業で得られる充足感と喜びを感じ、自律的に畑を運営できるコミュニティが形成できればいいのです。そのための機会と場所を提供し、サポートをするのが、社会における私たちの役目だと考えています」

厳密な作業シフトもなく、自由に作業に参加したり、休憩したり、おしゃべりをしたりしている。まるで公園で過ごすように思い思いの時間を楽しんでいる(写真撮影/Shinji Minegishi)

厳密な作業シフトもなく、自由に作業に参加したり、休憩したり、おしゃべりをしたりしている。まるで公園で過ごすように思い思いの時間を楽しんでいる(写真撮影/Shinji Minegishi)

「ここで取れた野菜は、一緒に農作業をした人と分け合います。農作業の日にぜひ一緒に作業しましょう!」と書かれた看板(写真撮影/Shinji Minegishi)

「ここで取れた野菜は、一緒に農作業をした人と分け合います。農作業の日にぜひ一緒に作業しましょう!」と書かれた看板(写真撮影/Shinji Minegishi)

墓地から農園としての土地再生というアイデアを実現したプリンツェシンネン庭園。創始者が11年前にアーバンファーミングを始めたとき、「なんて、おかしなアイデアだ」と言う人も少なく無かった、とハンナさんは語った。思えば、かつて農地であった土地が、都市部の拡大、墓地の荒廃という歴史を経て、再び農地に戻ったのである。今や、この墓地は、暗く荒れた、悲しい雰囲気の漂う場所ではない。

お墓に供えられる美しい切り花もある。一方では、お墓で新たに育てられた野菜が小さな花をつけている。手入れされ、人でにぎわい花咲く農園の様子を見た墓地参拝者たちにとっても、プリンツェシンネン庭園の誘致は素敵なアイデアであったようだ。

(写真撮影/Shinji Minegishi)

(写真撮影/Shinji Minegishi)

(文/Masataka Koduka)

●取材協力
・Prinzessinnengarten Kollektiv Berlin

「渋谷駅」まで電車で30分以内・家賃相場が安い駅ランキング 2020年版

東京有数の繁華街であり、大規模再開発が進む渋谷。昨年11月には駅前に新しいランドマークとなる複合施設「渋谷スクランブルスクエア」、同12月には、東急プラザ渋谷の跡地の商業施設「渋谷フクラス」内に40代以上を対象にした「東急プラザ渋谷」が開業し、従来の「若者の街」のイメージにとらわれない幅広い魅力を増している。その渋谷へアクセスがいいねらい目の街はどこだろうか。ワンルーム・1K・1DKを対象にした家賃相場が安い駅ランキングから考えてみた。●渋谷駅まで電車で30分以内、家賃相場の安い駅TOP14
順位 駅名 家賃相場(路線/駅所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 生田 4.80万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区/28分/2回)
2位 読売ランド前 5.10万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区/30分/2回)
3位 狛江 5.70万円(小田急線/東京都狛江市/23分/2回)
4位 向ヶ丘遊園 6.00万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区/23分/1回)
4位 和泉多摩川 6.00万円(小田急線/東京都狛江市/25分/2回)
4位 喜多見 6.00万円(小田急線/東京都世田谷区/21分/2回)
7位 久地 6.15万円(JR南武線/神奈川県川崎市高津区/23分/2回)
8位 戸田公園 6.50万円(JR埼京線/埼玉県戸田市/29分/0回)
8位 登戸 6.50万円(JR南武線・小田急線/神奈川県川崎市多摩区/22分/1回)
10位 つつじヶ丘 6.60万円(京王線/東京都調布市/26分/1回)
10位 菊名 6.60万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/26分/0回)
12位 成増 6.70万円(東武東上線/東京都板橋区/29分/1回)
12位 日吉 6.70万円(東急東横線・横浜市営地下鉄/神奈川県横浜市港北区/20分/0回)
14位 三鷹台 6.80万円(京王井の頭線/東京都三鷹市)25分/1回)
14位 新川崎 6.80万円(JR横須賀線・湘南新宿ライン/神奈川県川崎市幸区)19分/0回)

ねらい目は小田急線沿線の駅

ランキング上位は、所在地が川崎市多摩区の駅と、小田急線沿線の駅が目立った。1位の生田駅は、ランキング内で唯一の4万円台。快速急行や通勤急行は通過するが、準急の停車駅だ。

生田駅前(写真/PIXTA)

生田駅前(写真/PIXTA)

生田駅は明治大学生田キャンパスや聖マリアンナ医科大学の最寄駅であり、専修大学生田キャンパスなども近く、学生街の雰囲気も漂う。そうした学生向けの物件が豊富なことが、家賃が手ごろな理由のひとつかもしれない。大学生活をドロップアウトした青年が主人公の、滝本竜彦の人気小説や同作を原作にした漫画『NHKにようこそ!』の舞台になった街でもある。

23区内の駅でランキング入りしたのは、同率4位の喜多見と、12位の成増の2駅。喜多見は世田谷区で最も西に位置する駅で、各駅列車のみが停車する。

周辺は閑静な住宅街。駅の近くには下町の雰囲気あふれる「喜多見商店街」がある。盆踊りやイベントなども行われており(2020年は新型コロナウイルス感染予防のため中止)、地域に根差した暮らしが期待できそうだ。また、酒類の扱いが豊富な信濃屋やサミットストアなどのスーパーのほか、ニトリなどのホームセンターも近く、日常生活にも便利そうだ。

成増駅は副都心線直通で交通利便性が抜群

成増駅は、ランキング中唯一の東武東上線沿線駅。2016年の東京メトロ副都心線との相互直通により、渋谷へ乗り換えなしで利用できるほか、池袋や新宿、代官山など他の繁華街へも一本で行くことができる。駅のすぐそばには東京メトロ有楽町線・副都心線の地下鉄成増駅があり、交通利便性は抜群だ。

なりますスキップ村(写真/PIXTA)

なりますスキップ村(写真/PIXTA)

駅周辺には、南口の「なりますスキップ村(成増商店街)」や「成増南商店街」など複数の商店街がある。スキップ村はチェーンの飲食店が充実しているが、成増は、ファストフードの「モスバーガー」の創業の地。店舗は建て替えられているが現在も営業している。全国どこでも同じクオリティーの味が楽しめるのがチェーン店の魅力ではあるが、歴史を顧みればまた違った味わいを得られるかも。

埼京線・湘南新宿ラインの新ホームで埼玉方面の利便性向上

再開発が進んでいるのは、街だけでなく駅も同様だ。今年6月、埼京線・湘南新宿ラインの新ホームが供用され、これまで改札から離れていた同線のホームが山手線と隣になった。埼玉方面からのアクセスが向上しており、埼玉県が所在地の駅では戸田公園駅が8位にランクインしている。

戸田公園駅周辺は、落ち着いた住宅地で、駅周辺道路の整備が進み歩道も広い。大きな商業施設などはないが、快速の停車駅で、池袋や大宮へも約15分、新宿へは約20分と、繁華街へのアクセスは非常に良い。少し行くと駅と同名の公園がある。前回の東京オリンピックでボート競技も行われた日本最大規模の人工静水コースがあり、景観や競技にいそしむ人たちの姿を眺めるのも楽しそうだ。

戸田漕艇場(写真/PIXTA)

戸田漕艇場(写真/PIXTA)

渋谷は大きな繁華街だけに、都内だけでなく神奈川からも埼玉からもアクセスが良い。30分以内で行けるエリアも多いからこそ、同じような家賃相場であっても、周囲の環境などによる部屋選びの選択肢は多彩だ。ライフスタイルの中で重視するものは何をよく考えて、気に入る部屋を探したいものだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている渋谷駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2020/4~2020/6
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載
※所要時間には駅から駅への徒歩移動時間を含む。(例:大手町駅⇔東京駅間の移動距離など)

棚田をレンタル!? 気軽な農業体験で地域に根ざした交流を【全国に広がるサードコミュニティ8】

全国各地に、気軽に田んぼを借りて、通年で通いながら農業体験ができる「棚田オーナー制度」を設けている地域があります。岐阜県恵那市にある坂折棚田もその一つ。家族や友人同士で借りることができて、地元の方との交流もできると人気です。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。棚田オーナー制度とは?

みなさん、「棚田オーナー制度」ってご存じですか? 主に都会に暮らす人に田んぼのオーナーとなってもらい、耕作のお手伝いをしてもらいながら棚田の風景を保全していこうという制度です。普段、自然に囲まれた生活をしていない都会のファミリーが、子どもに自然に触れてもらう機会をつくるために参加したり、サークルの仲間同士で田んぼを借りて、定期的に通いながら地元の農家さんとのふれあいを楽しむ、そんな参加者側のメリットもあります。

1992年に高知県の檮原町で初めて取り組みがスタートし、いまや全国に広がっています。なかには一つの地域で100以上のオーナーを受け入れているところもあるそうで、今流行りの“二拠点居住”までは踏み切れないものの、「一度きりの観光では物足りない、もっとローカルと深く関わる体験をしてみたい」という方にはちょうどいい制度ではないでしょうか。

(画像提供/坂折棚田保存会)

(画像提供/坂折棚田保存会)

棚田オーナーになるためには?

今回は、名古屋から車で1時間ほどの距離にあり、東京からもアクセスしやすい岐阜県恵那市にある坂折棚田保存会・理事長の田口譲さんにお話を伺い、「オーナーになるにはどうすればいいの?」「農業体験だけでなく農泊や地元の人との交流はできるの?」など、棚田オーナー制度の仕組みや魅力について教えてもらいました。

「オーナーの方には年間4回来てもらう機会があります。5月に田植えをして、6月下旬に草取り。それから9月の終わりに稲刈りをして、最後にお米をお渡しする収穫祭があります。玄米を30kgお土産として渡します。草刈りの日の後、希望者には近隣を案内したりもしています」(田口さん)

募集は一年中行っているので、これから行われる収穫祭から参加することも可能。一区画で年間3万5000円が基本料金。グループでシェアするプランなどもあり、人数が多ければ多いほど一人当たりの金額が少なくなるので気軽に参加できます。田植えや稲刈りなどの農作業は保存会のメンバーや地元の農家さんの指導を受けて行うので、誰でもすぐに始められます。現在、坂折棚田では50ほどのオーナーさんがいらっしゃるそうですが、「将来的には100くらいに増やしたい」と田口さんは言います。

保存会理事長の田口譲さん(画像提供/坂折棚田保存会)

保存会理事長の田口譲さん(画像提供/坂折棚田保存会)

つながりを重視するオーナーたち

恵那市は名古屋からのアクセスがいいので、愛知県のオーナーさんが一番多く、また、オーナーの傾向としては定年退職した方か、子ども連れのファミリーの方が多いそうです。基本的に農業体験は日帰りになりますが、何年も継続してここへ通っている方は、来るたびに近くの宿泊施設に泊まって帰ったり、地元の農家さんと親戚付き合いのようになるまで仲良くなるなど、農業体験以外でも地域に深く関わっているそうです。

棚田オーナー制度はある意味、最近の言葉でいうと「関係人口」を生み出す仕組みと言えるのかもしれません。アンケートをとると、「とてもよかった」「継続してほしい」という意見が大半。でもなかには「もっと、来た人どうしで交流する機会をつくってほしい」という要望もあるそうで、農業体験だけではなく、普通に暮らしていては出会えない農家さんや、ここでしか出会えない人との交流を求めている人は多いのかもしれません。

坂折棚田保存会のホームページではこうした農業体験のみならず、里山・森林体験や味噌づくり体験のお知らせ、周辺の宿泊や飲食のお店紹介ページなども充実していますので、興味のある方はぜひチェックしてみてください。

保存会のホームページ

保存会のホームページ

棚田周辺の観光資源に目を向けてもらうために

約400年前に生まれた石積みの棚田は、日本の棚田百選にも選ばれており、フラッと観光で恵那市に訪れることがあるなら、一度は車を降りてこの光景を体験してほしいです。実は僕も一度、坂折棚田に訪れたことがあるのですが、扇状に広がる風景が壮大でとても気持ちがよかったのを覚えています。

「棚田の中を流れる坂折川上流部には、希少な植物が生育する湿地があり、農業文化の遺産である水車小屋など観光資源がたくさんあります。そういった所を散策してもらって、理解してもらうウォーキングコースも整備しています」(田口さん)

水田や棚田は放っておくと荒れていってしまうので、雑草を刈ったり、昔水田だったけれど、荒廃して林に戻ってしまった荒廃湿地を復活させる活動もしているそう。2003年には「第9回全国棚田サミット」の開催地となり、全国的にも知られつつある坂折棚田ですが、まだまだ関わる人を増やしていきたい理由はここにあります。

「生物文化多様性」という言葉がありますが、農村の自然や生態系は、そこに暮らし手を入れてきた人々の文化を育んでいきます。自然の豊かさに触発されるかたちで、多様で複雑な文化が生まれる。単に目の前にある風景を残していくだけでなく、そこで生まれた文化の多様性を保存することも大切なことだと感じます。そのためには、若い世代に文化を継承してもらう必要があります。

毎年6月には棚田の縁に灯籠を灯して、田の神様に田植えの報告と豊作を願う幻想的な「灯祭り」が開催されています。こうしたイベントも、まさに自然と人間がともに育んできた大切な文化の一つであり、守るべきものであると思います。そういう意味でも、一度きりの観光で訪れるのではなく、何度も通い、保存会の方々のお話しを聞いて、景観が守られてきた背景や歴史、そこから生まれた文化を深く知り、“他人事から自分ごと”にしてくれる関係人口を増やすことができる棚田オーナー制度は、双方にメリットがある有意義な活動だと言えるでしょう。

収穫の様子(画像提供/坂折棚田保存会)

収穫の様子(画像提供/坂折棚田保存会)

石積みの保存・修復もまた有志の手を借りて

400年の歴史を持つ坂折棚田の景観は、明治時代初期にはほぼ現在のかたちになりました。特に石積みの技術が高く、名古屋城の石垣を築いた石工集団「黒鍬(くろくわ)」の職人たちの手による美しい石積みもまた魅力の一つです。

「最初のころは、とにかく水田をはやくつくろうということで、適当に石を積んだので崩れるんですね。崩れると、直さにゃいかんということで、築城の技術を持った石積みの人たちが江戸時代に入ってやってきた。その後、昭和ごろになると相当プロの職人が育ってきた。それが今は失われてしまったので、“田直し”も私どもの重要な活動の一つです」(田口さん)

“田直し”の歴史は古く、1700年代ごろから盛んに行われていたようで、絶え間ない地元の人のメンテナンスを経て現在の風景ができているんですね。保存会では、こうした棚田の修復・保存の技術を継承する石積みを修復し保存する「石積み塾」という活動も行っています。石積み塾は棚田オーナー制度とは別に行っている活動で、自分で田んぼを直して使いたいという塾生が毎年全国から参加しにやってきます。本格的に石積みを学びたいというかたはぜひ応募してみてはいかがでしょうか?

(画像提供/坂折棚田保存会)

(画像提供/坂折棚田保存会)

国が推進する“都市と農村の交流事業”は全国各地で行われていますが、いわゆる一度きりの農泊体験などではなく、継続的によそ者と地元の人のつながりを生み出し、関わる人を増やしていくような活動がもっとたくさん生まれるといいなと思います。

僕たちはどうしても、広告やメディアが喧伝する「地方」イメージをすんなり受け入れて、地方を観光地として客体化し“消費する場所”と考えてしまいがちです。でも本当は観光客として関わるよりも、一つの地域に継続的に関わり“ここで暮らすこと”を想像できるくらいになったほうが、より深く、存分に地域の魅力を堪能することができると思うんです。その先に、“他人事から自分ごと”になる人が増えていくのだと僕は考えています。

故郷と暮らす場所以外で、近くに第三の居場所をつくりたい、友人とお金を出し合って農業体験コミュニティをつくりたいという方は、棚田オーナー制度を取り入れている地域の情報を取りまとめている「棚田百貨堂」というウェブサイトがありますので、そちらもチェックしてみてください。地域別の参加費や参加方法なども一覧でまとめられているのでオススメですよ。

●取材協力
恵那市坂折棚田保存会

コロナ禍で増える自転車のマナー違反! まちづくりと人に警鐘

コロナ禍で公共交通機関を避け、通勤も含めて自転車を利用する人が増えているようだ。一方で、近年の自転車ブームもあり事故も増加傾向に。安心して自転車に乗れる街づくりのために、何が必要なのか? 自宅から会社まで直接自転車で通勤する人を「自転車ツーキニスト」と呼び、そのスタイルを提唱。自転車に関する著述活動を行っている疋田智さんに話を伺った。
駐輪場や自転車通行帯等の整備は進んでいるのだが……

自転車産業復興協会によれば2020年6月の1店舗あたりの新車平均販売台数は前年同月比で+8.1台。1店舗につき前年同月より平均8台以上も売れているということ。コロナ禍で満員電車をはじめ公共交通機関を避ける動きが現れている一例だろう。

疋田智さん(写真提供/疋田智さん)

疋田智さん(写真提供/疋田智さん)

「確かに、日ごろから自転車通勤している私の体感として、自転車ユーザー(サイクリスト)は少し増えているように思います。それに比例するように、交通ルールを守らない人も目立つようになりました。これは、今まで自転車に乗っていなかった人が増えたからではないでしょうか」

そもそも2011年の東日本大震災を機に、サイクリストがグンと増えたと疋田さん。それを受けるかのように、2012年から警視庁(管轄は東京都)が「自転車ナビマーク・自転車ナビライン」の設置を開始するなど、自転車の通行帯を整備する動きが加速している。多くの人が車道の路肩や歩道内に、自転車が通行できることを示すマーク等を見かけるようになったのではないだろうか。

自転車の通行帯は、地方独自のものもあり、さまざまな種類がある。写真は警視庁(東京都)の「自転車ナビマーク・自転車ナビライン」(写真/PIXTA)

自転車の通行帯は、地方独自のものもあり、さまざまな種類がある。写真は警視庁(東京都)の「自転車ナビマーク・自転車ナビライン」(写真/PIXTA)

また駐輪場の整備も進んでいる。なかには定位置に自転車を置いて、ボタンを押すだけでそのまま地下に吸い込まれていく機械式駐輪システムもあり、「日本はハイテクだ!」と海外でも話題になったほどだ。東京都だけを見ると、山手線の駅はほぼ全てに地下駐輪場が設けられ、駅前の違法駐輪が随分と解消されている。

品川駅港南口(東口)にある地下駐輪場(こうなん星の公園自転車駐車場)。5基あり1020台収納可能。自転車に取り付けるICタグを機械に読み込ませて入庫させ、出庫時はICカードで操作する(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

品川駅港南口(東口)にある地下駐輪場(こうなん星の公園自転車駐車場)。5基あり1020台収納可能。自転車に取る付けるICタグを機械に読み込ませて入庫させ、出庫時はICカードで操作する(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「京都市も中心街の地下に大きな駐輪場を設置しています。過去には雨でも傘を差さず安全に運転できるよう100円でカッパを買えるような試みもしていて(現在は撤去済み)、現在も自転車ユーザーが快適に利用できるような施策を常に模索しています」。このように日本の駐輪環境は、進化しつづけていると言っていいだろう。

御射山自転車等駐輪場(写真提供/疋田智さん)

御射山自転車等駐輪場(写真提供/疋田智さん)

かつて雨具を販売する試みも行っていた(写真提供/疋田智さん)

かつて雨具を販売する試みも行っていた(写真提供/疋田智さん)

コロナ禍で見えてきた、日本の自転車環境の問題

一方で、ここ数年の自転車事故が全事故に占める割合は増加傾向にある。「サイクリストや車のドライバーを含め、日本人があまり自転車走行のルールをよく分かっていないことが原因だと思います」と疋田さん。
そこには日本人の「自転車観」が大きく影響しているという。そもそも自転車は「軽車両」。リヤカーや人力車などと同じカテゴリーの「車両」の1種であり、道路交通法では自動車などと一括りに「車両等」と表記される。また「車両等」であるから、原則は車と同様、車道の左側に寄って走ることと、道路交通法にも定められている。「世界的にも、車と自転車は同一方向を走ることが義務付けられています」

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

ところが多くの人は、「自転車は自動車と同じカテゴリーではなく、歩行者に近い存在の乗りものだと捉えています」。この認識のズレが、歩道を走ったり車道の右側を走るサイクリストが絶えない原因であり、交通事故を増やす要因の一つになっているのだ。

「え、でも自転車は歩道を走れるでしょ?」と思うかもしれないが、実は「一定の条件下」と道路交通法では定められているのだ。その一定の条件とは1.道路標識などにより通行できることが示されている歩道2.自転車の運転手が、児童や幼児、高齢者、障碍者など、車道を通行すると危険だと政令で定められた者であるとき3.政令で定められた場合以外でも、安全に走るためには歩道を走行してもやむを得ないと認められるとき、の3つ。しかも全ての場合で徐行が義務づけられている。とはいえ、あまり知られていないのが実情だ。

「まずは、自転車は車道を走る“車両”であるという認識から再スタートしないと、いつまでたっても事故は減らないのではないでしょうか」と疋田さんは警鐘を鳴らす。

京都市から見えてきた「自転車の乗りやすい街づくり」のヒント

ここまで見てきたように、日本のサイクリスト人口は確実に増え、駐輪環境は整備されつつあるものの、交通ルールの徹底がまだまだ行き届いていない。だからこそ自転車が関わる事故が、今後も増えてしまう危険がある。

もちろん、誰もが手をこまねいているわけではない。例えば京都市。2014年度を「自転車政策元年」と位置付け、さまざまな自転車の走行環境整備などを進めている。車道や歩道内の自転車の通行帯の多くは、例えば渋谷駅から六本木駅を結ぶ国道246号の路肩など、A地点からB地点を結ぶ“線”で設置されることが多いが、京都市の場合は「まずは〇〇通と〇〇通に囲まれた街区」というように、“面”で設置していると疋田さん。

京都の道路(写真提供/疋田智さん)

京都の道路(写真提供/疋田智さん)

(写真提供/疋田智さん)

(写真提供/疋田智さん)

色のついたエリアが京都市の自転車走行の環境が整備された箇所。このように「面展開」されている(画像出典:「京都市サイクルサイト」より)

色のついたエリアが京都市の自転車走行の環境が整備された箇所。このように「面展開」されている(画像出典:「京都市サイクルサイト」より)

「細い路地の多い街区なので、みんなが左側通行を守り、速度も出さない(出せない)ため事故も減りました。それを隣の街区、さらに隣へという具合に面展開しているのです」。設置された街区で頭でも体でもルールを覚えたサイクリストたちは、エリアが広がっても同様にルールを守るようになる。「ここ10年間の自転車に関する施策の中で一番のヒットだと思います」

また世界中のサイクリストから人気の高い「しまなみ海道」を擁する愛媛県では、2015年から県立高校で自転車通学する生徒のヘルメット着用を義務化。ここまでは他地域でも昔からよくある話だが、その際に、かつての白くて丸いヘルメットではなく、ロードバイク用の安全性や空力性、デザイン性を考慮したヘルメットを無償提供したこともある(2015年度。2016、2017年度は購入費用の一部補助)。「だから学生が、田舎くさく見えない。爽やかだし、カッコいいんです」

こうしたヘルメットで自転車に乗ることを覚えた高校生は、大人になっても「ヘルメット=ダサい」いう感覚がないため、大人になっても被り続けるようになると疋田さん。実際、疋田さんも参加している「自転車ヘルメット委員会」の2020年7月に実施した全国調査によれば、47都道府県でヘルメット着用率の1位は29%で愛媛県がトップだった。以下長崎県の26%、鳥取県の18%と続く。

ヘルメット装着によって実際に死亡事故が防がれている。なかには、追突された衝撃で頭部がフロントガラスにぶつかり、フロントガラスが割れるなどの事故が起こったが、ヘルメットをきちんとかぶっていたために、命を守ることができたそう(写真提供/愛媛県教育委員会)

ヘルメット装着によって実際に死亡事故が防がれている。なかには、追突された衝撃で頭部がフロントガラスにぶつかり、フロントガラスが割れるなどの事故が起こったが、ヘルメットをきちんとかぶっていたために、命を守ることができたそう(写真提供/愛媛県教育委員会)

自転車先進国には「車の進入禁止」エリアもある

海外からヒントを学ぶ方法もある。「自転車先進国とよく言われるのはデンマーク、オランダ、ドイツです。これらの国々には“ゾーン30”と呼ばれるエリアがたくさん設定されています」

ゾーン30とは歩行者から車まで、すべてが30km/h以内で移動しなければならないエリア。「そこではウサイン・ボルト(ロンドンオリンピック決勝時の最高速度は約45km/h)も全速力で走ってはいけないんです(笑)」

30km/h以下ならお互いが衝突を避けやすく、万が一ぶつかっても死亡事故に至る確率も低い。「さらに自家用車の進入を禁止したゾーン30もあります。例えばドイツのミュンスターやフライブルクなどがそうです。エリア内に住む人々の自家用車の駐車場はゾーン30の外に設定し、中に入れるのは物流用トラックと公共機関のバスだけ。おかげで交通事故や渋滞が減ったのはもちろん、空気がきれいになり、住民の健康寿命が延びて医療費が抑えられたという話も。ゾーン30にしたおかげでいくつもの果実を得られた例です」

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

ドイツ・ミュンスターにて。“ここから先は歩行者限定”ということを表す標識(写真提供/疋田智さん)

ドイツ・ミュンスターにて。“ここから先は歩行者限定”ということを表す標識(写真提供/疋田智さん)

日本にも住宅地を中心にゾーン30が設定されているエリアはいくつもあるが、自家用車まで規制しているところはない。

そもそも一定条件下とはいえ、歩道を通れるようになったのは、高度経済成長期の道路交通法の改正によるもの。当時の急激なモータリゼーションの高まりから、クルマの数が激増し、自転車との事故が増えた。このため自転車を緊急避難的に歩道に上げてしまった。要するに車道に自転車レーンを設けるインフラ整備が追いつかないための苦肉の策だったわけだ。

地震大国日本にとって自転車は強力な武器になる

しかも自転車環境を整備していくメリットは、事故を減らすだけはない。地震大国である日本にとって、自転車は減災の大きな武器になるようだ。「東京大学大学院(都市工学)にいたころ、構造計画研究所と共同で、宮崎県日南市を例に、地震による津波が発生した場合のシミュレーションを行ったのですが、自転車による避難がとても有効であることが分かりました」

日南市(写真提供/疋田智さん)

日南市(写真提供/疋田智さん)

日南市油津近くの海岸通り(写真提供/疋田智さん)

日南市油津近くの海岸通り(写真提供/疋田智さん)

それによると、25分以内に避難しなければならないと仮定した場合の避難完了率、つまり逃げ遅れが最も少ない順は、1位が欧州仕様の電動アシスト自転車(24km/h以上でもモーターがアシストしてくれる)で、次いで日本の電動アシスト自転車(24km/hまでモーターがアシストしてくれる)、普通の自転車、徒歩、車という順位になった。これは5つの手段の利用割合がいずれも20%としてシミュレーションした結果で、「車の利用率が十分低くて渋滞が起こらなければ一番早いのですが、渋滞が起こるほど交通量が増えると一番遅くなるのです」

シミュレーションの設定条件次第では上記の順位は変わるが、少なくとも自転車は徒歩より早く津波から逃げられる。地震大国日本の避難方法としては有効な手段だし、素早く避難するためにも、やはり交通ルールの徹底など自転車の利用環境の整備をすることは、減災に繋がると言えるではないだろうか。

それに自転車が走りやすくなれば、サイクリストも増えるだろう。それは健康な人が増える、ということでもある。疋田さんの例で言えば「84kgの体重が1年で67kgに減り、コレステロール値や中性脂肪値、尿酸値、空腹時血糖値などが、すべてC判定からA判定になりました」。健康な人が増えれば、医療費の抑制にも繋がる。

このように自転車環境を整えるということはメリットがたくさんある。では、今後日本で自転車環境を整えていくには、何が必要か。まずは、一見遠回りに思えるかもしれないが、自転車は車両である、という原点を再認識することから始めることではないだろうか。「そこから左側走行をはじめとした原則を再確認すれば、交通ルールの徹底や、自転車環境整備も進みやすくなり、事故も減ると思います」。自転車先進国だけでなく、日本にとって多くの果実を生む可能性のある自転車。丁寧にその環境を育てる時期にきているようだ。

●取材協力
疋田智さん
1966年生まれ。自転車で通勤する人=「自転車ツーキニスト」NPO法人自転車活用推進研究会理事、学習院生涯学習センター非常勤講師、某TV局プロデューサーも兼ねる。メールマガジン「週刊自転車ツーキニスト」は2006年の“メルマガオブザイヤー”総合大賞を受賞。
>疋田智の週刊自転車ツーキニスト

京都市
「京都市サイクルサイト」
愛媛県

立川駅前の進化がすごい! 「GREEN SPRINGS」で街がどう変わる?

かつて広大な飛行場が広がっていた立川。再開発が進められるなか、駅近くに残されていた巨大な空地が気になっていた方も多いのでは? 2020年4月、ついにそのエリアに大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープン。従来の立川のイメージを覆す洗練された空間に、子どもから大人まで多くの人が日々訪れている。歴史とともに変わり続けてきた立川のまちは、どこに向かっていくのだろうか?
米軍基地跡だった空き地に、緑豊かな「街」が誕生

新宿から中央線で約26分。都心からのアクセスに恵まれ、駅近くには緑豊かな国営昭和記念公園が広がるこの街は、かつて「基地のまち」だった。

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

大正時代に整備され、立川駅周辺に広がっていた「立川飛行場」は、1970年代まで米軍基地として使用されていた。立川は長い間、戦争のイメージと切っても切り離せない街だったのだ。

ところが平成に入ると、街は徐々にその姿を変える。土地区画整理事業や駅前の再開発により、大型商業施設やデパートなどが次々とオープン。上空を多摩都市モノレールが走る光景は、街の発展を印象づけた。

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

そして来たる2020年4月、残されていた駅北側の約3.9haの広大な空き地に、大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープンした。

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「ウェルビーイングタウン」をコンセプトとする同施設には、店舗や飲食店のほかに、2500席規模のホール「TACHIKAWA STAGE GARDEN」や、日常遣いできる都市型リゾートの「SORANO HOTEL」、保育園、オフィスなどが配置されている。単なる商業施設ではない、人が暮らす「街」を意識したテナント構成が特徴だ。

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ。(写真/片山貴博)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる。(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる(写真/片山貴博)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

歩いていると、点在するアート作品や遊び心のある演出が目を楽しませてくれた。よくある郊外の大規模商業施設のような既視感がないのは、こうした細部へのこだわりに、施設の個性が表れているからかもしれない。

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

新型コロナの影響で、4月のオープニングイベントは全て中止に 。しかし平日の夕方に高校生が訪れておしゃべりを楽しんだり、カスケードで水遊びをしたりするようになり、彼らの口コミから、 徐々に評判が広がった。 以前は立川駅からIKEAに向かう人々が通り過ぎるだけだったエリアが、現在では多くの人でにぎわっている。取材日は平日の昼間だったが、子ども連れのファミリーや若い女性が多く訪れていた印象だ。

この「GREEN SPRINGS」の開発を先導したのが、立川市のほぼ中央に約98万平方メートルもの土地を所有する、株式会社立飛ホールディングスだ。

1924年設立の立川飛行機を前身とし、戦後は不動産賃貸業を中心に事業を展開してきた同社が、地域社会に対する貢献へと舵を切ったのは2012年。グループ再編を経て、村山正道さんが代表取締役社長就任したことがそのきっかけとなった。

村山社長は、昭和48年(1973年)に立飛ホールディングスに入社。代表取締役社長に就任するまでの33年間、一貫して経理を務めてきた村山社長は、地域貢献に対する思いを次のように語った。

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

「かつての当社は、敷地を万年塀で囲うような閉鎖的な会社、地域に開かれているとは言えませんでした。でも私は、土地とは単なる資産ではなく社会資本なのだから、それを所有している以上、地域に対する責任を果たさなくてはならないとずっと考えていました」

村山社長の率いる立飛ホールディングスは、意思決定の速さを強みに、この8年で数々のプロジェクトを展開してきた。2015年12月の「ららぽーと立川立飛」を皮切りに、日本最大のフェイクビーチ「タチヒビーチ」、スポーツ大会やイベントで利用できる「アリーナ立川立飛」「ドーム立川立飛」などがオープン。街づくりを通じた社会貢献を意識しているからこそ、商業施設一辺倒ではない、多様な事業を誘致してきた。特に、街の文化振興への思いは強い。

「世界的に見ても、歴史上長く栄えてきたのは芸術・文化の街です。立川を、買い物ができるだけではなく、音楽などの芸術やスポーツを楽しめる街にしたいんです。今はなんでもオンラインでできると言われていますが、やはり生で見たときの刺激や学びは大きい。特にこの街で育つ子どもたちには、そうした環境を提供したいですね」

いま郊外の街の多くは、商業施設を中心とした再開発により、どこも同じような 印象だ。そんななか、立川はオリジナルな発展を遂げているように見える。参考にしている街はあるかと村山社長に問うと、「どこかの真似をしている感覚はない」と即答だった。

「立川には立川の街の歴史があり、独自の文化があります。それはほかのどの街とも、似て非なるものです。地域独自の文化を前面に押し出したまちづくりをすれば、街の魅力が上がり、結果的に住みたい人や働きたい人が増えると考えています」

「GREEN SPRINGS」には、ところどころ飛行場のモチーフが散りばめられている。街の歴史を大切にする立飛ホールディングスのこだわりが垣間見えた。

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

子ども時代のイメージが一変。立川は「変化を受け入れるまち」

変わっていく立川を、住民はどんな気持ちで見つめているのか。立川エリアで生まれ育った、あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さんにお話を聞いた。

岩崎さんは1995年に同組合の理事会に参加。2011年から代表理事として地域のさまざまな活動に携わっている。岩崎さんは活動を通じて、街の歴史の深さを知るとともに、立川ならではの良さに気づいたという。

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

「立川には特別有名な観光名所があるわけではありませんが、面白い施設が駅前の狭いエリアにぎゅっと詰まっています。専門店や百貨店、家電量販店、映画館、劇場、スポーツ施設、サブカルチャーや芸術関係の施設など。自然と触れ合える国営昭和記念公園もあります。新型コロナの影響で遠くに行きづらい時期だからこそ、徒歩圏内にこれだけの楽しみがあるのは一層魅力的に感じますね」

笑顔で語る岩崎さん。しかし意外なことに、子ども時代にはあまり立川にいいイメージを抱いていなかったという。
 
「親には、駅の北側(現在GREEN SPRINGSがあるエリア)には行くなと言われていました。昔その辺りは米軍基地でしたから、基地の方を相手にしていた大人なお店も多かったんです」

それが平成に入り、立川はみるみるうちに変貌を遂げる。再開発が進むにつれ、昔ながらの街並みが失われたことを嘆く住民もいた。しかし岩崎さんは、「今の立川の方が断然いい」とすっきりした表情だ。

「ずいぶんにぎやかになりましたよ。街が大きくなったと感じます。人口は昔からほとんど変わっていませんが、立川には昼間働きにきたり、遊びにきたりする『昼間人口』が多いんですね。居住人口が今後増えることは考えにくいので、関わってくれる人を増やすのは、街が存続していくために大切なことです」

昼間人口の増加とともに、人が訪れるエリアも広がっている。かつては「良くなったのは駅前だけ」と卑下する人もいたそうだが、GREEN SPRINGSは立川駅から徒歩8分。駅からは少し離れた場所にある。岩崎さんの言うように、街の大きさは確実に広がっており、それとともに、街全体に活気がもたらされているのだ。

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

「若い人が関わりたいと思ってくれる、魅力ある街であってほしいですね。立派な施設ができても、建物自体はいずれ古くなります。街が発展し続けるためには、やる気のある人がチャレンジしやすい環境が必要です。幸い立川には、よそ者を拒むような地域性がありません。昔から何でも受け入れる街なんです。懐を広く保っておくことが、立川の未来のためには大事なことだと思いますね」

変化を拒まず、受け入れる。日本の人口減少が止まらない中、立川の歴史は、郊外の街が発展し続けるための一つの方向性を示しているように見えた。

●取材協力
GREEN SPRINGS
立飛ホールディングス
立川市の歴史

立川駅前の進化がすごい! 「GREEN SPRINGS」で街がどう変わる?

かつて広大な飛行場が広がっていた立川。再開発が進められるなか、駅近くに残されていた巨大な空地が気になっていた方も多いのでは? 2020年4月、ついにそのエリアに大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープン。従来の立川のイメージを覆す洗練された空間に、子どもから大人まで多くの人が日々訪れている。歴史とともに変わり続けてきた立川のまちは、どこに向かっていくのだろうか?
米軍基地跡だった空き地に、緑豊かな「街」が誕生

新宿から中央線で約26分。都心からのアクセスに恵まれ、駅近くには緑豊かな国営昭和記念公園が広がるこの街は、かつて「基地のまち」だった。

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

大正時代に整備され、立川駅周辺に広がっていた「立川飛行場」は、1970年代まで米軍基地として使用されていた。立川は長い間、戦争のイメージと切っても切り離せない街だったのだ。

ところが平成に入ると、街は徐々にその姿を変える。土地区画整理事業や駅前の再開発により、大型商業施設やデパートなどが次々とオープン。上空を多摩都市モノレールが走る光景は、街の発展を印象づけた。

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

そして来たる2020年4月、残されていた駅北側の約3.9haの広大な空き地に、大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープンした。

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「ウェルビーイングタウン」をコンセプトとする同施設には、店舗や飲食店のほかに、2500席規模のホール「TACHIKAWA STAGE GARDEN」や、日常遣いできる都市型リゾートの「SORANO HOTEL」、保育園、オフィスなどが配置されている。単なる商業施設ではない、人が暮らす「街」を意識したテナント構成が特徴だ。

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ。(写真/片山貴博)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる。(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる(写真/片山貴博)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

歩いていると、点在するアート作品や遊び心のある演出が目を楽しませてくれた。よくある郊外の大規模商業施設のような既視感がないのは、こうした細部へのこだわりに、施設の個性が表れているからかもしれない。

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

新型コロナの影響で、4月のオープニングイベントは全て中止に 。しかし平日の夕方に高校生が訪れておしゃべりを楽しんだり、カスケードで水遊びをしたりするようになり、彼らの口コミから、 徐々に評判が広がった。 以前は立川駅からIKEAに向かう人々が通り過ぎるだけだったエリアが、現在では多くの人でにぎわっている。取材日は平日の昼間だったが、子ども連れのファミリーや若い女性が多く訪れていた印象だ。

この「GREEN SPRINGS」の開発を先導したのが、立川市のほぼ中央に約98万平方メートルもの土地を所有する、株式会社立飛ホールディングスだ。

1924年設立の立川飛行機を前身とし、戦後は不動産賃貸業を中心に事業を展開してきた同社が、地域社会に対する貢献へと舵を切ったのは2012年。グループ再編を経て、村山正道さんが代表取締役社長就任したことがそのきっかけとなった。

村山社長は、昭和48年(1973年)に立飛ホールディングスに入社。代表取締役社長に就任するまでの33年間、一貫して経理を務めてきた村山社長は、地域貢献に対する思いを次のように語った。

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

「かつての当社は、敷地を万年塀で囲うような閉鎖的な会社、地域に開かれているとは言えませんでした。でも私は、土地とは単なる資産ではなく社会資本なのだから、それを所有している以上、地域に対する責任を果たさなくてはならないとずっと考えていました」

村山社長の率いる立飛ホールディングスは、意思決定の速さを強みに、この8年で数々のプロジェクトを展開してきた。2015年12月の「ららぽーと立川立飛」を皮切りに、日本最大のフェイクビーチ「タチヒビーチ」、スポーツ大会やイベントで利用できる「アリーナ立川立飛」「ドーム立川立飛」などがオープン。街づくりを通じた社会貢献を意識しているからこそ、商業施設一辺倒ではない、多様な事業を誘致してきた。特に、街の文化振興への思いは強い。

「世界的に見ても、歴史上長く栄えてきたのは芸術・文化の街です。立川を、買い物ができるだけではなく、音楽などの芸術やスポーツを楽しめる街にしたいんです。今はなんでもオンラインでできると言われていますが、やはり生で見たときの刺激や学びは大きい。特にこの街で育つ子どもたちには、そうした環境を提供したいですね」

いま郊外の街の多くは、商業施設を中心とした再開発により、どこも同じような 印象だ。そんななか、立川はオリジナルな発展を遂げているように見える。参考にしている街はあるかと村山社長に問うと、「どこかの真似をしている感覚はない」と即答だった。

「立川には立川の街の歴史があり、独自の文化があります。それはほかのどの街とも、似て非なるものです。地域独自の文化を前面に押し出したまちづくりをすれば、街の魅力が上がり、結果的に住みたい人や働きたい人が増えると考えています」

「GREEN SPRINGS」には、ところどころ飛行場のモチーフが散りばめられている。街の歴史を大切にする立飛ホールディングスのこだわりが垣間見えた。

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

子ども時代のイメージが一変。立川は「変化を受け入れるまち」

変わっていく立川を、住民はどんな気持ちで見つめているのか。立川エリアで生まれ育った、あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さんにお話を聞いた。

岩崎さんは1995年に同組合の理事会に参加。2011年から代表理事として地域のさまざまな活動に携わっている。岩崎さんは活動を通じて、街の歴史の深さを知るとともに、立川ならではの良さに気づいたという。

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

「立川には特別有名な観光名所があるわけではありませんが、面白い施設が駅前の狭いエリアにぎゅっと詰まっています。専門店や百貨店、家電量販店、映画館、劇場、スポーツ施設、サブカルチャーや芸術関係の施設など。自然と触れ合える国営昭和記念公園もあります。新型コロナの影響で遠くに行きづらい時期だからこそ、徒歩圏内にこれだけの楽しみがあるのは一層魅力的に感じますね」

笑顔で語る岩崎さん。しかし意外なことに、子ども時代にはあまり立川にいいイメージを抱いていなかったという。
 
「親には、駅の北側(現在GREEN SPRINGSがあるエリア)には行くなと言われていました。昔その辺りは米軍基地でしたから、基地の方を相手にしていた大人なお店も多かったんです」

それが平成に入り、立川はみるみるうちに変貌を遂げる。再開発が進むにつれ、昔ながらの街並みが失われたことを嘆く住民もいた。しかし岩崎さんは、「今の立川の方が断然いい」とすっきりした表情だ。

「ずいぶんにぎやかになりましたよ。街が大きくなったと感じます。人口は昔からほとんど変わっていませんが、立川には昼間働きにきたり、遊びにきたりする『昼間人口』が多いんですね。居住人口が今後増えることは考えにくいので、関わってくれる人を増やすのは、街が存続していくために大切なことです」

昼間人口の増加とともに、人が訪れるエリアも広がっている。かつては「良くなったのは駅前だけ」と卑下する人もいたそうだが、GREEN SPRINGSは立川駅から徒歩8分。駅からは少し離れた場所にある。岩崎さんの言うように、街の大きさは確実に広がっており、それとともに、街全体に活気がもたらされているのだ。

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

「若い人が関わりたいと思ってくれる、魅力ある街であってほしいですね。立派な施設ができても、建物自体はいずれ古くなります。街が発展し続けるためには、やる気のある人がチャレンジしやすい環境が必要です。幸い立川には、よそ者を拒むような地域性がありません。昔から何でも受け入れる街なんです。懐を広く保っておくことが、立川の未来のためには大事なことだと思いますね」

変化を拒まず、受け入れる。日本の人口減少が止まらない中、立川の歴史は、郊外の街が発展し続けるための一つの方向性を示しているように見えた。

●取材協力
GREEN SPRINGS
立飛ホールディングス
立川市の歴史

移住や二拠点生活は“コワーキングスペース”がカギ! 地域コミュニティづくりの拠点に

新型コロナウイルス感染症拡大にともない、テレワークが急速に浸透した。地方移住への関心も高まっているなかで注目を集めているのが、全国で数を増やしている地方のコワーキングスペース。働く場所としてだけでなく、地域コミュニティの拠点や移住相談の場としての側面もあるようだ。
長野県富士見町にある「富士見 森のオフィス(以下「森のオフィス」)」運営者の津田賀央さんにお話を伺った。

移住者がいても、「つながり」がなければ何も生まれない

「富士見 森のオフィス」は、2015年12月、八ヶ岳の麓・長野県富士見町にオープンした複合施設だ。コワーキングスペースを中心に、個室型のオフィスや会議室、さらには食堂やキッチン、シャワールーム、森に囲まれた庭やBBQスペースも備える。2019年には宿泊棟「森のオフィスLiving」もオープン。サテライトオフィスやテレワーク拠点として、また地域住民の“公民館”的スペースとして、都市部と富士見を行き来する人・地域に暮らす人をつなぐ拠点になっている。

富士見町が進める移住促進施策「テレワークタウン計画」の一貫としてオープンした施設だが、当初、計画内にコワーキングスペースのオープン予定はなかったという。

一軒家を事業主へ安価に貸し出すなどの施策を中心としていた当初の計画に対し、「人と人のつながりを生む場」の必要性を主張し、具体的なプランを提案したのが、当時はまったく富士見町と無縁だった津田さんだ。

津田賀央さん Route Design合同会社代表。2015年、富士見町に家族で移住。週に3日は東京を拠点に活動する二拠点生活者。「森のオフィス」の運営をはじめ、コミュニティー・スペース立ち上げのコンサルティングや地域商品の企画開発などさまざまなプロジェクトに携わる(画像提供/津田賀央さん)

津田賀央さん
Route Design合同会社代表。2015年、富士見町に家族で移住。週に3日は東京を拠点に活動する二拠点生活者。「森のオフィス」の運営をはじめ、コミュニティー・スペース立ち上げのコンサルティングや地域商品の企画開発などさまざまなプロジェクトに携わる(画像提供/津田賀央さん)

「良い計画だけど、まだあまり本格化してなさそうだな、と思ったんです。せっかく移住してきた人がいても、その地域でつながりができなければ何も生まれないだろうなと」(津田さん)

津田さん自身は神奈川県横浜市の出身だ。都内の大手企業でオフィスワークをしていたが、リンダ・グラットンの著書『ワークシフト』を読んで「働き方」についての考えが変わった。「これからはどこにいても働ける時代が来る」と直感した。

移住を検討していた最中、富士見町のテレワークタウン計画を知り、その数十分後には担当者へ連絡。津田さんの提案は富士見町の担当者に歓迎され、プロジェクトリーダーとしての参画が決まった。

八ヶ岳の麓にある「森のオフィス」。元は大学の保養所だったそう(画像提供/津田賀央さん)

八ヶ岳の麓にある「森のオフィス」。元は大学の保養所だったそう(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」で「つながり」が生まれる理由

「森のオフィス」オープンから5年。当初はWEBデザイナーなどクリエイターが多かった利用者の層も、今はかなり多様になっているという。

「フリーランスの方だけでなく、会社員の方も増えていますね。プログラマー、エンジニア、デイトレーダー、事務、会計、プロジェクトマネージャー、大学の研究者やアウトドアのアクティビティスクール運営者などもいらっしゃいます」(津田さん)

単に作業場として活用している人もいるが、やはり「つながりを求めて」来る人が多いそう。
「漠然と“何かやりたい”“面白い人とつながれたら”という気持ちを持って来られている方、この場を利用して自分の人生に前向きな変化を生み出したい、というメンタリティを持った方が多い印象です」(津田さん)

実際に、この場からは3年間で120以上のプロジェクトが生まれている。
元マスコミ系企業に勤めていた人と動画クリエイターがつながって、八ヶ岳のローカルメディアをつくるチームが立ち上がったり、お弁当屋さんをやりたいという利用者がコワーキングスペース内のキッチンで営業をはじめたり。さらにその人と農家やデザイナーがつながってビジネスが広がっていったケースもあるとのこと。

利用者の変化に合わせ、津田さんは「つながり」のつくり方も日々考え続けている。
「会社員の中には副業が禁止されていて、プロジェクトへの参加が難しい方もいます。今後はライフワークや趣味をベースにつながれるような取り組みもしていきたいですね」(津田さん)

(画像提供/津田賀央さん)

(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」のアウトドアスペース。BBQやマルシェなどのイベントも催される(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」のアウトドアスペース。BBQやマルシェなどのイベントも催される(画像提供/津田賀央さん)

広告はほとんど利用しておらず、利用者は口コミで集まってくるという。

「“共感”がベースにあると思います。森のオフィスがはじまった2015年当時は、二拠点居住やリモートワークがまだまだ珍しいものでした。身近な例が無いから、想像もしづらかったと思います。なので、僕自身が森のオフィスを通じて実現したいワークスタイル、ライフスタイルを体現してきたつもりです。最初はそれに共感する人が集まってきてくれて、その人がまた新しい人を連れてきてくれた。

共感が共感を呼んで、人が人をつれてきた。結果、さまざまな知恵やスキルが集まって、プロジェクトを生み出せるようになった。そのプロジェクトを起点に、さらにつながりが広がって、深くなっていく。そんな風に、コミュニティが大きくなっていきました」(津田さん)

利用者同士をつなぐ仕掛けや仕組みがあるのだろうか。そう津田さんに尋ねると、「仕組みと言えるものはないんですよね」と笑う。

「森のオフィス」のコワーキングスペース(画像提供/山田智大さん)

「森のオフィス」のコワーキングスペース(画像提供/山田智大さん)

「かなり地道で属人的ですが、スタッフが意識して“仲人さん”をしているんです。移住促進を目的につくられた施設なので、『どこから来たんですか』とか『ご家族は?』とか、会話の中で利用者のプロフィールを聞いて、会員同士の共通点を見つけるようにしている。例えば『カレーが好き』と聞けば、『誰々さんもカレー好きって言っていましたよ』と伝えるとか、とにかくつながるきっかけをつくるようにしています」(津田さん)

もともとつながりを求めてやってくる人が多いが、なかでも縁を広げていける人に特徴があるとすれば、「特技と強い好奇心を持っている人」、特に後者が重要だと津田さんは語る。

「例えば、オフィスの利用者に元大手PCメーカーの修理エンジニアの方がいるんですが、すごい人気者なんですよ。PCやデジタル機器で何か困ったことがあるとみんな彼に聞くから。
でもそれだけじゃなくて、相談に乗るときに一緒にごはんを食べたり、修理するときに家に遊びに行ったり、逆に招いたり、その機会を活かしている。相手に対する興味を持って接しているんですよね。その方は移住して半年ほどで本当にいろんな方とつながって、今では森のオフィスにその方を訪ねて来る方もいらっしゃいます」(津田さん)

地方は「働く場と生活の場が同じ」。だから関係が育ちやすい

「森のオフィス」のように、個性的なコワーキングスペースは長野県内だけでも増えているという。津田さんがいくつかの例を教えてくれた。

まずは塩尻エリアにある『スナバ』。イノベーション創出を主目的とした施設で、『森のオフィス』より、「ビジネスを生み出す」という色が強い印象だ。長野県が進める移住支援制度「おためしナガノ」とも連携しており、実際に「スナバ」を利用してビジネスを進める移住者もいる。
「行政職員の方が運営しているコワーキングスぺ―スですが、いい意味で“行政っぽさ”を裏切る柔軟さがあって、素敵なコミュニティが生まれているようです」(津田さん)

「スナバ」のコワーキングスペース(画像提供/スナバ)

「スナバ」のコワーキングスペース(画像提供/スナバ)

続いて松本の『SWEET WORK』。「パンの香りのするコワーキング」というキャッチコピーの通り、老舗ベーカリーが運営している。会員はパン食べ放題、というこちらもユニークな施設だ。利用者は国籍も職業もさまざまだが、懇親会などのイベントもあり、会員同士の雑談からゆるやかなコミュニティが生まれている。

都内のコワーキングスペースづくりにも携わる津田さんは、地方と都市部それぞれのコワーキングスペースの違いを「働く場と生活の場の距離」だと話す。

「地方は働く場と生活の場がほぼ同じなんですよね。利用者同士の家も近い。外食の選択肢も限られるから、行った先で知り合いに会うし、誰かの家で食べることも多い。家をリフォームしたいとか、田んぼを探しているとか、利用者同士が生活の相談で仲良くなることも多いです。だから関係の育ち方に違いが出るんじゃないでしょうか。

都市部のコワーキングスペースで働いた後に一時間半かけて自宅に帰るのとは違う。地方のコワーキングスペースは“生活”そのもの。“生活の場”と“仕事の場”の“顔が同じ”なんです。

だからこそ、地方でつながりをつくりたいと思ったら、コワーキングスペースを使うことが突破口になるのかもしれないですね」(津田さん)

異なる背景やスキルを持つ仲間をつくり、自分を変化させる

新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、「森のオフィス」も一時休館せざるを得なくなった。その時は「今までつくった文化がなくなってしまうのではと不安になった」という津田さん。しかし5月の運営再開後、新規登録者や見学者、移住相談の問い合わせは増えているそう。結果的に“時代が追い付いた”ということなのかもしれない。

「“人生100年時代”と言われています。寿命が延び、働く期間が長くなるなかで、僕たちの世代は60代・70代になっても、新しいスキルを身に付けないといけない。そのためには、自分自身がこれまで持っていた慣習や常識を都度捨てて、“次”に向き合う必要がある。でも、ひとりだと難しいですよね。
そんなときに、同じ意思を持ちながらも自分とは違うバックグラウンドやスキルを持った仲間がいることで、自分を変化させやすくなると思うんです。

実際、富士見に移住してくる方も、ひと昔前みたいに“仕事をリタイアして余生を過ごす”みたいな方ばかりではないです。“人生100年時代”に、連続的に自分を変えていかないといけないなかで、刺激を求めてやってくる人が増えていると感じます。自分や周囲の既成概念から脱するという意味でも、移住は良い方法なんじゃないでしょうか。

僕自身も、仕事と生活を軸に、既成概念や慣習を疑って、変化を促す取り組みを続けることで、自分自身を変え続けたい。そんな思いで、『森のオフィス』の運営を続けていきたいと思っています」(津田さん)

「森のオフィス」の外庭を使った“アウトドアオフィス”での会議風景(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」の外庭を使った“アウトドアオフィス”での会議風景(画像提供/津田賀央さん)

地方コワーキングスペースを「きっかけ」に

地方では、「暮らし」と「仕事」が同じ空間にある。だからこそ、コワーキングスペースという存在が地域とつながる突破口になりうる。
少し前まで、「仕事の刺激(都会)」と「豊かな生活環境(地方)」はトレードオフの関係と捉えられていたように思う。だが、状況は変わってきた。「森のオフィス」のような場を活用することで、どちらも手に入れることは可能になりつつある。
気になる地域と関係を持ちたい、何か新しいことにチャレンジしてみたいという人は、こうした場を活用することから始めてみるのも良いかもしれない。

●取材協力
富士見 森のオフィス
スナバ

宮下公園が生まれ変わった! 進化する渋谷の新たな魅力を探ってみた

渋谷ストリームに渋谷パルコ、渋谷駅構内……続々と再開発の産声があがり、近ごろ勢いにのっている渋谷。そんな渋谷に公園×商業施設×ホテルが一体となった「MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク)」がオープンしました。そこで、ミヤシタパークがどういう背景を持ってリニューアルしたのか。関係者に話を聞きながら、施設の印象や渋谷の新たな魅力などをお伝えしたいと思います。
全長約330mの“低層複合施設”に。生まれ変わったミヤシタパークとは?

渋谷の象徴的スポットでもあった宮下公園をリニューアルし、ショッピングに食べ歩き、スポーツまで、世界中から訪れてもらうことを目指した最新のカルチャースポットに生まれ変わったミヤシタパーク。出店する商業施設はなんと約90店舗! なかでも日本初出店が7店舗、商業施設に初めて出店するのは32店舗と今までになかったお店も多くあります。

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

原宿方面へつながる北街区には、ラグジュアリーをはじめファッションブランドのお店が中心。南街区はカフェやファッションなど、さまざまなジャンルの店舗が集合しています。また、お酒好きには「渋谷横丁」は見逃せません。全国各地のご当地料理を楽しみながら楽しいひとときが味わえます。

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

憩いスポットである屋上の公園スペースは、渋谷ストリートの象徴として親しまれてきたスケート場やボルダリングウォールに加え、サンドコート仕様の多目的運動施設を新設。その反対側には渋谷の空を横切る約1000平米の芝生ひろばが広がっており、自由気ままにくつろげる憩いの場として、誰もが活用できるレジャースポットになっています。都会のど真ん中ながら、緑に囲まれた屋外でくつろいだり、スポーツを楽しめるなんてあまりないですよね!

「スターバックス コーヒーMIYASHITA PARK店」。海外のガソリンスタンドからインスパイアされたデザインだとか(写真撮影/竹治昭宏)

「スターバックス コーヒーMIYASHITA PARK店」。海外のガソリンスタンドからインスパイアされたデザインだとか(写真撮影/竹治昭宏)

渋谷のカルチャーを支えた、リニューアル前の宮下公園

1970年代からずっと若者文化の中心地であり続けた渋谷。渋谷といえば、若者文化と消費文化のまちといったイメージです。特に1990年代には「渋谷系」と呼ばれる若者文化や109を中心としたギャル文化が花開くことになり、ファッションや音楽などのトレンド発信地として憧れだった人も多いのではないでしょうか。そのなかで宮下公園はヒップホップやサブカルチャーの発信地でもありました。

「リニューアル前の宮下公園は1階に駐車場があり、2階に公園がありましたが、建築基準法が改正される前の1967年に建築されているので、もともと耐震上に課題があり、かつ樹木が成長して年々悪化する状況にありました。このことを改善する必要があったんです」と話すのは、公園を管理する渋谷区土木部公園課の明石真幸さんです。

改修前の宮下公園(画像提供/PIXTA)

改修前の宮下公園(画像提供/PIXTA)

リニューアルにあたって目指したのは、幅広い層を呼び込むこと

こうした宮下公園の負のイメージを払拭しようと渋谷区とタッグを組んだのが、日本橋再生計画や東京ミッドタウン、柏の葉スマートシティなど、全国でさまざまな街づくりを行ってきた三井不動産です。商業施設本部アーバン事業部の芦塚弘子さんはこのプロジェクトで目指したことを次のように語ります。

「20~30代をメインターゲットに、30~40代の渋谷カムバック層を取り込むことを考えました。公園と連動したスポーツショップや飲食店を中心に、トレンド最先端のラグジュアリーブランドから日本の流行を世界に発信するような店舗、フードホールや横丁型飲食店舗など、ここでしか体験できないような時間消費型空間の提供を目指しました」(芦塚さん)

実際、改修後は公園のイメージが一新! これまで存在したスケートカルチャーや公園ならではのコミュニケーションポイントをうまく発展させ、世界に誇れるような公園になったといっても過言ではありません。

渋谷駅方面の入口。その前に置かれた彫刻『きゅうちゃん』は渋谷駅前に鎮座する『忠犬ハチ公』の遠い親戚です(写真撮影/竹治昭宏)

渋谷駅方面の入口。その前に置かれた彫刻『きゅうちゃん』は渋谷駅前に鎮座する『忠犬ハチ公』の遠い親戚です(写真撮影/竹治昭宏)

リニューアルで増す、ミヤシタパークの存在感

従来のイメージを払拭し、“発信力を持った公園”へと進化を遂げたミヤシタパーク。訪れる人が思い思いに過ごせ、楽しさを発見できるような“にぎわいの場所”を目指しているといいます。

その言葉どおり、「ショッピング利用はもちろん、屋上のボルダリングウォールやスケート場の利用など、オープンしたばかりですが、以前より確実に来園者は増えています」(明石さん)とのこと。

確かに屋上のプレイスポットは言うまでもなく、ニューヨーク発のストア「KITH(キス)」の日本初となる旗艦店をはじめとするショッピングスポットの数々。またショッピングだけでなく、全国のご当地グルメが楽しめる横丁や三井不動産グループの次世代型ライフスタイルホテル「sequence(シークエンス)」など、目新しいだけでなく、遊ぶ、買う、食べる、の3拍子がそろった新たなカルチャーは大人が楽しめる“遊び場”として申し分なしでしょう。

ミヤシタパークは都心にありながら、緑が感じられる環境。と同時に、ラグジュアリーブランドが立ち並び、若者カルチャーを発信するショップがあり、異なる文化がぶつかる刺激的かつ稀有(けう)な場所と言えます。それは本来持っていた宮下公園の本質に他ならないのでは? 当時青春時代を過ごしていた人はもちろんのこと、新世代の若者にとっても楽しめる、そんな場所になったのではないでしょうか。

北は北海道、南は沖縄まで、日本全国の産直食材や郷土料理、B級グルメ、ソウルフード、ご当地ラーメン、餃子、空揚げや元力士がつくる力士めしが楽しめる全19店!流しやDJなどのイベント、全国のご当地ママが登場する喫茶スナックなど、毎日がフェスのエンタメ横丁(画像提供/渋谷横丁)

北は北海道、南は沖縄まで、日本全国の産直食材や郷土料理、B級グルメ、ソウルフード、ご当地ラーメン、餃子、空揚げや元力士がつくる力士めしが楽しめる全19店!流しやDJなどのイベント、全国のご当地ママが登場する喫茶スナックなど、毎日がフェスのエンタメ横丁(画像提供/渋谷横丁)

公園の利用者にも話を聞いてみました。

「ファッションや飲食はもちろん、それにプラスして、屋上にはスタバがあり、スケボーやビーチバレー、ボルダリングなどを楽しめる開放的な広場が広がっていて、とても気持ち良さそうです。1階の横丁はいろいろなエリアの飲食が楽しめるというので、コロナ禍が落ち着いたらハシゴ酒を楽しみたいですね」(来訪者の声)

筆者自身もリニューアル前は、「また同じような商業施設ができるなんてつまらない……」そんなふうに思っていました。昔の温度感のある公園がなくなってしまったのは残念で、やはり均一化されてしまったなぁという印象はあるものの、入っているテナント等にひねりがあって「昔のカルチャーをバックボーンに持ちながら、すごくイマドキな感じのスタイルを追求しているな」と感じました。

公園と街づくりというと、2016年4月に全面リニューアルした南池袋公園も公園の再開発で街が大きく変わった事例といえるでしょう。開放された緑の芝生広場を開放し、公園施設の一部にはおしゃれなカフェレストランを併設。開園当初から多くの人を引き付け、園内ではマルシェなど各種イベントも頻繁に開催されているといいます。

家族のくつろぎや地域交流といったイメージからほど遠かった池袋が変わったように、ミヤシタパークのオープンとともに渋谷の街も、今まで以上に大人が楽しめる“遊び場”として今後も盛り上がりを見せていくに違いないでしょう。若者の街から全方向へとターゲットを広げた渋谷の街。今後どのようにしてさらなる街の発展を目指すのか、ますます目が離せません。

●取材協力
・MIYASHITA PARK
※東京都の新型コロナウィルス感染拡大防止のため、当面はショップ11時~21時、レストラン・フードホール11時~23時で営業 ※一部店舗は異なる場合があるため、最新の営業時間等は公式HPで確認を(2020年9月8日時点)

・三井不動産
・渋谷区土木部公園課

カレー好きの集まりがビジネスと暮らしのつながりへ。6curryの仕組みがおもしろい!【全国に広がるサードコミュニティ7】

カレーを食べながら交流する、会員限定の“コミュニティキッチン”があるって知っていますか?職業や肩書きにとらわれず、さまざまなメンバーがMIXされるユニークなイベントが、リアル店舗とオンライン上で日夜繰り広げられています。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。6curryとは?

恵比寿と渋谷に、カレーを食べながら会員同士で交流する、招待制・会員制のコミュニティキッチン「6curry」があります。月額3980円で、1日1杯のカレーが無料で食べられるほか、キッチンを使って1日店長になれる権利が与えられたり、日々、キッチンで開催される会員限定イベントに参加することができます。コロナの影響もあり、6curryのウェブショップで買えるレトルトカレーをお得にもらえる、キッチンに行けない人向けのホームデリバリープランも最近スタートしました。

カレーというのはあくまで人が集まるための口実に過ぎず、6curryでは会員がはじめたさまざまな“部活”が繰り広げられています。カレーをみんなでつくって競い合うカレーバトルや、コロナ以降は週に1度オンライン上で集まって、喋りながらパンを焼くパン部も生まれました。会員が企業ブランドとコラボして商品を開発する、なんてことも。現在、会員は約400名。飲食店ともコワーキングスペースともちょっと違う、不思議なコミュニティスペースに成長しています。

6curry恵比寿店(写真提供/6curry)

6curry恵比寿店(写真提供/6curry)

6curryが生まれたのは、SNS上での何気ないやりとりからでした。現在の株式会社6curry代表の高木新平さんが「カレーを使って何か面白いことはじめませんか?」と自身のFacebookでつぶやいたのをきっかけに、ただただカレーが好きな人たちがゆるく集まって議論を交わす日々が続きました。

店舗を持たないゴーストレストランとしてスタート

そんななか、ある女性が、「カロリーを気にせず、またスパイスの香りが服につくのを気にせず食べられるカレーがほしい」と提案したことをきっかけに、カップ入りのカレーの開発をスタート。野菜がたくさん乗っていて糖質的にも安心なカレーが生まれました。こうして出来上がった商品をUberEATSで販売するゴーストレストランをオープン。店舗を持たないカレー屋さんとして、オープン当時は各種メディアに取り上げられるなど話題となり、事業として上々のスタートを切ることができました。

6curryがプロデュースしたカップカレー(写真提供/6curry)

6curryがプロデュースしたカップカレー(写真提供/6curry)

その後、リアル店舗のオープンを目指しクラウドファンディングをスタート。無事に資金が集まり、1店舗目の恵比寿店をオープン。こうして現在の会員制コミュニティキッチンのかたちが出来上がります。現在、6curryブランドプロデューサーを務めるもりゆかさんは、当時を振り返りこう語ります。

「カレーを考案する6curryLAB(ラボ)というのを立ち上げて、みんなで議論しながらカップカレーを開発したのですが、数を販売することよりも、カレー好きな人たちがラボというかたちでゆるく集まり、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながらつくる“プロセス”のほうが楽しかったと気づいたんです。そこでUberEATSでの販売を停止して、カレーをきっかけにみんなで語り合える場所をつくろうと実店舗のオープンに踏み切りました」(もりゆかさん)

カレーを開発するプロセスこそが重要だと気づいた

もりゆかさん自身、クラウドファンディングの時期から関わり始め、プロジェクトページのテキストの編集だけでなく、運営の仕組みづくりなどにも関わるようになって、いつの間にかコアメンバーになってしまったそうです。「6curryをつくっていく過程が私自身、すごく楽しかった」ともりゆかさんは語ります。

6curryブランドプロデューサーのもりゆかさん(写真提供/6curry)

6curryブランドプロデューサーのもりゆかさん(写真提供/6curry)

それもそのはず、6curryは会員と運営という関係がシームレスで、ともに6curryというプロジェクトをつくり上げる“メンバー”なのです。実際、6curryのnoteの記事を書いたり、キッチンのコミュニケーションをどうするかという、実質的な運営会議でもある「6curryLAB」に参加して「ソフトドリンクを普及させるにはどうしたらいいだろう」と議論したり、「ノンアル派向けのラインナップを増やすにはどうすればいいだろう」ということを考えるラボに参加したりなど、より深く運営サイドにコミットする会員もいます。ある意味、“生徒会”のような場所が用意されているのです。

6curryの現在の社員は代表の高木さんを除いてたった4名。恵比寿と渋谷のそれぞれの店舗に、コミュニティメンバーとフロントで関係づくりを行う「コミュニティクリエイター」と、6curryのカレーを全てプロデュースする「カレープロデューサー」、ブランドのクリエイティブ全般に関わる「ブランドデザイナー」、そしてコミュニティ運営周りを一手に担う「ブランドプロデューサー」のもりゆかさんです。「会員の方が主体的に関わってくださるので、4人で運営している感覚はないですね」ともりゆかさん。

「カウンターのはしっこ」が生み出すコミュニティ

コロナの影響もあってか、現在はオンラインでの交流がメインの活動になっています。しかし、オンラインでのコミュニティ運営には難しさもあります。対面で積極的に話したいメンバーと、顔を見せたくない、発言もしたくないメンバーと、ニーズに濃淡があります。そこで6curryではDiscordというアプリを導入しています。

「もともとはZoomでオンラインキッチンを試したんですが、Zoomだと全員がおしゃべりの最前線に出ちゃうじゃないですか。“自分の関わりたい関わり方”を提供するにはどうすればいいかという課題があって。Discordなら音声だけ、テキストだけで参加します、ということもできる。参加の仕方を選べるのがいいなと思っています」(もりゆかさん)

カウンターのはしっこがつながりを促進する※画像はDiscordの様子(写真提供/6curry)

カウンターのはしっこがつながりを促進する※画像はDiscordの様子(写真提供/6curry)

6curryのDiscordには複数のチャンネルがあって、「カウンターのはしっこ」というチャンネルがあります。これは実店舗でもそうなのですが、イベントに顔を出して積極的に人と話すことは苦手だけど、カウンターのはしっこに座ってたまたま隣になった人となら話せる人もいる。そういう場所をつくりたいという思いからスタートしたそうです。すると実店舗で一度も会ったことのない人たちが毎晩22時ごろに10人くらいで集まって、恋話の進捗報告をするなど、密かな盛り上がりを見せているそうです。

複数の職を掛け持ちする“スラッシャー”がかき混ぜる

実店舗自体も、カレーを食べにくるだけの場所ではありません。カレーは10分や20分で食べ切ることができるので、食べるだけではコミュニティは生まれません。そこで6curryでは、初めての人がひとりぼっちにならないために、招待制を取っています。すでにコミュニティに馴染んだメンバーに連れられていけば、既存の会員と溶け込みやすいからです。招待制を取ることで、場を乱す「クラッシャー」もやってこないというメリットもあるそうです。当然、会員の中には、コミュニケーションが得意な人と不得意な人がいます。また、恵比寿・渋谷という場所柄か複数の職業を掛け持ちしている会員が多いのが6curryコミュニティの特徴です。

「肩書きにスラッシュ(/)が入るという意味で私たちは『スラッシャー』と呼んでいます。会社員かつダンサー、デザイナー兼イラストレーターとか。そういう人たちは会員同士のスキルをつなげるのも得意。今度お店をオープンするという人がいたら、ウェブサイトをつくれる人がいますよ、と紹介したり。実際、そのお店がオープンすると、私たちの会員でいっぱいになったということもありました」(もりゆかさん)

ファッションブランド「LEBECCA boutique」と6curryのコラボ企画(写真提供/6curry)

ファッションブランド「LEBECCA boutique」と6curryのコラボ企画(写真提供/6curry)

そんなカレーを通じたコミュニティづくりをミッションにする6curryでは、企業に出向いてカレーをつくるイベントなども請け負っています。最近では、6curryのメンバーと「LEBECCA boutique」がコラボし、オリジナルのワンピースを販売したのをきっかけに、ファッションブランド「LEBECCA boutique」のスタッフと一緒にカレーワークショップを開いたことも。これも、「スラッシャー」が多い6curryコミュニティの強みなのかもしれません。

離脱率0パーセントは正解じゃない

スラッシャーの人たちは、「自分の生き方を自分で選んでいる人」でもあると言えます。渋谷や恵比寿周辺で仕事をしている会社員の方が6curryの会員になって、「普通の会社で普通に生きてきたけど、ここで色んな生き方の人たちに会って、もっと自分の人生を生きてみたいと思いました」と言われたことが、いままでで一番うれしかった、ともりゆかさんは話します。

「代表の高木の言葉ですが、『新しい生き方を選んだ人が、孤独にならなくて済む場所をつくりたい』と。そういうコミュニティをつくりたくて6curryがスタートしたところもあります。リアルな場や集まりよりも、人と人の関係性にフォーカスしているのが私たちの事業の特徴だと思います」(もりゆかさん)

6curry渋谷店(写真提供/6curry)

6curry渋谷店(写真提供/6curry)

6curryは渋谷・恵比寿という実店舗を持つ関係から、さいたまなど少し離れた会員はどうしてもリアルでの交流が難しい面もあります。現在はコロナの影響もあって、実店舗でも一日20名限定にしているということもあり、リアル・オンラインを併用したコミュニティ運営は重要な課題です。また、最近、オンラインサロンやサブスクモデルのシェアサービスが増えつつありますが、会員の離脱率も事業を成り立たせるうえで死活問題だと言えます。

「とはいえ、離脱率が0%なのもよくないと思います。『皆で、皆が主人公になる場をつくる』というビジョンを掲げているので、最終的に、自分の人生の主人公として一歩踏み出すことができたら、卒業するのもありなんじゃないかと。むしろ居心地良すぎて、ずっと同じところで停滞するほうが良くない。もちろん皆さんにいていただきたい気持ちはありますけど、流動性は生み出していきたいです」(もりゆかさん)

コミュニティ運営には、その拠点がある地域との関係性は重要なファクターの一つだと思います。6curryも渋谷・恵比寿に店舗を構えていることもあって、今後は、周辺の地域に暮らす人々に開かれたサービスも展開したいと考えているそうです。

僕自身、自社で運営しているWEBマガジン「EDIT LOCAL」の新サービスとして、「EDIT LOCAL LABORATORY」というオンラインコミュニティを昨年から始めたのですが、テーマが「ローカル」というのもあって、結局は顔を合わせてのリアルなコミュニケーションが、コミュニティを推進する重要なポイントだということを日々感じています。コロナウイルスの影響で、リアルでの交流が難しい現在、場に縛られないコミュニティ運営のノウハウは、新しく事業を始める人や企業にとって、重要なテーマだと思います。コロナを経ても活発に会員同士の交流から活動を生み出す6curryから、私たちが学べることは多いのではないでしょうか。

●取材協力
6curry

無人駅で地域活性! グランピング施設、カフェ、クラフト工房などへ

今、JR東日本が無人駅を使って地域を活性化する取り組みを進めている。今年の2月には、上越線土合駅(群馬県みなかみ町)にサウナやグランピング施設などを設置した取り組みが話題になった。JR東日本グループはなぜ無人駅の活用に積極的に取り組んでいるのか? その狙いと効果について、JR東日本スタートアップの隈本伸一さんと佐々木純さんにお話を伺った。
4つの無人駅活用プロジェクトが進行中

JR東日本管内には約1600の駅があり、そのうちの約4割を無人駅が占める。JR東日本にとっては“遊休資産”とも呼べる無人駅。清掃や駅舎の修繕など維持管理費はかなりの額に上るが、JR東日本スタートアップの隈本さんによると、問題はコストだけではないそうだ。

「無人駅の周りには、往々にして地域のにぎわいがありません。せっかく空いているスペースや躯体があるので、これらを活用して地域のためになる活動をしたい思いは、以前からありました」

JR東日本グループが進行している無人駅活性化プロジェクトは現在、全部で4つ。それらは全て、オープンイノベーションの推進を目的とした「JR東日本スタートアッププログラム」から生まれたものだ。つまり、JR東日本グループの単体ではなく、ベンチャー企業などとのコラボレーションによって進められている。

「無人駅の活用に関しては、ベンチャー企業から提案を受けたり、逆に我々から提案することもありました。プロジェクトの選定基準は、『JR東日本グループとのシナジーが生み出せるか』『新規性があるか』『事業継続性があるか』の3点です。今取り組んでいる4つの事例はこれらを満たし、加えて地域のためにやるべきと判断されて実施にいたりました」

それでは4つの事例を順番に見ていこう。

1 山田線上米内駅(岩手県盛岡市)×漆

漆の産地として知られる盛岡市。地元の一般社団法人次世代漆協会と連携し、駅舎を漆をテーマにした施設にリニューアルした。カフェスペースや漆器の販売施設、作業のできる工房などを設置して今年の4月29日にオープン。資金はCAMPFIREと連携しクラウドファンディングより募った。

(写真提供/JR東日本スタートアップ

(写真提供/JR東日本スタートアップ)

同施設は地元メディアに大きく取り上げられ、4~5月は100人が訪れる日もあったそう。桜の名所の近さも幸いし、4~7月の3カ月間で約2865名もの人が来訪し、大きなにぎわいを見せた。現在も営業中だ。

リニューアル前(写真提供/JR東日本スタートアップ)

リニューアル前(写真提供/JR東日本スタートアップ)

リニューアル後(写真提供/JR東日本スタートアップ)

リニューアル後(写真提供/JR東日本スタートアップ)

一般社団法人次世代漆協会代表理事の細越確太さんによると、市内・市外問わず多くの方が訪れ、中には繰り返し訪れる方もいるという。

「この取り組みを始めてから、わざわざ上米内に来てくださる方が増えました。地域活性化を課題に感じている人のなかには、駅を利用した活動に共感してくださる方も多く、新たな連携の芽が生まれつつあると感じます」

本プロジェクトを担当した隈本さんは、「別の建物ではなく、駅でやることに意味があった」と振り返る。

「地元の方と話す中で、駅は地域の人にとって想像以上にシンボリックな存在だと分かりました。電車の乗り降りを繰り返し、思い入れのある場所になっていくのだと思います。地域活性化に無人駅を使うメリットは単なるコスト抑制だけではなく、自然と人が集まる点や、地域の人たちの協力を得やすい点にあると感じました」

上米内の漆器(写真提供/JR東日本スタートアップ))

上米内の漆器(写真提供/JR東日本スタートアップ)

こうした地域活性化のプロジェクトは、地元の人たちの理解が欠かせないと、隈本さんは続ける。

「今回のプロジェクトは、地域住民の方に『自分たちの住む地域は漆が有名』だと若い人たちに知ってもらう目的もありました。地域の人たちに働きかけるのに、駅という場所はぴったりです。地域活性化を大きな流れにするためにも、いかに地域住民の方にアピールするかが重要だと思います」

2 上越線土合駅(群馬県みなかみ町)×グランピング

上りホーム改札のある駅舎から下りホームまで、地下に462段の階段が続き、「日本一のモグラ駅」として知られる土合駅。グランピング施設の運営などを手がけるVILLAGE INC.と連携し、土合駅を地域の情報発信拠点にする試みを行った。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

駅前の空きスペースにサウナやグランピング場、宿泊施設を設け、駅舎内には切符売り場を改装しカフェを設置。クラフトビールの提供や工芸品づくりワークショップ開催など、地元企業との連携も実現。今年の2~3月にかけて行った実証実験では宿泊予約が満席となり、現在は秋の正式オープンを目指して準備を進めている。

宿泊施設「モグラハウス」(写真提供/JR東日本スタートアップ)

宿泊施設「モグラハウス」(写真提供/JR東日本スタートアップ)

(写真提供/JR東日本スタートアップ)

(写真提供/JR東日本スタートアップ)

グランピング場(写真提供/JR東日本スタートアップ)

グランピング場(写真提供/JR東日本スタートアップ)

カフェは2020年8月8日に正式オープンした(写真提供/JR東日本スタートアップ)

カフェは2020年8月8日に正式オープンした(写真提供/JR東日本スタートアップ)

3 常磐線小高駅(福島県南相馬市)×地域コーディネーター

地方創生プロジェクトを数多く手がける一般社団法人Next Commons Lab(NCL)と協業し、小高駅舎を改装してコミュニティの場を創出するプロジェクト。地域の課題を解決する創造的人材を育成するとともに、旅をしながら地域で仕事ができるインフラや環境を構築して、関係人口の創出・拡大につなげるのが狙いだ。

駅員が使用していたスペースを改装し、都市と地域の起業家や起業をサポートする人が集まる場や、小高駅を利用する学生の交流の場をつくる予定。小高駅に駐在しコーディネーターとして活動する「民間駅長」を現在募集している。

常磐線小高駅の駅舎内の待合スペース(リニューアル後)(写真提供/JR東日本スタートアップ)

常磐線小高駅の駅舎内の待合スペース(リニューアル後)(写真提供/JR東日本スタートアップ)

4 信越本線帯織駅(新潟県三条市)×ものづくり

洋食器や金属加工など、ものづくりの街として知られる燕三条地域に位置する帯織駅を、ものづくり交流拠点「EkiLab(エキラボ)帯織」としてリニューアルするプロジェクト。町工場と連携して“ものづくりのアイディアを形にできる場所”を目指している。クラウドファンディングを手がけるベンチャー企業CAMPFIREとの連携により、この場をクリエイターとして利用する会員や資金を募るなどした。

駅舎横の駐車場に新設する工場には、CADを使えるパソコンや3Dプリンターなどを設置。会員は基本施設を自由に利用できるほか、デザイン・設計ソフトのオンラインセミナーやワークショップを受講できる。ものづくりの相談窓口として、燕三条地域の職人や企業の紹介・マッチングにも対応していく。今年10月開業を目標に現在準備中。

EkiLab帯織 施設(イメージ)(写真/CAMPFIREのプロジェクトページより)

EkiLab帯織 施設(イメージ)(写真/CAMPFIREのプロジェクトページより)

EkiLab帯織でできること(イメージ)(写真/CAMPFIREのプロジェクトページより)

EkiLab帯織でできること(イメージ)(写真/CAMPFIREのプロジェクトページより)

無人駅活用のバリエーションは無限大

グランピングからものづくり拠点まで、プロジェクトのバリエーションが富んでいるのは、ベンチャー企業や地元企業などの協業相手のおかげだと、佐々木さんは振り返る。

「無人駅活用の取り組みをJR東日本単体でやろうとすると、どうしてもアイデアが出てこなかったり、偏ったりすると思います。でも今回は、秘境地域を宿泊施設に変えるのが得意なVILLAGEさん、コミュニティづくりに長けたNCLさん、クラウドファンディングで働きかけるのが上手いCAMPFIREさん、地元の企業・団体の方々など、色々な得意分野のある方たちと組めたおかげで、これだけの多様性が生まれました。無人駅の活用バリエーションは、本当に無限だと思います」

面白いアイデアを実現するために大切なポイント。それは「協業先の良さを最大限に生かすこと」だと、隈本さんは言う。

「弊社の役割は、JR東日本側と協業先の橋渡しです。相手がベンチャー企業さんの場合にはできるだけ自由にやっていただきたいと思っています。JRと組む上でいろいろ我慢されてしまうと、せっかくの個性が消えてつまらないアイデアになってしまいますから」

JR東日本グループ内は、新たな取り組みを始めやすい空気になりつつあるという。

「当社ではスタートアッププログラムを開始して今年で4年目なので、ベンチャー企業との協業が社内にも浸透してきました。無人駅以外のプロジェクトも年間で20個ほど走っています。今後も無人駅が関わるものもそうでないものも含めて、新しい取り組みがどんどん生まれてくると思います」

最後に今後の方針について聞くと、2人とも「無人駅活用の事例を蓄積して、社内外に広めていきたい」と話してくれた。自分たちの事例を参考に、無人駅を活用して地域活性化をしようと考えるプレーヤーが増えてくれたら。そんな思いとともに、今も一つひとつのプロジェクトを丁寧に形にしている。

上米内駅の事例では、駅舎を使ったことで「地域で新たな連携の芽が生まれた」との声が聞かれたように、駅は単なる「電車を乗り降りする場所」以上の意味を持つようだ 。その価値に気づいたいま、これからも想像を超える地域活性化の取り組みが無人駅から生まれることを、期待せずにはいられない。

●取材協力
駅舎内喫茶「mogura」

エコな移動が地域を救う? グリーンスローモビリティ全国で広まる

ポルシェがスポーツカーの「電気自動車」を販売するほど、乗りものが地球に優しくなっていくなか、2018年度から、国土交通省は特定の電気自動車を使った自治体への支援事業を開始している。その目的は? 反響は? 国土交通省総合政策局環境政策課の多田佐和子さんに話を伺った。
「グリーンスローモビリティ」とは?

今年100歳を迎えたおばあさんをはじめ、高齢者たちの楽しそうな声が聞こえてくる。7人乗りの「グリーンスローモビリティ」からだ。高齢者の交通手段や地域活動への参加等を目的に、2019年の10月末から11月末までの約1カ月間にかけて、国土交通省から千葉県松戸市へ無償貸与された、この見慣れない乗りもの。窓がなく、電気自動車だからエンジン音もしないため、乗員の笑い声のほうがよく響く。20km/h未満の低速で、のんびりと、友人とのおしゃべりを楽しみながら街を幾度も移動した。

松戸市の実証実験で使用したのはヤマハ製の7人乗りカート。今年度100歳を迎えられた百寿者(センテナリアン)が乗車した際の記念写真(写真提供/千葉県松戸市)

松戸市の実証実験で使用したのはヤマハ製の7人乗りカート。今年度100歳を迎えられた百寿者(センテナリアン)が乗車した際の記念写真(写真提供/千葉県松戸市)

たった1カ月間の実証運行だったにも関わらず、地元ではこの乗りものを讃えるオリジナルソング『グリスロ賛歌』が生まれ、地域の方々が合唱して、新聞をはじめとしたマスコミに取り上げられた。昔は「オラが村に鉄道が通った!」と、初開通の折には村を挙げて踊りや歌を披露した自治体がよくあったが、それに近い感情なのかもしれない。

国土交通省では、2018年度から「グリーンスローモビリティの活用検討に向けた実証調査支援事業」を行っている。グリーンスローモビリティ(以下グリスロ)とは「20km/h未満で公道を走る4人乗り以上の電動パブリックモビリティ」のこと。電気自動車の技術が急速に進んだことで生まれた、新しい乗りものだ。2020年の6月17日現在で、55地域でグリスロの走行実績がある。

電気自動車なので環境に優しいのはもちろん、自動車より低速だから、万が一何かにぶつかっても大きな事故になりにくく、小型車両のため狭い道もスイスイと走れる。高齢者がよく利用している1人乗りのハンドル付き電動車いす(シニアカー)と比べて、多人数で移動できるほか、シニアカーと同様に窓ガラスやシートベルトがなくてもいいから、オープンカーのように開放感がある。

国土交通省の実証実験では、「ゴルフカート(定員:4人もしくは7人):最大2台」または「eCOM‐8(定員:10人):最大1台」のグリスロ車両が用意されている。先述の松戸市は上記「小型自動車」の7人乗りを使用(写真提供/国土交通省)

国土交通省の実証実験では、「ゴルフカート(定員:4人もしくは7人):最大2台」または「eCOM‐8(定員:10人):最大1台」のグリスロ車両が用意されている。先述の松戸市は上記「小型自動車」の7人乗りを使用(写真提供/国土交通省)

一方で普通の自動車と比べてデメリットとなるのが、窓がないため、雨の日はエンクロージャー(ビニール製シートなどの囲い込むもの)が必要なことや、エアコンが使えないこと。厳冬下では膝掛けなど対策が必要だ。またスピードが遅く、1回の充電で走れる距離が短い電気自動車だから、長距離輸送には向かない。だから単純に「廃止された路線バスの代わりに」というわけにはいかないのだ。

「低速」で道路を走るなら、他の車の邪魔になるなど、交通の妨げになるのではないか?と国土交通省の担当者である多田さんに意地悪な質問をぶつけてみたが「一人ひとりが一台ずつ車やシニアカーに乗るのと比べ、多人数乗車によって交通量を抑えやすくなりますし、運転手に“安全に他車に追い抜かれる方法”など安全な運転技術を、講習でレクチャーしています。運行主体も、なるべく交通の妨げにならないような運行ルートを検討していますし、ルートは事前に警察等に連絡するなどしていることもあり、今のところ事故は一度もありません」という。

(写真提供/国土交通省)

(写真提供/国土交通省)

そもそも、こうしたメリット・デメリットを踏まえた上で、「既存の交通機関を補完する新たな輸送サービスとして、地域住民のラスト/ファーストワンマイル(※)や観光客向けの新しいモビリティ、地域のにぎわい創出などの活用」の可能性を調査するべく、グリスロの支援事業は始まった。簡単にいえば、既存の乗りものに、グリスロが加わることで、地域にどんなうれしい変化を起こせるのかを探るためだ。
(※)鉄道の駅やバス停などから目的地への最終移動、またその逆で自宅からの移動

「支援の申請は各自治体が行います。それぞれの地域でグリスロにはどんな活用法が期待できるか、車両を購入する前に無料で借りてテストすることで、今後事業化する際にどんなニーズや課題があるのかなどを考察することができます」と多田さん。

グリスロなら、もしかしたら自分たちの地域の課題を解決できるのではないか。そう考えた各自治体が応募し、2018年度は5地域、2019年度は先述の松戸市を含む7地域が選ばれた。

グリスロは、高齢者の生きがいに繋がる?

では応募した自治体は、どんなグリスロの活用方法を検証したのだろう。先述の松戸市の場合「加齢などにより移動に不自由を感じている方々の社会参加を促進し、それにより地域活動がより活性化できるか」をテーマに実証を調査したという。その結果が先述の通り。オリジナルソングまで生まれて合唱まで行ったのだから、「社会参加」や「地域活動の活性化」については一定の効果があることが分かったといえそうだ。

東京都町田市では4人乗りのゴルフカート型グリスロを2台使って事業化がスタート。地域住民らでつくる「鶴川団地地域支えあい連絡会」への事前登録が必要(登録料は年間500円)(写真提供/モビリティワークス)

東京都町田市では4人乗りのゴルフカート型グリスロを2台使って事業化がスタート。地域住民らでつくる「鶴川団地地域支えあい連絡会」への事前登録が必要(登録料は年間500円)(写真提供/モビリティワークス)

実証実験を終え、既に事業化をスタートしている例もある。東京都町田市では、社会福祉法人悠々会が運行団体となって2019年12月から自家用有償旅客運送として運用をスタート。4人乗りのゴルフカート型の2台のグリスロが、多摩丘陵に位置する鶴川団地と、丘の下の商店街とを結ぶ。利用料金は年間500円。一見、グリスロによって高齢者が坂の上り下りをしなくても買い物に行ける、と思いがちだが、「実は利用する高齢の方々はあまり買い物に困ってはいませんでした。今ならスーパーの配送サービスをはじめ、買い物にはいろんな手段があるからでしょう」と多田さん。

ではなぜ高齢者はグリスロに乗るのだろう。「グリスロで出掛けること自体に意味があるようです」。グリスロに乗って出掛ければ、顔なじみの運転手さんやお客さんに会える。窓のない開放的な車内でみんなとおしゃべりを楽しみ、笑顔を咲かせる。用事を済ませて、また楽しく皆で戻る。また明日、晴れたら。そんな感じのコミュニティの場として、グリスロがあるようだ。「島根県松江市のほうでも、同様の事業化が2020年4月から始まりました。こちらは当初運賃が無料だったのですが、利用者のほうから『無料では申し訳ない』と申し出があり、結局午後の運行のみ1日100円となりました」

さらにグリスロは、普通の車よりも運転が簡単で速度も出ないため、正しい研修を受ければ、地域のシニアボランティアや障害をもつ人が運転手になることもできる。そうなれば地域の担い手としての生きがいにも繋がる。

(写真提供/社会福祉法人 みずうみ)

(写真提供/社会福祉法人 みずうみ)

世界中で高齢化が進んでいるが、中でも日本の高齢化率は、現在世界一だ(65歳以上の人口比率が世界で最も高い)。高齢によって足腰が弱ると、どうしても外に出るのが億劫になりがちだし、一人暮らしともなればなおさらだ。だからといって外に出ないとさらに筋肉が衰えて、ますます出不精になり……と悪循環に陥ってしまう。この負のサイクルを断ち切る方法の1つに、グリスロがなれるのではないだろうか。グリスロが、地域住民の健康寿命を延ばす仕掛けになれるのでは? ちなみに紹介した町田市も松江市も、運営主体は社会福祉法人。地域の高齢者事情をよく分かっている人々だからこそ、グリスロのこうした利用価値に気づいたのだろう。

観光による町おこしやスマートシティのパーツとして?(写真提供/広島県福山市)

(写真提供/広島県福山市)

もう1つ、グリスロの事業化例として紹介したいのが、広島県福山市だ。同市には景勝地として有名な「鞆の浦」や「福山城」などがある。一方で、瀬戸内海に面した同市は狭い道や急峻な坂道が多い。だから「小型」「低速=ゆっくり」「開放的」なグリスロは、「観光地をゆっくりと風景を眺めながら巡る乗りもの」としては通常のタクシーよりも適している、というわけだ。

(写真提供/広島県福山市)

(写真提供/広島県福山市)

運行しているのは地元のタクシー会社で、料金は通常のタクシーと同じ。通常のセダン型やワゴン型タクシーとともに、4人乗りのゴルフカート型グリスロを用意している。こちらは2019年4月から運用が始まった。グリスロでたくさんの観光客に喜んでもらえれば、観光地としての人気が高まるかもしれない。それは福山市の地域活性化にも繋がる。

さらに、このグリスロの実証調査支援事業には、環境省も支援するケースがある。1つは「IoT技術等を活用したグリーンスローモビリティの効果的導入実証事業」であり、もう1つは「グリーンスローモビリティ導入促進事業(車両購入費補助)」というものだ。簡単に言えば、グリスロと最先端技術を組みあわせ、例えばいつ・どんな時に・どんな人が・どれだけ移動したか、といったデータを取ることで、バスなども含めた公共交通機関の構築に役立てたり……と、さまざまな“未来の街”の検証に、グリスロを活用するというものだ。

実際、福島県いわき市では地元企業や大手通信会社、広告代理店などと連携した「次世代交通システム」の実証実験が、つい先日から始まった。グリスロをスマホから予約できるほか、AIを使って予約状況に応じた最適なルートを運行したり、地域内で使える電子クーポンをグリスロの車内で発行し、地域商店街の活性に役立てる……といった、いわばスマートシティの実証実験を行っている。

交通状況・予約のスマホ画面

地域内に設置されている23カ所の乗降ポイントの中から、乗車したい地点と降りたい地点、日時と人数を入力して予約する。予約状況に応じて、当日でも可能。

地域の課題を解決するためのワンピース

「グリーンスローモビリティの活用検討に向けた実証調査支援事業」は、先述したように2018年度から始まったばかり。そのため、本来はもっと多くの実証調査の結果を集めてから課題を整理すべきだろうが、今の時点で挙げるとすれば「事業化に向けた収支をどうするか」だろう。

福山市の事業例のように、通常のタクシー料金と同じであればまだしも、町田市や松江市のように「年間500円」や「1日100円」といった運賃だけでは、事業としては成り立たない。持続可能な事業にするためには、運賃以外の広告費等の収入や、有志から駐車場の無償提供を受けるなど固定費の抑制が必要だ。

といってもこの「収支」の問題は、赤字の鉄道やバス路線の撤退が進んでいるように、既存の公共交通機関も同じこと。グリスロだけでなく、バスやタクシー、鉄道も含めて、地域の交通をどうしていくのか。各地域は今回のグリスロの無償貸与を通して、地域交通の課題を洗い出し、可能性を探るためのトライ&エラーがしやすいはずだ。実際見てきたように、グリスロには「地域のコミュニティの場」としての価値や、「観光による町おこし」という既存の交通機関にはない新しい価値が見えつつある。

(写真提供/社会福祉法人 みずうみ)

(写真提供/社会福祉法人 みずうみ)

何しろ100歳のおばあちゃんが笑顔になれるグリスロだ。課題の多い地域交通状況を、もしも多くの公共交通機関の組み合わせというパズルで解決するなら、そのワンピースになる魅力は十分にありそうだ。

●取材協力
国土交通省

漫画の聖地「トキワ荘」復活! “ 消滅可能性都市” 豊島区がカルチャーなまちへ

日本のマンガ文化を大きく発展させた、手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などが暮らした「トキワ荘」が、東京都豊島区南長崎の南長崎花咲公園に再現施設として復活し、話題となっている。
池袋乙女ロードや、東京芸術劇場などの文化施設が多い豊島区は、こういったカルチャーをフックとしたまちづくり「豊島区国際アート・カルチャー都市構想」をすすめているという。豊島区のすすめるまちづくりにおいて、「トキワ荘マンガミュージアム」の誕生はどんな意味をもつのだろうか。

ところで「トキワ荘」ってなんだ?

トキワ荘は1952年(昭和27)12月に、豊島区椎名町5丁目に完成した木造2階建てのアパートだ。現在の住所でいうと豊島区南長崎三丁目で、日本加除出版という出版社の社屋と民家になっている。実物大のトキワ荘マンガミュージアムは、その場所から少し離れた南長崎花咲公園の敷地内に建設された。

正面玄関は、シュロの木とバルコニーがコロニアルスタイルを連想させるおもしろいつくりになっている。当時としてはかなりおしゃれなファサードだったのではないか。

マンガ家たちが住んだ当時のトキワ荘は、四畳半と押入れのみの部屋が、2階に10部屋存在し、共同の炊事場とトイレがそれぞれの階にあった。家賃は1部屋3000円/月だったという。大卒初任給が9000円、うどん一杯30円、電車の初乗り運賃10円ほどの時代だ。
高度経済成長の直前、日本各地から「金のタマゴ」と呼ばれた中卒の若者が、職を求めて東京に続々と上京していたころ。東京の各地に、このようなトイレ共同の木造アパートが、たくさん建てられていた。

再現されたトキワ荘の1階はミュージアムとなっており、内部の再現は2階部分である。

2階部分は、部屋の再現だけでなく、調度品の再現もすごい。トイレなどのエイジング処理(汚し処理)は、今にもにおいが伝わってきそうなほどのリアルさだ(においは再現していません)。

新築のミュージアムとは思えないエイジング処理(撮影/西村まさゆき)

新築のミュージアムとは思えないエイジング処理(撮影/西村まさゆき)

2階炊事場の再現、昭和中ごろの単身者向けアパートでの様子がよく伝わってくる(撮影/西村まさゆき)

2階炊事場の再現、昭和中ごろの単身者向けアパートでの様子がよく伝わってくる(撮影/西村まさゆき)

各部屋の再現も力が入っている。実際に住んでいたマンガ家や関係者に聞き取り調査を行い、どの部屋が誰の部屋で、どんなものが置いてあったのかまで、詳細に調べ上げてある。例えば、鈴木伸一、森安なおや、よこたとくお等が暮らした20号室には、年代物のテレビやステレオセットとともに火鉢があるなど、当時のマンガ家たちの暮らしから、昭和時代の生活の雰囲気を感じることができる。

テレビ、ステレオと火鉢が同居している昭和の雰囲気(撮影/西村まさゆき)

テレビ、ステレオと火鉢が同居している昭和の雰囲気(撮影/西村まさゆき)

手塚に続きぞくぞくあつまる漫画界のスター

トキワ荘にマンガ家が集うきっかけになったひとつは、手塚治虫がトキワ荘に部屋を借りたからだ。1953年、トキワ荘に部屋を借りた手塚は、当時すでに売れっ子マンガ家となっており、関西の長者番付に名を連ねるほどの存在だった。そのため、大阪と東京を行き来する生活をしており、トキワ荘に起居するということはあまりなく、週に数回帰ってきて、仕事をする場所だったという。

手塚がこの地に仕事場としてトキワ荘を借りたのは、当時描いていた出版社のある江戸川橋や飯田橋へ、バスでのアクセスが良かったためと言われている。

トキワ荘の完成とほぼ同時に部屋を借りた手塚は、2年ほど借りたのち、敷金の3万円と机を、富山県の高岡から上京してきた二人の青年に譲って転居する。この二人の青年こそが、のちの藤子不二雄(安孫子素雄=藤子不二雄A、藤本弘=藤子・F・不二雄)だ。

トキワ荘を引き払った手塚は同じ豊島区内の雑司が谷にあるアパート「並木ハウス」に引越した。並木ハウスは現在も存在しており、2018年に国の登録有形文化財に指定された

手塚の住んだ部屋には安孫子が住み、机も安孫子がひきついだ。なおその机は現在、安孫子の実家である光禅寺(富山県氷見市)に保存展示されている(撮影/西村まさゆき)

手塚の住んだ部屋には安孫子が住み、机も安孫子がひきついだ。なおその机は現在、安孫子の実家である光禅寺(富山県氷見市)に保存展示されている(撮影/西村まさゆき)

手塚に続いてトキワ荘には、寺田ヒロオ(『スポーツマン金太郎』などの著作がある)、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、鈴木伸一(小池さんのモデルになったアニメーター)、森安なおや(『赤い自転車』などの著作がある)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子、よこたとくお、山内ジョージなどのマンガ家が続々と入居する。トキワ荘に集うマンガ家ら(寺田、藤子、鈴木、森安、石ノ森、赤塚に加え、つのだじろう、園山俊二)が中心となって「新漫画党」を名乗り、当時の「子ども向け」マンガ文化の大きな流れをつくっていく。

寺田ヒロオ、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A以降のマンガ家たちは、トキワ荘に概ね6年~7年ほど居住し、切磋琢磨しあった。しかしその後、彼らとは異なる画風の劇画漫画が流行りだし、世の中のマンガ文化の潮流が、トキワ荘のマンガ家たちだけのものではなくなっていく。

1961年ごろになると、マンガ家たちはトキワ荘からほぼ退去してしまったが、赤塚不二夫や石ノ森章太郎など、トキワ荘周辺、南長崎の町に仕事場を借りたり、住んだりした者もいた。

1982年、トキワ荘は築30年が経過し、設備も老朽化したため、建て替えることになった。当時第一線で活躍するマンガ家たちが若いころを過ごしたアパートであることは、マンガファンの間では知られていたものの、一般的な知名度はなかった。一部で惜しむ声はあったものの、トキワ荘は1982年12月2日に解体された。解体される際に保存されたふすまには、後日、トキワ荘に住んだマンガ家たちがマンガとサインを描きいれた。そのふすまは現在、トキワ荘ミュージアムに展示してある。

トキワ荘は、解体されたことによってより知名度が上がったのは皮肉なことである。解体の数年前から、テレビ番組や映像作品などで特集が組まれ、実際に住んだマンガ家たちの手による回顧録のマンガや書籍の出版など、多くのものが世にでていった。

それに合わせ、トキワ荘だけでなくマンガ家たちが暮らした南長崎の町自体にマンガ家ゆかりの地としての存在感がでてきた。新しいアパートに建て替えられたトキワ荘などは、観光バスのルートに入るほど(丸山昭『トキワ荘実録』)であったらしい。さらに時代が平成に入り、トキワ荘のマンガ家たちが鬼籍に入り始めると、いっそう南長崎の町は「マンガの聖地」として注目されるようになっていく。

『まんが道』(藤子不二雄A)などにたびたび登場していたラーメン店「松葉」を訪れるファンはいまだに多い(撮影/西村まさゆき)

『まんが道』(藤子不二雄A)などにたびたび登場していたラーメン店「松葉」を訪れるファンはいまだに多い(撮影/西村まさゆき)

2012年(平成24)、トキワ荘の跡地にモニュメントが完成するなど、近年は南長崎の町を「マンガの聖地」として広く知ってもらおうという豊島区のバックアップもあり「トキワ荘通りお休み処」(2013年)がオープン。そして、トキワ荘の再現施設「トキワ荘ミュージアム」が今年(2020年)に完成した、というわけである。

トキワ荘に関連する書籍や漫画が読める「トキワ荘マンガステーション」(撮影/西村まさゆき)

トキワ荘に関連する書籍や漫画が読める「トキワ荘マンガステーション」(撮影/西村まさゆき)

「トキワ荘」再現のきっかけとこれから

豊島区には、南長崎だけでなく、池袋の「乙女ロード」など、カルチャーに関するスポットが存在し、それらを中心としたまちづくりを積極的に行っている。今回の「トキワ荘マンガミュージアム」の完成は、そんなまちづくりにおいて象徴的な出来事といえる。カルチャーを中心としたまちづくりはどのように始まり、どんなことが行われているのか、豊島区に聞いてみた。

豊島区トキワ荘マンガミュージアム担当課長 熊谷崇之さん(撮影/西村まさゆき)

豊島区トキワ荘マンガミュージアム担当課長 熊谷崇之さん(撮影/西村まさゆき)

――最初に、いちファンとして、(トキワ荘の再現が)よくできたなというのが素直な感想です。あの『まんが道』に出てたトキワ荘が……という感動は名状しがたいものがありました……。

豊島区トキワ荘マンガミュージアム担当課長 熊谷崇之さん「そうですよね、私も『まんが道』を読んでいて、ファンなのでよく分かります」

――豊島区でマンガ・アニメによるまちづくり、まずはトキワ荘に関しては、近年さまざまな施設が相次いでオープンしましたけども、トキワ荘の再現というのはどのような経緯だったんでしょう?

熊谷さん「トキワ荘は、1982年に残念ながら解体されてしまったんです。そのころはまだマンガ文化の存在があまり重要なものとされてなかったんですね。ですが、平成に入ってから1999年に、区議会にトキワ荘復元の署名が提出されました。最初は2000名だったのが最終的には4000名を超える署名が集まりました。それがきっかけのひとつではありますね」

区民だけではない、漫画ファンなどの広い支持があったのは、寄付が約4億3000円も集まったということからも分かるだろう。トキワ荘の再現には約9億8000円の費用がかかっているが、その費用は寄付金からも一部充てられた。

――署名が提出されたのが1999年と伺いましたが、高野区長が豊島区長に当選したのも1999年ですね。高野区長はもともと古書店を経営されていたそうですが、やはりその存在も大きかったのかな、と思いますがどうでしょう?

熊谷さん「うーん、それはどうでしょう。よく分かりませんが(笑)高野区長が言うには、(世界で高い評価を受けている)アニメも、そのルーツはマンガにあるし、さらにその原点でもある場所のトキワ荘などをしっかりと支援していくことは、大切なことだと―マンガステーションなどに収蔵するための資料のマンガの買付けなど、区長自ら赴いてます」

――さすが、古書店の店主だから、そのへんはプロですよね。

熊谷さん「こういった文化施策は、豊島区にある文化を知ってほしいというのももちろんあるんですけど、さらに文化継承の拠点としたいという目論見もあるんです」

――文化継承ですか?

熊谷さん「トキワ荘関連で言えば、『紫雲荘(しうんそう)活用プロジェクト』というのもそのひとつなんです」

紫雲荘とは、赤塚不二夫が住居兼仕事場として借りていたトキワ荘隣のアパートで、現在も当時のまま現存している。この紫雲荘に、マンガ家志望の若者に住んでもらい、家賃などを補助してまちぐるみで支援する、というプロジェクトのことだ。

その町に住む人を支援する取り組みはよく見かけるが、豊島区はマンガ家志望の若者と限定しているところがユニークだ。

紫雲荘は赤塚不二夫が借りていた当時のまま残っており、彼が仕事をした部屋も再現してある(写真提供/豊島区)

紫雲荘は赤塚不二夫が借りていた当時のまま残っており、彼が仕事をした部屋も再現してある(写真提供/豊島区)

――豊島区には乙女ロードなどのアニメ関連の聖地がありますが、東京には秋葉原や中野など、マンガやアニメなどのサブカルチャーを中心に据えた町がいくつかあります。そういった町との差別化というのはしていますか。

熊谷さん「乙女ロードは、その名の通り女性の比率が高いというのはご存じだと思います。豊島区ではいま、南池袋公園の整備や、旧豊島区役所跡に建設した劇場施設『HAREZA池袋』など、ファミリー層や女性が住みたくなるような、女性にやさしいまちづくりを進めているんです」

――なぜ急に「女性にやさしいまちづくり」がはじまったのでしょう?

熊谷さん「2014年に発表された『消滅可能性都市』に、東京23区の中で唯一、豊島区が含まれた……というのが、衝撃が大きかったですね」

消滅可能性都市とは「少子化や人口移動などが原因で、将来消滅する可能性がある自治体」のことだ。定義を厳密に言うと「2010年から2040年にかけて、20 ~39歳の若年女性人口が5割以下に減少する市区町村」というものである。
女性の人口がある一定以下まで減ってしまうと、次世代を担う子どもが増えなくなってしまうというわけだ。

人口約29万を擁し、池袋という巨大ターミナル駅を抱える豊島区が消滅するとは、にわかには信じがたい。しかし、もともと、豊島区の人口比率には「転出入が多く、定住率が低い」「単身世帯が多く、その半数が若年世代」という特徴がある。

実際、豊島区は昔からそういった単身者向けのアパートが非常に多い区ではあった。トキワ荘もまた、若年層の単身者向けアパート、これも、象徴的な話かもしれない。

熊谷さん「街づくりの一つとして公園の整備も進めており、大きな公園ではマーケットを開催したり、小さな公園でも、トイレを清潔で使いやすいものにする……など、細かなところから少しずつ進めているんです」

ミュージアムなど大きな施設の整備だけでなく、公園のトイレの整備など、小さなことの積み重ねを行っている(写真提供/豊島区)

ミュージアムなど大きな施設の整備だけでなく、公園のトイレの整備など、小さなことの積み重ねを行っている(写真提供/豊島区)

こういった細かな努力が実ったのか、豊島区の人口は増え続け、2008年の約24万人から、2020年には約29万人と5万人も増加している。増加に伴い、女性や子どものいるファミリー層の人口も増えているという。

区内に存在した文化遺産で、観光の目玉をつくって終わり……という安直なものではなく、次世代への「文化の継承」も見据えた支援を豊島区は続けている。また、マンガ・アニメを中心とした文化施策が、意外にも女性やファミリー層を意識したものであることが分かった。

「文化の継承」を行うにも、若い世代が育たなければ、そこに施設をつくって終わりとなってしまうだろう。「カルチャーでのまちづくり」と、「女性にやさしいまちづくり」というのは、車の両輪のように一体となって進めることこそが、豊島区が“消滅”しないための戦略なのかもしれない。

●取材協力
豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
豊島区

空室化進む“賃貸アパート”でまちづくり?「モクチン企画」の取り組み

レトロな味わいのある木造賃貸アパートをはじめとする築古の賃貸物件には、老朽化が進み、空き家化が問題になるケースも増えてきている。そんななか、それらの価値を認め、「モクチンレシピ」という名で改修・リフォーム例をウェブサイトで公開することにより、日本の不動産・建築業界における“スクラップ&ビルド”一辺倒の流れに一石を投じている人物がいる。NPO法人モクチン企画の代表を務める、建築家の連 勇太朗(むらじ ゆうたろう)さんだ。賃貸アパートは今後どうなっていくのか? また、賃貸アパートを活用したまちづくりについても話を聞いた。
空室化問題救済のキーワードは「距離感」

NPO法人モクチン企画の事業は多岐に渡る。リフォーム例「モクチンレシピ」を通じて、賃貸物件の改修案を公開・提供しつつ、改修事業を手掛けることや「モクチンスクール」と銘打った空き家対策を目的としたデザイン学校の開校、「LIXIL」のような建築資材メーカーのリサーチや商品開発を請け負うこともあるという。築古の賃貸物件を切り口に、これからの縮小化社会に必要とされるさまざまなプロジェクトを展開している。

レシピ「広がり建具」は、襖を透過性のある木製建具に交換することで、部屋を広く明るくみせるアイデア。モクチンレシピは、会員になると図面や品番が書かれた「概要書」や「仕様書」がダウンロード可能に(写真提供/モクチン企画、撮影/kentahasegawa))

レシピ「広がり建具」は、襖を透過性のある木製建具に交換することで、部屋を広く明るくみせるアイデア。モクチンレシピは、会員になると図面や品番が書かれた「概要書」や「仕様書」がダウンロード可能に(写真提供/モクチン企画、撮影/kentahasegawa)

Before(写真提供/モクチン企画)

Before(写真提供/モクチン企画)

After。レシピ「広がり建具」を使用(写真提供/モクチン企画、撮影/kentahasegawa)

After。レシピ「広がり建具」を使用(写真提供/モクチン企画、撮影/kentahasegawa)

「私は一概に“木造賃貸アパートなどの古い物件を保存しよう”と言っているわけではありません」と話す連さん。モクチン企画の提供する会員プログラム/コミュニティである「メンバーズ会員」や「パートナーズ会員」に入っている物件オーナーや不動産屋さんとともに、「まちにおける価値」を総体的に考えた上で、それぞれの物件に合わせた対応をしているという。そのため必要に応じてて、建て替えを勧める場合もある。「適正なタイミングで住居の更新や循環が行われ、そのことでまちの魅力が生み出されていくようなサービスを提供すること」が、モクチン企画の存在価値と言ってもいいだろう。

蒲田にある木造賃貸物件にあるモクチン企画オフィスで取材に応じていただいたNPO法人モクチン企画代表の連勇太朗さん(筆者撮影)

蒲田にある木造賃貸物件にあるモクチン企画オフィスで取材に応じていただいたNPO法人モクチン企画代表の連勇太朗さん(筆者撮影)

木造建築(木造在来工法)に代表的される“築古”と呼ばれる賃貸アパートに対し、壁が薄くて騒音が心配、古い、夏暑く・冬寒い、といったデメリットをイメージに挙げる人も多い。一方でタワーマンションなどと違い、低階層の建物が多く、密集して建っているため、まちのなかで暮らしている感覚が味わえるといったことや、「木造の建物は、柱・梁の軸組構造でできているからこそ、自分たちで手を入れたり、改修が行いやすい」というメリットを連さんは挙げる。

逆にデメリットになっている部分は、防音性能や断熱性能を上げたり、耐震補強を加えるといったリフォームにより、「チューニングが可能」だと話す。そうすることで、住居のある街とのいい距離感が保てるのだという。この「距離感」こそ、都心部でも賃貸物件の空室率が上がっているといわれている現在、魅力的な賃貸物件を運用する際のキーワードになりそうだ。

築古賃貸アパートは新しいことを始めるのにぴったり

東京都内23区には、1960年~90年代に建てられた木造の民営アパートだけでも20万戸以上あると言われる。

「人口が増えている時代は、部屋をつくれば入居者が決まるという方程式が成り立っていました。しかし今はそれが全然効かなくなっています。物件オーナーや不動産会社が、単に部屋をつくるということ以上に、『物件にどういった価値をつくっていけるか』を真剣に考えなくてはならない時代に突入しています」と連さんは言う。

「人口が減ることによる賃貸物件の供給過多において、これからはもっと『さまざまな用途に対応可能な空間や物件』を提供していく必要があると言えます。また住民は、そのアパートに住むだけでなく、その街に住むという総合的視点から住居を選択する。そう考えると、物件を管理する人は必然的に街に関する視点や、周囲にどんな人が住んでいるか、関わりを持つ不動産会社や物件オーナーがどんな人か、と言ったことが重要になってくると思います」(連さん)

築60年近い木造の戸建てを改修したモクチン企画の事務所(写真提供/モクチン企画)

築60年近い木造の戸建てを改修したモクチン企画の事務所(写真提供/モクチン企画)

木造建築は、壁や床を改造することが簡単にでき、見栄えを良くしたり補強がしやすい(写真提供/モクチン企画)

木造建築は、壁や床を改造することが簡単にでき、見栄えを良くしたり補強がしやすい(写真提供/モクチン企画)

こうした築古のアパートやマンションは、借りる側の視点で考えると、ロケーションに関係なく「家賃が低め」という大きな魅力がある。「私たちのようなNPOや、スタートアップといった何か新しいことをはじめようと考えている人たちにもってこいの物件が結構たくさんあります」と連さん。実際、福祉系のNPOや、地域の貧困家庭向けに無料あるいは安価で食事を提供する「子ども食堂」、地域密着のローカルビジネスのための場として、雑居ビルに事務所を構えるより、地域の人との関係を構築できるチャンスがある木造アパートはさまざまな可能性を持っていると言う。

空室化を食い止める総合的な手段として

「モクチンレシピ」は、当初は木造アパート向けを想定してつくられたリフォーム例だった。だが現在では、住宅メーカーが大量生産した「軽量鉄骨」でできたアパートや、ワンルーム型のマンションでも、モクチンレシピは積極的に利用されるようになった。理由は、最小限の手数で最大の魅力を引き出す「コスパ」のよいリフォーム例であること。さらに部分別に紹介されているため、導入しやすいことからだ。こうした流れから「レシピの内容も、木造に拘らずに、ある程度汎用性があるアイデアを意識的につくっています」と連さんは話す。

モクチン企画は、連さんが提唱する「物件オーナーが建物や街の価値をつくる」という考えに賛同する人たちを「メンバーズ会員」と呼びコミュニティ化し、レシピを使ったリフォームの個別のコンサルティングや、問題や解決方法を積極的に共有することで、手ごろな投資による「空室化対策」のノウハウを学びあっている。実際に、リフォームを通じてこれまでとは違う入居者を募ることに成功してきた例が、サイト内には並ぶ。

例えば、モクチンが2017年に監修した、神奈川県横浜市青葉区にある「ピン!ひらはらばし」の物件は、築47年の木造賃貸アパート。2階建4戸の賃貸アパートはリフォームを手掛けた当時は空室だった。リフォーム後、物件数は3戸に減らしたものの、現在公表されている家賃は、1DK57.55平米の1部屋で9.3万円だ。(現在全戸入居済み)

同アパートにおいて、最も斬新なリフォーム箇所は共用部に採用された「くりぬき土間」レシピだ。居室と廊下に適度な距離をつくることにより、廊下側の壁の耐震補強のために窓をつぶしても、プライバシーを確保しながら開口部をつくることも可能だ。

実際、レシピ上でも掲載されている「くりぬき土間」の実例(左がリフォーム前、右がレシピを使ったリフォーム後)(写真提供(左)/モクチン企画、撮影(右)/kentahasegawa)

実際、レシピ上でも掲載されている「くりぬき土間」の実例(左がリフォーム前、右がレシピを使ったリフォーム後)(写真提供(左)/モクチン企画、撮影(右)/kentahasegawa)

一方20数社と連携している「パートナーズ会員」と呼ばれる不動産会社とは、さらにエリア全体の街づくりに繋がるプロジェクトを通じて、木造アパートに限らず、賃貸物件全体の可能性を共に探っている状態だという。

神奈川県相模原市淵野辺にある入居者向け食堂の「トーコーキッチン」は、モクチン企画がデザインから協力したプロジェクトの一つ。不動産会社・東郊住宅社はモクチン企画のパートナーズ会員の古参だが、同社が管理する1600室の入居者が利用できる食堂をつくることで、「ここに住みたい!」、「この街に住みたい!」と思わせる物件提供を可能にした例として、広く知られている。

モクチン企画が参画したプロジェクト「トーコーキッチン」(写真提供/モクチン企画、撮影/kentahasegawa)

モクチン企画が参画したプロジェクト「トーコーキッチン」(写真提供/モクチン企画、撮影/kentahasegawa)

また、埼玉県戸田市で不動産会社の平和建設とともに手掛けているプロジェクト「トダピース」は、最新事例の一つだ。賃貸物件(木造に限らず)を通じて、空室対策を兼ねたまちづくりを目指すもので、モクチンレシピを取り入れて低価格でリノベをした物件に、個性を持たせた部屋を増やすことで人を集め、戸田市そのものの街の価値を高めることが目的だ。すでに戸田市内で、17戸の賃貸物件をリノベでリースしていることに加え、今年始めには、モクチン企画とともに、新築の木造アパート「はねとくも」を生み出した。「はねとくも」はアトリエ付きの賃貸アパートであり、そこで小商いや制作環境が生まれることで、住む人がまちの価値になっていくような循環を目指すと言う。

連さんとともにプロジェクトを進めるのは、トダピース/平和建設の河邉政明さん。アトリエ付き住居「はねとくも」は、まちにひらかれた賃貸物件だ(写真提供/モクチン企画、撮影/kentahasegawa)

連さんとともにプロジェクトを進めるのは、トダピース/平和建設の河邉政明さん。アトリエ付き住居「はねとくも」は、まちにひらかれた賃貸物件だ(写真提供/モクチン企画、撮影/kentahasegawa)

連さんらの取り組みはトーコーキッチンに代表されるように賃貸物件そのものの価値向上だけでなく、まちの魅力や価値に影響を与えるようなアイデアにつながっている。モクチン企画への共感やプロジェクトは全国的に広がりを見せている。

“ニューノーマル”における賃貸物件の可能性

新型コロナ禍で、社会動向や情勢が刻一刻と変化しつつある今、賃貸物件全般に何か新たな変化は待ち受けているのだろうか。2020年6月5日、モクチン企画が主催した物件オーナーや不動産会社向けのオンラインイベントでは、「モクチン企画」の理事やメンバーである建築や不動産のエキスパートたちが顔をそろえ、ニューノーマルな時代の不動産賃貸について議論が交わされた。

その中では、リモートワークの推奨と増加により、共通認識としてこれまで分けて考えられてきた「働く場と寝る場」に変化が訪れ、いわゆる「ベッドタウン」と呼ばれている住宅地での生活時間が増えることによって、地域ごとの暮らしにあった「ビジネスニーズ」が出てくる兆しが見えたという。

さらに、自粛生活の影響で「孤独」を味わう人たちが増えるなか、「共同住宅を通じて得られる<ゆるいつながり(=ちょっと)>のニーズも出てくる可能性がある」と、アジアの住宅市場や暮らし方について研究しさまざまなプロジェクトを展開してきた土谷貞雄さんは話す。

一方ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)を保つことが社会的共通認識となった中で、これまで東日本大震災以来のキーワードとなっていた「絆」から連想される「密な」距離感から、これからは少し距離を取らざるを得ない社会環境に置かれるだろう。それにより、他者の“存在”は感じつつも、それほど密接ではない「点在」という概念が、住環境を語る上でもキーワードになると、このパネルディスカッションは締め括られた。

6月5日のオンラインセミナーのパネリストの一人で、モクチン企画のメンバーである、「しぇあハウスよこはま」のオーナー、荒井聖輝さんが提案する3つのキーワード(撮影/筆者)

6月5日のオンラインセミナーのパネリストの一人で、モクチン企画のメンバーである、「しぇあハウスよこはま」のオーナー、荒井聖輝さんが提案する3つのキーワード(撮影/筆者)

「今後は空室対策だけではなく、パートナーズ会員である不動産会社とともに、賃貸アパートの改修だけに限らず、まち自体を魅力的にするような仕掛けをつくれるような取り組みを積極的に増やしていきたい」と話す連さんたち。「ニューノーマル」の世界では、これまで空室化問題の筆頭になりそうな、駅から遠い、都会への距離が遠いといったロケーション的に不利な場所でも、リノベによるプレゼンテーション一つで価値が生まれ、入居者が絶えない物件が増えてくる可能性がある。

彼らの活動がさらに広まることで、借りる人それぞれの生き方の選択の幅がさらに広がることを楽しみにしたい。

●取材協力
モクチン企画
モクチンレシピ
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コロナ禍のドイツは園芸がブームに。農園でつながりづくり進む

コロナ禍の日本で“おうち時間”を大切にするなどの価値観やライフスタイルの変化があるなか、ベランダ菜園などがちょっとしたブームとなっている。筆者が住むドイツでも同様だが、その動きは少し異なる。コミュニケーションのきっかけづくりを目的に、農園や園芸活動を通して、時間や想いの共有を図ろうという気運が高まっているのだ。その様子をお伝えする。
1. コロナ禍でのドイツでは園芸が生活の楽しみに

“ハムスターの買い物”(Hamsterkauf)。「食べ物が品切れになるかも……」という不安から、人々が食料品/生活用品に買いだめに走る様子を、ドイツ語でそう呼ぶ。コロナ禍、ロックダウン中のドイツにて、最も売れ行きが伸びた商品は、第1位がトイレットペーパー、第2位が園芸用土という。

ベルリンのコミュニティ農園のひとつ、プリンツェシンネン庭園 (写真撮影/Shinji Minegishi)

ベルリンのコミュニティ農園のひとつ、プリンツェシンネン庭園 (写真撮影/Shinji Minegishi)

ドイツの自然食品チェーンであるBIO COMPANYのイベントマネジメントリーダーのアニカ・ヴィルケ(Anika Wilke)さんは「園芸用土の売れ行きは25パーセントほどアップしました。ロックダウン中、皆さん、庭作業をする時間とゆとりがあったからでしょうね。あるいは、バルコニーで野菜を育てたり。花のタネはもちろん、果物のタネも沢山売れましたよ」と語る。

自宅待機の人にできることは日本もドイツも変わらない。ただ、クラインガルテン発祥の地・ドイツでは、園芸が人々にとって日本よりも身近な存在 だ。(クラインガルテンとは貸し農地のことで、なかには滞在可能な小屋付きのものも。日本では2019年時点で市民農園は2750、”クラインガルテン”などと呼ばれる宿泊可能な滞在型市民農園は66ある(農林水産省HPより))

それに加えてコロナ禍、ベルリンのロックダウン中の行動規制では、飲食店の営業や演劇/音楽活動の制限は厳しかったものの、園芸活動は規制対象に含まれなかった。これらが、園芸用土や果実のタネの売り上げ増の背景となったようだ。

ベルリンの人気地区ノイケルンの住宅街に位置するプリンツェシンネン庭園は、市民公園のように無料開放され、近所の人がふらりと訪れて農作業に参加することができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

ベルリンの人気地区ノイケルンの住宅街に位置するプリンツェシンネン庭園は、市民公園のように無料開放され、近所の人がふらりと訪れて農作業に参加することができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

コミュニティ農園はビギナー向けの共同農作業デーや養蜂ワークショップ、収穫した野菜を用いた野外ディナーなどのさまざまなイベントも企画・運営し、多くの人が集いにぎわう。コミュニティ農園は、自宅に庭を持たない人々に、趣味としての園芸活動を提供する場所であるが、その他にも園芸を行える選択肢が、ドイツにはふんだんに用意されている。

農家が経営する畑に、一般の人々が参加費を支払いつつ、農家と消費者の垣根なくみんな一緒に土にまみれ、農園で発生するさまざまな問題もみんなで解決する、共同農園もその一つ。これは、趣味的な園芸だけでなく、より自然と触れ合え、かつ食品の自給自足ができるスタイルだ。

2. 自分で野菜をつくり、人とのつながりも広がる

突然だが筆者が所属する会社ASOBU GmbHはドイツでの建築設計に携わっているが、庭などの共用スペースを設計する場合、アスファルトでできた鑑賞用の庭よりも、野菜をつくれる「アクティブな庭」をつくることの方が好まれる。先に書いた共同農園のように、アクティブな庭において育まれる近所付き合いやコミュニティが尊重されているからだ。

誰でも立ち寄れるコミュニティ農園では、物心つかないうちから虫や草花に触れ合う貴重な経験ができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

誰でも立ち寄れるコミュニティ農園では、物心つかないうちから虫や草花に触れ合う貴重な経験ができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

さて、ドイツに住む人々は具体的に、農園とどのように親しんでいるのだろうか? その事例をいくつかご紹介したいと思う。例えば、共同農園に参加する筆者の友人は、農園でのアブラムシ対策にさんざん苦労した。そして害虫問題の解決のため、てんとう虫の幼虫を購入したという。

「薬品を使わないアブラムシ対策をいろいろ試したのですが、効果がなかったのです。そこで、生物農薬としての益虫販売サイトを探して、てんとう虫の幼虫を買いました。効果は抜群でした」

農園のてんとう虫 (写真提供:Natur Pur)

農園のてんとう虫 (写真提供:Natur Pur)

ドイツでは、てんとう虫がインターネット販売されているのだ。化学農薬の利用の拒否感から、生物農薬の購入を決めた。さらには、生態系保護のために、どのてんとう虫を購入すべきか、という点にも十分配慮し、議論したという。

「生態系の保護は、生物多様性を守ることだと思います。てんとう虫を買うといっても、てんとう虫であればなんでもいいわけではないのです。今、ドイツ国内でも、従来は日本とアジアに自生していたナミテントウが外来種として拡大しており、問題になっています。

そのため、ナナホシテントウの幼虫の購入を決めました。ナナホシテントウは、古くからヨーロッパに広く分布しているからです」

木の上にある蜜蜂の巣。近年、蜜蜂の数が少なくなっていることが世界中で問題となっており、自然な状態を維持したまま飼育する工夫が行われている (写真撮影/Shinji Minegishi)

木の上にある蜜蜂の巣。近年、蜜蜂の数が少なくなっていることが世界中で問題となっており、自然な状態を維持したまま飼育する工夫が行われている (写真撮影/Shinji Minegishi)

さらに友人は、自宅の庭でも生物多様性を守るために、さまざまな工夫を凝らしているという。

「てんとう虫をはじめとして、いろんな生物や植物が暮らしたり、冬を越したりできるようにしています。前の自宅の所有者は、庭に砂利を敷き詰めて、石庭と芝生の構成にしていました。まさに、観賞用のお庭ですね。

これを土と、地域に自生する植物に戻したことで、鳥が地面で餌を見つけやすくなりました。こうした鳥が、また一部の害虫を減らすことにもつながります。

「私の子どもが大きくなった時代にも、豊かな自然環境を残したい。多様な生き物の営みが感じられる農園を一緒につくり、楽しみ、大切にする経験から、その目的を理解できる子どもたちが増えると思うのです。この環境で育った子どもたちは、虫を怖がったり気持ち悪がったりしないでしょう」

収穫された野菜に興味津々の子どもたち (写真撮影/Shinji Minegishi)

収穫された野菜に興味津々の子どもたち (写真撮影/Shinji Minegishi)

3.”脱サラ”して農業を始めたドイツ人男性も

人の価値観も変えるアクティブな農園。こうしたドイツの農園を起点としたコミュニティーに魅せられ、他の仕事を辞めて、実際に農業を始めてしまう人もいる。

日本人観光客にとってドイツ観光の定番コースの一つ、ロマンチック街道の起点となるヴュルツブルクから西に40kmほど離れたカールバッハという街で、Natur Purという農家を営むトーマス・ガロス(Thomas Garos)さんもその一人だ。

Natur PurのFacebookページ (画像提供/Natur Pur)

Natur PurのFacebookページ (画像提供/Natur Pur)

ガロスさんは平日、土にまみれて農園で野菜を育てる。そして週末には、その野菜たちや自然食品を屋台(Hofladen)に積み込んで車で近郊の街に出向き、販売して生計を立てている。
そんなガロスさんは、農業を始めたきっかけや、その魅力をこう語る。

ガロスさんの屋台に積み込まれた野菜たち (写真提供/Natur Pur)

ガロスさんの屋台に積み込まれた野菜たち (写真提供/Natur Pur)

「私が住んでいる地域では、野菜を有機栽培する農家が少なかったのです。ですので、自分自身で栽培することに決めました。インターネットやフォーラムで勉強してから、とにかく、始めてしまったのです」とガロスさん。

「農業を営むことの一番の喜びは、自然との一体感ですね。それと、有機野菜を育て、販売する過程で、同じ価値観を持つ人々とのネットワークができたこと。この地球と自然を愛している人たちとのつながりです」

ガロスさんの農園で、野菜づくりに参加する子どもたち (写真提供/Natur Pur)

ガロスさんの農園で、野菜づくりに参加する子どもたち (写真提供/Natur Pur)

しかし、実際に農業を本業とするのは、そんなに簡単ではないだろう。例えば、野菜を海外から輸入し、どんな季節でも豊富な品ぞろえを誇るスーパーマーケットの野菜売り場などは、ガロスさんの商売の競合のはず。だが、この点については、うまく棲み分けができているようだ。

「曲がった野菜、完璧には見えない野菜をお客さんに買っていただいた経験が、私にはあります。私の農園とお店に来る人々は、食べ物を台無しにしたくない人たちですから」

野菜をつくるプロセスや、野菜を販売するマーケットで人々が交わり、有機野菜や環境に関する考え方、価値観を共有できる場所がつくられていることが分かる。

プリンツェシンネン庭園にはカフェが併設され、散歩で訪れた人もおしゃべりを楽しみながら、時間を過ごすことができる(写真撮影/Shinji Minegishi)

プリンツェシンネン庭園にはカフェが併設され、散歩で訪れた人もおしゃべりを楽しみながら、時間を過ごすことができる(写真撮影/Shinji Minegishi)

4. コロナ禍だからこそ農業が人と人をつなぐ

ドイツの農園は人と人をつなぐ。このことは、コロナ禍にも顕著に示された。

ロックダウン状況下、ドイツでも多くのコンサート会場は閉鎖されていたが、記事冒頭で登場したBIO COMPANYのヴィルケさんは、チェーン店各店のビストロ・エリアにて、5月初旬から店内コンサートを実施した。「厳しいロックダウン状況だからこそ、お客様に幸せな気持ちと、コミュニティー感覚を体験できる機会を、少しでも提供したかったのです」と、ヴィルケさんは語る。

Natur Purのガロスさんも同様に、屋台販売するマーケットおよび農園で、6月ベルリンからミュージシャンを招いてコンサートを開催した。自分の野菜を楽しみにしてくれる人たちのために、ロックダウン状況におけるコミュニケーション閉塞感を、いち早く打ち破ろうとした。

ガロスさんが参加するマーケットでのコンサートの様子_(写真提供/Natur Pur)

ガロスさんが参加するマーケットでのコンサートの様子_(写真提供/Natur Pur)

ドイツでもコロナ禍をきっかけに変化したライフスタイルにおいて、住居を中心としたコンパクトな生活圏、「働く・暮らす・半自給型の生活」へのリビングシフトが加速していくのではないかと考えている。アクティブな庭は、“箱庭”としての農園を用意すれば事足りるものではない。アクティブな人と人とのつながり、小さなコミュニケーションの積み重ね、そして価値観を共有できるコミュニティーがアクティブな庭をつくる。

今回紹介したガロスさんは、有機栽培の野菜がないから自分でつくろう、というシンプルな動機から出発し、同じ想いを持つ人々とつながることで農業を自分の仕事にした。このように、個人で農園をコミュニティの場所にしてしまう人も、ドイツでは少なくない。

●取材協力
・Prinzessinnengarten Kollektiv Berlin
・BIO COMPANY
・Natur Pur ‐ Hofladen

パリの暮らしとインテリア[6] 田舎の週末の家でガーデンランチや陶芸を楽しむ

前回に続き今回もヘアアーティストのマサトさん(夫)とアクセサリーデザイナーのユキコさん(妻)の住むセカンドハウス<ウィークエンド・ハウス>のアトリエやお庭での生活などをご紹介します。連載名:パリの暮らしとインテリア
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。母屋の裏庭もコーナーごとにくつろげる工夫が

母屋の裏には、購入の決め手となった”自分で芝刈りができるぐらいの手ごろな広さの庭”があります。撮影しに伺った時もお友達ご夫妻が泊まりがけでパリからいらしていて、お友達がランチをつくって庭のテーブルで食事をいただきました。都会で暮らしている者にとって、なんとも贅沢なガーデン・ライフです。

外で食べるランチは最高! 5月から9月のお天気の良い日はほとんど外で食べるそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

外で食べるランチは最高! 5月から9月のお天気の良い日はほとんど外で食べるそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「田舎暮らしの魅力は、家の敷地内ですべてが満たされるということ」とユキコさん。庭の芝生の上にテーブルとパラソルを立て、友達とのランチは開放感と共にゆったりとした時間が流れます。食後は各自庭の好きな場所で、例えば木陰の長椅子で静かに読書したりお昼寝をしたりします。夕方になれば、母屋のテラスでこの季節ならよく冷えたシャンパンでアペリティフ。大勢人が集まるときは庭の一番奥にあるテラスでバーベキュー。<ウィークエンドハウス>の裏庭でいろいろな過ごし方ができるのは、マサトさんとユキコさんお得意のコーナーづくりによるものです。
そして、すべてが芝生ではなく母屋から出てすぐの地面はコンクリートでそこがテラスになっていたり、バーべキューコーナーは煉瓦と石のブロックで囲まれた石の平らな地面になっていたりとさまざまで、これによってコーナーごとのメリハリがついています。

庭を見ながら過ごせる母屋のテラス(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭を見ながら過ごせる母屋のテラス(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭に長椅子は必須アイテムと考えている太陽が大好きなフランス人は多いそう。長椅子の奥の木陰にバーベキューコーナーがある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭に長椅子は必須アイテムと考えている太陽が大好きなフランス人は多いそう。長椅子の奥の木陰にバーベキューコーナーがある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「もともとあった桃の木からは食べられないほど桃を収穫できました」とユキコさん。野菜づくりは不在時に枯れてしまうことも多いですが、今年はここで生活する時間が多かったのでトマト、ナス、きゅうりも収穫できたそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「もともとあった桃の木からは食べられないほど桃を収穫できました」とユキコさん。野菜づくりは不在時に枯れてしまうことも多いですが、今年はここで生活する時間が多かったのでトマト、ナス、きゅうりも収穫できたそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭の一角には道具をしまう小屋があって、愛犬のルーはこの一角の木陰が好き(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭の一角には道具をしまう小屋があって、愛犬のルーはこの一角の木陰が好き(写真撮影/Manabu Matsunaga)

陶芸に没頭するあまりに元ガレージをアトリエに

陶芸はマサトさんが今一番情熱をかけていること。パリで学生時代に出会った勝俣千恵子さんから陶芸の魅力を教わったそう。彼女は今では陶芸家として京都で暮らし、作品はパリのギメ東洋美術館にも収納されているなど、活躍している作家です。
母屋の離れにはトラクターなどを入れていたガレージがあり、そこの1部屋をアトリエとして使っています。「陶芸をやっている者にとって、アトリエは欲しくてしょうがないもの。もちろんかつて持っていた1軒目の田舎の家にもありました」とマサトさん。完全な趣味ではあるけれど、ウィークエンド・ハウスにはなくてはならない場所だという。
一人娘のアリスさんも同じ趣味を持っているので、親子の時間をここで過ごすことも多いそう。
そして、陶芸は土をこね、形をつくり、乾かし、焼き、色をつけ、また焼き……という工程を経るので、このように専用のスペースがあるのが理想的なのだとか。
皿や椀などの食器が陶器の作品としては一般的ですが、マサトさんの作品は<飾る>がテーマ。例えば、日本では日常的ではない<蝋燭台>もマサトさんの進行中の作品に何台もあり、実際蝋燭を灯すことも多いそう。そして、庭の花を飾るための<一輪挿し>もたくさん制作中。

母屋の横にある離れのガレージを陶芸アトリエに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

母屋の横にある離れのガレージを陶芸アトリエに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

乾き具合をチェック(写真撮影/Manabu Matsunaga)

乾き具合をチェック(写真撮影/Manabu Matsunaga)

乾燥を待つ陶器たち(写真撮影/Manabu Matsunaga)

乾燥を待つ陶器たち(写真撮影/Manabu Matsunaga)

マサトさんは作品を古い鏡と一緒に母屋の浴室のコーナーに飾りました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

マサトさんは作品を古い鏡と一緒に母屋の浴室のコーナーに飾りました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ガレージを部屋のように使うアイデア「夏の家」

離れの陶芸アトリエの横にもう一部屋あり、そこに夏の日に過ごす部屋をつくりました。「冬は寒くてここは無理だけれど、夏だったら気持ちよく過ごせるかも?」と家具を運び込んだそう。見ての通りドアがないのでそこは今後の課題だそう。
ここに置かれている家具や小物は、蚤の市や古道具屋で見つけてきたものや、母屋で使わなくなった家具とのこと。「扉がない吹きっさらしの部屋なので、惜しげも無く使えるものでないと」とユキコさん。隔てる壁や扉がないので、風が吹き当たるし嵐のときや横殴りの雨のときは室内に入ってきてしまう。使い込まれたものばかりで、ナチュラルな雰囲気は母屋とはまた別。
ただのガレージを機能的なアトリエにし、その横に土足のままでくつろげる「夏の家」をつくった。このふた部屋は、またとない個性的で魅力的な過ごしやすい場所となった。
陶芸アトリエと「夏の家」の上には、まだ手つかずの小部屋があり、そのうちアリスさんの部屋をつくろうかと計画中だとか。まだまだやることがたくさんある<ウィークエンド・ハウス>の進化が楽しみです。

母屋の隣にある元ガレージ小屋。左がマサトさんの陶芸アトリエ、右が壁も扉もまだない「夏の家」、そして二階が今後アリスさんの部屋にしようと計画中の物置部屋(写真撮影/Manabu Matsunaga)

母屋の隣にある元ガレージ小屋。左がマサトさんの陶芸アトリエ、右が壁も扉もまだない「夏の家」、そして二階が今後アリスさんの部屋にしようと計画中の物置部屋(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ゆかも壁もガレージの時のまま。この土壁と使い込まれたインテリアがとても合っている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ゆかも壁もガレージの時のまま。この土壁と使い込まれたインテリアがとても合っている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

近所のゴルフ場や川や森は近くの人々の憩いの場

<ウィークエンド・ハウス>から車で5分、マサトさんが毎週のように通うのが近所のゴルフ場。「このあたりにはゴルフ場と乗馬クラブが多いので、子どもに乗馬をさせたい家族や、ゴルフ好きの夫婦が引退後に移り住んできたりしています」とマサトさん。

シャトーの門のようなゴルフ場の入り口(写真撮影/Manabu Matsunaga)

シャトーの門のようなゴルフ場の入り口(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コースを囲む建物もシャトーホテルなのでとても素敵(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コースを囲む建物もシャトーホテルなのでとても素敵(写真撮影/Manabu Matsunaga)

このゴルフ場には、シャトーホテルがついているので、レストラン、スパ、ショコラトリーなどもあってとても気に入っているそう。ゴルフの後にレストランで食事を楽しむこともあるのだとか。
ゴルフ場の周りは、散歩もできるようになっているので家族連れや犬の散歩、ジョギングをする人を多く見かけました。特に週末や2カ月に一度ある2週間の子どもたちの休みの時は、たくさんの人が集まります。

森と川のあるこの辺りは、週末はいろいろなところから人が集まります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

森と川のあるこの辺りは、週末はいろいろなところから人が集まります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

マサトさんとユキコさんが描く今後

マサトさんは裏庭のさらに奥に手付かずの鶏小屋があるので、そこを整備して鶏を飼うのが近い将来の夢。そして、「夏の家」の扉をつけること。「パリとこちらと二カ所で生活していますが、都会との違いを体験して、ここはなくてはならない場所だと感じます」と力説します。
ユキコさんは常に引越しを気にかけて物件を探しているそう。「私の夢は夕日の見える高台に住むことなんです。でもなかなか良い物件に出会いませんね」と話しますが、今の生活が不満なわけではないそう。
そして「パリとの二拠点生活は今だからできると考えているんです。田舎暮らしは足腰が勝負。年を取り、一人暮らしになったとしたら、生活を楽しめるのはパリだと思うから」とユキコさん。パリを捨てることはないと断言していました。

コロナ以降、フランスでも家を選ぶときの基準が大きく変わり、選択肢が増えました。特に若い人、パリから離れて生きていこうとする人が多いと聞きます。田舎の不動産も高騰しているようです。今後もテレワークで仕事をする人が増えていくと想像すると、都会にいてストレスのある生活よりも、良い空気を吸って広い家に住むことができる田舎暮らしにも魅力を感じます。
お二人のようにパリと<ウィークエンド・ハウス>の二つの生活は、理想的です。しかし両方を持つことはとても難しい。どちらか一つを選ぶなら、<ウィークエンド・ハウス>のように田舎暮らしを選ぶのが時代の流れなのかもしれません。

●取材協力
シャトー ドジェルヴィル

〈文/松永麻衣子〉

渋谷駅まで電車で30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2020年版

昨年11月に「渋谷フクラス」と「渋谷スクランブルスクエア(東棟)」が誕生するなど、再開発が進められている渋谷駅。今後も大規模商業施設のオープンが控えており、まだまだ目が離せない街だ。交通の面でも充実しており、JR各線に加え東急東横線や東急田園都市線、京王井の頭線、さらに東京メトロの銀座線、半蔵門線、副都心線……と多彩な路線が通っている。今回はそんな渋谷駅まで30分圏内にある駅の、中古マンション価格相場を調査した。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの価格相場が安い駅トップ20を見ていこう。●渋谷駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP20
【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(沿線/所在地/渋谷駅までの所要時間)
1位 尾久 1990万円(JR東北本線/東京都北区/27分)
2位 川口 2305万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/26分)
3位 馬込 2335万円(都営浅草線/東京都大田区/19分)
4位 川崎 2360万円(JR東海道本線/神奈川県川崎市/24分)
5位 十条 2390万円(JR埼京線/東京都北区/17分)
6位 板橋本町 2399万円(都営三田線/東京都板橋区/27分)
7位 平和島 2450万円(京急本線/東京都大田区/24分)
8位 新板橋 2480万円(都営三田線/東京都板橋区/22分)
8位 下板橋 2480万円(東武東上線/東京都豊島区/19分)
10位 大山 2499万円(東武東上線/東京都板橋区/22分)
11位 板橋区役所前 2500万円(都営三田線/東京都板橋区/25分)
11位 板橋 2500万円(JR埼京線/東京都板橋区/14分)
13位 ときわ台 2640万円(東武東上線/東京都板橋区/28分)
13位 王子 2640万円(JR京浜東北・根岸線/東京都北区/28分)
15位 野方 2680万円(西武新宿線/東京都中野区/28分)
15位 上野毛 2680万円(東急大井町線/東京都世田谷区/19分)
15位 落合 2680万円(東京メトロ東西線/東京都新宿区/19分)
15位 横浜 2680万円(東急東横線/神奈川県横浜市/27分)
19位 蒲田 2700万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/23分)
20位 西荻窪 2715万円(JR中央線/東京都杉並区/25分)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(沿線/所在地/渋谷駅までの所要時間)
1位 生田 2380万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市/28分)
2位 読売ランド前 2740万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市/30分)
3位 久地 2889万円(JR南武線/神奈川県川崎市/23分)
4位 戸田公園 3180万円(JR埼京線/埼玉県戸田市/29分)
5位 津田山 3199.5万円(JR南武線/神奈川県川崎市/22分)
6位 宮崎台 3239.5万円(東急田園都市線/神奈川県川崎市/25分)
7位 鷺沼 3339万円(東急田園都市線/神奈川県川崎市/21分)
8位 川口 3390万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/26分)
9位 向ヶ丘遊園 3480万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市/23分)
10位 登戸 3490万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市/22分)
11位 本蓮沼 3535万円(都営三田線/東京都板橋区/29分)
12位 ときわ台 3580万円(東武東上線/東京都板橋区/28分)
12位 梶が谷 3580万円(東急田園都市線/神奈川県川崎市/22分)
12位 成増 3580万円(東武東上線/東京都板橋区/29分)
12位 中板橋 3580万円(東武東上線/東京都板橋区/24分)
16位 地下鉄成増 3585万円(東京メトロ有楽町線/東京都板橋区/27分)
17位 都立家政 3590万円(西武新宿線/東京都中野区/30分)
18位 浮間舟渡 3599万円(JR埼京線/東京都北区/26分)
19位 日吉 3610万円(東急東横線/神奈川県横浜市/20分)
20位 尾久 3630万円(JR高崎線/東京都北区/27分)

東京23区の穴場駅と、新宿にも好アクセスな駅がそれぞれ1位に

中古マンションの価格相場が最も安かった駅は、シングル向け物件(専有面積20平米以上~50平米未満)はJR高崎線・尾久(おく)駅、カップル・ファミリー向け物件(専有面積50平米以上~80平米未満)は小田急小田原線・生田(いくた)駅という結果だった。

尾久駅(写真/PIXTA)

尾久駅(写真/PIXTA)

シングル向け1位のJR高崎線・尾久駅は東京都北区に位置し、東京23区内にあるJR駅の中では利用客が少ない部類だ。乗り入れ路線はJRの東北本線(宇都宮線)と高崎線、上野東京ラインのみだが、駅改札口と反対側の西南方面には線路がずらりと連なっている。その正体はJRの車両基地「尾久車両センター」で、さまざまな車両が見られるため鉄道ファンには知られた名所でもある。渋谷までは27分。さらに上野駅までは1駅・約5分、上野東京ラインを利用すれば東京駅まで2駅・約15分と好アクセスな駅だ。

尾久駅を出ると明治通り沿いに飲食店が並び、通りを越えるとと住宅街が広がる。スーパーやコンビニも点在し、日々の買い物には困らないだろう。また、尾久駅から北に約10分歩くと都電荒川線・荒川遊園地前駅があり、尾久駅から車両基地を横断する地下道を通って西へ向かうとJR京浜東北線・上中里駅に行くことも可能。行き先によって路線の使い分けができ、渋谷駅や東京駅へのアクセスもいいわりには価格相場がシングル向けランキング唯一の1000万円台と、なかなか穴場の駅と言える。カップル・ファミリー向けランキングでも20位に入っている。
カップル・ファミリー向け1位となった生田駅は、神奈川県川崎市にある小田急小田原線の駅。同じくカップル・ファミリー向け2位の読売ランド前駅と、9位の向ヶ丘遊園駅の間に位置している。生田駅からは渋谷駅まで28分で行けるほか、小田急小田原線の各駅停車と快速急行を乗り継ぐと新宿駅に約25分で到着できる。駅北口側にはスーパーと100円ショップを備えたショッピングビルがあり、駅から帰宅ついでに買い物ができて便利。駅南口側にもスーパーやコンビニが点在し、明治大学のキャンパスがあるため学生向けのリーズナブルな飲食店も。駅周辺には市立の小中学校や幼稚園に保育園、学習塾も点在し、子育て世代のファミリーも多く住んでいるようだ。

よみうりランド(写真/PIXTA)

よみうりランド(写真/PIXTA)

生田駅に隣接するカップル・ファミリー向け2位の読売ランド前駅は、駅南口側にスーパーや100円ショップがあるほか、ソーセージが評判の精肉店や喫茶コーナーも備えた洋菓子店などが並ぶ商店街も広がる。この商店街や、1位・生田駅前の商店街にある協賛店では、妊娠中または18歳未満の子どもがいる川崎市多摩区住民に発行される「多摩区子育て支援パスポート」のサービスが受けられる点も子育て世代には魅力的だろう。駅北口側の様子はというと、丘陵地に広がる日本女子大学のキャンパスが大きな面積を占めており、商店や住宅は少なめ。駅からバスに約10分乗ると、駅名にもなっている「よみうりランド」に到着。一帯には遊園地をはじめ、バーベキュー施設や日帰り温泉、今年3月にオープンしたフラワーパークもあり、家族みんなで楽しい休日が過ごせそう。

シングル向けランキングに戻ると、2位にはJR京浜東北・根岸線の川口駅がランクイン。川口駅は埼玉県川口市の中心的な駅であり、駅周辺には市役所や行政センター、市立図書館など市の主要施設が点在している。各種商業施設やショッピングビルも建ち並ぶ一方、駅西側には緑豊かな「川口西公園」があり、地域の憩いの場になっている。住所は埼玉県だが、駅南側を流れる荒川を渡ると東京都北区というロケーション。渋谷駅までは、1駅隣りの赤羽駅からJR埼京線に乗り換えて26分。JR京浜東北・根岸線で乗り換えせずに東京駅へも約25分で行くことができ、都内で働く人のベッドタウンとしても人気を集めている。カップル・ファミリー向けランキングでも8位にランクインしているので、シングル層に限らず渋谷へのアクセスがいいお得な住まいを探す際は要チェックの街だろう。

川口西公園(写真/PIXTA)

川口西公園(写真/PIXTA)

渋谷駅まで14分、再開発進行中で注目株の板橋駅もランクイン

今回のランキングでは「渋谷駅まで30分以内」の駅に限定して調査したが、ランクインしたなかでも所要時間が短かった駅はシングル向け11位のJR埼京線・板橋駅。渋谷駅まではJR埼京線で1本、14分で到着できる。以前の渋谷駅のJR埼京線ホームは山手線ホームやハチ公改札から遠く離れていて不便だったが、今年6月に山手線ホームの隣に引越しが完了。JR埼京線と他の路線との乗り換えがしやすくなったと話題になった。

板橋駅では今年7月、東口に直結して「JR板橋東口ビル」が開業した。1階ではベーカリー、2階では歯科医院とヘアカット専門店が営業中。当初予定から遅れて10月には、3階~5階にフィットネスジムもオープンする予定だそう。また、板橋駅の西口エリアでは再開発が進行中。2024年の完成を目指し、住宅や商業施設からなる地上35階・地下3階建ての複合ビルの工事が今年10月に着手される予定だ。さらにその隣接エリアにも、住宅や子育て支援施設、商業施設を備えた地上38階・地下2階建てのビルと、店舗や事務所が入る地上6階建てのビルが2024年度内に竣工予定。こうした再開発にともなって、今後はさらに街が発展し、人気も上昇していきそうだ。

慶応義塾大学日吉(写真/PIXTA)

慶応義塾大学日吉(写真/PIXTA)

カップル・ファミリー向けランキングのトップ20のうち、渋谷駅までの所要時間が最短だったのは19位の東急東横線・日吉駅。渋谷駅までは1本、通勤特急に乗ると3駅・約20分で到着する。日吉駅の東側には慶応義塾大学のキャンパスが広がり、駅から同大学の日吉記念館へ向けてまっすぐ伸びる銀杏並木が黄金色に染まる風景は秋の風物詩だ。商店や住宅は駅西側に多く、学生の街だけあって日常使いしやすい飲食店も豊富。駅真上には食品からアパレル、生活雑貨のショップまでがそろう3階建ての「日吉東急アベニュー」もあり、あちこち行かずとも駅周辺でひと通りの買い物を済ませられそうだ。

さて、今回の調査起点駅とした渋谷駅は、再開発で注目度が高まっているだけあって駅から徒歩15分圏内にある中古マンションの価格相場も高め。シングル向けは4590万円、カップル・ファミリー向けは8490万円だった。ランキングトップ20の駅と比べると、その高さが際立って見える。特にカップル・ファミリー向けでトップ20にランクインした駅との価格の開きが大きく、渋谷駅の価格相場は1位・生田駅の3.5倍以上で6110万円差、20位・尾久駅と比べても2.3倍以上で4860万円差となっている。つまりこれは、人気エリア・渋谷駅であっても電車で30分圏内にまで選択肢を広げて物件を探せば、ぐっと価格相場はダウンすることを示したランキング結果とも言える。

ランクインした駅を見ると、渋谷駅を基点に物件探しをする場合でも、渋谷駅を通る路線にこだわる必要がないことも分かる。トップ20には京急本線や小田急小田原線など、多彩な路線の駅が入っている。シングル向け8位の都営三田線・新板橋駅のように、駅から徒歩で約10分の板橋駅まで向かい、そこからJR埼京線で約15分の渋谷駅へ……とアクセス方法次第で渋谷駅までの所要時間を短縮できる駅も見逃せない。こうした裏技的な駅や路線も視野に入れつつ、物件探しをするのもおもしろそうだ。

●調査概要
【調査対象駅】渋谷駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2020/4~2020/6
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

「日本の省エネ基準では健康的に過ごせない」!? 山形と鳥取が断熱性能に力を入れる理由

在宅勤務が増えた人も多いだろうが、そうなると気になるのが今年の夏の冷房費。さらに今冬の暖房費もきっと……? そんななか、山形県が2018年に、鳥取県が2020年に国の省エネ基準のほぼ倍となる厳しい断熱基準を打ち出し、それに適合する省エネ住宅を推進している。なぜ国より厳しい基準を設けたのか、家を建てる私たちにどんなメリットがあるのか? 各県の担当者に話を聞いた。
ヒートショックによる死亡者数が交通事故の約4倍!?

国民が健康的な生活を送れるようにと定められているのが、省エネルギー基準(以降、省エネ基準)だ。この省エネ基準をクリアすることは家を建てる際の義務ではないが、例えば金利の優遇を受けられ【フラット35】S 金利Bプランの利用条件の1つに、「断熱等性能等級4」がある。これは現在の国の省エネ基準に相当する。また住宅ローン控除や固定資産税優遇制度などが受けられる長期優良住宅の「省エネルギー対策」も断熱等性能等級4が条件となる。

このように省エネ基準を満たす家づくりが推奨されている中、山形県は国の基準よりも高い「やまがた健康住宅基準」を2018年に定めた。これには同県ならではの切実な理由があった。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

「実は山形県でヒートショックによる死亡者数の推計値は年間200名以上。これは交通事故による死亡者数の4倍にもなります」と山形県県土整備部建築住宅課の永井智子さん。しかも山形県といえば寒い東北地方、というイメージだが、実は山形市や米沢市は盆地にあり、寒い地方だけれど夏は暑いという、寒暖差の大きい地域。大きな寒暖差は、体に悪影響を与える。ちなみに2007年に岐阜県多治見市に抜かれるまでは、74年間も1933年に山形市が記録した40.8度が日本一の最高気温だった(現在は2018年に記録した埼玉県熊谷市の41.1度が最高)。

では「やまがた健康住宅基準」が国の基準と比べてどれくらい高いのか。比較したのが下記図だ。

「やまがた健康住宅基準」と国の省エネ基準やZEHの基準との比較

「やまがた健康住宅基準」と国の省エネ基準やZEHの基準との比較(編集部作成)
※「国の地域区分」…国が省エネ基準を定める際、地域の気候に合った基準を定めるために全国を8つの地域に分けた区分のこと
※「UA値(外皮平均熱貫流率)」…住宅の断熱性能を示す。1平米あたりどれだけの熱が中から外へ逃げるのかを示しており、数値が低いほど断熱性能は高い
※「相当隙間面積(C値)」…住宅の隙間がどれだけあるかを示すもので、これも数値が低いほど気密性が高いことを示す

表内の「地域区分」は市区町村単位で決められていて、山形県の場合、地域区分は3~5に分かれているが、「やまがた健康住宅基準」は地域区分ごとに断熱性能の高低レベルとしてI~IIIの3つを設定している。一番低いレベルIIIでも、国の基準はもとより、ZEH(年間の一次エネルギー消費量がゼロ以下)の基準をも上回る。一番高いレベルIは、ZEHの約2倍という高い数値だ。

暖房を切って寝ても翌朝室温10度を下回らない家

もともと山形県は省エネ活動に積極的で、以前から学識経験者や県内の住宅関係者、環境や森林部門など各部署の人々から成る「山形県省エネ木造住宅推進協議会」を設けていた。この協議会の会長で、省エネ住宅に詳しい山形県東北芸術工科大学の三浦教授をはじめたとした学識経験者の方々に意見をうかがいながら「HEAT20」の基準を参考に「やまがた健康住宅基準」を定めることにしたのだという。

「HEAT20」が推奨するUA値は3つのレベルがあり、それが下記の数値だ。一番低いレベルの「G1」の数値を見ると、地域区分3では0.38、4なら0.46、5は0.48(いずれも単位はW/m2・k)。そう、山形県のレベルI~IIIの基準値と同じなのだ。

HEAT20の断熱性能推奨水準と国の基準との比較

HEAT20の断熱性能推奨水準と国の基準との比較(編集部作成)。ちなみに「HEAT20」とは地球温暖化やエネルギー問題に対応するため2009年に発足した「2020年を見据えた住宅の高断熱化技術開発委員会」の略称。住宅の省エネルギー化を図るため、研究者や住宅・建材生産者団体の有志によって構成されている

ちなみに「HEAT20」では、「G1」レベルの家で地域区分3~5(山形県の全域が該当)の場合、冬の最低の体感温度が概ね10度を下回らない断熱性能があるとしている。「ヒートショックを防ぐためには、最も寒い時期でも就寝前に暖房を切り、翌朝室温が10度を下回らないように」(永井さん)という断熱の目的に合致した基準というわけだ。

「やまがた健康住宅基準」と認定された住宅を建てた場合は、県による「山形の家づくり利子補給制度」の「寒さ対策・断熱化型(やまがた健康住宅)」として補助金を受け取ることができる。

令和2年度 山形県の家づくり利子補給制度

令和2年度 山形県の家づくり利子補給制度。所得1200万円以下の県内在住者を対象に、住宅ローンの当初10年間が対象。年度末に利子補給金が1年分振り込まれ、10年間で最大約80万円が交付される

上記表の「寒さ対策・断熱化型(やまがた健康住宅)」は「やまがた健康住宅基準」の認証を受けることが条件だが、認証制度を開始した2018年度で21件、2019年度で35件と着実に伸びている。「やはり暑さ寒さが身に染みている県民だからこそ、多少初期費用が高くても断熱性能の高い家を求めるのではないでしょうか」と永井さんは分析する。

(写真提供/山形県)

(写真提供/山形県)

鳥取県は山形県よりもヒートショックの危険が高い!? 

一方、同じ日本海側とはいえ山形県よりずっと西に位置する鳥取県も、同様に国の基準より高い「HEAT20」の基準を参考に、「とっとり健康省エネ住宅性能基準」を定めた。西の方だからさほど寒くないのでは?と思いがちだが、同県のシンボルの一つである大山(だいせん)にはスキー場もあるなど、冬になれば雪が積もる。鳥取県住まいまちづくり課の槇原章二さんによれば「国のスマートウェルネス事業にも携わっている慶応大学の伊香賀先生の調査によれば、鳥取県は全国の冬季の死亡率割合がワースト16位だったんです」という。

慶応大学の伊香賀教授が、厚生労働省の2014年人口動態統計に基づいて月平均死亡者数を比較し、冬季(12月~3月)死亡増加率を算出したもの

慶応大学の伊香賀教授が、厚生労働省の2014年人口動態統計に基づいて月平均死亡者数を比較し、冬季(12月~3月)死亡増加率を算出したもの(出典/慶應義塾大学伊香賀研究室提供資料)

大山鏡ヶ成の雪景色(写真/PIXTA)

大山鏡ヶ成の雪景色(写真/PIXTA)

すべての死因がヒートショックによるものかどうかまで精査するのは難しいが、冬の心疾患や脳血管疾患といえば、ヒートショックにより引き起こされる疾患の代表格。その数が寒冷な北海道や青森県よりずっと多いのだ。また上記グラフをよくみれば、死亡増加率の高い県は、意外と比較的温暖な地域がずらりと並んでいることに気づくだろう。「ヒートショックは寒い時期に起こりやすい→だから寒くない地域はそこまで心配する必要はない」という油断が、この結果を招いているのだと思われる。

一方で、上記の考え方に沿えば「寒い地域だからこそ、家の断熱性は高くしよう、家を暖かくしよう」と考える人が多いからこそ、寒冷な地域は数が少ないのかもしれない。とはいえ、上記表でベスト9位という山形県でも、先述の通り交通事故の4倍がヒートショックで亡くなっている。そう考えると東西南北を問わず、日本全体がヒートショックの危機にさらされているということになる。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

そもそも日本は昔から高気密高断熱の真逆、通気性を重視する家づくりが盛んだった。吉田兼好は「家つくりやうは、夏をむねと すべし」と、夏のジメジメした気候に合う、通気性のよい家づくりをと、徒然草に書いたほどだ。日本人の多くは、断熱性の低い住まいが当たり前だったことから、室内温度は外気に左右されやすいもので、家にいても「夏は暑い、冬は寒い」「北は寒い、南は暖かい」のは当たり前、という考えが根付いたのだと思われる。なにしろ高気密高断熱の住宅という考えが日本に知られるようになったのは、西洋風の住宅が広まりだした1960~70年あたりからと、日本の歴史から見れば、つい最近の話なのだ。

全館空調システムを導入しても採算が取れる家

もともと県内で健康省エネ住宅の普及に取り組んできた民間団体であるとっとり健康省エネ住宅推進協議会(代表理事 谷野利宏)に県としても参加し、協議会で話し合いを重ねる中で、健康省エネ住宅の普及に向けて県としての省エネ住宅のモノサシをつくろうということになったという。

とっとり健康省エネ住宅性能基準

とっとり健康省エネ住宅普及事業のホームページより。ちなみに鳥取県のほとんどは国の定めた地域区分では、比較的温暖な地域の6にあたるが、同一市町村内でも標高差が大きい鳥取県では国の定めた地域区分も「実態に則していない」「消費者にとってわかりづらい」という課題があった(出典/鳥取県庁公式ホームページ「とりネット」)

「ヒートショックを防ぐためには、廊下も含めて住宅の隅々まで同じ温度であることが必要になります。そうなると全館空調システムは必須。では全館空調システムの効果を高めるためには、住宅の断熱性能がどの水準にあればいいのか、光熱費の削減率や高気密高断熱住宅を建てるコストはいくらほどになるのか、をシミュレーションすることから始めました」と、鳥取県住まいまちづくり課長の遠藤淳さん。

その際に、山形県同様「HEAT20」の断熱基準を元にシミュレーションしてみたのだという。「HEAT20」の基準を元に計算した理由は、遠藤さんは以前から日本の基準がヨーロッパなど世界と比べ低いことに課題感を持っていて「HEAT20」の基準が欧米で義務化されている水準であることからだそうだ。

シミュレーションの結果「初期投資があまり高くなりすぎず、全館空調の効果を高める断熱性能の基準がUA値0.48であることがわかりました。UA値0.48は「HEAT20」の基準で地域区分が5のG1に相当します。鳥取県はほとんどが地域区分6ですが、県全体の共通基準としてシンプルに示すため地域区分5のUA値を採用しました」(槇原さん)。それが上記表の「とっとり健康省エネ住宅性能基準」の「T-G1」にあたり、国の基準値で建てた場合と比べると、光熱費を約30%削減できるというシミュレーションの結果となった。さらに断熱性能の高い「T-G2」や「T-G3」であれば、それぞれ約50%、約70%の削減に繋がる。「T-G2なら15年で初期費用の増額分を回収できるくらいの光熱費削減効果があります」と槇原さんはいう。やはり断熱性能が高ければ、光熱費を大幅に削減できるのだ。

「高断熱性能を実現するために最重要」と槇原さんが語るトリプルガラス(写真/PIXTA)

「高断熱性能を実現するために最重要」と槇原さんが語るトリプルガラス(写真/PIXTA)

始まったばかりだが、省エネ住宅を建てられる施工会社は多い

先述のシミュレーション結果をもとに策定した健康省エネ住宅性能基準を軸に、鳥取県では令和2年(2020年)度から「とっとり健康省エネ住宅普及事業」をスタートさせた。上記表の通り、補助金制度も用意したが、まだその詳細が決まっていないころの2019年の年末の仕事納めの日に、遠藤さんたちは知事にこれらの事業について報告。さあ、年が明けたら忙しくなるぞ、と思っていたら知事が年頭の挨拶でこの「とっとり健康省エネ住宅普及事業」について発言したため、正月から各メディアに取り上げてもらえたという、うれしいサプライズがあった。

知事による発言の効果もあったのだろう、2月に行った施工会社等事業者向けの説明会には、想定を超える200名以上が参加。5月から6月にかけて事業者向けの技術研修にも271名もの参加者があったという。

この技術研修の最後に、平たくいえば試験が行われ、そこで合格した人が「とっとり健康省エネ住宅普及事業」の登録事業者になる。登録事業者が建てて、とっとり健康省エネ住宅性能基準を満たした住宅が「とっとり健康省エネ住宅」と認定される。7月末時点で登録事業者は設計が121人、施工が104人(両方取得した人もいる)。スタートしたばかりにも関わらず、いずれも想定以上の人数で、業界をあげて事業に積極的であることが伺える。

この状況に対して遠藤さんは「年頭の知事の発言で『県が本腰を入れて取り組む事業』と周知されたことで注目を集めたことと、事前説明会で、日本の基準が世界と比べてかなり低いということ、思いのほか無理のない費用で高気密高断熱の住宅が建てられること、光熱費の削減効果でゆくゆくは初期費用の増加分のもとが取れることを伝えたことで、事業者の方々にも魅力を感じていただけたのだと思います」

さらに「2021年から新築住宅に対して施主への省エネ基準の説明が義務化されたことも大きいのでは」と遠藤さんは指摘する。

実は、事前説明会に参加した事業者の約6割が、これまで建てた家のUA値を把握していなかったという。だとすれば、「とっとり健康省エネ住宅」の認定住宅を建てれば、この説明義務も果たせるし、商品として魅力的に映ると考えてもおかしくはない。

もちろん家を建てる側からすれば、難しい数字で説明されるより「国よりも厳しい基準の省エネ住宅で、T-G2というレベルなら15年で初期費用の増額分を回収できる」のほうが分かりやすく、しかも光熱費の削減の具体的な数字が見えるのはうれしい。

地方発の断熱性能向上革命は、成功するのか!?

先述のように、「とっとり健康省エネ住宅普及事業」は今年度に始まった事業で、事業者への研修も6月末でようやく終わったばかり。しかし、実は以前から「とっとり健康省エネ住宅性能基準」をクリアするほどの省エネ住宅を既に手がけている事業者もいるという。もちろん既に建てられた家は事業開始前ゆえ、補助金は支給されないのだが、中には「それでもいいから、認定だけ欲しい」という施主もいるという。

山形県同様、それだけ暑さ寒さが身に染みていた県民がいたという証でもある。そのなかで「T-G2」(経済的で快適に生活できる推奨レベル)のUA値0.34を超える0.32の家を建てたKさんは「冬の寒い時期の、2月に福山建築さんの見学会に参加したのですが、エアコンが1台しかないのに、家中どこでも暖かくて驚きました。住むならこんな断熱性能の高い家がいいと、お願いしました」という。同社は県の事業が始まる前から、積極的に高気密高断熱の家を手がけてきた地元の施工会社の一つだ。

施工は鳥取県の福山建築。UA値は0.32、C値は0.13(写真提供/福山建築)

施工は鳥取県の福山建築。UA値は0.32、C値は0.13(写真提供/福山建築)

(写真提供/福山建築)

(写真提供/福山建築)

実際に住んでみると「冬でも毛布1枚で眠れますし、日中はTシャツ1枚でも十分です。こたつなどの暖房器具を出す手間も減りました」とKさん。UA値やC値といった数字では、なかなか「暖かい」「涼しい」が見えないため、こうした“体験談”の口コミは貴重だ。

先述した山形県でも“体験型”による省エネ住宅の普及が期待されている。同県の飯豊町では2019年11月から、やまがた健康住宅基準の中で2番目に高い基準の、レベルIIの認証住宅を建てることを条件に分譲地を販売しているが、この一角に「6月5日にモデル住宅が完成し、今後は体験宿泊も検討されています」(山形県県土整備部建築住宅課 永井智子さん)。

エコタウン椿(写真提供/山形県)

エコタウン椿(写真提供/山形県)

(写真提供/山形県)

(写真提供/山形県)

エコタウン椿 近景パース(写真提供/山形県)

エコタウン椿 近景パース(写真提供/山形県)

徒然草に書かれるほど、2000年近くも高気密高断熱の家とは無縁の生活を送ってきた日本人。そこから障子や欄間など日本固有の文化が生まれたのは確かだが、しかし「残念ながら日本の現在の省エネ基準でも、健康的に暮らせるレベルではありません」と槙原さん。とっとり健康省エネ住宅普及事業のホームページに掲げた、上記の「とっとり健康省エネ住宅性能基準」のグラフに、敢えて欧米の省エネ基準が併記されているのもその強い想いの表れだろう。では、本当に山形県や鳥取県のいう省エネ住宅なら、健康的に快適に暮らせるのか? 長年「夏は暑い、冬は寒いのは当たり前」という意識が身に染みている人にとってみれば、Kさんの「冬でもTシャツ」は本当なのか、Tシャツで「快適」と本気で思えるのか、と疑問も湧くだろうが、まずは山形県や鳥取県の省エネ基準をクリアした家の、見学会や宿泊を通して、身をもって体験してみるといいだろう。

●取材協力
鳥取県
山形県のエコ住宅

台湾の家と暮らし[7]台北郊外の一軒家へ移住! 自転車クリエイターの自宅兼アトリエ

暮らしや旅のエッセイスト・柳沢小実が台湾の家を訪れる本連載。2020年、4軒目におじゃましたのは、カスタム自転車のショップを営む葉士豪さんが住む、台北郊外の古くて大きい一軒家です。
便利でにぎやかな台北市内を離れて、自然に満ちた山の上に構えた自分たちらしい住まい。新型コロナウイルスによる家ごもり期間を経て、これからの暮らし方についてもオンラインでお話を伺いました。連載名:台湾の家と暮らし
雑誌や書籍、新聞などで連載を持つ暮らしのエッセイスト・柳沢小実さんは、年4回は台湾に通い、台湾についての書籍も手掛けています。そんな柳沢さんは、「台湾の人の暮らしは、日本人と似ているようでかなり違って面白い」と言います。2019年に続き柳沢さんが、自分らしく暮らす方々の住まいへお邪魔しました。台北市の北にある、北投へ

台北駅からMRT(地下鉄)の信義淡水線で北へ22分、車では市内から約30分。台北市北投区は、1894年にドイツ人によって温泉が発見されて以来、台湾有数の湯治場として親しまれています。温泉宿には国内外から観光客が集まり、地元の人たちは公衆足湯で何時間もおしゃべり。泉質は天然ラジウム泉で、街のそこかしこにうっすら硫黄のにおいが漂います。

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

台北市内と北投は、東京と箱根のような位置関係。台北っ子がハイキングにいそしむ陽明山のふもとで自然が多いため、ゆったりとした空気が流れています。

カスタムバイククリエイターの葉士豪さん(写真撮影/KRIS KANG)

カスタムバイククリエイターの葉士豪さん(写真撮影/KRIS KANG)

この北投の山の上に住むのは、カスタム自転車をつくっている葉士豪さん。葉さんは、12年前からオーダーを受けて自身でカスタムした自転車を販売しており、ワークショップも開催しています。

昨年まで台湾のランドマークである超高層ビル、台北101の近くでショップ「SENSE30」を開いていたため、これまで台北市内の中心部の賃貸住宅に何軒も住んできました。でも、にぎやかな繁華街にあるショップ兼アトリエは、自転車好きならば必ず知っている人気店だったこともあって、お客さんが来るたびに作業の手を止めざるを得ませんでした。自転車づくりは集中力が必要なため、果たしてショップが必要なのだろうか……といつしか疑問を抱くように。そして、昨年の3月にお店を閉めて、北投の住居兼アトリエ「Light-House」に移り住みました。

道は細く、低層の家が連なっています(写真撮影/KRIS KANG)

道は細く、低層の家が連なっています(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

約200坪もある広大な敷地に建つ、平屋の一軒家。どことなく洋風なたたずまい(写真撮影/KRIS KANG)

約200坪もある広大な敷地に建つ、平屋の一軒家。どことなく洋風なたたずまい(写真撮影/KRIS KANG)

一年前に出合った北投の家は、人が住めないほどボロボロで、廃墟さながらでした。外壁や窓はそのままですが、建物の基本構造や屋根の防水処理、水まわりの配管など家の8割は葉さん夫妻が自身で修繕。この建物、築年数約50年の大きな平屋の一戸建てで、かつては台湾の政治家やアメリカの軍人が住んでいたのだとか。庭にはアトリエとして使っている小屋もあり、母屋の建坪は50坪、敷地面積は200坪にも及びます。

リノベーションで生まれ変わった家

山の上にあるこの家を借りたことで、自宅とアトリエを兼ねるようになり、通勤がなくなったのが良いところだそう。家族ともずっと一緒にいられて、悪いところはありません。ちなみに、葉さん夫妻は新北市林口区(桃園空港と台北市の間のエリア)にも家があって、この北投の家とそちらを行き来しています。

間取り(イラスト/Rosy Chang)

間取り(イラスト/Rosy Chang)

母屋の建物は、かつては部屋数が多く、壁で細かく仕切られていましたが、空間をたっぷり取れるようにリノベーションしてひとつの部屋にしました。それを、料理をする場所、食事をする場所というように、ひとつの空間を「ゾーン」でゆるやかに分けています。ちなみに、壁は可動式のガラス扉のため開放感があり、移動することで区切り方を変えることができます。そして、庭にある小屋を自転車づくりの作業場(アトリエ)として使っているため、住まいのスペースと仕事のスペースはきちんと区切りをつけられています。

間仕切りのない開放感ある空間、キッチンもオープンに(写真撮影/KRIS KANG)

間仕切りのない開放感ある空間、キッチンもオープンに(写真撮影/KRIS KANG)

壁はないものの、ゆるやかにエリア分けされています(写真撮影/KRIS KANG)

壁はないものの、ゆるやかにエリア分けされています(写真撮影/KRIS KANG)

壁の代わりにガラス扉で空間を区切って(写真撮影/KRIS KANG)

壁の代わりにガラス扉で空間を区切って(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

味のある木製の家具がしっくり馴染んでいます(写真撮影/KRIS KANG)

味のある木製の家具がしっくり馴染んでいます(写真撮影/KRIS KANG)

リスクに強い働き方と暮らし方

取材は2020年春の自粛期間中に、オンラインで行いました。葉さんによると、北投の家での生活はコロナウイルスの影響はほとんどなかったそうです。その理由は、家が台北市内から離れていて人が少ない安全なエリアだったのと、仕事面では自転車をオンラインショップがあるため販売経路を確保できており、店舗の家賃を払う必要もなかったから。また、自宅アトリエでのワークショップに来るのは知り合いだけで、不特定多数と接することもなく、安心して過ごせました。つまり、自粛期間中も収入は変わらずありながら支出は少なく、安全も確保されているという、理想的な状況だったようです。
結果的にリスクに強い働き方と暮らし方となりました。

庭にある葉さんのアトリエでは、お客様の要望に合わせてパーツをつくることも。ワークショップもここで行われます(写真撮影/KRIS KANG)

庭にある葉さんのアトリエでは、お客様の要望に合わせてパーツをつくることも。ワークショップもここで行われます(写真撮影/KRIS KANG)

とはいえ、将来は台湾・台東に移住したいと考えていて、今はその準備期間なのだそうです。花蓮出身の葉さん、ゆくゆくは「台東と花蓮の間にあるものすごい田舎の長浜という土地」に住みたいのだとか。台湾の東側には新幹線が通っておらず、交通手段は電車や車、バスくらい。ビジネスをするには不利と思われる辺鄙な場所に、ワークショップやオーダーのためにわざわざお客さんが来てくれるだろうかという不安はありますが、自然が好きで、長浜には友達がたくさんいます。台北から北投に移住したのは、台東よりは栄えている北投にまず移って、どうしたらビジネスとして成り立つかを調査するためでもあるそうです。

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

室内に、光がさんさんと降り注ぐ(写真撮影/KRIS KANG)

室内に、光がさんさんと降り注ぐ(写真撮影/KRIS KANG)

コロナウイルスの流行により、これまでの価値観や、暮らし方と働き方についての考えが大きく変わった人は少なくないはずです。日本でも、郊外や地方に移住したい、複数の拠点を持ちたいといった需要が増えているようです。これからますます暮らしや仕事が多様化していくなかで、葉さんの暮らし方と働き方は、一つのモデルケースになるように思えました。

そして、昨年と今年で計7軒の台湾の家と暮らしを取材させていただきましたが、誰もが自分らしいオリジナルな生き方を力強く模索していました。みなさんの「新しい暮らし」のヒントになれば幸いです。

葉さん作のオーダーメイド自転車(写真撮影/KRIS KANG)

葉さん作のオーダーメイド自転車(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

SF映画みたいな「未来のまち」が現実に! テクノロジーを駆使したまちづくり

コロナ禍のまっただ中の2020年5月27日、参院本会議で可決された「スーパーシティ法案」。これによって、今後の日本の各地でA I(人工知能)やビッグデータを活用して生活全般をよりスマート化させる技術を実装した街が、本格的に登場することになる。未来の街なんてまだピンと来ない……というわけで、すでにそんなテクノロジーを駆使した「まちづくり事業」の展開を目指すパナソニックとトヨタが今年設立した合弁会社「プライム ライフ テクノロジーズ(以下P L T)」に、未来を見据えたまちづくりとはどのようなものか詳しい話を聞いた。
「あたりまえを変えていく」まちづくりとは?

ロボットが重い荷物を家の中まで運んでくれたり、健康診断を自宅にいながら受けることができたり、自動運転の車で外出ができる――。そんな今私たちが想像できるものを遥かに超える、次世代の人々の暮らし。
私たちの生活にガスや電気が当たり前になったように、これからは先端テクノロジーが生活をサポートすることで、暮らしの「あたりまえ」が変わろうとしている。

そんなまちづくりを進めるPLTを設立したのは、パナソニックとトヨタの2社。

パナソニックは、パナソニック ホームズなどと世界に先駆けて取り組んだスマートシティ「Fujisawaサスティナブル・スマートタウン」(神奈川県藤沢市)が今年で丸5年を迎えた。地域課題を解決するために、エネルギー、セキュリティ、モビリティ、ウェルネス、コミュニティの5つの分野を横断するサービスを提供。例えばコミュニティ内にある高齢者施設の部屋の温度・湿度や居住者の生活リズムを、同社製のエアコンとセンサーを用いることで、見守りを可能にしている。

Fujisawaサスティナブル・スマートタウン(写真提供/パナソニック ホームズ)

Fujisawaサスティナブル・スマートタウン(写真提供/パナソニック ホームズ)

一方でトヨタは今年、モノやサービスがつながる「コネクテッド・シティ」を推進することを発表した。「コネクテッド・シティ」は、人々が生活を送るリアルな環境のもと、自動運転やパーソナルモビリティといった進化した乗り物や、ロボット、スマートホーム技術に人工知能(AI)技術など、最先端テクノロジーを導入した実証都市。ゼロエミッションのモビリティと歩行者が歩く道が血管のように編み巡らされたまちから、「ウーブン・シティ」と名付けられた。実際に、2021年に静岡県裾野市にあるトヨタ工場跡地で着工予定だ。

PLTは、そんな2社のほか、関連会社であったパナソニック ホームズ、トヨタホーム、ミサワホーム、パナソニック建設エンジニアリング、松村組の5社との間で家や街づくりに関するノウハウを共有し、まちづくりに活かしていく。
PLTとしての共同まちづくりプロジェクトは、すでに全国で13ケースが予定されている。

「少子高齢化の影響による空き家の増加であったり、建築業界における就労人口の減少といったさまざまな社会課題を抱えているのが今の日本です。また暮らしの面では、AIやIoTの高度化、5Gの出現などで、現在はダイナミックな暮らしの変化が起きる目前。こうした大きな環境変化が想定される中で、全く新しい価値をもった、次世代の街を提供する必要があると考えました」と同社グループ戦略部主任 佐野遥香さん。

今ある技術やこれから生まれてくる最先端技術を使って、私たちが直面する社会課題に正面から取り組み、より良い生活を目指すまちづくりに期待が膨らむ。

同社まちづくり事業企画部 担当課長の粂田(くめだ)和伸さんは、「想像を超えた暮らしを実現したい」と語る。

「これまでは家を建てて売るということを事業の中心として行ってきましたが、今後は“くらしサービス事業者”として街全体をプロデュースしていきたいです」(粂田さん)

生活を支えながら、技術で社会課題も解決

具体的にはどのような街をつくろうとしているのだろうか。それを語るに欠かせないのが、トヨタのモビリティ技術、パナソニックのAIや先進デジタル技術を中心とした、グループ会社5社のノウハウによる家づくりだ。

「これまで1社だけで活用していた技術を、PLTではグループ各社と分け合っていけることが強みなんです」と話すのは、同社技術企画推進部 担当部長の小島昌幸さん。

左から、PLTまちづくり事業企画部担当課長の粂田和伸さん、PLT技術企画推進部担当部長の小島昌幸さん(写真提供/プライム ライフ テクノロジーズ)

左から、PLTまちづくり事業企画部担当課長の粂田和伸さん、PLT技術企画推進部担当部長の小島昌幸さん(写真提供/プライム ライフ テクノロジーズ)

例えば地震が起きたとき、ミサワホームが開発した「GAINET (ガイネット)」という、外出先からも瞬時に建物の被災度が分かる技術を、今後はパナソニック ホームズやトヨタホームが提供する住宅にも導入を検討しているという。このサービスは、万一の時には、被災した家の復旧支援を一早く提供することを可能にした技術でもある。

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建物の被災度が瞬時に分かるミサワホームの「GAINET(ガイネット)」は、今後P L T各社の新築物件でも導入できるよう検討中だという(写真提供/ミサワホーム)

建物の被災度が瞬時に分かるミサワホームの「GAINET(ガイネット)」は、今後P L T各社の新築物件でも導入できるよう検討中だという(写真提供/ミサワホーム)

また、近ごろ頻発している自然災害による長時間の停電対策として、トヨタ自動車からの技術支援を受け、一般的に広まっているハイブリッド車・プラグインハイブリット車の車載蓄電池からAC100V・1500W電力供給機能を住宅・建設物につなぐことで、安全な非常用電源として使えるようトヨタホームが研究開発中だという。この技術は、ミサワホーム、パナソニック ホームズが提供する住宅への展開も予定しているのだとか。

災害の多い日本では、災害対策された住まいへのニーズも高まっている。オンラインでつながることによる復旧支援の早期対応や、車載蓄電池を用いた電源確保といった先端テクノロジーを活かした家づくりへの期待は大きい(写真提供/トヨタホーム)

災害の多い日本では、災害対策された住まいへのニーズも高まっている。オンラインでつながることによる復旧支援の早期対応や、車載蓄電池を用いた電源確保といった先端テクノロジーを活かした家づくりへの期待は大きい(写真提供/トヨタホーム)

「技術を活用していくことで、人々の生活を支えながら、社会課題も解決していくことができると思っています」と小島さんは話す。

一方、AIやビッグデータを暮らしに導入することについて、プライバシーや個人情報の扱いなどについての側面から、一部で懸念する声もある。「技術はあくまでも、問題解決の手法。その一面だけを切り取るのではなく、問題解決のための必要ツールとして導入についての理解を得た上で、(セキュリティ面を含め)きちんと運用していくことが大切だと思っています」(小島)

防災対策万全な未来型都市「愛知県みよし市」

PLT設立後の最初の大型プロジェクトとして進行中なのが、愛知県みよし市にある大型分譲地「TENKUU no MORIZONO MIYOSHI MIRAITO(てんくうのもりぞの みよしみらいと)」だ。2020年6月13日から販売が開始されたこの戸建分譲地は、もともとトヨタホームが2018年に着手したプロジェクトで、PLTが掲げる”人と社会がつながるまちづくり“というビジョンに沿って展開した形だ。

TENKUU no MORIZONO MIYOSHI MIRAITOの顔とも言える「MORIZONO HOUSE(もりぞの はうす)」(写真提供/トヨタホーム)

TENKUU no MORIZONO MIYOSHI MIRAITOの顔とも言える「MORIZONO HOUSE(もりぞの はうす)」(写真提供/トヨタホーム)

この分譲地の特徴の一つが、町の中心部にある集会所として機能する、「MORIZONO HOUSE」。スマート防災コミュニティセンターである一方で、先進テクノロジーを用いて、停電時や災害時に一定期間、エネルギーを自給できる自立型の防災センターとして機能するようにつくられるという。さらに、非常用電源として、駆動用バッテリーから電力を取り出すことができるV2H(ヴィークル・トウ・ホーム)スタンド、防災水槽、使用済み車載バッテリーを再利用した、世界初の定置型蓄電システムであるスマートグリーンバッテリー、防災備蓄庫なども設置される。

そのほかに、電動自転車のシェアサイクルや、「次世代型電気自動車(E V)」の導入といったこともすでに予定されている上、先述のMORIZONO HOUSEでは、カルチャースペースや、コミュニティ・ラウンジ・キッチンを設備。コミュニティ内の住民同士の交流を図るパーティーやイベントなどを開催することも想定済みだ。

(写真提供/トヨタホーム)

(写真提供/トヨタホーム)

(写真提供/トヨタホーム)

(写真提供/トヨタホーム)

「例えば複数の企業のサテライトオフィスを街の共有スペースとして利用したり次世代モビリティが自動運転で街の中を自由かつ安全に走行し、高齢者やお子さんの移動手段となっていたり、住宅内のセンサーを設置して音や光を感知するセンシング技術と連携することで、住まいの不具合が生じた際に駆けつけサービスを行うといったことが、近い将来実現できるのではないかと考えています。また、お店に人がモノを買いに行くのではなく、お店を“可動”にすることでモノを欲しいと思っている人のところへお店の方からやってくる、といったこともできるようになるかもしれません。高齢化、ライフスタイルの変化、そしてこのコロナ禍での価値観の変化など、さまざまな暮らしの変化が起きています。でも、最先端の技術を最大限活かすことで、そんな変化に対応した、どんな人にとっても心地よい住まいや街をつくることができると思います」(粂田さん)

PLTには、7社(トヨタ、パナソニック含む)から、それぞれ異なる背景を持った社員が集まってまちづくりに取り組んでいる。小島さんが「この半年は、驚きと勉強の日々だった」というように、ビジネス習慣から持っている技術や知識についても違いがある中で、手を取り合って進めていく道は決して平坦ではないはずだ。だが同時に、社員の士気は高いという。

多様性あるアイデアやソリューションが集まるP L Tが提供する未来型都市が、世界に先駆けて超高齢社会という大きな問題を抱える日本が誇れる社会課題型ソリューションになることを期待したい。

●取材協力
プライム ライフ テクノロジーズ
ブランドメッセージムービー

パリの暮らしとインテリア[5] 郊外の元農家を“週末の家”に。ヘアアーティストとアクセサリーデザイナー夫妻の休日

パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送るパリジャン・パリジェンヌのおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。今回はパリ在住45年のマサトさん(夫)とユキコさん(妻)の住むパリから80km離れたセカンドハウス<ウィークエンドハウス>を訪れました。連載名:パリの暮らしとインテリア
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。森と川、自然に囲まれたパリから80km離れた村へ

パリ在住のマサトさんはパリにヘアサロンを3店舗、日本では2店舗を持つ有名ヘアアーティスト、ユキコさんはアクセサリーデザイナー、独り立ちした娘のアリスさんはグラフィックデザイナー。パリではアパルトマンを5回引越しをし、今は145平米4部屋ある6区の住宅街に住んでいます。今回はそんな家族が週末ごとに集まる、パリから80km離れたButhiers(ビュテイエール)という村にある<ウィークエンドハウス>(とお二人が呼ぶ)まで足を延ばしました。パリ番外編です。

パリからウィークエンドハウスへ向かう間の村。パリから少し離れただけで、アパルトマンではなく一戸建てばかりの町並みに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリからウィークエンドハウスへ向かう間の村。パリから少し離れただけで、アパルトマンではなく一戸建てばかりの町並みに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリからの道中にある有名なクーランス城(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリからの道中にある有名なクーランス城(写真撮影/Manabu Matsunaga)

<ウィークエンドハウス>がある村ビュテイエールは、パリからフォンテーヌブローの森を抜け、ジャン・コクトーが住んでいたことでも有名なミリ=ラ=フォレを過ぎたところにあります。
「周りには森があったり小川や沼があったり愛犬のルーの散歩には絶好のロケーションなんです。この村には友達が住んでいて様子が分かっていたので安心して家を買うことができたのです」とマサトさん。毎日パリへ通勤できる距離でもあり、マサト夫妻のように週末ごとに通ってくる人も多くいます。

別荘購入のきっかけは「娘に良い空気を吸わせたかったから」

普段はパリのアパルトマンから仕事場へ通い、土曜日の夕方から火曜日の夕方まで<ウィークエンドハウス>で過ごすそうです。「ここは2軒目なんです。28年ぐらい前に娘のために購入した1軒目は、ここよりさらにパリから遠く100km離れたシオワという村でした」と購入のきっかけは良い空気を吸わせたいという思いから。
しかし、その家は広大な土地だったので芝刈りも庭師を頼まないとならないほど、そこでもう少しコンパクトで自分たちで全てできるような家を探し始めたのが7年前。そして巡り合ったのが元農家の家の<ウィークエンドハウス>だったそう。

アスファルトを叩いて剥がし少しずつ木を植えたりしているそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アスファルトを叩いて剥がし少しずつ木を植えたりしているそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

敷地は2800平米あり母屋は220平米。母屋の奥の裏庭は自分で草刈りできる程度の理想の広さだとか。農家時代に使用していたものをまだ着手できていないという場所もあるそう。通りから入るとアスファルトの広いスペースがあり、お二人ともここが気に入らない部分だとか(トラクターを乗り入れるためにしょうがなかったのだろうと想像)。正面に2階建ての母屋があり、まずそこを大々的に改装。右隣のトラクターなどの重機を駐車していたガレージの上には小部屋があり、裏庭の先の小高い丘にもまだ手つかずのにわとり小屋がある。

6カ月かけた農家の家の改装はマサトさん自らが設計

この元農家の家はお向かいのおばあちゃんが言うには築200年ぐらい。なんと彼女はこの家の2階で生まれたのだそう。「セカンドハウスというより不自由のない家づくりを目指したので、改装費に購入した金額の3割ぐらいをかけました」とマサトさん。
母屋の内部はマサトさん自ら設計をして、まずは壁などを壊して一部の木床を残し、仕切り直し、パリから業者を呼び寄せ住み込みで半年以上もかけて工事をするという徹底ぶり。

仕切りを外して一室にした大きなサロン。窓の外は芝生の広がる裏庭(写真撮影/Manabu Matsunaga)

仕切りを外して一室にした大きなサロン。窓の外は芝生の広がる裏庭(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンの一角にある暖炉の周りはくつろぎのスペース。左の壁にはアフリカのマリ人アーティストのAMADOU SANOGO(アマドゥ・サノゴ)の2016年の作品が飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンの一角にある暖炉の周りはくつろぎのスペース。左の壁にはアフリカのマリ人アーティストのAMADOU SANOGO(アマドゥ・サノゴ)の2016年の作品が飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

50年代を意識したインテリアはル・コルビュジエやイームズ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

50年代を意識したインテリアはル・コルビュジエやイームズ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アメリカンなコーナーには蚤の市で見つけた農業用のフォーク、アメリカから持ち帰った角が飾られてる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アメリカンなコーナーには蚤の市で見つけた農業用のフォーク、アメリカから持ち帰った角が飾られてる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

マサトさんが設計するにあたってまず着手したのは1階の<大きなサロン>だったそう。「そこにいろいろなスタイルの空間をつくりたいと考えていたんです」とマサトさん。改装後、大きなサロンは三つに分けられ、グレーの暖炉スペース、赤が基調のミッドセンチュリーモダンの家具のスペース、そしてアメリカンなスペース。どこで過ごしても居心地が良さそうだ。
「元農家の家は窓も小さく暗い印象だったので、明かりとりの小窓をつくったらどうか?と考えたんです」とマサトさん。その効果があって、大きなサロンのどこでくつろいでも穏やかな光に包まれる。

コーナーごとにテーマを持たせて家を飾る

お二人の趣味は全く同じではなくユキコさんはシックなバロック風が好き、マサトさんはナチュラルなアフリカものが好きなのだそう。マサトさんは撮影旅行であらゆるところに行き、そのたびにその土地ならではのものが欲しくなってしまうのだとか。この部分はユキコさんとも共通している。
旅した土地で必ず蚤の市やアンティークショップに寄り、古いものからインスピレーションを受けることも多いと二人は話す。今つくられたものより古いものに惹かれるというのも同じ。
しかし「長年一緒に住んでいても趣味が違うのは仕方がないと思うんです。そこで部屋のコーナーごとにテーマ性をもたせて飾ることを思いついたんです」とユキコさん。家全体で見てみると、お二人の趣味が調和され、より魅力的な空間になっていることが分かる。

藤で編んだサボテンのオブジェはスペインを旅した時に、藁で編んだ馬は南仏のカマルグで、旅で出会って家に飾るというのがお二人のスタイル(写真撮影/Manabu Matsunaga)

藤で編んだサボテンのオブジェはスペインを旅した時に、藁で編んだ馬は南仏のカマルグで、旅で出会って家に飾るというのがお二人のスタイル(写真撮影/Manabu Matsunaga)

イームズの棚には旅各地の蚤の市で見つけたものが飾られている。肖像画はalexis kaloeffのサイン入り。ジャン・コクトーのお皿は近くの蚤の市で購入。かなり古いものらしい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

イームズの棚には旅各地の蚤の市で見つけたものが飾られている。肖像画はalexis kaloeffのサイン入り。ジャン・コクトーのお皿は近くの蚤の市で購入。かなり古いものらしい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階は大きなサロンのほかにキッチンとダイニングがあり、サロンとの仕切りの壁にも小窓をつくり、クリスタルの食器や陶器の果物が飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階は大きなサロンのほかにキッチンとダイニングがあり、サロンとの仕切りの壁にも小窓をつくり、クリスタルの食器や陶器の果物が飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

<食>にちなんでダイニングの食器戸棚の上には、テリーヌポットとテーブル静物画が飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

<食>にちなんでダイニングの食器戸棚の上には、テリーヌポットとテーブル静物画が飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

チェストの上はユキコさんの好きなバロック風。ガラスドームの中のアンティークのオブジェは昔の流行の結婚式の引き出物のスタイル、ミリ=ラ=フォレの蚤の市で購入(写真撮影/Manabu Matsunaga)

チェストの上はユキコさんの好きなバロック風。ガラスドームの中のアンティークのオブジェは昔の流行の結婚式の引き出物のスタイル、ミリ=ラ=フォレの蚤の市で購入(写真撮影/Manabu Matsunaga)

好きなものだけを家に置く、という徹底したスタイルでこれらのコーナーは何年もかけて築き上げられたもの。「このウィークエンドハウスは飾ることを楽しめる家」とマサトさん。まだまだ進化していく途中と楽しそうに話してくれました。インテリアのへのそんな情熱はどこから湧き上がってくるのでしょうか?

インテリアのヒントは、旅の度に訪れる公開されている著名人の家から

「私たちはインテリア好きで、旅行先でも人の家(一般公開されている著名人の家)を見ることが共通な趣味なんです」とユキコさん。家を見て回るのはその人となりのスタイルが垣間見れ、この空間で彼らが暮らしていたのかーと想いを馳せることがとても興味深いのだとか。
「例えばアメリカ縦断の旅(3週間)でエルヴィス・プレスリーの家を見に行きました。大きくはない家でしたが家を挟んだ通りの向こうには専用飛行場があって驚きました」とお二人。
「建築家フランク・ロイド・ライトの家も感銘受けました。何もないところにひっそりと立つ姿には感動です」とマサトさん。
「この近くの村ミリ=ラ=フォレにはジャン・コクトーの家も公開されているのですよ。家だけではなく彼の庭づくりも参考になりおすすめです」とユキコさん。
このように、お二人が熱く語る著名人の家の数々からヒントを得て、”人となりの現れる<家>”という捉え方を常に意識しながら家づくりに励んでいるのだそう。どこかで見たヒントから自分らしい家づくりが生まれてくるとも。

階段下の廊下の壁には額がたくさん飾られています。額装された鏡と旅で見つけた田舎の風景画をミックスするのがマサトさん風(写真撮影/Manabu Matsunaga)

階段下の廊下の壁には額がたくさん飾られています。額装された鏡と旅で見つけた田舎の風景画をミックスするのがマサトさん風(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コロナ外出規制時の一番大掛かりなDIYは寝室の壁の塗り替え

1階には大きなサロンとキッチンとダイニング、2階にはご夫婦の寝室とは別に3部屋の客室があります。2階の一番奥にあるお二人の寝室も新たに設計し改装したそうです。
「寝るための寝室というよりは、ここでもくつろげるスペースをつくりたかったので、かなり広く設計しました」とマサトさん。ベッドのほかに椅子とテーブルを窓辺に設置。庭を見下ろす形に窓が配置され、ここでも明かり取りの小窓が空間を個性的に照らしています。

コロナによる外出規制の時に、壁の一面だけをブルーに塗り直したお二人の寝室(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コロナによる外出規制の時に、壁の一面だけをブルーに塗り直したお二人の寝室(写真撮影/Manabu Matsunaga)

塗り直した壁には額装した京都の着物の生地の原画が飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

塗り直した壁には額装した京都の着物の生地の原画が飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

映画運動・ヌーヴェヴァーバーグの象徴とも言える赤のソファー。天窓があり、とても明るい室内(写真撮影/Manabu Matsunaga)

映画運動・ヌーヴェヴァーバーグの象徴とも言える赤のソファー。天窓があり、とても明るい室内(写真撮影/Manabu Matsunaga)

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「客室3室は壁紙が素敵だったので、一部を残してほかは白のペンキで仕上げました」とゆきこさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「客室3室は壁紙が素敵だったので、一部を残してほかは白のペンキで仕上げました」とゆきこさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「ウィークエンドハウスに欠かせないのは客室」とお二人。友達が遠くから来てくれて日帰りというのは実に味気ないとか。パリとは違ってゆっくりとした時間、良い空気、自然を身近に感じられる魅力を友達にも味わってほしいからだそう。
コロナの外出規制の時にパリではなく<ウィークエンドハウス>で2カ月以上生活をしていたお二人。この時ばかりと壁のペンキ塗りをしたり、家の細々したことに手間をかけることができた貴重な時間だったと振り返ります。

庭があることで外出制限の息苦しさを感じることなく過ごせたそう。確かにパリのマンションで家族全員が顔を合わせ、必要な買い物も1時間以内、歩き回れるのも直径100m以内という一番厳しい規制があった時には、この家はパラダイスだったはずです。

次回はそんな庭での過ごし方、マサトさんの陶芸アトリエ、夏の部屋などをご紹介していきます。

(文/松永麻衣子)

遊休地に屋台などでにぎわいを。3密を避けたウィズコロナ時代のまちづくり

新型コロナウイルスの感染リスクを低減しつつ、街のにぎわいを生み出すにはどうしたらいいのか、テラス席を設置して活用するなど、屋外を有効利用しようという試みが世界中ではじめられています。今回は都市部にある遊休地を活用して、半屋外・風通しのよい環境でにぎわいを生み出す取り組みをご紹介します。
高架下・建設予定地・空き店舗など、都市部には遊休地がいっぱい

遊休地とは、利用されていない土地のこと。地価が高く、土地の高度利用が進んでいる都市部ですが、鉄道や高速道路の高架下、建設予定地、空き店舗など、実は使われていない土地=遊休地は意外にたくさんあるもの。しかも空き家問題が進んでいることから、遊休地が増えているといいます。また、2020年の新型コロナウイルスの影響で、再開発事業などもストップし、一時的に塩漬けになっている土地もあるとか。

遊休地は一見するとなにも問題ないように見えますが、街のにぎわいが損なわれますし、放置されて不法投棄などがされれば、治安や景観にマイナスとなります。

「私自身、まちづくりや都市開発に14年ほど携わってきましたが、空き地や空き店舗など都市部の空洞化、スポンジ化が大きな課題のひとつでした。遊休地や空き家・空き地は街の活力を奪い、心理的にも視覚的にも大きなデメリットになっているんです」と話すのは、遊休地に屋台を並べて新しいにぎわいを創出している「Replace」の中谷タスク(なかたに たすく)さん。

写真最左が中谷 タスクさん(写真提供/Replace)

写真最左が中谷 タスクさん(写真提供/Replace)

課題となっている遊休地でなにかできないか、中谷さんが考えだしたのが「屋台」という手法です。飲食店は店舗を構えるとなると1000万円以上の費用が必要になり、それが経営の大きな負担になっています。ただ、屋台であれば初期費用が店舗と比較して1/20以下、キッチンカーと比べても1/6以下で済み、利益を生みやすくなります。

また、土地の所有者からすると、活用しかねていた土地を貸すことによる賃料収入を得ることができ、街ににぎわいも創出できるというメリットがあります。

京都府京都市の「梅小路京都西駅」の廃線跡の「梅小路ハイライン」に小籠包やクラフトビール、おでんなどの屋台が並ぶ様子。屋台って並んでいるとやっぱりワクワクしますよね……。8月7日からエリアを拡大してリニューアルオープンするとのこと(写真提供/Replace)

京都府京都市の「梅小路京都西駅」の廃線跡の「梅小路ハイライン」に小籠包やクラフトビール、おでんなどの屋台が並ぶ様子。屋台って並んでいるとやっぱりワクワクしますよね……。8月7日からエリアを拡大してリニューアルオープンするとのこと(写真提供/Replace)

「今までにぎわい創出を目的として、土地所有者、例えば鉄道事業者などがイベント開催費用を負担していましたが、この仕組みでは反対に賃料収入を得られる。何よりにぎわいも生み出せて、地域のブランド力の向上につながると考えています」(中谷さん)。

また、屋台そのもののデザイン性を向上させ、スタイリッシュな印象にしているのも印象的です。

実際、以前は不法投棄や違法駐輪でいっぱいだった大阪環状線天満駅の遊休地で中谷さんが実施した「ほんまのYATAI天満」では、駅の印象を大きく変えただけでなく、「この場所に来たい」と屋台を目当てに訪れる人も増えているとか。遊休地が資産になっている好例といえるでしょう。

「ほんまのYATAI天満」には焼き鳥、台湾料理、沖縄料理などの幅広い種類の飲食店の屋台がならぶ(写真提供/Replace)

「ほんまのYATAI天満」には焼き鳥、台湾料理、沖縄料理などの幅広い種類の飲食店の屋台がならぶ(写真提供/Replace)

屋台は半屋外で風通しのよさは抜群。でも人との距離が近い…

新型コロナウイルスの対策でいうと、屋台は「屋外」になるので、「密閉」にはなりませんし、お弁当やテイクアウトなどの業態とも親和性が高く、時流にあわせて業態を変えられるのも大きな魅力です。

「ただ、屋台では店主と客、客同士、つまり人との距離が近いことがあるんです。ここで会話がうまれて、新しい交流がうまれる。一方で、アルコールが入ることも多く、『密接』に近くなることも。そこはマスクや消毒など対策を徹底しつつ、取り組んでいます」と話します。

現在、Replaceには廃線跡や高架下、公開空地などに出店しないかという引き合いも多いといいます。
「屋台を始めたいという飲食店側、土地の所有者、それぞれからの問い合わせが増えています。街のにぎわいを絵に描くだけでなく、実際につくりだしていけたらと思っています」(中谷さん)

高架下はホステルやスポーツイベントにも活用できる

遊休地の活用法は飲食店だけではありません。「Tinys Yokohama Hinodecho(タイニーズ横浜日ノ出町)」(神奈川県横浜市)は、鉄道の高架下に複数のタイニーハウス(小型の移動できる住まい)を設置して「Tinys Hostel (タイニーズホステル)」とイベント・飲食スペース「Tinys Living Hub(タイニーズリビングハブ)」のほか、目の前を流れる大岡川で水上スポーツ「SUP(スタンドアップパドルボード)」などが体験できる「Paddlers+(パドラーズプラス)」からなる複合施設です。可動式の5台のタイニーハウスを設置することで、食べるだけでなく、遊ぶ、集うということも可能です。この「Tinys Yokohama Hinodecho」を運営する川口直人さんは、高架下の遊休地の可能性についてこう話します。

鉄道の高架下に可動式のタイニーハウスを並べてできた「Tinys Yokohama Hinodecho」(写真提供/YADOKARI)

鉄道の高架下に可動式のタイニーハウスを並べてできた「Tinys Yokohama Hinodecho」(写真提供/YADOKARI)

「Tinys Yokohama Hinodecho」にはタイニーズホステルがあり、宿泊も可能に(写真提供/YADOKARI)

「Tinys Yokohama Hinodecho」にはタイニーズホステルがあり、宿泊も可能に(写真提供/YADOKARI)

高架下は半屋外なので換気は良好。密を避けるにはぴったりの環境だ(写真提供/YADOKARI)

高架下は半屋外なので換気は良好。密を避けるにはぴったりの環境だ(写真提供/YADOKARI)

「遊休地は土地の所有者が今後、どうするか決めかねているということも多いもの。建築物は一度、つくってしまうと動かせませんが、可動式の施設を使うというのは、相性がいいのかもしれません。このスタイルだと、一時的にお試し・実験的に事業をすることも可能です。また、今回の新型コロナ対策のように大きな変化があっても、柔軟に対応することができます」と川口さん。

ちなみに「Tinys Yokohama Hinodecho」ができたのは2018年。もともとは違法風俗店が立ち並んでいたエリアでしたが、アートによるまちづくり、「Tinys Yokohama Hinodecho」などの努力によって、街の雰囲気が大きく変わりつつあった矢先、今回の新型コロナ騒動がおきました。今後のにぎわいについてどのように考えているのでしょうか。

「高架下は屋根や壁がなく、半屋外になるため実は換気が抜群なんです。また、タイニーズ横浜日ノ出町では基本的には外から何をしているのか見えるデザインになっています。ウィズコロナでは外から何をしているのか、にぎわいが可視化されて、不安を取り除けることがとても大切だと考えています」(川口さん)

大岡川から川を下れば、みなとみらいの風景を眺めながら水上スポーツ「SUP(スタンドアップパドルボード)ができる(写真提供/YADOKARI @横浜SUP倶楽部)

大岡川から川を下れば、みなとみらいの風景を眺めながら水上スポーツ「SUP(スタンドアップパドルボード)ができる(写真提供/YADOKARI @横浜SUP倶楽部)

さすがに密接・密集になるようなイベントはできませんが、それでもにぎわいを取り戻すための取り組みは続けています。

「街のにぎわいは、人が集まり、交流からうまれます。人が集まって語らうことは、街を守ることにもつながります。感染を恐れるあまりネガティブになりすぎるのではなく、気をつけながら街が少しずつ回復していくことを願っています」と川口さん。

「遊休地」を単なる「困った場所」ではなく、新しいにぎわいの場所とするために、試行錯誤はまだまだ続きそうです。

●取材協力
STAND3.0
Tinys Yokohama Hinodecho(タイニーズ横浜日ノ出町)

コロナ禍で変わる賃貸物件のニーズ。多拠点、コミュニティ、ストーリーがキーワード

ここ数年、「デュアラー(二拠点居住者)」や「アドレスホッパー」など、新たな住まい方をする人が出現し、それらの多様なニーズに応える賃貸や宿のサービスが展開されてきました。さらに新型コロナウイルスの影響を受け、家で過ごす時間が増えたことで賃貸物件の選び方や求める条件も変わってきているようです。
そこで今回は、全国賃貸住宅新聞の編集長・永井ゆかりさんに、いま注目を集めている賃貸物件やこれからの部屋さがしについてお話を聞きました。今回、お話を聞いた全国賃貸住宅新聞の永井ゆかり編集長(写真/全国賃貸住宅新聞)

今回、お話を聞いた全国賃貸住宅新聞の永井ゆかり編集長(写真/全国賃貸住宅新聞)

コロナの影響で「住まいに求めるもの」が変わった!

SUUMOが6月30日に発表した「コロナ禍を受けた『住宅購入・建築検討者』調査(首都圏)」では、コロナ禍を経て、今まで住まい選びの筆頭条件のひとつだった「駅からの距離」よりも「広さ」を求める傾向が強まっていることが明らかになりました。賃貸物件に求める条件が大きく変わってきていると同時に、広さや駅からの距離など、これまでの指標となってきた条件だけではない選び方が広がっているようです。

今回の調査で「駅からの距離」よりも「広さ」を重視する人が10ポイントほど増加した(資料/SUUMO)

今回の調査で「駅からの距離」よりも「広さ」を重視する人が10ポイントほど増加した(資料/SUUMO)

「コロナ以前は、最寄駅へ徒歩での移動が難しいバス便の物件などでは、明確に『そこに住む理由』がないと、みなさんの検討に入って来ませんでした。結果、駅からの距離が近く、立地の良い物件に人気が集まってきたと思います。ところが今、テレワークや自宅学習の時間が増え、物件を探すときの条件の中で通勤・通学に必要な『アクセス利便性』の優先順位が下がってきているように感じます。

実際に4月以降、湘南でしばらく空室になっていた一戸建て賃貸の数棟が満室になった話を聞きました。これまでこの物件に入居する人はサーファーや自営業など仕事に融通がきく人が多かったようですが、今回新たに入居した人のなかには会社勤めのファミリーもいたそうです。本当は海の近くに住みたいと思っていながら職場へのアクセスを重視して都心に住んでいた人たちが、テレワークが可能になって一気に動いたわけです」(永井さん、以下同)

海沿いの一戸建賃貸の入居率が上がるなど、テレワークによって場所に縛られない働き方が可能になり「本当に住みたい」場所を選ぶ人が増えている(写真/PIXTA)

海沿いの一戸建賃貸の入居率が上がるなど、テレワークによって場所に縛られない働き方が可能になり「本当に住みたい」場所を選ぶ人が増えている(写真/PIXTA)

これまで賃貸物件で重視されてきた条件の優先順位づけが変わる一方で、海に近い一戸建て賃貸住宅の例をはじめ、住む人の志向に応じていっそう「ニーズの多様化」が進んでいると言えそうですね。

「何が起こるか分からない」なかで「住む場所を選べる」強み

このように新型コロナの影響を経て、人びとの働き方や住まいに求めるものが変わっているのを感じます。ここ数年注目を集めている賃貸物件の傾向と、それらのコロナ禍を受けての影響、さらに今後どのように変化していくのかを伺ってみました。

「まず1つ目として多拠点居住をする人たちは間違いなく増えるでしょう。例えば、ここ数年のうちには、10世帯のうち2~3世帯はいろいろなところに拠点を確保して、1つの物件には1年のうち数カ月しか居住していないという状況になるかもしれません。そんなスタイルに応じたサブスク的な(一定期間、一定額で利用できるような)住み方ができるサービスがどんどん出てきています」

サブスク、多拠点といえば、ここ1~2年、定額住み放題型の多拠点居住サービスが注目を集めています。多拠点居住のスタイルは移動を前提としているので、かなりのコロナの影響が出たのではと思われますが……。

「定額住み放題サービスを提供している『ADDress(アドレス)』の代表・佐別当(さべっとう)隆志さんや『HafH(ハフ)』の代表・大瀬良亮さんのお話を聞くと、やはり拠点によって利用頻度が下がるなどの影響があったようです。けれども、近年の災害の多発、世界規模のコロナ感染など『何が起こるか分からない』世の中になりつつあるなかで、住む場所が複数ある状態は自分の生活を守る『防御策』にもなりうるといいます」

全国の空き家を活用した定額住み放題サービスを提供する「ADDress」。それぞれの地域の自然やコミュニケーションを楽しむなど、利用目的はさまざま(写真提供/ADDress)

全国の空き家を活用した定額住み放題サービスを提供する「ADDress」。それぞれの地域の自然やコミュニケーションを楽しむなど、利用目的はさまざま(写真提供/ADDress)

世界に200の拠点をもつ定額制住み放題サービス「HafH」は「出会える、学べる、働ける」がコンセプト。ウィズコロナ時代に合わせて個室のある拠点も増やしている(写真提供/KabuK Style)

世界に200の拠点をもつ定額制住み放題サービス「HafH」は「出会える、学べる、働ける」がコンセプト。ウィズコロナ時代に合わせて個室のある拠点も増やしている(写真提供/KabuK Style)

HafH Goto The Pier(長崎県五島市)の部屋(写真提供/KabuK Style)

HafH Goto The Pier(長崎県五島市)の部屋(写真提供/KabuK Style)

実は筆者も昨年から東京と佐賀の2拠点生活をしていますが、たしかに住まいの選択肢を複数もっていることで心理的な「自由」と「選択できる余裕」を持つことができているように思います。

いざというときに心強い「コミュニティ型賃貸」

また、選べる自由を手に入れたとき、筆者がまず選んだのは親類や友人など「頼れる人」の多い場所でした。賃貸物件を選ぶ際にも、同じようにこの点を重視する人は多そうです。

「非常時にこそ、その重要性を再認識できるのが『コミュニティ』ですよね。これから注目される賃貸物件の2つ目としては、改めて『コミュニティ型賃貸』が支持されていくように思います。

例えば溝ノ口の『キャムスクエア』では、入居契約時に『笑顔特約』を設け、ほかの人とすれ違ったときに笑顔で挨拶を交わすことを約束しています。地域とつながることを大切にし、周辺のお店やイベントなど、さまざまな情報を共有するためにオーナーさんと入居者さんはLINEで繋がっているそうです。挨拶や小さな不具合の相談など、日々のコミュニケーションが生まれることで防犯や非常時の情報共有にも役立ちます」

キャムスクエアでは「笑顔特約」を設けたり、鍵を渡すときにキーホルダーをプレゼントするなど、入居時からコミュニケーションを大切にしている(写真提供/わくわく賃貸)

キャムスクエアでは「笑顔特約」を設けたり、鍵を渡すときにキーホルダーをプレゼントするなど、入居時からコミュニケーションを大切にしている(写真提供/わくわく賃貸)

(写真提供/わくわく賃貸)

(写真提供/わくわく賃貸)

「コミュニティ型賃貸」といえば、ここ十数年で「シェアハウス」も増えました。複数の世帯が同じ空間で過ごすシェアハウスでは「密」を生むことへの懸念などもあったのではないでしょうか。

「はい、コロナ禍で『シェアハウスは大丈夫?』と多くの人に聞かれました。結論からいうと、物件ごとに感染対策をしっかり採られたうえでなら、複数人で暮らすことのリスクよりも共有スペースがあることなどのメリットが上回ったといえます。広い共有スペースはテレワークがしやすく、誰かの気配を感じながら仕事ができますから」

共有スペースを有するシェアハウスは、テレワークにも最適(写真/PIXTA)

共有スペースを有するシェアハウスは、テレワークにも最適(写真/PIXTA)

それぞれの物件がもつ「ストーリー」に共感

たしかに誰かの気配を感じることが落ち着く、という感覚に納得しますし、入居者間のコミュニケーションを大切にしている物件には魅力を感じます。一方で、ひとりで過ごす場所やプライベートな時間を重視する人もいて、ニーズが多様化していることを感じます。個人によって好みや志向が異なるなかで、多くの人の支持や注目を集める物件も出てくるでしょうか?

「これからは“ストーリー”や“住みたい理由”を持つ物件に魅力を感じる人が増えるでしょう。八王子にある『アパートキタノ』は、DIYを前提として住む人が自由にお部屋を変えることができます。この自由さに共感したクリエイティブな人たちが集まり、SNSなどでDIY事例やこの物件の魅力を発信するため、さらに人気が高まっているといいます。

賃貸物件を探すときには、これからの生活をイメージしながらワクワクする物件を探したいですよね。ぜひ“ストーリーのある物件”を見つけていただければと思います」

京王線・北野駅から徒歩15分ほどの場所にある「アパートキタノ」。築26年の趣を感じさせるDIY前の部屋の様子(画像提供/アパートキタノ)

京王線・北野駅から徒歩15分ほどの場所にある「アパートキタノ」。築26年の趣を感じさせるDIY前の部屋の様子(画像提供/アパートキタノ)

「アパートキタノ」に住む沼田汐里さんがDIYしたお部屋。板張りの壁にDIYを施されたインテリアがオシャレ(画像提供/アパートキタノ)

「アパートキタノ」に住む沼田汐里さんがDIYしたお部屋。板張りの壁にDIYを施されたインテリアがオシャレ(画像提供/アパートキタノ)

アクセサリー作家・大坪郁乃さんがDIYして住んでいるお部屋。白とグレーのペンキを混ぜて壁を塗っている(画像提供/アパートキタノ)

アクセサリー作家・大坪郁乃さんがDIYして住んでいるお部屋。白とグレーのペンキを混ぜて壁を塗っている(画像提供/アパートキタノ)

まだまだ手探り、これからも変化しつづける賃貸物件

これまで新しい取り組みを行っている物件やサービスをたくさん紹介いただきましたが、このような時代の流れにあわせて、大手の住宅メーカーも新しい商品開発に着手し始めたようですね。

「大東建託が7月1日からテレワーク対応型の間取りプランを採用した賃貸住宅の販売を開始しました。このように専用部に仕事ができる場所を確保することはもちろん、共用部にワークスペースを併設したり、1階のテナントにコワーキングスペースが入っている物件なども今後増えていくかもしれませんね」

大東建託が7月1日より販売開始した「DK SELECT」ブランドの賃貸住宅(資料/大東建託プレスリリース)

大東建託が7月1日より販売開始した「DK SELECT」ブランドの賃貸住宅(資料/大東建託プレスリリース)

一方で従来のスタイルの賃貸物件においては、大家さんがポストコロナの生活への対応についてまだまだ手探りの状態で、課題も多いと言います。

「例えばテレワークの時間が増えたことで、『インターネット回線の接続が良くない』というクレームが増えたそうです。これまでは入居する人も大家さんも、通信速度や安定性まで強く意識する機会は少なかったのではないでしょうか。物件の仕様もウィズコロナ・ポストコロナの生活スタイルに応じて変わっていくかもしれませんね」

テレワークの機会が増えたことにより、「インターネット接続の安定性」など、これまで意識しなかった点も物件探しのポイントになるかもしれない(写真/PIXTA)

テレワークの機会が増えたことにより、「インターネット接続の安定性」など、これまで意識しなかった点も物件探しのポイントになるかもしれない(写真/PIXTA)

永井さんにお話いただいたように、これからは専用のワークスペースがある物件や地域や入居者間のコミュニティを大切に築く物件、簡単に貸し借りができるような賃貸物件が増えていきそうです。また、距離に縛られなくなれば、住む場所の選択肢も広がります。

自分がどんな暮らしをしたいのか、どんな毎日ならワクワクするのか、もう一度自分の「好きなもの、好きなこと」を見直すことが、ダイレクトに賃貸物件選択につながる――。部屋探しもますます自分らしく楽しむ時代になりつつあるのかもしれませんね。

●取材協力
・全国賃貸住宅新聞
・ADDress
・HafH
・KabuK Style
・キャムスクエア
・アパートキタノ

テレワーク、自宅で集中できない! ホテル活用などで“プレ移住”する人も

新型コロナウイルスの影響で突如テレワークがはじまったりと、働き方・暮らし方が大きく変化する昨今。オフィス勤務が再開したところもありますが、テレワークが継続されていたり、週に数回のテレワークが導入されたというケースも多いようです。一方で、自宅での仕事でストレスがたまる人もいることでしょう。では、自宅以外で「働く場所」にはどのような選択肢が出てきているのでしょうか。身近な場所と最近のトレンドを取材してみました。
テレワークの不満は「スペースに関すること」が上位に

家などで仕事をする「テレワーク」。日本でも「100%リモートにする」「出社を週1回のみとする」企業が出るなど、新しい生活様式として広まりつつあります。ただ、日本の住まいは広さにゆとりが少ないものも多く、家族がくつろぐことを念頭に置いて設計されているため、「自宅で仕事できない」「仕事しにくい」という人は少なくありません。

先日、発表されたリクルート住まいカンパニーの調査でも、「オンオフの切り替えがしづらい」「仕事専用スペースがない」「仕事用のデスク/椅子がない」「1人で集中するスペースがない」といった「場所」に関するものが上位に来ていました。

仕事専用のスペース/デスク/椅子/モニタやプリンターなどの備品への不満も。働く環境を(出典/SUUMO)

仕事専用のスペース/デスク/椅子/モニタやプリンターなどの備品への不満も。働く環境を(出典/SUUMO)

では、オフィスに出社できない、自宅では仕事がしにくいという人はどこで仕事をすればよいのでしょうか。最近では、まちなかに場所を求める人も出てきているようです。そんな身近な場所から紹介していきましょう。

ネット環境も完備されたカラオケの個室は、働く場所としても最適

オフィス候補になりそうな場所、その一つは「カラオケ」の一室です。全国に約500店舗あるカラオケルーム「ビッグエコー」では、テレワークの場所として、カラオケの一室を使うことを提案するビジネスプランを2017年からはじめています。確かにカラオケ店であれば、便利な場所にあることも多く、インターネット環境が整っていれば、働く場所としてはぴったりといえます。気になる音ですが、ルーム内での話声などは通路や他ルームには聞こえませんが、近くの部屋でカラオケ利用があると、歌声や音がわずかに響くことがあるといいます。

カラオケの個室で仕事をする「オフィスボックス」のイメージ。アクセスしやすい場所にあり、価格も手ごろで利用しやすいのも魅力的(写真提供:第一興商)

カラオケの個室で仕事をする「オフィスボックス」のイメージ。アクセスしやすい場所にあり、価格も手ごろで利用しやすいのも魅力的(写真提供:第一興商)

ビッグエコーを運営する第一興商のコミュニケーションデザイン部PR・SP課 吉野明美さんによると、このオフィスボックスの利用者は伸び続けていて、最近では企業からの問い合わせも増えているとのこと。

「もともと、働き方改革のなかでカラオケの一室を『はたらく場所として提供できないか』とはじめた取り組みです。基本的にはお一人で利用されることを想定していましたが、最近では、『会議室プラン』を設けて、ソーシャルディスタンスを保ちながら複数人で利用できるプランもはじめました」と話します。

毎日、利用しなくとも、集中して仕事をしたいとき、オンライン会議のときだけでも、店舗を利用するのもいいかもしれません。

※広さを確保し、ソーシャルディスタンスを保ちながらの利用も可能(写真提供:第一興商)

※広さを確保し、ソーシャルディスタンスを保ちながらの利用も可能(写真提供:第一興商)

一方、課題となるのは、やはり「密」にならないこと。複数人数利用の場合は、距離をとれるよう広めの部屋を案内してくれるとのこと。これから、働く場所のひとつとして、「カラオケ店」、案外、普及していくかもしれません。

住まいのサブスクに申し込み急増。「お試し移住」も可能に

ただ、テレワークであれば、今住んでいる場所にとらわれる必要はなく、郊外、地方で「働く」ことも視野に入ってくることでしょう。実際、冒頭にも紹介したリクルート住まいカンパニーの調査の住み替え希望ではそもそもの「住む場所」を見直す傾向にあるようです。

リクルート住まいカンパニーが発表した今後の住み替えたい住宅の希望条件より。「通勤利便性より周辺環境重視で住み替えたい」など、立地に関する希望があがってきています。職住近接至上主義から変化の兆しが見てとれます(出典/SUUMO)

リクルート住まいカンパニーが発表した今後の住み替えたい住宅の希望条件より。「通勤利便性より周辺環境重視で住み替えたい」など、立地に関する希望があがってきています。職住近接至上主義から変化の兆しが見てとれます(出典/SUUMO)

全国60カ所以上の拠点に定額住み放題をうたっている「ADDress」でも、この影響は大きくでていて、問い合わせや加入が急増しているとか。
「テレワークが多くの企業で推進されたことにより、お問い合わせや入会者が増えています。必ずしも、高い家賃を払い続けて都心のオフィス近郊に住む必要がなくなり、通勤ラッシュの電車に乗る日々の都会生活が見直されています」と話すのは同社取締役の桜井里子さん。もともと多かったフリーランスや個人事業主の会員に加えて、会社員が加入したいと希望しているのが特色だそう。

「弊社の物件のほとんどは一戸建てで、コリビングスペースと個室があり、仕事ができるようになっているのが特色です。仕事する場所としてネット環境は整っていますから、テレワークとはとても相性がよいです。また、住み替え希望者や移住の前の「プレ生活」というご利用も増えています」(桜井さん)

ADDressの拠点はすべてリノベ住みで家具家電付き。写真はADDress鎌倉B邸(写真提供/ADDress)

ADDressの拠点はすべてリノベ住みで家具家電付き。写真はADDress鎌倉B邸(写真提供/ADDress)

「Co-living」として働くことも前提に設計されているので、仕事もしやすい。写真はADDress習志野A邸(写真提供/ADDress)

「Co-living」として働くことも前提に設計されているので、仕事もしやすい。写真はADDress習志野A邸(写真提供/ADDress)

全国のホテルやシェアハウスで滞在しつつ、仕事する日々もアリ

一方、桜井さんによると、地方のホテルの活用という選択肢も加わっているそう。

「個室とコリビングスペースが利用できるADDressであれば、コリビングスペースで食事をしたり仕事をしたりする際に、他の会員とコミュニケーションできる楽しみもあります。一人住まいのアパート暮らしでテレワーク生活では、人との交流機会を得るのは難しいです。そんな現状のシェアハウス型もいいけれど、たまには一人で集中したいときもあるよね、というニーズもありました。そこにぴったりとマッチするのがホテルの個室です。そこで、5月には東京都内をはじめ、北海道小樽など日本各地の宿泊施設と連携することとなりました」と新しい計画がスタートしています。提携ホテルは7月時点で約20施設増えているそうです。

ホテルの個室をセカンド的な職場として利用できるのは、選択しやすいはず。

ADDressで提携を発表した札幌B邸「京王プレリアホテル札幌」の個室。コロナ禍ではホテルの活用も有効といえそう(写真提供/ADDress)

ADDressで提携を発表した札幌B邸「京王プレリアホテル札幌」の個室。コロナ禍ではホテルの活用も有効といえそう(写真提供/ADDress)

「今回の新型コロナウイルスの状況は、完全に元の生活に戻ることは当面考えにくいのではないでしょうか。また、東京やオフィスの周辺に暮らさなくても仕事ができると気がついた人も多いはず。多拠点生活とまではいかなくとも、プレ移住やワーケーションにチャレンジしようという人が増えていくのではないでかと考えています」(桜井さん)

ADDressの拠点で暮すことで移住前のお試し体験「プレ移住」になる。これなら地方のコミュニティにもなじみやすいはず(写真提供/ADDress)

ADDressの拠点で暮すことで移住前のお試し体験「プレ移住」になる。これなら地方のコミュニティにもなじみやすいはず(写真提供/ADDress)

感染症をきっかけに、時代が大きく変わるなか、住む場所も働く場所も、多様な選択肢が登場しています。「家と職場を往復する」のを前提にするのではなく、住まいにも「多様性」の時代がきているのかもしれません。

●取材協力
第一興商
ADDress

3カ月、駐車場に住んだバンライファー夫妻。40代後半で退職、家を売却した理由【バンライフの日々1】

2020年4月、筆者が運営するシェアハウス「田舎バックパッカーハウス」併設の“住める駐車場”「バンライフ・ステーション」にひと組のバンライファー夫妻が訪れた。神奈川県横浜市出身、50歳を目前に早期退職し、自宅を売却して今年1月末からバンライフをスタート。その理由や、新型コロナウイルス感染症の騒動下での状況について伺った。連載名:バンライフの日々
荷台スペースが広い車“バン”を家やオフィスのようにし、旅をしながら暮らす新たなライフスタイル「バンライフ」。石川県 奥能登の限界集落・穴水町川尻に、シェアハウス「田舎バックパッカーハウス」と住める駐車場「バンライフ・ステーション」をオープンした旅人・中川生馬が「バンライフ」と出会ったバンライファーたちとのエピソードを紹介します。自宅を売却して“車”を拠点にした生活にお二人がバンライフの拠点にしているのは、「ISUZU Be-cam」をベースにした日本特種ボディー社製キャンピングカー「SAKURA」(写真撮影/中川生馬)

お二人がバンライフの拠点にしているのは、「ISUZU Be-cam」をベースにした日本特種ボディー社製キャンピングカー「SAKURA」(写真撮影/中川生馬)

今回「バンライフ・ステーション」に3カ月滞在していたバンライファー夫妻の夫・秋葉博之さんと妻・洋子さん。

バンライフという暮らし方を決めた大きなきっかけは「宝くじ」だった。「宝くじ」に当たったわけではないが、そのときにふと交わしたシンプルな会話が二人の人生観を変えたのだ。

2018年春、洋子さんが「宝くじで、億円単位が当たったらなにをしたい? 私だったら、全国へ旅したい!」と言った。当たったわけでもないのに、博之さんはすぐに「いいね!やるなら今でしょ!」と賛同。二人は「とにかく、何もしないで旅をしよう!」と話し合った。「お金に対する不安ばかりを考えてもなにも始まらない」「とりあえず生きられればいい」……

キャンピングカー内にはテレビ兼PCモニターも設置されている(写真撮影/中川生馬)

キャンピングカー内にはテレビ兼PCモニターも設置されている(写真撮影/中川生馬)

博之さんは、バンライフをスタートさせるために購入したキャンピングカーの納車に合わせて、2019年10月中旬、約15年勤務した建設機械のレンタル会社を退社。それから生命保険の解約、自宅にあったモノの売却・譲渡・処分など、秋葉さん夫妻にとって今後の人生で“不要”と思ったモノの断捨離……いわゆる資産整理を始め、そして2020年1月30日に横浜の自宅を売却。バンライフを始めるにあたっての投資額は約1000万円以上。不安よりもワクワクのほうが何十倍も大きい。人生1度限りの無期限な旅へ期待に胸を膨らませながら、バンライフへの旅立ちの日を迎えた。

だが、ぶち当たったのは新型コロナウイルス感染症の影響だった。

キャンピングカー内の寝床(写真撮影/中川生馬)

キャンピングカー内の寝床(写真撮影/中川生馬)

90リッターの備え付けの冷蔵庫と、14リッターのエンゲル社製の冷蔵庫も積んでいるため、“食”生活も問題ない(写真撮影/中川生馬)

90リッターの備え付けの冷蔵庫と、14リッターのエンゲル社製の冷蔵庫も積んでいるため、“食”生活も問題ない(写真撮影/中川生馬)

旅立ち直後、コロナ禍で行き場を失った

バンライフをスタートさせた1月末は順調だったが、3月になると世の中は新型コロナ禍の影響が色濃くなっていった。
政府が4月7日に「緊急事態宣言」を発出し、各県でも順次、独自の対応を発表した。密閉空間・密集場所・密接場面など、3つの「密」になりうる温泉、道の駅、車中泊スポットなどの施設も閉鎖。運転の休憩をするための“仮眠”向けの車中泊スポットとなる道の駅やサービスエリア、電源が使えるRVパークなどは、いずれもバンライファーにとって大事な生活拠点だ。これらが使えないのは、家を売却してしまった夫妻にとっては死活問題。行き場を失ってしまった。

さらに、「車両ナンバーは、コロナが蔓延している神奈川県『横浜』。あちこち移動することで、周囲の人に不快感を与えたくなかった」と秋葉さん夫妻。彼らと同じように考える県外ナンバーのバンライファーは多く、筆者の知り合いのバンライファーたちも、実家や友人宅に滞在するなどして、バンライフを自粛していた。

「バンライフ」はクルマで旅や仕事をしながら快適に生活でき、好きな場所で寝起きできるなど、旅好きやさまざまな場所で暮らしてみたい人たちにとっては、理想的なライフスタイルではある。

しかし、今回のコロナ禍は、秋葉さん夫妻のように家を売却してしまっている、あるいは家を持たないバンライファーたちにとって、長期滞在することができる「不動産の拠点」の必要性を痛感した出来事でもあったかと思う。

まだまだバンライファーたちが長期滞在できるスポットの選択肢は多くない。「バンライフ・ステーション」へ秋葉さん夫妻が訪れたのは、こうした経緯からだった。

シェアハウス「田舎バックパッカーハウス」の住める駐車場「バンライフ・ステーション」には、トイレ・シャワー・料理場・ダイニング・居間・ワークスペースなど基本的な生活インフラを完備(写真撮影/中川生馬)

シェアハウス「田舎バックパッカーハウス」の住める駐車場「バンライフ・ステーション」には、トイレ・シャワー・料理場・ダイニング・居間・ワークスペースなど基本的な生活インフラを完備(写真撮影/中川生馬)

秋葉さん夫妻の家犬ならぬ“バン”犬・ぶーすけ(写真撮影/中川生馬)

秋葉さん夫妻の家犬ならぬ“バン”犬・ぶーすけ(写真撮影/中川生馬)

行き場を失ってたどり着いた

秋葉さん夫妻から筆者に問い合わせがきたのは、緊急事態宣言から数日後の4月11日。内容は以下のようなものだった。「現在、和歌山県にいます。今は毎日、点々として暮らしている状態です。先が見えない状況であり緊急事態宣言の出た横浜ナンバーでウロウロするのも気が引けて……。このような私たちでも受け入れが可能であれば利用させていただききたいと思っております。よろしくお願いいたします。(旅していた場所は)田舎ですし、3密になることもありませんが、道の駅や入浴施設等は利用しています。今のところ体調不良はありません」――。とても紳士的で、「きっといろいろと考えて問い合わせしてくれたんだろうなぁ」と思った。

秋葉さん夫妻滞在中に、1トントラックに自作の木造の家を荷台に積み1年間全国を旅したというバンライファーも訪問!(写真撮影/中川生馬)

秋葉さん夫妻滞在中に、1トントラックに自作の木造の家を荷台に積み1年間全国を旅したというバンライファーも訪問!(写真撮影/中川生馬)

当時、ちょうど「田舎バックパッカーハウスも、なにかコロナ対策に利活用できないものか」「災害時、ここが社会的にもっと役立つ施設になれればなぁ」と考えていた時期で、同じ“旅人”だということと、筆者がもともと暮らしていた鎌倉と、秋葉さん夫妻が暮らしていた横浜というゆかりのある土地の近さで親近感を抱いたことなども背景にあり、受け入れさせていただいた。また、思い切ってキャンピングカーに“人生の楽しみ”を詰め込むような人に「悪い人はいない!」という筆者の勝手な思い込みと直感もあった。

本来の田舎暮らしは近所付き合いが大切で、そこに面白みがあるのだが、今回はそうも言っていられない。1. (一定期間)近所の人たちとの距離を置く、2. マスクをすることなどを前提に「バンライフ・ステーション」に来ていただいた。

実際、夫妻に会ってみると、まさに思っていた通りの人たちだった。

「いい歳して、会社を辞めて、家を売って、将来のことはどうするの?」と思う人もいるかもしれない。しかし、秋葉さん夫妻は、「“自分たちの将来”のことについて本気で考えて、大切に想っている」からこそ旅に出たのである。大切な決断だと思う。

いろんな場所で短期滞在するのがバンライフの暮らし方。コロナ禍は災難だったが、期せずして長期滞在になったことで、能登をよく知ってもらう機会になったのではないかと思う。残念ながら前半はコロナの影響もあり、筆者の家族以外の近所付き合いがなかったが、滞在中に平和な田舎暮らしを味わってもらえたようだ。その様子は博之さんのブログに綴られている。

秋葉さん夫妻と筆者親子で「田舎バックパッカーハウス」周辺をお散歩(写真撮影/中川生馬)

秋葉さん夫妻と筆者親子で「田舎バックパッカーハウス」周辺をお散歩(写真撮影/中川生馬)

「田舎バックパッカーハウス」周辺 田んぼなど、緑が広がっている。近くには海も(写真撮影/中川生馬)

「田舎バックパッカーハウス」周辺 田んぼなど、緑が広がっている。近くには海も(写真撮影/中川生馬)

緊急事態宣言の解除後、「北」へ旅立った

6月18日、緊急事態宣言が全面的に解除され、19日以降、県境移動の自粛も解除された。

秋葉さん夫妻の動きは慎重だった。最終的に、7月9日に北海道に向けて旅立った。能登での3カ月間の“ちょい”田舎暮らしが終了した。

能登出発最終日に秋葉さん夫妻と記念撮影(写真撮影/中川生馬)

能登出発最終日に秋葉さん夫妻と記念撮影(写真撮影/中川生馬)

本州の暑くなる夏を避けるために、北海道へと向かったのだ。当初の旅の目的である「自分たちが今後なにをしたいのか探しながら全国を旅する」ことを果たすために。

「田舎バックパッカーハウス」運営者である筆者は、このコロナ禍という未曾有の状況下でつながった秋葉さん夫妻にますます親近感を持ってしまい、お別れの9日にはぼろ泣きしてしまった。

北へと向かった秋葉さん夫妻(写真撮影/中川生馬)

北へと向かった秋葉さん夫妻(写真撮影/中川生馬)

コロナ禍で見直されるバンライフ

このコロナ禍で、今後のライフスタイルについて改めて考え始めた人も多いだろう。秋葉さん夫妻のように、年齢やタイミングに関係なく、実現したいライフスタイルを自由に選択できる時代だ。

一方で、秋葉さん夫妻の話から筆者が感じたのは、今後増えていくだろうバンライファーに対応したインフラ施設の進化が必要だということ。バンライフは災害時にも有用な暮らし方だと言われているが、今回の件でさらなる課題が見えたように思う。

暮らし方だけでなく、生活基盤の選択肢も充実し、より豊かな生き方を選び取ることができるようになることを願いたい。

住める駐車場「バンライフ・ステーション」に続き、多くのバンライファーが集うことができる駐車場“村”「バンライフ・ビレッジ(仮)」を整備中で、オープン予定の赤井成彰さん(写真撮影/中川生馬)

住める駐車場「バンライフ・ステーション」に続き、多くのバンライファーが集うことができる駐車場“村”「バンライフ・ビレッジ(仮)」を整備中で、オープン予定の赤井成彰さん(写真撮影/中川生馬)

「田舎バックパッカーハウス」のワークスペース、ダイニング、キッチンエリア。7月中旬から、旅行グッズレンタルサービス「flarii(フラリー)」とタッグを組み、バンライファーやサテライトオフィス含め長期滞在者向けの仕事環境のために、パソコンやPCモニターがレンタルできる「リモートワークプラン」を開始した(写真撮影/中川生馬)

「田舎バックパッカーハウス」のワークスペース、ダイニング、キッチンエリア。7月中旬から、旅行グッズレンタルサービス「flarii(フラリー)」とタッグを組み、バンライファーやサテライトオフィス含め長期滞在者向けの仕事環境のために、パソコンやPCモニターがレンタルできる「リモートワークプラン」を開始した(写真撮影/中川生馬)

バンライファーが集う「田舎バックパッカーハウス」がある石川県では、地元・金沢工業大学とCarstay社が「バンライフ」で地域を盛り上げるプロジェクトが始まった。全国的に「バンライフ」の旅と暮らしのスタイルが広がりつつある(写真撮影/中川生馬)

バンライファーが集う「田舎バックパッカーハウス」がある石川県では、地元・金沢工業大学とCarstay社が「バンライフ」で地域を盛り上げるプロジェクトが始まった。全国的に「バンライフ」の旅と暮らしのスタイルが広がりつつある(写真撮影/中川生馬)

●取材協力
・秋葉さん夫妻
・田舎バックパッカー
・flarii(フラリー)●関連記事
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JR中央線・快速停車駅の中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2020年版

東京駅と高尾駅を約1時間10分で結ぶJR中央線快速。全24駅の停車駅のうち半数以上は八王子市や立川市といった東京都の市部に位置しており、都心と多摩地域をつなぐ大動脈として通勤・通学に多くの人が利用している。そんなJR中央線快速が停車する駅の価格相場を調査! 駅から徒歩約15分圏内にある、専有面積50平米以上~80平米未満の中古マンションの価格相場が安い駅を見ていこう。●JR中央線・快速停車駅の価格相場が安い駅ランキング
順位/駅名/価格相場(所在地)
1位 西八王子 1940万円(東京都八王子市)
2位 日野 2680万円(東京都日野市)
3位 八王子 2980万円(東京都八王子市)
4位 豊田 3435万円(東京都日野市)
5位 西国分寺 3599万円(東京都国分寺市)
6位 東小金井 3780万円(東京都小金井市)
6位 立川 3780万円(東京都立川市)
8位 国立 3989万円(東京都国立市)
9位 武蔵小金井 4290万円(東京都小金井市)
10位 武蔵境 4365万円(東京都武蔵野市)
11位 国分寺 4490万円(東京都国分寺市)
12位 高円寺 4830万円(東京都杉並区)
13位 荻窪 5480万円(東京都杉並区)
14位 三鷹 5580万円(東京都三鷹市)
15位 西荻窪 5690万円(東京都杉並区)
16位 阿佐ヶ谷 5880万円(東京都杉並区)
17位 中野 5980万円(東京都中野区)
18位 吉祥寺 5999万円(東京都武蔵野市)
19位 新宿 6535万円(東京都新宿区)
20位 御茶ノ水 6605万円(東京都千代田区)
21位 四ツ谷 8990万円(東京都新宿区)
※高尾駅、神田駅、東京駅は平均値を算出するための対象物件数に満たないため除外

1位・西八王子駅は、隣の駅よりも1000万円以上も価格相場が安い穴場

JR中央線快速が停車する24駅のうち、最も中古マンションの価格相場が安かったのは西八王子駅。価格相場は唯一の1000万円台で1940万円、2位より740万円も低かった。西八王子駅が位置するのは、JR中央線快速の終点である高尾駅(※調査条件を満たさずランク外)と3位・八王子駅の間。距離的にはさほど離れていない八王子駅と比べ、1000万円以上も価格相場が低いというのは驚きだ。

西八王子駅の北口側には駅ビル「セレオ西八王子」があり、食料品を扱う「市場館」とドラッグストアや飲食店などをテナントにした「生活館」が並んでいる。駅ビルを横目に東へ進むとスーパーもあり、日々の買い物は北口側でこと足りそう。南口側にはバスやタクシーが停車するロータリーを囲んで飲食店やコンビニ、保育園が並び、その先には住宅街が広がっている。

西八王子駅(写真/PIXTA)

西八王子駅(写真/PIXTA)

東京駅~高尾駅間の9駅にのみ停車するJR中央線の通勤特快の停車駅でもある3位・八王子駅に比べると、西八王子駅は都心へのアクセスに少々時間はかかる。とは言え、急ぐなら八王子駅で快速から通勤特快に乗り換える手もある。そう考えると、価格相場が八王子駅よりも1000万円も低い西八王子駅は、穴場と言えるかもしれない。

2位は日野駅で価格相場は2680万円。入母屋屋根をいただく民芸調の駅舎が特徴的で、1890年に開業してから今年で130周年を迎えた歴史ある駅だ。日野駅周辺はかつて甲州街道の宿場町・日野宿として栄えた街であり、新選組の副長・土方歳三や六番隊組長・井上源三郎の出身地でもある。現在も本陣の建物が残されていたり郷土資料館や新選組関連の資料館があったりと、歴史好きには興味深い街並みだろう。

日野駅周辺には飲食店や個人商店があるほか、スーパーも点在している。駅から北へ10分ほど歩くと多摩川が流れており、草地が広がる川辺をのんびり散歩しても気持ちよさそうだ。

4位には、2位・日野駅から高尾方面に1駅進んだ豊田(とよだ)駅がランクイン。豊田駅の価格相場は日野駅から755万円アップの3435万円、と両駅は近接しているわりに価格相場の開きは大きい結果となった。豊田駅の北口を出て5分ほど歩くと、2014年に開業した「イオンモール多摩平の森」に到着。スーパーの「イオン」をはじめ約110の専門店があり、ここに来れば家電からファッション、雑貨にグルメまで、暮らしに必要なショッピングが網羅できるだろう。

豊田駅周辺の街並みはというと、整備された街路樹が並んでおり、北口から徒歩約10分のところには湧水の川で水遊びができる「黒川清流公園」がある。南口から10分ほど歩けば浅川の河川敷が広がり、自然を身近に感じながら暮らせる環境だ。市立の幼稚園や小中学校、総合病院もあり、子育て世代が暮らす街としてもよさそうだ。

黒川清流公園(写真/PIXTA)

黒川清流公園(写真/PIXTA)

同じ路線なのに沿線の価格相場には7050万円もの開きがある結果に!

ランキングの11位までは東京都の市部、23区外にある駅が占めていた。23区内の駅で中古マンションの価格相場が最も安かったのは、12位にランクインした杉並区の高円寺駅。23区内の駅の中では安いとはいえ価格相場は1位・西八王子駅の2.5倍弱、4830万円だった。

高円寺駅周辺には北口に「高円寺純情商店街」、南口には「高円寺パル商店街」や「ルック商店街」、と大小の商店街が広がっていて活気がある。食料品や日用品のお店だけではなく、人気の飲食店や洋菓子店、古着や雑貨の店など商店の顔ぶれも多彩で、休日にぶらぶらと出歩くのが楽しい街並みだ。

高円寺純情商店街(写真/PIXTA)

高円寺純情商店街(写真/PIXTA)

12位以下は23区内の駅ばかりというわけではなく、14位には三鷹市の三鷹駅がランクイン。価格相場は5580万円だった。駅には駅ナカ商業施設「アトレヴィ三鷹」が併設されており、改札内外のビル1階~5階にかけてスーパーや飲食店、雑貨店などが並んでいる。駅周辺にも多彩な商業施設やスーパー、銀行、芸術劇場などが建ち並び、活気がある街並みだ。南口から徒歩15分ほどで「三鷹の森ジブリ美術館」や「井の頭恩賜公園」に行くこともでき、休日も近場で楽しく過ごせそう。

さてランキングを見ると、多少の入れ替わりはありつつも東京駅に近づくほど価格相場が上がっていくことが見て取れる。しかし18位・吉祥寺駅は、東京駅により近い荻窪駅や阿佐ヶ谷駅、中野駅を追い抜いて高い価格相場を記録。その額は5999万円。吉祥寺駅はリクルート住まいカンパニーが調査した「住みたい街ランキング2020関東版」では3位に輝いた人気の街だけあり、中古マンションの価格も高めになっているようだ。

多くの人を惹きつける吉祥寺の街の魅力はさまざま。大型商業施設が充実しているうえに庶民的な商店街もあり、その一方で駅から5分ほど歩けば「井の頭恩賜公園」があって豊かな緑を楽しむこともできる。また、JR線に加えて京王井の頭線も通っており、渋谷駅にも1本で行ける点も魅力だろう。

井の頭恩賜公園(写真/PIXTA)

井の頭恩賜公園(写真/PIXTA)

さて今回の調査では、高尾駅、神田駅、東京駅は調査対象となる物件数が条件に満たなかったためランキングから除外した。残る21駅中で価格相場が最も高かったのは、新宿区に位置する四ツ谷駅で8990万円! これは1位・西八王子駅だったら、中古マンションを4戸購入しても1000万円以上おつりがくる金額だ。東京駅~高尾駅間の営業キロは53.1kmあり、都心部から東京西部の多摩地域まで駅のロケーションも様変わりしていく。そのため価格相場も1位と21位で7050万円もの開きがあったのだろう。

通勤や通学で都心の駅を利用する場合、住む場所も都心部のほうが交通面で便利ではある。だが今回の調査からも分かるとおり、都心に行くほど物件の価格相場はアップする。多少の金額アップならともかく、7050万円も高くなると言われると「果たしてそれでも都心部に住むほうがいいのか?」と悩ましい。ならばJR中央線快速のように都心まで1本で行ける路線をまずは選び、沿線の価格相場と懐具合を相談しながら住む街を決める方法もアリだろう。

●調査概要
【調査対象駅】JR中央線沿線の快速停車駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分圏内、築年数35年未満、専有面積50平米以上、80平米未満、物件価格相場3億円以下、敷地権利は所有権のみ
【データ抽出期間】2020/2~2020/4
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

想定外だらけから生まれた、都心の新しい商店街「BONUS TRACK」

ファッション、演劇、音楽、映画など、さまざまな文化が集まるサブカルチャーの聖地・下北沢。1980年代から「若者文化の代名詞」とも呼ばれるこの街は、今もなお多くの若者たちでにぎわう。

しかし、そんな華やかな下北沢も駅の西口から5分も歩くと、閑静な住宅街となる。その中心を横切るような形で、新緑に囲まれた遊歩道と商店街が2020年4月に生まれた。それが『BONUS TRACK』だ。

カルチャーの中心に生まれた「リゾート地」

東京のど真ん中にあるにもかかわらず、新緑に囲まれ、開放感のある空間が視界一杯に広がる。初夏の柔らかい日差しの中を歩いていると、リゾート地に来たのだろうか、と錯覚してしまうほどだ。

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

この『BONUS TRACK』は、下北沢の再開発プロジェクトの一環で、“商店街をつくること”をテーマに行われたのだという。

サブカルの街“シモキタ”らしさをテーマにつくられたこの“商店街”には、日記専門店や発酵をテーマにした店、読書専門のカフェなど、一見すると風変わりな店たちが立ち並ぶ。

公式ホームページより

公式ホームページより

都心のど真ん中に生まれた緑道、そしてマニアックさを突き詰めたような商店群。施設自体が面白いのはもちろんだが、そのオープン時期に注目したい。

2020年4月1日といえば、世界中を新型コロナウイルスの脅威が駆け巡り、未曾有の状況。世の飲食店や商業施設はこぞって店を閉める中、なぜこの施設はオープンするに至ったのか。

そんなことを考えながら、取材当日に『BONUS TRACK』の遊歩道を歩いていると、どこからか大きな声が聞こえてきた。

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

「こんにちは~! いい天気ですね~」

ふと上を見上げると、女性が満面の笑みでこちらに手を大きく振っていた。よく通りながらも柔らかい雰囲気の声。今回の取材相手となる『BONUS TRACK MEMBER’S』マネージャー・桜木彩佳(さくらぎ・あやか)さんだ。

彼女は3年間、下北沢のイベントスペース『下北沢ケージ/ロンヴァクアン』の運営の中心として活動していたが、2019年9月にイベントスペースの閉鎖に伴い、離職。そして程なく、2020年2月ごろから『BONUS TRACK』内のシェアキッチン付きの会員制ワークスペース、通称「MEMBER’S」のマネージャーとして、運営に携わることとなった。

しかし、コロナ禍に伴い、ソーシャルディスタンスが必要とされるこのご時世。コワーキングスペースの運営は非常に難航を極めたが、本来の役割ではない場所でもまた、彼女は大きな任務を背負った。

それは切迫した状況下で『BONUS TRACK』の店主たちとのコミュニケーションを積極的に行い、オープン時期の相談や細かいケアなど、それぞれの課題に向き合い、日々変化する状況に臨機応変に対応し続けること。まさに、コロナ禍に翻弄された『BONUS TRACK』の現場を、最もよく知る人物のひとりと言える。

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

人が街から忽然と消えた4月の東京。その中心とも言える下北沢の「新しい商店街」では、一体何が起きていたのか。そして、最前線に立ち会った彼女は何を見て、何を感じたのか。話を聞いた。

季節を感じないまま、駆け抜けるようにすぎた4月(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

――『BONUS TRACK』のオープンは2020年4月1日と、かなり難しい時期でしたね。緊急事態宣言が出る直前の状況で判断するには、勇気が必要だったかと思います。

そうですね。実際に、運営チームの中でも『BONUS TRACK』自体のオープンを延期するという話も出ていました。しかし議論の結果、当初の目論見とは違うとしても、オープン自体は予定通りの4月1日に行うという判断に至りました。

ただし営業日に関しては、それぞれの店舗さんの判断にお任せする形になりました。そのため、4月1日からオープンした店舗さんもいれば、開業を延期した店舗さんもありましたね。

――その後、4月7日に東京都で緊急事態宣言が発令され、政府からは「不要不急の外出の自粛」が要請あり、世の中のお店も次々と休業を行っていく事態となりました。

緊急事態宣言後のタイミングで、改めて運営チームで議論しましたね。家の外に出ることができない、SNSやメディアはネガティブな言葉で溢れているような状況でしたから。しかし、部屋に籠っていると、どんどん苦しくなってしまうような状況だからこそ、外に出て少しでも気分転換をしてもらうことも必要なのでは?という声もあったんです。

政府の発表は「自粛は要請するが、食料品の買い出しや、健康維持のための散歩は問題ない」という内容でした。じゃあ「散歩」をもっと楽しくして、おうち時間の向上をしてもらおう、と。

そこで『BONUS TRACK』では「散歩をしよう」というステートメントを発表したんです。そして『MEMBER’S』も感染拡大に十分注意をしながら、近所の方に向けた散歩の延長線上の『お散歩プラン』という限定プランで、運営をスタートしました。

『BONUS TRACK』から公式声明として出されたnote記事『“散歩をしよう”』。

『BONUS TRACK』から公式声明として出されたnote記事『“散歩をしよう”』

――未曾有の事態で、できる限りのベターな判断をした、と。

リスクしかない状況の中で、多くの人が不安に駆られている。私たちに何かできることはないかと探り続けた1カ月だったと思います。

世の中の雰囲気も混沌としているし、現場もバタバタとしすぎていて、季節感があんまりありませんでしたね。

本屋『B&B』は4月1日にオープンしたが、時勢を鑑みて、緊急事態宣言が出される前の4月4日から臨時閉店となった。6月1日より短縮時間にて営業中(写真撮影/藤原慶)

本屋『B&B』は4月1日にオープンしたが、時勢を鑑みて、緊急事態宣言が出される前の4月4日から臨時閉店となった。6月1日より短縮時間にて営業中(写真撮影/藤原慶)

――開業時期の判断をお店ごとに任せたのは、どういう意図だったんでしょうか?

私たちの考えとして、『BONUS TRACK』は百貨店のようなひとつの商業施設という形ではなく、あくまで個人商店が集まった場所なんです。

近隣の人だけでも、日用品の買い物や散歩など最低限の行動の中で、できるだけ豊かに過ごして欲しい。そのためソーシャルディスタンスを確保し、店内での飲食を行わず、換気や消毒を徹底するなどの認識だけ大枠として共有した上で、各店舗さんにお任せしたんです。これは運営元である小田急電鉄さんも含めての総意ですね。

古き良き下北沢をアップデートするフレッシュジューススタンド『Why_?』は旬の食材を使ったコールドプレスジュースやスムージーなどを販売している(写真撮影/藤原慶)

フレッシュジューススタンド『Why_?』は旬の食材を使ったコールドプレスジュースやスムージーなどを販売している(写真撮影/藤原慶)

――自粛期間中、世の中では飲食店の営業に関して反発の声も少なからずありました。『BONUS TRACK』では、オープン後の近隣からの反応はどうでしたか?

みなさん、かなり好意的に受け入れてくださった印象です。近所のおばちゃんがふらふらと入ってきて、「ここ、楽しみにしてたのよ」なんて声をかけてきてくれるような状態でした。オープン前のお店に入ってきちゃうこともあって(笑)。

そのほかにも子ども連れの方が遊んでいたり、犬の散歩ルートとしても定着した感じがあります。

(写真撮影/藤原慶)

ワークスペース「MEMBER’S」では、新規会員を募集中(写真撮影/藤原慶)

これまで世田谷代田エリアから下北沢へ向かうためには、住宅街を縫うように歩かなければいけなかったらしいんです。それが、この遊歩道が生まれたことで近道できるようになった。そういう意味でも、地元の方々にとって待望の場所だったのかな、と。

――空間も、歩きやすいようにつくられていますよね。

日記専門店や発酵専門店など、都内でも珍しいレベルのマニアックなお店がほとんどなんですけど、それを感じさせないようなつくりになっている印象ですね。誰でも気軽に入りやすい設計になっていると感じます。

そこの『発酵デパートメント』にも、この辺りに住んでいるお父さんが高価なお酢をさらっと買っていったり、はじめはふらっと訪れただけのお母さんがリピーターになっていたりしているらしく、すごいなと(笑)。

店主の小倉ヒラクさんは「みんな僕のことを知らないのに、いろいろ買ってくれてるのが面白いねー」なんて言っていたりして。もともと『BONUS TRACK』は地元にコミットする場所をつくるというよりも、商業施設に近いイメージだったので、正直驚かされることが多かったですね。

”世界の発酵 みんな集まれ”をコンセプトとする発酵専門店『発酵デパートメント』(写真撮影/藤原慶)

”世界の発酵 みんな集まれ”をコンセプトとする発酵専門店『発酵デパートメント』(写真撮影/藤原慶)

――では、現在の状況と当初の計画は違っていたのでしょうか。

はい。ただ私がコミットしたのは小田急電鉄さんと散歩社さんがコンセプトを明確に決めたあとだったので、少しふわっとした話になってしまうのですが……(笑)。分かる範囲で説明させてもらいますね。

下北沢って、地元の人はもちろんいるけれど、それよりもカルチャーを求めて街の外から訪ねてくる若者が昔から多いと思うんです。その“古き良き下北沢”を現代風にアップデートするイメージでしたね。

――アップデートとはどういうことですか?

下北沢って、もともと尖った個人店が多かったんですよね。「どうやって儲けているんだろう?」というようなレコード店だったり、雑貨屋だったり。

だけど、ここ何年かで、老舗のジャズ喫茶さんなどが閉まる一方でチェーン店が増えてきて、他の街と似たような景色になってきてしまった。街の発展としては仕方のないことだけど、どうにかできないだろうか? そんな経緯から小田急電鉄さんがプロジェクトを立ち上げたのがきっかけだと伺っています。

個々が独立しながらも共存する「新しい商店街」(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

――つまり、この『BONUS TRACK』はまちづくりの一環としての施設ということなのでしょうか。

はい。この『BONUS TRACK』は「下北線路街」という長期の開発プロジェクトのひとつなんですよ。小田急線の地下化工事によって、ボーナス的に生まれた線路(トラック)跡の土地というのが名前の意味らしくて。

土地の再開発というと大規模な商業施設のビルをつくる、というのが一般的なんですが、今回は下北沢らしく個性的な店を集めた商店街を新たに生み出そうというものでした。

だからそれに則って、私たちは「新しい商店街」という言い方をしよう、と。

――「新しい商店街」?

ここって一部の建物をのぞいて、店舗の2階が住居になっているんですよ。昔の商店街って、商店と住居が一緒になっていることが多いじゃないですか。それをもう少し現代風にアレンジした設計になっています。実際に何人かの店主さんが上の階に住んでいて。

店舗の2階は住居スペースとなっており、実際に住んでいる店主も(写真撮影/藤原慶)

店舗の2階は住居スペースとなっており、実際に住んでいる店主も(写真撮影/藤原慶)

――店舗と住居が一緒とは、まさに昔の商店街のようですね。

そうですね。一般的な商業施設より、お店同士の距離感は近いと思います。それも昔の商店街的かもしれませんね。みなさん、確立した世界観を持っているのですが、それを主張し合うのではなく、個性が混ざり合って生まれる相乗効果みたいなものを期待している感じなんです。

実際、ほとんどのお店が本やお酒を共通して扱っているんですが、競争相手としてピリピリした関係になることもなく、むしろその共通点を上手く使って、コラボするみたいな風潮がある。

おむすびスタンド『ANDON』(写真撮影/藤原慶)

お粥とお酒の店『ANDON』(写真撮影/藤原慶)

スパイスカレーの店『ADDA』(写真撮影/藤原慶)

スパイスカレーの店『ADDA』(写真撮影/藤原慶)

例えば、 お粥とお酒の店『ANDON』の秋田のお米にスパイスカレーの店『ADDA』のルーをかけた特製カレー企画なども積極的に提案できる土壌があります。実際に「みんなでコラボしたビアガーデンやマルシェをしたい」みたいな話は、店舗さん同士でよくお話ししていて。

――コミュニティとして成熟されつつある感じですね。

一方で、あまり閉鎖的な印象はないんですよね。コミュニティの内側だけで盛り上がることはよくあることだと思うんですけど、ここは外からの提案にも割とウエルカムというか。

例えば、自粛期間中に無人のマスク販売所をオープンしていたんです。普段は雑貨などをつくっている近所の人が、「地元の人がマスクを持ってないなら私がつくるので、場所を貸して欲しいです」と提案してくださって生まれた企画で。

料金箱にお金を入れる、無人販売所システムで販売された(※現在は終了) (写真撮影/藤原慶)

料金箱にお金を入れる、無人販売所システムで販売された(※現在は終了)(写真撮影/藤原慶)

試しにやってみたら、いたずらなども全くなく、結構な数が売れていました。しかもそのマスクをつけた人が、遊歩道を頻繁に通っている。なかには「ほんとにありがとね」とお礼を言ってくれる方などもいたりして(笑)。

――外からの提案に対しても、かなり柔軟に動いているんですね。

自分たちが想定していた『BONUS TRACK』と、外から見える『BONUS TRACK』って全然違うんですよね。こういう使い方もできるのか、と気づかされることはすごく多いです。

「スタイルとは違うから」と断る場所もあると思うんですけど、私個人としてはできるだけ一緒にやりたいなと思っちゃいますよね。特にこんな安易な行動が取れないようなタイミングで提案してくれる、粋な方とは。

もちろん全てのアイデアを受け入れることはできないけど、そういう外向きの姿勢は個人的にはすごく大事にしています。

「9年前の震災のときより、少しだけ前に進めた」(画像提供/BONUS TRACK)

(画像提供/BONUS TRACK)

――テイクアウトの販売所としても、かなりにぎわっていますよね。

はじめに代々木上原のレストラン『sio』さんがテイクアウト販売を行ったことをきっかけに、どんどんと展開が広がっている印象がありますね。今では下北沢のお店の方々がこの場所をうまく活用してくれていて。タイ料理の『ティッチャイ』や『カレーの店・八月』など、下北沢に実店舗を持つ方たちとのコミュニケーションも多いです。

地元の人たちと触れ合うことがとても多かったのですが、特に印象的な出来事がひとつあります。

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

5月ごろに、3週間くらいテイクアウト販売をしてくれていた「VIZZ」さんというお店があったんですが、あるとき、帰り際に突然呼び止められたんです。何かな、と思って話を聞いたら、「10年以上、下北沢でお店をやっていたんですけど、店を閉めることを決めました」と。

完全にコロナの影響ですよね。お客さんも全く来ないような状況で、家賃を払い続けることは当然難しい。もう全てを放り出したくなるような気持ちのはずなのに、「今のスペースは広すぎて家賃も高いから続けられないけど、小さくてもこの付近でまたやりたいので、不動産情報があったら教えてもらえませんか」って言うんですよ。

そして、いろんな感情がごちゃ混ぜになったのか、その場でVIZZの店主さんの涙が止まらなくなってしまって。

――SNS上の情報としてではなく、目の前の人から直接お店の終了を伝えられるのは、とてもショッキングですね。でも、『BONUS TRACK』に託された役割もそこにはあったと。

はい。『BONUS TRACK』がちゃんと続けば、「お店はなくなっちゃったけど、ここでお弁当を売ってたね」と覚えていてもらえるかもしれない。次にお店が開くその日まで、お店のことを忘れられないでいてもらえるかもしれないから、頑張ろうって。

こういうセンシティブな話ばかりでしたけど、この時期にオープンして、私自身よかったなと思えることもあるんです。

というのも、9年前の東日本大震災のとき、私はテレビで見ているだけで何もできなかったから。この下北沢の付近の人たちだけだし、実際に助けることはできなかったかもしれないけど、困っている方たちとコミュニケーションを取れたことで、少しだけ前に進んだ気がするんです。

たぶん『BONUS TRACK』の店舗さんたちも、みんなこういうヒリヒリした状況に身を置いています。だけど、みんなポジティブなんですよ。

こんな状況だし、いつ採算が立たなくなるか分からないけど、みんな前を向いている。ただでさえ大変なんだから、下を向いたらすぐ終わっちゃう。なら、せっかく新しくオープンした場所をきちんとみんなで盛り上げて行こうって。真の意味での『BONUS TRACK』にしようって。

――真の意味、ですか?

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

実はね、この『BONUS TRACK』には、もうひとつ由来があるんですよ。

――ひとつは「ボーナス的に生まれた土地」でしたよね。

音楽アルバムの最後に、ボーナストラックって入ってるじゃないですか。あれって、アーティスト自身がメインでやりたいけど、マーケット的に売れないな、と感じているものを試していると思うんですよね。そういう場所に、ここもなるといいなって。

――いい意味での「遊び」というか、余白の部分を表現できる場所、というか。

はい。そういう意味では、ボーナストラックになり切れてないところもある気がするんです。まだ、それぞれがやりたいことを完全に表現している場所ではない。

だから、このオープンなスタイルを維持しながら、もっと店主さんたちがのびのびとできるようになったとき、本当の意味で『BONUS TRACK』になるのかな、なんて思ってます。みんなその日を目指して、頑張っているんですよね。

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

●取材協力
BONUS TRACK
●編集
Huuuu.inc

”空き”公共施設をホテルやシェアオフィスにマッチング?「公共空間逆プロポーザル」がおもしろい

空き家が社会問題として取り上げられるようになって随分経ちますが、実は、空き家だけではなく、全国の地方自治体が持っている「公共施設」についても老朽化や財政圧迫などが大きな問題になっています。

そんな公共施設の活用方法について、民間事業者がプレゼン形式で提案し、そのアイデアに賛同する自治体とマッチングするのが「公共空間逆プロポーザル」です。このイベントを運営する公共R不動産の飯石藍(いいし・あい)さんと菊地マリエさんに公共施設の「これまで」と「これから」についてお話を聞きました!

空き家同様、公共施設も“モノ余り”の局面を迎えている!

「公共施設」と言えば、最近全国で新しく建てられ、話題になっている子育て施設や健康センター、観光・交流施設みたいなものをイメージする人も多いのではないでしょうか。

実は公共施設にはさまざまな施設や設備が含まれています。身近なもので言えば、小・中学校や図書館、公園や公民館、都道府県庁や市町村の庁舎、住居に関わるところでは公営住宅などもあります。そのほか、見えにくいものとして上下水道などの配管や電柱、道路、ごみ処理施設や給食センターなども公共施設に含まれます。

公共施設等の一例。筆者の住む品川区では、公共施設はこのように分類されている(資料:品川区「品川区公共施設等総合計画」)

公共施設等の一例。筆者の住む品川区では、公共施設はこのように分類されている(資料:品川区「品川区公共施設等総合計画」)

そんな私たちの生活に欠かせない施設がいま、「モノ余り」の状況だと言います。一体どういうことなんでしょうか?

「モノ余りという意味で、一番分かりやすいのは、廃校かもしれません。平成14年(2002年)から平成29年(2017年)の15年の間に全国で7500以上(発生数)の学校が廃校になっていますが、これは毎年約300~600校程度が廃校になっているということです。すべての廃校を建て替えたり再整備をしたりするだけの経済的な余力があればいいのですが、ご存じの通り、国も全国の地方自治体も財政難という問題を抱えています。加えてこれから人口は減っていく一方。もはや自治体が公共施設を自分たちだけで管理・運営できなくなっているのです」(菊地さん)

小・中学校や公営住宅なども「公共施設」の一つ(画像/PIXTA)

小・中学校や公営住宅なども「公共施設」の一つ(画像/PIXTA)

確かに、市庁舎や公営住宅が老朽化して建て替えなければならない、でも予算がどうこう……といった話をよく耳にします。

「公共施設は戦後から高度成長期にかけて大量に建設・整備をされました。その多くがコンクリート造であるため、耐用年数(=法定耐用年数、減価償却する資産が利用に耐える年数。鉄筋コンクリート造の建物の場合は47年)はほとんど一緒です。一気に整備をしたので、2010年くらいから一気に老朽化して、いま一気に再整備が必要になっている、という状況なんです」(菊地さん)

こんな活用ができたら、みんながもっと楽しい!

とはいえ、廃校が道の駅や宿泊施設になったり、クリエイターの集まるシェアオフィス的な施設になったりと、面白い事例も少しずつ出てきているように感じます。公共R不動産では、基本的にメディアやコンサルティングなど官民のマッチングを促すサービスを提供していますが、1つだけ施設の運営にも関わっているとのこと。

「公共R不動産メンバーが関わった公共施設活用の事例の一つに、静岡県沼津市の『泊まれる公園 INN THE PARK(インザパーク)』があります。もともと少年自然の家として長年親しまれてきた施設が使われなくなってしまい、沼津市がうまく活用してくれる民間のパートナーを探していました。市はその建物自体の活用事業を想定していましたが、現地に赴いたメンバーが一番魅力に感じたのは併設する広い公園です。この『公園にも泊まれる』、というアイデアをベースに、施設のリノベーションだけでなく、公園内に宿泊可能な球体のテントを設置することも提案しました。現在は別会社をつくって運営しています」(菊地さん)

リノベーション前の沼津市少年自然の家。市のもともとの要望はこの施設の活用のみだった(写真提供/沼津市)

リノベーション前の沼津市少年自然の家。市のもともとの要望はこの施設の活用のみだった(写真提供/沼津市)

リノベーション前の沼津市少年自然の家。宿泊棟(写真提供/沼津市)

リノベーション前の沼津市少年自然の家。宿泊棟(写真提供/沼津市)

リノベーション後。最大8名が泊まれる宿泊棟は全部で2棟ある(写真提供/インザパーク)

リノベーション後。最大8名が泊まれる宿泊棟は全部で2棟ある(写真提供/インザパーク)

フロントのある本館はリノベーションされ、こんなに素敵な空間に(写真提供/インザパーク)

フロントのある本館はリノベーションされ、こんなに素敵な空間に(写真提供/インザパーク)

インザパークの公園のなかの森。木々の間で浮かぶ球体のテントが幻想的な雰囲気(写真提供/インザパーク)

インザパークの公園のなかの森。木々の間で浮かぶ球体のテントが幻想的な雰囲気(写真提供/インザパーク)

木々の間に浮かぶ丸いテントに泊まれるなんて、子どもはもちろん、大人もワクワクしちゃいますね。

手続きの煩雑さを解消し、公共空間活用の間口を広げたい!

「公共R不動産」のサイトでは、このような全国の公共施設が活用募集中の物件として掲載されています。こちらに加え、公共R不動産が2年前から始め、話題になっているのが「公共空間逆プロポーザル(以下「逆プロポ」)」というイベントです。こちらは従来の公共施設の活用と、どのような違いがあるのでしょうか。自治体がもっている遊休化した公共施設の活用者を募集するにも、以前は各自治体のホームページ等でひっそりと掲載されるくらいで、なかなか民間事業者の目に留まりませんでした。それを公共R不動産で情報を編集し、まとめて紹介することで多くの人の目に触れるようにしたいと思い、公共R不動産を立ち上げたのですが、サイトを見た民間の方に活用に興味をもってもらっても、実はその後が大変なんです」(菊地さん)

「通常、自治体が公共施設の建て替えなどで、民間企業と一緒に何かの事業を行うときには公募(プロポーザル)という形を採る必要があります。これは手続きがとても煩雑で時間がかかる。さらに、公平な手続きが行われているかどうか、住民の目が光りますし、地域住民の合意や議会の承認手続きなどの障壁もあります。私たちの周りには柔軟なアイデアをもつ民間企業さんが多くいるので、そのような面白い事業を、公共施設の活用にもっと活かせないだろうか、また、民間の事業のようにもっとスピーディーに進められないだろうか、という気持ちで試しにやってみたのがこのイベントです」(菊地さん)

全国から注目を浴び、満を持して開催した2019年の第2回のイベントは、参加自治体数・物件数・観客数は第1回を上回り、盛況をみせた(写真提供/公共R不動産 ©MIKI CHISHAKI)

全国から注目を浴び、満を持して開催した2019年の第2回のイベントは、参加自治体数・物件数・観客数は第1回を上回り、盛況をみせた(写真提供/公共R不動産 ©MIKI CHISHAKI)

全国の自治体がもつ公共施設の情報を収集している公共R不動産だからこそ、見えてきた課題、そして実現できたイベントだと言えるでしょう。具体的には、どんなイベントなのかについても聞きました。

「もともとは、2018年に『公共R不動産のプロジェクトスタディ』という本を制作した際、『妄想企画』というコラムの中で行政のサービスを面白く変えられないかと出してみたアイデアが発端なんです。昔テレビで放映されていた『スター誕生』という番組をご存じでしょうか? スターになりたい人たちが芸能事務所の人たちの前でアピールをして、うちの事務所で一緒にやろう! という担当者がプラカードを上げてマッチングをする、という番組です。あの番組からインスピレーションを受け、まず、民間事業者が公共施設をこんなふうに使いたい! とプレゼンテーションを行います。ぜひうちの自治体でそれをやりたい!という担当者がプラカードを上げることでマッチングのきっかけづくりをしています」(飯石さん)

書籍「公共R不動産のプロジェクトスタディ」の妄想企画として掲載したイベントのイメージ画(写真提供/公共R不動産)

書籍「公共R不動産のプロジェクトスタディ」の妄想企画として掲載したイベントのイメージ画(写真提供/公共R不動産)

「面白い公共施設」を可能にするのは、民間事業者のプレゼンテーション

筆者も第1回、第2回と参加しましたが、イベントはかなりの盛り上がり! アイデアに賛同するプレゼンには、参加者がオレンジ色の「いいね」うちわを上げてリアクションしますが、会場全体がオレンジ色に染まる場面も多々ありました。

「最初は、自治体の人たちが本当にプラカードを上げてくれるんだろうか、民間企業の先進的なアイデアについていけるんだろうか、と不安でした。ところが、2018年に開催した第1回のイベントが予想以上に盛り上がり、昨年に行った第2回のイベントは第1回を超える規模で開催しました。全国定額住み放題サービス『ADDress』(2019年4月スタート)は、第1回のイベントのときにプレゼンター・佐別当隆志さんのアイデアを自治体に投げかけたところ、とても手応えを感じたので半年後に会社をつくって事業化されたと聞いています。直接自治体のもつ公共施設ではないのですが、社会問題として挙がっている空き家を活用し、自治体とも連携して一緒に進めているものです。全国にある空き家をきれいにリノベーションして運営していて、会費を払った会員が、どこでも好きな空き家を選んで住むことができます」(飯石さん)

第1回のイベント後、わずか半年で会社をつくって事業展開したADDressの定額住み放題サービス。第2回のイベントではその詳しい経緯について紹介された(写真提供/公共R不動産 ©MIKI CHISHAKI)

第1回のイベント後、わずか半年で会社をつくって事業展開したADDressの定額住み放題サービス。第2回のイベントではその詳しい経緯について紹介された(写真提供/公共R不動産 ©MIKI CHISHAKI)

全国で60以上の拠点ごとに、さまざまな人たちと出会うことができるのもADDressの魅力(写真提供/ADDress)

全国で60以上の拠点ごとに、さまざまな人たちと出会うことができるのもADDressの魅力(写真提供/ADDress)

SUUMOでも2019年の住まいのトレンド予測として「デュアラー=デュアルライフ(二拠点生活)を楽しむ人」を挙げ、その動向を追ってきましたが、まさに今の新しい住まい方に沿うアイデアですね!

主催者の不安をよそに、次々と自治体からプラカードが上がり、アピールタイムが足りないほど盛り上がった(写真提供/公共R不動産)

主催者の不安をよそに、次々と自治体からプラカードが上がり、アピールタイムが足りないほど盛り上がった(写真提供/公共R不動産)

他にも世界中で「無印良品」ブランドを展開する良品計画と茨城県常総市とのマッチングが成立して、市営住宅の活用に関するプロジェクトが始動するところだそう! 常総市は第2回のイベントに市長自ら参加したことからも、自治体として「何が何でもアイデアをもって帰って形にするぞ」という気合いがうかがえます。これからもイベントがどう発展していくか、またプレゼンされたアイデアがどう実現されていくのかがとても楽しみですね!

このイベントに参加した茨城県常総市市長、プレゼンテーターのアイデアに市長自ら猛アピール(写真提供/公共R不動産  ©MIKI CHISHAKI)

このイベントに参加した茨城県常総市市長、プレゼンテーターのアイデアに市長自ら猛アピール(写真提供/公共R不動産  ©MIKI CHISHAKI)

これから公共施設はどうなっていく!? 公共R不動産のチャレンジ

これまでの取り組みをふまえて、今後、公共R不動産で予定していることについてもお二人に聞いてみました。

「逆プロポに関しては、コロナの影響もあり、しばらくイベントの開催が難しい状況もあるので、オンラインでのイベント開催を考えています。実は2月に予定していた福岡でのイベントは、急きょ動画で提供する形に変更となりました。実際にやってみて、オンラインでの実施でもマッチングにつながる可能性を感じました。当然、オンラインであれば、これまで遠方でなかなか足を運びづらかった自治体の担当者の方なども参加しやすくなりますしね」(菊地さん)

コロナの影響で急きょ動画配信に変更された福岡県でのイベント。オンラインの可能性も発見できた(写真提供/公共R不動産)

コロナの影響で急きょ動画配信に変更された福岡県でのイベント。オンラインの可能性も発見できた(写真提供/公共R不動産)

「ほかにもイベント後に、プレゼンターとして登壇いただいた民間事業者の方々を連れて、アピールしてくださった自治体の公共施設を一緒に視察する機会もつくったりしています。施設の価値はそれ単体ではなく、周辺施設も含む立地であったり、その街を形成するコミュニティであったり、とさまざまな要素が絡み合って形づくられるものです、だからこそ、現地に行って肌で感じることも重要だと思います。実際に逆プロポでも、第1回では物件とのマッチングという側面が強かったのですが、第2回では物件単体というよりも、その街にどんな人がいて、何をやっているのか、という『コミュニティ』や、一緒に事業を仕掛けていける現地の『パートナー』に焦点が当たりました。それで然るべきと思いますし、その街ならではの資源が活かされるプロジェクトになるといいなと思います」(飯石さん)

お二人の話を聞いて、公共施設の現状や問題について、今まで知ることができなかった裏側の事情も少し垣間見えた気がしました。自分の住む街がもっといい街に、もっと面白い街になってほしい! という気持ちは多くの人にとって共通の想いなのではないでしょうか。
自分の住む街が魅力的な街になるように、また魅力的な街を選べるように、住まいとともに公共施設の現状や使い方にも興味をもって、地域のコミュニティに主体的・積極的に関わっていきたいものですね。

●取材協力
・公共R不動産
・株式会社アドレス
・株式会社良品計画
・常総市

“奇跡の舞台”「現代版組踊」って? 大人と子どもがタッグを組み、地域に誇りを【全国に広がるサードコミュニティ5】

沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」を現代的にアレンジした「現代版組踊」は、地域の中高生が主役になれる舞台。演者も観客も地元に誇りを持てるようになる「現代版組踊」は、まちづくりの方法としても注目を集めており、沖縄から全国へと広がっています。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。現代版組踊とは?

沖縄の伝統芸能「組踊」の様式をベースに、現代的な音楽や振付、セリフでアレンジした、まったく新しい演劇形式「現代版組踊」。エイサーやヒップホップのテイストも入る、まるでミュージカルのようなエンターテインメント作品なのですが、特徴はなんといっても中高生が演じているということです。若いエネルギーに満ちた現代版組踊を演じる中高生を親御さんやOB・OGといった大人世代が支えています。

代表的な作品「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」はこれまで、のべ20万人の観客を動員。沖縄県内のみならず、東京国立劇場やハワイでの公演も成功させており、「子どもを主役にする舞台」の手法に、県外からも大きな注目が集まっています。

「現代版組踊」が誕生したのは比較的最近のことで、2000年に、現在の沖縄県うるま市(旧勝連町)で、当時の勝連町の教育長・上江洲(うえず)安吉さんの依頼を受けた演出家の平田大一さんが、「肝高の阿麻和利」を上演したのが始まり。

当時は、町が誇る勝連城跡が世界遺産に登録が決まったばかり。15世紀に勝連城の按司(あじ・王様のような存在)だった阿麻和利は、歴史上、悪者扱いされてきました。世界遺産登録を良い機会とし、阿麻和利の名誉挽回のためにも、阿麻和利が悪者にされてきた「組踊」の形式を借りて新しい演劇をつくりたい、と上江洲さんは考えていました。

演出家がまちおこしをする理由

上江洲さんから声をかけられた平田さんはもともと、演劇の専門家ではなく、しまおこし・まちづくりの活動をしていました。そんな平田さんが気をつけたのは、若い世代が演じやすく、のめり込みやすい作品にすること。こうしてプロの演出家ではない平田さんの「演出」がスタートします。

「最初に上江洲さんから原作の台本をいただいた際、子どもじゃ読めないくらい難しかったんです(笑)。いわゆる『歴史劇』ですから。そこで僕が子どもたちにも馴染めるように脚色しました。だから当初は組踊の先生方から『沖縄版ミュージカルだろ』『組踊を名乗るな』とお叱りを受けることもありました」(平田さん)

平田大一さん

平田大一さん

そもそも現代版組踊をスタートさせる目的は、地域に誇りを持てるような子どもたちを育てることだったはず。伝統芸能のセオリーに則って、業界で評価されるような作品をつくるのではなく、地元の人、誰もが分かりやすく感動できる作品へと昇華する必要がありました。この後説明していくように、まちづくりを信条とする平田さんが関わったことで、現代版組踊は沖縄を飛び出していつしか“奇跡の舞台”と呼ばれるようになります。

アレンジする力

サードコミュニティというテーマで現代版組踊を取り上げた理由は、それが演劇の枠を超えて、さまざまな世代を巻き込んだコミュニティとなっていることにあります。演じる地元の若者の勇姿を地域の大人たちがバックアップする体制がしっかりとできていることが現代版組踊の大きな特徴です。

「肝高の阿麻和利を上演しようとしていたころ、不登校や長期欠席している子とか、家庭が片親の子とか、演じる中学生の中の三分の一くらいが悩みを抱えていました。それが阿麻和利の舞台をきっかけに、他の学校の子と出会ったり、ボランティアスタッフの大人たちに支えられてどんどんタフになっていったんです」(平田さん)

現代版組踊は町を挙げたプロジェクトなので、当然、町内のさまざまな中学校から若者が集まってきます。ある意味学校を超えた部活みたいなもの。さらに、彼らを支えるのが親御さんなどから構成された「あわまり浪漫の会」という団体。主に公演時のドアマンやチケットの売り子や、車で送り迎えしたりなど、影で子どもたちをサポートする有志からなる団体です。

「僕は“肩車の法則”と呼んでいます。もちろん、肩車の上に乗るのは子どもたち、持ち上げるのは大人たちです。ローアングルの子どもを高い目線にして見える未来を、大人が支えるわけです。で、子どもって成長するんですね。すると当然、持ち上げる大人の方も成長しなくては肩車は出来なくなってしまいます。すると子どもの半歩先を行く大人たちや、先輩世代の振る舞いにも変化がでてきます。お互いが対等な関係でありながら、お互いを信頼し合う“肩車の関係”。子どもたちを大人の都合で動かすのではなく、主体的に行動するような雰囲気をつくり出すことこそ大切なことでした」(平田さん)

(写真提供/あまわり浪漫の会)

(写真提供/あまわり浪漫の会)

肝高の阿麻和利の舞台にはキッズリーダーズと呼ばれる人たちがいるそう。キッズリーダーは、高校の年長組が下の世代を教えるお兄さんお姉さん的存在の人たちです。

「下の子どもたちからするとリーダーズに入るのが憧れになり、リーダーズからすると音響や照明のプロの人たちと対等に話すことができて成長があり、それを見ている大人の浪漫の会が支えるという関係性。演出家である僕がそれらを横断して調整して、舞台をつくっていく。僕はそういう意味で、自分のことを演出家というより“ジョイントリーダー”だと思っています」(平田さん)

そもそも、町を挙げた、大人が仕掛けたプロジェクトって、子どもたちからするとひょっとしたら「ダサい」と思われがちですよね。しかも、情操教育的な雰囲気が漂うと、一気に冷めてしまう子どもも多いと思います。しかし、平田さんは子どもたちを本気にする手腕に長けています。それを平田さんは「アレンジする力」と話します。

「当初は、稽古をしてもやる気ゼロ(笑)。ある子が休憩時間に安室ちゃんとかMAXとかかけて踊り出したんですね。舞台に出ている子たちって、小さいころからエイサーとかヒップホップのダンスを踊っていた子が多かった。『こういう踊りが踊りたいのか』と聞いたら、そうだと言う。じゃあ、そのダンスで良いからテーマソングに合った振り付けを創作しようと。そうして主題歌『肝高の詩』に合わせたダンスとエイサーと琉舞が混在する躍動感あるフィナーレが出来上がった。それまでは、ヒップホップとかってお年寄りからすると『騒がしい踊り』、でもいざ伝統芸能と組み合わせると、みんな喜んでくれて拍手するんですよ。古くて新しいと言うのか、ミスマッチなものが面白いと言うか……これはいける、と思いました」(平田さん)

東京公演、ハワイ公演を成功させる

こうして、音楽、演劇、伝統芸能、民俗芸能、ヒップホップなど、さまざまな要素が混淆された唯一無二のエンターテインメント「現代版組踊」が誕生しました。記念すべき初公演は、2000年の3月、まさに世界遺産に登録されることに決まった勝連城跡に設置された野外の特設舞台で行われました。

「うちの子に演劇なんて無理だ、と思っていた親御さんも多かったなか、約3時間にも及ぶ舞台が終わってみると、大勢の観客が泣きながらスタンディングオーベーションしている。演じた子どもたちも泣いている。拍手と指笛と大歓声を浴びて、これはすごい! となって、当初は一回で終わらせる予定だったのですが、子どもたちの強い希望で、継続して公演していくことになったんです」(平田さん)

最終的に集った出演者の数は150名。観劇者数は2日間公演で4200名。子どもたちも大人たちも、想像を超える反響を得ました。やがて、子どもたちが「感想文」と言う名の署名を独自に集め、教育長に提出。2回目以降も開催されることが決まりました。地元の悪者をヒーローに仕立てる。しかも面白い。子どもたちは「かっこいい」と思って一生懸命演じる。その過程の中で、学校では得られない貴重な人生経験を積むこともできたでしょう。観客からしたら、地元の歴史上の人物に誇りを持てるようになったことでしょう。単に観るだけではなく、地域のあらゆる世代にとって大切なコンテンツに仕上がったのです。肝高の阿麻和利が“奇跡の舞台”と呼ばれるようになるのは、このころからです。

「3年目には、肝高の阿麻和利を上演するきむたかホールが開館して、僕は32歳で館長に就任。それ機に劇場型の舞台演出にして、継続的に上演することになった。丁度そのタイミングで、関東の地域おこしをしている友人たちに声を掛けて、観に来てもらったらみんな感動してくれて。それで、2003年の5年目に関東公演が実現したんです」(平田さん)

2008年のハワイ公演が初の海外遠征、2009年には新宿厚生年金会館ホールで再演6000人を動員、全国へと公演が巡回していきました。もちろん、演じるのは常に沖縄の現役中学・高校生の子どもたち。学業との両立を図りながら、また毎年の世代交代を繰り返しながら、宮沢和史さんや東儀秀樹さん(雅楽師)とのコラボも実現しました。2019年には、念願の東京の国立劇場公演が実現しました。

東京国立劇場での公演チラシ

東京国立劇場での公演チラシ

その後は、この「現代版組踊」の手法を取り入れたいという人が全国各地から現れました。地元の歴史に誇りを持つことができ、かつ子どもたちの自己実現の場としても成立する「現代版組踊」の仕組みは沖縄だけでなく日本全国、さまざまな地域でも役に立つはずです。そこで平田さんは2014年に「現代版組踊推進協議会」を立ち上げ、現在は沖縄だけでなく、北海道、福島、大阪など16団体が加盟するまでに成長しました。

「あわまり浪漫の会も定期的にグスク(勝連城跡)の清掃活動をしているのですが、福島の南会津とか鹿児島の伊佐市の団体は、地域の人でも忘れているような人の関所とか名所とかを清掃しているそうです。それによって町の人も見る目も変わる。大事なのは物語とうまく結びつけて取り組みをさせてあげること。単なるボランティアとか社会貢献的活動ではなく、舞台の深みを知るための入り口として清掃活動をやっているんです」(平田さん)

聖なる難儀をみんなでやろう

肝高の阿麻和利の成功をきっかけとして、平田さんは2011年から2年間、沖縄県文化観光スポーツ部の初代部長を務め、2013年から4年間は(公財)沖縄県文化振興会の理事長を歴任しました。子どもたちを輝かせることに費やした10年を経て、今度は大人たちを成長させる10年を。そう考えて推進協議会を立ち上げたり、現代版組踊を地元の名物にしていくためにうるま市が手掛ける「(仮称)あわまりミュージアム」建設に関わるなど、インフラづくりにも取り組んでいます。これは、舞台で育んだ卒業生たちの働く場をつくる意味合いもあります。

「これまでも、僕が『演出』してきたのは“舞台”だけではありません“全て”なんです。その意味でも、県の文化行政での経験は大きな学びと気づきがありました。舞台演出を手掛けるのと地域施策に取り組むのは基本的には一緒なんだと実感する日々でした。その上で、文化・芸術の感性と地域行政の感性をジョイントする、子どもの感性と大人の感性をジョイントする、ハードとハートをジョイントする……対立しそうな“全て”を結び付けていく、そしてあらゆる“全て”が一丸となって“感動”を生み出していくシゴトをつくる。“感動産業”をこの地に根付かせるのが僕の目標になったのです」(平田さん)

あわまり浪漫の会の集合写真(画像提供/あまわり浪漫の会)

あわまり浪漫の会の集合写真(画像提供/あまわり浪漫の会)

平田さんは最後に、地域の大人が子どもを支えるための秘訣を、沖縄の島に伝わる古い言葉を使って教えてくれました。

「みなさん、『聖なる難儀』をしてください。これは僕のまちづくりの仕事における信念なんですけれど、島の言葉で『ぴとぅるぴき、むーるぴき』、一人が立ち上がればみんなも立ち上がるという言葉があるんです。あの森も山も海も、木一本、水一滴から始まっているわけで、誰か一人が立ち上がって行動すれば、二人目三人目が出てきて初めて事を成し遂げることができる。新しいことをやるときはあなたが、その一人目になりなさいという意味なんです。誰もがやりたくない『難儀』を嬉々と笑顔で始める一人目に自分がなるんだと自覚する主体者が『先駆者』なんだと、僕は思います」(平田さん)

大人を成長させるというのが平田さんらしいなと思いました。通常、演出家と呼ばれるような人は、舞台上のさまざまな人をコントロールして最良の舞台をつくり上げるのが仕事だと思います。でも、平田さんのような演出家は、舞台を支える大人たち、観客すべてを巻き込みます。コンテンツだけでなく人材育成まで考えているところが、まちづくりのプロである平田さんならでは、とも思います。

既存の学校や地域団体に縛られず、物語を軸に多世代を巻き込みコンテンツ産業を生み出していく。なかなか真似することは難しいかもしれませんが、現代版組踊のようにフィクションの力を借りながら、緩やかに世代やエリアに開かれたコミュニティをつくっていくことは、今後まちづくりを志す人々にとって大きなヒントになるに違いありません。

●取材協力
現代版組踊推進協議会

「ふるさと副業」で個人と地域の成長を。福井県が取り組む関係人口の新しいかたち

地方と関わる新しい形、「ふるさと副業」が広がっている。都市部で働く人材が地方の企業や団体・自治体などの仕事に関わる働き方だ。前回(「地方に副業を持つ『ふるさと副業』が拡大中!地域とゆるやかにつながるきっかけを」)に続き、今回は実際の取り組み事例を、働き手と受け入れ側、双方の視点から紹介する。
自治体ながら民間の転職サイトを通じて「ふるさと副業」の求人を行った福井県 地域戦略部副部長の藤丸伸和さんと未来戦略課主査の岩井渉さん、「未来戦略アドバイザー(以下『アドバイザー』)」3名に話を聞いた。
プロの力を借りると同時に、関係人口増加を狙った

2019年9月、福井県では副業・兼業限定で「未来戦略アドバイザー」を公募した。業務内容は「県が策定を進める長期ビジョンを、県民に分かりやすく伝えるための広報戦略立案・実行」。勤務は月2回程度、うち1回は福井県を訪問することが条件で、1回の勤務あたり2万5000円が支払われる。

福井県 地域戦略部 の藤丸さん(左)と岩井さん(右)(画像提供/福井県)

福井県 地域戦略部 の藤丸さん(左)と岩井さん(右)(画像提供/福井県)

募集の背景には、2023年春に北陸新幹線が福井県敦賀市まで延伸されることがあるという。

「リニア中央新幹線の全線開業なども含め、福井を取り巻く交通ネットワークの整備が進み、来福者の増加が予測されます。⼀⽅で、他の地方同様、福井県も人口減少や高齢化の課題を抱えています。先を見越して働き方や暮らし方を考えていく必要がある。そうした背景から、20年先を見据えた長期ビジョンづくりを進めています」(藤丸副部長)

しかし、「県庁が決めたビジョンを発表する」という従来のコミュニケーションでは不十分と考えたという。

「県民の方に、ビジョンをいかに『自分ごと化』し、具体的な行動に移していただくかが重要です。しかし、県庁職員の未来戦略課のメンバーだけでは、『どのターゲットを巻き込むために、どのような手法・メッセージングが適切か』といった視点やスキルが不足していると感じていました」(岩井さん)

そこで、広報・マーケティングなど「伝える」ことに関するプロ人材を外部から募集することにしたという。

「兼業・副業限定で募集したのは、他の自治体において、この形式で数多くの応募があったことを知っていたからです。また、できるだけ多くの方に一定期間、何らかの形で地域に関わってもらうことが関係人口増加のためにも大切だと考えており、この形式を選びました」(藤丸さん)

当初は応募があるか不安視していたというが、蓋を開けてみれば想像をはるかに上回る421名の応募があった。スキルの高さと福井県に対する思いの強さ、最終選考でのプレゼン内容を基準に4名を選出。2019年11月より、実務にあたっている。

県外出身者も選出。県庁職員への好影響も任用されたアドバイザーの4名。左から大宮千絵さん、坂井美帆さん、瀬戸久美子さん、太田誠二郎さん(画像提供/大宮千絵さん)

任用されたアドバイザーの4名。左から大宮千絵さん、坂井美帆さん、瀬戸久美子さん、太田誠二郎さん(画像提供/大宮千絵さん)

今回話を聞いたアドバイザー3名のうち、大宮千絵さん、坂井美帆さんは福井県出身、瀬戸久美子さんは東京都出身だ。

坂井さんは、同県の高校卒業後、進学を機に上京して都内の大手PR会社や投資ファンドで10年以上にわたり広報・PRのキャリアを積んできた。応募したのは、「これまではふるさと納税をするくらいしか故郷に関与できなかった。自身が培ってきたスキルで貢献できる絶好のチャンス」という思いから。

同じく福井県出身の大宮さんは、大手自動車メーカーでマーケティングの経験を積んだ後、現在、開発途上国における飢餓や栄養失調問題に取り組むNPO法⼈TABLE FOR TWO InternationalのCMOを務めている。本業でも福井県から協賛を受けており、「恩返しの形を模索していた」中での応募だった。

一方、東京都出身の瀬戸さんは、『日経WOMAN』『日経トレンディ』の副編集長などを経て現在フリーランスで活動しており、これまではまったく福井と縁がなかったというが、「『福井モデル』(文藝春秋)という本を読み、幸福度や世帯年収が高く、社長輩出数も随一という福井県の特殊性に興味を持った」ことから応募に至ったそうだ。

任命後は、「広報・PR」「マーケティング」「編集」とそれぞれの強みを活かす形で活動している。

大宮さんは、福井県民自身がそれぞれの友人や仲間に声をかけて、未来について語り、発信する場を主催する取り組み「FUKUI未来トーク」を企画・実施。

坂井さんは「長期ビジョン」を県民が考えるきっかけとなるような各分野の第一人者を招いたセミナーを企画。県民がコンテンツに興味を持てるよう、福井県庁の方が主体となったSNSでの情報発信を行った。

瀬戸さんは長期ビジョンの方向性を、県民に伝わりやすいビジュアルデザインに落とし込んだり、Facebookやnoteを活用したメッセージ発信を行っている。県庁職員などに対して「伝え方講座」の実施も計画中だ。

アドバイザーたちの仕事に、県庁職員も良い影響を受けているという。
「私たちだけでは思い浮かばなかったアイデアをいただいたり、作成した案内チラシやSNSを見て『こう表現したら伝わるのか!』と学んだり。皆さんの仕事に刺激を受けて、職員のスキルレベルも上がっていると感じます」(藤丸さん)

アドバイザー任命後、初打ち合わせの様子(画像提供/福井県)

アドバイザー任命後、初打ち合わせの様子(画像提供/福井県)

中学1年生向けに実施した福井県長期ビジョンについての出前講座の様子(画像提供/福井県)

中学1年生向けに実施した福井県長期ビジョンについての出前講座の様子(画像提供/福井県)

副業で携わるアドバイザーの稼働時間は限られている。月2回程度、さらに現地を訪れるのは月1回という勤務体系の中で成果を生むために、各プロジェクトは県庁職員とアドバイザーでチームを組んで進めているという。

「アイデアの発想や企画はアドバイザーの皆さんが、事務作業や地域での交渉は県庁職員が得意とするところ。お互いの得意分野を活かして仕事を仕切っています」(岩井さん)

非出身者ならではの悩みも

非出身者である瀬戸さんは、「外から地域に入る」難しさを感じたこともあったという。
「『東京都の出身で、福井を知らない人に何ができるのか』と思う方もいると思いますし、指摘されたこともあります。それはどこの地域でも多少は起こり得るものですよね」(瀬戸さん)

「よそ者だからこそ持ちうる視点や、キャリアから来る強みを明確にして、具体的なアウトプットに落とし込もう!」と自分を奮い立たせたという瀬戸さん。その中で、本業で培った「聞く力」が役立ったと語る。

「自己アピールをするのではなく、相手のこと、地域のことを知って理解しようとする姿勢を示すことで、心を開いていただける。都市部に住んでいるからこそ感じられる福井の良さや、相手に対するリスペクトを言葉にすることも大切だと感じています。
福井を深く理解している方のほうが適している仕事は他のアドバイザーの方にお任せし、私は私にできることを最大限務めよう、と考えています」(瀬戸さん)

福井県(画像/PIXTA)

福井県(画像/PIXTA)

また、「ふるさと副業」のなかにはリモート業務だけで完結できるものもあるが、この福井県の未来戦略アドバイザーの場合は、月に1回現場に通う故の課題もある。3者とも、体調管理やタイムマネジメントは苦労したようだ。

「福井まで片道4時間ほどかかるので、長距離移動による体の負担はどうしてもあります。月曜夜に福井に帰って、火曜に県庁のお仕事をして、火曜の夜に東京に戻って水曜から本業…という2拠点生活にしばらくは慣れなくて、体調を崩したりもしました」(坂井さん)

瀬戸さんも、時間の使い方に工夫が必要と語る。
「実際に福井県に行く1日に人と会う予定を固めてしっかりインプットして、残りの1日分で一気にアウトプットしています。とはいえ、企画の仕事は明確にオンとオフを分けられるものではないので、常に頭の片隅にはある感じですね」(瀬戸さん)

2児の母である大宮さんも「自分の時間も体力も有限なので……さまざまなサービスを活用して家事を短縮するなど工夫はいりますね」と2人の意見に頷く。

また、会社勤めである坂井さんと大宮さんは「本業からの理解を得ることも大切」と口をそろえる。
「あらかじめ、どんな思いで福井県の仕事に取り組んでいるのか、本業側の仲間にも共有しています。結果として応援してもらうことができ、とてもありがたく感じています」(大宮さん)

アドバイザーと福井県出身の東京都在住者との座談会の様子(画像提供/福井県)

アドバイザーと福井県出身の東京都在住者との座談会の様子(画像提供/福井県)

仕事を通して得た人のつながりは、一生もの

課題はたくさんあったが、それでも「福井での仕事を通して得ているものの方がずっと大きい」というのが3人の共通見解だ。

「福井県に顔の見えるつながりができたことは自分にとってすごく大きな価値。顔の見えるつながりができると、その地域への興味関心がぐっと高まりますよね。福井県で起こるニュースが他人ごとではなくなって、自分ごととして捉えられるようになりました。
両親が福井に行きたいと言っているので、落ち着いたら福井旅行も計画したいと思っています」(瀬戸さん)

「福井の良い面を改めて知ることができました。学生時代の友人やこの仕事を通じて知り合った福井の方々と、福井の未来について話すことができたり、実家の家族とも定期的に会える機会ができて、福井の大切な人とのつながりを以前よりも密に感じます。自分の気持ちの豊かさも増していると感じますね。
ともに働くアドバイザーや県庁職員の方からも刺激を受けて、自分のキャリアを考える中でも大切な機会になりました」(大宮さん)

「アドバイザーの活動を、SNSを通して知った本業の仕事関係の方から、『福井つながりで』と人を紹介して頂いたことが何件かありました。アドバイザーの仕事で出会う方々だけでなく、こうした機会を通じて人のつながりがより一層広がっていっていると感じます。

東京にいる本業の同僚たちも興味を示してくれて、福井に全然ゆかりのない先輩や同僚も『福井通』になってくれているんですよ。そのこともとてもうれしく思っています」(坂井さん)

この仕事を通じてできた仲間や人脈が何よりの宝。契約期間終了後も、福井とのつながりを大切にしていきたい――3人は笑顔でそう語ってくれた。

福井県(画像/PIXTA)

福井県(画像/PIXTA)

「今回の取り組みは、福井県庁にとってトライアル的なもの」と藤丸さんは語る。

「今回のケースをきっかけに、他の部や課にも外部のプロフェッショナル人材を招いたプロジェクトを展開できるのではないかと考えています。また、アドバイザーの皆さんのスキルを、未来戦略課以外の部や課で活かすこともできるのではないかと。

私たちが最終的に目指しているのは、福井県内の中小企業と都市部のプロフェッショナル人材をマッチングさせる仕組みをつくることです。地域に根差した中小企業の力と、優れたスキルやノウハウを持った方々の力をコラボレーションさせることで、福井の産業をさらに発展させられると確信しています。今回の取り組みは、その構想を実現させる第一歩ですね」(藤丸さん)

“仕事”を通すからこそ生まれる「信頼関係」「地域との絆」

自身の故郷や関心のある地域と関係を持つ方法として、ふるさと納税、観光、移住といった選択肢は今までもあった。「ふるさと副業」の特徴は、「仕事」という機会を通しているからこそ、地域での人間関係の基盤となる「信頼」や、「地域との絆」と呼べるような愛着が生まれている、という点ではないだろうか。

地方副業のマッチングサイトをのぞいてみると、本当にさまざまな仕事がある。今回のようにキャリアを積んだプロフェッショナル人材を求めるケースもあれば、学生向けの募集なども存在する。

「移住」よりはハードルが低く、「ふるさと納税」や「観光」より深いつながりを生みだす新しい選択肢として。「ふるさと副業」は今後も広がっていきそうだ。

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●取材協力
福井県 地域戦略部 未来戦略課

横浜だからできたコロナ禍の地域対策。「おたがいハマ」って?【全国に広がるサードコミュニティ4】

新型コロナウイルスは学校教育やビジネスだけでなくさまざまな分野にも影響を与えています。各地方自治体が補助金などの独自の支援策を行っているなか、横浜市はコロナ収束後の地域社会を見据えながら、インターネットを活用したコミュニティづくりにいち早く乗り出しています。
おたがいハマとは? コロナ禍に際して緊急オープン

新型コロナウイルスの影響で、人に会う機会が激減し、オンライン飲み会などでさみしさを紛らわせている人も多いのではないでしょうか。緊急事態宣言が解除されても、これまでとは違った暮らし方が余儀なくされることでしょう。

そんな、リアルな人のつながりが希薄になっていくかもしれない今、ウィズコロナ、アフターコロナを見据えてもともとある地域のコミュニティ活動を促進したり、今後の新しいコミュニティ形成を担うことを目的としたプラットフォーム「おたがいハマ」がこの5月より運営をスタートさせました。

おたがいハマWEBサイト

おたがいハマWEBサイト

おたがいハマとは、横浜の市民や企業、大学、行政が連携し、共創、参加型の取り組みを広げていこうとするWEBサイト。横浜市内外のコロナウイルス関連情報の発信、働き方、暮らし方の変化に対応するためのアクション(後述の横浜市内の飲食店のコロナ対策やテイクアウト情報などを紹介する「#横浜おうち飯店」プロジェクトなど)や、オンライントークイベントなどをこれまで開催してきました。リアルで出会えないからこそ、オンラインで支え合う。「ネット上のサードプレイス」を謳った取り組みです。

ネットがメインではあるものの、横浜市民や横浜市がこれまで培ってきた人と人のつながり=関係資本を活かし、コロナ後の“市民発意型”アクションにつなげていくためのコミュニティづくりを心がけています。

おたがいハマをスタートさせたのは、ウェブマガジン「ヨコハマ経済新聞」などを運営するNPO法人「横浜コミュニティデザイン・ラボ」と、横浜市内で複数の「リビングラボ」という市民活動をサポートする一般社団法人「YOKOHAMAリビングラボサポートオフィス」。コロナ禍にいち早く反応し、5月1日には同2団体と横浜市との間で正式に協定が締結され、市民の自発的な活動に行政がいち早く参画を表明したことも話題となりました。

横浜コミュニティデザイン・ラボの杉浦裕樹さんは、いまこそ民間と行政がタッグを組み公共性の高い情報を市民に届けることが不可欠だと語ります。

「5月15日に横浜市が新型コロナウイルスに対する5000億円の補正予算を成立させたのですが、こういう情報を知らない市民に適切に情報を届けたいということと、横浜市内の飲食店や小規模事業者が、コロナ禍でいろんな工夫をしたりしているのですが、そうした情報を発信したり、人と人をつなげる場が欲しいよね、ということでおたがいハマが立ち上がりました」(杉浦さん)

コロナ後のコミュニケーションを準備する

「ハマのお店を応援する!」というコンセプトのもと、横浜市内の飲食店のコロナ対策やテイクアウト情報などを紹介する「#横浜おうち飯店」プロジェクトは、観光客の激減で打撃を受けている中華街などの飲食店の支援にひと役買っています。また、コロナ禍に立ち向かう横浜市内の事業者、行政マン、市民活動家をリレー形式で紹介する「おたがいハマトーク」は、5月1日のオープンより、平日毎日、お昼時に配信されています。

オンラインイベントの様子(画像提供/おたがいハマ)

オンラインイベントの様子(画像提供/おたがいハマ)

(画像提供/おたがいハマ)

(画像提供/おたがいハマ)

おたがいハマに準備段階から関わり、上述のトークイベントの配信や、Facebookグループの運営をはじめとしたプロジェクト・マネジメント全般を統括する編集者・ライターの小林野渉(のあ)さんは、京急線の高架下の複合施設「Tinys Yokohama Hinodecho」で“コミュニティ・ビルダー”や、簡易宿泊所(ドヤ)が立ち並ぶ福祉の町と変貌した寿町にある「ことぶき協働スペース」のまちづくりスタッフとしてとして活動するなど、地域を巻き込んだプロジェクトの広報やマネジメントを得意としています。そんな小林さんがジョインすることで、おたがいハマはWEBプラットフォームの枠を超えて、横浜市民の助け合いのためのメディアとして動き出しています。

「横浜に拠点のあるメディア、行政、大学など日々、いろいろな方がこのプロジェクトに参加表明してくれるんですが、当然、編集者やデザイナー、もしくは“傾聴”というスキルを持った方などバリエーション豊かな市民がいます。例えば横浜市金沢区でテイクアウトのアプリをつくるデザイナーがいるんですが、金沢区で活動するNPOや商店街の人は知らなかったりする。近所にいるのにお互い知らなかった人をトークで一緒にしてあげると、新しいことが始まると思うんです」(小林さん)

メディアに登場しないけれど地道に活動している市民とその拠点が「見える化」することはとても大切です。意外に身近にいる、新しい仲間との出会いや、同じ地域に暮らしているがゆえの課題を共有する事業者との助け合いを後押しします。こうした目に見えないつながりは、ウィズコロナの今だけでなく、アフターコロナでこそ真価を発揮することでしょう。

横浜ならではのコミュニティ資源

それにしてもなぜ、横浜で民間と行政が連携し、おたがいハマのようなプラットフォームを迅速にスタートすることができたのでしょうか? 横浜市政策局共創推進課の関口昌幸さんはこう語ります。

「横浜市では数年前から、地域課題や政策課題を市内の各地域ごとに議論し、事業モデルをつくる“共創ラボ”や”リビングラボ”という活動を支援してきました。おたがいハマの発起人でもあるYOKOHAMAリビングラボサポートオフィスとともに取り組んでいて、市内に15ほどのリビングラボがあります。そこに加えて杉浦さんの横浜コミュニティデザイン・ラボと市の三者連携でおたがいハマが生まれたんです」(関口さん)

左から杉浦裕樹さん、関口昌幸さん

左から杉浦裕樹さん、関口昌幸さん

小林野渉さん

小林野渉さん

企業が大学やNPOなどと協働しオープンイノベーションに取り組む事例は多々ありますが、そこに市民がジョインして一緒に活動しようという取り組みを「リビングラボ」といいます。関口さんが言うように、横浜には複数のリビングラボがあって、それぞれの地域課題を市民目線で解決していこうという流れができつつあります。横浜って地元愛が強いイメージがありますが、地元を愛する市民が多いからこそ、仕事から帰ったら寝るだけ、ではなく、日ごろから関わり合う地域コミュニティが活発です。まさに、学校でも職場でもない、“サードコミュニティ”に複数所属しているのが横浜市民の強みなのかもしれません。杉浦さんは話します。

「横浜で20年以上、コミュニティデザインの活動をしていますが、横浜って、観光資源もいろいろあるけれど、コミュニティ資源が豊かな印象があります。横浜にはNPOが今1500~1600ぐらいあるんですよ。そこにSDGsの流行もあって、企業が市民やNPOとタッグを組み地域課題に取り組む流れが自然と育まれてきました。こういう横浜ならではの土台があるからこそ、おたがいハマのような取り組みもできるのだと思います」(杉浦さん)

ネット上のサードプレイスを目指して

おたがいハマでは横浜市民同士の横のつながりで生まれた活動を広く市民に発信し、応援しています。例えば最近だと、戸塚リビングラボのメンバーである介護事業者の方が、まさに「おたがいハマ」の精神で、サービス付き高齢者住宅にランチやディナーを届けるプロジェクトが始まりました。また、高齢化が激しい横浜・寿町の住人と関わる医療や介護事業者に、就労継続支援B型事業所の通所者やアルコールなどの依存症患者らがつくったガウン(防護服)を配布するプロジェクト「寿DIYの会」もスタート。ガウンは作業賃を支払った仕事として制作しており、現在の工賃は時給250円。今後は工賃の増額を目指しています。寿DIYの会ではガウンの材料費・作業費向上も含め、広く寄付金を募り、グッズの販売もしています。
普段であれば、介護福祉施設や工務店、工場、商店主など多様な事業者同士の接点はなかなかありません。しかし、お互いのスキルや得意なところを持ち合えば、いろんな課題が解決していくはず。距離的に近いからこそ、つながったほうがいい人たちはたくさんいる。おたがいハマは、異なる立場にいる人たちをつなぐ、目に見えない地道で、でも大切な“ネット上のサードプレイス”になりつつあるのです。

戸塚リビングラボの活動の様子(画像提供/一般社団法人YOKOHAMAリビングラボサポートオフィス)

戸塚リビングラボの活動の様子(画像提供/一般社団法人YOKOHAMAリビングラボサポートオフィス)

寿DIYの会の取り組み(画像提供/寿DIYの会)

寿DIYの会の取り組み(画像提供/寿DIYの会)

おたがいハマは横浜市もメンバーに加わっていますが、決して行政主導のプロジェクトではありません。あくまで広報協力や人や事業者の紹介、バックアップの立場にとどまっています。「意義のある取り組みだから、もっとお金を投入すればいいのに」「横浜市、何もやってないじゃん!」という意見もあるかもしれませんが、むしろ行政の事業でないからこそボトムアップで有機的な活動が生まれるので、後方支援に徹した方がいいこともあります。関口さんはこう語ります。

「新型コロナの問題に関して、東京都がシビックテックを使って感染者数を見える化するサイトをつくって話題になりました。もちろん、行政による情報開示は大事なのですが、どうしても自治体からの情報発信って一方的になりがちです。でも、今の時期に大事なのって、市民と一緒にコロナ禍に立ち向かうんだというメッセージ、思想なんじゃないでしょうか。まちをつくるのは市民であり、行政はそれを最大限サポートする。なぜなら私たち市の職員も、横浜市民としてできることをしたいからです」(関口さん)

行政による必要な資金面での支援は、先に紹介したようにさまざまな分野ですでに行われています。予算を使い議会にかけるような事業にしてしまっては、市民の自発性やボランティア精神に頼ったプロジェクトは、瞬く間に萎んでしまうでしょう。行政セクターだろうが民間だろうが、それぞれの立場でできることをシェアし、一歩前に踏み出して支え合う、そんなことが自然とできる人が多いのも、横浜ならではだなぁと羨ましくなります。

5月1日に正式にスタートして、まだ1カ月半にもかかわらず、おたがいハマトークはすでに31回目を迎えています(※6月10日現在)。現在は地元の大学の学生がファシリテーターとなってトークイベントを回すなど、関わる人がどんどん増えてきている印象があります。

コロナウイルス感染症で学んだことは、ネット上でのコミュニケーションを加速して業務を効率化する、ということだけではありません。ネット上だけで互いの信頼関係を醸成することは難しい。リアルで会ったときに、見知らぬ人同士ではなく、少しの信頼感を持ち寄って話せること。その関係資本を積み上げていくこと。アフターコロナに向けて、行政、民間、個人の区別なく、今僕たちが準備しなければならないことのヒントが、おたがいハマには詰まっています。今後もおたがいハマの活動に注目していきましょう!

●取材協力
#おたがいハマ
横浜コミュニティデザイン・ラボ
一般社団法人YOKOHAMAリビングラボサポートオフィス
寿DIYの会

住宅弱者に寄り添い続ける幼馴染の二人。官・民組んだ座間市の取組みとは

住居は、生活の安全や安心の根幹となるもの。しかし、高齢者や母子家庭、身寄りがなかったり障害を持っていたりといったさまざまな理由で、住まいを探すことが難しい「住宅困窮者」が存在する。神奈川県座間市にあるNPO法人「ワンエイド」は、そうした住宅困窮者の相談支援や生活サポートを行い、不動産会社「プライム」と連携し、物件が借りられるようオーナーや不動産会社との交渉や、必要に応じて適切な行政窓口にもつないで問題の解決までをサポートしている。NPOと不動産会社が表裏一体となって活動しているのはどうしてなのか。運営する理事長松本篝(かがり)さん、石塚惠さんに聞くとともに、「断らない相談支援」を掲げ、住宅や生活困窮者の自立支援事業に力を注いでいる座間市役所の関係者ら「チーム座間」の皆さんにも、お話をうかがった。
※本記事の撮影は2020年2月に行っています
私は大丈夫、と思っていてもどうなるか分からない

松本さんはワンエイドの理事長、石塚さんはプライムの代表を務めている。高校の同級生だったふたりはともに不動産業界で長く勤務していたが、物件の仲介業務の中で、本当に住宅に困っているにもかかわらず、高齢者や母子家庭であるなどが理由でオーナーに敬遠されてしまい断らざるを得ないケースが数多くあることに胸を痛めてきたという。住宅困窮者の力になりたいとワンエイドを立ち上げ、住まいに関する相談にのっていたが、NPOの活動範囲内ではカバーできない、最終的に入居ができるまでの実務の面に対応するため、不動産会社も設立した。「困っている人を助けたいという福祉の目線と、不動産業務の間には温度差がある。その真ん中をつなげたかった」と松本さんは話す。

NPO法人ワンエイド理事長の松本篝さん

プライムの代表 石塚惠さん

NPO法人ワンエイド理事長の松本篝さん(上)とプライムの代表 石塚惠さん(左)

困窮者たちが物件のオーナーから契約を断られるケースは、「100人いたら100通り」だという。天涯孤独の高齢者であれば亡くなった後の荷物の整理が大家の負担になり、障害者であれば近隣トラブルを懸念されたりといったことも。一般的な不動産会社では、そのフォローをどうしたらいいかが認知されていないため入居のハードルはあがってしまう。ワンエイドでは、ただ困窮者に物件を仲介するだけでなく、オーナーに安心して貸し出してもらえるよう、高齢者などの見守りやゴミ屋敷の掃除などのサポート業務も引き受けている。

不動産の仲介や管理を行うプライムと、住宅困窮者の相談や見守りなど入居者のサポートを行うワンエイドは座間市の県道沿いの隣同士。互いに行き来しながら、相談者の問題解決に取り組んでいる(写真撮影/片山貴博)

不動産の仲介や管理を行うプライムと、住宅困窮者の相談や見守りなど入居者のサポートを行うワンエイドは座間市の県道沿いの隣同士。互いに行き来しながら、相談者の問題解決に取り組んでいる(写真撮影/片山貴博)

50代である松本さんは、子育てを経て現在は親の介護の真っ最中だ。自身の家庭という小さな社会の中で起きる、子どもや親を取り巻く問題や悩みは、置き換えれば、世の中の課題でもある。ワンエイドの相談越しに知ったのは、高齢で配偶者と死別し年金の受給額が減ったことにより住み替えせざるを得なくなったり、病気などで困窮に陥り家賃が払えなくなるといったことは、誰にでも起きうるということ。「私は大丈夫、と思っていてもどうなるか分からないし他人事ではない」(松本さん)

住まいの相談はひと月に約300件寄せられる。1度の電話相談で解決するわけではないため、非常に多忙だが、石塚さんは「成約率は決して高くはない」と明かす。つまり、仲介手数料を中心に生業を立てている不動産業としては、儲けにはなりにくい取り組みということ。一方で、不動産業界にいた経験から、オーナーの気持ちもよく分かるそう。大家にとって物件は、大切な収入源。住宅困窮者とオーナーのどちらかの目線に偏ることなく、双方の立場の尊重を大切にしているという。

ワンエイドでは松本さん、石塚さんのほか3人のスタッフが交代で相談にあたっており、高齢者など入居後の生活にもサポートが必要な人に対してはその相談にも乗っている(写真撮影/片山貴博)

ワンエイドでは松本さん、石塚さんのほか3人のスタッフが交代で相談にあたっており、高齢者など入居後の生活にもサポートが必要な人に対してはその相談にも乗っている(写真撮影/片山貴博)

実際に行われている相談はとにかくケースバイケースで難しいものも多い。身だしなみは普通でスマートフォンを所有していても、通信料を支払えず無料Wi-Fiスポットに行って使用している貧困世帯というように、周囲からは困窮の様子が分からず、行政からのサポートが何も受けられていない人もいる。ほかには、障害者に対する偏見もある。例えば、障害者手帳を取得した相談者と、障害の等級に該当していても手帳を取得していない相談者では、実は手帳がない人の方が入居審査に通りやすい傾向にある。住宅困窮者とオーナーが相互に理解しあい、物件を契約できるようになるまでの問題解決はどれも複雑だ。そのため「ワンエイドが双方の結び役になれればと思う。住まいの相談の中には、生活するうえでのさまざまなほかの問題が見えてくる」(松本さん)。貧困からくる空腹が暴力の問題を生むなど、問題は連鎖する。それらの問題解決の一助のためワンエイドでは、企業や一般の方から食品の寄付を募り、生活に困っている世帯にお渡しするフードバンク事業なども行っている。ふたりを頼って、遠く関西や国外からも、相談が舞い込むこともあるという。

賞味期限月で分類してある事務所内の食品庫。企業や一般の方から協力をいただいて必要な人にお渡ししている(写真撮影/片山貴博)

賞味期限月で分類してある事務所内の食品庫。企業や一般の方から協力をいただいて必要な人にお渡ししている(写真撮影/片山貴博)

座間市役所内と地域をワンストップで連携する「チーム座間」

住まいの相談から見えた住宅困窮者の周辺の問題解決に取り組むワンエイドには、行政からも協力の依頼が寄せられる。ふたりは、座間市の困窮者支援会議にも参加している。

行政といえば、組織の構成は「縦割り」になっている。困ったことがあり相談に行っても、担当窓口が分からなかったり、部署が違うと担当者間でも他部署の制度や状況が分からなかったりなどで、たらい回しにされたりすることが多いのが実態だ。座間市は市役所内の部署を横断しワンストップで連携。市役所内で「つなぐシート」を用い、相談をうけた部署に該当するものでなくても担当となる部署に相談内容をつなげ、そこから相談者が本当に困っていることを探って支援や課題解決にあたる独自の取り組みを行っている。連携するメンバーは社会福祉協議会や弁護士、ハローワーク、そしてワンエイドのような民間団体や生協など幅広く、協力しあう「チーム座間」は、他自治体からも注目されている。

チーム座間のメンバー。官民一体となったこの取り組みは全国でもまだ少なく視察に訪れる自治体も多いそう(写真撮影/片山貴博)

チーム座間のメンバー。官民一体となったこの取り組みは全国でもまだ少なく視察に訪れる自治体も多いそう(写真撮影/片山貴博)

座間市が生活困窮者の自立支援制度を始めたのは2015年。家計改善の助言や、引きこもりの人の就労支援など、多岐にわたる相談を受け付けている。ワンエイドとは、住宅困窮者の根底にある問題解決のため2016年からつながった。

チーム座間は普段から相談者に連携して対応するほか、月に1度集まり、よりスムーズに解決していくために必要な仕組みづくりも整えている(写真撮影/片山貴博)

チーム座間は普段から相談者に連携して対応するほか、月に1度集まり、よりスムーズに解決していくために必要な仕組みづくりも整えている(写真撮影/片山貴博)

この取り組みの中心となる福祉部生活援護課の林星一課長は「例えば就労支援では、なんでもかんでも仕事しなさいということでなく、健康などさまざまな観点からそのひとに寄り添っていく支援が必要」と説明する。お金の相談に来た人から、本人も自覚できていなかった、なぜそうなったかの根本原因にあたる困りごとが顕在化することもあるという。

ある市民の保険料の滞納相談に応対した介護保険課からの連絡で、持ち家を悪徳金融業者にだまし取られそうになっていることが判明。チーム座間のメンバーである神奈川総合法律事務所の西川治弁護士が確認し、債務整理と家計相談に乗ることで、持ち家を残すことができたことも。行政がひととおりの滞納相談の対応で終わっていたら、家は残すことができなかったようなケースだ。「滞納相談に応対した職員からの連絡があと1週間遅かったら危なかった。普段から連携できていたから間に合った」(西川弁護士)

西川治弁護士(左)と福祉部生活援護課の林星一課長(右)

西川治弁護士(左)と福祉部生活援護課の林星一課長(右)

大学進学のために市営住宅に住んでいた児童相談所出身の未成年は、保証人になっていた親族が入院して収入がなくなり、退去を迫られた。引越し費用や学費は手元にあっても未成年であるため契約ができなかったが、社会福祉協議会やワンエイドのフォローのもと本人名義で入居でき、進学がかなったという珍しいケースもあったという。

座間市の生活困窮者自立支援制度は、困っているひとを、いかに相談につなげられるかという仕組みと支援対策、就職支援に加え、居住支援が大きな柱となる。「住まいは生活の基本。家というハードとともに、住み続けるというソフトの部分が必要で、それは生活支援そのもの」と林課長。それらは支援対象者が地域で孤立しないことや、地域自体の協力が不可欠であり、ワンエイドをはじめとするひとたちの尽力があってのものだ。

都市部建築住宅課課長 松尾直樹さん(最左)、福祉部生活援護課 自立サポート担当主任 武藤清哉さん(左から2番目)。公営住宅を担当する都市部と生活保護等の福祉を行う福祉部が連携することも行政では異例で、居住の支援に関するさまざまな取り組みを考えるきっかけにもなっている(写真撮影/片山貴博)

都市部建築住宅課課長 松尾直樹さん(最左)、福祉部生活援護課 自立サポート担当主任 武藤清哉さん(左から2番目)。公営住宅を担当する都市部と生活保護等の福祉を行う福祉部が連携することも行政では異例で、居住の支援に関するさまざまな取り組みを考えるきっかけにもなっている(写真撮影/片山貴博)

正反対のふたりだからこそ、成し遂げられたこと

松本さんたちが困窮者とオーナー双方にそこまで親身に、精力的に活動できるのはなぜなのだろうか。松本さんはその理由を、「私も石塚も好きなことをしているだけ。困った人がいたら放っておけない、そもそもおせっかいなだけなんです。正反対な二人だけどその思いは一緒です」と話す。

二人三脚の石塚さんと、性格は真逆とのこと。明るい松本さんは実は慎重派、石塚さんは行動派。「自分が100個考えても思いつかない1個を彼女は考えつく。そこがすごい」(松本さん)

不動産業に長く携わってきたふたり。石塚さんは所属する地域の不動産業界団体では副支部長を務め居住支援の取り組みについて発信している(写真撮影/片山貴博)

不動産業に長く携わってきたふたり。石塚さんは所属する地域の不動産業界団体では副支部長を務め居住支援の取り組みについて発信している(写真撮影/片山貴博)

今、新型コロナウイルスの影響で、ネットカフェが休業要請を受け、それらを住居代わりにしていた人が多く相談に来ているという。当たり前のように過ごしている自分の家、それをなくすことは、仕事だけでなく、周囲の人間関係など社会とのつながりすべてを失うことになりかねない。政府からは「住居確保給付金」に関しての要件を緩和するなど、さまざまな対応策が発表されているが、それらが周知され、問題に応じたサポートが届けられるには、多くの助けが必要だ。かつては地域社会の中で解決していた問題も、その関係性が希薄な中、福祉と地域社会、不動産業の間に入り、関係する人と制度をつないでいく、ワンエイドおよびチーム座間のような境界を越えた存在がますます必要になっていくだろう。問題を抱えた人に対し、断らずに不動産業を行うプライムの運営について、「始めたころはなかなか理解を得られなかったのですが、最近では協力してくれる同業者の方も増えました。とてもありがたいです」(石塚さん)。事例を伝えることで、住宅困窮者の存在をプラスにとらえてもらえるよう二人で講演依頼を引き受けているという。現在、スタッフも感染予防のため出社は交互とするなどし、雇用を守りつつも最大限答えていこうと活動を続けている。このような取り組みが、松本さん、石塚さんら個人の強い思いで支えられていることに、とにかく頭が下がる思いだ。彼女らの活動を注目し応援するとともに、我々の日常では心が及ばない住宅困窮者への理解と協力を、まだまだすすめていかなければならない。

●取材協力
特定非営利活動法人ワンエイド
座間市役所

月1の飲み会が条件!? 沖縄独特のつながり「模合(もあい)」とは?【全国に広がるサードコミュニティ3】

気の合う仲間で毎月集まり飲み会を行い、ついでに資金を積み立て、旅行や事業に役立てる「模合(もあい)」という文化が沖縄では一般的です。「同級生模合」や「経営者模合」など、家族や親戚といった血の繋がりに縛られず、自由なメンバーで互いの親睦を深める模合の魅力について、実践者に伺いました。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。飲み会で親睦を深め、ついでにお金を集める

みなさん、「模合(もあい)」って聞いたことありますか? あのイースター島にあるモアイではありません。もちろん、渋谷の駅前の待ち合わせスポットはモヤイ像ですから、それも違います。実はこの「模合」、沖縄では一般的に行われている文化なんです。沖縄に住んでいる方なら知らない人はいないでしょうし、沖縄出身の人と親しい方なら名前くらいは聞いたことがあるでしょう。

模合とは、ひと言で言うならば、古くからある「庶民金融」。毎月、メンバーでお金を出し合って資金を積み立て、半年に一回、ないしは一年に一回、「親」が回ってきたら、そのお金を総取りできます。月一で集金するついでに「飲み会」を行うのが一般的。飲み代は積み立てるお金とは別に支払うのが基本だそうです。

構成メンバーはさまざまで、高校や大学の同級生同士だったり、社長さん同士で意気投合して始めることもあるそうです。主婦の方が集まってやる模合もあって、その場合はランチタイムに集まってお茶を飲みながら開催するそう。庶民金融と言っても、実質はメンバー同士の親睦を深める「部活」のようなものなのです。

模合のいいところは、商店街だとか親戚だとか、地縁や血縁にとらわれず、気の合う仲間うちで気軽に始められるところ。聞くところによると、上京した沖縄出身者同士で、東京で開催される模合もあるそうで、それくらい一般的なのです。今回は、沖縄で実際に模合をされているお二方にお話を伺いました。

経営者どうしでつながるメリットとは?大城さんが参加する経営者模合の様子(写真提供/大城さん)

大城さんが参加する経営者模合の様子(写真提供/大城さん)

まず一人目は、沖縄本島の南部・南城市で、海の見えるカフェ「Cafeやぶさち」を経営する大城直輝さん。彼は二つの模合に参加していて、一つは同級生模合、もう一つが経営者模合です。沖縄の人は一つだけでなく複数の模合に参加している人も多いと言います。

「高校の同級生模合は6人メンバーがいて、月5000円支払います。『親』が半年に1度回ってきて、5人分2万5000円を取っていく。たまに仲間が友達を連れてきて参加することもあります。同級生って付き合いは長いけどなかなか合わないじゃないですか。それぞれ仕事があったり、結婚して子どもができたりすると家族の時間もあって。強制的に会うことになるので、模合メンバーの結束感はかなり強いです」(大城さん)

一方、経営者模合についてはどのように運営されているのでしょうか。

「『志尽塾』と名付けました。30代、40代の若手経営者で集まっています。僕は今44歳で、30代からやっているから10年くらい続けています。システムとしては年間払いにしています。年1万円で、今メンバーは8人。毎回那覇市内のホテルを借りて、講師を呼んでセミナーをしてもらった後、懇親会をしています」(大城さん)

模合といってもその形態はさまざまなんですね。金額はそれほど大きくないですが、資金は基本的には講師の謝礼に使っているそう。いわゆる有志が行う勉強会といったかたちです。しかし、経営者同士の模合にはもっとビジネスの匂いがするものもあります。

「ひと昔前の50代60代の社長さんたちの模合だと、月に10万円とか20万円という話も聞いたことあります。例えば人数が10名で20万だと、200万ですよね。『親』になったときに200万入るわけです。それで資金繰りする人もいたと聞いています(笑)」(大城さん)

大城さん。「Cafeやぶさち」エントランスにて

大城さん。「Cafeやぶさち」エントランスにて

イメージとしては貯金をする感覚。決して少なくないお金を積み立てて、さらに飲み会の料金は別払い。原則参加が必須で、どうしても来れない場合でもお金は支払わなければなりません。意外に縛りが強い集まりの印象があります。経営者なんて特に忙しいのに、毎月会って飲み会をするのってハードモードですよね。なぜそこまでしてやりたいと思うのか……疑問をぶつけました。

「『志尽塾』は、毎月第二月曜日にやることになっています。講師の方にレクチャーしてもらうだけでなく、メンバーがそれぞれ3分間スピーチをすることにしていて、そこで今月の会社の経営状況がだいたい分かるんですね。いわば月1朝礼みたいなもので、お互いにその月の事業活動を進めるにあたってアドバイスをする。『最近、コロナでどう?』とか」(大城さん)

確かに、コンサルタントにお金を払って経営のアドバイスしてもらうより、実際の経営者同士で互いにメンタリングする機会があると、毎月のビジネスのリズムが生まれてくるし、お互いの事業についての知識も深まるので、何かあったときすぐに助けてもらえます。

「例えばうちのカフェを結婚式の会場として使ってもらったり。デザイナーのメンバーはロゴをつくってくれたり。沖縄って、ビジネスするうえでは横のつながりがものすごく大事なんですよ。模合はお互いのつながりをとっても大切にします。互いに仕事を発注しあい、親睦を深めながら経済を回せるのが模合のいいところですね」(大城さん)

沖縄県外から移住した人のセーフティネットとして

もう一人は、那覇市で「浮島ブルーイング」というクラフトビールのお店を経営する由利充翠さん。実は由利さんは沖縄出身ではなく、名古屋出身で大学入学のときに沖縄にやってきて、卒業後も沖縄に根づき商売を始めた人。県外出身者でも参加できるんですね。

由利さんが経営する「浮島ブルーイング」にて(写真提供/由利さん)

由利さんが経営する「浮島ブルーイング」にて(写真提供/由利さん)

「大学は寮だったんですけど、実は当時の模合のメンバーは全員、県外出身者なんですよ。韓国からの留学生もいて。学生時代から、みんなで韓国に遊びにいくくらい仲が良かったので、だったら旅行のお金の積み立てのために模合やろっか、となって始めたんです」(由利さん)

毎月第二金曜日開催で、月3000円。それを2年続けると7万円くらいになるので、そのお金で韓国に旅行に行ったり、大学卒業後に沖縄を出て行った仲間に会いにいくための旅行資金にあてたりしているのだそうです。

県外出身者は沖縄に親戚もいないし、同級生のつながりもないため、沖縄のコミュニティに入り込むのがなかなか難しい。どうやら、「よそ者」が、県内で新しく仲間をつくるうえで模合はうまく機能しているようなのです。

由利さんたちの同級生模合の様子(写真提供/由利さん)

由利さんたちの同級生模合の様子(写真提供/由利さん)

「僕は大学卒業後も沖縄で暮らしているので、とても役に立っています。お店が移転する前の商店街でも先輩たちの模合があって、参加させてもらっていました。模合に参加すると確実にコミュニケーションを取る機会が増えます。同級生模合でも最近、コロナウイルスの影響でうちが配送もままならない状況で悩んでいた時に、メンバーの一人がわざわざお店までビールを買いに来てくれて。今はリアルでは会えないけれど、血もつながってないのに、家族とか親戚の次くらいに強いつながりを感じます」(由利さん)

“無尽”の一つとしての模合

沖縄の模合のような庶民金融は、かつて全国にありました。それらは「無尽(むじん)」と呼ばれ、庶民金融としてのみならず、中小企業金融としての側面も大きかったそうです。それが金融制度の近代化にともない、次第に淘汰されていきます。いまとなっては都市部ではほとんど開催されることはないですが、岐阜県や山梨県の一部ではいまだに続いているところもあるそうです。

そんななか、沖縄では廃れることなく根付いており、ひとつは金融・投資としての機能を果たしてきました。倒産寸前に郷里に帰り、模合を起こして資金調達する事業者もいたそうで、確かに短期的な資金繰りに困ったときに模合のつながりが役立つこともありました。一方で、不払いによる「模合崩れ」により、訴訟に発展するトラブルもかつては多かったそうです。

それでも模合が現在も市民に愛される理由は、相互扶助・親睦の役割が大きいからでしょう。文具店で「模合帳」が普通に売られていたり、模合専用のアプリがリリースされていたり、飲食店がTwitterなどで「模合にご利用ください!」などの宣伝を行っている様子を見れば明らか。今では沖縄の模合は気の合う仲間とつながりを深める「第三のコミュニティ」として、よりカジュアルに機能しているのかもしれません。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

現在はLINEやFacebookなどで、飲み会以外の日も頻繁にやりとりができる時代です。お二人に話を聞いて思ったのは、コロナウイルスの影響で実際に会えないにもかかわらず、「強いつながり」があって、それが実際にお互いを支え合うものになっているということ。家族とか親戚とか、同じ会社の社員だとか、そういった既存のコミュニティとは別の、地縁も血縁もないつながりにもかかわらず、お互いを大切に思える関係が育まれるのが模合のユニークなところなんです。

先日、沖縄県知事の玉城デニー氏が記者会見で「3密」の条件が重なる模合を控えるよう促したように、現状、リアルに飲み会を開催するのは難しいですが、「これまで毎月、何年も会い続けてきた」という事実は変わりません。家族や親戚と同じくらい強い結びつきが“関係資本”として蓄積しているからこそ、会えなくても互いに連絡を取り合い、支え合うことができるのだと思います。

実はこの連載が「サードプレイス」ではなく「サードコミュニティ」と謳っている理由はここにあります。コロナウイルスの蔓延によって、たとえリアルに会えなくても、人と人の目に見えないつながりを持っていることの重要性に気づき始めた人は多いのではないでしょうか。

時代の変遷によって淘汰された無尽ではありますが、もしかしたら今こそ模合や無尽のようなあり方が、私たちの生活にとって重要なセーフティネットの一つになりうるのかもしれません。

地方に副業を持つ「ふるさと副業」が拡大中!地域とゆるやかにつながるきっかけを

ここ数カ月の急速なテレワークの広がりなどを受け、「生活拠点を地方に移す」ことを検討した人も少なくないのでは。一方で、地方移住にはいくつかのハードルがあり、そのうちの一つが“仕事”だと言われている。そんななか、都市部に暮らしながら移住せずに副業・複業・兼業するという地域との新しい関わり方が注目されているようだ。2020年の働き方のトレンドとして「ふるさと副業」を提唱したリクルートキャリアの広報部でもある、藤井薫HR統括編集長に話を伺った。
「終身成長」を求める個人と、「変革人材」を求める地方企業のニーズが合致

「ふるさと副業」とは、都市部で働く人材が、地方企業の仕事に月1回~数回のペースで関わる新しい働き方のこと。自身の出身地の仕事に関わる方もいれば、これまで全くゆかりのなかった地域の仕事に関わるケースもあるという。地方での「仕事」や「人間関係」を構築していく方法へのヒントがありそうだ。

藤井 薫HR統括編集長

藤井 薫HR統括編集長

藤井編集長いわく、いま「ふるさと副業」が広がっているのは3つの要因があるという。

一つ目は働く個人の変化。働き方改革の影響を受け、近年、労働時間は減り続けており、2013年から2018年の5年間で平均年間就業時間は63.6時間も減少している。生産性向上の意識が高まり、残業が減ったことで、余剰時間が生まれるようになった。その時間を「学び直し」や副業など自身のキャリア成長のために充てたい、という方が増えているのだ。

背景には、「『終身雇用』が約束されなくなり、『終身成長』意識が高まったこと」があるという。企業の平均寿命(開業~廃業までの年数)は年々短くなっており、現在では約20年と言われている。一方、職業寿命(個人が働き続ける期間)はどんどん長くなっており、今は60年ほどの予想だ。つまり、一生の間に2回、3回と働く場所を変えていく必要がある。「そのため、市場の中でいつでも声がかかるように腕を磨きたいという人が増えています」(藤井編集長)

市場の中で成長したい意欲を持つ個人にとって、地方か首都圏かは関係ない。「成長の機会があるならば」と、地方で月数回働くことに興味を示している求職者は51%と約半数を超える(日本人材機構「首都圏高度人材意識調査」より)。特にオンライン中心で対応できる仕事は人気を集めており、「ふるさと副業」に関するイベント参加者も増加傾向にあるとのこと。

二つ目の要因が、地方企業の人材ニーズだ。企業は常に人材不足の問題を抱えているが、特に地方中小企業は顕著で、なかでも新規事業創造のための変革人材がいないことが大きな問題だという。

そうした人材を獲得する手段として、これまでは転職やヘッドハンティングしか無かったところに、新たに副業という手段が加わった。「これは地方企業にとってチャンス」と藤井編集長は語る。事実、プロフェッショナル人材と企業をジョブ単位でマッチングするサービス「BizGROWTH」では、2018年から2019年の1年間で求人数が13.38倍に。

「大企業に勤めていても、社長直下の部隊や新規事業開発セクションにいないと、企業変革に関わる機会がなかったりする。自身の成長を考えると今の仕事だけでは足りないと、大企業に勤める方々が地方企業の次世代開発などに参画しているケースも多いんです」(藤井編集長)

“本業”側の企業の変化も追い風だ。

「副業容認・テレワーク導入など、個人の生活パターンに寄り添った柔軟な働き方を提供できないと人材が定着しない時代になっています。企業と対話し、生活に合わせた働き方を実現する『ライフフィット転職』という考え方も広がってきている。また、政府も『関係人口の創出・拡大』を掲げて地方副業者を支援する動きがある。こうした要素も後押しになっていると思います」(藤井編集長)

三つ目の要因は、個人と企業を結ぶ手段の変化だ。これまでは「職住接近」が原則で、住む場所と働く場所が近接していないと関与することが難しかった。しかし今はテレワークが広がり、遠隔でのコミュニケーションを円滑にするさまざまなツールも整ってきている。「仕事と住居が遠くても、まるで接しているように共創することができる。これからは『職住接遠』の時代になっていくでしょうね」と藤井編集長は語る。

ツールの充実により、ハードルが低くなったテレワーク(画像/PIXTA)

ツールの充実により、ハードルが低くなったテレワーク(画像/PIXTA)

“ゼロイチ”を生みだせる人が活躍。「ポータブルスキル」を重視するプロジェクトも

地方企業と働く個人の出会い方も変化している。知り合いから声がかかるケースだけでなく、「BizGROWTH」「ふるさと兼業」「SkillShift」などのマッチングサイトが充実してきたほか、地方副業に特化しない「ビザスク」や「ランサーズ」のようなスキルマッチングサイトを通した出会いも増えている。

特にマッチングしやすいのは「ゼロイチで新しいものを生みだせる人、不確実なものに挑戦するときにスキルを発揮できる人」だと藤井編集長は語る。

岐阜県のお酒や米を入れる桝をつくる企業・大橋量器の事例では、新たな販路開拓にあたり、ブランディングを一緒に考えてくれる人材を募集していた。そこに、東京からブランディングのプロフェッショナルが参画。商品の強みの言語化やWEBサイトのコンセプト立案などでスキルを提供した。

新規販路開拓に向けた、商品ブランディングを実行。強みの言語化やWEBサイトのコンセプト決定などでスキルを発揮した(写真提供/大橋量器)

新規販路開拓に向けた、商品ブランディングを実行。強みの言語化やWEBサイトのコンセプト決定などでスキルを発揮した(写真提供/大橋量器)

地方企業の中には、経営企画はできても、「マーケティング」「デザイン」「PR」「販路開拓」といった特定の分野に強みを持つ人がいないケースも多い。

これまでは高額の報酬を払わなければプロフェッショナルを呼ぶことは難しく、地方中小企業にとってハードルが高かった。しかし今は、「思いがあるなら手伝いたい」と、少額や無償でサポートする個人が増えているという。金銭報酬より成長報酬・関係報酬を求める方に価値観が変わってきているのだ。

一方、前述したような特別な知識やスキルがないと「ふるさと副業」は難しいのかというと、必ずしもそうではないらしい。

「前提として、仕事の成果を出すには、『専門知識・スキル』と『ポータブルスキル』、2つのスキルのどちらかが求められます。ポータブル・スキルは、業界を越境して活用できる筋肉のようなスキルのことで、『仕事の仕方』と『人との関わり方』で成り立っています」(藤井編集長)

例えば、コロナ禍で、飲食店が新サービスを立ち上げるプロジェクトがあったとする。そこでは、業務ごとに以下のようなスキルが求められるだろう。

【仕事の仕方】 a現状把握:他店のテイクアウトの動向を足しげく地道に調べる b課題設定:テイクアウトを望むお客さんの本音を突き止める c計画立案:不安解消を実現するメニューや届け方のプランをつくる d実行:本当に解消するか・回せるか、泥臭く試行錯誤・修正する  【人との関わり方】 a顧客対応:初めての人(顧客)とのコミュニケーションが得意 b社内対応:社内の人気者で、関係づくりがうまい c上司関係:上位者の意思決定者に心地よく信頼を得るのが得意 d部下同僚:仲間との協力関係を引き出すのが上手

aが得意な人もいれば、dが得意な人もいる。副業人材を求めるプロジェクトの種類によっては「専門知識・スキル」を重視するものだけでなく、このような「ポータブルスキル」がより必要とされるものもあるのだという。

「関心がある方は、まずふるさと副業サイトやイベントをのぞいてみることをお勧めします」(藤井編集長)

働き方・暮らし方はますます多様に。「関係の質」も変化

スキルアップのためだけでなく、「副業をきっかけに地元と関係を持ちたい、戻りたい」という理由で取り組んでいる人もいる。複数の地域で副業に取り組むケース、国外から取り組むケース、狭域内の二拠点で活動を行うケースなど、藤井編集長いわく、「100人100色のパターンがある」のだそう。

石川県にあるホテル海望の事例では、外国人旅行者向けの宿泊プランづくりにカリフォルニア在住の日本人女性が参画。契約終了後も、アイデアを思いつくたびに連絡しているそうだ。社外サポーターのような関係性を築いており、「カリフォルニアと石川の『心の二拠点居住』と言えるような状態」になっているという。

ホテル海望(写真提供/ホテル海望)

ホテル海望(写真提供/ホテル海望)

イメージ(画像/PIXTA)

イメージ(画像/PIXTA)

一方、静岡県郊外に位置する企業・TUMUGUの事例では、県内の都市部で本業を持つ女性がマーケティングを支援。このように同じ県内や隣接地域など狭域での二拠点居住・二拠点ワークも増えている。「働き方・暮らし方は、企業が決める時代から個人が決める時代になります。在り方ややり方を決める主権が個人に移動するこれからは、さらに多様になっていくでしょう」と藤井編集長は予測する。さらに、こうした働き方・暮らし方の変化を考える上での重要なポイントとして“関係の質”があるという。

「広義の二拠点・多拠点居住で言うと、例えば軽井沢に別荘を持っていて月に1-2度訪れるが、軽井沢での人間関係は無い、というケースもよくあると思います。
また、働き方は従来、会社と個人の結びつきは強いがゴール設定は曖昧な『メンバーシップ型』と、「ゴールは明確だけど人間関係は無味乾燥な『ジョブ型』の二択と言われてきましたが、ふるさと副業の場合はその2つが合わさった、新しい働き方が生まれているように思います。
ゴールは明確にありながらも、社外サポーターのような形で、企業や地域と継続的な関係性が築かれているケースが多いのです。
“関係人口”という言葉がありますが、単に仕事とスキルの交換ではなく、その事業やその先にある地域を、未来に向かってより良くしたいという同じ想いを抱いたもの同士の関わりこそ、“関係人口”の本質だと思います。そうした“関係の質”を高めやすいのが“ふるさと副業”なのではないかと思います」(藤井編集長)

「物理的な場所がどこか」の意味は薄れていく

また、現代のように急速に社会が変化し、先行きを予測しづらい時代において、「会社以外のコミュニティを持つ個人は強い」と藤井編集長は続ける。

「今後も、急な変化が非連続で訪れることが予測されます。そのなかで、企業も個人も、働き方をいかに柔軟かつ安全なものにできるかが問われている。変化が激しいときほど、クモのように、『やわらかい糸をいくつも張っておくこと』が大切です。
あるマルチキャリアに関する調査では、3つ以上のコミュニティに自主的に参加している人は、未来に対して明るい展望を持ちやすいそうです。一方でひとつのコミュニティしか持たない人は、『このロープが切れたらおしまいだ』と悲観的になりやすく、今のコミュニティにしがみついてしまう傾向にあります」(藤井編集長)

(画像/PIXTA)

(画像/PIXTA)

「これからは、物理的な場所がどこか、ということの意味がどんどん薄れていくのだと思います。『首都圏』や『地方』という言葉も使われなくなっていくかもしれません。首都圏にお住まいの方が地方のプロジェクトに参画することがあれば、その逆もありますし、日本語が堪能な海外の方が地方のプロジェクトに参画することもある。

例えばある地域において、物理的に近くに暮らしている人にしか担えなかった仕事に、国内外どこからでも参加できるようになる。その地域で働く個人にとっては“競合相手”が増え仕事を失う可能性がある一方で、別の地域に目を向けることで、隠れた才能が賞賛される可能性もある。この変化を機会として活かすことで、個々人の未来はより豊かなものになっていくのではないでしょうか」(藤井編集長)

「ふるさと副業」は、新しい暮らし方を見つけるチャンスでもある

働く上で、「物理的な場所がどこか」ということが意味を持たなくなるかもしれない。どこに暮らしても、好きな仕事や成長の機会を手に入れることができるようになれば、暮らす場所はもっと自由に選べるだろう。

地方との関係の持ち方も、いきなり「暮らす」「働く」のすべてを特定の地域に固定する必要がなくなる。気になる地域やそこに暮らす人たちと、副業という機会を通じて少しずつ関係をつくっていくことができる。取材を通して、「ふるさと副業」は、新しい暮らし方を見つけるチャンスになりうると感じた。

次回は、今まさに「ふるさと副業」にトライしている、実践者たちの声を紹介したい。

●取材協力
藤井薫さん
株式会社リクルートキャリア 広報部・HR統括編集長。リクナビNEXT編集長であり、株式会社リクルート リクルート経営コンピタンス研究所 エバンジェリスト。変わる労働市場、変わる個人と企業の関係、変わる個人のキャリアについて、多方面で発信。著書に『働く喜び 未来のかたち』(言視舎)がある。●関連サイト
リクルートキャリア
2020年 キャリアトピック「ふるさと副業」 地方企業と都市部人材との新たな共創のカタチ

2020年「SUUMO住みたい街ランキング」関西版発表! 1位「西宮北口」の人気はさらに強固に

リクルート住まいカンパニー(本社:東京都港区 代表取締役社長:淺野 健)は、関西圏(大阪府・兵庫県・京都府・奈良県・滋賀県・和歌山県)に居住している20歳~49歳の4600人を対象にインターネットによるアンケート調査を実施。「SUUMO住みたい街ランキング2020関西版」を発表した。果たして、どんな結果となったのだろう。
トップ4の順位は、3年連続1位「西宮北口」、2位「梅田」、3位「神戸三宮」、4位「なんば」住みたい街(駅)ランキング トップ10(出典:リクルート住まいカンパニー) ※複数路線が乗り入れしている駅の「代表的な沿線名」は、回答時に選択された路線のうち最も多い得点を獲得した路線を記載

住みたい街(駅)ランキング トップ10(出典:リクルート住まいカンパニー)
※複数路線が乗り入れしている駅の「代表的な沿線名」は、回答時に選択された路線のうち最も多い得点を獲得した路線を記載

SUUMO「住みたい街(駅)ランキング2020 関西版」の結果は、1位「西宮北口」、2位「梅田」、3位「神戸三宮」、4位「なんば」と、3年連続でトップ4の順位に変動は無かった。

順位に変化はなかったが、得点を見ると「西宮北口」はこの3年で着々と伸ばし続けており、人気の高さは、さらに盤石なものとなっている。年代別「住みたい街(駅)ランキング」においても、20代から40代すべての年代で1位となっており、幅広い世代から支持されているのが分かる。西宮北口は大阪と神戸三宮のあいだに位置し、2018年11月に「阪急西宮ガーデンズ」が大規模な増床を果たしたことで一層「商業の集積地」という印象を強くした。交通利便と商業利便が合致した最たる場所と言える。

住みたい街(駅)年代別ランキング トップ10(出典:リクルート住まいカンパニー)

住みたい街(駅)年代別ランキング トップ10(出典:リクルート住まいカンパニー)

西宮北口ブランドの威光は、周辺駅にまで及んでいる。「穴場だと思う駅ランキング」では、ひとつ隣の駅「武庫之荘」が12位から4位へ躍り出た。まさに「人気の西宮北口に最も早くアクセスできる穴場駅」だ。

4位「なんば」は前年からポイントアップ。大阪を縦に貫く「なにわ筋線」への期待値か(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

西宮北口同様、前年より得点を伸ばしたという点で4位の「なんば」にも注目したい。
確かに、このところのなんばには目を見張る動きがある。なんばと将来「うめきた」エリアに誕生する新駅を結ぶ鉄道路線「なにわ筋線」が2020年2月28日に工事施行を認可されたのだ。ミナミとキタを新しい鉄道路線が縦貫するとなれば、関西の鉄道ネットワークの歴史は大きく変わる。関西国際空港や新大阪駅へのアクセス性が向上するなど、なんばの交通利便性はさらに価値が高いものとなるはずだ。
西宮北口と同じく交通利便と商業利便が絶妙にマッチしており、なにわ筋線の開通により、今後さらに「使えるエリアになる」と将来性が見込まれる。その点も評価されて得点を伸ばしたのではないだろうか。

再開発が進み、ファミリー層の人気を獲得した「天王寺」

5位以下を見てみると、2019年から順位を上げたのが8位から5位に上がった「天王寺」、10位から7位の「千里中央」、9位から7位(千里中央と同率)の「江坂」。

初のトップ5入りを果たした「天王寺」は、2015年に幕を開けた駅北側の再開発が引き続き進み、緑地が多くなって風景ががらりと変わった印象がある。近鉄不動産と大阪市が共同で取り組む「天王寺動物園ゲートエリア魅力向上事業」の一環として、天王寺動物園の退園口に2019年11月、約5000平方メートルの広さを擁する「てんしば i:na(イーナ)」がオープン。バーベキューが楽しめるなど、天王寺北側は都会のオアシス的な存在となっている。ライフステージ別の住みたい街ランキングでも夫婦+子ども部門で15位から8位へ急上昇しており、ファミリー層からの支持率がひときわ上がった街だと言えるだろう。

天王寺駅(写真/PIXTA)

天王寺駅(写真/PIXTA)

「千里中央」「江坂」が躍進! 北大阪急行の延伸で大阪北部に注目が集まる千里中央の街並み(写真/PIXTA)

千里中央の街並み(写真/PIXTA)

7位の「千里中央」は「穴場だと思う街(駅)ランキング」でも13位から3位へ華々しくジャンプアップ。男女別の住みたい街ランキングでは、女性部門で14位から6位へ、年代別のランキングでは、20代で13位から10位へと駆けあがるなど、千里中央はいま関西でもっとも熱い視線が注がれる駅のひとつだと言っても過言ではないだろう。老朽化した駅前複合ショッピングセンター「千里セルシー」を解体し、隣接する「千里阪急」とともに巨大商業施設の建設が計画されている点も人気上昇の追い風になりそうだ。昭和の時代に「日本初のニュータウン」として庶民から羨望の視線を浴びた“センチュー”が、令和に再びニュータウンとして甦ろうとしている。

もうひとつ、千里中央の順位が上昇することとなった発端と考えられるのが、「北大阪急行電鉄の延伸」だ。昭和の大阪万博と同じ年に開業し、 50 周年を迎えた北大阪急行。2023年度に、これまでは始発/終着駅だった「千里中央」から大阪府の箕面(みのお)市まで延伸開業する予定だ。新しく敷かれる鉄道の沿線には大阪大学の新キャンパスをはじめ、「子育て」を核とした複合公共施設などの建設が進んでいる。完成すれば、千里中央には今後より多くの人口流入が見込まれるだろう。

Osaka Metro御堂筋線の北部の始発/終着駅である「江坂」の順位があがっているのも、北大阪急行延伸の影響が強いと考えられる。江坂はOsaka Metroと北大阪急行との相互乗り入れ駅でもあり、今後は交通利便性アップの恩恵をさらに受けることとなる。北大阪急行の延伸は江坂にとって大型複合商業施設「みのおキューズモール」と直結するという商業利便という面においてもメリットが大きい。Osaka Metro御堂筋線は終電時間の延長も計画されている。実施されれば終着駅である江坂はますます住みやすい駅になるはずだ。

江坂駅周辺の風景(写真/PIXTA)

江坂駅周辺の風景(写真/PIXTA)

「穴場だと思う街(駅)ランキング」は、尼崎市の街が4つランクイン!

「穴場だと思う街(駅)ランキング」の1位は、前年と同じく「尼崎」。順位は変わらないが得点は21ポイント増えており、「穴場な街といえば尼崎」という印象がさらに強化された感がある。阪神本線の駅としてランクインしているが、麒麟麦酒工場跡地が再開発されて以来、阪神のみならずJRも含めた尼崎圏全体のイメージそのものがクリーンアップされたのだろう。駅近なマンションの供給も増えつつ、それでいて価格は比較的抑えられているのも魅力的だ。

穴場だと思う街(駅)ランキング トップ10(出典:リクルート住まいカンパニー)

穴場だと思う街(駅)ランキング トップ10(出典:リクルート住まいカンパニー)

2位の「塚口」、12位から4位へ跳ね上がった「武庫之荘」、圏外から一気に8位へ票を伸ばした「園田」も尼崎市の街(駅)だ。2019年に発表された人口動態調査によると尼崎市は9年ぶりに人口が増加している。また、平成最後に「尼崎城」が築城されるなど、話題に事欠かない。今後は「穴場な街(駅)」の尼崎が、「住みたい街(駅)ランキング」へとステージを移していくのか注目したい。

13位から7位へランクアップしたのは、桂離宮など歴史遺産が数多く遺る京都西部の玄関口「桂」。阪急京都線と嵐山線の2路線が乗り入れており、京都河原町まで10分、大阪梅田まで特急で34分でアクセス可能。交通利便性が高い街でありながら、「碁盤の目」と呼ばれる家賃が下がりにくいエリアから微妙に外れており、繁華街に近いにもかかわらず比較的住宅開発が進んでいるのも、好感をいだかれた要因だろう。

昨年の圏外から8位へ急上昇したのが兵庫県の「明石」。子育て世代への施策を打ち出し、先ごろは紙おむつや粉ミルクなどを無料宅配する支援制度の予算案が可決されるなど、ファミリー層を魅了する点が多い街だ。ライフステージ別の「住みたい街(駅)ランキング」でも、夫婦+子ども部門で26位から18位へ順位をあげており、子育て支援の取り組みは如実に功を奏しているのが分かる。JR新快速で三ノ宮まで15分、大阪まで37分という交通利便性があり、海や山など自然に囲まれながらも駅前再開発により商業利便性も十分。家賃も阪神間と比較すると安い。2013年から明石市の人口が増え続けているのもそのためだろう。

「SUUMO住みたい街ランキング2020 関西版」の結果をひもといてみると、夙川や岡本、御影など以前から人気でブランドイメージが強い街がランクをやや下げているのに対して、天王寺や千里中央のように交通利便性と商業利便性があり、安価で家族で楽しめる緑地帯がある実利性が高い街の人気があがっているように感じた。来年の結果はどうなるのだろう。引き続き、注目していきたい。

「秋葉原駅」まで電車で30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2020年版

電気街として発展し、やがてアニメやゲームなどのサブカルチャーの街として名をとどろかせてきた秋葉原。近年はオフィスビルも増え、JR各線に東京メトロ日比谷線、つくばエクスプレスが利用できる交通の便のよさもあってオフィス街としても知られるように。今回は、そんな秋葉原駅まで30分圏内にある中古マンションの価格相場をランキング。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの価格相場が安い駅トップ10はこちら!●秋葉原駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10
【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(沿線/所在地/秋葉原駅までの所要時間)
1位 金町 2099万円(JR常磐線/東京都葛飾区/23分)
2位 板橋本町 2494.5万円(都営三田線/東京都板橋区/27分)
3位 亀戸 2599万円(JR総武線/東京都江東区/10分)
4位 新板橋 2630万円(都営三田線/東京都板橋区/23分)
5位 板橋 2640万円(JR埼京線/東京都板橋区/26分)
6位 王子 2680万円(JR京浜東北・根岸線/東京都北区/17分)
7位 蒲田 2698万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/28分)
8位 代田橋 2748万円(京王線/東京都世田谷区/27分)
9位 南千住 2790万円(つくばエクスプレス/東京都荒川区/8分)
10位 梅島 2799万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/20分)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(沿線/所在地/秋葉原駅までの所要時間)
1位 上本郷 1880万円(新京成電鉄線/千葉県松戸市/28分)
2位 新田 1990万円(東武伊勢崎線/埼玉県草加市/30分)
3位 谷塚 2270万円(東武伊勢崎線/埼玉県草加市/25分)
4位 獨協大学前 2375万円(東武伊勢崎線/埼玉県草加市/28分)
5位 竹ノ塚 2400万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/22分)
6位 東船橋 2585万円(JR総武線/千葉県船橋市/30分)
7位 小菅 2620万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/16分)
8位 柏 2650万円(JR常磐線/千葉県柏市/30分)
9位 草加 2730万円(東武伊勢崎線/埼玉県草加市/25分)
10位 大師前 2780万円(東武大師線/東京都足立区/26分)

シングル向け1位には再開発が進行中の駅がランクイン

秋葉原駅まで30分圏内にある駅の中古マンションの価格相場を調査したところ、シングル向けはJR常磐線・金町(かなまち)駅、カップル・ファミリー向けは新京成電鉄線・上本郷駅が最も安かった。

金町駅(写真/PIXTA)

金町駅(写真/PIXTA)

シングル向け1位のJR常磐線・金町駅は東京都葛飾区で最北端にある駅で、駅の東方を流れる江戸川を渡れば千葉県松戸市というロケーション。東京メトロ千代田線直通のJR常磐線に乗れば、大手町駅や赤坂駅、表参道駅へも乗り換えせずに行くことができる。駅南口広場の先にある京成金町線・京成金町駅が利用できる点も便利。駅北側には東急ストアやイトーヨーカドー、南側にはスーパーや100円ショップなどの商業施設に区立図書館、分譲マンションからなる複合施設「ヴィナシス金町」がある。

金町駅周辺は近年、再開発が盛んに進められており、現在も南口駅前で再開発が進行中。2021年には商業施設や公共施設、住居からなる地上21階・地下1階建ての「プラウドタワー金町」が完成予定だ。どんどんと住みやすさが増している、注目エリアといえるだろう。

カップル・ファミリー向け1位の新京成電鉄線・上本郷駅は、金町駅から直線距離で5km弱の千葉県松戸市に位置。駅から北へ約5分歩くと松戸市最古といわれ、250年以上の歴史がある「風早神社」がたたずみ、その向かい側には小学校がある。買い物をするなら商店街やコンビニ、スーパーがある駅南側へ。さらに電車で1駅の松戸駅に行けば、大型商業施設もそろっている。

今回の調査ではランク外だった松戸駅のカップル・ファミリー向け中古マンションの価格相場は2880万円。そこから1駅隣りの1位・上本郷駅の価格相場は1880万円と、松戸駅よりも1000万円も相場がダウン! 街の発展度合いでは松戸駅に軍配が上がるものの、これほど価格相場が下がるならば上本郷駅にも興味が惹かれるだろう。

カップル・ファミリー向け物件は東武伊勢崎線沿線が狙い目

2位以下を見ていこう。シングル向けのトップ10には東京都内の駅が並んでいる。そのうち秋葉原駅まで乗り換えせずに行けるのは、JR総武線の亀戸駅(3位)、ともにJR京浜東北・根岸線の王子駅(6位)と蒲田駅(7位)、つくばエクスプレスの南千住駅(9位)。なかでも9位・南千住駅は秋葉原駅まで約8分という近さだ。

南千住駅(写真/PIXTA)

南千住駅(写真/PIXTA)

シングル向け9位・南千住駅はつくばエクスプレスのほか、東京メトロ日比谷線、JR常磐線(快速)も通っている。駅周辺にはスーパーやコンビニのほか、ドラッグストアや飲食店などのテナントを抱える複合商業施設「BiVi南千住」と「LaLaテラス 南千住」、さらに品ぞろえ豊富なホームセンターもあり、ひとり暮らしの買い出しには十分な環境が整った街だ。東京メトロ日比谷線に乗ると秋葉原駅のほかに銀座駅や霞ケ関駅、六本木駅、恵比寿駅までも1本なので、これらの駅近辺で働く人にとっても南千住駅は住まいの選択肢としてアリだろう。
カップル・ファミリー向けランキングの2位以下には、埼玉県や東京都、千葉県の駅が入り混じっている。しかしトップ10のうち、2位~5位と7位と9位の計6駅は東武伊勢崎線の沿線という結果に。いずれの駅からも東京メトロ日比谷線直通の東武伊勢崎線に乗れば、1本で秋葉原駅まで行くことができる。近年は東武伊勢崎線と東京メトロ日比谷線のように、複数路線間の直通運転も増えている。住まい選びの際は物件の最寄駅の路線だけでなく、その路線の直通運転の有無もチェックするといいだろう。

さて、トップ10入りした東武伊勢崎線の駅のなかでも9位・草加駅は、埼玉県草加市を代表する駅で街もにぎわっている。駅ビル「草加ヴァリエ」をはじめ駅周辺には大型商業施設が多数。駅を囲むようにして小中学校や幼稚園、保育園も点在し、子育て世代もたくさん住んでいることが分かる。ここから都心方面へ通勤する人も多いため、朝の電車の混雑が激しい点は少々気になるところ。満員電車にもまれるのを避けたいなら、2駅都内寄りの5位・竹ノ塚駅でいったん降り、竹ノ塚駅始発の東京メトロ日比谷線直通列車に乗り換えて悠々と座って通勤するという手もある。

草加駅(写真/PIXTA)

草加駅(写真/PIXTA)

東京メトロ日比谷線直通の始発列車もある5位・竹ノ塚駅は東京都足立区に位置。駅東口にはロータリーを囲んでURの団地がそびえ、その1階部分では飲食店や書店が並ぶ「駅前名店街」やスーパーが営業中。「カリンロード商店街」と呼ばれる商店街もあり、庶民的で親しみやすい街並みだ。公園も点在し、子どもの遊び場所にも困らないだろう。また、現在は竹ノ塚駅の高架化工事中で、2022年春には新駅舎が使用開始予定。今後も楽しみな街といえる。

さて、今回のランキングを改めて見ると、シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)とカップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)のトップ10の価格相場が大差ない結果となっている。「秋葉原駅まで30分圏内」という同じ条件下なら、専有面積が狭いシングル向け物件のほうが価格相場は安そうなのに、調査結果は予想外のものだったわけだ。

「物件は広いほうがいい」とは限らないが、ひとり暮らしだからといって面積を絞る必要もない。物件探しをする際は視野を狭くせずに、「面積で絞る」「立地で絞る」「価格で絞る」などいろいろと試したほうがいいかもしれない。

●調査概要
【調査対象駅】秋葉原駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2020/2~2020/4
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、平日の日中時間帯の検索結果から算出(乗換時間を含む)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

高架下スペースに“賃貸住居”や“ホテル”!? 新たな街づくりが加速中

駅を中心とした鉄道高架下スペース「駅下」に、今まで以上に注目が集まっている。これまでにも飲食店などはあったが、賃貸住宅やホテル、保育園などにも利用されるようになり、“街”と言ってもいいほどの充実ぶりだ。なぜ今、高架下なのか。最近の高架下はどんなふうになっているのか。そして、今後はどのような方向へと進んでいくのか。高架下の今とこれからを展望してみた。
JR中央線高架下の学生向け賃貸住宅への入居が始まった

2020年3月、JR中央線東小金井駅―武蔵小金井駅間の高架下に学生向け賃貸住宅「中央ラインハウス小金井」が完成した。JR中央線の高架下を敷地としており、専用カフェテリアでの食事と管理員付き、3人の建築家が各人のコンセプトのもとに各棟の設計を担当するというデザイン性が話題となったこの物件。現在、学生たちが、入居を開始している。

契約者は、近隣や多摩地区にある大学や専門学校の学生で、中央線沿線であることから、都心部に通学する学生も少なくないという。高架下と聞くと、電車の走行に伴う騒音や振動が心配になるが、今の所、入居者からそういった不満の声は上がっていないということだ。

「この物件のように、中央線沿線で新築、かつ食事が付いた賃貸物件は珍しいので、その点に魅力を感じている契約者が多いようです」(JR中央ラインモール開発本部マネージャー関口淳さん)。

高架下に誕生したスタイリッシュな賃貸住宅は周辺に住む人々の目を引き、入居学生専用のカフェテリアには、「入居者以外でも利用できませんか?」という声もあるそうだ。

中央ラインハウス小金井C棟の部屋の一例。専有面積15.94平米、ロフト面積4.93平米で、月額賃料7万円、共益費1.5万円/月。ロフトやワークデスク、本棚に加えて、乾燥機付きのバスルームもある(写真提供/JR中央ラインモール)

中央ラインハウス小金井C棟の部屋の一例。専有面積15.94平米、ロフト面積4.93平米で、月額賃料7万円、共益費1.5万円/月。ロフトやワークデスク、本棚に加えて、乾燥機付きのバスルームもある(写真提供/JR中央ラインモール)

L棟の部屋の一例。キッチンやライブラリー、ランドリーなどのコモンスペースが充実しているL棟では、10平米台というコンパクトな専有スペースに家具を機能的に配置している(写真提供/JR中央ラインモール)

L棟の部屋の一例。キッチンやライブラリー、ランドリーなどのコモンスペースが充実しているL棟では、10平米台というコンパクトな専有スペースに家具を機能的に配置している(写真提供/JR中央ラインモール)

C棟のコモンスペースである「アウトサイド・コモン」。C棟には共用設備として宅配Box、オートロック、防犯カメラ(外部)などもある(写真提供/JR中央ラインモール)

C棟のコモンスペースである「アウトサイド・コモン」。C棟には共用設備として宅配Box、オートロック、防犯カメラ(外部)などもある(写真提供/JR中央ラインモール)

敷地の中心に位置する専用カフェテリアでは、平日の朝・夕2回、入居者に食事が提供される(写真提供/JR中央ラインモール)

敷地の中心に位置する専用カフェテリアでは、平日の朝・夕2回、入居者に食事が提供される(写真提供/JR中央ラインモール)

JR中央線の東小金井駅から徒歩7分、武蔵小金井駅からは徒歩11分と、両駅が利用可能。両駅間の高架下にはすでにショッピングモールや保育園がある(写真提供/JR中央ラインモール)

JR中央線の東小金井駅から徒歩7分、武蔵小金井駅からは徒歩11分と、両駅が利用可能。両駅間の高架下にはすでにショッピングモールや保育園がある(写真提供/JR中央ラインモール)

鉄道の連続立体交差事業が高架下スペースを生み出している

これまで高架下には、飲食店などの店舗はあっても、住宅が建てられることはなかなかなかった。中央ラインハウス小金井のような「高架下住宅」が誕生したのはなぜか。その背景には、敷地の大半が住居専用の用途地域(第一種低層住居専用地域)であったことがある。そして、その敷地は、中央線三鷹駅~立川駅間の線路高架化に伴って生じたものだ。高架化によって、全長9kmにも及ぶ高架下空間が生み出されたのである。

このような鉄道の高架化は、都市部を中心に、全国で進められている。開かずの踏切による交通渋滞の解消、複々線化による鉄道輸送力の増強などを目的とした連続立体交差事業が実施されているからだ。

高架化によって、それまで線路や踏切だった土地が別の用途に転用されるようになったことが、駅周辺の再開発や、高架下スペースの有効活用を促している。ここ最近、高架下が活発に開発されているのは、そうした背景によるものなのだ。

連続立体交差事業の例(東武スカイツリーライン竹ノ塚駅付近)。事業主である足立区は、新たに生まれる高架下スペースの利用方法について、区民にアンケートを実施している(画像/PIXTA)

連続立体交差事業の例(東武スカイツリーライン竹ノ塚駅付近)。事業主である足立区は、新たに生まれる高架下スペースの利用方法について、区民にアンケートを実施している(画像/PIXTA)

沿線ごとの個性を活かした商業施設が次々にオープン

JR東日本グループのディベロッパーである株式会社ジェイアール東日本都市開発では、「高架下から未来のまちづくりを」という理念のもと、高架下を起点に都市開発を行っている。同社が取り組むのは、駅と駅の間の空間の魅力づくりであり、今まで気づかれていなかった沿線の価値を引き出すことを意図して、沿線別にテーマ性を持って高架下の開発を進めている。

例えば、JR秋葉原駅―御徒町駅間の高架下では、“こだわりの日本”という大きなテーマに沿って、個々の開発が行われている。「CHABARA」は、神田青果市場跡という立地特性に沿った“食へのこだわり”というコンセプトに基づいており、「SEEKBASE」は“日本の技術”、「2k540」は“日本のものづくり”、「御徒町ラーメン横丁」は“日本のソウルフード”といった具合だ。

また、JR阿佐ヶ谷駅-高円寺駅間では、“歩きたくなる高架下”というテーマに沿って、「Beans阿佐ヶ谷」「alːku阿佐ヶ谷」を展開している。

加えて、2020年6月下旬には、JR有楽町駅―新橋駅間に「日比谷OKUROJI」が開業予定。都心立地にふさわしい、大人向けの飲食、ファッション、雑貨などの店舗がそろうことになっている。

JR秋葉原駅と御徒町駅の間の高架下にある「SEEKBASE」の館内。「日本の技術」をテーマに、オーディオやカメラ、模型店などの個性的な店舗がそろっている(写真提供/ジェイアール東日本都市開発)

JR秋葉原駅と御徒町駅の間の高架下にある「SEEKBASE」の館内。「日本の技術」をテーマに、オーディオやカメラ、模型店などの個性的な店舗がそろっている(写真提供/ジェイアール東日本都市開発)

「SEEKBASE」の外観。ホビー系の店舗以外に、飲食店や「UNDER RAILWAY HOTEL AKIHABARA」というホテルもある(写真提供/ジェイアール東日本都市開発)

「SEEKBASE」の外観。ホビー系の店舗以外に、飲食店や「UNDER RAILWAY HOTEL AKIHABARA」というホテルもある(写真提供/ジェイアール東日本都市開発)

学童やプリスクール、体操教室に加えて、カフェなど親子で過ごせるショップが集まる「alːku阿佐ヶ谷」。広々とした中央通路に、「歩きたくなる高架下」というコンセプトが現れている(写真提供/ジェイアール東日本都市開発)

学童やプリスクール、体操教室に加えて、カフェなど親子で過ごせるショップが集まる「alːku阿佐ヶ谷」。広々とした中央通路に、「歩きたくなる高架下」というコンセプトが現れている(写真提供/ジェイアール東日本都市開発)

「日比谷OKUROJI」の完成予想図。東京の中心地である日比谷・銀座の「奥」にあることに加え、高架下通路の秘めたムードを「路地」という言葉に置き換えることで、「オクロジ」と命名されたのだとか(写真提供/ジェイアール東日本都市開発)

「日比谷OKUROJI」の完成予想図。東京の中心地である日比谷・銀座の「奥」にあることに加え、高架下通路の秘めたムードを「路地」という言葉に置き換えることで、「オクロジ」と命名されたのだとか(写真提供/ジェイアール東日本都市開発)

「日比谷OKUROJI」の館内予想図。バーの文化が根付くエリアであることから、さまざまなスタイルのバーもそろう予定(写真提供/ジェイアール東日本都市開発)

「日比谷OKUROJI」の館内予想図。バーの文化が根付くエリアであることから、さまざまなスタイルのバーもそろう予定(写真提供/ジェイアール東日本都市開発)

保育園やホテル、学びの場など多彩な事業も展開

ショッピングモールの開発が目を引く高架下活用だが、その用途は商業施設にとどまらない。前述の中央ラインハウス小金井に加えて、さまざまな事業が展開している。

例えば、保育園。JR東日本による子育て支援事業「HAPPY CHILD PROJECT」の一環として高架下に設けられた保育園は複数あり、駅近という立地も手伝って好評だ。騒音被害を心配した周辺住民からの反対などがない点でも、保育園はある意味、高架下向きなのだろう。

また、前出の「SEEKBASE」内「UNDER RAILWAY HOTEL AKIHABARA」、JR京葉線舞浜駅高架下の「ホテルドリームゲート舞浜」、京浜急行線日の出町駅-黄金町駅高架下のホステル「Tinys Yokohama Hinodecho」など、宿泊施設も登場している。

中央線の高架下では、2019年4月にさまざまなジャンルのワークショップが「nonowaラボ」として企画され、生活をより楽しく豊かにするヒントが詰まった、子どもから大人まで全世代が利用できる学びの場が提供されている。中央線沿線に住む人々を中心として、『「豊かな暮らし」の実現』をコンセプトに、生活をより楽しく豊かにするヒントが詰まったワークショップが選りすぐられているのが特徴だ。

高架下施設の建設については、電車走行時の振動を建物内に伝わりにくくする工法も開発されている。新たな技術によって高架下スペースの居心地が良くなることで、さらなる可能性も開けていきそうだ。

「nonowaラボ」では、中央線沿線にある4つの教室で毎月約10講座を実施中。写真は、その教室のうちのひとつである「プログラボ国立」。中央線国立駅と立川駅の間の高架下に位置している(写真提供/JR中央ラインモール)

「nonowaラボ」では、中央線沿線にある4つの教室で毎月約10講座を実施中。写真は、その教室のうちのひとつである「プログラボ国立」。中央線国立駅と立川駅の間の高架下に位置している(写真提供/JR中央ラインモール)

●参考
中央ラインハウス小金井
日比谷OKUROJI
nonowaラボ

住んで、創作して、働いて、プレゼンする。職住一体型アーティストレジデンス&アートホテル「KAGANHOTEL」

京都駅からひと駅。JR「梅小路京都西駅」の誕生もあり、京都で注目を集める京都駅西部エリア。早朝には京都市中央卸売市場で働く人々の活気ある声でにぎわうが、昼になると閑散。他の町とは時間軸が異なる、とても特殊なエリアだ。その場外市場に入っていくと、大きなアイアン×ガラスドアの無機質な建物が出現する。それが、KAGANHOTEL。築45年、5階建て青果卸売会社の社員寮兼倉庫をリノベーション。若手現代作家が住まいながら創作に励むことができる、コミュニティ型アーティストレジデンスであり、アートホテルでもあり。

「ネタ帳に「こういうものがあったらいいよね」を書き留めておく。そして、人生のタイムライン上、タイミングが合ったときに実行するようにしています」扇沢さん(写真撮影/中島光行)

「ネタ帳に「こういうものがあったらいいよね」を書き留めておく。そして、人生のタイムライン上、タイミングが合ったときに実行するようにしています」扇沢さん(写真撮影/中島光行)

早朝の市場の街に、新しい人の営みを

「ここは、まだ真っ暗な朝3時から動く町。トラックが動いて競りが始まり、朝10時には終わって、人がいなくなる。制作音が出る作品づくりなら、生活時間が重ならなくて、好都合じゃないかと」。そう語るのは、代表の扇沢友樹さんだ。市場で働く人から、アーティストに、生活のバトンタッチがグラデーションとなり、この街を彩る。「アーティストがホテルで働いてお金をかせぎながら、創作活動と同時に発表もできる、職住一体型アーティストレジデンスです。ホテルという同じ場所で流動的な人の流れとアートをマッチング。宿泊者とアーティストの新たな関係性を日常的に生み出します」

まず、KAGANHOTELの中を案内しよう。

エントランスを入ると、突如地下への階段が現れる。「創作するなら、その作品を出し入れしやすいことが必須。それなら、大きな動線が必要だろうと、もとは青果を保存していた地下倉庫につながるこの『落とし穴』ありきで、リノベーションを進めました」と扇沢さん。地下にはギャラリーとブースに仕切られたスタジオがあり、各アーティストに振り分けられている。

玄関を入るとすぐに地下へとつながる階段(写真撮影/中島光行)

玄関を入るとすぐに地下へとつながる階段(写真撮影/中島光行)

ギャラリースペース。ベッドに映像が映し出されるインスタレーション(写真撮影/中島光行)

ギャラリースペース。ベッドに映像が映し出されるインスタレーション(写真撮影/中島光行)

1階は、ホテル受付&イベントスペース&カフェバー。和室のふすまのような引戸で4つに間仕切られているので、必要に応じて空間を拡大、縮小。空間をスマートに使い分けることができる「和」を意識したスペース。古い梁や柱はグレーの構造体そのまま、手を加えたふすま部分はホワイトにペイントし、レイヤーを分けることで、元の建物の存在感と、新たに加えたものの役割やこだわりがうまく共存し、多面的な空間をつくり上げている。

ガラス戸の向こうに広がるのが場外市場。ホテルの開口部を大きく、外側に垂れ壁をつくることで、1階と町がつながる工夫を施した(写真撮影/中島光行)

ガラス戸の向こうに広がるのが場外市場。ホテルの開口部を大きく、外側に垂れ壁をつくることで、1階と町がつながる工夫を施した(写真撮影/中島光行)

カフェバースペース。前のビルと手を加えた部分がレイヤーになっているのがよく分かる。倉庫として使う地下へ1階から青果を運んでいたのはベルトコンベア、カウンターのガラスの下を支える土台としてリノベ後も活躍(写真撮影/中島光行)

カフェバースペース。前のビルと手を加えた部分がレイヤーになっているのがよくわかる。倉庫として使う地下へ1階から青果を運んでいたのはベルトコンベア、カウンターのガラスの下を支える土台としてリノベ後も活躍(写真撮影/中島光行)

2階は団体で宿泊できるドミトリー、3階はアーティストの住まい、4階は創作活動のために作家が中期的に滞在するホステル、5階はプレミアムホテルとして、一般客が宿泊できる。客室内はアーティストがプレゼンテーションする場でもあり、作品が壁に展示されていたり、作品をモチーフにしたベッドカバーなどが使われており、室内にあるタブレットには作品リストやコンセプトを紹介している。宿泊前にホテルのホームページでリストから好きな作品やアーティストをピックアップしておけば、それらの作品を、宿泊する部屋のモダンな床の間に飾るといったこともオーダーできるのだ。

団体が勉強合宿などを行う2階。アーティストがDIY中(写真撮影/中島光行)

団体が勉強合宿などを行う2階。アーティストがDIY中(写真撮影/中島光行)

4階中期滞在用ホテル。Rの窓が船舶みたいで面白い。建築当時の流行とか(写真撮影/中島光行)

4階中期滞在用ホテル。Rの窓が船舶みたいで面白い。建築当時の流行とか(写真撮影/中島光行)

(写真撮影/中島光行)

高低差が面白い5階ホテル。自分で選んだアーティストの作品を床の間で鑑賞できる(写真撮影/中島光行)

高低差が面白い5階ホテル。自分で選んだアーティストの作品を床の間で鑑賞できる(写真撮影/中島光行)

アーティストには創作拠点、滞在者にはアートとの関わりを提供

現在、KAGANHOTELのアーティストとして創作活動に励み、スタッフとして働くひとりが、現代アート作家のキース・スペンサーさん。アメリカから来日、福島と京都で暮らした経験があり、「アートに集中したい」と、日本での滞在型アーティストプログラムを探したところ、辿り着いたのが、このKAGANHOTELだった。「アーティストとして活動するなら京都がいいと思っていたので、住むことが出来て感激しています」

ギャラリーに展示されている作品「All our maps have failed」(18年作)の前で語るキース・スペンサー(写真撮影/中島光行)

ギャラリーに展示されている作品「All our maps have failed」(18年作)の前で語るキース・スペンサー(写真撮影/中島光行)

彼のとある1日は、こうだ。8時半から17時半までホテルで仕事に従事、現在は2階の工事仕事を担当している。実はこのホテル、地下+1階と5階は工務店による施工で完成しているが、2~4階はスタッフの手によるDIY。まだ、作業中の階も多く、アーティストがみずからDIYするのだ。今後は、工事だけでなくフロントやカフェなどほかのホテル業務も手伝っていく予定とのことだ。

創作活動は19時から毎日3時間。「階段を降りるとスタジオがあるのは贅沢なこと。心の中にある福島の風景をメインに、ドローイングや風景画、抽象画を手掛けています。作品も大きなものから小さなものまでありますね。ここは、アーティストのコミュニティ。アーティストと一緒に住むことで、作品のことなど、悩みを互いに理解できるのがいいですね。まだオープンして数カ月なので、宿泊者との交流とまではいかないですが、今後は反応も楽しみ。このホテルを出発点に、京都に、関西に作品を届けていきたいです」

地下のスタジオはアーティストごとにブースで仕切られている(写真撮影/中島光行)

地下のスタジオはアーティストごとにブースで仕切られている(写真撮影/中島光行)

「このホテルは、長期滞在者、中期滞在者、ワンデイステイと、いろんな使い方があり、世界を旅する客船のようでもあります」と扇沢さん。「作家の作品を買ったことがない宿泊者は、泊まっている間、身近にアートのある暮らしをすることで、コレクターの疑似体験ができます。京都に来た作家さんは1週間~1カ月、ここで創作活動ができます。数十名単位の学生が合宿し、勉強会も開催できます」。職住一体型コミュニティという完結したサイクルに、いろんなスパンの滞在者がスパイラルに関わり合いながら、アーティストをサポート。そんな仕掛けづくりが見事!

扇沢さんは、学生のころから起業を目指し、経験を積むために一度は就職活動も行ったものの、やはりすぐにでも始めようと、大学卒業後すぐ不動産会社を立ち上げたという異色の経歴。「ずっと京都にいる20代30代の若者向けの職住一体型住居を企画・運営してきました。そもそも京都には、下で商売をして上で暮らす職住一体型の京町家というスタイルが存在していたのですが、この社員寮や商店の多く残っているエリアで職住一体型というのはすごく意味があると思っています」と扇沢さん。このKAGANHOTELも、町家のように、上は住居スペース、下はイベントを開催したり、飲食経営したり、まさにチャレンジハウス。

このKAGANHOTELがアートとアーティストがテーマなのに対し、クラフトやクラフトマン、つまり職人をテーマとしたスペースがある。KAGANHOTELのすぐそば、扇沢さんが先に手掛けたREDIY(リディ)というスペースだ。「場外市場というエリアに出会ったのは5年前。まずはKAGANHOTELとなる社員寮よりもう少し規模の小さいREDIY(リディ)から始めました」

乾物屋のビルをリノベーションしたREDIY(リディ)。1階はレーザーカッターや3Dプリンタが使えるスペースになっている(写真撮影/中島光行)

乾物屋のビルをリノベーションしたREDIY(リディ)。1階はレーザーカッターや3Dプリンタが使えるスペースになっている(写真撮影/中島光行)

ここは元乾物屋のビルで、建築・クラフトマンのための、工房・シェアハウス・オフィスを併設する、職住一体型クリエイティブセンター。2階には木工や溶接までできる工房があり、建築設計、グラフィック、写真、家具造り、鉄鋼、彫刻をする人々が集まった。扇沢さんはこのセミクローズドの完結した環境で同年代のクラフトマンと自ら共同生活をしつつ、職住コミュニティの可能性を模索した。

2階の工房は、溶接や木工作業ができるよう工具がそろっている(写真撮影/中島光行)

2階の工房は、溶接や木工作業ができるよう工具がそろっている(写真撮影/中島光行)

「サラリーマンとクラフトマンの二足のわらじの人も。それぞれのライフプランに合った生活をしてほしい」

ここに住み、創作活動をしている高橋夫妻は、まさにそんな例だ。もともとレザー小物の製造販売会社で制作や販売を担当していた紗帆さんは、その後独立。「当時、家で作業するには音問題もあり、気を使いながらの作業ではストレスもたまりました」(紗帆さん)。そんな時、大輔さんがフェイスブックでREDIY(リディ)を見つけて、このシェアハウスに飛びついた。

アクセサリー作家の高橋紗帆さん、ご主人の大輔さん(写真撮影/中島光行)

アクセサリー作家の高橋紗帆さん、ご主人の大輔さん(写真撮影/中島光行)

REDIY(リディ)の面白いところは、住まいや工房の借り方が自在なところ。ちなみに高橋さんは、最初は夫婦別々に2部屋借りていたところから、大きな1部屋にチェンジ+工房1ブース、その後工房が2ブースになり、さらに工房を3ブースと、道具や材料が増えるにつれて、工房のスペースが広くなっていった。これぞ、REDIY(リディ)の拡張の法則。紗帆さんは今ではレザーと金属を使ったアクセサリーをつくる作家さん。大輔さんは現在は紗帆さんを手伝いながら、勤めていた会社をやめ、次のステップの準備中だ。

現在は3ブースレンタルしている工房風景。なんとロフトは自作!(写真撮影/中島光行)

現在は3ブースレンタルしている工房風景。なんとロフトは自作!(写真撮影/中島光行)

「将来的にものづくりを生業にしたいという思いを応援してくれる環境がそろっているのですごくやりやすい。何かをつくりたいと思ったら近くに道具があるし、制作中の騒音や匂いを気にする必要が無くなるような環境・設備があるのでフットワークも軽くなりますね。普通だと工房を借りようと思うと、家賃+α必要ですが、ここなら簡単にそういう環境が手に入る。徐々に仕事が増えていくと、自分たちの暮らし方や、仕事の幅、収入によって、住まい+工房のカタチを変化させることができるのも魅力的です。京都駅に近いので便利ですし、友達も増えて、すごく楽しいです。私たちが職住をここで行っているの見て、好きなことを仕事にしたいと挑戦する仲間が増えてきたこともうれしいですね」

京都に根付く職住一体の暮らしから、若い世代を応援

扇沢さんがライフワークとして活動したREDIY(リディ)には、住む、つくる、環境、コミュニティ、関係性。そんなキーワードが見える。「こうあったらいいな、ということを一つ一つ実現していき、それが一段落したとき、この職住システムをマクロに発展させる必要があるなと。事業としてやるということを意識し始めたんです」。そして、覚悟を決めて挑戦したのが、KAGANHOTEL。ほど近い場外市場で、REDIY(リディ)で出会った建築家さんたちと一緒につくりあげた。不動産の専門家としての立場から、美術家にとってどんな環境が必要かアウトプット。レジデンスに住まうアーティストの選考は、京都芸術大学教授の椿昇さんはじめとする現代作家の方3名にアドバイザーを依頼し、クオリティを担保したのも事業家としての責任感と思いからだ。

働き方より暮らし方。建物だけではなく、そこに生まれる関係性の価値を事業化してきた扇沢さん。今後の展望は?
「下で働いて上で暮らすグラデーションのある生き方ができる職住一体型は、特に京都で意味があると思っています。京都は人口の1割約13万人と学生が多く、『キャリアどうする?』と考えている人が大勢いるポテンシャルの都市。そんな 20代30代のために、キャリアを確立するための準備期間として住環境提供していきたいと。そのために、自分たちの作品やプロダクトを持っているクラフトマンやアーティストで始めたのが、REDIY(リディ)であり、KAGANHOTEL。将来的にはまだ手に職を持っていない若者に向けてもキャリア型学生寮ができればいいなと思っています」
 伝統的なもの、格式高いものを大切にする京都の中では、扇沢さんがつくろうとしている若い作家が刺激をしあう場や、テーマである現代芸術に対し、理解が得にくい場面もあるそうだ。しかし、扇沢さんが目指していることは、昔から続く京町家がそうであったように、暮らすことと、働くことが一体、職住一体であること。生活の中の視点から新しい芸術が生み出され、それを求めて人が訪れること、実は何も変わらない。かつては、どの街も働く音や生活音に溢れていた。朝しか活気のなかったこの市場の街が、アーティストやクラフトマンの創作の音、作品や創作活動を通じて訪れる人とで、新しい一面を生み出しつつある。新型コロナウィルスの影響で、扇沢さんが理想とする、アートを通じた人の交流は、今この瞬間は厳しい環境に立たされている。事務所費用の負担が大きいアーティスト、事業主にマンスリーオフィスやワークスペースとして貸し出すことも始めた。この苦難を乗り越え、美しいものをずっと守ってきた京都に、新たな創作が続いていくことを応援していきたい。

●取材協力
河岸ホテル

台湾の家と暮らし[5] 革細工作家と金工作家が住む、高雄・眷村の庭付き平屋

暮らしや旅のエッセイスト・柳沢小実が台湾の家を訪れる本連載。2020年、2軒目におじゃましたのは、吳佳濃さんと翁綉恵さんが住む、高雄市・左営にある「眷村」の平屋です。お二人の暮らしと、高雄市が市民とともに取り組む古い住宅の保全プロジェクトについて、お話を伺いました。連載名:台湾の家と暮らし
雑誌や書籍、新聞などで連載を持つ暮らしのエッセイスト・柳沢小実さんは、年4回は台湾に通い、台湾についての書籍も手掛けています。そんな柳沢さんは、「台湾の人の暮らしは、日本人と似ているようでかなり違って面白い」と言います。2019年に続き柳沢さんが、自分らしく暮らす方々の住まいへお邪魔しました。台湾南部の街、高雄市へ

南北に長い台湾の南西部に高雄市があります。台湾の北部は亜熱帯気候で、南部は熱帯気候。そのために高雄は特に暑さが厳しいですが、海が近いおかげで風が抜けて、過ごしやすく感じます。また、海産物や果物もとびきり美味しく、豊かな食文化が育まれています。

道ばたや家の庭でバナナやマンゴー、ドラゴンフルーツなどがたわわに実っていて羨ましい(写真撮影/KRIS KANG)

道ばたや家の庭でバナナやマンゴー、ドラゴンフルーツなどがたわわに実っていて羨ましい(写真撮影/KRIS KANG)

高雄は台湾最大規模の貿易港を有する、台湾で2番目の経済圏。人口も台湾内で第3位の近代都市です。その実、一本道を入ると古い商店街やさまざまな老舗専門店がしっかりと根を張っていて、歩けば歩くほど味わいが増す街です。

台北市や台南市などの各都市とは、高鐵(新幹線)でつながっています。今回訪れたのは、高鐵・左営駅にほど近い、左営エリア。高雄市中心部から少し離れたのどかな地域に、「眷村(けんそん)」と呼ばれる、庭付きの古い平屋群があります。これらは中国から渡ってきた軍人とその家族が住むために建てられた住宅で、台北の四四南村や台中の彩虹眷村をはじめ、台南や高雄など台湾全土に数カ所あります。

1軒あたりの敷地も家も大きい平屋群。道幅も広くとってあります(写真撮影/KRIS KANG)

1軒あたりの敷地も家も大きい平屋群。道幅も広くとってあります(写真撮影/KRIS KANG)

70年前に軍人のために建てられた住宅群「眷村」

ここ左営の眷村は、海軍の軍人と家族のために1949年に建設されたもの。道が広く、たっぷりとられた敷地に似たような平屋がたくさん建っているため、郊外の新興住宅地のような印象です。通りには1-12の番地があり、数字が大きくなるほど家も大きくなります。偉い人ほど大きい家に住んでいたそうです。

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

眷村内では小規模な宿泊施設を営んでいる人も。玄関まわりには台湾ではおなじみの、邪気を払い福を呼ぶ「春聯」と「横披」が貼られています(写真撮影/KRIS KANG)

眷村内では小規模な宿泊施設を営んでいる人も。玄関まわりには台湾ではおなじみの、邪気を払い福を呼ぶ「春聯」と「横披」が貼られています(写真撮影/KRIS KANG)

5~10年くらい空き家だった家もあれば、ずっと住人がいた家もあり、老朽化のためにまとめて壊す話も出ましたが、高雄市文化局によって歴史的建造物を保全し活用するプロジェクトが2014年に立ち上がりました。

倍率10倍の眷村保全プロジェクトに応募して入居。条件は……

この家に住むのは、金工作家の吳佳濃さんと革細工作家の翁綉恵さん。二人で高雄市内にある古い日本家屋を用いたギャラリー、「田町河川」の運営もしています。彼女たちは大学の先輩と後輩で、二人とももともと古いものが好き。秤や船の照明などの古道具を集めたりしていました。気が合って以前から高雄市内のマンションで同居していましたが、都会ならではの希薄な人間関係を少し寂しく感じていたところに、眷村との出合いがありました。

革細工作家の翁綉恵さん(左)と、金工作家の吳佳濃さん(右)。大学時代から仲のいいお二人(写真撮影/KRIS KANG)

革細工作家の翁綉恵さん(左)と、金工作家の吳佳濃さん(右)。大学時代から仲のいいお二人(写真撮影/KRIS KANG)

ご自宅の外観。一緒に暮らす猫ものびのびと(写真撮影/KRIS KANG)

ご自宅の外観。一緒に暮らす猫ものびのびと(写真撮影/KRIS KANG)

広々とした空間に、お二人が好きな古道具が置かれています。籐と金属のベンチはミシンの椅子だそう。床のタイルがかわいい(写真撮影/KRIS KANG)

広々とした空間に、お二人が好きな古道具が置かれています。籐と金属のベンチはミシンの椅子だそう。床のタイルがかわいい(写真撮影/KRIS KANG)

彼女たちは眷村高雄市文化局のWEBサイトで、「住人が建物を修繕する代わりに、最長5年間は家賃不要」という眷村保全プロジェクトを知りました。もちろん居住希望者は多く、十数件の募集に対して500件の応募があったそう。条件は眷村に住むことで、ビジネスだけの用途は不可。眷村に住みたい動機や、二人が考えた間取図など、かなり詳細な企画書を提出し、選ばれた十数名とともに契約しました。

この家の敷地は、土地は121坪、家は43坪。かなり大きな建物です。

間取り中央にある寝室の下にあるのが、お二人のアトリエ(イラスト/Rosy Chang)

間取り中央にある寝室の下にあるのが、お二人のアトリエ(イラスト/Rosy Chang)

ここを、友達と4人で8カ月かけて修繕しました。費用は文化局から少し出してもらえますが、屋根、レンガ壁、ドア、窓はこれまでと同じ素材で、という注文も。お金がなかったため、この近所や友達の実家などの廃材や古い設備をもらってきました。シミがあった壁ははがしてレンガの土台に白いペンキを塗り、床のタイルはそのまま利用しました。

天井の高さが伝わるでしょうか。二階分くらいの高さがあります(写真撮影/KRIS KANG)

天井の高さが伝わるでしょうか。二階分くらいの高さがあります(写真撮影/KRIS KANG)

陽光がたっぷり注ぐ寝室。ロフト状になっていて、階段の上にも寝室が(写真撮影/KRIS KANG)

陽光がたっぷり注ぐ寝室。ロフト状になっていて、階段の上にも寝室が(写真撮影/KRIS KANG)

窓がたくさんのキッチン。キッチン設備も古い家からもらってきたものだそうで、使いやすく整えられていました(写真撮影/KRIS KANG)

窓がたくさんのキッチン。キッチン設備も古い家からもらってきたものだそうで、使いやすく整えられていました(写真撮影/KRIS KANG)

二階建ての家くらいの高い天井のゆったりとした空間です。ちなみに、眷村の家の下水は日本のシステムを利用していて、台風のときも溢れたりしないそうです。

ワークショップ等で訪れた人に向けて、この家の修復の過程を追った写真を飾っています(写真撮影/KRIS KANG)

ワークショップ等で訪れた人に向けて、この家の修復の過程を追った写真を飾っています(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

古民家を自宅兼アトリエに

アーティストの二人はここが自宅兼アトリエです。近所の住人は学校の先生や芸術家、書道家など。もちろんアーティストだけでなく、「親がここに住みたがっている」「ここで子どもを育てたい」という人もいます。みんなが仲良しで、気軽にノックしておかずなどをおすそ分けしたり、一緒にごはんをつくったりしているそうです。

平屋の一室をアトリエにしています(写真撮影/KRIS KANG)

平屋の一室をアトリエにしています(写真撮影/KRIS KANG)

ミシンを踏む翁綉恵さん(写真撮影/KRIS KANG)

ミシンを踏む翁綉恵さん(写真撮影/KRIS KANG)

吳佳濃さんの金工作品(写真撮影/KRIS KANG)

吳佳濃さんの金工作品(写真撮影/KRIS KANG)

彼女たちは、建物の保全だけでなく、一般の人に向けて眷村を宣伝する役割も担っています。年に1~2回、それぞれ1カ月間ほど公開期間を設けていて、住民はその期間内の数日で自由に家を公開したり、ワークショップの開催などもできます。彼女たちはここで味噌づくりなどのワークショップもしています。

二人は昼間はバラバラに行動していて、翁綉恵さんはギャラリー「田町河川」で革細工のワークショップを行い、吳佳濃さんは自宅のアトリエで金工の作品制作をしています。感覚が合うので今は一緒に住んでいますが、それぞれパートナーができたら別々に住むようになるかもとのこと。

古い建物の活用とアーティスト活動のサポートを同時に実現した、高雄の眷村保全プログラムは、日本の古い住宅の再生や活用にも大いに参考になりそうです。

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

(写真撮影/KRIS KANG)

●関連サイト
田町河川

湾岸エリアのタワマン “横のつながり” をスポーツで。自治会問題も解決?【全国に広がるサードコミュニティ2】

東京オリンピック・パラリンピックに向けて再開発され、選手村として活用される予定の東京・湾岸エリアのマンション群。実施の延期は決まったものの、オリンピック・パラリンピック以降、このエリアに新しい住民がどっと押し寄せることが見込まれるなか、防災の観点からも新住民と旧住民をつなぐ仕組みづくりが求められています。
「第三のコミュニティ」のありかを探る連載第2回目は、タワーマンション同士でつながるコミュニティを紹介します。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。 湾岸エリアのタワーマンションの横のつながりをつくろう

築地から移転してきた豊洲市場を擁し、ららぽーと豊洲など大型のショッピングモールもあり、東京の新たな居住エリアとして人気を集めている中央区、江東区の湾岸エリア。タワーマンションが多数立ち並び、オリンピック・パラリンピック以降に多数の住人が押し寄せることが見込まれます。

一方で、新住民と旧住民とのつながり、新住民同士のつながりがまったくないところで生活がスタートすることは、防災や防犯の面からも問題だと思われます。そんななか、マンションとマンションをつなぎ、湾岸エリアに暮らす子育て世代をターゲットとした「マンション対抗フットサル大会」などスポーツイベントを開催する有志のグループがあります。それが「湾岸ネットワーク」です。

マンション対抗親子大運動会「湾岸ピック」の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

マンション対抗親子大運動会「湾岸ピック」の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

タワーマンションが立ち並ぶ湾岸エリア(画像提供/湾岸ネットワーク)

タワーマンションが立ち並ぶ湾岸エリア(画像提供/湾岸ネットワーク)

湾岸ネットワークを立ち上げたのは、ITコンサルを専門とする会社を経営する浅見純一郎さん、普段は外資系銀行で働くサラリーマンの石原よしのりさん、スポーツ関係の会社を経営をする星川太輔さんの3名の住民たち。それぞれ40代で、家族を養う働き盛りの世代。

メンバーの浅見さんは2008年に浦安から豊洲に移住し、パークシティ豊洲の自治会長や近隣の小学校のPTA会長などを兼任。地域コミュニティに深く関わっています。星川さんも自宅のある有明のブリリアマーレ有明の管理組合理事長を、有明自治会の自治会長をそれぞれ5年ほど務めていました。当時、湾岸エリアで先進的な活動をしていた自治会の自治会長だった浅見さんと星川さんに、2014年に晴海のタワーマンションに移住してマンションの自治会長を務めていた石原さんが声をかけたのがきっかけ。

「6年前のことです。僕が暮らすマンションの管理会社の人に、管理会社の横の繋がりで、豊洲のタワーマンションの自治会長を紹介してくださいとお願いしたんです。そこで紹介されたのが浅見さんでした。その後星川さんとも出会い、3人ともタワーマンションに暮らす同世代で、自治会活動の中でマンション同士の横のつながりの必要性を感じていたので、すぐに意気投合しました」(石原さん)

マンション対抗親子大運動会「湾岸ピック」の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

マンション対抗親子大運動会「湾岸ピック」の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

子育て世代が多いからこそできる、親子で楽しむ運動会

最初は湾岸ネットワーク立ち上げメンバーの3人を中心に他の湾岸マンションとの親睦会を重ねていたのですが、ネットワークをより形あるものに発展させようとの思いから、「マンション対抗シリーズ」(最初はフットサル大会)を始めました。スポーツをキーワードとした理由は、子育て世代が多いこと、未就学児のお子さんがいる親御さんも午前中に気軽に参加して帰れること、など。また、マンション対抗とすることで競争意識が芽生え、かつ同じマンションの住人同士の結束が高まると考えたからです。実際、午前中のスポーツイベントから帰り、マンション内のパーティルームで参加メンバー同士で親睦会を行う人たちもいるそう。

今年は新型コロナウィルス感染症の影響で中止がよぎなくされていますが、具体的には毎年5月に開催する「湾岸マンション対抗フットサル大会」、9月開催の「湾岸マンション対抗親子大運動会 湾岸ピック」、そして11月には「湾岸マンション対抗マイルリレー大会」を開催しています。

マンション対抗フットサル大会の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

マンション対抗フットサル大会の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

湾岸エリアにも当然、幼稚園や小学校などがあり、PTAなどの親御さん同士のつながりももちろんあります。ただ、それも幼稚園や小学校といった括りでしかつながることができないので、マンション住人同士の子育て世代がつながる機会は現状、なかなかありません。そのなかで、湾岸ネットワークは一つの選択肢になると浅見さんは言います。

「私個人もそうなんですけれど、みなさんマンションを購入して、地域に何かしら貢献したいと思っている人は多い。けれど仕事が忙しくてなかなか地域活動に参加できないんですね。私たちとしては、地域に関わりたいけれどどうすればいいか分からない住民の方に、なるべく敷居を低くして関わっていただけるといいなと思っています」(浅見さん)

「従来の町内会などの自治会だと、年1回のお祭りを本気でやる、みんなで一生懸命つくる、というところが多い。でもそこまでコミットするのは働き盛りの世代にはなかなか難しい。そういった方々が気軽に参加できて、体験できるイベントが必要だと考えたんです」(星川さん)

給水所のカギをもらえない? 顕在化するタワマンの脆弱さ

既存の自治会の問題というのは、とにもかくにも高齢化。さらには、江東区、中央区と行政区ごとに分かれていて、タワーマンションが同じ課題を抱えていても、住人同士が関わることが少ない、という課題がありました。

「区内の自治会長たちの集まりに行くとご高齢の方が多い。また、それぞれ独自の運営をしているケースがありそうで、なかなか新しい人が入っていくのに抵抗があるのではないかと思われます」(浅見さん)

一方で、タワーマンションに移り住んでくるのは30~40代の若い世代が中心。再開発によってまちに暮らす新旧住人の割合が大きく変わる中、旧住人の代表である既存の自治会と、タワーマンションに暮らす新住人のニーズとはかけ離れていくばかりです。

左から石原さん、浅見さん、星川さん(画像提供/湾岸ネットワーク)

左から石原さん、浅見さん、星川さん(画像提供/湾岸ネットワーク)

ちなみに、タワーマンションはチラシ投函が禁止されているところがほとんで新聞購読率も20%程度という話は聞いたことありますか? そうなると当然近隣のイベント情報がなかなか入ってこない。子育て世代が多いのにこれでは致命的でしょう。

「自治会って、つくる義務はないんです。自治会のないタワーマンションも多い。だから自治会がないタワーマンションは情報が行き届かない。僕も経験したのでよく分かりますけど。防災とか子育ての情報に関して、タワーマンションに住んでいる人と従来から住んでいる人との間には格差がある」(石原さん)

「有明にはそもそも自治会がなかったんですけれど、つくって分かったことがあります。お台場の水の博物館近くに給水所があるんですけれど、給水所の存在とそこの鍵の暗証番号を自治会をつくったことによって行政から連絡が来て初めて教えてもらえたんです。役所の方に聞いたらそういう仕組になっていると。自治会をつくらないと給水所が使えないって、災害時のときに住民は大変困りますよね」(星川さん)

防災といえばバケツリレーなどのイベントが開催されることが多いですが、タワーマンションでバケツリレーをしても意味がない。ポンプ車での放水訓練もマンションでは現実的ではない。行政にタワマンの防災ナレッジがないため、もしマンションで火事が起きたら大変。大きな台風が来てマンションの電源が喪失してしまった場合、どうすれば電力を確保ことができるか、などのノウハウ共有も大切です。

現時点で導入可能な非常時の電源確保手段として、水路を使った重油共有ネットワークやEV(電気自動車)の電池を使ったエレベーター稼働のしくみ、LPガスを動力とした非常用発電機など、それぞれの企業から専門家を呼んで、各マンションの防災担当者向けの講演会を開催しました。

「防災行政は従来の戸建てが並ぶ街の防災拠点を想定して、防災訓練を行っていますが、タワーマンションの住民は自宅待機での「自助・共助」が推奨されています。しかし、従来の防災訓練はタワーマンション住民の火災時の行動をミスリードする恐れがあり、現在多くのタワーマンションではそれぞれの環境に合った防災訓練を独自に行い、行政との連携については試行錯誤している段階です」(石原さん)

新旧住民の情報格差を解消するには?マンション同士のノウハウ共有が課題(画像提供/湾岸ネットワーク)

マンション同士のノウハウ共有が課題(画像提供/湾岸ネットワーク)

マンション対抗スポーツ大会などの敷居の低いイベントが、潜在的に地域に関わりたい人の接点を生み出すことも重要ですが、このように、タワーマンションならではの課題を解決するための機能も果たしているように思います。例えば、資源ゴミの回収ルールはマンションごとに決まっていて、委託業者の言い値で決められているところが多いそう。しかし、異なるマンションの管理組合の人どうしで、「資源ごみ回収はどの会社に委託している?」という会話が生まれることで、買取価格が3倍以上になったエピソードもあるそう。そこで増えた収入は他の住人向けイベントに回すこともできます。

他にも自宅をAirbnbに使った場合、法的にどんな問題があるか? を学び合ったり、管理組合の財務的なコストダウンの方法を話し合ったりなど、マンション同士のつながりがあることで享受できるメリットは多数あります。セキュリティがしっかりしているからこそ、住人同士のつながりが薄いマンションにおいて、住人同士のつながりをつくっていく団体の役割は大きいと感じました。

「現在はあくまで任意団体として活動していて、加盟金も徴収しておらず、有志のメンバーで続けています。、しかしイベントの規模が徐々に大きくなり、参加世帯数が増えスポンサーからの協力を得られやすくなった半面、リソース不足等の問題にも直面しています。湾岸地区の発展に追いつくために、団体をより一層成長させるべく法人格の取得を検討しています。でも、参加を強制するのではなく、参加したいから参加する、というイベントであることは守っていきたいと思います。街と住民自身が一緒に成長していく、そんな過程を共有できる地域は他にはなかなかないと思います。湾岸に住む大きな価値の一つだと思います」(石原さん)

今回のインタビューで、タワーマンションに対する見方が変わりました。便利で快適というイメージがあるタワマンも、既存コミュニティとの情報格差が存在するということが分かりました。その理由は、自治会のないタワマンと行政が接点を持つ仕組みが、まだまだ未発達だから。または、新しい場所に移住してくる人たちの多くが、ご近所付き合いの面倒臭さを避けてしまうことも大きいかもしれません。「しがらみがなさそうだからタワマンに入居した」という人もいることでしょう。

ですがやっぱり、災害が起きたときに、地域のつながりがなければ混乱が生じるのは明白です。可能な範囲で住人同士、そして住人と行政のつながりを維持していくことは不可欠。もちろん、しがらみがないからこそ、自分たちで街の未来をつくっていく醍醐味を味わうことができます。変化が日常である湾岸エリアでは、そこで育つ子どもたちが「ふるさと」と感じられるような風景が残らない代わりに、「コミュニティ」のつながりこそが唯一の「ふるさと」になりうるのかもしれません。

実際、マンション対抗フットサル大会を通じマンション内にフットサルクラブが発足し、マンションフットサルクラブ同士の交流戦が行われるなど、湾岸ネットワークから派生した新たなコミュニティが育ちつつあります。ゆるやかに参加でき、強制力がない有志のつながりこそが、再開発され新住民であふれる「新しいまち」には必要なのかもしれません。

●取材協力
・湾岸ネットワーク

防犯×ランニング!? 走りながら街を見守る「パトラン」って?【全国に広がるサードコミュニティ1】

みなさん、走るのはお好きでしょうか? スポーツジムも閉鎖が余儀なくされ、長期化するリモートワーク(テレワーク)で体がなまっている人々でも気軽に始められるランニング。実はこのランニングのついでに、地域の防犯パトロールをしてしまおうというグループが全国に増えています。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを探ります。 運動しながら街を見守る。一石三鳥のパトロール&ランニング

通勤通学のアクセスの良さ、買い物のしやすさ、家賃の手ごろさだけではなくて、そのエリアにどんな出会いがあるか、プライベートをともに過ごすどんなコミュニティが見つかるか? が新しい場所に住む人にとって重要な選択肢になりつつあると感じます。家族・学校・職場とは別に、気のおけない仲間がいる居場所を求めている人は多いのではないでしょうか。
この連載では、家族・学校・職場を第一のコミュニティ、町内会や自治会など地域に暮らしていく際に避けては通れない古くからある団体を第二のコミュニティとすると、趣味や関心で集い、入会も退会も自由で、ゆるやかに地域活動に参加できるもう一つのコミュニティを「第三のコミュニティ(サードコミュニティ)」と捉え、紹介していきます。
第1回目は、福岡で始まり、全国に広がりつつある「パトラン」という取り組み。最近、土曜ランニングの会など、近所に住む人同士で集合して目的地を決め、仲良くランニングする同好会などがちらほらと生まれてきていますが、せっかくならランニングついでに地域の防犯・防災見回りもしてしまおう! という一石二鳥?三鳥? な活動が「パトラン(パトロールランニング)」なのです。

パトランWEBSITE(パトランHPより)

パトランWEBSITE(パトランHPより)

パトランの仕組みはシンプルで、やりたいと思い立ったら、パトランのウェブサイトを通じて会員登録するだけ会費を徴収しない代わりにパトランユニフォームを購入してもらい、それを着て走ればOKです。全国どこからでもスタートできる手軽さから、全国にパトラングループが増えています。単独でのパトランもOKです。

街中を走っていると、普段気づかないいろいろなものに目が止まります。しかし、パトランはまちのパトロールを目的としているため、交通事故の現場にでくわしたときは、警察に電話したり、救急車を呼んだり、運転手のサポートをしたりと、不測の事態にも迅速に対応しています。
もちろん、最低限、交通規範を守る、とか挨拶をする、などのルールはあるのですが、パトロールの仕方(方法)は各地の事情に合わせて自由に行われます。自治会と共同で防犯・見回りを行うグループ、電気の切れた街頭を探して自治体に報告する沖縄のグループなどさまざま。警察や行政と正式にパートナーシップを組んで活動するチームまでいるそうです。
このように、各地の工夫を参考にしたい人は会員限定のFacebookグループ「パトランJAPANグループ」でメンバーの活動を参考にしたりできるほか、ウェブサイトからダウンロードできる活動マニュアル「パトラン虎の巻」を読むこともできます。

パトランユニフォームのTシャツ。赤くて目につきやすい(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

パトランユニフォームのTシャツ。赤くて目につきやすい(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

仲間と始めた自主的な活動が話題を集め全国規模に

このパトランという取り組みをスタートしたのは、認定NPO法人改革プロジェクト代表の立花祐平さん。大学卒業後、大阪のIT企業に勤めていた立花さんは、入社3年を機に独立。Uターンで地元の福岡に戻り、アルバイトをしながら、冒険家を志していました。 
そんなある日、ふと訪れた沖縄の離島で、海岸沿いにゴミが散乱している様子を見た立花さん。もともと自然が好きだったこともあって、観光客が我関せず、な様子に違和感を覚えたそう。

「じゃあ実際、地元の福岡はどうだろう、と帰って海を見にいくと、同じようにゴミが散乱していました。漠然と、今できることからしたいなと思って友人たちとゴミ拾いをはじめました。これが現在のNPOの活動につながっています」(立花さん)

パトランを立ち上げた認定NPO法人改革プロジェクト代表の立花祐平さん(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

パトランを立ち上げた認定NPO法人改革プロジェクト代表の立花祐平さん(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

アルバイトをしながら地域の清掃活動に取り組む日々を送る中、知人の女性が自宅に帰る道で不審者による被害があり、清掃活動だけでなく防犯活動も始めてみようと思い立ったそうです。そこで、海沿いの街・宗像で見回り活動もしながら走ってみよう、と仲間と始めたのがパトランでした。
大きな転機となったのは、全国からソーシャルな取り組みを募集する住友生命の「YOUNG JAPAN ACTION」プロジェクトに応募したこと。

「もともと地元福岡の宗像という地区だけでやっていた自主的な活動だったのですが、なんとグランプリの一つに選ばれたんです。それがきっかけで多くの人にパトランを知ってもらい、全国で活動をやりたいという人たちが増えてきました」(立花さん) 

そこでSNSで「パトランJAPAN」のグループをつくり、全国の仲間が活動できるプラットフォームを準備しました。少しづつ活動の輪が広がり、今では全国38の都道府県に1,800人を超えるメンバーがいます。
「いわゆるランナーの人たちって横のつながりがとても強いです。全国のマラソン大会に出場したりして、地域が離れた人同士でもつながっている。もともと僕らはランニングは素人で始めたのですが、ランナーのコミュニティと接点ができて一気に広がったかたちですね」(立花さん)

パトラン中のゴミ拾いの様子。防犯だけでなく清掃も(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

パトラン中のゴミ拾いの様子。防犯だけでなく清掃も(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

自治会など既存の団体との温度差を埋めるには?

しかし、宗像でパトランを始めたころは地元の理解を得るのに苦労したそうです。

「地方は少なからず閉鎖的な面があるので、若者が集まって何かやると白い目で見られたり、いい迷惑だといって地元企業からメールが届いたこともありました。でも、自分たちの活動に社会的意義があると感じていたので、やはりやり続けないとだめだな、と思い3年は続けるつもりでがんばりました」(立花さん)

もともとある地域団体(自治会や町内会)=セカンドコミュニティは当然、防犯や防災に関する取り組みをしています。しかしどうしても、年配の方が多く、新しい住民や自治会に参加してない若者が入りづらいのが現状です。「地域のために何かしたい」と潜在的に考えている人が多い中、誰でも入れていつでも抜けられる、そんな気軽な活動=コミュニティがあることで地域参加の幅が広がると感じています。

「やはり平日は職場と自宅を行ったり来たりで地元に居場所がない人は多いです。また、パトランは既存の地域団体と基本的には一緒にやっていきましょうというスタンスなので、高齢者のグループと一緒にスタートしたりするチームもいます。あるメンバーが、パトランを通じて地域で活動することに抵抗がなくなった“慣れた”とおっしゃっていて、そこから町内会や自治会にも積極的に関わるように顔を出すようになったそうです」(立花さん)

全国に広がるパトランチーム。各チームごとに活動エリアや活動場所を決めて行っています(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

全国に広がるパトランチーム。各チームごとに活動エリアや活動場所を決めて行っています(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

また、既存の地域団体は基本的に、行政区画に縛られて活動しています。一方パトランチームは行政区画をまたいで活動することが多い。広域で防犯や防災意識を高めたりする団体はあまりないため、既存の町内会や自治会とうまく共存できていると立花さんは言います。

マラソン大会に参加したり、冒険イベントを開催したり。広がるパトランの可能性

パトロールしながら走っていると面白いのは、地域のいろいろな課題が見える化していくところ。冒頭でちらっと紹介した沖縄で活動するメンバー(※)は、ランニングのついでに、切れた街灯を見つけては地元の行政に連絡を入れているそうです。
「他の地域でも見つけたら行政に報告しましょうというルールを設けていますが、なかでも沖縄は一番多くて、年間5~600件の街灯切れを見つけています。自転車の不法投棄なんかも見つけます。防犯だけじゃなくいろいろな面でパトランが地域の役に立つ瞬間は多いと感じています」(立花さん)

パトラン中、電気の消えた街灯を見つけたり、不法投棄を見つけては行政に連絡をしているそう(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

パトラン中、電気の消えた街灯を見つけたり、不法投棄を見つけては行政に連絡をしているそう(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

パトランJAPANは基本的に寄付で成り立っています。大きな寄付元としては毎年開催されている大阪マラソン。他にも、マップに沿ってスタンプラリーしながら走れる「冒険型マラソン」を仕掛けたりもしています。こういう全国規模の大会で全国のチームやメンバーが交流し、より一層コミュニティの結束を高めています。

「今までにないマラソンをつくりたくて。せっかく環境や防犯をテーマにした取り組みなので、社会貢献の要素をマラソンに組み込みたい。フィールド内に、社会貢献につながるゾーンや散策できるスポットを設定しておき、ミッションをクリアすることで得点を稼いでいく。RPGゲームのような世界観をマラソンで表現しています(笑)。第一回目の今年は新型コロナウィルスの影響で開催できなかったんですが、来年度も実施する予定です。今後も仕掛けていきたいと考えています」(立花さん)

毎年、大阪マラソンに全国からパトランチームが集まる(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

毎年、大阪マラソンに全国からパトランチームが集まる(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

宗像市で開催予定だった冒険型マラソン。コロナウィルスの影響で中止となった(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

宗像市で開催予定だった冒険型マラソン。コロナウィルスの影響で中止となった(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

地域活動って、楽しくないと続かないと思いませんか? パトランの面白いところは、仲間たちと楽しく走るというのが前提になっているところ。そのついでに地域貢献を行うところがポイントです。「地域のためになにかしなきゃ」とか、「住んでいるのに何もできてない」という負い目を感じている多くの人にとって、パトランのような気軽に参加できて、気分が乗らなければ参加しなくてもいいコミュニティの存在は大きな助けになるのではないでしょうか。 
一見、仲間たちで楽しく遊んでいるようなコミュニティも、有事の際に連絡網として機能したり、日ごろからの何気ない見回り活動が役に立つ瞬間があると思います。そんなコミュニティが複数存在することで、地域の柔軟性や寛容性、災害の際の回復可能性(レジリエンス)を高めると僕は考えています。
家族や学校、職場など(=ファーストコミュニティ)でもなく、柔軟性や多世代交流の場としては停滞している既存の地域団体(=セカンドコミュニティ)ではなく、第三のコミュニティが各地に増えていくことがこれからの地域社会にとって重要なテーマだと思います。今後も全国各地のユニークな「サードコミュニティ」を取り上げていきます。どうぞお楽しみに!

※パトランチームは一定の基準を満たして設立しています。沖縄はチームではなく個人単位で活動しています。
現在のチームは全国で15チームのみとなります
詳細:パトランチーム

●取材協力
認定NPO法人改革プロジェクト
●関連サイト
パトラン

「JR京浜東北・根岸線」の家賃相場が安い駅ランキング! 2020年版

部屋を決めるときに必ず気になるのは、通勤や通学の利便性の良さだろう。東京や品川など都内主要駅を経由し、大宮など埼玉県から横浜などの神奈川県までつなぐJR京浜東北・根岸線は、その便利さから定番の人気路線。そのJR京浜東北・根岸線の沿線で、ねらい目の駅はどこだろうか。シングル向け物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK)を対象にした最新版の家賃相場ランキングから考えてみたい。●JR京浜東北・根岸線の家賃相場が安い駅TOP20
順位/駅名/家賃相場/(駅所在地)
1位 洋光台 5.2万円(横浜市磯子区)
2位 南浦和 5.9万円(さいたま市南区)
2位 根岸 5.9万円(横浜市磯子区)
4位 山手 5.95万円(横浜市中区)
5位 新杉田 6万円(横浜市磯子区)
6位 本郷台 6.1万円(横浜市栄区)
6位 磯子 6.1万円(横浜市磯子区)
8位 蕨 6.2万円(埼玉県蕨市)
9位 港南台 6.3万円(横浜市港南区)
10位 新子安 6.35万円(横浜市神奈川区)
11位 与野 6.4万円(さいたま市浦和区)
11位 北浦和 6.4万円(さいたま市浦和区)
13位 浦和 6.8万円(さいたま市浦和区)
14位 さいたま新都心 6.9万円(さいたま市大宮区)
14位 大船 6.9万円(神奈川県鎌倉市)
16位 大宮 7万円(さいたま市大宮区)
16位 川口 7万円(埼玉県川口市)
16位 鶴見 7万円(横浜市鶴見区)
19位 東神奈川7.2万円(横浜市神奈川区)
20位 西川口 7.3万円(埼玉県川口市)

著名クリエーターによる活性化プロジェクトに注目、閑静なベッドタウン

1位は、横浜市磯子区にある洋光台駅。JR京浜東北・根岸線の神奈川方面は、日本の主要工業地帯である京浜工業地帯への足でもあり、住環境が気になるところであるが、洋光台はベッドタウンで、閑静な住宅街が広がる地域だ。

洋光台駅(写真/PIXTA)

洋光台駅(写真/PIXTA)

駅の前すぐには、洋光台団地がある。近年、クリエイティブディレクター・佐藤可士和氏などが参画する、この団地を中心にした街の活性化プロジェクトが進められている。2018年には、東京オリンピックが開催予定の新国立競技場の設計を手掛けた建築家、隈研吾氏のデザインにより中央の広場がおしゃれにリニューアル。ハンドメイド作家やアーティストが全国から集まる展示即売会イベントなども開かれるようになった。

洋光台団地の敷地内にはスーパーや飲食店もあるが、駅周辺のスーパーは深夜0時まで開いている店舗(※通常営業時)もあり、ベッドタウンにとっては大切な駐車場も完備。本ランキングはシングル向け物件の家賃相場についてのものだが、小さな子どものいるファミリー世帯にも気になるエリアだろう。

5位の新杉田駅は、洋光台と同じ横浜市磯子区に位置する。東側は京浜工業地帯で、IHIや東芝など大企業の工場や事業所がある。

駅前は大規模マンションなどもあり、殺風景なビジネス街という雰囲気ではない。駅に直結にした商業施設のほか、前述の企業に勤める人たちを対象にした飲食店なども多く、自炊をする余裕のない多忙なシングルには心強いだろう。また新杉田駅は、地球環境や深海の観測や研究を行っている海洋研究開発機構の横浜研究所の最寄駅でもある。研究内容や施設内部、図書館などは一部一般にも公開されており(※)、老若男女を問わず人気を集めている。工業地帯というだけでない意外な魅力がある、と言えるかもしれない。

さいたまエリアは、“住みたい街”と“住みやすい街”もランクイン

13位の浦和駅と14位のさいたま新都心駅、16位の大宮駅は、先月発表された「SUUMO住みたい街ランキング2020関東版」にランクインしている。昨年、今年と続いてさいたま市中核エリアの人気ぶりに注目が集まっているが、その理由は、京浜東北線に加え、湘南新宿ラインによる新宿方面へのアクセスが良い点も大きい。

浦和駅(写真/PIXTA)

浦和駅(写真/PIXTA)

なかでもさいたま新都心駅は、再開発が進み高層建築が並ぶビジネス街になりつつある。さいたまスーパーアリーナのある駅西口方面はオフィス街だが、駅東口は大規模マンションが建設されている。コクーンシティなど大型商業施設もあり、働くにも住むにも良し。加えてスポーツ観戦やライブなど充実した生活が期待できるだろう。

大宮駅と同率での川口駅は映画『キューポラのある街』の舞台で知られる街。、かつては鋳物工場の多い地域であったが、その跡地が住宅地として開発され発展。駅周辺はタワーマンションも目立つ。また、街中には緑あふれる大きな公園も数多い。

そごう川口店などの百貨店のほか、24時間営業のスーパーやディスカウントストアなど、ショッピング施設も充実。「樹モール」の名で親しまれる川口銀座商店街やふじの市商店街などもあり、アットホームなふれあいにも事欠かない。東京都との物理的な近さとともに、生活の上での便利さは確実といえそうだ。

ランキングには都内の駅は登場しないが、JR京浜東北・根岸線は遅くまで運行しているため、多少離れた所在地の駅であっても、都心部で地下鉄沿線に住むより終電が遅く、時間の自由がきく、というケースもよく耳にする。幹線ならではの強みだろう。住みたい街や住みやすい街が多くランクインしているJR京浜東北・根岸線沿線の駅では、ライフステージやスタイルにあった住まいがきっと見つかるはずだ。

※1 現在は新型コロナウイルス感染防止のため中止

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている京浜東北線の沿線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(住戸名寄せあり、定期借家を除く)
【データ抽出期間】2019/12~2020/2
【家賃の算出⽅法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む⽉額賃料から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、平日の日中時間帯の検索結果から算出(乗換時間を含む)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある

「JR京浜東北・根岸線」の中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2020年版

大宮駅から大船駅まで、埼玉県、東京都、神奈川県を走るJR京浜東北・根岸線。大宮駅~東京駅~横浜駅は京浜東北線、横浜駅~大船駅は根岸線に分類されるものの、この2路線が直通運転される便も多く、まとめて「京浜東北・根岸線」と呼ばれることも。3月に誕生した高輪ゲートウェイ駅も停車駅に加わり、全47駅を結びつつ都心を南北に貫く便利な路線だ。
そんな京浜東北・根岸線の沿線で、中古マンションの価格相場が安い駅はどこなのか。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの価格相場が安い駅トップ10を紹介しよう。
●JR京浜東北・根岸線の価格相場が安い駅TOP10
【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(所在地)
1位 鶴見 1980万円(神奈川県横浜市)
2位 大宮 2198万円(埼玉県さいたま市)
3位 関内 2665万円(神奈川県横浜市)
4位 王子 2680万円(東京都北区)
5位 蒲田 2698万円(東京都大田区)
6位 横浜 2850万円(神奈川県横浜市)
7位 川崎 2980万円(神奈川県川崎市)
8位 田端 2988万円(東京都北区)
9位 日暮里 3050万円(東京都荒川区)
9位 鶯谷 3050万円(東京都台東区)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(所在地)
1位 洋光台 2350万円(神奈川県横浜市)
2位 西川口 3037.5万円(埼玉県川口市)
3位 新杉田 3180万円(神奈川県横浜市)
3位 蕨 3180万円(埼玉県蕨市)
5位 本郷台 3185万円(神奈川県横浜市)
6位 港南台 3340万円(神奈川県横浜市)
7位 与野 3380万円(埼玉県さいたま市)
8位 大宮 3390万円(埼玉県さいたま市)
8位 新子安 3390万円(神奈川県横浜市)
10位 根岸 3580万円(神奈川県横浜市)

シングル向け、カップル・ファミリー向けともに横浜市の駅が1位に

中古マンションの価格相場が最も安かった駅は、シングル向け物件(専有面積20平米以上~50平米未満)は鶴見駅、カップル・ファミリー向け物件(専有面積50平米以上~80平米未満)は洋光台駅。どちらも神奈川県横浜市に位置する駅だが両駅は11駅分離れており、さほど近くはない。

鶴見駅と「CIAL鶴見」(写真/PIXTA)

鶴見駅と「CIAL鶴見」(写真/PIXTA)

シングル向け1位の鶴見駅は横浜・川崎市の京浜工業地帯を走るJR鶴見線の駅でもあり、500mほど歩くと京急本線・京急鶴見駅もある。駅の西側には「鶴見フーガ2」、東側には「CIAL鶴見」という駅ビルがそれぞれ直結しており、駅周辺にも商業施設が充実。JR京浜東北・根岸線で鶴見駅から横浜駅まで約10分、東京駅までは約35分と、アクセス面もなかなかいい。

鶴見駅に隣接するシングル向け7位・川崎駅のほうが大型商業施設はより豊富だが、川崎駅の価格相場が2980万円だったのに対し、鶴見駅は1980万円と1000万円も低く抑えられている。ならば住まいは鶴見駅、必要に応じて電車で1駅の川崎駅に買い物に出かける……というのもアリだろう。

洋光台駅(写真/PIXTA)

洋光台駅(写真/PIXTA)

カップル・ファミリー向けの1位になった洋光台駅は、JR京浜東北・根岸線で横浜駅まで約20分、東京駅までは約1時間5分という立地。駅前の広場が2018年8月、建築家・隈研吾氏によりリニューアルされ、明るくおしゃれな雰囲気に生まれ変わった。広場を囲むようにして飲食店やパン工房、青果店から各種クリニックに保育園までそろう商店街が広がり、周辺にスーパーやドラッグストアも。公園も点在するほか、体験型科学館「はまぎん こども宇宙科学館」も駅近くにあるので、小さな子がいる家族も遠出することなく楽しく過ごせるのがうれしいところ。

洋光台駅から東京駅まで1時間以上かかる点は少々気になるかもしれないが、価格相場はカップル・ファミリー向けランキングトップ10のうち唯一の2000万円台で、2位・西川口駅と比べると680万円以上も低かった。横浜市内で働く人にはアクセス面のネックも少ないので、住まいの候補地として検討する価値はあるだろう。

シングル向けランキングにはJR山手線も利用できる便利な駅がお目見え

続いて2位以下を見てみよう。シングル向けランキングには東京都内の駅も5駅選ばれた。そのうち注目は8位・田端駅と、同額9位の日暮里駅と鶯谷駅。JR京浜東北・根岸線は田端駅~品川駅の区間でJR山手線と並走している。同区間にあるこの3駅は、東京都内の路線の中でも中心的役割を担うJR山手線の停車駅でもあるのだ。

JR山手線と並走する区間では、JR京浜東北・根岸線は10時~15時台に一部駅を通過する快速運転も行っているものの、8位・田端駅は快速停車駅でもある。快速に乗れば田端駅から東京駅までは約15分、品川駅までは約25分。また、田端駅からJR山手線に乗れば池袋駅まで約10分、新宿駅まで約19分、渋谷駅までは約26分と、都内を代表する駅にも行きやすい。また、スーパーや雑貨店、飲食店を備えた駅ビル「アトレヴィ田端」が併設されており、帰宅前に買い物しやすい環境だ。

田端駅(写真/PIXTA)

田端駅(写真/PIXTA)

カップル・ファミリー向けランキングは2位以下にも神奈川県と埼玉県の駅が並んだ。そのうちJR京浜東北・根岸線で東京駅までの所要時間が最短なのは、約31分で行ける2位・西川口駅。駅には食料品店やレストラン、100円ショップが並ぶ「ビーンズ西川口」が直結している。駅東口側には商店街が続き、西口側には交番や、川口市役所の連絡室も。また、東口からバスに乗ると約7分でショッピングモール「イオンモール川口前川」に行くこともできる。生活環境が充実した街なので、家族で住むにもよさそうだ。

JR西川口駅 東口の様子(写真/PIXTA)

JR西川口駅 東口の様子(写真/PIXTA)

今回の調査では、シングル向けとカップル・ファミリー向けではランキングの顔ぶれがだいぶ異なっていた。唯一どちらのランキングにも入ったのが、シングル向け2位、カップル・ファミリー向け8位にランクインした大宮駅。JR京浜東北・根岸線で最も北側に位置し、東北新幹線や北陸新幹線などの新幹線、埼京線や高崎線といったJR各線、さらに東武野田線、埼玉新都市交通伊奈線・ニューシャトルも乗り入れる一大ターミナルだ。埼玉県を代表する駅だけあり、周辺の商業施設も充実している。

シングル向けとカップル・ファミリー向けのランキングの顔ぶれが異なる結果となったのは、そもそもJR京浜東北・根岸線の駅のうち、シングル編の調査条件(駅徒歩15分圏内に専有面積20平米以上~50平米未満・築35年未満のSUUMO掲載物件が11件以上ある、など)に該当しない駅が多かったせいでもある。カップル・ファミリー編で1位だった洋光台駅も、シングル編の条件を満たさないためランク外となった。

こうした結果を見ると、街によってシングル向け物件が多い、カップル・ファミリー向け物件が多いといった特徴があることが分かる。一人暮らしなのにファミリー向けマンションが多い街で物件探しをしても、なかなか気に入るものが見つからない……なんていうことも起こりえる。物件探しをする際は、「シングル層が多い」「ファミリーに人気が高い」など、どんな街なのかを知っておくとよさそうだ。その一つの目安として、駅ごとのSUUMOの掲載物件数を参考にするのもいいだろう。

●調査概要
【調査対象駅】JR京浜東北・根岸線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分圏内、築年数35年未満、物件価格相場3億円以下、敷地権利は所有権のみ
■シングル向け物件:専有面積20平米以上、50平米未満
■カップル・ファミリー向け物件:専有面積50平米以上、80平米未満
【データ抽出期間】2019/12~2020/2
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、平日の日中時間帯の検索結果から算出(乗換時間を含む)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

デジタル工作機器でオリジナルなグッズがつくれるカフェ。「ファブカフェ キョウト」が伝えたい「ものづくり」のある暮らし

お気に入りの写真やロゴマークなど自分でつくったデザインを、オブジェやグッズにしたり、友達と企画したイベントでノベルティなどをつくって、参加者とおそろいにしたり、そんな、オリジナルなものがある生活、素敵ですよね。表現の幅が広がり、暮らしはきっともっと豊かなものになるでしょう。「ハンドメイドで!」と考えるものの、そもそも、加工ができる工具や設備がありませんし、ショップに製作を依頼するにはロット数が少なすぎて、数の割にはお金がかかってしまいます。

近年、「メイカースペース」「Fab スペース(以下「ファブスペース」)」と呼ばれる、3Dプリンターや、デジタルミシンなどのデジタル工作機器を取りそろえた施設が、各地にできています。京都の街なかにある「FabCafe Kyoto」(ファブカフェ キョウト)は、お茶や食事も楽しめるカフェにファブスペースが併設された「ファブカフェ」。

工房と一体化した夢のようなカフェは、今、この街でどんなふうに住民との関係を築いているのか。「FabCafe Kyoto」を運営している株式会社ロフトワークのディレクター、木下浩佑さんにお話をうかがいました。

おしゃれなカフェとデジタル工作機器の不思議なバランス

訪れた場所は、「五条」と呼ばれるエリア。東には世界遺産の清水寺があり、西へ歩けば東本願寺、南へさがれば京都タワー。徒歩圏内に京都を代表する名だたる観光スポットをいだきながらも、静かな趣をたたえる街です。

2017年6月9日にオープンした「FabCafe Kyoto」。ここは、築およそ120年という木造建築をリノベーションしたクリエイティブ・スポットです。和の意匠を活かした堂々たるたたずまいに見とれてしまいます。

最近では町屋をリノベしたカフェやゲストハウスも増え、若い人たちに人気の五条エリア。真黒でモダンな外観はつい中をのぞき込みたくなる(写真撮影/出合コウ介)

最近では町屋をリノベしたカフェやゲストハウスも増え、若い人たちに人気の五条エリア。真黒でモダンな外観はつい中をのぞき込みたくなる(写真撮影/出合コウ介)

店内に足を踏み入れると、そこは30席を擁する、ゆったりとしたカフェ空間。インターネット回線と電源を無料開放し、コワーキングスペースのようにも使えます。

1階左手は長いカフェカウンター。この奥にファブコーナーがある(写真撮影/出合コウ介)

1階左手は長いカフェカウンター。この奥にファブコーナーがある(写真撮影/出合コウ介)

もとは工場や家具屋として使われていた築120年の建物。モノや車が出入りしていた通りに面した部分は開放感のある窓と入口になっている(写真撮影/出合コウ介)

もとは工場や家具屋として使われていた築120年の建物。モノや車が出入りしていた通りに面した部分は開放感のある窓と入口になっている(写真撮影/出合コウ介)

そして! 刮目すべきは、1階のカフェの明るい窓に面した奥。ここに、工作用マシンがズラリと並んでいます。

設置されているのは、プラスチックや皮革や材木などを彫刻したり切断したりできる「レーザーカッター」、3次元の造形ができる「3Dプリンター」、紫外線をあてると硬化する特殊インクで、紙以外にも印刷できる「UVプリンター」、切削工具を回転させながら彫刻をしたり穴をあけたりできる小型「CNCフライス」、最大8色の糸でさまざまな色彩とデザインが表現できる「デジタル刺繍ミシン」などなど。高価なため家庭での購入が難しい機器の数々が並び、ワクワクしてきます。
それぞれ、利用時間に応じて料金が設定されています。また、レーザーカッターとデジタル刺繍ミシン、UVプリンターは操作方法の講習会を受講した方のみ使用が可能となっています。

写真上/ずらりと並んだデジタル工作機器、写真下/デジタルミシン(手前)とUVプリンター(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部(上)、出合コウ介(下))

写真上/ずらりと並んだデジタル工作機器、写真下/デジタルミシン(手前)とUVプリンター(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部(上)、出合コウ介(下))

木下浩佑さん。この店で働く前も東京のモノづくり施設で運営に携わる。経験を活かし、京都ならではの素材や伝統、人脈を活かしたファブスペースづくりに取り組んでいる(写真撮影/出合コウ介)

木下浩佑さん。この店で働く前も東京のモノづくり施設で運営に携わる。経験を活かし、京都ならではの素材や伝統、人脈を活かしたファブスペースづくりに取り組んでいる(写真撮影/出合コウ介)

木下浩佑さん(以下、木下)「カフェに工作機器をそろえたこのスペースは、ものづくりをしたい人たちを応援をするためのラボ(工房)です。工作機器の多くは製造工場や教育施設などにあり、扱うのは専門の職人さんや、専門の勉強をしている人が中心です。そのような場に行かない限り、一般の人には機械を目にするきっかけも、触る機会も少ない。そういった専業職種の機械を広く一般に開放してゆくのが私たちのようなファブスペースの役目なんです。カフェという気軽に入れるスペースとくっついていることで、さらに多くの方が機械を利用できるのではないかと考えました」

社会実験から始まったアメリカ生まれのファブラボが、カフェ併設で、より日常に

工場にあって表に出ない工作機械と市井の人々をつなぐ場。もともとはアメリカのマサチューセッツ工科大学が、「高度な機器を市民に開放すると、地域でどんな活動が始まるのか?」という社会実験として「ファブラボ」と呼ばれる場をつくったことから始まったのだそう。そしてこの実験精神や理念が多くの人に受け容れられ、今や海を渡り、ファブスペースは世界中に誕生しているのです。

木下「例えば、レーザーカッターで硬い素材にスリット(切れ込み)を入れると、手で曲げられるほど柔らかくなります。アクリル板を凹凸にカットして組み合わせると箱など容器がすぐにつくれます。文字を切り出すと、商店のポップなどにも使えます。あると便利だけれど家庭では制作できない雑貨などが、ここでは実現可能なんです」

アクリル板をレーザーカッターでカットすればさまざまな立体がつくれる(写真撮影/出合コウ介)

アクリル板をレーザーカッターでカットすればさまざまな立体がつくれる(写真撮影/出合コウ介)

UVプリンターでアクリル版に塗装したもの。革や布などにも塗装可能で、人気の機器だ(写真撮影/出合コウ介)

UVプリンターでアクリル版に塗装したもの。革や布などにも塗装可能で、人気の機器だ(写真撮影/出合コウ介)

カフェと工房が一体化したスタイルは、ここが世界で9軒目、この京都店と同じ系列では台北、香港、渋谷、といった大都市のほかに岐阜県の飛騨にも。ファブラボの「ファブ」に「FABrication(ものづくり)」と「FABulous(愉快な、素晴らしい)」という二つの意味を込めており、「伝統と革新、デジタルとアナログが混ざりあう、楽しい創造の場所にしてゆきたい」という想いがあるとのこと。

カフェと工房のあいだに仕切りなし。お客さんどうしの交流が生まれる

今回はSUUMOジャーナル編集部が、トートバッグにオリジナルな刺繍をチャレンジ。原画は編集部員Kのお母さんが「趣味で描いた」という油絵の写真。

写真撮影/編集部K

写真撮影/編集部K

持ち込んだイラストやデザインをPCで加工、デジタル工作機器に取り込むことで器用な人でも誰でも思い通りの作品をつくることが可能(写真撮影/出合コウ介)

持ち込んだイラストやデザインをPCで加工、デジタル工作機器に取り込むことで器用な人でも誰でも思い通りの作品をつくることが可能(写真撮影/出合コウ介)

PCで4色の色に変換された絵の画像は、4色の糸で次々と刺繍されていく(写真撮影/出合コウ介)

PCで4色の色に変換された絵の画像は、4色の糸で次々と刺繍されていく(写真撮影/出合コウ介)

それにしても驚くのが、カフェとファブスペースの境目がまるでない点。ここまで飲食スペースと一体化しているとは想像していませんでした。

木下「カッティングやミシンがけなど作業の際に出るノイズに包まれながら、ある人はパソコンで仕事をし、ある人は読書をし、ある人は思考をめぐらせ、ある人はおしゃべりに興じたり、ミーティングをしたり。そんなふうに、それぞれが自分なりのワークをしながら音に寛容になれる場所が京都にあってもいいんじゃないかと考えて、あえて仕切りは設けていません。『ガラス張りにすらしたくない』って思ったんです。『静かにしなきゃいけない』って、お客さんにとって、すごいプレッシャーですしね」

コーヒーを飲みながらコワーキングスペースとして利用する人も(写真撮影/出合コウ介)

コーヒーを飲みながらコワーキングスペースとして利用する人も(写真撮影/出合コウ介)

木下さんがおっしゃる通り、店内はさまざまな機械音がリズムを刻んでいて躍動感があり、「サウンドで元気がもらえるカフェだな」という印象を受けました。騒音だとはまるで感じず、むしろ音の色彩感を味わえる、ここはそんな場所なのです。

木下「それに仕切りをなくすと、見知らぬ人どうしで『何をつくっているんですか?』ってフレンドリーに話しかけやすい。新たな交流が生まれます。ここに来た人やクリエイターと、あるいはクリエイターと企業が協創するきっかけなればうれしいですね」

作業中は「あえて手伝わない」。自分の力で完成させるからこそ、ものづくりは楽しい

「FabCafe Kyoto」の、もうひとつの大きな特徴、それは機械や工具の使用が「セルフサービス」である点。教えてくれる人がつかないため、不安に感じて利用を躊躇するお客さんもいるのでは?

木下「はじめは不安でも、失敗してもいいからDIYを楽しんでほしい。実はオープン当初はオペレーターつきのプランも設けていたんです。でも、やめました。助手をつけると結局、人に頼ってしまって、自分だけでは完成させられなくなるんです。試行錯誤しつつ、『ここをもっと、こうしたほうがいい』『こう操作するとクオリティがあがるのか』と気がつくことこそが、ものづくりのおもしろさだと思うんですね。それに自分でつくると、『職人さんって、やっぱスゴいな!』って、リスペクトの気持ちが改めて湧いてきます」

失敗したっていい。間違えたから気づきがある。ああでもないこうでもないと首をひねりながらも、手を動かしたからこそ生まれるアイデアもある。そうやってカフェの一画でさまざまな人々がハンドメイドにチャレンジし、「木目の上に透明なインクを印刷して半立体にしたグッズ」など意欲作が続々と誕生しました。

レーザーカッターの切る幅を変わるだけで素材の印象は大きく変わる。細く細かく入れれば固いものもしなやかに曲がる(写真撮影/出合コウ介)

レーザーカッターの切る幅を変わるだけで素材の印象は大きく変わる。細く細かく入れれば固いものもしなやかに曲がる(写真撮影/出合コウ介)

年間およそ数百アイテムが誕生。伝統工芸の歴史深き京都では「京都らしく」

デスクワークがメインだったクリエイターが、初めて機械に触れるケースも多いのだそう。実際の工芸作業をした経験がなかったデザイナーがレーザーカッターを自力で操作し、「自分が設計したデータが商品になるって、こういうことなんだ!」と子どものように初々しく喜ぶ姿も見受けられたと木下さんは言います。

木下「FabCafe Kyotoから生まれた作品は、年間およそ数百種類。どれも素晴らしくて、僕らも刺激をもらえます。そういえば、海外からお見えになられたお客さんが『スーツケースの取っ手が壊れたから』と言って、3Dプリンターで取っ手をサッとつくってサッと帰っていった日もありました。必要なものをつくることが当たり前になっている、あの時は『カッコいい!』ってテンションがアガりました」

上/分厚いアクリル板の裏側にUVプリンターで画像を塗装したもの。立体感が出て素敵なオブジェに。下/3Dプリンターでつくった模型。設計図となるデータは、さまざまなサイトで共有されていて、自分でイチからつくれなくても、データのサイズを変えたり、デザインを変えたりなどなどカスタマイズすることからチャレンジすることもできる(写真撮影/出合コウ介)

上/分厚いアクリル板の裏側にUVプリンターで画像を塗装したもの。立体感が出て素敵なオブジェに。下/3Dプリンターでつくった模型。設計図となるデータは、さまざまなサイトで共有されていて、自分でイチからつくれなくても、データのサイズを変えたり、デザインを変えたりなどなどカスタマイズすることからチャレンジすることもできる(写真撮影/出合コウ介)

一般の方々がカジュアルにドロップインし、ものづくりを学べる「FabCafe Kyoto」。カフェですから、工作機械はもちろん、ドリンクももちろん充実。珈琲豆は、京都伏見で焙煎しているスペシャルティコーヒーショップ「Kurasu Kyoto」に依頼したオリジナルブレンドと、緑豊かな京都・大山崎の山麓にある「大山崎 COFFEE ROASTERS 」で自家焙煎した豆を使用、「抹茶ラテ」には新進気鋭の茶舗「京都ぎょくろのごえん茶」の抹茶粉を使用するなど京都らしいラインナップです。

本格的に茶筅でたてる抹茶ラテ(写真撮影/出合コウ介)

本格的に茶筅でたてる抹茶ラテ(写真撮影/出合コウ介)

木下「京都ぎょくろのごえん茶さんは、抹茶の仕入れだけではなく、うちのレーザーカッターのヘビーユーザーなんです。お店に使うポップをハンドメイドしているんですよ」

食材の仕入れ先という結びつきを超え、カフェとラボは、新たなる有機的な関係を築いていたのです。ほかにもゲストハウスや飲食店を営む人が、ルームキーのキーホルダーや、施設内のサインプレート、メニュー表やカップをつくったりなど、暮らしや生業に根差した使われ方をされているそう。ここには、漆や引箔(ひきはく:和紙に金銀箔で模様を施し断裁した糸。西陣織に使われるもの)といった伝統的な素材から、サンルミシスインキ(ブラックライトで光る蛍光顔料)や熱硬化性素材など最新のマテリアルも展示しており、創作イメージが広がります。
「ここ、京都は商売だけでなく、職人さんや芸術家も多い町です。ちょっと立ち寄ったときに、素材や人からの刺激を受けたり、試作品をつくる場になったりもしています」ひとくちにファブスペースといっても、この京都のようにカフェがあったり素材があったりなど、その街にどんな人が暮らしているかによって、形態はさまざま。つくること、お客さんに見せることが暮らしの一部となっている京都の人が、足を運びやすい「ものづくりの場」として地域に溶け込んでいるようです。

カフェスペースではさまざまな京都やモノづくり、マテリアルに関係したイベントも多数開催している(写真提供/FabCafe Kyoto)

カフェスペースではさまざまな京都やモノづくり、マテリアルに関係したイベントも多数開催している(写真提供/FabCafe Kyoto)

ショップ看板(左)、ウィンドウサイン(右)のほか、店内のディスプレイもここでつくったオリジナル。周辺のお店の人、職人さん、芸術家らもこのようなオリジナルな1点をつくりに来るそう(写真撮影/出合コウ介)

ショップ看板(左)、ウィンドウサイン(右)のほか、店内のディスプレイもここでつくったオリジナル。周辺のお店の人、職人さん、芸術家らもこのようなオリジナルな1点をつくりに来るそう(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

さて! いよいよトートバッグの刺繍ができあがりました。今回は特別に木下さん直々にミシンがけをしていただきました。間違いなく、誰がどう見てもオンリーワンなバッグとなりましたが、いかがでしょう。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

どうだろうか。なかなかサイケデリックな仕上がり(写真撮影/編集K)

どうだろうか。なかなかサイケデリックな仕上がり(写真撮影/編集K)

いまなお町家や古民家が建ち並ぶ古きよき五条エリアで地域に溶け込んでいる、ものづくりカフェ。ミシンの針が進む速度で、工芸の新しいかたちが育まれている。そんなふうに感じました。

●取材協力
FabCafe Kyoto

新駅「高輪ゲートウェイ」開業! 品川・田町エリアの10年を振り返る

2020年3月14日に開業した新駅「高輪ゲートウェイ」駅がある品川~田町周辺。もともと国家戦略特区として指定されているエリアですが、東京オリンピックの開催後、新駅の設立が決まってからはさらに目覚ましい発展を遂げています。そこで、品川近辺に住んでちょうど10年目を迎える筆者がこの10年を振り返ってみます。
そもそも「品川」ってどんな駅? どんな街?

そんなの知ってるよ! 何度も行ったことあるよ! とツッコミを入れたくなる人も多いのではないでしょうか。それくらいに電車・新幹線、車、飛行機の玄関口・中継地点として交通の要を担っているのが品川駅です。

実は日本一古い駅の1つであり、山手線の起点の駅、東海道新幹線の停車駅でもあります。山手線以外の在来線は東海道本線、京浜東北線、横須賀線、私鉄の京浜急行本線が乗り入れていて、1日の平均乗車人数はなんと38万人以上(JR東日本、2018年度)! しかも年々増え続けているのです。

これは鉄道マニアか、地元人でないと気づかないポイントかも(笑)と思うのは、品川駅にあるいくつかの隠れアイテムです。まず1つは山手線の1番ホームにあるゴジラ?恐竜?のプレート。「鉄道発祥の地」「山手線0(ゼロ)」「Since 1885」と書かれています。もう一つは中央改札内のコンコースにある東海道線の昔の車両をかたどった郵便ポスト。側には説明板があるのですが、何でも「郵便ポスト」と「0(ゼロ)キロポスト」をかけて2005年に設立されたものらしく、このダジャレ感のあるかわいいフォルムについ笑ってしまいます。

品川駅1番ホームの中ほどにある「鉄道発祥の地」ゴジラ?恐竜?のプレート(写真撮影/唐松奈津子)

品川駅1番ホームの中ほどにある「鉄道発祥の地」ゴジラ?恐竜?のプレート(写真撮影/唐松奈津子)

品川駅コンコース内にある「0(ゼロ)キロポスト」を示すかわいい郵便ポスト(写真撮影/唐松奈津子)

品川駅コンコース内にある「0(ゼロ)キロポスト」を示すかわいい郵便ポスト(写真撮影/唐松奈津子)

駅としての機能だけではなく、京浜急行本線は羽田空港に直結しており、空への玄関口として、また、高輪口目の前には国道・第一京浜が通っており、アクアラインへとつながる海への玄関口としての機能も果たしています。品川駅を出ると、西側の高輪口側にはウィング高輪などのショッピング施設や品川プリンスホテルをはじめとする高級ホテルが目の前にあり、第一京浜をたくさんのバスやタクシーが行き来しています。

高速バスや多数の車が行き交う高輪口の第一京浜(写真撮影/唐松奈津子)

高速バスや多数の車が行き交う高輪口の第一京浜(写真撮影/唐松奈津子)

一方、港南口を出ると高層ビルが立ち並ぶ様子に圧倒されます。高層ビルの奥には大きなタワーマンション群がそびえていることにも気がつくでしょう。多くの人はこの2つの出口の風景が「品川」という街の印象になっていると思われますが、筆者にとって身近なのは、品川駅から南に向かって伸びる旧東海道の商店街と品川神社をはじめとする寺社、閑静な住宅地が広がる御殿山・高輪の風景です。商店街には安くておいしい八百屋や魚屋、スーパーなどが並び、至るところにある多くの寺社の緑が目に優しく、実は暮らしやすいところも生活者として気に入っています。

南側の旧東海道には古くからの商店街(写真撮影/唐松奈津子)

南側の旧東海道には古くからの商店街(写真撮影/唐松奈津子)

品川周辺の約10年を振り返ってみた!

筆者が品川に住み始めたのは10年前からですが、調べてみると品川が大きく変わってきたのはここ20年くらいの話のようです。

まず、品川のオフィスエリアの顔としておなじみ、港南口を象徴する「品川インターシティ」が1998年に完成します。2003年には東海道新幹線の駅として開業し、2008年にはすべての東海道新幹線が停車するようになりました。それに合わせて2004年にタワーマンションの先駆け的存在である「品川Vタワー」を含む「品川グランドコモンズ」がオープン、港南エリアのランドマーク的存在の「ワールドシティタワーズ」をはじめとしてタワーマンションが次々と建てられました。住む人が増えたおかげで、以前は工業地帯で殺伐とした印象だった海側もヨットが停泊するような、おしゃれなベーカリーカフェなど店舗も増えました。今は港南口を出ると、インターシティの脇から奥にタワーマンションを望むことができます。

大規模なビルが立ち並ぶ港南口。奥には大規模タワーマンション群が見える(写真撮影/唐松奈津子)

大規模なビルが立ち並ぶ港南口。奥には大規模タワーマンション群が見える(写真撮影/唐松奈津子)

当時、SUUMOの前身である『住宅情報』の営業をしていた筆者は、顧客である大手不動産会社の人々が品川のマンションを買う話で持ちきりだったことを思い出します。何人かの知り合いが高倍率の抽選をくぐり抜けてマンションを購入しましたが、いずれも購入時よりも高い価格で売却できたようです(笑)。

さらに2004年に「アトレ品川」、2005年には高輪口に「エプソン 品川アクアスタジアム(現マクセル アクアパーク品川)」、2010年には駅構内に「エキュート品川サウス」、2011年には高輪口に「シナガワグース」が開業、2013年には「ウィング高輪WEST」、2015年には「ウィング高輪EAST」がリニューアルオープンするなど、周辺の商業施設の怒涛のオープンが続き、買い物やショッピングを楽しむ場所としても進化を遂げました。

2010年にオープンして以来、多数の人が行き交う品川駅構内の「エキュート品川サウス」前(写真撮影/唐松奈津子)

2010年にオープンして以来、多数の人が行き交う品川駅構内の「エキュート品川サウス」前(写真撮影/唐松奈津子)

新駅のお隣「田町」駅も振り返ってみた!

田町駅も筆者にとっては割となじみ深い場所です。2005年~2006年ごろに勤めていた編集プロダクションが田町駅にあり、毎日通勤していました。今は「msb Tamachi(ムスブ田町)」ができてきれいになった東口の駅前も、以前は焼き鳥を炭火で焼く匂いが漂う小さな飲み屋が軒を連ね、夕方その目の前を通るたびにお腹がすいたものです(笑)。2008年ころまで大手広告代理店の本社が「グランパークタワー」の中にあり、広告の仕事があるときにはよくその中の書店に広告関係の書籍が充実していたので情報収集をしていました。

田町の発展は東口側の「芝浦」エリアの大規模マンション開発にリードされたところが大きいでしょう。2008年には当時、賃貸マンションとしては最大級を誇る総戸数964戸の「芝浦アイランド ブルームタワー」が竣工、2016年には超高層ビル「グローバルフロントタワー」が竣工しました。さらに2018年には 三井不動産、三菱地所、東京ガスの共同プロジェクトのムスブ田町商業ゾーンがオープンし、駅からの風景も一変しました。

2017年ごろの田町駅東口を出たところ。左手にムスブ田町ステーションタワーSが建設中、奥に芝浦アイランドが見える(写真/PIXTA)

2017年ごろの田町駅東口を出たところ。左手にムスブ田町ステーションタワーSが建設中、奥に芝浦アイランドが見える(写真/PIXTA)

東口には工業系の学校も多く、2009年には芝浦工業大学が新しいキャンパスに建て替えています。田町駅のホームからも見える東京工業大学附属科学技術高校の歴史は古く、大正時代から田町に校舎があったようですが、これからまた大規模な開発が行われる予定です。

新駅開業でこれからどうなっていく?

それでは、今回の開業でこのエリアはこれからどうなって行くのでしょう?

そもそも品川駅・田町駅周辺の開発は、品川区が2013年に出した「品川駅南地域まちづくりビジョン」、東京都が2014年に公表した「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン2014」に基づいて進められてきました。ここでは「これからの日本の成長を牽引する国際交流拠点・品川」を目指して、行政と民間企業が連携してビジネス、文化交流、環境都市として発展させていくという将来像を描いています。

さらに2017年にはJR東日本が「品川駅北周辺地区まちづくりガイドライン」を発表し、「エキマチ一体のまちづくり」を掲げて開発を進めてきました。そこには駅と街をつなぐ広場の設置や歩いて楽しい歩行者ネットワークの構築、安全で環境に優しい道路ネットワークの構築などの計画も盛り込まれています。

JR東日本が描く「エキマチ一体のまちづくり」のイメージ

JR東日本が描く「エキマチ一体のまちづくり」のイメージ

一方、田町駅においては東口駅前にある東京工業大学・田町キャンパスの敷地に2029年ごろまでをめどに大型の複合施設が開発される予定です。地上32階、3棟で延べ床面積180,000平方メートルにもなる施設は、田町駅前のランドスケープをまた新たにしていくことでしょう。また道路を挟んだ北東側には、この春、ムスブ田町の最後の1棟が完成予定です。

品川・田町エリアの住宅相場は?

それではこのエリアの住宅相場を見てみましょう。
中古マンション価格の直近5年間の推移について、シングル向け(専有面積20平米以上50平米未満)とカップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上80平米未満)に分けて、グラフ化しました。

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2016年~2020年の品川駅、田町駅の中古マンション価格推移(条件は記事末に記載・SUUMOジャーナル調べ)

2016年~2020年の品川駅、田町駅の中古マンション価格推移(条件は記事末に記載・SUUMOジャーナル調べ)

2004年~2008年ごろの大規模タワマン開発が概ね落ち着いてから10年以上が経ち、街が成熟化しつつある品川の中古マンション相場は安定化傾向にあるようです。

一方、これからも「ブランズタワー芝浦」や「ザ・パークハウス三田タワー」などの新たな大規模マンションの開発が予定されている田町の相場上昇との差を見ることができます。
この傾向について野村の仲介+(PLUS)三田センター長の大澤将広(おおさわ・まさひろ)さんは、次のように語ってくれました。

「田町の価格上昇は、近年の断続的な開発でムスブ田町をはじめとする大規模オフィスビルや新築マンションが増えたことにより、エリア全体の価値そのものが上がった結果と言って良いでしょう。エリア価値向上によって中古マンションにもその効果が波及し、価格が上昇し続けています」(大澤さん)

必見はカップル・ファミリー向け中古マンションの相場が2016年には品川と田町で逆転して田町の相場が上がっていることです。2016年は田町の「グローバルフロントタワー」が竣工した年。大澤さんのコメントのように、新築マンションの開発計画にともない、田町という街への注目度が上がったものと考えて良さそうです。

品川・田町エリアの現在、過去、そしてこれからの姿、いかがでしたか?
3月14日の新駅開業に向けて着々と準備が進みつつある高輪ゲートウェイ駅。実は今回は暫定開業という位置づけで、周辺の再開発などを行った後2024年に本格開業をする予定です。

田町駅前の再開発、そして品川駅も2027年にリニア中央新幹線の始発駅として開業予定で、これからもこのエリアから目が離せません!

ここ10年でかなりの変貌を遂げたエリアだけに、これからも進められていく予定のまちづくり計画による進化が楽しみです!

●取材協力
野村の仲介+(PLUS)三田センター●品川駅、田町駅の中古マンション価格推移 調査概要
【調査対象駅】品川駅、田町駅
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、築年数39年以内(新耐震基準建物に限定)
シングル:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2015年~2020年の各 1~3月
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出

15歳で広島県・大崎上島の高校へ。「帰りたかったことも…でも頑張ったから今の自分になれた」

都道府県の枠を超えて地域の高校に入学する「地域みらい留学」という制度。今回は、瀬戸内海の島にある広島県立大崎海星高校の県外留学生1期生となり、今年3月に卒業したばかりの榮ことねさんにインタビュー。「いいことばかりじゃないけれど、この高校に入って本当に良かった! 」と振り返る彼女に入学した理由、学校生活や寮生活など、リアルな話をあれこれ聞いてみた。
中学の修学旅行で訪れた島に感動。親に反対されても「行きたい!」榮ことねさん(画像提供/伊達綾子さん)

榮ことねさん(画像提供/伊達綾子さん)

ことねさんと広島の大崎上島(おおさきかみじま)の出合いは、中学3年生のときに修学旅行で訪れた民泊。広い海と空に囲まれた島の風景と優しい島の人たちに心奪われたのだ。「地元は大阪。車が走る音が聞こえる環境で育ったので、島では鳥や虫の鳴き声があちこちでして、感動したんです。とにかく新鮮でした」(ことねさん)

そして、この大崎上島では、県外から高校へ入学できる制度があることを知る。「だから、思い切って、親に”大崎上島に行きたい”とお願いしたんです。でも、最初は却下。そのあとは、地元の大阪の高校に進学するつもりで学校見学をしていましたがどこもピンとこなくて……。どうしてもあきらめきれず、親と一緒に11月に個人的に学校見学をさせてもらったところ、”そんなに行きたいなら”とOKしてくれました」

中学時代に修学旅行で訪れた民泊にて。高校ではオーナーご夫妻が島親に(画像提供/榮ことねさん)

中学時代に修学旅行で訪れた民泊にて。高校ではオーナーご夫妻が島親に(画像提供/榮ことねさん)

島の伝統的な行事を学校の学習に取り組む独特な取り組みも、ことねさんが惹かれた要因のひとつ。なかでも、原爆ドーム、宮島の厳島神社へ大崎海星高校生たちが自分で船を漕いでいく「旅する櫂伝馬(かいでんま)」が目玉行事(画像提供/伊達綾子さん)

島の伝統的な行事を学校の学習に取り組む独特な取り組みも、ことねさんが惹かれた要因のひとつ。なかでも、原爆ドーム、宮島の厳島神社へ大崎海星高校生たちが自分で船を漕いでいく「旅する櫂伝馬(かいでんま)」が目玉行事(画像提供/伊達綾子さん)

寮生活は大変。人見知りも発動。慣れるまでには時間が必要

そして晴れて入学。しかし、親元を離れての寮生活は不慣れなことも多かった。掃除、洗濯、整理整頓、これまで親任せだったことも、すべて自分たちがやらなければいけない。食事や風呂の時間、門限など、集団生活ゆえのルールも多い。
「一番は、時間に縛られることがしんどかったですね。食事も食べたいときに食べるわけじゃない。1人部屋だったので、ある程度プライバシーは守られますが、やっぱり家族と過ごすのとはまったく違います。入学前はワクワクしていて、不安なんてなかったのに、5月にはホームシックになってしまいました」(ことねさん)

また、人見知りで自分から話しかけるのが苦手だったことねさんにとって、生まれたときからずっと一緒という島の子たちの輪に入るのは、なかなかハードルの高いことだった。
「そこはもう、腹をくくるしかないって。席の近かった子に勇気を振り絞って話しかけたりしました。でも島の子たちは島の子たちで大阪出身の私が珍しかったみたいです。寮生とはずっと一緒なので、自然と共通の話題も増えてきました」

集団生活の息苦しさも、友達づくりの難しさも、特別な出来事があったわけではなく、「自然と」「慣れた」ということねさん。
「中学生の時は親に朝起こしてもらっていたけど、ここでは時間を管理するのも自分でやらなければならないんですよね。朝5時に起きて朝ごはんの前に勉強の時間をつくったり。自分で考えて生活スタイルを考えるようになりました」

1学年10人、全部で30人ほどの寮(画像提供/伊達綾子さん)

1学年10人、全部で30人ほどの寮(画像提供/伊達綾子さん)

寮生の誕生日会はみんなが顔を合わせる機会(画像提供/伊達綾子さん)

寮生の誕生日会はみんなが顔を合わせる機会(画像提供/伊達綾子さん)

「学校PR動画をつくりたい!」同級生や大人を巻き込んで完成へ

そしてことねさんが学生時代に取り組んだのが「みりょくゆうびん局」での活動だ。これは、もともと大人たちが地域活性化の一つとして行っている「高校魅力化プロジェクト」に、当事者の高校生も参加してみませんか? という試み。「せっかく地元を離れてきているんだし、やってみようかな」と考えたのだが、もともと引っ込み思案だった彼女にとっては大きな挑戦だった。

(画像提供/伊達綾子さん)

(画像提供/伊達綾子さん)

当初はPR担当として、顧問の先生たちがアレンジした活動に参加することが多かったが、そのうち、自分でも“なにかやってみたい”と思うように。それがPR動画だ。
「島根の津和野高校で高校生が自らつくったPR動画を見て、”こんなのをつくってみたい”と思うようになりました」

制作期間は2年生の冬~3年生の夏。一緒に考えてくれるメンバーを募集したり、顧問の先生を通して”瀬戸内ドローン推進協議会”に全面的な協力を得ることができた。完成したのが以下の動画。始業式で流したところ、大反響だったそう。

学校紹介ムービーをYouTubeで公開。煌めく青春と島の美しさは必見! 「塾の先生が自腹でGoProを買ってくれて、それで撮影したり、大人たちもたくさん巻き込みました」(ことねさん)

ただ、道のりは平たんではなかったそう。ことねさんは、自称”リーダーには向かない性格”。会議を進行させたり、意見をまとめたりするのは大の苦手で、他人にお願いするくらいなら、自分で無理をして背負い込んでしまう方だった。
「でも、1人でできることには限界があると痛感。考えも煮詰まってしまう。みんなで案を出し合ったり、方向性を整理することを学びました。なにかお願いするときも、声かけひとつで相手の気持ちが違ってくるんですよね」

人数が多いとできることも増えるが、意見をまとめるのもひと苦労。ディレクターとして自分の想いを伝える難しさも実感した。「でもいずれ社会になったら必要になることばかり。いい経験をさせてもらいました」(ことねさん)(画像提供/榮ことねさん)

人数が多いとできることも増えるが、意見をまとめるのもひと苦労。ディレクターとして自分の想いを伝える難しさも実感した。「でもいずれ社会になったら必要になることばかり。いい経験をさせてもらいました」(ことねさん)(画像提供/榮ことねさん)

(画像提供/伊達綾子さん)

(画像提供/伊達綾子さん)

(画像提供/榮ことねさん)

(画像提供/榮ことねさん)

本音をいうと、学校を辞めようと思ったこともあった

豊かな自然に囲まれた中で、高校生活を満喫したことねさん。しかし、実は「もうだめだ。大阪に戻ろう」と思ったこともあったそう。自分で望んだとはいえ、15歳で親元を離れ、新たな人間関係の輪に入ろうとすることは想定以上のストレスだったのだ。ささいなことでも気になったり、常に緊張を強いられる生活に限界を感じた。
「私はその日にあったことを全部家族に話すのが習慣だったので、やっぱりさみしかった。私にとっての家族は“絶対的な味方”。そんな味方でいる人たちのもとに帰りたいと何度も思いました」

(画像提供/榮ことねさん)

(画像提供/榮ことねさん)

しかし、大好きな家族が送り出そうとしてくれたのだからこそ、「ここが頑張りどころだ」と踏ん張ったのだ。

そんなときに頼りになったのは「ハウスマスター」という、寮で高校生と一緒に生活をしながら、相談に乗ってくれるお兄さん、お姉さん的な大人の存在。大島海星高校のハウスマスターである伊達綾子さんにもお話を伺った。
「集団生活は楽しいことばかりじゃないし、生活習慣も価値観も全く違う子どもたちが一緒に生活するわけですから、当然、あつれきも生まれます。そんなときに、それぞれ話を聞いたり、寮生同士ができるだけ誤解なく関わり合えるようにサポートするのが、私たちの役目。ことねさんも最初のころはネガティブに考え込むことが多かったですが、”島でも、あなたにとって大事な人からは、家族と同じくらい大事に思ってもらえているよ”とということが伝わるように、見守りました」(伊達さん)

大事な人から大事にされているーーーその筆頭格は”島親さん”だ。海星高校では、寮生1人につき「島親さん」がつく。中学時代、民泊させてもらったご夫婦が、ことねさんの島親だ。「今ではもうひとつの実家のよう。”いつでも帰っておいで”とおしゃってくださるので、卒業しても年に1回帰ろうと決めています」(ことねさん)

ハウスマスターは、寮生のサポートとともに、地域との繋がりをつくるコーディネーターとしてイベントも企画(画像提供/伊達綾子さん)

ハウスマスターは、寮生のサポートとともに、地域との繋がりをつくるコーディネーターとしてイベントも企画(画像提供/伊達綾子さん)

島親さんとことねさん(画像提供/榮ことねさん)

島親さんとことねさん(画像提供/榮ことねさん)

そして、ことねさんの頼れる味方は、公営塾「神峰学舎」の先生たち。大崎海星高校たちのための塾で、なんと無料。放課後もしくは部活動が終わった後など、各自好きな時間に訪れ、夜の20時まで宿題や受験勉強のサポートをしてくれる。人数が少ない分、距離感が近い。情報が少なく、ともすれば勉強のモチベーションを保つのは難しい島生活だからこそ、生徒一人一人の意思を尊重して、進学・キャリアの相談をしてくれる神峰学舎の先生たちは、島の高校生たちの力強いサポーターだ。「塾通いは1年のときから、私のほぼルーティン。3年になってからは毎日、放課後から20時まで通っていました。先生たちの助けがなかったら、受験を乗り切れなかったと思います」(ことねさん)

3年間で180度変わった自分。未来へ大きく前進

今年の3月に大島海星高校を卒業し、春からは関西学院大学に入学が決まっていることねさん。この3年間で自分はどんなふうに変わったと感じているのだろうか?
「中学校までは本当に自分に自信がなくて、“私なんか”が口ぐせ。でも、高校3年間で、自分って意外とできることあるんじゃないって思えるようになりました。昔ならきっと目指さない大学を挑戦しようと思ったこともそのひとつ。正直、受験は大変でした。一般受験する子が周囲には少なくて、前なら”もう無理だ”って諦めちゃったと思いますが、今回、勉強を頑張ったことも自信につながりました」(ことねさん)

また、人前に立つこと、目立つことが“超苦手”で、中学のころは後ろに隠れてばかりだったというが、今ではプレゼンも得意に。
「島では生徒数が少ないので、後ろに隠れられない(笑)。人前に立つ機会が自然と多くなるので、鍛えられました。こうした取材を受ける機会も多いです」(ことねさん)
ハウスマスターの伊達さんも「今まで3年間頑張ってくらいついてきたことが、彼女の力になって、全部結果として返ってきたと思います」と証言。

何より、その変化を一番実感しているのは親御さんだ。
「母に”私って変わった?”と聞いたら、”すっごく変わったよ”と即答されました。“昔は、学校では大人しくて言いたいことを言えないから、けっこう家でストレスを発散してたけど、それがなくなったね”って言われたんです。寮生活のなかで、自分の感情を上手くコントロールできるようになったのかなと思いました」(ことねさん)

今では初対面の人に話しかけたり、人前で話すことも平気に。もしかしたら、潜在的な能力が花開いたのかも(画像提供/伊達綾子さん)

今では初対面の人に話しかけたり、人前で話すことも平気に。もしかしたら、潜在的な能力が花開いたのかも(画像提供/伊達綾子さん)

これからは実家のある大阪での大学生活が始まるが、広島での高校3年間が今の自分を大きく変えたという、ことねさん。
「あのとき、親にも反対されたのに、どうしても行きたくて、地域みらい留学のパンフレットの言葉を暗記するほど読み込んだんです。いつも消極的な私からすれば、考えられないほど前のめりだった。どうしてだろう。ここだって直感的に思ったんです。あのとき、決断してよかったと本当に思います」(ことねさん)

楽しかった。でも楽しいばかりじゃなかった。そしてすごく頑張った。
そんなことねさんが、どんな未来を描くのか、これからの挑戦が楽しみだ。

(画像提供/榮ことねさん)

(画像提供/榮ことねさん)

(画像提供/榮ことねさん)

(画像提供/榮ことねさん)

●取材協力
地域みらい留学

老朽化進む「団地」に新しい価値を。注目集める神奈川県住宅供給公社の取り組み

建設から40年50年が経過し、建物の老朽化、住民の高齢化などの課題が山積している「団地」。建物・土地をどう利活用していくのか、維持管理マネジメントが問われています。神奈川県内に約1万3500戸の団地を持つ「神奈川県住宅供給公社」は、いち早くマネジメントの見直しに取り組み、評価されているといいます。今回は、そのマネジメントと団地の持つ可能性をご紹介します。

課題が山積みの神奈川県住宅供給公社の団地、解決の仕方が評価

「建物の所有者が、建物と周辺環境を総合的に管理し、より効率的・戦略的に経営していく」ことを指すアメリカ発の概念「ファシリティマネジメント」という言葉があります。単なるビルの維持管理ではなく、不動産をどう経営に活かしていくかという、「経営戦略」です。2020年、公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会が主催する「第14回日本ファシリティマネジメント大賞(JFMA賞)」にて、あまたの企業・プロジェクトの取り組みの中から、神奈川県住宅供給公社が「最優秀ファシリティマネジメント賞(鵜澤賞)」を受賞しました。

神奈川県住宅供給公社は現在、神奈川県内に112団地、371棟、約1万3500戸の賃貸住宅の維持管理を行っており、その多くはいわゆる「団地」です。特に築40年以上経過した建物は323棟と全体の約87%にものぼり、建物と設備の老朽化が課題となっていました。

90haにもおよぶ広大な敷地の自然に囲まれた若葉台団地(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

90haにもおよぶ広大な敷地の自然に囲まれた若葉台団地(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

今回ファシリティ・マネジメント(以下「FM」)の視点において、財務・品質・供給の3視点がバランスよく、長期を見据え戦略的な展開をしていることが評価されて大賞受賞となったわけですが、そもそものきっかけとなったのは、2015年、とある団地で起きた「ボヤ騒ぎ」だったそう。大事には至らなかったものの、土曜日の夜だったこともあり、その部屋の住人の世帯情報(性別や年齢、人数など)にたどり着くのに数時間もかかったことをきっかけに、「統合的なデータベース」を導入することとなった。縦割り組織の弊害で、団地の情報(修繕履歴や空室率、入居者情報)も部門ごとにバラバラで作成したり、紙ベースで保管したりしており、持っている情報を活かすことができなかったのです。

そこで住戸単位であらゆる情報を管理するデータベースを導入、「団地の基礎情報」「棟ごとの資産情報」「修繕状況」「財務状況」「入居契約」「募集情報」など、各部署に必要な情報がすぐに分かるようになりました。また、それまで外注していた、入居希望者向けのコールセンター業務を内製化し、「顧客ニーズの把握」や「情報のフィードバック」など、情報を活用していくことができるようになりました。

各団地の課題が明確になり再生計画がスタート。経営状態も改善

こうした公社内での改革・改善が進むと、団地ごとの「入居状況」「強み」「課題」が明確になるとともに、「課題解決」のための取り組みやその反響も徐々に分かってきました。それにより、新しい施策→実行→反響→次回以降の改善、というプラスのサイクルがうまれるようになったのです。

「データベースの導入により各団地の特色や取り組むべき事柄が明確になり、効果的な施策につながったとみています」と振り返るのは神奈川県住宅供給公社の総務部課長の鈴木伸一朗さん。

FMという概念やデータベースを活用するのは主に管理する側で、一見すると住民には関係ないように思えますが、入居希望者や入居者の属性、建物などの「修繕履歴」「空き家率」等、情報が一元化してあることで「団地の課題」が把握でき、必要な施策や改善措置が行われるようになるため、住む側にとってもプラスの効果が出てきます。

これらの取り組みから分かるのは、古い団地の維持管理を単なる管理業務としてこなすのではなく、適切に修繕管理するとともに、より良い方向で活用すれば優良な「資産」となりうるということです。

3年で150組の入居も。団地再生の取り組みははじまったばかり

公社が行っている団地再生の取り組みはどれもユニークなものばかりですが、特にFM大賞で評価されているのは、持続可能な社会への取り組みや地域社会に貢献している点です。

例えば、「アンレーベ横浜星川」(横浜市保土ケ谷区:1954年着工)では、耐震性能には問題はなく、適切な投資(断熱や給排水設備の改修、室内のリノベーション)をすることで、十分に既存建物を活かせると判断。“一棟まるごとリノベーション”を行い、居住性能を向上させました。「持続可能な社会」のために、スクラップ・アンド・ビルドではなく、きちんと修繕して長く使う成功例となることに期待したいところです。

改修前(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

改修前(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

改修後(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

改修後(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

ストックの利用だけではありません。例えば、空室が4割を超えていた「二宮団地」(中郡二宮町:1962年造成着工)では所有するさまざまなデータを総合的に判断して、「残す18棟」と「壊す10棟」とを選別しました。その結果、取り壊しが決まった棟にお住まいの人には、同じ団地内の別の棟に移転してもらったといいます。残すと決めた「二宮団地」の棟では、内装や設備を改善したプランにより、今の暮らしにあわせた住宅としたほか、内装に地域木材を活用したリノベーションプランや一定の要件の中で原状回復不要のセルフリノベーションプランなど、二宮団地独自仕様の住宅も導入しました。
音楽を活用したコミュニティの活性化や団地内の公社所有地を活用した共同菜園、また、公社所有の共同農園の管理や農業体験イベントの開催などに協力することを条件とした「アグリサポーター」制度により就農を応援するなど、さまざまな取り組みに着手。地域住民、町と公社の協同で、団地のPRにとどまらず、二宮町での暮らしの魅力を発信したところ、3年間で約150組の新規入居があったそう。

約70haの二宮団地。新しい里山暮らしを提案(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

約70haの二宮団地。新しい里山暮らしを提案(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

リノベーション後の二宮団地の部屋の一例(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

リノベーション後の二宮団地の部屋の一例(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

二宮団地では「アグリサポーター制度」により就農を応援するなどの取り組みが行われている(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

二宮団地では「アグリサポーター制度」により就農を応援するなどの取り組みが行われている(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

また、「浦賀団地」(横須賀市:1970年着工)では、高齢者が住みにくい4、5階の空室が目立っていることが「データベース」でよりクリアに把握できました。そこで、団地の地域コミュニティの活性化を目的とした「団地活性サポーター制度」を導入。県立保健福祉大学の学生に住んでもらい、大学で学ぶ専門分野を活かし、コミュニティの担い手として活動してもらうことに。ちなみに入居した学生からは「地域コミュニティの経験が少ない環境で育ったからこそ、こうした地域の高齢者とふれあいたい」という声も聞かれるのだとか。

浦賀団地(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

浦賀団地(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

浦賀団地サポーター(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

浦賀団地サポーター(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

「相武台団地」(相模原市南区:1964年着工)の取り組みは2019年、記事でもご紹介しましたが、以前は空き店舗の利活用が課題となっていました。イベントの実施や情報発信などにより商店街と団地ににぎわいを取り戻す意志を持った入店者を募集し、現在は「カフェ」、「児童クラブ」などが入店したり、こども食堂が行われたりと、地域を盛り上げています。昨年は子育て層からシニアまで、幅広い世代が集う場として、多目的・多世代交流拠点「ユソーレ相武台」を開設し、さらににぎわいを取り戻すことに成功しています。

相武台団地(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

相武台団地(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

相武台団地の商店街(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

相武台団地の商店街(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

ユソーレ相武台(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

ユソーレ相武台(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

公社ではそれぞれの団地の状況を把握することで、その団地がもつ強み・特色を把握し、それぞれの団地に適した取り組みを実施するようになりました。それにより団地の埋もれていた魅力を掘り起こしたり、新たな価値を付け加えていくことで、「団地」をただ昔の住宅としか捉えていなかった人たちの関心を呼び起こすとともに、団地へ呼び込むことにより、団地を「持続可能な社会」とすることへと模索が続いています。

団地は大きなシェアハウス。再評価の流れに今後も注目

前出の鈴木さんは団地のよさについて「人との距離が近いことにつきます。オートロックのマンションの距離感、一戸建てとの距離感とは違います。階段室があって、住居がある。顔をつきあわせる存在がいる。団地内に商店街や緑、集会所をはじめとする共用スペースがあり、団地そのものが大きなシェアハウスのようなもの」と話します。

二宮団地の共用スペース「コミュナルダイニング」(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

二宮団地の共用スペース「コミュナルダイニング」(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

確かに! 団地そのもののゆとり、つながりは今でいう「シェアハウス」に近いのかもしれません。
また、神奈川県住宅供給公社の団地では、敷地内の歩車分離や電線地中化がなされていることも多く、まち全体が安全で、空が広く、緑と敷地にゆとりがあります。だからこそ、室内をリノベーションすれば住み継ぐことができるのでしょう。

昭和が残してくれた、暮らしの遺産。「団地」回帰・再評価の動きにこれからも注目していきたいところです。

●取材協力
神奈川県住宅供給公社

東日本大震災の“復興は宮城県最遅”。2年でにぎわい生んだ閖上の軌跡

宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区は、東日本大震災で甚大な被害を受けたなかで、復興のスタートが遅れた地域。けれども、2018年以降、新しい公共施設、公園が完成し、商業施設「かわまちてらす閖上」がオープン。震災前とは違ったにぎわいが生まれている。住民や応援する人たちが、行政や専門家と協働して粘り強く検討し取り組んできた閖上地区のまちづくりについて話を聞いた。
2018年から復興が加速し2019年5月にまちびらき

仙台市の南に隣接する宮城県名取市の閖上地区は名取川市河口にある港町。東日本大震災前は約5700人、2100世帯が暮らしていたが、東日本大震災の大津波で700人以上の尊い命を失った。近くに高台が少なく、沿岸部の平野に住宅が密集していたため、多くの家や建物が流され広範囲で更地となった。ゼロからつくりなおすような、まちづくり。被害が甚大で、内陸・高台への移転か、現地で再建するか住民の意見がまとまらなかったり、区画整理に時間がかかり3、4年が過ぎ、復興のスピードは宮城県で最も遅いと言われた。

2019年に完成した、名取市震災メモリアル公園の祈りの広場の東日本大震災慰霊碑。空に伸びる「芽生えの塔」の高さは、閖上の津波の高さと同じ8.4メートル(「豊穣の大地」の高さを含む)(撮影/佐藤由紀子)

2019年に完成した、名取市震災メモリアル公園の祈りの広場の東日本大震災慰霊碑。空に伸びる「芽生えの塔」の高さは、閖上の津波の高さと同じ8.4メートル(「豊穣の大地」の高さを含む)(撮影/佐藤由紀子)

2020年3月11日に近い週末、閖上地区を訪ねた。

閖上地区は2018年(平成30年)4月、名取市初の小中一貫教育校の閖上小中学校が開校し、12月に災害公営住宅全655戸が完成。2019年(平成31年)春には名取トレイルセンター、閖上公民館・体育館、中央公園、中央緑道が完成。5月には閖上地区のまちびらきが行われた。

まだ更地や工事中の道路などもあるが、見通しが良く、新しい学校、新しい住宅や新しい施設が目につく。

移転・新築した閖上公民館は約150人収容可能。和室研修室、図書コーナー、じゅうたんを敷いたホールなどがあり、閖上体育館を併設している(撮影/佐藤由紀子)

移転・新築した閖上公民館は約150人収容可能。和室研修室、図書コーナー、じゅうたんを敷いたホールなどがあり、閖上体育館を併設している(撮影/佐藤由紀子)

閖上公民館の南に広がる広場が中央公園。隣接する中央緑道は、市街地を東西に走り、水辺へと通じ閖上小中学校への通学路としても利用されている(撮影/佐藤由紀子)

閖上公民館の南に広がる広場が中央公園。隣接する中央緑道は、市街地を東西に走り、水辺へと通じ閖上小中学校への通学路としても利用されている(撮影/佐藤由紀子)

震災前のイメージを一新、水辺と一体となった魅力ある商業施設

特ににぎわっているのが、閖上公民館の北、名取川沿いにある「かわまちてらす閖上」だ。国の「かわまちづくり計画」と連携して名取市が進める「閖上地区まちなか再生計画区域」の「にぎわい拠点(かわまちづくり地区内)」エリアに2019年4月にオープンした共同商業施設だ。

閖上名物の赤貝、国内北限のしらす、サバなど採れたての新鮮な魚介、地元で加工した笹かまぼこ、宮城県産の食材を使ったカレーやスイーツなど、あわせて26店舗が集まる。集いや飲食の場としてフードコートやにぎわい広場があり、屋外に椅子とテーブルが置かれ、外で食事もできる。

南側駐車場からすぐの「かわまちてらす閖上」。昼食どきとあって、店内から人があふれ、順番を待つ人の姿もあった(撮影/佐藤由紀子)

南側駐車場からすぐの「かわまちてらす閖上」。昼食どきとあって、店内から人があふれ、順番を待つ人の姿もあった(撮影/佐藤由紀子)

このように河口の堤防に建物が位置する商業施設は全国でも珍しいそうだ。閖上地区は、江戸時代から名取川や貞山運河を使って仙台城下に物資を運び、舟運事業の町として発展した街で、川沿いに商店があったという。
「名取市のまちづくり計画(閖上地区まちなか再生計画)の中で、ここににぎわいの拠点をつくろうということで、仙台市・名取市を支援していた私たちに声がかかりました」と話すのは、「かわまちてらす閖上」を運営する株式会社かわまちてらす閖上・常務取締役の松野水緒さん。

震災の翌年の2012年10月、「閖上地区まちなか再生計画」が策定され、閖上らしい商業地区整備の方針を検討するために「閖上地区商業エリア復興協議会」が設立された。そこに出店予定事業者等が加わり「にぎわいエリア検討部会」を設立。「閖上地区まちづくり会社設立準備会」を経て、2017年にまちづくり会社「かわまちてらす閖上」が設立された。

「いろいろなプランがありましたが、何度も話し合いを重ねて、河川堤防と一体となった閖上らしい場所に集まって拠点をつくることになりました。会社にしたのは、地域への貢献という任務も含め、行政ではなく完全に民間主体で運営したいと思ったから。自立して運営していかなければ発展はないと思ったからです」と話す。

株式会社かわまちてらす閖上の常務取締役・松野水緒さん。かわまちてらす閖上の「ももや」、ゆり唐揚げ「tobiume」を出店する株式会社飛梅の代表取締役でもある(撮影/佐藤由紀子)

株式会社かわまちてらす閖上の常務取締役・松野水緒さん。かわまちてらす閖上の「ももや」、ゆり唐揚げ「tobiume」を出店する株式会社飛梅の代表取締役でもある(撮影/佐藤由紀子)

株式会社かわまちてらす閖上を構成するのは、三分の一がもとからの閖上の住民で、三分の二は閖上出身以外(宮城県民と震災後福島県から宮城県に移住した方)で、閖上を応援しようという志を共通でもつ。土曜・日曜の天気がいい日は観光客を含め1日約1500人、イベント開催時は1日約5000人が訪れる。子ども連れや愛犬を連れた家族、カップルが多い。「ここに来るのが楽しみ」と、毎日通う地元住民もいて触れ合いの場になっているそう。川辺の憩いのテラスになるように、まちを“照らす”ようにとの思いを込めて名づけた「てらす」が、閖上地区ににぎわいを提供し始めている。

2つで500円(税込)の特別セール品の海鮮丼を購入し、味噌汁などを注文してフードコートで食べた。新鮮で美味しい地元産の魚介、この値段でこの満足感(撮影/佐藤由紀子)

2つで500円(税込)の特別セール品の海鮮丼を購入し、味噌汁などを注文してフードコートで食べた。新鮮で美味しい地元産の魚介、この値段でこの満足感(撮影/佐藤由紀子)

「会社の設立前から4,5年かけて計画を立てました。行政ができることも限られていて、途中で担当の変更もあり、みんなで試行錯誤しながらいろいろな問題を乗り越え、ようやくオープンしましたが、またたくさんの問題が出てきました。それでも、やはり商売人なので、目の前にお客様がいる環境ができたことが大切で、これ以上のものはない」と、松野さん。閖上の味、おしゃれなカフェ、目の前に広がる水辺の景色が自慢だ。

オープンして約1年、どのような変化があったのか。「オープン前は、震災前の閖上のイメージで期待値が低かった部分もありましたが、ふたを開けてみたら次から次とお客さんが訪れてくれる場所になって、最初はびっくりしました。オープンからしばらくは手が回らないほどの忙しさで、たくさんの方が応援、支持してくださっていることを本当にうれしく思います」(松野さん)。

震災から9年が経過し、3月末には「復興達成宣言」が行われ、ハード面の復興事業はひと区切りを迎える予定だ。「自分は支援させていただく側、支援していただく側の両方の立場になりますが、支援していただいて当然と思わないようにしています。今年度いっぱいで行政の支援が切れた後に続けていけるのか。オープンしたときに話題になっても、にぎわいが継続し、自立できなければ意味がない。100万都市の仙台の隣でアクセスもいいので、地の利を活かして自立可能なまちづくりをしていかなければならないと思います」と、松野さんは今後に向けて気を引き締める。

住民の声を本当に活かすための住民主体のまちづくり組織を設立

名取市閖上地区のまちづくりを進める核となったのが、住民主体の「閖上地区まちづくり協議会」だ。震災後は名取市(行政)が「まちづくり推進協議会」を立ち上げ、委員を集めて土地利用や公共施設について協議していた。しかし、行政が選んだ委員だけでは、住民の声が活かせないのではないかという課題感から「まちづくり推進協議会」はいったん解散。2014年5月に住民主体の組織「閖上地区まちづくり協議会」を設立した。

会の規約を決め、「どんな閖上にするか」というまちづくりのテーマを決め、週1回、18時半から2時間以上に渡る会議「世話役会」を開催。閖上で計画されていたハード面、公民館、公園、道路、学校、商業施設の位置などを話し合った。その「世話役会」は180回以上開催され、議事録をホームページで公開。ほとんどの施設ができた現在も、世話役会は月2回行われている。

閖上地区まちづくり協議会の代表世話役の針生勉さん。生まれも育ちも宮城県だが、閖上地区に住むようになったのは社会人になってから(撮影/佐藤由紀子)

閖上地区まちづくり協議会の代表世話役の針生勉さん。生まれも育ちも宮城県だが、閖上地区に住むようになったのは社会人になってから(撮影/佐藤由紀子)

世話役会は、住民だけでなく、行政の担当者、コンサルティング会社、仙台高等専門学校の教授・学生らによる専門家も一堂に会した。「普通は、まず住民だけで話し合い、まとめた内容を行政に提案書として提出して、却下されて意見が通らないという話を聞きます。閖上は他の被災地に比べて復興が遅れたので、遅れを取り戻すために、住民も行政も専門家もみんなで話をして一緒に決めていきました。そこで決まったことを、まちづくり協議会が提案書として行政に出すと、8~9割がスムーズに通り、徐々に遅れを取り戻していくことができました」と、閖上地区まちづくり協議会の代表世話役の針生勉さん。

「住民と自治体と専門家で一緒に協議を行うのは結論が早く、設立後2年後には災害復興住宅第一弾の完成もあって、復興が一気に進みました。行政には、できないことはできないとその場で言ってほしいとお願いしました。できる・できない・分からない、できないなら理由を教えてほしい、分からないなら調べてくださいと要望しました。住民はまちづくりの素人なので、コンサルタント会社、事務局が行政との間に入って話を整理したり、分かりやすく話してくれました」。

また、閖上地区まちづくり協議会は、周りの被災地域のまちづくりを視察し、いいところを採り入れた。また、仮設集会所などに足を運んで話し合う「移動会議キャラバン」や、提案箱やアンケートを行い、情報網を広げて住民の意見や声を吸い上げた。足を使って汗をかくことで世話役が増えたのも収穫だった。

ハード面が整い、これからは自立して住民が参加してつくるまちへ閖上まちびらきは地区内9つの会場で行われ、メイン会場、閖上公民館前広場でのステージ、開会式では希望を込めて青空にバルーンを飛ばした(画像提供/閖上地区まちづくり協議会)

閖上まちびらきは地区内9つの会場で行われ、メイン会場、閖上公民館前広場でのステージ、開会式では希望を込めて青空にバルーンを飛ばした(画像提供/閖上地区まちづくり協議会)

2019年5月の閖上まちびらきは名取市を主体に、約1年前から準備を行った。どんな催し物をしたいか、一般公募したアイディアをメインにイベントを開催し、2万人もの人が訪れた。施設や道路が整い、まちの顔となる商業施設が誕生し、2020年度はスーパーイトーチェーンの開業や、天然温泉浴場を備えたサイクルスポーツセンターの開業などが予定されている。

開校した閖上小中学校には転入する生徒が増え、かさ上げにより再建した市有地や建売住宅を売り出すと、市内外からの応募が殺到し、新しい住民が増え始めている。

「まちびらきは行政、住民、商売する人、商工会議所、自治会、学校など、みんなで考え、みんなで企画して実行しつくり上げました。まちづくり協議会では、閖上を良くしていく“TEAM閖上”をつくりたい、と話をしています。ハード的なものはだんだん整ってきたので、住民のコミュニケーションを深めて、自治活動を充実させていければ。そして、震災のときに支えたもらった方々にありがとう、ここまで来ましたというのを見てもらいたい」と針生さん。まちづくり協議会の取り組みはこれからも続く。

被害が大きく、被災した住民が多かった分、復興の大方針に合意するのに時間がかかった閖上地区は、住民主体の組織を立ち上げ、「住民・行政・専門家」が三位一体で話し合いを進めることで、課題に対し、スピードアップして結論を出していくことができた。かわまちてらす閖上、閖上まちづくり協議会ともに、行政だけに頼らない姿勢も奏功したのだろう。共通していたのは「何もしてくれない」といった他力本願な考えではなく「自ら取り組む」大切さ。未来のため、それは自分のためにも、自ら意識を変えていく必要があると感じた。

●取材協力
かわまちてらす閖上
閖上まちづくり協議会

京都の元遊郭建築をリノベ。泊まって、食べて、働いて、が一つになった宿泊複合施設に行ってみた!

2020年2月。京都に、ひときわ個性的な宿泊複合施設が誕生しました。その名は「UNKNOWN KYOTO」(アンノウン・キョウト)。ここはなんと、「ゲストハウス」「飲食店」「コワーキングスペース」が合体した複合施設。しかもそれら建物はなんと貴重な元「遊郭建築」をリノベーションしたもの。どこか謎めいた雰囲気が漂う宿泊複合施設は、いったいどのようないきさつを経て生まれたのでしょうか。
「お茶屋」と呼ばれた元遊郭建築を、現代風に再生

訪れたのは、河原町五条の南東側。鴨川と高瀬川がせせらぎ、迷路のような細い路地が随所に張り巡らされた、京都のなかでもとりわけ古(いにしえ)のたたずまいが残るエリアです。京阪本線「清水五条」駅や京都市営地下鉄烏丸線「五条」駅から至近で、かつ阪急「河原町」駅や各線「京都」駅など都心部からもぶらぶらと散歩するあいだに着いてしまうほどアクセスがいい場所です。

実はこの河原町五条の南東エリアは、昔は「遊郭街」として知られた区域でもありました。最盛期には150軒ものお茶屋や置屋があったのだそうです。

今回お話を伺った、株式会社「八清」の暮らし企画部プロデューサーで、一級建築士の落海達也さんと、OND代表取締役社長の近藤淳也さん(写真撮影/出合コウ介)

今回お話を伺った、株式会社「八清」の暮らし企画部プロデューサーで、一級建築士の落海達也さんと、OND代表取締役社長の近藤淳也さん(写真撮影/出合コウ介)

落海達也さん(以下、落海)「UNKNOWN KYOTOは、もともとは古いお茶屋さんで、周辺一帯はかつて『五條楽園』という名の旧・遊郭街でした。京都の中心部の街並みが近年、変化する中で、この辺りには遊郭街特有の街並みが残っており、京都の人にさえも知られていないコアな歴史や個性豊かな建築が残るこのロケーションに、大きなポテンシャルを感じたんです」

京都の人にさえも知られていないコアな歴史や個性……施設に冠された「UNKNOWN」(アンノウン/知られざる)は、そういった趣旨が込められているのでしょうか。

落海「ネーミングは、“知られざる京都”という意味もありますが、いわゆる観光地ではなく、あまり知られていないエリアにこそスポットを当てていきたいという想いが込められています。これまでこのエリアに足を踏み入れたことがない人たちが訪れると、きっと新鮮な驚きがあるだろう。そういう想いが反映しています」

元は明治時代に建てられた遊郭だっただけあり、UNKNOWN KYOTOは、とにかく建物の姿かたちがレトロモダンで味わい深い。年季がもたらす情趣とともに色っぽさも感じます。そのまま映画のセットに使えそうな風格があるのです。

外観(写真撮影/出合コウ介)

外観(写真撮影/出合コウ介)

落海「ずいぶんと長い間、空き家でした。当初は和風建築でしたが、どこかのタイミングで今のスタイル、いわゆる“カフェー建築”と呼ばれる独特な建築スタイルになったものと思われます。地面がモザイクタイル張りだったり、古いガラスのブロックや、レンガ造りだったり、お茶屋さんだった時代の名残りが随所に見受けらます」

建物に足を踏み入れると、広い玄関土間が。赤とピンクの小さなタイルが敷き詰められた床は、お茶屋さん当時のもの。五條楽園が華やかかりし時代は、床にタイルを貼ることで清潔感を演出したのだそう。

玄関ホールで使われているタイルは古いものを残すだけではなく、お茶屋建築の美意識を活かすために元々そこにあったかのようなタイルを厳選するというこだわりぶり。床や壁をめくるたびにタイルなどが出てきたりするので図面はあってないようなもの。おかげで相当工事はたいへんだったそう(写真撮影/出合コウ介)

玄関ホールで使われているタイルは古いものを残すだけではなく、お茶屋建築の美意識を活かすために元々そこにあったかのようなタイルを厳選するというこだわりぶり。床や壁をめくるたびにタイルなどが出てきたりするので図面はあってないようなもの。おかげで相当工事はたいへんだったそう(写真撮影/出合コウ介)

南棟の1階には、フルタイム会員のみならずドロップイン利用(¥500/2時間~)、宿泊者利用も可能なコワーキングスペースと、そして奥には2つのシェアオフィスがあります。

コワーキングスペースはくつろげるソファ、テレビモニターがある会議室、シェアキッチンまでもが設けられた充実の設備(写真撮影/出合コウ介)

コワーキングスペースはくつろげるソファ、テレビモニターがある会議室、シェアキッチンまでもが設けられた充実の設備(写真撮影/出合コウ介)

柔らかなオレンジ色の灯りに照らされたコワーキングスペースは場所を固定しないフリーアドレス制。使い方の自由度が高い! しかも椅子はすべて『種類を変えた』という凝りよう。自分の体にフィットする椅子が選べ、京都に長期滞在する際も、ここだけで気分を変えて仕事をすることができます。

キッチンでは調理器具がひと通りそろっており、お湯を沸かしたり、パンを焼いたり、お弁当を温めたり、簡単な料理づくりが可能です。吊り戸棚はなんと、もともとの建物に残っていたものを再利用。

奥には、空から光の入ってくる坪庭があります。ほっとする眺めですね。

いかにも京都らしい、奥行きのある建物の中ほどには坪庭が(写真撮影/出合コウ介)

いかにも京都らしい、奥行きのある建物の中ほどには坪庭が(写真撮影/出合コウ介)

玄関ホールから階段を登ると、「うわぁ」、思わず驚きの声をあげてしまいました。舟底天井の格式高い和室や洋館を思わせるお部屋、ドミトリータイプの大部屋が2つ(うち1つは女性専用の部屋)など、お茶屋さん時代の間取りをそのままに活かした艶っぽい空間となっています。

天窓のある客室(写真撮影/出合コウ介)

天窓のある客室(写真撮影/出合コウ介)

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上/デッキを通って行ける中庭に面した北棟1階の客室 下/中庭を望む2階部分の廊下は青い絨毯が印象的(写真撮影/出合コウ介)

上/デッキを通って行ける中庭に面した北棟1階の客室 下/中庭を望む2階部分の廊下は青い絨毯が印象的(写真撮影/出合コウ介)

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上/共用の水まわりはレトロなタイルが。下/ドミトリータイプの客室はベッド部分にテーブルもあり、一般的なものよりもゆったりとしている(写真撮影/出合コウ介)

上/共用の水まわりはレトロなタイルが。下/ドミトリータイプの客室はベッド部分にテーブルもあり、一般的なものよりもゆったりとしている(写真撮影/出合コウ介)

細かな手仕事が施された建具はできるだけそのまま利用した(写真撮影/出合コウ介)

細かな手仕事が施された建具はできるだけそのまま利用した(写真撮影/出合コウ介)

北棟の1階には3面カウンターの飲食店スペースが設けられ、ランチと夕食をフォロー(今後、朝食もスタート予定とのこと)。お昼はスパイスカレーをメインとした「スパイスオアダイ」、夜は大衆酒場「アンノウン食堂」、昼は定食、夜はイタリアンをメインとした「Sin」と、系統が異なる3店。誰もが気軽に訪れ、美味と会話を楽しめる場となっています。別々のテイストの料理をつくる2人のシェフが、息を合わせて、ガスキッチンなどのスペースをシェアしながら料理を提供しています。

キッチンだけでなくホールスタッフもシェア。注文や会計どちらにもまとめて対応している(写真撮影/出合コウ介)

キッチンだけでなくホールスタッフもシェア。注文や会計どちらにもまとめて対応している(写真撮影/出合コウ介)

このゲストハウスでは特に、飲食ができる点に強くこだわったと言います。

落海「コワーキングスペースやゲストハウスが増えている昨今、わざわざ行きたくなる場所にしないと、これからの時代はやっていけないでしょう。ネットさえつながればどこででも仕事ができますから、そうではなく、わざわざ足を運び一緒にごはんを食べたり、お酒を飲んだりするつながりに価値が生まれてくると思うんです」

一日中過ごすうちに、家族のような感覚に。つながりから化学反応を生む

UNKNOWN KYOTOはこのように、多様な訴求力に満ち満ちています。
そして、こういった宿泊と仕事場を兼ねた場所を「コリビング(Co-Living)」と呼ぶのだそう。

落海「コリビングとは、『さまざまな職業の人が仕事をしながら一緒に暮らせる場所』という意味です。コワーキングスペースとして人々が仕事をしに集まるんだけれども、意気投合したら一緒にごはんを食べたり、仕事で夜が遅くなったら、ちょっとお酒を飲んで、そのまま泊まっていけたりだとか。そんなふうに、『家族とともに過ごしている感覚になれる場所』といった概念です。全国的にも珍しく、まだ普及していない言葉だと思います。かく言う弊社もこのプロジェクトに取り組む最近までコリビングという言葉を知らなかった(苦笑)」

「住むように働く」、つまり「仕事」と「暮らし」と「旅」が重なる場所、それが「コリビング」。泊まって、食べて、働いて、機能が限定されない。まるで、2軒目の家。「滞在」の概念を変えうる新しいスタイルですよね。

落海「飲食施設も単に隣接したスペースというよりは、“拡張されたダイニング”という感覚ですね。つまり、ここにいるとプチシェアハウス体験ができる。このように外へ出ずにひとつ屋根の下で完結する業態が、京都にはこれまでありそうでなかったんです」

取材で訪れたこの日も、仕事のあいまに光の差し込む中庭を眺めてくつろいでいる人や、飲食スペースに移動して会話に花を咲かせる人たちなど、それぞれがリラックスしながら活用できる自由度の高さを感じました。確かにシェアキッチンまであるコワーキングスペースは珍しいですよね。

落海「せっかく人が集まるんだから、それぞれが単に自分の仕事をしているだけではなく、化学反応を起こす場所にしたいんです。出会った人どうしが意気投合すれば、そのままお酒を飲んだり食事をしたりしながら交流を深めてゆけるようにシェアキッチンを設けています。そこで生まれた関係から、さらに仕事へのフィードバックが期待できる場所でありたい。それがコリビングです」

京都・鎌倉、古都が拠点の3社が古民家再生、クラウドファンディング、ITで強みを発揮

新しい滞在のかたち「コリビング」を提唱するUNKNOWN KYOTOは、落海さんがお勤めになる京都の「株式会社 八清」と、同じく京都の「株式会社 OND」、神奈川県の鎌倉に本拠地を構える「株式会社 エンジョイワークス」の3社によるプロジェクトチームが起ちあげた施設です。

「八清」は創業60年を超える不動産会社。おもに木造伝統住宅「京町家」を中心とした仲介や再生・再販事業を行っています。「OND」は不動産サイト「物件ファン」を運営するインターネットサービスの会社。「エンジョイワークス」は湘南・鎌倉エリアを中心に、仲介や建築、リノベーションなどの不動産業のほか、クラウドファンディング、宿泊施設の経営など多方面に展開しています。このように、それぞれ得意ジャンルを持ちながらテリトリーが重ならない3社がタッグを組み、これまで京都になかった刺激的な“共創”的場づくりを見せようとしているのです。

落海「八清には京町家をリノベーションするノウハウがある。エンジョイワークスさんはまちづくりを促進するためのノウハウとプラットフォームを持っている。ONDさんはITに強く、「物件ファン」という面白いメディアを持っている。『この3社が組んだら面白いことができるんじゃないか』と直感し、自然な流れで手を組むことになりました。アプローチが異なる3社がそろったことで、互いに刺激になることばかりで、これからのまちづくりや不動産業について、本当に勉強になりました」

3社がコラボするきっかけとなったのが、魅力的な、このお茶屋物件。長く空き家だった建物がいだく未知なる可能性が、3社を魅了したのです。

落海「大型のお茶屋建築で、しかも2棟が並んでいるのは非常に珍しい。ここで、なにか面白いことができないかとエンジョイワークスさんからご提案をいただいたんです」

京都から遠く離れた鎌倉に本社を置くエンジョイワークスだからこそ、この建物の底知れない魅力を客観的に評価できたのかもしれません。そこから、「食事ができて働ける宿泊施設」へのチャレンジがスタートしたのです。

投資対象は、お金のリターン以上に、プロジェクトへの「共感」や参加意識

UNKNOWN KYOTOには、もうひとつの大きな特徴があります。それは「投資家特典」。ここには自由な発想がふんだんに盛り込まれていました。「投資家」と聞くと、「自分とは住む世界が違うハイソサエティ」と感じる人が少なくないでしょう。しかしUNKNOWN KYOTOがいう投資家は、1口5万円からの参加が可能な、一般の人が広く関われるタイプ。その参加目的も、もっと柔らかいイメージなのです。

落海「投資家=“場をつくる仲間”という考え方で、投資型クラウドファンディング『京都・五條楽園エリア再生ファンド』を立ち上げました。投資家というよりは“事業サポーター”の方が、印象が近いかな。エンジョイワークスさんが運営する不動産クラウドファンディングのプラットフォーム『ハロー!RENOVATION』で、小口の投資家であっても積極的に参加できるように、オープン前からワークショップやイベントを催してきました。そうして、プロジェクトの進化を一緒に楽しみたいという方々が増え、関係も深くなっていったんです」

投資家さんとのコミュニケーションを重視し、ともに五條楽園を活性化させていきたい。レボリューションを起こしたい。そんな落海さんたちの想いが京都はもとより全国へと伝わり、なんと新潟県からの参加もあったのだそう。

落海「事業の改善や、さらなるプロジェクト展開について投資家の皆さんと一緒に考えていくイベントをオープン前に13回、開きました。第一回目にはなんと、『女将さんを募集する』というイベントをやったんです。『宿泊施設をやるのならば女将さんが必要だよね、どうしよう』って。そうしたら菊池さんという女性がイベントに来てくださって、イベントのあと、そのまま女将として合流していただきました」

女将さんを募集したイベントの様子(写真提供/エンジョイワークス)

女将さんを募集したイベントの様子(写真提供/エンジョイワークス)

イベントに参加した菊池さんは元・家具職人。デンマークを代表する家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーの椅子製作を行うPP MØbler(ピーピーモブラー)でものづくりをしていた凄腕です。「かっこいい建物を家具でさらにかっこよくし、心地よいスペースをつくりたい!」といった熱い想いを胸に、インテリアのコーディネートも担いました。

なお、いっそう独特なのが、「投資家特典の決め方」です。

落海「『投資家特典をみんなで考えよう』というワークショップをやったんです。そのなかで生まれたのが“ビアジョッキ”でした。自分にしか使えないビアジョッキがあったら、『今夜もあの店へ行って、ジョッキで飲んでみようか』という気分になるんじゃないかなって。さらに、会員IDをレジに伝えてからビールを注文すると、会員限定のSNSに『だれだれが、今乾杯しました』と自動的に投稿されます。それを見たほかのメンバーが、『あ、あの人が店にいるのなら、行ってみようかな』と思う。そうやって新たな交流が生まれてくるんです」

特製会員ジョッキは、オリジナルデザインの特注品で、通常のジョッキよりもサイズがひとまわり大きい、つまり同じ値段で大容量(写真撮影/出合コウ介)

特製会員ジョッキは、オリジナルデザインの特注品で、通常のジョッキよりもサイズがひとまわり大きい、つまり同じ値段で大容量(写真撮影/出合コウ介)

レジとSNSが連動する画期的なシステム。ITに強いONDが参加しているから具現化できた工夫です。ここで重要視されるべきは、「投資のリターンが金銭だけではない」点。人と人とが出会い、ネットワークが築かれることこそが、尊いリターンであるとプロジェクトに関わった3社と投資家の皆さんたちは考えたのです。

落海「イベントを通して、自分たちがやろうとしているビジョンを伝える。共感してくれた人が女将さんへの立候補だったり、ビアジョッキだったりと『何らかのかたちで関わりたい』と考える。そうやって皆さんのご意見を実現させたことで、投資家さんたちが、とても喜んでくださったし、信用していただけた。施設を利用するだけではなく、運営に参加してもらう行為そのものを投資だという僕たちの想いが届いたんです」

ゲストハウス・飲食店からもれるあかりを軸に、周辺にも広がる五条の再生

実はこの飲食店、ゲストハウスのある建物のほかに、10mほど南に歩いたところにもう一つ、シェアオフィスがあるんです。ここも、元お茶屋さんだった遊郭建築で、『UNKNOWN KYOTO 本池中』といいます。『本池中』は元のお茶屋さんの屋号で、そのまま譲り受けたそう。

落海「この建物との出会いは偶然だったんです。はじめ、UNKNOWN KYOTOには駐輪場がなく困っていたところ、『三軒隣の旧お茶屋の女将さんが、ガレージ一台分を使っていない』という情報を耳にしまして。それで交渉をしに行って、10台分くらいは停められるスペースを貸してくださることになったんです。そして、建物が面白そうだったので2階を見せていただいたら、びっくりしましてね……」

落海さんが、そこで見た光景とは?

落海「お茶屋さん時代の艶めかしい風情を漂わせたしつらえのまま、5部屋をきれいに残しておられて。これはお借りしたいと。ところが1階に住んでいるので、宿やシェアハウスとして使われると困るとおっしゃる。『でしたら、シェアオフィスとしてなら、いかがですか』と提案したら、それだったらいいと」

現在は複数の会社がここをオフィスとして利用。打ち合わせ等に使っている(写真撮影/出合コウ介)

現在は複数の会社がここをオフィスとして利用。打ち合わせ等に使っている(写真撮影/出合コウ介)

五條楽園オリジナルと呼んで大げさではないお茶屋建築は、この偶然の訪問により、再び光が射しました。

落海「このシェアオフィスでも、本館のサービスが受けられる点が大きいと思います。ここで仕事をして、本館を食堂として使うこともできるし、泊まることもできる。離れた建物を、一つの空間として使えるこの付加価値は、ほかの施設にはなかなかないですよ」

別棟にもシェアオフィスを開くなど、なんだか旧遊郭街にタネを撒き、新たな文化の花を開かせようとしているように感じます。

落海「そうなんです。そもそも投資型クラウドファンディングは、UNKNOWN KYOTOを建てるためではなく、五條楽園エリアの活性化が目的の再生ファンドです。僕たちはここだけで終わるのではなく、この建物をきっかけに、エリアに点在しながらパラサイトしてゆくような感じにしたいなあという想いが強くあって。そのためには先ずUNKNOWN KYOTOを成功させることが大事だと考え、注力しています」

飲食店、コワーキングスペース、ゲストハウスというこの複合施設は、24時間人の動きがあり、つねに誰かの気配を感じさせる場です。もれるあかりにひかれ、「あの人、今日はいるかな?」と、ちょっとのぞいていく人の流れも、このエリアに生み出していきたいそうです。
UNKNOWN KYOTOは単なる宿泊施設ではなく、地域とともに再生し進化してゆく発信拠点でありたい。落海さんはそう語ります。遊郭街としての役目を終えた五條楽園ですが、ここに新たな楽園が生誕する。そんなふうに確信した一日でした。

高輪ゲートウェイ駅と周辺を数字で知る。品川からわずか0.9km、乗車数は1日2万人台?

2020年3月14日、コロナウイルスで大揺れの日本で船出を迎えた、高輪ゲートウェイ駅。

名前のことばかりがフォーカスされ、意外と知らないこの駅とその周辺。さまざまな「数字」で見てみると、そこから浮かぶ正体があった。

以前の最新駅は1971年にできた西日暮里駅

高輪ゲートウェイ駅の前に山手線で新しい駅はというと、1971年に新設された西日暮里駅だった。さらにその前の駅となると、1925年に生まれた御徒町駅までさかのぼる。

日本ではじめて誕生した駅は1872年に開設された品川駅なので、日本一古い駅と、日本一新しい駅が目と鼻の先に共存することとなった。

ちなみに京浜東北線の駅としては、さいたま新都心駅以来20年ぶりの新駅となる。

長らく山手線で一番新しい駅だった、西日暮里駅(写真撮影/辰井裕紀)

長らく山手線で一番新しい駅だった、西日暮里駅(写真撮影/辰井裕紀)

品川駅からの距離は、たったの0.9km

隣の品川駅からの距離は、たったの0.9kmほどしか離れておらず、高輪口から歩けば10分かからずに行けるぐらいだ。ちなみに田町駅とは約1.3kmの距離がある。

もともと品川駅~田町駅までは2.2km離れており、山手線では最長区間であった。ちなみに山手線の最短区間は西日暮里駅~日暮里駅間の0.5kmだ。

品川駅高輪口。高輪ゲートウェイ駅へは、ここから歩いてサクッと行ける近さ(写真撮影/辰井裕紀)

品川駅高輪口。高輪ゲートウェイ駅へは、ここから歩いてサクッと行ける近さ(写真撮影/辰井裕紀)

駅の西側は坂だらけ。22度の急坂も!

高輪ゲートウェイ駅の西側は、坂が続いている。思わず息が上がるほどの急坂で、お年寄りならくじけるレベルである。中には「22度」という急坂もあった。

歩を進める希望すら失う、泉岳寺裏の勾配22%の急坂(写真撮影/辰井裕紀)

歩を進める希望すら失う、泉岳寺裏の勾配22%の急坂(写真撮影/辰井裕紀)

高輪ゲートウェイ駅のすぐ近くは海抜3m程度しかないが、坂が急であるため、ほんの少し歩いただけで海抜25mほどの高台まで登ることとなる。自転車を買うのであれば、電動にしよう。

ちょっと歩けば、すぐ海抜3m→25m(写真撮影/辰井裕紀)

ちょっと歩けば、すぐ海抜3m→25m(写真撮影/辰井裕紀)

ちなみに東側に駅の出入口はない。ただし2024年度に新駅東側連絡通路が開通予定のため、その後は東側の利便性もアップしそうだ。

高輪ゲートウェイ駅徒歩圏内の、泉岳寺駅の家賃相場は、現時点で12万円

高輪ゲートウェイ駅周辺の家賃相場データはまだ出ていないが、その近くにある、都営地下鉄と京急が乗り入れる泉岳寺駅の家賃相場は12万円(※)と、なかなかの値段となっている。だがワンルームで築年数の経った物件なら月額賃料6~7万円で徒歩15分以内の所もあるようで、是が非でも駅近くで暮らしたい人は、狙う手もあるかもしれない。


【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2019/12~2020/2
【家賃の算出⽅法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む⽉額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)

230m続く、高さ1.5m制限のトンネルがある

この地域は線路の東西に抜ける道が少ないので、「街が分断されている」と言われてきた。現状で東西を行き来する数少ない道が高輪橋架道橋だ。

タクシーの上につく表示灯を壊す恐れがあるため、タクシー業界では「ちょうちん殺し」と言われる(写真撮影/辰井裕紀)

タクシーの上につく表示灯を壊す恐れがあるため、タクシー業界では「ちょうちん殺し」と言われる(写真撮影/辰井裕紀)

1.5mの高さ制限がかかるほどの恐ろしい低さで、しかも中は暗くずっと続く。頭がぶつからないように、少し低い体勢を取りながら延々と歩いた。さらにトンネル部の長さは約230m。自動車が通ることができ、かつ長さ200mを超えるガード下道路は、日本でもここのみとされている。

ホントに頭をぶつける低さ(写真撮影/辰井裕紀)

ホントに頭をぶつける低さ(写真撮影/辰井裕紀)

なおこちらは2020年4月に自動車が通行止めとなるが、歩行と自転車の押し歩きは可能。別の歩道が2026年に完成し、2031年に自動車が通る道路が完成する。

「高輪ゲートウェイ」の名入り施設、1つしか見つからず

これほど騒がれると、さぞかし現地はフィーバーの最中に違いない……と思う所だが、そもそも商業施設が少ない周辺ではそこまで目立った動きは見られない。ましてや「高輪ゲートウェイ」の名前のついた施設が乱立する様子は見られない。
見つかったのは坂を登ったところにある、「コル 高輪ゲートウェイ ホステル, カフェ&バー」ぐらいだった。

「高輪ゲートウェイ」を付けた数少ない施設「コル 高輪ゲートウェイ ホステル, カフェ&バー」(写真撮影/辰井裕紀)

「高輪ゲートウェイ」を付けた数少ない施設「コル 高輪ゲートウェイ ホステル, カフェ&バー」(写真撮影/辰井裕紀)

ここではTakanawa Gyozaway(1人前5個500円・税抜、2人前から注文可能)なる、無理に語感を合わせた(?)開業記念の餃子を3月限定で出しており、店主の南祐貴氏によると「餃子のてっぺんのヒダの部分で隈研吾氏が折り紙をモチーフにつくった駅舎の屋根を見立てている」とのことで、開始3日間で60人前を売り上げたとか。

ご祝儀代わりに食べたい(画像提供/コル 高輪ゲートウェイ ホステル, カフェ&バー)

餃子のてっぺんが駅舎の屋根?(画像提供/コル 高輪ゲートウェイ ホステル, カフェ&バー)

駅前2つのコンビニがフル回転?

現状で駅前の商業施設はちょっと少ない。牛丼チェーンのなか卯、海鮮丼・寿司の持ち帰りの丼丸があり、立ち食いそば店など大衆的な個人商店、さらには年季の入った中華料理店や居酒屋が点在しているぐらいだ。駅前のローソンとデイリーヤマザキ、この2つのコンビニにかかる期待が否応なしに高まる。

なか卯とデイリーヤマザキ。普段づかいできる貴重な店舗たち(写真撮影/辰井裕紀)

なか卯とデイリーヤマザキ。普段づかいできる貴重な店舗たち(写真撮影/辰井裕紀)

開業しばらくは乗車数2万人台で閑散?

3月14日に鳴り物入りで暫定開業する高輪ゲートウェイ駅だが、当初の想定乗車人数は1日2万人台と、山手線で最小の鶯谷駅と同じくらいになると見られている。

なお現在は品川駅から田町駅までを一体開発する「品川開発プロジェクト」が進行中であり、そのまちびらきとなる2024年には13万人ほどとなり、五反田駅と同程度の乗車人数になるとしている。

グレイス高輪飲食店街も、いま飲食店は2軒のみ(写真撮影/辰井裕紀)

グレイス高輪飲食店街も、いま飲食店は2軒のみ(写真撮影/辰井裕紀)

タワーマンションが建設された場合に価値が上がると思う街、1位!

ちなみに高輪ゲートウェイ駅は、「今後タワーマンションが建設された場合にそのマンションの価値が上がると思う駅(SBIエステートファイナンス株式会社調べ)」で1位に選ばれた。その理由としては新駅で周辺の再開発が進み、飛行機、リニアモーターカーのアクセスが良いことが挙げられている。

ちなみにタワマンではないが、駅前に「高輪ゲートウェイ マンションギャラリー」があり、ここで紹介されている「ザ・パークハウス高輪フォート」(43戸)は、予定最多販売価格が1億8000万円台と高額だが、問い合わせは多く販売も好調だという。

近隣で1万人の帰宅困難者を収容可

前述の品川開発プロジェクトによってできる高輪ゲートウェイ駅前の都市には、災害が発生した際に、約1万人相当の帰宅困難者を収容できる、一時滞在施設がある。

さらに幅員30m以上の国道15号は「放射第19号線」として、特定緊急輸送道路/帰宅支援対象道路となる。

1万3228 種類中の130位(36票)だった

最後に、あの命名時の話に戻ろう。公募により、応募総数6万4052件から選ばれた高輪ゲートウェイ。1万3228種類もの駅名候補から選ばれ、130位(36票)ながらも「新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として」などという理由で大抜擢された。

なお地名由来のシンプルな漢字名の多い山手線に、得票数の少ない唐突なカタカナ名が選ばれたことなどにより賛否両論が噴出し、能町みね子氏が立ち上げた『「高輪ゲートウェイ」という駅名を撤回してください』との運動には、4万7930人の署名が集まった。

ちなみに36人の投票者がいたことに、一部では「ねつ造では」との声もあがっているが、Twitterをのぞいただけでも数人の投票者の報告があり、少なくともこれに投票した人自体は実際に存在する模様である。

昼間に高輪ゲートウェイ駅をのぞむ(写真撮影/辰井裕紀)

昼間に高輪ゲートウェイ駅を望む(写真撮影/辰井裕紀)

さまざまな「数字」で見えてきた、高輪ゲートウェイ駅と周辺。街が生まれ変わる姿を見守りながら暮らすのもまた一興であると、再開発まっただ中の渋谷の外れに住む筆者も、実感を込めて思うのである。

日本の住まいと暮らしをつくった「団地」。 懐かしの団地の歴史と最新事情とは?

「ひばりヶ丘団地」「牟礼団地」などが解体・建て替えられている一方で、2019年12月には旧赤羽台団地の「スターハウス」を含む4棟が国の登録有形文化財に登録されたり、2022年度をめどに「都市と暮らしのミュージアム」が計画されたりなど、何かと話題の「団地」。日本最大の大家ともいわれるUR都市機構では、団地だけでなく、地域を文字通り「再生」「再構築」しようと考えているようです。今回は団地の「これまで」の歩みと「これから」をつくる動きをご紹介します。
田の字形の間取り、バス・トイレ、キッチン。「今の暮らし」の源流がある

現在、日本では10人に1人はマンション住まいと言われていて、コンクリート造の集合住宅は“当たり前”。そんなマンション、日本の住まいに大きな影響を与えたのが「団地」です。

まずはコンクリート造の集合住宅の歴史をかんたんにご紹介しましょう。そもそも、日本初のコンクリート造の集合住宅ができたのは、長崎県の端島(通称:軍艦島)です。関東大震災後、復興を目的に「財団法人同潤会」が設立され、東京や横浜にも耐震耐火の集合住宅が供給されました。

ただ、このころは庶民の住宅というよりも、高嶺の花、別世界の存在でした。ガスや水道、水洗トイレが完備されているため、当然ながら家賃も高め。エリート層が暮らす場所でした。

昭和30年代の赤羽台団地(写真提供/UR都市機構)

昭和30年代の赤羽台団地(写真提供/UR都市機構)

そんなコンクリート造の集合住宅ですが、戦後、昭和30年に日本住宅公団が設立され、都市圏近郊に急ピッチで供給されるように。「食寝分離」「ダイニングテーブルの登場」「内風呂付・水洗トイレ」「ゆとりある敷地」などが、“新しいライフスタイル”“時代の最先端”でもあり、一種の社会現象を巻き起こしました。その後、昭和40年代、50年代まで、毎年、団地は量産されていき、時代にあわせて「より広く」「より便利に」とアップデートされていきますが、今の住まい、特にマンションの間取りをはじめ、骨格はすべてこの「団地」に源流があるといってもいいでしょう。

幼稚園通園風景(写真提供/UR都市機構)

幼稚園通園風景(写真提供/UR都市機構)

かつての団地のリビングルームの様子(写真提供/UR都市機構)

かつての団地のリビングルームの様子(写真提供/UR都市機構)

八王子にある集合住宅歴史館では、歴代の「スター住戸」に出会える

こうしたコンクリート造の集合住宅・団地の歩みをひと目で体感できるのが、東京都八王子市にある「UR都市機構集合住宅歴史館」(※1)です。この施設には、日本の集合住宅の歴史を彩ったさまざまな建物、しかも「本物」がまるごと移築・復元されているので、まるで「物件内見」している気持ちにもなるほど。事前予約をすれば個人でも見学できるので、ぜひ足を運んでほしい施設です。

見学できるのは以下の4物件・6タイプなのですが、もうホント、どれもこれも魅力的。1時間30分の取材予定がなんと3時間、ずっと興奮しっぱなしでした。1つの物件で記事が書けるくらいなのですが、表と写真でダイジェストでお送りします。

日本の集合住宅の歴史がぎゅっとつまった歴史館。どの住戸も熱い思いが詰まっていて、興奮しきりです(資料より筆者作成)

日本の集合住宅の歴史がぎゅっとつまった歴史館。どの住戸も熱い思いが詰まっていて、興奮しきりです(資料より筆者作成)

まずは「同潤会代官山アパート」(竣工1927年・解体1996年)の独身向け住戸から見学していきましょう。部屋には備え付けのベッド付きで随所に収納もあり簡素でありながら、住みやすそう。今の「激狭物件」にも通じるものがあります。トイレと洗面は共同です。今話題の「ソーシャルアパートメント」に近いかもしれません。

同潤会代官山アパートのシングル向け物件。右手にあるのは造り付けのベッド。ガスがあり、お湯が沸かせるようになっている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

同潤会代官山アパートのシングル向け物件。右手にあるのは造り付けのベッド。ガスがあり、お湯が沸かせるようになっている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

次に見学するのは、同潤会代官山アパートのファミリー向けの住戸。3階建ての住戸ですが、和式トイレ、ガスコンロと流し台が設置されています。

同潤会代官山アパートのファミリー向け物件。お部屋は30平米未満ですがこちらもコンパクトで上品なたたずまい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

同潤会代官山アパートのファミリー向け物件。お部屋は30平米未満ですがこちらもコンパクトで上品なたたずまい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

いよいよ、日本住宅公団による「蓮根団地」(竣工1957年・解体1987年)が登場します。ここで今、当たり前になっている「食寝分離」と「ダイニング・キッチン」が導入されます。お茶の間のちゃぶ台で食事をすることが多かった日本人に新しいライフスタイルを提案するためダイニングテーブルは備え付けだったそう! キッチンはまだ人研ぎ流し台。味わいがあります。

蓮根団地のお部屋。2DKの間取りが誕生。冷蔵庫をはじめとする電化製品も含め、「家族で豊かになっていく日々」は夢があったことでしょう(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

蓮根団地のお部屋。2DKの間取りが誕生。冷蔵庫をはじめとする電化製品も含め、「家族で豊かになっていく日々」は夢があったことでしょう(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

次いで見学するのは、テラスハウスタイプ、いわゆる低層集合住宅です。「多摩平団地」(竣工1958年・解体1997年)のテラスハウスは間取りが3DK、広い専用庭があり、キッチン・バス・トイレ付き。このキッチンは、ステンレス製の流し台が採用されています。

テラスハウスは昭和30年代に公団住宅として供給された住宅のうち、約2割がこのタイプだったそう。専用庭があり、のびのびと暮らせそう(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

テラスハウスは昭和30年代に公団住宅として供給された住宅のうち、約2割がこのタイプだったそう。専用庭があり、のびのびと暮らせそう(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

次に登場するのが、建築家・前川國男が手掛けた「晴海高層アパート」(竣工1958年・解体1997年)。団地の建設当時から「中層の住宅」だけでなく、土地の高度利用のため、高層住宅も検討されていたことが分かります。工法は現在のスケルトン・インフィル住宅に通じるものがあり、とても斬新で現代風です。築39年での解体となりましたが、住戸の一部だけでも残してもらえて良かった……。

コンクリートブロックと配管むき出しになっていたり、欄間がガラスだったりと、もういちいちかっこいい。晴海という立地から家賃もかなりしたそうですが……(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

コンクリートブロックと配管むき出しになっていたり、欄間がガラスだったりと、もういちいちかっこいい。晴海という立地から家賃もかなりしたそうですが……(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

3層ごとに廊下を設け、上下階の住戸はその廊下を利用して移動します。こちらは共同の郵便受け(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

3層ごとに廊下を設け、上下階の住戸はその廊下を利用して移動します。こちらは共同の郵便受け(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

築40年以上の住宅が7割超。愛着を持って長く住む人が多数

しかし、かつてのスターであり、ライフスタイルを牽引した団地も今、大きな曲がり角に立っています。まずは現状と課題を聞いてみました。

「まず、UR賃貸住宅のストックの現状ですが、首都圏、中部、近畿、九州の大都市近郊を中心に1532団地、71万8000戸の賃貸住宅を有しています(平成30年度末時点)。昭和30年代に建設された団地は集約化・建て替えられているところが多く、今最も多いのが昭和40年代で30万戸超、昭和50年代に建てられたものが15万戸ほど、築年にして40年超のものが約7割になります」というのは、UR都市機構の住宅経営部ストック活用計画課の大川内将至郎さん。

ひばりヶ丘パークヒルズ(写真提供/UR都市機構)

ひばりヶ丘パークヒルズ(写真提供/UR都市機構)

特徴としては長く居住している人が多いこと。調査では(※2)平均居住年数が14年5カ月ということを見ても「借りて数年、住む」というより、「ふるさと」「居場所」として愛着を持って住んでいる人が多いことがうかがえます。

「お住まいの方から聞かれるのは、遊び場や緑といった敷地全体のゆとり、人とのつながりコミュニティ、ですね」(大川内さん)といい、まち開きから40年・50年経過した今も、長く住み続けたくなる魅力があるようです。

団地は地域の「資源」。コーディネートの役割を果たす

とはいえ、住人が長く住んでいるということは、高齢化しているということ。建物と住民、2つの「高齢化」に加え、1住戸に住んでいる人数も減っていることが分かっています。かつてはファミリーが中心だった世帯構成も今では1人暮らしが最も多く、調査では(※2)入居世帯のうち38%にもなるそう。

「日本の国勢調査の平均よりも、1世帯あたりの人数が少なく、平均年齢も高めで、より高齢化が進んでいることが分かっています。入居した方とともに年齢を重ねてきたのはありがたい半面、課題でもあるのです」(大川内さん)

そうした課題に対し、URの方針としているのが、UR賃貸住宅ストックの活用と再生になります。団地別の方針としては、以下のものがあります。そのうち、高経年化への対応が必要なストック再生団地の再生手法は、団地の一部を建て替えして残りを改善するなど、4つの手法を複合的・選択的に実施し、地域の実情にあわせて活性化していくといいます。

既存住戸の活用と再生が2本の柱。再生も地域の実情にあわせて行うという。URの資料より筆者作成

既存住戸の活用と再生が2本の柱。再生も地域の実情にあわせて行うという。URの資料より筆者作成

また、この数年、課題とあわせて再評価されている点も大いにあるといいます。それを象徴するのが、「団地は地域の資源」という考え方です。

「団地は単なる住まいの集合体だけでなく、豊かな屋外空間や、商店、子育て施設、高齢者施設などのサービス施設、培われてきたコミュニティなど、複合的な機能を持っているため、『地域の資源』と再評価されているのだと思います」と話すのはウェルフェア総合戦略部戦略推進課の山田敬右さん。

続けて、歴史的な背景から、UR都市機構が持つ「強み」をコーディネート機能にあると分析します。

「UR都市機構は、団地の開発でも、道路の敷設や学校や公園の建設のために地元自治体と、商店や医療施設では各事業者とのそれぞれ綿密な調整を行ってきました。実はこうしたコーディネートができる事業者はあまり多くない。今後はこうしたコーディネート機能を『地域医療福祉拠点化』の取組みの中で発揮し、さまざまな地域関係者(地元自治体、自治会、関連事業者、地域包括支援センター、大学など)と連携しながら多様な世代が生き生きと暮らし続けられる住まい・まちを実現していきたいと考えています」(山田さん)といいます。

「地域医療福祉拠点化」といっても、特別なものではなく、主に3つの取組みを行っています。
(1)子育てや介護、病院・診療所など、地域における医療福祉施設等の充実の推進
(2)高齢になっても住み続けられるよう、居住環境の整備推進(バリアフリー化等)
(3)若者や子育て世帯等を含む多様な世代のコミュニティ形成の推進

■地域医療福祉拠点化のイメージ
資料提供/UR都市機構

資料提供/UR都市機構

地域医療福祉拠点化に取り組んでいる団地の1つとして、豊明団地(愛知県豊明市)があります。

■「豊明団地」の地域医療福祉拠点化の取組み
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「ふじたまちかど保健室」で行われている健康体操(写真提供/UR都市機構)

「ふじたまちかど保健室」で行われている健康体操(写真提供/UR都市機構)

大学と行政、URが連携している「豊明団地」では、大学の看護師や理学療法士、ケアマネジャーらが交代でお住いの方の健康、介護、子育てなど幅広い相談に応じる「ふじたまちかど保健室」を設置。大学の学生が団地に住み、夏休みには子どもたちの宿題をみる寺子屋活動、自治会主催の夏祭りや餅つき大会などのお手伝いも。

■若者を取り込むための取組み
四箇田団地のMUJI×UR団地リノベーションプロジェクト(写真提供/UR都市機構)

四箇田団地のMUJI×UR団地リノベーションプロジェクト(写真提供/UR都市機構)

「このほかUR都市機構では、住宅のリノベーション企画の1つとして、これまでイケアさんと連携した『イケアとURに住もう。』や無印良品さんと連携した『MUJI×UR団地リノベーションプロジェクト』の展開を行ってきました。これらの住宅は、メディアにも何度も取り上げてもらえたこともあり、特に若い世代に人気で、これまでUR賃貸住宅を知らなかった方にも知っていただけるきっかけになりました」と大川内さん。

さまざまな歴史や取り組みを重ねてきて、「多様な世代が住み続けられる」「コミュニティを活性化させる」という指針のもと、団地を地域の事情にあわせてリボーンさせていくという段階にあるようです。

現在の喫緊の課題である「高齢化」「コミュニティの衰退」という、難問に立ち向かっているのが今と「これから」といえるでしょう。これらの問題は躯体の問題、つまりハード面はクリアできる/しやすいものの、「人」や「ソフトウェア」によるところは一律の処方せんは難しいのでしょう。だからこその、「技術的な改修」「集約化」を行いつつ、「地域医療福祉拠点化」という方針なのだと思います。

「かつて憧れだった団地で、安心して年齢を重ね、最後のときを迎える」「若い世代が子どもを安心して育てられる」、団地好きとしては残せる建物は残して活用しつつ、さまざまな知恵を結集して現在の課題を解決していってほしいなと願っています。

※1 集合住宅歴史館は新型コロナウイルス感染防止のため、2020年3月22日(日)まで休館しています。3月23日(月)以降の予定は、今後の状況をふまえ改めてURLで告知されるとのことです
※2 平成27年度UR賃貸住宅居住者定期調査

●取材協力
UR都市再生機構
集合住宅歴史館

「地域みらい留学」って? 新しい土地の高校で学び・暮らす“15歳の決断”で得るものは

前回、都会から親元を離れ、島根県の高校に入学、2019年に東大生となった鈴木元太さんにインタビューした。鈴木さんが活用したのが、都道府県の枠を超えて地域の高校に入学する「地域みらい留学」という制度。
今回は、運営団体である一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームに、立ち上げた背景、実績や反響、気になるあれこれをインタビューした。

進学する側・受け入れる側、双方の交差ニーズから生まれたプロジェクト

「地域みらい留学」とは、北海道から沖縄まで地域の公立高校に入学し、充実した高校3年間を送る制度のこと。「留学」と名はついているが、短期ではない。多くは新しい土地で寮生活などを送ることになり、高校進学の新たな選択肢として注目を浴びている。 都会にはない自然、その地域独自の文化、地元と全国から集まる同級生、地域の大人たち。まさに「世代を超えた多様な仲間」との「実践的な学びの場」となっている。

そもそも、この制度が立ち上がった背景とは?
「ひとつは、急激な社会変化や大学入試改革などを受け、”これからの社会を生き抜く力を身に着けてもらいたい”と考える親御さんたちが増えていることです。従来の一方通行な詰め込み型の教育に違和感を覚える子どもたちもいます。また、受け入れる地域の側でも、生徒数が少なくなりつつある高校に、異文化や多様性を取り込み高校に活力と刺激をもたらしたい、という強い思いがありました。地域みらい留学は、子どもを留学させる側、受け入れる側、両方向からニーズが交差した事業です」(一般財団法人 地域・教育魅力化プラットフォーム 地域みらい留学 広報責任者 安井早紀さん)

都会では得られない3年間の体験で大きく変化する子どもたち

実際、この3年間を通して、子どもたちにはどんな変化があるのだろうか。
「”この3年間で自分の人生が変わった””留学をしていなかったらまったく違う人生だった”と話してくれる子はとても多いです。
例えば、北海道奥尻島にある奥尻高校に留学した女子生徒は、『部活の遠征費を生み出すための部活オクシリイノベーション事業部での活動』『寮運営の中心的役割』『生徒会活動』などさまざまなことに挑戦しています。全校生徒数60名余りと活躍のチャンスが多いこと、彼女の旺盛な好奇心をかき立てるような町の課題が近くにあること、そして地域社会との距離が近くチャレンジできる舞台があることが、彼女の挑戦を加速させます。

奥尻高校に留学した女子生徒が「部活の遠征費を生み出すための部活オクシリイノベーション事業部」での活動の一環で行った「奥尻マルシェ」。奥尻の名産品や自分たちでデザインしたオリジナルグッズの販売などを行った(写真提供/一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォーム)

奥尻高校に留学した女子生徒が「部活の遠征費を生み出すための部活オクシリイノベーション事業部」での活動の一環で行った「奥尻マルシェ」。奥尻の名産品や自分たちでデザインしたオリジナルグッズの販売などを行った(写真提供/一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォーム)

また、島根県立津和野高校では女子生徒が、高校生と地域の大人たちとつなげて進路や将来を考える座談会を企画・運営まで自分たちで行う『アスギミック』というプロジェクトを立ち上げました。地域で暮らす大人たちと進路の悩みについて話したり、多様な年代の大人たちに”やってみなさい”と挑戦を応援され、助けられ、育っていく日々、自然豊かな環境と余白の時間で自分と向き合う時間は教科書以上の学びにつながっています。

見知らぬ土地で暮らす3年間は一筋縄ではいかないこともあります。しかし、その葛藤も含めて、感じていることに素直になって向き合い、自分なりに行動し、自分らしい進路を見つけています。これは、普通に受験し、都会の高校に進学していたら、なかなか得られない経験だと思います」

3年間の体験をきっかけに「地域」を学び続ける卒業生は多い

そうした貴重な経験をした生徒たちが、どういう進路、どんな分野で活動をしていているのか気になるところ。現在、「地域みらい留学」「しまね留学」の卒業生では、地域での活動が評価され、推薦・AO入試などで、東京大学、慶應義塾大学、上智大学、立教大学、立命館大学に進学した学生がいるほか、「地域」を切り口にした学びを大学でも続けるため、観光学部、地域協働学部、地域創生学部といった分野に進学した学生もいる。

「釣り好きが高じて島根県立隠岐島前高等学校に進学した前田陽汰さんは、在学中、寮長として寮改革に取り組み、休日は地域に出て島民と交流を深めていました。現在は慶應義塾大学総合政策学部に在籍しつつ、NPO法人ムラツムギを立ち上げ、地域活性化以外の選択肢として“まちの終活”を提唱。家のお葬式”家オクリ”や寺おさめ”寺オクリ”等の取り組みを通じて、第二の故郷・島根にも関わっています。ほかにも、フリーランスのフォトグラファーや、大学卒業後に自身が地域みらい留学生の寮生活を支えるコーディネーターとなった卒業生もいます」

前田陽汰さんの寮長時代の写真。寮生と一緒に(写真提供/前田陽汰さん)

前田陽汰さんの寮長時代の写真。寮生と一緒に(写真提供/前田陽汰さん)

大学進学した後は、地域活性化ではなく、“まちの終活”に着目して活動を続けている(写真提供/前田陽汰さん)

大学進学した後は、地域活性化ではなく、“まちの終活”に着目して活動を続けている(写真提供/前田陽汰さん)

話を聞いていると、「意識の高い子」「自分の好きなことがはっきりしたい子」が多いようにも思う。ただし、実際の中学生たちの留学前は「目的意識のはっきりしていない子のほうが多数派です」と言う。

「例えば、今いる学校への違和感、新しい形の学びを求めているなど多様な動機、状況があります。ただ、共通するのは“いまの延長線上の未来を変えたい”という気持ちです。そんな子たちも、3年間で、自分の性格も世界の捉え方も変わった、将来の夢ができた、人の温かみと繋がりを知った、自信がついて自分らしくいられるようになった、帰りたい場所ができたと話してくれます。まだ見ぬ土地に踏み出す勇気から始まった3年間では、みんな、自分に対して小さくても大きくても、何らかのチャレンジをし、成長しています」

都会からの留学生が、地元の高校生の未来を変えた

大きな変化があるのは、都会からやってきた留学生だけではない。地元の高校生たちにも、都会からやってきた同級生は大きな影響を与えている。
「地元の子たちは、幼少期から同じ顔触れで育っていますから、外からまったく違うバックグラウンドを持つ高校生が入ってくることで、多様な価値観を知ります。また、都会から来た子から見える地元の魅力を聞くことで、見慣れた地元の魅力を再発見する機会に。県外から生徒を受け入れることで、地元の子どもたちの未来が変わったり、意欲的な生徒が地域に飛び出すことで学校と地域の関係性を紡ぐきっかけになっています」
卒業したら家業を継ぐ、そもそも大学進学を考えていない地元の高校生が、外から刺激を受け、学ぶ楽しさを知り、自分自身の将来を考えるきっかけにもなっているそう。
例えば、島の仲間はみんな顔見知りという環境だった男子生徒は、全国からはもちろん、海外からの帰国子女の留学生の存在が大きな刺激に。進学した東京の大学では、少子高齢化が進む団地での地域拠点を創出するサークル活動を行っている。

また、以前は家業を継ごうと考えていた畜産農家の高校生は、畜産農家や留学生との交流が転機となって慶應義塾大学へ進学し、卒業後はJAに就職して畜産の後継者不足問題に取り組んでいる。

現地のオープンスクールで行きたくなる子も

最近では、都市部で全国の地域の学校が一同に集まる地域みらい留学の合同説明会「地域みらい留学フェスタ」の参加者人数が、この2年間で1000名→2000名と大幅に増えるなど、注目を浴びているという。

「オルタナティブな教育のあり方に興味関心を抱いている保護者の方が増えていることを感じています。なかには、小学生のお子さんをお持ちの親御さんが、”私立の中学受験をさせるか、中学は地元の公立・高校は地域みらい留学するか、で検討している”とおっしゃっていました。実際に地域みらい留学をさせている保護者の方々から評判を聞いたという来場者の方が多いです」
 
一方で、注目を浴びるにつれ、親が前のめりだけれど、本人は消極的といったケースも増えているのでは?「たしかに地域みらい留学フェスタに来るきっかけの7割は保護者の方になります。来場する中学生は説明会で地域の学校と出逢い、在校生や卒業生などのロールモデルの声を聞いて『楽しそう!』『自分もこうなりたい!』と意欲が高まり、7、8月の夏休みのオープンスクールで現地に親子で赴きます。そして、本当に挑戦するかどうかは中学生自身が最後に決めるケースがほとんどです」

現在、3年間で13道県34校→25道県55校と受け入れ高校も増え、取り組みが北海道から沖縄まで広がっている。今後「地域みらい留学を当たり前の選択肢に」と、高校生のチャレンジの選択肢として海外留学と同じくらいに地域留学も広めていけたらと考えている。

「多様で複雑で変化の激しい、正解のない社会を生きていくために、ローカルでの濃い3年間の原経験は、とても貴重なものになるでしょう。それぞれがつくりたい未来を、それぞれの形でつくって行ってほしいと思っています」

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地域みらい留学

2020年の「住みたい街」TOP3は不動。「住民が好きな街」1位は意外な海辺の街!

リクルート住まいカンパニーは、 関東圏(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・茨城県)に居住している20歳~49歳の7000人を対象に実施した「SUUMO住みたい街ランキング2020関東版」を発表した。TOP3は3年続けて同じ街となったが、上昇した街もある。さらには新たに「住民が好きな街ランキング」も発表された。1位になったのはどこだろうか?【今週の住活トピック】
「SUUMO住みたい街ランキング2020関東版」を発表/リクルート住まいカンパニー住みたい街ランキング2020のTOP3位は不動の「横浜」「恵比寿」「吉祥寺」

2020年の住みたい街(駅)ランキングの結果は、1位「横浜」、2位「恵比寿」、3位「吉祥寺」とTOP3は3年続けて同じ顔触れとなり、安定した人気を誇る結果となった。

100年に一度の再開発といわれ、今注目の「渋谷」はどうだっただろう?大型商業施設が次々と開業し、銀座線の駅の移転やIT企業の本社移転など、話題には事欠かなった。筆者は「渋谷」が10以内に食い込んでくると思ったが、結果は11位と思ったよりも上昇しなかった。といっても、渋谷周辺の街が上昇しているのが面白いところだ。具体的には、「表参道」が20位から15位、「三軒茶屋」が37位から28位、「青山一丁目」が64位から40位、「広尾」が56位から42位など、渋谷単体ではなく周辺一帯で人気が高まっていることが分かる。

人気の「恵比寿」に加え、8位→7位→5位と上昇している「目黒」も合わせて、山手線南西エリアは、花見の名所もおしゃれなショップもある、人気ブランドエリアの地位を確保しているようだ。

住みたい街(駅)総合ランキングトップ30(関東全体/3つの限定回答)(出典:リクルート住まいカンパニー)

住みたい街(駅)総合ランキングトップ30(関東全体/3つの限定回答)(出典:リクルート住まいカンパニー)

ランキング上昇の注目の街は、「さいたま新都心」などのさいたま市中核エリア

2019年のランキングでも注目されたのが、さいたま市中核エリアだ。居住環境を整え、観光の拠点施設も擁するさいたま市だが、2020年でも4位の「大宮」、10位の「浦和」と安定した人気を見せた。昨年、浦和の躍進については、SUUMO編集長池本洋一さんの地元ということで忖度されたのではないかという噂が立ったが、どうやらその実力は本物のようだ。

実は「大宮」は4位を維持した形だが、男性と20代ではあの「吉祥寺」を抜いて3位になっている。女性でも票が伸びているのが特徴だ。首都圏から東日本への玄関口であり、駅の東口・西口ともに再開発が進行しているなど街が活性化しているという背景もある。

さらに注目したいのが「さいたま新都心」。29位→23位→19位と着実に順位を上げている。そもそもさいたま新都心が誕生したきっかけは、1986年に第4次首都圏基本計画として浦和・大宮地区が業務核都市に指定されたこと。さいたま新都心駅を開業し、政府機関の移転や「さいたまスーパーアリーナ」がオープンしたのは2000年のことだ。

こうしてビジネスの拠点都市となったさいたま新都心だが、「さいたま赤十字病院」や「埼玉県立小児医療センター」が開院し、医療の拠点ともなった。また、「コクーンシティ1・2・3」の大型ショッピングモールもあり、居住環境も整っている。総戸数1000戸の大型マンション「SHINTO CITY」の登場で注目度も高まっている。

ランキング発表会での池本さんの説明によると、「大宮」、「浦和」、「赤羽」、「さいたま新都心」の上野東京ライン、湘南新宿ラインが並走する4駅がそろってトップ20に入ったことについて、「東京方面、新宿方面の双方向へ直通でアクセスが可能」で、かつ「物件価格・家賃の割安」があることが人気の背景にあるという。さらに、さいたま市で教育環境が整っていることも、押上効果が大きいのだそうだ。

「行きたい街」ではなく「住みたい街」になるには、街のイメージやアピール力に加え、交通や買い物の利便性や居住環境が整っていることなども大きな要因となっているわけだ。

「SUUMO 住みたい街ランキング 2020関東版 記者発表会」資料より(出典:リクルート住まいカンパニー)

「SUUMO 住みたい街ランキング 2020関東版 記者発表会」資料より(出典:リクルート住まいカンパニー)

住んでいる人が回答!住民が好きな街ランキング1位は、「片瀬江ノ島」

今回のランキング発表では、新たなランキングが加わった。これまでのランキングは、あの街に住みたい、住んでみたいと思うかどうかだった。いわば“自由投票”といってよいだろう。住んだことがある人の実感値とは異なる場合もあるだろう。

新たなランキングは、「お住まいの街が好きか?」と住民に聞いている。いわば“限定投票”だ。SUUMOでは「住民に愛されている街」と呼んでいた。

住民が好きな街(駅)ランキング(関東全体)(出典:リクルート住まいカンパニー)

住民が好きな街(駅)ランキング(関東全体)(出典:リクルート住まいカンパニー)

上位の顔ぶれを見ると、意外に小さな街が多いことに気づく。それもそのはずだ。住宅地でないと多くの住民はいない。“全国区”ではないが、その地域では知られた住宅地、いわば“地方区”のトップが並んだという印象だ。

「住民が好きな街」は、歴史ある住宅地が多くランキングされていること、ランドマークや個性的な街並みを持つ街が入っていることなど、「住んでみたい街」とは異なる特徴がある。

池本さんの説明によると、住民に愛される街には次の3つの特徴があるという。
(1)魅力的なコミュニティ(片瀬江ノ島、鵠沼、鵠沼海岸)
(2)街独自の景観(馬車道、みなとみらい、千駄ヶ谷)
(3)ローカルカルチャー(代官山、麻布十番、牛込神楽坂、代々木上原)

(2)自慢の景観があり、都市のお散歩が楽しめる「街独自の景観」と(3)その街独自の店があり、地域愛のある魅力的な人と会える「ローカルカルチャー」については、筆者も感じたが、(1)趣味や地元イベントなどを通じた住民同士の交流が盛んな「魅力的なコミュニティ」については、盲点だった。

特に1位の「片瀬江ノ島」は、住宅地というより海辺の街という印象が強いが、海好きが集まる独特のコミュニティが形成され、のびのびと子育てできる環境なども評価されているという。

たしかに住民に愛されるには、愛着を感じる魅力的なコミュニティが何よりも強い要因になるだろう。

「住みたい街」と「住民が好きな街」では違いがあるなど、興味深い点も多い今回のランキングだった。ただいずれも、生活利便性が高くブランドのある街だという点は共通している。商業施設や文化娯楽施設が欲しいのか、街独自の文化が欲しいのかが、人によって違う点だろう。
さて、あなたならどの街を1位に挙げるだろうか?

宇都宮「もみじ図書館」築50年の古アパートが変身。ゆるいつながりで街ににぎわいを

宇都宮駅から車で10分、住宅街のなかに、昨年5月にオープンした民間運営の「もみじ図書館」。手掛けたのは、空間プロデュースを手掛ける「ビルススタジオ」だ。
店舗や住宅の設計業務だけでなく、「ひとクセあるけど面白い!」そんな不動産物件も紹介する同社が、なぜ自分たちで図書館をつくったのか、その狙いを伺った。
誰でも自由に使える「もみじ図書館」は街の共用部

住宅街のなか、通りかかっても見落としそうな場所に「もみじ図書館」はある。築50年の賃貸アパート1階の2部屋をぶち抜き、リノベーションされたものだ。
木枠のガラスの引き戸を開ければ、まるでお洒落なカフェ。本棚が迷路のように組まれ、籠もるような読書空間に。ゆったりソファやアンティークなチェアが置かれ、のんびり過ごせる。向こう側に小さな中庭があり、暖かくなればテラスで読書も楽しそうだ。壁の一面は黒板仕様で、ミーティングもできる。

基本的に開いている時間は10時から19時まで。それ以外の時間でも事前予約で貸し切り可能(1時間1000円) 。火曜日や木曜日にはスタッフによるカフェ営業なども(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

基本的に開いている時間は10時から19時まで。それ以外の時間でも事前予約で貸し切り可能(1時間1000円) 。火曜日や木曜日にはスタッフによるカフェ営業なども(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

もみじ図書館があるカトレア荘。現在、1階は飲食・物販などのテナントを募集中。このもみじ図書館を共用部として、テイクアウト品のイートスペースや打ち合わせラウンジなどに使える(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

もみじ図書館があるカトレア荘。現在、1階は飲食・物販などのテナントを募集中。このもみじ図書館を共用部として、テイクアウト品のイートスペースや打ち合わせラウンジなどに使える(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

本は主に地域住民によって寄贈されたもの。貸し出しは行っていないが、だれもが自由に入室でき、読書はもちろん、おしゃべりも飲食の持ち込みもOK。Wi-Fiもあるのでワーキングスペースとしても使える。
「地域の人がふらっと立ち寄れる“共用部”をつくりたかったんです」と、ビルススタジオ不動産企画部の中村純さん。

取材当日も、「こんな場所あるんだ~」と初めて立ち寄ったカップルや、「ちょっと卒園式の打ち合わせをしたくって」と幼稚園のお迎え帰りに過ごしていたママと子どもたちと遭遇。午後から夕方にかけては、中高生たちが勉強やゲームをしに遊びに来るそうだ。
キッチン付きで飲食店の営業許可も取っているので、貸し切りで1日だけカフェ営業や、独立前のテストキッチン、イベント開催も可能。「僕たちスタッフも、モーニングでコーヒーを淹れたり、夜の図書館営業をしていたりします」(中村さん)

ラインナップは、文学全集、哲学書、レアな建築専門誌、絵本、紙芝居、児童文学、ミステリー文庫、エッセイなんでもあり(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ラインナップは、文学全集、哲学書、レアな建築専門誌、絵本、紙芝居、児童文学、ミステリー文庫、エッセイなんでもあり(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

オープンな洒落たキッチン。レトロなレコードプレイヤーなどは大家さんから寄贈されたもの(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

オープンな洒落たキッチン。レトロなレコードプレイヤーなどは大家さんから寄贈されたもの(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

喫茶営業中は、エアロプレスで淹れた美味しいコーヒーも飲める(有料) (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

喫茶営業中は、エアロプレスで淹れた美味しいコーヒーも飲める(有料) (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

中庭に面したウッドデッキのテラス。春になればイスを出して外読書も気持ちいい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

中庭に面したウッドデッキのテラス。春になればイスを出して外読書も気持ちいい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

広さは18坪。中庭に面し、やわらかな日差しが差し込む、気持ちのいい空間だ。足場板を本棚に活用し、スペースを小分けに。自分だけの特等席を見つける楽しみも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

広さは18坪。中庭に面し、やわらかな日差しが差し込む、気持ちのいい空間だ。足場板を本棚に活用し、スペースを小分けに。自分だけの特等席を見つける楽しみも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

(画像提供/ビルススタジオ)

(画像提供/ビルススタジオ)

デモンストレーションのはずが「自分たちでやりたくなりました」

「実は最初から、図書館ありき、ではなかったんです」と中村さん。
「もともと僕らは空間プロデュースが本業。さらに、普通の検索サイトなら一番にはじかれるような、古かったり、駅から遠かったりする、でも魅力的な物件をマッチングしています。ただ、リノベーションできるといってもみなさん、どうもイメージが湧かないようで、一目で良さが分かる空間を自分たちでつくってみようと考えました。そこで、倉庫として借りていた部屋と隣の空き室を合わせて、改修できないか大家さんにお願いしたのがきっかけです」

そこで、設計担当がイメージしたパースがこれ。

(写真提供/ビルススタジオ)

(写真提供/ビルススタジオ)

「ガラスの入り口、向こう側に小さい庭があって、すごくいいねって話になったんです。本当は改修して、いいなと言ってくれる人にお店を任せようと思っていたんですけど、自分たちでやってみたい! と、社内プロジェクトとなりました。どうせなら、地域の人が気軽に集まれる、のんびり過ごせるような場所がいい。そして、この場所がこの物件の価値、さらに街の価値につながればいいなと考えました。いわば社会的な”実験“です」

そこで、どんな場所がいいかと考えた結果が、「図書館」だった。「このあたりは住宅街で、たくさんの蔵書を“捨てるのもしのびないし、誰かが活用してくれるなら”と寄贈してくれる方がたくさんいました。図書館なら、ふらっと立ち寄れるし、ずっと誰かがいる必要もないので、僕たちが運営しやすいメリットもあります」

工事の様子。「スタッフで約5カ月かけて少しずつDIYしました」(写真提供/ビルススタジオ)

工事の様子。「スタッフで約5カ月かけて少しずつDIYしました」(写真提供/ビルススタジオ)

不動産や建築を身近に感じてもらう「場」としての機能も

ビルススタジオのスタッフが1日店主になるイベントも定期的に開催している。
例えば「夜のMET不動産部~スナック純」。中村さんが、普段の仕事のなかで、共有したい不動産や建築の小さなあれこれを、お酒を飲みながら語る場所。「不動産ってどうしても難しくて、とっつきにくい話題だったりするじゃないですか。でも、お酒を媒体にしておしゃべりすることで、興味を持ってもらったり、なにかしらの気づきを持ってもらえたらいいなって思ってはじめました」

また、ケーキ好きな男性スタッフによる、毎週水曜日のモーニングは常連さんも多いとか。「彼のつくるケーキがけっこう美味しいと評判で。その間はお店番と同時に彼は建築士の試験の勉強をしていたりします」。そのほか、女性スタッフによる「ゴジカラとしょかん」は、隔週金曜日に開催。お酒を飲みながらゆっくり読書する。明かりの灯った図書館に、会社帰りに吸い寄せられる人も。

「物件探しやリノベーションって、どうしてもある程度ニーズや条件が明確になってからの話になってしまうのですが、そんなビジネスの手前で、それぞれの好きなもの、関係性をつくるうえで、こうした場は有効だなと思っています」

(写真提供/ビルススタジオ)

(写真提供/ビルススタジオ)

中村さん店主の「スナック純」。「最初は人がいっぱい集まりすぎて、パーティーみたになってしまって(笑)。ゆっくり話せなかったので、今は当日告知にしています」(写真提供/ビルススタジオ)

中村さん店主の「スナック純」。「最初は人がいっぱい集まりすぎて、パーティーみたになってしまって(笑)。ゆっくり話せなかったので、今は当日告知にしています」(写真提供/ビルススタジオ)

スタッフが各自で看板やメニューをつくって、オーナー気分を味わう。「お客さんが常連になったり、常連さんから仕事を依頼されたりしています」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

スタッフが各自で看板やメニューをつくって、オーナー気分を味わう。「お客さんが常連になったり、常連さんから仕事を依頼されたりしています」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

自分たちの生活圏を楽しくする――それが最初の動機

そもそも、もみじ図書館がある一画のすぐ近く、市役所へと抜ける「もみじ通り」は、かつては80店舗ほどの商店が軒を連ねる生活に密着した商店街だった。しかし、他の商店街の例にもれず、郊外の大型モール進出の影響で次々と閉店し、2003年には商店会が解散。シャッターが目立つ通りに。
しかし、2011年にカフェ食堂「FAR EAST KITCHEN」「dough-doughnuts」がオープンするなどし、人通りが少しずつ増加。「もみじ図書館」の試みも注目を浴び、地域活性化や街づくりの一環として媒体に取り上げられることも増えたそう。しかし、それには戸惑いも。

「正直、街づくりをしている感覚はあまりなくって(笑)。『FAR EAST KITCHEN』も、もとはといえば、ウチの代表の塩田が、自分の事務所をもみじ通りでリノベ工事をしているうちに、“美味しいランチのお店が近所にあったらいいな”と、たまたま知り合ったシェフの藤田さんに、近所に来ないか誘ったのが経緯だとか。『dough-doughnuts』の店主の石田さんも、もとは他のエリアでの出店を考えていたのに、気付けは近所に開店といった感じで(笑)。基本的には、自分たちの200m圏内で、おいしいお店が近所にあったらいいなぁがスタート地点なんです」

地元客で常ににぎわう人気カフェ「FAR EAST KITCHEN」。地元野菜のサラダ、季節のスープ、選べるデザートなど、組み合わせを選べるランチが定番(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

地元客で常ににぎわう人気カフェ「FAR EAST KITCHEN」。地元野菜のサラダ、季節のスープ、選べるデザートなど、組み合わせを選べるランチが定番(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

もみじ通りにあるショップの駐車場は共通で。手書きの案内板が味わい深い(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

もみじ通りにあるショップの駐車場は共通で。手書きの案内板が味わい深い(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

物件マッチングの課題も、活気を生み出すことで乗り越えたい

ただしネックもある。空き物件はあっても、借主を募集している物件は少ないということだ。
「大家さんの高齢化などで、人に貸すのが面倒なんですよね。『FAR EAST KITCHEN』さんのときは、これがいいなと思った空き家に手紙を投函してお願いし、『dough-doughnuts』さんのときは、名刺代わりにドーナツを持参しました。ただ、こうしたお店に人気が出て、人通りが増えてくれば、貸してくれる大家さんが増えてくるはず。その橋渡しをするのが僕たちの仕事です」

ほかにも、北欧や東欧の雑貨や洋服を扱うお店「SoPo LUCA」のオーナーさんは塩田代表の友人、身体に優しい惣菜店「ソザイソウザイ」の店主さんは「FAR EAST KITCHEN」の常連さん。人が人を呼び、ゆるやかにつながっている。ややエリアを広ければ、本格コーヒー店、パン屋さんも新しくオープン。シェアオフィスも登場している。さらにこうした環境に惹かれて、この界隈に暮らす人たちが増えるなど、街が変わりつつある。以前のようなにぎわいからは、まだまだ遠くても、だ。

遠方から買い求める人もいるほど、今や、宇都宮の人気店となった「dough-doughnuts」。カフェとテイクアウト専門の2カ所ある

遠方から買い求める人もいるほど、今や、宇都宮の人気店となった「dough-doughnuts」。カフェとテイクアウト専門の2カ所ある

もみじ通り。ドーナツショップ「dough-doughnuts」のカフェの隣には、「まじめなソザイとまじめにつくったソウザイ」をコンセプトにした「ソザイソウザイ」が(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

もみじ通り。ドーナツショップ「dough-doughnuts」のカフェの隣には、「まじめなソザイとまじめにつくったソウザイ」をコンセプトにした「ソザイソウザイ」が(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「今は、長い社会実験の途中。僕たちの仕事は設計だけじゃない。気持ちのいい場所、環境づくりから関わった方がいいと思うから、あれこれやっています。やっぱり、歩いて楽しい街がいいですから。今後は、夜に食事できるスナックみたいなのができたらいいなぁって思っています」。挑戦はまだ続いている。

今回お話を伺った、ビルススタジオ不動産企画部の中村純さん。「自信をもって、これが正解と分かっているわけではなくて、いつも試行錯誤。でも僕たちだからこそできることがあると、危機感も感じつつ、挑戦しています」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

今回お話を伺った、ビルススタジオ不動産企画部の中村純さん。「自信をもって、これが正解と分かっているわけではなくて、いつも試行錯誤。でも僕たちだからこそできることがあると、危機感も感じつつ、挑戦しています」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

●取材協力
・ビルススタジオ

これからの気候変動リスクに備えた、災害に強い住まいの選び方

近年、気候変動リスクが高まる中で、想定外の「激甚災害」が相次いでいます。2019年に発生した台風15号や台風19号が猛威を振るったのは記憶に新しいところ。また2018年には「西日本豪雨」「北海道胆振東部地震」、2017年「九州北部豪雨」、2015年「関東・東北豪雨」、2014年「広島土砂災害」など、自然災害が頻発してきました。
標高の高い内陸部にも浸水の可能性がある?!

「浸水」や「洪水」というと、「江東5区大規模水害対策協議会」を協力して設置している墨田区・江東区・足立区・葛飾区・江戸川区や、海沿いの低地などがイメージされますが、浸水可能性のある地域は標高の高い内陸部にも存在します。そして、そうした地域にも一戸建てやマンション、アパートなどが当たり前に建設されています。

例えば、東京内陸部にある世田谷区の標高は25~50m程度と高いのですが、起伏が非常に激しく、ハザードマップを見ると、浸水可能性のある地域が多数存在します。

東京など都市部の場合、雨水の排水処理能力は1時間あたり50~60mm程度を想定していますが、それを超えて処理しきれない分は路上にあふれ出します。昨今のいわゆる「ゲリラ豪雨」と呼ばれる大雨は、時間当たりの雨量が100mmを超えることが少なくありません。こうした排水能力を超えた大雨に見舞われた際、排水路から雨水・下水があふれ出します。その結果、たとえ標高は高くても周辺の土地に比べて相対的に低い所に水が集中します。

東京・港区といえば、芸能人も多く住む、セレブに人気の街です。しかし、北西一帯の高台地と呼ばれるエリアにも、古川(金杉川)があり起伏に富んだ地形となっており、「後背低地」となっているところでは、地下水位が高く、周辺地より標高も低いため、排水性が悪く洪水などの水害を被りやすい地域もあります。地盤分類上も「谷底低地2、3」とされる地盤の軟弱層が3m以上の、比較的軟弱で地盤沈下の恐れがあり、地震動に弱いところもあります。有名な住宅地と呼ばれる地域でも、ハザードマップで2mの浸水が想定されているところは少なくありません。

不動産価格に反映されていない浸水リスク

不思議なことに、浸水可能性のある地域は、そうでないところと比べて、地価(不動産価格)に大きな違いが出ていません。その理由は、「多くの人がハザードマップなどの災害関連情報に無頓着だから」です。
宅地建物取引業法において、現状、不動産の売買・賃貸時に浸水想定区域などについて説明する義務はありません。情報開示の姿勢は取引現場によってまちまちです。浸水リスクが不動産価格に反映されたり、金融機関の担保評価に影響を与えていることはほとんどありません。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

浸水リスクと同じく、「活断層の所在」や「地盤」「土地高低差」「液状化の可能性」「建物の耐震性能」なども物件価格に反映されていません。「自治体の防災意識」や「コミュニティの成熟度」も同様です。
不動産広告にもこうした項目は入っていませんし、売買契約書や重要事項説明書にも記載はありません。私たちは、日本の不動産市場はこの程度の成熟度で、発展途上の段階であることを、知っておく必要があります。

楽天損害保険は2020年から、住宅火災や水害、風災に備える火災保険で、国内損保で初めて、水害リスクに応じた保険料率の見直しを行うと発表しました。ハザードマップで洪水可能性などを考慮し、高台等にある契約者の保険料は基準より1割近く下げる一方、床上浸水のリスクが高い川沿いや埋め立て地等に住む契約者の保険料は3~4割高くします。こうした動きは今後広がっていくでしょう。
私たちは自ら水害をはじめとする土地のリスクを調べ、それに応じた対策を行う必要があります。今のところは浸水可能性のあるエリアとそうでないエリアの間で、価格差は見られませんが、やがては安全性に応じて天地ほどの差が開く可能性が高いでしょう。

地名で分かる?かつての土地状況

「土地の履歴書」ともいえる「地名」には、しばしば地域の歴史が刻まれています。例えば「池」や「川」「河」「滝」「堤」「谷」「沼」「深」「沢」「江」「浦」「津」「浮」「湊」「沖」「潮」「洗」「渋」「清」「渡」「沼」など、漢字に「サンズイ」が入っており、水をイメージさせるものは低地で、かつては文字どおり川や沼・池・湿地帯だった可能性があります。例えば渋谷駅周辺は、舗装された道路の下に川が流れており低地です。

内陸部でも「崎」の地名がつくところには、縄文時代など海面が高かった時代に、海と陸地の境目だった地域もあり、地盤が強いところと弱いところが入り組んでいる可能性があります。東日本大震災の津波被害で一躍注目を浴びた宮城県仙台市の「浪分(なみわけ)神社」は、1611年の三陸地震による大津波が引いた場所という言い伝えが残っています。

ほかにも「クボ」のつく地名は文字どおり窪地です。周辺に流れる川に過去、氾濫で水害に見舞われていないか注意が必要です。

目黒区には現在暗渠になっている蛇崩川(じゃくずれがわ)という河川がありますが、ここには大水で崖が崩れ、そこから大蛇が出てきたという伝説が残されています。大阪市梅田は「埋田」から転じたとされ、「梅」は「埋める」に通ずるようです。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

地名は「音」(読み方)で意味が分かる場合もあります。椿はツバケル(崩れる)で崩壊した土地を意味し、「桜」が「裂ける」を意味することもあります。

注意したいのは、近年になって地名が変更されたところです。戦後の高度経済成長期以降に開発された大規模宅地などでは、旧地名から「〇〇野」「〇〇が丘」「〇〇台」「〇〇ニュータウン」といった地名に変更されている場合があります。

東日本大震災に伴う津波に関し「津波は神社の前で止まる」とテレビで話題になったことがあります。福島県相馬市の津(つのみつ)神社には「津波が来たら神社に逃げれば助かる」という言い伝えがあり、近隣の人たちは、小さいころからその伝承を聞いて育ったそうです。実際3・11の東日本大震災の津波の際にはその教えに従い、神社に避難した50人ほどが助かりました。

地域にある法務局に行くと、該当地の「登記事項証明書」を一通600円で、土地所有者でなくても取得できます。そこには「田」「畑」「宅地」といった土地の用途区分が書かれています。現在は宅地に見える土地でも、過去をさかのぼれば田んぼだったかもしれず、そうなると地盤は軟らかい可能性が高くなります。

地元の図書館に赴けば、地域の歴史が刻まれた書籍が置いてあることが多く、それらを参照するのも有用かもしれません。また多くの自治体が地名の由来などについて、ホームページで紹介しています。

IPCC (気候変動に関する政府間パネル)第5次報告書によれば、地球の温暖化傾向は明白であり、陸域と海上を合わせた世界の平均気温は、1880年から2012年の期間に0・85度上昇したそうです。
世界気象機関は、80年代以降の世界の気温を10年単位で見ると、常に気温上昇の傾向が見られ、「この傾向は続くと予想される」と警告しています。
気象庁によれば、温暖化が最悪のシナリオで進行した場合、21世紀末に世界での台風発生総数は30%程度減少するものの、日本の南海上からハワイ付近およびメキシコの西海上にかけて猛烈な熱帯低気圧の出現頻度が増加する可能性が高いと予測しています。文字どおり「想定外」の、さらなる頻度や規模の風水害が来るとみたほうがいいでしょう。

テレワークが変えた暮らし[7] 湘南でマリンスポーツ&子育て。仕事の効率もアップ!

“自分の人生で通勤ほどムダな時間はない”。そう考えて、職住近接の都心暮らしから、現在は湘南暮らしのテレワーカー(リモートワーカー)となった勝見彩乃さん。
現在は、1歳児のママでもある勝見さんに、その経緯、子育てと仕事の両立、生活の変化など、テレワーク(リモートワーク)だからこそ実現した暮らしについてお話を伺った。
結婚を機に働き方を見つめなおす。その結果が「テレワーク」だった

テレワーク歴3年の勝見さん。夫も別会社のテレワーカーだ。
もともと「通勤時間はなるべく短く」がモットーで、常に都心暮らし。職場も住まいも新橋で、歩いて通勤という時期もあったそう。「地方出身で、大学もつくば。いつも交通手段は自転車か車だったので、満員電車が苦手なんです」
テレワークを決めたきっかけは、結婚。プライベートを充実させたい。仕事のパフォーマンスは上げたい。それを両立させるため、夫婦で話し合った結果だった。「結婚すると、今後のキャリアとかライフスタイルとかについて考えるじゃないですか。自分のキャリアを形成していくうえで、効率的に成果を出すのに一番邪魔で削りやすいものってなんだろう、それは通勤時間じゃない? だったら、リモートで働くのが一番じゃないかって結論になったんです」
そこで、転職活動はテレワークをできることが第一条件。結果、「リモートワークを当たり前にする」をミッションとし全メンバーがテレワーカーという企業「キャスター」に出会う。
転職後は、企業の一員として人事や広報を統括する業務に携わる傍ら、副業でスタートアップ企業のための採用サポートにも関わっている。夫もほぼ同時期に転職し、エンジニアとして会社に所属しつつ、フリーランスで業務を請け負うテレワーカーになった。

勝見彩乃さん(35歳)。大学3年生のときにインターンをしていた、求人メディアのベンチャー企業に卒業後就職。その後、ソフトウェア、インターネットメディア企業などで、主に人事・採用に携わる(写真撮影/片山貴博)

勝見彩乃さん(35歳)。大学3年生のときにインターンをしていた、求人メディアのベンチャー企業に卒業後就職。その後、ソフトウェア、インターネットメディア企業などで、主に人事・採用に携わる(写真撮影/片山貴博)

海の近くにマンション購入。一部をおうちオフィスに

テレワーク当初は、中央区晴海在住。もともと、前の職場に30分以内で通えることを理由に選んだ都心エリアだ。「ただ、リモートで働くなら、高い家賃を払ってまで東京都心にこだわる理由はないし、もっと自由に住む場所を選びたいと思うようになりました。家賃がもったいないし、資産としてマイホームを買うきっかけにもなりました」
購入したのは、湘南エリアの新築マンション。「夫婦ともサーフィンやSUP(スタンドアップパドル)
などマリンスポーツが好き。海へ気軽に行ける立地は魅力でした。また、フルリモートとはいえ、週に1度は東京都内に足を運ぶ業務もあるので、通勤圏でもある、このあたりが現実的でした」
新居を構えると、一部屋は夫の書斎に。リビングには作業用デスクをオーダーし、キッチンカウンター下はホワイトボードを張るなど、おうちオフィス仕様とした。

作業デスク、チェアはハンドメイドやクラフト作品のマーケットサイト『minne』で見つけたお気に入り作家さんにオーダー(写真撮影/片山貴博)

作業デスク、チェアはハンドメイドやクラフト作品のマーケットサイト『minne』で見つけたお気に入り作家さんにオーダー(写真撮影/片山貴博)

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キッチン下のカウンターにはシール式のホワイトボードを貼って、自分の考えをまとめる場に。「書く場所の広さは思考の広がりに比例すると思って、できるだけ広く取りたかったんです」(写真撮影/片山貴博)

キッチン下のカウンターにはシール式のホワイトボードを貼って、自分の考えをまとめる場に。「書く場所の広さは思考の広がりに比例すると思って、できるだけ広く取りたかったんです」(写真撮影/片山貴博)

辻堂西海岸にある自転車・SUP専門店「FAVUS」でのツーリングに参加した1コマ。江の島もすぐ。「マンションの屋上からは海が見えます」(写真提供/FAVUS)

辻堂西海岸にある自転車・SUP専門店「FAVUS」でのツーリングに参加した1コマ。江の島もすぐ。「マンションの屋上からは海が見えます」(写真提供/FAVUS)

ママになって、テレワークのメリットを再確認

そしてマンションの契約後、引越し前のタイミングで妊娠が判明、出産。「リモートワークは、育児を想定した選択ではありませんでしたが、限られた時間のなか、子どもとの時間を捻出するのは、通勤時間がないリモートワークが理にかなっています」
実は「なるべく仕事のブランクをつくりたくない」と、子どもが生後4カ月のときには仕事復帰。保育園の4月入園までの半年間は、自宅で育児をしながらのテレワークだったそう。「とはいえ、子どもが寝ている間など合間の時間を見つけて、1日4時間程度でしたけれど。本格復帰の前に育児しながらの仕事に覚悟をちゃんと持っておきたかったんです」
Web会議などまとまった時間が必要な場合は、会社から月3万円を上限にベビーシッター費の半額を助成してもらえる制度があり、そちらも活用することも。「プロの手を借りる。これは良かったです。私も育児に本当に慣れない時期で、”こうやって楽しませるんだ”とか、“こんなふうに刺激を与えて泣き止ませるのね”と、プロの技を教えもらったのは、とても心強かったです」
また、夫は育児休暇を取ったわけでないが、自宅でテレワークをしていたため、否応なく育児の当事者に。新生児時期の大変な時期の新米ママの伴走者でもいてくれた。「『僕がお世話しているから、寝ていたら?』と声をかけてくれたり、体力的にも精神的にも心強かったです。育児とテレワークは父親にも母親にもプラスばかり。小泉進次郎さんが育休を取って、テレワークをするということにも注目しています」

現在は子どもを近くの保育園に預けて、帰宅したら、朝の8時半には仕事開始。17時に子どもを迎えに行って、食事、お風呂をすませ、子どもを寝かしつけた21時から、また仕事をすることも。「子どもと一緒に寝落ちしてしまうこともあります(笑)」

1歳7カ月の娘さんと。「発熱などでお迎えの電話があっても、在宅なのですぐに迎えに行けます」(写真撮影/片山貴博)

1歳7カ月の娘さんと。「発熱などでお迎えの電話があっても、在宅なのですぐに迎えに行けます」(写真撮影/片山貴博)

組織の一員だからこそ実現できることもある

とはいえ、もっと仕事の自由度を上げるなら、「フリーランス」や「自分で独立してビジネス立ち上げ」という選択もあるのでは?
「もちろん、先のことは分かりませんが、今は会社の中で、自分がやりたいことを実現できていると思うので完全フリーランスは考えていません。同じミッションを共有している仲間がいることは心強いし、きっと会社が好きなんですよね(笑)。また、1人でできることには限られているし、組織だからこそ実現できることも多いでしょう。組織なら、経験がないことでも挑戦させてもらえる余地があります」
とはいえ、テレワークはフリーランス同様、過程ではなく成果で評価されるため、シビアさもある。誰でもテレワーカーになれるのだろうか?
「私も普通の会社員でしたよ。ただ成果を重視する働き方にコミットできる人、ある程度オンラインでのツールを使いこなせることは必要かと思います」 

ワーケーションも実践。プライベートもぐっと自由に

Web上のコミュニケーションに慣れるにつれ、プライベートにも変化が。
「今いる場所にこだわらなくなり、沖縄やアメリカにいる友人とZoom(Web会議室)でおしゃべりしたり、新しい仕事の相談に乗ってもらったり。会社の同僚ともオンラインランチ、オンライン飲み会と称して、つながっています」

社内に「オンライン飲み会部」という部活があり、ZoomというWeb会議ツールを使って不定期で飲み会を実施している これは2020年1月に実施した際に撮影したスクリーンショット(写真提供/本人)

社内に「オンライン飲み会部」という部活があり、ZoomというWeb会議ツールを使って不定期で飲み会を実施している これは2020年1月に実施した際に撮影したスクリーンショット(写真提供/本人)

旅行しながら仕事をする「ワーケーション」も実践済みだ。訪れた場所は、奄美大島、北海道、五島列島など。特に五島列島では自治体主催のプログラムに参加。土・日は家族で観光、月・火は子どもを地域の保育園に預けて、ホテルのコワーキングスペースで仕事をした。「これなら旅行のハードルがぐっと下がるでしょう。とても楽しかったです」

五島列島での風景。オフシーズンにリモートワーカーを招く取り組みで、参加費にタクシーチケットが含まれるので、運転免許を持っていない方でもOK (写真提供/一般社団法人 みつめる旅)

五島列島での風景。オフシーズンにリモートワーカーを招く取り組みで、参加費にタクシーチケットが含まれるので、運転免許を持っていない方でもOK (写真提供/一般社団法人 みつめる旅)

茨城県水戸市を中心に1カ月ほどワーケーションをしたことも。「日立駅にある海の見えるカフェで仕事をしていました」

茨城県水戸市を中心に1カ月ほどワーケーションをしたことも。「日立駅にある海の見えるカフェで仕事をしていました」

世の中には、あくまでも人対人の対面のやり取りにこだわりたい人がいるのも事実だ。しかし、技術の進化、副業の奨励などに伴い、暮らす街、働き方は今後もっと自由になるだろう。夫婦ともテレワーカー、フリーランスと会社員の二足のわらじ、という勝見さんは、まさにその実現者。「仕事する場所を選ばないなら、どこに住んだっていい。もっと田舎でも、海外でも。二拠点もありです」と、将来の選択肢は広がる一方。これからが楽しみだ。

「コミューンときわ」で地域に根ざす自分らしい暮らし。新築賃貸でもDIY可能!

多世代の交流を育み、地域に開かれた“コミュニティ賃貸”として、オーナーの浦和への想いを形にした「コミューンときわ」。中庭が人々の暮らしを繋ぎ、また、令和生まれの新築でも住戸のDIYが可能というのも特徴だ。2020年2月に開かれたお披露目会に参加し、オーナーや入居者に話を伺った。
コンセプトは「夢ある人が集い、コミュニティをつくり、地域と共生する」

JR京浜東北線「北浦和」駅から徒歩10分ほど。活気ある「北浦和西口商店街(ふれあい通り)」を抜けた先の住宅街に「コミューンときわ」は立地している。道路沿いには、NPO法人クッキープロジェクトが運営するカフェや、ガラス張りで街に開かれたSOHO型の住まいが並び、道行く人々の目を引く。

自然にコミュニティが形づくられていくよう、コミュニティデザインを「まめくらし」が監修。「まめくらし」は、「青豆ハウス」や「高円寺アパートメント」など街に開かれた賃貸を手がけてきた会社だ。代表取締役の青木純さんが「子どもだけでなく親も一緒に来られるために目的を限定しない場所を」とアドバイスした中庭をはじめ、ラウンジや水回り常設の屋上菜園など、住民同士の交流やくつろぎの場となる共用部が充実。日々どこかしらで井戸端会議が開かれそうだ。

運営もしっかり考えられている。“ご近所づきあいに興味があって入居しても、どうすればいいか分からない”という住人が出ないよう、平日は、住人同士の間をつなぐ「コミューン・パートナー」が常駐。日常の関係性づくりやより暮らしを楽しむサポートをしてくれる。

芝生が敷かれた中庭。住民が多目的に使用できるほか、イベントスペースとしても運営予定だ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

芝生が敷かれた中庭。住民が多目的に使用できるほか、イベントスペースとしても運営予定だ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ヨーロッパで多く見受けられる中庭を持つ集合住宅。「コミューンときわ」が異なるのは、中庭に面しているのが窓ではなく共用廊下で、アクションを取りやすいことだ。玄関と中庭が接しているため、買い物に出る際に中庭での会話や遊びに参加したり、中庭で会話が弾んだ流れで誰かの家に移動したりと、自然と交流が生まれそうなこのつくりは、長屋のような雰囲気を感じる。

家賃は周辺相場よりもやや高めの設定だ。それでも、多世帯交流などから生まれる豊かなライフスタイルが、「コミューンときわ」ならではの価値につながっていくことだろう。

浦和の文化と人とをつないで地域活性へ

コミュニティづくりは「コミューンときわ」内にとどまらず、地域とも連携していきたいと、オーナーである株式会社エステート常盤・代表取締役の船本義之さんは言う。「commune」はフランス語で共同体という意味。オーナーである株式会社エステート常盤・代表取締役の船本義之さんの「豊かな暮らしを育み、ひとつの街のようなつながりをつくりたい」という想いから名付けられた。

名曲『神田川』の時代から、分譲の住まい自体の質は高くなってはいるものの、賃貸物件をめぐる環境づくりやあり方が時代に追いついていないと感じていた船本さん。賃貸というものの形態は、ライフテージの変化に合わせて暮らしやすいからこそ、もっといい住環境を提供したいと、入居者同士がつながったり、部屋を自分らしくアレンジしたりできるようにした。

お披露目会の様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

お披露目会の様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

浦和は「鎌倉文士に浦和画家」と称され、古くから文化が根付く街。浦和で20年ほど暮らしてきた船本さんは、「浦和にはいろいろな活動をしている人がいて、文化的なポテンシャルが高い人も多く住んでいる。しかしみんな皆、東京を見ていて、横のつながりがない」と感じていた。周りに多彩な人がいることを知る機会があれば、暮らしがもっと豊かになり、地域が活性化するのではないかと、多世代や地域の交流の場として「コミューンときわ」を計画。文化が産業の“人里資本主義”を掲げ、浦和が持つ人材のネストを目指している。

船本さんは、入居希望者全員と面接を行い、コミュニティづくりへの想いを共有していくという。プライバシーとコミュニティとのバランスをとりながら「ドアに鍵をかけなくてもいいような関係性が築かれていけば」と「コミューンときわ」のこれからに期待を寄せる。

セミオーダーから一点モノへ、サポートを受けながら自分好みの空間に

「コミューンときわ」には、多世代が暮らせるよう、1Rから2LDK、SOHO型まで幅広い55戸の住戸が用意されている。どの住戸も窓が大きく、オープンなつくりで開放的だ。そして特徴的なのが、各住戸の表情が異なること。

内装は空間デザイン会社の夏水組がトータルコーディネートを行った。それぞれ「Urban Vintage(アーバンヴィンテージ)」「Innocent Green(イノセントグリーン)」「Ellison Natural(エリソンナチュラル)」「Casual Taste(カジュアルテイスト)」の4つのテイストが用意されている。

「Ellison Natural(エリソンナチュラル)」の内装で、一人暮らしを想定した住戸(28.12平米)。1階は専用庭付き(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「Ellison Natural(エリソンナチュラル)」の内装で、一人暮らしを想定した住戸(28.12平米)。1階は専用庭付き(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「Urban Vintage(アーバンヴィンテージ)」の内装で、土間が大きく取られたカップル/ファミリー向け住戸(55.08平米)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「Urban Vintage(アーバンヴィンテージ)」の内装で、土間が大きく取られたカップル/ファミリー向け住戸(55.08平米)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

共用廊下に面した開口が広いのがコミュニティ賃貸ならでは(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

共用廊下に面した開口が広いのがコミュニティ賃貸ならでは(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

クロスやタイルはデザイン性の高いものから好みの柄を選ぶことができる。ヘリンボーンの床などPanasonicの建材を使用(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

クロスやタイルはデザイン性の高いものから好みの柄を選ぶことができる。ヘリンボーンの床などPanasonicの建材を使用(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

選択肢が多いことは、入居者にとってうれしい一方、オーナー視点では施工コストがかさみ、デメリットになりそうだ。夏水組・代表取締役の坂田夏水さんに伺うと「建具や壁紙などモノのコストは変わらず、増えるのは現場管理コストのみ」だそう。その分、夏水組が見積もりを判断し、VE(バリューエンジニアリング=機能を維持しつつ、コストを削減すること)につなげたという。

参考として展示された夏水組セレクションの壁紙のバリエーション。好みの柄を張ってカスタマイズできる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

参考として展示された夏水組セレクションの壁紙のバリエーション。好みの柄を張ってカスタマイズできる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

お披露目会に出店した「Decor Interior Tokyo」。この日は、夏水組デザインのタイルや、ニトムズのインテリアマスキングテープなど売れ筋アイテムをそろえた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

お披露目会に出店した「Decor Interior Tokyo」。この日は、夏水組デザインのタイルや、ニトムズのインテリアマスキングテープなど売れ筋アイテムをそろえた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

インテリア好きな入居者にとってうれしいのが、夏水組がプロデュースするインテリアショップ「Decor Interior Tokyo」と連携していること。幅広い商品の中から、壁紙やDIYアイテムをスタッフと一緒に選んでもらったり、施工のアドバイスを受けたりすることができるのは心強い。

未知数の「コミューンときわ」入居の決め手は「単純におもしろそう」

お披露目会では、さっそくお手伝いをする入居者の姿があった。「北浦和」駅の近くにあるクラフトビールバー「BEER HUNTING URAWA」オーナーの小林健太さんは、自慢のビールで来客をおもてなし。小林さんが参加する浦和の街をおもしろくしようという活動で開いた「うらわ横串ミーティング」での船本さんや青木さんとのトークイベントをきっかけに「コミューンときわ」に興味を持った。

入居の理由を尋ねると「単純に、おもしろそうだから」と小林さん。このシンプルな答えこそが、“まだよく分からないけど、とにかくおもしろそうな何かが生まれそう”という「コミューンときわ」の魅力を物語っている。

直井薫子さんと小林健太さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

直井薫子さんと小林健太さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

お披露目会の看板を描いていたのは、「コミューンときわ」のSOHO型住宅でデザインオフィスを構え、職住近接を実践する直井薫子さん。東日本大震災をきっかけに、地元である埼玉のことを考えるようになり、東京から引越してきた。

以前住んでいた東京・葛飾では、ローカルメディアに携わるなど、地域に対してデザインができることは何かを考え、実践してきた。「埼玉でデザイナーといえば直井と言われるように」と、地域に根ざしたデザイナーを目指している。入居して間もないが、すでに映画のイベントを企画。今後は本屋のイベントや、アートやデザインに関連したコミュニティづくりを行っていきたいと語ってくれた。

笑顔が素敵なこのお二人と仲良くなれるだけでも、入居する価値を感じる。ハード面だけでなく、住人やそこから生まれるつながりが核となり、コミュニティの輪が広がっていくことだろう。

直井さんが、お披露目会の看板を描く様子。「コミューンときわ」には入居者それぞれが得意分野を活かせる場がある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

直井さんが、お披露目会の看板を描く様子。「コミューンときわ」には入居者それぞれが得意分野を活かせる場がある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

住人同士や地域とのコミュニティづくり、そして部屋のアレンジやのサポート体制が整ったマンション。近年、自分らしい住まいを手に入れようと思ったら、物件を購入してリノベーションをするのが流行りのように思われるが、この新しい賃貸物件では、気軽に住み方のバリエーションを広げられる。

時間を掛けて、じっくり街がつくりあげられていく「コミューンときわ」。興味を持ったら、現地を訪れてみてはいかがだろうか。

●取材協力
・コミューンときわ
・株式会社夏水組
・株式会社まめくらし

パリの暮らしとインテリア[4] アーティスト夫婦が暮らす歴史的集合住宅。旅のオブジェに囲まれて

私はフランスのパリに暮らすフォトグラファーです。パリのお宅を撮影するたびに、スタイルを持った独自のイン テリアにいつも驚かされています。 今回はモンマルトルにあるアーチストのための集合住宅<Les fusains(レ・フザン)>に住むファブリスさん(夫)とベアトリスさん(妻)のアトリエ兼住居に訪れました。
特殊集合住宅<Les fusains/レ・フザン>をまずは紹介

レ・フザンはパリ18区モンマルトルの丘の麓、モンマルトル墓地近くのトゥルラク通り22番地に位置するアーティストの街です。1900年から着工され、1906年からアーティストのためのアトリエ&住居としてレンタルされ始めました。街といっても入り口はアパルトマンの扉をくぐって入ります。そこから先は迷路のような小道になっていて車は入ることができません。

一見普通のパリのアパルトマンですがこの建物の後ろに迷路のような小道があり、両脇に43世帯のアトリエ&住居が建てられています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一見普通のパリのアパルトマンですがこの建物の後ろに迷路のような小道があり、両脇に43世帯のアトリエ&住居が建てられています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レ・フザンはパブロ・ピカソやモディリアーニらが住んでいたアトリエ兼住宅バトー・ラヴォワール(洗濯船)のように、多くの有名な画家や彫刻家の住居や、仕事場であった場所として知られています。オーギュスト・ルノワールはここでワークショップを行い、アンドレ・ドランは1906年に、ジョルジュ・ジュバンは1912年に、ピエール・ボナールは1913年からここに住み作品をつくり出しています。このような芸術家が集まる集合住宅(街)としては、とても古い歴史を持ちます。
それが今もなお受け継がれ、アーティストに愛される街なのです。

ドアを開けて一歩中へ入ると、そこはもう異次元の世界

急斜面の道路から建物の中に入ると、右手はアパルトマンタイプの背の高い建物があり、小道が迷路のように入り組む両脇には一軒家が連なります。古き良き時代のパリにタイムスリップしたような気分になるのは、パリでは珍しい一軒家がたくさんあるからでしょう。大小含めた40世帯が集まるレ・フザンは全てアトリエと居住スペースが備わっているため、住民たちの交流がとても密だとか。今回訪れたのは冬だったので「今は草木たちが静かだけれど、春から夏にかけては花が咲き乱れ葉が茂りパリではなくカンパーニュのような場所になるの」とベアトリスさん。その時期は皆が外でアペリティフをしたり、夕食を食べたり、道というより庭の感覚で過ごしているそうです。

レ・フザンに入って右手にある大きなガラス窓のあるアパルトマン。大きなガラス窓はアーティストが自然光で作品を仕上げるためにとても大切。全てのアトリエがそんな工夫がなされているといいます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レ・フザンに入って右手にある大きなガラス窓のあるアパルトマン。大きなガラス窓はアーティストが自然光で作品を仕上げるためにとても大切。全てのアトリエがそんな工夫がなされているといいます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一軒家の連なる道には全ての家の前にはテーブルと椅子が用意されていて、家の一部として機能していることが伺えます。お隣とテーブル越しに楽しい会話やひとときを過ごす社交場にもなっています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一軒家の連なる道には全ての家の前にはテーブルと椅子が用意されていて、家の一部として機能していることが伺えます。お隣とテーブル越しに楽しい会話やひとときを過ごす社交場にもなっています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

小道や壁、いたるところに作品が置かれているアートスペース

彫刻や壁画などが置かれた小道は、前は誰もが入ってこれる場所でもあったそう。「作品を色々な人に見てもらうのはアーティストとしてとてもうれしいこと、しかし作品が盗まれる事件が起きるようになり住人しか入ってこれないようになってしまった」とファブリスさんは少し残念そうだった。その作品は過去に住んでいたアーティストが置いていった物、そして今の住人の作品が入り混じって置かれ時代が交差した興味深いアートスペースになっています。もうひとつ興味をそそるのが、アーティスト、画家であったり彫刻家であったり、そんな人たちの仕事場であるということはとても魅力的です。個性的で、ここから作品が生まれてくることを想像するとワクワクした気分になります。

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新旧含めた作品、主に彫刻が置かれている小道。「まるで旅をしているような迷路でしょう?」と、壁の前でレ・フザンの良さを語るおふたり(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新旧含めた作品、主に彫刻が置かれている小道。「まるで旅をしているような迷路でしょう?」と、壁の前でレ・フザンの良さを語るおふたり(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レ・フザン内で2軒目のアトリエへ引越し

お二人は10年前に今のアトリエに引越して来ました。その前も同じレ・フザン内にある60平米のアトリエ兼住居に住んでいました。「90平米のアトリエが空いたというので、すぐに引越しを決めました。北向だけれど光の入り具合もよかったし、やはり広い方が作品をつくりやすいと思ったからです」と、ファブリスさん。
住み慣れたレ・フザン内での引越しは、なんの苦労もなかったと語ります。彼らがやったことは、壁の白いペンキを塗り直し、階段をワインレッドに塗っただけだそう。1階は小さなキッチン、サロンとアトリエが一室になった自然光いっぱいのスペース。2階は寝室とアトリエから吹抜けになった浴室があります。浴室というより、部屋の中に風呂桶が置かれた個性的なつくりになっています。

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天井まで5、6mはあるアトリエのガラス窓。その続きにサロンが配置されています。サロンの天井部分が2階の浴室ルームに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井まで5、6mはあるアトリエのガラス窓。その続きにサロンが配置されています。サロンの天井部分が2階の浴室ルームに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階の浴室ルームからアトリエを見下ろすことができます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階の浴室ルームからアトリエを見下ろすことができます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階のサロン部分の上が浴槽の置かれた部屋。アトリエから吹抜けになっているので光いっぱいのスペースになっています。浴槽は黒に自分たちで塗りました。タンスは田舎の家から持って来た年代物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階のサロン部分の上が浴槽の置かれた部屋。アトリエから吹抜けになっているので光いっぱいのスペースになっています。浴槽は黒に自分たちで塗りました。タンスは田舎の家から持って来た年代物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

朝はベッドの中で朝食をとるのがお二人の日課。和ダンスは友達から譲り受けたもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

朝はベッドの中で朝食をとるのがお二人の日課。和ダンスは友達から譲り受けたもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

両親からの影響で、アートに興味を持ち、旅好きになった

ファブリスさん一家はもともと芸術家一家で、お父さんはテレビの番組制作に携わっていたり、ユネスコの仕事で20回以上日本を訪れたことのある親日家でもあったそうです。日本の武道の本を書く際に三島由紀夫をインタビューしたこともあるとか。お母さんは写真家で、マン・レイのミューズであり写真のモデルとしても交流があったそうです。そんな環境の中、彼は自然にアートの世界に入り込み、小さいときはいつでも絵を描いていたといいます。今では、絵や写真や映画のシナリオを仕事にしているマルチアーティストです。
ベアトリスさんは芸術専攻の歴史家でした。最初は文学が大好きでしたが、父が建築家であった影響で次第にアートに興味を持つようになりました。そのセンスを買われ10年間Youji Yamamotoのプレスとして働きます。Youji Yamamotoのことはジム・ジャームッシュ監督の映画『ミステリー・トレイン』で知り、非常に興味を持ったとのことでした。その後、化粧品メーカーの立ち上げなどに参加したり、日本文化を伝えるギャラリーに在籍していました。

ファブリスさんのお母様をモデルにしてマン・レイが撮った写真がサロンの一角に飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ファブリスさんのお母様をモデルにしてマン・レイが撮った写真がサロンの一角に飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベアトリスさんの家族が所有していた古い家具と宝石入れ。「旅で見つけて来たものを飾ることで自分らしいコーナーになる」とか(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベアトリスさんの家族が所有していた古い家具と宝石入れ。「旅で見つけて来たものを飾ることで自分らしいコーナーになる」とか(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

旅をして見つけたものを飾るのが彼らのスタイルをつくり出す

そんなお二人の共通の趣味は旅行。数年前1年かけて世界旅行に南米から出発し、その年は冬を体験することなく過ごしたそうです。「今でも1年に2、3回は遠くに旅に出ます。旅で色々な文化、人、景色、匂い、物に触れることが人生の大きなポイントだと私たちは考えているからです」とベアトリスさん。確かに部屋のいたるところに日本をはじめインド、メキシコ、さまざまな国のオブジェが飾られています。
それらと同じ空間に家族代々使われてきた家具が置かれ、このミックス具合が彼らの独自のスタイルをつくり出しています。そして、家族のものといえば、実は有名食器ブランド「アスティエ・ド・ヴィラット」もそう。
創立者の一人イヴァン・ペリコーリは、実はファブリスさんの弟。彼らが日々使う食器は、ほとんどがアスティエ・ド・ヴィラットのものです。

家族から受け継いだものと旅で見つけてきたものがミックスされたシュミネ(暖炉)の周りに置かれている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家族から受け継いだものと旅で見つけてきたものがミックスされたシュミネ(暖炉)の周りに置かれている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

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日本で人気のアスティエ・ド・ヴィラットの食器をこんなにたくさん持っているなんて贅沢です(写真撮影/Manabu Matsunaga)

日本で人気のアスティエ・ド・ヴィラットの食器をこんなにたくさん持っているなんて贅沢です(写真撮影/Manabu Matsunaga)

旅で出会ったオブジェだけでなく、家族代々受け継いできた家具を飾り、家族のつくった食器で食事をし、家族がモデルになったオリジナルプリントも飾る。それがマン・レイのオリジナルプリントだったり、家族の食器がアスティエ・ド・ヴィラットだったり。それでもお二人にとってはとても身近な物。
ファミリーを大切にし、好きなものしか所有しない、という信念のもとで自分たちのスタイルをつくり上げる。これは新しいボヘミアンのスタイルかもしれません。

(文・松永麻衣子)

縫製工場をリノベした自宅兼アトリエは、アートを楽しむ人たちで本日も大にぎわい

山形県西村山郡河北町。その街中に建つ1軒の建物は、外から見ると一戸建てだが、実は縫製工場をアトリエ付き住宅にリノベーションしたもの。1階部分のアトリエは、オーナーである佐藤潤さん(51歳)が自身の創作活動や、陶芸教室、切り絵教室などに使っている。“空き家”ならぬ“空き工場”が地域のコミュニティスペースとしてにぎわいを見せるまでを佐藤さんに聞いた。
縫製工場だった築28年の空き家のリノベーションを決断

佐藤さん夫妻が家を探し始めたのは2017年の秋ごろ。陶芸作品をつくる“焼きもの屋”の佐藤さんが、福島県から山形県に移住するために家を新築するつもりで土地を探していたところ、株式会社結設計工房(一級建築士事務所)の完成内覧会のチラシを偶然目にすることに。その雰囲気がすっかり気に入り、足を運んだ内覧会で見学した一戸建てに “こだわり”を感じた佐藤さんは、結設計工房に設計を依頼することにした。

それから、土地探しに本格的に取り組んだ佐藤さん夫妻。ところが、希望の広さや立地条件を満たそうとすると、どうしても予算内に収まらない。そんな中、結設計工房の代表である結城利彦さんから、「中古物件を購入し、リノベーションしてみては?」との提案があり、引き渡し済みの実際にリノベーションした中古戸建てを見学しに行った。

「『あれ? いいじゃない?』というのが第一印象でした。土地はたくさん見学しましたが、最終的には、築28年の中古の建物をリノベーションすることに決めました」(佐藤さん)

「一戸建て」ではなく、「建物」としたのには理由がある。それは、この建物が、住宅ではなく、ニット製品を製造する縫製工場だったから。倒産による廃業で競売にかけられた結果、不動産会社が所有。10年ほど前から”空き家”ならぬ”空き工場”となっていたのだ。

「鉄骨造なので1階部分に柱がほとんどなかったことが決め手に。『ここだったら広いアトリエがつくれるぞ!』と決断しました」(佐藤さん)

リノベーションする前(上)と、リノベーション後(下)。凍結融解により剥落していた外壁を、金属系のサイディングに変更。メルヘンチックな外観を、「和」を意識したつや消しの黒を基調とするデザインにすることで、陶芸のイメージに近づけた(写真提供/結設計工房)

リノベーションする前(上)と、リノベーション後(下)。凍結融解により剥落していた外壁を、金属系のサイディングに変更。メルヘンチックな外観を、「和」を意識したつや消しの黒を基調とするデザインにすることで、陶芸のイメージに近づけた(写真提供/結設計工房)

リノベーション前(上)とリノベーション後(下)の1階部分。鉄骨造のため、柱がなく広々とした空間を確保。天井も一般の住宅より高く、その分、さらに開放感のあるアトリエとなった(写真提供/結設計工房)

リノベーション前(上)とリノベーション後(下)の1階部分。鉄骨造のため、柱がなく広々とした空間を確保。天井も一般の住宅より高く、その分、さらに開放感のあるアトリエとなった(写真提供/結設計工房)

リノベーション後の階段部分。「元工場だった名残で、廊下が広く、階段が緩やかなのがうれしい」(佐藤さん)(写真提供/結設計工房)

リノベーション後の階段部分。「元工場だった名残で、廊下が広く、階段が緩やかなのがうれしい」(佐藤さん)(写真提供/結設計工房)

工場時代の照明や自然素材を使い、コストを抑えながら雰囲気のある空間に

リノベーションは、「使い込むほどに風合いを増すように、自然素材をなるべく多く使う」という方針のもとに行った。また、コストを抑えるために、建物の形やサッシの位置などはできるだけ変更せず、1階のアトリエ部分でも、工場で使っていた照明器具や天井の電源をそのまま活かす形で残した。

一方、アトリエを陶芸教室としても使う予定だったので、通りを歩く人に認知してもらえるように、「和」を意識したスタイリッシュな外観に一新。中の様子が少し見えるようにと、スリットのある格子戸を採用した。また、施主である佐藤さん夫妻の意見を反映しながら進められるよう、大工は1人のみ。対話を通して細部を詰めつつ、約半年間かけて、じっくりと建てた。

加えて、1階をアトリエと作業スペース、来客用の和室といったパブリックスペースとし、2階をリビングや寝室などのプライベートゾーンとして分離。2階のリビングは、通りを行き交う人の目を気にせずに、ゆっくりリラックスできるくつろぎの空間となった。

佐藤さん自身の作品も飾っているリビング。窓はLow-Eペアガラスに交換、床は無垢フローリングを採用し、あたたかみのある空間に仕上げた(撮影/筒井岳彦)

佐藤さん自身の作品も飾っているリビング。窓はLow-Eペアガラスに交換、床は無垢フローリングを採用し、あたたかみのある空間に仕上げた(撮影/筒井岳彦)

2階のパウダールーム。塗り壁や大工と建具職人がつくった特注の家具や建具など、自然素材の内装材の効果で、あたたかい雰囲気の明るい空間となっている(撮影/筒井岳彦)

2階のパウダールーム。塗り壁や大工と建具職人がつくった特注の家具や建具など、自然素材の内装材の効果で、あたたかい雰囲気の明るい空間となっている(撮影/筒井岳彦)

1階玄関から奥につながる廊下にピクチャーレールを設け、自分の作品をギャラリー風に展示(撮影/筒井岳彦)

1階玄関から奥につながる廊下にピクチャーレールを設け、自分の作品をギャラリー風に展示(撮影/筒井岳彦)

小学生から92歳まで。陶芸・切り絵の教室が地域の人が集まる憩いの場に

建物が完成したときには、内覧会を開催。地域の人に陶芸を体験してもらうイベントも行った。近所に住む内藤さんも、結設計工房に家を設計してもらった縁で、この内覧会を訪れて陶芸を体験。その後、この教室に通うことになった。

「子どもの絵画教室を探していたところ、ここで図画工作を教えてもらえることになって。子どもに習わせるつもりだったのですが、付き添っていたら、母親である私まで楽しくなって通うことになりました。絵画だけでなく、切り絵や迷路づくり、陶芸なども習っていて、干支の置物や、8連発の割り箸鉄砲などのおもちゃもつくるんですよ。佐藤さんは、子どもが興味を持ったものを察知して、『じゃ、これやってみようか』とトライさせるやり方。子どもの可能性を引き出す教え方に感謝しています」(内藤さん)

結設計工房の代表夫妻も、教室がオープンした当初から通い始めた生徒のうちの一人。1年半が経ち、今ではダンボール1箱もの作品がある。

「好きなようにやらせてくれる上に、好きなようにやったことを褒めて伸ばしてくれるんです。だから続けられるのかも。月2回のペースで通って、毎回3~4時間はここで作品をつくっています」(結城可奈子さん)

生徒の中には、20時に来て夜中の2時まで教室にいる人も。中には92歳という高齢の人もいて、子どもからお年寄りまで、実にバラエティ豊かな年齢層の人たちがここに集まっていることになる。そして、陶芸や切り絵、図画工作など、思い思いの創作に取り組んでいるのだ。

こうしたアットホームな居心地の良さには、教室のつくりも一役買っている。通りに面した部分に格子戸を採用したことが内外の絶妙な距離感を保っている上、洗練され過ぎないようにラフな感じを残した仕上げにしたことで、気を使わずに利用できる親しみのある空間になったからだ。居心地の良いアトリエだからこそ、生徒の滞在時間が長くなり、自然に世代を超えた生徒同士のコミュニケーションも生まれた。

「陶芸はコミュニケーションの手段の一つであり、こちらが押し付けるのはおかしいと思っています。むしろ、相手の願いや思いを叶えてあげるのが、コミュニケーションの本来のあり方。だからこの教室では、受講時間やテーマは特に決めずに、その都度、相手に応じたテーマを考えるんです」(佐藤さん)

陶芸に使う窯は、火をたくタイプのものだと、近隣の目が気になるが、電気窯やガス窯であれば、街中でも問題なく使える。通りに面した今の場所なら、さらに気兼ねなく陶芸ができるし、人も集まってきやすい。そういう意味でも、ここに教室を開いて良かったのだと佐藤さんはいう。

「この場にいろいろな人たちが集まってくれることで、自分の制作時間は減ってしまいますが、それでも人とのかかわりができたことは、自分の人生にとってはとても良いこと。土地を探しはじめた当初は、人里離れた地に窯を構えることを考えていたのですが、街の中のアトリエにして正解でした」(佐藤さん)

題材であるりんごを前に、絵手紙を制作。教室では、子どもも大人も一緒に制作に取り組む(撮影/筒井岳彦)

題材であるりんごを前に、絵手紙を制作。教室では、子どもも大人も一緒に制作に取り組む(撮影/筒井岳彦)

ろくろに向かうと、ついつい熱中して時間が経つのを忘れるという結城可奈子さん。制作に集中できる環境も手伝い、いつも3~4時間は教室に滞在する(撮影/筒井岳彦)

ろくろに向かうと、ついつい熱中して時間が経つのを忘れるという結城可奈子さん。制作に集中できる環境も手伝い、いつも3~4時間は教室に滞在する(撮影/筒井岳彦)

奥にあるのが窯。手前の棚には、成形された作品が、窯で焼かれるのを待っている(撮影/筒井岳彦)

奥にあるのが窯。手前の棚には、成形された作品が、窯で焼かれるのを待っている(撮影/筒井岳彦)

原則として、自身の制作(陶芸と切り絵)は、毎日行う佐藤さん。その合間に、陶芸教室や切り絵の個人レッスン、子ども向けの図画工作教室を開いている(撮影/筒井岳彦)

原則として、自身の制作(陶芸と切り絵)は、毎日行う佐藤さん。その合間に、陶芸教室や切り絵の個人レッスン、子ども向けの図画工作教室を開いている(撮影/筒井岳彦)

右のドアがプライベートゾーン用の玄関。左が、アトリエの玄関と、入口を分けている(写真提供/結設計工房)

右のドアがプライベートゾーン用の玄関。左が、アトリエの玄関と、入口を分けている(写真提供/結設計工房)

縫製工場がアトリエ付き住宅として再生され、地域の人々が集うコミュニケーションの場となったこの建物は、第36回住まいのリフォームコンクール<コンバージョン部門>で「公益財団法人住宅リフォーム・紛争処理支援センター理事長賞」に輝いた。「スーパーの横の黒い建物」として認知され、地域の若者が仲間を連れてぐい呑をつくりに来たりするというこのアトリエ。老後は、アトリエ部分をリビング・ダイニングに改装して、1階部分だけで暮らせるようにすることも考えているというから、今後もゆるやかに形と機能を変容させていく可能性を残しているということになる。まさにこの時代の「コンバージョン」のあり方を示す好例なのではないだろうか。

●参考
アトリエたる
株式会社結設計工房

“子育てに人気の街”弊害も。テレワークが変える郊外の子育て

前回の記事「テレワーク導入に900社が理解示さず。流山市の民間シェアオフィスが挑む高い壁」では、千葉県流山市で子育て世代の母親・父親などのテレワークを実現するシェアサテライトオフィス「Trist(トリスト)」の立ち上げについてお伝えした。

流山市のような郊外でテレワークが求められている背景には、「子育てに人気の街」ゆえの悩みがある。尾崎さんによると、子育て世代が多く流入する地域は子育て関連サービスのニーズがあまりにも多く、働きやすさや子育てのしやすさを向上させるためのサービスの供給が追いついていない。そのため通勤時間の長い郊外ほど、仕事と家庭の両立は難しいという。
テレワークを始めると父親・母親たちの生活はどう変わるのか? トリスト利用者の出(いで)梓さんと梁瀬(やなせ)順子さんに話を聞いた。

子どもが増えても有給は増えない。3人目の出産で迎えた限界写真左から、出梓さん、尾崎えり子さん、梁瀬順子さん(撮影/片山貴博)

写真左から、出梓さん、尾崎えり子さん、梁瀬順子さん(撮影/片山貴博)

現在3人の子どもを育てながらトリストでテレワークをする梁瀬さんは10年前、結婚を機に子育て環境を求めて流山市に引越してきた。

当時は時短勤務で埼玉県の企業に通勤していたが、子どもの体調不良で何度も保育園から呼び出された。さらに学校の行事や面談の数は子どもの数に応じて増えるのに、有給の日数は変わらない。「子どもが2人の時点でいっぱいいっぱいだったので、これは無理だと思い、3人目を産む前に思いきって退職しました」

それからは専業主婦としての生活を始めたが、子どもたちと一日中過ごす生活は想像以上にハードだった。「働いている方がイライラしないし、自分にとってバランスがいい」と気づき、地元でアルバイトを探し始めた。ところがどんなにやる気をアピールしても、土日のシフトに入れないことを理由に一向に採用されない。梁瀬さんは「一度正社員を捨てると、アルバイトですら働くことは難しいんだと思い知らされました」と当時を振り返る。

トリストのエントランス(写真/片山貴博)

トリストのエントランス(写真/片山貴博)

トリストのエントランスとミーティングスペース(写真/片山貴博)

トリストのエントランスとミーティングスペース(写真/片山貴博)

そんななか、子どもの保育園が一緒だった尾崎さんに悩みを相談してみたところ、運よく尾崎さんの仕事をトリストで手伝わせてもらうことに。3人目の子どもが保育園に入ってからは都内のベンチャー企業にテレワーク前提で採用され、現在はバックオフィス業務を担う週3日勤務の正社員としてトリストで働いている。

テレワークを始めてから「生活の自由度が増した」と語る梁瀬さん。「以前は何か用事が一つあると、有給を半日から1日は取らないといけませんでした。でも今は地元で働いているので、3人分の行事も習い事も面談も働きながら全て対応できます。通勤時間がない分、時間を効率的に使えている実感があります」

有給を消化しなくとも、子どもたちとの時間を大切にできるし、自分の時間も確保できる。テレワークがなければ決して実現しなかった生活について、梁瀬さんは朗らかな表情で語ってくれた。

「一度辞めると、同じポジションに戻るのは難しい」トリストでテレワークをする様子(写真/片山貴博)

トリストでテレワークをする様子(写真/片山貴博)

2人目は、アパレルや雑貨メーカー向けの刺繍を企画製造する会社で働いてきた出(いで)さん。専門的な仕事に就きながら、保育園児と0歳児の2人の子どもを育てている。もともとは都内で暮らしていたが、子育て環境を求めて3年前に流山市に移り住んできた。

「アパレルの仕事は忙しくて時間が不規則ですし、トレンドの変化が激しいので、『一度辞めると、同じポジションで復職するのは難しい』と言われています。実際に私の会社で育休復帰した人は一人もいなかったのですが、仕事が大好きだったので、出産してもなんとか続けたかったんです」

流山から職場まで、通勤途中での保育園への送り迎えを含めると往復3時間。時短勤務にするだけでも、迷惑をかけているという負い目を感じてしまうはずなのに、子どもが熱を出して保育園に呼び出されるようなことが続けば、きっと仕事が手につかなくなる。そんな不安から、出さんは「私は会社に必要ないのだろか?」とまで考えたという。

出さんは第一子の出産後、たまたま手に取ったフリーペーパーでトリストの存在を知り、すぐに尾崎さんに連絡をとった。アパレル業界でのテレワークは非常にレアケースであるため、利用したいが会社を説得できる自信がないと相談すると、尾崎さんは出さんと一緒に会社に出向き、社長を説得してくれた。トリストでのテレワークが認められたおかげで、出さんは会社史上初の育休復帰を果たし、仕事を続けることができた。

「家と保育園とトリストがとても近いので、保育園からの急な呼び出しにも対応できますし、病後児保育を利用したり家で看病したりしながら仕事を再開できます。有給がなくなる不安もありません。通勤時間がない分、時間を有効活用できています。もしテレワークができていなかったら、仕事を諦めていたかもしれません」

出さんがデザイン・制作したトリストのワッペン(写真/片山貴博)

出さんがデザイン・制作したトリストのワッペン(写真/片山貴博)

仕事を続けるために必要なのは「地域コミュニティ」

梁瀬さんや出さんのように、「地元でやりがいのある仕事をしながら、家族との時間も大切にしたい」と願う人たちが1つのワークスペースに集うことで、仕事と家庭だけではない第3の場所として“地域コミュニティ”を同時に築くことができる。

「子どもを迎えに行けないときは、トリストのメンバーにお迎えを頼むことができるのでとても助かっています。困ったときにお互いに助け合えますし、地域の生の情報を得られるのもありがたいです。予防接種の受付が始まったとか、いいお店があるとか」と梁瀬さんは語る。

トリスト発起人の尾崎さんによると、「流山市は子育てを目的に引越してくる人が多いので、もともと地域には縁もゆかりもない人が多い」。香川県出身の尾崎さんもその一人だ。

尾崎さんは最初、「会社の理解があり、家族で家事分担ができていれば、仕事と育児の両立は容易」と思っていた。しかし現実はそうではなかった。「都内の企業に通勤していたのですが、子どもが熱を出して保育園からはしょっちゅう呼び出されますし、私が体調を崩して家族に頼れないときは、ご飯を買いに行くことすらできませんでした」

「このままでは仕事を続けられない」。そう思った尾崎さんは、香川県の実家から季節ごとに送ってもらったうどんやみかんを、近所のおじいちゃんおばあちゃんたちにおすそ分けした。何かあったら助けてもらえるよう、日常からコミュニケーションをとるようにしたのだ。その甲斐あって、地域のシニアは困ったときに子どもを預かってくれるなど、尾崎さんがヘルプを出した際に快く手を貸してくれるようになった。

その一方で、尾崎さんは地域のシニアのためにお米などの買い物を進んで引き受けている。「時間のあるシニアとパワーのある子育て層が互いにないものを補い合うことで、地域がうまく連携できる」と尾崎さん。「郊外で暮らす子育て世代が仕事を継続できるかどうかは、地域ネットワークがあるかどうかにかかっています」

しかし都内に働きに出ていると、忙しい子育て世代は地域と関わる時間を持つことは難しい。お金で買えない地域コミュニティは、時間をかけて構築することが必要だ。「働きながら地域コミュニティと繋がれて、家族との時間も大切にできる、この3つを同時進行できる場所」の必要性を認識した尾崎さんは、トリストを通じて地域との関わりが生まれるよう、さまざまな工夫をしている。

トリスト利用者の子どもたち向けにプログラミング講座を開いたり、高校生にカフェを運営してもらったり。トリストの近くに住むシニアには防犯見守りや託児の協力も得ている。

トリスト利用者の子どもたち向けにプログラミング講座を開いたときの様子(写真提供/梁瀬さん)

トリスト利用者の子どもたち向けにプログラミング講座を開いたときの様子(写真提供/梁瀬さん)

トリストのお掃除や託児をしてくださっている女性(写真提供/トリスト)

トリストのお掃除や託児をしてくださっている女性(写真提供/トリスト)

今では次のような助け合いが自然とできる関係が生まれているという。

「ある日トリストで働くお母さんが乗って帰って来るはずだった飛行機が遅延して、3人の子どもたちを保育園に迎えに行けなくなってしまいました。そのとき、SNSの入居者グループでそのお母さんがヘルプを出した瞬間、トリストのお母さんたちが役割分担をして動き始めたんです。あるお母さんは子どもたちをそれぞれの保育園に迎えに行き、あるお母さんはご飯を用意して子どもたちを受け入れました。当然金銭のやり取りは発生していません。普段時間をかけて人間関係を築いているからこそ、いざというときにチームプレーが生まれるんです」

父親・母親の働き方が変われば、子どものキャリア観も変わる

トリストは父親・母親の働き方を変えるだけでなく、子どものキャリア観を育むことも目指していると尾崎さんは語る。

「子どもたちがいかに地域において広いキャリア観を持てるかが、これからの日本に求められています。そのためにはどの親の子どもであれ、いろんなネットワークや仕事を地域の中で知る機会が必要です」

トリストでは、入居者のキャリアを活かした子ども向けのワークショップを開催している。アパレル業界で働く出さんは、子どもたちにミシンの使い方を教え、アニメキャラクターの衣装をみんなでつくったところ大評判だったそうだ。

出さんにミシンの使い方を習う子どもたち(写真提供/トリスト)

出さんにミシンの使い方を習う子どもたち(写真提供/トリスト)

自分でつくった衣装を着てポーズを決める子どもたち(写真提供/トリスト)

自分でつくった衣装を着てポーズを決める子どもたち(写真提供/トリスト)

こうしたスキル面だけでなく、「好きなことをして働く背中を子どもたちに見せることが、子どもたちにとって一番のキャリア教育になる」と尾崎さんは話す。

「どんなに学校がキャリア教育を施しても、結局子どもたちのキャリア観は親がつくるものです。父親・母親が自分の未来を信じて、自分自身が楽しむ姿を子どもに見せてほしい。お父さん、お母さんたちの働き方を変えることが、遠回りに見えて、実は子どもたちのキャリア観を一番広くしてあげられることなんです」

テレワーク人口が増えれば、日本は面白くなる

「テレワークがなければ仕事を辞めていたかもしれない」という言葉を聞くたびに、今までどれほど多くの母親たちが地元でキャリアを活かして働くことを諦めてきたのかと思う。父親・母親は子どものために仕事を諦めるのではなく、子どものためにこそ仕事を続けてほしい。そのためには、テレワークなどの働き方の支援や、地域との助け合いが必要だ。父親・母親のためだけでなく日本のために、この動きが全国に広がっていくことが望まれる。

●取材協力
Trist(トリスト)

“子育てに人気の街”弊害も。テレワークが変える郊外の子育て

前回の記事「テレワーク導入に900社が理解示さず。流山市の民間シェアオフィスが挑む高い壁」では、千葉県流山市で子育て世代の母親・父親などのテレワークを実現するシェアサテライトオフィス「Trist(トリスト)」の立ち上げについてお伝えした。

流山市のような郊外でテレワークが求められている背景には、「子育てに人気の街」ゆえの悩みがある。尾崎さんによると、子育て世代が多く流入する地域は子育て関連サービスのニーズがあまりにも多く、働きやすさや子育てのしやすさを向上させるためのサービスの供給が追いついていない。そのため通勤時間の長い郊外ほど、仕事と家庭の両立は難しいという。
テレワークを始めると父親・母親たちの生活はどう変わるのか? トリスト利用者の出(いで)梓さんと梁瀬(やなせ)順子さんに話を聞いた。

子どもが増えても有給は増えない。3人目の出産で迎えた限界写真左から、出梓さん、尾崎えり子さん、梁瀬順子さん(撮影/片山貴博)

写真左から、出梓さん、尾崎えり子さん、梁瀬順子さん(撮影/片山貴博)

現在3人の子どもを育てながらトリストでテレワークをする梁瀬さんは10年前、結婚を機に子育て環境を求めて流山市に引越してきた。

当時は時短勤務で埼玉県の企業に通勤していたが、子どもの体調不良で何度も保育園から呼び出された。さらに学校の行事や面談の数は子どもの数に応じて増えるのに、有給の日数は変わらない。「子どもが2人の時点でいっぱいいっぱいだったので、これは無理だと思い、3人目を産む前に思いきって退職しました」

それからは専業主婦としての生活を始めたが、子どもたちと一日中過ごす生活は想像以上にハードだった。「働いている方がイライラしないし、自分にとってバランスがいい」と気づき、地元でアルバイトを探し始めた。ところがどんなにやる気をアピールしても、土日のシフトに入れないことを理由に一向に採用されない。梁瀬さんは「一度正社員を捨てると、アルバイトですら働くことは難しいんだと思い知らされました」と当時を振り返る。

トリストのエントランス(写真/片山貴博)

トリストのエントランス(写真/片山貴博)

トリストのエントランスとミーティングスペース(写真/片山貴博)

トリストのエントランスとミーティングスペース(写真/片山貴博)

そんななか、子どもの保育園が一緒だった尾崎さんに悩みを相談してみたところ、運よく尾崎さんの仕事をトリストで手伝わせてもらうことに。3人目の子どもが保育園に入ってからは都内のベンチャー企業にテレワーク前提で採用され、現在はバックオフィス業務を担う週3日勤務の正社員としてトリストで働いている。

テレワークを始めてから「生活の自由度が増した」と語る梁瀬さん。「以前は何か用事が一つあると、有給を半日から1日は取らないといけませんでした。でも今は地元で働いているので、3人分の行事も習い事も面談も働きながら全て対応できます。通勤時間がない分、時間を効率的に使えている実感があります」

有給を消化しなくとも、子どもたちとの時間を大切にできるし、自分の時間も確保できる。テレワークがなければ決して実現しなかった生活について、梁瀬さんは朗らかな表情で語ってくれた。

「一度辞めると、同じポジションに戻るのは難しい」トリストでテレワークをする様子(写真/片山貴博)

トリストでテレワークをする様子(写真/片山貴博)

2人目は、アパレルや雑貨メーカー向けの刺繍を企画製造する会社で働いてきた出(いで)さん。専門的な仕事に就きながら、保育園児と0歳児の2人の子どもを育てている。もともとは都内で暮らしていたが、子育て環境を求めて3年前に流山市に移り住んできた。

「アパレルの仕事は忙しくて時間が不規則ですし、トレンドの変化が激しいので、『一度辞めると、同じポジションで復職するのは難しい』と言われています。実際に私の会社で育休復帰した人は一人もいなかったのですが、仕事が大好きだったので、出産してもなんとか続けたかったんです」

流山から職場まで、通勤途中での保育園への送り迎えを含めると往復3時間。時短勤務にするだけでも、迷惑をかけているという負い目を感じてしまうはずなのに、子どもが熱を出して保育園に呼び出されるようなことが続けば、きっと仕事が手につかなくなる。そんな不安から、出さんは「私は会社に必要ないのだろか?」とまで考えたという。

出さんは第一子の出産後、たまたま手に取ったフリーペーパーでトリストの存在を知り、すぐに尾崎さんに連絡をとった。アパレル業界でのテレワークは非常にレアケースであるため、利用したいが会社を説得できる自信がないと相談すると、尾崎さんは出さんと一緒に会社に出向き、社長を説得してくれた。トリストでのテレワークが認められたおかげで、出さんは会社史上初の育休復帰を果たし、仕事を続けることができた。

「家と保育園とトリストがとても近いので、保育園からの急な呼び出しにも対応できますし、病後児保育を利用したり家で看病したりしながら仕事を再開できます。有給がなくなる不安もありません。通勤時間がない分、時間を有効活用できています。もしテレワークができていなかったら、仕事を諦めていたかもしれません」

出さんがデザイン・制作したトリストのワッペン(写真/片山貴博)

出さんがデザイン・制作したトリストのワッペン(写真/片山貴博)

仕事を続けるために必要なのは「地域コミュニティ」

梁瀬さんや出さんのように、「地元でやりがいのある仕事をしながら、家族との時間も大切にしたい」と願う人たちが1つのワークスペースに集うことで、仕事と家庭だけではない第3の場所として“地域コミュニティ”を同時に築くことができる。

「子どもを迎えに行けないときは、トリストのメンバーにお迎えを頼むことができるのでとても助かっています。困ったときにお互いに助け合えますし、地域の生の情報を得られるのもありがたいです。予防接種の受付が始まったとか、いいお店があるとか」と梁瀬さんは語る。

トリスト発起人の尾崎さんによると、「流山市は子育てを目的に引越してくる人が多いので、もともと地域には縁もゆかりもない人が多い」。香川県出身の尾崎さんもその一人だ。

尾崎さんは最初、「会社の理解があり、家族で家事分担ができていれば、仕事と育児の両立は容易」と思っていた。しかし現実はそうではなかった。「都内の企業に通勤していたのですが、子どもが熱を出して保育園からはしょっちゅう呼び出されますし、私が体調を崩して家族に頼れないときは、ご飯を買いに行くことすらできませんでした」

「このままでは仕事を続けられない」。そう思った尾崎さんは、香川県の実家から季節ごとに送ってもらったうどんやみかんを、近所のおじいちゃんおばあちゃんたちにおすそ分けした。何かあったら助けてもらえるよう、日常からコミュニケーションをとるようにしたのだ。その甲斐あって、地域のシニアは困ったときに子どもを預かってくれるなど、尾崎さんがヘルプを出した際に快く手を貸してくれるようになった。

その一方で、尾崎さんは地域のシニアのためにお米などの買い物を進んで引き受けている。「時間のあるシニアとパワーのある子育て層が互いにないものを補い合うことで、地域がうまく連携できる」と尾崎さん。「郊外で暮らす子育て世代が仕事を継続できるかどうかは、地域ネットワークがあるかどうかにかかっています」

しかし都内に働きに出ていると、忙しい子育て世代は地域と関わる時間を持つことは難しい。お金で買えない地域コミュニティは、時間をかけて構築することが必要だ。「働きながら地域コミュニティと繋がれて、家族との時間も大切にできる、この3つを同時進行できる場所」の必要性を認識した尾崎さんは、トリストを通じて地域との関わりが生まれるよう、さまざまな工夫をしている。

トリスト利用者の子どもたち向けにプログラミング講座を開いたり、高校生にカフェを運営してもらったり。トリストの近くに住むシニアには防犯見守りや託児の協力も得ている。

トリスト利用者の子どもたち向けにプログラミング講座を開いたときの様子(写真提供/梁瀬さん)

トリスト利用者の子どもたち向けにプログラミング講座を開いたときの様子(写真提供/梁瀬さん)

トリストのお掃除や託児をしてくださっている女性(写真提供/トリスト)

トリストのお掃除や託児をしてくださっている女性(写真提供/トリスト)

今では次のような助け合いが自然とできる関係が生まれているという。

「ある日トリストで働くお母さんが乗って帰って来るはずだった飛行機が遅延して、3人の子どもたちを保育園に迎えに行けなくなってしまいました。そのとき、SNSの入居者グループでそのお母さんがヘルプを出した瞬間、トリストのお母さんたちが役割分担をして動き始めたんです。あるお母さんは子どもたちをそれぞれの保育園に迎えに行き、あるお母さんはご飯を用意して子どもたちを受け入れました。当然金銭のやり取りは発生していません。普段時間をかけて人間関係を築いているからこそ、いざというときにチームプレーが生まれるんです」

父親・母親の働き方が変われば、子どものキャリア観も変わる

トリストは父親・母親の働き方を変えるだけでなく、子どものキャリア観を育むことも目指していると尾崎さんは語る。

「子どもたちがいかに地域において広いキャリア観を持てるかが、これからの日本に求められています。そのためにはどの親の子どもであれ、いろんなネットワークや仕事を地域の中で知る機会が必要です」

トリストでは、入居者のキャリアを活かした子ども向けのワークショップを開催している。アパレル業界で働く出さんは、子どもたちにミシンの使い方を教え、アニメキャラクターの衣装をみんなでつくったところ大評判だったそうだ。

出さんにミシンの使い方を習う子どもたち(写真提供/トリスト)

出さんにミシンの使い方を習う子どもたち(写真提供/トリスト)

自分でつくった衣装を着てポーズを決める子どもたち(写真提供/トリスト)

自分でつくった衣装を着てポーズを決める子どもたち(写真提供/トリスト)

こうしたスキル面だけでなく、「好きなことをして働く背中を子どもたちに見せることが、子どもたちにとって一番のキャリア教育になる」と尾崎さんは話す。

「どんなに学校がキャリア教育を施しても、結局子どもたちのキャリア観は親がつくるものです。父親・母親が自分の未来を信じて、自分自身が楽しむ姿を子どもに見せてほしい。お父さん、お母さんたちの働き方を変えることが、遠回りに見えて、実は子どもたちのキャリア観を一番広くしてあげられることなんです」

テレワーク人口が増えれば、日本は面白くなる

「テレワークがなければ仕事を辞めていたかもしれない」という言葉を聞くたびに、今までどれほど多くの母親たちが地元でキャリアを活かして働くことを諦めてきたのかと思う。父親・母親は子どものために仕事を諦めるのではなく、子どものためにこそ仕事を続けてほしい。そのためには、テレワークなどの働き方の支援や、地域との助け合いが必要だ。父親・母親のためだけでなく日本のために、この動きが全国に広がっていくことが望まれる。

●取材協力
Trist(トリスト)

テレワーク導入に900社が理解示さず。流山市の民間シェアオフィスが挑む高い壁

テレワーク(リモートワーク)の導入が推進されてはいるものの、まだ十分に普及しているとは言えない。企業におけるテレワークの導入率はわずか19.0%(総務省「平成30年 通信利用動向調査」)。「会社に制度はあっても、実際に使っている人はいない」という話を耳にすることも多い。

そんななか、テレワークを千葉県流山市で定着させようとしている人がいる。都内(または全国)の企業に所属しながら流山で働くことを実現するシェアサテライトオフィス「Trist(トリスト)」を運営する、尾崎えり子さんだ。トリスト立ち上げまでの道のりを聞くと、日本でのテレワークの定着が難しい現状が見えてきた。

「キャリアを消さないと地元で働けないなんて」

ワーキングスペースを提供するだけではなく、テレワークを初めて実施する企業や従業員をサポートするトリスト。通勤時間を理由に一度は仕事をあきらめた母親たちなどの再就職を含め、50名以上がTrist(トリスト)を活用している。

尾崎さんがトリストを立ち上げた背景には、自身が子育て中に思うような仕事に就けなかった経験がある。第一子を出産後、流山市から都内の企業に通勤していた尾崎さんは、子どもの体調不良で保育園に呼び戻されることが多く、思うように仕事ができない日々が続いた。「こんな状況では仕事と子育ての両立は厳しい」と思い、第二子の出産を機に退職を決意する。

シェアサテライトオフィス「Trist(トリスト)」を運営する尾崎えり子さん(撮影/片山貴博)

シェアサテライトオフィス「Trist(トリスト)」を運営する尾崎えり子さん(撮影/片山貴博)

地元で就職先を見つけようとするが、選択肢は少なく、コンビニやファストフード店のアルバイトの面接にも出向いた。しかし、その扉が開くことはなかった。

「都内の企業で経営コンサルティングの仕事をしたり、企業内起業で社長をしていた私は『キャリアがありすぎる』と言われたんです。それで、他のお母さんたちはどうやって仕事を見つけているんだろう?と思ってママ友に聞いてみると、かつて外資系金融機関で営業をしていた友人は、そのキャリアを履歴書には書かずに、大学時代のカフェバイトの経歴だけを書いてやっと小売店でのアルバイトに採用されたそうなんです」

「キャリアを消さないと働けないなんておかしい」。そう思った尾崎さんは現状を変えるべく、地元でキャリアを活かして働ける場所をつくる決意をした。「日本の労働人口は、今後ものすごい勢いで減少していきます。ママを救いたいという気持ちではなく、今まで労働に参加できていなかった人たちが働きやすい環境をつくってこの国をなんとかしなければという気持ちでした」

「ママなんてバイトで満足でしょ」テレワークに理解を示さない企業

トリストではワーキングスペースの提供だけでなく、テレワークの教育プログラムを企業と個人双方に行っている。日本マイクロソフト社とともにEmpowered JAPANというテレワーク教育プログラムを立ち上げた。テレワーカーとしての姿勢や心構えを尾崎さんが直接指導するのに加え、労務管理やセキュリティ、クラウドでの共同作業なども各専門家がレクチャーする。講座の中にはテレワーカーの採用を希望する企業へのテレワークインターンも組み込まれている。その後、希望企業にはTristで採用説明会を開催。採用に至った場合の紹介料は発生せず、ワーキングスペースの席料のみ企業から支払われる仕組みだ。

トリストで働くには、テレワークを前提に新たに雇用してもらう方法と、流山から都心の企業に通勤している人が会社にテレワークを許可してもらう2つの方法がある。後者の場合は尾崎さんが必要に応じて打ち合わせに同席し、責任者を説得するサポートをしてくれるというから心強い。

トリストで教育プログラムを受講している様子(写真提供/Trist)

トリストで教育プログラムを受講している様子(写真提供/Trist)

トリストのシステムに賛同してくれる企業を増やすべく、尾崎さんが営業した企業は実に960社。ところが、そのうち共感してくれた企業はたったの60社だった。

「一体いつの時代の人権教育の影響なんだろうと思ってしまうくらい、信じられないような発言をする方がたくさんいらっしゃいました。次の言葉は、私が実際に企業の担当者の方からかけられた言葉です」

「あなたが3人目、4人目を産めば少子化は解決するんじゃないですか?」
「あなたたちみたいに働く女性が多いからこんな社会になってしまったんですよ」
「お母さんなんて3時間パン屋さんでバイトすれば満足でしょ?」

尾崎さんは「悔しくて、噛み締めた唇から血が出るほどだった」と当時を振り返る。テレワークの必要性を認めてもらえないどころか、自分自身が見下されている。このままでは日本は変わらないのに、どうして分かってくれないのか。

「今後日本は大介護時代に突入します。そのとき、マネジメント層の人たちもテレワークが必要な状況に陥ります。そうなる前に企業は今から試行錯誤して、自分たちに合ったテレワークのやり方を見つけなくてはなりません。本当に必要になってから慌てふためいても遅いんです」

日本でテレワークが浸透しない3つの理由トリストのエントランス(写真/片山貴博)

トリストのエントランス(写真/片山貴博)

トリストのミーティングスペース(写真/片山貴博)

トリストのミーティングスペース(写真/片山貴博)

地元でテレワークができれば、これまでのキャリアを活かして働きながら、家族との時間も大切にできる。いいことばかりのように思えるが、なぜ日本でテレワークは浸透しないのだろうか。

尾崎さんによると3つの理由がある。1つ目は「法律」の問題。特に中小企業にとっては、労働法上テレワークを使いづらい環境になっているという。

2つ目は「マネジメント」の問題。今マネジメント層にいる人たちは、会社に通勤することで成功してきた人たち。そのため、部下が目の前にいないと、「マネジメントができなくなるんじゃないか」「結果を出してもらえないんじゃないか」「サボるんじゃないか」といった不安を感じてしまう傾向にある。

3つ目は「セキュリティ」の問題。例えば人事の仕事は「セキュリティレベルが高いからテレワークはできない」と言われるが、解決の糸口は業務を棚卸しすることで見えてくる。具体的には、「評価」の業務はセキュリティレベルが高いとしても、「スカウトメールの送信」や「媒体への求人情報の掲載」といった業務はそこまで高くはないはずだ。その場合、週2日は本社で評価業務を行い、週3日はテレワークでその他の業務を行うといった対応が検討できる。

尾崎さんは「今まで『テレワークは難しい』と言われていた業界や職種でこそ挑戦したい」と力強く語る。

往復3時間の通勤から解放され「心の余裕が全然違う」写真左からトリスト利用者の出梓さん、梁瀬順子さん(写真/片山貴博)

写真左からトリスト利用者の出梓さん、梁瀬順子さん(写真/片山貴博)

実際にトリストでテレワークをしている利用者の話を聞いた。1人目は3人のお子さんを育てる梁瀬(やなせ)順子さん。子育て環境を求めて流山市に引越す前は、埼玉県の企業で正社員として働いていた。2019年4月からトリストでスタートアップ企業のバックオフィス業務をしている。

「テレワークを始めた当初は、相手の雰囲気が分からないことに戸惑いはありました。でも実際に会うことは少なくても、相手の顔が見えて話を聞くことができれば、お互いの温度感は十分伝わります。言葉だけのコミュニケーションで足りない場合は気軽にテレカン(電話会議)をしています」

さらに梁瀬さんの働く会社では全てのプロジェクトの情報がオープンにされており、通勤している社員とテレワークの社員との間の情報格差はない。そのため、「会社に行っていないからといって、置いてかれているという感覚はありません」

アパレル企業で働きながら2人の子どもを育てる出梓(いで あずさ)さんも、「必要な場合はオンライン会議ができるので、現場との時差は感じない」と話す。

「トリストでテレワークを始める前は、流山から会社に往復3時間かけて通勤していました。毎日疲労困憊でしたが、今は通勤時間がなくなったので時間が生まれ、大好きな仕事を続けられています。その分夫にも子どもにも、余裕を持って接することができています」

またテレワーカーを雇う企業からも、トリストを評価する声が上がっている。尾崎さんは「テレワークがうまくいっていない」という声をランチ会などで拾い上げると、「いまトリストではこうした問題で悩んでいる方がいます。もしお心当たりがあるようでしたら改善をお願いします」というように、発言者の名前を伏せて企業に対応を促している。企業からは「尾崎さんがアドバイスしてくれるので、まるでテレワークのコンサルを導入しているよう。テレワーカーの退職防止にも役立ち助かっている」という言葉をもらったこともあるそう。

尾崎さんのお話を聞いて思ったのは、日本でテレワークが普及しない根本的な要因の1つに、企業の古い価値観があるということ。これを変えていくのは相当難しいように思えるが、実際にテレワークを導入してみると、労使ともに心地よさを感じる事例がトリストからいくつも生まれている。尾崎さんの言葉で動かなかった900社にも、大切な社員を辞めさせない手段の一つとして、テレワークがあるという認識を持ってほしいと願う。

次回は、今回トリストの利用者としてご登場いただいた梁瀬さんと出さんのお二人が感じたテレワークの必要性と、テレワークを始めて感じた変化について、具体的にお伝えする。

●取材協力
Trist(トリスト)

移住者をドラフト会議で指名!? 南九州の移住支援がおもしろい!

2014年、「地方創生」の掛け声のもと、日本全国で移住相談窓口やHP開設など移住支援施策が活発化した。それから5年が経過し、地域によって成果の明暗は分かれつつある。いまだ多くの人にとって「移住」のハードルは高く、地域の関心は「関係人口」を増やすことに移り始めた。そんな「関係人口」を考える上でヒントとなり得るプロジェクトが「南九州移住ドラフト会議」だ。
「真面目じゃないけど本気の移住支援施策」

宮崎県東臼杵郡美郷町、渡川地区。公共交通機関でたどり着くことは難しく、車で向かう道中には鹿やたぬきが頻出。山々に囲まれた人口約350名の「限界集落」廃校跡地に、この日各地から100名近い人々が集まった。そこで行われていたのが「南九州移住ドラフト会議 クライマックスシリーズ」だ。

「南九州移住ドラフト会議」とは、移住支援プログラムをプロ野球のドラフト会議に見立て、「球団=各地域」が「選手=移住志望者」を指名する、ユニークな取り組みだ。各地域がSNS上でPRを行う「オープン戦」、移住に関するハードルやリスクマネジメントの考えを地域側・移住志望者側双方が学ぶ「移住力強化キャンプ」を経て、各地域が移住志望者を指名する「ドラフト会議」が行われる。他地域と競合した場合は抽選を行い、当選地域が期限付きの「独占交渉権」を獲得するなど、徹底的にプロ野球の仕組みを模している。2015年に鹿児島(カ・リーグ)で始まった同プロジェクトは今年で4回目。2016年より宮崎(ミ・リーグ)、2019年より熊本(ク・リーグ)が加わり、現在は「3リーグ制」になっている。

ドラフト会議中にはオリジナルのスポーツ紙も配布(画像提供/南九州移住ドラフト会議事務局)

ドラフト会議中にはオリジナルのスポーツ紙も配布(画像提供/南九州移住ドラフト会議事務局)

ドラフト会議の様子。2019年は、3県から12地域が「球団」として参加した(画像提供/南九州移住ドラフト会議事務局)

ドラフト会議の様子。2019年は、3県から12地域が「球団」として参加した(画像提供/南九州移住ドラフト会議事務局)


約半年に渡り行われてきた同プロジェクト最後のイベントが、この日行われた「クライマックスシリーズ」だ。各地域は、10月に指名した選手とこの日までどのような交流を行ってきたか、思い思いの方法でプレゼンテーションを行った。

愛知県から参加し、宮崎県西臼杵地域から指名された「選手」のひとり、小仲さんは参加理由を次のように語った。
「地方での暮らしに興味があり、友人から誘われて参加しました。絶対に移住しなければいけないわけではなく、関係人口を増やす取り組みと聞いて。気軽さがいいですね。自分としては希望の地域などは無いので、指名してくれるところがあれば、という気持ちでした」

一方の「球団」側はどうか。地域側担当者のひとりは、移住ドラフト会議の魅力をこう語る。
「移住志望者との出会いの場であると同時に、他地域とつながる場、他地域の取り組みを知ることができる場にもなっていますね。まちづくりの取り組みって『県域』で情報が流通していて、立地的に近くても隣県の成功事例は案外知れなかったりするので」

また別の担当者は、主催者の「真面目じゃないけど本気の移住支援」という言葉に共感した、と語る。
「移住に関して、『真面目な制度』はたくさんあるし、関わっている方々もきちんと仕事をしている。でも、移住者の人生に本気で向き合えているか?というと疑問が残るものも多い。移住ドラフトは、『真面目』ではないですが、移住者の人生を最初に考えている。同時に、地域に必要な人、合う人とは?と自分たちの地域を見つめ直す機会にもなっています」

夫婦で参加した「選手」をそれぞれ別の地域が指名。結果、夫婦のために、指名した地域同士が「連携協定」を結ぶ一幕も(写真撮影/ゆげさおり)

夫婦で参加した「選手」をそれぞれ別の地域が指名。結果、夫婦のために、指名した地域同士が「連携協定」を結ぶ一幕も(写真撮影/ゆげさおり)

参加者が「関わりやすく、離れやすい」仕組みであること

プロジェクトの発起人であり、鹿児島リーグ「コミッショナー(責任者)」の永山さんはこう語る。

「地域側が『あなたが欲しい』と言える場が無かったんですよね。地域側は『誰でもいい』『みんなに来てほしい』と言ってしまいがちなのですが、移住ってある種結婚に近いと思うんです。『誰でもいいから結婚して』と言われて、結婚する人なんていない。『あなたと一緒に何かしたい』と言える場が必要だと思い、ドラフト会議という仕組みを考えました」

「南九州移住ドラフト会議」の発起人・永山由高さん。鹿児島を中心に、まちづくりのプロジェクトに広く携わる(写真撮影/ゆげさおり)

「南九州移住ドラフト会議」の発起人・永山由高さん。鹿児島を中心に、まちづくりのプロジェクトに広く携わる(写真撮影/ゆげさおり)

プロジェクトを通じて、全参加者の約1/4にあたる25組が実際に移住しているという。一方、残りの3/4も、地域とつながりを持ちながら活躍している。

「実際に移住された方ですと、地域のゲストハウスの女将になっていただいたり、地域の中心的な商社のNo.2になっていただいた事例もあります。

関東圏など他の地域に暮らしながら、南九州各地域をサポートしてくれている方もいます。例えばカメラが趣味の方に、お祭りのポスター写真を撮ってもらったり。プロジェクトのキャッチコピー考案や、マーケティングのサポート、商品パッケージのデザイン、新施設のロゴマークをつくっていただいた例もありますね。関東圏でイベントをする際に売り子をしてもらったり、商品開発時のモニターとして協力してもらうなど、もう少しライトな付き合い方もあります」

東京で行われた移住説明会をサポートした「指名選手(写真中央)」(画像提供/南九州移住ドラフト会議事務局)

東京で行われた移住説明会をサポートした「指名選手(写真中央)」(画像提供/南九州移住ドラフト会議事務局)

永山さんをはじめとする関係者はこのプロジェクトを「壮大なコント」と表現する。

「絶対に移住してほしいわけではなく、移住後『やっぱり違うな』と思ったらまた違うまちに行っていただいてもいいんです。参加者が『関わりやすく、離れやすい』仕組みであることが大切で、あまり大きなものを背負おうとしないこと。
参加者はそのまちの未来を背負っているわけではなく、自分たちの人生を少しでも楽しいものにするために集まっている。その感覚は、関係者間で共有できていると思います」(永山さん)

取り組みも4年目となり、周囲の反応も少しずつ変化してきているという。

「それぞれのやり方で移住施策に真面目に取り組んできた行政や企業の方々に、『ちょっと肩の力を抜くこと』の意味を感じていただけているのかなと思います。

例えばスポンサーとしてサポートしてくれているソラシドエアさんは、航空券等のサポートだけでなく社員さんや社長も積極的に関わってくれています。このプロジェクトに協賛したからといって、何百人何千人が飛行機を利用するわけではないと思うのですが、こういう関わりが大事だと考えてくださっている。

同様に、行政機関の方々にも、『遊び』を持つことの重要性は伝わってきていると感じます」(永山さん)

「地域のキーパーソン」とつながれることが一番の価値

2018年に参加し、2019年9月に宮崎県新富町へ移住、地域おこし協力隊として働きはじめた二川さんにお話を聞いた。

2018年、新富町に「1位指名」された二川智南美さん(画像提供/二川智南美)

2018年、新富町に「1位指名」された二川智南美さん(画像提供/二川智南美)

「地方創生がテーマの映画を見て、自身の“地方熱”が高まっていた時期だったんです。ずっと東京で編集の仕事をしていたのですが、今後は地方の魅力的な方々を発信したいという気持ちになって。そんなときに友人から誘われて、軽い気持ちで参加しました」

地方に関する情報収集を始めたばかりで、参加地域とは全く接点がなかったそう。

「いつか移住したいな、そのときのための判断材料や人脈ができたらいいな、くらいの気持ちでした。すぐ移住するとは思っていなかった」

新富町から“指名”を受けたのち、実際にまちを訪れ、4日間ほど滞在。しかしその1回で、すっかり新富町に惚れ込んでしまったそう。

「現地を案内していただくなかで、自分の思い描いていた“住みたいまち”のイメージにぴったりだなと思ったんです。地元と似ている、というのもあったかもしれません。立地や人口、人との距離感、よくも悪くも不便なところ。旅が好きで日本全国さまざまな場所を訪れましたが、ここまで強く住みたいと思ったことはなかった。特別な何かがあるわけではなくて、まちの雰囲気や暮らしている方々の印象が自分に“合っている”と感じたんです」

宮崎県児湯郡新富町(画像提供/PIXTA)

宮崎県児湯郡新富町(画像提供/PIXTA)

宮崎県のほぼ中心に位置する、自然豊かなまち(画像提供/二川智南美)

宮崎県のほぼ中心に位置する、自然豊かなまち(画像提供/二川智南美)

そう感じていたのは二川さんだけではなかった。指名した新富町の担当者も、彼女を選んだ理由について「このまちに合っていそうだから」と伝えたそうだ(もちろん、彼女の持つスキルが地域にとって必要だったという理由もあるだろう)。

「その後、ドラフト会議に参加していたいくつかの地域をまわりましたが、新富町のことが頭から離れなかった。東京に帰ってしばらく考えましたが、2019年の1月ごろには『行きたい』という意志を新富町の担当者へ伝えました」

そして地域おこし協力隊として2019年9月に移住に至った。現在は、編集のスキルを活かしてまちの広報誌改革を行っている。移住後の満足度は非常に高いようだ。

「人間として生きるためのものがちゃんとある、と感じています。安くて新鮮でおいしい食べ物や、地域のコミュニティ。道ですれ違うときに挨拶するようなまちに住みたい、という思いがずっとあったのですが、それもここで叶いました。

仕事を通じて、少しずつ知り合いも増えてきました。最近はまちの施設でやっているバドミントンに参加したりしています。いきなり溶け込もうと頑張りすぎず、焦らず、少しずつ関係を広げていけたらいいですね」

あらためて、移住ドラフト会議への参加について振り返り、こう語る。

「移住する・しないに関わらず、地域の人とつながれるというのは魅力的だと思います。地域で、外部の人を受け入れるために活動しているキーパーソンは誰なのかを知って、その場でつながれたことはすごく価値があった。その方々と会って話したからこそ、地域を訪れるハードルが下がりますよね。指名されたまち以外も含めて、『あの人に案内してもらおう』と顔が浮かぶ。それって観光で訪れるだけでは分からないことですよね。

南九州に限らず、まちづくりに関わっている方々は全国につながりがあるようなので、『どこかしらのまちとつながりを持ちたい』という気持ちがあるなら、参加して損はないんじゃないかなと思います」

2018年の参加者同士のコミュニティも、いまだ健在だという。
「東京にいたからかもしれませんが、『地方移住に興味がある』という人が周囲にほぼいなかったんですよね。移住ドラフトに参加したことで、同じ感覚を持った方に会えたのもうれしかったです」

新富町にて。まちの広報誌リニューアルに向けて、調整を重ねている(画像提供/二川智南美)

新富町にて。まちの広報誌リニューアルに向けて、調整を重ねている(画像提供/二川智南美)

「楽しんでいる」地域こそが、人を惹きつける

「これまでの移住施策は、地域側に悲壮感があった。『我々が困ってるから、どうか来てください』と」

地域側担当者のひとりが語ったそんな言葉にはっとさせられた。南九州移住ドラフト会議で最も印象的だったのは、地域側も移住志望者側も、一貫して「楽しそう」だったことだ。そこには、「この人たちと関わっていきたい」と思える、前向きなエネルギーがあった。

結果としてそれは、外からの移住者だけでなく、地域に暮らす住民側にも効果があるのかもしれない。参加者のひとりである鹿児島の大学生はこう語った。
「今までは、大学を出たら東京や海外で働きたいという気持ちが強かった。でも、移住ドラフトに参加して、面白い大人に出会って、九州で働くのも悪くない、という気持ちになりました」

本プロジェクトは来年以降も継続していく意向だという。次回対象地域についても検討中とのことだ。年々注目度が増し、進化し続けている取り組みだが、永山さんは「課題は山積み」と語る。

「事務局体制の強化、選手コミュニティ盛り上げ、参加地域同士のつながり強化など、まだまだやりたいこと、できていないことはたくさんあります。

地域において、人が採用できず営業停止している民間企業などもたくさんあるのですが、これからはその会社の魅力だけでなく、地域の魅力がきっと大事になってくる。鹿児島って、南九州って、九州って面白いねと言ってもらえるように、より楽しい、わくわくする環境をつくる必要があると思っています」

2020年、さらに進化するであろう本プロジェクトの行方に期待したい。

●取材協力
・南九州移住ドラフト会議

テレワークが変えた暮らし[5] 近所のシェアオフィス活用で、子育てと仕事をフレキシブルに

テレワーク(リモートワーク)を導入する企業が増加するのに比例して、シェアオフィスの開業も相次いでいる。シェアオフィスは駅中や駅近にあるイメージが強いが、テレワークをする日は駅を利用しない場合もあるだろう。自宅の近くで仕事をしたいという需要も予想されるなか、住宅地にシェアオフィスを併設した複合施設「Tote駒沢公園」が11月にオープンした。近所に住み、利用している男性に話を伺った。
駒沢オリンピック公園横に新しいシェアオフィスができたワケ

東急田園都市線「駒沢大学駅」から10分ほど歩くと、駒沢オリンピック公園の正門にたどりつく。この真横に2019年11月22日にオープンしたのがUDS株式会社が企画、建築設計・監理、建物管理を手がける「Tote(トート) 駒沢公園」。1階が洋菓子店、2階に2020年4月開設予定の保育園があり、3階にはシェアオフィス&スタジオ「Tote work & studio」がある。上層階は賃貸住居になっている。

Tote 駒沢公園(写真撮影/高木真)

Tote 駒沢公園(写真撮影/高木真)

Tote 駒沢公園がこうした複合施設となった背景には、「駒沢公園地域をより盛り上げたい」というオーナーの思いがあった。

Tote work & studio には完全個室オフィスのROOM PLAN(1~3名向け)、専用デスクのDESK PLAN(1名向け)、フリーデスクのLOUNGE PLANがあり、いずれも24時間利用可能だ。12部屋の個室と8つのデスクはオープン時からその多くが契約されていたと言い、以前からの注目度の高さが伺える。部屋に入ると、シックかつシンプルな内装で、大きな窓からはたっぷりと明るい日差しが差し込み、パークビューが窓いっぱいに広がる。

取材時はまだオープンの翌週ということもあり、実際の利用はこれからといった感じであった。そんななか、公園の見える窓際の席でPCに向かっていた古場健太郎さんにお話を伺うことができた。

自宅近くのシェアオフィスで一日中集中できる

古場さんは38歳。Tote駒沢公園よりも桜新町駅寄りの自宅に、妻と5歳、1歳の子どもの4人で暮らしている。勤務先の ゼットスケーラー株式会社は、クラウド上でデバイス、ロケーションおよびネットワークに関係なく、アプリケーションにセキュアに接続できるセキュリティサービスを取り扱っている、外資系IT企業だ。会社は大手町にあり、セールスエンジニアとして働く古場さんは、週に1-2度出社するかしないか。顧客訪問の帰りなどにここで仕事をしているという。

明るさが印象的なフリースペース(写真撮影/高木真)

明るさが印象的なフリースペース(写真撮影/高木真)

古場さんは、勤務先のテレワーク事情に関して「まだ日本法人には16名しかいないので、個人の裁量に任されています」と話してくれた。また、外資系企業のため、働き方がわりと自由だとか。これまでも、アメリカのスタートアップ企業などに勤めてきて、以前は家で仕事をしていた。

しかし、「5歳と1歳の子どもとの暮らしは楽しいですが」と前置きをした上で、家で集中することが難しいと思うようになってきたと話す。「自宅の自室でがんばってみたのですが、家にいると子どもが寄ってきて、『ちょっと遊ぼう』ということになります。ですから、メールのやりとりだけくらいだったらよいのですが、資料づくりなど、アイデアを出さなければならない仕事は自宅だと難しいと感じるようになりました」(古場さん)

しばらくWi-Fiの使えるカフェなどを利用していたが「やっぱり、何時間もとなると居づらいですね。途中で追加注文をしなければならないような気がしてきます」と、なかなか居場所づくりが難しかったようだ。セキュリティの面は、自社がテレワークを実現するセキュリティサービスを扱っていることもあってクリアできていた。むしろ率先して外で仕事をしたくて、1日中ずっといられる場所を求めていた。

そんなとき見かけたのが、建設中だったTote駒沢公園だ。パンフレットを見てすぐに契約した。決め手は何だったのだろうか?「場所ですね。家から近かったのがよかったです」と。古場さんの利用するフリープランは月額1万5000円と、都心のシェアオフィスと比べてリーズナブルなのも魅力だった。

自由に使えるキッチン設備や複合機(写真撮影/高木真)

自由に使えるキッチン設備や複合機(写真撮影/高木真)

(写真撮影/高木真)

(写真撮影/高木真)

実際に使ってみてどのように感じたのだろうか。「僕は、人の目が少しはあったほうが仕事がしやすいんです。家の近くで仕事に集中できる場所ができて仕事がはかどるようになりました」(古場さん)。Tote 駒沢公園にはテレビ会議ができる個室のスペースもあるので、周りの声など気にせず会議に参加をすることもできる。

また、子育ての仕方やライフスタイル面でも、さっそく変化を感じているようだ。

テレワークで家族との時間のバランスが保てるように

古場さんは、現在の自宅を購入して6年目になるという。その前は代々木公園の近くに住んでいて、子どもが生まれるタイミングで引越してきた。三軒茶屋から桜新町の方面に進むと自然が多くなるにしたがって空が広がっていくのが気に入り、公園近くの住宅地を選んだ。

現在は妻が1歳の子どもの育休中のため、5歳の子どもを保育園に送って10時くらいからここで仕事を始める。家から10分ほどの場所だからこそできる仕事の仕方だ。

病院勤めの妻は固定時間で働かねばならない仕事のため、育休復帰した後は古場さんが子育てにさらにコミットしなければならないだろうが、この場所ならそれほどライフスタイルを変えなくても済みそうだ。

「妻と働き方に関して話すこともあります。妻の仕事は勤務時間がきっちり決まっているので、台風で電車が動かなくても出勤しなくてはならないのです。それに比べて、自分のほうは働く時間を自分で選択できる。自分がテレワークで働くことで、妻の仕事とのバランスがとれると考えています」(古場さん)

古場健太郎さん(写真撮影/高木真)

古場健太郎さん(写真撮影/高木真)

新卒から外資系で、比較的融通の利くワークスタイルで働いてきた古場さん、「会社は9時に席に座るのも仕事」という概念がなく、「(9時に出社することが)仕事として利益にならないのなら、柔軟に働くほうがいい」という信念があると語ってくれた。

オフィスでは「ちょっとこれが聞きたい」というときにすぐに他の社員に聞けるのがメリットだ。テレワークではそれは難しいように思われるが、Slackやメールで話が弾めば、電話をかけて会話をするようにもしているという。そうすることで、オフィスにいるようなライブ感を補える。「日本だと会社にいることが重視されるのがまだまだ現状ですが、コミュニケーションが必要な場合も、ツールを使えば必ずしもその場にいなくてもいいと思うんです。重視されるのは『結果』ですから」(古場さん)

駒沢大学駅は多くのIT企業がオフィスを置くが渋谷から電車で3駅の場所にあるため、IT関係の人が多く居住しているという。「これは貴重なことで、今後はこのTote 駒沢公園で出会った人たちと交流して、新しいコミュニティをつくったり、プロジェクトができたりすればとも考えています」と古場さんの声は明るい。

テレワークに必須というノート型ホワイトボード。客先で説明をするときに使ったり、自分のアイデアをまとめたりする(写真撮影/高木真)

テレワークに必須というノート型ホワイトボード。客先で説明をするときに使ったり、自分のアイデアをまとめたりする(写真撮影/高木真)

「テレワークについて、社外の友人と議論をしたことはありません。働き方の違いについては話題を避けているところがあります。それぞれの選択肢が違うので、ポジティブな会話にならないような気がして」と古場さんは話す。「みんな仕事をすることには変わりはありませんから、その時間を誰もが有効に使えるようになることが大切だと思うんです」という古場さん。今後もこのシェアオフィスに腰を据え子育てと仕事に邁進していくのだろう。

今、ワークライフバランスが重要視されてきている。「仕事とプライベートの両立を考えると、今後このような住宅街の中にあるシェアオフィスが増えていくと思います」と古場さんも感じている。仕事と家庭の両立は容易とはいえないが、自宅近くのシェアオフィスや、今回取材した「Tote 駒沢公園」のようなシェアオフィスが併設された賃貸住宅を利用すれば、プライベートと仕事の距離を縮めることができる。育児や介護のために通勤等が難しく、選択肢から外れていた仕事にも挑戦できるかもしれない。

取材後、筆者の家からもTote駒沢公園が自転車で20分くらいで通える距離にあると気づいた。案外、自分の仕事にあった場所、あるいはテレワークにぴったりな仕事場が見つかる可能性がある。ぜひ一度、地図を広げてご自身の行動範囲を再確認してみてはいかがだろうか。新しい働き方と暮らし方が、近くにあるかもしれない。

●取材協力
Tote work & studio
ゼットスケーラー株式会社

日本一の「自転車のまち」へ。サイクリストが集う茨城県土浦市の暮らし

日本で二番目に大きな湖である霞ヶ浦。そのすぐほとりに位置する茨城県土浦市では、今日本各地からサイクリストが集まりつつある。官民一体となってのまちづくりが功を奏している証拠だ。一体、どのような取り組みが成されているのか、土浦市へ向かってみた。
サイクリングロードをきっかけとして始まった取り組みとは

土浦市が、本格的にサイクリングに特化したまちづくりを始めたのは、2016年のこと。土浦市政策企画課の東郷裕人さんが教えてくれた。
「それまで、主なサイクリングロードは2つありました。筑波山方面の一本と、霞ヶ浦を回るルートです。それが茨城県の事業として合体することになり、全長180kmになる『つくば霞ヶ浦りんりんロード』として生まれ変わりました」

霞ヶ浦周辺をぐるりと楽しめるサイクリングロード。車の往来はそれほどないので、安心して自転車も走行できる(写真撮影/相馬ミナ)

霞ヶ浦周辺をぐるりと楽しめるサイクリングロード。車の往来はそれほどないので、安心して自転車も走行できる(写真撮影/相馬ミナ)

筑波山の麓まで行ってもよし、霞ヶ浦をぐるり一周するもよし、もちろん全てのルートを回ってもいい。茨城県を代表する風景を楽しめるサイクリングロードができたことで、土浦市はサイクリストが集う街への道を走り始めたというわけだ。

まず、環境整備としては、つくば霞ヶ浦りんりんロードに限らず、周辺の道は県道もあれば市町村それぞれが管理する道もある。各自治体で話し合い、統一のデザインで自転車走行の場所や方向を示すように整備された。サインクリングロードには、どこにも青い矢羽根が描かれている。

ちなみに霞ヶ浦の一周は約140km。アップダウンが少ない平坦な道ゆえに風景を楽しみながら、途中の温泉に寄ったり、道の駅で買い物をしたりと、ゆっくり走るのもいいだろう。しかし、子連れにはちょっと長い距離かもしれない。

商工観光課の中村良さんが話を続ける。

「一周するのが大変という方は『霞ヶ浦広域サイクルーズ』もおすすめです。自転車を乗せることができる遊覧船でショートカットする方法もあるので、そちらを利用してもらってもいいですね」

小さな子どもがいる人にも、さらには途中で雨が降ってきて早く戻らなくてはならなくなっても、遊覧船があれば安心だ。あらゆる状況を想定してサイクリングを楽しめるように考えられていることが分かる。

商工観光課の中村さん。自らも自転車に乗る機会が増えたという(写真撮影/相馬ミナ)

商工観光課の中村さん。自らも自転車に乗る機会が増えたという(写真撮影/相馬ミナ)

さまざまなニーズに対応すべく考えた施策

このように多角的な視点から「サイクリング」に取り組んでいることが伝わってくる。レンタサイクルは、市が運営するものもあれば、民間のものもあり、それぞれしっかり差別化されている。

例えば、貸出場所と返却場所は別でも大丈夫という乗り捨て可能なレンタサイクルもあれば、事前予約をするとレンタルできる今人気のスポーツタイプの電動アシスト自転車などの最新機種がそろうお店もある。さらには、専用アプリに会員登録をすれば早朝や深夜に借りたり返したりできる無人のステーションも。

一面ガラス張りで開放感のある「りんりんポート土浦」。自転車に特化した施設は、市として初めての試み(写真撮影/相馬ミナ)

一面ガラス張りで開放感のある「りんりんポート土浦」。自転車に特化した施設は、市として初めての試み(写真撮影/相馬ミナ)

「特徴を分かりやすくお伝えすることで、使い道にあった場所で借りていただければ、と考えています。さらに、サイクリストの憩いの場として、拠点となる施設である『りんりんポート土浦』もつくりました。トイレやシャワールーム、更衣室もあれば、自転車のメンテナンスができる道具やスペースもあります」(中村さん)

施設内にある自動販売機は、エネルギー補給のスイーツのほか、メンテナンス用の道具も販売されている(写真撮影/相馬ミナ)

施設内にある自動販売機は、エネルギー補給のスイーツのほか、メンテナンス用の道具も販売されている(写真撮影/相馬ミナ)

この『りんりんポート土浦』以外にも、まちなかの店舗や施設に『サイクルサポートステーション』というのぼりが立っている。そこではサイクリストに休憩場所を提供していたり、トイレを貸し出したり、空気入れや工具を用意していたりする。

休憩しながら、ルートを考えたり、他のサイクリストとコミュニケーションをとったりできるスペースになっている(写真撮影/相馬ミナ)

休憩しながら、ルートを考えたり、他のサイクリストとコミュニケーションをとったりできるスペースになっている(写真撮影/相馬ミナ)

「こうして少しずつ施設が増えることで、市全体でサイクリングを盛り上げようという意識が高まってきています。カフェメニューに自転車をかたどったスイーツをつくっていたり、パンクや鍵の紛失などに対応する自転車のロードサービスもできてきました」(中村さん)

ベースキャンプとなる駅ビルの開発

その流れの拠点となっているのが、土浦駅に直結している駅ビルである「PLAYatré TSUCHIURA」だ。

駅直結の「PLAYatré TSUCHIURA」は、市外からの玄関口になっている(写真撮影/相馬ミナ)

駅直結の「PLAYatré TSUCHIURA」は、市外からの玄関口になっている(写真撮影/相馬ミナ)

「日本最大級のサイクリングリゾート」をコンセプトに立ち上げたという。主任の髙梨将克さんに話を聞いた。

「土浦駅はサイクリングコースの『つくば霞ヶ浦りんりんロード』のスタート地点として考えています。首都圏からの玄関口でもあるので、ここをベースキャンプとしてみなさんに楽しんでもらえたら、という考えでサイクリングに特化した施設になっています」

「PLAYatré TSUCHIURA」の1階にある「りんりんスクエア土浦」内に店舗を構える「le.cyc土浦店」。レンタサイクルや販売のほか、修理や情報発信、さらにはサイクルイベントも行っている(写真撮影/相馬ミナ)

「PLAYatré TSUCHIURA」の1階にある「りんりんスクエア土浦」内に店舗を構える「le.cyc土浦店」。レンタサイクルや販売のほか、修理や情報発信、さらにはサイクルイベントも行っている(写真撮影/相馬ミナ)

「PLAYatré TSUCHIURA」の1階と地下にある「りんりんスクエア土浦」は、茨城県が事業主体となり、JR東日本、アトレが連携して管理運営を行っている施設。先ほど説明した最新モデルのロードバイク等が借りられるレンタサイクルのほか、アプリ連携での無人のレンタサイクル、コインロッカーやシャワールームなど、手ぶらで来てもサイクリングを楽しめるような設備が整っている。

地下1階にある無人のレンタサイクルのエリアにも、シャワー室がある。入り口には防犯カメラもしっかりついていて安心して使える(写真撮影/相馬ミナ)

地下1階にある無人のレンタサイクルのエリアにも、シャワー室がある。入り口には防犯カメラもしっかりついていて安心して使える(写真撮影/相馬ミナ)

ここを拠点にしてほしいという思いの表れとしての情報発信スペースもあり、ここからどう回ればいいか、さまざまなルートのパンフレットがそろっている。

「le.cyc土浦店」内の情報発信スペース。それぞれの能力や希望に合わせたルートを提案している(写真撮影/相馬ミナ)

「le.cyc土浦店」内の情報発信スペース。それぞれの能力や希望に合わせたルートを提案している(写真撮影/相馬ミナ)

日本初のサイクリストに向けた駅ビルとは

見てください、と髙梨さんが指差した足元にはブルーのラインが描かれている。

「館内はどのフロアも自転車の持ち込みが可能なんです。そのルートを表しているのがこのライン。館内の店にはサイクルスタンドが設置されているので、自身の自転車のそばで安心して過ごしてもらえるようになっています」

青いラインが館内の各フロアに敷設されている。手前にある「PLAYatré」の刻印の入ったサイクルスタンドはビル内に設置されている(写真撮影/相馬ミナ)

青いラインが館内の各フロアに敷設されている。手前にある「PLAYatré」の刻印の入ったサイクルスタンドはビル内に設置されている(写真撮影/相馬ミナ)

サイクリストは、自分の自転車に愛着を持っているものだ。お金をかけている人も多いだろう。外の駐輪場よりも、そばのスタンドに置けることで安心というわけだ。サイクリストの心理に寄り添って細やかな配慮がされている施設であることが分かる。

「TULLY’S COFFEE」はイタリアの自転車メーカー「Bianchi」とコラボレーションした内装で、チェレステカラーを使ったサイクルスタンドがある(写真撮影/相馬ミナ)

「TULLY’S COFFEE」はイタリアの自転車メーカー「Bianchi」とコラボレーションした内装で、チェレステカラーを使ったサイクルスタンドがある(写真撮影/相馬ミナ)

館内にはカフェやレストラン、学習スペースのほか、茨城の良さを広く知ってもらおうと、地元で人気のベーカリーショップやスイーツを扱う店や、ワークショップを開催する書店が並ぶエリアもある。スタンドに自転車を置いて店内へ行く人もいれば、広いスペースで折りたたんで颯爽と駅構内へ向かう人もいる。

「従来、サイクリストが電車に乗るには、自転車を折りたたんだり広げたりするスペースがなくて大変だったんです。そういうサイクリストの声を一つ一つ拾って、どんな施設が必要かを考えてできた施設なんです」(髙梨さん)

レストランフロアも充実していて、自転車にまつわるディスプレーが目を引く(写真撮影/相馬ミナ)

レストランフロアも充実していて、自転車にまつわるディスプレーが目を引く(写真撮影/相馬ミナ)

「通り過ぎるのではなく、滞在する場所にしたくて」という髙梨さんの言葉通り、飲食店でも書店でも、学習スペースでも、たくさんの人がゆったりと過ごしているのが印象的だ。さらに2020年3月には、サイクリングや観光を楽しむためのホテル「星野リゾート BEB5 土浦」も完成する。

土浦市がサイクリングへ特化した取り組みを始めて2年。地元で自転車を利用する人や、首都圏からサイクリングに訪れる数もかなり増えてきている。官民一体となって走り続けてきた取り組みが、しっかりと根付いている証しだ。

●取材協力
土浦市
PLAYatré TSUCHIURA

テレワークが変えた暮らし[1] 理想の子育てと移住が叶った! 東京から山梨県北杜市へ

今年1月から山梨県北杜市への移住とともに、 テレワーク(リモートワーク)を始めた山本さん夫妻。テレワークって実際どう? 暮らしは移住以前と以後ではどう変わった? 経緯や暮らしぶり、今後についてインタビューした。
最初のきっかけは、単純な住み替えのはずだった

現在、山本さん夫妻は、ともに正社員として東京・南青山にある企業(取材当時・現在は本社を宮崎県西都市に移転)に在籍しながら、山梨県北杜市にある自宅の1室をオフィスにしてフルリモートで働いている。
八ヶ岳、南アルプス、富士山に囲まれた自然豊かな環境、満員電車とは無縁な生活、のんびりとした子育て環境。東京生活では得られない生活を、移住と転職で手に入れた形だ。

2歳になったばかりの息子と。「山々に囲まれた環境は東京では得られなかったものです」(写真撮影/相馬ミナ)

2歳になったばかりの息子と。「山々に囲まれた環境は東京では得られなかったものです」(写真撮影/相馬ミナ)

そもそも移住を考えたきっかけは?
「最初はよくある部屋探しだったんですよね」と山本さん夫妻。1歳の息子が歩き始め、夫婦ふたりで暮らすための40平米の1Kでは手狭に。「もっと広いところに引越さなきゃね、という話になり、通勤は30分以内で、駅からは徒歩圏で、家賃は9万円前後で……と検索するわけです。でも、決断できるほど、希望に合う物件はありませんでした」(妻)。

部屋探しは長期化。「そんななか、『そもそもどうして東京で家を探しているんだっけ』って。『仕事がそこにあるから? じゃあ、仕事さえどうにかなったら、住む場所ってもっと自由になるんじゃない?』という話になったんです」(夫)。
そこで、考えたのが「移住」という選択だ。
もともとキャンプなどのアウトドアが好きで、休日には東京を離れていたふたり。「いつか田舎暮らししてみたいなぁ、移住もアリかもな~と漠然と思っていたんです。でも、それって、別に“いつか”じゃなくて、“今”でもいいんじゃないかなって思えました」(夫)。さらに、「当時、まだ子どもが1歳で、小学校入学前の転校うんぬんの話にならない今って、実は絶好のタイミングじゃないかと考えたんです」(妻)と、移住が現実味を帯びることに。

山梨県北杜市の「保育園が近くの賃貸住宅」と出会う

そこで候補に挙がったのが、移住者に人気の街として知られる「山梨県北杜市」。東京から車で2時間程度と近いこと、自治体が移住者を積極的に誘致していること、アウトドアのスポットが豊富なことに惹かれた。
「とりあえず、一回行ってみよう」と日帰りで北杜市に。twitterや検索サイトで見つけた、実際の移住者や、別荘地専門の不動産会社などにアポを取り、話を伺うことに。さらに、市役所内にある移住者定住相談窓口に電話もしてみた。
そして見つけたのが、保育園の近くにある賃貸住宅。偶然にも趣味のキャンプで訪れたことのある キャンプ地の裏手という縁も感じて、申し込むことに。
「このあたりは待機児童もなく、保活が不要な点も魅力でした」(妻)。
運よく入居審査が通り、契約に。「移住といえばハードルが高いと思っていましたが、“あ、東京都内の引越しとさほど変わらないんだな”と、不思議な感覚になりました」(妻)。

住まいは75平米の3LDK。トランクルームと駐車場付きで家賃4万8000円と、東京では考えられない安さ。グレーのアクセントウォールはもともとの仕様でオシャレ(写真撮影/相馬ミナ)

住まいは75平米の3LDK。トランクルームと駐車場付きで家賃4万8000円と、東京では考えられない安さ。グレーのアクセントウォールはもともとの仕様でオシャレ(写真撮影/相馬ミナ)

バルコニーからの眺めも緑にあふれている。ハンモックを置き、のんびりとくつろぐことも(写真撮影/相馬ミナ)

バルコニーからの眺めも緑にあふれている。ハンモックを置き、のんびりとくつろぐことも(写真撮影/相馬ミナ)

仕事をどうするか――一番大きなハードルを転職で打破

ただし、移住の前に、一番大きなハードルがある。「仕事をどうするか」だ。
まずは、お互い、当時勤めていた会社に相談してみた。テレワーク(リモートワーク)は制度としてないものの、ネットを通じた仕事が多いため、交渉の余地があるのでは、と考えていたからだ。
その結果、マーケティング職である夫は、週に1回出社の条件付きテレワークが可能だったが、人事職であった妻は、扱う情報がデリケートなため、テレワークは困難という結論に。
「何度も話し合いの場を設けてくださり、 業務委託でライターになるという選択肢もありました。ただ、今までの経験を活かせることと、安定を重視した正社員という形態にこだわりたく、退職することにしました」(妻)。
そんななか、Twitterでたまたま見つけたのが、「リモートワークを当たり前にする」というミッションを掲げ、働くメンバーのほとんどがテレワーカーという企業「キャスター」。 秘書、人事、経理、web運用に関するさまざまな業務をリモートで働くアシスタントに依頼できるサービスを提供している会社ゆえに、リモートが大前提の会社だ。「転職活動も独特で、面接もオンラインで受けました」(妻)。
一方、夫は普段は自宅で仕事をしながら、週に1回、朝6時の高速バスで東京へ通う生活を5カ月間続け、その後、妻の勤める企業に転職。100%テレワークとなった。
テレワークによって、家賃だけでなく、生活コストが格段に下がったことは大きなメリットだった。「東京にいたころは、週末ごとに2時間かけて郊外やアウトドアに遊びに行っていたので、その娯楽費がまず減りました。平日の外出もほぼ無くなり、洋服代やランチの外食費、飲み会代もなくなりました」(夫)。

車ですぐのキャンプ場PICA八ヶ岳明野へ友人たちと (写真提供/夫)

車ですぐのキャンプ場PICA八ヶ岳明野へ友人たちと (写真提供/夫)

移住によって、時間もコストも気持ちも余裕が生まれる

山本さん夫妻の現在の一日の過ごし方を教えてもらった。
夫は8時半~17時半、妻は8時~17時が勤務時間。2歳の息子を保育園へ、朝は夫が見送り、夕方のお迎えは妻が担当だ。
「通勤時間はゼロ。保育園もすぐ近くなので、時間に追われることがなくなりました。東京にいたころは時短勤務で16時半に会社は出るものの、通勤に1時間、保育園にお迎えに行って、家に帰って、夕食をつくって、食べさせて、お風呂に入れてと、毎日大変でした。夫も協力的でしたが、やはり帰ってくるのは20時ごろ。お迎えからのルーティンは1人だったので、いつも疲れていましたね」(妻)。
今は、時短勤務ではなく、フルタイムのテレワークに。それでも夕方18時には家族みんなで夕食をすませ、近所の温泉に出かけることもできる。突然の子どもの発熱も、夫婦で協力しあいながら看病できる。

暖房効率を考え、1部屋を夫婦共有の仕事部屋に。デスク、イス、PCモニターはテレワーク開始とともに購入したもの(写真撮影/相馬ミナ)

暖房効率を考え、1部屋を夫婦共有の仕事部屋に。デスク、イス、PCモニターはテレワーク開始とともに購入したもの(写真撮影/相馬ミナ)

テレワークはフリーランスと社員のイイトコ取り

同じ会社に在籍はしているが、職種やクライアントがそれぞれ異なるため、夫婦で会話することは少ない。自宅だが、仕事部屋を1室別に設けることで、自然と仕事モードに。「テレワーク=楽と思われるかもしれませんが、それは間違い。いわゆるプロセスが評価されることがなく、“何をやったか”という結果が重視されます。そういう意味では意外とシビア。フリーランスで働くのと同じかもしれません」(夫)。
ちなみにテレワークを推進する企業だけあって、「会わない」ことが大前提。毎日1度はある会議もWeb上で行う。「南青山のオフィスに行くことはないし、同僚はいますが、いわゆる職場の人間関係のストレスはありません。物足りない人もいるかもしれないけど、決して関係性が希薄なわけではないし、職場とは別のリアルなコミュニティもあるので十分です」(夫)。
さらに、オンとオフの切り替えを明確にするため、「18時以降は連絡してはダメ」というルールにしてある。申請すれば残業も可能だ。「ただ、残業をしなくても終えられる仕事量に調整してくれていると思います。こうした対応はフリーランスでは難しいとは思うので、“社員”としての業務形態にこだわったのは正解だったと思います」(夫)。

テレワークで新たに購入したのはコーヒーメーカー。仕事中の息抜きのための必需品となった(写真撮影/相馬ミナ)

テレワークで新たに購入したのはコーヒーメーカー。仕事中の息抜きのための必需品となった(写真撮影/相馬ミナ)

移住×テレワークは現在の自分の選択に過ぎないのかも

移住して良かったですか? と尋ねると、「もちろん。メリットしかないです」と答えたお二人。とはいうものの、当初は不安もあったそう。
例えば友人。それまでの東京での人間関係をゼロにすることに戸惑いがあったのも事実だ。「けれど、意外にも、私たちが田舎暮らしを始めたことで、それがきっかけで友人たちと遊ぶ機会が増えた気がします。離れていても会う人は会うし、近くに住んでいても縁が切れてしまう人もいる。それに、この北杜市は移住者が多く、似たような価値観の方が多いため、同じ年ごろの子どもをもつご近所さんなど、新たな友人が増えました」(妻)。

東京から遊びに来た友人たちと清里テラスへ。「私たちの友人らが来ると、いろんな観光地を訪れるきっかけにもなります」(妻、写真提供も)

東京から遊びに来た友人たちと清里テラスへ。「私たちの友人らが来ると、いろんな観光地を訪れるきっかけにもなります」(妻、写真提供も)

ただし、将来のことは未知数だというお二人。「もしかしたら、息子のよりよい教育環境を求めて、違う場所に暮らすかもしれないし、逆に、田舎ならではの仕事を始めるかもしれない。先のことは分かりません」(妻)というように、田舎暮らしもテレワークも、永続的な決断ではないそう。「ただ、いずれは田舎暮らしをしてみたかったし、子どもが小学生になって身動きが取れなくなったころに”あのとき移住してみればよかった”と後悔したくなかったんです。だから、”田舎暮らししてみたいけど、ハードルが高い”と尻込みしている人には、”案外、簡単だよ。単に引越しと変わらないよ”と言いたいですね。仕事は一番大きなハードルだけど、今後社会が変わっていくはず、変わっていってほしいと思っています」(夫)

四季の移り変わり、自然の不思議な力を目の当たりにする環境に魅了されているとか。「今の会社は副業OKなので、いつか地元のためになるような仕事にもチャレンジしたいです」(妻) (写真撮影/相馬ミナ)

四季の移り変わり、自然の不思議な力を目の当たりにする環境に魅了されているとか。「今の会社は副業OKなので、いつか地元のためになるような仕事にもチャレンジしたいです」(妻) (写真撮影/相馬ミナ)

●取材協力
山本さん夫妻
・夫のツイッター

奄美大島の空き家をみんなでDIY。街のみんなの夢をかなえる場になるまで

あるときはアロマ教室、またあるときは居酒屋や人狼ゲーム会場……。奄美大島の集落にある一軒の古民家が、世代を超えて地域の人々をつなげる場を提供している。今回は、この『HUB a nice d!』を訪問。自己実現の場を求めていた山本美帆さんが、周囲を巻き込みながら、いつしか彼らの自己実現の場にもなる地域のHUB拠点を立ち上げたプロセスを取材した。
夫の転勤でキャリアを閉ざされたママたちの声が空き家探しのきっかけに

そもそもの発端は、6年前、山本美帆さん(34歳)が夫の転勤で奄美大島のほぼ南端、瀬戸内町の阿木名集落に引越してきて、個人事業主としてベビーマッサージの講師を務める傍ら、「赤ちゃん先生」という世代間交流の事業に携わっていたころまで遡る。地域のママたちが同じ悩みを抱えていることに気づいたのだ。

「みなさん、自分のキャリアややりたいことがあるのに、夫の転勤など、自分の意思ではない要因でキャリアを閉ざされてしまっていたり、夢が実現できずにいたんです。あるいは、やりたいことに向けて勉強したり資格を取ったりしても、それを活かす場がないと。アロマ教室やハンドメイド教室などを開きたくても、公民館のようなスペースは行政が管理しているため、利益が出るような活動には使えなくて」(山本さん)

自分自身、そうした“場”を求めていたこともあり、それなら自分でつくってしまおうと、空き家や空きスペースを探し始めたのが3年前。都市部と違って、不動産会社にも空き家物件の情報はない。区長にも協力してもらいながら、内装を自分で自由に変えられる賃貸住宅を1年ほど探したが、借りられる空き家は見つからなかった。そこで、あまりに古くて候補から除外していた物件を再検討し、ようやく最終的に決断に至ったのが、昭和33年(1958年)築の古民家。空き家歴5年になる物件だった。

大工、建築家を加えた3人チームでリノベーションを開始

空き家を改装するにあたって、大工の中村栄太さん(34歳)の協力を仰いだ山本さん。少しでもコストを抑えたいこともあり、柱など使えるものはなるべく残そうと考えていたが、シロアリの被害がひどいことが判明。かなり手を入れなければならないことが分かり、「プロの目で見てもらわないと」と考え、中村さんの中学・高校通して部活の先輩だった建築家の森帆嵩さん(35歳)にもチームに入ってもらうことになった。

「奄美は同級生、同窓生のつながりが強いんです」(森さん)

こうして、同世代の3人チームが結成されたのが2年前の2017年6月。賃貸契約を結んで、8月には地域の人たちにも手伝ってもらいながら解体し、この年の11月から建築を始めた。プロでなければできない部分は大工の中村さんが担当。DIYできる部分は、山本さんはじめ地域の人たちにも手伝ってもらった。

「SNSで呼びかけて集まってもらいました。多いときで30~40人が参加してくれたのではないでしょうか」(山本さん)

「奄美は人手が少ないので、なんでも自分たちでやるんです。引越しも業者に頼まずにみんなでやるし、建物の上棟などもそう。女性たちは炊き出しをしてくれたり」(森さん)

工事やDIYと並行して、地域の人たちにも加わってもらいながら「場の使われ方」を話し合った。コンセプトは「地域のコミュニティ」「みんなで集える空間」。当初は、子育て世代にフォーカスしたサロンのようなものをイメージしていたが、やがて軌道修正をすることになる。

「2018年2月に半分出来上がったところで、資金がショートして、工事が止まってしまったんです」(山本さん)

鹿児島県の起業家スタートアップ支援金と自己資金とを併せて資金を用意していたが、それでは足りなくなってしまったのだ。

改修前の状態。昭和33年(1958年)築だったため、試行錯誤の末、建築当時の状態に回復させることで強度を確保するという考え方に落ち着いた森さん。先輩の建築家に相談したり、自身でも伝統再築士の資格を取得したりした(画像提供/HUB a nice d!)

改修前の状態。昭和33年(1958年)築だったため、試行錯誤の末、建築当時の状態に回復させることで強度を確保するという考え方に落ち着いた森さん。先輩の建築家に相談したり、自身でも伝統再築士の資格を取得したりした(画像提供/HUB a nice d!)

(画像提供/HUB a nice d!)

(画像提供/HUB a nice d!)

(画像提供/HUB a nice d!)

(画像提供/HUB a nice d!)

リフォーム工事の様子。DIYしたのは、(1)床材の加工(2)漆喰壁などクロス以外の塗装(3)土間打ちのコンクリートの運搬(4)外壁や屋根の塗装など。子どもたちも遊び感覚で楽しみながら手伝ってくれた(画像提供/HUB a nice d!)

リフォーム工事の様子。DIYしたのは、(1)床材の加工(2)漆喰壁などクロス以外の塗装(3)土間打ちのコンクリートの運搬(4)外壁や屋根の塗装など。子どもたちも遊び感覚で楽しみながら手伝ってくれた(画像提供/HUB a nice d!)

集落の人たちが求めていたのは世代間をつなげる“食”の場だった

資金不足で計画が立ち行かなくなってしまった山本さんに、鹿児島県の出先機関の女性所長がアドバイスをくれた。

「集落として取り組むのであれば、国の交付金が受けられるよと教えてくださったんです。そこで、集落のミーティングに出席して、どんな使い方をしたいかと聞いてみたら、『おじいちゃんおばあちゃんから子どもまで一緒に食事ができる地域食堂があるといい』といった声があがりました」(山本さん)

飲食できる場が求められていることが分かり、山本さんたちは軌道修正を決めた。業務用のキッチンを入れるなど設計図を大幅に変更。工事を再開できるだけの資金も調達できたことから、第二期の工事を開始した。

「子どもたちにはキッズスペースを、正座がつらいお年寄りには掘りごたつ形式のカウンターをつくりました。段差を設けているので、完全バリアフリーではありませんが、いろいろな世代がちょっとずつ我慢しながら一緒に使えるような設計です」(森さん)

こうして『HUB a nice d!』は、2018年10月29日に完成した。

左から、中村栄太さん、山本美帆さん、森帆嵩さん。34歳、34歳、35歳と、奇しくもほぼ同い年の3人がそろった。建築当時の強度に復元したこの建物は、2018年9月の台風で島内が多くの被害に見舞われたときも、被害がなかったという(画像提供/HUB a nice d!)

左から、中村栄太さん、山本美帆さん、森帆嵩さん。34歳、34歳、35歳と、奇しくもほぼ同い年の3人がそろった。建築当時の強度に復元したこの建物は、2018年9月の台風で島内が多くの被害に見舞われたときも、被害がなかったという(画像提供/HUB a nice d!)

土間から上がる伝統的なつくり。「おじいちゃんの家みたいな懐かしさは失くしたくありませんでした」(森さん)(画像提供/HUB a nice d!)

土間から上がる伝統的なつくり。「おじいちゃんの家みたいな懐かしさは失くしたくありませんでした」(森さん)(画像提供/HUB a nice d!)

カウンターは掘りごたつ形式でラクに座れるようになっている(画像提供/HUB a nice d!)

カウンターは掘りごたつ形式でラクに座れるようになっている(画像提供/HUB a nice d!)

大工の中村さんのこだわりが詰まっている天井(画像提供/HUB a nice d!)

大工の中村さんのこだわりが詰まっている天井(画像提供/HUB a nice d!)

地元になかった「週末居酒屋」が中高年男性陣に大好評

完成から約1年。現在、『HUB a nice d!』は、アロマ教室やベビーマッサージ教室、スキンケア講座や子育てサロンに加えて、平日昼のカフェ、土曜の昼のカレー店、金土の夜の居酒屋と、曜日や時間帯ごとに、いろいろな使われ方をしてきた。特に居酒屋は、店主である納裕一さん(35歳)が2018年12月に始めて以来、週末ごとに大盛況なのだという。

「本業は看護師ですが、以前から居酒屋をやってみたかったんですよね。やってみて分かったのは、この場がいろいろな人をつなげているということ。島内と島外の人をつなげるだけでなく、同じ集落に住む若い世代と上の世代もつなげてくれて。そういう機会が意外となかったので、焼酎を飲みながらいい感じにゆるくつながりができるのは、とてもうれしいです」(納さん)

地元に居酒屋がなかったことから、今までは隣町に飲むに行くしかなかった一人暮らしの高齢お年寄りの男性陣から絶大な支持を集めている「週末居酒屋」。一方、近所に住む高齢の女性はというと、「ずっと空き家だった家に、こんなふうに人が集まって来るようになったことで、町が明るくなった」と、こちらも大いに喜んでいるのだとか。

夫の転勤で熊本県から引越してきて以来、月に2回ほど通っている女性は、「仕事をしていないこともあり、地域とのつながりがなかったので、集落の人たちと仲良くなれる場があることはとてもありがたい」と語る。『HUB a nice d!』が、島外と島内、集落内の世代間をつなぐ役割を果たしていることが分かる。

(画像提供/HUB a nice d!)

(画像提供/HUB a nice d!)

この日のオススメは豚のアゴ肉鉄板焼とシビユッケ。納さんは豚バラ大根も得意料理だ(画像提供/HUB a nice d!)

この日のオススメは豚のアゴ肉鉄板焼とシビユッケ。納さんは豚バラ大根も得意料理だ(画像提供/HUB a nice d!)

地域食堂では家庭料理を提供。大人300円、小学生~高校生100円、未就学児は無料だ(画像提供/HUB a nice d!)

地域食堂では家庭料理を提供。大人300円、小学生~高校生100円、未就学児は無料だ(画像提供/HUB a nice d!)

カメラマンを迎えてのカメラ講座では、子どもたちをのびのび遊ばせながら参加できる。ママたちは学びに集中し、チビッコたちは遊びに熱中(画像提供/HUB a nice d!)

カメラマンを迎えてのカメラ講座では、子どもたちをのびのび遊ばせながら参加できる。ママたちは学びに集中し、チビッコたちは遊びに熱中(画像提供/HUB a nice d!)

HUB a nice d! を造る過程でアドバイスや協力をくれた阿木名まちづくり委員会のみなさん(画像提供/HUB a nice d!)

HUB a nice d! を造る過程でアドバイスや協力をくれた阿木名まちづくり委員会のみなさん(画像提供/HUB a nice d!)

地域の社会人有志が自主的に実行委員会を起ち上げた「瀬戸内町近未来会議」というイベントの事前勉強会の様子。大人に混ざって高校生たちも参加(画像提供/HUB a nice d!)

地域の社会人有志が自主的に実行委員会を起ち上げた「瀬戸内町近未来会議」というイベントの事前勉強会の様子。大人に混ざって高校生たちも参加(画像提供/HUB a nice d!)

心理ゲーム「人狼」の会場になることも。まさにやりたい人がやりたいことをする“場”となっている(画像提供/HUB a nice d!)

心理ゲーム「人狼」の会場になることも。まさにやりたい人がやりたいことをする“場”となっている(画像提供/HUB a nice d!)

完成から1年。さまざまな人にさまざまな使われ方をすることで、地域にしっかりと根づいた『HUB a nice d!』は、第36回「住まいのリフォームコンクール<コンバージョン部門>」で優秀賞を獲得した。そのタイトルは「多世代で繋がり人や情報が集まる夢の芽が花開く地域のHUB拠点」というもの。事実、『HUB a nice d!』は今も、「実験と挑戦の場」として、人々のチャレンジショップの役割を果たしていると山本さんは語る。また、DIYは、コスト削減や、参加者がその後も愛着を持ってかかわってくれることというメリットがあるが、森さんによると「自分たちで修復できるので、長期間のメンテナンスコストも抑えることができる」とのこと。事業自体のサステナビリティを高めるというメリットも再発見することとなった。

山本さん自身の自己実現が発端となり、それが周りのママたちへ、やがて地域のみんなの自己実現へと連鎖して広がったこの挑戦。その過程には、コミュニティ活動を持続させるという重要課題へのヒントがありそうだ。

●参考
HUB a nice d!

「ワーケーション」がJALを変えた。地域と出合い、自分を見直す働き方

テレワークの新しい形として広がっている「ワーケーション」。「ワーク」と「バケーション」を組み合わせた造語で、休暇を兼ねて出かけた先でリモートワークを行う新しいワークスタイルであり、ライフスタイルである。2019年11月18日には「ワーケーション自治体協議会設立総会」が実施され関心が高まっている。2010年に経営破たんした日本航空株式会社(JAL)はそこから回復するために社内の働き方改革にも着目した。ワーケーションを社内制度として取り入れたのがその一例だ。そこで、人事分野を担当し、自らもワーケーションを実践し続けている東原祥匡さんに取り組みと体験談を伺った。
ワーケーションで人も土地もwin-winの関係に

ワーケーションは基本的に休暇だが、「この日は仕事をします」として休暇先でPCにログインし、テレワークすることで勤務日とみなされる制度だ。JALのワーケーション実績は、2017年夏期推奨期間の利用はわずか11人だったが、翌年の2018年夏期推奨期間には78人と、なんと7倍にも増加した。2018年は年間を通してのべ174人がワーケーションを利用したことになる。また、ここから派生して、商品として「ワーケーション」を組み込んだツアープランの販売も始まった。この一連の動きの立役者が人事担当の東原さんだ。

ワーケーションを通じてその土地を訪れることで、お互いがwin-winの関係になると東原さんは考えている。「地域の方々と一緒に何かを『生み出す』こと、つまり『共創』を実現したいです。ワーケーションは地域活性にもつながると思います」と東原さんは言う。2018年11月から12月にかけて実施した鹿児島県徳之島町とのワーケーション実証事業において、ワーケーションがもたらす地域との結びつきの魅力を実感し、荒らされていない自然が存在する徳之島への愛も同時に芽生えた。

鳴子温泉(宮城県大崎市)でのワーケーションに利用した旅館(写真提供/JAL)

鳴子温泉(宮城県大崎市)でのワーケーションに利用した旅館(写真提供/JAL)

現在、JALの勤怠システムでは「ワーケーション」という項目が「休暇」などと並んで選択できるようになっている。また、社内で閲覧できるイントラネットでは、東原さんが自作した、全国のオススメのコワーキングスペースを紹介している。とても整理されていて情報量も豊富、イントラにとどめておくのは惜しいほどの出来栄えだ。「ほとんど趣味ですけれど」と東原さんははにかむが、なかなかできるものではない。

この夏は北海道、愛媛、オーストラリアでワーケーションとアクティビティを融合した試みも行った。働き方や休み方を社員自身がマネジメントでき、さらに付加価値を実感できるようにするのも人事担当としての目的のひとつだ。

「ワーケーションの伝道師」が生まれるまで

いまやワーケーションの伝道師(エバンジェリスト)ともいえるほど、熱心にメリットを語る東原さんだが、会社としては休暇取得の促進が喫緊の課題であった着任当時、なんでもいいからすがりたいという気持ちもあった。シフト勤務者は残業がほとんどない環境であるが、間接部門の社員は経営破綻後人員が減った中、業務は増加傾向にありワークスタイル変革の実施は急務であった。

白浜町でのワーケーションでは、道普請(みちぶしん)も行った(写真提供/JAL)

白浜町でのワーケーションでは、道普請(みちぶしん)も行った(写真提供/JAL)

ワーケーションを浸透させるため、受け入れ先のひとつ和歌山県の南紀白浜に話を聞きに行き、社内モニターツアーの企画につなげた。そして、2017年12月と2018年2月の2回にわたって10~15人の社員とともに体験ツアーを行った。評判は上々で、手ごたえを得たように思った。

そのほか、一般社員がワーケーションを行いやすいようにと役員自らがワーケーションを実施したり、家族を同行させてのワーケーションをしたりしてみたこともある。また、若手社員帯同してのワーケーションをしたりしてみたこともある。また、若手社員からの声をもとに、滞在先で集中討議を行う「合宿型ワーケーション」を徳島県神山町、宮城県鳴子温泉、福岡市、富山県などで行った。
担当業務の一環として始めたワーケーションだったが、東原さん自身も、ワーケーションで働き方がガラッと変わった社員の一人である。温泉地なら湯治場で地元の人たちとコミュニケーションをとるのも楽しいなど、場所によって異なる魅力がある。2018年のゴールデンウイークには海外でのワーケーションを体験しようと、シンガポールへ出かけた。「次はあえてハワイ島に行き、パワースポットで仕事をしてみたいと思っています」(東原さん)

シンガポールでワーケーション中の東原さん(写真提供/JAL)

シンガポールでワーケーション中の東原さん(写真提供/JAL)

現在の人事の仕事に就く前は、社外に出向していた東原さん。社外での経験は、会社や自分自身を俯瞰してみることができ、自身の働き方について見つめなおす良い機会となった。「残業が多く、有給休暇も取れない環境は良いのだろうか」と、これからの人生や働き方について考えることも多かったと言う。今は心から仕事を楽しいと思えている。「ワーケーションのおかげかもしれません」(東原さん)。例えば徳之島に行くと「おかえりなさい」と言ってもらえる。「自分が関係人口の増加にも寄与しているのではないかと実感できるんです。それをうれしく思います」。連休の合間にワーケーションを使って、地方にいる友人に会いに行くのも楽しみとのこと。

(写真提供/JAL)

(写真提供/JAL)

ワーケーション普及に立ちはだかる壁

「仕組みさえできればワーケーションはどの会社でも導入しやすいと思います」と東原さんは言う。しかし、休暇をベースにした制度の理解ができる素地が、いまの日本社会にはまだない。「本当に仕事しているのか?」と疑ってしまう「性悪説」の蔓延がワーケーションやテレワークの普及を遠ざけている。しかし働き方を変えるために労使双方に大切なのは「性善説」であり、お互いが信頼、理解し合うことなのかもしれない。

ワーケーション導入後のJALでは、有給取得率が高くなったという。時間外労働も月7時間まで削減できた。ワーケーションにおいても、PCのログオンやログオフを見ることで、社員をきちんと管理できている。「次の目標は今年5月に導入した出張時に休暇をとれる『ブリージャー』の浸透です」(東原さん)と、すでに見据えるのはワーケーションのその先だ。

東原祥匡さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

東原祥匡さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ワーケーションのためのコワーキングスペースを提供したり、テレワークのためのインフラづくりをしたりしている企業は登場しているが、自社へのワーケーションの導入には至っていないところが多いのが実情である。導入に向けて社員一人ひとりの働き方について対面で話すことを重要視する企業もあるだろうし、JALのようにワーケーションの勤怠管理をできるシステムを整えることを検討する企業もあるだろう。しかし、システムの整備にはコストもかかるし、セキュリティの担保といった面でも万全とは言えないかもしれない。

ワーケーションの取り組みは日本社会全体を見るとまだ始まったばかりで、その可能性は未知数。今回、取材先としてワーケーション実践者を探す中で、言葉は広がっても実践はあまり進んでいないことを感じた。また、ベンチャーやスタートアップのような小規模の会社に比べ、大企業ほど制度面の整備などが難しく、導入の壁は高いだろう。しかし、さまざまなライフスタイルが広まる中で今後の選択肢となってくることは間違いない。PCひとつでリゾート地からリモート出勤――ワーケーションはこれからが本当のスタートだ。

●取材協力
日本航空株式会社

デュアルライフ・二拠点生活[21] 高円寺と別府。意外と似ている2つの街を楽しむ暮らし

ぐつぐつと煮立つお湯に例えた「地獄めぐり」で有名な温泉地・大分県別府市。この街を盛り上げようと奮闘する池田佳乃子さんは、別府に住みながら夫のいる高円寺にも家を持ち、二拠点生活を送っている。大学入学とともに上京し、企業で働いていた池田さんが別府に戻った理由や、高円寺と別府の意外な共通点などについて伺った。
高円寺での新しいコミュニティを通して得た価値観

JR中央線の高円寺駅と阿佐ヶ谷駅のちょうど真ん中。高円寺駅から高架下をずっと歩いて行った先に開ける芝生広場が印象的な高円寺アパートメントは、JR東日本の社宅をリノベーションした住宅で、50世帯がA棟とB棟に住んでいる。A棟の1階には2つの飲食店と4つの住居兼店舗が並び、目の前の芝生広場では月に数度、住人たちが企画・運営するマルシェなどのイベントが行われている。

池田佳乃子さんの東京での拠点、「高円寺アパートメント101(いちまるいち)」は、店舗と夫である石井航さんの設計事務所を兼ねている住居兼店舗だ。開放的な雰囲気から今では近所の子どもたちの居場所にもなっている。

高円寺アパートメントの芝生広場で住人たちとお花見(写真提供/池田佳乃子さん)

高円寺アパートメントの芝生広場で住人たちとお花見(写真提供/池田佳乃子さん)

池田さんは大分県別府市生まれの31歳。大学入学とともに上京し、卒業後は映画会社と広告代理店に勤め、29歳のときに結婚。夫の石井さんが設計事務所を開設するタイミングでここに引越してきた。

30歳になったとき、池田さんは「なにかチャレンジングなことをしよう」と思い立った。
池田さんの周りには、建築家や写真家、役者などアーティストとして自分を表現している友人が多く、彼らと日々過ごす中で、自分には何もオリジナリティがないとコンプレックスを感じていた。そんな中、ふと故郷のプロモーションを目にして、別府の人たちが自由に自分を表現していることに気づき、別府であればもっと自分のオリジナリティが出せるのではないかと思い立った。

今までのキャリアの中で映画や広告に携わり、コンテンツを企画することには自信があった。別府の面白い人たちと一緒に、自分のキャリアを生かした新しいコンテンツを生み出すことで、自分らしい表現ができるかもしれない、そうした思いが日に日に募っていった。

お湯のように湧き立つ思いとともに別府へ

池田さんに迷いはなかった。夫と住む東京を離れ、別府市と連携してビジネスを支援している「一般社団法人別府市産業連携・協働プラットフォームB-biz LINK」に転職した。B-biz LINKは、2017年別府市の出資により立ち上げられた組織で、池田さんは主に別府でビジネスをする人たちのネットワークを広げ、別府の産業を盛り上げる仕事をしている。こうして念願の別府での仕事が始まり、池田さんは二拠点生活者となった。

別府市の鉄輪温泉。たくさんの旅と引越しのあとでたどりついた(写真提供/池田佳乃子さん)

別府市の鉄輪温泉。たくさんの旅と引越しのあとでたどりついた(写真提供/池田佳乃子さん)

結婚してから何年も経っていない夫妻に不安はなかったのだろうか。池田さんは別府に移ってから、月に10日ほど東京に出張している。東京2割、別府8割ほどの生活だ。
「周りにはよく寂しくないのか?と聞かれるのですが、高円寺アパートメントに暮らしていることが大きな安心材料になっているのかもしれません。ご近所づきあいが自然とできているので、夫が晩ごはんを一人寂しく食べることもないし、夜な夜な飲み歩く必要もない。むしろ、芝生で遊ぶ子どもたちと触れ合ったり、夕食を持ち寄って住人たちと一緒に食べたり、自宅で営む雑貨屋のお客さんと楽しく会話したりしているので、一人で東京に暮らしているという感覚はあまりないのかもしれません。夫は東京で、私以外に家族の輪を広げているのだと思います。その感覚が心地よくて、安心しています」

(写真提供/池田佳乃子さん)

(写真提供/池田佳乃子さん)

別府では実家で両親と暮らしている。「二拠点生活になったことで幅広い人たちとコミュニケーションをとるようになったので、自分の中の引き出しが増え、バランス感覚がよくなった気がします」と池田さん。別府と高円寺でコミュニティづくりに携わる中で、共通点があることにも気づいた。「別府と高円寺は似ています。カレー屋さんが多いこと、自由な人が多いこと、あまり周りを気にしていない人が多いこと、銭湯文化が根づいていることとか」と池田さんは分析する。お風呂を通じて人々と交流でき、湯けむりが漂う中で自分を表現できる街、高円寺と別府の両方を心から好きだと思っている。「そういえば、最近高円寺から別府に移住した人がいるんです。やっぱり似ていて住みやすいのかもしれませんね」(池田さん)

鉄輪妄想会議の様子(写真提供/池田佳乃子さん)

鉄輪妄想会議の様子(写真提供/池田佳乃子さん)

湯けむりに囲まれた鉄輪のコワーキングスペース『a side-満寿屋-』

別府の中でも無数の湯けむりが立ちのぼる光景で知られ、古くから湯治場として栄えてきた鉄輪(かんなわ)エリアに、2019年4月コワーキングスペース『a side -満寿屋-』がオープンした。鉄輪エリアは別府を代表する温泉地の一つだが、そこに暮らす女将さんたちは鉄輪の未来に危機感を感じていた。それは、後継者不足によって廃業する旅館やお店が多く、空き家が増加していること。女将さんたちはその課題をどのようにしたら解決できるか、自主的に会議を開いて考えていた。池田さんは、そんな熱意のある女将さんたちと出会い、2018年6月に地域の人たちや学生、地元の起業家や不動産などの専門家を交えて、ワークショップ形式の話し合いの場“鉄輪妄想会議”を開いた。その中で、古くから続く湯治文化を現代のライフスタイルに合わせるには、働きながら湯治ができるスタイルを実現することが近道なのではないかという発想が生まれ、このアイデアから“湯治のアップデート”をコンセプトに、元湯治宿だった空き家をコワーキングスペースにリノベーションすることが決まった。

a side -満寿屋-の内部(写真提供/池田佳乃子さん)

a side -満寿屋-の内部(写真提供/池田佳乃子さん)

築80年の温泉旅館をリノベーションしたコワーキングスペース「a side-満寿屋-」はこうしてできあがった。「来るたび、鉄輪の蒸気によって少しずつ変化を感じることができる空間」をコンセプトにしているというこの場所。利用料金は1日1000円からという都内では破格の価格で、設備は充実している。ソファ席や心を落ち着かせる「ZEN」の部屋があり、プロジェクターやスクリーンは無料で貸し出している。鉄輪には昔と同じように湯治場があり、長期滞在することができる。

2019年9月に行ったワーケーション企画での1コマ(写真提供/池田佳乃子さん)

2019年9月に行ったワーケーション企画での1コマ(写真提供/池田佳乃子さん)

湯治場とコワーキングスペースの組み合わせの背景には、ワーケーションという働き方を池田さんや仲間たちが知ったことがあった。これが普及すればきっと鉄輪のにぎわいは戻ってくるはずだとみんなで思いついた。実際に、コワーキングスペースができてから、利用者がふえてななめ向かいの飲食店が復活した。今後も空き家会議をして、さらに盛り上げていきたいと池田さんはもちろん、地域のみんなで思っている。今はまだ別府市内から4割、鉄輪6割の利用者だが、もっと外からの人の割合を高め、鉄輪の湯のあたたかさを知ってほしいと考えている。2019年9月には、実験的に鉄輪で8社の都市部の企業のメンバーと一緒にコワーキングスペースを活用したワーケーションを実施した。別府にある大学生を巻き込んだ「イノベーション創出型」という形で、あらたな可能性を見つけることができたという。

二拠点生活だからこそ分かったことがある

「東京と別府では情報の粒度とか鮮度が違いますし、東京のさまざまな情報と、別府の実験場としての土壌が上手くブレンドされたら面白いのではないかと感じています。そうした今までに無い網を張るのが、自分の役割だと思っています。将来的には、海外や都会の人たちが交流できる機会をつくることで、別府の中学生や高校生がさまざまな価値観に触れ、キャリアの選択肢を広げられるようになったらいいなと考えています」

池田さんの高円寺の家は、「東京でのつながりをつくる実験の場」でもあり、自宅のリビングをお店にすることで、パブリックとプライベートの境界線を曖昧にしている。「暮らしの境目をなくすとどういう変化が生まれるのかを実験しています。分かったのは、子どもたちが自由に自宅に遊びに来てくれることですね。ここで設計の仕事をしている夫は、子どもたちの保育園に必要な『お迎えカード』を預かって、お母さんが迎えにいけないときのピンチヒッターになっているんですよ」と池田さんは笑う。誰に対しても分け隔てのない夫妻の性格がよく表れているエピソードだ。

池田佳乃子さんご夫妻(写真提供/池田佳乃子さん)

池田佳乃子さんご夫妻(写真提供/池田佳乃子さん)

「二拠点生活を始めて、いろんな角度から物事を見られるようになりました。ひとつしか拠点を持たない生活では、価値観が画一的だった気がするんです」と池田さんは二拠点生活のよさを語る。「でも、私には二拠点までですね。その土地で暮らして「おかえり」と言ってもらえることが自分の居心地の良さにつながっているので、2拠点以上の多拠点暮らしは自分には向いていないかもしれません」(池田さん)

それぞれの土地でコミュニティを築いているからこそ分かる“拠点”の大切さ、そして人とのつながりの尊さ。池田さんは別府と高円寺というまるで違うようで実はよく似ている二つの街を、いいお湯の加減のようにバランスよく、しかし精力的に生きていくのだろう。

●取材協力
a side -満寿屋-

車いすテニス菅野浩二選手が住まいに求めるものは? 「東京パラリンピック」メダル目指し

下肢・上肢の内、三肢以上に障がいのある選手が参加できるQuad(クアード)クラスの車いすテニスで、国内ランキング1位、世界ランキング4位(2019年11月)の菅野浩二選手(リクルート所属)。このクラスでの東京パラリンピック出場が最も有力視され、メダル獲得も期待されている選手です。日々厳しいトレーニングを課し、プレッシャーがのしかかるトップアスリートにとって、住まいとは心身の疲労を癒やす空間。今回は、東京パラリンピックを目指す菅野選手が選ぶ住まいを訪問し、家選びのポイントや、バリアフリーに対する考えを伺いました。

――今までどんな住まいに住んでこられましたか?

独身時代は会社の寮に住み、2011年に結婚してからは東京都葛西臨海公園近くにある社宅、その後、東京都東雲にある都民住宅に3年ほど住んでいました。

昨年、競技用の車いすを運びやすいように大型車を購入したのですが、大きくて駐車場には止められず、周辺エリアにも駐車場がなく、引越しを考えるようになりました。新しい家を探しているうちに賃貸にこだわらなくてもいいのではと思ったんです。これまでの家賃と同じ金額で返済できるなら、購入して資産にした方がいいと思って。妻とも話し合い、2019年から家探しを始めました。

――何件の物件を見学されたのですか。また、ここに決めた決め手は?

土地勘がある東雲や豊洲といった湾岸エリアで、中古マンションを3件ほど見ました。この物件には、車いすアスリートの友人が住んでいたので、「家探しをしているから一度お家を見せてほしい」とお願いしました。彼も車を所持しているので、駐車場の設備も整っているだろうと思いました。

実際、お宅を訪問したら、マンションの共用設備は整っているし、目の前に高い建物があまりなく、中層階でもリビングからの見晴らしがいい。眺望がいい部屋に住みたいという願望もあって気に入りました。

リビングからの景色。遮るものがなく夜景も気に入っている(撮影/嶋崎征弘)

リビングからの景色。遮るものがなく夜景も気に入っている(撮影/嶋崎征弘)

共用部の1階玄関も開放感があって気持ちいいし、何より機械式駐車場にも大型車を止めることができ、車いすの出し入れができるスペースもありました。妻も車いすを使用しており、車で通勤しているので、1世帯2台停められることも決め手として大きかったです。

――車通勤しやすい立地でもある?
はい。この辺の道はよく知っているので、車の移動がしやすい場所であることは把握していました。僕も通勤ストレスがないし、遠征時も高速にもすぐ乗れるので空港がある羽田や成田に行きやすい。トレーニング場所である東京都北区の「味の素ナショナルトレーニングセンター」にも通いやすいです。
妻の勤務先は山手線の西側なので少し距離はありますが、渋滞することなく行けるようです。鹿児島に住んでいる彼女のご両親が遊びに来たときに、羽田空港へのお迎えにも行きやすいです。

――周辺の道路環境は?
道は平坦で見晴らしもよく、日ごろよく買い物に行くスーパーまでは車は使わず、車いすで行きます。近所にはテニスコートがあって、妻はよく友人と一緒に大会を見に行っていますね。

勾配がなく平坦な道が続き、高齢者や身体に障害がある人、ベビーカーを押すママさんも歩きやすい(撮影/嶋崎征弘)

勾配がなく平坦な道が続き、高齢者や身体に障害がある人、ベビーカーを押すママさんも歩きやすい(撮影/嶋崎征弘)

最近のマンションはバリアフリー化が当たり前に

――お部屋の住み心地は?
実は前の家の方が少し広いのですが、段差もなくフラットだし、廊下も車いすが通れる幅です。車いすで住むためのリフォームは全くしていませんが、キッチン台の高さも使うのに問題ないですし、お風呂も広めなので不自由していません。ただ、玄関は妻との車いすを並べるほどの広さはなくて、朝の出勤時は玄関で混まないように、妻が僕より早めに出発してくれます(笑)。

車いすでも使いやすいキッチン台の高さ(撮影/嶋崎征弘)

車いすでも使いやすいキッチン台の高さ(撮影/嶋崎征弘)

浴室も広くて浴槽にも入りやすいという(撮影/嶋崎征弘)

浴室も広くて浴槽にも入りやすいという(撮影/嶋崎征弘)

――最近のマンションは特別にリフォームしなくても、ある程度のバリアフリー対応はされているんですね。

そうですね。妻の実家もマンションですが、築30年の物件なので段差があるところには昇降機をつけるなど、車いすでも使いやすいようにバリアフリーにリフォームをしています。

しかし、最近のマンションは、ご高齢の方が住むことも想定されているので、車いすでも暮らしやすい仕様になっていて、知人でも大きなリフォームをしている印象はないですね。

前の住まいと比べて、格段に便利だなと思ったのは共用設備です。宅配ボックスは共働きにはとても便利で、またコンシェルジュがいるので困ったときには相談できます。共用玄関と居室エリアの扉にそれぞれオートロックが付いているし、1階のエレベーター扉の上には、中の様子が見られるカメラも付いています。セキュリティーも申し分ないです。

また、1階の共用部には車いすも楽々入る広めのトイレが2つもあるので、居室階に上がらなくてもすぐ使えます。妻が重宝しているのは、各階にゴミ捨て場があること。捨てるものがたくさんあると、車いすで何度も降りたり上がったりしなくてはいけない。その労力がかからなくなっただけでもストレスが減ります。妻は、この物件を見学する前に車いすでも暮らしやすいかといった生活動線をネットでチェックしていて、この建物に住むアスリート友人宅に遊びに行ったときにもきちんと確認していたみたいです。

――菅野さん自身が住んでよかったと思う部分は?

「各フロアにゴミ捨て場があるのは、とても便利ですね」(撮影/嶋崎征弘)

「各フロアにゴミ捨て場があるのは、とても便利ですね」(撮影/嶋崎征弘)

上層階にラウンジがありますが、バーテンダーが18時から22時半ぐらいまで常駐し、お酒が飲めるんです。遠征などでは試合優先で仲間とも飲みに行かないですし、僕は車移動なので外でお酒を飲むときは妻の送迎が必要になります。だから外でお酒を飲む機会がないので、たまに移動を気にせず、ラウンジに上がって夜少しだけお酒を飲んで、そのまま部屋に帰れるのはとても助かるし、リラックスできる時間です。値段もリーズナブルです。

そのラウンジでは、カレーやパスタなどの軽食も食べることができます。普段はほとんど自炊ですが、共働きなので仕事やトレーニングで互いに疲れているときは、「今日はちょっと上で食べようか」とわざわざ車で外に出なくてもマンション内で食事ができるのは便利で助かっていますね。

また、仲良くなった住民の方に誘われて、共用スペースのキッチンスタジオで開くパーティーに参加することもあります。先日のラグビーワールドカップのときは、ラウンジでパブリックビューイングが開催され、みんなで観戦し盛り上がりました。住人の方から、「東京パラリンピックに出場したら応援に行くよ!」などという言葉をかけていただいてうれしいですし、会社や競技とは異なるコミュニティができたことは、リフレッシュにもなっています。

――日々厳しいトレーニングを課すアスリートにとって、住まいはリラックスするための大切な場だと思いますが、どのように過ごしていますか。
先ほどもお話しした通り、リビングはもちろん、ラウンジからの夜景もきれいで眺めているだけでくつろげます。僕自身、35歳を過ぎてからパラリンピック出場を目指し本格的な競技活動を始めました。アスリートとしては高齢なので、怪我しやすかったり、回復が遅かったりします。だから家ではマッサージ器で体をほぐしたり、ゆっくりお風呂に浸かったりして少しでも回復を早めるように心がけています。購入した家は満足していて、快適でくつろげる住環境を整えることは、メンタル的にも大事だなと思いますね。

外の風景を眺めるだけで疲れが癒される(撮影/嶋崎征弘)

外の風景を眺めるだけで疲れが癒やされる(撮影/嶋崎征弘)

――お部屋にはモノがあまり多くなく、すっきりされています。
引越しのときに家財道具を新調し、ルンバが掃除できる高さのソファを選んだり、床にはモノを置かないようにしています。出勤前にドアを全部開けて、ルンバを起動して出かけているので、掃除の手間はさほどかからないと思います。

「床が汚れないように、部屋用の車いすにはカバーをつけています」(菅野さん)。(撮影/嶋崎征弘)

「床が汚れないように、部屋用の車いすにはカバーをつけています」(菅野さん)。(撮影/嶋崎征弘)

ダイニングテーブルは用途に合わせて上げ下げできる(撮影/嶋崎征弘)

ダイニングテーブルは用途に合わせて上げ下げできる(撮影/嶋崎征弘)

――満足できる住まいは、予算内に収まった?
はい。2人で折半したら購入できる予算で考えていました。自分たちには高い買い物でしたが、住民同士のコミュニケーションがあり、住んでいて気持ちがいいことが一番なので、「住み替えてよかったね」と妻と話しています。

――東京パラリンピックに出場するためには?
来年6月の時点で世界ランキング12位までには入れば、出場できます。今は4位ですが、その成績が来年に繰り越されることはありません。来年5月までの大会で今と同等の成績、それ以上の成績を出さなければいけません。まずは東京パラリンピックの切符をしっかり掴み、世界のトップに上がってきた10、20代の若い世代の選手と戦えるように、しっかりコンディションづくりをしていきたいと思います。応援のほど、どうぞよろしくお願いします!

(撮影/嶋崎征弘)

(撮影/嶋崎征弘)

リラックス&リフレッシュできる生活基盤がパフォーマンス向上へ

暮らしやすくするために、何かリフォームされているかと思っていましたが、最近のマンションは高齢者や車いすで生活される方も暮らしやすいようなバリアフリーの設計が標準になっているのだと、菅野選手のお話を聞いてあらためて実感しました。また、「部屋の眺望が癒やしとなり、共用部がリフレッシュの場になっている」というお話を聞くと、競技のことで頭がいっぱいになりがちなアスリートにとって、快適な生活基盤を整えることの重要性を感じましたし、私たちが仕事で高いパフォーマンスを発揮するためにも同じようなことが言えるだろうと思いました。超高齢化社会に突入した今、年齢や障がいがあるなし問わず、どんな状況の人も暮らしやすい住まいの提案が進んでいくことでしょう。

●プロフィール
菅野浩二選手
車いすテニス選手。1981年埼玉県生まれ。リクルート所属。高校1年生のとき、バイク事故で頚椎損傷になり首から下に障がいが残る。車いすバスケットボールを経て、車いすテニスを開始。握力が弱いなどのハンディキャップがあったが、障がいの軽い「男子」カテゴリーで戦っていた。2016年に男子クラスのパラリンピアンからアドバイスを受け、三肢以上に障がいのある選手が参加できる「クアード」クラスへ転向。国内ランキング1位になり、国際大会でも上位に名を連ね、2020年東京パラリンピックでのメダル獲得を目指す。
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新しい働き方「ワーケーション」が地域を変える? 軽井沢の“旅行×仕事”な過ごし方

仕事(work)と休暇(vacation)の「いいとこどり」、休暇に出かけた先でくつろぎながら仕事もできる「ワーケーション」という新たな働き方がある。一般社団法人日本テレワーク協会がテレワークの新たな形として推進し、今年(2019年)7月には「ワーケーション自治体協議会」が発足、さらに輪は広がり、11月には「ワーケーション自治体協議会(通称=ワーケーション・アライアンス・ジャパン=WAJ)」が全国40を超える自治体の参加で発足する予定だ。そこで、30年以上前からテレワークや企業誘致に取り組んできた長野県軽井沢町で、ワーケーションの現在について取材した。
「標高1000メートルのウェルネスリゾート」で働く

長野県軽井沢町は100年前から「ウェルネスリゾート」を名乗ってきた。「リフレッシュできるうえに、クリエイティブなことができる町なんです」と軽井沢観光協会・会長の土屋芳春氏は言う。たしかに、戦前に作家の室生犀星が夏に長逗留して創作を行っていたことなど、例には事欠かないし、インスピレーションを生みやすい場所だともいえる。また、軽井沢に「行ってくる」ではなく「帰ってくる」という感覚を持っている人が多いのも軽井沢の特徴。まるで自宅にいるときのようにストレスフリーになれる証左だ。だから「軽井沢はテレワークの場所として選ばれるし、プラス要素は今後も必然的に増加すると思います」と事務局長の工藤氏は話す。新しいものを取り入れようということで、ベンチャー企業による貸しオフィスの運営も始まった。

軽井沢の自然は豊かだ(写真撮影/片山貴博)

軽井沢の自然は豊かだ(写真撮影/片山貴博)

軽井沢という土地は言うまでもなく古くから人気の別荘地であり、ここに別荘を持つことにあこがれている人も多い。そうした別荘文化が背景にあることは、ワーケーションがしやすい場所という側面を持つ。推計で450人ほどが別荘を使ってワーケーションを行っているようだ。別荘コミュニティが軽井沢の魅力であるため、ここで新しい人脈が広がることも多い。東京だと5分のアポイントを取ることも難しいが、別荘であればゆったりと話をすることもできる。また、短時間から使えるミーティングスペースが多いのも魅力だ。個人のグループでのアクティビティや、チームビルディングをするための合宿にも使われている。都会的なコワーキングスペースも増えてきた。

以前から企業誘致に熱心だった軽井沢

実は、軽井沢町では、実に33年前から会議都市としてビジネス客の誘致に動いてきていた。単なる観光地としてではなく、町としてビジネス客を取り込む戦略を打ち出したのである。こうして企業が町内の施設を使って会議を行うようになった。また、首都圏から近いこともあり、日々通勤する人も300人以上いるという。通勤できることが魅力だった軽井沢では、近年テレワークで仕事をする人も徐々に増え、働き方改革のなかで、その動きはさらに広がっている。

軽井沢には従来、企業の寮や保養所が多かった。90社、90寮、全盛期には300を超えたが、バブル経済の崩壊やリーマンショックで閉鎖するところが増えた。そうしたところをリノベーションして大手都市銀行などが利用している。こうした企業が成功事例をつくり、軽井沢が磁場になる。

また、テレワーク協会と観光協会は協働して、これまでに10回近く実証実験を行ってきた。1泊2日の体験をつくりこむことにより、ニーズを探ってきたのだ。こうして、軽井沢にあるワークスペースは使う人の意見を反映したものとなった。

ワーケーションの実施場所はテレワーク協会が一元管理して紹介しており、利用者を見極め軽井沢の価値を下げないよう、ハイクオリティな町づくりを行っている。軽井沢はもちろん東京に比べるとアクセス面などで不自由だが、その不自由さを逆手に取っていかに特別に大きな企画にしようかとがんばっている。そうして、観光客がワーカーでもあるような状況を強固なものにしていきたいと、観光協会のお二人は強く語ってくれた。

軽井沢の仕事スペース3選

インタビュー後、土屋会長が軽井沢の代表的なコワーキングスペースを案内してくれた。いずれおとらぬセンスのよさで、実に仕事がはかどりそうな場所だった。

●軽井沢書店
軽井沢にあった書店の跡地に、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が2018年5月にオープンした書店。店内では軽井沢や自然に関する書籍や雑誌の販売に加え、DVDレンタルも行われている。店のスペースの半分ほどはBread & Coffee by MOTOTECAというカフェになっていて、ここでPCを使って仕事をすることができる。取材当日は雨のため人は少なめだったが、常にさまざまな人が訪れ、読書や仕事をして帰っていく場所である。

軽井沢書店のカフェスペース(写真撮影/片山貴博)

軽井沢書店のカフェスペース(写真撮影/片山貴博)

●Lulu GLASS(ルルグラス)
軽井沢のフローリストS.K.花企画の運営で、店内は花に囲まれている。中軽井沢エリアでのテレワーク、打ち合わせスペースとして重宝され、店内ではワークショップなどのイベントも行われることがある。経営者は軽井沢商工会会長の金澤明美氏。町のワーケーションの機運を高めようと今年オープンした。ドリンク1杯540円のみで1日利用可能なので、軽井沢近辺で仕事がしたい人にとっては、大変重宝する場所である。

大きなテーブルが印象的な、ルルグラスの店内(写真撮影/片山貴博)

大きなテーブルが印象的な、ルルグラスの店内(写真撮影/片山貴博)

●ハナレ軽井沢
ハナレは、軽井沢ではいちばん有名なネットワーキングスポットといえるだろう。管理人はテレワークの仕事を歴任し、現在は軽井沢リゾートテレワーク協会副会長の鈴木幹一氏。ここはそもそもNTTコミュニケーションズの所有であり、週2回ほど開発会議も行われているが、その他の人も利用できる。鈴木氏は「軽井沢のワクワクする環境を大切にし、テレワークの聖地にしたい」と語る。

瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気のハナレ軽井沢(写真撮影/片山貴博)

瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気のハナレ軽井沢(写真撮影/片山貴博)

「いま、莫大な費用が地方創生に使われていますが、そんなことをしなくてもワーケーションやテレワークで、都市として大きくなることはできると思っています。働き方も含め、さまざまなダイバーシティを取り込み、地元の人と移住された人のコミュニティを大きく育てていきたい」というのが観光協会のお二人の意見だ。
不景気の中にあっても、インバウンド需要などで軽井沢の勢いは止まらない。また、別荘地としてのブランドも下がらない。そんな軽井沢でのワーケーションは人々の「休暇を取りたい」「仕事もしたい」を満たしてくれるだろう。ただ、軽井沢町に住む人以外にとっては、まだまだ高級な避暑地としての認識のほうが強い。今後はいかに軽井沢という伝統のブランドを守りつつ、新たな働き方を模索する人たちを取り込むかが課題となるのではないだろうか。

軽井沢町は、ワーケーションの取り組みについてほかの自治体と積極的に意見交換などを行っている。横のつながりがどう活かされるのか、今後も軽井沢のワーケーションのあり方に注目してゆきたい。

●取材協力
軽井沢観光協会

サ高住「ゆいまーる花の木」に込めた、秩父市×豊島区が目指すアクティブシニアの未来とは

自分のセカンドステージをどういったように暮らしたいかと考えたとき、生活を楽しみ、人との交流も続けたいと望むアクティブシニアが増えている。そんな高齢者向けの住宅や施設も誕生しているようだ。今回は秩父市に建設された「ゆいま~る花の木」のオープン記念式典があると聞いて足を運んでみた。
都市と田舎を結ぶ姉妹都市連携が新しいシニアの住まい方をつくる

池袋駅からレッドアロー号で78分、西武秩父駅に降り立つと駅周辺は活気にあふれている。関東に暮らす人にとっては長瀞渓谷や軽登山が楽しめる山々など、週末のアクティビティのイメージが強い秩父だが、歴史ある街であるからこそ、文化施設や個性的なカフェなども多く、実は落ち着いて自然を満喫できる暮らしができる古都でもある。

長瀞渓谷(写真/PIXTA)

長瀞渓谷(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

駅から徒歩15分、タクシーだとワンメーターでたどりつく場所に「ゆいま~る花の木」が11月にオープンした。木造2階建ての新築20戸、60歳以上の元気なシニア世代を対象としたサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)だ。今回、そのオープン記念式典が、隣にある秩父市の交流センターで開催された。

「ゆいま~る花の木」(写真提供/株式会社コミュニティネット)

「ゆいま~る花の木」(写真提供/株式会社コミュニティネット)

この施設は「秩父市生涯活躍のまちづくり」構想のモデル事業「花の木プロジェクト」の一環として誕生したものだが、秩父市(埼玉県)&豊島区(東京都)による「2地域居住」構想にも関係している。もともと姉妹都市関係にある両自治体が将来に向けてお互いの可能性を見据えた計画だという。

豊島区は、都市の過密や高齢化という課題を抱える中で、区民のライフスタイルの選択肢を広げ、第2の人生を後押ししたいとの考えがあった。一方、秩父市も人口減少という課題をかかえ、生涯活躍のまちづくり(都市部からの移住者が健康で活動的な生活を送れるとともに、医療・福祉等の地域ケアも整ったまちづくり(日本版CCRC)を目指していた。

セレモニーでは豊島区長と市長の挨拶もあり、この取組への期待の高さが感じられる。運営はサ高住で実績のある株式会社コミュニティネットが担当、「親しい人に囲まれ、楽しく、自由な暮らしを満喫し、介護が必要になったときも、地域の医療/介護資源を利用しながら自分らしく暮らす」をコンセプトとしている。

キッチンが設置された「秩父市花の木交流センター」でオープニングセレモニーを開催。「ゆいま~る花の木」の住民はもちろん、秩父市内の住民交流の場としても期待されている(写真撮影/四宮朱美)

キッチンが設置された「秩父市花の木交流センター」でオープニングセレモニーを開催。「ゆいま~る花の木」の住民はもちろん、秩父市内の住民交流の場としても期待されている(写真撮影/四宮朱美)

とりあえず試しに住む、2地域居住で気楽に始める、どちらも可能

リタイア後のセカンドライフをどこで始めるかは、高齢層にとって関心は高いが、いきなり今まで住んでいた場所から他の場所に移り住むのはハードルが高い。できればお試し期間が欲しい。

「ゆいま~る花の木」は、平日は自然豊かな秩父で生活し、土日は豊島区で文化芸術イベントに参加するといった「2地域居住(デュアルライフ)」のモデルケースも想定している。若い世代で行われているデュアルライフが平日都心、週末郊外となっているのに対し、逆も可能というのも特徴。これから人口減少が懸念される日本にあって、お互いに人口を奪い合わない交流や移動で「さまざまな地域との共生の仕組みづくり」に力を入れているそうだ。実際に豊島区に自宅がありながら、ここでの生活も始めようとしている高野正義さんに話を伺った。

「私は生まれてから現在まで豊島区で暮らし、地域の町会長もしてきました。地元に友人・知人も多いですが、少しのんびりしたいと思って、ここに拠点を持つことにしました。言ってみれば『もう1つの書斎』みたいなものですね。友人たちも興味を持っているみたいで、いずれ彼らも参加してくれると面白いと思っています」

快適なセカンドライフに必要なのは、設備や住宅はもちろんだが、地域に溶け込めるコミュニティだ。その点でも、隣接する地域開放型交流拠点施設「秩父市花の木交流センター」の存在が注目されている。セレモニーでは近隣の幼稚園児も参加、かわいい歌声を聞くことができた。施設が幼稚園、小学校、中学校などの教育施設が集まる文教エリアの中に位置していることで、世代を超えたコミュニティの醸成が期待できる。

「秩父市花の木交流センター」(写真提供/株式会社コミュニティネット)

「秩父市花の木交流センター」(写真提供/株式会社コミュニティネット)

(写真提供/株式会社コミュニティネット)

(写真提供/株式会社コミュニティネット)

終身建物賃貸契約と3つの安心で長く安心して暮らせるシステム

部屋は1Kから2LDK、29.54平米~47.62平米の3タイプが用意されている。住居内はバリアフリー。床暖房が設置され、ヒートショックを軽減する浴室換気乾燥暖房機も標準装備だ。シニアにとって住戸内の温度差が整えられているのはうれしい。

くわえて「毎日の安否確認」「生活コーディネーターの日常生活の相談」「セコムと連携した夜間緊急時の対処」など3つの安心も用意されている。

安否確認は、1日1回建物内の郵便受け横に設置した専用ボードに記名予定、確認ができない場合は、電話連絡や入室などで安否確認を実施。生活コーディネーターは、日々のちょっとした相談や困りごと、医療・介護の活用についても相談に応じる(フロントは、隣接する交流センター内に設置予定)。 日中は常駐スタッフとセコムが連携し、夜間の緊急時にはセコムの緊急対処員が駆けつけ対応する。

また「終身建物賃貸借契約」で入居者は亡くなるまで安心して住み続けられるのもメリット。毎月払いの場合は5万7000円から8万9000円、一括前払いの場合は1231万円から1922万円と終身タイプのものとしては手が届きやすい(このほか毎月、生活サポート費2万7500円(一人の場合、税込)と共益費1万円(非課税)が必要)。

2LDKタイプの居室。収納スペースも確保されている(写真撮影/四宮朱美)

2LDKタイプの居室。収納スペースも確保されている(写真撮影/四宮朱美)

水まわりもバリアフリーでゆとりあるスペースを確保(写真撮影/四宮朱美)

水まわりもバリアフリーでゆとりあるスペースを確保(写真撮影/四宮朱美)

ちょうどいい距離感と歴史や文化に恵まれた自然たっぷりの秩父市

秩父市は荒川の清流と秩父盆地を中心とした山々に囲まれ、四季折々の自然が楽しめる環境だ。また歴史的な文化資源も豊富。昭和レトロを感じさせる町並みや、秩父夜祭をはじめとする大小多くの祭りが1年を通じて開催される。

西武秩父駅構内には「祭の湯」というスパ施設があり、土産物を売る店も充実している。フードコートではたくさんの人が食事を楽しんでいる。

セレモニー当日も平日にも関わらず、駅周辺は観光に訪れた人たちを目にした。秩父34カ所観音霊場巡りだけでも、たくさんのコースがあり人気を集めている。池袋からの距離も「大人の遠足」で出かけてくるのにちょうどいい距離感だ。いわゆるアクティブシニアが自分らしい時間を過ごすために、秩父市というのは最適な環境の1つかもしれない。

駅構内に隣接されている祭の湯。フードコートや土産物店も併設され、日常的に楽しめる施設になりそうだ(写真撮影/四宮朱美)

駅構内に隣接されている祭の湯。フードコートや土産物店も併設され、日常的に楽しめる施設になりそうだ(写真撮影/四宮朱美)

筆者が若いころにイメージしていた「落ち着いてのんびり過ごす老後」は、自分が年齢を重ねて目の当たりにする状況とは少し違ってきている気がする。「ゆいま~る花の木」での生活を始めようとしている高野さんにおいては、豊島区でのコミュニティづくりの経験を秩父での暮らしにこれからも活かしていけそうだ。すでに豊島区と秩父市の橋渡しのような存在になっている。リタイア後のセカンドライフは、これからも続けていきたいこと、これから新たに挑戦したいこと、等々がいっぱいありそうだと感じた。そんなアクティブシニアにとっては、都会と田舎の両方でのセカンドライフを欲張りに手に入れられそうな環境は、選択肢として魅力的かもしれない。

●取材協力
・株式会社コミュニティネット

団地から「街」へ。温浴施設などを備えた相武台団地の取り組み

近年「団地」が注目を浴びていますね。昭和的な懐かしい外観など、改めてその魅力が見直される一方、空室増加や老朽化などで問題になっているものもあります。
そんななか、私のもとに相武台団地に「ユソーレ相武台」という温浴施設ができたという情報が! まずは行ってみなければ! と訪問して目にした、新しい団地のあり方を紹介します。

元銀行の商業施設が、美容にも健康にもうれしい温浴施設に!?

素敵にリノベーションされた「ユソーレ相武台」は、元は地元の銀行の支店が入っていた建物だったそうです。

元銀行の古い施設をリノベーションしてオシャレな温浴施設となった「ユソーレ相武台」(写真撮影/唐松奈津子)

元銀行の古い施設をリノベーションしてオシャレな温浴施設となった「ユソーレ相武台」(写真撮影/唐松奈津子)

相武台団地(相模原市)は、小田急小田原線「相武台前」駅から徒歩19分という立地、築50年を超えた団地群も老朽化が目立ち、中央にある商店街には空き店舗が増えるなど、衰退の危機にさらされていました。長らくこの地で営業してきた銀行の支店も、2年ほど前に撤退を余儀なくされ、以降、空き店舗状態になっていたのです。

リノベーション前の相武台団地内、商店街スペース。空き店舗や施設の老朽化が目立ち、住民の高齢化も課題となっていた(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

リノベーション前の相武台団地内、商店街スペース。空き店舗や施設の老朽化が目立ち、住民の高齢化も課題となっていた(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

この事業の責任者である神奈川県住宅供給公社の一ツ谷正範(ひとつや・まさのり)さんは「団地の衰退に歯止めをかけることはもちろん、高齢者や子育て世帯といった、居住サポートが必要な人たちにとっても暮らしやすい場所に変えたいと思った」と言います。

今回、お話を聞かせてくれた神奈川県住宅供給公社の一ツ谷正範さん(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

今回、お話を聞かせてくれた神奈川県住宅供給公社の一ツ谷正範さん(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

ユソーレ相武台はミスト岩盤浴のある温浴施設スペースをメインに、多世代交流拠点としてカフェスペース、ワークショップスペース、キッズスペース、さらには高齢者向けのデイサービススペースも備えています。実はこの施設、れっきとした相模原市介護保険総合事業である「基準緩和通所型サービス」の事業所なのです。また、施設の一角には神奈川県の認証を受けた「未病センター」もあり、健康に関する情報提供や健康機器での測定も行っています。

ユソーレ相武台のロゴマークがついた「湯治」ののれんをくぐると、そのさきがミスト岩盤浴スペースの休憩室につながる(写真撮影/唐松奈津子)

ユソーレ相武台のロゴマークがついた「湯治」ののれんをくぐると、そのさきがミスト岩盤浴スペースの休憩室につながる(写真撮影/唐松奈津子)

休憩室には大きな観葉植物が中央に置かれ、ボタニカルな雰囲気の中でくつろげる(写真撮影/唐松奈津子)

休憩室には大きな観葉植物が中央に置かれ、ボタニカルな雰囲気の中でくつろげる(写真撮影/唐松奈津子)

ミスト岩盤浴スペースは照明を落としてゆったりとくつろげるムーディーな雰囲気にも、明るくしてホットヨガなどのイベント向けにも調整できる(写真撮影/唐松奈津子)

ミスト岩盤浴スペースは照明を落としてゆったりとくつろげるムーディーな雰囲気にも、明るくしてホットヨガなどのイベント向けにも調整できる(写真撮影/唐松奈津子)

子どもも、おじいちゃんおばあちゃんも喜ぶ、魅力的なイベントスペース

デイサービスや未病センターというと、無機質な病院や健康センターのような施設をイメージしますが、ここの魅力はなんといっても施設が素敵にリノベーションされていること。イベントやワークショップ等の開催を想定してつくられたというカフェスペースやキッズスペースは、若い子育て世帯にとっても魅力的で快適な空間になっています。実際に訪問した日も、高齢者向けの健康講座や子ども向けのキッズヨガ教室が開催されていました。

訪れた日の午前中には高齢者向けの健康講座が開催されていた。団地に住む人を中心に参加した人たちは、スタッフとも顔見知りが多く、安心して楽しんでいる様子(写真撮影/唐松奈津子)

訪れた日の午前中には高齢者向けの健康講座が開催されていた。団地に住む人を中心に参加した人たちは、スタッフとも顔見知りが多く、安心して楽しんでいる様子(写真撮影/唐松奈津子)

日当たりがよく、明るいカフェスペースは、ゆっくり休憩をしたり、コワーキングスペースとしても使えそう(写真撮影/唐松奈津子)

日当たりがよく、明るいカフェスペースは、ゆっくり休憩をしたり、コワーキングスペースとしても使えそう(写真撮影/唐松奈津子)

リノベーションされたときのまま、コンクリートや配管がむき出しのラフな天井、木の温かみを感じさせる床材や家具のバランスがとてもオシャレです。
ワークショップスペースに昭和の面影を感じさせる郵便受けを見つけ、私が思わず「かわいい!」と声を上げると、一ツ谷さんが「実は他にもいっぱい隠れアイテムがあるんですよ」と教えてくれました。

ワークショップスペース右手奥に取り付けられているのは、団地の郵便受けをリサイクルした収納ポスト(写真撮影/唐松奈津子)

ワークショップスペース右手奥に取り付けられているのは、団地の郵便受けをリサイクルした収納ポスト(写真撮影/唐松奈津子)

受付のカウンターは古い団地の床材をリユースした木材でつくられており、ワークショップスペースを仕切るガラス付きの建具も古い団地のものを塗り替えて使用しているそうです。さらに、「INFORMATION」「WORK SHOP」「KIDS SPACE」を示すカッティングシートの貼られたかわいいライト、これもなんと、団地の蛍光灯をリサイクルしたものなんだとか! 団地好きにはたまらない遊びゴコロが満載です。

団地の床材をリユースした木材でつくられた受付のカウンターテーブル。「INFORMATION」を示すライトは団地階段の蛍光灯をリサイクルしたもの(写真撮影/唐松奈津子)

団地の床材をリユースした木材でつくられた受付のカウンターテーブル。「INFORMATION」を示すライトは団地階段の蛍光灯をリサイクルしたもの(写真撮影/唐松奈津子)

団地の二つの住戸を一つにまとめて今風の間取りに!

古いものを活かして、今の生活に合わせたスタイルに手を加えていく、と言う意味では、団地のメインとなる居住空間についても工夫されています。

もともとは35.59平米の2DKである団地内の隣り合う2戸を1住戸にする「2戸1」プランは、共働き世帯や子育て世帯の入居を想定してリノベーションされた住まいです。71.18平米と2倍になったゆとりのあるスペースを活かして、セカンドリビングやインナーバルコニーといった自由に使える機能を付加しています。2戸分の広さを確保したバルコニーは見晴らしも良く、心地の良い風が通り抜けます。

今回、リノベーションされた4階と5階の2プランが決定したときの間取りイメージ。2戸1ならではの動線設計やスペース活用法を見ることができる(資料提供/神奈川県住宅供給公社)

今回、リノベーションされた4階と5階の2プランが決定したときの間取りイメージ。2戸1ならではの動線設計やスペース活用法を見ることができる(資料提供/神奈川県住宅供給公社)

珍しいインナーバルコニーのあるプランも。土間風のバルコニーはいろいろな使い方ができそう(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

珍しいインナーバルコニーのあるプランも。土間風のバルコニーはいろいろな使い方ができそう(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

居室部分も魅力的ですが、筆者にとってツボだったのは、この2戸1プランのリノベーションに合わせて塗り直したという団地の外観! 周囲に緑が多いこともあり、その場にいると、まるで外国の団地に訪れたような可愛さでした。

白と茶色に塗り分けられた団地の外観。他の真っ白の外観のまま塗り替えされた棟も、団地好きにはたまらない(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

白と茶色に塗り分けられた団地の外観。他の真っ白の外観のまま塗り替えされた棟も、団地好きにはたまらない(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

大きなけやきの木の下で。「グリーンラウンジ・プロジェクト」

古くからある団地なだけに、周囲の空間は贅沢に広く整えられています。昔からある大きなけやきの木の周りには芝生が張られました。訪問したときは芝生の養生中で入れなかったのですが、親子やおじいちゃんおばあちゃんが木陰で休む姿をありありとイメージできます。

芝生が青々と広がるスペースの中央にあるのは、この団地のシンボル的存在、けやきの木(写真撮影/唐松奈津子)

芝生が青々と広がるスペースの中央にあるのは、この団地のシンボル的存在、けやきの木(写真撮影/唐松奈津子)

実はこのけやきの木を中心とした商店街スペースでも、4年ほど前から「グリーンラウンジ・プロジェクト」として空き店舗を活用したカフェ運営や、さまざまなイベントを開催してきました。今年で4回目となる「欅(けやき)ハワイアンフェスタ」は、なんと100人のフラガールが集まるそうで、その風景は壮観だといいます。毎年11月には、「団地祭」や音楽をテーマに多くの飲食店が出店する「秋楽祭(しゅうらくさい)」が開催され、多くの人でにぎわっています。今年は11月4日(月)に団地祭が終わり、秋楽祭を11月17日(日)に行う予定だとか!

団地の活性化を目的として始まった「グリーンラウンジ・プロジェクト」(画像引用/グリーンラウンジ・プロジェクトホームページより)

団地の活性化を目的として始まった「グリーンラウンジ・プロジェクト」(画像引用/グリーンラウンジ・プロジェクトホームページより)

100人以上のフラガールが集まる「欅(けやき)ハワイアンフェスタ」は周辺地域でフラダンスをやる人の間では有名なイベントらしい(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

100人以上のフラガールが集まる「欅(けやき)ハワイアンフェスタ」は周辺地域でフラダンスをやる人の間では有名なイベントらしい(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

リニューアルした芝生広場で行われた子どもから高齢者までが交流する「団地祭」の様子(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

リニューアルした芝生広場で行われた子どもから高齢者までが交流する「団地祭」の様子(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

この「グリーンラウンジ・プロジェクト」の立役者は、この相武台団地内商店街の空き店舗に4年前にテナントとして入居した「ひばりカフェ」の店主、佐竹輝子(さたけ・てるこ)さんです。

ひばりカフェ店主の佐竹輝子さん。地元である相武台団地を盛り上げたい一心で、カフェを始めたという(写真撮影/唐松奈津子)

ひばりカフェ店主の佐竹輝子さん。地元である相武台団地を盛り上げたい一心で、カフェを始めたという(写真撮影/唐松奈津子)

佐竹さんは近辺に住んで専業主婦をしていましたが、以前から団地の高齢化した姿を見て何かできることはないかと模索していた時期にこのプロジェクトに出会い、参加することを決意しました。

「この団地は私の青春の場所であり、3人の子育てをしてきた思い入れのある場所です。これからも住み続けたいですし、もう一度子どもたちの声が響く場所にしたい、高齢者も安心して暮らせる場所になったらいいなと思っています」(佐竹さん)

「グリーンラウンジ・プロジェクト」は、このひばりカフェのオープンを皮切りに4年前から始まった(写真撮影/唐松奈津子)

「グリーンラウンジ・プロジェクト」は、このひばりカフェのオープンを皮切りに4年前から始まった(写真撮影/唐松奈津子)

ありとあらゆる高齢者向けサービスがそろうコンチェラート相武台

家族の成長とともにライフステージが変わっても住み続けられる街を目指している相武台団地には、「コンチェラート相武台」というサービス付き高齢者向け住宅もあります。

広々とした敷地の中にあるサービス付き高齢者向け住宅「コンチェラート相武台」(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

広々とした敷地の中にあるサービス付き高齢者向け住宅「コンチェラート相武台」(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

見学させてもらってびっくり、この施設のスゴいところは施設内にデイサービス、居宅介護・訪問介護事業所、在宅療養支援診療所、訪問看護事業所、そしてメインの高齢者向け住宅が一つに集まっているところです。

コンチェラート相武台の看板。サービス付き高齢者向け住宅としてだけではなく、地域高齢者向けの各種サービス拠点となっていることが分かる(写真撮影/唐松奈津子)

コンチェラート相武台の看板。サービス付き高齢者向け住宅としてだけではなく、地域高齢者向けの各種サービス拠点となっていることが分かる(写真撮影/唐松奈津子)

各事務所の入口のドアがそれぞれにあり、見学させていただいた日も、診療所のお医者さんとすれ違ったり、それぞれのサービスの職員の方が行き来したり、多くのスタッフと専門職の人びとに支えられた多機能施設であることを実感しました。

この施設の中にも地域交流スペースが設けられています。スペースの一角では、子ども向けサービスを提供していた時期もあるそうで、これからどのように活用していくかを検討中とのこと。楽しみです!

行政や大学と連携した取り組みで、団地が一つの街に

さらに、「介護予防」「未病」の対策として、「ユソーレ相武台」や「コンチェラート相武台」を起点に、地域の住民によるワーキンググループが複数活動していると言います。そこでは相武台団地を運営する神奈川県住宅供給公社のグループ企業である一般財団法人シニアライフ振興財団が、相模原市と連携して住民活動を支援しているのです。一ツ谷さんはこのシニアライフ振興財団の理事でもあります。

「各地域の方々が、リーダーを中心に、積極的に健康クラブなどの運営を行っていらっしゃいます。相模原市が『健活!』と銘打ち、健康寿命の延伸に取り組んでいますが、当社でも活動スペースの提供など、地域や行政と一緒に街づくりに貢献していきたいと考えています」(一ツ谷さん)

また周辺の大学との連携も行っています。10月27日には「ユソーレ相武台」で東京農業大学の学生による苔テラリウムのワークショップが行われました。相模女子大学の女子学生は、定期的に開催される子ども食堂のお手伝いをしています。

東京農業大学の学生による苔テラリウムのワークショップには多くの子どもたちが参加し、大盛況だった(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

東京農業大学の学生による苔テラリウムのワークショップには多くの子どもたちが参加し、大盛況だった(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

キッチンでは、子ども食堂の準備を手伝う相模女子大学の学生たちの姿も(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

キッチンでは、子ども食堂の準備を手伝う相模女子大学の学生たちの姿も(画像提供/神奈川県住宅供給公社)

相武台団地では、これからも積極的に地域住民、行政、学校、民間企業などと連携して街を盛り上げていくそうです!

商店街の活性化やコミュニティづくり、新しい住まい方の提案、さらには住民・行政・大学などが一体となって、一つの「街」として新しい進化を遂げようとしている相武台団地。ここに取り上げた以外にも、健康講座の開催や学生ボランティアによる植栽の手入れなど、行政や周辺の大学との連携もさらに推進中とのことです。

今回、相武台団地を見て、またかかわる人びとのお話を聞いて感じたのは、ただユニークな建物をつくる、リノベーションしてきれいにする、ということではなく、衣食住ひいてはライフスタイルそのものを包括的に捉えて、住まいから街へとつなげていく思想。そこには「ここを元気にしたい」と本気で願う人たちの、何年もかけて一つ一つ点を打っていくような努力を垣間見ました。
さらなる景色の変化が楽しみな団地、いいえ「街」です!

●取材協力
・団地未来~団地再生の取り組み~ 相武台団地
・ユソーレ相武台
・グリーンラウンジ・プロジェクト
・ひばりカフェ
・コンチェラート相武台

首都圏スーパーマーケットの戦略。地元で愛されるための裏側とは

住まい選びでは、家そのものだけでなく、公園やスーパー、病院など周辺環境も重要な要素のひとつ。お気に入りのスーパーがあるとその街に住みたくなったり、街に愛着が湧いたりしますよね。今回は、暮らしを楽しくしてくれる首都圏の「ご当地スーパー」とその特色をテレビ番組『マツコの知らない世界』(TBS系)にも出演した「スーパーマーケット研究家」の菅原佳己さんに聞いてきました。
スーパーの注目ポイントは、お惣菜とポップ広告

スーパーと聞いて、あなたが思い浮かべるのはどのお店でしょうか。小売業界の売上高ではおなじみの「イオン」が首位を走り、ついでセブン&アイHDの「イトーヨーカドー」が追うという構図になっています。ただ、スーパーマーケット研究家の菅原佳己さんによると、大手はもちろん、全国津々浦々、その土地で愛されている「ご当地スーパー」は今も元気で、そこには「生産するメーカー、販売するスーパー、購入する消費者」、それぞれの歴史と文化がつまっているのだそう。

「一見、ネットが日本各地の情報を網羅しているよう思えますが、まだまだ知られていない食品や食材があるもの。だから、各スーパーの目利きバイヤーは、いつも新しいものを我先に見つけて販売してやろう、新しい食べ方や食材を提案しようと考えているんです。スーパーは、そうした熱意や思いがあるほど面白い」とその魅力を明かします。

「スーパーマーケット研究家」の菅原佳己さん(写真提供/菅原佳己さん)

「スーパーマーケット研究家」の菅原佳己さん(写真提供/菅原佳己さん)

そんな各バイヤーの努力をダイレクトに感じられるのが、「お惣菜とポップ広告」だと言います。

「食品以外の衣料品なども扱う総合スーパーの売上は苦戦していますが、食品を中心に扱うスーパーの中には売上好調の店も少なくありません。カギを握っているのはお惣菜です。各社、メニューはもちろん価格、品質で差別化をはかり、惣菜の割合は年々大きくなっています」(菅原さん)

惣菜がアツい理由は、ひとり暮らしや夫婦共働きが増え、「中食」というライフスタイルが定着したこと。確かに以前の「スーパーのお惣菜」といえば、揚げ物が中心で、手抜きというイメージが強かったのですが、今は、「ヘルシー」で「おしゃれ」、さらに「美味しい」のだとか。筆者もですが、とかく子育てしているお母さん・お父さんに時間の余裕はありません。「食事づくりのために家族がイライラするくらいなら、お惣菜を買って、ニコニコ過ごそう」と考える人が増えているのでしょう。ゆえに「惣菜を制するものは、スーパーを制す」という状況になっているのだそう。そしてもう一つのカギは「ポップ広告」。

「とにかく、今、普通に商品を並べていてもモノは売れません。だから、モノがうまれた背景、ドラマを伝える必要がある。例えば、地元の農家が育てたこだわり野菜を扱う、山梨県八ヶ岳の麓のスーパー『ひまわり市場』では、くすっと笑えて、へーとためになるポップが、商品のファンを増やすきっかけになっています」(菅原さん)。なるほど、情報を伝えるだけでなく、思いを伝えるから「買ってみようかな」という行動になるんですね。

菅原さんの9選。首都圏・近郊の注目ご当地スーパーは?

規模には大小の差はあれど、個性あふれる店舗がひしめく首都圏で、今、菅原さんが注目している特徴的なスーパーをご紹介していきましょう。

惣菜で強さを見せる「サミット」(本社・東京都杉並区/東京中心に115店舗展開)
「お惣菜に注力していて、どれも内容・価格・味ともにバランスがよいものばかり。毎年、スーパーマーケットトレードショーで開催される『お弁当・お惣菜大賞』で入賞を果たしている実力派。30種類以上ある揚げ物もクオリティが高く、美味しいですよ」

サミットの三元豚とんかつ(写真提供/菅原佳己さん)

サミットの三元豚とんかつ(写真提供/菅原佳己さん)

おしゃれで気の利いている「成城石井」(本社・神奈川県横浜市/171店舗展開)
「元・一流レストランのシェフらが開発したエスニックな惣菜、流行を先取りしたスイーツは、毎日、彼ら自身が調理もする本格的なシェフの味。品ぞろえも価格帯、バリエーションもとにかく『さすが』のひとこと。来客があっても、慌てないですみますよね。スーパーとレストランを融合させたグローサラントという新業態も注目です」

成城石井のモーモーチャーチャー(写真提供/菅原佳己さん)

成城石井のモーモーチャーチャー(写真提供/菅原佳己さん)

元祖スーパーマーケット「紀ノ国屋」(本社・東京都新宿区/9店舗展開)
「日本で初めて、アメリカンタイプのレジとカートを導入して、スーパーマーケットの業態を始めたのがこの紀ノ国屋。青山の本店にいくと『ああ、これが元祖スーパーの紀ノ国屋……』と感慨に浸れます。各国の食材のほか、ロゴ入りのオリジナルグッズも充実していて、お土産にもオススメです」

パスポートなしで行ける海外「ナショナル麻布スーパーマーケット」(本社・東京都港区/3店舗展開)
「日本とは違うスーパーの空気が流れているのが、ナショナル麻布です。1階の食品だけでなく、2階は本場のハロウィン、クリスマスなどのパーティーグッズが満載。日本のスーパーでは見かけない珍しい商品がそろっていて、外国に行ったよう。各国大使館が近隣にあり、お客さんも国際色豊か。海外旅行にでかけた気分になりますよ!」

ナショナル麻布スーパーマーケット(写真提供/菅原佳己さん)

ナショナル麻布スーパーマーケット(写真提供/菅原佳己さん)

(写真提供/菅原佳己さん)

(写真提供/菅原佳己さん)

会長のイチオシに注目。勢いのある「OKストア」(本社・神奈川県横浜市/108店舗展開)
「商品点数を絞り、毎日低価格の『EDLP(Every Day Low Priceの略。特売はせずに毎日低価格)路線』で多くのファンから支持されています。商品の状況を報告する独自のポップ『オネストカード』の存在も信頼獲得につながっています。惣菜も充実していて、パンは店舗で生地からつくっているほか、大きなピザがワンコイン以下(税抜き価格)! でも、チープな感じがしません。個人的には『会長のオススメ』商品がハズレがなく好きです」

会長のおすすめ品(写真提供/菅原佳己さん)

会長のおすすめ品(写真提供/菅原佳己さん)

商品の状況を報告するオネストカード(写真提供/菅原佳己さん)

商品の状況を報告するオネストカード(写真提供/菅原佳己さん)

大きなピザ(写真提供/菅原佳己さん)

大きなピザ(写真提供/菅原佳己さん)

さいたまで独自路線を貫く「ヤオコー」(本社・埼玉県川越市/172店舗展開※グループ店含む)
「もともと、惣菜に注力していた埼玉県のスーパー。お惣菜の味を均一にせず、地元のお母さん方が食べ慣れた味をということで、北部と南部で少しずつ味が異なることで、埼玉の地域に根ざして愛されてきました。埼玉を中心に千葉や東京郊外などで展開。おはぎとからあげの美味しさには定評があり」

ヤオコーのおはぎ(写真提供/菅原佳己さん)

ヤオコーのおはぎ(写真提供/菅原佳己さん)

商社の総合力が光る「業務スーパー」(本社・兵庫県加古郡/838店舗展開※フランチャイズ含む)
「その名の通り、業務用食品を多く扱いますが、神戸物産という商社が運営しているため、よく見ると直輸入の世界の名品に出会えます。おうちカフェにも使えそうなフレンチフライやワッフルも本場ベルギーの冷凍食品で、味も姿もトレビアン。コストカットのためにパッケージは簡素で大容量。冷凍品なら日持ちするので、冷凍庫をキレイにしてから買いに行くといいでしょう」

かつてスーパーといえば、安さで勝負する「価格競争」のイメージが強かったのですが、最近では「時短」「手抜き感がない」「毎日の食卓がちょっと楽しくなる」という意味で、家庭のご飯をサポートする企業という側面もあるんですね。また、ときには日常から抜け出し、「逗子や羽村など郊外にも独自の魅力で惹きつけるスーパーがあるので、ぜひ訪れて」と菅原さんは続けます。

湘南にこの店あり!「スズキヤ」(本社・神奈川県逗子市/12店舗展開※グループ店含む)
「神奈川県の逗子を中心に湘南、鎌倉に店舗を構えるスーパー。多くの著名人や文化人など昔からの顧客を満足させてきたのは、素材の良さだけでなく、丁寧な仕事の中身と言えます。ひとつひとつの目玉を取り除いた春のホタルイカ、パックのなかでバラの花のように華やかに盛り付けられているスモークサーモンの美しさは秀逸。今でいうSNS映えを先取りしているかたちですよね。逗子や葉山、鎌倉のメーカーと共同で開発したプライベートブランド商品はここでしか買えませんし、絶品です」

目玉を取り除いたホタルイカ(写真提供/菅原佳己さん)

目玉を取り除いたホタルイカ(写真提供/菅原佳己さん)

見た目も美しいスモークサーモン(写真提供/菅原佳己さん)

見た目も美しいスモークサーモン(写真提供/菅原佳己さん)

ここでしか買えないオリジナル商品も多数、そろえる(写真提供/菅原佳己さん)

ここでしか買えないオリジナル商品も多数、そろえる(写真提供/菅原佳己さん)

羽村に引越したい「福島屋」(本社・東京都羽村市/5店舗展開※グループ店含む)
「東京都心から1時間ちょっとかかりますが、この店のためだけに羽村に行く価値ありです! 福島屋は『家庭の食を豊かに』を合言葉に、お惣菜はどれも手づくり、無添加です。無農薬で育てた自然栽培の野菜や果物、全国各地の絶品や、生産者とつくったオリジナル商品など、こだわりの逸品ばかり。月2回しか入荷しない幻の要冷蔵醤油『きあげ』、素材のよさがしみじみ美味しい『おむすび』など、魅力を挙げたらきりがありません!」

食べた人は感動すると評判。福島屋のおにぎり(写真提供/菅原佳己さん)

食べた人は感動すると評判。福島屋のおにぎり(写真提供/菅原佳己さん)

スーパーの競争が激しさを増す首都圏近郊エリアに注目

最後にスーパー激戦区としてオススメのエリアを聞きました。

「23区は大型スーパーに適した土地はもう少なく、再開発でマンションの1角に出店するか、もしくはミニスーパーの形態になります。だから今、スーパー激戦区になっているのが、準郊外といわれるエリアです。例えば、調布~仙川。ライフ、クイーンズ伊勢丹、成城石井、いなげや、マルエツ、食品館あおば、ヤオコーなどバラエティ豊かなスーパーが目白押しです。こうした準郊外は人口流入が続き、新しい業態にもチャレンジしやすいんでしょう。また、八潮~草加にはイトーヨーカドー、西友、ベルク、マルエツ、ヨークマート、マルコーなどの千葉・埼玉・東京の有力スーパーが勢ぞろいしています。スーパーの競争が激しいエリアに住むということは多種多様な食材との出会いがあなたを待っているということ。毎日の、スーパーの買い物も楽しくなるのではないでしょうか」

スーパーはいつものところでいいやと慣れている店・同じ店に行きがちです。
もちろん、大手のスーパーは安心感がありますが、地域ならではの店、普段、行かないお店にいくとまた発見があるはず。もちろん上記のような競争の激しい、スーパー巡りを楽しめる地域を選ぶのも楽しいですね。スーパーで思わぬ発見・出会いがあると、一日がちょっとだけ得した気分で過ごせるに違いありません。

●取材協力
一般社団法人 全国ご当地スーパー協会

パリの暮らしとインテリア[3]スタイリスト家族と犬が暮らす、花やオブジェに囲まれたアパルトマン

私はフランスのパリに暮らすフォトグラファーです。パリのお宅を撮影するたびに、スタイルを持った独自のインテリアにいつも驚かされています。
今回は数年前に花と一輪挿しに目覚めたスタイリスト&コーディネーターのまさえさんと旅や散歩で拾い集めたものをアレンジするのが得意なアートディレクターのドメさん家族のアパルトマンを訪問しました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
フランス・パリで暮らす写真家が、パリの素敵なお宅を撮影。インテリアの取り入れ方から日常の暮らしまで、現地の空気感そのままにお伝えします。二人で見て回った物件は50軒! そのなかで条件が明確に

まさえさんとドメさんが子どもと犬と一緒に暮らすアパルトマンは、地図でいうと右岸の右上の19区にあります。サン・マルタン運河、サン・ドニ運河、ウルク運河、ラ・ヴィレット貯水池、と、水場の多いのが特徴です。パリ中心部にほど近い10区のアパルトマンから2009年に引越してきたときには、少し治安が心配なエリアでしたが、ここ数年運河の周りや公園が整備され、家族で安心して楽しめる週末の人気エリアに変わりました。

ちょうど10年前、10区のアパルトマンから引越しを決意したきっかけはドメさんの病気でした。「階段の上り下りは体に負担がかかる。エレーベーター付きのアパルトマンを購入しようと思ったのです」(まさえさん)
そのころちょうどパリのアパルトマンが高騰し始めたばかり、中心部に近い人気の10区11区は無理でも19区20区あたりまで対象を広げれば希望のアパルトマンを買える価格だったそう。

今のお住まいを見つけるまで50軒以上の物件を見て回った二人。物件は良くてもアクセスが悪かったり、間取りは良くてもアパルトマンの天井が低かったり、となかなか希望どおりの物件は見つかりませんでした。
「50軒といっても、部屋を全て見たわけではありません。最寄りのメトロを出た途端に雰囲気がしっくりこなくてその場で見学をキャンセルすることもありました。メトロは私たちの足となる大切なものだから、その周りの街並みはとっても重要だと思います」(ドメさん)
物件を見て回っていて、図面や頭の中で想像しているものと実際は大きく違う、その都度自分たちがどんなアパルトマンを求めているか、条件がどんどん明確になっていくのが興味深い体験だったといいます。

そんなお二人の物件探しの条件は、パリ右岸、犬のナナの散歩が気持ちよくできる、子どもを授かったときのために公園が近い場所、エレーベーターがある、窓が大きく見晴らしが良い、できればバルコニーに小さなテーブルを置いて食事がしたい。というささやかなもの。その条件を満たしたのが今のアパルトマンだったのです。

バルコニーはもうひとつの大切な部屋、という考え方天気の良い日は13歳のフレンチブルドッグのナナともお茶をバルコニーで。まさえさんはイギリスのTony Woodの黒猫ティーポットに一目惚れ、ドメさんからのプレゼントとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天気の良い日は13歳のフレンチブルドッグのナナともお茶をバルコニーで。まさえさんはイギリスのTony Woodの黒猫ティーポットに一目惚れ、ドメさんからのプレゼントとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アパルトマンのバルコニー側は大通りのため、向かいの建物と距離があり空が広く見える。この景色をまさえさんは「大きな絵画のよう」と話す(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アパルトマンのバルコニー側は大通りのため、向かいの建物と距離があり空が広く見える。この景色をまさえさんは「大きな絵画のよう」と話す(写真撮影/Manabu Matsunaga)

大きな窓が購入の決め手となったこのアパルトマンは1970年代にできたもの。床は毛足の長いオレンジの絨毯、壁はピンクのジャガードの生地が貼られていたそう。6カ月をかけてドメさんとまさえさんで改修工事をしました。古い絨毯、古い壁紙を剥がし、 62平米の間取りはサロン、キッチン、子ども部屋、寝室と細かく区切られていたため、大きな窓のあるバルコニー側にあたるサロンとキッチンの仕切りを取り払い、広々とした明るい空間をつくり上げました。

お二人が外の部屋と呼ぶだけあって、素敵に飾られているドメさんコーナー。拾ってきたものをまずはここでストックします(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お二人が外の部屋と呼ぶだけあって、素敵に飾られているドメさんコーナー。拾ってきたものをまずはここでストックします(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「バルコニーは家の続きで、僕たちはもう一部屋が外にあるって思っています。ここで植物を育て、ここで食事をし、ここで景色を眺める、とても重要な場所なんです。そして、ここは僕が主導権を握る場所なんですよ」(ドメさん)
おふたりの生活をお聞きしていると、確かにバルコニーで過ごす時間が多い。ドメさんはヴァカンスで行った海岸で流木や貝殻、森では松ぼっくりや石ころ、パリの街では愛犬ナナの散歩のときに捨てられた枯れた植物、色々なものを拾い集めて飾っている。

海岸近くで見つけた多肉植物は水の分量が難しく、世話もドメさん担当。それを楽しそうに見守るまさえさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

海岸近くで見つけた多肉植物は水の分量が難しく、世話もドメさん担当。それを楽しそうに見守るまさえさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

旅をしていても、パリでも、蚤の市散策はお二人の共通の趣味。マリア像はパリの蚤の市で購入し植物たちの陰にそっと。海岸で拾った穴あきの石は植木鉢にデコレーション。オリジナルなセンスのバルコニーはこうやってつくられていく(写真撮影/Manabu Matsunaga)

旅をしていても、パリでも、蚤の市散策はお二人の共通の趣味。マリア像はパリの蚤の市で購入し植物たちの陰にそっと。海岸で拾った穴あきの石は植木鉢にデコレーション。オリジナルなセンスのバルコニーはこうやってつくられていく(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「これが松ぼっくりの中にある種です。差し上げるので土に植えてみてください。私も発芽させましたよ、割ると松の実が入っているので食べても美味しいですよ」とお土産をいただきました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「これが松ぼっくりの中にある種です。差し上げるので土に植えてみてください。私も発芽させましたよ、割ると松の実が入っているので食べても美味しいですよ」とお土産をいただきました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

蚤の市で買い集めた額がシークレット・ガーデンの主役

お二人が出会ったころ、ドメさんは音楽系のアートディレクター、まさえさんはイラストレーターの仕事をしていました。もうすでにそれぞれの世界観が出来上がっていたため、インテリアの趣味が微妙に違っていたそうです。そこで、ベランダはドメさん、まさえさんはトイレを担当しました。「購入後の大工事が終わって、唯一私の趣味を表現していいと許可が出たのがトイレだったのです。夫と出会う前から蚤の市で少しずつ買い集めた額に入った花や鳥モチーフの刺繍は、いつか飾りたいと思って大切にとってありました。やっと出番がきました。テーマは<シークレット・ガーデン>です」とまさえさんは笑います。

トイレの壁は<シークレット・ガーデン>の名にふさわしくナチュラルな木目に額の中の刺繍が映えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

トイレの壁は<シークレット・ガーデン>の名にふさわしくナチュラルな木目に額の中の刺繍が映えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そして、サロンや寝室はお二人の趣味がうまく調和していて、そこに長男ショーン君も加わります。ドメさんが探してきたものを今度はまさえさんが棚に飾ったり、ショーン君が拾った貝殻とまさえさんの集めている一輪挿しが一緒に置かれていたり、いろいろなコーナーを家族でつくり上げています。パリという都会に住みながら、アパルトマン全体が自然の中を旅しているような気分にさせてくれる空間になっているのです。

田舎から持ち帰ってドライにした野草はブロカント市で見つけたGustave Reynaud作の一輪挿しに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

田舎から持ち帰ってドライにした野草はブロカント市で見つけたGustave Reynaud作の一輪挿しに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンの棚は家族の好きなものを飾り、ティーポットや小さな花瓶も花が生けられてなくてもしまわないで並べるのがお二人のルール(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンの棚は家族の好きなものを飾り、ティーポットや小さな花瓶も花が生けられてなくてもしまわないで並べるのがお二人のルール(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「買ったものがほとんどない窓辺!」(まさえさん)。 「デレク・ジャーマンみたいでしょ?」(ドメさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「買ったものがほとんどない窓辺!」(まさえさん)。 「デレク・ジャーマンみたいでしょ?」(ドメさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

花好きに拍車をかけ、一輪挿しに目覚めるきっかけになった出会いとは?北向きの寝室の壁一面だけ自分たちで配合したペンキでブルーに。「花瓶を置いた途端に棚が喜んでいるように見えるでしょう」(まさえさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

北向きの寝室の壁一面だけ自分たちで配合したペンキでブルーに。「花瓶を置いた途端に棚が喜んでいるように見えるでしょう」(まさえさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お二人のアパルトマンは、シークレット・ガーデン(トイレ)、サロン、寝室、いたるところに花瓶が置かれていました。まさえさんはコーディネーターという職業柄、街をたくさん歩きます、5年前に通りかかった9区の<Debealieu>という花屋さんはフラワー・アーティストのピエールさんが開いたばかりのお店でした。「見たことのない花々や、当時珍しいドライフラワーが飾ってあって他のお店と明らかに違い、私は言うなれば一目惚れしてしまったのです。それ以来頻繁にお店に通ってピエールさんとよくお話しするようになりました。彼は花屋を始める前は別の仕事をしていたのですが、手を使った仕事がしたくて半年間のフラワー・アレンジメントの研修を受けてお店を構えたんです」

そんなある日、ピエールさんの一輪挿しを使ったディスプレーを見て、この世界観が好きだ!とその日から一輪挿しに花を飾るようになり、それと同時にブーケというものを買わなくなったという感銘ぶりでした。今では、まさえさんにとってピエールさんにしかできないアレンジや珍しい花、特別に見せてもらった一輪挿しのコレクション、彼との会話がエネルギー源になっているといいます。

ピガールから坂を下ってピエールさんに会いに。店の近くには歴史的な建造物、有名な映画監督ジャン・ルノアールが住んでいた屋敷もある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピガールから坂を下ってピエールさんに会いに。店の近くには歴史的な建造物、有名な映画監督ジャン・ルノアールが住んでいた屋敷もある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんのお店<Debealieu>の一画(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんのお店<Debealieu>の一画(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「まさえのために今日は特別に好きそうなものを出してきたからディスプレーしてみるよ。写真的にもいいか一緒に確認して」とピエールさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「まさえのために今日は特別に好きそうなものを出してきたからディスプレーしてみるよ。写真的にもいいか一緒に確認して」とピエールさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一輪挿しのコレクションを使ったまさえさんのためのコーナーをディスプレ―完成(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一輪挿しのコレクションを使ったまさえさんのためのコーナーをディスプレ―完成(写真撮影/Manabu Matsunaga)

和気あいあいと花や花瓶の魅力について語るお二人(写真撮影/Manabu Matsunaga)

和気あいあいと花や花瓶の魅力について語るお二人(写真撮影/Manabu Matsunaga)

週末になるとマルシェで花を買い、街を歩いて気になるフラワー・ショップを見つけると必ずチェックしてしまうというまさえさん。花瓶のコレクションも増え、日々の生活には花があふれています。

ガラスの花瓶も好きで、1920-1960年代の薄いピンクのものがお気に入り。季節のダリアを黄色い球根用の瓶に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ガラスの花瓶も好きで、1920-1960年代の薄いピンクのものがお気に入り。季節のダリアを黄色い球根用の瓶に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

陶器で有名な南仏のヴァロリス村のものは個性があって夢もある。顔付きの花瓶も活ける花によって表情が変わる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

陶器で有名な南仏のヴァロリス村のものは個性があって夢もある。顔付きの花瓶も活ける花によって表情が変わる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんの影響でまさえさんも花瓶をコレクション。この春にノルマンディの小さい町の骨董市で見つけた花瓶はオブジェとして飾っても素敵ですが、花を活けると花瓶が生き生きとしてうれしそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんの影響でまさえさんも花瓶をコレクション。この春にノルマンディの小さい町の骨董市で見つけた花瓶はオブジェとして飾っても素敵ですが、花を活けると花瓶が生き生きとしてうれしそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

もう一つのエネルギー源は春から夏にかけてノルマンディーにある田舎の家で週末を過ごすこと。
「主に草刈りや家の修復などに時間がかかってしまっていますが、近くには小川が流れていて可愛い野草が
生えているのです。パリに戻るときは散歩がてら摘みに行って、少しいただいて来ます。もちろんそれを花瓶と相談しながら活けるのが楽しみで、また新しい一週間を頑張れる気がします」

旅やパリで色々なものを集めるという作業は、全てに思い出があり、家族の記録になっていると考えるドメさん。自然には何かを気付かせる力があり、ものには必ずストーリーが伴う。
「花には花瓶が必要で、その二つのハーモニーが組み合わせによって変わる楽しがあります。家の空気まで変わるんです」(まさえさん)
そう、花を飾るだけではなく、家の全てを飾る、それは人生をも飾るということなのでしょう。そんな彼ら家族だけの大切な宝物が詰まったアパルトマンでした。

(文/松永麻衣子)

賛否両論! 大阪のディープゾーン「新今宮」は星野リゾート進出でどう変わる? 街の声は

2025年日本万国博覧会 (略称『大阪・関西万博』)の開催が決まるなど、話題に事欠かない激動の大阪市。なかでもとりわけ市民を驚かせたのが、JR大阪環状線及び南海「新今宮」駅前に、「星野リゾートがホテルを建設する」という2017年のニュースでした。大阪市が「新今宮」駅前の開発事業者を募り、名乗りをあげたのが意外にも星野リゾートだったのです。

高級ラグジュアリーホテル『星のや』で知られる星野リゾートが、どんなホテルを新今宮に?

大阪市には全国最大の日雇労働市場があります。それが「新今宮」。求職者と仕事を紹介する業者や簡易宿泊所が集まる場「あいりん地区」の中心と言える駅です。そんな“大阪きってのディープゾーン”と呼ばれた新今宮駅一帯に、星野リゾートのホテルが進出(「星野リゾート OMO7 大阪新今宮」2022年開業予定)するという話題は大きく取り上げられました。

では、現場となる「新今宮」駅前は今、実際はいかなる様相を呈しているのか。駅前を歩いてみることにしました。
もしかして消滅する? 「あいりん地区」の現在

JRと南海が乗り入れる「新今宮」駅。駅舎は浪速区と西成区の境界につくられ、そのためJR「新今宮」駅が浪速区、南海「新今宮」駅が西成区となっています。なんば駅の混雑緩和をはかるなどを目的とし、旧国鉄大阪環状線(当時)と連携しつつ昭和41年に開業しました。駅名は、明治時代の行政区画「西成郡今宮村」に由来します。

南海「新今宮」駅(写真撮影/吉村智樹)

南海「新今宮」駅(写真撮影/吉村智樹)

JR「新今宮」駅の北東側には浪速区のシンボルである通天閣がそびえ、片や南海「新今宮」駅にはは、4月まで開館していた「あいりん労働福祉センター」という就労斡旋施設の旧・建物があります。閉鎖の際にはおよそ220名もの警察官が出動し、物々しい雰囲気がニュース映像にもなりました。ご存じの方も多いでしょう。閉鎖された建物の周囲には定住する場所を持たない人々が暮らすバラックも散見します。

「新今宮」駅の北東にそびえる通天閣(写真撮影/吉村智樹)

「新今宮」駅の北東にそびえる通天閣(写真撮影/吉村智樹)

4月に閉館し、取り壊しが決まっている「あいりん労働福祉センター」(写真撮影/吉村智樹)

4月に閉館し、取り壊しが決まっている「あいりん労働福祉センター」(写真撮影/吉村智樹)

話題のホテルは「あいりん地区」の目の前に建設中

星野リゾートが当地に建設するホテルの名は「OMO7(おもせぶん) 大阪新今宮」。「OMO」は星のや、リゾナーレ、界に続く星野リゾート第4のブランド。「旅のテンションを上げる都市観光ホテル」をコンセプトに、2018年4月に「OMO7 旭川」(北海道)、5月に「OMO5 東京大塚」の2施設を開業。建設中の「OMO7大阪新今宮」は、OMOブランド3軒目となります。

「OMO7大阪新今宮」(写真提供/星野リゾート)

「OMO7大阪新今宮」(写真提供/星野リゾート)

「OMOブランド」は、スタッフが“ご近所ガイド OMOレンジャー”となって街を案内する、地域と一体となったサービスが特徴です(以前スーモジャーナルで取材した「OMO5 東京大塚」)のツアーの様子)。

開業予定は2022年4月。14階建て、部屋数は436室を予定し、館内には庭も設けるなど、かなり大掛かりなホテルです。立地は浪速区の南端ですが、部屋の南側から見渡す光景は西成区の「あいりん地区」となります。

工事が進む星野リゾートのホテル「OMO7 大阪新今宮」(写真撮影/吉村智樹)

工事が進む星野リゾートのホテル「OMO7 大阪新今宮」(写真撮影/吉村智樹)

JRのプラットホームからも着工の状況が見て取れるほど新今宮駅からは近く、大型ホテルの登場で駅周辺の雰囲気も一変するのでは、と星野リゾートが新たな境地へとギアを入れた「本気」を感じずにはいられません。

ホテル建設の様子はJR「新今宮」駅のプラットホームからも垣間見える(写真撮影/吉村智樹)

ホテル建設の様子はJR「新今宮」駅のプラットホームからも垣間見える(写真撮影/吉村智樹)

新今宮はバックパッカーの楽園に。かつてのイメージはもはやない

線路に沿って建ち並ぶのは、新しいホテルやゲストハウス。

線路沿いに建ち並ぶ低料金で宿泊できるホテル(写真撮影/吉村智樹)

線路沿いに建ち並ぶ低料金で宿泊できるホテル(写真撮影/吉村智樹)

Wi-Fiが完備された部屋がわずか2000円前後の宿泊費でステイできるとあり、駅前は海外からのバックパッカーであふれかえっています。

駅前や駅構内には海外からの観光客がいっぱい(写真撮影/吉村智樹)

駅前や駅構内には海外からの観光客がいっぱい(写真撮影/吉村智樹)

山谷(東京都上野)、寿町(横浜市寿町)と並んで大規模な簡易宿泊所街と言われた往時の面影は、もはや確認できません。新世代の経営者たちが2005年、外国人旅行者向けに「大阪国際ゲストハウス地域創出委員会(OIG)」を起ち上げて転換をはかったのがそのきっかけだったそうです。

行政も新今宮のイメージアップに起ち上がった

新今宮駅前のイメージアップに、行政も新たな動きを見せています。

西成区役所総務課は2019年(令和元年)8月7日、「新今宮」駅前南側一帯のリノベーションを促進させ、民間主体のにぎわいを創出する「Shin-Imamiya R Project(仮称)」と、空き店舗等の改修経費の一部として大阪市からの補助金を交付する「提案型地域ストック再生モデル補助金交付事業」の発足を発表しました。

このふたつのプロジェクトは、西成区「新今宮」駅周辺の地域イメージを向上させ、来訪する人たちを歓迎する取り組みです。また、新今宮で活動をしたい人、お店づくりをしたい人、事業を始めたい人、住みたい人などを将来的に増やすことを目指しているのだそう。

「Shin-Imamiya R Project(仮称)」はすでにスタートしており、違法な壁の落書きをなくすため、海外のアーティストが「公式」のウォールペインティングをほどこすなど、街のいたるところで官民一体となった催しが開かれています。

西成のウォールアートプロジェクト「西成ウォールアートニッポン」(略称:西成WAN)(写真撮影/吉村智樹)

西成のウォールアートプロジェクト「西成ウォールアートニッポン」(略称:西成WAN)(写真撮影/吉村智樹)

「365日、三角公園に通う男」から見た新今宮の今昔

「新今宮」駅の線路沿いを歩き、リノベーションの進展をひしひしと感じました。しからば、街の人々は時代の移ろいをどのような気持ちで受け止めているのか。新今宮にゆかりが深い人々にお話をうかがいました。

訪れたのは、「三角公園」の愛称で親しまれる萩之茶屋南公園。南海「新今宮」駅から約700 m真南に位置する、言わば西成区のセントラル・パーク。定期的に炊き出しが行われ、小屋を建てて住んでいる人も少なくはありません。1964年に園内に設置された「街頭テレビ」が、今年2019年4月に復活したことでも話題となった公園です。

「三角公園」の愛称で親しまれる萩之茶屋南公園。年に一度の音楽フェス「釜ヶ崎ソニック」開催中(写真撮影/吉村智樹)

「三角公園」の愛称で親しまれる萩之茶屋南公園。年に一度の音楽フェス「釜ヶ崎ソニック」開催中(写真撮影/吉村智樹)

訪問日はおりしも、毎年10月に開催され今年で8年目を迎える音楽の祭典「釜ヶ崎ソニック」の真っただ中。あいりん地区は、旧来からの地名「釜ヶ崎」と呼ばれる場合もあるのです。「のど自慢」タイムでは、ほろ酔いでごきげんなおじさんたちが自慢の喉を競い合っています。

生演奏に合わせ、自慢の歌声を披露するおじさんたち(写真撮影/吉村智樹)

生演奏に合わせ、自慢の歌声を披露するおじさんたち(写真撮影/吉村智樹)

ここに、「一年365日、たとえわずかな時間でも毎日この三角公園にやってくる」という芸人、山田ジャックさんの姿がありました。

「毎日欠かさず三角公園を訪れる」という山田ジャックさん(写真撮影/吉村智樹)

「毎日欠かさず三角公園を訪れる」という山田ジャックさん(写真撮影/吉村智樹)

三角公園へ通う生活を20年以上にわたって続け、街の人々の写真を撮る。それが彼のライフワーク。

「僕の感覚では、新今宮駅の周辺は5年前に大きく様変わりしました。『天王寺』駅前に日本一高い『あべのハルカス』ができて(2014年に開業)、ひと駅隣りの新今宮駅周辺も一気に雰囲気が変わりました。ホテルが相次いで新装オープンし、観光客でいつもにぎやか。以前はあった『怖い』『薄暗い』といった印象は、もうないんじゃないかな」(山田ジャックさん)

新今宮駅前からも見える日本一高い「あべのハルカス」(写真撮影/吉村智樹)

新今宮駅前からも見える日本一高い「あべのハルカス」(写真撮影/吉村智樹)

ひたむきにこの街を観察し続けたジャックさんは、新今宮の遷移をそう顧みます。

新今宮は、1990年に勃発した第22次「西成暴動」の様子が全国にテレビ中継され、長い間、バイオレンスなイメージを拭えずにいました。暴動の現場となった阪堺線「南霞町」駅は放火により建物が消失。危険な街という印象を与えてしまっていたのです。しかし2014年に「南霞町」駅は「新今宮駅前停留場」に改称し、JR・南海「新今宮」駅との乗り換えに至便であるとアピール。印象の刷新に取り組んでいます。

2014年に「南霞町」から改称した「新今宮駅前停留場」(写真撮影/吉村智樹)

2014年に「南霞町」から改称した「新今宮駅前停留場」(写真撮影/吉村智樹)

「新今宮は、ある意味で“若者の街”」

やはり2014年は、新今宮にとって大きな転機の年であったようです。しかし、山田ジャックさんは、こうも続けます。

「でもね、新今宮駅から南へ道一本渡ったら、街の雰囲気は、いい意味で昔のまんま。昭和の風景がそのまま残っています。20年前に撮った写真と見比べても、風景はほとんど変わらないですから。住む人の顔ぶれも、ほぼ同じ。街ですれ違う人の名前も言えるくらい。なぜ、街が変わらず元気なのかというと、住民の気が若いからだと思います。さっき、のど自慢に出ていたおっちゃん、『高校三年生』を歌っていたでしょう。演歌ですらない青春歌謡ですよ。高齢化が問題になっていると言われているけれど、感覚が昭和の高校三年生のまんまなんですよ。だから、ある意味でここは“若者の街”なのです。気が若いから、街にずっと活気がある」(山田ジャック)

街には元気が出るメッセージがあちらこちらに見受けられる(写真撮影/吉村智樹)

街には元気が出るメッセージがあちらこちらに見受けられる(写真撮影/吉村智樹)

確かに、『高校三年生』を歌っていたおじさんの前の人は矢沢永吉。どなたの選曲にも若いパッションがありました。それに公園周囲の立ち呑み店やホルモン焼きの店は、どこも表にまで人だかりができるほどの満員で、会話が弾んでいます。シャッター通りなど、どこ吹く風。このヤングな熱気は正直、意外でした。

ホルモン焼きの店はどこも超満員(写真撮影/吉村智樹)

ホルモン焼きの店はどこも超満員(写真撮影/吉村智樹)

「なので、星野リゾートが進出しても、街の雰囲気はなんにも変わらないんじゃないかな。駅前だけが極端に都会化して、二極化が進むのではないかと考えます」(山田ジャック)

どんなに時代が変わろうと、この街には人情味に溢れたメッセージが似合う(写真撮影/吉村智樹)

どんなに時代が変わろうと、この街には人情味に溢れたメッセージが似合う(写真撮影/吉村智樹)

商店主たちは人波が途絶えた暗黒の時代を経験していた

では、「商う」側の人々は、星野リゾートの進出をどのように捉えているのでしょう。訪れたのは、西成区のアンテナショップ。プラスチック製の甲冑や、西成でしか製造されていない日本で唯一の駄菓子「カタヌキ菓子」など、西成生まれの手工業製品がずらりと並んでいます。

店主の上村俊文さんは、今後の新今宮の変化を、このように考えていました。

西成区のアンテナショップを営むちょんまげ頭の上村俊文さん。鎧をかぶるのはグラフィックデザイナーの吉村将治さん(写真撮影/吉村智樹)

西成区のアンテナショップを営むちょんまげ頭の上村俊文さん。鎧をかぶるのはグラフィックデザイナーの吉村将治さん(写真撮影/吉村智樹)

「星野リゾートが進出すると決まり、他の区の人々が、『古きよき大阪の風景がなくなる』『浪花の人情が消える』などとおっしゃる。けれども、商売をする者にとっては、こんなにうれしい出来事はない。もともと、ここは誰も排他しないウエルカムな街なんですから。星野リゾートが来るというのなら、我々は喜んでおもてなしをしたいです」(上村俊文さん)

「大阪らしい風景」がなくなるのを寂しく思う人たちは少なくない(写真撮影/吉村智樹)

「大阪らしい風景」がなくなるのを寂しく思う人たちは少なくない(写真撮影/吉村智樹)

上村さん曰く、店を構える人々にとって、星野リゾートの進出は「迎え入れる」態勢にある様子。その背景には、近年にこの街が対峙した厳しい現実がありました。

「かつては繁華街である天王寺や阿倍野から、この西成へと続く、あべの銀座商店街があったのです。けれども、阿倍野再開発事業によって商店街が消え、人の往き来がなくなってしまいました。天王寺区や阿倍野区はあべのハルカスやあべのキューズモールのおかげで人が多く集まるようになり、浪速区の通天閣周辺は観光地化に成功して大いに盛り上がっている。なのに、道一本隔てた西成区に入ると、なにもない。飛田新地というかつて遊郭があった地域へ向かう人がいる程度で、買い物客がいなかったんです」(上村俊文さん)

新今宮駅周辺の商圏は、他所からの流入が途切れ、不遇にあえぎ続けました。そこに希望をもたらしたのが、他県や海外からの宿泊客だったのです。

「海外からの観光客向けのゲストハウスができ始めたおかげで、やっと人の足が戻りはじめてきました。そんな矢先に星野リゾート進出のニュースでしょう。復活への期待感がいっそう湧き起こりますよね」(上村俊文さん)

訪日旅行者の増加により、新今宮は活気を取り戻しつつある(写真撮影/吉村智樹)

訪日旅行者の増加により、新今宮は活気を取り戻しつつある(写真撮影/吉村智樹)

陸の孤島と化していた新今宮駅周辺に、部屋数430超と予定される大型ホテルが誕生するとあり、これは絶好の商機だと、期待を寄せる商店主たちは多いのだとか。

「新今宮のまわりは、食べ物が『安い』ことはよく話題になる。けれども、値段はもとより『おいしい』お店がたくさんあるんです。もっと“グルメの街”として注目してほしいですね。これはマスコミの方にも、ぜひともお願いしたいところです」(上村俊文さん)

「物価の安さ」が新今宮の魅力のひとつ(写真撮影/吉村智樹)

「物価の安さ」が新今宮の魅力のひとつ(写真撮影/吉村智樹)

街の急激な変化に「期待半分、不安半分」

最後に、さまざまな意見が交差する酒場では、どのような声が聴けるのでしょうか。「この店にはいろんな考え方のお客様が呑みに来るから、私自身の意見は言いにくい」と、匿名・顔出しなしを条件に語ってくれたのが、とあるライブ居酒屋のママさん。

「星野リゾートの進出は、大阪市と協力して行われています。住民の本音は『期待半分、不安半分』じゃないでしょうか。反対はしないけれど、全員が手放しで喜んでいるわけじゃない。大きなホテルが建って、その潮流に乗じてもしも大阪の行政が一帯を再開発することになったら、街の景色は大きく変わるでしょう。そうなったら、今の暮らしを続けられるのかなって……。居場所がなくなる人も現れるのではないか、その点は皆、危惧していますね」(ママさん)

ママさんは地区内に建つ歴史ある銭湯の保存活動をしたり、身体が不自由で働けなくなった方を支援したりするなど、西成の街と人を愛し続けた方。それゆえに、昨今の状況の変化には気がかりがある様子。

「ホテルが建つのはいいんです。星野リゾートにしろ、ゲストハウスにしろ、これからは海外からのお客様たちと交流をはかる時代だと思います。でも、4月に新今宮駅前の『あいりん労働福祉センター』が閉鎖されましたよね。今後も仕事にあぶれた日雇い労働の方々が横になったり身体を休めたりする場所がないままだとしたら、単に追い出しただけになる。それが果たして西成が進むべき道なのか。包容力が豊かなこの街の人情や雰囲気が好きだと言って、日本中や世界のアーティストたちが演奏をしに来てくれる。そういった文化もなくなってしまうんじゃないかと、それが不安なんです」(ママさん)

「もしも行政による再開発が始まれば、この人懐っこい風景がなくなるのでは」と不安を感じる人もいる(写真撮影/吉村智樹)

「もしも行政による再開発が始まれば、この人懐っこい風景がなくなるのでは」と不安を感じる人もいる(写真撮影/吉村智樹)

新今宮の大胆なイメージチェンジを喜ぶ人、不安に感じる人、「変わらない」と達観する人などなど、捉え方は十人十色。星野リゾートが建設するホテル「OMO7 大阪新今宮」の開業が予定される2022年4月までに、さらなる議論もありそうです。
現地の声を受け、星野リゾートに話を聞いたところ「新今宮には都市観光ホテルとしてのポテンシャルを強く感じています。アクセスの良さや視認性といった立地面はもちろんですが、何よりも、関西弁が飛び交い、人情味あるこの街に『大阪らしさ』があると考えます。ホテルスタッフがディープなスポットに連れていくツアーに手ごたえを感じており、新今宮においても同様に展開を検討しています」(代表 星野佳路氏)とのコメント。

多くの人が「OMOろい!」と笑顔で納得できる結果となることを、願ってやみません。

盛岡を想うきっかけをつくりたい――「盛岡という星で」プロジェクトが目指す、街と人のつながり方

東京から東北新幹線で2時間13分。料金1万5010円。京都に行くのとほぼ同じ時間、同じ運賃で行ける岩手県盛岡市。宮沢賢治と石川啄木を生んだ文化の街(人口比の演劇の劇団数が日本一)であり、じゃじゃ麺と冷麺がしのぎをけずる麺の街であり、一家庭当たりのビール購入量が最も多い街となったこともある、お酒の街でもある。寿司もうまい。

そんな盛岡市が運営するInstagramアカウント「盛岡という星で」がおもしろい。味のある写真にロゴが丹念に配置されていて、適度にポエミーなテキストが添えられている。雪国らしさも感じる、きれいなたたずまいだ。昨年12月に開設され、フォロワー数は6000人(2019年10月現在)を超える。167661_sub01
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このアカウントの特徴は他にもある。「マリオス」、「ベルフ山岸」、「梨木町」など、盛岡に詳しくない人にはてんで見当がつかないが、盛岡に住んだことのある人なら誰でも分かる(らしい)スポット・ことばが頻出するのだ。

つまり、外向けではなく内向け。これから盛岡に行こうという人、観光客に向けたものではなく、市内に住む人や、かつて市民だった人、盛岡に馴染みのある人たちに向けて投稿がされている。なんとも不可解だ。

いったい狙いはなんなのか。どのような想いをもって運営されているのか。市の担当職員である佐藤俊治さんと、制作を請け負うクリエイティブディレクターの清水真介さんにお話を伺った。

日常を映したいから、街いちばんのお祭りをあえて載せない

――「盛岡という星で」のアカウントを拝見していちばん面白いなと思ったのが、この投稿でした。街いちばんのお祭り、しかも市が推しに推している「さんさ踊り」を「疲れるもの」として自治体運営のアカウントが発信していて、すごいなと。

さんさ踊り当日の投稿。テキストには「エスケープゾーン」とある

さんさ踊り当日の投稿。テキストには「エスケープゾーン」とある

清水真介さん(以下、清水):一応さんさ踊りの画は撮っているんですけど、今年は敢えて触れないようにしてみました。ハレとケでいうと「ケ」。日常を映そうというのが「盛岡という星で」のコンセプトなので、ネガティブなことも入れるようにしています。

お祭りもあれば死だってあるし、恋もあれば別れもある。その方がリアルな暮らしが見えてくると思ってネガティブなものも隠さず表現しようと試みてます。行政がやるインスタグラムってとにかくポジティブなものが多いんですけど、暮らしってそれだけではないので。

デザイン事務所 homesickdesign 代表の清水真介さん。「盛岡という星で」ではクリエイティブディレクターとして、プロジェクト全体のデザインやコピーライティングなどに携わる(写真撮影/菅原茉莉)

デザイン事務所 homesickdesign 代表の清水真介さん「盛岡という星で」ではクリエイティブディレクターとして、プロジェクト全体のデザインやコピーライティングなどに携わる。(写真撮影/菅原茉莉)

佐藤俊治さん(以下、佐藤):さんさ踊りを正面から取り上げることはないだろうなと思ってましたが……投稿を見たら、案の定でしたねえ(笑)。

――更新されてから知ったんですか?

佐藤:行政の言葉や表現では届かなかった情報があって、それを伝えてもらうためにお願いしているわけなので。わたしたちがあれこれ口を出して、感性を損なってしまっては意味がありませんし,投稿のタイミングなどもあるため,そういった形でお願いしています。清水さん自身が盛岡にずっとお住まいだっていうこともあって、何にどう触れるとよくないか把握してくださってるんですよね。投稿内容で気になるときには事前に確認の連絡がありますし,安心してお願いしています。

盛岡市都市戦略室の佐藤俊治さん。「盛岡という星で」では、市の事業担当者として、プロジェクト全体のディレクションに携わる(写真撮影/菅原茉莉)

盛岡市都市戦略室の佐藤俊治さん。「盛岡という星で」では、市の事業担当者として、プロジェクト全体のディレクションに携わる(写真撮影/菅原茉莉)

盛岡のことを想うきっかけをつくりたい。「盛岡という星で」がはじまるまで

――そもそもどうして、観光情報などではなく「日常」を発信していく「盛岡という星で」がはじまったのでしょうか?

清水:市から「関係人口(※)を増やしてください」というお題で公募があって、そこにぼくらが持って行ったのがこの図でした。
※「『関係人口』とは、移住した『定住人口』でもなく、観光に来た『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」総務省発行「関係人口の創出に向けて」資料より

清水さんが盛岡市に提案した資料(写真撮影/菅原茉莉)

清水さんが盛岡市に提案した資料(写真撮影/菅原茉莉)

普通はこういうとき「関係人口づくり、俺たちがやってみせるぜ!」って提案をするんですけど、うちは「関係人口? いきなりは無理です。もっと手前を目指します」としか言いませんでした。

佐藤:市としては盛岡に関わる人が増えるという関係人口創出そのものをやってほしいっていうオーダーだったので、清水さんの提案は衝撃的でした。普通の人が、思い通りに関係人口になって、そして移住、って、そんな単純なものじゃないでしょと言われて。

清水:もっとグラデーションがあると考えたんです。まずは0から1。インスタグラムを定期的に更新することで、かつて盛岡に住んでいた人や、一度来たことのある人が、ほんの少しでも盛岡のことを想うことが大事なんじゃないかと。

佐藤:それが、友だちと盛岡の話をするとか旧友・家族に連絡を取るとか、そういうささやかな行動につながっていく。それこそが、この図の段階を上がっていく、関係人口を増やす下地になるんだと、その考え方がすごくしっくりきました。イベントの目的や雰囲気のベースにもなっています。

東京で行われたイベントの告知も、移住を促すような内容ではない

東京で行われたイベントの告知も、移住を促すような内容ではない

――短期で成果が出るわけではないし、手法も特殊なこの案、佐藤さんがいいと思っても市役所内で説明するのが大変だったのでは?

清水:大変だったと思います(笑)。

佐藤:清水さんの提案も外部の審査員が入った公募で選ばれていますし、幸いにして理解ある組織や上司に恵まれていたので、言うほどの苦労はなかったです。今日もこうして、立ち会ってくれていますし。

取材中ずっと笑顔の盛岡市都市戦略室 室長 高橋宏英さん。「盛岡という星で」では、プロジェクトの責任者(写真撮影/菅原茉莉)

取材中ずっと笑顔の盛岡市都市戦略室 室長 高橋宏英さん。「盛岡という星で」では、プロジェクトの責任者(写真撮影/菅原茉莉)

――佐藤さん、ぜんぜん顔色うかがってらっしゃらないですもんね。信頼関係を感じます。

佐藤:あんまり気にしないのも部下としてどうかと思いますけどね(笑)

できれば盛岡と「1枚目の名刺」で関わってもらいたい

――いま、「盛岡という星で」のインスタグラムを見て盛岡のことを想う人が少しずつ増えていると思います。この気持ちを、どう育てていく予定ですか?

佐藤:清水さんの図でいう第一段階「盛岡を考える人を増やす」にもっと時間がかかると思ったんですけど、デザインのよさもあって、スムーズに進みました。

鉄は熱いうちに……といきたいところですが、急に「さあさあ! 盛岡いかがですか!?」となると、「やっぱり移住しないとダメなの……」となる気がしていて(笑)。

清水:インスタグラムであるかはともかくSNSの投稿は、このまま続けていくのが大事だと思っています。「若い人たち」に向けてやっていますが、3年経てば高校生は大学生に、大学生は社会人になり、ごそっと入れ替わってしまいます。盛岡への気持ちを0から1にするこの活動を停めてしまうと、いずれ「関係人口」になってくれるかもしれない人の供給源が断たれてしまうので。

(写真撮影/菅原茉莉)

(写真撮影/菅原茉莉)

佐藤:継続は前提とした上で次の段階、実際にどう盛岡と関わってもらうかが課題ですね。今,各地域で進められている「関係人口」の取組はすごくキレイなんです。東京をはじめとした都市圏には、ボランティアでもいいから地方に関わりたい、地元に貢献したいって人がたくさんいるとされてるんですけど、ハードルが高いかなと思ってて。

だってみんな忙しいじゃないですか。ほかのプロジェクトメンバーと話してて、ボランティアや副業、いわゆる「2枚目の名刺」じゃなくて、本業としてガッツリと「1枚目の名刺」で関わってもらうのが近道なのではないかと。本業なら新たに時間をつくらなくても、既存の時間で置き換えることも可能ですし。

ありがたいことに、どこか地方と何かやるなら盛岡がいいと言ってくださる方もいらっしゃるので。そういう人たちと実際に仕事をして、関係を深めていって、その先でもし気に入ったら盛岡どうですかと。インスタグラムでつながっている若い人たちとも、いずれそういう形でつながっていけたらいいなと思います。

――盛岡市のその「受け身」の姿勢が、心地よく感じる方も多いのではないかと思います。

清水:佐藤さんはじめ、盛岡の人たちはほんとうに盛岡が好きで自信があるので、押しつけないんですよ。盛岡を選ぶか選ばないかは、その人の判断なのでどっちでもいいとおっしゃいます。

佐藤:関わってもらったうえで、やっぱりダメな街だとおっしゃるなら、それはそれでわたしたちが考えて改善していけばいいですから。けれど、後で良さに気付いて「盛岡がよかったな」っていうのだけは避けたいんですよね。

東京からどこかに移住された方があとで知ってそう言われるのもイヤだし、盛岡出身の方が長い間離れ過ぎたがために「本当は戻りたかった」とおっしゃるのも悲しい。

18歳で盛岡を出て、何も接点がないまま40歳超えてから戻るっていうのは、やっぱり難しいんです。20代、30代の間に、戻らなくてもいいから接点をつくっておくことが大事で。

そのきっかけのひとつとして、「盛岡という星で」が機能するといいなと思います。

(写真撮影/菅原茉莉)

(写真撮影/菅原茉莉)

取材の翌日、「よ市」へと出かけた。4月~11月の毎週土曜日の午後に開催される、盛岡市で40年以上続くマーケットイベントだ。

よ市の「よ」は「余」、つまり「あまりもの」という意味だそうだが、とんでもない。盛岡市のクラフトビールメーカーであるベアレンビールの生中が300円で飲めて、三陸の海でぶくぶくと太った牡蠣が100円で食べられる。幅20M、全長400Mほどの道路が、そんな市内の商店による屋台(いわゆる「テキ屋」はひとつもない)で埋め尽くされるのだ。

自転車で小学生、市内の美大に通う若者、白髪で入れ歯の老紳士。市民たちは約束するでもなくこのマーケットに集まり、それぞれ食べたいものを買い、めいめい輪になって宴会がはじまる。筆者には、盛岡の豊かさが凝縮された風景のように見えた。

よ市に象徴されるこの「余裕」がこの街の自信の源であり、「盛岡という星で」のちょうどいい距離感の理由なのかもしれない。

空き家対策は「人」がカギ! 人材育成や学生参加で新たな風を

2019年8月1日に国土交通省から発表された「令和元年度 空き家対策の担い手強化・連携モデル事業」。空き家対策のモデル的な取り組みについて国が支援を行い、その成果の全国への展開を図る目的で平成30年度からスタート。令和元年度は111件の取り組みの中から、60件の事業者が選ばれた。今回は、選ばれた事業者の取り組み内容から、今、日本で展開している先進的な空き家対策の傾向を探ってみたい。
空き家対策相談員やコーディネーターなどの人材育成が主眼のひとつ

事業者の採択は、「人材育成と相談体制の整備部門」「空き家対策の共通課題の解決部門」の2つの部門別に行われた。

まず、「人材育成と相談体制の整備部門」では、「空き家に関する多様な相談に対応できる人材育成、多様な専門家等との連携による相談体制の構築」に対する支援を目的としている。この部門では、空き家対策に取り組むコーディネーターや空き家対策をサポートするファシリテーターなどを育成する事業者、そして空き家問題を抱える人が相談できる相談体制の整備に取り組む事業者などが選ばれた。

株式会社エンジョイワークスの「空き家再生プロデューサー育成プログラム」は、まさにその「人材育成」の取り組みだ。「令和元年度 空き家対策の担い手強化・連携モデル事業」として採択されたのは、その中の小規模不動産特定共同事業を活用した事業組み立ての手法を学ぶ「アドバンストコース」であり、これから講座が開かれる予定となっている。全国で開催される2日間の「ベーシックコース」、鎌倉で1カ月間のOJTを通じて空き家再生のノウハウを体得する「スペシャルコース」は、先行事業としてすでに講座が開かれており、スペシャルコースの卒業生は、早くも自らのプロジェクトをスタートさせている。なお、ベーシックコースとスペシャルコースは国土交通省の平成30年度および令和元年度「地域の空き家・空き地等の利活用等に関するモデル事業」に選ばれている。

エンジョイワークス「空き家再生プロデューサー育成プログラム」のサイト(画像協力/エンジョイワークス)

エンジョイワークス「空き家再生プロデューサー育成プログラム」のサイト(画像協力/エンジョイワークス)

写真左から、同プログラムの講義、ワークショップ風景(画像提供/エンジョイワークス)

写真左から、同プログラムの講義、ワークショップ風景(画像提供/エンジョイワークス)

同プロジェクトの卒業生が手掛けている空き家活用プロジェクトでは、石川県加賀市の片山津温泉に空き家を購入。「空き家の古い物持ってっていいよDAY」「現地で宿の間取りを考える会」などのイベントをすでに実施済みだ(画像協力/ノスタルジックカンパニー)

同プロジェクトの卒業生が手掛けている空き家活用プロジェクトでは、石川県加賀市の片山津温泉に空き家を購入。「空き家の古い物持ってっていいよDAY」「現地で宿の間取りを考える会」などのイベントをすでに実施済みだ(画像協力/ノスタルジックカンパニー)

「空き家の古い物持ってっていいよDAY」(画像提供/ノスタルジックカンパニー)

「空き家の古い物持ってっていいよDAY」(画像提供/ノスタルジックカンパニー)

「現地で宿の間取りを考える会」(画像提供/ノスタルジックカンパニー)

「現地で宿の間取りを考える会」(画像提供/ノスタルジックカンパニー)

ほかにも、以下のように、空き家相談員や調査員の育成、育成プログラム・研修制度・研修体制の作成・整備などを掲げた事業が見られる。

・空き家問題解決のコーディネート事業、活動拠点の拡大、相談員(コーディネーター)育成のため事例検討会開催を図る(NPO法人出雲市空き家相談センター/島根県)
・地域人材の連携による空き家の一元相談体制の構築や空き家調査フォーマットのWEBアプリケーション化の試験的導入など(株式会社三友システムアプレイザル/埼玉県入間郡毛呂山町など)
・相談窓口の運営、相談員・専門家等対象の研修等を通じた育成を強化(株式会社ジェイアール東日本企画/福島県田村市・三春町・小野町)
・シルバー人材センターを対象とした木造住宅簡易鑑定士および住教育インストラクターの育成や、空き家発生抑制に通じる住教育セミナーや勉強会など(一般社団法人全国古民家再生協会/全国)

空き家問題を解決に導くためのノウハウを備えた人材の育成・教育が、空き家対策を講じる上で急務であることが見て取れる。

相談体制の整備に共通するキーワードは「ワンストップ」

一方、相談体制の整備に関しては、相談窓口の設置、相談セミナーの開催など、空き家問題に悩む相談者に対するサポートを掲げる事業が採択された。

その多くに共通しているのが、「ワンストップ」という言葉。空き家にまつわる「相続」「生前対策」「修繕」「管理」「賃貸」「売買」「利活用」「解体」「跡地活用」といった多岐にわたる問題を、各所にたらい回しにせずにひとつの窓口で済むように相談に応じることを意味している。相談者の抱える問題に応じて、各分野の専門知識や経験のある相談員が相談を受けたり、相談員と専門家がペアになって相談に応じたりするといった仕組みが提案されている。

・所有者に対する暮らし方・ライフプランの提案と相続等の相談対応を一体的に処理できる体制整備に向けたツール作成や相談プラットフォーム構築(かごしま空き家対策連携協議会/鹿児島県)
・行政職員向けの空き家相談士研修会の開催や、専門知識と経験のあるNPO会員と行政職員がバディを組んだワンストップの総合相談体制整備(特定非営利活動法人岐阜空き家・相続共生ネット/岐阜県羽島市,岐阜県各市町)
・市窓口への電話や窓口来訪の場で解決をする空き家対策コーディネーターの育成や、窓口駐在での相談対応(京都府行政書士会/京都府京都市)

学生との協働を通じた担い手育成・啓蒙・持続性アップの試みも

「空き家対策の共通課題の解決部門」では、地方公共団体と専門家等が連携して共通課題の解決を図る取り組みが対象となり、その事業内容は、空き家問題の背景となる課題の解決を含めて実に多岐にわたっている。

その中で目を引くのが「学生」との協働だ。例えば、CANVAS合同会社(茨城県水戸市)では、水戸市中心市街地の空き家・空き店舗の調査を学生の講義の一環として実施。市街地の活性化を狙い、空き家の発生抑制を図る。また、学生が主体となって美容院だった空き店舗を多世代交流施設「マチノイズミ」として再生するプロジェクトを通じて、創業体験の場を設け、空き家・空き店舗の価値向上・啓発につなげる産官学連携の事業モデル構築に取り組んでいる。先行する試みとして、すでに市街地のランチマップ制作や、マチノイズミ改修のためのクラウドファンディングが実施済みだ。

写真左:マチノイズミプロジェクトの一環として、もともと美容室だった空き店舗を見学している茨城大学の学生たち(画像提供/CANVAS合同会社)

写真左:マチノイズミプロジェクトの一環として、もともと美容室だった空き店舗を見学している茨城大学の学生たち(画像提供/CANVAS合同会社)

その空き店舗を多世代交流施設「マチノイズミ」として利用するために、茨城大生たちがDIYで改装した(画像提供/CANVAS合同会社)

その空き店舗を多世代交流施設「マチノイズミ」として利用するために、茨城大生たちがDIYで改装した(画像提供/CANVAS合同会社)

同プロジェクトの講義風景(画像提供/CANVAS合同会社)

同プロジェクトの講義風景(画像提供/CANVAS合同会社)

今回の事業の先行活動として、茨城大生たちが水戸市中心市街地をランチマップ制作のために散策。将来的に単位認定も視野に入れ、持続的で発展性のある活動とすることを狙いとしている(画像提供/CANVAS合同会社)

今回の事業の先行活動として、茨城大生たちが水戸市中心市街地をランチマップ制作のために散策。将来的に単位認定も視野に入れ、持続的で発展性のある活動とすることを狙いとしている(画像提供/CANVAS合同会社)

また、特定非営利活動法人空家・空地活用サポートSAGA(佐賀県佐賀市)でも、学生と協働した空き家利活用プランニングイベントやワークショップを開催し、利活用モデルを構築。次世代の空き家対策の担い手育成につなげるとしている。栃木県小山市も、地元の建築系学生の協力を得て空き家の早期発見・情報提供を行う「空き家パトロール事業」の試行を計画中だ。

民泊活用や福祉との連携など多岐にわたる取り組みが行われている

「空き家対策の共通課題の解決部門」では、さらにバラエティ豊かな事業が選ばれている。例えば、特定非営利活動法人かけがわランド・バンク(静岡県掛川市)では、昨年度行った空き家調査においてニーズの多かった民泊活用を促進するため、所有者・事業者向けの民泊勉強会の開催、マッチングサポート、民泊事業者向け勉強会を実施。民泊事業用建物チェックマニュアル、民泊事業手続マニュアルを作成する計画だ。

かけがわランド・バンクが先行事業として行った小学校区別空き家マップ作製事業の調査風景。空き家らしき建物の状態をチェックした(画像提供/かけがわランド・バンク)

かけがわランド・バンクが先行事業として行った小学校区別空き家マップ作製事業の調査風景。空き家らしき建物の状態をチェックした(画像提供/かけがわランド・バンク)

同調査で作成したマップ。空き家の位置が家のマークでプロットされている(画像提供/かけがわランド・バンク)

同調査で作成したマップ。空き家の位置が家のマークでプロットされている(画像提供/かけがわランド・バンク)

同事業の空き家現地調査を踏まえて、空き家ではないかと推測される建物の所有者に配布した意向調査の案内と調査票。意向調査の結果、民泊活用のニーズが多かったことから、今回、民泊活用を促進するための新たな事業が立ち上げられた(画像提供/かけがわランド・バンク)

同事業の空き家現地調査を踏まえて、空き家ではないかと推測される建物の所有者に配布した意向調査の案内と調査票。意向調査の結果、民泊活用のニーズが多かったことから、今回、民泊活用を促進するための新たな事業が立ち上げられた(画像提供/かけがわランド・バンク)

ほかにも、以下のようなさまざまな切り口からの取り組みが選ばれている。

・空き家バンクから選定したモデル物件における複合シェアサービス型賃貸住宅を試行。効果検証を通じた事業モデルの確立(株式会社九州経済研究所/鹿児島県鹿屋市)
・掘り出し物市でのテスト販売を通じた空き家残置物の流通ネットワークをつくり、廃棄物減少と販売収益の解体費への充当による空き家除却モデルを検証(特定非営利活動法人Goodstock/兵庫県たつの市など)
・既存の航空写真・GISマップ等を活用した空き家予備軍の判断方法をマニュアル化。自治体と民間が共有する空き家地図プラットフォームの基盤の構築に向けた試行・検証を行う(国際航業株式会社/愛知県新城市)

団地やニュータウンのある地域では、主にその団地・ニュータウンから発生する空き家を対象として事業を展開する団体もある。

・県内最大規模の団地である西諌早ニュータウンへの空き家相談窓口の開設と常駐相談員のスキルアップ等を図る(一般社団法人ながさき住まいと相続相談センター/長崎県)
・洛西ニュータウンにおける空き家発生抑制のための中古住宅流通の改修の独自モデルを検討(洛西NTアクションプログラム推進会議住宅・拠点関係ワーキンググループ/京都府京都市西京区[洛西ニュータウン])
・郊外の団地をモデル地区とした空き家予備軍に関する調査を実施(特定非営利活動法人あいち空き家修活相談センター/愛知県豊田市)

持ち主の死亡による相続のタイミングで空き家が発生することが多いことから、高齢者の終活相談などとの情報共有体制を敷いたり、地域包括支援センターと連携して社会福祉士・保健師・看護師・ケアマネジャー等のスキルアップを図る事業者も多数。福祉との連携も、空き家問題解決の一策であることが分かった。

空き家対策は、相続、建築、不動産、福祉と、実にさまざまな分野にまたがったアプローチが必要。今回、採択された事業者の取り組みを見ると、そうした多角度から問題を解決しようとする試みが、全国で展開されていることが伝わってきた。空き家の発生を抑制する予防的なものから、空き家の利活用まで、多分野にわたった取り組みが有機的につながり、全国に波及していくことが、空き家問題解決の糸口となるではないだろうか。

●参考
・国土交通省リリース(「空き家対策に関する人材育成・相談体制の整備等に取り組む団体を決定」)
・株式会社エンジョイワークス「空き家再生プロデューサー育成プログラム」
・CANVAS合同会社
・特定非営利活動法人かけがわランド・バンク

町内会の会長を押し付けられた! 休日は潰れてクレームも多発。どうすればいいの?

一戸建てでもマンションでも、避けて通れないのが自治会や町内会の「役員」です。夫婦共働き世帯や高齢者世帯も増えて、担い手そのものが不足する一方で、町内会・自治会の仕事が増え、バランスがとれなくなっているといいます。では、どうすれば解消するのでしょうか、専門家と考えてみました。
ある日、突然「町内会長」に。メリットは……ほとんどない?

町内会、自治会、町会。さまざまな呼び方がありますが、防犯や防災、清掃など、地域を暮らしやすくするための自治組織が自治会・町内会。分譲マンションや賃貸アパート・マンションでも、地域のこうした組織に入っていることが多いもの。しかし、近年、町内会にまつわるニュースはネガティブなものが多く、現場でも「あつれき」「負担感」が問題になっているといいます。では何が負担なのか、今年4月より約300世帯の町内会の会長をしている神奈川県藤沢市の30代男性Aさんに話を聞いてみました。

「町内会に加入したのは3年ほど前。一戸建てを購入して引越してきたときです。それが今年に入り、『来年度の町会の会長をお願いします、順番でまわっているので断れませんよ』と言われ、引き受けることになりました」と経緯を話します。任期は1年ですが、引き継ぎ時にはダンボール4箱分の文書や資料、備品などがまわってきて、まずその多さにびっくり。また、役員同士でも基本的には情報などは印刷して紙で共有する、多いときはほぼ毎週会合がある、なにかあるとすぐに電話・突撃訪問があるなどの「文化の違い」に面食らったといいます。

「お祭りなど伝統を大事にしたい気持ち、地域を大切にしたい気持ちは分かるのですが、平日午前にも打ち合わせが入るなど、会社員で務まる内容ではありません。また、週末もできたら家族や友人と過ごしたい。町内会が何のために活動しているのか、正直、メリットが分かりません」

画像/PIXTA

画像/PIXTA

また、ご近所に住む人はほとんどが良い人と言いつつも、「何もしないけれど声は大きい(しかも折れない)高齢者」がいて、クレーム処理係のようになってしまうのも負担が大きいようです。

「兄はマンションに住んでいて、同じように町内会の会長をしたのですが、議事録作成などは外部企業にアウトソースして、なにかあったときにハンコを押すだけだったと言っていました。あまりの差にびっくりしています」とAさん。

町内会は任意。「行事をゼロベースで見直す」のもアリ?

Aさんのコメントをもとに、現在の町内会の不満点をまとめると、(1)町内会の加入・役職を断ることができない、(2)行事・会合が多数あり、目的が不明瞭、(3)高齢者が多く、進め方・情報共有の方法が時代に追いついていない、(4)進め方を改善しようとしても拒まれる、(5)平日にも会合があり、仕事と両立できないといったところでしょうか。

地域活性化コンサルタントで、まちづくりや町内会・自治体の問題についても詳しい水津陽子さんによると、日本全国、ほぼどこの町内会も同じような問題を抱えているといいます。

「町内会の役員の多くは70代で、これまでのやり方をなかなか変えられずにいます。一方で、町内会に求められる役割は防災・防犯・清掃・地域活性化・子どもの見守りと増えるばかりなのに、新しい人・若い人が加わらないので、いつものメンバーに負担が偏りがち。変わりたいけれど、変われないジレンマ、過渡期なんです」と水津さん。

画像/PIXTA

画像/PIXTA

では、こうした「負担感」「やらされ感」を軽減し、うまくやるにはどうしたらよいのでしょうか。

「そもそもですが、本来、自治会・町内会への加入はあくまで『任意』、強制できません。Aさんのように加入した後に聞いていない役が回ってきて、順番だからと強制され困惑する人は少なくありません。昔は慣習やルールで仕方なく受けてきたと思いますが、今ではそれが未加入の理由の一位。やりたくない人に『これはやってきたことだから』『昔からのやり方で』と押し付けるやり方では担い手は減るばかり。また、自治会・町内会の活動は法律で定められた役割でもありません。極論を言えば、一旦すべてやめても誰にも罰せられません。会員の総意で今、必要な活動や運営法をゼロベースで見直してもいいのです」と大胆な提案をします。

住みやすい町に町内会は不可欠。時代にあったかたちにアップデート

一方で、インターネットなどで交わされるような、「町内会・自治会などなくしてしまえ」論には反対だといいます。

「今の町内会が時代にあっていないだけで、住民自治の仕組みが必要であることは間違いないと思います。昨今、自然災害が日本各地で多発していますし、サポートが必要な高齢者も増えている。ただ、行政には人手も予算も不足しています。自分たちの町は自分たちで住みよくしていく、関わりは不可欠といっていいでしょう。カギは、時代にあったやり方に変えていけるかどうかなんです」と水津さん。

「町内会では、未だに規約がないところもありますし、個人情報の取り扱いが前時代なところも。これを改善し、ITをサポートしてくれる会員やボランティアを募集し、回覧板や広報紙の配布は最小限にするなど、できることはたくさんあります」(水津さん)

先ほどAさんが不満にあげていた、5つの悩みでいうと、(1)町内会の加入・役職は強制ではなく、(2)若い人の意見も尊重、希望や都合に合わせて参加できるルールや仕組みに変え、(3)行事・会合はゼロベースで見直して、必要なものを残す、(4)規約や個人情報の取り扱いも時代にあわせ、(5)情報化を進めることで会合や連絡等、意見交換や合意形成など、情報交換や参加ができるようにするなどが必要なようです。

今まで、慣例で進めてきた町内会も、「リストラ(再構築)」とアップデートが必要な時期に来ているんですね。また、最近では町内会の加入率が低下したことで、危機感を抱き、変革に挑んでいる町内会も少なくないそう。

「千葉県浦安市では防災活動に力を入れ、東日本大震災では発災当日に住民の安否確認を行い、簡易トイレや飲料水を配布、その後の避難生活では会独自の積立金から仮説トイレや給水車等を配備するなど、日ごろの活動の真価を発揮した自治会もあります。新宿区では会員アンケートを行い、あったらいいと思う事業の希望を聞いたり、協力者を募るなどして活性化した事例もあります。最近では兵庫県西宮市で19歳の短大生が自治会副会長になったところ、清掃への参加が2割増えたという例もあります」(水津さん)

なかなか一筋縄ではいかない町内会の問題ですが、それもそのはず、30世帯程度小規模な町内会もあれば3000世帯と大規模な町内会もあり、歴史も背景も、今までの取り組みも異なるため、ずばりと効く処方箋はないのかもしれません。ただ、都市であっても地方であっても、人が暮らしていく以上、コミュニティは不可欠です。「やりたい人が」「やりたい内容で」「できるときに参加する」を基本に、ゆるく住んでいる町に関わっていく方法を考える、今はその模索の段階なのかもしれません。

●取材協力
水津陽子さん HP
合同会社フォーティR&C代表。経営コンサルタント、地域活性化・まちづくりコンサルタント。石油会社、官公署、税務会計事務所勤務等を経て1998年に行政書士、経営コンサルタントとして独立。地域資源を活かした地域ブランドづくり、観光振興など、地域活性化・まちづくりの講演セミナーなどを行う。近著に『トラブル解消、上手に運営! 自治会・町内会お悩み解決実践ブック』(実業之日本社)がある

名古屋・円頓寺商店街のアイデアに脱帽! 初の「あいちトリエンナーレ」会場にも

2019年10月14日(月)まで開催中の「あいちトリエンナーレ2019」。愛知県で2010年から3年ごとに開催されている、国内最大規模の現代アートの祭典は今年で4回目。企画展「表現の不自由展・その後」の展示中止問題を耳にした人も多いだろうが、それは全体の作品の中の一部。ほかにも愛知県の街中を広く使って、さまざまな現代アートを展示しているイベントだ。筆者は毎回参加しており、現代アートに詳しくなくても、気負わずに世界の新しい感性に触れられる場だと感じている。
都心部の美術館を飛び出して、名古屋市内外の街なかで作品の展示や、音楽プログラムを実施する2会場のうち1つに、名古屋の下町にある商店街が選ばれた。ここ数年、店主手づくりの祭りの開催などで話題を集め続ける、円頓寺(えんどうじ)商店街だ。四間道・円頓寺地区では10カ所でアートの展示などのプログラムが実施されている。
店主のパワーを集積してシャッターを開けた、名古屋の元気な商店街

円頓寺商店街は、名古屋駅から2km以内の距離。高層ビル群から北東へ15分ほど歩くと、精肉店が店頭でコロッケを揚げる、昔ながらの下町の風景が広がる。すぐ隣には、江戸時代からの土蔵が残る街並みの四間道(しけみち)エリアもあり、タイムトリップしたような気持ちにさせられる。この「四間道・円頓寺」地区が、今回初めて、「あいちトリエンナーレ」の会場の一つに選ばれたのだ。

昨今、全国にある商店街の多くがシャッター街と化しているように、かつて円頓寺商店街も衰退の道をたどっていた。そんな円頓寺界隈を活性化させようと、2005年には円頓寺界隈に特化した情報誌が発行され、2007年には「那古野下町衆」という有志のグループが結成された。以来、円頓寺界隈の情報発信や魅力ある新店の空き店舗への誘致など、少しずつ商店街復活に向けて取り組んできた。

そして2013年に、店主が企画した「円頓寺 秋のパリ祭」が大ヒット。このイベントでは、アーケード街に、人気フレンチのデリや花、ブロカント(古道具)などを売る屋台約80店舗が並び、アコーディオンの演奏が流れる。今年で6年目を迎えるが、年々熱が高まり、近年は歩きにくいほどの人出だ。

また、2015年には老朽化していたアーケードを改修。これは太陽光パネルを搭載し、売電で商店街の収入も得られるという優れものだ。この年、パリ最古といわれるアーケード商店街「パッサージュ・デ・パノラマ」と姉妹提携し、パリ祭は本場のお墨付きとなった。

2015年に改修し、モダンで実用的に生まれ変わったアーケード。現在はトリエンナーレ仕様で、アーケードから吊るされたロープが珊瑚色になっていることにも注目。これはトルコ出身のアーティスト、アイシェ・エルクメンによる作品「Living Coral / 16-1546 / 商店街」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

2015年に改修し、モダンで実用的に生まれ変わったアーケード。現在はトリエンナーレ仕様で、アーケードから吊るされたロープが珊瑚色になっていることにも注目。これはトルコ出身のアーティスト、アイシェ・エルクメンによる作品「Living Coral / 16-1546 / 商店街」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

あいちトリエンナーレの候補地になり、新理事長が芸術監督を案内

四間道・円頓寺界隈が「あいちトリエンナーレ2019」の開催地に内定という第一報があったのは、2018年1月だという。前後の活動について、「喫茶、食堂、民宿。なごのや」のオーナーで、円頓寺商店街振興組合で2018年5月から理事長を務める田尾大介さんにお話を聞いた。

「僕はこれまでも、円頓寺界隈を訪れる機会がなかった人を、宿に引き込んできました。あいちトリエンナーレを含め、今取り組んでいることのすべては、これまで『商店街が盛り上がればいい』と思って行動してきたことの延長線上にあります」と話す。

「2年ほど前に、四間道・円頓寺界隈があいちトリエンナーレのまちなか会場の候補地になっているという話があり、2017年から、津田大介芸術監督や実行委員会の方が、度々下見に訪れるようになりました。僕たちは、一緒に街の見どころなどを案内して回りました」

「なごのや」の名物タマゴサンド。きれいに巻かれた熱々の玉子焼きと、マヨネーズ和えのキュウリが好相性で、リピートしたくなるやさしい味(写真撮影/倉畑桐子)

「なごのや」の名物タマゴサンド。きれいに巻かれた熱々の玉子焼きと、マヨネーズ和えのキュウリが好相性で、リピートしたくなるやさしい味(写真撮影/倉畑桐子)

1階が喫茶店兼食堂、2階がゲストハウスになっている「なごのや」。外国人旅行客も多く訪れる、商店街のランドマークだ(写真撮影/倉畑桐子)

1階が喫茶店兼食堂、2階がゲストハウスになっている「なごのや」。外国人旅行客も多く訪れる、商店街のランドマークだ(写真撮影/倉畑桐子)

プロジェクトチームを結成し、街とアーティストをマッチング

「津田大介芸術監督は、アーケードのある商店街と、古い街並みが気に入ったと話していました」と振り返るのは、あいちトリエンナーレ実行委員会事務局の竹内波彦さんだ。

開催地に決定後すぐに、田尾さんたち円頓寺商店街界隈のメンバーは、まちなか展開のプロジェクトチーム「あいちトリエンナーレ 四間道・円頓寺地区推進チーム」を結成。

「街の中のどこにアートを展示するかを、僕らもゼロベースから考えなくてはなりません。『こういうところにこんな空きスペースがあるから使えるのでは』とこちらから提案することもあれば、逆に『このような展示をしたいから、それに合う場所はないか』というアーティストやキュレーターからの要望もありました。街とアーティストとのマッチングはかなり大変でした」

円頓寺商店街には古くから続く店も多い。「この地域の歴史も生かした展示がしたい」と考えるアーティストも多かった。

「やはり、初めてのことなので……引き受けたときはこんなに大変だとは思わなかった」と苦笑いする田尾さん。最初に話を聞いたときは、「いいじゃん!」と手放しで喜んだという。

「県内で行われる一番大きなアートイベントであり、アートで地域を盛り上げるというテーマもいい。商店街やこの地域に人が訪れるきっかけをどうつくるかは、いつでも一番の課題です。中でも“アート”という切り口は、自分たちだけでは持てないものなので、円頓寺界隈に新たな魅力を持ち込んでもらえることがうれしかったですね」

また、円頓寺界隈にはギャラリーもあり、プロジェクトチームの中には、元々アートに興味を持っているメンバーもいたという。

「視察のときから、そういったメンバーの観点をプラスして、街を紹介できたのもよかったのではないかと思います」

円頓寺商店街の中にある「ふれあい館えんどうじ」では、会場マップの配布や有料展示のチケットを販売(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺商店街の中にある「ふれあい館えんどうじ」では、会場マップの配布や有料展示のチケットを販売(写真撮影/倉畑桐子)

地域住民に理解を求める事前準備に、何より注力

当初から田尾さんは、事務局側に「地元の人あってこその商店街」だと強調していた。「あいちトリエンナーレが来ることで、街の良さやあり方が変わってしまうなら、必要ないと思いました」と話す。

「田尾さんに『まず、住民の人に向けて説明会を開かないと』と言われて、初めて気付かされた。ありがたかったです」と、前出の竹内さんは言う。

プロジェクトチームからの提案を受け、2018年12月、あいちトリエンナーレ実行委員会事務局は、地域住民に向けた説明会を旧那古野小学校の体育館で実施した。津田大介芸術監督からの企画概要の説明に、約80人の住民が耳を傾けた。これは前例がないことだという。また今年4月には、ジャーナリストの池上彰氏を招き、同じ場所で事前申込者向けのプレイベントも実施している。

「あいちトリエンナーレで新しいお客さんが来たら、お店の人は喜ぶけれど、地域に住む人の反応は違いますよね。今回のことに限らず、地域の人に迷惑をかけるイベントなら意味がない。だから、事前の段取りには何より注意を払いました」と田尾さん。

説明会の実施によって、地域に住む人も「街に何が起きているかが分かっているし、変化の具合も受け入れられる範囲だと知っている」ことから、「変に日常を変えられることなく、街自体はすごくいいスタートを切ることができました」と話す。

会期中は毎週、木曜から日曜の19時から「円頓寺デイリーライブ」という音楽プログラムが実施されている。長久山円頓寺駐車場の特設ステージで、さまざまなアーティストが、アコースティックの弾き語りなどの音楽ライブを繰り広げる。

「それでも、人が集まりすぎてどこかに迷惑がかかるようなこともなく、音楽が好きな人がやって来て、いい感じに過ごしている。これなら、アートと一緒になった街づくりもいいなと思えます」と田尾さん。

「円頓寺デイリーライブ」が行われるのは、鷲尾友公による「情の時代」がテーマの壁画「MISSING PIECE」(2019)前(写真撮影/倉畑桐子)

「円頓寺デイリーライブ」が行われるのは、鷲尾友公による「情の時代」がテーマの壁画「MISSING PIECE」(2019)前(写真撮影/倉畑桐子)

商店街の中にトリエンナーレを取り込んで、一体となったおもてなし

四間道・円頓寺地区の10カ所の展示やプログラムのうち「メゾンなごの808」「幸円ビル」「伊藤家住宅」の3つの見学は有料となっているが、他は無料。自由に作品を見て回りながら、名古屋市町並み保存地区である四間道や、円頓寺商店街、江川線を挟んで隣接する円頓寺本町商店街をブラブラ散策できる。勝手に自分の名前を掲示するというグゥ・ユルーの「葛宇路」(2017年)や、古いスナップ写真の人物への妄想を膨らませ、ポーズを再現したリョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)など、考える前にクスッと笑ってしまうような作品もあり、肩肘を張らずに楽しめる。

円頓寺銀座街店舗跡に自分の名前を掲示した標識は、グゥ・ユルーの作品「葛宇路」(2017年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺銀座街店舗跡に自分の名前を掲示した標識は、グゥ・ユルーの作品「葛宇路」(2017年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺商店街・四間道界隈店舗では、「トリエンナーレチケット提示サービス」として、割引や1ドリンク付きなどのサービスを38店が実施。8店は「トリエンナーレコラボメニュー」として料理やドリンク、グッズを提供している。

また、期間中は「パートナーシップ事業」として、界隈の6つのギャラリーで展示やイベントを開催。それらの情報は、円頓寺界隈の情報誌の別冊として、1冊のパンフレットに分かりやすくまとめられている。

界隈で店を営む女性メンバーで制作する円頓寺・四間道界隈の情報誌『ポゥ』の別冊として、あいちトリエンナーレのガイドブックを発行(写真撮影/倉畑桐子)

界隈で店を営む女性メンバーで制作する円頓寺・四間道界隈の情報誌『ポゥ』の別冊として、あいちトリエンナーレのガイドブックを発行(写真撮影/倉畑桐子)

「商店街としては、訪れる人への対応という意味で、いつもどおりのおもてなしをしているつもりです。トリエンナーレの総合案内所である『ふれあい館えんどうじ』も商店街の中に設置していますし、店側はサービスに協賛するだけでなく、街の中にトリエンナーレを取り込んで、本体と一緒になっておもてなししている気持ちです」と田尾さん。

会期中は、四間道・円頓寺地区における拠点「なごのステーション」にあいちトリエンナーレ実行委員会事務局のスタッフも常駐する。ボランティアスタッフも多く、各店も協力的なので、訪れた人が「どこをどう回ったらいいのか?」と迷うことも少なそうだ。

店によっては、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの作品に写真を提供したり、越後正志の「飯田洋服店」(2019年)のために古い什器を探したりするなど、アーティストの作品制作を手伝ったケースもあり、まさに、街とあいちトリエンナーレが一体となって取り組んでいる印象がある。

越後正志の「飯田洋服店」(2019年)は、円頓寺本町商店街にある実際の店との出会いから生まれた作品(写真撮影/倉畑桐子)

越後正志の「飯田洋服店」(2019年)は、円頓寺本町商店街にある実際の店との出会いから生まれた作品(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺界隈に住む人が昔の写真を提供した、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺界隈に住む人が昔の写真を提供した、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

「円頓寺デイリーライブ」の終了後も、訪れた人が余韻に浸れるよう、夜7~8時ころからのドリンクやスイーツメニューを自主的に充実させたという店もあるという。

「デイリーライブというナイトエンターテインメントは、あいちトリエンナーレで初の試みです。愛知芸術文化センターなど別会場での展示が終わってから、こちらのライブに流れてくるお客さんもいるので、そういった人にも引き続き楽しんでもらえれば」と田尾さんは話す。

作品の展示も行われている拠点「なごのステーション」は、円頓寺商店街と四間道エリアの間に位置する。作品の制作期間中は、2階がアーティストの作業場や宿泊所としても活用された(写真撮影/倉畑桐子)

作品の展示も行われている拠点「なごのステーション」は、円頓寺商店街と四間道エリアの間に位置する。作品の制作期間中は、2階がアーティストの作業場や宿泊所としても活用された(写真撮影/倉畑桐子)

パートナーとして選ばれるような、「面白い」街づくりを

最後に、全国の商店街の示唆にもなるような、日ごろからの取り組みはないかと聞いてみた。

「トリエンナーレで言えば、誘致するものではなく選んでもらうもの。商店街で何かをしたからトリエンナーレがくるのではなくて、自分たちが価値を出し合った結果、こういう広がりにつながっていくのではないでしょうか。

商店街とは、商売をしながら街をつくっていくものなので、一つ一つのお店の魅力や、サービスの良さの集合体で成り立っています。それでお客さんを満足させて、また来たいと思わせる何かがあるか、ということ。街の数だけ色々な展開があると思いますが、いつか芸術監督が下見に来たときに、『面白そうだ』と思われる街になっているかどうかです。それは自分たち商店主自身が、いかに日ごろからお客さんのことを考えているかによるのでは」

「一時的にワーッと盛り上がるのではなく、好きな人が思い思いに過ごしながら、街とアートが融合している方がいい」と話す田尾さん。そういった意味で、四間道・円頓寺界隈とあいちトリエンナーレは合っているように感じるという。

トリエンナーレの期間終了後については、「壁画やロープは街の中に残せるだろうし、“アフタートリエンナーレ”のように、今回の縁で繋がったアーティストやキュレーターのみなさんと、何かを仕掛けるのも面白そうですね」と思いを巡らせる。

「これをきっかけに、1日に一人か二人でも、この界隈をフラフラするファンが増えてくれたらいいな」とのことだ。

アートには詳しくないけれど、筆者は2010年のスタート時から、毎回あいちトリエンナーレを楽しんでいる。これまでは愛知芸術文化センターを中心に見ていたが、今回、円頓寺界隈のファンになり、街とアートが一体となった「まちなか会場」の魅力に目覚めた。あいちトリエンナーレを回る楽しみがまた増えた。

●取材協力
・円頓寺商店街振興組合
・あいちトリエンナーレ実行委員会事務局

デュアルライフ・二拠点生活[17] 都会のオフィスを離れ、徳島で働き・暮らす夏 “ワーケーション”で働き方改革を

徳島県三好市(みよしし)、周囲を山に囲まれた吉野川の渓谷は大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)と呼ばれ、国の天然記念物や名勝にも指定された観光の名所でもある。渓流を利用したラフティング、紅葉などで人気の高い場所だ。そんな自然に恵まれた山間の街をサテライトオフィスとして社員が長期滞在し、働き、暮らす。そんな試みを野村総合研究所(以下、野村総研)が行っているという。巨大IT企業と山間の街、意外な組み合わせが生み出す効果とは? 三好市に行ってみた。徳島県三好市。四国では一番広い市で、日本で初めてのラフティング世界選手権や、アジアでは初となるウェイクボード世界選手権も開催されるウォータースポーツの街としても注目を集めている(写真撮影/上野優子)

徳島県三好市。四国では一番広い市で、日本で初めてのラフティング世界選手権や、アジアでは初となるウェイクボード世界選手権も開催されるウォータースポーツの街としても注目を集めている(写真撮影/上野優子)

三好市の市街地の中心にあるJR阿波池田駅。特急も停まる四国交通の古くからの要所。ホームが5つあるのは四国ではこの駅と高松駅のみで、鉄道マニアによく知られた駅だ(写真撮影/上野優子)

三好市の市街地の中心にあるJR阿波池田駅。特急も停まる四国交通の古くからの要所。ホームが5つあるのは四国ではこの駅と高松駅のみで、鉄道マニアによく知られた駅だ(写真撮影/上野優子)

連載【デュアルライフ・都会と地方とで新しい働き方を】
今、デュアルライフ(二拠点生活)に注目が集まっています。空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、特別な富裕層、リタイヤ層でなくてもデュアルライフを楽しむ選択肢がでてきているのも背景です。しかし、自分の希望する仕事は都会にしかないし、いける頻度も限られるし、デュアルライフの実現に、自由な働き方は不可欠。そんな新しい働き方に取り組む企業や、個人についてシリーズで紹介していきます。徳島県三好市をサテライトオフィスにした実験的な取り組み古くからの面影が残る本町通り。このあたり一帯は、幕末から明治にかけて刻みたばこ産業で発展してきた(写真撮影/上野優子)

古くからの面影が残る本町通り。このあたり一帯は、幕末から明治にかけて刻みたばこ産業で発展してきた(写真撮影/上野優子)

四国のほぼ真ん中に位置し、古くから宿場町としても栄えてきた三好市は、さまざまな人とモノとが交流する拠点となってきた歴史を持つ。中心街となるJR阿波池田駅を降り、アーケード付きの昔ながらの商店街、刻みたばこ業で栄えた商家の並ぶ風情ある街並みを抜けた先に三好市交流拠点施設『真鍋屋』愛称MINDE(ミンデ)がある。広い中庭を有するこの空間は、江戸時代は刻みたばこ業、その後、醤油(しょうゆ)製造で栄え、三好のシンボルとも言える場だった。事業終了後、この真鍋屋の土地家屋は持ち主の好意により市に寄贈、リノベーションを経て、現在の地域交流拠点施設となった。野村総研では、三好市をサテライトオフィス兼宿泊場所として年に3回、約1カ月間ずつ従業員を派遣しており、今回はここ、真鍋屋がその場となった。三好キャンプと呼ばれるこの取り組みは、2017年冬から始まりすでに5回。普段は東京大手町・横浜のビルで働くのべ60人余りの社員が参加し、実験的な活動が続いている。

歴史を感じさせる真鍋屋MINDEの外観(写真撮影/上野優子)

歴史を感じさせる真鍋屋MINDEの外観(写真撮影/上野優子)

正面。「MINDE(みんで)」は食べてみんで、寄ってみんで、のように気軽にしてみない?という意味でつかわれる地元の方言(写真撮影/上野優子)

正面。「MINDE(みんで)」は食べてみんで、寄ってみんで、のように気軽にしてみない?という意味でつかわれる地元の方言(写真撮影/上野優子)

真鍋屋は大きなガラス窓の開放的な日本家屋が中庭を取り囲む構造。中庭ではマルシェやジャズフェスティバル、結婚パーティーが行われることも(写真撮影/上野優子)

真鍋屋は大きなガラス窓の開放的な日本家屋が中庭を取り囲む構造。中庭ではマルシェやジャズフェスティバル、結婚パーティーが行われることも(写真撮影/上野優子)

起きてすぐ起動! 明るい時間に街と自然を堪能

私たち取材班が真鍋屋に着くと、サテライトオフィスと中庭を挟んだ古民家カフェ「MINDE KITCHEN(ミンデキッチン)」へ。まずは野村総研の従業員の方と一緒にランチをいただいた。ここでは、新鮮な地元の野菜を使った食事が楽しめ、2階部分はドリンク片手に自習する学生たちも。ランチの間も、ベビーカーを押した地元のママや、夏休み前で早く授業を終えた高校生たちがやってくる。中庭には地域猫の「ぬし」ちゃんがパトロール。生活者がいる風景、普段の都会の社員食堂とは違う、リラックスした雰囲気だ。

リノベーションで梁部分をむき出しにしたことで開放的な空間になっている(写真撮影/上野優子)

リノベーションで梁部分をむき出しにしたことで開放的な空間になっている(写真撮影/上野優子)

2階の畳スペースで勉強をしていた地元高校生たち。2階には他にも会合やサークル活動などにも使えるフリースペースも(写真撮影/上野優子)

2階の畳スペースで勉強をしていた地元高校生たち。2階には他にも会合やサークル活動などにも使えるフリースペースも(写真撮影/上野優子)

(写真撮影/上野優子)

(写真撮影/上野優子)

野菜中心でヘルシーなビュッフェスタイルのランチが提供されている(写真撮影/上野優子)

野菜中心でヘルシーなビュッフェスタイルのランチが提供されている(写真撮影/上野優子)

そしてワークスペースへ。昼食を終え、午後の業務が始まった。真鍋屋の中庭を望む土間タイプの室内に、大きなテーブルを置き、各々ワークを行う。東京との会議は、会議システムを使って音声や資料のやり取りをする。従業員参加者に聞くと、音声の遅れ等、特に不便は感じないという。

中庭に面したワークスペース。お試しオフィスとして、三好市に起業・開業する際の準備拠点としても利用ができる(写真撮影/上野優子)

中庭に面したワークスペース。お試しオフィスとして、三好市に起業・開業する際の準備拠点としても利用ができる(写真撮影/上野優子)

ワークスペースを対面のカフェから望む。中庭を挟んですぐだから仕事中のちょっとした休憩にもカフェとの間を行き来できる(写真撮影/上野優子)

ワークスペースを対面のカフェから望む。中庭を挟んですぐだから仕事中のちょっとした休憩にもカフェとの間を行き来できる(写真撮影/上野優子)

仕事中もふいと中庭に現れる地域猫のぬしちゃん(写真撮影/上野優子)

仕事中もふいと中庭に現れる地域猫のぬしちゃん(写真撮影/上野優子)

実は徳島は県全域に光ファイバーが普及した通信環境が強みの県、CATV網の普及率は7年連続日本一という。交通利便性が低く、企業誘致が難しい課題に対し、この環境を活かして企業のサテライトオフィスを誘致しようと長く取り組んできたことが成果を上げてきており、現在65社(うち三好市は8社)の誘致に成功している。通信網は、その環境にどれだけ利用があるかで速度に差が出る。高速道路に例えると利用者の多い都会は渋滞しているのに比べ、ここ徳島はガラガラの道路をスイスイと走行しているようなものだという。

このワークスペースの2階と奥の主屋部分が宿泊できるようになっており、野村総研の従業員はそれぞれ個室に寝泊まりしている。ダイニングキッチン、リビングは共用で、仕事を終えると、近くのスーパーに買い出しに行ってみんなで鍋を囲み、朝はそれぞれ好きなものを好きな時間に食べて仕事に臨む。

左/ワークスペースの奥の共同ダイニングキッチン 右/2階の宿泊場所。もともと民家として利用されていたのでアットホームな雰囲気(写真撮影/上野優子)

左/ワークスペースの奥の共同ダイニングキッチン 右/2階の宿泊場所。もともと民家として利用されていたのでアットホームな雰囲気(写真撮影/上野優子)

「宿泊施設がオフィスですから、朝のスタートダッシュがとにかく早いですね。東京だと、9時から仕事を始めるにも、1時間以上前には家を出て、まず満員電車通勤に疲れ、仕事のスイッチを入れるのにコーヒーで一服、と起動に時間がかかるところが、ここなら、起きて朝食を食べたらすぐにフル稼働です。7時から仕事を始めて16時に終えてしまうといったことも。先日、夕方の明るいうちから、かつてたばこ産業や宿場町として栄えた歴史ある街道や吉野川の自然をレンタサイクルでめぐるツアーに参加してきました。とにかく1日を有効に使えますね」(従業員参加者)
通勤時間に追われ、毎日同じ景色を見ている都会での働き方とは時間の流れ方が大きく違うわけだ。

ポルタリングと呼ばれるレンタサイクルのツアーで、ガイドが付いて、史跡を巡りながら説明を受けることができる。今回は夕方5時から1時間ほどのツアーに参加。半日コースや一日コースなども。地元を盛り上げる企画として事業化しており海外からの問い合わせも多いそう(写真提供/野村総合研究所)

ポルタリングと呼ばれるレンタサイクルのツアーで、ガイドが付いて、史跡を巡りながら説明を受けることができる。今回は夕方5時から1時間ほどのツアーに参加。半日コースや一日コースなども。地元を盛り上げる企画として事業化しており海外からの問い合わせも多いそう(写真提供/野村総合研究所)

キャンプ参加者が撮影した土讃本線の大歩危小歩危。偶然出会った地元の撮り鉄に、吉野川水面ぎりぎりで撮れるスポットを案内してもらったおかげで、このような絶景が撮れた。前日の雨で増水した川と特急南風を収めた一枚は人気鉄道雑誌が運営する「今日の1枚」に選ばれ、三好の方もとても喜んだそう(写真提供/野村総合研究所)

キャンプ参加者が撮影した土讃本線の大歩危小歩危。偶然出会った地元の撮り鉄に、吉野川水面ぎりぎりで撮れるスポットを案内してもらったおかげで、このような絶景が撮れた。前日の雨で増水した川と特急南風を収めた一枚は人気鉄道雑誌が運営する「今日の1枚」に選ばれ、三好の方もとても喜んだそう(写真提供/野村総合研究所)

夕方の真鍋屋。カフェは18時まで営業しており、手前側には、22時まで営業する日本酒バーも。地域の人たちの交流の場となっている(写真撮影/上野優子)

夕方の真鍋屋。カフェは18時まで営業しており、手前側には、22時まで営業する日本酒バーも。地域の人たちの交流の場となっている(写真撮影/上野優子)

一度きりで終わらない、地域の人との交流とビジネスを生む工夫も

野村総研ではこのキャンプで地域貢献や、地域特有の課題解決にも挑戦している。地元の学校へのロボットやVRをテーマとした出張授業、行政職員向けに業務改善を目的としたIT勉強会、鳥害獣害や水害などに対するITを活用した対策検討などだ。またこれらオフィシャルな活動だけでなく、「四国酒祭り」や「やましろ狸まつり」といったローカル活動へのボランティア参加も積極的に行っている。キャンプには前回参加した従業員を案内役として必ず1名以上入れることで、せっかく顔見知りになった縁が途切れずに、次のキャンプ参加者につなげていけるよう運営も工夫をしている。この三好キャンプにも早期から関わり、毎回参加している野村総研 福元さんが街中を歩けば、役場の人、商店の人、あちこちから声をかける人が現れる。今回が初めてという参加者も、おかげでスムーズに地域の人たちとの交流に入ることができたという。

三好市へ貢献したいとの思いから出前授業で実施している、カードを使ってゲーム形式で情報システムを学ぶプログラム。3DVRやリモート操作ロボットの最新IT機器体験も用意しており、子どもたちからはいつもと違った授業で、初めての体験ができたと好評を得ている。講師役の従業員も、素直に喜んでくれる様子を見て喜びを感じるという(写真提供/野村総合研究所)

三好市へ貢献したいとの思いから出前授業で実施している、カードを使ってゲーム形式で情報システムを学ぶプログラム。3DVRやリモート操作ロボットの最新IT機器体験も用意しており、子どもたちからはいつもと違った授業で、初めての体験ができたと好評を得ている。講師役の従業員も、素直に喜んでくれる様子を見て喜びを感じるという(写真提供/野村総合研究所)

真鍋屋で開催された三好市へ新たに移住された方と先輩移住者との交流を目的としたBBQ交流会。野村総研従業員は会場設営や炭焼き担当としてサポート参加。移住者には三好で新しい事業を起こしている方もいて、自身の働き方の見直しという観点からも、野村総研従業員が気づきや刺激をもらう場となった(写真提供/野村総合研究所)

真鍋屋で開催された三好市へ新たに移住された方と先輩移住者との交流を目的としたBBQ交流会。野村総研従業員は会場設営や炭焼き担当としてサポート参加。移住者には三好で新しい事業を起こしている方もいて、自身の働き方の見直しという観点からも、野村総研従業員が気づきや刺激をもらう場となった(写真提供/野村総合研究所)

「都会では職場の人間関係ばかりになりがちですが、ここでは多様な人と交流を持つ場があり、その出会いからいろんなところを案内していただきました。商店街を歩いていても、JR四国の備品をシンボルにした鉄道好きにはたまらないおしゃれなカフェやゲストハウス、都会にあっても驚くほど種類が豊富なワインショップなど、個性あるお店も多いんです。歴史的にさまざまな人たちが行き交う宿場町だったことからも、情報感度の高い人が集まりやすい街だそうです。今では馴染みのお店も増えて気軽に行くことができます」(福元さん)

農家の方の誘いで、野菜収穫と野菜のみのBBQを体験。トマト、ナス、キュウリなどの夏野菜の収穫はほとんどの社員が初体験で、その場でかじる採りたて野菜のおいしさにも感激。トマトが苦手だった社員が食べられるようになったとも(写真提供/野村総合研究所)

農家の方の誘いで、野菜収穫と野菜のみのBBQを体験。トマト、ナス、キュウリなどの夏野菜の収穫はほとんどの社員が初体験で、その場でかじる採りたて野菜のおいしさにも感激。トマトが苦手だった社員が食べられるようになったとも(写真提供/野村総合研究所)

非日常環境での経験をキャリアの見直し、イノベーションに

野村総研といえば、シンクタンクとしての役割はもちろん、コンサルティング、システム開発など、幅広い分野でビジネスを支える企業。そんな野村総研がこのキャンプで挑戦していることは、働き方改革の推進、地域貢献活動、そしてイノベーションの創出だ。都心に人も職も一極集中しているなか、地方は高齢化や過疎などにより地域社会の担い手が減り、従来からのインフラ、生活環境が維持できなくなってきている。政策でもビジネスでも地方創生は大きなテーマだ。
「行政や地域事業、イベントに関わる体験を持つことで、地方ならではの新しい価値を発掘することや、同じ従業員でも、異なる経験やスキルを持ったメンバーによる共同生活の中から、新たな価値を生み出す相乗効果にも期待しています。私自身もそうですが、50歳くらいの年齢を迎える人に積極的に参加してもらいたいと思っています。会社としては、これからも活躍してほしい、一個人としては、あと10年以上は続くビジネスパーソンとしてのキャリアをどうしていきたいか、どんなことが生み出せるか、刺激のある場で考える機会ができます。ここでの時間の流れ方、さまざまな経験や出会いは、後から振り返ったとき、きっとキーポイントになっていると思いますね」(福元さん)
実際、参加者からは、自分の働き方や時間の使い方を見直すきっかけになった、地域課題に直接触れるので、その後のアンテナや関心も広がったと、キャンプ終了後の働き方にもプラスの効果が表れているようだ。

「うだつ」のある街並み。「うだつが上がらない」とは、うだつがあるような立派な家を建てられるほどは、まだ出世していないということ(写真撮影/上野優子)

「うだつ」のある街並み。「うだつが上がらない」とは、うだつがあるような立派な家を建てられるほどは、まだ出世していないということ(写真撮影/上野優子)

取材班が訪ねた日の夜は、今回の宿泊場所の共用キッチンダイニングで地元の市役所の人たちと、持ち寄り式の懇親会が行われていた。三好市もほかの地方都市同様、高齢化、少子化が進む。そんななか、市役所の人をはじめ三好市の人たちは、街の住み心地を上げ、持続可能な産業を育てていくために、野村総研のような「関係人口」の知恵や力に期待している。「関係人口」とは、そこに暮らす「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉。日本全体の人口が減っていく中で、一人の人が一つの地域に縛られるのではなく、複数の地域と関わることで、活躍の機会を増やすとともに、地域にとっては、地域社会の一部担い手となってもらおうという発想だ。

市役所の皆さんからのお手製の天ぷらや、きゅうりのからし漬などの持ち込みに、野村総研の従業員の皆さんは前日からつくったラタトゥイユやピクルスでおもてなし。三好の話が弾む(写真撮影/上野優子)

市役所の皆さんからのお手製の天ぷらや、きゅうりのからし漬などの持ち込みに、野村総研の従業員の皆さんは前日からつくったラタトゥイユやピクルスでおもてなし。三好の話が弾む(写真撮影/上野優子)

野村総研メンバーより三好に来て体験したこと、気に入った風景などを即席スクリーンにプレゼンテーション。市役所の皆さんには見慣れた風景が、訪れる人にどんな印象を与えているのか聞き入る(写真撮影/上野優子)

野村総研メンバーより三好に来て体験したこと、気に入った風景などを即席スクリーンにプレゼンテーション。市役所の皆さんには見慣れた風景が、訪れる人にどんな印象を与えているのか聞き入る(写真撮影/上野優子)

参加者の一人、市役所の中村さんは言う
「地方市役所と都会のIT企業、まったく異なる環境で働く人たちがこうして交流することに、進化の可能性を感じています。今日、焼いているこのお肉は猪で、畑を荒らす害獣ですが、豚よりもうまみが強くおいしいんです。三好の資産としてもっと広げていけないか、安定的に供給していくために日々考えています。三好に住んでいる人間には当たり前で目にとまらないことが、都会の人の目にはどう映っているのか、刺激をもらうことで私たちも進化していくきっかけになればと。このような出会いや機会を大切にしていきたいですね」

猪肉の特徴を話す市役所の中村さん。徳島県では「阿波地美栄(あわじびえ)」として消費拡大を狙っている(写真撮影/上野優子)

猪肉の特徴を話す市役所の中村さん。徳島県では「阿波地美栄(あわじびえ)」として消費拡大を狙っている(写真撮影/上野優子)

たった1日だけだったが、見学と取材とでこのキャンプに触れ、今、置かれている都会の環境の方が、むしろ仕事がしづらいのではないかと気付かされた。満員電車に乗り降りし、人混みの邪魔にならない速さで歩き、フロアに行くためにエレベーターに並び、会議のたびにいろんな部屋を行ったり来たり。蛍光灯でいつも同じ明るさのオフィスにいると、いつ夕日は沈んだのか、雨はいつ止んだのかに気が付くこともない。一日の天気の変化を感じ、生活者がすぐそばにいる環境だからこそリラックスして発揮できる集中力や、ビジネスを生むための生活者目線がここでは強く持てる気がした。リモートワークが普及して、仕事などどこでもできるのだと思っていたが、それは単に合理性の追求だけではなかった。積極的にここでしかできない体験や交流をするという24時間の使い方すべてが成果であり、個人にとって価値あるものだろう。働き方と住まい、幸せのために重要なこの要素が柔軟に混じり合う三好市のような地方がビジネスを生む場としてより機能していくことに期待したい。

パリの暮らしとインテリア[2]アクセサリーアーティストが家族と暮らすアトリエ付きの一軒家

私はフランスのパリに暮らすフォトグラファーです。パリのお宅を撮影するたびに、スタイルを持った独自のインテリアにいつも驚かされています。今回はアクセサリーアーティストの純子さんが家族と暮らす、アトリエの離れが付いた一軒家に伺いました。連載【パリの暮らしとインテリア】
フランス・パリで暮らす写真家が、パリの素敵なお宅を撮影。インテリアの取り入れ方から日常の暮らしまで、現地の空気感そのままにお伝えします。アパルトマン暮らしから一軒家へ

二人目の子どもを授かった2002年の当時、純子さんは夫のピエールさんとパリの最新トレンド発信地として人気の北マレ地区でアパルトマンの6階に住んでいました。まだ2歳だった長女と買い物などで毎日何度も階段を上り下りするのが大変で、ピエールさんと一軒家を探し始めました。
条件を夫婦でよく話し合ったそうです。

1.治安が比較的良いパリ南西部
2.パリのメトロで行ける場所
3.車が止められるスペースがあること
4.アクセサリーのアトリエをつくるスペースがあること

母屋(奥)とガレージ(手前)の間には中庭がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

母屋(奥)とガレージ(手前)の間には中庭がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さんは、当時のことをこう話します。
「売りに出されている物件を20軒くらい見に行きました。とてもいい物件でも、郊外で電車やバス移動があるところだと、どうしても気が向きませんでした。
決め手になったのは、近所の住民が親切だったことです。今住んでいる家の契約書類のサインがせまっていた時期に、住民が道にテーブルを出して、飲んだり食べたりしているところ(日本でいう町内会の集まり)に遭遇し、みんなこの周辺のことなどを親身になって教えてくれました。
今の家は、パリのメトロでのアクセスが良いところ、通りが袋小路になっていて静かなところが気に入っています。購入当時はまだ小さかった長女、これから生まれてくる次女のためにも、歩いて10分以内に幼稚園から中学校まであることも助かりました」

ピエールさんは食関係の仕事をしていてたくさんの荷物を積んで車で朝早くに出かけるので、パリにもアクセスが良いこの場所がお気に入りと言います。また、レコードコレクターでもある彼は、近隣に気にせず音楽を楽しめるようになったことも大きかったようです。

「パリにいたころは車を駐車するのにも時間がかかったりして、ストレスフルな日々でした。それと僕は音楽が大好きなので一軒家に憧れていました。
パリのアパルトマンでは、こちらが注意していても音が近隣トラブルのもとになったりしますし、どこからかいろんな音が聞こえてきて、絶えずリラックスできない環境でした。
一軒家を手に入れてからは近隣のことも気にならないし、時間に自由ができて満足しています」

ピエールさんはリビングの一部に自分のスペースをつくり、いつでも好きな音楽を聴けるように配置しています。年に何度か季節に合わせて額に入れたレコードジャケット入れ替え、まるでギャラリーのよう。「次女と音楽センスが合ってうれしい」とピエールさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんはリビングの一部に自分のスペースをつくり、いつでも好きな音楽を聴けるように配置しています。年に何度か季節に合わせて額に入れたレコードジャケット入れ替え、まるでギャラリーのよう。「次女と音楽センスが合ってうれしい」とピエールさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階に上がって左右に子ども部屋がある。ブルーのペンキは空をイメージして、自分たちで色を配合(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階に上がって左右に子ども部屋がある。ブルーのペンキは空をイメージして、自分たちで色を配合(写真撮影/Manabu Matsunaga)

手づくりの花瓶が飾ってあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

手づくりの花瓶が飾ってあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2002年当時は、まだユーロ通貨になって間もないころ。不動産もそれほど高騰はしていない時期で、とてもリーズナブルに購入できたそう。
「住居スペースは95平米、離れのガレージは25平米、中庭、車が2台分置ける駐車スペースもあって、申し分ない物件でした。それとカーヴ(ワイン貯蔵庫)が地下にあり、買い貯めていたワインも安全にストックできるのも気に入っています」とピエールさん。

購入したあとは、家族にとってより快適な空間にするために居住スペースとガレージの改装をしました。

「住居スペースは4人家族が住むには広さとしては理想的でしたが、細かく部屋が仕切られていたので、開放的なスペースにしたいと夫婦で意見が一致しました。まずは仕切り壁を取り壊し、台所も配置を換え、床がタイルだったのをフローリングにしました。
それとガレージをアトリエにするために、断熱材を入れたりして大工事になりました。
物件の購入金額に加え、その10~15%相当の工事費がかかりました」(純子さん)

一軒家でアクセサリーアーティストの活動拠点を手に入れた

純子さんは日本の服飾学校を卒業後、パリでアクセサリーアーティストとして活動。一軒家購入を機に、念願のアトリエを手に入れました。

ガレージを改装して純子さんのアトリエに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ガレージを改装して純子さんのアトリエに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

使う道具や材料は作業をしながらでも手が届くところに置いています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

使う道具や材料は作業をしながらでも手が届くところに置いています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さんの作品はパリのブティック数カ所に置かれているほか、ポップアップショップでも頻繁に展示・販売しています。

「ポップアップショップでは、お客さんと対話を通じてその方の趣味や求めているものが分かり、自分のクリエーションの参考にもなります。そこで得たことを活かしながら、アトリエでの制作活動に集中したいんです」

パリの歴史的なパッサージュ(アーケード商店街)で展示の準備(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリの歴史的なパッサージュ(アーケード商店街)で展示の準備(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新作は陶器のピアス。手づくりなので、同じものは一つもない一点物です(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新作は陶器のピアス。手づくりなので、同じものは一つもない一点物です(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お客さん対応をする純子さん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お客さん対応をする純子さん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

手づくりの感覚を大切にして一点物にこだわる姿勢、お客さんに真摯に対応する純子さんの姿に、写真家として同じくクリエーションに携わる筆者も心打たれました。

作品制作中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

作品制作中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どもたちが小さいときにつくったオブジェも大切に飾っています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どもたちが小さいときにつくったオブジェも大切に飾っています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

数年前から始めた陶器アクセサリーや、自分で使うお皿などは、地元にある美術学校エコール・デ・ボザールの窯を週1で借りて制作しているとのこと。

「そのうち、アトリエに自分の窯を置きたいです。アトリエの奥は夫のキッチンラボになっていますが、少しスペースを貸してほしいと交渉中です」と笑顔で語ります。

花瓶やお皿などの陶器づくりにも凝っています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

花瓶やお皿などの陶器づくりにも凝っています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

撮影にうかがったのは夏休み前の天気の良い日曜日でした。庭には桜の木やフランボワーズなどがありました。夏が終わるころには、甘いブドウも実るでしょう。

家の門を開けるとすぐ、桜の木と母屋が見えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の門を開けるとすぐ、桜の木と母屋が見えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さん一家は毎年できるブドウを楽しみにしています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さん一家は毎年できるブドウを楽しみにしています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんは20年間シェフとしてレストランで働いていたので、料理はお手のもの。キッチンは中庭に簡単にアクセスできるようにつくられていて、天気の良い日はパラソルを立てて食事をします。

ピエールさんの料理をする手さばきはさすが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんの料理をする手さばきはさすが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

イタリア製のプロ用のガスレンジ。今後改装しても、これだけは使い続けていきたいとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

イタリア製のプロ用のガスレンジ。今後改装しても、これだけは使い続けていきたいとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンからの眺め。バーベキュー用の窯も奥に見えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンからの眺め。バーベキュー用の窯も奥に見えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家購入20年の記念に。まだまだ夢が広がる

「今、アトリエ以外の改装計画も立てているところなんです。家を購入してから20年の記念に、バスルームを全面改装したいのです。日本風の洗い場があってくつろげる空間にしたくて。でも子どもたちはイタリア式の水圧が高いシャワールームがいいと言っていて。なかなか意見がまとまりませんね(笑)」と純子さん。

ピエールさんも夢を膨らませます。
「僕は地球環境問題に興味があるので、エネルギーの節約の意味も込めて家の断熱材の強化をしたいです。
また、今は庭のコンポストで生ゴミを使って庭用の肥料をつくっていて、自分の庭で取れるサクランボ、フランボワーズ、ブドウを安全で美味しく食べられるようにしています。本当は庭に鶏を飼って新鮮な卵を毎朝食べるのが夢なんです。でも隣近所に迷惑にならないようにしないと」

いろんな夢を持ち続け、それを素直に話し合い、お互いの世界を展開しているお二人に乾杯!です。これからの家の進化も楽しみです。

二人で見つけたヴィンテージのランプ、ガラスと木の素材が他のインテリアにもマッチ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

二人で見つけたヴィンテージのランプ、ガラスと木の素材が他のインテリアにもマッチ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さんが少しずつ集めたアンティークのレース類(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さんが少しずつ集めたアンティークのレース類(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんを唸らせた(!)純子さんの父親のフランス車と純子さんが5歳の時の写真が大切に飾ってあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんを唸らせた(!)純子さんの父親のフランス車と純子さんが5歳の時の写真が大切に飾ってあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

まちなかに学生街を!産官学連携で挑む山形市の中心市街地活性化

衰退した中心市街地をもう一度活性化するにはどうすればいいのか。山形県や山形市の関係者が着目したのは若者たちの柔軟な思考と実行力だった。若者のまちへの定住を支えるため、産官学で構築した新たな住宅供給事業に注目したい。
商業を含む多様なテーマで活性化を図り始めた山形市

山形県の県庁所在地、山形市の人口は2005年をピークに微減し続け、現在24万9682人(2019年7月1日)である。「2000年から2006年の間には、山形市中心部から4つの大型商業施設や百貨店が撤退したほか空き店舗が目立つようになり、まちの衰退が始まりました」と山形市商工観光部山形ブランド推進課の岩瀬智一さんは話す。
その状況に歯止めをかけるため、山形市は中心市街地活性化基本計画を策定し、2019年2月には長中期ビジョンを公開した。そこで示されたグランドデザイン(将来像)のコンセプトは、「次世代へつなぐ魅力ある新しい『中心市街地』の創造」。大きな特徴は、商業への依存からの脱却。目指すべき方向として、居住(暮らし)、ビジネス、観光、医療・福祉・子育て、文化芸術など多様なテーマが掲げられている。まちのエリアごとの特性に合わせて、それぞれに合うテーマの取り組みが進められていく予定だ。

グランドデザインの具現化に向けて、2019年3月には、山形エリアマネジメント協議会を発足させた。会長は山形商工会議所会頭、副会長を山形市副市長が務め、構成員には金融機関4社、山形県宅地建物取引業協会山形と不動産関連の組織が含まれている。事務局は山形市などが担う。「このようにテーマや対象エリアを明確にし、エリアマネジメントの考え方を導入した形で中心市街地の活性化を図るのは、初めてです」と山形エリアマネジメント協議会の佐竹優さんは説明する。

エリアマネジメントのベースとなるゾーニング図(出典/山形市中心市街地グランドデザイン)

エリアマネジメントのベースとなるゾーニング図(出典/山形市中心市街地グランドデザイン)

学長同士の会話が機となった、中心市街地での“学生街”案

こうした動きの中、七日町など中心市街地に学生たちを含む若年層の「居住」を増やし、“学生街”をつくるための取り組みが始まった。空き家や空き店舗をシェアハウスやワンルームなどの賃貸住宅にコンバージョン(用途変更)して、なるべく低価格で住んでもらえるようにする。この取り組みには、山形県や山形市、市内の大学、山形県すまい・まちづくり公社(以下、公社)など複数の関係者が連携している。
きっかけは、山形大学学長と、東北芸術工科大学学長の内々の話だったという。東北芸術工科大学企画広報課長の五十嵐真二(真は旧字)氏はこのように説明する。「まちなかの店舗の空きは減りつつあるものの、住んでいる人はわずかです。やはり、人が住まなければにぎわいは生まれにくいでしょう。そこから、まちなかに新たに学生街をつくってはどうかという話に発展しました。山形市は学んでいて楽しいところだという空気感をつくりたいですね」

大学も自治体も、多くの学生が在学中からに住んでもらうだけでなく、卒業後もここで就業してほしいという希望をもっている。学生獲得及び、市内に住むことで街に愛着を持ってもらうことが、人口減抑止の一手と捉えているからだ。現在、大学生の約7割が県外に住み、宮城県仙台市から高速バスで通う学生も少なくないという。仙台-山形間直通の高速バスは、7,8分間隔で走っているから無理もない。

市中心部の七日町周辺。近年、感度の高い若者が集まりつつあるシネマ通り(写真撮影/介川亜紀)

市中心部の七日町周辺。近年、感度の高い若者が集まりつつあるシネマ通り(写真撮影/介川亜紀)

学生向け住宅増加を目指し、「住宅セーフティネット制度」を整備

山形市のまちなかでは現状、学生向けの賃料の安い住宅は多くない。そこで、大学と県、市、公社の産官学連携で、住宅や店舗などの空き家を、シェアハウスやワンルームなどの賃貸住宅にコンバージョン(用途変更)する仕組みが考えられたのだ。

課題はまず、建物のオーナーがコンバージョンに着手しやすくすることだった。コンバージョンのハードルは、金額がかさみがちな改修費用だ。これを解決するため、「住宅セーフティネット制度」を活用した。当制度は全国で展開されており、低所得者や障がい者など、住宅が借りにくい層を対象にした住宅として改修する際に、オーナーなどに改修費の一部を補助するもので、補助対象工事費の2/3、一戸あたり最大で200万円が充当される。山形県では当制度の対象に、全国で初めて、学生を含む「若者」を加えた。これにより若者を対象にした住宅への改修に、補助金が活用できるようになった。
ただし、対象の住宅として活用するためには、現行の基準を満たした耐震性が求められる。旧耐震の建物では、補助金が十分とは言えないケースも考えられるという。

もうひとつの課題は、建物のオーナーの安定した家賃収入だ。せっかくシェアハウスをつくっても、空室が続くなどして家賃が入らなければ経営は中断せざるを得ない。その対策のために、産官学連携の事業スキームも立ち上げられた。仕組みはこうだ。1.オーナーが対象となる建物を改修、2.公社がオーナーと10年間の定期借家契約を締結、3.公社はサブリース事業者として住宅を管理・運営、4.大学が公社住宅を学生に紹介し、入居をあっせん、5.学生は公社と2年間の定期借家契約を締結、6.事業期間終了後、公社はオーナーに建物を返還。返還の際、入居者はそのまま住み続けることができる。

学生向け住宅への改修・管理運営で産官学連携(資料提供/山形県)

学生向け住宅への改修・管理運営で産官学連携(資料提供/山形県)

山形市中心市街地では、すでに若者が自ら空き家活用を開始

実は山形市の中心市街地では、居住用ではないものの、2014年ごろからすでに学生を含む若者たちによる空き家、空き店舗活用が始まっている。駅から徒歩20分ほど、往年は百貨店や映画館を訪れる多くの客でにぎわっていた七日町周辺だ。2014年に行われた山形リノベーションスクールのほか、東北芸術工科大学デザイン工学部の馬場正尊教授のゼミでシネマ通り沿いの空き店舗の再生に取り組んだ学生たちが、卒業後も関わった店舗の経営に携わり続け、にぎわいづくりに寄与している。長年空いたままだった物件をリノベーションやDIYでコストを抑えつつ刷新し、カフェや書店、雑貨店などを経営。それだけでなく、これらの経営者らが中心となり、年2回のペースで“シネマ通り”でマルシェの開催などもする。今年6月に開催したマルシェは「日本一さくらんぼ祭り」とも重なり大いににぎわった。ちなみに、期間中の祭りの参加者は、累計27万3000人だったという。

学生時代からシネマ通りに関わり、卒業後、2014年12月に空き店舗を活用したカフェ「BOTAcoffee」を開店した佐藤英人氏はこう話す。「『BOTAcoffee』を皮切りに、毎年徐々に長らく空いていた店舗を再生した案件が増え、現在までで計8店舗になりました。並行して、シネマ通りに魅力を感じる人が集まるようになっています」

今後、山形市中心部で進む、若者を中心とした自主的な活性化の活動はどのような変化を遂げるのだろうか。
「シネマ通りではすでに空き店舗が解消しつつあります。こうしたまちの活性化に関わる動きをさらに広げ、エリアリノベーションに発展させたほうがいい。まず山形の第一印象を決める駅付近まで、この動きを広げたいと思います」と、シネマ通りで「郁文堂書店」を再生した追沼翼氏は話す。
「山形市全体が魅力的になることが重要です。僕は今、駅前のカフェとオリジナルメニューを共有するなどして、連携を始めています」と佐藤氏は付け加えた。

左が佐藤氏、右が追沼氏(写真撮影/介川亜紀)

左が佐藤氏、右が追沼氏(写真撮影/介川亜紀)

BOTAcoffeeの店内。築50年の洋傘店を改修した(写真撮影/介川亜紀)

BOTAcoffeeの店内。築50年の洋傘店を改修した(写真撮影/介川亜紀)

郁文堂書店。追沼氏と有志が山積みだった古い本を整理。最低限の解体をし、DIYで改修した(写真撮影/介川亜紀)

郁文堂書店。追沼氏と有志が山積みだった古い本を整理。最低限の解体をし、DIYで改修した(写真撮影/介川亜紀)

郁文堂書店の外観は昔の看板を残した。建物は約築85年(写真撮影/介川亜紀)

郁文堂書店の外観は昔の看板を残した。建物は約築85年(写真撮影/介川亜紀)

若者たちが自主的に仕事と仕事の拠点をつくり、今後そこに若者向けの住宅が増えて職住隣接が可能になれば、相乗効果で山形市のまちなかのにぎわいは増していくのではないか。産官学を巻き込む中心市街地活性化のひとつの方策として、注目の動きである。

●取材協力
・東北芸術工科大学 
・山形市商工観光部山形ブランド推進課 
・BOTAcoffee
・郁文堂書店

五輪開催が迫る今こそ民泊を始めるチャンス!? 民泊ホストのリアルを紹介

東京五輪開催まで1年を切り、懸念されているのが宿泊施設不足。五輪が開催される8月は、ホテルの客室不足が懸念されている中、解消の期待を担うのが「民泊」だ。今回は、民泊の現状と、仕事をしながら民泊している家族を紹介し、民泊のリアルライフを紹介する。
供給が不足傾向。民泊を始めたい人にとって、今はチャンス?

民間シンクタンクによると、2020年の訪日外国人旅行者数は4000万人を超えるとの試算があり、五輪が開催される8月、観光客が多い11月や12月では宿泊施設不足が指摘されている。

その解消で期待されているのが「民泊」だ。2018年6月には民泊について定めた住宅宿泊事業法が施行。施行から1年以上が経過し、五輪開催に向けて、民泊の供給が増えて盛り上がっていると思いきや、実情は異なるという。

「海外の仲介サイトで違法な民泊物件を掲載できなくなったこともあり、施行前にはピークで6万件程度あったとされる民泊施設は、施行後は約1万件まで落ち込み、その後、一部の規制が厳しい地域(例えば、東京23区)では件数が回復していません。つまり、需要は伸びているにもかかわらず、供給は不足傾向にある地域が存在します。民泊を始めたい人にとって、今はチャンス」と、民泊に詳しい行政書士の石井くるみさんは解説する。

民泊を始めるに当たっての注意点は何だろうか。「まず、民泊は日数制限があります。1年間のうち180日以内しか営業できません。住居専用地域などではさらに厳しい日数制限がある自治体もあるので事前に確認しましょう。多くのマンションでは管理規約で民泊が禁止されているため営業できません。民泊を始める際に最も大事なことは、近隣住民への説明や配慮です。これを怠ると後々トラブルになりかねない」(石井さん)

住宅宿泊事業法では、民泊できる住居や運営でやることなどが定められている。民泊する住居にトイレ、洗面所、キッチン、浴室の4つがあり、きちんと使えること。運営面では、施設の清掃、宿泊者名簿の備え付け、外国人観光旅客に向けた外国語を用いた情報提供などの業務をすることなどが定められている。
 
今回は、民泊を始めたい人が少しでもイメージが具体的に湧くよう、東京の代々木上原で一戸建て(賃貸)で家族と暮らしながら、新法施行前後で民泊をしている山崎史郎さん(会社員)のお話しを聞きながら、民泊のリアルライフを紹介しよう。

始めた動機は、現地で暮らす新たな旅のスタイルに感動して(写真提供/山崎史郎さん)

(写真提供/山崎史郎さん)

「民泊を始めた動機は、2014年にカリフォルニアに一人で旅行した際、民泊を体験したこと。通常のホテルに泊まる旅行では味わえない、現地の暮らしを体験できる新たな旅のスタイルに感動したからです」(山崎さん)

山崎さんは、新法が施行される前の2016年から民泊をしていた。しかし、新法施行の際に住んでいた分譲マンションの管理組合からNGが出てできなくなり、断念。2018年9月に賃貸一戸建てを借りて、今年6月から再開した。一戸建ての間取りは3LDKで、1階に1部屋、2階にLDK、3階に2部屋がある。広さは87平米だ。宿泊客に提供する部屋は1階の部屋と2階のリビングルーム。2階のダイニングとキッチンは共同で利用する。3階は家族のプライベート空間だ。「民泊を始めるのにかかった費用は、宿泊客向けの寝具やタオルなどの購入に充てた数万円程度。大変だったのは、届け出書類の種類が多くて作成も煩雑だったこと。区役所に通いつめました」

民泊は大別して、自らが居住する住宅に宿泊させる「居住型」と、居住しない住居を利用する「不在型」の2種類がある。不在型の場合は消防設備の設置など規制が厳しく、開始の手間や費用はそこそこかかる。一方、居住型の場合は特例措置などをうまく活用すれば、始めるハードルは意外に低いという。

「運営は夫婦で分担しています。宿泊希望者の問い合わせ対応や連絡は英語が得意な私(夫)が行い、チェックイン対応や部屋の清掃などは妻がしています。2人の娘がいますが、チェックイン時に英語で自己紹介したり、時には一緒に食事したりするなど、日本にいながら国際交流できるので楽しんでいます」

(写真提供/山崎史郎さん)

(写真提供/山崎史郎さん)

稼働率35%程度で、月収は8万~10万円

気になる収入はいくらだろうか。「今年6月から始めて稼働率は35%程度で、月のうち約10日が宿泊しているという状況。月収にして8万~10万円でしょうか。ただ、この稼働率はプライベートの予定を犠牲にせずに出た数字で、今の需要からすればもっと高められると思います。五輪開催期間は宿泊料を10倍にして稼働率100%も十分狙えると思います」(山崎さん)

民泊するうえで気になるのは、宿泊客や近隣住民などとのトラブルだ。一般的な民泊の仲介サイトでは、宿泊予約を受ける方法が2つから選べる。宿泊希望者が申し込めば予約が即成立するパターンと、宿泊希望者が予約依頼後、提供者が確認して了承すれば予約が成立するパターンだ。

「我が家は、後者を採用しています。宿泊ルールを先に読んでもらって了承したお客しか宿泊させないこともあり、大きなトラブルはありません。また居住型の場合、ゴミ出しはホストである私が行い、騒音トラブルがあっても同居しているため、すぐに注意できる。管理の目が届きにくい不在型と異なり、目が行き届く居住型はトラブルは起きにくいと思います」

大変だったのは近隣住民への周知だ。渋谷区の条例では、住居専用地域で民泊を行う際、周辺地域の住民などに対面や書面で事前周知したり、町会などが実施する地域活動に積極的に参加したりするなどの必要がある。「一戸建てを借りたのが2018年9月なので、開始までに9カ月間かかりました。仕事しながらということもあるが、住民を回っての説明や届け出書類の整備に時間を費やしました」(山崎さん)

民泊を専門に行う業者や、住宅を新規購入して取り組む不在型民泊は増加しているが、自ら住む家に宿泊客を泊める居住型は減少傾向にあるという。しかし、その一方で「日本の生活や暮らしに触れたいという外国人観光客にとって、家族が暮らす家に宿泊する居住型民泊のニーズは根強いと感じています。自宅に他人を宿泊させることに抵抗感が少なく、国際交流に興味がある人にとって魅力的」(山崎さん)

山崎さんの妻は料理研究家。宿泊した外国人ゲストに料理教室をすることもある(写真提供/山崎史郎さん)

山崎さんの妻は料理研究家。宿泊した外国人ゲストに料理教室をすることもある(写真提供/山崎史郎さん)

エリア限定だが、届け出不要の「イベント民泊」も

ラグビーワールドカップ、東京五輪、大阪万博など国際イベントが目白押しで、イベント開催地の宿泊施設不足が指摘される中、8月1日、観光庁と厚生労働省はイベント開催期間に宿泊施設不足が見込まれる場合、住宅宿泊事業法に基づく届け出をせずに自宅を民泊として活用できる「イベント民泊ガイドライン」を改訂して発表した。

イベント民泊は、自治体が公募している場合に申し込みできる。「ラグビーワールドカップの開催地である熊本県、岩手県釜石市、大阪府東大阪市などの自治体がイベント民泊の実施を予定している。気軽に取り組めるので、興味がある人は自治体に問い合わせてほしい」(観光庁)

イベント民泊でも宿泊料をもらうことができるため、副業として民泊を検討している人のお試しとしてもおすすめだ。東京五輪や大阪万博の開催時にもイベント民泊を公募する可能性は高いので、今後の動向に注目したい。

●取材協力
石井くるみさん(日本橋くるみ行政書士事務所)
山崎史郎さん
観光庁

【カップル編】東急東横線沿線の中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2019年版

駅前の再開発が進行中で、今後さらに街の注目度アップが見込まれる渋谷駅。そんな渋谷駅から神奈川県屈指の繁華街である横浜駅まで全21駅を結んで走る東急東横線は、住みたい街として名前が挙がる駅を多く抱える人気路線だ。人気なだけに沿線にある物件の価格相場も高そうなイメージ……。 実際のところはどうなのか調査してみた。今回は専有面積40平米以上~70平米未満のカップル向け中古マンションの価格相場をご紹介しよう。●【カップル編】東急東横線沿線の中古マンション価格相場が安い駅TOP21
順位/駅名/価格相場/駅の所在地
1位 東白楽 2780万円 横浜市神奈川区
2位 日吉 2990万円 横浜市港北区
3位 白楽 3130万円 横浜市神奈川区
4位 大倉山 3280万円 横浜市港北区
5位 妙蓮寺 3285万円 横浜市港北区
6位 菊名 3315万円 横浜市港北区
7位 綱島 3499万円 横浜市港北区
8位 横浜 3694万円 横浜市西区
9位 新丸子 3890万円 川崎市中原区
10位 反町 3935万円 横浜市神奈川区
11位 元住吉 3980万円 神奈川県川崎市
12位 多摩川 4780万円 東京都大田区
12位 武蔵小杉 4780万円 神奈川県川崎市
14位 学芸大学 4980万円 東京都目黒区
15位 祐天寺 5480万円 東京都目黒区
15位 都立大学 5480万円 東京都目黒区
17位 自由が丘 5590万円 東京都目黒区
18位 田園調布 5690万円 東京都大田区
19位 中目黒 5815万円 東京都目黒区
20位 代官山 6780万円 東京都渋谷区
21位 渋谷 6790万円 東京都渋谷区

同じ路線でも全21駅で価格相場には4000万円以上の開きが!

東急東横線の全21駅のうち、カップル向け中古マンションの価格相場が最も安かったのは東白楽(ひがしはくらく)駅で2780万円。ちなみに21駅中で最も価格相場が高かったのは渋谷駅で6790万円。渋谷駅に比べると1位・東白楽駅は4010万円も安い結果となっている。

東白楽駅の周辺は静かな住宅地で、神奈川大学の横浜キャンパスをはじめ学校も多いので平日は学生の姿もよく見かける。東南方面へ10分も歩くとJR東神奈川駅があり、行き先に応じて2路線を使えるのが便利なところ。東白楽駅周辺にあるスーパーやコンビニのほか、東神奈川駅前の「イオンスタイル東神奈川」も日常の買い物の強い味方だ。

2位は価格相場が2990万円だった日吉(ひよし)駅。東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンラインも通っており、東急東横線は通勤特急・急行も停車する。また、2022年度には相鉄線との相互乗り入れ直通運転も予定されており、ますます便利に。同駅の中古マンションに対する注目度も今後は上昇するかもしれない。駅舎には食品や雑貨、家電のショップや飲食店が入った「日吉東急アベニュー」が併設され、駅西側にはにぎやかな商店街が広がる。駅東側に慶應義塾大学の日吉キャンパスがあり、学生向けの店も豊富だ。

3位は白楽駅で価格相場は3130万円。隣接する1位・東白楽駅と同様に神奈川大学横浜キャンパスの最寄駅でもあり、駅周辺には学生向けのリーズナブルな飲食店も充実している。白楽駅の西南方面には昔ながらのたたずまいを残した「六角橋商店街」が広がるほか、コンビニやスーパーも点在。休日は駅北側にある緑豊かな篠原園地と白幡池公園をのんびり散策し、リフレッシュするのもいいだろう。

慶應大学 日吉キャンパス(写真/PIXTA)

慶應義塾大学 日吉キャンパス(写真/PIXTA)

人気駅まで徒歩圏内の隣接駅は暮らしやすい穴場駅かも!?

東急東横線は東京都と神奈川県にまたがる路線だが、今回トップ10にランクインしたのはすべて神奈川県内の駅だった。そのうち最も東京都側に位置するのが神奈川県川崎市中区にある9位・新丸子駅で、駅北側を流れる多摩川を越えると東京都という立地だ。

新丸子駅の改札を出てすぐの場所には24時間営業の「東急ストア新丸子店」があり、駅の西側・東側共に商店街もあるので、日々の買い物には困らない。また、新丸子駅から東急東横線に1駅乗ると、再開発により人気が上昇した武蔵小杉駅へ。今回調査ではトップ10圏外だった武蔵小杉駅の価格相場は4780万円であり、新丸子駅より890万円高かった。両駅間は歩いても10分弱、距離にして500mほどしか離れていないので、価格相場がお得な新丸子駅周辺に住みつつ、武蔵小杉駅周辺の豊富な商業施設を利用するのもいいかもしれない。

武蔵小杉(写真/PIXTA)

武蔵小杉(写真/PIXTA)

少々意外な結果に思えたのは、JR各線に相鉄線、京急線、横浜市営地下鉄ブルーライン、みなとみらい線が乗り入れる一大ターミナルである8位・横浜駅よりも、10位・反町(たんまち)駅の価格相場のほうが高かったこと。駅周辺の発展具合で言えば横浜駅の圧勝で、横浜駅の隣りに位置する反町駅はどこか懐かしさが残る落ち着く雰囲気。とはいえ反町駅周辺もスーパーや飲食店はそろっている。日常生活は静かな反町駅で過ごし、休日は徒歩15分ほどの横浜駅周辺に遊びに出かける、というのもアリだろう。

さて、次回は専有面積70平米以上~100平米未満のファミリー向け物件の価格相場を取り上げたい。トップ10に都内の駅はランクインするのか……? どんな顔ぶれがランクインするのか、お楽しみに。

●調査概要
【調査対象駅】東急東横線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る。)
【調査対象物件】駅徒歩15分圏内、築年数40年未満、物件価格相場1200万~9000万円、専有面積40m2以上70m2未満、敷地権利は所有権のみ
【データ抽出期間】2019/1~2019/3
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

【カップル編】東急東横線沿線の中古マンション価格相場が安い駅ランキング

駅前の再開発が進行中で、今後さらに街の注目度アップが見込まれる渋谷駅。そんな渋谷駅から神奈川県屈指の繁華街である横浜駅まで全21駅を結んで走る東急東横線は、住みたい街として名前が挙がる駅を多く抱える人気路線だ。人気なだけに沿線にある物件の価格相場も高そうなイメージ……。 実際のところはどうなのか調査してみた。今回は専有面積40平米以上~70平米未満のカップル向け中古マンションの価格相場をご紹介しよう。●【カップル編】東急東横線沿線の中古マンション価格相場が安い駅TOP21
順位/駅名/価格相場/駅の所在地
1位 東白楽 2780万円 横浜市神奈川区
2位 日吉 2990万円 横浜市港北区
3位 白楽 3130万円 横浜市神奈川区
4位 大倉山 3280万円 横浜市港北区
5位 妙蓮寺 3285万円 横浜市港北区
6位 菊名 3315万円 横浜市港北区
7位 綱島 3499万円 横浜市港北区
8位 横浜 3694万円 横浜市西区
9位 新丸子 3890万円 川崎市中原区
10位 反町 3935万円 横浜市神奈川区
11位 元住吉 3980万円 神奈川県川崎市
12位 多摩川 4780万円 東京都大田区
12位 武蔵小杉 4780万円 神奈川県川崎市
14位 学芸大学 4980万円 東京都目黒区
15位 祐天寺 5480万円 東京都目黒区
15位 都立大学 5480万円 東京都目黒区
17位 自由が丘 5590万円 東京都目黒区
18位 田園調布 5690万円 東京都大田区
19位 中目黒 5815万円 東京都目黒区
20位 代官山 6780万円 東京都渋谷区
21位 渋谷 6790万円 東京都渋谷区

同じ路線でも全21駅で価格相場には4000万円以上の開きが!

東急東横線の全21駅のうち、カップル向け中古マンションの価格相場が最も安かったのは東白楽(ひがしはくらく)駅で2780万円。ちなみに21駅中で最も価格相場が高かったのは渋谷駅で6790万円。渋谷駅に比べると1位・東白楽駅は4010万円も安い結果となっている。

東白楽駅の周辺は静かな住宅地で、神奈川大学の横浜キャンパスをはじめ学校も多いので平日は学生の姿もよく見かける。東南方面へ10分も歩くとJR東神奈川駅があり、行き先に応じて2路線を使えるのが便利なところ。東白楽駅周辺にあるスーパーやコンビニのほか、東神奈川駅前の「イオンスタイル東神奈川」も日常の買い物の強い味方だ。

2位は価格相場が2990万円だった日吉(ひよし)駅。東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンラインも通っており、東急東横線は通勤特急・急行も停車する。また、2022年度には相鉄線との相互乗り入れ直通運転も予定されており、ますます便利に。同駅の中古マンションに対する注目度も今後は上昇するかもしれない。駅舎には食品や雑貨、家電のショップや飲食店が入った「日吉東急アベニュー」が併設され、駅西側にはにぎやかな商店街が広がる。駅東側に慶應義塾大学の日吉キャンパスがあり、学生向けの店も豊富だ。

3位は白楽駅で価格相場は3130万円。隣接する1位・東白楽駅と同様に神奈川大学横浜キャンパスの最寄駅でもあり、駅周辺には学生向けのリーズナブルな飲食店も充実している。白楽駅の西南方面には昔ながらのたたずまいを残した「六角橋商店街」が広がるほか、コンビニやスーパーも点在。休日は駅北側にある緑豊かな篠原園地と白幡池公園をのんびり散策し、リフレッシュするのもいいだろう。

慶應大学 日吉キャンパス(写真/PIXTA)

慶應義塾大学 日吉キャンパス(写真/PIXTA)

人気駅まで徒歩圏内の隣接駅は暮らしやすい穴場駅かも!?

東急東横線は東京都と神奈川県にまたがる路線だが、今回トップ10にランクインしたのはすべて神奈川県内の駅だった。そのうち最も東京都側に位置するのが神奈川県川崎市中区にある9位・新丸子駅で、駅北側を流れる多摩川を越えると東京都という立地だ。

新丸子駅の改札を出てすぐの場所には24時間営業の「東急ストア新丸子店」があり、駅の西側・東側共に商店街もあるので、日々の買い物には困らない。また、新丸子駅から東急東横線に1駅乗ると、再開発により人気が上昇した武蔵小杉駅へ。今回調査ではトップ10圏外だった武蔵小杉駅の価格相場は4780万円であり、新丸子駅より890万円高かった。両駅間は歩いても10分弱、距離にして500mほどしか離れていないので、価格相場がお得な新丸子駅周辺に住みつつ、武蔵小杉駅周辺の豊富な商業施設を利用するのもいいかもしれない。

武蔵小杉(写真/PIXTA)

武蔵小杉(写真/PIXTA)

少々意外な結果に思えたのは、JR各線に相鉄線、京急線、横浜市営地下鉄ブルーライン、みなとみらい線が乗り入れる一大ターミナルである8位・横浜駅よりも、10位・反町(たんまち)駅の価格相場のほうが高かったこと。駅周辺の発展具合で言えば横浜駅の圧勝で、横浜駅の隣りに位置する反町駅はどこか懐かしさが残る落ち着く雰囲気。とはいえ反町駅周辺もスーパーや飲食店はそろっている。日常生活は静かな反町駅で過ごし、休日は徒歩15分ほどの横浜駅周辺に遊びに出かける、というのもアリだろう。

さて、次回は専有面積70平米以上~100平米未満のファミリー向け物件の価格相場を取り上げたい。トップ10に都内の駅はランクインするのか……? どんな顔ぶれがランクインするのか、お楽しみに。

●調査概要
【調査対象駅】東急東横線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る。)
【調査対象物件】駅徒歩15分圏内、築年数40年未満、物件価格相場1200万~9000万円、専有面積40m2以上70m2未満、敷地権利は所有権のみ
【データ抽出期間】2019/1~2019/3
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している

マイクロブルワリーは地域を泡立たせる! 今こそ訪れるべき都内の名店3選

マイクロブルワリーとは小規模でビールを生産する醸造所のこと。1980年代のアメリカでブームが起こり、その後、ほかの国々にも広がっていった。

日本では1994年の細川内閣の時代に酒税法が改正。ビールの製造免許取得に必要な最低製造量が年間2000klから60klに引き下げられた。これにより、マイクロブルワリーの数が徐々に増え、日本全国でクラフトビールが誕生する。

そんなマイクロブルワリーが今、地域を盛り上げているという。どういうことなのか?

地域と密接に関わるクラフトビールが続々

今回、クラフトビールについて詳しく教えてくれたのは日本ビアジャーナリスト協会の木暮 亮さん(41歳)。木暮さんがクラフトビールにハマったのは7年前。川越の「COEDOビール」との出会いがきっかけだった。以降、全国で2000種類以上のクラフトビールを飲み歩いている。

木暮さんは協会のウェブサイトでも精力的に記事を執筆中(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

木暮さんは協会のウェブサイトでも精力的に記事を執筆中(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ビールの原料は麦芽、ホップ、水、酵母。それ以外の副原料は米、麦、トウモロコシなど、昨年の酒税法改正でいろんな食材を使えるようになったんです」

もともと地産地消の傾向が強いクラフトビールだが、さらに地域性を取り込みやすくなったということ。

「例えば、西船橋駅近くの『船橋ビール醸造所』では副原料に船橋名産のホンビノス貝を使ったクラフトビールを開発。貝のうま味成分がビールのコクを生むそうです。また、岩手の遠野醸造は副原料に特産品のハスカップを使用したヴァイツェン(白ビールともいわれる小麦の割合の高いもの)で地元とコラボしています」

2019年の今こそマイクロブルワリーに足を運ぶべきなのだ。クラフトビールを愛してやまない木暮さん、ビールの泡のように地域を盛り上げている東京都内のマイクロブルワリーを紹介してもらえますか?

「懐かしい昭和団地系」のガハハビール

最初に向かったのは「ガハハビール」(東陽町)。一度聞いたら忘れようがない店名だ。木暮さんいわく、「オーナーさんの豪快な笑い声から取ったそうですよ」

店は東陽町駅から徒歩5分、「南砂二丁目団地」の一角にある。江東区では初のビール醸造所だ。

1975年に入居開始した全6棟、2769戸のマンモス団地(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

1975年に入居開始した全6棟、2769戸のマンモス団地(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店の前ではオーナー・馬場哲生さん(41歳)が最高のガハハスマイルでお出迎え。

「ガハハ」と笑う「ガハハビール」のオーナー、馬場哲生さん。「暑い中、よく来てくれましたねえ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ガハハ」と笑う「ガハハビール」のオーナー、馬場哲生さん。「暑い中、よく来てくれましたねえ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店内には家族連れの姿も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店内には家族連れの姿も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

馬場さんは映画製作の仕事をしていたが、結婚を機に飲食業界に転身。「大好きで尊敬している」という高円寺の「エル パト」というアメリカンダイナーで飲んだクラフトビールが自身の店を出すきっかけになったという。

「同じ高円寺の『高円寺麦酒工房』で2年間勉強したのち、2017年6月にこの店をオープンしました」

さすが、団地にちなんでつくった「ダンチエール」もある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さすが、団地にちなんでつくった「ダンチエール」もある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

昼から飲めて本格的なフードも味わえる

とはいえ、出店に至る経緯は順風満帆ではない。

「実家がある東陽町でこの物件を見つけたんですが、免許申請から取得まで8カ月ぐらいかかりました。製造経験を聞かれたり納税記録を見せたり。6月にオープンしてビールを出せるようになったのが9月。店は走り出しているのに本当に免許が下りるのか、めっちゃ心配でした(笑)」

美味しいクラフトビールを出すのは当たり前。「ガハハビール」の特徴は11時オープンと、昼から飲める点。さらに、飲食店時代に培った料理の腕で本格的なフードを出す。

「サバのリエット」に「下町レバー」など、フードも手が込んでいる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「サバのリエット」に「下町レバー」など、フードも手が込んでいる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

満を持して注文したのは、各200mlの「飲み比べ3種セット」(1350円)と「刺身の盛り合わせ」(650円)。

ビールは左から「ダンチエール」「スマッシュエール」「恋焦がれ黒2019」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ビールは左から「ダンチエール」「スマッシュエール」「恋焦がれ黒2019」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

美しい味と書いて美味しい。まさに、この表現がぴったりだ。肉厚の刺身はカツオ、ヒラマサ、そしてボラの昆布締め。本気のやつだった。

団地が建つ前は電車の製造工場

「お客さんは基本的にビール目当てですが、途中で日本酒に移行できるのが他のビアパブにはないところ。団地に住んでいるおじいちゃんもいらっしゃいますよ」

なお、馬場さんのお母さんも強力な助っ人だ。この日は店内でレシートの整理をしていた。彼女によれば団地が建つ前は電車の製造工場だったそうだ。

「食べることが好きな子どもでした」と昔の馬場さんを振り返る(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「食べることが好きな子どもでした」と昔の馬場さんを振り返る(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

商店街のつながりは深い。

「住みやすいところですよ。スーパー、八百屋、クリーニング屋、酒屋、団地内でだいたいそろいますから。ランチでお米が切れたときは向かいのインド料理屋に借りに行ったこともあります(笑)」(馬場さん)

来店者には「ガハハビール」ならぬ「ガハハシール」を贈呈(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

来店者には「ガハハビール」ならぬ「ガハハシール」を贈呈(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ごちそうさま。ガハハビールは「懐かしい昭和団地系ビール」でした。

「昭島の地下深層水系」のイサナブルーイング

続いて向かったのは「イサナブルーイング」(昭島)。イサナとは『万葉集』に出てくる勇魚(いさな)、すなわち鯨のことだ。

店は昭島駅から徒歩3分の大師通り沿いにある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店は昭島駅から徒歩3分の大師通り沿いにある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店のロゴマークは、ビールを醸造するためのコニカルタンクと、昭島で200万年前の全身骨格が見つかった古代クジラ「アキシマクジラ」を組み合わせたもの。

洒落たダイナーのような店内(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

洒落たダイナーのような店内(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

オーナーの千田恭弘さん(35歳)は半導体の設計開発、航空宇宙防衛関連のセンサー開発という仕事を経て、2018年5月にこの店を開業した。

中央が千田さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

中央が千田さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小樽ビールの見学ツアーで開眼

クラフトビールに目覚めたきっかけは7年前の小樽旅行。小樽ビールの醸造所見学ツアーに参加したところ、たまたま客が千田さん一人。案内ガイドからマンツーマンでクラフトビールに関する講義を受けることができた。

「特に感動したのが、そこで飲ませてもらった麦汁。従来のビール感ががらりと変わりました」

大学時代はスターバックスでアルバイト。将来はカフェを開くのが夢だった。それが小樽旅行がきっかけでマイクロブルワリーに心変わりする。

ゲストビールも含めて常時10種類のメニューを用意(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ゲストビールも含めて常時10種類のメニューを用意(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「出店を決意したのは2017年の5月ぐらい。意外にもぽんぽんと話が進んで11月には物件が決まりました。12月の頭に物件契約、翌年1月に円満退職。会社の人とも未だに交流があって、今度、社の納涼祭に出店させてもらうんです」

子どもが小さいため、安定した会社勤めを辞めることに妻は不安だったそうだが、最終的には応援してくれたという。

前衛アートのような圧力計。これでビールの状態を管理する(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

前衛アートのような圧力計。これでビールの状態を管理する(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ビールの美味しさの秘密は水にもある

さて、注文したのは「吟醸ヴァイツェン 錠夏」Mサイズ(890円)。製造時に米麹を入れるため、芳醇なコメの香りが特徴の白ビールだ。

フードは昭島に餃子メーカーがあることにちなんだ「あきしま餃子」(490円)とイサナブルーイングのビールを使ったピクルス酢で漬け込んだ「野菜と卵のピクルス」(780円)。

黄金のトライアングルが完成(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

黄金のトライアングルが完成(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

千田さんはビールの美味しさの秘密は水にもあるという。

「昭島の水道水はすべて数十年かけて秩父山系から流れてくる地下深層水。この水が美味しいから昭島には蕎麦屋やわさび農家も多いんです」

醸造コーナーには千田さんが小樽で感動した麦汁の香りが充満(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

醸造コーナーには千田さんが小樽で感動した麦汁の香りが充満(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

なお、スタバのアルバイト経験が長かった千田さんはコーヒーも大好き。店のドリンクメニューに当然、コーヒーメニューもある。手動の装置で自家焙煎した豆を使用し、エアロプレスで入れるというこだわりようだ。

なかには日本初の「ホップ入りコーヒー」という気になるメニューも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

なかには日本初の「ホップ入りコーヒー」という気になるメニューも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ヨーロッパ放浪時に目にした小さな醸造所

最後にお邪魔したのは「ライオットビール」(祖師ヶ谷大蔵)。ライオットとは暴動の意だ。店名の由来が気になる。

駅から6、7分。商店街を抜けた住宅街の手前にある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

駅から6、7分。商店街を抜けた住宅街の手前にある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

開業は2018年4月。オーナーの江幡貴人さん(39歳)は板橋区の高島平出身。4年間勤めたIT企業を退職後、半年ほど一人でヨーロッパを放浪したという。

15時開店早々から地元の人に愛されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

15時開店早々から地元の人に愛されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ポルトガルのリスボンをスタートして、アイルランドのダブリンから帰国。ヨーロッパはまちのあちこちに小さい醸造所があって、しかもその地域でしか飲めない銘柄ばかり。とくにドイツ人はガバガバ飲みますね(笑)」

クラフトビールに興味を持った江幡さんは帰国後、さっそくマイクロブルワリーを開業するためのリサーチを始める。

サッカー好きでバルセロナの大ファンだという江幡さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

サッカー好きでバルセロナの大ファンだという江幡さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ビールの名前に曲名を冠している

「マイクロブルワリーを開ける物件って、規模といい設備といい、ラーメン屋と条件が同じなんですよ。だから、すぐ埋まっちゃう。ここは不動産屋さんからネットに出ていない物件を紹介してもらいました。もともとは接骨院だったみたいです」

ちなみに、「ライオット」はスラングで「すげえ楽しい」という意味があるらしい。

メニューを拝見(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

メニューを拝見(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

この店の特徴はビールの名前に曲名を冠している点。一番人気だという「サルベーション」(800円)を注文した。パンクバンド、ランシドの名曲だ。フードはこれまたオススメだという「チップス&伝説のサルサソース」(500円)。

「チップス&伝説のサルサソース」のソースは今はなき狛江のトルコ料理店の「伝説のレシピ」を再現(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「チップス&伝説のサルサソース」のソースは今はなき狛江のトルコ料理店の「伝説のレシピ」を再現(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「『サルベーション』はアメリカのシトラホップという柑橘系の香りが高いホップをたっぷり入れてつくっています。麦芽のテイストも濃い目で美味しいんですよね」

信号もない不思議な五叉路に人が集まる

ふと横を見るとヤングママがビールを飲んでいた。聞けば三軒茶屋からわざわざ来店したという。

子どもは現在2歳、十数年後には乾杯できる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

子どもは現在2歳、十数年後には乾杯できる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「世田谷線上町駅の世田谷百貨店というカフェのイベントでここのビールを飲みました。クラフトビールが好きでいろんなお店を回っているんです」とママさん。

江幡さんがこの物件を気に入った理由のひとつにすぐ目の前の五叉路がある。

「信号もない不思議な交差点で、何となく人が集まるように思えたんですよね。行き交う人々がちょっとした羽休めで寄ってほしい。そんな願いも込められています」

複雑な形状で道路が交差する(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

複雑な形状で道路が交差する(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

確かに眺めているだけで楽しくなる五叉路だ。

「サルベーション」の数式を見せてくれた

江幡さんによれば、ビールづくりは完全に理系の作業。クラウドに上がっている「Beer Smith」というツールを使う人も多いそうだが、彼はエクセルで計算式を構築する。なんと、先ほど飲んだ「サルベーション」の数式を見せてくれた。

意味は理解できないが緻密な作業だということは分かる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

意味は理解できないが緻密な作業だということは分かる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「煮沸した後の水量や糖分の比重を表す数値です。どの麦芽を何種類入れるかで出てくる糖の量と色が変わります。出た糖を酵母に食わせた最終的な残糖を出すとその差分でアルコール度数になる」

さらに、色味の強い麦芽を入れると色も濃くなり、ホップを入れる量とタイミングで苦味をコントロールしているという。すごい。

ごちそうさまでした。ライオットビールは「人が集まる五叉路系ビール」でした。

クラフトビールを通じて「交流の場」をつくりたい

美味しいビールを出す店があるまちに住みたい。ビール好きなら誰だってそう思うはずだ。マイクロブルワリーの存在が、まちの魅力を2倍にも3倍にも増幅させる。

3軒のオーナーに共通していたのはクラフトビールを通じて「交流の場」をつくりたいという思い。確かに、日本ビアジャーナリスト協会の木暮さんは「海外のマイクロブルワリーは日本の赤提灯のようなもの」だと言っていた。

なるほど。店主の個性とまちの特色を色濃く反映するクラフトビールは「交流の場」としてはもってこいかもしれない。

最後にもう一度。「ごちそうさまでした」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

最後にもう一度。「ごちそうさまでした」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

●取材協力
日本ビアジャーナリスト協会
※木暮さんの記事
ガハハビール
イサナブルーイング
ライオットビール

今人気のスポット「上野桜木あたり」誕生には、熱い思いがあった!

「上野桜木あたり」をご存じだろうか?上野桜木周辺という意味ではない。上野桜木あたりという名称の人気のスポットのことだ。街の住人はもちろん、国内外からの観光客が立ち寄る人気スポットとは、いったいどんな所か、どうやって創られたのか、探ってみた。
昭和レトロな空間に出会える路地周辺が「上野桜木あたり」

「上野桜木」は台東区の地名。江戸時代には、徳川家の菩提寺でもあった上野寛永寺の寺域で、隣接して谷中の寺町が続く。明治期に新たに住宅地になったが、今はむしろ、大正期や昭和初期の建物の面影が残る、懐かしさを感じる街並みを形成している。

JR日暮里駅から歩いて約10分。そんな上野桜木の住宅街を歩いていると、風情ある建物が並ぶ路地に出会う。そこが「上野桜木あたり」だ。街とのつながりや広がりを持つ、上野桜木周辺という意味も含んで、付けられたという。

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建物と一体化した路地には、椅子や火鉢スタンドが置かれ、座ってくつろげる空間になっている(撮影:飯田照明)

建物と一体化した路地には、椅子や火鉢スタンドが置かれ、座ってくつろげる空間になっている(撮影:飯田照明)

昭和13年(1938年)に建てられた三軒家はそれぞれ、路地に面した「あたり1」に「谷中ビアホール」が、路地裏であたり1の奥側「あたり2」には塩とオリーブオイルの専門店「おしおりーぶ」とベーカリー「VANER」がある。路地裏の井戸をはさんだあたり2の対面が「あたり3」で、賃貸住宅として住文化を引き継ぐほか、一部を「みんなのざしき」と呼ばれるレンタルスペースにしている。

配置図(上野桜木あたりの公式ホームページより転載)

配置図(上野桜木あたりの公式ホームページより転載)

最初に出迎えてくれたのは、あたり1の「谷中ビアホール」を運営する(有)イノーバー・ジャパン代表取締役の吉田瞳さん。お店の雰囲気に合わせて、吉田さんまたは店長(若女将)の守山莉澄さんのどちらかは着物で出迎えるそうだ。当初は住宅地の中の古民家に店を出すことを懸念する人もいたというが、昭和レトロな雰囲気を活かした店内装飾やここでしか飲めない「谷中ビール」をつくるなどの工夫が効を奏して、今では大人気の店になっている。

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「谷中ビアホール」代表取締役の吉田瞳さん。店内は昭和初期の風情を残すしつらえになっている。このカウンターは、ドラマ「僕とシッポと神楽坂」でコオ先生(相葉雅紀)が友達と飲む居酒屋としても使われた(撮影:飯田照明)

「谷中ビアホール」代表取締役の吉田瞳さん。店内は昭和初期の風情を残すしつらえになっている。このカウンターは、ドラマ「僕とシッポと神楽坂」でコオ先生(相葉雅紀)が友達と飲む居酒屋としても使われた(撮影:飯田照明)

次に訪れたのが「おしおりーぶ」。店内には、世界各国から集められた塩やオリーブオイル、ビネガーがずらりと並び、オリジナルドリンク「オリーブラテ」などの販売もしている。取材中も海外や国内のお客さんで狭い店内は人があふれるほど。店長の石塚恵美子さんによると「海外からのお客様がSNSにアップしたようで、それを見たという海外の方も多く訪れます。お土産用に商品を買われる方も多いですし、地元のリピーターの方も多いですよ」

井戸の右手があたり2。暖簾をくぐると「おしおりーぶ」の店内に行ける(撮影:飯田照明)

井戸の右手があたり2。暖簾をくぐると「おしおりーぶ」の店内に行ける(撮影:飯田照明)

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写真上/左手が「おしおりーぶ」。右の「VANER」は本日休業だが、ここで買ったパンや「おしおりーぶ」でテイクアウトした飲み物を路地裏の中庭(写真下)で飲食できる(撮影:飯田照明)

写真上/左手が「おしおりーぶ」。右の「VANER」は本日休業だが、ここで買ったパンや「おしおりーぶ」でテイクアウトした飲み物を路地裏の中庭(写真下)で飲食できる(撮影:飯田照明)

写真映えもする上野桜木あたりでは、あたり3の座敷と路地を、「みんなのざしき・ろじ」として貸し出している。お稽古や交流会などの集まりに利用できるほか、ロケ地としても利用できるのが特徴だ。

「みんなのざしき」の内部(撮影:飯田照明)

「みんなのざしき」の内部(撮影:飯田照明)

左手が「みんなのざしき」、奥は賃貸住宅として利用されている(撮影:飯田照明)

左手が「みんなのざしき」、奥は賃貸住宅として利用されている(撮影:飯田照明)

取材中に上野桜木あたりを訪れた家族に、話を聞いた。
地元ではないが、谷中銀座にはよく遊びに来るので、この場所を気にかけていたというご夫婦。お目当てだったベーカリーがお休みでちょっと残念だったが、せっかくなのでビアホールでランチを食べて帰るという。

犬のお散歩で訪れた地元のご夫婦は、ここが犬のお散歩ルートの一つだという。ここに来るとお店の人や訪れた人たちが可愛がってくれるので、それが分かっているワンちゃんが来たがるのだとか。ここに来たら路地の椅子で一休みしながらワンちゃんは井戸の水で、飼い主さんは谷中ビールでエネルギーを供給しているそう。

人気スポットになる背景には、仕掛け人がいた!

上野桜木あたりが注目されるようになった要因の一つに、2015年度のGoodDesign賞を受賞したことも挙げられる。「昭和13年築の三軒家の保存と改修・活用のバランスを大事に再生させたプロジェクト」である点が評価されたというが、それには仕掛人となったグループがいる。

そのグループの中心人物である、NPO法人たいとう歴史都市研究会(以下「たい歴」)の椎原晶子さんに話を伺った。

NPO法人たいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さん。大学時代に「上野・谷中・根津・千駄木の親しまれる環境調査」に関わったことから住み始め、この街の地域文化の継承に関心を持つようになった

NPO法人たいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さん。大学時代に「上野・谷中・根津・千駄木の親しまれる環境調査」に関わったことから住み始め、この街の地域文化の継承に関心を持つようになった

実は、谷中や上野桜木に数多く残っていた古い住宅や店舗、銭湯などの建物が、ここ数十年で急速に取り壊されて無くなっていった。こうした状況の中で、古い建物を残して町を再生していこう、という取り組みをさまざまな人が手掛けていた。平成12年(2001年)設立(2003年NPO法人化)の「たい歴」もそのひとつだ。

「たい歴」と「上野桜木あたり」のオーナーとの最初の接点は、“ドラマのロケ地”だった。テレビ局からいいロケ地がないかと相談されたときに、思いついたのがこの場所だ。というのも、椎原さんが見学会などでこの建物を訪れていて、そのころは住人がいたのに、徐々に住人が減っていく様を見て、再生の手伝いなどができないかと気になっていたという。

当時、オーナーはこの場所を離れていたので、近隣の方の紹介で連絡を取り、ロケについて相談したところ快諾を得て、ロケ地として使うことができた。ちょうどオーナー側も、土地の権利関係を整理して、三軒家とも法人で所有し、有効活用したいと考えていたところだった。

オーナーとしては、代々の家族が暮らした思い出のある建物をできれば残したいと考えていた。そこで「たい歴」は、建物保存修復の専門家、建築家や造園家、建物活用希望事業者とのチームをつくった。そこで協議した結果、建物と路地を隔てていた塀を取り除き、路地と一体となった交流スペースを創出し、それぞれの建物を改修して運用者に貸すなど、新しい魅力を付加するプランを提案したのだ。

別の団体からも建物の活用プランの提案があったようだが、「たい歴」の提案が通ったのは、椎原さんによると「ここに住みたい、商売を始めたいといった人たちを集めた交流会に、オーナー家族にも参加してもらったことで、この家や場所を大切にしながら実際に活用したいという人がいるのだという実感を持っていただいたことが、大きかったのではないか」という。

「たい歴」では、建物の調査をして改修プランを立て、活用したいという人や企業とのマッチングを行い、維持管理も請け負っている。ただ、マッチングについても、地元の人たちに配慮して厳選した。例えば、地元の人たちの「日常で買い物できる店が減っている」「焼き立てのパンが買える店がほしい」といった声を参考に、ベーカリーを優先した。オーナーや入居者とともに活用のガイドラインも設けた。例えば、住宅地でビアホールを開くことも、酔客が騒いで近隣に迷惑をかける可能性を減らすため、営業時間は入店20時(閉店20時半)までとした。店舗側も、大人数の団体の予約は入れないなどの配慮をしている。

こうした仕掛けで再生したのが、上野桜木あたりなのだ。

「カヤバ珈琲」「旧平櫛田中邸」など、地域に価値のある建物を保存して街に開きたい

「たい歴」では現在、5軒の建物を管理している。この5軒が、古い建物を改修して活用できることを知らせる実例となっている。人気の昭和レトロな喫茶店「カヤバ珈琲」もその一つだ。

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上:カヤバ珈琲外観(撮影:飯田照明)、下:看板も当時のもの(筆者撮影)

上:カヤバ珈琲外観(撮影:飯田照明)、下:看板も当時のもの(筆者撮影)

昭和13年(1938年)創業のこの店は、経営者が高齢になり閉店してしまった。近所の住人の憩いの場所だったので、ぜひ継続してほしいという声が上がった。そこで「たい歴」がこの建物を借り受け、この店で営業してくれる人を探して、カヤバ珈琲を復活させたのだ。

出桁造り(だしげたづくり)の町家の外観などを活かしつつ、看板や椅子、食器などもそのまま活用し、当時の面影を残しながら再生させた。なじみのメニューも復活した。卵焼きを使った「たまごサンド」やコーヒーとココアを混ぜた「ルシアン」は、いまでも人気メニュー。ただし、お店だけを再生するのではなく、街全体の活性化につながるように、谷中銀座周辺のお店の食材や商品を使ったり、谷中名産の生姜を使った「谷中ジンジャー」などを新たにメニューに加えたりもしている。

店内で人気メニューのたまごサンド(お皿手前)、たまごトースト(お皿奥)、ルシアンを注文した(筆者撮影)

店内で人気メニューのたまごサンド(お皿手前)、たまごトースト(お皿奥)、ルシアンを注文した(筆者撮影)


上野桜木に大正8年(1919年)に建てられた「旧平櫛田中(ひらくしでんちゅう)邸」アトリエも「たい歴」が管理協力している一つ。アートプロジェクト・マネジメントを行う一般社団法人「谷中のおかって」とともに芸術文化の創造交流拠点として維持活用管理を行っている。取材当日には、地元の芸術家などを紹介する展示イベント「SHINOBAZU WONDER12」の開催期間ということで、訪れてみた。

旧平櫛田中邸の外観。写真は住まい部分(撮影:飯田照明)

旧平櫛田中邸の外観。写真は住まい部分(撮影:飯田照明)

こちらは住まいの左側にあるアトリエ。「明治アーティストの離合聚散」と副題の付いたイベントでは、横山大観や岡倉天心など12人が紹介されていた(撮影:飯田照明)

こちらは住まいの左側にあるアトリエ。「明治アーティストの離合聚散」と副題の付いたイベントでは、横山大観や岡倉天心など12人が紹介されていた(撮影:飯田照明)

アトリエは、光が安定するように北側に天窓を設けた開放的な空間に(撮影:飯田照明)

アトリエは、光が安定するように北側に天窓を設けた開放的な空間に(撮影:飯田照明)

平櫛田中は著名な彫刻家で、歌舞伎好きの筆者も、国立劇場のロビーに展示されている六代目尾上菊五郎の像の作者として認知している。その平櫛のアトリエと住まいが保存され、通常は非公開だがイベント開催時には公開される。

旧平櫛田中邸は現在、出生地だった岡山県井原市が所有しているが、「たい歴」と「谷中のおかって」が維持保存活動に協力しており、イベント等の受け入れやボランティアによる定期的なお掃除会などを開いている。実は筆者も、建物見たさにお掃除会に1度参加したことがある。

「たい歴」が管理する建物にはほかに、「市田邸」(明治40(1907)年築の布問屋市田家の屋敷と蔵)、「間間間(さんけんま)」(大正8(1919)年築の町家で今は一階に「散ポタカフェのんびりや」が入居)がある。

「古い建物が空き家になって壊されてからでは遅い」と椎原さんは言う。そのためには、古い建物の所有者が悩んだときに相談できる環境を整えたり、地元の住人から情報が集まるネットワークを形成したりといったことが欠かせない。こうした地域の住人とのつながりがあるからこそ、人気スポットが誕生したのだろう。

●取材協力
・特定非営利活動法人たいとう歴史都市研究会
・上野桜木あたり

今人気のスポット「上野桜木あたり」誕生には、熱い思いがあった!

「上野桜木あたり」をご存じだろうか?上野桜木周辺という意味ではない。上野桜木あたりという名称の人気のスポットのことだ。街の住人はもちろん、国内外からの観光客が立ち寄る人気スポットとは、いったいどんな所か、どうやって創られたのか、探ってみた。
昭和レトロな空間に出会える路地周辺が「上野桜木あたり」

「上野桜木」は台東区の地名。江戸時代には、徳川家の菩提寺でもあった上野寛永寺の寺域で、隣接して谷中の寺町が続く。明治期に新たに住宅地になったが、今はむしろ、大正期や昭和初期の建物の面影が残る、懐かしさを感じる街並みを形成している。

JR日暮里駅から歩いて約10分。そんな上野桜木の住宅街を歩いていると、風情ある建物が並ぶ路地に出会う。そこが「上野桜木あたり」だ。街とのつながりや広がりを持つ、上野桜木周辺という意味も含んで、付けられたという。

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建物と一体化した路地には、椅子や火鉢スタンドが置かれ、座ってくつろげる空間になっている(撮影:飯田照明)

建物と一体化した路地には、椅子や火鉢スタンドが置かれ、座ってくつろげる空間になっている(撮影:飯田照明)

昭和13年(1938年)に建てられた三軒家はそれぞれ、路地に面した「あたり1」に「谷中ビアホール」が、路地裏であたり1の奥側「あたり2」には塩とオリーブオイルの専門店「おしおりーぶ」とベーカリー「VANER」がある。路地裏の井戸をはさんだあたり2の対面が「あたり3」で、賃貸住宅として住文化を引き継ぐほか、一部を「みんなのざしき」と呼ばれるレンタルスペースにしている。

配置図(上野桜木あたりの公式ホームページより転載)

配置図(上野桜木あたりの公式ホームページより転載)

最初に出迎えてくれたのは、あたり1の「谷中ビアホール」を運営する(有)イノーバー・ジャパン代表取締役の吉田瞳さん。お店の雰囲気に合わせて、吉田さんまたは店長(若女将)の守山莉澄さんのどちらかは着物で出迎えるそうだ。当初は住宅地の中の古民家に店を出すことを懸念する人もいたというが、昭和レトロな雰囲気を活かした店内装飾やここでしか飲めない「谷中ビール」をつくるなどの工夫が効を奏して、今では大人気の店になっている。

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「谷中ビアホール」代表取締役の吉田瞳さん。店内は昭和初期の風情を残すしつらえになっている。このカウンターは、ドラマ「僕とシッポと神楽坂」でコオ先生(相葉雅紀)が友達と飲む居酒屋としても使われた(撮影:飯田照明)

「谷中ビアホール」代表取締役の吉田瞳さん。店内は昭和初期の風情を残すしつらえになっている。このカウンターは、ドラマ「僕とシッポと神楽坂」でコオ先生(相葉雅紀)が友達と飲む居酒屋としても使われた(撮影:飯田照明)

次に訪れたのが「おしおりーぶ」。店内には、世界各国から集められた塩やオリーブオイル、ビネガーがずらりと並び、オリジナルドリンク「オリーブラテ」などの販売もしている。取材中も海外や国内のお客さんで狭い店内は人があふれるほど。店長の石塚恵美子さんによると「海外からのお客様がSNSにアップしたようで、それを見たという海外の方も多く訪れます。お土産用に商品を買われる方も多いですし、地元のリピーターの方も多いですよ」

井戸の右手があたり2。暖簾をくぐると「おしおりーぶ」の店内に行ける(撮影:飯田照明)

井戸の右手があたり2。暖簾をくぐると「おしおりーぶ」の店内に行ける(撮影:飯田照明)

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写真上/左手が「おしおりーぶ」。右の「VANER」は本日休業だが、ここで買ったパンや「おしおりーぶ」でテイクアウトした飲み物を路地裏の中庭(写真下)で飲食できる(撮影:飯田照明)

写真上/左手が「おしおりーぶ」。右の「VANER」は本日休業だが、ここで買ったパンや「おしおりーぶ」でテイクアウトした飲み物を路地裏の中庭(写真下)で飲食できる(撮影:飯田照明)

写真映えもする上野桜木あたりでは、あたり3の座敷と路地を、「みんなのざしき・ろじ」として貸し出している。お稽古や交流会などの集まりに利用できるほか、ロケ地としても利用できるのが特徴だ。

「みんなのざしき」の内部(撮影:飯田照明)

「みんなのざしき」の内部(撮影:飯田照明)

左手が「みんなのざしき」、奥は賃貸住宅として利用されている(撮影:飯田照明)

左手が「みんなのざしき」、奥は賃貸住宅として利用されている(撮影:飯田照明)

取材中に上野桜木あたりを訪れた家族に、話を聞いた。
地元ではないが、谷中銀座にはよく遊びに来るので、この場所を気にかけていたというご夫婦。お目当てだったベーカリーがお休みでちょっと残念だったが、せっかくなのでビアホールでランチを食べて帰るという。

犬のお散歩で訪れた地元のご夫婦は、ここが犬のお散歩ルートの一つだという。ここに来るとお店の人や訪れた人たちが可愛がってくれるので、それが分かっているワンちゃんが来たがるのだとか。ここに来たら路地の椅子で一休みしながらワンちゃんは井戸の水で、飼い主さんは谷中ビールでエネルギーを供給しているそう。

人気スポットになる背景には、仕掛け人がいた!

上野桜木あたりが注目されるようになった要因の一つに、2015年度のGoodDesign賞を受賞したことも挙げられる。「昭和13年築の三軒家の保存と改修・活用のバランスを大事に再生させたプロジェクト」である点が評価されたというが、それには仕掛人となったグループがいる。

そのグループの中心人物である、NPO法人たいとう歴史都市研究会(以下「たい歴」)の椎原晶子さんに話を伺った。

NPO法人たいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さん。大学時代に「上野・谷中・根津・千駄木の親しまれる環境調査」に関わったことから住み始め、この街の地域文化の継承に関心を持つようになった

NPO法人たいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さん。大学時代に「上野・谷中・根津・千駄木の親しまれる環境調査」に関わったことから住み始め、この街の地域文化の継承に関心を持つようになった

実は、谷中や上野桜木に数多く残っていた古い住宅や店舗、銭湯などの建物が、ここ数十年で急速に取り壊されて無くなっていった。こうした状況の中で、古い建物を残して町を再生していこう、という取り組みをさまざまな人が手掛けていた。平成12年(2001年)設立(2003年NPO法人化)の「たい歴」もそのひとつだ。

「たい歴」と「上野桜木あたり」のオーナーとの最初の接点は、“ドラマのロケ地”だった。テレビ局からいいロケ地がないかと相談されたときに、思いついたのがこの場所だ。というのも、椎原さんが見学会などでこの建物を訪れていて、そのころは住人がいたのに、徐々に住人が減っていく様を見て、再生の手伝いなどができないかと気になっていたという。

当時、オーナーはこの場所を離れていたので、近隣の方の紹介で連絡を取り、ロケについて相談したところ快諾を得て、ロケ地として使うことができた。ちょうどオーナー側も、土地の権利関係を整理して、三軒家とも法人で所有し、有効活用したいと考えていたところだった。

オーナーとしては、代々の家族が暮らした思い出のある建物をできれば残したいと考えていた。そこで「たい歴」は、建物保存修復の専門家、建築家や造園家、建物活用希望事業者とのチームをつくった。そこで協議した結果、建物と路地を隔てていた塀を取り除き、路地と一体となった交流スペースを創出し、それぞれの建物を改修して運用者に貸すなど、新しい魅力を付加するプランを提案したのだ。

別の団体からも建物の活用プランの提案があったようだが、「たい歴」の提案が通ったのは、椎原さんによると「ここに住みたい、商売を始めたいといった人たちを集めた交流会に、オーナー家族にも参加してもらったことで、この家や場所を大切にしながら実際に活用したいという人がいるのだという実感を持っていただいたことが、大きかったのではないか」という。

「たい歴」では、建物の調査をして改修プランを立て、活用したいという人や企業とのマッチングを行い、維持管理も請け負っている。ただ、マッチングについても、地元の人たちに配慮して厳選した。例えば、地元の人たちの「日常で買い物できる店が減っている」「焼き立てのパンが買える店がほしい」といった声を参考に、ベーカリーを優先した。オーナーや入居者とともに活用のガイドラインも設けた。例えば、住宅地でビアホールを開くことも、酔客が騒いで近隣に迷惑をかける可能性を減らすため、営業時間は入店20時(閉店20時半)までとした。店舗側も、大人数の団体の予約は入れないなどの配慮をしている。

こうした仕掛けで再生したのが、上野桜木あたりなのだ。

「カヤバ珈琲」「旧平櫛田中邸」など、地域に価値のある建物を保存して街に開きたい

「たい歴」では現在、5軒の建物を管理している。この5軒が、古い建物を改修して活用できることを知らせる実例となっている。人気の昭和レトロな喫茶店「カヤバ珈琲」もその一つだ。

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上:カヤバ珈琲外観(撮影:飯田照明)、下:看板も当時のもの(筆者撮影)

上:カヤバ珈琲外観(撮影:飯田照明)、下:看板も当時のもの(筆者撮影)

昭和13年(1938年)創業のこの店は、経営者が高齢になり閉店してしまった。近所の住人の憩いの場所だったので、ぜひ継続してほしいという声が上がった。そこで「たい歴」がこの建物を借り受け、この店で営業してくれる人を探して、カヤバ珈琲を復活させたのだ。

出桁造り(だしげたづくり)の町家の外観などを活かしつつ、看板や椅子、食器などもそのまま活用し、当時の面影を残しながら再生させた。なじみのメニューも復活した。卵焼きを使った「たまごサンド」やコーヒーとココアを混ぜた「ルシアン」は、いまでも人気メニュー。ただし、お店だけを再生するのではなく、街全体の活性化につながるように、谷中銀座周辺のお店の食材や商品を使ったり、谷中名産の生姜を使った「谷中ジンジャー」などを新たにメニューに加えたりもしている。

店内で人気メニューのたまごサンド(お皿手前)、たまごトースト(お皿奥)、ルシアンを注文した(筆者撮影)

店内で人気メニューのたまごサンド(お皿手前)、たまごトースト(お皿奥)、ルシアンを注文した(筆者撮影)


上野桜木に大正8年(1919年)に建てられた「旧平櫛田中(ひらくしでんちゅう)邸」アトリエも「たい歴」が管理協力している一つ。アートプロジェクト・マネジメントを行う一般社団法人「谷中のおかって」とともに芸術文化の創造交流拠点として維持活用管理を行っている。取材当日には、地元の芸術家などを紹介する展示イベント「SHINOBAZU WONDER12」の開催期間ということで、訪れてみた。

旧平櫛田中邸の外観。写真は住まい部分(撮影:飯田照明)

旧平櫛田中邸の外観。写真は住まい部分(撮影:飯田照明)

こちらは住まいの左側にあるアトリエ。「明治アーティストの離合聚散」と副題の付いたイベントでは、横山大観や岡倉天心など12人が紹介されていた(撮影:飯田照明)

こちらは住まいの左側にあるアトリエ。「明治アーティストの離合聚散」と副題の付いたイベントでは、横山大観や岡倉天心など12人が紹介されていた(撮影:飯田照明)

アトリエは、光が安定するように北側に天窓を設けた開放的な空間に(撮影:飯田照明)

アトリエは、光が安定するように北側に天窓を設けた開放的な空間に(撮影:飯田照明)

平櫛田中は著名な彫刻家で、歌舞伎好きの筆者も、国立劇場のロビーに展示されている六代目尾上菊五郎の像の作者として認知している。その平櫛のアトリエと住まいが保存され、通常は非公開だがイベント開催時には公開される。

旧平櫛田中邸は現在、出生地だった岡山県井原市が所有しているが、「たい歴」と「谷中のおかって」が維持保存活動に協力しており、イベント等の受け入れやボランティアによる定期的なお掃除会などを開いている。実は筆者も、建物見たさにお掃除会に1度参加したことがある。

「たい歴」が管理する建物にはほかに、「市田邸」(明治40(1907)年築の布問屋市田家の屋敷と蔵)、「間間間(さんけんま)」(大正8(1919)年築の町家で今は一階に「散ポタカフェのんびりや」が入居)がある。

「古い建物が空き家になって壊されてからでは遅い」と椎原さんは言う。そのためには、古い建物の所有者が悩んだときに相談できる環境を整えたり、地元の住人から情報が集まるネットワークを形成したりといったことが欠かせない。こうした地域の住人とのつながりがあるからこそ、人気スポットが誕生したのだろう。

●取材協力
・特定非営利活動法人たいとう歴史都市研究会
・上野桜木あたり

「タイニーハウス村」誕生!? 山梨県小菅村から未来の住まいを発信

アメリカ西海岸を中心に広がりを見せている「タイニーハウス」。日本でもブームの兆しを見せているものの、現在は個人での所有や商業施設で利用されるにとどまっています。しかし山梨県小菅村では、この10~25平米ほどの小さな住まいが続々と建てられているとか。小菅村がタイニーハウスに注目する理由とは? 現地に行ってみました。
タイニーハウスが住宅不足の救世主に?

東京都心部から車で2時間ほど、多摩川の源流部にある山梨県小菅村。村の面積の約95%を山林が占める大自然の中で、山の斜面を利用した畑作や、清らかな水を活用したヤマメやイワナの養殖などが行われています。時間がのんびりと流れ、ノスタルジックな雰囲気です。

山梨県小菅村、手前に見えるのがヤマメの養魚場(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

山梨県小菅村、手前に見えるのがヤマメの養魚場(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

村の人口は714人(2019年7月時点)、小菅村源流親子留学や多摩川源流大学、地域おこし協力隊などで村外の人も積極的に迎え入れています。今回、取材の対応をしてくれた一級建築士・技術士の和田隆男さん(トップ写真)も、もともとは地域おこし協力隊のひとり。25年前から小菅村役場、小菅村体育館などの村内の公共施設づくりに携わってきましたが、小菅村への地域貢献を本格化。山梨県甲府市のマンションと村内のタイニーハウスで二拠点生活を送り、72歳になった現在も村のために日々奔走しています。

そんな和田さんが中心となって3年前に始動したのが「小菅村タイニーハウスプロジェクト」です。タイニーハウスのデザインを全国から公募し、その中から最優秀賞や優秀賞に輝いたものも含め、年2~3棟のペースで建てています。3年目の現在、9棟が建ち、そのうち7棟は村営住宅として移住者や地域おこし協力隊へ貸し出されていて、2棟はモデルハウスとして利用されています。

この取り組みの背景には、移住者等の増加による住宅不足があると言います。

和田さんが3年前にこの現状を知ったときに思い出したのが、住宅不足が深刻化しているイギリスでの経験でした。ホームステイ先の庭先7坪ほどの場所でビジネスをするためのアイデアを求められた際に、日本のワンルームに着想を得た小さな家の提案をして興味を持たれたそうです。さらに、その後に日本で起きたタイニーハウスのムーブメントもあって、ますます実現してみたい気持ちが大きくなっていったそう。

「小菅村には豊富な森林資源があります。これを活用しつつ、住宅不足を緩和できる糸口になるのではと、まずは個人的に別荘を建てるつもりで設計していました。そうしたら村長に興味を持ってもらえて、地方創生事業として本格的に取り組めることになったんです」

百聞は一見にしかず。モデルハウス2棟と、和田さんが住んでいるタイニーハウスにおじゃましてみましょう。

暮らしに家を合わせるのではなく、家に暮らしを合わせる

和田さんいわく、タイニーハウスの条件は、トイレ、風呂、キッチンなどの家としての機能を完備している“快適な住まい”であること。設備込みで500万円前後から購入でき(土地代を除く)、建設期間は2カ月ほど。維持費もほとんどかからず、光熱費が年間1万4000円という人もいるそう。とても経済的です。

村では高齢化が進んでいることもあり、地区ごとに若い人に住んでもらうためにタイニーハウスを点在させて建築しています。

小菅村のタイニーハウス第1号では、住まいの最小単位を追求。「はじめは8畳一間で何ができるだろうと不安でした。50年近く仕事で設計に携わっているのに、イメージできなかったんです。ところがつくってみたら、狭さを感じないし、逆にほかに何が必要なの?と思うようになりました(笑)」(和田さん)

外にはデッキがあり、天気がいい日はここで朝食を食べたり、コーヒーでひと休みすることもできます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

外にはデッキがあり、天気がいい日はここで朝食を食べたり、コーヒーでひと休みすることもできます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

床面積13.2平米、ロフトの床面積は4.9平米と1.9平米、設備代込みの参考価格500万円(土地代を除く。販売はしていない)。真夏の訪問、ロフトはさぞかし暑かろうと思いましたが、エアコンをつけずとも家中に心地いい風が行き渡っていて、とても快適です。これも小さな家ならではのメリットかもしれません(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

床面積13.2平米、ロフトの床面積は4.9平米と1.9平米、設備代込みの参考価格500万円(土地代を除く。販売はしていない)。真夏の訪問、ロフトはさぞかし暑かろうと思いましたが、エアコンをつけずとも家中に心地いい風が行き渡っていて、とても快適です。これも小さな家ならではのメリットかもしれません(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

棚を兼ねた階段を登るとロフトが2つも。隠し部屋みたいでワクワクします。展示では就寝スペースにしてありましたが、書斎などの趣味スペースとして活用するのも楽しそう。シンプルだからこそ、想像力がかきたてられます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

棚を兼ねた階段を登るとロフトが2つも。隠し部屋みたいでワクワクします。展示では就寝スペースにしてありましたが、書斎などの趣味スペースとして活用するのも楽しそう。シンプルだからこそ、想像力がかきたてられます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2軒目は、リビング・就寝スペースがある主屋、トイレ・風呂がある水屋と、2棟に分割されたタイニーハウス。「家具は可動式。暮らし方は変化していくものですから、快適な間取りも変わっていくはずです。だから、はじめから間取りを決めてしまうのではなく、家具などで変えられるようにしました」(和田さん)

主屋の床面積9.4平米(ロフト別)、水屋の床面積4.5平米、ウッドデッキの床面積10.5平米、参考価格700万円(設備代込み、土地代を除く。販売はしていない)。1年目の最優秀賞作品(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

主屋の床面積9.4平米(ロフト別)、水屋の床面積4.5平米、ウッドデッキの床面積10.5平米、参考価格700万円(設備代込み、土地代を除く。販売はしていない)。1年目の最優秀賞作品(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

主屋と水屋の2棟をつなぐデッキには扉が付いていて、扉を閉めれば目隠しができます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

主屋と水屋の2棟をつなぐデッキには扉が付いていて、扉を閉めれば目隠しができます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ロフトは床面積4.0平米。クローゼット付き(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ロフトは床面積4.0平米。クローゼット付き(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

棚はキャスター付き、壁付けのテーブルは折りたたみ式(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

棚はキャスター付き、壁付けのテーブルは折りたたみ式(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

これらモデルハウス2棟は、今年中に民泊申請をする予定とのこと。実際にタイニーハウスでの暮らしを体験できるのが楽しみですね。

3軒目は和田さんのご自宅です。キッチン、トイレ、寝室、クローク、書斎、バスタブ付きの風呂場、2段ベッド付きの子ども部屋と、かわいらしいサイズ感の外見からは想像がつかないたくさんのスペースがあります。

床面積25平米(展望台別)、参考価格800万円(設備代込み、土地代を除く)。現在は和田さんが居住中(現在ほかに空き家なし)。1年目の優秀賞作品(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

床面積25平米(展望台別)、参考価格800万円(設備代込み、土地代を除く)。現在は和田さんが居住中(現在ほかに空き家なし)。1年目の優秀賞作品(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

玄関は人間用(左)と、ワンちゃん用(右)に分かれていて、ワンちゃん用の玄関からは土間続きに。「近所の人に、靴を脱がないまま気軽に『お茶を飲んでいきなよ』と言えるのが新鮮ですね」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

玄関は人間用(左)と、ワンちゃん用(右)に分かれていて、ワンちゃん用の玄関からは土間続きに。「近所の人に、靴を脱がないまま気軽に『お茶を飲んでいきなよ』と言えるのが新鮮ですね」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

甲府市では50平米の1LDKマンションに住んでいるという和田さんですが、ここ2年のタイニーハウスでの暮らしはいかがでしょうか?

「十分です。3歩以内で身の回りのことが何でもできます(笑)」

たくさん物があるから収納はたっぷり欲しい、家具をたくさん置きたいから広々としたスペースが欲しいと思いがちですが、タイニーハウスに住むことで足るを知る、ということでしょうか。

また、和田さんは以前から「大きい家はいらないという思いは持っていました」と言います。

「このタイニーハウスが、長年向き合ってきた住まいに対する僕のひとつの答えです。
僕もかつては大きな家を買うためにローンを払ってきました。無理をしてきた部分があったと思います。資産になる、家族のため、と思っていましたが、子どもたちとその大きな家で暮らしたのは15年ほど。子どもが家の中からいなくなって思ったのは、建設費が安く、維持費も少なくてすむ小さな家で、心軽やかにいろいろと好きなことをやったほうがいいなと」

そう話しながら和田さんは、こだわりのBOSEのスピーカーでジャズをかけてくれました。音が家中に反響して、まるで自分のためだけのコンサートホールのようです! 展望台にのぼると、大きな窓一面に山々の緑が広がりました。夜は満点の星空を見ることができるそうです。

2.0平米の展望台付き(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2.0平米の展望台付き(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「豊かさってこういうことなんだな、ということを実感しています。この先進的な小さな家では、精神的な豊かさを得られています。

僕も、おそらく建築業界の人も、住宅に対してあえて小さな家をつくるという発想を持っていませんでした。戦後から団地に見られる個室と浴室・トイレのついた2DKの田の字形プランがスタンダードになりましたが、昔は長屋や屋敷など、住まいの形はもっと自由でした。特に、鴨長明や良寛和尚などの偉人が山の中に建てた小さな庵は、タイニーハウスに通じるものがあります。

欧米では、地球温暖化防止や持続可能な社会実現のために、社会に対する自分の意志の表現や行動としてタイニーハウスで暮らす人々が増えていますが、日本人にとっても、思想として受け入れやすい住まい方なんですよね。

新しい暮らしに敏感な人がよく見学に来てくれています。今、求められているのはこういう精神的な豊かさが得られる暮らしだと思いました。

何より、小さな家なら自分の好きな空間を簡単につくることができて、楽しいんですよ。50年後、タイニーハウスが家のスタンダードになったら面白いですよね」

2年目からはタイニーハウスを小菅村産のスギでつくっているそうです。家を壊した後も自然に還りやすい素材でつくられているという点も、昔の庵と同じ。環境にも配慮されているんですね(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2年目からはタイニーハウスを小菅村産のスギでつくっているそうです。家を壊した後も自然に還りやすい素材でつくられているという点も、昔の庵と同じ。環境にも配慮されているんですね(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

タイニーハウスには“未来の家”の可能性が詰まっている

「タイニーハウスデザインコンテスト」の作品応募数は、1年目50、2年目126、3年目260と年々倍増しています。3年目となる今年の最優秀賞は、なんと女子高校生の作品。次世代の可能性を感じます。コンテスト1年目はタイニーハウスの可能性を探った作品、2年目は実現可能性が高い作品、3年目は住まいという概念を飛び越えた“未来の暮らし”を提案する作品が多かったそうです。

今年7、8月に3年間で応募された436作品が一堂に会する「森とタイニーハウスとものづくり展」が開催されました。展示作品をまとめた書籍を、今年中に発刊予定とのこと(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

今年7、8月に3年間で応募された436作品が一堂に会する「森とタイニーハウスとものづくり展」が開催されました。展示作品をまとめた書籍を、今年中に発刊予定とのこと(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2019年の最優秀賞作品『森を浴びる家』は2階建てテントのような建物。自然の明かりで目覚め、眠る。家からは温かい明かりが漏れる提案がされています。好きな場所で組み立て直すこともできます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2019年の最優秀賞作品『森を浴びる家』は2階建てテントのような建物。自然の明かりで目覚め、眠る。家からは温かい明かりが漏れる提案がされています。好きな場所で組み立て直すこともできます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

特別賞作品『散歩しながら暮らす家』は、2019年度中に建設予定とのことです。外からは中が見えづらいかわりに、中庭を部屋の一部として楽しめる空間になっています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

特別賞作品『散歩しながら暮らす家』は、2019年度中に建設予定とのことです。外からは中が見えづらいかわりに、中庭を部屋の一部として楽しめる空間になっています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

また、村の住民にも変化があったと言います。

「はじめは、『そんなちっぽけな家をつくることに意味があるのか』という声もありました。ですが、タイニーハウスを通じて若い人にも村自体に興味を持ってもらえるようになったことで、『村を良くすることに必要。そうしないと村の未来がない』と言ってくれる人も出てきました」

小菅村に「タイニーハウス・ビレッジ」が生まれる!?

現在はものづくりを楽しめる工房「小菅つくる座」での取り組みに力を入れているとのこと。タイニーハウス建設はいったんお休み?と思いきや、「タイニーハウスを進化させるための『小菅つくる座』なんです」と和田さんは話します。「タイニーハウスはスペースが限られていますから、既存の家具を入れることが難しい。だから、タイニーハウスに合う家具をつくることが必要だと考えました」

工房は事前予約すれば村外の人も使える。ハイスペックなCNCルーターやレーザーカッターも完備。8月3日には初のDIY教室が開かれた。今後も定期的に開催予定とか(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

工房は事前予約すれば村外の人も使える。ハイスペックなCNCルーターやレーザーカッターも完備。8月3日には初のDIY教室が開かれた。今後も定期的に開催予定とか(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ロッキングチェアをひっくり返すと安定性の高い作業用の椅子になる一石二鳥な家具や、バラバラにして移動しやすくした本棚やスツールなどを見せてもらいました。タイニーハウスで暮らす和田さんだからこその発想です。

写真はロッキングチェアモード。作業用の椅子にすると、自然と背筋が伸びる工夫がされています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

写真はロッキングチェアモード。作業用の椅子にすると、自然と背筋が伸びる工夫がされています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ゆくゆくはセルフビルドできるタイニーハウスキットの販売や、森の中にタイニーハウス・ビレッジをつくりたいと思っています。借りられそうな森は、もう目星がついているんですよ」

なんと夢のある話でしょう! 木漏れ日の美しい森で日々を過ごし、近くの温泉で癒やされる。そんな贅沢な暮らしが目に浮かぶようです。

写真は、自然共生型アスレチック施設「フォレストアドベンチャー・こすげ」がある森。こんな森の中にタイニーハウス・ビレッジが……(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

写真は、自然共生型アスレチック施設「フォレストアドベンチャー・こすげ」がある森。こんな森の中にタイニーハウス・ビレッジが……(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

バンで移動しながら暮らす「バンライフ」や、好きな地域で週末を過ごす「二拠点生活(デュアルライフ)」、定住しない暮らし方「アドレス・ホッパー」などが注目を集めています。いろんな場所におじゃまできるこれらの暮らしも魅力ですが、タイニーハウスでは理想の住まいの形にじっくり向き合うことができそうです。

“欲しい家”ではなく、“欲しい暮らし”を考えた先にあるのは、どんな住まいの未来でしょうか。

●取材協力
小菅村タイニーハウスプロジェクト