
10万8,000円 / 33平米
日比谷線・都営大江戸線「六本木」駅 徒歩5分
東京ミッドタウンまで徒歩6分。そんな都心にもかかわらず、起きてカーテンを開けた瞬間に広がる緑いっぱいの眺望は、毎日見ても飽きがこなそうです。
部屋から見えるのは、六本木の真ん中に位置する檜町公園の緑と高層ビル。ジョギングをする人、弁当を食べる人、昼寝をする人、目を凝らせば高層ビ ... 続き>>>.
圧倒的に不動産情報が多いですが。。。。
都市に暮らしていると感じにくい、大地に根差して「生きている」手ごたえ。今、都市部の農地や公園の一角、ビルの屋上などに、市民が参加し、農体験できる「都市型農園」が増加中だ。「都市型農園は、生の実感を取り戻せる場所」と語るのは、『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』(学芸出版社)の著者・新保奈穂美さん。都市型農園が増加している背景を事例とともに紹介する。
農園ブームで進む、都市のスキマ活用土に触れる機会がない都市での生活。都市型農園では、自分自身で自分の食べるものをつくることができる(画像提供/平野コープ農園)
新保さん(現・兵庫県立大学大学院の緑環境景観マネジメント研究科講師)が執筆した『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』。さまざまなケースの都市型農園18例を収録(画像提供/学芸出版社)
著書では、アーバンガーデニングや農的活動の場となる自宅外の空間を、都市型農園と呼んでいる。新保さんによると、都市型農園は、コロナ前から需要が増え始め、コロナ後は、利用申し込みが数倍になった農園があったり、民間の貸農園の数が拡大したりなどブームが高まっているという。
「地方移住などで若い世代の田園回帰の意識が高まっており、農を取り入れたライフスタイルが注目されつつあったところに、新型コロナウィルス感染症のパンデミックが起き、比較的安全な屋外の庭や貸農園で野菜や花を育てる需要が高まりました。SDGsや環境問題への関心の高まりから、社会や環境のために何かをやりたい人が増加し、その手段になっている印象です」(新保さん)
世界的にも、都市住民が都市の空間を活用して野菜や花を育てる活動「アーバンガーデニング」の人気が高まっている。日本では、開発により消えつつあった農的空間を、積極的に都市に取り入れようとする動きが出てきた。
日本の市民農園は、大正後期~昭和初期に、ドイツ発祥の区画貸し農園「クラインガルテン」をルーツとして始まり、1960年代ごろから現在のような市民農園が存在していた。従来の市民農園は、都市部の農家が所有する農地を、区画に分けて貸し出している農園を指す。農林水産省の発表によると、調査を開始した2002年以来、2017年~2018年に減少したほかは増加し続けており、2022年3月末時点で、全国に4235農園が存在している。
ドイツにあるクラインガルテンの区画の一例(画像提供/新保奈穂美さん)
アートとガーデンの融合で多様な住民同士の交流を活性化するドイツ・ベルリン市のグーツガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)
住民主導でマイノリティの居場所をつくったドイツ・ハノーファー市のシュペッサートガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)
「東京、横浜、神戸、福岡などの大都市で盛んで、農家や民間のスタッフが農を教える体験農園、利用者が自主的に運営するコミュニティガーデンなどバリエーションの幅も広がりました。今、野菜を育てるだけでなく、コミュニティの課題解決や持続可能なまちづくりのアプローチとして、注目されているのです」(新保さん)
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ここからは、具体的に全国の事例を見ていこう。
そもそも新保さんが、都市型農園の持つ可能性を強く意識したのは、東京大学の学生だった2009年に、クラインガルテンの研究のためオーストリアのウィーンを訪れた時のことだった。
「首都の都心部に農園があって、のんびり花に水をあげたり、ベンチに寝そべって日向ぼっこをする人々の姿が印象的でした。それまで、私にとって都市の生活は、ぎゅうぎゅうの満員電車で学校や職場に通うイメージでしたから、こんな暮らし方があるんだと、カルチャーショックを受けたのです」(新保さん)
以来、世界の都市型農園を訪れ、「都市における農」の研究に携わってきた。ヨーロッパを研究の舞台としてきた新保さんが、日本の都市型農園の研究に関わるきっかけとなったのは、「せせらぎ農園」との出会いだった。
東京都日野市の住宅地内にある「せせらぎ農園」は、2008年に設立された老舗の都市型農園だ。「せせらぎ農園」の特徴は、地域の生ごみを肥料として活用し、環境保全に貢献しながら、野菜やハーブの栽培が行われていること。設立者である佐藤美千代氏が農園設立以前に、市民団体「ひの・まちの生ごみを考える会」を立ち上げた経緯があり、障がい者支援を行うNPOなど地域のさまざまな主体と連携し、地域住民が集うコミュニティ拠点として成長してきた。利用者は60代が中心で、子育て世帯も参加している。
運営者は、市民団体「まちの生ごみ活かし隊」。活動日には、毎回、10~20人程度の利用者が集まり、生ごみを活用した農作物栽培などを行う(画像提供/せせらぎ農園)
軽トラックで地域から収集した生ごみを下ろす参加者(画像提供/新保奈穂美さん)
土壌還元作業に子どもと一緒に参加する利用者。障がい者施設に生ごみの発酵を促す竹パウダーの袋詰め作業を依頼するなど、多世代・多様な人々が関わる(画像提供/新保奈穂美さん)
廃家具を再利用した薫製箱でつくったチーズやベーコンにハーブを添えて(画像提供/新保奈穂美さん)
「せせらぎ農園」の農活動は、「援農」という農家の農作業を都市住民が手伝い、無償もしくは謝礼として農作物を得るというスタイルだ。「せせらぎ農園」を視察し、農作業を手伝った新保さんは、都市型農園の持つ可能性を実感したという。
「現代は、あらゆることが私たちの体から、切り離されています。食糧生産の場から離れた都市に暮らし、パソコンで仕事をしていると、自分の手で何ができるんだろう? という気持ちになってきます。草を取って、水やりをすると、だんだん野菜が育っていく。目に見えて成果が分かるのが、とても嬉しくて。都市の中に農と関われる場所がある大切さを再認識しました」(新保さん)
都市型農園の多くは、農家所有の農地を活用している都市型農園には、公園の一部やビルの屋上を活用する事例もあるが、多くは地元の人が所有する農地を利用している。都市型農園発展の転換期になったきっかけは、生産緑地法の改正と「都市農地の貸借の円滑化に関する法律」の制定だ。
大きく分けて都市には、市街化を促す市街化区域と市街化を抑制する市街化調整区域がある。従来の市民農園は、土地代が安く、比較的自由に貸し出ししやすい市街化調整区域に多かった。一方、市街化区域の農地では、1974年に生産緑地法が制定され、営農の継続を希望すれば、都市環境を保全するための生産緑地地区(以下、生産緑地)の指定を受けられるようになった。
市街化区域内の農地はいずれ住宅や商業地になるはずだったが、人口減少による需要減もあり、都市の環境保全の場として見直されている(画像提供/新保奈穂美さん)
「生産緑地の指定を受ければ、土地に対する課税が安くなるものの制限も多く、生産緑地指定を受ける農地は少なかったのです。ところが、1992年の法改正で、三大都市圏の特定市にある生産緑地指定を受けていない農地に対し、宅地並みの課税が実施されることに。生産緑地の指定を受ければ、固定資産税の軽減や相続税の納税猶予の措置が認められたため、生産緑地の指定を受ける農地が一気に増えました。しかし、指定を受けるには、30年間、所有者自らがそこで農業を続けることが条件。所有者以外の都市住民が耕作する都市型農園に生産緑地を利用するには、『せせらぎ農園』のように、援農が主流でした」(新保さん)
都市型農園の近年の発展は、2018年に「都市農地の貸借の円滑化に関する法律」が施行されたことが大きい。生産緑地に指定された農地を他人に貸して耕作してもらえるようになり、「援農」の形式に縛られず、多様な活用が可能になったのだ。農家でない市民やNPO、民間企業による市民農園の開設ができるようになり、農園内に、農産物の直売所や農家レストランを設けるなど、都市部の高齢者や子育て世代までさまざまな住民が関わる拠点として、期待が高まっているのだ。
公園の活用や防災・減災への貢献も最近では、農地以外の土地の活用も始まり、全国には、「ベトナム人住民が創る農園」(兵庫県姫路市)や「金町駅前団地コミュニティガーデン」(東京都葛飾区)など、異文化交流や地域活性化などさまざまな取り組みが行われている。その中からユニークな取り組みを紹介しよう。
公園の一角を再生した「平野コープ農園」
兵庫県神戸市にある「平野コープ農園」は、2021年4月に開設された比較的新しい都市型公園だ。市が管理していた低利用の公園に近隣住民が定期的に訪れる場所をつくろうと、神戸市経済観光局農水産課と建設局公園部が協働し、住民コミュニティの再生を目指す市の実証実験として誕生した。
コミュティ農園の入口に掲げられた看板。誰でも入れることや収穫物は自己責任で自由に食べていいことが書かれている(画像提供/新保奈穂美さん)
「全国でも珍しい公園を使った都市型農園です。皆のためにある公園を一部の人が主に利用するには、課題が多く、議論を重ねて実現しました。エディブルパーク(食べられる公園)がテーマで、ユニークなのは、誰でも入って収穫できるコミュニティ農園があること。ただ、人通りが少ない場所にあり、コミュニティ農園の利用はまだ少ない状況です。自分で区画を持ち野菜栽培を実践できる『学びの広場』の利用者は、30・40代の女性が多く、商店街の人たちと連携して、イベントを行ったりしています。子育て中は孤独を感じやすいので、地域の人と繋がる大切な場所になっているようです」(新保さん)
六甲山系の山裾にある平野展望公園内の約390平米を利用(画像提供/新保奈穂美さん)
多くの子どもたちも参加(画像提供/平野コープ農園)
地域活性化と過密な住宅地の防災に貢献「たもんじ交流農園」
地域活性化のために始めた都市型農園が、地域の防災の場になった事例もある。東京都墨田区の「たもんじ交流農園」だ。
墨田区たもんじ交流農園。地元野菜寺島なすのほかトマトやサトイモなどを栽培(画像提供/新保奈穂美さん)
「2017年に、現・寺島・玉ノ井まちおこし協議会(以下、てらたま)が、街を盛り上げるため、この地にルーツがある伝統江戸野菜「寺島なす」を活用するプロジェクトを立ち上げ、3年がかりでコミュニティ農園『たもんじ交流農園』をつくりました。約660平米の敷地に12の交流農園があり、農園利用者が使用する毎週日曜日以外にもいつでも誰でも入ることができます。もともと、このエリアは、木造住宅密集地域(木密地域)で、地震・火災の防災・減災対策が課題でした。都市型農園によるオープンスペースの創出が、結果的に、防災・減災対策に繋がりました。災害時には避難スペースになりますし、水やりに使っている雨水タンクは火消しにも役立ちます」(新保さん)
多聞寺の臨時駐車場を無償で借りてつくられた。12区画の交流農園のほか、ウッドデッキやピザ窯がある。画像は、てらたま提供資料に新保さんが加筆したもの(画像提供/新保奈穂美さん)
農園で収穫された寺島なすは、地域住民や飲食店に提供(画像提供/たもんじ交流農園)
そもそも、雨水タンクは、循環型農園を目指し、自然資源を活用した農作業を実現するために他の施設から使わなくなったものを譲り受けたものだが、結果として、防災にも生きている。「たもんじ交流農園」に限らず、続けるうちに、農体験から派生して、活動が複合的になっていくことが多々あるという。「いい感じに有機的につながっていくのが面白いところ」と新保さん。
著書の最後には、研究の原点となった「せせらぎ農園」を訪れた時のエピソードが書かれている。都市型公園の研究を続ける原動力ともなった大切な体験だった。
「『せせらぎ農園』の皆さんは、私が何者かも聞かずに、受け入れてくれました。『ここにいていいんだよ』と救われた気持ちがしたのです。こんないいところが、街のあちこちにあったらなあと。都市型農園が増えれば、私のように救われる人が増えるかもしれません」(新保さん)
新保さんが研究を通じて触れた「農のふところの深さ」。都市型農園がもっと身近になり、地域のハブとして、多世代・多様な人々を繋ぐ日は、そう遠くないのではと感じた。
●取材協力
・新保奈穂美さん
・『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』(学芸出版社)
三井不動産が東京・日本橋に、「好奇心を動かし探求と活動を生み出すオープンスペース 」を開設させた。なぜ、日本橋に交流拠点を開設したのかが気になるところだが、多彩なイベントを連日開催していると聞いて、参加してみた。その様子をレポートしよう。
【今週の住活トピック】
「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN」をオープン/三井不動産
オープンスペースの名称は「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN(以下、「+NARU NIHONBASHI」)」。NARU(ナル)は「成る」「為る」「鳴る」「生る」といった複数の意味が込められており、人や街に変化や動きを生み出すことを目指しているのだとか。
現地を訪れてみると、ガラス張りなので中の様子が見えて、開放的な印象を受けた。(記事冒頭のエントランス写真参照)目に入るのがコーヒースタンド(ドリンクは有料)で、カフェと間違える人もいるかもしれない。中に入るとコミュニティマネージャーが声をかけてくる。取材で訪れた旨を伝えると、三井不動産から委託され+NARU NIHONBASHIを運営している株式会社 GoldilocksのCEO川路武さんが施設を案内してくれた。
+NARU NIHONBASHIのコーヒースタンド(筆者撮影)
+NARU NIHONBASHIは、LINEで会員登録をすれば利用できる。実は、ラウンジが利用できるならと、筆者は既に登録していた。筆者のように日本橋には住んでも勤めてもいないけれど、日本橋のお蕎麦屋さんが定期的に開く落語会や三越劇場が主催する三越落語会など、趣味で日本橋をよく訪れるという場合でも登録はウエルカムだ。登録特典のLINEのコーヒークーポンがあったので、さっそく利用した。
このラウンジは、施設がオープン中であればいつでも利用できる。ラウンジ内にはいくつかのテーブル・椅子が置かれており、ノートパソコンを持ち込んでいる人がいた。よく見ると、テーブルごとにお勧めの本が置かれていたりボードゲームが置かれていたりして、本を読んだりゲームをしたりすることもできるようになっていた。滞在時間はどのくらいなのかを聞くと、短い人で1時間程度、長い人では半日ほどいるという。
+NARU NIHONBASHIのラウンジ(オープンスペース)(筆者撮影)
テーブルごとにテーマが設定されていることも(筆者撮影)
ほかにも登録会員であれば、ラウンジを区切った約10席のミーティングスペース(1000円/時間)を予約することもできる。また、ラウンジスペースはイベントスペース(10000円/時間)として誰でもレンタルすることができるが、登録会員が主体となった、日本橋に資する内容であると認められるイベントの場合には、メンバー価格(3000円/時間)で利用できるといった特典もある。日本橋で新しいチャレンジが生まれることを応援したいからだという。
+NARU NIHONBASHIにはミーティングスペースが2つある(筆者撮影)
コミュニティマネージャーが常駐しているのも特徴だ。利用者に声をかけて、コミュニケーションを取っているだけでなく、それぞれの持ち味を生かした多彩なイベントを開催している。その内容も、参加しやすい出会いの場づくりのものから、深掘りしたり自分磨きをしたりする手の込んだものまで、実にさまざまだ。
参加費用は、無料であったり、有料でも1000円程度だったりとリーズナブル。実費相当額程度なので、イベントで利益を得る構図ではないようだ。
いざ、ホットサンド作りに挑戦そうこうしているうちに、参加するイベントの開催時間となった。この日の朝には、すでにバリスタが教えてくれる「美味しいコーヒーの淹れ方講座」(会員参加費1000円|定員4名)が開催され、4名がいずれも通勤前に参加したという。互いに入れたコーヒーの飲み比べをして、味の違いを体感して盛り上がったそうだ。
筆者が参加した12:00~13:30の時間帯は、「コミュナルランチ~ホットサンドPress~」(参加費600円)が開催された。テーブルには、定番のレタスとハム・チーズから、和風のサバ缶と大葉・コーン、フルーツを中心としたスイーツ系までさまざまな具材が並べられ、自分がセットしたものを順番に焼いていくスタイルだ。筆者は、チョコレートソースにフルーツとマシュマロという甘々のセットにしたが、マシュマロが溶けてプレス機にこぼれ出し、大変迷惑をかけてしまった。
さて、参加者に話を聞いてみた。日本橋に勤務している50代の男性は今回のイベントが2回目の参加だ。どうせランチを食べるのならと、今回のホットサンドイベントに参加したという。サバ缶サンドが、あまりにおいしそうだったので、筆者の甘々サンドと半分交換してもらった。こうした交流ができるのもイベントならではだろう。
桐葉恵さん(20代)は、友達から面白いことをやっている場所があると聞いて、今回初めて参加した。この日は自宅でリモートワーク中だったので、ランチ代わりに寄ってみたという。スタッフも交えてワイワイ食事をするのは、知らない者同士でも気づまりすることがない。桐葉さんは、次は朝のラジオ体操に参加しようかと検討していた。
「コミュナルランチ~ホットサンドPress~」の様子(筆者撮影)
人気のイベントは「詳しくない趣味をシャベル会」!?多彩なイベントの中でも、参加者が多い人気企画の一つが「詳しくない趣味をシャベル会」。これまで4回開催して50名以上が参加したという。担当のダバンテス・ジャンウィルさんに詳しく聞いてみた。
趣味は何かと問われると趣味と言えるほどではないと躊躇してしまうが、「詳しくない趣味」なら気楽に好きなことやいつもしていることを話せるもの。「シャベル」としたのは話すことに加えて“掘る”という意味もあるそう。
では、これまでどんな「詳しくない趣味」が登場したのか。シュウマイやピザトースト、左官(実演付き)、無課金漫画を楽しむ、寝る前に怖い話を聞く、願望リストをいつも作る、といった趣味と言えるのかよくわからないものまで実にさまざま。なんでもありと言ってよいだろう。
会の具体的な展開はこうだ。初めにゲストプレゼンター数人が詳しくない趣味について説明する。それを聞いて、参加者はそれぞれ紙に自分の趣味(あるいは趣味のタネ)を書く。3人1組になってそれぞれが書いた趣味について語り合い、終わると別の3人で組んで同じように趣味を語り合う。そのときのルールは、相手の趣味の話を聞いて、通常より割り増しで感情を表現すること。最後に、誰の趣味が面白かったかのアンケートを取り、上位になった人には次のゲストプレゼンターになってもらう。こうして、参加者から次のプレゼンターが誕生するというユニークな仕掛けになっている。
この日の「+NARU NIHONBASHI」のスタッフたち(筆者撮影)
この他にも、施設を利用したり、イベントに参加した人たちのリレーションを活用したイベントが開催されている。その一つが「街中に屋台を出してみたい」という学生会員の声から生まれた「夜読書時間~ときどき屋台~」。軽食やドリンクを提供するお手製の屋台が登場し、読書イベントに花を添える。このような会員が発案するイベントも増やしたいということだ。
日本橋の街づくりにコミュニティの力を活かすさて、無料で会員登録ができ、会員になるとオープンスペースが利用でき、さらにミーティングルームやイベントスペースが低額で利用できる。そればかりではなく、筆者が体験したような気軽なイベントや「詳しくない趣味をシャベル会」のようなイベントまで、多彩なイベントが用意されている。会員には至れり尽くせりの交流拠点であることが分かった。
でも、場所を提供し、やりたいことをアシストしてくれるコミュニティマネージャーを常駐させることまでして、日本橋に交流拠点を置く理由はなんだろう。そこで、三井不動産 日本橋街づくり推進部 北村聡さんに話を聞くことにした。
日本橋の川沿いでは、他社も含め今後5つの再開発が予定されている。三井不動産は、歴史も文化もある日本橋の街づくりだからこそ、「共感・共創・共発」の考えのもとで、オープンな街づくりをしたいと考えているという。
この拠点に集まる人たちが、日本橋を好きになってアクションを起こすアシストをすることで、その人たちが将来的に、この街の課題を見つけたりそれを解決したりする人材となっていく。それは街づくりのプロでは思いつかないアイディアや手法だったりする可能性もあり、そうしたことを期待して、長期的にこの施設を運営していくということだ。
また、施設オープンから3週間で数百名が会員登録をしており、立ち寄った会員の7割近くが、日本橋徒歩20分圏内に勤務先や自宅がある人たちだという。今は個人会員を募集しているが、団体や企業登録などの選択肢も視野に入れている。地元の企業とのコラボレーション企画や日本橋を知るための地元研修の実施など、多くの可能性があるからだ。日本橋という立地とコミュニティ形成のノウハウを持つこの拠点なら、面白いことができそうだ。
●関連サイト
三井不動産ニュースリリース:コミュニティラボ「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN」をオープン
公式WEBサイト
家とは、生活の拠点であり、自分の心と体を休める場所。誰にでも住まい探しにはいろいろな要望があります。住まい探しに苦労が多い住宅確保要配慮者と呼ばれる人たちのサポートに積極的に取り組む岡山県倉敷の街の小さな不動産屋さん、LIXIL不動産ショップエステートイノウエでは、住まい探しに加え、自立・社会復帰のサポートにも力を入れています。支援を必要とする人に「入居できる」という最低限の選択肢ではなく「入居したいと思える」ような部屋を(複数の選択肢の中から)紹介する取り組みとその意義とは? 同店の曽我敬子さんに、話を聞きました。
「入居できる」ではなく、「入居したい」家に至ったきっかけとはLIXIL不動産ショップエステートイノウエは、桃や白壁が多い街としても知られる岡山県倉敷市にある、従業員4名の小さな不動産屋さん。そして住まい探しに困っている人たちに賃貸物件を紹介して、地域社会に貢献している会社でもあります。
きっかけは、およそ10年前に地域の生活支援センターから依頼を受け、住まい探しに困っている人のお部屋探しをサポートしたことでした。住宅確保要配慮者とは、障がい者や高齢者、一人親世帯、外国人など、住まい探しで不当な偏見や差別を受けたり、住宅そのものに特別な配慮が必要だったりと、一般の人に比べ、住まい探しに大変な思いをすることが多いのです。担当の曽我さんは月に約60件以上の相談をほぼ一人で対応しているそう。そして、2012年以来、住宅の確保に配慮が必要な人たちに住まいを仲介した実績は600件以上に上ります。
(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)
LIXIL不動産ショップエステートイノウエで居住支援を担当している曽我さんが、何人もの入居希望者と話していて感じたのは、「あなたに貸せる部屋はここしかない」と言われるのと、いくつかの選択肢の中から自分が選んだ部屋に住むのでは、入居した後の暮らし方が全然違うということです。
「住まい探しに困って相談にいらっしゃる人が希望されることは、例えば『職場に近い部屋が良い』だったり『ウォシュレット付きのトイレがある物件が良い』だったり。一般の人と変わりはありません。自分で気に入って選んだ部屋ならば、そこに長く住みたいと思うので、近隣とのトラブルは起きにくくなります。ですから、希望の部屋を選べるよう、少なくとも2件以上の物件をご紹介することを心掛けています」(LIXIL不動産ショップエステートイノウエ 曽我さん、以下同)
2023年には、地域の協力者とともに行うLIXIL不動産ショップエステートイノウエの居住支援スキームが高く評価され、国土交通省の「第1回 地域価値を共創する不動産業アワード」で優秀賞を受賞しました。住みたいと思える部屋の提供を目指すとともに、生活の立ち上がりの支援なども行って入居者の負担を軽減することが、高い入居率やトラブル発生防止につながると、曽我さんは話しています。
国土交通省の第1回地域価値を共創する不動産業アワードの居住・生活支援部門で優秀賞を獲得したLIXIL不動産ショップエステートイノウエの曽我さん(右から二人目)(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)
低家賃でも「住みたい部屋」を叶えるための支援多くの場合、住まい探しに困っている人たちが払える家賃には上限があります。その中で入居したいと思えるような、設備が充実した部屋を紹介するのは、なかなか困難です。
「倉敷市では、築浅の賃貸物件はハウスメーカー施工・管理のものが多いのですが、生活保護を受けている人の入居がOKなものがほとんどありません。オーナーさんがOKだとしても、入居後のトラブルを懸念する管理会社の判断でNGとなってしまうケースがあるのです。オーナーさんや管理会社に対して、支援者によるサポート体制があることやトラブルのリスクが一般の入居者と変わらないことを何度も説明し、お願いしていますが、どうしても受け入れてもらえないことがあります」
そのような人たちも入居でき、さらに快適に暮らせるよう、同社では自社で物件を購入してリフォームを施し、入居を希望する人に選択肢をつくる取り組みもしているとのこと。所有している物件は現在では9棟になるそうです。
自社でオーナーとなってリフォームを行い、外壁塗装など手を加え、見た目もキレイに(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)
「私たちのような小さな会社が自社で物件を購入して保有し続けるには、多額のお金も必要になるため勇気のいることです。しかし、これだけ理解を得られるよう頑張って説明しても入居が難しい人たちに住まいを提供するには、もう私たちがオーナーになるしかないと社長が決断しました。
低所得の人が多く、家賃を低く設定せざるを得ない分、利益は少なくなるかもしれませんが、気に入っていただければ長期で借りていただけることが多いので、事業として成立しています」
実際、購入時は30室中10室が空室だった中古の1棟物件が3カ月で満室に。そして全9棟(計80室)のうち、現在、空室はわずか2室のみだとか。その2部屋も、急きょ入居が必要な人が現れたときのための戦略的空室なのだそうです。
家賃を抑えつつ、住宅確保要配慮者が住みたいと思える部屋を実現。選択肢を増やす取り組みを行っている(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)
家財道具を持たない人にも設備の充実した住まいを。その仕組みとは支援を必要としている人たちは、さまざまな事情を抱えています。なかには家財道具を一切持たず、着の身着のままで部屋を探す人も。そのような状況でも入居者が安心して暮らせるよう、曽我さんたちはいろいろな工夫をしながら支援を充実させています。
その一つが、家財道具の提供です。入居する物件によっては、カーテンや照明器具がついていない部屋もあります。同社では、事業の一環で残置物(※)をそのままの状態で家ごと買取をすることがあり、ある一定の手順を踏んで、有用なものを社会福祉法人に声掛けをして、使えるものを渡したり、生活支援を必要とする入居者に提供したりしているそうです。
※入居者が貸主の許可のもと自らの負担で設置した設備や、家を売却する際に家具など使用していたものをそのまま撤去せず残していったもの
リユース可能な残置物や不要品は、社会福祉施設への寄付や生活保護者への再販のほか、社内で保管をして、必要な入居者に提供することもあるという(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)
その手順とは、以下のとおり。
1. 残置物のうち売主(物件のオーナー)や親族が引き取れるものは引き取ってもらう
2. 古物店やリサイクルショップを紹介して買い取ってもらう
3. 最終的に誰もいらないとなったものを支援団体に渡す
この方法は、それぞれの関係者によってニーズが異なることがポイントです。支援で必要としているのは、カーテンやタオル、石鹸など日々の生活で使うもので、売主や親族が必要とする貴金属類などではありません。また、古物店はアンティークのものを探していて、リサイクルショップは使用年数が約3年以内の比較的新しい中古品のみを引き取ってくれます。それ以外の中古品は引き取ってくれないので、結果的に残ったもののなかに支援に使えるものがあるというわけです。
オーナーや売主から不要なものを引き取り、活用していく仕組み。電気店や古物店など、協力者の存在も大きい(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)
「例えば、中古のエアコンを素人が取り外すのは大変です。そこで、協力してくれる電気店に依頼して取り外してもらって、必要とする人に提供します。基本的に現在ご協力いただいている電気店さんはその作業を無償でやってくださるのですが、生活保護を受けている人は家具什器(じゅうき)代が倉敷市から支給されます。そのため、必要とする人に安く再販売することで、そこから電気店にわずかでも費用を支払うことができるという仕組みです」
支援が必要な人とオーナー、両面からのアプローチが必要曽我さんのところには、社会生活に困難を抱えている人たち(生活困窮者やひきこもりなど)の相談窓口である倉敷市の「生活自立相談支援センター」や、一時的避難施設であるシェルターを運営する「倉敷基幹相談センター」のほか、数々のNPO法人や同業の不動産会社からも入居できる物件がないか、相談が寄せられるそう。
居住支援では、支援が必要な人の不安を取り除くことと、オーナーや管理会社の不安を取り除くことの両面からのアプローチが必要だと、曽我さんは話します。
「支援が必要な人の不安を取り除くためには『気持ちに配慮した距離感』が必要です。住まいのご希望や転居理由などについては詳しくヒアリングしますが、住まいのマッチングに必要のないことにはできるだけ触れないようにしています。ヒアリングでは必ず各センターの支援員さんを通して話すようにし、直接相談者さんに連絡することはありませんし、お申し込みに至るまで、私から相談者のお名前や障がいの内容、借金の有無などを聞くこともありません」
親身に住まいの希望を聞くが、プライベートな話には立ち入らないように配慮して、相談者の不安を和らげることが大切(画像/PIXTA)
「一方、入居後の近隣とのトラブルや滞納などを不安視するオーナーさんや管理会社に対しては、きちんと説明をしないと、後からだまされたと感じてしまわれたり、一度でもトラブルなどの対処で失敗してしまったりすると、二度と協力していただけない可能性があります。安心して任せていただくためにも、家賃保証会社の利用は必須です。そして、Face to Faceのコミュニケーションを大事にしています」
正しい知識を持ってより詳細な情報を伝えられるよう、曽我さん自身、FP(ファイナンシャルプランナー)や不動産コンサルティングマスターの資格を取得して知識向上にも努めてきたそうです。
「私がやらなければ困る人がいる」10年以上にわたる支援で見えてきた成果街の小さな不動産会社が住まいだけでなく、家財道具やメンタル面にも踏み込んだ居住支援を行うのは簡単なことではないでしょう。曽我さんは「私がやらなければ、誰もやる人がいない。私がやらなければ、困る人たちがいる」という思いに突き動かされ、気がつけば10年以上が過ぎていたと言います。そして、曽我さんの周りの支援環境は少しずつ変わってきているようです。
「ここ数年で大きな支援団体だけでなく、大小さまざまな団体や、市の職員の方から直接お問い合わせをいただくことが多くなっています。支援は私一人ではとてもできることではありません。行政や地域の企業、オーナーさんなどさまざまな方たちとの連携によって、住宅確保が困難な人たちにも住み心地に配慮した住まいの提供が持続的に可能となったのです」
支援者やオーナーと密に連絡を取り、要支援者の暮らしをサポートしている(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)
さらに、ほかにもいろいろな成果があると曽我さんは話します。
「オーナーさんへの説得や不安解消にと勉強したことが、今とても役立っていると思います。
建築の知識が身につき、お部屋を見に伺ったときにアドバイスなどもするようになった結果、自社管理物件以外の物件のオーナーさんにも顔を覚えていただき、直接、外壁塗装やリフォーム工事の依頼を受けるようになりました。2022年にはリフォームだけでおよそ1000万円を売り上げています。不動産売買のご相談も増え、自社所有物件については、ほぼ満室が続く状態です」
居住支援を継続していくには、収益についても考えていかなくてはなりません。
「そこが本当に大変なのですが、これら居住支援以外の事業収益とトータルでなんとかバランスをとっている」そうです。
「私がやらなかったら誰もやる人がいない、私がやらなければ困る人たちがいる」という想いに突き動かされて、10年以上居住支援に携わってきたという(画像提供/LIXIL不動産ショップエステートイノウエ)
2012年に生活困窮者への住まい斡旋(あっせん)を始め、2019年には家財道具の提供や自社物件への入居と居住支援に幅を持たせてきたLIXIL不動産ショップエステートイノウエ。街の不動産屋さんや電気屋さん、古物商など、私たちの近くにもありそうな普通のお店がタッグを組むことで「ここまでできるんだ」ということを見せられた気がします。
そもそも、入居できる部屋がなかなか見つからないからといって、どんな部屋でもいいわけではないのは当然のこと。入居を検討する人の希望が叶う「住みたいと思える部屋」は長期入居につながり、空室の解消や近隣とのトラブル回避だけでなく、入居する人の前向きな気持ちを引き出すことにも大きく貢献できるのだと感じました。
●取材協力
LIXIL不動産ショップエステートイノウエ
団地を現代の暮らしに合うようリノベーションし、活用する。この10年ですっかり暮らしの選択肢として当たり前になった「リノベ×団地」ですが、その地位を不動のものにしたのが、ブルースタジオが手掛けた「ホシノタニ団地」(神奈川県座間市)ではないでしょうか。2021年、そのホシノタニ団地の周辺を再整備したといいます。建物だけでなく、地域までリノベした物語を教えてもらいました。
1965年築の団地。リノベ後は高めの家賃設定でも人気をキープ「住みたい街ランキング」や「住み続けたい街」の常連である、横浜市や湘南エリア(藤沢市鵠沼など)がある神奈川県。県内中央部では、近年、海老名駅周辺の再開発が進み、注目を集めています。そんな花形の街に囲まれているのが、座間市です。小田急線では新宿駅まで50分ほど、各駅停車の「座間駅」と「相武台駅」があります。
座間駅前を別の角度から見たところ。「ざま」の凧が目をひきます(写真撮影/嘉屋恭子)
2015年、この「座間駅」の徒歩1分の場所にあった小田急電鉄の社宅をリノベして誕生したのが、「ホシノタニ団地」です。小田急電鉄とブルースタジオが手掛けた団地再生プロジェクトは注目を集め、東京都心からも入居希望者が殺到するという人気物件へと生まれ変わりました。2023年現在でもその人気は健在で、家賃は7万5000~10万円を維持しているといいます。座間駅周辺の家賃相場は4~6万円台といいますから、その強気の賃料設定がわかるというもの。しかも今なお、入居希望者は絶えないといいます。まずは今から約10年前、リノベ前の座間の状況を、ブルースタジオ専務取締役、クリエイティブディレクターの大島芳彦さんに話を聞きました。
リノベ前の姿。「立入禁止」の看板が掲示されています(写真提供/ブルースタジオ)
「開発着手前、座間駅前には小田急電鉄の4棟の社宅があったんですが、旧耐震基準の建物ということもあり、駅前すぐの2棟は使われておらず、敷地は立ち入り禁止の状態でした。駅徒歩1分の場所に閉鎖された建物があると、雰囲気がぐっと重くなるんですね。駅前、街そのものにマイナスのイメージを与えてしまっている状態でした」と言います。
駅前の商業施設の奥に見えるのがホシノタニ団地(写真撮影/嘉屋恭子)
地形や住んでいる人から街の価値・魅力を再定義する社宅の閉鎖を含め、いわば負のスパイラルに陥っていた座間ですが、建物をリノベする前に、まずは街の価値を再定義・再発見するところからはじめた、と大島さんは言います。
現在のホシノタニ団地の様子。緑と外壁の焦げ茶が美しく調和(写真撮影/嘉屋恭子)
「座間は市の東部に相模原台地、西部には相模川に沿った沖積低地があって、起伏に富んだ地形です。駅北側には里山の風景が残る『谷戸山公園』があり、歴史をさかのぼっても人類が暮らしてきた、住みやすい土地であることがわかります。また、半径200~300mの人口動態調査を行うと実は子育て世帯がとても多く居住している。これは周囲の街や駅と比べて、家賃がリーズナブルという点が大きいのでしょう。あわせて、新宿まで通勤圏だったこともあり、仕事を引退した元気な高齢者も居住している。だけど、街のなかに集ったり交流したりする場所がない。駅前は、前述の通り、重い雰囲気で人が集う場所じゃない。だからこそ、駅前の団地を都市公園のように地域の人にひらいて、広場をつくろうと。ホシノタニ団地は、そもそものスタート地点がココにあるんです」(大島さん)
団地の一部にできた農園(写真撮影/嘉屋恭子)
なんと、団地をリノベする時点でそこまで思い描いていたとは……。一般にリノベというと、見た目にどれだけ変わったかに目を奪われてしまいますが、本質的には「街の持つ力」や「建物の持つ強み」「課題」を明確にして、強みを最大化するという作業なんですね。建物や建築、デザインの影響力の大きさを感じます。
座間の持つポテンシャルがわかった大島さんたちは、近未来の街ビジョンとして、『こどもたちのための駅前広場のあるまち座間』と設定、行政にもかけあって「ホシノタニ団地」内に子育て支援施設「ざまりんのおうち かがやき」を誘致しました。あわせて「人と人をつなぐ団地」「人と街をつなぐ団地」を掲げ、団地の敷地内に会員制サポート付き貸し農園、ドッグラン、カフェなどをオープンさせました。すると、案の定、見えなかった座間市民の姿が見えるようになったのだといいます。
農園、団地の一階には喫茶ランドリーがある。風が心地よいテラス席がおすすめ(写真撮影/嘉屋恭子)
「ハタムスビ」と名付けられた農園(写真撮影/嘉屋恭子)
子育て支援施設からは子どもの声が聞こえる。いいですよね、子どもの声って(写真撮影/嘉屋恭子)
「農園やカフェ、子育て支援施設など、街の人たちが集える場所があると、今までいなかった、座間に暮らしていた人の姿が見えるようになるんです。もともと駅前だから人が来る『結節点』の役割ももっている。そこに来る人たちが楽しそうに子育てしたり、緑の手入れをしていると、また人が寄ってくるじゃないですか(笑)」と大島さん。
もちろん、冒頭で紹介した通り、「ホシノタニ団地」の住まいにも入居希望者が殺到。暮らす人が増えると商店も増え、交流が生まれて、新しいカルチャーが醸成されていく……。団地リノベによってこうして「正のスパイラル」が生まれたのです。
団地の一部は市営住宅に。緑に囲まれているのでシームレスなのもすてきです(写真撮影/嘉屋恭子)
生まれ変わったのは団地じゃない、座間駅や街そのもの「ホシノタニ団地」が成功したことで、座間の街に活気、人の姿が戻ってきました。そこで今回の本題である「座間駅前広場」の再整備に着手したのだといいます。
「先程も紹介したとおり、団地のリノベ時から、商業施設の衰退や街の元気のなさは、ずっと気になっていたんです。そのため、商業施設含めて、建物の修繕が発生するタイミングを見計らって、駅前一帯の活用を提案しました。それまで駅前にドーンって、駐輪場があったんですよ。よくある郊外の駅前の風景かもしれませんけれど、これは駅を通り過ぎる場所としてしか認識していないからのデザインですよね。住む人のためになっていない」と大島さん。
座間駅前にできたベンチと植栽。カフェがあるので、コーヒー片手にぼんやりできます(写真撮影/嘉屋恭子)
郊外の駅は座間に限らず、どこも同じ設計となっていることが多いでしょう。もちろん、駅近くに必要な施設や設備は、人や世代によって異なり、交通の要衝としてバスの発着場やロータリー、駐輪場も必要ではありますが、住む人、歩く人を中心に考えたとき、よいデザインかというと、実はそうとは言い難いもの。人が集まる駅前だからこそ、自然にいたくなる/過ごしたくなる/交流したくなる、緑やベンチのようなユーザーフレンドリーな設備やデザインのほうが、価値は高いように思います。
「今回は、建物全体のサインやビジュアルの統一、駐輪場だった場所を緑広がる庭『ざまにわ』と商業施設内にあるレンタルスペースを『ざまのま』としての整備を行いました。団地の延長上というかあえて、敷地の境界をぼかすことで、『みんなの中庭』『みんなの仕事部屋』という設計。住む人、駅前にいる人に居場所をつくるデザインです」と大島さん。
「ホシノタニ団地」や座間駅前のこうした再整備は、沿線の開発を行っている小田急電鉄、商業施設を運営している小田急SCディベロップメントなどにも、大きな印象を残したようです。
「ホシノタニ団地の建物は、もともと小田急電鉄の社宅ということもあり、現在の電鉄の役員の方々も、新人のころにお住まいだったようです。『俺は座間の価値を知っていたよ』なんていわれたこともあります(笑)」と大島さん。眠っていた価値を発掘するのは、やはりリノベならではのおもしろさではありますよね。
小田急SCディベロップメントの担当者によると、思わぬ波及効果があったそう。
「まず、駐輪場をロータリー内に配置したことで無断駐輪は明らかに減りました。また建物、敷地などが一新されたことにより、早朝のゴミ拾いやベンチ清掃など地元のボランティアの方たちが以前にも増して活動して下さるようになりました」
座間駅前のロータリーの様子。外観が統一され、おしゃれな印象に(写真撮影/嘉屋恭子)
なるほど、統一感あるキレイな空間ができると、汚しにくくなるというか、キレイにしたくなるのが自然な行動なんですね。地域の人を結びつける働きもありそうです。
「座間だけに限らず、高度経済成長期に建設されたニュータウンや建物は孤立化、高齢化が進んでいます。でも、交通や商業施設、医療施設などが集積した駅前は住む人たちのハブ、中心地、拠点となる可能性があるんです。価値が眠っているといってもいい。それを居場所として整備する。それが私たちの仕事でもあるんです」(大島さん)
実際に駅に行ってみると、駅周辺に木々や広場、憩いの場があり、「なんだか居心地がいい」「おしゃべりしたくなる」というのがよくわかります。ほかにも、駅の観光協会区画はレンタルスペースとして「ざまのま」が誕生しましたが、利用者からは駅近で使いやすくとても好評だとか。現在は英会話教室などのスクールもはじまったそうで、地域に必要な場所として活用されているといいます。
植栽が豊富なため、手入れには専門の業者が入っていて、座間の名物でもある「ひまわり」を多く植栽しているといいます。そういえば、座間には首都圏では55万本のひまわり畑という名物がありますが、これにあわせて、昨年は「イルミネーション」を実施したそう。こうして見ると、座間の人、地元の人自身が、地元の良さを発見していくという利点もある気がします。
人口減少、高齢化、人々の孤立化、今まであったコミュニティの機能不全、空き家の増加。座間で起きている問題は、今、日本中で起きている問題でもあります。「ホシノタニ団地」「ざまのま」「ざまにわ」は単なる「成功したプロジェクト」ではなく、成熟した今の時代に必要なディベロップメント、処方せんなのではないでしょうか。
●取材協力
ブルースタジオ
「住みたい街ランキング」広島県版/広島市版が3年ぶりに発表された。広島駅周辺の再開発や広島市中区のサッカースタジアムの建設など、大きな開発案件が進行中の広島。ここ数年内の完成を控えた開発が多く、工事が着々と進むなか、住民の期待値も増している。そんな中での調査で、広島に暮らす人が「住みたい街」として挙げたのはどんな街なのか、調査の詳細をチェックしてみよう。
「住みたい街(駅)ランキング」、新駅ビルが2025年春に完成予定の広島駅が1位に!「住みたい街(駅)ランキング」で、2位以下に大差をつけて1位になったのは広島駅。現在、駅ビル及び駅前広場の工事が行われており、2025年には新駅ビルがお目見え予定だ。2階部分に広島電鉄の路面電車が高架で乗り入れる計画で、それに伴って駅前大橋を直進する新たな鉄道路線も整備中。完成後には駅前の風景は大きく様変わりしそうだ。
工事が進む広島駅南口の様子。奥がホテル棟で、手前の低い建屋の横に、路面電車が乗り入れる部分がつくられる。2023年3月撮影(画像/PIXTA)
建て替え後の広島駅新駅ビルと南口広場、路面電車「駅前大橋線」のイメージ(画像/JR西日本) ※完成予想図(パース)は計画時・完成前イメージのため、実際とは異なる場合がある
広島駅はJRの山陽新幹線と山陽本線、可部線、芸備線、さらには広島電鉄の各路線が乗り入れるターミナル。広島空港方面へのリムジンバスを始め、各方面への高速バスや路線バスの起点でもあり、駅の北側には、山陽自動車道に接続する広島高速5号線の整備も進む。まさに広島の陸の玄関口だ。
さらに、駅前の「エールエールA館」には中央図書館の移転計画があり、駅東側のフタバ図書跡地にはアパホテルによる高層ホテル、駅の北側では住友不動産ほかによるマンションや商業施設などの複合施設の計画も発表されている。新駅ビルにはホテルやシネコン、商業施設や駐車場なども予定されており、広島駅周辺の暮らしはますます充実したものになりそうだ。
広島駅は広島東洋カープの本拠地、Mazda Zoom-Zoomスタジアムの最寄り駅でもある(画像/PIXTA)
天神川や五日市など、商業施設が充実した街がランクアップ2位は広島県第2の都市である福山の中心駅・福山駅、3位は複数の鉄道路線やバスターミナルを要する横川駅で、広島駅同様、前回ランキングからの変化はない。4位以下を見てみても、顔ぶれには大きな変化はないが、そんな中でも、「天神川」は5位から4位、「尾道」は7位から6位、「五日市」は10位から8位に順位を上げている。
4位の天神川駅は広島駅の隣駅で、自治体サービスや子育て施設の充実などでも注目度の高い、安芸郡府中町の入口となる駅。街の中心部には路面店の商業施設も多いほか、駅から歩いて行ける場所に、広島県内最大級の規模となるイオンモール広島府中があるのも人気の理由のひとつだろう。
6位の尾道は広島の人気観光地のひとつで、尾道水道を見下ろす傾斜地に広がる坂の街。移住者の受け入れにも力を入れており、県内外からの移住者が、古い建物をリノベーションして新たな店を開くケースも多い。近年はしまなみ海道を目指すサイクリストの拠点としても有名で、サイクリスト向けのホテルを備えた商業施設も人気を集めている。「住んでみたい」という気持ちを刺激する、個性のある街だ。
尾道水道に面した倉庫を改装してつくられた商業施設「ONOMICHI U2」(画像/PhotoAC)
8位の五日市駅は広島市佐伯区の中心駅で、広島駅までは山陽本線で15分。広島造幣局前のコイン通りや国道2号線沿いなど、エリア内にはスーパーや飲食店など商業施設が充実し、石内地区のアウトレットモールや、西区のアルパーク、LECTといった大型ショッピングモールも利用圏。八幡川沿いの豊かな自然も身近にあり、利便性と環境のよさが共存する、暮らしやすい街だ。
広島造幣局では毎年「花のまわりみち」で、八重桜を中心とした敷地内の桜を公開している(画像/PIXTA)
このほか、20位までにランクインしている新井口や廿日市、下祗園、緑井なども、大規模な商業施設が存在するエリア。日々の買い物のしやすさがイメージできることが、住みたいと感じるベースのひとつになっているようだ。
「住みたい自治体ランキング」では、再開発が加速する「広島市中区」が1位に「住みたい自治体」のランキングを見てみると、広島市中区がダントツの1位に。そのほか、ランキング上位の自治体の顔ぶれは、前回調査から大きな変化は見られない。
広島市中区は、行政機関や商業施設が集中する、広島の最中心部となるエリアだ。なかでも、紙屋町・八丁堀エリアは国が定める「都市再生緊急整備地域」に指定され、戦後以来の老朽化したビルの建て替えや、周辺の再開発が加速している。
基町の市営駐車場周辺では、広島商工会議所の移転に伴い、地上31階となる複合ビルが計画されている。広島YMCA周辺でもビル3棟の再開発、本通り商店街の入口付近でも、商店街を挟んで南北に2棟のビルを建てる計画が上がるなど、ビル開発の話題は尽きない。
広島サンモール周辺や、天満屋八丁堀ビルや広島三越を含むエリアの再開発、この夏に閉館するそごう広島店新館のその跡等、歴史ある商業施設にも再開発の動きがあり、市内中心部はこの後も大きく姿を変えていくことになりそうだ。
新サッカースタジアムが2024年開業! 街なかでの過ごし方に変化もさらに、今広島の人の大きな関心の的となっているのは、中区基町エリアで工事が進む、新しいサッカースタジアムだろう。広島東洋カープが新スタジアムの建設後に大きく人気を伸ばした実績もあり、ワールドカップで熱を帯びたサッカー人気を加速し、サンフレッチェ広島の盛り上がりに期待する声は大きい。
スタジアムと併せて、隣接の広場エリアの整備や、旧太田川沿いの水辺活用なども計画されており、試合のある日だけでなく、普段から市民が気軽に利用できるスポットとして、注目が高まっている。
中央公園に計画されている新サッカースタジアムと広場エリア(画像/広島市)※完成予想図(パース)は計画時・完成前イメージのため、実際とは異なる場合がある
また、一足先に2023年3月には、旧広島市民球場跡地に、イベント広場を中心とする「ひろしまゲートパーク」がオープン。旧広島市民球場の記憶を継承しつつ、オープンエアでも楽しめるカフェや飲食店、ストリートスポーツを楽しめるエリアや、築山などで遊べるこどもひろば等も整備され、イベントのない日でも、気軽に出かけて気軽に遊ぶ、新しい外遊びのスタイルが定着しつつある。
さらに、広島城の三の丸エリアにも新たな商業施設の計画があり、これらの施設はペデストリアンデッキで繋がっていく。広島市中区に広がる、この中央公園周辺エリアが、広島の街なかの過ごし方に大きな影響を与えることは間違いなさそうだ。
変わりゆく街なかのの風景の中で、古い街並みの残るエリアに“穴場”イメージランキングでは、交通利便性や生活利便性が高いのに家賃や物件価格が割安なイメージがある駅についても調査している。結果、1位となったのは横川駅。総合順位でも3位にランクインしている、交通アクセスのよい街だ。
利便性の良さの一方で、横川駅周辺には歴史ある商店街が今も存在しており、人情味のあるコミュニティが息づく。ハロウィンに行われる「ゾンビナイト」や、梯子酒イベント、川沿いのマルシェのように、商店街などが中心となって行われるイベントもあり、独自の文化が根付く街でもある。
駅の北側や、広瀬北町、中広町といった周辺エリアには、中心部に近い割にまだまだ古い建物も多く残る。まとまった土地の少ない広島の中心部にあって、宅地やマンション化などに余力を残しているイメージがあることも、“穴場”と考えられるポイントかもしれない。
同様に5位の海田市も、山陽本線または呉線の2路線利用ができ、広島から約9分の交通アクセスのよい駅。瀬野川沿いの美しい自然や、「かいた七夕さん」など街独自のお祭りもあり、西国街道沿いの古い街並みも面影を残している。隣接する安芸郡府中町で宅地などの流通が少なくなっているなか、暮らしやすく、宅地・住宅開発にポテンシャルを感じる街として、認知されているようだ。
2024年以降、続々と大きな開発案件が完成を迎える広島。交通利便性の向上や、買い物する楽しさ、外遊びの新たな可能性など、広島の街暮らしはより一層充実したものになりそうだ。一方で、大型ショッピングモールのある街など、日々の買い物のしやすさも「住みたい街」のポイント。宅地やマンション、一戸建てなどを検討する際は、開発の中心地から少しだけ離れたエリアまで範囲を広げることで、買い物の利便性を確保し、開発の恩恵を受けられる選択肢を増やして、住まい探しができるかもしれない。
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SUUMO住みたい街ランキング2023 広島県版/広島市版
夏涼しく冬暖かい快適さと、世界基準の超省エネを両立した、ドイツ発祥の「パッシブハウス」。これまで30軒以上のパッシブハウス計画に携わってきたパッシブハウス・ジャパン代表理事の森みわさんが、長野県軽井沢町に自ら設計したセカンドハウスをつくったと聞き、お邪魔してきました。
高次元な断熱性能と、斬新な熱供給システム、自然素材や自然のエネルギーを取り入れたデザイン……パッシブハウスの最新の取り組みを見ていきましょう。
軽井沢町追分に完成した「信濃追分の家」。資料が整い次第、パッシブハウス認定の申請を行う予定(写真撮影/新井友樹)
ルームツアーの前に、パッシブハウスは日本でいう省エネ住宅と何が違うのか、改めて整理してみましょう。
まず、省エネ住宅とは、高断熱・高気密につくられ、エネルギー消費量を抑える高効率設備を備えた住宅のこと。対してパッシブハウスは、太陽や風など自然の持つ力を建物に取り入れて、必要とするエネルギーを最小化。さらに高断熱・高機密、熱ロスの少ない換気システムなどを駆使してエネルギー消費量を抑える、というアプローチの違いがあります。
「ヨーロッパでは、ゼロエネルギーハウス(エネルギー収支をゼロ以下にする家)・プラスエネルギーハウス(プラスにする家)への足掛かりとして、パッシブハウスがあります。少ないエネルギーで快適に暮らせるパッシブハウスの普及がまずあって、その先に創エネハウス(※)があるという位置付けです」と森さん。
※創エネハウス…太陽光パネルなどでエネルギーをつくり出すことができる住宅
省エネルギーを実現するために、高い断熱性能が必要ということは、共通事項です。
国が定める省エネ基準は、2025年以降すべての新築住宅に「平成28(2016)年基準」の適合が義務づけられます。2030年頃までには、さらにZEH(ゼッチ/エネルギー収支をゼロ以下にする家)基準(断熱等級5、一次エネルギー消費量等級6)まで引き上げるとしていますが、それだけでは不十分だと森さんは言います。
パッシブハウス・ジャパン代表の森みわさん。セカンドハウスの場所は、外気温が低くても日射量が豊富で、移住者が多くコミュニティが形成しやすい軽井沢町を選んだ(写真撮影/新井友樹)
「ZEHで地域ごとにUA値(外皮平均熱貫流率)を定めて断熱性能を高めようというのは、家を魔法瓶化するという意味で良い方向に向かっています。ただ、例えば同じ地域にあっても家を180度回してみれば全然条件が違うはずなのに、家の向き、近隣に住宅や樹木があるか、樹木は落葉樹か常緑樹か、夏と冬で日射量がどれだけ違うかは考慮されません。
『太陽と風に素直に設計する』ということを大切にするパッシブハウスでは、PHPP(Passive House Planning Package)というシミュレーションソフトを使って、建設する場所の標高、気象条件、月ごとの日射量、周辺環境、家族構成に給湯需要まで、あらゆる個別の条件を入力して温熱計算をしています。それはもうシビアに。そうやって建物のエネルギー収支を厳密に予測しながら設計して、入居後の実測値とのギャップをなくしているのです」
日本の省エネ基準の数倍もの温熱性能・省エネ性能が求められるパッシブハウスは、その土地の条件に合わせてオーダーメイドで設計され、冷暖房に頼らずとも年中快適に過ごすことができる“究極のエコハウス”というわけです。
階段まわりのアースカラーが木のぬくもりのアクセントに(写真撮影/新井友樹)
今回訪問した森さんの別邸「信濃追分の家」は、これまで森さんが設計を手掛けてきた中での発見を踏まえ、パッシブハウスの進化形をめざしたといいます。コンセプトである「パッシブハウス+α」を実現するための、具体的なメソッドを6つ教えてもらいました。
メソッド1 南から45度振れた敷地で、太陽光を最大限に味方につけるコーナーガラス真南に向いた大きなコーナーガラス。この家の象徴的存在でもある(写真撮影/新井友樹)
まずリビングに入ると、斜めに向いた階段が目に飛び込みます。実はこの敷地、南から45度振れたロケーション。そこで、階段室を真南に向けて、2階のコーナーガラスの大開口から各方向に光が差し込むようにレイアウトしています。建物角からの日射によって、冬の暖房エネルギーを積極的に取得する工夫です。
階段室の吹き抜けには、照明作家・鎌田泰二さん制作の大きなペンダント照明を。ブラインドがなくても、ほどよい目隠しになった(写真撮影/新井友樹)
蜜蝋仕上げの鉄の手すりがシンプルでかっこいい(写真撮影/新井友樹)
2階の間取りはこの階段室を中心に、東西にシンメトリーになるよう居室を配しています。1階には間仕切りの壁はなく、軸がずれたようなこの階段室が、玄関、和室、キッチン、リビングといった領域をやんわりと区画し、視線を切る役割を担っています。おかげで、開放的でありながら落ち着いた、居心地のいい空間になっているのですね。
「軽井沢の冬の厳しい外気温にも関わらず、この向きの敷地を選んだのは、“エコハウスの意匠は自由である”というメッセージを放つための挑戦だったかもしれません」と森さん。真南向きじゃなくてもパッシブハウスはつくれるし、自由で堅苦しくないデザインも叶う。そんな証となった実例です。
リビングの大きな開口部は敷地の向きに素直につくり、階段室を真南にレイアウト(写真撮影/新井友樹)
メソッド2 バイオマス燃料と太陽熱、太陽光とEV車でエネルギーを地産地消森さんによるスケッチ「信濃追分の家リニューアブル(再生可能エネルギー)・マックスな設備計画」。冷暖房は熱交換換気装置に内蔵され、1台のヒートポンプで全館空調が完結しているため、ペレットストーブは給湯器として位置付けられている(画像提供/KEY ARCHITECTS)
この家の最大の特徴といえるのが、ペレットストーブと太陽熱集熱器による熱供給を取り入れて、給湯と補助暖房に充てていること。ガス給湯器は設置していません。太陽光発電パネルは搭載しているものの、電気を熱に変える割合は大幅に減らしています。
イタリア製のペレットストーブは、玄関スペースにビルトイン(写真撮影/新井友樹)
Wi-Fi経由で着火操作が可能。冬、太陽熱が足りない場合は夕方着火するようタイマーを入れると、2~3時間でお風呂のお湯が沸き、余力で壁暖房としても放熱(写真撮影/新井友樹)
信州らしい熱源を、と選んだペレットストーブ。炎の揺らぎは見ているだけでほっとする。燃料は地域で購入することで、地域内でのエネルギー自活が可能に(写真撮影/新井友樹)
外気温の影響を受けにくい太陽熱集熱器。集熱管の外側が真空になっていて断熱効果に優れている。なかなかインパクトのある佇まい(写真撮影/新井友樹)
玄関にビルトインされたペレットストーブは、16畳用エアコン並みのパワーがあり、温水出力に対応。燃焼エネルギーの8割を温水に、残り2割が輻射暖房として放熱されます。庭に設置した太陽熱集熱器は、真空ガラス管内のヒートパイプが太陽光により加熱され、不凍液を温め循環させるもの。
木質バイオマスと太陽光という再生可能エネルギーを温水という熱エネルギーに変えて、キッチンにある300Lのタンクに熱を貯湯していく仕組みです。
ペレットストーブと太陽熱集熱器からの温水を集める貯湯タンク。この家ではあえて見えやすいよう、キッチンに設置(写真撮影/新井友樹)
左奥のドアの先が貯湯タンクのスペース。シンクには95℃まで対応の熱湯栓も付いていて、煮炊きに必要なお湯は一瞬で沸いてしまう(写真撮影/新井友樹)
田舎暮らしに欠かせない車は、電気自動車を導入。V2H(Vehicle to Home)を実現している(写真撮影/新井友樹)
もうひとつ注目したいのが、電気自動車を蓄電池に見立てていること。屋根の東西に載せた3.8kWの太陽光パネルで発電した電気は、主に照明と冷蔵庫、換気システムに使用します。「それらの消費電力はだいたい400Wとして、15時間で6kWh。EV車のバッテリー40kWhのうち6kWhをまわせばいいのですから、夜間に車から家に送る量としては大した量ではありません」と森さん。冬の夜間に仮に暖房を切っても、翌朝の室温は1~2℃も下がらないパッシブハウスだからこそ実現できるライフスタイル。
「ただし、オフグリッド仕様にはしていません。数日間曇りの日が続けば、発電量は低下します。そういうときは電力会社に頼る。逆に発電して余った分は渡すこともできる」
太陽光・熱エネルギーを最大限活用し、電力系統ともつながりながら、無理のない範囲でエネルギー自立している家なのです。
メソッド3 高性能の家は床暖不要!土壁暖房パネルを日本初導入無垢のフローリングが素足に心地いい(写真撮影/新井友樹)
建物自体の性能が高いパッシブハウスは、床暖房がなくても、窓辺も頭上も室温がほぼ同じ、温度ムラがないのが特徴です。「もう床から温める必要がそもそも無いですし、実は木の床は、床下から温めようとしても断熱してしまうのです。ここはヨーロピアンオークの無垢フローリングを使っていて、木は熱伝導率が低い。だから床暖房にすると放熱の効率が悪いんです」と森さん。
かわりに導入したのが、ドイツ製の土壁暖房パネルによる輻射式暖房です。給湯がメインのペレットストーブですが、余ったお湯はこの土壁暖房の熱源として使われます。パネルは厚みのある自然素材のため、調湿性、蓄熱性も期待できそうです。
立てかけてあるオブジェのようなものは、土を高圧でプレスして製造されたドイツ製の土壁暖房パネル。温水配管を効率よく巡らせるよう掘り込みがついているのが特徴で、これを補助暖房として壁面に埋め込んでいる(写真撮影/新井友樹)
暖房パネルは1階の北側にある和室と2階の洗面脱衣所の漆喰塗り壁内部に設置。ゲストが宿泊する部屋と、服を脱ぐ脱衣室の室温を、冬場にほんの少し上げられるようにと配慮した設計(写真撮影/新井友樹)
メソッド4 信州カラマツのサッシ+仏・サンゴバン社製のガラスで美しく窓断熱トリプルガラスに、信州カラマツの木製サッシ。かなりの厚みがあるのがわかる(写真撮影/新井友樹)
リビングの大きな窓の先はウッドデッキ。軒の長さも日射に合わせて緻密に計算されている(写真撮影/新井友樹)
断熱性に優れた木製サッシは、長野県千曲市の山崎屋木工製作所によるもの。長野県産材のカラマツの美しい木目がぬくもりを感じさせます。ガラスは、仏・サンゴバン社製のトリプルガラスECLAZを採用。一般的なトリプルガラスより熱貫流率が低く高断熱、さらにペアガラス並みに日射熱取得率が高い、高性能ガラスです。
「しかも高透過なミュージアムガラスのため、非常に景色が良く見えるという特徴もあります」(森さん)。映り込みの少ないクリアな窓からは、軽井沢のみずみずしい緑が鮮やかに眺められます。
コーナーガラスの左右はサンゴバン社製のトリプルガラス、中央は安曇野市の丸山硝子の技術で実現したガラスコーナーだが、諸事情により日本板硝子のトリプルガラスとなった。中央のガラスだけ少し室内の映り込みがあるのがわかる(写真撮影/新井友樹)
木製サッシが絵画のフレームのよう(写真撮影/新井友樹)
ドイツのヘーベ・シーベ金物の技術により隙間なくぴったり閉まるエアタイトサッシ。空気や熱、音をシャットアウト(動画撮影/塚田真理子)メソッド5 田舎暮らしをより豊かにする“パッシブセラー”ワインや食料の保管庫として活用できるセラーは、待望のスペース(写真撮影/新井友樹)
高い断熱性と気密性により、夏季は25℃、冬季は20℃前後と、家中の温度ムラがないのがパッシブハウスのメリットですが、実は保存食の保管が難しいところでした。漬物や味噌などの食品を保管したくても、室温だと傷みが早いので冷蔵庫に入れないといけないと以前クライアントに言われてしまったのです。
でも、田舎暮らしをするとなれば、自分で仕込んだ発酵食品を置きたいとか、たくさん採れた野菜を保管したいという声は多い、と森さんは言います。そこで、基礎の断熱材をあえて取って、自然の温度変化にまかせた“パッシブセラー”を階段下に設けたのが、今回の新たなチャレンジ。
「軽井沢は凍結深度が80cmでこの家は基礎も深いので、建物直下の土中の温度変化が少ないという特徴があります。昔ながらの床下空間のような感覚ですね」。エアコンで温度管理せずとも、室内よりも7℃ほど低い空間が完成しました。ワインセラーとしても活用できそうです。
メソッド6 防音して空気は逃す。プライバシーと換気を叶える、革新的な室内ドアドア下に隙間はなく、かわりに縦のスリットから一定方向に空気を逃す(写真撮影/新井友樹)
2階の寝室と洗面室のドアには、通気機能を持つ革新的なドア「VanAir」を導入しました。従来の室内ドアは、閉めた状態でも換気ができるよう、ドアの下部に1cmほどの隙間を設けているのが一般的。このドアは、表と裏で互い違いに縦のスリット(通気口)があり、空気はドアの芯を経由して反対側へと流れる仕組み。24時間、空気は一定の方向に流れ、においや淀みもしっかり排気してくれるのです。かつ、防音性能を備えており、音漏れの心配もありません。
ドア下に隙間はなく、かわりに縦のスリットから一定方向に空気を逃す(写真撮影/新井友樹)
洗面脱衣室、バスルームの空気もスムーズに排気され、一年中結露やカビとも無縁(写真撮影/新井友樹)
クローゼット上の木ルーバーのうしろは、熱交換換気から新鮮空気を各部屋に供給する給気グリル。ここから供給された空気は脱衣室等のウェットエリアの排気口へと流れる(写真撮影/新井友樹)
なお、換気システムには、室内の熱をリサイクルしながら室内と室外の空気を入れ替える「Zehnder CHM200」を使用。換気ユニットにヒートポンプを組み込んだもので、熱交換換気、冷暖房、除湿、空気清浄が1台で行えます。
基本的には自動制御ですが、タッチ式パネルで操作も可能です。
取材時(6月下旬)の室温は24.5℃、湿度53%。真価が問われる冬が楽しみ(写真撮影/新井友樹)
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世界基準の“超省エネ住宅”パッシブハウスの高気密・高断熱がすごい! 190平米の平屋で空調はエアコン1台のみ
新しい挑戦がたくさん詰め込まれた家(写真撮影/新井友樹)
大きな窓がもたらす開放感、気持ちのよさは、何ものにも変え難い(写真撮影/新井友樹)
信濃追分の家の設計期間は約1年、施工工事は10ヵ月ほど。初挑戦の取り組みも多く、建築費はおよそ5,500万円。一般的には、パッシブハウスの建築費は新築住宅+1.5~2割というのが目安だそうです。毎月の光熱費は月1万円以内と、ランニングコストはかなり抑えられる見込み。ただ、目に見える数字以上に一年中過ごしやすく、その快適さはプライスレスなもの、と森さんは言います。
「パッシブハウスに住んでいる方のお話を聞くと、朝スッと布団から出られるようになった、冷え性が治ったという声が多いですね。あとは、家があまりにも快適だから家にずっといたくて、会社を辞めて自宅でできる仕事を始めたとか、孫がしょっちゅう遊びに来るようになった、という声も。家族が集う家、といえるかもしれません」
パッシブハウスが心身にいい影響を与えてくれたり、大袈裟ではなく人生が変わったりすることもあるのですね。
信濃追分の家は、今後体験宿泊も受け入れていく予定だそうです。パッシブハウスを検討したい方は、一度この心地よさを体感してみてはいかがでしょうか。
明るいリビングで仕事をすることも多い森さん(写真撮影/新井友樹)
さらに近い将来、太陽光でつくる余剰電力を分解してメタンガスをつくる、Power to Gasにも着目しているという森さん。こちらはまずパッシブタウン(富山県黒部市の集合住宅)での挑戦を見守りたいとのことですが、次々と新たな可能性を追求する森さんの取り組みに注目したいと思います。
●建物概要
在来木造2階建て
【フラット35】S適合(耐震等級3)
建築面積:88.04平米
延床面積:129.58平米
敷地面積:519.61平米
現在、2012年竣工の福岡パッシブハウスでは新オーナーを募集中。価値のわかる方にぜひ引き継いでほしい、と森さんは言う(画像提供/KEY ARCHITECTS)
(画像提供/KEY ARCHITECTS)
●取材協力
パッシブハウス・ジャパン
KEY ARCHITECTS
世界中の建築を訪問してきた建築ジャーナリスト淵上正幸が、世界最先端の建築を紹介する連載8回目。今回は、デンマークの首都コペンハーゲンにある低所得者向け集合住宅(アフォーダブルハウス)である「ドルテアベジ・ハウジング(Dortheavej Housing)」(設計:ビヤルケ・インゲルス(BIG))を紹介する。
手ごろな家賃で、豊かな空間をもつ低所得者用ハウジング現代世界建築界において、建築家としてのデザイン力、交渉力、組織力など、およそ建築家が必要とする能力を兼ね備えた若手建築家といえば、今やアメリカのニューヨークにオフィスを構えるビヤルケ・インゲルスの右に出る者はいないのではないだろうか。彼がデザインする作品群は、当然スケールの大きな建築やハイエンドな建築などの作品が多いのは当たり前だ。しかしここに紹介する「ドルテアベジ・ハウジング」は、そのような範疇から逸脱したまさに”アフォーダブル・ハウジング”なのだ。
アフォーダブル・ハウジングとは日本語では、手ごろな料金のハウジングのという意味である。早い話がここでは低所得者用ハウジングなのである。ニューヨークの都市計画や、最近ではトヨタのウーブン・シティなど話題となるプロジェクトを数多く手掛けるビヤルケ・インゲルスが、低所得者用集合住宅をどのような理由からデザインするようになったのであろうか。故郷であるデンマークのコペンハーゲンのために一肌脱いだといえばそれまでだが、彼のことだから単なる低所得者用のハウジングでないだろうことは想像に難くない。何らかのユニークなデザインがあろうと推察される。
■関連記事:
世界の名建築を訪ねて。ウーブン・シティなど手掛けるビヤルケ・インゲルス設計の集合住宅「ザ・スマイル」/NY
敷地はコペンハーゲンの北西部に位置するドルテアベジと呼ばれる、1930年代から50年代の車修理工場や車庫などの工業ビルが櫛比(しっぴ)する工業地帯である。そこにインゲルスは必要とされるアフォーダブル・ハウジングとパブリック・スペースを生み出し、他方歩行者通路や隣接する手付かずのグリーン広場を一般の人々のために開放したのである。
施主であるデンマーク低所得者ハウジング非営利団体の建設意図は、低所得者用ハウジングを世界一流の建築家に設計してもらうことが狙いであった。彼らはビヤルケ・インゲルスと共に、サステナブル・デザインであり、安全かつ機能的で、そこに住む人々が目と目を合わせて生活できる低所得者用ハウジングを目指したのである。
((c)Rasmus Hjortshoj)
6,800平米の敷地に完成した5階建てのハウジングには、66戸のアパートメントが収められている。各住戸は60~115平米の広さをもち、天井高が3.5mもあるという大振りなつくりで低所得者用とは思えないリッチさなのだ。しかも開口部は床から天井までフルハイトの大きさという贅沢さである。自然光がたっぷり導入され、さらにグリーン・コートヤードの緑も内部に侵入してくるという、明るい素晴らしいインテリア空間が生まれた。大きな開口部からテラス越しに街を見晴らす生活は、ローコスト住戸といえどもパノラミックな景観が楽しめるメリットが住民に大人気である。
建物ファサード全体を覆う四角いチェッカーボード・パターンはプレハブ構造によるもので、コンクリートと長い木造板でできたスクエアなユニットを、5層に積み上げてできたものである。各住戸の南側には、居心地のよいサステナブル・ライフのための小さなテラスが装備されている。北側ファサードはコートヤード側であり、緩やかな曲面を描く外観形態となっている(夜景写真)
((c)Rasmus Hjortshoj)
南側曲面壁の凹んだ1階中央部は、3ユニット分が北側コートヤードへのゲートとなっている。建物へのメイン・エントランスはこのゲートの両側に配置されている。南側外壁はスクエアなグリッドで覆われているが、ファサードで凹んだ部分がテラスとなっているために彫りの深い表情を見せている。このグリッド状のファサード・デザインは独特のアトモスフィア(雰囲気)を放ち、従来の一般的な集合住宅やマンションとは一線を画した造りが魅力を発揮している。
((c)Rasmus Hjortshoj)
建物の北側ファサードは、建物群に囲まれた草木が青々と茂るグリーンのコートヤードに面している。ここは「ドルテアベジ・ハウジング」の住人と、近隣の住人たちによる共同のコミュニティ・レクリエーションにおける活動の場となっている。休日や時間のあるときに人々は集まり、老若男女全てがスポーツをはじめ種々のイベントなどに興じることができるパブリック・スペースとして利用している。
低予算で、高い建築デザイン性を実現するための工夫「ドルテアベジ・ハウジング」の建設は予算的には非常に厳しい統制があったと思われる。建築デザイン的に如何に対応していくかという、ハードなチャレンジそのものだったといえそうだ。インゲルスは比較的に控え目な材料を用いたモジュラー工法を採用している。これは工場で部分部分をつくり上げて組み立て、それを解体して現場で組み立てる工法で、ここではプレハブ化されたエレメントを現場で積み上げて、高さのあるインテリアと、殊のほか広いリビング・ダイニング空間を巧みに生み出して住民に満足感を与えている。
((c)Rasmus Hjortshoj)
なおインゲルスは住民にとっての経済的不満は、しばしば建物における過疎化につながるケースが多いので、個人のみならずコミュニティに対しても、十分な付加価値をつけたアフォーダブル・ハウジング(低所得者用ハウジング)を創造したのはさすがである。
●関連サイト
Bjarke Ingels Group: BIG
北海道の北東に位置する、遠軽町白滝エリア(旧白滝村)にある「えづらファーム」。地方の過疎化と人材難が深刻な社会課題になるなか、江面暁人(えづら・あきと)さん・陽子(ようこ)さん夫妻が営むこの農園では、農業や農家民宿事業を手助けしてくれるボランティアが次々とやってきます。10・20代を中心に、その数はなんと年間で70人にのぼります。農家民宿の観光客延べ人数を含めると、年間約600人もの人たちが関係人口として、住民500人ほどの地域と関わっていることに。決して便利ではない小さな田舎町へやってくる理由は何なのか?現地で話を聞きました。
農業の魅力・価値をパワフルに掘り起こし、「年に1つの新規事業」に「えづらファーム」を経営する江面暁人(えづら・あきと)さん、陽子(ようこ)さん夫妻。もともと東京在住で会社員をしていた夫妻は、2010年に新規就農者として遠軽町白滝エリアへ移住。現在の農園にて農業経営継承制度を利用した研修を開始しました。2012年に独立し、新規就農からこの11年で、広大な土地をパワフルに耕すだけでなく、新しい価値を次々と掘り起こしてきました。
2012年の農場経営スタートとほぼ同時に農作物のネット通販を始めたことを皮切りに、2013年には住み込みボランティアを受け入れ始め、その翌年に観光事業の畑ツアー・収穫体験などを提供する農業アクティビティを開始。そのあとも、簡易宿泊所の認可を取得し、企業研修やインバウンドの受け入れ、空き家を活用した農家民宿のコテージ、レストランなど、「農業」を軸とした新規事業を立ち上げ続けています。
ちなみに新規事業は夫婦の経営会議で、毎年1つ、挑戦することを決めているそうです。なるほど、これは日々のアンテナの張り方もちょっと変わってきそうです。
空き家を活用した一棟貸し民泊コテージ。今夏は早々に予約が埋まるほどの人気ぶりです(画像提供/えづらファーム)
その結果、人口500人の地域に「えづらファーム」を通じて年間で延べ600人もの人たちが訪れるまでになりました。特に住み込みボランティアは「えづらファーム」最大の特徴と言っていいでしょう。年間70名の、そのほとんどが、10・20代の若者たち。実働8時間、無償であるボランティアに、申込はその3倍近く年間200人から応募が集まるというから驚きです。
農業のやりがい、田舎の豊かさなど、見えない価値を伝えたい「えづらファーム」は畑作農場を42ha保有しており、これは東京ドーム約9個分の広さに当たります。農業の生産性を示す収量は地域平均を上回っていて、農業だけでも十分な収益を得られるように思います。
広い農場はどこを切り取っても北海道らしい景観。主な栽培作物は、小麦、馬鈴薯、てんさい、スイートコーンなど(画像提供/えづらファーム)
ではなぜ、このような画期的な取り組みを次々と行っているのでしょうか。
「自分たちは、もともとよそから来たので、なんで農家なんかになるの、田舎つまんないでしょ、と言われることがありました。決して悪気があるわけではないのはわかっていますが、僕らは夢を描いて北海道へやってきたので、寂しいなと感じたことを覚えています。
農業のやりがい、田舎の豊かさ。この地で培われた文化の希少性。それには圧倒的な価値があると確信しています。見えていない価値を、どうしたら伝えることができるだろう。一人でも多くの人に、地域、農業に興味を持ってもらいたい。そして実際に、この地に訪れてもらいたい。そのためにはどうしたらいいかを常に考えて、農業体験、民宿、レストランと、毎年コツコツと挑戦しています。
経営面でみても、新規事業は必要な柱となります。例えば天候不順で農作物収量が計画通りにいかなかったとしても、多角的に事業を運営することで、他の事業でバランスを取りリスク分散ができるという利点があるんです」(暁人さん)
夫の暁人さんは北海道出身、ですが農業一家で育ったわけではありません。北広島市という北海道中部の都市部出身で、遠軽町とは250km以上離れてます。妻の陽子さんは京都市出身。同じく“非農家”の家で育ちました。
夫妻は東京での6年の会社員生活を経て、北海道北見市の畑作法人で農業研修に入る道を選択。遠軽町白滝の農場主で継承者を探していた先代さんと出会い、この縁から、移住することになったといいます。この地で生まれた娘さんは11歳になりました(画像提供/えづらファーム)
夫妻にとっては、移住後の暮らし方、働き方が大きな魅力でした。自然豊かな地域で私生活と仕事がくっついた暮らし。陽が沈んだら家路につき、当たり前のように毎日家族と食卓を囲む。夫妻のように、田舎暮らしに興味がある人は多いかもしれません。ですが、いざ縁もない地方へ仕事を求めていくかというと、やすやすとはいかないもの。
住み込みボランティアの受け入れ、農家民宿やレストランを提供することで、こうした暮らしを味わえるのは、他の地域の人にとって、得難い経験になるでしょう。地域と農業が本来持っているはずの「見えていない価値」に光を当てるため、夫妻は新規事業にチャレンジしています。
根底にあるのは、「人が集まる農場をつくりたい」という想い。だから、損得勘定や合理性だけではなく、「農」と馴染む人肌を感じるような新規事業が育っているのだと感じます。
8年前(2015年)の農家民宿スタート当時の写真。自宅2階を冬レジャー客用として開放したことがはじまりだったそう(画像提供/えづらファーム)
21歳と25歳、外国人の住み込みボランティア。“Japan farmstay”で検索してやってきた夫妻の取り組みの一つ、住み込みボランティアでは、若い世代がやってきて、平均2~3週間ほど滞在します。
ボランティアとはいえ、「ガチ」な農作業。実働8時間です。フルタイム勤務と変わらない時間、毎日汗を流します。筋肉痛で悲鳴を上げそうな農の仕事で、これは観光気分だけでは続かないと想像できます。
実際に6月にボランティアに来ていた2人に話を伺いました。
この時滞在していたのはアメリカから来たヤンセイジさん(21歳)、シンガポールから来たJJさん(25歳)の2人です。
ブロッコリー畑の雑草取り中のセイジさんとJJさん。2人はファームで出会って仲良くなりました(写真撮影/米田友紀)
筆者が現地に到着してすぐ、偶然2人にお会いし、ご挨拶。日に焼けた顔から白い歯で笑顔をみせてくれ、「お水いりますか?」とペットボトルのお水を差しだそうとしてくださり、初対面から好青年です。
2人はネット検索で“Japan farmstay”と2ワードを叩き、検索結果で表示されたえづらファームのウェブサイトからメールで問い合わせたそうです。
セイジさんはアメリカの大学に通う学生。昨年はアメリカのIT企業でエンジニアのインターンシップに参加し、今年は何か違うことをやってみたい、と日本へやってきました。世界的な食糧問題に関心があり、食の原点として農業を体験したいという想いがあったそうです。
JJさんはシンガポールの大学を卒業し、就職前の期間を利用して日本に滞在中。シンガポールの金融企業に就職予定で、サステナビリティ分野での投資に関心があり、農業を学びたいとえづらファームにやってきました。
「体力的には大変だけど、楽しくて貴重な経験をさせてもらっています。みんなでご飯を食べることが楽しいですし、特にポテトが美味しい。陽子さんがつくったポテトサラダが最高に美味しいです」(JJさん)
「来る前とのギャップは特にないですね。何をできるかなとワクワクしていましたし、イメージ通りです」(セイジさん)
ボランティアの2人は、陽子さんのまかないは最高に美味しい、と口をそろえます(画像提供/えづらファーム)
セイジさんもJJさんも、ネット検索結果をきっかけに異国の田舎にある農場にポンとやってきてしまうのだから、行動力があります。
夫妻によると、同様の検索ワードでえづらファームのサイトを見つけて応募する人が多いとのこと。食や観光分野での起業、地方創生への関心など、2人のように目的が明確な若者が多いそうです。「未来はきっと明るいぞ」と、日々感じるのだとか。
単なる労働力ではなく、想いを実現する場にボランティアの皆さんは夫妻の自宅2階で同居しています。
常時2~4人ほどが住み込み、食事は家族とテーブルを囲みます。お風呂もトイレも共用で、洗濯も家族と一緒にガラガラと洗濯機を回します。さらに休日は、みんなでバーベキューや窯でピザを焼いたり、夜空を見たり。釣りやスキーなどレジャーを楽しみ、衣食住の全てを家族同然に生活しています。
夫妻には11歳になる娘さん、ののかさんがいます。ののかさんにとっては、生まれてからずっと家にボランティアのお兄さん、お姉さんがいることが当たり前の暮らし。世界中からやってくるボランティアさんたちから自然と多様性を学べる環境が、人口500人の地域の自宅にあるわけです。娘さんは逆にボランティアがいない生活を知らないので、もし家族だけになったら寂しいと話しているんだそう。
収穫レストランを手伝うののかさん。娘さんの気持ちに配慮しながら事業に取り組んでいます(画像提供/えづらファーム)
毎年来てくれたり、高校生の時にきて、今度は大学に入ってから、と2回、3回とやってくるボランティアさんも多いそうです。
ボランティアさんとは事前にオンライン面談を行います。その時点で必ず声掛けしていることがあります。
「ここにきて、何をしたいのか」
それはやりたいことを叶える場所として、えづらファームを活用してほしい、という想いがあるからだそうです。
「単純に労働力として来てもらえるのは農場にとってはありがたいですが、本人がやりたい何かを実現できる場所として、白滝へ来てもらいたいです。人生に役立てることに一つでも、ここで出会えてもらえたら」(暁人さん)
労働力として考えたら、農繁期に作業に慣れた人を雇う方が効率的だといえます。訪れるボランティアとの出会いを楽しみ、彼らにも「やってみたい」「楽しい」を感じてもらいたい。夫妻にはそんな願いがあります。
建築を学ぶボランティアさんが「つくってみたい!」と建てた小屋。立派すぎるDIYです(写真撮影/米田友紀)
ドラム缶風呂は「入ってみたい!」を叶えるためにボランティアと一緒につくりました(画像提供/えづらファーム)
衣食住を共にして、ボランティアがやりたいことを叶えられるように努める。夫妻のおもてなしには舌を巻きます。ですが、ボランティアから自分たちに与えてもらっているものも大きい、と感じているそうです。
「農業って、人と接することが少ないんです。外から人が来てくれること、出会いが刺激になることに感謝しきりです。ここにきて10年経っても、ボランティアの子たちと星空を見て一緒に感動できる。田舎の贅沢さをいつまでも新鮮に感じることができるのは、彼らのおかげです」(暁人さん)
小さな一歩が、新事業のとっかかりとはいえ、毎年一つの新規事業を始めるというのは労力も勇気も伴います。
失敗が怖くないのかと聞いてみると、陽子さんがこう語ってくれました。
「私たちの事業は始めの一歩が小さいんです。もし上手くいかなかったら撤退できるように、意識的に小さくしています。そして需要があることをかたちにするようにしています。農家民泊も最初はウィンタースポーツに訪れる人がいるのに『地域には宿泊できる場所がなくて困っている』という近所の人の声を聞いたことがきっかけでした。だったらうちの2階に部屋が余っているから宿泊所にしよう、と始めました。最初から何百人もの観光客を呼ぶ、なんて始めたわけではないんです」(陽子さん)
もちろん上手くいかなかったこともある、といいます。例えばボランティアの受け入れではせっかく来てくれると言っているのだから、と最初は面談をせず受け入れていたところ、リタイアする人がいたそうです。
「当時はこちらのケア不足もあると思いますし、想像してたのと違った、とギャップを話す子もいました。せっかく来てくれたのに、上手くいかないことはお互いにとって大変残念なことですので、今では必ず全ての人と事前面談をしています」(陽子さん)
なるほど、ボランティアのセイジさんが話していた「ギャップのなさ」は事前の丁寧な面談の賜物なのですね。
冬レジャーの困り事解決のために始まった民宿は、現在では空き家を活用したコテージに。地域の人による親戚の集まりや、離れて住む子どもや孫が帰省時に泊まるといった機会でも活用されているそうです。
小さな一歩からはじめることは、地域での暮らしでも大切だと陽子さんは言います。
「急に世界中から人を受け入れたいだなんてと宣言したら、きっと地域で理解してもらえないでしょう。大きな目標を立てるより、まずは身近な人にとって役立つことをしたいと思い、ここまでやってきました。小さな一歩をとっかかりに、そこから地道に広げていく。本当にちょっとずつかたちにしてきて、今に至ります」(陽子さん)
新規事業というと大がかりですが、イチかバチかの大勝負に打って出るというより、周りの地域の人たちの困り事や願いに耳を傾けて自分たちにできることは何か、とちょっとずつ軌道修正をしながら広げているようです。
広大な地で軽やかなチャレンジが進んでいます(画像提供/えづらファーム)
若者が「やってみたい」を投じる場として夫妻の昨年の年1チャレンジは、収穫レストラン「TORETATTE」(トレタッテ)オープンでした。レストランでは地元在来種の豆を扱ったティラミス、アイヌネギのキッシュやヨモギのコロッケ、ふきのマリネなど地域に根付く食文化を味わうメニューも期間限定で提供しています。
「きなこと抹茶の植木鉢ティラミス」
在来種豆を提供する地元商店の豆を使用し、白滝の春景色の表した一品(画像提供/えづらファーム)
また、地域に戻ってきたい人や新しいことに挑戦する人を後押しすべく、「間借りカフェ」としての活用もスタート。
今年6月と7月には地元出身の若者2人による一日カフェが開かれ、それぞれが得意とするコーヒーやスイーツがふるまわれました。
さまざまな人の挑戦の舞台となる収穫レストラン「TORETATTE」(画像提供/えづらファーム)
実際に夫妻との出会いをきっかけに遠軽町に移住したり、新規就農をめざしてやってきた人もいるそうです。
「毎年新しいことを立ち上げる」
言葉でいうほどカンタンではないのは、たゆみなく努力する夫妻をみるとよくわかります。ですが近くの困り事に耳を傾け、スモールスタートで自分のできることを進めれば、夫妻のようにワクワクする取り組みができるかもしれません。
新規事業を毎年立ち上げる2人は、農家であり、起業家です。「農」を起点に新しい価値を次々と創造しています。ボランティアや間借りカフェで訪れる次世代の若者にも、そのチャレンジスピリットが伝播しています。
2人はきっとこれからも、白滝から小さな一歩のチャレンジを踏み出していくのでしょう。
●取材協力
えづらファーム
「いつかこんな暮らしがしてみたいという願いが叶いました」
満面の笑顔でそう語るのは、北海道旭川市の田園地帯にポツンと置かれたタイニーハウスの住人、曽根優希さんだ。牽引可能なこのタイニーハウスは、さまざまな人の手を経て、いまこうしてここにある。なぜ、タイニーハウスがつくられたのか? 冬には極寒の環境で果たして暮らしが成り立つのか? タイニーハウスをめぐる物語を紐解くと、そこにはシンプルな生き方を追い求める眼差しがあった。
さえぎるものが一切なく、遥か遠くの山並みが見渡せる田園地帯に、白とピンクベージュの外壁のタイニーハウスがある。設置されたのは2019年。なぜ、この場所にタイニーハウスが置かれるようになったのか、まずはそのストーリーを見ていこう。
旭川の市街地から車で15分ほどのところに2棟のタイニーハウスがある。左の棟に曽根さんが暮らしており、右はゲストの宿泊スペースとして利用されている(撮影/久保ヒデキ)
始まりは5年前。企画したのは、東京在住で映画監督の松本和巳さん。
きっかけは、松本さんが当時制作中だった映画『single mom 優しい家族。』で出会った女性たちの声を聞いたことだった。シングルマザーへの取材をもとに脚本をつくるなかで、彼女たちが社会で生きづらさを感じている現実を知ったという。
「人と比べてしまうことでコンプレックスが生まれ、それが必要以上に心を苦しめている」と感じたという。そこから人の気持ちを癒やしたり変えていくための、新たなライフスタイルの提案をしてみたいという思いが芽生えた。
株式会社マツモトキヨシ(現マツモトキヨシホールディングス) 取締役、衆議院議員を務めたほか、劇団「劇団マツモトカズミ」を立ち上げ、また映画監督、ソーシャルイノベーターとして今は活躍(写真提供/一般社団法人シンプルライフ協会)
映画『single mom 優しい家族。』の予告編。北海道ニセコ町でロケを行った。これまでとは違う“新たなライフスタイル”とは何か。そのヒントを探るべく、松本さんが赴いたのはアメリカ オレゴン州・ポートランド。個人個人の価値観を尊重する魅力的な街として知られるここで、5棟の個性的なタイニーハウスが置かれたホテルを訪ねた。旅行者たちが心から解放された様子で、思い思いに交流する姿に触れたという。
「タイニーハウスは、シンプルなライフスタイルを実現するためのツールであると感じました。このとき、身の回りのものをシンプルにすることから、人と比べない、自分なりの生き方が見つかるんじゃないかと思いました」(松本さん)
アイデアが実現に向かい始めたのは、『single mom 優しい家族。』のロケ地であった北海道ニセコ町で、市川範之さんに出会ったことだ。市川さんは道内でも指折りのドローンの技術者で、松本さんの映画撮影に協力。また旭川で農薬に頼らない米づくりや糖質の吸収を抑える機能性米を開発するなど、新たな農業や暮らしのあり方の模索もしていた。そんな市川さんと松本さんは意気投合。映画撮影が終わっても交友は続き、市川さんの地元である旭川を松本さんは訪ねた。そのとき、都市にも近く、大雪山系のダイナミックな山並みも見え、自然と街が調和するポートランドと似たポテンシャルを感じたという。
市川範之さん。農業生産法人市川農場の代表取締役。現在タイニーハウスは市川農場の敷地に置かれている(写真提供/一般社団法人シンプルライフ協会)
2018年8月、プロジェクトが本格化した。タイニーハウスを利用したホテルを旭川につくることを考え、これまでの人との縁をつなぐ中で旭川駅前に実験的に設置するという計画が持ち上がる。
ホテルのオープンまでわずか5カ月という限られた時間の中で、松本さんと市川さんは活動母体となる「シンプルライフ協会」を設立。旭川と、映画のロケ地でつながりが生まれたニセコ、そして国士舘大学などの協力を得られた東京という3つの地域で、それぞれタイニーハウスをつくることになった。
タイニーハウス1棟の総予算は600万円。サイズは、道路を通行できる2.45mが幅となり、長さは6.02m、高さは3.8m(いずれも外寸)というコンパクトなつくりとした。
最大の課題となったのは重量。牽引を可能とするために2500kg以内で収めるための工夫をしなければならなかった。
それぞれのチームが設計から手がけた。左は旭川で設計された「サンタフェ」。右はニセコで設計された「モダン」。「当時は、予算を600万円に納めることができたが、現在は材料費の高騰などでコストはもっとかかるのではないか」と松本さん(写真提供/一般社団法人シンプルライフ協会)
「旭川の冬を越せるように断熱材をしっかり入れつつ、重量オーバーにならないギリギリまで削るというせめぎあいがありました」(松本さん)
旭川、ニセコ、東京のチームはそれぞれ独自に研究を行い、必要な建材を選び取っていった。
タイニーハウスの建設中には、それぞれの場所でワークショップも実施され、設計から約3か月で完成。旭川とニセコでつくられたタイニーハウスは旭川駅に運ばれ、東京でつくられたタイニーハウスは、国士舘大学の世田谷キャンパス(東京)や東京タワーで体験展示会が開催された。
東京タワーでの体験展示会の様子(写真提供/一般社団法人シンプルライフ協会)
旭川駅に設置されたタイニーハウス(写真提供/一般社団法人シンプルライフ協会)
旭川駅に置かれた2つのタイニーハウスは、2020年の1月より約半年間、ホテルとして稼働した。コンセプトは「機能制限体験ホテル」。例えばドライヤーと電子レンジを一緒に使うとブレーカーが落ち、シャワーの水圧にも制限があり、ゴミはゴミ箱一杯分までと、普段意識していないエネルギーや環境問題に、頭で考えるのではなく体験から目を向けるきっかけづくりが行われた。
贅沢なサービスをあえて提供しないことに共感する人々は多く、常に1週間ほど先まで予約が埋まる状態だったという。
(画像提供/一般社団法人シンプルライフ協会)
利用者からは、駅という騒音と隣り合わせの場所にもかかわらず「中に入るとほとんど音が気にならない」や「思った以上に暖かい」という声があったという。
旭川駅から田園地帯へ。「実際に住んでみる」という次なる実験が始まった旭川と東京でのお披露目を終えて、タイニーハウスは現在の場所となる市川さんの農場の一角に移され、見学希望者を案内したり、松本さんや市川さんの友人らが宿泊に利用するなどしていた。
そんな中でタイニーハウスに度々泊まりに来ていたのが曽根優希さんだ。父の曽根真さんが旭川でタイニーハウスの制作を請け負った建設会社の代表を務めており、市川さんや松本さんと家族ぐるみの交流があった。
市川農場に集められたタイニーハウス。一番左のニセコで制作されたモデルは、その後売却された(写真提供/一般社団法人シンプルライフ協会)
タイニーハウスの周辺は田園地帯(撮影/久保ヒデキ)
(撮影/久保ヒデキ)
(撮影/久保ヒデキ)
優希さんがここに住むことになったのは何気ない会話からだった。
「市川さんに誘われてタイニーハウスのある敷地でバーベキューをしたことがありました。そのとき、星空の下で、自分の大切に思う友人たちと美味しいものを囲み、話したり歌ったり。季節の移り変わる美しさを感じるひとときがありました。こんなふうに心に余裕を持った暮らしがしたい。ここには私が求めていた暮らしのすべてがありました」
敷地にある使い込まれたピザ窯。客人が来ると優希さんは、手づくりピザでもてなす(撮影/久保ヒデキ)
そして優希さんは、松本さんに「タイニーハウスに住みたいくらい、気に入りました!」と語ったという。
「それなら住んでみる?」と松本さんが提案すると、「はい!」と即答。
「冬にホテルとして使ったことはありましたが、果たしてずっと住み続けることができるのか、暮らしてもらいながら実験をしてもらおうと思いました」(松本さん)
優希さんは3歳のころから旭川で暮らし始め、高校生までこの地で過ごした。その後、大阪の専門学校に進学し、名古屋などでサービス業の経験を積み、その後コロナ禍となって実家に戻り、現在は旭川にある水回り設備のショールームで働いている(撮影/久保ヒデキ)
タイニーハウスの広さはわずか8畳。入り口すぐのところにキッチンがあり、その奥が居間兼寝室。さらに奥にトイレとシャワールームがある。
非常にコンパクトなつくりだが、都会の小さなワンルームとそれほど変わらない印象だ。
「サンタフェ」で優希さんは暮らしている。キッチンは壁に棚やフックをつけて収納スペースを確保(撮影/久保ヒデキ)
キッチンの奥にソファベッドが置かれている(撮影/久保ヒデキ)
その奥がシャワー付きトイレとシャワールーム(撮影/久保ヒデキ)
優希さんのお気に入りは、ソファベッドの窓から見える景色。春には田んぼに水が張り、夏には緑が萌え、秋には稲穂が黄金色に輝き、そして冬は一面真っ白になる。刻々と変化する景色と、遠くの山並みに夕陽が落ちる様子が見られることが「最高のぜいたく」と語る。
タイニーハウスの中は極小だが、一歩外に出ると無限に空間が広がっている。デッキにテーブルを出して、ランチやお茶を楽しむこともあるという。
朝起きると、ソファベッドから窓の外を必ず眺める(撮影/久保ヒデキ)
日中も氷点下の旭川で快適に暮らせるの?ここで暮らし始めたのは2020年12月から。旭川の積雪は、道内ではそれほど多くないが、盆地のため冷え込みは厳しい。1月、2月の最低気温の平均はマイナス10度を下回り、ときにはマイナス25度になることもある。
暖房器具は約7畳用のガスファンヒーターが1台。それ以外に水道管の凍結を防止するヒーターが取り付けられている。
ガスファンヒーターが窓際に一台置かれている(撮影/久保ヒデキ)
「空間が小さいので、ファンヒーターをつけるとすぐに暖まります」と優希さん。室内は暖かく快適。
また、水道管が凍結する場合もあり、ファンヒーターを消したときは、蛇口の水を少し流しておくなどの対策をとっているそうだ。
外に設置されたプロパンガス。隣が洗濯機。厳冬期の光熱費は月に2万円ほど。都市ガスに比べてプロパンガスは割高ではあるものの、空間が狭いので効率よく暖められている(撮影/久保ヒデキ)
タイニーハウス設置のために、電気設備と浄化槽設置の工事が行われた(撮影/久保ヒデキ)
「一番、困ったのは冬の洗濯でした。ホテルとしてつくられていたので、洗濯機を置く場所が設けられていなかったんです。夏は外に洗濯機を置いていますが、冬は積雪のため倉庫にしまってしまうので、コインランドリーを利用しています」
タイニーハウスで暮らし始めた1年目は運転免許を持っていなかったそうで、バスを乗り継いだり、友人に頼んで車に乗せてもらったりなど、コインランドリーに行くのも一苦労だったという。
また積雪の多いときは道路までの道を除雪しなければならず、夏よりも通勤に30分以上余計にかかってしまうことも。
そんな困難があってもここに住み続け、優希さんは今年で3回目の冬を越した。
(写真提供/一般社団法人シンプルライフ協会)
(写真提供/一般社団法人シンプルライフ協会)
「いろいろなことが起きますが、それを楽しめるかどうかで意識は変わってくると思います」
もう少しキッチンが広ければ、とか、収納があれば、と思うこともあるが、モノを増やせない環境に身を置くからこそ買い物の仕方が変わり、それが良い方向に向かっていると話す。
以前は、カレールーやドレッシングなど既製品を買うことが多かった調味料だが、いまは基本的なものを組み合わせて料理をすることを覚えたという。
また100円均一ショップで暮らしの便利グッズを買うのも好きだったというが、本当に必要なものをよく考えて買うようになったそう。
「便利なものをなくしたほうが、むしろ工夫が生まれて楽しいことがわかりました。また環境問題についても考えるようになって、ゴミを出さない暮らしをしたいと思うようになりました」
調味料は量り売りのものを買うなど、ゴミを減らす取り組みもしている(撮影/久保ヒデキ)
最近、気に入ってつくっているのが塩麹や醤油麹。お肉を漬け込むとやわらかくなり味わいも深くなる(撮影/久保ヒデキ)
シンプルライフの選択は、自分らしく生きることにつながる松本さんは、優希さんが厳冬期もたくましく暮らし、少しずつ意識が変わっていくその姿に触れる中で、新しい映画の構想を温めていった。
撮りためてきたタイニーハウスの制作過程の映像と、自分なりの暮らしを模索する女性たちにスポットを当てた映像とを組み合わせたドキュメンタリー映画を制作した。
東京でつくられたもう一棟のタイニーハウス「ホワイトファンタジー」はキッチンが広い。こちらはマイナス20度までの寒冷地用の断熱を施していない分、内装の素材に凝ることができたそう(撮影/久保ヒデキ)
冬は閉鎖し、夏のみ友人らが宿泊できるスペースとして利用されている(撮影/久保ヒデキ)
この映画には、優希さんを筆頭に、松本さんが全国から探したそれぞれの道を歩む女性たち、合計7名が登場している。
北海道で羊飼いをする女性だったり、以前はキャバクラで働き現在は農業をする女性だったり。映画の中では彼女たちの人生が語られると同時に、それぞれが旭川へと赴き、お互いがお互いのことを深く知り合うことにより、再び自身を見つめ直し、新たな一歩を踏み出そうとするシーンもあった。実際に旭川に移住した女性もいるとのこと。
映画『-25℃ SIMPLE LIFE』は2023年新春に劇場公開された。
「タイニーハウスで暮らせることを知ってもらえれば、何十年とローンを組んで家を購入するといった人生設計とは違う選択肢に気づけるのかなと思いました」(松本さん)
今回、筆者は3人の人物に取材をし、またこの映画を見て、シンプルな暮らしを追い求めることは、これまで自分の中に溜め込んできたものを一度手放してみることであると感じた。
物質的な豊かさや社会的な地位や名誉などから解き放たれたとき、そこには何が残るのだろう? それが自分の本質的な部分であり、もっとも大切にするべきものである。そんなメッセージを受け取った気がした。
(撮影/久保ヒデキ)
●取材協力
一般社団法人シンプルライフ協会
映画『-25℃ simple life』の予告編
曽根優希さんのInstagram
ここ数年でますます環境問題への関心・意識が高まり、2024年度からは、省エネ性能や断熱性能を表示する新制度(建築物の販売・賃貸時の省エネ性能表示制度)がはじまる予定と、今、住まいの省エネ性能・環境性能が重視されつつあります。そんななか、埼玉県和光市で環境性能評価システムLEEDを取得する予定の賃貸住宅「鈴森Village」が誕生しました。どんな住まいなのでしょうか。入居者、開発を手掛けたオーナーの株式会社鈴森 社長・鈴木早苗さん、設計をした一級建築士事務所スターパイロッツ代表の三浦丈典さんに話を伺いました。
賃貸住宅「鈴森Village」は、木々に囲まれた“結界”。住まいが生活に与える影響の大きさを実感LEED認証とは、建物と敷地利用の環境性能を評価する国際認証制度のこと。世界でもっとも多用されている評価システムで、環境性能を証明できることから、不動産の価値向上、環境を意識したテナントを誘致しやすくなり、主に商業ビル、倉庫、工場などで認証を受ける建物が増えています。今回、このLEED認証の取得を目指そうと建てられた賃貸住宅が「鈴森Village」です。
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建物は南側の4棟をつなぐデッキには階段が2カ所。エレベーターがあるのでベビーカーでの移動もラク(写真撮影/片山貴博)
「鈴森village」を語る上で欠かせないのが、LEED for Homesの基準に準拠した計画・設計・施工がなされていることです。LEEDはLeadership in Energy and Environmental Design(リーダーシップ・イン・エナジー・アンド・エンバイロンメンタル・デザイン)の略で、米国グリーンビルディング協会(USGBC)が開発・運用している国際認証制度。環境的視点から、敷地、水、エネルギー、資材、室内環境などを評価します。世界で広く用いられており、環境性能の高いプロジェクトを評価するため、認証を得るのが難しいのです。
LEED認証を目指して完成した鈴森village、どのような建物なのでしょうか。
まず建物そのものは、高断熱・高気密で、効率エアコンや節水トイレ・蛇口・シャワーといった省エネ設備を備えています。電気だけでなく水やガスなど、すべてのエネルギーに対して、省エネとなっているのが特色です。つまりここで暮らしていると、自然と光熱費が抑えられるうえに、夏涼しく冬暖かい快適な暮らしが自然と送れるようになっているのです。また、LEEDの要件である「交通利便性」「敷地内の豊かな緑を在来種や適合種(地域の環境に適した種類の植物)で構成していること」「植栽の灌水に雨水を利用し、節水に配慮していること」などにも合致しているため、建物だけでなく、より広く、周辺環境に配慮した建物となっているのです。
とはいえ、環境性能がよいといっても、やはり重要なのは住みごこち。従来の住まいとはどう異なるのでしょうか。今年4月、夫と妻、2人の娘とでともにこの建物に入居し、暮らしはじめたMさん一家に話を聞いてみました。
「前の住まいは築年数が古く、子どもの泣き声が響く、カビが発生する、など気になることばっかりだったんです。この住まいに引越してきて、本当に住居の性能の差に驚いていて。たとえば断熱性や気密性でいうと、外気温に比べて、驚くほど室温が一定してるんです。外気温と差があるので、外に出てびっくりすることもしばしばです。子どもの声もお隣に響くことはないですし。住宅がここまで生活の質、クオリティ・オブ・ライフをあげるのか、と。ストレスがないというか、人生がガラリと変わるというか。木々に囲まれていて、大げさにいうと結界があるというか、守られている感じがします」と夫は話します。
夫は現在、育休を取得しているため、平日の日中は夫妻と下の娘の家族3人で日中過ごしているそう。そのため、なおのこと、今の住まいの居心地の良さを痛感しているといいます。
夫はこの家に引越してきて、断熱や気密性に関心を持ち、室温・外気温を測るようになったとか(写真撮影/片山貴博)
「ベランダなど共用部に植物がたくさん植えられているので、毎日、いろんな鳥がやってくるんですね。鳥のさえずりも緑も心地よくて。日々、家族で鳥を観察しています。また、敷地内外の緑を手入れする職人さんや管理人さんも2~3日おきにいらっしゃって、丁寧にメンテナンスされていると感じます。収納も多く、動線なども考え抜かれていて『間取り決め、設備決定など、家造りの大変なプロセスを全部ふっとばして、『いちばんいいとこ取りした状態』で生活できるんですから、ぜいたくだなあと思いますね」と妻もうれしそうです。
プライベート感のあるルーフバルコニー。すぐ眼の前に草木があり、緑に囲まれているのがおわかりいただけるでしょうか(写真撮影/片山貴博)
2階の踊り場は、夫妻のワークスペースとして活用。自宅内に自由に使えるスペースがあるって魅力的ですよね(写真撮影/片山貴博)
夫妻の住まい探しのきっかけは夫の転勤。そのため、この物件が「環境性能」に配慮していたり、「LEED認証」取得を目指していることを知っていたわけではなく、本当に偶然の出会いだったといいます。
「通勤を考えて、和光市というエリアに住むことは決めていたんです。ただ、引越し期限も決まっていたし、良い物件がないかな~って、それこそ夫婦で毎日、SUUMOの新着物件をチェックして。ある日、妻が興奮しながらすごいのが出た!というので、見たんです。コレはよさそうだと思いましたね」(夫)
以前の住まいにあったシステムキッチンで使っていた家電を上手にコーディネート。買い足したものはないというが、すっきりとおさまり、居心地もよくなったという(写真撮影/片山貴博)
夫は仕事柄、一定期間、家を不在にすることもある。そのときに妻と子どもが安全・安心して過ごせるかが、決め手になったのだそう。
「妻が二人の子どもと過ごすことを考えたときに、高層物件は我が家向きではないと。また、引越してきたときに大家の鈴木さんがご挨拶に来てくださって。以前も賃貸物件に暮らしたことはありましたが、大家さんが挨拶にいらっしゃる経験は初めてで、すごく印象に残っていますね。安全や安心、快適、それと環境を大事にしたいという価値観が似ているからか、隣の住戸に住む家族とも仲良くなりました。人とのつながりという面でも安心できますね」と夫。
国際環境性能をクリアした建物の住み心地が「緑で建物が守られているよう」「結界のような安心感がある」というのはなんとも不思議ですが、実はオーナーが願っていた通りでもあるといいます。この「鈴森Village」のプロジェクトを牽引したオーナーの鈴木早苗さんにも話を聞きました。
“道路村長さん”のDNAがもたらす、100年先まで持つ「賃貸住宅」鈴森Villageのプロジェクトを立ち上げたのは、株式会社「鈴森」の鈴木早苗社長です。鈴木家は400年以上、この和光市周辺の地主であり、現在の「和光市駅」の開設や郵便局の設置にも携わったそう。なかでも、無報酬で地元のために尽力してきた曾祖父(鈴木佐内氏)は、地元の人たちから尊敬を込めて通称“道路村長さん”と呼ばれていたとか。早苗さんにとって、「鈴森Village」のプロジェクトのきっかけとなったのは、「代替わり」を見据えたときのこと。鈴木社長のお母様、現社長の早苗さんと受け継いできましたが、将来のことを考えれば「どの土地を残すのか」「どの土地を整理するのか」は、避けて通れない課題です。
株式会社鈴森の社長・鈴木早苗さん。宅建とFP2級、美容師国家資格を所有するバイタリティの持ち主(写真撮影/片山貴博)
「ここは和光市駅から徒歩5分、2000平米の土地なので、土地活用の方法は多数あります。しかし、売却して分譲一戸建てが並ぶ、賃貸マンションを建てるなどすると、土地がバラバラになって風景が変わっていく。とにかくそれは避けたいなと。100年後も人が和やかに行き交う街であってほしい、100年後も残るものをと考えたとき、建築に造詣が深い夫から出てきたのが、これからは『LEED』のように国際環境規格に合致した建物でないとダメだということでした」と鈴木社長。
地域社会にとっても、地球にとっても持続可能であるというのは、慧眼です。とはいえ、いくら環境によいものといっても、LEED認証を取得するには、コンサルティング費用、建築費・資材費も含めてコストアップは避けられず、生半(なまなか)な覚悟でできることではありません。
「『鈴森Village』の話をしていたとき、ちょうど夫が大病を患っていたこともあり、厳命というか、約束のように思えて、必ずやり遂げるんだ、という思いはありました。また、大家にとって、住む人の安心安全は絶対であるという思いはあります。やはり災害、有事の発生時に家はそこに住む人たちの命と財産を守る砦になるもの。大家には、その責任と覚悟が必要だと思っています」といい、短期的な利益よりも、社会的責任を強く感じているのがわかります。
鈴森Villageは総戸数26戸。3階建ての建物。曾祖父である“道路村長さん”のシルエットがお出迎えしてくれます(写真撮影/片山貴博)
賃貸住宅だけでなく、美容室ほかベーカリーなどのテナントが入る予定。地域にひらかれた場所/設計を目指した(写真撮影/片山貴博)
生い茂る緑の小径。通り抜ける風が心地よい。植栽の管理には気を抜かない(写真撮影/片山貴博)
ただ、建設途中にはウッドショックが発生し、建築費も当初の想定よりも高くなっていくなど、プロジェクトには困難が次から次へと押し寄せます。
「とにかく認証の検査も厳しくて。『この状態だと認証はとれません』とまで言われたりして。建築士、コンサルティング会社、施工会社とも相当のやり取りをしました」と、やはり一筋縄ではいかなかったよう。
そんなさまざまな苦労を経て、実際に建物が竣工したときの鈴木さんの印象を聞いてみました。
「手前味噌ながら『こんな賃貸住宅、見たことない!!』ですね。よくある◯LDKの部屋とあまりにも違うので、一見すると、生活しているイメージがわかなかったんです(笑)。ただ、よくよく見ていくと、間取りや動線、収納などよく考えられているし、特に1階の住戸は自分でも住みたいと思うくらいです。ただ、ぱっと見て、その良さが伝わるかどうかは別。この建物の良さを、どうやって知ってもらうかが、成功のカギになるんだろうな、と思いました」と鈴木さん。
1階の部屋は、玄関のほか、小径側からも室内に入れる。内側と外側がゆるくつながった設計(写真撮影/片山貴博)
緑の手入れには費用がかかる、虫を殺すには殺虫剤を使わないように指導する、建物周辺の空間の清掃など、苦労はつきません。それでも、やり抜けたのは、「これから100年先のことを考えたら『LEED』のような建物を」という夫との約束があったからでしょう。
「今度ね、鈴森Villageで防災訓練をしようと思っています。自然災害は必ず来ますから。そのときに消火栓が使えません、何があるかわかりませんじゃ、困りますから。安全対策は忘れたくないですね。あと、思い描いているのは鈴森Villageに住んでいるみなさんと昔から近隣に住んでいる方々などを交えたコミュニティづくり。年齢を重ねて、長く住んでいただけたらうれしい」(鈴木さん)。
100年持続するというのは、建物だけでなく、そこに暮らす人たちの集いと思いが結実してこそでしょう。建物は完成しても、鈴木さんの挑戦はまだまだ続きそうです。
建築家も「材から考える」「持続可能」を説明する責任がある鈴木さんの思いを形にした、設計を担当した一級建築士事務所スターパイロッツ代表の三浦丈典さんも重要な登場人物です。
「今まで道の駅や図書館など、公共施設を中心に設計してきましたが、入居者の顔が見えない賃貸住宅というのは初めてでしたので、重責だなと思いました。また、鈴木社長からは、とにかく『アフターコロナの時代を想像して設計してほしい』『100年持続可能』というオーダーでしたので、自分なりに仮説を立てて試行錯誤して設計をして。今、こうやってたくさんの方の住まいになって本当に幸せだなと思います」と今の心境をあかします。
設計を担当した一級建築士事務所スターパイロッツ代表の三浦丈典さん。賃貸住居プロジェクトは重責だったと話します(写真撮影/片山貴博)
「LEEDは、単なる建物の「設計基準」ではなく、建物と敷地利用に関わる環境性能を評価対象とします。そのため、建物の環境性能(高気密高断熱、節水など)というだけでなく、施工、建物、完成後の暮らし方まで、さまざまなことが細かく取り決められているそう。こういう「あいまい」を許さず、「細部まで徹底」するあたりが国際基準ですね。建築家としても、かつてない取り組みだっただけに、改めて発見・気付かされることもあったといいます。
「僕ら建築士は、建材を仕様やメーカーで選ぶことが多いんですけれど、建材ができるところ、例えば木材がどのように伐採されるのか、普段はそこまで想像力が働いてなかったんですよね。LEEDはとにかく細かく基準が決まっていて、違法に伐採されていないかなど、トレーサビリティ(※)のところまで問われるんです。施工時の現場でからでる濁水や粉塵を隣地に影響のないように管理するなどもチェック項目です。いわゆる使う責任、つくる責任ですね。基準が細かく定められていることで、改めて設計や建築・建設に携わる責任の重さを痛感しました」
※製品がいつ、どこで、だれによってつくられたかがわかるように、原材料の調達から生産、消費あるいは廃棄まで追跡ができるようにすること
一方で、これからは「環境性能が問われることが当たり前になっていくな」という手応えも感じたそう。
「若い世代にとっては、環境配慮は当たり前のことになってくるでしょう。また、少しずつですが、良い住まいの持つ、居心地よさというのは伝わっていくのではないでしょうか。今回、お住まいの方が『結界』と仰っていたように、環境性能の持つ心地よさを評価してくれる人が増えるし、そのための普及や情報発信も大切だなと思いました」と三浦さん。
日本の住宅、特に賃貸住宅では、賃料、駅からの距離、広さや間取りといった、わかりやすい「スペック」が重視されます。そのため、環境性能、温熱環境で、住まい、特に賃貸住宅を選ぶ人はまだまだ少ないことでしょう。「鈴森Village」の賃料設定は周囲の相場と比較すれば1割程度高めですが、それでも鈴木さんがかけた建設コストや維持管理費用を考えれば、「安い」とすら思えます。
鈴木さんは、自らを「逆境ラバー」と言っていました。鈴木家がなぜ地主として400年以上もその土地と周囲で愛されてきたのか、腑に落ちた気がします。
そんな思いを経て誕生した「鈴森Village」が、今後この地でどんな暮らしを育んでいくのか、楽しみでなりません。
●取材協力
鈴森Village
SUUMO物件ライブラリー 鈴森Village
今夏は、豪雨に見舞われる一方で、連日危険な猛暑が続く気候になっている。熱中症への注意喚起も毎日のように行われ、適切な冷房による暑さ対策が求められている。猛暑の本番はこれからとなるので、エアコンを使いたいものだが、電気代の高騰で節電も気になるところだ。
【今週の住活トピック】
「暑さ対策における節電調査」結果を公表/積水ハウス 住生活研究所
積水ハウスの住生活研究所が、「暑さ対策における節電調査 (2023年)」の結果を公表した。それによると、夏の日中に「外出(屋外)したい派」は54.7%となり、昨年(2022年)の32.8%より20ポイントも増えた。これまで我慢していただけに、積極的に外出しようという人が多いようだ。
ただし、外出(屋外および屋内)したい理由のなかには、外出が楽しい・快適だからとか、運動不足対策などに加えて、「家計(光熱費)の節約」「自宅の電気代懸念」といった声も多く、電気代が高騰するなか、自宅の電気代の節約がこの夏の大きな課題にもなっている。
今年の夏を自宅で過ごすうえで、「電気代節約のための暑さに関する節電対策を実施する」と回答した人は60.6%。この人たちに「暑さ対策における節電の意向」を聞くと、「積極的な節電派」は43.6%(「極限まで節電対策をしたい」8.3%+「対策はできる限り行い節電したい」35.3%)だったのに対して、「無理しない節電派」(対策は心掛けるが無理はしない)が48.2%だった。ほぼ拮抗するが、やや「無理しない節電派」が多いという結果だ。「無理しない節電派」は、この夏を自宅で過ごしたい派に限るとさらに多くなり、58.1%に達するが、逆に、外出したい派では「積極的な節電派」の方が多くなった。
では、昨年の夏にはどんな節電に取り組んだのだろう?
「エアコンの設定温度を上げる」(49.7%)、「エアコンとサーキュレーターや扇風機を併用する」(33.8%)など、節電になるとしてよく知られている方法が上位に挙がる結果となり、おおむねエアコンの運転に関する対策が多くなった。
こうした節電対策を行ったことで、節電の効果は実感できたのだろうか?
意外な結果なのだが、節電対策の効果を実感した人が多いものを見ると「窓からの日差しを遮る」(78.5%)、「窓の断熱性向上」(75.0%)が1位と2位を占めた。この2項目は、前の質問で節電対策として実施した割合を見ると5位(20.7%)と10位(8.4%)で、多くの人が実施したことでもなかったので、意外に感じたわけだ。
にもかからず実感した人が多いのは、暑い日差しが遮断されたという体感が得られたからだろう。すだれなどの日除けを置くだけでも、窓から入る直射日光を遮っているのが実感しやすいものだ。一方、エアコンの運転による節電では、電気代の削減によってしか効果が測れず、電気代自体が上昇しているのでいくら削減されたのか分かりづらいということもあるのだろう。
気になる夏バテ、予防法は運動と入浴さて、リンナイが「夏バテに関する47都道府県意識調査」の結果を公表した。夏バテとは、「夏季の高温と多湿に対応できずに起こる不調のこと」(リンナイのリリースより)。この調査結果によると、「これまでに夏バテを感じたことがある」という回答は78%に達し、かなり多くの人が夏バテを経験していることが分かる。ちなみに、夏バテ経験者が最も多いのは「群馬県」「宮崎県」(90%)で、最も少ないのは「沖縄県」(64%)だった。
では、夏バテの予防法はあるのだろうか?
リンナイが監修を依頼した久手堅 司医師によると、「エアコンをつけて過ごすことが多い現代は、夏の暑さに身体が慣れる『暑熱順化』が獲得しづらい環境にある」という。
久手堅医師によれば、身体に備わっている熱を逃す能力を機能させるために、運動をして発汗量や血流量を増加させるのがよいという。「ウォーキングであれば30分以上、ジョギングであれば15~20分程度」の運動が望ましいそうだ。
また、「運動ができない場合は、入浴時に湯船に浸かることで『暑熱順化』を獲得し、夏バテや熱中症予防の効果が期待できる」という。「38~40℃のお湯に首までしっかりと浸かって、10~15分程度」入浴すれば、深部体温があがり、血流も改善し、発汗効果もあるという。
節電だけでなく夏バテ防止にも、エアコンを上手に使おう久手堅医師によれば、「エアコンは快適な半面、『暑熱順化』を妨げる」リスクがあるという。しかし「特に夜間は、質の良い睡眠で身体を休ませるためにも、最低気温が25℃以上の熱帯夜にはエアコンを使う」のがよいのだとか。
積水ハウス 住生活研究所の調査結果では、「夏の就寝時におけるエアコンの稼働実態」について、「一晩中エアコンをつけている」人は38.4%で、「タイマーを使用して数時間で切る」人は37.2%、「エアコンをつけない」人は23.8%という結果になった。この中で「ほとんど毎日快適に眠れた」という回答が多かったのは「一晩中エアコンをつけている」人(26.0%)で、「快適に眠れた日の方が多かった」(30.2%)と合わせると、56.2%が睡眠の質の高さを感じていることが分かった。
節電のためだけでなく、睡眠の質を上げて夏バテ予防につなげるためにも、エアコンを上手に活用することが推奨される。直接風を当てると体の熱が奪われるので、扇風機やサーキュレーターで室内の空気を循環させるなどの工夫も必要だ。また、窓の断熱性を引き上げる改修なども行って、エアコンで冷やした室内の温度を外気の熱で暖めないようにすることも大切だ。
ほかにも、暑いからと冷たいものばかり飲み食いするのではなく、しっかり睡眠をとったり適度に発汗したりして、自身でも健康管理をするようにしてほしい。
●関連サイト
積水ハウス 住生活研究所「暑さ対策における節電調査」
リンナイ「夏バテに関する47都道府県意識調査」
神奈川県横浜市瀬谷区にある中華レストラン「風の音(かぜのおと)」。店内はバリアフリーで、メニューは介護食にも対応という、高齢者など外食のハードルが高い方も安心して食事を楽しめるお店です。その背景には、「家族と外で食事したい」という高齢者からの声がありました。2008年にオープンした同店は、地域の中でどのような存在となってきたのでしょうか。風の音を経営する株式会社アイシマ総務部長の栗原雅也さんと店長の外川純子さんに、開業のきっかけや地域との関わりについて伺いました。
地元・瀬谷区産の野菜を使い、本場の料理人が腕を振るう「風の音」外観(写真撮影/阿部夏美)
神奈川県横浜市の西端に位置する瀬谷区。東部の三ツ境エリアには、駅周辺の商業施設や商店街のほか、閑静な住宅街が広がります。
横浜駅から相模鉄道本線で約20分の三ツ境駅から10分ほど歩くと、奥行きのある2階建ての建物が見えてきます。この1階が、中華レストラン「風の音」です。経営する株式会社アイシマは、横浜市西部を中心にデイサービスやグループホームなどの介護事業を運営する企業。この建物も、2階はサービス付き高齢者住宅となっています。
人気メニューは平麺を使った「五目やきそば」。大ぶりの魚介と野菜をふんだんに使ったあんが、カリカリに焼いた麺にたっぷりからむ(写真撮影/阿部夏美)
開業当初は、横浜中華街でお店を持っていた経験をもつ中国人シェフが調理を担当していましたが、引退後の現在は中国から呼んだ弟子たちが腕を振るっています。高齢のお客さんに合わせ、味付けは一般的な中華料理と比べると塩分・油控えめの優しい味わい。好みに応じて濃く調整してもらうことも可能です。
野菜は地産地消を意識して、瀬谷区阿久和産のものを使っており、以前は店先の花壇で育てたパクチーを使った料理を提供していたこともあるそう。週替わりのランチメニューは、仕入れた野菜に応じて都度メニューを考えるので、旬の食材をいつでも楽しめます。
「家族と外で食事したい」 施設利用者からの要望でレストラン開業同店の大きな特徴は、介護食にも対応していること。食べ物を飲み込むことが困難なお客さんに向け、食材をミキサーにかけたり、刻む大きさを3段階で用意したりするほか、食べ物が喉を通るスピードを調整するとろみ剤の準備も。どんなメニューでも、追加料金なしで対応可能です。
「食事には、彩りを見る楽しみもあります。刻む場合は完成した料理ごと細かくするのではなく、食材ごとに刻んでから盛り付けるんですよ」と店長の外川純子さん。
そんな風の音がオープンしたのは、2008年12月。アイシマが運営する施設の利用者からの要望がきっかけでした。
店長の外川純子さん(左)、アイシマ総務部長の栗原雅也さん(写真撮影/阿部夏美)
「介護施設の入居者から『たまには家族と外食したい』という声があったんです。でも、車椅子の高齢者が外食に行くにはさまざまな困難があり、なかなか難しいんですよね」
そう語るのは、アイシマの総務部長で、風の音事業を担当する栗原雅也さん。
「一般的な飲食店だと、設備面では通路やトイレの狭さがネックになります。料理に関しては、高齢者は嚥下(えんげ)力が弱まりむせやすいため、食材の硬さや大きさによって飲み込みにくいことがハードルに。また、マイクロバスなどの送迎サービスがあったとしても、車椅子に対応している車でなければ移動ができません。それならば、その声に応えようと思いました」(栗原さん)
こうして、介護事業を通して得た知見を活かしたレストランの運営が始まりました。
完全バリアフリーの店内。誰もが外食を楽しめる環境づくり「高齢者が外食できる場所を」という目的でつくられた風の音。アイシマが運営する介護施設入居者の訪れやすさや、当時の本社にも近かったことにより、瀬谷区三ツ境にオープンしました。瀬谷区は横浜市内でも高齢者が多い地域の一つで、都心で生活している子ども世代がアクセスしやすい場所でもあるといいます。
1階はレストラン、2階はサービス付き高齢者向け住宅という業態にするため、建物を新築し、店内にさまざまなバリアフリーの工夫を施しています。
レストラン店内。奥のテーブルは、大人数での利用向けに長くつなげている(写真撮影/阿部夏美)
どの通路も車椅子やベビーカーが通れるように座席を配置。全てのテーブルは一般的なものより高さを上げている特注品で、車椅子に乗ったまま利用できます。車椅子利用者でない人にとっては使いづらいのでは?と思いましたが、筆者が使ってみても、使いづらさは全く感じませんでした。
約30坪のスペースにはテーブル11卓、席数52席を置いています。広さに対してテーブルや席が少なめの印象で、悠々と食事を楽しめそうな雰囲気です。このほか、6人掛けや8人掛けの中華テーブルを置いた個室の宴会場を設けています。
入口の境にも段差がない造り(写真撮影/阿部夏美)
入口のスロープから客席、トイレまで、店内には一切の段差がありません。車椅子やベビーカーの利用者はもちろん、杖をついている人や幼児にとっても移動しやすそうです。扉は全て自動ドアかスライド式のもので、店内の通路には手すりを取り付けています。
車椅子での方向転換にも不便がないよう、トイレは広々としたスペースを取っている(写真撮影/阿部夏美)
印象的なのは、トイレの設備の充実度。風の音では一般の個室が3つあるほか、車椅子利用者とともに介助者が入っても十分な広さのある個室を3つ設けています。高齢者はトイレが近い方が多いため、例えばグループでの食事会の際、お店に来たときや帰るときにトイレが大混雑、なんてことがあるのだそう。広い個室はベビーカーと一緒でも入りやすく、おむつ交換台も完備。4つの洗面台も全て、車椅子のままでも使いやすい高さにつくられています。
店のイベントで顔なじみに。入居者や地域住民が集う場としてオープン10周年記念イベントの様子。地元出身のアーティストを呼んでコンサートを開催しました(写真提供/風の音)
アイシマでは、風の音で毎月イベントを開催し、地元とのつながりを育む活動を行ってきました。瀬谷区出身の歌手や三味線奏者のライブ、茶道の先生を呼んでお茶をたてる体験のほか、アイシマグループの会長が所有する山に咲いた花を使ったフラワーアレンジメント会を開いたこともあるそうです。
歌手の方やお茶の先生は、もともとお客さんとして訪れた方で、会話を通して活動を知り、「ぜひうちでイベントをやってみませんか」と声をかけたとのこと。こうして、地域のつながりから輪を広げていきました。
「イベントに参加してくださる方は、主に近隣住民や施設の入居者です。イベントで一緒になるうちに顔なじみになり、『また次に会いましょうね』なんて交流が生まれるんですよ」(外川さん)
アクセサリーやドリンクホルダーなど、お客さんがつくったハンドメイド作品を店内で販売しています(写真撮影/阿部夏美)
お客さんのなかには、中華料理を食べずに友人同士の定期的なお茶会の場所として使っている人もいるとか。月に1回ほど、家族が車でお店まで送り届け、数人でデザートを食べながらひとしきりおしゃべりして帰る、という使い方だそうで、なんとも楽しそうです。
「自宅でお茶会をするのはお互いのご家族にも気を使わせてしまうとのことで、場所に困っていたそうです。みなさん普段からよくランチに来てくれる常連さんなので、『ぜひ協力できれば』と風の音を使ってもらうことになりました。お客さんからは『ここに来るとすごく落ち着く。スタッフの方と会話もできるし、家族と過ごすときとは違う楽しさがあるからまた来るね』と言っていただいたり、家族の方からも『風の音なら安心して送り出せる』といった声を聞いたりしていて、すごくうれしかったです」(外川さん)
施設や家とは別の居場所があるということ2階に併設する高齢者向け住宅の入居者には食事が用意されていますが、家族や友人が訪ねてきたときに1階で一緒に食事をしたり、中華が食べたくなったときに電話で注文して1階や2階で食べたりすることが可能です。
風の音で提供するニラレバ。「過去の入居者さんで、ここのニラレバをすごく気に入っていた方がいたんです。オープン以来、毎週必ず食べに来てくれました」と外川さん(写真撮影/阿部夏美)
アイシマが運営するほかの施設の入居者にとっても、風の音へ食事に行くのは楽しみな行事の一つ。定期的に開催される食事会のためにメイクをしたりネイルを塗ったりして訪れる利用者も多いそうです。帰ってきてからも、食事会の感想をおしゃべりしながらまた次回を心待ちにするなど、ただ1回の外食ではなく、その前後にいろいろな楽しみが生まれているといいます。
「介護施設に入ると、どうしても家族と会話する機会が減ってしまうので、生活の中でいかに刺激を得るかが課題になってくるんです。いつもと違う場所に出かけて食事をするといったイベントをつくることは、普段の話題が豊かになる点でもやっぱり大事だなと感じます」(栗原さん)
入口のドア前で。「当初は、来店時に施設の高齢者グループと一緒になると少し戸惑われるお客さんもいましたが、現在では風の音がどのような店なのかをどなたも理解してくださっているように感じます」と外川さん(写真撮影/阿部夏美)
アイシマ全体として高齢者と関わる事業を運営していることから、新型コロナウイルス感染症には慎重に対応し続ける必要があり、2023年6月時点ではまだイベントの開催や他施設からの来店を再開できていません。今後についてお二人は、「少しずつ元の状態に戻って、これまでと変わらず地域に寄り添ったお店でありたい」と話してくれました。
一方で最近は、県外の特別支援学校などから「イベントの一環として利用したい」という連絡が増えているそうです。取材に伺ったときも、翌日には長野県の学校から修学旅行で訪れる予定が入っているとのことでした。
「観光で横浜に来たとしても、バリアフリーで介護食対応のお店は、中華街にはなかなかないと思うんです。風の音でゆったりと本格的な中華料理を楽しんでもらって、『横浜でおいしい中華を食べた』という思い出を残せるような使い方をもっと広めていきたいですね」(外川さん)
いくつになっても安心して通えるからこそ、「長く愛せるお店」にニラレバや餃子、前菜の盛り合わせ、五目焼きそばなど。奥に映るのは筆者の祖父母(写真撮影/阿部夏美)
実は、風の音の近所に筆者の祖父母が住んでおり、以前から親戚の集まりなどでお店を利用していました。かつての食事会ではベビーカーに乗った乳幼児もいて、高齢者から子どもまでいるグループでみんながのびのびと食事できる場所は貴重だったのかなと思います。
祖父母とは3年ほど会えていませんでしたが、今回の取材後、久しぶりに声をかけて一緒に風の音に行ってみました。わいわいしながら大皿を取り分けて食べる中華料理は、誰かと食事する楽しみをより一層感じられる気がします。祖父母は以前会ったときよりも移動が大変そうになっていたり、耳が遠くなったことでお互いに大きめの声で会話したりしましたが、ここでは周りを気にすることはなく、当事者のみならず同行者も落ち着いて過ごせるお店なのだと再認識しました。
風の音に関して特徴的だと感じたのが、施設の入居者のためにつくられたお店でありながら、地域住民も利用できるという点です。栗原さんによると、入居者限定の食堂を併設している施設などはあっても、一般の方も入れるところはあまりないとのこと。実際、風の音のお客さんは6割ほどが地域住民の方々だそうです。施設の中だけで閉じてしまうのではなく、イベントの開催も通じて、異なる施設の入居者同士や近隣住民同士などがつながれる場を積極的につくってきたことが、長い月日にわたって風の音が地域に愛されるお店になった理由なのかもしれません。
●取材協力
中華レストラン「風の音」、株式会社アイシマ
高齢者や生活困窮者の住宅確保と自立支援を一体的に進めるため、厚生労働省と国土交通省が連携して取り組む『地域共生社会づくりのための「住まい支援システム」構築に関する調査研究事業』実施自治体として、2022年度まで選定された全国5市の1つ、福岡県北九州市。かつて北九州工業地帯の中核として繁栄したこの街は、今は全国の政令指定都市の中で最も高い30%を超える高齢化地域となりました。同時に単身・高齢世帯は、オーナーや不動産会社が物件の提供を拒否する対象となりやすいことから、住宅確保問題の課題先進地域となっています。
事業実施自治体として選出された背景には、ホームレスや居住困難を抱える人たちに寄り添い尽力してきたNPO法人や困窮者問題に取り組む民間の不動産会社の存在と、行政との連携・協働体制がありました。全国から注目されるようになるまでの軌跡や北九州市における居住支援の今、そして今後の課題を当事者の皆さんに聞きました。
高齢化とともに拡大した「住まいの確保に困難を抱える人たち」北九州市 建築都市局 住宅計画課の尋木さやかさんと樋口泰輔さん(取材当時、現在は別部署に異動)によると「北九州市において住まいの確保に配慮が必要な人の中でも特に増加しているのが、高齢者」だと言います。高齢者の単身世帯や夫婦のみで暮らしている世帯は市内に11万世帯を超え、高齢者のいる世帯の60%以上に達し、今後も増加が見込まれます。
「また、障がいがある人のうち、知的障がいと精神障がいのある人が2017年以降はおよそ2万6000人を数え、少しずつ増加傾向にあります。その一方で、市営住宅の世帯数に占める割合は2022年度末現在で全国の政令市平均の約2倍、管理戸数にして約3万2000戸程度あるものの、将来的な世帯数の減少予測などを踏まえ、2055年までに約2万戸まで減らす計画が進行中です」(北九州市 樋口さん)
北九州市の高齢者は年々増え続け、特に単身世帯や夫婦のみの世帯が増加している。また、障がいのある人の数自体は横ばいだが、知的障がいのある人、精神障がいのある人は増加傾向にある(資料提供/北九州市)
市営住宅を減らしていくためには、すでに十分存在している民間の賃貸住宅への入居を増やしていくことも必要です。しかし、賃貸オーナーや管理会社の中には、孤独死や近隣トラブルなどを懸念し、高齢者や障がい者などの受け入れに消極的なところも少なくありません。市営住宅に安価で入居できていた人たちが、新たに居住困難に陥ることがないよう、貸し手の不安を軽減しながら、民間の賃貸住宅に入居しやすくなるような支援がますます必要です。
国のモデル事業に指定された、北九州市の居住支援とは北九州市は、厚生労働省と国土交通省が行う『地域共生社会づくりのための「住まい支援システム」構築に関する調査研究事業』実施自治体に選定されています(他に2022年度までに選定されたのは神奈川県座間市、兵庫県伊丹市、宮城県岩沼市、石川県輪島市)
「2012年には、北九州市・居住支援団体・不動産関係団体からなる『北九州市居住支援協議会』を設立し、居住支援の体制をつくってきました。さらに市内の不動産会社に呼びかけ、高齢者や障がいのある人が安心して賃貸住宅を探せるよう協力する不動産会社を『住まい探しの協力店』として登録しています。住まい探しの協力店は高齢者世帯・障がい者世帯であることを理由に入居を拒むことはありません」(北九州市 尋木さん)
住宅確保要配慮者の民間賃貸住宅への円滑な入居の促進を図るために、2012年に北九州市・居住支援団体・不動産関係団体からなる北九州市居住支援協議会が設立された(資料提供/北九州市)
さらに北九州市では、居住支援協議会と居住支援法人とがより密接に連絡・連携を図るため、2022年2月に「居住支援法人連絡協議会」を設置しており、2022年度から会長及び副会長が委員として正式に居住支援協議会に参加しています。
北九州市では、居住支援法人の存在をより多くの不動産会社やオーナーに届け、理解を深め、住宅確保要配慮者の民間賃貸住宅への円滑な入居に協力を得られるよう、動画やリーフレットによる普及啓発活動も行っている(画像提供/北九州市)
NPOが行政に提言。「行政がやるべきこと」と「民間がやるべきこと」市民協議会の発足などを先導してきた NPO法人の抱樸は、低所得層や高齢者への支援活動を行ってきました。
しかし、かつては、低所得者や高齢者、障がい者などへの福祉的な支援や対応について、抱樸と北九州市の福祉部門の間で意見がぶつかることもあったそう。転機となったのは、2003年に抱樸から「行政がやるべきこと」と「民間がやるべきこと」を提言書としてまとめて行政(北九州市)に提出したことだったといいます。
これを機に、行政と民間の協働が本格的に始まります。
「私たち抱樸は、最初にアパート5部屋を借り上げて、低所得者や障がいのある人が社会への自立を目指していくための『自立支援住宅』をつくりました。民間の団体がスピードをもって実践してみせた結果、その3年後に北九州市は自立支援住宅を参考に、50床を有し、24時間支援員を配置し、朝・昼・夕の3食を提供する『ホームレス自立支援センター』を立ち上げたのです。
民間だけでこれだけの規模の施設をつくることはとてもできません。行政ができることと民間ができることは違うので、これからの住宅問題においても、その間をどう繋げていくかの議論が重要になってくると思います」(抱樸 奥田さん)
北九州市が立ち上げたホームレス自立支援センター。抱樸に委託する形で運営されているが「ここまでの規模の支援施設を民間だけの力で立ち上げることは難しい、行政との協働が必要だ」と奥田さんは語る(資料提供/抱樸)
2017年以降、支援の実務を担う抱樸は、居住支援の枠組みを作る組織「北九州市居住支援協議会」に、居住支援法人としてオブザーバー参加。行政と民間の繋ぎ役として、新しい一歩を踏み出します。さらに2019年ごろからは福祉部門だけでなく、北九州市の住宅部門とも協働するようになりました。北九州市内の居住支援法人の代表として行政と民間を繋ぐ役割を果たし、現在、奥田さんは先に紹介した「北九州市居住支援法人連絡協議会」の会長としても活動を続けています。
地域の不動産会社との連携で、民間の賃貸住宅を提供しやすくなる仕組みづくりさらに抱樸は、先で紹介した「自立支援住宅」を皮切りに、社会生活に困難を抱える人たちの状況に応じたさまざまな形態の住まいを提供してきました。自分で生活できる人に対しては入居できる住宅の提供を、生活の支援が必要な人には24時間生活支援付きの共同居住施設を運営しています。
しかし、奥田さんは「高齢者や障害のある人、ひとり親家庭など、住まいを必要とする人が多様化するなか、多くの人に必要なのは、ただ家を提供するのではなく、社会とのつながりを支援する住宅と暮らしの一体型支援」だと考えています。そこで行き着いたのが、「地域居住型」の居住支援でした。
抱樸が行っている居住支援。利用者の状況によって提供する支援も変わるが、図のBのような、住宅と一部見守りや互助支援で社会参加を支える「地域居住型」のニーズが高まっているという(画像提供/抱樸)
地域居住型の住宅支援は、住まいの確保に困難を抱える人たちが一般の民間賃貸住宅に入居し、地域に見守られながら支援を受けて暮らしていくものです。この形態を維持しながら運営し続けるためには、人手もお金も必要です。また、民間企業の理解や協力も欠かせません。
北九州市で不動産業を営んでいる田園興産は、1981年ごろから北九州市内でワンルームマンションを中心に住宅を供給している会社です。田園興産の代表・田園直樹さんは、抱樸から「住宅の確保に配慮が必要な人が入居できる住宅を提供してもらえないか」との相談に、自社の所有する築30年超えのマンション60室を「家賃は通常家賃の6割、入居者が入ってからの家賃支払い」という条件で、抱樸にサブリース(一括借り上げ)形態で物件を貸すことにしました。
「本来、サブリースは、管理者が複数の住戸を一括で借り上げてオーナーに定額の家賃を支払う方式なので、空き部屋が出ると管理者(このケースでは抱樸)がリスクを負うことになります。田園さん(オーナー)が居住支援に対して理解があり、抱樸にとってリスクの小さい条件設定をしてくれたおかげで、公的な資金に頼らずに支援費を出すことができるようになりました。3万円の家賃の物件を抱樸が2万円で借り上げ、その差額が入居者の生活支援を行うスタッフの人件費などに充てられています」(抱樸 奥田さん)
これにより抱樸では、性別や年齢、収入などにかかわらず、多様な人たちを受け入れることができるようになりました。
プラザ抱樸など借上型支援付住宅は、抱樸が家主(オーナー)からマンションを借り受け、入居者に部屋を提供するサブリース型。入居者が支払う家賃から、見守りなどの支援費用が充てられる(画像提供/抱樸)
しかし、この破格の条件は、企業の事業として成立するのでしょうか。
「奥田さんから物件を貸してほしいとお話をいただいたのはちょうど、建設時の融資の返済が終わった時期です。マンションが古くなり空室も多くなっていたため、そのままで部屋の状態が悪くなっていくよりも、どなたかに住んでもらったほうが良いと考えました。借金の返済が終わっていたので、『6割の家賃』でも『入居してから家賃発生』でも当社が損をすることはなく、事業として問題はなかったのです」(田園興産 田園さん)
ただし「田園興産のような会社は稀有」だと奥田さんは話します。一般的な物件の管理契約では、オーナーの考えや、すでに入居している人たちへの配慮などにより、入居できる人が限られてしまう可能性もあります。そのため抱樸は、一括借り上げのマスターリースという方法を選択することで、審査を自分たちで行い、オーナーの意志に大きく影響されずに住まいを必要とする人が入居できるようにしたのです。
見守り支援付き住宅「プラザ抱樸」は、先の画像で「B2.借上型支援付地域居住」として運営しているもの。抱樸が一括で借り上げて管理することで、オーナーの意志に影響されることなく、どのような人でも入居できるようになった(画像提供/抱樸)
今後は「支援付き住宅」ではなく、「住宅付き支援」が必要奥田さんは、今後の居住支援は、福祉と住宅の連携がますます必要になってくるといいます。
「福祉に携わっている人は、不動産の取引や法制度についてよく知らない人が多く、不動産業界の人は福祉のことをほとんど知りません。お互いの領域を勉強していかないと、理解し合うことができずに話が進まなくなってしまいます。
そして、机上の会議や勉強会を行うのではなく、いま目の前の困っている人にどう対応するか、実際に動いていくことが大事です」(抱樸 奥田さん)
また、日本の社会保障制度は、家族がいてその支えがあることが前提となっていますが、実際は総世帯のおよそ40%が、いざというときに支える家族や相談できる相手がいない単身世帯です。
日本の医療や介護といった社会保障制度は家族がいることが前提だが、現在は40年前とは違い、総世帯数のおよそ40%が単身世帯というのが現実(画像提供/抱樸)
この現状を踏まえ、奥田さんは今後の居住支援のあり方に関しても提言します。
「これからの居住支援は、身内に頼れない単身者を社会とどうつなげていくかを真剣に考えなければなりません。これまで当たり前のように家族が担ってきた機能をこれからは社会が担う『家族機能の社会化』を目指すべき、というのが私の考えです。これからは私たちのような第三者が単身者と社会とをつなぐ役目を果たしながら、新しい民間のあり方や制度が必要とされています」(抱樸 奥田さん)
家族や企業の支援が前提の従来の日本型社会保障制度では成り立たなくなっている。家族や企業の支援が受けられない人たちを取りこぼさない、新しい支援や制度が必要(画像提供/抱樸)
「住まいにおいては、これまでのように生活支援と住宅をセットにした『支援付き住宅』だけではなく、切れ目のない伴走型の支援の中でその時々に合わせた住まいを提供する『住宅付き生活支援』という考え方へのシフトが必要です。その実践のためにはより多くの低廉な民間賃貸住宅が必要で、先のサブリース形態やオーナーさんが福祉部分をアウトソースするような形が有効に働くと考えます。不動産会社、とくに管理会社にとってこれはビジネスチャンスにもなり得るのではないでしょうか」(抱樸 奥田さん)
奥田さんの言葉に、居住支援と福祉は決して別々に考えることはできないことを改めて認識しました。
住まいの確保に困難を抱える人たちの支援を定めた住宅セーフティネット法を、空き家や空室を活用し減らすための法律と捉える自治体も多いようですが、居住支援とは、住まいを提供するだけのものではありません。社会的な孤立や孤独をどう防ぐかが、奥田さんが目指す「助けを必要としている人が『助けて』と言える、助け合える街。誰もが一人にならない、誰もが安心して暮らせる街」を実現する鍵となるのではないでしょうか。
そのためには行政がつくる土台を前提に、支援が必要な人たちに寄り添い、継続して支援するNPO法人や民間企業が果たす役割は大きいと感じました。
特に高齢化と単身化が進む日本で、これまで身内が担ってきたケアを支援や制度でどうカバーしていくのか、住宅付き生活支援型の居住支援が全国規模で実現する日が来るのか、北九州市の居住支援、今後の展開にも目が離せません。
●取材協力
・北九州市
北九州市居住支援協議会
居住支援法人に関する情報提供
・NPO法人 抱樸
・株式会社田園興産