石川の風土と人々の情熱が生んだルビーの輝き。奇跡のブドウ、ルビーロマン。前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

ルビーロマンミステリアスな郷里の食材の産地を訪ねて。

夏のある日、石川県内のとあるブドウ畑。広がるブドウ棚の下には、大きな体をかがめ、たわわに実る房を入念に観察する世界的シェフの姿がありました。パティシエ、ショコラティエの辻口博啓(ひろのぶ)氏です。

辻口氏は、史上最年少23歳での「全国洋菓子技術コンテスト大会」優勝を皮切りに、パティシエのワールドカップと称される「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」など国内外の大きな大会で栄冠に輝いた希代の逸材。東京・自由が丘に『Mont St. Clair(モンサンクレール)』をオープン後、世界初のロールケーキ専門店『自由が丘ロール屋』やショコラトリー『 LE CHOCOLAT DE H(ル ショコラ ドゥ アッシュ)』、和スイーツ専門店『和楽紅屋』など10以上の業態の店を展開。精力的な活動を続けています。

大きな一粒の皮を半分ほどむき、一気に頬張った辻口氏は、開口一番、「やっぱりみずみずしさが違うね、ルビーロマンは」と興奮気味です。もう一粒じっくり確認するように味わい、「この上品な甘みとジューシーさは、ルビーロマンにしかない魅力なんだよなあ」とうなります。
そう、ここは石川県特産の高級ブドウ「ルビーロマン」の畑。収穫の最盛期を迎え、ピンポン球大の粒をみっちりとつけた巨大な房が連なっています。

辻口氏の生まれ故郷は石川県七尾市。現在も金沢市で料理学校を運営するなど石川県との関係は深く、月に数日間は県内で仕事をこなしているといいます。県内の食材探しにも熱心で、七尾市の崎山いちごや加賀野菜のさつまいも・五郎島金時などはお気に入りです。しかし、石川県産食材に明るい辻口氏であっても、ルビーロマンのほ場に入るのは初めてとのこと。極めて希少性の高いルビーロマンは、種苗の流出防止対策として生産者のほ場が徹底管理されています。ルビーロマンは14年の歳月を費やして開発された、世界でも石川県だけで産出される最高級ブドウなのです。

ルビーロマンの認定基準をクリアしているとおぼしき一房を収穫する辻口氏。粒と房がいかに大きいかがわかるだろう。

もぎたてのルビーロマンを試食する辻口氏。あふれる果汁にあらためて驚く。

ルビーロマン大粒で、赤い。新しい高級ブドウ品種を。

石川県内のブドウ農家たちの強い要望を受け、石川県農林総合研究センターが新しいブドウ品種の開発計画をスタートさせたのは1995年(平成7年)のこと。当時、県内のブドウ栽培は、数十年にわたってデラウエアが多くを占めていました。デラウエアはアメリカ原産の紫色で小粒の品種。かつては高い商品力があったものの、1970年代から単価は低迷。巨峰など大粒の高級品種の台頭もあって、デラウエアに変わる新しい品種を求める声が大きくなっていました。

辻口氏にとってもデラウエアはとても身近な果物だったといいます。
「夏のプールや部活の後のおやつといえば、キンキンに冷えたデラウエア。夏祭りの締めも決まってデラウエアでしたね。冬場のこたつのみかんのように、夏場にはデラウエアは必ず各家庭に常備されていて、いつでも好きなだけ食べていいものでした。大好物でしたが、確かにありがたみは薄かったかもしれません。美味しいブドウではあるけれど」

石川県農林総合研究センターの主任研究員・井須博史氏は、開発の経緯をひも解きます。
「高級感のある新しいブドウ品種がほしい。大粒で、しかも赤いブドウはできないかと。生産者からはそのような要望が上がっていたと聞いています。赤いブドウなら巨峰と差別化できるし、巨峰やマスカットと詰め合わせにすれば、赤・黒・緑のセットにできて付加価値も上げられるからと。そこで、研究センターは全国から赤いブドウの品種を8種ほど集めて実際に植えてみました。しかし、ほとんどの品種は色づきません。ある品種は良い色になったものの、一雨降っただけで実が割れてしまいました。最終的に、風土に合う品種を人工交配によって開発するしかない、という結論に達したのです」

ルビーロマン研究会の大田昇会長(右)に質問する辻口氏。3代にわたってブドウをつくり続けてきた大田氏にとっても、ルビーロマンはまだ分からないことばかりだという。

ルビーロマン理想高き未知の品種を探す荒波への船出。

石川県のブドウ産地は昼夜の気温差が大きくありません。既存の赤い品種が育ちにくいのは、そこに原因がありそうでした。大粒の品種に、赤い品種を掛け合わせてはどうかと考え、当時、国内最大と言われた黒くて大粒の藤稔(ふじみのり)を母親に選びました。担当スタッフは5人。ブドウの花が開く前にマッチ棒の先のようなつぼみをピンセットで一枚ずつはがし、おしべを取り除いて、綿棒でめしべに花粉を付けていきます。ブドウの開花時期は短く、2日ほどが勝負。休日返上でビニールハウスにこもり、棚から下がる小さな花をヘッドルーペを通して凝視しながら緻密な作業を何時間も続けました。

リンゴやナシであれば、一つの果実に10粒近くの種が入りますが、ブドウは入っても1粒か2粒。この人工交配によって採れた種は、わずか40粒でした。

「翌年、その40粒に加え、藤稔の種400粒を育苗箱にまきました。もしかすると藤稔も自然交配によって赤い実をつけるかもしれない。万に一つの可能性にも賭けてやってみようと考えたからだったそうです。人工交配の種から育った苗10本、藤稔の種から育った苗70本をビニルハウスに植え替えました。当時、研究センターの一番奥にある目立たない場所が選ばれました。というのも、上司や他のスタッフからは『そんなモノになるかわからない作業に時間をつかわずに、もっとやるべき仕事があるだろう』という圧力が強かったからとのこと。プロジェクトはこっそり進められていったのです」(井須氏)

幼木は3年目から実がなり始めます。結果は意外なものでした。80本のうち4本の木に赤い実がつきました。4本もついたことが予想外でしたが、その4本すべてが藤稔の種から育ったもので、人工交配のものではなかったのです。結果的に、人工交配は狙い通りにはいきませんでしたが、わずかな可能性があるならばと植えた機転が生きました。当時、研究センターには数十種類のブドウが栽培されていて、そのブドウのどれかの花粉が空中を漂って藤稔にたどり着き、自然交配して赤い実をならせたと考えられています。万に一つの奇跡が現実化しました。

ルビーロマン開発の歴史を紹介する石川県農林総合研究センターの主任研究員・井須博史氏(中央)。同センターにとってもルビーロマンは先輩たちから受け継いだ大切な財産だ。

粒がそろい、全面が鮮やかな赤色であることも必須。しかも房として整っていなければならない、と越えるべきハードルは非常に高い。

一般的に農地に求められる地力があり過ぎても、雨に恵まれ過ぎてもルビーロマン栽培はうまくいかない。収量をあげようと枝を広げ過ぎても粒が大きく育たない。

ルビーロマン人工交配の努力は一蹴された。しかし奇跡は起きた。

4本の幼木のうち、最も味がよく、かつ鮮やかな赤色の実をつけ、栽培のしやすい木が原木に絞り込まれました。品種登録申請の準備を進める一方、名称を公募し、600以上の案の中から「ルビーロマン」と命名されました。
原木から取った枝を接木(つぎき)して大切に木を増やしていき、2005年(平成17年)には県内5生産地で50本の現地栽培試験を開始。翌2006年(平成18年)には、生産者らによるルビーロマン研究会が発足しました。会長に就任した大田昇氏は当時を振り返ります。
「ルビーロマン研究会では議論すべきことが山のようにありました。栽培方法の情報交換だけでなく、ルビーロマンを高級ブドウとして育てるためには流通のルールも決める必要があります。農作業後、夕方5時に集まって夕食の弁当を食べながら話し合いますが、議論が紛糾して深夜に及ぶことも多々あった。早朝からの農作業と深夜までの話し合いにイライラが募り、大きな声が飛び交うこともありました。ですが、ここで妥協せずに議論を尽くしたことがよかった。生産者全員が納得するまで話し合い、一丸となって取り組んだことで、ルビーロマンというこれまでにないブドウを生み出せたのだと思います」

議論の主題は、栽培にも流通にも深く関係し、営農のあり方も左右する「ルビーロマンの基準」でした。出荷基準は次のとおりです。
・一粒あたりの重さ概ね20g以上
・糖度18度以上
・粒の色が専用のカラーチャートで基準を満たしたもの

JAの検査員によってこれらの基準をすべて満たすものだけがルビーロマンと認定され、認証タグが取り付けられます。そして、専用の出荷箱には生産地と生産者が記載されたシールが添付されます。いくら大粒になっても、すべての粒がきれいな赤色でなければ、そして房として整っていなければいけないのです。この基準を満たす商品化率は、50%の実現も難しいと推定される中、極めて厳格なルールが設けられました。

2008年8月、ルビーロマンは金沢市中央卸売市場で初競りを迎えました。一房に数千円、1万円という値が付くのを確認し、大田氏はほっと胸をなで下ろしたといいます。そして、最後にうれしいサプライズが待っていました。
「10万円!」の一声。場内がどよめきます。初売りにはご祝儀相場が付き物とはいえ、一粒あたりの換算で3,000円にもなる高値は大きな話題となり、ルビーロマンの名が全国に一気に知れ渡るきっかけになりました。苦節14年、石川県農林総合研究センターで延べ20名ほどの関わったスタッフ、ルビーロマンと真剣に向き合った農家の方たちの努力が報われた瞬間です。

2011年の初競りでは、一房50万円の最高値を記録しました。落札者は、何を隠そう、辻口氏だったのです。

一房ずつ丁寧に袋がけされるルビーロマン。手間はかかるが、単価も高いことから、営農の発展に大きく貢献する。

石川県のブドウ産地はエリアによって、砂地、粘土、赤土と土壌の性質が異なる。地域によって品質の差が生じないための栽培方法の確立が模索されている。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

本記事は、ONESTORYと石川県が共同で企画し、取材は石川県農林総合研究センターにおいて、県職員立ち会いのもと特別に行ったものです。

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ルビーロマン×パティシエ・辻口博啓氏。奇跡のブドウが巨匠渾身のスイーツに。後編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

ルビーロマンを素材にパティシエ・辻口博啓氏がつくり出したオリジナルのヴェリーヌ「ルビーロマン」。

ルビーロマン石川出身者としてパティシエとして、ルビーロマンへの想いを胸に。

石川県発の高級ブドウ「ルビーロマン」は現在、加賀市、小松市、金沢市、かほく市、羽咋(はくい)市、宝達志水(ほうだつしみず)町で栽培されています。ルビーロマンは辻口博啓氏にとってひときわ思い入れの深い果物です。2011年(平成23年)の東日本大震災の発災後、辻口氏はパティシエとして復興支援に何か貢献できないかと考えました。被災した宮城県の中学生を郷里である石川県七尾市和倉温泉の旅館『加賀屋』に招待し、ルビーロマンを振る舞いました。その一房を初競りで、50万円で競り落としたのです。そこには1日も早い復興への願いと、地元石川県への感謝の気持ちを込めたといいます。

「日本一とも言われる美味しいブドウを味わって、少しでも気持ちが明るくなってほしい。そして、初競りが話題となりルビーロマンの認知度が上がれば、ブドウ農家の方々の日頃の苦労が少し報われるかもしれない。そんな思いがありました。初競りはあくまでご祝儀相場ですが、近年は高値の更新が続き、今年は一房140万円の値がついたとか。卸売価格も巨峰の2.5倍程度を維持しているそうで、洋菓子店を営むいち消費者として応援してきた僕にとっても、とても感慨深いものがあります。正直、高級過ぎてお菓子の材料としては手を出しにくいというのが悩ましいところではありますが(笑)」

辻口氏は、ルビーロマンの畑で受けたインスピレーションを持ち帰り、ルビーロマンを使った新しいスイーツづくりに取り組みました。お菓子づくりの技術によって素材本来のエレガントさを引き出し、果実をそのまま味わうのとはまた違った表情に昇華させます。そんな辻口氏渾身の作は、その名も「ルビーロマン」。期間限定で実際に購入することもできます。

ルビーロマンを一粒一粒、果肉の具合を確認し。愛おしむようにカットする辻口氏。

ルビーロマン

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・商品名 ルビーロマン
・価格  1,200円
・販売期間 9月下旬までの予定(収穫により前後あり)
  ※毎日数量限定発売
・発売店舗
 Mont St. Clair/モンサンクレール
 東京都目黒区自由が丘2-22-4
 03-3718-5200
 https://www.ms-clair.co.jp/
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ルビーロマンのみずみずしさ、皮に秘められた旨みも丸ごといただく。

辻口氏の新作スイーツ「ルビーロマン」は、ルビーロマンをふんだんに使ったヴェリーヌ(ガラス製の器に入れたデザート)です。主役であるルビーロマンは乱切りにした生の果実のほか、さまざまな形で盛り込まれています。ジュレ、コンフィチュール、赤ワインとカシスのギモーブ(マシュマロ)にもルビーロマンの果汁がアクセントに。これらにライムが香るリコッタチーズのクリームとシャンパンのジュレ、ココナッツのメレンゲが花を添えています。
ポイントは皮の旨みだと辻口氏は話します。

「みずみずしいルビーロマンを皮ごと炊いてコンフィチュールにしています。渋みも含めた皮本来の美味しさを出すと味わいに深みが出て、加熱し濃縮することで果肉の甘みも増します。フレッシュでジューシーな生の果実と濃縮したコンフィチュールを掛け合わせることで、みずみずしさと味わい深さの双方が一層際立ちます。同じブドウ由来であるシャンパンのジュレは風味にシナジーをもたらし、みずみずしさと相性のいいリコッタチーズのコクは味を立体的にしてくれます。果実のプルンとした喉越し、ギモーブのモチモチ感、メレンゲのサクサク感、いろんな食感も楽しみながら、ルビーロマンのエレガントな風味を堪能していただきたいです」

ルビーロマンを皮ごと炊いてコンフィチュールに。皮の渋みも旨みに変え、ルビーロマン本来の味わいを一層引き立てる。

ルビーロマンのジュレ、リコッタチーズのクリームなどを重ね、ルビーロマンの果実も大胆にあしらう。

合わせるココナッツのメレンゲも繊細そのもの。

ルビーロマン食材が育まれた歴史、生産者の情熱もひと皿に。

ONESTORYフードキュレーター・宮内隼人は、試作品を夢中で完食すると、「さすが……」とため息を漏らしました。
「ルビーロマンという食材が完璧に辻口さんらしい“フランスのお菓子”になっている。グラスの中のどこをすくうかによって、味わいが変わって、そのひとさじひとさじがどれもたまらなく美味しくて楽しい。ルビーロマンくらい素材として力のあるフルーツなら、たとえばアイスクリーム主体のパフェなど無難に仕上げることもできるでしょう。でも辻口さんは、さまざまな技術と緻密な計算を凝らして、ある意味クラシカルなスタイルでまったく新しい美味しさを提示してくれました。トップパティシエの真骨頂を見た思いです」

辻口氏は今回、ルビーロマン栽培の現場を視察できた意義の大きさについて話します。
「ブランドを一からつくり上げ、守っていく。生産者の方々の並々ならぬ情熱を肌で感じました。種苗の流出に対する危機意識も想像を超えたものでした。商品化率が50%を超えた年は過去たった2回だけ。29%に低迷した年もあるそうで、いまだ栽培方法は試行錯誤が続いているといいます。そういう意味では、まだ進化している、そして今後も常に進化し続けていく。奇跡的に生まれたブドウ、ルビーロマンはこれからも神秘的な存在であり続けるのだと思います」

そのルビーのごとき珠玉の味わい。年に一度の旬を確かめるのは、日本に暮らしているからこそ体験できる口福と言えるでしょう。

それぞれの素材の配置、バランスを試行錯誤しながら最終形へと向かう。

パティシエとしての修業経験もあり、辻口氏を尊敬するONESTORYフードキュレーター・宮内隼人。「どこをすくって味わってもプロフェッショナリズムが感じられる」と感服。

丹精込めて育てられたルビーロマンと辻口氏渾身のスイーツ「ルビーロマン」。気高いルビーの輝き。

辻口氏独立の出発点となり、今なお旗艦店として絶大な人気を誇る自由が丘『Mont St. Clair』。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

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経験したことのない、圧倒的な風味、余韻に酔う。後編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

『片折』にて、「のとてまり」が炭火焼きに。焼いているそばから、いかにも旨みの詰まった香りが立ち込める。

のとてまり奥能登の自然と共に生きる人々の知恵で育まれた椎茸栽培。

奥能登原木しいたけ活性化協議会初代会長の新五十八氏は、珠洲市で20歳の時から椎茸農家を50年間続けてきた、奥能登の椎茸栽培の草分け。取材班が訪れると、奥能登の椎茸の歴史を紐解いてくれました。

新氏は目ぼしい作物のない奥能登で営農する苦肉の策として、椎茸を選んだと話します。平地の少ない奥能登では米作りは難しい。今でこそ交通の利便性は上がったが、50年前は野菜を作っても新鮮なうちに遠い消費地へ運ぶことはできなかった。酪農を始めるには資金がない。そこで目をつけたのが干し椎茸だったといいます。

「干し椎茸なら交通事情にあまり影響されず、年間を通じて出荷できます。奥能登には塩田の文化があったので、塩を煮炊きするため薪や炭が大量に必要だったことから、山にはスギやヒノキは植林されず、コナラを中心とした雑木林が保たれていました。塩田の衰退に伴い薪の需要は落ちている中、このコナラを原木に活用することもできる。それで友人とお金を出し合って椎茸栽培を始めました」

一般的に、椎茸栽培には半島が適していると言われているそうです。強い風が吹き抜け、適度な湿度があり、1日の寒暖差が大きい。能登では良質な椎茸が育ちました。石川県民はきのこ好きであることも相まって干し椎茸生産は順調に成長し、1980年代半のピーク時には椎茸農家は約200軒近くに、生産量は100トンにも達しました。ところが、中国産干し椎茸の台頭により、国産ものは暴落。椎茸を諦める農家は後をたたず、生産量はほどなく1トンにまで落ち込みました。

新氏は根気強く椎茸栽培を続け、1990年代から新しい菌種であった115を使った生鮮用椎茸の出荷に力を入れ、JAらと一緒に「のと115」のブランド化に取り組んできました。そのフラッグシップとして誕生したのが「のとてまり」だったのです。

「ご祝儀相場とはいえ、我が子のように育ててきた『のとてまり』が初出しで十数万円もの値がついたときは、さすがにようやくここまで来れたな、と思ったね」と新氏。「のとてまり」は生産者の思いを一身に受けて、大きく成長してきたのです。

珠洲市の森の中で長年、椎茸の露地栽培に取り組んできた新五十八氏。数年前に病気をしてからは、自家消費用に少量の栽培を続けている。「コナラとアカマツが混在する奥能登の森は、雨をゆっくりと土に浸透させる、椎茸には最高の環境」と話す。

定年退職後、椎茸栽培に取り組む山方正治氏。1回3時間も要する丁寧な水やりなどによって、収穫される椎茸はどれも高品質と評価が高い。

山方氏は水道工事用のミラーを愛用。傘の裏側の巻き具合のチェックにも余念がない。

農場の見学には、ONESTORYフードキュレーターの宮内隼人(右)も同行。片折氏と共に、山方氏がつくった「のとてまり」認定間違いなしとおぼしき椎茸に圧倒された。

山方氏の「のと115」栽培用ハウス。積雪による安定した水分供給や風による刺激が椎茸の成長を促すとみられ、大雪や台風の自然災害が多い年は豊作になることが多いという。

のとてまり「のとてまり」の高い発生率の秘密は、丁寧な水やりにあり。

穴水町を流れる小又川の最上流にある集落で、「のと115」の栽培に取り組むのは山方正治氏。定年退職後に実家がある当地で就農し3年目になります。

標高150mほどのところにあるほだ場は、ハウスの中でも底冷えのする寒さで凛とした空気が漂っています。山方氏は、管理している原木は1650本と少なめではあるものの、「のとてまり」の発生率がひときわ高いと、他の生産者からの注目も集めています。同氏が栽培において最も配慮しているのは水やり。霧状に噴出できるホースを使い、椎茸には直接水が吹きかからないように気をつけながら、原木1本1本に丁寧に水やりしていきます。1回の水やりにかかる時間は3時間ほど。

「清冽な山の水を引いて、とにかくきめ細かな水やりを徹底しています。まだまだ手探りですが、温度と散水管理が出来や収穫量をかなり左右することがわかってきました。作業は大変ですが、椎茸は手をかけた分だけ美味しくなってくれる。自分でもバター醤油炒めにしたりしてよく食べますが、本当に美味しい椎茸だな、と感動しますね」

焼いてもまったく縮まないと片折氏も驚く。強火の遠火で、旨みを閉じ込めたままじっくり焼かれる。

最高にシンプルで、最高に贅沢な一品が完成。この時味わった全員に、無邪気な笑みがこぼれた。

のとてまり手に取り、料理をし、鳥肌の立つ、類まれな食材。

高森氏、室木氏、山方氏からわけてもらった「のとてまり」を、片折氏は早速試食してみました。鰹出汁と濃口醤油で作った出汁醤油を塗りながら、炭火で焼いたごくシンプルな焼き椎茸。火入れはあえて浅めにして、余熱で中心部まで火が入るかどうかの焼き立てをいただく。一口味わった片折氏は、思わず唸ります。

「うまい。ものすごいですね、椎茸の香りと旨味の強さが全然違う。上品な食感は蒸し鮑のよう。風味の余韻もずっと続きます……また鳥肌が立ってきました」

「一般的な和食では、椎茸は肉や魚の添え物になることが多いのですが、『のとてまり』はもちろん『のと115』も主役を張れる食材です。懐石の中に、その場で焼いたり炊いたりしただけの椎茸そのものを味わっていただく一品を挟んで、生産者の思いを豊かな風味と一緒に伝えていきたい。そう思います」

稲作を営むにも多大な苦労が伴う過酷な自然環境が、椎茸栽培の進化を促した。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
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能登の風土が育む至宝「のとてまり」と、究極のストイック系料理人・片折卓矢がついに出逢う。前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

もぎたての椎茸を入念に確認する片折氏。「めちゃくちゃ重い。香りも豊かですね」

のとてまり石川の秀逸な食材を求める片折氏、今狙う注目の椎茸とは?

金沢、浅野川の畔に佇む日本料理『片折』。
毎日たった7席のために、店主の片折卓矢氏を筆頭に4名の料理人が日の出前から奔走する、金沢を代表する、いや今や日本を代表する和食の名店です。その食材への飽くなき追求は果てしなく、七尾市の藤瀬霊水を汲みにいき、県内や隣県の魚市場をめぐり、山菜や野草を摘みに山へ分け入る。その日にしか出合えない季節の食材を、全力をかけて調達し、ごくシンプルな調理法で供す店なのです。
そう、究極の地産地消を体現する、今、最も注目される日本料理の一店です。そんな片折氏が特に思いを込めて常に目を光らせる食材に石川県特産の椎茸「のと115」があります。115とは全国で栽培されている椎茸の菌種の品番。能登で原木によって栽培されるものは、風味と食感がよいと評判で、「のと115」という名で知られるようになってきました。一定の規格を満たすことで認められる「のと115」の中でも、特に高品質なものは「のとてまり」と呼ばれ、料理人の羨望の的になっています。

今回、片折氏はその謎めいた原木椎茸「のとてまり」を求めて、能登の生産者たちを訪ねました。

「のとてまり」づくりの名人と称される高森正治氏。同氏の腕をもってしても、「のとてまり」と認められるのは収穫全体のわずか1%。

「のと115」は味わいの評価もさることながら、きのこらしい美しいフォルムも魅力。

のとてまり森からハウスへ。そして再び森へ。原木椎茸は手間ひまの賜物で生まれる。

能登湾に面する穴水町は、きのこ栽培が盛んな地域のひとつ。その山間で高森正治氏は、約10年前から「のと115」の栽培に取り組んでいます。

「のと115」は能登に自生するコナラを原木に利用して栽培されています。露地とハウス、2通りの栽培方法がありますが、色・形よく育てることができ、市場価格が高い時期に出荷できるハウスでの栽培が一般的です。ハウス栽培といっても、年間を通して原木をハウスの中で管理するわけではありません。森から伐り出され、玉切りされた原木は、植菌されて1年の多くを森の中で過ごします。「のと115」が出始める直前の11月にハウスに移動し、3月いっぱいまで収穫され、また森へと戻されます。その日、高森氏のハウスは収穫の最盛期を迎えていました。

「椎茸は気温にとても敏感に反応します。気温が上がると一斉に傘が開いてしまうので、急いで収穫しなければいけません。先日、急に暖かくなったもんで、この数日はもうバタバタ。袋がけも追いついていなくて」と高森氏。椎茸は、500円玉大になったところでひとつひとつビニール袋をかけていきます。袋がけには、椎茸の傘に傷がつくのを防ぐと共に、袋内の湿度が一定に保たれることによって、適切な成長を促す効果があります。合掌組みで並べられたほだ木は、1本1本360度あらゆる方向に付いている椎茸を常にチェックし、ほだ木を回転させながら、見込みのある椎茸を特に手をかけながら大切に育てます。水やり、収穫にと、気を抜けない日々が続きます。
「袋がけ作業がいちばん楽しい。大きくなれよと期待を込めながら作業します。実は収穫は全然楽しくないんだよ。すでに結果が出てしまっているからね」

大きく育ったひとつを収穫させてもらった片折氏は、愛おしむように両手で包み込み、ひだの香りを確認します。
「鳥肌が立ってしまいました。これだ、と思える食材を手にできた時、なぜか全身がぞくっとするんです。水分をしっかり蓄えて、ずしりと重く、原木椎茸ならではの香りも強い。これは間違いない。焼いたら、絶対に美味い」と笑顔が綻びます。

室木芳憲氏は工場勤務の脱サラ後、就農支援の研修を経て、夏はミニトマト、冬は椎茸を栽培する農家となった。

「のとてまり」の判定は奥能登管内のJAにて実施。大きさはノギスを使って正確に計測。規格外のものは生産者へ返品される。

のとてまり「のとてまり」の称号は、厳格な基準を満たした最高峰の証。

肉厚でしっとりとしている「のと115」は、焼いても縮むことがなく、ほどよい弾力と滑らかな舌触り、濃厚な風味を楽しむことができます。収穫された「のと115」のうち特に大きく形のよいものは、JAの検査場に集められ「のとてまり」の判定試験を受けます。

「のとてまり」は次のような厳格な判定基準が定められています。
・傘の直径8cm以上
・肉厚3cm以上
・傘の巻き込み1cm以上
・形状が優れていること

検査場に持ち込まれるのは優れた「のと115」ばかり。それでも晴れて「のとてまり」と認定されるのは、3割程度とのこと。「のとてまり」栽培の名人と称される高森氏でさえも、「のとてまり」生産の割合は1%足らずといわれています。いかに「のとてまり」が希少な椎茸であるかがわかります。

就農3年目の室木芳憲氏は、穴水町のハウス3棟に5,500本の原木を管理しています。収穫期の作業は朝7時から夜7時まで。「のとてまり」の候補として出せるのは、最盛期で週に60個ほどとのこと。やはり一筋縄ではいきません。
「この3年間でも、収穫量は年によって随分と違いました。今年はまずまずですが、昨年は厳しかった。気温や雨量などが影響しているようですが、そのメカニズムは謎が多く、まだまだ経験が必要です。地道にやっていくしかないですね」と室木氏は穏やかに話します。


生産現場をつぶさに見た片折氏は、感慨深げ。
「菌床栽培(おが屑ブロックなどでの人工栽培)に比べて、原木栽培の椎茸の方が味も香りも圧倒的に濃くて食材としては格段に優れています。でも、原木栽培がこれほど大変とは知りませんでした。原木のほだ木は太いものだと15kgにもなるとか。それを森からハウスへ、ハウスから森へ何千本も移動させる重労働は聞いただけで気が遠くなります。『のと115』への愛着が一層強まりましたね」

大勢の生産者が産出した「のとてまり」は大きさが揃えられて箱詰めされる。この一箱にも、複数の農家の努力が詰まっている。

「のとてまり」は同じ大きさの箱に、大きさ別に詰められ、8玉入り、6玉入り、5玉入り、3玉入りの4種で出荷される。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

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名酒を生む名手たるゆえん。最強チームに加わる最後の武者修業。

最後の「武者修業」先、『新政』にて感謝の祈りを捧げる松本日出彦氏。「酒造りだけではなく、それを取り巻く地域や環境との共存、自然の偉大さを学びました。そして、人としてどうそれと介在し、生きていくのか。生涯を通して考え続けなければいけないことなのだと思います」。

HIDEHIKO MATSUMOTO「新政」の厳格なルールのもと、松本日出彦が介在する意味は何か。

2021年2月より密着している松本日出彦氏の武者修業。

滋賀『富田酒造』、熊本『花の香酒造』、福岡『白糸酒造』、栃木『仙禽』と巡り、最後の蔵は、全ての酒造りおいて生酛を採用する秋田の『新政酒造』(以下、新政)です。

2021年4月。この日の仕込みは、蒸したお米を冷却する埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業。速醸造りであれば、一気に冷却しますが、生酛造りは一足飛びにはいきません。米の表面を適度に乾かし、ひと晩じっくり保湿しながら米を寝かせます。この工程は、今後の米の溶け具合に影響するため、重要な作業のひとつ。以後、半切桶に籠らせ、冷やしたそれを翌日に手で混ぜていきます。

生酛造りは複雑な発酵を操るため、多くの知識が必要な製法です。また、速醸酒母と比較にはならないほどの労力がかかります。しかしこれらの労力は、簡単に機械にとって代えられるようなものではありません。

添加物や最新の醸造機器などから距離をとり、ただひたすらに生酛製法の真髄を継承し、品質を向上させるため『新政』では常に試行錯誤が行われています。

「地元の水をどう活かしていけるのか。そこを大事にしています。生酛の際は何日も置いた水を使ったり、色々なアイディアを取り入れて挑戦しています」と話すのは、蔵人の福本芳鷹氏です。福本氏は、生粋の蔵人ではなく、北海道札幌の名店『鮨 一幸』出身。異例の人物です。しかし、『新政』を提供する側にいた貴重な知見は、酒造りに活かされています。

そして、水の扱い方は米の扱い方にもつながります。

「蒸した米をひと晩じっくり冷やし、半切桶に仕込み、寄部屋(よせべや)と呼ばれる空間で籠らせます。1日2回手で混ぜ、寝かし、低温で雑菌の活動を鈍らせながら水に含まれる硝酸を還元し、更に不要な微生物を死滅させるための亜硝酸を生み出します。使用する仕込み水には、役目を終えた木桶の破片を漬け、それを“継ぎ足し”ながら使用しています」と酛屋の佐々木 公太氏。

生酛造りにおいて重要な「硝酸還元菌」と呼ばれるそれは、またの名を「亜硝酸生成菌」とも言い、仕込み水に木桶の破片を漬ける理由は「木の穴や隙間、凹凸に、亜硝酸が住み着く環境を作るため」と佐々木氏。加えて、まるで秘伝のタレのような「継ぎ足し」という水の発想においても『新政』独自の着眼とも言えます。

「良い水を他所から引っ張ってくるのではなく、地元の水を最大限良くしていくために知恵を絞るという行為は、人が自然に介在する意味があると思います」と松本氏。

別日、半切桶に寝かした米20kgに対して麹10kgを均一になるよう混ぜ合わせます。一見、シンプルな作業に見えますが、計30kgのそれを手で掻く作業は重労働。武者修業における最後の生酛造りに全身全霊で松本氏は取り組みます。

「自分と松本さんでは混ぜる回数や具合が異なるため、それだけでも味に変化が生まれると思います」と佐々木氏。

日本酒とは造り方だけでなく、人によって味が変わるのです。

その後、暖気部屋(だきべや)へ移し、乳酸菌を増殖させます。ここまでにかかる日数は、約2週間。次に酵母を増やすための部屋へ移し、酒母を造っていきます。作業をしやすいように個別に設計された3つの部屋を通してそれを成すも、伝統の酒造りを独自のやり方で創造していく姿は、生酛造り、もとい、『新政』造りと言って良いでしょう。

『新政』の酒造りは、厳格なルールのもと、成り立っています。そこに「武者修業」だからというイレギュラーや特例はありません。与えられた環境の中、何を学び、何を得て、何を造るのか。

全ては、松本日出彦次第。

もくもくと立ち上がる湯気。周囲は蒸し立ての米の香りが充満し、蔵人たちが戦闘態勢に入る。

「水の温度、米の状態、両者を見極め、132%吸わせた米を蒸してる最中に9%吸わせて、141%に……」など、本日の蒸米に関して議論する福本芳鷹氏(左)と松本氏(右)。

切り返しを行い、蒸し立ての米に空気を含ませ、温度を下げていく。

切り返しをした米は、ひと晩寝かせてから、寄部屋(よせべや)へ仕込む。

「『新政』の洗米機は、先端の機器。細かいジェット噴射が精度の高い洗米を手伝います」と松本氏。

この日は、10.5度の水にひと袋17分漬け、洗米した米に水を36%吸わせる。

埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業を行う酛屋の佐々木 公太氏(奥)と松本氏(手前)。「2014年から生酛造りに舵を切りましたが、うまく行かないことも多かったです。工夫を繰り返しながら、ようやく近年では安定的に造れるようになりました」と佐々木氏。

寄部屋に仕込んだ半切桶に合わせる酛。表面を適度に乾かし、保湿しながら米を寝かせる。この作業によって米の溶け具合が変わり、今後の作業に影響する。

継ぎ足し継ぎ足しをしている仕込み水。中には、使わなくなった木桶の破片を漬ける。

半切桶に寝かした米20kgに対し、麹10kgを均一になるよう、仕込み水を加えながら混ぜ合わせていく。

仕込みを終えたら、寄せて寝かせる。寄部屋との名称はこれに由来するも、業界用語ではなく『新政』用語。

仕込み終えた半切桶。これからどんな化学反応を起こすのか、期待が高まる。

HIDEHIKO MATSUMOTO自社圃場を持つ意義。酒造りを通して地域を発展させる。

蔵のある秋田県秋田市大町から車で走ること約1時間。同市内河辺の鵜養(うやしない)に『新政』は自社圃場を保有しています。

「酒米の郷」にすべく地元農家にも協力を仰ぎ、無農薬栽培を実現。2015年から始まり、現在の面積は32町歩(約32ha)にも及びます。それを担う酒米責任者の古関 弘氏は、元醸造責任者という驚愕のコンバート。蔵の中で酒造りをしていた時代は、生酛造りや木桶の採用へ転換する改革を8代目蔵元・佐藤祐輔氏とともに取り組み、今の『新政』の礎を築きました。

「醸造責任者は言わば杜氏。責任のある立場の方が米を作るということは、農家さんにとっても『新政』が本気だということの意思表示になると思います。加えて、この活動は、酒造りだけではなく、地域の発展はもちろん、美しい日本の田園風景を守ることにもなり、生態系を維持することにもつながります」と松本氏。

「稲を育てることによって微生物の循環を再生させ、田んぼが乾き切ってしまったがために細くなってしまった自然の生育サイクルを太くさせてあげたいなと思っています」と古関氏。

田園風景が広がる中には、かつて不耕地帯だった田んぼもありましたが、約4年かけて地道に育て、今では一番収穫できるまでに。

育てる米は、陸羽(りくう)132号を始め、酒こまち、美郷錦の3種。主である陸羽は、童話作家・宮沢賢治が推奨していた水稲品種であり、約100年前に秋田県大曲市にて育種開発されたもの。親に「亀の尾」と「愛国」を持つことから「愛亀」の愛称としても親しまれています。

「(佐藤)祐輔さんは、“自分たちの目が行き届く範囲やこだわって田んぼを始めるには、このサイズがちょうど良いが、盆地で湿気が溜まりやすく、正直、栽培には適していない”とおっしゃっていました。(前述の)仕込み水の追求の仕方しかり、もともとあるベストな環境に乗るではなく、例え負の要素があったとしても、自分たちの工夫と努力を添えればベストな環境を作れるという発想から理想に持っていくのは、実に『新政』らしく、そのイズムはチームにも受け継がれていると思います」と松本氏。

では、この土地が勝負できると感じたものは何か? それは、水でした。


「上流に何もないため、水が美しく、無農薬に適していると思いました。それに、必ずしも良い環境が良いものを生むとは限らないと思います。例えば、シャンパーニュ地方は寒く、湿気も多い。加えて、雪も降ります。しかし、そんな環境でも素晴らしい造り手はいますし、オーガニック栽培をするワイナリーもあります。負の要素を好転させ、価値を持たせることができるか否かは人の問題」と佐藤氏。

「ワインを愛する前に土地を愛せ」と、謳われているかは知らずとも、シャンパーニュ地方にこだわるからこそ、愛するからこそ、造り手はシャンパーニュに夢を見るのかもしれません。

祐輔さんのおっしゃる通り、近くには大又川が流れ、斜面から湧き出す水は土地が持つ豊かな恵みを象徴しています。水量もふんだん、透明度も高く、悠々と泳ぐイワナを見れば、良質な清流だということは言うまでもありません。日本酒は米と水からできていますが、その水は仕込み水だけに限りません。こうして米が育つ水もまた酒造りの水。米を造るということは水を守ること、山を守ることにつながります。今回、さまざまの蔵を回って、蔵の中だけでなく、蔵の外、環境を体感できたことは、本当に学びになっています」と松本氏。

松本氏が言う「山を守ること」は、木桶を自社で造る構想を持つ稀有な『新政』にとって深く向き合ってきた環境問題でもあります。

その中心人物は、設計士の相馬佳暁(よしあき)氏です。蒸米を広げる木製の作業台、更には麹室や木桶蔵まで設計をしています。

「自分は、大阪の木桶職人に教えていただきました。実は、今年もその方のもとへ修業に行ってきます。大阪で作っているため、素材は吉野杉ですが、『新政』の木桶の理想は、秋田で作り、秋田杉を使用することです。しかし、まず、木桶に使える杉は、約120年の樹齢がないと難しいと言われています。秋田県内では、それがほぼ国有林や保護地区にしかなく。これは農林水産省や国の許諾がないと伐採できないため、非常に難しい問題です。自社圃場を有する鵜養に木桶の制作工場も作りたいと思っており、色々、活動を進めているところです」と相馬氏。

米、水、道具など、ルーツも含め、全量秋田にこだわる『新政』の第1フェーズが生酛造りへの転換であれば、第2フェーズは自社圃場の保有。この木桶作りと製作工房の実現は、第3フェーズなのかもしれません。

「ステンレスや琺瑯を採用する蔵も多いですが、やはり酒造りの道具に木材は欠かせません。つまり、酒造りをすることは林業にも向き合うことになるのです。木桶作りまでを自社で行う『新政』であれば、なおのことダイレクトにそれと対峙することになります。国有林や保護地区と言えば一見聞こえは良いですが、数百年、数十年前に植えられた木は、必ずしも残し続けることが良いわけではありません。天災によって土砂崩れや倒木の恐れもあります。更には、風の抜けを妨げ、気候や環境を変えてしまうことすら起こってしまいます。現代においては、ほどよく伐採し、“植える”だけでなく“整える”必要があり、それは、今、生きる我々の責任だとも思います」と松本氏。

伐採され、姿形を変えても、正しい命を吹き込めば、木は新たな生き方を手に入れます。『新政』の木桶として生きる道は、必ずや正しいそれになるでしょう。

米、水、そして木。林業に松本氏がじっくり向き合うことができたのは、『新政』だからこそ。

良い酒は、良い酒造りだけにあらず。

良い地域造り、良い秋田造りこそ、『新政』にとって良い酒なのです。

松本氏は、4月(写真)と5月に田んぼを訪れ、土の状態と水を張った状態を観察。鵜養(うやしない)の環境について酒米責任者の古関 弘氏(左)から学ぶ、松本氏(右)

「以前は、沼のような状態のところもありました。土壌作りから始まりましたが、今では水捌けも良くなり、今年の米も楽しみです」と古関氏。努力の甲斐あり、今では美しい田園風景を成す。

大又川が流れる舟作と呼ばれるポイント。その由来は、川の流れによって掘って削られた岩盤の滝が舟の形をしていたことからその名が付いたと伝わる。

この土地の神様、「辺岨(へそ)神社」。「岩見神社」という由緒ある古社の境内に秋田の中心地=へそという意味を持って創設。「岩見神社」では、五穀豊穣などを願う湯立神事も執り行われる。松本氏もこれまでの各所への感謝及び武者修業の無事を祈願。

設計士の相馬佳暁(よしあき)氏(左)と松本氏(右)。木桶を通して環境問題について議論。「森林と向き合うことは行政と向き合うことにもつながります。色々課題は多いですが、土地とともに酒造りをしたい」と相馬氏。

高さ、直径ともに約2mの木桶。材を仕入れ、削り、組み立てる。木材を乾燥させるだけでも1年かかるため、その労力は計り知れないが、『新政』では、それを相馬氏がたったひとりで担う。

相馬氏は、『新政』の木製の道具も制作。それぞれ異なる職人を有する総合力こそ、『新政』の強み。

「良い酒だけ造るだけであれば、美味しいだけに留まってしまう。『新政』では、文化的価値を創造したい」と8代目蔵元・佐藤祐輔氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO価値ある酒とは何か。武者修業の解はそこにある。

「美味しい競争に興味はありません。自分は、文化的価値の高いお酒を目指しています」。そう語るのは、『新政』8代目蔵元・佐藤祐輔氏です。

そのために生酛造りへ転換し、木桶を採用し、米を全て秋田産に変え、自社圃場を構える変革をしてきました。前述、醸造責任者だった古関氏を酒米責任者へ就任させたことにおいても「農家さん“が”作る米ではなく、農家さん“と”作る米でなければいけない」と言葉を続けます。

農家さん“が”、農家さん“と”。言葉にすれば一文字異なるだけですが、その内容には大きな違いがあります。

ゆえに「自分で作る技術を得られる高い能力の人材が必要だった」のです。

この能力とは、仕事の能力だけでなく、人間の能力も指します。農家と阿吽の呼吸で作業を行うことや信頼関係を結ぶことは、それだけ難しいのです。

「祐輔さんの行動には、全て理由があり、全て当を得ている」と松本氏。

そのような哲学は、さまざまな基準や当たり前を見直す機会にもなります。

「例えば、吟醸酒は美味しい正解なのか? もちろん答えは正解ですが、それだけが日本酒の正解ではありません。精米歩合は判断基準のひとつですが、それが価格とイコールではありません。『新政』が採用している扁平精米は、米の中心部分である心白を残しながら不要を除去し、デンプンを残すことが可能なため、秋田産のお米には適しています。業界の正解は、各蔵の正解とは限らないのです。それぞれの土地にはそれぞれの特性があり、その特性を活かすことによって個性が生まれ、地酒が生まれるのです。蔵の数だけ味があり、土地があり、人がある」と松本氏。

酒を飲むのではなく、地域を飲む、風土を飲む、文化を飲む、そして人を飲む。

「我々の良くないところは、そういった伝え方をできていなかったこと」と佐藤氏は言うも、逆に飲み手は、そういった理解を得る心が必要とされます。つまりは、それが価格に比例されるべきであるも、ほぼ成されていないのが現状。生活圏で言えば、酒屋の陳列にも飲食店のメニューにも、そんな物語の記載を目にする機会は少ない。

自らやるしかない。その有志によって立ち上がったのが『一般社団法人 J.S.P』です。ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォームの頭文字から成るその団体の代表理事を務めるのも佐藤氏です。

「新型コロナウイルスによって、全てが一変してしまいました。緊急事態宣言や酒類の提供停止、自粛などによって飲食店への販路は、ほぼ皆無。ましてや、世界同時の難局なため、海外への輸出も絶たれてしまいました。自分も含め、酒を届けるタッチポイントを再考していかなければならない」と佐藤氏。

以前のタッチポイントは飲食店や酒屋でしたが、これから必要とすべきことは、直接、お客様と酒の関係性を結ぶ環境造りなのかもしれません。もっと追求すれば、酒の先にある地域、造り手などと結ばれることこそ理想形。

「タッチポイントという点では、『新政』のラベルはそれに一役買っているのではないでしょうか。芸術家、書道家、漫画家、グラフィックデザイナーなど、数々のクリエイターと協業することによって、これまで日本酒業界では得ることができなかった接点との結実、アプローチだと思います」と松本氏。

日本酒業界と比べてどうかではなく、他所のクリエイティブと比べてどうか。この価値基準の競争においては、良い効果を生むでしょう。

「僕は飽きっぽいので、すぐ変えちゃうんです。ラベルもそうですし、造りもそう。どんなに苦労して長い道のりをかけてたどり着いた味でも、ほぼ定番にはしない。これは成功したので、また次の挑戦をしましょうというタイプ」と佐藤氏が言う隣では「現場は大変ですよね(苦笑)」と松本氏。

飽き性とは、言い方を変えれば、あぐらをかかないこと。これは、歴史や伝統を盾に進化しない蔵では衰退してしまう危惧によるものなのかもしれません。

そういった意味も含んでか、佐藤氏は松本氏にこう話します。

「日出彦は、蔵を抜けて良かった」。

1852年(嘉永五年)に創業した『新政』。歴史や伝統に満足することなく、挑戦し続ける蔵としてその名を馳せる。

現存する市販清酒酵母中では最古となる「きょうかい6号」の発祥蔵『新政』。1号から5号までは、西日本で生まれたが、6号は1930年(昭和5年)に『新政』のもろみから分離され、誕生。

今回、松本氏とともに造るのは「ラピス」。東北を代表する酒米「美山錦」の性質を良く表しながらも軽快な酒質に仕上げる定番作品。『新政』の基本的な味わいを表現する「定点観測」的なモデルでもある。

HIDEHIKO MATSUMOTO何のしがらみもない中、思いっきり酒を造れ。

2020年末、様々な事情によって松本氏は自身の蔵を離れることになり、この「武者修業」は始まりました。当時、佐藤氏は松本氏にすぐに連絡し、色々思いを伝えるも、その声は震えていました。怒り、悔しさ、悲しみ、様々込み上げる感情は、言葉に表すことはできません。

「色々なやり方で残ることもできたかもしれない。もしくは、残った方が楽だったかもしれない。でも、そこに自分が信じる日本酒があるかと言えば、なかったかもしれません。別のものを造らなければいけないのであれば、ゼロから始めて、自分が信じるものを造った方が日出彦らしい。造りたいものを造る。一見シンプルなようだけど、造り手にとってこれほど幸せなことはない」と佐藤氏。

「守るべきものは、たくさんあると思うのですが、本当に守らなければいけないものは、土地や建物ではなく、日本酒を造る魂。一度は、それを失いかけましたが、祐輔さんを始め、みんなに支えられて大事なものを失わずに済みました」と松本氏。

今回の「武者修業」は、蔵や職人同士の付き合いだから始まったものではありません。ましてや情けや助けでもありません。これまで培ってきた人と人との絆が衝動的に心を動かした結果論なのだと思います。

また、「武者修業」で得たことは、もしかしたら蔵の中で得たことよりも、蔵の外で得たことの方が大きく作用したかもしれません。

酒造りだけではない環境への配慮。地域や自然との対峙。向き合うべき問題や課題。磨くべきは技術よりも心。そして、職人である前にひとりの人間としてどうあるべきか……。

松本日出彦の酒造りとは何か? 日本酒とは何か?

それは「生き方」。

その証は、きっと厳格なルールのもと造られた『新政』の酒にも息づいているに違いないと信じます。

これから先、松本氏がどうなるか分かりません。しかし、皆が望んでいることはただひとつ。

「思いっきり酒を造れ」。

『ONESTORY』は、もう少し松本日出彦を追いかけたいと思います。

 各蔵で手を撮り続けた今回の「武者修業」。当初「酒造りをしている時は手が硬い。酒造りができていない今の手は、柔らかい。シーズン中にこんな自分の手を見るのはいつぶりだろうか……」と話していたが、最後は職人の手になれたか!?

「コロナ禍もあり、今までの100年とこれからの100年は、全く違う100年。これからの日本酒業界も変わらなければいけない」と佐藤氏(右)と松本氏(左)。

住所:秋田県秋田市大町6-2-35 MAP
TEL:018-823-6407
http://www.aramasa.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

名酒を生む名手たるゆえん。最強チームに加わる最後の武者修業。

最後の「武者修業」先、『新政』にて感謝の祈りを捧げる松本日出彦氏。「酒造りだけではなく、それを取り巻く地域や環境との共存、自然の偉大さを学びました。そして、人としてどうそれと介在し、生きていくのか。生涯を通して考え続けなければいけないことなのだと思います」。

HIDEHIKO MATSUMOTO「新政」の厳格なルールのもと、松本日出彦が介在する意味は何か。

2021年2月より密着している松本日出彦氏の武者修業。

滋賀『富田酒造』、熊本『花の香酒造』、福岡『白糸酒造』、栃木『仙禽』と巡り、最後の蔵は、全ての酒造りおいて生酛を採用する秋田の『新政酒造』(以下、新政)です。

2021年4月。この日の仕込みは、蒸したお米を冷却する埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業。速醸造りであれば、一気に冷却しますが、生酛造りは一足飛びにはいきません。米の表面を適度に乾かし、ひと晩じっくり保湿しながら米を寝かせます。この工程は、今後の米の溶け具合に影響するため、重要な作業のひとつ。以後、半切桶に籠らせ、冷やしたそれを翌日に手で混ぜていきます。

生酛造りは複雑な発酵を操るため、多くの知識が必要な製法です。また、速醸酒母と比較にはならないほどの労力がかかります。しかしこれらの労力は、簡単に機械にとって代えられるようなものではありません。

添加物や最新の醸造機器などから距離をとり、ただひたすらに生酛製法の真髄を継承し、品質を向上させるため『新政』では常に試行錯誤が行われています。

「地元の水をどう活かしていけるのか。そこを大事にしています。生酛の際は何日も置いた水を使ったり、色々なアイディアを取り入れて挑戦しています」と話すのは、蔵人の福本芳鷹氏です。福本氏は、生粋の蔵人ではなく、北海道札幌の名店『鮨 一幸』出身。異例の人物です。しかし、『新政』を提供する側にいた貴重な知見は、酒造りに活かされています。

そして、水の扱い方は米の扱い方にもつながります。

「蒸した米をひと晩じっくり冷やし、半切桶に仕込み、寄部屋(よせべや)と呼ばれる空間で籠らせます。1日2回手で混ぜ、寝かし、低温で雑菌の活動を鈍らせながら水に含まれる硝酸を還元し、更に不要な微生物を死滅させるための亜硝酸を生み出します。使用する仕込み水には、役目を終えた木桶の破片を漬け、それを“継ぎ足し”ながら使用しています」と酛屋の佐々木 公太氏。

生酛造りにおいて重要な「硝酸還元菌」と呼ばれるそれは、またの名を「亜硝酸生成菌」とも言い、仕込み水に木桶の破片を漬ける理由は「木の穴や隙間、凹凸に、亜硝酸が住み着く環境を作るため」と佐々木氏。加えて、まるで秘伝のタレのような「継ぎ足し」という水の発想においても『新政』独自の着眼とも言えます。

「良い水を他所から引っ張ってくるのではなく、地元の水を最大限良くしていくために知恵を絞るという行為は、人が自然に介在する意味があると思います」と松本氏。

別日、半切桶に寝かした米20kgに対して麹10kgを均一になるよう混ぜ合わせます。一見、シンプルな作業に見えますが、計30kgのそれを手で掻く作業は重労働。武者修業における最後の生酛造りに全身全霊で松本氏は取り組みます。

「自分と松本さんでは混ぜる回数や具合が異なるため、それだけでも味に変化が生まれると思います」と佐々木氏。

日本酒とは造り方だけでなく、人によって味が変わるのです。

その後、暖気部屋(だきべや)へ移し、乳酸菌を増殖させます。ここまでにかかる日数は、約2週間。次に酵母を増やすための部屋へ移し、酒母を造っていきます。作業をしやすいように個別に設計された3つの部屋を通してそれを成すも、伝統の酒造りを独自のやり方で創造していく姿は、生酛造り、もとい、『新政』造りと言って良いでしょう。

『新政』の酒造りは、厳格なルールのもと、成り立っています。そこに「武者修業」だからというイレギュラーや特例はありません。与えられた環境の中、何を学び、何を得て、何を造るのか。

全ては、松本日出彦次第。

もくもくと立ち上がる湯気。周囲は蒸し立ての米の香りが充満し、蔵人たちが戦闘態勢に入る。

「水の温度、米の状態、両者を見極め、132%吸わせた米を蒸してる最中に9%吸わせて、141%に……」など、本日の蒸米に関して議論する福本芳鷹氏(左)と松本氏(右)。

切り返しを行い、蒸し立ての米に空気を含ませ、温度を下げていく。

切り返しをした米は、ひと晩寝かせてから、寄部屋(よせべや)へ仕込む。

「『新政』の洗米機は、先端の機器。細かいジェット噴射が精度の高い洗米を手伝います」と松本氏。

この日は、10.5度の水にひと袋17分漬け、洗米した米に水を36%吸わせる。

埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業を行う酛屋の佐々木 公太氏(奥)と松本氏(手前)。「2014年から生酛造りに舵を切りましたが、うまく行かないことも多かったです。工夫を繰り返しながら、ようやく近年では安定的に造れるようになりました」と佐々木氏。

寄部屋に仕込んだ半切桶に合わせる酛。表面を適度に乾かし、保湿しながら米を寝かせる。この作業によって米の溶け具合が変わり、今後の作業に影響する。

継ぎ足し継ぎ足しをしている仕込み水。中には、使わなくなった木桶の破片を漬ける。

半切桶に寝かした米20kgに対し、麹10kgを均一になるよう、仕込み水を加えながら混ぜ合わせていく。

仕込みを終えたら、寄せて寝かせる。寄部屋との名称はこれに由来するも、業界用語ではなく『新政』用語。

仕込み終えた半切桶。これからどんな化学反応を起こすのか、期待が高まる。

HIDEHIKO MATSUMOTO自社圃場を持つ意義。酒造りを通して地域を発展させる。

蔵のある秋田県秋田市大町から車で走ること約1時間。同市内河辺の鵜養(うやしない)に『新政』は自社圃場を保有しています。

「酒米の郷」にすべく地元農家にも協力を仰ぎ、無農薬栽培を実現。2015年から始まり、現在の面積は32町歩(約32ha)にも及びます。それを担う酒米責任者の古関 弘氏は、元醸造責任者という驚愕のコンバート。蔵の中で酒造りをしていた時代は、生酛造りや木桶の採用へ転換する改革を8代目蔵元・佐藤祐輔氏とともに取り組み、今の『新政』の礎を築きました。

「醸造責任者は言わば杜氏。責任のある立場の方が米を作るということは、農家さんにとっても『新政』が本気だということの意思表示になると思います。加えて、この活動は、酒造りだけではなく、地域の発展はもちろん、美しい日本の田園風景を守ることにもなり、生態系を維持することにもつながります」と松本氏。

「稲を育てることによって微生物の循環を再生させ、田んぼが乾き切ってしまったがために細くなってしまった自然の生育サイクルを太くさせてあげたいなと思っています」と古関氏。

田園風景が広がる中には、かつて不耕地帯だった田んぼもありましたが、約4年かけて地道に育て、今では一番収穫できるまでに。

育てる米は、陸羽(りくう)132号を始め、酒こまち、美郷錦の3種。主である陸羽は、童話作家・宮沢賢治が推奨していた水稲品種であり、約100年前に秋田県大曲市にて育種開発されたもの。親に「亀の尾」と「愛国」を持つことから「愛亀」の愛称としても親しまれています。

「(佐藤)祐輔さんは、“自分たちの目が行き届く範囲やこだわって田んぼを始めるには、このサイズがちょうど良いが、盆地で湿気が溜まりやすく、正直、栽培には適していない”とおっしゃっていました。(前述の)仕込み水の追求の仕方しかり、もともとあるベストな環境に乗るではなく、例え負の要素があったとしても、自分たちの工夫と努力を添えればベストな環境を作れるという発想から理想に持っていくのは、実に『新政』らしく、そのイズムはチームにも受け継がれていると思います」と松本氏。

では、この土地が勝負できると感じたものは何か? それは、水でした。


「上流に何もないため、水が美しく、無農薬に適していると思いました。それに、必ずしも良い環境が良いものを生むとは限らないと思います。例えば、シャンパーニュ地方は寒く、湿気も多い。加えて、雪も降ります。しかし、そんな環境でも素晴らしい造り手はいますし、オーガニック栽培をするワイナリーもあります。負の要素を好転させ、価値を持たせることができるか否かは人の問題」と佐藤氏。

「ワインを愛する前に土地を愛せ」と、謳われているかは知らずとも、シャンパーニュ地方にこだわるからこそ、愛するからこそ、造り手はシャンパーニュに夢を見るのかもしれません。

祐輔さんのおっしゃる通り、近くには大又川が流れ、斜面から湧き出す水は土地が持つ豊かな恵みを象徴しています。水量もふんだん、透明度も高く、悠々と泳ぐイワナを見れば、良質な清流だということは言うまでもありません。日本酒は米と水からできていますが、その水は仕込み水だけに限りません。こうして米が育つ水もまた酒造りの水。米を造るということは水を守ること、山を守ることにつながります。今回、さまざまの蔵を回って、蔵の中だけでなく、蔵の外、環境を体感できたことは、本当に学びになっています」と松本氏。

松本氏が言う「山を守ること」は、木桶を自社で造る構想を持つ稀有な『新政』にとって深く向き合ってきた環境問題でもあります。

その中心人物は、設計士の相馬佳暁(よしあき)氏です。蒸米を広げる木製の作業台、更には麹室や木桶蔵まで設計をしています。

「自分は、大阪の木桶職人に教えていただきました。実は、今年もその方のもとへ修業に行ってきます。大阪で作っているため、素材は吉野杉ですが、『新政』の木桶の理想は、秋田で作り、秋田杉を使用することです。しかし、まず、木桶に使える杉は、約120年の樹齢がないと難しいと言われています。秋田県内では、それがほぼ国有林や保護地区にしかなく。これは農林水産省や国の許諾がないと伐採できないため、非常に難しい問題です。自社圃場を有する鵜養に木桶の制作工場も作りたいと思っており、色々、活動を進めているところです」と相馬氏。

米、水、道具など、ルーツも含め、全量秋田にこだわる『新政』の第1フェーズが生酛造りへの転換であれば、第2フェーズは自社圃場の保有。この木桶作りと製作工房の実現は、第3フェーズなのかもしれません。

「ステンレスや琺瑯を採用する蔵も多いですが、やはり酒造りの道具に木材は欠かせません。つまり、酒造りをすることは林業にも向き合うことになるのです。木桶作りまでを自社で行う『新政』であれば、なおのことダイレクトにそれと対峙することになります。国有林や保護地区と言えば一見聞こえは良いですが、数百年、数十年前に植えられた木は、必ずしも残し続けることが良いわけではありません。天災によって土砂崩れや倒木の恐れもあります。更には、風の抜けを妨げ、気候や環境を変えてしまうことすら起こってしまいます。現代においては、ほどよく伐採し、“植える”だけでなく“整える”必要があり、それは、今、生きる我々の責任だとも思います」と松本氏。

伐採され、姿形を変えても、正しい命を吹き込めば、木は新たな生き方を手に入れます。『新政』の木桶として生きる道は、必ずや正しいそれになるでしょう。

米、水、そして木。林業に松本氏がじっくり向き合うことができたのは、『新政』だからこそ。

良い酒は、良い酒造りだけにあらず。

良い地域造り、良い秋田造りこそ、『新政』にとって良い酒なのです。

松本氏は、4月(写真)と5月に田んぼを訪れ、土の状態と水を張った状態を観察。鵜養(うやしない)の環境について酒米責任者の古関 弘氏(左)から学ぶ、松本氏(右)

「以前は、沼のような状態のところもありました。土壌作りから始まりましたが、今では水捌けも良くなり、今年の米も楽しみです」と古関氏。努力の甲斐あり、今では美しい田園風景を成す。

大又川が流れる舟作と呼ばれるポイント。その由来は、川の流れによって掘って削られた岩盤の滝が舟の形をしていたことからその名が付いたと伝わる。

この土地の神様、「辺岨(へそ)神社」。「岩見神社」という由緒ある古社の境内に秋田の中心地=へそという意味を持って創設。「岩見神社」では、五穀豊穣などを願う湯立神事も執り行われる。松本氏もこれまでの各所への感謝及び武者修業の無事を祈願。

設計士の相馬佳暁(よしあき)氏(左)と松本氏(右)。木桶を通して環境問題について議論。「森林と向き合うことは行政と向き合うことにもつながります。色々課題は多いですが、土地とともに酒造りをしたい」と相馬氏。

高さ、直径ともに約2mの木桶。材を仕入れ、削り、組み立てる。木材を乾燥させるだけでも1年かかるため、その労力は計り知れないが、『新政』では、それを相馬氏がたったひとりで担う。

相馬氏は、『新政』の木製の道具も制作。それぞれ異なる職人を有する総合力こそ、『新政』の強み。

「良い酒だけ造るだけであれば、美味しいだけに留まってしまう。『新政』では、文化的価値を創造したい」と8代目蔵元・佐藤祐輔氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO価値ある酒とは何か。武者修業の解はそこにある。

「美味しい競争に興味はありません。自分は、文化的価値の高いお酒を目指しています」。そう語るのは、『新政』8代目蔵元・佐藤祐輔氏です。

そのために生酛造りへ転換し、木桶を採用し、米を全て秋田産に変え、自社圃場を構える変革をしてきました。前述、醸造責任者だった古関氏を酒米責任者へ就任させたことにおいても「農家さん“が”作る米ではなく、農家さん“と”作る米でなければいけない」と言葉を続けます。

農家さん“が”、農家さん“と”。言葉にすれば一文字異なるだけですが、その内容には大きな違いがあります。

ゆえに「自分で作る技術を得られる高い能力の人材が必要だった」のです。

この能力とは、仕事の能力だけでなく、人間の能力も指します。農家と阿吽の呼吸で作業を行うことや信頼関係を結ぶことは、それだけ難しいのです。

「祐輔さんの行動には、全て理由があり、全て当を得ている」と松本氏。

そのような哲学は、さまざまな基準や当たり前を見直す機会にもなります。

「例えば、吟醸酒は美味しい正解なのか? もちろん答えは正解ですが、それだけが日本酒の正解ではありません。精米歩合は判断基準のひとつですが、それが価格とイコールではありません。『新政』が採用している扁平精米は、米の中心部分である心白を残しながら不要を除去し、デンプンを残すことが可能なため、秋田産のお米には適しています。業界の正解は、各蔵の正解とは限らないのです。それぞれの土地にはそれぞれの特性があり、その特性を活かすことによって個性が生まれ、地酒が生まれるのです。蔵の数だけ味があり、土地があり、人がある」と松本氏。

酒を飲むのではなく、地域を飲む、風土を飲む、文化を飲む、そして人を飲む。

「我々の良くないところは、そういった伝え方をできていなかったこと」と佐藤氏は言うも、逆に飲み手は、そういった理解を得る心が必要とされます。つまりは、それが価格に比例されるべきであるも、ほぼ成されていないのが現状。生活圏で言えば、酒屋の陳列にも飲食店のメニューにも、そんな物語の記載を目にする機会は少ない。

自らやるしかない。その有志によって立ち上がったのが『一般社団法人 J.S.P』です。ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォームの頭文字から成るその団体の代表理事を務めるのも佐藤氏です。

「新型コロナウイルスによって、全てが一変してしまいました。緊急事態宣言や酒類の提供停止、自粛などによって飲食店への販路は、ほぼ皆無。ましてや、世界同時の難局なため、海外への輸出も絶たれてしまいました。自分も含め、酒を届けるタッチポイントを再考していかなければならない」と佐藤氏。

以前のタッチポイントは飲食店や酒屋でしたが、これから必要とすべきことは、直接、お客様と酒の関係性を結ぶ環境造りなのかもしれません。もっと追求すれば、酒の先にある地域、造り手などと結ばれることこそ理想形。

「タッチポイントという点では、『新政』のラベルはそれに一役買っているのではないでしょうか。芸術家、書道家、漫画家、グラフィックデザイナーなど、数々のクリエイターと協業することによって、これまで日本酒業界では得ることができなかった接点との結実、アプローチだと思います」と松本氏。

日本酒業界と比べてどうかではなく、他所のクリエイティブと比べてどうか。この価値基準の競争においては、良い効果を生むでしょう。

「僕は飽きっぽいので、すぐ変えちゃうんです。ラベルもそうですし、造りもそう。どんなに苦労して長い道のりをかけてたどり着いた味でも、ほぼ定番にはしない。これは成功したので、また次の挑戦をしましょうというタイプ」と佐藤氏が言う隣では「現場は大変ですよね(苦笑)」と松本氏。

飽き性とは、言い方を変えれば、あぐらをかかないこと。これは、歴史や伝統を盾に進化しない蔵では衰退してしまう危惧によるものなのかもしれません。

そういった意味も含んでか、佐藤氏は松本氏にこう話します。

「日出彦は、蔵を抜けて良かった」。

1852年(嘉永五年)に創業した『新政』。歴史や伝統に満足することなく、挑戦し続ける蔵としてその名を馳せる。

現存する市販清酒酵母中では最古となる「きょうかい6号」の発祥蔵『新政』。1号から5号までは、西日本で生まれたが、6号は1930年(昭和5年)に『新政』のもろみから分離され、誕生。

今回、松本氏とともに造るのは「ラピス」。東北を代表する酒米「美山錦」の性質を良く表しながらも軽快な酒質に仕上げる定番作品。『新政』の基本的な味わいを表現する「定点観測」的なモデルでもある。

HIDEHIKO MATSUMOTO何のしがらみもない中、思いっきり酒を造れ。

2020年末、様々な事情によって松本氏は自身の蔵を離れることになり、この「武者修業」は始まりました。当時、佐藤氏は松本氏にすぐに連絡し、色々思いを伝えるも、その声は震えていました。怒り、悔しさ、悲しみ、様々込み上げる感情は、言葉に表すことはできません。

「色々なやり方で残ることもできたかもしれない。もしくは、残った方が楽だったかもしれない。でも、そこに自分が信じる日本酒があるかと言えば、なかったかもしれません。別のものを造らなければいけないのであれば、ゼロから始めて、自分が信じるものを造った方が日出彦らしい。造りたいものを造る。一見シンプルなようだけど、造り手にとってこれほど幸せなことはない」と佐藤氏。

「守るべきものは、たくさんあると思うのですが、本当に守らなければいけないものは、土地や建物ではなく、日本酒を造る魂。一度は、それを失いかけましたが、祐輔さんを始め、みんなに支えられて大事なものを失わずに済みました」と松本氏。

今回の「武者修業」は、蔵や職人同士の付き合いだから始まったものではありません。ましてや情けや助けでもありません。これまで培ってきた人と人との絆が衝動的に心を動かした結果論なのだと思います。

また、「武者修業」で得たことは、もしかしたら蔵の中で得たことよりも、蔵の外で得たことの方が大きく作用したかもしれません。

酒造りだけではない環境への配慮。地域や自然との対峙。向き合うべき問題や課題。磨くべきは技術よりも心。そして、職人である前にひとりの人間としてどうあるべきか……。

松本日出彦の酒造りとは何か? 日本酒とは何か?

それは「生き方」。

その証は、きっと厳格なルールのもと造られた『新政』の酒にも息づいているに違いないと信じます。

これから先、松本氏がどうなるか分かりません。しかし、皆が望んでいることはただひとつ。

「思いっきり酒を造れ」。

『ONESTORY』は、もう少し松本日出彦を追いかけたいと思います。

 各蔵で手を撮り続けた今回の「武者修業」。当初「酒造りをしている時は手が硬い。酒造りができていない今の手は、柔らかい。シーズン中にこんな自分の手を見るのはいつぶりだろうか……」と話していたが、最後は職人の手になれたか!?

「コロナ禍もあり、今までの100年とこれからの100年は、全く違う100年。これからの日本酒業界も変わらなければいけない」と佐藤氏(右)と松本氏(左)。

住所:秋田県秋田市大町6-2-35 MAP
TEL:018-823-6407
http://www.aramasa.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

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生産者の想いは熱く、その味は洗練の極みに。珠玉の石川食材、めくるめく。[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

OVERVIEW

北陸、石川。

日本海沿岸、本州のほぼ中央に位置する石川県の形を、思い浮かべることはできますか?
南北約200kmに細長く伸びる縦長の県土は、南部には広大な原生林と共に屹立する霊峰白山を擁し、北部は能登半島となって日本海に突き出ています。

荒波に削られた岩礁と断崖が続く能登外浦。それとは対照的に穏やかな能登湾に臨む能登内浦。多様な自然資源に恵まれた能登の里山里海は、土地の環境や生物多様性を生かした農業、農村景観が維持されている地として世界農業遺産に認定されました。今も息づく農村文化は、世界からの注目の的です。
白山に降り注いだ雨は河川となって広範囲に栄養豊富な水をもたらし、加賀平野や手取川扇状地など肥沃な穀倉地帯が形成されています。
クルマで、電車で、小一時間も移動してみると、きっと気づくはずです。海、山、川、平野が織りなす千変万化の風景に、石川がいかに多様な表情を持っているかを。

多彩な石川の風土は、実に多様な農産品を生み出してきました。

ブランド椎茸の最高峰との呼び声も高い「のとてまり」。
希少性と高い品質で注目高まる幻のブランド牛「能登牛」。
満を持して醸造が始まった石川県オリジナルの酒米「百万石乃白」。
“石川の宝”とも称される高級ぶどう「ルビーロマン」。

今回、『ONESTORY』では、フードキュレーター・宮内隼人が、数々の石川の味覚からあらためて、これら4つの逸品に着目。究極の地産地消を実現する金沢市の日本料理店「片折」の片折卓矢氏、最も注目を集めるイノベーティブレストランの一店である小松市の「SHÓKUDŌ YArn(ショクドウヤーン)」の米田裕二氏、日本が誇るトップソムリエである「An Di(アンディ)」の大越基裕氏、世界的パティシエとして知られる「Mont St.Clair(モンサンクレール)」の辻口博啓氏、4人の食のスペシャリストと一緒に、4つの食材の知られざる魅力を徹底追求していきます。

さあ、のぞいてみましょう、深淵なる石川食材の世界を。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

これまでにない圧倒的な旨さ。ネクストレベルの和牛を求めて、能登牛の進化、着々と。後編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

『能登牧場』専務の平林将氏(左)とONESTORYフードキュレーター宮内隼人(右)

能登牛兵庫系の旨い肉質と鳥取系の体格のよさを兼ね備えた能登牛。

石川県のブランド和牛「能登牛(のとうし)」は、1995年に「能登牛銘柄推進協議会」による認定制度がスタートした、ブランド和牛としては比較的新しい銘柄です。しかし、そのルーツは、明治期にまで遡るといいます。能登半島の日本海側である外浦一帯で製塩業が発展したのに伴い、大量に必要となった薪を搬出するための役牛を繁殖したのが始まりとされています。明治時代に兵庫県但馬地方から、大正時代に鳥取県から種牛が導入されて掛け合わされ、農耕を目的として四肢とりわけ前脚が屈強な牛が繁殖されていきました。種牛の導入は毎年計画的に行われていましたが、昭和初期、霜降りが入った上質な肉ができる資質型の兵庫系と、体が大きくなる体積型の鳥取系を交配した和牛一代雑種が、資質と体積を両立した和牛として生産が推奨されるようになりました。さらに交雑を進めたところ、体積は当初より小さくなり、霜降りも若干少なくなったものの、肉質のよさは引き継がれ、他の有名ブランド和牛よりもサシが比較的少ない赤身であることが個性となり、一定の支持を得るようになっていったといいます。

外浦のほぼ中央、志賀町に拠点を構える『寺岡畜産グループ』は、能登牛の品揃えに強みをもつ精肉店や卸、直営レストランを展開する肉一筋の企業。1904年(明治37年)に創業した精肉店『寺岡精肉』を母体とする、能登の食肉の歴史と共に歩んできた会社です。代表取締役社長を務める寺岡才治氏に話をうかがいました。

「運送業などを営んでいた祖父が、明治時代に何を思ったか牛肉専門の肉屋を始めました。牛肉食は都会では広まっていたとはいえ、当時としては先進的だったでしょうね。1995年に能登牛と名乗るためのルールが策定されましたが、当社ではそれまでもずっと地元産の和牛の美味しさを伝えたいと、販売チャンネルの開拓はもちろん、繁殖にも取り組んできました。ノトウシではなくノトギュウと呼んでいましたけどね。今では能登牛の知名度はかなり上がりましたが、まだ流通量は少なく、県外からは“幻のブランド和牛”と言われることもあります」(寺岡氏)

能登牛の魅力はなんといっても脂の融点が低いことによる口溶けのよさ。寺岡氏は比較的サシが控えめで、くどさがなく、赤身の肉質や香りがよい点を高く評価しています。
「こんなに口当たりのいい、胃もたれしない牛肉はないですよ。かといってA5ランクのサーロインステーキを200g食べたら、さすがに誰でも飽きるでしょう。要は部位や霜降り具合に応じて適切な切り方、調理をすることが大切なんです。私たち販売者にもそれを啓蒙する責任があると考えて、能登牛を使った料理教室も積極的に開催しています。家庭の調理器具でもコツさえ掴めば驚くほど上手に焼けるし、能登牛入りの細切れを使えば、牛丼もびっくりするほど美味しくなる。各部位が相応の値段で無駄なく消費されれば、農家はコストをかけてより美味しい肉の生産に取り組める。その好循環をつくっていくことが大事なんです」(寺岡氏)

最後に、寺岡氏のおすすめの食べ方を聞きました。能登牛を知り尽くす男は一体どのようにして能登牛を味わっているのでしょう?
「私ですか? そりゃもう刺身ですね。シンプルに醤油か塩で。能登牛のもも肉の刺身は絶品です。焼肉の場合もそうですが、能登牛を食べる際は、ぜひいつも使っている調味料で召し上がっていただきたい。美味しさがはっきりとわかりますからね」と寺岡氏は微笑みました。

グループ企業の精肉店『寺岡精肉』にて『寺岡畜産』の寺岡才治社長。ハレの日のごちそうに欠かせない「てらおかさんのお肉」として地元民に愛されている。

能登牛穏やかな牛の表情が物語るストレスフリーの生育環境。

能登半島北東部の能登町。富山湾に面する内浦から内陸山間地へと標高を上げていくと、人里を離れた原生林の中に、ぽっかりと牧草地が広がる開放的なエリアが出現します。能登牛を肥育する『能登牧場』です。2014年開業と歴史は浅いが、石川・福井合同肉牛枝肉共励会では最高位のグランドチャンピオンを5年連続で獲得した実力派。石川・福井の両県からそれぞれ数十頭出品される牛が、重量や霜降り具合、光沢、肉質などが審査され、各県の最高賞である知事賞を選出。グランドチャンピオンは、その2頭のうちより優れた牛に与えられるもので、最高峰の能登牛を輩出した証しでもあります。同牧場専務の平林将氏に牛舎を案内していただきました。

現在飼養している牛は4棟の牛舎で約1100頭、2020年3月末に4棟目が完成しました。第一に心がけていることは、牛にストレスを与えないこと、「牛の生活している空間へお邪魔しているのだ」という気持ちを持つことだと話します。
「ひとつのユニットの広さが32㎡。そこで最大4頭を飼養します。農林水産省が推奨する基準は1頭あたり6㎡ですから、ゆとりあるスペースと言えるでしょう。スタッフ間で再三確認しているのは、大声を出さないこと。無闇に牛に触らないこと。走らないこと。どれも牛を刺激しないためです。そもそも必要がなければ、極力牛舎に立ち入らないようにしています。人間のことが好きな牛もいれば、嫌いな牛もいる。嫌いな牛にとっては、人間の姿が目に入るだけでストレスになりますから」(平林氏)

ONESTORYフードキュレーター宮内隼人は、牛舎内に漂う穏やかな空気を感じ取りました。全国各地の牧場を見てきた彼ですが、これほど臭いもなくクリーンな環境が保たれ、牛が静かに過ごしているのは珍しいと指摘します。牛たちがみなとてもやさしい顔をしていると。
「それはうれしいですね。確かに、劣悪な環境で育った牛は険しい顔になると言われています。うちの牛たちは、言い方は悪いけど、間抜けな表情のものが多い。でも、それはリラックスして過ごせている証拠だと判断しています」(平林氏)

牛舎は基本的に西から東へ吹く偏西風が抜けるように設計されている。気温34℃にもなる夏場でも、自然風と換気によって牛舎内は快適。

珍しい取材班の登場に、好奇心旺盛な牛たちが寄ってきた。極力刺激しないように配慮する。

平林氏はハットがトレードマーク。深いブルーのユニフォームがよく似合う。科学的根拠に職人の勘による知見も織り交ぜながら、飼養法を解説してくれる。

能登牛豪州とも米国とも違う、しっかりした味付けの狙いをもって育てる独自の肥育

平林氏の実家は、全国的にも名高い黒毛和牛牧場である群馬県『赤城畜産』。『能登牧場』と『赤城畜産』は資本関係のないグループ会社で、平林氏は『赤城畜産』で会計を担当するかたわら飼養管理の基本を習得し、『能登牧場』の立ち上げから参画しているそうです。『赤城畜産』入社前はと聞くと……。
「ニートだったんですよ。大学院まで行って会計を勉強して、資格浪人していたんですけど、何年も落ち続けて。いいかげん働けと最後通告を受けた形で」とはにかみます。そのバックグラウンドがあるからか、どんな質問にも平林氏はロジカルに明解な答えを返してくれます。能登牛の特長であるオレイン酸についての説明も非常にわかりやすい。

「オレイン酸の含有率が高いこと=美味しい、とは限りません。脂肪酸の一種であるオレイン酸は脂の融点を下げる働きがあります。脂が溶けやすいと、食感が向上します。食感がよいことも美味しさの大切な要因ですが、味そのものはほかの脂肪酸や旨味成分であるアミノ酸が主要因となります。ですから、美味しい肉にするためには、オレイン酸を高くするだけでなく、きちんとした狙いをもって肉にしっかり味を付ける必要があります」(平林氏)

味付けに作用するのは配合飼料。牛のエサには大きく牧草とトウモロコシや麦などからなる飼料の2種類がありますが、ざっくり言えば、牧草は繊維質で飼料は糖質です。牧草で育つオーストラリア産牛肉は赤みが多く、どこか繊維を感じる硬い食感で、草っぽいニュアンスが感じられます。一方、飼料で育つアメリカ産牛肉も赤みが多く硬めながら、適度に脂もあります。

「日本での和牛の肥育は、単に無駄な脂を付けて太らせるのではなくサシを入れる独自の飼養法。牧草でしっかり内臓環境を作ってあげてから、飼料で肥育するいわばハイブリッドの方法なのです。内臓がしっかりしていると、飼料の効果も大きくなる。当牧場ではオレイン酸を高めるために、たとえば飼料に生米糠を混ぜ、味付けのための配合にもいろんな工夫をしています。内容は秘密なのですが」(平林氏)

牛床は、雌牛、去勢牛などの違いに応じて、餌台や水の高さも適切に設定され、年間を通じてエサの内容や水温が一定になるように配慮されている。すべては牛にストレスを感じさせないためだ。

ユニフォームの背筋には「能登牛」の金刺繍。能登牛の肥育専業牧場としての矜持が感じられる。

能登牛オレイン酸と格付けが生む矛盾への挑戦。能登牛の旨さを届けるために前進あるのみ。

メリットばかりに見えるオレイン酸には実はビジネス上のデメリットもあるといいます。オレイン酸が高いと格付けが下がる。オレイン酸と格付けがトレードオフになる傾向があるとか。『寺岡畜産』の寺岡氏も、その問題点を指摘していました。

「格付けは食肉処理した後に審査員によって行われるのですが、脂の融点が低い能登牛の場合は食肉処理してから数日間冷やさないと脂が固まってサシがはっきりしてこないため、BMSという霜降りの格付けが低くなりがちです。格付け後に、冷蔵が進んできれいなサシが浮かび上がってくることが多い。この現象を我々は『肉が化けた』と呼びます。能登牛は、肉が化けるんですよ」(寺岡氏)

脂の融点の低さは販売時にも露呈しがちだと平林氏は話します。
「オレイン酸が高く脂が溶けやすいと食味はよくなりますが、見栄えとして脂が溶けることが良しとされないケースも多々あります。典型的なのがスーパーマーケットの販売コーナー。一般的な食肉展示用の照明は肉の赤色を自然に演出するために色が調整されているので、能登牛のように脂が溶けやすい肉は発色が悪くなり、肉がダレた印象を受ける消費者もいます。格付け的には評価が低くなる恐れがあるというのは、そのあたりが理由となります。本来、品質とは関係のないことなんですけどね」(平林氏)

現在、『能登牧場』では、オレイン酸含有率の高さはそのままに、脂が白く見栄えする肉の研究を続け、オレイン酸と格付けの矛盾を克服するために奮闘中です。さらに、平均28カ月で出荷するところを30カ月以上飼養する、長期肥育にも取り組んでいるそうです。もうこれ以上大きくなりにくい牛をなぜ手間ひまかけて肥育するのでしょうか。

「これは科学的には完全にはわかっていないことなのですが、30カ月から33カ月で脂が一気に美味しくなるということが職人の経験則でわかっています。今後はその検証も含め、いわゆる1000日肥育にもチャレンジしていきたい。一般的には雌牛の方が食味がよいとされているので、まずは雌で長期肥育を行い、能登牛の圧倒的な美味しさを世に知らしめたい。旨い肉は何よりも雄弁です。能登牛の知名度は、揺るぐことのない美味しさから広げていきたいです」

和牛の品質向上への挑戦は大変な時間と労力を要する。しかし、その歩みは、牛歩のごとく着実で力強いものでした。

能登牛のおいしさを最大限に発揮させるためには、よく餌を食べることが必要だと語る。飼料には糖蜜などによって牛の嗜好性を高める工夫がされている。

非常に清潔な印象の牛舎。牛たちは、穏やかな雰囲気の中で、横になり、牧草を食んで思い思いに過ごしていた。

住所:石川県羽咋郡志賀町富来領家町甲-26(増穂浦ショッピングモール アスク内) MAP
電話:0767-42-0012

住所:石川県鳳珠郡能登町泉ろ12 MAP
電話:0768-72-0622

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

ローカルガストロノミーの求道者『SHÓKUDŌ YArn』が惚れ込む、稀少なブランド和牛とは?前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

能登牛を使った『SHÓKUDŌ YArn』のスペシャリテ。一体どんな味なのか?

能登牛気鋭の料理人と評価高まる能登牛の邂逅。

地域の気候風土、歴史、文化を料理に表現する「ローカルガストロノミー」。この理念を独自の発想と遊び心で体現し、国内外のフーディたちから熱視線を浴びるレストランが、石川県小松市の郊外にあります。その名は『SHÓKUDŌ YArn(ヤーン)』。英語で「糸」を意味する「yarn」を冠する店は、かつて撚糸工場だった建物をリノベーションして2015年にオープンしました。どこか北欧をイメージさせるストイックなデザインの建物に入ると、オーナーシェフ兼ソムリエの米田裕二氏、パティシエールの亜佐美氏夫妻が屈託のない笑顔で迎えてくれました。

亜佐美氏はここ小松市、裕二氏は隣の能美市の出身。ふたりは高校の同級生。高校卒業後、それぞれ大学に進みますが、大学卒業後は共にほどなく料理の道へ。裕二氏はイタリアで星付きの店を渡り歩いて修行を重ね、店を任されるようになります。亜佐美氏も少し遅れてイタリアでの修行を開始。その後、ふたりは世界で最も予約の取れない最先端のレストランと言われた「エルブジ」での研修が許され、さらなる研鑽を積みます。そんなふたりがいつしか自分たちの店をと、熟慮の末に選んだ地が、地元の小松でした。

リノベーション前の撚糸工場は元々、亜佐美氏のお祖父さんが運営していたもの。『YArn』には、糸を紡ぐように地域の文化や歴史を紡いでいきたい。裕二のYと亜佐美のAで理想の店にしていきたいといった想いが込められているといいます。

『YArn』で使う食材は小松市をはじめとする石川県産の新鮮な海山の幸が多くを占めています。全ての調理に使う水も、能美市仏大寺にある遣水観音山霊水堂の水をわざわざ汲みに行くこだわりよう。そんな米田夫妻のお気に入りの食材のひとつが石川県産のブランド和牛「能登牛(のとうし)」です。同店では、能登牛のA5ランクに格付けされたものの中でも、オレイン酸の含有量など一定条件をクリアして最上級ランクの評価を得た「能登牛プレミアム」を使用しています。裕二氏は能登牛の魅力について話します。
「塊の状態を見ただけ、触っただけで、これは本当にいい肉だなとわかるんです。うれしくなってくる。赤身とサシのバランスが絶妙。常温で脂が溶けて肉がいい具合にしっとりして、いい弾力になってきます。口当たりがやさしく、旨味や香りが強いけれど、後味はすっきり。胃もたれするような重さはまったくありません。料理人として創造性をめちゃくちゃ刺激される食材ですね」

この日、能登牛の類まれな魅力から生まれたスペシャリテ2品を作っていただきました。どちらも、想像の斜め上をゆく、驚きと感動の皿でした。
 

撚糸工場だった建物を曳家工事を行って大胆にリノベーション。住宅街で静かに異彩を放つ。

オーナーシェフ兼ソムリエの米田裕二氏とパティシエールの亜佐美氏夫妻。温かく気さくな人柄に惹きつけられる。

建物中央の中庭にすっくと立つのはスペインから運ばれたオリーブの木。樹齢200年から300年と推定される古木が、客席やキッチンを見守っているかのよう。

「能登牛プレミアム」のヒレ(左)とイチボ(右)。融点の低い脂、赤身とサシのバランスのよさが魅力だという。

能登牛先進的かつ懐かしい。斬新すぎる能登牛の牛すじ煮込み。

『YArn』では、客席からガラス張りのオープンキッチンでの仕事ぶりを見ることができます。さらに、ひとつのコースで15品ほど提供される料理の多くは、テーブルで仕上げが施され、そこに驚きと歓喜の瞬間が生まれます。

「牛すじ煮込みです」と運ばれてきた木皿には、よく味のしみていそうな大根がひとつ。そして、目の前に出された料理に、その場でアイスクリームがのせられました。それはなんと能登牛の牛すじ煮込みのアイスクリーム。「大根と一緒にどうぞ」と促されても、狐につままれたような感覚です。

さて、その味は……熱い大根のおでんと冷たい牛すじアイスが口の中で渾然一体となり、出汁で丁寧に炊き上げられた牛すじ煮込みがふわりと広がります。上品な旨味の余韻の中に、どこか懐かしさも沸き起こってきます。

「懐かしい。そう言ってもらえることが多いんです。これは居酒屋でインスピレーションを受けたメニュー。うちの店はイノベーティブとかフュージョンとかに分類されることが多いのですが、自分たちでそう言ったことは一度もないんです。私たちの経歴からスペイン料理やイタリア料理をイメージして来られる方も多いですね。でも実際、うちは家庭や居酒屋の料理が基本。だから“SHÓKUDŌ”とうたっているのです」(裕二氏)

驚きの牛すじアイスクリームは客席でサーブ。アイスクリームメーカーを客席に持ち込むための木枠も形がユニークな特注品。プレゼンテーションへの細やかな配慮が行き届いている。

能登牛を使ったスペシャリテ「牛すじ煮込み」。合わせるのは、奥能登にある数馬酒造の限定醸造品「NOTO純米88 無濾過生原酒」。精米歩合88%の超旨口の食中酒が、滑らかな牛すじ煮込みと共に花開く。

能登牛遊び心の中にしっかりと込められた技術とエッセンス。

裕二氏は7年のヨーロッパ生活を経て帰国すると、日本料理店へ入って修行を始め、夫婦共に茶道に入門しました。日本で生まれ育ったのに、日本のことを知らなさ過ぎる。イタリアやスペインで現地に溶け込んで仕事をする中で、そんな思いを募らせていったからだと亜佐美氏は修行時代を振り返ります。

「日本人の料理人はみんな刺身が引けるし、和食はなんでも作れると思われていました。『アサミ、モナカの皮を作ってよ』とか当然のように頼んでくるけど、こちらは作った経験もなければ、材料すらあやふや。日本料理を学ぶイタリア人が全員ピザを焼けるかといったら違いますよね(笑)。でも、考えてみたら、襖の正しい開け閉めも知らないし、海外での経験を活かすためにも、日本の文化をきちんと知らないと。そんな想いを強くしていきましたね」(亜佐美氏)

「料理には母国のエッセンスが必要と感じる事も多くなっていました。イタリアで、店を任せられていた時に、伝統的な猪の煮込みを食べたいという依頼があり、その店のオーナーのお母さんからレシピや作り方をきちんと教わり、料理を作ったのですが、やはり微妙なところで味が違うと、彼らが言ったのです。 やはり、そこにはうまれ育った場所で昔からお祖母ちゃんやお母さん、その地域の方々が作る伝統料理を食べてきたからこそ分かる微妙なエッセンスの違いがあるという事です。日本で言えば、たとえば味噌汁。外国人が日本料理をひと通り学んでも、日本人が作る味噌汁の味にはなかなか到達できない。この現実に直面した時に、それを悲観するのではなく、自分の料理をよりよいものにするために、日本の、特に身近な料理のエッセンスを込めるべきだと考えました。そんな試行錯誤によって、今の店の骨格ができていったのです」(裕二氏)

『YArn』の献立には、奇妙奇天烈な名前が並びます。ダジャレ、パロディ、中には読めない記号であることも。たとえば、「見た目ウザくない」は、一見そうは見えない「うざく」。「茶碗無視」は文字通り、茶碗の形状にとらわれない茶碗蒸し。蟹がぶくぶくと泡を吹いている「バブルカニシスターズ」は、甲羅を裏返すと香箱蟹が出現し、泡状の蟹酢をつけながらいただく、という衝撃的なメニューです。非日常の食事を堪能してほしい。美味しさはもちろん、店でしか体験できない驚きと楽しさを提供したい。そんな気持ちが、『YArn』にしかない自由な発想の料理を生み出しているのです。

本物の石と混ぜて提供される石そっくりのチョコレートも、『YArn』らしい遊び心いっぱいの一品。ちなみに、黒光りしている粒がチョコレートとは限らない。

能登牛能登牛本来の滋味が豊かに広がる唯一無二のカツとじ。

驚きと楽しさを提供するために、常にギャップを大切にしていると夫妻は話します。
「ヘンテコな名前のメニューが、風変わりではあるけれど、そこに伝統や馴染みある要素が盛り込まれていることがわかると、料理って妙に納得できて、不思議なことに懐かしさを強く感じるんです。これってギャップですよね」(裕二氏)

「一方、牛すじ煮込みのように名前は普通なのに、出てきた料理はなんじゃこりゃ!? というのもやはりギャップ。メニュー名も調理法もどちらも風変わりだと、そこにギャップは生まれませんよね。常連さんは、普通の名前の料理には何か仕掛けがあるぞと察するようになっていますが(笑)」(亜佐美氏)

「イタリア時代の経験が大きいですね。オリジナルのアイディアで、ティラミスをお客の目の前で盛り付けてみたところ、こんなプレゼンテーションは初めてで、ベストティラミスだとものすごく喜んでもらえて。それから、調理の基本は崩さずに、地元のイタリア人は決してやらないような食材の組み合わせや提供の仕方にどんどんチャレンジしていきました。自分は現地で異邦人であったからこそ、常識にとらわれずに自由に発想できた。この感覚を忘れずに和食に持ち込んで、楽しい料理を作っていきたい。ギャップの根っこには、そんな基本スタンスがあります」(裕二氏)

2品目の能登牛メニュー「牛ヒレカツとじ」がやってきました。一般的なカツとじとは似ても似つかぬ形状。ステーキのような肉の上に卵焼きのような塊がのっています。亜佐美氏がその正体を解き明かしてくれました。肉は能登牛のヒレ肉を真空低温調理したもの。あらかじめ2面を昆布〆することで水分を適度に抜くと同時に昆布の旨みとほのかな塩分をプラスしています。上にのっているのは、パンにたっぷりの卵と出汁をしみ込ませてフライパンで焼き目をつけたフレンチトースト。ふたつの間には三つ葉が挟んであります。「食べた人はたいてい変な笑顔になるんですよ」と裕二氏が補足します。

その時、きっと取材班も一様に変な笑顔になっていたことでしょう。口の中にあるのは、まさしく牛カツとじそのもの。いや、むしろ、肉、衣、卵が見事に調和しながらも、能登牛の滋味がググッと迫り、普通の牛カツとじでは味わえない肉の存在感を満喫できます。

美味しさの余韻に浸る取材班を夫妻はニコニコと見守っています。能登牛の恐るべきポテンシャル、それを遊び心と共に最大限に引き出す発想と技術。食べに行く価値があれば、人はどこからでもやってくる。ローカルガストロノミーの真髄を垣間見ました。

牛ヒレカツとじに使うフレンチトーストには焼き目をつけて香ばしさをプラス。

牛カツとじの肉は揚げずに低温調理。「とんかつの本質は蒸し料理。だから肉を素揚げしたり、焼いてしまって、とんかつのニュアンスがなくならないに試行錯誤しました」と裕二氏。

牛カツとじと合わせるのは、フランス・ローヌの「シャトーヌフ・デュ・パプ」。「枯れた感じの深い風味が、カツとじの濃厚な旨みとよく合います」(裕二氏)。

大阪の三ツ星店『HAJIME』などで経験を積んだONESTORYフードキュレーター宮内隼人は、独創的な『YArn』のスタイルに興味津々。料理談義は尽きることがない。

住所:石川県小松市吉竹町1-37-1 MAP
電話:0761-58-1058
https://shokudo-yarn.com/

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

北アルプスの懐に抱かれる信濃大町。豊かな水が育む、澄んだ味わいの食材を探しに。[湧水とアートがうるおす街/長野県大町市]

    OVERVIEW

絵のように美しい町。
信濃大町駅に降り立つと、まずそんな思いが頭をよぎります。その絵は淡い水彩画ではなく、厚く塗り込めた油絵。3000m級の北アルプスの山々の威容、山の稜線でくっきりと区切られた空、豊かな緑の色彩、そして清冽な水。質量があり、奥行きがあり、現実感がある力強い美しさが、訪れる人を圧倒するのです。

命の源たる水が豊かで澄んでいるとうことは、そこで育つ食材もまた豊かであることを意味します。たっぷり水分を蓄えた野菜や果物、生き生きと育つ魚、瑞々しい飼料で育つ鶏や豚、水そのもののおいしさが伝わる酒やビール。自然の恵みと、自然の中で暮らす人々の営み。両者がバランス良く調和することで、この地の個性が色濃く表れた、澄んだ味わいの食が形成されています。

そのクリエイターを刺激する美しい景観から、「北アプルス国際芸術祭」の舞台ともなっている大町市。自然に触れ、アートを鑑賞し、食を満喫する、この町でしかなし得ない唯一無二の体験。そんな長野県大町市の魅力をさまざまな角度から紐解きます。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)

イタリアン×フレンチ、長野×東京。個性の異なるふたりの料理人が挑むコラボレーションメニュー。[食育・料理体験イベント/長野県大町市]

畑を見学する泉田シェフ(奥)と神保シェフ(手前)。食材を前にプロの料理人らしい専門的な会話が交わされる。

    まだ見ぬ食材を探し、初夏の信濃大町をめぐる2日間

2021年7月某日。立山黒部アルペンルートの玄関口であるJR大糸線信濃大町駅に、多くの登山客に紛れ、ひとりの人物が降り立ちました。数々のメディアでおなじみのその顔は『HATAKE AOYAMA』の神保佳永シェフ。とりわけ野菜の本質を見極め、その魅力を引き出す料理から“野菜の魔術師”と呼ばれるイタリアンの巨匠です。

今回、神保シェフが信濃大町を訪れた理由は2021年9月5日(日)に『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』で開かれる「食育・料理体験イベント」の準備のため。これは同ホテルの料理長・泉田康晴シェフとともに神保シェフが考案したコラボレーションメニューを、参加する子供たちと一緒に作る体験イベント。さらにイベント以降9月6日から10月31日までは、ふたりが考案したメニュー全5品が、同ホテルのレストランに登場します。子供たちには、食の楽しさと大切さを、大人には大町の食材の豊かさを、それぞれ伝える大切な仕事です。

今回の訪問の目的は、大町市内の食材生産者を巡り料理の構想を練ること。さらにこの地らしい料理のアイデアのため、10月から開催予定の『北アルプス国際芸術祭』の作品なども見学する多忙な工程です。東京で腕を振るう神保シェフは、この信濃大町でどんな食材と出合い、どんな料理を生み出すのか。信濃大町を拠点とする泉田シェフは神保シェフに何を伝え、どんなコラボレーションを目指すのか。駆け足で訪れた1泊2日の信濃大町視察の様子をレポートします。

黒部ダムへの長野側の玄関口であり、市内には大町ダム、七倉ダム、高瀬ダムを擁する大町市。豊かな水はさまざまな食材を育む。

山麓の農場で味わう、自然の力を凝縮した野菜

「このあたりの土は火山灰と腐葉土の混じった黒ボク土。寒暖差もあるから旨味の濃い野菜が育つんです」そう話すのは『勝本農園』をひとりで切り盛りする勝本あけみさん。山麓にあり、12月から3月は雪に埋まってしまいますが「先祖代々の畑だから」と、心を込めて丹念に手入れします。
泉田シェフの『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』では、以前から勝本さんにお世話になっているとか。外国で買い付けた苗を育ててくれるなど柔軟な作付けにも対応し、この地のレストランにはなくてはならない存在。

手入れが行き届いた農園で、採れたての野菜をかじる神保シェフと泉田シェフ。その口からは「苦いですね」との言葉。誤解がないように補足するなら、シェフによる「苦い」は最上の褒め言葉。加熱方法や味付けにより、苦味やえぐ味を減らすことはできる。しかし野菜本来の持ち味を後から付け足すことはできない。だから苦味を含む味の濃い野菜は、料理人にとって良い食材である、というわけです。

勝本さんの案内で農園を見学。作物の出来はもちろん、農園の自体の手入れの行き届いた美しさがふたりのシェフを惹きつけた。

栄養をたっぷりと湛えた黒土と昼夜の寒暖差が、旨味の濃い野菜が育つ理由。

シャイな勝本さんの露出はここまで。自然体の人柄だが、言葉の随所に農業への強い思いが垣間見える。

「色が濃く、葉がしっかりとしている」と好評価。その場で試食させてもらい、その味わいを確かめた。

    野菜、魚、肉。多彩な食材がシェフの感性を刺激

続いて訪れた『八幡農園』は、若き代表の八幡大智さんが、家族5人で無農薬有機栽培に挑む農園です。大智さんは農業大学を経て実務経験を積み、2010年にこの地に移り、自身の理想とする農業を実践する人物。
その理想とは、自然に近い状態を保ち、作物本来の力を引き出すこと。雑草はやみくもに刈らず、落ちた葉はやがて地面にかえり栄養となる。作付けする位置や組み合わせを工夫することで農薬ではなく自然のサイクルで作物を育てる。それはいわば、膨大な手間暇をかけて、一周回って自然に近い状態にすること。明確な目標とロジカルな戦略がなければなし得ないことでしょう。そしてそんな自然の力を凝縮した野菜の数々には、“野菜の魔術師”神保シェフも心動かされた様子でした。

北アルプスの懐に抱かれる『フィッシングランド鹿島槍ガーデン』では、信州サーモンやイワナを視察しました。実は以前にも何度かここを訪れ、実際にこちらの魚を使用したこともあるという神保シェフ。「味わいの透明感が段違い。臭みはなく、上質な脂が乗っています」と絶大な信頼を寄せています。
養魚場を見学した後、社長のご厚意で信州サーモンやイワナの刺し身と卵を試食した一行。身質に自信があるからこそ出せる刺し身、黄金に輝くイワナの卵などには、同行した泉田シェフも驚きを隠せない様子でした。

もちろん肉も負けてはいません。視察に訪れた『松下農園』は、長野県のブランド鶏・信州黄金シャモを育てる農園。この『松下農園』では飼料に米を混ぜることで、さらに上質で柔らかい肉質を実現しています。残念ながらコロナ禍において生育数は縮小していますが、また素晴らしい鶏を届けてくれることでしょう。

なお『八幡農園』の野菜、『鹿島槍ガーデン』の信州サーモン、『松下農園』の信州黄金しゃもの3つの食材をそれぞれ主役に、後日神保シェフが3種の料理を仕立ててくれました。その詳細については、後日別記事にてお知らせします。

家族5人で営む『八幡農園』で父・八幡博己さんに話を聞く神保シェフ。

『鹿島槍ガーデン』にて。魚体はもちろん、環境や餌など細かい点を確認する。

試食の際のふたりのシェフは真剣そのもの。味の特徴を見極め、料理の構想を練る。

信州黄金シャモは、シャモと名古屋系のかけあわせ。適度な弾力と噛むほどにあふれる旨味が魅力。

『北アルプス国際芸術祭』に向け、市内随所に展示される作品。個性的なアートがシェフに刺激を与える。

屋外アートや触れて体験できるインスタレーションなど、市内には多数のアートがあふれる。

   澄んだ水に育まれる美味を伝えるコラボレーションメニュー

大町市の多様な食材は、肉、魚、野菜にとどまりません。
続いて一行が訪れたのは『キハダ飴本舗』。その名の通り、柑橘の一種であるキハダの実のエキスを使った飴の店ですが、実はそれだけではありません。
「ここで食堂をやっていて、長野らしい食材として山菜をつけていたのですが、わざわざ山に採りに行くのは大変でね。だったら育ててみよう、と」そう聞かせてくれたのは、社長の古川孝雄さん。神奈川で大手企業に勤めていましたが54歳で早期退職し、奥様のトミコさんとともに大好きな鹿島槍ヶ岳が見えるこの地に移ってきました。それから20余年。ふたりが作る山菜畑はいまや1ヘクタール。とくに行者ニンニクの出荷量は全国有数の規模にまで成長しました。
ふたりが試行錯誤をしながら時間をかけて育てた行者ニンニク。取材時はシーズンオフで生はなく、オイル漬けを試食させて頂きましたが、神保シェフは「素晴らしい香りで、かつ甘みがあります。料理に取り入れてみたら良いアクセントになりそうです」と強く興味を惹かれた様子でした。

さらに、この地ならではの味を追求するためにあえて水質調整をせず、湧き出したままの水で仕込む『北アルプスブルワリー』、道路一本を挟んで硬度の異なる水が湧く『男清水』『女清水』、地元の水とそば粉に山芋を混ぜてつるりとした食感を生む老舗蕎麦処『タカラ』など、水の素晴らしさを伝えるスポットの数々も、シェフに多大な影響を与えました。

「産地に足を運ぶ意味は、生産者の顔を見て、直接話をするだけではありません。その土地の水を味わい、文化を知り、名物を食べる。そうすることで、イノベーティブが生まれるのだと思います。私は野菜を軸に料理をしますが、そこに現地に伝わる発酵を加えたり、地元の漬物を取り入れてみたり、といった具合。普段お店でお出しする料理とはかけ離れていきますが、それもまたこうして地域に入り、イベントをする意味だと思います」視察後、神保シェフはそんな言葉でイベントへの思いを語ってくれました。

泉田シェフも「身近にある地元の食材を改めて見たことで、初心に戻った気分です。私はホテルの料理人として、フランス料理をベースにしつつ、アレンジし過ぎず食材そのものの魅力が伝わる料理を目指していますが、その中で地元食材の価値を改めて伝えていきたい」と決意を語ります。

およそ一ヶ月後に控えた、ふたりのシェフのコラボレーションによる『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』の料理。東京から訪れたイタリアンシェフと、地元大町で活躍するフレンチシェフ。ふたりのクリエーションがどんな化学反応を起こし、どんな料理が誕生するのか。期待は高まるばかりです。

『キハダ飴本舗』では、広々とした山菜の畑を見学。

苦味と独特の香りがあるキハダ飴だが、神保シェフに大ヒット。いくつも口に運んでいた。

併設の醸造所で作られる『北アルプスブルワリー』のビール。この地でしか味わえないビールをテーマに、水の特徴を押し出して醸造される。

『北アルプスブルワリー』の松浦周平さんは、大町市内でコーヒー店も経営。多角的に大町の水の良さを伝える。

老舗『タカラ』の蕎麦。地元名物を味わうことも、視察の重要な工程。

ホテルに戻り、泉田シェフの料理も試食。相互理解を深め、コラボレーションメニューの構想を練る。

厨房で意見を交わすふたりのシェフ。泉田シェフの地元食材の知識、神保シェフの野菜の知見が互いの料理を高める。


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 大町市)

制作実績_キサブロー様監修_藍染掛け軸

こんにちは。藍染坐忘です。季節が巡るのは早いものですね。
先日、素晴らしい藍染の掛け軸作品の制作に携わらせていただきました。

アーティストのキサブロー様が内装デザインを全面監修された、
和室のプライベートエステサロン「No.3 SHIROGANE」様の室内装飾用の掛け軸になります。

本麻の生地をグラデーションに藍染めし、抜染の技法でデザインを浮かび上がらせています。細さ1mmの線で描かれた精巧な作品を如何に再現するか、全集中で作業を行いました。
↓洗い流す前の状態。

掛け軸に描かれたイラストはアートディレクター・映像作家の奥下和彦様の作品。白金に伝わる”笄橋伝説”を一筆書きで表現されています。

「深海」をコンセプトとした空間に、天然藍染の深い色合いと世界観もマッチし、一室に素晴らしく溶け込んだ最高の1枚となりました。

流木とロープを使った装いも、とても風流で、天然の青の魅力がより深いものに。キサブロー様の細部へのこだわりとセンスに、ただただ感銘を受けます。

No3_SHIROGANE
東京都港区白金エリアにOPENされた、プライベートな和室エステサロン。
最高の技術とおもてなしに溢れる空間で施される完全オーダーメイド施術により、和の癒やしを存分に堪能できるお店様です。

▼WEBサイトはこちら▼
https://no3shirogane.com/

この度は、貴重な作品制作に携わらせて頂き、誠にありがとうございました!

ORCA CLOOLERS 40

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 40 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • 二人でも持ちやすい長さのフレックスグリップハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約44cmx幅約65cmx奥行き約45cm
  • ■内側:高さ約28cmx幅約47cmx奥行き約29cm
  • ■重量:30lbs(約13kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

ORCA CLOOLERS 40

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 40 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • 二人でも持ちやすい長さのフレックスグリップハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約44cmx幅約65cmx奥行き約45cm
  • ■内側:高さ約28cmx幅約47cmx奥行き約29cm
  • ■重量:30lbs(約13kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

ORCA CLOOLERS 26

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 26 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • 二人でも持ちやすい長さのフレックスグリップハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約37cmx幅約59cmx奥行き約44cm
  • ■内側:高さ約22cmx幅約41cmx奥行き約28cm
  • ■重量:25lbs(約11kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

ORCA CLOOLERS 26

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 26 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • 二人でも持ちやすい長さのフレックスグリップハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約37cmx幅約59cmx奥行き約44cm
  • ■内側:高さ約22cmx幅約41cmx奥行き約28cm
  • ■重量:25lbs(約11kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

ORCA CLOOLERS 20

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 20 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • ■フレックスグリップのシングルハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約38cmx幅約48cmx奥行き約35cm
  • ■内側:高さ約24cmx幅約35cmx奥行き約23cm
  • ■重量:18lbs(約8kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

ORCA CLOOLERS 20

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 20 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • ■フレックスグリップのシングルハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約38cmx幅約48cmx奥行き約35cm
  • ■内側:高さ約24cmx幅約35cmx奥行き約23cm
  • ■重量:18lbs(約8kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。