最後の「武者修業」先、『新政』にて感謝の祈りを捧げる松本日出彦氏。「酒造りだけではなく、それを取り巻く地域や環境との共存、自然の偉大さを学びました。そして、人としてどうそれと介在し、生きていくのか。生涯を通して考え続けなければいけないことなのだと思います」。
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HIDEHIKO MATSUMOTO 「新政」の厳格なルールのもと、松本日出彦が介在する意味は何か。2021年2月より密着している松本日出彦氏の武者修業。
滋賀『富田酒造』、熊本『花の香酒造』、福岡『白糸酒造』、栃木『仙禽』と巡り、最後の蔵は、全ての酒造りおいて生酛を採用する秋田の『新政酒造』(以下、新政)です。
2021年4月。この日の仕込みは、蒸したお米を冷却する埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業。速醸造りであれば、一気に冷却しますが、生酛造りは一足飛びにはいきません。米の表面を適度に乾かし、ひと晩じっくり保湿しながら米を寝かせます。この工程は、今後の米の溶け具合に影響するため、重要な作業のひとつ。以後、半切桶に籠らせ、冷やしたそれを翌日に手で混ぜていきます。
生酛造りは複雑な発酵を操るため、多くの知識が必要な製法です。また、速醸酒母と比較にはならないほどの労力がかかります。しかしこれらの労力は、簡単に機械にとって代えられるようなものではありません。
添加物や最新の醸造機器などから距離をとり、ただひたすらに生酛製法の真髄を継承し、品 質を向上させるため『新政』では常に試行錯誤が行われています。
「地元の水をどう活かしていけるのか。そこを大事にしています。生酛の際は何日も置いた水を使ったり、色々なアイディアを取り入れて挑戦しています」と話すのは、蔵人の福本芳鷹氏です。福本氏は、生粋の蔵人ではなく、北海道札幌の名店『鮨 一幸』出身。異例の人物です。しかし、『新政』を提供する側にいた貴重な知見は、酒造りに活かされています。
そして、水の扱い方は米の扱い方にもつながります。
「蒸した米をひと晩じっくり冷やし、半切桶に仕込み、寄部屋(よせべや)と呼ばれる空間で籠らせます。1日2回手で混ぜ、寝かし、低温で雑菌の活動を鈍らせながら水に含まれる硝酸を還元し、更に不要な微生物を死滅させるための亜硝酸を生み出します。使用する仕込み水には、役目を終えた木桶の破片を漬け、それを“継ぎ足し”ながら使用しています」と酛屋の佐々木 公太氏。
生酛造りにおいて重要な「硝酸還元菌」と呼ばれるそれは、またの名を「亜硝酸生成菌」とも言い、仕込み水に木桶の破片を漬ける理由は「木の穴や隙間、凹凸に、亜硝酸が住み着く環境を作るため」と佐々木氏。加えて、まるで秘伝のタレのような「継ぎ足し」という水の発想においても『新政』独自の着眼とも言えます。
「良い水を他所から引っ張ってくるのではなく、地元の水を最大限良くしていくために知恵を絞るという行為は、人が自然に介在する意味があると思います」と松本氏。
別日、半切桶に寝かした米20kgに対して麹10kgを均一になるよう混ぜ合わせます。一見、シンプルな作業に見えますが、計30kgのそれを手で掻く作業は重労働。武者修業における最後の生酛造りに全身全霊で松本氏は取り組みます。
「自分と松本さんでは混ぜる回数や具合が異なるため、それだけでも味に変化が生まれると思います」と佐々木氏。
日本酒とは造り方だけでなく、人によって味が変わるのです。
その後、暖気部屋(だきべや)へ移し、乳酸菌を増殖させます。ここまでにかかる日数は、約2週間。次に酵母を増やすための部屋へ移し、酒母を造っていきます。作業をしやすいように個別に設計された3つの部屋を通してそれを成すも、伝統の酒造りを独自のやり方で創造していく姿は、生酛造り、もとい、『新政』造りと言って良いでしょう。
『新政』の酒造りは、厳格なルールのもと、成り立っています。そこに「武者修業」だからというイレギュラーや特例はありません。与えられた環境の中、何を学び、何を得て、何を造るのか。
全ては、松本日出彦次第。
もくもくと立ち上がる湯気。周囲は蒸し立ての米の香りが充満し、蔵人たちが戦闘態勢に入る。
「水の温度、米の状態、両者を見極め、132%吸わせた米を蒸してる最中に9%吸わせて、141%に……」など、本日の蒸米に関して議論する福本芳鷹氏(左)と松本氏(右)。
切り返しを行い、蒸し立ての米に空気を含ませ、温度を下げていく。
切り返しをした米は、ひと晩寝かせてから、寄部屋(よせべや)へ仕込む。
「『新政』の洗米機は、先端の機器。細かいジェット噴射が精度の高い洗米を手伝います」と松本氏。
この日は、10.5度の水にひと袋17分漬け、洗米した米に水を36%吸わせる。
埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業を行う酛屋の佐々木 公太氏(奥)と松本氏(手前)。「2014年から生酛造りに舵を切りましたが、うまく行かないことも多かったです。工夫を繰り返しながら、ようやく近年では安定的に造れるようになりました」と佐々木氏。
寄部屋に仕込んだ半切桶に合わせる酛。表面を適度に乾かし、保湿しながら米を寝かせる。この作業によって米の溶け具合が変わり、今後の作業に影響する。
継ぎ足し継ぎ足しをしている仕込み水。中には、使わなくなった木桶の破片を漬ける。
半切桶に寝かした米20kgに対し、麹10kgを均一になるよう、仕込み水を加えながら混ぜ合わせていく。
仕込みを終えたら、寄せて寝かせる。寄部屋との名称はこれに由来するも、業界用語ではなく『新政』用語。
仕込み終えた半切桶。これからどんな化学反応を起こすのか、期待が高まる。
HIDEHIKO MATSUMOTO 自社圃場を持つ意義。酒造りを通して地域を発展させる。蔵のある秋田県秋田市大町から車で走ること約1時間。同市内河辺の鵜養(うやしない)に『新政』は自社圃場を保有しています。
「酒米の郷」にすべく地元農家にも協力を仰ぎ、無農薬栽培を実現。2015年から始まり、現在の面積は32町歩(約32ha)にも及びます。それを担う酒米責任者の古関 弘氏は、元醸造責任者という驚愕のコンバート。蔵の中で酒造りをしていた時代は、生酛造りや木桶の採用へ転換する改革を8代目蔵元・佐藤祐輔氏とともに取り組み、今の『新政』の礎を築きました。
「醸造責任者は言わば杜氏。責任のある立場の方が米を作るということは、農家さんにとっても『新政』が本気だということの意思表示になると思います。加えて、この活動は、酒造りだけではなく、地域の発展はもちろん、美しい日本の田園風景を守ることにもなり、生態系を維持することにもつながります」と松本氏。
「稲を育てることによって微生物の循環を再生させ、田んぼが乾き切ってしまったがために細くなってしまった自然の生育サイクルを太くさせてあげたいなと思っています」と古関氏。
田園風景が広がる中には、かつて不耕地帯だった田んぼもありましたが、約4年かけて地道に育て、今では一番収穫できるまでに。
育てる米は、陸羽(りくう)132号を始め、酒こまち、美郷錦の3種。主である陸羽は、 童話作家・宮沢賢治が推奨していた水稲品種であり、約100年前に秋田県大曲市にて育種開発されたもの。親に「亀の尾」と「愛国」を持つことから「愛亀」の愛称としても親しまれています。
「(佐藤) 祐輔さんは、“自分たちの目が行き届く範囲やこだわって田んぼを始めるには、このサイズがちょうど良いが、盆地で湿気が溜まりやすく、正直、栽培には適していない”とおっしゃっていました。(前述の)仕込み水の追求の仕方しかり、もともとあるベストな環境に乗るではなく、例え負の要素があったとしても、自分たちの工夫と努力を添えればベストな環境を作れるという発想から理想に持っていくのは、実に『新政』らしく、そのイズムはチームにも受け継がれていると思います」と松本氏。
では、この土地が勝負できると感じたものは何か? それは、水でした。
「上流に何もないため、水が美しく、無農薬に適していると思いました。それに、必ずしも良い環境が良いものを生むとは限らないと思います。例えば、シャンパーニュ地方は寒く、湿気も多い。加えて、雪も降ります。しかし、そんな環境でも素晴らしい造り手はいますし、オーガニック栽培をするワイナリーもあります。負の要素を好転させ、価値を持たせることができるか否かは人の問題」と佐藤氏。
「ワインを愛する前に土地を愛せ」と、謳われているかは知らずとも、シャンパーニュ地方にこだわるからこそ、愛するからこそ、造り手はシャンパーニュに夢を見るのかもしれません。
「 祐輔さんのおっしゃる通り、近くには大又川が流れ、斜面から湧き出す水は土地が持つ豊かな恵みを象徴しています。水量もふんだん、透明度も高く、悠々と泳ぐイワナを見れば、良質な清流だということは言うまでもありません。日本酒は米と水からできていますが、その水は仕込み水だけに限りません。こうして米が育つ水もまた酒造りの水。米を造るということは水を守ること、山を守ることにつながります。今回、さまざまの蔵を回って、蔵の中だけでなく、蔵の外、環境を体感できたことは、本当に学びになっています」と松本氏。
松本氏が言う「山を守ること」は、木桶を自社で造る構想を持つ稀有な『新政』にとって深く向き合ってきた環境問題でもあります。
その中心人物は、設計士の相馬佳暁(よしあき)氏です。 蒸米を広げる木製の作業台、更には麹室や木桶蔵まで設計をしています。
「自分は、大阪の木桶職人に教えていただきました。実は、今年もその方のもとへ修業に行ってきます。大阪で作っているため、素材は吉野杉ですが、『新政』の木桶の理想は、秋田で作り、秋田杉を使用することです。しかし、まず、木桶に使える杉は、約120年の樹齢がないと難しいと言われています。秋田県内では、それがほぼ国有林や保護地区にしかなく。これは農林水産省や国の許諾がないと伐採できないため、非常に難しい問題です。自社圃場を有する鵜養に木桶の制作工場も作りたいと思っており、色々、活動を進めているところです」と相馬氏。
米、水、道具など、ルーツも含め、全量秋田にこだわる『新政』の第1フェーズが生酛造りへの転換であれば、第2フェーズは自社圃場の保有。この木桶作りと製作工房の実現は、第3フェーズなのかもしれません。
「ステンレスや琺瑯を採用する蔵も多いですが、やはり酒造りの道具に木材は欠かせません。つまり、酒造りをすることは林業にも向き合うことになるのです。木桶作りまでを自社で行う『新政』であれば、なおのことダイレクトにそれと対峙することになります。国有林や保護地区と言えば一見聞こえは良いですが、数百年、数十年前に植えられた木は、必ずしも残し続けることが良いわけではありません。天災によって土砂崩れや倒木の恐れもあります。更には、風の抜けを妨げ、気候や環境を変えてしまうことすら起こってしまいます。現代においては、ほどよく伐採し、“植える”だけでなく“整える”必要があり、それは、今、生きる我々の責任だとも思います」と松本氏。
伐採され、姿形を変えても、正しい命を吹き込めば、木は新たな生き方を手に入れます。『新政』の木桶として生きる道は、必ずや正しいそれになるでしょう。
米、水、そして木。林業に松本氏がじっくり向き合うことができたのは、『新政』だからこそ。
良い酒は、良い酒造りだけにあらず。
良い地域造り、良い秋田造りこそ、『新政』にとって良い酒なのです。
松本氏は、4月(写真)と5月に田んぼを訪れ、土の状態と水を張った状態を観察。鵜養(うやしない)の環境について酒米責任者の古関 弘氏(左)から学ぶ、松本氏(右)
「以前は、沼のような状態のところもありました。土壌作りから始まりましたが、今では水捌けも良くなり、今年の米も楽しみです」と古関氏。努力の甲斐あり、今では美しい田園風景を成す。
大又川が流れる舟作と呼ばれるポイント。その由来は、川の流れによって掘って削られた岩盤の滝が舟の形をしていたことからその名が付いたと伝わる。
この土地の神様、「辺岨(へそ)神社」。「岩見神社」という由緒ある古社の境内に秋田の中心地=へそという意味を持って創設。「岩見神社」では、五穀豊穣などを願う湯立神事も執り行われる。松本氏もこれまでの各所への感謝及び武者修業の無事を祈願。
設計士の相馬佳暁(よしあき)氏(左)と松本氏(右)。木桶を通して環境問題について議論。「森林と向き合うことは行政と向き合うことにもつながります。色々課題は多いですが、土地とともに酒造りをしたい」と相馬氏。
高さ、直径ともに約2mの木桶。材を仕入れ、削り、組み立てる。木材を乾燥させるだけでも1年かかるため、その労力は計り知れないが、『新政』では、それを相馬氏がたったひとりで担う。
相馬氏は、『新政』の木製の道具も制作。それぞれ異なる職人を有する総合力こそ、『新政』の強み。
「良い酒だけ造るだけであれば、美味しいだけに留まってしまう。『新政』では、文化的価値を創造したい」と8代目蔵元・佐藤祐輔氏。
HIDEHIKO MATSUMOTO 価値ある酒とは何か。武者修業の解はそこにある。「美味しい競争に興味はありません。自分は、文化的価値の高いお酒を目指しています」。そう語るのは、『新政』8代目蔵元・佐藤祐輔氏です。
そのために生酛造りへ転換し、木桶を採用し、米を全て秋田産に変え、自社圃場を構える変革をしてきました。前述、醸造責任者だった古関氏を酒米責任者へ就任させたことにおいても「農家さん“が”作る米ではなく、農家さん“と”作る米でなければいけない」と言葉を続けます。
農家さん“が”、農家さん“と”。言葉にすれば一文字異なるだけですが、その内容には大きな違いがあります。
ゆえに「自分で作る技術を得られる高い能力の人材が必要だった」のです。
この能力とは、仕事の能力だけでなく、人間の能力も指します。農家と阿吽の呼吸で作業を行うことや信頼関係を結ぶことは、それだけ難しいのです。
「祐輔さんの行動には、全て理由があり、全て当を得ている」と松本氏。
そのような哲学は、さまざまな基準や当たり前を見直す機会にもなります。
「例えば、吟醸酒は美味しい正解なのか? もちろん答えは正解ですが、それだけが日本酒の正解ではありません。精米歩合は判断基準のひとつですが、それが価格とイコールではありません。『新政』が採用している扁平精米は、米の中心部分である心白を残しながら不要を除去し、デンプンを残すことが可能なため、秋田産のお米には適しています。業界の正解は、各蔵の正解とは限らないのです。それぞれの土地にはそれぞれの特性があり、その特性を活かすことによって個性が生まれ、地酒が生まれるのです。蔵の数だけ味があり、土地があり、人がある」と松本氏。
酒を飲むのではなく、地域を飲む、風土を飲む、文化を飲む、そして人を飲む。
「我々の良くないところは、そういった伝え方をできていなかったこと」と佐藤氏は言うも、逆に飲み手は、そういった理解を得る心が必要とされます。つまりは、それが価格に比例されるべきであるも、ほぼ成されていないのが現状。生活圏で言えば、酒屋の陳列にも飲食店のメニューにも、そんな物語の記載を目にする機会は少ない。
自らやるしかない。その有志によって立ち上がったのが『一般社団法人 J.S.P 』です。ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォームの頭文字から成るその団体の代表理事を務めるのも佐藤氏です。
「新型コロナウイルスによって、全てが一変してしまいました。緊急事態宣言や酒類の提供停止、自粛などによって飲食店への販路は、ほぼ皆無。ましてや、世界同時の難局なため、海外への輸出も絶たれてしまいました。自分も含め、酒を届けるタッチポイントを再考していかなければならない」と佐藤氏。
以前のタッチポイントは飲食店や酒屋でしたが、これから必要とすべきことは、直接、お客様と酒の関係性を結ぶ環境造りなのかもしれません。もっと追求すれば、酒の先にある地域、造り手などと結ばれることこそ理想形。
「タッチポイントという点では、『新政』のラベルはそれに一役買っているのではないでしょうか。芸術家、書道家、漫画家、グラフィックデザイナーなど、数々のクリエイターと協業することによって、これまで日本酒業界では得ることができなかった接点との結実、アプローチだと思います」と松本氏。
日本酒業界と比べてどうかではなく、他所のクリエイティブと比べてどうか。この価値基準の競争においては、良い効果を生むでしょう。
「僕は飽きっぽいので、すぐ変えちゃうんです。ラベルもそうですし、造りもそう。どんなに苦労して長い道のりをかけてたどり着いた味でも、ほぼ定番にはしない。これは成功したので、また次の挑戦をしましょうというタイプ」と佐藤氏が言う隣では「現場は大変ですよね(苦笑)」と松本氏。
飽き性とは、言い方を変えれば、あぐらをかかないこと。これは、歴史や伝統を盾に進化しない蔵では衰退してしまう危惧によるものなのかもしれません。
そういった意味も含んでか、佐藤氏は松本氏にこう話します。
「日出彦は、蔵を抜けて良かった」。
1852 年(嘉永五年)に創業した『新政』。歴史や伝統に満足することなく、挑戦し続ける蔵としてその名を馳せる。
現存する市販清酒酵母中では最古となる「きょうかい6号」の発祥蔵『新政』。1号から5号までは、西日本で生まれたが、6号は1930年(昭和5年)に『新政』のもろみから分離され、誕生。
今回、松本氏とともに造るのは「ラピス」。東北を代表する酒米「美山錦」の性質を良く表しながらも軽快な酒質に仕上げる定番作品。『新政』の基本的な味わいを表現する「定点観測」的なモデルでもある。
HIDEHIKO MATSUMOTO 何のしがらみもない中、思いっきり酒を造れ。2020年末、様々な事情によって松本氏は自身の蔵を離れることになり、この「武者修業」は始まりました。当時、佐藤氏は松本氏にすぐに連絡し、色々思いを伝えるも、その声は震えていました。怒り、悔しさ、悲しみ、様々込み上げる感情は、言葉に表すことはできません。
「色々なやり方で残ることもできたかもしれない。もしくは、残った方が楽だったかもしれない。でも、そこに自分が信じる日本酒があるかと言えば、なかったかもしれません。別のものを造らなければいけないのであれば、ゼロから始めて、自分が信じるものを造った方が日出彦らしい。造りたいものを造る。一見シンプルなようだけど、造り手にとってこれほど幸せなことはない」と佐藤氏。
「守るべきものは、たくさんあると思うのですが、本当に守らなければいけないものは、土地や建物ではなく、日本酒を造る魂。一度は、それを失いかけましたが、祐輔さんを始め、みんなに支えられて大事なものを失わずに済みました」と松本氏。
今回の「武者修業」は、蔵や職人同士の付き合いだから始まったものではありません。ましてや情けや助けでもありません。これまで培ってきた人と人との絆が衝動的に心を動かした結果論なのだと思います。
また、「武者修業」で得たことは、もしかしたら蔵の中で得たことよりも、蔵の外で得たことの方が大きく作用したかもしれません。
酒造りだけではない環境への配慮。地域や自然との対峙。向き合うべき問題や課題。磨くべきは技術よりも心。そして、職人である前にひとりの人間としてどうあるべきか……。
松本日出彦の酒造りとは何か? 日本酒とは何か?
それは「生き方」。
その証は、きっと厳格なルールのもと造られた『新政』の酒にも息づいているに違いないと信じます。
これから先、松本氏がどうなるか分かりません。しかし、皆が望んでいることはただひとつ。
「思いっきり酒を造れ」。
『ONESTORY』は、もう少し松本日出彦を追いかけたいと思います。
各蔵で手を撮り続けた今回の「武者修業」。当初「酒造りをしている時は手が硬い。酒造りができていない今の手は、柔らかい。シーズン中にこんな自分の手を見るのはいつぶりだろうか……」と話していたが、最後は職人の手になれたか!?
「コロナ禍もあり、今までの100年とこれからの100年は、全く違う100年。これからの日本酒業界も変わらなければいけない」と佐藤氏(右)と松本氏(左)。
住所:秋田県秋田市大町6-2-35 MAP
TEL:018-823-6407
http://www.aramasa.jp
1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。
Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI