徳島県神山町杉の欠点を美点に。デザインと職人技のコラボレーションでかつてない器が生まれた。
赤と白のコントラストが美しい木目と、手にも口にもしっくりなじむユニバーサルなデザイン。使う人の心までも豊かにしてくれるこの器は、木工業界では常識はずれの杉から作られたもの。柔らかく繊細な木質と鮮やかな木目は、材木としては無価値だと木工業界ではいわれてきました。ですが、この欠点ともいえる特徴が、食器としてはまれな魅力になったのです。
徳島県の山あいに位置する神山町から始まった、間伐材の活用プロジェクト。地域の重要な水源地である山の手入れから生まれた杉材を原料に、徳島の職人技を結集して、かつてない木の器が誕生しました。
徳島県神山町人工林を自然の姿に戻し、地域の水源を守る。
緑輝く初夏を迎えて、日本の山々はいっそうその美しさを増しています。ですが、一見豊かに見える山々が、実は自然な環境ではなく人工的に造り出されたものだとしたらどうでしょうか? しかも本来の自然のシステムを歪めていて、未来をおびやかすほどの影響を与えているとしたらどうなるでしょうか?
そんな矛盾と問題に気付き、里山を未来に残すために奮闘しているのが、キネトスコープ社代表の廣瀬圭治(ひろせ・きよはる)氏です。大阪でデザイナーとして活躍していた廣瀬氏は、2012年に神山町の自然に魅了され、サテライトオフィスを開設すると同時に、家族とともにこの地に移住してきました。
徳島県神山町魅了された山は人工のものだった。それが里山の水源までおびやかしていた、という衝撃。
「ですが、魅力的に見えた神山町の自然が実は人工林だったと知ったんです。しかもかつて国が推奨していた林業の衰退に伴い、手入れが行き届かなくなって、密集した木々が日光をさえぎってしまっていた。そのため下草が生えなくなり、杉は常緑樹で落葉しないため腐葉土もできにくくなって、硬くなった土が雨を吸い込まなくなっていたんです。山の保水力が劇的に衰え、山から川に流れ込む水量が年々減っていると聞きました。これは大変な問題だ、と気付いたんです」と廣瀬氏は語ります。
神山町には年間2,000mmもの雨が降りますが、町を流れる鮎喰川の水量は、30年前と比べて3割にまで落ち込んでしまいました。そこで廣瀬氏は、密集した山の木々を間引くための『間伐』を進めるために、デザイナーとして杉を使う活動をプロデュースして啓蒙活動に取り組むことに。日光を山の地面に届かせ、下草を生い茂らせて、雨を吸い込む力を蘇らせる――そうすれば、山から川へと流れ込む水の量も増えるはずだと廣瀬氏は考えました。地域の基盤ともいえる水源地の再生を目指し、『神山しずくプロジェクト』が始まりました。
徳島県神山町斬新なアイデアは「素人考え」だと否定された。
不自然な人工の森を自然な姿に戻し、そこから得られた木材を資源として生かす。一挙両得かに思えた廣瀬氏のアイデアは、しかし、早々に行き詰まってしまいました。
その原因は、なんと言っても杉の加工の難しさでした。木の中でも目立って柔らかく、赤と白の木目がくっきりと出てしまうため、木工業界では「建材としても食器としてもゼロ価値だ」とまでいわれていたのです。杉の食器は枡や曲げわっぱなどの板加工の物しか無理、というのが今なお業界内での常識。しかし廣瀬氏は、普通は縦向きに加工する木目を横向きにしたいとも考えていました。このこだわりも、木工業界の常識からはずれていたのです。
「そんな鉄壁のような業界の固定観念を知らなかったため、どの職人さんを訪ねても『素人考えだ』と門前払いされてしまいました。既存の機械ではそもそも加工することすらできず、様々な相談を受けて試作品を作ってくれる職人さんにまで『こんなものは商売にならない』と言われてしまったんです」と廣瀬氏は振り返ります。
『神山しずくプロジェクト』を立ち上げて初めて知った、杉の個性と難しさ。たまに引き受けてくれる職人が見つかっても、廣瀬氏のデザインを再現できず、全く違うものになってしまうこともありました。しかし、「神山町の杉を活用する」「杉に付加価値をつけて新たな商品を生み出す」という課題は廣瀬氏にとって絶対のものでした。ただ間伐材を使うだけの製品は、今やありふれています。神山町ならではの商品を作るために、杉を魅力的にデザインしなくては――相談できる相手もいないまま、廣瀬氏は手探りでパートナーとなる職人を探し続けました。
徳島県神山町ようやく巡り会えたパートナーと常識はずれの商品を作り出した。
そして半年あまりの探索の末に、ようやく巡り会えたのが『宮竹木工所』の宮竹氏でした。
宮竹氏は、昔ながらの手挽きロクロで御椀(おわん)などの木工品を作る、熟練の職人。木地師(きじし)とも呼ばれる匠でありながら、新たな挑戦にもひるまない真摯(しんし)な人物でした。かつては仏壇の装飾を行っていたものの、時代の変化に合わせて日用品にシフトしたという宮竹氏は、相談に訪れた廣瀬氏に「一緒に挑戦しよう」という心強い言葉を返してくれました。そして半年ほどの試行錯誤を経て、廣瀬氏が最初に目指していたものに限りなく近い試作品が完成したのです。
45年以上ロクロを引いている宮竹氏ですら、「ちゃんと扱ったことはなかった」という杉。それを削る「挽き刃」の開発からともに取り組み、ようやく実現したのです。モダンなデザインとプロダクトで神山町の未来を切り開く『神山しずくプロジェクト』は、強力なパートナーを得てようやく前に進み始めました。
徳島県神山町素のままの美しさと重厚な「拭き漆」の渋さ。
こうして生まれた『SHIZQ』の木製品は、2つのシリーズを軸にバラエティ豊かに展開しています。
まずは、クリアな透明感が目を引く『鶴 Tsuru』シリーズ。かつて欠点といわれていた独特の赤と白の木目は、他の木材にはない唯一無二の魅力になりました。廣瀬氏がこだわり抜いた横向きのカットもあいまって、技術面でもデザイン面でも他では真似できない商品となっています。水の波紋を思わせる美しいコントラストは、天然の杉材由来のため一つひとつ異なります。世界に唯一の器を手にする喜びが味わえます。
独特な木目の美しさを保つのは、やはり『SHIZQ』独自の特殊なコーティングである『セラウッド塗装』です。
普通の木製品にはウレタン塗装かオイル塗装が施されていますが、『SHIZQ』は紫外線や熱への対抗力を高めるために、ウレタンにセラミックを配合した特殊な塗料を施しています。更に、木の質感を残しながら、杉の柔らかさを補完するために薄塗りを5回。驚きの職人技で、『SHIZQ』は木目の美しさを長く保ったまま、お手入れも簡単という使いやすさを実現しました。
次は、伝統の「拭き漆」を施した『亀 Kame』シリーズ。漆を塗っては布で拭き取り、1日乾燥させては再び塗り、また1日乾燥させる――この工程を5回も繰り返して、木目と艶が際立つ重厚な色合いが生まれます。ケヤキの盆や茶櫃(ちゃびつ)などで有名な技法ですが、ここまで鮮やかに漆の色が入るのは杉ならでは。加工が難しく繊維の粗い素材だからこそ、漆が浸透しやすいのです。
「漆芸家さんには『杉に漆を塗るなんて』と止められましたが、やってみたら見たことのない漆器が出来上がりました。従来の漆器のイメージとは違うモダンな美しさが好評です」と廣瀬氏。
塗られた漆は時とともに木と一体化するので、歳月を経るほどに器自体を丈夫にします。使うたびに風合いの変化も楽しめ、大切に手入れすれば孫の代まで使えるそうです。
徳島県神山町デザインの力と伝統技術のコラボレーションでかつてないオリジナリティを実現。
SHIZQの器を見た人がまず発するのは、「綺麗」「美しい」という感想だそうです。そして手にした時の軽さが、更なる驚きを呼びます。
「杉の特性として、木の中でも目立って軽いんです。横向きに生かした木目の効果もあって『こんな木の食器は初めて見た!』と驚かれることが多いですね」と廣瀬氏は語ります。軽く優しい手触りで、お年寄りや子供用としても好評だそうです。
加工が難しく、美しい木目もマイナスと思われていた杉だからこそ、『SHIZQ』の器はかつてないオリジナリティを持った商品となりました。他のどんなショップや地域にも存在しない『SHIZQ』と神山町ならではの器。そのためギフトとしても大好評で、贈った人自身が改めて自分用に購入することも多いそうです。
徳島県神山町ひとしずくの活動が波紋となる。新たなムーブメントが広がっていく。
単なる地域おこしに留まらず、森の存在意義とその危機をも訴える啓発事業。廣瀬氏は、『神山しずくプロジェクト』の取り組みを、「水源を守る」というコンセプトとともに多くの人々に認知してほしいそうです。
「木の商品がメインなのに『SHIZQ(しずく)』という名前をつけたのは、放置された人工林のせいで水が減っていることと、山と水の切っても切れない関係を知ってほしかったからです。地域の水源を守ることの必要性と意義を、多くの人々に広めていきたい。加えて、一般的なエコロジーのイメージとは真逆の人工林の手入れの方法も知ってほしかったんです。例えば、山に関するエコロジーな活動と聞けば『木を伐ってはいけない』というイメージを持つ人が多いと思います。ですが、杉林のような人工林は『間伐』=『木を伐る』ことが絶対に必要なんです」と廣瀬氏。
「社会にそのことを訴えるために、デザインの力で独自の商品を生み出しました。これらを販売することで山の手入れの費用も捻出していますが、我々だけで木を伐り続けるのは限界があります。そこで、できるだけ多くの人々に山と水の深い関係を知ってもらい、波紋のように活動を広げていければ。それぞれがしずくのように小さくても、いずれは新たなムーブメントになっていくはずです」と廣瀬氏は語ってくれました。
商品の購入者にも、山と水のエピソードを記したパンフレットを添えるなどして啓蒙活動を行っています。ですが、廣瀬氏はただ自らの想いを訴えるだけでなく、『SHIZQ』の活動を末永く続けていくための現実的な足固めも行っています。
徳島県神山町未来のために「しずく」を注いで波紋を広げる。
「例えば欠かせないパートナーである木工職人の宮竹さんは、ご自身は高齢で、かつ後継ぎとなるお弟子さんもいない状態でした。そこで『SHIZQ』の活動を通じて若者を紹介し、貴重な技術を受け継いでもらえるようにしました。このように、我々の目指す将来に『参加したい』と思ってくれる人たちを増やすことが、何よりも大事だと考えています」と廣瀬氏は語ります。
神山町の人口は現在約5,000人。杉の木をはじめとする資源は溢れるほどありますが、それを生かせる産業がかつては存在しませんでした。廣瀬氏と『SHIZQ』が目指すのは、日本の中山間地全体が抱える問題へのアプローチです。地域の資源を生かす地場産業を生み出し、更に、それを都会のバイヤー頼みではなく、世界を相手に直接販路を広げる――多くのしずくが波紋を広げるように、様々な取り組みがゆっくりと広がっています。
「それぞれの取り組みが実現していけば、新たな地場産業も次々に生まれるでしょう。本当の意味での地方創生を目指し、都会の力を借りない独自のビジネスモデルに取り組んでいます」と話す廣瀬氏は、広い視野であらゆる方向を見据えています。しかし、その根底に流れるのは「美しい神山町の環境を未来に残したい」という揺るぎない想いです。
「私は神山町の自然に魅了されて移住してきましたが、その裏にある問題を今解決していかないと、将来的には人が住めなくなってしまうという危機感を抱いています。2人の息子たちの未来のためにも、神山町の住人としての責任を果たすためにも、同じ価値観を持ってくれる人たちとともに動き続けていきます」と廣瀬氏は語ります。
『神山しずくプロジェクト』のしずくとは、「最初の一滴」のこと。廣瀬氏が始めた取り組みは、これからも多くの波紋を広げていくことでしょう。
Data
SHIZQ(神山しずくプロジェクト)
電話:088-636-7292
メール:info@shizq.jp
営業時間:10:00~18:00
休日:月曜(祝日を除く)
写真提供:キネトスコープ社