清らかな水で育った、尊い魚たちを食す。[御食事処 命水苑/大分県竹田市]

ヤマメとアマゴの総称を九州の一部地方では「エノハ」と呼ぶ。唐揚げは頭から尻尾まで余すとこなくいただける。

御食事処 命水苑希少な名水育ちの川魚。

「渓流の女王」と称され、美しく冷たい水がある渓流にのみ生息する「エノハ」。くじゅう連山や祖母山、傾山に阿蘇外輪山などの名山に囲まれた大分県竹田市では名水百選にも選ばれた水がこんこんと湧き、清らかな水に育まれたエノハが数多く生息。竹田市の特産品として知られています。

竹田湧水群の一つで、最も湧水量が多いことで知られる竹田市入田地区の「河宇田湧水」。阿蘇外輪山から届く天然水が湧き出る地では、戦前から名水を使って川魚の養殖が行われてきました。熟練の魚飼いが手塩にかけた名水育ちのエノハ。希少な味を堪能できる食事処を紹介します。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

食事処の目の前には釣り堀があり、ニジマス釣りが楽しめる。

河宇田湧水。水汲み場には多くの人が訪れる。

体に朱色の斑点を持つエノハ(ヤマメには斑点はない)。塩焼きや唐揚げ、背ごしなどで提供している。

御食事処 命水苑美しい水が育んだ、西日本最古の養鱒場。

「御食事処 命水苑」は約80年前、ニジマスの養殖を中心に行う大分県の水産試験場として生まれました。戦後、施設が民間の手に渡ると「竹田養鱒場」として食事処も併設。鱒を使った料理がいただける有数の食事処として名を馳せていました。ここに足繁く通っていたのが、今の「御食事処 命水苑」を営む足立徹信氏です。先代の社長に後継ぎがおらず、今後の運営を悩んでいることを知った足立氏は、竹田の川魚を残すために電気屋の営業マンから一転、25歳で魚飼いと板前という二足のわらじを履くことを決意。魚にも養殖にも一番大事なのは“水”。「私たちの事業は水に生かされている」と、「竹田養鱒場」から「命水苑」と名を変え、営業を始めました。

足立氏と食事処で料理や接客を担当する妻の冷子氏。

昭和12年ごろから続く鱒の養殖。

御食事処 命水苑餌の量と質で品質の高い魚を届ける。

「命水苑」では養殖場で受精から孵化をさせ、稚魚から生魚まで育てています。湧水を使っているため、水温は15度で安定。1年を通して水質・水量・水温に変化がないため、「命水苑」では品質の高い魚を安定して供給することができるのです。その強みを生かし、足立氏は戦前から続く鱒の養殖に加え、竹田市に数多く生息していたエノハの養殖を始めました。

 当時エノハの養殖をしている先人はおらず、手探りで始めた足立氏。特に受精には骨を折ったと話します。
「産卵の時期は1年に1回しかない。だから何年もかかる。一匹一匹受精させてどの状態の魚が受精率が良かったをデータにして分析して。当時は写真を撮るのも容易じゃなかった。やけん魚の状態を絵に描いたりして。今では1年に20万匹も孵化するようになったんで」。

10月に産卵し11月に孵化するエノハは、毎年6月に旬を迎えます。「命水苑」では、餌の量を徹底管理して、1年間新鮮なエノハを提供できるようになりました。
「孵化させるのは毎年決まった時期やろ? でも一緒の量の餌をみんなにやると、みんな一遍に大きくなる。だから池をいくつも用意して、こっちは正月に提供する用、ここは5月の連休用、これは夏休み用って、それぞれ提供する時期に決まった大きさになるように餌の量を調整していくんよ」。

一番美味しい状態のサイズを1年間ずっと届ける。それは50年の魚飼いの経験を経てたどり着いた境地です。さらにエノハの質を高めるため、足立氏は餌の質も追求。防腐剤が含まれていない、魚にも人間にも安心な餌を与えることで、ここでしか味わうことのできないエノハを生み出しているのです。

毎日魚の生育状況をチェックしながら餌をあげていく。

孵化させた20万匹の中から、川に稚魚放流をしたり、他の魚飼いに譲ったりもしている。今は年間約3万匹を飼育。

稚魚用と生魚用とまた異なる餌を与え、大きさを調整している。

御食事処 命水苑魚と心を通わせて。

修行に出てからは50年間、365日、1日も休むことなく魚たちの世話をしてきた足立氏。今では県内で一番長く養鱒を続ける熟練者となりました。
「魚と会話ができんとダメなんや。子どもが何を訴えているかを親が察するように、今何を欲しがっているのか、それは魚たちの訴えを聞くことができんと美味しく育ってくれん」。

卵の時から生魚になるまで。毎日欠かさず会話し、大事に育てている「命水苑」の魚たち。こだわりの餌を食べてのびのびと育つエノハの美味しさは、併設の食事処で味わうことができます。「美味しいものを美味しい状態で」と、新鮮な状態で調理される魚たち。脂乗りが良く、川魚特有のクセもないため刺身でも十分美味しいのですが、何より味わって欲しいのが足立氏オススメの唐揚げです。カラッと揚がったサクサクのエノハは身がふっくら、ほんのりと甘みを感じ、頭から尻尾、骨まで丸ごと味わうことができます。そのほかにも塩焼きや背ごしのほか、炊き込みご飯や味噌汁がついた御膳もあり、足立氏が“一番美味しい状態”に仕上げた活きのいいエノハの味わいを、存分に楽しむことができます。

76歳を迎えた足立氏。川魚を守り続けてくれる後継者を探している。

エノハ料理が中心だが、ニジマスを使った刺身や茶漬けなどもいただける。

名物のエノハの唐揚げ。かぼすをぎゅっと絞り、出汁に付けていただく。

エノハ本来の味を楽しめる塩焼き。カボスをかけて召し上がれ。

エノハを使ったなます。エノハ御膳についてくる。

住所:大分県竹田市入田20 MAP
電話:0974-63-2163
営業:11:00〜17:00 (17時以降は要予約)
休:不定休

浸かって、飲んで。日本一の炭酸泉で療養を。[温泉療養文化館 御前湯/大分県竹田市]

久住連山の麓、芹川沿いにある長湯温泉。文化と歴史が息づく情緒ある雰囲気だ。

温泉療養文化館 御前湯“日本一の炭酸泉”長湯温泉。

世界でも稀有な炭酸泉が沸く、長湯温泉。大分県竹田市直入町にある温泉地は、湧出量・炭酸ガス濃度・温度から「日本一の炭酸泉」と評され、さらに高濃度炭酸泉による高い効能から多くの湯治客が訪れています。
長湯温泉の歴史は古く、江戸時代に遡ります。岡藩主・中川公の入湯宿泊場として湯屋・お茶屋が建設されました。その後1935年(昭和10年)に誕生したのが、現在の前身となるドイツ風の共同浴場「御前湯」です。その後、1998年(平成10年)10月に長湯温泉のシンボル施設として「温泉療養文化館 御前湯」が誕生しました。今年で開館20年を迎えた「御前湯」。野口雨情や与謝野晶子ら文人も訪れた名湯で、くつろぎの時間を過ごしてきました。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

昭和から平成にかけ温泉治療学の先進地であったドイツとの交流が盛んになり、ドイツ風の浴場が誕生。今年は姉妹都市であるドイツ、バードクロツィンゲン市との交流30周年を迎えた。

長湯温泉で現在利用されている源泉は51、その全てに炭酸ガスが含まれている。炭酸ガス量によって炭酸泉と炭酸水素塩泉の2種が混在している。

温泉療養文化館 御前湯早朝から楽しめる炭酸泉。

氷点下の朝6時。白い息を吐きながら、温泉へと向かいます。「御前湯」は早朝から入浴ができる温泉施設。一番風呂を狙って、足早に向かいました。

大浴場へと向かうと、そこには既に毎朝訪れるという近所のおばあちゃんが。その後も続々と常連さんがやって来て、いつの間にか朝の温泉は賑やかな雰囲気に包まれました。

大浴場には冷泉を含む内風呂が2つ、露天風呂が1つ付いています。「御前湯」の湯は体に気泡が付くほどの高濃度炭酸泉ではないですが、3本ある源泉ともに泉質は炭酸ガスを含んだ炭酸水素塩泉。炭酸泉の炭酸ガスは皮膚から体内に吸収されると全身の血管が開いて血行を良くすると言われており、浸かっているとポカポカと体が温かくなってきました。炭酸水素塩泉特有の緑がかった湯は、柔らかく滑らかな肌感。肌を優しくコーディングしてくれるような心地よさが特徴です。芹川のせせらぎを聞きながら温かな湯にまどろみ、時折常連さんたちと会話を楽しみながら、ついつい長湯してしまうのでした。

1階の大浴場。冷泉風呂とサウナ、露天風呂が付いている。3階にも大浴場があり、偶数日と奇数日で男風呂、女風呂が入れ替わる。

「御前湯」では48℃、47℃、29℃、異なる温度の源泉があり、季節によって温泉を楽しむことができる。

温泉療養文化館 御前湯飲んで効き、長湯して効く。

「これを飲まんと温泉に入ったっち言わんので」。
教えてもらったのは「飲泉」。文字通り「温泉を飲む」ことで、体内にも温泉の効能を届けます。

長湯温泉の泉質は、温泉治療学を研究していた松尾武幸博士により「飲んで効き 長湯して利く 長湯のお湯は 心臓胃腸に血の薬」と讃えられ、温泉に浸かるだけでなく飲むことでも健康になれると言われています。

ヨーロッパでは古くから温泉療養の一つとして飲泉が行われてきました。炭酸ガスを多く含む温泉の飲泉は胃腸の働きを活発化し、水分の吸収を助けると言われ、最近の研究では、血糖値の上昇を抑える効果があることや、肥満防止効果がある腸内細菌が増えることが発表されているのです。

「御前湯」の浴室内には飲泉場があり、常連さんに言われるままに口に含んでみました。口に入れると鉄分のえぐみが広がり、思わず眉をひそめると、それを見たおばぁちゃんたちがカラカラと笑います。鉄の苦味はミネラルがたっぷりと含まれている証。「空腹時に飲むのが一番効くんや」と教えてくれました。

浴場内だけでなくエントランスにも飲泉場がある。このほか長湯温泉には4箇所の飲泉場がある。

きり傷や火傷、慢性皮膚病、神経痛、筋肉痛などの効能があり、飲用は慢性消化器病、糖尿病、肝臓病などに効能がある。

温泉療養文化館 御前湯通ってこそわかる、長湯の真髄。

「御前湯」には入浴指導員の資格を持った看護師・保健師が常駐しているのも特徴の一つ(10時〜17時)。温泉の正しい入り方を説明してくれるほか、健康に関する相談も受け付けてくれます。そのため市内外から温泉療養を求めて訪れる人も多いのだとか。

湯上りに冷え性について相談してみると、「冷泉と温泉を交互に入るのが良いですよ。それによって毛穴が閉じたり開いたりするので血流がよくなる。手足が冷たくて悩んでいる方は試してみてください」と教えてくれました。大浴場に備えられている冷泉は29℃のぬるま湯。この冷泉があるのも長湯温泉の中では珍しいのだとか。

さらに温泉の成分の中には痛みを和らげる成分が含まれており、関節の痛みや筋肉痛にも効果があることから、登山後の入浴にも重宝されているそう。常連さんの中には「前までは車椅子生活やったんやけど、毎日温泉に入りにきたら、今は杖で歩けるまでに回復したんで」という方もおり、癒しだけでなく療養を求めて訪れる方も多い「御前湯」。

心地よい湯に浸かることで、健康な体を手に入れることができる、そんなうまい話がここにはあるのです。

窓から見える芹川沿いの木々が赤く色づき、美しい景色を見せてくれる秋の季節もオススメなのだそう。

2階と3階には展望スペースが。さらに館内には大広間やマッサージ室、喫茶室なども完備している。

ブルーのカラーが印象的なドイツ建築風の館内。

住所:大分県竹田市直入町7962-1 MAP
電話:0974-64-1400
営業時間:6:00〜20:00
休館日:第3水曜

浸かって、飲んで。日本一の炭酸泉で療養を。[温泉療養文化館 御前湯/大分県竹田市]

久住連山の麓、芹川沿いにある長湯温泉。文化と歴史が息づく情緒ある雰囲気だ。

温泉療養文化館 御前湯“日本一の炭酸泉”長湯温泉。

世界でも稀有な炭酸泉が沸く、長湯温泉。大分県竹田市直入町にある温泉地は、湧出量・炭酸ガス濃度・温度から「日本一の炭酸泉」と評され、さらに高濃度炭酸泉による高い効能から多くの湯治客が訪れています。
長湯温泉の歴史は古く、江戸時代に遡ります。岡藩主・中川公の入湯宿泊場として湯屋・お茶屋が建設されました。その後1935年(昭和10年)に誕生したのが、現在の前身となるドイツ風の共同浴場「御前湯」です。その後、1998年(平成10年)10月に長湯温泉のシンボル施設として「温泉療養文化館 御前湯」が誕生しました。今年で開館20年を迎えた「御前湯」。野口雨情や与謝野晶子ら文人も訪れた名湯で、くつろぎの時間を過ごしてきました。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

昭和から平成にかけ温泉治療学の先進地であったドイツとの交流が盛んになり、ドイツ風の浴場が誕生。今年は姉妹都市であるドイツ、バードクロツィンゲン市との交流30周年を迎えた。

長湯温泉で現在利用されている源泉は51、その全てに炭酸ガスが含まれている。炭酸ガス量によって炭酸泉と炭酸水素塩泉の2種が混在している。

温泉療養文化館 御前湯早朝から楽しめる炭酸泉。

氷点下の朝6時。白い息を吐きながら、温泉へと向かいます。「御前湯」は早朝から入浴ができる温泉施設。一番風呂を狙って、足早に向かいました。

大浴場へと向かうと、そこには既に毎朝訪れるという近所のおばあちゃんが。その後も続々と常連さんがやって来て、いつの間にか朝の温泉は賑やかな雰囲気に包まれました。

大浴場には冷泉を含む内風呂が2つ、露天風呂が1つ付いています。「御前湯」の湯は体に気泡が付くほどの高濃度炭酸泉ではないですが、3本ある源泉ともに泉質は炭酸ガスを含んだ炭酸水素塩泉。炭酸泉の炭酸ガスは皮膚から体内に吸収されると全身の血管が開いて血行を良くすると言われており、浸かっているとポカポカと体が温かくなってきました。炭酸水素塩泉特有の緑がかった湯は、柔らかく滑らかな肌感。肌を優しくコーディングしてくれるような心地よさが特徴です。芹川のせせらぎを聞きながら温かな湯にまどろみ、時折常連さんたちと会話を楽しみながら、ついつい長湯してしまうのでした。

1階の大浴場。冷泉風呂とサウナ、露天風呂が付いている。3階にも大浴場があり、偶数日と奇数日で男風呂、女風呂が入れ替わる。

「御前湯」では48℃、47℃、29℃、異なる温度の源泉があり、季節によって温泉を楽しむことができる。

温泉療養文化館 御前湯飲んで効き、長湯して効く。

「これを飲まんと温泉に入ったっち言わんので」。
教えてもらったのは「飲泉」。文字通り「温泉を飲む」ことで、体内にも温泉の効能を届けます。

長湯温泉の泉質は、温泉治療学を研究していた松尾武幸博士により「飲んで効き 長湯して利く 長湯のお湯は 心臓胃腸に血の薬」と讃えられ、温泉に浸かるだけでなく飲むことでも健康になれると言われています。

ヨーロッパでは古くから温泉療養の一つとして飲泉が行われてきました。炭酸ガスを多く含む温泉の飲泉は胃腸の働きを活発化し、水分の吸収を助けると言われ、最近の研究では、血糖値の上昇を抑える効果があることや、肥満防止効果がある腸内細菌が増えることが発表されているのです。

「御前湯」の浴室内には飲泉場があり、常連さんに言われるままに口に含んでみました。口に入れると鉄分のえぐみが広がり、思わず眉をひそめると、それを見たおばぁちゃんたちがカラカラと笑います。鉄の苦味はミネラルがたっぷりと含まれている証。「空腹時に飲むのが一番効くんや」と教えてくれました。

浴場内だけでなくエントランスにも飲泉場がある。このほか長湯温泉には4箇所の飲泉場がある。

きり傷や火傷、慢性皮膚病、神経痛、筋肉痛などの効能があり、飲用は慢性消化器病、糖尿病、肝臓病などに効能がある。

温泉療養文化館 御前湯通ってこそわかる、長湯の真髄。

「御前湯」には入浴指導員の資格を持った看護師・保健師が常駐しているのも特徴の一つ(10時〜17時)。温泉の正しい入り方を説明してくれるほか、健康に関する相談も受け付けてくれます。そのため市内外から温泉療養を求めて訪れる人も多いのだとか。

湯上りに冷え性について相談してみると、「冷泉と温泉を交互に入るのが良いですよ。それによって毛穴が閉じたり開いたりするので血流がよくなる。手足が冷たくて悩んでいる方は試してみてください」と教えてくれました。大浴場に備えられている冷泉は29℃のぬるま湯。この冷泉があるのも長湯温泉の中では珍しいのだとか。

さらに温泉の成分の中には痛みを和らげる成分が含まれており、関節の痛みや筋肉痛にも効果があることから、登山後の入浴にも重宝されているそう。常連さんの中には「前までは車椅子生活やったんやけど、毎日温泉に入りにきたら、今は杖で歩けるまでに回復したんで」という方もおり、癒しだけでなく療養を求めて訪れる方も多い「御前湯」。

心地よい湯に浸かることで、健康な体を手に入れることができる、そんなうまい話がここにはあるのです。

窓から見える芹川沿いの木々が赤く色づき、美しい景色を見せてくれる秋の季節もオススメなのだそう。

2階と3階には展望スペースが。さらに館内には大広間やマッサージ室、喫茶室なども完備している。

ブルーのカラーが印象的なドイツ建築風の館内。

住所:大分県竹田市直入町7962-1 MAP
電話:0974-64-1400
営業時間:6:00〜20:00
休館日:第3水曜

清らかな水で育った、尊い魚たちを食す。[御食事処 命水苑/大分県竹田市]

ヤマメとアマゴの総称を九州の一部地方では「エノハ」と呼ぶ。唐揚げは頭から尻尾まで余すとこなくいただける。

御食事処 命水苑希少な名水育ちの川魚。

「渓流の女王」と称され、美しく冷たい水がある渓流にのみ生息する「エノハ」。くじゅう連山や祖母山、傾山に阿蘇外輪山などの名山に囲まれた大分県竹田市では名水百選にも選ばれた水がこんこんと湧き、清らかな水に育まれたエノハが数多く生息。竹田市の特産品として知られています。

竹田湧水群の一つで、最も湧水量が多いことで知られる竹田市入田地区の「河宇田湧水」。阿蘇外輪山から届く天然水が湧き出る地では、戦前から名水を使って川魚の養殖が行われてきました。熟練の魚飼いが手塩にかけた名水育ちのエノハ。希少な味を堪能できる食事処を紹介します。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

食事処の目の前には釣り堀があり、ニジマス釣りが楽しめる。

河宇田湧水。水汲み場には多くの人が訪れる。

体に朱色の斑点を持つエノハ(ヤマメには斑点はない)。塩焼きや唐揚げ、背ごしなどで提供している。

御食事処 命水苑美しい水が育んだ、西日本最古の養鱒場。

「御食事処 命水苑」は約80年前、ニジマスの養殖を中心に行う大分県の水産試験場として生まれました。戦後、施設が民間の手に渡ると「竹田養鱒場」として食事処も併設。鱒を使った料理がいただける有数の食事処として名を馳せていました。ここに足繁く通っていたのが、今の「御食事処 命水苑」を営む足立徹信氏です。先代の社長に後継ぎがおらず、今後の運営を悩んでいることを知った足立氏は、竹田の川魚を残すために電気屋の営業マンから一転、25歳で魚飼いと板前という二足のわらじを履くことを決意。魚にも養殖にも一番大事なのは“水”。「私たちの事業は水に生かされている」と、「竹田養鱒場」から「命水苑」と名を変え、営業を始めました。

足立氏と食事処で料理や接客を担当する妻の冷子氏。

昭和12年ごろから続く鱒の養殖。

御食事処 命水苑餌の量と質で品質の高い魚を届ける。

「命水苑」では養殖場で受精から孵化をさせ、稚魚から生魚まで育てています。湧水を使っているため、水温は15度で安定。1年を通して水質・水量・水温に変化がないため、「命水苑」では品質の高い魚を安定して供給することができるのです。その強みを生かし、足立氏は戦前から続く鱒の養殖に加え、竹田市に数多く生息していたエノハの養殖を始めました。

 当時エノハの養殖をしている先人はおらず、手探りで始めた足立氏。特に受精には骨を折ったと話します。
「産卵の時期は1年に1回しかない。だから何年もかかる。一匹一匹受精させてどの状態の魚が受精率が良かったをデータにして分析して。当時は写真を撮るのも容易じゃなかった。やけん魚の状態を絵に描いたりして。今では1年に20万匹も孵化するようになったんで」。

10月に産卵し11月に孵化するエノハは、毎年6月に旬を迎えます。「命水苑」では、餌の量を徹底管理して、1年間新鮮なエノハを提供できるようになりました。
「孵化させるのは毎年決まった時期やろ? でも一緒の量の餌をみんなにやると、みんな一遍に大きくなる。だから池をいくつも用意して、こっちは正月に提供する用、ここは5月の連休用、これは夏休み用って、それぞれ提供する時期に決まった大きさになるように餌の量を調整していくんよ」。

一番美味しい状態のサイズを1年間ずっと届ける。それは50年の魚飼いの経験を経てたどり着いた境地です。さらにエノハの質を高めるため、足立氏は餌の質も追求。防腐剤が含まれていない、魚にも人間にも安心な餌を与えることで、ここでしか味わうことのできないエノハを生み出しているのです。

毎日魚の生育状況をチェックしながら餌をあげていく。

孵化させた20万匹の中から、川に稚魚放流をしたり、他の魚飼いに譲ったりもしている。今は年間約3万匹を飼育。

稚魚用と生魚用とまた異なる餌を与え、大きさを調整している。

御食事処 命水苑魚と心を通わせて。

修行に出てからは50年間、365日、1日も休むことなく魚たちの世話をしてきた足立氏。今では県内で一番長く養鱒を続ける熟練者となりました。
「魚と会話ができんとダメなんや。子どもが何を訴えているかを親が察するように、今何を欲しがっているのか、それは魚たちの訴えを聞くことができんと美味しく育ってくれん」。

卵の時から生魚になるまで。毎日欠かさず会話し、大事に育てている「命水苑」の魚たち。こだわりの餌を食べてのびのびと育つエノハの美味しさは、併設の食事処で味わうことができます。「美味しいものを美味しい状態で」と、新鮮な状態で調理される魚たち。脂乗りが良く、川魚特有のクセもないため刺身でも十分美味しいのですが、何より味わって欲しいのが足立氏オススメの唐揚げです。カラッと揚がったサクサクのエノハは身がふっくら、ほんのりと甘みを感じ、頭から尻尾、骨まで丸ごと味わうことができます。そのほかにも塩焼きや背ごしのほか、炊き込みご飯や味噌汁がついた御膳もあり、足立氏が“一番美味しい状態”に仕上げた活きのいいエノハの味わいを、存分に楽しむことができます。

76歳を迎えた足立氏。川魚を守り続けてくれる後継者を探している。

エノハ料理が中心だが、ニジマスを使った刺身や茶漬けなどもいただける。

名物のエノハの唐揚げ。かぼすをぎゅっと絞り、出汁に付けていただく。

エノハ本来の味を楽しめる塩焼き。カボスをかけて召し上がれ。

エノハを使ったなます。エノハ御膳についてくる。

住所:大分県竹田市入田20 MAP
電話:0974-63-2163
営業:11:00〜17:00 (17時以降は要予約)
休:不定休

京都ならではのクラフトビールと、独自の「和クラフト料理」を堪能。[スプリングバレーブルワリー京都/京都府京都市]

築約100年の京町屋をリノベーションした店舗は「京都景観賞 市長賞」を受賞。その歴史と雰囲気も味わいたい。

スプリングバレーブルワリー京都京都の地で味わうオリジナリティ満点のクラフトビール!

クラフトビール。「小規模な醸造所で造り出される、造り手の感性と創造性が楽しめるビール」として人気ですが、日本でも急激に広まりつつあるそのムーブメントに、新たな雄(ゆう)が加わりました。
 
それは『スプリングバレーブルワリー京都』。京都の食文化を400年以上にわたって支え続けてきた錦市場に近い、築約100年の京町屋をリノベーションしたブルワリーです。

先述のクラフトビールの魅力に、更に京都という歴史ある地の風土と文化をプラス。「ワクワクするビールの未来をつくるための、西日本の拠点」としてオープンしました。京都ならではの素材と食、そしてクラフトマンシップと日本の美意識とを融合させた新感覚のブルワリーとして、熱い注目を集めています。

30年前に設立したキリンビールの『京都ミニブルワリー』をはじめ、これまで積み重ねてきたビール造りの経験と知見が、多彩な原料や酵母、製法への対応を可能にした。

スプリングバレーブルワリー京都「キリンビールがプロデュースする小規模ブルワリー」の意義。

『スプリングバレーブルワリー京都』の母体は、誰もがその名を知っているであろうキリンビールです。1988年に設立された前述の『京都ミニブルワリー』の歴史を基盤に、現代のクラフトビール造りのためヘッドブリュワーに三浦太浩氏を迎え、34のビールタップを備えた新店舗として、2017年9月に生まれ変わりました。
 
それでいて、「歴史を受け継ぎながら、新たなビールの在り方をお客様との交流を通じて共創していく」というポリシーは健在。「ビール通を唸らせ、ビールが苦手な人も美味しく飲める」新次元のビール造りを目指しています。
 
更に「京町屋で味わうクラフトビール」というシチュエーションは、他にはない魅力です。「総二階」と呼ばれる京都独特の町屋は、明治後期~大正時代に栄えた建築様式。これは日本で初めて商業的な成功をおさめ、『スプリングバレーブルワリー』の名前の由来にもなったビール醸造所の開祖・ウイリアム・コープランド氏が生きていた時代のものです。
 
時代を超えた不思議な縁と、そのチャレンジ精神をも受け継いだ『スプリングバレーブルワリー京都』。その歴史と在り方にも、ぜひ想いをはせてみたいものです。

オリジナリティ溢れるビールと料理、店舗が多くの人々を惹きつけている。

定番の『SVBコアシリーズ』。甘味・酸味・苦味が完璧に調和し強い個性と飲みやすさを両立させた『496』を筆頭に、白ワインのようなフルーティな香りの「on the cloud」、和素材の柚子と山椒を使った繊細な「Daydream」など、多彩にラインナップ。

スプリングバレーブルワリー京都クラフトビールならではの個性的な味わいと、キリンビールが培った最先端の醸造技術との融合。

そんな『スプリングバレーブルワリー京都』が心がけるのは、京都にとことんこだわったビール造りと食です。
ビールは通年味わえる6種類の定番『SVBコアシリーズ』を軸に、季節やテーマに合わせた限定品をほぼ毎月1・2種類というハイペースでお披露目。「京都でしか飲めないビール」「革新的で多彩な味わい」をモットーにしており、常に驚きと新鮮さを与えてくれます。
 
ビールの素材は基本となる麦とホップのみならず、柚子や山椒といった副原料にいたるまで「京都産」のものを厳選。そうして造られたビールは、京都の食とも相性抜群! 「ビール通を唸らせ、ビールが苦手な人も感動するビール」を目指した上質な苦味と、ダイナミックな味わいによって生まれる究極のバランスを実現しています。

個性豊かなクラフトビールと、京都の豊かな食文化に支えられた“和クラフト料理”とのペアリングが出色。

スプリングバレーブルワリー京都ビールとの多彩なペアリングを楽しめる 「和クラフト料理」が充実!

『スプリングバレーブルワリー京都』で楽しめるのは、オリジナリティ溢れるクラフトビールだけではありません。
「クラフトビールとの“ペアリング”で楽しむ」という発想で供される料理は、旬の和素材を大胆にアレンジしながらも、和・洋・エスニックなどのカテゴリーにとらわれない自由な発想が魅力。野菜・肉・調味料にいたるまで、京都中を探索して選び抜いたものを使っています。そしてそれらを使って創造された「和クラフト料理」という新たなカテゴリーを打ち出し、常に新たなメニューを増やし続けています。
 
そして、この「和クラフト料理」とビールとの「ペアリング」も好評。先述の『SVBコアシリーズ』を100mlずつ飲み比べできるセットと、それらの味をより引き立たせてくれる厳選されたおつまみとの組み合わせ『ペアリングセット』は、京都店のみのオリジナルで、最も人気があるメニューです。
 
おつまみの素材は、生麩・たけのこ山椒・オリーブの出汁漬け・『京つけもの 西利』から仕入れた奈良漬など、これまた京都の食文化に根ざしたラインナップ。100種類以上も試作したという中から、ビールによく合うものを厳選したそうです。

世界中のブルワリーを飲み歩いているようなマニアックなインバウンドからも、「ここまでこだわっているブルワリーはすごい! ぜひNYなどの海外にも出店してほしい」といった声が寄せられています。

料理には京野菜・湯葉・甲賀産のほうじ茶などの地元産食材をふんだんに使用。

スプリングバレーブルワリー京都「京都ならではのクラフトビール」を更に極める。産官学が連携したプロジェクトを発足。 

このように大好評を博している『スプリングバレーブルワリー京都』ですが、現状の成功に甘んじることなく、更なる挑戦とクラフトビールの発展を見据えています。
 
2018年9月には、畑からグラスまで京都産100%のクラフトビールを目指す『K100』プロジェクトを始動。京都にある他のブルワリー8社と連携して、更に原料の農家・自治体・研究機関としての大学まで巻き込んだ計21団体で、壮大な目標の実現を目指しています。
 
その根幹にあるのは、「京都を“クラフトビールシティ”にしていこう」というこれまた壮大な目標。まずは第1弾となるプロトタイプ品『京づくり#001』を、2018年12月14日に発売しました。

京都・亀岡産の麦芽と京都・与謝野産のホップを100%使用していますが、「ビール造りに欠かせない酵母も京都産でないと、本当の100%にはならない」との考えのもとに、京都清水寺で採取した酵母の培養と醸造に挑戦中です。
「この第一歩から始めて、いずれは地域活性化や雇用の創出も含めた“京都発の未来型のビール産業”にしていきたい」という遠大な理想。その実現に向けての歩みを着実に進めています。

毎月新たなビールを発表し、発売日の19時には樽開けイベントを開催。「振る舞い酒」ならぬ「振る舞いビール」での乾杯は小規模なブルワリーならではの楽しみ。

料理にも毎月新たなメニューが登場。いつ訪れても、何回訪れても飽きることがない。

スプリングバレーブルワリー京都ビールと食を中心に交流と文化が広がる。

このように、ビールと食だけでなく、それらを中心とした文化や交流の創出をも目指す『スプリングバレーブルワリー京都』。当然のように、様々なイベントも開催しています。
 
なんと中庭には築約100年の洋館が残っており、主にそこを舞台としたアーティスティックなイベントを企画。「ビールと文化活動を通じたコミュニティ作り」を狙って、ビールから広がる新たな交流を模索しています。
 
例えば『ブリュワーズナイト』と銘打ったイベントでは、クラフトビール醸造家たちを囲んで語らいながらビールを飲むことができます。更に写真展やダンスパフォーマンス、トークライヴなど、その内容は実にバラエティ豊か。これらの情報はホームページの「NEWS」コーナーやLINE@でチェックできるので、ぜひ参加してみたいものです。

「ビールは生命からつくられる無限の可能性である」という考えのもとに、常に新たな挑戦を続ける。

スプリングバレーブルワリー京都揺るがぬポリシーを守りながら、ビールの新たな未来を創造。

このように多彩な体験に溢れている『スプリングバレーブルワリー京都』ですが、その芯となっているのは、決して変わらない3つのテーマです。
 
まずは京都ならではの『ビアサプライズ(ビールを通じた驚き)』と、『ビールと食の組み合わせ=ペアリング』の楽しさ。次に『K100』プロジェクトを通じて、クラフトビールの発展を願う多くの仲間たちと協働していくこと。最後に『ビアコミュニティ(ビールを通じたコミュニティ)』の創造。ビールとアートなどとのコラボレーションを通じて、ビールでつながる人々の輪を広げていきます。
 
これらが『スプリングバレーブルワリー京都』の志であり、挑戦であり、お客様に提供したい価値でもあるそうです。ただ飲んで味わうだけでなく、人々の暮らしや文化にまで潤いを与えてくれるビール。その価値と意義を示しながら、『スプリングバレーブルワリー京都』は今後も夢のあるクラフトビール造りを続けていきます。

伝統と革新が融合する場所として、新たなビール文化と食文化を発信。

住所:京都府京都市中京区富小路通錦小路上る高宮町587-2 MAP
電話:075-231-4960
営業時間:11:00~23:00(フードLO22:00、ドリンクLO22:30)
※日曜もしくは日曜を含む連休最終日:11:00~22:00
休日:年末年始
スプリングバレーブルワリー京都 HP:https://www.springvalleybrewery.jp/pub/kyoto/
写真提供:スプリングバレーブルワリー京都

京都ならではのクラフトビールと、独自の「和クラフト料理」を堪能。[スプリングバレーブルワリー京都/京都府京都市]

築約100年の京町屋をリノベーションした店舗は「京都景観賞 市長賞」を受賞。その歴史と雰囲気も味わいたい。

スプリングバレーブルワリー京都京都の地で味わうオリジナリティ満点のクラフトビール!

クラフトビール。「小規模な醸造所で造り出される、造り手の感性と創造性が楽しめるビール」として人気ですが、日本でも急激に広まりつつあるそのムーブメントに、新たな雄(ゆう)が加わりました。
 
それは『スプリングバレーブルワリー京都』。京都の食文化を400年以上にわたって支え続けてきた錦市場に近い、築約100年の京町屋をリノベーションしたブルワリーです。

先述のクラフトビールの魅力に、更に京都という歴史ある地の風土と文化をプラス。「ワクワクするビールの未来をつくるための、西日本の拠点」としてオープンしました。京都ならではの素材と食、そしてクラフトマンシップと日本の美意識とを融合させた新感覚のブルワリーとして、熱い注目を集めています。

30年前に設立したキリンビールの『京都ミニブルワリー』をはじめ、これまで積み重ねてきたビール造りの経験と知見が、多彩な原料や酵母、製法への対応を可能にした。

スプリングバレーブルワリー京都「キリンビールがプロデュースする小規模ブルワリー」の意義。

『スプリングバレーブルワリー京都』の母体は、誰もがその名を知っているであろうキリンビールです。1988年に設立された前述の『京都ミニブルワリー』の歴史を基盤に、現代のクラフトビール造りのためヘッドブリュワーに三浦太浩氏を迎え、34のビールタップを備えた新店舗として、2017年9月に生まれ変わりました。
 
それでいて、「歴史を受け継ぎながら、新たなビールの在り方をお客様との交流を通じて共創していく」というポリシーは健在。「ビール通を唸らせ、ビールが苦手な人も美味しく飲める」新次元のビール造りを目指しています。
 
更に「京町屋で味わうクラフトビール」というシチュエーションは、他にはない魅力です。「総二階」と呼ばれる京都独特の町屋は、明治後期~大正時代に栄えた建築様式。これは日本で初めて商業的な成功をおさめ、『スプリングバレーブルワリー』の名前の由来にもなったビール醸造所の開祖・ウイリアム・コープランド氏が生きていた時代のものです。
 
時代を超えた不思議な縁と、そのチャレンジ精神をも受け継いだ『スプリングバレーブルワリー京都』。その歴史と在り方にも、ぜひ想いをはせてみたいものです。

オリジナリティ溢れるビールと料理、店舗が多くの人々を惹きつけている。

定番の『SVBコアシリーズ』。甘味・酸味・苦味が完璧に調和し強い個性と飲みやすさを両立させた『496』を筆頭に、白ワインのようなフルーティな香りの「on the cloud」、和素材の柚子と山椒を使った繊細な「Daydream」など、多彩にラインナップ。

スプリングバレーブルワリー京都クラフトビールならではの個性的な味わいと、キリンビールが培った最先端の醸造技術との融合。

そんな『スプリングバレーブルワリー京都』が心がけるのは、京都にとことんこだわったビール造りと食です。
ビールは通年味わえる6種類の定番『SVBコアシリーズ』を軸に、季節やテーマに合わせた限定品をほぼ毎月1・2種類というハイペースでお披露目。「京都でしか飲めないビール」「革新的で多彩な味わい」をモットーにしており、常に驚きと新鮮さを与えてくれます。
 
ビールの素材は基本となる麦とホップのみならず、柚子や山椒といった副原料にいたるまで「京都産」のものを厳選。そうして造られたビールは、京都の食とも相性抜群! 「ビール通を唸らせ、ビールが苦手な人も感動するビール」を目指した上質な苦味と、ダイナミックな味わいによって生まれる究極のバランスを実現しています。

個性豊かなクラフトビールと、京都の豊かな食文化に支えられた“和クラフト料理”とのペアリングが出色。

スプリングバレーブルワリー京都ビールとの多彩なペアリングを楽しめる 「和クラフト料理」が充実!

『スプリングバレーブルワリー京都』で楽しめるのは、オリジナリティ溢れるクラフトビールだけではありません。
「クラフトビールとの“ペアリング”で楽しむ」という発想で供される料理は、旬の和素材を大胆にアレンジしながらも、和・洋・エスニックなどのカテゴリーにとらわれない自由な発想が魅力。野菜・肉・調味料にいたるまで、京都中を探索して選び抜いたものを使っています。そしてそれらを使って創造された「和クラフト料理」という新たなカテゴリーを打ち出し、常に新たなメニューを増やし続けています。
 
そして、この「和クラフト料理」とビールとの「ペアリング」も好評。先述の『SVBコアシリーズ』を100mlずつ飲み比べできるセットと、それらの味をより引き立たせてくれる厳選されたおつまみとの組み合わせ『ペアリングセット』は、京都店のみのオリジナルで、最も人気があるメニューです。
 
おつまみの素材は、生麩・たけのこ山椒・オリーブの出汁漬け・『京つけもの 西利』から仕入れた奈良漬など、これまた京都の食文化に根ざしたラインナップ。100種類以上も試作したという中から、ビールによく合うものを厳選したそうです。

世界中のブルワリーを飲み歩いているようなマニアックなインバウンドからも、「ここまでこだわっているブルワリーはすごい! ぜひNYなどの海外にも出店してほしい」といった声が寄せられています。

料理には京野菜・湯葉・甲賀産のほうじ茶などの地元産食材をふんだんに使用。

スプリングバレーブルワリー京都「京都ならではのクラフトビール」を更に極める。産官学が連携したプロジェクトを発足。 

このように大好評を博している『スプリングバレーブルワリー京都』ですが、現状の成功に甘んじることなく、更なる挑戦とクラフトビールの発展を見据えています。
 
2018年9月には、畑からグラスまで京都産100%のクラフトビールを目指す『K100』プロジェクトを始動。京都にある他のブルワリー8社と連携して、更に原料の農家・自治体・研究機関としての大学まで巻き込んだ計21団体で、壮大な目標の実現を目指しています。
 
その根幹にあるのは、「京都を“クラフトビールシティ”にしていこう」というこれまた壮大な目標。まずは第1弾となるプロトタイプ品『京づくり#001』を、2018年12月14日に発売しました。

京都・亀岡産の麦芽と京都・与謝野産のホップを100%使用していますが、「ビール造りに欠かせない酵母も京都産でないと、本当の100%にはならない」との考えのもとに、京都清水寺で採取した酵母の培養と醸造に挑戦中です。
「この第一歩から始めて、いずれは地域活性化や雇用の創出も含めた“京都発の未来型のビール産業”にしていきたい」という遠大な理想。その実現に向けての歩みを着実に進めています。

毎月新たなビールを発表し、発売日の19時には樽開けイベントを開催。「振る舞い酒」ならぬ「振る舞いビール」での乾杯は小規模なブルワリーならではの楽しみ。

料理にも毎月新たなメニューが登場。いつ訪れても、何回訪れても飽きることがない。

スプリングバレーブルワリー京都ビールと食を中心に交流と文化が広がる。

このように、ビールと食だけでなく、それらを中心とした文化や交流の創出をも目指す『スプリングバレーブルワリー京都』。当然のように、様々なイベントも開催しています。
 
なんと中庭には築約100年の洋館が残っており、主にそこを舞台としたアーティスティックなイベントを企画。「ビールと文化活動を通じたコミュニティ作り」を狙って、ビールから広がる新たな交流を模索しています。
 
例えば『ブリュワーズナイト』と銘打ったイベントでは、クラフトビール醸造家たちを囲んで語らいながらビールを飲むことができます。更に写真展やダンスパフォーマンス、トークライヴなど、その内容は実にバラエティ豊か。これらの情報はホームページの「NEWS」コーナーやLINE@でチェックできるので、ぜひ参加してみたいものです。

「ビールは生命からつくられる無限の可能性である」という考えのもとに、常に新たな挑戦を続ける。

スプリングバレーブルワリー京都揺るがぬポリシーを守りながら、ビールの新たな未来を創造。

このように多彩な体験に溢れている『スプリングバレーブルワリー京都』ですが、その芯となっているのは、決して変わらない3つのテーマです。
 
まずは京都ならではの『ビアサプライズ(ビールを通じた驚き)』と、『ビールと食の組み合わせ=ペアリング』の楽しさ。次に『K100』プロジェクトを通じて、クラフトビールの発展を願う多くの仲間たちと協働していくこと。最後に『ビアコミュニティ(ビールを通じたコミュニティ)』の創造。ビールとアートなどとのコラボレーションを通じて、ビールでつながる人々の輪を広げていきます。
 
これらが『スプリングバレーブルワリー京都』の志であり、挑戦であり、お客様に提供したい価値でもあるそうです。ただ飲んで味わうだけでなく、人々の暮らしや文化にまで潤いを与えてくれるビール。その価値と意義を示しながら、『スプリングバレーブルワリー京都』は今後も夢のあるクラフトビール造りを続けていきます。

伝統と革新が融合する場所として、新たなビール文化と食文化を発信。

住所:京都府京都市中京区富小路通錦小路上る高宮町587-2 MAP
電話:075-231-4960
営業時間:11:00~23:00(フードLO22:00、ドリンクLO22:30)
※日曜もしくは日曜を含む連休最終日:11:00~22:00
休日:年末年始
スプリングバレーブルワリー京都 HP:https://www.springvalleybrewery.jp/pub/kyoto/
写真提供:スプリングバレーブルワリー京都

茅葺き屋根の集落が日本の原風景を描き出す、美しき「隠れ里」。[菅並集落/滋賀県長浜市]

田んぼのすぐ近くに家屋が立ち並ぶ。菅並集落には受け継いでいくべき里山の景色がある。

菅並集落豪雪地帯に点在する茅葺の集落。

滋賀県の最北端、長浜市余呉町は全国最高クラスの豪雪地帯として知られる地域です。菅並集落は、茅葺き屋根の農家が数十軒集まる素晴らしい村です。現在、ほとんどの家は屋根にトタンを巻いていますが、下の家屋はきちんと残されています。規模や美しさで言ったら、有名な飛騨高山や白川郷のレベルと言っていいでしょう。これほどの光景は全国各地を見ても滅多にありません。ある意味、関西の白川郷ともいえる。最初に訪れた時、日本にまだこうした景色があるのかとショックを受けたと同時に、驚きました。これも「隠れ里」のひとつと言えます。

トタンを巻いた茅葺き屋根の家屋。下の部分もきれいな状態で保存されており、集落の規模も大きい。

山間に連なる茅葺き屋根。日本ではなかなか見られなくなった原風景が、ここには大切に残されている。

菅並集落将来に受け継ぐべき農村の景色。

五条のような商人の町でもなければ、宿場町でもありません。菅並集落は、農家です。この成り立ちがまた興味深くもあります。遠目には美しく保存されているようにも見えますが、残念ながら時代とともにどんどん壊されているのも事実。国や県のプロテクションがかかっておらず、自治体も関心を持っていないようなので、このままではいつかなくなってしまうでしょう。もちろん、この希少な集落を保存しようと活動している人や関心のある住民もいるようですが、将来を心配しています。興味がある人は見ておくべきです。集落の奥には立派なお寺「洞寿院」もあり、境内からは集落の街並みも見下ろせます。この美しい景色がいつまでも残ることを祈るだけです。

「国や県が積極的に保存しないと、将来的にはこうした風景はなくなってしまう」と、アレックス氏。

住所:滋賀県長浜市余呉町菅並 MAP

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

茅葺き屋根の集落が日本の原風景を描き出す、美しき「隠れ里」。[菅並集落/滋賀県長浜市]

田んぼのすぐ近くに家屋が立ち並ぶ。菅並集落には受け継いでいくべき里山の景色がある。

菅並集落豪雪地帯に点在する茅葺の集落。

滋賀県の最北端、長浜市余呉町は全国最高クラスの豪雪地帯として知られる地域です。菅並集落は、茅葺き屋根の農家が数十軒集まる素晴らしい村です。現在、ほとんどの家は屋根にトタンを巻いていますが、下の家屋はきちんと残されています。規模や美しさで言ったら、有名な飛騨高山や白川郷のレベルと言っていいでしょう。これほどの光景は全国各地を見ても滅多にありません。ある意味、関西の白川郷ともいえる。最初に訪れた時、日本にまだこうした景色があるのかとショックを受けたと同時に、驚きました。これも「隠れ里」のひとつと言えます。

トタンを巻いた茅葺き屋根の家屋。下の部分もきれいな状態で保存されており、集落の規模も大きい。

山間に連なる茅葺き屋根。日本ではなかなか見られなくなった原風景が、ここには大切に残されている。

菅並集落将来に受け継ぐべき農村の景色。

五条のような商人の町でもなければ、宿場町でもありません。菅並集落は、農家です。この成り立ちがまた興味深くもあります。遠目には美しく保存されているようにも見えますが、残念ながら時代とともにどんどん壊されているのも事実。国や県のプロテクションがかかっておらず、自治体も関心を持っていないようなので、このままではいつかなくなってしまうでしょう。もちろん、この希少な集落を保存しようと活動している人や関心のある住民もいるようですが、将来を心配しています。興味がある人は見ておくべきです。集落の奥には立派なお寺「洞寿院」もあり、境内からは集落の街並みも見下ろせます。この美しい景色がいつまでも残ることを祈るだけです。

「国や県が積極的に保存しないと、将来的にはこうした風景はなくなってしまう」と、アレックス氏。

住所:滋賀県長浜市余呉町菅並 MAP

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

軽快に空を飛ぶ小型航空機チャーターで、奄美−沖縄の究極グルメ旅へ![SKY TREK]

チャーター機『SKY TREK』へ乗り込み、究極のグルメ旅がはじまる。

スカイトレックOVERVIEW

忙しいからこそ、遊びは妥協したくない。
更に食べる時は、とことん全力。
そんな男性ふたりが何やら、週末遊びの相談をしています。

ひとりは1年の5ヵ月をハワイで過ごし、3ヵ月を東京、2ヵ月を日本の各地、そして残りの2ヵ月で世界中を飛び回る本田直之氏。シティバンクなど3社の外資系企業を経て、バックスグループの経営に参画。常務取締役としてJASDAQ上場に導いたその人です。現在は、レバレッジコンサルティング代表取締役兼CEOとして、日本のベンチャー企業への投資事業を行いつつ、「レバレッジシリーズ」をはじめ、著書累計300万部を超えるベストセラー作家でもあります。更には屋台から3ツ星レストランまで、毎日のように食べ歩く日本を代表するフーディーとしても知られています。

もうひとりは、大阪のフランス料理店『La Cime』の高田裕介氏。1977年奄美大島に生まれ、辻調理師専門学校卒業後、大阪市内のフレンチ、イタリアンレストラン数店で働き、2007年に渡仏。『タイユヴァン』、『ミーティング』、『ホテルムーリス』など3ツ星レストランで修業を重ね、自身の店『La Cime』オープン後は2012年度版のミシュラン関西にて1ツ星を獲得。さらに2016年度版では2ツ星に昇格、現在も3年連続2ツ星を維持する他、2018年「アジアのベストレストラン50」では初エントリーで17位にランクイン、Highest New Entry賞を獲得。今、世界が注目する若きフレンチシェフです。

奇しくも2017年10月、我々『ONESTORY』が主催した野外レストラン『DINING OUT UCHIKO with LEXUS』でシェフとゲストとして相まみえたふたりが、今回約1年の時を経て11月23・24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』では、ゲストとしてふたりで参加しようというのです。

世界中を飛び回る本田氏と、2ツ星店を経営しつつも様々なシェフとのコラボイベントにも意欲的に挑戦する高田氏。超多忙を極める両氏が、忙しい合間を縫ってのグルメ旅。弾丸沖縄ツアーかと思いきや、それだけで終わらないのが、このふたりの本気のグルメ旅なのです。

なんと『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』は昼過ぎからの参加になるということで、空いた時間を有効活用! 高田氏による地元・奄美大島でのグルメアテンドまでを盛り込んだ、スペシャルなグルメ旅を計画したのです。

それを可能にしたのは、小型航空機チャーターで国内約100箇ヵ所を結ぶ『SKY TREK(スカイトレック)』!

忙しいからこそ、妥協したくない。チャーター機ならではのスピーディーかつ気軽な空の旅は、今年10月のサービスリニューアルにより一層リーズナブルに。時間も遊びも仕事も大切にしたいという、世界を駆け回るビジネスパーソンを中心に今、じわじわと使われ始めているというのです。


(supported by  SKY TREK)

エアラインよりも低空を飛ぶので間近に迫る絶景も楽しみ。

大阪『La Cime』オーナーシェフ。1977年、奄美大島に生まれる。辻調理師専門学校卒業後、大阪市内のフレンチ、イタリアン数店で9年間働く。2007年、渡仏。『タイユヴァン』、『ホテルムーリス』などフランスの3つ星レストランで修業を積み、2009年に帰国。数店を経て、2010年に現店をオープン。2012年にミシュランひとつ星獲得、2016年2つ星に昇格。2017年もふたつ星を獲得し、国内外から様々なオファーを受け業界内から注目を集めている。
食材を起点に、フランス料理の枠にとらわれない柔軟な発想力によって料理を生み出し独自の世界観を持つ。アートや写真、音楽にも興味があり、常に感性を磨きながら表現の幅を広げている。

レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役兼CEO。ハワイ、東京に拠点を構え、日米のベンチャー企業への投資育成事業を行いながら、1年の5ヵ月をハワイで過ごし、3ヵ月を東京、2ヵ月を日本の各地、そして残りの2ヵ月でヨーロッパを中心にオセアニア・アジアなどの国々を旅し、仕事と遊びの垣根のないライフスタイルを送る。これまで訪れた場所は61ヵ国211都市を超える。毎日のように屋台・B級から3つ星レストランまでの食を極め、著名シェフによるコラボレーションディナー『Dream Dusk』などのプロデュースも手がける。食べログ「グルメ著名人」のひとりでもある。 著書に「レバレッジシリーズ」をはじめ、「脱東京 仕事と遊びの垣根をなくす、あたらしい移住」、「なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか」、「オリジナリティ 全員に好かれることを目指す時代は終わった」「Hawaii's Best Restaurants」などがあり、著書累計300万部を突破し、韓国・台湾・香港・中国・タイで翻訳版も発売。サンダーバード国際経営大学院経営学修士(MBA)、明治大学商学部産業経営学科卒業、(社)日本ソムリエ協会認定ソムリエ、アカデミー・デュ・ヴァン講師、明治大学・上智大学非常勤講師、アミューズ所属。

陸路では時間のかかる場所や離島、定期便や直行便の少ない区間および設定のない区間など、国内約100ヶ所の空港や飛行場を結び、よりスピーディーで快適な空の旅を提供する小型航空機チャーターサービス。例えば、今回の沖縄であれば、定期便が無い5空港(慶良間空港・伊江島空港・粟国空港・波照間空港・下地島空港)を利用したチャーターフライトやアイランドホッピングが可能。さらには、ANAとの連携により、2019年2月以降(予定)は、ハワイ現地でのチャーターサービスがマイルで利用可能に。
SKY TREK HP:https://skytrek.co.jp/
ANA 特設サイトhttps://www.ana.co.jp/ja/jp/amc/promo/hawaii_for_amc/skytrek/

※年末年始特別フライト『SKY TREK Winter Tours』の予約も受付中。
大切な方やご家族と 是非ご体験ください。

SKY TREKリザベーションデスク
電話:03-6778-8831(10:00 ~18:00 *年中無休)
メール:reservation@skytrek.co.jp

株式会社SKYTREKは旅行業者であり、航空機の運航をおこなうのは株式会社SKYTREKが契約する航空運送事業者です。
フライト時間やフライト可能距離は、天候・制限区域・地形・総重量などによって変動します。
那覇空港をはじめとする一部の空港は、別途ハンドリング料金がかかります。

軽快に空を飛ぶ小型航空機チャーターで、奄美−沖縄の究極グルメ旅へ![SKY TREK]

チャーター機『SKY TREK』へ乗り込み、究極のグルメ旅がはじまる。

スカイトレックOVERVIEW

忙しいからこそ、遊びは妥協したくない。
更に食べる時は、とことん全力。
そんな男性ふたりが何やら、週末遊びの相談をしています。

ひとりは1年の5ヵ月をハワイで過ごし、3ヵ月を東京、2ヵ月を日本の各地、そして残りの2ヵ月で世界中を飛び回る本田直之氏。シティバンクなど3社の外資系企業を経て、バックスグループの経営に参画。常務取締役としてJASDAQ上場に導いたその人です。現在は、レバレッジコンサルティング代表取締役兼CEOとして、日本のベンチャー企業への投資事業を行いつつ、「レバレッジシリーズ」をはじめ、著書累計300万部を超えるベストセラー作家でもあります。更には屋台から3ツ星レストランまで、毎日のように食べ歩く日本を代表するフーディーとしても知られています。

もうひとりは、大阪のフランス料理店『La Cime』の高田裕介氏。1977年奄美大島に生まれ、辻調理師専門学校卒業後、大阪市内のフレンチ、イタリアンレストラン数店で働き、2007年に渡仏。『タイユヴァン』、『ミーティング』、『ホテルムーリス』など3ツ星レストランで修業を重ね、自身の店『La Cime』オープン後は2012年度版のミシュラン関西にて1ツ星を獲得。さらに2016年度版では2ツ星に昇格、現在も3年連続2ツ星を維持する他、2018年「アジアのベストレストラン50」では初エントリーで17位にランクイン、Highest New Entry賞を獲得。今、世界が注目する若きフレンチシェフです。

奇しくも2017年10月、我々『ONESTORY』が主催した野外レストラン『DINING OUT UCHIKO with LEXUS』でシェフとゲストとして相まみえたふたりが、今回約1年の時を経て11月23・24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』では、ゲストとしてふたりで参加しようというのです。

世界中を飛び回る本田氏と、2ツ星店を経営しつつも様々なシェフとのコラボイベントにも意欲的に挑戦する高田氏。超多忙を極める両氏が、忙しい合間を縫ってのグルメ旅。弾丸沖縄ツアーかと思いきや、それだけで終わらないのが、このふたりの本気のグルメ旅なのです。

なんと『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』は昼過ぎからの参加になるということで、空いた時間を有効活用! 高田氏による地元・奄美大島でのグルメアテンドまでを盛り込んだ、スペシャルなグルメ旅を計画したのです。

それを可能にしたのは、小型航空機チャーターで国内約100箇ヵ所を結ぶ『SKY TREK(スカイトレック)』!

忙しいからこそ、妥協したくない。チャーター機ならではのスピーディーかつ気軽な空の旅は、今年10月のサービスリニューアルにより一層リーズナブルに。時間も遊びも仕事も大切にしたいという、世界を駆け回るビジネスパーソンを中心に今、じわじわと使われ始めているというのです。


(supported by  SKY TREK)

エアラインよりも低空を飛ぶので間近に迫る絶景も楽しみ。

大阪『La Cime』オーナーシェフ。1977年、奄美大島に生まれる。辻調理師専門学校卒業後、大阪市内のフレンチ、イタリアン数店で9年間働く。2007年、渡仏。『タイユヴァン』、『ホテルムーリス』などフランスの3つ星レストランで修業を積み、2009年に帰国。数店を経て、2010年に現店をオープン。2012年にミシュランひとつ星獲得、2016年2つ星に昇格。2017年もふたつ星を獲得し、国内外から様々なオファーを受け業界内から注目を集めている。
食材を起点に、フランス料理の枠にとらわれない柔軟な発想力によって料理を生み出し独自の世界観を持つ。アートや写真、音楽にも興味があり、常に感性を磨きながら表現の幅を広げている。

レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役兼CEO。ハワイ、東京に拠点を構え、日米のベンチャー企業への投資育成事業を行いながら、1年の5ヵ月をハワイで過ごし、3ヵ月を東京、2ヵ月を日本の各地、そして残りの2ヵ月でヨーロッパを中心にオセアニア・アジアなどの国々を旅し、仕事と遊びの垣根のないライフスタイルを送る。これまで訪れた場所は61ヵ国211都市を超える。毎日のように屋台・B級から3つ星レストランまでの食を極め、著名シェフによるコラボレーションディナー『Dream Dusk』などのプロデュースも手がける。食べログ「グルメ著名人」のひとりでもある。 著書に「レバレッジシリーズ」をはじめ、「脱東京 仕事と遊びの垣根をなくす、あたらしい移住」、「なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか」、「オリジナリティ 全員に好かれることを目指す時代は終わった」「Hawaii's Best Restaurants」などがあり、著書累計300万部を突破し、韓国・台湾・香港・中国・タイで翻訳版も発売。サンダーバード国際経営大学院経営学修士(MBA)、明治大学商学部産業経営学科卒業、(社)日本ソムリエ協会認定ソムリエ、アカデミー・デュ・ヴァン講師、明治大学・上智大学非常勤講師、アミューズ所属。

陸路では時間のかかる場所や離島、定期便や直行便の少ない区間および設定のない区間など、国内約100ヶ所の空港や飛行場を結び、よりスピーディーで快適な空の旅を提供する小型航空機チャーターサービス。例えば、今回の沖縄であれば、定期便が無い5空港(慶良間空港・伊江島空港・粟国空港・波照間空港・下地島空港)を利用したチャーターフライトやアイランドホッピングが可能。さらには、ANAとの連携により、2019年2月以降(予定)は、ハワイ現地でのチャーターサービスがマイルで利用可能に。
SKY TREK HP:https://skytrek.co.jp/
ANA 特設サイトhttps://www.ana.co.jp/ja/jp/amc/promo/hawaii_for_amc/skytrek/

※年末年始特別フライト『SKY TREK Winter Tours』の予約も受付中。
大切な方やご家族と 是非ご体験ください。

SKY TREKリザベーションデスク
電話:03-6778-8831(10:00 ~18:00 *年中無休)
メール:reservation@skytrek.co.jp

株式会社SKYTREKは旅行業者であり、航空機の運航をおこなうのは株式会社SKYTREKが契約する航空運送事業者です。
フライト時間やフライト可能距離は、天候・制限区域・地形・総重量などによって変動します。
那覇空港をはじめとする一部の空港は、別途ハンドリング料金がかかります。

沖縄の食のシンボルである山羊を、豚を。いのちをいただく一皿に。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き 蜂蜜風味のガストリックソースで」。島ザラメと蜂蜜を使ったソースの甘酸っぱさと、ピュレにして添えた島カボチャの甘みが、豚の脂の甘み、旨みを際立たせる。

ダイニングアウト琉球南城食文化に深く結びついた食材をコースのハイライトに。

琉球神話はじまりの地といわれる沖縄県南城市を舞台に2018年11月23日、24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。神聖なる祈りの地・知念城跡に出現したレストランは、厳かさとなごやかさが入り混じる空気の中、大成功のうちに幕を閉じました。琉球創生の女神「アマミキヨ」の神話にならい、『DINING OUT』史上初の女性シェフとして厨房を預かった樋口宏江シェフ。「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマの下、地域の伝統的な食習慣や食文化を鮮やかに映し出した料理でゲストを魅了しました。3皿目に供された「ヒージャーのロワイヤル」とメインの「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き」は、ゲストを深い感動へ導くコースのハイライトに。山羊と豚。いずれも沖縄の食文化とは切っても切り離せない食材です。初の沖縄訪問でもあった視察からわずか2カ月足らずで、この2皿をどのように完成させたのか。樋口シェフのアプローチに迫ります。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

樋口シェフ。大勢の厨房スタッフを指揮しながら、自らも忙しく手を動かし、厨房を動き回る。

ダイニングアウト琉球南城「いのちを、余すところなく頂く」という食のあり方に学ぶ。

台風25号直撃というアクシデントに見舞われた10月初旬の第1回目の食材視察。奇しくもこの機が初の沖縄訪問となった樋口シェフは、初めて出会う沖縄の食材、食文化に驚くばかりでした。野菜やハーブ、紅茶にシークヮーサー、山羊に豚とさまざまな農畜産物の生産者を訪ね、琉球料理や、久高島に伝わるイラブー(ウミヘビ)料理も試食。「すべてが忘れがたい」という3日間で特に心に残ったのが山羊、そして沖縄の在来種であるアグー種の豚・黒金豚だと話してくれました。
「生産者の方が、まるで自分の子供を可愛がるように愛情を持って接していらっしゃる姿がとても印象的で。飼育環境も清潔で、山羊や豚たちもとても健やかで、幸せそうに見えました」。

沖縄は、古くから山羊が家畜として重宝されてきた歴史があります。台風や干ばつなどの影響で食糧の安定確保が難しい中、山羊は貴重なタンパク源でした。家の上棟式や結婚式など、祝いの席で振る舞われる料理でもあり、今でも一部の地域にはその習慣が残っています。

豚もまた、沖縄の食を語る上で欠かせない食材です。豚肉の消費量は全国屈指。ばら肉を使った角煮のラフテーやスペアリブの煮込み・ソーキなど、さまざまな郷土料理が今も日常的に親しまれています。コラーゲンたっぷりの豚足はテビチという煮付けに、ミミガーと呼ばれる耳たぶは酢の物に。「鳴き声以外はすべて食べる」という言葉があるほど、一頭を余すところなく頂く食習慣が今も根付いているのです。

山羊の生産者『株式会社 大地』視察時の様子。山羊を扱うのは初めてという樋口シェフは、代表の仲村嘉則さんの話に真剣に聞き入る。

小屋も体も清潔に保たれた山羊たちは健やかな表情。

黒金豚。数種類の穀物に近隣の酒造所で出る醪(もろみ)、地元金武町の海藻をはじめ天然のミネラルを加えた発酵飼料をベースに、敷地内で栽培する島バナナなども与えられ、健やかに育つ。

ダイニングアウト琉球南城静かな器の中に、山羊の命がよみがえる一皿。

「視察を終えて最初にイメージが浮かび、メニュー作りに着手したのが、山羊の一皿でした」。
訪問した『株式会社大地』のハーブ山羊を試食し、その味わいに驚いたと話します。
「非常にクセの強い食材ですが、特有の匂いは控えめで、繊細な旨みがあり、香りは子羊のよう」。
シンプルに焼くだけで十分おいしい山羊を、ホテルでフランス料理を作り続けてきた自分がどう料理すべきか。考えたときに、コンソメを思い付いたといいます。
「郷土料理の山羊汁もヒントになりました。山羊汁に親しんでこられた地元の方々が驚くような山羊のスープをお出ししたいと思ったのです」。

器の中に敷かれたコンソメロワイヤルは、ブイヨンに卵を合わせて蒸したものをコンソメの浮き身にした、クラシックなフランス料理。コンソメは、骨とミルポワでひいただしをベースに、皮付きモモ肉のミンチを加えた贅沢なダブルコンソメに仕上げました。タイムやローリエなど、臭い消しの役目を果たすハーブ類はあえて使わず、力強く、それでいて雑味のないハーブ山羊の風味を活かします。丁寧に下処理した内臓はブイヨンで炊き、フランの中にしのばせました。

山羊の肉はもちろん、骨も、皮も、内臓もすべて。卓上でコンソメが注がれて完成する黄金色の一皿は、一服の茶のような静けさの中に、山羊の命が丸ごと詰まっていたのです。

「ヒージャーのロワイヤル」。余分な飾りは一切加えず、山羊の命を純粋に表現した神々しい一皿。

樋口シェフ。卓上でサーブするコンソメをベストなタイミングで、とスタンバイ。

器にコンソメが注がれると、山羊の香りがふわりと立つ。トマトでほのかな酸味を、月桃の葉でショウガのような香りを添えて。

ダイニングアウト琉球南城ほかの豚にはない、生命力あふれる味を表現するために。

沖縄の人々の日常に欠かせない豚もまた、樋口シェフが必ず『DINING OUT』で使いたいと考えていた食材のひとつ。視察時に琉球在来豚・アグー種のブランド豚「黒金豚」の生産者・我喜屋宗一さんに出会い、その想いをいっそう強くします。

アグーの肉質は非常に優れているものの、体が小さく、成長に時間がかかるため、生産性の高い西洋種やF1種の増加とともに、絶滅の危機にさらされてきました。また、現在流通している「アグー」ブランド豚は、西洋種の雌を交配した交雑種(混血)がほとんどいう現実があります。そのような状況下で、純血のアグー種を守ろうと、循環型農業をベースにした飼育方法で、繁殖飼育を一貫して手掛けるのが我喜屋さん。我喜屋氏は、「戻し交配」という技術を用い、交雑種を純血種に近付ける取り組みも続けています。

我喜屋氏は言います。
「自然の中で、昔と同じように育てる。やりたいことはシンプルだけれど“自然”を取り巻く環境が変わる中で、ほおっておくだけでは、昔と同じにはならない。豚の味は嘘をつかないからすぐわかる。抗生物質やホルモン剤などの薬を使わない。豚の足元にあるもの、つまり国産の飼料で育てる。昔なら“当たり前”な環境を作ってあげれば、肉はちゃんとアグー種本来の味になる」。

「豚は沖縄の人にとってだけでなく、我々日本人誰にでも馴染みのある食材ですが、我喜屋さんの黒金豚の味わいには圧倒的な個性を感じました。脂身が非常に厚く、しっかりとしたテクスチャーとクリアな甘みがある。肉は赤身が強く、旨みも濃厚。初めての味わいでした」と樋口シェフ。

脂の旨みをシンプルに生かす一皿に仕上げるために。バラ肉はスパイスと一緒に真空調理で12時間かけて優しく火を入れ、ロースは伊勢志摩から持ち込んだとびきりの備長炭で、香ばしく焼き上げました。しっとりと火が入りながらも、嚙めば弾力がある。肉と脂、それぞれの旨みに、アグー種の生命力がみなぎります。

ナイフを持つ手にもしっかりとした肉質、弾力が伝わる「黒金豚」。ソースと付け合わせのピュレで、甘みが立体的に。

純血のアグー種を守る為、循環型農業をベースにした飼育方法を実践する我喜屋氏。

3匹の子豚と樋口シェフ。奪い合うように飼料を食べる愛らしい姿に、しばし見入ってしまう。

ダイニングアウト琉球南城食べるものが命を作る。その連なりに感謝を捧げて。

樋口シェフは「ぬちぐすい」という沖縄の言葉に非常に感銘を受けたといいます。「ぬち」は命、「ぐすい」は薬。そこから命の薬になるようなおいしい食べ物、飲み物、あるいはそれらと同様に心を温める愛情などを指す言葉とされています。コースの5皿目に用意した、沖縄在来の野菜約30種を盛り込んだ一皿は、そのまま「ぬちぐすい」と名付けました。その言葉に託した想いは、山羊や豚の料理にも貫かれています。
▶詳細は、沖縄の食文化を尊び、地元生産者、料理人すべての想いを一皿にした「ぬちぐすい」。

「食べるものが体を調え、命を繋いでいく。それは、人間も動物も同じです。ハーブ山羊も、アグー種の黒金豚も、生産性ではなく、命の健やかさを第一に考えた飼料で育てられている。我が子のような愛情をたっぷりと注がれて。その命が、今度は私たち人間の糧となる。“ぬちぐすい”の連なりが、沖縄の人たちの暮らしとともにあった独自の食文化を、未来へとつなげていくんです」。

「Origin いのちへの感謝と祈り」をテーマにした今回の『DINING OUT』。「ヒージャーのロワイヤル」と「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き」は、食べ手の記憶にそのテーマを強く焼き付ける2皿となったはずです。

ホストの中村孝則氏。メニューには書ききれない、料理の背景、生産者の情報をシェフに代わってゲストへ伝えた。

サービスを終え、充実の表情でゲストのテーブルを見渡す樋口シェフと厨房スタッフ。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテルHP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

沖縄の食のシンボルである山羊を、豚を。いのちをいただく一皿に。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き 蜂蜜風味のガストリックソースで」。島ザラメと蜂蜜を使ったソースの甘酸っぱさと、ピュレにして添えた島カボチャの甘みが、豚の脂の甘み、旨みを際立たせる。

ダイニングアウト琉球南城食文化に深く結びついた食材をコースのハイライトに。

琉球神話はじまりの地といわれる沖縄県南城市を舞台に2018年11月23日、24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。神聖なる祈りの地・知念城跡に出現したレストランは、厳かさとなごやかさが入り混じる空気の中、大成功のうちに幕を閉じました。琉球創生の女神「アマミキヨ」の神話にならい、『DINING OUT』史上初の女性シェフとして厨房を預かった樋口宏江シェフ。「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマの下、地域の伝統的な食習慣や食文化を鮮やかに映し出した料理でゲストを魅了しました。3皿目に供された「ヒージャーのロワイヤル」とメインの「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き」は、ゲストを深い感動へ導くコースのハイライトに。山羊と豚。いずれも沖縄の食文化とは切っても切り離せない食材です。初の沖縄訪問でもあった視察からわずか2カ月足らずで、この2皿をどのように完成させたのか。樋口シェフのアプローチに迫ります。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

樋口シェフ。大勢の厨房スタッフを指揮しながら、自らも忙しく手を動かし、厨房を動き回る。

ダイニングアウト琉球南城「いのちを、余すところなく頂く」という食のあり方に学ぶ。

台風25号直撃というアクシデントに見舞われた10月初旬の第1回目の食材視察。奇しくもこの機が初の沖縄訪問となった樋口シェフは、初めて出会う沖縄の食材、食文化に驚くばかりでした。野菜やハーブ、紅茶にシークヮーサー、山羊に豚とさまざまな農畜産物の生産者を訪ね、琉球料理や、久高島に伝わるイラブー(ウミヘビ)料理も試食。「すべてが忘れがたい」という3日間で特に心に残ったのが山羊、そして沖縄の在来種であるアグー種の豚・黒金豚だと話してくれました。
「生産者の方が、まるで自分の子供を可愛がるように愛情を持って接していらっしゃる姿がとても印象的で。飼育環境も清潔で、山羊や豚たちもとても健やかで、幸せそうに見えました」。

沖縄は、古くから山羊が家畜として重宝されてきた歴史があります。台風や干ばつなどの影響で食糧の安定確保が難しい中、山羊は貴重なタンパク源でした。家の上棟式や結婚式など、祝いの席で振る舞われる料理でもあり、今でも一部の地域にはその習慣が残っています。

豚もまた、沖縄の食を語る上で欠かせない食材です。豚肉の消費量は全国屈指。ばら肉を使った角煮のラフテーやスペアリブの煮込み・ソーキなど、さまざまな郷土料理が今も日常的に親しまれています。コラーゲンたっぷりの豚足はテビチという煮付けに、ミミガーと呼ばれる耳たぶは酢の物に。「鳴き声以外はすべて食べる」という言葉があるほど、一頭を余すところなく頂く食習慣が今も根付いているのです。

山羊の生産者『株式会社 大地』視察時の様子。山羊を扱うのは初めてという樋口シェフは、代表の仲村嘉則さんの話に真剣に聞き入る。

小屋も体も清潔に保たれた山羊たちは健やかな表情。

黒金豚。数種類の穀物に近隣の酒造所で出る醪(もろみ)、地元金武町の海藻をはじめ天然のミネラルを加えた発酵飼料をベースに、敷地内で栽培する島バナナなども与えられ、健やかに育つ。

ダイニングアウト琉球南城静かな器の中に、山羊の命がよみがえる一皿。

「視察を終えて最初にイメージが浮かび、メニュー作りに着手したのが、山羊の一皿でした」。
訪問した『株式会社大地』のハーブ山羊を試食し、その味わいに驚いたと話します。
「非常にクセの強い食材ですが、特有の匂いは控えめで、繊細な旨みがあり、香りは子羊のよう」。
シンプルに焼くだけで十分おいしい山羊を、ホテルでフランス料理を作り続けてきた自分がどう料理すべきか。考えたときに、コンソメを思い付いたといいます。
「郷土料理の山羊汁もヒントになりました。山羊汁に親しんでこられた地元の方々が驚くような山羊のスープをお出ししたいと思ったのです」。

器の中に敷かれたコンソメロワイヤルは、ブイヨンに卵を合わせて蒸したものをコンソメの浮き身にした、クラシックなフランス料理。コンソメは、骨とミルポワでひいただしをベースに、皮付きモモ肉のミンチを加えた贅沢なダブルコンソメに仕上げました。タイムやローリエなど、臭い消しの役目を果たすハーブ類はあえて使わず、力強く、それでいて雑味のないハーブ山羊の風味を活かします。丁寧に下処理した内臓はブイヨンで炊き、フランの中にしのばせました。

山羊の肉はもちろん、骨も、皮も、内臓もすべて。卓上でコンソメが注がれて完成する黄金色の一皿は、一服の茶のような静けさの中に、山羊の命が丸ごと詰まっていたのです。

「ヒージャーのロワイヤル」。余分な飾りは一切加えず、山羊の命を純粋に表現した神々しい一皿。

樋口シェフ。卓上でサーブするコンソメをベストなタイミングで、とスタンバイ。

器にコンソメが注がれると、山羊の香りがふわりと立つ。トマトでほのかな酸味を、月桃の葉でショウガのような香りを添えて。

ダイニングアウト琉球南城ほかの豚にはない、生命力あふれる味を表現するために。

沖縄の人々の日常に欠かせない豚もまた、樋口シェフが必ず『DINING OUT』で使いたいと考えていた食材のひとつ。視察時に琉球在来豚・アグー種のブランド豚「黒金豚」の生産者・我喜屋宗一さんに出会い、その想いをいっそう強くします。

アグーの肉質は非常に優れているものの、体が小さく、成長に時間がかかるため、生産性の高い西洋種やF1種の増加とともに、絶滅の危機にさらされてきました。また、現在流通している「アグー」ブランド豚は、西洋種の雌を交配した交雑種(混血)がほとんどいう現実があります。そのような状況下で、純血のアグー種を守ろうと、循環型農業をベースにした飼育方法で、繁殖飼育を一貫して手掛けるのが我喜屋さん。我喜屋氏は、「戻し交配」という技術を用い、交雑種を純血種に近付ける取り組みも続けています。

我喜屋氏は言います。
「自然の中で、昔と同じように育てる。やりたいことはシンプルだけれど“自然”を取り巻く環境が変わる中で、ほおっておくだけでは、昔と同じにはならない。豚の味は嘘をつかないからすぐわかる。抗生物質やホルモン剤などの薬を使わない。豚の足元にあるもの、つまり国産の飼料で育てる。昔なら“当たり前”な環境を作ってあげれば、肉はちゃんとアグー種本来の味になる」。

「豚は沖縄の人にとってだけでなく、我々日本人誰にでも馴染みのある食材ですが、我喜屋さんの黒金豚の味わいには圧倒的な個性を感じました。脂身が非常に厚く、しっかりとしたテクスチャーとクリアな甘みがある。肉は赤身が強く、旨みも濃厚。初めての味わいでした」と樋口シェフ。

脂の旨みをシンプルに生かす一皿に仕上げるために。バラ肉はスパイスと一緒に真空調理で12時間かけて優しく火を入れ、ロースは伊勢志摩から持ち込んだとびきりの備長炭で、香ばしく焼き上げました。しっとりと火が入りながらも、嚙めば弾力がある。肉と脂、それぞれの旨みに、アグー種の生命力がみなぎります。

ナイフを持つ手にもしっかりとした肉質、弾力が伝わる「黒金豚」。ソースと付け合わせのピュレで、甘みが立体的に。

純血のアグー種を守る為、循環型農業をベースにした飼育方法を実践する我喜屋氏。

3匹の子豚と樋口シェフ。奪い合うように飼料を食べる愛らしい姿に、しばし見入ってしまう。

ダイニングアウト琉球南城食べるものが命を作る。その連なりに感謝を捧げて。

樋口シェフは「ぬちぐすい」という沖縄の言葉に非常に感銘を受けたといいます。「ぬち」は命、「ぐすい」は薬。そこから命の薬になるようなおいしい食べ物、飲み物、あるいはそれらと同様に心を温める愛情などを指す言葉とされています。コースの5皿目に用意した、沖縄在来の野菜約30種を盛り込んだ一皿は、そのまま「ぬちぐすい」と名付けました。その言葉に託した想いは、山羊や豚の料理にも貫かれています。
▶詳細は、沖縄の食文化を尊び、地元生産者、料理人すべての想いを一皿にした「ぬちぐすい」。

「食べるものが体を調え、命を繋いでいく。それは、人間も動物も同じです。ハーブ山羊も、アグー種の黒金豚も、生産性ではなく、命の健やかさを第一に考えた飼料で育てられている。我が子のような愛情をたっぷりと注がれて。その命が、今度は私たち人間の糧となる。“ぬちぐすい”の連なりが、沖縄の人たちの暮らしとともにあった独自の食文化を、未来へとつなげていくんです」。

「Origin いのちへの感謝と祈り」をテーマにした今回の『DINING OUT』。「ヒージャーのロワイヤル」と「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き」は、食べ手の記憶にそのテーマを強く焼き付ける2皿となったはずです。

ホストの中村孝則氏。メニューには書ききれない、料理の背景、生産者の情報をシェフに代わってゲストへ伝えた。

サービスを終え、充実の表情でゲストのテーブルを見渡す樋口シェフと厨房スタッフ。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテルHP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

『西宇和みかん』の可能性を伝えるスペシャルスイーツを、スイーツジャーナリスト・平岩理緒氏が実食。[TERROIR OF NISHIUWA/愛媛県八幡浜市]

スイーツジャーナリストの平岩理緒氏。食の情報発信だけでなく、セミナー講師や商品開発コンサルティングなど、多岐にわたって活躍中。

テロワールオブ西宇和期間限定で提供中の『西宇和みかん』スペシャルスイーツ。

愛媛県西宇和の特産品『西宇和みかん』。
そのまま食べて美味しい、この『西宇和みかん』で、全6皿のデザートコースを創る。果敢に挑んだパティシエールが目黒『Kabi』の中村樹里子氏でした。

中村氏は白金の人気フレンチレストラン『TIRPSE』でデザートを手掛けていた新進気鋭の料理人。2015年には『TIRPSE』のランチタイムに『KIRIKO NAKAMURA』として一年間だけ、デザートコースのみを提供した実績もあります。

12月21日までの期間限定で振る舞われる、今回の『Kabi』のコースが、ゲストにはっきりと示したのは『西宇和みかん』の可能性。
▶詳細は、『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。

すでに体験したゲストのひとり、平岩理緒氏が感動を振り返ります。
「普通に考えると、温州みかんだけでフルコースって難しいはず。けれど、調理法をすべて変えることで、最後まで飽きさせない構成になっていて、さすがでした。何より、流れが素晴らしかった」

平岩氏はスイーツ好きのための情報web『幸せのケーキ共和国』を主宰するスイーツジャーナリスト。1カ月に200種以上のスイーツを食べ歩き、雑誌やweb、ラジオやテレビなど、多くのメディアで情報を発信する、スイーツのプロフェッショナルです。

『KIRIKO NAKAMURA』にも足を運んでおり、その頃から「樹里子さんのデザートは好きでした」と言います。
平岩氏はこの日、東京・GINZA SIXに向かっていました。

目指すは6階にある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。
『Kabi』のデザートコースは、残念ながら、間もなく終了してしまいますが、『西宇和みかん』のポテンシャルと『KIRIKO NAKAMURA』のエスプリを体感するチャンスは、ほかにもあります。
「もっと多くの方に、『西宇和みかん』の可能性を体感して欲しい」と、中村氏がプロデュースした『西宇和みかん』スペシャルメニューが、都内3店舗で展開されているのです。

その3店舗こそ、渋谷『WIRED TOKYO 1999』、表参道『発酵居酒屋5』、そして、GINZA SIXにある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。

平岩氏は今、中村氏が手掛けた『西宇和みかん』スペシャルスイーツを味わうべく、『フタバフルーツパーラー銀座本店』に向かっています。
「楽しみです」
そう言って、微笑む平岩氏を追いました。

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の『西宇和みかん』で進む、新たな価値観の創造。

西宇和の恵まれた自然環境が育む『西宇和みかん』。じょうのうが薄く、果肉は高糖度。酸味も適度にあって美味。

テロワールオブ西宇和ジューシーで芳しく香る『西宇和みかん』を活かしたスイーツ。

『フタバフルーツパーラー銀座本店』は、東京・中野区で1940年に創業した果実店『フタバフルーツ』と、全国で高感度なレストランやカフェを展開するCAFE COMPANYがコラボレーションしたフルーツパーラー。
旬の果物をたっぷり使ったパフェやサンドイッチのほか、食事メニューも充実しています。
中村氏が手掛けたスイーツが「西宇和みかんとみかん蜂蜜のフレンチトースト」。
1日限定10食という希少性で早くも話題になっています。

大きな白磁で登場した、そのフレンチトーストを見て、「ボリュームがありますね」と思わず平岩氏も笑顔に。ひと口、食べて、さらに嬉しそう。
「温かいフレンチトーストで、みかんもほんのり温まっているのがいいですね。香りが立って、味わいも、よりまろやかに感じられます。温かいみかんも美味しいんだっていう新しい発見があります」
たっぷり乗った『西宇和みかん』が輪切りになっている点も大切なポイント。
 
「切り方で食材の印象は大きく変わりますが、みかんは横にスライスして断面を大きく取ることで、より瑞々しく感じられる。添えられた蜂蜜で味変できるのも楽しいですよね」。

そして、粒だけでなく、“じょうのう”も活かした『西宇和みかん』使いに、日本人が温州みかんに抱く郷愁まで誘うと指摘するのです。
「温州みかん特有の丸みを帯びた優しさが表現されている点に、まず感銘を受けましたが、じょうのうと粒を同時に味わうことで、日本人なら誰もが抱く懐かしさまで感じられる。『おこたで、みかん』(笑)。銀座で働いている方々も、これを食べたら故郷を思い出すんじゃないでしょうか」

「西宇和みかんとみかん蜂蜜のフレンチトースト」。別添の蜂蜜をかけても。アクセントに和栗の渋皮煮とアイスをトッピング。1日限定10食。

西宇和みかんスペシャルスイーツを味わうため、GINZA SIXに足を運んだ平岩氏。

GINZA SIX 6階プレミアムフードホール「銀座大食堂」内にある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。旬のフルーツをふんだんに使ったメニューをラインアップ。

「もっちり食感のフレンチトーストですから、みかんたちをしっかり受け止めてくれている」と平岩氏。

テロワールオブ西宇和・真穴共選みかんを始め、西宇和の食材たちが見事に融合した中村氏のデザート。

振り返れば、『Kabi』のデザートコースも、フレンチレストランがベースにあった『KIRIKO NAKAMURA』当時の中村氏より、「ベクトルが少し日本に向いている気がしました」と平岩氏。
「元々、柑橘類は好きでフレンチのデザートでもよくいただくのですが、西洋のオレンジにあるような強さ、尖った酸味や甘みではなく、温州みかんの優しさを上手に引き出したデザートコースでした」

例えば、「roast」は、平岩氏が印象に残った皿のひとつ。
ローストすることで『西宇和みかん』の味や香りが凝縮され、「一般的に爽やかに仕上がるソルベも、想像以上に濃厚な温州みかん」で驚いたそう。
「地方によっては、焼きみかんを日常的に食べる習慣もありますが、そういう昔ながらの食べ方を応用しているようにも感じました」
「carbonization」で人参芋や菊芋、「fresh」でニッケ(シナモンの一種)と、同じ西宇和で育った食材同士の相性の良さにも「納得って感じです。作り手が産地へ赴く意義を強く感じた」。

嬉々として生産の現場を巡る中村氏の姿が目に浮かんだのか、平岩氏も楽しそうに語るのです。
「蜂蜜、日本酒……本当にいろいろな地元の食材がそれぞれのお皿に潜んでいて、新しい発見をした樹里子さんの喜びが伝わってくるようでした。フレンチでもない、和食でもない。○○料理ってカテゴライズはできない魅力がありました」

『Kabi』のコースで登場した「roast」。「焼きみかんそのものの美味しさ」で平岩氏が最も印象深かったデザート。「サツマイモのような風味も感じられました」

『Kabi』の4皿目、「carbonization」。黒いパウダーが『西宇和みかん』で「香りがしっかり感じられました。2種の芋の素朴な甘みや、メープルのアイスの優しい香りとも好相性でした」と平岩氏。

テロワールオブ西宇和発酵によって深みを増した『西宇和みかん』の個性と実力。

平岩氏が次に向かったのは表参道『発酵居酒屋5』。
『Kabi』と同じく、発酵をテーマにした居酒屋で、店内には自家製で麹を育てる発酵樽も鎮座。あらゆるメニューで発酵がひと役買っています。

そんな店が提供する『西宇和みかん』スペシャルスイーツが「甘酒ヨーグルトブランマンジェ 発酵西宇和みかんジュレ」。
発酵させた『西宇和みかん』のジュースをジュレに。清涼感あるジュレの味わいに合わせて、この店のレギュラーメニュー「甘酒ブランマンジェ」に、ヨーグルトをプラスしています。

『発酵居酒屋5』では、このスイーツと一緒にペアリングで楽しめる「発酵西宇和みかんサワー」も用意。ベースになる『西宇和みかん』の発酵ジュースは店舗で手作りしています。

まずサワーをひと口、飲んで「発酵感がしっかりありますね」と平岩氏。
「甘みもしっかりあって女性でも飲みやすいです。発酵ジュースを作られる過程で、何か注意されている点はあるんですか?」
高木豊店長に尋ねました。
「毎日、お世話することです(笑)」と高木店長。
「お世話?」
「毎日、攪拌(かくはん)するんです。放っておくとすぐにスネてしまう(笑)」
「手間がかかっているんですね」
続いて、ブランマンジェをパクリ。
「口溶けがいいですね。ヨーグルトの爽やかさもある。ジュレには、甘みだけでなく、みかん特有の心地良い苦味も感じられて、バランスの良いスイーツに仕上がっています」
「発酵食品は微生物の酵素反応によって作られますが、その働きは体にも良い。だから、心身に沁みるんでしょうね」
今度は高木店長が真顔で説明しました。

「甘酒ヨーグルトブランマンジェ 発酵西宇和みかんジュレ」と「発酵西宇和みかんサワー」。12月28日までの提供。

『発酵居酒屋5』は表参道交差点からすぐの立地。塩糀ダレを使った「発酵からあげ」など、発酵に的を絞ってメニュー展開。

「さっぱりしていますから、食後にいい」と平岩氏。「ピリッとした生姜はサクサクで、食感のアクセントにもなっています」

テロワールオブ西宇和年内いっぱいで提供が終わるスペシャルスイーツが味わえるのは今だけ。

「温州みかんの優しさ、懐かしさを改めて感じましたけど、フレンチトーストには和栗、ジュレには生姜や胡桃など、食感にも工夫があって、日本人らしい季節感や、五感で味わう繊細さを表現した印象ですね」
そう言って、2種の『西宇和みかん』スイーツを評した平岩氏。

渋谷『WIRED TOKYO 1999』では、「西宇和みかんのデニッシュフレンチトースト」を提供中。『西宇和みかん』スペシャルメニューは3軒とも、年内いっぱいの提供。12月31日まで(『発酵居酒屋5』は28日まで)の期間限定です。
▶詳細は、『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。

新進気鋭のパティシエールが創り、プロのスイーツジャーナリストが高く評価した『西宇和みかん』スペシャルスイーツ。
スイーツ好きならずとも、今すぐ、試してみたくなるのです。

(supported by JAにしうわ

渋谷『WIRED TOKYO 1999』で提供されている「西宇和みかんのデニッシュフレンチトースト」。特製ソースも『西宇和みかん』。12月31日までの期間限定。

「温州みかんのスイーツって意外とないですよね」と高木豊店長。答えて、平岩氏も「さすが、樹里子さんって感じです」

マーケターとして食品メーカーなどのプロモーション、リサーチを担当し、商品開発・販促に関わった経験を生かし、独立。菓子の基礎知識を製菓学校で学ぶ。1か月に200種類以上のスイーツを食べ歩き、雑誌やWEB、ラジオ、TV等で、スイーツを中心とする「食」の情報を発信するスイーツジャーナリストとして活動。執筆の他、セミナー講師、イベント司会、企業の商品開発コンサルティングまで幅広くこなす。

大阪出身。関西の洋菓子店などを経て、29歳で単独渡仏。パリではシェフパティシエとして「L’Instant d’Or(ランスタン・ドール)」を1年でミシュラン1ツ星に導いた。帰国後は、東京・白金台の『TIRPSE (ティルプス)』に参加。軽やかでいて深みのあるデザートの味わいには国内外からの評価も高い。2015年7月8日より『TIRPSE』のランチタイムを1年間限定で『KIRIKO NAKAMURA』とし、6品の季節感あふれるデザートだけのコースを企画。
今回、目黒Restaurant『Kabi』にて、KIRIKO NAKAMURAデザートコースを2週間限定で復活させる。

『西宇和みかん』の可能性を伝えるスペシャルスイーツを、スイーツジャーナリスト・平岩理緒氏が実食。[TERROIR OF NISHIUWA/愛媛県八幡浜市]

スイーツジャーナリストの平岩理緒氏。食の情報発信だけでなく、セミナー講師や商品開発コンサルティングなど、多岐にわたって活躍中。

テロワールオブ西宇和期間限定で提供中の『西宇和みかん』スペシャルスイーツ。

愛媛県西宇和の特産品『西宇和みかん』。
そのまま食べて美味しい、この『西宇和みかん』で、全6皿のデザートコースを創る。果敢に挑んだパティシエールが目黒『Kabi』の中村樹里子氏でした。

中村氏は白金の人気フレンチレストラン『TIRPSE』でデザートを手掛けていた新進気鋭の料理人。2015年には『TIRPSE』のランチタイムに『KIRIKO NAKAMURA』として一年間だけ、デザートコースのみを提供した実績もあります。

12月21日までの期間限定で振る舞われる、今回の『Kabi』のコースが、ゲストにはっきりと示したのは『西宇和みかん』の可能性。
▶詳細は、『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。

すでに体験したゲストのひとり、平岩理緒氏が感動を振り返ります。
「普通に考えると、温州みかんだけでフルコースって難しいはず。けれど、調理法をすべて変えることで、最後まで飽きさせない構成になっていて、さすがでした。何より、流れが素晴らしかった」

平岩氏はスイーツ好きのための情報web『幸せのケーキ共和国』を主宰するスイーツジャーナリスト。1カ月に200種以上のスイーツを食べ歩き、雑誌やweb、ラジオやテレビなど、多くのメディアで情報を発信する、スイーツのプロフェッショナルです。

『KIRIKO NAKAMURA』にも足を運んでおり、その頃から「樹里子さんのデザートは好きでした」と言います。
平岩氏はこの日、東京・GINZA SIXに向かっていました。

目指すは6階にある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。
『Kabi』のデザートコースは、残念ながら、間もなく終了してしまいますが、『西宇和みかん』のポテンシャルと『KIRIKO NAKAMURA』のエスプリを体感するチャンスは、ほかにもあります。
「もっと多くの方に、『西宇和みかん』の可能性を体感して欲しい」と、中村氏がプロデュースした『西宇和みかん』スペシャルメニューが、都内3店舗で展開されているのです。

その3店舗こそ、渋谷『WIRED TOKYO 1999』、表参道『発酵居酒屋5』、そして、GINZA SIXにある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。

平岩氏は今、中村氏が手掛けた『西宇和みかん』スペシャルスイーツを味わうべく、『フタバフルーツパーラー銀座本店』に向かっています。
「楽しみです」
そう言って、微笑む平岩氏を追いました。

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の『西宇和みかん』で進む、新たな価値観の創造。

西宇和の恵まれた自然環境が育む『西宇和みかん』。じょうのうが薄く、果肉は高糖度。酸味も適度にあって美味。

テロワールオブ西宇和ジューシーで芳しく香る『西宇和みかん』を活かしたスイーツ。

『フタバフルーツパーラー銀座本店』は、東京・中野区で1940年に創業した果実店『フタバフルーツ』と、全国で高感度なレストランやカフェを展開するCAFE COMPANYがコラボレーションしたフルーツパーラー。
旬の果物をたっぷり使ったパフェやサンドイッチのほか、食事メニューも充実しています。
中村氏が手掛けたスイーツが「西宇和みかんとみかん蜂蜜のフレンチトースト」。
1日限定10食という希少性で早くも話題になっています。

大きな白磁で登場した、そのフレンチトーストを見て、「ボリュームがありますね」と思わず平岩氏も笑顔に。ひと口、食べて、さらに嬉しそう。
「温かいフレンチトーストで、みかんもほんのり温まっているのがいいですね。香りが立って、味わいも、よりまろやかに感じられます。温かいみかんも美味しいんだっていう新しい発見があります」
たっぷり乗った『西宇和みかん』が輪切りになっている点も大切なポイント。
 
「切り方で食材の印象は大きく変わりますが、みかんは横にスライスして断面を大きく取ることで、より瑞々しく感じられる。添えられた蜂蜜で味変できるのも楽しいですよね」。

そして、粒だけでなく、“じょうのう”も活かした『西宇和みかん』使いに、日本人が温州みかんに抱く郷愁まで誘うと指摘するのです。
「温州みかん特有の丸みを帯びた優しさが表現されている点に、まず感銘を受けましたが、じょうのうと粒を同時に味わうことで、日本人なら誰もが抱く懐かしさまで感じられる。『おこたで、みかん』(笑)。銀座で働いている方々も、これを食べたら故郷を思い出すんじゃないでしょうか」

「西宇和みかんとみかん蜂蜜のフレンチトースト」。別添の蜂蜜をかけても。アクセントに和栗の渋皮煮とアイスをトッピング。1日限定10食。

西宇和みかんスペシャルスイーツを味わうため、GINZA SIXに足を運んだ平岩氏。

GINZA SIX 6階プレミアムフードホール「銀座大食堂」内にある『フタバフルーツパーラー銀座本店』。旬のフルーツをふんだんに使ったメニューをラインアッ

「もっちり食感のフレンチトーストですから、みかんたちをしっかり受け止めてくれている」と平岩氏。

テロワールオブ西宇和・真穴共選みかんを始め、西宇和の食材たちが見事に融合した中村氏のデザート。

振り返れば、『Kabi』のデザートコースも、フレンチレストランがベースにあった『KIRIKO NAKAMURA』当時の中村氏より、「ベクトルが少し日本に向いている気がしました」と平岩氏。
「元々、柑橘類は好きでフレンチのデザートでもよくいただくのですが、西洋のオレンジにあるような強さ、尖った酸味や甘みではなく、温州みかんの優しさを上手に引き出したデザートコースでした」

例えば、「roast」は、平岩氏が印象に残った皿のひとつ。
ローストすることで『西宇和みかん』の味や香りが凝縮され、「一般的に爽やかに仕上がるソルベも、想像以上に濃厚な温州みかん」で驚いたそう。
「地方によっては、焼きみかんを日常的に食べる習慣もありますが、そういう昔ながらの食べ方を応用しているようにも感じました」
「carbonization」で人参芋や菊芋、「fresh」でニッケ(シナモンの一種)と、同じ西宇和で育った食材同士の相性の良さにも「納得って感じです。作り手が産地へ赴く意義を強く感じた」。

嬉々として生産の現場を巡る中村氏の姿が目に浮かんだのか、平岩氏も楽しそうに語るのです。
「蜂蜜、日本酒……本当にいろいろな地元の食材がそれぞれのお皿に潜んでいて、新しい発見をした樹里子さんの喜びが伝わってくるようでした。フレンチでもない、和食でもない。○○料理ってカテゴライズはできない魅力がありました」

『Kabi』のコースで登場した「roast」。「焼きみかんそのものの美味しさ」で平岩氏が最も印象深かったデザート。「サツマイモのような風味も感じられました」

『Kabi』の4皿目、「carbonization」。黒いパウダーが『西宇和みかん』で「香りがしっかり感じられました。2種の芋の素朴な甘みや、メープルのアイスの優しい香りとも好相性でした」と平岩氏。

テロワールオブ西宇和発酵によって深みを増した『西宇和みかん』の個性と実力。

平岩氏が次に向かったのは表参道『発酵居酒屋5』。
『Kabi』と同じく、発酵をテーマにした居酒屋で、店内には自家製で麹を育てる発酵樽も鎮座。あらゆるメニューで発酵がひと役買っています。

そんな店が提供する『西宇和みかん』スペシャルスイーツが「甘酒ヨーグルトブランマンジェ 発酵西宇和みかんジュレ」。
発酵させた『西宇和みかん』のジュースをジュレに。清涼感あるジュレの味わいに合わせて、この店のレギュラーメニュー「甘酒ブランマンジェ」に、ヨーグルトをプラスしています。

『発酵居酒屋5』では、このスイーツと一緒にペアリングで楽しめる「発酵西宇和みかんサワー」も用意。ベースになる『西宇和みかん』の発酵ジュースは店舗で手作りしています。

まずサワーをひと口、飲んで「発酵感がしっかりありますね」と平岩氏。
「甘みもしっかりあって女性でも飲みやすいです。発酵ジュースを作られる過程で、何か注意されている点はあるんですか?」
高木豊店長に尋ねました。
「毎日、お世話することです(笑)」と高木店長。
「お世話?」
「毎日、攪拌(かくはん)するんです。放っておくとすぐにスネてしまう(笑)」
「手間がかかっているんですね」
続いて、ブランマンジェをパクリ。
「口溶けがいいですね。ヨーグルトの爽やかさもある。ジュレには、甘みだけでなく、みかん特有の心地良い苦味も感じられて、バランスの良いスイーツに仕上がっています」
「発酵食品は微生物の酵素反応によって作られますが、その働きは体にも良い。だから、心身に沁みるんでしょうね」
今度は高木店長が真顔で説明しました。

「甘酒ヨーグルトブランマンジェ 発酵西宇和みかんジュレ」と「発酵西宇和みかんサワー」。12月28日までの提供。

『発酵居酒屋5』は表参道交差点からすぐの立地。塩糀ダレを使った「発酵からあげ」など、発酵に的を絞ってメニュー展開。

「さっぱりしていますから、食後にいい」と平岩氏。「ピリッとした生姜はサクサクで、食感のアクセントにもなっています」

テロワールオブ西宇和年内いっぱいで提供が終わるスペシャルスイーツが味わえるのは今だけ。

「温州みかんの優しさ、懐かしさを改めて感じましたけど、フレンチトーストには和栗、ジュレには生姜や胡桃など、食感にも工夫があって、日本人らしい季節感や、五感で味わう繊細さを表現した印象ですね」
そう言って、2種の『西宇和みかん』スイーツを評した平岩氏。

渋谷『WIRED TOKYO 1999』では、「西宇和みかんのデニッシュフレンチトースト」を提供中。『西宇和みかん』スペシャルメニューは3軒とも、年内いっぱいの提供。12月31日まで(『発酵居酒屋5』は28日まで)の期間限定です。
▶詳細は、『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。

新進気鋭のパティシエールが創り、プロのスイーツジャーナリストが高く評価した『西宇和みかん』スペシャルスイーツ。
スイーツ好きならずとも、今すぐ、試してみたくなるのです。

(supported by JAにしうわ

渋谷『WIRED TOKYO 1999』で提供されている「西宇和みかんのデニッシュフレンチトースト」。特製ソースも『西宇和みかん』。12月31日までの期間限定。

「温州みかんのスイーツって意外とないですよね」と高木豊店長。答えて、平岩氏も「さすが、樹里子さんって感じです」

マーケターとして食品メーカーなどのプロモーション、リサーチを担当し、商品開発・販促に関わった経験を生かし、独立。菓子の基礎知識を製菓学校で学ぶ。1か月に200種類以上のスイーツを食べ歩き、雑誌やWEB、ラジオ、TV等で、スイーツを中心とする「食」の情報を発信するスイーツジャーナリストとして活動。執筆の他、セミナー講師、イベント司会、企業の商品開発コンサルティングまで幅広くこなす。

大阪出身。関西の洋菓子店などを経て、29歳で単独渡仏。パリではシェフパティシエとして「L’Instant d’Or(ランスタン・ドール)」を1年でミシュラン1ツ星に導いた。帰国後は、東京・白金台の『TIRPSE (ティルプス)』に参加。軽やかでいて深みのあるデザートの味わいには国内外からの評価も高い。2015年7月8日より『TIRPSE』のランチタイムを1年間限定で『KIRIKO NAKAMURA』とし、6品の季節感あふれるデザートだけのコースを企画。
今回、目黒Restaurant『Kabi』にて、KIRIKO NAKAMURAデザートコースを2週間限定で復活させる。

「朝食専門店」というスタイルで食の本質に迫る。[朝食喜心/京都府京都市・神奈川県鎌倉市]

「人」を「良くする」と書いて「食」。食に「喜心」をもって向き合ってもらうことを目指す。

朝食喜心一日の始まりの食。そこに秘められた喜びをかみしめて。

一日の始まり。季節の食材をたっぷり入れた汁物を作り、炊き立てのご飯をよそい、丁寧にお茶を淹れてから頂く――かつてはどの家庭でも見られたそんな日本の朝食は、せわしない現代では徐々に失われつつあります。

今一度「朝食」の意義を見直して、丁寧な暮らしとそこに息づいていた心を取り戻したい――そんな想いのもとにオープンしたのが『朝食喜心』です。

その名が意味するのは、「喜ぶ心を持って食事に向き合えるのは素晴らしい」という禅の教え。
食べることは生きることであり、一日三度の食事は生きていく上で欠かせません。食べることも作ることも、生きている限り続けていかなければなりません。それは楽しいばかりではなく、時に修業のように苦しかったり、面倒な一面もあります。

だからこそ、喜びの心を持って食事に向き合い、時に忘れがちな有難さや喜びを、喜心に訪れたお客様にも、作る料理人にも、供するスタッフにも持ち続けてほしい――「喜心=喜ぶ心を持って食事に向き合えるのは素晴らしい」という想いを感じて、それを各人の家庭にまで持ち帰ってもらえる食事を味わって頂きたい。それが『朝食喜心』の願いだそうです。

そんな『朝食喜心』で待っているのは、いったいどんな体験なのでしょうか?
一日の始まりであり、基本でもある朝食に秘められたパワーに、思わぬ驚きと喜びを感じられるかもしれません。

喜心とは、「食事を作ることも食べることも、その全てが修行であり、生きることそのもの。喜ぶべき尊い行いである」という禅の教えからきている言葉。

良い朝を過ごせれば一日が豊かになる。食の満足感だけでなく、温かな想いまで持ち帰って。

朝食喜心「朝食」にとことんこだわった「朝食専門店」の意義。 

『朝食喜心』を立ち上げたのは、鎌倉生まれの双子の姉妹・池田めぐみ氏、さゆり氏とその友人の奥谷舞子氏が創業者のViajes株式会社です。第一号店は京都・祇園の一角に構えられたホテルの一階。「京都にふさわしい食の場をプロデュースして欲しい」という依頼によるものでした。

昨今の京都は、インバウンド需要の激増によって多数のホテルや旅館が林立しています。ですが、それに反して朝食がとれる場所は希少でした。「落ち着いたしつらえの中で、京都らしい美味しい朝食が食べたい!」というインバウンドのニーズが宙に浮いている状態だったのです。

そこで「日本と京都らしい朝食が食べられる、素敵な一日を始めるきっかけとなる場所」を提案。こうして『朝食喜心 kyoto』がオープンしたのです。

「朝食専門店」という斬新なスタイルの中に、食の基本と理念が息づく。

シンプルでいて、和食文化の本質に迫る食事。

朝食喜心食の基本は朝食にあり。「一飯一汁」で本質をきわめる。

『朝食喜心 kyoto』の食事を監修したのは、京都の名店『草喰なかひがし』に生まれ、「一飯一汁(いっぱんいちじゅう/One Rice One Soup)」という日本の食の真髄を提唱するプロジェクトを主催している中東篤志(なかひがし あつし)氏です。シンプルでいて、食の本質を感じられるメニューを提供しています。

その基本となるのは、土鍋で丁寧に炊き上げたご飯と、京野菜をふんだんに使った汁物。さらに京都・南御所の老舗の湯葉工房『半升(はんしょう)』の汲み上げ湯葉を、四季折々のアレンジで向付(むこうづけ)として添え、他にもウルメイワシの丸干しや漬物などを加えて、まさに古き良き、丁寧な「朝ご飯」に仕上げています。

加えて、鎌倉の名店『うつわ祥見』とセレクトした作家ものの器を用いるなど、あらゆるシーンに本物とストーリーを配置。「その土地の食文化を心を込めてお届けし、体験して頂くこと」をモットーとしています。

お米そのものの味が最も引き出されるのが「煮えばな」。そこからお焦げに変化するまで、ご飯の全ての状態と味を堪能できる。

ひとつひとつ、土鍋で丁寧に炊き上げるのが信条。

朝食喜心一日の要となる朝食を最高のクオリティとシチュエーションで。 

『朝食喜心』が大切にするのは、素材そのものの味を堪能してもらえる調理とメニューです。そして、それをゆったりと楽しめる「時間」も大切な要素です。

手を加えすぎず、味を殺さず、特にメインディッシュとなるお米は、炊き上がった瞬間からお焦げができるまでの、すべての状態と味を楽しんでもらいます。滋賀県の窯元・一志郎窯に特注した土鍋は、『朝食喜心』が求める最上のご飯を炊き上げられる逸品。これをそのまま客席にすえ、蒸らす前の「煮えばな」の状態から供します。

徐々にふっくら、次にしっかり、最後に香ばしいお焦げへと変化していくご飯の艶姿。真っ白なお米ただ一品が、まるでフルコースのような満足感を与えてくれます。わざわざここに足を運び、ここで味わう価値のある一品です。

ご飯はゲストの来店時間に合わせて炊き上げ、蒸らす前の「煮えばな」から供する。とにかく手間と時間をかけている。

朝食は予約をするのがおすすめ。ゲストを待たせず、メインディッシュのご飯も最高のコンディションで提供できる。

朝食喜心古き良き「日本の朝食」は、忘れ去られていたゆとりを取り戻してくれる。

そんな『朝食喜心』を訪れた人々は、「久しぶりにゆっくりと丁寧な食事をした!」「今日はいい一日が過ごせそう」などなど、とても満足した言葉と共に帰路につくそうです。それは単に、ゆったりとした時間と心尽くしの料理を味わえた満足感だけでなく、ふとした会話のおもてなしや、『朝食喜心』そのものに流れる温かな空気をも堪能した結果なのでしょう。

約1時間半もの時間をかけて、コース仕立てのような朝食を味わう。そんなせわしない現代ではまず体験できないシチュエーションに、様々な気付きや驚きがもたらされるのです。

例えば、日ごろは朝食を食べない人が訪れて、その後3日間にわたって通いつめた、なんてエピソードも。「今までの人生でこんなにゆったり朝食を食べたことも、じっくり味わったこともなかった」「もともとはゆっくりご飯を食べる方だったが、子供の頃に『速く食べて』と急かされたり、大人になって忙しくなり、そんな感覚を忘れていた」などという声も寄せられています。「改めて時間をかけて朝食を食べてみると、自分はじっくり味わいたい人間だったのだと気付かされた」という感想もあり、多くの人々のライフスタイルにまで変化をもたらしています。

そんなゲストたちの声に手ごたえを感じながら、『朝食喜心』のスタッフたちはお店の意義をも実感。そして、今日も豊かな食と時間を提供し続けています。

一日の始まりであり、要となる朝食は何よりも大事。それに改めて気付かせてくれる場。

親切なスタッフとの会話も、ゆとりと満足感を与えてくれる。京都や鎌倉の観光情報もお任せ!

丁寧な食と豊かな時間が国内外のゲストに好評。京都祇園店のインバウンド率は約2割に迫る。

2号店の鎌倉佐助店は朝食の他、週末の夜限定のバルタイムも楽しめる。

朝食喜心2号店を鎌倉にオープン。『朝食喜心』が追求する食は新たな境地へ。

まずは京都祇園店から始まった『朝食喜心』ですが、2018年の4月には、池田姉妹の故郷である鎌倉に『朝食喜心 kamakura』と名づけられた2号店をオープンしました。こちらは鎌倉の地物野菜や海に面した立地ならではの海鮮を取り入れ、週末にはバルタイムを設けるなど、京都祇園店とはまた違った魅力があります。

特に注目したいのは、週末の夜限定で営業する『喜心バル』。朝食よりも自由度を増したスタイルで、アラカルトな食と出合いが待ち受けています。

地元の人々や同じ旅人たちとの交流は、バルスタイルならではの楽しみ。「料理人が出したい、食べて頂きたい料理を様々な趣向でお出ししています。鎌倉をサンセバスチャンのような料理好きや料理人が集まり情報交換や交流ができる街にしたいのです」と池田さゆり氏が語るように、季節と仕入れた食材によって変化するメニューは一期一会の驚きを与えてくれます。

舞台となる建物は、築40年のうなぎ屋をリノベーションしたもの。日本家屋がそのままレストランになったかのような調度品や、その由来、山々の緑に囲まれた佇まいなど、全体の雰囲気も含めて満喫したいものです。

京都と鎌倉、それぞれの地に根付いて、食の喜びを再発見させてくれる場所。『朝食喜心』に漂う時間と空気に、あなたも触れてみてはいかがでしょうか?

鎌倉佐助店は立地を生かした獲れたての海の幸が自慢。海鮮の和風トマト汁など、鎌倉らしいメニューにも注目。

鎌倉佐助店の佇まい。中心地の喧騒から少し離れた場所にあり、やはりゆったりとした空気と時間が流れる。

朝食を知り、食の基本を知る。温故知新が待つ。

朝食喜心 HP:https://www.kishin.world/
<京都 祇園 店>
住所:京都市東山区小松町555 MAP
電話:075-525-8500
営業時間:7:30~14:50 (L.O.13:30 )
​定休日:木曜日

<鎌倉 佐助 店>
住所:神奈川県鎌倉市佐助 1-12-9 MAP
電話:0467-23-6339
営業時間:8:00 ~ 15:30 (+Bar 金・土・日)
朝食&ブランチ:8:00-15:30 (L.O.14:00 )
バル(金・土・日):18:00-22:30 (L.O.22:00)
​定休日:木曜日(イベント開催日を除く)

「朝食専門店」というスタイルで食の本質に迫る。[朝食喜心/京都府京都市・神奈川県鎌倉市]

「人」を「良くする」と書いて「食」。食に「喜心」をもって向き合ってもらうことを目指す。

朝食喜心一日の始まりの食。そこに秘められた喜びをかみしめて。

一日の始まり。季節の食材をたっぷり入れた汁物を作り、炊き立てのご飯をよそい、丁寧にお茶を淹れてから頂く――かつてはどの家庭でも見られたそんな日本の朝食は、せわしない現代では徐々に失われつつあります。

いま一度“朝食”の意義を見直して、丁寧な暮らしとそこに息づいていた心を取り戻したい――そんな想いのもとにオープンしたのが『朝食喜心』です。

その名が意味するのは、「喜ぶ心をもって食事に向き合えるのは素晴らしい」という禅の教え。
食べることは生きることであり、一日三度の食事は生きていく上で欠かせません。食べることも作ることも、生きている限り続けていかなければなりません。それは楽しいばかりではなく、ときに修業のように苦しかったり、面倒な一面もあります。

だからこそ、喜びの心を持って食事に向き合い、ときに忘れがちな有難さや喜びを、喜心に訪れたお客様にも、作る料理人にも、供するスタッフにも持ち続けてほしい――「喜心=喜ぶ心を持って食事に向き合えるのは素晴らしい」という想いを感じて、それを各人の家庭にまで持ち帰ってもらえる食事を味わっていただきたい。それが『朝食喜心』の願いだそうです。

そんな『朝食喜心』で待っているのは、一体どんな体験なのでしょうか?
一日の始まりであり、基本でもある朝食に秘められたパワーに、思わぬ驚きと喜びを感じられるかもしれません。

喜心とは、「食事をつくることも食べることも、そのすべてが修行であり、生きることそのもの。喜ぶべき尊いおこないである」という禅の教えからきている言葉。

良い朝を過ごせれば一日が豊かになる。食の満足感だけでなく、温かな想いまで持ち帰って。

朝食喜心「朝食」にとことんこだわった「朝食専門店」の意義。 

『朝食喜心』を立ち上げたのは、鎌倉生まれの双子の姉妹・池田めぐみ氏、さゆり氏とその友人の奥谷舞子氏が創業者のViajes株式会社です。第一号店は京都・祇園の一角に構えられたホテルの一階。「京都にふさわしい食の場をプロデュースして欲しい」という依頼によるものでした。

昨今の京都は、インバウンド需要の激増によって多数のホテルや旅館が林立しています。ですが、それに反して朝食がとれる場所は希少でした。「落ち着いたしつらえの中で、京都らしい美味しい朝食が食べたい!」というニーズが宙に浮いている状態だったのです。

そこで「日本と京都らしい朝食が食べられる、素敵な一日を始めるきっかけとなる場所」を提案。こうして『朝食喜心 kyoto』がオープンしたのです。

「朝食専門店」という斬新なコンセプトの中に、食の基本と理念が息づく。

シンプルでいて、和食文化の本質に迫る食事。

朝食喜心食の基本は朝食にあり。“一飯一汁”で本質をきわめる。

『朝食喜心 kyoto』の食事を監修したのは、京都の名店『草喰なかひがし』に生まれ、「一飯一汁(いっぱんいちじゅう/One Rice One Soup)」という日本の食の真髄を提唱するプロジェクトを主催している中東篤志(なかひがし あつし)氏です。シンプルでいて、食の本質を感じられるメニューを提供しています。

その基本となるのは、土鍋で丁寧に炊き上げたご飯と、京野菜をふんだんに使った汁物。さらに京都・南御所の老舗の湯葉工房『半升(はんしょう)』の汲み上げ湯葉を、四季折々のアレンジで向付(むこうづけ)として添え、他にもウルメイワシの丸干しや漬物などを加えて、まさに古き良き、丁寧な「朝ごはん」に仕上げています。

加えて、鎌倉の名店『うつわ祥見』とセレクトした作家ものの器を用いるなど、あらゆるシーンに本物とストーリーを配置。「その土地の食文化を心を込めてお届けし、体験していただくこと」をモットーとしています。

お米そのものの味が最も引き出されるのが“煮えばな”。そこからお焦げに変化するまで、ご飯のすべての過程を堪能できる。

ひとつひとつ、土鍋で丁寧に炊き上げるのが信条。

朝食喜心一日の要となる朝食を最高のクオリティとシチュエーションで。 

『朝食喜心』が大切にするのは、素材そのものの味を堪能してもらえる調理とメニューです。そして、それをゆったりと楽しめる“時間”も大切な要素です。

手を加えすぎず、味を殺さず、特にメインディッシュとなるお米は、炊き上がった瞬間からお焦げができるまでの、すべての状態と味を楽しんでもらいます。滋賀県の窯元・一志郎窯に特注した土鍋は、『朝食喜心』が求める最上のご飯を炊き上げられる逸品。これをそのまま客席にすえ、蒸らす前の“煮えばな”の状態から供します。

徐々にふっくら、次にしっかり、最後に香ばしいお焦げへと変化していくご飯の艶姿。真っ白なお米ただ一品が、まるでフルコースのような満足感を与えてくれます。わざわざここに足を運び、ここで味わう価値のある一品です。

ご飯はゲストの来店時間に合わせて炊き上げ、蒸らす前の「煮えばな」から供する。とにかく手間と時間をかけている。

朝食は予約をするのがおすすめ。ゲストを待たせず、メインディッシュのご飯も最高のコンディションで提供できる。

朝食喜心古き良き「日本の朝食」は、忘れ去られていたゆとりを取り戻してくれる。

そんな『朝食喜心』を訪れた人々は、「久しぶりにゆっくりと丁寧な食事をした!」「今日はいい一日が過ごせそう」などなど、とても満足した言葉と共に帰路につくそうです。それは単に、ゆったりとした時間と心尽くしの料理を味わえた満足感だけでなく、ふとした会話のおもてなしや、『朝食喜心』そのものに流れる温かな空気をも堪能した結果なのでしょう。

約1時間半もの時間をかけて、コース仕立てのような朝食を味わう。そんなせわしい現代ではまず体験できないシチュエーションに、様々な気づきや驚きがもたらされるのです。

たとえば、日ごろは朝食を食べない人が訪れて、その後3日間に渡って通いつめた、なんてエピソードも。「今までの人生でこんなにゆったり朝食を食べたことも、じっくり味わったこともなかった」「元々はゆっくりご飯を食べるほうだったが、子供の頃に『速く食べて』と急かされたり、大人になって忙しくなり、そんな感覚を忘れていた」などという声も寄せられています。「改めて時間をかけて朝食を食べてみると、自分はじっくり味わいたい人間だったのだと気づかされた」という感想もあり、多くの人々のライフスタイルにまで変化をもたらしています。

そんなゲスト達の声に手ごたえを感じながら、『朝食喜心』のスタッフ達はお店の意義をも実感。そして、今日も豊かな食と時間を提供し続けています。

一日の始まりであり、要となる朝食は何よりも大事。それに改めて気づかせてくれる場。

親切なスタッフとの会話も、ゆとりと満足感を与えてくれる。京都や鎌倉の観光情報もお任せ!

丁寧な食と豊かな時間が国内外のゲストに好評。京都店のインバウンド率は約2割に迫る。

2号店の鎌倉店は朝食のほか、週末限定のバルタイムでも楽しめる。

朝食喜心2号店を鎌倉にオープン。『朝食喜心』が追求する食は新たな境地へ。

まずは京都から始まった『朝食喜心』ですが、2018年の4月には、池田姉妹の故郷である鎌倉に『朝食喜心 kamakura』と名づけられた2号店をオープンしました。こちらは鎌倉の地物野菜や海に面した立地ならではの海鮮を取り入れ、週末にはバルタイムを設けるなど、京都店とはまた違った魅力で楽しめます。
特に注目したいのは、週末の夜限定で営業する『喜心バル』。朝食よりも自由度を増したスタイルで、アラカルトな食と出会いが待ち受けています。

地元の人々や同じ旅人達との交流は、バルスタイルならではの楽しみ。「料理人が出したい、食べていただきたい料理を様々な趣向でお出ししています。鎌倉をサンセバスチャンのような料理好きや料理人が集まり情報交換や交流ができる街にしたいのです」と池田さゆり氏が語るように、季節と仕入れた食材によって変化するメニューは一期一会の驚きを与えてくれます。

その舞台となる建物は、築40年のうなぎ屋をリノベーションしたもの。日本家屋がそのままレストランになったかのような調度や、その由来、周囲の山の緑に囲まれた佇まいなど、全体の雰囲気も含めて満喫したいものです。

京都と鎌倉、それぞれの地に根付いて、食の喜びを再発見させてくれる場所。『朝食喜心』に漂う時間と空気に、あなたも触れてみてはいかがでしょうか?

鎌倉店は立地を生かした獲りたての海の幸が自慢。海鮮の和風トマト汁など、鎌倉らしいメニューにも注目。

鎌倉店のたたずまい。中心地の喧騒から少し離れた地にあり、やはりゆったりとした空気と時間が流れる。

朝食を知り、食の基本を知る。温故知新の発見が待つ。

朝食喜心 HP:https://www.kishin.world/
<京都 祇園 店>
住所:京都市東山区小松町555 MAP
電話:075-525-8500
営業時間:7:30~14:50 (L.O.13:30 )
​定休日:木曜日

<鎌倉 佐助 店>
住所:神奈川県鎌倉市佐助 1-12-9 MAP
電話:0467-23-6339
営業時間:8:00 ~ 15:30 (+Bar 金・土・日)
朝食&ブランチ:8:00-15:30 (L.O.14:00 )
バル(金・土・日):18:00-22:30 (L.O.22:00)
​定休日:木曜日(イベント開催日を除く)

料理人としての稼働領域を押し広げ続ける[NEW GENERATION HOPPING・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ/福島県会津若松]

矢澤氏。幼少期から大学を卒業するまでスキーをやっていたという根っからの体育会系。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ立ち働く姿が絵になるオープンキッチン。

本格ナポリピッツァや会津の食材を使った料理が評判の『Pizzeria Felice』。ここで、腕を振るうのはオーナーの矢澤直之氏です。
「根っからのイタリア好きで、この店の内装もイタリア人がナポリピッツァの店を開くために西海岸に渡ったはいいけれど、お金がないので工場を借りてオープンしました、みたいな雰囲気にしたかったんです。会津の大工さんは腕がいいから、思いのほか綺麗になっちゃったんですけど(笑)」。そのコンセプトどおり、店外の喫煙スペースとしてPENZOILのドラム缶を使用するなど随所にイタリアの香りが。最もこだわったのは働く姿が絵になるよう設計されたオープンキッチン。「お客様に料理を味わって頂くだけでなく、料理を作る過程で体験したことや作る楽しさを自分の言葉でお伝えしたくて」と矢澤氏。

信条は「料理が人を楽しくする」。ゆえに、矢澤氏の料理は見た目からしてエネルギッシュ。西会津産の椎茸を丸ごと使ったパスタは、惜しげもなく盛られたカラスミを絡めて頂きます。「この料理の肝は椎茸を切らずにそのまま使うこと。お出汁を閉じ込めることができるので、絶対にその方が美味しいじゃないですか。今回、太めのスパゲットーニを合わせたのは、そんなぷりぷりの椎茸と咀嚼回数を合わせるため。食材同士の咀嚼回数を合わせると味が決まるんです」。椎茸から溢れ出るエキスとカラスミの旨味が合わさり、口の中でパスタと絡み合う。幸せな三位一体に自家栽培の味の濃いイタリアンパセリがいい仕事をしてくれます。

「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」は食べた瞬間、体内を駆け巡る旨味に身をよじってしまうほど。矢澤氏が「会津特産の身知らず柿は、枝が折れるんじゃないかってぐらい重たい実をたわわにつける身のほど知らずだから、その名がついたといわれています」と教えてくれました。焼酎で渋抜きをした柿は、糖度があるのにシャキシャキとした食感。白和えに柿が使われることにヒントを得たひと品です。「柿の白和えはつぶ貝などで脂分を補いますが、そこは生ハムを使って仕上げにパルミジャーノをふりかけ、イタリアンへと着地させました」

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

まるで映画の1場面のようなオープンキッチン。カウンターに座れば、美食とともに軽快なトークが楽しめる。

無垢の木を多用した店内。開放的な空間に、ピッツァの香ばしい香りが漂う。

細かな水蒸気が発生する薪で焼くことで、外は香り良くこんがりと、中はもっちりと仕上がる。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ小麦の香りが鼻に抜ける本格ナポリピッツァ。

「今はイタリアンに軸足を置きつつ、和食や日本の文化のいい所もどんどん取り入れたいと思っています。昔は頑なでしたけど」と矢澤氏。引き算の美学や所作に感じるところがあるそうで、各地に足を運んでは伊と和の垣根を超えた料理人との付き合いを広げています。次なるひと皿は、豪快に骨つきで頂く会津地鶏のもも肉のロースト。「三島町産の会津地鶏は旨味が濃く、締めたてを岩塩でマリネして5~6日寝かせてローストしています。必要な旨味を残しつつ余分な水分を出してやると、味が調うんです」。

次に頂いたのはナポリピッツァ。店内で存在感を放つ大きな薪窯は、門外不出の製法が代々伝わるというナポリの工房に出向き、上下をバラして船便で輸送。乾燥のため店内に積み上げられた杉と松の薪を使い、Pizza職人の林添継聖氏がマルゲリータを焼き上げます。外には香ばしい焼き目がつき、中はもっちり。ひと口食べると小麦の香りが鼻に抜け、モッツァレラとトマト、生地の旨味が口の中に広がります。メリハリの利いた塩味も良く、ついワイングラスに手が伸びてしまいます。思わず頬がゆるむ身知らず柿とゴルゴンゾーラのピッツァは、濃厚で雑味のない桧枝岐(南会津郡の村)の蜂蜜をかけることで深みが増します。

最後に頂いた「ロベルタ」は、塩漬けにした豚の頬肉を熟成させたグアンチャーレの薄切りとたっぷりのルッコラがのった1枚。熱々の生地に薄切り肉をのせれば、その熱で透明になった脂がトロトロに。美味しく頂いていると、店外からシャッターを叩く人物がいます。その人から矢澤氏が受け取ったのは、大きなポリ袋いっぱいに入った新鮮なクレソンでした。1本頂くと、シャキシャキと歯ざわりが良く、瑞々しい苦みが口の中に広がります。「今の方は古いお客様で、喜多方の山奥で新鮮なクレソンを取ってきてくださるんです。お返しはパンとビール。物々交換です(笑)」。

3歳の時にはコンロで袋ラーメンを作っていたという矢澤氏。料理への情熱はその頃から!?

かぶりついた瞬間、口中に椎茸のエキスが迸(ほとばし)る「西会津産生しいたけとカラスミのスパゲッティ」2,200円

雪のようにパルミジャーノをふった「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」1,400円。

鶏のエキスがうつった付け合わせの葱もたまらない「会津地鶏の骨付きモモ肉のロースト(1本)」2,400円。

イタリア産の小麦粉を使用。Pizza職人の林添氏は『Ristorante Acqua Pazza』時代からの仲間。

存在感のあるナポリ製の薪窯。渋い色調のタイルはマダムの未来氏と選んだ。

もっちりジューシーなモッツァレラとフレッシュなトマトソースの「マルゲリータ」1,400円。

「身知らず柿とゴルゴンゾーラチーズ」2,000円。「料理と相性がいいこの柿はリゾットにしても美味しい」と矢澤氏。

「ロベルタ」2,200円はルッコラとトマトがふんだんに乗っているので、見た目以上にさっぱり食べられる。

鬼才ジャン・フランコ・マンカ氏の「パーネヴィーノ」をはじめ、イタリアの自然派ワインを多く取り扱う。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ5ヵ月かけて肥料を作る本気の野菜作り。

『Pizzeria Felice』の料理には自家栽培の野菜も使われています。「畑がある場所は磐梯山が綺麗に見える場所。『あぁ、会津って盆地なんだな』と実感できますよ」と矢澤氏。

そこで、北会津町にある「しぜん村」にお伺いしました。畑を使わせてもらっているおばあちゃんは、若い就農者に「野菜の気持ちになって考えてみろ!」と叱咤激励する頼もしい人。矢澤氏は彼女から秘伝の肥料のレシピも受け継いでいます。胡麻油かすや無農薬のリンゴ、糖蜜などのミネラル分と自家製酵母菌や麹菌など何十種類もの材料を混ぜ込んで完全発酵させた有機肥料は、どこか甘い香り。これらは12月の寒仕込みに始まり、翌年4月にやっと完成します。

手間暇かけて本気の野菜作りを始めてから、実感していることがあると矢澤氏。「日本には四季があって、昔から旬の野菜を食べてきたじゃないですか。それって本当に利にかなっているんですよね。旬の野菜を食べることは、その季節にかかりやすい病気の予防になりますし、環境に負担をかけないで作られた野菜はノンストレスで、エコにもつながります」と言います。そんなお話を伺いながら矢澤氏が育てたルッコラを1枚食べてみると、ふっくらとした葉には弾力があり、噛みちぎると鮮烈な香りと苦みが体内に流れ込んできました。

「しぜん村」のビニールハウス内で色の濃いイタリアンパセリを収穫する矢澤氏。

「ここのところ忙しくて見に来れていなかったんですが、ちゃんと出来てる」と嬉しそう。

なるべく自然の状態で野菜を育むようにしているそうで、草や虫ものびのびしていた。

自家製発酵肥料の良さが直感的にわかるのか、愛犬のベペが肥料を食べようとして矢澤氏にたしなめられていた。

植物の生育に必要なミネラルと菌を土壌に与えてやることで健全な根を張ることができ、深みのある味わいの作物が育つ。

健全な環境で育った作物は色が濃い。このトウガラシも冴えたコントラスが美しかった。

持つと見た目以上に重く、ぎゅっと実が詰まっていることが実感できる「かぼちゃ」。

空と大地の間を磐梯山脈が走る最高のロケーション。思わず深呼吸したくなる。

帰路につく矢澤氏と愛犬ベペ。前方にはたわわに実った身知らず柿。本当に枝が折れそうだった。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ名料理人の腕は世界に通じる最強の武器。

会津産の食材だから使うのではなく、自分が美味しいと思うものを使うようにしていたら、それが会津産の食材だったという矢澤氏。「昔から食べていた身知らず柿なんかにしても、子供の頃は特別美味しいとは思っていませんでした。けれど、料理人になって改めて食べてみて、とても魅力的な食材だと気付いたんです」。

そんな会津の食材について広く知って頂こうと、2018年10月にはかつての修業先である青山の『Ristorante Acqua Pazza』で、日髙良実シェフ総監修のもと、会津にご縁のある5人のシェフとともに1日限りのポップアップディナーを開催。身欠きニシンや会津産馬肉といった食材にイタリアのエスプリが吹き込まれた逸品が供される中、矢澤氏は「つちや農園の亀の尾と松茸のリゾット」と「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」で、多くの方から好評を得ました。

東京とピエモンテ州アルバのひとつ星レストラン『La Ciau del Tornavento』でイタリア料理のみならず、料理人魂を学んだ矢澤氏には、地元である会津に対し歯がゆく思っていることがあります。「会津にはいいものがたくさんあるのに、まだまだ知られていないものが多いんです」。それもあって、いつの日か改めて海外に渡り、世界に向けて発信力を身につけたいとも考えています。「料理ができるって最強の武器を持っているようなものだと思うんです。そんな料理人になったのですから、料理人として意味があることをやっていきたい。僕自身が発信力を持ち、外から会津の食材や文化を伝えていくことができたらと考えています」。

1夜限りのディナーのために、日髙良実シェフ総監修のもと5人の名シェフが集った。(未来氏撮影)。

矢澤氏のドルチェ「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」。仁井田本家とは創業300余年の郡山の蔵元。(未来氏撮影)

住所:〒965-0042  福島県会津若松市大町1-2-55 MAP
電話:0242-36-7666
ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ HP:http://www.pizzeria-felice.jp/

店主偏愛の酒で旅人を癒す。[NEW GENERATION HOPPING・時さえ忘れて/福島県会津若松市]

ハンドドリップでコーヒーを淹れる鈴木氏。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて何もないようで、何でもある場所で。

ホテルに荷物を置いてふらっと立ち寄り、アンダーな照明の中カウンター席でホッとひと息──。旅先で素の自分に戻れる場所があれば、そこはやがて第二、第三の故郷と呼びたくなる場所へと変わっていくのではないでしょうか。ジャズの名曲『時さえ忘れて』を店名に冠したこちらは、そんな風に肩の力を抜いて寛ぎたい空間です。

場所は会津若松市役所のすぐそばにある雑居ビルの2階。看板はありません。赤いカーペットが貼られた階段をのぼると、小さな椅子に立てかけられた黒板に「OPEN」の文字。アーチ状の扉を開けると、そこが『時さえ忘れて』です。店主は鈴木啓介氏。会津若松で生まれ、10年ほど東京で働いた後にUターン。そのきっかけは?と取材班がたずねると、鈴木氏は「盆暮れ正月だけでなく、もっと家族と一緒にいたいと思ったんです。一度戻ってきてみると食べ物は美味しいし、面白い人は多いし、歴史や文化に恵まれた場所なんだと改めて思いまして。『ここには何もない』と言う人もいますが、視点を変えれば都会にはないものがいくつもあるんですよね。もう(都会に)出ようとは思わないです」と答えてくれました。店を構えて、もうすぐ4年になろうとしています。

東京では酒舗や飲食店に勤めていたという鈴木氏。そこでハードリカーについて学び、地元に帰ってからは「会津娘」の蔵元・高橋庄作酒造店にて醸造を学びました。会津鉄道の門田(もんでん)駅にほど近いこちらは、「土産土法」(地元・会津の米と水を使い、土地の人が土地の手法で酒造りを行うという造語)に誠実に取り組んでいる蔵元です。そもそも、お酒関連の仕事に就こうと思ったきっかけは何だったのでしょう? 「もともとあまり社交的な人間ではなかったのですが、大学時代にアルバイトをしていた居酒屋でいろんな人と話すのが楽しくなって。親にも驚かれたぐらいです。『お前が接客やってるのか?』って」と鈴木氏は話します。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

ちょっと妖しい階段をのぼると、かわいらしいアーチ状の扉が表れる。元はスナックだった

ゆったり配されたテーブルが心地いい店内。しかし、特等席はカウンターだ。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れてクラフトビールと、冷めても美味しい燗酒と。

カウンター席に座り、何気なく右手を見ると、冷蔵庫に直接取りつけられた3つのタップが目に入りました。「ドリルを使って自分で冷蔵庫に穴を開けました」と言う鈴木氏。それもこれも、縁あって扱うことになったという6社のクラフトビールをベストな状態で飲んでもらいたいという思いから。京都醸造のものを中心に、その都度入れ替えつつ提供しているという、各社の手仕事が息づくクラフトビール。この日のラインナップは京都醸造の限定醸造シリーズ「荷下夫の一息」とシーズナル商品の「秋の気まぐれ」、北海道は上富良野にある忽布古丹(ほっぷこたん)醸造の「早に雨」でした。

鈴木氏がクラフトビールに目覚めたのは、味はもちろん目に見えない力があると思うからだそうです。「クラフトビールが飲める場に足を運ぶと、老いも若きもみんな楽しそうなんですよね。クラフトビールにはコミュニティを形成する力があると思うんです」と鈴木氏は話します。鈴木氏がクラフトビールと同じくコミュニティをつくりだす力があると考えているのがコーヒーです。そこで、信頼を寄せるロースター「Lover’s coffee」から豆を仕入れ、丁寧にハンドドリップで提供。取材中に淹れて頂いた1杯は、「今この時間をコーヒーブレイクと呼びたい」と思えるものでした。

もちろん、日本酒にもこだわりがあるそうです。「酒器で味が変わりますから」と言う鈴木氏が使うのは、会津本郷焼の「草春窯 工房 爽」の白磁。シンプルでありながら美しいラインで、口にあたった時の滑らかさが気持ちいい酒器です。ここでお燗を頼むと、何やら鈴木氏が軍手をつけ始めました。実はこちらでは湯煎ではなく、徳利(とっくり)を蒸気にあてて均一に温度を上げていく蒸し燗での提供となるのです。試しに湯煎の燗酒(かんざけ)と蒸し燗酒の飲み比べをさせて頂くと、蒸し燗酒の方がカドのない滑らかな飲み口で、味にも膨らみがあると感じました。冷めても味が崩れないのも嬉しいところです。

美味しくクラフトビールを飲んでもらうために自ら業務用冷蔵庫に穴をあけた。

京都醸造の「秋の気まぐれ」290ml 850円、400ml 1,150円、580ml 1,600円とサイズが選べる。

ドイツの気鋭ボトラー「ザ・ウイスキー・エージェンシー」のプライベートストックなど希少なウイスキーも。

名古屋の名居酒屋『大甚』の燗酒の旨さに感銘を受けた白隠正宗(はくいんまさむね)の杜氏(とうじ)によるセミナーにて学んだ蒸し燗。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて店主の好きなものを詰め込んだセレクトショップ。

「言ってしまえば、ウチはセレクトショップのようなもの」と鈴木氏。ワインはなるべくナチュラルなものを揃え、ウイスキーはシングルカスク・ヴィンテージを中心にスピリッツも少々。おつまみは自家製食パンとミックスナッツのみで、氷を入れず、全ての材料を冷やして作る「だるまハイボール」や自家製生姜漬けウォッカを使った辛口モスコミュールも人気です。全てのお酒の根底にある「自分が美味しいと思う酒を、美味しく飲んでもらいたい」という鈴木氏の想いが、居心地の良さを加速させます。「会津って本当に酒が好きな人が多いんです。土地柄のポテンシャルがあるからこそ、ウチのようなお店がやっていけるんでしょうね」と鈴木氏は話します。

美味しいお酒で心がほぐれてくると、目に入るもの全てが気になってきます。例えば、レトロな足踏みミシンとドライフラワー、ワインの木箱に入った写真集に窓辺に置かれたヘンリー・D・ソローの『森の生活』、猿が畑からスイカを盗みだす瞬間をイラストにおこしたTシャツ……。ここにいると、ひとつのものをきっかけに、数珠つなぎに話の輪が広がっていきます。

会津若松には洒落た花屋も多い。最近オープンした近所の花屋で仕入れた花をご自身でドライに仕立てた。

イベントを通して、ここを訪れて。さまざまな入口から、酒に携わる人々がここに吸い寄せられてくる。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて経絡のようにつながる人と人、人と酒。

「場所をひとつ構えることで、飲食物を出すのみならず、人と人がつながっていくのが面白い」と鈴木氏。経絡のように有機的につながるそれらの輪は少しずつ拡大傾向にあるようで、店内にはカリフォルニアで日本酒を造っているというアメリカ人や写真家のサインが躍ります。最近は西会津のアーティストやゲストハウスと共同主催でイベントを開催。「上野尻(かみのじり)に行列ができた!」と周囲の人が驚くぐらいの集客で、中には新潟や白河から訪れた人もいたそうです。

「東京に住んでいた頃は、『自分が住む街がこうなってほしい』なんて考えたこともありませんでした。だけど、こっちに帰ってきてからは、僕らの世代でがんばっている個人経営の店が気になって。みんな本当にいいものを提供しようと一生懸命だし、そういうお店が根付く町になればいいなとか、そこでの自分の役割は?とか、そういうことを考えるようになってきたんです。それで、都会に出ていた人が会津に帰ってきた時、『地元も捨てたもんじゃないな』と、誰かの希望につながれば」と鈴木氏は語ります。淡々とした口調ながら熱量は高め。自分の好きなものにまっすぐな鈴木氏が作りだす空間で1杯飲めば、その酒はいつもより深く心に沁みるはずです。

「例えば『植木屋商店』の白井さんみたいな先輩がいてくださるのはとても励みになります」と鈴木氏。

住所:〒965-0871 福島県会津若松市栄町1-40 2F MAP
電話:0242-22-0530
時さえ忘れて HP:https://savannaparty.wixsite.com/tokisaewasurete

料理人としての稼働領域を押し広げ続ける[NEW GENERATION HOPPING・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ/福島県会津若松]

矢澤氏。幼少期から大学を卒業するまでスキーをやっていたという根っからの体育会系。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ立ち働く姿が絵になるオープンキッチン。

本格ナポリピッツァや会津の食材を使った料理が評判の『Pizzeria Felice』。ここで、腕を振るうのはオーナーの矢澤直之氏です。
「根っからのイタリア好きで、この店の内装もイタリア人がナポリピッツァの店を開くために西海岸に渡ったはいいけれど、お金がないので工場を借りてオープンしました、みたいな雰囲気にしたかったんです。会津の大工さんは腕がいいから、思いのほか綺麗になっちゃったんですけど(笑)」。そのコンセプトどおり、店外の喫煙スペースとしてPENZOILのドラム缶を使用するなど随所にイタリアの香りが。最もこだわったのは働く姿が絵になるよう設計されたオープンキッチン。「お客様に料理を味わって頂くだけでなく、料理を作る過程で体験したことや作る楽しさを自分の言葉でお伝えしたくて」と矢澤氏。

信条は「料理が人を楽しくする」。ゆえに、矢澤氏の料理は見た目からしてエネルギッシュ。西会津産の椎茸を丸ごと使ったパスタは、惜しげもなく盛られたカラスミを絡めて頂きます。「この料理の肝は椎茸を切らずにそのまま使うこと。お出汁を閉じ込めることができるので、絶対にその方が美味しいじゃないですか。今回、太めのスパゲットーニを合わせたのは、そんなぷりぷりの椎茸と咀嚼回数を合わせるため。食材同士の咀嚼回数を合わせると味が決まるんです」。椎茸から溢れ出るエキスとカラスミの旨味が合わさり、口の中でパスタと絡み合う。幸せな三位一体に自家栽培の味の濃いイタリアンパセリがいい仕事をしてくれます。

「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」は食べた瞬間、体内を駆け巡る旨味に身をよじってしまうほど。矢澤氏が「会津特産の身知らず柿は、枝が折れるんじゃないかってぐらい重たい実をたわわにつける身のほど知らずだから、その名がついたといわれています」と教えてくれました。焼酎で渋抜きをした柿は、糖度があるのにシャキシャキとした食感。白和えに柿が使われることにヒントを得たひと品です。「柿の白和えはつぶ貝などで脂分を補いますが、そこは生ハムを使って仕上げにパルミジャーノをふりかけ、イタリアンへと着地させました」

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

まるで映画の1場面のようなオープンキッチン。カウンターに座れば、美食とともに軽快なトークが楽しめる。

無垢の木を多用した店内。開放的な空間に、ピッツァの香ばしい香りが漂う。

細かな水蒸気が発生する薪で焼くことで、外は香り良くこんがりと、中はもっちりと仕上がる。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ小麦の香りが鼻に抜ける本格ナポリピッツァ。

「今はイタリアンに軸足を置きつつ、和食や日本の文化のいい所もどんどん取り入れたいと思っています。昔は頑なでしたけど」と矢澤氏。引き算の美学や所作に感じるところがあるそうで、各地に足を運んでは伊と和の垣根を超えた料理人との付き合いを広げています。次なるひと皿は、豪快に骨つきで頂く会津地鶏のもも肉のロースト。「三島町産の会津地鶏は旨味が濃く、締めたてを岩塩でマリネして5~6日寝かせてローストしています。必要な旨味を残しつつ余分な水分を出してやると、味が調うんです」。

次に頂いたのはナポリピッツァ。店内で存在感を放つ大きな薪窯は、門外不出の製法が代々伝わるというナポリの工房に出向き、上下をバラして船便で輸送。乾燥のため店内に積み上げられた杉と松の薪を使い、Pizza職人の林添継聖氏がマルゲリータを焼き上げます。外には香ばしい焼き目がつき、中はもっちり。ひと口食べると小麦の香りが鼻に抜け、モッツァレラとトマト、生地の旨味が口の中に広がります。メリハリの利いた塩味も良く、ついワイングラスに手が伸びてしまいます。思わず頬がゆるむ身知らず柿とゴルゴンゾーラのピッツァは、濃厚で雑味のない桧枝岐(南会津郡の村)の蜂蜜をかけることで深みが増します。

最後に頂いた「ロベルタ」は、塩漬けにした豚の頬肉を熟成させたグアンチャーレの薄切りとたっぷりのルッコラがのった1枚。熱々の生地に薄切り肉をのせれば、その熱で透明になった脂がトロトロに。美味しく頂いていると、店外からシャッターを叩く人物がいます。その人から矢澤氏が受け取ったのは、大きなポリ袋いっぱいに入った新鮮なクレソンでした。1本頂くと、シャキシャキと歯ざわりが良く、瑞々しい苦みが口の中に広がります。「今の方は古いお客様で、喜多方の山奥で新鮮なクレソンを取ってきてくださるんです。お返しはパンとビール。物々交換です(笑)」。

3歳の時にはコンロで袋ラーメンを作っていたという矢澤氏。料理への情熱はその頃から!?

かぶりついた瞬間、口中に椎茸のエキスが迸(ほとばし)る「西会津産生しいたけとカラスミのスパゲッティ」2,200円

雪のようにパルミジャーノをふった「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」1,400円。

鶏のエキスがうつった付け合わせの葱もたまらない「会津地鶏の骨付きモモ肉のロースト(1本)」2,400円。

イタリア産の小麦粉を使用。Pizza職人の林添氏は『Ristorante Acqua Pazza』時代からの仲間。

存在感のあるナポリ製の薪窯。渋い色調のタイルはマダムの未来氏と選んだ。

もっちりジューシーなモッツァレラとフレッシュなトマトソースの「マルゲリータ」1,400円。

「身知らず柿とゴルゴンゾーラチーズ」2,000円。「料理と相性がいいこの柿はリゾットにしても美味しい」と矢澤氏。

「ロベルタ」2,200円はルッコラとトマトがふんだんに乗っているので、見た目以上にさっぱり食べられる。

鬼才ジャン・フランコ・マンカ氏の「パーネヴィーノ」をはじめ、イタリアの自然派ワインを多く取り扱う。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ5ヵ月かけて肥料を作る本気の野菜作り。

『Pizzeria Felice』の料理には自家栽培の野菜も使われています。「畑がある場所は磐梯山が綺麗に見える場所。『あぁ、会津って盆地なんだな』と実感できますよ」と矢澤氏。

そこで、北会津町にある「しぜん村」にお伺いしました。畑を使わせてもらっているおばあちゃんは、若い就農者に「野菜の気持ちになって考えてみろ!」と叱咤激励する頼もしい人。矢澤氏は彼女から秘伝の肥料のレシピも受け継いでいます。胡麻油かすや無農薬のリンゴ、糖蜜などのミネラル分と自家製酵母菌や麹菌など何十種類もの材料を混ぜ込んで完全発酵させた有機肥料は、どこか甘い香り。これらは12月の寒仕込みに始まり、翌年4月にやっと完成します。

手間暇かけて本気の野菜作りを始めてから、実感していることがあると矢澤氏。「日本には四季があって、昔から旬の野菜を食べてきたじゃないですか。それって本当に利にかなっているんですよね。旬の野菜を食べることは、その季節にかかりやすい病気の予防になりますし、環境に負担をかけないで作られた野菜はノンストレスで、エコにもつながります」と言います。そんなお話を伺いながら矢澤氏が育てたルッコラを1枚食べてみると、ふっくらとした葉には弾力があり、噛みちぎると鮮烈な香りと苦みが体内に流れ込んできました。

「しぜん村」のビニールハウス内で色の濃いイタリアンパセリを収穫する矢澤氏。

「ここのところ忙しくて見に来れていなかったんですが、ちゃんと出来てる」と嬉しそう。

なるべく自然の状態で野菜を育むようにしているそうで、草や虫ものびのびしていた。

自家製発酵肥料の良さが直感的にわかるのか、愛犬のベペが肥料を食べようとして矢澤氏にたしなめられていた。

植物の生育に必要なミネラルと菌を土壌に与えてやることで健全な根を張ることができ、深みのある味わいの作物が育つ。

健全な環境で育った作物は色が濃い。このトウガラシも冴えたコントラスが美しかった。

持つと見た目以上に重く、ぎゅっと実が詰まっていることが実感できる「かぼちゃ」。

空と大地の間を磐梯山脈が走る最高のロケーション。思わず深呼吸したくなる。

帰路につく矢澤氏と愛犬ベペ。前方にはたわわに実った身知らず柿。本当に枝が折れそうだった。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ名料理人の腕は世界に通じる最強の武器。

会津産の食材だから使うのではなく、自分が美味しいと思うものを使うようにしていたら、それが会津産の食材だったという矢澤氏。「昔から食べていた身知らず柿なんかにしても、子供の頃は特別美味しいとは思っていませんでした。けれど、料理人になって改めて食べてみて、とても魅力的な食材だと気付いたんです」。

そんな会津の食材について広く知って頂こうと、2018年10月にはかつての修業先である青山の『Ristorante Acqua Pazza』で、日髙良実シェフ総監修のもと、会津にご縁のある5人のシェフとともに1日限りのポップアップディナーを開催。身欠きニシンや会津産馬肉といった食材にイタリアのエスプリが吹き込まれた逸品が供される中、矢澤氏は「つちや農園の亀の尾と松茸のリゾット」と「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」で、多くの方から好評を得ました。

東京とピエモンテ州アルバのひとつ星レストラン『La Ciau del Tornavento』でイタリア料理のみならず、料理人魂を学んだ矢澤氏には、地元である会津に対し歯がゆく思っていることがあります。「会津にはいいものがたくさんあるのに、まだまだ知られていないものが多いんです」。それもあって、いつの日か改めて海外に渡り、世界に向けて発信力を身につけたいとも考えています。「料理ができるって最強の武器を持っているようなものだと思うんです。そんな料理人になったのですから、料理人として意味があることをやっていきたい。僕自身が発信力を持ち、外から会津の食材や文化を伝えていくことができたらと考えています」。

1夜限りのディナーのために、日髙良実シェフ総監修のもと5人の名シェフが集った。(未来氏撮影)。

矢澤氏のドルチェ「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」。仁井田本家とは創業300余年の郡山の蔵元。(未来氏撮影)

住所:〒965-0042  福島県会津若松市大町1-2-55 MAP
電話:0242-36-7666
ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ HP:http://www.pizzeria-felice.jp/

料理人としての稼働領域を押し広げ続ける[NEW GENERATION HOPPING・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ/福島県会津若松]

矢澤氏。幼少期から大学を卒業するまでスキーをやっていたという根っからの体育会系。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ立ち働く姿が絵になるオープンキッチン。

本格ナポリピッツァや会津の食材を使った料理が評判の『Pizzeria Felice』。ここで、腕を振るうのはオーナーの矢澤直之氏です。
「根っからのイタリア好きで、この店の内装もイタリア人がナポリピッツァの店を開くために西海岸に渡ったはいいけれど、お金がないので工場を借りてオープンしました、みたいな雰囲気にしたかったんです。会津の大工さんは腕がいいから、思いのほか綺麗になっちゃったんですけど(笑)」。そのコンセプトどおり、店外の喫煙スペースとしてPENZOILのドラム缶を使用するなど随所にイタリアの香りが。最もこだわったのは働く姿が絵になるよう設計されたオープンキッチン。「お客様に料理を味わって頂くだけでなく、料理を作る過程で体験したことや作る楽しさを自分の言葉でお伝えしたくて」と矢澤氏。

信条は「料理が人を楽しくする」。ゆえに、矢澤氏の料理は見た目からしてエネルギッシュ。西会津産の椎茸を丸ごと使ったパスタは、惜しげもなく盛られたカラスミを絡めて頂きます。「この料理の肝は椎茸を切らずにそのまま使うこと。お出汁を閉じ込めることができるので、絶対にその方が美味しいじゃないですか。今回、太めのスパゲットーニを合わせたのは、そんなぷりぷりの椎茸と咀嚼回数を合わせるため。食材同士の咀嚼回数を合わせると味が決まるんです」。椎茸から溢れ出るエキスとカラスミの旨味が合わさり、口の中でパスタと絡み合う。幸せな三位一体に自家栽培の味の濃いイタリアンパセリがいい仕事をしてくれます。

「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」は食べた瞬間、体内を駆け巡る旨味に身をよじってしまうほど。矢澤氏が「会津特産の身知らず柿は、枝が折れるんじゃないかってぐらい重たい実をたわわにつける身のほど知らずだから、その名がついたといわれています」と教えてくれました。焼酎で渋抜きをした柿は、糖度があるのにシャキシャキとした食感。白和えに柿が使われることにヒントを得たひと品です。「柿の白和えはつぶ貝などで脂分を補いますが、そこは生ハムを使って仕上げにパルミジャーノをふりかけ、イタリアンへと着地させました」

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

まるで映画の1場面のようなオープンキッチン。カウンターに座れば、美食とともに軽快なトークが楽しめる。

無垢の木を多用した店内。開放的な空間に、ピッツァの香ばしい香りが漂う。

細かな水蒸気が発生する薪で焼くことで、外は香り良くこんがりと、中はもっちりと仕上がる。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ小麦の香りが鼻に抜ける本格ナポリピッツァ。

「今はイタリアンに軸足を置きつつ、和食や日本の文化のいい所もどんどん取り入れたいと思っています。昔は頑なでしたけど」と矢澤氏。引き算の美学や所作に感じるところがあるそうで、各地に足を運んでは伊と和の垣根を超えた料理人との付き合いを広げています。次なるひと皿は、豪快に骨つきで頂く会津地鶏のもも肉のロースト。「三島町産の会津地鶏は旨味が濃く、締めたてを岩塩でマリネして5~6日寝かせてローストしています。必要な旨味を残しつつ余分な水分を出してやると、味が調うんです」。

次に頂いたのはナポリピッツァ。店内で存在感を放つ大きな薪窯は、門外不出の製法が代々伝わるというナポリの工房に出向き、上下をバラして船便で輸送。乾燥のため店内に積み上げられた杉と松の薪を使い、Pizza職人の林添継聖氏がマルゲリータを焼き上げます。外には香ばしい焼き目がつき、中はもっちり。ひと口食べると小麦の香りが鼻に抜け、モッツァレラとトマト、生地の旨味が口の中に広がります。メリハリの利いた塩味も良く、ついワイングラスに手が伸びてしまいます。思わず頬がゆるむ身知らず柿とゴルゴンゾーラのピッツァは、濃厚で雑味のない桧枝岐(南会津郡の村)の蜂蜜をかけることで深みが増します。

最後に頂いた「ロベルタ」は、塩漬けにした豚の頬肉を熟成させたグアンチャーレの薄切りとたっぷりのルッコラがのった1枚。熱々の生地に薄切り肉をのせれば、その熱で透明になった脂がトロトロに。美味しく頂いていると、店外からシャッターを叩く人物がいます。その人から矢澤氏が受け取ったのは、大きなポリ袋いっぱいに入った新鮮なクレソンでした。1本頂くと、シャキシャキと歯ざわりが良く、瑞々しい苦みが口の中に広がります。「今の方は古いお客様で、喜多方の山奥で新鮮なクレソンを取ってきてくださるんです。お返しはパンとビール。物々交換です(笑)」。

3歳の時にはコンロで袋ラーメンを作っていたという矢澤氏。料理への情熱はその頃から!?

かぶりついた瞬間、口中に椎茸のエキスが迸(ほとばし)る「西会津産生しいたけとカラスミのスパゲッティ」2,200円

雪のようにパルミジャーノをふった「身知らず柿と生ハムのカプレーゼ仕立て」1,400円。

鶏のエキスがうつった付け合わせの葱もたまらない「会津地鶏の骨付きモモ肉のロースト(1本)」2,400円。

イタリア産の小麦粉を使用。Pizza職人の林添氏は『Ristorante Acqua Pazza』時代からの仲間。

存在感のあるナポリ製の薪窯。渋い色調のタイルはマダムの未来氏と選んだ。

もっちりジューシーなモッツァレラとフレッシュなトマトソースの「マルゲリータ」1,400円。

「身知らず柿とゴルゴンゾーラチーズ」2,000円。「料理と相性がいいこの柿はリゾットにしても美味しい」と矢澤氏。

「ロベルタ」2,200円はルッコラとトマトがふんだんに乗っているので、見た目以上にさっぱり食べられる。

鬼才ジャン・フランコ・マンカ氏の「パーネヴィーノ」をはじめ、イタリアの自然派ワインを多く取り扱う。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ5ヵ月かけて肥料を作る本気の野菜作り。

『Pizzeria Felice』の料理には自家栽培の野菜も使われています。「畑がある場所は磐梯山が綺麗に見える場所。『あぁ、会津って盆地なんだな』と実感できますよ」と矢澤氏。

そこで、北会津町にある「しぜん村」にお伺いしました。畑を使わせてもらっているおばあちゃんは、若い就農者に「野菜の気持ちになって考えてみろ!」と叱咤激励する頼もしい人。矢澤氏は彼女から秘伝の肥料のレシピも受け継いでいます。胡麻油かすや無農薬のリンゴ、糖蜜などのミネラル分と自家製酵母菌や麹菌など何十種類もの材料を混ぜ込んで完全発酵させた有機肥料は、どこか甘い香り。これらは12月の寒仕込みに始まり、翌年4月にやっと完成します。

手間暇かけて本気の野菜作りを始めてから、実感していることがあると矢澤氏。「日本には四季があって、昔から旬の野菜を食べてきたじゃないですか。それって本当に利にかなっているんですよね。旬の野菜を食べることは、その季節にかかりやすい病気の予防になりますし、環境に負担をかけないで作られた野菜はノンストレスで、エコにもつながります」と言います。そんなお話を伺いながら矢澤氏が育てたルッコラを1枚食べてみると、ふっくらとした葉には弾力があり、噛みちぎると鮮烈な香りと苦みが体内に流れ込んできました。

「しぜん村」のビニールハウス内で色の濃いイタリアンパセリを収穫する矢澤氏。

「ここのところ忙しくて見に来れていなかったんですが、ちゃんと出来てる」と嬉しそう。

なるべく自然の状態で野菜を育むようにしているそうで、草や虫ものびのびしていた。

自家製発酵肥料の良さが直感的にわかるのか、愛犬のベペが肥料を食べようとして矢澤氏にたしなめられていた。

植物の生育に必要なミネラルと菌を土壌に与えてやることで健全な根を張ることができ、深みのある味わいの作物が育つ。

健全な環境で育った作物は色が濃い。このトウガラシも冴えたコントラスが美しかった。

持つと見た目以上に重く、ぎゅっと実が詰まっていることが実感できる「かぼちゃ」。

空と大地の間を磐梯山脈が走る最高のロケーション。思わず深呼吸したくなる。

帰路につく矢澤氏と愛犬ベペ。前方にはたわわに実った身知らず柿。本当に枝が折れそうだった。

ニュージェネレーションホッピング・ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ名料理人の腕は世界に通じる最強の武器。

会津産の食材だから使うのではなく、自分が美味しいと思うものを使うようにしていたら、それが会津産の食材だったという矢澤氏。「昔から食べていた身知らず柿なんかにしても、子供の頃は特別美味しいとは思っていませんでした。けれど、料理人になって改めて食べてみて、とても魅力的な食材だと気付いたんです」。

そんな会津の食材について広く知って頂こうと、2018年10月にはかつての修業先である青山の『Ristorante Acqua Pazza』で、日髙良実シェフ総監修のもと、会津にご縁のある5人のシェフとともに1日限りのポップアップディナーを開催。身欠きニシンや会津産馬肉といった食材にイタリアのエスプリが吹き込まれた逸品が供される中、矢澤氏は「つちや農園の亀の尾と松茸のリゾット」と「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」で、多くの方から好評を得ました。

東京とピエモンテ州アルバのひとつ星レストラン『La Ciau del Tornavento』でイタリア料理のみならず、料理人魂を学んだ矢澤氏には、地元である会津に対し歯がゆく思っていることがあります。「会津にはいいものがたくさんあるのに、まだまだ知られていないものが多いんです」。それもあって、いつの日か改めて海外に渡り、世界に向けて発信力を身につけたいとも考えています。「料理ができるって最強の武器を持っているようなものだと思うんです。そんな料理人になったのですから、料理人として意味があることをやっていきたい。僕自身が発信力を持ち、外から会津の食材や文化を伝えていくことができたらと考えています」。

1夜限りのディナーのために、日髙良実シェフ総監修のもと5人の名シェフが集った。(未来氏撮影)。

矢澤氏のドルチェ「松本さんの栗の蜂蜜でつくったモンテビアンコ 仁井田本家風」。仁井田本家とは創業300余年の郡山の蔵元。(未来氏撮影)

住所:〒965-0042  福島県会津若松市大町1-2-55 MAP
電話:0242-36-7666
ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ HP:http://www.pizzeria-felice.jp/

店主偏愛の酒で旅人を癒す。[NEW GENERATION HOPPING・時さえ忘れて/福島県会津若松市]

ハンドドリップでコーヒーを淹れる鈴木氏。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて何もないようで、何でもある場所で。

ホテルに荷物を置いてふらっと立ち寄り、アンダーな照明の中カウンター席でホッとひと息──。旅先で素の自分に戻れる場所があれば、そこはやがて第二、第三の故郷と呼びたくなる場所へと変わっていくのではないでしょうか。ジャズの名曲『時さえ忘れて』を店名に冠したこちらは、そんな風に肩の力を抜いて寛ぎたい空間です。

場所は会津若松市役所のすぐそばにある雑居ビルの2階。看板はありません。赤いカーペットが貼られた階段をのぼると、小さな椅子に立てかけられた黒板に「OPEN」の文字。アーチ状の扉を開けると、そこが『時さえ忘れて』です。店主は鈴木啓介氏。会津若松で生まれ、10年ほど東京で働いた後にUターン。そのきっかけは?と取材班がたずねると、鈴木氏は「盆暮れ正月だけでなく、もっと家族と一緒にいたいと思ったんです。一度戻ってきてみると食べ物は美味しいし、面白い人は多いし、歴史や文化に恵まれた場所なんだと改めて思いまして。『ここには何もない』と言う人もいますが、視点を変えれば都会にはないものがいくつもあるんですよね。もう(都会に)出ようとは思わないです」と答えてくれました。店を構えて、もうすぐ4年になろうとしています。

東京では酒舗や飲食店に勤めていたという鈴木氏。そこでハードリカーについて学び、地元に帰ってからは「会津娘」の蔵元・高橋庄作酒造店にて醸造を学びました。会津鉄道の門田(もんでん)駅にほど近いこちらは、「土産土法」(地元・会津の米と水を使い、土地の人が土地の手法で酒造りを行うという造語)に誠実に取り組んでいる蔵元です。そもそも、お酒関連の仕事に就こうと思ったきっかけは何だったのでしょう? 「もともとあまり社交的な人間ではなかったのですが、大学時代にアルバイトをしていた居酒屋でいろんな人と話すのが楽しくなって。親にも驚かれたぐらいです。『お前が接客やってるのか?』って」と鈴木氏は話します。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

ちょっと妖しい階段をのぼると、かわいらしいアーチ状の扉が表れる。元はスナックだった

ゆったり配されたテーブルが心地いい店内。しかし、特等席はカウンターだ。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れてクラフトビールと、冷めても美味しい燗酒と。

カウンター席に座り、何気なく右手を見ると、冷蔵庫に直接取りつけられた3つのタップが目に入りました。「ドリルを使って自分で冷蔵庫に穴を開けました」と言う鈴木氏。それもこれも、縁あって扱うことになったという6社のクラフトビールをベストな状態で飲んでもらいたいという思いから。京都醸造のものを中心に、その都度入れ替えつつ提供しているという、各社の手仕事が息づくクラフトビール。この日のラインナップは京都醸造の限定醸造シリーズ「荷下夫の一息」とシーズナル商品の「秋の気まぐれ」、北海道は上富良野にある忽布古丹(ほっぷこたん)醸造の「早に雨」でした。

鈴木氏がクラフトビールに目覚めたのは、味はもちろん目に見えない力があると思うからだそうです。「クラフトビールが飲める場に足を運ぶと、老いも若きもみんな楽しそうなんですよね。クラフトビールにはコミュニティを形成する力があると思うんです」と鈴木氏は話します。鈴木氏がクラフトビールと同じくコミュニティをつくりだす力があると考えているのがコーヒーです。そこで、信頼を寄せるロースター「Lover’s coffee」から豆を仕入れ、丁寧にハンドドリップで提供。取材中に淹れて頂いた1杯は、「今この時間をコーヒーブレイクと呼びたい」と思えるものでした。

もちろん、日本酒にもこだわりがあるそうです。「酒器で味が変わりますから」と言う鈴木氏が使うのは、会津本郷焼の「草春窯 工房 爽」の白磁。シンプルでありながら美しいラインで、口にあたった時の滑らかさが気持ちいい酒器です。ここでお燗を頼むと、何やら鈴木氏が軍手をつけ始めました。実はこちらでは湯煎ではなく、徳利(とっくり)を蒸気にあてて均一に温度を上げていく蒸し燗での提供となるのです。試しに湯煎の燗酒(かんざけ)と蒸し燗酒の飲み比べをさせて頂くと、蒸し燗酒の方がカドのない滑らかな飲み口で、味にも膨らみがあると感じました。冷めても味が崩れないのも嬉しいところです。

美味しくクラフトビールを飲んでもらうために自ら業務用冷蔵庫に穴をあけた。

京都醸造の「秋の気まぐれ」290ml 850円、400ml 1,150円、580ml 1,600円とサイズが選べる。

ドイツの気鋭ボトラー「ザ・ウイスキー・エージェンシー」のプライベートストックなど希少なウイスキーも。

名古屋の名居酒屋『大甚』の燗酒の旨さに感銘を受けた白隠正宗(はくいんまさむね)の杜氏(とうじ)によるセミナーにて学んだ蒸し燗。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて店主の好きなものを詰め込んだセレクトショップ。

「言ってしまえば、ウチはセレクトショップのようなもの」と鈴木氏。ワインはなるべくナチュラルなものを揃え、ウイスキーはシングルカスク・ヴィンテージを中心にスピリッツも少々。おつまみは自家製食パンとミックスナッツのみで、氷を入れず、全ての材料を冷やして作る「だるまハイボール」や自家製生姜漬けウォッカを使った辛口モスコミュールも人気です。全てのお酒の根底にある「自分が美味しいと思う酒を、美味しく飲んでもらいたい」という鈴木氏の想いが、居心地の良さを加速させます。「会津って本当に酒が好きな人が多いんです。土地柄のポテンシャルがあるからこそ、ウチのようなお店がやっていけるんでしょうね」と鈴木氏は話します。

美味しいお酒で心がほぐれてくると、目に入るもの全てが気になってきます。例えば、レトロな足踏みミシンとドライフラワー、ワインの木箱に入った写真集に窓辺に置かれたヘンリー・D・ソローの『森の生活』、猿が畑からスイカを盗みだす瞬間をイラストにおこしたTシャツ……。ここにいると、ひとつのものをきっかけに、数珠つなぎに話の輪が広がっていきます。

会津若松には洒落た花屋も多い。最近オープンした近所の花屋で仕入れた花をご自身でドライに仕立てた。

イベントを通して、ここを訪れて。さまざまな入口から、酒に携わる人々がここに吸い寄せられてくる。

ニュージェネレーションホッピング・時さえ忘れて経絡のようにつながる人と人、人と酒。

「場所をひとつ構えることで、飲食物を出すのみならず、人と人がつながっていくのが面白い」と鈴木氏。経絡のように有機的につながるそれらの輪は少しずつ拡大傾向にあるようで、店内にはカリフォルニアで日本酒を造っているというアメリカ人や写真家のサインが躍ります。最近は西会津のアーティストやゲストハウスと共同主催でイベントを開催。「上野尻(かみのじり)に行列ができた!」と周囲の人が驚くぐらいの集客で、中には新潟や白河から訪れた人もいたそうです。

「東京に住んでいた頃は、『自分が住む街がこうなってほしい』なんて考えたこともありませんでした。だけど、こっちに帰ってきてからは、僕らの世代でがんばっている個人経営の店が気になって。みんな本当にいいものを提供しようと一生懸命だし、そういうお店が根付く町になればいいなとか、そこでの自分の役割は?とか、そういうことを考えるようになってきたんです。それで、都会に出ていた人が会津に帰ってきた時、『地元も捨てたもんじゃないな』と、誰かの希望につながれば」と鈴木氏は語ります。淡々とした口調ながら熱量は高め。自分の好きなものにまっすぐな鈴木氏が作りだす空間で1杯飲めば、その酒はいつもより深く心に沁みるはずです。

「例えば『植木屋商店』の白井さんみたいな先輩がいてくださるのはとても励みになります」と鈴木氏。

住所:〒965-0871 福島県会津若松市栄町1-40 2F MAP
電話:0242-22-0530
時さえ忘れて HP:https://savannaparty.wixsite.com/tokisaewasurete

白緑釉に表れる濃淡は会津の自然そのもの。[NEW GENERATION HOPPING・宗像窯/福島県会津美里町]

足を使ってろくろを回す「蹴ろくろ」で器を成形する宗像氏。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯民藝運動の三巨頭が訪れた窯元。

大量消費の時代にあって、じっくり付き合いたくなる器を代々作り続けている人がいます。今回、おうかがいした会津本郷焼の窯元『宗像窯』9代目・宗像利訓氏もそのひとり。当主であり、父でもある8代目・利浩氏の薫陶を受けつつ研究を重ねているのは、宗像窯伝統の緑釉(りょくゆう)を改良した白緑釉(びゃくろくゆう)。糖衣のように白濁した釉薬がかかった花器は雪深い会津の冬を、鮮やかなエメラルドグリーンは芽吹きの春を想起させます。

茶道具などのハレの日の器の一方で、「窯もの」として作り続けているケの日の器があります。その代表格が「鰊鉢(にしんばち)」。山に囲まれた会津の貴重なタンパク源として愛されてきたニシンの山椒漬けなどを漬けるための器です。特徴は光沢のある飴色の釉薬で、近年は海外からの観光客のお土産としても大人気。実はこの作品、1958年にベルギーで開催された「ブリュッセル万国博覧会」にてグランプリを獲得。風土や食習慣と強く結びついた美に見入られたからでしょうか。当時、民藝運動を牽引した三巨頭、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎も『宗像窯』を訪れたそうです。

そもそも焼き物がこの地に根付いたのは1593年のこと。千利休に「文武二道の御大名」と評された当時の領主・蒲生氏郷公が播磨国(はりまのくに)から瓦工を呼び寄せ、鶴ヶ城の屋根瓦や日々使う器を作らせたことに始まります。江戸時代に入り、陸奥会津藩初代藩主の保科正之公が瀬戸の陶工を招いて本郷村に窯を築かせたことで、本格的に会津本郷焼の歴史が始まりました。一方、『宗像窯』の先祖である宗像出雲守式部がこの地に移り住んだのは更に歴史をさかのぼった767年のこと。宗像大社(福岡県)の神主として、布教のため旧会津本郷町に移り住んだのです。その後、観音山に宗像神社を建立し、代々焼き物で生計を立てながら布教活動に専念。文政の頃、特に技術に優れた八郎秀延が自ら神官を辞して陶業に専念し、1719年には『宗像窯』の初代当主となったのです。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

宗像窯の代表作「鰊鉢」。どっしりした形状に飴色の釉薬が光る。白い釉薬もアクセントに。

「白緑水簾鶴首」。空気遠近法で描いた遠景の森を思わせる白緑は山に囲まれた会津の自然そのもの。

白緑釉の急須ほか暮らしの器たち。「技術の修練のため、学生時代は急須を集中的に作っていた時期があるので思い入れがあります」

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯炎にまかせて思いがけないものができる登り窯。

江戸中期に造られたとされる『宗像窯』の象徴・登り窯を見せて頂きました。工房裏手にある急峻な小路を上がり、白鳳山麓に位置する小屋の扉を開くと、全長約20mの登り窯が姿を現します。町指定文化財でもあるこの登り窯、2011年の東日本大震災の激しい揺れで一部が崩れ、大きなダメージを受けました。しかし、多くの土木技術者の有志が「工学と芸術のコラボレーション」をスローガンに「宗像窯登り窯再生プロジェクト」を立ち上げ、2013年に復活を果たしたのです。現在、町内で稼働している唯一の登り窯ということもあり、遠方から見学者が訪れることも。そこで、宗像家の方々の留守中も小屋の外から登り窯が覗けるよう、扉の一部が開閉式の小窓になっていました。

登り窯の周辺には油分を含み、よく燃える会津産のアカマツの薪が積み上げられていました。この窯に実際に火を入れるのは3年に1度(それ以外はガス窯を使用)。その際は一度に5~600個の器を焼き上げるそうです。「炎にまかせて思いがけないものができるんです。本当の本当に納得できるものはまだまだ少ないのですが、焚き方も慣れてきたので、昔に比べてロスも少なくなりました」と利訓氏は話します。薪の窯は火加減を完全にはコントロールできません。そこで温度を確認するために見るのが炎の色。長年の経験が物を言います。他に使うのが「ゼーゲル」と呼ばれるコーン状の道具。こちらはある一定の高温になるとグニャリと曲がるそうです。

利訓氏が作陶のために使う材料はほとんどが会津のもの。釉の調合に使う自然灰もそのひとつです。「このあたりは12月から4月頃まで薪ストーブを使うのですが、その灰から昔ながらの製法でナラ灰を作っています。時間のかかる作業ですが、綺麗な色調を出すためには地道にデータをとり、研究を重ねるしかありません」と利訓氏は話します。

まるで古代遺跡のような「登り窯」。7つの焼成室が斜面に連なっている姿は圧巻。

登り窯の中の温度を調べるために使う「ゼーゲル」。ある一定の高温になると、このようにグニャリと曲がる。

登り窯のある小屋の中に積み上げられたアカマツの薪。薪を納入する業者とは普段から親交がある。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯「蹴ろくろ」が生みだす美しいろくろ目。

次に工房を案内して頂きました。凛とした空間に焼成を待つ器がずらりと並びます。そこで、「ちょっと何か作ってみましょうか」と利訓氏。工房裏手の白鳳山のものという土を練り、作業台の下で足を動かし始めました。「このろくろは『蹴ろくろ』といって、手ではなく足で蹴って回転させます」と利訓氏は教えてくれました。静寂の中に時折響く、コココッという「蹴ろくろ」の音。機械音とは違い、心地よく耳に響きます。

蹴った直後からろくろを見ていると、徐々にスピードが落ちていくのがわかります。器に刻まれる勢いのある指すじが、やがて滑らかな指すじへ──有機的な「ろくろ目」の美しさも味わいのひとつです。そうやって出来上がった器はどれひとつとっても同じものにはなりません。だからこそ手仕事の温かみが感じられるのです。

滑らかで美しい白鳳山の土。繊細な指先のタッチが、そのままろくろ目として器の中に表れる。

作業台の傍には土から器を成形するための手作りの道具が置かれていた。

「器は口当たりも大切なので」と茶碗の縁をなめし革でならす。

工房の奥には焼成前の器が並んでいた。暮らしのなかの定番にしたいものばかりだ。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯一点一点、景色が異なる手仕事のよさ。

幼い頃から家業である器作りを目の当たりにしてきたという利訓氏。「親から直接言われた訳ではないのですが、物心ついた時から、いずれ家業を継ぐことを意識していました」と利訓氏は言います。本格的に陶芸の道に入ったのは20歳の時。京都伝統工芸専門学校(現京都伝統工芸大学校)で2年間、焼き物作りの基礎を学びました。その後、修業のため1年半ほど島根県の窯元に出向き、2008年には7代目・亮一氏と8代目・利浩氏に師事。「若い頃に外の世界で焼き物について学べたことは、技術的にも精神的にも貴重な経験になっています」と利訓氏は語ります。

敷地内には工房の他、新しいギャラリーがありました。ここには、当主の作品とともに利訓氏の作品も展示販売されています。そこで、「いぶし銀の光沢を出せるよう研究して作ったものです」と見せて頂いたのが「銀彩天目茶碗」です。漆黒の闇にオーロラのような銀彩がかかり、まるで宇宙のよう。手に持つと、すっと肌になじみ、とても滑らかです。実はこの茶碗、2018年に行われた「第2回中国陶磁茶器コンテスト」で銀賞に輝いた作品。中国・景徳鎮で開催された「中国景徳鎮国際陶磁博覧会」で展示された後、かの地の博物館(準備中)に収蔵されるそうです。利訓氏は「自分が作ったものが後世に残るというのは励みになります」と話します。

「これからも、代々受け継がれてきた技術や地元の素材を使い、時代に合った自分なりの表現をしていきたいと思っています」と語る利訓氏が、作品作りのアイデアを得るために出かける場所があります。実は工房のある旧会津本郷地区には岩崎山、羽黒山、観音山が連なる白鳳三山があり、宗像家の先祖が建立した神社がある観音山が、その場所にあたります。クルマで5~10分程ほど山をのぼり、お参りを済ませてあたりを見渡すと、ゆったり流れる阿賀川と色づく田園風景に目を奪われました。思わず深呼吸をしたくなるこの場所でアイデアを練り、土も、窯にくべる薪も、釉薬も、会津のものを使った利訓氏の作品は、1点1点、景色が違います。『宗像窯』を訪れ、自身と波長の合う器を見つけてみてはいかがでしょう。

2014年に出来たという真新しいギャラリー。ここで、利浩氏や利訓氏の作品を購入することができる。

「銀彩天目茶碗」を持つ利訓氏。11月末にはこの茶碗の授賞式のため上海に出向いた。

宗像神社の前からこの地を見渡す。「冬は寒く、夏は暑い会津の自然には畏敬の念を抱いています」

ギャラリー入口の暖簾にある「おあいなんしょ」という言葉はこの地方の方言で「おはいりください」という意味。

住所:〒969-6127 福島県大沼郡会津美里町本郷3115 MAP
電話: 0242-56-2174
宗像窯 HP:http://www.munakatagama.net/

山越えしてでも通いたいセレクトショップ。[NEW GENERATION HOPPING・CHANTILLY-2F/福島県猪苗代町]

中学1年生の時、お父さんから「デニムはいいのをはけ。長持ちするから」と言われて買ってもらった1本のデニムがきっかけで洋服に興味を持ったという鈴木氏。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ猪苗代湖北岸に佇むセレクトショップ。

国内で4番目の広さを持つ猪苗代湖(いなわしろこ)。透明度が高く、白鳥が飛来するこの湖の北岸にセレクトショップ『CHANTILLY-2F』はあります。場所は美味しいコーヒーとスイーツが評判の『TARO CAFÉ』と隣り合い、焼き菓子などの販売も行う姉妹店『DEN DEN COFFEE』の奥。買い物中にコーヒーでひと息いれて、また店内を物色といった使い方をされる方も多いそうです。

床にはレトロな柄の赤いタイル。「以前ここはパチンコ店で、床はその名残なんです」と店長の鈴木健太郎氏。取り扱うのは、『EEL』や『Veritecoeur』、『UNIVERSAL TISSU』といったドメスティックブランドを中心に約20ブランドほど。「人とはちょっと違うものを持ちたい」という洋服好きにはたまらないバッグや革小物などを取り揃える他、オンラインショップの運営も行っています。レジカウンターの背後には、磐梯山(ばんだいさん)の威容がドドン。日本広しといえど、ここまでの借景を持つセレクトショップはなかなかないのではないでしょうか。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

明るい店内。「昔の店は相当入りづらかったので、ファッションに一家言ある猛者が集まってきました(笑)」

レトロな赤いタイルとともに短いピースを組み合わせたフローリングもパチンコ店時代の名残。

レジカウンターの頭上にはユーカリのドライフラワー。会津若松市内のフラワーショップで購入したもの。

洋服を物色中、ふと顔をあげると磐梯山が。一瞬、どこにいるのか分からなくなってしまいそうに。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ勝負をかけた西海岸買いつけツアー。

実は18歳から30歳まで東京にいたという鈴木氏。「一時はスタイリストを目指していて、バンタンのファッションスタイリング科に通いながらアシスタントをやっていたんです。そっちの道は卒業する頃には諦めましたが、隣にバイヤー科って所があって、最後の1年ぐらいはずっと『そっちにすれば良かった』と思っていたんです(笑)」と鈴木氏は話します。その後、とにかくお金を貯めようと某企業に就職。2年ほど経ったある日、東日本大震災が起こりました。「当時、代々木にあった勤務先にバイクで向かっていたんです。原宿を通りかかった時、クレープを食べながら楽しそうに歩いている女の子たちを見て、自分との温度差に『ここにはいられないな』と思ったんです」と鈴木氏は続けます。すぐに本籍を会津若松にした鈴木氏ですが、その前にやっておきたいことがありました。

「もともと、海外に興味があり、商品の目利きにも自信があったんです。それで、自己資金で買いつけをしたらどのぐらい商品が捌(さば)けるか試してみようと2ヵ月ぐらい西海岸を回りました」と鈴木氏は話します。クレジットカードの限度枠いっぱいの300万円で買いつけを行い、知人のツテをたどって、当時、外苑前にあったセレクトショップに商品を卸しました。鈴木氏は、「そうこうしているうちに、ウチの姉から『会津若松に美容院を出すから内装をやってくれ』と頼まれたんです。実は高校生の時、バイトで大工をやっていたもので。で、見つけた物件が2階建てで広かったのと、アメリカで買いつけた商品の在庫が結構あったので、『だったら、ここで販売しちゃおうか』という話に」と言います。初めて自分の店ができたわけですが、買いつけた商品には限りがありました。「そこで、もともと知り合いだったメーカーさんやアシスタント時代のコネでいくつかのドメスティックブランドに声をかけて、いろんな商品を扱うようになったんです。姉の店が『CHANTILLY』という名前で今もあるんですけど、郵便物とかまぎらわしくならないようにしようって話になって、店名を『CHANTILLY-2F』にしたんです」と鈴木氏。

2013年には猪苗代の今の場所を知るとともに『TARO CAFÉ』オーナーの山田氏との出会いがありました。その後、ご厚意で何度かポップアップイベントを開催。大盛況でイベントを終えた後にスタッフを増員し、本格的にこの場所にショップを構えて4年目となります。「最初は正直迷いました。洋服業界では単価の高い冬に稼ぐという考え方が一般的なんですが、冬の猪苗代は会津若松以上に雪がすごい。平気でクルマ2台分積もるんです。でも、考え方を変えれば、春夏秋に稼いで、冬はゆっくり営業するお店作りをすればいいんですよね。聞くと、周りの皆さんもそうしていらっしゃるようです」と鈴木氏は話します。

柔らかな物腰での接客に定評があるスタッフの丹野清美氏。『EEL』のモヘアカーディガンに『AU GARCONS』のスカートを合わせて。

『EEL』のモヘアカーディガンにデニムを合わせているのはスタッフの坂内俊之氏。お二方ともここに勤める以前は洋服屋での接客経験はなかったのだとか。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフセレクト基準は着たいもので、買えるもの。

『CHANTILLY-2F』のセレクト基準はとてもシンプル。「いい洋服であることは当たり前で、作っている人に惚れこまないと、お客さんに売ることはできません。例えば、メンズだと『EEL』。ここは洋服への向き合い方や考え方、全てが尊敬できるブランドさん。昔から客として五本木の店にお邪魔していたこともあり、『いつか取り扱いできたら』と思っていたんです。ただ、ブランドと契約する時はメーカーによって1シーズン何百万みたいな条件があるんですね。お店をひとりでやっていた頃は、そこをクリアするのが厳しくて。一度ご相談におうかがいしたら、『鈴木さんに賭けます。一緒に成長していきましょう』と言ってくださって……。そういうことがあるとつい仕入れも多くなってしまいます(笑)」と鈴木氏は話します。

新規のブランドを増やすより、そうやってじっくり関係を築いていきたいと語る鈴木氏。「店を立ち上げた当初は展示会に行っても誰もついてくれないし、名刺を交換しても『どこの店? 福島!?』みたいな反応をされたこともあります。それが本当に悔しくて(笑)」と鈴木氏は振り返ります。そこから発奮し、時間と実績を重ねてきました。「今では『ここの裾をもう少し長くしてもらえますか?』『このTシャツの長袖バージョンは作れますか?』といった別に注も応えて頂ける所が増えてきました。ありがたいことです」と鈴木氏は話します。

話をおうかがいしていると、一つひとつのブランドとの付き合いに物語がありました。時には、来店したお客様に「かわいい洋服ですね。それはどこの服ですか?」と声をかけ、実際にその服を買ってみることも。そこでシルエットや洗い上がりなどを見て、最終的に取り扱うかどうかを決めているそうです。「世の中にはいい洋服がいっぱいあります。だけど、この土地から浮いていたり、高価すぎたりすると、お客さんも買いにくいですよね。チャレンジはしたいですけど、この土地で着ても違和感がないか、この土地の感覚で買えるものかどうか、そのさじ加減が腕の見せ所だと思います」と鈴木氏は語ります。

『TOOLS』の人気定番アイテム「BIG DAYPAC」を光沢のあるバリスティックナイロンで仕上げた『CHANTILLY-2F』5周年記念特別エディションのデイパック。

ソフトな風合いのウォレットやたっぷりしたマチのトートなど上質な暮らしに溶け込むアイテムが並ぶ。

ナチュラルな色味のアイテムを取り揃えている。鮮やかなブルーや黄色は『Veritecoeur』のもの。

英国王室にも愛されたウィリアム・モリス。彼がデザインしたファブリックを使った丸みのあるハットは『THE SUPERIOR LABOR』の別注品。

1900年代の労働者階級の人々をイメージして素材、質実剛健、オールハンドメイドにこだわった『THE SUPERIOR LABOR』のアイテム。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ都心では考えにくいスペシャルな出会い。

ゆくゆくは、地元の伝統工芸品の別注も受けることができたらと考えている鈴木氏。「地元では赤ベコっていうスーパーでも売っているぐらい日常に溶け込んでいるんですけど、昔はその良さに気付かなくて。子供が首を揺らして遊んでいるのを見て、初めていろんな所で意識して見るようになったんです。そうすると、かわいいヤツとか味のあるヤツとか顔つきが違うんですよね。自分好みの顔もわかってきたので、今までにない色の赤ベコを作れたらと計画中です」と鈴木氏は言います。南には猪苗代湖、北には磐梯山がそびえ、近隣には野口英世記念館や皇族の別荘だった天鏡閣といった観光施設も。見所満載なロケーションにある『CHANTILLY-2F』が、今後は定番のお土産を買うスポットとしても機能するかもしれません。

営業中に取材をさせて頂いたこともあり、いろんなお客様と触れ合うことができました。中学生の息子さんに「彼女へのプレゼントはここで買えば良かったね」と話しかけるお母さん。オープンから通っているというお兄さん。「友達の運転で初めて来たの」と道中で撮った写メを見せてくれたおばあさん。老若男女を問わず皆さん様々なきっかけでこの空間にアクセスし、思い思いに買い物を楽しんでいます。「ふらりと入ってきたおばあさんが、ゴリゴリのインポートものを『あら、いいわね』と買っていかれることもあるんです。きっと、知っている人が見たら『え!?』ってなりますよね」と鈴木氏は話します。そんな瞬間が最高に面白いという鈴木氏。世代間の分断が進む都心では考えにくい出会いが、ここにはあるようです。

『TARO CAFÉ’』のエントランスが目印。左手に入って『DEN DEN COFFEE』の奥に『CHANTILLY-2F』が。

住所:〒969-3132 福島県耶麻郡猪苗代町堅田入江村前704-3 MAP
電話:0242-23-7764
CHANTILLY-2F HP:http://chantilly-2f.com/?mode=f1

白緑釉に表れる濃淡は会津の自然そのもの。[NEW GENERATION HOPPING・宗像窯/福島県会津美里町]

足を使ってろくろを回す「蹴ろくろ」で器を成形する宗像氏。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯民藝運動の三巨頭が訪れた窯元。

大量消費の時代にあって、じっくり付き合いたくなる器を代々作り続けている人がいます。今回、おうかがいした会津本郷焼の窯元『宗像窯』9代目・宗像利訓氏もそのひとり。当主であり、父でもある8代目・利浩氏の薫陶を受けつつ研究を重ねているのは、宗像窯伝統の緑釉(りょくゆう)を改良した白緑釉(びゃくろくゆう)。糖衣のように白濁した釉薬がかかった花器は雪深い会津の冬を、鮮やかなエメラルドグリーンは芽吹きの春を想起させます。

茶道具などのハレの日の器の一方で、「窯もの」として作り続けているケの日の器があります。その代表格が「鰊鉢(にしんばち)」。山に囲まれた会津の貴重なタンパク源として愛されてきたニシンの山椒漬けなどを漬けるための器です。特徴は光沢のある飴色の釉薬で、近年は海外からの観光客のお土産としても大人気。実はこの作品、1958年にベルギーで開催された「ブリュッセル万国博覧会」にてグランプリを獲得。風土や食習慣と強く結びついた美に見入られたからでしょうか。当時、民藝運動を牽引した三巨頭、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎も『宗像窯』を訪れたそうです。

そもそも焼き物がこの地に根付いたのは1593年のこと。千利休に「文武二道の御大名」と評された当時の領主・蒲生氏郷公が播磨国(はりまのくに)から瓦工を呼び寄せ、鶴ヶ城の屋根瓦や日々使う器を作らせたことに始まります。江戸時代に入り、陸奥会津藩初代藩主の保科正之公が瀬戸の陶工を招いて本郷村に窯を築かせたことで、本格的に会津本郷焼の歴史が始まりました。一方、『宗像窯』の先祖である宗像出雲守式部がこの地に移り住んだのは更に歴史をさかのぼった767年のこと。宗像大社(福岡県)の神主として、布教のため旧会津本郷町に移り住んだのです。その後、観音山に宗像神社を建立し、代々焼き物で生計を立てながら布教活動に専念。文政の頃、特に技術に優れた八郎秀延が自ら神官を辞して陶業に専念し、1719年には『宗像窯』の初代当主となったのです。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

宗像窯の代表作「鰊鉢」。どっしりした形状に飴色の釉薬が光る。白い釉薬もアクセントに。

「白緑水簾鶴首」。空気遠近法で描いた遠景の森を思わせる白緑は山に囲まれた会津の自然そのもの。

白緑釉の急須ほか暮らしの器たち。「技術の修練のため、学生時代は急須を集中的に作っていた時期があるので思い入れがあります」

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯炎にまかせて思いがけないものができる登り窯。

江戸中期に造られたとされる『宗像窯』の象徴・登り窯を見せて頂きました。工房裏手にある急峻な小路を上がり、白鳳山麓に位置する小屋の扉を開くと、全長約20mの登り窯が姿を現します。町指定文化財でもあるこの登り窯、2011年の東日本大震災の激しい揺れで一部が崩れ、大きなダメージを受けました。しかし、多くの土木技術者の有志が「工学と芸術のコラボレーション」をスローガンに「宗像窯登り窯再生プロジェクト」を立ち上げ、2013年に復活を果たしたのです。現在、町内で稼働している唯一の登り窯ということもあり、遠方から見学者が訪れることも。そこで、宗像家の方々の留守中も小屋の外から登り窯が覗けるよう、扉の一部が開閉式の小窓になっていました。

登り窯の周辺には油分を含み、よく燃える会津産のアカマツの薪が積み上げられていました。この窯に実際に火を入れるのは3年に1度(それ以外はガス窯を使用)。その際は一度に5~600個の器を焼き上げるそうです。「炎にまかせて思いがけないものができるんです。本当の本当に納得できるものはまだまだ少ないのですが、焚き方も慣れてきたので、昔に比べてロスも少なくなりました」と利訓氏は話します。薪の窯は火加減を完全にはコントロールできません。そこで温度を確認するために見るのが炎の色。長年の経験が物を言います。他に使うのが「ゼーゲル」と呼ばれるコーン状の道具。こちらはある一定の高温になるとグニャリと曲がるそうです。

利訓氏が作陶のために使う材料はほとんどが会津のもの。釉の調合に使う自然灰もそのひとつです。「このあたりは12月から4月頃まで薪ストーブを使うのですが、その灰から昔ながらの製法でナラ灰を作っています。時間のかかる作業ですが、綺麗な色調を出すためには地道にデータをとり、研究を重ねるしかありません」と利訓氏は話します。

まるで古代遺跡のような「登り窯」。7つの焼成室が斜面に連なっている姿は圧巻。

登り窯の中の温度を調べるために使う「ゼーゲル」。ある一定の高温になると、このようにグニャリと曲がる。

登り窯のある小屋の中に積み上げられたアカマツの薪。薪を納入する業者とは普段から親交がある。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯「蹴ろくろ」が生みだす美しいろくろ目。

次に工房を案内して頂きました。凛とした空間に焼成を待つ器がずらりと並びます。そこで、「ちょっと何か作ってみましょうか」と利訓氏。工房裏手の白鳳山のものという土を練り、作業台の下で足を動かし始めました。「このろくろは『蹴ろくろ』といって、手ではなく足で蹴って回転させます」と利訓氏は教えてくれました。静寂の中に時折響く、コココッという「蹴ろくろ」の音。機械音とは違い、心地よく耳に響きます。

蹴った直後からろくろを見ていると、徐々にスピードが落ちていくのがわかります。器に刻まれる勢いのある指すじが、やがて滑らかな指すじへ──有機的な「ろくろ目」の美しさも味わいのひとつです。そうやって出来上がった器はどれひとつとっても同じものにはなりません。だからこそ手仕事の温かみが感じられるのです。

滑らかで美しい白鳳山の土。繊細な指先のタッチが、そのままろくろ目として器の中に表れる。

作業台の傍には土から器を成形するための手作りの道具が置かれていた。

「器は口当たりも大切なので」と茶碗の縁をなめし革でならす。

工房の奥には焼成前の器が並んでいた。暮らしのなかの定番にしたいものばかりだ。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯一点一点、景色が異なる手仕事のよさ。

幼い頃から家業である器作りを目の当たりにしてきたという利訓氏。「親から直接言われた訳ではないのですが、物心ついた時から、いずれ家業を継ぐことを意識していました」と利訓氏は言います。本格的に陶芸の道に入ったのは20歳の時。京都伝統工芸専門学校(現京都伝統工芸大学校)で2年間、焼き物作りの基礎を学びました。その後、修業のため1年半ほど島根県の窯元に出向き、2008年には7代目・亮一氏と8代目・利浩氏に師事。「若い頃に外の世界で焼き物について学べたことは、技術的にも精神的にも貴重な経験になっています」と利訓氏は語ります。

敷地内には工房の他、新しいギャラリーがありました。ここには、当主の作品とともに利訓氏の作品も展示販売されています。そこで、「いぶし銀の光沢を出せるよう研究して作ったものです」と見せて頂いたのが「銀彩天目茶碗」です。漆黒の闇にオーロラのような銀彩がかかり、まるで宇宙のよう。手に持つと、すっと肌になじみ、とても滑らかです。実はこの茶碗、2018年に行われた「第2回中国陶磁茶器コンテスト」で銀賞に輝いた作品。中国・景徳鎮で開催された「中国景徳鎮国際陶磁博覧会」で展示された後、かの地の博物館(準備中)に収蔵されるそうです。利訓氏は「自分が作ったものが後世に残るというのは励みになります」と話します。

「これからも、代々受け継がれてきた技術や地元の素材を使い、時代に合った自分なりの表現をしていきたいと思っています」と語る利訓氏が、作品作りのアイデアを得るために出かける場所があります。実は工房のある旧会津本郷地区には岩崎山、羽黒山、観音山が連なる白鳳三山があり、宗像家の先祖が建立した神社がある観音山が、その場所にあたります。クルマで5~10分程ほど山をのぼり、お参りを済ませてあたりを見渡すと、ゆったり流れる阿賀川と色づく田園風景に目を奪われました。思わず深呼吸をしたくなるこの場所でアイデアを練り、土も、窯にくべる薪も、釉薬も、会津のものを使った利訓氏の作品は、1点1点、景色が違います。『宗像窯』を訪れ、自身と波長の合う器を見つけてみてはいかがでしょう。

2014年に出来たという真新しいギャラリー。ここで、利浩氏や利訓氏の作品を購入することができる。

「銀彩天目茶碗」を持つ利訓氏。11月末にはこの茶碗の授賞式のため上海に出向いた。

宗像神社の前からこの地を見渡す。「冬は寒く、夏は暑い会津の自然には畏敬の念を抱いています」

ギャラリー入口の暖簾にある「おあいなんしょ」という言葉はこの地方の方言で「おはいりください」という意味。

住所:〒969-6127 福島県大沼郡会津美里町本郷3115 MAP
電話: 0242-56-2174
宗像窯 HP:http://www.munakatagama.net/

山越えしてでも通いたいセレクトショップ。[NEW GENERATION HOPPING・CHANTILLY-2F/福島県猪苗代町]

中学1年生の時、お父さんから「デニムはいいのをはけ。長持ちするから」と言われて買ってもらった1本のデニムがきっかけで洋服に興味を持ったという鈴木氏。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ猪苗代湖北岸に佇むセレクトショップ。

国内で4番目の広さを持つ猪苗代湖(いなわしろこ)。透明度が高く、白鳥が飛来するこの湖の北岸にセレクトショップ『CHANTILLY-2F』はあります。場所は美味しいコーヒーとスイーツが評判の『TARO CAFÉ』と隣り合い、焼き菓子などの販売も行う姉妹店『DEN DEN COFFEE』の奥。買い物中にコーヒーでひと息いれて、また店内を物色といった使い方をされる方も多いそうです。

床にはレトロな柄の赤いタイル。「以前ここはパチンコ店で、床はその名残なんです」と店長の鈴木健太郎氏。取り扱うのは、『EEL』や『Veritecoeur』、『UNIVERSAL TISSU』といったドメスティックブランドを中心に約20ブランドほど。「人とはちょっと違うものを持ちたい」という洋服好きにはたまらないバッグや革小物などを取り揃える他、オンラインショップの運営も行っています。レジカウンターの背後には、磐梯山(ばんだいさん)の威容がドドン。日本広しといえど、ここまでの借景を持つセレクトショップはなかなかないのではないでしょうか。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

明るい店内。「昔の店は相当入りづらかったので、ファッションに一家言ある猛者が集まってきました(笑)」

レトロな赤いタイルとともに短いピースを組み合わせたフローリングもパチンコ店時代の名残。

レジカウンターの頭上にはユーカリのドライフラワー。会津若松市内のフラワーショップで購入したもの。

洋服を物色中、ふと顔をあげると磐梯山が。一瞬、どこにいるのか分からなくなってしまいそうに。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ勝負をかけた西海岸買いつけツアー。

実は18歳から30歳まで東京にいたという鈴木氏。「一時はスタイリストを目指していて、バンタンのファッションスタイリング科に通いながらアシスタントをやっていたんです。そっちの道は卒業する頃には諦めましたが、隣にバイヤー科って所があって、最後の1年ぐらいはずっと『そっちにすれば良かった』と思っていたんです(笑)」と鈴木氏は話します。その後、とにかくお金を貯めようと某企業に就職。2年ほど経ったある日、東日本大震災が起こりました。「当時、代々木にあった勤務先にバイクで向かっていたんです。原宿を通りかかった時、クレープを食べながら楽しそうに歩いている女の子たちを見て、自分との温度差に『ここにはいられないな』と思ったんです」と鈴木氏は続けます。すぐに本籍を会津若松にした鈴木氏ですが、その前にやっておきたいことがありました。

「もともと、海外に興味があり、商品の目利きにも自信があったんです。それで、自己資金で買いつけをしたらどのぐらい商品が捌(さば)けるか試してみようと2ヵ月ぐらい西海岸を回りました」と鈴木氏は話します。クレジットカードの限度枠いっぱいの300万円で買いつけを行い、知人のツテをたどって、当時、外苑前にあったセレクトショップに商品を卸しました。鈴木氏は、「そうこうしているうちに、ウチの姉から『会津若松に美容院を出すから内装をやってくれ』と頼まれたんです。実は高校生の時、バイトで大工をやっていたもので。で、見つけた物件が2階建てで広かったのと、アメリカで買いつけた商品の在庫が結構あったので、『だったら、ここで販売しちゃおうか』という話に」と言います。初めて自分の店ができたわけですが、買いつけた商品には限りがありました。「そこで、もともと知り合いだったメーカーさんやアシスタント時代のコネでいくつかのドメスティックブランドに声をかけて、いろんな商品を扱うようになったんです。姉の店が『CHANTILLY』という名前で今もあるんですけど、郵便物とかまぎらわしくならないようにしようって話になって、店名を『CHANTILLY-2F』にしたんです」と鈴木氏。

2013年には猪苗代の今の場所を知るとともに『TARO CAFÉ』オーナーの山田氏との出会いがありました。その後、ご厚意で何度かポップアップイベントを開催。大盛況でイベントを終えた後にスタッフを増員し、本格的にこの場所にショップを構えて4年目となります。「最初は正直迷いました。洋服業界では単価の高い冬に稼ぐという考え方が一般的なんですが、冬の猪苗代は会津若松以上に雪がすごい。平気でクルマ2台分積もるんです。でも、考え方を変えれば、春夏秋に稼いで、冬はゆっくり営業するお店作りをすればいいんですよね。聞くと、周りの皆さんもそうしていらっしゃるようです」と鈴木氏は話します。

柔らかな物腰での接客に定評があるスタッフの丹野清美氏。『EEL』のモヘアカーディガンに『AU GARCONS』のスカートを合わせて。

『EEL』のモヘアカーディガンにデニムを合わせているのはスタッフの坂内俊之氏。お二方ともここに勤める以前は洋服屋での接客経験はなかったのだとか。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフセレクト基準は着たいもので、買えるもの。

『CHANTILLY-2F』のセレクト基準はとてもシンプル。「いい洋服であることは当たり前で、作っている人に惚れこまないと、お客さんに売ることはできません。例えば、メンズだと『EEL』。ここは洋服への向き合い方や考え方、全てが尊敬できるブランドさん。昔から客として五本木の店にお邪魔していたこともあり、『いつか取り扱いできたら』と思っていたんです。ただ、ブランドと契約する時はメーカーによって1シーズン何百万みたいな条件があるんですね。お店をひとりでやっていた頃は、そこをクリアするのが厳しくて。一度ご相談におうかがいしたら、『鈴木さんに賭けます。一緒に成長していきましょう』と言ってくださって……。そういうことがあるとつい仕入れも多くなってしまいます(笑)」と鈴木氏は話します。

新規のブランドを増やすより、そうやってじっくり関係を築いていきたいと語る鈴木氏。「店を立ち上げた当初は展示会に行っても誰もついてくれないし、名刺を交換しても『どこの店? 福島!?』みたいな反応をされたこともあります。それが本当に悔しくて(笑)」と鈴木氏は振り返ります。そこから発奮し、時間と実績を重ねてきました。「今では『ここの裾をもう少し長くしてもらえますか?』『このTシャツの長袖バージョンは作れますか?』といった別に注も応えて頂ける所が増えてきました。ありがたいことです」と鈴木氏は話します。

話をおうかがいしていると、一つひとつのブランドとの付き合いに物語がありました。時には、来店したお客様に「かわいい洋服ですね。それはどこの服ですか?」と声をかけ、実際にその服を買ってみることも。そこでシルエットや洗い上がりなどを見て、最終的に取り扱うかどうかを決めているそうです。「世の中にはいい洋服がいっぱいあります。だけど、この土地から浮いていたり、高価すぎたりすると、お客さんも買いにくいですよね。チャレンジはしたいですけど、この土地で着ても違和感がないか、この土地の感覚で買えるものかどうか、そのさじ加減が腕の見せ所だと思います」と鈴木氏は語ります。

『TOOLS』の人気定番アイテム「BIG DAYPAC」を光沢のあるバリスティックナイロンで仕上げた『CHANTILLY-2F』5周年記念特別エディションのデイパック。

ソフトな風合いのウォレットやたっぷりしたマチのトートなど上質な暮らしに溶け込むアイテムが並ぶ。

ナチュラルな色味のアイテムを取り揃えている。鮮やかなブルーや黄色は『Veritecoeur』のもの。

英国王室にも愛されたウィリアム・モリス。彼がデザインしたファブリックを使った丸みのあるハットは『THE SUPERIOR LABOR』の別注品。

1900年代の労働者階級の人々をイメージして素材、質実剛健、オールハンドメイドにこだわった『THE SUPERIOR LABOR』のアイテム。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ都心では考えにくいスペシャルな出会い。

ゆくゆくは、地元の伝統工芸品の別注も受けることができたらと考えている鈴木氏。「地元では赤ベコっていうスーパーでも売っているぐらい日常に溶け込んでいるんですけど、昔はその良さに気付かなくて。子供が首を揺らして遊んでいるのを見て、初めていろんな所で意識して見るようになったんです。そうすると、かわいいヤツとか味のあるヤツとか顔つきが違うんですよね。自分好みの顔もわかってきたので、今までにない色の赤ベコを作れたらと計画中です」と鈴木氏は言います。南には猪苗代湖、北には磐梯山がそびえ、近隣には野口英世記念館や皇族の別荘だった天鏡閣といった観光施設も。見所満載なロケーションにある『CHANTILLY-2F』が、今後は定番のお土産を買うスポットとしても機能するかもしれません。

営業中に取材をさせて頂いたこともあり、いろんなお客様と触れ合うことができました。中学生の息子さんに「彼女へのプレゼントはここで買えば良かったね」と話しかけるお母さん。オープンから通っているというお兄さん。「友達の運転で初めて来たの」と道中で撮った写メを見せてくれたおばあさん。老若男女を問わず皆さん様々なきっかけでこの空間にアクセスし、思い思いに買い物を楽しんでいます。「ふらりと入ってきたおばあさんが、ゴリゴリのインポートものを『あら、いいわね』と買っていかれることもあるんです。きっと、知っている人が見たら『え!?』ってなりますよね」と鈴木氏は話します。そんな瞬間が最高に面白いという鈴木氏。世代間の分断が進む都心では考えにくい出会いが、ここにはあるようです。

『TARO CAFÉ’』のエントランスが目印。左手に入って『DEN DEN COFFEE』の奥に『CHANTILLY-2F』が。

住所:〒969-3132 福島県耶麻郡猪苗代町堅田入江村前704-3 MAP
電話:0242-23-7764
CHANTILLY-2F HP:http://chantilly-2f.com/?mode=f1

「まぐろが危ない!」。各界を代表するゲストが会し、まぐろの未来を本気で語り合った1日に迫る![まぐろミーティング vol.1/東京都中央区]

国内有数の生まぐろの水揚げ高を誇る和歌山県那智勝浦町の勝浦漁港。港には太平洋クロマグロ、めばち、きはだなど、4種のまぐろが水揚げされる。

まぐろミーティング vol.1今から考えても遅くない! 太平洋クロマグロを救うのに何ができる!?

去る1021日、築地で『まぐろミーティング vol.1』という名のイベントが、『一般社団法人 Chefs for the Blue』の協力のもと密かに開催されました。ゲストとして登場する面々は、『すきやばし次郎』の小野禎一氏、『カンテサンス』の岸田周三氏、『一般社団法人 Chefs for the Blue』理事の佐々木ひろこ氏、タベアルキストのマッキー牧元氏、さらに、豊洲市場から『株式会社フジタ水産』の代表取締役・藤田浩毅氏、大間のまぐろ漁師の南芳和氏といった各界を代表する顔ぶれ。そんなゲストが一堂に会し、一体何が行われるのでしょうか? まぐろのうまい食べ方でも討論されるイベントかと思えば、事態はもっと深刻なものでした。

「太平洋クロマグロ(近海本まぐろ)が、危機に瀕している」
「寿司屋から本まぐろが消える日がくるかもしれない」

にわかに信じがたいそんなことを本気で語り合うのが、今回のイベントの趣旨でした。そのことを世に訴え、まぐろの未来を皆で考えようと『日本の魚を考える会』が先頭に立ち、『一般社団法人 Chefs for the Blue』の協力のもと企画した今回のイベント。前述したゲストも皆、その危機に立ち向かおうと、登壇を決めた方々でした。

日本の食文化の一角を担う、まぐろがなくなる? まさか、そんなこと。と、はじめは半信半疑だった取材班も、話を聞くにつれ、次第に考えが変わりました。大学教授が示したデータに目を疑い、漁師や仲卸など、まぐろと密接に関わる現場の訴えに悲壮感を覚え、料理人の声に焦りを募らせ、他人事ではないことを強く実感。たどり着いた答えは、日本人が本気でまぐろの未来について考えるのは、今しかないということ。
寿司屋から、日本の食文化から、まぐろが消えて無くなる前に

東京海洋大学准教授・勝川俊雄氏。さまざまなデータをもとに、太平洋クロマグロが置かれている危機的状況を紹介した。

まぐろのおかれた現状を知ろうと、メディアを中心にしたさまざまな参加者が詰めかけた。

まぐろミーティング vol.1東京海洋大学・勝川教授が示した、太平洋クロマグロのデータ。会場に衝撃が走る!

今回、『日本の魚を考える会』が主催となり、『一般社団法人 Chefs for the Blue』の協力のもと開催された「まぐろミーティング vol.1」。イベントは4つのプログラムで構成され、各界を代表して招かれたゲストたちが、それぞれの置かれた立場から、危機に瀕する太平洋クロマグロについて、その見識や経験を交えて問題提起をする機会となりました。

その先陣を切ったのが、東京海洋大学准教授・勝川俊雄氏。モデレーターは、『一般社団法人 Chefs for the Blue』の理事で、フードジャーナリストの佐々木ひろこ氏が務め、イベントは幕を開けました。そこでいきなり、取材班は近海本まぐろの危機的現実を叩きつけられることになったのです。

太平洋まぐろ類国際科学委員会の出した報告書では、太平洋クロマグロ(近海本マグロ)の資源量は乱獲により過去最低レベルまでに落ちこみ、漁業が始まる以前の推定初期魚量に対して95%以上も減少したと言われています。

そして勝川氏が問題視するのは、産卵期における太平洋クロマグロの巻き網漁の漁獲だといいます。太平洋クロマグロは、その習性からある一定の温度帯の海水域でしか産卵せず、回遊魚でありながら、その産卵場所は日本の排他的海水域である、日本海と南西諸島の2箇所でしか産卵しないのです。そうして一堂に集まってくる太平洋クロマグロを、日本の漁船は産卵場で待ち構えるのです。
「巻き網は、群れになった魚を網でぐるりと巻いて、まさに一網打尽にできるため、効率が良い一方で、乱獲につながりやすい危険性もあるんです」

そこにモデレーターの佐々木氏が続きます。
「漁師が一本一本丁寧に処理する一本釣りやはえ縄漁と違い、一度にトン単位の魚が獲れる巻き網漁では、すぐに血抜きや神経締めができません。魚にとってはストレスのかかる状況で、太平洋クロマグロの体温も40度近くまで上がり、品質は一気に低下する。いわゆる身焼けをおこしてしまうのです」

さらにいえば、産卵期のまぐろは栄養が卵へといくため、身質はよくないと、勝川氏は説明してくれます。当然、そうして水揚げされた太平洋クロマグロは、市場で売れ残ることが多く、スーパーや回転寿司店などへと安く叩き売られることになります。問題は、ここまで資源が減少しているさなか、このように卵をはらんだ母まぐろが薄利多売されていることなのだと、勝川氏は提起してくれました。

それだけでなく、勝川氏は、漁獲量の減少、漁の種類、まぐろの幼魚(ヨコワ)を獲らずに6年後に漁獲した場合のメリットなどを、さまざまなデータと資料をもとに解説。太平洋クロマグロのおかれた現状を深掘りしてくれました。

左から、『株式会社 フジタ水産』の藤田浩毅氏、『株式会社 魚忠』の新田忠明氏、大間の一本釣り漁師の南芳和氏。現場の危機感を訴えかけた。

モデレーターを務めたのは、ノンフィクション作家の中原一歩氏。全国のまぐろの生産地をめぐり、取材を続ける。

「大西洋クロマグロ復活の成功例から」というテーマで話を進めた、『株式会社 臼福本店』の臼井壯太朗氏。

まぐろミーティング vol.1資料から紐解いた危機感を、卸商と仲卸、漁師の3者が現場目線で説く。

そして、太平洋クロマグロについては現場目線からの声を聞き、さらなる深刻さを痛感することになります。大間のマグロ卸商である『株式会社魚忠』の新田忠明氏、豊洲市場のマグロ仲卸『株式会社フジタ水産』の藤田浩毅氏、大間でまぐろを一本釣りする漁師・南芳和氏の3名が登壇し、太平洋クロマグロの現状を、自らの仕事を通しての実感値で語ってくれました。

まず、新田氏からは、今年の卸値について。
「今年は最初からとんでもない価格から始まっていた。上はキロ2万円まで達し、その一方で下はキロ3,000円もあったりと。その差が大きすぎて、現場はますます混乱してしまっている状況ですね」

その説明に同じ反応を示すのが南氏で、「自分はただただ、一本釣りが好きで漁師を続けてきました。漁に出て、やって、やって、やりきって、どれだけいいまぐろを釣れるか。それが楽しかったし、この仕事のやりがい。ですが、いまは漁獲規制※の枠が少ない分、価格を気にしないといけない時代になってしまいました」

2018年より成魚(30kg以上)の漁獲制限が導入されましたが、その内訳はというと、大中巻き網業者に全体の7割、一本釣りやはえ縄漁師など圧倒的に数の多い沿岸漁業者に3割。大中巻き網業者に対して圧倒的に少ない配分のため、沿岸まぐろ漁業者の生活は逼迫しているそうです。

一方で、藤田氏の口からは、豊洲市場での仲卸の立場としてこんな意見も。
SNS全盛の時代で、いろんな情報が入ってくると思うのですが、目と耳で食べる人が多すぎて、『しっかり自分の舌で味わってほしい』ということをすごく思っています」といい、それがマグロの高騰にもつながっているのではないかと説きます。
「『サシがいっぱい入っている』とか『1番高いから』という情報が好きな人も実際たくさんいる。けれど、それが美味しいかといったら、必ずしもそうではない。脂ののりが味を決めるわけではなく、脂ののりは味を決める要素のひとつ。高いからいいわけでもありません」

自分でまぐろを味わって、本物の味を知ること。情報だけに流されず、味わい、知ることが、高騰が続く現状を打破する策のひとつにもなるのだと力を込めました。

次なる登壇者は遠洋まぐろのはえ縄漁業を営む『株式会社 臼福本店』の臼井壯太朗氏。一度は激減し、絶滅危惧種に指定された大西洋クロマグロの復活例を引き合いに、氏もまた、これから日本が取り組むべき課題をこうまとめていました。
「ヨーロッパでは、サステナブルな魚を選ぶ時代になっている。日本の消費者の価値観を変えていきたい。養殖のほうが手軽に食べられるとされるけれど、実はサステナブルとは言えない点が多い。そういう知識を持つことが、次世代へつなげることになる」

そこには様々な問題やしがらみがあることも承知の上で、こうした場でまぐろのおかれた現状を知った人たちが裾野から少しずつ情報を伝え広めていくことが、今後の鍵を握るとも話してくれました。

左から『すきやばし次郎』小野禎一氏、『カンテサンス』岸田周三氏。日本を代表する両店は何を思う?

モデレーターを務めたマッキー牧元氏。小野氏、岸田氏との親交もあり、フードジャーナリストならではの目線でまぐろに切り込んだ。

まぐろミーティング vol.1極上のまぐろに出会えるのは年に数本。30年前との激変ぶり!

最後のゲストは、寿司屋とフレンチを代表する2店からお二人が登場。『すきやばし次郎』小野禎一氏と三ツ星フレンチ『カンテサンス』岸田周三氏が登壇しました。モデレーターは、タベアルキストのマッキー牧元氏が務め、料理人、ジャーナリストの立場からの見解を示すことに。その中で小野氏は、ここ5年ぐらいで急激にまぐろを取り巻く状況が悪化したと嘆きます。
「30年くらい前は、毎日河岸に行って、好きな部位を好きなだけ買えるほどあったと、父(小野二郎氏)に聞いています。自分が河岸に行くうようになったのが25年ほど前で、その時はすでにいいまぐろと出会えなくなった日もちらほら出てきました」

そして、「それが“嫌な予感”となったのはいつぐらいですか」とのマッキー牧元氏の問にはこう答えます。
「15年くらい前からですね。そうしてだんだん少なくなって、ここ5年で急にいいまぐろは姿を消し始めた。いまは『これは素晴らしい!』というまぐろに出会えるのは、年に2、3本だけ」なのだそうです。

一方、岸田氏は、自らのレストランでまぐろを使うことはありませんが、太平洋クロマグロの置かれる状況については、料理人として真剣に向き合うべき課題だともいいます。
「私自身、まぐろに限らず、『魚の質が全体的に下がってきているな』という感覚はありました。2年くらい前に初めてまぐろの状況を佐々木(ひろこ)さんに聞いて、自分なりに勉強していくと、その中でもやはりまぐろはとくに危機的状況にあるんだなと実感したところです」といいます。

続いて、マッキー牧元氏が「これは小野二郎さんから聞いた話ですが」と前置きをし、
「いいまぐろを知っている客が少なくなって、それは言葉でしか伝えられなくなっていくのではないか」とも話してくれました。本物のまぐろの味が伝聞でしか知り得なくなるかもしれない。そんな状況までまぐろは追い込まれているのです。

今回ゲストとして招かれた10名。まぐろを取り巻く様々な問題が浮き彫りになったイベントとなった。

まぐろミーティング vol.1問題提起で終わらない。知ってもらうことがまぐろの未来を救う第一歩に。

それぞれがそれぞれの立場で、太平洋クロマグロの危機的状況を説いてくれた今回の『まぐろミーティング vol.1』。しかし、これは単なる問題提起にしか過ぎません。これが何かを解決するものでもありません。これは解決のための第一歩なのです。

かつて大西洋クロマグロが絶滅の危機から復活した事例をみても、太平洋クロマグロの漁獲規制を整備していけば、問題が少しずつでも解消されるのは明らかです。現在はやっと導入が成立した段階で、その規制内容にはまだまだ問題が多いのが現実。より良い方向に進むためには、まず皆がこの状況を知ることが大切で、メディアがきちんと取り上げ大きな社会的問題になれば、規制に関わる法律の整備が急速に進むことでしょう。

そのための、まずは第一歩。多くの方に知ってもらうこと、関心を持ってもらうことが、まぐろの未来を救うとONESTORYも考えます。

市場にまぐろがずらりと並ぶ。当たり前と思っていた光景を守るためにも、現状を広く知ってもらうことを願う。

「まぐろが危ない!」。各界を代表するゲストが会し、まぐろの未来を本気で語り合った1日に迫る![まぐろミーティング vol.1/東京都中央区]

国内有数の生まぐろの水揚げ高を誇る和歌山県那智勝浦町の勝浦漁港。港には太平洋クロマグロ、めばち、きはだなど、4種のまぐろが水揚げされる。

まぐろミーティング vol.1今から考えても遅くない! 太平洋クロマグロを救うのに何ができる!?

去る1021日、築地で『まぐろミーティング vol.1』という名のイベントが、『一般社団法人 Chefs for the Blue』の協力のもと密かに開催されました。ゲストとして登場する面々は、『すきやばし次郎』の小野禎一氏、『カンテサンス』の岸田周三氏、『一般社団法人 Chefs for the Blue』理事の佐々木ひろこ氏、タベアルキストのマッキー牧元氏、さらに、豊洲市場から『株式会社フジタ水産』の代表取締役・藤田浩毅氏、大間のまぐろ漁師の南芳和氏といった各界を代表する顔ぶれ。そんなゲストが一堂に会し、一体何が行われるのでしょうか? まぐろのうまい食べ方でも討論されるイベントかと思えば、事態はもっと深刻なものでした。

「太平洋クロマグロ(近海本まぐろ)が、危機に瀕している」
「寿司屋から本まぐろが消える日がくるかもしれない」

にわかに信じがたいそんなことを本気で語り合うのが、今回のイベントの趣旨でした。そのことを世に訴え、まぐろの未来を皆で考えようと『日本の魚を考える会』が先頭に立ち、『一般社団法人 Chefs for the Blue』の協力のもと企画した今回のイベント。前述したゲストも皆、その危機に立ち向かおうと、登壇を決めた方々でした。

日本の食文化の一角を担う、まぐろがなくなる? まさか、そんなこと。と、はじめは半信半疑だった取材班も、話を聞くにつれ、次第に考えが変わりました。大学教授が示したデータに目を疑い、漁師や仲卸など、まぐろと密接に関わる現場の訴えに悲壮感を覚え、料理人の声に焦りを募らせ、他人事ではないことを強く実感。たどり着いた答えは、日本人が本気でまぐろの未来について考えるのは、今しかないということ。
寿司屋から、日本の食文化から、まぐろが消えて無くなる前に

東京海洋大学准教授・勝川俊雄氏。さまざまなデータをもとに、太平洋クロマグロが置かれている危機的状況を紹介した。

まぐろのおかれた現状を知ろうと、メディアを中心にしたさまざまな参加者が詰めかけた。

まぐろミーティング vol.1東京海洋大学・勝川教授が示した、太平洋クロマグロのデータ。会場に衝撃が走る!

今回、『日本の魚を考える会』が主催となり、『一般社団法人 Chefs for the Blue』の協力のもと開催された「まぐろミーティング vol.1」。イベントは4つのプログラムで構成され、各界を代表して招かれたゲストたちが、それぞれの置かれた立場から、危機に瀕する太平洋クロマグロについて、その見識や経験を交えて問題提起をする機会となりました。

その先陣を切ったのが、東京海洋大学准教授・勝川俊雄氏。モデレーターは、『一般社団法人 Chefs for the Blue』の理事で、フードジャーナリストの佐々木ひろこ氏が務め、イベントは幕を開けました。そこでいきなり、取材班は近海本まぐろの危機的現実を叩きつけられることになったのです。

太平洋まぐろ類国際科学委員会の出した報告書では、太平洋クロマグロ(近海本マグロ)の資源量は乱獲により過去最低レベルまでに落ちこみ、漁業が始まる以前の推定初期魚量に対して95%以上も減少したと言われています。

そして勝川氏が問題視するのは、産卵期における太平洋クロマグロの巻き網漁の漁獲だといいます。太平洋クロマグロは、その習性からある一定の温度帯の海水域でしか産卵せず、回遊魚でありながら、その産卵場所は日本の排他的海水域である、日本海と南西諸島の2箇所でしか産卵しないのです。そうして一堂に集まってくる太平洋クロマグロを、日本の漁船は産卵場で待ち構えるのです。
「巻き網は、群れになった魚を網でぐるりと巻いて、まさに一網打尽にできるため、効率が良い一方で、乱獲につながりやすい危険性もあるんです」

そこにモデレーターの佐々木氏が続きます。
「漁師が一本一本丁寧に処理する一本釣りやはえ縄漁と違い、一度にトン単位の魚が獲れる巻き網漁では、すぐに血抜きや神経締めができません。魚にとってはストレスのかかる状況で、太平洋クロマグロの体温も40度近くまで上がり、品質は一気に低下する。いわゆる身焼けをおこしてしまうのです」

さらにいえば、産卵期のまぐろは栄養が卵へといくため、身質はよくないと、勝川氏は説明してくれます。当然、そうして水揚げされた太平洋クロマグロは、市場で売れ残ることが多く、スーパーや回転寿司店などへと安く叩き売られることになります。問題は、ここまで資源が減少しているさなか、このように卵をはらんだ母まぐろが薄利多売されていることなのだと、勝川氏は提起してくれました。

それだけでなく、勝川氏は、漁獲量の減少、漁の種類、まぐろの幼魚(ヨコワ)を獲らずに6年後に漁獲した場合のメリットなどを、さまざまなデータと資料をもとに解説。太平洋クロマグロのおかれた現状を深掘りしてくれました。

左から、『株式会社 フジタ水産』の藤田浩毅氏、『株式会社 魚忠』の新田忠明氏、大間の一本釣り漁師の南芳和氏。現場の危機感を訴えかけた。

モデレーターを務めたのは、ノンフィクション作家の中原一歩氏。全国のまぐろの生産地をめぐり、取材を続ける。

「大西洋クロマグロ復活の成功例から」というテーマで話を進めた、『株式会社 臼福本店』の臼井壯太朗氏。

まぐろミーティング vol.1資料から紐解いた危機感を、卸商と仲卸、漁師の3者が現場目線で説く。

そして、太平洋クロマグロについては現場目線からの声を聞き、さらなる深刻さを痛感することになります。大間のマグロ卸商である『株式会社魚忠』の新田忠明氏、豊洲市場のマグロ仲卸『株式会社フジタ水産』の藤田浩毅氏、大間でまぐろを一本釣りする漁師・南芳和氏の3名が登壇し、太平洋クロマグロの現状を、自らの仕事を通しての実感値で語ってくれました。

まず、新田氏からは、今年の卸値について。
「今年は最初からとんでもない価格から始まっていた。上はキロ2万円まで達し、その一方で下はキロ3,000円もあったりと。その差が大きすぎて、現場はますます混乱してしまっている状況ですね」

その説明に同じ反応を示すのが南氏で、「自分はただただ、一本釣りが好きで漁師を続けてきました。漁に出て、やって、やって、やりきって、どれだけいいまぐろを釣れるか。それが楽しかったし、この仕事のやりがい。ですが、いまは漁獲規制※の枠が少ない分、価格を気にしないといけない時代になってしまいました」

2018年より成魚(30kg以上)の漁獲制限が導入されましたが、その内訳はというと、大中巻き網業者に全体の7割、一本釣りやはえ縄漁師など圧倒的に数の多い沿岸漁業者に3割。大中巻き網業者に対して圧倒的に少ない配分のため、沿岸まぐろ漁業者の生活は逼迫しているそうです。

一方で、藤田氏の口からは、豊洲市場での仲卸の立場としてこんな意見も。
SNS全盛の時代で、いろんな情報が入ってくると思うのですが、目と耳で食べる人が多すぎて、『しっかり自分の舌で味わってほしい』ということをすごく思っています」といい、それがマグロの高騰にもつながっているのではないかと説きます。
「『サシがいっぱい入っている』とか『1番高いから』という情報が好きな人も実際たくさんいる。けれど、それが美味しいかといったら、必ずしもそうではない。脂ののりが味を決めるわけではなく、脂ののりは味を決める要素のひとつ。高いからいいわけでもありません」

自分でまぐろを味わって、本物の味を知ること。情報だけに流されず、味わい、知ることが、高騰が続く現状を打破する策のひとつにもなるのだと力を込めました。

次なる登壇者は遠洋まぐろのはえ縄漁業を営む『株式会社 臼福本店』の臼井壯太朗氏。一度は激減し、絶滅危惧種に指定された大西洋クロマグロの復活例を引き合いに、氏もまた、これから日本が取り組むべき課題をこうまとめていました。
「ヨーロッパでは、サステナブルな魚を選ぶ時代になっている。日本の消費者の価値観を変えていきたい。養殖のほうが手軽に食べられるとされるけれど、実はサステナブルとは言えない点が多い。そういう知識を持つことが、次世代へつなげることになる」

そこには様々な問題やしがらみがあることも承知の上で、こうした場でまぐろのおかれた現状を知った人たちが裾野から少しずつ情報を伝え広めていくことが、今後の鍵を握るとも話してくれました。

左から『すきやばし次郎』小野禎一氏、『カンテサンス』岸田周三氏。日本を代表する両店は何を思う?

モデレーターを務めたマッキー牧元氏。小野氏、岸田氏との親交もあり、フードジャーナリストならではの目線でまぐろに切り込んだ。

まぐろミーティング vol.1極上のまぐろに出会えるのは年に数本。30年前との激変ぶり!

最後のゲストは、寿司屋とフレンチを代表する2店からお二人が登場。『すきやばし次郎』小野禎一氏と三ツ星フレンチ『カンテサンス』岸田周三氏が登壇しました。モデレーターは、タベアルキストのマッキー牧元氏が務め、料理人、ジャーナリストの立場からの見解を示すことに。その中で小野氏は、ここ5年ぐらいで急激にまぐろを取り巻く状況が悪化したと嘆きます。
「30年くらい前は、毎日河岸に行って、好きな部位を好きなだけ買えるほどあったと、父(小野二郎氏)に聞いています。自分が河岸に行くうようになったのが25年ほど前で、その時はすでにいいまぐろと出会えなくなった日もちらほら出てきました」

そして、「それが“嫌な予感”となったのはいつぐらいですか」とのマッキー牧元氏の問にはこう答えます。
「15年くらい前からですね。そうしてだんだん少なくなって、ここ5年で急にいいまぐろは姿を消し始めた。いまは『これは素晴らしい!』というまぐろに出会えるのは、年に2、3本だけ」なのだそうです。

一方、岸田氏は、自らのレストランでまぐろを使うことはありませんが、太平洋クロマグロの置かれる状況については、料理人として真剣に向き合うべき課題だともいいます。
「私自身、まぐろに限らず、『魚の質が全体的に下がってきているな』という感覚はありました。2年くらい前に初めてまぐろの状況を佐々木(ひろこ)さんに聞いて、自分なりに勉強していくと、その中でもやはりまぐろはとくに危機的状況にあるんだなと実感したところです」といいます。

続いて、マッキー牧元氏が「これは小野二郎さんから聞いた話ですが」と前置きをし、
「いいまぐろを知っている客が少なくなって、それは言葉でしか伝えられなくなっていくのではないか」とも話してくれました。本物のまぐろの味が伝聞でしか知り得なくなるかもしれない。そんな状況までまぐろは追い込まれているのです。

今回ゲストとして招かれた10名。まぐろを取り巻く様々な問題が浮き彫りになったイベントとなった。

まぐろミーティング vol.1問題提起で終わらない。知ってもらうことがまぐろの未来を救う第一歩に。

それぞれがそれぞれの立場で、太平洋クロマグロの危機的状況を説いてくれた今回の『まぐろミーティング vol.1』。しかし、これは単なる問題提起にしか過ぎません。これが何かを解決するものでもありません。これは解決のための第一歩なのです。

かつて大西洋クロマグロが絶滅の危機から復活した事例をみても、太平洋クロマグロの漁獲規制を整備していけば、問題が少しずつでも解消されるのは明らかです。現在はやっと導入が成立した段階で、その規制内容にはまだまだ問題が多いのが現実。より良い方向に進むためには、まず皆がこの状況を知ることが大切で、メディアがきちんと取り上げ大きな社会的問題になれば、規制に関わる法律の整備が急速に進むことでしょう。

そのための、まずは第一歩。多くの方に知ってもらうこと、関心を持ってもらうことが、まぐろの未来を救うとONESTORYも考えます。

市場にまぐろがずらりと並ぶ。当たり前と思っていた光景を守るためにも、現状を広く知ってもらうことを願う。

人の命を救う卵を食卓へ。[グリーンファーム久住/大分県竹田市]

こんもりと盛り上がる円盤型の卵は、柔らかな黄色味が特徴。

グリーンファーム久住3世代で営む平飼い飼育農場。

頑丈な殻をコツンと割ると、中からはぷっくりとした弾力のある身が。箸で黄身をつまむと白身までが一緒に持ち上がるほど力強い卵は、平飼いで育った健康でたくましい母鶏から産まれます。壮大な高原が広がる久住町で、全国でも数少ないヒナから平飼いで飼育を行う『グリーンファーム久住』。鶏たちのことを第一に考えた経営が、新鮮で高品質な卵を消費者へ届けることができると信じ、3世代にわたり養鶏を続けてきました。今回は、久住町が育んだ卵の魅力に迫ります。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

左から社長の荒牧洋一氏、久住での養鶏を始めた光氏、後継者の大貴氏。

まずは卵そのものの味をしっかりと楽しむことができる卵かけご飯や、目玉焼きがお勧めだという。

グリーンファーム久住地域を救う鶏が産んだ、命を救う卵。

「地域を活性化するために新たな産業を」、1964年に竹田市久住町で協栄養鶏組合を立ち上げ、養鶏の事業を始めました。その中心となったのが荒牧 光氏でした。

牛飼いや米農家をしていた荒牧氏は、夫婦で温泉旅行に行った先でたまたま行われていた養鶏の講習会に興味を持ち参加。養鶏が環境に良いこと、そして地域の新しい産業に最適だということを学び、久住町へと持ち帰ったのです。

養鶏を始める際に荒牧氏が大切にしたことは「鶏にも自然にも良い環境を作る」こと。そのために高原地帯である久住町の広大な敷地を利用し、放し飼いで飼育する平飼い養鶏を取り入れ、更に鶏糞で作る堆肥を使い始めました。

生まれたてのヒナの時から太陽の光と高原の風が入る開放的な平飼い鶏舎で暮らした鶏たちは、ケージに一度も入らないためストレスを感じることなく、自然に近い状態で大きく育ちます。鶏舎の床には鶏糞を敷き詰めており、その上を鶏たちが縦横無尽に歩き回ることで鶏糞が堆肥化。栄養や微生物が豊富な堆肥を鶏がついばむことで、腸内環境が改善され、健康な鶏たちが育つのです。

一般的には生まれたてのヒナの時からケージに入り、箱入り娘状態のヒナ。それを生まれたてのヒナの時から、自然にもまれながらたくさん運動し、土の上で自由にのびのびと動き回る荒牧氏の鶏たちは、高品質な卵を産み、それらは人間用のインフルエンザワクチンに用いられる原料卵にも最適だと認定されました。そこから人の命を救う卵の出荷が始まったのです。

生まれたてのヒナも平飼いの鶏舎に入る。卵を産むまでの120日間、自然に揉まれながら丈夫な身体を作っていく。

暖かな陽光が差し込み、高原の風が抜ける平飼いの鶏舎。久住の厳しい寒暖差をも耐え抜いてたくましく育つ。

鶏舎の床には50cmもの堆肥の層がある。堆肥化した鶏糞は砂のようにさらさらで、悪臭もせず、環境にも良い。

グリーンファーム久住こだわりの卵を食卓へ届ける。

インフルエンザワクチンの原料卵の生産を行ってきた荒牧氏は、需要の高まりを受けて大型養鶏場の「三本松種鶏場」を設立しました。息子の洋一氏と事業を続けていくうちに、品質の高さを知った生活協同組合から契約農場の話が舞い込みました。そして誕生したのが『グリーンファーム久住』です。今まで培ってきたノウハウを生かし、ヒナから平飼いで育てる鶏舎を設置。安全で安心な卵を食卓へ届けるために、遺伝子組み換えのない穀物や国産の飼料用玄米を使ったエサを与えています。
「卵の中身はどの餌を食べさせるかによって決まる。だから人が安心して卵を食べられるようにエサの品質には徹底的にこだわっているんです」と荒牧氏は話します。

更に『グリーンファーム久住』の卵は殺菌や水洗いを行わない「無洗卵」で出荷されます。
「卵の周りには母鶏から産み落とされた時に形成される「クチクラ層」という保護膜がついており、その膜は外部からの菌の侵入を防ぐという役割を担っているのです。その保護膜を守り、新鮮な卵を届けるためにここではブラッシングのみを行っています」と荒牧氏。

鶏のために、地域のために、そして消費者のために。様々なこだわりを持ち経営を続けてきた『グリーンファーム久住』は今、転換期に差しかかっています。

飲み水には久住高原の新鮮な地下水を使用している。

選別およびパッキングのセンターを自社で保有し、品質の管理を徹底。

久住町にある卵の自動販売機。卵は毎日補充され、新鮮な卵を購入できる。

グリーンファーム久住変えるべきもの、変えないもの。

2017年夏、荒牧洋一氏の長男・大貴氏が、家業を継ぐため東京からUターンしました。
「会長や社長の思いを受け継いで、地域を良くするためにできることが私にはあると思って」と大貴氏は話します。

生産方法やこだわりはそのままに、東京での社会人経験で培った目で変えていくべきところは改革していこうと、社内システムの改善や対外的なプロモーションを実施。手書きが多かった育成記録のデジタル化や、養鶏に対する思いやこだわりを届けるためにホームページとパンフレットの制作に加え、『グリーンファーム久住』の品質にお墨付きを得るための品質認証取得にも取り組んでいます。

「安心・安全、環境維持を追求する『グリーンファーム久住』に時代が追いついてきたと思います。それをうまく捉えてこれからも社会にあり続ける会社であるために、変えるべきところは改善する。養鶏の基礎や鶏自体を深く知ることはもちろんですが、品質管理の向上や、IT化、認証の取得、顧客の獲得などに、時代の変化と照らし合わせながら会社をしっかりと存続させる体制をつくっていきたいですね。売り上げが上がって会社が拡大すれば、地域の人をもっと雇用できるし、従業員の休みも増やせるかもしれない。創業時の想いを受け継ぎ、私たちは常に社員にとって、地域にとって、鶏にとって、何が最善かということを考えて運営していきたいと思っています」と大貴氏は語ります。

今後は『グリーンファーム久住』の特長である平飼いの鶏舎を拡大し、会社も地域も守っていきたいと話す大貴氏。親子3世代、品質に正直な卵作りで地域の未来を担います。

人事系のコンサルティング会社に勤め、海外での勤務経験もある大貴氏。養鶏の先進地であるヨーロッパとも積極的に交流を深めている。

鶏舎ではオスも一緒に暮らす。なるべく自然な状態を保つため、人間は鶏舎の中にあまり入らないようにしている。

住所:大分県竹田市久住町大字久住4066番地2 MAP
電話:0974-76-1411
グリーンファーム久住 HPhttp://www.kuju-egg.jp/
※家畜伝染病予防のため、養鶏場内での卵の販売は行っておりません。

人の命を救う卵を食卓へ。[グリーンファーム久住/大分県竹田市]

こんもりと盛り上がる円盤型の卵は、柔らかな黄色味が特徴。

グリーンファーム久住3世代で営む平飼い飼育農場。

頑丈な殻をコツンと割ると、中からはぷっくりとした弾力のある身が。箸で黄身をつまむと白身までが一緒に持ち上がるほど力強い卵は、平飼いで育った健康でたくましい母鶏から産まれます。壮大な高原が広がる久住町で、全国でも数少ないヒナから平飼いで飼育を行う『グリーンファーム久住』。鶏たちのことを第一に考えた経営が、新鮮で高品質な卵を消費者へ届けることができると信じ、3世代にわたり養鶏を続けてきました。今回は、久住町が育んだ卵の魅力に迫ります。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

左から社長の荒牧洋一氏、久住での養鶏を始めた光氏、後継者の大貴氏。

まずは卵そのものの味をしっかりと楽しむことができる卵かけご飯や、目玉焼きがお勧めだという。

グリーンファーム久住地域を救う鶏が産んだ、命を救う卵。

「地域を活性化するために新たな産業を」、1964年に竹田市久住町で協栄養鶏組合を立ち上げ、養鶏の事業を始めました。その中心となったのが荒牧 光氏でした。

牛飼いや米農家をしていた荒牧氏は、夫婦で温泉旅行に行った先でたまたま行われていた養鶏の講習会に興味を持ち参加。養鶏が環境に良いこと、そして地域の新しい産業に最適だということを学び、久住町へと持ち帰ったのです。

養鶏を始める際に荒牧氏が大切にしたことは「鶏にも自然にも良い環境を作る」こと。そのために高原地帯である久住町の広大な敷地を利用し、放し飼いで飼育する平飼い養鶏を取り入れ、更に鶏糞で作る堆肥を使い始めました。

生まれたてのヒナの時から太陽の光と高原の風が入る開放的な平飼い鶏舎で暮らした鶏たちは、ケージに一度も入らないためストレスを感じることなく、自然に近い状態で大きく育ちます。鶏舎の床には鶏糞を敷き詰めており、その上を鶏たちが縦横無尽に歩き回ることで鶏糞が堆肥化。栄養や微生物が豊富な堆肥を鶏がついばむことで、腸内環境が改善され、健康な鶏たちが育つのです。

一般的には生まれたてのヒナの時からケージに入り、箱入り娘状態のヒナ。それを生まれたてのヒナの時から、自然にもまれながらたくさん運動し、土の上で自由にのびのびと動き回る荒牧氏の鶏たちは、高品質な卵を産み、それらは人間用のインフルエンザワクチンに用いられる原料卵にも最適だと認定されました。そこから人の命を救う卵の出荷が始まったのです。

生まれたてのヒナも平飼いの鶏舎に入る。卵を産むまでの120日間、自然に揉まれながら丈夫な身体を作っていく。

暖かな陽光が差し込み、高原の風が抜ける平飼いの鶏舎。久住の厳しい寒暖差をも耐え抜いてたくましく育つ。

鶏舎の床には50cmもの堆肥の層がある。堆肥化した鶏糞は砂のようにさらさらで、悪臭もせず、環境にも良い。

グリーンファーム久住こだわりの卵を食卓へ届ける。

インフルエンザワクチンの原料卵の生産を行ってきた荒牧氏は、需要の高まりを受けて大型養鶏場の「三本松種鶏場」を設立しました。息子の洋一氏と事業を続けていくうちに、品質の高さを知った生活協同組合から契約農場の話が舞い込みました。そして誕生したのが『グリーンファーム久住』です。今まで培ってきたノウハウを生かし、ヒナから平飼いで育てる鶏舎を設置。安全で安心な卵を食卓へ届けるために、遺伝子組み換えのない穀物や国産の飼料用玄米を使ったエサを与えています。
「卵の中身はどの餌を食べさせるかによって決まる。だから人が安心して卵を食べられるようにエサの品質には徹底的にこだわっているんです」と荒牧氏は話します。

更に『グリーンファーム久住』の卵は殺菌や水洗いを行わない「無洗卵」で出荷されます。
「卵の周りには母鶏から産み落とされた時に形成される「クチクラ層」という保護膜がついており、その膜は外部からの菌の侵入を防ぐという役割を担っているのです。その保護膜を守り、新鮮な卵を届けるためにここではブラッシングのみを行っています」と荒牧氏。

鶏のために、地域のために、そして消費者のために。様々なこだわりを持ち経営を続けてきた『グリーンファーム久住』は今、転換期に差しかかっています。

飲み水には久住高原の新鮮な地下水を使用している。

選別およびパッキングのセンターを自社で保有し、品質の管理を徹底。

久住町にある卵の自動販売機。卵は毎日補充され、新鮮な卵を購入できる。

グリーンファーム久住変えるべきもの、変えないもの。

2017年夏、荒牧洋一氏の長男・大貴氏が、家業を継ぐため東京からUターンしました。
「会長や社長の思いを受け継いで、地域を良くするためにできることが私にはあると思って」と大貴氏は話します。

生産方法やこだわりはそのままに、東京での社会人経験で培った目で変えていくべきところは改革していこうと、社内システムの改善や対外的なプロモーションを実施。手書きが多かった育成記録のデジタル化や、養鶏に対する思いやこだわりを届けるためにホームページとパンフレットの制作に加え、『グリーンファーム久住』の品質にお墨付きを得るための品質認証取得にも取り組んでいます。

「安心・安全、環境維持を追求する『グリーンファーム久住』に時代が追いついてきたと思います。それをうまく捉えてこれからも社会にあり続ける会社であるために、変えるべきところは改善する。養鶏の基礎や鶏自体を深く知ることはもちろんですが、品質管理の向上や、IT化、認証の取得、顧客の獲得などに、時代の変化と照らし合わせながら会社をしっかりと存続させる体制をつくっていきたいですね。売り上げが上がって会社が拡大すれば、地域の人をもっと雇用できるし、従業員の休みも増やせるかもしれない。創業時の想いを受け継ぎ、私たちは常に社員にとって、地域にとって、鶏にとって、何が最善かということを考えて運営していきたいと思っています」と大貴氏は語ります。

今後は『グリーンファーム久住』の特長である平飼いの鶏舎を拡大し、会社も地域も守っていきたいと話す大貴氏。親子3世代、品質に正直な卵作りで地域の未来を担います。

人事系のコンサルティング会社に勤め、海外での勤務経験もある大貴氏。養鶏の先進地であるヨーロッパとも積極的に交流を深めている。

鶏舎ではオスも一緒に暮らす。なるべく自然な状態を保つため、人間は鶏舎の中にあまり入らないようにしている。

住所:大分県竹田市久住町大字久住4066番地2 MAP
電話:0974-76-1411
グリーンファーム久住 HPhttps://www.kuju-egg.jp/
※家畜伝染病予防のため、養鶏場内での卵の販売は行っておりません。

「雨」までも旅の魅力になる、新しい価値観の宿。[雨庵 金沢/石川県金沢市]

雨のひがし茶屋街。濡れた石畳が風情を増す。

雨庵 金沢「弁当忘れても、傘忘れるな」。1年の約半分が雨の街。

金沢は日本でも有数の「雨の街」。年間約 160 日は雨が降るといわれ、2016年の年間降水量は東京の1,779mmに比べ2,390mmと約1.3倍。せっかく金沢を訪れたのに雨だった……という経験をお持ちの方もいるのではないでしょうか。

そんな金沢の天候を逆手に取った、「雨を楽しむ」というコンセプトのホテルが2017年12月に開業しました。それが『雨庵 金沢』です。運営は全国にホテルを展開する『ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ』ですが、ブランディングやデザインは山﨑晴太郎氏率いる「セイタロウデザイン」が担当。新しいホテルブランドを生み出すにあたり、『ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ』は「旅行とは何か?」「ホテルの概念とは何か?」という原点に立ち返り、新しい宿泊体験の提供を目指しました。その想いを汲み取り、「セイタロウデザイン」は金沢を丁寧に深掘り。そこで着目したのは金沢という土地の天候と文化との関係性でした。

「金沢の街には雨だからこそ気付く美しさや発見が溢れています。“今日は、雨で運が良かった”とお客様に思ってもらえること。本当の意味で金沢と深くつながる特別な時間をつくるために、意図的に『雨庵 金沢』という、今までのホテルではあり得なかったネーミングとコンセプトを設計しました」(セイタロウデザイン)。ホテルのデザインは、雨の金沢を最大限に味わえるよう、ハードとソフト双方から工夫を凝らしました。

控えめな玄関の『雨庵 金沢』。壁面は、目の粗い石英によって柔らかな陰影を表現。

雨庵 金沢茶屋をイメージ。一歩も外に出たくなくなるほどの心地よさ。

ホテルがあるのは兼六園、金沢城公園のすぐ近く。カラフルなステンドグラスが美しい尾山神社もそばにあり、情緒溢れる金沢の中心部です。ここにひっそり佇む『雨庵 金沢』は、まるで街に隠れるように、外壁が木の格子で覆われたシックな外観です。壁面には菱川師宣の浮世絵の雨の線表現からインスピレーションを受けた、ランダムな縦ルーバー。雨濡れで知られるひがし茶屋街の石畳をモチーフにした石材タイルも印象的です。

客室はわずか47室。こぢんまりした空間ですが、インテリアは現代の「茶屋」をイメージして1部屋1部屋に趣向を凝らしています。小さな坪庭が配されていたり、茶室を思わせるような丸窓が設けられていたりと、日本古来の美意識をそこかしこにしのばせ、訪れた人にまるで自分の部屋にいるかのような寛ぎを与えてくれます。

洗面台を2台設置した、ゆとりある設計のプレミアテラスツイン。

小さな坪庭など、茶室のように緑が取り入れられている。

雨庵 金沢アートと工芸に触れられるホテル内ギャラリー。

なぜ、『雨庵 金沢』が「雨を楽しむ」ホテルなのでしょうか。その理由は、ラウンジ「ハレの間」にあります。まずはそのギャラリーのような展示空間。ここには金沢で活躍する作家や職人とコラボレーションした現代アートや工芸作品が飾られています。例えば、世界的書道家でアーティストの紫舟(Shisyu)氏による書の彫刻「雨」は、光をあてることで生まれる影も作品を構成する要素として、壁に「雨」の文字を映し出します。また書家が紙に文字を書く時の筆圧や紙の奥行き感を立体化した書のキュビスム「雨上天澄」も、新しい書の表現として独特な存在感を放っています。

伝統と芸術が調和する金沢の街並みを体現するような書体のエレメント。

雨庵 金沢加賀百万石の文化、伝統がそこかしこに。

他にも、金沢を拠点に活動するクリエイターチーム「secca」が「雨の街金沢で、雨のある景色を愉しむ」を6130本の糸によって表現した「雨虹糸」、和紙と漆という伝統的な素材を組み合わせた「金沢和紙アート」、幕能登・加賀・越中の風習「花嫁のれん」を受け継ぐ金沢の伝統工芸品「加賀のれん」、加賀藩独自の紺屋職人の技術や友禅染の繊細な美意識を感じられる「加賀風呂敷」なども展示され、まるで小さな美術館のように目を楽しませてくれます。

「雨虹糸」は 6,130日分の金沢の雨の情報が糸によって表現されている。

雨庵 金沢書斎にも、語らいの場にもなるラウンジ。

ラウンジで自分の自由な時間を過ごすためのサービスも充実。金沢は「天下の書府」と呼ばれたほど学問が盛んな街であり、ライブラリーにはアートブックや小説など様々な書籍が用意されています。読書をしながら、金沢の普段のお茶である番茶「加賀棒茶」をはじめ、コーヒーやジュースと一緒にお茶菓子を楽しめる無料サービスも。夜には食事の後のシメにピッタリな日本蕎麦も振る舞われます。また金沢には美味しい日本酒が数多くありますが、バーカウンターではこれらの日本酒のテイスティングを有料で楽しめます。

ラウンジのランプシェードは雨粒がモチーフ。

加賀の地酒を飲みながら旅の話に花を咲かせてみては。

夜食に、お酒のアテに、軽く蕎麦を楽しむのもいい。

雨庵 金沢旅のお土産、思い出作りもホテル内で。

伝統工芸体験をホテル内で楽しめるのも『雨庵 金沢』の魅力。宿泊者限定で豆皿やぐい呑みの絵付け体験、加賀友禅きもの体験、水引のアクセサリー制作体験など、ここでしかできないワークショップを用意。「たとえ雨で出かけられなかったとしても、旅の想い出づくりを」という粋なはからいです。

自分で絵付けを施した器は、思い入れもひとしお。

雨庵 金沢加賀の風土で育った食材を詰め込んだ朝食。

近くに近江町市場があるので海鮮丼や干物の朝食もお勧めですが、ホテル内でも地元の味覚を頂けるので安心です。朝食は和洋から選べ、和食は、石川県産米「夢ごこち」の炊き立てご飯、ノドグロの焼き物、ご飯によく合う数種類の小鉢とお椀などの内容。洋食は、能登豚のハムやウインナーに、能登野菜を使ったポタージュスープ、地元人気店のパンが数種類つきます。

いずれも加賀野菜のサラダが付く。写真は洋食の一例。

雨庵 金沢今日は雨が降るといいな、と言える旅を。

もちろん雨だからといって部屋に籠もっているのではなく、雨だからこそ出かけたくなる魅力があるのも金沢。雨に濡れる茶屋街の石畳、より緑が濃くなる兼六園の木々、しっとりと風情を醸し出す武家屋敷街……。もしかしたら金沢は、雨の日こそ輝きが増す街なのかもしれません。金沢の街では「置き傘プロジェクト」を実施しており、主要観光地のお店では誰でも無料で借りられる傘を用意しています。『雨庵 金沢』に泊まって、雨の街をあえて楽しむ。そんな旅もたまにはいいかもしれませんね。

ラウンジも客室も、全てが雨の金沢を魅力にするためにデザインされている。

住所:石川県金沢市尾山町6-30 MAP
電話:076 260 0111
雨庵 金沢 HP:https://www.uan-kanazawa.com/

「雨」までも旅の魅力になる、新しい価値観の宿。[雨庵 金沢/石川県金沢市]

雨のひがし茶屋街。濡れた石畳が風情を増す。

雨庵 金沢「弁当忘れても、傘忘れるな」。1年の約半分が雨の街。

金沢は日本でも有数の「雨の街」。年間約 160 日は雨が降るといわれ、2016年の年間降水量は東京の1,779mmに比べ2,390mmと約1.3倍。せっかく金沢を訪れたのに雨だった……という経験をお持ちの方もいるのではないでしょうか。

そんな金沢の天候を逆手に取った、「雨を楽しむ」というコンセプトのホテルが2017年12月に開業しました。それが『雨庵 金沢』です。運営は全国にホテルを展開する『ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ』ですが、ブランディングやデザインは山﨑晴太郎氏率いる「セイタロウデザイン」が担当。新しいホテルブランドを生み出すにあたり、『ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ』は「旅行とは何か?」「ホテルの概念とは何か?」という原点に立ち返り、新しい宿泊体験の提供を目指しました。その想いを汲み取り、「セイタロウデザイン」は金沢を丁寧に深掘り。そこで着目したのは金沢という土地の天候と文化との関係性でした。

「金沢の街には雨だからこそ気付く美しさや発見が溢れています。“今日は、雨で運が良かった”とお客様に思ってもらえること。本当の意味で金沢と深くつながる特別な時間をつくるために、意図的に『雨庵 金沢』という、今までのホテルではあり得なかったネーミングとコンセプトを設計しました」(セイタロウデザイン)。ホテルのデザインは、雨の金沢を最大限に味わえるよう、ハードとソフト双方から工夫を凝らしました。

控えめな玄関の『雨庵 金沢』。壁面は、目の粗い石英によって柔らかな陰影を表現。

雨庵 金沢茶屋をイメージ。一歩も外に出たくなくなるほどの心地よさ。

ホテルがあるのは兼六園、金沢城公園のすぐ近く。カラフルなステンドグラスが美しい尾山神社もそばにあり、情緒溢れる金沢の中心部です。ここにひっそり佇む『雨庵 金沢』は、まるで街に隠れるように、外壁が木の格子で覆われたシックな外観です。壁面には菱川師宣の浮世絵の雨の線表現からインスピレーションを受けた、ランダムな縦ルーバー。雨濡れで知られるひがし茶屋街の石畳をモチーフにした石材タイルも印象的です。

客室はわずか47室。こぢんまりした空間ですが、インテリアは現代の「茶屋」をイメージして1部屋1部屋に趣向を凝らしています。小さな坪庭が配されていたり、茶室を思わせるような丸窓が設けられていたりと、日本古来の美意識をそこかしこにしのばせ、訪れた人にまるで自分の部屋にいるかのような寛ぎを与えてくれます。

洗面台を2台設置した、ゆとりある設計のプレミアテラスツイン。

小さな坪庭など、茶室のように緑が取り入れられている。

雨庵 金沢アートと工芸に触れられるホテル内ギャラリー。

なぜ、『雨庵 金沢』が「雨を楽しむ」ホテルなのでしょうか。その理由は、ラウンジ「ハレの間」にあります。まずはそのギャラリーのような展示空間。ここには金沢で活躍する作家や職人とコラボレーションした現代アートや工芸作品が飾られています。例えば、世界的書道家でアーティストの紫舟(Shisyu)氏による書の彫刻「雨」は、光をあてることで生まれる影も作品を構成する要素として、壁に「雨」の文字を映し出します。また書家が紙に文字を書く時の筆圧や紙の奥行き感を立体化した書のキュビスム「雨上天澄」も、新しい書の表現として独特な存在感を放っています。

伝統と芸術が調和する金沢の街並みを体現するような書体のエレメント。

雨庵 金沢加賀百万石の文化、伝統がそこかしこに。

他にも、金沢を拠点に活動するクリエイターチーム「secca」が「雨の街金沢で、雨のある景色を愉しむ」を6130本の糸によって表現した「雨虹糸」、和紙と漆という伝統的な素材を組み合わせた「金沢和紙アート」、幕能登・加賀・越中の風習「花嫁のれん」を受け継ぐ金沢の伝統工芸品「加賀のれん」、加賀藩独自の紺屋職人の技術や友禅染の繊細な美意識を感じられる「加賀風呂敷」なども展示され、まるで小さな美術館のように目を楽しませてくれます。

「雨虹糸」は 6,130日分の金沢の雨の情報が糸によって表現されている。

雨庵 金沢書斎にも、語らいの場にもなるラウンジ。

ラウンジで自分の自由な時間を過ごすためのサービスも充実。金沢は「天下の書府」と呼ばれたほど学問が盛んな街であり、ライブラリーにはアートブックや小説など様々な書籍が用意されています。読書をしながら、金沢の普段のお茶である番茶「加賀棒茶」をはじめ、コーヒーやジュースと一緒にお茶菓子を楽しめる無料サービスも。夜には食事の後のシメにピッタリな日本蕎麦も振る舞われます。また金沢には美味しい日本酒が数多くありますが、バーカウンターではこれらの日本酒のテイスティングを有料で楽しめます。

ラウンジのランプシェードは雨粒がモチーフ。

加賀の地酒を飲みながら旅の話に花を咲かせてみては。

夜食に、お酒のアテに、軽く蕎麦を楽しむのもいい。

雨庵 金沢旅のお土産、思い出作りもホテル内で。

伝統工芸体験をホテル内で楽しめるのも『雨庵 金沢』の魅力。宿泊者限定で豆皿やぐい呑みの絵付け体験、加賀友禅きもの体験、水引のアクセサリー制作体験など、ここでしかできないワークショップを用意。「たとえ雨で出かけられなかったとしても、旅の想い出づくりを」という粋なはからいです。

自分で絵付けを施した器は、思い入れもひとしお。

雨庵 金沢加賀の風土で育った食材を詰め込んだ朝食。

近くに近江町市場があるので海鮮丼や干物の朝食もお勧めですが、ホテル内でも地元の味覚を頂けるので安心です。朝食は和洋から選べ、和食は、石川県産米「夢ごこち」の炊き立てご飯、ノドグロの焼き物、ご飯によく合う数種類の小鉢とお椀などの内容。洋食は、能登豚のハムやウインナーに、能登野菜を使ったポタージュスープ、地元人気店のパンが数種類つきます。

和洋ともに朝食は2,500円。写真は和食の一例。

いずれも加賀野菜のサラダが付く。写真は洋食の一例。

雨庵 金沢今日は雨が降るといいな、と言える旅を。

もちろん雨だからといって部屋に籠もっているのではなく、雨だからこそ出かけたくなる魅力があるのも金沢。雨に濡れる茶屋街の石畳、より緑が濃くなる兼六園の木々、しっとりと風情を醸し出す武家屋敷街……。もしかしたら金沢は、雨の日こそ輝きが増す街なのかもしれません。金沢の街では「置き傘プロジェクト」を実施しており、主要観光地のお店では誰でも無料で借りられる傘を用意しています。『雨庵 金沢』に泊まって、雨の街をあえて楽しむ。そんな旅もたまにはいいかもしれませんね。

ラウンジも客室も、全てが雨の金沢を魅力にするためにデザインされている。

住所:石川県金沢市尾山町6-30 MAP
電話:076 260 0111
雨庵 金沢 HP:https://www.uan-kanazawa.com/

津軽から、日本全国へ。生まれ変わったりんご箱が暮らしを彩る。[TSUGARU Le Bon Marché・キープレイス株式会社/青森県北津軽郡]

天日干し中の木箱と姥澤氏。規則的に積まれた木箱のタワーは、りんごの出荷がピークを迎える秋から冬、一帯のおなじみの光景となる。

津軽ボンマルシェ・キープレイス株式会社りんご産業の「脇役」が、畑を飛び出し大変身?

秋から冬にかけてりんごが収穫のピークを迎え、にわかに活気づく津軽。市場に次々と運ばれてくるのは、もぎたてのりんごがぎっしりと詰まった木箱です。収穫後はプラスティック製コンテナに入れられる農作物が多い中、ここ津軽ではまだまだ木箱が主流。理由は、天然木ならではの調湿作用や当たりの柔らかさによる保存性にあります。が、りんご産業になくてはならないものである一方で、流通段階で役目を終えるため、ちょっぴり地味で、目立たない存在なのも確か。その木箱が今、活躍の場を広げているというのです。

訪れたのは、弘前市中心部から車で北へ20分ほどの所にある板柳町。町域の実に3割がりんご畑という津軽の一大りんご生産地です。車で国道を走っていると、パズルゲームのように積み上げられた何かのタワーがあちこちに。そう、それこそ出荷を今か今かと待っているりんご箱だったのです。板柳町で代々りんご用の木箱を生産してきた「青森資材うばさわ」の敷地です。

「青森資材うばさわ」は、一帯の木箱の半分以上のシェア率を誇るトップメーカー。現在代表を務めている3代目・姥澤 大氏は、この「青森資材うばさわ」と同時に、インテリア用品・家具メーカー『キープレイス』の代表も務めています。『キープレイス』のショウルームを訪れると、ローカル色溢れる町の雰囲気とは一変、洗練された雰囲気の家具がずらり。聞けば、どれもりんご用の木箱をベースに作られたものだそうです。さっき見かけたタワーとのギャップに驚きます。

▶詳細は、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

『キープレイス』からもほど近い「津軽りんご市場」に並ぶのは、収穫したばかりのりんごが詰まった木箱。ほのかな香りが一帯に漂う。

JR「板柳」駅前にあるショウルーム「monoHAUS」。りんご木箱をベースにしたオリジナル家具・什器のサンプルが揃う。

「青森資材うばさわ」の倉庫を改装しショウルームに。以前はショップとして営業していたが、現在はサンプル展示のみ。

津軽ボンマルシェ・キープレイス株式会社身近すぎて気付かなかった木箱の魅力に、スポットライトを当てる。

『キープレイス』の木箱は、インテリア用の収納箱として、また店舗用什器として大人気。津軽の畑を飛び出し、全国各地で堂々たる活躍ぶりを見せています。それまでりんご搬出用の道具でしかなかった木箱にスポットライトを当て、津軽中を驚かせた姥澤氏。その着眼点は、家業を継ぐ前のキャリアにありました。

大学進学のため上京して建築を学び、建材メーカーに就職。もともと起業志向が強かった姥澤氏は、2005年にインテリア雑貨販売の会社を立ち上げます。それが現在の『キープレイス』の前身。「もともと起業したのは、『新しいものを世に出したい』という一心から。4年後に家業を継ぐことになった時も、市場開拓のための部署として、事業を継続することにしました」と姥澤氏は話します。津軽に戻り、木箱に囲まれる日々。姥澤氏はある日、その木箱の美しさに気付きます。「節もあって上等ではないけれど、独特の味がある。業務用だけにしておくにはもったいない、インテリアとしていけるんじゃないかと」と、姥澤氏はその時の思いを語ります。

新しいものを世に出す。そんな姥澤氏が見出したのは、津軽の人々が気付かなかった、りんご木箱の新たな魅力。予想どおり、ほどなく反響が出始めます。個人宅の収納ボックス、マルシェの陳列棚……。温かみのあるカジュアルな雰囲気の木箱は、私たちの日常にすんなり溶け込みました。そして2010年、青森駅周辺の再開発事業の目玉として開業した商業施設「A-FACTORY」の店舗什器にも採用。内装を手がけた国際的デザイナー・片山正通氏直々のオファーでした。

「A-FACTORY」店内で什器として使用されているりんご木箱。マルシェ風の陳列にナチュラルな雰囲気が馴染む。

多彩なサイズ展開も魅力の木箱。直営オンラインショップ「木のはこ屋」には、全国各地から注文が入る。ロゴの焼き印やプリントも可能。

驚くべきことに、木箱の多くは今も手作業で組み立てられている。中には1日に100個作る職人も。こうした作業を、昔は各農家が自分たちで行っていた。

津軽ボンマルシェ・キープレイス株式会社農家仕様だから使いやすい。りんご用木箱が愛される理由。

たかが木箱、されど木箱。今や全国から注文が入る人気の理由は、農作物の出荷用だったことにあります。「昔から使われていたものだから、“尺”寸法で作られているんです。尺は人体寸法に基づいていて、2尺でちょうど肩幅ほどの長さ。一番スタンダードな木箱のサイズが、幅1尺、高さ1尺、奥行き2尺なので、無理なく持てる大きさになっています。それに日本の建築は現在でも尺寸法を基準に考えられているため、建築との親和性が高いし、人間工学がベースになっているから、扱いやすい。他にはない大きさですが、それがいいんです」と姥澤氏。

使いやすいサイズ感だけでなく、スマートな見た目も特徴。横向きに立ててシェルフにすると、奥行きが広く安定感があり、本棚にしても雑貨をディスプレイしても様になります。シンプルだから、北欧風のすっきりしたインテリアにも、インダストリアルで無骨な雰囲気にもマッチ。工夫次第で異なる表情を見せてくれます。
現在では一般的なりんご木箱のサイズ以外に、りんご用段ボールのサイズなど、様々な大きさを展開。素材も通常りんご木箱で使われる赤松や杉の他、青森ヒバや合板バージョンも作製し、よりインテリアに特化したバリエーションが広がっています。農業用資材としてだけでなく、収納・展示用家具へ。りんご木箱はもうひとつの役割を確立させたのです。

「青森資材うばさわ」の倉庫。うず高く積み上げられた木箱の様子は迫力満点だ。新品だけでなく、回収された中古の木箱も。

材木店から届く木箱用の赤松材。木目の整った部分が表面にくるよう計算し、美しい木箱を作るのも職人の腕の見せどころだ。

天然木ならではの、温かな風合いが魅力。調湿作用にも優れているため、湿気の影響を受けやすい本やアナログレコードの収納にも向いている。

津軽ボンマルシェ・キープレイス株式会社地域を支え、支えられる存在に。木箱はこれからも進化する。

りんご木箱の会社の3代目として生まれた後、建築を学び、インテリアの会社を立ち上げた姥澤氏。当初別々のコンテンツだった木箱とインテリアは、歳月を経て自然とつながり、現在の『キープレイス』の形になりました。「ずっとやりたかったことが、今できている。同時に、これからやるべきことも見えてきました。木箱は主役ではなく、あくまで農家さんを手伝う脇役。農家さんありきの地域産業だからこそ、地域に貢献していきたいんです」と姥澤氏は話します。

2018年の春、姥澤氏は地元の若手建築家、家具職人とともに、新たな家具のプロジェクトを立ち上げました。通常は流通後に回収、再利用され、長ければ10年以上継続的に使用することができるりんご木箱。その過程で、表面には卸先の屋号やメモが書かれ、傷がつき、畑と街を行き交った年月が積み重ねられます。そんな痕跡をそのままデザインに取り込んだ家具「又幸 Matasachi」は話題を呼び、世界最大級の国際家具見本市「ミラノサローネ2018」にも展示されました。「木箱の板は薄くて天板向きじゃないし、家具としては掟破り。でもりんご木箱の存在を立たせることで、青森の風土や景色を表現したかった」と姥澤氏。

木箱がつなぐのは、過去と現在、津軽と日本、そして世界。家具として木箱を使う私たちもまた、津軽のりんご産業の歴史の一端に触れ、関わることができるのです。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

古い木箱に書かれた屋号から命名した「又幸Matasachi」シリーズ。脚にオニグルミを用いて強度を持たせ、組み立てやすいシンプルな構造にこだわった。デザインは「弘前シードル工房 kimori」の設計も手がけた蟻塚 学氏、制作は弘前にある家具工房「イージーリビング」の葛西康人氏。津軽を担う若手たちのタッグが注目を集めている。

住所:青森県北津軽郡板柳町福野田実田30-5 MAP
キープレイス株式会社HP:http://www.keyplace.co.jp/
直営オンラインショップ「木のはこ屋」HP:https://www.kinohakoya.com/

津軽から、日本全国へ。生まれ変わったりんご箱が暮らしを彩る。[TSUGARU Le Bon Marché・キープレイス株式会社/青森県北津軽郡]

天日干し中の木箱と姥澤氏。規則的に積まれた木箱のタワーは、りんごの出荷がピークを迎える秋から冬、一帯のおなじみの光景となる。

津軽ボンマルシェ・キープレイス株式会社りんご産業の「脇役」が、畑を飛び出し大変身?

秋から冬にかけてりんごが収穫のピークを迎え、にわかに活気づく津軽。市場に次々と運ばれてくるのは、もぎたてのりんごがぎっしりと詰まった木箱です。収穫後はプラスティック製コンテナに入れられる農作物が多い中、ここ津軽ではまだまだ木箱が主流。理由は、天然木ならではの調湿作用や当たりの柔らかさによる保存性にあります。が、りんご産業になくてはならないものである一方で、流通段階で役目を終えるため、ちょっぴり地味で、目立たない存在なのも確か。その木箱が今、活躍の場を広げているというのです。

訪れたのは、弘前市中心部から車で北へ20分ほどの所にある板柳町。町域の実に3割がりんご畑という津軽の一大りんご生産地です。車で国道を走っていると、パズルゲームのように積み上げられた何かのタワーがあちこちに。そう、それこそ出荷を今か今かと待っているりんご箱だったのです。板柳町で代々りんご用の木箱を生産してきた「青森資材うばさわ」の敷地です。

「青森資材うばさわ」は、一帯の木箱の半分以上のシェア率を誇るトップメーカー。現在代表を務めている3代目・姥澤 大氏は、この「青森資材うばさわ」と同時に、インテリア用品・家具メーカー『キープレイス』の代表も務めています。『キープレイス』のショウルームを訪れると、ローカル色溢れる町の雰囲気とは一変、洗練された雰囲気の家具がずらり。聞けば、どれもりんご用の木箱をベースに作られたものだそうです。さっき見かけたタワーとのギャップに驚きます。

▶詳細は、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

『キープレイス』からもほど近い「津軽りんご市場」に並ぶのは、収穫したばかりのりんごが詰まった木箱。ほのかな香りが一帯に漂う。

JR「板柳」駅前にあるショウルーム「monoHAUS」。りんご木箱をベースにしたオリジナル家具・什器のサンプルが揃う。

「青森資材うばさわ」の倉庫を改装しショウルームに。以前はショップとして営業していたが、現在はサンプル展示のみ。

津軽ボンマルシェ・キープレイス株式会社身近すぎて気付かなかった木箱の魅力に、スポットライトを当てる。

『キープレイス』の木箱は、インテリア用の収納箱として、また店舗用什器として大人気。津軽の畑を飛び出し、全国各地で堂々たる活躍ぶりを見せています。それまでりんご搬出用の道具でしかなかった木箱にスポットライトを当て、津軽中を驚かせた姥澤氏。その着眼点は、家業を継ぐ前のキャリアにありました。

大学進学のため上京して建築を学び、建材メーカーに就職。もともと起業志向が強かった姥澤氏は、2005年にインテリア雑貨販売の会社を立ち上げます。それが現在の『キープレイス』の前身。「もともと起業したのは、『新しいものを世に出したい』という一心から。4年後に家業を継ぐことになった時も、市場開拓のための部署として、事業を継続することにしました」と姥澤氏は話します。津軽に戻り、木箱に囲まれる日々。姥澤氏はある日、その木箱の美しさに気付きます。「節もあって上等ではないけれど、独特の味がある。業務用だけにしておくにはもったいない、インテリアとしていけるんじゃないかと」と、姥澤氏はその時の思いを語ります。

新しいものを世に出す。そんな姥澤氏が見出したのは、津軽の人々が気付かなかった、りんご木箱の新たな魅力。予想どおり、ほどなく反響が出始めます。個人宅の収納ボックス、マルシェの陳列棚……。温かみのあるカジュアルな雰囲気の木箱は、私たちの日常にすんなり溶け込みました。そして2010年、青森駅周辺の再開発事業の目玉として開業した商業施設「A-FACTORY」の店舗什器にも採用。内装を手がけた国際的デザイナー・片山正通氏直々のオファーでした。

「A-FACTORY」店内で什器として使用されているりんご木箱。マルシェ風の陳列にナチュラルな雰囲気が馴染む。

多彩なサイズ展開も魅力の木箱。直営オンラインショップ「木のはこ屋」には、全国各地から注文が入る。ロゴの焼き印やプリントも可能。

驚くべきことに、木箱の多くは今も手作業で組み立てられている。中には1日に100個作る職人も。こうした作業を、昔は各農家が自分たちで行っていた。

津軽ボンマルシェ・キープレイス株式会社農家仕様だから使いやすい。りんご用木箱が愛される理由。

たかが木箱、されど木箱。今や全国から注文が入る人気の理由は、農作物の出荷用だったことにあります。「昔から使われていたものだから、“尺”寸法で作られているんです。尺は人体寸法に基づいていて、2尺でちょうど肩幅ほどの長さ。一番スタンダードな木箱のサイズが、幅1尺、高さ1尺、奥行き2尺なので、無理なく持てる大きさになっています。それに日本の建築は現在でも尺寸法を基準に考えられているため、建築との親和性が高いし、人間工学がベースになっているから、扱いやすい。他にはない大きさですが、それがいいんです」と姥澤氏。

使いやすいサイズ感だけでなく、スマートな見た目も特徴。横向きに立ててシェルフにすると、奥行きが広く安定感があり、本棚にしても雑貨をディスプレイしても様になります。シンプルだから、北欧風のすっきりしたインテリアにも、インダストリアルで無骨な雰囲気にもマッチ。工夫次第で異なる表情を見せてくれます。
現在では一般的なりんご木箱のサイズ以外に、りんご用段ボールのサイズなど、様々な大きさを展開。素材も通常りんご木箱で使われる赤松や杉の他、青森ヒバや合板バージョンも作製し、よりインテリアに特化したバリエーションが広がっています。農業用資材としてだけでなく、収納・展示用家具へ。りんご木箱はもうひとつの役割を確立させたのです。

「青森資材うばさわ」の倉庫。うず高く積み上げられた木箱の様子は迫力満点だ。新品だけでなく、回収された中古の木箱も。

材木店から届く木箱用の赤松材。木目の整った部分が表面にくるよう計算し、美しい木箱を作るのも職人の腕の見せどころだ。

天然木ならではの、温かな風合いが魅力。調湿作用にも優れているため、湿気の影響を受けやすい本やアナログレコードの収納にも向いている。

津軽ボンマルシェ・キープレイス株式会社地域を支え、支えられる存在に。木箱はこれからも進化する。

りんご木箱の会社の3代目として生まれた後、建築を学び、インテリアの会社を立ち上げた姥澤氏。当初別々のコンテンツだった木箱とインテリアは、歳月を経て自然とつながり、現在の『キープレイス』の形になりました。「ずっとやりたかったことが、今できている。同時に、これからやるべきことも見えてきました。木箱は主役ではなく、あくまで農家さんを手伝う脇役。農家さんありきの地域産業だからこそ、地域に貢献していきたいんです」と姥澤氏は話します。

2018年の春、姥澤氏は地元の若手建築家、家具職人とともに、新たな家具のプロジェクトを立ち上げました。通常は流通後に回収、再利用され、長ければ10年以上継続的に使用することができるりんご木箱。その過程で、表面には卸先の屋号やメモが書かれ、傷がつき、畑と街を行き交った年月が積み重ねられます。そんな痕跡をそのままデザインに取り込んだ家具「又幸 Matasachi」は話題を呼び、世界最大級の国際家具見本市「ミラノサローネ2018」にも展示されました。「木箱の板は薄くて天板向きじゃないし、家具としては掟破り。でもりんご木箱の存在を立たせることで、青森の風土や景色を表現したかった」と姥澤氏。

木箱がつなぐのは、過去と現在、津軽と日本、そして世界。家具として木箱を使う私たちもまた、津軽のりんご産業の歴史の一端に触れ、関わることができるのです。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

古い木箱に書かれた屋号から命名した「又幸Matasachi」シリーズ。脚にオニグルミを用いて強度を持たせ、組み立てやすいシンプルな構造にこだわった。デザインは「弘前シードル工房 kimori」の設計も手がけた蟻塚 学氏、制作は弘前にある家具工房「イージーリビング」の葛西康人氏。津軽を担う若手たちのタッグが注目を集めている。

住所:青森県北津軽郡板柳町福野田実田30-5 MAP
キープレイス株式会社HP:http://www.keyplace.co.jp/
直営オンラインショップ「木のはこ屋」HP:https://www.kinohakoya.com/

沖縄の食文化を尊び、地元生産者、料理人すべての想いを一皿にした「ぬちぐすい」。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

「ぬちぐすい」島らっきょう、島にんじん、ニガナ、ハイビスカスの花、ローゼルの葉、冬瓜、タイモなど、使用された野菜は30種にも及ぶ。

ダイニングアウト琉球南城初の女性シェフが執り行う「感謝と祈り」の宴。

2018年11月23日、24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。琉球王朝のはじまりの地といわれる沖縄県南城市に出現した二夜限りのレストランは、単なる野外レストランにとどまらず、15回の歴史を重ねてきた『DINING OUT』の成熟を示す宴となりました。

太古の昔「アマミキヨ」という女神が「ニライカナイ」と呼ばれる海の向こう側からやってきて、琉球の島々や御嶽(うたき)を作ったという神話になぞらえ、『DINIG OUT』初の女性シェフとして厨房を任されたのは『志摩観光ホテル』樋口宏江シェフ。「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマを余すところなく表現した11皿のコースで、訪れたすべてのゲストを深い感動へと導きました。沖縄独特の食材、食文化をいかにしてガストロノミーの表現として再構築したのか。料理の成り立ちを紐解きます。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

樋口シェフ。初の沖縄視察から約2か月の準備期間を経て本番の厨房で腕を振るう。

ダイニングアウト琉球南城香り、苦み、辛み、甘み。味わいの輪郭がはっきりした在来種の野菜。

今回の『DINING OUT』の視察で、初めて沖縄を訪れた樋口シェフ。聖なる食べ物・イラブー(ウミヘビ)やヒージャー(山羊)など、強烈なインパクトがある沖縄ならではの食材との出会いが続く中で、負けずに印象に残ったのが、在来種の野菜やハーブだといいます。

「香りも、味わいの輪郭も鮮烈。苦み、辛み、甘みとそれぞれの種が持つ味わいが生き生きと感じられる。この野菜やハーブたちをひとつでも多く使いたいという強い想いが芽生えました」
こうして誕生したのが「ぬちぐすい」。約30種類もの沖縄の野菜、ハーブが使われた一皿は、魚や肉料理に引けを取らないインパクトと食べ応え、深い味わいでゲストを驚かせました。

「ひとつでも多くの種類を使いたい」という想いには、もうひとつの動機が。それは意欲ある生産者との出会いです。亜熱帯という独特の気候条件、秋には台風の被害を免れない土地で、在来種を守るだけでなく、未来につながる農業にチャレンジする。樋口シェフに彼らの存在を教えてくれたのが、「オール沖縄」チームで結成された厨房スタッフのメンバーである地元の料理人たちでした。

一品一品、異なる方法で調理した野菜で作る「ぬちぐすい」。盛り付けも、「オール沖縄」チームと樋口シェフたちの連携プレーで行われる。

ダイニングアウト琉球南城温故知新のスピリットで、沖縄の農の明日を切り拓く生産者。

10余年前に東京から沖縄北部・山原(やんばる)へ移住し、自ら畑を耕しながら、地域の農家と料理人をつなぐ「やんばる畑人プロジェクト」を展開する芳野幸雄氏。
「一カリスマシェフや、カリスマ農家に周りがぶら下がるのではなく、地域全体が主役になれる農のあり方を目指したい」と、活動を始めました。約20戸の農家と40軒の飲食店で構成される同プロジェクトでは、メンバーの地元料理人はもちろん、県外の料理人をも巻き込んで、収穫体験イベントや野外レストランも開催しています。

料理人と協働することで生まれる、農作物の新しい価値。例えばオクラひとつを例に取っても、収穫期を迎えた実だけでなく、花や脇芽、生育過程の小さな実など、あらゆるものが出荷の対象になります。皿を華やかに彩る見た目や個性ある香りは、料理人の創作意欲を刺激します。沖縄県北部の山間の地で活動を続ける芳野さんの作る野菜との出会いは、樋口シェフが「ぬちぐすい」を作る大きな一歩になりました。

地域の食を担うのは食材のつくり手、そこに光を当てるのが料理人の使命というのは、伊勢志摩でも貫かれている樋口シェフの料理の指針です。

『やんばる畑人プロジェクト』を立ち上げた農業生産法人『クックソニア』代表の芳野幸雄氏。

芳野氏の畑のオクラ。沖縄では11月まで収穫できる。花や脇芽、小さな実を欲しがる料理人は多く、その時期の畑の状況を伝えコミュニケーションを取りながら、出荷する。

国内ではほとんど栽培されていないタマリンド。芳野さんは沖縄特有の気候条件と山原(やんばる)の酸性土壌を活かし、カレーリーフやハンダマ、コーヒー豆などの栽培にもチャレンジする。

ハーブ農園『岸本ファーム』視察時の様子。在来種を含め栽培品種は年間約200種。ひとつひとつの香り、風味を確かめる樋口シェフ。

ダイニングアウト琉球南城沖縄の「母の味」にインスパイアされた日々の、命の糧。

ひとつでも多くの野菜を使い、沖縄の食を表現する一皿を作りたい。そう考えたとき、樋口シェフの頭に浮かんだのが家庭料理の「ちゃんぷるー」です。沖縄の方言で「混ぜる」の意味を持つ、県外の人々にとっても、もっともポピュラーな沖縄料理のシンボル的存在です。

「沖縄の味の濃い野菜、とりわけ苦みのある野菜は、古くから体を調えるものとして食生活に取り入れられてきた伝統があるようです。加えて旬の野菜は、自然のエネルギーに満ちていて、それを無駄なく使い、家族にたっぷり食べさせようというのが、お母さんが作るちゃんぷるー」。

自然の恵みに感謝し、食べる人の体を調える。食材の生命が人の命を作るという自明の、しかし忘れ去られがちな理を、郷土料理の中に見出したのです。それは「Origin いのちへの感謝と祈り」という今回の『DINING OUT』のテーマにも繋がっていきます。

『島袋豆腐店』。小さな工房を占拠する地釜と、小さな体でひとり工房を切り盛りする島袋氏。

出来たてのゆし豆腐。とろける柔らかさ、ほのかな塩気の優しい味わいで、いくらでも食べられる。

島豆腐。一丁で約1キロ、ずっしりとした重みとしっかりとした固さがある。

ダイニングアウト琉球南城毎日の食卓にある伝統食材「島豆腐」との出会い。

「ちゃんぷるー」に欠かせない食材に、島豆腐があります。樋口シェフは、創業60余年、昔ながらの製法を守る数少ない工房のひとつ『島袋豆腐店』を訪ねました。併設の豆腐料理店『島ちゃん食堂』は、地元の人が列を作る繁盛店。その裏手にある『島袋豆腐店』は、店というより小さな工房兼直売所といった雰囲気です。それでも出来たての豆腐を目当てに、鍋を持って買い物に来るご近所の常連が、早朝からひっきりなしという賑わい。地釜と呼ばれる大きな釜に向き合い豆腐を作るのは、この道40年というベテランの島袋幸子氏です。
「出来たては格別だよ」と、島袋氏に手渡されたゆし豆腐をひと口試食するや、樋口シェフは驚きの表情を見せます。
「大豆の風味を引き立てる絶妙な塩気、とろける食感。今まで食べてきた豆腐とはまったく別のおいしさに、感動しました」

ゆし豆腐は、型に入れて固める前の島豆腐。おぼろ豆腐よりずっと柔らかで、しっかりとした大豆の甘みがあります。島豆腐は、一般の豆腐が煮た大豆から豆乳を取るのに対し、ひと晩漬け置いた大豆を絞って豆乳を取る「生絞り」製法が特徴。木型に流し、重しでしっかり水分を切った島豆腐には、「嚙める」ほど強い食感と濃厚な風味があります。個性豊かな味の強い野菜に負けず、引き立て合う。この島豆腐に出会い、樋口版「ちゃんぷるー」の着地点が見えてきたといいます。

「ぬちぐすい」。山と盛られた色とりどりの野菜の下から、島豆腐が現れる。手でちぎってソテーすることで、香ばしさと共にソース類の味をなじませ、しっかりとした食感ながら優しい口当たりに。

樋口シェフとホストの中村氏。ディナー終了後、大きな拍手でゲストの賞賛を受けた。

ダイニングアウト琉球南城素材ひとつひとつの個性が生き、合わさって輝く一皿に。

沖縄の11月は農作物の端境期。加えて2018年は10月、二度の大きな台風に見舞われ、農作物も大きなダメージを受けています。厳しい状況下で、あらかじめ使用する野菜を決め、調理法を組み立てるのは、不可能だったと樋口シェフは話します。
「実際、使用する野菜がほぼ出そろったのは、開催前日、いえ当日です。慣れない野菜ひとつひとつを、その特徴を最大限に活かして調理ができるよう助けてくれたのが、地元のシェフ達からなる厨房スタッフチームでした」

タイモは素揚げし香ばしさとねっとりとした食感、甘みを引き出して、紅イモはバターソテーと軽やかなチップで、空芯菜やハンダマはさっと湯がいて、という具合。30種という野菜のバラエティに加え「こうすると美味しいよ」、「前にこんな料理で使った」と本番直前の厨房で行われた熱い“セッション”も皿に載った「ぬちぐすい」。樋口シェフの地元、伊勢では神饌である鰹節をつかったエミュリュションの旨みやフーチバーのピュレの香味、シークワーサーの酸味で個性ある素材の味わいをまとめました。

アゲインストな状況下で、計らずも“あるもので作る”「ちゃんぷるー」の本質を体現する一品に。同時に、「日常の食」に着想を得ながらも、大勢の手があってこそ完成する料理には、どことなく祝祭感が宿ります。沖縄の、今この瞬間の大地に、そこに生きる多くの人々の想いを重ねたのが「ぬちぐすい(命薬)」というひと皿なのです。

石造りの知念城跡。琉球王朝時代からの祈りの場でもある。本番初日は満月に照らされた。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテルHP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。[TERROIR OF NISHIUWA/愛媛県八幡浜市]

日本を代表するデザート職人、目黒「kabi」のパティシエール中村樹里子氏が、『西宇和みかん』の魅力をより多くの人に味わってもらう為、『西宇和みかん』をふんだんに使ったデザートのフルコースを開発します。

テロワールオブ西宇和予約困難は必至。全貌がいよいよ明らかになった全6皿。

愛媛県西宇和が誇る『西宇和みかん』は、高糖度で酸味も適度にあり、“じょうのう”は薄く、とろけるような食感。主に首都圏へ出荷され、多くの人に愛される西宇和の特産品です。

そのまま、手で剥いて食べるイメージが強いみかんの可能性を広げる為、『西宇和みかん』を主役に据えて、『西宇和みかん』だけのデザートコースを創造する。そんな強い気持ちで、現地まで訪れたのは、パティシエールの中村樹里子氏でした。中村氏は、オープンたった2ヶ月でミシュラン最速の一ツ星を獲得した白金台『TIRPSE』の元パティシエール。現在は、目黒『Kabi』でその腕を振るっている新進気鋭の料理人です。

「急な傾斜地に畑はあるから水はけが良く、気候の変化によって、たったひと晩でも糖度は一気に上がる。生産者の方にお会いしなければわからないことが知れて、本当に勉強になりました」
西宇和への旅をそう振り返る中村氏。

ついにデザートコースが完成しました。
あの『KIRIKO NAKAMURA』が、わずか12日間(!)だけの期間限定で復活。提供はすでに始まっています。
「Kiriko Nakamura による西宇和みかんのデザートコース」詳細・予約はこちら

コースを通じて、ゲストに伝えたかったのは「そのまま食べて美味しい『西宇和みかん』にも、様々な表情がある」ということ。

全6皿には、中村氏がどんな魔法をかけて、『西宇和みかん』をデザートに昇華したのかを示す、英語のキーワードが付されていました。
「fermentation」
「fresh」
「roast」
「carbonization」
「reduce」
「candied」
全6皿を、順に追いかけていきましょう。

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の『西宇和みかん』で進む、新たな価値観の創造。

今年も甘くて適度に酸を感じる味わいに仕上がった『西宇和みかん』。西宇和が誇る3つの太陽によって育まれる。

テロワールオブ西宇和あるときは『西宇和みかん』そのまま。あるときは発酵させて。

まず、テーブルに運ばれてきたのは1脚のワイングラス。

色鮮やかな普通のオレンジジュースが注がれているように見えます。
しかし、香りを嗅いで驚嘆。えも言われぬ芳醇な香りが漂ってきました。同時に、スパイスや花のニュアンスも感じます。
「『西宇和みかん』を常温で発酵させたジュースです」
「fermentation」とは発酵。スパイスの正体は西予市で出合ったニッケで、やはり、「発酵させてある」とのこと。キンモクセイも別に発酵させて、仕上げに合わせています。

『西宇和みかん』の甘みとわずかな酸味、フローラル&スパイシーな香りが渾然一体となって広がる美味しさに、陶然となります。添えられた小菓子は春菊のパイですが、みかんシロップを塗って焼き上げているそう。だから、発酵ジュースとよく合うのです。

続いて登場した「fresh」は、文字通り、『西宇和みかん』そのままの美味しさを活かした一品。果汁のゼリーに優しく包まれた実は甘く、ヨーグルトキャラメル、ほうじ茶の香るアイスクリームが心地良いアクセントになっています。
「ほうじ茶の香りを、コースのどこかで活かしたい」
西予市の美しい茶畑で、中村氏が呟いたひと言が脳裏に甦りました。

「fermentation」。『西宇和みかん』だけでなく、ニッケも、キンモクセイも個別に砂糖水に漬け込んで発酵。芳醇な香りが楽しめる。

「fresh」。『西宇和みかん』は、果実だけを丁寧に取り出し、そのものの美味しさを味わうという趣向。サラッと優しいゼリーとよく合う。

「fermentation」で発酵させて使った、シナモンの一種、ニッケを作る浦田嘉幸氏。

「fresh」で香りづけに使用したほうじ茶の生産者、西予市『お茶の明芳園』の兵頭暁彦氏。

テロワールオブ西宇和・真穴共選様々に手を加えることで花開く、『西宇和みかん』の知られざる魅力。

続いて登場した「roast」はオーブンで30分かけて焼いた『西宇和みかん』が主役。このローストみかんはソルベにもしています。しっとり濃厚なチーズケーキや、みかんの花の蜂蜜で作ったムース、富士柿のクリアなジュ、さらに『西宇和みかん』で作ったパリパリのチュイールなども添えて、方向性の異なる甘みを重層的に組み合わせました。

蜂蜜は、「個人的に好きな食材で、西宇和では、たくさんの蜂たちにも会ってきました(笑)」と思いを寄せた八幡浜『脇水養蜂園』の特製品。富士柿は、みかんに並ぶ西宇和の特産品で、現地のテロワールが育んだ食材たちが見事に『西宇和みかん』の存在感を際立たせています。

次の「carbonization」は直訳すれば、“炭化”。『西宇和みかん』がどんな変貌を遂げるのか、期待していると、何と、真っ黒に焦がされたパウダーになって登場しました。パウダーだけれど、香りはしっかりと『西宇和みかん』。
「このデザート、どこに『西宇和みかん』が使われているの? という面白さを感じて欲しくて考えました」
食べ手の想像を易々と超越するクリエイションに、中村氏の才能を実感します。

この皿で、すべての土台になっているのは内子町で感激した人参芋。ケーキに仕立てました。人参芋ではムースも作り、ふんわり感もプラス。素揚げにしたチップスは、西宇和で広く栽培されている菊芋で、これが香ばしくて、パリパリ。菊芋は味噌漬けにもしており、こちらはシャキシャキ。多彩な食感の共演に、食べていて楽しくなってきます。
「6皿すべてが違う印象になるよう心掛けました。そこが一番、難しかったかも(笑)。けど、私自身も楽しんで作ることができました。皆さまにも楽しんで頂けたら嬉しい」

「roast」。焦げないように果汁を塗りながら『西宇和みかん』を焼き上げる。皮も実も使ったチュイールは不思議と、サツマイモのような風味。

「carbonization」。黒いパウダーが『西宇和みかん』。大胆な発想に驚く。

「roast」で使用した『脇水養蜂園』のはちみつは、中村氏も出合いに感激した。「蜂たちが脇水さんを慕って集まってくる(笑)」

「roast」に使った富士柿を収穫する生産者の井上晴吉氏に「めっちゃ大きくて、かわいいですね」と語りかける中村氏。

「carbonization」で、ケーキとムースにした内子町の人参芋。生産者の吉田豊氏の母、夏枝氏が焼き芋にしてくれた。

テロワールオブ西宇和食べることで、西宇和のテロワールが思い浮かぶ、渾身のコース。

温州みかんを食べたことがないという日本人は、恐らく、ひとりもいないでしょう。誰もが知るおなじみのフルーツです。けれど、その真価を、多様な調理法を駆使してアプローチすることで、6つの表情を引き出す。それが中村氏の狙い。

5皿目の「reduce」では、『西宇和みかん』を半量になるまで煮詰めて“凝縮”。パッションフルーツ、八幡浜『梅美人酒造』の濁り酒と合わせてソースにしました。かわいく丸まったクレープの中には、みかんのスフレが潜んでいます。

コースを締めくくるのは、砂糖漬けの『西宇和みかん』。つまり、「candied」で、皮ごと漬けているから、みかんの香りまで楽しめるのです。
「丸ごと、1週間ぐらい砂糖に漬けて、甘みを浸透させました。砂糖漬けですけど、本来の果汁もしっかり残っています。最後の一品ですから、プチフール的に、少し甘めに仕上げました」

素朴で美味しい『西宇和みかん』ですが、実だけでなく、ときには皮の香りもしっかり活用して、飽きさせずに食べさせる。
「同じみかんでどれだけ印象が変えられるかが勝負」
そう語っていた中村氏の創意が伝わってくる構成で、食べ終えて、改めて『西宇和みかん』の魅力を再認識しているのです。

「reduce」。クリームシャンティと生姜のアイスクリームが別皿にあり、クレープにかけても美味。

「candied」。砂糖漬けに、チョコガナッシュ、カカオで作った餅、黒豆のペースト添えた。

「reduce」でパッションフルーツと共にソースにした糖類無添加で米の旨みだけで醸す『梅美人酒造』の生にごり酒『雪の精』。

テロワールオブ西宇和目黒『Kabi』で追体験する、中村樹里子氏の西宇和への旅。

「“じょうのう”が薄いのはもちろんですけど、実はしっかりしていて、ひと粒ひと粒が大きい。ジュースもたっぷりで美味しく、何より、香りが良い」
産地で『西宇和みかん』の魅力を、そんな風に語っていた中村氏。
目黒『Kabi』で復活した『KIRIKO NAKAMURA』は12月21日までの期間限定。(予約が満席になり次第終了となります。)

デザートに合わせて、ノンアルコールなら、例えば、発酵ウコンジュースのソーダ割など、個性的な飲み物とのペアリングも楽しむことができます。

もちろん、ワインを始めとするアルコールも用意。
ペアリングを創案するのは『Kabi』のソムリエ、江本賢太郎氏で、飲みながら中村氏のデザートを味わえば、今や予約の取れない人気レストランに上り詰めた『Kabi』の世界観にも触れられることでしょう。

また今回、より多くの方に『西宇和みかん』の魅力を感じてもらう為に、渋谷「WIRED TOKYO 1999」、表参道「発酵居酒屋5」、銀座「フタバフルーツパーラー銀座本店」の3店舗でも、中村樹里子氏プロデュースの『西宇和みかん』スイーツを体験できます。(12月10日よりスタート。)

「Kiriko Nakamura による西宇和みかんのデザートコース」詳細・予約はこちら

『西宇和みかん』をデザートコースで味わう特別な時間。それは、西宇和を巡って、『西宇和みかん』の魅力と土地のテロワールを感じ取った中村氏の旅の追体験。そして、デザートの新たな可能性を発見する、この上なく刺激的な旅にもなるのです。


(supported by JAにしうわ

西宇和を巡って、生産者の苦労や信念、土地の魅力を知り、今回の『西宇和みかん』デザート6皿を閃いた中村氏。

大阪出身。関西の洋菓子店などを経て、29歳で単独渡仏。パリではシェフパティシエとして「L’Instant d’Or(ランスタン・ドール)」を1年でミシュラン1ツ星に導いた。帰国後は、東京・白金台の『TIRPSE (ティルプス)』に参加。軽やかでいて深みのあるデザートの味わいには国内外からの評価も高い。2015年7月8日より『TIRPSE』のランチタイムを1年間限定で『KIRIKO NAKAMURA』とし、6品の季節感あふれるデザートだけのコースを企画。
今回、目黒Restaurant『Kabi』にて、KIRIKO NAKAMURAデザートコースを2週間限定で復活させる。

暮らしを支えてきた会津木綿の新たな価値を提案する。[NEW GENERATION HOPPING・IIE Lab./福島県会津坂下町]

取締役の千葉崇氏。古い織機の調子に合わせてインバータをつけ、機械の速度を調節している。

ニュージェネレーションホッピング・イーラボ伝統工芸のイメージを覆すオープンファクトリー。

田園地帯を蛇行しながら流れる阿賀川に主峰・飯豊山をいだく飯豊連峰。長閑な景色に、突如現れる凸凹屋根のレトロな建物。ここは、廃校になった幼稚園を借り受け、現代のライフスタイルに取り入れやすい会津木綿の商品を提案する研究所「IIE Lab.(イーラボ)」です。明るく開放的な空間は、織機のある工房、縫製を行うミシンルーム、商品を販売するショップの3エリアに分かれています。

こちらを運営する㈱IIE代表の谷津拓郎氏は会津坂下生まれ。早稲田大学大学院環境エネルギー研究科在学中に東日本大震災が発生し、地元でボランティア活動を行う中でIIEを立ち上げました。取締役の千葉崇氏は、ビジネスパートナーを探していた谷津氏と縁あって出会い、地元で新しい価値を生みだそうとしている新会社の話を「面白そう!」と東京の出版社の仕事を辞め、奥さんの故郷でもあった会津にIターン。ペンキ塗りなどの改修も自分達で行い、今では県内に3軒しかない「会津木綿」の工房の仲間入りを果たしました。主に谷津氏が営業や経営面を担当、千葉氏が織りを担当し、新商品の企画は縫製担当のスタッフも参加してアイデアを出し合っています。

「会津木綿」は綿100%の平織物。その歴史は古く、1627年に会津藩主の加藤嘉明が伊予松山(愛媛県)から織師を招いたことに始まります。それからおよそ400年、会津木綿は夏暑く、冬は寒さ厳しいこの土地で作業着や普段着として親しまれてきました。特徴でもある縦縞模様はそんな地元の人々の信頼の証。丈夫で縮みにくく、経糸と緯糸の間に空気を含むため保温性・通気性に優れているのもよいところです。さしずめ、元祖アウトドア発・高機能生地といったところでしょうか。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

左が代表取締役の谷津拓郎氏。「普段遣いしやすい会津木綿の商品をみんなで考えています」(谷津氏)

幼稚園時代の名残を残した明るく開放的なショップ内にカラフルな商品が並ぶ。右奥には古い織機をディスプレイ。

端を結べば弁当入れやバッグインバッグとして使える「あずま袋」(税込2,700円/縦約35×横約28×マチ約10.5センチ)

ニュージェネレーションホッピング・イーラボ100年前の織機が紡ぎだす高品質の会津木綿。

もともとラボがある青木地区は藍の栽培が盛んでした。たびたび氾濫する阿賀川の水害に強い作物として育てられていたのです。やがて辺りには染屋が建ち並ぶようになり、紺地に白い縞を織りだした青い縦縞が特徴の「会津青木木綿」が生まれました。興隆を極めたのち、一時は衰退してしまった「会津青木木綿」ですが、谷津氏や千葉氏が地元の職人を訪ねて彼らの頭の中にしか存在しなかったレシピを継承。さらに新たな感性を吹き込んだIIE Lab.の商品はカラーバリエーションが豊富です。ショップには従来の伝統工芸品とは一線を画す色味のストールやネクタイ、ハンカチやブックカバーが整然と並び、物欲が刺激されます。

IIE Lab.内には日がなガション、ガションとゆっくりリズムを刻む機械音が響き渡ります。実はこの機械、豊田式鉄製小幅織機Y式と呼ばれる100年前の織機。70年稼働した後、使われなくなって30年放置されていた10台を廃業した織元さんから譲りうけたのです。「この織機を直して再び使えるようにするため、米沢、桐生、新潟といった木綿の産地を訪ね、諸先輩方にお話を聞いて回りました」(千葉氏)。それは、雑誌編集で培った足で稼ぐ取材とどこか似ていたといいます。廃工場から織機を移設し、ひとつひとつパーツを外しては錆を落とし、油を差し直してゆく……コツコツと修理を重ねて1年半から2年ほどたったある日、再び織機はリズムを刻み始めました。時間と手間がかかるため、出来る生地は1日にわずか12メートルほど。しかし、低速で丁寧に織りあげた生地は糸にストレスがかかっていないため風合いが良く、品質の良さは一目瞭然です。

とはいえ古い織機なので、故障しても新しい部品はのぞめず、もっぱら使用していない織機からの部品取りに頼っています。「70年働いてきたのにまだ働かせようというのですから、ちょっとかわいそうな気もするんですけどね」と千葉氏。織機がスムーズに動くよう常に油をさすので、各パーツから汗のように油が滴ります。その様はまるで生きもののよう! ふと見ると、油で床が汚れぬよう小さなトレーがいくつも並べられていました。「自分達でこの場所を作り上げてきたという気持ちが強いので、みんなで壁を塗りあげた日のことを思い出すと汚せないんですよ」(千葉氏)

柔らかな風合いのストール「5year stole」は膝かけにも。(税込13,824円/幅約70×長さ約180センチ)

ストールのフリンジは職人がひとつひとつ丁寧に手作業で仕上げています。

昔から会津地方にあった農作業着・サッパカマをベースにした機能的なパンツ「ヤマハカマ」(税込15,120円/フリーサイズ)

会津ではここでしか買えない「塗師一富」の商品「四分一たまり皿」の取り扱いも。

手入れ前の織機。時が止まったかのような状態からコツコツと修理を重ねていった。(千葉氏撮影)

ニュージェネレーションホッピング・イーラボ複数コラボに新ブランドも!広がるIIE Lab.ワールド。

「会津木綿を使ったこんなものがあるといいな」をひとつずつ商品化しているIIE Lab.では主力商品の「会津木綿ストール」以外にさまざまなアイテムがあります。例えば、赤ちゃんの産着のように柔らかな「5year stole」。会津木綿は糊づけした糸を使うため、最初は張り感があり、使いこむごとに柔らかくなっていく風合いの変化が楽しい布です。その特性を逆手にとり、この商品は購入から5年後の柔らかな風合いを最初から実現させるべく洗いをかけたアイテムです。12月1日からは“東北の山奥の織元”をコンセプトに掲げる「会津木綿 青㐂製織所」も始動します。新ブランドの第一弾は、サルエルのようなシルエットの「ヤマハカマ」。流行のワークスタイルを意識したデザインで、シンプルなトップスと合わせてもスタイルが決まります。

感度が高い企業とのコラボレーションも次々に実現しています。そのひとつが小学館刊行のハイライフマガジン『和樂』とのコラボレーションから生まれた「フェルメール会津木綿ストール」。フェルメールの名画『真珠の耳飾りの少女』の配色からインスピレーションを得た爽やかなストールは早々に完売し、現在は追加生産中なのだとか。ビームスと伊勢丹の共同プロジェクト「大縁起物市」では、会津木綿で作った「気持ちが伝わるご祝儀袋」で参加しました。贈られた人がハンカチとしても使える商品です。他にも多くのプロジェクトを手掛け、現在も複数のプロジェクトが進行中のIIE Lab.。その活動領域はさらに広がりそうです。

舟形の「杼(ひ)」に横糸をまいたボビンをセットし、ピンと張った緯糸の端から端まで通していく「シャットル織機」。

IIE Lab.が取り扱うストライプの種類は主に6種。これは、この地区の伝統的なレシピにアレンジを加えた「青木四本細縞(n)」。

山に入る際の通行証をイメージして作られたカードケース「ヤマモリ」の縫製を行う。

藍色のボビン。これを「杼」にセットする。織りあげた布に「耳」がでるのが「シャットル織機」の特徴。

各パーツから染み出た油がまるで汗のよう。そこに糸からふわりと舞い出た綿ぼこりがつもっていく。

ニュージェネレーションホッピング・イーラボ価値あることをやって、きちんと稼ぐ。

会津木綿のバックボーンも製法も、それに関わってきた昔の人の知恵も「間違いなく価値あるもの」と考えている谷津氏と千葉氏。しかし、「この盆地を一歩出たら、認知度はまだまだ」と言います。「まずは『会津といえば会津木綿があるよね』と皆さんに思い浮かべていただくことが我々の第一の使命。そのためには、ここにしかない人々の暮らしや田舎暮らしの良さを商品に乗せることができたらと考えています。混ぜた納豆を入れて食べる納豆餅だとか、イナゴを捕まえて遊ぶだとか、自分自身がここで生まれ育って常識だと思っていたことを他人に話すと驚かれたりする。そこに、地元の人間が気付かなかった価値が隠れているかもしれないので、日々、会津の魅力について考えています」(谷津氏)

外から会津にやってきた千葉氏は、この土地の厳しい冬にこんなことを思うそう。「僕がこっちにきて思うのは雪がすごいということ。なんだか自然に試されている気がします。そんな環境で生きてきた人々の知恵を投影した商品を作りつつ、きちんと儲かる会社にもしたい。僕たちはいつも『技術だけではなく、アイデアのある職人になりたい』という話をしているんです。こだわったもの、いいものを作っても、それだけでは意味がない。それをいろんな人に伝え、売っていくことも同じぐらい大切だと思っています。職人が技術を公開しないというのもあまり好きではなくて、会津木綿の輪を広げるために自分が身につけたものは広く伝えていきたい。今は一緒にやろう という人が増えてきて、嬉しく感じているところです」(千葉氏)。

その言葉に頷き、「価値あることをやって、ちゃんとお金を稼いで、それを長く続けていくことが大事」と谷津氏。大量生産が叶わない昔ながらの製法を大切にしながら利益もあげる──相反する大事なことを両立させるため、お2人の挑戦はまだまだ続きます。

稲を刈り取った後の田んぼの中に佇む「IIE Lab.」。夏の田植えシーズンや実りの季節にも訪ねてみたい。

住所:〒969-6511 福島県河沼郡会津坂下町青木宮田205 MAP
電話:0242-23-7808
http://iie-aizu.jp/

DJブースがある酒舗が、人と酒との出会いを創出する。[NEW GENERATION HOPPING・植木屋商店/福島県会津若松]

紺地に白の刺子織の半纏を着た『植木屋商店』十八代目の白井與平氏。

ニュージェネレーションホッピング・植木屋商店植木屋から始まった400年の歴史を持つ酒舗。

地方取材に行くと、しばしば「ここは取材に行った?」と嬉しい情報をいただくことがあります。今回の取材中も複数人の方から、「植木屋という名前の酒屋さんがある」「DJブース(!?)がある酒屋」「頒布会のお酒がとにかく美味しい」と、気になる情報を得ることが出来ました。そこでお伺いしたのが『植木屋商店』です。

取材を快く引き受けてくださったのは店主の白井與平氏。まずは店名の由来をお伺いしました。「いま店がある場所は埋め立てられてしまった(鶴ヶ城の)外堀のすぐ外にあたりまして、初代はお城に仕える庭師であったと聞いております。それが、そのまま屋号になったようで、私は十八代目ですから代々400年以上この場所に居ることになるでしょうか。19世紀の初めには乾物や果物など会津ゆかりの特産品を扱う商いをしておりましたが、酒の扱いが増え、自然と他の物が縮小していった感じです」。現在、取り扱っている商品の8割は日本酒。そのうち9割5分は会津のお酒で、右側の冷蔵庫に要冷蔵の生酒など、左側の棚には常温の酒が整然と並んでいます。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

店内に置かれたネオンサインの看板。「Kがなかなかオークションに出ず、集めるのに苦労しました(笑)」

冷蔵庫に整然と並ぶ日本酒。開閉が多い店舗で中の温度が急激に下がらぬよう小さめの扉が設えられてある。

日本酒以外にワインや焼酎も取り扱う。なかには『IIE Lab.』の「サケブクロ」も。

段ボールがない時代、海苔や片栗粉の運搬に使われていた木箱。紙を貼り、繰り返し使っていたのがわかる。

銀行から譲り受けた金庫。「なかには子供が勝手に食べないようカップラーメンが入っています」。

ヤマヨと入った昔の暖簾を仕立て直して使用。右側には「会津特産紫蕨勝栗砂糖……」と、当時取り扱っていた商品名が。

ニュージェネレーションホッピング・植木屋商店余裕のあるときは、レコードに針を落として。

設計士と練り上げた改築を5年がかりですすめ、今年4月に現在の形になったという『植木屋商店』。まず目に飛び込んできたのは、さまざまな色やフォントのネオンサインを組み合わせた「UEKIYA」の看板です。「1文字ずつeBayで落札して、地元仲間の看板屋さんに仕立てて頂きました。笠の裏側には掛け軸などをかけるフックを取りつけてあります。蔵の中に会津藩ゆかりのもろもろがありますので、今後お披露目をかねてご紹介できれば」。他にも店内随所に400年の歴史を感じさせるものが散見されます。市内の銀行から譲り受けた重厚な金庫、金品の受け渡しの際に使われていた荷判取り帳、物資運搬用の古い木箱……そこには、内容物と共にヤマヨと記されています。「当主は代々、與平(ヨヘイ)という名を襲名しているのですが、そのヨをとってヤマヨ。うちの荷印です。昔は江戸からくる荷物に『若松のヤマヨ』と書いておけば、ここに届いたようです」

歴史深い品々と並んで存在感を放つのは、レジカウンターの両脇に置かれた巨大なJBLのスピーカー。そして圧巻のレコードたち!「新しい店に置こうとJBLのスピーカーは昔から用意していて、スピーカーを作っている友達にメンテナンスをお願いしてセッティングしてもらいました。レコードは高校生のときからの私の趣味で、多いのは黒人の音楽。ソウルにジャズ、レゲエ、ヒップホップなんでも聞きます。80年代シティポップからエレクトロニカ、現行ハウスも好きです」。大学は東京で、渋谷の『CAVE』等でDJとして活動していた白井さん。しかし、23歳の時に先代が倒れて会津に戻り、24歳で『植木屋商店』の跡を継ぎました。

「私がDJを始めた頃はCDJが普及していなかったので、現在ももっぱらアナログ派。最近は再発も増えて、以前よりレコードが手に入りやすくなりました」と語る白井さんは今も現役のDJ。忙しい時は針を落とす暇がないのでもっぱらデータを飛ばしていますが、時間がある時は「やっぱりアナログの音が面白い」とレコードをかけています。撮影時にかけていただいたのはニーナ・シモンの『My Baby Just Cares For Me』。躍動感のあるピアノとクリアで伸びやかな声が店内に響き、リッチな気分に浸ることができました。

身体の真芯に響くリッチな音は、こちらJBLの特大スピーカーから。

今年4月の新店舗お披露目会の際はここでプレイしたという。ミキサーに貼られた「中取り」のラベルは酒舗ならでは。

2台ある真空管のアンプは柳津町に住む知り合いの職人に作ってもらったのだとか。

高校生の頃から収集しているという夥しい数のレコード。手前のドライフラワーも白井さんが作ったもの。

仙台で活躍中のアーティスト・朱のべんの作品(スケートボード)を仕立て直した椅子。

ニュージェネレーションホッピング・植木屋商店寒暖差が育んだ米と豊富な雪解け水が銘酒を生む。

福島県の西部に位置する会津地方は、四方を磐梯朝日国立公園に囲まれた盆地にあり、寒暖差が激しい土地柄。ゆえに美味しいお米と清らかな水に恵まれ、昔から酒造りが盛んです。こだわりが強く、我慢強い会津人の気質も美味しいお酒を生みだす要因のひとつと言われており、「お酒といったら通常はアルコールを指すが、会津では日本酒を指す」「年配の方のなかにはマイ猪口をもって吞み屋に繰り出す御仁も」といった通説にも日本酒を愛してやまない土地柄が滲みます。

なかでも特徴的なのが“無尽”というシステム。これはメンバーが毎月お金を出し合い、積み立てられたお金で宴会を催す仕組みで、会津以外にも沖縄や九州各地、岐阜県の飛騨地方に見られます。「私も酒屋の仲間と無尽をやっていて、こんなイベントを開催しているんですよ」。見せていただいたチラシには、会津の街の17軒の飲食店と22の蔵元が参加し、チケットを買って呑み歩きができる「会津清酒弾丸ツアー」(今年分は終了)の概要が。さまざまなお酒と出会えるこのイベント、今年で第4回目を数えるそうです。

酒屋とお客さんの距離が近いのはもちろん、この店では両者と蔵元の距離も近いようで、蔵元の方がふらりとお酒を買いにみえて、先に店に来ていた蔵元の方と親しそうに会話を始める光景も見られました。お話し中のお二方にお伺いすると、「会津は日本を代表する酒蔵さんもたくさんございますし、みなさん仲が良くて、いい意味で切磋琢磨しあいながら(品質の)底上げを図っています」と、蔵元同士の交流も盛んな様子。ここにいると、会津という場所の地縁の濃さを感じます。

地元在住のアーティストによるラベルが貼られた会津酒造の「山の井」は頒布会用に用意されたもの。

「会津娘」高橋庄作酒造、「会津中将」鶴乃江酒造、「写楽」宮泉銘醸、「飛露喜」廣木酒造、「花春」花春酒造をはじめ、数多の会津の銘酒を扱う。

柔らかな語りの白井氏。取材時は春花酒造の試飲会が行われていた。

ニュージェネレーションホッピング・植木屋商店蔵元が魂込めた酒を責任を持って売る。

極めつけは、白井さんのこんな言葉。「うちに並んでいるお酒は造り手の心が宿ったもの。蔵元が命がけで造ったお酒を『私に売らせて欲しい』とお願いしに行き、『お前に託す』と委ねられ、逆に『あなたに売って欲しい』と託されて、『責任を持って売ってきます』というお付き合いをさせていただいております。蔵元とは運命共同体です」。蔵元の魂ともいえる日本酒、ここでは在庫もすべて氷温で貯蔵管理されており、ベストな環境が整えられています。「なるべく品質の新しい商品をと心がける一方で、しっかり熟成させて旨みののった古い酒を提案することも」。また、毎月会津のお酒が届く頒布会にも力を入れているそうです。

人口比率に対する居酒屋の数も全国的に高い会津。街中では、「会津 日本一おいしいお酒が飲める郷 宣言」と書かれた立て札も見かけました。そんな場所にあって、人とお酒のさまざまな出会いの場を創出しつづけている白井さん。帰り際にいただいた手ぬぐいの熨斗には、「会津磐梯山は宝のヤマヨ」とありました。ここでなら、一生の宝ものになるような好みの1本と出会えるかもしれません。

看板にある植木屋の文字は先代、左右の文字は先々代の筆痕からおこし、看板に仕立てた。

住所:〒965-0035 福島県会津若松市馬場町1-35 MAP
電話: 0242-22-0215
http://www.uekiya.net/

西洋と東洋の垣根を越えた自由な発想。漆器の新たな地平を切り拓く。[NEW GENERATION HOPPING ・塗師一富/福島県会津若松]

下地を塗る冨樫氏。名刺の肩書には、器物に漆を塗ることを意味する「髹漆(きゅうしつ)」とある。

ニュージェネレーションホッピング・塗師一富まるでガラス!?な伝統技法「玉虫塗り」。

漆器と言えば思い浮かぶ味噌汁椀や、おせちを入れる重箱。そんな私たちがよく知る漆器とは趣が異なるスタイリッシュな漆器を生みだす職人がいます。南部鉄器のような風合いのお猪口にショコラのような小物入れ、さらには「アレキサンダー・マックイーン 青山店」の吹き抜けを飾るオブジェまで。これらは全て「塗師一富」三代目・冨樫孝男氏の作品です。

冨樫さんの工房があるのは福島県の会津若松市内。お邪魔すると、先代から使っているという工房の床には夥しい数の飛沫が飛び散り、まるでパレットのよう。「漆器の世界は分業制で、原型を作る木地師、塗り師、蒔絵師に分かれています。会津はさらに細かくて、お椀や茶托など丸い木地を造る人、四角い木地を作る人、丸物を塗る人、四角い物を塗る人と分かれています。塗りも下地、中塗り、上塗りと分かれていて……」。驚くべき細分化の理由は効率をあげるため。「会津塗り」で知られるこの地域、先代の頃は150軒ほどの漆器関連工房がありました。現在はその数も80軒ほどになり、40代の冨樫さんはなかでも若手。それより若い方は10人にも満たないそうです。

分業制が浸透している会津の漆器業界ですが、作品によって木地作りから仕上げまで一貫して行うのが冨樫さんのスタイル。例えばワインレッドの香水瓶は木地をカットして細部を彫り込み、下地を塗ってから純銀を塗ります。その上から赤い漆を塗ると下の銀地が透けてみえ、玉虫の羽のように輝くのです。「これは『玉虫塗り』という仙台発祥の技法です。たまたま倉庫で見つけて、『これなに!?』と父親に聞くまでは私も知りませんでした。とはいえ父親について習ったことはないんです。高校を卒業してすぐに輪島で2年、その後長野県の木曽で3年修行をしましたから」。それから他所で5年修行を重ね、独立したという富樫さん。修行時代に学んだのは技術だけではありません。「うちは代々請け負いをやってきたので、発注がないと技術が埋もれてしまうんです。親父は仙台で2年ほど勉強したそうですが、『玉虫塗り』も発注があった昭和50年代ぐらいまでしか作っていなくて。一方、私の師匠が請け負い仕事を一切しない人で、そのスタイルに憧れていたんです。代々の付き合いがありますので、今は並行しながら作品作りを行っています」。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

アレキサンダー・マックイーン 青山店の吹き抜けを飾るオブジェ。冨樫孝男氏と、日本画家で彫刻家の花澤武夫氏によるモダンな作品。

新作の「鉄器肌釜型ぐい呑み珍味入れ」。表面に「鉄錆塗り」を施した酒器。蓋を外すとぐい呑みと珍味入れになる。

美しく彫り込まれた木地(左)と「玉虫塗り」のグラス完成形(右)。くびれ部分は純銀蒔絵。

「玉虫塗り」の香水瓶。水はもちろん酸を入れても溶けない漆は、香水を入れても品質に変化はない。

まるでショコラのような小物入れ。表面のデコレーションを一粒一粒削りだし、異なる技法で仕上げている。

金工の技法に見立てて生まれた「四分一(しぶいち)塗り」と「玉虫塗り」のショットグラスと平杯。

ニュージェネレーションホッピング・塗師一富「漆掻き」に「刷毛」作り。漆器産業を支える職人たち。

会津では仕上げの工程を「花塗り」といいます。ハケ跡やムラを残さず光沢を持たせるのが特徴で、塵ひとつついただけでやり直しという繊細な世界。仕上げを行う際は防塵服を着用するそうで、今回は下地を塗る工程を見せていただきました。「漆はウルシの木の幹にひっかき傷をつけ、掻き取った樹液を使います。面白いもので、同じ木でも職人が変われば質も変わる。漆は空気に触れると固化が始まるので、手早く掻き集めなければ品質が落ちてしまうんです。昔は会津でも漆がとれたのですが、ウルシの木も少なくなり、漆を掻く職人もいなくなってしまって。いまは、懇意にしている職人に岩手から漆を送ってもらっています」。下地には生漆と土を混ぜたものを使います。冨樫さんが使うのは京都でとれた「黄土」に珪藻土を蒸し焼きにして砕いた「地の粉」を混ぜたもの。子供のころから工房が遊び場だったため免疫ができたのか、直接漆を触ってもかぶれたことはないそうです。

汁椀状の木地を取り、すっと下地を塗っていきます。その緊張感に思わず息を止めてしまうほど。その際に冨樫さんが使っている三味線の撥のようなものが気になりました。「これは『ヘラ』といって、下地を塗ったり混ぜたり、はみ出した部分を掬い取る時に使います」。そういって刃先が光る小刀を取りだし、ヘラ用の木片を削りだす冨樫さん。「これは『塗師小刀』といって、料理人さんの包丁のように自分で研ぎます。修行に入ってすぐは1ヵ月毎日ヘラを削り出していたので手が豆だらけに(笑)」。短い毛がびっしり詰まった刷毛も特徴的。「これ、実は人毛、女性の髪なんです。端から端まで髪の毛が入っていて、毛先がバラついてくると鉛筆のように先端を削り出して使います。この世界も後継ぎ問題が深刻で、漆の刷毛を作る職人は全国で2人だけ。最近、会津の20代の女の子が市内で独立して、貴重な3人目になりました」。先代や先々代から譲り受けたものも入っているという大小さまざまな道具たちは、みな使いこまれた端正な顔立ちでした。

ヘラで下地を塗る。器の内部を塗るときはまず底面を塗り、1日乾かしてから側面を塗る。

机の上で生漆と土を練り合わせる。長い間同じ場所で同じ作業を重ねたため、机が削れて一部凹んでいた。

「塗師小刀」で木を削りだして「ヘラ」を作る。「塗師小刀」を作る鍛冶職人も今では少なくなってしまった。

漆は空気に触れると固化するので固くなった漆をよく練って木綿で包み、絞り出すことで再び使える状態に戻す。

箱に綿紗を貼り、重なった部分を切りだす作業。箱に布を貼って強度を出す。

大小の刷毛が入った道具箱。劣化に伴い先端を削っていくので、長さもまちまちになってゆく。

この艶感! 漆は東アジアに広く自生するが、固化に必要なウルシオール成分を最も多く含むのは日本産。

刷毛や筆は数あれど、人毛を使うのは漆の刷毛ぐらい。「あとは時計職人さんが人毛の『時計刷毛』を使うそうです」

ニュージェネレーションホッピング・塗師一富防腐効果に抗菌効果。知られざる漆の実力。

先に触れたように、漆は空気に触れた瞬間、固化を始めます。「漆器は曲面を塗り終わるたびに乾かさなければいけません。内側ひとつ塗るにも底面を塗っては乾かし、側面を塗っては乾かしという具合にとても時間がかかる。乾燥時間も季節によって違っていて、湿度で固化する漆は梅雨時が一番乾くんです」。意外なのはそれだけではありません。漆器にとって水や洗剤は天敵というイメージがありますが、それも誤りなのだとか。「水や洗剤はもちろん、酸でも溶けません。防酸以外に防腐効果もあって、うちの祖父は戦時中、要請を受けて弾丸に漆を塗っていたそうです。日本軍がジャングルなどの湿地帯で戦う時に、弾が錆びることを防ぐために」

漆は抗菌効果が高いことも証明されています。2005年8月発行の北国新聞によると、金沢工業大学の教授がポリウレタンなどの樹脂やヒノキの木材、伝統工芸の漆器に大腸菌を付着させ、気温36度の下で24時間放置した後に菌数を比較したところ、プラスチック製品はほとんど大腸菌が減少していなかったのに対し、漆器の大腸菌は約1000分の1に減少したそうです。「そもそも中国から陶磁器が入ってくるまで日本では、ご飯茶わんも漆器だったんです」。日本人にとって身近な存在だった漆器。古の人々は漆の優れた性質を今よりもよく知り、暮らしに取り入れていたのでしょう。修繕しながら長く使えるのも漆器の魅力。そこで冨樫さんは2012年より会津漆器技術後継者訓練校で講師を務め、技術の継承のみならず修繕技術の普及にも務めています。

一定の湿度が保たれた棚のなかで、静かに次の出番を待つ漆器たち。

「四分一塗り」の箸。金属を思わせるシルバーと黒、もしくは朱の組み合わせがエレガント。

木地の状態の汁椀と下地を塗り終えた状態のもの。下地を塗っただけで、木の風合いが消えるのが面白い。

ニュージェネレーションホッピング・塗師一富創りたいのは「触れてみたい」と思えるもの。

興味深い説明を受けつつ下地を塗り終えた作品が並ぶ棚をみせていただくと、内部には湿度計がついており、漆が乾きやすい湿度に保たれていました。ふと見ると、棚の右端に漆黒のシャンパングラス。このセンス、西洋を彷彿させます。「高校を卒業してすぐに弟子入りしたので叶わなかったんですけど、ずっと世界を放浪したいという想いがありまして。シルクロードを旅して器をみてみたいなとか、西洋のものを漆器で作ってみたいなとか……」。会津だから、輪島だから、西洋だから、東洋だから。そんな垣根なく、心が動いたものは取り入れる自由な感性があるからこそ、冨樫さんの作品は伝統工芸でありながら革新的なのでしょう。

「今後、創りたいものは山ほどあります」。そこで見せていただいたのは設計図やアイデアスケッチの山。「江戸時代の漆器って、めちゃくちゃ遊び心があったんです。例えば、木でできた鞘に鉄錆のような塗りを施して、『鉄のように見えて実は木なんだよ』みたいな。今の漆器はスタンダードなものか絢爛豪華なものかに2極化していて、技術は素晴らしくても遊び心を感じないんですよね。私が創りたいのは、『わー、触れてみたい!』『楽しい!』と思っていただけるもの。今後もそういうものを創ってみんなをびっくりさせたいし、それを気にいって使っていただけたら嬉しいですね」

膨大なアイデアスケッチの数々。右下の香水瓶や中央のグラスは上部で紹介している商品の元になっている。

さまざまな意味の作品の前にて。「漆は絵具と一緒で、赤漆と黒漆を混ぜると茶色になるんです。」

現在、ここで3人の女性が冨樫さんの元で技術習得に励んでいる。今は訓練校も女性の生徒の方が多いのだとか。

住所:〒965-0861 福島県会津若松市日新町10-21 MAP
電話: 0242-27-8593

「二年参りは花火と共に」。[奉納除夜煙火百八発打揚/新潟県小千谷市]

百八発を一発ずつ丁寧に打ち上げていました。

奉納除夜煙火百八発打揚花火を梯子した大晦日の夜。

毎年、花火で終わり花火で始まる私の年越しですが、長年の念願を叶えるべく昨年末訪れたのが花火の町「新潟県小千谷市片貝」でした。
この町のお祭りについては『片貝まつり』でご紹介させていただきました。片貝まつりでは世界最大級の四尺玉が打ち揚げられることで知られています。

昨年末、私は大晦日の花火を梯子しようと考えました。事前に花火仲間に声を掛け合流。まずは新潟県南蒲原郡田上町に向かいました。田上町では町内二つの地区から交互に花火が打ち上げられます。

「除夜の花火」と名付けられたその花火は今年で32年目になるそうです。果たしてどこから上がるのか全く情報の無い中で花火仲間と共に町内をあちこち走り回ってようやく花火にたどり着いたときの感動、花火仲間と共に観覧出来た喜びは良き思い出として心に刻まれました。

小千谷市片貝の浅原神社では初詣の準備が出来ていました。

鳥居横に設置された松明。

奉納除夜煙火百八発打揚花火の町での暖かな交流に心が和む。

田上町の除夜の花火を堪能した後は花火の町小千谷市片貝へと車を走らせました。片貝では40年ほど前から大晦日から年越しに掛けての奉納除夜煙火百八発打揚を行なっているそうです。打ち揚げを担当されるのは地元の片貝煙火工業さんです。午後11時40分を過ぎたころから浅原神社近くで花火が打ち揚がり始めます。

いよいよ年越しの瞬間が迫る中、真っ白に積もった雪を鮮やかに照らしながら揚がる美しい花火を眺めながら、あっという間に駆け抜けた一年が走馬灯のように脳裏を駆け巡ります。静まり返った浅原神社で厳かに揚がり始めた花火の音を合図に片貝町の方々が三々五々神社に集まって来られます。

そこかしこで交わされる年末の挨拶は町の方々の繋がりを感じることが出来、ひと時暖かな気持ちに包まれます。新年を迎えた瞬間には華やかなスターマインが打ち揚げられ、それを皮切りに笑顔で交わされる新年の挨拶が聞こえてきます。こちらも笑顔のお裾分けをいただいてなんだか良い年になりそうな気分になります。

片貝まつりをきっかけに5年ほど交流している町の青年たちと新年の挨拶を交わせたことも私にとって嬉しい年越しの思い出となりました。新年が明けて午前0時15分ころまで揚がる花火を観終わったとき、寒さを忘れて高揚している自分にふと気がつきました。

神社の横の雪原が打上場所です。

奉納除夜煙火百八発打揚花火と生活が密着する町、片貝。

片貝町の人々の一年、そして一生にはいつも花火が寄り添っています。澄み切った年の瀬の夜空に輝く百八発の奉納煙火で一年を終え、そして一年が始まる。片貝で生まれ育った人々は成人、厄年、還暦など人生の節目節目に同級生が一つになって片貝まつりで盛大な花火を打ち揚げます。

また町内行事の際にも町内放送の代わりに花火を揚げて町民に様々なことをお知らせすることもあるそうです。それほどまでに花火と生活が密着している地域は稀有な存在だと思います。昨今各地でイベントとしてカウントダウン花火が上がるようになってきましたが片貝町の花火はそれらのイベント花火とは趣が違うように感じます。

ミニスターマインもありました。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

日時:2018年12月31日 23:40頃から30分間程度
場所:新潟県小千谷市片貝 浅原神社 MAP
奉納除夜煙火百八発打揚 HP:http://www.ojiyakanko.com/index.html

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

琉球王朝時代から続く祈りの場を舞台に。初めての女性シェフを迎え開催した第15回目の『DINING OUT』。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

石造りのアーチが美しい知念城跡。満月に照らされて幻想的。

ダイニングアウト琉球南城「Origin いのちへの感謝と祈り」をテーマに、食の起源を辿る。

11月23日(金・祝)、24日(土)に『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』が開催されました。15回目の開催地は、琉球王朝の起源といわれる沖縄県南城市。太古の昔「アマミキヨ」という女神が「ニライカナイ」と呼ばれる海の向こう側からやってきて、琉球の島々や御嶽を作ったという神話になぞらえ、『DINING OUT』史上初となる女性シェフが抜擢されました。重責を担い、二夜限りの厨房を預かったのが『志摩観光ホテル』総料理長の樋口宏江シェフ。テーマは、「Origin いのちへの感謝と祈り」。

例によって、詳細はベールに包まれたまま。11月の沖縄を訪れたゲストを待ち受けていたのは、どんなレストラン体験だったのでしょうか。その全貌を、いち早くご紹介します。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS メインページ

樋口シェフ。この二夜のためだけに結成された“オール沖縄”の厨房チームを統率する。

今回の『DINING OUT』のテーマや南城、久高島の歴史、料理に込められた想いをゲストにわかりやすく伝えたホストの中村氏。

ダイニングアウト琉球南城琉球王朝の信仰が息づく島、「はじまりの地」でアペリティフを。

冬の入口ながら、照り付ける強い陽射しに晩夏の余韻さえ感じる秋晴れの日。しかし雲の流れひとつ、風向きひとつ変われば、気温の感じ方も都度変わります。送迎のLEXUSが到着したのは、沖縄半島南端に位置する安座間港。ゲストはここから船に揺られ、港から約5キロの場所にある久高島へと渡ります。

毎回、予期せぬ演出がゲストを驚かせるのが『DINING OUT』ですが、船で島へと渡るのは初めてのこと波に揺られながら、次第に小さくなる知念岬を眺めるひとときに、特別な夜宴への期待感が高まります。

久高島は琉球王朝の創生主である女神「アマミキヨ」が降臨したといわれる琉球神話の聖地。周囲わずか8キロの小さな島の中に、祭祀などを執り行う御嶽(うたき)などの祈りの場が今も残ります。ゲストはまず、島外から訪れた人が最初に挨拶をする徳仁拝所(ウガンジュ)に詣り、続いて12年に一度の秘祭「イザイホー」の二大祭場となる御殿庭(ウドンミャー)、外間(ウプグイ)と、祈りの場を訪ねました。ホストを務めるコラムニストの中村孝則氏と島の案内役の西銘まさひで氏が御殿庭でゲストを迎え、巡礼の案内役に。

「イザイホー」を執り行うのは、ノロと呼ばれる女性であること。最後に行われたのは1978年であること。御殿庭には、島で「神の使い」とされる神聖な食べ物・イラブー(ウミヘビ)の燻製小屋があること。中村氏と西銘氏の口から語られる島のしきたり、風俗は、沖縄を訪れたことがある人にとってさえ未知の世界、驚きの連続であったことでしょう。さらに一行は、バスで島の最北端・カベール岬へと向かいます。

バスから降りると、そこがアペリティフの会場に。特別な島で初めて聞く話に神妙に耳を傾けていたゲストたちも、テーブルに並ぶフィンガーフードを見て、小さな歓声を上げ、表情は明るく華やぎます。岬の突端に目を向ければ、アダンやオキナワシャリンバイといった風衛植物の濃い緑色と白い砂浜、ターコイズブルーの海が、鮮烈なコントラストを描く南国らしい景色が広がります。

祖神「アマミキヨ」は、カベール岬から久高島へ降り立ち、五穀をもたらしたといわれています。樋口シェフがアペリティフに用意したのは、五穀に因んだ南城産赤米のチップスや、樋口シェフが志摩から持ってきた鮑のスモークなど。砂浜へと進み「ニライカナイ」の方角に祈りを捧げたゲスト一行は、再びバスに乗り、ディナーの本会場へと、徳仁港に向かいます。いよいよ、樋口宏江シェフが司る、感謝と祈りの宴の幕開けです。

カベール岬。海を隔てた先が「ニライカナイ」の方角に当たる。

カベール岬に用意されたアペリティフ会場。ゲストは予期せぬ演出に驚きの表情を見せた。

アペリティフ用のフィンガーフード。赤米で五穀の恵みへの感謝を、志摩産の鮑で海への祈りを表現し、沖縄の郷土食として欠かせないアーサーを、沖縄と志摩の食材を融合させたディナーへの橋渡しに。

最後の「イザイホー」を執り行った洋子氏。秘め事の多い祭の一端を語り伝えてくれた。

カベール岬では、「ニライカナイ」の方角に向かって手を合わせて、祈りを捧げた。

久高島・カベール岬へ続く道。豊かな自然が、祈りの場として古くから形を変えずに残されている。

ダイニングアウト琉球南城聖地巡礼の拝所に浮かび上がる、二夜限定のレストランへ。

久高島・徳仁港で乗った船が安座間港へ近付くと、送迎のLEXUSがずらりと並ぶ圧巻の風景が近づいてきます。久高島での祈りのひとときを過ごし、どこか清々しい表情をしたゲストを乗せ、LEXUSが次々に海岸線を離れ、高台へと登って行きます。駐車場から柔らかな灯りが足元を照らす長い坂道を下っていくと、目の前に幻想的な景色が浮かび上がります。この日のために用意されたディナー会場を囲むのは、ライトアップされた知念城跡。琉球王国時代から続く聖地巡礼の拝所のひとつで、切石組みのミーグスク(新城)と、自然石を積んだクーグスク(古城)から成り、国の史跡にも指定されています。

客席の前に据えられた巨大なオープンキッチンでは、大勢の料理人たちが、忙しそうにサービスの準備を行っています。その真ん中に立つ樋口シェフを見つけるのは、難しいことではありません。落ち着いていて、もの静かな普段通りの立ち振る舞いが貫かれていて、フル回転する厨房内で静かなオーラを放っています。「Origin いのちへの感謝と祈り」をテーマに、『DINING OUT』史上最も神聖な場所で繰り広げられる二夜限りの祈りの宴。その“祭祀役”を務めるのが、樋口宏江シェフなのです。

この晩、供されたのはアミューズからデセールまで11皿。そのすべてが迷いなく、確信に満ちていました。わずか2カ月前に視察に訪れたのが、樋口シェフにとっての初めての沖縄であったとは信じられないほど。地域の人々の暮らしの中でそれぞれの食材が果たしてきた役割を踏まえ、郷土食から得たインスピレーションもフルに生かして作られた料理は、どれも堂々たるフランス料理でした。

安座間港に到着したゲストは、送迎用のLEXUSでディナーの本会場へ。

ディナー会場でゲストを迎えるホストの中村氏。髪を結い上げ、琉球王朝の民族衣装で。

海を見下ろす知念城跡にしつらえられたダイニング。フルオープンの厨房のみならず、客席もまた舞台のよう。

樋口シェフの文字が印刷されたメニュー。左のサインは、一部ごとに手書きしたもの。結び目は沖縄のお守りに倣ったサン結びに。

樋口シェフの指揮の下、短期間で結束力を深めた厨房スタッフ。料理は時間通り、滞ることなく提供された。

ダイニングアウト琉球南城インパクトのある沖縄の食材を、その背景ごとフランス料理の皿に。

味作りはどこまでも緻密に、プレゼンテーションはときに穏やかなキャラクターからは想像が付かないほど大胆に。そんなコースを象徴するのが、アミューズの「久高島イラブーのシガレット」。郷土食のイラブー汁をヒントに、長時間煮たイラブーと、その出汁で風味付けした豚肉や豚足を細長く成形し、イラブーの皮を付けて揚げた手でつまめる一品に。多くのゲストにとって、もっとも未知の食材であるイラブーを、洗練されたスタイルで、ディナーの始まりに据えることで、ディープかつ聖なるものと結び付いた沖縄・南城の食の世界へとゲストを一気に引き込みます。

四季柑が爽やかに香る海の幸の前菜に続いて供されたのは、「ヒージャーのロワイヤル」。山羊のコンソメを贅沢に使ったなめらかな食感のロワイヤルに、卓上で山羊のコンソメをかけて仕上げます。器の中は一杯の茶のようにな静けさですが、身、骨、内臓と山羊の命のすべてが凝縮して内包されているのです。

沖縄の特産魚・マクブはういきょうを添えてスープ仕立てに。沖縄在来種の黒金豚は、伊勢志摩から持ち込んだ備長炭で炭火焼きに。「ぬちぐすい(命薬)」と題された皿は、味や香り、苦みが濃厚な在来種の野菜の“ちゃんぷるー”。それぞれの味わいを活かす調理法で火を入れ、ときには生で、単体で、あるいは一緒に味わうことで、体が調う心地に。家族の健康を気遣う母の味を出発点にした一皿は、野菜料理ながら、魚や肉に劣らぬ食べ応えです。

コースの合間に古くから祭祀舞踊として土地に根付く琉球舞踊が披露されました。三線や笛、太鼓の音に合わせたしなやかな舞いを照らすのは、煌々と輝く月明り。そう、23日は満月だったのです。月明りは、舞台だけでなく食卓を囲む人々をも照らします。日没から急激に強まった風の影響で、会場は一気に冬のような冷え込みに。でも、ブランケットで寒さをしのぎつつ、満足気食事を楽しむゲストの表情が印象的でした。

「久高島イラブーのシガレット」。イラブー粉の旨みは、濃厚なかつお節のよう。

「琉球の海の幸 四季柑の香りを添えて」。姫シャコ貝や島ダコなど、個性の強い地産の魚介に、トマトのムースと四季柑(カラマンシー)のジュレを添えて。

「ヒージャーのロワイヤル」。山羊の姿を残さぬ1皿に、山羊の旨みすべてを詰め込んだ。

たおやかに舞う踊り子は、すべて男性。ディナーと並行して伝統芸能の演目が披露され、会場はいっそう華やぐ。

「マクブとウイキョウのスープ」。丁寧にひかれた魚の出汁の澄み切った味わいに、サフランが優しく香りを添える。

「“ぬちぐすい”」=「命薬」と名付けた野菜と島豆腐のひと皿。力強い野菜と島豆腐のひとつひとつが主張し、混ざり合う。

口直しに供された「ローゼルのグラニテ」。酸味が爽やか。

胴を五色の毛に覆われた沖縄伝統の獅子舞が登場する一幕も。

「黒金豚の伊勢志摩備長炭焼き ハチミツ風味のガストリックソースで」。豚の脂身のしっかりとした食感とクリアな甘みが際立つ。

マングローブ蟹を生きた殻付きのまま炊き込んだ1品。まずはプレゼンテーションとして鍋のままテーブルへ。

殻から出る出汁とほぐし身、プチプチとした食感の内子と、マングローブ蟹のおいしさを余すところなく味わえる。シマネギの香味がアクセントに。

デザートの前に泡盛の古酒とともに供された酒肴。左は、樋口シェフ自らが作った琉球伝統菓子・冬瓜の砂糖漬けにカカオニブを乗せたもの。右奥が南城市にある英国人ジョン・デイヴィスさんのチーズ工房『チーズガイ』のエメンタールチーズ、右手前は豆腐よう。

「島バナナのソルベと沖縄ラムのババ 黒糖の香り」。島バナナのコクのある甘み、黒糖とラムの風味が一体に。

左はシークヮーサーのパート・ド・フリュイと、ドラゴンフルーツの焼き菓子。沖縄「アダファーム」のスペシャリティコーヒーとともに。

ダイニングアウト琉球南城祭祀のように、多くの人の手を、心をひとつにした宴。

「ホテルで仕事をしてきた自分だからこそ出せる料理をお出ししたい」
開催に先駆け、樋口シェフが繰り返し話していた言葉です。では「ホテルの仕事」とはいったいどういうものでしょうか。

それは1皿に惜しみない手間がかけられる仕事。例えば「マクブとウイキョウのスープ」1品を取っても、まず魚の骨と野菜を炒めたもので出汁を引き、エビのコンソメを合わせでコクを出し、身は火を入れる前に塩と砂糖でマリネして脱水し、揚げたウロコを添えて食感を出すという具合。見えないところにかけられる膨大な仕事量は、“人の手”なくしてはありえません。沖縄南城の地で開催された『DINING OUT』では、阿吽の呼吸で通じ合うホテルのスタッフに代わり、県内から集まった料理人たちが樋口シェフの指揮の下、その役割を果たしました。その様子に神の使い役である女性の下、執り行われる祭を重ねたゲストも少なくなかったはずです。

「準備段階で焦りやプレッシャーはありましたが、いつも沖縄の方々が助けて下さった。食材の生産者の方々の真摯さやおおらかさ、厨房スタッフとして参加して下さったシェフの方々の惜しみない力添え。皆さんと作り上げた2日間を誇りに思いますし、それはこれからの私の仕事にも生かされていくと思います」
2日間の感想を樋口シェフに尋ねると「やり切った」という表情で、そう語りました。

初日の急激な冷え込みに続き、二日目は、いよいよディナー開始という場面で、二度のにわか雨に降られるアクシデントがありました。それでも慌てて席を離れたり、あからさまに不満を漏らしたりするゲストはいません。そこに「15回の歴史を重ねてきた『DINING OUT』の成熟を見た」と、ホストの中村氏は話します。
「単に野外で食事をするだけでなく、すべての人で“場”を作り上げる。『DINING OUT』は『DINING EXPERIENCE』。茶道の言葉でいえば、一座建立。素晴らしい会だった」と。

国の史跡にダイニングをしつらえ、海を隔てた2会場を船で行き来し、土地に縁を持たない女性料理人が厨房を仕切る。初めて尽くしゆえに、成功への願いと同じくらい大きな不安も抱えてスタートした『DINING OUT RYUKYU NANJO with LEXUS』は、大きな充実感とともに幕を閉じました。この成功は16回以降の『DINING OUT』に、そして携わったすべての人々のこれからに、いい形で繋がっていくはずです。

最後まで「昨日より今日、今より次の一皿をより良く」と、妥協なき仕事を貫いた樋口シェフ。

一皿一皿に驚き、笑みを見せるゲストたち。サービスも地元スタッフを中心にテンポよく取りし切られた。

会場を照らす満月。初日、会の終わり近くには、客席からも見ることができた。

カーテンコール。即席のチームとは思えない結束力を見せたスタッフたち。樋口シェフも安堵の表情。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテルHP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、TVにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を授勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士の称号も授勲。(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称) 2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/

りんごと鋏(はさみ)。切っても切れないその関係は、津軽の文化そのもの。[TSUGARU Le Bon Marché・三國打刃物店/青森県弘前市]

朝日を浴びながら作業する三國氏。朝、まだ涼しい時間に火を使う作業を行い、午後はパーツの組み立てや修理に当てる。

津軽ボンマルシェ・三國打刃物店りんご作りの要、剪定作業を支える、農家の相棒・剪定鋏。

ひんやりした空気が街を覆う朝8時。『三國打刃物店』の中から、「カン、カン、カン」というリズミカルな音が響いてきます。さまざまな刃物を扱う『三國打刃物店』ですが、秋から冬を迎えるこの時期は繁忙期。「りんご農家さんが剪定作業に入るのは正月過ぎてから。それまでに製造や修理を終わらせないといけないから、今が一番忙しいんです」。そう教えてくれた三國徹氏は、創業130年近いこの工房をひとりで切り盛りする5代目鍛冶職人です。

街の中心地から少し離れるだけで、広大なりんご畑が広がる津軽。りんご生産にはさまざまな道具が使われます。中でも、作業中の農家の人々が必ずといっていいほど腰に付けているもの、それが剪定鋏。「昔はひとつの農家で1挺(ちょう)持つものでしたが、今は農家1軒当たりの栽培面積が広いから、ひとりで何挺も持つ人もいますね」と三國氏。つまり、りんご農家の人口以上に現役で活躍する剪定鋏が存在しているということ。剪定が要といわれるりんご栽培ゆえ、農家にとって剪定鋏は非常に重要な仕事道具であり、必ず修理に出してメンテナンスをするものなのだそう。

ここ『三國打刃物店』には毎年数百挺の鋏が修理に出されますが、現在弘前に5軒ある刃物店の中でも、剪定鋏を扱うのはここを含めて2軒だけ。津軽のりんご農家にとって、三國氏の存在は、なくてはならないものなのです。

▶詳細は、TSUGARU Le Bon Marché メインページ/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

1500~1600℃の火で鋼の棒を熱し、打つ作業を繰り返す。目の前で、無骨なただの金属が、みるみるうちに刃物となっていく。

“叩く”作業は時間が勝負。火が入った窯と刃を叩く台の前を、足しげく行き交う。軽々と振り下ろす金槌は、相当な重さ。

“叩く”作業の合間に、時折スケールで刃の長さや厚さを確認する三國氏。測りはするもの、ほとんどは感覚だ。

津軽ボンマルシェ・三國打刃物店全国に知られる名品が、りんごと歩んできた歴史とは。

津軽のりんご産業を支えてきた剪定鋏には、古い歴史があります。弘前市中心地に残る鍛治町というエリアは、その昔、弘前藩主お抱えの鍛冶職人たちがいた場所。時代の流れとともに、彼らが手掛けるものも刀から包丁や農機具へと広がり、津軽の一大産業となったりんご用の剪定鋏が生まれました。『三國打刃物店』の初代も130年ほど前に本家から別れ、分家として農機具全般を手掛けてきたそうです。

現在、日本有数の品質と称される津軽の剪定鋏ですが、その理由もまたりんごにあります。バラ科であるりんごの木の特徴は、枝がとても硬いこと。そのため2本の刃を組み合わせて作る鋏も、片方の刃は鋭利に仕上げ、もう片方の刃は枝を支える“受け”にする片刃式で、硬くて太い枝も安定して切ることができる仕様に。今の日本の剪定鋏で主流になっているこの片刃式は、元々ここ津軽から生まれた形なのだとか。

さらに毎日大量の枝を切っても咬み合わせが変わらないよう、緩みやすい一般的な右ねじではなく、ひとつずつ手で成形した左ねじを採用。仕上げ前の最終工程で再度焼き入れし“受け”の刃の硬度を調整、枝を柔らかく受け止める工夫を施すなど、素人目に見てもこだわりが詰まっています。「やっぱり、りんごがあったからこそできた形なんです」。そう三國氏がいう通り、りんご作りを支えてきた剪定鋏もまた、りんごのおかげで品質が上がり、りんごに支えられてきた道具といっていいでしょう。

現在は、剪定鋏だけでも10型以上が揃う。生産量が少ないため、基本は工房のみでの販売だ。六角寿の紋がこの工房で作られた証。

中心街に近い住宅街の店。飾りっ気のない佇まいに、工芸品ではなく実用品を売る場所なのだと再確認する。

刃が成形されるまでの状態を順番に並べてもらった。一番右の鋼を二番目の状態にする時だけプレス機を使うが、後はすべて手作業。

津軽ボンマルシェ・三國打刃物店本体から道具まですべて手作業で作られる、贅沢な実用品。

実際に三國氏の剪定鋏に触れると、その握りやすさに驚きます。手に吸い付くようにフィットし、バネも柔らかい。剪定の経験がある人は分かるはずですが、作業するうち手のひらが痛くなるあの感じが、極力軽減されているのです。こうした使い心地のためのさまざまな工夫は、経験を積みながら重ねてきたものだと三國氏。剪定鋏作りには、もちろん教科書はありません。三國氏自身、先代である父の作業を見よう見まねでやり方を覚え、後は自分で考えるしかなかったそう。

「特に父は自分から説明しないタイプ。用途に応じた刃のサイズなどは書き残していましたが、手取り足取り教わるようなことは一度もありませんでした」。そのためか、それぞれの工程の呼び方を聞いても「鋼を打つのは“叩く”というし、仕上げも“荒仕上げ”とか“最後の仕上げ”とか……。ひとりでやっているから、呼び方とか関係ないんですよ(笑)」と三國氏。鋏作りに必要な道具も、工程と同じように、これといった呼び名はなし。しかし、原料の鋼を火にくべる際に使う大きな鋏も、鋼を叩く台も、さらには鋏の刃先を研磨するグラインダーの刃さえも、なんと手作りされています。「代々続く方法でやっているだけで、特別なことはしていない」という三國氏に、ことさら伝統やこだわりについて聞くことは無粋でしょう。しかしこうして1挺1挺、すべて手作業で作られる剪定鋏は、農機具であると同時に芸術品でもあると感じられました。

握りやすくするため、柄に絶妙なカーブが付けられているのが分かる。持ち主の手のサイズや形、握り癖に合わせて、曲線を調整する。

ふたつの刃を留める左ねじは、抜けづらくなるよう、少しふくらみのある形状に。手作りだからこそできる細かいディテール。

手作業が多いため、1日1挺の剪定鋏を作るのが精一杯。オーダーものとなれば、1挺作るのに2、3日はかかる。

津軽ボンマルシェ・三國打刃物店手作りの鋏は持ち手とともに育ち、その性格も映し出す。

今から20年ほど前、剪定鋏を取り巻く状況が一変したことがありました。海外製の安価な剪定鋏がホームセンターに並ぶようになり、一気に普及。りんご農家にも手入れが必要な鋼鉄の鋏ではなく、安くて手軽なステンレス製の鋏を選ぶ人が増えたそう。「たまに、そういう鋏の修理を依頼される人がいるんです。でも修理するより、そもそも新しく同じものを買った方が安い。どんな鋏を選ぶかは人それぞれですが、ああいう鋏は使い捨てなんですよ」。

手作りの鋼の剪定鋏のよさは、長年使うことで手に馴染み、“その人の鋏”になること。「修理に出された鋏を見ると、使った人の性格が見えてくる」と三國氏はいいます。毎年刃がぼろぼろになるまで使いこまれてくる鋏、きれいに手入れされた状態で届く鋏……「どんな使い方をする人なのかが現れるから、それも考えて修理します。たとえば鋏の扱いが荒いと刃が欠けやすいのですが、そういう人には、刃先を刃持ちのよい"はまぐり刃"という形状にしておく。でも大事に使ってもらっているのが分かると、うれしいですね」。

丁寧に使えば30年以上持つという剪定鋏。先代が作った鋏を、息子である三國氏が修理することも多いそう。世代を超えて受け継がれ、愛される津軽の必需品は、今年も日本一の生産量を誇るこの地のりんご産業を、陰で支えてくれることでしょう。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

剪定鋏は全体の商品のうち3割程度。それでも、時期には剪定鋏にかかりっきりに。りんご産業を支える影の立役者だ。

住所:青森県弘前市茂森町170-3 MAP

未来志向で可能性を開拓し、歴史の再興から発展の立役者へ。[美の匠 ガラス工房 弟子丸/鹿児島県霧島市]

世界で愛される鹿児島ブランド、薩摩切子。

美の匠 ガラス工房 弟子丸

鹿児島県の中央部に位置する霧島市。霧島連山を筆頭に、豊かな自然に包まれたこの地に拠点を置くのが、弟子丸努氏率いる『美の匠 ガラス工房 弟子丸』です。
伝統工芸品である薩摩切子の技術を継承しつつ、新たな価値の創造にも取り組む同社。後編では、弟子丸氏の経歴や薩摩切子の製造工程と共に、薩摩切子づくりへの想いや今後の展望を聞きました。

▶前編は、薩摩切子の歴史と技法を守りつつ、新たな価値の創造に挑む。

『美の匠 ガラス工房 弟子丸』の代表兼切子師の弟子丸氏。

美の匠 ガラス工房 弟子丸社会人としてのスタートが、薩摩切子の新たな時代の幕開けとリンク。

鹿児島県霧島市は、鹿児島市に次ぎ県内で2番目に人口規模の大きい市。一方で市内中心部を離れると、雄大な霧島連山や、そのふもとから湧き出る湯で潤う霧島温泉郷、神話や伝説にまつわる高千穂峰や霧島神宮などが広がり、風光明媚な観光地としても賑わいを見せています。

そんな霧島市で生まれ育った弟子丸氏。高校卒業を控えて就職活動を始めようとしたタイミングで、薩摩切子と運命的な出合いを果たします。ちょうど卒業する1985年から、100余年の沈黙を経て薩摩切子の復元プロジェクトがスタートすることになったのです。そのために設立される薩摩ガラス工芸株式会社(現・株式会社島津興業)は、広く人材を募集。未経験の若者に対しても門戸が開かれました。

弟子丸氏は、「正直、この求人を見るまで、薩摩切子の存在は全く知りませんでした。ただ、子供の頃から工作などものづくりが好きだったので、何だか面白そうだと興味を持って。それから知れば知るほど、薩摩切子の美しさや、誕生から終焉までの歴史、そしてそれを再興しようという試みに強く惹かれ、やってみたい!と就職を決めました」と当時の想いを語ります。

こうして、18歳で薩摩切子の担い手として歩み始めることとなった弟子丸氏。同じく高校卒業したての若者から、ガラス工芸に携わっている者、江戸切子の職人まで、集まった十数名のスタッフで、薩摩切子の復元に挑みました。

まずは、わずかに残された当時の薩摩切子を実測しつつ、関連資料や写真、調査記録を読み解き、その特徴や工程、使用する工具の形状などを推測。必要な加工設備が整った工場作りを進めつつ、「薩摩の紅ガラス」と謳われた特徴的な紅色をはじめ、鮮やかな発色を再現、安定させるための色の研究も進められました。

試行錯誤の日々を振り返って弟子丸氏は、「ある程度の形になるまで、5年ぐらいはかかったと思います。私は素人からのスタートだったので、先輩方が削ったグラスを磨く作業から携わって。マニュアルがあるわけではないので、先輩の作業を見ながら、実際に自分の手を動かして経験しながら、体で覚えていきました」と話します。

厚い生地に多彩なカットを施し、磨き上げる。

美の匠 ガラス工房 弟子丸薩摩切子のものづくりは、いくつもの工程と職人技の結集。

薩摩切子の製造工程は、大きく生地作りとカット、そして仕上げの磨きに分けられます。まず、鉛を24~25%含む原料を調合し、高温の炉で泡のないきれいなガラスに熔融。その後、それぞれ別々の窯で水あめ状に溶融した透明ガラスと色ガラスを巻き取ったら、色被せと呼ばれる工程で重ね合わせることで2層の生地になります。最終的に型吹きという工程で成形したら、薩摩切子用の生地の完成です。

ここから先はカットの工程。始めに、施す文様に合わせて生地に分割線を引く割り付けを行います。その分割線を元に、高速回転するダイヤモンドホイールを使ってカット。この時の角度や深さで、薩摩切子特有の「ぼかし」が生まれます。

そして、最後は磨きの作業。まずは水で溶いてペースト状にした磨き粉をつけ、回転する青桐の円盤やセリウム盤で全体を磨きます。続いて、竹の繊維でできた円盤を回転させて、細かいカット部分の磨き。仕上げに、回転する布製の円盤と水で溶いた艶粉を用い、くもりのない鏡面に磨き上げます。

「全ての工程に高い技術が求められますが、やはり最も難しいのは要となるカットです。割り付けはあくまでも文様の配置目安でしかなく、分割線の中に描く文様自体の下書きはありませんから。ラインを一本入れるにしても、ホイールにどれぐらいの角度、強さ、長さで当てるかは感覚的なもので、経験を積むことでしか得られない技術です」と弟子丸氏。
手仕事とは思えない正確さで、均一な太さのラインを刻み、バランスのとれた文様を描くのは、まさに熟練の職人だからこそ成せる技なのです。

文様の配置が記された割り付けの指示書。

指示書を元に、生地に分割線を引いていきます。

文様に合わせ、様々な大きさ、太さのホールでカット。

3種類の円盤を使い分けて行われる磨きの作業。

美の匠 ガラス工房 弟子丸かつて存在したものの復元から、現代的な新しいものづくりへと発展。

薩摩ガラス工芸株式会社(現・株式会社島津興業)で薩摩切子の復元に従事し、切子師としての経験を積み上げていった弟子丸氏。入社から9年後の1994年には、薩摩切子の新たな工房となる薩摩びーどろ工芸株式会社の設立に携わり、移籍しました。

弟子丸氏曰く、「それまでは、歴史ある薩摩切子を忠実に復元することが目標であり、その実現のために邁進してきました。それがかなった時、今度は自分たちらしい薩摩切子を作ってみたいと思うようになって。新しい工房ができることになりました」。

新工房では、伝統的な薩摩切子の器も手がけつつ、例えば大きな花瓶を作ってみたり、依頼を受けてゴルフ大会に使われるトロフィーを作ってみたり。時代に合わせた、今求められる薩摩切子の作品づくりを進めていきました。

中でも最も大きな取り組みは、2006年に携わった『薩摩黒切子』の開発。紅、藍、紫、緑、金赤、黄と色とりどりな薩摩切子の伝統色にはない、黒の薩摩切子への挑戦です。

「薩摩切子はカットの際、周りから光を当てて、外側に引かれた分割線を内側から透かし見て削り進めているんです。ところが、黒ガラスは透過性が低いので、内側から外側の分割線が見えづらく、かなり感覚に頼る部分が大きくなるんですよね。最初に黒切子を作ってみないかと言われた時は、そんな難しいこと無理だろうと感じました。でも、だからこそやる価値があるとも思い、その試みに乗ることにしたんです」と話す弟子丸氏。

最初は比較的簡単な文様から始めて、少しずつ精度をアップ。やがて細かな文様も描けるようになり、カラフルな薩摩切子の世界に、黒のラインが誕生しました。

通常は光を当て内側から外側の分割線を透かし見ます。

カラフルな薩摩切子に加わった黒の世界。

美の匠 ガラス工房 弟子丸今を生きる職人として薩摩切子の可能性を拓き、再興から進化の一翼を担う。

2つの工房で経験を積み、切子師として歩み始めて25年が過ぎた2011年。弟子丸氏は満を持して自身の工房『美の匠 ガラス工房 弟子丸』を立ち上げました。

弟子丸氏は、「薩摩びーどろ工芸も40名を超える大所帯となり落ち着いてきたので、これからは一人で自分の作品づくりを追求しようと、生まれ育った霧島に工房を構えました。また、どうせなら他の工房がやっていないようなことに取り組んでみようと、設立当初から新たな試みを展開していったのです」と言います。

そして1年目には、薩摩切子の廃材を活用したアクセサリーブランド『eco KIRI(エコキリ)』を、2年目には薩摩切子のステンドグラスを配したインテリアブランド『FUSION(フュージョン)』を発表。3年目には、霧島の地を拠点とする弟子丸氏ならではの視点で、豊かな霧島の自然を透明な世界で表現した『CLEAR LINE』と、『薩摩黒切子』をさらに昇華させ独自のニュアンスを加えた『BLACK LINE』から成る、『霧島切子』をリリースしました。

生地こそ古巣の工房から仕入れているものの、以降の割り付けからカット、磨きまでの工程は、全て自社の工房内で完結している『美の匠 ガラス工房 弟子丸』。弟子丸氏が一人で立ち上げて以降、年々志を同じくする者が集まり、今では16名の職人が在籍しています。弟子丸氏のような切子師に憧れて門を叩き修行に励む若手も多く、頼もしい後継者が着実に育っているのです。

「私たちは皆、伝統をトレースするだけに留まらない切子師をめざし、自ら高めた技法で、新たな価値を創造する道を歩んでいます。もちろん伝統技法を大切にしつつも、それらを時代の変化や現代のニーズに合わせて再解釈し、新しい作品を生み出しているんです」。そう語る弟子丸氏は、真っ直ぐに薩摩切子の未来を見つめています。

市内中心部から少し離れた住宅街に佇む工房。

廃材から作るアクセサリー『eco KIRI』のブローチなど。

『eco KIRI』用の極小パーツにも細かな文様を施す職人芸。

美しい透過光に酔いしれる『FUSION』のアートフレーム。

薩摩切子が輝く名刺入れは、革メーカーとのコラボ。

美の匠 ガラス工房 弟子丸灯してきた火を二度と絶やさぬよう守り、さらに大きく燃え上がらせる。

この道30余年の弟子丸氏が掲げるモットーは「炉火純青」。これは、炎が青色になると温度も最高に達するということから、技芸が最高の域に達することを意味する言葉です。

「切子師の生涯は、まさに“炉火純青”を追求する修練の路だと思うんです。どんなにキャリアを積んでも薩摩切子の表現を突き詰め、己の限界まで技を磨き続ける。だからこそ、世界に類を見ない煌めきを持つ薩摩切子が生まれ、人々を魅了し続けられるのだという信念を胸に、日々向き合っています」。

また、「幻となった薩摩切子が復活して早30年以上が経ち、国内での薩摩切子の認知度は高まっていますが、まだまだ。そのため、伝統と新しさを感じていただける作品を持って、全国の催事などに積極的に出向き、薩摩切子の世界を広めようと努めています。工房で行っている制作体験もそのひとつ。最終的には、日本はもとより、世界のガラス工芸史上で私たちの作品が評価されるようになれば嬉しいですね」と夢を語ります。

その技法を際限なく、極限まで高め創作し、「炉火純青」と称される最高点の煌めきを探求する。こうした現代の切子師たちの人生をかけた営みの果てに、かつてのムーブメント以上のものを感じさせる薩摩切子の未来が今、広がりを見せているのです。これからも『美の匠 ガラス工房 弟子丸』は、伝統を受け継ぐ魂とさらなる発展を目指すフロンティア精神で、伝統と革新に満ちた作品を生み出していきます。

住所:〒899-4304 鹿児島県霧島市国分清水1-19-27 MAP
電話:0995-73-6522
営業時間:9:30~18:00
定休日:日曜
http://deshimaru.jp/

鹿児島県霧島市出身。1985年に高校を卒業し、薩摩ガラス工芸株式会社(現・株式会社島津興業)へ入社。薩摩切子の復元に携わる。1994年には新たな環境を求め、薩摩びーどろ工芸株式会社の設立に従事。同社で活躍した後、2011年に『美の匠 ガラス工房 弟子丸』を立ち上げた。薩摩切子の継承はもちろん、『霧島切子』や『eco KIRI』、『fusion』などオリジナルブランドも展開。従来の枠に捉われない作品づくりを行い、新しい薩摩切子の可能性を追い続けている。

未来志向で可能性を開拓し、歴史の再興から発展の立役者へ。[美の匠 ガラス工房 弟子丸/鹿児島県霧島市]

世界で愛される鹿児島ブランド、薩摩切子。

美の匠 ガラス工房 弟子丸

鹿児島県の中央部に位置する霧島市。霧島連山を筆頭に、豊かな自然に包まれたこの地に拠点を置くのが、弟子丸努氏率いる『美の匠 ガラス工房 弟子丸』です。
伝統工芸品である薩摩切子の技術を継承しつつ、新たな価値の創造にも取り組む同社。後編では、弟子丸氏の経歴や薩摩切子の製造工程と共に、薩摩切子づくりへの想いや今後の展望を聞きました。

▶前編は、薩摩切子の歴史と技法を守りつつ、新たな価値の創造に挑む。

『美の匠 ガラス工房 弟子丸』の代表兼切子師の弟子丸氏。

美の匠 ガラス工房 弟子丸社会人としてのスタートが、薩摩切子の新たな時代の幕開けとリンク。

鹿児島県霧島市は、鹿児島市に次ぎ県内で2番目に人口規模の大きい市。一方で市内中心部を離れると、雄大な霧島連山や、そのふもとから湧き出る湯で潤う霧島温泉郷、神話や伝説にまつわる高千穂峰や霧島神宮などが広がり、風光明媚な観光地としても賑わいを見せています。

そんな霧島市で生まれ育った弟子丸氏。高校卒業を控えて就職活動を始めようとしたタイミングで、薩摩切子と運命的な出合いを果たします。ちょうど卒業する1985年から、100余年の沈黙を経て薩摩切子の復元プロジェクトがスタートすることになったのです。そのために設立される薩摩ガラス工芸株式会社(現・株式会社島津興業)は、広く人材を募集。未経験の若者に対しても門戸が開かれました。

弟子丸氏は、「正直、この求人を見るまで、薩摩切子の存在は全く知りませんでした。ただ、子供の頃から工作などものづくりが好きだったので、何だか面白そうだと興味を持って。それから知れば知るほど、薩摩切子の美しさや、誕生から終焉までの歴史、そしてそれを再興しようという試みに強く惹かれ、やってみたい!と就職を決めました」と当時の想いを語ります。

こうして、18歳で薩摩切子の担い手として歩み始めることとなった弟子丸氏。同じく高校卒業したての若者から、ガラス工芸に携わっている者、江戸切子の職人まで、集まった十数名のスタッフで、薩摩切子の復元に挑みました。

まずは、わずかに残された当時の薩摩切子を実測しつつ、関連資料や写真、調査記録を読み解き、その特徴や工程、使用する工具の形状などを推測。必要な加工設備が整った工場作りを進めつつ、「薩摩の紅ガラス」と謳われた特徴的な紅色をはじめ、鮮やかな発色を再現、安定させるための色の研究も進められました。

試行錯誤の日々を振り返って弟子丸氏は、「ある程度の形になるまで、5年ぐらいはかかったと思います。私は素人からのスタートだったので、先輩方が削ったグラスを磨く作業から携わって。マニュアルがあるわけではないので、先輩の作業を見ながら、実際に自分の手を動かして経験しながら、体で覚えていきました」と話します。

厚い生地に多彩なカットを施し、磨き上げる。

美の匠 ガラス工房 弟子丸薩摩切子のものづくりは、いくつもの工程と職人技の結集。

薩摩切子の製造工程は、大きく生地作りとカット、そして仕上げの磨きに分けられます。まず、鉛を24~25%含む原料を調合し、高温の炉で泡のないきれいなガラスに熔融。その後、それぞれ別々の窯で水あめ状に溶融した透明ガラスと色ガラスを巻き取ったら、色被せと呼ばれる工程で重ね合わせることで2層の生地になります。最終的に型吹きという工程で成形したら、薩摩切子用の生地の完成です。

ここから先はカットの工程。始めに、施す文様に合わせて生地に分割線を引く割り付けを行います。その分割線を元に、高速回転するダイヤモンドホイールを使ってカット。この時の角度や深さで、薩摩切子特有の「ぼかし」が生まれます。

そして、最後は磨きの作業。まずは水で溶いてペースト状にした磨き粉をつけ、回転する青桐の円盤やセリウム盤で全体を磨きます。続いて、竹の繊維でできた円盤を回転させて、細かいカット部分の磨き。仕上げに、回転する布製の円盤と水で溶いた艶粉を用い、くもりのない鏡面に磨き上げます。

「全ての工程に高い技術が求められますが、やはり最も難しいのは要となるカットです。割り付けはあくまでも文様の配置目安でしかなく、分割線の中に描く文様自体の下書きはありませんから。ラインを一本入れるにしても、ホイールにどれぐらいの角度、強さ、長さで当てるかは感覚的なもので、経験を積むことでしか得られない技術です」と弟子丸氏。
手仕事とは思えない正確さで、均一な太さのラインを刻み、バランスのとれた文様を描くのは、まさに熟練の職人だからこそ成せる技なのです。

文様の配置が記された割り付けの指示書。

指示書を元に、生地に分割線を引いていきます。

文様に合わせ、様々な大きさ、太さのホールでカット。

3種類の円盤を使い分けて行われる磨きの作業。

美の匠 ガラス工房 弟子丸かつて存在したものの復元から、現代的な新しいものづくりへと発展。

薩摩ガラス工芸株式会社(現・株式会社島津興業)で薩摩切子の復元に従事し、切子師としての経験を積み上げていった弟子丸氏。入社から9年後の1994年には、薩摩切子の新たな工房となる薩摩びーどろ工芸株式会社の設立に携わり、移籍しました。

弟子丸氏曰く、「それまでは、歴史ある薩摩切子を忠実に復元することが目標であり、その実現のために邁進してきました。それがかなった時、今度は自分たちらしい薩摩切子を作ってみたいと思うようになって。新しい工房ができることになりました」。

新工房では、伝統的な薩摩切子の器も手がけつつ、例えば大きな花瓶を作ってみたり、依頼を受けてゴルフ大会に使われるトロフィーを作ってみたり。時代に合わせた、今求められる薩摩切子の作品づくりを進めていきました。

中でも最も大きな取り組みは、2006年に携わった『薩摩黒切子』の開発。紅、藍、紫、緑、金赤、黄と色とりどりな薩摩切子の伝統色にはない、黒の薩摩切子への挑戦です。

「薩摩切子はカットの際、周りから光を当てて、外側に引かれた分割線を内側から透かし見て削り進めているんです。ところが、黒ガラスは透過性が低いので、内側から外側の分割線が見えづらく、かなり感覚に頼る部分が大きくなるんですよね。最初に黒切子を作ってみないかと言われた時は、そんな難しいこと無理だろうと感じました。でも、だからこそやる価値があるとも思い、その試みに乗ることにしたんです」と話す弟子丸氏。

最初は比較的簡単な文様から始めて、少しずつ精度をアップ。やがて細かな文様も描けるようになり、カラフルな薩摩切子の世界に、黒のラインが誕生しました。

通常は光を当て内側から外側の分割線を透かし見ます。

カラフルな薩摩切子に加わった黒の世界。

美の匠 ガラス工房 弟子丸今を生きる職人として薩摩切子の可能性を拓き、再興から進化の一翼を担う。

2つの工房で経験を積み、切子師として歩み始めて25年が過ぎた2011年。弟子丸氏は満を持して自身の工房『美の匠 ガラス工房 弟子丸』を立ち上げました。

弟子丸氏は、「薩摩びーどろ工芸も40名を超える大所帯となり落ち着いてきたので、これからは一人で自分の作品づくりを追求しようと、生まれ育った霧島に工房を構えました。また、どうせなら他の工房がやっていないようなことに取り組んでみようと、設立当初から新たな試みを展開していったのです」と言います。

そして1年目には、薩摩切子の廃材を活用したアクセサリーブランド『eco KIRI(エコキリ)』を、2年目には薩摩切子のステンドグラスを配したインテリアブランド『FUSION(フュージョン)』を発表。3年目には、霧島の地を拠点とする弟子丸氏ならではの視点で、豊かな霧島の自然を透明な世界で表現した『CLEAR LINE』と、『薩摩黒切子』をさらに昇華させ独自のニュアンスを加えた『BLACK LINE』から成る、『霧島切子』をリリースしました。

生地こそ古巣の工房から仕入れているものの、以降の割り付けからカット、磨きまでの工程は、全て自社の工房内で完結している『美の匠 ガラス工房 弟子丸』。弟子丸氏が一人で立ち上げて以降、年々志を同じくする者が集まり、今では16名の職人が在籍しています。弟子丸氏のような切子師に憧れて門を叩き修行に励む若手も多く、頼もしい後継者が着実に育っているのです。

「私たちは皆、伝統をトレースするだけに留まらない切子師をめざし、自ら高めた技法で、新たな価値を創造する道を歩んでいます。もちろん伝統技法を大切にしつつも、それらを時代の変化や現代のニーズに合わせて再解釈し、新しい作品を生み出しているんです」。そう語る弟子丸氏は、真っ直ぐに薩摩切子の未来を見つめています。

市内中心部から少し離れた住宅街に佇む工房。

廃材から作るアクセサリー『eco KIRI』のブローチなど。

『eco KIRI』用の極小パーツにも細かな文様を施す職人芸。

美しい透過光に酔いしれる『FUSION』のアートフレーム。

薩摩切子が輝く名刺入れは、革メーカーとのコラボ。

美の匠 ガラス工房 弟子丸灯してきた火を二度と絶やさぬよう守り、さらに大きく燃え上がらせる。

この道30余年の弟子丸氏が掲げるモットーは「炉火純青」。これは、炎が青色になると温度も最高に達するということから、技芸が最高の域に達することを意味する言葉です。

「切子師の生涯は、まさに“炉火純青”を追求する修練の路だと思うんです。どんなにキャリアを積んでも薩摩切子の表現を突き詰め、己の限界まで技を磨き続ける。だからこそ、世界に類を見ない煌めきを持つ薩摩切子が生まれ、人々を魅了し続けられるのだという信念を胸に、日々向き合っています」。

また、「幻となった薩摩切子が復活して早30年以上が経ち、国内での薩摩切子の認知度は高まっていますが、まだまだ。そのため、伝統と新しさを感じていただける作品を持って、全国の催事などに積極的に出向き、薩摩切子の世界を広めようと努めています。工房で行っている制作体験もそのひとつ。最終的には、日本はもとより、世界のガラス工芸史上で私たちの作品が評価されるようになれば嬉しいですね」と夢を語ります。

その技法を際限なく、極限まで高め創作し、「炉火純青」と称される最高点の煌めきを探求する。こうした現代の切子師たちの人生をかけた営みの果てに、かつてのムーブメント以上のものを感じさせる薩摩切子の未来が今、広がりを見せているのです。これからも『美の匠 ガラス工房 弟子丸』は、伝統を受け継ぐ魂とさらなる発展を目指すフロンティア精神で、伝統と革新に満ちた作品を生み出していきます。

住所:〒899-4304 鹿児島県霧島市国分清水1-19-27 MAP
電話:0995-73-6522
営業時間:9:30~18:00
定休日:日曜
http://deshimaru.jp/

鹿児島県霧島市出身。1985年に高校を卒業し、薩摩ガラス工芸株式会社(現・株式会社島津興業)へ入社。薩摩切子の復元に携わる。1994年には新たな環境を求め、薩摩びーどろ工芸株式会社の設立に従事。同社で活躍した後、2011年に『美の匠 ガラス工房 弟子丸』を立ち上げた。薩摩切子の継承はもちろん、『霧島切子』や『eco KIRI』、『fusion』などオリジナルブランドも展開。従来の枠に捉われない作品づくりを行い、新しい薩摩切子の可能性を追い続けている。

小林紀晴 秋の写真紀行「記憶の螺旋」。

 私はまた大内宿に向かった。そして、また高遠蕎麦を食した。この地を訪れるのは4回目で、すべての季節に訪れ、高遠蕎麦も4回食べたことになる。東京ではまだ秋の始まりだったが、すでにここは秋の只中という気配で、肌寒く、紅葉もかなり進んでいた。

 蕎麦を食べたあと、一軒のカフェに向かった。
 茶房やまだ屋
 大内宿の奥まった場所にあり、築400年ほどの茅葺き屋根の古民家の内を改装したモダンな造りだ。最初に目に入ったのは頭上にあるふたつの神棚。
 店主である男性にお会いした。諸岡泰之さん。冬に訪れたときに、会津若松の別の珈琲豆専門店にお客さんとして来ていたところを偶然お会いしたのがきっかけだ。ご自身は埼玉県の生まれだが、お母さんがここ大内宿の出身で、お母さんが実家を継ぐことになったため一緒に移り住み、共にカフェを始めたのだとそのとき伺った。

 この日の珈琲のメニューは新潟の雪室珈琲。雪を活用した「雪室」で低温熟成されたものだという。まずはその一杯をいただいた。雑味のないすっきりとした味わいで、低温熟成による効果だという。
 山田さんにとって大内宿は幼い頃から時々母に連れられて訪れる場所ではあったが、あくまで母の実家であり、自分にとっての故郷ではない。そんな彼にはこの地はどう映っているのだろうか。興味があった。
「移り住んで、一番印象的なことを教えてください」
「時間の流れが違います。こっちに来て気がついたのですが、東京は時間が直線的だと思います。それに対してここはコイル状というか……」
「コイル状?」
「同じところをグルグルと回りながら時間が積み重なっていく感じです。ここでは変わらないことが大事というか、いかに過去と同じことを継続するかが大事なのです」
「変わらないこと……」
「はい、去年と何も変わっていないことがとても大切なのです」
 私は帰りがけに、店内の雑貨コーナーで見つけたコーヒーカップを手に取った。いくつか並んだなかのひとつが気になった。上に向かって広がった側面にいくつもの家が描かれている。赤い屋根が印象的だ。ほんわかとした気持ちにさせてくれる。私は迷うことなくそれを購入することにした。会津本郷の窯場のひとつ、樹ノ音工房で作られたものだという。

 夕飯をとるために入った会津田島駅近くの居酒屋には、意外にも馬刺しがメニューにあった。会津で馬刺しを食べるという発想はまったくなかったので、不思議に思って店の人に訊ねると「会津には馬刺しを食べる文化」があるという。即座に注文した。出てきた馬刺しはいくつかの部位の盛り合わせで、どれも美味だった。
 私はまったく食通ではないし、食べ物にうるさくもなく、こだわりもたいしてないのだが、馬刺しには少しばかりうるさい。単純に子供の頃からよく食べてきたからだ。長野県の生まれだが伝統的に馬刺しを食べる習慣があり、お盆や正月などに食す。
 東京でも時折、居酒屋などでメニューに馬刺しを見つけると懐かしさから頼むことがあるのだけど、がっかりすることのほうが多いのも確か。半分凍っている状態で出されるからだ。
 ちなみに東京に戻ってから会津の馬刺しについて調べてみると、意外にもプロレスラーの力道山が関係しているという記事を見つけて驚いた。そもそも会津で馬肉を食べるようになったのは、戊辰戦争のときに傷ついた者たちに栄養を取らせるためだったようだ。ただ、生肉を食べることはなかった。それが昭和30年代に力道山がプロレスの興行で会津若松に来た際に、店先に馬肉があるのを見つけ、持参したタレにつけて食した。それがこの地の馬刺し文化の始まりだという。かなり劇的だ。
 ふと彼の顔が浮かぶ。名前はなんといっただろうか。名字は思い出せるのだが名前が思い出せない。小学校の同級生は常に下の名前で読んでいたのだから、その逆だったら理解できるのだが、どうしてだろうか。
 あれは小学3年生か4年生のときだったはずだ。登校途中、あとほんの少しで学校の下駄箱というところで、背後から急に声をかけられた。振り向くと彼が立っていて、ニヤニヤしながら手を顔の前にかざした。手首に白いものが見えた。包帯のようだった。
「どうしたのだ? それ」
「捻挫した」

「運動会で転んだ……家に帰ったら痛くなって……」
 おとといが運動会で昨日はその代休だったから、一日ぶりの再会だった。いつ転んだのだろうか。少なくとも彼がかけっこで転んだところは見ていない。
「包帯のなか、何が入っているかわかる、け?」
 彼はまたニヤニヤした。言っている意味が理解できなかった。包帯は包帯だろうと思ったからだ。
「こんなか、馬刺しがへえってるだぞ」
「バサシ?」
「ああ」
「バサシって、あの食べる馬刺し?」
「ほうだよ」
「……」
「驚いたけ?」
 私は頷かなかった。
「馬刺しは熱を取るだ」
 なんてつまらない嘘をつくのだろう。そんな必要があるのだろうか。包帯の下は湿布だろう。
 彼の席は私の斜め前の席で、授業中、机の上に載った白い包帯が巻かれた腕がよく見えた。時折、包帯に反対の手の指を伸ばし、次にそれを口元にそっともっていくのがわかった。何かを包帯のあいだからつまみ出し、食べているかのように映った。

 もう少し飲みたくてふらふらと歩き、駅前からほんの少しだけ離れたところにある小さなバーに吸い込まれるように入った。カウンターがメインのお店で、通りからはガラス張りのドアの向こうにそれが見えた。
 実は冬に来たときも、このお店の前を通りかかった。以前から気になっていたのだ。そのときも同じように夕飯を終えて宿に戻る途中だった。足下の路面は凍りついていた。だから慎重に歩いていたのだが、ガラス越しにぼんやりとした明かりが見え、カウンターでグラスを傾けている人の姿があった。そこだけ違う時間が流れているように感じられ、ふと雪でつくられたカマクラのなかで人々がお酒を酌み交わしているかのような印象をおぼえた。
 いま季節は大きく違う。夏にも思ったのだが、同じ場所とは思えない。風景が更新されている。

 私は大人になるまで、彼が言った「馬刺しは熱を取る」という言葉を信じていなかったし、それ以前にすっかりそのことは忘れていた。それが、あるときテレビを見ていて、遠い記憶と結びつく瞬間があった。上京した後のことだ。
 ニュース番組のスポーツコーナーに出演したあるプロ野球選手が「馬刺しは熱を取ります」と発言したのだ。どこかで似たようなことを聞いたことがある気がしたが、なかなか思い出せなかった。いつ、どこで、誰が言ったことだっただろうかとしばらく考え、やがて、ああ、あのときの彼の言葉だと思い当たったのだ。
 テレビ画面の向こうのプロ野球は腕の炎症を押さえるために「馬刺しを貼っている」と口にした。

 東京で私はたいがい二軒目の店ではメニューも見ずにモヒートを注文することにしている。その癖で同じようにモヒートを注文したのだが、残念ながらなかった。モヒートにはミントが欠かせないのだが、このあたりではカクテルを扱う店が少なく簡単に手に入らないという。おそらく手に入ったとしても、かなり高価になってしまうのだろう。
 カウンターの向こうの男性から説明を受けて、なんだか申し訳ない気持ちになった。似たような理由でライムも最近までなかなか手に入らなかったのが、ここ最近はスーパーにも置いてくれるようになったという。
 こんな時に、いつの間にか染みついてしまった東京中心の意識を全国共通と考えている自分に気づく。
 
「あたらしい靴を午後、下ろしちゃいけないって、いいますか?」
 カウンターの向こうの男性が言った。
「いえ……初めて聞きました。ということは、新しいスニーカーを買ったら必ず午前中に出かけるということですか?」
「はい」
「もし午後、初めて履いて出かけるとなったら?」
「鍋ブタをつけて、下ろします」
「鍋ブタ?」
「はい。大人になったいまでも、それは気になっていて、必ずそうしています」
 私は二杯目のジントニックを注文した。すると急に「馬刺しが熱を取るって知っていますか?」と訊ねてみたくなった。
 こんな時間や会話が私は好きだ。だから、人は深夜にグラスが載ったカウンターに向かうのかもしれない。グラスの縁を巡る想像と連想の旅をするために。
 翌日、思い立ち、私は茶房やまだ屋で購入した珈琲カップの窯元である会津本郷の樹ノ音工房を訪ねた。調べてみると樹ノ音工房には小売をするお店とカフェがあるようだった。平日だったためカフェは残念ながら閉まっていたが(週末のみオープン)、お店はしっかり開いていた。佐藤大寿・朱音さん夫妻が営んでいる工房だ。
 そもそも会津本郷焼は明治時代には窯元が100軒ほどあったのが、現在は13軒に減っているとういう。大寿さんはその一軒に生まれた。つまり後を継いだことになる。
 私が購入したカップは朱音さんが作ったもので、大寿さんが作ったものとは大きく作風が違った。そのことを着いてから知った。
「このカップに描かれた家にモデルはあるのですか?」
 私は自分が買ったカップのモチーフである屋根がどこから来ているのか、由来があるとしたら、それを知りたかった。
「子供の頃、絵本が好きでした。そのなかに『ちいさいおうち』という絵本があって、それを何度も何度も読みました。その世界観とフォルムがもとになっているのだと思います」 
 そうか、そういうことか。よいことを聞いた。ものにストーリーが付随すると、さっきまでとは大きく違って見えることがある。その体験のひとつとなった。

 力道山は果たして、馬刺しを湿布がわりに身体に貼ったことはあるのだろうか。そもそも、本当に力道山が会津の「馬刺し文化」をつくったのだろうか。
 確かめるべき新たな課題ができた。
 想像と連想は続く。

(supported by 東武鉄道

1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。2000~2002年渡米(N.Y.)。写真制作のほか、ノンフィクション・小説執筆など活動は多岐に渡る。東京工芸大学芸術学部写真学科教授、ニッコールクラブ顧問。著書に「ASIAN JAPANESE」「DAYS ASIA」「days new york」「旅をすること」「メモワール」「kemonomichi」「ニッポンの奇祭」「見知らぬ記憶」。

小林紀晴 秋の写真紀行「記憶の螺旋」。

 私はまた大内宿に向かった。そして、また高遠蕎麦を食した。この地を訪れるのは4回目で、すべての季節に訪れ、高遠蕎麦も4回食べたことになる。東京ではまだ秋の始まりだったが、すでにここは秋の只中という気配で、肌寒く、紅葉もかなり進んでいた。

 蕎麦を食べたあと、一軒のカフェに向かった。
 茶房やまだ屋
 大内宿の奥まった場所にあり、築400年ほどの茅葺き屋根の古民家の内を改装したモダンな造りだ。最初に目に入ったのは頭上にあるふたつの神棚。
 店主である男性にお会いした。諸岡泰之さん。冬に訪れたときに、会津若松の別の珈琲豆専門店にお客さんとして来ていたところを偶然お会いしたのがきっかけだ。ご自身は埼玉県の生まれだが、お母さんがここ大内宿の出身で、お母さんが実家を継ぐことになったため一緒に移り住み、共にカフェを始めたのだとそのとき伺った。

 この日の珈琲のメニューは新潟の雪室珈琲。雪を活用した「雪室」で低温熟成されたものだという。まずはその一杯をいただいた。雑味のないすっきりとした味わいで、低温熟成による効果だという。
 山田さんにとって大内宿は幼い頃から時々母に連れられて訪れる場所ではあったが、あくまで母の実家であり、自分にとっての故郷ではない。そんな彼にはこの地はどう映っているのだろうか。興味があった。
「移り住んで、一番印象的なことを教えてください」
「時間の流れが違います。こっちに来て気がついたのですが、東京は時間が直線的だと思います。それに対してここはコイル状というか……」
「コイル状?」
「同じところをグルグルと回りながら時間が積み重なっていく感じです。ここでは変わらないことが大事というか、いかに過去と同じことを継続するかが大事なのです」
「変わらないこと……」
「はい、去年と何も変わっていないことがとても大切なのです」
 私は帰りがけに、店内の雑貨コーナーで見つけたコーヒーカップを手に取った。いくつか並んだなかのひとつが気になった。上に向かって広がった側面にいくつもの家が描かれている。赤い屋根が印象的だ。ほんわかとした気持ちにさせてくれる。私は迷うことなくそれを購入することにした。会津本郷の窯場のひとつ、樹ノ音工房で作られたものだという。

 夕飯をとるために入った会津田島駅近くの居酒屋には、意外にも馬刺しがメニューにあった。会津で馬刺しを食べるという発想はまったくなかったので、不思議に思って店の人に訊ねると「会津には馬刺しを食べる文化」があるという。即座に注文した。出てきた馬刺しはいくつかの部位の盛り合わせで、どれも美味だった。
 私はまったく食通ではないし、食べ物にうるさくもなく、こだわりもたいしてないのだが、馬刺しには少しばかりうるさい。単純に子供の頃からよく食べてきたからだ。長野県の生まれだが伝統的に馬刺しを食べる習慣があり、お盆や正月などに食す。
 東京でも時折、居酒屋などでメニューに馬刺しを見つけると懐かしさから頼むことがあるのだけど、がっかりすることのほうが多いのも確か。半分凍っている状態で出されるからだ。
 ちなみに東京に戻ってから会津の馬刺しについて調べてみると、意外にもプロレスラーの力道山が関係しているという記事を見つけて驚いた。そもそも会津で馬肉を食べるようになったのは、戊辰戦争のときに傷ついた者たちに栄養を取らせるためだったようだ。ただ、生肉を食べることはなかった。それが昭和30年代に力道山がプロレスの興行で会津若松に来た際に、店先に馬肉があるのを見つけ、持参したタレにつけて食した。それがこの地の馬刺し文化の始まりだという。かなり劇的だ。
 ふと彼の顔が浮かぶ。名前はなんといっただろうか。名字は思い出せるのだが名前が思い出せない。小学校の同級生は常に下の名前で読んでいたのだから、その逆だったら理解できるのだが、どうしてだろうか。
 あれは小学3年生か4年生のときだったはずだ。登校途中、あとほんの少しで学校の下駄箱というところで、背後から急に声をかけられた。振り向くと彼が立っていて、ニヤニヤしながら手を顔の前にかざした。手首に白いものが見えた。包帯のようだった。
「どうしたのだ? それ」
「捻挫した」

「運動会で転んだ……家に帰ったら痛くなって……」
 おとといが運動会で昨日はその代休だったから、一日ぶりの再会だった。いつ転んだのだろうか。少なくとも彼がかけっこで転んだところは見ていない。
「包帯のなか、何が入っているかわかる、け?」
 彼はまたニヤニヤした。言っている意味が理解できなかった。包帯は包帯だろうと思ったからだ。
「こんなか、馬刺しがへえってるだぞ」
「バサシ?」
「ああ」
「バサシって、あの食べる馬刺し?」
「ほうだよ」
「……」
「驚いたけ?」
 私は頷かなかった。
「馬刺しは熱を取るだ」
 なんてつまらない嘘をつくのだろう。そんな必要があるのだろうか。包帯の下は湿布だろう。
 彼の席は私の斜め前の席で、授業中、机の上に載った白い包帯が巻かれた腕がよく見えた。時折、包帯に反対の手の指を伸ばし、次にそれを口元にそっともっていくのがわかった。何かを包帯のあいだからつまみ出し、食べているかのように映った。

 もう少し飲みたくてふらふらと歩き、駅前からほんの少しだけ離れたところにある小さなバーに吸い込まれるように入った。カウンターがメインのお店で、通りからはガラス張りのドアの向こうにそれが見えた。
 実は冬に来たときも、このお店の前を通りかかった。以前から気になっていたのだ。そのときも同じように夕飯を終えて宿に戻る途中だった。足下の路面は凍りついていた。だから慎重に歩いていたのだが、ガラス越しにぼんやりとした明かりが見え、カウンターでグラスを傾けている人の姿があった。そこだけ違う時間が流れているように感じられ、ふと雪でつくられたカマクラのなかで人々がお酒を酌み交わしているかのような印象をおぼえた。
 いま季節は大きく違う。夏にも思ったのだが、同じ場所とは思えない。風景が更新されている。

 私は大人になるまで、彼が言った「馬刺しは熱を取る」という言葉を信じていなかったし、それ以前にすっかりそのことは忘れていた。それが、あるときテレビを見ていて、遠い記憶と結びつく瞬間があった。上京した後のことだ。
 ニュース番組のスポーツコーナーに出演したあるプロ野球選手が「馬刺しは熱を取ります」と発言したのだ。どこかで似たようなことを聞いたことがある気がしたが、なかなか思い出せなかった。いつ、どこで、誰が言ったことだっただろうかとしばらく考え、やがて、ああ、あのときの彼の言葉だと思い当たったのだ。
 テレビ画面の向こうのプロ野球は腕の炎症を押さえるために「馬刺しを貼っている」と口にした。

 東京で私はたいがい二軒目の店ではメニューも見ずにモヒートを注文することにしている。その癖で同じようにモヒートを注文したのだが、残念ながらなかった。モヒートにはミントが欠かせないのだが、このあたりではカクテルを扱う店が少なく簡単に手に入らないという。おそらく手に入ったとしても、かなり高価になってしまうのだろう。
 カウンターの向こうの男性から説明を受けて、なんだか申し訳ない気持ちになった。似たような理由でライムも最近までなかなか手に入らなかったのが、ここ最近はスーパーにも置いてくれるようになったという。
 こんな時に、いつの間にか染みついてしまった東京中心の意識を全国共通と考えている自分に気づく。
 
「あたらしい靴を午後、下ろしちゃいけないって、いいますか?」
 カウンターの向こうの男性が言った。
「いえ……初めて聞きました。ということは、新しいスニーカーを買ったら必ず午前中に出かけるということですか?」
「はい」
「もし午後、初めて履いて出かけるとなったら?」
「鍋ブタをつけて、下ろします」
「鍋ブタ?」
「はい。大人になったいまでも、それは気になっていて、必ずそうしています」
 私は二杯目のジントニックを注文した。すると急に「馬刺しが熱を取るって知っていますか?」と訊ねてみたくなった。
 こんな時間や会話が私は好きだ。だから、人は深夜にグラスが載ったカウンターに向かうのかもしれない。グラスの縁を巡る想像と連想の旅をするために。
 翌日、思い立ち、私は茶房やまだ屋で購入した珈琲カップの窯元である会津本郷の樹ノ音工房を訪ねた。調べてみると樹ノ音工房には小売をするお店とカフェがあるようだった。平日だったためカフェは残念ながら閉まっていたが(週末のみオープン)、お店はしっかり開いていた。佐藤大寿・朱音さん夫妻が営んでいる工房だ。
 そもそも会津本郷焼は明治時代には窯元が100軒ほどあったのが、現在は13軒に減っているとういう。大寿さんはその一軒に生まれた。つまり後を継いだことになる。
 私が購入したカップは朱音さんが作ったもので、大寿さんが作ったものとは大きく作風が違った。そのことを着いてから知った。
「このカップに描かれた家にモデルはあるのですか?」
 私は自分が買ったカップのモチーフである屋根がどこから来ているのか、由来があるとしたら、それを知りたかった。
「子供の頃、絵本が好きでした。そのなかに『ちいさいおうち』という絵本があって、それを何度も何度も読みました。その世界観とフォルムがもとになっているのだと思います」 
 そうか、そういうことか。よいことを聞いた。ものにストーリーが付随すると、さっきまでとは大きく違って見えることがある。その体験のひとつとなった。

 力道山は果たして、馬刺しを湿布がわりに身体に貼ったことはあるのだろうか。そもそも、本当に力道山が会津の「馬刺し文化」をつくったのだろうか。
 確かめるべき新たな課題ができた。
 想像と連想は続く。

(supported by 東武鉄道

1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。2000~2002年渡米(N.Y.)。写真制作のほか、ノンフィクション・小説執筆など活動は多岐に渡る。東京工芸大学芸術学部写真学科教授、ニッコールクラブ顧問。著書に「ASIAN JAPANESE」「DAYS ASIA」「days new york」「旅をすること」「メモワール」「kemonomichi」「ニッポンの奇祭」「見知らぬ記憶」。

未知の『西宇和みかん』デザートコースを創造するため。現地を巡って体感した、西宇和の風土、生産者の志。[TERROIR OF NISHIUWA・真穴共選/愛媛県八幡浜市]

『西宇和みかん』の魅力を伝える為、白羽の矢が立ったのは、パティシエール中村樹里子氏。至極のデザートコースを開発するべく、愛媛県西宇和に視察へ訪れた。

テロワールオブ西宇和・真穴共選伝説の『KIRIKO NAKAMURA』復活に向け、中村樹里子氏、西宇和へ。

愛媛県西宇和の特産品『西宇和みかん』。その魅力をより多くの人に味わってもらう為、11月29日(木)から期間限定で『西宇和みかん』を主役に据えた、全6皿のデザートコースが、目黒『kabi.』に登場します。
「Kiriko Nakamura による西宇和みかんのデザートコース」詳細・予約はこちら

手掛けるパティシエールは、『KIRIKO NAKAMURA』で食通の注目を集めた中村樹里子氏。
中村氏は、オープンわずか2カ月でミシュラン一ツ星を獲得した白金台のフレンチレストラン『TIRPSE』で、すべてのデザートを担当した料理人。『KIRIKO NAKAMURA』は、その『TIRPSE』のランチタイムに、たった一年の期間限定で、デザートばかりが6品登場する、コースを提供していた伝説のデザート・テイスティング・レストランです。斬新で美しいデザートが話題となり、2015年当時、予約が取れないと評判になりました。

中村氏は『DINING OUT ONOMICHI with LEXUS』にも参加した実績があり、そのときも、地元の食材を巧みに用いて、2皿のデザートを創案しています。今の日本を代表する、気鋭のパティシエールが中村樹里子氏なのです。

今回の主役は『西宇和みかん』。
デザートコースの創造を決意した中村氏は早速、西宇和へ向かいました。

現場に行かなければ体感できない土地の空気を肌で感じ、生産者の気持ちに触れることでクリエイションのヒントを得たい。そう思ったからです。

今回の旅では、『西宇和みかん』に合いそうな、ほかの食材も探す予定になっています。
「愛媛に来たのは初めてですけど、スゴイですね」
見渡す限り、斜面を覆う西宇和みかんの畑を目の当たりにして、中村氏は思わず、感嘆の声を上げました。

最初に訪れた『西宇和みかん』の産地は八幡浜市・真穴。
「私たち、生産者が目指すのは高糖度、高酸度のみかんなんですよ」
傍らには、この地区で西宇和みかんを育てる、宮本定氏の笑顔もありました。

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の『西宇和みかん』で進む、新たな価値観の創造。

オープンわずか2カ月でミシュラン一ツ星を獲得した白金台のフレンチレストラン『TIRPSE』で、すべてのデザートを担当したパティシエール中村樹里子氏。

真穴の生産者・宮本定氏から熱心に話を聞く中村氏。

「まだ早いけど、試しに食べてみて」。宮本氏から西宇和みかんを手渡される。

八幡浜の市街地からも近い、八協のみかん畑。作業効率を上げるため、舗装道路が縦横に畑を貫く。

訪れるみかん畑の美しさに、中村氏も感心しきり。

八協と八幡浜、日の丸という3つの共選が共同で運営する選果場も視察。

テロワールオブ西宇和・真穴共選生産者各人の熱意から育まれる『西宇和みかん』クオリティ。

訪れたのは、収穫が始まるおよそ2週間前のこと。まだ、糖がしっかり乗っていない時季でしたが、みかんの実はすでに美しいオレンジ色。試食して早速、インスピレーションを得たようです。
「今、食べて感じた酸味は収穫までに和らいでいくんですか?」
「そうですね、もう2週間もすれば、酸は下がっていきます。下がった分、今度は糖度が上がってくる。生果で食べて美味しいのは糖度で12、酸が0.9とか、0.8ぐらい。今は多分、もっと酸度があって1.1とか、1.2はあると思います」宮本氏が答えます。

「なるほど。皮ごと実をシロップ漬けにするなら、酸味がある程度、あった方がきっと美味しくなりますね。小さい実だと、コロッと丸くて、かわいく見えるから、なお良い(笑)」

まだ漠然とかもしれませんが、中村氏の頭の中で完成予想図が描かれ始めているよう。
続いて訪ねた、八協共選に所属する生産者の畑は、八幡浜駅の北側にそびえる、山の頂上付近にありました。
作業効率をアップするため、ここでは縦横に白く舗装された小道が巡らされています。木の下には土全体を覆うように、マルチシートが敷き詰められていました。真穴でも見られた、あのシートです。
「キレイですね」

美しく整地された八協の畑を見渡して、やはり溜息が漏れました。
今日はよく晴れていて、地面から照り返す陽光は眩しいほど。

「これまで、食材の産地に行くといったら一カ所というのが普通でした。けど、今回は同じ『西宇和みかん』でも、いろいろな畑が見られて面白いです」

真穴、八協と、畑はいろいろな場所に点在していますが、育った実は最新設備を導入した選果場で出荷前に、サイズはもちろん、糖度や酸度なども厳正にチェック。その結果、『西宇和みかん』という、高いクオリティを誇る、ひとつのブランドになる。八協の選果場を訪れた中村氏は、その事実も体感しました。

川上で『西宇和みかん』を育てる三木長光氏。「この辺は海抜にしたら、120〜30mあって、夕方になっても、日がずっと残るんよ」

川上でも『西宇和みかん』を試食。「たわわに実っていて、見るからに美味しそう」。出荷前だが、「もう十分に美味しいです(笑)」

テロワールオブ西宇和・真穴共選難しいからこそ挑戦したい。気鋭のパティシエールが抱く決意。

『西宇和みかん』の産地を巡って。

最後は、石垣も多く見られる川上共選の畑。作業をしていた生産者のひとり、三木長光氏に、「食べてみる?」と突然、1個のみかんを渡され、自然と笑顔になります。
「いい香りがしますね、特に皮」
そう言って、ひと房、口に運びました。
「あ。本当に美味しいです」
「鳥も狙っとるぐらいやからの」と笑う三木氏。
「これだけ美味しかったら、鳥も食べたくなりますよね」
こうした生産者との触れ合いこそ、求めていたもの。

「食材に対する愛着が沸きます」
そう言って、今度は真顔になって、語り始めました。
「温州みかんって、そのまま食べて美味しい、素朴で優しい味わいだからデザートに仕立てるって、スゴく難しいんです。それに『温州みかんでデザートコース、やります』と言われても、きっと、多くの方がピンと来ないと思う」

けれど、やってみたいと思う。そこにはパティシエールとして、これまで、様々なことにチャレンジしてきた、中村氏の気概がありました。
「何事も、やってみないとわからないじゃないですか。できません、で終わっていたら、何も生まれません。挑戦することで、自分の中にある引き出しも増えるだろうし、こうして、いろんな人との出逢いもある。長い目で見れば、きっと自分にとってもプラスになると思っています。それでお客様に喜んでもらえたら、もっとうれしいし、『西宇和みかん』を知ってもらういい機会にもなる」

「形がかわいくて大きい。お店に飾りたくなります」。西宇和特産の富士柿を手に、どう使おうか思案。

『脇水養蜂園』の脇水將文氏からレクチャーを受ける。「蜂蜜は元々、好きで、今回も使いたかった食材のひとつ」と中村氏。

西予市白川町で出合ったシナモンの一種、ニッケ。浦田嘉幸氏と安恵氏ご夫婦が木肌を採取し、乾燥させて作る。

『梅美人酒造』の上田英樹社長と。同社が手掛ける河内晩柑のリキュールを試飲して「なんて丸い美味しさ」と感嘆。

西予市『お茶の明芳園』の3代目、兵頭暁彦氏と茶畑で語り合う。「ほうじ茶の良い香りをデザートのどこかで使いたい」

テロワールオブ西宇和・真穴共選『西宇和みかん』に合わせたくなる、同郷の食材たち。

『西宇和みかん』の産地をいろいろと巡り、デザートコース全体のイメージを膨らませていった、今回の旅。
「同じ土地で育ったもの同士は相性が良い」という中村氏の考えから、西宇和みかんに合いそうな、ほかの食材も、西宇和とその周辺で探していきました。

「同系色の食材同士も、味の方向性が似る場合が多い」ということで、まず目を付けたのは、西宇和でやはり特産のひとつに数えられるオレンジ色の富士柿。
「ソルベにして合わせようかな?」
それ以外では、佐田岬半島の花々から採取される蜂蜜、西予市で木肌を剥いて作られる自家製のニッケ(シナモンの仲間)、八幡浜市で100年を越す歴史がある『梅美人酒造』のお酒、それから、宇和茶として出荷される西予のお茶。いろいろな食材との出合いは確かに、中村氏に数々のインスピレーションを与えたようです。
「『西宇和みかん』のいろいろな表情を引き出したい」
そう言って、中村氏の顔はまた一段と引き締まりました。

内子町で育てられる人参芋。現地では干し芋にするのが一般的。『東山』の名で知られる。

人参芋の畑は標高500mの高地に。「どうしてこんな高くに?」と驚く中村氏に「たまたまです」と笑顔で答える生産者の吉田豊氏。

テロワールオブ西宇和・真穴共選限定の西宇和みかんデザートはいよいよ本日から提供開始。

最後に訪れたのは、少し足を伸ばして内子町。愛媛の内陸にある、この町では幻ともいわれる人参芋が栽培されています。栽培する吉田豊氏から焼き芋の試食を促されます。

「甘い。初めて食べました。こんなん東京で見たことないです。ムチャクチャ黄色いから、タルトにしても良さそう」
豊氏のお母さまから、「畑の場所を毎年、変えて、土地を休ませながら人参芋を育てています。そうすれば、肥料をやらなくても美味しい人参芋ができる」
可能な限り、自然と寄り添い、自然の力を引き出す、その姿勢に、中村樹里子氏は「まさに、ヴァン・ナチュールの発想ですね」と、感慨深げに頷きました。

旅を終えて満足そうな中村氏の表情を見ていると、期待は高まるばかり。
西宇和というテロワールが育んだ『西宇和みかん』のデザートコースは、全6皿が予定されていますが、一体、どんなデザートが登場するのでしょう?

予約はすでに始まっています。
期間はわずか12日間(!)と短く、一日で受付けられる数も限られていますから、急がないと、すぐに満席になってしまう可能性も。

「Kiriko Nakamura による西宇和みかんのデザートコース」詳細・予約はこちら

目黒『kabi.』で復活する伝説の『KIRIKO NAKAMURA』。
この機会を逃したら、もう二度と、
『西宇和みかん』のデザートコースは、味わうことができません。


(supported by JAにしうわ

土地の空気を肌で感じ、デザートのイメージを膨らませていく中村氏。

住所:愛媛県八幡浜市真網代丙572-1 MAP
電話:0894-29-7014
真穴共選 HP:http://www.marumamikan.com/

大阪出身。関西の洋菓子店などを経て、29歳で単独渡仏。パリではシェフパティシエとして「L’Instant d’Or(ランスタン・ドール)」を1年でミシュラン1ツ星に導いた。帰国後は、東京・白金台の『TIRPSE (ティルプス)』に参加。軽やかでいて深みのあるデザートの味わいには国内外からの評価も高い。2015年7月8日より『TIRPSE』のランチタイムを1年間限定で『KIRIKO NAKAMURA』とし、6品の季節感あふれるデザートだけのコースを企画。
今回、目黒Restaurant『Kabi』にて、KIRIKO NAKAMURAデザートコースを2週間限定で復活させる。

生もよし、加工品もよし。豊かな海で育った海藻こそが、赤ウニの旨みを決定づける![Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI・赤ウニ/山口県下関市]

フィッシャーマンズワーフ 下関・赤ウニOVERVIEW

ウニと言えば北海道や三陸……。

漠然と、そんな北の海を連想する人にこそ、ぜひ味わって欲しいのが下関のウニ!

実は下関、日本を代表するウニの産地であり、そのクオリティは国内屈指。主に夏場に獲れる赤ウニは、ほかでは味わえない魅力にあふれていると言います。

同じ種類でも食べるものによって大きくその味わいを変えるのがウニ。例えば、北海道で肉厚の昆布を食べて育ち、厳しい寒さの中で栄養を蓄えるウニは、濃厚と評されますが、対象的に下関の場合は繊細かつシルキーな旨みと食感という言葉で表されます。理由は3つの海に面した下関ならではの立地。関門海峡、日本海、瀬戸内海と3つの異なる海が交わることで海藻が豊富に育つのです。ミネラル豊富な良質な海藻を食べて育った赤ウニは、口の中に入れた途端、まさに淡雪のように溶けていき、後には口の中に上品な旨みがゆっくり広がっていくのです。

さらには、瓶詰めウニ発祥の地も下関。古くから地元で愛されてきた、ウニという食材は、生もよし、加工品もよし、今なお下関市民の胃袋を支える、極上の海産物なのです。

▶詳細は、FIsherman's Wharf SHIMONOSEKI メインページ/豊かさの再発見。改めて知る海峡の街・下関へ。


(supported by 下関市)

名だたるブランド牛を生み出す、生みの親。[江藤ファーム/大分県竹田市]

宮崎や鹿児島など九州各地へ出荷され、その地のブランド牛として肥育される。

江藤ファーム和牛人気を支える畜産農家。

今、世界中で注目を集めている「和牛」。1991年の牛肉輸入の自由化により、オーストラリアやニュージーランド、アメリカなどから安価な牛肉が入って以降、日本では和牛の品質改良を促進。全国各地で多くの銘柄牛が誕生しました。美しいサシや赤身と脂身との絶妙なバランスを保つ和牛は日本食ブームの後押しも受けて、世界中でニーズが高まっているのです。

今回紹介するのは、竹田市の久住町でブランド牛の“素”となる子牛を育てる畜産農家。地元へUターンし、実家の畜産業を手伝う江藤圭介氏。100頭の大規模飼育に向けて奮闘する、彼の牛舎を訪ねてみました。


▶詳細は、TAKETA TIMES メインページ/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。へ。

大学卒業後は社会勉強のため東京で印刷会社の営業をしていたという江藤氏。

江藤氏の牛舎。通りから外れた静かな地にある。

江藤ファーム夢あるベビーシッター。

一言に畜産農家とはいえ、その種類は大きく2つに分かれます。雌牛に子を産ませ、子牛を育てる繁殖農家、そして立派な大人にまで育て、肉牛として出荷する肥育農家。牛飼いの世界では「生みの親」と「育ての親」が別れているのです。

竹田市久住町は、壮大な高原地帯が広がる地域。牛舎の敷地が広く取れるほかに、久住町が数多くの牧場を有していることも「生みの親」となる繁殖業が盛んになった所以です。広大な牧場では放牧をすることができ、自由にのびのびと過ごすことで牛たちはストレスを解消。病気にかかりにくく、たくましい牛に育ちます。また母牛たちを放牧している間に牛飼いたちは、子牛のお世話に注力することができるのです。一頭一頭丁寧なケアをしてあげることができるため、久住町では品質の高い子牛たちが育つようになりました。

江藤氏の実家でも人工授精士の父が黒毛和牛の繁殖農家をスタート。その跡を継ぐため、江藤氏は10年ほど前に東京からUターンし牛飼いを始めました。市場では子牛が1頭80万〜100万にもなるという夢のある産業。立派な牛に育てるためには、子育てと同様に細やかな気配りが大事なのです。

甘えてすり寄ってくる子牛。広々とした畜舎ですくすく育つ。

牛舎の裏手にある運動場。放牧ができると、餌やりや排泄などの世話が不要になるため、赤ちゃん牛の子育てに注力できるという。

江藤ファーム大きく強く育てるために。

母牛が30頭、子牛が20頭、50頭の牛たちがのびのびと暮らす江藤氏の牛舎。母牛たちは年に1頭を出産し、年間約30頭の子牛が市場に出ています。生まれた子牛を市場に出すまでに掛かるのは280日。その期間、牛たちが病気をしないように丁寧に丁寧に育てています。

「市場に出すときには330キロあるのが理想と言われています。だから1日に1キロ以上太らせないと育成失敗になるんですよね。太らせるために一番大事なのは、風邪を引かせないこと。だけど黒毛和牛は体温調節が苦手なんですよ。寒暖差の大きい久住では管理が大変で。風邪をひいて肺炎になると治らないですし、お腹を下すと背も伸びない。大きく育たせるために、一頭一頭毎日体調を見てあげるのが大事なんです」。

江藤氏の畜舎では、生まれてから2〜3日で母牛の元から離すといいます。その哺乳の段階が一番体調を崩しやすくなる時期。人間の赤ちゃんと同じように、気を張ってお世話を続けることで、病気をしない健康な牛が育つのです。

8月には7頭もの子牛が誕生したという江藤氏の畜舎。

背中が広くて、お腹が程よく膨らみ、骨太の足をもつ牛が市場で人気が高いのだという。

江藤ファーム手間を減らし、価値を上げる。

元気な子どもを産むために、母牛の管理も農家にとっては重要な仕事です。久住の高原で放牧をしたり、畜舎に併設されている放牧場で散歩をさせたり。牛たちのストレスを軽減してあげる他にも、江藤氏は様々な取り組みを始めました。

「父がやってきた手法を受け継ぎながらも、もっと良い牛を生んで育てるために自分なりの育て方に挑戦してみたいと思っていました。それを父に提案すると“いいぞ、やってみろ”って。だから今は何が一番良いのか色々試しながら、改良に取り組んでいます」。

江藤氏がはじめに取り組んだのは、餌の改善でした。長いままあげていた牧草を子牛でも食べやすいように細かくカットし、目分量だった餌を正確に計測。数値化してデータに残すようにしました。また濃厚飼料と牧草の分量を変えてみたり、野草や季節ものの草をブレンドしてみたり。さらに牛を温度センサーで監視し、分娩の時期を正確に把握できるシステムや監視カメラを導入。牛を健康に育てると同時に、人間の働き方改革にも試行錯誤をしながらチャレンジを続けています。

江藤氏には大きな目標があります。それが飼育頭数の拡大です。

「100頭飼育というのは大きな目標ですね。まずはちょっとずつ増やしていきたいですね。80頭くらい飼えるようになれば肥育も一部始めてみたいとも思っています」。牛飼いの世界では100頭飼育というのはかなりのチャレンジだと言います。質を落とさず量を増やすために、今後も改良を続けていきたいと江藤氏は情熱を燃やします。

2017年には和牛のオリンピックとして知られる「全国和牛能力共進会」の種牛部門で日本一を獲得した牛もおり、新規就農者も増えているという久住の牛飼い。盛り上がりを見せる畜産業のなかでどれだけ価値の高い牛を育てることができるか、江藤氏の挑戦は続きます。

母牛の発情のタイミングを見極めるのも大事なポイントなのだという。

牛は人工授精で妊娠する。雄の種牛は大分県畜産試験場で管理されている。

畑の真ん中で生まれる「農家のシードル」。津軽のりんご事情を動かし始めた、小さな工房の物語。[TSUGARU Le Bon Marché・弘前シードル工房 kimori/青森県弘前市]

訪れたのは、たわわに実ったりんごが色づき始めた季節。「kimori」の運営元である「百姓堂本舗」の自社畑で、作業を進める高橋氏。

津軽ボンマルシェ・弘前シードル工房 キモリりんご畑に囲まれた三角屋根の小屋から、そのシードルは生まれる。

泣く子も黙るりんごの名産地、青森県・津軽地方。生産量は実に全国の約6割を占め、郊外には広大なりんご畑が。時期ともなれば、青果店の店頭は宝石のように輝くりんごで埋め尽くされます。そんな津軽のりんご文化を満喫すべく観光客が向かうのが、弘前市内にの「りんご公園」。りんご畑に囲まれたその公園の一角に、目指す「弘前シードル工房kimori」があります。

「kimori」が誕生したのは、2014年のこと。現在全国に増えているマイクロシードルブリュワリーの、ちょうど先駆けのように誕生した「kimori」のシードルは、りんごそのものの風味を活かしたフレッシュな味わいで、一躍注目の的となりました。生産量は決して多くないものの、今や都内のレストランやバーでもひっぱりだこ。そして、すっかり弘前の人気スポットとなったのがこの工房なのです。

建物の設計は弘前出身の若手建築家が担当。三角屋根のかわいらしい雰囲気ですが、ふと壁を見ると、何やら古めかしいモノクロの人物写真が飾られています。
「写真の2人は、りんご産業の礎を築いた菊池楯衛と外崎嘉七です」と教えてくれたのは、「kimori」の代表を務める高橋哲史氏。「りんごは本来、乾燥地を好む作物。雨も雪も降る津軽の気候はりんご栽培に向くとはいえない。でも明治初期に菊池さんが色々な西洋果樹を植樹して、たまたま生き残ったのがりんごでした。そしてこれが、津軽のりんご栽培を象徴する光景です」。氏がそういって指し示したのは、りんごの樹を剪定するひとりの男性と、それを取り囲む人々のモノクロ写真。「気候のハンデを技術でカバーしなければならない。その時彼らがやったのは、こうして剪定を公開、指導して、人の教育をすることでした。彼らが決して富を独占せず、人作りを頑張ったからこそ、今の津軽があるんです」。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché メインページ/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!へ。

工房の建物は、弘前市出身の若手建築家・蟻塚学氏が設計。春から夏は、緑の中に浮かび上がる白い三角屋根が目印だ。

「りんご作りは人作り。津軽には昔から、新参者でも技術を得られる風土がありました」。壁のモノクロ写真を前に、話が止まらない高橋氏。

りんごの剪定会の古い写真。冬の剪定作業は、春夏の樹形を頭の中で計算しながら行われる、りんご栽培でもっとも重要視される工程。

津軽ボンマルシェ・弘前シードル工房 キモリ「りんごなんて」と思っていた農家の息子が、りんごにハマった理由。

シードルの話を聞きに来たのに高橋氏が話すのはりんご栽培のことばかり。その訳は、彼の出自にあります。高橋さんは幕末から代々続くりんご農家の息子。しかし「若い頃は映像の仕事がしたくて東京で進学し、そのまま就職。家業に責任感もなく、りんごが送られてくれば食べ切れず捨てていました」と高橋氏。その後、母親の病気をきっかけに帰省しますが、「ガンで、余命半年と宣告されて。でも母は痛みに耐えながら、ずっとりんごの樹を心配している。それが理解できませんでした」。

母親を安心させたい一心で家業を継ぐことを決めた高橋氏でしたが、当初は後悔ばかり。「分かったつもりだったりんごの剪定も大失敗。芽が伸びすぎたり、枝が死んでしまったり、もうめちゃくちゃ」。転機は5年後、多くのりんごの木の中で1本だけ、「これはいいぞ」と思える剪定ができた冬。「そうすると毎日その木が気になって仕方なくて。そこで、ようやく母の気持ちが分かったんです。りんごの木にも『こうして切ってほしい』と意思があって、それと向き合わなくちゃいけない。ガチャリとスイッチが入った瞬間でした」。

やっとりんご栽培のおもしろさに開眼した高橋氏。が、すぐに日本の農業が抱える問題に直面します。当時の津軽のりんご農家のうち、後継者がいるのが2割、後継者を探しているのが3割、後継者探しをあきらめ、自分の代でやめる農家が5割で、平均年齢は60歳くらい。「ほどなく津軽のりんご産業が廃れていくと焦りました。それに合コンでも、りんご農家だと自己紹介するとすっと引かれる(笑)。こんなにすごい職業なのに、後継者はいないし地位も低い。状況を変えるには、まずはみんなにりんご畑へ来てもらうべきだと考えました」。ようやく、ここでシードルの話が登場することになります。

工房内の貯蔵庫は、自社畑や近隣農家から届いたりんごの香りでいっぱい。色やサイズにより規格外となったりんごでシードルを造る。

この日は果汁の圧搾作業中。奥には醸造タンクが並ぶ。こうした仕込みの風景は、ガラス越しに見学可能だ。

現在の商品ラインナップは、定番の「ドライ」と「スイート」、秋限定の「ハーベスト」と春限定の「グリーン」の4種。オンライン販売も。

津軽ボンマルシェ・弘前シードル工房 キモリ目指すのは「美味しいシードル”より“みんなに愛されるシードル」。

「人が集まる場所には、お酒もあるといい」。高橋氏がシードル造りを思いついたのはそんな理由だったそうですが、時を同じくして津軽は未曽有の雹(ひょう)害に襲われます。「多くの農家が被害に合い、収入が激減しました。そんなときりんごで造る副産物があれば、代わりの収入源になる。シードルは農家のメリットにもなるんです」。当時はまだ“シードル”という言葉もさほど知られていない頃。無理だといわれながらも同世代のりんご農家に声を掛け続け、同業者22人でスタートをきったのが「kimori」でした。「モデルケースも、お金もない。でも根拠なき自信と運だけはあって、企業化の翌年に工房が着工、その翌年にはオープンを迎えられました」。

「kimori」のシードルは、「りんご農家が造るシードル」。ひと口飲めば、りんご本来の香りと味わいが大切に表現されていることが伝わってきます。そして特筆すべきは、日々の食卓にもするりと馴染むバランスのよさ。おしゃれなフレンチと合わせて気取るより、家でお惣菜と合わせて楽しみたいと伝えると、「だって昔は、りんご農家が作業の合間にコップで飲むお酒だったんですから。高級ではない、日常のものなんですよ」としたり顔の高橋氏。

弘前大学が培養する白神山地のブナ原生林から採取された酵母を使うのも、地元ならでは。作業風景をガラス越しに眺められる工房内には、りんごの木箱を利用した家具や地元の工芸作家の作品が置かれ、観光客を喜ばせています。「シードルだけ売るならこんなスペースはいらない。『kimori』は美味しいものというより、みんなに愛されるものであってほしいんです」。

「経営を勉強したわけじゃないし、いまだに思いつきで行動することも多い(笑)。悩むより『やってみたい』が勝つんです」と高橋氏。

「りんご公園」内の工房や自社畑は、名峰・岩木山を望む。津軽富士とりんご畑という、津軽を代表する景観を楽しめる絶好のロケーション。

人工的に炭酸を充填することはせず、無濾過のままのシードル。オリの味わいにも、りんご本来のほろ苦さが感じられる。

津軽ボンマルシェ・弘前シードル工房 キモリシードルのその先へ。先達に導かれながら、次の世代へ繋いでいく。

オープンから丸4年経った現在、シードルの出荷量は当初の倍の約2万本に。順調にも思えますが、今後生産量を増やすつもりはないと高橋氏。なぜなら、あくまでシードルは津軽のりんごに興味を持ってもらうための手段だから。今、氏が力を注ぐのは後進の育成です。「シードルを通じ、りんご栽培に興味を持ってくれる若い人が現れるようになった。でも後継者のいない農家に紹介したくても、技術がなければ意味がないんです」。この春から、担い手がいなくなったりんご畑を借り、4名の若手に栽培技術を指導。ゆくゆくは後継者問題に悩む農家など、働く場所も繋いでいく予定だそう。
                                                                                                               
りんご畑で、若者たちを前に作業をする高橋氏。その姿には、津軽のりんご産業の礎を築いた、モノクロ写真の先達たちが重なります。「津軽って不思議な場所ですよ。りんごを中心に、農家がいて、りんごの剪定鋏やりんご用木箱、かごを作る職人がいて……たったひとつのものが、これほどまでに地域と関わっている場所は他にありません。だからこそ、先達の存在は大きい。常に彼らの存在を感じるんです」。

工房名の「kimori」は、古来から伝わる風習「木守」から名付けられました。木守とは実りへの感謝を込め、高い枝にひとつだけりんごの果実を残す習わしのこと。真っ白な雪に閉ざされた津軽の冬、樹上にぽつりと灯る深紅の色は、神々しい美しさに満ちています。「kimori」のプロジェクトがスタートして10年。シードルから始まった計画がゆっくりと、でも着実にりんご産業を変えつつある今、ここは木守のりんごのように、津軽を照らす場所となったのです。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

畑で若手の指導にあたる高橋氏。「シードル同様、津軽のりんご栽培を活性化させる切り口はたくさんあるはず」と新たな挑戦にも意欲を燃やす。

住所:〒036-8254 弘前市大字清水富田字寺沢52-3(弘前市りんご公園内)MAP
電話:0172-88-8936
弘前シードル工房 kimori HPhttp://kimori-shop.com/

薩摩切子の歴史と技法を守りつつ、新たな価値の創造に挑む。[美の匠 ガラス工房 弟子丸/鹿児島県霧島市]

『美の匠 ガラス工房 弟子丸』を率いる弟子丸氏。

美の匠 ガラス工房 弟子丸

鹿児島県の中央部に位置する霧島市。霧島連山を筆頭に、豊かな自然に包まれたこの地に拠点を置くのが、弟子丸努氏率いる『美の匠 ガラス工房 弟子丸』です。伝統工芸品である薩摩切子の技術を継承しつつ、新たな価値の創造にも取り組む同社。前編では、代表兼切子師の弟子丸氏に、『美の匠 ガラス工房 弟子丸』の伝統的かつ革新的なものづくりについて伺いました。

類まれな煌めきで多くの人々を魅了する薩摩切子。

美の匠 ガラス工房 弟子丸わずか20余年で幻となった薩摩切子を、100年後の職人たちが復元。

2011年、鹿児島県霧島市に設立された『美の匠 ガラス工房 弟子丸』。ここでは、鹿児島県が誇る伝統工芸品、薩摩切子のグラスや器などを製造しています。

薩摩切子とは、欧米諸国が日本に開国、通商を迫っていた1851年、28代薩摩藩主に就任した島津斉彬氏の指示により、海外交易品として開発されたもの。イギリス、ボヘミア、中国などのガラス工芸に源流を求めながらも、美しい色使いや繊細なカットでそれらを凌駕、日本の美として称賛されたと言われています。薩摩藩でのガラス製造は1846年、27代島津斉興によって始められましたが、当初は薬品を入れるためのガラス瓶などを製造。海外進出を夢見た斉彬氏の時代に、芸術的な薩摩切子として飛躍的な発展を遂げたのです。

しかし、誕生からわずか7年後の1858年、斉彬氏の急逝による財政整理のため、薩摩切子の事業規模は縮小。さらに1863年の薩英戦争で製造工場が大打撃を受けたこともあり、存続は厳しく、ついに1877年の西南戦争前後には完全に途絶えてしまいました。

このまま幻となるかに思われた薩摩切子ですが、約100年後の1985年、その歴史を再興させるプロジェクトが始動。当時の写真や文献とわずかに現存していた実物を参考に、ガラス職人たちが試行錯誤を繰り返しました。そうして見事復元されたことで、今日の薩摩切子があるのです。復元作業には、当時高校を卒業したばかりだった弟子丸氏もメンバーの一員として参加。切子師としてのキャリアは、ここからスタートしています。

現代に蘇った、鹿児島が世界に誇るガラス工芸。

この道30余年の切子師として活躍する弟子丸氏。

美の匠 ガラス工房 弟子丸鮮やかな色ガラスをベースに、幻想的な「ぼかし」と多彩な文様で魅せる。

薩摩切子の最大の特徴は、「ぼかし」と呼ばれるグラデーション。透明なガラスの外側に1~3mmほどの厚い色ガラスを被せた生地を用いる薩摩切子は、深くカットした部分は淡い色味、浅くカットした部分は濃い色味になります。「こうした深さや角度など削り加減を絶妙に調整することで色の濃淡を操り、薩摩切子特有のグラデーションを生み出すのです」と弟子丸氏。

例えば、江戸切子と比べてみると、その差は一目瞭然。江戸切子は元々の生地の厚みが薄いため、仕上がりの色味や重さも薄く軽く、全体的に透明感がありシャープな印象。対して薩摩切子は重厚感たっぷりで、色ガラス層を完全にカットした透明部分から、深くカットした淡い部分、浅くカットした濃い部分、全くカットせずに完全に残した部分まで、美しいグラデーションを描いています。

弟子丸氏曰く、「薄手の江戸切子が表面を削って文様を描いているようなイメージだとすると、厚手の薩摩切子は周りを削って、文様を浮き彫りにしているような感覚。同じ切子でも、全然アプローチが違います」。
また、ベースとなる色が豊富なのも、薩摩切子の魅力。紅、藍、紫、緑、金赤、黄と、鮮やかな6色が揃います。いずれも、斉彬氏の時代になされた、鉱物を原料とする着色ガラスの研究によって生み出された色味。中でも紅色は、当時の日本で初めて発色に成功した色味で、「薩摩の紅ガラス」として珍重されたと言われています。

さらに2001年には、「二色被せ」と呼ばれる新たな色のバリエーションが誕生。この場合、従来の生地に対して、その外側にもうひとつ、違う色のガラスを被せた三層構造の生地を用いるのです。これまで単色の濃淡で表現されてきた薩摩切子の世界に、新たな色彩の変化が加わりました。

そして、表情豊かな世界を作り上げるのに色と並んで重要なのが、独特の文様。細かい矢来を均等に施した様が魚の鱗や小魚の群れのように見えることから名づけられた「魚子文(ななこもん)」をはじめ、色ガラスを玉状に削り六角形で繋ぎ合わせた様が亀の甲羅のような「亀甲文」、ゆらめく炎のような「流炎文」など、様々な文様があります。

こうした基本となる文様をベースに、「矢来に魚子文」や「八角籠目に十六菊分」、「菱繋に小花文」、「六角籠目に麻ノ葉小紋と魚子紋」など、単一ではなく複数の文様を組み合わせた複合柄が多く見られるのも、薩摩切子の特徴。高いカット技術によるグラデーションと多彩な文様で、奥深い薩摩切子の世界が形成されているのです。

異なる個性を持つ薩摩切子(左)と江戸切子(右)。

「ぼかし」の美しさは、薩摩切子ならでは。

2色の色ガラスを重ねて生み出される「二色被せ」。

様々な文様が施されるのも、薩摩切子の特徴。

美の匠 ガラス工房 弟子丸土地の歴史と自然に敬意を表したオリジナルライン『霧島切子』。

時を超えて伝統的な薩摩切子の技術を受け継ぎ、今に伝える弟子丸氏。その礎を守りながらも、一方で現代における革新的な表現にも挑戦し、新たに3つのブランドラインを立ち上げ注目を集めています。

ひとつ目は、『BLACK LINE』と『CLEAR LINE』から成る薩摩切子の新潮流、『霧島切子』。『BLACK LINE』は、その名の通り黒がベースのグラデーションと大胆なカットから生み出された新たな世界観で、どこか都会的な印象。対して『CLEAR LINE』は完全なる無色透明で、美しく際立つ繊細なカットにより、神々しい煌めきを放ちます。

弟子丸氏曰く、「鹿児島は黒豚や黒酢が特産品であることからも分かる通り、古くから黒の文化が受け継がれている土地。それならば薩摩切子にも黒があったら良いのではないかということで生まれたのが『BLACK LINE』です。黒は透けない色なので“ぼかし”を施すのが難しく、経験と技術が問われます」。

一方の『CLEAR LINE』は、霧島市が誇る自然へのオマージュ。「霧島は昔から、豊かな天然の水で潤ってきた土地。そんな自然の恵、こんこんと流れ出る水の美しさを、無色透明の生地に細やかなカットを施すことで表現しています」。

また、こうも語ります。「『CLEAR LINE』は、色鮮やかな薩摩切子の世界にあって、かつて存在していたとされる無色透明バージョンを甦らせ、独自にアレンジしたものでもあります。一昔前までは、無色透明な薩摩切子の存在は参考資料止まりでした。それが近年の再鑑定により、正式に薩摩切子の一つだと認められたのです」。

独自のアレンジというのは、例えばグラスの周囲に施されている模様。伝統的なトライバルをベースに考案された、オリジナルのモチーフです。さらにこれを、通常の薩摩切子には用いない、砂を吹き付けるサンドブラストの技法で描いている点もポイント。こうして模様部分が乳白色に仕上がることで、全体の質感に新たなニュアンスがもたらされているのです。この模様は『BLACK LINE』にも描かれ、『霧島切子』のアイコンとなっています。

薩摩切子の技法を踏襲しつつも、伝統を重んじる薩摩切子の世界ではなかなかできないような試みを具現化した『霧島切子』。枠に捉われない自由な発想で、新たな薩摩切子の世界を切り拓いているのです。

霧島市を拠点とする弟子丸氏が考案した『霧島切子』。

鹿児島県の黒文化を受け継ぐ『BLACK LINE』。

霧島市の水の透明感を象徴する『CLEAR LINE』。

トライバルと共に頭文字のDも刻まれています。

美の匠 ガラス工房 弟子丸廃材に命を灯す、切子師の心技で生まれたアクセサリー『eco KIRI』。

『美の匠 ガラス工房 弟子丸』オリジナルラインの2つ目は、『eco KIRI(エコキリ)』。薩摩切子の廃材を使ったアクセサリーブランドです。卓越した技術の結晶である薩摩切子の製造工程において、廃材はかなりの割合で必ず出てしまうもの。それらを生かす方法として生み出されました。

「例えば、グラスを100個作るとすると、その過程で50個は不良品となってしまいます。それを、以前はそのまま捨てるしかなかったのですが、あまりにももったいないなと感じていて。何か別のものに再利用して生まれ変わらせたいという想いと、薩摩切子の美しい煌めきを日常的に身につけられたら面白いのではないかという想いで、アクセサリーに仕上げました」と弟子丸氏は話します。

『eco KIRI』は、不良品扱いとなった薩摩切子の生地を、加工しやすいように分割、カット。それを電気炉で加熱形成したパーツをベースに作られます。アイテムは、リングやピアス、ペンダント、ブローチ、ピンなど、十数種類。不揃いな廃材を使うからこそ、同じピアスでも一つひとつ形が異なり、オンリーワンの風合いを醸し出しています。

様々な形や色柄がある『eco KIRI』のリング。

小さなパーツながらも存在感たっぷりなピアス。

可愛らしい桜の花を模ったペンダントも。

3つ目のオリジナルブランド『FUSION(フュージョン)』。

革メーカーとのコラボレーションも展開中。

美の匠 ガラス工房 弟子丸インテリアや雑貨にも薩摩切子を取り入れ、暮らしを華やかに彩る。

そして3つ目のオリジナルブランドが『FUSION』。ステンドグラスに用いる着色ガラスを薩摩切子の技で創り上げ、行燈やランプといった間接照明やアートフレームに仕立てたインテリアブランドです。その煌びやかで幻想的な透過光には、思わずため息が漏れます。

また、最近は他メーカーとのコラボレーションも盛ん。現在は、奄美大島の革細工メーカー『革工房One』が作る財布や名刺入れ、キーホルダーなどに薩摩切子のパーツを施した、オリジナルアイテムを展開しています。奄美大島の伝統技法である泥染めレザーと、鹿児島の伝統工芸である薩摩切子が出合い、唯一無二の魅力を放っているのです。

器という枠を超え、アクセサリーやインテリア、革小物などと薩摩切子の融合を実現している弟子丸氏。現代に見合った斬新な発想で、薩摩切子のある暮らしを提案しています。

次回の後編では、弟子丸氏の経歴や工房の様子、薩摩切子への想いと展望を紹介します。

住所:〒899-4304 鹿児島県霧島市国分清水1-19-27 MAP
電話:0995-73-6522
営業時間:9:30~18:00
定休日:日曜
http://deshimaru.jp/

鹿児島県霧島市出身。1985年に高校を卒業し、薩摩ガラス工芸株式会社(現・株式会社島津興業)へ入社。薩摩切子の復元に携わる。1994年には新たな環境を求め、薩摩びーどろ工芸株式会社の設立に従事。同社で活躍した後、2011年に『美の匠 ガラス工房 弟子丸』を立ち上げた。薩摩切子の継承はもちろん、『霧島切子』や『eco KIRI』、『fusion』などオリジナルブランドも展開。従来の枠に捉われない作品づくりを行い、新しい薩摩切子の可能性を追い続けている。

100年以上も続く段々畑で、現代的な知見も導入して、高品質の西宇和みかんを育てる。[TERROIR OF NISHIUWA・真穴共選/愛媛県八幡浜市]

真穴地区の西宇和みかん。先日、初競りを迎え今年もしっかりと甘く、酸味も適度にあってバランスの良い美味しさに仕上がった。

テロワールオブ西宇和・真穴共選恵まれた環境で育つ、西宇和みかん。

温州みかんの名産地、愛媛県西宇和では今、「西宇和みかん」のブランディングを押し進めるプロジェクトが始まっています。

その一環として、目黒『kabi.』ではペストリーシェフ・中村樹里子氏が「西宇和みかん」のデザートコースを期間限定で提供します。
「Kiriko Nakamura による西宇和みかんのデザートコース」詳細・予約はこちら

今回はデザートコースの主役である「西宇和みかん」にどんな魅力があるのか?どのように育てられているのか。生産の現場をリポートします。

「西宇和みかん」は、3つの太陽が育むと言われます。

太陽から降り注ぐ日照量の多さは、土地を訪れれば、すぐに実感することですが、海からの照り返しもまた、眩しいほど。これが2つ目の太陽で、3つ目は急な斜面を活用した段々畑にあります。生産者や場所によっては畑の段々を、石垣で組み上げて作るケースもあり、この白い石が反射して3つ目の太陽となるのです。

西宇和にある共選のひとつ、八幡浜市・真穴を訪ねました。
共選とは、共同選果部会の略称。その地区の生産者たちで組織され、収穫した温州みかんの選別と出荷を行う選果場も共同で運営しています。

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の西宇和みかんで進む、新たな価値観の創造。へ。

内海で穏やかな宇和海がすぐ西側に迫る立地。海の向こうに、佐田岬半島が見える。

テロワールオブ西宇和・真穴共選西宇和で最も歴史ある温州みかんの名産地。

真穴は、佐田岬半島の付け根に位置する生産地。西側に、すぐ宇和海が迫り、急な斜面とのコントラストはまさに、絶景。

穏やかに凪いで煌めく海の美しさに、思わず見惚れてしまいます。
「そう、あれが佐田岬半島。ずっと向こうに九州が見えるけど、大分ですね」

下から上へ、畑が続く斜面の中腹に、柔らかい笑顔で語る宮本定(さだむ)氏の姿がありました。真穴共選で生産委員長を務めています。
「真穴の生産者は今、174人。全体で、270haほどのみかん畑があります」

真穴に、温州みかんの苗木が移植されたのは明治33年のこと。西宇和で最も古い生産地のひとつです。明治40年以降、栽培は本格化し、一大産地に成長。昭和39年には、その年に農林水産大臣賞を受賞した産物の中から選ばれる天皇杯も、みかんの産地として初めて受賞しています。

海が近く、潮風によって運ばれた豊富なミネラルが斜面全体に届けられる。それが真穴の地形的な特徴。柑橘類の栽培に適した古生層の土壌で、西宇和のほかの地域と同様、急な斜面が続いているため、水はけが良いのも大きなメリットです。現在、年間でおよそ8,000から9,000トンの温州みかんを生産しています。

真穴共選で生産委員長を務める宮本定氏。自身も3代続く生産者として、日々、みかんの木と向き合っている。

低地から頂まで、畑はずっと続いており、海との美しいコントラストを成す。「西宇和みかん」を使ったデザートコースを開発するペストリーシェフ中村樹里子氏も、宮本氏のみかん畑を視察しにきた。

テロワールオブ西宇和・真穴共選みかん栽培に向いた土地に感謝する。

宮本さんも祖父の代から温州みかんを育てる生産者。海抜10mの低地から標高300mぐらいの高さまで、縦一列に「2haとちょっと」の畑を持っています。
「この辺りは下から上まで畑を持つ人が多いですよ。なぜなら、花は下から順に咲くから(笑)」

収穫は11月中旬から、わずか45日間で一気に行われますが、低地から順に花が咲き、実を結ぶことで、下から効率良く収穫することができる。昼夜の寒暖差が少ない気候も、美味しい温州みかんに必要不可欠な環境と言います。
「だから、とろけるように柔らかく、食べてスッと消える、質の良い“じょうのう”ができるんです。寒暖差が少ないのは、穏やかで温かい海が近くにあるから」

宮本さんはそう言って、自然に感謝するように、また海を見つめました。

「香りが良いですね」と中村樹里子氏。ひと房の実を包む、“じょうのう”が薄く、強い甘み、適度な酸味もあるのが「西宇和みかん」の特徴。

「樹齢40年から50年の木に美味しいみかんができる」と宮本さん。真穴は歴史ある生産地であるため、そうした木が点在する。

テロワールオブ西宇和・真穴共選新しい技術や知見も積極的に導入。

恵まれた自然があり、段々畑など、先人たちが築き上げた知恵と工夫も活かして、大切に育てられる「西宇和みかん」ですが、ただ伝統を継承しているだけではありません。

例えば、真穴でも、まだ一部と言いますが、「10年ほど前から導入が始まった」マルチドリップ方式の栽培があります。

マルチとは、みかんの木の下に敷設するシートのこと。降雨による余計な水分を除外して、水はけを、もっと良くするために導入されたものですが、シートは白く、陽光を反射して、木の下の方になる実を照らす効果も生みました。これを、4番目の太陽と指摘する生産者もいるほど。

ドリップとは簡単に言えば、液肥を満遍なく木々に与えるための仕組み。「みかんの点滴」と宮本さんは笑いますが、これにより、みかんの木が土にしっかりと根を張るようになったそう。
「根ができれば、アミノ酸など、微量だけど必要な栄養素がしっかり取り込めて、葉がたくさんできる。たくさんの葉があれば、余計な水分を十分に吐き出すことができ、みかんの味が凝縮する」

だから、あまり葉の剪定はしないそう。
受け継いだ技術に加えて、現代的な機器や知見も活用して、美味しい「西宇和みかん」を育てているのです。真穴共選では、出荷の前に行われる選果でも、光センサー選果機を採用。傷や腐敗を瞬時に検知するだけでなく、糖度や酸度も的確に測定しているとのこと。

高く評価される西宇和みかんを、今後もクオリティを維持しながら安定的に供給すべく、生産者の挑戦はずっと続いているのです。

この辺りで標高150mほど。木の下に白く見えるシートがマルチで、多くの生産者が導入している。

テロワールオブ西宇和・真穴共選常に「最高」を志す、強い気持ち。

「ずっと、みかんを育てて、出荷していますが、今年は最高だって思った年なんてありませんよ。毎年、課題は見つかる」

柔和な笑顔から一転、引き締まった面持ちで語り始めた宮本さん。
「とにかく、美味しいものを一生懸命、作る。それだけです」
「西宇和みかん」は、宮本さんのような生産者が真面目に、誇りを持って取り組んでいるから、今年も美味しく育つのです。

そんな、甘味、酸味、苦味、食感と『西宇和みかん』の魅力を最大限に楽しめるコースを11月29日(木)より、『Kabi』にて期間限定で提供致します。是非、西宇和の土地を五感で感じられるコースをこの機会にご賞味ください。
「Kiriko Nakamura による西宇和みかんのデザートコース」詳細・予約はこちら


(supported by JAにしうわ

宮本さんが被るキャップには共選のマークと、真穴みかんの文字が誇らしげに刺繍されている。

住所:愛媛県八幡浜市真網代丙572-1 MAP
電話:0894-29-7014
真穴共選 HP:http://www.marumamikan.com/

情緒漂う茶屋街に生まれた2部屋だけのオーベルジュ。旅の本質を思い出させる、名宿の秘密。[東山のオーベルジュ 薪の音 金澤/石川県金沢市]

東山のオーベルジュ 薪の音 金澤OVERVIEW

重要伝統的建造物群保存地区に指定される金沢の東山ひがし茶屋街。石畳の路地の脇に連なる端正な出格子窓、風にたなびく柳の木、遠く聞こえる三味線の音。風情という言葉こそふさわしいこの街に2018年3月、新たなホテルが誕生しました。名は『東山のオーベルジュ 薪の音 金澤』。そう、2005年に富山県南砺市に開業し、各界の評判を呼んだ名宿『里山のオーベルジュ 薪の音』の別館です。

素朴な里山をテーマにした旅館である本館に対し、茶屋街に佇むこちらはどこか女性的でエレガントなホテルという印象。客室は2室。つまり1日2組しか得られない特別な体験が、この『東山のオーベルジュ 薪の音 金澤』では待っているのです。もちろんオーベルジュと銘打たれるだけに料理にも徹底的なこだわりが潜みます。ロケーション、部屋、料理、ホスピタリティ。すべてにおいてゲストの心に刻まれる、他に代えがたいひととき。その本質は「ここに効率という言葉はありません。無駄こそが魅力。それがこの規模のホテルの魅力」という山本氏の言葉に象徴されます。

日常を忘れ、無駄を楽しみ、土地の文化に浸る。旅の本来の姿を思い出させる名宿。その魅力に迫ります。

住所: 石川県金沢市東山1丁目15-14 MAP
電話: 076-252-5125

若者たちが未来を描ける、エモーショナルな離島。[海士町/島根県隠岐郡]

配流になって、1240年に崩御された後鳥羽天皇。明治6年に明治天皇の思し召しにより、合祀された後鳥羽上皇火葬塚。

海士町歴史と自然を残す人口2300人の島。

日本海に浮かぶ島根県・隠岐の島の中でも、海士町(あまちょう/中ノ島)は3番目に大きな有人島です。人口わずか2300人の島で、約2時間もあれば一周できるほど。その昔、「遠流の地」として定められ、鎌倉時代には「承久の乱」で配流になった後鳥羽上皇を始め、多くの政治犯や貴族を受け入れて来た歴史があります。海の中にポツンと浮かぶこの小さな島は、定義の通りの「離島」。美しい自然に恵まれた究極の離島であり、「遠流の地」だったのも頷けます。島内には後鳥羽上皇火葬塚や隠岐神社、小泉八雲が「清閑な地」と称えた家督山(あとどやま)、町の指定文化財の屋敷、村上助九郎邸など見所も点在しています。

隠岐神社。1939年(昭和14年)に創建。太刀銘来国光が県の指定文化財に。後鳥羽上皇にまつわる歌が詠まれた。

海士町「人づくり」を試みた地域再生の人間国宝。

数々の逸話が残る海士町ですが、歴史や自然よりも魅力なのがこの島に暮らす若者たちです。すでに引退された元町長・山内道雄氏は、先見の明があるアイデアマン。先駆的な考え方をお持ちの方で、離島の不便さを逆手に取ったユニークなキャッチコピー「ないものはない」を掲げ、移住者を引き寄せる町づくりで地域再生に優れた手腕を発揮されました。若い世代が生活できるよう様々な事業を展開し、海士町ブランドを築き上げただけでなく「島づくりは人づくり」という信念のもと、教育改革にも力を入れて全国から人材を集めた。まさに「地域再生の人間国宝」。Iターン、Uターンの成功例と言えるでしょう。あれだけの小さな島に大勢の若者が移り住んだことは、奇跡としか言いようがありません。若い世代が勝手に訪れたのではなく、元町長をはじめ、行政が一生懸命働きかけてバックアップした結果。島独自の取り組みは全国的にも注目を集めています。この好例は各地の地方自治体も見習うべきでしょう。将来的には海士町だけでなく、隠岐の島のエモーショナルな部分も含め、より一層力を入れて欲しいと思います。

中ノ島の東岸にある景勝地「明屋海岸」。火山噴出物が露出した、隠岐ユネスコ世界ジオパークのひとつ。

住所:〒684-0403 島根県隠岐郡海士町大字海士1490 MAP
http://www.town.ama.shimane.jp

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

建築とランドスケープの幸せな融合。[アートビオトープ那須/栃木県那須郡那須町]

カジュアルな滞在とアートなアクティビティが楽しめる「アートレジデンス」として、新たな旅の形を提案。

アートビオトープ那須ホテル・建築・造園の各界が注目!

昨今、旅のスタイルが変わりつつあります。せわしなく動き回る「移動」から、その土地の魅力をじっくり味わう「滞在」へ――今回ご紹介する『アートビオトープ那須』は、そんな「滞在」を心地よくサポートしてくれる大人のリゾートです。

那須の雄大な自然を生かした景観と、訪れる人々の感性に添った様々な滞在方法の提案。そのフレキシブルなコンセプトは、旅人だけでなくホテル業界や建築業界、造園業界などからも熱い視線を浴びています。

更にガラス工芸や陶芸といった「アートなアクティビティ」も提供。まるでアーティストがアトリエにこもるかのように、自然豊かな空間の中で、ゆったりと創作活動にいそしめます。

東京から約1時間半の地に、別世界のような光景が広がる。

長期滞在に適したミニキッチンつきの客室が嬉しい。

石上氏が手掛けた『水庭』など、世界的に活躍する建築家の作品や書籍などが美しくレイアウトされた落ち着いた空間も必見。那須の自然に溶け込みながら確たる存在感を示す。

アートビオトープ那須自由自在に楽しめる「アートな滞在空間」。

『アートビオトープ那須』の特長は、レジデンス・カフェ・スタジオなどの多彩な要素で構成された「アートな滞在空間」であること。自由な散策や創作活動はもちろんのこと、多彩なワークショップや植物の精油を用いたアロマトリートメントなど、心と身体のリズムを整えてくれる体験が目白押しです。

更に、こうした体験だけでなく、サイクリングなどのアウトドアレジャーも可能。もちろん何もせずにゆったり過ごすこともでき、別荘のような自由なスタイルで楽しめます。

長期滞在して大掛かりな作品を創り上げたり、楽器を持参して森で演奏したり。アトリエや別荘のように使うリピーターが多い。

本格的な設備を誇るガラススタジオでは、吹きガラス・カットガラス・バーナーワークなどが楽しめる。

「共に学び、共に食事をし、共に生きる場所」として、「自然と共生する未来の暮らしを提案する」プラットフォームでもある。

アートビオトープ那須まるでおとぎ話の世界に迷い込んだかのよう! 絶対に訪れたい『水庭』。

2006年にオープンした『アートビオトープ那須』ですが、2018年6月には、隣接する広大な土地に日本建築学会賞など多数の受賞歴を持つ話題の建築家・石上純也氏が手がけた『水庭』を新たにオープンさせました。
16,000㎡もの敷地に隣接する土地から318本の木を移植。その間に160個の池をモザイクのように点在させた、他に類を見ない庭園です。もともとこの土地にあった木・水・苔で創られており、地下で全てつながっている池は、川から引き込んだ清冽(せいれつ)な水を巡らせています。

当初はファームガーデンとして計画されたものの、検討を重ねる中で「人の手を加えて創った建築としての庭」として完成。4年もの歳月をかけて、これまで地球上のどこにもなかった庭園が誕生したのです。

空間と配置を綿密に計算することで生まれたデザインでありながら、自然の妙を感じさせる佇まい。石上氏が自身の体験を反映させながら配置した敷石に沿って歩くと、景色だけでなく、水流や葉擦れの音までもが美しく変化していきます。

訪れた人々の内面まで映し出す、哲学的な思索の場。「五感を働かせて瞑想するように楽しんでください」とはスタッフの言葉です。

ロケーションもデザインも他に類例がなく、世界的に注目を集めている。雑誌「新建築」の表紙を飾ったり、「GA JAPAN」に特集されるなど、建築界でも大きく評価された。

『水庭』の見学は事前予約制のツアーのみ。ツアーはティーまたはランチとのセットから選べる。

アートビオトープ那須さらなる進化も見逃せない。より心地良い空間へ。

この『水庭』に加えて、2020年には、坂 茂(ばん・しげる)の設計による「天と地を繋ぐ」寛ぎのコテージ群が完成する予定です。これを主体に、40km圏内で採れた新鮮な食材を提供する『ファームレストラン』もオープン。これらをもって、『ボタニカルガーデン アートビオトープ』の世界は完成します。

人と自然に心地良い未来を目指して、さらに進化し続ける滞在空間。何日も、何回でも滞在して、その世界観と魅力に浸りたいものです。

イタリアの名門ブランドCOLNAGOのスポーツサイクルと、起伏の多い山間部でも安心な電動アシスト付き自転車のレンタルも有。爽快な高原を思いのままに走る!

那須はレジャー施設も多いが、あわただしく出歩くよりも敷地内でのんびり過ごしたい(写真はガラススタジオでのマドラー作り体験)。

日常の喧騒を離れて心身のあるべき姿を取り戻す場所。

住所:栃木県那須郡那須町高久乙道上2294-3 MAP
電話:0287-78-7833 (代表)
アートビオトープ那須 HP:https://www.artbiotop.jp/

いよいよ謎多き解脱酒の本丸へ潜入。金の酒がベールを脱ぐ![加温熟成解脱酒/秋田県秋田市]

『加温熟成解脱酒』を造り出す蔵人たち。中央、白衣の紳士は社長の平川氏。

加温熟成解脱酒パリの熱気が冷めやらぬ内に、初秋の秋田へ。

パリでの取材を終えた、我々ONESTORY取材班は、10月中旬、パリで絶賛された不思議な日本酒の秘密を探るため一路、初秋の秋田へ。謎多き『加温熟成解脱酒』の本丸『秋田酒類製造株式会社』を訪れたのです。
詳しくは【日本人が知らない日本酒が、今、パリで話題!?】へ

『加温熟成解脱酒』とは、一体どんな酒なのですか?

インタビューは、ずばり直球勝負でスタートしました。
「その名の通り温度を加えて解脱を起こす酒なんです。日本中の酒蔵が、できたお酒をこぞって冷やす時代に、真逆の発想で生み出した酒。偶然と偶然の連鎖により生まれた酒でもあります」とは、『加温熟成解脱酒』の生みの親である古木吉孝生産本部長。

古木氏の放った解脱とは、日本酒を長く熟成させた際にできる澱のこと。澱の発生は完熟の証と言われ、一部の愛好家に間では非常に珍重されてきたそうなのです。

それを約半年という期間に、タブーとも言える酒を温めることにより熟成を促した酒こそが『加温熟成解脱酒』の正体だと笑います。
「最初は、スタッフが試験中の酒を持ってきたんです。普段めったにそのような状況はないのですが、『澱が出てます!確認してください』と言うんです。とっさに思ったのは、腐敗が起きているんじゃないかという不安。でもですね、見た目は腐敗のもとになる微生物の濁りではなかった」

大丈夫だとスタッフをたしなめつつ古木氏は、興味本位で味見をしたと言います。廃棄されてもおかしくない状況で、一転、美しく輝く黄金色の酒の味見をしたくなったと言います。

「これがとにかく美味かった。ですから、すぐに社長のところに持っていったんです」

澱の出た試験中の酒を飲んだ平川順一社長もまた、即決で開発を指示。すぐに開かれた取締役会を経て、約1ヶ月で開発チームは組織されたと言います。

「スタッフがチェックに持ってこなければ誕生はなかったですし、私が試飲しなければそのまま廃棄。さらに社長に試していただかなければこの短期間で、『加温熟成解脱酒』は生まれてこなかったと思います」と古木氏。

2016年4月の偶然を境に、なんと2017年1月には『加温熟成解脱酒』は、世に生み出されていたのです。

「シェリー酒が好きで、あの色を見たときに無性に味見をしたくなった」と古木氏。

こちらが加温することを可能にした熟成タンク。

「いい色なんですよ、味も驚きますよ」と笑顔の平川氏。

加温熟成解脱酒緻密な計算と、失敗を恐れない挑戦が美酒を生む。

「加温することで熟成はどんどん加速するのですが、普通にやるとまずは香りだけが熟成し始めます。ですから、味と香りのバランスを整えるために、冷やすのが常識なのです」

偶然、味わってしまった黄金色に輝く美酒を再現するため、温度と時間の反応速度を、何度も何度も繰り返し、まずは色と香りのメカニズムをコントロールし始めたと古木氏は言います。

「そうなると今度は味を追求したくなるんです。ここからは企業秘密にもなるのですが、酒質や酒米、酵母の違い、さらには温度と時間のコントロールを無数にこなすことで、いよいよ味、香り、色が交わってきたのです。そして解脱の瞬間は生まれた」

約半年の熟成であるのに10年古酒のような香りと色を放つ酒。であるのに味わいはまだまだ若々しいフレッシュさを併せ持ち、アルコール度数は12.5度と軽め。
「商品化にあたっては、解脱の証でもある澱はろ過することに決めました。だって黄金色が、とにかく美しいので」

穏やかな顔の古木氏は、約1時間のインタビューで『加温熟成解脱酒』の誕生について教えてくれました。日本酒を温めるというタブーに果敢に挑戦し、独自製法で生み出した不思議な酒を、ゆっくりと育てていきたいとも付け加えてくれました。

もしかしたら、数年後には加温熟成という新たな日本酒のカテゴリーは一般的になっているかもしれません。話を聞くたび、その可能性に期待で胸が膨らむほど、氏の挑戦は新たな酒の到来を予感させるのです。

秋田酒類製造株式会社の酒の指揮官・加藤均杜氏。

米粒ひとつ、美しい水が元になり、秋田の美酒は生まれていく。

加温熟成解脱酒酒の味のすべてを司る加藤杜氏へも直撃。

『加温熟成解脱酒』のもうひとりのキーマンがいると聞き、訪れたのはまさに仕込みが始まったばかりという酒蔵。待っていたのは杜氏の加藤均氏でした。

そう、『加温熟成解脱酒』といっても、熟成前は普通の純米吟醸酒。酒造りの指揮官に、その思いについても伺ったのです。

「麹菌はね、冬の10度とエアコンの10度は違いがわかるんです。不思議でしょ。だから、最後は人力。酒と会話しながらが大切なんです」

最新鋭の醸造設備を備える『秋田酒類製造株式会社』。24時間温度と湿度を調整できる酒蔵にあって加藤氏は、毎日必ず自らの握力で、蒸し上がった酒米の硬さを確認すると言います。
「機械化し合理化する部分はあっても、最後の最後は経験と勘。それが日本酒造り。だから面白いんですよ。解脱酒も、実は凡事を徹底することで生まれています」

日常を怠らない。清掃の行き届いたピカピカの酒蔵こそがウチの蔵の自慢と加藤氏は胸を張ります。
加温熟成させる前に、まずは旨い酒を造る。そんな基礎中の基礎に驚くほどの情熱と心血を注ぐ男がいる。それもまた、『加温熟成解脱酒』が旨さを増幅させる秘密なのかもしれません。

パリで話題になった黄金色に輝く『加温熟成解脱酒』。2019年いよいよ、日本でも飲める店は増えると言います。

まずは、先入観なく、飲んでみてください。

きっと今までの日本酒の概念は軽々と吹き飛びます。パリの地で、そして秋田で、我々取材班は、今秋、その奇跡の瞬間に何度も遭遇しているのですから。


(supported by  秋田酒類製造株式会社)

日本酒の概念を覆す『加温熟成解脱酒』は、いよいよ日本でも。

住所:〒010-0934 秋田県秋田市川元むつみ町4-12 MAP
電話:018-864-7331
http://www.takashimizu.co.jp/

驚き、発見の連続。荒天の沖縄で、未知の食材、自然とともにある人の暮らしに触れて。[DINING OUT RYUKYU- NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

南城市に残る「御嶽(うたき)」の神聖な空気に、樋口シェフの表情が引き締まる。

ダイニングアウト琉球南城「本場の台風」の厳しい洗礼を受けた、沖縄南城での第一歩。

11月23日(金・祝)、24日(土)の2日間限りで沖縄・南城市を舞台に開催される『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。琉球神話の中では、はるか昔に「アマミキヨ」という女神が海の向こうの理想郷といわれた神の国「ニライカナイ」からやってきて琉球の島々や祈りの場「御嶽(うたき)」を創り、南城市の離島・久高島に降り立ったと伝えられています。

琉球を創成した女神「アマミキヨ」のゆかりの地で開催される今回を担うのは、『DINING OUT』史上初の女性料理人となる樋口宏江シェフ。『志摩観光ホテル』の総料理長であり『伊勢志摩サミット』でもディナーを担当した、今、日本で最も注目を集める女性シェフに白羽の矢が立った。

『DINING OUT』開催に向け、視察のために沖縄に向かった樋口シェフ。複数の食材の生産者とのスケジュールを調整し、10月初旬に初めて降り立った沖縄は、奇しくも、超大型の台風25号が上陸するというアクシデントに見舞われます。さまざまな予定変更を余儀なくされ、時に強い雨風に打たれながら、という悪条件の中の視察は、「沖縄の自然」を肌で感じる時間となりました。

ーーーーーーーーーー
DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS TOP

台風25号が直撃した視察日程。沖縄の自然の厳しさを実感する。

ダイニングアウト琉球南城風土とウチナーンチュが上質な食材を育む、沖縄の産地を巡って。

早朝に三重県志摩を発ち、中部国際空港セントレアから沖縄へ飛んだ樋口シェフ。那覇空港で、取材班をはじめとする東京からのスタッフと合流。台風がその日の晩から翌日にかけて直撃しようかという状況下、訪問先の生産者と慌ただしく連絡を取り合うスタッフを心配気に、そして気遣うようなまなざしで見つめる姿が印象的でした。『DINING OUT』開催当日まで2カ月足らず、限られた時間の中で、少しでも多く沖縄のことを知りたい。そう願う樋口シェフにとっては、まさに波乱の幕開けでした。

空港から車で約30分。最初の目的地は那覇市内の繁華街にある『琉球料理ふみや』です。昼食を兼ねて訪れたその店で、早速、最初の驚きに出会いました。運ばれてきた定食のお膳には、よもぎの炊き込みごはん「フーチバージューシー」や豚もつ入りの「中身汁」など、沖縄に古くから伝わる伝統料理がずらりと約10皿。どれもが初めて食べる味、そして身体に染み入るようなおいしさだったからです。

「実は、沖縄を訪れるのは今回が初めてなんです。何もかも新鮮で」

そう話す樋口シェフ。古い田舎家の広間のような畳敷きの店内では、地元の老若男女がテレビから流れる台風のニュースに耳を傾けながら、樋口シェフと同じ定食を食べる姿が見られます。昔ながらの郷土の味が、今も人々の日常に根付いている。最初に沖縄の食文化の豊かさを感じた瞬間でした。

初めて食べる本場の沖縄伝統料理に期待が高まる樋口シェフ。

ダイニングアウト琉球南城多種多彩、生き生きとした沖縄産ハーブがインスピレーションの源に。

素朴な伝統料理の滋味深い味わいにすっかり心をつかまれた様子の樋口シェフ。お次は宜野湾市にあるファーマーズマーケット『ハッピーモア市場』を訪れました。広々とした空間に並ぶ、色とりどりの野菜や果物は、島バナナにさまざまな柑橘など、沖縄らしい農作物が中心。「小さな農家応援隊」を標榜し、農薬や化学肥料に頼らず、安全でおいしい野菜や果物づくりに励む生産者の作物を集めて紹介しています。

新鮮な野菜を使ったフレッシュなスムージーも名物で、建物奥にある小さな自社農園で、スムージー用のハーブや柑橘類を栽培しています。レモングラスやヘンルーダーなど、何もかもが都市部のスーパーで見るものとは比べものにならない勢いで生い茂っていて、小さなジャングルさながら。樋口シェフが足を止めたのは、カラマンシーという柑橘の木の前でした。

「すだちやカボスとはもちろん、シークヮーサーとも違う、どこかオリエンタルな香り。沖縄にはいろんな柑橘があるんですね」
感嘆の表情で目を見開きます。

その日は、ハーブ農園『岸本ファーム』も訪問しました。
「白い花を付けたスイートメキシカンは蜜のような甘さがあります。これは長命草という沖縄のハーブ。琉球山椒(ヒレザンショ)は、ピパーツに似た香りがするはずです」

沖縄の在来種も含め栽培品種は年間200種以上。スタッフの指さすハーブを次々摘み取り、気になるものは味を確かめつつ、ハウスの奥へと進みます。

樋口シェフ自身も、ホテル敷地内のハーブ園で自らハーブを栽培しています。歴史あるオーベルジュ『志摩観光ホテル』伝統の味を、そのハーブ類も多用し、現代の嗜好に合わせフレッシュかつ軽やかに仕立てるのは“樋口流”味づくりの真骨頂。『岸本ファーム』のバラエティ豊かなハーブに、創造力が刺激されます。

カラマンシーの木の前で。果汁の風味や酸味、皮や葉の香りなどを確かめる。

開園から20余年、農薬・化学肥料を使わない農法を貫く『岸本ファーム』のハーブたち。みずみずしく、香りは鮮烈で色も鮮やか。

ダイニングアウト琉球南城信仰、祈りとともにある「聖なる食」のあり様を土地の歴史から探る。

生まれも育ちも三重県。料理人としても『志摩観光ホテル』一筋で仕事をしてきた樋口シェフ。『DINING OUT RYUKYU-NANJYO with LEXUS』は、ホテルを離れ、いつもとは違う環境、見知らぬ食材を使っての料理という、未経験づくしの挑戦となります。

ゆえに、沖縄を訪れたら、食材のみならず土地の歴史、文化、風俗を学びたいという強い希望がありました。
会場となる沖縄県南城市は、琉球王朝時代の聖なる祈りの場「御嶽(うたき)」が数多く残る、琉球はじまりの地。神話によると、太古の昔「アマミキヨ」という女神が「ニライカナイ」と呼ばれる海の向こう側からやってきて、琉球の島々や御嶽を作ったとされています。

神の海とされる東の海「ニライカナイ」と、そこから降り立ち、琉球の土地を作った女神「アマミキヨ」。沖縄の人々の心に今も残る自然信仰は、すべてのはじまりである海と、生命を育む女性に起源を持つのではないか。この考えが、『DINING OUT』開催を沖縄南城の地に導きました。

「単なる地産食材のショーケースに終わらず、神聖なる土地のあり様までもを皿に載せ、一夜の宴を完成させなければ」

南城を巡った樋口シェフは、想いをより強くしました。

琉球の信仰では、神殿などは設けず、森や山、川、泉などが「神が訪れる場」として祈りの場となる。

ダイニングアウト琉球南城熱意ある生産者から学んだ「生き方」が表れる仕事へ敬意を表して。

悪天候の中、視察の旅は続きます。

沖縄の食文化を語る上で欠かせない山羊を見るために『株式会社 大地』へ。代表の仲村嘉則さんが、農業用ハウスを利用した山羊小屋を案内してくれました。

「昔はどの農家でも庭先で2、3頭の山羊を飼っていたけれど、高齢化でその数は減る一方。大事な山羊を絶やしてはいけないと、仲間を募って会社を作ったわけです」

常時150頭の規模で飼育を行う業者は、県内でもわずか5軒ほど。湿気を嫌う山羊のため、床を上げて作った山羊小屋は、清潔そのもの。気持ち良さそうに寛ぐ山羊を見て、樋口シェフは思わず「かわいい」と、頭を撫でます。これまで使う機会のなかった食材だけに、地元の人たちはどう食べるのか、種や部位による味わいの違いは?と、仲村さんへの質問が止まりません。

沖縄の在来豚・アグー飼育の第一人者『なんくる農場』も訪問。

「豚は神様が人間にもたらしてくれたもの。命を頂いて生の糧にするのだから、肉になるまで病気せずに育てるのが、自分たちの仕事なんです」と、代表の我喜屋宗一さん。視察後、我喜屋さんのアグーをしゃぶしゃぶで試食。

「しっかりとした食感があり、噛みしめるほどに味が出る。シンプルに焼くだけでもちろんおいしいけれど、沖縄料理にちなんで“煮る”のも面白い。いろいろアイデアが浮かびます」と、樋口シェフ。

ほかにも、県外からも注目を集める国産紅茶の生産者『山城紅茶』、イギリスから移住して沖縄素材でチーズを作るジョン・デイヴィスさんのチーズショップ『チーズガイ』、大量のシークヮーサーを出荷、加工をしている『勝山シークヮーサー』などを訪問。荒天の中、盛りだくさんかつ濃厚な視察を無事に終えました。

高床式の山羊小屋は清潔そのもの。山羊たちの愛らしさに、樋口シェフもつい笑顔に。

米ぬかやもろみなどを独自に配合した国産の良質な飼料で育てられる『なんくる農場』のアグー豚。

「紅茶が沖縄の農業を変える」と話す『山城紅茶』代表の山城直人さん。80年前の創業以来、無農薬で茶葉を栽培。収穫は手摘みで行う。

『チーズガイ』では10種類以上のチーズを試食。ジョン・デイヴィス氏のユーモアと説得力にあふれる解説を聞くうちに、時間があっという間に。

『勝山シークヮーサー』のシークヮーサー。厳しい選果を行い、種をつぶさず、皮の苦みが出すぎないように搾汁した果汁を瓶詰に。

ダイニングアウト琉球南城地方発信を続けてきた自分だからこそ表現できる「南城ガストロノミー」を。

『志摩観光ホテル』のある志摩は、古代から神事の際、海産物を献上する役割を担ってきました。朝廷が「御食国(みけつくに)」に定めた、海の幸豊かな地。自然がもたらす恵みと、神事との関わりは、樋口シェフが伊勢志摩の食材を追求する過程で掘り下げてきたテーマであり、それは今回の『DINING OUT』の趣旨とも重なります。

「『DINING OUT』の役割は、日本各地に眠る素晴らしい価値を見出し、地域の発展のきっかけを作ること。今回、お話しを頂いた際、重責と感じつつもお受けしたのは、自分もずっと志摩という一地方で生活してきたがゆえに、そういった考えに共鳴するものがあったからだと思います」

視察の手ごたえについて訊ねると「食材のクオリティの高さはもちろん、生産者の方々が皆、素晴らしい」との答えが返ってきました。

「優しく穏やかで、強い信念をもって仕事に取り組まれている。台風など自然の影響を受けやすい土地で“そういうこともあるさ”と受け入れ、共に生きる。そのしなやかさにも刺激を受けました」

話をする表情に、充実感があふれています。すでにいくつかの料理の原型は、頭の中に浮かんでいるのでしょうか。
「沖縄・南城の食文化への敬意を表しつつ、ホテルでの仕事を活かした自分ならではの料理で、地元の方々も新鮮な驚きを抱いて下さるような料理を作りたい。それがゲストの方々の満足に繋がると信じています」

これまでの料理人人生で経験したことのないチャレンジ、しかもこの機に初めて訪れた沖縄・南城で。樋口シェフのクリエイションがどのように花開くか。参加するゲストや関係者はもちろん、ローカルガストロノミーに関心を抱くすべての人々が注目しているはずです。

視察日程第一弾の最終日。食材担当のスタッフと、試作のアイデアや必要なアイテムを共有する。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテルHP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

年間いつでも甘い焼き芋を!負けず嫌いの行方気質が生んだ、日本一のサツマイモ。[茨城県行方市]

行方市で生産されるサツマイモは7種ほど。熟成させた後、各地に出荷される。

茨城県行方市野菜を通して人々の生活を支える行方市。

都心から約70km、霞ヶ浦の東岸に広がる行方市。読み方は、なめがた。しかし「漢字は読めないけれど、この名前は知っている」という方も多いのではないでしょうか。そう、スーパーの店頭や商店街の八百屋の店先に積まれている野菜。その多くに「JAなめがた」の文字が刻まれているのです。たとえば明日、少し注意して見回してみれば、きっとその字が目にとまるはず。なにしろ行方市は60品目以上もの野菜を育て、通年何らかの野菜を出荷しているのですから。そしてそんな行方市の豊かさと多様性を象徴する存在が、数々の品種が育てられ、一年通して出荷されるサツマイモなのです。そこで、地元生産者の間で甘藷(かんしょ)と呼ばれるこのサツマイモを追って、行方市を訪ねました。イモづくりにかける生産者の思いとは? そして官民が手を組んで進める六次産業化とは? 行方市のサツマイモづくりの秘密を、前編・後編に分けてお伝えします。
後編【日本一の誇りを胸に、さらに広がる行方市のサツマイモ。】はこちら

行方市を代表する絶景・霞ヶ浦。西に筑波山、南西に富士山を望む雄大な眺めも見どころ。

霞ヶ浦には不定期で観光帆引き船も出航。かつての漁業を支えていた帆船の底引き網漁船。

茨城県行方市かつての葉たばこ農家が、サツマイモ農家に転身。

「行方の人間は負けず嫌い。“アイツには負けたくねぇ”って気持ちが、良い甘藷(サツマイモ)になるんじゃないかな」JAなめがた甘藷部会連絡会会長の箕輪秋雄氏は、そう言って笑いました。しかもその負けず嫌いは筋金入り。その気質を反映したイモづくりには、根性論ではなく、徹底したロジックに裏付けられています。

関東ローム層の赤土、霞ヶ浦と北浦に囲まれた豊富な水源、傾斜があり水はけの良い地形、年間通して温暖な気候。そんな特性を活かし、行方市はかつて献上品用の葉たばこの一大産地として知られていました。ところが2011年に葉たばこ廃作の奨励があったことで、同じくこの土地に適したサツマイモに転作する農家が急増したのです。つまり、サツマイモの大産地としての歴史はまだ始まったばかり。「そのとき100haくらいが甘藷に変わったのかな。これはいままでと同じことしてたら余ってしまうな、と思いましたよ」と振り返る箕輪氏。そこで頭を働かせて行方産サツマイモのPRに乗り出しました。

しかしそれは簡単な道ではありませんでした。「JAなめがた」として品質の底上げを図るには、生産者の足並みを揃えることが第一歩。しかし年代も耕地面積もモチベーションも異なる生産者たちの意見は、なかなか揃いません。箕輪氏は「とにかく何度も会うこと」という地道な方法を選びました。生産者同士で何度も顔を合わせ、意見を交換する。そうすることで少しずつ、“妥協なきサツマイモづくり”という足並みが揃い始めます。

また、どの農家にもいえることですが、農業従事者の高齢化も課題でした。現在、甘藷部会の平均年齢は60代。とくに重量が嵩むサツマイモは「重労働な割にうまみが少ない」と思われ、若い世代に敬遠される傾向もあったのです。「きれいごとだけじゃなくてね、やっぱり“ちゃんと儲かる”っていうことも大事ですよ」箕輪氏はそのために、全国を巡り販路拡大を模索しました。

見渡すかぎりの芋畑。茨城県のサツマイモ生産量は、鹿児島県に次ぐ全国2位。

JAなめがた甘藷部会連絡会会長の箕輪秋雄氏。穏やかな人柄と論理的な考えから人望も厚い。

「新鮮さと食べ頃が一致しない」というサツマイモ。ここから寝かせることで糖度が増す。

茨城県行方市明確なデータを提示する地道なPR活動。

しかしサツマイモ業界では後発となる行方市にもアドバンテージがありました。それはイモづくりに最高に適した気候と土地があり、ひとつの区画で複数の品種を育てることが可能だったこと。サツマイモは品種によって、収穫後に糖度が増す速さが異なります。これを利用し、収穫後すぐが適した品種から、寝かせることで糖度を増す品種までを、リレー方式で出荷しました。つまり、品種と熟成期間を変えながら、いつでも市場に食べ頃のサツマイモを届けるように調整したのです。量販店のバイヤーも卸売商も、一年通して甘いサツマイモが食べられるとあれば放っておきません。さらにPRには糖度や食感の特性といったデータ、おすすめの調理法などを記した冊子も利用しました。「おいしいです、っていくら言ってもダメですよ。きちんとおいしい証拠を出さないとね」

さらに、サツマイモの出荷量を底上げすべく、加工品にも力を入れます。目をつけたのは焼き芋。当時としては珍しい石焼き機をスーパーの店頭などに設置し、焼き立てのサツマイモの販売を開始しました。この焼き芋の販売には、売上だけではない利点もありました。消費者の顔が直接見えるからこそ、年齢層ごとの好みが見えてきたのです。「年配の方は、ホクホクした昔ながらの食感が好き。一方、若い世代はしっとり、ねっとりした方を好まれます。このあたりを考えながら生産量も調整します」と箕輪氏。ニーズを正しく捉え、的確な配分で栽培すること。この計画性により、当初は余剰生産を心配していたはずが、現在では「足りないくらい」と引く手あまたなのです。

かつては手掘りだったが、芋掘り機が普及したことで一気に生産性が上がったという。

甘藷部会連絡会副会長の高木氏。明るく気さくな人柄で取材班を迎えてくれた。

紅優甘の焼き芋。しっとりとした食感と深みある甘さに驚かされる。

茨城県行方市最高栄誉の受賞で、名実ともに日本一に。

現在行方市で栽培されるサツマイモは、風味が良い昔ながらの紅こがね、日本一の生産量を誇るしっとり系の紅まさり、甘さが売りの注目品種・紅優甘など7品種。市の農産物出荷額およそ100億円のうち、実に3分の1近くをサツマイモが占めています。

そしてついに、その瞬間はやってきました。2017年には行方市のサツマイモが、全国の農産物10万点以上を対象にした農林水産祭で最高位となる天皇杯を受賞したのです。これは、時折耳にする「農林水産大臣賞」や「内閣総理大臣賞」よりも上に当たる、農産物の最高栄誉。名実ともに日本一のサツマイモとなった瞬間でした。幾度もミーティングを繰り返して生産者の意識統一を目指し、肥料や品種の意見交換も頻繁に行い、そして全国を巡り地道なPRをする。それらの活動が形になったのです。

「焼き芋って幸せな食べ物だよね」取材の終わり、箕輪氏は言いました。甘くて、あったかくて、そしてどこか幸せな記憶と結びついている。このおいしさの裏側に、頑ななまでのこだわりと行方愛が隠れていると思えば、その味わいはひとしおです。高速道路も鉄道もなく、陸の孤島などといわれる行方ですが、この幸せな味がいつもあると思えば、都心から70kmという距離などなんてことないでしょう。

「受賞の栄誉はもちろんですが、生産者が自信を持てたことも大きい」と箕輪氏。

天皇杯の栄誉を糧に、行方市のサツマイモは、さらなる躍進を目指す。

住所:〒311-3512 茨城県行方市玉造甲1963-5 MAP 
電話:0299-36-2781

地元で愛される、下関の冬の醍醐味。クエ鍋は高級にあらず、実は庶民の味方なのです。[Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI・クエ/山口県下関市]

フィッシャーマンズワーフ 下関・クエOVERVIEW

顔はちょっと怖いけど、それとは裏腹に美しいと思えるほど身は淡白。

さらに骨周りのゼラチン質は、得も言われぬ旨みと食感を纏い、食通の間では冬鍋の贅沢のひとつと言われているのが、クエ鍋です。

そう今回、我々ONESTORYが自信を持ってご紹介したい新たなる下関の恵みは、クエ。

地元・下関ではアラの名で庶民に親しまれている冬の味覚です。

「高級魚のクエが庶民に親しまれる?」と、疑問をお持ちの方も多いかと思いますが、そうなのです。東京や福岡の都市部では、驚くほどの高値で取引されるクエですが、ここ下関では、大衆居酒屋やスーパーなどでも、日常的に扱われている魚なのです。

ビッグサイズは超高級かつ都市部へ、少し小さめのサイズは地元で消費。とはいえ、ハタ類のなかでは国内では最大の大型魚のクエ。小さいとは言えど3〜4kgが一般的で、その味わいはやはり一級なのです。

食卓でも楽しめる冬の贅沢・クエを味わいに。下関で知る、知られざるクエの魅力に迫ってみました。


(supported by 下関市)

温故知新の花作りで、九州一のアルストロメリアを。[大窪農園/大分県竹田市]

品種名にはマカロンやミルクティー、レモンティーにアイスクリームなど可愛らしい名前がついている。

大窪農園色とりどりの花が咲き乱れる、九州一の花き産地。

鮮やかな色彩に、花弁の斑点模様。南アメリカ地方原産の“エキゾチック”と称される花、「アルストロメリア」。カラーバリエーションが豊富で花もちも良いため、花束やフラワーアレンジメント、冠婚葬祭など様々な用途で用いられる人気の花です。

国立公園を有する高原地帯の竹田市久住町は、花き栽培が盛んな産地。中でもアルストロメリアは九州一の出荷量を誇っています。新規就農者の減少が問題になっている中、若手の農家や女性の就農者も増え、盛り上がりを見せる久住の花き農家。市内の市場の1割を担う大窪慎二氏のハウスを訪ねてきました。

大窪慎二氏と妻のひとみ氏。二人三脚でアルストロメリアの栽培を続ける。

菊に変わって人気が高くなっているというアルストロメリア。花持ちも良いため、アレンジメントのリピーターも高いという。

大窪農園牛飼いからアルストロメリア中心の花き農家へ。

テッポウユリやリンドウなどの花き栽培が盛んだった久住町で、アルストロメリアの生産が始まったのは約20年前のこと。栽培のしやすさに目をつけた大窪氏は、もともと畜産と米、椎茸栽培を営む農家でした。

大窪氏は農業大学卒業後、実家の手伝いで牛飼いをしていました。結婚してからは花が好きだった奥さんの影響もあり、球根ユリやブルーファンタジアの栽培をスタート。牛に花、椎茸と家族一丸となって多角的な農業をしていこうと考えていた頃、狂牛病の流行によって牛の価格が急激に下落し、深刻な打撃を受けました。そこから大窪氏は花の栽培に注力。一度植えたら4年間繰り返し収穫できるアルストロメリアに着目したのです。

気候に影響を受けやすい露地の花き栽培が衰退し、ハウス栽培へと移行し始めたのも、アルストロメリアの栽培が盛んになった理由の一つ。

大窪氏のハウス。風速30メートルに耐えうる、強化型のハウスには10種のアルストロメリアを植えている。

収穫した花は自分たちで選別。その後JAに卸し、九州内で販売されている。

大窪農園4年間咲き続ける花が久住の名品に。

一つの球根から年間100本の花が取れ、4年間植え替え不要。さらに1年中収穫できるアルストロメリアは、手が掛からないということもあり、次第に久住の花き農家へと広がりました。

「野菜よりも病気は少なく、連作障害もない。もちろん土作りや花自体の管理、消毒、病気対策などはせんといけんけど、割と手がかからんのよ。しかも朝と夜の寒暖差があると色ノリも良くなるし、高冷地にある久住での栽培は合っちょったんや」。

しかしバラやユリのようにメジャーな花ではなかったため、農家全員が花き部会に加入し、共販。年に数回の市場訪問や新品種のPRなど販促活動にも力を入れ、ブランドの向上を地域全体で目指しました。

冬時期には2ヶ月も持つという花持ちの良さと、数百もあるという品種の多さ、カラーバリエーションの豊かさなどが市場で話題となり、現在は冠婚葬祭やフラワーアレンジメントに多く用いられるようになったのです。

数百種の中でも、人気なのはピンク系の品種なのだそう。

一年中収穫できるが、最盛期は3月。冬場の方が色づきの良い花になるという。

大窪農園花の名を全国へ轟かせるために。

久住町では現在14軒の農家がアルストロメリアを生産し、町全体で約200万本を収穫。そのうち約22万本は大窪氏が育てた花です。市場の1割を担う大窪氏の元には、土作りの方法や、扱う品種についてなど、様々な相談を受けることもあると言います。

「やっぱり情報交換はしていかんと。一人だけ良くても、アルストロメリアのブランド価値は高くならん。だからノウハウは共有してるんよ」。

市場を盛り上げていくためには農家が一丸となり、助け合うことが必要だと大窪氏は考えています。県内でもアルストロメリアの産地は他にあったと言いますが、どこも衰退。しかし周囲のサポート体制があることや、市場価値が次第に上昇してきていることなどから久住町では若手の新規就農者や、実家の花き農家を継ぐ若者も増えてきました。大窪氏のハウスで働いていた女性も「自分でやったみたい」と一昨年独り立ちをしたと言います。

「若い人がどんどん増えてきて、その人たちは市場で高値が付く段咲きのアルストロメリアを植えてみたり、いろんな品種に挑戦してみたり、冒険心のある人が多い。だから面白いよね」。

熟練の農家が安定して収穫ができるノウハウを伝え、若者からは冒険心やチャレンジ精神を得る。地方で始まった温故知新の花作りが、盛り上がりを見せています。

「良いかも」と思った新しい品種に手を出しても、なかなか花が出ないこともある。花作りは賭けも多いそうだが、挑戦する気持ちは忘れない。

原種に近いほど、花びらの中心に斑点模様がある。

住所:大分県竹田市久住町有氏1609番地 MAP
電話:090-9726-7725

暮らしに、新時代の「SATSUMA WARE」を。[CHIN JUKAN POTTERY 喫茶室/鹿児島県鹿児島市]

器は暮らしを豊かにする道具。だからこそ愛せるものを選びたい。

チンジュカンポタリー喫茶室海外に、「薩摩=焼き物」のイメージを根付かせた職人がいた。

「薩摩」と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?「サツマイモ」「西郷隆盛」といった語句が挙げられるのではないでしょうか。しかし欧州では、「SATSUMA」=「SATSUMA WARE」、つまり「薩摩焼」という焼き物に結びつくといいます。そのイメージを根付かせたのは、1873年のウィーン万博にて薩摩焼の美しさと高度な技術を広く海外に知らしめた第十二代沈壽官。薩摩藩焼物製造細工人としての家系をたどり、日本陶器の代名詞とまで言われた薩摩焼の総帥です。

薩摩焼は釉に細かいひびの入った「貫入」が特徴的だ。

チンジュカンポタリー喫茶室歴史的な節目に、新たなスタートを切った。

2018年、鹿児島県歴史資料センター黎明館内にオープンした「チンジュカンポタリー喫茶室」。この不思議な名前の「チンジュカン」こそ、沈壽官のことです。「チンジュカンポタリー<CHIN JUKAN POTTERY>」は、沈壽官窯とランドスケーププロダクツが共同で制作する陶器のシリーズ。その直営店は、これまで鹿児島市呉服町などでテナントやショップインショップとして運営してきましたが、明治維新150周年という歴史的な節目のタイミングで移転。鹿児島の歴史、考古、民俗、美術・工芸を紹介する総合博物館内に、喫茶室を併設し新たに生まれ変わったのです。

韓国文化の代表的な青磁色を基調とした内装デザイン。

鹿児島県歴史資料センターは鹿児島城(鶴丸城)の本丸跡地に建つ。

ギャラリーのように器が展示されている。購入可。

チンジュカンポタリー喫茶室歴史に向き合い、窯の火を守ることを決めた十五代・沈壽官。

この斬新な発想で窯の新時代を切り開いたのは、十五代沈壽官氏。初代は豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征から帰国の際に「捕虜」という身分で連行された職人。以降、藩の御用窯として窯の火を420年守り続けてきました。そんな家に生まれ、「若い頃は家を継ぐという事に漠然とした不安と嫌悪を感じていました」と十五代は明かします。初代は見知らぬ薩摩の地に降り立った優れた手仕事により藩に認められ、祖先達もその技を継いできました。時にはいわれのない偏見に耐えながら。彼らが真っ直ぐに父祖の業を守ってきたことを偲ぶことで、心を整えることができたといいます。「私にとって我家の伝統は私を縛るものではなく、私にとってかけがえのない宝となり、それは同時に私の向かうべき道になったのです」。

喫茶室は基本的にセルフサービス。のんびりくつろげる。

チンジュカンポタリー喫茶室沈壽官窯伝統の「白薩摩」を現代のスタイルに。

沈壽官窯の代名詞といえる「白薩摩」は、桜島の火山灰により黒っぽい土ばかり採れる鹿児島では珍しい、白い土を使った陶器。初代達が7年の歳月をかけて探した白土で作った器が当時の島津家に気に入られ、以降も沈壽官窯の伝統として受け継がれています。この薩摩を代表する焼き物と、家具製作を中心に人々の生活をより楽しくするプロダクトを探究する『ランドスケーププロダクツ』が生み出した新時代の「サツマウエア」。それは、韓国の陶芸家キム・ヘジョン氏をデザイナーに迎えた「Half Moon」や、本物のリンゴのように見えるほどリアルなフォルムのシュガーポット「APPLES」など、薩摩焼の特徴を踏襲しながら現代的なデザインを取り入れたものばかりです。

今までの薩摩焼にはない赤い釉薬辰砂(しんしゃ)も魅力的な「APPLES」。

レモンケーキを、月の輪を象ったお皿「Half Moon」に載せて。

イギリスで紅茶が飲まれ始めた時代の型をベースに作られた「Tea things」シリーズ。

チンジュカンポタリー喫茶室薩摩の器で、薩摩のふだんの味を楽しむ。

「チンジュカンポタリー喫茶室」では、薩摩紅茶や韓国のけせん茶、ふくれ菓子、レモンケーキなど地元のお茶やお菓子をこの器でいただくことができます。もちろん、購入も可能。喫茶で使い心地を確かめながら、暮らしの中にどう取り入れるかを考えるのも楽しそうですね。

ところてんも、花の形をイメージした「Bloom」シリーズで供される。

貝殻をイメージした「Pearl」を「Half Moon」に重ねる。こんな用法も提案。

スタッフの柔らかなもてなしも心地いい。薩摩という土地を体感できる場所だ。

住所:鹿児島市城山町7番2号 鹿児島県歴史資料センター 黎明館内 MAP
電話:099-295-3588
営業時間:11:00-18:00(日祝10:00-18:00)
定休日:施設に準ずる
チンジュカンポタリー喫茶店 HP:https://chinjukanpottery.com/ 
フォトグラファー:HIROKI ISOHATA

特徴的な地形が育む、伝統の西宇和みかんで進む、新たな価値観の創造。[愛媛県西宇和]

愛媛県西宇和OVERVIEW

愛媛県西宇和。そう聞いて、土地がすぐに想像できる人は、どれだけいるでしょう?

西宇和は、四国の最西端。このエリアには八幡浜市、伊方町、西予市三瓶町という2市1町があり、日本有数の細長さを誇る佐田岬半島も含まれます。四国の地図を思い描くと……そう、九州に向かってピュッと線で海に突き出た部分があることを思い出すはず。それが佐田岬半島。西宇和は、佐田岬半島とその付け根部分に相当するエリアです。

一体は温暖な気候の上、リアス式海岸から標高350mぐらいまで、一気に上る急な斜面が続いており、特徴的な地形。日照量は豊富で、さらに降雨量も適度。こうした風土を活かして栽培される特産品に、温州みかんがあります。

温州みかん栽培の歴史は古く、明治33(1900)年まで遡るほど。現在は、真穴や八協、川上など、各地の生産者をまとめる、9つの共同選果部会(共選)があり、多彩な柑橘類を生産しています。そのほとんどで主力となっているのは今も変わらず、温州みかん。「西宇和みかん」です。

「西宇和みかんは、“じょうのう(果肉の入っている白い膜)”の薄さが一番の特徴」
地元の生産者は皆、誇らしげに言います。

じょうのうが薄い分、果肉の味わいがダイレクトに舌に届き、食べてすぐ、美味しいと感じる。甘さだけでなく、味わいが濃い点も西宇和みかんの魅力で、首都圏を中心に、全国で高く評価されています。

こうした西宇和みかんをブランディングすべく、今年から始まった取り組みのひとつが、「Nマーク」の制定。高く評価される品質まで保証しています。

自然環境を活かした栽培手法を継承することはもちろん、最新の栽培技術にも果敢に挑戦。安心・安全も心掛けてみかんを育ててきました。

Nマークが示すのは生産者の誇り。今後、販売される店頭などでも目にする機会が増えるでしょう。

そんな西宇和みかんで、今、ひとつのプロジェクトが始まろうとしています。

メッセンジャーに、名乗りを上げたのはパティシエールの中村樹里子氏。

名前を聞いて、「KIRIKO NAKAMURA」を思い出す人も多いでしょう。2015年にわずか一年だけ、デザートコースのみを提供した、伝説のレストランです。

現在は、目黒「kabi.」に在籍する彼女が、何と、西宇和みかんを主役にしたデザートコースを創案。期間限定で提供しようというのです。

これは、いわば「KIRIKO NAKAMURA」の復活。

『ONESTORY』では、これから、西宇和みかんをテーマに、生産の現場、西宇和を訪れてクリエイションの手掛かりを得る中村樹里子氏も追いかけながら、ひとつの物語を紡いでいきます。

今後の展開に、ぜひ、ご期待下さい。

『DINING OUT』初の女性シェフが登場。伊勢志摩サミットで世界の首脳陣を魅了した樋口宏江シェフ。[DINING OUT RYUKYU NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

樋口シェフ。控えめでもの静かな表情の奥に、揺るぎない信念が見える。

ダイニングアウト琉球南城ガストロノミー界最注目の女性シェフが、琉球王国の聖地へ。

11月23日(金・祝)、24日(土)に開催される『DINING OUT RYUKYU NANJO with LEXUS』。沖縄・南城市を舞台に繰り広げられる第15回目の『DINING OUT』は史上初の女性料理人となる樋口宏江氏がシェフを務めます。2014年、西日本を代表するクラシックホテルであり多くの食通のファンを持つ『志摩観光ホテル』の総料理長に就任、2016年には『伊勢志摩サミット』でのワーキングディナーを担当。今、日本で最も注目を集める女性シェフのひとりです。その土地ならではの食材で、薫り高きフランス料理を。受け継がれてきた王道を踏まえつつ、軽やかで洗練された“今”が香る料理に。世界中から美食家が訪れるホテルの看板料理を継承し、アップデートし続ける樋口シェフが、沖縄・南城の地での挑戦にかける想いを語ります。

先代料理長が始めたホテル敷地内のハーブ栽培を引き継いだ樋口シェフ。毎日7~8種のハーブを収穫するのが日課。

ダイニングアウト琉球南城何事においても“道一筋”。穏やかな表情の奥にある実直さ、芯の強さを武器に。

静か、動か。料理人をふたつのタイプに分けるとしたら、樋口宏江シェフは間違いなく前者、「静」の料理人です。

料理界は男女の別のない実力主義社会。であるはずながら、日本国内、ことガストロノミーの世界においては、まだまだ男性が主流であることは否めません。そんな中、2008年にフレンチレストラン「ラ・メール」の料理長を任され、2014年からは全館を統括する総料理長に就任した樋口シェフ。輝かしい経歴だけ聞けば、負けん気が強く、男勝りなキャラクターを想像しがちですが、実像は大きく異なります。長身で細身の華奢なルックスで、どちらかといえばもの静か。普段は必要以上に人前に出ることを好まず、エネルギーはすべて自らの目の前の仕事に淡々と注ぎ込む。そんな印象を受けます。

樋口シェフは三重県四日市市の出身。1991年の入社以来27年間、『志摩観光ホテル』一筋に歩んできた稀有な料理人でもあります。

料理人としての第一歩を踏み出さんとしていた20歳の樋口シェフが同ホテルに導かれた経緯とは、そして料理人人生のすべてを捧げるに至った要因とはいかなるものだったのでしょうか。

2008年に開業した『志摩観光ホテル』のザ ベイスイート。美食とあわせ、洗練されたラグジュアリーステイが楽しめるように。

ダイニングアウト琉球南城最高の師と食材に導かれてたどり着いた「この地だからこそ」の味に料理人人生を捧げて。

「今振り返れば、外に出る勇気がなかったのかもしれません。でも、節目を迎えるたびに『まだできていないこと、学ぶべきことがたくさんある』と、思いながら進むうち、気付けばあっという間に時が過ぎてしまっていたんですよね」

謙虚な人柄がにじむ語り口で、樋口シェフは自らのキャリアを振り返ります。しかしながらそこには、四半世紀もの時を捧げることを決定付けた確かなものがありました。素晴らしき師と、食材です。

料理上手な母親の影響で、小学生の頃には、料理人になりたいという夢を抱いていたという樋口シェフ。専門学校を卒業した1990年代、料理界は今より格段に保守的で、女性を調理場に迎え入れてくれる店は少なかったといいます。
「私が入社する前から女性の採用があったのが、今のホテル。働き始めてからも、男女分け隔てなくチャンスを与えてもらえ、私にとってはこの上ない環境でした」

当時の総料理長は、『志摩観光ホテル』を海のオーベルジュとして世に知らしめた高橋忠之シェフ。フランス料理といえば、フランス産の食材を使うことが至高とされた時代、伊勢志摩だからこそできるフランス料理を、とホテルの料理を、ひいては地方レストランのあり方を大きく変えたことで知られています。とびきりの海の幸に火を通して、なお素材以上の味に。「鮑ステーキ」や「伊勢海老クリームスープ」など、今も世代を超えたファンを魅了するホテルの看板料理を生み出したフランス料理界の巨匠の下で、料理を基礎からみっちりと学びました。

「神宮のある伊勢へ、神事の際、海産物を献上する役割を担ってきたのが御食国(みけつくに)と呼ばれる志摩。素晴らしい食材を育む豊かな自然、その地だからこそ生まれた食文化。この場所でしかご体験いただけない食を提供できることは、料理人として大きな喜びです」

樋口シェフのスペシャリテ、「松阪牛フィレ肉 焼きリゾットと鰹のコンソメとともに」。表面をカリッと焼いたもち麦のリゾットの上に、焙煎した伊勢茶で燻製にした松阪牛を載せて。

ダイニングアウト琉球南城世界の舞台へ飛躍し、より地域に根ざす。サミットがもたらした大きな転機。

ローカルガストロノミーという言葉が生まれる遥か前に、伊勢志摩でオーベルジュとして愛されてきた『志摩観光ホテル』。総料理長への就任は、大躍進であると同時に大きなプレッシャーでもあったと話します。

「正直にいえば、喜び以上に不安が大きかった。きちんとできているか、今でも自分に問う毎日です」
言葉は常に控えめな樋口シェフですが、就任2年目で、思いもよらぬ大舞台に立つことになります。2016年5月に開催された伊勢志摩サミットのワーキングディナーを担当。各国首脳から賞賛を得た晩餐は、ホテルの名をさらに広く知らしめ、樋口シェフ自身もまた、世界を舞台に活躍するトップシェフたちと並び賞されるようになりました。その状況について、「大変貴重な経験であり、ありがたいこと」と感謝を述べつつ、自分にとっての一番の収穫は「それまで以上にたくさんの生産者とつながりを持てたこと」だと話します。

「伊勢志摩、ひいては三重の食文化をお伝えするためにはどうすればいいか。食材を一から見直しました。例えば魚なら、それまでも使っていた伊勢志摩や鳥羽のものに加え、尾鷲や紀伊長島などのものも使うように。魚種や季節に応じた選択肢が増え、一期一会の食体験の深度は深められたように感じます」

サミット終了後も、生産者との交流は続きます。料理を通じ、彼らの仕事に光を当て、地域の食文化を発信する姿勢が評価され、2017年には農林水産省の料理人顕彰制度「料理マスターズ」でブロンズ賞を受賞。この受賞もまた、三重県初、女性料理人としても初という快挙となりました。

総料理長就任後も「現場第一主義」。毎日スタッフとともに厨房に立つ。

2016年に開催された伊勢志摩サミット。伊勢海老のクリームスープ カプチーノ仕立てや鮑のポワレ あおさ香る鮑のソースなど、樋口シェフのスペシャリテを含むコースをG7各国首脳が堪能した。(外務省HPより)

ダイニングアウト琉球南城長い年月をかけて磨き上げた「土地の食」へのアプローチを、沖縄・南城を舞台に。

食材を深く知ることで「料理の表現の幅が広がった」と話す樋口シェフ。ホテルの伝統であるクラシックな料理を継承し磨き上げながら、三重という地により光を当て、現代の感覚を活かし、季節感をふんだんに盛り込んだ独創的な料理も注目を集めています。鮑ステーキには焦がしバターのエスプーマを添えて軽やかに。伊勢海老のソテーは、夏ならフルーツとブールブランソースを添えて、冬ならシャンパーニュが香るグラチネに。松阪牛のフィレは、伊勢茶で燻製にし、かつお風味の出汁を加えるという具合。より軽やかに、そしてより深く土地に根ざした料理は、モダンガストロノミーの潮流にも符合します。

「『DINING OUT』をお受けしたのも、『食を通じ、土地の魅力発信する』という考えに共感できたから。沖縄・南城の食文化を掘り下げながら、地域の方々にも驚いて頂けるような料理をご提供したい」。
いつもの通り控えめな言葉にも、熱意と自身の心の躍動が見え隠れします。

樋口シェフは開催に先駆け、視察のため3度、沖縄を訪問しました。琉球王国の伝説や祭事について地元の人に教えを乞い、数多くの生産者を訪問。初めて触れる食材の可能性や、生産現場の人々の真摯な人柄に触れ、「『自分だからこそできる表現は何か』というテーマを、日々突き詰めているところです」と、話します。

料理人人生をひとつの土地に賭けたからこそ得られた、地産の食材や伝統食文化への深い敬意。それらを料理として昇華させるさまざまな手法。沖縄・南城に舞台を移して披露される料理人・樋口宏江シェフの四半世紀の集大成が、『DINING OUT』の歴史に新たな1ページを刻むことになるはずです。

季節ごとに仕立てを変えて提供する伊勢海老の料理。秋から冬にかけては、シャンパーニュが香るオランデーズソースでグラチネに。

鮑ステーキ 焦がしバターのエスプーマ。鮑は大根と一緒に下茹でし、むっちりとした食感に。その煮汁にかつお節をアンフュゼして、焦がしバターのソースを作る。

沖縄を訪問するのは初めてという樋口シェフ。視察時は、生産者を訪問するだけでなく、琉球王国の歴史、風俗などについても学んだ。

沖縄の食材を活かしたチーズづくりをする生産者を訪問。試食する表情も真剣だ。

沖縄の生産者の方々の飾らない人柄、まっすぐな話しぶりに、笑顔を見せる樋口シェフ。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。

パリきっての本格手打ち蕎麦の名店も、あの解脱酒に唸った![加温熟成解脱酒/秋田県秋田市]

色を見て、「普通の日本酒じゃないですね」と笑う櫻井克樹氏。

秋田酒類製造株式会社パリきっての本格蕎麦の名店にも『加温熟成解脱酒』をお届け!

秋田の老舗酒蔵『秋田酒類製造株式会社』が蔵の威信をかけて生み出した、常識外の酒『加温熟成解脱酒』。

熟成中にあえて熱を加えることで、熟成を促進させるこの日本酒は、今まで酒造りではタブーと言われてきた加温という製法を逆手に取り、かつてない味わいを生み出しました。

10年古酒のような味わいながら、短期間の熟成によりフレッシュなニュアンスも併せ持つ、若くて古い、相容れない要素を併せ持つ、不思議な酒なのです。

さらに驚くのは、なんとこの酒、日本を飛び越え、遠くパリで話題になっているというのです。

確かにフランス人3つ星シェフ然り、パリで活躍する日本人シェフ然り、世界最優秀ソムリエまでもが、この酒を高く評価し、我々取材班もその現場に立ち会っておりました。
詳しくは【日本人が知らない日本酒が、今、パリで話題!?】へ

であるならばと、勢いづいてパリの最後に訪れたのは、和食の名店『円・YEN』。日本さながらの本格手打ちそばの名店であり、蕎麦前の料理の数々は、さながら日本で味わう割烹のよう。パリにいながら、日本料理の精神を伝える同店で、『加温熟成解脱酒』の可能性を伺ったのです。

結果やいかに。『加温熟成解脱酒』inパリ。最後のインタビューが始まります!

ソテーしたジロール茸と冷たいお蕎麦に、キリリと冷やした『加温熟成解脱酒』が好相性。

秋田酒類製造株式会社疑るシェフの感想は、貴腐ワインを連想。

「本当のことを言いますと、古酒は得意ではなかったんです。だから正直、言いますと飲んでみて驚きました」

『加温熟成解脱酒』のテイスティングをお願いしていた手打ち蕎麦の名店『円・YEN』を率いる櫻井克樹氏は、そう語り始めます。2000年のオープン以来、北海道産のそば粉を空輸し、常に日本と変わらぬ手打ちそばの品質を提供してきた同店にあって、日本酒は食事とともに寄り添ってきたと言います。

和食はもちろん、日本酒文化をパリに伝える意味でも大切な役割を果たしてきたお店だけに、新たな日本酒との邂逅はどんなインパクトがあったのか、詳しく聞いてみました。

「ソーテルヌの貴腐ワインのような印象もありますし、これ本当にお米で作っているんですよね? うちに置いている日本酒とはぜんぜん違うし、食中でもずっといける、チーズもいける。デザートワインとして食後にデザートと出してもいい。ものすごくフルーティな印象もありますね」

今までに体験したことのない日本酒と『加温熟成解脱酒』を、店主・櫻井さんは称賛してくれたのですが、では店のメニューでは何を合わせるか、即興で考えていただきました。

「これ本当に日本酒? 貴腐ワインでしょ」と櫻井氏。

食材の組み合わせをその場でいろいろ計算し、メモにまとめる櫻井氏。

秋田酒類製造株式会社和の名店の引き出しは流石。旬の食材で3品が登場。

「今の時期の定番、ジロール茸をソテーした冷たい蕎麦はいいと思います。フォアグラの茶碗蒸しも合うな、絶対」

旨みの強いジロール茸を使った蕎麦は、相性がいいはずとメモを取りながら櫻井氏。甘さとコクの相乗効果だったらフォアグラもいいと太鼓判を押してくれました。であるならばセップ茸の天ぷらも合うなと、メモはどんどん細かく広がり、即興でも自信がある模様。

「和食の店ですからね。うちのメニューは出汁や醤油もたくさん使いますし、解脱酒のポテンシャルを引き出せるメニューは多いと思います。でも、これでしたらフレンチにも合いますね」

その後、厨房に『加温熟成解脱酒』は運ばれ厨房スタッフ皆で試飲。結果、セップ茸もフォアグラも、ジロール茸も、納得して提供できると櫻井氏は笑顔に。

セップ茸の天ぷらは、塩で味わい、冷やした解脱酒で一献傾けたい。

フォアグラの茶碗蒸し。茶碗蒸しの下にはトランペット茸が敷き詰められている。

秋田酒類製造株式会社和食でもフレンチでも、可能性は無限大。

「温度帯は冷やしたほうがいいですね。調理場の数名で飲んで、皆がびっくり。こんな日本酒があるんだと、やっぱりお米には思えないです。店でも取扱をさせていただければ嬉しいですし、解脱酒でのペアリングをしたら面白いと思います」

日本では、まだほとんど売られていない日本酒。パリきっての老舗・和食店はそのポテンシャルの可能性にいち早く気づいた模様。フランス料理の名店が取り扱うならば、ぜひうちでもと力強く語ってくれたのです。

パリで密かに話題の『加温熟成解脱酒』、その全貌はこれから逆輸入で日本へ届く日もそう遠くないのかもしれません。


(supported by  秋田酒類製造株式会社)

1階はオープンテラス、2階は落ち着いた佇まいの店内。

住所:〒010-0934 秋田県秋田市川元むつみ町4-12 MAP
電話:018-864-7331
http://www.takashimizu.co.jp/

純度100%の錫で独自の世界を魅せる。[能作/富山県高岡市]

テーブルウェアを中心に、アクセサリー・キャラクター商品・ヘルスケア用品など幅広いジャンルに展開。

能作新たな素材で新時代のものづくりを開拓。

柔らかな艶を帯びた美しい銀色と、触れればなめらかになじむ肌触り。日用品でありながら卓越したデザイン性を誇る『能作』のプロダクトは、金や銀に次いで高価な金属である『錫(すず)』を主に使用しています。酸化しにくく抗菌作用に優れているため、古くは紀元前1500年頃の古代エジプト王朝でも珍重されていました。また、日本にも奈良時代に伝来し、正倉院に宝物として収められています。

その特性によって、「錫の器に入れた水は腐らない」「お酒の雑味が抜けてまろやかな味になる」などと評価され、古くから茶器や酒器などに用いられてきました。

『能作』は高い技術力によって純度100%の錫を使用。他の金属を全く混ぜないため、先述の抗菌作用をはじめとして、熱伝導性が高い、非常に軟らかくて自由自在に曲げられるなどの特性を存分に発揮させています。

そのため、『能作』の器は「ガラスなどと比べて飲み物の味がまろやかになる!」と評判。例えば、ワインなら安いワインや若いワインでも年を重ねたように感じられる、酸味の強いオレンジジュースならえぐみがとれて甘さが増すなどの感想が寄せられているそうです。また、造形の妙も楽しめる花器は、抗菌作用の高さによって雑菌が繁殖しにくいため、花や植物が長持ちします。

売れ筋商品のビアカップは、鋳込む際にできる梨地調の少しザラザラとした鋳肌により、ビールのまろやかな泡立ちを生み出すと評判。また、熱伝導性が高いため、よりクールでスッキリとした飲み心地になる。

錫の他にも真鍮や青銅などによる個性的なプロダクトを展開。真鍮製品の仕上げの様子。

ブレイクのきっかけとなった『風鈴 スリム』。造形の美しさと澄み切った音色が楽しめる。

能作歴史を糧に新たな境地へ。

そんな独自のものづくりを誇る『能作』ですが、かつては地元・高岡市の伝統産業として発展した仏具のメーカーでした。それが大胆な転換を果たしたのは、2001年に誘われて開催した、東京・原宿での展示会だったそうです。

もともと『能作』が得意としていた真鍮(しんちゅう)製の仏具や茶道具、花器などを出展しましたが、新たな挑戦としてベル(呼び鈴)も製作。これが大評判となって、東京のセレクトショップで取り扱われるようになったのです。

更にバイヤーのアドバイスを受けて風鈴にしてみたところ、これが大ヒット。そして「食器も作ってもらえませんか」と頼まれましたが、食品衛生法の問題で、当時メインとしていた真鍮は食器にできませんでした。そこで錫で作ってみたところ、これまた評判に。その錫の食器がきっかけとなって、錫製品をメインに製造するようになったのです。

溶かした金属を型に流し込み、冷やして目的の形状にする「鋳造(ちゅうぞう)」。それによって生まれる「鋳物(いもの)」を独自の技術力で極める。

錫の柔軟性を生かした、自由自在に曲げられる『KAGO』。デザイン・機能性の両方に優れた製品が魅力。

能作伝統を重んじながらも時代に即したエッセンスを。

他の金属とは違う、錫の特性を生かした独自のものづくり。それとともに評価されているのが、際立ったデザイン性です。購入した人からは、「とにかくデザインが良くて形が綺麗!」という声が寄せられているそうです。更に軟らかく曲げられる性質など、いくつもの驚きや感動が秘められています。

そんな『能作』の製品は、一つひとつ生型鋳造(なまがたちゅうぞう)法で作られています。これは『能作』が本社を置く富山県高岡市に400年にわたって伝えられてきた技術。砂を利用して、職人が手作業で型を作ります。

製品と同じ形状の木型をもとに、少量の水分と粘土を混ぜた砂を押し固めて成型していきます。鋳型が早く作れるだけでなく、コスト面でも優れた製法。他にもシリコーン鋳造法などの技術や素材を使い分け、多品種少量生産の体制を確立しています。

鋳造前に鋳型を焼成したり、薬品処理をしないため、「生型鋳造法」と呼ばれる。本社エントランスにある美術館のような木型倉庫には多種多様な型が並ぶ。 

工場には、見学者が一目で分かるようにサインを設置。照明も明るく、気持ちの良い空間となっている。

錫100%の『KAGO』は収納時には平たく、使用時は端を曲げて深さを持たせるなどして、フレキシブルに使える。

能作高度な技術と丁寧な仕上げによる凛としたたたずまいが、海外でも高く評価。

こうして独自の世界を構築するにいたった『能作』のプロダクトは、海外でも高く評価されています。

錫の特性と「高岡銅器」の技術を生かした自由自在に曲がる器『KAGO(カゴ)』は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やニューヨークのソーホー地区のショップ、タイの伊勢丹バンコクなどで販売。更にフランスのデザイナーのシルビー・アマール氏とコラボレーションした、ホテルやレストラン向けのシリーズ『シルビー・アマール・スタジオコレクション』をリリースするなど、デザイナーやブランドとも積極的に提携。高まる海外人気に合わせて販路も広げています。

本社にあるファクトリーショップはハイセンスなたたずまい。ここでしか購入できない限定品も並ぶ。

錫製品の仕上げの様子。高い技術力とオリジナリティが、金属製品の本場である欧州でも認められた。

能作「より能(よ)い鋳物を、より能(よ)く作る。」

1916年(大正5年)に創業し、1967年(昭和42年)に設立という長い歴史を重ねながらも、その研鑽を怠らない姿勢は健在。創業以来のプロダクトである仏具・茶道具・花器に加えて、近年はテーブルウェアからインテリア雑貨、照明器具、建築金物まで手がけるようになりました。

国内でも多くの百貨店や企業、セレクトショップなどとコラボレーションしており、日本橋三越、銀座松屋など全国各地に直営店を設けています。更に近年は、錫の抗菌作用を生かして医療機器・ヘルスケア用品にまで幅を広げています。

変形に伴う痛みや腫れのある指の第一関節に装着して、安静を保つことができる『ヘバーデンリング』。錫の“曲がる”特性を生かした。

能作の多種多様なプロダクトは、そのどれもが日常の中で特別な存在感を放つ。秋の新製品の『干支ぐい呑 亥』。

能作続々と登場する新製品にも注目。

今後も「高岡銅器」の伝統技術を守り伝えながら、アート作品としての価値も加え、日本のものづくりと「高岡銅器」を世界にPRしていくそうです。

そのたゆまぬ挑戦の流れとして、2018年の秋には新商品を立て続けに発売。毎年シリーズで発売している干支のぐい呑や、錫のペンダントトップにアロマオイルをたらし、香りも見た目も華やかに装えるアロマペンダントなど、既存製品の人気に安住せず、常に新たなプロダクトに取り組んでいます。

また、こうしたものづくりの現場を紹介する『産業観光』にも注力。本社工場にて製作体験や工場見学を行っており、年間10万人以上もの人を受け入れています。『能作』と「高岡銅器」のものづくりを間近で見てもらい、その背景を伝えていきたい――そんな想いによって実施しています。

こうして『能作』は、仏具メーカーからアート作品のような日用品、更には医療機器にまで展開する革新的なものづくりメーカーへと転換しました。

『能作』の現在のモットーは、「より能(よ)い鋳物を、より能(よ)く作る」。これからも技術と素材を最大限に生かすデザインを探求して、地域に誇れるものづくりを目指していくそうです。

本社にある「NOUSAKU LAB」での製作体験の様子。高岡銅器の伝統技法を用いた錫製品の製作を体験できる。

加賀藩の時代から続く「高岡銅器」を今と未来に伝える。

住所:富山県高岡市オフィスパーク8-1 MAP
電話:0766-63-5080(代表)
   0766-63-0001(見学・体験等問合せ)
営業時間:10:00~18:00
休日:年末年始(工場見学は、日・祝日休業。土曜は月により変更有。)
能作 HP:http://www.nousaku.co.jp/
写真提供:株式会社 能作

『DINING OUT』のスピンオフ企画第一弾商品となるXO醤がついに完成。[LOCAL MEISTER PROJECT/大分県国東市]

XO醤を第一弾商品とする『LOCAL MEISTER PROJECT』は、『DINING OUT』と『YEBISU MEISTER』の共同プロジェクト。

ローカルマイスタープロジェクト『DINING OUT KUNISAKI』で供された逸品が家庭で楽しめる。

2018年5月26日、27日の両日、ゲストたちから贈られた賞賛の声とともに幕を閉じた『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』。舞台となった国東半島は日本のひとつの宗教観である神仏習合の考え方が生まれた地とされ、同地にある寺院群を総称して「六郷満山(ろくごうまんざん)」と呼んでいます。2018年は「六郷満山」開山1300年の節目の年で、その六郷満山文化随一の歴史を持つ古刹・文殊仙寺が会場に選ばれたこともゲストを驚かせました。

そんな特別な二夜を素晴らしい料理で演出したのが、「和魂漢才」をテーマに日本食材と中華料理の融合を追求する南麻布『茶禅華』の川田智也シェフ。

国東市で育てられた桜王豚や、国東半島沖で水揚げされる三島フグなどを使った料理が供されるなか、メインの食材に選ばれたのは「おおいた冠地どり」。もも肉、胸肉、手羽先と異なる部位を異なる調理法で提供する、川田シェフらしい料理が並び、そのシメを飾った麺料理に添えられていたのが、今回ご紹介するXO醤の原型となった逸品だったのです。

2018年5月末に行われた『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』。その裏側で並行して進められていたのが今回のプロジェクト。

「茶禅華」の川田智也シェフが掲げる「和魂漢才」のテーマと、国東に古くから伝わる「神仏習合」が混淆し、この日限りの究極のフルコースが出来上がった。

国東の歴史文化や風土、そして食材が全て一皿に表現された料理に、参加者も舌鼓をうった。

「おおいた冠地鶏」を余すことなく使い、鶏ガラだけの澄んだスープをとってシンプルな麺と合わせた。添えられたXO醤が商品の原型となった。

ローカルマイスタープロジェクト自ら生産者の元へ足を運び、見つけた最高の食材。それをどうレトルト加工するか。

実は今回の『DINING OUT KUNISAKI』開催に至る裏側では、『DINING OUT』と、そのオフィシャルビールである『YEBISU MEISTER』が一緒に立ち上げたプロジェクト『LOCAL MEISTER PROJECT』が着々と進行していました。『DINING OUT』食材調達チームリーダーであり、フードキュレーターの宮内隼人が探しだした、その土地を知り尽くす生産者「地域のMEISTER(匠)」の力を借りながら、地場の食材をふんだんに使ったビールに合う究極のおつまみを創り上げるというプロジェクト。これは『DINING OUT』としても新しい試みでした。

使われたのは宇佐市長洲漁港にある「上野水産」のカチエビ、国東市の「TAG−KNIGHT」の鹿肉、「ゆふいん牧場」で作られている桜王豚のジャーキーなど、国東半島と縁のある食材がメイン。宮内はすべての生産者の元を訪れ、その食材の歴史や背景に流れるストーリーまで汲み取り、今回の商品化に挑みました。
『LOCAL MEISTER PROJECT』前編
『LOCAL MEISTER PROJECT』後編

宮内は「最高の食材を手に入れるルートは早い段階で探し出しましたが、それを『LOCAL MEISTER PROJECT』ならではと胸を張れるクオリティを維持しつつ商品化するのに大変苦労しました」と話します。

「TAG−KNIGHT」代表の田口幸子氏と鹿肉について話す宮内。田口氏が通常製造しているのはペット用の鹿肉ジャーキーなので、本プロジェクトでは生肉を仕入れ、乾燥させる行程を川田シェフが担当した。

実際に加工場を訪れた際には、宮内は「上野水産」の代表・上野幸一氏にさまざまな質問をぶつけていた。

今回のXO醤開発で風味や味わいを大きく左右したのが「上野水産」のカチエビ。「干し貝柱と同じくらい、風味や食感を残すために試行錯誤を要しました」と宮内は話す。

ローカルマイスタープロジェクトトップシェフとフードキュレーターのこだわりを小さな缶詰メーカーが真摯に表現。

「レストランだと各食材の香りや食感などを大切にしながら火を入れて、すぐにお客様にご提供できるのですが、完全に滅菌する必要があるレトルト加工の場合、完璧に仕上げたXO醤を瓶詰めし、さらに120℃の熱を8分間与え続けなければならない。私も川田シェフもその行程で各食材の香り、風味、食感が損なわれるのではないかという心配をしていましたが、やはりその懸念は的中しました」と宮内は振り返ります。

そこで、料理人としての考え方を一旦捨て、120℃の加熱時間を鑑みて、すべての食材を生のまま瓶詰めしたり、食材によっては少し火入れしたりと、試行錯誤を繰り返したといいます。結果、『DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』で供されたXO醤と遜色ない品が完成するのですが、そこには川田シェフはもちろん、製品化に協力してくれた缶詰開発のメーカー、株式会社カンブライトの力が大きかったと宮内は話します。

「国東半島に縁のある食材自体のクオリティが高いことに助けられた点はもちろんですが、開発にあたり尽力してくれたカンブライトの皆さんの力も大きいです。川田シェフが料理を作る上で大切にしているそれぞれの食材が持つ食感を最大限引き出せるよう、すべての食材を手切りで加工してもらったり、『YEBISU MEISTER』の深いコクとが損なわれないように、絶妙な味付けをする為に繰り返した試作など、だいぶ無茶を言いましたね。」と宮内。

厳選した食材、それを活かすための加工における手間ひま、そしてトップシェフの知見と技。これらが合わさることでついに完成した、『YEBISU MEISTER』に合う究極のおつまみ『DINING OUT KUNISAKI XO醤』。11月3日より東京・恵比寿にある『ヱビスビール記念館』にて数量限定で販売致します。また11月16日、17日、18日の3日間限定で、「ヱビス マイスター プレミアムナイトツアー」を開催。『DINING OUT KUNISAKI XO醤』に合わせたオリジナルプレートと『YEBISU MEISTER』をその場でお愉しみ頂いた上で、終了後には、お土産として『DINING OUT KUNISAKI XO醤』を特別に1瓶プレゼント。参加人数に限りがありますので、ご予約はお早めに。

1瓶に大分国東の魅力をふんだんに詰め込んだ『DINING OUT KUNISAKI XO醤』を、この機会に是非ご賞味ください。


(supported by YEBISU MEISTER

各食材の食感や風味がそれぞれ主張しながらも、まとまりのある味わいに。大豆油で煮ているが、レトルト加工品特有のしつこさは一切なく、上品な味わい。“醤”というより、これ一つで料理として完結しているクオリティだ。

住所:東京都渋谷区恵比寿4丁目20−1 恵比寿ガーデンプレイス
電話:03-5423-7255
開催日:2018年11月16日(金)、17日(土)、18日(日)
開催時間:17:50~18:40(所要時間 50分)
参加人数:各回16名限定
http://www.sapporobeer.jp/brewery/y_museum/event/20181029_1/index.html

1982年栃木県生まれ。東京調理師専門学校卒。物心ついた頃から麻婆豆腐等の四川料理が好きで、幼稚園を卒園する頃には既に料理人になる夢を抱く。2000年~2010年麻布長江にて基礎となる技術を身につけ、2008年には副料理長を務める。その後日本食材を活かす技術を学ぶべく「日本料理龍吟」に入社。2011年~2013年の間研鑚を積んだ後、台湾の「祥雲龍吟」の立ち上げに参加、副料理長に就任し2016年に帰国。中国料理の大胆さに、日本料理の滋味や繊細さの表現が加わった独自の技術を習得する。2017年2月「茶禅華」オープン。わずか9カ月でミシュランガイド2つ星を獲得すると言う快挙を成し遂げる。和魂漢才という思想の元、日本の食材を活かした料理の本質を追求し続けている。

http://sazenka.com/

1977年東京都生まれ。18歳の時、海外経験のために訪れたカナダの日本料理店でのアルバイトで料理に目覚める。半年後帰国し、居酒屋で働きながら調理師免許を取得。系列のフランス料理店に異動。その後都内のカフェで働いた後、2001年から3年間「ラ・ビュット・ボワゼ」で本格的なフランス料理に触れる。株式会社HUGEの「ダズル」の立ち上げを手伝うなどした後に、2010年「HAJIME」に入り、5年半の経験を積む。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2015年より現職。 

さまざまな立場から『DINING OUT』に関わった6名が語る、開催の収穫と未来への課題。[DINING OUT TOTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]

廃校になった小学校を再利用したスペース『隼ラボ』にて、今回のミーティングは実施された。左から、レクサス プロジェクト・ゼネラル・マネージャー:沖野和雄氏、『Discover Japan』統括編集長:高橋俊宏氏、八頭町『大江ノ郷自然牧場』代表:小原利一郎氏、八頭町『株式会社トリクミ』代表取締役社長CEO:古田琢也氏、東洋文化研究家・作家:アレックス・カー氏、『DINING OUT』総合プロデューサー大類知樹。

ダイニングアウト鳥取・八頭熱気冷めやらぬ晩餐の翌日、キーマンたちが集合。

2018年9月に開催された『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』。降りしきる雨のなかの晩餐は、大自然のエネルギーの享受、会場の一体感など、思わぬ成果とともに幕を下ろしました。終演の翌日、開催を間近で見つめた6名が一堂に会し、ミーティングを行いました。

スタッフとして、ゲストとして、プロデューサーとして。さまざまな立場から関わったキーマンたちが語り合う、『DINING OUT』の今とこれから。その話からは、今後に向けた新たな課題も見えてきました。

激しい雨のなかで行われた『DINING OUT』は、思わぬ成果をもたらした。

ダイニングアウト鳥取・八頭史上もっとも過酷だった環境を乗り越えた現場力。

大類 終わってみてまず思うのは、とにかく大変だったということ。2回やったくらいの感覚があります。理由はやはり雨。『DINING OUT』はやりながら修正を加えていくので、当然ながら後半の方がクオリティが上がります。しかし、今回は毎日がはじめてのシチュエーションで、それが通用しませんでした。個々のスタッフが現場で判断しなくてはならないことも多かったはず。それをここまでやりきったことこそが、今回の一番の収穫だと思います。いわば現場力ですね。

沖野 私も『DINING OUT』史上もっとも大変だった回という印象です。しかし同時に、抗いがたい自然を前に毎回まったく違うものになるというのは『DINING OUT』の魅力でもあると思います。

アレックス 自然に対して人間は無力で、受け入れることしかできませんからね。それをどう解釈するかということが大切なのでしょうね。

沖野 日本は太古の昔からさまざまな災害にさらされてきましたから、日本人の心のなかに、大変なことも楽しんでしまおう、という部分があるのかもしれませんね。

大類 予想外というのはお客さんにとっては贅沢なこと。予定調和では面白くありませんから。いくら緻密に計算をしても、毎回それを上回る予想外が起きる。自然の力で想定と違うものになっていく。きっとこれが、『DINING OUT』の本質なんです。

高橋 大類さんの話を伺っていると、いままで13回やられてきてある意味で慣れてきたところで、原点回帰という意味合いもあったのかな、と。

大類 立ち上げた頃のことを思い出しましたよ。しかし今回は現場に助けられた部分が大きかったです。刻々と状況が変わる中で、各スタッフが判断を下さなくてはならない。そういう『DINING OUT』だったと思います。もちろん、そこには八頭という場所の魅力も欠かせない要素でした。

小原 実を言うと八頭を選んで頂いたとき「観光資源がないけれどどうしよう」という気持ちがありました。僕らは日頃、この何もなさ、なんでもない風景こそを武器にしているのですが、いざ『DINING OUT』というステージになったときに、どういう魅力を伝えられるだろう、と。最終的に決めた会場(清徳寺)を見たときは「ああ、この手があったか!」という気持ちでした。

アレックス 過去の『DINING OUT』の開催地にはすべて観光資源があり、知名度もありました。ここにはそれがなかった。僕も来るまで八頭という名前は聞いたことがなかった。お客さんの多くもそうでしょうね。そしてこれが本来の『DINING OUT』だと思います。日本の素朴な、素直な田舎。世界遺産とか文化財ではなく、純粋な日本の田舎を発信する。今回はそこにたどり着いたわけです。

古田 たとえば麒麟獅子舞なんて、32年生きてきてかっこいいと思ったことはありませんでした。それが昨日、メンバー全員が麒麟獅子舞の話でもちきりでしたからね。これってすごいこと、再発見です。自分たちではできなかったことが、ストーリーとか文脈をしっかり拾って紡ぐことで、ここまで変わるのかと。

小原 そうですね。『DINING OUT』って、食事をきれいに出すイベントだと思っていました。実際に体験してみると、良かったのは人の部分。個人の成長や横の繋がり、それが大きかったと思います。また同じようなイベントをしたいという声がすでに出てきています。

沖野 そういう人材育成の面、地元の方に発見があり、次に繋げようという意欲が湧く。そういう点こそ我々が共感し、協力している部分です。地域を元気にして、車文化を活性化したい。それは一回のイベントで達成できることではない。永続的に続くようなことを通してできること。これを機会に、おもしろいことを発掘していただけることこそが大切です。

現地スタッフの判断力、行動力が、今回の成功の原動力であると、6名の意見が一致した。

演出の方法で、地元住民をも感動させた麒麟獅子舞。

ダイニングアウト鳥取・八頭変わることない原風景こそが、地方活性の原動力。

高橋 僕は岡山出身で、子供の頃に八頭に来たこともあります。今回久しぶりに訪れてみて、まったく変わっていない風景に驚きました。原風景、記憶にある景色のままで。そんな中に他の地域と比較しても群を抜いてイノベーティブな2つの施設ができていました。その運営をされている小原さんと古田さんから見た八頭の魅力はなんでしょうか。

小原 山があって、自然があって、水も空気もきれい。それが僕たちの強み。その根本の部分はいまも変わっていません。その自然を知って来てみたいというお客様のために八頭の新鮮な食材を楽しめる『大江ノ郷自然牧場』を作りました。現在では県内外から年間30万人のお客様にいらっしゃって頂いております。

古田 僕も、あえてなにかをつくるの ではなく、いまあるものを活用すること、残すことを考え、空き古民家をリ ノベーションしたゲストハウス『BASE8823』や官民連携で、廃校を利用したシェアスペース『隼ラボ』を立ち上げました。シェアオフィスでは I ターン、U ターン者のスタートアップのサポートなどもしており、現在12社 が入っています。毎週、地元の主婦や大学生がイベントを企画し、たくさんの人に活用いただいています。

小原 たとえば県外からいらしたお客さんに「山がきれいですね」と言われて、僕らははじめてこの山がきれいなことに気づくんです。いつも当たり前に目にしていたものですから。だから何もない自然といいましたが、それこそが僕たちの強みだと気づきました。

大類 あえて何かを付け足すこともなく、自然な流れだったわけですね。

小原 そうですね。あるべき姿のままでいたらお客さんに喜ばれたということでしょうね。

高橋 そこにしかないものを発信するということですね。

アレックス まさにそこです。何かを上から被せて隠してしまうのではなく、昔からあるものを、そのままの姿で見せる。それでお客さんが来て、「こういうものがあればいいな」という声が出れば、それに応える。地域はそうやって発展していきます。自然のまま、だから強い。

大類 実体のあるものを軸にすることが大切ですね。実体そのものを作ろうとすると、空洞になってしまう。

沖野 以前アレックスさんに教わった、茶道の見立てという言葉。なんでもない日常にも、見立てることで新たな発見がある。特別なものがないからこそ、そこにその人なりの発見がある。これこそがラグジュアリーです。そしてそういう体験をご提供したいというのが、『DINING OUT』と『LEXUS』の共通の思いです。

高橋 私は北欧を何度も訪れたのですが、たとえばデンマークという国はおいしい料理がないイメージでした。ところが「NOMA」というレストランができて、それがガラリと変わりました。たった一軒のレストランができて、国のイメージまで変わってしまった。現在あるものに独自の解釈を加えてブランド化していくわけです。

大類 そう考えると知られざる田舎ほどポテンシャルがありそうですね。

高橋 そうなんです。知られてない方が良い。知られてなくても、そこにしかないものは必ずありますから。

沖野 収穫量が少ないとか、足が早いとかで東京に送れないものも多いですからね。

大類 東京に出せないということが価値になりますね。

沖野 食材だけでなく、麒麟獅子舞のような文化もそうですよね。

高橋 ああいうものも、演出の仕方ひとつでブランドになります。伝統芸能や文化がどうやって生まれ、どう伝わってきたか、というストーリーも含めて。

古田 麒麟獅子舞は江戸時代に蚊帳をまとって無病息災、豊穣を祈願したことが起源みたいですね。

“何もないこと”を魅力として発信できた点も今回の大きな収穫。

官民連携で立ち上げた、廃校を利用したシェアスペース『隼ラボ』。

小原氏が立ち上げた「大江ノ郷自然牧場」は、県外からも観光客の訪れる八頭の名所。

料理もサービスも協賛企業も、すべてが一流であることが、地方活性の起爆剤となる。

ダイニングアウト鳥取・八頭求められるのは、東京を経由せず地方を起点とした情報発信。

高橋 そんな八頭の魅力も含めて、今回は本当にさまざまな要素のある『DINING OUT』でしたね。

大類 そうですね。「凱旋DINING OUT」というのも大きかったと思います。鳥取で育った徳吉洋二という才能が、世界に羽ばたいて鳥取に戻ってきた。今回の徳吉シェフは、思い入れがすごかった。それでいて、やっぱり地元感もあった。これは『DINING OUT』の根幹たる“地元にプライドを持つ”ということに繋がります。『DINING OUT』の本質が、“凱旋”ということに詰まっていたと思います。

高橋 肩肘張らずに、良い意味で力が抜けている感じでしたからね。顔を見ていると、徳吉さん自身が楽しんでいることが伝わってきました。

小原 ローカルデーも良かったですね。生産者さんにとっても、自分の作った野菜がこんなに素晴らしい料理になる、というのは大きなモチベーションになったはずです。

古田 あとはやはり、天候の話とスタッフの経験ですね。自分も飲食の仕事をしているなかで、改めてサービスの可能性を感じました。参加したスタッフのひとりは「料理を運んで人を喜ばせるなかで、できることは無限大なんですね」と言っていました。それは素晴らしい発見です。最初に声がかかったときに、準備的な部分だけ手伝って運営などは別だと思っていました。それがここまで深く関われて、自分の判断でさまざまなことが動いていった。これは代えがたい経験です。今後、毎回『DINING OUT』にスタッフを送り込みたいくらいです。普通に社員研修をするよりずっと勉強になるでしょうから。

高橋 僕は『DINING OUT』が、料理イベントではないと思っています。チームワーク、一体感、一致団結を通して、地域にイノベーションを起こすイベント。それが確実に上がっているな、と感じた回でした。

大類 13回もやっていると、否が応でもノウハウが蓄積される。すると、やはりどこかで予定調和が生まれてしまう。今回はそれが崩れ、期せずして本質に戻ったわけです。真剣勝負で、なんとか乗り切ることが、結果お客さんの感動に繋がる。それがわかったことが、今回の収穫です。日本を面白くするというのは、もう地域からしか不可能です。いろいろな地域からイノベーションが生まれ、結果として中央を変えていく。そういう点に『DINING OUT』が機能できたらうれしいですね。今後は、海外向けにチケットを売るのも考えます。東京を経由せずに、地域をダイレクトに世界に発信していくプランもある。そういうことも考えたときに、このタイミングで八頭でやれたことはよかったし、自分としても勉強になりました。

徳吉洋二シェフが生まれ故郷に戻って行った「凱旋ダイニングアウト」という側面も大きなポイント。

シェフの知人も多く駆けつけた地元向けのローカルデー。会場内を歩くシェフと会話も弾んだ。

『DINING OUT』の成功はスタッフの誇りとなり、スタッフ間の交流も生んだ。

1989年、トヨタ自動車入社。商品企画部にてスポーツカー『TOYOTA86』の企画を担当。2012年より現職 。デザインやアート、レクサス関連をはじめ多数のイベントに携わる。

1999年、エイ出版に入社。建築、インテリア、デザイン系など幅広いジャンルの出版を手がける。2009年に日本の魅力の再発見をテーマにした『Discover Japan』誌を創刊。

1965年生まれ。八頭町の養鶏農家に生まれ、その知見をもとに、94年に大江ノ郷自然牧場を創業。ダイニングアウトでは食材紹介や行政と民間の橋渡しなど多方面で活躍。

1986年生まれ。東京で働きつつ、2014年、幼馴染とともに八頭にカフェをオープン。東京と八頭を行き来しつつ、八頭の発展を目指す。今回はスタッフ調整などに尽力。

1984年に初来日。イェール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。77年から京都府亀岡市に在住。現在は全国各地で地域創生のコンサルティングを行う。

1993年博報堂入社。2012年に新事業としてダイニングアウトをスタート。16年4月に設立された、地域の価値創造を実現する会社『ONESTORY』の代表取締役社長。

フランス料理と解脱酒のマリアージュを日本人シェフによる即興で。[秋田酒類製造株式会社/秋田県秋田市]

伊藤良明氏と関根 拓氏、パリを代表する日本人シェフの元へ「加熱熟成解脱酒」を持参。

秋田酒類製造株式会社パリで活躍するふたりの日本人シェフにも試飲を依頼。

加温熟成という新たな製法で、短期間で古酒のような熟成を促すのが、秋田の大手酒蔵『秋田酒類製造株式会社』が生み出した『加熱熟成解脱酒』というお酒。日本国内でも日本酒離れが深刻化している現状の中、起死回生とも言えるこの不思議な日本酒が、なんと今、パリで話題になっているのです。

10年ものの長期熟成酒のようなニュアンスを感じさせ、かつアルコール度数は12.5%と低め。酸が立ち、すっきりとキレもよし。例えばそれは、ジュラ地方で生産されるヴァン・ジョーヌのようでもあり、エロティシズムを感じさせる貴腐ワインのようでもある。そんな日本酒という概念だけでは、収まりきらない日本酒が、パリで密かにグルマンをざわつかせているというのです。

実際、3つ星シェフのヤニック・アレノ氏も、世界最優秀ソムリエの栄冠に輝いたフィリップ・フォールブラック氏も、確かにこの日本酒は今までにないと高評価、賛辞を与えてくれました。

ですが、それだけでは物足りず、ONESTORY取材班は、パリで活躍するふたりの日本人シェフの元へ。日本酒のことは日本人に聞けとばかりに、今最も勢いに乗るフランス料理の旗手に、『加熱熟成解脱酒』を届けたのです。

ひとりは、『ラルケスト』の伊藤良明氏。2017年2月のオープンながら、わずか5ヶ月でミシュラン1つ星を獲得。史上最短の星付き店という称号とともに、フランスガストロノミー界を縦横無尽に、駆け抜ける伊藤氏は、素材重視を徹底。生産者の元を訪れ、その想いまで皿の上で表現する料理で、一躍パリっ子たちの心を射抜いている、日本人シェフです。

さらにもうひとりは、『デルス』の関根拓氏。世界的料理イベント「Omnivore 2015」で最優秀賞、またフランスで最も信頼を集めるグルメガイド『Fooding』では、2016年、その年に1店しか選ばれないベストレストランに選ばれ、米ニューヨーク・タイムズ紙をはじめ、世界のメディアも高く評価。パリでの地位を確立しています。そう、世界中の食通たちが続々と『デルス』を訪れているのです。さらに関根氏と言えば、語学堪能で、早稲田大学出身のインテリジェンスな一面も。料理も今までのフランス料理とは?日本料理とは?といった、既成概念を軽々と飛び越えた、オリジナリティに溢れているのです。

そんな一癖も二癖もある、パリで活躍するおふたりに、同じく個性的な『加熱熟成解脱酒』は、どう思われるのか? 黄金色に輝く純米吟醸酒はどう映るのか? そんなドキドキの試飲をお願いしたく、在パリ中、店を突撃してみたのです。

牡蠣と仔牛のタルタルを合わせた冷たい前菜。なんと解脱酒の試飲30秒でひらめいたという逸品。

秋田酒類製造株式会社前菜とデセール、異なる解釈で2品を即興調理。

「普通の日本酒とはだいぶ違いますね。おっ、もう浮かんでしまったので準備してもいいでしょうか?」
ものの30秒。蓋を空け、ワイングラスに『加温熟成解脱酒』を注いだかと思えば、すぐ様テイスティング。なんと上記のコメントまでに要した時間は約30秒。

最初に訪れたのは伊藤良明氏の『ラルケスト』。2017年、オープンよりわずか半年でミシュラン・ガイド一つ星を取得し、今最も勢いに乗るシェフの元を訪れました。そして挨拶もそこそこに、いきなりの冒頭30秒のやり取りに。

別日で訪れた日本人シェフのお店では率直に、その可能性について伺ってみました。さらにそこでONESTORY取材班が、お題にしたのは少々無理難題とも言える即興での料理製作。今までの日本酒とは明らかに違う、テイスト、ニュアンス、余韻を持つ『加温熟成解脱酒』を、どうシェフたちが理解し、表現するのかを我々も知りたくなったのです。

「面白い酒だな〜。深みのある余韻が、ちょっと他とは違いますね。ただし、あっさりもしている。濾過した感じもキレイに出ています。ワインでいうと古酒に近い。長期熟成したような深みもある」
そう言って伊藤氏は、今度はじっくりとテイスティングを楽しみます。

「デザートもやってみていいですか? 違う角度から2種類作ってみたくなりました」
笑顔とともに地下の厨房へと降りていく伊藤氏。果たしてどんな2品が登場するのか、我々取材班は、期待を胸にしばし待つことに。

地下の厨房で調理に取り掛かる伊藤氏。頭の中のイメージを迷いなく皿に落とし込んでいく。

小ぶりの牡蠣をシェリービネガーのジュレで味付け。牡蠣のカット法にも独自のこだわりが。

香りを味わい、ものの30秒で最初の一皿のイメージは固まったという。

秋田酒類製造株式会社食材の滋味を引き立てる、解脱酒の可能性を示唆。

最初に供された皿は冷たい前菜でした。

「真っ先に浮かんだのは、ヨードの弱いクリーミーな牡蠣と合わせてみたいというイメージなんです」
ミネラル分があまり強くは主張しない牡蠣を選ぶことが重要で、伊藤氏が選んだのはノルマンディーのジャン・ポール氏が養殖している優しい味わいの牡蠣だと言います。それを蒸し焼きにして、カツオとアゴで取った出汁を少し入れた30年熟成のシェリービネガーのジュレでまとめると、解脱酒の酸味と見事に溶け合うバランスのよさ。さらに淡白な仔牛のタルタルがのせられ、ミルキーな味わいを一層クリーミーにまとめてしまうのです。
「うん、やっぱりいい感じだ」と笑う氏。30秒で思いついたとは思えない、見事なマリアージュがそこに現出したのです。

さらにはデセール。
「通常はほうじ茶のソルベを使うのですが。解脱酒には深みのあるカカオのニュアンスが合うかな。それと旬の栗ですね」

カカオ豆の中心にある核の部分・カカオニブを冷たい牛乳に一昼夜漬けて旨みと香りだけを残した牛乳を使ったソルベ。その上にモンブランの要領で栗のクリームをあしらい、仕上げにヘーゼルナッツをたっぷりと。
「うわ〜、これ合うな〜。自分で作ってびっくり。前菜よりこっちがドンピシャですね」

まるでパズルが解けた子供のように笑う伊藤氏。相棒であるシェフソムリエのヴェルディエール氏と、何やら相談。なんと解脱酒のポテンシャルをすぐさま認め、店で扱えないかと提案してくれたのです。
「生産者の思いまで料理に反映するのが、自分の料理。そういった食材のストーリーに負けない日本酒を探していたんです」

今なお生産者の元を訪れ、想いの詰まった食材を探し出し、それらの持ち味をシンプルに伝えるのが伊藤氏の真骨頂。この店で解脱酒が、これからどんな化学反応を魅せるのか、季節ごとに訪れる楽しみが追加されたのです。

シェフいわく思った以上の相性の良さ。「だからマリアージュは面白いんです」と伊藤氏。

シェフソムリエのヴェルディエール氏(左)は昨年、パリでの物産展で『加温熟成解脱酒』を試飲済み。注目していたそう。

20席の小さな店で独自の世界観を楽しませる実力店。

秋田酒類製造株式会社取材はできずとも、解脱酒へのコメントは寄せられた。

さらにもうひとり、我々がぜひ解脱酒を飲んで欲しいと熱望したシェフがいます。『デルス』の関根拓氏がその人です。『ベージュ アラン・デュカス 東京』の立ち上げスタッフとして3年半、渡仏後はパリ『アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ』で研鑽を重ね、二つ星『エレン・ダローズ』ではスーシェフに。さらにはパリやアメリカを経て、世界旅行も経験の後、2014年パリ12区に『デルス』をオープン。自らの舌で世界を感じた関根氏が、解脱酒をどう評するのか、怖いもの見たさもありつつ、取材のオファーを申し込んだのです。
しかし、取材当日、アクシデントが発生し、関根氏の取材の約束は叶わぬ夢に。諦めきれなかった取材班は、店に解脱酒のみを預けることになったのです。

後日、関根氏より撮影のOKと、解脱酒へのコメントが寄せられました。
「残糖の中にも程よい酸が感じられ、最後はアプリコットや白干し葡萄のようなニュアンスすら感じられます。熱によって米のフレッシュさこそ感じられないものの、落ち着いた複雑味と絶妙な枯れ具合であると思います」

関根氏が感じた解脱酒と、料理とのマリアージュこそ叶いませんでしたが、解脱酒は確かにパリで活躍する二人の日本人シェフの元へと届き、フランス料理との可能性を示してくれました。

世界を見据えて戦うシェフ同様に、『加温熟成解脱酒』は酒の歴史に、新たな可能性のページを開いてくれるのではないでしょうか。遠いパリの地で、そしてワインの本場で、黄金色に輝く酒は、確かに独自の存在感を示していたのですから。

後日、しっかりとテイスティングしコメントを寄せてくれた関根氏。

イシモチはシンプルに刺身。ザル貝は温かい鍋の上において口が開いたところを取り出す。コールラビは3パーセントの塩水につけて、浅漬け状に。魚介類をとうもろこしの旨味や甘さで食べてもらう料理。

リードボーは筋を外し、とんかつの用にパン粉で包み、澄ましバターでカリッと揚げる。とうもろこしのクリーム、シェリービネガーで味わう。

住所:〒010-0934 秋田県秋田市川元むつみ町4-12 MAP
電話:018-864-7331
http://www.takashimizu.co.jp/

持続可能な社会を叶える未来へのひと皿。「間伐材」を味わうレストラン「Eatree Plates」開催。[LIFULL Table Earth Cuisine/東京都奥多摩]

2018年10月に行われた「LIFULL Table Earth Cuisine」プロジェクトの第一弾は間伐材を食べる「Eatree Plates」。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ奥多摩の森で見出した、地球のための未来の食材。

20181010日、東京都・奥多摩の森で開催されたLIFULL Table Presents「地球料理‐Earth Cuisine‐」。このプロジェクトを企画したのは、「あらゆるLIFEを、FULLに。」をコーポレートメッセージに掲げる住生活情報サービス運営企業(株)LIFULL。地球上でまだ光が当たっていない素材にフォーカスし、その素材を食べることが地球と人のためになり、ひいては地球上にある新たな食材を見つけることを目的としたプロジェクトです。第一弾は、日本全国の山や森林で問題となっている「間伐材」がテーマ。

国土の約3分の2を森林が占める日本は世界有数の森林大国であり、その内の約4割に当たる人工林は工業・建築用として育て、成長過程で間引く=間伐が欠かせません。しかしながら近年、木材需要の低迷や輸入材の増加、人件費による経営コストの上昇により、林業の生産性が悪化。間伐が行われない森林が増え、間伐を行なったとしても木材を運び出さない「伐り捨て間伐」が問題化しています。このことに着目し、プロジェクトの第一弾としてテーマに掲げました。

「食の固定概念を飛び越えた、新しい食体験をすることで自分のライフを見つめ直す。そういう機会をどんどん提供していきたいと考え、このプロジェクトを立ち上げました。間伐材は、大きな社会問題のひとつです。LIFULL Tableとしては、この奥多摩の森で味わっていただく「木」のフルコース<Eatree Plates>を通じて間伐材の重要性を伝え、日本の森を守る取り組みの一助になればと考えています」と意義を語る、チーフ・クリエイティブ・オフィサーの川嵜鋼平氏。

フレンチレストラン『Tirpse』の元シェフで、「ゴーエミヨジャポン2018期待の若手シェフ賞」を受賞した田村浩二氏が料理のクリエイションを担当。杉をはじめ、香り豊かな木々を原料に研究開発した特別なウッドパウダーをすべての料理に使用し、感性を揺さぶるコースに仕立てました。

ゲストは車を降り、雨上がりの森を歩いて会場へ。シークレットな雰囲気に期待も高まる。

テーブル上には「LIFEを見つめなおす、一皿を」とメッセージが添えられたメニューが。

間伐材を使ったライティングに照らされ、森林浴のようなフルコースがスタートした。

木の幹をプレート代わりにして、樹皮のスナックを提供。プレゼンテーションも新鮮。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ木を守り、森を守ることが、海を守る。サステナブルな試み。

会場となったのは、東京都・奥多摩に広がる間伐材の森。木立に囲まれた林道を進んでいくと森の斜面にダイニングが現れ、テーブルに着いたゲストたちは木々や土の香りに包まれました。「僕自身、持続可能な魚食を広める活動<シェフズ・フォー・ザ・ブルー>に取り組んでおり、今回の「間伐材」を食べるというイベントの方向性や趣旨にも共感しています。素材となる「間伐材」は個性が強く、扱いが難しいため料理にどう落とし込むか悩みました。木を食べることで森を守り、自然を守る。森を守ることは、海を守ることにも繋がり、奥多摩のこの場所がサステナブル・シーフードの活動の出発点にもなります。コースを召し上がりながら、日本の食物・生産物を持続的に守っていけるか。意識を向ける良いきっかけになればと思っています」と、イベントへの抱負を語る田村シェフ。これから始まる未知なるコースへの期待感を高めました。

ダイニングの奥に設けられた屋外キッチンステージで腕を振るう田村浩二シェフ。

器にも間伐材を使用し、テーマに統一感を持たせる。メインディッシュの鳩を提供。

次第に日が暮れて、あたりが暗闇に。ダイニングはひんやりとした森の空気に包まれた。

自然の中で「間伐材」がテーマのコースを堪能するゲスト。未知の美味しさと向き合う。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ「間伐材」と向き合い、完成させた「Earth Cuisine」。

5品のコースは「五感で味わう森林浴」がテーマ。最初に供されたのは、檜のチップとラベンダーをハーブティーのように抽出し、ゆずの香りを添えたノンアルコールドリンク「ヒノキとラベンダーのアンフュージョン」。「樹皮のスナック」は、パイ生地に使用する小麦粉を木のパウダーに変えて、見た目も木の樹皮をモチーフにしたスナックです。

2品目「木と土のコンソメ」は杉のパウダーをベースに、ポルチーニ茸、ごぼうを乾燥させたものと昆布の出汁と合わせ、はちみつの甘みとタイムのオイルで仕上げたスープ。ごぼうが土のニュアンスを、タイムはオレンジのような柑橘類のニュアンスをもたらします。「温かい料理で体の中から木や土、森の香りを感じていただけます。樹皮のスナックと一緒にお召し上がりください」と、田村シェフ。

3品目は「牡蠣のポシェ」。ミネラルたっぷりの牡蠣に、じゃがいも「インカの目覚め」を使ったニョッキと杉のパウダーを合わせ、海老をベースにしたソースでいただきます。パセリで作ったクルトンとオイル、さらに杉のパウダーを散らしたひと皿に。サステナブル・シーフードの活動に力を入れる田村シェフ渾身の料理で、「山に降った雨が川となり、海へと流れていく。山からもたらされた栄養がプランクトンの餌になり、美味しい牡蠣が育つ。自然の循環を感じてください」と、シェフ。

 4品目は「鳩のロースト 薪仕立て」。ローストした鳩に、ソテーした松茸、木のパウダーで作ったシート状の「チュール」をあしらって。的確に火入れされた鳩はジューシーで香り高く、杉の香りが風味をより一層引き立たせます。

最後のデザートは「大地のブランマンジェ」。杉と檜、ラベンダーの香りをつけたブランマンジェに、洋ナシとベルガモットのコンフィチュールを添えて。杉を使ったメレンゲと松の葉のオイルで、香りの変化と余韻を楽しませます。

ヒノキとラベンダーのアンフュージョン。木のチップとラベンダーで抽出したドリンクで乾杯。

樹皮のスナック。木のパウダーを使用。ドリンクとともに味わうことで香りが引き立つ。

木と土のコンソメ。複雑な風味をもたらすスープ。五感が研ぎ澄まされる味わい。

牡蠣のポシェ。杉とローズマリーのニョッキとともに。グリーンのパウダーが苔のよう。

鳩のロースト 薪仕立て。木のパウダーで作ったシート上の「チュール」を添えて。

大地のブランマンジェ。木とハーブの香り、フルーツの甘みと酸味が調和したデザート。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ持続可能社会を叶えるプロジェクトは、次なるステージへ。

「間伐材」をテーマにしたコースを存分に堪能し、好評を博して終了したLIFULL Table Presents「地球料理‐Earth Cuisine‐」。LIFULL では今後、第二弾、第三弾とプロジェクトを計画しているとのこと。また、東京・麹町にある『LIFULL Table』では1115(木)・27(火)、12月5日(水)・6日(木)・11日(火)の5日間、各日2部制で「LIFULL Table Earth Cuisine」を開催。今回と同様のフルコース「Eatree Plates」が味わえます。食に関する無限の可能性を感じる一方、持続可能な社会を叶えるためのきっかけ作りとなった一夜でした。

木立の中に浮かび上がるダイニング。森は地球とのつながりを考えさせる糸口を引き出す場所。

住所:東京都千代田区麹町1-4-4 1F
電話:03-6774-1700
予約開始日:1029日(月)特設サイトにて限定予約受付開始
開催日:1115日・11月27日・12月5日・12月6日・12月11日5日間(平日のみ)
各日とも2部制<第1部>18:0020:00 <第2部>20:00〜22:00
※ 上記5日程すべて、田村シェフによるコース料理がお楽しみいただける予定です。
※ 上記予定は変更になる可能性もございます。
http://table.lifull.com/earthcuisine/

100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト![TSUGARU Le Bon Marché/青森県弘前市]

ONESTORY×東日本旅客鉄道株式会社OVERVIEW

奥羽山脈に岩木山、青森県西部に広がる津軽地方は、その豊かな地形により、四季折々の様々な表情と出合うことができます。

中でも、江戸時代初期の津軽統一以来、地域の中心として栄えた弘前市は、雪国の寒さを打ち破るように人と人との温かなつながりを守り、育む土地であり、商業においても小さな商店から老舗店までが協力し、影響を与え、時に共鳴し合うといった文化が、古き時代より大切にされてきました。

深く長い歴史の中で培われた多彩な文化は、当然ながらそれらを開拓した時代があり、新たに道を切り開いた人あってのものです。現在は、その先人たちが創り上げた伝統を絶やさぬよう、大切に守り続けていますが、更にこれから必要なことは、その先人たちのようにゼロから何かを生み出し、未来に「つながる」創造をすることだと考えます。

去る2018年9月26日。津軽地方の創生に向け、「津軽つながる交流都市づくり連携協定」が結成されました。

弘前市と青森県、そして『東日本旅客鉄道株式会社』の3者がパートナーシップを組むこのプロジェクトに『ONESTORY』も参画し、共に、新たな地域のカタチを表現していきます。

では、そのカタチとは何か?

食、工芸、アート、インテリア、デザイン、ファッション……。

一見異なるものに見えるそれぞれは、津軽の土地や風土、文化や歴史、そして人を通し、実は奥深いつながりを持っているのがこの街の大きな特徴です。

『ONESTORY』は、その津軽の特徴でもある「つながる」カタチこそ、新たな表現だと考え、全てmade in tsugaruの新プロジェクトを実施します。

その名は、「TSUGARU Le Bon Marché」。

『ONESTORY』は、100年後の未来を担う100の津軽を特集し、更にその全てが体験できる架空の百貨店を創造します。

津軽が誇る100の「もの」との出合い、ひいては100の「人」と出会ったその先に見えるカタチは、100年先まで続く新たな歴史の1ページ。それを「TSUGARU Le Bon Marché」は目指します。


それは、ただものを売るためでもなければ、ただ観光を案内するためでもありません。表現したいことは、これからの津軽地方の可能性、未来の片鱗に触れられる新たなカタチです。なぜなら、これからの100年に向け、まだまだ受け継がれていくべきものがあり、新たに生まれているものあり、津軽の輪は今なお広がりを見せているからです。

「TSUGARU Le Bon Marché」が伝えたい100のもの、100の人を、100年後に「つながる」未来に向けて。

『ONESTORY』は、これから長きに渡り、青森県津軽地方と向き合っていきます。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

魚で辿る、豊かさの再発見。改めて知る海峡の街・下関へ。[Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI/山口県下関市]

フィッシャーマンズワーフ 下関OVERVIEW

日本海、瀬戸内海、関門海峡…

類まれなる3つの海が集う街・下関。

そんな街の魅力を語れる人はいったいどれだけいるでしょう?

真っ先に“ふぐ”を思い浮かべたあなたへ
新たなる下関の魅力を伝えるのが今企画、

Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI

この街で出会う魚の、本当の豊かさを、
さらには魚を媒介に出会った人々の情熱や笑顔を、
今回、ONESTORYでは新たなる表現で伝えてみたいのです。

口数少なく黙々と海と向き合う漁師の想い、
旬の魚を至高の皿へと導く料理人の手仕事、
さらには全国各地へその美味を届ける加工品まで、
魚という財産だけをとっても、届けたい思いは尽きません。

しかもそれは街の魅力のほんの一部に過ぎないのです。

まずは「美味しい魚」を媒介に、土地を味わい、
想い出を買い、楽しい時間を過ごすために、下関へ。

それこそが我々が提案したい新たなる下関の愉しみ方。

Fisherman’s Wharfという言葉には
世界的に有名な、サンフランシスコの漁港のように
人々が自然と集う街になって欲しいという想いを込めました。

類まれなる豊かな海に囲まれた下関。

その海のポテンシャルは世界屈指。

下関に眠る愉しみをもっと。

それこそが我々が伝えるべきこの街の魅力なのです。


(supported by 下関市)

全国煙火競演会から新たな段階へ。[会津花火/福島県会津市]

華やかなワイドスターマイン。

会津花火全国煙火競演会の想いをつなぐ。

2018年で第3回目を迎える『会津花火』ですが、その前身は東日本大震災からの復興を願って2012年6月2日に開催された全国煙火競演会です。私はこの時、競演会という名称に心を打たれました。競技大会ではなく競演会。そこには復興を願う花火師さんたちの想いが込められていると感じたのです。花火師さん同士が会社の垣根を越えて力を合わせ復興祈願の花火を上げる。そんな想いがひしひしと伝わってくるようでした。その時のテーマは「ふくしまの空に情熱を。子どもたちに笑顔を。」です。全国の花火師さんが集結しました。花火会場も現在とは違う場所でした。その4年後、会場の場所を変え「會津全国煙火競演会」として2度開催されました。2018年からは名称を『会津花火』に改め、装いも新たに開催されます。今後は会津に根づいた花火大会を目指して、末永く続いていくことを願っています。

『会津花火』が開催される会場です。

稲刈りが終わった田んぼの中に花火が設置されます。

会津花火ミュージックスターマインから芸術玉まで。

『会津花火』は、地元会津若松市の会津銃砲火薬店さんの開始合図雷から始まり、終了雷で終わります。各地の花火大会で私が個人的に願うのは地元の煙火業者さんを大切にしてほしいということです。地元の煙火業者さんが中心となり地元の皆さんを楽しませるために打ち上げる花火。そして地元の皆さんが身近で開催されている花火を楽しみ、自分の町の花火大会を自慢にしてほしいと願っています。

今回は先ほど紹介した会津銃砲火薬店さん、福島県伊達郡の菅野煙火店さん、福島県喜多方市の赤城煙火店さん、そして県外からも山梨県の齊木煙火本店さん、長野県の紅屋青木煙火店さんが打ち上げを担当されます。花火プログラムも盛りだくさんです。戊辰戦争追悼花火をはじめ、多彩なミュージックスターマインもあり、匠の技を1発1発に込めた芸術玉も数多く上がります。

この千輪菊花火には「写輪丸(しゃりんがん)」という名がつけられています。

会津花火華やかな千輪玉競技。

更にいくつかの競技も行われます。割物、自由玉の競技と千輪玉全国花火競技大会です。千輪玉とは一般的に千輪菊花火と呼ばれる花火です。打ち上げられた後に一瞬の間をおいて小さな花火が一斉に咲く、華やかで歓声が沸き起こる花火です。このコラムでは菊や牡丹など、花火はお花の名前が由来になっていると書いたことがありますが、千輪菊も同じです。1本の茎から千輪以上の花を咲かせる千輪咲きという技術によって作られた菊があります。その圧倒的な迫力と美しさは一瞬で私を魅了しました。各地の菊人形展などで見ることができますので、機会があればぜひご覧頂きたいと思います。

作家・吉川英治氏の「菊作り 菊見るときは 影の人」という有名な句がありますが、花火も同様に感じることがあります。美しいお花もそうですが、花火をご覧になる時にも作り手の方々に思いを馳せて頂ければ嬉しいなと思います。

福島県二本松市の菊人形展で撮影した千輪咲きの菊です。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

日時:2018年11月3日(土・祝)
※雨天時:荒天中止。延期はございません。
場所:会津若松市町北町大字藤室地内 MAP
http://aidu.jp/

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

「鶴岡モデル」が地方創生のあり方を変える? 地域と作る宿泊交流施設。[SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE/山形県鶴岡市]

庄内ホテル スイデンテラスOVERVIEW

山形県鶴岡市。遥か彼方まで田園風景が連なる庄内平野のただ中に、2018年9月、これまでにない宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』が完成し注目を集めています。その名のとおり、水田に浮かぶかのような佇まいは壮観です。

開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業「ヤマガタデザイン」。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞めて鶴岡市に移住し、2014年にこの会社を立ち上げました。自らに課したミッションは「町づくりに必要なこと、すべて」を行うこと。一次産業の衰退、労働人口の流出に伴う少子高齢化と、全国の地方都市の例にもれず、鶴岡も多くの問題を抱えています。それらをひとつずつ解決しながら、魅力溢れる鶴岡を次世代に継承したい。『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』は、そんな町づくりの中核施設としての役割も担っています。

総客室数143室。木造建築としては最大の規模で、プリツカー賞を受賞した建築家・坂 茂氏が設計を手掛ける初めてのホテルとしても話題を呼んでいます。鶴岡に縁もゆかりもなかった山中氏を駆り立てたものはいったい何だったのでしょうか。世界的建築家がこのホテルを手掛けた、その理由は。真新しいホテルの全貌と、携わる人々の想いを確かめに、取材班は秋深まる鶴岡へと向かいました。

住所: 山形県鶴岡市北京田字下鳥ノ巣23-1 MAP
電話: 050-1745-9721

自然とアート、過去と未来が出会う御船山で、ここにしかない「新しい現在(いま)」を過ごす。[御船山楽園ホテル/佐賀県武雄市]

天然の山麓に築かれた『御船山楽園』の中にあり、その絶景を間近に望める(写真はツツジの季節)。

御船山楽園ホテル歴史の中にたゆたう絶景ホテルがリニューアル!

目もくらむような高さの断崖と、豊かに生い茂る緑とのコントラスト。国の登録記念物(名勝地関係)に指定されている『御船山楽園』の自然に囲まれた『御船山楽園ホテル』は、他にはない独特の景観を誇っています。

およそ300万年前に、有明海から隆起して生まれたという御船山(みふねやま)。そして1300年前には、名僧・行基が多数の阿羅漢を安置した信仰の地でもあります。更に江戸時代の後期には、第28代武雄領主・鍋島茂義公が15万坪もの敷地に庭園を山麓に整備。こうした悠久の自然と人との関わりの中で、1966年にオープンしたのが『御船山観光ホテル』です。それが2018年6月、御船山を軸に育まれた自然・歴史・文化を守り伝えながら、『御船山楽園ホテル』として生まれ変わりました。

ロビーフロアをアートの森に仕立て、御船山の景観とより一体化させています。未来に向けた新たな在り方を追求しながら、周囲の大自然と調和した姿を見せてくれます。

自然と人とが密接に関わってきた御船山の歴史を受け継ぎ、「自然とシームレスな存在」になるのがテーマ(紅葉の季節)。

受け継がれてきた自然を、再び自然に還していくことを目指す(桜の季節)。

御船山楽園ホテル独自の存在感が各方面で評価。

このように、「登録記念物」の中に立つという稀有なロケーションを誇る『御船山楽園ホテル』は、「ミシュランガイド福岡・佐賀特別版」のホテル・旅館部門で「4パビリオン」を獲得しました。更に「トリップアドバイザー」の「2016エクセレンス認証」も受けており、それらの実績に見合った贅沢な時間と空間を堪能できます。

ミシュランには、ハード面(景観や建築)だけでなく、ソフト面(過ごし方や楽しみ方の提供)も評価されました。そしてミシュランの「4パビリオン」の獲得をきっかけとして、海外からの宿泊客が急増。「ホテル」と称してはいますが、基本的には旅館なので、畳に布団を敷く、九州の幸を十分に味わえる和食に舌鼓を打つ、「美肌の湯」とうたわれる温泉に心ゆくまで浸るといった、日本と『御船山楽園』らしい宿泊体験が好評を得ているそうです。

この地ならではの特別な体験が待っている。

鍋島藩ゆかりの由緒ある「内庫所」にしつらえられた貴賓室「老松」。

歴史ある旅館×最先端のデジタルアートというここにしかない光景も必見。時間制限のあるイベントと違いじっくり鑑賞できる。

御船山楽園ホテル太古の森の中に立つホテルの中に、アートの森が出現。

更に6月のリニューアル以降は、デジタル技術のスペシャリストで構成されるテクノロジスト集団・『チームラボ』の作品を本館ロビーに常設展示。この『森の中の、呼応するランプの森とスパイラル - ワンストローク』と題されたデジタルアートは、中空に浮かぶ無数のランプが人の存在に呼応して、ランプからランプへと輝きを伝播させていきます。

ほの暗い空間は御船山の森の最深部を、天井から伸びる無数のムラーノ・ガラス(ベネチアン・グラス)は森の花々や木の実、木漏れ日をイメージ。更に明かりの色は、御船山の四季に応じて変化して、夢幻の世界を描き出します。

その幻想的なロビーを抜けると、徐々に自然の光が差し込んで、四季折々の風景を引き立てる白壁の客室が迎えてくれます。自然とデジタルアートが織り成す、独自の世界観。まさにここでしか味わえないコラボレーションです。

世界各地で展覧会を開催している『チームラボ』には、海外のファンも多い。そのため「これを見るために来た!」というインバウンドも多い。

季節の「かさねいろめ」をテーマに四季折々の光のアートを演出。

『御船山楽園』の15万坪の敷地と、ホテル内に広がるランプの森がつながる。

御船山楽園ホテルアートとともに楽しみたい、佐賀ならではのカフェ。

この夢幻のデジタルアートを存分に鑑賞するために、ぜひ利用してみたいのがロビーフロアに設けられた喫茶スペース。『EN TEA HOUSE−応灯楼』と名づけられたここは、日本を代表する茶師の松尾俊一氏と、「日本文化の再生屋」と呼ばれる丸若裕俊氏との出会いによって、佐賀県嬉野(うれしの)市で生まれた茶葉ブランド「EN TEA(エンティー)」とのコラボレーションメニューを提供してくれます。特製のドリンクやスイーツを、『チームラボ』のアート作品を眺めながらじっくり味わえます。

デジタルアートとカフェは、宿泊客以外でも鑑賞および利用できる。(アートは喫茶の利用客、もしくは夏のアートイベントの来場者のみに開放)

カフェの利用者が週末のみで500〜600人にものぼるなど、リニューアル後の評判は上々。宿泊客数も堅調に増えている。

御船山楽園ホテル歴史の担い手として、先人から受け継いだ遺産を革新する。

2018年で創業51年目を迎える『御船山楽園』は、「半世紀たった今だからできること」にチャレンジしています。

連綿と受け継がれてきた、御船山の景観と文化。それを守り、重んじるのみに留まらず、その価値を生かしながら革新していく――それでこそ、このたぐいまれな場所と伝統を未来につないでいける、と考えているそうです。

「我々が今取り組んでいることも、未来の伝統となるように努めていきたい。自社だけで完結するのではなく、『チームラボ』や、様々なエキスパートの力を借りながら革新的な取り組みをしていきたい」。『御船山楽園ホテル』に携わる人々の、これがモットーであり、理想でもあるそうです。

大浴場「らかんの湯」。「美肌の湯」と名高い温泉もまた、御船山の恵み。

料理は御船山の天然水・玄界灘産の魚・A5等級の佐賀牛など、素材にも調味料にもこだわりぬ
いている。

御船山楽園ホテル守るだけでなく、更なる発展を目指して。

更に将来的には、15万坪の敷地の中にある手つかずの森や自然を活用していこう、と考えているそうです。現在計画されているのは、アートや大自然を楽しみながら入れる大規模なスパ。メディテーション的な癒しに浸れるスポットとして、新たな「湯治」の概念を現代的な空間とシチュエーションで構築していく予定です。

日帰り客も受け入れるものの、主眼に置いているのは何日も滞在しながら心身を癒せる寛ぎの空間。「日本三大美人の湯」として有名な御船山のアルカリ単純温泉は、化粧水のようなとろみがあって女性に好評。それらを堪能してもらうために、構想を練っています。

過去から現代へと受け継がれて、更に未来へと続いていく『御船山楽園』。

その悠久の歴史に触れられる『御船山楽園ホテル』に、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

御船山の広大な森と庭園を舞台とするデジタルアート「チームラボ かみさまがすまう森」を毎年夏~秋に開催。この期間にもぜひ訪れてみたい。

非物質的なデジタルテクノロジーによって、自然が自然のままアートになる。

御船山の懐に抱かれて、その歴史と景観に浸ってみたい。

住所:佐賀県武雄市武雄町大字武雄 武雄町武雄4100 MAP
電話:0954-23-3131
チェックイン:通常15:00 (公式サイトからの予約の場合は14:30)
チェックアウト:通常10:00 (公式サイトからの予約の場合は10:30)
※ロビー見学は『御船山楽園ホテル』及び『御宿竹林亭』の宿泊客、喫茶の利用客、夏のアートイベント来場者のみ
御船山楽園ホテルHP:https://www.mifuneyama.co.jp/

『DINING OUT』を熟知した3人のキーマンが振り返る、一生忘れられない奇跡の野外レストラン。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]

ダイニングアウト鳥取・八頭

2018年9月、豊かな自然に囲まれた、日本の原風景を思わせる、ひときわ懐かしい景色が広がる鳥取県八頭町を舞台に開催された『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』。

のんびりとした時間の流れる八頭町ですが、かつては大きな勢力のあった政の中心地でした。また、天照大神が八上郡(現八頭郡)に降臨した際に、霊石山への道案内を白兔がつとめたという「白兎伝説」も残されるなど、まさに八頭は、古代からの「パワースポット」でもあるのです。

そんな土地の魅力を伝えるべく、設定された今回の『DINING OUT』のテーマは、
「Energy Flow -古からの記憶を辿る-」。

料理人は、地元・鳥取出身、昨年の『DINING OUT NISEKO』を担当し、クリエイティブで斬新な料理でゲストを驚かせた、ミラノ『Ristorante TOKUYOSHI』の徳吉洋二シェフ。今回の『DINING OUT』は、世界で活躍するシェフが自身の地元に戻って、地元と一緒につくりあげる"凱旋DINING OUT"の第一弾でもありました。鳥取を知り、世界を知り、『DINING OUT』も知る徳吉シェフによって、地元食材や地元の郷土料理、鳥取のソウルフードを見つめ直し、イタリア料理のコースメニューとして再構成された料理は、見事ゲストの心の中に刻まれました。

ホストは東洋文化研究家であり作家としても活動し、国内の昔の美しさが残る景観を観光に役立てるための数々のプロデュースを行っているアレックス・カー氏。さらに、今回のフロアを取り仕切るサービス統括には、『DINING OUT ONOMICHIを担当した「TIRPSE」の大橋直誉氏が参加。

降りしきる雨が自然のエナジーを感じさせてくれた、不思議な一体感に包まれた2日限りの饗宴を、
『DINING OUT』を知り尽くした3人の言葉で振り返ります。

『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。

Ristorante TOKUYOSHI 
http://www.ristorantetokuyoshi.com

1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。

調理師専門学校を卒業後、正統派グランメゾンで知られる『レストラン ひらまつ』に料理人として入社。翌年ソムリエ資格を取得後、サービス・ソムリエに転向。2011年に渡仏し、ボルドーの二つ星レストラン『シャトー コルデイヤン バージュ』でソムリエを経験し、帰国後は白金台『カンテサンス』へ。ミシュラン東京版で三つ星を獲得し続ける名店で研鑽を積む。その後、レストラン移転に伴い、店舗をそのまま受け継ぐ形で2013年9月に『ティルプス』を開業。オープンからわずか2ヵ月半という世界最速のスピードでミシュラン一つ星を獲得する快挙を成し遂げる。

ディープ山陰に潜む隠れ里。アレックス・カーが紐解く、八頭の知られざる魅力。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]

アレックス氏は、自身の心に刺さった隠れ里・八頭町の魅力を率直な言葉で伝えてくれた。

ダイニングアウト鳥取・八頭手付かずの自然が残る、本物の原風景。

鳥取県八頭町。『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』で初めてこの場所を訪れたとき、単純にうれしさが込み上げてきました。この場所に来られたことがうれしい。観光地も文化遺産もないけれど、田畑があり、山があり、水がある。人々は自然とともに暮らし、四季の恵みを当たり前に受け取っている。ここはいわば、日本の本当の原風景です。それがこうして残っていることが、何よりもうれしい。それは、まだ知られていない素晴らしい場所を知っている、という優越感なのかもしれません。それほどにこの町の景色は、私を感動させました。

霧に煙る八頭町の風景。何もない田舎であることが、何よりの魅力。

観光鉄道ではなく、生活の手段としての鉄道。この生活感が素朴な田舎町の景観を生む。

アレックス氏が「ジュラシック」と評した森も、古からの歴史を伝える。

ダイニングアウト鳥取・八頭隠されるから神秘性が増す、山陰のロマン。

鳥取県があるのは、いわゆる山陰地方です。山陰というと時折ネガティブな印象も持たれてしまいますが、そうではありません。お寺なら本堂に対して奥の院、茶道なら表千家と裏千家。普段は隠されているけれど、実はすごいもの。そんな隠し事めいた神秘的な魅力が「裏」「奥」「陰」という言葉には秘められているのです。

かつてこの山陰地方は多くの日本文化発祥の地でもありました。神道的な宗教もそう。古墳だって幾つもあります。古事記や日本書紀にも、この地域の名は繰り返し出てきます。神秘的な魅力があり、古から続く歴史があり、そして手付かずの自然がある。これはロマンですね。

そして八頭町は日本海に沿岸の町から山深い南に向かった方角にあります。内陸部で、観光客が来ることも少ない、ディープな山陰です。ジュラシックなジャングル、しっとりと濡れて苔の生えた古寺、畑で実る農作物も色が濃いように見えます。最初に八頭町を訪れたときは、まずそんな風景が印象に残りました。

しかし数日滞在してみると、また違った側面も見えてきました。たとえば八頭町では、2020年に公共バスの自動運転化を目指した実証実験が進められています。小学校だった建物を再利用したコワーキングスペースを、さまざまな先進的企業が拠点にしています。それらの新しい要素が、古いものを上書きするのではなく、上手に共存しているのです。

たとえばかつて、とあるイタリアの田舎町にフィアットの工場ができました。しかし、そこが工業都市になってしまうことはありませんでした。あくまでも工場がある田舎町。元の町と新しい工場がうまく共存できたのです。八頭町の状況もそれに似ています。良いものを美しく残しながら、新しいものを取り入れる。簡単なことではありませんが、これが今後、日本の地域発展に必要なことだと思います。

日本海と中国山地に囲まれる山陰地方。そこにはまだ見ぬ魅力が潜む。

八頭町の寺社や古民家を巡り、その歴史を紐解くアレックス氏。

古事記や日本書紀にも登場する白兎神社も、鳥取の歴史を伝える。

廃校になった小学校を利用した「隼ラボ」は、古いものを守る八頭町の象徴的存在。

「隼ラボ」内のワーキングスペースには13社の先進企業が入り、地域活性化に貢献している。

ダイニングアウト鳥取・八頭大地のエナジーを肌で感じた雨のなかの晩餐。

『DINING OUT』の本番は、雨でした。野外にレストランを作るイベントですから、普通なら雨は避けたいものでしょう。しかし私は、この雨を歓迎しました。ジュラシックな木々は雨に濡れて輝きを増しています。ぼんやりとした霧が出て、ムードを盛り上げます。ディープ山陰の神秘性が、雨によっていっそう際立ったのです。

この晩餐には「Energy Flow -古からの記憶を辿る-」というテーマが設けられていました。大地のエナジーの流れを感じること。私はゲストの前に立ったときも、あえてこのテーマを言葉で詳しく説明しませんでした。言葉ではなく、体全体で感じるエナジー。それが雨のベールに包まれ、瑞々しい緑を前にしたゲストにはきっとわかっていると思ったのです。

さまざまな災害からもわかるように、どれほど文明が発展しても自然に対して人間は無力です。私たちにできるのは、自然に抵抗することではなく、それを解釈することだけ。そしてその解釈を伝え、その魅力を感じながら食事をするということは、『DINING OUT』の本来の意義でもあるのです。そして古くから自然とともに生きてきた八頭で、この雨に降られながら行なわれた『DINING OUT』は、その象徴的な回だったと思います。

雨のベールに包まれた会場が、神秘的なムードをいっそう盛り上げた。

あえて言葉にせず、五感で感じてもらうことで「エナジーフロウ」の本質を伝えた。

『DINING OUT』の本番、雨のなかで舞われた麒麟獅子舞もアレックス氏の目を引いた。

ダイニングアウト鳥取・八頭いまあるものを残し、伝えることこそ、地方の活路。

私はいま、日本の隠れ里に関する本を執筆しています。隠れ里は、まだ知られていない日本の田舎。そういう場所にこそ、さまざまな魅力が眠っているのです。たとえば八頭町にある青龍寺という古刹には素晴らしい彫刻があります。寺の本堂のなかに神社の社がある、という非常に珍しい信仰も見られます。これらは京都では見られない姿でしょう。このように、知られざる日本の田舎には、知られざる魅力がまだまだ隠されているのです。

かつて日本を訪れる外国人観光客の多くは、まず東京を訪れました。たしかに東京に行けば、日本の入門編というべき一通りのものは見ることができます。しかし、ここ八頭で出合ったようなディープな文化、根源的なものを見ることはできません。

近年はそれが知られ始めたのでしょう。いまでは東京を経由せず、いきなり地方を訪れるインバウンドも増えています。文化や祭り、あるいは郷土料理などを通して本質的な日本に触れる人も多いようです。そしてそこにこそ、地方の活路があるのです。中央に寄せるのではなく、いまそこにあるものを大切に残すこと。快適性や利便性は取り入れつつ、古いものを守ること。そうして受け継がれる魅力は、必ず多くの人に伝わるのだと思います。

白兎伝説に因んだ青龍寺の彫刻。知られざる文化財が眠るのも、隠れ里の魅力。

寺院の本堂内に社を祀る青龍寺。全国的に見ても珍しい信仰の形。

アレックス氏が八頭を訪れたのは秋。「きっとまた来ます」と伝え、この地を後にした。

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

日本人が知らない日本酒が、今、パリで話題!?[秋田酒類製造株式会社/秋田県秋田市]

「うーん、いい香りだ。醸造方法を説明してくれ」と酒の造り方に興味津々のフランス人シェフのヤニック・アレノ氏。

秋田酒類製造株式会社パリでの秋田物産展で名店ソムリエのお眼鏡にかなった!

この秋、『ONESTORY』取材班は、とある情報の真偽を確かめるべく、遠くパリの3つ星レストランで取材を敢行しました。その「とある情報」とは?、日本ではほとんど流通していない、幻の日本酒が、パリのトップシェフの目に止まり、店のメニューにオンリストされたというものです。グルマンはもちろん、一部のトップシェフやソムリエの間で、新たな酒、新たな料理とのマリアージュを楽しませると、フランス料理界をざわつかせているというのです。

まずは真偽を確かめるべく情報の出どころを探ってみたところ、行き着いたのがルイ・ロブション・安倍氏という人物。そう、世界にフランス料理を知らしめたジョエル・ロブション氏を父に持つ、フランスと日本を行き来するスターソムリエだったのです。

「2017年、秋田県の食材をプロモーションするイベントをパリで行い、そのお手伝いをさせて頂いたのですが、その際にアラン・デュカスグループのソムリエが“解脱酒”を非常に気に入りまして、店での取り扱いを申し込まれたのがきっかけですかね」

ルイ・ロブション氏の話に出た、聞き慣れない“解脱酒”というお酒こそが今回の主役。秋田の老舗酒蔵『秋田酒類製造株式会社』が蔵の威信をかけて生み出したという正式名称『加温熟成解脱酒』のことなのです。蔵が編み出したという独自の加温熟成技術により、半年の熟成で10年古酒のような色と香りを放つ酒、それなのに味わいはフレッシュかつ喉ごしすっきり。古酒とフレッシュな酒の相容れない要素を併せ持つ酒こそが、『加温熟成解脱酒』の特徴です。それをアラン・デュカスグループが取り扱ったというのは、どうやら本当のようです。

さらには他にもこの酒に興味を持っているスターシェフがいると聞き、訪れたのがシャンゼリゼの林の中に佇む3ツ星店『Pavillon Ledoyen(ルドワイヤン)』だったのです。

2018年、パリの『ル・ブリストルホテル』で開かれた商談会。シェフ、ソムリエ、フランスメディアなども多数駆けつけた。

『秋田酒類製造株式会社』の代表取締役・平川順一氏自ら『加温熟成解脱酒』の魅力をPR。

「絶妙な酸味と甘味のバランスはフランス料理と相性がいい」とルイ・ロブション氏。

秋田酒類製造株式会社フランス料理界のスターシェフも「解脱酒」の味を絶賛!

『ルドワインヤン』の現シェフといえば、シェフ就任後、同店を2ツ星から3ツ星への返り咲かせたヤニック・アレノ氏。2017年にはミシュランでパリの『ルドワイヤン』に加え、リゾート地クールシュヴェルにあるレストランにおいても三ツ星を獲得し、現在3ツ星店を2軒同時に持っている唯一の存在。2018年度の「世界のベストラン50」においても堂々29位にランクイン。名実ともにフランス料理界を牽引し続ける名シェフであり、世界中にフランスガストロノミーの価値を証明し続ける同氏が、なんと『加温熟成解脱酒』に興味津々だというのです。

実際、1848年の邸宅を利用した『ルドワインヤン』内に新設された和食店『アビス』に通され、インタビューはスタートしたのです。
「うん、やっぱり美味しいよ。でも今日のはもう少し冷やした方がいい。合わせるなら、そうだな。リードヴォーとか鶏肉、白いフォンを凝縮したソースを使いたいね。あっ、そのままこの酒でソースを作っても面白い。あとは、フォアグラや、今が旬のジロール茸など、酸化熟成したキレイな特徴があるこの酒にはフランス料理はイメージしやすい。たっぷり脂ののった魚も合うね。野生の鮭や、サバとか。あ、たぶんトウモロコシのブランマンジェもいけると思うよ」

いきなりのテイスティングは微笑みながら会話がスタートしたかと思えば、少し時間を置いてまた変化した味をチェック。真剣な眼差しと穏やかな笑顔が交互に繰り返されるのです。その間も淀みなく、料理と合わせるならばと次々に食材やアイデアは語られていきます。

ちなみにアレノ氏は大の親日家とのことで、1988年の初訪日から和食と日本酒が大好きに。とくにテロワールを大切にする日本酒の酒造りはワインとも非常に考え方が近く、興味の赴くままに酒蔵を訪れるほど。土壌のストーリーが表現される日本酒が大好きだと笑ってくれます。さらに今年は、ルドワインヤンの一角に氏が和の料理人とコラボし新たなジャポニズムを楽しませる『アビス』もオープンし、ますます自らの味に和の要素を忍ばせていく模様。

世界を駆け巡り、フランス料理と和食の可能性を模索し続ける、ヤニック氏に『加温熟成解脱酒』はどう映るか?
「シンプルにすごく好きなお酒だよ。個性が際立ったものは、人も酒も好きなんだ。ウチの和食スペースで扱うということは、リストを共有する『ルドワインヤン』でももちろん飲めるということ。それが何よりの証明さ」

氏はそう笑いながら話し、この新たな日本酒との出合いを手放しで喜んでくれたのです。

営業前の『ルドワイヤン』にて『加温熟成解脱酒』をテイスティングするアレノ氏。

ひとたび味わい始めると、見る見るうちに真剣な眼差しに。頭の中で料理や食材とのマリアージュが完成されていく。

『ルドワインヤン』の一角に新設された『アビス』ではネオ・ジャポニズムをテーマに料理と酒を提案。

秋田酒類製造株式会社世界的な名ソムリエも新たな日本酒に驚く。

我々取材班は、更にもうひとり、とてつもない人物がこの日本酒をテイスティングし、賛辞を贈るという現場に遭遇したのです。その人物とは『ビストロ・デュ・ソムリエ・パリ』のフィリップ・フォールブラック氏。1992年に世界最優秀ソムリエを獲得し、今なおソムリエ協会の重鎮として活躍するフォールブラック氏が、この日本酒を真剣にテイスティングし、コメントを寄せたのです。

「こういう色付きの日本酒は珍しいね。とても香りがいい。そう、まずはスパイスの香り、コーヒーのような焦げた香り、ナッツ、ドライフルーツ……。梅のような香りもある。香りだけで美味しいお酒だとわかる」と、フォールブラック氏はまず香りでこの日本酒の複雑味が他にはないと褒め称えます。

「私が今まで飲んだ日本酒の中でもダントツな複雑味を持つ。うんうん、リンゴのような熟成した香りもあるな」と言ってひと口含み、またひと言。
「まろやかな舌触りとストレートな喉ごし、リッチな余韻も長い。甘さは控えめで、酸味とのバランスも良いアタックだね」と続けます。

その後も、サービス温度について、糖度の残り具合、ペアリングする食材も温度で変わるのが面白いなど、楽しそうに話すフォールブラック氏。
「バターソースは間違いなく合うだろうな。魚にナッツをまぶしたりレモンをかけたりして焼くのもいいね。ローストした鳥料理や茶碗蒸しも。お米の酒だからマッシュルームのリゾットも良さそうだ。それぞれ、アルコール度数は8度、12度、20度、40度でぜひ試してみたい。温かくしたものは、スパイシーなチョコレートも合うだろうね」とフォールブラック氏は言います。

更に、今までこれほど複雑味のある日本酒には出合ったことがない、熟成した日本酒だけど味が古くないとも付け加えてくれました。

最後に、フォールブラック氏は「フランスではまだまだ日本酒は新しい分野。これは私に言わせれば、米のワインだね。自信を持ってお勧めできるよ」と言ってくれたのです。

世界最優秀ソムリエもはっきりと『加温熟成解脱酒』を称賛してくれたのです。

店の地下にある石造りのセラーに招かれ、『加温熟成解脱酒』のテイスティングがスタート。

じっくりと香りを確かめるフォールブラック氏。

「なぜこの色になるのかもしっかりと説明できるとお酒好きのフランス人は喜びます」と氏。

秋田酒類製造株式会社世界を驚かせる日本酒は、まだ動き出したばかり。

フランスで確固たる地位を築き、今なお第一線で活躍するアレノ氏とフォールブラック氏。そんなふたりが賞賛を送る『加温熟成解脱酒』とは、一体どんな酒なのか?

次回、『ONESTORY』取材班は、パリで活躍する日本人シェフたちのもとへも突撃します。そこで『加温熟成解脱酒』を味わって頂き、その感想を頂くとともに、即席でこの日本酒に合う料理を提案してもらいました。それとは別で、仕込みの始まった錦繍の秋田酒蔵取材も敢行予定です。

日本ではなく、世界を見据える『加温熟成解脱酒』の今後を追っていきたいと思います。それは「ジャパンクリエイティブを世界に」というコンセプトをかかげる我々の志そのもの。世界を驚かせる日本酒は、今着実にパリでの開花を始めたのです。


(supported by  秋田酒類製造株式会社)

パリの地で密かにブームを起こし始めた『加温熟成解脱酒』。今後も注目したい!

住所:〒010-0934 秋田県秋田市川元むつみ町4-12 MAP
電話:018-864-7331
秋田酒類製造株式会社 HP:http://www.takashimizu.co.jp/

キーワードは「先端工芸」。伝統工芸と最新のマテリアル・技術の融合。[KISHU+/和歌山県海南市]

『紀州漆器』を未来に継承するために、伝統とリベラルを大胆に融合。

キシュウプラス今のライフスタイルになじむリベラルな漆器。

漆器、漆塗り。とかく食器のイメージが強い伝統工芸品ですが、ここにラインナップされているのは、電灯などを中心としたインテリア製品です。挑戦を恐れずに漆器の新たな可能性を探り続ける『KISHU+(キシュウプラス)』のプロダクトは、漆器の伝統的な素地である「木」を大切にしながらも、アクリルやスチールといった現代的な素材を大胆に採用。更には3Dプリンターといったデジタル技術をも加味しています。もちろん従来の職人による手仕事も生かしながら、それらの融合によって独自の世界を広げているのです。

モダンな素材を確かな伝統技術でアレンジ。金属板を加工したトレイに漆器の塗りを施した「ORI」。(Photos Masayuki Hayashi)

手仕事で施されたわずかにゆらぎのある蒔絵が、電気の光を日暮れを思わせる柔らかな光に変える「HIGURE」。(Photos Masayuki Hayashi)

キシュウプラス手仕事×機械仕事×デジタル仕事。新旧の融合が新たな世界を生み出す。

『KISHU+』は「根来(ねごろ)塗り」で有名な日本4大漆器産地のひとつ、『紀州漆器』の発祥の地で生まれました。長い歴史の中で常に新たな技術を取り入れ続けてきた『紀州漆器』は、最新のマテリアルを取り込むことに抵抗が少なく、自由な気風で発展し続けています。その特性を更に進化させ、従来の手仕事を尊重しながらも、モダンなライフスタイルに合った漆器を企画しています。

そんな『KISHU+』が掲げるのが、「先端工芸」というキーワード。“気軽に使える漆器”をモットーに、合成漆や樹脂生地などの最新技術を駆使して、手仕事のみでも機械仕事のみでもたどりつけない表現を生み出しています。

例えば3Dプリンターで波状のたわみを描いたキャンドルスタンドや、デジタル技術で蒔絵を3次元に展開して、見る方向によって柄が変化していくストレージボックスなど。最新技術と漆器を融合させた独自のプロダクトは、目を見張るような斬新さです。

「インテリアのパリコレクション」とも呼ばれる「メゾン・エ・オブジェ」で、2018年1月に新作を9点披露。

自然木に施された艶やかな「塗り」は、照明器具の出品が多数あった「メゾン・エ・オブジェ」でも注目を浴びた。蒔絵を装飾ではなく、電気の光を効果的に反射させる要素として用いた「SHIZUKU」。(Photos Masayuki Hayashi)

蒔絵の絵づくりをデジタルの3次元空間上で行い、それを直方体に投影して描いた「SAKKAKU」。ある1点から見る事で再びその絵柄が浮かび上がる、めくるめくストレージボックス。(Photos Masayuki Hayashi)

キシュウプラス「伝統的リベラル」という新たな境地へ。

現在、『KISHU+』を構成するのは、株式会社島安汎工芸製作所・中西工芸株式会社・株式会社若兆・山家漆器店・有限会社橋本漆芸の5社です。2015年に山家漆器店を除く4社の社長が集まり、「従来の漆器に留まらない新たな製品で海外の販路を開拓しよう」というコンセプトのもとでブランドを立ち上げました。

そして2016年には、モダン・プロダクトのメッカともいえるパリを視察。その際に、デザインを依頼した東京のTAKT PROJECTの吉泉 聡氏も同行して、活発なディスカッションによってコンセプトを固めていきました。

更に2017年には、山家漆器店が加入。現在にいたるベストメンバーが集結し、素地づくり・下地の仕上げ・漆塗り・蒔絵による加飾など、各社が得意とする技術を組み合わせた漆製品を開発しています。

個性豊かな5社がそれぞれの強みを生かして集結。

国内向けとしても、2017年9月に「渋谷ヒカリエ 8/ COURT」でお披露目。

キシュウプラスニーズを汲み取って大胆に転換。

ですが、なぜ『KISHU+』は従来の漆器のメインステージである食器から、インテリアへと転換したのでしょうか?

その理由は、パリを視察した際の市場調査の結果にあるのだとか。欧米は日本とは食文化が違うため、漆器の主なプロダクトである御椀や食器はニーズが少なかったそうです。それだけでなく、フォークやナイフを使うため、木の素地や漆塗りが傷つきやすいという難点がありました。更に「食の安全」にも非常にこだわるため、「器に塗料を塗る」ということ自体に強い抵抗感があったそうです。食器の規格なども非常に厳しく、それらの要素を慎重に考慮した結果、インテリアへの大胆な転換を図ることにしました。

ブランド立ち上げ期の2017年は、「とにかく何でも作ってみよう!」と様々なものに漆を塗っていきました。花器やペーパーウェイトなど多数の試行錯誤を重ねた結果、その中で最も高く評価されたのが照明器具でした。それが2018年1月の「メゾン・エ・オブジェ」での話。現在は2019年1月の再出展に向けて、更なるブラッシュアップを重ねているそうです。

『紀州漆器』発祥の技法である「根来塗り」は、漆を塗ってから削り出す「研ぎ出し」が特徴。それによってアルミと塗りの縞模様を浮かび上がらせた一輪挿しの「SHIMA」。(Photos Masayuki Hayashi)

カケラのような金属の多面体に塗りを施し、「根来塗り」の技でエッジ部分を研ぎ出した「KAKERA」。金属の心地良い重量感と漆塗りの柔らかさがマッチした新感覚のペーパーウェイト。(Photos Masayuki Hayashi)

キシュウプラスデザインと手仕事の調和を目指して。

順風満帆かに見える『KISHU+』のスタートですが、その開発には一筋縄ではいかない苦労があったそうです。
デザイナーが考えた斬新なデザインと、これまで行ってきた職人の作業工程や効率化との擦り合わせがなかなか上手くいかなかったのです。

たとえばこれまでにない形は、塗った面を乾かす時の置き方や、個々がぶつからないような並方などの再検討が必要でした。

『先端工芸』を表現するデザインの実現には、こうした現場工程の見直しと擦り合わせが不可欠だったのです。
この課題はまたまだ残っているそうですが、本格的な商品化にむけて日々改良を行っています。

コンピュータで水面のシミュレーションを行い、時が止まったかのような正確な揺らめきを再現した「MINAMO」。(Photos Masayuki Hayashi)

キシュウプラス可能性は無限大。「漆器」を新たなステージへと導く。

現在の『KISHU+』のプロダクトは照明器具がメインですが、今後は様々なものにチャレンジしていくそうです。『紀州漆器』はその自由で先進的な気風ゆえに、プラスティック漆器の大量生産に日本で最も早く取り組むなど、フレキシブルな対応力を誇っています。新しい素材や技術を臆さずに取り入れる、伝統工芸の産地としては珍しい柔軟性。「売れる・売れない」「良い・悪い」といった判断を自ら下さず、「とりあえずやってみよう」と考えているそうです。

それでも多くの紀州漆器メーカーの間には、「既存の仕事を続けていればいいのではないか」といった雰囲気もあるそうです。『KISHU+』が目指すのは、そういった安住の空気に刺激を与えるフラッグシップ的な存在です。『紀州漆器』の知名度と価値を高め、興味を持った業界の若手や学生などに、新たな別ブランドを立ち上げてもらいたい。さらに他の産地にもその動きを波及させ、漆器の可能性や未来をより深く、積極的に追求していきたい。『KISHU+』はそんな理想を抱いています。

「伝統工芸の技術でこんなものが作れるんだ!」という驚き。それを広く波及させていくために、『KISHU+』の挑戦は今後も続いていきます。

当初から海外展開を見据えつつ、その評価を国内に還流させることを目指す。

住所:和歌山県海南市岡田569-1 MAP
電話:073-482-7630
メール:info@kishu-plus.jp
営業時間:10:00~17:00
休日:土曜・日曜・祝日
KISHU+ HP:https://kishu-plus.jp/

地元出身シェフだからこそ表現できた幻の饗宴『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』スペシャルムービー公開。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]

ダイニングアウト鳥取・八頭

DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』(2018年9月開催)の感動を、スペシャルムービーとフォトギャラリーでお届けします。

14回目となる今回の『DINING OUT』の舞台は、豊かな自然に囲まれ、大地の力強さを感じる古からのパワースポット、八頭町。担当したのは昨年の『DINING OUT NISEKO with LEXUS』を大成功に導いた徳吉洋二シェフ。徳吉シェフは鳥取県出身で、世界で活躍するシェフが地元に戻り、地元と一緒につくる“凱旋DINING OUT”の第一弾となりました。

今回設定されたテーマは「Energy Flow-古からの記憶を辿る」。八頭町に古くから宿る自然のEnergyが満ちあふれたのか、DINING OUT始まって以来の大雨が降りしきる中でのディナー。しかしこの状況こそがプレミアムな野外レストラン「DINING OUT」の本質だったとも言える奇跡の饗宴を、ぜひ体感してみてください。

新たな地域のカタチの創造。津軽から世界へ。[ONESTORY×東日本旅客鉄道株式会社/青森県弘前市]

ONESTORY×東日本旅客鉄道株式会社新たな一歩を踏み出すゼロからのスタート。津軽の未来に向けたプロジェクトを始動!

青森県の県土を南北に縦走する奥羽山脈。その西側に広がる津軽地方は、ユネスコ世界自然遺産に認定された白神山地や標高1,625mの岩木山を抱き、北には津軽半島が広がる海山の豊かな地域です。

去る2018年9月26日、津軽地方の地方創生に向け、ひとつの協定が締結しました。

津軽つながる交流都市づくり連携協定」と銘打たれたプロジェクトは、津軽地方の経済交通の中心を担い、県内3位の人口を有する「弘前市」と「青森県」、そして『東日本旅客鉄道株式会社』の3者によるものです。弘前市でかねてより進められていた津軽地方の観光資源の提案を行う事業「弘前感交劇場」に基づき、『東日本旅客鉄道株式会社』は弘前駅を観光の発信基地とする交流促進を、青森県は広域的な視点で、交流人口の拡大や地域活性化をサポートしていきます。

JR奥羽本線、五能線、弘南鉄道と3つの路線が集中する弘前駅は、秋田県や岩手県、北海道函館とつながる北東北の拠点。その地の利を活かし、駅周辺の活性化を進めることで観光客の誘致や地域の魅力拡散を狙います。

幽玄な花筏で魅了する春の弘前公園に、勇壮華麗な武者絵が街を練り歩く「弘前ねぷた」、生産量全国1位を誇るりんご栽培など、多彩な文化が花開く弘前市。こうした数多の文化はもちろん、一朝一夕で築き上げられたものではありません。

弘前ねぷたが公式文書に記載されたのは、1722(享保7)年、8代将軍徳川吉宗公の時代。りんごの栽培は、1875(明治8)年に東奥義塾が招いた米国人宣教師ジョン・イングが、12月25日のクリスマスに教え子や信者たちに西洋りんごをごちそうしてからと言われ、その後、諸説あるが、当時の東奥義塾長の菊池九郎が、このりんごの種を自宅の庭にまき、後年、穂木を接木したのが、弘前におけるりんごの繁殖の発祥とも言われており、現在に至るまで、地域の人々が試行錯誤を重ね、発展していったものだといいます。

連綿と続く探究心に裏打ちされた人々の努力、途切れない文化は伝統となり、新たな文化を呼び起こします。

日本が誇る津軽。津軽から世界へ。

そんな未来の津軽地方を創り上げるベースとなるものをひとつひとつ発掘し、『ONESTORY』は『東日本旅客鉄道株式会社』とパートナーシップを結び、新たな地域のカタチを表現していきます。

今後、その模様を特集化していきますので、是非ご期待ください。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

遂に蒸留所が完成し、いよいよ本格始動! 蒸留家見習いから蒸留家・江口宏志へ。[mitosaya 薬草園蒸留所/千葉県夷隅郡]

蒸留所の中心部。この吹き抜けの空間を基軸に各スペースが配されている構造。天井から差し込む光も気持ち良さを演出。

mitosaya薬草園蒸留所『mitosaya薬草園蒸留所』の蒸留所、一挙公開!

書店主から蒸留家を目指す江口宏志氏のゼロからのスタートを密着する今企画。

ドイツでの修業、帰国後の場所探し、長い準備と工事期間を経て、遂に蒸留所が完成した『mitosaya薬草園蒸留所』。

機能はもちろん、美しい空間に仕上がりました。配された器具を始め、一つひとつにストーリーがあるそれぞれの背景にあるのは人。中でも、建築家の中山英之氏とグラフィックデザイナーの山野英之氏の存在は大きい。奇しくもダブル英之というのは、何のイタズラか。

左から、建築家の中山英之氏、江口宏志氏、グラフィックデザイナーの山野英之氏。「MITOSAYA」サインの前で。

mitosaya薬草園蒸留所にじみがあってもペンキが垂れても関係ない。みんなで描いた「MITOSAYA」サイン。

「ヨーロッパの蒸留所の壁面には大きなタイポグラフィのサインがありました。特別なことは何もしていないのですが、大きな壁などにドーンっとある感じで。ここでもそんな表現ができたらとは思っていましたがそんな大きな壁はどこにもなく……」と江口氏。

「だから文字が回り込んでいます(笑)」と話すのは、グラフィックデザイナーの山野氏。
「遠くから見ると綺麗に見えるのですが、近くに寄って見ると文字が滲んでしまったり、ペンキが流れていたりなど、ラフにできています。というもの、これはプロの仕事ではなく、実は10人くらい仲間が集まって手作業で仕上げました」と言葉を続けます。

サインのあるこの建物の中にはポンプがあったそうです。当時、この隣には大きな貯水槽があり、地面に目を向ければ今でも基礎の名残があります。昔は水道の水圧が弱かったため、植物園だったここは、一度貯水槽に水を貯め、ポンプで全施設に水を圧送していたのです。現在、その役目を終えた貯水槽は撤去されています。そして、撤去後、偶然にも表れたのが外と中を一直線につなぐ道でした。

「当初、入口は車両などが入ることができるような大きな間口のイメージだったのですが、この道が現れた時、ここを入口にする方がこの場所らしいと思いました。貯水槽を撤去しなければ出合わなかったご縁のある道です。ゆっくりと階段を登り、細い小道を進み、薬草園の土を踏みしめながら歩いていくと蒸留所へたどり着く……。そんなストーリーができあがりました」と中山氏。

その入口には、『mitosaya薬草園蒸留所』のロゴを配したアーチ型のゲートウェイを設え、訪れる人々をお迎えします。そのロゴにも一工夫が。
「少し傾けて見ると“mitosaya”の“み”になっているんです(笑)」と、江口氏と山野氏。

「通常、ブランドのデザインは将来こうなったらいいな、という理想の姿をたぐり寄せるように考え始めますが、今回は、あえて“ずっと決めない”手法。『mitosaya薬草園蒸留所』という聞き慣れない名前、見たこともない風景、誰も味わったことのないお酒……。蓋を開けて見ないと何が入っているかわからない。それより、みんなで集まって議論したり言い合うことに意義があると思っています。そして、その先にはお酒を飲む人みんなが楽しんでもらえるようになってくれたら嬉しいです」と言う山野氏に対して「蓋を開けたら空だったりして!」と江口氏は笑います。

とはいえ、「こんなに案があったんだ!」と、江口氏も初めて見る山野氏がデザインしたロゴ案には相当な数があったことも判明。そこには、「ずっと決めない」手法ながらも、今できることを必死にデザインする山野氏の姿があり、そこには愛を感じます。

どれも聞けば必ずストーリーがある。偶然の産物やDIY、細やかな演出などが『mitosaya薬草園蒸留所』を創造しているのです。

入口に設置したゲートウェイ上部には、『mitosaya薬草園蒸留所』の「み」をロゴ化したサインが。

『mitosaya薬草園蒸留所』のメインエントランスは、あえて小さめの間口。この階段を登り、小道を進んでいくと蒸留所にたどり着く。

建物横は、もともと貯水槽があった場所。地面に目をやれば、その名残が今も残る。貯水槽を撤去したことによってこの道は生まれた。

メインエントランスから小道を歩き、階段を上った先には薬草園が現れる。この土を踏みしめながら歩けば、蒸留所はすぐ左手に。

手前より、蒸留所、ショップ&テイスティングルーム、温室。大きくはこの3つの建物で『mitosaya 薬草蒸留所』は構成されている。

mitosaya薬草園蒸留所新規の建物は一切ない。既存の建物を再利用して始まる。

「この蒸留所には新しい建物はありません。全て既存の建物を再利用する形で営業をスタートします」。そう話すのは、建築家の中山氏。

「まず、自分自身が蒸留の仕組みを理解しなければと思い、江口さんの修行先、クリストフ・ケラー氏のドイツの蒸留所へ僕も見学に伺いました。設備、構造、環境……。忘れないように、その関係図を絵に書いてみたり。そこで色々学んだ後に出合ったのが、この大多喜の物件だったのです。ここでもこの関係図が成立するのかまた絵を書いてみました。すると、パズルのように、既存の建物にピタリとは当てはまったのです。ここしかない!と大興奮しました!」と中山氏は言葉を続けます。

建物は大きく分けて3つ。蒸留所、ショップ&テイスティングルーム、温室です。この建物に1、2、3と数字を振り分け、構成されています。
「1はメインとなる蒸留所になります。入って正面に蒸留機。その左側には発酵や仕込みをするスペースと熟成させるセラー。右側にはラボ及び充填室という割り振りです。作業工程、導線などを配慮し、設計しました」と中山氏。

その他、天井を剥ぎ、ふさがっていたルーバーを活かして自然光を取り、換気も配慮。入口には、既存の植物園にあった標本をディスプレイ。アイデアと知恵、技術と経験から形成されたそこには、建物以外にも既存のものが最大限に活かされています。

「この場所が県立の薬草園として最初にオープンしたのは、1987年のバブル期でした。同じ時代に大々的に開園し、その後ひっそりと閉園したテーマパークやアミューズメント施設は多々ありますが、残念ながらこの薬草園も例外ではありませんでした。しかし、少しだけ違ったことは、物語を失ったそれぞれが廃墟でしかないのに対し、この施設は植物のための場所だったということでした。散水や排水、ボイラーや温室、実験や研究の装置、そしてそれらを収めたしっかりとした建物。ここにあるものたちはそれぞれに機能的な働きがあり、道具として生産性を備えていました。それらをできるだけそのままのカタチで『mitosaya 薬草蒸留所』は受け継ぎ、スタートさせました」。

蒸留所の入口。左右には、もともと植物園にあった標本が並ぶ。まるで実験室のような雰囲気が漂う。

コエドビールを製造する株式会社協同商事より譲り受けた蒸留機。こういったご縁をたぐり寄せるのも江口氏の不思議な力!?

発酵や仕込みなどをするスペース。自身も樽作りに参加した木樽は、小豆島より取り寄せたもの。

セラースペースは、分厚い断熱材をむき出しに。江口氏が作った蒸留酒が棚いっぱいに並ぶ日もそう遠くはない。

ラボ及び充填室。所々、昔の名残がありつつ、静寂な空間に。

元々あった天井を剥ぎ、出てきたルーバーからは自然光が射し込む。換気の役割も兼ね、空気を循環させる。

各建物には数字が振られ、「1」は蒸留所。規則正しいデザインも美しい。

「2」はショップ&テイスティングルーム。天井高のある空間は、全方位から光が差し込み、気持ち良い。

「3」は、以前からある植物を活かした温室。今後、蒸留酒作りも活かせる新たな植物なども育てていく予定。

建築家の中山氏が作った『mitosaya 薬草蒸留所』の模型。メモや関係図など、手書きの備忘録にその情熱を感じる。

mitosaya薬草園蒸留所江口さんは不思議な人。何かやりたいと思えば、波を引き寄せる力がある。

「例えば、この蒸留機。『mitosaya薬草園蒸留所』には、コエドビールを製造する株式会社協同商事の代表取締役社長の朝霧重治さんにアドバイザーとして参画して頂いているのですが、過去にコエドビールは蒸留をやろうとしていた時期があったようで、蒸留機を輸入していたのです。結果、蒸留には着手せず、約30年その蒸留機は日の目を見ることがなかったのですが、今回はそれを使わせていただくことになり。それ以外にも発酵用の木樽は、小豆島のヤマロク醤油さんが製造するための樽を取り入れています。江戸時代から続く地場産業のひとつである醤油作りですが、近年はステンレス製で作っているところが多い中、ヤマロク醤油さんでは今尚自然の樽で発酵させることを地道に続けています。このヤマロク醤油さんともご縁があり、江口さんは自ら樽作りに参加し、この巨大な木樽を小豆島から運んできました」と中山氏は話します。

人との出会い、そこから生まれる様々な出来事。紆余曲折なこれまでを繰り返し、出来上がった蒸留所。舞台は整いました。次なるはその記念すべき一本。予測不能な物語はまだ続きます。

取材当日も、手際良く養蜂を行う江口氏。蜂を飼育することにより、植物も活性化。「一緒に住まう最初のペット」とは江口氏の言葉。

住所:千葉県夷隅郡大多喜町大多喜486 MAP
http://mitosaya.com
info@mitosaya.com

佐賀の大地と海と対話する奥田シェフが見せた「これからの料理」。[CUISINE SAGA VOL.05/佐賀県佐賀市]

イタリアのスローフード協会国際本部が主催する「テッラ・マードレ2006」で、世界の料理人1000人に選出された奥田氏。

キュイジーヌ佐賀ローカルの食材に光を当てる、「アル・ケッチャーノ」のシェフが登場。

明治維新150周年を記念して、2018年3月に開幕となった「肥前さが幕末維新博覧会」も折り返し地点。「美術館(MUSEUM)に飾るような器を使って(USE)、佐賀の食材をふんだんに使った料理を楽しむ維新(これあらた)なるレストラン」として期間限定でオープンする「USEUM SAGA」も、日を追うごとに注目を集めています。

その「USEUM SAGA」の象徴ともいえる、国内外のトップシェフを招いて開催する一夜限りのプレミアムディナー『CUISINE SAGA』も今回で6回目。今回もまた、食通のみならず日本、そして世界中のシェフに影響を与えるシェフ、山形「アル・ケッチャーノ」の奥田政行氏が招聘(しょうへい)されました。

今回の夢の舞台も「さがレトロ館」で。

飄々(ひょうひょう)とした佇まいながらも、常に食材の状態に気を配る奥田氏。

キュイジーヌ佐賀「奥田メソッド」で佐賀の旬をひとつのコースに。

山形県庄内地方で採れた伝統野菜の個性を掘り起こし、田舎のイタリアンだった「アル・ケッチャーノ」を、世界中の食通が憧れる名店に育て上げた奥田氏。近年は著書『食べもの時鑑』が「グルマン世界料理本大賞2017」において、食の遺産部門グランプリを受賞するなど、厨房を離れたところでも、多くのシェフたちに多大な影響を与え続ける、「料理界のインフルエンサー」ともいえます。

直営店、そして日本各地に散らばるプロデュース店を含めるとその数10店舗。自身の思いを伝える店を統括する、その核となっているのが「奥田メソッド」とも称される独自の料理理論です。例えば、海外で醤油が欲しいけれど手に入らない時、奥田氏はそれ以外の食材や調味料を組み合わせて、醤油の味わいを再現するといいます。それは、それぞれの食材の酸味や苦味、えん味などが頭の中にあり、どの味を足せば求める味わいになるのか、経験値から導き出しているのです。

今回のコースでも、秋口の佐賀で旬を迎える食材、特徴的な個性の調味料などのリストを見ただけで、ものの20分ほどで全ての料理の内容と皿も含めた盛り付けのビジョンを描いたといいます。
更に当日、有明海で牡蠣の養殖を行う生産者が、「奥田シェフに味見をして欲しい」と急遽、塩クラゲを持参したのですが、それを手にした瞬間、3皿目のアボカドの付け合わせの中に混ぜ込むことを決めたのでした。

「僕はクラゲが『アボカドの中に入れて』と言ったのが聞こえたんだよね」と奥田氏は冗談めかして話しますが、皮膚感覚とレシピが直結するほどに、膨大な食材と対話を繰り返してきたのかが伺いしれます。

そんな奥田氏が今回の佐賀の饗宴で楽しみにしていたというのが、有田焼を使った盛り付けです。「日本各地を訪ねたけど、有田焼の華は別格だと思います。言い方を変えれば世界基準。そんな器に負けないように、僕も普段は使わない「必殺の禁じ手」も交えて構成しようと思います」。

1皿目やデザートのフォレノアールに用いたショープレートは、奥田氏が長い間実現を夢見ていたという、山形・庄内平野をモチーフに有田焼で表現したもの。山形の大地で育まれた食材を生かす技と、佐賀の豊かな恵みを繋げる役割を果たしたのでした。

特徴的なレリーフが入ったショープレートは、シェフの故郷・山形の庄内平野をかたどったもの。

2018年、佐賀県有田町に「タイマーの宿」を開業した高岡氏。かつて奥田氏のもとで働いた経験もあり、応援に駆けつけた。

サガ・ビネガーなど、地元の個性的な調味料もエッセンスとして取り入れた。

ゲストのテーブルを回るごとに、即興の「講義」が繰り広げられた。

1皿目「鯛とキャビアの冷たいカッペリーニ」。

2皿目「この有田焼の器でミラノベジタリアンチャンス(野菜料理国際大会)3位 生のラタティーユ」。

3皿目「不知火とアボカドときゅうりとサーモン」。

4皿目「佐賀の魚介をたっぷり使った手打ちパスタフレーグラ 」。

5皿目「塩麹の香りをつけた有田鶏とサガ・ビネガーのザバイオーネにフォアグラムースと板麩」。

キュイジーヌ佐賀食べることへの興味を掘り起こす。

この日のメインとなった食材は、奥田氏が以前から惚れ込み、銀座の店や東京のイベントでも提供している、基山町産のエミュー。エミューとはダチョウのような見た目の「飛べない鳥」で、日本で飼育されている地域はごく少数。基山町では4年前に牧場での飼育が4羽から始まり、その数は今や400羽まで増えています。高タンパクで低カロリーという栄養面での利点もさることながら、奥田氏は噛むほどににじみ出る肉汁や、濃厚なソースにも負けない旨味を生かして、相性のいいブルーベリー、そしてシナモンとともに供しました。

コースでは皿が運ばれるたびに、その料理の説明を丁寧に行うのが奥田流。そのどれもが単なる食材の説明、こだわりの解説に留まらず、食材が生まれ育った背景や、噛む回数と味わいの関係性、山や浜の成り立ちからみる海の幸の美味しさなど、今まで考えもしなかった理論ばかりです。

例えば、8皿目にネギを焦がした衣を纏わせた佐賀牛が登場した際は、焦げ目に惹かれる人間の心理について、保存技術がなかった時代、人は焦げているもの(しっかり火が通っているもの)は安心して食べることができたので、その名残だと説明したり、佐賀牛に添えた人参のピューレの甘さの秘密を、70℃で50分茹でることで人参のデンプンが麦芽糖に変わると解説したりと本当に多彩です。

いつの間にかゲストは、プロフェッショナルの料理を楽しむと同時に、「プロフェッサー=教授」の講義を楽しんで聞く学生のように、料理や食材について深く知る喜びを感じていました。

「タイマーの宿」高岡シェフが朝摘んできた、鮮烈な香りのバジルを添えて。

今回のディナーの主役素材といえるのが、佐賀県基山町で育ったエミュー。

奥田氏の説明を聞き、頭でも咀嚼しながらじっくり料理を味わうゲストたち。

フォレノワールは、今回の佐賀巡りで訪れた伊万里市の秘窯の里 大川内山の窯元通りをイメージし、ブドウをステンドグラス調に。

6皿目「モッツァレラチーズと光樹トマトのかまないマルゲリータ」。

7皿目「エミューのタルタータとシナモンをまとったブルーベリー」。

8皿目「佐賀牛イチボのローストと嬉野紅茶のタンニンを入れた人参のピューレ」。

9皿目「ムツゴロウのコンソメとレンズ豆のリゾット」。

庄内プレートに盛り付けられた、10品目の「基山町産ぶどうを使ったフォレノアール」。

一人で味わうだけでなく、シェフが生み出す未知なる味を通して自然と交流の輪が生まれていた。

東京スカイツリーの「ラ・ソラシド・フードリレーションレストラン」のシェフなど奥田氏の右腕たちに加え、佐賀の高岡氏や「Kaji」の梶原氏も調理、サービスの両面でサポートした。

巨匠でありながらも、親しみを感じさせる素朴な人柄にもファンは多い。

住所:佐賀県佐賀市城内2丁目8−8 MAP
電話:0952-97-9300
https://useumsaga.jp/

1969年、山形県鶴岡市生まれ。高校卒業後に上京し、イタリア料理、フランス料理、純フランス菓子、イタリアンジェラートを修行。帰郷後に2つの店で料理長を歴任。2000年に独立し「アル・ケッチァーノ」を開業。2004年、庄内の食材を全国に広める「食の都庄内」親善大使に任命される。2006年イタリアのスローフード協会国際本部主催「テッラ・マードレ2006」で、世界の料理人1000人に選出される。2009年、東京・銀座に「YAMAGATA San-Dan-Delo」をオープン。2010年、第1回「辻静雄食文化賞」を受賞。2012年、スイスで開催されたダボス会議において「Japan Night 2012」料理責任監を務める。2016年には、イタリア・ミラノで開催された野菜料理の国際大会「THE VEGETARIAN CHANCE」で世界3位に輝いた。2017年著作「食べもの時鑑」が「グルマン世界料理本大賞2017」において食の遺産部門グランプリを受賞。独創性に富んだ料理は、国内のみならず海外でも高い評価を得ている。

日本の原風景を思わせる、ひときわ懐かしい景色が広がる鳥取・八頭町で開かれた幻の野外レストラン。ドキュメンタリー番組「奇跡の晩餐」10/21(日)ついに放送。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]

ダイニングアウト 鳥取八頭『LEXUS presents 奇跡の晩餐 ダイニングアウト物語 ~鳥取 八頭篇~』10/21(日)放送。

鳥取県八頭町で開催された『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』(2018年9月8-10開催)の準備段階から密着したドキュメンタリー番組『LEXUS presents 奇跡の晩餐 ダイニングアウト物語 ~鳥取 八頭篇~』が10/21(日)20時からBS-JAPANで放送されます。

『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』の開催模様はこちらから

番組では『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』の準備段階から密着した至極のドキュメンタリーをお楽しみ頂けます。

今回の『DINING OUT』の舞台はどこからでも天の川が見られると言われるほど自然豊かで、日本の原風景を思わせる、ひときわ懐かしい景色が広がる鳥取県八頭町です。

ゆるやかに蛇行する八東川に沿って走る若桜鉄道や、趣のある木造の駅舎。のんびりとした時間の流れる八頭町ですが、かつては大きな勢力のあった政の中心地でした。また、天照大神が八上郡(現八頭郡)に降臨した際に、霊石山への道案内を白兔がつとめたという「白兎伝説」も残されるなど、まさに八頭は、古代からの「パワースポット」でもあるのです。
そんな土地の魅力を伝えるべく、今回のDINING OUTのテーマは、「Energy Flow -古からの記憶を辿る-」。

今回のテーマに挑戦するのは、昨年の『DINING OUT NISEKO with LEXUS』を担当し、クリエイティブで斬新な料理でゲストを驚かせた、ミラノ『Ristorante TOKUYOSHI』の徳吉洋二シェフ。徳吉シェフは鳥取出身。今回のDINING OUTは、世界で活躍するシェフが自身の地元に戻って、地元と一緒につくりあげる「凱旋DINING OUT」の第一弾でもありました。

番組では、徳吉シェフが地元・鳥取に戻り、ソウルフードや郷土料理から今回の料理へのヒントを探したり、学生時代の同級生や知人が現在は食材生産者になっていた事により、新鮮な食材を提供してもらうなど、凱旋シェフだからこそのフルコースが出来上がっていく過程に密着しました。

鳥取県八頭町の地に突如出現した、幻の野外レストラン。2回目の挑戦、そしてイタリアから鳥取へ凱旋した徳吉シェフが地元に残したものとは?
あの奇跡の晩餐がドキュメンタリー番組として蘇ります。

▶番組の詳細はこちらから

放送日時:10月21日(日)20:00~
番組ホームページ:http://www.bs-tvtokyo.co.jp/official/diningout12/

清らかな川面に溶け込む、11種類、約4000本の燃えるような紅葉。[香嵐渓/愛知県豊田市]

巴川沿いにびっしりと植えられた紅葉の赤色や黄色が、水面に映る様は圧巻。

香嵐渓地域の人々が守り育てた紅葉が、今年もまた鮮やかに色づく。

愛知県東半部にある『巴山』を源流とする『矢作川水系巴川』が流れる渓谷『香嵐渓』。この地の紅葉は1634年頃、『香積寺』十一世の三栄和尚が、般若心経を1巻読み上げるごとに1本ずつ手植えをしたのが始まりとされています。その後、大正末期から昭和初期に近隣住民による大植樹が行われ、現在の景色になりました。今では巴川沿いの山道から香積寺の境内にかけて、「イロハモミジ」や「オオモミジ」など、11種類、約4000本の紅葉を見ることができます。見頃は11月中旬から下旬で、近隣にある標高254mの『飯盛山(いいもりやま)』を含めた一帯が、赤色や黄色に染まる様子は圧巻です。

毎年11月には「香嵐渓もみじまつり」が開催され、期間中は21時まで夜間ライトアップも行われます。昼間とは異なる幻想的な姿は息を呑むほど美しく、雅な世界です。また近隣には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている足助(あすけ)の町並みがあり、宿場として栄えたかつての姿を垣間見ることもできます。

住所:愛知県豊田市足助町飯盛 MAP
アクセス:猿投グリーンロード力石ICより車で約15分/東海環状自動車道豊田勘八ICより車で約20分/名鉄名古屋本線東岡崎駅から名鉄バス乗車、バス停香嵐渓下車、乗車時間約1時間10分、バス停より徒歩すぐ

デザイン性に富んだ日本でも屈指の城跡。[岡城阯/大分県竹田市]

岩盤の上に緩やかな曲線を描く二の丸と三の丸の高石垣。岡城人気のフォトスポットとなっている。

岡城阯「荒城の月」を生んだ、天空の城。

標高325m、城下町の喧騒から離れた静かな山の上に建つ「岡城」。「日本100名城」の一つにも数えられ、滝廉太郎が「荒城の月」の楽想を得たとされる、国指定史跡です。

雨上がりの早朝には城内が一面霧に覆われ、周囲を雲海が包むことから“天空の城”としても親しまれている「岡城」。その幻想的な光景のみならず、石垣や登城道など随所に残されたアーティスティックなデザインが今、注目を集めています。

旅行サイト「トリップアドバイザー」が発表する「旅好きが選ぶ!日本の城ランキング 2018」で5位にランクイン。城跡部門では1位に輝いた。

早朝に見ることができる雲海。山々に霧がかかると、水墨画の様に幻想的な風景が広がる。

高等小学校時代を竹田で過ごした滝廉太郎の像。裏には滝廉太郎の同窓で制作を手がけた朝倉文夫の手紙が刻まれている。

岡城阯デザイン性の高い城造りの美学。

「岡城」は文治元年(1185年)、大野郡緒方荘の武将・緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)が源頼朝と仲違いしていた弟の義経を迎え入れようとして、築城しました。その後文禄3年(1594年)、豊臣秀吉に命じられて竹田へやってきた岡藩初代藩主の中川秀成(ひでしげ)によって、今の石垣作りの城へと変貌を遂げたのです。

「岡城」を訪れた観光客によると、「岡城」は「ヨーロッパの古城のようだ」と言います。確かに大手門の周囲は、そそり立つ石垣が出迎える勇壮な城とは異なり、西洋の古城を連想させる雰囲気が漂うのです。

「全国的にも珍しい「かまぼこ石」と言われる半円柱状の石塁をわざわざ加工して城の入り口に配置したり、高い技術が必要な石垣の螺旋階段を作ったり。実用性よりもデザイン性を重視したところに、城主・中川氏の美学を感じずにはいられません」と話してくれたのは、「岡城」に惚れ込んで竹田市に移住を決めた藪内成基氏。今回は「岡城」を知り尽くした彼に、歴史とともに城跡で見ることのできる景色や必見ポイントを案内してもらいました。

大手門へと向かう登城道はくねくねと曲線を描く道になっている。ここにかまぼこ石も配されている。

ヨーロッパの古城を感じさせる大手門。時期が合えば、石垣の間から満月を見ることができ、まさに“荒城の月”を感じさせてくれるのだという。

岡城阯特異な石垣は“魅せる”ことへのこだわりから。

西洋の薫りがする大手門を抜けると、広大な敷地に石垣だけが点々と残っていました。それらをじっくり見て歩くと、大小様々な石のサイズや切り方、積み方に多くのバリエーションがあることに気づきます。

藪内氏は「岡城」が山の上に建つ城でありながら、壮大で美しい石垣が築かれたことが面白く、そこにこそ高いデザイン性を見ることができるのだと言います。
「約20万年前、阿蘇山が噴火して、今の竹田城下町全体を火砕流や火山灰が埋め尽くしたんです。その堆積した火砕流が固まった溶岩台地の上に要塞を築いたのが「岡城」でした。岩山という特殊な地形に建っていること、さらに岩が加工しやすい火砕流だったことから、日本でも稀有な石垣の多い山城が誕生したと言われています」。

藪内氏は続けて、「岡城」の石垣には他の城にはない特徴があると言います。
「石のサイズや切り方、そして積み方のバリエーションが豊富であること。昔から台風や地震など様々な災害に襲われてきた「岡城」は、その時々で石垣を修復してきました。その際、元の形を踏襲するのではなく、当時の最先端技術を駆使して新たな形で修復を続けてきたんですよ」。

中川氏は自分たちの技術の高さを示す作品のように、城造りを行ってきました。そのため、四角くカットされた石があったかと思えば、丸くカットされた石もある。螺旋状に積み上げられたり、積み木のように積み上げられたり。豪華絢爛な天守閣はないけれど、当時の最新デザインを垣間見ることができるという奥深さがここにはあるのです。

本丸に近づくと、石をストレートにカットするデザインが見えてくる。敵軍の勢いを止めるため、道は直角に曲がるよう整備された。

本丸の入り口部分には六角形に切られた石が積み重なる石垣も。石垣の博物館といえるほどに様々な石垣が残っている。

岡城跡の広さは約100万㎡、大野川の支流、稲葉川と白滝川に挟まれている。

本丸から見下ろすことができる国道502号はメロディロードになっており、車が走ると「荒城の月」が音色が聞こえてくる。

岡城阯景色も石垣もデザインも、全てが唯一無二の城。

くじゅう連山や阿蘇山の連峰が彼方に広がる城跡は、豊かな木々や花に恵まれ、四季折々で表情を見せてくれます。

薮内氏は岡城の魅力はデザイン性だけでなく“ライブ感”にもあると教えてくれました。
「岡城に似ているお城はない。デザインはもちろんだし、ここで見れる景色も。大手門の間から登る朝日も素晴らしいし、阿蘇山に沈む夕陽も良い。石垣越しの満月を見ることもできる。24時間365日、移ろいゆく姿を見せてくれるのが魅力です」。

春になれば木々が芽吹き、夏になれば溢れんばかりの緑に覆われる。晩秋には紅葉の絨毯が出迎え、冬には雲海が。雨の日には石垣を濡らす雨水が艶やかな表情を見せ、風情ある雰囲気を醸すのです。

生き生きとしたエネルギーに満ちた城跡「岡城」。当時の姿に思いを馳せながら、城歩きを楽しんでみませんか。

桜やフジ、アジサイなど四季折々の花が咲く「岡城」。石垣の周りには彼岸花が美しく咲く。

当時の殿様も見れたであろう景色を、今なお見ることができることも魅力の一つだ。

住所:〒878-0013 大分県竹田市大字竹田岡 MAP
電話:0974-63-4807

開催10日前に緊急決定! 福岡の雄と韓国料理の重鎮が挑む即席ポップアップレストラン。[La Maison de la Nature Goh/福岡県福岡市]

イベント後の店の軒先での一枚。福山氏は、次回はガガン氏を連れてソウルへ足を運ぶことを約束していた。

ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ韓国料理の重鎮が初めて福岡に降り立ち、挑んだコラボイベント。

「自分もいろんなシェフと多くのコラボイベントを開催させていただきましたが、こういうスタイルは始めてですね。今日は、先生の料理を食べてもらうことが目的になりそうです」

そう話すのは、福岡市中央区の西中洲の路地裏に店を構えるLa Maison de la Nature Gohのシェフ・福山剛氏。そう、今年の春に発表された2018年「アジアのベストレストラン50」において48位を獲得、2年ぶりにベスト50内に返り咲いたことでも話題となったシェフです。その福山氏といえば、これまでにも「アジアのベストレストラン50」において4年連続トップに輝いたタイ・バンコクの『Gaggan』と幾度となくイベントを行ってきたことでも知られ、その『Gaggan』のガガン・アナンド氏がバンコクの店を閉め、2020年に福岡に開店する予定の新店でタッグを組むことになる張本人でもあるのです。

そんな福山氏をして、先生と呼ばせるシェフとは一体誰か? そして、「こういうスタイルは始めてです」と言わしめるイベントとはどんなものなのか。

去る925日にLa Maison de la Nature Gohで開催された1日限りのポップアップランチ「EAT! SEOUL」を、ONESTORYが取材してきました。

福山氏は2020年までにLa Maison de la Nature Goh』をたたみ、Gaggan』のガガン・アナンド氏とともに福岡で新店をオープン予定。

「アジアのベストレストラン50」で31位を獲得した2016年以来、2年ぶりの返り咲きとなった。

韓国では「シェフの先生」と呼ばれるチョ・ヒスク氏。今をときめくソウルのシェフたちがチョ氏へ教えを請いにやってくる。

ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウコラボ慣れした福山氏が「これは初めて」と目を丸くした理由とは?

今回、福山氏とタッグを組んだのは、これまでにさまざまなコラボイベントを行ってきた福山氏も初となる韓国人シェフでした。その方こそ、韓国では「シェフの先生」とも呼ばれるチョ・ヒスク氏です。

チョ氏は、ソウルの『韓食工房』という11組限定のゲストをもてなすコリアンレストランのオーナーシェフであり、ソウルきってのファインダイニング『韓食空間』の総括シェフを務める韓国料理の重鎮。それだけでなく、先の平昌オリンピックでは、公式シェフとして海外からの数多のVIPをもてなし、「アジアのベストレストラン50」において韓国勢トップの11位を獲得した『Mingles』のカン・ミングー氏をして、「わたしの師」と言わしめるシェフなのですから、その実力は推して知るべし、といったところでしょう。

そして、福山氏にとってはじめてのこととなったのは、韓国人シェフとのコラボレーションだけではありませんでした。というのは、このイベントの話が福山氏のもとへ届いたのが、実は開催日の10
日ほど前のことだったのです。この手のイベントとしては異例中の異例ともいえる超短期間での開催となったのです。

「なにせ10日ほどしかありませんでしたからね(笑)。普通ならシェフ同士が互いの意見を交えてひとつのお皿を完成させたり、その組み合わせを考えたりするもんなんですけど、10日ではとてもではないけど時間が足りませんでした」

そのため、今回のコラボでは互いの料理を交互に出すことで、ひとつのコースとして完成させるというスタイルを取ることに。このことが、福山氏の冒頭の「初めて」という言葉に繋がった所以だったのです。

「けれども、やるからには中途半端なことはできない。一昨日に先生がいらして、そのまま福岡の市場を案内して、食材探しに奔走。昨日はイベントに備え、1日中仕込みとなりました」

ソウル市が協賛となり、イベントは急遽決定。当日は韓国のグルメ誌『Bar & Dining』も取材に訪れていた。

イベント名も実にシンプルで、テーマはスバリ「ソウルを食べる」。韓国料理と福山氏の料理に酔いしれるランチとなった。

ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ手を取り合い、そしてせめぎ合う二人の料理がひとつのコースとなって…。

今回のポップアップランチで供された品は、デザートの2皿を含めた全8品。まずはその内容を掻い摘んでご紹介していきます。

コースの先陣を切り、先付けとして挨拶代わりに登場したのは、海苔とじゃがいものチップス。次に、「チョンビョン」と「テハチム」という韓国の宮廷料理を端にする料理が供されました。控えめに言っても、この料理からしてチョ氏の韓国ワールドは全開でした。

海苔のチップスは、溶かしたもち米を海苔にまぶし揚げたもので、じゃがいものチップスはスライスを塩漬けにした後、乾燥させてからフライに。蒸しエビを松の実のソースで和えるテハチムも食べやすいようにアレンジし、一口サイズの串刺しで供するなど、シンプルでありながら、隠れた手間と仕事が垣間見えました。

そして、ゲストの期待を十分に高めてからの1皿目は、さらに韓国色を加速させた「牛足餅」。牛すじとスネ肉をじっくりと煮込み、溶け出したコラーゲンで冷やし固めたテリーヌのような料理は、まろやかな塩味が印象的。チョ氏は、「今回はほとんどの食材を日本のものでまかないましたが、一番難しかったのが塩。味の決め方がいつもと異なり、すごく悩みました」としながらも、その上品な塩加減は、日本人の舌にしっかりと寄り添う味わいでした。

2皿目は、福山氏の「鯖 大根 カボス」。皮目を炙った鯖を葱で巻き、その上にシャーベット状の大根おろし、カボス、さらにキャビアをのせた一品です。味わい、香り、食感が重層的に溶け合う料理からは本気度を実感。コラボコースという位置づけながら、美味しさを競い合っているという、印象を受けたのでした。

先付のひと皿。串スタイルで供された「テハチム」というエビの松の実ソース和えと、「チョンビョン」というそば粉のクレープ包み。

「牛足餅」。添えられたサラダは、辛子の種を発酵させて作った、さわやかな辛みのあるソースを和えたもの。

「鯖 大根 カボス」。シャーベットの辛み、カボスの香り、キャビアの塩みが、鯖の旨みに絡み、口の中で悶えるように重なり合う。

ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウコースが進み、気づいていく韓国の伝統料理の素晴らしさ。

3皿目は「オマンドゥ」という韓国式の魚の餃子。本来、日本でいうニベ(イシモチ)が使われますが、この日はアコウダイを代用。松茸、ズッキーニ、たまねぎで仕立てた餡を、餃子の皮のかわりとして魚の身で包んで蒸し上げた一品です。こちらも韓国の宮廷料理のひとつで、玉ねぎの醤油漬けを合わせるなど、食材の持ち味を生かした料理でした。

続く福山氏は、スペシャリテである「鮑、椎茸、リゾット」で、重厚な味わいで緩急をつけてきました。鮑の肝とほうれん草のリゾットに、大ぶりにカットした鮑と椎茸。鮑と椎茸という、どこか親和性のある食感が、焦がしバターソースと合わさり、その対比を楽しませてくれます。

メインの肉料理はチョ氏が担当。「カルビチム」は本来であれば、アバラを使うところを「食材がいいと聞いたので」と、タンを使って煮込んだといいます。

そして、締めの一品の「冷麺」が供された頃に、ハッと気づくのです。チョ氏の作る料理は、キムチやチャンジャなど、ふだん日本人が慣れ親しむヤンニョムによる味付けの韓国料理とは全く異なることに。しかし、それこそが、チョ氏の目指すべき料理でもあったのです。

「海外でも韓国の伝統料理が味わえますが、それだけが韓国料理の全てではありません。まだ知られていない韓国料理の伝統をいかに広めていくか。自分なりの解釈やモダンなアレンジを加えて、韓国の伝統料理を表現し、より多くの方に本当の韓国料理を知っていただけたらうれしい」

EAT! SEOUL」というイベント名からも分かるように、まさに、それこそが今回のイベントの趣旨だったのです。

こちらは韓国の宮中料理「オマンドゥ」。ふっくらと蒸し上げられた魚の旨みが際立つ一品。味付けは韓国料理の概念を覆す優しい味わい。

「鮑、椎茸、リゾット」。ムチムチ、プルン。肉厚の鮑と椎茸に焦がしバターソースの濃厚な味が合わさりリゾットは幸せにまみれる。

共同でなにかの料理を作り上げるということはなかったふたりだが、それでもわずか3時間ほどの宴のために全力を尽くした。

ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ10日で決したイベントが、確かな手応えと少しの無念とともに幕を下ろす。

チョ氏の料理を味わい、韓国の伝統料理を知る。狙いが明確だからこそ、コラボレーションしながらも福山氏は一歩引いた形で当日に挑んだ今回のイベント。振り返れば、福山氏の料理も、チョ氏の料理の上品さや豊かな滋味を、あえて力強い味わいの料理と組み合わせることで引き立てていたのかもしれません。

「いつもとちょっと違って、主役が先生ですから、少し客観的に見られたことが新たな発見にも繋がりましたし、何より先生のその仕事ぶりに大きな感銘を受けたんです。だって、昨日なんて『どれだけ働くの?』って思うくらい、仕込みをしていましたからね。今日出たオマンドゥの魚だって深夜の2時くらいから捌いていました(笑)。先生は何より仕事が細かく丁寧で、妥協をしない方。正直、こういうイベントでは、付け合わせの数を減らすなど、どうしても妥協しないといけないことがあるんです。けれど、先生はそういう細かいところの妥協すら許しません。『そういえば、フレンチの古典もこうだったよな』って若かりし頃の修業時代を思い出し、何か料理の原点を思い知らされた感じですね」

ただ、そんな思いと同時に少しの心残りもあった様子で、「もう少し時間があって、先生ともっと打ち合わせを重ねてイベントに挑めたら、もっと楽しいことができたはず」とも。

イベント後、店の外でゲストを見送った福山氏はチョ氏に歩み寄り、「今度はカガンを連れて、ソウルの先生のもとへ勉強しに行きますね」と言って、笑顔でガッチリと握手。

そこには、即興イベントだったからこそ短い時間で得た確かな手応えと、少しの口惜しさが垣間見えました。

二人にとって多忙を極めた10日間も、今日の3時間でその苦労が報われたかたちとなった。何よりイベント後のふたりの笑顔がそれを物語っていた。

1971年生まれ。福岡県出身。高校在学中、フレンチレストランの調理の研修を受け、料理人の道へ。1989年、フランス料理店『イル・ド・フランス』で研鑽を重ね、その後、1995年からワインレストラン『マーキュリーカフェ』でシェフを務めた。2002年10月、福岡市西中洲に『La Maison de la Nature Goh』を開店。2016年には、九州で初めて「アジアのベストレストラン50」に選出された。西部ガスクッキングクラブ講師などを務める。

朱に染まる神話の山を鮮やかに映す、澄明な池。[鏡池/長野県長野市]

例年10月上旬から下旬が見頃。紅葉と雪が同時に見られることもある。

鏡池「天の岩戸」伝説の里で、赤々と燃えるような紅葉を観賞。

荒々しく切り立った峰々を有する『戸隠連峰』。そのひとつである『戸隠山』には、神話の時代、天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れたとされる「天の岩屋」の「岩戸」を、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が下界に向かって投げたところ、それがそのまま戸隠山になったという伝説が遺されています。

戸隠山の裾野に広がる戸隠高原は標高が高く寒冷な気候で、水田耕作を行う際、水を太陽光で温めてから田に行き渡らせる必要があり、そのためにつくられたのが『鏡池』です。標高約1210mの所にあり、長径約350mの池はその名のとおり鏡のような役割を果たし、秋の好天時には戸隠連峰に生息する「カエデ」や「モミジ」、「ブナ」が色づく姿を鮮明に映し出してくれます。

例年10月下旬には近隣の『荒倉キャンプ場』にて、獅子神楽や舞踊が披露される「鬼女紅葉祭り」が開催され、10月末頃から11月中旬にかけてはそばの食べ歩きが楽しめる「戸隠そば祭り」が行われます。赤々と燃えるような紅葉を借景に、日本古来の文化や美味を楽しむ、贅沢なひと時をお楽しみください。(文中には諸説ある中の一説もございます)

住所:長野県長野市戸隠 MAP
アクセス:上信越自動車道信濃町ICより車で約30分/上信越自動車道長野ICまたは須坂長野東ICより車で約1時間/JR長野駅からアルピコ交通バス乗車、バス停・鏡池入口下車、乗車時間約1時間、バス停より徒歩約40分 (※10月の土曜・日曜・祝日はマイカー規制あり。戸隠スキー場または中社、奥社駐車場からシャトルバスが運行予定)

日本の伝統技術を世界で評価されるブランドに。[suzusan/愛知県名古屋市]

風前の灯だった『有松鳴海絞り』を世界に通じる人気ブランドへと再生。

スズサン受け継いだ伝統を未来に残していくために。

独特の白抜き紋様と、それに絶妙なアクセントを加える表情豊かな「絞り」。これは愛知県名古屋市の有松・鳴海地域で400年以上にわたって受け継がれてきた『有松鳴海絞り』をモダンに転換した、『suzusan』のファブリックです。

『有松鳴海絞り』を受け継ぐ鈴三商店の5代目として生まれた村瀬弘行(むらせ・ひろゆき)氏が、当初はアーティストを目指して渡った欧州の視点でアレンジ。ルームメイトだったクリスティアン・ディーチ氏とドイツで新たに起業して、『有松鳴海絞り』の伝統のプロダクトである浴衣ではなく、「欧州の暮らしの中で生きる日本の伝統工芸」として生まれ変わらせました。

かつては1万人もいたという職人が今では200人以下にまで激減してしまい、存続すら危ぶまれていた『有松鳴海絞り』。それを海外のニーズに沿って再解釈し、完全オリジナルのブランドとして再生させました。

村瀬氏。『suzusan』のクリエイティブ・ディレクターとして生地の選定からデザインまで行う。

村瀬氏の実家が担っていた「型彫り・絵刷り」の工程はデザインのパート。そのため『有松鳴海絞り』の技法を全て把握しており、それが『suzusan』のファブリックにも生きた。

スズサン多彩な伝統技術を背景に世界へ挑戦。

『suzusan』の強みは、『有松鳴海絞り』の100種類以上もの技法を生かした多彩な表情にあります。ストールやニットなどのファッションアイテムを中心に、ブランケットなどのホームファブリックや照明にいたるまで、幅広くラインナップしています。

従来の浴衣という形にとらわれない、それでいて、伝統の染めと絞りの美しさを堪能できるブランド。更に『有松鳴海絞り』の複雑な工程を簡略化して、デザインで魅了する手法も考案しました。それでも日本の手仕事は世界的に高い水準にあるため、欧州の市場で十分通用するそうです。

『有松鳴海絞り』の歴史は400年以上と、他の国の染めの産地と比べると新しいそうですが、尾張藩が定めた専売制によって、複雑な分業制が確立されていました。そのため、非常に多彩な技法が今も受け継がれています。

通常はひとつの産地に多くて3つほどしかないという染めの技法が、最盛期の有松にはなんと200種類以上も存在。現在はその半数ほどが後継者不足によって失われてしまいましたが、それでも100種類以上もの技法が残っています。

『suzusan』は、これらの技法を駆使して多種多様な柄を表現。産業としてこれだけの技術が整っている産地は世界でも珍しく、世界で勝負する際に、これらの先人の遺産に支えられていることを強く実感するそうです。

「ひとつの家にひとつの技法」といわれるほどに、多種多様な技法を誇る『有松鳴海絞り』。

スズサン豊富な技法を生かした大胆な戦略が当たった。

村瀬氏は、「『有松鳴海絞り』の技法をどうやって世界に通用するブランドにしていこうか」と考えた際に、「従来の浴衣では、日本文化の枠から抜け出すことはできない」と思いいたったそうです。その発想を後押ししてくれたのが、当の『有松鳴海絞り』の柔軟性でした。

浴衣などの木綿地を染める技法として発展してきましたが、二次加工のための技術なので、どんな素材にも応用できるのです。そこでカシミアやアルパカなど、高い付加価値を与えられる素材を採用。それらに伝統の絞り染めを施すことで、人の手仕事の温もりを加えて、今の暮らしに生かせるアイテムへと転換したのです。
「“日本”や“伝統”といった型を押しつけずに、『風通しのいいデザイン』をモットーとしています」と村瀬氏。その謙虚さが、『suzusan』の美点や個性となっているのです。

実際、村瀬氏のコンセプトと着眼点は高く評価されました。2012年からはパリ、2014年からはミラノファッションウィークでコレクションを発表し、ヨウジヤマモトをはじめとする多数のブランドとのコラボレーションや、クリスチャン・ディオールなどへの生地の提供を行っています。

パリの生地展示会ではエルメス、シャネル、ディオール、ロエベなど、そうそうたるラグジュアリーブランドから評価された。

モダンな日常に自然に溶け込みながらも、確かな存在感を放つ。

スズサン手探りで立ち上げたブランドが、世界の一流ブランドとショップに認められた。

こうして村瀬氏が立ち上げた『suzusan』は、当初こそ売り込みに苦心したものの、世界に名だたるブランドやショップに採用されるようになりました。

留学先のドイツの学生寮で企画して、ボロボロの車にサンプルを詰め込んで、アポイントメントなしでヨーロッパ中を売り歩いた日々。それが10年もの歳月を経て、大きく実を結んだのです。

「当初は展示会に出るお金もなく、電話をかけてもアポイントメントも取れず、そうやって売り込むしか方法がありませんでした。お金も知識もなく、『有松鳴海絞り』の職人も日々廃業していくという最悪の状況でしたが、こんなに大変だと知っていたら挑戦しなかったと思います。今思えば、それがラッキーでしたね」と村瀬氏は振り返ります。

高級セレクトショップが並ぶミラノ・モンテナポレオーネの中心にあるBiffiの姉妹店BANNERで、今季ミラノファッションウィークの最中にウインドーを飾った。

イベント開催中の店内にて。左から Biffi バイヤー Rosy Biffi 氏、村瀬氏、Pitti ディレクター Antonio Cristaudo氏、Biffi オーナー Tiziano Cereda氏。

スズサン先の見えない苦労を重ねた日々が、今の『suzusan』を創り上げた。

村瀬氏曰く、「当時は家賃も払えないのに8万円もするストールを売っていたので、本当にしんどかったです。そんな中、ミラノのBiffiというブティックに売り込みに行った際に、『いつかここに僕のブランドが置かれるようになれば、本当に嬉しいです』と話しました。すると、『あなたのブランドを置けるように祈って待ってるわね』と言って頂けたんです。その言葉を励みに頑張り続けたところ、その後Biffiのオーナーがパリの生地展示会に来てくださって、その上オーダーまでしてくださいました。そうして現在は、Biffiに『suzusan』が陳列されています」とのこと。

このBiffiとは、古くはケンゾーやヨウジヤマモト、近年ではステラ・マッカートニーやシモーネ・ロシャなどを見出した、目利き中の目利きです。そんな世界中のファッション関係者が注目する老舗で、2018年、『suzusan』のウィンドウディスプレーと特別なイベントが、ミラノファッションウィークの期間中に開催されました。

「数本のストールから始めた小さなブランドが、2018年で10周年を迎えることができました。当時の私からすると、夢のようです」と村瀬氏は語ります。

羽のように軽いカシミアのストール。幅150cm・長さ250cmもの超大判だが、わずか100gしかない。

繊細な生地の上に夢幻の染めと絞りを描く。

スズサン常に最高級の素材を追求。

村瀬氏は「素材は常に最高級のものを追求しており、私自身が工場に行ったり素材を探しに行ったりと、様々なリサーチをしています」と言います。そうやって見出した素材から、コレクションがスタートすることも多いそうです。続けて「『この素材をどう染めようか?』という発想につながるんです」とも話します。

まるで一流のシェフが、その技術に適した食材を探しに行くようなスタイル。例えば定番アイテムのカシミアのストールは、幅150cm・長さ250cmもの超大判ですが、重さはわずか100gしかありません。極細のカシミア糸をネパールの職人が空気を含ませながら手織りすることで、エアリーな軽さと最高級の品質を実現しています。

また、ニットウェアは愛知県のニット工場で編んでもらっていますが、繊維が長く上質な原毛を、あえて甘く撚(よ)ることで、洗うたびに膨らみや軽さが出るよう計算しています。加えてアンティークな紡績機を改良して編み上げているので、一度触ったら忘れられない、独特の風合いとなっています。

挑戦と変化を続けることで、新たな伝統を生み出す。

シンプルな染め柄の陰にも多くのトライ&エラーがある。失敗や試行錯誤が新たなコレクションになることも。

スズサン失敗すら新たな表現の糧に。奥深い絞り染めの世界。

「こういった厳選した素材を使っているので、染めの工程も真剣勝負です。あらゆる過程に神経を尖らせていますが、それでも手仕事ですので、残念ながら失敗することもあります。数日かけて準備して、染める時間はほんの15分ほど。その一瞬のコンディションで、柄の出方が左右されます。まるで焼き物のような不確定要素がありますね」と村瀬氏は語ります。

更に、常に新たな素材を追求しているため、失敗と改良の繰り返しです。今季の2018年秋冬コレクションの中には中央に細い線を染め抜いたシンプルなニットウェアがありますが、この柄を実現するまでには、なんと5回もの失敗を重ねたそうです。ほとんど諦めかけていた時に、ようやく作り出せた柄なのだとか。

「もっとも、こうした試行錯誤が新たな柄を生み出すこともあるんです」と村瀬氏。例えば染料の分量を間違えた染めが、驚くほど有機的で独特な雰囲気の柄になることもあるのだとか。それをパリやミラノで発表したところ、非常に高い評価を得たそうです。

村瀬氏の取り組みによって、寂れていた有松の地にも活気が戻った。スタッフと日々切磋琢磨しながら新しい技法を探る。(hoto by Miaki Komuro)

スズサン一過性のブームではなく、永続的な価値として根付かせるために。

「日本の伝統工芸や手仕事は、世界的に見ても素晴らしい技術です。ですが、日本ではそれが当たり前になりすぎていて、正しく評価されていないように思えます」と村瀬氏。

「幸い私は一度日本を離れたため、改めてその価値に気付くことができました。でも、そのように国内外で改めて評価されつつある動きすら、“伝統工芸ブーム”や“made in Japanブーム”といった一過性のものに終始してしまうのではないか、と危惧しています」と村瀬氏は話します。

価値あるムーブメントも、流行として消費されがちな日本のマーケット。村瀬氏は「そんな風潮の中でも、時間をかけて作られたモノの価値を見出して頂きたい」と願っているそうです。

「更に“ジャパン・アズ・ナンバーワン”という考え方についても、ぜひ再考して頂きたいですね。かつて欧州の印象派の画家たちは、日本の浮世絵を参考にして数多くの傑作を生み出しました。ですが、彼らが評価したのは“フジヤマゲイシャ”といった形骸化したイメージではなく、空間の切り取り方や色使いなど、それまで西洋にはなかった独特の美意識でした。ですが、当の日本では『ステレオタイプのモチーフを売り出せば評価される』と勘違いされているように思えます。そういった国内外の温度差や意識の違いを、ぜひ見極めて頂きたいのです」と村瀬氏は語ります。

日本的なモノ、日本的な考え方はますます世界の注目を集めています。そんな中で作り手・売り手・使い手の全てが、こうした考え方を見つめ直す必要がある――村瀬氏はそのように考えているそうです。

染めと絞りの妙を最新のファッションと素材に映す。

日本の手仕事の価値をいかに海外に広めるか――その答えが『suzusan』の中にはある。

スズサン世界で人気のsuzusanのコレクション。それに触れられる絶好の機会が到来!

現在『suzusan』の商品は、パリのL'eclaireur、ミラノのBiffi、ニューヨークのTiina the Store、ロンドンのMouki Mouなど、23ヵ国、120店舗以上の一流ショップで販売されています。「伝統工芸」というややレトロなカテゴリーに留まりがちな存在にも明るい未来がある――それを若い世代に伝えるために、常に新しい展開を心がけているそうです。

「今後は海外の拠点であるドイツのデュッセルドルフと、地元の有松に直営店をオープンする予定です。『suzusan』の顧客には『商品が作られている現場を見たい!』と有松まで訪ねて来てくださるような熱心な方もいらっしゃいますが、これらの直営店を“使い手と作り手の交差点のような場所”にしたい、と考えています」と村瀬氏。

更に現在、「現象」をテーマとした2018年秋冬コレクションを東京のポップアップイベントで販売中。『有松鳴海絞り』と『suzusan』ならではのストーリーを感じられる絶好の機会です。「ぜひ直接手に取って、選び抜かれた素材と伝統の手仕事の融合を感じてください」と村瀬氏は語ります。
 
●10月5日(金)~16日(火) (Plain People/東京都港区南青山5丁目35)
※13日(土)・14日(日)は村瀬氏も店頭に滞在
●10月31日(水)~11月6日(火) (日本橋三越本館 1F 天女像前)
 
ニッチでラグジュアリーなブランドとして再生した『有松鳴海絞り』。その実物と世界にムーブメントを起こし続ける実力を、目と肌で感じてみてはいかがでしょうか?

あらゆるファッションアイテムに魅力を加える、可能性に満ちた技法。

1枚のファブリックに凝縮された伝統が世界の人々を魅了する。

住所:愛知県名古屋市緑区有松3026 (suzusanショールーム) MAP
電話:+81 52-693-9624
営業時間:10:00~18:00
http:www.suzusan.com

一枚の絵のような風景を留める、純粋で美しい棚田。[星野村の棚田/福岡県星野村]

山の傾斜に沿うように、石垣が曲線のように組まれた棚田。昔から受け継がれてきた美しい里山の風景がここに。

星野村の棚田地形を生かし、里山に入り組んだ千枚田。

福岡県南部、大分県との県境に位置する八女市星野村。清流星野川が流れ、山々の傾斜地に階段状の水田「棚田」が幾重にも広がる里山は、「日本の里100選」にも選ばれています。かねてから訪れてみたいと思っていた場所で、タイミングよく秋に来訪する機会がありました。収穫時期を迎え、豊かに実った稲穂に、田んぼの畦道には真っ赤な曼珠沙華が咲き、その光景がとても美しかった。棚田は日本各地にありますが、星野村の棚田は山の曲線に沿って棚田が入り込んでいる。星野村に向かう途中の集落にも棚田があり、一見の価値がある。地形を巧みに生かした風景は、一枚の絵のようで、桃源郷を思わせます。

清流星野川が流れる里山の景色。星野村に向かうまでの集落にも、美しい棚田が維持されている。

星野村の棚田美しさを維持すべき、棚田の景色。

星野村の棚田は素直で純粋な形を残していますが、これほど見事で美しく維持されている棚田は日本に数えるほどしかないでしょう。世界的に見てもフィリピンのバンギオ、中国の雲南省にも棚田はありますが、後継者不足により維持できず、石垣や水路が崩れ出している状態。さらに区画整理や開発によって棚田の風景がつまらないものになってしまった。非常に残念で、今後の問題であり課題でもあります。星野村も同様の問題を抱えており、一部は田んぼではなく、玉串などで奉納する榊など木々を植えている。見苦しいほどではありませんが、本来の棚田の田園風景とは異なります。地元の方々や行政が力を入れているか背景はわかりませんが、将来的にどうなって行くのか脆さを抱え、懸念されます。こうした美しい景色を維持できているのは本当に稀少であり、だからこそ価値がある。とてもありがたく感じるのです。

秋を迎え、稲穂が豊かに実る。これほどまでに純粋で素直な形で残された棚田は日本でも稀。

畦道や石垣に沿って咲き誇る曼珠沙華。木々の緑、稲穂の黄色、曼珠沙華の赤と自然美に目を奪われる。

住所:〒834-0201 福岡県八女市 MAP
星野村観光ナビ
http://www.hoshinofurusato.com

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

作品は人、観るのも人。だから舞台芸術は面白い。[KYOTO EXPERIMENT/京都府京都市]

ロベルタ・リマ『水の象(かたち)』Photo: Tomi Kattilakoski. 2018. Courtesy of Roberta Lima and Charim Galerie.

京都国際舞台芸術祭舞台芸術の前衛都市、京都。

「舞踏やダンスパフォーマンスの面白さが分からない」という方、多いのではないでしょうか。そういったジャンルの舞台芸術が市民に浸透している街があります。それは、京都。国際的に見ても先駆的な取り組みがなされ、2010年から毎年「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」が開催されています。なぜ京都にはその素地があるのか、そして舞台芸術の魅力はどこにあるのか。今回は、プロジェクトを牽引する橋本裕介氏の想いとともに、芸術祭の見どころをお伝えします。

そもそも舞台芸術とは何なのか、まずはその定義から確認していきましょう。一般的に舞台芸術とは、演劇、歌舞伎、ミュージカルなど、舞台や空間上で行われる芸術の総称です。能や狂言も含まれます。つまり「人」そのものが作品となり、鑑賞対象となるものが舞台芸術です。(後編はコチラ)

近年では小説の執筆も手がる劇作家・演出家の市原佐都子氏。Photo by Mizuki-Sato -

京都国際舞台芸術祭元小学校が市民に開かれたアートの場に。

2000年に京都にできた『京都芸術センター』は、アート業界に驚きを与えました。オフィス街にある廃校になった「明倫小学校」を、市が芸術関連の施設として活用し、若手アーティストを支援する拠点としたのです。ここで2004年から「演劇計画」というプロジェクトをスタートさせたのが、のちに「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」を立ち上げた橋本氏でした。

京都芸術センター。カフェや図書館もあり誰でも入れる雰囲気。Photo by OMOTE Nobutada

京都国際舞台芸術祭作る場所も演じる場所も一緒、という革命的なスタジオとなった。

通常、演劇は稽古場で何もない場所にセットがあるものと仮定して練習し、直前のリハーサルからようやく舞台で演じられるのが普通です。それが『京都芸術センター』は稽古場も発表の舞台も備えているため、最初から舞台美術や音楽もある空間の中で「作る」から「発表する」までを一連の作品として作り上げることを可能にしました。橋本氏は「舞台美術も音楽も、演技と同じくらい大切な要素」と考えています。「演劇計画」では公募で選んだ若手演出家のさまざまな作品を、芸術センターで公演するという試みでした。

『京都芸術センター』の体育館だったスペース。演劇・ダンスの公演やワークショップに使用。Photo by OMOTE Nobutada

京都国際舞台芸術祭「たまたま観て」ハマることもある。それが人生観を変えることも。

自身も高校時代にたまたま観た舞踏グループの公演がきっかけで今の道に進んだという橋本氏。舞台芸術が「外に向けて開かれている」ということを重要視していました。芸術センターは誰でも利用可能な図書室やカフェを備え、極めてパブリックな空間。そんな場所での「演劇計画」は、それまで縁遠かった人にも演劇や舞踏に興味を持ってもらい、京都における舞台芸術文化の底上げに大きく貢献したと言えます。

2009年まで続いた「演劇計画」ですが、橋本氏は「近郊だけでなく東京など関東からの人にも公演を観に来てもらいたい」と考えるように。そして、より広範囲に京都の舞台芸術を知って欲しいとの想いから立ち上げたのが、「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」。芸術センターや立誠小学校跡など京都市内の劇場を中心に、世界各地の先鋭的な舞台芸術を紹介するイベントです。

「とにかく最初はおもしろい作品が生まれる瞬間に立ち会いたかっただけだった」と橋本氏。

京都国際舞台芸術祭“人のパフォーマンス”には限界がないのかもしれない。

例えば過去には、実際に起きた男児誘拐殺人事件とカフカの「流刑地にて」に着想を得た創作能や、全身を漆黒に染めたダンサーがひと塊になって観客の間を蠢きまわるパフォーマンスなど、世界中から集まった10数組の表現者たちが毎年奇想天外な作品を発表。2017年には地元の小学生がフェスティバルの公式審査員をつとめるプログラムも行われ、まさに老若男女、アートへの興味の有無を問わない人も楽しめるイベントに発展しました。

「そもそも舞台芸術の面白いところは、観るものが“生身の人間”あること」と橋本氏は語ります。また世界中の人が舞台上で演じるため、海外の人がどんな体つきで、動きで、声で、メッセージを伝えようとするのかということに対峙できます。「『人』を観る面白さを、舞台でぜひ味わっていただきたい」と橋本氏。

動物的な欲望や性の生々しい表現に挑む『毛美子不毛話』。Photo by Mizuki-Sato。

京都国際舞台芸術祭今年は“女性というジェンダー”に鋭く切り込む。

2018年は女性、そして“女性というジェンダー”をアイデンティティとするアーティストと団体にフォーカスを当て、全12プログラムを紹介します。これまでの「KYOTO EXPERIMENT」からさらに新たなステージへ昇華し、現代への問いとメッセージを発信し続ける舞台芸術の祭典。第9回の詳細は、後編にてお伝えします。(後編はコチラ)

開催期間:2018 年 10 月 6 日(土)〜 28 日(日)
開催場所:ロームシアター京都、京都芸術センター、京都芸術劇場 春秋座、京都府立府民ホール “ アルティ ”、元離宮二条城、ほか
料金:1作品一般2,000円~、フリーパス30,000円、3公演チケット7,800円
https://kyoto-ex.jp/2018/

鮮烈な青色に染まる水面と紅葉との神秘的なコントラスト。[芭蕉沼/岩手県八幡平市]

岩手県内屈指の紅葉の名所、森ノ大橋から松川温泉へ向かう道の途中に位置する。

芭蕉沼清らかな渓谷と湿地を、紅葉したブナやナラが彩る。

八幡平(はちまんたい)温泉郷から松川温泉にかけて続く『松川渓谷』は、岩手県内有数の紅葉スポットとして知られています。「ブナ」や「ナラ」の原生林が周囲を覆っていて、紅葉のピークを迎える10月上旬から中旬には、渓谷全体が紅色や黄金色に染まり、ダイナミックな自然を満喫することができます。

中でもひときわ目を奪われるのが、観光名所の『森の大橋』から松川温泉へ向かう途中に現れる湿地帯です。水の流れが穏やかで、静謐(せいひつ)な雰囲気が漂う『芭蕉沼』は、一帯を覆う紅葉と青空が水面に精緻に映し出され、感動的な光景をつくり出します。付近には駐車場もあるため、気軽に立ち寄れる点も魅力といえるでしょう。

紅葉のシーズンには周囲で様々なイベントが催され、特に毎年10月中旬に開催される「八幡平紅葉まつり」では、紅葉ウォーキングやステージイベントの他、縁日や屋台も出店し、賑わいと熱気に包まれます。(文中には諸説ある中の一説もございます)

住所:岩手県八幡平市松尾 MAP
アクセス:東北自動車道松尾八幡平ICより車で約20分/JR盛岡駅から岩手県北バス乗車、バス停・県民の森下車、乗車時間約1時間35分、バス停より徒歩約35分

地元ソウルフードに着想を得た2品。B級グルメを至高のディナーメニューに変えるシェフのアイデアと技。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]

幼い頃から親しんだ、徳吉シェフにとっての“鳥取”をイタリア料理で再現。

ダイニングアウト鳥取・八頭「Energy Flow-古からの記憶を辿る-」のテーマに隠された一側面。

2018年9月8日、9日に開催された『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』。伝説の舞台となり、古くからのパワースポットとしても知られる鳥取県八頭町の魅力を伝えるべく「Energy Flow-古からの記憶を辿る-」とのテーマが設定されました。周囲にあふれる自然のエネルギーを感じ、そして土地に脈々と伝わる記憶を辿ることで、鳥取の魅力を紐解く。そんな難しいテーマに徳吉洋二シェフは挑みました。

実はこのテーマには、もうひとつの側面がありました。というのも今回は、地元・鳥取出身の徳吉シェフが生まれ育った土地で行う、史上初の“凱旋ダイニングアウト”。土地に伝わる記憶だけでなく、徳吉洋二というひとりの人物のなかの記憶を紐解くことでも、鳥取の味を伝えることを目指したのです。この街に生まれ育ったシェフと、そのシェフを育てた土地。その両面の記憶から辿る旅は、果たしてどのような料理として実を結んだのでしょうか?

シェフが故郷で行う“凱旋ダイニングアウト”ならではの魅力が料理に表れた。

ダイニングアウト鳥取・八頭鳥取のソウルフードを起点にしたメニュー。

発想の原点は、ソウルフードにありました。まだ料理人になる前の徳吉洋二という青年が、家族や友人と一緒に食べた鳥取名物。それは徳吉シェフが上京し、やがてイタリアへ渡り、シェフとして大成してもなお、心のなかに深く根付いていたのでしょう。

2018年6月某日、鳥取への食材視察に訪れた際、徳吉シェフはスタッフたちをなじみの店に連れて行ってくれました。「ここのホルモンソバが最高なんです。地元の人は“ホルソバ”って呼びますけど」店の名は『御縁』。小さな店ですが、徳吉シェフが幼い頃から親しんでいたという老舗です。鉄板の前には名物女将が陣取り、注文が入るとホルモンとそばを手早く調理。クニュっとした食感のホルモンは噛むごとに甘みが溢れ、甘辛のタレが絡んだ焼きそばと絶妙な相性。聞けばこの店に限らず、ホルモンソバは鳥取県民なら知らぬ人はいない地元名物なのだとか。

そのおいしさにも驚かされましたが、徳吉シェフがこのホルモンソバを『DINING OUT』のメニューに取り入れると聞いてさらに驚愕。いわゆる“B級グルメ”のこの料理を、イタリア料理のコースのなかにどのように取り入れるのでしょうか。

『御縁』は、徳吉シェフも昔から通う名店。女将の人柄も店の魅力に繋がっている。

鳥取のソウルフード・ホルモンソバ。甘辛のタレとホルモンの旨みが後を引く。

ダイニングアウト鳥取・八頭ホルモンソバを解体、再構築したコースのなかの魚料理。

結論からお伝えしましょう。徳吉シェフは記憶のなかのホルモンソバを一度解体し、そこにイタリア料理の技術を加え、コースのなかの魚料理として再構築しました。「タラ ホルモン ヒラメ」。ヒラメを主食材に据え、そこに例のホルモン、そして鳥取特産のタラを添わせることで見事な一皿を作り上げたのです。

料理に使うホルモンは、『株式会社はなふさ』が手がける鳥取産の万葉牛のものを選びました。独自にブレンドした飼料と丁寧な管理により、上質な脂と肉味を生む万葉牛。口溶け良く、後味がさっぱりした脂にも定評があり「脂とホルモンは構成要素が同じですから、間違いありません」と生産者・谷口拓也氏が胸を張る逸品です。

炭火で香ばしく焼き上げ、甘辛いソースを絡めたホルモン。それを蒸したヒラメに添え、仕上げには濃厚なタラとバターのソース。ふわりと柔らかいヒラメと弾力あるホルモン、淡白な白身と旨みのある脂身。それぞれ相反する要素を、タラのソースがひとつにまとめあげます。味わいのバランスは絶妙、盛り付けも徳吉シェフらしく洗練されていますが、その裏には実は、幼い頃のシェフの思い出と、まさかのB級グルメが潜んでいたのです。

「ホルモンをどうやって出すかを考えてたどり着いた料理。旬のヒラメ、タラのコラーゲンを溶かしきったソース、それからホルモン。食材のイメージが先行した料理でしたが、結果として満足の行くものができました」徳吉シェフの心の中の鮮烈な記憶を、現在の技術で形にした一品。コースを堪能したゲストからも「とくにこの料理が印象深い」との声が目立ちました。

添加物のない独自の飼料が上質な脂を生む万葉牛。ホルモンでもその実力は発揮された。

大ぶりで脂乗りの良いヒラメ。ホルモンと合わせることで、いっそう魅力が際立った。

「タラ ホルモン ヒラメ」。ホルモンとヒラメをタラのソースがまとめ上げる。

ダイニングアウト鳥取・八頭ご当地ラーメンをパスタにアレンジする大胆な発想。

さて、徳吉シェフの記憶を辿る旅は、まだ終わりではありません。もうひとつ「しじみと牛骨」と題された料理にもまた、同様のシェフの思いが隠されていました。鳥取県で“牛骨”といって思い出されるのは、無論、ご当地フードの牛骨ラーメンです。

牛骨ラーメンは、鳥取で半世紀以上も愛されるご当地ラーメン。現在ではさまざまな店が味を競い、バリエーションも増加していますが、共通するのはさっぱりとしていながら、牛特有の甘みがあるスープでしょう。徳吉シェフにとっても「懐かしくて、どこかほっとする」という思い出の味です。この牛骨ラーメンもまた、徳吉シェフのフィルターを通して、『DINING OUT』のコースの一品となりました。

牛骨と牛脂は先のホルモンと同じく、万葉牛のもの。そしてもうひとつの主役であるシジミは、鳥取市内にある湖山池で見つけました。シジミ漁師・邨上和男氏の船に乗せてもらい、自ら籠の引き上げにも挑戦した徳吉シェフ。馴染み深い湖山池であるのに、これほど見事なシジミが採れることは知らなかったのだといいます。さあ食材は揃いました。ここからが再び、“徳吉ワールド”の幕開けです。

鳥取県民にはおなじみの牛骨ラーメン。徳吉シェフはこれをパスタとして再構築した。

自らシジミ漁にも挑戦した徳吉シェフだけに、食材への思い入れも格別。

大粒で形の揃った湖山池のシジミは、素晴らしいダシの元になった。

ダイニングアウト鳥取・八頭人の記憶と土地の記憶が交わり、この日だけの美味を生む。

牛骨ラーメンから着想を得た「しじみと牛骨」は、イメージを残した麺料理になりました。もちろん、使うのはパスタです。まずは湖山池のシジミを火にかけ濃厚なダシを取ります。それを万葉牛の甘みあるダシと合わせ、茹で上げたパスタに絡ませます。仕上げに溶かした牛脂をかけて、さらに風味と旨みをプラス。

見た目は具の一切ないシンプルなパスタですが、口にするとそのふくよかな味わいと力強い旨みに驚かされます。それでいて確かに牛骨ラーメンの面影も感じられるのですから、元ネタを知る地元の方がニヤリと口元をほころばせるのも頷けます。鳥取の名物とイタリアの技術が合わさった一品というわけです。
「牛の骨髄はミラノでもよく使う食材。だから僕の中では、牛骨ラーメンの形をとったミラノの味。鳥取の記憶とミラノの経験が融合したというイメージです」そんなシェフの言葉が印象的でした。

このように2品の料理に潜んでいた徳吉シェフの記憶、地元のソウルフード、地域の食材と伝統。それらを見事に融合した技術とアイデア、遊び心に、徳吉シェフの実力が垣間見えます。土地と人の記憶が交わり、そこに一流の技術が加わる。まさに“凱旋ダイニングアウト”にふさわしい料理でした。

「しじみと牛骨」。シンプルなパスタだが、複雑な旨みが内包されている。

パスタは客席で熱々の牛脂を回しかけて完成。牛脂の甘みが際立った。

上質なイタリア料理でありながら、鳥取の空気も感じる。まさに徳吉シェフにしか作れない一皿。

『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。

Ristorante TOKUYOSHI 
http://www.ristorantetokuyoshi.com

『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』販売開始![DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

ダイニングアウト琉球南城

来る2018年11月23日(金・祝)、24日(土)に「DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS」を沖縄県南城市で開催します。

沖縄本島の南部に位置し「琉球神話の聖地」でもある沖縄県南城市が、今回の『DINING OUT』の舞台。

ダイニングアウト琉球南城信仰と伝統が守られてきた、沖縄で最も神聖な場所を舞台に、2夜限定で幻の饗宴を開催。

日本のどこかで数日間だけオープンするプレミアムな野外レストラン『DINING OUT』。一流の料理人がその土地の食材を新しい感覚で切り取った料理を、その土地を最も魅力的に表現する場所と演出とともに、五感全てで味わって頂ける”幻のレストラン”です。

今回の舞台は、琉球神話の聖地であり、祈りの場「御嶽(うたき)」が数多く残る、琉球のはじまりの土地、沖縄県南城市。琉球神話の中では、はるか昔、「アマミキヨ」という女神が海の向こうの理想郷といわれた神の国「ニライカナイ」からやってきて琉球の島々や御嶽を創り、南城市の離島・久高島に降り立ったと伝えられています。 今なお「神の島」と呼ばれる久高島は、琉球王朝時代に国王が巡礼した島で、現代までその信仰と伝統が守られてきた沖縄で最も神聖な場所です。観光化を免れた静謐な土地は、日本最後の聖域といっても過言ではありません。

生命の起源でもあり、琉球を創成した「アマミキヨ」のゆかりの地で開催される今回の『DINING OUT』のテーマは、「Origin いのちへの感謝と祈り」。

沖縄で最も神聖な場所を舞台に開催される、二夜限定の幻の饗宴。都会の喧騒を離れ、唯物論的な近代科学の視点を一旦忘れて、自らの存在やこの世界のはじまりに思いを巡らせ、今生きていることを感謝する。沖縄の人々の生活や文化に根付く、目に見えぬものへの感謝と祈りの精神に触れて頂ければと思います。

15回目の『DINING OUT』を担当するのは「志摩観光ホテル」の総料理長を務める樋口宏江シェフ。

ダイニングアウト琉球南城2016年伊勢志摩サミットでも料理を提供した、『DINING OUT』史上初の女性シェフ。

今回料理を担当するのは、『DINING OUT』初の女性シェフとなる志摩観光ホテル樋口宏江氏。2016年5月に行われた伊勢志摩サミットで、各国の首相陣をうならせる料理を提供し話題に。その後、農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を女性ではじめて受賞し、日本を代表する女性料理人となった樋口シェフが、女神アマミキヨのゆかりの土地を舞台に、女性ならではの視点で「Origin いのちへの感謝と祈り」という今回のテーマを紐解いていきます。

ホスト役には、『DINING OUT』の顔でもあり、「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長を務めるなど、食やカルチャーなどをテーマに活躍するコラムニストの中村孝則氏。

『DINING OUT』史上、最も聖なる場所で、古くから受け継がれてきた神聖なパワーを五感全てで味わう究極のダイニングにどうぞご期待ください。

今回で7回目のホスト役を務めるコラムニスト中村孝則氏。

Data
DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

開催日程:2018年11月23日(金)、24日(土) ※2日限定
募集人数: 各日程40名、計80名限定
開催地:沖縄県南城市
出演 : 料理人  樋口宏江(「志摩観光ホテル」総料理長)/ホスト  中村孝則(コラムニスト)
オフィシャルパートナー:LEXUS http://lexus.jp)、YEBISU(http://www.sapporobeer.jp/yebisu/
後援:沖縄県 平成30年度 沖縄観光コンテンツ支援事業

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。その後、23歳の若さで ホテル志摩スペイン村のフランス料理「アルカサル」シェフに抜擢された。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。
2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、女性として初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、TVにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を授勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士の称号も授勲。(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称) 2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。

http://www.dandy-nakamura.com/

手仕事に勝る技術はない、を町工場で体感。[燕三条 工場の祭典/新潟県三条市 燕市全域 及び周辺地域]

案内所「三条ものづくり会場」もピンクのストライプで彩られる。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

燕三条 工場の祭典関係者以外、立ち入りウェルカム!?な町工場。

立ち入り禁止区域というと、普通は黄色と黒の斜めストライプ模様で示されています。ですが、新潟県燕三条地域にある工場地域は、秋の4日間、なぜかピンクのカラフルなストライプカラーで彩られます。一体何が起こっているのでしょう。まるで私たちに「立ち入りOK!」と腕を広げているようです。その通り、この期間中は銅器や洋食器、刃物など100を超える町工場などが一斉に開放し、誰でもものづくりの現場を見学できる場となります。今回はそんなユニークなイベント「燕三条 工場の祭典」についてご紹介しましょう。

普段は閉ざされた工場が開放され、ものづくりに触れることができる。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

燕三条 工場の祭典燕三条のものづくりの転機は、和釘。

江戸時代に大規模な新田開発が行われた三条では、それに伴い農具を中心とした刃物作りが発展。江戸時代からは膨大な和釘の需要を求められ、和釘製造が盛んになりました。一方、燕では、江戸時代に仙台から鎚起銅器の製法が伝えられたことなどから、銅器など別の金属加工業も発達しました。幸いにも鉱物資源が豊富なうえ、広大な山林があり燃料となる炭も手に入れやすい環境であることから、多様な発展を遂げたといいます。

その後、三条市は刃物作り、燕市は銅器などの金属加工や洋食器の生産が盛んに。今では世界からも刃物・洋食器の名産地として知られるようになりました。

稲作以外にも産業を、と金属加工業が盛んになった。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

『近藤製作所』は農具を作る野鍛冶として創業。期間中は鍬の修理作業の見学を行う。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

燕三条 工場の祭典「見たい」が「作りたい」に。興味の扉を早くから開いていた土地。

興味深いことに、燕三条地域は日本でも早くから「工場見学」の重要性を見出していた町です。鎚起銅器の『玉川堂』や庖丁メーカーの『タダフサ』、アウトドアグッズで有名な『スノーピーク』(現在は移転)など、全国的にもいち早く工場見学やワークショップを行い、一般にものづくりの現場を体感してもらうイベントを実施。人々がものづくりの過程を知ることで、産業に親しみを感じ、後継者の確保にもつながります。そうした背景もあって、2007年から始まった「越後三条鍛冶まつり」が2013年にリニューアルし「燕三条 工場の祭典」がスタートしました。

大手家電メーカー『ツインバード』も燕市に本社を構える。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

燕三条 工場の祭典中途半端にはしない。気鋭のバイヤー、デザインユニットとタッグを組んだ。

全体監修は、 IDÉE SHOPのバイヤーなどを経験し、現在はショップへのMDや商品コンセプトの提案を行うmethod代表の山田遊氏が担当。以前から『タダフサ』の社長である曽根忠幸氏が温めていたアイデアを形にすべく、市の職員や市長の賛同を得て、第一回開催の運びとなりました。
アートディレクションとグラフィックデザインはをクリエイティブユニット「SPREAD」に依頼。会場やTシャツなどあらゆるところで使われているビビッドなピンクのストライプのデザインは、工場見学の中で見た鮮やかな「ピンクの炎」から色を見つけ、「危険区域」を示す斜め45度のストライプ模様を掛け合わせ生まれたものだそうです。

あえて、工場に馴染みのある段ボールやテープをサインに使用。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

燕三条 工場の祭典工場、耕場、購場。どれも欠けてはならないもの。

6回目となる今年の内容は、「開け、KOUBA!この秋、 燕三条の真髄を体感する」のテーマのもと、109拠点の工場を開放。 「工場(KOUBA)」93社に加え、「農業」を営む8社の「耕場(KOUBA)」、そしてKOUBAでつくられたアイテムを販売する「購場( KOUBA)」8社が参加します。普段は閉ざされたKOUBA(工場、耕場)で職人たちの手仕事を間近に見学できるほか、体験型のワークショップや見学ツアーで、KOUBAで働く人と触れ合い、ものづくりの裏側を知ることができます。

『渡辺果樹園』ではモーツアルトを聴かせて育てる様子を見学できる。梨の追熟体験も。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

KOUBAでは働く人々と気軽に交流、対話することができる。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

燕三条 工場の祭典平らな板から、どんなフォルムでも作り出せる。

見どころが多すぎてここでは全部お伝えできませんが、一部をご紹介しましょう。例えば1816年創業の『玉川堂』。1枚の銅板を鎚でカンカンと打ち出し、茶器や酒器、花器などを作り上げます。元は平らな銅板からこの美しい丸みを帯びた銅器が作られるとは!と誰もが目を見張る技術です。しかも期間中は、小皿製作やぐい呑み製作体験に参加可能。伝統的な「鎚起銅器」を自分の手で実際に行い、作った食器を日常で使えるなんて、他の土地ではなかなかできない体験です。

また、デンマーク王室御用達のカトラリー「カイ・ボイスン」と「ICHI」を製造する権利を持つ世界で唯一のメーカーも燕三条にあります。それは『大泉物産』。寸分の狂いもなく平らな板を丸型にプレスし、曇り一つない鏡面のように磨き上げる技術はまさに神業。こちらでも、スプーン作りなどの体験ワークショップに参加できます。

『大泉物産』のカトラリーは世界でも高く評価されている。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

平らな板からスプーンができる様子は、実に見ていて面白い。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

燕三条 工場の祭典ものづくりは全国とつながっている。産地から産地へ集結。

食に関するイベントも多彩。例えば東京押上にある『スパイスカフェ』の伊藤一城シェフが監修する『三条スパイス研究所』は「暮らしの調合」の考えのもと、燕三条ならではの独自のスパイス料理を提供したり、果樹生産・加工・販売を通じて新しい農業を創出する『三条果樹専門家集団』は期間中に三条果樹専門家集団ミステリーツアーを行ったり……と、「耕場」も「工場」と同じように職人の信念と技術がもたらす「ものづくり」の底力を見せてくれます。

他にも関連イベント「産地の祭典」では、情報や交通の拠点となる案内所「三条ものづくり会場」に全国各地それぞれの産地から逸品が集まり、販売やトーク、ワークショップを開催。それぞれの産地ではどのような技術が磨かれ、どのような産品が生み出されているのかを体感することができます。

普段使っている「モノ」がどのように作られ、また実際に自分でも製作の難しさや楽しさに触れることができる祭典。この秋、ピンクのストライプが迎え入れてくれる工場で、ジャパンクオリティの技と美を実体験してみませんか?

各工場を舞台にしたオフィシャルレセプションも開催。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

ユニフォームもピンクのストライプ。職人との距離が縮まる。©「燕三条 工場の祭典」 実行委員会

開催期間:2018年10月4日(木)〜10月7日(日)
開催場所:新潟県三条市・燕市全域、及び周辺地域
https://kouba-fes.jp

眩く色づく草木に清らかな水の調べ。記憶に残る水辺の紅葉。錦秋のランドスケープ。

OVERVIEW

春の桜と並び、世界的に有名な日本の景色といえば、秋の紅葉ではないでしょうか。紅色に橙色、黄金色と、艶やかに記憶に残る風景は、和歌や俳諧、日本画や茶の湯といった文化芸術をはじめ、古くは神話や伝説の中でも妖艶な女神や鬼として表現されるなど、その美しさが伝えられてきました。

主に10月から12月にかけて北海道から南下する紅葉前線は、日本列島を鮮やかな色彩で染めながら、各地に秋の訪れを告げてゆきます。

日本語では紅葉の季節を「錦秋」と表しますが、その彩りはまさに錦のごとし。そして眩く色づく紅葉のそばには、日本ならではの豊かで多様な水辺が見られることも少なくありません。

横山大観や川合玉堂、菱田春草といった日本画壇の巨匠たちや、俳人の正岡子規、文豪の夏目漱石らもこぞって作品の題材にした、水辺と紅葉のある風景。滝に湖、池、沼、川、沢……と、清冽(せいれつ)な水辺がもたらす澄んだ空気と音に、紅葉が共演しつくり上げる景色は、この国が誇るべきランドスケープです。

日本の秋の愉しみを再発見できる、13ヵ所の水辺の紅葉を、ぜひご覧ください。

全国屈指の花火師が競う。[土浦全国花火競技大会/茨城県土浦市]

一般の花火大会ではなかなか見られないスターマインが上がります。

土浦全国花火競技大会50社を超える全国の煙火業者がその腕を競う。

2018年で87回目の開催となる、歴史のある『土浦全国花火競技大会』は、戦時中の航空隊殉職者の慰霊と関東大震災からの復興を原動力として霞ケ浦湖畔で始まった花火大会が起源となっています。何度か場所を変えながら、現在では桜川河畔で開催されています。秋に開催している理由として、実りの秋を祝い農民の勤労を慰めるという点が挙げられます。『土浦全国花火競技大会』は全国屈指の花火競技大会で、参加する煙火業者は50社強にもなります。至高の技を凝らした各社自慢の花火を次々と惜しげもなく披露してくれるので、一度は観覧して頂きたい見応え十分の花火大会です。

「土浦花火づくし」と名づけられたワイドスターマイン。

土浦全国花火競技大会格好良さに震える花火師登場。

大会序盤で大いに盛り上がるのが花火師(煙火業者)登場です。競技に参加する煙火業者の皆さんが自社の法被(はっぴ)に身を包み、有料観覧席前に設えられた舞台に登場してスポットライトを浴びます。それは身震いするような格好良さです。私の個人的な考えではありますが、全国各地の花火大会で花火師さんの紹介をしてもらえたら嬉しいです。ライヴであればアーティストさん、舞台や映画であれば監督さんや俳優さんはごく当たり前に紹介されています。絵画であれば画家、音楽であれば作曲家など、芸術の世界ではその作者を紹介することも一般的に行われています。

花火は夜空に打ち上げる芸術作品です。ならば各地の花火大会でも花火師登場とまではいかなくとも、プログラムや会場アナウンスでごくごく普通に煙火業者さんの紹介が行われるようになれば煙火業者さんたちの励みにもなるだろうと感じています。私の思いが通じたのか、近年では煙火業者さんを紹介する花火大会も徐々に増えてきており嬉しく思います。

河川敷に作られた有料観覧席。

土浦全国花火競技大会内閣総理大臣賞を目指して。

『土浦全国花火競技大会』の競技は10号玉(尺玉)の部、創造花火の部、スターマインの部に分かれて行われ、これら3部門の優勝者の中から最も優秀と評価された煙火業者には内閣総理大臣賞が授与されます。競技開始前にはレクチャー花火が上がり、花火の種類や良し悪しなど、実際に花火を打ち上げながら解説してくれます。このコーナーで花火の見方を学び、競技花火を各々採点しながら見るのも楽しいでしょう。

更に競技花火の合間に行われる余興花火も見所のひとつです。中でも中盤で打ち上げられる大会提供花火は見逃せません。「土浦花火づくし」と名づけられたワイドスターマインは会場全体を大胆に使った豪華な花火として知られています。

私事ですが約25年前、花火写真家として初めてカメラ雑誌で特集記事を組んで頂いたことがありました。実際の花火大会での撮影風景を取材したいとのご要望で取材を受けたのが『土浦全国花火競技大会』の会場だったのです。非常に緊張しながらもようやくプロフェッショナルとして認められたことへの嬉しさでいっぱいでした。その時の雑誌は今も大切に保管しています。時折眺めることで若き日の自分に立ち返って初心を思い出し、また新たな作品に向けて気持ちを奮い立たせています。私にとって『土浦全国花火競技大会』はいつまでも思い出に残る大切な花火大会なのです。

10号玉(尺玉)は匠な技で作られた美しい花火が上がります。

屋台の灯りがよりいっそう花火大会を華やかにしています。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

日時:2018年10月6日(土)
※雨天時:状況に応じて翌日・10月7日・8日・13日・14日のいずれかに延期(予定)
場所:茨城県土浦市佐野子 桜川河畔 学園大橋付近 MAP
http://www.tsuchiura-hanabi.jp/

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

青森に眠っていた資源を世界に通じる木工ブランドに。[BUNACO/青森県弘前市]

照明器具やテーブルウェアなど多彩なアイテムをラインナップ。

ブナコ価値ある「橅」をハイセンスなプロダクトに転換。

本州の最北端に位置する青森県。そこには日本一の資源量を誇る広大なブナの森が広がっており、豊かな水や生命を育んできました。

しかし、ブナという言葉に「分の無い木」という意味の“橅”という字が当てられたように、かつてはその価値も、環境への貢献度もひどく軽視されていました。そんな不遇の木であるブナに光を当て、世界に通用するプロダクトに生まれ変わらせたのが『BUNACO(ブナコ)』です。

独自の木工技術と青森の宝を融合させた、他にはないブランド。その誕生のきっかけと、『BUNACO』ならではのオリジナリティを追いました。(後編はコチラ)

青森県が誇る広大なブナの森。この豊かな資源を有効活用すべく『BUNACO』は生まれた。

ブナコ株式会社の社長・倉田昌直氏。「出来ないことはない」というポリシーで『BUNACO』を進化させ続けている。

ショールームの内観。実際に手に取ってその造形の妙を感じてみたい。

ブナコ優れた個性と難しい特性を併せ持つブナを、独自に開発した技術で加工。

先述のように、青森県のブナはその資源量と価値に対して活用がほとんど進んでいませんでした。建材にも工業用材にも、工芸の原料としても全く使われていなかったのです。 その理由は、“森のダム”と呼ばれるほどに水分を多く溜め込む性質。豊富な水分が加工する際に歪みの元となったり、寸法を狂わせたりして、適切に加工しにくかったのです。

青森が誇る貴重な資源でありながら、名産のリンゴの箱や、薪などに使われるのみ――そんな現状を憂いて「ブナをなんとか有効活用できないだろうか」と考える人々が現れました。そして、その発想が『BUNACO』誕生のきっかけとなったのです。

水分が非常に多くて加工しにくい一方で、よくしなり、粘り強い性質も併せ持つブナ。その良さを活かそうと、1956年から青森工業試験場(現在の県工業総合研究センター)で技術開発が進められました。そしてようやく実現した製法で、『BUNACO』が生み出されたのです。

『BUNACO』の製作工程。まずはブナを厚さ1mm、長さ約2mの薄い板に加工する。

さらにテープ状にカットして、コイルのように巻きつけていく。ここから様々な造形が生まれる。

バウムクーヘンのようになった平面の巻き板を、道具を使って押し出し、立体的に形作っていく。

ブナコかつてない驚きの製法! 原料の浪費も抑えてエコを実現。

『BUNACO』の原料となるブナの木の加工は、以下のステップで行われます。

まずは大根を“桂むき”にする要領でスライスして、水分を飛ばして乾燥させます。次に、スライスした板を細長いテープ状にカット。それをバームクーヘンのように巻きつけながら、手作業で押し出して成形していきます。こうすることで、歪みも寸法の狂いも起きずに美しいフォルムの器やケースに仕上げられるのです。
さらに、一般的な原木から削り出す製法と比べると、約1/10の材料で無駄なく作ることができます。豊かなブナの資源をエコに生かせる、画期的な技術が誕生しました。

成形された『BUNACO』に接着剤を塗り、乾燥させる。

独自の塗装と研磨を施す。何度も塗り、なめらかに磨くことで、『BUNACO』独特の質感が生まれる。

約30もの工程を経て、安全で安心な『BUNACO』のプロダクトが完成。

ブナコようやく活用できた天然素材で暮らしに潤いを。

こうして開発された革新的な製法で、青森のブナ資源を生かした付加価値の高いプロダクトが実現。1956年のプロジェクト発足以来、原料も製法もそのまま守り伝えていますが、当初はテーブルウエアのみでスタートした『BUNACO』ブランドは、いまや照明・インテリア・音響機器といった多様なジャンルに展開しています。

“ブナコ株式会社”の社長である倉田昌直氏の口癖は、「出来ないことはない」。このポリシーと決意が、新たな挑戦とマーケットを生み出し続けて、『BUNACO』を進化させ続けているのです。
現在『BUNACO』は、一流ホテルや飲食店のテーブルウェア・照明・インテリア等に数多く採用。さらに海外のショップや見本市にも継続的に出展しており、高い評価を得ています。

どんなインテリアにもしっくりと馴染む可能性。ブナの美と機能性を世界に知らしめた。

ブナコ『BUNACO』が目指すもの、『BUNACO』がもたらしてくれるもの。

現在、ブナコ株式会社のテーマは、「居心地のいい空間を創って頂きたい」「ご自分のライフスタイルを楽しんで頂きたい」だそうです。人々に癒しをもたらしてくれる、ブナの手触りやぬくもり。それらを生かした付加価値の高いプロダクトを開発し、暮らしに潤いを生み出すことを目指しています。

明かりや音楽といった、暮らしを豊かにしてくれるエッセンス。それらを融合させた「光と音の空間創造」をテーマとして、現在は照明とスピーカーを用いた空間の提案も行っています。

次回の後編では、そんな『BUNACO』が提案する極上のプロダクトと、それらによってもたらされる暮らしの喜びをご紹介します。(後編はコチラ)

天然木の温かみと最新の機能性を併せ持った『BUNACO』に、ぜひ触れてみたい。

住所:青森県弘前市大字豊原1丁目5-4 MAP
電話:0172-34-8715
営業時間:8:30〜17:30
休日:土・日・祝祭日
http://www.bunaco.co.jp/

住所:青森県中津軽郡西目屋村大字田代字稲元196 MAP
電話:0172-88-6730
製作体験:午前の部10:00/午後の部14:00
工場見学:9:00~16:00
ミニショップ:9:00~16:00
休日:工場カレンダーで確認をお願いします。

ブナコカフェ 月~土 10:00~17:30
         日    10:00~17:00
休日:不定休
詳しくはブナコカフェインスタグラムでご確認をお願いします。
https://www.instagram.com/bunacocafe/

日常にありふれたコンビニを、プレシャスなものへと昇華させる。カルティエが仕掛ける期間限定コンビニエンスストア「カルチエ」。[カルチエ/東京都港区]

白とゴールドを基調にしたコンビニ「カルチエ」。統一感を持たせたパッケージやショウケースに並んだ時の見え方なども計算しつくされている。

カルチエそのテーマは“when the oridinary becomes precious”。

1971年、“1本の釘”から着想を得て生まれたブレスレット“ジュスト アンクル”。その新作の登場に合わせ、2018年9月、東京・表参道に、カルティエ手掛ける期間限定(9/30まで開催中)のコンビニエンスストア「カルチエ」がオープンしました。
そのテーマは“when the oridinary becomes precious”。
カルチエの特設サイトはこちら

日常にありふれた1本の釘をプレシャスなジュエリーへと昇華させたカルティエが、コンビニエンスストアを特別なものへと仕立てます。

コンビニエンスストアの商品ラインナップの中でも特に重要となるフード部門を、ONESTORYがサポート。今回はその中でも特におすすめな3つの食品をご紹介します。

フードや日用品などいわゆるコンビニエンスストアの商品が並ぶ1F。

イートインスペースを模した2Fでは、“ジュスト アン クル”の新作を試着・オーダーできるエリアに。

1F入り口正面には、このコンビニのテーマに連なるジュエリー“ジュスト アン クル”のショーケースも展示。

カルチエこの機会に初めて世に出る「TAKAZAWA」のキャビアアイスクリーム。

コンビニのフード商品の多くを占める総菜やスナック類。それらを多く担当したのが、『DINING OUT SADO with LEXUS』でシェフを担当した高澤義明氏(赤坂『TAKAZAWA』オーナーシェフ)。そもそも『TAKAZAWA180』という高級総菜ブランドを展開しており、コロッケを始め、コンビニらしい巻物や“おにぎらず”などを、今回の為に限定オリジナルパッケージでご提供。高澤シェフが特におすすめしたいのは『キャビアアイスクリーム』。レストランで出している一品を商品として開発したもので、発売するのは『カルチエ』が初となります。

バニラアイスクリームに対してキャビアは10%ほど。甘みを抑えたバニラアイスとキャビアを合わせたいわゆるシュクレサレで、両者のうまみが引き立つ。ここにオリーブオイルを垂らすのが、高澤氏おすすめの食べ方。

2013年に開催された『DINING OUT SADO』で腕を振るった、赤坂『TAKAZAWA』のシェフ高澤義明氏。

コンビニに欠かせないフード商品、巻物や“おにぎらず”なども、高澤氏の手によるもの。

高澤氏の「キャビアアイスクリーム」、田村浩二氏による薫り高い「抹茶のアイスクリーム」や「バラのアイスクリーム」などプレミアムなアイスが並ぶ冷凍庫。

赤坂の『TAKAZAWA』で出している一品を製品化した「キャビアアイスクリーム」(\3,240)。

カルチエ入手困難なプレミアムスイーツがコンビニで手に入る、その面白さ。

商品が並ぶ様の美しさにもこだわり、ブラックとゴールドで統一されたパッケージのカラーから、ポーションの大きさなども計算しつくされているという店内で、さらなる高い美意識でひときわ目を引くのは、代々木の「フルール・ド・エテ」の庄司夏子氏が手掛けるマンゴタルトかもしれません。

『フルール・ド・エテ』のマンゴータルトは、普段から手に入らないケーキとして知られており、百貨店での予約販売ではわざわざ地方から買いに来たファンもいるほど。普段手が届かないケーキがコンビニに、カップケーキのように置いてあったら……それこそこの店のテーマと合致するものになります。

通常、店で販売しているのは国産マンゴーで作った9輪のバラを、シックな黒いボックスにあしらったものですが、今回はこの「カルチエ」のためだけに特別に作られた1輪のタイプ。
“コフレ・デセール”という言葉に相応しい美しさと、とろけるようなマンゴーの柔らかさにうっとり。『フルール・ド・エテ』の商品は本来はブラックにシルバーを合わせたパッケージだが、本品はブラックにゴールドを合わせた「カルチエ」特別バージョン。

カルティエと『フルール・ド・エテ』、両方のファンを裏切りたくないという庄司氏の思いから、パッケージに至るまでブランドのこだわりが貫かれています。手に吸い付くようなマットブラックのボックスに、特注のガラスのケース、その中で咲くマンゴの薔薇のきらめきは、まるでジュエリーのようです。

開店初日に駆け付けた『フルール・ド・エテ』の庄司夏子氏。こだわりのパッケージには、自筆のサインとシリアルナンバーが。

代々木『フルール・ド・エテ』庄司夏子氏による「マンゴータルト」(\10,800)。

カルチエ人と人をつなぐことで生まれた、ここだけのオリジナル商品。

いかにもコンビニらしい商品のひとつであるエナジーバーは、白金台『TIRPS』の元シェフ、田村浩二氏が手掛けたもの。製造業者を探すところから始まり、イチから独自に開発したスペシャルな商品です。

製造業者の“ネイチャーシング”は、トレイルランニングをする人たちの間ではよく知られる、日本生まれ、100%自然素材のエナジーバーを作っている会社です。何のつてもなく、それこそドアノックのような形で連絡して、田村氏と繋げたことでコレボレーションが実現。
今回限定のフレーバー「カカオ&ベルガモット」は砂糖不使用で、甘みはベースに使ったデーツとレーズンのみ。田村氏の最大の武器である香り――今回使用したベルガモットは、田村さんが普段からお付き合いのある農家の方にご提供いただいたそうで、八丁味噌のコクとカカオニブがつくるチョコレートのような味わいがあり、ベルガモットの柑橘系の香りとマッチ。「抹茶&ココナッツ」は、無農薬の抹茶に、ローストココナッツを合わせたもの。

日常の中にあるものをプレシャスに昇華させた『カルチエ』に是非お越しください。

白金台『Tirps』の元シェフ、田村浩二氏と、100%自然素材をハンドメイドのエナジーバーのブランド「ネイチャーシング」のコラボレーションで生まれた「オリジナルエナジーバー」(\800)。

予約がとれない人気店、目黒「kabi」と赤坂の会員制レストラン「sanmi」が開発した限定のカップラーメン(kabi \5,400、sanmi \10,800)。パッケージを開けるとレストランの招待チケットが入っている。

愛媛のとれたて野菜を瓶詰めにする「GOOD MORNING FARM」のピクルスは、今回の為に金粉入り特別仕様に(\2,300)。

美意識とアートな感覚に満ちた店内も必見。

鳥取の大地のエナジーを一皿に凝縮した、究極の「卵かけご飯」。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]

「mantecando il risotto…」と題されたシンプルな一皿。そこには深い思いとこだわりが宿る。

ダイニングアウト鳥取・八頭形のないテーマに、形を与えた一皿の料理。

2018年9月8日、9日に開催された『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』。豊かな自然と古からのパワーに満ちた鳥取県八頭町。その魅力を伝えるべく、設定されたテーマは「Energy Flow-古からの記憶を辿る-」。この形のないテーマを、鳥取出身の徳吉洋二シェフはどう受け止め、どう表現したのでしょうか? テーマを象徴する料理とともに、シェフの心の内に迫ってみましょう。

徳吉シェフのフィルターを通すことで、鳥取の上質な食材が、上質な料理に変わる。

ダイニングアウト鳥取・八頭自身の好物を、コースに取り入れるという決断。

Energy Flow――。それは読んで字のごとく、大地の恵みのような作物、豊かな自然、力強い天候など、この地に満ちるエネルギーの奔流を紐解くこと。この地に生まれ、この地の水と空気で育った徳吉シェフにとって、それは自身の本質を表現するようなことだったのかもしれません。そしてこのテーマに沿って、徳吉シェフはひとつの料理を考案しました。料理名は「mantecando il risotto…」。「mantecando」とは、激しくかき混ぜることで乳化させるイタリア料理の手法。つまり、かき混ぜて乳化させるリゾットということです。いったいどのような料理なのでしょうか?

「日本人にとって根源的なエネルギーである米と、生命力のシンボルである卵。これらをシンプルな料理で表現したかった」と徳吉シェフが振り返るこのリゾット。やや乱暴に言ってしまうならば、これはイタリア風の究極の卵かけご飯です。もちろん、シンプルななかにも、徳吉シェフらしいアイデアは詰め込まれています。しかし、その前に、この“卵かけご飯”というスタイルを考えてみましょう。

そういえば、かつて徳吉シェフとともに訪れた北海道の地で、シェフが特製卵かけご飯を作ってスタッフに振る舞ってくれたことがありました。白身と黄身を分けて、熱々のごはんに白身だけをかけてフワッとするまでかき混ぜる。最後に黄身を乗せて、崩しながら味わう。「これが我が家の卵かけご飯です」そういって差し出された美しい料理に、居合わせたスタッフは皆、驚きながら舌鼓をうちました。

あるいは今回の視察に訪れた大江ノ郷自然牧場。そのランチバイキングでも、同様の卵かけご飯を作っていた徳吉シェフ。つまり、この「mantecando il risotto…」という料理の根底には、自身の大好物という柱があったのです。しかしプロフェッショナルの料理人として、イタリア料理のシェフとして、コースの一品に卵かけご飯を出すというのは大きな決断だったことでしょう。もちろん、シェフには勝算がありました。

八頭町にあふれる力強いエナジーを料理で表現することが徳吉シェフの狙い。

視察では生まれ育った鳥取を巡りながら、改めてその自然に目を向けた。

ダイニングアウト鳥取・八頭発想の起点は視察で出合った素晴らしい卵。

シェフの勝算は、食材の質。「素晴らしい卵と出合いました。それが出発点でした」そう徳吉シェフが振り返るのは、鳥取県八頭町にある「大江ノ郷自然牧場」の天美卵。八頭町の豊かな自然のなか、平飼いでのびのびと育てられる鶏。飼料は魚粉、海藻、カキ殻などの天然原料20種と酵母で発酵させたおからや米ぬかを独自に配合。しかも朝採れを即出荷するという抜群の鮮度。「ここまでの卵はなかなかありませんよ」とシェフを驚かせた逸品です。

口にしてみれば黄身のこってりと濃厚な味わい、白身の力強さが感じられ、それでいて後味はクセがなくさっぱり。濃厚かつクセがないということは、つまり生食でこそ魅力を発揮するということ。卵かけご飯という徳吉シェフの選択にも納得です。

ちなみにこの卵を使った卵かけご飯は、2018年鳥取空港にオープンした「大江ノ郷自然牧場 -HANARE-」で味わうこともできます。鳥取に来る際はぜひ。

「大江ノ郷自然牧場」の天美卵が、まず徳吉シェフの心を掴んだ。

「大江ノ郷自然牧場」の小原利一郎社長とともに鶏舎を視察。

天然原料だけにこだわった飼料が健康な鶏を育てる。

鳥取空港にオープンした「大江ノ郷自然牧場 -HANARE-」で特におすすめは、白身をメレンゲ状にした卵かけご飯。

ダイニングアウト鳥取・八頭米の味を支えるのは、土の力と生産者の思い。

さて、素晴らしい卵が見つかりましたがこれで終わりではありません。卵かけご飯のもうひとつの主役、“ご飯”もまた妥協を許さぬポイントです。

最高の卵に合う、最高の米を探す徳吉シェフが見つけたのは、鳥取県八頭町「田中農場」コシヒカリ。甘みがあり、艶があり、風味豊か。濃厚な味わいの“天美卵”と合わせても、かすむことのない存在感を持っています。もちろんこれは、手間暇を惜しまず育てた労力の賜物。

徳吉シェフが「田中農場」を訪れてまず驚いていたのは、その整備の行き届いた水田。農薬を使わず草取りは手作業。水田は土の条件を整えるため、白ネギと米をローテーションで植えるといいます。「肥料の力ではなく、土の力で育てる」という米。「自然本来の力で、健全に育った作物は、やっぱりおいしいですよ」と同農場の田中正保会長が胸を張る米は、大地の力を凝縮したような力強い味わいも納得です。

「畑を見ただけで、素晴らしい作物ができることが想像できます。しっかりと条件づくりをすれば、おいしいものができあがる。これはレストランも同じです」と徳吉シェフ。だからこの見事に手入れされた畑のように、徳吉シェフは妥協なく食材を探し歩き、最高の逸品を選ぶのです。

徳吉シェフがひと目で惚れ込んだという「田中農場」の美しい水田。

土の条件づくりを兼ねて育てられる鳥取の白ネギにも、田中正保会長の哲学が垣間見える。

ダイニングアウト鳥取・八頭徳吉シェフの“らしさ”が詰まったカルボナーラ風卵かけご飯。

さあ、主役の食材は揃いました。ここからは徳吉シェフのアイデアと技が味を決定します。「田中農場」のコシヒカリは、鳥取県の名門・岩井窯で専用に仕立てた土鍋を使って炊き上げました。そこに「大江ノ郷自然牧場」の親鳥で取ったブロードを染み込ませてから、まず“天美卵”の白身を混ぜて乳化。この作業を客席の前で行った演出もまた、「mantecando=混ぜる」の大切な要素です。

さらにリゾットの下には、こちらも大地のパワーを象徴する野生のキノコのソテーと、豚頬肉の塩漬け・グアンチャーレを潜ませました。そして仕上げにはイタリアから取り寄せたパルミジャーノ。スタイルは卵かけご飯でありながら、構成要素はカルボナーラ。おいしさと同時に驚きがあり、少しの遊び心がある。これぞ徳吉シェフの真骨頂です。

食べてみると、その力強いおいしさに圧倒されました。明確な存在感を放つ卵の黄身と、それに負けない米の甘み。白身はふわっとした独特の食感を生み、グアンチャーレの塩気とキノコの風味が味の輪郭を際立て、チーズの香りが全体をまとめる。それぞれの食材が主張しつつ、しかしすべてに一体感がある。この圧倒的な完成度は、まさに究極の卵かけご飯です。

徳吉シェフの記憶にある“家庭の味”をベースに、大地の力を凝縮した食材が織りなした「mantecando il risotto…」。まさに「Energy Flow」のテーマを象徴し、ゲストに鳥取の“エナジー”を伝える最高の逸品となりました。

まず卵の白身を入れてかき混ぜることでふわっとした食感を生む。

シェフ自らがゲストの前で仕上げ、盛り付けたことも、この料理への思い入れの象徴。

どこか懐かしく、しかし新しさのあるまさに究極の卵かけご飯。

『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。

Ristorante TOKUYOSHI 
http://www.ristorantetokuyoshi.com

鳥取の大地のエナジーを一皿に凝縮した、究極の「卵かけご飯」。[DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS/鳥取県八頭町]

「mantecando il risotto…」と題されたシンプルな一皿。そこには深い思いとこだわりが宿る。

ダイニングアウト鳥取・八頭形のないテーマに、形を与えた一皿の料理。

2018年9月8日、9日に開催された『DINING OUT TOTTORI - YAZU with LEXUS』。豊かな自然と古からのパワーに満ちた鳥取県八頭町。その魅力を伝えるべく、設定されたテーマは「Energy Flow-古からの記憶を辿る-」。この形のないテーマを、鳥取出身の徳吉洋二シェフはどう受け止め、どう表現したのでしょうか? テーマを象徴する料理とともに、シェフの心の内に迫ってみましょう。

徳吉シェフのフィルターを通すことで、鳥取の上質な食材が、上質な料理に変わる。

ダイニングアウト鳥取・八頭自身の好物を、コースに取り入れるという決断。

Energy Flow――。それは読んで字のごとく、大地の恵みのような作物、豊かな自然、力強い天候など、この地に満ちるエネルギーの奔流を紐解くこと。この地に生まれ、この地の水と空気で育った徳吉シェフにとって、それは自身の本質を表現するようなことだったのかもしれません。そしてこのテーマに沿って、徳吉シェフはひとつの料理を考案しました。料理名は「mantecando il risotto…」。「mantecando」とは、激しくかき混ぜることで乳化させるイタリア料理の手法。つまり、かき混ぜて乳化させるリゾットということです。いったいどのような料理なのでしょうか?

「日本人にとって根源的なエネルギーである米と、生命力のシンボルである卵。これらをシンプルな料理で表現したかった」と徳吉シェフが振り返るこのリゾット。やや乱暴に言ってしまうならば、これはイタリア風の究極の卵かけご飯です。もちろん、シンプルななかにも、徳吉シェフらしいアイデアは詰め込まれています。しかし、その前に、この“卵かけご飯”というスタイルを考えてみましょう。

そういえば、かつて徳吉シェフとともに訪れた北海道の地で、シェフが特製卵かけご飯を作ってスタッフに振る舞ってくれたことがありました。白身と黄身を分けて、熱々のごはんに白身だけをかけてフワッとするまでかき混ぜる。最後に黄身を乗せて、崩しながら味わう。「これが我が家の卵かけご飯です」そういって差し出された美しい料理に、居合わせたスタッフは皆、驚きながら舌鼓をうちました。

あるいは今回の視察に訪れた大江ノ郷自然牧場。そのランチバイキングでも、同様の卵かけご飯を作っていた徳吉シェフ。つまり、この「mantecando il risotto…」という料理の根底には、自身の大好物という柱があったのです。しかしプロフェッショナルの料理人として、イタリア料理のシェフとして、コースの一品に卵かけご飯を出すというのは大きな決断だったことでしょう。もちろん、シェフには勝算がありました。

八頭町にあふれる力強いエナジーを料理で表現することが徳吉シェフの狙い。

視察では生まれ育った鳥取を巡りながら、改めてその自然に目を向けた。

ダイニングアウト鳥取・八頭発想の起点は視察で出合った素晴らしい卵。

シェフの勝算は、食材の質。「素晴らしい卵と出合いました。それが出発点でした」そう徳吉シェフが振り返るのは、鳥取県八頭町にある「大江ノ郷自然牧場」の天美卵。八頭町の豊かな自然のなか、平飼いでのびのびと育てられる鶏。飼料は魚粉、海藻、カキ殻などの天然原料20種と酵母で発酵させたおからや米ぬかを独自に配合。しかも朝採れを即出荷するという抜群の鮮度。「ここまでの卵はなかなかありませんよ」とシェフを驚かせた逸品です。

口にしてみれば黄身のこってりと濃厚な味わい、白身の力強さが感じられ、それでいて後味はクセがなくさっぱり。濃厚かつクセがないということは、つまり生食でこそ魅力を発揮するということ。卵かけご飯という徳吉シェフの選択にも納得です。

ちなみにこの卵を使った卵かけご飯は、2018年鳥取空港にオープンした「大江ノ郷自然牧場 -HANARE-」で味わうこともできます。鳥取に来る際はぜひ。

「大江ノ郷自然牧場」の天美卵が、まず徳吉シェフの心を掴んだ。

「大江ノ郷自然牧場」の小原利一郎社長とともに鶏舎を視察。

天然原料だけにこだわった飼料が健康な鶏を育てる。

鳥取空港にオープンした「大江ノ郷自然牧場 -HANARE-」で特におすすめは、白身をメレンゲ状にした卵かけご飯。

ダイニングアウト鳥取・八頭米の味を支えるのは、土の力と生産者の思い。

さて、素晴らしい卵が見つかりましたがこれで終わりではありません。卵かけご飯のもうひとつの主役、“ご飯”もまた妥協を許さぬポイントです。

最高の卵に合う、最高の米を探す徳吉シェフが見つけたのは、鳥取県八頭町「田中農場」コシヒカリ。甘みがあり、艶があり、風味豊か。濃厚な味わいの“天美卵”と合わせても、かすむことのない存在感を持っています。もちろんこれは、手間暇を惜しまず育てた労力の賜物。

徳吉シェフが「田中農場」を訪れてまず驚いていたのは、その整備の行き届いた水田。農薬を使わず草取りは手作業。水田は土の条件を整えるため、白ネギと米をローテーションで植えるといいます。「肥料の力ではなく、土の力で育てる」という米。「自然本来の力で、健全に育った作物は、やっぱりおいしいですよ」と同農場の田中正保会長が胸を張る米は、大地の力を凝縮したような力強い味わいも納得です。

「畑を見ただけで、素晴らしい作物ができることが想像できます。しっかりと条件づくりをすれば、おいしいものができあがる。これはレストランも同じです」と徳吉シェフ。だからこの見事に手入れされた畑のように、徳吉シェフは妥協なく食材を探し歩き、最高の逸品を選ぶのです。

徳吉シェフがひと目で惚れ込んだという「田中農場」の美しい水田。

土の条件づくりを兼ねて育てられる鳥取の白ネギにも、田中正保会長の哲学が垣間見える。

ダイニングアウト鳥取・八頭徳吉シェフの“らしさ”が詰まったカルボナーラ風卵かけご飯。

さあ、主役の食材は揃いました。ここからは徳吉シェフのアイデアと技が味を決定します。「田中農場」のコシヒカリは、鳥取県の名門・岩井窯で専用に仕立てた土鍋を使って炊き上げました。そこに「大江ノ郷自然牧場」の親鳥で取ったブロードを染み込ませてから、まず“天美卵”の白身を混ぜて乳化。この作業を客席の前で行った演出もまた、「mantecando=混ぜる」の大切な要素です。

さらにリゾットの下には、こちらも大地のパワーを象徴する野生のキノコのソテーと、豚頬肉の塩漬け・グアンチャーレを潜ませました。そして仕上げにはイタリアから取り寄せたパルミジャーノ。スタイルは卵かけご飯でありながら、構成要素はカルボナーラ。おいしさと同時に驚きがあり、少しの遊び心がある。これぞ徳吉シェフの真骨頂です。

食べてみると、その力強いおいしさに圧倒されました。明確な存在感を放つ卵の黄身と、それに負けない米の甘み。白身はふわっとした独特の食感を生み、グアンチャーレの塩気とキノコの風味が味の輪郭を際立て、チーズの香りが全体をまとめる。それぞれの食材が主張しつつ、しかしすべてに一体感がある。この圧倒的な完成度は、まさに究極の卵かけご飯です。

徳吉シェフの記憶にある“家庭の味”をベースに、大地の力を凝縮した食材が織りなした「mantecando il risotto…」。まさに「Energy Flow」のテーマを象徴し、ゲストに鳥取の“エナジー”を伝える最高の逸品となりました。

まず卵の白身を入れてかき混ぜることでふわっとした食感を生む。

シェフ自らがゲストの前で仕上げ、盛り付けたことも、この料理への思い入れの象徴。

どこか懐かしく、しかし新しさのあるまさに究極の卵かけご飯。

『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。

Ristorante TOKUYOSHI 
http://www.ristorantetokuyoshi.com

約8割のアイテムを自作するアウトドアショップが、山形の片田舎で戦う理由。[OUTDOOR SHOP DECEMBER/山形県山形市]

ディッセンバーOVERVIEW

「世界観のあるアウトドアショップだな~。このセレクトはオーナーさんのセンスの良さに違いない」。

『OUTDOOR SHOP DECEMBER』を訪れたゲストは、自然とそんな印象を抱くのではないでしょうか。山小屋を想起させる内装には、ガスランプやホウロウ製ポットなどレトロなアウトドアグッズが並び、色とりどりの帆布(はんぷ)を使用したアイテムがずらり。それらが華美に飾り立てるわけではなく、自然と店の空間に溶け込んでいるのが実に心地いい店なのです。ですがこの店は、最寄りの山形駅からでも車で20分。歩いて行くには無理がある立地でありながら、遠方からでもこの店を目指すアウトドアファンが後を絶ちません。
そう、この店は独自のスタイルである種の地位を確立しているのです。

理由は店を訪れるとわかります。店のアイテムをじっくり物色していると、自然と店員さんとの間に会話が生まれてきます。なにせ人通りもまばらなこの立地、お客さんで混み合うということはまれなのです(失敬!)。アイテムを眺めているとふとあることに気が付くのです。アウトドア好きやスポーツギアに詳しい人でも、この店に並ぶアイテムの数々は、見たことがないという人がほとんどなのです。知っていても、知らなくて訪れても、アイテムについて聞きたくなる、『OUTDOOR SHOP DECEMBER』ではついついそんな衝動にかられてしまうのです。

聞けば店に並ぶアイテムの約8割は自作。それらはデザインから縫製や製作まで全てを自社で行っているのです。山形で生み出されるグッズを、山形で売る。今回はそんなアウトドアグッズに情熱を傾けたお店のお話です。

住所:〒990-2332 山形県山形市飯田2-2-2 MAP
電話:023-623-9671
http://december.shop-pro.jp/