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「輪島塗」に新たな風を吹き込むプロジェクト 『DESIGNING OUT Vol.2』が始動。[DESIGNING OUT Vol.2/石川県輪島市]
デザイニングアウト Vol.2世界的建築家の隈 研吾氏を迎え、『DESIGNING OUT Vol.2』始動。
地場産業や伝統工芸など、プロダクト(モノ)に焦点を当てることで、地域の「価値」を再発見する、『ONESTORY』と雑誌『Discover Japan』の共同プロジェクト『DESIGNING OUT』。日本に眠る伝統的なデザインに最先端のクリエイションを加え、新しいプロダクトを開発、発信していきます。
Vol.1のクリエイターには日本の伝統工芸に新しい価値を加えて世の中に発信し続ける『丸若屋』代表の丸若裕俊氏を迎え、創業400年という有田焼の歴史とその起源を回顧し、有田、伊万里、唐津の3地域より、13名の窯元・作家とともに12のスペシャルな器をつくり上げ『DINING OUT ARITA& with LEXUS』にて発表しました。
そして、満を持して迎えたVol.2の伝統工芸は、国指定重要無形文化財の「輪島塗」です。クリエイターには世界的な建築家である隈 研吾氏を迎え、「輪島塗」に新たな風を吹き込むモノづくり『DESIGNING OUT Vol.2』をスタート。『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』にてお披露目致します。
今回は、1944年の設立以来、輪島塗の啓もう活動や販売窓口を担ってきた「輪島漆器商工業協同組合」を訪ね、輪島塗の歴史を紐解きながら、輪島塗の特徴や現代の課題、『DESIGNING OUT Vol.2』への期待を伺ってきました。
【関連記事】DESIGNING OUT Vol.1
デザイニングアウト Vol.2輪島塗の強さの秘訣は、門外不出の「地の粉」。
日本海の中央に大きく突き出した能登半島の突端に位置する石川県輪島市は、県都・金沢から車で約2時間かかる人口約3万人の小さな町です。東京からも大阪からも決して近いとはいえない場所ですが、漆器「輪島塗」の産地として、多くの人にその名を知られています。いったいなぜなのでしょうか。
「この“遠さ”が輪島塗の繁栄に一役買ったのです。遠いがゆえに競争力をつけるため、“丈夫である”という他産地との差別化を図るようになったのです」。輪島漆器商工業協同組合理事長の日南尚之氏はこう説明します。
輪島塗の包み紙には、「大極上 布着せ 本堅地」と判が捺されています。これは、丈夫な品質の保証表示のようなものです。輪島塗の堅牢さの理由は、いくつかありますが、まずは上質な漆を惜しみなく多量に使うこと。塗っては研ぎ、研いでは塗りの繰り返しによって、艶やかで丈夫な肌になります。また、「布着せ」とは、椀の縁や高台などの木地が薄く、割れやすい部分や箱の継ぎ目などに漆で布を貼って補強する技術です。これも輪島塗のうつわの強さの秘訣です。
「もっとも大事なのは、輪島の“地の粉”と呼ばれる特殊な土を漆に混ぜて、下地塗りに使うことです」と日南氏。続けて「江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に、輪島で“地の粉”を使うという技術が生まれました。地の粉とは、輪島で採れる珪藻土のことなのですが、これを焼いて粉砕し、漆に混ぜて下地を作ります。粉砕の粒子の大きさによって一辺地粉、二辺地粉、三辺地粉と呼びますが、これらを数回塗り重ねることで強さを出します。珪藻土は、日本全国にありますが、不思議なことに輪島の珪藻土でなければ、輪島塗の強さと緻密さは生まれないのです。輪島地の粉は、輪島塗の丈夫さと優美さの秘訣ですので、現在でも、輪島の職人しか使うことができませんし、輪島から持ち出すことはできません」。
こうして江戸時代にその技術が確立した輪島塗は、「塗師屋」と呼ばれる企画デザインや販売を担う専門職の行商によって、地方の豪商や網元、旅館、料理屋などを中心に全国に広がっていったのです。
デザイニングアウト Vol.2街全体が工房のように結びつく分業システム。
日南氏は、「もう一つ、忘れてはならない輪島塗の大きな特色は、高度に専門化した分業システムにあります」と言います。
商品が出来上がるまでに100以上の工程があると言われている輪島塗は、製造工程ごとに専門の職人がいます。「塗師屋」がある商品を作ろうとすると、まずは「木地師」に木地の制作を依頼します。できあがった木地は、「下地塗」や「研ぎ」「上塗り」などの塗り・研ぎを専門とする職人によって塗り上げられ、さらに「沈金師」「蒔絵師」などの職人の手によって加飾がほどこされ、完成品として塗師屋の元に届けられます。つまり、職人たちの手から手へと製品が渡り、まるで輪島の街全体がひとつの工房のように結びついているわけです。
「工程を細分化することで、それぞれの作業の精度が高まり、職人の腕も磨かれていきます。職人たちは、前後の工程を担当する職人の仕事に敬意をこめ、自分の仕事を完成させます。こうした輪島の分業システムは、江戸時代後期には出来上がっていたそうです。かつては、『椀木地』『指物木地』『曲物木地』『塗師』『蒔絵』『沈金』の6職種を“輪島六職”と呼んでいましたが、現在はさらに細分化が進んでいます」と日南氏。
江戸時代から変わらない分業システムは、現代においては一見、非効率のようにも思えます。しかし、お客さんの注文によるオーダーメイドや、「なおしもん」(修理)をして長く使い続ける輪島塗の技術は、それぞれの工程にたずさわる職人が、長年にわたって試行錯誤を繰り返していまに伝えてきたものです。この技術力こそが、他の産地の追随を許さない名漆器「輪島塗」を生み出したのでしょう。
デザイニングアウト Vol.2輪島塗だからこそできる「新しい漆器」づくり。
海外で「ジャパン」とも呼ばれ、日本を代表する伝統工芸品の漆器。なかでも、全国の漆器産地で初の国の重要無形文化財の指定を受けた輪島塗は、間違いなく日本の漆器のトップランナーです。それは「通常、御用聞きは家の裏口にまわるが、輪島の塗師屋は表玄関から招かれた」などの逸話があることからもよくわかります。
そんな輪島塗ですが、日本人の生活様式の変化や食の西洋化などに伴って、生産額や職人数の減少が課題となっているのも事実です。輪島漆器商工業協同組合・輪島塗会館の事務局長の隅 堅正氏は「輪島塗の生産額の推計は、1991年の年間180億円をピークに年々減り続けていて、2018年は38億円まで落ち込んでいます。輪島塗にかかわる職人などの数も、ピーク時の半分以下になっています」と言います。
求められる商品にも変化があるそうです。バブル期までは、絢爛豪華な蒔絵を施した商品がよく売れていましたが、90年代半ばからは無地やシンプルなデザインが好まれる傾向にあります。また、私たちの食生活も変わり、椀や重箱だけでなく皿やワイングラスといった食器も求められるようになってきました。
「塗師屋は、行商のなかで流行やスタイルを探っていきます。一見、世間話のようなお客様との話が、お客様の好みを知り、世の中の動きを知る手立てなのです。これが、輪島は全国のみなさんの情報や教育で成り立っていると言われるゆえんです」。
こう話すのは、輪島漆器商工業協同組合理事の中室耕二郎氏。中室氏は、今回の『DESIGNING OUT Vol.2』で、クリエイターの隈 研吾氏と輪島の職人たちのコーディネーター役を担っています。また、1813年創業の「輪島屋善仁」の9代目で、1年の約半分は輪島の地を離れ、全国を行商してまわる昔ながらの「塗師屋」でもあります。
かつて輪島の塗師屋は、分業システムによって作り上げた輪島塗を背中に、全国の客先を一軒一軒訪ねて商売をする行商制度を守っていました。塗師屋ごとに決められた担当地域をまわり、客先でじっくりと話し合って注文を受け、納得してもらえる高品質の漆器を納める――。こうした行商先で出会う情報や客の厳しい目によって、輪島の塗師文化が栄え、輪島塗の技術が磨かれてきたわけです。
中室氏は「江戸時代から塗師屋は、外の風を輪島に引き込む役割を担ってきました。今回、隈 研吾さんという外部のクリエイターとともにモノづくりをすることは、輪島に新しい風をとりいれることです。職人たちが新しい風を感じながら、それぞれの技を駆使する素晴らしいプロジェクトになると期待しています」と話します。
『DESIGNING OUT Vol.2』のプロダクトの全貌は、まだ明らかになっていませんが、理事長の日南氏は「これまでの輪島塗にはない“新製品”が出来上がる予定です。ほかの産地では不可能な、輪島塗だからこそできるデザインになると思います」と笑顔で話します。
1954年生。東京大学建築学科大学院修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。現在、東京大学教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。
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2人のキーマンが振り返る『DINING OUT』を通して青森浅虫温泉に残したこと。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]
ダイニングアウト青森浅虫
2019年7月初旬、青森県青森市浅虫温泉にて、初の東北開催となる『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』が開催されました。
青森といえば、三内丸山遺跡や縄文土器にはじまり、暗闇の中に華やかなねぶたがまちを練り歩く「青森ねぶた祭」、北の青い空に力強い墨線と色彩で舞い上がる「津軽凧」などで知られています。芸術風土の色濃いこの北の大地からは、強烈な個性を持った芸術家や作家が多数輩出されています。
冬は深い雪に覆われる豪雪地であり、荒々しくも多くの生命を抱く陸奥湾や、力強くそびえる八甲山と雄大な自然に囲まれた青森市。冬の真っ白な雪と青い空の対比や、夏に芽吹く緑などの四季の強い彩、ねぶたや津軽凧の強い色彩の荒々しさも彼らの芸術の精神的源泉となったのではないでしょうか。
そんな、昔から今に至るまで青森に宿るアートの感性にフォーカスし、青森の地域性を読み解いてみたいと考え掲げられたテーマは、「Journey of Aomori Artistic Soul」。
このテーマに挑戦した料理人は、代官山「abysse」の目黒浩太郎シェフ。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化したフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得している、新進気鋭の若手料理人です。
ホスト役には、初期の『DINING OUT』から携わり7回目の登場となる、アレックス・カー氏。東洋文化研究家であり作家としても活動し、国内の昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っています。
携わった2人のキーマンが、青森の風土や食材について、また今回の『DINING OUT』を通して地元に残せた'あること'について語って頂きました。
【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS
1985 年、神奈川県生まれ。祖父は和食の料理人、母は栄養士という環境で育つ中で自然と料理人を志す。服部栄養専門学校を卒業後、都内複数の店で修業後、渡仏。フランス最大の港町マルセイユのミシ ュラン三ツ星店「Le Petit Nice」へ入店し、魚介に特化した素材の 扱いやフランス料理の技術を習得。帰国後には日本を代表する名店 「カンテサンス」にて、ガストロノミーの基礎ともなる、食材の最適 調理や火入れなどさらに研鑽を積んだ。2015 年、「abysse」をオープ ン。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化し たフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得している。
abysse HP:https://abysse.jp/
1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。
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Ignition Black Tapered Jeans
素材
色落ちを楽しむヘビーオンスブラック
- 20oz Black denim
- 経糸 ブラックロープ染め 硫化染料
- 緯糸 ブラックチーズ染め 硫化染料
- C-100%
商品説明
- 生地の織りを緩くし、動きやすさを伴ったヘビーオンスブラック。
- 洗いこむ事でゆっくりグレーに変化して行くのも魅力。
- バイクに乗る際の姿勢を考え、やや深めの股上と共に腰回りには余裕を持たせたスリムカット。
- 膝から裾にかけては思い切って絞り込んだシルエットながら、オリジナルの柔らかいヘビーオンスデニムを使うことで膝の曲げ伸ばしは楽に行えます。
サイズスペック
| ウエスト | 前ぐり | 後ぐり | ワタリ | ヒザ幅 | 裾幅 | 股下 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 30 | 77.5 | 22.5 | 34 | 29.5 | 19.5 | 17.5 | 92 |
| 31 | 80 | 23 | 34.5 | 30.2 | 20 | 18 | 92 |
| 32 | 82.5 | 23.5 | 35 | 31 | 20.5 | 18.5 | 92 |
| 33 | 85 | 24 | 35.5 | 31.8 | 21 | 19 | 92 |
| 34 | 87.5 | 23.5 | 36 | 32.5 | 21.5 | 19.5 | 92 |
| 36 | 92 | 25.5 | 37 | 34 | 22.5 | 20.5 | 92 |
| 38 | 97 | 26.5 | 38 | 35.5 | 23.5 | 21.5 | 92 |
- インディゴの【IGW-101D】は、ストレッチ素材のため、ブラックの【IGW-101B】よりヒザ幅が5mm程度細めです。
Ignition Blue Stretch Jeans
素材
動きやすさのヘビーオンス
- 19oz Indigo denim
- 経糸 インディゴロープ染め
- 緯糸 ベージュ反応染め、ウレタンコーティングストレッチ糸
- C-98% , Pu-2%
商品説明
- ヘビーオンスながらストレッチデニムを使うことで動きやすさを実現。
- バイクに乗る際の姿勢を考え、やや深めの股上と共に腰回りには余裕を持たせたスリムカット。
- 膝から裾にかけては思い切って絞り込んだシルエットながら、オリジナルのストレッチのヘビーオンスデニムを使うことで膝の曲げ伸ばしは楽に行えます。
サイズスペック
| ウエスト | 前ぐり | 後ぐり | ワタリ | ヒザ幅 | 裾幅 | 股下 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 30 | 77.5 | 22.5 | 34 | 29.5 | 19 | 17.5 | 92 |
| 31 | 80 | 23 | 34.5 | 30.2 | 19.5 | 18 | 92 |
| 32 | 82.5 | 23.5 | 35 | 31 | 20 | 18.5 | 92 |
| 33 | 85 | 24 | 35.5 | 31.8 | 20.5 | 19 | 92 |
| 34 | 87.5 | 24.5 | 36 | 32.5 | 21 | 19.5 | 92 |
| 36 | 92 | 25.5 | 37 | 34 | 22 | 20.5 | 92 |
| 38 | 97 | 26.5 | 38 | 35.5 | 23 | 21.5 | 92 |
- インディゴの【IGW-101D】はストレッチ素材のためブラックの【IGW-101B】よりヒザ幅が5mm程度細めです。
Black Tracker Vest
素材
- 20oz Black denim
- 経糸 ブラックロープ染め 硫化染料
- 緯糸 ブラックチーズ染め 硫化染料
- C-100%
商品説明
- 細身のシルエットでありながらも生地を緩めの織りにすることで動きやすさを実現。
- 洗いこむ事でゆっくりグレーに変化して行くのも魅力。
- フロントはファスナーとボタンのダブル仕様。高速走行時から街乗りまで幅広く対応します。
- 衿先は裏側にボタンを配し押さえ込んであり、走行時にばたつくことはありません。
- 走りながらもストレスなく使える深めの胸ポケット、腰に配したハンドウォーマーも大きめ深めの作りで入れたものをしっかりホールドします。
- インディゴの【IGW-201D】は、ストレッチ素材のため、ブラックの【IGW-201B】よりバスト寸法が1cm程度細めです。
Blue Stretch Tracker Vest
素材
- 19oz Indigo denim
- 経糸 インディゴロープ染め
- 緯糸 ベージュ反応染め、ウレタンコーティングストレッチ糸
- C-98% , Pu-2%
商品説明
- ストレッチデニムを使い細身のシルエットと動きやすさを両立。
- フロントはファスナーとボタンのダブル仕様。高速走行時から街乗りまで幅広く対応します。
- 衿先は裏側にボタンを配し押さえ込んであり、走行時にばたつくことはありません。
- 走りながらもストレスなく使える深めの胸ポケット、腰に配したハンドウォーマーも大きめ深めの作りで入れたものをしっかりホールドします。
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Blue Tracker Vest
素材
- 19oz Indigo denim
- 経糸 インディゴロープ染め
- 緯糸 ベージュ反応染め、ウレタンコーティングストレッチ糸
- C-98% , Pu-2%
商品説明
- ストレッチデニムを使い細身のシルエットと動きやすさを両立。
- フロントはファスナーとボタンのダブル仕様。高速走行時から街乗りまで幅広く対応します。
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- インディゴの【IGW-201D】はストレッチ素材のため、ブラックの【IGW-201B】よりバスト寸法が1cm程度細めです。
Black Waffle Logo Thermal
素材
- C-100%
商品説明
- 立体的な編み地の表面で多くの空気を抱え込むサーマルロングスリーブTシャツ。
- 細身のボディと袖で身体へのフィット性を高め夏を除く3シーズンに対応。
White Waffle Logo Thermal
素材
- C-100%
商品説明
- 立体的な編み地の表面で多くの空気を抱え込むサーマルロングスリーブTシャツ。
- 細身のボディと袖で身体へのフィット性を高め夏を除く3シーズンに対応。
Blacke Waffle Thermal
素材
- C-100%
商品説明
- 立体的な編み地の表面で多くの空気を抱え込むサーマルロングスリーブTシャツ。
- 細身のボディと袖で身体へのフィット性を高め夏を除く3シーズンに対応。
White Waffle Thermal
素材
- C-100%
商品説明
- 立体的な編み地の表面で多くの空気を抱え込むサーマルロングスリーブTシャツ。
- 細身のボディと袖で身体へのフィット性を高め夏を除く3シーズンに対応。
Black Logo T
素材
- C-100%
商品説明
- 6.5ozオリジナルボディ。
- 着やすさと丈夫さを兼ね備える一年を通じて使えるTシャツ。
White Logo T
素材
- C-100%
商品説明
- 6.5ozオリジナルボディ。
- 着やすさと丈夫さを兼ね備える一年を通じて使えるTシャツ。
正反対のふたりと津軽の四季、その素敵な化学反応。美しき草木染めアクセサリーの故郷へ。[TSUGARU Le Bon Marché・スノーハンドメイド/青森県弘前市]
津軽ボンマルシェ・スノーハンドメイド南から北へ。日本縦断の末たどりついた、手仕事の街・弘前。
「取材には少なくとも3、4時間かかると思います。それでも良ければ」。初めて『Snow hand made』の佐々木亮輔氏に連絡した時返ってきた言葉からは、作り手としての熱意が伝わってきました。実際にかかった時間は6時間ほど。どれだけ話しても話し足りない、本気のものづくりがそこにありました。
これまで紹介してきた『パン屋といとい』の成田志乃さんや『bambooforest』の竹森 幹氏、『Flower Atelier Eika』の英花さんなど、多くの人から「すごい作り手がいるからぜひ記事に」と推薦されたのが、草木染めでアクセサリーや織物を制作する夫婦ユニット『Snow hand made』。満を持して向かった工房は、青森県弘前市郊外の古びた一軒家でした。「これは藍、こっちは日本茜と紫紺。紅花もありますよ」。染料を栽培する庭を案内してくれたのは、主に染色を担当する夫の亮輔氏。亮輔氏が天然の植物染料で染めた糸や布を使い、アクセサリーなどの作品を作るのが妻の葛西由貴さんです。
亮輔氏と由貴さんが出会ったのは、沖縄県波照間島(はてるまじま)でした。神奈川県横浜市出身、生粋の浜っ子ながら沖縄の環境や人に魅せられ移住を決めた亮輔氏と、青森県弘前市出身、知り合いを訪ねてやってきた沖縄の心地よさに惹かれた由貴さんは、著名染織家・石垣昭子さんに師事した後仲間と染織工房を立ち上げ、波照間島を拠点に6年ほど活動。ふたりで独立を考えた時思い浮かんだのが、沖縄と真逆に位置する弘前だったといいます。「彼女の実家があるので、それまでも弘前には来ていたんです。城下町だった弘前は沖縄と違い、塗り物や焼き物など色々な工芸があって、クオリティも高い。やるならここでと決めました」と亮輔氏。2015年5月に波照間島を出発、各地の友人や世界遺産などの名所を訪ね歩きながら、6,500kmの距離を47日間かけて新天地・弘前へやってきました。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ・スノーハンドメイド津軽の四季の移ろいを宿す草木染め。その豊かな表情に魅せられて。
亮輔氏のものづくりの原点は、「波照間島の自然の色の美しさを何か形にしたい」という想い。今も力を入れるのは海の色=青を生み出す染料・藍です。「色々な染料がある中で、やっぱり藍をえこひいきしちゃうんです(笑)」と亮輔氏。どっしりと濃い青、軽やかで淡い青……独特の奥行きを感じさせる様々な青を生み出すのが、室町時代に確立した「正藍染め(しょうあいぞめ)」と呼ばれる古い技法です。
藍の乾燥葉を発酵させた原料「すくも」から染液を作る藍染めですが、現在一般的に使われる石灰や日本酒、蜜やブドウ糖などを使わず、木灰汁(もくあく)のみを加えて染液を建てるのが「正藍染め」。発酵を促す添加物を入れないため難しいとされる一方、「淡い青や抜けるような青が表現できるんです」と語る亮輔氏。2016年からは自ら藍の栽培も始め、津軽ならではの藍の表現を探ります。藍の他、日本茜や紫紺、紅花は、自分で栽培したものと青森県内の生産者のものを混ぜて染料に。他にも近隣の山で採れるオニグルミや竹、弘前市内の桜の枝なども使用する亮輔氏の作品には、津軽のパワフルな自然が育む豊かな彩りが宿ります。
藍には化学的処理をいっさい用いない亮輔氏ですが、染料や素材によっては化学的に中和させて色を出す「農染処理」を施すことも。「『古いやり方を守りたい』というのとは違う。『正藍染め』も色が美しくて色落ちしづらく、何よりシンプルなのが良くて。伝統的なものと近代的なもの、それぞれの特徴を天秤にかけ、使う使わないを判断しています」と語ります。自身を「なぜそうなるのか常に深掘りする面倒くさい性格(笑)」と分析するだけあって、何を聞いても瞬時に的確な答えを返してくれる亮輔氏。感覚的なものづくりを追求しつつ、論文や資料から得られる科学的な裏付けも理解する。そんなバランス感覚が、作品の根幹を支えます。
津軽ボンマルシェ・スノーハンドメイドビッグメゾンも認めた、マシンメイドのごとき緻密な手仕事。
亮輔氏が染める美しい布や糸を使い、芸術的な作品に仕上げるのは由貴さんの役目。亮輔氏曰く「彼女はとにかく集中力がすごい。それに、なんでその形にしたの?と聞いても『なんとなく。特に意味はない』って(笑)。自分は物事にいちいち意味を求めるタイプだけど、彼女は感性でどんどん動くタイプ。作品作りには、彼女の感覚がないとダメだと思います」。
小さい頃からひとりでスケッチブックを抱えて出かけては、目に入るものを描いていたという由貴さん。「絵を描いたり編み物をしたりするのが大好きでした。でも小学校の授業では、みんなと同じものを描いても自分だけ違っていて、先生に『もっとよく見て描いてね』と言われる。何をしても人と違うから、ずっと自分に自信がなくて……。初めて『由貴ちゃんはそのままでいいよ』と言ってくれたのが、亮さんと波照間島の仲間だったんです」と話す由貴さん。ありのままでいい、そう気付けた由貴さんにとって、『Snow hand made』の仕事は天職に他なりません。
鉤針で細い糸をレース状に編み込んだモチーフが揺れるピアスや、天然石や貝をくるむように編み込んだリングやネックレス。波照間島時代から使い続ける、「原始機(げんしばた)」と呼ばれる古い機織り機で織り上げた紐やストラップ。由貴さんの手がける作品のクオリティの高さは、近づいてじっくり眺めれば一目瞭然。機械編みや機械織りのような正確さと緻密さ、由貴さんならではのデザインの独創性が評価され、2017年からは世界的なアパレルブランドに依頼され、ブランドの商品のためのサンプル制作も行います。新作のアクセサリーを出すたび購入してくれる熱心なファンのため、「毎年デザインを変更するし、色や素材の組み合わせも全部変えています」と由貴さん。同じものはない、唯一無二の作品が揃います。
津軽ボンマルシェ・スノーハンドメイド尊重し補い合う。ふたりと津軽をつなぐ心地いい関係。
理論的に物事を捉える亮輔氏と、感覚的にものづくりと向き合う由貴さん。正反対の性格のふたりですが、纏う雰囲気は不思議とそっくり。「由貴のセンスと技術力は本当にすごい。それに絶対に手を抜かないんです」と亮輔氏が言えば、「自分は一から説明してもらわないと理解できないタイプ。お客さんに商品を説明するのも難しくて。でも亮さんが私の想いをうまく伝えてくれるんです」と由貴さん。信頼関係で結ばれたふたりの関係からは、あるものとないものを互いに補い合う、理想のコミュニケーションの姿が見えてきます。
弘前で活動を始めてから5年目。ふたりのコミュニケーションは、工房内から地域へと広がりつつあります。「すくも」作りに必要な木灰汁の原料は、近所のりんご農家の畑から譲り受けた剪定木や古木。灰汁を取り終えた灰は板柳町の陶芸家の手に渡り、釉薬として再利用されます。「別の職業の人から受け取ったものを、また次の職業の人に回せるのが嬉しくて。弘前には色々な職人がいるからこそ、こうした循環が可能なんだと実感しています」と亮輔氏。
今ふたりが取り組むのは、自ら育てた弘前産の藍だけで染める「弘前藍」の製品化。現在は自社畑の藍に徳島産の「阿波藍」を混ぜていますが、今後は栽培量を増やし自家栽培率100%に変える他、藍染めに使う資材全てを県産にすることを目指しているそうです。実は戦前まで、藍は津軽の主要産業のひとつでした。この取り組みが、消滅の危機にあるといわれる津軽の藍産業に刺激を与えるだけでなく、工芸の街・弘前全体を盛り上げることは間違いありません。
横浜と弘前から沖縄へ、そしてそこから再び弘前へ。各地を巡った後たどりついたここ津軽で、ふたりの活動は、よりオープンでローカルなものに変化しつつあるようです。「来年は洋服やバッグも製品化したい。ものづくりに関わる友人たちと、何か一緒に作ることができれば」と亮輔氏。自信と期待に満ちた晴れやかな表情に、津軽の工芸の明るい未来が見えた気がしました。
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海のない街・奈良の盆地で続いてきた貝ボタン作りの軌跡。[トモイ/奈良県磯城郡川西町]
トモイ
奈良県北部、奈良盆地のほぼ中央に位置する磯城郡川西町。ここに、国内シェア約50%を誇る、日本有数の貝ボタンメーカー『トモイ』の工場があります。後編では、貝ボタンとともに発展してきた街の歴史と『トモイ』の歩みをたどり、更なる展望に迫ります。
【関連記事】トモイ/確かな品質と技術に裏打ちされた、世界に誇る貝ボタン。
トモイ豊かな自然と歴史文化に抱かれた、貝ボタンの街・川西町。
豊かな自然が残る奈良県北部の街、磯城郡川西町。盆地らしく、周囲を山に囲まれた平坦な土地に田畑が広がり、所々に集落や工場が見られます。また、立派な前方後円墳の『島の山古墳』をはじめ、千年以上の歴史を誇る『糸井神社』や『比売久波(ひめくわ)神社』など、歴史遺産も多く残っています。
一方、古くから貝殻を原料としたボタン作りが盛んに行われ、「貝ボタンの街」の異名も持つ同町。ですが、奈良は四方を他県に囲まれた、いわゆる海なし県です。にも関わらず、なぜこの街で貝ボタンが作られるようになったのでしょうか。それには、海ではなく川の存在が重要な鍵となりました。
トモイ川の流れに乗ってもたらされ、瞬く間に製造の一大拠点に。
川西町にはその名のとおり、昔から大きな川が5つも流れています。そのため、舟運が主流だった時代には、大阪と結ぶ集散地として発展。様々なものが船で運ばれてきたその中に、貝ボタンもあったのです。
貝ボタンの製造技術は、明治時代半ばの1887年頃にドイツから兵庫県神戸市へと伝来。その後、1897年頃には大阪府の河内地方へ。更に、1905年頃には奈良県の川西町まで伝わったとされています。当時から原料の貝は南太平洋から輸入されていたため、製造場所が海沿いであるかどうかは問題ではありませんでした。
ちょうどこの頃、川西町では木綿織物や養蚕業が衰退し、農家では綿加工業が苦境に立たされていました。そのため、副業として貝ボタン製造が始められることに。以降、町内の人々が続々と参画し、大正時代初めの1914年には業者数50戸にまで拡大しました。
その後、昭和になっても繁栄を続け、最盛期を迎えたのは1945年頃から1955年頃にかけて。「昭和20年~30年代は、このあたりの400世帯のうち、300世帯は貝ボタン関連の仕事をしていました。当時は、ぬき屋、擦り屋、穴あけ屋、磨き屋などボタン作りは分業で、それぞれの工房があちらこちらにあったんです。まるで、町全体が工場のようでした」と『トモイ』代表取締役社長の伴井比呂志氏は振り返ります。
トモイ他を圧倒する独自の取り組みで活路を開いた『トモイ』の歴史。
『トモイ』の創業は、大正時代初めの1913年。初代は伴井氏の祖父で、貝殻からボタン生地をくり抜くぬき屋として商いを始めました。その後、川西町全体の発展とともに、『トモイ』も事業を拡大。やがて、貝ボタン製造の全工程を、一貫して自社工場で行うまでになりました。
更に、2代目である伴井氏の父は、新たな技術も導入。ボタンに様々な文字や模様を施せるNC彫刻機を考案しました。滑らかな仕上がりが特徴のこの機械は、約30年前に導入した最新式のレーザー彫刻機と併用しつつ、今も現役で活躍中。「速くて正確なレーザー彫刻機が主流ではありますが、ボタン全体を彫り込むようなデザインの場合や、レーザー彫刻機だと焦げてしまうような材質のボタンを彫る場合は、NC彫刻機を使います。やはり、仕上がりの際の独特の滑らかさは、この機械ならではだと好評です」と伴井氏は話します。
また、2代目は新たな販路も開拓。創業当時、貝ボタンは真珠と並ぶ輸出品のひとつとして、安定した売り上げを誇っていました。しかし、更なる成長のためには国内で販路を開拓する必要があると考え、奈良の工場を初代である祖父に任せると、幼かった伴井氏を連れて一家で上京。寝る間も惜しんで働いた結果、一気に受注量が増えたといいます。更に高度経済成長期の追い風もあり、東京から奈良に戻って以降、従業員は70名を数えるまでになりました。
川西町全体で見ると、貝ボタン生産は1955年頃をピークに、徐々に縮小。特に1965年頃からは、安価で大量生産可能なポリエステル製のボタンが本格的に流通し始めて急速に衰退し、最終的には数軒しか貝ボタンの業者は残りませんでした。『トモイ』はその中の貴重な1軒。他に類を見ない製造規模と、創業当時からこだわっている確かな品質、更に新たな技術で生み出すバラエティ豊かなラインナップを武器に、独自に成長を遂げた結果です。
トモイ本場イタリアの技術や感性を持ち込むことで、更なる発展を実現。
『トモイ』の3代目である伴井氏は、1961年生まれ。幼い頃から両親の背中を見て育ち、早い段階から後継ぎとしての自覚があったといいます。ビジネス系の専門学校で経理を学んだ後は、製造技術習得のために、貝ボタン発祥の地であるヨーロッパへ留学。修業先は、ボタンメーカーが数多くあるイタリア・ベルガモの中でも、世界的メーカーである『ボネッティ』社です。ここで、本場の職人技を1年かけて学びました。
例えば、伴井氏が持ち帰った技術のひとつが、艶出しの方法。『テッポウ』と呼ばれる木桶の中にボタンと熱湯を入れ、薬品を少しずつ点滴のように垂らしながら、約1時間回転させるという手法です。伴井氏曰く、「以前は、10分程度の短時間で済ませていた作業。悪く言えば、薬品でごまかしていたようなところもあったと思うんです。でも、これを1時間かけてじっくり行うと、貝が持つ本来の艶を引き出すことができる。木桶を使うというのもポイントで、木なら錆びないですし、ボタンに傷がつきにくいという利点があります」。
また、細かい点では、ボタン生地に穴を開ける『窄孔(さっこう)』に用いる針の研ぎ方ひとつにも違いがあったのだとか。本場の職人からその技を習得した伴井氏は、『トモイ』の製造工場でも生かすことで、より高品質で多種類の貝ボタンを製造できるようになりました。更に、日本にはない多彩なデザインに触れられたことも、大きな学びになったといいます。
その後、1994年に伴井氏は3代目に就任。歴史を受け継ぎ、更に発展させることで、国内シェア約50%を誇る、日本有数の貝ボタンメーカーへと『トモイ』を押し上げました。
トモイ貝ボタンの魅力を大切に、更に研ぎ澄ませ広めていくために。
貝ボタン作りに携わって25年。改めて伴井氏に貝ボタンの魅力を聞くと「やはり天然素材である貝ならではの深い輝き、滑らかな手触りは格別ですね。また、ポリエステル製のボタンは軽いですが、貝ボタンは適度に重さがある。そのため、例えばシャツの一番上のボタンを外して着ても、ボタンの重さで襟元に自然と美しいカーブが生まれる。それも、貝ボタンならではだと思います」と笑顔で話します。
そして近年は、国内はもとより、海外へと販路を拡大している伴井氏。「特にイタリアとの取引を拡大中です。修業時代にも感じたことなのですが、やはりイタリアの方々はセンスが磨かれているので、きちんと上質な貝ボタンを求めてうちに声をかけてくださいますし、どんどん新しいデザインのオーダーを頂くのも刺激的なんです」と話す伴井氏。「デザインファーストというか。例えば、日本の場合は縫製のしやすさを重視してボタン穴を大きくするよう依頼されることがあるのに対して、イタリアの場合はあくまでデザイン重視。そんな違いも勉強になります」と続けます。
より高いレベルを求める相手と向き合い、丁寧な仕事をしながら斬新なデザインにも果敢に挑戦することで、自らの幅を広げている『トモイ』。今度は逆に日本でもその姿勢を貫くことで、国内市場がもっと盛り上がれば……。そう考える伴井氏は、貝ボタンの更なる未来を見据えています。
1913年創業、奈良県磯城郡川西町に本社工場を構える貝ボタンメーカー『トモイ』の3代目。ビジネス系専門学校卒業後、単身イタリアへ留学。ボタン機器の世界的メーカー『ボネッティ』社で貝ボタンの製造工程を学んで帰国し、1994年より『トモイ』の代表取締役社長に就任。確かな品質と技術、高いデザイン性を誇る日本随一の貝ボタンメーカーとして、国内はもとより、海外の名ブランドからもオーダーが絶えない。
住所:〒636-0204 奈良県磯城郡川西町唐院201 MAP
電話:0745-44-0066
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地銀×地域×自治体。地方創生の未来を拓く、新たな関係性。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]
ダイニングアウト浅虫浅虫温泉で実現したかつてない『DINING OUT』の形。
地域に眠る魅力を掘り起こし、新たな価値を見出す――そんな思いの元、過去15回開催された『DINING OUT』。その音頭を取ったのは地域に根づく企業、あるいは自治体。そこに地元を愛する有志たちが集い、それぞれに魅力を持つ、その土地ならではの『DINING OUT』を開催してきました。
しかし16回目となる青森市浅虫温泉の『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』は、少し違いました。地域と自治体、住民と地域、それらを繋ぐ橋渡しとして、まず青森の地方銀行の『みちのく銀行』が立ち上がったのです。そして地元の旅館がそこに賛同し、さらに青森市が影から支える。そんなかつてない形で実現したのが、今回の『DINING OUT』だったのです。そしてその成功から、地域創生の在り方、温泉街の活路、これからの地方銀行の重要性が見えてきました。
【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS
ダイニングアウト浅虫町に溶け込む支店長が、銀行の取り組みの象徴。
北の温泉地・浅虫温泉に数日も滞在すると、必ずどこかで目にする人物がいます。地元住民とにこやかに挨拶を交わし、道路のゴミを拾い、日曜でもイベントとあれば真っ先に駆けつける。今回の『DINING OUT』でも率先して雑務をこなしていたその人物こそ、『みちのく銀行 浅虫支店』の支店長・工藤秀樹氏です。「浅虫のことなら、まず工藤さんに聞けば間違いない」地元住民が話すそんな言葉は、決して冗談ではありません。2016年に支店長として浅虫に入って3年、工藤支店長は地元に不可欠な存在になっていたのです。
もちろんそれは、工藤氏の明るい人柄による部分も少なくありません。しかし『みちのく銀行』のなかにあって、そんな工藤氏は決して「変わった人材」ではないのです。工藤氏の前任の浅虫支店長・鶴岡真治氏(現・地域創生部 参与)も、たびたび浅虫を訪れては住民たちと旧友のように語り合います。それはきっと『みちのく銀行』という地方銀行の在り方そのものが、地域とともに歩むことを目指しているから。銀行として資金面だけで地方を支えるのではなく、もっとも根本的な部分である人々の活気や熱意も下支えする。それが今回の『DINING OUT』の原動力となった『みちのく銀行』なのかもしれません。
ダイニングアウト浅虫若き頭取が語る、これからの地方銀行の在り方。
そんな予想を確かめ、そして浅虫での『DINING OUT』の開催の理由を探るため、『みちのく銀行』本店を訪ねました。出迎えてくれたのは若き頭取・藤澤貴之氏。朗らかでユーモアあるその人柄からも、この銀行の在り方が垣間見えます。
浅虫温泉に『DINING OUT』を招聘した理由を尋ねると「銀行はお金を預かり、貸す仕事。しかしそれだけではなく、地域のためにできることをして元気にしていきたいという思いがあります。とくに浅虫支店は90年以上前から続く当行で4番目に古い支店。それだけ長い付き合いのある温泉街が、果たしてこのままで良いのかという問題提起として『DINING OUT』の実現にこぎつけました。“主人公”はあくまでも地元。そこにサポートできることがあるか模索した結果です」との答え。その言葉にも、地元の発展を心から願う姿が垣間見えます。
さらに藤澤氏のそんな思いを、タイミングも後押ししました。「2017年、地域が抱える課題に金融機関のノウハウを活かして望む“地域創生プラットフォーム”を創設しました。ダイニングアウトの話が上がったのは、まさにその頃でした」。そして続けます、「これからの地方銀行の在り方は、もっと地域に入り込み、住民や商売を営む方々と共に街を元気にさせなければいけないと思っています」。
熱意とタイミングにより実現した『DINING OUT』。その結果について「地元の人が当たり前に受け入れていた浅虫の魅力に改めて気づかせてくれたイベントでした。これは外からの知見、目線があってはじめてわかったこと。大きな収穫だと思います。今後は近すぎて見えなかった魅力をどう育て、発信していくか。本番はこれからです」と藤澤氏。さらに「今回の浅虫をひとつのモデルとして、さまざまな場所に広げていきたいと思っています」との展望も語ってくれました。
ダイニングアウト浅虫地方銀行の思いに応える、地元の若き経営者たち。
藤澤氏が語った“タイミング”は、実は『みちのく銀行』内の話だけではありません。もっと広い視野で、青森市に革新のタイミングが訪れていたのです。それは、地方創生の中心となる人たちの若返りでした。藤澤氏が『みちのく銀行』代表取締役頭取となったのは2018年、52歳の頃。同じ頃、浅虫温泉の旅館組合や観光協会も、トップが若い世代に変わりました。さらに2016年に青森市長になった小野寺晃彦氏も現在44歳の若さ。こうして青森市や浅虫温泉の未来は、若い世代へと託されたのです。
2017年には浅虫温泉活性化に向けて浅虫温泉若手経営者の有志が「青森MOSPAプロジェクト」を始動。そこに小野寺市長も加わり、歯車が少しずつ動き始めました。「ピーク時は30万人以上の観光客が訪れ、“東北の熱海”とも呼ばれた浅虫温泉。映画館もあり、芸者さんもたくさんいました。しかし元に戻そうとは思っていません。今あるものを受け入れてどう活用するかを考えていきたい」とは「MOSPAプロジェクト」も主導する『ホテル秋田屋』の代表・佐藤方信氏。同じく「MOSPAプロジェクト」に参加する浅虫温泉辰巳館の戸嶋竜一常務も「当初は明確なビジョンがありませんでしたが、それが少しずつ変わってきました」といいます。
そんな折、『みちのく銀行』から『DINING OUT』を浅虫温泉で実施する話が持ち上がったのです。「最初に(ダイニングアウトの)話が来たのは2年前。当初は“やってみたいけど、お金はどうするの?”という段階でした。そこから毎月会議をして、みちのく銀行がサポートしてくれることとなり、実現に動き出しました」そう振り返る佐藤氏。「板前やサービススタッフが参加して、刺激を得られた。それだけでもやった価値は十分。浅虫の“食”のレベルがぐっと上がると思います」と『DINING OUT』の収穫を語ってくれました。戸嶋氏も「町が一丸となったことが、目に見えない最大の効果」と振り返ります。
地銀が音頭を取り、地域が動き、行政を巻き込んで町が再生する。これは今後、課題を抱える地方の創生におけるモデルケースとなるのかもしれません。
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魚介とアートを五感で堪能した饗宴『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』スペシャルムービー公開。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]
ダイニングアウト青森浅虫
『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』(2019年7月開催)の感動を、スペシャルムービーとフォトギャラリーでお届けします。
『DINING OUT』第16弾となる舞台は、初の東北地方・青森県青森市浅虫。強烈な個性を持った芸術家や作家が多数輩出されている芸術風土の色濃い土地にて、昔から今に至るまで青森に宿るアートの感性にフォーカスし、青森の地域性を読み解いてみたいという想いから導き出したテーマは、「Journey of Aomori Artistic Soul」。
4つの違った特性の海を擁する青森の魚介だけを使ったフルコースと、演出全体でひとつのアート作品として、五感全てでご堪能いただく究極のダイニングをぜひ体感してみてください。
【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS
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児島ジーンズ 着るバッグ【メンズ館】
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森とともに変化していく、小さな町の大きなお祭り。[飛生芸術祭/北海道白老町]
飛生芸術祭2019わずか10世帯ほどの集落が一年に一度、にぎわいに包まれる日。
北海道の小さなまちで開かれている芸術祭。限りなく自然に近く、限りなく自由なお祭りと言えるかもしれません。
飛生は北海道・白老町にある小さな集落です。新千歳空港から1時間ほどの距離に位置し、住民はわずか10世帯ほど。最寄り駅はないに等しく、国道から山深い道を車で20分ほど走ると辿り着く、ひっそりと静寂に包まれた場所です。
このまちに年に1度、全国から1000人以上の人が訪れ、歌や音楽、ダンスやアートイベントで盛り上がる日があります。それが「⾶⽣芸術祭」。スタートは2009年、2019年に11回目を迎えます。
飛生芸術祭2019閉校を機にアーティストにバトンを渡された小学校。
飛生芸術祭の説明をする前に、ここがどのような場所なのかを紹介しましょう。芸術祭が行われる「飛生アートコミュニティー」は、約30年前に閉校になった飛生小学校の建物をそのまま利用した施設です。ここは現在、アーティストの共同アトリエとして活用されており、主に作品の制作や展覧会、イベント、プロジェクトなどが行われています。1986年に最後の卒業生4人が巣立つのを機に、地元から「アーティストの方々に活用してもらいたい」と札幌の彫刻家・國松明日香氏らに維持を委ねられ、その後校舎と教員住宅にメンバーが住んだり、週末に通うなどして創作活動を行ってました。現在は、明日香氏の息子である希根太氏が受け継ぎ、飛生アートコミュニティーの代表を務めています。
飛生に若いアーティストたちが訪れるようになる中で、2007年、初めてのイベントであるアイヌのトンコリ奏者OKIによる「TOBIU meets OKI」が開催されます。そうしたことがきっかけで地元の人々やアーティスト同士の交流も深まり、2009年から飛生アートコミュニティーの1年の成果の発表の場として「飛生芸術祭」がスタートしました。
飛生芸術祭2019黒い鳥が守る森を、再び子供達の笑顔あふれる場所に。
2011年には「飛生の森づくりプロジェクト」が始まります。実は飛生アートコミュニティーの裏には昔の学校林が広がっていましたが、閉校し人の手が入らなくなった後は、笹が伸び放題で荒れ果てた放置林となっていました。それをアーティストたちが再び子供達が自然に触れ合い、遊び、学び、集える森として再生しようと整備に取り掛かりました。まずは背丈ほどもある笹を刈って散策路を作り、2013年には高さ10mのトーテムポール「Tupiu TOWER」を立てました。
これは、「飛生」という地名の由来の説が二つあり、一つはアイヌ語で「ネマガリダケ(トップ)の多い(ウシ)所(イ)」、もう一つは「Tupiu」という黒い鳥の多い地であるという神話に基づくことからの着想です。アーティストたちはこの森を、Tupiuという黒い鳥が存在する「"森の住人"の暮らす世界」と想定し、人と自然が共生できる場所として一つずつ形作っていきました。森の住人の家「Tupiu HOUSE」や、森の住人のピザ窯「Tupiu OVEN」、菜園「Tupiu FARM」などを完成させ、2016年には森の主Tupiuを迎える「Tupiu NEST」も登場しました。
飛生芸術祭2019飛生芸術祭の始まりの合図は、キャンプファイヤーで。
2011年、森づくりとともにスタートしたのが「TOBIU CAMP」。飛生芸術祭のオープニングとして2日間、一昼夜行われるキャンプイベントです。校舎や森のあちらこちらで音楽、アート、ダンス、演劇とさまざまなパフォーマンスが開催され、森のワークビレッジでは、アイヌ伝承楽器ムックリづくりといったワークショップが開かれます。またTOBIU CAMPの楽しみの1つはフードにあると言われるほど、道内から選りすぐりの手作り料理のブースが集います。広大な牧草地でキャンプをしながら、自分も森の住人になって、思うままに自然の中で過ごすことができる2日間です。
飛生芸術祭2019今年も歌と踊りとアートで、森への敬意と感謝を示す。
10周年を迎えた昨年は北海道胆振東部地震の影響で中止になりましたが、その分、今年のTOBIU CAMP・飛生芸術祭はさらに盛大に開催されます。2016年から参加している奈良美智をはじめ、後藤正文+古川日出男、相川みつぐなど総勢90組が登場。白老町との連携企画も加わって、音楽、ダンス、パレード、朗読と音楽の劇、夜学、展覧会と様々な催しが繰り広げられます。
8年かけて整備してきた森そのものが一つの作品となり、舞台となり、交流の場となる飛生芸術祭。今年も小さなまちが、大きな感動と賑わいに包まれることでしょう。
期間:2019年9月7日(土)〜15日(日)
時間:10:00-16:00(9月7日、8日はTOBIU CAMPに準じる)
会場:飛生アートコミュニティー校舎と周囲の森<北海道白老郡白老町字竹浦520(旧飛生小学校)>
入場料:ドネーション制(期間中会場に募金箱を設置)、高校生以下無料
※9月7日、8日は、飛生芸術祭のオープニングイベントとして、キャンプイベント「TOBIU CAMP 2019 森と人との百物語」を開催。この期間は、別途「TOBIU CAMP」の入場チケットが必要になります。
写真提供:飛生アートコミュニティー
会期:2019年9月7日〜8日
時間:7日は開場12:00/8日は閉場14:00 ※時間は予定
入場料:一般前売 4500円(7月5日よりローソンチケット、Peatixで発売開始)、当日5500円、9月8日6:00以降の入場1500円
飛生芸術祭2019 URL:https://tobiu.com/
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できることなら、野生に染まりたい。あるドライフラワーアーティストの生き方。[TSUGARU Le Bon Marché・Flower Atelier Eika/青森県弘前市]
津軽ボンマルシェ・フラワーアトリエエイカ津軽生まれ、独特の「間」を持つドライフラワーアレンジメント。
初めて彼女の作品と対面したのは、『津軽ボンマルシェ』の視察で立ち寄った弘前市のショップ『bambooforest』。ナチュラルな雰囲気を持つ、小ぶりのドライフラワーのスワッグが印象的でした。次に対面したのは、同じく弘前市にある『パン屋といとい』の取材時。天井からダイナミックに吊るされたツル科の植物や看板に添えられた大ぶりのスワッグが、小さな店を数倍大きく見せていました。どの作品にも共通していたのは、さり気ない佇まいなのに強い主張を感じること。そしてぐるり360度、どこから見ても独特の「間」があり、その「間」が一筋縄ではいかない奥深さを感じさせることでした。
手がけたのは、『Flower Atelier Eika』の屋号で活動する弘前在住のドライフラワーアーティスト・英花さん。様々なイベントでアレンジメントを販売する他、市内の店の装花を担当するなど活躍の場を広げる、津軽の注目クリエイターのひとりです。実は活動を始めてまだ3年ほどという英花さん。それ以前は、「ドライフラワーとプリザーブドフラワーの違いも知らない主婦」だったと話します。
「長い間ずっと自分探しをしていて。でも花と出合ってから、最近はどんどん自由になっているのがわかるんです。自分の名前に『花』という字が入っているのも、ちょっと運命的でしょう(笑)? なんだか花に導かれている気がします」と英花さん。作品から感じ取った世界観と彼女の生き方に深いつながりがあるような気がして、まずは生い立ちから聞くことにしたのでした。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ・フラワーアトリエエイカ「こじらせ系女子」が40歳になってたどりついたライフワーク。
「自分は相当のこじらせ系」だという英花さんは弘前市出身。超がつくほどの人見知りだった幼少期は、いつもひとりで虫を眺めたり、何でも分解したり、寝食を忘れて好きなことに熱中するタイプだったそうです。高校卒業後に進学した仙台の体育大学でついた異名は、某人気漫画の刀の名手から「五ェ門」に。曰く「また人を斬ってしまった、みたいな(笑)。コミュニケーションがすごく一方的で、みんなを傷つけてしまって。人付き合いが苦手な器の小さい人間でした」。
その後大学を卒業し、そのまま仙台で好きだったアパレル系の仕事に就職。さすがに人との会話に慣れたものの、自分が着たくない服でも売らなければいけないことに疲れ果て、「結局自分は好きな服が着たいだけなんだ」と気付いた英花さんは、故郷・弘前に帰ります。花との出合いは、結婚、出産を経て主婦をしていた頃。友人に誘われ何気なく参加したプリザーブドフラワーの講習会でした。
「それまで花に興味を持ったことはなかったのに、植物が持つ独特の陰影や形の魅力に気付いた途端、どうしようもなく惹かれてしまって。でもプリザーブドは色も形状も人工的な部分があって、それに違和感がありました。そこでドライならいいかもと、生花を自宅で乾燥させて自己流のドライフラワーを作り始めたんです」と英花さん。昔から好きになったらとことんハマる反面、何をやっても長続きしなかったという英花さんが、初めて情熱を持って取り組める花というライフワークに巡り合ったのは、40歳になってからでした。「うまく生きられなかった昔の私の人生を、今取り戻している感覚かも」。英花さんはそう言って笑います。
津軽ボンマルシェ・フラワーアトリエエイカ朽ちたり、曲がったり。自然体の花の姿に自分を重ねて。
生け花の講座に出向いたり、フラワーアレンジメントの本を読んだりと、花の勉強を始めた英花さん。しかし「どれも合わない」と感じ、人に師事することも、流派に属することもせずに作品を作り始めます。「私には“型”や“順序”に沿って作るのが合わなくて。森に行って、1本の蜘蛛の糸から垂れ下がった葉っぱを見ると“自然のモビール”みたいと感じる。そういう光景がインスピレーションを与えてくれるんです。今は“自然が先生”でいいと思えるようになりました。何か最初に始める人はみんな独学だったはず、と自分に言い聞かせてやっています(笑)」と英花さん。
手つかずの自然の植物は、英花さんに多くの学びを与えてくれるそうです。例えば木に絡んだツル科の植物を見ると、他の何かに絡まないと生きていけない生態が見えてきます。「ただ花材としてツルを飾るのではなく、そういうツルの生き方を作品で表現したい」と英花さん。
当初、生花よりドライフラワーを扱うことを選んだのは、扱いやすく長持ちするという理由もあったという英花さんですが、今はそれ以上の意味を見出し、その意味こそが彼女の作品に大きな影響を与えています。「春いっせいに咲いた花が朽ちていく、その姿は人間の一生のようでたまらなく魅力的。枯れたり折れ曲がったりしている花にも、自分を重ねてしまうんです。だから花を乾燥させる時も、綺麗に整えて形を作るより、自然に近い姿になるように気を付けます。くたっとして枯れていく、それが命、それが人生だろ!って思いながら(笑)」と英花さんは語ります。
津軽ボンマルシェ・フラワーアトリエエイカ花と向き合う日々から、もっと外へ、次なるステージへと舵を切る。
作品作りを始めてから約3年。様々なイベントに呼ばれるなど人気クリエイターとなった今、英花さんは次の一歩を踏み出そうとしています。きっかけとなったのが、知人に誘われて参加した県外の小さなフェスティバルイベント。当初、会場装花はできればやってみるというスタンスでハサミと紐だけ持参した英花さんでしたが、実際現地に赴くと、会場周辺の植物がそのまま花材となることに感動したといいます。「今の世の中、花は店で買うのが普通。でもその時、身近にある植物でも十分人を癒すことができると思いました。プロの生産者が生み出す花の美しさはすばらしいけれど、野生が持つ美しさにも改めて気付かされて。今はその両方をもっと知りたくて、より外へ意識が向くようになってきました」と英花さん。
寒くなると葉が枯れ、木々のシルエットが浮かび上がる津軽の冬。自然に身を置くことで、故郷の冬の長さと美しさを実感したという英花さんは、今後、日本全国の春夏秋冬を感じながら会いたい人に会う、インプットの旅に出る予定だそうです。「期間も決めず、様々な自然の姿や人々の考え方に触れていきたい。色んなイベントに呼んでもらえるのはもちろんうれしいけれど、今はいっぱい売るための作品を作るより、自分の世界観を大切にしたくて。これからの活動がどうなるか、自分でも予想がつかないんです」と英花さんは話します。そんな英花さんがいつか津軽に戻ってくる時、私たちが目撃するのは、きっと何倍にもパワーアップした英花ワールド。花という伴侶を得た彼女の更なる成長が、驚きを与えてくれるはずです。
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確かな品質と技術に裏打ちされた、世界に誇る貝ボタン。[トモイ/奈良県磯城郡]
トモイ
奈良県北部、奈良盆地のほぼ中央に位置する磯城郡川西町。ここに、国内シェア約50%を誇る、日本有数の貝ボタンメーカー『トモイ』の工場があります。前編では、『トモイ』を率いる伴井比呂志氏に、貝ボタンの特徴や、同社のものづくりにおけるこだわりについてうかがいます。
トモイ奈良の片隅で脈々と受け継がれてきた、美しき貝ボタン。
明治の終わり頃に貝ボタン作りの技術が伝わって以降、日本随一の生産地として発展してきた奈良県磯城郡川西町。ポリエステル製ボタンの台頭とともにその規模は縮小していったものの、現在も歴史をつなぎ、地道なものづくりを続けているメーカーがあります。それは、伴井氏が代表取締役社長を務める『トモイ』です。
貝ボタンとは、その名のとおり貝殻を原料として作られたボタンのこと。主に高瀬貝や黒蝶貝、白蝶貝など、南太平洋産の貝が使われます。深みを感じる光沢がなんとも上品で、触れればつるりと滑らか。適度に重厚感もある独特の質感は、ポリエステル製のそれとはひと味違う心地よさで、装いに程よいアクセントを加えてくれます。
トモイ良質な素材のみを厳選して扱う、正直なものづくり。
『トモイ』が創業時から一貫してこだわっているのが、原料となる貝殻の質。貝は生き物であり、当然ながら鮮度の善し悪しが、貝殻の質にも関わってきます。死んだ貝の殻はもろい上に、白っぽくぼけた色をしており、丈夫さにも見た目の美しさにも欠けるもの。そのため『トモイ』では、採取されるまで生きていた貝しか使いません。
また伴井氏曰く、「黒真珠の母貝である黒蝶貝はもうひとつ注意が必要」。近年、真珠養殖の技術が上がった結果、以前は1回真珠を抱いたら処分されていた黒蝶貝が、3~4回繰り返し用いられるようになっているといいます。真珠作りには喜ばしいことですが、何度も真珠を抱かされた貝は疲れ、ストレスを抱えてしまうのだとか。その結果、生きてはいるものの質の低下した貝が多く存在するようになっており、そこには十分な見極めが必要となっているのです。
更に、海外などで安価に作られる貝ボタンは、コストダウンのために貝殻のもろい皮の部分まで使うこともあるのだとか。すると、弱くて割れやすいボタンに仕上がってしまいます。また伴井氏は、「例えば黒蝶貝であれば、その特徴である美しい黒色をした部分は貝殻全体の6割のみ。本来であれば残りの4割にあたる白っぽい色味の部分は使うべきではありませんが、こちらもコストダウンのために混ぜて使っているメーカーも存在します」と話します。
対して『トモイ』は、生命力に溢れた強く美しい貝殻の、肉厚で丈夫な部分のみを選んで使用。黒蝶貝の場合ももちろん、きちんと黒い部分だけを採用しています。「貝殻は天然素材なので、手を抜こうと思えばいくらでも抜けるんです。でも、うちは絶対に手抜きやズルはしません」と伴井氏。多少手間やコストが削減できたとしても、粗悪品を提供してトラブルが起これば、そこで終わり。品質に徹底的にこだわることで、何にも代えがたい信用を得てきたことが、今日の『トモイ』につながっていることは間違いありません。
トモイ随所に職人の手仕事が光る『トモイ』クオリティ。
上質な素材を上質なボタンに仕上げる高い技術力もまた、『トモイ』の魅力のひとつ。チップ状のボタン生地を厚さ別に選り分ける『ロールかけ』に始まり、仕上がりから逆算して生地の裏表を砥石(といし)で削り、最終的にちょうど美しい層が現れるよう厚みを調整する『すり場』、生地をボタンの形に彫る『型付け』、ボタン穴を開ける『窄孔(さっこう)』など、ある程度ボタンの形になるまで、いくつもの工程を踏みます。
それぞれ専用の機械を用いるものの、動かすのは人の手。各工程に担当者が付き、慣れた手つきで機械を操り、狂いなく均一に仕上げていく様には、熟練の技が垣間見られます。また、こうした機械のメンテナンスにも確かな勘が必要なのだとか。故に、職人たちの重要な仕事のひとつになっているといいます。
その後、ボタンの角に丸みをつけるには、『化車(がしゃ)』と呼ばれる木箱の中にボタン、水、磨き砂を入れ、3~4時間ひたすら回転させるのですが、この時間調整も勘が頼り。回しすぎると角が取れてデザインが損なわれるので、微妙なラインを手繰り寄せます。
更に続く艶出しの作業では、同様に『テッポウ』と呼ばれる木桶の中にボタンと熱湯を入れ、薬品を少しずつ点滴のように垂らしながら約1時間回転させます。ここでも、気温や水温、ボタンの大きさに合わせて微妙な調整が必要とされます。
そして最後は、貝ボタンの要である光沢を追求する、磨きの工程。八角形の木箱に、ボタンとロウを付着させた籾を入れ、約1時間回転させます。こちらも、ちょうど良いタイミングで動きを止めることで、抜群の手触りに仕上がるのです。
こうして完成した貝ボタンは、最終関門へ。ベテランスタッフによって検品作業が行われます。小さなボタン一つひとつを手に取り、1等品か2等品かに選別。「少しでも迷うものは2等品に仕分ける」という高いハードルで、厳しく選り分けられます。
トモイ豊富なコレクションに見る、貝ボタンの大いなる可能性。
厳選した素材と、熟練の技術で生み出される『トモイ』の貝ボタン。そのラインナップは、定番品だけでなんと6万種類ほどにも上ります。それぞれの貝ごとに、大きさ、厚さ、デザイン違いで何パターンも展開。バラエティの豊かさも『トモイ』の魅力なのです。
中でも最も種類が多いのは、高瀬貝のボタン。高瀬貝は比較的安く、安定供給されるために採用されやすく、全体の約半数を占めています。その色味を生かしたオフホワイトのボタンは、まさに貝ボタンといわれて多くの人がイメージするもの。永遠のスタンダードです。
他にも、グラデーションが美しい絶妙な黒さを生かした黒蝶貝のボタン、天然の柔らかな茶色い色味を生かした茶蝶貝のボタンなど、見本帳には多種多様な貝ボタンがずらり。その様はただただ圧巻のひと言です。
これらに加え、世界の有名ブランドからのオーダーも多数。ブランド名やロゴを彫刻した別注品は、ひときわ輝いて見えます。
トモイ伝統を守りつつ、時代に合わせた工夫や挑戦も大切に。
シンプルなものから凝ったデザインのものまで、様々な貝ボタンを生産している『トモイ』。そこにはやはり、その時々のトレンドも関係してくるといいます。
「例えば、クールビズが流行り始めると、少し厚みのあるデザインの貝ボタンが好まれるように。それは、ネクタイを締めず、第一ボタンを開けた状態でシャツを着用する場合、厚みのあるボタンが程よい重さとなり、襟元が綺麗に開くからです」と伴井氏。
また最近では、黒蝶貝の白い部分をコーティングしてカラフルな色に染めたデザインや、塗装してレーザー彫刻を施すデザインの貝ボタンが流行。ヨーロッパ発祥の技法とのことで、『トモイ』でもいち早く取り入れています。
一方、ボタン生地をピアスなどのアクセサリーにアレンジしたことも。あくまで地域の伝統産業を盛り上げるイベントの一環として取り組んだに過ぎないそうですが、若い女性を中心に注目を集め、新たな出合いを創出しました。
次回の後編では、貝ボタンとともに発展してきた街の歴史と『トモイ』の歩み、更なる展望に迫ります。
1913年創業、奈良県磯城郡川西町に本社工場を構える貝ボタンメーカー『トモイ』の3代目。ビジネス系専門学校卒業後、単身イタリアへ留学。ボタン機器の世界的メーカー『ボネッティ』社で貝ボタンの製造工程を学んで帰国し、1994年より『トモイ』の代表取締役社長に就任。確かな品質と技術、高いデザイン性を誇る日本随一の貝ボタンメーカーとして、国内はもとより、海外の名ブランドからもオーダーが絶えない。
住所:〒636-0204 奈良県磯城郡川西町唐院201 MAP
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人々に芽生えた小さな可能性が、きっと街を変えていく。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]
ダイニングアウト浅虫初の東北開催、陸奥湾の海の幸と青森が生んだアートをテーマにした16回目の『DINING OUT』を振り返る。
2019年7月初旬に開催された『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』。16回目にして初の東北開催は、本州最北端の青森県の浅虫温泉から。太平洋、日本海、津軽海峡、陸奥湾という4つの海の豊富な魚介に恵まれ、また数々の偉大な芸術家、文豪、アーティストを輩出した青森を舞台に、二夜限りのプレミアムな野外レストランは大成功のうちに幕を降ろしました。終了した翌日、5名の関係者が会し、今回のイベントを振り返りました。
大類:16回の『DINING OUT』の中で、 準備に2年間という膨大な時間をかけたのは初めてなのでとても感慨深いですね。2年前に浅虫での開催を打診された時のことはいまでもはっきりと覚えています。えっ、来年じゃなくて、再来年なの?と。浅虫の熱量やレベルを上げて行くには時間が必要。だが、ぜひやりたいから付き合って欲しいと頼まれました。その間、地元だけでも22回も会議をやっている。それだけ準備を重ねて、地元の人も徐々にレベルを上げていったから、今回は素晴らしいチームワークでできました。
中村:大類さんに「やります」と言った後も、本当にやれるのか?という不安がずっと付きまとっていました。レクサスに乗って『DINING OUT』に参加するようなゲストに浅虫は本当にふさわしい場所なのか、お客様に感動してもらえるのかと。それが、あの『DINING OUT』の光景を見た瞬間に、思わず「浅虫じゃないみたい」と言ってしまった。自分たちが気づかない浅虫のよさを掘り起こしていただいたことへの感謝でいっぱいです。今回の会場となった護国寺は、地元でもあまり馴染みのない場所で、私自身もほとんど行ったことがない。それが、あんなに素晴らしい場所だったとは。
大類:期待通りです!何十回と場所探しをして、とにかく浅虫でやるなら、湯の島との関係性を外すことは考えられませんでした。棟方志功のあのポスターの原画のアングルをどうしてもイメージさせたくて、それなら護国寺しかないと。
アレックス:目黒シェフの料理もよかった。彼の料理は静かな料理。子守歌のような魅力がある。
高橋:18品もあることを感じさせないフルコースでした。重くもなく食べ切れた。メインのイシナギが出て来てから、グッと盛り上がりましたね。
中村:陸奥湾に焦点を当てたのは新鮮でした。魚の豊富さは地元の人にとっては特別ではありません。それにお客様が感動してくれることが意外でした。
岡澤:海もそうですが、この季節の青森はものすごく緑が濃く、匂いも濃い。この地に降り立って、初めて感じる匂いや色の濃さが印象的。今回のテーマ「アート」の背景のひとつに、厳しい冬を越えてきたからこその色彩の華やかさ、山や海の表情の豊かさ、土地の力強さがある。
【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS
ダイニングアウト浅虫青森にはアートを生む、DNAが秘められている。
大類:『DINING OUT』はテーマ設定が命みたいなところがあって、浅虫のテーマをどう着地させるのかに相当悩みました。ところが青森全体に幅を広げて考えた時に、この土地はとてつもない才能を輩出していることに気がつきました。太宰治、寺山修司や棟方志功はもちろん、写真家の澤田教一、小説家・評論家の長部日出雄、ウルトラマンをデザインしたことで有名な成田亨、ナンシー関や矢野顕子。それもかなり強烈な個性の人たちがこんなにたくさん。そうなってくると青森の土地にそのDNAがあるとしか考えられない。冬は雪が深くて、寒くて暗い。それが夏になった瞬間にドッとエネルギーが溢れ出す。それこそが青森らしさ。これだけのアーティストを排出していることを、まずは美術館で見てもらう。そしてディナー会場に行くと、貴重な棟方志功の本物の原画が展示してあるというサプライズが待っている。だからこそ美術館から始めようと。
高橋:青森でアートと、普通に考えると意外かもしれないが、三内丸山遺跡もそうですし、「ねぶた」や「津軽凧」など、今回体験して、青森とアートというテーマがピタッとはまりました。
岡澤:青森県立美術館は、時代や作風ではなく、〝人のつながり〞をテーマにして展示しているところが独特で、楽しめました。そしてアートの世界からディナー会場へ移動して、料理は本当にアートなのだと感じました。18品が完成するまで時間さえも作品だと。レクサスは会場と会場をつなぐ 役割を担っているので、それぞれの場所での感動を壊すことなく、ラグジュアリーな余韻が最後までつながるといいなと思っていました。レセプション会場からディナー会場に向かう途中、トンネルを抜けてなだらかな坂を下りると、急に視界が切り替わって陸奥湾と湯の島の夕陽が目に飛び込んで来た。その瞬間は最高に贅沢な時間をつくれたと思います。
大類:最初の頃のダイニングアウトはバス移動でしたが、バスとレクサスでは降りた瞬間のゲストの顔が全然違う。バスの中では、どうしても〝パブリック〞の顔をしなければならないが、レクサスだと快適な空間で〝プライベート〞のままでいられます。
岡澤:プライベートな空間が少しでもあると、ホッとできます。リラックスして移動を楽しめるのは車ならではかもしれませんね。
ダイニングアウト浅虫「手入れ」をすることで、魅力ある「場」を得られた。
大類:これまでは、できるだけ既にあるものを、見立てを変えて見せてきました。それが今回は、初めて会場に手を入れました。場所をつくるために、人工的に手を入れることにかなり抵抗がありましたが、実際、あの環境をつくったことで、いままで地元の人も足を踏み入れなかった場所に、みんなが注目した。手を加えたのではなく、「手入れ」をしたと考えると、こういうのもありなのかと。箱物をつくるのとは違う、あるものにきちんと手入れをすることで、付加価値を付ける。景観を整えるのは躊躇しましたが、いまでは、手入れしてよかったと感じています。
アレックス:「手入れ」という考え方はとてもいいですね。
高橋:いやすごくよかった。開墾というのもいい。いままでは、もともとある場所、名所、旧跡等をうまく見立てていました。それが、景観を整えて、新しい観光名所をつくるなんて、巨匠黒明監督か、大類さんかというくらいですよ。(笑)
中村:このような機会がなければ、あんな素晴らしい場所をつくることはできませんでした。協力した地元の人たちも、会場をつくり上げたことは誇りにしていると思います。せっかくあれだけ素晴らしい場所ができたのだから、それを活用していくのは、自分たちの役目。湯の島には、弁天様を祀っていて、大切にしてきた歴史かがあります。掘り起こせば色々なストーリーを見つけられると思いますし、土地の食材を使ってまたあのような料理を提供できる機会をもちたいと思っています。今回参加させてもらったスタッフの顔つきも本当に変わった。自信が付いて、なんだかカッコよくなった。彼らが活躍できる場をまたつくりたいと思います。
高橋:ロケーション、料理、サービスがどう変わっていくのか…。個人的な趣味ですが、青森は雪質がいい。パウダージャンキーが東北に集まってきているし、八甲田のブナ林を滑るのはとても気持ちがいいですよ。スキーして降りてきて、浅虫にきてお寿司屋さんで海の幸を食べるなんて楽しい。これからもまた体感しに来たいです。
岡澤:青森は萱野高原や陸奥湾など、雄大な自然を有しています。是非たくさんの方に訪れていただき、ドライブも楽しんでほしいですね。
アレックス:大きな刺激を受けた浅虫が、よい方向に変わり始めています。自分たちは去ってしまいますが、地元の人たちが協力して変えていってくれることを期待しています。
大類 終わってしまった寂しさとともに、この場所を託していく喜びがある。今回、手入れをしたところがどう変わって行くのか気になって、また浅虫に来てしまうと思います。
ダイニングアウト浅虫浅虫の課題と歩ける街づくりの提案
アレックス:少し厳しい話になりますが、浅虫温泉を散策してみて、ここは“歩けない街”だと感じました。多くの温泉街には、“街歩き”という楽しみがあります。例えば、町おこしの成功例である城崎温泉も街を歩く楽しさを提供しています。浅虫の場合、まず海岸に幹線道路を通したことで、海と温泉が遮断されてしまった。このことは致命的なダメージだと思います。
大類:なるほど、そういう見方もできますね。
アレックス:あの道路を通る車のほとんどは、浅虫に直接関係のない貨物車ばかり。車を迂回させて山道を通ってもらうとか、大胆なことをやらないかぎりなかなか街は変えられない。道路を閉鎖して、木を植えて、ライトアップして、プロムナードができるようにして、人々が街を楽しめるようにするとか。例えばヨーロッパでは、街の中心街から車を完全にシャットアウトするという動きがあります。サンフランシスコも街と海を遮断していた高速道路を撤去しました。最近ブロードウェイの中心部もクルマを入れないようにしていますね。
高橋:道路は石畳にするといいとも言いますよね。スピードも出せないですし。
アレックス:浅虫の象徴ともいえる湯の島も、もったいないと思いますね。ここ海扇閣は、屋上に上がれば海を眺めることができるけれど、街の多くの旅館からは、海が見えないから、陸奥湾も湯の島も存在感がなくなってしまう。
大類:確かに浴衣を着て海を見に行きたいと思っても、道路を渡ろうとすると車通りが多い。道路で温泉と海が遮断されている感じもします。お客さんのニーズと合っていないのは確かかもしれません。
アレックス:歩けない街だから街が発展しない。人が歩けるようになると店に入るようになるから、レストランや土産物屋など楽しめる店が増える。そうすれば、自然と商店街が生まれ変わります。宿以外の街の楽しみ方をどう築き上げるかが大切ですね。
岡澤:車で移動するのと歩くのでは楽しむスピードが違う。歩くからこそ見えてくる街の景色、楽しみってすごくありますよね。
アレックス:世界的な傾向としては、アクセスの不便さをよしとしている。世界一予約が取れないレストランと言われた「エル・ブジ」もかなり不便なところにありましたし、今話題のフェロー諸島のレストラン「コクス」も、島に渡るだけでも大変なのに、島の奥地のさらに不便なところに移転しましたから。
大類:最近、海外のトップレベルのレストランはそういう方向にシフトしてますね。
アレックス:「秘密感」、「スペシャル感」、どこかへ旅したという満足感。それがあれば、不便でもお客さんは集まります。
高橋:浅虫は、名前にもインパクトがありますし、地形的にも恵まれています。海があって、島があって、美しい自然があって、そして温泉もある。アドバンテージはあるはず。どう楽しむのかを提案できて、外に向けて情報発信できると変われると思います。
アレックス:ナポリでは昔からの伝統で、夕方になると湾岸沿いの道路から車をシャットアウトして、夕焼けを楽しめるようにしている。人が歩けるから、屋台も出たりして、毎日がお祭り気分ですね。浅虫の景色は、ナポリの美しい風景に似ています。日本のナポリといってブランディングしてもいいくらいですよ。
大類:確かに浅虫再生の提案のひとつとして面白いですね。『DINING OUT』を経て、この町がどう変わっていくのか、もちろんサポートできる事はしていきますが、ここからは地元の方々のやる気がとにかく大事。あのディナーの時のチームワークがあれば、必ず素敵な町づくりができるはずです。
1999年、トヨタ自動車入社。調査部にて自動車市場分析、将来予測シナリオ策定を担当。2014年より現職。レクサスのグローバルブランド戦略や、デザイン関連などの体験型マーケティング施策にかかわる。
2008年に日本の魅力の再発見をテーマにした雑誌『Discover Japan』を創刊、編集長を務める。2018年11月に株式会社ディスカバー・ジャパンを設立し、雑誌を軸に、イベントなどのプロデュース、デジタル事業や海外展開など積極的に取り組んでいる。
1952 年生まれ。東洋文化研究家。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。
㈱南部屋旅館 代表取締役社長。浅虫温泉の山・海・温泉を活かしたイベントなどを通して、その魅力を国内外に発信する「浅虫温泉MOSPAプロジェクト」を創設。浅虫の活性化に取り組んでいる。
1993年博報堂入社。2012年に新事業としてダイニングアウトをスタート。16年4月に設立された、地域の価値創造を実現する会社『ONESTORY』の代表取締役社長。
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