リバ邸が株式会社になります。
2012年秋より、自由で多様な働き方、生き方と、居場所作りのため発足したLivertyから生まれたリバ邸。今では全国各地にあるリバ邸ですが、この春、新しく法人化することにより、立ち上げのサポートや、全国各地のリバ邸間の交流、コンセプト型のリバ邸を作って行きます。
創始者:家入一真による、リバ邸への想い
リバ邸をやってきた中で見えてきたもの
「例えば月30000円で生活できるような、いわば”人生定額プラン”を実現したい」
と、いろんなところで家入さんは話している。その理由を聞いてみた。
「最初からそれを掲げていたわけじゃなくて、リバ邸をやってきた中で見えて来た世界感なんですよね。もともとのきっかけでいうと、僕の家庭が貧しかったとか、中学で登校拒否になってしまったという、自分の生い立ちもあるのかもしれないですね」
––そもそも何故、リバ邸ができたのでしょうか?
「もともとは2012年に高木新平と共に立ち上げたLivertyという活動が前身です。これは、会社組織などではなく、プロジェクト単位で様々な人たちが集まって活動をしていくことを目的とした、言わばものづくり集団です。」
Liverty設立時の宣言文 http://liverty.co/
「なぜLivertyを作ったのか。ここにはやはり、東日本大震災が大きく影響しています。あの出来事は、日本人の生き方や働き方といった価値観を大きく変えてしまった。当たり前のように大学へ行き、当たり前のように就職し、当たり前のように家庭を持ち、当たり前のように定年まで働く…もちろんそういった生き方を否定するつもりはありませんし、とても美しい生き方だとも思います。ただ、あの震災によって、『昨日まであった生活が、明日も当たり前のようにある』という神話のようなものが崩れてしまったと思うんです」
「震災もあった。大企業だって傾く時代です。今生きているこの国や、今働いてる会社が一生安泰である保証なんて、どこにもない。寄らば大樹の陰とばかりに、一つの大きなものに依存して生きることのリスクが表面化したのだと思います。いざ非常事態になってあわてるより、日常の中でまずは自分の出来る範囲から様々なプロジェクトに関わりながら、仕事も収入もコミュニティも複数持ちながら生きる、これがこれからの生き方なのではないか、とLivertyを立ち上げました」
––最初からシェアハウスをやろうというわけじゃなかったんですね
「Livertyをやる中で、僕のところに、様々な理由で学校や会社に行けなくなってしまった子や、起業をしたい子たちが、全国各地から集まってきた。中には家に帰るお金がない、家に帰りたくないというので、オフィスに寝泊まりさせたりもしていた。それも人が多くなって、いよいよオフィスで寝泊まりさせるには限界が来る。そんな中、そこの拠点として出来たのが最初の六本木のリバ邸ですね」
––それを知っている人は今じゃ少ないかもしれないですね。リバ邸を始めて、一番に感じたことはありますか?
「リバ邸初期の住人の印象的な言葉を今でも覚えています。『僕が住まいに求めることは、綺麗な夜景やインテリア、広い間取りなどではありません。インターネットさえ繋がって雨風が凌げたらそれでいいんです。仕事も、友人関係も、全部ネットにある。』彼は家庭環境が複雑で、家を飛び出してフリーランスでエンジニアをやっていた。なるほどな、と思いました。様々なシェアハウスがある中で、僕がやるべきはこういった子たちの『居場所』作りなんだ、と。」
––家入さんはよく「居場所」と言いますよね。家入さんの「居場所」の定義ってなんですか?
「一言で言うと、『”おかえり”と言ってあげられる場所』ですかね。実家や学校や会社などが居場所として機能している人も、そして、そうじゃない人もいる。社会からドロップアウトしてしまった子たちは、全てを否定された気持ちになります。そんな時、もし同じような気持ちを抱えた仲間が集まる場所があれば。まずは心を落ち着けて、体を休めて、次の一歩を踏み出せる場所があれば。例え新しい挑戦に失敗しても、戻ってきた時に『おかえり』と言ってもらえる場所があれば。それはきっと、居場所と呼んでも良いのではないか、と思っています」
––六本木から始まったリバ邸ですが、今は日本各地にあります。リバ邸が増えていく中で感じたことなどありますか?
「リバ邸に住むことで食費や家賃などを含め生活コストをかなり下げることができる、と言うのは運営する中で気付くことが出来た大きな点ですね。生活コストを下げることで、例えば仕事のシフトを減らすことができ、空いた時間を新しい挑戦などの活動に充てることができる。『いかに稼ぐか』ばかりが注目されがちな時代の中で、『いかに安く生きるか』はこれからを生きる上でとても大事な視点だと思っています」
––そこから、人生定額プランのアイディアが出てきたんですね。
「Livertyで作ってきた様々なサービスや、BASE、CAMPFIREなど、僕が関わったり投資してきた事業は、基本的に、個人が「小さな経済圏」を作ることを後押しするものでした。ただ、経済圏という言葉を使う時に、お金を得ると言う観点しかないのは持続的ではないな、と思ったんです。
生きるために必要なコストを定額でまかなえたのなら、それはある意味、民間で実現するベーシックインカムになり得るのではないか、と」
リバ邸が会社になるにあたって
––リバ邸や家入さんに関わった人はよく起業してるイメージがあるんですが、そういうお話をよくしていたんですか?
「Livertyのコンセプトとして、“今ある仕事や学校、肩書きをいきなり捨てることは難しいかもしれない。だけど、自分の空いてる時間を使って、複数人が集まってプロジェクト単位でアプリやサービスを作っていこう”というものを掲げていました。そして、そこに共感してリバ邸に住み始めた子たちが少しずつ起業して、それぞれが大きくなっていったんです。それこそBASEの鶴岡くんは初代の住人ですしね。もともと僕もエンジェル投資をしてましたし、リバ邸発の起業家に投資していくと言うのも、一つの経済圏になるのではないか、と思いました」
––リバ邸住人が起業する以外にはどう言った例がありますか?
「起業することだけが素晴らしい、なんて言うつもりは全く無いです。一つのロールモデルとして、リバ邸から起業した子たちがいると言うだけ。ライターや編集者、デザイナー、エンジニアとして頑張る子たちもいる。旅人、画家、詩人、役者もいる。それらは広義の起業とも言えるでしょう。なんだっていいのです」
––そんなリバ邸が、会社化しますね。家入さんはよく、「小さな経済圏」という言葉を使いますよね。リバ邸自体もある意味、独自の経済圏があると思います。会社化すると、どんなことが起こると思いますか?
「前々からやろうと思ってたんですよ。全国各地、時には海外でリバ邸をやりたいという人が出てきて、名前を貸してあげて集客を手伝ってあげるくらいで、あまり何もやってあげられてなかった。実際シェアハウスをゼロから立ちあげるのって大変なんだよね。このリバ邸という活動を持続的に続けていく上で、立ち上げる子たちをサポートしていく仕組みを作りたかったんですよね。これから各地域でリバ邸ができて、そこを中心に生まれるであろう経済圏にも、もっとコミットしていきたいですね」
––今後もリバ邸から色んな会社やサービスができると思います。今もリバ邸に携わってる人や住んでいる人に、どんなことを期待しますか?
「僕から『リバ邸だからこうした方がいい、こうルール化すべきだ』なんてという事は言った事はないし、今後も言うつもりも無いです。僕らがやりたいのはチェーン店では無いですしね。それぞれに色があれば、住んでる人も違う。それで良い。
ただ一つ当初から言い続けてることとしては、バトンを次に渡すと言うことを意識して欲しいと言うことです。人は自分の居場所が出来た途端、その居場所を今度は守ろうとしてしまう。それは本能なのかもしれない。だけど、相変わらず世の中には居場所の無さを感じている子たちがたくさんいるのです。それはきっと、かつての自分なんだと思います。自分だけが居場所ができたからそれで良い、となってしまうと、バトンは断絶してしまいます。
リバ邸は現代の駆け込み寺で、リバ邸にきたら今持ってる肩書きなどを取っ払って、みんなで生活をして、時には仕事を分け合ったり、助け合ったりして、もがいてください。起業でも、フリーランスでも、次の一歩を踏み出せる場所としてリバ邸があって、いずれ戻っても『おかえり』と言える場所にしてほしいし、していきたいという想いがあります。あと、何かあったらいつでも連絡してきてください」
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家入さんは話の中で、「居場所」という言葉をよく使っていました。今では連続起業家と呼ばれていますが、自分自身の実体験や、コンプレックスがあったからこそ生まれたサービスや会社がいくつもあり、その中の一つであるリバ邸。
今回、法人化することに何が変わるのか? という不安を覚える人もいるかもしれません。でも、本質的には何も変わらない。
リバ邸という居場所を作る、そしてそれをサポートし、今後も多くの居場所を作っていきます。
「自分も手伝いたい」「こんなことができないか」などありましたら、気軽に連絡してください。
運営メンバー:(代表)片倉蓮、茅島直、大堀悟