絵本を作りました

地震に遭われた皆さま、大丈夫でしょうか

お見舞い申し上げます

 

 

クラウド君は昨日から風邪で発熱し、特に咳がひどく、かかりつけの小児科クリニックを受診したら、(喘息ではないけれど)喘息の薬を処方されました。

なんだか今月は体調を崩すことが多く、山あり谷あり、すっきりしません。

 

ちなみに、山の様子。

↓ (笑) ↓

 

 

さて、クラウド君は生後5か月頃には既に、絵本が大好きな子でした。

今ではひとりで読書を楽しむようになりました。(まだ大人に読んでもらう方が好きですが)

 

 

 

そして、Eテレの図工番組を見て作りたくなったようで、自分で絵本を作りました!

 

 

絵本のタイトルは、『ねごと を かんがえてみましょう』。

 

私は、「寝言って、寝ながら夢を見てしゃべることだよ。それでいいの?」

と聞き返したのですが、クラウド君は、それで合っていると言います。何度も話し合いましたが、作家クラウド先生には「このタイトルで行きたい」という強い意志があり、編集者お母ちゃんは折れました。

(´ε`;)ウーン…しょーがないなー。

 

出来上がった絵本は、お皿に見立てた丸形で、全頁に目玉焼きやお茶など食料を描いています。まるでメニューブックですね~ナイフとフォーク

 

先生、お腹が空いていたのかな?

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収納上手な家

所在地:横浜市神奈川区反町
11万5,000円 / 76.9平米
東急東横線「反町」駅 徒歩3分

誰かのお宅にお邪魔して、物がなくスッキリとした空間で暮らしていると、「収納でうまく物を隠している?ミニマリスト?」と、ついつい秘密を知りたくなります。



この物件に住めば、その羨望の眼差しを集められると思います。なぜなら…、備え付けの収納がたくさんあるから。



洋室の壁は一面全て ... 続き>>>.
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シンプルな心地よさ

所在地:横浜市港北区菊名
8万9,000円 / 30.97平米
横浜線・東急東横線「菊名」駅 徒歩8分

四角い建物に大小の開口、そしてダーク系の外壁が印象的なこちらの物件。



外とは対照的に、室内は白い壁と無垢フローリングで、温かみのある空間に仕上がっています。



壁の一部はコンクリート打ち放しになっていて、床や壁などの素材とのバランスがちょうどいいと感じました。



台形の室内は、 ... 続き>>>.
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現代の駆け込み寺”リバ邸”の法人化、株式会社リバ邸設立について

このたび、現代の駆け込み寺を実現することを目指して、新会社”株式会社リバ邸”(本社:東京都江東区、代表取締役社長:片倉蓮)を2018年6月5日に設立いたしました。

 

2012年に六本木のマンションの一室からスタートしたリバ邸は、現代の駆け込み寺・開放集団(Liverty)のコンセプトに共感した全国の仲間の手によって増え続け、2018年6月現在で、都内に7件、都外(全国)で10件、海外にも1件と、次々に拡大してきました。

しかし、

  • シェアハウス自体がまだまだ認知されていない
  • 住民が集まらない
  • 明確なマニュアルがないことによるトラブルの発生

などがあり、運営を継続できなくなり、閉鎖することになってきたリバ邸が多くあるのも事実です。

今回の法人化を通して、リバ邸の「現代の駆け込み寺」「開放集団(Liverty)」のコンセプトを見失うことなく、全国各地へのリバ邸拡大と運営の安定に向けて活動を法人化したリバ邸で担うことに致しました。

 

会社概要

会社名 株式会社リバ邸

代表取締役社長 片倉蓮

事業内容 シェアハウス事業のコンサルティング及び運営維持

設立 2018年6月5日

所在地 〒136-0072 東京都江東区大島2−27−2

HP http://liverty-house.com

 

 

代表取締役社長略歴

氏名 片倉廉

生年月日 1995年6月5日

略歴

・学歴
高校入学→3ヶ月で中退→通信高校卒業

・職歴
高校時代バイトを20個経験

高3時 歌舞伎町ホストクラブ

19歳 ガールズバー起業

20歳 リバ邸茨城立ち上げ、2年間で約10件のリバ邸を関東で立ち上げる。

22歳 株式会社リバ邸代表取締役就任

 

片倉廉より

今回、事業を立ち上げる際の初期費用の回収をクラウドファンディングにて実施しました。

もともとは法人の設立費として30万円集めはじめたのですが、開始24時間でプロジェクトが達成。

リニューアル予定だったサイトの制作費をストレッチゴール70万を目標に集め、70万円も終了1週間前に達成。

残りの1週間で、リバ邸を全国に広めるため講演会費をストレッチゴール100万円に設定して集めました。

 

プロジェクトの文章にも書かせて頂いた通り、リバ邸の理念である「現代の駆け込み寺」「自由なアウトプットの場」は、必要とされている。

支援の金額と人数を見て改めて実感致しました。

今後、リバ邸は以下の3つのコンセプトを掲げて活動を展開していきます。

 

プラットフォームとして機能するリバ邸づくり

リバ邸だけの枠組にとどまらず、各団体やオンラインサロン、コミュニティとコラボし、リバ邸を通して様々な経験や繋がりを提供していきます。

 

セーフティネットとして機能するリバ邸づくり

リバ邸が目指すベーシックインカムのような仕組みをつくっていきます。

最近あった事例でいうと、アパレルブランドからのTシャツ無料提供や、準備段階ではありますが、農家さんからの野菜無料提供など。

このように、リバ邸で衣食住を提供することにより固定費を下げ、挑戦し、失敗しても、最悪ここに戻って来れば生きられるという環境にしていきたいと思っています。

 

他にはないコンセプトを持ったリバ邸づくり

例えば、Youtuberに特化したリバ邸、Ubereatsに特化したリバ邸。

昔、有名漫画家たちが売れる前に住んでいた「トキワ荘」のような、切磋琢磨しあえる形を目指します。

 

本リリースに関するお問い合わせ先

株式会社リバ邸広報担当 大堀悟

メールアドレス livertyhouse.info@gmail.com

既婚者の家事負担、「妻7割以上」が80%超

大和ハウス工業(株)はこのほど、「夫婦の家事シェア実態調査」を行った。全国の30代~40代の既婚男女10000人のうち、配偶者と同居している9700人を分析対象として設定した。その中から共働きで、家事分担比率が「夫4割:妻6割」、「夫5割:妻5割」、「夫6割:妻4割」である夫婦を家事シェア層とし、それ以外を非家事シェア層と定義。家事シェア層、非家事シェア層を男女別それぞれ100人ずつ計400人回収した。

それによると、家事分担率は妻7割:夫3割以上の家庭が83.7%と8割超となった。妻の家事分担率が7割以上と思っているのは、夫76%に対して妻91%と、15%以上の開きがあり、夫婦間の認識にズレが生じている。

家事分担率の理想を夫に聞くと、「妻6割:夫4割」が16.8%、「妻5割:夫5割」が27.3%。一方、妻の理想は「妻6割:夫4割」が15.9%、「妻5割:夫5割」が15.3%だった。

また、夫側からみた現在の家事シェア比率の平均は「夫2.5割:妻7.5割」だった。理想の比率を聞くと、「夫3.3割:妻6.7割」と約1割のシェア比率で「理想」に近づくことがわかった。一方、妻側からみた現状の家事シェア比率は「夫1.4割:妻8.6割」、理想の比率は「夫3.0割:妻7.0割」で、理想のギャップは約1.6割と夫側よりやや高いものの、家事シェア比率を「夫5割:妻5割」にしなければいけないわけではなく、お互いあと1割程度、歩み寄りたいという気持ちであることが分かった。

ニュース情報元:大和ハウス工業(株)

親の家の悩み、1位は「家の片付け」で61.0%

(株)リビングくらしHOW研究所(東京都千代田区)はこのほど、「親の家」についてアンケート調査を行った。調査対象は全国の女性。調査期間は2018年4月25日~5月6日。有効回答数は715人(平均年齢45.5歳)。親の家の悩みの段階を年代別にみると、30代以下は「今はまだ大丈夫だが将来が心配」77.1%、40代では74.6%と、30・40代では、親の家はまだリアルな問題でない方が多いようだ。一方、50代は「今まさに悩んでいる」が25.0%を占め、60代以上では「以前は大変だったがひと段落した」が37.6%になることから、親の家に関する「心配」は、50代~60代に具体的な悩みとなり、課題解決のプロセスを経て、ある程度収束していくという流れのようだ。

親の家の悩み(複数回答)で多かったのは、全体1位は「家の片付け」で61.0%。「片付け」は、親が元気なうちに始まることも多く、相続、売却やリフォームなどがあり、幅広い層が問題意識を持っているようだ。「ため込んである荷物の処分に3ヵ月かかり、体調不良になった」(65歳)、「片付けで自分の一生が終わる気がする」(59歳)などの声もあった。

現在の親の家の現状では、最も多いのは「親や自分、親戚が住んでいる」で81.5%。11.2%は「誰も住んでいないが家はある(空き家)」となっている。空き家があると答えた方に、今後その家をどうしたいかを聞いた質問では、全体の45.0%が「売却したい」、35.0%が「わからない」、8.8%が「いずれは自分や兄弟・子ども・親戚などが住みたい」と回答している。

ニュース情報元:(株)リビングくらしHOW研究所

横浜の「三井アウトレットパーク」建替え、開業は2020年春

三井不動産(株)は6月20日、「(仮称)三井アウトレットパーク横浜ベイサイド建替え計画」(神奈川県横浜市金沢区)の計画概要を発表した。
日本初の本格アウトレットとして1998年9月に開業した「三井アウトレットパーク 横浜ベイサイド」(開業当時の施設名:横浜ベイサイドマリーナショップス&レストランツ)を、本年9月2日(日)の営業をもって一時閉館し、建替えを行う。

施設は横浜シーサイドライン「鳥浜」駅から徒歩5分に立地。鉄骨造・地上3階建て。現在約80店舗の店舗数を約150店舗に拡充する。国内外のファッションブランド・高感度セレクトショップ・キッズ・スポーツ&アウトドア・生活雑貨など、幅広いブランドをより一層充実させ、幅広い世代が楽しめる施設を目指す。

解体着工は本年9月、開業は2020年春の予定。

ニュース情報元:三井不動産(株)

現代の“モダンガール”と“モダンボーイ”が建てた、大正末期~昭和初期の薫り漂う文化住宅 テーマのある暮らし[4]

「日本モダンガール協會」を立ち上げ、自らモダンガール(=モガ)を追いかける淺井カヨ(あさい・かよ)さんと、音楽史研究家の郡修彦(こおり・はるひこ)さん。大正末期から昭和初期にかけての文化やライフスタイルに惚れ込んだご夫婦がつくり上げた「新文化住宅」とは? 完成に至るまでの苦労話、個性的な暮らしぶり、そのすべてをご紹介します。【連載】
ひとつのテーマで住まいをつくりあげた方たちにインタビュー。自分らしい空間をつくることになったきっかけやそのライフスタイル、日々豊かに過ごすためのヒントをお伺いします。1920~30年代に流行した「文化住宅」をゼロから建てる、という挑戦

細い通りが入り組み、時折子どもたちの元気な声が響く東京都小平市の住宅街。一般的な住宅が立ち並ぶ中、和風の木造建築に青緑色の三角屋根の洋館が付いた一戸建てが異彩を放っています。表札は「小平新文化住宅」。淺井カヨさんと郡修彦さんが、2016年の秋に建てたご自宅です。古い建築物への造詣が深い2人が熱望したのは、1920年代から30年代にかけて流行した和洋折衷の「文化住宅」でした。現在は、当時の文化を伝えるため、随時見学会を開催していらっしゃいます。

レトロな自転車とともに自宅の前に立つ淺井さん。このドレスは1920年代のアメリカのドレスを再現したもの。「ドレスは、古着を見本として仕立屋さんに持ち込んで、同じものをつくってもらうことが多いですね」(写真撮影/内海明啓)

レトロな自転車とともに自宅の前に立つ淺井さん。このドレスは1920年代のアメリカのドレスを再現したもの。「ドレスは、古着を見本として仕立屋さんに持ち込んで、同じものをつくってもらうことが多いですね」(写真撮影/内海明啓)

この家を建てるにあたって一番苦労したのは、工務店を見つけることだったそう。
現在の住宅とは資材も工法もまったく違うため、引き受けられる工務店が都内では見つからなかったのです。

半年間あちこちで断られ続け、最終的にはハウスメーカーや工務店とユーザーのマッチングサービスを提供しているザ・ハウスを通して、あきる野市の来住野(きしの)工務店と奇跡的な出会いを果たすことができました。

「妥協は絶対にしたくありませんでした。希望通りの家ができないのなら何もいらない、という気持ちでしたからね」淺井さんは、そう振り返ります。

工務店探しに奔走していた時期、設計図を見せてもなかなか理解してもらえないことに困った郡さんがつくった1/40の模型。「計画は細部まで決まっていたので、あとは実現してくれる工務店を見つけるのみでした」と郡さん(写真撮影/内海明啓)

工務店探しに奔走していた時期、設計図を見せてもなかなか理解してもらえないことに困った郡さんがつくった1/40の模型。「計画は細部まで決まっていたので、あとは実現してくれる工務店を見つけるのみでした」と郡さん(写真撮影/内海明啓)

伝統的な素材と工法にこだわり尽くしたエクステリア

壁面に板を少しずつ重ねて取り付ける工法は「下見板張り」といって、昭和初期の木造建築では一般的なものだったそう。こうした古い工法で仕上げるためには、工務店と何度も打ち合わせを重ねなければなりませんでした。

玄関の引き戸の格子は「横に5本、縦に9本」という、当時からある形のひとつを参考にしたもの。寸法もすべて細かくオーダーしたそうです。

2階の面積を小さくしたり、屋根瓦の代わりに金属製のスレートを使用したりしているのは地震対策。かつての文化住宅に最新の耐震技術を盛り込むことも、テーマのひとつでした(写真撮影/内海明啓)

2階の面積を小さくしたり、屋根瓦の代わりに金属製のスレートを使用したりしているのは地震対策。かつての文化住宅に最新の耐震技術を盛り込むことも、テーマのひとつでした(写真撮影/内海明啓)

表札を固定する2本のマイナスねじは、よく見ると縦方向に止められています。これは、雨が降ったときに水がたまらないので、さびを防げるという昔ながらの知恵なのだとか(写真撮影/内海明啓)

表札を固定する2本のマイナスねじは、よく見ると縦方向に止められています。これは、雨が降ったときに水がたまらないので、さびを防げるという昔ながらの知恵なのだとか(写真撮影/内海明啓)

小さくかわいらしい庭には、立派な3本の和棕櫚(わじゅろ)が植えられています。「昔の洋館には棕櫚(しゅろ)が付きものだから、絶対に欲しかったんですよ」と淺井さん。クレーンでつり、前もって掘っておいた穴に植え付けてもらったのだそうです(写真撮影/内海明啓)

小さくかわいらしい庭には、立派な3本の和棕櫚(わじゅろ)が植えられています。「昔の洋館には棕櫚(しゅろ)が付きものだから、絶対に欲しかったんですよ」と淺井さん。クレーンでつり、前もって掘っておいた穴に植え付けてもらったのだそうです(写真撮影/内海明啓)

庭の片隅には、パクチー、パセリ、バジルなどが青々と葉を茂らせていました。「今は雑草防止のために庭全体に小石を敷いているのですが、いずれは取り除いて畑にする予定です。できる限り食べるものをいろいろつくって、生活道具は自然素材のものにしたいですね」

玄関脇には、ピンク色の可憐なバラが咲いていました。モダンガールが帽子をかぶっている様子に似ていることから、品種名は「モガ」。「この家の完成と同じ、2016年の新種なんです」と淺井さん(写真撮影/内海明啓)

玄関脇には、ピンク色の可憐なバラが咲いていました。モダンガールが帽子をかぶっている様子に似ていることから、品種名は「モガ」。「この家の完成と同じ、2016年の新種なんです」と淺井さん(写真撮影/内海明啓)

居間、台所、お風呂も、当時のライフスタイルを取り入れて

では、家の中にお邪魔しましょう。まず目につくのは、現役で使っているという黒電話。以前は昭和38(1963)年製のものを使っていましたが、その後、昭和8(1933)年製という、より古いものに“機種変更”したそうです。

「見学に来る若い人のなかには、黒電話のダイヤルの回し方が分からない人もいますよ」という淺井さん。ちなみに携帯電話は持っていません(写真撮影/内海明啓)

「見学に来る若い人のなかには、黒電話のダイヤルの回し方が分からない人もいますよ」という淺井さん。ちなみに携帯電話は持っていません(写真撮影/内海明啓)

四畳半の居間では、2人の祖父母の家財道具が日常的に使われています。淺井さんの実家からやって来たのは、立派なちゃぶ台と柱時計。柱時計は裏に「昭和四年」と記されています。長い間眠っていたのですが、つい最近時計修理の職人さんに見せたところ、動くように直してくれたのだそうです。

郡さんの実家に眠っていたのは、火鉢。祖父母の結婚記念品だったという1930年代の桐たんすは、削り直したというだけあってとてもきれいです。

障子にはめ込まれた、付け書院(明かり取りの装飾は)古い木造建築が解体されるときに譲ってもらったもの。「襖(ふすま)を切り抜いてこの装飾を入れてあるので、夜は奥の部屋から漏れる光でほんのりと明るいんです」(写真撮影/内海明啓)

障子にはめ込まれた、付け書院(明かり取りの装飾は)古い木造建築が解体されるときに譲ってもらったもの。「襖(ふすま)を切り抜いてこの装飾を入れてあるので、夜は奥の部屋から漏れる光でほんのりと明るいんです」(写真撮影/内海明啓)

火鉢は大正時代のもの。四畳半くらいだと、これですぐに暖まるのだそうです(写真撮影/内海明啓)

火鉢は大正時代のもの。四畳半くらいだと、これですぐに暖まるのだそうです(写真撮影/内海明啓)

鏡台と衣紋掛け(着物を掛ける用具)も、あるお屋敷が解体されたときに譲ってもらったそう。「だんだんと人とのつながりができてきて、いろいろなものをお譲りいただけたことはうれしいですね」と笑う淺井さん(写真撮影/内海明啓)

鏡台と衣紋掛け(着物を掛ける用具)も、あるお屋敷が解体されたときに譲ってもらったそう。「だんだんと人とのつながりができてきて、いろいろなものをお譲りいただけたことはうれしいですね」と笑う淺井さん(写真撮影/内海明啓)

キッチンには、昔ながらの形をしたガス七輪が。本当はかまどを使いたかったのですが、住宅が密接しているので煙を出すことができず、断念したのだそう。

「冬は火鉢のために炭をおこさなければならないのですが、自動消火機能が付いたコンロだと、途中で消えてしまうんですよ。そこで昔ながらの鋳物(いもの)コンロを使っています」と淺井さん。昔のものと今のもの、それぞれの短所と長所を理解した上で、ライフスタイルに合うものをていねいに選んでいます。

シンクは、職人さんが手作業でつくり上げた「人造研ぎ出し」。種石(天然石を細かく砕いたもの)とセメントを塗りつけて、固まったところを研磨するという昔ながらの技法です。これを手がける職人さんも、もう少ないのだそう。

炊飯器や電子レンジはありません。「現代の料理本はそういった調理器具がある前提で書かれていることが多いです。大正~昭和初期の献立で昔ながらの調理器具を使って料理をしています」

炊飯器や電子レンジはありません。「現代の料理本はそういった調理器具がある前提で書かれていることが多いです。大正~昭和初期の献立で昔ながらの調理器具を使って料理をしています」

冷蔵庫は電動ではなく、大きな板氷で冷やす氷冷式です。「新居に合わせて特注でつくってもらいました。近所に氷屋さんがあるので、時々、買いに行きます。氷を自転車で運ぶのは大変です」と淺井さん。

しかし、決して無理をして昔風の暮らしをしているのではなく、この生活が一番自分たちにしっくりくるのだそうです。「何でも使い捨てにするような慣習も、だんだん見直されつつありますね? 昔の生活を見直すきっかけになれたらと思っています」と2人は言います。

生ものは買ってくるとすぐに調理、果物などは外に出して水につけておく……など、電気冷蔵庫に頼らない暮らしを楽しむ2人。「冷凍保存もできないから、あるもので料理をするようになります。無駄がなくていいですよ」と郡さん(写真撮影/内海明啓)

生ものは買ってくるとすぐに調理、果物などは外に出して水につけておく……など、電気冷蔵庫に頼らない暮らしを楽しむ2人。「冷凍保存もできないから、あるもので料理をするようになります。無駄がなくていいですよ」と郡さん(写真撮影/内海明啓)

光沢のあるタイル張りの浴室も、文化住宅を再現したもの。現在の建築業界では、滑るので危険だという理由から、原則として浴室の床に光沢のあるタイルは張らない決まりになっているのだそう。「何かあったら自己責任で、ということで、なんとか張ってもらえたんです」と淺井さん。

当時の文化住宅では、浴室の木枠を白く塗るのが一般的でした。明るく見えることと、水気を弾いて湿気を防ぐことがその理由だったそう(写真撮影/内海明啓)

当時の文化住宅では、浴室の木枠を白く塗るのが一般的でした。明るく見えることと、水気を弾いて湿気を防ぐことがその理由だったそう(写真撮影/内海明啓)

洋風建築の魅力を最大限に活かした応接室と2階

こちらは、こだわりの応接室です。漆喰(しっくい)の壁、高い天井、出窓の木枠。どれもこれも、大正末期から昭和初期の洋館がもっていた特徴です。「窓枠は特注なんです。ひとつひとつの寸法を細かく指定して、職人さんにつくってもらいました」と淺井さん。細部へのこだわりが、統一感を生み出しています。

後ろに積んである箱には、郡さんのレコードが詰まっています。郡さんは古いレコードなどの音源をCDに復刻するお仕事をされているのです。「この部屋には約2000枚、博物館に寄託したものは約5000枚あります。内容は、ほとんどが昭和の流行歌とクラシックですね」(写真撮影/内海明啓)

後ろに積んである箱には、郡さんのレコードが詰まっています。郡さんは古いレコードなどの音源をCDに復刻するお仕事をされているのです。「この部屋には約2000枚、博物館に寄託したものは約5000枚あります。内容は、ほとんどが昭和の流行歌とクラシックですね」(写真撮影/内海明啓)

郡さんの祖父母が、昭和5(1930)年に結婚記念として購入した蓄音機「ビクトローラ4-40」。昭和4(1929)年にアメリカで製造されたもので、電気ではなく、ぜんまいの力でターンテーブルを回します(写真撮影/内海明啓)

郡さんの祖父母が、昭和5(1930)年に結婚記念として購入した蓄音機「ビクトローラ4-40」。昭和4(1929)年にアメリカで製造されたもので、電気ではなく、ぜんまいの力でターンテーブルを回します(写真撮影/内海明啓)

洋風の応接室にぴったりのシャンデリアは、1920年代のフランスのもの。骨董屋さんで見つけたそうです(写真撮影/内海明啓)

洋風の応接室にぴったりのシャンデリアは、1920年代のフランスのもの。骨董屋さんで見つけたそうです(写真撮影/内海明啓)

最後に2階を見せていただきましょう。思わず歓声をあげたくなるようなこの部屋は、淺井さんの私室。「和洋折衷」というのが大正末期から昭和初期の文化住宅の特色ですが、2階はまさに洋風です。所狭しと並ぶコレクションは、淺井さんが子どものころから集めてきたもの。

貴重な資料が並ぶ本棚は一見の価値あり。『主婦之友』シリーズや、昨年復刻された『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の初版本なども並んでいました(写真撮影/内海明啓)

貴重な資料が並ぶ本棚は一見の価値あり。『主婦之友』シリーズや、昨年復刻された『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の初版本なども並んでいました(写真撮影/内海明啓)

この部屋の主役は、旧高田義一郎邸が解体されるときに譲ってもらったという、昭和初期の窓だそう。木枠の塗料をはがして塗り直し、割れていたガラスのみ新品に入れ換えました。「この窓をどうしても使いたかったので、2階は窓に合わせて設計したんです」と淺井さん。新しく再現したものと、実際に当時使われていたものがあちこちでミックスされているデザインからも、2人らしさが伝わってきました。

窓の持ち主だった高田義一郎さんは医学博士であり、文筆家でもあった方。以前から著書の『らく我記』を愛読していた淺井さんにとって、窓との出会いは思わぬ幸運でした(写真撮影/内海明啓)

窓の持ち主だった高田義一郎さんは医学博士であり、文筆家でもあった方。以前から著書の『らく我記』を愛読していた淺井さんにとって、窓との出会いは思わぬ幸運でした(写真撮影/内海明啓)

「1920年代~30年代の普遍的なかっこよさも、ものを無駄にせず、自然を大切にする生活も、もっともっと発信していきたいですね。ここは生きた博物館のようにしたいと思っています」と語る2人は、当時の文化に憧れるだけなく、実際に生活に取り入れて楽しんでいます。「一生遊べる家が出来上がりましたね。2人だったからできたことです」と語る淺井さんの晴れ晴れとした笑顔が印象的でした。

淺井さんの著書『モダンガールのスヽメ』(2016年/原書房)。大正末期から昭和初期の文化に興味をもった理由から、当時のライフスタイルについての歴史的考察に至るまで、読み応え満点の1冊です(写真撮影/内海明啓)

淺井さんの著書『モダンガールのスヽメ』(2016年/原書房)。大正末期から昭和初期の文化に興味をもった理由から、当時のライフスタイルについての歴史的考察に至るまで、読み応え満点の1冊です(写真撮影/内海明啓)

●取材協力
・淺井カヨさん
昭和51(1976)年名古屋生まれ。平成19(2007)年に、大正末期から昭和初期とモダンガールを愛好する「日本モダンガール協會」を設立。著書に『モダンガールのスヽメ』(原書房)、共著に『東京府のマボロシ』(社会評論社)など。

・郡修彦さん
東京生まれ。作曲家・音楽評論家の故・森一也先生に師事。SPレコード時代の音楽史を、CD解説書・新聞・雑誌・同人誌に発表している。「山田耕筰の遺産」「古賀政男大全集」「古賀政男黄金時代の集大成」「復刻盤軍歌・愛国歌撰集」等を手がけ、企画・構成・復刻の「SP音源復刻盤信時潔作品集成」は平成20年度(第63回)文化庁芸術祭大賞を受賞。元・昭和館音響専門委員、平成15(2003)年5月から翌年4月まで月1回、NHK「ラジオ深夜便」に出演し、選曲・録音・解説を担当。平成19(2007)年11月よりライブハウスにてSP盤鑑賞会を定期開催中。