
4,980万円 / 51.3平米
銀座線・半蔵門線・千代田線「表参道」駅 徒歩5分
表参道は骨董通りを少し入った雰囲気のよい建物が並ぶ一画。ヴィンテージ感漂う古きよきマンションに、今回ご紹介する部屋はあります。
青山にターゲットを絞るなら、文句ない立地な上、条件も魅力的に感じてもらえると思うのですが、それにはいくつかの理由があります。
ひとつはまず日当たり。 ... 続き>>>.
圧倒的に不動産情報が多いですが。。。。
毎年恒例となった、リクルートホールディングスの「2019年のトレンド予測」が発表された。これは、住まい・美容・人材派遣・飲食などリクルートが展開する事業の「新たな兆し」を見出して、2019年のトレンドを予測したキーワードで発表するもの。10回目となる今年は8事業から発表された。筆者が専門とする「住まい領域」のトレンド予測は、『デュアラー』だ! ところで『デュアラー』とは?【今週の住活トピック】
「2019年のトレンド予測」を発表/リクルートホールディングスデュアラーとは、都心と田舎の2つの生活=デュアルライフ(二拠点生活)を楽しむ人
DUAL(デュアル)とは、「二重の」「二通りの」という意味。
住まい領域で言うデュアラーとは、デュアルライフを実践する人、具体的には「都心と田舎の2つの生活=デュアルライフ(二拠点生活)を楽しむ人」のことだ。
なぜ、新たなトレンドになっているかというと、かつては富裕層やリタイア層がデュアルライフを実践する代表だったが、近年では20~30代のビジネスパーソンやファミリーなどに広がりを見せているからだ。
リクルート住まいカンパニーが、首都圏(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)に住み、デュアルライフを実施している20~60代に調査をしたところ、「20~30代」や「世帯年収800万未満」が過半数を占めた。
「2019年トレンド予測 住まい領域」資料より転載
かつてのデュアルライフは、二地域に拠点を構える=住まいを2つ所有したうえで、行ったり来たりして異なる環境で暮らしを楽しむものだった。そのため、自宅のほかに自然豊かな場所に豪華な別荘を購入できる富裕層や時間とお金に余裕があるリタイア層が中心だった。
筆者も当時、二拠点生活の事例を数多く取材した。その多くは、団塊世代がリタイアする前後に、子どもの家と3時間程度で行き来できる自然豊かなエリア、例えば高原に暖炉付きの別荘を建てたり、海辺に菜園付きの住まいを買ったりしていた。
それが近年は大きく変わり、若いビジネスパーソンが増えたことで、二拠点目への距離は近くなり、「移動時間は2時間未満」、「滞在日数は月平均で2~5日」が主流だ。
「2019年トレンド予測 住まい領域」資料より転載
20~30代の若い世代が二拠点生活できる社会に変わった!?若いデュアラーが登場して、近場で気軽に二拠点生活を楽しめるようになった背景を見ていこう。
まずは、東京一極集中・都心回帰による田舎暮らしへのニーズの高まりがある。
今の若い人は都市部で生まれ育った人が多い。その影響で「ふるさと」や「田舎暮らし」への憧れもあれば、子育てを重視して「多様な経験をさせたい」と考える人も多い。働き方改革で、職場が固定されない人が増えつつあるという影響も大きい。
加えて、二拠点目の住まいの持ち方が多様化している。
シェアなどで、低額に泊まることができるほか、コワーキングスペースを兼ねた宿泊先もある。空き家が増えて、低額だったり形態が多様な賃貸が借りられたりするようにもなった。親戚の空き家を譲り受ける可能性もあれば、安く買って使わないときに「民泊」として活用することもできるようになった。
若い世代の田舎暮らしへの憧れが、手軽に実現できるような社会になってきたということだ。
デュアラーは目的別に6分類、実践者も続々登場!リクルート住まいカンパニーでは、目的の違いによって、デュアラーを次の6つに分類している。
「2019年トレンド予測 住まい領域」資料より転載
SUUMO編集長の池本洋一さんが紹介した事例を見ていこう。
まずは、「のびのび子育てデュアラー」の事例だ。
東京のIT系企業に勤務するKさんは、横浜市の自宅に妻と子ども2人の4人家族で住んでいる。自然やキャンプが好きなので、東京近郊の空き家を安く買って、自分たちで改修して住もうと思い立った。まずは改修のスキルを習得しようと、千葉県南房総市のワークショップに参加したのがきっかけで、田舎暮らしを楽しめる「ヤマナハウス」に毎週末通うようになる。そこでコミュニティができたことによって、近所に賃貸物件を借り、月に1回は子どもたちも連れてきて、コミュニティのなかで自然に触れられる暮らしを楽しんでいるという。住まいの家賃は都内の駐車場代程度だ。
次は、「地域貢献デュアラー」の事例だ。
田舎暮らしを考えていなかったMさんの場合、デュアルライフの入り口は「地域の町づくり」への関心だった。「小布施若者会議」というイベントに参加したことがきっかけで、町営施設をコワーキングスペースに改修するプロジェクトのメンバーになり、生まれ変わる施設でデザイナーとしてのスキルを活かすこともできた。現在も継続して施設の企画運営にかかわっているので、東京の職場、川崎市の自宅と小布施町を行き来している。施設が宿泊施設も兼ねているので、そこに1泊3500円で泊まっている。
ちなみに、小布施町の施設は「ハウスホクサイ」という。小布施町の豪商で文化人であった高井鴻山に招かれた葛飾北斎が、長期間滞在して岩松院というお寺の天井に「大鳳凰図」を描いた、ということは浮世絵好きの筆者もよく知っている。
ほかにもデュアラーの事例は、このサイトの「これからの住まい・暮らし」内に「デュアルライフ・二拠点生活」シリーズとして順次紹介していくというので、興味のある方はぜひ。
デュアルライフは、地方自治体でも推進している。交流都市との間で、子どもたちの相互訪問や文化・スポーツ交流などを行っている。さらに徳島県では、首都圏など3大都市圏の公立小中学校に通う子どもが希望する一定期間、徳島の小中学校に通うことができる「デュアルスクール」を実施しているという。
都心でこそ得られる多様な働き方、多様な教育プログラムなどをベースに、もう一つの拠点では豊かな自然を満喫したり、人と多様につながれたり、自分のスキルを活用できたりといった、住んでいる地域だけでは得られない豊かさを手に入れられるデュアルライフ。今後は当たり前の暮らし方になっていくのかもしれない。
○2019年のトレンド予測キーワード「まさか、自分の人生で猿と本気で戦う日々が訪れるとは思ってもいませんでした」。そう語るのは、都会暮らしの長いHさん(40代)。月に一度、四方を山に囲まれた、住む人もまばらな里山で、悠々自適なデュアルライフ(二拠点生活)を楽しんでいます。天候や害獣に翻弄されはするものの、それも楽しみ方のひとつ。友人を招いてのアウトドア料理やDIYなど、新たな趣味も生まれました。なぜ、そのようなライフスタイルの変化が起きたのか、Hさんにうかがいました。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
デュアルライフ(二拠点生活)にはこれまで、別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイア組が楽しむものだというイメージがありました。しかし最近は、空き家やシェアハウス、賃貸住宅などさまざまな形態をうまく活用してデュアルライフを楽しむ若い世代も増えてきたようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます東日本大震災をきっかけに、土地に根差した生活を志向
Hさんはフリーランスのライター/雑誌記者。普段は、都心の事務所を拠点に、取材や原稿執筆に追われています。東京で生まれ、大阪を経て、横浜育ち。田舎とは無縁の生活を送ってきましたが、学生時代から、年に1、2回ほど、山梨県南巨摩郡にある人里離れた山中の集落に足を運んでいたとのこと。そこは、Hさんの祖父が生まれ育った土地。鎌倉時代から続くH家のルーツなのだそうです。
「最盛期には90人近くの住民がいたそうですが、急速に過疎が進行。祖父自身も、若くして山を下り、北海道に移り住みました。ただ、晩年になり、故郷に錦を飾りたくなったのでしょう。老朽化が進み、住む人もいなくなった生家を建て直し、瓦葺きの立派な母屋を新築したのです」
それが、40数年前のこと。ただ、新築後の数年を除き、すぐに空き家になってしまったそうです。
「そのため、私の両親や親戚がたまに手入れに行き、家を維持してきました。私自身も、学生時代から年に1、2回、墓掃除などに駆り出されていたんです。ただ、自宅から片道3時間弱かかるし、夜は真っ暗。私にとって、仕方なく行く場所でしかなく、次第に足は遠のいていきました」
(写真撮影/内海明啓)
(写真撮影/内海明啓)
築40数年。長く無人であったとは思えないほどしっかり保たれた室内。間取りは、なんと8LDK。山間だけあって日照時間は限られるが、室内には明るい日が差し込む(写真撮影/内海明啓)
祖父の実家でありながら、次第に足が遠のいていった土地。そうした意識が、180度変わったのが、東日本大震災だったとHさんは言います。
「テレビ番組で、タレントが畑を耕しながら、『村』を開拓する企画がありましたよね。好きな番組でしたが、原発事故により、その『村』が帰還困難区域に含まれたことを知りました。私も当時、仕事やボランティアで福島に何回か足を運びましたが、多くの人が理不尽にも、土地を追われたことに心を痛めました。私自身は、根無し草のような生活をしてきたけれど、本来、農耕民族である日本人にとって、土地は切っても切り離せないもの。たまたま、自分にはゆかりの土地がある。土地と共に暮らすとはどういうことか、肌感覚として知りたくなったんです」
土いじりやアウトドアとは無縁の生活からの第一歩そんな思いから、Hさんのデュアラー(二拠点生活者)としての暮らしが始まりました。とは言っても、あくまで「気軽に、肩ひじ張らず」がコンセプト。土地を開墾し、小さな畑でもつくり、新鮮な野菜を肴(さかな)に、うまい酒が飲めればそれでいい、くらいに考えていたそうです。
「当時、『週末農業』という言葉が流行っていましたが、毎週なんてとても無理。そこで、『月1農業』と名付け、月1回のペースで都内から通うことにしたんです。最初のうちは、キュウリやナス、白菜など、さまざまな野菜を育てましたが、収穫のタイミングを逸したり、手入れが追いつかなかったりと大変。3年目以降は、月に1回の訪問でも育つ、ジャガイモやサツマイモなどの根菜を主力作物としています」
ありがたかったのは、設計関係の仕事をしている友人のAさんが趣旨に賛同してくれたこと。畑や造作関係で多大な力を発揮してくれているそうです。なんと、今ではHさんより訪問回数が多いとか。ほかにも、収穫の時期を中心に、多くの友人・知人が遊びに来てくれると言います。
最初のシーズンの収穫物。収穫時期を逸して、キュウリやナスが巨大化してしまった(画像提供/Hさん)
友人のAさん(右)らとジャガイモを収穫。大勢来ても大丈夫なように、たくさんの作業着や長靴が用意されている(画像提供/Hさん)
農業どころか家庭菜園の経験もなかったHさん。最初は、ホームセンターで購入した苗を、プラスチックの黒いポットごと土に植えようとしていたほど。それが今では、たい肥を自作するまでになりました。
「ジャガイモの茎に、ミニトマトのような実がなって驚いたことがありましたが、ジャガイモもトマトも同じナス科の植物と知って納得。そんな、小さな気づきが、行くたびに生まれました。無農薬で育てた不格好な白菜が、虫の棲み処と化しているのを見たときは、農家さんの努力に頭が下がると同時に、スーパーに並ぶきれいな野菜は、どれだけ農薬を使っているのだろうか、と思ったり」
そうした害虫以上に手強いのが害獣だと、Hさんは力説します。
「新芽をすぐに摘んでしまう鹿や、土を掘り返す猪に対しては、畑に侵入しないよう、柵で囲うことで対抗したのですが、問題は猿との終わりなき攻防です。ご近所の方も、手を焼いているようでした。奴らは上から攻めてくるので、天井を含め、柵を全面ネットで覆うことで防御態勢を敷きました」
柵の中の作物を狙っている猿。人間が近づくとすぐに逃げるが、遠巻きに獲物を狙っている。こちらの画像は、動くものに反応してシャッターを切る「動物監視カメラ」で撮影(画像提供/Hさん)
しかし、友人のAさんが、手間暇かけて育てたトウモロコシを、まさに収穫しにいったその日、猿の一団がナイロン製のネットを破って侵入。一瞬のスキをつかれ、すべて奪われてしまったのだと言います。
「ゆでたてのトウモロコシをつまみにビールを飲むことだけを楽しみにやってきたAさんの怒りは、その時、頂点に達しました。一方、私はといえば、猿と本気で戦っている自分たちの姿が、これまでの都会での生活とかけ離れているため、無性におかしくなり、笑いをこらえるのに必死でした。とはいえ、このまま手をこまねいているわけにもいかず、柵を全面、金網で囲うことにしたのです」
その後、半年かけて金網化を完了するものの、その翌年、まさかの大雪が。金網にしたことがあだとなり、柵は見事につぶれてしまいます。「本当にぺっちゃんこになってしまい、笑ってしまいました」とHさん。
積雪量が少ない地域にもかかわらず、数十年ぶりといわれる大雪に見舞われ、単管パイプ(足場パイプ)で組んでいた25mプールほどの大きさの柵が崩壊(画像提供/Hさん)
その後、小さな柵を複数再建するも、今に至るまで、猿の軍団の遊び場と化している(画像提供/Hさん)
新旧の友人が集う、大人の「秘密基地」として機能それ以外にも「水道管が破裂した」「台風で屋根の瓦が吹っ飛んだ」「付近で山火事が起きた」「土砂崩れで道がふさがれた」「ネズミが食べ物を食い散らかした」など、行くたびにトラブルが生じます。しかし、そんな騒ぎも、楽しめるくらいたくましくなってきたとHさん。人里離れた、山暮らしの魅力とは何でしょうか。
夏から秋にかけてはスズメバチが活発化。日本酒やみりんでつくった自家製トラップの効果は高いが、軒下等に巣を見つけた場合は、シルバー人材センターなどに連絡して駆除してもらう(写真撮影/内海明啓)
「昔から、モノづくりやDIYに興味があったんです。けれど、都心の住宅地では、物音を立てるわけにはいきません。でも、ここでは、電気ノコギリや電動ドリル、エンジンチェーンソーを使っても、誰にも迷惑がかかりません。燻製やバーベキューなど、煙や臭いが出る調理もできるし、大音量で映画や音楽を楽しむこともできるんです」
(写真撮影/内海明啓)
屋外での調理やバーベキューでも、煙や臭いを心配する必要はなし(写真撮影/内海明啓)
Hさんたちがつくったのは、ウッドデッキをはじめ、テーブル、カウンター、石窯、アウトドアキッチン、ドラム缶風呂など、挙げればきりがありません。
「憧れだった電動工具をひと通りそろえました。コンクリートで基礎をつくるのも、昔からしてみたかったこと。今後は、溶接や鉄工に挑戦しようと思っています」
(画像提供/Hさん)
単管パイプと木材を併用して製作したウッドデッキ。母屋と庭を結ぶ大切な接点であり、憩いの場。この後、1.5倍に拡張したうえ、蚊帳や日除け、照明、ハンモックなどがつるせるよう、柱と梁を設置した(画像提供/Hさん)
自作の石窯はHさんの自信作。ただし、ピザを焼く適温の400度になかなか達しないのが悩み。改良の余地ありだとか(写真撮影/内海明啓)
裏の竹林から切り出した青竹でオリジナルの門松を製作。コストは限りなくタダに近い(画像提供/Hさん)
先ほどから、料理の写真が続いていますが、Hさん自身は、決して料理が得意なわけではありません。都会の暮らしでは、なかなか味わえないような料理づくりも楽しみのひとつだとか。
「料理好きの友人が多いので、一緒になって、いろいろなことに挑戦しています。そば打ちや、手打ちうどん、流しそうめん、鯛の塩釜焼きといった和食から、自家製ソーセージやハンバーガー、パエリアやシュラスコなどの各国料理まで。七面鳥を焼くこともあるんです」
バウムクーヘンも手づくり。生地を塗った竹を炭火にかざし、回転させながら一層一層、焼き上げたのだそう(画像提供/Hさん)
最近はパンづくりにも挑戦。ピザを焼いた後の石窯に発酵させたパン生地を投入し、鉄扉をとじるだけで見事な食パンが完成(画像提供/Hさん)
定番メニューと化しているという燻製。安いチーズやウインナーが極上のつまみになる(画像提供/Hさん)
年に2回、農作物の「収穫祭」を実施。ここ数年は、現地に来られない人のために、収穫した作物を東京に持ち帰り、友人宅で豪華なホームパーティーを開催している(画像提供/Hさん)
月1で通いだして3年目のこと。それまで携帯電話の電波もつながりづらかった土地に、光回線が開通し、インターネットが使えるようになりました。
「画期的な出来事でした。滞在期間中に急な仕事や作業が発生しても、都内の仕事場に戻らずにある程度の対応ができるようになりました。また、映画や音楽の配信サービスも利用できますから、大音量でそれらを楽しむこともできます。いずれにしろ、月に1回、リフレッシュする時間、空間があるというのは、都内で仕事をするうえでも貴重です」
二拠点生活をするようになって、話しのタネに困らなくなったと話すHさん。はじめて会う人でも、興味をもってくれる人が少なくないそう。交通の便がいいとは言えないものの、大勢の友人・知人が遊びに来てくれることが何よりうれしいとも。
「古い友人が訪ねてくれることもあります。知り合いが、その知り合いや家族を連れて来てくれることで、出会いも広がりました。単にうまい酒を飲みに来るのでもいいし、山登りやツーリング、釣りのついでに立ち寄るのでもいい。それぞれの人にとっての『秘密基地』として、機能してくれたらうれしいです」
バーカウンターにはウイスキーが並ぶ。「月に1回程度の訪問だから、封を開けてもボトルキープが利く蒸留酒がちょうどいいんです」とHさん(写真撮影/内海明啓)
ウッドデッキに照明を灯すと、おしゃれな雰囲気に。雲がないとプラネタリウムのような星空が広がる。初夏にはホタルが飛び交うシーンも(写真撮影/内海明啓)
夏に、一回り下の友人たちとした花火のひとコマ。世代に関係なく交流が広がっていく(画像提供/Hさん)
祖父から引き継がれた家屋(現在はHさんの父親名義。Hさんは周辺の土地を所有)は、瓦の葺き替えや、井戸水ポンプの交換など、細かい修繕は必要なものの、大規模なリノベーションをしているわけではありません。身の丈にあわせて、コツコツのんびりやるのが性に合っているとのこと。必要以上にお金と手間をかけないことが長続きの秘訣なのでしょう。別荘みたいな使い方だけれど、それよりは頻繁に足を運ぶ大人の「秘密基地」。都会と田舎のいいとこ取り。そんなデュアルライフ(二拠点生活)を求めている人に、ヒントを与えてくれそうです。