
43万円 / 74.94平米
銀座線・半蔵門線・千代田線「表参道」駅 徒歩3分
約50年以上青山を見守ってきたレトロマンション。ルーフバルコニー付きの最上階角部屋という、とっておきの部屋のご紹介です。
ワイドな窓が気持ちいいリビング。バルコニーに出ると、青山の街並みを眼下に、景色が遠くまで抜けています。
北側のルーフバルコニーは広いため、ゆっくりしたい方 ... 続き>>>.
圧倒的に不動産情報が多いですが。。。。
2020年3月14日に開業した新駅「高輪ゲートウェイ」駅がある品川~田町周辺。もともと国家戦略特区として指定されているエリアですが、東京オリンピックの開催後、新駅の設立が決まってからはさらに目覚ましい発展を遂げています。そこで、品川近辺に住んでちょうど10年目を迎える筆者がこの10年を振り返ってみます。
そもそも「品川」ってどんな駅? どんな街?
そんなの知ってるよ! 何度も行ったことあるよ! とツッコミを入れたくなる人も多いのではないでしょうか。それくらいに電車・新幹線、車、飛行機の玄関口・中継地点として交通の要を担っているのが品川駅です。
実は日本一古い駅の1つであり、山手線の起点の駅、東海道新幹線の停車駅でもあります。山手線以外の在来線は東海道本線、京浜東北線、横須賀線、私鉄の京浜急行本線が乗り入れていて、1日の平均乗車人数はなんと38万人以上(JR東日本、2018年度)! しかも年々増え続けているのです。
これは鉄道マニアか、地元人でないと気づかないポイントかも(笑)と思うのは、品川駅にあるいくつかの隠れアイテムです。まず1つは山手線の1番ホームにあるゴジラ?恐竜?のプレート。「鉄道発祥の地」「山手線0(ゼロ)」「Since 1885」と書かれています。もう一つは中央改札内のコンコースにある東海道線の昔の車両をかたどった郵便ポスト。側には説明板があるのですが、何でも「郵便ポスト」と「0(ゼロ)キロポスト」をかけて2005年に設立されたものらしく、このダジャレ感のあるかわいいフォルムについ笑ってしまいます。
品川駅1番ホームの中ほどにある「鉄道発祥の地」ゴジラ?恐竜?のプレート(写真撮影/唐松奈津子)
品川駅コンコース内にある「0(ゼロ)キロポスト」を示すかわいい郵便ポスト(写真撮影/唐松奈津子)
駅としての機能だけではなく、京浜急行本線は羽田空港に直結しており、空への玄関口として、また、高輪口目の前には国道・第一京浜が通っており、アクアラインへとつながる海への玄関口としての機能も果たしています。品川駅を出ると、西側の高輪口側にはウィング高輪などのショッピング施設や品川プリンスホテルをはじめとする高級ホテルが目の前にあり、第一京浜をたくさんのバスやタクシーが行き来しています。
高速バスや多数の車が行き交う高輪口の第一京浜(写真撮影/唐松奈津子)
一方、港南口を出ると高層ビルが立ち並ぶ様子に圧倒されます。高層ビルの奥には大きなタワーマンション群がそびえていることにも気がつくでしょう。多くの人はこの2つの出口の風景が「品川」という街の印象になっていると思われますが、筆者にとって身近なのは、品川駅から南に向かって伸びる旧東海道の商店街と品川神社をはじめとする寺社、閑静な住宅地が広がる御殿山・高輪の風景です。商店街には安くておいしい八百屋や魚屋、スーパーなどが並び、至るところにある多くの寺社の緑が目に優しく、実は暮らしやすいところも生活者として気に入っています。
南側の旧東海道には古くからの商店街(写真撮影/唐松奈津子)
品川周辺の約10年を振り返ってみた!筆者が品川に住み始めたのは10年前からですが、調べてみると品川が大きく変わってきたのはここ20年くらいの話のようです。
まず、品川のオフィスエリアの顔としておなじみ、港南口を象徴する「品川インターシティ」が1998年に完成します。2003年には東海道新幹線の駅として開業し、2008年にはすべての東海道新幹線が停車するようになりました。それに合わせて2004年にタワーマンションの先駆け的存在である「品川Vタワー」を含む「品川グランドコモンズ」がオープン、港南エリアのランドマーク的存在の「ワールドシティタワーズ」をはじめとしてタワーマンションが次々と建てられました。住む人が増えたおかげで、以前は工業地帯で殺伐とした印象だった海側もヨットが停泊するような、おしゃれなベーカリーカフェなど店舗も増えました。今は港南口を出ると、インターシティの脇から奥にタワーマンションを望むことができます。
大規模なビルが立ち並ぶ港南口。奥には大規模タワーマンション群が見える(写真撮影/唐松奈津子)
当時、SUUMOの前身である『住宅情報』の営業をしていた筆者は、顧客である大手不動産会社の人々が品川のマンションを買う話で持ちきりだったことを思い出します。何人かの知り合いが高倍率の抽選をくぐり抜けてマンションを購入しましたが、いずれも購入時よりも高い価格で売却できたようです(笑)。
さらに2004年に「アトレ品川」、2005年には高輪口に「エプソン 品川アクアスタジアム(現マクセル アクアパーク品川)」、2010年には駅構内に「エキュート品川サウス」、2011年には高輪口に「シナガワグース」が開業、2013年には「ウィング高輪WEST」、2015年には「ウィング高輪EAST」がリニューアルオープンするなど、周辺の商業施設の怒涛のオープンが続き、買い物やショッピングを楽しむ場所としても進化を遂げました。
2010年にオープンして以来、多数の人が行き交う品川駅構内の「エキュート品川サウス」前(写真撮影/唐松奈津子)
新駅のお隣「田町」駅も振り返ってみた!田町駅も筆者にとっては割となじみ深い場所です。2005年~2006年ごろに勤めていた編集プロダクションが田町駅にあり、毎日通勤していました。今は「msb Tamachi(ムスブ田町)」ができてきれいになった東口の駅前も、以前は焼き鳥を炭火で焼く匂いが漂う小さな飲み屋が軒を連ね、夕方その目の前を通るたびにお腹がすいたものです(笑)。2008年ころまで大手広告代理店の本社が「グランパークタワー」の中にあり、広告の仕事があるときにはよくその中の書店に広告関係の書籍が充実していたので情報収集をしていました。
田町の発展は東口側の「芝浦」エリアの大規模マンション開発にリードされたところが大きいでしょう。2008年には当時、賃貸マンションとしては最大級を誇る総戸数964戸の「芝浦アイランド ブルームタワー」が竣工、2016年には超高層ビル「グローバルフロントタワー」が竣工しました。さらに2018年には 三井不動産、三菱地所、東京ガスの共同プロジェクトのムスブ田町商業ゾーンがオープンし、駅からの風景も一変しました。
2017年ごろの田町駅東口を出たところ。左手にムスブ田町ステーションタワーSが建設中、奥に芝浦アイランドが見える(写真/PIXTA)
東口には工業系の学校も多く、2009年には芝浦工業大学が新しいキャンパスに建て替えています。田町駅のホームからも見える東京工業大学附属科学技術高校の歴史は古く、大正時代から田町に校舎があったようですが、これからまた大規模な開発が行われる予定です。
新駅開業でこれからどうなっていく?それでは、今回の開業でこのエリアはこれからどうなって行くのでしょう?
そもそも品川駅・田町駅周辺の開発は、品川区が2013年に出した「品川駅南地域まちづくりビジョン」、東京都が2014年に公表した「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン2014」に基づいて進められてきました。ここでは「これからの日本の成長を牽引する国際交流拠点・品川」を目指して、行政と民間企業が連携してビジネス、文化交流、環境都市として発展させていくという将来像を描いています。
さらに2017年にはJR東日本が「品川駅北周辺地区まちづくりガイドライン」を発表し、「エキマチ一体のまちづくり」を掲げて開発を進めてきました。そこには駅と街をつなぐ広場の設置や歩いて楽しい歩行者ネットワークの構築、安全で環境に優しい道路ネットワークの構築などの計画も盛り込まれています。
JR東日本が描く「エキマチ一体のまちづくり」のイメージ
一方、田町駅においては東口駅前にある東京工業大学・田町キャンパスの敷地に2029年ごろまでをめどに大型の複合施設が開発される予定です。地上32階、3棟で延べ床面積180,000平方メートルにもなる施設は、田町駅前のランドスケープをまた新たにしていくことでしょう。また道路を挟んだ北東側には、この春、ムスブ田町の最後の1棟が完成予定です。
品川・田町エリアの住宅相場は?それではこのエリアの住宅相場を見てみましょう。
中古マンション価格の直近5年間の推移について、シングル向け(専有面積20平米以上50平米未満)とカップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上80平米未満)に分けて、グラフ化しました。
2016年~2020年の品川駅、田町駅の中古マンション価格推移(条件は記事末に記載・SUUMOジャーナル調べ)
2004年~2008年ごろの大規模タワマン開発が概ね落ち着いてから10年以上が経ち、街が成熟化しつつある品川の中古マンション相場は安定化傾向にあるようです。
一方、これからも「ブランズタワー芝浦」や「ザ・パークハウス三田タワー」などの新たな大規模マンションの開発が予定されている田町の相場上昇との差を見ることができます。
この傾向について野村の仲介+(PLUS)三田センター長の大澤将広(おおさわ・まさひろ)さんは、次のように語ってくれました。
「田町の価格上昇は、近年の断続的な開発でムスブ田町をはじめとする大規模オフィスビルや新築マンションが増えたことにより、エリア全体の価値そのものが上がった結果と言って良いでしょう。エリア価値向上によって中古マンションにもその効果が波及し、価格が上昇し続けています」(大澤さん)
必見はカップル・ファミリー向け中古マンションの相場が2016年には品川と田町で逆転して田町の相場が上がっていることです。2016年は田町の「グローバルフロントタワー」が竣工した年。大澤さんのコメントのように、新築マンションの開発計画にともない、田町という街への注目度が上がったものと考えて良さそうです。
品川・田町エリアの現在、過去、そしてこれからの姿、いかがでしたか?
3月14日の新駅開業に向けて着々と準備が進みつつある高輪ゲートウェイ駅。実は今回は暫定開業という位置づけで、周辺の再開発などを行った後2024年に本格開業をする予定です。
田町駅前の再開発、そして品川駅も2027年にリニア中央新幹線の始発駅として開業予定で、これからもこのエリアから目が離せません!
ここ10年でかなりの変貌を遂げたエリアだけに、これからも進められていく予定のまちづくり計画による進化が楽しみです!
●取材協力都道府県の枠を超えて地域の高校に入学する「地域みらい留学」という制度。今回は、瀬戸内海の島にある広島県立大崎海星高校の県外留学生1期生となり、今年3月に卒業したばかりの榮ことねさんにインタビュー。「いいことばかりじゃないけれど、この高校に入って本当に良かった! 」と振り返る彼女に入学した理由、学校生活や寮生活など、リアルな話をあれこれ聞いてみた。
中学の修学旅行で訪れた島に感動。親に反対されても「行きたい!」
榮ことねさん(画像提供/伊達綾子さん)
ことねさんと広島の大崎上島(おおさきかみじま)の出合いは、中学3年生のときに修学旅行で訪れた民泊。広い海と空に囲まれた島の風景と優しい島の人たちに心奪われたのだ。「地元は大阪。車が走る音が聞こえる環境で育ったので、島では鳥や虫の鳴き声があちこちでして、感動したんです。とにかく新鮮でした」(ことねさん)
そして、この大崎上島では、県外から高校へ入学できる制度があることを知る。「だから、思い切って、親に”大崎上島に行きたい”とお願いしたんです。でも、最初は却下。そのあとは、地元の大阪の高校に進学するつもりで学校見学をしていましたがどこもピンとこなくて……。どうしてもあきらめきれず、親と一緒に11月に個人的に学校見学をさせてもらったところ、”そんなに行きたいなら”とOKしてくれました」
中学時代に修学旅行で訪れた民泊にて。高校ではオーナーご夫妻が島親に(画像提供/榮ことねさん)
島の伝統的な行事を学校の学習に取り組む独特な取り組みも、ことねさんが惹かれた要因のひとつ。なかでも、原爆ドーム、宮島の厳島神社へ大崎海星高校生たちが自分で船を漕いでいく「旅する櫂伝馬(かいでんま)」が目玉行事(画像提供/伊達綾子さん)
寮生活は大変。人見知りも発動。慣れるまでには時間が必要そして晴れて入学。しかし、親元を離れての寮生活は不慣れなことも多かった。掃除、洗濯、整理整頓、これまで親任せだったことも、すべて自分たちがやらなければいけない。食事や風呂の時間、門限など、集団生活ゆえのルールも多い。
「一番は、時間に縛られることがしんどかったですね。食事も食べたいときに食べるわけじゃない。1人部屋だったので、ある程度プライバシーは守られますが、やっぱり家族と過ごすのとはまったく違います。入学前はワクワクしていて、不安なんてなかったのに、5月にはホームシックになってしまいました」(ことねさん)
また、人見知りで自分から話しかけるのが苦手だったことねさんにとって、生まれたときからずっと一緒という島の子たちの輪に入るのは、なかなかハードルの高いことだった。
「そこはもう、腹をくくるしかないって。席の近かった子に勇気を振り絞って話しかけたりしました。でも島の子たちは島の子たちで大阪出身の私が珍しかったみたいです。寮生とはずっと一緒なので、自然と共通の話題も増えてきました」
集団生活の息苦しさも、友達づくりの難しさも、特別な出来事があったわけではなく、「自然と」「慣れた」ということねさん。
「中学生の時は親に朝起こしてもらっていたけど、ここでは時間を管理するのも自分でやらなければならないんですよね。朝5時に起きて朝ごはんの前に勉強の時間をつくったり。自分で考えて生活スタイルを考えるようになりました」
1学年10人、全部で30人ほどの寮(画像提供/伊達綾子さん)
寮生の誕生日会はみんなが顔を合わせる機会(画像提供/伊達綾子さん)
「学校PR動画をつくりたい!」同級生や大人を巻き込んで完成へそしてことねさんが学生時代に取り組んだのが「みりょくゆうびん局」での活動だ。これは、もともと大人たちが地域活性化の一つとして行っている「高校魅力化プロジェクト」に、当事者の高校生も参加してみませんか? という試み。「せっかく地元を離れてきているんだし、やってみようかな」と考えたのだが、もともと引っ込み思案だった彼女にとっては大きな挑戦だった。
(画像提供/伊達綾子さん)
当初はPR担当として、顧問の先生たちがアレンジした活動に参加することが多かったが、そのうち、自分でも“なにかやってみたい”と思うように。それがPR動画だ。
「島根の津和野高校で高校生が自らつくったPR動画を見て、”こんなのをつくってみたい”と思うようになりました」
制作期間は2年生の冬~3年生の夏。一緒に考えてくれるメンバーを募集したり、顧問の先生を通して”瀬戸内ドローン推進協議会”に全面的な協力を得ることができた。完成したのが以下の動画。始業式で流したところ、大反響だったそう。
学校紹介ムービーをYouTubeで公開。煌めく青春と島の美しさは必見! 「塾の先生が自腹でGoProを買ってくれて、それで撮影したり、大人たちもたくさん巻き込みました」(ことねさん)
ただ、道のりは平たんではなかったそう。ことねさんは、自称”リーダーには向かない性格”。会議を進行させたり、意見をまとめたりするのは大の苦手で、他人にお願いするくらいなら、自分で無理をして背負い込んでしまう方だった。
「でも、1人でできることには限界があると痛感。考えも煮詰まってしまう。みんなで案を出し合ったり、方向性を整理することを学びました。なにかお願いするときも、声かけひとつで相手の気持ちが違ってくるんですよね」
人数が多いとできることも増えるが、意見をまとめるのもひと苦労。ディレクターとして自分の想いを伝える難しさも実感した。「でもいずれ社会になったら必要になることばかり。いい経験をさせてもらいました」(ことねさん)(画像提供/榮ことねさん)
(画像提供/伊達綾子さん)
(画像提供/榮ことねさん)
本音をいうと、学校を辞めようと思ったこともあった豊かな自然に囲まれた中で、高校生活を満喫したことねさん。しかし、実は「もうだめだ。大阪に戻ろう」と思ったこともあったそう。自分で望んだとはいえ、15歳で親元を離れ、新たな人間関係の輪に入ろうとすることは想定以上のストレスだったのだ。ささいなことでも気になったり、常に緊張を強いられる生活に限界を感じた。
「私はその日にあったことを全部家族に話すのが習慣だったので、やっぱりさみしかった。私にとっての家族は“絶対的な味方”。そんな味方でいる人たちのもとに帰りたいと何度も思いました」
(画像提供/榮ことねさん)
しかし、大好きな家族が送り出そうとしてくれたのだからこそ、「ここが頑張りどころだ」と踏ん張ったのだ。
そんなときに頼りになったのは「ハウスマスター」という、寮で高校生と一緒に生活をしながら、相談に乗ってくれるお兄さん、お姉さん的な大人の存在。大島海星高校のハウスマスターである伊達綾子さんにもお話を伺った。
「集団生活は楽しいことばかりじゃないし、生活習慣も価値観も全く違う子どもたちが一緒に生活するわけですから、当然、あつれきも生まれます。そんなときに、それぞれ話を聞いたり、寮生同士ができるだけ誤解なく関わり合えるようにサポートするのが、私たちの役目。ことねさんも最初のころはネガティブに考え込むことが多かったですが、”島でも、あなたにとって大事な人からは、家族と同じくらい大事に思ってもらえているよ”とということが伝わるように、見守りました」(伊達さん)
大事な人から大事にされているーーーその筆頭格は”島親さん”だ。海星高校では、寮生1人につき「島親さん」がつく。中学時代、民泊させてもらったご夫婦が、ことねさんの島親だ。「今ではもうひとつの実家のよう。”いつでも帰っておいで”とおしゃってくださるので、卒業しても年に1回帰ろうと決めています」(ことねさん)
ハウスマスターは、寮生のサポートとともに、地域との繋がりをつくるコーディネーターとしてイベントも企画(画像提供/伊達綾子さん)
島親さんとことねさん(画像提供/榮ことねさん)
そして、ことねさんの頼れる味方は、公営塾「神峰学舎」の先生たち。大崎海星高校たちのための塾で、なんと無料。放課後もしくは部活動が終わった後など、各自好きな時間に訪れ、夜の20時まで宿題や受験勉強のサポートをしてくれる。人数が少ない分、距離感が近い。情報が少なく、ともすれば勉強のモチベーションを保つのは難しい島生活だからこそ、生徒一人一人の意思を尊重して、進学・キャリアの相談をしてくれる神峰学舎の先生たちは、島の高校生たちの力強いサポーターだ。「塾通いは1年のときから、私のほぼルーティン。3年になってからは毎日、放課後から20時まで通っていました。先生たちの助けがなかったら、受験を乗り切れなかったと思います」(ことねさん)
3年間で180度変わった自分。未来へ大きく前進今年の3月に大島海星高校を卒業し、春からは関西学院大学に入学が決まっていることねさん。この3年間で自分はどんなふうに変わったと感じているのだろうか?
「中学校までは本当に自分に自信がなくて、“私なんか”が口ぐせ。でも、高校3年間で、自分って意外とできることあるんじゃないって思えるようになりました。昔ならきっと目指さない大学を挑戦しようと思ったこともそのひとつ。正直、受験は大変でした。一般受験する子が周囲には少なくて、前なら”もう無理だ”って諦めちゃったと思いますが、今回、勉強を頑張ったことも自信につながりました」(ことねさん)
また、人前に立つこと、目立つことが“超苦手”で、中学のころは後ろに隠れてばかりだったというが、今ではプレゼンも得意に。
「島では生徒数が少ないので、後ろに隠れられない(笑)。人前に立つ機会が自然と多くなるので、鍛えられました。こうした取材を受ける機会も多いです」(ことねさん)
ハウスマスターの伊達さんも「今まで3年間頑張ってくらいついてきたことが、彼女の力になって、全部結果として返ってきたと思います」と証言。
何より、その変化を一番実感しているのは親御さんだ。
「母に”私って変わった?”と聞いたら、”すっごく変わったよ”と即答されました。“昔は、学校では大人しくて言いたいことを言えないから、けっこう家でストレスを発散してたけど、それがなくなったね”って言われたんです。寮生活のなかで、自分の感情を上手くコントロールできるようになったのかなと思いました」(ことねさん)
今では初対面の人に話しかけたり、人前で話すことも平気に。もしかしたら、潜在的な能力が花開いたのかも(画像提供/伊達綾子さん)
これからは実家のある大阪での大学生活が始まるが、広島での高校3年間が今の自分を大きく変えたという、ことねさん。
「あのとき、親にも反対されたのに、どうしても行きたくて、地域みらい留学のパンフレットの言葉を暗記するほど読み込んだんです。いつも消極的な私からすれば、考えられないほど前のめりだった。どうしてだろう。ここだって直感的に思ったんです。あのとき、決断してよかったと本当に思います」(ことねさん)
楽しかった。でも楽しいばかりじゃなかった。そしてすごく頑張った。
そんなことねさんが、どんな未来を描くのか、これからの挑戦が楽しみだ。
(画像提供/榮ことねさん)
(画像提供/榮ことねさん)
●取材協力ワークライフバランスの重要性がとなえられ、「働き方改革」が掲げられる昨今。最近は新型コロナウイルスの感染への危惧もあり、テレワークの推奨やその有効性が大きく取りざたされています。導入を検討する企業も増えているなか、一過性の風潮に踊らされず実のある成果を得るためには、どうすればいいのか。その参考になりそうなのが、テレワークを先駆けて実践している日本マイクロソフトの事例です。どのように取り組み始めたのかを紹介した前編に続き、実際に同社でテレワークを活用して遠隔地に住む家族の介護や地方移住などワークライフバランスのとれた働き方を実践した例について伺います。
テレワーク環境の整備は、介護にも役立った
クラウドサービス「Microsoft Azure」営業マネージャー 飯田昌康さんのケース
(写真/PIXTA)
進学や就職で地方から都市部に出てきてそのまま家庭を持ち、故郷の家族とは遠く離れて暮らす場合、避けて通れないのは介護の悩み。家族との距離にかかわらず介護による離職の損失は、大きな社会課題にもなっています。
同社のクラウドサービス「Microsoft Azure」の営業マネージャーで、広島県出身の飯田昌康さん(49歳)も介護事情を抱えるひとりでした。
普段は東京のオフィスで業務し、クライアント訪問も行う飯田さんの、広島に住む両親が要介護になったのは約3年前。介護サービスを利用し、普段の生活は近場に住む姉がサポートしてくれていますが、2年前から月に一度の1週間、飯田さんも広島に戻って両親を介護。その間は、リモートワークで業務を行っています。
「テレワークを決めた理由は、家庭の事情で広島に引越すことができなかったためです。姉自身も難病を抱えており、月に一度は負担を軽減してあげたかった」。人事本部に相談したところ、ぜひやってくださいと快諾してもらえたそうです。
広島に滞在中は、同社のグループチャットソフトウエア「Microsoft Teams」を使い、ミーティングにも参加。ネットワーク環境は大切なため、電波状況も確認できる設置型のブロードバンドWi-Fiルーターを使用して整備しているとのこと。
ネット環境の整備は、介護自体にも有効でした。「母が歩いて転倒してしまったときのことを考えて、寝室とキッチンの壁にWebカメラを設置し、撮影していました。転倒したときはどういう状態だったか分かり、家財道具の安全な動線の工夫にも役立ちました」。また、両親は電話の使用が難しいため、スマートスピーカー「Amazon Echo」を父母の家と自宅、姉と妹の自宅に置いて、呼びかけ機能を活用しています。
スマートスピーカーのイメージ(写真/PIXTA)
「父母の住まいにWebカメラを設置し、姉、妹、私でスマホやPCで確認できるように。このカメラは動きや音を検知して自動的に録画してくれるため、転倒時にケガをしないよう動線を見直したりするのに役立っています。また、父にアレクサで話しかけるとき、いきなり話しかけてびっくりしないように、話しかける前に一度このカメラで様子を見るようにしています」(飯田さん)(写真提供/飯田さん)
リモートワークに必要なのは“寛容”、入り込んでしまう生活音は笑い話に
両親の利用するデイサービスは送迎時間などが決まっているため、その時間は会社のスケジュールに入力し、関係各所に不在を通知。ミーティング内容などは録画やストリーム機能を使って把握するそう。介護のためにリモートワークしていることは営業先にも伝えていますが、クレームなどが起きたことはないそうです。
「こういう働き方を始めたときは、理解を示してもらえるか心配にもなりましたが、世の中変わってきたのかなと思いました」と飯田さん。とはいえ、食事の世話にはじまり家事も含めた介護はもちろん重労働であり、「テレワークをしているときはしているときで、夜にはぐったりです」との言葉には、働きながら介護を両立させる厳しさを改めて実感するばかりです。
(写真/PIXTA)
また、テレワークの利点のひとつである移動時間の削減は、仕事の生産効率が向上するものの、詰め込みすぎてしまうことも。「お客さんと話した内容を移動時間で整理していたと気付かされました。だから意識して、整理する時間をつくっています」
介護のように差し迫った事情を抱えたひとが働き続けられるよう、リモートワークを広げていくために必要なことは「寛容」だと飯田さんは言います。Teamsでの会議中、状況を理解できない父が話しかけてきたり、相手側でも赤ちゃんが泣いたりなど生活音が聞こえてくることもありますが、そんなときは「笑い話にしてしまう」そう。一方で、ネットワーク環境は相手側の整備も不可欠になるため、国が推進する中で、皆で取り組むべき課題だとも感じているそうです。
生まれ育った沖縄へ移住、仕事の効率化も実感人事本部 普久原朝親さんのケース
(写真提供/普久原さん)
住まいを決めるとき、職住近接は大きな要因となりうるものですが、テレワークは究極の職住近接といえるでしょう。人事本部で採用を担当する普久原朝親さんは、生まれ育った沖縄に移住し、完全リモートワークで働いています。
同社では約4年前、週に5日テレワーク勤務が可能になる制度を導入。介護や育児など特別な事情がある人のための福利厚生ではなく、誰もが利用できる制度で、普久原さんは「人事部門の自分たちが率先を」と、故郷へ戻ることを決めました。業務内容である採用活動では、大阪や名古屋などの地方採用を東京のオフィスで行っていたため、沖縄にいても同じことだと考えたからです。
地方都市の利点を活かして、敷地約1,000平方メートルに建てた家は354平方メートルのプール付きの注文住宅。「仕事をするのは家でなくても問題ないのですが、家が快適なので基本的には家で過ごしています」
(写真提供/普久原さん)
ワークライフバランスの先を行へ、住む場所や働き方を選ぶ「ワークライフチョイス」
故郷とはいえ、東京から遠く離れた沖縄の地に家を構えたことは、同僚たちにも驚かれたそう。東京に住んでいるころも自宅に同僚たちが遊びにくることはありましたが、仕事や旅行のついでも含め、沖縄の普久原さん宅を訪れる人の数はむしろ増えたとのこと。
テレワークにより快適な日常を過ごしつつ、仕事の効率性も実感しています。朝早い時間の仕事であっても、身支度や通勤などの移動時間も不要でいつでも対応できるので、むしろ会議への出席率は以前にもまして高いとのこと。
最も効率の良い働く場所や時間を自分で選んで働き・生活する「ワークライフチョイス」を実践している普久原さんにとっては、ワークライフバランスですら“古い”ものと言えるよう。地方都市は首都圏と比べて、テレワークの浸透はいまひとつなので、実際沖縄でも、普久原さんのような働き方をしている人はまだまだ少ないのが実情です。時間に余裕ができた分を自由に過ごせる有意義さを伝えるため、普久原さんは余暇を使い、IT活用によるテレワークの実現法などを解説するイベントなどへの登壇も積極的に行っています。
地方都市の“アナログ事情”がもったいない、現状を変えていきたい
一方で、沖縄と首都圏が同じだと感じるのは、実は通勤時間。電車がなく、観光客もレンタカーを使用するため道が渋滞し、東京と同じくらいの通勤時間がかかることもあるそうで、働くための移動時間を削減できるテレワークの有効性は、地方事情にも対応できるといえそう。
また、普久原さんにとっては、IT化に積極的ではない地方都市でまだまだ一般的な、自席のPCからしかメールを見られなかったり会議で大量な紙資料による情報共有が行われていたりする “アナログ”な現状も、もったいなさや歯がゆさを感じているよう。「PCやスマホですべて完結させることで、誰もが効率よく働けて、時間も返ってくる。ぜひその良さをもっと広めたい」とのこと。
働くことは本来、大切な人とともに幸せな生活を送るための安定した糧を得る手段。人生において大事にしたいことを優先できる可能性の大きいリモートワークの推奨が、一過性の目的になってしまうことなく真に浸透することの重要性を、お二人の話から再認識するばかりです。
「働き方改革」が世の中で盛んにうたわれるようになったのは2017年ごろ、それを受けて各企業も対策に乗り出したものの、具体的にどんなことをしたらいいのか悩んでいる企業も多いようです。どんなプロセスを踏み、なにが必要なのか。その大きなヒントになりそうなのが、18年前から実質の「改革」を実践してきた日本マイクロソフトです。業務の改善が結果として、介護など家庭の事情との両立や、男性社員の高い育児休暇取得率など働き方の改善にもつながったという同社の取り組みについて、エグゼクティブアドバイザーを務める小柳津篤氏に伺いました。
「社員がもたない」。働き方を見直したきっかけは“危機感”
――日本マイクロソフトは2017年に総務省の「テレワーク先駆者百選 総務大臣賞」を受賞されていますよね。そもそも働き方を変えられたのは2002年からとのことですが、どのくらいの成果があったのでしょうか。
以下はここ10年のデータですが、勤務時間はマイナス13%になりました。合計で60万時間、1人あたり2カ月分、勤務時間が減っていることになります。事業規模は180%成長しています。
(画像提供/日本マイクロソフト)
――そもそものきっかけとは、何だったのでしょうか?
僕は昭和のオジサンですから、以前は仕事で人手が不足しているときは、徹夜や休日出勤などの長時間勤務もしながら解決してきました。そうした手段をとることで、仕事自体は終わりますが、長期的に見たらフィジカルやメンタルなどのいろんなものを損ないます。仕事を早く進めないと社員がもたない、というところがビジネス課題でした。
日本マイクロソフトのエグゼクティブアドバイザーを務める小柳津篤さん。本記事の取材もMicrosoft Teamsを使って行われた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
――そこから、どう働き方を変えたのでしょうか。
仕事のやり方というのは、2種類あるんです。右側が従来多くの日本企業が行ってきた「プロセス型・手続き型」、左側が私たちが現在行っている「コラボレーション型・ネットワーク型」の仕事のやり方です。
(画像提供/日本マイクロソフト)
右側の「プロセス型・手続き型」は、あらかじめ決められた役割・手続き・段取り・プロセスがあり、フォーマット化・マニュアル化された仕事内容に沿って仕事をするというものです。みんな真面目に、時には徹夜して、そうして得られた成功体験が、特に昭和時代に企業で勤めていた経験がある日本人には実体験としてありますから、どうしてもこちらのほうが良い仕事のようなイメージがあるんですね。
一方で、チームやプロジェクトに成果を求め、いつでもどこでも誰とでも、意見交換や情報共有、意思決定ができるのが、左側の「コラボレーション型・ネットワーク型」です。一つのプロジェクトに対して、事業部内に閉じたチームを組むのではなく、事業部の枠を超えて必要な人材をつなぐのです。そうすることで、より付加価値の高い仕事をすることができるようになります。
日本マイクロソフトの勤務時間が短くなったのは、何かを一律に減らしたわけではなく、「プロセス型・手続き型」を減らし、「コラボレーション型・ネットワーク型」を増やした結果です。“働き方改革の事例”としてメディアなどによく取り上げていただくことがあるのですが、「仕事を早く進めたい」という強い思いからスタートし、業務の整理整頓が伴った結果、いわゆる“働き方改革”で目指していることがほぼ解決できた、という感じなんです。
「コラボレーション型・ネットワーク型」は、いわば「三人寄れば文殊の知恵」な仕事の仕方です。これを実現するには、会社には行くべきだ、会議を行わないと情報が共有できない、などとは言っていられません。今あるテクノロジーと社会的なルールの中で、なるべく効率的で効果的に「コラボレーション型・ネットワーク型」を実現しようと思ったら、「いつでもどこでも」になったのです。テレワークを導入したのも、こうした経緯の一環です。
日本の会社がやってしまうのが、「プロセス型・手続き型」を大事にしたままの働き方改革です。それでは、女性が出産後に同じポジションに戻りにくい、介護で出勤が困難になった人がプロジェクトに参加し続けることが難しくなる、などの問題も残ります。はたしてそれでどれだけの人が救われるのでしょうか。
「僕は『テレワーク』を全否定する」――テレワーク導入の課題として、多くの日本企業ではまだまだ「結局は顔を合わせたほうがコミュニケーションがはかどる」という信念が根強い印象があります。そこはどうお考えですか?
(画像提供/日本マイクロソフト)
僕たちも会って話すということは、止めていません。それだけをやりすぎている、ということが問題なんです。
テレワークは、辞書としては「在宅、モバイル、サテライト」という意味です。「会社に来ない、現場には行かない」というソリューションなので、そういう意味では僕はテレワークは全否定します。あくまで、その感覚だけで仕事をしてはいけない、ということなんです。
――「コラボレーション型・ネットワーク型」への転換で、戸惑いや混乱はなかったんですか?
もちろんありました。ただ単にやりましょうと言うだけじゃ、誰一人やりませんよ。
僕たちの世代のような「プロセス型・手続き型」の価値観で物事を乗り越え、そこに武勇伝や成功体験がある人たちにとっては、特に自己変革が難しい。だから、ルールや環境の置き換えには、ある種の強制力も必要なんです。そのためには、トップダウンでやらないと。
――小柳津さんご自身は、この変革はスムーズにできたんですか?
できるわけないじゃないですか(笑)。なかなかうまくいきませんでしたよ。
しかし、みなさんも私生活では、実はすでに「コラボレーション型・ネットワーク型」の状態なんですよ。家族や友達、地域の人たちとの社会生活を考えてみてください。家族とは家でだけ、友達とはファミレスだけ、地域の人とは公民館だけで交流しているかといったら、そんなわけはないですよね。同時にクラウドサービスやSNS、さまざまなデバイスも使いながら、いつでも誰でもどこでも、意見や写真の交換をしている。働き方も同じことなんです。
日本マイクロソフト(品川オフィス)の会議の様子(写真提供/日本マイクロソフト)
僕自身は、製造業関係の会社から25年前にマイクロソフトに転職したんですが、当時は今だったら信じられないほどの長時間勤務をしていたんですよ。そこから得られたこともたくさんありましたが、いろんなものを失いました。例えば、当時、子どもは小学生でしたが、ほとんど一緒にご飯を食べたことがありません。その経験もあり、テクノロジーのリーディングカンパニーとしてもっとできることがないかという責任も感じていました。
2002年、グローバルで「業務生産性」を追求する組織が誕生し「Information Work / Information Worker」という概念が掲げられました。そのなかで生産性の継続に必須となる「働きやすさ」にも着目され男性社員の育児休暇の取得も増えていきます。今でこそ日本マイクロソフトの男性社員の育児休暇取得率は8割ですが、当時、世間では男性の育休制度があること自体が話題になるような時代。会社が持つテクノロジーと社内制度を使い、成果を可視化しながら進めました。
――現在は、小柳津さんは1日をどのように過ごされているのでしょうか。
特に決まっていませんね。遠隔でお客様とのやりとりをしていますし、対面で会うこともあります。お客様の都合やタイミングに合わせているので、昼間の予定はほとんど自分では決められません。半分ほどはリモートワークです。
ですから朝の満員電車に乗るときもあるし、朝ゆっくりリモートワークをするときもあります。
「“勤務時間”という概念はナンセンスだと思う」――勤務時間がバラバラということでしょうか?
日本マイクロソフトでは、時間の長さは個人の業績や評価に関係しないんです。
労務関連の法律に基づいて勤怠管理はしていますが、みんなビジネスとプライベートがまだら模様になっているので、厳密な意味合いでの勤務時間を測ることは難しいんです。勤務時間が短い代わりに、ものすごく濃い時間を過ごしています。僕も短い時は3~4時間くらいですしね。
そもそも、そういう時間で仕事を測る考え方が、今の物事の進め方にマッチしていないと思うんです。外出しているからといって必ずしも働いているわけじゃないし、パソコンを起動しているからといって働いているわけじゃない。だから、フレックスやコアタイムという概念もないんです。仕事内容も、昔と違って徹夜したから解決できるようなものではありませんしね。
――大きな自己責任が伴いますね……。ただテレワークを導入すればいいということではなく、あくまで活かし方が大切ということですね。
そうです。自己責任にすることで、効率的に働くということを本人が考えざるを得なくなるんです。日本企業は、社員を子ども扱いしていると思います。もともとポテンシャルがある人であっても、成長する機会を奪っていることになりかねません。
だから僕は、社員が徹夜したければそれは個人の自由だと思うんです。良くないのは、それが連続したり、命令によって行われていること。だから早い段階で見つけて軌道修正をするし、時には大きなペナルティーも科します。
――今後の課題は?
実は、世界からみると「コラボレーション型・ネットワーク型」化が一番遅れているのは日本マイクロソフトなんです。「日本の会社としては」世間から評価をいただいていますが、グローバルのマイクロソフトとしては、世界で一番効率が悪いんです。
(画像提供/日本マイクロソフト)
グローバルと比較すると、例えばメールの時間が24%長く、宛先が31%多く、会議時間が17%長く、会議招集者が11%多いというデータがあります。日本はまだウェットなコミュニケーションをしているんです。
他国と比べてどうなのか、先月と比べてどうなのかなどを可視化し続けていかないと、社員は変わることができない。
また、「会議のお作法」という会議ルールも全社プログラムとして取り入れました。
(画像提供/日本マイクロソフト)
若い人は役職等が上の人がいると業務環境に疑問を持っていても言いにくいけれど、全社プログラムになっていれば、言いやすいですよね。
大切なのは、「働き方改革」ではないです。大切なのは、働き方の変化は会社の付加価値や会社の組織デザインやマネジメントモデルを突き詰めた結果だということです。
最後に今、新型コロナウイルスによる被害拡大もあり、テレワークを推奨する企業も増えています。しかし急な導入は、「仕事する場所を単に社内以外に移せばリモートワークである」という勘違いの助長も危ぶまれます。本事例からは、リモートにする目的が何なのか見誤らないことの大切さを改めて実感することができるのではないでしょうか、
次回は、同社内で実際にリモートワークで業務に取り組み、地方への移住や遠隔地に住む家族の介護と仕事を両立させている実例を紹介します。
建設から40年50年が経過し、建物の老朽化、住民の高齢化などの課題が山積している「団地」。建物・土地をどう利活用していくのか、維持管理マネジメントが問われています。神奈川県内に約1万3500戸の団地を持つ「神奈川県住宅供給公社」は、いち早くマネジメントの見直しに取り組み、評価されているといいます。今回は、そのマネジメントと団地の持つ可能性をご紹介します。
課題が山積みの神奈川県住宅供給公社の団地、解決の仕方が評価「建物の所有者が、建物と周辺環境を総合的に管理し、より効率的・戦略的に経営していく」ことを指すアメリカ発の概念「ファシリティマネジメント」という言葉があります。単なるビルの維持管理ではなく、不動産をどう経営に活かしていくかという、「経営戦略」です。2020年、公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会が主催する「第14回日本ファシリティマネジメント大賞(JFMA賞)」にて、あまたの企業・プロジェクトの取り組みの中から、神奈川県住宅供給公社が「最優秀ファシリティマネジメント賞(鵜澤賞)」を受賞しました。
神奈川県住宅供給公社は現在、神奈川県内に112団地、371棟、約1万3500戸の賃貸住宅の維持管理を行っており、その多くはいわゆる「団地」です。特に築40年以上経過した建物は323棟と全体の約87%にものぼり、建物と設備の老朽化が課題となっていました。
90haにもおよぶ広大な敷地の自然に囲まれた若葉台団地(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
今回ファシリティ・マネジメント(以下「FM」)の視点において、財務・品質・供給の3視点がバランスよく、長期を見据え戦略的な展開をしていることが評価されて大賞受賞となったわけですが、そもそものきっかけとなったのは、2015年、とある団地で起きた「ボヤ騒ぎ」だったそう。大事には至らなかったものの、土曜日の夜だったこともあり、その部屋の住人の世帯情報(性別や年齢、人数など)にたどり着くのに数時間もかかったことをきっかけに、「統合的なデータベース」を導入することとなった。縦割り組織の弊害で、団地の情報(修繕履歴や空室率、入居者情報)も部門ごとにバラバラで作成したり、紙ベースで保管したりしており、持っている情報を活かすことができなかったのです。
そこで住戸単位であらゆる情報を管理するデータベースを導入、「団地の基礎情報」「棟ごとの資産情報」「修繕状況」「財務状況」「入居契約」「募集情報」など、各部署に必要な情報がすぐに分かるようになりました。また、それまで外注していた、入居希望者向けのコールセンター業務を内製化し、「顧客ニーズの把握」や「情報のフィードバック」など、情報を活用していくことができるようになりました。
各団地の課題が明確になり再生計画がスタート。経営状態も改善こうした公社内での改革・改善が進むと、団地ごとの「入居状況」「強み」「課題」が明確になるとともに、「課題解決」のための取り組みやその反響も徐々に分かってきました。それにより、新しい施策→実行→反響→次回以降の改善、というプラスのサイクルがうまれるようになったのです。
「データベースの導入により各団地の特色や取り組むべき事柄が明確になり、効果的な施策につながったとみています」と振り返るのは神奈川県住宅供給公社の総務部課長の鈴木伸一朗さん。
FMという概念やデータベースを活用するのは主に管理する側で、一見すると住民には関係ないように思えますが、入居希望者や入居者の属性、建物などの「修繕履歴」「空き家率」等、情報が一元化してあることで「団地の課題」が把握でき、必要な施策や改善措置が行われるようになるため、住む側にとってもプラスの効果が出てきます。
これらの取り組みから分かるのは、古い団地の維持管理を単なる管理業務としてこなすのではなく、適切に修繕管理するとともに、より良い方向で活用すれば優良な「資産」となりうるということです。
3年で150組の入居も。団地再生の取り組みははじまったばかり公社が行っている団地再生の取り組みはどれもユニークなものばかりですが、特にFM大賞で評価されているのは、持続可能な社会への取り組みや地域社会に貢献している点です。
例えば、「アンレーベ横浜星川」(横浜市保土ケ谷区:1954年着工)では、耐震性能には問題はなく、適切な投資(断熱や給排水設備の改修、室内のリノベーション)をすることで、十分に既存建物を活かせると判断。“一棟まるごとリノベーション”を行い、居住性能を向上させました。「持続可能な社会」のために、スクラップ・アンド・ビルドではなく、きちんと修繕して長く使う成功例となることに期待したいところです。
改修前(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
改修後(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
ストックの利用だけではありません。例えば、空室が4割を超えていた「二宮団地」(中郡二宮町:1962年造成着工)では所有するさまざまなデータを総合的に判断して、「残す18棟」と「壊す10棟」とを選別しました。その結果、取り壊しが決まった棟にお住まいの人には、同じ団地内の別の棟に移転してもらったといいます。残すと決めた「二宮団地」の棟では、内装や設備を改善したプランにより、今の暮らしにあわせた住宅としたほか、内装に地域木材を活用したリノベーションプランや一定の要件の中で原状回復不要のセルフリノベーションプランなど、二宮団地独自仕様の住宅も導入しました。
音楽を活用したコミュニティの活性化や団地内の公社所有地を活用した共同菜園、また、公社所有の共同農園の管理や農業体験イベントの開催などに協力することを条件とした「アグリサポーター」制度により就農を応援するなど、さまざまな取り組みに着手。地域住民、町と公社の協同で、団地のPRにとどまらず、二宮町での暮らしの魅力を発信したところ、3年間で約150組の新規入居があったそう。
約70haの二宮団地。新しい里山暮らしを提案(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
リノベーション後の二宮団地の部屋の一例(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
二宮団地では「アグリサポーター制度」により就農を応援するなどの取り組みが行われている(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
また、「浦賀団地」(横須賀市:1970年着工)では、高齢者が住みにくい4、5階の空室が目立っていることが「データベース」でよりクリアに把握できました。そこで、団地の地域コミュニティの活性化を目的とした「団地活性サポーター制度」を導入。県立保健福祉大学の学生に住んでもらい、大学で学ぶ専門分野を活かし、コミュニティの担い手として活動してもらうことに。ちなみに入居した学生からは「地域コミュニティの経験が少ない環境で育ったからこそ、こうした地域の高齢者とふれあいたい」という声も聞かれるのだとか。
浦賀団地(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
浦賀団地サポーター(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
「相武台団地」(相模原市南区:1964年着工)の取り組みは2019年、記事でもご紹介しましたが、以前は空き店舗の利活用が課題となっていました。イベントの実施や情報発信などにより商店街と団地ににぎわいを取り戻す意志を持った入店者を募集し、現在は「カフェ」、「児童クラブ」などが入店したり、こども食堂が行われたりと、地域を盛り上げています。昨年は子育て層からシニアまで、幅広い世代が集う場として、多目的・多世代交流拠点「ユソーレ相武台」を開設し、さらににぎわいを取り戻すことに成功しています。
相武台団地(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
相武台団地の商店街(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
ユソーレ相武台(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
公社ではそれぞれの団地の状況を把握することで、その団地がもつ強み・特色を把握し、それぞれの団地に適した取り組みを実施するようになりました。それにより団地の埋もれていた魅力を掘り起こしたり、新たな価値を付け加えていくことで、「団地」をただ昔の住宅としか捉えていなかった人たちの関心を呼び起こすとともに、団地へ呼び込むことにより、団地を「持続可能な社会」とすることへと模索が続いています。
団地は大きなシェアハウス。再評価の流れに今後も注目前出の鈴木さんは団地のよさについて「人との距離が近いことにつきます。オートロックのマンションの距離感、一戸建てとの距離感とは違います。階段室があって、住居がある。顔をつきあわせる存在がいる。団地内に商店街や緑、集会所をはじめとする共用スペースがあり、団地そのものが大きなシェアハウスのようなもの」と話します。
二宮団地の共用スペース「コミュナルダイニング」(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
確かに! 団地そのもののゆとり、つながりは今でいう「シェアハウス」に近いのかもしれません。
また、神奈川県住宅供給公社の団地では、敷地内の歩車分離や電線地中化がなされていることも多く、まち全体が安全で、空が広く、緑と敷地にゆとりがあります。だからこそ、室内をリノベーションすれば住み継ぐことができるのでしょう。
昭和が残してくれた、暮らしの遺産。「団地」回帰・再評価の動きにこれからも注目していきたいところです。
●取材協力35年などの長期間にわたり金利が固定される住宅ローンの【フラット35】。住宅ローンを借りようと考えている人なら、一度は検討したことがあるだろう。実は、4月1日からは利用条件などの一部が変わる。詳しく見ていこう。【今週の住活トピック】
「【フラット35】2020年4月の主な制度変更事項のお知らせ」を発表/住宅金融支援機構買い替えで【フラット35】を利用する人は注意を
まず、【フラット35】の特徴についておさらいしておこう。
住宅金融支援機構と民間金融機関が提携している住宅ローンで、長期固定金利である点が大きな特徴。借りる際の窓口となる提携先の民間金融機関によって、適用される金利や融資手数料が異なる点が注意点だ。公的機関が関わっているローンなので、一定の品質が確保されていると認められた住宅でないと、借りることはできない。
最もよく利用される【フラット35】(返済期間21年以上35年以下)で3月時点の適用金利を見ると、金融機関によって異なるため、1.24%~年1.87%の範囲になっている。最も多くの金融機関が設定している金利は1.24%だ。この低金利を固定できるのは、確かに魅力的だろう。
利用条件を見ていこう。申込時の年齢が満70歳未満(親子リレー返済利用者を除く)で、返済期間は15年以上35年以下で最長80歳までのローンが組める。したがって、15年未満(ただし、申込本人または連帯債務者が60歳以上の場合は10年未満)の場合は利用できない。
借入額は、購入価格までで100万円以上8000万円以下(1万円単位)だが、総返済負担率を満たす必要がある。
総返済負担率とは、「年収に占める年間合計返済額の割合」だ。計算式は、次のようになる。
出典:住宅金融支援機構のホームページ「2020年4月【フラット35】制度変更のお知らせ」より転載
総返済負担率が、次の基準を満たさないと希望額まで借りられない場合もある。
さて、この計算式の分子に当たる「全ての借り入れの年間合計返済額」とは、今回借りようとしている【フラット35】だけでなく、他のローン、例えば教育ローンや自動車ローンなど現在分割払いで返済している額全てが合計される。
マイホームを売却して、新たに住宅ローンを組んで次の家を買おうとするときに、マイホームの住宅ローンが残っていることがある。その場合、返済中の住宅ローンの返済額が合計される可能性もある。ただし、売った資金で残りのローンを完済できるのであれば、その返済額を含める必要はないだろう。
2020年4月からの変更点の一つが、買い替えにかかわるものだ。
○変更点:売却予定の住宅にかかわる住宅ローンの取り扱いの見直し
返済中の住宅ローンの融資対象のマイホームを売却する予定で、売却予定額を利用して住宅ローンの完済ができることが確認できる場合に限り、その住宅ローンの返済額を年間合計返済額から除くことができる。
これまでは、売却手続きに入っていることが確認できれば、その住宅ローンは年間合計返済額に含めなかったが、4月からは完済見通しのあることを資料などで確認されることになる。ただし、売却予定額が住宅ローンの残高に満たない場合でも、手持ち資金などを使って完済ができるのであれば問題はない。買い替えで【フラット35】を利用しようと考えている人は知っておいた方がよい変更点だ。
【フラット35】に借り換えるけど、残りの返済年数が短いに朗報?【フラット35】は借り換えにも利用できる。住宅ローンの借り換えの場合、住宅ローンの残高を別のローンに組み直すわけだが、新たに35年借りられるわけではない。当然ながら、当初借りた住宅ローンの経過期間を35年から差し引いた年数が上限になる。
【フラット35】は借入期間が15年より短い場合は【フラット35】借換融資の対象にならなかった。それを一部見直して15年未満でも利用できるようになる。
○変更点:【フラット35】借換融資の借入期間を一部見直し
(1)「80歳 - 借換融資の申込時の年齢(1年未満は切り上げ)」
(2)「35年 - 住宅取得時に借り入れた住宅ローンの経過年数(1年未満は切り上げ)」
(1)または(2)いずれか短い年数を上限とする
ただし、(2)の年数が15年(申込本人または連帯債務者が満60歳以上の場合は10年)より短くなる場合はその年数を上限として借入期間を設定可能(この場合の下限は1年)
※申込時の年齢が満70歳以上の場合は利用できない(親子リレー返済利用者を除く)
4月からは、当初借りた住宅ローンの残りの返済期間が短い場合でも、【フラット35】が利用できる可能性が生まれるわけだ。
【フラット35】を不動産投資用の物件の取得に使うことはできない2018年に発覚したのが、【フラット35】を不動産投資用物件の取得に不正に利用した事例だ。住宅ローンが事業用のローンに比べ、低金利で長期間の返済を可能にしているのは、本人や家族が住むためのマイホームを手に入れるためだからだ。賃貸住宅として投資する物件は事業目的であり、もちろん利用対象外だ。
ところが、自分が住むための住宅とする偽った書類を作り、実際にはその借入資金で投資用物件を取得・運用していた事例があり、2019年に住宅金融支援機構が調査したところ、住宅購入価格の水増しも含めて、162件の不正事例が確認された。
こうした不正利用を防止する直接的な打ち手ではないが、悪用懸念のある制度の隙間を埋めるために、4月から次のような変更も行われる。
○変更点:総返済負担率の「年間合計返済額」の対象に賃貸予定または賃貸中の住宅にかかわる借入金の返済額を追加する
○変更点:セカンドハウスを取得するために【フラット35】を二重に借り入れることはできない
【フラット35】はマイホームだけでなく、本人や家族が利用するセカンドハウスにも利用できる。今回の変更点では、すでにセカンドハウスで融資を受けているのに、さらに別のセカンドハウスでも、というのがNGになる。拠点となるマイホームの融資に加えて、セカンドハウスを買う場合なら問題はない。
そもそも不動産投資用物件の取得に【フラット35】を利用することはできない。それが分かった場合は、不正な利用として借入額の一括返済を求められることもある。
さて、2020年4月からの変更点は、特定の対象者に限られる内容なので、多くの人には大きな影響はないだろう。とはいえ、今回対象となる一部の人にとっては、変更点を知っているか知らないかで、資金計画が変わるということもあるだろう。
住宅ローンのように長く付き合うものについては、正しい情報をタイムリーに入手することが大切だ。
35年などの長期間にわたり金利が固定される住宅ローンの【フラット35】。住宅ローンを借りようと考えている人なら、一度は検討したことがあるだろう。実は、4月1日からは利用条件などの一部が変わる。詳しく見ていこう。【今週の住活トピック】
「【フラット35】2020年4月の主な制度変更事項のお知らせ」を発表/住宅金融支援機構買い替えで【フラット35】を利用する人は注意を
まず、【フラット35】の特徴についておさらいしておこう。
住宅金融支援機構と民間金融機関が提携している住宅ローンで、長期固定金利である点が大きな特徴。借りる際の窓口となる提携先の民間金融機関によって、適用される金利や融資手数料が異なる点が注意点だ。公的機関が関わっているローンなので、一定の品質が確保されていると認められた住宅でないと、借りることはできない。
最もよく利用される【フラット35】(返済期間21年以上35年以下)で3月時点の適用金利を見ると、金融機関によって異なるため、1.24%~年1.87%の範囲になっている。最も多くの金融機関が設定している金利は1.24%だ。この低金利を固定できるのは、確かに魅力的だろう。
利用条件を見ていこう。申込時の年齢が満70歳未満(親子リレー返済利用者を除く)で、返済期間は15年以上35年以下で最長80歳までのローンが組める。したがって、15年未満(ただし、申込本人または連帯債務者が60歳以上の場合は10年未満)の場合は利用できない。
借入額は、購入価格までで100万円以上8000万円以下(1万円単位)だが、総返済負担率を満たす必要がある。
総返済負担率とは、「年収に占める年間合計返済額の割合」だ。計算式は、次のようになる。
出典:住宅金融支援機構のホームページ「2020年4月【フラット35】制度変更のお知らせ」より転載
総返済負担率が、次の基準を満たさないと希望額まで借りられない場合もある。
さて、この計算式の分子に当たる「全ての借り入れの年間合計返済額」とは、今回借りようとしている【フラット35】だけでなく、他のローン、例えば教育ローンや自動車ローンなど現在分割払いで返済している額全てが合計される。
マイホームを売却して、新たに住宅ローンを組んで次の家を買おうとするときに、マイホームの住宅ローンが残っていることがある。その場合、返済中の住宅ローンの返済額が合計される可能性もある。ただし、売った資金で残りのローンを完済できるのであれば、その返済額を含める必要はないだろう。
2020年4月からの変更点の一つが、買い替えにかかわるものだ。
○変更点:売却予定の住宅にかかわる住宅ローンの取り扱いの見直し
返済中の住宅ローンの融資対象のマイホームを売却する予定で、売却予定額を利用して住宅ローンの完済ができることが確認できる場合に限り、その住宅ローンの返済額を年間合計返済額から除くことができる。
これまでは、売却手続きに入っていることが確認できれば、その住宅ローンは年間合計返済額に含めなかったが、4月からは完済見通しのあることを資料などで確認されることになる。ただし、売却予定額が住宅ローンの残高に満たない場合でも、手持ち資金などを使って完済ができるのであれば問題はない。買い替えで【フラット35】を利用しようと考えている人は知っておいた方がよい変更点だ。
【フラット35】に借り換えるけど、残りの返済年数が短いに朗報?【フラット35】は借り換えにも利用できる。住宅ローンの借り換えの場合、住宅ローンの残高を別のローンに組み直すわけだが、新たに35年借りられるわけではない。当然ながら、当初借りた住宅ローンの経過期間を35年から差し引いた年数が上限になる。
【フラット35】は借入期間が15年より短い場合は【フラット35】借換融資の対象にならなかった。それを一部見直して15年未満でも利用できるようになる。
○変更点:【フラット35】借換融資の借入期間を一部見直し
(1)「80歳 - 借換融資の申込時の年齢(1年未満は切り上げ)」
(2)「35年 - 住宅取得時に借り入れた住宅ローンの経過年数(1年未満は切り上げ)」
(1)または(2)いずれか短い年数を上限とする
ただし、(2)の年数が15年(申込本人または連帯債務者が満60歳以上の場合は10年)より短くなる場合はその年数を上限として借入期間を設定可能(この場合の下限は1年)
※申込時の年齢が満70歳以上の場合は利用できない(親子リレー返済利用者を除く)
4月からは、当初借りた住宅ローンの残りの返済期間が短い場合でも、【フラット35】が利用できる可能性が生まれるわけだ。
【フラット35】を不動産投資用の物件の取得に使うことはできない2018年に発覚したのが、【フラット35】を不動産投資用物件の取得に不正に利用した事例だ。住宅ローンが事業用のローンに比べ、低金利で長期間の返済を可能にしているのは、本人や家族が住むためのマイホームを手に入れるためだからだ。賃貸住宅として投資する物件は事業目的であり、もちろん利用対象外だ。
ところが、自分が住むための住宅とする偽った書類を作り、実際にはその借入資金で投資用物件を取得・運用していた事例があり、2019年に住宅金融支援機構が調査したところ、住宅購入価格の水増しも含めて、162件の不正事例が確認された。
こうした不正利用を防止する直接的な打ち手ではないが、悪用懸念のある制度の隙間を埋めるために、4月から次のような変更も行われる。
○追加変更点:総返済負担率の「年間合計返済額」の対象に賃貸予定または賃貸中の住宅にかかわる借入金の返済額を追加する
○変更点:セカンドハウスを取得するために【フラット35】を二重に借り入れることはできない
【フラット35】はマイホームだけでなく、本人や家族が利用するセカンドハウスにも利用できる。今回の変更点では、すでにセカンドハウスで融資を受けているのに、さらに別のセカンドハウスでも、というのがNGになる。拠点となるマイホームの融資に加えて、セカンドハウスを買う場合なら問題はない。
そもそも不動産投資用物件の取得に【フラット35】を利用することはできない。それが分かった場合は、不正な利用として借入額の一括返済を求められることもある。
さて、2020年4月からの変更点は、特定の対象者に限られる内容なので、多くの人には大きな影響はないだろう。とはいえ、今回対象となる一部の人にとっては、変更点を知っているか知らないかで、資金計画が変わるということもあるだろう。
住宅ローンのように長く付き合うものについては、正しい情報をタイムリーに入手することが大切だ。
宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区は、東日本大震災で甚大な被害を受けたなかで、復興のスタートが遅れた地域。けれども、2018年以降、新しい公共施設、公園が完成し、商業施設「かわまちてらす閖上」がオープン。震災前とは違ったにぎわいが生まれている。住民や応援する人たちが、行政や専門家と協働して粘り強く検討し取り組んできた閖上地区のまちづくりについて話を聞いた。
2018年から復興が加速し2019年5月にまちびらき
仙台市の南に隣接する宮城県名取市の閖上地区は名取川市河口にある港町。東日本大震災前は約5700人、2100世帯が暮らしていたが、東日本大震災の大津波で700人以上の尊い命を失った。近くに高台が少なく、沿岸部の平野に住宅が密集していたため、多くの家や建物が流され広範囲で更地となった。ゼロからつくりなおすような、まちづくり。被害が甚大で、内陸・高台への移転か、現地で再建するか住民の意見がまとまらなかったり、区画整理に時間がかかり3、4年が過ぎ、復興のスピードは宮城県で最も遅いと言われた。
2019年に完成した、名取市震災メモリアル公園の祈りの広場の東日本大震災慰霊碑。空に伸びる「芽生えの塔」の高さは、閖上の津波の高さと同じ8.4メートル(「豊穣の大地」の高さを含む)(撮影/佐藤由紀子)
2020年3月11日に近い週末、閖上地区を訪ねた。
閖上地区は2018年(平成30年)4月、名取市初の小中一貫教育校の閖上小中学校が開校し、12月に災害公営住宅全655戸が完成。2019年(平成31年)春には名取トレイルセンター、閖上公民館・体育館、中央公園、中央緑道が完成。5月には閖上地区のまちびらきが行われた。
まだ更地や工事中の道路などもあるが、見通しが良く、新しい学校、新しい住宅や新しい施設が目につく。
移転・新築した閖上公民館は約150人収容可能。和室研修室、図書コーナー、じゅうたんを敷いたホールなどがあり、閖上体育館を併設している(撮影/佐藤由紀子)
閖上公民館の南に広がる広場が中央公園。隣接する中央緑道は、市街地を東西に走り、水辺へと通じ閖上小中学校への通学路としても利用されている(撮影/佐藤由紀子)
震災前のイメージを一新、水辺と一体となった魅力ある商業施設特ににぎわっているのが、閖上公民館の北、名取川沿いにある「かわまちてらす閖上」だ。国の「かわまちづくり計画」と連携して名取市が進める「閖上地区まちなか再生計画区域」の「にぎわい拠点(かわまちづくり地区内)」エリアに2019年4月にオープンした共同商業施設だ。
閖上名物の赤貝、国内北限のしらす、サバなど採れたての新鮮な魚介、地元で加工した笹かまぼこ、宮城県産の食材を使ったカレーやスイーツなど、あわせて26店舗が集まる。集いや飲食の場としてフードコートやにぎわい広場があり、屋外に椅子とテーブルが置かれ、外で食事もできる。
南側駐車場からすぐの「かわまちてらす閖上」。昼食どきとあって、店内から人があふれ、順番を待つ人の姿もあった(撮影/佐藤由紀子)
このように河口の堤防に建物が位置する商業施設は全国でも珍しいそうだ。閖上地区は、江戸時代から名取川や貞山運河を使って仙台城下に物資を運び、舟運事業の町として発展した街で、川沿いに商店があったという。
「名取市のまちづくり計画(閖上地区まちなか再生計画)の中で、ここににぎわいの拠点をつくろうということで、仙台市・名取市を支援していた私たちに声がかかりました」と話すのは、「かわまちてらす閖上」を運営する株式会社かわまちてらす閖上・常務取締役の松野水緒さん。
震災の翌年の2012年10月、「閖上地区まちなか再生計画」が策定され、閖上らしい商業地区整備の方針を検討するために「閖上地区商業エリア復興協議会」が設立された。そこに出店予定事業者等が加わり「にぎわいエリア検討部会」を設立。「閖上地区まちづくり会社設立準備会」を経て、2017年にまちづくり会社「かわまちてらす閖上」が設立された。
「いろいろなプランがありましたが、何度も話し合いを重ねて、河川堤防と一体となった閖上らしい場所に集まって拠点をつくることになりました。会社にしたのは、地域への貢献という任務も含め、行政ではなく完全に民間主体で運営したいと思ったから。自立して運営していかなければ発展はないと思ったからです」と話す。
株式会社かわまちてらす閖上の常務取締役・松野水緒さん。かわまちてらす閖上の「ももや」、ゆり唐揚げ「tobiume」を出店する株式会社飛梅の代表取締役でもある(撮影/佐藤由紀子)
株式会社かわまちてらす閖上を構成するのは、三分の一がもとからの閖上の住民で、三分の二は閖上出身以外(宮城県民と震災後福島県から宮城県に移住した方)で、閖上を応援しようという志を共通でもつ。土曜・日曜の天気がいい日は観光客を含め1日約1500人、イベント開催時は1日約5000人が訪れる。子ども連れや愛犬を連れた家族、カップルが多い。「ここに来るのが楽しみ」と、毎日通う地元住民もいて触れ合いの場になっているそう。川辺の憩いのテラスになるように、まちを“照らす”ようにとの思いを込めて名づけた「てらす」が、閖上地区ににぎわいを提供し始めている。
2つで500円(税込)の特別セール品の海鮮丼を購入し、味噌汁などを注文してフードコートで食べた。新鮮で美味しい地元産の魚介、この値段でこの満足感(撮影/佐藤由紀子)
「会社の設立前から4,5年かけて計画を立てました。行政ができることも限られていて、途中で担当の変更もあり、みんなで試行錯誤しながらいろいろな問題を乗り越え、ようやくオープンしましたが、またたくさんの問題が出てきました。それでも、やはり商売人なので、目の前にお客様がいる環境ができたことが大切で、これ以上のものはない」と、松野さん。閖上の味、おしゃれなカフェ、目の前に広がる水辺の景色が自慢だ。
オープンして約1年、どのような変化があったのか。「オープン前は、震災前の閖上のイメージで期待値が低かった部分もありましたが、ふたを開けてみたら次から次とお客さんが訪れてくれる場所になって、最初はびっくりしました。オープンからしばらくは手が回らないほどの忙しさで、たくさんの方が応援、支持してくださっていることを本当にうれしく思います」(松野さん)。
震災から9年が経過し、3月末には「復興達成宣言」が行われ、ハード面の復興事業はひと区切りを迎える予定だ。「自分は支援させていただく側、支援していただく側の両方の立場になりますが、支援していただいて当然と思わないようにしています。今年度いっぱいで行政の支援が切れた後に続けていけるのか。オープンしたときに話題になっても、にぎわいが継続し、自立できなければ意味がない。100万都市の仙台の隣でアクセスもいいので、地の利を活かして自立可能なまちづくりをしていかなければならないと思います」と、松野さんは今後に向けて気を引き締める。
住民の声を本当に活かすための住民主体のまちづくり組織を設立名取市閖上地区のまちづくりを進める核となったのが、住民主体の「閖上地区まちづくり協議会」だ。震災後は名取市(行政)が「まちづくり推進協議会」を立ち上げ、委員を集めて土地利用や公共施設について協議していた。しかし、行政が選んだ委員だけでは、住民の声が活かせないのではないかという課題感から「まちづくり推進協議会」はいったん解散。2014年5月に住民主体の組織「閖上地区まちづくり協議会」を設立した。
会の規約を決め、「どんな閖上にするか」というまちづくりのテーマを決め、週1回、18時半から2時間以上に渡る会議「世話役会」を開催。閖上で計画されていたハード面、公民館、公園、道路、学校、商業施設の位置などを話し合った。その「世話役会」は180回以上開催され、議事録をホームページで公開。ほとんどの施設ができた現在も、世話役会は月2回行われている。
閖上地区まちづくり協議会の代表世話役の針生勉さん。生まれも育ちも宮城県だが、閖上地区に住むようになったのは社会人になってから(撮影/佐藤由紀子)
世話役会は、住民だけでなく、行政の担当者、コンサルティング会社、仙台高等専門学校の教授・学生らによる専門家も一堂に会した。「普通は、まず住民だけで話し合い、まとめた内容を行政に提案書として提出して、却下されて意見が通らないという話を聞きます。閖上は他の被災地に比べて復興が遅れたので、遅れを取り戻すために、住民も行政も専門家もみんなで話をして一緒に決めていきました。そこで決まったことを、まちづくり協議会が提案書として行政に出すと、8~9割がスムーズに通り、徐々に遅れを取り戻していくことができました」と、閖上地区まちづくり協議会の代表世話役の針生勉さん。
「住民と自治体と専門家で一緒に協議を行うのは結論が早く、設立後2年後には災害復興住宅第一弾の完成もあって、復興が一気に進みました。行政には、できないことはできないとその場で言ってほしいとお願いしました。できる・できない・分からない、できないなら理由を教えてほしい、分からないなら調べてくださいと要望しました。住民はまちづくりの素人なので、コンサルタント会社、事務局が行政との間に入って話を整理したり、分かりやすく話してくれました」。
また、閖上地区まちづくり協議会は、周りの被災地域のまちづくりを視察し、いいところを採り入れた。また、仮設集会所などに足を運んで話し合う「移動会議キャラバン」や、提案箱やアンケートを行い、情報網を広げて住民の意見や声を吸い上げた。足を使って汗をかくことで世話役が増えたのも収穫だった。
ハード面が整い、これからは自立して住民が参加してつくるまちへ閖上まちびらきは地区内9つの会場で行われ、メイン会場、閖上公民館前広場でのステージ、開会式では希望を込めて青空にバルーンを飛ばした(画像提供/閖上地区まちづくり協議会)
2019年5月の閖上まちびらきは名取市を主体に、約1年前から準備を行った。どんな催し物をしたいか、一般公募したアイディアをメインにイベントを開催し、2万人もの人が訪れた。施設や道路が整い、まちの顔となる商業施設が誕生し、2020年度はスーパーイトーチェーンの開業や、天然温泉浴場を備えたサイクルスポーツセンターの開業などが予定されている。
開校した閖上小中学校には転入する生徒が増え、かさ上げにより再建した市有地や建売住宅を売り出すと、市内外からの応募が殺到し、新しい住民が増え始めている。
「まちびらきは行政、住民、商売する人、商工会議所、自治会、学校など、みんなで考え、みんなで企画して実行しつくり上げました。まちづくり協議会では、閖上を良くしていく“TEAM閖上”をつくりたい、と話をしています。ハード的なものはだんだん整ってきたので、住民のコミュニケーションを深めて、自治活動を充実させていければ。そして、震災のときに支えたもらった方々にありがとう、ここまで来ましたというのを見てもらいたい」と針生さん。まちづくり協議会の取り組みはこれからも続く。
被害が大きく、被災した住民が多かった分、復興の大方針に合意するのに時間がかかった閖上地区は、住民主体の組織を立ち上げ、「住民・行政・専門家」が三位一体で話し合いを進めることで、課題に対し、スピードアップして結論を出していくことができた。かわまちてらす閖上、閖上まちづくり協議会ともに、行政だけに頼らない姿勢も奏功したのだろう。共通していたのは「何もしてくれない」といった他力本願な考えではなく「自ら取り組む」大切さ。未来のため、それは自分のためにも、自ら意識を変えていく必要があると感じた。
●取材協力2020年3月14日、ついに開業した高輪ゲートウェイ駅。JR山手線とJR京浜東北線が停車し、建築家・隈研吾氏デザインの駅舎や、無人AIレジの駅ナカコンビニなど先端技術を導入した設備が話題を集めている。とはいえ駅周辺の再開発が完了して本格的な街開きを迎えるのは2024年度なので、高輪ゲートウェイ駅の需要が本格的に高まるのはもう少し先かもしれない。
そこで今回は高輪ゲートウェイ駅から1駅の品川駅に着目。品川駅の周辺にはさまざまな商業施設やシティホテル、オフィスビルがひしめき、2027年にはリニア中央新幹線の駅としての稼働も開始される予定だ。そんな便利な品川駅まで30分圏内にある中古マンションの価格相場を調べてみた。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの価格相場が安い駅トップ10を見てみよう。●品川駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10
【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(沿線/所在地/品川駅までの所要時間)
1位 西横浜 1680万円(相鉄本線/神奈川県横浜市/30分)
2位 川崎 1930万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県川崎市/15分)
3位 京急鶴見 1980万円(京急本線/神奈川県横浜市/24分)
3位 鶴見 1980万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市/17分)
5位 日吉 2180万円(東急東横線/神奈川県横浜市/27分)
6位 平和島 2190万円(京急本線/東京都大田区/9分)
6位 西馬込 2190万円(都営浅草線/東京都大田区/20分)
8位 平沼橋 2290万円(相鉄本線/神奈川県横浜市/28分)
9位 蓮沼 2350万円(東急池上線/東京都大田区/20分)
10位 京急川崎 2480万円(京急本線/神奈川県川崎市/14分)
10位 大森海岸 2480万円(京急本線/東京都品川区/15分)
10位 池上 2480万円(東急池上線/東京都大田区/19分)
10位 石川町 2480万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市/30分)
【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(沿線/所在地/品川駅までの所要時間)
1位 鶴見小野 2450万円(JR鶴見線/神奈川県横浜市/25分)
2位 生麦 2499.5万円(京急本線/神奈川県横浜市/30分)
3位 花月総持寺 2680万円(京急本線/神奈川県横浜市/29分)
4位 三ッ沢上町 2694.5万円(横浜市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市/30分)
5位 東門前 2924.5万円(京急大師線/神奈川県川崎市/27分)
6位 保土ケ谷 2985万円(JR横須賀線/神奈川県横浜市/28分)
7位 大口 3140万円(JR横浜線/神奈川県横浜市/30分)
8位 国道 3180万円(JR鶴見線/神奈川県横浜市/25分)
8位 新子安 3180万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市/23分)
10位 尾久 3244.5万円(JR東北本線/東京都北区/21分)
10位 津田山 3244.5万円(JR南武線/神奈川県川崎市/29分)
品川駅まで30分圏内で最も中古マンションの価格相場が安かった駅は、シングル向けは西横浜駅で1680万円、カップル・ファミリー向けは鶴見小野駅で2450万円という結果だった。
シングル向け1位・西横浜駅はその名の通り、横浜駅から西へ2駅先に位置し、横浜駅と西横浜駅の間にはシングル向け8位の平沼橋駅がある。西横浜駅の周辺には「藤棚商店会」や「西前中央商店会」などの商店街が広がり、夏の縁日や季節のセールもあって地元の人から愛されている。24時間営業のスーパーやコンビニもあるので、帰りが遅いひとり暮らしの人も買い物しやすい環境だ。
カップル・ファミリー向け1位・鶴見小野駅は、鶴見川と田辺運河に囲まれた臨海部の無人駅。駅南側は工業地帯で、商店や住宅地は駅の北~東側に広がる。横浜市立大学(鶴見キャンパス)や理数科高校の市立横浜サイエンスフロンティア高校、看護学校の最寄駅でもあるほか、駅の約700m圏内には2つの小学校や保育園もあるので、ファミリー層も多く住んでいるようだ。スーパーやドラッグストアも点在しているため、日常の買い物にも困らないだろう。
さて、シングル向けとカップル・ファミリー向けでは1位の駅が異なる結果となったが、2位以下もまったく違う顔ぶれが並んでいる。シングル向けを見ていくと、2位には川崎駅がランクイン。川崎駅にはJRの京浜東北・根岸線をはじめ南武線、東海道線も通っている。JRの駅から少し歩くと京急本線と京急大師線が通るシングル向け10位・京急川崎駅も利用可能だ。川崎市を代表する駅である川崎駅周辺は、駅ビル「アトレ川崎」をはじめ大型商業施設もひしめくにぎやかな街。品川駅までは乗り換えなしで約15分で行けるので、トップ10の全13駅の中でもお得感が高い駅と言えそう。
川崎駅前にある仲見世通(写真/PIXTA)
シングル向けでは、6位の平和島駅にも注目したい。品川駅まで乗り換えなし、わずか9分で行くことができる。駅周辺にはコンビニやスーパー、飲食店も多く、一人暮らしの日常に必要な商店もそろっている。駅から徒歩約15分の「BIGFUN 平和島」には温泉施設や映画館もあるので、休日の気分転換も近場でできる。ただ、シングル向けの中古マンションの物件数は、より取り見取りというほどは多くないので、気に入る物件があるかは時の運にもよるだろう。
カップル・ファミリー向けトップ10には今後注目の街もランクインカップル・ファミリー向けからは、3位の花月総持寺駅をピックアップ。聞きなれない名前だと思う人もいるだろうが、それもそのはず。今年3月14日に、「花月園前駅」から駅名を変更したばかりなのだ。旧駅名の花月園は駅北西部に位置し、かつては遊園地として、その後は競輪場としてにぎわったものの2010年に閉場。その跡地は現在、防災公園機能を備えた多目的広場や住宅地として再開発が進められている。再開発完了のあかつきには大型マンションも誕生予定なので、住宅地としての価値は今後上昇も予想される。いまのうちに目をつけておいてもよさそうだ。
カップル・ファミリー向けからもう1駅、唯一の東京都内の駅となった10位の尾久(おく)駅を見てみよう。東京都北区にあるこの駅は、東京都区内のJR駅のなかでも利用客が少ない部類の小さな駅。しかしJR上野東京ラインに直通の列車も利用できるので、上野駅、東京駅、そして品川駅にも1本で行くことができる。尾久駅から北へ10分も歩けば、東京さくらトラム(都電荒川線)の荒川遊園地前駅や荒川車庫前駅も利用可能だ。街にはのどかな東京の下町らしさが残り、あらかわ遊園(リニューアル工事のため休園中)や隅田川、荒川沿いの遊歩道、公園などが点在しているので、のんびり子育てをしたい人にもいいだろう。
2021年夏頃までリニューアル工事のため休園中の「あらかわ遊園」(写真/PIXTA)
さて今回、調査の基点駅にした品川駅の中古マンションの価格相場はというと、シングル向け物件は3780万円、カップル・ファミリー向け物件は6680万円だった。品川駅の30分圏内にまで駅の選択肢を広げて物件を探した2つのランキングのトップ10の価格相場は、シングル向けは1680万円~2480万円、カップル・ファミリー向けは2450万円~3244.5万円という結果になった。
都心部の注目の街・品川に住むのはもちろん魅力的ではある。けれど、これほど価格差があり、さらに少し離れた駅にもそれぞれに魅力があるとわかると「都心にこだわらなくてもいいかも……」という気持ちも湧いてくる。シングル向け6位の平和島駅にいたっては、品川駅からたった約9分離れるだけで価格相場が1590万円も低くなっている。そう考えると、通勤時間も苦じゃなくなりそう!?
●調査概要2020年2月。京都に、ひときわ個性的な宿泊複合施設が誕生しました。その名は「UNKNOWN KYOTO」(アンノウン・キョウト)。ここはなんと、「ゲストハウス」「飲食店」「コワーキングスペース」が合体した複合施設。しかもそれら建物はなんと貴重な元「遊郭建築」をリノベーションしたもの。どこか謎めいた雰囲気が漂う宿泊複合施設は、いったいどのようないきさつを経て生まれたのでしょうか。
「お茶屋」と呼ばれた元遊郭建築を、現代風に再生
訪れたのは、河原町五条の南東側。鴨川と高瀬川がせせらぎ、迷路のような細い路地が随所に張り巡らされた、京都のなかでもとりわけ古(いにしえ)のたたずまいが残るエリアです。京阪本線「清水五条」駅や京都市営地下鉄烏丸線「五条」駅から至近で、かつ阪急「河原町」駅や各線「京都」駅など都心部からもぶらぶらと散歩するあいだに着いてしまうほどアクセスがいい場所です。
実はこの河原町五条の南東エリアは、昔は「遊郭街」として知られた区域でもありました。最盛期には150軒ものお茶屋や置屋があったのだそうです。
今回お話を伺った、株式会社「八清」の暮らし企画部プロデューサーで、一級建築士の落海達也さんと、OND代表取締役社長の近藤淳也さん(写真撮影/出合コウ介)
落海達也さん(以下、落海)「UNKNOWN KYOTOは、もともとは古いお茶屋さんで、周辺一帯はかつて『五條楽園』という名の旧・遊郭街でした。京都の中心部の街並みが近年、変化する中で、この辺りには遊郭街特有の街並みが残っており、京都の人にさえも知られていないコアな歴史や個性豊かな建築が残るこのロケーションに、大きなポテンシャルを感じたんです」
京都の人にさえも知られていないコアな歴史や個性……施設に冠された「UNKNOWN」(アンノウン/知られざる)は、そういった趣旨が込められているのでしょうか。
落海「ネーミングは、“知られざる京都”という意味もありますが、いわゆる観光地ではなく、あまり知られていないエリアにこそスポットを当てていきたいという想いが込められています。これまでこのエリアに足を踏み入れたことがない人たちが訪れると、きっと新鮮な驚きがあるだろう。そういう想いが反映しています」
元は明治時代に建てられた遊郭だっただけあり、UNKNOWN KYOTOは、とにかく建物の姿かたちがレトロモダンで味わい深い。年季がもたらす情趣とともに色っぽさも感じます。そのまま映画のセットに使えそうな風格があるのです。
外観(写真撮影/出合コウ介)
落海「ずいぶんと長い間、空き家でした。当初は和風建築でしたが、どこかのタイミングで今のスタイル、いわゆる“カフェー建築”と呼ばれる独特な建築スタイルになったものと思われます。地面がモザイクタイル張りだったり、古いガラスのブロックや、レンガ造りだったり、お茶屋さんだった時代の名残りが随所に見受けらます」
建物に足を踏み入れると、広い玄関土間が。赤とピンクの小さなタイルが敷き詰められた床は、お茶屋さん当時のもの。五條楽園が華やかかりし時代は、床にタイルを貼ることで清潔感を演出したのだそう。
玄関ホールで使われているタイルは古いものを残すだけではなく、お茶屋建築の美意識を活かすために元々そこにあったかのようなタイルを厳選するというこだわりぶり。床や壁をめくるたびにタイルなどが出てきたりするので図面はあってないようなもの。おかげで相当工事はたいへんだったそう(写真撮影/出合コウ介)
南棟の1階には、フルタイム会員のみならずドロップイン利用(¥500/2時間~)、宿泊者利用も可能なコワーキングスペースと、そして奥には2つのシェアオフィスがあります。
コワーキングスペースはくつろげるソファ、テレビモニターがある会議室、シェアキッチンまでもが設けられた充実の設備(写真撮影/出合コウ介)
柔らかなオレンジ色の灯りに照らされたコワーキングスペースは場所を固定しないフリーアドレス制。使い方の自由度が高い! しかも椅子はすべて『種類を変えた』という凝りよう。自分の体にフィットする椅子が選べ、京都に長期滞在する際も、ここだけで気分を変えて仕事をすることができます。
キッチンでは調理器具がひと通りそろっており、お湯を沸かしたり、パンを焼いたり、お弁当を温めたり、簡単な料理づくりが可能です。吊り戸棚はなんと、もともとの建物に残っていたものを再利用。
奥には、空から光の入ってくる坪庭があります。ほっとする眺めですね。
いかにも京都らしい、奥行きのある建物の中ほどには坪庭が(写真撮影/出合コウ介)
玄関ホールから階段を登ると、「うわぁ」、思わず驚きの声をあげてしまいました。舟底天井の格式高い和室や洋館を思わせるお部屋、ドミトリータイプの大部屋が2つ(うち1つは女性専用の部屋)など、お茶屋さん時代の間取りをそのままに活かした艶っぽい空間となっています。
天窓のある客室(写真撮影/出合コウ介)
上/デッキを通って行ける中庭に面した北棟1階の客室 下/中庭を望む2階部分の廊下は青い絨毯が印象的(写真撮影/出合コウ介)
上/共用の水まわりはレトロなタイルが。下/ドミトリータイプの客室はベッド部分にテーブルもあり、一般的なものよりもゆったりとしている(写真撮影/出合コウ介)
細かな手仕事が施された建具はできるだけそのまま利用した(写真撮影/出合コウ介)
北棟の1階には3面カウンターの飲食店スペースが設けられ、ランチと夕食をフォロー(今後、朝食もスタート予定とのこと)。お昼はスパイスカレーをメインとした「スパイスオアダイ」、夜は大衆酒場「アンノウン食堂」、昼は定食、夜はイタリアンをメインとした「Sin」と、系統が異なる3店。誰もが気軽に訪れ、美味と会話を楽しめる場となっています。別々のテイストの料理をつくる2人のシェフが、息を合わせて、ガスキッチンなどのスペースをシェアしながら料理を提供しています。
キッチンだけでなくホールスタッフもシェア。注文や会計どちらにもまとめて対応している(写真撮影/出合コウ介)
このゲストハウスでは特に、飲食ができる点に強くこだわったと言います。
落海「コワーキングスペースやゲストハウスが増えている昨今、わざわざ行きたくなる場所にしないと、これからの時代はやっていけないでしょう。ネットさえつながればどこででも仕事ができますから、そうではなく、わざわざ足を運び一緒にごはんを食べたり、お酒を飲んだりするつながりに価値が生まれてくると思うんです」
一日中過ごすうちに、家族のような感覚に。つながりから化学反応を生むUNKNOWN KYOTOはこのように、多様な訴求力に満ち満ちています。
そして、こういった宿泊と仕事場を兼ねた場所を「コリビング(Co-Living)」と呼ぶのだそう。
落海「コリビングとは、『さまざまな職業の人が仕事をしながら一緒に暮らせる場所』という意味です。コワーキングスペースとして人々が仕事をしに集まるんだけれども、意気投合したら一緒にごはんを食べたり、仕事で夜が遅くなったら、ちょっとお酒を飲んで、そのまま泊まっていけたりだとか。そんなふうに、『家族とともに過ごしている感覚になれる場所』といった概念です。全国的にも珍しく、まだ普及していない言葉だと思います。かく言う弊社もこのプロジェクトに取り組む最近までコリビングという言葉を知らなかった(苦笑)」
「住むように働く」、つまり「仕事」と「暮らし」と「旅」が重なる場所、それが「コリビング」。泊まって、食べて、働いて、機能が限定されない。まるで、2軒目の家。「滞在」の概念を変えうる新しいスタイルですよね。
落海「飲食施設も単に隣接したスペースというよりは、“拡張されたダイニング”という感覚ですね。つまり、ここにいるとプチシェアハウス体験ができる。このように外へ出ずにひとつ屋根の下で完結する業態が、京都にはこれまでありそうでなかったんです」
取材で訪れたこの日も、仕事のあいまに光の差し込む中庭を眺めてくつろいでいる人や、飲食スペースに移動して会話に花を咲かせる人たちなど、それぞれがリラックスしながら活用できる自由度の高さを感じました。確かにシェアキッチンまであるコワーキングスペースは珍しいですよね。
落海「せっかく人が集まるんだから、それぞれが単に自分の仕事をしているだけではなく、化学反応を起こす場所にしたいんです。出会った人どうしが意気投合すれば、そのままお酒を飲んだり食事をしたりしながら交流を深めてゆけるようにシェアキッチンを設けています。そこで生まれた関係から、さらに仕事へのフィードバックが期待できる場所でありたい。それがコリビングです」
京都・鎌倉、古都が拠点の3社が古民家再生、クラウドファンディング、ITで強みを発揮新しい滞在のかたち「コリビング」を提唱するUNKNOWN KYOTOは、落海さんがお勤めになる京都の「株式会社 八清」と、同じく京都の「株式会社 OND」、神奈川県の鎌倉に本拠地を構える「株式会社 エンジョイワークス」の3社によるプロジェクトチームが起ちあげた施設です。
「八清」は創業60年を超える不動産会社。おもに木造伝統住宅「京町家」を中心とした仲介や再生・再販事業を行っています。「OND」は不動産サイト「物件ファン」を運営するインターネットサービスの会社。「エンジョイワークス」は湘南・鎌倉エリアを中心に、仲介や建築、リノベーションなどの不動産業のほか、クラウドファンディング、宿泊施設の経営など多方面に展開しています。このように、それぞれ得意ジャンルを持ちながらテリトリーが重ならない3社がタッグを組み、これまで京都になかった刺激的な“共創”的場づくりを見せようとしているのです。
落海「八清には京町家をリノベーションするノウハウがある。エンジョイワークスさんはまちづくりを促進するためのノウハウとプラットフォームを持っている。ONDさんはITに強く、「物件ファン」という面白いメディアを持っている。『この3社が組んだら面白いことができるんじゃないか』と直感し、自然な流れで手を組むことになりました。アプローチが異なる3社がそろったことで、互いに刺激になることばかりで、これからのまちづくりや不動産業について、本当に勉強になりました」
3社がコラボするきっかけとなったのが、魅力的な、このお茶屋物件。長く空き家だった建物がいだく未知なる可能性が、3社を魅了したのです。
落海「大型のお茶屋建築で、しかも2棟が並んでいるのは非常に珍しい。ここで、なにか面白いことができないかとエンジョイワークスさんからご提案をいただいたんです」
京都から遠く離れた鎌倉に本社を置くエンジョイワークスだからこそ、この建物の底知れない魅力を客観的に評価できたのかもしれません。そこから、「食事ができて働ける宿泊施設」へのチャレンジがスタートしたのです。
投資対象は、お金のリターン以上に、プロジェクトへの「共感」や参加意識UNKNOWN KYOTOには、もうひとつの大きな特徴があります。それは「投資家特典」。ここには自由な発想がふんだんに盛り込まれていました。「投資家」と聞くと、「自分とは住む世界が違うハイソサエティ」と感じる人が少なくないでしょう。しかしUNKNOWN KYOTOがいう投資家は、1口5万円からの参加が可能な、一般の人が広く関われるタイプ。その参加目的も、もっと柔らかいイメージなのです。
落海「投資家=“場をつくる仲間”という考え方で、投資型クラウドファンディング『京都・五條楽園エリア再生ファンド』を立ち上げました。投資家というよりは“事業サポーター”の方が、印象が近いかな。エンジョイワークスさんが運営する不動産クラウドファンディングのプラットフォーム『ハロー!RENOVATION』で、小口の投資家であっても積極的に参加できるように、オープン前からワークショップやイベントを催してきました。そうして、プロジェクトの進化を一緒に楽しみたいという方々が増え、関係も深くなっていったんです」
投資家さんとのコミュニケーションを重視し、ともに五條楽園を活性化させていきたい。レボリューションを起こしたい。そんな落海さんたちの想いが京都はもとより全国へと伝わり、なんと新潟県からの参加もあったのだそう。
落海「事業の改善や、さらなるプロジェクト展開について投資家の皆さんと一緒に考えていくイベントをオープン前に13回、開きました。第一回目にはなんと、『女将さんを募集する』というイベントをやったんです。『宿泊施設をやるのならば女将さんが必要だよね、どうしよう』って。そうしたら菊池さんという女性がイベントに来てくださって、イベントのあと、そのまま女将として合流していただきました」
女将さんを募集したイベントの様子(写真提供/エンジョイワークス)
イベントに参加した菊池さんは元・家具職人。デンマークを代表する家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーの椅子製作を行うPP MØbler(ピーピーモブラー)でものづくりをしていた凄腕です。「かっこいい建物を家具でさらにかっこよくし、心地よいスペースをつくりたい!」といった熱い想いを胸に、インテリアのコーディネートも担いました。
なお、いっそう独特なのが、「投資家特典の決め方」です。
落海「『投資家特典をみんなで考えよう』というワークショップをやったんです。そのなかで生まれたのが“ビアジョッキ”でした。自分にしか使えないビアジョッキがあったら、『今夜もあの店へ行って、ジョッキで飲んでみようか』という気分になるんじゃないかなって。さらに、会員IDをレジに伝えてからビールを注文すると、会員限定のSNSに『だれだれが、今乾杯しました』と自動的に投稿されます。それを見たほかのメンバーが、『あ、あの人が店にいるのなら、行ってみようかな』と思う。そうやって新たな交流が生まれてくるんです」
特製会員ジョッキは、オリジナルデザインの特注品で、通常のジョッキよりもサイズがひとまわり大きい、つまり同じ値段で大容量(写真撮影/出合コウ介)
レジとSNSが連動する画期的なシステム。ITに強いONDが参加しているから具現化できた工夫です。ここで重要視されるべきは、「投資のリターンが金銭だけではない」点。人と人とが出会い、ネットワークが築かれることこそが、尊いリターンであるとプロジェクトに関わった3社と投資家の皆さんたちは考えたのです。
落海「イベントを通して、自分たちがやろうとしているビジョンを伝える。共感してくれた人が女将さんへの立候補だったり、ビアジョッキだったりと『何らかのかたちで関わりたい』と考える。そうやって皆さんのご意見を実現させたことで、投資家さんたちが、とても喜んでくださったし、信用していただけた。施設を利用するだけではなく、運営に参加してもらう行為そのものを投資だという僕たちの想いが届いたんです」
ゲストハウス・飲食店からもれるあかりを軸に、周辺にも広がる五条の再生実はこの飲食店、ゲストハウスのある建物のほかに、10mほど南に歩いたところにもう一つ、シェアオフィスがあるんです。ここも、元お茶屋さんだった遊郭建築で、『UNKNOWN KYOTO 本池中』といいます。『本池中』は元のお茶屋さんの屋号で、そのまま譲り受けたそう。
落海「この建物との出会いは偶然だったんです。はじめ、UNKNOWN KYOTOには駐輪場がなく困っていたところ、『三軒隣の旧お茶屋の女将さんが、ガレージ一台分を使っていない』という情報を耳にしまして。それで交渉をしに行って、10台分くらいは停められるスペースを貸してくださることになったんです。そして、建物が面白そうだったので2階を見せていただいたら、びっくりしましてね……」
落海さんが、そこで見た光景とは?
落海「お茶屋さん時代の艶めかしい風情を漂わせたしつらえのまま、5部屋をきれいに残しておられて。これはお借りしたいと。ところが1階に住んでいるので、宿やシェアハウスとして使われると困るとおっしゃる。『でしたら、シェアオフィスとしてなら、いかがですか』と提案したら、それだったらいいと」
現在は複数の会社がここをオフィスとして利用。打ち合わせ等に使っている(写真撮影/出合コウ介)
五條楽園オリジナルと呼んで大げさではないお茶屋建築は、この偶然の訪問により、再び光が射しました。
落海「このシェアオフィスでも、本館のサービスが受けられる点が大きいと思います。ここで仕事をして、本館を食堂として使うこともできるし、泊まることもできる。離れた建物を、一つの空間として使えるこの付加価値は、ほかの施設にはなかなかないですよ」
別棟にもシェアオフィスを開くなど、なんだか旧遊郭街にタネを撒き、新たな文化の花を開かせようとしているように感じます。
落海「そうなんです。そもそも投資型クラウドファンディングは、UNKNOWN KYOTOを建てるためではなく、五條楽園エリアの活性化が目的の再生ファンドです。僕たちはここだけで終わるのではなく、この建物をきっかけに、エリアに点在しながらパラサイトしてゆくような感じにしたいなあという想いが強くあって。そのためには先ずUNKNOWN KYOTOを成功させることが大事だと考え、注力しています」
飲食店、コワーキングスペース、ゲストハウスというこの複合施設は、24時間人の動きがあり、つねに誰かの気配を感じさせる場です。もれるあかりにひかれ、「あの人、今日はいるかな?」と、ちょっとのぞいていく人の流れも、このエリアに生み出していきたいそうです。
UNKNOWN KYOTOは単なる宿泊施設ではなく、地域とともに再生し進化してゆく発信拠点でありたい。落海さんはそう語ります。遊郭街としての役目を終えた五條楽園ですが、ここに新たな楽園が生誕する。そんなふうに確信した一日でした。
2020年3月14日、コロナウイルスで大揺れの日本で船出を迎えた、高輪ゲートウェイ駅。
名前のことばかりがフォーカスされ、意外と知らないこの駅とその周辺。さまざまな「数字」で見てみると、そこから浮かぶ正体があった。
以前の最新駅は1971年にできた西日暮里駅高輪ゲートウェイ駅の前に山手線で新しい駅はというと、1971年に新設された西日暮里駅だった。さらにその前の駅となると、1925年に生まれた御徒町駅までさかのぼる。
日本ではじめて誕生した駅は1872年に開設された品川駅なので、日本一古い駅と、日本一新しい駅が目と鼻の先に共存することとなった。
ちなみに京浜東北線の駅としては、さいたま新都心駅以来20年ぶりの新駅となる。
長らく山手線で一番新しい駅だった、西日暮里駅(写真撮影/辰井裕紀)
品川駅からの距離は、たったの0.9km隣の品川駅からの距離は、たったの0.9kmほどしか離れておらず、高輪口から歩けば10分かからずに行けるぐらいだ。ちなみに田町駅とは約1.3kmの距離がある。
もともと品川駅~田町駅までは2.2km離れており、山手線では最長区間であった。ちなみに山手線の最短区間は西日暮里駅~日暮里駅間の0.5kmだ。
品川駅高輪口。高輪ゲートウェイ駅へは、ここから歩いてサクッと行ける近さ(写真撮影/辰井裕紀)
駅の西側は坂だらけ。22度の急坂も!高輪ゲートウェイ駅の西側は、坂が続いている。思わず息が上がるほどの急坂で、お年寄りならくじけるレベルである。中には「22度」という急坂もあった。
歩を進める希望すら失う、泉岳寺裏の勾配22%の急坂(写真撮影/辰井裕紀)
高輪ゲートウェイ駅のすぐ近くは海抜3m程度しかないが、坂が急であるため、ほんの少し歩いただけで海抜25mほどの高台まで登ることとなる。自転車を買うのであれば、電動にしよう。
ちょっと歩けば、すぐ海抜3m→25m(写真撮影/辰井裕紀)
ちなみに東側に駅の出入口はない。ただし2024年度に新駅東側連絡通路が開通予定のため、その後は東側の利便性もアップしそうだ。
高輪ゲートウェイ駅徒歩圏内の、泉岳寺駅の家賃相場は、現時点で12万円高輪ゲートウェイ駅周辺の家賃相場データはまだ出ていないが、その近くにある、都営地下鉄と京急が乗り入れる泉岳寺駅の家賃相場は12万円(※)と、なかなかの値段となっている。だがワンルームで築年数の経った物件なら月額賃料6~7万円で徒歩15分以内の所もあるようで、是が非でも駅近くで暮らしたい人は、狙う手もあるかもしれない。
※
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2019/12~2020/2
【家賃の算出⽅法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む⽉額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
この地域は線路の東西に抜ける道が少ないので、「街が分断されている」と言われてきた。現状で東西を行き来する数少ない道が高輪橋架道橋だ。
タクシーの上につく表示灯を壊す恐れがあるため、タクシー業界では「ちょうちん殺し」と言われる(写真撮影/辰井裕紀)
1.5mの高さ制限がかかるほどの恐ろしい低さで、しかも中は暗くずっと続く。頭がぶつからないように、少し低い体勢を取りながら延々と歩いた。さらにトンネル部の長さは約230m。自動車が通ることができ、かつ長さ200mを超えるガード下道路は、日本でもここのみとされている。
ホントに頭をぶつける低さ(写真撮影/辰井裕紀)
なおこちらは2020年4月に自動車が通行止めとなるが、歩行と自転車の押し歩きは可能。別の歩道が2026年に完成し、2031年に自動車が通る道路が完成する。
「高輪ゲートウェイ」の名入り施設、1つしか見つからずこれほど騒がれると、さぞかし現地はフィーバーの最中に違いない……と思う所だが、そもそも商業施設が少ない周辺ではそこまで目立った動きは見られない。ましてや「高輪ゲートウェイ」の名前のついた施設が乱立する様子は見られない。
見つかったのは坂を登ったところにある、「コル 高輪ゲートウェイ ホステル, カフェ&バー」ぐらいだった。
「高輪ゲートウェイ」を付けた数少ない施設「コル 高輪ゲートウェイ ホステル, カフェ&バー」(写真撮影/辰井裕紀)
ここではTakanawa Gyozaway(1人前5個500円・税抜、2人前から注文可能)なる、無理に語感を合わせた(?)開業記念の餃子を3月限定で出しており、店主の南祐貴氏によると「餃子のてっぺんのヒダの部分で隈研吾氏が折り紙をモチーフにつくった駅舎の屋根を見立てている」とのことで、開始3日間で60人前を売り上げたとか。
餃子のてっぺんが駅舎の屋根?(画像提供/コル 高輪ゲートウェイ ホステル, カフェ&バー)
駅前2つのコンビニがフル回転?現状で駅前の商業施設はちょっと少ない。牛丼チェーンのなか卯、海鮮丼・寿司の持ち帰りの丼丸があり、立ち食いそば店など大衆的な個人商店、さらには年季の入った中華料理店や居酒屋が点在しているぐらいだ。駅前のローソンとデイリーヤマザキ、この2つのコンビニにかかる期待が否応なしに高まる。
なか卯とデイリーヤマザキ。普段づかいできる貴重な店舗たち(写真撮影/辰井裕紀)
開業しばらくは乗車数2万人台で閑散?3月14日に鳴り物入りで暫定開業する高輪ゲートウェイ駅だが、当初の想定乗車人数は1日2万人台と、山手線で最小の鶯谷駅と同じくらいになると見られている。
なお現在は品川駅から田町駅までを一体開発する「品川開発プロジェクト」が進行中であり、そのまちびらきとなる2024年には13万人ほどとなり、五反田駅と同程度の乗車人数になるとしている。
グレイス高輪飲食店街も、いま飲食店は2軒のみ(写真撮影/辰井裕紀)
タワーマンションが建設された場合に価値が上がると思う街、1位!ちなみに高輪ゲートウェイ駅は、「今後タワーマンションが建設された場合にそのマンションの価値が上がると思う駅(SBIエステートファイナンス株式会社調べ)」で1位に選ばれた。その理由としては新駅で周辺の再開発が進み、飛行機、リニアモーターカーのアクセスが良いことが挙げられている。
ちなみにタワマンではないが、駅前に「高輪ゲートウェイ マンションギャラリー」があり、ここで紹介されている「ザ・パークハウス高輪フォート」(43戸)は、予定最多販売価格が1億8000万円台と高額だが、問い合わせは多く販売も好調だという。
近隣で1万人の帰宅困難者を収容可前述の品川開発プロジェクトによってできる高輪ゲートウェイ駅前の都市には、災害が発生した際に、約1万人相当の帰宅困難者を収容できる、一時滞在施設がある。
さらに幅員30m以上の国道15号は「放射第19号線」として、特定緊急輸送道路/帰宅支援対象道路となる。
1万3228 種類中の130位(36票)だった最後に、あの命名時の話に戻ろう。公募により、応募総数6万4052件から選ばれた高輪ゲートウェイ。1万3228種類もの駅名候補から選ばれ、130位(36票)ながらも「新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として」などという理由で大抜擢された。
なお地名由来のシンプルな漢字名の多い山手線に、得票数の少ない唐突なカタカナ名が選ばれたことなどにより賛否両論が噴出し、能町みね子氏が立ち上げた『「高輪ゲートウェイ」という駅名を撤回してください』との運動には、4万7930人の署名が集まった。
ちなみに36人の投票者がいたことに、一部では「ねつ造では」との声もあがっているが、Twitterをのぞいただけでも数人の投票者の報告があり、少なくともこれに投票した人自体は実際に存在する模様である。
昼間に高輪ゲートウェイ駅を望む(写真撮影/辰井裕紀)
さまざまな「数字」で見えてきた、高輪ゲートウェイ駅と周辺。街が生まれ変わる姿を見守りながら暮らすのもまた一興であると、再開発まっただ中の渋谷の外れに住む筆者も、実感を込めて思うのである。
「ひばりヶ丘団地」「牟礼団地」などが解体・建て替えられている一方で、2019年12月には旧赤羽台団地の「スターハウス」を含む4棟が国の登録有形文化財に登録されたり、2022年度をめどに「都市と暮らしのミュージアム」が計画されたりなど、何かと話題の「団地」。日本最大の大家ともいわれるUR都市機構では、団地だけでなく、地域を文字通り「再生」「再構築」しようと考えているようです。今回は団地の「これまで」の歩みと「これから」をつくる動きをご紹介します。
田の字形の間取り、バス・トイレ、キッチン。「今の暮らし」の源流がある
現在、日本では10人に1人はマンション住まいと言われていて、コンクリート造の集合住宅は“当たり前”。そんなマンション、日本の住まいに大きな影響を与えたのが「団地」です。
まずはコンクリート造の集合住宅の歴史をかんたんにご紹介しましょう。そもそも、日本初のコンクリート造の集合住宅ができたのは、長崎県の端島(通称:軍艦島)です。関東大震災後、復興を目的に「財団法人同潤会」が設立され、東京や横浜にも耐震耐火の集合住宅が供給されました。
ただ、このころは庶民の住宅というよりも、高嶺の花、別世界の存在でした。ガスや水道、水洗トイレが完備されているため、当然ながら家賃も高め。エリート層が暮らす場所でした。
昭和30年代の赤羽台団地(写真提供/UR都市機構)
そんなコンクリート造の集合住宅ですが、戦後、昭和30年に日本住宅公団が設立され、都市圏近郊に急ピッチで供給されるように。「食寝分離」「ダイニングテーブルの登場」「内風呂付・水洗トイレ」「ゆとりある敷地」などが、“新しいライフスタイル”“時代の最先端”でもあり、一種の社会現象を巻き起こしました。その後、昭和40年代、50年代まで、毎年、団地は量産されていき、時代にあわせて「より広く」「より便利に」とアップデートされていきますが、今の住まい、特にマンションの間取りをはじめ、骨格はすべてこの「団地」に源流があるといってもいいでしょう。
幼稚園通園風景(写真提供/UR都市機構)
かつての団地のリビングルームの様子(写真提供/UR都市機構)
八王子にある集合住宅歴史館では、歴代の「スター住戸」に出会えるこうしたコンクリート造の集合住宅・団地の歩みをひと目で体感できるのが、東京都八王子市にある「UR都市機構集合住宅歴史館」(※1)です。この施設には、日本の集合住宅の歴史を彩ったさまざまな建物、しかも「本物」がまるごと移築・復元されているので、まるで「物件内見」している気持ちにもなるほど。事前予約をすれば個人でも見学できるので、ぜひ足を運んでほしい施設です。
見学できるのは以下の4物件・6タイプなのですが、もうホント、どれもこれも魅力的。1時間30分の取材予定がなんと3時間、ずっと興奮しっぱなしでした。1つの物件で記事が書けるくらいなのですが、表と写真でダイジェストでお送りします。
日本の集合住宅の歴史がぎゅっとつまった歴史館。どの住戸も熱い思いが詰まっていて、興奮しきりです(資料より筆者作成)
まずは「同潤会代官山アパート」(竣工1927年・解体1996年)の独身向け住戸から見学していきましょう。部屋には備え付けのベッド付きで随所に収納もあり簡素でありながら、住みやすそう。今の「激狭物件」にも通じるものがあります。トイレと洗面は共同です。今話題の「ソーシャルアパートメント」に近いかもしれません。
同潤会代官山アパートのシングル向け物件。右手にあるのは造り付けのベッド。ガスがあり、お湯が沸かせるようになっている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
次に見学するのは、同潤会代官山アパートのファミリー向けの住戸。3階建ての住戸ですが、和式トイレ、ガスコンロと流し台が設置されています。
同潤会代官山アパートのファミリー向け物件。お部屋は30平米未満ですがこちらもコンパクトで上品なたたずまい(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
いよいよ、日本住宅公団による「蓮根団地」(竣工1957年・解体1987年)が登場します。ここで今、当たり前になっている「食寝分離」と「ダイニング・キッチン」が導入されます。お茶の間のちゃぶ台で食事をすることが多かった日本人に新しいライフスタイルを提案するためダイニングテーブルは備え付けだったそう! キッチンはまだ人研ぎ流し台。味わいがあります。
蓮根団地のお部屋。2DKの間取りが誕生。冷蔵庫をはじめとする電化製品も含め、「家族で豊かになっていく日々」は夢があったことでしょう(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
次いで見学するのは、テラスハウスタイプ、いわゆる低層集合住宅です。「多摩平団地」(竣工1958年・解体1997年)のテラスハウスは間取りが3DK、広い専用庭があり、キッチン・バス・トイレ付き。このキッチンは、ステンレス製の流し台が採用されています。
テラスハウスは昭和30年代に公団住宅として供給された住宅のうち、約2割がこのタイプだったそう。専用庭があり、のびのびと暮らせそう(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
次に登場するのが、建築家・前川國男が手掛けた「晴海高層アパート」(竣工1958年・解体1997年)。団地の建設当時から「中層の住宅」だけでなく、土地の高度利用のため、高層住宅も検討されていたことが分かります。工法は現在のスケルトン・インフィル住宅に通じるものがあり、とても斬新で現代風です。築39年での解体となりましたが、住戸の一部だけでも残してもらえて良かった……。
コンクリートブロックと配管むき出しになっていたり、欄間がガラスだったりと、もういちいちかっこいい。晴海という立地から家賃もかなりしたそうですが……(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
3層ごとに廊下を設け、上下階の住戸はその廊下を利用して移動します。こちらは共同の郵便受け(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
築40年以上の住宅が7割超。愛着を持って長く住む人が多数しかし、かつてのスターであり、ライフスタイルを牽引した団地も今、大きな曲がり角に立っています。まずは現状と課題を聞いてみました。
「まず、UR賃貸住宅のストックの現状ですが、首都圏、中部、近畿、九州の大都市近郊を中心に1532団地、71万8000戸の賃貸住宅を有しています(平成30年度末時点)。昭和30年代に建設された団地は集約化・建て替えられているところが多く、今最も多いのが昭和40年代で30万戸超、昭和50年代に建てられたものが15万戸ほど、築年にして40年超のものが約7割になります」というのは、UR都市機構の住宅経営部ストック活用計画課の大川内将至郎さん。
ひばりヶ丘パークヒルズ(写真提供/UR都市機構)
特徴としては長く居住している人が多いこと。調査では(※2)平均居住年数が14年5カ月ということを見ても「借りて数年、住む」というより、「ふるさと」「居場所」として愛着を持って住んでいる人が多いことがうかがえます。
「お住まいの方から聞かれるのは、遊び場や緑といった敷地全体のゆとり、人とのつながりコミュニティ、ですね」(大川内さん)といい、まち開きから40年・50年経過した今も、長く住み続けたくなる魅力があるようです。
団地は地域の「資源」。コーディネートの役割を果たすとはいえ、住人が長く住んでいるということは、高齢化しているということ。建物と住民、2つの「高齢化」に加え、1住戸に住んでいる人数も減っていることが分かっています。かつてはファミリーが中心だった世帯構成も今では1人暮らしが最も多く、調査では(※2)入居世帯のうち38%にもなるそう。
「日本の国勢調査の平均よりも、1世帯あたりの人数が少なく、平均年齢も高めで、より高齢化が進んでいることが分かっています。入居した方とともに年齢を重ねてきたのはありがたい半面、課題でもあるのです」(大川内さん)
そうした課題に対し、URの方針としているのが、UR賃貸住宅ストックの活用と再生になります。団地別の方針としては、以下のものがあります。そのうち、高経年化への対応が必要なストック再生団地の再生手法は、団地の一部を建て替えして残りを改善するなど、4つの手法を複合的・選択的に実施し、地域の実情にあわせて活性化していくといいます。
既存住戸の活用と再生が2本の柱。再生も地域の実情にあわせて行うという。URの資料より筆者作成
また、この数年、課題とあわせて再評価されている点も大いにあるといいます。それを象徴するのが、「団地は地域の資源」という考え方です。
「団地は単なる住まいの集合体だけでなく、豊かな屋外空間や、商店、子育て施設、高齢者施設などのサービス施設、培われてきたコミュニティなど、複合的な機能を持っているため、『地域の資源』と再評価されているのだと思います」と話すのはウェルフェア総合戦略部戦略推進課の山田敬右さん。
続けて、歴史的な背景から、UR都市機構が持つ「強み」をコーディネート機能にあると分析します。
「UR都市機構は、団地の開発でも、道路の敷設や学校や公園の建設のために地元自治体と、商店や医療施設では各事業者とのそれぞれ綿密な調整を行ってきました。実はこうしたコーディネートができる事業者はあまり多くない。今後はこうしたコーディネート機能を『地域医療福祉拠点化』の取組みの中で発揮し、さまざまな地域関係者(地元自治体、自治会、関連事業者、地域包括支援センター、大学など)と連携しながら多様な世代が生き生きと暮らし続けられる住まい・まちを実現していきたいと考えています」(山田さん)といいます。
「地域医療福祉拠点化」といっても、特別なものではなく、主に3つの取組みを行っています。
(1)子育てや介護、病院・診療所など、地域における医療福祉施設等の充実の推進
(2)高齢になっても住み続けられるよう、居住環境の整備推進(バリアフリー化等)
(3)若者や子育て世帯等を含む多様な世代のコミュニティ形成の推進
■地域医療福祉拠点化のイメージ
資料提供/UR都市機構
地域医療福祉拠点化に取り組んでいる団地の1つとして、豊明団地(愛知県豊明市)があります。
■「豊明団地」の地域医療福祉拠点化の取組み
「ふじたまちかど保健室」で行われている健康体操(写真提供/UR都市機構)
大学と行政、URが連携している「豊明団地」では、大学の看護師や理学療法士、ケアマネジャーらが交代でお住いの方の健康、介護、子育てなど幅広い相談に応じる「ふじたまちかど保健室」を設置。大学の学生が団地に住み、夏休みには子どもたちの宿題をみる寺子屋活動、自治会主催の夏祭りや餅つき大会などのお手伝いも。
■若者を取り込むための取組み
四箇田団地のMUJI×UR団地リノベーションプロジェクト(写真提供/UR都市機構)
「このほかUR都市機構では、住宅のリノベーション企画の1つとして、これまでイケアさんと連携した『イケアとURに住もう。』や無印良品さんと連携した『MUJI×UR団地リノベーションプロジェクト』の展開を行ってきました。これらの住宅は、メディアにも何度も取り上げてもらえたこともあり、特に若い世代に人気で、これまでUR賃貸住宅を知らなかった方にも知っていただけるきっかけになりました」と大川内さん。
さまざまな歴史や取り組みを重ねてきて、「多様な世代が住み続けられる」「コミュニティを活性化させる」という指針のもと、団地を地域の事情にあわせてリボーンさせていくという段階にあるようです。
現在の喫緊の課題である「高齢化」「コミュニティの衰退」という、難問に立ち向かっているのが今と「これから」といえるでしょう。これらの問題は躯体の問題、つまりハード面はクリアできる/しやすいものの、「人」や「ソフトウェア」によるところは一律の処方せんは難しいのでしょう。だからこその、「技術的な改修」「集約化」を行いつつ、「地域医療福祉拠点化」という方針なのだと思います。
「かつて憧れだった団地で、安心して年齢を重ね、最後のときを迎える」「若い世代が子どもを安心して育てられる」、団地好きとしては残せる建物は残して活用しつつ、さまざまな知恵を結集して現在の課題を解決していってほしいなと願っています。
※1 集合住宅歴史館は新型コロナウイルス感染防止のため、2020年3月22日(日)まで休館しています。3月23日(月)以降の予定は、今後の状況をふまえ改めてURLで告知されるとのことです
※2 平成27年度UR賃貸住宅居住者定期調査
さくら事務所が一戸建てを新築中の施主に対して、「引き渡しチェックリスト」を無償で配布し、注意喚起を促している。その理由は「新型コロナ対策」にあるという。なぜ、新型コロナウイルスが住宅の建設に関係してくるのだろう。その背景と引き渡しに関する注意点を探った。【今週の住活トピック】
住宅設備がないままの完了検査、大丈夫?【無償配布】施主さん向け「お引渡しチェックリスト」/さくら事務所なぜ、新型コロナウイルスが新築一戸建ての完成に影響するのか?
そもそもの発端は、新型コロナウイルスの影響により中国などで工場の稼働状況が悪化していることにある。住宅を建てる際に必ず必要となる、トイレ、システムキッチン、ユニットバス、ドアなどの建材・設備の部品の生産が滞って、日本に供給されていないという状況が生じているのだ。
「新建ハウジング」が全国の工務店などに対して行った緊急アンケート調査(回答72社)によると、81.5%が「新型コロナウイルスの影響を受けている」と回答し、工期の遅れや着工の先延ばしが起きているという。
「一部の住宅設備や建具だけを残して、一戸建てが完成する」という場合、住める状態に仕上がっていないので、当然ながら引き渡しができない。施主にとっては、とても困る事態だ。残念ながら、3月中に引き渡しを受けて4月から新生活を始めようとしていたのに、工期が遅れてしまうという人もいるだろう。
一方、建築を請け負った施工会社は、仕事が終わっている大工などの職人への報酬やすでに使用した資材などの購入費用を支払う必要があるのに、引き渡しができないので残金を受け取れず、支払いができないという事態が起こる。中には、これがもとで倒産の憂き目にあうという施工会社もあるだろう。
国土交通省の対策によって、どんな事態が起こりうる?こうした事態の対策として、国土交通省が2月27日付で「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う建築設備の部品供給の停止等への対応について」という通知を出した。
その内容は「これらの設備等が未設置の状態で工事を完了させ、完了検査の申請がなされた」場合に、「個別の申請者からの相談に応じて」、「軽微な変更に該当する場合には、完了検査を速やかに実施するとともに、軽微な変更に該当しない場合には、計画変更の手続き及び完了検査を速やかに実施されたい」と建築基準法に基づく完了検査を実施する機関に周知するように求めたもの。
施主にとってどういった影響があるのだろう?この件について、無償配布のチェックリストを監修した、さくら事務所のホームインスペクター田村 啓さんに話を伺った。
軽微な変更とは、例えばトイレだけが未設置な場合など。この場合は未設置なまま完了検査を終えて融資を受け、引き渡し=残金支払いが行われ、引き渡し後にトイレだけ設置して完成するといったことになる。
また、各自治体の判断によるが、換気扇が未設置などの軽微な変更ではない場合は、計画変更の手続きが必要となる。書類の審査や竣工時の完了検査を速やかに行ったとしても、工期がかなり遅れることになる。ただし、この場合でも一部未設置のまま引き渡しとなる事例もありうるという。
「こうした対策は、2014年2月に関東地方を襲った大雪で建材・設備の納期が遅延した際にも実施されました。『施工会社の黒字倒産』を避けることを目的として行われるものですが、工期が遅れることが確実なのに、施主の方が気づかないことが多く、このことについて広く伝えたいと考えました。」(田村さん)
そもそもどの程度の工期遅れが生じているのか、住宅設備が未設置のまま引き渡しを受ける場合でもきちんと施工してもらえるのか、といった施主の不安を解消したいと作成されたのが、さくら事務所が公開したチェックリストだ。
新築一戸建ての引き渡しを受ける際の注意点は?チェックリストは、施工会社が工期の遅れなどについてしっかり説明し、適切な対応を取っているかを確認するためのもので、次のような内容になっている。
さくら事務所が提供するチェックリストから一部転載
各項目の詳しい説明は、さくら事務所の該当サイトに載っているが、特に重要なポイントは次の2点だ。
・口頭のやり取りで済ませず、「書面」で残すこと
・工期遅れの原因(どの設備機器や建材の納期遅れかなど)を明確にすること
計画変更が生じるなら「計画変更の覚書」などの書面を残すことが大切なのは、言うまでもないだろう。
また、原因が特定商品の遅れであれば、型番を確認して供給メーカーのサイトで情報を確認することなどもしておきたい。新型ウイルスによる影響が原因であれば、不可抗力なので責めることはできないが、そうでない場合の引き渡しの遅れは、「遅延損害金」請求の対象になりうる。そのため、施工会社の人手不足による工期遅れなのに、商品の納期遅れを口実にしてしまう場合もありうるからだ。
さらに、田村さんによると「未設置のまま引き渡しを済ませた場合は、後から住宅設備機器などを設置するときの検査が甘くなる場合もあるので、注意が必要」だという。
特に水まわりのトイレやキッチン、洗面、浴室などで、通水や漏水の確認に漏れがあると、住み始めてから水漏れが生じるなどの被害を受けてしまう。施主として十分目を光らせておく必要がある。
こうした注意点が提示されたチェックリストを、特に活用してほしいのは、「3月末~5月末に新築の一戸建てを引き渡される予定の人」だという。また、さくら事務所では無料の相談窓口も設ける予定ということだ。
新型コロナウイルスの影響は、意外なところにも及んでいる。やむを得ないことではあるが、冷静に状況を判断し、適切な対処をしたいものだ。
頑張って片付けても、時間がたてば雑然とした状態に……。いいかげんお片付けのリバウンドから抜け出したい!難しく思える片付けも、実はルールは3つのみ。無理せずにすっきりが続く、収納リフォームの約束を紹介しよう。
片付けやすい収納は「配置」「仕組み」「量」が計算されているもの配置、仕組み、量、それぞれにおけるポイントを押さえれば片付けなくても片付く住まいが手に入る!
すっきりとした空間が続くための、3つの約束を見ていこう。
約束1 「使う物の側」に収納を配置
(画像提供/PIXTA)
収納までの距離が遠いと“ちょい置き”が増える
物が散乱するのは、元にあった場所に戻さないから。とはいえ、元に戻すだけと思っていても、収納までの距離がほんの少し遠いだけで、片付けるのが一気に面倒になりストレスに……。結果、あちこちに“ちょい置き”が増えてすぐに散らかってしまう。収納は生活動線に合っていて、使う物のすぐ近くに配置することがお約束だ。例えば、小さな子どもがダイニングテーブルで勉強や遊びをするなら、収納は子ども部屋ではなくダイニングにつくるなど。外出に必要な上着やバッグの置き場を玄関収納につくるのも手だ。使う人・物の側に収納を置くことが最大の予防策になる。
約束2 出し入れしやすい「仕組み」をつくる
(画像提供/PIXTA)
探し物、無駄買いはデッドスペースが原因
どこにしまったかわからず行方不明、ないと思って買ったら奥から出てきた。そんな失敗の原因は収納内のデッドスペースにあり。収納はサイズや中のつくりなどの使い勝手が重要だ。大切なのは、アイテムの場所を明確にしつつ、出し入れしやすい仕組みをつくること。仕切りのない収納に無造作に物を置くとデッドスペースが生まれやすい。物に合わせて棚の高さや幅を調整すれば、一目で中がわかりやすくなり、収納スペースも増える。棚はA4の書類や雑誌などが入る「奥行き30cm」程度が便利。奥行きが浅い収納は一目で見渡せて、探し物や無駄買いを防げる。
【COLUMN】アイレベルを意識しよう約束3 生活スペースを減らさずに「収納量」を増やす
(画像提供/PIXTA)
「とりあえず置き家具で」はすっきり空間の大敵!
収納が足りないと、片付けたつもりでも物の場所を移動しただけで実は一向に片付かない。とはいえ、物を減らすのも難しい。ならば、リフォームで収納量を増やすべき。しかし、古い家は造り付けの収納は少なく、押入れや天袋が中心。これらは奥行きが深くて使いづらい。そこで物が増えると置き家具を買い足して部屋が狭くなる……。置き家具はやめてリフォームで収納を造作すれば、生活スペースはそのままで、空間もすっきりして収納量アップ。押入れはクロゼットにすると大量の服が収まり、天井から床まで無駄なく使える上、物の場所が決まり片付けやすくなる。
ここまで見てきたように、片付けやすい家は「配置」「仕組み」「量」の観点で収納がしっかり計算されている。この3つの約束を守ることで、今度こそ“すぐに散らかってしまう家”とはおさらばしよう!
構成・取材・文/藤井たかの
●取材協力山道を走るトレイルランニング、通称”トレラン”が趣味の村田諒さん。日本だけでなく海外のレースでも、何度も表彰台に上がった経験のある筋金入りのトレイルランナーだ。結婚を機に、新居を構える街として選んだのが「高尾」(東京都八王子市)。長年テレワークをしていたからこそ実現できた暮らしについてインタビューした。連載【職住融合 ~テレワークが変えた暮らし~】
時間や場所にとらわれない柔軟な働き方、テレワーク(リモートワーク)が普及し、暮らし方も多様化しています。自宅の一部をオフィス仕様にする「家なかオフィス化」や、街の中で仕事する「街なかオフィス化」、そして通勤に縛られない「街選びの自由化」など。SUUMOではテレワークを前提とした家選びや街選びの潮流を「職住融合」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。トレランの恰好の練習場所になる高尾に住み替え
ベンチャー系企業のマーケティング職につく諒さんは、3年前からずっとテレワーカー。妻の美保さんは別会社のテレワーカーだ。2人が高尾で暮らし始めたのは約2年前。結婚当初は一人暮らしの諒さんの部屋で暮らしていたが、「さすがに狭い」と二人暮らし用の物件への住み替えを考えたのがきっかけだ。
「当初は、当時住んでいた世田谷区で探していたんですよ。でも2LDKなら20万円以上もする。都内にいなければいけない理由がないのに、これはもったいないと思い、”高尾ってどう? ”と妻に提案しました。もともとトレランの練習で、高尾周辺を走ったことがあり、コースバリエーションが豊富で毎日走っても飽きがこない。日常生活の拠点にできるイメージも湧きました。僕も妻も通勤の必要はないし、高尾なら東京都心に出る のも週に1度なら楽ですから」(諒さん)
妻の美保さんは、「え、高尾? って最初は思いました。もともと海派だった私としては、同じ郊外でも鎌倉や湘南とかのほうがいいなって思っていたんです」と当初は困惑したという。しかし、高尾の家賃の安さを知り、賛成。「2LDKで10万円を切る。当初予定した予算よりも10万円も安いし、単純計算して1年で120万円も浮く。その分、海外旅行にお金を使えると考えれば、むしろ高尾がいいかもしれないという話になりました」(美保さん)。
もともと、IT系ベンチャーの職場で出会った2人。当時の職場も「新たなワークスタイルを実践しよう」という自由な企業カルチャーだったため、「テレワーク」となるのは自然な流れだったという(写真撮影/片山貴博)
決めたのは、築3年、70平米弱の2LDK、家賃9万円の賃貸物件。「このあたりは一戸建てが多く、築浅のマンションは少なかったので、この物件は即決でした」(美保さん) (写真撮影/片山貴博)
高尾での山道トレーニングが、レースの成績に直結高尾という恰好の「トレーニング場所」を得た村田さん。平日は早朝1、2時間走ってから仕事に取り掛かるのが日課に。走っているのは、近くの河川敷や高尾山の南北に位置する南高尾山稜と北高尾山稜。いつも多くの登山客でにぎわう高尾山と尾根ひとつ違うだけで、登る人は少ない、静かな穴場だ。「平日は山にほとんど人がいないのでとても快適です。時には、自分と同じく高尾に引越してきたトレイルランナーと一緒に走ることもあります」(諒さん)
高尾は起伏の大きい地形のため、坂道や階段も多く、こうした場所もちょっとした練習になる。世田谷で暮らしていたころは、主に休日のみだったトレイルでのトレーニングも、高尾では日課になり、その結果、確実にレースの成績が良くなったそう。「最近では表彰台に上がることも増え、優勝することもできました」
写真は金沢に行ったときのもの。「高尾に来て初めての夏は、小下沢の山で走って、川で水浴びして、彼は毎日夏休みみたいでしたよ」とは、美保さんの証言(画像提供/本人)
ニュージーランド、taraweraの、100マイル(!)レースにも夫婦で挑戦(画像提供/本人)
今は、美保さんも影響されてトレランにはまる。写真はマレーシアでの100kmレースのゴール後の1コマ。諒さんはなんと優勝し、美保さんも年代別入賞(画像提供/本人)
暮らしてみると、「思っていた以上に高尾は便利だった」と実感しているお二人。駅近くにはショッピングセンター「イーアス高尾」、住まいの近くには「イトーヨーカドー」もあるなど商業施設が充実。しかも、京王線と中央線の2線を利用でき、中央線は 始発駅になるので、都心に用事があるときは必ず座ることができる。「仕事が忙しいときは、車内でPC広げて仕事をすることも。それに、立川や八王子駅まで行けば、都心まで行かなくても、ほぼすべて用事がすんでしまいます」
テレワークだからこそ効率的な仕事ができる現在、夫の諒さんは、「リモートワークを当たり前にする」をミッションに掲げる企業「キャスター」の執行役員、妻の美保さんは、PRコンサルティング会社の「ディアメディア」で、週に2回正社員としてテレワーク、それ以外はフリーランスで編集・ライティングなどを行っている。二人とも、ほぼ毎日自宅でテレワークだ。「だいたい9時~10時から始業して、18~19時まで仕事をするという感じでしょうか。そのあとは、急ぎの用件によっては対応することもあります。コミュニケーションは主にチャットやテレビ会議で。1日に7、8件打ち合わせが入ることがありますが、すべてオンライン。これが全部対面だったら、けっこう大変だなぁと思います」(諒さん)
新型コロナウィルスの影響に伴い、注目を集めるテレワーク。ただし、なかなか浸透しないのも実情だ。
「セキュリティ面で心配という声はよく聞きます。ウチでは、パソコンは会社付与。アクセスの権限は役割に応じて細かく分かれているなど、セキュリティ面は対処しています。もともとリモートを前提としたシステムなこともありますが、やはり、トップの意識判断によるところが大きいのではないでしょうか。在宅だと、さぼるのでは?と思われがちですが、出社=仕事ではありません。リモートであってもなくても 、基本的に成果主義ですし、仕事ぶりは意外と一目瞭然なんです」(諒さん)
諒さんはダイニングテーブル、美保さんはソファが仕事の指定席。お互いテレワークとはいえ、仕事の話はほとんどしないそう。「今日のお昼何にする? とかお茶入れようかとか、たわいもない会話ばかりです」(諒さん)
部屋が広くなって、おうちオフィスはより快適空間にただし、以前、世田谷で一人暮らしだったときは、自宅に快適な仕事環境がつくれなかったので週に2度以上は会社に出勤し、クライアントのオフィスまで向かうことも多かったそうだ。「まず、リモートワークについて当時は今以上に浸透していなかった 時期だったというのもありますが、それよりも自宅環境の影響が大きかったです。リモートワークでは1日の多くの時間を自宅で過ごすため、部屋をいかに快適な状態にできるかはとても重要ですね」(諒さん)
高尾で暮らし始め、部屋が広くなった分、DIYが本格化。「自宅近くのホームセンターでいろいろ買い込みました」(諒さん)
DIYで実現した趣味スペース。「この壁面収納は引越したら、やりたいことの一つでした。旅先で購入したものや思い出の品を飾っているのですが、結果的にはほとんどトレラン関係のものになっています(笑)」(諒さん) (写真撮影/片山貴博)
有孔ボードを利用して吊るす収納をDIY。キッチンでも使い込まれた鍋や調理道具をかけて、すぐ取り出せるように (写真撮影/片山貴博)
テレワークによって自炊率も上がった。「家の周囲に飲食店が少ないというのもありますが、せっかく自宅で食事をするならと、つくるものにもこだわるようになり、ヴィーガン(卵を含む動物性食品を口にしない)食を取り入れています。外食も含めてヴィーガンにするのは大変だけど、家でゆるくなら楽しく続けられる。そのぶん外食では、お肉もお魚も気にせずに楽しんでいます」(美保さん)
二人とも料理好き。休日にはつくり置きもして、ワンプレートのヴィーガンランチに。カレーづくりも好きで30種類のスパイスを常備 (画像提供/本人)
「好きな時に好きな場所で暮らしたい」海外でのテレワークも実践。家賃が浮いた分、さらに海外旅行を楽しむ二人。ハワイ、タイ、スペイン、マルタ、マレーシアなど、観光やレース参加を目的に、去年の海外渡航はなんと6回。特にタイでは1カ月間暮らすように旅をした。「実はタイでもリモートワークをしていました。仕事相手にとっては私たちが高尾にいても海外にいてもあまり変わりませんから。ネット環境さえあれば仕事ができました。時差は2時間なので日本時間の18時は、バンコクの16時。早朝から仕事して、夜は外にご飯を食べに行ったり、長めにジムでトレーニングしたり、時差を活かした生活をしていました」(諒さん)
タイでは、平日はバンコクで仕事をし、休日にはピピ島やパタヤビーチでリゾートを満喫(画像提供/本人)
今後、住まいの購入は今のところ考えていないという。「海外に暮らすことだってあるかもしれないし、身軽でいたいんです」
好きな時に好きな場所で暮らす。固定でかかる住居費にお金をかけたくない二人にとって、テレワークは、それを可能にする働き方、暮らし方といえそうだ。
世界遺産フリークで世界遺産検定2級の筆者は、2020年2月に念願のドイツ世界遺産の旅に出た。デッサウのバウハウス、ベルリンのモダニズム公共住宅に続き、ここではベルリンの博物館島やポツダムのサンスーシ宮殿などの世界遺産に登録された建築物について紹介していきたい。
モダニズム建築につながるドイツ新古典主義の博物館群。会いたい人にも……
ベルリンには、世界遺産が3つある。その1つがすでに見学した、ブルーノ・タウトやバウハウス初代校長のワルター・グロピウスなど当時の一流建築家による「モダニズム公共住宅」(6団地が登録)。次に時代を遡って、「ムゼウムスインゼル(博物館島)」。さらに遡って、「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の3つだ。
時代によってそれぞれ、建築様式が異なる点がとても興味深い。では、詳しく見ていくことにしよう。
筆者がとても楽しみにしていたのが、博物館島だ。5つの博物館を見ることに加えて、会いたい人がいるからだ。
博物館島の大きな特徴は、建築順に旧博物館、新博物館、旧ナショナルギャラリー(国立美術館)、ボーデ博物館、ペルガモン博物館が林立すること。1830年に旧博物館が建設されたのを皮切りに、以降100年の間に博物館や美術館が建設されてきた。しかも、シュプレー川の中州の中にだ。
博物館内にあった模型で見ると、下の画像のような配置になる。こうした複合文化施設の先駆けであるとともに、近代博物館建築の歴史を示すことが評価されて、1999年に世界遺産に登録された。
博物館島の模型。以下、写真撮影は全て筆者
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が旧博物館を建設し、後を継いだ4世が旧博物館のある中州を「芸術と科学の聖域」と定めて複数の博物館の建設を始めた。しかし、第2次世界大戦による被害を受け、ベルリンの壁の崩壊後に大規模な修復やコレクションの再編などが行われ、今に至っている。
○旧博物館 (Altes Museum)
1830年築。建築家カール・フリードリッヒ・シンケル設計
○新博物館 (Neues Museum)
1859年築。シンケルの弟子の一人であるアウグスト・シュテューラ設計
○旧ナショナルギャラリー(Alte National Gallerie)
1876年築。アウグスト・シュテューラとハインリッヒ・ストラック設計
○ボーデ博物館 (Bode Museum)
1904年築。エルンスト・イーネ設計
○ペルガモン博物館 (Pergamon Museum)※建物を改修中のため一部のみ見学可能
1930年築。アルフレッド・メッセルとルードウィッヒ・ホフマン設計。5つの中では最大規模。
外観(改修中)と博物館内に再建されたイシュタル門
博物館島の建築様式は、19世紀~20世紀に全盛だったドイツの「新古典主義」。グリークリバイバルといわれる、古代ギリシャの神殿のようなデザインが多く見られる。ただし、前述のシンケルの幾何学的で端正なデザインは、その後のモダニズム建築にも影響を与えたといわれている。
博物館としては、古代都市ペルガモンの大祭壇(訪問時は展示されていなかった)を擁するペルガモン博物館が最も有名だが、建築物としては旧ナショナルギャラリーが素晴らしかった。ドーム天井の緑色と降り注ぐ日差しの組み合わせは、心奪われるものだった。
旧ナショナルギャラリーの内部(ドーム型の天井とホールの階段)
さて、筆者が会いたかった人には、新博物館の片隅で会うことができた。その人とはエジプトの「王妃ネフェルティティ」。彼女の胸像が収められた一角は、ここだけ撮影が禁止され、厳重に守られていた。
王妃ネフェルティティの胸像のレプリカ
新博物館の2階、一番奥の部屋に実物が展示されている
新古典主義が装飾過剰と批判したバロック・ロココ様式とは?さて、「新古典主義」とは、それ以前の「バロック建築・ロココ建築」の反動から、建築の本質をギリシャやローマに求めたもの。次は、装飾過剰と批判された、その建築様式を見ていこう。
バロックの語源はポルトガル語の「歪んだ真珠(バローコ)」といわれている。バロック建築ではルネサンス時代の端正な形よりも曲線や歪んだ形など動きのある形が好まれ、強烈な印象を与えようとするデザインになっていく。教会や絶対王政の国王などに富と権力が集まり、室内の天井・壁、家具、絵画・彫刻から庭園まで一体となって装飾するのが特徴だ。
旅の最初に訪れたがドレスデン。2004年に「ドレスデン・エルベ渓谷」として世界遺産に登録されたが、保存すべきエルベ川沿岸の文化的景観の川に橋を架けたため、2009年に世界遺産登録が抹消されてしまった。その景観を構成するひとつである「ツヴィンガー宮殿」は、ドイツバロック建築の傑作といわれている。フリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)が、それまでの木造建築から石造りの宮殿を建築しようと、建築家ダニエル・ペッペルマンに命じて1728年に建設された。
ドイツバロック建築のツヴィンガー宮殿。王冠の載った門なども有名
一方、ロココの語源はフランス語の「岩石(ロカイユ)」といわれ、貝殻や植物などをモチーフとした室内の浮彫装飾や家具・調度品の装飾に特徴がある。バロックの劇的な演出から和やかな演出を好むようになり、フランスではバロックからロココへと移っていき、ドイツに波及した。
ドイツロココ様式の代表例が、ドイツ・ポツダムの「サンスーシ宮殿」だ。世界遺産として登録された「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の構成要素になっている。サンスーシ宮殿は、1745年フリードリヒ2世により、王の意向を反映して友人の建築家クノーベルスドルフが建設したもの。
サンスーシ宮殿の外観(庭園側)
部屋は12室とかなり小規模な宮殿だが、装飾は華麗だ。音楽の間では天井の中央に蜘蛛の巣、周辺の天井や壁には植物文様の装飾が施され、曲線が美しい長椅子なども置かれている。一方、大王の書斎では天井に曲線があるものの比較的直線が多いのは、後に古典主義様式に改装されたためだという。
(左)音楽の間 (右)書斎
生粋の軍人王だった父親と対立したフリードリヒ2世は、芸術をこよなく愛したそうだ。サンスーシとは、「憂いのない」を意味するフランス語。オーストリアとの戦いの最中に建てられた宮殿は、激務を忘れ、友と語らう場として和むための居城だった。サンスーシ宮殿に自然をモチーフにしたデザインが多いのは、フリードリヒ2世が自然を住まいに取り入れようとしたとも見られるという。
世界遺産のロマネスク建築やハーフティンバー様式の街並みもこの旅で筆者が訪れた世界遺産のある都市はいくつかあるので、さらに時代を遡ってみよう。サンスーシ宮殿の「バロック・ロココ様式」から「ルネサンス様式」→「ゴシック様式」→「ロマネスク様式」と遡れる。
宗教改革の現場となったとして、1996年に世界遺産に登録されたのが、「アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群」だ。関連する教会はいくつかあるが、ルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会は「ゴシック建築」だ。天井の頭が尖ったアーチや交差して支える「リヴ・ヴォールト」などが見られる。
1483年11月11日にルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会の外観と内部
さらには、ドイツ発祥の地といわれるクヴェードリンブルク。10世紀前半にザクセンをひきいたハインリヒ1世は、この地に城を構え、政治、教育、文化の中心地と位置付け、国家統一の礎を築いた。
このハインリヒ1世と王妃マティルデが眠っているのが、城の中にある聖セルヴァティウス教会(聖堂参事会教会)だ。この教会は1129年(教会の日本語資料には、「平清盛11歳の時」と説明があった(笑))に4回目の建て直しがされたもので、「ロマネスク建築」の代表例とされる。その特徴は厚い壁、てっぺんが丸い小さな窓、重厚感のある柱と支柱で、円柱2本ごとに角柱を置く「ニーダーザクセン風の支柱」だという。
聖セルヴァティウス教会外観
「ニーダーザクセン風の支柱」が見られる教会内部
クヴェートリンブルクは、教会や城のほか、その街並みにも大きな特徴がある。
ザクセン王家の庇護の下、クヴェートリンブルクは商業の街として発展する。14~19世紀には、商人の邸宅やギルドハウスが、ハーフティンバー様式の木組みの家で建てられた。なんでも、庶民には石造り建築が許されなかったからだという。
そのおかげというか、ハーフティンバー様式の家が建ち並ぶ旧市街は、「木組みの家博物館」として有名になった。この旧市街は、二度の世界大戦の戦禍を免れ、その姿をそのまま残している。この旧市街と城山や教会の一体地域は、ザクセン王朝の歴史と密接なかかわりをもつ建築様式の重要性なども評価され、「クヴェートリンブルクの旧市街と聖堂参事会教会、城」として、1994年に世界遺産として登録された。
旧市街の中心「マルクト広場」
木組みの家が連なる街並み
さて、旧市街を歩いて驚いたのは、多くの家々に文化財のマークが掲示されていることだ。木組みの家の街並みを維持していくには、街の住民の高い保存意識が背景にあるのだろう。こうした努力がないと、住宅がそのまま維持保存されるのは難しいことだ。
丸の中が文化財指定のマーク
旧東ドイツエリアの世界遺産を例に、モダニズム建築からロマネスク建築(ルネサンス建築を除く)に至る建築様式を見てきたが、建築物が時代に応じてどんどん進化していくことが分かる。だからこそ、面白いのが建築物だ。
ところで、この旅をプランニングしてくれたのは、NPO法人世界遺産アカデミーの客員研究員・目黒正武さんだ。筆者は、目黒さんによる明治大学リバティアカデミー「旅する世界遺産~ヨーロッパ建築の歴史を訪ねて~」講座を一年間受講した。
目黒さんによると、「外観も内装もシンプルなモダニズム建築(バウハウス等)と重厚な外観と派手な内装のバロック建築(サンスーシ宮殿)では、真逆な印象を持つだろうが、住む人、使う人のための空間設計という点においては共通している」という。
富も権力もない筆者はサンスーシ宮殿で和むことはできないが、権威を誇示する必要がある人にとっては心地よく過ごせる空間だったのだろう。建築物はいつの時代も、暮らす人のために造られるべきということだ。
参考資料:NPO世界遺産アカデミー客員研究員目黒正武さん作成資料や現地ガイドの説明、現地で入手した資料等のほか、NPO世界遺産アカデミー監修「すべてがわかる世界遺産大事典」などを参考資料としています。なお、ドイツ語を日本語表記する場合「マルティン・ワーグナー/マルティン・ヴァーグナー」など、いくつかの表記方法がある点に留意ください。新年度が迫り、進学や就職など、ライフステージの変化を意識する季節になりました。SUUMOジャーナルで2月に公開した記事では、「自宅をオフィスに! テレワークで取り入れたい『家なかオフィス化』アイデア5つ」「家の個性をつくる三つのセオリー」などDIYやリフォームの参考になりそうな記事が人気を集める一方、「イマドキの学生の部屋選び、通学時短を重視する傾向に。ほかには…?」など、この季節ならではのものもよく読まれました。人気TOP10の記事を詳しく紹介します。
2020年2月の人気記事ランキングTOP10はこちら!
1位 自宅をオフィスに! テレワークで取り入れたい「家なかオフィス化」アイデア5つ
2位 築100年超の蔵付き古民家を鎌倉に移築再生、妥協無しで理想を追求したこだわりの家
3位 【カップル&ファミリー編】山手線で中古マンションの価格相場が安い駅ランキング 2020年版
4位 パリの暮らしとインテリア[4] アーティスト夫婦が暮らす歴史的集合住宅。旅のオブジェに囲まれて
5位 「秋葉原駅」から電車で30分以内、家賃相場が安い駅ランキング! 2020年版
6位 テレワークが変えた暮らし[7] 湘南でマリンスポーツ&子育て。仕事の効率もアップ!
7位 2019年の首都圏の一戸建て市場動向、平均価格が公表結果によって違うのはなぜ?
8位 家の個性をつくる三つのセオリー
9位 縫製工場をリノベした自宅兼アトリエは、アートを楽しむ人たちで本日も大にぎわい
10位 イマドキの学生の部屋選び、通学時短を重視する傾向に。ほかには…?
※対象記事:2020年2月1日~2020年2月29日までに公開された記事
※集計期間:2020年2月1日~2020年2月29日のPV数の多い順
1位 自宅をオフィスに! テレワークで取り入れたい「家なかオフィス化」アイデア5つ
(写真提供/リビタ)
テレワークに普及によって、働く場所の多様化が進んでいます。自宅で仕事をする場合に気になるのが、作業スペースのつくり方です。リビング内に設けるにはどうしたらいいのか、生活スペースと分けるのか、家が狭い場合はどうする?など、参考になりそうな、リノベーション事例やアイデアの数々を紹介しています。
2位 築100年超の蔵付き古民家を鎌倉に移築再生、妥協無しで理想を追求したこだわりの家
(写真撮影/高木 真)
こだわりの立地と建物を追求した結果、閑静な鎌倉エリアに岡山県から明治時代の古民家を移築した、趣のある日本家屋を紹介。斬新なデザインの欄間など、職人の手仕事で時間を超えて丁寧に再生された一方、生活スペースは世界各国のアンティークを取り入れた和洋折衷で個性的にしつらえられています。
3位 【カップル&ファミリー編】山手線で中古マンションの価格相場が安い駅ランキング 2020年版
(画像提供/PIXTA)
東京屈指の利便性の誇る山手線沿線に住むとしたら、物件相場はどのくらいなのかをリサーチ。最安の鶯谷駅は4530万円、ターミナル駅の最安は5180万円……。約50年ぶりの新駅開通する品川エリアは? シングルで住むよりカップルやファミリーなら“お得”になる駅は? などなど深掘りします。
4位 パリの暮らしとインテリア[4] アーティスト夫婦が暮らす歴史的集合住宅。旅のオブジェに囲まれて
(写真撮影/Manabu Matsunaga)
フランス・パリのモンマルトルにある、かつてパブロ・ピカソやモディリアーニらが暮らしていたアーティスト街です。現地に住むカメラマンが、芸術家のための集合住宅にアトリエ兼住宅を構える夫婦の暮らしを覗いてきました。
5位 「秋葉原駅」から電車で30分以内、家賃相場が安い駅ランキング! 2020年版
(画像提供/PIXTA)
日本が誇るサブカルの街、秋葉原へのアクセスのよい街はどこなのか。注目すべきは東武伊勢崎線、そして、開発の進むつくばエクスプレスの沿線。中でも子育て支援の手厚さで知られる流山市は、育児と仕事の両立にも心強い味方となりそうです。
6位 テレワークが変えた暮らし[7] 湘南でマリンスポーツ&子育て。仕事の効率もアップ!
(写真撮影/片山貴博)
職住近接の都会暮らしから、結婚をきっかけに湘南へと移り住んだ勝見さんは、夫婦でテレワーカー生活を送っています。共通の趣味のマリンスポーツを満喫する傍ら、限られた時間の中で子どもと過ごす時間をつくり出す上でもテレワークは理にかなっていると話してくれました。
7位 2019年の首都圏の一戸建て市場動向、平均価格が公表結果によって違うのはなぜ?
(画像提供/PIXTA)
2019年の住宅市場の動向が出そろってきました。首都圏の新築一戸建て市場に注目してみると、調査結果によって平均価格が違うことが気になります。その理由とともに、新築戸建てを購入する際に気を付けたいことについて解説します。
8位 家の個性をつくる三つのセオリー
(画像提供/PIXTA)
家に個性やこだわりを盛り込めるのはリフォームの大きな楽しみです。快適な空間をつくるために必要な壁や建具などの選び方のコツは「素材」「仕上げ」「パーツ」。素材の活かし方やバランスのとり方を紹介します。
9位 縫製工場をリノベした自宅兼アトリエは、アートを楽しむ人たちで本日も大にぎわい
(撮影/筒井岳彦)
山形県で陶芸を手掛ける佐藤さんが選んだ家は、元縫製工場。工場ならではの構造は柱が少なく、広々としたアトリエでは自身の創作活動だけでなく地域の芸術活動も行うコミュニティースペースとしてもにぎわっています。
10位 イマドキの学生の部屋選び、通学時短を重視する傾向に。ほかには…?
(画像提供/PIXTA)
春は進学の季節、はじめての一人暮らしへの期待に胸躍らせることでしょう。そんな新入生たちが学生用マンションを選ぶ際に重視するのは、最寄駅までの近さよりも通学する学校の近くであることが決め手になるという調査結果を発表されました。移動時間の「時短」重視は、学生にも及んでいるようです。
例年になく早い桜の開花予想も発表され外出の楽しみな季節のはずが、新型コロナウイルス感染症の影響で自宅にこもる人も多いことでしょう。少し寂しい気持ちは致し方ないけれど、自宅での時間をより快適に過ごせるヒントを、リフォーム例やDIY例から探してみてはいかがでしょうか。
前回、都会から親元を離れ、島根県の高校に入学、2019年に東大生となった鈴木元太さんにインタビューした。鈴木さんが活用したのが、都道府県の枠を超えて地域の高校に入学する「地域みらい留学」という制度。
今回は、運営団体である一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームに、立ち上げた背景、実績や反響、気になるあれこれをインタビューした。
「地域みらい留学」とは、北海道から沖縄まで地域の公立高校に入学し、充実した高校3年間を送る制度のこと。「留学」と名はついているが、短期ではない。多くは新しい土地で寮生活などを送ることになり、高校進学の新たな選択肢として注目を浴びている。 都会にはない自然、その地域独自の文化、地元と全国から集まる同級生、地域の大人たち。まさに「世代を超えた多様な仲間」との「実践的な学びの場」となっている。
そもそも、この制度が立ち上がった背景とは?
「ひとつは、急激な社会変化や大学入試改革などを受け、”これからの社会を生き抜く力を身に着けてもらいたい”と考える親御さんたちが増えていることです。従来の一方通行な詰め込み型の教育に違和感を覚える子どもたちもいます。また、受け入れる地域の側でも、生徒数が少なくなりつつある高校に、異文化や多様性を取り込み高校に活力と刺激をもたらしたい、という強い思いがありました。地域みらい留学は、子どもを留学させる側、受け入れる側、両方向からニーズが交差した事業です」(一般財団法人 地域・教育魅力化プラットフォーム 地域みらい留学 広報責任者 安井早紀さん)
実際、この3年間を通して、子どもたちにはどんな変化があるのだろうか。
「”この3年間で自分の人生が変わった””留学をしていなかったらまったく違う人生だった”と話してくれる子はとても多いです。
例えば、北海道奥尻島にある奥尻高校に留学した女子生徒は、『部活の遠征費を生み出すための部活オクシリイノベーション事業部での活動』『寮運営の中心的役割』『生徒会活動』などさまざまなことに挑戦しています。全校生徒数60名余りと活躍のチャンスが多いこと、彼女の旺盛な好奇心をかき立てるような町の課題が近くにあること、そして地域社会との距離が近くチャレンジできる舞台があることが、彼女の挑戦を加速させます。
奥尻高校に留学した女子生徒が「部活の遠征費を生み出すための部活オクシリイノベーション事業部」での活動の一環で行った「奥尻マルシェ」。奥尻の名産品や自分たちでデザインしたオリジナルグッズの販売などを行った(写真提供/一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォーム)
また、島根県立津和野高校では女子生徒が、高校生と地域の大人たちとつなげて進路や将来を考える座談会を企画・運営まで自分たちで行う『アスギミック』というプロジェクトを立ち上げました。地域で暮らす大人たちと進路の悩みについて話したり、多様な年代の大人たちに”やってみなさい”と挑戦を応援され、助けられ、育っていく日々、自然豊かな環境と余白の時間で自分と向き合う時間は教科書以上の学びにつながっています。
見知らぬ土地で暮らす3年間は一筋縄ではいかないこともあります。しかし、その葛藤も含めて、感じていることに素直になって向き合い、自分なりに行動し、自分らしい進路を見つけています。これは、普通に受験し、都会の高校に進学していたら、なかなか得られない経験だと思います」
3年間の体験をきっかけに「地域」を学び続ける卒業生は多いそうした貴重な経験をした生徒たちが、どういう進路、どんな分野で活動をしていているのか気になるところ。現在、「地域みらい留学」「しまね留学」の卒業生では、地域での活動が評価され、推薦・AO入試などで、東京大学、慶應義塾大学、上智大学、立教大学、立命館大学に進学した学生がいるほか、「地域」を切り口にした学びを大学でも続けるため、観光学部、地域協働学部、地域創生学部といった分野に進学した学生もいる。
「釣り好きが高じて島根県立隠岐島前高等学校に進学した前田陽汰さんは、在学中、寮長として寮改革に取り組み、休日は地域に出て島民と交流を深めていました。現在は慶應義塾大学総合政策学部に在籍しつつ、NPO法人ムラツムギを立ち上げ、地域活性化以外の選択肢として“まちの終活”を提唱。家のお葬式”家オクリ”や寺おさめ”寺オクリ”等の取り組みを通じて、第二の故郷・島根にも関わっています。ほかにも、フリーランスのフォトグラファーや、大学卒業後に自身が地域みらい留学生の寮生活を支えるコーディネーターとなった卒業生もいます」
前田陽汰さんの寮長時代の写真。寮生と一緒に(写真提供/前田陽汰さん)
大学進学した後は、地域活性化ではなく、“まちの終活”に着目して活動を続けている(写真提供/前田陽汰さん)
話を聞いていると、「意識の高い子」「自分の好きなことがはっきりしたい子」が多いようにも思う。ただし、実際の中学生たちの留学前は「目的意識のはっきりしていない子のほうが多数派です」と言う。
「例えば、今いる学校への違和感、新しい形の学びを求めているなど多様な動機、状況があります。ただ、共通するのは“いまの延長線上の未来を変えたい”という気持ちです。そんな子たちも、3年間で、自分の性格も世界の捉え方も変わった、将来の夢ができた、人の温かみと繋がりを知った、自信がついて自分らしくいられるようになった、帰りたい場所ができたと話してくれます。まだ見ぬ土地に踏み出す勇気から始まった3年間では、みんな、自分に対して小さくても大きくても、何らかのチャレンジをし、成長しています」
都会からの留学生が、地元の高校生の未来を変えた大きな変化があるのは、都会からやってきた留学生だけではない。地元の高校生たちにも、都会からやってきた同級生は大きな影響を与えている。
「地元の子たちは、幼少期から同じ顔触れで育っていますから、外からまったく違うバックグラウンドを持つ高校生が入ってくることで、多様な価値観を知ります。また、都会から来た子から見える地元の魅力を聞くことで、見慣れた地元の魅力を再発見する機会に。県外から生徒を受け入れることで、地元の子どもたちの未来が変わったり、意欲的な生徒が地域に飛び出すことで学校と地域の関係性を紡ぐきっかけになっています」
卒業したら家業を継ぐ、そもそも大学進学を考えていない地元の高校生が、外から刺激を受け、学ぶ楽しさを知り、自分自身の将来を考えるきっかけにもなっているそう。
例えば、島の仲間はみんな顔見知りという環境だった男子生徒は、全国からはもちろん、海外からの帰国子女の留学生の存在が大きな刺激に。進学した東京の大学では、少子高齢化が進む団地での地域拠点を創出するサークル活動を行っている。
また、以前は家業を継ごうと考えていた畜産農家の高校生は、畜産農家や留学生との交流が転機となって慶應義塾大学へ進学し、卒業後はJAに就職して畜産の後継者不足問題に取り組んでいる。
現地のオープンスクールで行きたくなる子も最近では、都市部で全国の地域の学校が一同に集まる地域みらい留学の合同説明会「地域みらい留学フェスタ」の参加者人数が、この2年間で1000名→2000名と大幅に増えるなど、注目を浴びているという。
「オルタナティブな教育のあり方に興味関心を抱いている保護者の方が増えていることを感じています。なかには、小学生のお子さんをお持ちの親御さんが、”私立の中学受験をさせるか、中学は地元の公立・高校は地域みらい留学するか、で検討している”とおっしゃっていました。実際に地域みらい留学をさせている保護者の方々から評判を聞いたという来場者の方が多いです」
一方で、注目を浴びるにつれ、親が前のめりだけれど、本人は消極的といったケースも増えているのでは?「たしかに地域みらい留学フェスタに来るきっかけの7割は保護者の方になります。来場する中学生は説明会で地域の学校と出逢い、在校生や卒業生などのロールモデルの声を聞いて『楽しそう!』『自分もこうなりたい!』と意欲が高まり、7、8月の夏休みのオープンスクールで現地に親子で赴きます。そして、本当に挑戦するかどうかは中学生自身が最後に決めるケースがほとんどです」
現在、3年間で13道県34校→25道県55校と受け入れ高校も増え、取り組みが北海道から沖縄まで広がっている。今後「地域みらい留学を当たり前の選択肢に」と、高校生のチャレンジの選択肢として海外留学と同じくらいに地域留学も広めていけたらと考えている。
「多様で複雑で変化の激しい、正解のない社会を生きていくために、ローカルでの濃い3年間の原経験は、とても貴重なものになるでしょう。それぞれがつくりたい未来を、それぞれの形でつくって行ってほしいと思っています」
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