
13万1,000円 / 43.07平米
東急池上線「久が原」駅 徒歩5分
レンガ色のタイルが印象に残るマンション。ひとつひとつの素材にこだわりをもって、建築家がまるごと一棟リノベーションしたのが2018年10月のこと。
よくあるリノベーションとは一味違った内装で、めずらしい表情の床は竹の無垢材、キッチンはステンレスのオーダーキッチンです。どこか海外の ... 続き>>>.
圧倒的に不動産情報が多いですが。。。。
1万年以上も平和が続いたとされる縄文時代。人々は狩猟、採集、漁労を生業とし、竪穴住居を建てて集落単位の定住生活を始めた。この「竪穴住居(我々の時代は「竪穴式住居」と習ったが、現在は「竪穴住居」という表記が一般的らしい)」、社会の教科書で見たことはあるが、一体どんな家だったのだろうか。
調理場は? 収納スペースは? ベッドは? 山梨県北杜市の梅之木遺跡で竪穴住居の復元にあたっている21世紀の“縄文人”を訪問して詳しい話を聞いた。
縄文ガールは「使いやすい複式炉」がお好きある日、面白いフリーペーパーを見つけた。その名も『縄文ZINE』。縄文時代のあれやこれやをさまざまな角度から取り上げている。しかも、デザインワークから記事の切り口まで何しろポップなのだ。
この編集長なら竪穴住居での暮らしについて何か知っているに違いない。
最新号の表紙はラップユニットの「ENJOY MUSIC CLUB」(写真撮影/石原たきび)
「(架空の)縄文人同士のガールズトーク」という記事では「『一緒に貝塚をつくろう』と言われたらグッときちゃうかな」「集落のいちばん日当たりのいい場所にふたりだけの可愛い竪穴住居をつくって」などの発言が飛び出す。
「炉は使いやすい複式炉」がいいそうです(写真撮影/石原たきび)
このイカしたフリーペーパーをつくっているのは、株式会社ニルソンデザイン事務所代表の望月昭秀さん(48歳)。縄文関連の書籍も何冊か出版している。
手にしているのは最新刊の『縄文人に相談だ』(写真撮影/石原たきび)
望月さん、なんでまた縄文時代なんですか?
「僕は静岡県生まれで、子どものころから近くの登呂遺跡を自転車で見に行ったりしていて。当時から遺跡は身近な存在だったんです。決定的だったのは、10年ぐらい前に長野をドライブしている途中でふらっと入った尖石縄文考古館。そこで、縄文の土器や土偶が持つ造形の面白さを再認識しました」
「竪穴住居を復元している人をご紹介しましょうか?」すっかり縄文にハマった望月さんは、2015年から『縄文ZINE』をつくり始める。現在、11号目を配布中だ(不定期刊行)。
公式サイトでは縄文グッズも販売している(写真撮影/石原たきび)
そうそう、今回は縄文時代の家について聞きに来たのだ。いわゆる、竪穴住居ですよね。
「竪穴住居の屋根は茅葺のイメージでしたが、最近の研究では土盛りが多かったという説が有力になりました。当時の庶民の生活って記録が残っていないから、分からないことだらけなんですよ」
残念ながら、『縄文ZINE』では竪穴住居の特集を組んだことがないという。しかし、ここから意外な展開が待っていた。
「山梨県で竪穴住居を復元している人がいるので、ご紹介しましょうか? 何度か現場を見学しましたが、山を背景に炊事の煙が上がっていたりして、かなりいい雰囲気ですよ」
おおお、21世紀の縄文人だ。よろしくお願いします。
縄文時代中期の環状集落跡「梅之木遺跡」12月上旬、新宿駅から特急あずさに乗り込んだ。約1時間半で山梨県の韮崎駅に到着。
山から吹き降ろす風が冷たい(写真撮影/石原たきび)
ここから車で20分ほどの場所に目指す「梅之木遺跡」がある。
約5000年前、縄文時代中期の環状集落跡で北杜市が管理運営している(写真撮影/石原たきび)
標高は約800m。気温はさらに下がった。敷地内は公園として整備され、自由に見学できる。正面には標高3000mに迫る甲斐駒ヶ岳を含む南アルプスの連山を望む。
斜面に点在しているあれが竪穴住居?(写真撮影/石原たきび)
肌寒いが冬の日差しは柔らかい。聞こえるのはとカラスの鳴き声のみ。のどかだ。まさしく縄文日和ではないか。
北杜市が立ち上げた竪穴住居復元プロジェクト縄文人はすぐに見つかった。
満を持してご登場(写真撮影/石原たきび)
こちらは東京・杉並区で造園業の「熊造園」を営む黒田将行さん(44歳)。現代美術作家という別の顔も持つ。
ちなみに、いかにも縄文スタイルのコートは猟師が獲った鹿の皮を黒田さんがなめして毛皮にしたものだ。
2016年、北杜市は梅之木遺跡内の竪穴住居を復元するプロジェクトを立ち上げた。復元にあたっての条件は、できるだけ縄文の道具と資材だけで建てること。そこで白羽の矢が立ったのが、造園技術に長けていて木と石を使った立体物の制作も得意な黒田さんだ。
挨拶もそこそこに、まずはガイダンス館を案内してもらった。
遺跡の解説パネルや遺跡出土品が展示されている(写真撮影/石原たきび)
1万年以上続いたとされる縄文時代。この遺跡でも長期にわたって人々が生活したのだろう。
「いえ、じつはここで人が暮らしたのは500年間ぐらい。150軒ほどの住居跡が見つかっていますが、縄文時代中期に地球規模の気候変動が起こったことで、ちょっと先にあるエリアに移動したようです」
カナダの先住民が残した竪穴住居の廃屋に注目竪穴住居の中からは土器や石器も出土した。
調理のための深鉢型土器や伐採用の石斧など(写真撮影/石原たきび)
出土品の中でも最も貴重なのは香炉型土器だという。
縄文時代特有の文様で装飾が施された香炉型土器(写真撮影/石原たきび)
「焦げた跡があることから、燭台として使っていたんじゃないかと言われています。ロウのように加工した鹿の油とかを入れてから、真ん中のふちに縄を通して火を灯していたんだと思います」
なお、竪穴住居の復元にあたってはカナダ・ブリティッシュコロンビア州の先住民が残した竪穴住居の廃屋に注目した。日本とほぼ同じ緯度に位置し、狩猟・採集で暮らしていた彼らの住居は、縄文人の住居を考える際に参考になるのだ。
ちょっと広めのワンルームといった風情黒田さんはこれらの情報をもとに現代版の設計図を作成した。
円錐形の土屋根で、排煙・採光用の天窓を設けるのが特徴(写真提供/黒田将行)
東京で造園業の仕事をしながら、週末は梅之木遺跡に通う生活が1年半続いた。何しろ、住居を建てるための縄や石斧をつくるところから始めたのだ。数々の苦労を経て竪穴住居は完成した。
さて、室内を拝見しよう。
予想以上に広かった(写真撮影/石原たきび)
「30平米ぐらいですね。中央の炉の灰の中に土器を立てます。ここで料理をしたりお茶を飲んだりしていたと思われます。周囲の段差はいわゆる収納スペースです」
床は土に石灰とにがりを混ぜて固めたもの。
排煙・採光用の天窓もちゃんとある(写真撮影/石原たきび)
木と木をつなぎ止めるのは藤の蔓でつくった縄だ(写真撮影/石原たきび)
玄関、キッチン、収納、天窓。ちょっと広めのワンルームといった風情だ。ところで黒田さん、肝心のベッドはどこですか?
「あくまでも推測ですが、枝や丸太を横に渡して、その上に寝ていたんじゃないでしょうか。それだけだと背中が痛くて無理でしたが、さらに草やゴザを敷いたら寝心地は結構よかったです」
体を張って試行錯誤中です(写真撮影/石原たきび)
収納スペースには手づくりの石斧があった。
握りやすいようにグリップを削っている(写真撮影/石原たきび)
「明日、ジビエを食べながら土器を焼くイベントがあるんですよ。だから、今日は薪をたくさん割っとかないと。やってみます?」
案内されたのは資材や道具類を保管している「事務所」。
竪穴を掘らない“平地式”タイプ(写真撮影/石原たきび)
「薪はこの辺りから伐り出してくるコナラ、カエデ、クヌギなどです」
一発で仕留める黒田さん(写真撮影/石原たきび)
なお、石斧では時間がかかりすぎるため、イベント用の薪割りはさすがに文明の利器に頼るそうだ。
へっぴり腰ながら僕も何度目かで成功(写真撮影/石原たきび)
樹皮を土で覆う屋根で断熱性アップ現在、遺跡内には計4棟の竪穴住居がある。順番に見せてもらった。まずは、2棟目(1棟目はタイトル画像のもの)。
こちらも1棟目と同様、樹皮を敷いた上にこれから土を被せて土屋根にする(写真撮影/石原たきび)
3棟目の屋根は樹皮の上から土で覆う構造。
これによって断熱効果が高まるそうだ(写真撮影/石原たきび)
入口の高さの感覚が分からず、頭をぶつけるのでのれんを下げた(写真撮影/石原たきび)
縄文人は我々と比べて身長もずいぶん低かったのだ。
4棟目は現在建築中。初期の骨組みがよく分かる。柱の根元を焦がすのは腐食防止のためだという。
奥に見えるのは子どもたち用の竪穴住居製作体験キット(写真撮影/石原たきび)
きれいなサークル状の敷石はサウナ跡?敷地内には国指定天然記念物の「山高神代ザクラ」の子孫樹もあった。春になると花を付ける。
樹齢2000年の古木の種子から育てた1本(写真撮影/石原たきび)
地球を4100周して還ってきた種子(写真撮影/石原たきび)
同じ囲いの中では「ツルマメ生育実験」も行われていた。植物性タンパク質が豊富なツルマメはダイズの原種で、縄文時代から食用として利用されていた。ここでは、その利用の実態を解明するために育てられている。
最後に、遺跡のすぐ下の小川に連れて行ってくれた。「面白いものがあるんですよ」と黒田さん。
きれいなサークル状の敷石を復元したもの(写真撮影/石原たきび)
小川の脇でも縄文人が使っていたと思われる遺跡がいくつか発見された。このサークル状の敷石もそのひとつだ。
「ここで何が行われていたかは分からないんです。儀式や出産のための場所とも言われていますが、個人的な妄想としてはサウナだったらいいなあと(笑)。下が土だと汗をかいてドロドロになるので石を敷いた。このスペースで火を焚くとかなり熱いでしょ。限界がきたら下の小川の水で体を冷やす。縄文時代の交互浴ですよ(笑)」
火が点く日と点かない日は半々ぐらい縄文ツアーもいよいよクライマックス。そう、ラストを飾るのは竪穴住居内での焚き火だ。黒田さんが説明する。
「着火剤はよく揉んだよもぎの葉っぱと麻縄。あとは、全力で棒を回転させます」
しかし、苦戦する黒田さん(写真撮影/石原たきび)
「バトンタッチしましょうか」の一言で、初の火起こし体験。
これはかなりしんどいぞ(写真撮影/石原たきび)
15分ほど挑戦したのちに「今日はあきらめましょう。火が点く日と点かない日は半々ぐらいですね。ゲストの日ごろの行いに左右されます(笑)」。黒田さんは潔くライターで点火した。パチパチという心地よい音、枝の水分が蒸発するジューという音が竪穴住居の中に響く。
縄文人もこうして同じ光景を見ていたのだろう(写真撮影/石原たきび)
屋根の角度「30度」は山の傾斜とほぼ同じ「竪穴住居をつくっているうちに分かってきたことですが」と前置きして黒田さんが語り出す。
「『め』『き』『て』といった単音節、つまりひとつの音節だけでできた言葉に縄文語が潜んでいるんじゃないかと思うんです。例えば住まいは『す』で、つまりは巣。竪穴住居の天井を見上げると蜘蛛の巣みたいでしょう」
さらに、「光(ひかり)」は「火(ひ)」と「狩(かり)」ではないかという持論も飛び出した。
それ、すごい発見なんじゃないですか(写真撮影/石原たきび)
なお、今日見た竪穴住居の屋根の角度は約30度。これが高さを確保しながらも土が崩れにくい最適な角度なんだそうだ。
「山の傾斜もだいたい30度なんですよ。土砂が崩れない角度が自然にできているんだと思います。縄文人もそういうところからヒントを得て住居をつくっていたのでは」
週末限定の縄文人として暮らす中で見えてきた縄文人の生活や価値観。今回の取材では、その片鱗に触れることができた。
炎が安定してきた(写真撮影/石原たきび)
そういえば、望月さんからは「せっかくなので泊まっていってはいかがですか?」と言われた。黒田さん、ぶっちゃけ泊まれますか?
「冬の朝は軽く氷点下になるし、一晩中火の番をしなければいけなくなるのでやめたほうがいいですね。そもそも、施設自体が17時に閉まってしまいます(笑)」
とはいえ、竪穴住居の中でぼんやりとたたずむだけで縄文人の感覚に少し近付けた気がした。
●取材協力全国で大規模な自然災害が増えている。時間と共に関心が薄れてきている震災の記憶を風化させまいと、被災地では伝承施設の建設が相次いでいる。また、震災で失われたものをプラスに活かす取り組みも。各地で進められている「震災の記憶を残し、後世に確実に伝える取り組み」のうち、2020年度グッドデザイン・ベスト100を受賞した宮城県亘理郡山元町、福島県相馬郡飯舘村、熊本県熊本市の3つの事例を紹介する。
伝承が難しい状況でも震災を風化させない。復興へ向けた取り組み
東日本大震災からもうすぐ10年。震災を振り返るテレビ番組や報道は3月11日前後以外はあまり見なくなった。被災地では、子どもから高齢者までの震災経験者による語り部ガイドツアーは継続しているが、ガイド役の子どもたちが成長して忙しくなったり、高齢化で担い手が減少しつつあったりするという。また、震災を知らない子どもたちも増えた。
一方で、国土交通省が2017年に「震災を風化させないプロジェクト~震災の記録・記録の見える化への取り組み~」を発表し、震災情報の発信、震災遺構・追悼施設等のマップ化、震災メモリアル施設等の整備などに力を入れている。被災地では、震災の事実を伝える施設が続々と計画、誕生している。
被害状況を保存建築物にした「山元町立中浜小学校」山元町立中浜小学校は、宮城県沿岸部、海から約400mに位置する。2011年3月11日、東日本大震災の大津波で校舎は2階天井近くまで浸水した。避難場所まで歩いて避難することは不可能と判断し、児童と教職員ら90人は、校舎屋上の倉庫で一夜を過ごし、翌朝自衛隊のヘリコプターで全員が無事救助された。
中浜小学校は2013年に内陸の小学校と統合されて閉校、沿岸部の自治体では被災した建築物を保存するか解体するか議論されたが、山元町は宮城県南地域で唯一残る被災建築物である校舎を防災教育施設として保存することを決めた。「大津波の痕跡をできるだけ残したまま整備し、教訓を風化させず、災害に対する備え、意識の大切さを伝承する震災遺構」として、2020年9月から一般公開している。整備を担当した山元町教育委員会生涯学習課の八鍬智浩(やくわ・ともひろ)さんに案内してもらった。
校舎南側の1階は窓がサッシごと失われた。2階は窓枠は残るが、窓枠は歪みガラスが破壊されている(写真撮影/佐藤由紀子)
学校のシンボル的存在だった時計台は、根元から押し倒され、津波の甚大さを物語っている。校庭だった場所はメモリアル広場として整備され、救助のヘリが着陸した場所の近くには震災モニュメント「3月11日の日時計」が新たにつくられた。
文字盤に埋め込まれてた石は地震発生時刻の14時46分を指している。中央の方位盤には国内外で起きた大規模地震の発生時期と方位や距離が記されている。「東日本大震災だけではなく、繰り返し起きる災害に対してどう構え、どう備えるべきかを広い視点で捉えてほしい」と八鍬さんは話す。
メモリアル広場には、津波の高さと襲来した方角を示す国旗掲揚塔や、「地震があったら津波の用心」と刻まれた明治・昭和三陸地震津波の石碑も置かれている。県道沿いにたくさんあったクロマツのうち唯一残った1本は、周辺の道路工事で伐採される予定だったものを移植して残した。
校舎の児童玄関は窓枠ごと流され、下駄箱も流されていた。本来外側に開く教職員用の玄関の扉が内側に開いているのは、津波の引き波によるもの。それでも、校舎の西側に体育館があり、引き波の威力が弱められたという。盾となった体育館は引き波から校舎を守り、現在は取り壊されている。
校舎入口に建つ学校のシンボルだった時計台は津波で根元から倒され、そのまま残されている(写真提供/山元町教育委員会)
震災の翌朝、自衛隊のヘリコプターが着陸した位置の近くに設けられた「日時計の丘」。3月11日に誤差なく時間を示すようにつくられているほか、さまざまな工夫が施されている(写真提供/山元町教育委員会)
「校舎1階は、被災したままの状態を保存し、津波の甚大さを知ってもらうための場所として整備しています。被災した状態の校舎の中をそのまま保存し見学できるようにすることは、本来、建物が守るべき建築基準法とは相反します。津波の被害状況をなるべくそのまま見てもらいたい、体感してもらいたいという思いがあり、山元町では新たに条例を制定したうえで、建築基準法の適用を除外する手続きをとりました。天井から落ちてきそうな部材や配管類はワイヤーや接着剤で固定したり、倒れ掛かっている壁は裏から鉄骨で支えるなど、安全に維持・見学するために必要な補修、保存手法を目立たないように施しています」(八鍬さん)
1階の多目的ホールのモニュメントは、津波により押し倒されている。曲がった机や椅子が積み重なり、防潮林だったクロマツが校舎内に流れついている(写真撮影/佐藤由紀子)
中庭に面した窓ガラスはほとんどが破壊されたが2階の窓ガラスやステンドグラスは一部が残っている(写真撮影/佐藤由紀子)
校舎の窓ガラスは破壊され、天井などは大きくはがれ落ち、配管類がむき出しになっている。窓枠のサッシはめくれ上がり、津波で運ばれた大量の瓦礫や木などが積み重なっている。遺構のさまざまな被害状況から、津波の威力や高さ、方向などをうかがい知ることができる。
教室と仕切りで区切られたワークスペース(廊下)も天井が剥がれ落ちている。木の床板は雨風が吹き込んで徐々に反り、剥がれていった(写真提供/山元町教育委員会)
柱に巻き付いている鉄骨は学校にあったものではなく、どこからか流されてきたもの。津波はいろいろなものを巻き込んで襲ってきた(写真撮影/佐藤由紀子)
90人が寒さと余震に耐え、いつくるか分からない救助を待ち続けた屋上倉庫。震災当時のまま残され、その状況を見学できる(写真提供/山元町教育委員会)
90人が一夜を過ごした屋上の倉庫へは、狭く急な階段を昇る。明かりのないこの倉庫は、学習発表会の衣装や模造紙に書かれた絵などが当時のまま残されている。食べ物も飲み物もなく、氷点下の外気温の中、屋上倉庫の中にあるもので寒さをしのぎ、余震の恐怖に耐えながら一夜を過ごした。
災害を自分のこととして考える校舎の壁に見える青いプレートの高さまで津波が達した。津波が押し寄せて水没した校舎は「まるで船になって海に漕ぎ出したような感覚」だったという(写真提供/山元町教育委員会)
体育館により引き波から守られたことで被害が比較的少なかった2階の旧音楽室は当時の状況を色濃く残したまま映像室に改修され、当時の様子などを教職員や保護者のリアルな声と共に知ることができる。震災前は集落が見えていた旧音楽室の窓からは、黄色いハンカチが風にたなびくのが見える。被災地に対する支援への感謝や、全国から寄せられた復興を願うメッセージなどがハンカチに書かれている。地元で伝承活動を続ける「やまもと語りべの会」によるプロジェクトのひとつだ。
2階の旧図書室は展示室として改修され、ジオラマ、ドキュメントパネル、震災前の映像などを見ることができる。震災前の街並みを再現した模型は、地域住民らとのワークショップを通じて製作された「記憶をカタチに残す」取り組みだ。また、震災前の中浜小学校の模型は、縁が津波の高さに合わせてつくられており、同じ高さの視線で覗き込むといろいろなことが見えてくる。
「この震災遺構は、津波の被害状況や甚大さを知ってもらうだけではなく、災害を『自分のこと』として捉えることが大事だと考えて整備しました。例えば、展示物もただ模型を見るだけではなく、『津波はどの方向から襲ってきたのだろう』『たった一日で日常生活が変わってしまうのはどんな気持ちになるだろう』など問いかけのカードを多く用意しており、その問いかけを通じて、見学者自身にもし自分の生活環境で災害が起きたらどうするかについて考えさせるためのさまざまな工夫しています」と八鍬さんが話すように、答えを与えるのではなく、見て、考えて、想像できるような展示内容になっている。
震災前の町を再現したジオラマは住民も参加して製作され、地域住民の記憶回帰の場にもなっている(写真撮影/佐藤由紀子)
児童ら90人の命が無事に守られたことには「事前の備え」がいくつもある。中浜小学校は震災前から津波や高潮の危険性があったことから、1989年の建て替え時に敷地全体が2m程度かさ上げされた。そのため、屋上は津波の被害を逃れた。また、地域住民が学校が開いていない時間帯でも校舎2階まで避難できるように設けられた3つの外階段のひとつが翌朝に脱出ルートとして利用できた。
「学校が海に近いため、先生方は津波の浸水域であるという危機感を常に持っていて、震災当日の2日前の3月9日に発生した津波注意報の発表を伴う地震(このとき山元町では津波は観測されていなかった)を受け、津波が発生した場合の防災・避難行動をしっかりと考え直しています。いろいろな偶然や幸運が重なりましたが、事前に避難マニュアルを確認し、児童には災害に対する意識の大切さを促していたので、パニックにならず落ち着いて行動ができました」(八鍬さん)
児童の心のケア、転入・転出の手続き、年度末の会計処理、支援物資の分配など、学校再開に向けた多岐にわたる取り組みを整理するため模造紙に書かれたマインドマップ。仕事や勉強などさまざまなものに応用できるという(写真撮影/佐藤由紀子)
震災遺構として2020年9月に中浜小学校が公開され、約2カ月で来訪者は8000人を超えた。修学旅行の小・中学生も多く訪れており、展示室のノートには「津波の破壊力にびっくりした」「こんな災害が二度と起こらないように願う」「深く考えさせられ、多くの学びを得られる場所だった」などの感想が綴られている。
震災遺構中浜小学校は、被災したままの状態での公開を法的に可能とした手法や、住民らとの意見交換を重ねて整備したプロセス、時の流れを感じながら震災について考える日時計モニュメントなどによる統合的なデザインが評価され、「震災の脅威を示すにとどまらない学びの場を提供しており、柔軟な発想が出来上がった空間の質を格段に高めている。この種の施設を整備する際の、ひとつのモデルを提示したプロジェクトである」として、グッドデザイン・ベスト100のほか、特別賞に該当するグッドフォーカス賞(防災・復興デザイン)も受賞した。
福島県のログハウス型仮設住宅を再利用した「大師堂住宅団地」2020年度グッドデザイン賞を受賞した福島県相馬郡飯舘村の「大師堂住宅団地」(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)
次に紹介するのは、仮設住宅にまつわる取り組み。
2011年、福島県は応急仮設住宅を、通常のプレハブ建築ではなく、木造住宅で約6000戸以上を建設・供給した。(過去記事)仮設住宅は一定期間を過ぎると役割を終えるが、撤去されると同時に大量のゴミが発生し、処分費用もかかる。そこで、福島県は資源を有効活用しようと2016年に応急仮設住宅の再利用を呼び掛けた。
「大師堂住宅団地」が生まれた背景を福島県飯舘村建設管理係に聞いた。「2017年3月に、福島県第1原発事故で全村が計画的避難区域指定が、一部を除いて解除されました。そこで、避難していた住民が戻ってきて住めるように災害公営住宅を新築したり、もともとの公営住宅を改修・改善して整備していましたが、当時、仮設住宅に住める期間終了が当時迫っていて、年内に住宅を供給するために工期を短縮する必要がありました。
そこで、福島県が提案する『仮設住宅の移築・再利用事業』とも相まって、県内で使われていたログハウス型の仮設住宅を移築・再利用しようという流れになりました。
そして、仮設住宅を解体・廃棄処分ではなく恒久住宅とし、一時的な仮設住宅を恒久住宅として再構築したのが『大師堂住宅団地』です。仮設住宅が集会所などに再利用された話は聞いていましたが、災害公営住宅に変わったのは福島県で初めてでした」
建築・設計は、福島県から委託された設計事務所「はりゅうウッドスタジオ」と打ち合わせて進めた。躯体、間取りの壁の位置などはそのまま、屋根や外壁、基礎外周部に断熱材を補強して断熱・気密性を高め、冬は床下のエアコンひとつで暖かく、夏は涼しく過ごせるようにした。外壁に鉄板サイディングを施し、屋根、サッシ、設備などは一新。また、南側を広くし、軒下に外部デッキ・軒下空間を加えて外とつながり、交流する場を設けた。
16戸の仮設住宅の間取りを広げて12戸として再利用した(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)
内部は木の温かみ、ぬくもりを活かしログ材を極力そのまま見せるデザインにした。「ログ材は積み上げた後に丸太の重量と収縮で下がる現象があるため、断熱材の連続と気密を連続させることが難しかった」と話す(画像提供/福島県飯舘村建設管理係)
県産の木を使い、地元の工務店の職人が建てた、地域の財産ともいえるログハウス型仮設住宅に新しい可能性を示した「大師堂住宅団地」は、緻密で丁寧な設計と同時に、資材の循環という地球環境にやさしい社会的な意義が評価された。
被災した特別史跡の復旧工事を公開する新たな手法「熊本城特別見学通路」「熊本城特別見学通路」。やわらかな弧を描く通路は全長350m、高低差21m(画像提供/益永研司写真事務所)
最後に紹介するのは、2016年4月の熊本地震により甚大な被害を受け、石垣が崩れ、復旧工事に約20年が必要になった熊本城の事例。
「一般的に復旧工事はクローズで行われますが、熊本市の観光のメインで市民のシンボルに20年も入れないことは観光経済に大きな打撃です。そこで、発想を転換して開かれた工事にしようと、被災した城内に入り復旧する過程を安全、間近に見られる観光資源をつくり出すことを熊本市に提案し、実現にいたりました」と話すのは、日本設計のアーキテクト、塚川譲さん。
国の特別史跡内に建築をつくって見学通路を設ける、という初の試みだが、厳しい条件が重なった。「地震などが起きれば石垣が崩落する危険がある。復旧中の現場に新築の建物をつくるという通常では考えられないプロセスを進める必要がありました。また、熊本城の敷地は文化財保護法で定められた特別史跡で、掘ったり削ったりができないため、地中に杭を打つことができず、コンクリートの塊を置いた基礎としました。文化財に配慮しながら建物を支える建築手法をとりました」
見学ルートとなる空中歩廊。基礎を置ける範囲が制限されるため、石垣を飛び越える約50mのロングスパンアーチ構造を採用した(画像提供/益永研司写真事務所)
来場者の視線、熊本城の景観に配慮して構造躯体はできるだけ小さく見せるよう工夫。生い茂る木々や植物と一体になった熊本城の景観が楽しめる(画像提供/益永研司写真事務所)
2019年10月から特別公開第1弾を開始。2020年6月に第2弾として見学通路が開通した。コロナ禍の影響もあったが、10月下旬には見学者が10万人を突破した。「近くで見ることができてうれしかった」「まだ震災の傷跡が残っていることに悲しみや驚きを感じた」などの感想が届いているという。以前は地面から熊本城を見ていたが、地上6mから見られるのも新鮮で、緑豊かな城内では行くたびに違った景色を見ることができる。
「通常であれば新築の建物を建てることが許されない場所に建物を建てているため、20年間のみの公開で、その後は解体するということで文化庁の許可を受けています。前例のない試みの建築が、今回初めて実現したことで、文化財と建築の在り方が大きく見直されたのではないかと思います。入れない場所に安全に入って修復過程を見学するといった手法は、震災遺構の見学でも応用できる可能性があると、建築の有識者から評価をいただきました」(塚川さん)。「熊本城特別見学通路」は、安全性、機能性とあわせて美しいデザインも高く評価されている。
2020年度グッドデザイン賞を受賞した3つの事例に共通するのはリアルに災害を肌で感じ、広い視点で考え、「学ぶ」「生かす」「考える」機会を与えているという点だ。地域の復興にも役立ち、未来の災害への備え、対応を強く訴えかける。
前例がない特殊な状況や環境だらけだった「震災を伝える取り組み」はまだ始まったばかりだが、未来に生きるすべての人のために、これからも進化させながら100年、200年先まで伝え続けていく必要がある。
●取材協力LIXILが実施した「家族時間の変化と住まいに関する調査」の結果によると、コロナ禍で家族時間が増加し、それによって“ファミリー・ルーティン”が変化したという。新たなルーティンとはどんなものか、詳しく見ていこう。【今週の住活トピック】
「家族時間の変化と住まいに関する調査」を実施/LIXILコロナの流行前後で家族時間が増え、帰宅後すぐの入浴も増える傾向に
LIXILの調査で、「コロナ禍で以前と比べて家族の時間は変化したか」を聞いたところ、ほぼ4人に1人に当たる23.5%が、家族の時間が増えたと回答した。増えたと答えた人に聞くと、以前より1日あたり平均約4.4時間も増えている。家族時間が増えた比率を「在宅勤務」を実施している人に限ってみると、ほぼ3人に1人に当たる32.6%にまで高くなった。
では、家族時間が増えるとどうなるのだろう?調査結果を見ると、「家で家族と食事をする回数」や「掃除をする回数」などが増える傾向が見られた。
次に、仕事をしている人に、「帰宅後に行っていることの順番」を聞き、新型コロナウイルスの流行前と流行語でどう変化したかを比較している。流行前も流行後も、1番目に行っているのは「ご飯(食事)」だが、流行前(42.6%)よりも流行後(38.1%)のほうが減っている。逆に流行後に増えたのは、「お風呂(入浴)」で、17.8%→21.2%に増加している、
「子どもとの時間」や「自分の時間」にはそれほど大きな変化はなかったので、新型コロナウイルス流行後は、食事よりも入浴を優先させる傾向がうかがえる。
帰宅後に行っていることの順番(流行前と流行後の比較:有職者のみ)(出典/LIXIL「家族時間の変化と住まいに関する調査」より転載)
半数近い家庭で「帰宅後の消毒」と「定期的な換気」がファミリー・ルーティンに「コロナ禍で増えた新しいファミリー・ルーティン(家族での約束・習慣)」について聞くと、「帰宅したら消毒」と「定期的な換気」が半数近くに上る家庭で行われていた。ほかにも、週末のまとめ買いや帰宅後すぐの着替え・入浴、飲食のテイクアウト、ネットショッピングの活用、使用後のモノの消毒が3位から7位になり、20%を超える比率に達している。
コロナ禍で増えた新しい家族の習慣(ファミリールーティン)として行っていること(複数回答)(出典/LIXIL「家族時間の変化と住まいに関する調査」より転載)
しかも、こうした新しいファミリー・ルーティンについては89.9%、つまり9割の人が今後も続ける予定と回答している。新しいルーティンは今後も定着していきそうだ。
玄関から洗面所までの13.3歩の間で、ウイルスや菌を持ち込む?コロナ禍で、帰宅後の手洗い・うがいは必須になっているが、この調査で、いまの住まいの玄関から洗面所までの距離を聞いたところ、平均で13.3歩の距離だったという。
ちなみに、筆者のマンションの場合、玄関から洗面所の前まで6歩、中の洗面台までなら7歩ほどで行ける。実際に測ると洗面台まではほぼ3.5mだった。13.3歩ならこの倍近くになるので、ウイルスや菌を室内に持ち込むリスクのある距離は7m前後になると考えられる。特に、マンションよりも一戸建てのほうが、玄関から洗面所までの距離が長くなる間取りが多いと思われるが、意外にリスクは高いと思った。
となると、玄関でできるだけ消毒・除菌をして、室内に持ち込まないようにするのがカギになりそうだ。
コロナ禍で防音機能のニーズが高まる調査結果で、筆者がもう一つ注目したのが、「防音機能が付いた部屋が欲しい」という結果だ。半数近い45.9%が欲しいというのは、かなり高い比率だと思う。家族時間が増えたことや在宅勤務が増えたことで、音を遮断したいというニーズが高まっているのだ。防音性能を高めるには、リフォームや住み替えなどを視野に入れる必要がある。
防音機能が付いた部屋が欲しいか(出典/LIXIL「家族時間の変化と住まいに関する調査」より転載)
コロナ禍で新しい生活様式が広がるにつれて、家庭それぞれのファミリー・ルーティンも変化している。そうなると、これまでは不満に感じなかった住宅の性能や間取り、設備などに不都合を感じるようになる。不都合を解消するには、模様替えなどをしてさまざまな工夫をすることも必要だが、大がかりなリフォームをしたり、別の家に住み替えたりする必要が生じることもある。
コロナがもたらした新しいファミリー・ルーティンは、住まいの新たな需要を生み出すことにもつながるようだ。
「○○が好きすぎて、○○のそばに引越したい」。そう考えたことがある人は少なくないだろう。ただ、家賃や職場へのアクセスなどさまざまな条件との兼ね合いで諦めた、という人も多いはず。しかし、実際にそれをやってのけた方はどのように引越して、どんな生活を送っているのか?
今回は、好きすぎて「好きなものがある街へ引越した、移住してしまった」人たちに、お話を伺った。
水曜どうでしょう&TEAM NACS好きで北海道へ移住「水曜どうでしょう」や、出演する大泉洋を擁する演劇集団・TEAM NACSが大好きなあまりに、北海道へ引越してしまった夫婦がいる。竹岡和行さんと、竹岡紗希さんだ。
大泉洋らTEAM NACSが所属する事務所、CREATIVE OFFICE CUEが行うイベントのTシャツ(写真撮影/竹岡紗希さん)
関西で生まれ育った2人は、京都建築大学校で知り合った。紗希さんが学校で北海道旅行のおみやげをついでに渡したのがきっかけだ。
「どうでしょうに出てきた『四国八十八箇所』の話になったとき、『水曜どうでしょう知ってる?』って聞かれて。人からそう聞かれたのが初めてだったので。そこから話すようになりました」
いま2人が住む部屋にある多数のグッズ(写真撮影/竹岡紗希さん)
当時から紗希さんは水曜どうでしょうのDVDを全部持っている大ファンで、和行さんは「普通に好きで見たことがある」程度だったが、DVDの貸し借りから仲は深まった。
「(大泉洋らが出演する)『おにぎりあたためますか』も京都で放送していたので、彼らが行った全国のお店へ、2人で一緒に食べに行っていました」
(画像提供/竹岡紗希さん)
紗希さんは専門学校時にも移住を考え、就活で札幌へ4度行ったが、内定をもらえずに関西で就職。国家資格である一級建築士を取ったことと、会社の業績悪化が重なり、入社4年目ごろには移住を本格的に考えた。
「つらい事があった時に、大泉洋さんの主演映画『しあわせのパン』を久しぶりに観たんです。そこで東京から洞爺湖に引越してパン屋を始めた夫婦の『好きな暮らしがしたいって思ったんです。好きな場所で。好きな人と。』ってセリフがあって。その言葉が移住の決め手ですかね」
移住後に訪れた洞爺湖の姿(画像提供/竹岡紗希さん)
紗希さんとともに彼らのファンになっていった和行さん。だいぶ前から一緒に移住する話をしていた。
「僕も水曜どうでしょうを見て、北海道に行きたい気持ちもありました」
お手製のマグカップ(写真撮影/竹岡紗希さん)
もっと近くで彼らを追える生活2人は北海道への引越しを決意。土日祝日にイベントへ行くための時間を確保できる仕事を探したが、大阪時代と同じ住宅業界への就職は厳しく、ビルなどを手掛ける設計事務所へ移った。
同じ理由で、和行さんは公務員として事務の仕事に勤めた。
場所は大泉洋たちが学生時代に住みイベントにも行きやすい札幌だった。
水曜どうでしょうの”ミスター”こと鈴井貴之の冠番組『ドラバラ鈴井の巣(HTB)』に札幌の白石区を守るヒーローがいたことから、白石区へ(写真撮影/竹岡紗希さん)
2018年の2月に内定をもらって、ちょうど予定していた北海道旅行の時間を現地での不動産探しに充てた。
「雪道に慣れない人は駅から5分以内がいいそうですが、条件面で難しくて、最終的には7分以内で探してもらいました」
まさに駅から7分ぐらいほどの2DKのマンションに決定。家賃は管理費込みで7万6000円で、寝室はもはやグッズ置き場になった。
当時の家のリビングダイニングで、この入居前の画像が唯一の写真。なお1室まるごとをグッズ部屋にしていた(写真撮影/竹岡紗希さん)
北海道に移住したのは2018年4月下旬。そこからチェックできるテレビ・ラジオ番組が増えた。特にTEAM NACSが全員出演する『ハナタレナックス』が毎週見られるほか、水曜どうでしょうの新作もいち早く見られる。
夜の放送はできるだけ早く帰って見るが、難しい場合でも1週間全チャンネルを録画するレコーダーとSNSを駆使して、スポット出演ですら見逃さないようにする。
森崎博之のジャンジャンジャンプ!(HBC北海道放送)の収録風景(写真撮影/竹岡紗希さん)
大泉洋主演でオール北海道ロケの映画『こんな夜更けにバナナかよ』や、TEAM NACSが出演するドラマ『チャンネルはそのまま!(HTB)』のエキストラに参加するなど、彼らと一緒に楽しめる場も広がった。
大泉洋主演映画「こんな夜更けにバナナかよ」を見に来た際の写真(写真撮影/竹岡紗希さん)
ちなみに、地元の北海道民に水曜どうでしょうや大泉洋らはどう受け止められているのか。
「同世代だと、『”水曜どうでしょう”ってタイトルは聞くけど、内容は知らない』って人が割といて。本当にリアルタイムだったのは40代以上の方なんです」
確かに今でも再放送が全国のUHF系列局で流れるから気づきにくいが、最盛期はレギュラー放送のあった1996~2002年だ。
「40代以上の人にとっては、大泉さんたちは親戚みたいな存在です。でも番組ファンにはおなじみの車やバイクの水曜どうでしょうステッカーは道外より見なくて、『ファンですアピール』は少ない。でも水曜どうでしょうの新作の占拠率(テレビをつけている人の中で、どれだけの人を集めているかという数字)は50%を超えてまでいるし、やっぱり道民に愛されていると思いますね」
(写真撮影/竹岡紗希さん)
「TEAM NACSは森崎リーダー以外はたぶん東京の方に住んでいるので、彼らの活動を『追いかけるなら東京じゃない?』っていう人もいるんですけど、やっぱり彼らのホームは北海道だと思うので。どれだけ東京の方で忙しくなっても、収録のたびに帰ってきてまでレギュラー番組を続けていますから」
雪まつりで、HTBの旧社屋をつくった2019年2月にはさっぽろ雪まつりで、水曜どうでしょうでもおなじみだったHTBの旧社屋の雪像をつくった。建築の技術を活かしてCADで図面を書き、短い製作時間の中で2人だけでつくり上げた。
実質3日でつくり上げた、水曜どうでしょうの聖地(写真撮影/竹岡紗希さん)
「本来は横長の建物ですけど、雪像は2×2×2メートルって決められているので、それでもHTBに見えるように工夫しました」
後ろの通用口は、水曜どうでしょうで企画発表などをやる、ある種の“聖地”なので丁寧につくり、ロケ車も置いた。
(写真撮影/竹岡紗希さん)
「気付く人は、『うわ、こんな所までつくってる』って思ってくれました」
それをHTBの記者が見つけて、夕方の情報番組で取り上げられた。TwitterではHTBのマスコットキャラクターonちゃんのアカウントも引用リツイートしてくれた。
いま大泉洋が披露宴をしたと公表する式場で、式を挙げようと準備をしている。披露宴をおこなったのは2010年8月29日。ふとその10年後である2020年の8月29日を調べると、土曜日で大安だった。
「運命だと思って決めました」
コロナ禍で延期になったが、新たな式の日付も来年の8月29日にしている。
(写真撮影/竹岡紗希さん)
現在は、水曜どうでしょうでも行われた「カントリーサインの旅」を決行中だ。
こういった市町村の境界線にあるカントリーサインで記念撮影していく旅(写真撮影/BATACHAN)
「さすがにどうでしょうみたいに、カードの出た順にまわるのは厳しいので(笑)、並んだ自治体を効率よくまわっています。3~4連休を使ってレンタカーで走りますね」
今は179市町村中の175を制覇し、奥尻町、礼文町と利尻町、利尻富士町の離島の自治体4つを行けばクリアだ。
住んで3年目の北海道。どう思っているのか。
「北海道で最初にびっくりしたのは、水道水がすごく美味しいんです。地域によって全然特産品が違うし、美味しいものが多すぎます」
スープカレーのマジックスパイス、ラマイ、ジンギスカンの成吉思汗 なまらなど、庶民的で通いやすいTEAM NACSゆかりのお店にもよく行く。
TEAM NACSのメンバーが大学時代から通い続ける、カリー軒(写真撮影/竹岡紗希さん)
紗希さんに聞く。彼らを追って北海道に来て、今どう思いますか?
「日々充実して、移住して良かったと思います。住んでいると、たぶん悪いところも見えてくると思うんですけど、それを含めてもっと北海道を知っていきたい」
もし大泉洋さんやTEAM NACSに、今メッセージを送るとしたら。
「もうTEAM NACSと出会っていない人生が想像できない。人生楽しませてもらって感謝ですね」(紗希さん)
「嫁と一緒に来てすごく楽しいですし、見れば見るほどハマらせていただいています。NACSメンバーに言いたいのは……結婚式に来てください!(笑)」(和行さん)
2020年の雪まつりでつくった、「チャンネルはそのまま!」の主人公・雪丸花子の雪像と(写真撮影/竹岡紗希さん)
ふなっしーが大好きで、船橋へ引越し。ふなっしーが好きなあまりに、船橋への引越しを決めたのがりささん(@funafunarin)。長野から上京し、南砂町(東京都江東区)で過ごした後に船橋へ引越した。
イベントで記念撮影(写真撮影/りさ)
それほどまでに、ふなっしーが好きになったのはなぜか。
「最初は『何だこれは』って思ったんですけど(笑)、どんどんかわいく見えてきたのと、一生懸命で人を笑顔にしたいエネルギーであふれているし、知れば知るほどすごく尊敬できるキャラだと思いました」
「船橋発、日本を元気に!」をテーマに、一生懸命に体を張ってアピールしつつ楽しませて、実は船橋の地域貢献につながるキャラ使用には版権料をもらわず、被災地には多額の寄付などもひそかに行うふなっしー。そんな彼の活動の源である船橋へ住みたい気持ちは日ごとに高まった。
だからこそ最初は船橋駅近くを希望していたが、予算オーバーでかなわず、津田沼駅から徒歩圏内の「ギリギリ船橋市」の地域に決めた。
(画像提供/りさ)
「船橋市に必ず住みたい」。その思いが伝わったか、不動産会社は一生懸命にピッタリの部屋を探してくれた。1カ月ほどそうした末に見つかったのは、1Kで4万5000円のアパート。新京成線の線路沿いで、電車の走行音がする分安かった。
部屋は6畳、ロフト部分が別に3畳ある部屋だった。ロフトがある部屋にしたのは、ちょっとしたふなっしー部屋をつくるためだ。
たくさんのふなっしーで彩られたロフトの一角(写真撮影/りさ)
「引越してから、ふなっしーを身近に感じられることがすごく増えました。転入届を出しに船橋市役所へ行ったら、地元のこどもたちがつくったふなっしー人形があったし、道行く人のかばんにもふなっしーのキーホルダーが付いていて」
ふなっしーが船橋の魅力を教えてくれた船橋に溶け込めたのも、ふなっしーがきっかけだった。
「船橋にずっとお住まいの“梨友”(ふなっしーファンの愛称)の方と友だちになれて、地元ならではのお話を聞かせていただいたり、市民祭りへ一緒に参加してくれたり。とてもうれしかったです」
船橋のお店も、ふなっしーの景品がもらえるスタンプラリーなどが目当てで行ったおかげで、たくさんのお気に入りができた。
「ひとりなら絶対に入らなかったお店も、ふなっしーのどんぶりやコースターをもらうために入れたんです。ふなっしーを通じて、船橋とお店の開拓ができて本当に楽しかった」
船橋の飲食店・小売店30店舗でコースターがもらえる企画。ぜんぶ行った(画像提供/りさ)
新京成線沿線を飛び回り、2カ月でラーメンを24食。どんぶりとレンゲのセットを2つもらった(画像提供/りさ)
「例えばふなっしーが紹介していた居酒屋の『フナバシ屋』さんも、ファンがイベントの後に集まるような場所ですが、私も大好きで行っていました」
ふなっしーのサインとともにお酒も飲んだ(画像提供/りさ)
ふなっしーグッズが買えるショップ、ふなっしーLANDへもよく行った。
「来ている方々はふなっしーが好きな人ですし、お店も手づくりのPOPから何から、ふなっしー愛にあふれているような、すごくあたたかい場所です」
そんな船橋の街を振りかえって。
「何よりふなっしーのホームタウンであるだけで魅力的だけど、純粋に街としても、ららぽーとやIKEAがある一方で梨園や畑もあるし、海で潮干狩もできるし。そのバランスが落ち着きましたね。地元のお野菜や貝を使ったおいしいお店もたくさんありました」
(画像提供/りさ)
船橋を離れる日船橋に住んで4年目の2019年、ふなっしーともうひとり大切な人ができた。
「彼とは福祉の仕事の関係で知り合いました。告白されて、付き合い始めた日がたまたま2月7日だったんです。2と7ってファンにとっては特別な数字で、「ふなの日」って。それってファンじゃない人ならささいなことですけど、彼は「すごい」って一緒に盛り上がってくれました」
彼とはふなっしーLANDへも行った。「俺もグッズが欲しい」とキーホルダーやマグカップを買ったという。代わりにこの年は彼が好きなラグビーのワールドカップがあり、一緒に見て熱くなった。
そうして愛を育んで、結婚を決めたときのこと。彼の親御さんの具合が悪く、実家の近くへ住むために船橋を離れざるを得なかった。
「私も彼の実家の近くに住んだ方が良いと思っていました。それでも彼は、ふなっしー好きの私の想いを汲んではじめに船橋で新居を探してくれたんです。彼にとっては何の縁もゆかりもないし、職場も船橋じゃ遠かったんですけど、その気持ちに感謝しています」
船橋を発つ日、津田沼駅で(画像提供/りさ)
「船橋を発つとき、船橋の思い出の場所を回りたかったんですが、結婚式の準備もあってなかなか行けませんでした。でも海老川沿いは歩きました。ふなっしーが初期のころYoutubeで一人でおどっていた海老川にかかる鷹匠橋。そこがふなっしーのスタートの地でしたから」
(画像提供/りさ)
そして2人は親御さんの家へ通いやすい、川崎へ住むことになった。そして結婚の日取りを考えているころの話。
「私たちは『いいふなの日で11月27日とかどうだろう』って冗談で言ってたら、ちょうどその日が大安だったんですよ。そこでまた盛り上がって、本当にいいふなの日(11月27日)にふなっしーの柄の婚姻届で、船橋市役所へ行って入籍しました」
船橋市役所で2人で婚姻届を提出(写真撮影/りさ)
「そして川崎市に住んでからも、よく船橋には行っています。ふなっしーLANDもイベントも行って、梨園で梨も2度買いました」
安くておいしい梨をたくさん持って帰る(画像提供/りさ)
「ふなっしーが私の世界を広げてくれて、生活や心を彩ってくれました。いつも元気や癒やしをくれて、存在してくれて感謝です」
結婚式はコロナで延期になった(画像提供/りさ)
「船橋への愛から、生まれてきてくれたふなっしー。その愛ある街でふなっしーを身近に感じながら応援できて、4年弱でしたがとても幸せでした。ふなっしーと同じ市民だったことは一生の思い出だし、誇りです。
これからもずっとふなっしーのことが大好きだし、離れても船橋という街とも縁を持ち続けていきたいですね」
何よりも「好き」を優先して引越す。そうすれば、好きなものにもっと近くでふれ合えて、その過程で街をどんどん好きになれる。一生の思い出をつくれる、いい選択肢かも知れない。
福島第一原子力発電所から半径20km圏内のまち、福島県南相馬市小高区。一度ゴーストタウン化した街だが、2016年7月12日に帰還困難区域(1世帯のみ)を除き避難指示が解除5年以上が経過し、小高区には新たなプロジェクトや施設が次々と誕生した。小高地区の復興をけん引してきた小高ワーカーズベース代表取締役の和田智行さんや、街の人たちに話を聞いた。
避難指示解除後人が動き、小高駅など交流の拠点が生まれた
2011年3月11日の福島第一原発事故の影響により小高地区には避難指示が出て全区民が避難した。一時、街から人がいなくなったが、避難指示解除以降住民の帰還が徐々に進み、2020年10月31日現在で居住率は52.89%。「すぐに元どおりとはいかないが、本格的に戻り始める人が出てきた」と街の人が話すように、着実に動き始めている。そして、避難指示の解除後に、各地から小高区に移住した人は600人ほどいるという。
上は、避難指示解除後に小高地区に新たに誕生した代表的な店舗・施設だ。特に2019年以降は、復興の呼び水となる新施設のオープンが相次いでいるが、ほかにもJR小高駅から西へ真っすぐ伸びる小高駅前通り沿いを中心に、新しい施設や店が誕生している。いくつか紹介しよう。
JR常磐線の小高駅の西側、福島県道120号浪江鹿島線を中心とした地図(記事で触れている施設やお店はチェック付き)
まず、まちの玄関口となる駅。JR小高駅の駅舎は東日本大震災による津波で浸水したが、流されずそのまま残った。震災後は営業を休止していたが、避難指示解除後の2016年7月に再開、2020年3月にJR常磐線が全線開通した。小高駅は無人駅になったが、駅舎は木をふんだんに使った明るい空間にリニューアルされ、Wi-fi環境やコンセントを備え、打ち合わせや仕事場として利用が可能だ。
駅員が利用していた事務室はコミュニティスペースとして活用し、開放時に常駐するコーディネーターは、駅をハブとした魅力的なまちづくりプロジェクトの核となる予定。
駅舎のリニューアルと同時に駅に新たな役割を持たせ、人材を発掘するこの試み。JR東日本スタートアップと一般社団法人Next Commons Labが協同で取り組む「Way- Wayプロジェクト」の第一弾で、全国に先駆けて実証実験が行われたものだ。
JR小高駅(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
常磐線は1~2時間に1本。駅舎のコミュニティスペースでは下校途中の高校生が勉強しながら常磐線を待つ。利用者が多い時間帯(平日は16時~19時、土・日・祝は12時~16時30分)に開放(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
次は、JR小高駅から歩いて約3分のところにある、芥川賞作家・劇作家の柳美里さんが2018年にオープンした本屋「フルハウス」。この店を目当てに全国からファンが訪れている。柳さんは、震災後にスタートした臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」(2018年3月閉局)で2012年2月から番組「ふたりとひとり」のパーソナリティを担当し、番組のために週1回通っていた。2015年4月に鎌倉市から南相馬市に転居。2017年7月、下校途中の高校生や地元の人たちの居場所にもなる本屋を開きたいと、小高区の古屋を購入して引越した。旧警戒区域を「世界で一番美しい場所に」との思いで、クラウドファンディングで資金を募り、2018年4月、この自宅を改装してオープンさせた。
柳美里さんの小説にちなんで名づけたブックカフェ「フルハウス」。裏に倉庫をリノベーションしてつくった演劇アトリエ「La MaMa ODAKA」を併設し、柳さんが立ち上げた演劇ユニット「青春五月党」の復活公演を2018年9月に上演。福島県立ふたば未来高校演劇部の生徒が出演し、チケットは完売(写真撮影/佐藤由紀子)
写真は副店長の村上朝晴(ともはる)さん。店内には約3000冊の本が並ぶ。作家の村山由佳さん、角田光代さん、歌人の俵万智さんらにそれぞれ20冊の本を選んでもらい、手書きのメッセージを添えて販売するコーナーも。小説家が営む本屋ならではの他に類を見ない企画だ(写真撮影/佐藤由紀子)
旧警戒区域に移住して本屋を開き、芝居を上演する柳さんに、友人・知人は「無謀過ぎる」と止めたそうだが「帰還者が3000人弱の、半数が65歳以上の住民のみでは立ち行くことはできない。他の地域の人と結合し呼応し共歓する場所と時間が必要。無謀な状況には無謀さを持って立ち向かう」と柳さん。「フルハウス」は、本や人、文化に触れ、若者の未来と夢が広がる、“こころ”の復興に欠かせない要地となっている。
南相馬市が復興拠点として整備し、2019年1月に誕生した「小高交流センター」には、多世代が健康づくりができる施設や、フリーWi-fiに対応する交流スペース、起業家向けのコワーキングスペース、飲食店などがそろう。こちらにも地元の人が多く訪れており、日常的な憩いの場になっていることがうかがえた。
小高交流センター(写真撮影/佐藤由紀子)
小さな子ども向けの遊び場「子育てサロン」。授乳スペースやキッチンコーナーも併設。2人の子どもを連れた母親は「幼稚園の帰りに毎日寄って、子どもたちを遊ばせています」と話していた(写真撮影/佐藤由紀子)
農業を再開した方の新鮮な朝採り野菜など生産者の顔が見える安全・安心の野菜を中心に、地産のものを販売する「小高マルシェ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
ゼロから新しいことに挑戦する人たち。名産品のトウガラシも誕生筆者は2019年3月以来の再訪だが、上記で紹介した施設以外にも、小高地区の駅前通りに新しい個人経営の店舗がぽつりぽつりと増えているのを発見した。話を聞くと、ほとんどが避難区域解除後に地元に帰還して、店を開き新たな分野に挑戦していた。
震災前にスーパーで働いていた鈴木一男さんは、2019年2月、同じ場所に家族とともに食事処「Diner Bonds(ダイナーボンズ)」を開いた。ランチは、カツカレー、かつ丼、生姜焼き定食など、どれもボリュームがありリーズナブル。お客が次々訪れ活気にあふれていた。「駅前の通りは車が増えて、にぎわっていると感じます」(写真撮影/佐藤由紀子)
「小高工房」は、2017年3月オープン。畑でイノシシの被害がないトウガラシに着目、3人で栽培を始め、現在は80人以上の住民を巻き込んだプロジェクトに成長、新たな特産品に。写真はオーナーの廣畑裕子さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
2019年12月、ここで以前呉服屋を営んでいた鈴木さんが娘さんと開いた「コーヒーとたべもの 鈴木屋」。実家の秋田や青森の食材を使ったメニューが特徴で、淹れたてのドリップコーヒー、手づくりケーキなどを提供。「人は少しずつ戻ってきていますし、若い人が増えています」とオーナー(写真撮影/佐藤由紀子)
「Odaka Micro Stand Bar(オダカマイクロスタンドバー)~オムスビ~」はスペシャリティコーヒーが看板。移住者やUターンした若者が「小高で地域と若い人が変わるきっかけをつくりたい」と、小高駅付近でキッチンカーから始めて2018年に開店(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
地域の課題を解決するための事業に取り組む起業家を支え育成する「小高パイオニアヴィレッジ」外観(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
復興の潮流をここまで見てきたが、なかでも大きな位置を占めるのが、2019年3月に誕生した「小高パイオニアヴィレッジ」(過去記事)と、その運営を担う一般社団法人パイオニズム代表理事の和田智行さんの存在だ。
「小高パイオニアヴィレッジ」は、起業家やクリエイターの活動・交流の拠点としても活用できるコワーキングスペースとゲストハウス(宿泊施設)、共同作業場(メイカーズスペース)を含む施設。和田さんは、このコワーキングスペースを拠点に、人と人、人と仕事を結びつけ、コミュニティやビジネスを創出する手助けをしている。
小高区(旧小高町)生まれの和田智行さん(写真撮影/佐藤由紀子)
「小高パイオニアヴィレッジ」を立ち上げ運営を担う和田さんが代表取締役を務める小高ワーカーズベースは、地域の協力活動に取り組む「地域おこし協力隊」を活用して地域の課題の解決や資源の活用を目指すプロジェクトを進める「ネクストコモンズラボ(以下、NCL)」の事業を、南相馬市から受託している(NCL南相馬)。NCLは全国14カ所で行われている。
和田さんは「1000人を雇用する1社に暮らしを依存する社会ではなく、10人を雇用する多様な100社が躍動している自立した地域社会を目指す」ため、2017年から、南相馬市の職員と共に、NCL南相馬の事業をスタートさせた。
「私たちが地域の課題や資源を活用して案をつくり、実際に事業化したい人を募集し、企画書を提出してもらって採用を判断します。そして、起業家が自走できるように活動や広報をサポートし、地域や他企業とつないだりしながら、育成していきます。最終的には、経済効果が生まれ、関係人口が増えて、その人たちが定住することも目的のひとつです」(和田さん)
現在進めているプロジェクトは、先に説明した小高駅を活性化する「Way- Wayプロジェクト」、南相馬市で千年以上前から続いている伝統のお祭り「相馬野馬追」のために飼われている馬を活用した「ホースシェアリングサービス」、セラピストが高齢者の自宅や福祉施設、病院などを訪問してアロマセラピーで癒やしを届ける「移動アロマ」、地方では手薄になりがちな地域の事業者や商材に対して広報・販促支援などを行う「ローカルマーケティング」を含む7つ。以下、全国各地からプロジェクトの募集を見て移住したラボメンバーの3人を紹介。
横浜市生まれの水谷祐子さんは、英国IFA認定アロマセラピストの資格を持ち、アロマセラピストとして高齢者に施術をしてきた。「移動販売プロジェクト」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)
東京都生まれ、馬の調教師・馬術選手だった神瑛一郎(じん・よういちろう)さん。年1回の相馬野馬追のために飼育されている馬の活躍の場をつくる「ホースシェアリング」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)
南相馬市生まれ、仙台、北海道で旅行領域の営業職に就いた高田江美子さん。地元にUターン、前職を通じ広報・販売活動の重要さを感じて「自由提案プロジェクト」にローカルマーケッターとして参加(写真提供/小高ワーカーズベース)
2021年に本格的に始まる新たなプロジェクトでは、民家を改装した酒蔵で、日本酒にホップを用いた伝統製法や、ハーブや地元の果物などを使ってCraft Sakeをつくる「haccoba(ハッコウバ)」がある。2021年春には新しいコミュニティ、集いの場を目指し、酒蔵兼バーがオープンする予定で、地域住民の期待も高い。
「haccoba(ハッコウバ)」完成予想図((c)Puddle Inc.)
酒瓶イメージ(写真提供/haccoba, Inc.)
「小高パイオニアヴィレッジ」は、移住してきた起業家の共同オフィスとして活用されているが、「知らないまちで起業することは意欲的な人でも難易度は高く、壁にぶつかることもあると思います。けれども、起業家が集まる場があれば、自然と連携ができて、情報交換を行い、協力し切磋琢磨し合える、そんなコミュニティが生まれるきっかけにもなっています」。地元出身の和田さんは、孤独になりがちな起業家を地域とつなげるハブのような役割も担っている。
小高パイオニアヴィレッジのコワーキングスペース。ひな壇にはコンセントや暖房も装備されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
小高パイオニアヴィレッジのゲストハウス。長期滞在者や仕事をしながら宿泊する人に便利(写真提供/小高ワーカーズベース)
パイオニアヴィレッジのメーカーズルームには、老舗の耐熱ガラスメーカーHARIOが職人技術継承のために立ち上げた「HARIOランプワークファクトリー」の生産拠点のひとつとしてスタート。2019年3月には、「HARIOランプワークファクトリー」の協力のもと、オリジナルのハンドメイドガラスブランド、iriser(イリゼ)をリリース。地元の自然などをモチーフにした他にないデザインが特徴だ。
5人の女性ガラス職人がアクセサリーを製作・販売する施設内の「アトリエiriser(イリゼ)」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
老舗の耐熱ガラスメーカーHARIO の生産拠点としてスタートし、2019年3月にオリジナルのハンドメイドガラスブランドをリリース。地元の自然などをモチーフにしたものも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
起業することが当たり前の風土をつくりたい2020年春のコロナウイルス感染拡大により、小高パイオニアヴィレッジでは、夏休みの地域留学プログラム、大学生や高校生、リモートワーカーの利用が増えたという。また、NCL南相馬の起業家を募集すると、オンライン説明会の参加者が増えた。
「どこでも仕事ができるようになったことで地方に目を向けたり、ライフスタイルが変わったことで自分のキャリアに不安を感じて一から地方で力試しをしたい、という考え方が出てきたのかもしれません。また、避難生活を経験して心機一転、もともとやりたかったことを始めたケースもあるのかもしれません。前向きな人たちが増えて街が面白くなっていくといいと思います。
便利で暮らしやすいまちではなくても、ここじゃないと味わえない、わざわざ訪れたくなるまちになるためには、地域の人たちが自ら事業を立ち上げてビジネスをやっていることが当たり前になっていることが重要。いろいろな分野でリーダーが出てくると、もっと多彩なプロジェクトが生まれるはずです。
それに、そういう風土をつくっていかないと、課題が発生したときに解決する人が地域に存在しないことになってしまう。行政や大きな企業に解決してもらうのは持続的ではない。100の企業をつくることで、さまざまな課題が解決できるようになる。私たちはこれからも事業をひたすらつくっていきます」と、和田さんの軸はぶれない。
今回、紹介した施設や店舗はあくまで一例。ほかにも長く地元の人に親しまれてきた個人商店の再開や、住民一人一人の努力の積み重ねや人と人のつながり、協力があるからこそ前に進んでいる。
5年以上のブランク期間があった小高区。新しくユニークな施設、店が誕生し、震災前の常識、既成概念がなくなり、人間関係が変わった。だからこそ、フロンティア精神にあふれるエネルギッシュで面白い人が集まる。目指すところが同じだから、自治体と住民の連携も良好だ。
2021年度、政府は地域の復興再生を目指し、福島第一原発の周辺12市町村に移住する人に最大200万円の支援金を出すこと、またさらに移住後5年以内に起業すると最大400万円を支給するなどの方針をかためたという。一から何かに挑戦したいと考える人の呼び水になるか。
「平凡な自分でも、何かできるかもしれない、やりたいことに挑戦してみたい」そんなチャレンジ精神が刺激され住んでみたいと思わせる小高区の変化を見に、また数年後も訪れたいと思う。
●取材協力都内へのアクセスがよく、暮らしやすいこともあって毎年1万人ほど人口が増加している埼玉県さいたま市。しかし、東京に通うばかりで地元を顧みない「埼玉都民」も多く暮らしています。そんなさいたま市民向けに、地元の魅力を掘り起こし発信するワークショップが開催されました。
JR京浜東北線、JR埼京線、JR宇都宮線、埼玉高速鉄道線などが乗り入れ、東京都心部へのアクセスが良く、転入超過数で毎年上位にランクインする埼玉県さいたま市。特にファミリー層の転入が多く、浦和や大宮などには商業施設が集積し、暮らしやすいイメージがあります。
しかし実際のところ、平日は都内へ通勤・通学のため通い、休みの日も都内で遊び、地元には寝に帰るだけ、な人も多いです。そんな人々のことを「埼玉都民」と呼ぶこともあります。実際、遊びに出かけようとしても、東京―さいたまの“縦”の移動はたやすいけれど、さいたま市内の“横”のアクセスは難しく、バスか車、自転車など移動手段が限られているのが現状です。緑豊かな見沼エリアや全長2kmもある大宮氷川参道など、さいたま市内には数多くの観光スポットがあるにもかかわらず、そのことを知らない人も多いのではないでしょうか。
大宮氷川参道の鳥居(写真提供/サーキュレーションさいたま)
見沼区の自然あふれる風景(写真提供/サーキュレーションさいたま)
まさに、こうしたさいたま市内の“横の回遊”を促進するコミュニティや市民活動を生み出す、一般市民向けのワークショップ「サーキュレーションさいたま」が2019年にスタートしました。「サーキュレーション」とは聞き慣れない言葉ですが、「循環」という意味で、さいたま市の内側でぐるぐる人が循環するような状況を生み出したいという思いで名づけられました。
地域の文化的遺伝子を掘り当てることで、その地域らしい活動が生まれる2019年9月のキックオフを経て、建築家、会社員、公務員から学生まで、世代も職業も異なる約30人の市民が集まり、市内の公共空間を活用したイベントなどを考える「公共空間」、市内の新しい人の流路を生み出す「モビリティ」、排除のない関係を生み出す「ソーシャルインクルージョン」の三つのテーマに分かれ、今年11月の最終プレゼンテーションに至るまで、実に1年以上にわたって活動を続けてきました。
サーキュレーションさいたまメインビジュアル
僕はこのプロジェクトのディレクターとして全体の企画・運営に携わりました。また、神戸で介護付きシェアハウス「はっぴーの家」を運営する首藤義敬さん、日本最大級のクラウドファンディングプラットフォームmotion gallery代表の大高健志さんをはじめ、多彩なゲストを招聘し月に2回ほどレクチャーを開催するほか、レンタサイクリングサービスHELLO CYCLINGさん、浦和美園駅始発の埼玉高速鉄道さんなど企業のメンターの協力のもと、グループごとに自主的に集まってもらい、プレゼンテーションに向けたプランを構想していきました。
ワークショップの流れとしてはまず、さいたま“らしさ”を見つけるところから始まります。地域で部活を立ち上げたり事業を生み出したりするのに、どこにでもあるカフェやゲストハウスをつくっても面白くない。そこで、その地域ならではの「文化的遺伝子」を見つけるレクチャーを行いました。
グループごとに分かれてワークショップを進めていく(写真提供/サーキュレーションさいたま)
その中で、例えば公共空間を考えるチームは、さいたまには江戸時代「農民師匠」と呼ばれる人がたくさん存在していたことを突き止めました。お坊さんだけでなく農民自身が、土地を読み自ら考え行動する、「生きるための力」を授ける寺子屋が広く存在していたそうなのです。メンバーの一人・福田さんはこう語ります。
「今のさいたまをみてみると、子どもたちはみな受験戦争に駆られ、週末の大宮図書館には場所取りのための行列ができるんです。学ぶ目的も学ぶ場も画一化されてしまった現代のさいたまで、のびのびと生きた学びを受け取れる場をつくりたい。農民師匠ならぬ『市民師匠』を集め、市内の公共空間のさまざまな場所でイベントを開催していきたいと考え、Learned-Scape Saightamaというチームを立ち上げました」(「Learned-Scape Saightama」チーム・福田さん)
自習する場所取りのための行列ができる図書館(写真提供/「Learned-Scape Saightama」チーム)
地元企業の後押しを受けて社会実装を目指す2019年12月には、一般の市民に開かれた公開プレゼンテーションを行いました。そこでもう一つの公共空間チームが、埼玉スタジアム2002でのサッカーの試合の日以外、主に混雑時緩和のため使用される埼玉高速鉄道の浦和美園駅の3番ホームを開放し、マルシェを開催するプランを発表。名づけて「タツノコ商店街」。「2020年春に実際に開催します!」と発表された際は大きな歓声が上がりました。
サーキュレーションさいたま公開プレゼンテーションの様子(photo:Mika Kitamura)
しかし、折しも新型コロナウイルスの影響で中止に。「タツノコ商店街」チームに埼玉高速鉄道の社員として参加していた大川さんは、当時を振り返りこう語ります。
「開催のせまった2020年春の段階はみんな熱量があったのですが、その後コロナで中止、チームの雰囲気も停滞。でも、メンターを務めてくださった公・民・学連携拠点であるアーバンデザインセンターみそのさんの計らいで、浦和美園の住人の方々との縁をつないでいただきました。依然コロナの影響はありますが、2021年の開催に向けて、浦和美園の人たちとの関係を育んでいきたいと考えています」(「タツノコ商店街」チーム、大川さん)
(画像提供/「タツノコ商店街」チーム)
自発的な市民の構想が公共政策に影響を与える可能性しかし、立ちはだかるのはコロナだけではありませんでした。ソーシャルインクルージョンがテーマのチームは、大宮氷川参道にかつてあった闇市「参道仲見世」をリサーチし、そこには混沌としながらも排除のない「おたがいさま」の精神があったことを突き止めました。しかし、そんな社会包摂をテーマとするチームにもかかわらず、メンバー間で軋轢がおこり、一時期は不穏な空気もながれました。
それもそのはず、2001年に浦和市、大宮市、与野市、岩槻市の4市が合併した比較的新しい行政区分である「さいたま市」には、地域ごとの特色が微妙に異なります。例えば、浦和と大宮にそれぞれあるサッカーチームを応援する人が同じチームに投げ込まれ、一年以上も一緒にいる。その中で、普通に生活していたら意識することのない地域間の文化や暮らしの違いが可視化され、その違いを乗り越え融和する「時間」もワークショップの醍醐味でした。
2019年の夏にキックオフしたサーキュレーションさいたま(写真提供/サーキュレーションさいたま)
普段出会わない人々が同じ空間に存在し、互いに理解を示し合う機会をつくることは市民活動を続けるうえでとても重要です。結果として、チームの結束は強まり、現在も活動を続けています。さきほど紹介した「Learned-Scape Sightama」チームは2020年夏、発酵ジンジャーエールの事業化を目指す株式会社しょうがのむし代表の周東さんを「市民師匠」に見立て、発酵ジンジャエールをつくるワークショップを開催。また、12月には「たつのこ商店街」チームが、一般社団法人うらわclipが主催するイベント「うらわLOOP」に参加。それぞれ仕事や学業で忙しいなか、無理をせず仲間同士で自主的に集まって、さいたまらしい文化をつくっていく。とても頼もしいメンバーたちです。
うらわLOOPに出展した「たつのこ商店街」チーム(写真提供/「Learned-Scape Saightama」チーム)
また、モビリティをテーマにしたチームは、シェアサイクリングのアプリ上にツアーコンテンツを仕込み、自転車とセットで予約してもらうシステムを考案し社会実装を目指す「ヌゥリズム」というプランを発表しました。
アプリ上で乗り物とツアーコンテンツを同時に予約(画像提供/「ヌゥリズム」チーム)
コロナウイルスの影響で、電車通勤に抵抗を感じ、シェアサイクルをいつもより長距離利用する人が増えたというデータもあります。いまこそ、子育て世代の親御さんが、休日に近隣のスポットにシェアサイクルを利用して行きたくなるようなコンテンツが必要だと言えるでしょう。例えば、芋掘り体験だったり、紅葉ツアーだったり。このチームでメンターを務めてくださった、HELLO CYCLINGの工藤智彰さんはこう語ります。
「弊社はさいたま市スマートシティ推進コンソーシアムに参画しており、シェア型マルチモビリティのサービスを企画しております。このモビリティの用途の一つとしてこのプランを紹介したところ、関係者からとても良い反応を得られました。大宮・さいたま新都心地区でのスマートシティ推進事業は国交省の先行プロジェクトとして採択されており、今後『ヌゥリズム』を実現するインフラも実現できそうです。利害関係のない市民の自発的な構想には、行政を動かす説得力があるのだと気付かされたワークショップでした」(工藤さん)
(画像提供/「ヌゥリズム」チーム)
地域振興にはコミュニティの持続可能性が問われているサーキュレーションさいたまは、2020年に開催された「さいたま国際芸術祭2020」のプログラムの一つとして生まれました。「さいたま国際芸術祭2020」キュレーターの一人で、さいたま市でまちづくりNPOを運営する三浦匡史さんは、サーキュレーションさいたまを開催した目的についてこう話します。
「2016年の『さいたまトリエンナーレ2016』で、さいたまスタディーズというプログラムを開催しました。外部の研究者による連続講座を開催し、さいたま市がもともと海だったことなど、普通に暮らしていては意識されない歴史を掘り起こしました。第二回目の今回の芸術祭では、識者やアーティストの話を受け身で聞くのではなく、市民自身が表現し発信するプログラムを入れたかったんです」(三浦さん)
多額の予算を計上し大規模に開催される行政主導の芸術祭が2000年ごろより全国各地で開催されることが増えてきました。そうした芸術祭に関わってきた僕自身、作家が作品を発表し、期間が終わると街に何も残らないことに問題意識を持ってきました。やはりそこに暮らす市民が、アーティストに触発され自らクリエイティブな活動を起こす、そんな機会をつくり、会期後も継続的なコミュニティや事業として残っていくこと。そこにアートを活用した地域振興の可能性があるのではないか。そんな思いで、サーキュレーションさいたまというプログラムを考案したのです。
さいたま国際芸術祭2020での展示風景(写真提供/サーキュレーションさいたま)
地域を元気にするのは、必ずしも経済的な面だけではないと思います。地元を愛し、地元を楽しめる市民を増やすこと。そのための仲間たちを増やすこと。いわば、“サードコミュニティ”を生み出すことが大事でしょう。東京に通い、埼玉には寝に帰るだけ。そんな「埼玉都民」が地元を好きになり、鉄道網がないエリアも自転車や車に乗って縦横無尽に循環し、互いに親睦を深めること。その地道な交流が5年後10年後の地域を形づくっていくのだと思います。
LOCAL MEME Projectsのロゴ
僕は今、全国各地で同様のワークショップを開催しており、それらはLOCAL MEME Projectsというサイトにまとまっています。MEME(ミーム)とはちなみに、「文化的遺伝子」という意味です。地域ならではの文化的遺伝子を掘り起こし、未来へと引き継ぐ、がコンセプト。このサイトではサーキュレーションさいたまを含む、過去のプログラムから生まれた活動や、公開プレゼンテーションの動画リンクもまとまっておりますので、興味のある方はぜひご覧ください。
●参考2020年は新型コロナウイルスが、日本はもちろん世界中を席巻。多くの国で感染者数・死者数が爆発的に増加する中、日本では相対的に見れば影響は大きくなく、各国がロックダウン(都市封鎖)といった厳しい措置を複数回にわたってとる中、「緊急事態宣言」といった相対的に緩やかな措置でした。
こうしたなか欧州や米国の大都市部ではコロナで不動産取引に急ブレーキ。例えばニューヨークなどでは中心部から都市郊外へと大移動する流れが発生、中心部の取引が激減し、郊外の売買・賃貸市場が活発化しました。
コロナ禍でも利便性を重視する傾向が強まる日本一方日本では都心部・都市部から都市郊外・地方へ移住といった動きは限定的でした。不動産情報検索サイトによれば、昨年4~5月の緊急事態宣言中には検索範囲が郊外や地方物件へと拡大し、情報閲覧や資料請求なども増加したものの、緊急事態宣言が解かれるとその傾向も弱まっていったとのこと。むしろ「密を避けるため公共交通の利用を極力避けたい」「通勤時間のムダを削減したい」などの理由から、通勤や買物利便性を重視する傾向が強まり、折からの低金利も手伝って「都心」「駅前・駅近」「大規模」「タワー」などのワードに代表される、比較的高額な物件の取引が活発です。 また都市郊外では2~3LDKの賃貸から4LDKの新築中古一戸建てに引越すといった動きも活発化。住宅市場全体が年々縮小を続ける中、コロナ後に顕著に見られた動きはこうしたものです。
昨年の緊急事態宣言中には日経平均株価も一時、1万6000円台へと大暴落し、各地の不動産取引数も前年比40~50%減となったものの「投げ売り」は起きず価格に大きな変化は見られませんでした。2008年のリーマン・ショック時には多くの新築マンション・一戸建ての事業者が千万単位の値引き販売をして在庫処分を進め、それでも持ちこたえることができず多くが破綻、中古市場もつられて暴落しました。
2021年の不動産市場は「3極化」がますます加速翻って2020年5月25日、緊急事態宣言が解除されると、それまで滞留していた需要を補って余りある需要が噴き出す形で都市部の不動産取引は新築・中古・マンション・一戸建てのいずれも急回復しています。とりわけ東京都心5区(千代田・中央・港・新宿・渋谷区)などの中古マンション成約平米単価はここまで一貫して上昇基調にあります。また新規売出しが少ないことも手伝って在庫も減少していることから、さらなる上値圧力すら感じられるといった状況です。
また他の先進国に比して日本の不動産は相対的に割安感があり、コロナの影響が小さく海外投資家にも注目されており、今後分かっているだけでも兆円単位のマネーが流入する見込み。ただしこうした動きは都心部・大都市部が中心で、2021年の不動産市場は「3極化」がますます加速する一年となりそうです。全国レベルで見れば、2019年10月の消費税増税以降、新築・中古・マンション・一戸建てとも取引は低調でした。
2021年はいきなり1都3県(東京都・神奈川・埼玉・千葉県)を対象とした「緊急事態宣言」がスタートしましたが、昨年大きく下落した日経平均とは異なり、目立った株価の反応はありません。また前回は新築マンションのモデルルームが閉鎖されたり、工事現場がストップしましたが、現在では多くのモデルルームや工事現場においてコロナ対応が進んでおり、前回のような滞りは起きにくくなっています。したがって今回も、緊急事態宣言中において取引数がマイナスに振れることはあっても、投げ売りによる価格下落も起こりにくく、緊急事態宣言が解除された後の取引は通常運転に戻るでしょう。もちろんそのゆくえはコロナ次第であり、現在予定されている2月7日までの緊急事態宣言が大幅に長引くようなことになればその限りではありません。
つまり、日経平均株価が安泰である限り「都心・大都市部」「駅前・駅近」「大規模」「タワー」といったワードに代表される好立地かつ高額物件や郊外で値ごろ感のある新築・中古・マンション・一戸建てなどは好調で、一方で「立地に難のあるもの」はことごとく厳しいといったことになりそうです。
住宅は長期的にニーズのある物件を吟味した上で取得することが大切定量的なデータこそありませんが、史上最高値を更新し続けているビットコインやイーサリアムといった仮想通貨や、コロナ後に大幅上昇した株式を売って不動産購入の頭金にしたという話もちらほら聞くようになりました。加えて歴史的な低金利は続いており、形式的には1980年代後半のバブル経済に近い状況と言えるでしょう。実体経済とは無関係に株や不動産などの資産価格が上昇し「上がるから買う」「買うから上がる」を繰り返す「期待」がバロメータとなり、天井が見えない資産バブルが発生するといった流れです。
時限的に控除期間が10年から13年に延長されている住宅ローン控除(住宅借入金等特別控除)をはじめとする各種の税制優遇は昨年に続き適用される見込み、そして何より低金利と、住宅取得環境は整っていると言えます。一方で長期的に見れば人口・世帯数減が必至な日本において住宅需要全体がしぼむ中、利便性や災害可能性を考慮した立地、耐震性や省エネ性など建物の基本性能など長期的にニーズのある物件を吟味した上で選択する、といった慎重姿勢も求められることになるでしょう。
2021年を迎えて早々、緊急事態宣言が再度発出されましたが、心持ちだけは明るくいきたいものですね。SUUMOジャーナルで2020年12月に公開した記事では、「キッチンカー×マンションがコロナ禍の“うちごはん”の救世主に! 続々と増加中」「コロナ禍で仕事も暮らしも丸ごとデザインし直す“クラシゴト改革“が進む」などが人気TOP10入りしました。詳しく紹介します。
2020年12月の人気記事ランキングTOP10はこちら!
1位 コロナ禍で「グリーン住宅ポイント制度」を創設!気になる条件とポイントを解説
2位 どうなる、これからのマンション価格?コロナ禍でも住宅購入は抑制より促進?
3位 「東京駅」まで60分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2020年版
4位 住民主導の「街そだて」とは?グッドデザイン受賞の幕張ベイパークを訪ねてみた
5位 テレワークで会社勤めと多拠点居住を両立!“生き方の見本市”な人々との暮らし 私のクラシゴト改革5
6位 キッチンカー×マンションがコロナ禍の“うちごはん”の救世主に! 続々と増加中
7位 “月に住む”が現実に!「月面都市ムーンバレー構想」って?
8位 「東京駅」まで60分以内、新築・中古の一戸建て価格相場が安い駅ランキング 2020年版
9位 コロナ禍で仕事も暮らしも丸ごとデザインし直す“クラシゴト改革“が進む
10位 コミュニティで子育てする暮らし方とは?キッズデザイン受賞のコレクティブハウスを訪ねた
※対象記事:2020年12月01日~2020年12月31日までに公開された記事
※集計期間:2020年12月01日~2020年12月31日のPV数の多い順
1位 コロナ禍で「グリーン住宅ポイント制度」を創設!気になる条件とポイントを解説
(写真:PIXTA)
コロナ禍で落ち込んだ経済回復のため創設された「グリーン住宅ポイント制度」。マイホームの新築か購入、リフォームで上限30万円相当を受け取ることができます。その解説とともに、制度の条件がバラバラな背景や利用の心構えも説明します。
2位 どうなる、これからのマンション価格?コロナ禍でも住宅購入は抑制より促進?
(写真:PIXTA)
コロナ禍を受けた住宅購入・建築検討者の第2回調査結果を分析。テレワークの実施率の高い首都圏では、在宅勤務をきっかけに住まい探しを検討するという回答が多く見られました。在宅時間が長くなったことが、住宅の条件にも影響していることもうかがえました。
3位 「東京駅」まで60分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2020年版
(写真/PIXTA)
東京駅まで60分圏内のファミリー向け中古マンション価格相場ランキング最新版。1位は埼玉県さいたま市の七里駅で1050万円。2位の桶川駅は1385万円、3位の北本駅の1400万円と、埼玉県の駅が続きました。
4位 住民主導の「街そだて」とは?グッドデザイン受賞の幕張ベイパークを訪ねてみた
(写真撮影:SUUMO編集部)
2020年度のグッドデザイン賞を受賞した「幕張ベイパーク」は、住民自身が街づくりに貢献しています。コミュニティを育てていった過程やコロナ禍での工夫、住民たちの熱い想いを紹介します。
5位 テレワークで会社勤めと多拠点居住を両立!“生き方の見本市”な人々との暮らし 私のクラシゴト改革5
(写真撮影/嶋崎征弘)
連載「私のクラシゴト改革」、今回は全国での多拠点生活を実践している定塚仰一さんへのインタビュー。会社員生活をしているうちは難しいとあきらめていた多拠点生活が、テレワークによって可能になったそうです。
6位 キッチンカー×マンションがコロナ禍の“うちごはん”の救世主に! 続々と増加中
(写真提供/RIS Design and Management株式会社)
在宅時間が増えたことで、時として負担となる“おうちごはん”。マンションの敷地にキッチンカーを誘致する試みが広がっていることで、その大きな助けとなっているようです。利用者層は共働きカップルからシニア層まで幅広く、自粛ムードのなかでリフレッシュや楽しみの一環にもなっています。
7位 “月に住む”が現実に!「月面都市ムーンバレー構想」って?
(画像提供/アイスペース)
近い将来、月に人類の住める街をつくろうというプロジェクト「月面都市ムーンバレー構想」に取り組む宇宙スタートアップ企業アイスペースへインタビュー。構想が生まれたきっかけや月に住む未来の世界、JAXAとも連携する宇宙開発の最前線を伝えます。
8位 「東京駅」まで60分以内、新築・中古の一戸建て価格相場が安い駅ランキング 2020年版
(写真/PIXTA)
東京駅まで60分圏内の一戸建ての価格相場ランキング最新版。「新築編」の1位は龍ケ崎市駅の2080万円、2位は取手駅の2174.5万円で、どちらも茨城県の駅。「中古編」の高柳駅は2230万円、2位のせんげん台駅は2380万円でした。
9位 コロナ禍で仕事も暮らしも丸ごとデザインし直す“クラシゴト改革“が進む
(写真撮影: SUUMOジャーナル編集部)
「Afterコロナの”働く”と”住む”の関係性」はどうなるのか。テレワークは今後も何らかの形で続くと予測されます。そのため、住む場所や時間にも自由度や裁量が広がり、幸せややりたいこと、大切なことへと、生き方そのものをデザインする人が増えていくと考えられるとのことです。
10位 コミュニティで子育てする暮らし方とは?キッズデザイン受賞のコレクティブハウスを訪ねた
(撮影:片山貴博)
グッドデザイン賞とキッズデザイン賞をW受賞した「まちのもり本町田」は、生活者同士が子育てに参加する仕組みが評価されています。子どもたちにとっては建物全体が遊び場にできるほか、災害時には支えあえるコミュニティがあるため、単身者でも入居を選ぶ人もいるそうです。
新型コロナウイルスの生活への影響は根強いものの、5位の「テレワークで会社勤めと多拠点居住を両立!“生き方の見本市”な人々との暮らし」や6位の「キッチンカー×マンションがコロナ禍の“うちごはん”の救世主に!」は、新しい生き方や生活様式をコロナ禍が“後押し”したともいえそうです。つらさばかりに意識をもっていかれて落ち込むのではなく、プラスの影響にも注視して、新しい年を前向きに過ごしていきたいものです。
積水化学住宅カンパニーの調査研究機関である住環境研究所が、ニューノーマル時代の住まい方について調査を実施した。その結果、20代が他の年代と比べて違いがあることが分かった。20代の住まい方の意識に焦点を当てて見ていこう。【今週の住活トピック】
「ニューノーマルの時代の住まい方に対する意識調査」を公表/住環境研究所コロナ禍で変わった暮らし、20代は新しい暮らし方に関心大
住環境研究所では、20~59歳の既婚男女に調査している。20代といっても、単身者ではなく既婚者であることが前提だ。また、暮らし方については次のような定義をしたうえで調査をしている。
まず、新しい暮らし方いついて、「してみたい(続けたい)かどうか」聞いたところ、20代はいずれにも最も高い関心を示したという。特に他の年代と比べて関心が高かったのは、表中1の「技術的最先端の暮らし」と表中2の「職住一致」だった。
一方、従来からある暮らし方についても、最も高い関心を示したのは20代だという。特に他の年代と比べて関心が高かったのは、表中3の「エコな暮らし」と表中4の「二世帯居住」だった。
当該項目を“してみたい(続けたい)”と答えた回答者の率(%)(出典:住環境研究所「ニューノーマルの時代の住まい方に対する意識調査」)
全体的に見ると、若い年代ほどいろいろな暮らし方への関心が高くなる傾向があり、特に20代では多様な暮らし方を受け入れやすいといってよさそうだ。
20代は田舎、郊外、都会と多様な場所での暮らしに関心大次に、暮らしたい場所について聞いたところ、ここでも20代の多様性が目立った。表中5の「郊外暮らし」はどの年代でも高い結果が出たが、特に20代が高く、「田舎暮らし」や「都会暮らし」でも20代が最も高い結果となった。
当該項目を“してみたい(続けたい)”と答えた回答者の率(%)(出典:住環境研究所「ニューノーマルの時代の住まい方に対する意識調査」)
同研究所では、20代が自然環境のよい「田舎」や利便性のよい「都会」にも高い関心を示しながらも、その中間に位置する「郊外」に最も関心が高くなっているのは、「様々な暮らし方に関心を抱く一方で、理想と現実のバランスを重視する側面も見ることができる」と分析している。
また、「総じて20 代が様々な暮らし方・暮らしたい場所に対し関心を持てるということは、住まい方の多様性を許容する『柔軟性』を有しているためだと考えられる」とも見ている。
ゆとり世代・Z世代の20代は、ワークバランスやプライベートを考える?今の20代と言えば、1992年~2001年生まれ。日本では、ゆとり教育を受けた「ゆとり世代」と呼ばれる。ゆとり世代は、年功序列や終身雇用といった仕組みが崩壊しているのを目の当たりにした世代なので、就職すれば安泰といった意識が薄く、仕事よりプライベートを重視すると言われている。
また、1990年代後半から2000年生まれはZ世代と呼ばれている。1960年代から1970年代後半生まれのX世代、1980年代前半から1990年代前半生まれのY世代(ミレニアル世代とも呼ばれる)に続く世代である。
Z世代の特徴は、デジタルネイティブで、ネットワークで常につながっている世代であること。一方で、定年退職年齢が引き上げられ、長期間働き続けることが想定されているので、ワークライフバランスを考える世代でもあるという。
こうした特徴を持つ20代は、テレワークへの対応がスムーズで、働く場所をオフィスに限らない生活がイメージしやすく、新しい暮らし方に順応しやすいと考えられる。プライベートの時間も重視するので、オフィスへの通勤に便利な都会だけでなく、田舎やほどよい距離感の郊外といった立地も魅力的に見えるのだろう。さらに、贅沢をしない20代は、経済合理性から二世帯居住への関心も高く、エコな暮らしやミニマムな暮らしへの志向性も高い。
また、ネットワークで直接の知り合いだけでなく、広い世界の人ともつながれるので、多様な価値観を受け入れやすいという特性もある。若いからいろいろなことを受け入れやすいという側面もあろうが、20代の年代的な特性も影響をしていると見てよいだろう。
こうした20代が子育てステージに移行するにつれて、マイホームを取得する中心層になっている。新しい価値観や多様性を持つ世代だけに、それぞれに自分らしさを重視した暮らし方の基準を持ち、これまでとは異なる住まい選びをすることが期待される。
今20代の人たちがこれからどんなマイホーム選びをするのか、興味深く見守りたい。
部屋を探すときに一番頭を悩まされるのは、立地の利便性と家賃の兼ね合いだろう。東京23区内に住みたいけれど、ねらい目の場所はないだろうか。そこで、東京23区内の家賃相場が安い駅の最新ランキングをチェック。ワンルーム・1K・1DKの物件を対象に、気になる街をピックアップして紹介する。東京23区内の家賃相場が安い駅TOP10
順位/駅名/家賃相場/(沿線名/駅所在地)
1位 葛西臨海公園 6.00万円(JR京葉線/江戸川区)
2位 京成金町6.20万円(京成金町線/葛飾区)
2位 金町 6.20万円(JR常磐線/葛飾区)
4位 江戸川 6.30万円(京成本線/江戸川区)
5位 喜多見 6.35万円(小田急線/世田谷区)
6位 一之江 6.40万円(都営新宿線/江戸川区)
7位 お花茶屋 6.45万円(京成本線/葛飾区)
7位 新柴又 6.45万円(北総線/葛飾区)
7位 柴又 6.45万円(京成金町線/葛飾区)
10位 上井草 6.50万円(西武新宿線/杉並区)
10位 亀有 6.50万円(JR常磐線/葛飾区)
10位 京成小岩 6.50万円(京成本線/江戸川区)
10位 北綾瀬 6.50万円(東京メトロ千代田線/足立区)
10位 堀切菖蒲園 6.50万円(京成本線/葛飾区)
10位 小岩 6.50万円(JR総武線/江戸川区)
10位 小菅 6.50万円(東武伊勢崎線/足立区)
10位 瑞江 6.50万円(都営新宿線/江戸川区)
1位の葛西臨海公園駅、同率2位の京成金町駅、金町駅は2019年版と同じ結果になった。
京成金町駅と金町駅はそれぞれ、京成金町線、JR常磐線と路線は違うが、駅間距離は約150m。またJR常磐線は東京メトロ千代田線と直通運転しているため、実質3路線が利用可能だ。
この交通利便性の高さから都心部へのアクセスも良いが、周辺には下町風情も色濃い。2つの駅付近には、2013年に開校した東京理科大学葛飾キャンパスの名前を冠した「金町理科大商店会」など、商店街も数多い。単身生活の学生にはうれしい、安くボリュームある飲食店もそろう。そうした味わい深いお店がある一方で、駅前には大型スーパーなども充実している。
所在地である葛飾区は、23区内でありながら野菜の生産も盛ん。区内のあちこちに野菜の直売所があり、とれたての野菜を誰でも手軽に購入することが可能だ。また葛飾区は、東京理科大と協力した、大学敷地を囲む広大な公園「葛飾にいじゅくみらい公園」や体験型の科学教育センター「未来わくわく館」など、地元住民が自然や学術に親しめる施設も設けており、都心への近さとのどかさの両立を望む人にとってはうってつけといえそうだ。
葛飾にいじゅくみらい公園は2位の金町が最寄駅(写真/PIXTA)
ランキングの大半を葛飾区と江戸川区が占める中で目を引くのが、世田谷区に所在する5位の喜多見駅。19年版にはランクインしておらず、急上昇してきた。小田急線の沿線駅で、各駅列車のみの停車駅だが、18年のダイヤ改正で東京メトロ千代田線の直通列車も利用が可能になった。
周辺は閑静な住宅街で、駅の近くには地域住民の交流も盛んな「喜多見商店街」がある。駅隣の高架下にはファストフード店や保育施設などが入る複合施設「小田急マルシェ喜多見」、近くには深夜まで営業しているスーパーやホームセンターなどもある。
同じくランキングで唯一、杉並区からランクインしているのが、10位の上井草駅。西武新宿線の沿線駅で、各駅列車のみが停車する。
駅の前には、人気アニメ「機動戦士ガンダム」の像が立つ。杉並区はアニメーションの制作会社が多く、上井草駅には同アニメシリーズの制作会社の本社があることで知られる。その縁で、駅の発車音にも同アニメの主題歌が使用されている。
駅付近には24時間営業のスーパーなどのほか、サンバカーニバルなどイベントも数多く開かれる「上井草商店街」がある。この商店街でも、「アニメタウン上井草」を掲げたガンダムとのコラボが多数行われている。ガンダムといえば湾岸エリアの巨大像がよく話題になるが、“聖地”の魅力に常に触れられるという意味では上井草にも注目すべきだろう。
上井草商店街(写真/PIXTA)
駅近くには、ほかにも絵本作家いわさきちひろのアトリエ跡にできた美術館「ちひろ美術館・東京」がある。また、早稲田大学ラグビー部の練習拠点の最寄駅でもあり、強豪校である選手たちの練習や試合風景が見られるとあって、ファンの集う街でもある。アニメからスポーツまで、多彩な文化が間近にあることは、生活のうるおいにもなりそうだ。
緑豊かな環境が満喫できる江戸川区10位はなんと同じ相場額で8駅がランクインしている。その一つ、瑞江駅は都営新宿線の沿線。所在地である江戸川区は半世紀以上、全区的な緑化運動に注力しており、区内の公園面積と街路樹本数は23区随一。そのため瑞江駅付近にも親水公園や親水緑道があちこちにみられる。
瑞江駅前(写真/PIXTA)
ランキングは江戸川区の駅が多く、緑が豊かなのは先述の通りだが、その中でも特に買い物施設も充実しているのが瑞江駅付近の特徴と言えるかもしれない。駅前にはスーパー、安売り店の「ドン・キホーテ」、100円ショップなどが入る商業施設などがあるほか、付近には24時間営業のスーパーもある。飲食店なども集中しているため、駅近くで日常のほとんどの用事を済ませられそうだ。
23区内というと、日本でも最も賃料の高い地域。とかく家賃や都心へのアクセスばかりに目が行ってしまいがちだが、街にはもちろん、それぞれ特色があり、地元の人が大事にしている文化がある。それを探すのもまた、部屋探しの楽しみのひとつのはずだ。自戒も含めて、新しい年に、新しい街と部屋との、素敵な出会いを見つけたいものだ。
●調査概要東京23区内かつ駅から近いという条件を満たしつつ、安く住まいが探せる駅を調査。駅徒歩15分圏内にある中古マンションの価格相場を、シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)とカップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)に分けてランキングした。そのトップ15の駅を紹介しよう。●東京23区内の価格相場が安い駅TOP15
【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(沿線/所在地)
1位 梅島 1589.5万円(東武伊勢崎線/東京都足立区)
2位 馬込 1990万円(都営浅草線/東京都大田区)
3位 板橋本町 2210万円(都営三田線/東京都板橋区)
4位 板橋区役所前 2280万円(都営三田線/東京都板橋区)
5位 下板橋 2290万円(東武東上線/東京都豊島区)
6位 十条 2294.5万円(JR埼京線/東京都北区)
7位 大山 2380万円(東武東上線/東京都板橋区)
8位 大森町 2420万円(京急本線/東京都大田区)
9位 上野毛 2430万円(東急大井町線/東京都世田谷区)
10位 蒲田 2530万円(JR京浜東北・根岸線、他/東京都大田区)
11位 三河島 2630万円(JR常磐線、他/東京都荒川区)
11位 中村橋 2630万円(西武池袋線/東京都練馬区)
13位 西巣鴨 2640万円(都営三田線/東京都豊島区)
14位 亀戸 2680万円(JR中央・総武線(各駅停車)、他/東京都江東区)
15位 ときわ台 2685万円(東武東上線/東京都板橋区)
【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(沿線/所在地)
1位 西高島平 2328.5万円(都営三田線/東京都板橋区)
2位 見沼代親水公園 2399万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
3位 柴又 2430万円(京成金町線/東京都葛飾区)
4位 舎人 2539.5万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
5位 小菅 2580万円(東武伊勢崎線/東京都足立区)
6位 小台 2635万円(都電荒川線/東京都荒川区)
7位 高野 2639.5万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
8位 京成高砂 2680万円(京成本線、他/東京都葛飾区)
9位 竹ノ塚 2690万円(東武伊勢崎線/東京都足立区)
10位 扇大橋 2699万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
10位 足立小台 2699万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
12位 四ツ木 2740万円(京成押上線/東京都葛飾区)
13位 大師前 2780万円(東武大師線/東京都足立区)
14位 谷在家 2790万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
15位 北綾瀬 2799万円(東京メトロ千代田線/東京都足立区)
人口が集中する東京23区内には、JR各線をはじめ東京メトロに私鉄、都電……とさまざまな路線が走っている。2020年にはJR山手線に高輪ゲートウェイ駅、東京メトロ日比谷線に虎ノ門ヒルズ駅と、新駅が誕生したのも、まだ記憶に新しいところだろう。そんな鉄道網が充実した東京23区内なら、駅の近くに住まいがあればマイカーがなくても日常生活に困らないのは利点。とはいえ「駅近」だと物件価格は高くなりがちだ。
そんななか、シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)の中古マンションの価格相場が最も安かったのは、東武伊勢崎線・梅島駅。普通列車(各駅停車)のみの停車駅で、この普通列車は3駅先の北千住駅からは東京メトロ日比谷線と直通運転している。そのため乗り換えなしで日比谷線の銀座駅や日比谷駅、霞ケ関駅、恵比寿駅などに行くことが可能だ。北千住駅で改めて東武伊勢崎線の普通列車または区間準急に乗り換えると終点の浅草駅へ。また、北千住駅から準急または急行に乗ると、押上駅から先は東京メトロ半蔵門線に乗り入れしており、大手町駅や永田町駅、渋谷駅に行くことができる。都心部の銀座、浅草、渋谷と各方面にアクセスしやすい駅でありつつ、物件の価格相場は2位よりも400万円以上安い1589.5万円だった。
梅島駅周辺には一戸建てとマンションが混在して建ち並び、公立の小中高校や、保育園、幼稚園が複数点在。駅高架下の東武ストアに加え、駅の北側と南側にもスーパーがあり、住民の多さがうかがえる。駅から北に徒歩10分ほどの場所には、オーストラリア・ベルモント市との友好親善のシンボルとして開設されたという異国情緒漂う「ベルモント公園」も。ほかにも住宅街の合間に公園が点在し、子どもたちの憩いの場となっている。
ベルモント公園(写真/PIXTA)
2位は都営浅草線・馬込(まごめ)駅。ここから都営浅草線で五反田駅まで約5分、三田駅まで約12分、大門駅まで約16分、新橋駅まで約18分。五反田駅からJR山手線や東急池上線に、三田駅から都営三田線、歩いてJR山手線やJR京浜東北線に、大門駅からは東京メトロ大江戸線に、新橋駅からは各種JR線、東京メトロ銀座線に、それぞれ乗り換えることもできる。地下鉄である馬込駅の地上出口周辺は商店街という感じではない。とはいえ小型スーパーの「まいばすけっと」やコンビニは点在しており、駅から歩いてすぐの環七沿いにはホームセンターも。そこから東に環七沿いを10分ほど歩くとスーパーもあるので、単身者ならば日ごろの買い物にはさほど困らないかもしれない。商店が少ないぶん、静かな住宅地といった趣ではある。
3位は都営三田線・板橋本町駅。ここから約7分の巣鴨駅でJR山手線に、約13分の春日駅で都営大江戸線や東京メトロ丸ノ内線、南北線の後楽園駅に連絡している。そのまま都営三田線に乗っていると、板橋本町駅から大手町駅まで約20分で到着する。駅周辺の様子を見てみると、帝京大学の板橋キャンパスや大学付属病院、帝京中学校・高校、さらに都立高校もあるため、若者の姿も多い。駅直結の「東京腎泌尿器センター大和病院」をはじめ、大学病院や総合病院など医療機関が充実している点も特徴だ。学校が多いけれど安い飲食店が建ち並ぶような学生街という印象ではなく、大小のアパートやマンション、一戸建てがひしめく住宅街。大型の商業施設はなく、地域住民向けのスーパーが点在している。
都営三田線・板橋本町駅(写真/PIXTA)
カップル・ファミリー向け物件を探すなら足立区に注目!カップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)のランキング1位は都営三田線・西高島平駅。都営三田線の終着駅で、前出のシングル向け3位・板橋本町駅から下り方面に8駅・約14分という立地だ。板橋区の駅では最北端、さらに東京の地下鉄駅でも最北端に位置しており、10分も歩けば埼玉県和光市へ。ぎりぎり「東京23区内の駅」というわけだ。
西高島平駅の北側には物流倉庫群が広がり、さらに北には荒川が流れている。住宅地は駅の南側だが、コンビニは点在しているものの、商店街らしきものは見当たらない。2駅先の高島平駅に行けば駅近くにスーパーもあるが、日ごろの買い物環境としては充実していると言いがたい。その点が価格相場に反映されているのか、隣接する新高島平駅は2840万円、2駅先の高島平駅は3480万円だったのに対し、西高島平駅は2328.5万円とぐっと安い結果が出ている。
西高島平駅の駅前(写真/PIXTA)
2位は日暮里・舎人ライナーの終着駅、見沼代(みぬまだい)親水公園駅。1位の西高島平駅は「東京の地下鉄駅で最北端」だが、こちらは東京23区内で最北端の駅で、駅のすぐ北側には埼玉県の川口市と草加市が広がっている。日暮里・舎人ライナーは日暮里駅~見沼代親水公園駅の13駅を所要時間約20分で結んでおり、途中の西日暮里駅でJR山手線・京浜東北線と東京メトロ千代田線に、日暮里駅でJR山手線・京浜東北線・常磐線(快速)や京成線に乗り換え可能だ。駅前にはかつての農業用水路を全長約1.7kmの親水路として整備した「見沼代親水公園」があり、春は親水路沿いに約70本の桜が咲き乱れる。駅北側にはスーパーや100円ショップ、飲食店を併設したホームセンターが、駅南側にもスーパーがあるので、買い物環境はよさそうだ。
3位は京成金町線・柴又駅。京成金町線は京成高砂駅~柴又駅~京成金町駅のわずか3駅を結ぶ路線で、京成高砂駅から先は日暮里方面に向かう京成本線、押上方面に向かう京成押上線へと分岐している。柴又駅といえば「寅さん」の愛称で親しまれた映画・ドラマシリーズ『男はつらいよ』の舞台。駅前から柴又帝釈天へと続く参道沿いには団子屋さんをはじめとした飲食店や土産物店がひしめいており、歩くだけでも楽しい雰囲気。帝釈天を過ぎると「葛飾柴又寅さん記念館」があり、さらにその先には江戸川が流れている。この川を越えて行き来する住民のために江戸初期から運航していた渡船「矢切の渡し」は、現在も帝釈天裏手の川岸から乗船可能だ。下町情緒漂う観光地に思えるが、古くからの住民が多く駅周辺には地域住民向けのスーパーやドラッグストアもある。
帝釈天参道(写真/PIXTA)
ここまではシングル向け、カップル・ファミリー向けそれぞれのトップ3についてふれたが、トップ15全体に目を向けてみよう。シングル向けはトップ15のうち4駅が板橋区の駅であり、路線別に見ると都営三田線と東武東上線が3駅ずつランクインしている。ではカップル・ファミリー向けも板橋区の駅が優勢かというとそんなことはなく、なんとトップ15のうち10駅が足立区の駅という結果に。路線では日暮里・舎人ライナーが6駅もランクインしていた。
区によって駅の数が異なるので、「区内に駅自体が多いから、板橋区や足立区がランキング上位にも多かったのでは?」という見方もあるだろうが、結論から言うとそうではなかった。今回の調査条件(駅徒歩15分圏内にSUUMO掲載物件が11件以上ある)に適う駅は、シングル向けが189駅、カップル・ファミリー向けが386駅あった。そのうちシングル向けランキングに登場した駅が最も多かったのは港区で全18駅、しかしトップ15入りした駅はゼロ。一方、板橋区の駅は189駅中に全8駅で、そのうち半数の4駅がトップ15以内にランクインしていたのだ。また、カップル・ファミリー向けランキングの調査対象となった駅が最多だったのは、港区・大田区・世田谷区が同数の各27駅だが、トップ15にはいずれの区もランクインしていない。しかし足立区の駅は調査対象駅が全22駅、そのうち10駅がトップ15入りしていた。
つまり23区内で安い中古マンションを探すなら、シングル向けは「(ほかにもあるものの)都営三田線や東武東上線の沿線、板橋区あたり」、カップル・ファミリー向けなら「断然、足立区! 路線は日暮里・舎人ライナー」が見つけやすいと言えるだろう。安さを重視しつつ効率よく住まい探しをするならば、ぜひ今回のランキングを参考にしてほしい。
●調査概要2020年の1年間で、浅草→鎌倉→神戸と拠点を目まぐるしく変えた、会社員の小林冬馬さん。「“テレワーク前提”だからこそ暮らす街は自由に選べる」と、このような暮らし方を決断した。さらに居住地を変えたことで、副業もスタートするなど、働き方も変化した彼に、この暮らしを選んだ経緯や変化など、あれこれ伺った。連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。テレワーク前提の企業に転職。憧れの街、鎌倉へ住み替え
元は広告代理店で人事の職に就いていた小林さん。「デジタルマーケティングの仕事をしたい」「自由度の高い働き方がいい」という理由から、2020年4月に転職。「新しい職場は、テレワーク(リモートワーク)前提の環境だったので、せっかくなら、憧れていた鎌倉で暮らしてみたいと思いました」
そうして5月に浅草から鎌倉へ引越し。住まいは、材木座海岸、由比ガ浜海岸からほど近い物件。のんびりしたローカルな商店街、海沿いにはサーフショップやスクールが立ち並び、サーフボードを抱えた自転車が行き交う街だ。
「海まで徒歩5分ほど。鎌倉といっても、観光客は少なく、ほどよく田舎。引越し当初は、平日朝早くおきて、海にサーフィンをしに行っていました。でもサーフィン後の仕事は眠くなるので、サーフィンはすぐ週末限定に(笑)。平日は、朝、夕にのんびり山や海を散歩するのが日課になりました」
大学時代は徳島で、山も海も近い環境に親しんでいた小林さん。サーフィンが趣味になったのも、徳島での暮らしがきっかけだ。「前の職場の社長が鎌倉在住で、何度か遊びにいく機会があり、憧れの街になりました。でも当時は週5日出社だったので、通勤は大変とあきらめていました」(画像提供/小林さん)
鎌倉在住時に撮影した長谷寺のアジサイの写真(画像提供/小林さん)
コミュニティ重視のコワーキングスペースを選択小林さんが鎌倉に住まいを移す際、こだわったのがコワーキングスペースだ。「自宅で仕事もできますが、地域とのつながりも求めていたので、交流もできる地域の仕事場スペースを別に持っておこうと思ったんです」
選んだのは、地域密着の起業支援拠点。地元ビジネスのスタートアップ拠点として利用する人、フリーランスで働く人が多数ながら、小林さんのように会社員をしながらリモートワークをする人もいる。
「他のコワーキングスペースも4件ほど見学したのですが、どちらかというと”各自がもくもくと仕事をするだけ”という場所も。選んだ『HATSU鎌倉』は、神奈川県からの委託を受け、面白法人カヤックという鎌倉に本社のあるIT企業が運営するところで、コミュニティマネージャーと呼ばれる世話人が、なにかと声をかけてくれて人をつなげてくれるんです。だから自然とネットワークが広がりました」
HATSU鎌倉(写真提供/HATSU鎌倉)
鎌倉愛にふれるにつれ、自分自身の故郷に思いをはせるようにそんな鎌倉でのリモートワークをするにつれ、小林さんの心境にも変化が。
「鎌倉は、本当に地元愛が強くて、何かしら地元に貢献したいという人が多いんですよね。コワーキングスペースでそうした地域のキーパーソンと呼ばれる人たちとつながることで、自分が生まれた神戸でも、何かしらできることはないかなと思い始めたんです」
そんななか、鎌倉でルームシェアしていた友人が地方移住することをきっかけに、故郷の神戸にUターンすることを決意した。
8年ぶりの神戸は、地元とはいえ、新鮮な体験がいっぱいという小林さん。「高校生までの僕は、使えるお金も限られるし、車は運転できないし、実は行動範囲がかなり狭かったんですよね。特に中・高校と僕は部活にどっぷりで、家と学校の往復の毎日。社会人になって暮らす神戸は、”こんなところがあるんだ”と発見の連続でした」
神戸でもコワーキングスペースを利用。紙媒体やWEBサイトを制作するデザイン会社が運営する拠点だけあって、クリエイターが多く、こちらも、交流イベントがさかんな“コミュニティ重視”のコワーキングスペースだ。
「みんなでボジョレー・ヌーヴォーを飲む会や、地域コミュニティの仕事をしている人向けのパネルディスカッションのセミナーに参加するなど、硬軟合わせたイベントが豊富なんです。学生インターンもいて、彼らが企画した”韓流コンテンツ基礎講座”も、モノは試しと受けてみて、面白かったですよ」
三宮にあるコワーキングスペース「ON PAPER」。24時間365日利用可能で、パーテーションに囲まれた専用デスクで集中もできるプレミアム会員に。月額は3万8000円(税別)(写真提供/ON PAPER)
「実家暮らしになり家賃が不要になった分、働く場には投資しておきたいと考えました」(写真提供/小林さん)
ボジョレー・ヌーヴォーを会員で飲む、コワーキングスペースのイベントのひとつ(写真提供/小林さん)
家族との時間に喜び。念願の地方副業も楽しみに神戸へUターンし、久しぶりに親と一緒に暮らす生活になった小林さん。料理や洗濯などをしてもらう代わりに、食品の買い出しや力仕事などサポートをしたり、Wi-fi環境を整えるなど実家のシステム化も担うなど、親との関係性も10代のころとは違うものに。大阪に暮らす祖父母の元を訪れる機会も増えた。「実は兄もコロナ禍で実家に戻ってきて、10年ぶりに家族が勢ぞろい。アラサーの男2人が家にいるのはちょっとおかしいけれど、両親は喜んでいてくれています」
さらに、当初の目的だった“地元に貢献する副業”も、2020年秋からスタート。友人が所属する企業が手掛けるふるさと兼業のサイトから応募し、兵庫県加古川市にある老舗の下着メーカーでマーケティングに関わることになったのだ。「防寒下着として有名で、僕も愛用していた商品。若い3代目が、ブランド力やECを強化したいと、リモート副業限定で募集があったもの。小さな会社だからこそ、商品を実際につくっている職人さんともつながり、みんなの想いを肌で感じることができるのは、本業のクライアント業務では味わえない感覚です」
副業に関わる時間は平日の18時以降と土日のみと決めている。「プライベートな時間は少なくなりますが、好きでやっていることだと思い、苦になりません」
ワシオ社独自の起毛素材を使用したインナーや靴下などを手がけるニットブランド『もちはだ®』を中心としたマーケティングを担当。写真は兵庫県加古川市の工場にて、3代目・鷲尾岳さんと (画像提供/ワシオ)
将来的には、拠点を首都圏に戻すことも想定しているという小林さん。「本業のクライアントがやはり首都圏に多いので、コロナの状況次第でまた首都圏に戻る予定です。また、パートナーの彼女が長く海外赴任中で、彼女の職業柄、日本なら東京が拠点にならざるを得ないので、神戸にUターンは、” 今帰らないといつ帰る”というタイミングでした。コロナ禍で会いたい人に会えない状況が続くなか、家族と過ごせる時間を大切にしたいと改めて考えました」
リモートワークを前提に生活を変えた小林さん。期せずしてその後のコロナ禍はあらゆる人の生活を一変させたが、本当に大切にしたいものに改めて気付くきっかけになった人も多いのではないだろうか。
小林さんもこの1年で得た気付きを活かし、これからのライフスタイルの変化の中でも、しなやかに挑戦を続けていくのだろう。