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小田急線「祖師ヶ谷大蔵」駅 徒歩9分
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東日本大震災の発生から約10年、東北の片隅で、地域の復興・再生に向けて地道に挑戦し闘い続けている人がいる。コワーキングスペースの運営やNPOの支援など行う一般社団法人グラニー・リデトの代表理事・桃生和成さんは、10年経った今だから語れる東北の復興後の事業のモデルやそこで得た知見を、全国の被災地復興に取り組む方々へ向けて伝えたいと、東北の復興をテーマにした出版レーベル「東北復興文庫」を立ち上げた。桃生さんと「東北復興文庫」第1弾の著者である亀山貴一(たかかず)さんに話を聞いた。
被災地の経験を残す出版レーベルを立ち上げた
東日本大震災の発生から約10年が経つ2021年2月13日、23時過ぎに福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生し、福島と宮城では最大震度6強の揺れを観測した。東日本大震災の余震とも伝えられ、SNSでは「東日本大震災の記憶が蘇った」「震災を忘れるな、という警告のように思った」という声がいくつも見られた。
記憶が風化しつつある東日本大震災から得た教訓、取り組みを次世代にしっかり残したい。そんな思いで出版レーベル「東北復興文庫」を立ち上げた桃生和成さんは、大学を卒業した2008年にNPO法人せんだい・みやぎNPOセンターに入職。多賀城市市民活動サポートセンターのスタッフを約8年間務める間に東日本大震災が発生。多賀城市は市の面積の約1/3が浸水し、250人が亡くなった。桃生さんは避難所の調査をしたり、市外・県外から来る支援のコーディネートやボランティア受け入れセンターのバックアップなど、震災復興に関わる仕事をしていた。
2016年に退職し、一般社団法人Granny Rideto(グラニー・リデト)を立ち上げる。Granny Ridetoは、桃生さんが好きな宮沢賢治が良く使っていたエスペラント語で「おばあちゃんの笑顔」、Grannyには「おせっかい」という意味もあり、「地域のおせっかいをしよう」という思いを込めた。
一般社団法人グラニー・リデト代表理事の桃生和成さん。宮城県で生まれ、3歳から18歳まで福島県いわき市で育ち、岩手大学に進み、東北の被災3県に住んで38年。「東北に貢献したい思いをずっと持っていた」という(写真撮影/佐藤由紀子)
グラニー・リデトは、フードバンクの立ち上げのバックアップや、NPO法人の相談やサポート、フリーランスで働くクリエイターの新しい仕事をつくるなど、相談を受けて社会的意義があると判断したことを請け負う。また、宮城県宮城郡の「利府町まち・ひと・しごと創造ステーション tsumiki」、仙台市にあるシェア型複合施設「THE6」のディレクターとして施設運営にも関わる。
「出版事業はグラニー・リデトを立ち上げるときに、事業の柱として考えていました。震災直後は、震災の経験を記録した本も出版されましたが、8年、9年経つと少なくなり、また、商業的に売れないため大手出版社が発行するのは難しくなります。それでも、東北に生まれ育った者として、商業ベースではなく社会的に意味があると強く感じていて、いつか出版したいという想いは強くありました」
被災地と被災地をつないで復興のノウハウやスキルを発信したい2016年ごろから構想があった東北の復興をテーマにした出版レーベルは2020年2月、クラウドファンディングを実施して形になった。「知り合いにも個別に声をかけて支援を頼みましたが、思いがけない人や、九州から北海道まで全国各地の方に支援をいただき、東北の動きに感心がある人がいるんだと分かりました」
経験談などはインターネットでも発信できるが、あえて印刷物、書籍化したのは、確実に長く残したいからだという。「Webでは記録が残っても発見されにくくなります。一方で書籍ならISBN(書籍出版物を識別するコード)を取れば国立国会図書館も含め図書館に納めることができ、100年先、200年先も残すことができます。単純に本が好きということもありましたけれどね。
東北には、震災復興のために事業を継続的に行っている人たちがたくさんいるのに、ノウハウやスキルが個人に蓄積されたままではもったいない、全国の被災地で同じような問題を抱えている人、復興を目指す人々に活用してほしいと立ち上げたのが『東北復興文庫』です。
コロナ禍の影響で計画通りにはいきませんでしたが、NPOの仕事を通じて全国各地の被災地ともネットワークができていたので、当初は、著者と一緒に本を抱えて九州の豪雨地帯や新潟の中越地震の被災地などへ行って、復興従事者の人たちとディスカッションをしながら本を販売しようと考えていました」
東北の被災地から全国の災害被災地へ。著者を選定する条件は「震災から約10年が経とうとしても何らかの形で取り組みを継続し、今後も持続する可能性があること。著者自身が印刷物の書籍をだしたことがない、の2点」とのこと(画像提供/グラニー・リデト)
被災地で起こりうる課題を現場からリアルに1冊目の本「豊かな浜の暮らしを未来へつなぐ -蛤浜再生プロジェクト-」は、石巻市蛤浜(はまぐりはま)でカフェ「はまぐり堂」などの事業を展開している、一般社団法人はまのね・代表理事の亀山貴一さんの、東日本大震災の発生から約9年間の取り組みをまとめた本だ。
築100年の亀山さんの持ち家を協力者とともに改装したはまぐり堂の店内。現在は、コロナ禍のためオンラインショップでお菓子や鹿の皮のアクセサリーの販売などを行っている(画像提供/亀山貴一さん)
「亀山さんのことは以前から知っていて、活動に注目していましたし、はまぐり堂に行ったこともありました。宮城県の震災復興関係では名前の通った方ですが、亀山さん自身の言葉で語られた記録がなかったので、3、4年前から声をかけていました」と桃生さん。
桃生さんが亀山さんに書いてほしかったのは、復興活動を進める上で表に出にくい、報道されない現実、課題だった。
「僕が復興支援事業に従事していたときから感じていた違和感、課題があり、例えば、たくさんの補助金・助成金が投入されても資金が途切れたら事業ができなくなったり、お店を開いてメディアに注目されるのはありがたくても、人が来過ぎて地元の人たちのストレスになったり、地元の人がお店に足を運べなくなったり。そういったことがあると、本末転倒です。
蛤浜は災害危険区域に指定され住宅は建てられません。亀山さんは『人口は少なくても、地域資源を活かした産業で交流人口を増やし、まちを活性化したい。まずはバラバラになった地元の方が集まりお茶を飲みながら集える場所を提供したい、外部にまちの魅力を発信する場所としてカフェをつくろう』と考えたのです。自己資金では足りなかったので寄付金や助成金にエントリーしましたが、災害危険区域であることや費用対効果の面で実現が難しいだろうと助成金が下りませんでした。
当初やろうとしていたことと違う方向に進んだり、助成金が下りないなどは、どこの被災地でも起こりうることだと思いますが、なかなか拾いきれない話だと思います。亀山さんがどう乗り切ったのかなどをぜひ書いてほしいと思いました」
桃生さん、亀山さん、編集者らで何度もやりとりしながら書籍をまとめあげた(写真提供/グラニー・リデト)
壊滅的な被害の中、一人で始めた「蛤浜再生プロジェクト」石巻市の東の先端、牡鹿半島の付け根にある蛤浜全景。蛤浜は豊かな山と海にかこまれた小さな集落だ(画像提供/亀山貴一さん)
亀山さんは生まれてから高校2年まで、石巻市の小さな集落、蛤浜で暮らし、その後は街なかに引越した。同級生は地元を離れることが多いなか、亀山さんは大好きな蛤浜に戻り宮城県水産高校で教員として働き、結婚後もそのまま蛤浜で妻と暮らしていたが、大震災で妊娠中の妻と親族3人を亡くした。震災前は9世帯が住んでいたまちは、震災後はわずか3世帯になり、建物も集会所と民家が4戸残るのみという壊滅的な被害を受けた。
亀山貴一さん。「この9年間、新しいことに取り組み、常に突っ走っていましたが、震災から10年、コロナ禍もあり、執筆が一つの区切りになりました」(画像提供/亀山貴一さん)
震災後、亀山さんは「もうここには住めない」と再び市内に引越したが、1年後に漁業に熱い思いを持つ区長さんと話をしたことで「震災前にあった豊かな暮らしを後世に残していきたい」「ボランティアの方々に支援してもらうばかりでなく、自分も地域のために何かしたい」という想いが沸き起こり、2012年にたった一人で蛤浜再生プロジェクトを立ち上げた。
当時、亀山さんは持続可能な浜をつくりたいと、一枚の絵を描いた。カフェでコミュニティを育むのはもちろん、浜で獲れた季節の食材を提供するレストラン、浜の暮らしを体験できる宿、海に親しむためのマリンレジャーや自然学校、ギャラリーなどをつくり、交流人口を増やすことを目指した。その絵を基に地区を離れた住民や浜の出身者、行政やNPO、大学などたくさんの人に自ら会いに行って話をしたという。また、FacebookなどSNSで情報を拡散すると、ボランティアや応援してくれる人が増えた。
震災1、2年目は瓦礫も片付かない状態だったが、いい仲間やボランティア、支援してくれる人との出会いがあり、瓦礫撤去作業は一段落した。震災から丸2年経った3月、人が集まる場所、コミュニティの基点として「はまぐり堂」をオープン。「はまぐり堂」は、たくさんの人の応援の証であり、復興のシンボルのひとつとして形になることでさらに応援する人が増えて、次のステップが広がった。そして、自然学校の開催、海の結婚式など、この浜ならではの魅力を活かしたイベントや地域資源を有効活用した狩猟、山林再生、漁業、観光プログラムなど、できることを増やしていった。
石巻市では鹿が急増し猟友会に頼るだけでは駆除が追いつかない、捕獲しても処理できないという問題を抱えていた。はまぐり堂では、2014年ごろから、鹿肉を使ったカレーを提供(写真)、人気メニューとなっている。副業として猟を始め、スタッフや地元の作家が鹿革の小物などに加工して販売(画像提供/亀山貴一さん)
本を読んで分かるのは、亀山さんが事業を展開する上で、たくさんの人の協力や支援があったことだ。自分の構想を周りの人にも語り、多くの人に声をかけている。
「やはりカフェを開業できたのは、人との出会いやつながりが大きいです。諦めずに熱意とビジョンを持つと、協力者が自然と集まってくると感じています。本でも、感謝を伝えたくて、一部の方の個人名や企業名を入れましたが、名前を書ききれないほどたくさんの人にお世話になり、全員の名前を挙げられなかったのが心苦しいです。
補助金や助成金が得られず、資金が少なかったため、築100年の自分の持ち家をカフェに改装することにしましたが、その分、家族や地元の人、震災後に出会った方が寄付をしてくれたり、設計事務所の方、大工さん、ボランティアといった多くの人が知恵や労力を手注いでくれて、改装することができたのも結果的に良かったと思います」と亀山さん。
本の第5章の「交流人口から関係人口へ」と、最終章の桃生さんと亀山さんの対談では、震災後5年以降の取り組みや、振り返って思うこと、情報を伝える難しさなど、復興事業に取り組む方の参考になる内容だ。
東北だからこそできることから、東北の新しい価値を見出す2020年10月、クラウドファンディングの協力者に本を発送。2020年12月には仙台市内の書店でトークイベントを行った。
参加者からは「はまぐり堂はオシャレなカフェだと思っていたら、オープンまで紆余曲折があったんだ」といった声も。「身近な人には、はまぐり堂を立ち上げた背景や開業までの過程などを深く理解してもらえるようになりましたが、まだまだ届けきれていません。震災から10年で何ができて何ができていないか、11年目にどうすればいいか、そういう議論をもっと活発に行いたい」と桃生さん。
トークイベントの模様。「同級生や同級生のお母さんも来てくれて、激励の言葉をかけてくれました」と亀山さん(画像提供/亀山貴一さん)
「亀山さんはいい仲間に出会えていますが、共感する人が集まるのは、強烈なリーダーシップがあるからではなく、秘めた強い思いを持っているからだと思います。先が見えない、予測がつかない時代に求められる、環境に適合する柔軟さ、しなやかさを持っています。
東北は東京などの大きな経済圏のことを踏襲するやり方ではうまくいかないと思います。東北人の血が流れている自分は、東北だからこそできること、東京にないものをどうつくっていくかを意識しています。それを実践している亀山さんは、同世代として尊敬しています」と桃生さん。
グラニー・リデトでは、インターネットラジオで、震災後に生まれた知恵や技術などを共有するプログラム「10年目を聞くラジオ」を月1回配信し、震災10年目の手記を募集している。「震災から10年を節目と捉えるか、通過点と捉えるか、いろいろだと思います。僕は今後も東北に住み続けて震災の跡に寄り添いながら、東北に新しい価値を見出すことをやっていきたい」(桃生さん)
『東北復興文庫』の第1弾、「豊かな浜の暮らしを未来へつなぐ -蛤浜再生プロジェクト-」を、鉛筆を手に
読んだ。心に響いた箇所には鉛筆で線を引き、後で読み返したいところには付箋を貼った。本棚に置いて、本棚にその本があることを見て安心し、必要なときにまた手に取って読み返したいと思った。本が好きな人には分かる、書籍ならではの楽しみかもしれない。
『東北復興文庫』は、全部で5冊発行する計画。2冊目は2020年度中に発行予定だ。
災害から立ち上がろうとする人たちのヒントや希望がぎっしりと詰まった同書は、復興事業に関わらない人にとっても、立ち止まって自分の足元を見直し「人生で何が大切か」「何のために生きるのか」「どう生きるか」を考えさせられる貴重な本を、ぜひ手に取ってほしいと思う。
2011年の東日本大震災、いわゆる「3・11」からちょうど10年。このタイミングで「地域の防災」をテーマに具体的な活動事例を取材した。
第2回にご紹介するのは「亀有共助プロジェクト」。これは、葛飾区亀有エリアでアロマや健康や育児に関する講座を主宰していた小西昭美さん(37歳)が“防災エキスパートパパ・ママ”を育成しようと立ち上げたものだ。
本格的なスタートは今年の4月になるという。今回は、そんな小西さんに亀有への愛と「防災の輪」の広げ方について聞いた。
ママ向けの講座を始めたのは「子どもが大好きだったから」今回のプロジェクトのテーマは100%、「防災」。小西さんは亀有エリアのママたちに向けてアロマや環境に関する講座を開いていたが、同時に多くの人から防災に対する不安の声も聞いていた。
小西さんがママたちを対象とした講座を始めたのは、「子どもが大好きだったから」。独身時代に「子育てアドバイザー」の資格を取るほどの情熱で、当時も子どもができた今も、人生のテーマは「子どもの発達と親子関係」だという。
西亀有にあるGreenroom&Kitchen茶々というカフェスペースで開催していたアロマ講座の様子(画像提供/亀有共助プロジェクト)
そんなタイミングで出会ったのが、前回の記事にも登場した百年防災社代表の葛西優香さん(34歳)だ。地域の防災計画を推進する、いわば“防災のプロ”だ。
葛西さんは、かつしかFMの『かつぼうそなえチャオ!』という防災番組のパーソナリティーを務めている。この番組に小西さんが出演したのは昨年7月。
「番組の最後に、葛飾区民がリレー形式で感想を話す『防災の輪』という枠があって、私のお友達からバトンが回ってきたんです。それがきっかけで葛西さんと防災トークをするようになり、防災は地域との連携が大事だなと感じるようになりました」
ラジオで防災のプロとしてトーク中の葛西さん(画像提供/百年防災社)
避難所を運営するカードゲームを体験して気付いたことその後2020年12月に、小西さんは百年防災社が開発中のカードゲームの会に誘われた。
「内容は、みんなで協力し合って避難所を運営するというもの。まず、鍵がないのでいろんなツテをたどって町内会の会長から鍵を受け取るところから始まり、押し寄せる避難者に対応するんです。みなさんと一緒に頭をフル回転させてとても楽しかったです。同時に、地域や町内会と連携する『共助』の重要性にも気付かされました。その日のうちに『亀有deみんなで守る共助』というLINEグループをつくり、自分たちにできることは何かと考え始めることになりました」
カードゲームは今年の4月末に完成予定(画像提供/百年防災社)
自分たちにできること――それは例えば、備蓄。小西さんの防災に対する意識は高いものの、まだいざというときの備蓄態勢は整っていない。今後、葛西さんの備蓄品を参考にしながら買いそろえたいという。
現在の防災備蓄は水、食料、簡易トイレのみ(画像提供/亀有共助プロジェクト)
一方、防災の専門家である葛西さんは「いつも鞄に入れて持ち歩くもの(ヘッドライト、ビニール袋、トイレ、マウスピース、非常笛など)」、「車での移動が多いので車載用」、「逃げる際のリュック(背負って走れる重さ)」と、いつ災害が起きても対応できる万全の態勢を取っている。
こちらは「鞄に入れて持ち歩く防災グッズ」(画像提供/百年防災社)
葛西さんとの出会いを機に、防災活動は地域との繋がりが大事だと気付いた小西さん。近い将来、地元の町会に入るつもりだ。
愛する町だからこそ、防災への意識を高めておきたい小西さんは、地元・亀有を愛している。
「妊娠したタイミングで引越してきたんですが、本当に子育てがしやすい。遊具が充実している公園が近くにいっぱいあって、スーパーに行けば、素材にこだわったちょっと意識の高い商品が並んでいます(笑)」
亀有を代表する商店街「ゆうろーど」(画像/PIXTA)
災害時の広域避難所にも指定されている上千葉砂原公園(画像/PIXTA)
お隣の足立区だが「お散歩圏内」の大谷田南公園(画像/PIXTA)
また、同じエリアで出会ったパパ・ママたちは、自然派の子育て、現在の政治、そして防災について熱心に語り合える貴重な存在だ。
「防災について言えば、それぞれが問題意識を持って考えていましたが、それらを繋げる場所がなかった。さっきのLINEグループもそうですが、まずは顔見知りになっておくことが重要だと思います」
全講座を受講した人は「防災エキスパートパパ・ママ」に認定4月からは「自助力」「共助力」という2つのテーマでさまざまな防災講座を開催する予定だ。申し込みは先着順で、密を避けるために1回あたり会場に5名ずつという制限も設けた。
ここに「公助力(行政との連携)」も加わる予定だ(画像提供/亀有共助プロジェクト)
小西さんの専門分野であるアロマ講座も(画像提供/亀有共助プロジェクト)
「ママたちに向けてアロマ講座をやってきた経験から、例えば避難所でアロマを体験してもらえれば傷や火傷に対応できたり、除菌もできますし、リラックス効果もあるので、感情の切り替えもできる。6月から8月にかけて予定している講座は、そのシミュレーションなんです」
防災の準備に必要な備蓄品について知ることから始まり、最終的には町会や地域の高齢者も一緒になって避難所運営を学ぶプログラムとなっている。
1年をかけて全講座を受講した人は「防災エキスパートパパ・ママ」に認定。ここで培った「自助力」「共助力」のノウハウは別のパパ・ママたちに伝えられるとともに、そこからさらに拡散してゆく。
「テーマ縁」で形成されるパパ・ママ友コミュニティ小西さんとともに講座を企画する百年防災社の葛西さんは言う。
(画像提供/亀有共助プロジェクト)
「近所のコミュニティ、すなわち縁が生まれる背景には、地縁、テーマ縁、血縁、学校縁があると思います。小西さんの『亀有共助プロジェクト』は、まさに防災というテーマでつながる“テーマ縁”で形成されるパパ・ママ友コミュニティですね」
アロマ縁、環境縁、そして葛西さんのラジオに出演したことを機に生まれた防災縁。各エリアにいるというパパ・ママ友コミュニティに加えて、今後、町会との繋がりも深くなれば防災講座もより深く、実践的になるだろう。
いろんな縁を結んでいた小西さん。それが、結果的に地域を守る防災につながろうとしている。ちょっとした縁をきっかけに起こした行動から新しい防災の芽が生まれる。これは、どの地域にも起こり得ることかもしれない。
●取材協力