
50万円 / 135.68平米
東急東横線・東急大井町線「自由が丘」駅 徒歩9分
◆賃料下がりました!◆
「日本のガウディ」と呼ばれる建築家、梵寿綱氏による設計の集合住宅。自由が丘から少し歩いた通りの裏手に、まるで美術館のような佇まいでひっそりと立っていました。
敷地に足を踏み入れると、鍛造工芸による大きな黒い鉄格子がお出迎え。建物の雰囲気に圧倒されつつも ... 続き>>>.
圧倒的に不動産情報が多いですが。。。。
一級建築士・管理建築士の伯耆原洋太(ほうきばら・ようた)さんは今、新しい住まいと暮らしのスタイルを模索している。大手ゼネコンの設計部に勤め、今春独立した伯耆原さんは、2019年に中古マンションを購入。自らリノベーションを施し、そこに暮らした後で売却した。リノベーションによる付加価値がついたことで、購入時を上回る価格で売れたという。そして、現在はその売却益を原資に次の家を購入し、再びリノベーションにとりかかっている。つまり、「家を買う」→「自らリノベ」→「一定期間住む」→「売却」というサイクルを実践しているのだ。
「ライフスタイルや家族構成の変化で住みたい家は変わる。それなら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいい」と語る伯耆原さん。詳しくお話を伺った。
「自分がデザインした」と言えるものをつくりたかった――まず、伯耆原さんのご経歴からお伺いします。もともとは大手のゼネコンにいらっしゃったと。
伯耆原:早稲田大学で建築を学んだ後、「竹中工務店」の設計部に就職しました。入社後は10万平米を超えるオフィスのビッグプロジェクトに配属されました。当時、会社内では一番大きなプロジェクトだったと思います。4年ほど携わっていましたが、竣工目前で次のプロジェクトへ異動が命じられまして。しかも、今度はさらに大きなプロジェクトでした……。
設計士・伯耆原洋太さん(写真撮影/小野奈那子)
――さらに大きな案件に携われるのは良いことのようにも思いますが。
伯耆原:もちろん誇らしいことですし、自分一人ではとても関われないようなプロジェクトなので、貴重な経験だとは思います。ただ、入社当初は中小規模のプロジェクトにもっと濃密に携わりたかった。ビッグプロジェクトになればなるほど関わる人間も多いため、「ここは僕がデザインした!」と言うのは難しい。僕は自己表現の欲が強いので(笑)、そこに対しては葛藤がありましたね。
――自邸をつくることになったのも、その思いが関係しているのでしょうか?
伯耆原:そうですね。会社の仕事って、良い意味でも悪い意味でも、いち社員が責任を負い切れないじゃないですか。だから30歳が近くなった時に、個人として挑戦したいなと考えるようになりました。そして「自分のデザインを、自分の全責任においてつくりたい」と強く思うようになったんです。
とはいえ、個人としての実績がない僕にいきなりクライアントが現れるわけはありません。そこで、プロジェクトを自分で仕込み、クライアントは自分、デザインも自分という座組みで自邸をつくることにしました。
――その時にはすでに、一定期間住んでから売却することを考えていたのでしょうか?
伯耆原:ぼんやりと、「自邸は一生に一つじゃなくてもいいんじゃないか」とは考えていました。ライフスタイルや家族構成が変わることで、いま住みたい家と10年後・20年後に住みたい家はまるで違うものになるのは言うまでありません。だったら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいいのではないかと。そこで、買った家を自分でリノベーションし、一定期間暮らしたあとに売却して、また次の家へ、というビジョンが浮かびました。
自邸=自分をプレゼンできるショールーム――そこから、会社に所属しつつ自邸のプロジェクトをスタートさせたと。まずは物件選びについて教えてください。
伯耆原:物件については、最低限の不動産価値があることは大前提でした。というのも、どんなに素敵なリノベーションができても、不動産としての価値はエリアや駅までの所要時間、築年数、坪単価などが大きく物をいいます。売却を前提として考えると、その空間に住みたいと思ってもらえるような「デザイン」と物件自体の「不動産価値」の2つがそろっていなければ、このスキームは成り立たないだろうと。
あとは、当時の自分の生活スタイルや仕事のことを考えて、希望は「都心の60平米くらいの中古マンション」。予算に合う物件をひたすら探しました。
――物件はすぐに見つかりましたか?
伯耆原:それが、けっこう苦戦しましたね。当時は毎日のようにSUUMOと睨めっこし、内覧を重ねる日々でした。そこで気づいたのは、完璧な物件など存在しないということ。だから、「ここだけは譲れない」という要素を決めておいて、マイナス要素だけど目をつむれる範囲を決めておくことが大事なのだと思います。
僕の場合、最終的には世田谷区の中古マンションを購入しました。
――どんなところが気に入りましたか?
伯耆原:リノベーションでは変えられない部分に重きを置いて選びました。その1つが天井の高さ。日本の中古マンションは2400mm前後が多いのですが、ここは天井高が2700mmもあります。これだけあれば、全てのプロポーションが全く違って見えてくるんですよ。あとは吹き抜け、螺旋階段、ルーフバルコニーという幼いころからの憧れだった要素が備わっていたことも大きかったですね。
購入した三宿エリアの中古マンション(リノベーション前)。築年数は17年でJRと東京メトロの駅まで徒歩10分圏内。また、60平米弱で当時の住宅ローン控除が適用されたそう(写真提供:伯耆原洋太)
――購入時点でリノベーションのプランはある程度固まっていましたか?
伯耆原:どんなデザインにするかまでは固まっていませんでしたが、テーマとしては「30歳の子どものいない夫婦」の住む家をイメージしていました。いわゆるDINKSだからこそ、挑戦できる空間にしたいなと。最大の気積(床面積×高さ)として豊かに空間を感じられることを重要視しました。
(写真撮影/小野奈那子)
伯耆原:また、これは自邸であると同時に、建築家としての自分を売り込むためのショールームでもあると考えていました。当時はゼネコンに所属していましたが、いつまで会社に必要としてもらえるかは分かりません。そのなかで、今後のキャリアを考えて個人名を知ってもらう意味でも、建築的・空間的に魅力的なものをつくろうと思っていましたね。
――どれくらいの期間をかけて設計されましたか?
伯耆原:会社の仕事と同時並行なので、約4カ月かかりましたね。なお、この物件はそこまで古くなかったこともあり風呂・トイレ・キッチンは変えず、リビングのみを施工しています。
リノベーション風景。工事施工費は500万程度に抑えたそう(写真提供:伯耆原洋太)
―――ちなみに、仕事ではオフィスビルを設計していたということですが、マンションのリノベーションは未経験でしたか?
伯耆原:そうですね。オフィスビルの設計と住宅リノベーションとでは当然ながら勝手が違います。使う素材や規模感もまるで異なるため、けっこうな挑戦でした。ただ、それだけにワクワクしましたね。特に、職人さんとダイレクトにやり取りできるのは会社で中々経験できないので、すごく楽しかったですよ。
購入から約半年で完成。寝室とも2枚のカーテンで仕切り、デスクは昇降式(写真提供:伯耆原洋太)
思った以上の反響が自信に――そして、いよいよ“自邸兼ショールーム”が完成するわけですが、ゆくゆくは売却する予定とはいえ、しばらくは住むつもりだったわけですよね?
伯耆原:60平米弱なので子どもが小学生になるころには手狭になるだろうと考えていましたが、実際はわずか1年で売却することになりましたね。
――早い! なぜですか?
伯耆原:一番の要因はコロナ禍でリモートワークに切り替わり、ライフスタイルがだれも想像しなかったくらい劇的に変化したことです。物件を購入したのはコロナ前でしたが、住み始めたのは2020年の春。ちょうど1回目の緊急事態宣言の真っ只中でした。夫婦ともにリモートワークになって、同時にテレビ会議に入ってしまうと音が聞き取りづらかったんです。間仕切りを増やす等、正直工夫はいくらでもできましたが、ワンルームのコンセプトを中途半端に変えたくなかったのと、もう一回、自分の作品をつくりたいという想いが強くなり、売却を考えました。
一人で在宅時はルーフバルコニーで仕事することも(写真提供:伯耆原洋太)
――いつから売却に出していましたか?
伯耆原:住み始めてから数カ月後ですね。出した当時は売るためというよりも、単純に反応をみたいなと思いまして。自分がリノベーションした空間がプロや一般の方々にどう評価されるのか、どれくらいの人が興味を示してくれるのか、試してみたい気持ちがありました。
――反応はいかがでしたか?
伯耆原:内覧者はめちゃくちゃ来てくれましたね。多分、50組100人以上は来たんじゃないかな。おかげで僕の土曜日は毎週潰れまして。前半はカップルや夫婦が来ており、後半は裕福な一人暮らしの人が多く来てくれました。
それから、「ArchDaily」や「architecture photo」などの建築界隈で有名なメディアにも取り上げられました。また、驚いたのはリノベーション雑誌の「LiVES」から取材を受け、この部屋が表紙を飾ったことです。
「LiVES」の表紙(写真提供:伯耆原洋太)
――売却はいつ決まったのですか?
伯耆原:手放したのは2021年の春です。クリエイターの人がセカンドハウスとして購入してくれました。もちろん、立地とマンション自体が好条件というのはありますが、最後の決め手は内装と言って購入してくれたので喜びもひとしおでした。
――建築家としての腕試し的なところもあったかと思いますが、相当な自信になったのではないですか?
伯耆原:そうですね。依頼されてつくったものではなく、僕が自発的につくったものが評価され、そこに住みたい人がいるというのは自信になりました。それに、多くのメディアに取り上げられ「完全に自分がデザインした」上で個人名を知ってもらうこともできましたし、自邸を自分自身のショールームにできました。それに、つくれれば売れるし、売れることでまたつくれる可能性がちらっと見えてきたのも良かったと思います。
(写真撮影/小野奈那子)
2件目はとにかく広い物件&リノベーション――2021年の春に1件目を売却した後は、また新たな物件を購入したのでしょうか?
伯耆原:はい。売却で得たお金を原資に新たな家を購入しました。そして、近所の賃貸物件に住みながら、新しい家の設計と現場の監理をしました。今度は部分リノベーションではなく、フルリノベーション。最近やっと竣工し、引っ越しも終えたところです。
――今回の物件はどういう条件で探したのでしょうか?
伯耆原:今回は予算内でとにかく広い物件を探しました。今後、ライフスタイルに多少の変化があっても対応できる追従性を持てるからです。ただ、なかなか良い物件は見つからなかったですね。しかも、僕がリノベーションしたいので、すでにされていないことが条件でしたから、余計に見つけづらかった。当然ですが、SUUMOの検索には「リノベ済み」というチェック項目はあっても「未リノベ」はないんです(笑)。
調べた物件をエクセルで管理しながら粘り強く探した結果、最終的には世田谷区に希望の条件に合った90平米のマンションを購入することができました。
リノベーション前の状態(写真提供:伯耆原洋太)
――どんなところに惹かれましたか?
伯耆原:これまでに見たことがないつくりで「ここなら面白いデザインができる」と思えましたね。それと、天井の高さと開口の量に惹かれました。ただ、ここの物件は正確な現状図面がなかったんです。だから、図面を書くために全て自分で実測する必要がありました。
そして、実測の結果、いろんな問題も出てきました。それでも現場で関係者全員とコミュニケーションしながら解決する能力は会社で揉まれていたので、やり切れました。それに、1件目を経験していたことで、2件目ではコスト感やスケジュール管理など予測しながら進められましたね。
設計図。パズルゲームのように様々なプランを模索。結果、Cのプランを採用し、廊下はなく、広いリビングとキッチンが部屋の拠点となった(写真提供:伯耆原洋太)
デッドスペースとなりがちな廊下を徹底的になくし、間仕切りを増やしてもリビングに必ず隣接する平面計画(写真提供:伯耆原洋太)
伯耆原:90平米にもなると、どこになにを配置するか、いろんなパターンが考えられます。リノベーション前は部屋の真ん中にトイレ、お風呂、洗面所が構えており、せっかくの「開口の抜け」が塞がれていました。
そこで僕のプランでは大きなワンルームにして、真ん中には回遊できるキッチンを配置。そうすることで、この物件の一番の強みである「開口の抜け」を最大化させました。
――実際、かなり広々とした印象を受けます。
伯耆原:ワンルームだからこそ、汎用性があると思うんです。不動産的な思考だと、60平米もあれば2LDK・3LDKと壁で区切る物件が非常に多いじゃないですか。でも、個人的には空間をいかに広く使えるかが大事だと考えていて、光が抜け、風が通ると暮らしが豊かになると思っています。新しい部屋が必要になったら、その時に仕切ればいい。この部屋も仕切りを用いることで、最大4LDKまでカスタム可能です。いろいろな場所でリモートワークできるので快適ですよ。
(写真撮影/小野奈那子)
――この住居には、いつまで住む予定ですか?
伯耆原:一生いるつもりはないですが、次のステップが決まるまでは住みます。「売る」という選択肢を持っていることが大事だと思います。ちなみに、次は一戸建の自邸を手掛けたいです。
また、今年の春に会社を辞めて、建築事務所を設立しました。建築設計料だけでお金を稼ぐのではなく、自邸に配置する家具のデザインやプロダクトの販売、さらには“自邸のショールーム化やスタジオ化”を通して、「建築家によるライフスタイル」を提案していくような発信ができたらいいですね。
●取材協力
伯耆原洋太さん
HAMS and, Studio
Twitter
一級建築士・管理建築士の伯耆原洋太(ほうきばら・ようた)さんは今、新しい住まいと暮らしのスタイルを模索している。大手ゼネコンの設計部に勤め、今春独立した伯耆原さんは、2019年に中古マンションを購入。自らリノベーションを施し、そこに暮らした後で売却した。リノベーションによる付加価値がついたことで、購入時を上回る価格で売れたという。そして、現在はその売却益を原資に次の家を購入し、再びリノベーションにとりかかっている。つまり、「家を買う」→「自らリノベ」→「一定期間住む」→「売却」というサイクルを実践しているのだ。
「ライフスタイルや家族構成の変化で住みたい家は変わる。それなら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいい」と語る伯耆原さん。詳しくお話を伺った。
「自分がデザインした」と言えるものをつくりたかった――まず、伯耆原さんのご経歴からお伺いします。もともとは大手のゼネコンにいらっしゃったと。
伯耆原:早稲田大学で建築を学んだ後、「竹中工務店」の設計部に就職しました。入社後は10万平米を超えるオフィスのビッグプロジェクトに配属されました。当時、会社内では一番大きなプロジェクトだったと思います。4年ほど携わっていましたが、竣工目前で次のプロジェクトへ異動が命じられまして。しかも、今度はさらに大きなプロジェクトでした……。
設計士・伯耆原洋太さん(写真撮影/小野奈那子)
――さらに大きな案件に携われるのは良いことのようにも思いますが。
伯耆原:もちろん誇らしいことですし、自分一人ではとても関われないようなプロジェクトなので、貴重な経験だとは思います。ただ、入社当初は中小規模のプロジェクトにもっと濃密に携わりたかった。ビッグプロジェクトになればなるほど関わる人間も多いため、「ここは僕がデザインした!」と言うのは難しい。僕は自己表現の欲が強いので(笑)、そこに対しては葛藤がありましたね。
――自邸をつくることになったのも、その思いが関係しているのでしょうか?
伯耆原:そうですね。会社の仕事って、良い意味でも悪い意味でも、いち社員が責任を負い切れないじゃないですか。だから30歳が近くなった時に、個人として挑戦したいなと考えるようになりました。そして「自分のデザインを、自分の全責任においてつくりたい」と強く思うようになったんです。
とはいえ、個人としての実績がない僕にいきなりクライアントが現れるわけはありません。そこで、プロジェクトを自分で仕込み、クライアントは自分、デザインも自分という座組みで自邸をつくることにしました。
――その時にはすでに、一定期間住んでから売却することを考えていたのでしょうか?
伯耆原:ぼんやりと、「自邸は一生に一つじゃなくてもいいんじゃないか」とは考えていました。ライフスタイルや家族構成が変わることで、いま住みたい家と10年後・20年後に住みたい家はまるで違うものになるのは言うまでありません。だったら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいいのではないかと。そこで、買った家を自分でリノベーションし、一定期間暮らしたあとに売却して、また次の家へ、というビジョンが浮かびました。
自邸=自分をプレゼンできるショールーム――そこから、会社に所属しつつ自邸のプロジェクトをスタートさせたと。まずは物件選びについて教えてください。
伯耆原:物件については、最低限の不動産価値があることは大前提でした。というのも、どんなに素敵なリノベーションができても、不動産としての価値はエリアや駅までの所要時間、築年数、坪単価などが大きく物をいいます。売却を前提として考えると、その空間に住みたいと思ってもらえるような「デザイン」と物件自体の「不動産価値」の2つがそろっていなければ、このスキームは成り立たないだろうと。
あとは、当時の自分の生活スタイルや仕事のことを考えて、希望は「都心の60平米くらいの中古マンション」。予算に合う物件をひたすら探しました。
――物件はすぐに見つかりましたか?
伯耆原:それが、けっこう苦戦しましたね。当時は毎日のようにSUUMOと睨めっこし、内覧を重ねる日々でした。そこで気づいたのは、完璧な物件など存在しないということ。だから、「ここだけは譲れない」という要素を決めておいて、マイナス要素だけど目をつむれる範囲を決めておくことが大事なのだと思います。
僕の場合、最終的には世田谷区の中古マンションを購入しました。
――どんなところが気に入りましたか?
伯耆原:リノベーションでは変えられない部分に重きを置いて選びました。その1つが天井の高さ。日本の中古マンションは2400mm前後が多いのですが、ここは天井高が2700mmもあります。これだけあれば、全てのプロポーションが全く違って見えてくるんですよ。あとは吹き抜け、螺旋階段、ルーフバルコニーという幼いころからの憧れだった要素が備わっていたことも大きかったですね。
購入した三宿エリアの中古マンション(リノベーション前)。築年数は17年でJRと東京メトロの駅まで徒歩10分圏内。また、60平米弱で当時の住宅ローン控除が適用されたそう(写真提供:伯耆原洋太)
――購入時点でリノベーションのプランはある程度固まっていましたか?
伯耆原:どんなデザインにするかまでは固まっていませんでしたが、テーマとしては「30歳の子どものいない夫婦」の住む家をイメージしていました。いわゆるDINKSだからこそ、挑戦できる空間にしたいなと。最大の気積(床面積×高さ)として豊かに空間を感じられることを重要視しました。
(写真撮影/小野奈那子)
伯耆原:また、これは自邸であると同時に、建築家としての自分を売り込むためのショールームでもあると考えていました。当時はゼネコンに所属していましたが、いつまで会社に必要としてもらえるかは分かりません。そのなかで、今後のキャリアを考えて個人名を知ってもらう意味でも、建築的・空間的に魅力的なものをつくろうと思っていましたね。
――どれくらいの期間をかけて設計されましたか?
伯耆原:会社の仕事と同時並行なので、約4カ月かかりましたね。なお、この物件はそこまで古くなかったこともあり風呂・トイレ・キッチンは変えず、リビングのみを施工しています。
リノベーション風景。工事施工費は500万程度に抑えたそう(写真提供:伯耆原洋太)
―――ちなみに、仕事ではオフィスビルを設計していたということですが、マンションのリノベーションは未経験でしたか?
伯耆原:そうですね。オフィスビルの設計と住宅リノベーションとでは当然ながら勝手が違います。使う素材や規模感もまるで異なるため、けっこうな挑戦でした。ただ、それだけにワクワクしましたね。特に、職人さんとダイレクトにやり取りできるのは会社で中々経験できないので、すごく楽しかったですよ。
購入から約半年で完成。寝室とも2枚のカーテンで仕切り、デスクは昇降式(写真提供:伯耆原洋太)
思った以上の反響が自信に――そして、いよいよ“自邸兼ショールーム”が完成するわけですが、ゆくゆくは売却する予定とはいえ、しばらくは住むつもりだったわけですよね?
伯耆原:60平米弱なので子どもが小学生になるころには手狭になるだろうと考えていましたが、実際はわずか1年で売却することになりましたね。
――早い! なぜですか?
伯耆原:一番の要因はコロナ禍でリモートワークに切り替わり、ライフスタイルがだれも想像しなかったくらい劇的に変化したことです。物件を購入したのはコロナ前でしたが、住み始めたのは2020年の春。ちょうど1回目の緊急事態宣言の真っ只中でした。夫婦ともにリモートワークになって、同時にテレビ会議に入ってしまうと音が聞き取りづらかったんです。間仕切りを増やす等、正直工夫はいくらでもできましたが、ワンルームのコンセプトを中途半端に変えたくなかったのと、もう一回、自分の作品をつくりたいという想いが強くなり、売却を考えました。
一人で在宅時はルーフバルコニーで仕事することも(写真提供:伯耆原洋太)
――いつから売却に出していましたか?
伯耆原:住み始めてから数カ月後ですね。出した当時は売るためというよりも、単純に反応をみたいなと思いまして。自分がリノベーションした空間がプロや一般の方々にどう評価されるのか、どれくらいの人が興味を示してくれるのか、試してみたい気持ちがありました。
――反応はいかがでしたか?
伯耆原:内覧者はめちゃくちゃ来てくれましたね。多分、50組100人以上は来たんじゃないかな。おかげで僕の土曜日は毎週潰れまして。前半はカップルや夫婦が来ており、後半は裕福な一人暮らしの人が多く来てくれました。
それから、「ArchDaily」や「architecture photo」などの建築界隈で有名なメディアにも取り上げられました。また、驚いたのはリノベーション雑誌の「LiVES」から取材を受け、この部屋が表紙を飾ったことです。
「LiVES」の表紙(写真提供:伯耆原洋太)
――売却はいつ決まったのですか?
伯耆原:手放したのは2021年の春です。クリエイターの人がセカンドハウスとして購入してくれました。もちろん、立地とマンション自体が好条件というのはありますが、最後の決め手は内装と言って購入してくれたので喜びもひとしおでした。
――建築家としての腕試し的なところもあったかと思いますが、相当な自信になったのではないですか?
伯耆原:そうですね。依頼されてつくったものではなく、僕が自発的につくったものが評価され、そこに住みたい人がいるというのは自信になりました。それに、多くのメディアに取り上げられ「完全に自分がデザインした」上で個人名を知ってもらうこともできましたし、自邸を自分自身のショールームにできました。それに、つくれれば売れるし、売れることでまたつくれる可能性がちらっと見えてきたのも良かったと思います。
(写真撮影/小野奈那子)
2件目はとにかく広い物件&リノベーション――2021年の春に1件目を売却した後は、また新たな物件を購入したのでしょうか?
伯耆原:はい。売却で得たお金を原資に新たな家を購入しました。そして、近所の賃貸物件に住みながら、新しい家の設計と現場の監理をしました。今度は部分リノベーションではなく、フルリノベーション。最近やっと竣工し、引っ越しも終えたところです。
――今回の物件はどういう条件で探したのでしょうか?
伯耆原:今回は予算内でとにかく広い物件を探しました。今後、ライフスタイルに多少の変化があっても対応できる追従性を持てるからです。ただ、なかなか良い物件は見つからなかったですね。しかも、僕がリノベーションしたいので、すでにされていないことが条件でしたから、余計に見つけづらかった。当然ですが、SUUMOの検索には「リノベ済み」というチェック項目はあっても「未リノベ」はないんです(笑)。
調べた物件をエクセルで管理しながら粘り強く探した結果、最終的には世田谷区に希望の条件に合った90平米のマンションを購入することができました。
リノベーション前の状態(写真提供:伯耆原洋太)
――どんなところに惹かれましたか?
伯耆原:これまでに見たことがないつくりで「ここなら面白いデザインができる」と思えましたね。それと、天井の高さと開口の量に惹かれました。ただ、ここの物件は正確な現状図面がなかったんです。だから、図面を書くために全て自分で実測する必要がありました。
そして、実測の結果、いろんな問題も出てきました。それでも現場で関係者全員とコミュニケーションしながら解決する能力は会社で揉まれていたので、やり切れました。それに、1件目を経験していたことで、2件目ではコスト感やスケジュール管理など予測しながら進められましたね。
設計図。パズルゲームのように様々なプランを模索。結果、Cのプランを採用し、廊下はなく、広いリビングとキッチンが部屋の拠点となった(写真提供:伯耆原洋太)
デッドスペースとなりがちな廊下を徹底的になくし、間仕切りを増やしてもリビングに必ず隣接する平面計画(写真提供:伯耆原洋太)
伯耆原:90平米にもなると、どこになにを配置するか、いろんなパターンが考えられます。リノベーション前は部屋の真ん中にトイレ、お風呂、洗面所が構えており、せっかくの「開口の抜け」が塞がれていました。
そこで僕のプランでは大きなワンルームにして、真ん中には回遊できるキッチンを配置。そうすることで、この物件の一番の強みである「開口の抜け」を最大化させました。
――実際、かなり広々とした印象を受けます。
伯耆原:ワンルームだからこそ、汎用性があると思うんです。不動産的な思考だと、60平米もあれば2LDK・3LDKと壁で区切る物件が非常に多いじゃないですか。でも、個人的には空間をいかに広く使えるかが大事だと考えていて、光が抜け、風が通ると暮らしが豊かになると思っています。新しい部屋が必要になったら、その時に仕切ればいい。この部屋も仕切りを用いることで、最大4LDKまでカスタム可能です。いろいろな場所でリモートワークできるので快適ですよ。
(写真撮影/小野奈那子)
――この住居には、いつまで住む予定ですか?
伯耆原:一生いるつもりはないですが、次のステップが決まるまでは住みます。「売る」という選択肢を持っていることが大事だと思います。ちなみに、次は一戸建の自邸を手掛けたいです。
また、今年の春に会社を辞めて、建築事務所を設立しました。建築設計料だけでお金を稼ぐのではなく、自邸に配置する家具のデザインやプロダクトの販売、さらには“自邸のショールーム化やスタジオ化”を通して、「建築家によるライフスタイル」を提案していくような発信ができたらいいですね。
●取材協力
伯耆原洋太さん
HAMS and, Studio
Twitter
リクルートが2022年3月に発表した「SUUMO住みたい街ランキング2022 首都圏版」で、5年連続で総合1位になった横浜駅。歴史ある港町で首都圏屈指の観光地でもある繁華街だ。その横浜駅に電車で30分以内で行ける、ワンルーム・1K・1DKの物件を対象にした家賃相場の安い駅ランキングを紹介する。
横浜駅まで電車で30分以内、家賃相場の安い駅TOP14駅順位/駅名/家賃相場/(沿線名/駅の所在地/横浜駅までの所要時間(乗り換え時間を含む)/乗り換え回数)
1位 善行 4.80万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市/29分/1回)
2位 南万騎が原 4.90万円(相模鉄道いずみ野線/横浜市旭区/15分/1回)
3位 藤沢本町 4.95万円(小田急江ノ島線/藤沢市/29分/1回)
4位 安針塚 5.05万円(京急本線/横須賀市/29分/1回)
5位 三ツ境 5.10万円(相鉄本線/横浜市瀬谷区/17分/0回)
5位 桜ケ丘 5.10万円(小田急江ノ島線/大和市/28分/1回)
7位 京急田浦 5.15万円(京急本線/横須賀市/26分/1回)
8位 能見台 5.20万円(京急本線/横浜市金沢区/19分/1回)
8位 舞岡 5.20万円(ブルーライン/横浜市戸塚区/16分/1回)
8位 鶴間 5.20万円(小田急江ノ島線/大和市/29分/1回)
11位 京急富岡 5.30万円(京急本線/横浜市金沢区/18分/1回)
11位 南林間 5.30万円(小田急江ノ島線/大和市/27分/1回)
13位 屏風浦 5.40万円(京急本線/横浜市磯子区/13分/1回)
14位 いずみ野 5.45万円(相鉄いずみ野線/横浜市泉区/20分/0回)
14位 さがみ野 5.45万円(相鉄本線/海老名市/26分/1回)
14位 汐入 5.45万円(京急本線/横須賀市/30分/0回)
14位 追浜 5.45万円(京急本線/横須賀市/24分/0回)
善行駅周辺(写真/PIXTA)
1位は小田急江ノ島線沿線の善行駅。駅の読み方は「ぜんぎょう」だが、字面の縁起の良さから、かつては記念入場券も発行されていた。駅名は、付近に江戸時代にあったという寺「善行寺」に由来している。
所在地の神奈川県藤沢市は、県の中央南部に位置し、南を相模湾に面している。市域はおおむね平坦な地形だが、善行駅付近は丘陵地帯で坂が多い。毎日坂道を登り下りすると考えると敬遠してしまいそうだが、それすら“味”と感じられそうなどこか郷愁を誘う景色は、まるで映画の場面のような風情と魅力的な雰囲気がある。実際、2017年にTOKYO MX系で放送されたテレビアニメ『Just Because!』など、駅周辺を忠実に描写した作品などもある。
駅周辺は深夜1時まで営業しているスーパーやドラッグストア、飲食店などが充実しており、駅東側は陸上競技場や球技場を備えた神奈川県立スポーツセンターなどがある。少し行くと果樹園や田畑などが広がり、親水広場や植物園がある「引地川親水公園」もある。
2位の南万騎が原駅は、横浜市旭区にある。横浜駅までの所有時間は15分と利便性抜群な上、沿線である相模鉄道は2023年3月に東急線と相互直通運転を予定。都内の渋谷駅や目黒駅までのアクセスも向上が期待できる。
南万騎が原駅前広場(写真/PIXTA)
所在地の旭区は自然豊かなエリアで、区内には国内でも希少な動物が飼育されおり人気の「よこはま動物園ズーラシア」などがある。横浜市は市の魅力を広く発信し、ブランド力向上や集客増のためのプロモーションとして市内での映像や出版物の撮影などに対応する事業「横浜フィルムコミッション」を手がけており、南万騎が原駅もTBS系の人気テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で、星野源演じる主人公の住む最寄り駅として登場。ほかにもテレビCMなどで登場することも多い。
駅前にあるドラックストアや病院の入ったスーパーは深夜1時半まで営業。すぐ近くにはJA横浜が運営する農作物の直売所「ハマっ子」があるのは、自炊派にとってはうれしい点だろう。
沿線である相模鉄道いずみ野線の宅地開発とともに発展してきた駅で、相鉄グループや市による再開発も行われており、子どもや高齢者にも暮らしやすく環境に配慮した次世代の街づくりが進められている。持続可能な開発目標・SDGsが世界的に掲げられるなか、「持続可能な住宅地モデル」として南万騎が原駅周辺の商業施設や周辺地域を再開発。電柱の地中化なども進んでいる。そうした街並みや住宅は、「グッドデザイン賞」も複数回受賞。“横浜”らしい、スタイリッシュな気分も満喫できる街かもしれない。
横浜名物も近所で買える三ツ境駅、隠れたグルメスポットの舞岡駅同率5位の三ツ境駅は、相鉄の急行、通勤急行、快速、各駅停車のすべてが停車する駅。横浜駅まで乗り換えなしなのはポイントが高い。所在地は瀬谷区だが、旭区との境に位置しており、南万騎が原駅と同じく自然に恵まれている。天候に恵まれた日には富士山が見えることでも知られている。
三ツ境駅(写真/PIXTA)
瀬谷区の区役所は三ツ境駅が最寄り。駅前には警察署があるのも、いざというときに心強い。区役所と隣接する公会堂では、モノづくり体験やスポーツ講座なども開かれている。周辺には学校も数多い。
駅に直結した「相鉄ライフ 三ツ境」はスーパーのほか、スターバックスコーヒーやカルディコーヒーファームなどが入っている。飲食店も多数あり、横浜名物である崎陽軒や横濱文明堂も入っているのが地元民にはうれしいところだ。ほかにも大きなスーパーや家電量販店、安売り店などが点在するほか、「三ツ境駅前商店街」「笹野台商店街」など、昔ながらの商店街も複数ある。季節ごとのイベントが開催されることもあり、買い物も楽しそうだ。
同率8位の舞岡駅は、ランキング中唯一の戸塚区所在で、ブルーライン沿線駅。駅前のJA横浜の直売所「ハマっ子」や、お弁当や総菜などを扱う「ハム工房まいおか」、いちご狩りもできる「舞岡いちご園」などのファーマーズマーケットがあちこちに点在しており、ちょっとしたグルメスポットとして知られている。
舞岡駅周辺(写真/PIXTA)
舞岡地区は横浜市の市街化調整区域に指定されており、自然景観の保全に力を入れているエリア。小さな川のほとりに遊歩道が整備されたのどかな景色には、心が癒やされそうだ。その小川沿いに少し行くと鎌倉時代に創建されたと伝えられる舞岡八幡宮がある。新型コロナウイルス禍以前には、毎年、沸かした湯に笹の葉を浸して神前や参詣人にまく祭礼「湯花神楽」が行われており、地域の歴史に思いをはせることができそうだ。
ランキング中、横浜駅までの所要時間が一番短いのが、13位の屏風浦駅。普通列車のみの停車駅だが、隣駅はエアポート急行や特急が停車し、横浜市営地下鉄が利用できる上大岡駅で、駅間距離は約2.5km。同じく隣駅でエアポート急行と、JR根岸線と横浜シーサイドラインが利用できる杉田駅は約1.6kmで、屏風浦駅を最寄りとする物件でも、選ぶ場所によっては利用路線の選択肢を増やすことができる。
周辺は落ち着いた住宅街で、味のある個人経営の飲食店などが点在。駅前には100円均一店が入ったスーパーがあり、少し行くと業務スーパーなどもある。また、総合病院の康心会汐見台病院も近い。大きな商業施設などはないがどこか人情味が感じられる街並みで、穴場といえそうだ。
横浜は利便性の高い都会だが、少し足を延ばせば海や緑など自然が豊かなところも大きな魅力の一つだ。ランキングでは、そんな横浜に共通する豊かな自然環境を大切にしている街が目立つ。洗練された便利さとのどかさが両立できることこそ、横浜に魅せられる要因なのだろう。
●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている横浜駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/1~2022/3
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年3月28日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載
若者に人気の街、高円寺(東京都杉並区)。この街に全国に名を馳せる銭湯、「小杉湯」がある。1日の利用者数は500人前後。電車を乗り継いでやってくる熱狂的ファンもいるのだ。
ミルク風呂やフルーツ風呂などの日替わり湯が人気で、さまざまなイベントも行っている。しかし、最新のホットニュースは、小杉湯が連携する築50年の空き家だったアパートを活用した「湯パートやまざき」のオープンだ。都内の銭湯で使える1カ月分の入浴券付きで家賃は5万円~6万円程度。
プロジェクトのきっかけは? 室内の雰囲気は? どんな人が住んでいる? さっそく取材に行ってきました。
「終電で帰ってきても利用できる」銭湯JR新宿駅から中央線快速で2駅、6分で高円寺に着いた。北口には高円寺の代名詞ともいえる純情商店街のアーチ。「キングオブコント2021」で空気階段が優勝した際は、「高円寺芸人 鈴木もぐらさん おめでとう!!」という横断幕が掲げられた。
高円寺は芸人が多く住む街でもある(写真撮影/片山貴博)
駅から歩くこと5分。昭和8年創業の老舗銭湯、小杉湯が見えてきた。玄関には社寺にみられる丸みを帯びた「唐破風(からはふ)」、屋根には三角形の「千鳥破風(ちどりはふ)」が施されている。
2021年1月には国の登録有形文化財(建造物)に登録された(写真撮影/篠原豪太)
「終電で帰ってきても利用できるように」という思いから、営業時間は深夜1時45分まで。待合では漫画が読み放題で、壁にはアート作品や著名人の色紙も飾られていた。
風呂上がりにのんびりと過ごせるスペース(写真撮影/篠原豪太)
ペンキ絵はいまや日本に3人しかいない銭湯絵師、中島盛夫氏によるもの。ペンキ絵は定期的に描き換えられ、現在の絵は2020年11月に上書きされた。
鮮やかな色使いで富士山と海辺の風景が描かれている(写真撮影/篠原豪太)
高円寺に新風を吹き込むシェアスペースさらに、2020年3月にオープンしたのが「小杉湯となり」という会員制の銭湯付きシェアスペース。文字通り、小杉湯の隣で銭湯まで徒歩3秒という立地だ。
建て主は小杉湯、建築設計は東京を拠点に活動するT/Hが担当した(写真撮影/片山貴博)
エントランスの脇には緑が映える中庭も(写真撮影/片山貴博)
1階は食堂のような場所で、シェアキッチンとテーブル席を自由に使える(写真撮影/片山貴博)
Tシャツやスウェットなどの小杉湯となりオリジナルグッズも販売中(写真撮影/片山貴博)
2階はWi-Fi、電源、プリンター完備のお座敷。ここで仕事をするもよし、ゴロゴロするもよし(写真撮影/片山貴博)
スタッフや会員が選書している大きな本棚もある(写真撮影/片山貴博)
こちらは「1話だけ読んでも面白いエッセイ」という棚(写真撮影/片山貴博)
「湯パートやまざき」のキーパーソンたちさて、ここからが本題だ。
3階の個室で「湯パートやまざき」についての話を聞かせてくれたのは、「小杉湯となり」発起人で株式会社銭湯ぐらし代表の加藤優一さん(34歳)、株式会社まめくらしに所属し、「高円寺アパートメント」の女将として住人や地域の人たちとの関係性を育む宮田サラさん(28歳)、そして、「湯パートやまざき」の住人1号となった勝野楓未さん(23歳)の3人。
加藤さんと勝野さんは定休日以外は毎日小杉湯に通う。宮田さんも週に1、2回は訪れるという小杉湯愛に満ちた面々だ。
右から加藤さん、宮田さん、勝野さん(写真撮影/片山貴博)
旧国鉄の社宅を株式会社ジェイアール東日本都市開発がリノベーションした賃貸住宅、「高円寺アパートメント」(写真提供/株式会社まめくらし)
「この『小杉湯となり』が立つ場所には、もともと風呂なしアパートがあったんですが、取り壊しが決まった後、1年間は空いた状態でした。そこで、僕を含めた多様なクリエイターで共同生活を始めることになったんです。その生活で気付いたのが、街全体を家のように楽しむ豊かさでした。風呂なしアパートが寝室で、銭湯が浴室、台所は近くのお店と考えると、暮らしの選択肢が広がります。その考え方を実現したのが『小杉湯となり』であり、『湯パートやまざき』もプロジェクトの一つです」(加藤さん)
(画像提供/加藤優一)
「小杉湯となり」ができる前にあった、風呂なしアパート。当時、期間限定の新住人で外壁に絵も描いた(写真提供/加藤優一)
きっかけは空き家活用のための勉強会「湯パートやまざき」は、前述の「小杉湯となり」から徒歩7分ほど離れた場所にある。「湯パートやまざき」プロジェクト発足のきっかけは、空き家を活用して高円寺を盛り上げるための勉強会だった。対象は空き家を持っているが活用に悩んでいる大家さんたち。
「去年の6月に第一回の勉強会を開催したら、10人ぐらいの方が参加してくれました。みなさん、空き家のまま放置しておくのはもったいないし、街のために活用できたらと思っていらっしゃる方々でした」(宮田さん)
同年8月に開催した第二回勉強会の様子(写真提供/加藤優一)
この勉強会には現「湯パートやまざき」の大家・山崎さんのご家族が参加しており、「10年ぐらい空き家になっているアパートを何とか活用できないか」という相談を受ける。そこで、「じゃあ、みんなで物件を見に行きましょう」となった。
現「湯パートやまざき」に向かう参加者たち(写真提供/加藤優一)
住人募集の告知から3日間で応募が殺到「最初に外観を見た感想は、『一般的な風呂なしアパートだなあ』というもの。でも、中に入るとレトロな家具の雰囲気が良くて、随所に大工さんの技巧も凝らしてある。ここに銭湯を組み合わせることで“湯パート”としてリブランディングしようと思いました」(加藤さん)
去年の11月ぐらいから「銭湯ぐらし」にかかわり始めた勝野さんは、東京大学大学院で建築を学んでいる学生。加藤さんと宮田さんが「湯パートやまざき」のリブランディングとなるコンセプトや企画を考え、彼女がより具体的なイメージ図を描いた。
現在、大家さんは住んでいないが部屋は残してある(イラスト/勝野楓未)
勝野さんがnoteに描いたイメージ図とともに、住人募集の告知をTwitterにアップしたのが2022年1月30日。すると3日間で50人の応募があり、あわてて募集を締め切ったという。
「『シェアハウスほど近すぎず、普通のアパートほど遠くない、ほどよい関係』がみなさんに刺さったのでは」と加藤さんは振り返る。個室はあるが1階にシェアスペースもあり、価値観の近い人が入居することもイメージできる。また、「近所に小杉湯があることも大きかったと思います。ほかには、大家さんの顔が見えることや、DIYができること、そして、1人ではできないけど誰かとはやってみたいという“小さな暮らしが実現できる”という点に魅力を感じていただけたと思います」と話す。
以前は家賃3万円だったが、小杉湯を起点に「街を家と捉える」プロジェクトの一つとして生まれ変わらせるにあたり、家賃に入浴券1カ月分を組み込んだ家賃5~6万円の「銭湯付きアパート」へ(頭が出た分の金額は、大家さんと株式会社銭湯ぐらしで按分している)。入浴券は都内共通入浴券なので都内の銭湯ではどこでも使えるが、ご近所にある小杉湯のファンが集う結果となったようだ。
「応募してくれたのは20歳から30代後半の方で、6割ぐらいが女性でした。職業はいろいろ。高円寺に住んでいないけど、高円寺が好きという人もいれば、コロナ禍で1人で暮らすのが寂しいという人もいました。必ずしも小杉湯ファンだけではなかったですね」(勝野さん)
共有スペースには螺鈿細工のたんすやレトロなテーブル内見会やオンラインでのヒアリングを経て、勝野さんを含む3名の住人が決まった。勝野さんは2月の半ばから、残りの2名も3月中旬から住み始めている。
コンセプトは「暮らしの要素をシェアする、懐かしくて新しい共同生活」。というわけで、さっそく物件を案内してもらった。
「ようこそ、『湯パートやまざき』へ!」(写真撮影/片山貴博)
高円寺駅から徒歩9分、小杉湯から徒歩7分。防犯上の理由から詳しい場所は書けないが、閑静な住宅地にある木造2階建てのアパートだった。
まずは、1階の共有スペースを拝見。
螺鈿細工のたんすやレトロなテーブルが雰囲気たっぷり(写真撮影/片山貴博)
ホワイトボードには住人らによる「今後やりたいこと」が貼ってあった(写真撮影/片山貴博)
このキッチンも共同で使用する(写真撮影/片山貴博)
「湯パートやまざき」での暮らしを選んだ理由次に2階の勝野さんの部屋へ。
階段には収納用の隠し棚があった(写真撮影/片山貴博)
入口のドアの上には今やなかなかお目にかかれない電気メーターが(写真撮影/片山貴博)
「ここが私の部屋です」と勝野さん(写真撮影/片山貴博)
間取りは6畳プラス、ミニキッチン(写真撮影/片山貴博)
張り替えたばかりの青畳が香る。
「布団は押入れに入れてあって、寝るときに出します。日当たりが良いので外に干すとすぐに乾くんですよ。設計の勉強に使う金尺は置き場所がないので柱に掛けました」
実は勝野さん、ここに住む前は隣駅の阿佐ケ谷に住んでいた。風呂トイレ付きで床はフローリングというアパート。しかし、銭湯ぐらしやまめくらしの「街を大きな家と捉えて大きく暮らす」という考え方に共感したことと、コロナ禍で家に全部そろっている必要はないと考え方が変わったことから、「湯パートやまざき」への転居を決めたそうだ。
共同作業の第一歩はバルコニーのペンキ塗り勝野さん以外の住人2名にもオンラインで話を聞いた。
そのうちの1人は転職で大阪から上京したばかりの27歳の女性。たまたま、加藤さんのツイートを目にし、応募した。東京に知り合いが1人もいない状態での共同生活は楽しく、初めて訪れた高円寺を徐々に開拓したいそうだ。
彼女の部屋はこんな感じ。裸電球がいい味を出している(写真撮影/本人)
もう1人は建築設計事務所で働く28歳の男性。彼もまたTwitterでの告知を見てすぐに応募したという。多忙のため終電で帰ることが多い生活だが、会ったら「オッス」というぐらいの距離感がちょうどいいと言っていた。
現在入居者の住居となっている部屋には、図書館司書として働いている大家さんの親族がセレクトしたセンスあふれる本の数々が置いてあった。
住人も本好きな人たちなので、いずれは共有スペースをミニ図書館にする予定(写真撮影/宮田サラ)
そして、生活を豊かにしてくれそうなのが通りに面した広いバルコニー。勝野さんのイメージ図には望遠鏡のイラストとともに「流星群や満月を観察」と書かれていた。
机とテーブルを置けばコーヒータイムも楽しめる(写真撮影/片山貴博)
「今度、みんなで柵にペンキを塗るんですよ。いずれは菜園もやりたいです」
取材後、3人の予定が合った日にペンキ塗りを実行(写真撮影/宮田サラ)
大家さんの思いとともにそれぞれのスタイルで暮らす築50年とはいえ、必要最低限の補修のみで大がかりなリノベーションはしていない。つまり、長く住んだ大家さんの思いを残した形だ。3人は今後、大家さんの思いとともに「暮らしの要素をシェアする、懐かしくて新しい共同生活」を送る。それぞれのスタイルで、街を取り込みながら。
老舗銭湯の「小杉湯」を軸に新しい風は吹き続ける。スタートしたばかりの「湯パートやまざき」の試みが軌道に乗れば、高円寺にまだまだたくさんあるという空き家アパートの活用が一層進むだろう。
●取材協力
小杉湯となり
銭湯ぐらし
まめくらし
湯パートやまざきSNSアカウント
Instagram:@yupart_yamazaki
Twitter:@yupart_yamazaki
建物の老朽化、空き家問題、高齢化、人口流出。都市の多くが頭を抱える問題です。そのようななか大阪の下町「昭和町」では、長い歴史を誇る長屋をローコストで再活用し、街に活気をもたらしています。成功に導いたのは、代々続く地元の不動産会社。三代目社長の「気づき」がきっかけでした。「長屋の保存活動ではない。やっているのは長屋の“活用”だ」。そう語る三代目社長に、奏功の秘訣をおうかがいしました。
「私は長屋の保存活動はしていない」「誤解されるのですが、私は長屋の保存活動はしていないんです」
「丸順不動産」代表取締役、小山隆輝さん(57)はそう言います。
「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。電動アシスト自転車と首からさげたカメラがトレードマーク(写真撮影/出合コウ介)
大阪府大阪市阿倍野区(あべのく)「昭和町」。大阪メトロ御堂筋線の巨大ターミナル駅「天王寺」から南へ一駅くだった場所にある細長いエリアです。
「昭和町」はその名のとおり昭和時代の面影を感じさせてくれる、のんびりした雰囲気に包まれた街。あべのハルカスがそびえる大都会、天王寺のそばだとは信じがたい印象。近年はテレビをはじめとしたメディアがこぞって「下町レトロ散歩」特集の舞台に昭和町を選ぶようになりました。
昭和町のゆったりムードに大きく貢献しているのが「長屋」。現在ではあまり見かけない長屋ですが、昭和町には築100年前後という貴重な長屋が奇跡的に数多くのこっています。
昭和町の随所にのこる長屋。古風で落ち着いた雰囲気を活かし、ヨガサロンを開く例もある(写真撮影/出合コウ介)
なかでもおしゃれなお店が6軒ずらり並ぶ「桃ケ池長屋」は昭和町エリアのランドマーク的存在。桃ケ池長屋をはじめ古い家屋のリノベーション計画が功を奏し、国勢調査によると1995年(平成7年)から2020年(令和2年)までのあいだに965人(大阪市における住民基本台帳人口数)が増加しました。大阪市の多くの街が人口流出や高齢化による人口減にあえぐなか、これは快挙です。
昭和町の長屋に新たな命を吹き込んだエキスパートが、大正13年(1924年)創業の「丸順不動産」三代目、小山隆輝さん。
小山「昭和町5丁目で生まれ、昭和町4丁目で育ちました。57年の人生を昭和町の徒歩5分圏内で過ごしています」
小山さんは生粋の昭和町っ子。先述の「桃ケ池長屋」や、大正14年築という長屋をリノベーションして大阪古民家カフェブームの先鞭をつけた「金魚カフェ」など、数々の物件をブレイクさせた立役者です。電動アシスト自転車をこぎながら日々、昭和町の風景を撮影しSNSで発信し続ける。そんな不動産界のインフルエンサーとしても知られています。
金魚カフェ(写真提供/小山さん)
金魚カフェ(写真提供/小山さん)
金魚カフェ(写真提供/小山さん)
ただ、活躍ゆえに“誤解”が生じている様子。
小山「ときどき“長屋再生人”と紹介されます。いいえ、違うんです。長屋を文化財として保存したいわけじゃない。元通りにしたいわけでもない。やりたいことは“長屋の活用”です。だって、長屋だけきれいになってもしゃあないやないですか。そうではなく、長屋など既存の建物を活用し、エリアの価値を向上させたいんです。目指すは“上質な下町”。そのためにも、いいプレイヤーを昭和町に集めたい。それが私のメインテーマですわ」
長屋の保存ではなく、再生でもない。メインテーマは「長屋の活用」と「エリアの価値向上」。その言葉の真意をさぐるべく、先ずは小山さんが手がけ、いまや大阪の人気スポットとなった「桃ケ池長屋」を案内していただくことにしましょう。
「昭和町ってどこやねん」と言われた知名度の低さ「桃ケ池長屋」へ向かう道すがら、長屋が注目される以前の昭和町の姿はどんなものだったのかを、小山さんは語ってくれました。
小山「とにかく街の知名度が低かった。こんな話があるんです。昭和町でBarをやっていた男性がミナミやキタにいる友達のところへ遊びに行った。友達に『昭和町で店をやってるから、遊びに来てな』と言ってショップカードを渡した。するとそのカードを見た友達が、こう言ったんです。『昭和町って、どこやねん』。同じ大阪市内、同じ御堂筋線沿線にもかかわらずですよ。それくらい地味で目立たない街でした」
(写真撮影/出合コウ介)
現在ではメディアの人気コンテンツとなり、憧れの気持ちを抱いて訪れる若者も多い昭和町にも、そんな無名時代があったのです。
小山「私が二十代のころは少子高齢化が進み、人口は減少。『昔はにぎやかな商店街やったのに誰一人として歩いていない』。そんな寒々とした風景でした。このままではあかん。昭和町をなんとかしなければならない。最初にそう思ったのが25年くらい前。子どものころから通っていた散髪屋さんのおっちゃんが私に、『あんたら不動産屋ががんばらなんだら、街がようならへんやんか。人もお店も増えへんやないか』と言ったんです。それ以来、“不動産屋ができる、街をよくする方法”を考えるようになりました」
街の人が危機感を抱くほどさびれていた昭和町。それを解決する糸口の一つが、長屋だったのです。
「上質な下町」のシンボルとなった「桃ケ池長屋」やってきた「桃ケ池長屋」。「昭和4年(1929)の資料が残っている」という、大正時代と昭和のはざまに誕生した4軒長屋と近隣の2軒の計6軒。「焼き菓子カフェ」「洋裁工房」「おばんざい(お惣菜)」など6つのお店が並んでいます。年に1、2回、不定期で長屋総出のイベントを行い、その日はたくさんのお客さんでにぎわいます。小山さんが目指す「上質な下町」と呼べる空間づくりに大いに貢献しています。
桃ケ池長屋(写真撮影/出合コウ介)
かつての桃ケ池長屋(2003年撮影)(写真提供/小山さん)
そのうちの一軒、平成23年(2011年)に入居した「カタルテ」は器と雑貨のお店。注目すべき作家の一点ものをはじめ、店主の宮倉さんが焼き物の産地である信楽や丹波立杭などに足を運んで選んだ逸品が並びます。
(写真撮影/出合コウ介)
(写真撮影/出合コウ介)
(写真撮影/出合コウ介)
実は「桃ケ池長屋」という名称は、「昔からあったものではない」のだとか。
宮倉「桃ケ池長屋という名前は長屋のみんなでつけました。勝手にね(笑)。『長屋でイベントをするときに呼び名をつけたいね』『じゃあ近くに桃ケ池公園があるし、桃ケ池長屋にしようか』って。そうして勝手に名前を呼んでいたら、だんだん定着してきたんです」
(写真撮影/出合コウ介)
店舗兼住居のこの「カタルテ」、梁など昭和の趣を残しながらも無理やりな懐古趣味はなく、見事に現代と調和しています。
(写真撮影/出合コウ介)
宮倉「アルミサッシなど、古い長屋と雰囲気が合わない建具は入れたくなかったので、大家さんによい方法はないかと相談しました。大家さんがとても理解がある方で、ご自身がお持ちの取り壊す古い建物から『要るものがあるなら持っていっていいよ』と言ってくださって。大工さんと一緒にメジャーを持って計りに行き、使えそうな建具を運んできました」
(写真撮影/出合コウ介)
「カタルテ」は、古い長屋に別の古い建具を継ぐという、ありそうで意外とない方法で新しいスペースをデザインしていたのです。
小山「この物件は家主さん、借主さん、大工さん、三者の美意識が合致した好例です。私が長屋に着手しはじめた当時はまだ大工さんは“きれいにするのが当たり前”でした。『あそこを残して。ここを残して』と言っても理解してもらえなかった。ひたすら、闘いでしたね」
「桃ケ池長屋」が好評を博した秘訣、それは小山さんのトータルプロデュース力にありました。
宮倉「小山さんが、世代が近い人を横並びでつないでくださったんです。世代が近いから相談できるし、『イベントを一緒にやろうよ』という動きになっていきました。長屋が一つのカラーをもっているおかげで続けられているのかな。小山さんのはからいがなかったら、何年かで店を辞めちゃっていたかもしれない」
小山「一軒一軒で考えるのではなく、世代をできるだけ合わせていく。いいプレイヤーを揃える。それが『長屋が街を変える』第一歩やと思うんです。ぜんぜん違うテイストのものを並べても、街としておもろくないですから。そやから僕はしっかりとお話をして人となりを見ます。『どんな人か』が大事やから」
(写真撮影/出合コウ介)
お話を聞くにつけ、いいこと尽くしのように感じる長屋のリノベーション。とはいえ、およそ100年も前の建物の再利用です。不便はないのでしょうか。
宮倉「気になる点は物音でしたね。壁が共有なので。お隣さんの会話の内容がわかっちゃうくらい筒抜け。『こちらが出した音も向こうに聞こえているんだろうな』と思って、電話する場合はわざわざお風呂場で話をしていました」
決して厚くない壁。しかも共有。長屋は言わば一つの大きな家。共同体だからこそ両隣との関係性が重要になってきます。
宮倉「お互いにお店をしていて、一緒にイベントをする仲間。人柄がわかっているから許容できました。『お互い様だよね』って。ときにはお隣の物音に安心感をおぼえる日もありました。まったく見知らぬ人だったら『うるさいよ』ってなっていたかもしれません」
一軒一軒ではなく、長屋全体をどうするかをトータルで考える。小山さんの発想と手腕はトラブル回避にも活かされていたのです。さらに、長屋での商いは物音などのリスクを超えた大きなメリットがあると宮倉さんは言います。
宮倉「広さに対する家賃の安さは魅力ですね。プラス、この雰囲気。ピカピカじゃなくって、歴史があるものにしか出せない温かな雰囲気が得られるのはとてもありがたいです」
タウン誌などにもたびたび採りあげられる桃ケ池長屋。「やりたいことは長屋の保存や再生ではなく“活用”」「長屋の活用によるエリアの価値向上」。小山さんの信条は、「桃ケ池長屋」というかたちではっきりと可視化されていたのです。
長屋の雰囲気になじんでいる看板猫のエモンちゃん(写真撮影/出合コウ介)
「長屋が文化財なら、昭和町はお宝だらけや」そもそも、なぜ昭和町には昭和初期の長屋が多く残っているのでしょう。理由は大正時代にさかのぼります。
小山「大正時代から昭和のはじめにかけて大阪市は経済が大きく発展しました。“大大阪”“東洋のマンチェスター”と呼ばれるほどだったんです。そのため人口が急増した。かつての東京市(1943年/昭和18年に廃止)よりも多かった。結果、たちまち住宅難が起きました。各地から続々と転入してくるため、住む人を吸収できなくなってきたんです」
サラリーマン家庭の住居の用意に急を要した大阪市。そこで建てられたのが、長屋でした。大阪市は特有の土地区画整理計画「長屋建築規則」を制定。長屋という名のニュータウン開発事業に乗り出したのです。
小山「大正時代までこのあたりは畑やったんですけれども、区画整理をして、長屋の寸法に街割をしたんです。そやから当時は長屋がザーッと並んでいました。言わば元祖ベッドタウンです。区画整理がスタートしたのが昭和のあたま頃やったんで、“昭和町”という地名になったんです」
なんと、昭和町という地名自体が、長屋の開発が由来だったとは。そんな深い縁がある長屋に再びスポットが当たる出来事がありました。それが「寺西家阿倍野長屋の再評価」。
「寺西家阿倍野長屋」とは昭和7年(1932年)に建築された近代的な4軒長屋。戦前の庶民の都市住宅としての様式を今に残す貴重な建築であることが評価され、平成15年(2003年)、長屋としては全国初となる「登録有形文化財」に指定されたのです。
寺西家阿倍野長屋(写真提供/丸順不動産)
小山「登録文化財になったという新聞記事を見て、『そんな文化財になるような長屋なんかあったか?』と探しに行ったところ、そこにあったのはどこにでもある普通の長屋。『これが文化財になるんやったら町中が文化財だらけや。これを使わない手はないやろ』と思いました」
現場へ行って寺西家阿倍野長屋を見上げた小山さん。そのとき「散髪屋のおっちゃん」から言われた「あんたら不動産屋ががんばらへんかったら、街がようならへん」のひと言が蘇ってきたのだそう。
小山「昭和町の長屋は、確かに質が高い。『京都では町家のリノベーションを当たり前にやっている。だったら昭和町は、長屋でそれができるんやないか』。そうひらめいたんです。意識して素敵なテナントを誘致したり、古い建物のよさを残したりすれば、街が元気になるんじゃないかと。散髪屋のおっちゃんのあの一言と長屋が頭の中でピタッとくっついた瞬間でしたね」
日本建築の粋を集めた「お屋敷長屋」このように長屋や既存の古い建物およそ30軒を蘇らせてきた小山さんに、もう一軒のケースを見せていただきました。「水回り以外は昭和初期の雰囲気のまま」という、5戸が連なる長屋です。
2019年より家族3人で居住している建築士、城田研吾さんはこう言います。
城田「物件を見る前は、『長屋をDIYしたい』と考えていました。部屋を自由に改造できる条件で物件を探していたんです。けれどもこの長屋を初めて内見したとき、『このまま住みたい』と思いました。手を入れる必要がない、理想の住まいだったんです」
(写真撮影/出合コウ介)
屋内は丸窓の「灯りとり」、欄間、土壁、漆喰など、惚れ惚れとするほど昭和の意匠が遺されています。特に立派な床の間が印象的。
玄関(写真撮影/出合コウ介)
キッチンとリビングをつないで広々とした空間をつくりだしている。段差を考慮したテーブルをオーダーメイドし、二間をまたぐように設置した(写真撮影/出合コウ介)
小山「フルサイズの床の間が、この長屋の特徴です。床の間は無駄と言えば無駄なんですけれども、当時は『床の間のない家なんて家やない』という文化があり、必須の設えだったんでしょう。ほかにも門があり、庭があり、燈籠が建てられている。大きなお屋敷の様式を全部きゅっと詰め込んである。だから“お屋敷長屋”と呼ばれる場合もあります。しっかりした邸宅で、落語に出てくる、八っつあん熊さんがいるような庶民の長屋とはずいぶん違いますね」
寝室(写真撮影/出合コウ介)
書斎(写真撮影/出合コウ介)
(写真撮影/出合コウ介)
棚は城田さん自身が造作(写真撮影/出合コウ介)
取材時、中庭には赤い桃の花が咲いていました。城田さんはこの家を「もものきながや」と名づけ、風流な景色を楽しんでいます。いやあ、若くしてこの長屋を気に入るとは、シブいご趣味ですね。
(写真撮影/出合コウ介)
城田「僕らの世代は原体験がないぶん、逆に昔の趣が残っている家って好きなんじゃないですかね」
小山「新車に乗りたい人がいれば旧車に乗りたい人もいる。新しいジーンズが好きな人がいれば、リーバイスのヴィンテージを好む人もいる。それと同じとちゃいますか」
(写真撮影/出合コウ介)
長屋はジーンズに例えるならばヴィンテージ。長屋の魅力がさらに鮮明になってきました。
昭和町の住民と店とをつなぐ「バイローカル」活動小山さんの取り組みで刮目(かつもく)すべきもう一つの軸、それが昭和町の住民と地元の商売人との縁をつなぐ「buy-local(バイローカル)」という活動。具体的には昭和町にある素敵な商店およそ80軒が掲載されたマップつきの小冊子を年に一回発行し、PRしてゆく行いです。小山さんは2013年4月から、街の有志とともにバイローカル活動をはじめました。
小山「バイローカルとは、そもそもはアメリカのコロラド州で生まれた『小さな商店の雇用を守ろう』という運動でした。コロラド州のバイローカルは大資本に立ち向かう抗議活動やけど、昭和町はそこまで好戦的やない。志だけを継いで、街の“よき商い”を昭和町に住む人にもっと知ってほしい、そんな気持ちでやっています。理想は“内発的発展”。地域の人たちが自分の街にある店を選択し、守り、昭和町の中で365日、経済が循環する環境を整えていきたいんです」
小冊子のほか、使いやすいMAPも配布している
マップを見ていると、新旧の魅力的な個人商店が満載。「少し歩くとこんなにたくさんのオリジナリティと出会えるのか。昭和町カルチャーすごい!」と驚かされます。
バイローカルマップを配布する大事なイベントが、長池公園にて開催される年に一度のマーケット。出店数は50店舗前後。あまりの人手に昨年は平日開催にせざるをえなかったというから、いかにバイローカルという理念が昭和町に根付いたかがうかがい知れます。
小山「人を寄せて儲けるのが目的ではない。マーケットを開くことで、地元の人とお店の人とでコミュニケーションをとってもらいたいんですよ。『あんたんとこのお店、どこやの? 今度遊びに行くわ』『あんたのお店、前から知ってたんやけど、どんなお兄ちゃんがやってるかわからへんかったから、行くん怖かってん。なんや~、あんたかいな~。ほんならこれから行くわ~』みたいな。バイローカルのマーケットを通じて知らないお店と出会ってほしいんです。ゆっくり話をしてほしいから、本音は、あんまりたくさんの人に来てほしくない(笑)」
2020年開催時の様子(写真提供/小山さん)
自分が住む街にどんなお店があるのか、意外と知らないものです。バイローカルは住民と店とのマッチングの機会をつくり、街がよい商いを支える地盤をつくりました。おかげで、こんな利点があったのだそうです。
小山「2020年の夏はコロナでしんどい時期でしたけれども、街の人がテイクアウトでお店を支えた。お店も必死やけど、街の人たちも必死でした。『この店がつぶれたら絶対に困る』ってね」
昭和町なら駅から離れていても商売が成立する。それが理想「長屋なんて更地にしてアパートを建てましょう」「コインパーキングにしてしまいましょう」が当たり前ななか、あえて古い建物の活用で街を衰退から救った小山さん。今後の展望は。
小山「これまでの経験で得た知見を活かし、おもろいエリアをさらに広げていきたい。街のはずれにも素敵なお店があって、周遊しながら楽しめる。そういうふうにならんと街ってしまいに廃れると思うんですよ。駅前でないと商売が成り立たん、そんなんではあかん。『昭和町なら住宅地でも商売が成立するんですよ』と伝えていかなければ。駅前一極集中ではなく、歩いて行ける場所、あるいは自転車でまわれるエリアに、自分の暮らしを豊かにしてくれるお店がいくつも点在している。それが街の理想形かなって思うんです」
確かに、バイローカルのマップを見ていると、点々とあるすべてのお店をぐるりと回遊したくなります。そうしてきょろきょろしているうちに、きっとさらに街が好きになる。
バイローカル会議の様子(写真提供/小山さん)
小山「象徴的な出来事がありました。駅前のいい場所に店舗が空いたので、お客さんをご案内したんです。けれども、そのお客さんが言うには、『すっごいええ場所やねんけれども、ここだと家賃を払うために仕事をせなあかん。ちゃんとていねいに商いをしたいから、もっとさびしい場所でいいです』と。その感覚なんです、昭和町は」
昭和町を訪れないと出会えない素敵な個性がある。希少となった長屋も、現代でいえば個性的な存在です。小山さんは今日も電動アシスト自転車で街を駆け抜けながらええもんを見つけ、昭和町をさらに「おもろい街」にすべく奮闘しています。
「私はただの不動産屋さん。けれども、街のことを考える不動産屋さんです。そやから、なんでもします。街の不動産屋はなんでもやりますよ」
●取材協力
丸順不動産株式会社
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リクルートが2022年3月に発表した「SUUMO住みたい街ランキング2022 関東版」にて、見事5年連続の1位に輝いた横浜駅。大型商業施設や人気観光スポットが豊富にあり、JR各線をはじめ多数の路線が乗り入れていて利便性もよいうえに、爽やかな海景色も楽しめるため人気があるのもうなずける。今回はそんな横浜駅まで30分圏内にある駅の中古マンションの価格相場を調査。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」それぞれの、価格相場が安い駅トップ15を見ていこう。
横浜駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP15【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅の所在地/横浜駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 伊勢佐木長者町 1840万円(市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市中区/7分/0回)
2位 海老名 2048万円(相鉄本線/神奈川県海老名市/27分/0回)
3位 吉野町 2059.5万円(市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市南区/10分/0回)
4位 南太田 2170万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市南区/8分/0回)
5位 京急鶴見 2275万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/7分/0回)
6位 阪東橋 2290万円(市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市南区/9分/0回)
7位 黄金町 2294万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市南区/6分/0回)
8位 大森海岸 2380万円(京浜急行本線/東京都品川区/24分/1回)
9位 鶴見 2425万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市鶴見区/9分/0回)
10位 八丁畷 2480万円(京浜急行本線/神奈川県川崎市川崎区/14分/1回)
10位 大森 2480万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/18分/1回)
12位 神奈川 2589.5万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市神奈川区/1分/0回)
13位 石川町 2685万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市中区/7分/0回)
14位 川崎 2780万円(JR東海道本線/神奈川県川崎市幸区/7分/0回)
14位 関内 2780万円(市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市中区/5分/0回)
【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅の所在地/横浜駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 かしわ台 1889万円(相鉄本線/神奈川県海老名市/29分/1回)
2位 善行 2280万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市/29分/1回)
3位 鶴間 2285万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市/29分/1回)
4位 金沢文庫 2330万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市金沢区/17分/0回)
5位 藤沢本町 2380万円(小田急江ノ島線/神奈川県藤沢市/29分/1回)
6位 さがみ野 2480万円(相鉄本線/神奈川県海老名市/26分/1回)
7位 下永谷 2485万円(市営地下鉄ブルーライン/神奈川県横浜市港南区/17分/1回)
8位 十日市場 2490万円(JR横浜線/神奈川県横浜市緑区/26分/0回)
9位 京急富岡 2585万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市金沢区/18分/1回)
10位 南林間 2670万円(小田急江ノ島線/神奈川県大和市/27分/1回)
11位 鶴ケ峰 2698万円(相鉄本線/神奈川県横浜市旭区/10分/0回)
12位 小机 2780万円(JR横浜線/神奈川県横浜市港北区/16分/0回)
12位 洋光台 2780万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市磯子区/21分/0回)
12位 相模大塚 2780万円(相鉄本線/神奈川県大和市/24分/1回)
15位 大和 2839.5万円(相鉄本線/神奈川県大和市/19分/0回)
横浜大通公園(写真/PIXTA)
「シングル向け」1位は横浜市中区に位置する、市営地下鉄ブルーライン・伊勢佐木長者町(いせざきちょうじゃまち)駅で価格相場は1840万円。駅北側には商業エリアとして発展してきた「伊勢佐木町」が広がり、駅自体の所在地は「長者町」なので、駅名はその2つの地名を合体したわけだ。駅から歩いて5分ほどの伊勢佐木町には全面歩行者天国の「イセザキモール」をはじめとする商店街があり、地元民に愛される老舗も点在している。また、地下駅の地上出口は「大通り公園」につながっており、東西に延びる細長い公園内を歩くと10分もかからずに隣駅の関内駅にたどり着く。この関内駅は14位にランクインしており、価格相場は2780万円。徒歩10分弱の距離でありながら、伊勢佐木長者町駅と価格相場の差が940万円もあるのは少々驚きだ。そして関内駅を越えてさらにそのまま歩き続けると、大さん橋がある海辺までも駅から徒歩20分ほど。横浜駅まで電車で約7分というだけでなく、徒歩でも横浜の主要エリアに行ける便利な立地だ。
海老名駅西口(写真/PIXTA)
2位は相鉄本線・海老名駅で価格相場は2048万円。こちらは神奈川県海老名市に位置し、横浜駅から乗り換え不要だが所要時間は約27分とやや離れている。しかしJR相模線と小田急小田原線も乗り入れており、小田急線の快速急行や急行に乗ると乗り換えなしで45分前後で新宿駅まで行くこともできる。また、海老名駅の東口には複合商業施設「ビナウォーク」や「イオン海老名店」、西口には「ららぽーと海老名」といった大型商業施設が立ち並び、大いににぎわっている。横浜や新宿に行かなくても、日常の買い物はもちろん食事から映画鑑賞まで地元で楽しむことが可能だ。さらに西口エリアでは再開発が行われており、高層マンションの住居エリアとオフィス棟、商業施設などからなる「ViNA GARDENS(ビナガーデンズ)」の整備が進行中。2022年4月より10階建て複合施設「「ViNA GARDENS PERCH(パーチ)」の施設が順次開業しているほか、2025年度内にエリア一帯の完成が予定されている。今後、注目度が高まる街と言えそうだ。
3位は横浜市南区にある、市営地下鉄ブルーライン・吉野町駅で価格相場は2059万5000円。1駅先に6位・阪東橋駅、2駅先に1位・伊勢佐木長者町駅という位置関係だ。駅周辺は繁華街というよりは住宅街といった趣で、大型商業施設は見当たらない。とはいえスーパーやコンビニは点在し、下町風情が漂う商店街として地元で愛される「横浜橋商店街」も阪東橋駅方面に歩いて15分ほど。日常生活の買い物には困らないし、多彩な商業施設がある横浜駅まで電車で約10分なのだから、住む街として十分に快適な環境だろう。
横浜橋商店街(写真/PIXTA)
この3位・吉野町駅をはじめ1位、6位、14位とトップ15に4駅がランクインした市営地下鉄ブルーライン。同路線は神奈川県藤沢市の湘南台駅~横浜市青葉区のあざみ野駅間の32駅を結んでいる。そして今後、あざみ野駅から神奈川県川崎市にある小田急小田原線・新百合ヶ丘駅に向け、路線の延伸と4駅の新設が計画されている。開業目標は2030年とのことなので少々先だが、横浜市と川崎市を結ぶ新ルートの誕生により路線価値が向上し、沿線の駅の人気も高まるかもしれない。
さてトップ15よりもう1駅、12位にランクインした京浜急行本線・神奈川駅をピックアップして見ていこう。今回調査の基点駅にした横浜駅は、価格相場が3089万5000円だった。そして神奈川駅は横浜駅よりわずか1駅・約1分しか離れていないのに価格相場は2589万5000円と、価格相場に500万円もの開きがあるのだ。両駅間は直線距離だとわずか650mしか離れておらず、神奈川駅周辺に住んだとしても横浜駅周辺の商業施設は徒歩圏内。その一方で神奈川駅周辺は緑豊かな公園があったりお寺の敷地が広がっていたりと、横浜駅よりも落ち着いた街並みとなっている。買い物や遊びに便利な環境がいいけれど、にぎやかすぎるところは避けたい……という人には、神奈川駅は住む街の候補になりそうだ。
「カップル・ファミリー向け」は、価格相場が横浜駅の半額以下の駅がずらり「カップル・ファミリー向け」で最も価格相場が安かったのは、神奈川県海老名市の相鉄本線・かしわ台駅。相鉄本線の快速や急行で大和駅に行き、そこから特急に乗り換えると30分弱で横浜駅へ。急行1本でも40分弱で横浜駅に到着する。横浜駅まで「すごく近い」ほどでもないが、価格相場の違いを見ると所要時間も気にならなくなるかもしれない。横浜駅の「カップル・ファミリー向け」中古マンションの価格相場は5489万円だったのに対し、かしわ台駅は1889万円。30分弱の距離を離れると3600万円も価格相場が低くなるなら、かしわ台駅も住まいの候補地として一気に浮上するのではなかろうか。
そんなかしわ台駅の周辺環境は、駅から徒歩15分圏内に市立中学校と2つの市立小学校がある住宅地。駅から徒歩5分ほどの場所には総合病院があるのが心強い。日用品の買い物は、駅周辺にあるスーパーやドラッグストア、100円ショップで済ませられるだろう。目久尻川沿いの「海老名市北部公園」をはじめ、公園も複数点在しているため、子どもの遊び場にも困らなさそう。また、1駅隣は「シングル向け」で2位にランクインした海老名駅。ショッピングや映画などの施設が豊富な海老名駅まですぐ行ける点も魅力の一つだ。
海老名駅東口ロータリー(写真/PIXTA)
2位は神奈川県藤沢市にある小田急江ノ島線・善行(ぜんぎょう)駅で、価格相場は2280万円。まず藤沢駅に行き、JR東海道本線に乗り換えると横浜駅まで約29分で到着する。藤沢駅から小田急江ノ島線でさらに先に進むと、3駅で片瀬江ノ島駅へ。夏は海水浴客でにぎわうビーチや水族館、歩いて渡れる島・江の島といった観光スポットが充実した、江の島・湘南エリアまで気軽に行けるロケーションだ。また、善行駅周辺はスーパーやドラッグストア、日常使いできる飲食店といった商店が立ち並んでいる。駅東側は陸上競技場や球技場からなる県立のスポーツセンターと高校が広い面積を占めているため、住宅街はスポーツセンターを越えた国道467号沿いや、駅の西側に広がっている。住宅街を過ぎると果樹園や田畑などの田園風景も残され、駅西方の川沿いには親水広場や湿生植物園が整備された「引地川親水公園」も。自然を感じながら暮らしたいファミリーには嬉しい環境だろう。
引地川親水公園(写真/PIXTA)
3位は小田急江ノ島線・鶴間駅で価格相場は2285万円。2位と同じ路線だが善行駅からは北へ7駅目、と少し離れた神奈川県大和市に位置している。1駅隣の大和駅で相鉄本線に乗り換えると横浜駅にたどり着く。鶴間駅は小田急江ノ島線の各駅停車しか停まらない駅の一つだが、そのなかでは1日の乗降人員が最多(2020年度データ)。その理由は、駅周辺の施設の豊富さにありそうだ。大和市役所に市立病院、さらにスーパーや飲食店に加えイトーヨーカドーやイオンモールといったショッピングモールも駅から徒歩15分圏内。歩いて20分ほどの場所には約900種もの植物が息づく「泉の森」、車で10分ほど走るとコストコやホームセンターも。近隣からもわざわざ訪れたくなるような施設がそろい、暮らしやすい街と言えそうだ。
泉の森(写真/PIXTA)
ここまでトップ3を見てきたが、横浜駅までの所要時間はいずれも約29分。4位以下を見ても、20分前後かかる駅が多くランクインしている。物件の予算は抑えたいけど、横浜駅までの所要時間もなるべく短いほうがいい……。そうお望みならば、11位にランクインした相鉄本線・鶴ケ峰駅に注目だ。
11位・鶴ケ峰駅は横浜市旭区に位置し、相鉄本線の通勤急行なら横浜駅まで2駅・約10分の近さ。それでいて価格相場は横浜駅の2分の1以下、2698万円となっている。そんな鶴ケ峰駅周辺には役所や消防署、市立図書館といった公共施設がさまざまあり、横浜市旭区の中心的なエリアだ。スーパーや飲食店、保育園にクリニックまでそろう駅直結の「ココロット鶴ヶ峰」をはじめ、商業施設も充実。駅西側には精肉店や鮮魚店、惣菜店に日用品店や飲食店が立ち並ぶ鶴ヶ峰商店街もある、活気ある街並みだ。この駅はちょっと変わっていて商店街を抜けた先、駅から5分ほど歩いた場所にバスターミナルがある。そこからバスに乗れば約15分で「よこはま動物園 ズーラシア」に到着。毎週土曜は小中高生だと入園無料なので、子どもとの休日の定番お出かけ先にしても楽しそう。
今回のランキングを振り返ってみると、「シングル向け」は横浜駅まで10分以下の駅が大半だったのに対し、「カップル・ファミリー向け」は30分ギリギリという駅も多かった。しかし横浜駅から離れるぶん、「カップル・ファミリー向け」にランクインした駅は横浜駅に比べて価格相場がだいぶリーズナブルで、トップ11駅にいたっては横浜駅の2分の1以下という結果に。自然が豊かで落ち着いた環境の駅も多いので、子どもをのびのび育てたいと考えるファミリーには、横浜駅周辺に住むよりもかえって魅力的かもしれない。
●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている横浜駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/1~2022/3
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年3月28日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載
日本ホームステージング協会が高齢者(65歳~)の親がいる子ども世代(40歳~69歳)110名に対し、実家の片づけに関する実態調査を実施した。子ども世代の約7割が、実家の「片づけ」の必要性を実感しているという。近年、“実家の片づけ”の問題は注目を集めているが、子ども世代はどう思っているのだろう?
【今週の住活トピック】
「実家の片づけに関する実態調査」を実施/(一社)日本ホームステージング協会
高齢者の親がいる子ども世代に、「実家の状況について不安に思うことがあるか」を聞いたところ、70%があると回答(かなりある25.5%+ややある44.5%)した。また、「実家は物が多いか」を聞くと、「非常に多い」が22.7%、「多い」が27.3%となり、半数が実家に物が多いと感じていることがわかった。
次に、「実家の片づけの状況」を聞くと「常に片づいている」のは30.9%、「短時間の片づけできれいになる」のは17.3%であるのに対し、「どの部屋も片づいていない」のは14.5%、「片づいていない部屋がある」のは36.4%となった。
Q5.あなたの実家の「片づけ」の状況を教えてください。(出典:日本ホームステージング協会「実家の片づけに関する実態調査」)
実家が片づいていないと思う人が多いためか、「実家の片づけは必要だと思うか」を聞くと、思う(非常にそう思う30.0%+ややそう思う37.3%)が67.3%と7割弱に達した。
実家の片づけができない理由は「時間」「着手方法」「捨て方」にありQ5で「片づいていない部屋がある」「どの部屋も片づいていない」と回答した50.9%の人に、「実家の片づけができない理由」を複数回答で聞いた結果は、次のようになった。
Q8.実家の片づけができない理由を教えてください。(複数回答)(出典:日本ホームステージング協会「実家の片づけに関する実態調査」)
TOP3を抜き出してみると、次のようになる。
・片づけを手伝う時間がない:35.7%
・物が多くてどこから手を付けたらいいかわからない:33.9%
・趣味で集めたものや思い出のものが捨てにくい:30.4%
「時間」「着手方法」「捨て方」が問題だと感じていることがわかる。ちなみに、「親と会う回数で近いもの」を聞いた結果は、「年に数回程度会う」が過半数の56.3%だった。この回数では、片づけを手伝う時間は十分に取れないだろう。
片づける目的を共有し、支障のない範囲で片づけるさて、筆者が以前、実家の整理をした方に取材した事例を参考に、対処方法を考えてみよう。
親が高齢になって、体力や気力が落ちて家事がおろそかになったり、物忘れをするようになったりすると、家の中が雑然として“片づいていない”状態が目につくようになる。さらに、場合によっては、判断力が落ちているために同じようなものを2つ買うなど、無駄な契約を勧められるがまま交わしていることもある。
実家を訪れた子どもがこのアラームに気づいたら、できるだけ早い段階で片づけに着手することが大切だ。取材した人は「あと5年早く、後期高齢者になる前であれば、両親の判断力や体力もあったので、もっと整理が楽だった」と振り返る。
ただし、両親に任せていては片づかないことが多い。片づけられない理由は「要・不要の判断ができないこと」と「体力が落ちて物を移動させることが難しいこと」。子どもたちが代わりに物を動かすことはできるが、問題は「要・不要の判断」だ。
子どもが見て不要と思うものでも、親にとっては、想い出のある捨てられないものかもしれない。それを捨てようとすると、互いに感情的になって収まらなくなる。例えば、「親が生活する上で安全を確保するため」とか「使っていないものをリサイクルするため」など、片づける目的を共有しておくとよいだろう。共有できれば、「これはないほうが安全だよね?」とか「これはリサイクルできるものだから処分しようね」などと納得してもらいながら、捨てるものを選別できる。
そうしたとしても、捨てたものを親が拾ってきてしまうこともあるというので、子どもの基準で完璧に整理しようとせず、親の意向を聞いて、不要と思えるものでも支障がない範囲で残しておくという方法もあるだろう。
片づいていないというアラームを感じたら、できるだけ「時間」を作って実家に行き、定期的に片づけを手伝うことで、親の判断力や体力の低下を確認することもできる。片づけをする時間の中で、相続について話し合ったり、終の住まいのあり方を聞いたりなどができれば、単に実家が片づくだけでなく、さまざまな問題解決の糸口にもなりそうだ。
さて、あなたの実家は片づいているだろうか?
●関連サイト
日本ホームステージング協会「実家の片づけに関する実態調査」
リクルートでは、広島県に住んでいる人を対象にWEB調査を行い、「SUUMO住民実感調査2022 広島県版」を発表した。今住んでいる街(駅・自治体)について、住み続けたいかどうかを聞いたところ、駅では広島電鉄の「皆実町六丁目」(広島市)が、自治体では「安芸郡府中町」がそれぞれ第1位に。住んでいる人に愛されているのはどんな街なのか、詳細を覗いてみよう。
「住み続けたい駅」は広島電鉄の駅に集中[広島県]住み続けたい駅ランキング2022 TOP20(リクルート調べ)
まず、「住み続けたい駅」のランキングを見てみると、ズラリと並ぶのは広島電鉄沿線の駅。
広島電鉄は、主に広島市内中心部を走る路面電車だ。駅間隔はJRに比べて狭く、より居住エリアに密着した駅と言うこともできる。ちなみに、同じくリクルートで広島県在住者を対象に実施した「住みたい街ランキング」(2020年同社)は、住んでいる街(駅・自治体)以外にも投票可能なのだが、そちらではJRの再開発や観光地として注目を集める駅や、複数路線を利用できるターミナル駅が中心にランクイン。それを考えると、よりリアルな暮らしに密着したエリアが支持を集めたことが見て取れる。
また、広島市は6本の川がつくる中州地帯に広がる街だ。JRは街の北寄りを東西に走り、広島の玄関口である広島駅と、いわゆる繁華街である紙屋町や八丁堀、オフィス街の大手町なども少し離れた場所に存在する。紙屋町や八丁堀を通る路線は広島電鉄やバスがメインで、この中心部エリアから、中州エリアに街が広がっていることも、広島電鉄の駅が多くランクインした理由のひとつだろう。
[広島県]住み続けたい自治体ランキング2022 TOP20(リクルート調べ)
「住み続けたい自治体」のランキングを見てみると、「住み続けたい駅」のランクイン駅が多く所在する広島市南区が2位。それを押さえて1位となったのは、自動車メーカー・マツダ本社のある安芸郡府中町だ。駅ランキング10位の天神川駅も、所在地は南区だが、府中町の主要駅のひとつ。
ランキング上位の自治体の評価ポイントを見てみると、「ショッピングモールやデパートなどの大規模商業施設がある」「医療施設が充実している(病院や診療所など)」「魅力的な働く場や企業がある」といった日常生活に直結した利便性が評価されているのが分かる。
府中町では、「イオンモール広島府中」や「マツダ病院」、何よりマツダ本社の存在も大きいようだ。しかし、2位との大きな違いは、それに加えて、子育てや介護などのサービスや公共施設の充実などの項目について高い評価を得ていること。子育てについては、自宅から小学校までの距離1km以内率が広島県内第1位(府中町ホームページより)だったり、児童センターや子育て支援センターなどの施設が充実していたりなどのポイントが評価されているのではないかと思われる。
また、いずれの項目も住民評価の偏差値が非常に高いことにも注目だ。ほかの自治体に比べて、多くの項目について満足している人の割合が高い=街の魅力を実感している人が多いと言えるだろう。
ここからはランキング上位の駅について少し細かく見ていこう。
まずは1位・皆実町六丁目と、その周辺エリアに存在する駅。2位の広大附属学校前や、5位の御幸橋もかなり近いエリアの駅だ。この街を選んだ人が魅力として挙げている項目には、「学びや趣味の施設がある(稽古事・カルチャースクールなど)」「医療施設が充実している(病院や診療所など)」が共通している。
学びという点で挙げるならばやはり広島大学附属の小学校と中高一貫校があること。学習塾なども多くあるほか、合格すれば近いところに引越すというケースがあることからも、教育に対して熱意のある人が多い傾向も頷ける。また、最寄駅ではないものの、「広島赤十字・原爆病院」や「県立広島病院」、「広島大学病院」などが近隣にそろっていることも、医療についての安心感を高めているのかもしれない。
5位の御幸橋については、近くに大規模な公園である「千田公園」や「中区スポーツセンター」、「広島市健康づくりセンター 健康科学館」などがそろうことも魅力項目に表れている。
また、魅力項目5位までには入っていないものの、「ゆめタウン広島」という大型ショッピングモールがあることも、皆実町周辺のベースポイントとしては高そうだ。
3位の本通はアストラムラインの駅。アストラムラインは2017年の新白島駅開業でJRにも接続し、利便性が格段にアップした。「本通」という駅名は、広島の最中心部ともいえる商店街「広島本通商店街」が由来。商店街の周辺にも多くの商業施設がひしめき合い、ショッピング自体を楽しむことができるエリアだ。
歩いてすぐの紙屋町にはデパートやカルチャーセンター、徒歩圏内には県庁もあるほか、本通りを突き抜ければ、元安川と、緑豊かな平和記念公園へとつながる。住宅自体が多いわけではないが、暮らしている人の充実した毎日は想像に難くない。
紙屋町にあるそごう広島店・パセーラ(写真/PIXTA)
4位には宇品四丁目、9位には宇品五丁目がランクイン。宇品は、皆実町からさらに南へ下ったところにあり、明治の宇品港開発以降、埋め立てられ拡大してきたエリアだ。広島電鉄宇品線も終点は広島港(宇品)となる。
電車通り沿いには古い商店などが多く、戦後の青空市の名残を残す、年季の入った商店街もある。「ゆめタウンみゆき」や「イオン宇品店」等のショッピングセンターがそろうほか、ベイエリアや宇品港寄りの新たな商業エリアには、「ドン・キホーテ」や「コーナン」、「フタバ図書」等の比較的規模の大きい路面店も多い。コンビニも点在し、日常の生活には非常に便利なエリアといえるだろう。
6位の銀山町と8位の的場町はいずれも広島駅の周辺エリア。広島駅まで徒歩5~15分ほどで、ターミナルとしての広島駅の利便性を活かしやすい街だ。京橋川や猿猴川といった川沿いの街でもあり、緑道も整備されている。
また、銀山町は「雰囲気やセンスのいい、飲食店やお店がある」という項目では1位となっている。京橋川沿いに整備されたオープンカフェのほか、大通りから入った路地にもおしゃれな飲食店が点在。「RCC文化センター」もあるので、習い事も充実しそうだ。
7位の白島は、「人にうらやましがられそう」という項目で堂々の1位。広島城の北東に位置し、交通量の多い大通りから一歩入れば閑静な住宅地が広がるエリアだ。近年、エリア内に複数のスーパーが開業し、エリアの西側にJR新白島駅が開業。日常の買い物の利便性とともに、広島駅方面へのアクセスが向上したことも魅力のひとつといえるだろう。
川岸の緑道の緑が美しい京橋川(写真/PIXTA)
広島市内中心部へのアクセスのよい市区町が人気住み続けたい自治体についてみてみると、先に紹介した安芸郡府中町、広島市南区に次ぐのは、3位・広島市中区。広島市の中心部にあたり、交通でも商業施設の面でも利便性の高いエリアで人気も頷ける。
続く同率4位の広島市西区と広島市佐伯区、6位の廿日市市は、同じJR・広電宮島線の路線に並ぶ市区だ。西区にあるJR西広島駅から宮島口駅まではJRと広電が並走。2線利用できるうえ、JRなら、広島駅から五日市駅(佐伯区)まで約15分、廿日市駅(廿日市市)まで約20分と十分通勤圏内。西区のアルパークやLECT、佐伯区のジ・アウトレット広島、廿日市のゆめタウン廿日市と、各エリアに大型のショッピングモールが存在し、旧国道2号線沿いを中心に、飲食店や各種の商業施設も豊富。住んでいる街で日々の買い物が完結できる。西に行くほど住宅価格のお手ごろ感も増し、マイホームの選択肢が広がることも人気の理由の一つかもしれない。
7位の安芸郡海田町にある海田市駅は、広島駅から3駅約10分。JR山陽本線とJR呉線の2路線利用ができる駅だ。また、広島駅方面から呉方面へと続く国道31号線沿いには飲食店やドラッグストア、スーパーなどがそろい、日常の買い物にも便利。さらには町のシルバー人材センターが運営する託児所があったり、七夕まつりなど町独自のイベントがあったりと、街ならではの特徴もある。
唯一広島市から離れていながらランクインしたのが8位の尾道市だ。尾道は尾道水道を見下ろす坂の町で、映画の町、最近では猫の町としても人気の観光地。さらに、しまなみ海道を渡るサイクリストの拠点としても知られる。
移住支援にも力を入れており、住宅支援のほか就職支援や創業支援、東京圏からの移住者には移住支援金の制度もある。子どもの医療費助成で中学生まで通院費用の助成があるのも魅力だ(広島県内では小学校6年生までが多数)。
尾道の街並みと尾道水道を見渡す、千光寺からの眺め(写真/PIXTA)
住む人が「住み続けたい」と感じる街は、交通機関や商業施設はもちろん、子育てや学び、さらには医療に関する充実度など、共通する項目がいくつもあった。「暮らしやすさ」をベースにしつつ、「おしゃれな店が多い」「公園が充実している」「人からうらやましがられそう」といった、それぞれの街の特色にプラスアルファの魅力を感じ、「住み続けたい」という思いにつながっているのではないか。
「暮らしやすい街」をベースに、あなたに響く魅力ポイントのある街を探してみてはどうだろうか?
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SUUMO住民実感調査2022 広島県版
ニューヨークには、世界の億万長者が好んで住んでいる通りがいくつかあります。その最たる通りの名は、「Billionaires’ Row(ビリオネアズ・ロウ)」。「億万長者の並び」という意味で、世界の名だたる実業家や投資家など選ばれし者が注目するストリートです。
なぜここがそのように富裕層の人々から関心を向けられているのでしょうか。この通りの一角に今年新築されたばかりのマンションを特別に内見させてもらいながら、不動産専門家に話を聞きました。
NYのビリオネア通り(億万長者通り)って?ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークからほんの2ブロック南にある東西に延びる通り、「ビリオネアズ・ロウ(億万長者通り、ビリオネア通り)」は、実業家や投資家、セレブなど世界中の富裕層が好んで売買する高級物件が集まっており、富の象徴となっています。
(写真提供/7w57)
この通りには以前より、お金持ち御用達の高級老舗デパート「Bergdorf Goodman(バーグドルフ・グッドマン)」や「Nordstrom(ノールドストローム)」、ルイ・ヴィトン、シャネルなど世界を代表するハイブランド店が点在しています。この通りが住居や投資物件としてビリオネアや投資家の関心を集め始めたのは、かれこれ13年ほど前にさかのぼります。
2009年、当時としては市内でもっとも高層のコンドミニアム「One57 (ワン57)」が この通りに着工しされ、14年に完成しました。これに続けとばかりに、11年には、それよりもさらに高層(当時、市内で一番高い住居用)ビルとして85階建ての「432 Park Ave.(432パークアベニュー)」もこの通りに着工され、15年 に完成。それを機にビリオネアズ・ロウはゆうに80フロアを超える縦に細長い超高層ビルの建設ラッシュが続き、「Race to the Sky(空に向かった競争)」として活気付きました。現在は8棟ほどの超高層タワーマンションが立ち並んでいます 。
「432 Park Ave.」(写真撮影/安部かすみ)
縦に細長いビルが立っている通りが、ビリオネアズ・ロウになる(写真撮影/安部かすみ)
「マンハッタンの57丁目は、不動産市場の動きを注視する目の肥えた(実業家や投資家などの)世界中のバイヤーたちを魅了する超高層のラグジュアリーなコンドミニアムが集合したことで『ビリオネアズ・ロウ』という称号(呼び名)で呼ばれるようになりました。ここ10数年以上にわたって販売記録を更新し続けています」と説明するのは、米不動産大手コーコラン社のライセンス・セールスパーソン、ジョアンナ・パッシュビー(Joanna Pashby)さん。
432パークアベニューには一時期、女優のジェニファー・ロペス氏が当時の婚約者、アレックス・ロドリゲス氏と共にペントハウスを購入し話題になるなど、セレブも多くこの通りに物件を所有するようになりました。
またほかにも、イギリスの歌手スティング(Sting)ほか、デル(DELL)の創設者、マイケル・デル(Michael Dell )氏、アリババの共同創設者、ジョセフ・ツァイ(Joe Tsai)氏、HGTVネットワークの創設者、ケニス・ロウ(Kenneth Lowe)氏、日本の女優、松居一代氏など世界のそうそうたる富裕層がビリオネアズ・ロウに物件を購入したことが、メディアなどで報じられています。
特にデル氏が2015年に購入したワン57の最上階2フロアにわたるペントハウスの価格は、100.47ミリオンドル(1ドル130円計算で130億円超え)。市内で販売された最も高額なアパートとして話題をかっさらいました。
57丁目には、超高級の老舗デパート「Bergdorf Goodman」(写真)や「Nordstrom」、世界のハイブランド店などが軒を連ねる(写真撮影/安部かすみ)
ビリオネアズ・ロウの5分圏内には、広大で緑豊かなセントラルパークが広がり、四季折々のレクリエーションが楽しめる(写真撮影/安部かすみ)
新築の「7w57」にいざ潜入パッシュビーさんが次に注目するのは、ビリオネアズ・ロウの五番街と六番街の間に新築されたコンドミニアムの「7w57」です。
7w57は今年春に完成したばかりの、20階建て高級アパートメント(コンドミニアム)です。
「15戸のコンドミニアム(15家族分の住居物件)があり、ペントハウスは2フロア(この2フロアもカウントすると、ビル自体は22階建てということになる)で、セントラルパークを望む屋外スペースもあるんです」とパッシュビーさんは案内してくれます。
米コーコラン社のライセンスセールス、パッシュビーさん(写真撮影/安部かすみ)
7w57の外観(写真提供/7w57)
ロビー。当地の高級物件では言わずものがなの、24時間ドアマンサービス(写真提供/7w57)
パッシュビーさんは、まず6階の2ベッドルームのお部屋から案内してくれました。
ニューヨークの高級物件で、特にコロナ禍以降の需要が高いプライベートエレベーターが、このアパートメントにも備えられています。プライベートエレベーターを降りると、アート作品が飾られたギャラリー風の長くてゆったりとした廊下の向こうに、広々とした豪華なリビングルームが広がっています。全面ガラス一面に映し出された57丁目の通りの景色自体が、まるで「アート作品」のようです。
窓全体がアート作品のような、6階のリビングルーム(写真提供/7w57)
リビングルームから57丁目のビリオネアズ・ロウを見下ろす(写真撮影/安部かすみ)
(写真撮影/安部かすみ)
窓側から見た6階リビングルーム(写真撮影/安部かすみ)
6階の住居スペースは、1723スクエアフィート(約160平米)の面積に2ベッドルーム(寝室)、2.5バスルーム(浴室とトイレ)、リビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む5部屋が完備されています。
(画像提供/7w57)
6階のキッチンスペース。洗浄機が備えられているのはもちろん、「料理の煙を換気扇がすぐにキャッチし吸い取ってくれ、キャビネットには指紋が付きにくいんですよ」と、使い勝手がいいように細かい部分まで配慮されています(写真提供/7w57)
キッチンスペース(写真提供/7w57)
ホテルのような、バスルーム(写真提供/7w57)
(資料提供/7w57)
ベッドルーム(写真提供/7w57)
もう一つのベッドルーム(写真提供/7w57)
また最上階の2フロアと屋上テラスで展開するペントハウスは、2801スクエアフィート(約260.2平米)の面積に、2ベッドルーム(寝室)やリビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む5部屋に、2.5バスルーム(浴室とトイレ)などに加え、セントラルパークを眼下に望む広い屋外スペース(北と南の2カ所、1017スクエアフィート(約94.4平米)なども完備されています。
ローワーレベル(下階)(画像提供/7w57)
アッパーレベル(上階)(画像提供/7w57)
テラス(屋外スペース)(画像提供/7w57)
ペントハウスのリビングルーム(写真提供/7w57)
ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)
ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)
ペントハウスのキッチン(写真提供/7w57)
ペントハウスのバスルーム(写真提供/7w57)
ペントハウスの2フロアをつなぐ階段(写真撮影/安部かすみ)
ペントハウスの北側に位置する屋外スペース。ここと別に南にも屋外スペースがあり、専用のキッチンやお手洗いスペース、ストレージ(倉庫)などを完備(写真提供/7w57)
目の前は豪華なセントラルパークとアイコンビルのザ・プラザ(プラザホテル)。四季折々の季節がここから楽しめる(写真提供/7w57)
問い合わせは国内外の富裕層からきているとのこと。コロナ禍3年目でさらに不動産市場が活気付いているニューヨークで、このような超高級物件の需要は相変わらず高いようです。
住居用としてもそうですが投資先としてもますます目が離せないビリオネアズ・ロウ。「Race to the Sky(空に向かった競争)」は、今後もさらに活気付いていきそうです。
●取材協力
7w57
※記事中の部屋情報
6階
$3,950,000(1ドル130円計算で約5億1000万円)
5Rooms, 2 Bedrooms, 2.5baths
約1723 平方 ft(約160平米)
ペントハウス
$12.5 million(1ドル130円計算で約16億円)
2 Bedrooms, 2.5 baths
屋内スペース
約2801平方 ft(約260.2平米)
屋外スペース
約1017 平方 ft(約94.4平米)
●関連URL
One57(ワン57)
432 Park Ave.(432パークアベニュー)
ゼロリノベを運営するgroove agentが、首都圏に住む30~40代の既婚女性を対象に、子ども部屋について調査をした。それによると、8割以上が子ども部屋は必要だと回答したという。では、いつごろ、どの程度の広さの子ども部屋を想定しているのだろう?詳しく見ていこう。
【今週の住活トピック】
子ども部屋が必要か不要か、適齢期や広さについて、アンケート調査を実施/groove agent
この調査で「子ども部屋はいくつくらいから必要だと思うか」を聞いたところ、意見は分かれた。「小学校高学年」が最多の40.0%で、次いで「小学校低学年」が30.5%と続き、「中学生以上」も21.2%いる。概ね小学生のときに子ども部屋が必要になるという回答だ。
出典:ゼロリノベ調べ
小学校に入学すると、ランドセルに教科書や副教材、学習用具などの持ち物が増える。宿題をするなど家庭で学習する場所も必要だ。小学校入学を期に、学習机を買い与える家庭も多い。となると、子ども部屋が必要と考える人も多いのだろう。
ただ、マイホームを購入した家庭を取材すると、低学年くらいであれば親のそばで学習することが多くため、実際にはリビングで宿題をするという事例が多い。寝るのも親と一緒だ。まだ親離れしていない年齢なので、持ち物を管理する区切られたスペースがあれば、個室は必要ないかもしれない。
一方、高学年になると、子どものほうが親離れや自我の芽生えなどから親との距離を取りたいと考えるようになる。子どものほうが、親の目が常に届くことがない個室を求める、ということもあるだろう。さらに、中学生以上になると、定期試験などのために集中して勉強をしたいというニーズも出てくる。家庭内の音や人の気配を遮断したいという理由で、個室が必要という場合もあるだろう。
とはいえ、子どもの成長ぶりは子どもそれぞれだ。親との距離感についても、子どもそれぞれで違いもあるので、最終的には、子どもの状態や子ども自身の意向によって、子ども専用の空間を用意するのか、個室を用意するのかが、分かれるのだろう。
子ども部屋が必要な理由、必要でない理由次に、子ども部屋が「必要だと思う理由」と「必要ないと思う理由」について見ていこう。
まず、「子ども部屋が必要だと思う理由」では、「プライバシーの尊重」が45.8%と最多だった。「自立心や自己管理能力が身に付く」が27.0%、「集中できる学習環境」が23.8%と続いた。
出典:ゼロリノベ調べ
一方、「子ども部屋が必要ないと思う理由」では、「親の目が届かなくなる」(50.0%)、「引きこもりの心配」(30.3%)などが上位に挙がった。
出典:ゼロリノベ調べ
部屋を用意するだけでなく、親と子どもの約束事も大事筆者個人の考えだが、子ども部屋を用意する最大のメリットは、「自立心や自己管理能力が身につく」ことにあるだろう。親が片付けるのではなく、自分で片付けるなどして物を管理するという、基本的な生活習慣を身につけることに大きな意味がある。
もちろん、プライバシーの確保や集中できる学習環境も重要だ。ただ、そのことだけを重視すると、単に親の目を嫌って自室に引きこもってしまったり、部屋にいるだけで集中して学習する習慣が身につかなかったりといったリスクも生じる。プライバシーが尊重されることと自己管理能力を身につけることは、表裏一体だ。自分のスペースは自分で管理することを、その広さを拡大しながら徐々に身につけていき、その先に個室の管理があるというのが理想的だと思う。
自立心や自己管理能力を育てるには、しつけも重要だ。しつけと言うより、親と子どもとの約束事と言う方が適切かもしれない。帰宅したらまず家族に挨拶をするといったことから、子ども部屋の中の物は自分で整理して片づけるなど、親子間で約束事を決めておき、守られなければ子ども部屋を解消することも視野に、互いに納得するということが望ましい。約束事が守られていることを確認するために、親が部屋に入って一緒に整理の仕方を確かめるといった事態があることも理解してもらおう。
そうすれば、親の目が全く届かなかったり、自分の部屋にばかりこもっていたりといった不安も、解消されるのではないだろうか。
SUUMOジャーナルの筆者担当編集者の事例を紹介すると、子ども部屋を用意する際に、一緒に壁紙を選んで張り替えたり、その部屋で使う家具を一緒に組み立てたりしたそうだ。子どもたちは部屋に対する責任感を持ったようで、しっかりと管理しているという。筆者は、実に良い方法だと思う。
子ども部屋の広さは、6畳必要?さて、この調査では、子ども部屋の広さについても聞いている。最多だったのは、「6畳」の54.6%で、次いで「5畳」の17.3%となった。
出典:ゼロリノベ調べ
ミキハウスが運営するハッピー・ノート ドットコムの調査「どうする我が家の“子ども部屋”」で、子ども部屋に何を置くか聞いている。
・学習机(78.1%)
・本棚(75.6%)
・ベッド(68.8%)
・エアコン(62.7%)
・クローゼット(53.8%)
など、さまざまなものが置かれることがわかる。
となると、やはり6畳程度はほしいところだろう。とはいえ、都心部などでは、住宅そのものの広さを確保することが難しくなっている。子どもが2人以上いる場合は、なおさら広い子ども部屋を用意しづらくなる。子どもの状況に応じて、寝るのは家族と一緒で学習室だけを設けたり、子ども専用の収納スペースを別に設けたりと、柔軟に工夫をするのが良いだろう。
子ども部屋を検討するのを好機ととらえ、子どもの考えを聞いたり、親の希望を伝えたり、互いにどういった暮らし方をしたいか確認したりすると良いと思う。子どもの親離れも大切だが、親の子離れも大切だ。同じように徐々に独立していくと、良好な関係が維持できるだろう。たかが子ども部屋、されど子ども部屋だ。
●関連サイト
子ども部屋が必要か不要か、適齢期や広さについて、アンケート調査(ゼロリノベ調べ)
どうする我が家の“子ども部屋”(ハッピー・ノートコム調べ)
リクルートが、 宮城県に居住している20歳~49歳の1万4883人を対象に実施した「SUUMO住み続けたい街ランキング2022宮城版」を発表した。「住み続けたい駅」「住み続けたい自治体」「街の魅力ランキング」から見えてくる住民の本音とは?ランキング上位の駅と自治体、それぞれにどんな魅力を感じているのかを見ていこう。
「住み続けたい街」(駅)上位5位は仙台駅に近い、利便性と潤いを兼ね備えた街2022年2月、国土交通省が公表した公示地価(1月1日時点)によると、宮城県の住宅地の上昇率は全国3位、しかも10年連続で上昇している。「住みたい街(駅)」と直接関係ないが、宮城県が住みたい場所としてのニーズが高い表れではないだろうか。
そんな宮城県の中の「住み続けたい街(駅)ランキング2022」の上位20位を見ていこう。
上位10位まではすべて仙台市内の駅で、うち6駅が「仙台市青葉区」にある。「榴ケ岡」駅、「太子堂」以外は、仙台市地下鉄が利用できる(仙台駅、長町駅はJRのほかに地下鉄も乗り入れ)。また、11位から20位は、仙台駅にほど近い都心近接の駅、または副都心の駅で、仙台市以外では名取市から「美田園」駅、「名取」駅、「館腰」駅がランクイン、「仙台」駅とダイレクトに結ばれている駅が評価を集めたようだ。
上位5つの駅(「勾当台公園」「北四番丁」「榴ケ岡」「大町西公園」「青葉通一番町」)はいずれもJR「仙台」駅から2km以内に位置する。「榴ケ岡」駅はJR東北本線で「仙台」駅から1駅、ほかの4つの駅は仙台市地下鉄で1駅~3駅、徒歩で20分以内とアクセス至便。車を使わなくても「電車・バスでいろいろな場所に電車・バスで行きやすい」アクセスと、「歩ける範囲で日常のものは一通りそろう」など、生活利便性の面でも住民にも支持されている。
さらに、いずれの駅も仙台の中心部を代表する3つの広大な公園(勾当台公園、西公園、榴岡公園)が身近にあり、「公園の充実」「散歩・ジョギングがしやすい」という点も評価されている。利便性も潤いも兼ね備えた街が上位にランクインしたと言えるだろう。
「榴ケ岡」駅近くの榴岡公園は11.2ha、歴史あるサクラの名所で季節ごとの花木が美しい。ランニングコースが設置されランニングの練習や芝生でヨガをするグループも見られる(画像提供/PIXTA)
国土交通省による「新型コロナ生活行動調査(2020年)」において、コロナ後の都市空間に対する調査で充実してほしい空間として「公園、広場、テラスなどゆとりある屋外空間」が最も高く、次が「自転車や徒歩で回遊できる空間の充実」だった。
今回、上位10位までに入った駅では、「仕事のできる施設がある(コワーキングスペースやカフェなど)」を街の魅力として挙げる声も多く見られるが、仙台市内は「仙台」駅周辺を中心に、コワーキングスペースが増えており、ますます便利に。さらに、在宅ワーク、テレワークの導入が増えるなか、身近に運動不足の解消や気分転換、リフレッシュができる大きな公園や広場があることはコロナ前以上に、魅力的な街の要素になってくるだろう。
「住み続けたい街」(駅)1位は「勾当台公園」「住み続けたい街(駅)」1位の「勾当台公園」駅は、官公庁やオフィスが集まるビジネス街にありながら、『仙台三越』や東北髄一のショッピングゾーン『一番町四丁目買物公園』、繁華街『国分町』が生活圏にあるエリアだ。
街の魅力項目では「利用しやすい商店街がある」のランキングで1位を獲得しているほか、「学びや、趣味の施設がある(稽古事、カルチャースクールなど)」「文化・娯楽施設が充実している(映画館、劇場、美術館、博物館など)」でも1位を獲得。買い物の利便性に加えて、学ぶ、楽しむなど、余暇の過ごし方も充実できる面での評価が高い。「周囲の目を気にせず自由な生活ができる」が街の魅力の上位にあるのは、ほかの上位10位までの街と異なる特徴だが、仙台駅から少しだけ離れていて、静かで落ち着いた雰囲気があるからではないだろうか。
地下鉄「勾当台公園」駅に隣接する勾当台公園。背後に宮城県庁が見えるが、官公庁やオフィス街にある市民の憩いの場で昼どきはのんびりお弁当を広げる人も。イベントや催しも多く行われる(画像提供/PIXTA)
また、勾当台公園に隣接する『定禅寺通』はケヤキ並木とイチョウ並木が続く杜の都のシンボルストリートで、『仙台七夕まつり』『SENDAI光のページェント』など杜の都の大きなイベントが開催される(近年はコロナ禍でイベントの中止が続いている)ほか、『せんだいメディアテーク』の周囲にはハイセンスなカフェ、雑貨店なども点在する。
定禅寺通に面した『せんだいメディアテーク』。仙台市民図書館、映像音響ライブラリー、スタジオなどの施設が入る複合施設で、美術や映像といった文化活動や生涯学習の場(画像提供/PIXTA)
2位の「北四番丁」駅は、地下鉄南北線で「勾当台公園」駅の隣の駅だ。「勾当台公園」駅が、政治・ビジネスの中枢機能を担う都心とすれば「北四番丁」駅は、藩政時代からのお屋敷町・上杉地区を中心とした邸宅地。歴史の古い学校も多いことから、都心の便利さや華やかさよりは、「教育施設の充実、医療施設の充実、学びや趣味の施設、文化・娯楽施設の充実」が魅力項目の上位に上がった。
都心再構築計画など再開発の将来性も住み続けたい理由「住み続けたい街(駅)」1位~6位は、「イノベーションが生まれる都心、新たなにぎわいを創り出す都心、個性が活きる都心」を目指し、令和2年に開始された「せんだい都心再構築プロジェクト」の重点ゾーンで、同プロジェクトの「緑と交流・賑わい軸(回遊軸)」に位置付け、東北大学農学部跡地開発、仙台市役所の建て替え、勾当台公園の再整備計画など、さまざまな計画が目白押しだ。
3位の「榴ケ岡」駅、6位の「宮城野通」駅周辺でも、ヨドバシ仙台第1ビル計画、防災の拠点となる宮城県広域防災拠点、宮城県民会館・みやぎNPOプラザを合わせた複合施設の移転・新築計画などが進められている。
4位の「大町西公園」は、華やかさ、買い物の利便性より「散歩・ジョギングがしやすい」「仕事ができる施設がある(コワーキングスペースやカフェなど)、「公園が充実している」が主な魅力として挙げられており、公園、運動施設、公共施設、文化・娯楽施設など、休日をのびのびと過ごせる施設が充実し、落ち着いた潤いがある暮らしができることが評価されているようだ。
5位の「青葉通一番町」は4位の「大町西公園」から東に1駅、かつ仙台駅から地下鉄東西線で西へ1駅で徒歩圏内でもある。目の前にハイセンスな地元の老舗デパート『藤崎』やオフィスビル、金融機関などが路面に続く。「いろいろな場所に電車・バスで行きやすい」「職場など決まった所に行くなら電車・バスが便利だ」「歩ける範囲で日常のものがひと通り揃う」「生活上の用事を効率的に済ませることができる」の4項目において、駅ランキング1位にランクイン。アクセス・生活利便性の高さが住民に評価されている。
「青葉通一番町」駅界隈は、老舗の藤崎百貨店やアーケードを中心とした商業エリアで、ファッション・カルチャー・情報が集まる街だが、ノスタルジックな横丁もある(画像提供/PIXTA)
「住み続けたい街」(自治体)1位は「子育てに関する自治体サービスが充実の自治体1位」の富谷市「住み続けたい街」(自治体)のランキングの上位を見ていこう。仙台市の5つの区のほかに仙台市に隣接する市や町がランクインしている。
1位の「富谷市」は、仙台市の北、宮城県のほぼ中央に位置し、1970年代から仙台都市圏の居住機能を担うベッドタウンとして、道路を整備し、次々と大型団地が開発・分譲されてきた。地区内に富谷高校があり、企業の誘致や、イオンモール富谷が誕生するなど、目覚ましい発展を続けてきた。1963年の町政施行時は人口が5000人余りの町だったが、1970年から2010年の40年間で約9.7倍に人口が増加。市政の要件の「人口が5万人以上」という条件を満たす見込みが出てきたことから市制移行へ向けて準備を開始、2016年に人口5万人都市となり市政がスタートした。
富谷市は「子育てに関する自治体サービスが充実している」「介護や高齢者向けサービスなどが充実している」など、自治体サービスに関する2項目で自治体ランキング1位。「魅力的な働く場や企業がある」でも、1位と評価が高かった。
また「子ども医療費助成制度」は、2015年10月から助成対象年齢を高校卒業にあたる18歳年度末までに拡大、2020年10月からは所得制限を撤廃している(小学校4年生以上の子どもの通院分)。また、2020年度から産婦検診と産後うつの予防として出産間もない母子をサポートする「富谷市産後ケア事業」を開始するなど、子育て支援に力を入れている。
新興住宅地に住む、子育て世代が多い若い街で、日本ユニセフ協会の子どもにやさしいまちづくり事業委員会に参加し、「富谷市子どもにやさしいまちづくり宣言」を進め、行政のみならず、地域住民の理解と協力を得ながら「子どもにやさしいまちづくり」を推進している。
また、2021年には政府の「GIGAスクール構想の実現」にいち早く対応し、高速大容量ネットワークの整備と児童生徒1人1台端末配備を宮城県内で最も早く完了するなど、学校教育の情報化推進計画にも力を入れているなど意欲的だ。
「住み続けたい街」(自治体)2位は「教育施設が充実している自治体ランキング」1位の利府町住み続けたい自治体2位の「宮城郡利府町」は、JR東北本線で仙台駅から約20分、町内に2つのJR駅、路線バス4路線と路線バスを補完する町内バス(大人一律100年)が運行、4つのインターチェンジが存在する交通の要所だ。「運動施設が充実している」「教育環境が充実している」「ショッピングモールやデパートなどの大規模商業施設がある」「子育てに関する自治体サービスが充実している」のランキングで1位。さらに、「公園が充実している」「公共施設が充実している」「介護や高齢者向けサービスが充実している」「魅力的な働く場や企業がある」といった項目も、2位・3位にランクインした。
実際、利府町は自然が豊かな一方、さまざまな施設に恵まれている。買い物施設は、2棟から成り、店舗面積としては東北最大級のイオンモール新利府で生活に必要なものはほぼそろう。買い物利用客を対象に送迎バスを運行といったサービスもある。また、屋内温水プール、子ども向けのアスレチック広場、東北楽天イーグルスの二軍の本拠地の一つである利府町中央公園野球場などを擁する『十符の里パーク(利府町中央公園)』、総合体育館、サブアリーナ、総合プール、宮城スタジアムなどを擁する総合運動施設では大規模なコンサートが開催され県外からも多くの人が訪れる『宮城県総合運動公園(グランディ・21)』など、自然に囲まれた運動施設が町内に集中し、オフに子ども連れで遊びに出かけるのに最適だ。さらに2021年7月には「利府町文化交流センター リフノス」が開館。音楽コンサートや演劇など多目的に利用できる文化会館、公民館、学習室、さらに7万7000冊の蔵書を管理する利府町図書館の複合施設となっている。それらの施設を活かした、さまざまなイベントも行われており、多様な経験を得ることができる。
宮城県総合運動公園、集いの広場周辺(画像提供/PIXTA)
利府町は、「教育施設が充実している自治体ランキングTOP10」で1位を獲得。「町はひとつの学校」を理念に、小・中学校が密に連携し、町を挙げて子どもたちの健全な育成を目指す『志(こころざし)教育』を推進していることも評価につながった。
2020年に『利府町総合計画(2021年-2030年)』を策定。2020年以降の人口増加とともに、2030年の目標人口を3万8800人、県内の町で1位になることを目指し、将来の市政への移行を目標にしている。利府町オリジナルの「協働のまちづくり」に楽しんで取り組む活動団体が多数あること、きめ細かな行政施策などにより、住み続けたいという評価につながったのだろう。「今後、街が発展しそう駅ランキング」でも1位となっていることからも、将来への期待がうかがえる。
JR利府駅(画像提供/PIXTA)
「住み続けたい街」(自治体)4位の「名取市」をはじめ上位は子育て施設や子ども医療費助成の充実が際だつ4位の「名取市」は『イオンモール名取』が仙台空港アクセス鉄道駅と直結し、「ショッピングモールやデパートなどの大規模商業施設がある」の自治体ランキングで2位を獲得するなど、商業利便性の高さが評価された。名取市のイオンモール名取には、子育て経験豊富なスタッフが常駐し0歳児から小学校入学前の乳幼児親子が気軽に遊びに行ける「名取市子育て支援拠点施設 cocoI’ll(ここいる)」(利用料無料)が2019年4月にオープン、買い物のついでに子育ての悩み相談や情報交換ができる親子のお友達づくりの場として人気が高く、2年間で5万人以上が来館している。2005年度から「名取市次世代育成支援行動計画(後期行動計画)」「名取市子ども・子育て支援事業計画」と子ども・子育て支援施策を推進。現在は、2020年度から2024度を計画期間とし、障がい者福祉計画や食育プランなど「第2期 名取市子ども・子育て支援事業計画」を進めている。
また、「住み続けたい街」(自治体)上位10位のうち、仙台市以外でランクインしているのは紹介した「富谷市」「利府町」「名取市」のほか、9位の「多賀城市」と10位の「宮城郡七ヶ浜町」だ。富谷市、宮城郡利府町、名取市に共通するのは、大規模な商業施設のイオンがあることだ。住宅地が広がり、大規模な商業施設ができて、周辺施設や人の流れが刻々と変わり発展してきた街だが、いずれも、「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング TOP10」にランクインしており、子育てのしやすさがイコールファミリーの住みやすさと直結しているのも特筆すべき点だ。
9位の「多賀城市」は、JR仙台駅から仙石線で約20分、車で約30分というアクセスの良さに加え「公共施設の充実(図書館、コミュニティセンター、公民館など)」の評価が高かった。JR仙石線「多賀城」駅前には、2016年にリニューアルオープンした「多賀城市立図書館」、キッズライブラリーや学習スペース、ギャラリー、民間の書店やカフェなども併設している、0歳児から未就学児が親子で遊べる「多賀城市子育てサポートセンターすくっぴーひろば」があり、利用しやすい。
近代的な多賀城市立図書館(画像提供/PIXTA)
10位の「七ヶ浜町」は、名前のとおり七つの海に囲まれ、宮城県有数の菖蒲田浜(しょうぶたはま)海水浴場があり、日本三景・松島に面し、町内の「多聞山展望広場公園・毘沙門堂」からは松島を一望できるなど、風光明媚な地でもあり「街の住民がその街のことを好きそう」の魅力項目では、自治体ランキング1位を獲得している。
「運動施設が充実している(フィットネスジム、プール、テニスコートや体育館など)自治体ランキング」では利府町に続き2位にランクインしている。
七ヶ浜町内には入浴施設、アリーナ、トレーニングルーム、フィットネススタジオなどを備えた「七ヶ浜健康スポーツセンター・アクアリーナ」やサッカースタジアム、テニスコート、フットサルコート、野球場、町民プールなどのスポーツ施設が集まり、さまざまなスポーツが楽しめる。
七ヶ浜健康スポーツセンター・アクアリーナ(画像提供/PIXTA)
また、宮城県は、全国的に見ても「子ども医療費助成事業」が充実している。「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング TOP10」の富谷市、利府町、大和町、栗原市、東松島市、岩沼市、七ヶ浜町は、対象年齢が、高校3年生までの子どもで、所得制限なし。仙台市・名取市は所得制限があるものの、中学3年生までを対象とするなど、年齢の上限が高い。
「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング」で11位の東松島市は、市内に住所をもつ全ての子ども(18歳到達年度末まで)に対して医療費が無料で所得制限を設けていない。ケガや風邪、高熱などで病院にかかるときもこのような医療費の助成があれば安心して病院に行くことができる。「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング」で5位にランクインしているのも納得の結果だ。
2022年の宮城県の住み続けたい街(駅)と(自治体)のランキングを見てきた。「住みたい街」は、憧れといった側面が強いが、「住み続けたい街」は、実際に住んで満足し、将来にも期待している、リアルな「住み心地の良さ」の証明だ。
実際に住んでみなければ分からない部分にお墨付きをいただいたようなランキングを参考に、「住みたい街」「住み替えたい街」を検討するときのひとつの指針にしてはいかがだろう。
●関連記事
SUUMO住民実感調査2022 宮城県版
2022年3月、愛知県小牧市に完成した3Dプリンターの家が話題になっている。広さは10平米で、完成までの所要時間が合計23時間12分、300万円で販売予定とのこと。手掛けた兵庫県西宮市にある企業、セレンディクスCOOの飯田国大さんに、詳細や今後の展望について話を聞いた。
まずはグランピングでの利用として展開予定10平米のスフィアは、グランピングを想定して設計された建物(C)CLOUDS Architecture Office
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完成したのは「Sphere(スフィア)」と名付けられたプロトタイプ。広さ10平米の球体状で、今後はこれをもとに改良されていく。最初に量産向けにつくられる10棟の用途はグランピング。10平米を超えない場合、現行の建築基準法外の建物と扱われ、水回りはない。今回は10棟が建設される予定だ。さらに2022年8月には、一般向けの販売もスタートさせるという。
スフィアは直感的に「未来」を感じさせるデザインで、スマートロックやヒューマンセンサーといったIoT、オフグリッドのシステム(電力を自給自足できるシステム)、ホームオーナーの要望に対応する個人ロボットなどといった最先端の技術も多数取り入れられている。
スフィアは未来を感じさせるデザイン。機能面でも、IoTなどの最新技術が投入される予定だという(C)CLOUDS Architecture Office
日本人の4割がマイホームを持つことができない「ゴールは、3Dプリンターで家をつくることではない。未来の家、世界最先端の家をつくり、人類を豊かにすることが目的なんです」と飯田さん。そのために、最終的には「100平米で300万円の家を実現すること」を目指している。
「現在、日本人の住宅ローンの平均完済年齢は73歳といわれていることをご存知ですか?」
投げ掛けられた飯田さんの言葉にハッとした。
「2020年度の住宅金融支援機構の住宅ローン利用者の平均値から見ると、借入時の平均年齢は40.3歳、借入期間の平均は33.1年で、単純計算で、完済時の年齢は73歳となる。また、総務省『平成30年住宅・土地統計調査』によると、持ち家率は61.2%となっており、約4割の人は家を持ってはいないということになります」(飯田さん)
こうした大きな負債を長期にわたって抱える住宅ローンという問題を、既存の「家づくり」の常識にとらわれない手法で解決することにしたのだという。
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この「3Dプリンターの家」完成のニュースは、世界26カ国59媒体に翻訳され掲載された。それだけ、住宅に関する万国共通の問題は深刻で、多くの人の関心の的だと言えるだろう。
車を買い替えるように家を買い替えられるようにしたい3Dプリンターの家は海外ではすでに提供され始めているが、それらとスフィアとはいくつかの違いがある。
1つ目は、「鉄筋などの構造体が必要ない」こと(べた基礎には躯体を接続するために鉄筋を使用してつないでいる)。そのため、自然災害に対して物理的な耐久性があるという“球体”のフォルムも実現できた。球体の安定性は、壁厚30cm以上、10平米で重さ22トンになるコンクリート構造により、頑丈さを確保している。
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2つ目は、「家づくりに対する考え方」。「海外の3Dプリンター住宅のメーカーは、既存の家づくりの延長線上でしか考えていないと感じます。既存の家づくりにおけるパーツを3Dプリンターでつくる目的で利用していることが多いのです。そのため、『資材のコスト・人件費・施工時間』において抜本的な改革ができていなかったんです」と飯田さんは話す。
スフィアでは、3Dプリンターで出力した場合に最適な形を導入することで、施工時間計24時間以内を実現。単一素材(コンクリート)を利用することで資材のコストが低くすみ、3Dプリンターが自動ですべての作業を行うため人件費もかからない。こうした従来の家づくりとは違ったアプローチで既存の平均住宅価格の10分の1を目指している。
今回完成させたスフィアは、コロナ禍でプリンターの準備が遅延したため、最終的に海外で書き出し(印刷)・施工した。しかし今後は、建設予定地にプリンターを持ち込んで直接印刷していくことで、さらに時間や労力の面での負担を減らしていくという。
海外で書き出した家が、日本に届いた様子(C)CLOUDS Architecture Office
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「今回の住宅の壁の書き出しには12時間ほどかかっていますが、現在、私が最も信頼を置いている住宅用の3DプリンターメーカーのApis Cor(アピスコ社/米国)に改善ポイントを求めたところ、最終的には4時間でできるようになると言っていました」と飯田さん。
時間が短縮されれば、生産が効率化でき、人件費も下がり、その分販売価格も下げられる。
「将来的には、車を乗り換えるように、家を買い替えられるようにしたいと思っているんです」(飯田さん)
飯田さんは、住宅の価格を安くするだけでなく、都市部から離れた土地の価格が安い場所に建てることで、さらにコストダウンができないかと考えているという。未来には空飛ぶ車が一般的になっているかもしれない。そうすれば、今より移動も格段に便利になる。飯田さんは現在、政令指定都市である福岡市から車で90分かかる場所に住み、そのプロジェクトの実現を目指している。
データを共有することで世界中で同じスペックの家を建てることができる愛知県小牧市に建てられたスフィアの建設現場。壁の厚さがよくわかる(C)CLOUDS Architecture Office
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スフィアの住宅性能面はどうだろう。写真の壁の厚さからわかるように、断熱性能は日本より厳しいヨーロッパの住宅基準をクリアし、耐震面では日本の最先端の耐震技術を採用している。
「壁厚が30cm以上、10平米で20トン以上の重さがあるコンクリート製の家です。ビルのような頑丈さで、住んでいても安心感をもってもらえるはずです」と飯田さん。
こうした高品質の住宅を、既存の住宅価格の10分の1で提供できれば、住宅価格が10年で2倍になっているカナダをはじめ、住宅価格の高騰といった先進国で進行しつつある住宅問題に対する課題解決につながると考えている。
世界中でデータを共有できるという点も3Dプリンターならではの大きな強みだ。データを共有すれば、同じスペックの家を世界中のどこでもつくることができる。
スフィアのデータ(C)CLOUDS Architecture Office
世界中の企業90社が開発に参加日本では長年、建築基準法の関係や、技術的な点から「3Dプリンターの家づくりは不可能だ」といわれてきた。スフィアが構想から3年と驚異的なスピードで完成したことに対して、飯田さんは「コンソーシアム(共同事業体)による、オープンイノベーション(課題を共有し、意見やアイデアを取り込んで進める手法)だから実現できました」と話す。
コンソーシアムとは、同じ目的のもとに、異なる事業や専門をもった人・企業が集まった組織のこと。今回のプロジェクトには世界中の企業90社が参加。今後、参加を検討している企業を含めると150社を超えるという。
「セレンディクス1社で3Dプリンターの家をつくろうとしていたら、課題だらけだったでしょう」と飯田さん。スフィアのデザインをした、ニューヨークの曽野正之とオスタップ・ルダケヴィッチのデザインを、実際の図面に落とし込んだのは、ヨーロッパにいるチームで、さらに日本の耐震基準を通せる形に修正したのは、コンソーシアムに所属する日本の専門家たち、そして海外で書き出し(印刷)を行ったのは中国とカナダだったという。その上で、今回の施工時には、日本でコンクリート住宅を長年扱い、ノウハウをもった企業「百年住宅」が参画することで、1パーツ6トンにもなる壁を難なく取り扱えるようになった。
「コンソーシアムに参加してくださったのは、30年ローンで住宅が販売されている時代の限界を感じている人たちの集まり」とのこと。中には大手住宅メーカーなどの人もいて、未来の住宅にまつわる環境づくりに協力したいと考えているのだという。
スフィアを2つつないだ様子(C)CLOUDS Architecture Office
「今回のスフィア開発に対して、実はセレンディクスは1円も出していないんです。コンソーシアムに関連する企業が、手弁当で協力してくれています」(飯田さん)。もちろんそれぞれの参加者や参加企業には、「技術を提供したい」「販売にかかわりたい」といった理由がある。
だがそれ以上に、同じ「課題を解決したい」という目的をもつことが、プロジェクトを一緒に動かす原動力になっていると話す。飯田さんは、オープンイノベーションの力強さを目の当たりにし、それぞれの力を結集させて新しいものをつくり出すことへの熱意と可能性を見出したと語った。
セレンディクスCOO飯田国大さん(写真提供/セレンディクス)
2023年春に3Dプリンターの家(49平米)を一般販売予定「いきなり3Dプリンターハウスに住め、というと抵抗がある人も多いと思うので、まずは別荘やグランピング施設としてなじんでもらい、その次に一般の住宅にも導入していこうと考えています」と飯田さん。
一方で「プロジェクトを立ち上げて以来、300件以上の購入希望の問い合わせがある」という。特に、60歳以上のシニア層からの問い合わせが多いことに驚いたという。
シニアからの問い合わせの理由には、「家のリフォームが必要になったが、見積もりで1000万円以上だった」や「一生賃貸でいいと思っていたが、60歳を過ぎたら家が借りにくくなった」といったことなど。手ごろに手に入る終の住処を購入したいというニーズが改めて浮き彫りになっているという。
こうした背景から、建築基準法に準拠し、鉄筋構造を含めた49平米の平屋の建設へ舵を切った。慶應義塾大学の研究機関と一緒に開発を進めている通称「フジツボハウス」は、2023年春には500万円以下の価格で販売開始予定だ。
慶應義塾大学の研究機関と共同研究で進められている49平米の平屋住宅は、来年から販売開始予定(C)CLOUDS Architecture Office
「2025年以降、すべての人から住宅ローンを無くしたいと思っている」と話す飯田さん。今、さまざまな企業が着目し、開発を進めている3Dプリンターの家。3Dプリンターの家によって世界中の住宅問題を解決できる日がくるのか、待ち遠しい。
●取材協力
セレンディクス
“VR”だ、“メタバース”だと、近年のITの進化はスピードを増している。折りしも、大和ハウス工業が「メタバース住宅展示場」を公開するという。いったいどんなものなのだろうか?プレス向けの体験会があるというので、筆者も参加してみた。
【今週の住活トピック】
オンラインでコミュニケーションが図れる業界初の「メタバース住宅展示場」公開/大和ハウス工業
実は筆者は、“メタバース”と“VR”の違いがよくわかっていない。インターネットで違いを調べると、“メタバース”とはインターネット上の仮想空間のことで、“VR”は仮想現実と訳されるとある。仮想=バーチャルという点は共通だが、VRは仮想空間を支える技術や手段のことのようだ。
このようにITは苦手な筆者ではあるが、いちおう新しいものは試してはいる。VR展示場・VRモデルハウスなどは体験したことがあるし、VRゴーグルなども何度もつけたことがある。筆者が経験したVRモデルハウスの印象は、CGあるいは実写の360度画像が見られたり、印のある場所に移動できたりするもので、VRゴーグルをつければさらに臨場感のある画像が見られるというもの。
で、メタバース展示場の登場である。どこがどう違うのか、興味津々だ。大和ハウス工業のプレスリリースには、次のような説明がある。
「『メタバース住宅展示場』は、スマートフォンをはじめ、タブレットやパソコンから簡単に見学できることに加え、お客さまと当社担当者がアバターとなり、仮想空間上の住宅展示場内を案内することができるため、質問や相談も気軽に行えます。また、アバターを用いてお客さま同士での会話もできる他、ヘッドマウントディスプレイを装着して見学した場合は、実際の住宅展示場にいるかのような臨場感も体験いただけます。」(大和ハウス工業プレスリリースより引用)
移動がスムーズで情報量も豊富、ストレスなしで見学できたで、体験会に参加してみた。筆者が自宅のパソコンで、案内された体験会用のURLをクリックすると、見学する住宅の外観画像が浮かび上がった。
「メタバース展示場」外観画像(画像提供/大和ハウス工業)
名前を入力して、カメラとマイクをオンにした。右端に「外観」「1F-玄関」「1F-LDK」「1F-台所」・・・「2F-トイレ」「2F-主寝室」「2F-洋室1」・・・「1F-平面」「2F-平面」「鳥瞰」「画面共有」といったボタンが並んでいる。試しにあちこちクリックして見たら、部屋が次々と変わる。
「鳥瞰」の画面、角度を変えたり拡大縮小したりもできる。空を飛んでいるアバターは、その角度から鳥瞰画像を見ている(画像提供/大和ハウス工業)
そのうち、参加者が集まってきて「1F-LDK」に集合するように声がかかった。入ってみると説明者と参加者のアバターがいた(冒頭画像のイメージが該当)。ずんぐりした形状で自分の顔だけがカメラから組み込まれている。「私のアバターはどこにいるのでしょうか?」と質問したら、自分のアバターは自分では見られないそうだ。初歩的な質問をしてしまったことが恥ずかしい。
「1F-平面図」の画像、ところどころに矢印が回転している部分があるが、これをクリックすると色や柄の選択ができて壁や床、扉を変えられる(画像提供/大和ハウス工業)
・部屋は右側に表示されるメニューのボタンをクリックすれば自由に移動できる
・その空間の中も移動したり、空を飛ぶように上がったり床の目線まで下がったりできる(ペット目線で見られるというのが狙いだそうだ)
・鳥瞰や各階平面図もあるので、屋根の形状を見たり部屋のつながりを見たりもできる
・矢印が丸くなっているマークがある部分は、色や柄を変えることができる
など、基本的な説明を受けたあとは、自由見学を促された。
平面図に移ってみたら、先客がいて画面をふさいでいる。「移動して別の場所や角度から見るようにしてください」とアドバイスをもらった。このように、その場でいろいろ質問できるので、ストレスがない。参加者たちが好き勝手にいろいろなものの色・柄を変えるので、筆者が見ている間にも壁や床がころころ変わる。2階洋室に移動して、窓ガラスに近づいたら、ガラスに室内の照明が反射していた。かなり細かく再現されているようだ。
「浴室」で色替えをしてみた。鏡には室内の様子が写るほどの再現性だ(画像提供/大和ハウス工業)
表示されている参加者の名前をクリックすると、その人のいる場所に移動できるというので、説明者に自分のいる場所に来てもらうことも可能だという。「画面共有」機能を使えば、詳しい資料などを見ながら説明を聞くこともできるという。
現物の見学に加えて、より深く確認するという利用法もさて、実際に参加してみた印象でいうと、私が以前に体験したVR展示場よりも、移動がスムーズで、細かい点を確認できることや、担当者と同じ空間で会話ができることから、ストレスなく見学ができた。通常では見られない鳥瞰や平面図も見られる点も、より多くの情報を得られるので面白かった。今回の体験では、ヘッドマウントディスプレイなしだったが、付けて見ればもっと臨場感があったのかもしれない。
コロナ禍で実際の展示場に行くことにためらいを感じる人などの間口を広げる、という利用方法もあるだろうが、この住宅商品を建てると決めたあとで、プランを確認したり壁紙の違いを試したりなどの確認行為として利用する方法もあるだろう。筆者は、展示場やモデルハウスは、実際に五感を使って空間を感じることを強くお勧めしているので、バーチャルだけというのはお勧めをしていない。ただ、実物の見学に加えて、メタバースでの見学ができれば、見落とした、気づかなかった、ということがないように思う。
「これだけのものをつくるには、相当費用もかかっただろう」。そう思って聞いてみたら、数十万円でできたという。ならば、その費用を負担しても、自分の建築予定の家をメタバースで見たいという人も出てくるのかもしれない。
筆者は、「 “メタバース”はゲームやショッピングの世界のものだ」と思っていた。しかし、今回体験してみて、住宅分野でも十分活用できるものだと分かった。メタバースを始めとするVR技術は住宅分野でも、今後ますますすそ野が広がっていくだろう。
●関連サイト
オンラインでコミュニケーションが図れる業界初の「メタバース住宅展示場」公開/大和ハウス工業
必要最低限のものだけで生活する「ミニマリスト」というライフスタイルが、数年前から注目を集めています。ところが最近、20代の間でかつてのストイックな印象とはちょっと違う「ゆるミニマリスト」が人気なのだとか。「ゆるミニマリスト」な暮らしを実践する、2人の女性に取材しました。
ミニマリスト界のニューカマー“ゆるミニマリスト”って?時間が足りない、お金が足りない、家のスペースが足りない……など現代人には「足りない」ことにまつわる悩みが尽きません。だからこそ「足る」を知り、必要最低限の物だけで生活する「ミニマリスト」と呼ばれるライフスタイルが注目を集め続けているのです。ただし「ミニマリスト」というと、ストイックなイメージがあり「一般の人には真似ができない」と思いがち。かつて断捨離を実践したことがある人でも、ミニマリストになることはハードルが高いと感じた人も多いのでは?
一方で20代の若い世代には、かつてのストイックなミニマリストとは一線を画した“ゆるミニマリスト”が人気です。どんなライフスタイルなのでしょうか? ゆるミニマリストとして多くの人にライフスタイルを発信する、2人の女性に話を聞きました。
左・あすかさん(写真提供/あすかさん)、右・ゆねさん(写真提供/ゆねさん)
ゆるミニマリストのキーワードは、「お気に入りを、少しだけ」Instagramで発信を続ける“ゆるミニマリスト”のあすかさんは、東京で一人暮らしをする20代の女性です。Instagramには、ホワイト系のインテリアの写真のほか、ファッションやビューティーのTipsが並び、一見するとファッション系のインスタグラマーのようです。しかし実は掃除機やテレビも持たず、洋服は本当にお気に入りの10着前後。食費は1週間3000円程度という、ミニマルな暮らしをしています。彼女のライフスタイルは多くの支持を集め、Instagramのフォロワーは約10万人に迫る勢いです。そんなあすかさんの考える、ゆるミニマリストの定義とは?
「『自分の生活から不要なものを取り除き、好きに囲まれて生活する』という意味では、目指すところは従来のミニマリストと変わらないと思います。ただ、ものの削ぎ落とし方が、少し緩やかかもしれませんね。わたしは、減らすこと自体に価値を置いているわけではないですし、正直に言って、減らしすぎると不便だと思います。だからベッドもあるし、机も椅子もある。電化製品もひと通りそろっています。その代わり、『本当に気に入っているかどうか?』という基準は、厳しく持っていますね」(あすかさん)
あすかさんの家を見ると、持ち物は少ないながら、それぞれのアイテムには個性があります。必要不可欠なものだけでなく、お気に入りの置き物などもレイアウトして、自分らしいインテリア選びをしています。
あすかさんの部屋の白い壁はプロジェクターを投影するスクリーン代りにも(写真提供/あすかさん)
床置きのものが少ないミニマリストの部屋は、掃除用具はコロコロとワイパーで十分(写真提供/あすかさん)
同じようにInstagramで発信をしている北海道在住のゆねさんがゆるミニマリストとして目指すのは、豊かな生活をすることだそう。
「必要最低限の暮らしをするために物を減らしているわけではないんです。私は豊かな暮らしをするために、好きなものだけを持つ主義なんです」(ゆねさん)
ゆねさんはアイドルのファンで、グッズもたくさん持っているそうです。
ゆねさんの部屋は、アンティークなペンダントランプやぬいぐるみがかわいらしい雰囲気(写真提供/ゆねさん)
「好きなものを断捨離する必要はないと思っています。私の場合は、アイドルのコンサートに友達と行ったりする“推し活”がストレス発散になっているので、『これは削る必要のないもの』という考えです」(ゆねさん)
ゆるミニマリストにとって「気に入っている」や「好き」が、取捨選択の大きなポイントだと言えそうです。
ゆるミニマリストのインテリアはシンプルだけど個性的スッキリと片付いたお家での時間を大切にする、ゆるミニマリスト。そのインテリアはどんなテイストなのでしょうか。お二人のお部屋を拝見しました。
ミニマリストの部屋というと、装飾を省きシンプルに徹した部屋がよくメディアには取り上げられていて、そのような印象を持っている人もいるかもしれません。一方でお二人のお部屋は少し装飾性のある家具や柔らかさや、かわいらしさといった、それぞれの人柄を表す小物の存在が目を惹きます。
あすかさんのお部屋は白で統一。大理石調の床はフローリングの上にDIYでシートを貼ったそうです。家具も白やクリアな素材で統一しています。大きなベッドはInstagramでも問い合わせが多いアイテム。ベッドはIKEAのデイベッドでソファにもなり、収納も兼ねているのだそう。白い壁はプロジェクターを投影するのにもぴったり。プロジェクターは、持ち運び可能で場所を取らず大画面で映像を観られる優れもの。ベッドサイドにある白で統一した小物がフェミニンです。
特大サイズのデイベッドはウッディなホワイト。デイベッドはベッドを主としつつ、ソファにもなるものを指すことが多い(写真提供/あすかさん)
あすかさんのベッドサイド。小物は色やテイストを統一すると洗練された印象に。プロジェクターは壁の色にマッチするシルバーの「MoGo Pro」(写真提供/あすかさん)
ゆねさんのお部屋は、明るい木目がポイントのナチュラルテイスト。ドライフラワーがそこかしこに飾られていてかわいらしい印象です。ブロックのテクスチャーがあしらわれた白の収納戸棚はDIYしたもの。そこに鏡を置けば、ドレッサーを兼ねることができます。そして戸棚のなかには“推しグッズ”スペースも。テイストの異なるアイテムを戸棚のなかに収納することで部屋がスッキリと見えます。
ゆねさんのインテリアのポイントはDIYでデコレーションしたチェスト。カラーボックスに100均の壁紙を貼って個性的に(写真提供/ゆねさん)
カラーボックの扉を開けると、推しグッズがぎっしり(写真提供/ゆねさん)
あすかさんのお住まいは約19畳(30平米)、ゆねさんの自室は5畳と、決して広いわけではありませんが、スッキリと片付いていながら、個性もあります。収納を兼ねたベッドなど多目的に使える家具を利用する、意外と場所をとるテレビをやめてプロジェクターを利用するなどの引き算と、個性を感じさせる家具や小物を取り入れる足し算のバランスが、ゆるミニマリストらしいインテリアのポイントのようです。
自信やお金……「足りない」を補うために「不要なもの」を捨てる二人はなぜミニマリストになったのでしょうか? ミニマリストというライフスタイルを日本で広めたのは、2015年に出版された編集者・佐々木典士さんによる著書『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(※)です。そのなかに佐々木さんの考えるミニマリストの定義があります。
1.自分が本当に「必要」なモノがわかっている人
2.大事なものが何かわかっていて、それ以外を「減らす」人
(著書『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(ワニブックス)より)
定義は、あすかさんやゆねさんが実践していることと重なりますが、「必要なモノ」が何か、また「大事なもの」が何なのかに個性が表れます。
ゆるミニマリストは、現代に定着したミニマリストというライフスタイルの、「好き」や「お気に入り」にフォーカスしたひとつの形であるといえそうです。では20代のあすかさんやゆねさんがミニマリストになったきっかけは、何だったのでしょうか。
「お洒落になって自信を持ちたい」という気持ちが、あすかさんがミニマリストになるきっかけだった(写真提供/あすかさん)
あすかさんの場合は、「大学の教授に貸していただいた『フランス人は10着しか服を持たない』※という書籍」がきっかけだったそうです。
「その本に影響を受けて、クローゼットの服を減らしたのです。
実は昔の私は浪費家で、学生にもかかわらずネットで毎月何万円も洋服を買うような生活でした。交友関係もわりと広く、誘われれば断れずに飲み会にも参加していました。一方でそういった生活に、どこか焦燥感を感じてもいたのです。
あの満たされない感覚を何と表現したらいいのか難しいのですが、ひと言でいうと自分に自信がなかったのかもしれません。服を買って、ヘアメイクにお金をかけて……ということをしても、どこか垢抜けず満たされない。本を読んで、たくさん服やコスメを持っていても、自分自身のマインドを変えなければ自信は生まれないと気づきました。」(あすかさん)
あすかさんはおしゃれになりたい、自信が欲しいという気持ちが、ミニマリストに興味を持つきっかけだったといいます。今やあすかさんが発信するInstagramでは『フランス人は10着しか服を持たない』を実践するような彼女のワードローブやライフスタイルの投稿が、多くの支持を集めています。それはおしゃれになるためにたくさんの服や化粧品は要らないということの証明でもあります。
スッキリとしたクローゼットにはお気に入りだけ(撮影/蜂谷智子)
また、ゆねさんがミニマリストになったのはお金の問題がきっかけだったと言います。
「私が大学生のころ、両親が離婚したのです。それまで家の大黒柱は父だったので、母と暮らすことにした私には、お金が足りなくなる心配があり、貯蓄に興味を持ったのです。それからミニマリストというライフスタイルにも興味を持ちました。
ミニマルな生活を実践してみると『物を買わなくても、今あるもので生活はできるんだな』という自信につながりましたね。当時の母は私に不自由な思いをさせたくないからか、一緒に街を歩くときに目に入ってくるものを『買ってあげようか』と聞くことが多かったのですが『そんなに物を買わなくても、あるもので十分じゃない』というのは、よく言っていました」(ゆねさん)
今はゆねさんも大学を卒業して金銭的に自立し、お母様との二人暮らしは大人同士の同居という雰囲気だそう。ミニマルな暮らしを身につけたことでお金の心配もクリアし、お気に入りに囲まれた充実した生活を送っています。
お母様と二人暮らししているゆねさん宅のリビング(写真提供/ゆねさん)
ゆねさんはオタク生活を楽しむためにも、他をミニマルにし節約を心がけているそう(写真提供/ゆねさん)
コロナ禍でも毎日が楽しい! ゆるミニマリストの生活ゆるミニマリストとしてライフスタイルを確立した二人は、毎日が楽しく充実しているそうです。
「Instagramで発信するようになったのは、コロナ禍で在宅勤務になり、時間ができたからです。ミニマリストのライフスタイルを発信するようになってから、交友関係が一気に広がりましたね。私のライフスタイルに共感してくれる方が増えて、それが自分の自信になっている面もあります。
コロナウイルスの影響がなくなっても、オフィスに通う生活はもうしたくないですね。将来の夢は、このまま時間と場所を選ばない仕事を続けて、いつか猫と一緒に海の見える場所で暮らすことです」(あすかさん)
「Instagramを始めたことで交友関係も広がった部分もあります。自分の趣味が合う人や考え方が合う人とSNSを通じて効率よく出会えるので、ミニマリストにしてもオタ活にしても距離を超えた出会いがあります。
現代はSNSが自分の名刺だといわれるくらいなので、ライフスタイルを確立できたことが自信につながっています。ゆるミニマリストになってから整えた部屋は、オンライン会議で見えても恥ずかしくないですし、友達を呼ぶのにも積極的になれるんです。
ミニマリストになることによって好きなものがはっきりし、かつそれをInstagramに投稿することで、自分の雰囲気を客観的に見られるようになり、さらに自分らしいミニマルライフを追求できるという好循環もあります」(ゆねさん)
コロナ禍において在宅時間が増え、オンライン会議やSNSを通じて生活空間を見せる機会が増えた今、インテリアはパーソナリティを示す大切な要素。2人ともゆるミニマリストになってから整えてきた部屋が、社交的な面でも自信になっているといいます。
左・あすかさん(写真提供/あすかさん)、右・ゆねさん(写真提供/ゆねさん)
ミニマリストになり暮らしを研ぎ澄ますことで、新たな自分を見つけられるコロナ禍でより日々の暮らしを意識するようになった人も多いでしょう。もしもライフスタイル迷子になってしまう自分を感じたら、一度生活をそぎ落としてみることも手です。
ストイックに自分を切り詰めず、「好き」を基準に生活を研ぎ澄ます、ゆるミニマリストの暮らしが参考になるかもしれません。
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※『ぼくたちに、もうモノは必要ない。 – 断捨離からミニマリストへ -』佐々木 典士 (著) ワニブックス
※『フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質”を高める秘訣』ジェニファー・L・スコット (著), 神崎 朗子 (翻訳) 大和書房
●取材協力
あすかさん
ゆねさん
2019年以降、郊外中核都市における百貨店の閉店ラッシュが続いています。その一方で、街の百貨店では今、住民と一体となり活性化させる動きが出てきました。今回は、鳥取県鳥取市「鳥取大丸」と埼玉県さいたま市「伊勢丹浦和店」に、「愛する街をもっと自分ごとに」する地方百貨店での新たな取り組みについてお話を伺いました。
地方老舗百貨店が、市民参加型スペースを導入する一大決心2020年4月、「鳥取大丸」(鳥取県鳥取市)の5階と屋上に「トットリプレイス」がオープンしました。ここは創業や、イベントを実施してみたい市民が、自身の力を試して挑戦することができる市民参加型の多目的スペースです。
フロア内には1日単位から飲食店舗を出店できる「プレイヤーズダイニング」、菓子製造のできる工房「プレイヤーズラボ」、調理器具・機材の揃ったキッチンスペースでパーティや料理教室などができる「プレイヤーズキッチン」、屋上には音響施設を完備したステージがあり、ライブやパフォーマンスの発表の場にも使える「プレイヤーズガーデン」などバラエティにあふれています。
こうしたシェアキッチンや創業支援スペースなどは、都市部では増えてきていますが、地方でかつ百貨店での取り組みとなると、珍しい試みのように思います。コロナ禍でのオープンとなりましたが、5店舗分の区画があるチャレンジショップは、既に多くの人がトライアルしているそう。
トットリプレイス内にある、月単位で借りられるチャレンジショップブース「プレイヤーズマーケット」。ここには雑貨やアクセサリー作家などで、初めてお店経営に挑戦したいという人がトライアルで出店している。(画像提供/鳥取大丸)
「ここに勤めて30年経ちますが、栄枯盛衰ありました。開店当時からリニューアル前の2018年までの間に売上は約3分の1となり、従業員の数も減っています。街に住む市民が高齢化し、若者が街から離れていくなかで、百貨店としても従来のスタイルを続けていてはいけない、と危機を感じていました」そう話すのは、鳥取大丸の田口健次さん。2年がかりで“百貨店再生”をテーマにリニューアル計画を立て、オープンにたどり着いたそうです。
現在の鳥取大丸の現在の外観。前身の丸由百貨店を経て1949年にオープンした、地域を支える百貨店(画像提供/鳥取大丸)
街の人にとって“ハレ”の場所ではなく、“デイリー”な場所でありたい「トットリプレイス」のある5階は、リニューアル前までは催事場として使用されてきましたが、催事イベントは常に実施されるものではないため、スペースを有効活用しきれているとは言い難い状況でした。百貨店にとって、催事は売上や客足への起爆剤となる大切なイベントですが、田口さんはこの広いスペースをもっと「市民が日々愛着を持って足をのばしてくれる場所」にしたいと考えて、市民参加型活動の場へと転じる決意をしたそうです。
トットリプレイスにリニューアル前は、催事場だった5Fフロア。写真は2010年頃の催事の様子(画像提供/鳥取大丸)
リニューアル後のスペースには展示エリアも設けられている(画像提供/鳥取大丸)
プレイヤーズダイニングスペースでは、飲食物の販売が可能(画像提供/鳥取大丸)
実は、もともと百貨店から程近い場所に、市民スペースである男女総合参画センターがありました。しかし百貨店のリニューアルを機に合併させ、キッチンやショップなどのスペースを充実させて、設備を整えました。
5階トットリプレイスのフロアマップ。市民参加スペースに加え、飲食店もそろう(画像提供/鳥取大丸)
「リニューアルをしたことで、人の流れが少しずつ変わってきたように思います。以前は街のなかに本当に若い世代の人がいるのか?と思うほど見かけることがなかったのが、リニューアル後は、街中でも今まで百貨店内であまり見なかった若い世代の人を見かけるようになりました。『トットリプレイス』を訪れ、その足で店内で食事や買い物をする、という流れも生まれているようです。百貨店も、もはや物を売るだけではない時代。こうした憩いの場のような、市民の“ハレ”だけではなく“日常”に寄り添えることがこれからは大切なのだと感じています」(田口さん)
まだまだ長引くコロナ禍で、制限を設けながらスペースを使用しており、試行錯誤が続いています。アフターコロナにはさらに市民の姿でにぎわう様子が待ち遠しいですね。
眠っていた屋上スペースを利活用、市民にイベント企画を委ねて地域活性化一方、市民団体にイベントの企画を委ねて百貨店の活性化に取り組んでいるのは、「伊勢丹浦和店」(埼玉県さいたま市)です。
伊勢丹浦和店の外観(画像提供/伊勢丹浦和店)
ずっと手を入れていなかった屋上の“有効活用”と、市民のチャレンジの場とすることを目的に、2019年10月19日、20日に「うらわLOOP☆屋上遊園地」を実施しました。共同主催したのは、パパ友たちが立ち上げた一般社団法人「うらわClip」。屋上にメリーゴーラウンドやこどもサーキットなどのアトラクションを設置したほか、地元店によるマルシェをオープンし、日ごろは閑散としている屋上が大にぎわい。2日間で約4000人が来場しました。
2019年の「うらわLOOP☆屋上遊園地」実施時の様子。3世代ファミリーでの来場も目立ち、屋上遊園地を楽しむ姿が見られました(画像提供/伊勢丹浦和店)
伊勢丹浦和店の担当者である甲斐正邦さんと「うらわClip」の共同代表である長堀哲也さんは、約6年前に地域の市民祭で知り合ったそう。「意気投合をして“いつか一緒に何かをやりたいね“と話していて。その後、屋上遊園地の実現となりました」と話す長堀さん。
2021年秋には、伊勢丹浦和店40周年記念のイベントとして、デパートの屋上文化の新たな価値を生み出す「デパそらURAWA」を10~12月の土日祝限定でオープン。このために再び市民団体「デパそら実行委員会」を立ち上げて、伊勢丹浦和店との共催という形をとりました。
「都市型アウトドアスペース」をコンセプトに、屋上にハンモックやテントを備えるほか、地元ミュージシャンのライブを開催するほか、地元とつながりのあるクラフトビール店が出店するなど、駅前スペースでありながらもアウトドア気分を満喫できる空間になりました。
「デパそらURAWA」実施時の様子。ウッドデッキやハンモックもあり、来場者は思い思いに過ごしていた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
ピクニックスペース以外にも子ども向けアトラクションやイベントもちりばめられていて、飽きることなく過ごせる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
アウトドアスペースは予約も可能。テントを貸し切って、3世代で誕生日パーティを楽しむ姿も。コロナ禍ということもあり、こうした屋外でのイベントニーズも高かったそう(写真提供/伊勢丹浦和店)
ここ数年、夏のビアガーデン以外では活用されていなかった屋上スペースは、開店40周年を記念してリニューアル。「デパそら」という晴れやかなイベントに合わせてより使いやすく過ごしやすい空間にするべく、設備を大改装しました。ウッドデッキや青々と美しい芝生スペースが設けられ、見違える姿に変身し、今では誰もが心地よく時間を楽しめるパブリックスペースになっています。
改装前の屋上スペース。床面に無骨な風合いが残る(写真提供/伊勢丹浦和店)
改装後の屋上スペース。ウッドデッキも設置され、くつろげる憩いの空間に(写真提供/伊勢丹浦和店)
そして、2022年春に「デパそらURAWA」が復活します。都市型アウトドアスペースに加え、夜はビアガーデンも楽しめるそう。百貨店という場に「日常」が味わえる場所が、朝から夜まであるというのは、市民にとっても嬉しいところです。
街をより良くするために、リスクよりも挑戦市民主体で、百貨店でのイベントを実施するというのは、さまざまな課題やリスクもあったのではないでしょうか。
「もちろん、課題やリスクはゼロとは言えません。しかし、誰かが始めないとこうした面白い挑戦はできない。それに、“屋上”という誰も利活用できていなかった場所をより良くするには、十分すぎるほど魅力的なコンテンツでした。長堀さんとはすでに信頼関係が構築されていたし、彼は誰よりも浦和の街のことを想い行動できる人。この街にとって私たち伊勢丹ができることは、地元愛のある個人や団体が活躍できる場を作り出すことであり、屋上はその象徴的な場所だったのです」(甲斐さん)
「浦和で生まれ育った自分にとって、百貨店はやはり憩いの場であってほしいと思っています。街づくりの活動に参加・企画をしていて感じるのは、自分たちは街の特性を良くわかり、人脈は豊富にあるけれど、まちづくり団体だけではできることが限られる。こうした地域のシンボルのような百貨店と協業できれば、互いの良さを生かして、より浦和という街を盛り上げられます。そして何より願うことは、“デパそら”に訪れる子どもたちが暮らす街に愛着を持ち、自分ごととして捉えてくれること。そして未来において街づくりの担い手になってくれれば嬉しいです」(長堀さん)
伊勢丹浦和店の甲斐さん(向かって左)と、デパそら実行委員会の長堀さん(右)。立場は違えど地域を愛する気持ちは同じ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
さまざまな立場の人を巻き込み、協業していくことが理想日本に百貨店が誕生して100年以上が経ちました。ちょっと特別な買い物や食事ができる、レジャーを楽しむことができる「百貨店」は、地域の人の消費や憩いを支えてきた大切な場所です。しかし、時代を経て地域の中でより長く根付いていくためには、「挑戦すること」「市民との協業」が必要だと、2店の担当者は話します。“街をよくしたい”という思いは市民も、周辺の商店も、大型施設であるショッピングセンターや百貨店もみな同じです。転換期に差し掛かる百貨店も、街の“キーマン”たちと協力し、新しい価値を模索し始めています。
●取材協力
・鳥取大丸
・伊勢丹浦和店
・デパそら実行委員会
・うらわClip
家でもカフェでもなく、ただゆっくり一人で本を読むことができたら。自宅で過ごす時間が増えた今、外へ出てほどよい緊張感のある場所で読書に浸る。そんな贅沢を叶えてくれるのが「本の読める店fuzkue」(以下、フヅクエ)だ。おしゃべりはもちろん、仕事も勉強もNG。シャットアウトされた空間で、飲物を片手に好きなだけ本に没頭する。本好きにとっては至福の時間だろう。「好き」を共有するお客さんの心をとらえ、ニッチでも特定のニーズに振り切るフヅクエは、今後のお店のあり方を示唆しているようでもある。
どんなお店か?JR西荻窪駅から歩いて約10分。「fuzkue西荻窪」(東京都杉並区)は通りから一歩奥まったところに入り口がある。大きな窓からはゆったりしたソファが見える。
中に入ると洗練された空間に、静謐な空気が流れていた。図書館よりずっと澄んだ静けさ。中途半端な時間帯のせいか、お客さんは2人。背筋の伸びる思いで一番手前のソファに腰かけた。
ガラスの向こうに店内が見える。階段を数段降りた、半地下の位置にある入口からしてフヅクエの雰囲気。(写真撮影/古末拓也)
まず運ばれてきたのは普通のメニューより少し厚めの「案内書きとメニュー」。
最初にこうある。
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「本の読める店」とは
愉快な読書の時間のための店です
「本の読める店」は、「愉快な読書の時間を過ごしたい」と思って来てくださった方にとっての最高の環境の実現を目指して設計・運営されています。この店が考える「たしかに快適に本の読める状態」は、大きく分けて2つの要素から成り立っています。ひとつは穏やかな静けさが約束されていること、もうひとつは心置きなく過ごせること。
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そのあとに、店で過ごすための細やかな決まりごとが続く。たとえば「勉強、仕事、作業」は禁じられていること。「ペンの取り扱い」について。パソコンは見るのもNG。スマホはOKだが動画視聴はNG、といった具合。でも語り口がとてもやわらかで、嫌な感じは一切しない。お店の主旨を知って訪れるお客さんは、読書のための雰囲気を保つためだと理解している。
50ページ近くある「案内書きとメニュー」(写真撮影/古末拓也)
西荻窪店は、フヅクエの3店舗目として2021年6月にオープンした。一号店は2014年に初台に、二号店は2020年に下北沢で開店。創業者の阿久津隆さんは、まちにじっくり本が読める場所が少ないと感じて、8年前にフヅクエを始めた。
「カフェで読もうとしても、隣のお客さんが複数人でおしゃべりしたり、勉強する人のせわしない気配やパソコンのキーボードを叩く音が気になったりと不確定要素が多いですよね。家には家族がいたり、一人だとだれてしまったり。とにかくじっくり読書を楽しむ、そこに特化した店をつくりたいと思ったんです」
初台店ができたときのフヅクエのウェブサイトには、チェーン店の片隅では味わえない、「なんとなくほっとできる、なんだかよくわからないけれど人間味みたいなものを、 親密さみたいなものを感じられる、そんな場所で本を読みたい」と書かれている。
そうした阿久津さん自身の願いを叶えるための店であり、ほかにないから自分がつくろうという提案でもある。
初台でフヅクエを始めた阿久津隆さん(写真撮影/古末拓也)
「本を読みたい人」に振り切る一号店がオープンしたころは、まだ100%読書をするための店ではなかった。読書目的のお客さんを含む「一人の時間を応援する」という、より広い主旨で、仕事も勉強もOKだった。それ以降、店のしくみをブラッシュアップするたびに、フヅクエはどんどん「本を読みたい人のための店」に特化していった。
たとえば料金体系も、お客さんが気兼ねなくゆっくり過ごせるように、を第一に考えられている。長時間滞在を前提に、ドリンクやフードをオーダーするごとに、席料が小さくなる。コーヒー一杯700円を注文した場合は席料が900円だが、コーヒーを2杯オーダーすると席料は300円に。2杯のコーヒーにケーキなんて頼むと、席料はゼロ。2年ほど前から1000円前後で1時間だけ利用することもできる「1時間フヅクエ」も始まった。
こうしたしくみは「どれだけ居ても大丈夫ですよ、そのためのお店です」という店側からの意思表示でもある。
(写真撮影/古末拓也)
ただし「こうしたお客さんに向けた店です」という姿勢をはっきりさせるほど、裏を返せば、それ以外のお客さんを排除してしまうことにもなるだろう。
「世の中にはいいお店と悪いお店があるわけではなくて、For Meのお店かNot For Meのお店があるだけだと思うんです。どれだけクオリティの高い店でも肩身を狭く感じればNot For Meだろうし、どれだけ汚かったり怖かったり評判が悪かったりする店でも、For Meに感じる人にとっては尊い場所のはずで。大事なのは、For You、つまりどんな人にFor Meの店だと感じてもらいたいのかを決めて、とにかくその人に届けようとすることじゃないかと思います。フヅクエにとってのYouは気持のいい読書の時間を過ごしたいと思う人なんです」
相当ニッチにも思えるフヅクエだが、SNSでは「こんなお店があってよかった」といった声、反応が多く届いた。紛れもなく、そうした声がフヅクエと阿久津さんを支えてきた。
(写真撮影/古末拓也)
「お客さんに読書の時間を楽しんでほしいなと考える店はたくさんあると思います。でもなかなかそこに100%振り切るのは勇気というか、覚悟がいりますよね。そもそも自分の店をおしゃべりできない空間にしたいと思う人なんて滅多にいないはずで(笑)そこを愚直に追求してきたのがフヅクエかなと」
今も、そうした特殊なお店とは知らずに入ってくるお客さんもいる。そのことがわかると、必要に応じてスタッフが店の主旨を説明するのだそうだ。
「『そうなんだ、じゃあやめとこうか』とか『じゃあまたゆっくり一人で来ます』といって帰られる方ももちろんいます。それはむしろ嬉しいことで、ミスマッチが起きなくてよかったと安堵する感じがあるんです。過ごしたくもない時間を過ごして不満を持って帰られるのが一番避けたいことなので」
今は100%「読書を楽しむ」ための空間として、お客さんを守るためのルールがしっかり確立している。
まちにひらかれた店西荻窪店はフヅクエにとって初のフランチャイズ店。店長は、阿久津さんの本を読んで共感したという、酒井正太さん。
「お店のしくみもうそうですが、フヅクエの考え方が何より面白いと思ったんです。もともとは西荻窪界隈で本屋をやりたいと思っていたんですが、フヅクエを知って、自分がやりたいのはこっちかもなって思って。それで阿久津さんにお会いして物件を探して」(酒井さん)
右が西荻窪店の経営者、酒井正太さん(写真撮影/古末拓也)
西荻窪には、個人経営の小さな本屋がいくつもある。今野書店、旅の本屋のまど、本屋ロカンタン、BREW BOOKS……と新刊書店も古本屋もそろっていて、お隣の荻窪の本屋Titleもフヅクエから徒歩10分圏内。近所の本屋で本を買ってフヅクエでじっくり読む。そんな休日の過ごし方をまるごと提案できるのも、西荻窪ならでは。
さらに、店の周囲は住宅街。
「学生さんからご年配の方まで、比較的近所の方が利用してくださっているような印象です。オープン当初から通ってくれているおばあさんもいらして。こんなお店が欲しかったってすごく喜んでいただいて、それはすごく嬉しいですね」(酒井さん)
(写真撮影/古末拓也)
「初台や下北沢店のときは、まちに対してちゃんと挨拶をできなかったな、という反省があったんです。とくに初期はあまり多くの人目に触れたくないとさえ思っていたので。でもお客さんを守り切るためのルールを整えることもできましたし、西荻窪はもっとまちに開かれた場にしたいねと酒井さんとも話していたんです」(阿久津さん)
初めての人でも入りやすいよう、店の手前はゆったりした開放感のある空間に。相席できる広いソファを置き、店の奥へ行くほど一人で深く読書に浸れるような設計になっている。
西荻窪店では、地元のラム酒専門店とのコラボレーションにより、他店よりラム酒の種類が豊富に置いてあったり、近所のケーキ屋「Kequ」の焼き菓子を持ち込むお客さんもいたりする。近所の本屋ロカンタンにはフヅクエコーナーもあり、オリジナルグッズやショップカードを置いてくれているそうだ。同じまちに仲間が多いことがうかがえる。
本棚の本は、お客さんが自由に読むことができる。メニューにはビール、ウィスキー、カクテルなどアルコールも豊富(写真撮影/古末拓也)
ゆかいなミスマッチをこれまでは「いかにフヅクエでゆっくり過ごしてもらうか」ばかりを考えてきたという阿久津さん。だが、ルールがかたまったことでお客さんの幅を広げても大丈夫かもしれないと、2年前から全店舗で「1時間フヅクエ」を始めた。
「西荻窪店を始める前の冬に、1000円ちょっとで過ごせるライトな1時間用プランをつくったのは、6年目にして大きな変化でした。あるときふと、短時間の読書に対応できない状態は本の読める店としておかしいんじゃないか、とやっと気づいて。長時間を前提にしていたのはお客さんを守るためでもあったのですが、そもそも読書以外、何もできない店になったので、短い時間用の過ごし方を用意しても今の雰囲気を損なわれることはないと判断して導入しました」
あくまでお客さんの読書の時間を守るために、フヅクエは存在する。だが「1時間フヅクエ」を導入したことで利用者の幅も広がった。
「今は愉快な事故がもっと起きたらいいなと思っていて。たとえば、そうとは知らずに来た人が、帰るのもなんだしそれなら1時間本を読んで過ごしていくかとなって、いざ過ごしてみたら案外気に入っちゃって、たまには読書もいいものだな、みたいなことを起こせたらすごく楽しいですね。1時間フヅクエをつくったことで、偶然の読書の時間を生めるようになった感じですね」
実際に、フヅクエを訪れる前までは全然本を読んでいなかった人が「今月は6冊読んだ」なんてツイートを見かけることもあって、それは阿久津さんにとってとても嬉しいことだという。
店内には本を読むのに邪魔にならないような音楽が流れている(写真撮影/古末拓也)
「幸せな読書の時間の総量を増やす」トークイベントなどは行わないフヅクエだが、これまで店で不定期に開催してきたのが「会話のない読書会」。お客さんが集まって同時に同じ本を読む。
「感想を述べ合うわけでもなく、それぞれの世界に入っているんですが、同じ空間で全員同じものを読んでいるという。あれはまたやりたいですね。映画と同じで、一人で読むのとは明らかに違う体験になります」
なぜあえて、その時間を共有するのだろう。
「たとえば映画も、映画館で見る方が“体験”になって記憶に残りやすいと思うんです。家では、できることの可能性がひらかれすぎていて、一時停止したり、見るのをやめることもできちゃうし。ある意味、半強制的にでも集中できる状態に自分を閉じ込めるのは大事なことなんじゃないかなと思って。今そういう時間が圧倒的に減っているので。スマホから離れられるのも大きい」
シャットアウトされる時間の貴重性。わざわざ電波の入らない「秘境」に行かずとも、読書に没頭する以外にない店があれば、日常からすっとスイッチオフできる。
「削ぎ落としたほうが贅沢。いまはそういう部分があるんじゃないですかね」と阿久津さんは言う。
店の敷居の奥には、一人でこもることのできるスペースも(写真撮影/古末拓也)
一方で、いまフヅクエのミッションとして掲げているのが「幸せな読書の時間の総量を増やす」。
店舗を訪れるだけでなく、どこに居ても本を読む人が増えたらという思いから「#フヅクエ時間」というサービスを始めた。サイトを開くと、いまこの瞬間に本を読んでいる人の投稿が、日本地図上に点灯して示される。いまこの時も日本のどこかで本を楽しんでいる人がいる。そのことを誰かと共有していると思うだけでなぜだかほっとする。
フヅクエのウェブサイトで、こんな言葉が心に残った。
「より安心して何かを好きでいられる社会をつくる」
自分の「好き」に忠実であることは、ときに難しい。だがフヅクエは、こと読書に関してはとことん追求することを許容し背中を押してくれる。
「好き」が起点にあるお店は、お客さんからもこれほど愛されるのだなということが店の空気から伝わってきた。フヅクエの存在は、読書に限らず、誰かの「好き」を肯定することの、心強い味方になるのではないかと思えた。
(写真撮影/古末拓也)
●取材協力
本の読める店「fuzkue」