
14万8,000円 / 61.11平米
中央線・西武多摩川線「武蔵境」駅 徒歩7分
どーんと大きなバルコニーがついた部屋。広々としたバルコニーを目の当たりにすると、どんな使い方をしようか想像が膨らみます。夏にはビニールプールを出して涼みたくなるような。
バルコニー北側から視線を落とすと、マンション敷地内の公園や緑が見えます。そんな景色のおかげで、心地のいい環境 ... 続き>>>.
圧倒的に不動産情報が多いですが。。。。
東京駅は、日本を代表するターミナル駅。仕事や遊びにかかわらず、すべての移動の起点となる東京駅へのアクセスは、部屋探しの際に気になる人は多いだろう。東京駅へ電車で30分以内に到着するシングル向け物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK)を対象にした最新の家賃相場ランキングから、ねらい目の駅を探してみたい。
東京駅まで30分以内の家賃相場が安い駅TOP16駅順位/駅名/家賃相場/(沿線名/駅の所在地/東京駅までの所要時間(乗り換え時間・駅から駅への徒歩移動時間を含む)/乗り換え回数)
1位 蕨6.00万円(JR京浜東北線/埼玉県蕨市/29分/1回)
2位 一之江 6.18万円(都営新宿線/東京都江戸川区/27分/1回)
3位 南船橋 6.20万円(JR京葉線など/千葉県船橋市/30分/0回)
4位 津田沼 6.35万円(JR総武線/千葉県習志野市/30分/0回)
5位 竹ノ塚 6.45万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/30分/2回)
6位 堀切菖蒲園6.50万円(京成本線/東京都葛飾区/28分/1回)
6位 小菅 6.50万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/25分/1回)
6位 新子安 6.50万円(JR京浜東北線/横浜市神奈川区/30分/1回)
6位 瑞江 6.50万円(都営新宿線/東京都江戸川区/30分/1回)
6位 船堀 6.50万円(都営新宿線/東京都江戸川区/25分/1回)
11位 小岩 6.55万円(JR総武線/東京都江戸川区/19分/1回)
12位 下総中山 6.60万円(JR総武線/千葉県船橋市/26分/1回)
13位 五反野 6.70万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/27分/1回)
13位 国道 6.70万円(JR鶴見線/横浜市鶴見区/30分/2回)
13位 舞浜 6.70万円(JR京葉線/千葉県浦安市/16分/0回)
16位 小竹向原 6.80万円(東京メトロ副都心線/東京都練馬区/27分/1回)
16位 新浦安 6.80万円(JR京葉線/千葉県浦安市/20分/0回)
16位 松戸 6.80万円(JR常磐線・新京成線/千葉県松戸市/27分/0回)
16位 梅島 6.80万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/29分/1回)
16位 青井 6.80万円(つくばエクスプレス/東京都足立区/25分/1回)
トップ3には、埼玉県、都内、千葉県がバランスよく分散した。1位は、埼玉県蕨市にある蕨駅だ。
蕨駅前(写真/PIXTA)
蕨市は面積が5.11平方kmと、全国で一番小さな市として知られている。端から端までは約4kmのコンパクトさで、蕨駅は市の玄関口であるとともに唯一の駅でもある。東京駅までの所要時間短縮のためには乗り換えが効果的ではあるが、路線のJR京浜東北線は首都の大動脈のひとつであり、乗り換えなしでの利用も可能だ。
近年は、都市機能の活性化をかかげた「コンパクトシティー」構想が推奨されていて、蕨市は小さな市域の中に40以上の医療機関や保育園児童館、商業施設などがぎゅっと凝縮している。駅周辺を核に、駅前広場や商業施設、公共複合施設の整備などの再開発も進めている。そうした機能の要となる市役所は耐震化などのため建て替え中で、現在は駅から少し離れた場所にあるが、今後はいざというときの災害拠点にもなる機能をもたせるという。
また蕨市といえば、外国人の住民が増えており、なかでも在住クルド人が多いことでも知られる。彼らによるお祭りや、地元住民も一緒に参加できる料理教室が開催されるなど、地に足の着いた国際交流も盛んだ。海外の珍しい食材を扱う商店を見かけることも少なくなく、ダイバーシティを体現している街ともいえる。
そういた“時代の先端”をいく一方で、市内にはいくつもの人情味あふれる商店街も残る。蕨市は江戸時代、中山道の「蕨宿」として栄え、また江戸から昭和にかけては織物の生産地としても名をはせていた。市内には今でも、かつての風情を感じさせる歴史ある建物が点在。商店街の中を散策していて、そんな歴史の息吹を思わせる店舗にふらっと出合うこともある。
商業施設が充実の南船橋駅は、大規模施設の開業控える3位は千葉県船橋市の南船橋駅。京葉線の快速列車の停車駅で、スウェーデン発の人気家具店IKEAの日本1号店「IKEA Tokyo-Bay」や大型商業施設の「ららぽーとTOKYO-BAY」のほか、深夜まで営業しているスーパーなどもあり、必要なものはなんでも近場でそろいそうな便利さが魅力だ。
ららぽーと(写真/PIXTA)
2020年末には通年型のアイススケートリンク「三井不動産アイスパーク船橋」がオープン。国際スケート連盟基準を満たしたリンクで、競技大会なども開かれている。また2024年には、船橋市を拠点にする男子プロバスケットボールBリーグの「千葉ジェッツふなばし」のホームアリーナ「LaLa arena TOKYO-BAY(仮称)」が完成予定。1万人規模が収容でき、スポーツだけでなくコンサートや企業イベントなどにも対応する予定とのこと。スポーツファンだけでなく、足を運ぶ機会が増えそうだ。
同率6位の新子安駅、船堀駅、瑞江駅、ライフスタイル別でどこを選ぶ?同率6位には5駅がランクインしている。そのうちの一つの新子安駅は神奈川県の駅でランキング最上位、JR京浜東北線で、蕨駅同様に、東京駅まで乗り換えなしでも利用できる。
新子安駅(写真/PIXTA)
横浜駅、川崎駅へはともに2駅で、10分以内で行くことができる。また京急本線沿線の京急新子安駅がすぐそばにあるため、羽田空港などへのアクセスもいいほか、少し行けばJR横浜線の大口駅があり、新幹線が停車する新横浜駅へも直通で利用できる。遠隔地への出張が多いビジネスパーソンには心強い穴場スポットかもしれない。
駅北側の丘陵地にかけて、閑静な雰囲気の住宅街が広がっている。駅前にはスーパーやファミリーレストラン、郵便局などが入った商業施設「オルトヨコハマ」や、深夜1時半まで営業しているスーパーがあり、日常の買い物に不自由することはなさそうだ。少し足を延ばせば、映画やドラマの撮影地などにもなっている、横浜の名物のひとつの六角橋商店街もある。
六角橋商店街(写真/PIXTA)
駅の南側、港湾部は京浜工業地帯の工場や倉庫が集まっており、やや無骨な印象もあったが、近年は再開発で高層マンションも建てられている。周辺住民も利用できる広場や、防災対策にも活用できる空き地が整備されたマンションなどもある。
駅から近いキリンビールの横浜工場や日産自動車の横浜工場は、大人にも人気の高い工場見学も受け付けている。なかでもキリンビールは敷地内に芝生広場やレストランなども併設し、限定グッズも販売しており、散策だけでも楽しめる。工業地帯の偏ったイメージだけでは見逃すにはもったいないかもしれない。
同じく6位の船堀駅と瑞江駅は、都営新宿線の沿線駅。間に2位の一之江駅をはさんだ隣駅になる。都営新宿線は日中、新宿―本八幡間で急行運転しているが、船堀駅は急行が停車。そのため新宿駅までは約20分で行くことができる。
船堀駅は駅すぐに24時間営業のスーパーがあり、低価格が売り物の大型スーパーなども目に付く。チェーン系の飲食店も多いので、自炊したくない日などにはありがたいところだ。ファミリー層も多いため駅前はにぎやかだが、少し行けば一戸建て住宅の目立つ住宅街が広がる。
駅そばには、所在地である江戸川区が水資源に恵まれていることにちなみ「区民の乗合船」をコンセプトに建てられた「タワーホール船堀(江戸川区総合区民ホール)」がある。著名アーティストのコンサートも開催されるほか、こだわりのアート作品からハリウッド大作映画まで上映される映画館「船堀シネパル」などが入っており、知的好奇心を満たしてくれそう。一般公開されている展望台からは、江戸川区花火大会も望むことができる(2022年は中止された)。
江戸川区花火大会(写真/PIXTA)
瑞江駅は各駅停車のみの駅ながら、駅付近の施設は船堀駅よりも充実している。すぐ近くにはディスカウントストアの「ドン・キホーテ」や業務スーパー、深夜まで営業しているスーパーなどと豊富で、家計の賢いやりくりのためには選択肢の上位にあがりそうだ。書店も駅すぐそばにあり、夜10時まで営業している。
駅周辺は再開発されているため、雰囲気自体はすっきりしておりチェーン系飲食店が目立つ。少し行くと、おしゃれな飲食店も点在。江戸川区は50年以上にわたって緑化運動をすすめており、親水公園や親水緑道の整備をしている。瑞江駅周辺も親水緑道を見かけることが多く、公園もあちこちにあり、近場で自然を感じることができる。
また、江戸川区役所へは区内のあちこちの駅からバスが主な経路になるが、瑞江駅は分所の東部事務所の最寄駅。公的手続きの手間を少し省けるのはありがたい。ファミリー層の人気も高いエリアだ。
16位も同率で5駅がランクインしている。このうちの松戸駅はJR常磐線の沿線だが、同線は東京メトロ千代田線と乗り入れているため、東京駅だけでなく大手町や赤坂などのビジネス街や、表参道や原宿などの繁華街へも乗り換えなしで行くことができる。また新京成線も利用できる。
松戸駅周辺(写真/PIXTA)
駅に直結した商業施設や大きなスーパーなどが多く、非常に栄えているが、駅周辺は再開発が進行中で、2027年までには新しい駅ビルもできる予定。生活する上ではとても便利なことは間違いないだろう。また、松戸はラーメン激戦区としても知られており、頑固店や知る人ぞ知る名店まで充実している。“おひとりさま”の生活も楽しめそうだ。
大都会・東京の真ん中へのアクセスと考えると、都心を連想しがちだが、東京駅は乗り込む路線が多いだけに、部屋探しの選択肢も多種多様。ライフスタイルにあわせた部屋も、きっと見つかることだろう。
●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東京駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/2~2022/4
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年5月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載
(一社)住宅リフォーム推進協議会では、住宅のリフォームをする際に、リフォームの種類や進め方、リフォームの支援制度などについて、消費者にわかりやすく解説したガイドブックを発行している。このたび(一社)住宅リフォーム推進協議会から発行された令和4年度版「リフォームガイドブック」を参考にして、リフォームの支援制度を中心に紹介していこう。
【今週の住活トピック】
令和4年版「住宅リフォームガイドブック」を発行/(一社)住宅リフォーム推進協議会
実は、リフォームの減税制度については、2022年度から大きな制度変更があった。以前の減税制度については知っているという人も、減税制度について全く知らないという人も、まずは基本原則を知っておこう。
まず、住宅を買ったり建てたりした場合で住宅ローン(返済期間10年以上)を利用した場合に減税となる「住宅ローン減税」(住宅借入金等特別控除)については、リフォームをした場合でも適用対象になる。リフォームの工事費用が100万円を超える、対象となるリフォーム工事を行うなどの条件はあるが、耐震や省エネなどの特定のリフォームに限定されない点が大きな特徴だ。
次に、大規模な地震や高齢化社会への備えなどを目的として、住宅の性能を向上させるリフォーム工事を対象にした減税制度がある。ここでは「リフォーム促進税制」と呼んでいるが、具体的には、「耐震」「バリアフリー」「省エネ」「同居対応」「長期優良住宅化(耐震や省エネ、耐久性向上などを複合的に行うリフォーム)」の5つのリフォームが対象になる。
実はここまでの基本的な考え方は、2021年度までと大きく変わっていない。変わったのは、減税制度の種類が整理されたことだ。2021年度までは「投資型」と「ローン型」と呼ばれる複数の制度があったが、2022年度からは下表の2つの制度になっている。
(一社)住宅リフォーム推進協議会「住宅リフォームガイドブック(令和4年度版)」p.36より転載
性能を向上させるリフォームを支援する「リフォーム促進税制」先ほど挙げた5つの性能を向上させるリフォーム「耐震」「バリアフリー」「省エネ」「同居対応」「長期優良住宅化」については、それぞれどういった工事が減税制度の対象になるかが、細かく定められている。所定の要件を満たす場合には、リフォーム工事をしたその年分だけ、工事費用の一定額が控除される。
具体的には、次の手順で控除額が決まる。
A:対象となる工事費用(注)の限度額 × 控除率10%
(注)対象となる工事費用は、国がリフォーム工事内容ごとに定めた「標準的な工事費用相当額」から国や地方公共団体からの補助金等を差し引いた額であり、実際にかかった費用とは異なる。
なお、対象となる工事費用の限度額は、「耐震」250万円、「バリアフリー」200万円、「省エネ」250万円(太陽光発電設備設置の場合は350万円)、「同居対応」250万円、「長期優良住宅化」250~600万円(工事内容によって異なる)となる。
加えて、定められた工事の費用が限度額を超えたり、これらの工事以外の対象となるリフォーム工事を同時に行った場合は、その分についても5%が控除される。
B:〔対象となる工事のAの限度額超過分 + (その他のリフォーム工事費用-補助金等)(注)〕 × 控除率5%
(注)Bの工事費用は、Aの対象となる工事費用と同額までで、最大限度額はAの工事費用と合計して1000万円まで。
控除額は、AとBの合計額が控除されるという仕組みになる。
対象が広い「住宅ローン減税」、リフォーム促進税制と併用できない場合もリフォームで「住宅ローン減税」の適用を受ける場合は、控除期間10年間、控除率0.7%、控除対象のローン限度額は2000万円となり、所得税で控除しきれない場合は一部住民税からも控除される。
なお、国や地方公共団体から補助金や給付金などの交付を受けている場合は、対象となる工事費用から補助金等が差し引かれる。
上の表で○がついている「耐震」「バリアフリー」「省エネ」の条件を満たす工事については、住宅ローン減税の対象にもなる。△がついている「同居対応」「長期優良住宅化」は定められたリフォーム工事の条件を満たせば、それぞれ住宅ローン減税の対象になる。
では、どの減税制度を使えばいいのだろう?
住宅ローン減税は、耐震を除いてリフォーム促進税制とは併用できない。このように、減税制度によって併用できる場合、できない場合があるのが注意点だ。併用の有無も考えて、どの減税制度が最も効果があるかを検討するのがよいだろう。
なお、ガイドブックによると、リフォーム促進税制の最大控除額は1年で105万円(複数の対象となる工事を行った場合)、住宅ローン減税の最大控除額は10年で140万円だという。
固定資産税の減額が適用されるリフォームもある「耐震」「バリアフリー」「省エネ」「長期優良住宅化」のリフォームについては、家屋にかかる固定資産税の減額の対象にもなる。「工事完了後3カ月以内」に市区町村等に申告手続きを行う必要があるが、工事完了後の翌年度分で次のような減額を受けられる。
(一社)住宅リフォーム推進協議会「住宅リフォームガイドブック(令和4年度版)」p.37より転載
なお、所得税の控除と固定資産税の減額に適用される要件は同じではないので、それぞれに細かく確認する必要がある。ガイドブックには、それぞれの主な適用要件が記載されているので、詳しく知りたい場合はガイドブックを参照されたい。
リフォームにはさまざまな補助制度もある!このガイドブックが優れているのは、リフォームの基本的な知識だけでなく、リフォームの減税制度や補助制度などのお得な情報も得られることだ。
補助制度は、国が行うものと地方公共団体が独自に行うものなど、さまざまにある。リフォーム工事を依頼した事業者が全てを把握しているわけではないので、使える補助金があるかどうか、自分でも調べるのがよいだろう。
さて、ガイドブックでは国土交通省「省エネ」リフォームの補助制度について、どういったものがあるかチャートを掲載している。こちらを紹介しよう。
(一社)住宅リフォーム推進協議会「住宅リフォームガイドブック(令和4年度版)」p.46より転載
国土交通省の省エネリフォームの補助事業だけでも、これだけあるわけだ。それぞれの補助事業については、その概要と事業の詳細情報が掲載されたHPのURLがガイドブックに掲載されているので、そちらで確認されたい。
リフォームに関する減税や補助制度などは、それぞれに、リフォーム工事の内容や費用、住宅などに細かい要件がある。使えると思っていたのに、使えなかったということもあるので、事前に十分に調べたり、リフォーム工事の施工会社に相談したりすることが重要だ。また、所得税の減税では納めた所得税額が限度になるので、計算上の額が全額控除されるとも限らない。面倒ではあるが、情報を正確に集めた者勝ちとも言えるので、こうしたガイドブックを利用するとよいだろう。
●関連サイト
(一社)住宅リフォーム推進協議会:「住宅リフォームガイドブック(令和4年度版)」
2021年前後からクライマーが一気に増えて話題となっている場所がある。埼玉県秩父郡小鹿野町にある二子山だ。そのきっかけは「世界の平山ユージ」と呼ばれるプロクライマーが、クライミングによる町おこしを提案したことだった。
10代から海外で修行、日本クライミング界をリードしてきた平山ユージさん平山ユージさんは1969年生まれ。15歳でクライミングを始めてから瞬く間に頭角を現し、高校生にして国内トップクライマーの地位についた。17歳になるとアメリカで半年間のトレーニングを経験し、19歳でクライミングの本場に身を置くべく単身渡仏、マルセイユを拠点にヨーロッパやアメリカの難関ルートを制覇。
人口壁で行われる競技会に参加するようになると、1998年に日本人として初のワールドカップ総合優勝を果たし、2000年には2度目の総合優勝。53歳となった今も難関ルートを制し続け、国内外のクライマーから尊敬を集める現役のプロクライマーだ。
平山ユージさん。現役であり続けるとともに、後輩の育成とクライミングの普及にも余念がない。2010年に株式会社Base Campを立ち上げ埼玉県と東京都でクライミングジム3店舗を経営している。世界選手権など重要大会でのテレビ解説もわかりやすく大好評(写真撮影/前田雅章)
入間市に本店を構えるClimb Park Base Camp。ボルダリング壁とロープを使うルートクライミング壁を備え、国内でも最大級の規模を誇る。初心者からオリンピック選手まで多くのクライマーが通い、周辺の店舗にもにぎわいを与えている (写真撮影/前田雅章)
「二子山の岩場は、世界に比するポテンシャルがある」「小鹿野町に二子山を中心としたクライミングによる町おこしを提案したのが2008年。当時は形にならずすっかり忘れていたのですが、2018年に町会議員さんから突然電話をいただきました」と平山さん。
平山さんと二子山との出合いは1989年。渡仏中にクライミング仲間から「いい岩場がある」と教えてもらい、一時帰国して登ったときだった。クライミングできるルートは限られていたが、東岳と西岳からなる二子山の雄大さに、整備すれば海外の有名な岩場にも匹敵する場所となる可能性を感じたのだという。
しかし、クライミングルートの整備や開拓は、勝手にできるものではない。
「二子山の所有者の理解や、町の協力がないと成り立ちません。最初はクライミングエリアとして二子山のポテンシャルに引かれたのが大きかったですが、クライマーが訪れたり移住したりする経済効果や、クライミングというスポーツによる住民の健康やコミュニティ促進は、町の発展にも貢献できると確信して企画を提出しました。埼玉の郊外にある秩父、小鹿野町はどうしても少子高齢化が進んでいきますが、都心部からほど近い広大な自然は、町の貴重な資源。クライミングならその資源を十分活用できますから」(平山さん)
四季の道小鹿野展望台からの小鹿野町。晴れた日には百名山・両神山を望む。小鹿野町は日本の滝百選・丸神の滝、平成の名水百選・毘沙門水も有する自然豊かな町 (写真撮影/前田雅章)
町への提案から10年、「クライミングで町おこし」がスタート提案から10年ほどたった2018年、平山さんは小鹿野町観光大使を委嘱された。
「町会議員に当選したばかりの高橋耕也さんが、過去の企画書を見つけて電話をくれました。少子高齢化問題が明らかになってきたこと、東京オリンピック競技種目にスポーツクライミングが選ばれたこと、町の再生を志す若い世代の議員が当選したこと、いろいろな事柄がうまくはまったのがこのときだったのでしょうね」(平山さん)
そして、平山さんたちクライマーが町に通い続けていたということ。
「企画を提出したことをすっかり忘れていましたが、頻繁にクライミングには来ていました。顔なじみになった、『ようかみ食堂』の店主が高橋議員とつないでくれました」(平山さん)
平山さんは、早速二子山でクライミングエリアの整備を進めるため、クライミング仲間と地元住民による小鹿野町クライミング委員会を2019年に発足。2020年には一般社団法人小鹿野クライミング協会とし、2022年現在は会長職を務めている。
一般社団法人小鹿野クライミング協会(撮影時・小鹿野クライミング委員会)メンバーを中心にしたボランティアが、草木をはらい、古くさびたボルトの打ち替えなど根気がいる地道な作業を重ねて、二子山に魅力的なクライミングルートを再生・開拓している(2020年5月)(写真提供/平山ユージInstagram @yuji_hirayama_stonerider)
また、同時期に町営クライミングジムのオープンにも、平山さんは深く携わることになる。
小鹿野町役場の宮本さんにお話を伺うと、「閉館が決定した県営施設の埼玉県山西省友好記念館を残してほしいとの地元の声を受け、町では再利用方法を検討していました。『クライミングで町おこし』を実行するタイミングと重なり、平山さんの全面協力のもと、初心者にも上級者にも楽しんでもらえる本格的クライミング施設が誕生しました」とのこと。
「両神山や二子山といった町自慢の観光資源は、天候に左右されやすい弱点があります。充実した室内施設があれば、国内外のクライマーが長期滞在をプランニングしてくれるきっかけになると考えています」(宮本さん)
唐代の寺院をモデルにした豪奢な記念館をリノベーションした「クライミングパーク神怡舘(しんいかん)」。取り壊すのはもったいない、と埼玉県から町が譲り受けて2020年7月オープン(写真撮影/前田雅章)
傾斜80度~130度のボルダリング壁8面を備える神怡舘。ロープクライミング用のスペースも用意して、二子山など外岩でのクライミングに向けた安全技術の講習も行う(写真撮影/前田雅章)
神怡舘の運営を任命された宮本さんの所属は「小鹿野町おもてなし課 山岳クライミング推進室」。「クライミングで町おこしをする」町の本気度が垣間見える部署名だ。クライミング経験なしだった宮本さんにとっては若干無茶振り人事だったものの、2年でインストラクターも務められるようになったそう。
「クライミングは小中学校の体育の授業にも採用されていて、ハマって通う生徒も多いですよ。職場のクラブ活動としての利用も盛んです」と宮本さん。「クライミングは老若男女が楽しめる素晴らしいスポーツ。ルートごとにレベルが設定されているので目標を決めやすく、お年寄りでも無理なく続けられます。小学生と大人がここで友達になって、競い合い励まし合う姿も日常の光景。神怡舘は住民の健康増進とコミュニティづくりに、とても大切な場所になっています」(宮本さん)
「国内でも有数の規模で、ルートセットも一流です」(平山さん)。学校の授業をきっかけに、将来の活躍を期待されるスーパーキッズも出てきている。取材当日もスーパーキッズが、「ここで友達になった」という20代の社会人らとグループでルートの攻略を研究していた(写真撮影/前田雅章)
二子山への入山者が1.7倍に。コロナ禍で増加の事故にもクライマーの知見を活かす2019年に約4000名だった二子山の入山者数は、2021年に約6800名と急増した。コロナ禍によるアウトドアブームの影響もあるが「2018年までも4000~5000人程度でした。入山者全員がクライマーとは限りませんが、クライミング専門誌に二子山新ルートが紹介された途端、一気にクライマーが増えた実感があります」(宮本さん)
2022年のゴールデンウイーク前後は「びっくりするほど多くのクライマーが二子山に来てくれました」と平山さん。「クライマーの飲食店や温泉の利用も増えて、喜んでいます」(宮本さん)
一方で、一般登山者による事故の増加も顕著になった。
「コロナ禍でアウトドアを始める人が増え、さらに接触を避けての単独行動も増えたことが大きな要因です。上級者と安全確保しながら登るクライミングよりも、ハイキングや登山での事故が圧倒的に多いのです」(宮本さん)
その対策として、町の消防署と小鹿野クライミング協会による情報交換会が開かれている。
「山をよく知るクライマーと救助のプロ、それぞれの立場から危険な場所やヘリコプター救助時の誘導方法などについて、実りある情報交換ができました。両神山や二子山などの大自然を、多くの人に安全に楽しんでもらいたいですね」(宮本さん)
平山さんたちクライマーの町おこし活動は、クライミングの枠をはみ出し始めている。
「今年の尾ノ内氷柱づくりには平山さんたちに協力してもらいました」(宮本さん)
尾ノ内氷柱は、尾ノ内渓谷の沢から水をパイプで引き上げてつくられる人工の氷柱群。高さ60m、周囲250mに及ぶ氷柱群がライトアップされた幻想的な風景は、冬の一大観光スポットだ。
「高所での作業は大変危険ですが、クライマーにはお手のものです。地元に恩返しできるいい機会でしたし、作業を任せてもらえるのもクライミングが町になじんできたからかと思うと、うれしかったですね」(平山さん)
「企画の打ち合わせやイベントの出演や、クライミング以外でもしょっちゅう町に来ています」(平山さん)
つり橋とライトアップの景観が美しい尾ノ内氷柱。鑑賞時期は例年1月~2月(写真提供/小鹿野町)
「小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの有名クライミングタウン」(平山さん)10代から世界の名だたる岩場を登ってきた平山さん。「小鹿野町を世界中からクライマーが集まる場所にしていきたい」と語る小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの街。例えば「イタリアにあるアルコ。100を超える岩場に数千のルートがあり、クライマーなら一度は訪れたい憧れの街です。滞在中はクライミングだけでなく、中世の街並みでの散歩や、おいしい食事やお酒も楽しめる。住民のクライミングへの関心も高いので、すぐに仲良くなれます」(平山さん)
「二子山の開発から数年たって、小鹿野町にもクライミングが浸透してきたように感じています。日本の小鹿野町が、欧米に並ぶクライミングスポットになる、未来へのルートが見えてきました」(平山さん)
「イタリアのアルコのレストランの壁にはトップクライマーの写真が飾られていて、僕も“ユージ!”と地元の人から声をかけられていました」(平山さん)。今は小鹿野町の小学生クライマーからも「ユージさん」と親しみを込めて呼ばれている(写真撮影/前田雅章)
アウトドア以外でも、小鹿野町には古き良き日本の姿がある。有名なのは江戸時代から続く庶民の歌舞伎。農家直売所には新鮮な野菜が並び、商店街では地酒・地ワインも手に入る。疲れた身体を癒やす温泉と、おもてなしが温かい飲食店も点在している。
江戸時代から庶民による歌舞伎が広まった小鹿野町。小鹿野歌舞伎として町内に6カ所ある舞台での上演のほか、各地で訪問公演も行っている(写真提供/小鹿野町)
昭和の面影を残す小鹿野町の商店街(写真撮影/前田雅章)
二子山は世界にも誇れるクライミングスポットとして成熟中だが、「町に宿泊施設がもっと必要」と平山さんの先への課題は明確だ。欧米のようにキャンプ場や自炊できる民泊、コンドミニアムが増えれば、長期滞在も気軽になってくる。
ほんの数年で進化を見せている小鹿野町のクライミングシーン。さらに注目が集まることで宿泊の整備も進み、滞在者や移住者が増え、小鹿野町出身のクライマーが世界で活躍していく、そんな未来もすぐそこなのかもしれない。
●取材協力
・小鹿野町
・Climb Park Base Camp
※訂正:22年7月1日、読者のご指摘により一部修正をいたしました。
小鹿町→小鹿野町
2021年前後からクライマーが一気に増えて話題となっている場所がある。埼玉県秩父郡小鹿野町にある二子山だ。そのきっかけは「世界の平山ユージ」と呼ばれるプロクライマーが、クライミングによる町おこしを提案したことだった。
10代から海外で修行、日本クライミング界をリードしてきた平山ユージさん平山ユージさんは1969年生まれ。15歳でクライミングを始めてから瞬く間に頭角を現し、高校生にして国内トップクライマーの地位についた。17歳になるとアメリカで半年間のトレーニングを経験し、19歳でクライミングの本場に身を置くべく単身渡仏、マルセイユを拠点にヨーロッパやアメリカの難関ルートを制覇。
人口壁で行われる競技会に参加するようになると、1998年に日本人として初のワールドカップ総合優勝を果たし、2000年には2度目の総合優勝。53歳となった今も難関ルートを制し続け、国内外のクライマーから尊敬を集める現役のプロクライマーだ。
平山ユージさん。現役であり続けるとともに、後輩の育成とクライミングの普及にも余念がない。2010年に株式会社Base Campを立ち上げ埼玉県と東京都でクライミングジム3店舗を経営している。世界選手権など重要大会でのテレビ解説もわかりやすく大好評(写真撮影/前田雅章)
入間市に本店を構えるClimb Park Base Camp。ボルダリング壁とロープを使うルートクライミング壁を備え、国内でも最大級の規模を誇る。初心者からオリンピック選手まで多くのクライマーが通い、周辺の店舗にもにぎわいを与えている (写真撮影/前田雅章)
「二子山の岩場は、世界に比するポテンシャルがある」「小鹿野町に二子山を中心としたクライミングによる町おこしを提案したのが2008年。当時は形にならずすっかり忘れていたのですが、2018年に町会議員さんから突然電話をいただきました」と平山さん。
平山さんと二子山との出合いは1989年。渡仏中にクライミング仲間から「いい岩場がある」と教えてもらい、一時帰国して登ったときだった。クライミングできるルートは限られていたが、東岳と西岳からなる二子山の雄大さに、整備すれば海外の有名な岩場にも匹敵する場所となる可能性を感じたのだという。
しかし、クライミングルートの整備や開拓は、勝手にできるものではない。
「二子山の所有者の理解や、町の協力がないと成り立ちません。最初はクライミングエリアとして二子山のポテンシャルに引かれたのが大きかったですが、クライマーが訪れたり移住したりする経済効果や、クライミングというスポーツによる住民の健康やコミュニティ促進は、町の発展にも貢献できると確信して企画を提出しました。埼玉の郊外にある秩父、小鹿野町はどうしても少子高齢化が進んでいきますが、都心部からほど近い広大な自然は、町の貴重な資源。クライミングならその資源を十分活用できますから」(平山さん)
四季の道小鹿野展望台からの小鹿野町。晴れた日には百名山・両神山を望む。小鹿野町は日本の滝百選・丸神の滝、平成の名水百選・毘沙門水も有する自然豊かな町 (写真撮影/前田雅章)
町への提案から10年、「クライミングで町おこし」がスタート提案から10年ほどたった2018年、平山さんは小鹿野町観光大使を委嘱された。
「町会議員に当選したばかりの高橋耕也さんが、過去の企画書を見つけて電話をくれました。少子高齢化問題が明らかになってきたこと、東京オリンピック競技種目にスポーツクライミングが選ばれたこと、町の再生を志す若い世代の議員が当選したこと、いろいろな事柄がうまくはまったのがこのときだったのでしょうね」(平山さん)
そして、平山さんたちクライマーが町に通い続けていたということ。
「企画を提出したことをすっかり忘れていましたが、頻繁にクライミングには来ていました。顔なじみになった、『ようかみ食堂』の店主が高橋議員とつないでくれました」(平山さん)
平山さんは、早速二子山でクライミングエリアの整備を進めるため、クライミング仲間と地元住民による小鹿野町クライミング委員会を2019年に発足。2020年には一般社団法人小鹿野クライミング協会とし、2022年現在は会長職を務めている。
一般社団法人小鹿野クライミング協会(撮影時・小鹿野クライミング委員会)メンバーを中心にしたボランティアが、草木をはらい、古くさびたボルトの打ち替えなど根気がいる地道な作業を重ねて、二子山に魅力的なクライミングルートを再生・開拓している(2020年5月)(写真提供/平山ユージInstagram @yuji_hirayama_stonerider)
また、同時期に町営クライミングジムのオープンにも、平山さんは深く携わることになる。
小鹿野町役場の宮本さんにお話を伺うと、「閉館が決定した県営施設の埼玉県山西省友好記念館を残してほしいとの地元の声を受け、町では再利用方法を検討していました。『クライミングで町おこし』を実行するタイミングと重なり、平山さんの全面協力のもと、初心者にも上級者にも楽しんでもらえる本格的クライミング施設が誕生しました」とのこと。
「両神山や二子山といった町自慢の観光資源は、天候に左右されやすい弱点があります。充実した室内施設があれば、国内外のクライマーが長期滞在をプランニングしてくれるきっかけになると考えています」(宮本さん)
唐代の寺院をモデルにした豪奢な記念館をリノベーションした「クライミングパーク神怡舘(しんいかん)」。取り壊すのはもったいない、と埼玉県から町が譲り受けて2020年7月オープン(写真撮影/前田雅章)
傾斜80度~130度のボルダリング壁8面を備える神怡舘。ロープクライミング用のスペースも用意して、二子山など外岩でのクライミングに向けた安全技術の講習も行う(写真撮影/前田雅章)
神怡舘の運営を任命された宮本さんの所属は「小鹿野町おもてなし課 山岳クライミング推進室」。「クライミングで町おこしをする」町の本気度が垣間見える部署名だ。クライミング経験なしだった宮本さんにとっては若干無茶振り人事だったものの、2年でインストラクターも務められるようになったそう。
「クライミングは小中学校の体育の授業にも採用されていて、ハマって通う生徒も多いですよ。職場のクラブ活動としての利用も盛んです」と宮本さん。「クライミングは老若男女が楽しめる素晴らしいスポーツ。ルートごとにレベルが設定されているので目標を決めやすく、お年寄りでも無理なく続けられます。小学生と大人がここで友達になって、競い合い励まし合う姿も日常の光景。神怡舘は住民の健康増進とコミュニティづくりに、とても大切な場所になっています」(宮本さん)
「国内でも有数の規模で、ルートセットも一流です」(平山さん)。学校の授業をきっかけに、将来の活躍を期待されるスーパーキッズも出てきている。取材当日もスーパーキッズが、「ここで友達になった」という20代の社会人らとグループでルートの攻略を研究していた(写真撮影/前田雅章)
二子山への入山者が1.7倍に。コロナ禍で増加の事故にもクライマーの知見を活かす2019年に約4000名だった二子山の入山者数は、2021年に約6800名と急増した。コロナ禍によるアウトドアブームの影響もあるが「2018年までも4000~5000人程度でした。入山者全員がクライマーとは限りませんが、クライミング専門誌に二子山新ルートが紹介された途端、一気にクライマーが増えた実感があります」(宮本さん)
2022年のゴールデンウイーク前後は「びっくりするほど多くのクライマーが二子山に来てくれました」と平山さん。「クライマーの飲食店や温泉の利用も増えて、喜んでいます」(宮本さん)
一方で、一般登山者による事故の増加も顕著になった。
「コロナ禍でアウトドアを始める人が増え、さらに接触を避けての単独行動も増えたことが大きな要因です。上級者と安全確保しながら登るクライミングよりも、ハイキングや登山での事故が圧倒的に多いのです」(宮本さん)
その対策として、町の消防署と小鹿野クライミング協会による情報交換会が開かれている。
「山をよく知るクライマーと救助のプロ、それぞれの立場から危険な場所やヘリコプター救助時の誘導方法などについて、実りある情報交換ができました。両神山や二子山などの大自然を、多くの人に安全に楽しんでもらいたいですね」(宮本さん)
平山さんたちクライマーの町おこし活動は、クライミングの枠をはみ出し始めている。
「今年の尾ノ内氷柱づくりには平山さんたちに協力してもらいました」(宮本さん)
尾ノ内氷柱は、尾ノ内渓谷の沢から水をパイプで引き上げてつくられる人工の氷柱群。高さ60m、周囲250mに及ぶ氷柱群がライトアップされた幻想的な風景は、冬の一大観光スポットだ。
「高所での作業は大変危険ですが、クライマーにはお手のものです。地元に恩返しできるいい機会でしたし、作業を任せてもらえるのもクライミングが町になじんできたからかと思うと、うれしかったですね」(平山さん)
「企画の打ち合わせやイベントの出演や、クライミング以外でもしょっちゅう町に来ています」(平山さん)
つり橋とライトアップの景観が美しい尾ノ内氷柱。鑑賞時期は例年1月~2月(写真提供/小鹿野町)
「小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの有名クライミングタウン」(平山さん)10代から世界の名だたる岩場を登ってきた平山さん。「小鹿野町を世界中からクライマーが集まる場所にしていきたい」と語る小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの街。例えば「イタリアにあるアルコ。100を超える岩場に数千のルートがあり、クライマーなら一度は訪れたい憧れの街です。滞在中はクライミングだけでなく、中世の街並みでの散歩や、おいしい食事やお酒も楽しめる。住民のクライミングへの関心も高いので、すぐに仲良くなれます」(平山さん)
「二子山の開発から数年たって、小鹿野町にもクライミングが浸透してきたように感じています。日本の小鹿野町が、欧米に並ぶクライミングスポットになる、未来へのルートが見えてきました」(平山さん)
「イタリアのアルコのレストランの壁にはトップクライマーの写真が飾られていて、僕も“ユージ!”と地元の人から声をかけられていました」(平山さん)。今は小鹿野町の小学生クライマーからも「ユージさん」と親しみを込めて呼ばれている(写真撮影/前田雅章)
アウトドア以外でも、小鹿野町には古き良き日本の姿がある。有名なのは江戸時代から続く庶民の歌舞伎。農家直売所には新鮮な野菜が並び、商店街では地酒・地ワインも手に入る。疲れた身体を癒やす温泉と、おもてなしが温かい飲食店も点在している。
江戸時代から庶民による歌舞伎が広まった小鹿野町。小鹿野歌舞伎として町内に6カ所ある舞台での上演のほか、各地で訪問公演も行っている(写真提供/小鹿野町)
昭和の面影を残す小鹿野町の商店街(写真撮影/前田雅章)
二子山は世界にも誇れるクライミングスポットとして成熟中だが、「町に宿泊施設がもっと必要」と平山さんの先への課題は明確だ。欧米のようにキャンプ場や自炊できる民泊、コンドミニアムが増えれば、長期滞在も気軽になってくる。
ほんの数年で進化を見せている小鹿野町のクライミングシーン。さらに注目が集まることで宿泊の整備も進み、滞在者や移住者が増え、小鹿野町出身のクライマーが世界で活躍していく、そんな未来もすぐそこなのかもしれない。
●取材協力
・小鹿野町
・Climb Park Base Camp
ワークとバケーションを組み合わせた「ワーケーション」、多くの人が興味を寄せていて、旅行サイトやホテルなどの宿泊施設でもさまざまなプランを目にするように。そんななか、あえて大自然など仕事をするには厳しい環境下でワーケーションをする「エクストリームワーケーション」を実践している人がいます。その“極限の仕事ぶり”を現地からお伝えします。
パソコンさえあれば、極限状態でも仕事はできる!エクストリームワーケーションを実践しているのは、株式会社ニットで会社員をしている西出裕貴さん。定額全国住み放題のサービス「ADDress」を利用し、その利用者仲間で「エクストリームワーケーション部」を結成、現在、部長を務めています。仕事はフルリモートということもあり、全国の複数の拠点で暮らしていますが、今回はエクストリームワーケーションの場所として長野県白馬村の河川敷で仕事をするというので、さっそくお邪魔してきました。
ほんとにここで仕事……? この日は白馬のコーヒー屋さん「 HAKUBA COFFEE STAND」の大石学さんも、コラボ動画をつくるために同席していました。プロにコーヒーを淹れてもらうとか、ちょっと何がなんだかわからない状況です(写真撮影/嶋崎征弘)
ワーケーションといっても、滞在先のホテルに缶詰になり、子どもたちや家族が遊んでいて、大人は都会と同様にPC前で作業に追われる――なんていう様子をイメージする人も多いはず。もともと、エクストリームとは「極限の」「過激な」という意味で、「エクストリームワーケーション」は直訳すれば、「過激な・極端なワーケーション」になります。単にワーケーションをするのではなく、ありえない限界の環境で働くということでしょうか。ちょっと過去の写真を拝見するだけでも、これで仕事になるの……? と疑問はつきません。
(写真提供/西出さん)
(写真提供/西出さん)
(写真提供/西出さん)
取材日、山の稜線は美しく、川のせせらぎは耳に心地よい、最高な環境でした。いくらPCとネット環境が整えば働けるとはいえ、これで働けるのでしょうか。西出さんとともにエクストリームワーケーション活動をする仲間のヒョンさんにも話を聞いてみました。
澄み渡った青空と眩しい太陽。心躍る環境です(写真撮影/嶋崎征弘)
会社員でありながら、多拠点生活を送る西出裕貴さん(写真撮影/嶋崎征弘)
「大自然のなかにいると、それだけで幸福度が上がるという研究もあるほどですし、景色や環境からインスピレーションを得られることも。例えば、一般財団法人たらぎまちづくり推進機構(熊本県多良木町)と『ADDress』が連携して3日間にわたってさまざまな講座を行う『たらぎつながるDAYS』という関係人口創出プロジェクトを行ったときに僕も講師を務めたのですが、そのなかで『楽しく働けるワーケーションマップを作ろう』というコンテンツのアイデアにつながりました。こんな環境下だからこそ、仕事の考え事やアイデア出しが捗るし、展開や構想を練ることができると思っています」(西出さん)
ヒョンさんも、「自然の環境のなかだと、考えごとや何気ない会話がよい仕事、企画につながる気がしますね。ただ、メールの返信やオンライン会議などの、『作業』的なものは近くの屋内のワークスペースを利用しています」と続けます。
「『エクストリームワーケーション』と聞くと、“極限状態で働くワーケーション”という印象を持つ方が多くいますが、極限状態でなくても大丈夫です。エクストリームワーケーションとは、自分の好きな 、あるいは心地良いワークスタイルを探究していくこと。“極限”は人によって異なります。今までやっていないこと、あるいは普段の働き方を一段深めてみることも一種の“極限状態”です。なので普段の働き方と異なるワークスタイルをすることはもちろん、ガジェットや音楽、コーヒーなど働く中で自分の好きなもの・これなら楽しく働けそうと思うものを取り入れてみることも、立派なエクストリームワーケーションです。ぜひ、できるところから、楽しみながらワクワクするワークスタイルを探究してもらえたら嬉しいですね」(西出さん)
1回あたりのエクストリームワーケーションは1時間から2時間程度で終えて移動し、屋内のワークスペースに移動することが多いそう。ワクワクする、気持ちが晴れやかになる環境やアクティビティを選ぶことが多いといいます。そのため、アウトプットの質が大切になる「クリエイティブ」「思考型」の仕事がより向いていると解説します。
左のヒョンさんは、IT企画職・マーケティング職で現在はフリーランス(写真撮影/嶋崎征弘)
父の余命宣告で考えた、働くことと場所、移動の意味今でこそアクティブにストレスなく仕事をしている西出さんですが、もともとは多くの人と同様に、仕事漬けの日々だったといいます。
「都内のシングル向け物件に暮らして、朝出社して深夜の日付が変わるころに帰宅、土日は眠って夕方にぼんやり家事して夜は遊びに行って……そんな生活を送っていまいた。転機になったのは、父の余命宣告です。大病を患い、あと1年と宣告されたんです。僕は関西出身なので、年に2回帰省していたんですが、単純に考えれば会えるのはあと2回。そのとき今のこの働き方でいいのか、自分は幸せなのか、すごく考えて、考え抜いて、フルリモートワークの会社に転職したんです」(西出さん)
眼下に流れる川のせせらぎが心地よく、日ごろのイライラ、モヤモヤを洗い流してくれるよう(写真撮影/嶋崎征弘)
お父様の余命宣告をうけ、転職という大きな決断をした西出さん、さっそく大阪と東京の2拠点生活をはじめ、ワーケーションにもチャレンジしていたそう。そんなさなかの2020年、新型コロナウィルスの流行に伴い、移動が制限される状況になってしまいます。
「移動できなくなってしまって、狭い空間で仕事することが増えました。ここであらためて、働き方はもちろん、自分は行動を制限されることがつらいのだな、と痛感しました。家族であっても、いつも同じ空間にいなくてはいけないのはストレスも大きい。同時に仕事のパフォーマンスも落ちることを痛感しました」(西出さん)
転職のきっかけとなったお父様を無事に見送り、現在では全国の感染状況を鑑みつつ、さまざまな場所で多拠点生活を送っています。
「スーツケースとリュックに荷物を詰めて、移動して暮らしています。大阪の実家に帰るのは衣替えのときくらいですね(笑)」
一方のヒョンさんは、現在、夫と二人暮らし。コロナ禍をきっかけに完全在宅勤務となりましたが、家以外のくつろぎの場所を求めて、2021年から「ADDress」で多拠点生活をスタート。そして「エクストリームワーケーション」を体験するなかで、なんと会社を退職することを決断し、現在はフリーランスになりました。
大自然を背景に記念に一枚。繰り返しますが仕事中の1枚です(写真撮影/嶋崎征弘)
ちゃんと仕事にも集中します(写真撮影/嶋崎征弘)
「会社はフルリモートOKで、お給料の不安もなく、安定・安心なのはわかっていたんですが、ぜんぶ守られているでしょう。そこから一度、飛び出してみたくて(笑)」と決断した理由を話します。
なんでしょう、一度、「エクストリームな状態」で働いてしまうと、オフィスビルに通って仕事をするというスタイルに戻れなくなるのでしょうか。「どこでもできる!」というのが大きな自信につながり、変化を恐れない人になれる、そんな魅力があるようです。
パフォーマンスアップ、ストレス減、プライベート充実……といいことづくめエクストリームワーケーションを通して西出さんが実感したのは、「自分の好きな、あるいは心地良いワークスタイルを自ら主体的に選べることが働く上で最も豊かな気持ちになること」
(画像提供/西出さん)
「決められた時間に決められた場所に行って、時間になったら帰るのが当たり前になっていますが、でも、本来、人って心地よく働ける時間も場所も違うでしょう。朝型の人もいれば、超夜型の人もいる。別に都会の高層ビルで働かなくてもいい。好きな場所で好きなように働くことができれば、もっと多くの人が幸せになれると思うんです」と話します。
ほかにも、エクストリームワーケーションの良さとして、「ボーダレスなので、一緒にエクストリームワーケーションをするメンバーは社外の人でもOK。他の会社の方・職業が異なる方・あるいは実際にその地域に住む人としてもよいので、地域の人とのつながりができること」を挙げてくれました。
「今回のエクストリームワーケーションの極限ポイントは、“コーヒー”と“リモートワーカーと働くスタイルが正反対の白馬のコーヒー屋さんとコラボをすること”でした。『HAKUBA COFFEE STAND』学さんは、ADDressで白馬を訪れるようになったことで繋がった友人で、コーヒーに対するこだわりや新しいものをどんどん取り入れて追求し、継続していく姿にいつも尊敬の念が尽きません。この絶景の中、尊敬する学さんがセレクトしたコーヒーを飲んで仕事をしたら絶対楽しいだろうなぁと思ったし、学さんもYouTube配信でいろんな人とコラボしたいと話していたので、もしかしたらWin-Winの関係になるかもと思って、今回コラボ打診しました。そしたら『いいね!やろう!』と二つ返事でOKをもらえたので、嬉しかったですね」(西出さん)
「HAKUBA COFFEE STAND」の大石さんが淹れてくれたコーヒーでひと息(写真撮影/嶋崎征弘)
ヒョンさんは、大きなストレスにもなる人間関係のあつれきが減ることも挙げます。
「この環境だとノーストレスなんです。出社している時のように会社の人に気を使ったりすることもなく、ストレスを感じそうな時も自然が緩和してくれます。また、複数の拠点で働くので、複数のコミュニティとつながっていられる。何か嫌なことがあっても、別のコミュニティの人と話してると、大した悩みじゃなかったなと、気にならなくなるんですよ」と朗らかです。
豆を挽いて挽きたてコーヒーを淹れてもらう。この日、大石さんはYouTubeでライブ配信をしていました(写真撮影/嶋崎征弘)
静岡県出身の大石さん。白馬の環境に惹かれ、移住してきた一人です(写真撮影/嶋崎征弘)
地方ならではの出会いがある多拠点生活。多数の人と接点ができることで、人間関係のストレスが減るといいます(写真撮影/嶋崎征弘)
外で飲むコーヒーはまた格別です!(写真撮影/嶋崎征弘)
エクストリームな環境下でも仕事ってできるんですね(写真撮影/嶋崎征弘)
もちろん、現在の世の中で「エクストリームワーケーション」ができる業種・業態は限られています。ただ、テレワークをできる人が、「エクストリームワーケーション」や「ワーケーション」を導入することで、渋滞や混雑が緩和できたり、繁忙期の負荷が軽減され、結果としてすべての働く人の幸せ度があがるのかもしれないなと思えました。
かつてない感染症を経験した今、「定時出社」「満員電車に揺られる」「都会のビルで長時間労働」のようなかつてのノーマルには戻らないかもしれません。働く場所や暮らしはもっと自由でいい。なんなら、自分達で好きな心地良いワークスタイルをつくってもいい。だとしたら、西出さん、ヒョンさんのように、変化を楽しんだもの勝ち、なのかもしれません。
(写真撮影/嶋崎征弘)
●取材協力
エクストリームワーケーション
西出 裕貴さん(note)
ヒョン さん
HAKUBA COFFEE STAND
近年、世界的にも注目を高めている“禅”。精神を統一して真理を追求する仏教・禅宗の教えが広まったことで、日常生活にも取り込まれていきました。高尚で精神的なものをイメージしてしまいがちですが、禅の教えを楽しみながら、五感で体験できるミュージアムがあることをご存知でしょうか? 広島県福山市にある「神勝寺 禅と庭のミュージアム」では、広大な境内に点在する建築物を巡りながら、禅の教えに触れる体験ができると聞き、実際に体験した様子をレポートしたいと思います。
あの有名建築家の建築も! 建物自体が展示作品境内全体図(提供:神勝寺)
緑豊かな山道を登った先に見えてくる総門をくぐると、建築史家・建築家 藤森照信氏が設計した寺務所、「松堂」が出迎えてくれます。
屋根に植えられた松の木は、藤森氏が「禅と縁の深い」木として選んだもの。もちろん、勝手に生えてきてしまったのではなく、デザインされた外観なんです。
藤森氏といえば、屋根にタンポポを植えた自邸の「タンポポハウス」や故・赤瀬川原平邸「ニラハウス」をはじめ、建築に直接植物を植えるデザインに繰り返し挑戦しています。
「松堂」外観。
面で構成された外観は現代的でありながら、屋根比率の大きなデザインなど古建築の要素も随所に見られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
松が屋根に植えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
一見すると突拍子もないおふざけのようにも見えてしまいますが、実は「芝棟」と呼ばれる屋根から植物を生やした日本古来の住宅形式に着想を得たもの。それもそのはずで、藤森氏は建築家でありながら、建築史家として長年古建築の研究に携わってこられました。
松堂に植えられた松は、自然と共に生きてきた日本人の知恵を、現代に蘇らせたデザインなんです。
軒下の天井と壁を一体化させた継ぎ目のない漆喰による面のつくり方も、日本古来の手法を現代的に再解釈したデザイン。新しくもありどこか懐かしい温かみを感じる藤森氏の建築は、温故知新を体現するミュージアムに来訪者を招き入れるゲートの役割に、これ以外ないと思わせるバランスで応えていました。
軒を支える列柱も、一本一本形状の異なる木材を用いる伝統的な手法(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
自然と共にある庭も禅への入口松堂の眼前に広がる「賞心庭」は、作庭家・中根史郎氏が手掛けたもの。池の周りを巡り楽しむ回遊式の庭園で、四季折々の草花を愛でることができる見どころが随所に施されています。
この池を挟んで松堂と正対するように立っているのが茶房「含空院」。こちらはもともと滋賀県にある永源寺より移築されたもので、築350年以上の歴史をもった茅葺きの建築です。維持管理の手間がかかる茅葺きですが、美しく保たれているのが印象的です。含空院では庭園を眺めながらお茶や甘味をいただくことができます。
神勝寺には含空院のほかにも、年代も様式も用途もバラバラな多くの建物が各地から移築され境内に点在しています。「神勝寺 禅と庭のミュージアム」は、もともと臨済宗の寺院として築かれていた境内に、含空院をはじめいくつかの建築を移築し、また新たな建造物を建ててオープンしました。
寺院建築では他の寺院から建造物を譲り受け、移築すること自体は昔から行われてきましたが、これだけたくさんの建築物を移築し、また新築して境内全体を刷新するのはあまり例のない試みといえるでしょう。庭や美術作品のほか、建築物も含めて禅の体験を提供する「ミュージアム」というコンセプトだからこそ、建物自体もミュージアムを構成する作品の一部として、様式や宗派といった個々の建築が有する背景と矛盾なく同居させることが可能なのかもしれませんね。
自然そのものと、デザインされた植栽・建築が見事に調和した「賞心庭」(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
含空院の縁側からは、賞心庭の全景を見通すことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
永源寺では歴代の住持の住まいだった含空院は茶房に用途を変えて来訪者を迎える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
25分のインスタレーション作品で禅を体験賞心庭から松堂の脇を抜け坂を登っていくと、多宝塔が見えてきます。そこからさらに歩を進めると、神勝寺最大の目玉ともいえるアートパビリオン《洸庭》が出迎えてくれます。
彫刻家・名和晃平氏率いるクリエイティブ・プラットフォーム、Sandwichが制作した《洸庭》では、約25分間の禅をテーマにしたプログラムが用意されています。
右手に見える多宝塔の屋根からは相輪が延びる。宗教建築のパターンを踏襲したデザイン(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
洸庭の周囲にも広大な庭園が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
係員の誘導に従って一連のプログラムを体験することで、誰でも禅のエッセンスに触れることができるアート作品です。このように作品として体験する空間や場所はインスタレーションと呼ばれ、現代アートの表現ジャンルとして発展してきました。
お寺にアート作品? と意外な気もしましたが、よくよく考えてみると、古くからお寺は芸術が生まれ、人々の目に触れる場として機能してきました。博物館で観ることのできる美術品にも、お寺でつくられ、使われていたものが多く展示されています。いまの時代であれば現代アートがお寺に展示制作されることは、むしろ自然な流れといえそうです。
《洸庭》は内部のインスタレーションはもちろん、建築としても見応え十分。広い庭に舟形の建物が浮かぶように立つ様子からは、浮世離れした印象を受けますね。建物全体を包むように、伝統建築の屋根に多用されてきたこけら葺きと呼ばれる技法で木材が施されており、全体のプロポーションとも相まって巨大なお堂のようにも見えます。船を模した造形は、ミュージアムの運営母体である造船会社から着想を得たデザインで、インスタレーションの内容とも連動しているんです。
船底に潜り込むように作品の中へ(Photo :Nobutada OMOTE | SANDWICH)
特定の用途のために建てられる建築も、多様な使われ方を想定してある程度融通の利くように設計されるのが一般的です。ここでは、一つのインスタレーション作品の体験の場を創出する目的のみに特化することで、独創的なデザインを実現しています。
うどんをすする禅体験? 修行僧のごちそうをいただきますお昼時には「五観堂」に立ち寄りましょう。ここでは、普段は食事も修行の一環として厳しく制限されている修行僧・雲水にとって一番のごちそうである、湯だめのうどんをいただくことができます。
ただうどんを食べるだけではないのが神勝寺の面白さです。ここにもまた禅の教えに触れる工夫が。
配膳を前に、食事の作法を教えてくれます。本来であれば食事中ですら音を立ててはいけない雲水も、うどんを食べるときだけは豪快にうどんをすすり音を立てて食べることが許されているのだそうです。
厳しい修行における束の間の解放感、その疑似体験を通じて、雲水の修行に思いをはせることが禅を体感する足掛かりになるなんて不思議ですね。
うどんがゆで上がるのを待つ間、雲水の食事作法を聞かせてもらう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
太くコシの強い神勝寺うどん(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
五観堂からさらに先へ進むと、「秀路軒」、その先には「一来亭」が見えてきます。どちらも茶室・数寄屋研究の泰斗である中村昌生氏が携わり再現/復元された茶室。いずれも千利休に縁のある建築で、合わせて見学することで利休の追求した美の一端に触れることができます。
表千家を代表する書院「残月亭」、茶室「不審菴」を、古図を手掛かりに中村昌生氏の設計で再現した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
一来亭の奥には一頭のロバが飼育されています。その名も一休。禅宗において門弟のことを目の見えないロバ、瞎驢(かつろ)と呼ぶことからロバは禅宗と縁の深い動物なのだとか(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
庭園にも美術品にも潜む禅の思想それらを後にしてさらに登っていくと一気に視界が開け、広大な枯山水庭園が広がる頂上へと到達します。この庭園は「足立美術館」の庭園作庭などで知られる中根金作氏によるもの。総門からここへたどり着くまでに仕掛けられたさまざまな工夫と対比されるように、要素が限定され白い砂利が一面に広がる空間に身を置くと、邪念が吹き飛び心が洗われるよう。「禅と庭」をテーマにしたミュージアムのクライマックスにふさわしい庭園空間です。賞心庭を手掛けた中根史郎氏は息子でもあり、境内を上下に挟むように親子共演を楽しむことができるようになっています。
枯山水庭園「阿弥陀三尊の庭」と鉄筋コンクリート造の「荘厳堂」が美しく調和する(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
自然との調和を図る賞心庭とは対照的に、人為的な印象を強く受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
また荘厳堂に展示される禅画・墨跡は《洸庭》と並ぶミュージアムのもう一つの目玉。その中心は江戸時代中期に臨済宗を中興した禅師白隠のコレクションで、ユーモアも交えた魅力的で多彩な作品が展示されています。誰もがその写真を見たことのあるような有名な作品を、その思想の発信基地である臨済宗の寺院で鑑賞できる貴重な体験です。
約200点にのぼるコレクションから定期的に展示が入れ替えられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
全身で体感し、持ち帰る禅体験本堂から階段を下りる視線の先には、建物一つ見えない自然豊かな景色が広がっています。人里離れた静かな境内で、草木に囲まれて自然の声に耳を澄ますのもまた禅との接点になっているんです。
こうして建物を見て歩き、境内を巡るだけでも、禅の思想を頭ではなく、楽しみながら体で体験することができるのがこのミュージアムのすごいところ。ほかにも写経や坐禅体験のプログラムも用意されていて、訪問者の時間に合わせた禅体験ができるようになっています。
ひと通り回った後は、浴室で汗を流しましょう。ここでは入浴中に口に含むための飴玉が配られます。口内の飴玉に意識を集中させることで雑念を振り払う、瞑想の訓練としての飴玉なんです。
「阿弥陀三尊の庭」からの見下ろし。緑豊かな自然に包まれるだけでも心身ともにリフレッシュできる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
内省を促すように照明が抑えられた浴室(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
「神勝寺 禅と庭のミュージアム」では、大掛かりなインスタレーションアートから、うどんの食事や入浴といった日常生活と地続きのものまで、さまざまな場面を通じて禅の思想に触れることができます。
それは単にこの場所で禅の体験をするにとどまらず、日々の暮らしの中で禅を意識し、暮らしを見つめ直す第一歩となることを意図したもの。
禅の思想は最近ではビジネスの世界でも注目が集まっていますが、それ自体は臨済宗の教えからエッセンスを抜き出して、ビジネスへの活用を考えようとする動きです。素人目には、仏教の思想をそんなふうに都合よく扱って良いものだろうか? と思ってしまいますが、時代が変われば宗教の存在価値もまた変わっていくもの。むしろ積極的に日々の暮らしに役立ててほしいと、多様なプログラムが用意されていることに驚きました。
そしてそのプログラムを伝える媒体となる建築もまた、求められるニーズに合わせてアップデートされ、新しいデザインの可能性を切り開いていました。
禅と庭、そして美術と建築、これらが一体となった神勝寺は、建築好きあるいは美術好きでなくとも、新しい発見を得ることができる、皆に開かれたミュージアムでした。
●取材協力
神勝寺
国土交通省はタクシーの「相乗りサービス」制度を2021年11月から導入した。その仕組みやメリットとは? 今後「相乗りサービス」はどこに住んでいても使えるようになるのだろうか? 先陣を切って参入し、実際に同サービスを2022年2月24日から開始した、タクシーの相乗りサービスを手がけるNearMe(ニアミー)の髙原幸一郎社長と、事業開発担当の真弓聖悟さんに話を伺い、今後の展開を探った。
アプリなどを使い同乗者をマッチングするサービス国土交通省が2021年11月から導入したタクシーの「相乗りサービス」制度とは、配車アプリなどを使い、目的地が近い利用者同士をマッチングして、タクシーに相乗りできるようにする制度。従来は客同士が事前に相談して相乗りするケースはあっても、システムとして運用されるのは初めてとなる。国としては、このサービスによってタクシー事業者の生産性向上を図るのが狙いだ。
(写真提供/NearMe)
(画像提供/NearMe)
原則として乗車距離に応じて利用者ごとに料金が案分される(下図参照)。そのため利用者としては割安にタクシーを利用できる。これまでタクシーの相乗りといえば、多くは同じ方面を利用する知り合い同士での利用に限られていたうえ、先に降りる人が最後まで乗る人に「なんとなく案分」して支払っていたが、このサービスを利用すれば明朗会計できるというわけだ。
(画像提供/国土交通省)
さらに「自宅から勤務先など、相乗りタクシーによるドアツードアが普及すれば、朝晩などの需要の多いときに配車ができない状況を減らすことができ、相乗りをすることで環境負荷の削減になります。また電車やバスなど公共交通機関の混雑の解消にもつながりますし、東日本大震災の時のように災害等で公共交通機関が止まってしまった場合、『自由に移動できる車』をシェアすることで、たくさんの人が恩恵を受けやすくなります」とNearMe(ニアミー)の髙原社長。
同社はタクシーの相乗りサービス解禁を受けて、いち早く2022年2月24日から「nearMe.Town(ニアミータウン)」を開始した。サービスエリアは東京都の中央区・千代田区・港区・江東区の4区だ。同社は従来から自宅やホテルと空港をドアツードアで送迎する「nearMe.Airport(ニアミーエアポート)」サービスなどを展開している交通関連サービス事業者だ。
タクシーの相乗りサービス「ニアミータウン」を利用するには、まず専用アプリやウェブサイトからの会員登録が必要だ。その後アプリやウェブサイト上で利用したい日時と乗降場所を設定する。すると24時間以内に配車可否のメールが届くので、あとはそれを見て利用する。支払は登録しておいたクレジットカードで乗車後に決済されるので、誰一人タクシー内で財布を出す必要はない。
(写真提供/NearMe)
(画像提供/NearMe)
電車やバスよりも同乗者を特定しやすいので安心実際どんな人が利用しているのだろう。同社の真弓さんによれば「ニアミータウンの利用者の約40%は通勤や通学に利用される方です。また買い物や子どもの塾への送迎など、昼間の利用も意外と多いようです」という。
利用者からは「一人でタクシーを使うより安く使えて便利」という声だけでなく、「通勤時のストレスが緩和された」「乗り替えをしなくていいから便利」「コロナ禍で混雑を避けたいが、これなら安心」といった声が上がっているそうだ。
(写真提供/NearMe)
一方で「どれくらいの金額や時間で利用できるのかわからない」「相乗りはなんだか不安」といった声もあるという。これに対して同社では「申し込み画面に『このくらいの距離なら料金はこれくらい』といった事例を挙げるなど、利用イメージが湧きやすいよう随時改善しています」(真弓さん)。さらにサイトには問い合わせ用のチャットも用意されている。
また、見知らぬ人とのタクシーの相乗りは、確かに不安に思う人も多いかもしれない。しかし「会員登録は2段階認証ですし、いつ誰がどこで乗ったか把握できます。電車やバスも、広い意味で『相乗り』ですが、それらよりも追跡しやすいサービスです」(真弓さん)。決済とつながっていることからも、素性のわからない人が利用することがなく、万が一の際でも、相手を特定することが容易というわけだ。
「実際ニアミータウンより先に、私たちは約2年前から空港と自宅やホテルを結ぶ同様の相乗りサービス『ニアミーエアポート』を運用していますが、これまでにトラブルは起きていません」(真弓さん)
公共交通機関のほかに「割安に乗れるタクシー」が加わったタクシーの相乗りサービス制度がもたらす恩恵を考えるためにも、既存の交通機関との相違点をもう少し細かく見てみよう。まず従来のタクシーとの違いは先述の通り「安く利用できる」という点だ。一方複数人で利用するため、一人で乗るよりも多少到着時間は読みにくくなる。ただし「ニアミータウン」のAIが、何人かいる利用者の中から最適なマッチングと、それによる最適なルートを提示するので、それほど心配する必要はないだろう。
また電車やバスといった公共交通機関よりも時間や乗降場所の融通が効き、混雑した車内とも無縁であることは言うまでもない。
(写真/PIXTA)
一方で最近流行の「ラストワンマイル」の乗り物、例えばシェアリングの自転車や電動キックボードなどと比べると、長距離を移動できるという違いがある。現状「ニアミータウン」の利用者は5km前後の移動にこのサービスを使うことが多いという。電動キックボード等で移動するにはハードな距離だし、特に雨の日はタクシーのほうが楽だ。そもそも「ラストワンマイル」とは駅や停留所からの「あとワンマイル」なのだから。
「今はサービスエリアが4区のみですが、今後エリアが拡大すればもっと利用距離が延びる可能性はあります」(真弓さん)
ちなみに以前紹介したシェアリングのタクシー利用サービス「mobi」も、特定エリアの半径2km以内が基本のラストワンマイルサービスだ。そのため同じタクシーでも、自宅と勤務先のドアツードアで利用できる「ニアミータウン」とは自然と利用目的が異なる。
またカーシェアリングと違い、車を取りに行ったり、行き先で駐車場を探したり、そもそも自分で運転する必要がないのもタクシーの相乗りサービスの特徴だ。
つまり「タクシーの相乗りサービス」は我々利用者にとって、文字どおりタクシーの利便性をそのまま享受でき、多少時間は読みにくくなる可能性はあるが、利用料金が安くなるというサービス。ラストワンマイルの乗り物とは距離がまったく違うため、公共交通機関とは違う新たな移動の選択肢が増えた、あるいはタクシーの新しい利用方法が生まれた、と捉えるとわかりやすいだろう。
(写真提供/NearMe)
新しい街づくりに欠かせない!?タクシー相乗り先述の通り、現在は中央区・千代田区・港区・江東区の4区でサービスが展開されている「ニアミータウン」だが、今後は「なるべく早い時期に東京都の23区にサービスエリアを広げていき、将来的には全国各地で展開したいと考えています」(髙原社長)という。
「ただし人口密度が低く、シェアする人が少ないエリアでは現状のビジネスモデルでは成り立ちません。過疎地での高齢者の通院など、顕在化している社会問題をこのサービスを使って解決したいと考えていますが、そういったエリアでは行政とタッグを組むなど、プラスアルファの施策を考える必要があります」(髙原社長)
一方で「これから生まれる新しい街」には、最初から「ニアミータウン」が利用できる可能性があるかもしれないという。現在「ニアミータウン」は三井不動産とShareTomorrowが提供しているモビリティサービス「&MOVE」と連携しているが、実はこうした不動産ディベロッパーとのタッグが、「移動が便利な新しい街づくり」にひと役買いそうなのだ。
(写真提供/NearMe)
三井不動産とShareTomorrowの「&MOVE」は三井不動産が手がけたホテルやマンション、商業施設等の利用者に提供されているもので、例えば自宅マンションから商業施設へ行く際に、これまで専用アプリを使ってタクシーやカーシェアリング、シェアリングサイクルといった「移動手段」を提供していたのだが、その選択肢の1つに「ニアミータウン」が加えられた。
ここから見えてきたのが、駅から多少離れているマンションでも、タクシー相乗りサービスがあれば移動の不安が解消されるというメリットだ。例えば「眺望はいいけれど駅から少し離れたエリア」にも、マンションが建てられる可能性があるというわけだ。そうなると『徒歩何分』という従来のマンションの価値の1つが希薄になる。
しかも大規模なマンションほどシェアする人が増える、つまり人口密度が高くなるので、タクシー相乗りサービスはその利便性を発揮しやすい。また大規模なマンションができれば、近くにレストランやスーパーをはじめ、様々な商業施設もできるだろうし、そうなればちょっとした街が1つ出来上がる。そんな「これから生まれる新しい街」づくりに、タクシー相乗りサービスがひと役買う可能性があるというわけだ。
タクシーの新しい乗り方は、単に利用料金を安く抑えられるというメリットがあるだけでなく、新しい街を作る可能性も秘めている。今後どんな場所に「移動が便利な新しい街」が生まれるのか、注目してみたい。
●取材協力
株式会社NearMe
nearMe.Airportサービスサイト
nearMe.Townサービスサイト
改札口から出ると、鎌倉や辻堂、藤沢に代表されるようないわゆる「湘南」の華やかさとは異なるゆるりとした空気が流れる二宮駅。「湘南新宿ラインで大磯と国府津の間」といえば、何となく海沿いのまちを想像いただけるだろうか。神奈川県二宮町(にのみやまち)は、5年ほど前から少しずつ「ものづくり」を好む人たちに支持されて移住者が増え、転入人口が転出人口を上回る年が増えているという。今、二宮で何が起きているのか。小さなまちの中で暮らす人とその営みを、美しい海と里山の風景とともにお届けする。
「幸福の本質が二宮にある」と気づいた、不動産会社の2代目吾妻山の中腹から二宮駅と相模湾を望む。自然と人の営みとが美しく調和している(写真撮影/相馬ミナ)
“二宮”といえば最初に名前が挙がる人、それがまちの人が「プリンス・ジュン」と呼ぶ太平洋不動産の宮戸淳さんだ。宮戸さんは父が創業した不動産会社の店長として、日々、二宮の住まいやまちの魅力をブログで発信し、イベントがあればプリンス・ジュンとして参加し、場を盛り上げてきた。
太平洋不動産の宮戸淳さん。父が創業した不動産会社の店長をしている(写真撮影/相馬ミナ)
町内のイベントなどの際には「プリンス・ジュン」として登場し、場をわかせる(写真/唐松奈津子)
宮戸さんは生まれも育ちも二宮。高校を卒業してから千葉の大学に進学し、東京の不動産会社に就職した。「10年間、二宮を離れたことで地元の良さを再認識した」と言う。
「僕は、都心ではお金を使うこと、つまり消費によって心を満たしていたと思います。ところが、二宮に戻ってきて、日常生活の中で目に入る風景に癒やされていることに気づいて。自然を身近に感じて心が満たされる、幸福の本質はここにあると思いました」(宮戸さん)
町の南側は海。ちょっとした街角にも海の気配を感じることができる(写真撮影/相馬ミナ)
一つのパン屋の存在で「人の流れが変わった」しばらくは東京にいたころと同じ感覚で不動産の仕事をしていた宮戸さん。その意識を大きく変えたのが、今や二宮を代表するお店となった小さなパン屋「ブーランジェリー・ヤマシタ」の店主、山下雄作さんとの出会いだった。
「もともと山下さんは会社員をされていて、静かな場所で暮らしたいと10年前に茅ヶ崎から二宮に移住してきた方。お住まいを私が紹介したんです。その2年後、8年ほど前に山下さんが誰も見向きもしないような放置された空き家を見つけて『ここでパン屋をやりたい、所有者さんに当たってほしい』と相談されました」(宮戸さん)
山下さんはその空き家をたくさんの人の力を借りながらもできる範囲で自分の手でリノベーションした。出来上がった店舗を見たときのことを思い出し、宮戸さんは「こんなオシャレなお店が二宮にできるなんて衝撃だった」と言う。
取材に訪れた日も、店の前には「何を買おうか」とパンを楽しみに待つ人の行列ができていた(写真/唐松奈津子)
「食堂」と呼ぶイートインスペースは、信頼できる大工さんとともに倉庫だった場所をリノベーションして雰囲気のあるすてきな店舗に改装(写真撮影/相馬ミナ)
ハード系のパンが中心に並ぶ店内。午後早めの時間には売り切れていることもしばしば(写真撮影/相馬ミナ)
「ブーランジェリー・ヤマシタはおいしいパン、オシャレなお店というだけでなく、二宮の人の流れそのものを変えました。店内では展示会や演奏会などが開催され、日々の暮らしにアートや音楽を取り入れながら、心豊かに暮らそうとする人たちが集まるようになったんです。お店一つで地域の価値が変わった、と感じた瞬間でした」(宮戸さん)
空き家の入居者をプレゼン方式で募集山下さんのような人が増えれば、まちの価値自体がどんどん上がっていく。町内には、まだ放置されている空き家がいっぱいある。そのことに気づいた宮戸さんは「自分のまちの見方、不動産との関わり方自体が変わっていった」と話す。
まず、町内に点在する空き家について、プレゼン形式で入居者を募集することにした。現在、諏訪麻衣子さんと養鶏も営む農家が一緒に営業しているお店「のうてんき」も、その一つ。当初は、宮戸さんが空室になった平屋をコミュニティスペースにする目的で地域の人たちと一緒にリノベーションし、「ハジマリ」という屋号でお店を開いてみたい人たちに貸したり、ワークショップを開催したりしてきた。今はとれたての卵やオーガニック野菜などを農家が直接販売できる場所としてオープン。「二宮の農家さんを応援したい」と活動している諏訪さんと仲間たちがお店番をやりながら、その野菜と卵を使った料理を振る舞っている。
古い平屋を町内のアーティストがペイント。カラフルなガーランドとともに訪れる人を温かく迎えてくれる(写真撮影/相馬ミナ)
古い平屋を改装した「のうてんき」の店内(写真撮影/相馬ミナ)
外のテラスでも食事ができる(写真撮影/相馬ミナ)
二宮の農家がつくった、採れたて野菜が諏訪さんの手で美しく、体に優しい料理に。この日のランチメニューは2種類(お豆と野菜)のカレー(写真撮影/相馬ミナ)
以後、町内のさまざまな場所でマルシェが開催されるようになった。2016年、町と地域と神奈川県住宅供給公社が連携し、二宮団地の再編プロジェクトが始まったころから「二宮が面白いよ」という声が口コミで広がる。まさに転入が転出を超過し始めた5年ほど前から、宮戸さんも肌でまちの盛り上がりを感じられるようになってきたそう。それまでは何か面白いことがあれば首を突っ込んでは追いかけ、ブログで紹介してきた宮戸さんだが「町内の各所で自発的に面白い活動が展開・拡散し続けた今は、もはや自分の手に負えない」と笑う。
月に1つのペースで増えて続ける「壁画アート」で彩られるまちそんな宮戸さんが今、準備を進めているのが、2022年10月に開催予定のアートイベント「二宮フェス」だ。このイベント開催の背景には2年半前から「Area8.5(エリア・ハッテンゴ)」としてこの地域を盛り上げようという動きの中で、Eastside Transitionのアーティストである乙部遊さんと、ディレクターの野崎良太さんによる壁画アート活動がある。
彼らには「アートでこのエリアに彩りを与え、活性化し、他のエリアからも注目されたい。この活動を通じて、このエリアに住む若い世代に地元への誇りや愛着を持ってもらいたい」という想いがあった。そして、想いに共感したEDOYAガレージの江戸理さんが手始めに自宅の外壁に絵を描いてもらうことにしたのだ。
乙部さんがNYから二宮に移り住む前から、作品のファンだったという江戸さん(写真撮影/相馬ミナ)
自宅ガレージのシャッターと壁に乙部さんに絵を描いてもらったのがArea8.5内のアート活動の始まり(写真撮影/相馬ミナ)
このカッコ良さに注目をする人が増え、2人のもとには壁画制作の依頼が相次ぐようになった。創業109年を迎える地元の印刷会社、フルサワ印刷の真下美紀さんもその活動に魅せられた一人だ。壁画の完成後、若い人はもちろん、近隣に住む年配の人も会社の前を訪れては「よくぞ描いてくれた」と褒めてくれるのだと言う。
大正時代から続く老舗、フルサワ印刷の外壁。Eastside Transitionの作品が町内を彩る(写真撮影/相馬ミナ)
アメリカン雑貨を扱う「D-BOX」の看板(写真撮影/相馬ミナ)
町内の壁画は今も月に1カ所のペースで増え続けており、野崎さんによれば、2022年5月末時点で「既に18カ所目の壁画制作の予定まで決まっている」らしい。
Eastside Transitionが経営するアートギャラリー「8.5HOUSE」(写真撮影/相馬ミナ)
店内ではさまざまなアート作品やTシャツを扱う(写真撮影/相馬ミナ)
「オーガニック」「エコ」の流れは二宮のまちにとっての「必然」もう一つの新しい波として、宮戸さんは「オーガニック」「エコ」の流れが二宮に来ていることを挙げる。
「アーティストや編集者、映像製作などのクリエイターやものづくりに興味のある人、この景色に魅力を感じる人が集まってきました。二宮の自然が好きで集まった人たちなのでオーガニック志向やエコ意識が高いことは、ある種の必然と言えるかもしれません」(宮戸さん)
先に紹介した「のうてんき」で提供される料理も体に優しいごはんだった。さらに、そのテラスから畑と空き地を挟んだ向かいには、植物で囲われた独特のオーラを放つ古家がある。この家も宮戸さんがプレゼン形式で入居者の募集を行った物件だ。今はオーガニック製品の量り売りを行う「ふたは」の店舗として、天然素材の優しさと、手仕事のぬくもりや喜びに満ちた空間になっている。
ツタに覆われた「ふたは」の外観(写真撮影/相馬ミナ)
店のドアは植物に埋もれて、異世界への入口のよう!(写真撮影/相馬ミナ)
店内には量り売りの天然素材や食料品が並び、外観からは想像できないほど明るくて心地のいい空間になっている(写真撮影/相馬ミナ)
豊かな自然と東海道にはじまる新旧の営みが、未来をはぐくむ町を見下ろすことができる吾妻山、湘南の海を望む梅沢海岸などの美しい風景も、昔から変わらない二宮の代表的なスポット。50年以上前から町の北側を中心に28棟856戸(うち、10棟276戸は2021年3月時点で賃貸終了)を展開してきた神奈川県住宅供給公社の「二宮団地」では、再編プロジェクトによって町の魅力づくりや小田原杉を使った部屋のリノベーションを行うなど、新しい風も吹いている。自然と親しみの深い土地は、このまちで育つ子どもたちにも温かいまなざしを向けてきたことだろう。
約87haもの里山に開発された「二宮団地」。50年以上の時を経て、里山の美しい景色に溶け込んでいる(写真提供/神奈川県住宅供給公社)
近年の子どもたちや親子の居場所として注目したいのが、「みらいはらっぱ」だ。東京大学果樹園跡地の活用を町が計画し、2021年から地元企業が運営。貸し出しスペースを利用して、さまざまな企業・団体や個人がそれぞれのアイデアで参加・活用をしている。
「みらはらSTAND」では、平日に(一社)あそびの庭が子どもたちのサードプレイスを提供。土日はイベントやワークショップも開催されている。かわいいルーメット(キャンピングトレーラー)は、テレワークをはじめ多用途に使える子連れOKのシェアスペースとして運用を始めようというところだ。
毎週月・水・金曜日の10時~17時には、「はらっぱベース」として子どもたちの居場所事業を行う(写真撮影/相馬ミナ)
ルーメットがテレワークなどに使えるシェアスペースに改装され、子どもたちも興味津々(写真撮影/相馬ミナ)
二宮を訪れて出会う誰もが「人が優しい」と口にする。「ずっと住んでいた人も、移住して来た人も優しくて、新しい取り組みをみんなが応援してくれる」と。
江戸日本橋から、京都三条大橋までの東海道、その53の宿場を指す東海道五十三次で「8」大磯と「9」小田原の間にあるまち。Area「8.5」の由来はここにある。昔から多くの人が行き交い、交流してきた土地柄だからこそ、できた空気感なのかもしれない。その空気と自然をまとう二宮のまちに心地よさを感じた人たちが、日々の暮らしを営みながら、これからも新しい何かをつくり続けていくのだろう。
●取材協力
・太平洋不動産
・ブーランジェリー・ヤマシタ(Facebook)
・のうてんき
・8.5 House(Eastside Transition)
・EDOYAガレージ(Facebook)
・フルサワ印刷
・D-BOX
・ふたは
・みらいはらっぱ
・あそびの庭
・二宮団地(神奈川県住宅供給公社)
アスカネットが、過去5年以内に親などの家長を亡くした40代以上(465名)に「葬儀・相続に関する調査」を実施した。相続する財産の有無はわからないが、相続が発生した人が対象と考えられる。そんな相続を経験した人でも、6割以上が「相続登記の義務化」を知らないという。詳しく見ていこう。
【今週の住活トピック】
「葬儀・相続に関するアンケート調査」結果を公表/アスカネット
2024年4月1日から施行予定の「土地・建物の相続登記の申請義務化」とは、相続により不動産を取得したときには、名義人の変更をする不動産の登記をしなければならないということ。アスカネットの調査結果によると、2024年4月から相続登記が義務化されることについて、65.2%が「全く知らない」と回答した。一方「知っている」という回答は15.7%だった。
出典:アスカネット「葬儀・相続に関するアンケート調査」
相続については、法律で定められた相続分の割合に従って相続する「法定相続」があるが、生前に「遺言」などでどのように相続してほしいか伝えておくこともできる。また、相続する人が全員で遺産の分割について協議して合意する「遺産分割協議」というやり方で、法定相続分や遺言の内容と異なる割合で相続分を決めることもできる。
特に、主要な相続財産が不動産の場合は、不動産を売却した額を分け合うのか、誰かが不動産を相続して金融資産を別の相続人で分け合うのかなど、具体的に決めておかないと相続が難航することもある。
また、どんな相続財産があるかを明確にしておかないと、遺された家族が知らない、親族で代々相続してきた地方の不動産があったといったこともある。
そのためには、親が生きているうちから、相続財産の内容やどのように相続させるかを親族で話し合っておくことが望ましい。調査結果を見ると、こうした話し合いについて「全くなかった」という回答が57.4%になるなど、準備のないまま相続が発生したこともうかがえる。
出典:アスカネット「葬儀・相続に関するアンケート調査」
なぜ、土地・建物の相続登記が義務化されるのか?ではなぜ、2024年4月1日から土地・建物の相続登記が義務化されるのだろう?その背景には、「所有者不明土地」の問題がある。国土交通省が2022年6月10日に公表した「令和4年版土地白書」でも、所有者不明土地に対する取組状況が大きく取り上げられている。
所有者不明の土地問題が浮き彫りになると、2018年に「所有者不明土地等対策の推進のための関係閣僚会議」が立ち上がり、「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」が制定され、土地の所有者を合理的に探す仕組みなどが作られた。相続登記は任意だったので、利用していない土地の登記が滞り、登記がされないまま相続が何代も行われた結果、多くの所有者がいるはずなのに登記情報から所有者を探せないという事態が起きていたからだ。
2020年には30年ぶりに「土地基本法」が改正され、土地の所有者に土地を適正に管理する責務を課した。2021年には、民法や不動産登記法の改正が行われ、相続登記等の申請を義務化することなどが定められたほか、所有者不明の土地や管理不全の土地について、裁判所が管理人を選任して管理を命ずることができる制度なども創設された。さらに、相続などにより土地所有権を取得した者が一定の要件の下で、その土地の所有権を国庫に帰属させることができる「相続土地国庫帰属法」が創設された。
こうして、所有者不明土地の対策の一環として、土地・建物の相続登記の義務化を定める不動産登記法の改正が成立したわけだ。これが施行されるのが、2024年4月1日とされている。
相続登記はいつまでにする?罰則はある?では、相続登記の義務化とは、具体的にどういったことだろう?
不動産を取得した相続人は、そのことを知った日から3年以内に相続登記を行うことが義務づけられる。正当な理由がないのにこれを怠った場合は罰則(過料10万円以下)がある。あわせて、相続人1人からでも登記ができる「相続人申告登記」という新たな登記方法を導入するなど、登記手続きの手間や費用を軽減するなどの措置も取られる。
問題になるのは、遺産分割協議の話し合いがまとまらない場合だ。この場合は、法定相続どおりにいったん登記をして、協議がまとまってから相続状況に応じた登記を申請することになる。この場合も遺産分割が成立した日から3年以内の登記が求められる。
登記の義務化は2024年4月からなので、それ以前に相続した場合は対象外というわけではない。相続後に未登記のままであれば、施行日から3年以内に登記する義務が生じる。また、施行後に家族の知らない相続財産があると分かった場合も、それを知ってから3年以内に登記しなければならない。
したがって、相続が発生する前から登記について確認しておくなど、家族でよく話し合う必要があるだろう。場合によっては、登記にかかわる土地や住宅についてこれまでの経緯を知っている人から情報を集める必要もあるかもしれない。
次に施行されるのが、住所等変更登記の義務化だ義務化は相続時だけではない。登記簿上の所有者の住所や氏名が変更になった場合も、変更日から2年以内に変更登記の申請が義務化される。これは、転居などによって所有者がわからなくなることを予防するためだ。こちらも正当な理由がないのに義務に違反した場合は、5万円以下の過料の対象となる。
住所などの変更登記は、他の公的機関との情報連携がなされれば手続きが簡素化される。例えば個人であれば、本人の了解を得て登記官が住基ネットの情報に基づいて登記を行うといった仕組みも導入されることになっている。住所等変更登記の義務化やこの簡素化の仕組みについては、2026年4月までに施行されることになっている(施行日は未定)。
本来は、土地や建物の所有権を主張できる決め手となるのが不動産登記だ。それなのに、利用されない土地が生じたことで登記をしない事例が増え、それが何代も繰り返されることで、所有者を特定するのに時間も手間もかかるという事態になっている。これからは、原則通り、後に遺された人たちが困らないように、きちんと登記しよう。
●関連サイト
アスカネット「葬儀・相続に関するアンケート調査」
国土交通省「令和4年版『土地白書』の公表について」
法務省「所有者不明土地の解消に向けた民事基本法制の見直し(民法・不動産登記法等一部改正法・相続土地国庫帰属法)」
「小屋」「タイニーハウス」「バンライフ」などのコンパクトな暮らしは、この10年ですっかりおなじみの存在となった。特にこの数年は、新型コロナウィルスの影響で「働く場所」「移動できる暮らし」としての拠点としても注目を集めています。いま、小屋やタイニーハウス事情はどうなっているのでしょうか。現在地を取材しました。
無印良品やスノーピークも参入! 小屋やタイニーハウスは憧れのライフスタイルに「やはりコロナ禍の影響で、小屋の存在感、注目度は増しているように思います」と話すのは、約10年前から日本の小屋・タイニーハウス(小さな家)文化を牽引してきたYADOKARI株式会社の遠藤美智子さん。アメリカでは、タイニーハウスは2008年のリーマンショック以降にライフスタイルを見直した人が中心となって広まってきましたが、日本では東日本大震災を経験した2011年以降、徐々に広まってきました。特に2020年以降、リモートワークやテレワークが普及し、インターネット環境が整っていればどこでも働ける人が増えたため、「都会にいる必要はない」「自然のなかで暮らしたい」という声が増加、「小屋を郊外や地方に構えて2拠点生活をしてみたい」というニーズをよく聞くようになったそう。
YADOKARIが運営する「タイニーズ 横浜日ノ出町」では、鉄道の高架下に3種類のタイニーハウスを並べている。小屋ライフのお試しにぴったりだ(写真撮影/桑田瑞穂)
「小さな家全般のことをタイニーハウスといい、弊社でも複数取り扱っていますが、先日もトレーラーを改造したトレーラーハウスのお引渡しがありました。土地代と中古トレーラーハウス代合わせて600万円以内で収まりました。都内に拠点を持ちながら、週末は愛犬といっしょに小屋で暮らしたい。今の暮らしにちょうどよい『選択肢』として定着しているように思います」と遠藤さんは続けます。
「先日、弊社で扱う小屋を一堂に展示する一般向けのイベントを湘南で開催したのですが、非常に多くのお客さまがいらっしゃいました。子どもたちも来場していて、とても和やかな雰囲気でした。今まで対企業として小屋を扱うことが多かったので、小屋への関心の高さ、広がりに私たちが驚いたほどです」と話すのは、同じくYADOKARIの齊藤佑飛さん。
イベント時の様子。次回は展示場の見学予約を開催予定(7月3日(日)、6日(水)予約制)(写真提供/YADOKARI)
こうした小屋人気の背景には、無印良品やスノーピーク(建築家の隈研吾氏デザイン)、カインズホームなど、さまざまな業種からの参入が続いたことも大きく影響しているそう。
「デザイン性や価格など、さまざまな特徴を持つ小屋が増えました。バリエーションも豊かになり、ますます個人の好みに合った小屋が選べるようになっています」と遠藤さん。
YADOKARIの遠藤美智子さん(左)と齊藤佑飛さん(右)(写真撮影/桑田瑞穂)
移動と定住、インドアとアウトドア。小屋にも派閥がある!?固定の場所で暮らすタイプの小屋に加えて、今では、バンや軽自動車などを改造して移動しながら暮らす「バンライフ」や「モバイル小屋」も増えています。そこにはユーザーの志向やタイプに少し違いがあるそう。現在よく耳にするようになった「小屋」の種類とタイプを解説してもらいました。
■スモールハウス(小屋)、タイニーハウス
広さ10~20平米弱の小さな住まい。住まいになるため、基礎の上に建てます。移動させずに1カ所に定着するため、周囲で畑を耕したり地元の人と交流したりする人もいます。無印良品やスノーピークから販売されている商品のほか、組み立てキットなど、さまざま商品が登場しています。今後は3Dプリンターの家も登場するといわれています。
(写真提供/加藤甫)
■コンテナハウス、トレーラーハウス
貨物コンテナを小屋として改造したものが「コンテナハウス」、さらに自動車で牽引できる家が「トレーラーハウス」です。「タイニーズ 横浜日ノ出町」の小屋は「トレーラーハウス」にあたります。バス・トイレがあり、人が暮らしを営めますが、法律上は車両です。移動もできるのが特徴です。
YADOKARI株式会社が運営する「タイニーズ 横浜日ノ出町」のカフェ部分は、コンテナを改造した「コンテナハウス」です。コンテナらしい無骨な風合いが、独特の味わいを醸し出しています(写真撮影/桑田瑞穂)
「タイニーズ 横浜日ノ出町」にある小屋は「トレーラーハウス」。建物のそのものは、住宅を手掛ける大工さんに施工してもらったといいます(写真撮影/桑田瑞穂)
タイニーハウス「Wonder」の前で。小屋といいつつも、ゆとりがあるのがおわかりいただけますでしょうか(写真撮影/桑田瑞穂)
「Wonder」のお部屋。4人まで宿泊できますが、狭さを感じません(写真撮影/桑田瑞穂)
シャワーやトイレもあります。トイレは水洗。工具を使わずに着脱できる配管を使用し、下水道につなげている。すぐ移動ができるよう、土地には固定していないとのこと(写真撮影/桑田瑞穂)
「Wonder」のシャワーブース。こうして見ると小屋といっても案外、広さがあることがわかります(写真撮影/桑田瑞穂)
「タイニーハウスに興味がある人に加え、友達と個室に宿泊したい、個性的な部屋に泊まりたいという需要で利用する人も増えてきました(齋藤さん)」(写真撮影/桑田瑞穂)
■キャンピングカー・バン
自動車の居住性を高めたのが「キャンピングカー」や「バン」です。基本的には車の延長上にあるため、居住面積は小さめです。アウトドア好きな人が多く、旅をしながら暮らしたい、いろいろなところに行きたいという、「移動」したい人“バンライファー”に向いている形態です。お風呂やトイレがついていないこと、また車中泊の場所には注意が必要です。
(写真提供/加藤甫)
★番外編
■サウナトレーラー
サウナの本場・フィンランドでは、自動車で牽引できる「サウナトレーラー」があるそう。バカンスの時期になると自宅の車につないで別荘に持っていき、好きな場所でサウナを楽しむといった使い方です。きれいな川、湖がある場所に移動すれば、最高の水風呂で“ととのう”ことは間違いなさそう。YADOKARIで販売をはじめたので、これから一気に盛り上がりそうです。
(写真提供/YADOKARI)
なるほど、移動を重視するアクティブ派は「バン」「キャンピングカー」、好みの場所に定住したい派は「小屋(タイニーハウス)」、「コンテナハウス」(移動はできるけれど、基本は1カ所で過ごす)といえるのかもしれません。「生き方」や「好きな暮らしのタイプ」にあわせて小屋が選べるようになっているあたり、小屋・タイニーハウス文化の広がりを感じます。
オフグリッドにコミュニティ、まだまだ可能性は広がる「今まで弊社では、主に企業と組んで、小屋のプロデュースや土地の活用法をご紹介・提案してきました。シェアオフィス、コワーキングスペース、最近ではビジネスの側面からトレーラーハウスの引き合いがとても多いですね。ただ、このコロナ禍で大きく価値観が変わり、都会で暮らす意味を問い直す人や、住宅ローンや家賃にしばられない暮らしがしたい、という人がさらに増えたように思います。広さや駅からの距離、家賃などといった今までの物件の選び方とは異なる価値観を提案していけたらいいですね」と遠藤さん。
(写真提供/加藤甫)
「もともと住まいって、広さよりも、どう過ごすかのほうが大事なはず。僕自身も今は小さな家に暮らしていて、広い家にあまり興味はありません(笑)。自分の身の丈にあったサイズの家が心地よいと思うんです。必要なら拡張したり、縮小したりする。柔軟な暮らし方ができるんだよと伝えていけたらいいですね」と齊藤さん。“うさぎ小屋”のようだと揶揄されてきた日本では、「広さこそ、豊かさ」と考えていた時代が続いていたわけですが、その価値観は今、大きく変わったようです。
では、今後小屋がさらに普及するうえで課題となっているもの、次の展開などについて聞いてみました。
「現状の課題のひとつは、ローンが組みにくいことがあります。小屋は住宅ローンのような超低金利ローンは利用できないのです。お金を借りるにしても金利が高くなってしまうのは、悩ましいですね。今後の展開や展望でいうと、やりたいことが多くて。自然エネルギーを活用したオフグリッドハウス(外部の電力と切り離され、独立した住まい)や、小屋で暮らす人が集まるコミュニティ、災害発生時の仮設住宅など、アイデアはたくさんあるので、ひとつずつ実現していけたらいいですね」(遠藤さん)
以前、YADOKARIが提唱する「ゼロハウス構想」(住宅ローンや家賃などの金銭的負荷を減らして可処分所得や時間を人、文化の醸成に再投資する)という考え方を聞いたとき、正直、筆者は「理想はわかるけれど、実際にはね……?」と疑っていました。ただ、小屋の価格が手ごろになり、空き家や活用しにくい土地が増えてきたこと、どこでも仕事ができるようになっているなどの時代の変化を考えたときに、「ゼロハウス、無理じゃないかも」と思うようになりました。
暮らし方も働き方も大きく転換している今なら、好きな場所で、小さく豊かに暮らすが、「リアル」な選択肢になりつつあります。小屋暮らしに興味があるのであれば、今が恰好のタイミングかもしれません。
●取材協力
ヤドカリ
タイニーズ 横浜日ノ出町
今から100年以上前、近代都市計画の祖といわれる英国のハワードが提唱した、豊かな自然環境と都市が融合した「田園都市構想」。この考え方に影響を受けて誕生したのが、東急田園都市線とその沿線に広がる住宅街です。今年春、そのお膝元ともいえる場所に、東急が「nexusチャレンジパーク 早野」をオープン。これまで活用されていなかった土地に、“みんなでチャレンジできる遊び場”をつくったといいます。さっそく取材してきました。
ヤギ、養蜂、コーヒー焙煎、シェア農園……住民が遊べる広場「nexus(ネクサス)チャレンジパーク 早野」があるのは、東急田園都市線あざみ野駅からバスで10分ほど、虹ヶ丘団地とすすき野団地のあるエリア。今年4月、約8000平米の敷地に登場したのは、地産地消マルシェなどのイベントに利用できる「ネクサスラボ」、シェア型のコミュニティ農園「ニジファーム」、焚き火を囲んで遊べる「ファイヤープレイス」、養蜂やカブトムシの育成などに挑む「生き物の森」で構成されていて、基本的に住民が自由に使うことができる広場です。
斜面のある土地を利用してできたnexusチャレンジパーク 早野。緑が濃く、パーク全体になんともいえないワクワク感が漂っています(写真撮影/片山貴博)
取材時は「チャレンジデイ」ということで、パークでどんなチャレンジができるのかを知ってもらうイベントを行っていました。当日は、「ヤギとのふれあい」「焚き火でコーヒー焙煎」などの体験や、「どんなところかひと目みたい」という地元のみなさんでにぎわっていました。周囲は団地で、緑にあふれる環境。この日は晴天で、風が吹き抜ける中、子どもたちが自由に駆け回っていて、とても清々しい気持ちになりました。
子どもにも大人にも大人気のヤギさん。「葉っぱだよ~」とたくさんもらっていて、お腹いっぱいになっていました(写真撮影/片山貴博)
ファイヤープレイスで実施されていた「焚き火でコーヒー焙煎」体験(写真撮影/片山貴博)
自分で焙煎したものを手挽きして世界に1つの極上の一杯を抽出!(写真撮影/片山貴博)
ニジファーム(写真撮影/片山貴博)
ニジファームで栽培しているハーブを摘んで、来場者がハーブティを楽しんでいました(写真撮影/片山貴博)
(写真撮影/片山貴博)
ベンチに腰掛けてお茶をしたり、シャボン玉をしたりと、思うまま「自由に試し、遊べる場所」です(写真撮影/片山貴博)
焚き火もOK! 自由に、楽しく、街で試してチャレンジ都市部でも郊外でも、何かと制約や禁止が多い昨今ですが、ここではハチやヤギのような生き物はいるし、焚き火もOKという、きわめて自由度の高い場所としてデザインされています。
「生き物の森」に設置された養蜂箱。ここではちみつが取れるか、チャレンジしているそう(写真撮影/片山貴博)
「企画のかなり早い段階で、パーク内に『禁止』と書くのはやめようね、という話になりました。禁止といわれてしまうと、とたんにあれもこれもダメになってしまう。大切なのはチャレンジできること。ダメだから、と諦めるのではなく、どうやったらできるか? という発想で進めているんです」と話すのは、nexusチャレンジパーク運営チームの清水健太郎さん。
確かに、「ダメ」や「迷惑でしょ」といわれてしまうと、大人も子どももとたんに遠慮や萎縮が出てしまうもの。あくまで「チャレンジをする場所」と位置づけ、まずはやってみたいことを募り、法律や地域のルールにも配慮しながら、「どうやったらできるか」を考えていくといいます。
看板(写真左)には禁止という文言は見当たらず、「思いやりをもって、チャレンジを応援しよう」という文言が。また、チャレンジパークでやってみたいことを募集し(写真右)、“リレー”や“水あそび大会”、“肉フェス”、“工作”など自由な発想が描かれています(写真撮影/片山貴博)
模造紙に書かれた、パークでチャレンジしたい内容を見ていくと「フェス」や「おまつり」「ざっそうとり大会」「無料カフェ」など、ユニークな内容がずらり。いいですよね、毎週、文化祭やおまつり気分。早くも「チャレンジパークにいくと、楽しいことがあるよ」「楽しい人がいるよ」という場所になりそうな予感がします。
nexusチャレンジパーク運営チームのみなさん(写真撮影/片山貴博)
「こうした自由な遊び場を通じて、地域の人の想いを結びつけ、コミュニティとして育つ空間をつくりたい」と話すのは、前出の清水さん。住む人が自然とつながり合い、語り合い、一緒にチャレンジし、また語り合う、そんなサイクルを生み出す、これこそが、運営チームのみなさんがこの場で実現したいことだそう。
(写真撮影/片山貴博)
東急田園都市線沿線は、閑静な住宅地として大いに発展してきましたが、2020年の新型コロナウイルス感染症拡大により、その住宅で『働く』ことが当たり前になりました。コロナ禍で私たちのライフスタイルは大きく変わり、以前のような毎日決まった時間に通勤する人の動きに、もう戻らないだろうともいわれています。
「家での滞在時間が増えたということは、居住地域で過ごす時間が増えたということ。だとしたら、新たな居場所が必要だよね、と。これまでは「住む」の意味合いが強かった場所に、「学ぶ」「働く」そしてnexusチャレンジパークのような「遊ぶ」場がある、そんな『街づくり』、『歩いていて楽しい街』にしていきたい。」と清水さん。
(写真撮影/片山貴博)
大人が遊ぶというと、お酒を飲むとか、イベントに行くとかになりがちですが、焚き火遊びや野遊びができる場が近所にあったら、やっぱりそれは楽しいし、利用したくなりますよね。
街のバディ(仲間)を発掘。人が人を呼ぶ楽しさ、つながる喜びまた、もう一つこだわったのは、運営や企画に携わるのが「地域の人」という点です。
「今回、記録撮影に入っているカメラマンさん、地元にお住まいなんです。ひょんなことから地域に住んでいるカメラマンさんとの出会いがあり、お願いすることになりました。今回来てくれたヤギのオーナーさんも、団地の方が紹介してくださり話がまとまったんです。チャレンジパーク内の施工関係は地元の桃山建設の専務が参画されていたりと、地域の仲間、つまりバディを発掘しながらつくりあげています。今後もそんな輪を広げていきたいですね」と、清水さん。
(写真撮影/片山貴博)
パーク敷地内にある竹林から竹を切り出すところから体験する「巨大そうめん台」づくり。子どもと一緒になり、のこぎりで竹を切っているのは、地元の建設会社・桃山建設の川岸憲一さん。本物の大工さんと竹を切り出す体験なんて、そうそうできない……(写真撮影/片山貴博)
(写真撮影/片山貴博)
切り出した竹を真っ二つに割っていきます。子どもだけでなく、親世代でも人生初、という声も聞かれました。確かに!(写真撮影/片山貴博)
その後、節をくり抜いて、台のうえに竹を並べて巨大なそうめん流し台が完成。この日はそうめんは流さず、水を流して遊ぶ子どもたち。笑顔がまぶしい(写真撮影/片山貴博)
地域コミュニティを創出するプロに依頼し、それらしい空間をつくるのは容易いことでしょう。でも、そうはせず、時間はかかっても、その土地で暮らしてきた人々の気持ち、地域の縁によって育てていくのが、チャレンジパークのコンセプト。
ちなみに、撮影を担当していたカメラマンさんによると、「この地域には映像ディレクターにプログラマーなど、優秀な人が多くて、才能の宝庫です。自由にやっていいといったら何でもできるのではないでしょうか」とのことです。
「昔と違って地域に住んでいる人って、実はなかなか出会わないし、知り合いになる機会って限定されていますよね。でも、農作業をする、とか焚き火をする、一緒に遊ぶという活動や体験の共有があると、ぐっと距離が縮まるでしょう。地域に住む人が、自然と、互いにつながる場になっていけたら」と清水さん。
(写真撮影/片山貴博)
今年2022年に創立100年を迎える東急グループ。沿線も街も成熟していますが、一方で、街として成熟するということは、自由な余白がなくなるということでもあり、規則が増えるということでもあります。
成熟した街に、もう一度、余白と自由を取り戻す。緑豊かな田園の環境と都市の利便性、美しさの融合が「田園都市」だとしたら、このnexusチャレンジパークは、本来の意味での「田園都市」としてアップデートする試みといえるのかもしれません。
●取材協力
nexusチャレンジパーク 早野
二人暮らしから赤ちゃんが生まれて家族が増え。ライフスタイルの変化とともに、住まいに求める内容も変化します。パリ郊外の街モントルイユに暮らすドミニクさん夫妻は、25年前、変化に合わせて暮らしを大きく変えました。未知の環境をどのように選び、どのようにして新しいライフスタイルをつくり上げたのでしょうか ? 緑いっぱいの一戸建てを訪問し、話を伺いました。
連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。
ドキュメンタリストのドミニク・メタン・ド・ラージュさんは、パリ郊外の街モントルイユに引越して25年になります。ドキュメンタリストという職業はあまり馴染みがありませんが、映画やテレビ番組を制作する際に、歴史的資料やデータといった諸々のドキュメント(文書)を集める仕事なのだそう。今はちょうどNetflix向けに資料集めをしている真っ最中です。
(写真撮影/Manabu Matsunaga)
仕事場は自宅。フランス政府が文化を守るために舞台関係者などを金銭的支援するアーティスト認定制度「アンテルミッタン」を獲得しているドミニクさんは、自由業者にはない安定の保証を得つつ、時間や場所の制約なしで作業ができるライフスタイルに、心から満足しているよう。これというのも25年前、パリを脱出し、環状線の外側の郊外へ飛び出したおかげなのでした。
庭に面した壁を取り壊してつくったサンルーム。キッチンからリビング、サンルームまでひと続きになって庭に抜ける(写真撮影/Manabu Matsunaga)
「パリ生活は、ミュージシャンが多く住むオベルカンフ通り周辺が拠点でした。夫は今もそうですが、以前は私もレコード会社に勤めていたこともあって、あのエリア特有の自由でクリエイティブな空気がとても気に入っていたのです。ただ、アパルトマンはエレベーター無しの7階で……子どもが産まれてからは、不自由を感じるようになって。そもそも寝室が1つしかなく、リビングの一角に夫婦のベッドコーナーをつくってなんとかやり過ごしていたのです。でも、次男を妊娠した1996年、片方の腕で長男を抱いて、もう片方で紙おむつの大きなパックやミネラルウオーターを抱えながら、毎日7階まで階段を昇る生活をやめる時がきた、と悟りました」
ファミリーのポートレート(写真撮影/Manabu Matsunaga)
ドミニクさん夫妻にとって、音楽は人生の重要な要素(写真撮影/Manabu Matsunaga)
パリの古いアパルトマンの、木の階段を昇り降りする日々、しかも小さな子どもと一緒! 想像するだけでよく頑張りましたと絶賛したくなりますが、そのくらいパリ暮らしが気に入っていて、パリ以外の場所での生活は考えられなかったということでしょう。
「実は1年ほどパリ市内で物件探しをしていたのです。でも値段が高いばかりで、ちっともいい物件に出会えませんでした。そんな時、友人のひとりがモントルイユのことを教えてくれました。当時はまだ安かったですし、感じのいい一戸建てが多いんだよ、と」
友人のすすめですぐに不動産屋とコンタクトを取り、3軒目に訪問したこの家でピンときて、即決断。パリではさんざん苦労した物件探しも、モントルイユに来た途端、たった1カ月で目的達成できました。
春には壁伝いに白い藤の花が咲く。クレマチスやケマンソウ、オダマキなど、たくさんの花の見ごろを、ドミニクさんは楽しみにしている。時には庭で読書も(写真撮影/Manabu Matsunaga)
「条件はまず第一に、メトロに近いことでした。なぜなら、パリの友人たちは、みんなが必ずしも車を持っているわけではないからです。友人たちとこれまで通り行き来しやすいよう、交通の便がいいことは絶対でした。第二の条件は、十分な広さがあること。ここは一戸建てですし、庭もあります。住空間は約130平米、庭がだいたい50平米くらい。内見をした時に、庭をどんなふうに手入れして、家をどう改装するか、そこで私たち家族がどんな暮らしを送るのか……情景がすぐにイメージできたのです。家の裏に広い公園があることも、決断を後押しする大きなポイントでした。交通量の多い大通りを渡ったりせずに、すぐに遊びに行ける広い公園があることは、子どもたちにとって何より嬉しいことですから」
アーティストのアトリエが多いモントルイユの環境や、隣人が地下を改装してバンドの練習をしていたことも好印象だったそう。物件購入後、田舎の家そのものだったこの一戸建てを、ドミニクさん夫婦は自分達のライフスタイルに合わせて大改装していきました。
2階建てを3階建てにつくり替えて、寝室を増やす ?!(写真撮影/Manabu Matsunaga)
夫妻と、息子2人。合計4人の家族全員が、快適に暮らせるようにと購入した一戸建て。その希望に応えるポテンシャルはありながらも、購入時の家は現在の姿とは全く違っていました。
「2階建てとはいえ、中は昔ながらのつくりのせいで廊下ばかりが場所をとり、肝心な各部屋はとても小さかったのです。しかもトイレは、屋外に後付けされていました。私たちはまず、寝室をもう1つ増やすために2階の天井を低くして、屋根裏を寝室につくり変えることにました。つまり、2階建ての家の中身を、3階建てに変えたのです」
冬に家全体を暖めてくれる薪ストーブ。イームズのラウンジチェアはドミニクさんへの60歳の誕生日プレゼント(写真撮影/Manabu Matsunaga)
ドミニクさんが母から受け継いだナポレオン3世スタイルの長椅子は、ヒョウ柄に張り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)
モントルイユ在住アーティスト、ナタリー・シューの作品などを窓辺に。さまざまなスタイルのオブジェをミックスするのがドミニクさん好み(写真撮影/Manabu Matsunaga)
3階に新しく寝室をつくって、ここを長男の部屋にする、というプランでした。
「1階は、庭の魅力を最大限に取り入れたかったので壁をすべて取り払い、代わりにサンルームをつくりました。このおかげで、サンルームの屋根の部分が、2階のバルコニーになったのです。これは本当にいい判断だったと思っています。サンルームのガラスが納品されるまでの間、ベニア板で塞いで暮らしていた1カ月以上にわたる悪夢も、今では笑い話ですね」
天井を低くしたり、壁を取り壊したり。かなりの大工事を経験せねばなりませんでしたが、こうして完成した住まいは広々とした4LDK。もちろんトイレもちゃんと家の中です! さあ、どんな間取りになったのか、玄関から順を追って見ていきましょう。
庭のメリットを最大限に生かす住まいのレイアウトまず、ピンク色にペイントした玄関を入ってその先へ。右側がキッチンとリビングです。リビングは例のサンルームに続き、その先にドミニクさんお気に入りの庭が広がっています。廊下を挟んでリビングの向かい側、つまり玄関の先の左側は、仕事部屋兼テレビルームです。モロッコ風のニッチは美と実益を兼ねていて、ドミニクさん自慢のコーナーの一つです。
モロッコやアジアなど、色々な文化スタイルをあえてミックス。旅先から持ち帰ったものも多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)
(写真撮影/Manabu Matsunaga)
(写真撮影/Manabu Matsunaga)
2階には夫妻の寝室と、長男の部屋が。サンルームの屋根を利用してできたバルコニーは、夫妻の寝室からひと続きになっています。このバルコニーも、ドミニクさんのお気に入り空間です。一人で静かに過ごす日中、ベッドの上で読書をして、気が向いたらバルコニーに出て空を眺める。そんな時間をドミニクさんは心から愛しているのです。
そしてこの上階、屋根裏につくった寝室が次男の部屋、という次第。今では長男・次男ともに独立し、一緒に住んではいません。現在、次男の部屋にはプロジェクターをセットして、ホームシアターとして使っているとのことでした。ここも、ドミニクさんのお気に入り空間です。
ベッドの上で読書をするのも好きな時間(写真撮影/Manabu Matsunaga)
ここにもモントルイユのアーティスト、ナタリー・シューのオブジェが(写真撮影/Manabu Matsunaga)
(写真撮影/Manabu Matsunaga)
サンルーム上につくったベランダ。夫妻の寝室からアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)
サンルームの屋根を活用してつくったバルコニーは、一人リラックスタイムを過ごすのに最適な場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)
インテリアはミックスで家を一周して一番印象に残るのは、なんと言ってもモロッコ風のアクセントです。ピンク色の壁とポインテッドアーチ型のニッチは、まるでモロッコの都市・マラケシュにいるよう。なぜモロッコテイストなのかなと思い尋ねたたところ、ドミニクさん夫妻は15年前からモロッコで賃貸の一戸建てを借りていて、バカンスのたびに彼の地へ行くのが習慣になっているのだそう。夫の両親がモロッコに住んでいたこともあり、愛着のある土地なのだと教えてくれました。
モロッコから運んだスパイス棚も「用の美」(写真撮影/Manabu Matsunaga)
「モロッコの職人芸術には、かなりインスパイアされていると思いますよ。ポインテッドアーチ型のニッチのように、装飾性と実用性を兼ねたものが多いこともその理由かも知れません。加えて、モロッコからパリまではバスを使った格安の配送サービスがあるので、家づくりに必要なものを買ってパリに送ることが簡単にできるのです。例えば、壁のピンクの顔料はモロッコで買ったもの。普通のペンキよりもずっと発色がいいのです」
そして全てをモロッコスタイルにするのではなく、ミッドセンチュリーデザインや、モントルイユのアーティストのオブジェ、世界中の旅先から持ち帰ったものなど、いろいろなスタイルをミックスしていることにも気づきます。あえてひとつのスタイルに統一しないのは、フランスの人々の住まいによく見られる特徴です。ファッションと同じように、住まいづくりにも自分の個性を尊重して、自分のために空間をつくる。だからこそ自分が心地よく暮らせるのだということを、個人主義の彼らは経験から熟知しているのです。
シンク上のミッドセンチュリー風の棚は、なんとドミニクさんのお父様の手づくり作品!(写真撮影/Manabu Matsunaga)
(写真撮影/Manabu Matsunaga)
照明はミッドセンチュリーデザインをセレクト(写真撮影/Manabu Matsunaga)
壁面を覆う印象的な「カケモノ」は、ドキュメンタリストとして関わったテレビ番組で使用したもの。撮影後、ゴミになる前に譲ってもらった。「カケモノ」とは装飾用の幕のことで、フランスの演出業界では一般的な表現。日本の掛け物からきている(写真撮影/Manabu Matsunaga)
時には60人を招いてガーデンパーティも!一戸建てを大改装し、自分達の暮らしに合うようつくり替えたドミニクさん。家の中の多くの部分がお気に入り空間になっていることから分かるように、改装工事は大成功でした。
「でも実は、この家で一番気に入っているのは庭なんです。庭は、日々の生活に心の安らぎと喜びを与えてくれます。自然は毎日変化し、時間ごとに変化しますから、見飽きるということがありません。時にはここで、大勢を招いてガーデンパーティをします。一番最近は夫の70歳のバースデーパーティ。60人を招待しました!」
(写真撮影/Manabu Matsunaga)
(写真撮影/Manabu Matsunaga)
そんなに大勢をどうやって !? 食器だって足りないのではと心配になりますが、フランスの人たちは招待客でもパーティの準備に参加する、いわゆる「持ち寄り」精神が旺盛なのだそう。食器はともかく、料理の方はみんなで持ち寄って参加するので、招待する側だけが何日も前から仕込みをしたり、プロのケータリングを頼んだりせずに済むそうです。気負わずに大人数のパーティができるのはいいですね。
「パリの西にあるモントルイユは、近年人気が上昇し続けている街です。エコロジーに根ざした環境と、パリジャンやパリジェンヌとは違ったメンタリティーの人たちが住んでいることが、その人気の理由です。街そのものは特別美しくはありませんが、17世紀から19世紀にかけて作られた『桃の壁』という文化遺産があって、多くのアソシエーションがここで都市型農園や参加型菜園などのプロジェクトを進めています。つまり、いいエナジーのある街。いろいろなバランスがいいので、老後も田舎へ引越すことは考えていません。もし引越すならモロッコです! そのくらい、今のライフスタイルに満足しています」
(写真撮影/Manabu Matsunaga)
この壁面の内側に「桃の壁」がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)
家の裏にある広大な公園は、四季折々の姿を見せてくれる(写真撮影/Manabu Matsunaga)
家の裏にある広大な公園。この存在は息子たちの成長にとって非常に大きかった(写真撮影/Manabu Matsunaga)
「住まい」とは、家の中だけではなくて、庭や環境、街のエナジーまでも含む自分を取り囲む空間のこと。物件探しをする際は、周辺の環境もしっかり見なくては! そう肝に銘じさせられる、ドミニクさんのお宅訪問でした。
(文/Keiko Sumino-Leblanc)
●取材協力
ドミニクさん
「名探偵といえば?」と問われたら必ず名前が挙がるのが、アーサー・コナン・ドイルが生み出した名探偵シャーロック・ホームズだろう。その原作に登場する建物や事件の現場は、実際はどんな建築物だったのか? この課題に取り組み、『シャーロック・ホームズの建築』という本にまとめた北原尚彦さんに話を聞いた。
『シャーロック・ホームズの建築』の始まりは、「キャラクター」まず、この本ができるまでの経緯を聞いた。北原さんの話によると、SNSがきっかけだという。
あるキャラクターを使った本に興味を持った北原さん。その本についてTwitterで取り上げたら、大きな反響があった。それがきっかけで、その本を出版したエクスナレッジの編集者である佐藤美星さんと知り合いになり、佐藤さんから自社の「建築知識」という雑誌で連載をしてほしいと依頼があった。当初は「ミステリー小説の間取り」という依頼だったが、「ホームズに登場する建物だけならできるかも」と返信したら、実現してしまったのだという。
今回のインタビューには、担当編集の佐藤さんにも同席してもらったのだが、「逃してなるものか!」とすぐに企画を上げたのだとか。北原さんにとっては、まさしく逃れられない状態になったわけだ。
北原さんと佐藤さんは、雑誌での連載前から単行本化を想定していた。単行本にまとめたときのラインナップをイメージして、シャーロック・ホームズ・シリーズの中から、作品名に建物の名前がついているものをピックアップしたり、建物の所在エリアが分散するように配慮したりして、あらかじめ取り上げる作品(建物)をすべて決めていたという。
15回の連載を終えて、2つの事例を追加したり、スコットランドヤードの建物を特別事例に加えたりなど、全体を見直した上で、単行本として世に出たのが、『シャーロック・ホームズの建築』だ。
「正典に忠実なシャーロッキアン」と「現実の建物に忠実な建築家」の強力バディ次に、原作の記述から建物をイメージすることで、どこが難しかったかを聞いた。
北原さんはシャーロック・ホームズの専門家ではあるが、建築物の専門家ではないので、図を描くのは建築家の村山隆司さんに依頼することになった。北原さんは「正典」(コナン・ドイルのホームズシリーズの原作60作のこと。シャーロッキアンと呼ばれるホームズ研究家が使う呼称)に忠実でありたいという信念をもっていたが、村山さんはホームズが活躍した時代の英国の建築様式などから外れないようにという考えをもっていた。
原作の記述内容は解釈の仕方によっては、現実の英国の建築では考えられないという事例が、まれに出てくる。そこで互いに意見を交わすのだが、「正典に忠実派」の北原さんと「現実の建築様式に忠実派」の村山さんでは結論を出すのが難しい場合もあり、佐藤さんがその間を取り持つということもしばしば。とはいえ、意見交換により新たな気づきがあり、そこで出した結論が、ホームズ研究家の中でも「新説」として評価される事例もあったというから、苦労の甲斐はあったのだ。
密室殺人事件「まだらの紐」の間取りはどうなっていた?具体的な事例として、筆者が聞いてみたい作品があった。筆者はご多分に漏れず、小学生のときに子ども向けのホームズ全集を読んで、ミステリーファンになった一人だ。そのころ、「まだらの紐」という密室殺人の起こった部屋の間取りを見てみたいと思ったものだ。
「まだらの紐」は、依頼人であるヘレンがホームズに相談に来るところから話が始まる。ヘレンはストーク・モーラン屋敷に、姉のジュリア、義理の父親のロイロット博士とともに暮らしていたが、2年前にジュリアは不審な状況で死んでしまう。最近、ヘレンも身に危険を感じるようになったことから、ホームズに相談にきたというわけだ。その事件の起こった建物「ストーク・モーラン屋敷」ついて、詳しく聞いてみた。
この屋敷は、17世紀末に建てられた古い領主館(マナー・ハウス)で、義理の父親、亡くなった姉、妹の寝室が3部屋並んでいる。その部屋の並びや通風孔と呼び鈴の紐(引き綱)が事件のカギになるのだ。
北原さんによると、謎を解くカギになる部屋については、原作に詳しい記述があるので、それほど難しいことではなかったが、屋敷全体に関する記述の解釈が難しくて、そのほうが苦労をしたという(単行本には屋敷全体の俯瞰(ふかん)図なども掲載されている)。ただし、引き綱の長さについては村山さんに何度か描き直してもらったという。長すぎず、短すぎずの頃合いが難しかったようだ。「なるほど、まだらの紐に見えるものがこうして……」、おっと北原さんにネタバレはしないようにと釘を刺されていたのだ。
画像:『シャーロック・ホームズの建築』(エクスナレッジ)の「ストーク・モーラン屋敷 事件現場の間取り」(画作成:村山隆司)
ちなみに、呼び鈴とは、屋敷の部屋ごとにある紐を引くと、使用人のいる部屋でベルが鳴り、どの部屋で呼んでいるのか分かる仕掛けのものだ。この呼び鈴の紐が、その役目を果たしておらず、通風孔にくくりつけられただけだというのが、ホームズの名推理を生むカギにもなる。
宝探しの暗号解読「マスグレイヴ家の儀式書」の屋敷はどうなっていた?次に聞いてみたい作品が「マスグレイヴ家の儀式書」だ。いわゆる暗号解読もので、儀式書に太陽とか木とか、北へ十歩などの歩数が出てくる。これを解くと宝の在り処が分かるという謎解きだ。方向音痴の筆者は、どういった場所かイメージすることがなかなかできないのだが、原作の「ハールストン屋敷」は、どんな配置がされていたのだろう?
西サセックス地方の古い建物であること、Lの字型であること(長い部分が建て増した部分)、建物の周囲に庭園があることなど、屋敷についてはホームズが語る記述がある。さらに、マスグレイヴ氏が自室からビリヤード室までの経路や儀式書のあった書斎などについて語る記述もある。こうしたものを積み重ねて、配置を想像していくのだが、以前よりシャーロッキアンの間で「西日問題」と言われる課題があった。
玄関は東向きであるらしいのに、そこに「沈みかけた太陽」が照らしていた、つまり西日が差していたという記述があるのだ。これは合理的ではないので、配置を考える上では大問題だ。シャーロッキアンの間では、この問題を解消する説もあったが、村山さんによると建築的に現実的ではないということで検討を重ねた結果、古い棟には中庭があるという設定で問題を解消することにした。この新説が、研究家の仲間内で面白いと評価されたのだ。
では、屋敷の「俯瞰図」を見ていこう。暗号を解くカギになる樫(かし)の木や楡(にれ)の木の切り株が描かれている。建物の「入り口」と書かれたところから中庭につながる通路になる。そして、儀式書の歩数などから割り出したのが、「謎解きの絵」だ。暗号はこの地下室に誘導するのだが、そこには使用人が消えた事件の謎も、隠されているという話になるのだ。
画像:『シャーロック・ホームズの建築』(エクスナレッジ)の「ハールストン屋敷の俯瞰図』(上)と「儀式書の謎解き」(下)(画作成:村山隆司)
北原さんによると、このように原作の記述と矛盾しないように、綿密に解釈していくのが、ホームズ研究の醍醐味なのだという。
ロンドンで最も有名な「ベイカー街221B」が最も難問?さて、ホームズと相棒のワトスンが住んでいたのが「ベイカー街221B」。冒頭の画像がその建物の外観図となる。では、部屋の間取りはどうなっていたのだろう?
ここには、謎解きの依頼人が訪れたり、ロンドン警視庁の警部が相談に来たり、犯罪者が脅しに来たり、この部屋で事件が解決されたりと、原作に何度も登場する。当然ながら多くの作品に、この部屋に関する記述がある。ならば、間取りを考えるのは簡単かというと、実はそうではなかったのだ。
特に「マザリンの宝石」にだけ、ホームズの寝室に通じる秘密の出入り口があることが記述されている。これが難問の理由になるのだが、北原さんは忠実に解釈を試みた。北原さんと村山さんは、後に隣の部分を買い取って増床したという解釈をして、見事に間取図を描いてみせた。
それが、以下の「ベイカー街221Bの間取図」だ。ランバールームとあるのが、元のホームズの寝室で、ワトスンの寝室は階段を上がった3階にある。秘密のドアの右側が増床部分になる。
画像:『シャーロック・ホームズの建築』(エクスナレッジ)の「221Bのリフォーム後の間取り」(画作成:村山隆司)
Twitterを見ていたら、この件について、「「こんな方法があったのか!」と解決してくれたのが『シャーロック・ホームズの建築』だ。」というツイートを見つけた。ホームズ好きも納得の解釈だったのだろう。北原さんたちの苦労の賜物だ。
さて、ベイカー街221Bは、もちろん当時では架空の場所なのだが、現在はベイカー街221Bという場所がある。筆者はかつて現地の「シャーロック・ホームズのウォーキングツアー」というものに参加したことがある。そのツアーでは、ベイカー街221Bにも歩いていって、住所のプレートを見ながらガイドがいろいろ説明してくれた。残念ながら英語が得意でない筆者には、説明の内容はあまり理解できなかったのだが、プレートだけは明確に記憶している。
最後に北原さんに、なぜここまでシャーロック・ホームズは人気があるのだろうかと聞いた。
北原さんは、コナン・ドイルの発想が天才的だったととらえている。ドイルは、謎を解くホームズと事件を記録するワトスンという強力な『バディ』を、魅力的なキャラクター設定により作り上げた。ホームズとワトスンの成功が、その後現在に至るまで、多くのバディものを生んだことは、言うまでもない。
そういえば、ディーン・フジオカさんがホームズ役、岩田剛典さんがワトスン役でバディを組む映画『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』が公開されるという。やっぱりホームズの人気は絶大だ。
●関連サイト
エスクナレッジ「シャーロック・ホームズの建築」北原尚彦 文 村山隆司 絵・図
日本全国で地震や風水害、土砂崩れなど自然災害が頻発していますが、今後は世界中で災害が増加、激化すると予測されています。では、私たちの暮らす「場所」はどのように変わるべきなのでしょうか。 2022年4月に東京・日本橋で開催された「リジェネラティブ・アーバニズムー災害から生まれる都市の物語」展の統括プロデューサー・阿部仁史さんと次世代の都市や暮らし、ライフスタイルのあり方について考えてみました。
「災害」ではなく「自然現象」と人間が協調しながら生きていく「都市」東日本大震災から11年が経過した今年4月、東京・日本橋で展覧会「リジェネラティブ・アーバニズム展ー災害から生まれる都市の物語」が開催されました。環太平洋大学協会[APRU]に属する11大学が参加する国際共同プロジェクト「ArcDR3」で、災害にしなやかに対応する社会に向け、都市がどうあるべきかを各大学が研究し、その最新成果が発表された形です。とはいえ、「リジェネラティブ・アーバニズム」といわれてもピンと来るひとは少ないはず。まず、阿部仁史さんにこの考え方について伺いました。
「リジェネラティブ・アーバニズム展ー災害から生まれる都市の物語」の展示風景(写真提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)
「ひとことでいうなら、『自然と共生していく都市のつくり方』でしょうか。防災の専門家に教えてもらったのですが、そもそも『自然災害』という言葉が適切ではないのです。地震や水害、森林火災は本来自然に発生している単なる『自然現象』です。ただ、人間の暮らす領域が広がり、自然現象と人の行為が交わるとき、自然のサイクルが強く人間のシステムが壊れれば『災害』となり、一方で人間のシステムが大きく自然のサイクルが傷つけられると『環境破壊』になるわけです。では、なるべくあつれきが起きないような方法が見つかればいいのではないか。やわらかく、人間と自然がお互いに協調し、調整しあうような都市デザインができないか、というのがこのプロジェクトの趣旨であり、本展のタイトルとした背景もそこにあります」と話します。
今まで、都市や住まいは自然災害から「人命や財産を守る」ことが至上とされ、自然災害で被災すると「もと通りに戻す」ことが求められてきました。「リジェネラティブ・アーバニズム」は、それとはまったく考え方を変え、災害を「起きるもの」「共生するもの」と捉えて設計できないかを考えているのです。
また、展覧会名を「アーバニズム」としているのは、「アーバン」、つまり都市部だけでなく、郊外や農村など自然に近い領域、そもそも人間の生活のあり方、ライフスタイル、社会制度にもふれてるからです。広く、大きく「人が営む場所と自然とのあり方」をテーマにしていると捉えるとイメージがつかみやすいかもしれません。
ではなぜ、今、「災害と都市」なのでしょうか。
「いくつか理由はありますが、1つは地球全体で災害が頻発しているということ。気象が変動して今までの状況とは異なってきているという点があります。2つ目はやはり人口が増えて、人間が住まう領域が拡大し、本来住んでいなかったところに住むようになっている。つまり、自然との距離感が保てないところまできている点があります。3つ目はテクノロジーの発達によって、地球上で起きている災害の情報が伝わるようになり、自分の身近に感じられるようになっている点があると思います。やはり環境問題と災害というのは表裏一体の関係にありますから、SDGsも含む環境を考える動きともあいまって、関心が高まっているのだと思います」(阿部さん)
一部の予測によれば、2050年には人類は97億人になり、うち2/3にあたる60億人が都市に住むといわれています(※1)。人口の増加と都市、人間のあり方は、「今」考えておかないといけない、喫緊の課題なのですね。
「森林火災が起きても延焼しない」「洪水時に都市が漂流する」ユニークな都市ばかりこの展覧会では、水成、群島、時制、火成、共生、遊牧、対話という、架空の7つの都市の物語が展示されました。都市の構想を練ったのは、東北大学や東京大学(日本)、UCLAとカリフォルニア大学バークレー校(米国)、メルボルン大学(豪州)、国立成功大学(台湾)など、各国を代表する11大学です。7つの都市は架空、想像の都市ということもあり、どれもとてもユニークですが、阿部さんに印象に残った都市の例を紹介してもらいました。
(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)
(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)
「アメリカやオーストラリアでもっとも身近な災害が山火事です。落雷などで山火事が頻繁に発生するのですが、火事が起きることで、生態系が維持されるようにもなっています。こうした森林火災が起きることを想定した『火成都市』では、森林と人間の居住エリアのあいだにバッファとなる緩衝地帯をもうけ、人間が下草などを管理することで、ゆるやかな防火機能をもった農村田園地帯をデザインしています。つまり火災は起きるけれども、被害は減らせるという発想です(エディティッド・エッジ(原生調整帯と都市調整帯))」
なるほど、人と自然のまじわるエリア、ゾーンがグラデーションになっています。ほかにも、洪水発生時には水がいったん都市部の遊水池や公園のような場所に流れ込み、一時的にヴェネチアのような景観を形成する都市(フィルタリング・ランドスケープ)や、みつばちとの共生を考えた都市(ミツバチ・コモンズ)なども提案されました。
「エディティッド・エッジ(原生調整帯と都市調整帯)」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)
「フィルタリング・ランドスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)
「ミツバチ・コモンズ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)
「都市機能は一定であることが前提とされていますが、四季が移ろうように、都市機能そのものが変化する景観としてあってもよいわけです。たとえば洪水であふれた水が都市に入ってくることを、人間の方が受け止められる都市機能にする。それによって発生する変化を楽しむという発想もあっていいと思うのです」
なるほど、平時と非常時の二重の都市計画ラインとでもいう感じでしょうか。
「東日本大震災でも、『此処(ここ)より下に家を建てるな』という石碑が歴史的に受け継がれていたことが話題になりました。あれは、住む場所と働く場所をわけ、海抜60mの地点より上に家を建てることで集落を守るという知恵だったわけです。平時と非常時、二重の海岸線が機能した例です。そもそも今回の展覧会は2015年、宮城県仙台市で開催された「国連防災世界会議」が開催されたプラットフォーム『ArcDR3(Architecture and Urban Design for Disaster Risk Reduction and Resilience)イニシアチブ』がもとになっています。未曾有の被害となった東日本大震災を教訓として世界で共有し、今後の都市の希望に変えられないかという試みでもあります」(阿部さん)
災害の多い国で暮らしているためか、私たちは、「ああ、また災害だ」で終わってしまいがちです。「災害を悲劇で終わらせない」、これこそが「リジェネラティブ・アーバニズム」のスタート地点なのだとすると、とても有意義な試みであることは間違いありません。
よりよい都市像と住まい方へ。世界をよりよく変えていく今回の都市の物語は、あくまで「提案」「想像」とありますが、実装することは可能なのでしょうか。
「シンガポールでは、行政が主導して、環境問題を施策として推進しています。国家の成り立ちからして、災害や上下水道整備、環境問題に取り組むことが死活問題なのです。そういった先進的な取り組み、実証実験を行いながら、環境や防災都市計画そのものをビジネスモデルとして国外に売り込むことも考えています」(阿部さん)といい、単なる提案で終わらせない他国の取り組みに可能性を感じます。
「今まで日本社会は、高度経済成長を通し、都市や人工物は『壊れない』ことを前提に堅牢堅固な建物を作ることに腐心してきました。実際には竣工して終わりではなく、短・中・長期でメンテナンスをして適切に入れ替えていかなければ、建物は維持できません。建造物が美しいのは当然として、大きな自然の一部として、新陳代謝をし入れ替わっていく、ゆらぎがあり、壊れるものであると捉えなおすことで、新しい枠組みや都市像が見えてくるのだと思います」(阿部さん)
阿部仁史さん(写真提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会 Photo by Kentaro Yamada)
日本は高度経済成長期に急激な都市化が進みましたが、そのときに建設された建造物が今、まさにうつろいのさなかにいます。これを単なるスクラップ&ビルドで高層化し新しく塗り替えるべきなのか考えさせられます。筆者と同じように考える人は「リジェネラティブ・アーバニズム」展を見学した人にも多いようで、見学後のアンケートには、
「都市化、都市への一極集中化が良いことのようにされているけれど、そもそもの議論が必要だと思う」
「まだ世界にはリスクがいっぱいで、最低限にも満たない暮らしを強いられる人がいることに気づかされた」
「総合的に、グローバルな観点から考察する必要がある」
などのコメントが寄せられていました。
都市というとアスファルト舗装された土地、立ち並ぶ高層ビル、添えられた緑を思い浮かべていましたが、それは20世紀モデルであり完成形ではありません。よりしなやかで強靭、変貌と変化があり、自然現象と共生する都市デザインである「リジェネラティブ・アーバニズム」の新しい試みと価値観に期待が止まりません。
豪雨や洪水によって市街地の浸水リスクが高まると、都市のモビリティと景観が一気に災害モードに切り替わる「フルーイッド・シティスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)
造成時に掘り出した土砂を盛土して、池や島など、凹凸した起伏ある景観を人工的に作り出す「アイランド・ディストリクト」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)
急激な海面上昇による潮位の変化や洪水に柔軟に対応する、モジュール型の「親水性(しんすいせい)居住ユニット」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)
津波や高潮の危険性を抱え、先人たちによってその危険性や身を守る術などが伝えられてきた沿岸部。そこを住民や観光客を引き込む水辺の公共空間として再整備することで、地域の防災意識を高めている「メモリアル・ランドスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会制作実行委員会)
●取材協力
ArcDR3展覧会製作実行委員会
※1 国際連合広報センター
このコロナ禍で、おうち時間の過ごし方が見直され、新しい楽しみのトビラを開いた人も少なくない。スパイスからつくる「おうちカレー」もそのひとつだろう。一方で、スパイスカレーは世界中で食べられているグルメであり、そこでしか味わえない魅力もある。きっと、コロナ禍が落ち着いたら遠出して食べたい「旅カレー」もあることだろう。
今回は「SUUMO」×「じゃらん」のコラボ企画として、そんなカレーを「おうちカレー」「旅カレー」それぞれの視点から楽しみ方を紐解いてみたい。そこでSUUMOジャーナルでは、スパイスを求めて20年、各国に旅をしながら、著書やnoteなどでカレーレシピを発信し続けているカレー研究家の水野仁輔さんに「おうちカレー」の話を聞いてみた。
水野仁輔さん(カレー研究家)。カレー専門の出張料理人として活動する傍ら、スパイスを求めて世界中を旅したり、友人とカレーを研究したり、カレーについて学べる学校を開講したりと、約20年間にわたりカレー・スパイス中心の生活を送ってきた。『スパイスカレー新手法』など、これまでに手掛けた関連著書は60冊以上(写真撮影/嶋崎征弘)
――水野さんは20年間にわたってカレーとスパイスを探求してきたということですが、何がきっかけだったのでしょうか?
水野仁輔さん(以下、水野):子どものころ、地元・浜松市に「ボンベイ」というカレー屋ができたんです。当時の静岡・東海地方では珍しかったタンドール(※1)を導入していて、本格的なインド料理を食べることができました。そのお店が僕の原点ですね。スパイシーな味付けのカレーが大好きで、中学生、高校生になってからは自分のお小遣いで通うようになりました。
(※1)インド料理などで使われる壺窯型のオーブン
――子どものころから甘口のカレーではなく、スパイシーなカレーに親しんでいたとは。
水野:僕にはとても美味しく感じられました。大学進学を機に上京しましたが、ボンベイの味は忘れられず、似た味を求めてさまざまな有名店のカレーを食べ歩いたり、インド料理店でアルバイトをしてみたりと、カレー中心の生活でしたね。バイト先で覚えたカレーを誰かに食べてもらいたくなって、よくホームパーティーも開いていたんですが、最初は数名の友人だけだったのが段々と増えていって。社会人一年目のころには公園に30名くらい集めて、カレーイベントを開いたりもしましたね。
――イベントまで。そのころからすでに、スパイスカレーの美味しさを周りに広めていたんですね。
水野:イベントといっても、僕が公園でカレーをつくり、みんなに食べてもらうだけでしたけどね。それでも思いのほか好評で、これを機に「東京カリ~番長(※2)」というグループを作って活動を始めたんです。多くのイベントやクラブから「カレーをつくってほしい」というオファーをいただき、当時は毎月のように出張していましたね。
(※2)2000年に結成されたカレーの出張料理ユニット。日本各地のイベントやクラブなどに出張し、創作カレーを販売。「二度と同じカレーはつくらない」がポリシー
日印混合インド料理集団「東京スパイス番長」メンバーでインドを訪れたときの写真(写真提供/水野仁輔さん)
水野:特に、スパイスカレーは「香り」が強いため、つくっている途中から盛り上がるんですよ。「香り」はその場にいる全員が感じることができますし、調理中は目紛しく変化します。他の料理では、なかなか体験できないんですよね? それが成功の要因だと思います。
――それから20年経った今も出張料理は続けられていますよね。
水野:はい。目標は47都道府県の制覇です。12人のメンバーで、全国各地へ出張していますよ。ちなみに、昔はあらかじめカレーを仕込んでいましたが、今はスパイスだけを持参し、その土地の市場やスーパーで買った食材を使ってカレーをつくっています。
――それは楽しいですね。それに、地元で買えるものを使っているということで、参加者も自宅で真似しやすそうです。ちなみに、日々カレーを研究するにあたって、どのように情報やヒントを得ているんでしょうか?
水野:コロナが流行する前は、月の半分ほど海外に足を運び、各地のカレーやスパイスからヒントを得ていました。そして、帰国後にそのカレーを“解剖”してレシピをつくったり、新しいカレーを開発するための研究に活かしたり、という形ですね。1人でコツコツやるというより、シェフ仲間や「カレーの学校(※3)」の卒業生たちと一緒に、アレコレ実験しながら研究することが多いです。
(※3)水野さん主宰の“カレープレーヤー”養成所。通信講座で、カレーにまつわるさまざまな授業を行う
(写真提供/水野仁輔さん)
「カレーの学校」授業の様子(写真提供/水野仁輔さん)
水野さんのおうちでのカレーの楽しみ方って?――みんなでカレーづくりすると、面白い化学反応が生まれそう。
水野:いろんな仲間が集まって、カレーの話をしたり、探求するのは本当に楽しいです。それぞれが面白いアイディアを持っているので、1人では思いもしなかった発想が飛び出したりもするんですよ。そのため、ここのオフィスは卒業生、カレー仲間のシェフには常に無料で開放しています。使いたい人は自由にどうぞって(笑)。
――気前がいいですね。
水野:スパイスや調理器具は常備していますし、部屋には僕が世界中から集めてきた本がそろっています。もはや、僕がいない日でも一日中、みんなでカレーを楽しんでいますよ。そうやって一緒にカレーを面白がってくれる仲間たちがいて、本当に恵まれていると思います。これは、カレーがつないでくれた縁ですね。
――楽しそうです。読者が自宅でみんなでカレーづくりをするなら、どんな楽しみ方をするのがおすすめですか?
水野:みんなで集まってつくること自体が楽しいんですが、何人かでつくるのなら複数のカレーをつくってワンプレート盛り合わせをするのがいいと思います。あとは、カレーをメインとしたホームパーティーを楽しむなら、「カレーはあるから他を持ち寄りにしよう」と言って、前菜やつまみ、デザート、お酒などを持ち寄ってもらったらいいと思いますよ。
水野さんのオフィスには世界各国の本屋で収集したカレー・スパイスの本や資料が並ぶ(写真撮影/嶋崎征弘)
(写真撮影/嶋崎征弘)
――私もみんなでスパイスカレーをつくってみたいです。ちなみに初心者にオススメのスパイスはありますか?
水野:「ターメリック」「レッドチリ」「コリアンダー」。おまけとして「クミン」というところですね。この4つの組み合わせがオススメです。4人分のカレーをつくる場合の配合は、ターメリック小さじ1、レッドチリ小さじ1、コリアンダー小さじ3、クミン小さじ3がいいでしょう。分量の基本として、「黄色」のターメリックと「赤色」のレッドチリは少なめ。コリアンダーやクミンのような「茶色」は多め、と覚えておくといいと思います。これを加えるだけで、市販のカレー粉よりも抜群に良い香りになりますよ。
急きょ「カレーの学校」が開講(写真撮影/嶋崎征弘)
――意外と簡単! さっそく試してみます。
水野:そう、簡単なんです。スパイスカレーってハードルが高いと思われがちなんですけど、じつはそんなこともないんですよ。それでいて、いったん体験してしまうとスパイスの奥深さに気づいて、探求が止まらなくなるんです。
ターメリック(右上)、レッドチリ(右下)、コリアンダー(左下)、クミン(左上)(写真撮影/嶋崎征弘)
水野:ちなみに、初心者の人には「ハンズオフカレー」をオススメしています。僕が考案した世界一簡単なカレーのつくり方で、材料をすべて鍋に入れて蓋をしたら、あとは火にかけるだけ。スパイスがそろっていない場合は市販のカレー粉で代用可能ですが、今日は「AIR SPICE(※4)」のスパイスを使ってつくってみましょう。
(※4)レシピ付きのスパイスセットが毎月届く、サブスクサービス
「世界一簡単」な鍋に食材とスパイスを入れるだけ「ハンズオフカレー」【ハンズオフカレーの作り方】
●材料(4人分)
クリーム色の「パウダースパイスA」と茶色の「パウダースパイスB」を使用(写真撮影/嶋崎征弘)
・植物油…大さじ3強(40g)
・玉ねぎ(粗みじん切り)…小1個(200g)
■パウダースパイスA
・オニオンパウダー…大さじ1
・ジンジャーパウダー…小さじ1
・ターメリックパウダー…小さじ1
・ガーリンクパウダー…小さじ1/2弱
■パウダースパイスB
・クミンパウダー…大さじ1
・コリアンダーパウダー…小さじ2
・パプリカパウダー…小さじ1
・ガラムマサラパウダー…小さじ1/2
・グリーンカルダモンパウダー…小さじ1/2
・ブラックペッパーパウダー…小さじ1/2
・塩…小さじ1と1/2(8g)
・鶏もも肉(一口大に切る)…400g
・トマト(粗みじん切り)…小1個(150g)
・水…150ml
・ココナッツミルク…100ml
・ミント(あれば、ざく切り)…1/2カップ
(写真撮影/嶋崎征弘)
●作り方
材料を上から順にすべて鍋のなかに入れ、強火で3分ほど鍋の中央がフツフツとするまで煮立て、蓋をして弱火で30分ほど煮る。30分後、塩で味を調整する。
「カレー調理に技術は要らない」ということでハンズオフカレーと名付けたそう(写真撮影/嶋崎征弘)
――本当に簡単ですね。
水野:そうですね。基本、鍋に食材とスパイスを入れて30分ほど放置するだけですから。ちなみに、30分はあくまで目安で、使用する鍋や火力によって適切な時間は異なります。ただ、このカレーは“しゃばしゃば”だと味気なくなってしまうので、ある程度は煮詰めるようにしてください。
30分後。スパイスの良い香りが部屋中に広がる(写真撮影/嶋崎征弘)
完成。ビールやスパークリングワイン、ジンジャーエールなど発泡系のドリンクと合わせるのがオススメとのこと(写真撮影/嶋崎征弘)
――おいしい……! スパイスの刺激とココナッツミルクやミントの爽やかさが不思議とマッチしていて、とても複雑な香りと味わいですね。
水野:おそらく、これまで自宅で食べてきたカレーとは全く別物だと思います。でも、いつものカレーと違うことといったら、スパイスの香りだけなんですよ。それだけ、料理にとって香りがいかに重要な要素であるかということですよね。
道具にもこだわると、もっとカレーの世界が広がる――カレーづくりにおすすめの調理環境や道具などについてもお聞きしたいのですが、水野さんはキッチンに対するこだわりはありますか?
水野:それが、特別これといったこだわりはないんですよ。あとは、自分にとって使いやすい状態になっていればいいかなと。そういうのって決まった法則があるわけじゃなくて、日々使っていくうちに整っていくものだから、結局は使い慣れた自宅のキッチンが一番オススメです。
――では、調理道具のこだわりは何かありますか?
水野:同じものがずらっと何個もそろっている状態が好きですね。ここのキッチンにも、鍋やカセットコンロ、キッチンタイマー、ゴムベラなんかも、同じものが5個ずつくらい揃っているんですよ。ぱっと見の景観が統一されている状態が気持ちよくて。だからこそ、“一つ目”を決めるまで徹底的に調べ尽くして、お気に入りを見つけたらまとめて買うようにしています。
――それは独特のこだわりですね(笑)。でも、木ベラは違うものが何種類もあるようですが?
水野:木ベラに関しては特に好きな調理道具なので、新しい形を見つけるとすぐに買ってしまうんです。それに、どんなカレーをつくるかによって鍋の形が変わり、最適な木ベラの形やサイズも変わってくるんですよ。例えば、食材を潰しながら加熱したり、焦げないように鍋底をこする必要がある場合は、丸い形状の木ベラよりも「平らな形状」の木ベラのほうが鍋底に当たる部分が広いので使いやすいです。
水野さん愛用の木ベラ。なかでもお気に入りは、長く握っていても疲れない太いグリップの木ベラ。素材は固くて持ちやすいオリーブがオススメとのこと(写真撮影/嶋崎征弘)
――木ベラ以外に、カレーづくりに欠かせない調理道具はありますか?
水野:基本的には鍋と木ベラがあれば十分だと思いますが、よりステップアップを目指すなら「すり鉢」と「スパイスクラッシャー」は持っておいても良いかもしれません。スパイスをすり鉢でパウダー状にしたり、ホールスパイスをスパイスクラッシャーで粗挽きにすると、より香りが立ちますよ。
水野さんがインドで購入した「スパイスクラッシャー」(写真撮影/嶋崎征弘)
――最初からパウダー状になっているものと、その場ですりおろすのとでは香りが変わってくるのでしょうか?
水野:まるで違います。可能なら、全てのスパイスを自分で挽いてほしいですね。おそらく「今まで自分が買ってきたスパイスは何だったんだろう」と思うくらいに差は歴然だと思います。コーヒーが好きな人も粉で買わずに、家で豆を挽くじゃないですか? それと同じで、挽きたてはとにかく香りが良いんです。
好きなカレー屋を見つけると街の暮らしがもっと豊かになる――おうちカレーも楽しいのですが、カレー屋さんってどの街にもあり、お気に入りのお店を見つけると、その街での暮らしが俄然楽しくなったりすると思います。最後にぜひ、水野さんオススメのカレー屋さんも教えていただきたいのですが、最近も食べ歩きはしていますか?
水野:じつはここ数年は食べ歩きをしていません。というのも、行くお店はもう決まっていて、6軒のカレー店に20年近く通っているんです。「ムルギー(東京都渋谷区)」「デリー(東京都文京区)」「ピキヌー(東京都世田谷区)」「ブレイクス(東京都渋谷区)」「共栄堂(東京都千代田区)」「ナイルレストラン(東京都中央区)」ですね。この6軒さえあれば、僕は幸せなカレーライフを送れます。カレーづくりのヒントやアイデアの種は、食べ歩き以外のところでも得られますしね。
必要最低限の調理道具だけがそろう、整理整頓されたキッチン(写真撮影/嶋崎征弘)
――6軒それぞれカレーの特徴が異なりますが、共通して好きなポイントはありますか?
水野:どのお店もカレーの“表情”が美しいです。僕は基本的に運ばれてきた料理をすぐ食べるようにしているのですが、この6軒のカレーだけはいつも写真におさめたくなってしまいますね。単に綺麗に盛り付けられているというだけでなく、ソースの色味やテクスチャーなど、僕なりの判断基準があります。完全に僕の主観と経験に基づくものなので、解説するのが難しいんですけどね。
それから、どこか落ち着く雰囲気も共通しています。お店の人との「最近どう?」みたいなコミュニケーションも心地よくて、行きつけのバーを訪れるような感覚に近いかもしれません。
――そんなふうに、自分なりのお気に入りのお店を見つけるのも楽しそうです。
水野:自宅の近くにそんなお店があったら、きっと毎日が楽しいと思います。僕の知人にも、好きなカレー店を追いかけて引越した人がいるくらいですから。そうまでする価値があるくらい、カレーは生活を豊かにしてくれるものだと思いますよ。みなさんもぜひ、ふらっと立ち寄れる距離でお気に入りのカレー店を探してみてください。そして、ぜひ店主や常連客とコミュニケーションをとって、仲良くなってほしいですね。
●取材協力
水野仁輔さん
note
AIR SPICE
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水野さんのスパイスカレー探究の旅については「じゃらんニュース」で
カレー研究家・水野仁輔の「世界のスパイスカレー探求旅」がスゴすぎる! 日本の絶品ホテルカレー4選も
日本屈指の繁華街、新宿駅。2022年4月には高層オフィスビル建設を含むグランドターミナル再編を目指した再開発計画の概要も発表されている。その新宿駅へ30分以内で行ける駅はどこだろうか。ワンルーム・1K・1DKを対象にした家賃相場が安い駅の最新ランキングから、狙い目の街を探してみよう。
新宿駅まで電車で30分以内、家賃相場の安い駅TOP12順位/駅名/家賃相場(沿線名/駅の所在地/新宿駅までの所要時間(乗り換え時間を含む)/乗り換え回数)
1位 京王よみうりランド 5.00万円(京王相模原線/東京都稲城市/29分/1回)
2位 生田 5.20万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/22分/1回)
3位 花小金井 5.30万円(西武新宿線/東京都小平市/30分/1回)
4位 読売ランド前 5.35万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/24分/1回)
5位 朝霞台 5.40万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/28分/1回)
6位 西国分寺 5.50万円(JR中央線・武蔵野線/東京都国分寺市/29分/1回)
7位 田無 5.60万円(西武新宿線/東京都西東京市/28分/1回)
8位 京王稲田堤 5.80万円(京王相模原線/神奈川県川崎市多摩区/28分/1回)
9位 朝霞 5.90万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/27分/1回)
9位 百合ヶ丘 5.90万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市麻生区/26分/1回)
9位 稲田堤 5.90万円(JR南武線/神奈川県川崎市多摩区/29分/1回)
12位 中野島 6.00万円(JR南武線/神奈川県川崎市多摩区/27分/1回)
12位 京王多摩川6.00万円(京王相模原線/東京都調布市/26分/1回)
12位 南浦和 6.00万円(JR京浜東北線・武蔵野線/埼玉県さいたま市/30分/1回)
12位 向ヶ丘遊園6.00万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/19分/1回)
12位 和泉多摩川6.00万円(小田急小田原線/東京都狛江市/22分/1回)
12位 柴崎 6.00万円(京王線/東京都調布市/27分/1回)
12位 蕨 6.00万円(JR京浜東北線/埼玉県蕨市/26分/1回)
12位 西調布 6.00万円(京王線/東京都調布市/28分/1回)
1位は東京都稲城市にある京王よみうりランド駅だった。京王相模原線の快速と区間急行の停車駅で、駅名のとおり遊園地の「よみうりランド」の最寄り駅だ。
よみうりランド(写真/PIXTA)
稲城市は、多摩ニュータウンに含まれる東京都内のベッドタウンで、緑豊かな地域。農業が盛んで、市と同名の品種「稲城」などのブランド梨の栽培でも知られる。そのため、駅付近は閑静な住宅地だが、周囲には畑も目立ち、市内のあちこちで農家の直売所も見かける。駅近くには百円均一店などが入るスーパーもあるが、市外からも買いに訪れる人の多い梨をふくむ新鮮な農産物が手軽に入手できるのは魅力だ。
少し行けば、大露天風呂を備えた温泉施設や、よみうりランドで遊ぶ際にも利用できる大規模なバーベキュー施設などもある。郊外ならではの週末の楽しみも満喫できそうだ。
3位の花小金井駅は西武新宿線の沿線駅。急行と準急が停車する。7位の田無駅とは隣駅で、こちらは快速急行と急行、通勤急行と準急の停車駅。駅間距離は約2.6kmなので、価格と交通利便性のバランスをとってうまく物件を選びたいところだ。
周囲には市立の図書館や、世界一に認定されたプラネタリウムのある体験型ミュージアム「多摩六都科学館」など教育設備が点在しているため、子育て世帯が多い印象を受けるが、駅周辺は単身者向けの物件も目立つ。西武新宿線は早稲田大学の最寄駅の高田馬場駅にも乗り入れて、花小金井駅には早稲田大生も多く住んでいる。また法政大の小金井キャンパスもほど近い。
駅の近くには24時間営業のスーパーなども充実しており、100軒以上の飲食店などが並ぶ商店街「花小金井商栄会」もある。自然が豊かな地域で、うつくしく整備された長い緑道沿いには、野菜の直売所をみかけることも。桜の名所として知られる約80haの「小金井公園」もすぐそば。サイクリング専用コースやドッグランなどの施設のほか、墨田区にある江戸東京博物館の分館として開設された屋外博物館「江戸東京たてもの園」もある。文化的価値の高い歴史的建造物を移築、復元して展示している博物館で、地元の多摩地域の歴史に関する展示も豊富だ。
小金井公園(写真/PIXTA)
また7位の田無駅は、駅直結の複合商業施設や成城石井などのスーパーのほか、少し行けばホームセンターもある。便利なチェーン系飲食店も数多いが、駅の南側にはレトロな雰囲気のある個人経営店も点在している。所在地である西東京市の市役所も近く、日常の生活には全方位的に便利な場所、といえそうだ。
複数路線利用駅や再開発進行中の駅もランクイン5位の朝霞台駅は、東武東上線の急行や快速の停車駅。新宿と同様に都内屈指の繁華街である池袋駅までも乗り換えなしで約20分で行ける、利便性抜群の駅だ。JR武蔵野線の北朝霞駅と直結しているため、複数路線利用できるのもうれしいところ。
駅前はチェーンの飲食店や深夜2時まで営業しているスーパーがあるが、少し行くと落ち着いた住宅街が広がる。9位の朝霞駅とは東武東上線の隣駅だが、朝霞駅は準急と普通の停車駅。交通の便がよく、駅周辺がよりにぎやかなのも朝霞台駅だが、朝霞市役所や朝霞税務署、ハローワーク朝霞などの公的機関は朝霞駅が最寄りだ。
両駅の所在地の朝霞市は埼玉県の南東側に位置し、東京都と隣接している。地名を冠した陸上自衛隊の朝霞駐屯地が有名だが、敷地は実は練馬区や和光市、新座市にまたがっていて、大半は朝霞市ではない。しかし広報センターは朝霞市にあるため、納涼祭などのイベントが開かれ、地域に親しんでいる。また市民まつりでは、県外からの参加者もいる大規模なよさこいが開催される。
ランキング中、唯一所要時間が20分を切ったのが、同率12位の向ケ丘遊園駅。向ケ丘遊園駅は渋谷駅まで電車で30分以内の家賃相場が安い駅ランキングの2021年版でも3位にランクインしている。
向ケ丘遊園駅(写真/PIXTA)
周辺は専修大学生田キャンパスや明治大学生田キャンパスなど大学が多いため、そうした学生向けの物件が充実している。深夜まで営業しているスーパーや飲食店が多く、特にラーメン店が充実しており、学生でなくても単身者には心強い。所在地である多摩区役所の最寄り駅でもある。また、近くには漫画家の藤子・F・不二雄氏の描いた原画などが展示された「藤子・F・不二雄ミュージアム」や、川崎市生まれの芸術家、岡本太郎氏と、その両親で漫画家の岡本一平氏、小説家の岡本かの子氏の作品を顕彰する「岡本太郎美術館」など複数の美術館がある。
駅名の由来となった向ヶ丘遊園の広大な跡地は再開発が進められており、23年度には新たなシンボルとして温泉や商業施設、自然体験ができるキャンプ場などを備えた施設が完成する予定という。なかでも温泉施設は、周囲の自然豊かな環境を楽しみながら都心まで望める露天風呂や、貸し切り個室風呂、昨今ブームになっているサウナ施設なども設ける予定で、近い将来に、新しい魅力をみせてくれそうな街といえそうだ。
ランキングは東京、神奈川、埼玉を各方面がバランスよく混在し、路線も非常にバラエティー豊か。新宿駅というターミナルの大きさを実感するとともに、家探しの選択肢の無限さにも思いをはせてしまう。自分の求めるライフスタイルや生活の中で重視するものは何かをしっかり見極めて、最適な部屋を見つけたいものだ。
●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている新宿駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/1~2022/3
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年3月28日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載
例年、発表されているリクルートの「住みたい街(駅/自治体)」ランキング。2022年は少し趣向を変えて、住民への実感調査による「住み続けたい街(駅/自治体)」ランキングが発表された。昨今の福岡市中心部の住宅価格は高騰が続き、周辺自治体にもぐっと注目が集まっている。また、各自治体がそれぞれ個性的なキャラクターを持っているエリアのおもしろさもある。そんな視点でランキングを紐解いてみたい。
2022年「住み続けたい駅」ランキングは、地下鉄七隈線「薬院大通」が第1位!10位以内にランキングした駅はすべて福岡市内、特に空港線沿線に人気が集まった
2022年「住み続けたい駅」ランキングでは、「薬院大通」駅が第1位を獲得した。街の魅力を感じる点を調査すると「人からうらやましがられそう」というマインド面が第1位に。「メディアによく取り上げられて有名である」も4位にランクインした。福岡在住歴の長い私もそうだが、何ごとにも前のめりでちょっとミーハー、“新しいもの好き”“ホメられ好き”の福岡人気質が表現された結果となった。
「薬院大通」駅の支持理由2位は「雰囲気やセンスのいい、飲食店やお店がある」。美味しくて価格もお手ごろな飲食店がそろう薬院周辺。またオフィス街でもあり、職住近接のため終電を気にせず深夜まで飲食を楽しめるという福岡市の特性も、その背景にありそうだ。
薬院にある三角市場(写真/PIXTA)
現在、「薬院大通」駅の利便性は、西鉄天神大牟田線と地下鉄七隈線がクロスする2位の「薬院」駅より少し劣る。しかし、2023年3月に地下鉄七隈線 天神南駅~博多駅が開業予定。博多駅へのアクセスがぐっと向上することでも注目されている。
ちなみに「薬院大通」駅は2020年の「住みたい駅」ランキングでは圏外だった。しかし前述のように注目のショップや飲食店が増えたのに加え、この駅のランドマーク的存在だった九電記念体育館の跡地で大規模なマンション開発が行われたことも一因であろうか。都心の新築マンションでおしゃれに暮らしてみたい!という人が増えたのかもしれない。
2位の「薬院」駅は、隣駅ということもあり1位の「薬院大通」と同様の魅力が評価された。資産価値が高そうな点を魅力と感じる人も多かったようだ。3位の「大濠公園」駅は福岡市民のオアシス・大濠公園の存在が大きいだろう。休日の朝は我が庭のような感覚で大濠公園をウォーキンやジョギング。運動したあとは園内のカフェでゆったりブランチ。そんな暮らしを日常として楽しめる。
大濠公園(写真/PIXTA)
第8位の地下鉄七隈線「六本松」の街の魅力は「住民がその街のことを好きそう」「住み続けたい駅」ランキングの特長が出たのは地下鉄七隈線「六本松」。街の魅力を感じる点の第1位は「街の住民がその街のことを好きそう」。確かに「六本松421」にある福岡市科学館や蔦屋書店、裁判所など、この場所にあった九州大学の知性を受け継ぐような施設は住民の誇りである。
六本松周辺(写真/PIXTA)
その一方で下町感たっぷりの飲み屋街「京極街」も健在。 “裏六本松”と呼ばれるエリアにはパン好きからの支持も高いパン屋「マツパン」や自家焙煎コーヒーの「COFFEEMAN」などがあり、SNSでも若者を中心に情報が話題が尽きない人気スポットだ。住民にとっては普段着で行ける居酒屋から、オシャレに楽しめるレストランまで幅広く選べるのがうれしい。
ちなみに2020年の「住みたい駅」ランキングでの地下鉄七隈線「六本松」は第11位で、10位以内にランクインしなかった。2019年の「六本松421」を中心とした再開発から数年経ち、「引越し後、実際に住んでみたら心地よかった」という流れができているようだ。住民自身が街のファンになり、当然その駅に住み続けたいと思っている。そんな関係性がよく分かる。
「住み続けたい自治体」ランキング第2位は、福岡市内ではなく「糟屋郡新宮町」!福岡県民なら納得の1位「福岡市中央区」の次に「糟屋郡新宮町」がランクイン! 福岡市内の中央区以外を抑えた
続いて、「住み続けたい自治体」ランキングを見ていこう。1位の福岡市中央区は中心地の天神を筆頭に、薬院、赤坂、大濠、六本松など「住み続けたい駅」にも名を連ねる街を有する自治体。3位の福岡市早良区は人気の学校が多い西新、福岡タワーがあり高級住宅街でもある百道浜の存在が大きい。
そして、ランキング内でひときわ輝く存在が2位の「糟屋郡新宮町」だ。福岡県内の「町」として最上位につけた。「糟屋郡新宮町」は福岡市東区と隣接。博多までJRで15分程度。福岡空港や天神へもJR+地下鉄にて30分程度で移動できる。また北九州市方面へのアクセスが良いことから、自宅は北九州市方面、職場は福岡市内、といった人々からも支持が高い。
新宮町のメイン駅、JR新宮中央駅前(写真/PIXTA)
さらに2010年に開業した新宮中央駅の存在も大きい。「糟屋郡新宮町」で唯一のJR駅で、駅前は美しく整備され、開発とともに完成した新しいマンションが立ちならぶ。九州で唯一のIKEAをはじめユニクロ、カインズなどの郊外の大型店舗が集結し、福岡市内からドライブがてら買い物に出かける人も多い。
一方で、砂浜が美しい新宮海水浴場や立花山などもあり、自然も豊か。利便性とのびのびとした住環境の両方を手にできる。これらを含めて「糟屋郡新宮町」は「人からうらやましがられそうな自治体」第2位にランキング。そのほかでは街ににぎわいがありながら、整然としているところ、これから街がさらに発展しそうなところも魅力であり、「住み続けたい」と思わせるところなのだろう。
「住み続けたい自治体」ランキングには、自治体の子育てサポートや各種制度の手厚さが反映される!?「住み続けたい自治体」ランキング6位に「北九州市戸畑区」がランクインしたことも記しておきたい。以前は工場地帯のイメージが強かった北九州市であるが、現在は「福祉の街」として注目を集めている。特に年配者に向けたサービスが手厚く、市役所には「長寿社会対策課」もあり、生涯現役を目指した生きがいづくりや、在宅の高齢者への支援が充実している。
北九州市戸畑区(写真/PIXTA)
また、バリアフリーの街づくりが進み、2022年には高齢者の生きがいづくりや社会者参加を促進する「いきがい活動ステーション」が小倉魚町のまちなかに誕生。さらに人口10万人あたりの病床数が20政令指定都市の中で全国2位。医療機関数も病院が第3位、一般診療が第4位(出典:保健福祉レポート2019[北九州市])と多く安心できるので、退職後のUターン・Iターンを考える人も多い。
今回の調査での「北九州市戸畑区」についても、「介護や高齢者向けサービスなどが充実している」が第1位になっている。また「公共施設が充実している」では3位となっている。
白水大池公園(写真/PIXTA)
そして8位の「春日市」は子育てがしやすい自治体として知られている。市内の小中学校すべてが「コミュニティ・スクール」と位置づけられ、学校・家庭・地域の連携による子どもの育成を推進。地域活動参加や地域からのゲストティーチャーを積極的に受け入れるなど、子どものための豊かな環境がある。
さらに「春日公園」「白水大池公園」など子どもが思い切り遊べる大型の公園が充実。子育てが本格化する前に、春日市やその隣の大野城市で住宅購入を考えるファミリーも多い。
「福岡市中央区」のように以前より注目度が高い自治体もあれば、「糟屋郡新宮町」のように開発によって一気に上位へランクインする自治体もある。北九州市のように一時期は沈みがちだった人気が、徐々に復活している自治体もある。駅についてもまたしかりであろう。
2022年は、福岡市博多区のJR竹下駅近くに「ららぽーと福岡」が開業。さらに同駅近くにあった「アサヒビール博多工場」の移転も発表され、その跡地の行方にも注目が集まっている。また北九州市八幡東区のスペースワールド跡地には「ジアウトレット北九州」がオープンし、人々の流れがまた変化している。
街はいきもの。時代や開発とともに「住み続けたい街」への意識がどう変わるのか。これからも注目していきたいと思う。
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