
15万2,000円 / 42.57平米
京王線「明大前」駅 徒歩8分
家とはプライベートなものであるというのは当然のことなのですが、今回の物件には外の世界とプッツリ分断されているかのような、まるで異世界に迷い込んだかのような感覚を覚えました。
建物は若松均建築設計事務所による設計で、井の頭線沿いという「音」の問題を抱えている土地に対して立てられて ... 続き>>>.
圧倒的に不動産情報が多いですが。。。。
本州最北端の青森県。
青森市、弘前市、八戸市の三市はほぼ同等の人口規模で、それぞれが深い関係を持ちつつも異なる文化を築いてきました。
このうち、江戸時代に八戸藩の藩都が置かれていた八戸市に、全国的にも珍しい市営の本屋さんがあるのをご存知でしょうか?
書籍を扱う行政施設といえば、図書館が真っ先に思い浮かびますが、「八戸ブックセンター」ではあえて貸出機能はもたず、民間の書店同様、書籍の販売をしています。
市が運営する書店、民間の書店とどのような違いがあるのでしょうか?企画運営担当の熊澤直子さんに、開設5年を迎えたブックセンターの活動について、伺ってきました。
市街地中心部に位置する八戸ブックセンター(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
八戸ブックセンターを開設したのは、2016年12月。
八戸市では「本のまち八戸」の推進を掲げ、年代に応じた様々な事業を実施していますが、その拠点施設としてブックセンターは位置付けられました。
その動機となったのは、地方都市ならではのある悩みでした。
「書店としての経営を考えると、どうしても売れる本を中心に売り場をつくっていく必要があります。そうすると、売れ行きが見込みづらい専門書的な本や特定のジャンルの本が置けなくなるなど、本を通して出会う世界が限られたものになってしまいます。本との豊かな触れ合いを残していくことが、八戸にとって重要なことだったんです」
各ジャンルごとに一定数のお客さんが見込める大都市圏とは異なり、人口規模の小さな八戸市では専門性の高い書籍を扱う書店は経営が難しい状況にありました。多様な本との出合いを維持していくためには、民間の書店には難しい部分を市が補っていく必要がある。八戸市は、ブックディレクターの内沼晋太郎氏に選書体制を相談するなど専門家の知見も得ながら、ブックセンターの構想を固めていきました。
そのコンセプトは「本を読む人を増やす」。
本を読む人が増えれば、市全体で本にまつわる文化を盛り上げていくことができます。人口減少時代の地方都市が抱える課題に対する挑戦として、真新しくも必然的な一手でした。
八戸ブックセンターは市の施設として営業しているため、売上高の達成を目的としていません。
八戸市の書店を補完する、行政のサービスだからこそ可能な取り組みが活動の根幹となっています。
そのひとつが、八戸市内の他の書店では扱いづらいジャンルの書籍をラインナップすること。立ち上げ時には市内の各書店に、お店で置きにくいジャンルをヒアリングしていったそうです。
「選書はスタッフの知識を活かしながら行っています。人文系の選書に強いスタッフもおりますので、市内の書店さんとはまた違った品ぞろえができているかと思います」
「みわたす」「星をよむひと」「知能」「法則」など直感的な言葉で本が分類されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
イチ本好きとして店内を観察すると、「またここに来よう」と来訪客に思わせるための工夫が徹底されているように感じます。
どんな書店であっても、お客さんと本との出合いを大切に売場づくりを考える点は共通していますが、ここ八戸ブックセンターでは話題書やベストセラーなど、「ここ以外で売れる本」は置かない方針が根底にあります。
市中の本屋さんと競合するのではなく、共生することこそが八戸の書店文化を盛り上げることにつながっていくからです。
「できるだけ仕入れた本は返品をしない、というのも他の本屋さんではあまり見られない、うちならではの特徴だと思います」
仕入れと返品を繰り返しながら売れる本を探っていく一般的な書店とは、真逆の姿勢です。
そのためブックセンターには、売れ筋ではないけれど確かな選書眼で選びぬかれた、他の書店ではなかなかお目にかかれない本が揃います。
ここで出会った本を読んで満足した人は、またここに来ざるを得ない、そんな常連客との関係性が育まれていることでしょう。
どれだけネット書店が便利になっても、リアル書店でしか果たせない役割が体現されています。
八戸市にゆかりのある人たちがおすすめの書籍を選書した「ひと棚」のコーナー(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
八戸市を盛り上げる、文化の担い手を育てる姿勢もうひとつ、ブックセンターの重要なミッションがあります。
それは、本を書く人を増やすこと。
そのために「書く」を学ぶワークショップを開催したり、登録すれば誰でも無料で何時間でも使用できるお籠りブースを用意しています。
本を書くためにはいろんな本を読む必要があるでしょう。まさに本を読む人、書く人の両方を増やすための取り組みとなっています。
この姿勢が、八戸市に新しくできた八戸市美術館と共通しているなと感じました。
八戸市美術館は、美術を鑑賞するだけでなく、自ら創造活動に関わっていくことを意図した施設として2021年にリニューアルオープンした市営の美術館です。
この思想が建物のデザイン全体の方針として息づいており、展示室よりも大きな「ジャイアントルーム」と呼ばれる大空間を中心に据えたプランになっています。
ジャイアントルームは可動式の家具やカーテンにより、大小さまざまな活動が可能で、まさにこれから八戸市民の手によっていままで誰も考えもしなかったような使われ方が見出されていくことでしょう。
ちなみにこの日は作家・大竹昭子さんと、アーティストのヒロイ&ヒーマンさんの展示が、八戸市美術館と八戸ブックセンターの2会場で開催されていました。
今後の両施設連携企画でどのようなコラボレーションが生まれていくか、楽しみです。
八戸市美術館のジャイアントルーム。工夫次第でいかようにも使うことのできる、がらんどうが施設の中心になっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
八戸市美術館・八戸ブックセンター共同開催の写真・物語展「見えるもの と かたるもの」。前半部分が美術館に展示された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
八戸から全国へ。活動の強度を高める視座の高ささらにブックセンターでは本をつくる文化を盛り上げる、一歩踏み込んだ取り組みが行われています。
なんと、ここで行われた展示に関連し、八戸ブックセンターが主体となって書籍をつくってきたんです。
書店が本をつくるとは、どういうことでしょうか。
八戸ブックセンターでの展示にあわせ、左右社から刊行された詩集(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
ひと口に本をつくるといっても、その方法はさまざまです。
展示を本にする場合によく知られている方法としては、自らが発行元となる方法です。この場合は自社で工面できる予算の中で必要な部数を制作し、展示と合わせて販売していくことになります。本の内容をすべてコントロールでき、展示との連携も高めることができるため、来場者に強く訴求することができます。予算を用意できさえすれば確実に本をつくることができるため、展示のアーカイブを目的とする場合に適した方法です。
はじめ熊澤さんから「八戸ブックセンターでの展示と連動した本がある」と聞いた時、この方法を採っているのかなと思いました。八戸ブックセンターは書店の内部に展示スペースをもっており、地元の常連客が多く来場するであろうことを考えるとこの方法が手っ取り早いと感じたからです。
雑誌『縄文ZINE』とのコラボレーション展、「紙から本ができるまで/土から土器ができるまで」。展覧会に合わせ、『土から土器ができるまで/小さな土製品を作る』も刊行された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
しかし熊澤さんから出た言葉に驚きました。
「本ごとにそれぞれ別の出版社さんから発行しています。関わった作家さんなどとやりとりをしながら、企画内容を実現してくださいそうな出版社さんにお声がけをしてすすめています」
出版社で発行するためには、それなりの課題をクリアする必要があります。
その出版社から出すべき内容になっているか。
全国の書店で販売するだけの広がりがあるコンテンツになっているか。
出版社が損をしないだけの売上が見込めるか。
単に展示を見にきた人に興味を持ってもらうだけでは不十分な、企画としての強さが求められるといえるでしょう。
このような課題を乗り越えて展示と出版を手がけている公営の文化施設は、日本全国でもかなり珍しいのではないかと思います。
市民の方にとっても、普段から通っている書店での展示が、全国で販売される本にまとまることは、自分達の活動を広い視野をもって捉える機会になるのではないでしょうか。
そのような活動を知ってしまうと、今後八戸市民が創り上げた展覧会が、八戸市美術館から全国を巡回していく、そんな未来を妄想してしまいます。
「紙から本ができるまで/土から土器ができるまで」展は、市内にある「三菱製紙八戸工場」「是川縄文館」の協力により開催された。写真は是川縄文館所蔵の国宝、合掌土偶。風張1遺跡から出土(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)
図書館や美術館といった公共の文化施設は、全国どこでも同じようなサービスを受けられるようにと各地に建設されてきましたが、サービスの供給が行き渡ると同時に新しい施設に税金を投じることは箱モノ行政などと呼ばれ批判の対象にもなってきました。
そうした状況下での八戸市の取り組みは、行政側がサービスを提供するだけでなく、市民自らの手で文化を育てていく場を提供する、時代に即した在り方に思えます。
つくる人を育てる、八戸市の挑戦をぜひ現地で体感してみてください。
●取材協力
八戸ブックセンター
日本トレンドリサーチがロゴスホームと共同で、「家に欲しい設備」に関するアンケートをインターネットで実施し、その結果を公表した。それによると、「モニター付きインターホン」がかなり重要な設備になっていることが分かる。詳しく見ていこう。
【今週の住活トピック】
「家に欲しい設備」についてアンケートを実施/日本トレンドリサーチ
調査対象は全国の男女で1332件の有効回答を得たもの。このうち、「持ち家」に住んでいるのは55.3%。持ち家に住んでいない44.7%に対して、「家を購入するとしたら絶対に付けたい設備は何か」を聞いたところ、次のような結果になった。
家を購入するとしたら絶対に付けたい設備(複数回答可)(出典:日本トレンドリサーチ「家に欲しい設備」アンケート結果より転載)
TOP3には、「モニター付きインターホン」(51.2%)、「宅配ボックス」(44.6%)、「防犯カメラ」(42.6%)が挙がり、セキュリティや不在時対策などに重きが置かれていることが分かる。
これに対して、持ち家に住んでいる55.3%に、「購入した家にはどのような設備が付いているか」を聞いた結果は次のようになった。
購入した家に付いている設備(複数回答可)(出典:日本トレンドリサーチ「家に欲しい設備」アンケート結果より転載)
持ち家の付帯設備についても、1位は「モニター付きインターホン」(53.8%)となった。一方、「宅配ボックス」や「防犯カメラ」は、10位と11位になり、「浴室暖房乾燥機」や「カウンターキッチン」が上位に挙がった。
これは、「モニター付きインターホン」の重視度が高いことに加え、持ち家への普及が広がっていると考えられる。セキュリティを重視していても、防犯カメラまで設置されている家はまだ少ないということだろう。
ひとくちに「モニター付きインターホン」というけれどさて、モニター付きインターホンとは、テレビモニター付きドアホンともいい、「インターホンにテレビカメラを取り付け、住まいの中から外の様子や訪問者の顔を見ることができる装置」(SUUMO住宅用語大辞典)のことだ。あらかじめ訪問者の顔を確認すれば、不用意に玄関ドアを開けてしまうことが避けられる。
防犯面で役立つ設備だが、実はさまざまなものがある。今回の調査ではマンションか一戸建てかが明らかではないが、一戸建てではシンプルに、玄関にカメラ付きインターホン(子機)を設置して、家の中のモニター(親機)で来訪者を確認する形になる。
一方マンションの場合は、オートロック機能が付いている物件では、エントランスの自動ドアもモニターで応答しながら開けることができるので、エントランスと住戸の玄関の2段階のセキュリティに対応する。また、マンションの住戸内にはモニター画面が住宅情報盤に組み込まれていて、インターホンの機能のほかに火災報知設備やガス漏れセンサー、非常時の通報機能など住まいの安全を守る多様な機能が備えられているのが一般的だ。
さらに、モニター付きインターホンはさまざまに進化して、モニターがカラーになり画質も向上したり、録画機能が付いたりしている。カメラが広角レンズになって死角がないものもあれば、スマートフォンと連携して外出先でも来訪者が確認できるものもあり、いろいろな商品が登場している。
もし、注文住宅などで自身で商品を選べるのであれば、不審者の確認を徹底したいのか、子機を活用して住宅内の会話もしたいのかなど、どういった機能を重視するのかを見極めて、商品を選ぶとよいだろう。
また、現在は設置されていない中古住宅でも、後付けで設置できる場合もある。中古一戸建てでは、玄関のインターホンが電池式で配線がなくても設置できるものがある。中古マンションでは、さすがに個人でエントランスをオートロックにすることはできないが、管理組合の承認が得られれば、玄関にモニター付きインターホンを設置できることもある。
住まいの機能として、外部からの侵入を防ぐということも求められる。モニター付きインターホンが普及してきたのは、住む人の安全に配慮した結果だろう。上手に活用したいものだ。
●関連サイト
日本トレンドリサーチ共同調査「家に欲しい設備」についてアンケート結果
ロゴスホーム
2015年に閣議決定された国土形成計画をきっかけに、グリーンインフラという言葉が広く知られるようになりました。グリーンインフラとは、自然環境が持つ機能を社会におけるさまざまな課題解決に活用しようとする考え方です。雨水を利用する「雨庭(あめにわ)」は、グリーンインフラの取り組みのひとつとして注目されています。近年、雨庭を設置する自治体や雨水を利用する仕組みを建物に導入する建設会社も現れてきました。多発する豪雨などによる都市型洪水が問題視されていますが、その減災の取り組みとしても注目されている雨庭。一体どのようなものなのでしょうか?
都市化や気候変動によるゲリラ豪雨で、都市型洪水が増えている近年、気候変動に伴う異常気象が引き起こす大型台風やヒートアイランド現象等の自然現象が深刻になり、ゲリラ豪雨も問題になっています。処理できない水があふれ、マンホールを吹き飛ばすニュースの映像が印象に残っている人も多いのではないでしょうか。都市型洪水を減災する取り組みのひとつが雨庭(あめにわ)です。地上に降った雨をそのまま下水道に流れないよう受け止め、ゆっくり浸透を図る仕組みを持たせた植栽空間を指します。
近年、局地的に短時間で降る激しい豪雨、ゲリラ豪雨が多発している(イメージ写真)(PIXTA)
2022年6月3日には、東京をはじめ首都圏で、1日に2度のゲリラ豪雨が発生。夕方には電車が遅延し、帰りの足に影響が出て、ツイッター上では、「ゲリラ豪雨」がトレンド1位に(イメージ写真)(PIXTA)
九州大学大学院 環境社会部門流域システム工学研究室の田浦扶充子さんに、雨庭の成り立ちを伺いました。
「地面がアスファルトで舗装された都市では、雨水は地面に浸透せずに、雨水管や水路を経由して河川に放流されます。一時的な豪雨で、雨水が流入するスピードが、河川へ排水されるスピードを上回ると、雨水管が満管になり、水路や排水溝から水があふれる都市型洪水が起こります。都市化が進んだことによって、雨が浸透できる緑地や田畑などが減ったため、雨水管へ流れ込む雨の量が増えていることが主な原因といわれています。早くから下水道を整備した都心部などでは、雨水と家庭からの汚水を1本の下水管で流す合流式下水道という方式をとっている地域もあります。そのような地域では、豪雨の際にすべての下水(汚水と雨水)を下水処理場で処理できなくなり、河川へ未処理状態の下水が流れ出ることもあり、それによる河川水質への影響も懸念されています」
つまり、マンホールを吹き飛ばしたのは、下水道管からあふれた下水。都市型洪水を防ぐためには、雨天時に雨水管に入る雨の量を減らす必要があります。敷地内に水が浸透できる場所を増やし、降った雨水を敷地内で処理する必要があるのです。
アイデアがいっぱい! 個人宅につくった「あめにわ憩いセンター」島谷幸宏教授(現熊本県立大学所属)が中心となり、2016年に福岡の河川工学等の研究者らや建築士などによるあまみず社会研究会を立ち上げ、流域抑制技術の研究を行ってきました。島谷教授が提唱したのは、「あまみず社会」という雨水を色々な場所で浸透させたり、利用することで、有機的に成り立つ社会。一般の人に雨水浸透や利用について興味を持ってほしいとの思いから、造園や建築の専門家と協力し、住宅の敷地内の雨水を処理するための技術開発を行ってきました。そのひとつが雨庭です。雨庭で雨水を敷地内に貯留し、ゆっくりと地面に浸透したり蒸発させたりすることで水害を予防しながら、水が循環する社会に。ヒートアイランド現象の緩和にもつながります。
透水性のないアスファルト舗装に対し、庭や畑、森など土が表出している場所は雨水が浸透する量が多い(画像提供/あまみず社会研究会)
もともと日本では、ずっと昔から、雨庭のような機能を意識した庭園が造られており、敷地の中で上手に雨水を貯め、植物や生物の生育環境、生活用水としても活かしてきました。アメリカでグリーンインフラ整備が進むにつれ、2010年ころには、レインガーデンが、ニューヨーク市内の歩道につくられはじめました。日本庭園の枯山水やレインガーデンを参考に、島谷教授と志を共にする京都大学の森本幸裕名誉教授により、このような仕組みを近代都市の中に取り入れようと誕生したのが、日本の雨庭です。
築50年の民家の敷地内に設けたあめにわ憩いセンターの雨庭は、一見、普通の庭と変わりません。しかし、かなりの豪雨「対象降雨(※)」の場合に敷地全体に発生する雨水の量に対して敷地外への流出を80%も抑制できるというから驚きです。
※2009年7月九州北部豪雨時に観測された、総降雨量198mm・約6時間(最大時間雨量105mm/h)の雨量。
あめにわ憩いセンターには、雨水を利用するさまざまな仕組みがある(画像提供/あまみず社会研究会)
屋根から取水した雨水を6つのかめに貯め、利用する(画像提供/あまみず社会研究会)
「雨庭づくりでは、雨が地面に浸み込む力が弱ければ、必要であれば、砂や腐葉土を土に混ぜて浸透速度を調整します。あめにわ憩いセンターは、もともと庭に植物が多く、雨が浸みこみやすい土でした。そこで、従来、屋根から縦樋を通って雨水桝(ます)、それから公共雨水菅へつながっていた連結を途中で切り、敷地内で雨水を貯水、利用し、また土に浸透させて、できるだけ敷地外へ雨水を流出させないようにしました」(田浦さん)
集めた雨水を竹筒から流して庭に小川のような水場をつくる(画像提供/あまみず社会研究会)
鎖樋(くさりとい)という鎖状になった樋に雨水を伝わせて、樽に溜まる仕掛け(画像提供/あまみず社会研究会)
屋根から水がめに貯留した雨水を沸かして足湯ができるユニークな工夫も。2020年まで一般開放され、地域の人に親しまれていました。
雨水タンクに貯めた雨水を太陽光発電で温め足湯を楽しむ(画像提供/あまみず社会研究会)
全国に広がる雨庭。民間企業や自治体で取り組みが進むグリーンインフラへの関心が高まるなか、鹿島建設では、一部の建物に雨水利用システムで蓄えた雨水をトイレの洗浄水に用いるほか、災害時の非常用水として利用するシステムを開発。地面には、雨が浸み込む透水性舗装を取り入れ、都市型洪水の防止に取り組んでいます。竹中工務店は、一部のマンションに、屋上雨水を地下ピットに一次貯留し、ろ過処理した後に植栽散水やトイレの洗浄水として利用するシステムを採用。緑化した屋上に畜雨できる三井住友海上駿河台ビル(東京都千代田区)は、雨水活用の先駆けとして話題になりました。
全国の自治体でも、グリーンインフラ整備が進められ、雨庭をまちづくりに取り入れる動きが出ています。
世田谷区役所土木部豪雨対策・下水道整備課に取り組みを伺いました。
「世田谷区(東京都)では、かねてより豪雨対策の一環として、河川や下水道などに雨水が流れ込む負担を軽くする流域対策を推進しています。グリーンインフラについては、社会的な関心が高まる前から、流域対策の強化の新たな視点として、持続的で魅力あるまちづくりのために取り入れてきました」(世田谷区役所土木部豪雨対策・下水道整備課)
世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)のレインガーデン。左は、雨水を一時的にため込む保水性竪樋(じゃかご樋)。伝わった水が花壇へ導かれる(画像提供/世田谷区役所)
グリーンインフラの考え方を取り入れた施設である「世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)」のほか、公園や道路などさまざまな公共施設で、グリーンインフラの考え方を取り入れた流域治水の取り組みがなされているとのことです。また公共施設だけでなく、区内の土地利用の約7割を占める民有地での取り組みを推進するため、民間施設を建築する際に、貯留、浸透施設の設置をお願いしているそうです。
また、京都府京都市でも雨庭の整備が進められています。京都市情報館建設局みどり政策推進室に伺いました。
「グリーンインフラの考え方を取り入れながら、市民の方々が身近に接することのできる歩道の植樹帯において、京都の伝統文化のひとつである庭園文化とともに触れていただけるものとして、雨庭の整備を進めています」(京都市情報館建設局みどり政策推進室)
2017年度に京都市として初めての雨庭を四条堀川交差点南東角に整備し、2021年度末までに合計8カ所の雨庭が完成しました。2022年度は、2カ所の雨庭を整備する予定です。
東山二条交差点南東角の雨庭は、背景にある妙傳寺と一体感のある空間に設えている(画像提供/京都市情報館)
四条堀川交差点北西角(南側)に2019年に整備された雨庭。京都の造園技術を活かし、貴船石をはじめとする地元を代表する銘石を織り交ぜた庭園風(画像提供/京都市情報館)
道路の縁石の一部を穴あきのブロックに据え替えて、車道上に降った雨水も雨庭の中に集水し、州浜(すはま)で一時的に貯留し、ゆっくり地中に浸透させる(画像提供/京都市情報館)
講習会で雨庭を体験。「自分でつくってみたい!」という声もあまみず社会研究会や東京都世田谷区、京都市のそれぞれが、一般の市民へ雨庭普及のための講習会やワークショップなどを行っています。
あまみず社会研究会の代表でもある島谷教授が熊本県立大学に就任し、プロジェクトリーダーを務める流域治水を核とした復興を起点とする持続社会 地域共創拠点を創設しました。雨庭の認知拡大に取り組んでいる研究員の所谷茜さんは、「体感してもらうことが大切」と言います。
「高校でワークショップをしたとき、『思ったより、水が土に浸透するスピードは速いんだ!』と驚きの声が生徒からあがりました。実感していただき、雨庭への理解を深めてもらいたいですね」(所谷さん)
民家に雨庭をつくっている様子。建物から1.5m離して窪地をつくり、この事例では腐葉土等を入れ微生物の動きを活発にすることで浸透性を高めた。1時間100ミリの雨を想定し、17平米の屋根に対し、2平米の雨庭をつくり、雨水が敷地外に流出する量を約40%カット。費用は2万円ほど(画像提供/緑の治水流域研究室)
世田谷では、“環境共生・地域共生のまちの実現”を目指し、市民主体による良好な環境の形成及び参加・連携・協働のまちづくりを推進する(一財)世田谷トラストまちづくりによって、個人宅でもできる雨庭づくりの普及を進めています。2020年に、NPO法人雨水まちづくりサポートの協力を得ながら、区内の産官民学連携で、区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり施工。この取り組みをきっかけに、住宅都市世田谷で市民の小さな実践をつなげて人口92万人が取り組むグリーンインフラとして「自分でもできる雨庭づくり」の3つの視点(1. 個人宅でも実践しやすい 2. 目に見える楽しさや魅力がある 3. 生物多様性の向上につながる)を整理しました。
個人宅での雨庭における雨の流れイメージ図。竪樋(たてどい)から塩化ビニル管に流れて来た雨水を、建物基礎から離して雨庭に放流。オーバーフローした水は、導水路から雨水は雨水排水桝へ(画像提供/NPO法人雨水まちづくりサポート理事長神谷博さん)
区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり中。雨が降った日を観察し、その雨水の流れに沿って、園路沿いに土を掘り、窪地をつくる(画像提供/世田谷トラストまちづくり)
窪地に砂利等を敷き詰め、植栽を配し雨庭が完成した(画像提供/世田谷トラストまちづくり)
世田谷トラストまちづくりでは、2021年度より「世田谷グリーンインフラ学校~自分でもできる雨庭づくり」の企画運営を区より委託を受け実施。グリーンインフラや雨庭等を体系的に学び、演習フィールドにおいて手づくりで施工する市民向けの講座です。定員15名のところ、区内外から60名もの応募がありました。「水の循環を知りたい」「暮らし、地域に取り入れたい」「ガーデニングに取り入れたい」との声が寄せられたそうです。グリーンインフラの取り組みをはじめて3年目になり、「雨庭をつくりたい。どうしたらいいか」と区民からの問合せも増えています。
グリーンインフラ学校の風景。グリーンインフラや雨水、植物などを体系的に学びながら、グループにわかれてディスカッション。最終的に雨庭を手づくり施工する(画像提供/世田谷トラストまちづくり)
京都市でも、市民から緑を増やしたい場所として多くの声が寄せられている道路に雨庭の整備を進め、管理に参加してもらうボランティアを募集するなど雨庭の普及に努めています。
都市での暮らしでは、ふだん、水の流れは見えず、洪水が起こってから「水は怖い」と感じてしまいます。「昔は、雨が土に浸みこんで地下水となり、または蒸発して再び雨になるという実感がありました。雨水を楽しく使いながら水の循環を知ってもらいたいです」と田浦さん。身近に広がる雨庭は、グリーンインフラを整えるだけでなく、緑や水場のある景観を生み出し、心の豊かさにもつながりそうです。
●取材協力
・あまみず社会研究会
・世田谷区役所
・一般財団法人世田谷トラストまちづくり
・京都市情報館
エッセイスト柳沢小実が、気になる人のお部屋と暮らしをのぞきにいくシリーズ。第2回目は、台湾・高雄出身で東京在住の郭晴芳(ハル)さんのご自宅へお邪魔しました。
ハルさんは台湾の大学を卒業した後、約15年前に日本の大学院に留学してそのまま就職。現在は、カルチャー系ウェブメディアを運営する会社でプロデューサーをしています。コロナ禍前は日本国内や台湾中を飛び回る日々を送っていました。この数年でどのような変化があったのでしょうか。
Instagramで知り合ってはや数年。最もアクティブな友人母国語である中国語に加えて日本語も堪能なハルさんは、アジアのクリエイティブシティガイドのディレクターをはじめ、コンテンツ制作やイベントの企画、プロモーション全般も担う、“ひとり広告代理店”のような人。
会社経由のみならず個人でも仕事を受けていて、2021年に高円寺の銭湯「小杉湯」で行われた台北の温泉博物館「北投温泉博物館」のプロモーションイベント、「歡迎光臨 小杉湯的台湾北投」も話題になりました。このイベントでは、台湾のアイテムが購入できるマーケットやトークイベント、ライブ、台湾映画の上映などが行われて大好評。こんこんと湧き出る好奇心と柔軟な発想力、センスの良さで、ますます仕事の幅を広げています。
私とハルさんの出会いは、6年以上前にInstagram経由で私が声をかけたこと。そこから仲良くなり、日本や台湾で頻繁に会うようになりました。もしかすると、家にこもりがちな私といちばん遊んでくれている人かも。遊ぶとはいっても、たいてい散歩して古道具屋や喫茶店に一緒に入るくらいで、あとはイベントに行ったり、ごはんを食べたり。そしてたまに、お互いの家でご飯や梅酒をつくったりしています。
台湾に住むハルさんの友人が二人宛の荷物を私のところに一緒に送ってくれたので、取材で会うついでにハルさん宅にお届け(写真撮影/相馬ミナ)
形にとらわれない身軽な暮らしぶりは学ぶところが多く、いつか彼女の暮らしや考え方を紹介したいとずっと思っていました。
西荻窪の、繁華街と住宅地の間にある古いマンションに住むハルさんの自宅は、西荻窪駅(東京都杉並区)からほど近いところにある築50年ほどのマンション。商店街と住宅地の境目に立つ、愛らしい建物です。部屋の間取りは1Kで、広さはゆったりとした一人暮らしサイズの約39平米。もともとは3部屋が縦に連なるつくりでしたが、リフォームによって2部屋に変えられていて、DKと寝室+リビングとしてゆるやかにゾーン分けできる、住みやすそうな、いい間取りです。
縦に連なる二部屋は、もともとはめてあった間のドアを外して広々と(写真撮影/相馬ミナ)
ベッドははじめ窓辺に置いていたけれど、朝明るすぎたためにソファと置き替え(写真撮影/相馬ミナ)
ここは日本に来てから5軒目の部屋。最初は日本語学校の寮、その後は荻窪、阿佐ヶ谷、西荻窪、そしてまた今回の西荻窪。ずっと中央線沿線に住んでいます。
「古いものや、古いマンションが好き。新しい物件は間取りが似たり寄ったりだけど、この部屋は間取りがオープンで、フレキシブルに使えるのがいい。それが古い物件が好きな理由です。当初は角部屋を探していましたが、そうでなくても二面に窓があって明るいです。
押し入れはクローゼットにリフォームされていて使いやすいですし、キッチンとトイレのタイルや壁の色も、入居時に自分で好きなものを選ぶことができました。
駅から近いと周辺がにぎやかだけど、ここは商店街の端の住宅地に入るところだから静か。窓を開けても外から見えないので、ベランダを縁側のように使っています」
築年数が経っている物件は、建物はレトロで愛らしい一方で、室内は水まわりを中心にこざっぱりとリフォームされていることも。管理状態が良い物件を選べば、同じ予算で築浅物件より駅近や広い部屋に住めたりするケースもあり、メリットも大いにあります。
カメラマンの友人とDIYでつくったキッチンカウンター(写真撮影/相馬ミナ)
岡山出身の陶芸家・加藤直樹さんの急須(写真撮影/相馬ミナ)
好きで選んだものを使うのが、とびきり嬉しい(写真撮影/相馬ミナ)
ハルさんは、コロナ禍のかなり早い時期に完全テレワークになりました。本社オフィスも早々になくなったため、全く出社せず自宅で働く形態に。生活環境の向上のために、広い部屋に引越したり、東京を離れた同僚もいて、自身も同じ西荻窪内で引越しをしました。
新しい部屋を一からつくるのはやはり心躍るもので、友人に手伝ってもらってキッチンのカウンターを製作したり、古い家具を探してインテリアの配置を考えたり、これまでは苦手でほとんどしていなかった料理に挑戦したり(台湾では外食文化が発達していて、特に都市部に暮らす若い世代は自宅で料理をつくる習慣がほとんどないのです)。ずっと外での楽しみがあったのが180度転換して、家で過ごすことが楽しく思えてきたそうです。
家にいるときはソファで仕事をしたりすることも。お気に入りの場所(写真撮影/相馬ミナ)
外食メインだったのが、毎日一食は自炊するようにハルさんの本棚は、同年代のカルチャー好きな日本人とほぼ一緒。また、作家ものの雑貨やうつわ、洋服などが好きで、インテリアにエスニックなテイストを取り入れるのも上手。〇〇系とくくれないところに、個性が出ています。
「考えずに置いているだけ」が、いい塩梅に(写真撮影/相馬ミナ)
絵本作家の友人渡邊知樹さんの絵が描かれた紙袋などが無造作に掛けられている(写真撮影/相馬ミナ)
「ものを直感で選ぶから、どんどん増えています。買うときに、家に合うかは考えない。無機質な質感のものが苦手で、基本的に古いものが好き。クリエーターの友達の作品や、海外のものに惹かれます」
ハルさんのものの選び方は、ミニマリスト寄りで引き算系、使い道や収納まであらかじめ熟考しないと手に取れない私にとっては、ただただ羨ましい。頭で考えすぎずに、偶然性を楽しんでいてとても素敵です。
(写真撮影/相馬ミナ)
そんなハルさん、コロナ前は台湾の同年代の友人たちと同様に、家で料理をほとんどしていませんでした。それが、コロナ禍で数年間台湾に帰れなくなったために、恋しい台湾料理を自分でつくるようになり、おうち時間も楽しむ人に大変身。好きなうつわを使いたくて、毎日昼か夜のどちらかは家でつくって食べる生活になったそうです。台湾の屋台料理の鹽酥鶏(鶏のから揚げと素揚げした野菜にスパイスをかけた料理)をつくってもてなしてくれたこともありました。
「二食も外食するとお金がかかるので、一食は自炊してもう一食は外というサイクルになりました。夜は家で食べることが多くなったかな。放っておいても料理がつくれる台湾の電気調理器、“電鍋”を買おうかと思っています」
ほとんど出しっぱなし、そこがいい(写真撮影/相馬ミナ)
(写真撮影/相馬ミナ)
入居時に選んだスモーキーなブルーのタイルが効いている(写真撮影/相馬ミナ)
とにかく西荻窪の街が好き。お店を家のように使っています「引越してから自宅に置くワークデスクを探していた時に、家の目の前のカフェで仕事ができると知りました。お茶代だけでコワーキングスペースを利用できて、オンライン用の打ち合わせ空間も用意されているので、今は週3日くらいそこで仕事をしています。
リモート生活になってから、これまで以上にオンとオフの切り替えをしなくなりました。仕事と仕事の合間に好きなことをしていて、もちろんその逆もあります。西荻窪はお店が多いから、お昼時になったら外に出て、お店でごはんを食べてそのまま外で仕事をしたり、おにぎりを買ってきたり。フレキシブルに暮らせる街です」
台湾のデザート“愛玉子(オーギョーチ)”をその場でつくってふるまってくださいました(写真撮影/相馬ミナ)
種子を水の中で揉むとゼリー状に。甘酸っぱいシロップをかけていただきます(写真撮影/相馬ミナ)
西荻窪は、喫茶店や小さな飲食店がひしめく街。自然と繰り返し通う店ができて、お店の人とのコミュニケーションも楽しい。人のあたたかみと優しさを感じます。
台湾の人は、職場の近くや都会に住むことを好み、外に開いているイメージです。喫茶店で息抜きしたり、近くの店をオフィスのように利用したり、内と外の使い分けがとても上手。家の延長に街があって、街の中に家がある。だから、住宅地にばかり住んできて、内と外を明確に線引きして考えがちな私にとって、彼女の視点はとても新鮮でした。
●西荻窪のお気に入りのお店
・オーケストラ(カレー)
・どんぐり舎(喫茶)
・FALL(雑貨) 毎週展示が変わります
一人掛けのソファが特等席(写真撮影/相馬ミナ)
(写真撮影/相馬ミナ)
ハルさんはコロナ禍を経て、住まいの基準や条件が大きく変わったといいます。出勤がなくなったこともあり、利便性以上に広さや環境を重視するように。家賃も高いので、将来的には都心から1~1.5時間くらいのエリアで二拠点生活をすることも考えているそうです。
私のまわりでも、都市部から離れる人や二拠点生活をする人が年々増えています。暮らしや働き方、住まいに対する価値観の変化は、この先新しいかたちになることはあれ、元には戻らないのではないでしょうか。私自身は持ち家なので簡単に居住地を変えることはできませんが、それでも暮らし方をアップデートし続けたいという気持ちは持ち続けていて。まずは、ハルさんのように直感を大切にして、心の声に素直になってみます。
(写真撮影/相馬ミナ)
●取材協力
ハルさん
Instagram @patsykuo
『日青糸且HARU GUMI』@haru__gumi
コロナ禍における女性の非正規雇用の大幅減少の影響は、シングルマザーの経済的困窮を招き、最後の砦だった“住まい”を手放さなければならない人が増えました。さらにそこから始まる子どもへの貧困の連鎖。この連鎖を断ち切るために、母子家庭を対象とした、住まい探しから入居・生活支援までを行っているのが、NPO法人LivEQuality HUB(リブクオリティ ハブ)です。その立ち上げの経緯や、支援活動への思いなどを取材しました。
貧困へのスパイラルを断ち切るには、まず“住まい”から緊急事態宣言が発出された2020年4月、前月に比べて就業者数が大幅に減少したことは、世の中に大きな影響を与えました(男女共同参画白書平成30年版より)。特に飲食サービス業や娯楽業などの非正規雇用への打撃は深刻で、半数近く(※)が非正規雇用のシングルマザーは「経済的なゆとりがない」と答えた人が75.4%にのぼるなど、厳しい生活環境を強いられている現実が明らかになっています(日本労働組合総連合会「非正規雇用で働く女性に関する調査2022」より)。
※「パート・アルバイト等」43.8%(厚生労働省「平成28年度全国ひとり親世帯等調査結果報告」)
このような社会情勢を背景に2022年1月26日、まさにコロナ禍での立ち上げとなったNPO法人LivEQuality HUB。“暮らしを豊かにするネットワーク”という意味を持つ法人名で、シングルマザーの支援が主な活動です。小さな子どもがいて頼れる人がいない。住まいも仕事もない。これが子どもの貧困への負の連鎖の始まりです。その連鎖を断ち切るにはまず「住まい」が必要だと考えたのが、代表の岡本拓也さんです。
NPO法人LivEQuality HUB 代表 岡本拓也さん。公認会計士の資格を持ち、企業再生アドバイザリーとして活躍後、複数のNPO法人で理事や事務局長を歴任。2018年より父が経営していた建設会社の代表取締役に就任。2022年LivEQuality HUBを設立(画像提供/LivEQuality HUB)
「先に仕事を見つけるべき、という考えもありますが、この負のスパイラルを断ち切るためには、まず住まいじゃないかと思うんです。住まいがないと行政からの支援を受けるための書類や、仕事を探すための履歴書に記載する住所が書けません。支援も仕事もないとなると、大家さんとしては、家賃滞納などのリスクを負いたくないと考え、部屋の貸ししぶりが起きるのです。だからこそ、まずはシングルマザーの住まい探しから活動を始めました」(岡本さん)
(写真/PIXTA)
偶然は必然。異業界とのつながりが活動の軸を支えることに岡本さんに転機が訪れたのは39歳の時。名古屋市内で建設会社を営んでいた父が急逝。父にとって家族同然だった30名の社員を路頭に迷わせるわけにはいかないと、父の跡を継ぐことになりました。岡本さんにとっては、これまでまったく関わりのなかった建設業界。引き継いだ後の事業運営に関しても、かなり悩んだと言います。
「あれこれ迷いながら手探りでやっていましたが、結局は自分がやりたい軸は変わらず、社会に貢献していくということこそが、自分の人生の本分だとわかりました。建設会社だからこそ、貧困問題に対して私にできることがあるんじゃないかと思い、立ち上げたのがLivEQuality HUBです。
名古屋市内に66室の自社物件を持っており、修繕も可能なため、いつでも快適に住める環境を提供できるんです。この部屋を離婚前や外国籍のシングルマザーに使ってもらい、サポートしていくことを決めました。家賃は、入居者によって異なります。収入によっては通常の家賃で入っていただいている人もいますが、いくらまで家賃を下げれば親子で食べていけるかを細かく計算して決めています。自社物件を持っているからこそできることで、最大の強みです」(岡本さん)
岡本さんが社長を務める建設会社の自社物件。名古屋市内でも利便性のいい場所にあり、母子家庭が住みやすい好条件がそろう(画像提供/LivEQuality HUB)
部屋の一例(画像提供/LivEQuality HUB)
住まいだけではダメ。生きていくための“つながり”を重視住まいさえあれば安心して生活できるわけではありません。例えばDVなどで他県から逃げてきた方は、地域とのつながりがまったくない場所に住むことになります。住まいはあっても、その後に孤立してしまう。誰かが“伴走”してあげることが大事になります。LivEQuality HUBでは、この伴走の役割を担っています。住居というハード面は建設会社で確保し、その後のソフト面はLivEQuality HUBで支援する、ハイブリッドな組織体制とチームをつくり上げました。
「“お節介の循環”をつくるのが私たちの役目なんです。まずは住まいを確保することが大事ですが、そこから地域とのつながりをつくっていくことがさらに重要になります。孤独な育児は結局貧困に陥り、ひいては虐待につながるというのが現状なんです。
知らない土地に引っ越ししてきても、私たちNPOの仲間を通じて、自分に必要なつながりをつくる支援団体や、地域の人とつながっていくきっかけになれればと思っています。ただ雨露をしのげればよいというものではないですからね」(岡本さん)
支援を必要とするシングルマザーが地域とのつながりを持てるよう、丁寧なヒアリングを行い、課題の解決への道を一緒に探っていく(画像提供/LivEQuality HUB)
コレクティブインパクト勉強会時の様子(画像提供/LivEQuality HUB)
本当の意味での自立サポートとは?本人の前向きな意欲を引き出す岡本さんたちの活動には、行政との二人三脚が必要になります。ただ日本の法律上、離婚が成立しているか否かで利用できる制度が異なります。扶養手当をもらうにしても、ひとり親家庭支援を受けるにしても、離婚が成立していることが前提です。離婚成立まで伴走し、成立後に使える制度があれば、本人に申し込んでもらう。その背中を押すのが岡本さんたちの役目なのです。
「行政はあくまでも情報を提供するのみ。私たちが、こういう制度だったらこんな時にありがたいよね、だから申し込んでみましょう、と具体的に話を進めながら、シングルマザーの方が利用してみよう!と思うまで、背中を押しています」(岡本さん)
「外国籍のお母さんの場合は、状況を通訳してあげることも重要です。本人が日本語を話せないことで精神的に不安定になると、自分の状況を整理して説明することが難しい場合もありますから。そんなときには行政に同行して説明しています。日本語の話せない外国籍のお母さんが、お子さんの小学校の入学説明会で渡されたのは日本語の資料でした。結局何を準備すればいいのかわからない。私たちは一緒に学校に行き、教務主任の先生からもう一度説明を聞いて、お母さんと一緒にショッピングモールに行って、必要なものを買いそろえました。伴走支援です。
学校にも日本語が話せないことを伝えると、通訳用の機器を導入してくれたり、英語ができる先生を担任にしてくれたりと、受け入れ態勢を整えてくれました」と、居住支援コーディネーターの神さん。
LivEQuality HUB事務局の神朋代さん。シングルマザーの生活支援を担当。支援を必要とするシングルマザーに寄り添い、自立のサポートを行っている(画像提供/LivEQuality HUB)
「未来は自分で切り開いていける」。そう思ってもらえるまで伴走する現在、LivEQuality HUBの主な活動範囲は名古屋市内です。名古屋でやっていることに意義があると岡本さんは語ります。
「東京は課題も多い分、支援のためのリソースも圧倒的に多い。逆に言えばやりやすいんです。東京都とそれ以外の町と区別してもいいほど違いがありますから。名古屋でうまくいけば、おそらく他のどの都市でも展開できると思いますし、広げたいと思っています。私たちは今、そのためのモデルづくりを行っていると考えています」(岡本さん)
「何の地縁もない名古屋にやってきて、一人で子育てをしなければならない不安は、想像以上に大きなものです。そこからいろいろな団体とつながり、仕事も友達もでき、何より子どもが楽しそうに学校に通っている。それがお母さんの幸せなんです。頑張っているお母さんが孤立しないようにサポートし、地域とつながっていくことで、未来は自分自身で切り開いていけるんだと知ってもらえることが私たちのゴールなのかもしれません」(神さん)
LivEQuality HUBのフラッグシップ施設「ナゴヤビル」にある事務所兼イベントスペース。仲間との出会いの場であり、語らいの場でもあり、ここから新たな一歩が始まる(画像提供/LivEQuality HUB)
実際に支援を受けた外国籍のシングルマザーは、「住むところ、仕事の紹介など、日本語の読み書きができない私に代わってサポートしてもらいました」と話してくれました。
「何か困りごとが起こったときに寄りかかれる存在があることで、どれほど救われているかわかりません。
シングルマザーになって、希望をなくしたこともありました。それでも頑張ってこられたのは子どもを守らなければならない!という使命感があったからです。LivEQuality HUBのみなさんのおかげで仕事も見つかりましたし、友達もできました。何より、一歩踏み出すことの大切さを教えてもらったことで、生活がガラリと変わりました。
“ひとり親家庭は苦労の多い人生ではなく、強くなるための旅”
そう思えるようになりました」
LivEQuality HUBが立ち上がって8カ月。地域に溶け込み、笑顔で働き、子育てを楽しんでいるシングルマザーが一人、また一人と確実に増えています。“お節介”な岡本さんたちの活動は、まだ始まったばかり。さまざまな困難を抱えたシングルマザーが「助けてほしい」と駆け込める場所であり、とことん伴走しながらも決して手を出しすぎない、真の支援に徹するスタッフがいます。
「本当に困っている方は、自分で検索する余裕もありませんから」(岡本さん)
まずは、LivEQuality HUBのような活動をしている団体の存在を、一人でも多く、その支援を必要とするシングルマザーはもちろん、連携団体や行政に知ってもらうことこそが、大きな課題解決への一歩につながると強く感じました。
●取材協力
LivEQuality HUB
2021年10月、湘南モノレール湘南深沢駅前に観客席200席の人工芝スタジアムが誕生しました。その名も「みんなの鳩サブレースタジアム」。神奈川県社会人リーグに所属する鎌倉インターナショナルFCの本拠地ですが、サッカーに限らず、さまざまなイベントが行われたり、周辺のお子さんや高齢者が散歩に訪れたりと、地域の人たちの憩いの場所にもなっています。このスタジアム、なんと補助金などの公的資金が一切入っていない完全なる民設民営、有志によるDIYなのです。スタジアムができたワケ、地域にもたらす影響を取材しました。
国際基準のサッカーコート。フットサルやヨガの場所としても「みんなの鳩サブレースタジアム」があるのは、神奈川県鎌倉市の湘南モノレール湘南深沢駅を降りてすぐの場所。広大な土地の一角に人工芝が敷かれ、照明とネットが設置された国際基準サイズのサッカー場です。サッカーチーム「鎌倉インターナショナルFC」のホームスタジアムとして週末にホームゲームが行われているほか、少年サッカー大会やグラウンドゴルフ、フラ、ヨガ教室が行われたり、ときには保育園の子どもたちへ無料開放されているといいます。
湘南モノレール湘南深沢駅から「鳩スタ」をのぞみます(写真提供/Kazuki Okamoto(ONELIFE))
手づくり感はありつつ、デザインが洗練されていてスマートに見えます(写真提供/DAN IMAI)
無料開放時の様子。屋外+芝生ってほんとうに気持ちがいいですね(写真提供/マルサ写真)
「『みんなの鳩サブレースタジアム』という名前がついているので、鳩サブレーで有名な豊島屋さんが運営していると思われることもあるんですが、豊島屋さんにはネーミングライツを買っていただいて、スポンサーとして支援していただいています。スタジアム自体は、自分たちでつくったスタジアムなんですよ」と話すのは鎌倉インターナショナルFCで代表を務める四方健太郎さん。現在はシンガポール在住で海外研修事業を営む企業を経営しつつ、鎌倉にサッカークラブとスタジアムをつくろうと呼びかけた、仕掛け人です。四方健太郎さんは横浜市出身、縁あってインターナショナルなサッカークラブをつくりたいと思いたち、鎌倉インターナショナルFCを創設。さらに、スタジアムまでつくってしまった行動の人です。
スタジアムが誕生したのは昨年10月ですが、1年間での来場者数は約20万人を超えるなど、1年で多くの人が集う場所になりました。広い場所、なかでも芝生がある場所というのは心躍るもの。子どもたちは自然と走り出し、ゴルフで腕をならした高齢者も昔を思い出して、元気に運動をするようになるのだとか。四方さんは、この光景を見て「芝生で子どもたちが走りまわったり、おじいちゃん・おばあちゃんたちと遊んだりする光景って無条件に正義だなって、これがDNAなんだなって感動した」と話します。
「今年8月には手づくりで、『みんなの「TRY!」でつくる「鳩スタ祭」』というイベントを開催しました。キッチンカー5台に出店してもらったほか、くじ引きやチアリーディング、キッズボール体験、音楽ライブを行いました。来場人数も読めないし、何をやったらいいか手探りのなかでしたが、1日で2000人以上が来場するなど大盛り上がりでした。まだ1年足らずですが、地域のみなさんに愛される場所になりつつあるなあと思いました」といいます。
今年、夏に実施された鳩スタ祭の様子。定番になっていくといいな……(写真提供/マルサ写真)
立ちはだかったのは資金難、そして地域を守る条例……「天然の要塞」ともいわれる鎌倉は海と山に挟まれ、平坦な土地が少ない地勢です。そのためスポーツ環境に乏しいほか、現代的なスポーツ施設は鎌倉の街並みにふさわしくない、という意見があるといいます。また鎌倉市中心部とはやや離れた湘南モノレール沿線は、住宅街や工場も多いエリアです。湘南深沢駅前には広大な土地が広がっていますが、実はこの場所、再開発事業が持ち上がっては立ち消えて現在に至るという、いわゆる“ワケありの場所”。そもそも、どうしてこうした難ありな「鎌倉」にスタジアムをつくろうと思ったのでしょうか。
湘南深沢駅徒歩すぐ。駅前一等地にあります(写真撮影/嘉屋恭子)
「鎌倉インターナショナルFCというサッカーチームをつくったのは約5年前。大企業のような後ろ盾もない社会人クラブチームとしては当然ながら、自分たちのホームグラウンドなどありません。常識から考えればスタジアムをつくろうなんて発想にはならないんですが、『スタジアムのような“場”ができたら、潮目が変わるよね』とずっと考えていたんです」と四方さん。
「今、私が暮らしているシンガポールには、『アワー・タンピネス・ハブ』というスタジアムやプール、アリーナ、商業施設、行政機関などが入った複合施設があるんです。アワーハブ(Our hub)、つまりみんなの中核ということなんですが、スポーツだけでなく多くの人が集まる場所っていいなと思っていて。みんなが集える場所がほしい、スタジアムがあったら地域が変わると感じ、『みんなのスタジアム』を思い描いたんです」と話します。
みんなのスタジアム構想のもとになったアワー・タンピネス・ハブ(写真提供/鎌倉インターナショナルFC)
「スタジアムができたら“何か”が動き出す」と、失礼を承知でいえば、「あったらいいな」という「ぼんやりとした夢」だったわけですが、この突飛子もない発想が、鎌倉やスポーツを愛する多くの人を巻き込んでいきます。
ただ、スタジアムをつくるといっても、何から何まで課題だらけ。特に資金、土地の契約、そして鎌倉市特有の条例、この3つが大きく立ちはだかったといいます。
「スタジアムをつくる仲間として、鎌倉出身でまちづくりプロジェクトの経験がある堀米剛が加わり、一般社団法人鎌倉スポーツコミッションを設立。二人で金融機関をまわって約1億円の資金集めに奔走しましたが、当然ながら融資はおりませんでした。ただ、鎌倉在住の投資家の方からの申し出があったり、1口3万円のクラウドファンディングで3000万円を達成したことにより、『スタジアムができたらいいな』が『本当にできる!』に風向きが変わっていきました」といいます。
堀米さんという、地域の実情を知っていて、なおかつまちづくりに知見がある仲間が増えたことで、地権者との契約、行政との条例の折衝などもひとつずつ進展。コロナ禍もあり、なかなか工事も進みませんでしたが、2021年に着工、同年10月にお披露目となりました。かかった総工費は1億8800万円、ほかにもスポンサーや基金を活用して、行政からの補助金や金融機関の融資に頼らない、日本で唯一の『民設民営』がスタジアム完成しました。
草刈りの様子。ほんとにみんなでつくったんですね……(写真提供/マルサ写真)
鎌倉のスタジアムから、日本の閉塞感を打破したい「スタジアムは低予算でつくったので、あちこち手づくり感満載です(笑)。芝刈りや土地の整備などはできるところは自分たちでやりました。人工芝にはゴムチップが撒いてあるところが多いんですが、健康や環境への負荷を考えて砂に。受付などはグランピングで使われるドーム型テントを配置しました。利用者からはトイレがきれいだと言われることが多いんですが、練習後に選手たちが掃除をしたり、練習のない日は地元の企業に清掃に入ってもらっているんですよ」と四方さん。
人工芝を敷設しているところ。人工芝ってこうやって敷くんだ……(写真提供/鎌倉インターナショナルFC)
現在はスタジアム利用料、スポンサー料、イベント開催時の入場料、グッズの売上など、あの手この手で稼ぎ、なんとか自走するかたちになったそう。クラブトークンも発行しています。
観客席は200席ほど。筆者が観戦した日は雨天でしたが、40名ほどのファン・サポーターが観戦していました(写真提供/マルサ写真)
勝った試合のあとは写真撮影。ファンと距離が近いのも魅力です。みんなのスタジアム・みんなのサッカークラブ!(写真提供/マルサ写真)
「スタジアムの完成から1年、蓋を開けてみればみなさんが喜んでくれて、『スポーツで地域をつなげる場所』になりつつあります。試合を観に来た方たちが毎週会ううちに顔見知りになって一緒に応援するようになったり、シニア向け健康教室に参加していた人と保育園の子どもたちが交流したりなど、鳩スタならではの風景はやっぱり胸にこみ上げるものがあります。でも、人って慣れてくると、サッカーしてBBQしておしゃべりして、が当たり前になってきつつあるんです。いままでは全然ありえなかった光景なんですけどね」と笑います。
コロナ禍であらためて見直されたのが、地域や会社での雑談や井戸端会議ではないでしょうか。用はなくてもおしゃべりすることで、ストレス解消になったり、発見や気付きがあったり。このところ話題になる「独身おじさん友だちいない問題」「中高年孤独問題」ではないですが、地域のなんとなくゆるいつながりがほしいなと思った人は多かったことでしょう。
「やっぱり誰かに会える場所、用がなくても来られる場所って大事なんじゃないでしょうか。スポーツ観戦しているとなんとなく一体感も味わえるし。隣の人とハイタッチしたりとかね。うれしいハプニングというか、何かが起きるワクワク、場があることが大事なんだと思います」(四方さん)
観覧席からの選手が近く、迫力満点。サッカー観戦に慣れていても、びっくりします(写真提供/DAN IMAI)
10月10日には、「鳩スタ1周年感謝祭」も実施し、集える場所・地域コミュニティとして、早くもフル活用されつつあります。ただ、この事業自体は、将来的に鎌倉市役所移転など本開発がスタートするまでの「暫定利用」のため、今後、スタジアムとして存続できるかどうなるかは不明瞭です。
「将来のことは見通しが立たない部分もありますが、まずは期限まで『地域で必要な場所』にしようと。ここはね、『やってみよう!』を叶える場所にしたいんです。今、日本社会全体が『どうせやれっこない……』『誰が責任とるの……』と消極的になりがちです。鎌倉からこの閉塞感を変えていきたい。日本のどこを探してもなかなか見つからない民設民営のスタジアムができたんです。チャレンジすればできるじゃん、失敗したってまた立ち上がればいい、そんな発信ができたら最高ですね」と四方さん。
四方さんや鎌倉インテルが今、発信しているのは、スタジアムという「場」の良さだけでなく、閉塞感を打破しよう、やればできるという「気骨」なのかもしれません。
●取材協力
みんなの鳩サブレースタジアム
鎌倉インターナショナルFC
住宅金融支援機構が、2021年度中に借り換えをした998人に調査をした「住宅ローン借換えの実態調査結果」を公表した。住宅ローンは超低金利が長く続いているが、こうしたなか、どういった借り換えが行われていたのだろう?今回は、住宅ローンの借り換えについて考えてみたい。
【今週の住活トピック】
「2021年度 住宅ローン借換えの実態調査結果」を公表/住宅金融支援機構
住宅ローンの借り換えとは、現在返済している住宅ローンの残金を一括返済して、別の住宅ローンを契約すること。返済しているローンの金利よりも、借り換え後の金利が下がれば、借り換えることで利息を削減することができる。
住宅ローンの金利タイプには、半年ごとに金利が見直される「変動型」、返済当初一定期間の金利を固定する「固定期間選択型」、返済中金利が変わらない「全期間固定型」がある。固定期間選択型は、当初固定期間を2年、3年、5年、10年などから選ぶもの。全期間固定型は、住宅金融支援機構と民間金融機関の提携ローン【フラット35】が代表的なものだ。
今回の調査結果によると、借り換えの前と後では、利用する金利タイプのシェアが、次のように変化していた。
〇借り換え前→借り換え後
変動型 40.4%→49.2%(+8.8)
固定期間選択型 45.4%→43.9%(-1.5)
全期間固定型 14.2%→6.9%(-7.3)
変動型が増えて、全期間固定型が減っているのが大きな特徴だ。ということは、全期間固定型を借りていた人が、借り換えで変動型に移ったということだろうか? 詳しい内訳を見ると、次のようになっていた。
金利タイプ別借換えによる構成比の変化(出典/住宅金融支援機構「2021年度 住宅ローン借換えの実態調査結果」)
低金利時代には、金利を固定する期間が長いほど金利は高く設定される。したがって、借り換えで低金利なローンを狙うなら、全期間固定型から金利が変動するものに、固定期間選択型の長いものからより短いものへといった借り換えが行われるのがセオリーだ。
調査結果を見ると、借り換え前後で同じ金利タイプを選んだ人が多いが、借り入れ当時と比べて金利水準が下がっていれば、同じ金利タイプへの借り換えでも低金利のローンを利用できるからだろう。しかし、なかにはセオリー通りではない借り換えをしている人もいる。変動型から固定期間選択型や全期間固定型など、より金利を固定する期間が長いもの選んだ事例だ。
借り換え理由はなんといっても「低金利」だが、金利上昇を不安視する人もでは、借り換えの理由を見ていこう。
当然ながら、「金利が低くなるから」と「返済額が少なくなるから」という理由が圧倒的に多い。適用される金利が低くなれば、残りの返済期間が同じでも返済額を少なくできる。収入の減少や物価の上昇に伴い、毎月の返済額を抑えることが最大の理由という場合もあるだろう。
一方、「今後の金利上昇・返済額増加への不安」を挙げた人も多い。金利上昇のリスクを避けたい場合は、全期間固定型を選ぶか、固定期間選択型のなかでも固定する期間が10年など長いものを選ぶのがセオリー。低金利のうちに、長期間金利を固定できるからだ。
ほかの理由については、ローンの優遇金利の仕組みを説明したほうがわかりやすいだろう。
固定期間選択型の場合、当初の固定期間で大幅に金利を引き下げ、以降は優遇幅が小さくなる「当初優遇タイプ」とずっと一定の金利を引き下げる「通期優遇タイプ」の2種類がある。前者の場合、借り入れ当初の金利は低いが、固定期間終了後の金利が当初と同じだとしても優遇幅が小さくなることで、適用される金利は上がってしまう。
同様に、全期間固定型の場合でも、性能の高い住宅であれば当初一定期間金利を引き下げる【フラット35】Sを利用した場合も、金利引き下げ期間が終わると優遇がなくなることで、適用される金利が上がる。
こうした事情から、ローンの適用金利が上昇するタイミングで借り換えたいとか、優遇幅を通期で適用させたいから借り換えたいといった理由が挙がるわけだ。
また、固定期間選択型の場合、固定期間終了後は再度固定期間を選ぶ場合もあるが、変動型に移行する場合もある。「変動金利に移行するのが不安」というのは、こうした事情だろう。
借換え後の金利タイプ別借換え理由(出典/住宅金融支援機構「2021年度 住宅ローン借換えの実態調査結果」)
なお、今回の結果は2021年度に借り換えた人の調査なので、市場の金利上昇圧力が強まっている今後であれば、金利上昇リスクを避ける借り換えをする人がもっと増えるのかもしれない。
住宅ローンの借り換えで注意したい点とは?住宅ローンの借り換えでは、新しい住宅ローンに切り替えることで、低金利などの条件がよいローンを借りることができる。ただし注意したいのは、完済するローンと新たに借りるローンについて、それぞれ手数料などの諸費用がかかることだ。
たとえ数十万円の諸費用を払っても、借り換えによる利息削減効果のほうが大きい、というのが前提だ。借り換え前後の金利差が小さかったり、ローンの残高が少なかったり、残っている返済期間が短かったりする場合、利息削減額よりも諸費用のほうが上回ってしまう可能性もある。諸費用と利息削減効果を必ず試算して、総合的に判断する必要がある。
また、借り換えは新規に借りる場合と同様に、融資審査を受けることになる。世帯収入が減っていたり転職したばかりであったり、あるいは健康面に不安があり団体信用生命保険(以下、団信)に加入できないといった場合には、借り換えができないこともある。
こうした注意点はあるものの、いまはすべての金利タイプで低金利であることに加え、金融機関の優遇金利がかなり低くなっている。借り換えで優遇金利が適用されることで、借り換え前後の金利差が大きくなるという人が多いだろう。
また、借り換えによって、希望の金利タイプを選べたり、団信にオプションを付けたりなどの見直しができるといったメリットもある。住宅ローンのメンテナンスの一環として、低金利のいまのうちに借り換えを検討するのもよいだろう。
●関連サイト
住宅金融支援機構「2021年度 住宅ローン借換えの実態調査結果」
埼玉県草加市の住宅街にある「シェアアトリエつなぐば」。築35年の鉄骨2階建てアパートをリノベーションした施設内には、子連れでも働けるシェアアトリエやコワーキングスペースとしても開放しているギャラリーワークスペースのほか、カフェ、託児所、美容室などが入居し、地域ににぎわいを生んでいる。運営を担うのは「つなぐば家守舎」代表で、建築家の小嶋直さん。立ち上げの経緯やこれまでの活動内容、そして今後のコミュニティづくりについて聞いてみた。
子育て世帯が集まる「村」のようなコミュニティ――はじめに、「シェアアトリエつなぐば」を立ち上げるまでの経緯を教えてください。
小嶋直(以下、小嶋):もともとは「シェアアトリエ」というより、みんなが集まって一緒に過ごせる空間をつくりたかったんです。というのも、私が隣町の川口市で借りていた設計事務所がそういった場所だったんですよ。
「つなぐば家守舎」代表の小嶋直さん(写真撮影/松倉広治)
小嶋:そこは駅から離れていたものの、カフェやギャラリー、革小物店、焼き菓子店など、さまざまお店が集まっており、1つの村みたいだったんですよね。そして、私も含めてまわりの結婚や出産のタイミングが重なり、いつしか同じ敷地内で家族やパートナーが集まって働いたり、一緒にご飯をつくって食べたり、みんなで子どもを見守ったり……そういった生活が当たり前になっていました。
――とても楽しそうです。
小嶋:そこに遊びに来た人たちからも「羨ましい」と言われることが多く、こういった生活が豊かな暮らしなんだと思いました。だから、この場所以外にも仕事や子育てをシェアできるコミュニティを広げたいなと考え始めたのがきっかけになります。
そしてある日、草加市が主催するリノベーションスクールに講師として参加することになりました。そこで「つなぐば家守舎」を一緒に運営することになる、松村美乃里さんと出会ったんです。
松村さんは結婚を機に草加市へ引越してきたのですが、縁もゆかりもない街になかなか愛着が持てなかったそうなんです。ただ、出産を機に「私が地元・静岡を愛しているように、子どもにも生まれた場所を大事にしてほしい」と思うようになったと。そこで、2015年に草加市のスタートアップ事業「わたしたちの月3万円ビジネス」を受講され“子連れで働ける場所をつくりたい”という思いを持っていたんです。
――そんな松村さんとリノベーションスクールで出会い、意気投合されたと。
小嶋:そうですね。地域コミュニティを運営したい私と、子育てをする人が集まれる場所をつくりたい松村さんの考えが合致し、リノベーションスクールで「シェアアトリエつなぐば」の原型となる提案をさせていただきました。
リノベーションスクールの様子(画像提供/つなぐば家守舎)
――この場所は、リノベーションスクールから提供された物件だったのでしょうか?
小嶋:いえ。僕らが本来リノベーションしようとしていた対象物件は別にありました。ただ、契約予定の前日に火事に遭ってしまったんです……。
――なんと。プロジェクトはどうなりましたか?
小嶋:工事業者への発注や会社設立の準備はしていましたが、肝心の物件が燃えてしまったので、全て白紙に戻りましたね。その後、1年近く新たな物件を探していたものの、納得する場所を見つけることはできませんでした。
――残念ですね。では、この場所はどのように見つけられたのでしょうか?
小嶋:当時、ここの大家さんが「この建物が空き家になってしまうので公園にしたい」という、処分の相談を市役所に持ちかけていたそうなんです。そこで、市役所の方を通じて大家さんとのご縁をいただき、この場所を見せていただくことになりました。
――第一印象はいかがでしたか?
小嶋:思い描いていたイメージに合う場所だなと思えました。まず、僕らのなかで決め手になったのは、公園内の3本の木です。私たちの会社「つなぐば家守舎」のロゴマークは3つの葉っぱをつなげたデザインなのですが、この物件の目の前にも似たような木が3本植えられていたんですよ。また、内装も一階に業務用厨房が入っていたことで、さまざまな構想が浮かびました。
「シェアアトリエ つなぐば」の前の八幡西公園に植えられた3本の木(写真撮影/松倉広治)
――内見の時点で、どんどんイメージが膨らんできたわけですね。
小嶋:そうですね。もちろんメインである「子連れで働けるシェアアトリエ」としても、目の前に公園があることで子どもが安全に遊べますし、スペースも広かったので車で来られる方々の駐車場にも申し分ないなと。僕らにはうってつけの場所だと思い、借りることを決意しました。
「DIO(ほしい暮らしは私たちでつくる)」の精神を大切に――契約後、「DIO(Do it ourselves)=欲しい暮らしは私たちでつくる」をテーマに掲げました。どのような意図があったのでしょうか?
小嶋:この場所の利用者を募集する説明会を行った際、みなさんから「シェアアトリエってどういう場所なんだろう」という不安の声が聞こえてきました。ただ、僕らとしてはこちらから「こういうことをやる場です」と示すのではなく、“興味を持ってくれた方々のやりたいことを、全て叶えられる場所”にしたかった。そこで、「やりたい場所が無いなら自分たちでつくっていこう」という思いを込めて「DIO」という言葉が生まれました。
――工事も自分たちで行ったとか。まさに、DIOの精神ですね。
小嶋:はい。「DIO」の合言葉に興味を持ってくれた方々や地域の方々と一緒に、アパートの工事をスタートさせました。未経験の方ばかりだったので、解体工事や断熱材の設置、左官工事などは職人さんを講師に招き、ワークショップ形式にして大人も子どもも楽しめるように進めましたね。
解体中に出てきた廃材は、内装や棚などの備品に再利用した(写真撮影/松倉広治)
――その後、晴れて2018年6月にオープン。現在は、どのような形で運営しているのでしょうか?
小嶋:さまざまなライフスタイルに対応できるよう、複数の契約形態を用意しました。一本の木で例えると、根の部分が僕ら「つなぐば家守舎」になります。そして、月極で常時利用する「パートナー」が幹、月1回以上の定期利用をする「セミパートナー」が枝、そして単発で利用する「サポーター」が葉と捉えています。
利用者の多くは「自分の得意なことや趣味を仕事にしたい」という方々で、みなさん家事や子育てをしながら無理のない範囲で携わってくれていますね。また、「仕事につながる・母親とつながる・地域とつながる」のコンセプト通り、ここに来ることでいろんな“つながり”が生まれていると思います。
東武鉄道伊勢崎線・新田駅から徒歩15分の「シェアアトリエ つなぐば」。さまざまなスペースでワークショップやミーティングなどでの利用が可能(写真撮影/松倉広治)
オープンから1年後に入居した美容室「コルジャヘアー spa&nail」。子どもがいる美容室のスタッフも「つなぐば」のコンセプトに共感してくれたそう(画像提供/つなぐば家守舎)
オープンから2年後に入居した託児所「ton ton’s toy」。もともとはカフェスペースでお子さんの面倒を見ていたパートナーさんが独立し、開業(画像提供/つなぐば家守舎)
「シェアアトリエ つなぐば」のマップ(画像提供/つなぐば家守舎)
――今では1階にカフェスペースをはじめ、アトリエテーブル、クラスルーム、ウッドデッキ、2階にギャラリーワークスペース、託児所「ton ton’s toy」、美容室「コルジャヘアー spa&nail」、建築事務所「co-designstudio」と、さまざまな機能を持っていますね。
小嶋:そうですね。カフェスペースには近隣に住むママさんやパパさんが飲食店を出店してくれたこともあって、地域の憩いの場となりました。また、アトリエテーブルやクラスルームではフラダンスや茶道、アロマなどのワークショップが開催され、ギャラリーワークスペースではクリエイターが仕事をしています。
時にはこの場所をきっかけに、自分が好きなこと、やりたいことに気づく人もいます。以前、普段はカフェのパートで働いてくれている人が月2回、曲げわっぱのお弁当屋を開いていたのですが、そのうち料理そのものより「曲げわっぱに具材を詰めていく」ことが好きなのだと気づき、「具材を詰めるワークショップ」を始めたなんてこともありましたよ。
カフェのキッチンをママさん達が日替わりで利用。毎日違う料理を楽しめる(写真撮影/松倉広治)
小嶋:あとは、さまざまなスキルを持った人が集まっているからこそ、実現することも多いです。例えば以前、利用者から「娘の七五三の着付けをお願いしたい」という相談があった際も、パートナーのなかにカメラマン、着付けが出来る人が在籍していて、2階に美容室が入居していたため、すぐに対応することができました。その経験から、「つなぐば写真館」として公に募集したところ、多くの人に七五三の撮影の申し込みをしてもらえましたよ。
――まさに、DIO(欲しい暮らしは私たちでつくる)の精神が根付いているようですね。
小嶋:最近ではDIOの精神が子どもたちにも伝播し「子ども会」が立ち上がりました。月に1回、子どもたち主導でやりたいことを企画してもらい、それを形にできるようにパートナーや親がサポートしています。例えば、昨年は夏の思い出をつくれるように、水遊びとスイカ割りを開催しました。最近では、スライムの販売や、目の前の公園で昆虫探しを企画しましたね。
子どもが販売する、スライム屋さん(画像提供/つなぐば家守舎)
大人が見守っているため、安心して参加できるそう(画像提供/つなぐば家守舎)
また、最近では僕がこの場にいなくても、パートナーが自主的にプロジェクトを立ち上げることが増えてきました。そこからさらに発展して、新しい仕事や職業が生まれていくこともあるんじゃないかと思います。そんな大人たちの姿を見た子どもたちが、将来やりたいことを見つけるきっかけになったら嬉しいですね。
オープン後、錆びて破れた金網のフェンスを撤去してもらい、生け垣の一部を排除。それにより、建物と公園の行き来がスムーズになり、公園でくつろぐ人も増えたそう。その後、公園管理制度を使い、「つなぐば家守舎」が遊具の安全性や芝生の状態などを含めた公園の管理も行うようになったとのこと(画像提供/つなぐば家守舎)
多世代が豊かな暮らしを感じられるコミュニティに――オープンから約2年後に「コロナ禍」になりました。影響はいかがでしたか?
小嶋:最初の数カ月はお店を閉め、全ての活動がストップしてしまいました。パートナーさんの収入が絶たれてしまった状況を歯がゆく思っていましたし、「人が集まる」という最大の価値が失われてしまい、関係者の多くがもどかしさを感じていました。
そんななか、あるパートナーさんから「目の前の公園に屋台を出し、お弁当やお菓子のテイクアウト販売をしませんか?」という提案がありました。早速、イベントで使用していた屋台を園内に常設することにしたんです。すると、学校が休校になった子どもたちや、行くところがなくストレスを抱えていた人たちが日中の公園に集まってくれるようになって。
その時に改めて「この地域って、こんなにもたくさんの人がいたんだ」と実感しました。同時にオープンから間もない「つなぐば」を、地域のみなさんに知ってもらうきっかけになったように思います。
――パートナーのアイデアが、ピンチをチャンスに変えたわけですね。
小嶋:そうですね。イベントは過去にも開催していましたが、わざわざ遠くのエリアから出店者を呼んだり、お客さんを郊外から集めるような大規模なものでした。でも、これからはもっと地域の人たちに貢献したいと思うようになり、近隣のお店をメインにした月2回のマルシェ「つなぐ八市」を開催することにしたんです。
毎月第2土曜日と第4水曜日に開催される「つなぐ八市」。豆腐屋や餃子屋のほか、焼菓子やビールなどが販売されている(画像提供/つなぐば家守舎)
――地域の方々の反応はいかがでしたか?
小嶋:近隣のお店をメインにしたものの、意外と地域の方々も地元にそうした店があることを知らなかったんですよ。マルシェで初めてお互いの存在を知った出店者とお客さんが楽しそうに会話している姿を見た時に、やっぱりこういうものが求められているんだなと実感できました。
「つなぐ八市」は“イベント”ではなく、“日常のシーン”にしたいと思っています。イベント化してしまうと、コロナのような有事の際は中止せざるを得なくなる。そうではなく、「つなぐ八市」は地域の人たちにとっての日常、いつでも当たり前にやっているマーケットを目指したいんです。
愛知県岡崎市にあるスタイリッシュな「Dragon Court Village(ドラゴンコートビレッジ)」は、竜美丘コートビレジという賃貸住宅です。2014年の開業以来、居住者に、敷地の一部を地域の人とのつながりの場に開放したり、小商いしたりできる環境を提供してきました。これらの賃貸住宅における店舗兼住宅化は、コロナ禍で人とのつながりが見直されて以降、特に注目されていますが、当時はまだ珍しいものでした。最先端の住まいの先駆けともいえるこの物件は、住む人の暮らしにどのような影響を与えているのでしょうか。設計者で、一級建築士事務所 Eurekaを共同主宰する稲垣淳哉さんに取材しました。
居住者は「自宅でお店を開く」夢がかない、カフェやネイルサロンに地域の人が訪れる軒下や中庭でかつて月1回のペースで催されていたマルシェ「スミビラキ」は、たくさんの人でにぎわっていた(画像提供/Eureka)
小商いという生活形態が話題になったのは2012年ごろ。コロナ禍では、テレワークや副業を始めたいという人が増えました。店舗付き住宅や自宅に店舗機能をもたせた物件が人気を集め、『小商い建築』『商い暮らし』という言葉が注目されています。2010年ごろから設計が始まった「Dragon Court Village」は、小商いできる賃貸集合住宅の先駆けといえるものでした。
「30年ほど前まで、職住近接は身近にありました。例えば、駄菓子屋さんの奥が畳敷きになっていて家族が住んでいたり、八百屋さんの2階部分を賃貸アパートにしていたり。かつての日本では珍しくなかったんですね。設計の早い段階から、一般的な2階建てのアパートと差別化を図るため、アネックス(離れ)、軒下、中庭などを取り入れた集合住宅を構想していました」(稲垣さん)
通路に面して、さまざまなタイプのアネックスがあり、小商いができる(画像提供/Eureka)
「住みながら商う」暮らしが、新しい生き方につながる「Dragon Court Village」は、特徴的な外壁をもつ「箱」型の住戸で構成されており、スタイリッシュな印象を与えます。シンプルなデザインですが、路地や中庭で住戸とアネックスをつないだ複雑な構成の建物です。
縦格子や板張り、モルタルを組み合わせた外壁が印象的な外観(画像提供/Eureka)
長手断面図。住戸やアネックスは、「箱」の集合体で、随所に軒下空間を取り入れている(画像提供/Eureka)
敷地の配置図(向かって上が北、右が東)。駐車スペースは、東にある道路(グレー)側ではなく、敷地境界線に沿って縦列に配置。車路兼通路(茶色)で敷地内を回遊できる(画像提供/Eureka)
住宅街に佇む「Dragon Court Village」(画像提供/Eureka)
敷地の境界線に沿ってアパートを囲むように駐車スペースが設けられ車路兼通路で、敷地内を歩いて回遊できます。住戸と住戸の間は、路地や中庭になっています。車路兼通路に面した住居の軒下とアネックス(離れ)が、小商いのために活用できるスペース。9戸ある住居の広さは、40平米から60平米位の差があり、シングルからファミリーが選択して住めるつくりです。希望する居住者は、デザインの異なる5つのアネックスから選んで借り増しができます。
向かって右側が居住者の駐車スペースで、軒下が小商いできるスペース。中央のグレーの砂利敷きの車路兼通路には、イベント時キッチンカーが出店したこともある(画像提供/Eureka)
「賃貸収入を得るだけなら、高容積で建てれば効率的です。しかし、何十年と住みつないでもらうためには、ほかの賃貸集合住宅にはない魅力が必要です。職住近接といっても、ただ単に昔の住まいに戻ろうというのではありません。私が子ども時代には、自宅のリビングで塾などを開いている例もありましたが、現代にはそぐわないでしょう。住戸から独立し、開放的なアネックス(離れ)が、新しい暮らしの提案になると考えたのです」(稲垣さん)
アネックス(離れ)では、八百屋さんや花屋さん、カフェなどが開業し、月に1度開催されていたマルシェは、地域の人でにぎわいを見せていました。現在、主催していた居住者が転居したためマルシェは中止されていますが、ネイルサロンや英会話教室、エステルーム、オフィスの打ち合わせスペースとして使われています。
左側のモルタル部分がアネックスで、デザイン事務所の打ち合わせスペースとして使われている(画像提供/Eureka)
設計の基になったのは中国福建省の伝統的住居「Dragon Court Village」は、一般的な2階建てアパートにある共用の廊下や階段などがなく、通路や路地から直接住戸へ出入りできる長屋住宅です。江戸の庶民のイメージがある長屋ですが、意外にも稲垣さんが参考にしたのは、中国の伝統住宅地でした。「Dragon Court Village」を設計していたころ、稲垣さんは、一級建築士事務所Eurekaの活動をしながら、大学の研究員として、東・東南アジアの集落や都市空間の調査に携わっていました。
視察時に撮影した朱紫坊の様子。日本の坪庭より広い中庭がある(画像提供/Eureka)
「2011年の東日本大震災を境に、住宅のサステナビリティ(持続可能性)やレジリエンス(回復力※)が、重要なテーマになっていました。日本では、近代化に伴い、住宅の個々に完結したプロダクト(製品)としての性能が重視されました。その結果、コミュニティを育む力が弱まり、子どもの教育、高齢者の介護など皆で助け合っていた場もなくしてしまったのです。研究は、昔の暮らしにノスタルジックに憧れるのではなく、近代化で失われてしまった叡智、例えば、自然と融合したような暮らしがもつ災害に対する備えなどを学ぼうとするものでした」(稲垣さん)
※レジリエンス:「弾力」「回復力」「強靭」という意味。ここでは、ハード(フィジカル)な住宅のレジリエンスだけでなく、自然環境(ランドスケープ)や地域・近隣コミュニティを含んだ「地域防災力」を備える住宅のレジリエンスを指している。
稲垣さんが、特に感銘を受けたのは、中国福建省福洲市内にある朱紫坊という都市部の伝統的住居でした。道路の一辺に敷地が接しており、建物が奥に延びていく京都の町家のようなつくりで、中庭を備えていました。
「朱紫坊の中庭は、ひとりだけのものではなく、みんなが使える空間で、イベントを催したり、ゲストを招いたりする社交の場として機能していました。外部や自然環境につながっている中庭には、風が流れて、おおらかな暮らしぶりがうかがえました。建物が出来上がったときが快適性のピークではなく、ある場所をシェアして皆でより快適な場所につくり上げていくスタイルは、大きな学びとなりました」(稲垣さん)
車路兼通路から見る中庭と路地(画像提供/Eureka)
賃貸集合住宅に設けた中庭や路地という「余白」。居住者で耕しつくり上げる空間に研究で得た成果を日本での集合住宅設計に応用したいと考えた稲垣さん。「Dragon Court Village」では、建物と建物の間に中庭や路地を設け、軒下空間で緩やかに住戸をつないでいます。中国の伝統的住居のようなシェアスペースを賃貸集合住宅の中にもたせ、豊かなコミュニティを生み出せるように設計しました。
路地の風景。路地に面したデッキやテラスで家族や友人と食事を楽しむ居住者も(画像提供/Eureka)
難しかったのは、風をデザインすること。風のシミュレーションをして、季節ごとの風の流れを検証するなど試行錯誤し、時には設計をやり直すことも。一見、アトランダムに見える住戸やアネックスの配置は、それらシミュレーション結果を反映した入念な設計で、風が通り抜ける心地よい軒下空間が生まれました。
シミュレーションで、夏場の風の流れを確認。南北に風が流れる設計に(画像提供/Eureka)
住戸やアネックスは、路地や中庭につながっている(画像提供/Eureka)
「家族構成や社会情勢が変わったときに、余白があれば、使い方を工夫しながら、快適性を持続することができます。最初は与えられたものであっても、居住者が耕していき、自分たちでつくり上げた空間になればという思いです」(稲垣さん)
当初は、「アネックスなんて借りる人がいるのだろうか」とオーナーも心配したと言いますが、「Dragon Court Village」が認知されるにつれ、「やりたいことをかなえるならここに住みたい!」という人が集まるようになりました。コロナ禍では、「息が抜ける空間があり、テレワークも快適」「軒下で食事をするのが楽しみ」という声が寄せられているそうです。完成品に住むのではなく、住みながら暮らしをつくり上げていく。8年がたってもなお「Dragon Court Village」は、新しい人生が始まる場所であり続けています。
●取材協力
・一級建築士事務所 Eureka
・「Dragon Court Village」(竜美丘コートビレジ)
「アートによるまちづくり」で大きな成果をあげている場所があります。それが大阪の北加賀屋(きたかがや)。かつては造船景気に沸いたウオーターフロントの街が、役目を終えて沈滞。この10年でアートという新たな航路へと舵を切り、再び浮上したのです。
アートで街全体を彩る大胆な構想を実践したのは、長く地元に根差してきた、「まちの大家さん」ともいえる不動産会社、千島土地株式会社。手探りでアートとまちづくりに向きあってきた10年を振り返っていただきました。
「造船所が去った街」から「アートの街」へと変身「弊社は不動産会社で、過去にアートにたずさわった経験がなく、『アートでの街づくり』は手探りで進めてきました」
「千島土地株式会社」(以下、千島土地)地域創生・社会貢献事業部の宇野好美さん、福元貴美子さんは、口をそろえてそう語ります。
千島土地地域創生・社会貢献事業部の宇野好美さん、福元貴美子さんと(写真撮影/出合コウ介)
明治45年設立の千島土地は、大阪湾に近い木津川沿いの「北加賀屋」地区に約23万平米もの広大な経営地をいだく賃貸事業主。明治時代から昭和の高度成長期にかけて造船所や関連工場などに土地を賃貸し、日本の近代化を支えてきました。
しかし、1980年代に入って産業構造の変化に伴い造船所の転出が進み、北加賀屋は空き工場や空き家が増えていったのです。なかでもとりわけ大きな空き物件が、1988年に退出した「名村造船所大阪工場」の跡地でした。
かつて造船所でつくった船はここから旅立っていったが、船の大型化により浅瀬の木津川では船づくりが難しくなり、九州などに拠点が移っていったという(写真撮影/出合コウ介)
宇野「不動産バブルの時代で、広大な土地が返還されるケースが稀だったこともあり、そのままの姿で返還を受けました。しばらくは個人様や企業が所有するボートなどを預かるドックとして機能していました。けれどもバブルが崩壊し、いよいよ使いみちがなくなってしまったんです」
名村造船所跡地(返還時の様子)(写真提供/千島土地株式会社)
そういった重工業の集積地である北加賀屋に「アート旋風」の第一陣が巻き起こったのが2004年。「造船所の跡地を表現の場として再活用しよう」という動きが芽吹き始めたのです。
福元「造船所の跡地をアートイベントにお貸ししたら、これがとても好評で。2005年には『クリエイティブセンター大阪(CCO)』として演劇や作品展などにお貸しするようになり、それに伴い弊社もアートに理解を示すようになっていったんです」
千島土地の代表取締役社長である芝川能一(しばかわ よしかず)さんは「アートには街を変える力がある」と確信。2009年に北加賀屋を創造的エリアへと変えていく「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ(KCV)構想」を打ち立てました。
さらに2012年に株式会社設立100周年を迎えるにあたり、記念事業の一環として「一般財団法人おおさか創造千島財団」を創設。これらをきっかけに、千島土地の本格的なアート事業がいよいよ幕を開けたのです。
(写真撮影/出合コウ介)
Ben Eineによるウォールアート(写真提供/千島土地株式会社 Photo by keiichi yamamura)
宇野「北加賀屋は、なんばから地下鉄で5駅。大阪の繁華街からめちゃめちゃ離れているわけじゃないんです。けれども以前は、『北加賀屋? それどこ?』と場所を認識してもらえませんでした。『精神的距離がある街』なんて呼ばれて(苦笑)。けれどもアートでの街づくりを始めてから、『北加賀屋、カッコいいよね』というお声をいただくようになったんです」
アートによって街の印象を大きく変えたという北加賀屋。では、造船の街だった北加賀屋は、アートによってどのようにイメージチェンジしたのか、宇野さんと福元さんに実際に街をガイドしていただくとしましょう。
アーティストのために「改装自由」で部屋を貸し出した千島土地が手がける北加賀屋の「アートで街づくり」には、さまざまな事例があります。まず紹介するのが、2020年から貸し出しが始まった通称「半田文化住宅」。
工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」が入居する半田文化住宅外装はタイル貼り。1階部分は好みにペイントしたり飾ったり、2階は元のまま、レトロな雰囲気が残る(写真撮影/出合コウ介)
「文化住宅」とは、主に1950年代~1960年代に建てられた2階建て集合住宅を指す関西の言葉、関東では「モクチン」と呼ばれる場合もあります。一般的にいう「木造アパート」で、それまでの時代は共同だった玄関やトイレなどが各住戸に独立してついており、「文化的」な印象からそう呼ばれるようになりました。イメージは「2階建ての長屋」です。
千島土地はこの半田文化住宅をアーティストやクリエイター向けに、なんと! 「改装自由」「原状回復不要」といった格別な条件で賃貸しているのです。
もともとの借家人の苗字からその名で呼ばれる半田文化住宅は、Osaka Metro四つ橋線「北加賀屋」駅から徒歩わずか1分の好立地にあります。1階に2戸、2階に2戸の風呂なし物件。陶芸家や生き物の標本作家など全戸にアーティストが入居し、ものづくりに励んでいるのです。
とりわけ見違えるほどの改装を施したのが、2020年5月にここへやってきた工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」の大浦沙智子さん。大浦さんは「撮影用の背景ボード」をつくるデザインペインター。SNSやフリーマーケットアプリの「映え」には欠かせぬ、今の時代にぴったりな仕事です。
専門であるペイントや、DIYのスキルを活かして、見違えるようにおしゃれな空間になった工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」(写真撮影/出合コウ介)
居住はせず、アトリエとして部屋を借りている大浦さん。大きな作業台を必要とする仕事柄、壁を大胆にぶち抜き、広さを確保しました。シャビーシックに色変わりしたこの空間は「水まわりと床以外は建具も含め、ほぼ自分で改装した」というから驚き。さらに2階も借り、ワークショップの会場に使用しています。
ワークショップの会場にもなる2階の作業場(写真撮影/出合コウ介)
宇野「私どもも『ここまで生まれ変わらせていただけるとは』と感動しました」
福元「見事なDIYです。『これがビフォーアフターか!』と見とれましたね」
大浦さんが半田文化住宅を選んだ理由は――。
大浦「隣が空き地だったのが決め手の一つです。空き地のおかげで窓から光が入るのが気に入りました。サンプルの写真がとても撮りやすいんです。この部屋を選ぶ以前は住之江区内のガレージを工房の代わりに使っていました。暗いし、冷暖房はない。夏や冬は大変だったんです。私にとって半田文化住宅は天国ですよ」
この仕事を始める前、塗料の会社で経験を重ねていた大浦さん。独立後、半田文化住宅で気に入ったアトリエを持てたことで、仕事が順調になったそう(写真撮影/出合コウ介)
隣接する空き地は、以前は活用されていなかった場所だったのだそう。北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想に共鳴した大浦さんは、フェンスの塗装、芝生の水やりや育成などの空き地の管理にも協力しています。
大浦「部屋の改装はまだ終わってはいません。きっと、これからもずっとどこかをなおし続けていくでしょう。改装というより、『部屋を育てる』感覚なんです」
アーティストが部屋を育て、街の景観を育てる。アートの力で街が育ってゆく。それが北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想の本質なのだろうな、そう感じました。
「住宅そのものがアート作品」という驚きの賃貸物件居住を可能とする事例なら、2016年に誕生した「APartMENT(アパートメント)」もあります。
(写真撮影/出合コウ介)
「APartMENT」は、築古の集合住宅を8組のアーティストやクリエイターのプロデュースによってリノベーションし、再生させるプロジェクト。千島土地が、不動産から設計、工務までトータルでおこなう「Arts & Crafts(アートアンドクラフト)」とタッグを組んでおこなう、「住宅そのものがアート作品」という極めて意欲的な取り組みです。
福元「アーティストに限らず、アートに興味がある人々にも北加賀屋で暮らしてほしい。そのためにも住む場所の提供は弊社の課題でした。『北加賀屋らしい、アートに特化した、特徴のある集合住宅にしよう』と考えて始まったのが、このプロジェクトです。ネーミングとロゴにも『AP“art”MENT』と、アートという言葉が入っているんですよ」
「art(アート)」を内包する住宅、それはまさに北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想の所信表明といえるでしょう。
「APartMENT」には二つのタイプの部屋があります。一つ目は、北棟1階と南棟を使った「toolbox PROJECT(ツールボックス・プロジェクト)」による部屋。
「ツールボックス」とは、「自分らしい家づくり」に必要なアイテムを販売したり、実際にそれらを使用して施工したりするWebショップ。
福元「改装できるギリギリ寸止め状態まで弊社で施工しておいて、『あとの内装は自由にやっていいですよ』『ツールボックスの商品を使用した改装内容については原状回復もしなくていいですよ』という部屋なんです」
二つ目が、北棟の2階より上で展開する「8 ARTISTS PROJECT(エイトアーティスト・プロジェクト)」の部屋。モダンアート、照明作家、造園家、先鋭的なデザイン事務所などジャンルの垣根を越えた8組のアーティストが、オリジナリティあふれる「45平米のアート作品」を生みだしたのです。
なかでもインパクトが絶大なのが、現代美術作家の松延総司(まつのべそうし)さんがつくりあげた「やすりの部屋」。壁紙の代わりに使用しているのは、なな、なんと「紙やすり」! ざらりとした手触りは、住む人によってはクセになること請け合い。壁に貼られた紙やすりは部屋ごとに種類が異なり、「この部屋のやすりは刺激的だぞ」と、五感が研ぎ澄まされてゆきます。
現代美術作家の松延総司さんによる「やすりの部屋」。茶色く変化した部分は、家具が擦れて自然とついた色だそう(写真撮影/出合コウ介)
宇野「以前の住民が使っていた掃除機のルンバと紙やすりが格闘した跡を、あえて現状のまま残しています。こういった生活の痕跡が引き継がれていくのがおもしろいと思うんです」
こちらは「スキーマ建築計画」による、「足す」のではなく「引く」デザインの部屋。中央奥の押入れは、引っこ抜いたかのように取り払い、収納スペースは畳の下にしまい込んで隠してしまう。「足しがち」な暮らしの固定観念を覆す、住む人の気持ちが反転していくような部屋(写真撮影/出合コウ介)
このように前衛的な部屋が並ぶ「APartMENT」は、アートとリノベーションの融合、住人の創造性の誘発といった点が評価され、2017年、大阪市が実施する顕彰事業「第30回 大阪市ハウジングデザイン賞」において「大阪市ハウジングデザイン賞特別賞」を受賞しました。
もとは1971年築の鉄工所社宅。鉄筋コンクリートによるがっしりした構造が、アーティストたちの自由な発想を受け入れています。その様子は、鉄でものづくりをしてきた先人たちが、次世代を築くアーティストたちを応援し、胸を貸しているように見えました。
「近寄りがたい」といわれていた集合住宅が交流の場として甦った住宅を提供する場合があれば、かつて住宅だった物件を別のかたちに蘇らせたケースもあります。それが「千鳥(ちどり)文化」。
千鳥文化の外観。中央がメインとなるアトリウム。統一されていないごちゃごちゃ感もこの文化住宅ができ、育ってきた歴史を物語っている(写真撮影/出合コウ介)
「千鳥文化」とは2017年にオープンした文化複合施設のこと。「クリエイターと地域の人々が緩やかに交流するプラットフォーム」をコンセプトに、食堂、商店、バー、ギャラリー・ホール、テナント区画が一堂に会しています。築60年ほどの文化住宅をリノベーションした話題のスポットなのです。
福元「アートイベントのためだけに訪れるのではなく、北加賀屋に滞在してほしい。そんな想いで始まったプロジェクトです。元々千鳥文化と呼ばれていた建物。名前もそのまま承継しました」
旧・千鳥文化は、現在の法律では住居としてありえないアバンギャルドな姿をしており、「近寄りがたい雰囲気だった」といわれています。
家の改造はお手の物だった船大工たちの作業の跡が残る室内(写真撮影/出合コウ介)
宇野「かつての千鳥文化は、造船業に従事していた住人たちが自らの手で増改築を繰り返していました。『もともと平屋だった建物に住民が2階を増築したのではないか』と推測されています。わかっているだけでも5回、大きな改築がなされていますね。どうやって建っているのかすらわからないほど不思議な構造だったんです」
増築に「船の素材が使われていた」など、住んでいた船大工の手によっていびつに表情を変えていったこの文化住宅は、ある意味でアートの街・北加賀屋にぴったり。とてもクリエイティブな文化遺産といえるでしょう。
旧・千鳥文化はのちに空き家となり、解体も検討されました。しかし、「迷路のように複雑化するほど人々の暮らしの痕跡が刻まれている貴重な建物だ。二度と再現できない。更地にしてしまうのはもったいない」と、北加賀屋を拠点に活動する建築家集団「dot architects(ドットアーキテクツ)」の手によって、A棟とB棟で二期に分けてリノベーションを実施。新時代の千鳥文化プロジェクトがスタートしたのです。
宇野「設計図が存在しない難物です。柱の1本1本を測りなおし、できる限り元の古材を残しながらも耐震対策は現行法に基づきしっかりやるという、気が遠くなるような作業から始まりました。完成するまでに3年もの年月がかかりましたね」
dot architectsは千鳥文化も含めた功績が認められ、2021年に建築のアワード「第2回 小嶋一浩賞」を受賞しました。
印象に残るレトロな「TEA ROOM まき」の装飾テントには手を加えず、玄関はガラス張りに改修。再生した施設内は「アトリウム」と呼ばれる吹き抜けの共有スペースがあり、誰でも出入りできます。1階部分はカフェや、展示などを行える空間として、2階部分にはアート作品が飾られており、自由に見学できるのです。
アトリウム奥のカフェ「千鳥文化」(写真撮影/出合コウ介)
吹き抜けの2階部分。建物の構造を見るだけでもおもしろい(写真撮影/出合コウ介)
2階部分に常設されているのは金氏徹平「クリーミーな部屋プロジェクト」。手前と奥の部屋合わせて一人のアーティストの世界観でつくられている(写真撮影/出合コウ介)
壁にあいた舟窓の穴からのぞくと隠れている奥の部屋にも現代アートがある遊び心あふれる空間(写真撮影/出合コウ介)
元居室の扉には、住民がいたころの紙をぺたっと貼っただけの表札が(写真撮影/出合コウ介)
往時は「近寄りがたい」と言われていた建物に今や新鮮な空気が循環し、陽がさんさんと降り注ぐ。「千鳥文化というアート作品」が60年の時を経て、やっと正当に評価されたのでは。そんなふうに思えました。
現代美術作家の巨大作品がずらり並ぶ「生きている倉庫」続いて案内されたのは、外観だけを見れば、単なる大きな倉庫。実はこの倉庫こそが、北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想が成し遂げた重要な功績の一つなのです。
MASK(マスク/MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)(写真撮影/出合コウ介)
扉を開けて、びっくりしない人はいないでしょう。目の前に並んでいるのは、世界に名だたる現代美術作家たちの、巨大な造形作品なのですから。
ヤノベケンジ 作品 左「ラッキードラゴン」、右「サン・チャイルド」(写真撮影/出合コウ介)
名和晃平 作品「N響スペクタクル・コンサート「Tale of the Phoenix」舞台セット」(写真撮影/出合コウ介)
久保田弘成 作品「大阪廻船」(写真撮影/出合コウ介)
床面積 約1,030平米(52.5×19.5m)、高さ 9.25mというとてつもない広さを誇るスペースを使った驚異のプロジェクト、その名は「MASK(マスク/MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)」。
収蔵するアーティストは、宇治野宗輝、金氏徹平、久保田弘成、名和晃平、持田敦子、やなぎみわ、ヤノベケンジといった、国際的に活躍する現代美術の人気作家ばかり。
宇野「近年、芸術祭等で大型作品を制作する機会が増えていますが、会期後の保管はアーティストにとって大きな課題となります。実際、多くの作品が解体されたりしているのです。そのため、弊社では無償で大型作品をお預かりすることにしました」
芸術祭の会期後、「作品をどう残すのか」は、アーティストにとって頭が痛い問題です。維持するにはお金がかかる。そもそも “メガ”(大変な規模の)サイズの作品を保管できる“ストレージ”(領域)がない。実際、置き場に困り、作品が廃棄される悲しい例も多いのです。
このような状況に一石を投じるべく、千島土地が管理する鋼材加工工場の倉庫跡を利用し、2012年からアーティストの大型作品を無償で預かるプロジェクト「MASK」を発起しました。作品の保管のみならず、2014年から、年に1回「Open Storage(オープン ストレージ)」と銘打ち、一般公開をしています。
2022年は10月に「Open Storage(オープン ストレージ)」を実施。鉄の柱が張り巡らされた倉庫でたくさんの現代アートを楽しめる。撮影も可能(写真撮影/出合コウ介)
福元「みなさん『北加賀屋にこんなすごいところがあったんだ』と、とても喜んでくださいます。全国を見渡しても、これほどの量の大型作品が並ぶ場所は他にはないと思います」
宇野「北加賀屋がアートで街づくりをしていると一般の方にも知っていただけた、大きなきっかけとなった場所です。よく『なぜ無償で預かっているの? 利益が出ないでしょう』と聞かれるのですが、弊社では『アラビア数字では表せない価値をもたらしてくれた』と考えています」
収蔵のみならず、持田敦子さんの手によるビッグサイズの回転扉『拓く』は、2021年にMASKで現地制作されました。
また、「大きな作品を預かる」という点では、他の倉庫で、オランダのアーティスト、フロレンティン.ホフマンの、膨らますと高さ9.5メートルにも及ぶパブリックアート『ラバー・ダック』を管理し、各地の水上で展示する拠点にもなっています。
「すみのえアート・ビート2021」開催風景(写真提供/千島土地株式会社)
千島土地は作品『ラバー・ダッグ』を保有する日本唯一の窓口という意外な一面も。水都大阪2020のイベントや、東日本大震災のチャリティイベントでもおなじみの姿が北加賀屋のまちのマンホールアートでも見られる(写真撮影/出合コウ介)
倉庫が収蔵する目的を越え、作品を生み出し発信する場所として新たな命を宿している。脈を打ち始めている。ここはまさに「生きている倉庫」ではないでしょうか。2022年の秋も一般公開が予定されています。謎のヴェールに包まれた倉庫がマスクをはぎ取る瞬間に、ぜひ立ち会ってみてください。
2022年度の一般公開「Open Storage 2022 ―拡張する収蔵庫-」は、10月14日(金)~16日(日)、21日(金)~23日(日)と、「すみのえアート・ビート」に合わせて11月13日(日)に開催予定です。
広大な造船所の跡地が表現の場へと船出した最後に案内していただいた場所、そこはフィナーレを飾るにふさわしい、素晴らしい別天地でした。それは2007年に、経済産業省「近代化産業遺産」に認定された、木津川河口に位置する「名村造船所大阪工場跡地」。そう、千島土地がアートを手掛ける第一歩となった記念すべき場所です。2005年に跡地の一部を「クリエイティブセンター大阪(Creative Center OSAKA/略称:CCO)」と名づけ、敷地面積が約4万平米という空前の広さを活かした一大アートパラダイスへと変貌を遂げたのです。
湾岸沿いで交通の便がいいとはいえない場所だがイベントでは大勢のファンが足を運ぶ(写真撮影/出合コウ介)
クリエイティブセンター大阪は、「廃墟のポテンシャル」を存分に楽しめる場所。「建物そのものを楽しみたい」という人のために参加無料の見学ツアーも行われています。
さらにライブや演劇、コスプレイベント、撮影会、映画・ドラマのロケ、サバイバルゲームの舞台としてもレンタルされ、なかには結婚式に使うツウなカップルまでいるのだそうです。
福元「一般に開放した当初は、コスプレイベントのためにカートを引いた若者たちが北加賀屋に集まってくるので、地元の方々は『なんだ? なんだ?』とけげんそうな目で見ていました。けれども現在は、集まる若者たちがこの街を盛り上げてくれているんだと、歓迎してくださっています」
刮目すべきは4階にある、船の製図室の遺構をそのまま活かした無柱の創造スペース。
右奥に人のサイズ感で伝わるだろうか。柱がないこれだけの空間は極めて珍しい。この反対側にもこれと同じくらいの広さがさらに広がる(写真撮影/出合コウ介)
宇野「この部屋では以前は、船や部品の原寸図を引いていたんです。床に敷いて這いながら書くため、天井には手元を照らすための蛍光灯がずらっと並んでいます。床を見てください。まだ図面の跡があるんですよ」
まるで幾何学模様のような傷は設計の痕跡(写真撮影/出合コウ介)
本当だ。広々とした床には船の図面の面影が遺っていました。往時の果てしない造船作業、職人さんたちの高い技量と苦労が想い起こされ、胸を打ちます。そしてこの部屋は現在、現代アートの展示やイベント、さらに地下アイドルのフェスであれば物販やチェキタイムなど、ファンとの交流にも利用されているのです。
こういった取り組みが評価され、2011年には文化庁が後援する企業メセナ(企業が芸術文化活動を支援すること)協議会「メセナアワード2011」にて「メセナ大賞」を受賞。千島土地がアートでの街づくりに拍車をかけるきっかけとなりました。
かつて2万人を超える造船労働者で盛況を博した北加賀屋。役目を終えた造船所が、北加賀屋のランドマークとなって眠りから覚めました。そうして可能性を秘めたアーティストの卵たちの船出を、あたたかく見守っているのです。その海は、世界へとつながっています。
アートの力で活性化した街の「次の一手」は造船所が転出し、一時期は活気を失っていた北加賀屋。千島土地の尽力とアートのパワーにより今や世界からも注目される街となり、息を吹き返しています。タワーマンションの供給が始まるなど具体的な経済効果も表れはじめているようです。今後の展望は。
宇野「ギャラリーの誘致を目指す新しい拠点などを計画中です。アーティストが暮らし、作品をつくり、この街で発表する。その作品に注目が集まる。この流れを生みだしていけたらいいなと考えています」
福元「そして、長く暮らしたくなる、価値が高い街にしていきたいです。アートに触れながら、親子3代にわたって住む。そうやって文化を育んでいければ」
芸術の秋です。ウォールアートやパブリックアートの数々が迎えてくれる北加賀屋を散策してみませんか。なんばから、わずか5駅ですよ。
北加賀屋の街中ではさまざまなオブジェやウォールアートが出迎えてくれる(写真撮影/出合コウ介)
(写真撮影/出合コウ介)
(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
●取材協力
「千島土地株式会社」Webサイト
「おおさか創造千島財団」Webサイト
「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」Webサイト
「APartMENT」(アパートメント) Webサイト
「千鳥文化」Instagram
「MASK」(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)Webサイト
「クリエイティブセンター大阪」Webサイト
今年6月、「山梨に別荘を3人で400万で買って今のところ最高過ぎ」というツイートが大きな反響を呼んだ。投稿主の堀田遼人(ほった・りょうと)さんは、友人たちと共同で400万円庭付き中古一戸建てを購入。友人のなかには子持ちのメンバーもいるそう。
計画から物件探し、契約まで戦略と熱意を持って進め、現在は物件をリノベーション中とのこと。堀田さんたちはどうして別荘をシェアすることにしたのか、どんな暮らしを目指し、どのように別荘づくりを進めているのかを伺ってみた。
別荘購入の流れを紹介した堀田さんのTwitter投稿。「条件整理」に続く工程について、14のツイートをツリーでまとめている(画像提供/堀田遼人)
きっかけは飲み仲間と話した「秘密基地みたいな場所、ほしいよね」シェアスペース関連のサービス事業会社に勤めているという堀田さん。別荘を共同購入した友人とは、どのような関係なのか。
「3人とも都内の近場に住んでいる飲み仲間です。私は前職で不動産関連の仕事をしていたのですが、仲間のうち一人は前職時代から今も仲良くさせていただいている先輩で、もう一人はその先輩とのつながりで飲んだり貸別荘に泊まったりして知り合いました」
堀田さんの家族構成は妻との2人暮らし、ほかの2人は、子どもとの3人家族、独身とバラバラ。職業柄もあって、皆さん「場づくり」には関心が強いという。
今回のシェア別荘の計画が生まれたきっかけは、何だったのだろうか。
「3人で遊んでいるときに、お酒を飲みながら『どこかに古民家や別荘を買って、リノベして秘密基地みたいな場所をつくりたいよね』と話していたんです。そこから、金額感やエリアをなんとなく決めて物件を探しました」
飲みの席で秘密基地の計画を立てるのは、親しい間柄では一種の“あるある”とも言える話題だが、それを実現する例はなかなか聞いたことがない。
「これまで一緒に貸別荘などへ行っていたことから、そのほかの細かな要素は大体の共通認識ができていました。例えば、釣りができる川が近くにあるとか、敷地内にサウナ小屋や囲炉裏がつくれるとか。僕も先輩も、かつては不動産業界にいたので、趣味のような感覚で日ごろから空き物件をチェックする習慣があり、よさそうな物件が見つかったら随時共有して物件探しが進んでいきました」
山梨の自然に囲まれたシェア別荘(画像提供/堀田遼人)
「この物件を逃したら次はない」。3人の熱意を込めた長文で申し込み物件探しでは、持ち主と購入希望者が直接やり取りできるサイトを利用したという。そうして3人の目に留まったのが、今回購入した山梨の物件。ヤマメが釣れる川、サウナ小屋がつくれる土地、都内からのアクセスなど、求める条件をすべて満たしていた。
「この物件を見つけたのは2021年の暮れごろでしたが、この年の夏まで別荘として使われていました。持ち主のご家族のお子さんが大きくなるにつれて利用頻度が減り、物件を手放すことになったようですが、そういった背景なので水道や電気などは通っていますし、室内もきれいで、すぐにでも使える状態でした」
そんな好条件の物件はすぐに人気を集め、内覧希望者も多かったという。
「僕らも3人で内覧して、ほかの物件とも比べた結果、『この物件を逃したら、ほかには無いかもしれない』という話になり、その日のうちに申し込みを決めました。当時は長期的なリモートワークを見据える人たちが増え始めたタイミングで、2拠点生活をするために物件を探している人も多かったそうです。ほかにも10数組ほど検討している人たちがいたようなので、もはや『買いたいけど買えない』という結果を迎えることのほうが怖かったです」
堀田さんたちは「なぜこの物件を購入したいのか」という理由や熱意、そして希望購入金額などを長文にしたためて売主に送る。そして2週間後、契約を進める旨の返事が堀田さんたちのもとに届いた。
地元の人々と積極的に交流し、スピード重視で「やりたいこと」をやる「購入費用は、土地を含めて約400万円です。ただ、『土地付き』と言っても、この土地は定期借地契約という形なんです。当面の間自分たちの土地として使えるので、実用面では何も問題はないのですが、所有権を持っていないということは、不動産投資目的など資産として購入しようとする人には不向きなんでしょうね。それもあって安く買えたのかもしれません。調べた限り、ほかの別荘で似たような土地面積・住戸の条件だと、800~1000万円が相場でした」
借地ということもあり、購入に際しては売主とは別に、地主とのやりとりも多かったという。
「地主さんが慣れない土地での拠点づくりを進める僕らにとても優しく接してくれて、連絡を重ねるにつれ、新しい環境への不安も消えていきました。おかげでいいスタートが切れましたね」
手続きや地域へのあいさつを経て、いよいよ入居。物件には、どのように手を加えていったのか。
「まずは虫の駆除やシロアリ対策の工事をしたり、庭に生い茂った雑草を刈り払い、駐車場用の砂利を敷いたりしました。あとはインターネットを引き、風呂やトイレ、キッチンをリフォームして、およそ最低限の整備は完了です。そこからは自分たちがやりたいこととして、畑を耕して小屋を立てたり、囲炉裏をつくったり庭にサウナ小屋を建てたりしました。これらが7月から8月にかけてすごい勢いで進み、現在はもう理想の80%ほどに近づいています」
リフォームを進めているキッチン(画像提供/堀田遼人)
害虫対策から、居室や敷地内の整備、サウナ小屋づくりまで! これらを約2カ月で進めるバイタリティは、一体どこからくるのか。
「そもそも3人とも仕事熱心なタイプではあるのですが、別荘に関してはとりあえず『各自やりたいことを進めていけばいいよね』という方針で、それぞれバラバラに手を加えていました。例えば、一人は料理が好きだからキッチンまわりを整えたり、一人は畑をいじったりとか。
あとは、積極的に外部の人とコミュニケーションをとっています。室内のリフォームについては、早い段階で地元の施工会社に相談しましたし、サウナ小屋は『地元の木材を使って樽型のサウナをつくる』というプロジェクトを行っている会社を見つけて依頼しました」
地元業者に依頼してつくった、樽型の「バレルサウナ」(画像提供/堀田遼人)
バレルサウナの内部(画像提供/堀田遼人)
「実は、畑の土地も地主さんがご厚意で貸してくれているんです。畑の耕し方や土の特徴なども教えてもらいました。こうして周りの人に協力いただき、やりたいことをできるだけ早めに実現してみようと考えて動いてきました」
「その土地でものづくりをしている方に施工などを依頼していると、そのうち、仕事と関係ない場面でも野菜をくれたり土のつくり方を教えてくれたりして、いい意味で『境界線が解けているつながり』を感じます。そういった関係性が生まれることも含めて、場づくりの過程が面白いなと。僕らの家族も畑づくりに取り組むなど、シェア別荘での生活は積極的に楽しんでいますね」
(画像提供/堀田遼人)
仲間の多さは、人だけでなく土地や物件にとってもプラス順調に環境が整いつつあるシェア別荘には、毎週3人のうち誰かが足を運んでいるという。今後はどのような計画を立てているのか。
「畑で育てる野菜や果物を増やしていったり、快適に過ごせるような工夫をしていったり、働く場所としてワークスペースを整備したりしたいと思っています。平日は3人とも仕事があるので現在は週末に通う形ですが、ゆくゆくは平日もこの別荘でリモートワークができる環境をつくりたいんです。道路が空いていれば東京の家から1時間ちょっとで来られるので、例えば『今日は暑いから別荘で涼みながら働こう』という感じで、ふらっと来られる場所にできればと思います」
その日の天候や気分で働く場所を選べるなんて、まさに理想の2拠点生活だ。ところで、ここまでにかかった費用と、今後見込まれる維持費はどのくらいなのだろうか。
「物件と土地の購入で400万円、リフォームや追加設備・物品の購入などで300~400万円ほどですかね。煩雑さを回避するために、主な契約は一人が代表して行い、リフォームにかかる出費は立て替えなどを経て最終的に3人で平等に分けています。ランニングコストは、土地関連で年間10万円ほど、水道光熱費やネットで月に1万~1万5000円ほどでしょうか。最近は、空き家を活用した活動への助成金制度などが自治体で用意されていることもあるので、うまく利用すればコストを抑えることもできます」
室内に設置したいろり(画像提供/堀田遼人)
今回のシェア別荘づくりを経て、3人で取り組んできた意義について聞いてみた。
「金銭的な利点ももちろんありますが、何か『これもやりたい』と思ったときに人手が多いとスムーズです。また、1組の家族だけなら、平日は東京で働いて週末を山梨で過ごして……を繰り返すのはとても大変でしょうけど、3人なら無理なく毎週誰かが行く形をつくれる。人がいない期間が長く続くと、家の老朽化が進んでしまいます。仲間を増やすことは、当事者にとっても土地や建物にとってもプラスになると思います」
(画像提供/堀田遼人)
実現への第一歩は、物件との出会いを求めて動くところから怒涛の勢いで別荘の環境を整えてきた堀田さんたち。最後に、シェア別荘計画に憧れる人たちへ向けたメッセージをもらった。
「引越しや家の購入って、とてもエネルギーを使います。挫折するポイントだらけです。だからこそ、とにかく物件を見てテンションを上げることが大事。良さそうだと思ったらとりあえず問い合わせてみて、『ほしい!』『住みたい!』という気持ちを維持し続ける。やっぱりライフスタイルの面で共感できる仲間を増やして、楽しみながら一緒にやっていくのがいいと思います」
誰もがふと思い描く「秘密基地」の計画を実際に成し遂げた堀田さん。本人は楽しげに語ってくれたが、やはり相当なエネルギーが必要だったようで、モチベーションを維持する工夫も大切だという。
正直、「共同購入」というフレーズを最初に見たときは「どれぐらいお得になるのかしら」ということばかり考えてしまっていた。しかし憧れを本当に実現するためには、結局「仲間と一緒に楽しい場所をつくりたい」という根源的な気持ちが鍵になるのかもしれない。
●取材協力
堀田遼人さん
コロナ禍で、運動不足を感じている人たちが自宅で運動をしたいと考えるようになった。こんな調査結果を積水ハウスが公表した。現在まで自宅での運動を続けている人が多いというが、どんな運動をどこでやっているのだろうか? 詳しく見ていこう。
【今週の住活トピック】
「自宅での運動に関する調査」結果を公表/積水ハウス
筆者自身の話で恐縮だが、新型コロナウイルスが蔓延したとき、通っていたスポーツジムがクローズしてしまい、困ってしまった。体力づくりをしてきたので、トレーニングを中断すると元に戻ってしまうのではないかと不安になった。そこで思いついたのが、YouTubeを活用して筋トレやヨガなどを毎日行うことだ。
スポーツジム閉館時は、自宅で一日に何度も運動していた。開館してからは自宅での運動量は減っているものの、座りっぱなしの仕事だけに今も継続して運動するようにしている。
筆者と同じような人が多いということが、積水ハウスの調査結果にも表れていた。「コロナ禍で以前よりも運動不足になったと感じる」人が55.8%(「とてもそう感じる」と「ややそう感じる」の計)と半数を超えた。在宅勤務をしている人に絞ると、同じ回答は70.3%にもなった。
「運動したいと思うか」と聞くと、「自宅で運動したい」という人が55.0%に達し、「屋外で運動したい」(32.4%)や「ジムなどの施設で運動したい」(18.2%)よりも多いことがわかった。自宅で運動したいと考えている275人に、実際に自宅で運動をしているかを聞くと、「コロナ前から現在まで続けている」が30.2%、「コロナ禍で始めて、現在も続けている」が19.3%だった。筆者の場合は、19.3%に該当するわけだ。
一方、自宅で運動したいと回答したものの、現在自宅で運動していない人に理由を聞くと、2番目に多かった「運動が嫌い・面倒」(29.5%)は仕方がないとして、1番目に多かったのは「忙しい・時間がない」(38.8%)、3番目が「スペースがない」(20.1%)で、時間と場所が課題になっていたことが分かる。
女性のほうがコロナ前よりも自宅で運動している!?では、自宅でどんな運動をしているのだろうか? 何らかの運動をしている人に、「どんな運動をしているか」を聞いたところ、男女でかなり違いがあることが分かった。
男性では、「屋外でのランニング・ジョギング・ウォーキング」が最多で、コロナ前(数年間)で55.1%、現在で54.1%と、過半数が屋外で走ったり歩いたりしている。2番目に多いのは「自宅での器具を使用しない筋力トレーニング」となり、男性は筋肉を使う運動が好きなようだ。
一方、女性も「屋外でのランニング・ジョギング・ウォーキング」が2番目になり、コロナ前から継続している人が多いようだが、それよりも多かったのが「自宅でのヨガやストレッチ」だ。コロナ前では36.4%だったが、現在では46.4%と大きく伸びている。女性では「YouTube動画を参考にしながらの運動」も10ポイント近く伸びているのも特徴だ。
どんな運動をしているか(男/女・コロナ前/現在別) (出典:積水ハウス「自宅での運動に関する調査」より転載)
全体的に運動する場所の違いを見ると、男性は、「ジムでの筋力トレーニング」と「ジムでのランニング・ジョギング・ウォーキング」がコロナ前から比べると現在では大きく減っていることから、ジムでの運動から自宅での運動へと場所を変えている傾向がうかがえる。また、女性もジムから自宅への流れが見られるが、加えて、コロナ前より自宅での運動量が増える傾向がうかがえる。
自宅での運動、やっぱりリビングが最多さて、自宅で運動する場合は、どこで行っているのだろう? 結果はやっぱりというか、最も広い空間であろう「リビング」が71.9%と最多となった。次いで、「主寝室」が40.1%。筆者も、主にリビングでYouTubeを見ながら、ヨガをしたり踊ったりしているが、起きた時と寝る前に寝室のベッドの上で、腹筋やヨガをしている。納得の結果だ。
自宅で運動をしている部屋/空間(複数回答)(出典:積水ハウス「自宅での運動に関する調査」より転載)
では、自宅での運動を続けるために、どんな工夫をしているのだろう? 最多は、「家具をどかしたり片づけたりする必要のない運動スペースを確保」の42.9%。これは重要なことで、筆者は初め仕事部屋にヨガマットを敷いてやってみたのだが、手を回したり足を伸ばしたりしたときに、ゴミ箱や書棚、椅子の脚などにぶつかってしまい、リビングに移動した。今わが家のリビングの家具はテレビ前に寄せられていて、思い立ったらすぐに運動できるスペースが確保されている。
2番目に多いのが「家事や仕事の隙間時間に実施」(35.6%)、3番目が「時間を決めて実施」(32.8%)となり、時間と空間を上手に活用している人が多いことがわかった。
自宅で運動する理由、感染症対策よりも多いのは?気になるのが、「自宅で運動する理由」だが、興味深い結果となった。「費用がかからないから」(46.3%)が最多で、現実的な理由だった。続いて、「隙間時間を活用できるから」(40.1%)、「時間に縛られないから(好きなタイミングに運動ができるから)」(37.3%)となり、時間を有効に使えることが上位に挙がった。
屋外やジムで運動するには、女性の場合は身だしなみにも気を使う必要があるが、5番目の「人の視線を気にする必要がないから」も自宅のよさだろう。もっと多いと予想していた感染症対策については、「感染症の恐れがないから」(36.2%)の4番目だった。
自宅で運動を続けている理由(複数回答)(出典:積水ハウス「自宅での運動に関する調査」より転載)
さて、自宅で運動をするためには、時間を有効に使うことと、場所を確保することがカギだ。場所は、思い立ったらすぐ運動できるように、片づけなくてもよいスペースを用意して、ヨガマットなどの器具の置き場所をその近くに設けることをお勧めする。
コロナ収束後も、在宅勤務などが続き、自宅での運動も続くだろう。自宅は、仕事をしたり運動をしたりする場所にもなるので、これからは多様な機能を考慮して住まい選びをしてほしい。
●関連サイト
積水ハウス「コロナ禍で広がる自宅トレーニング、手軽に始める4つのヒント」
全国の離島では、本土より早いペースで人口減少が続いています。日本海の隠岐諸島にある西ノ島町、海士町、知夫村も過疎化が進んでいました。そこで、2008年から高校生を対象とした「島留学」制度を開始し、その後、大人の「島留学」制度も開始。現在、高校の生徒数や移住者が増加しています。「島留学」が島に与えた影響と、島留学生のその後を取材しました。
以前は住民の数が年々減少し、島で唯一の高校は廃校寸前だった雄大な景観が魅力で多くの観光客が訪れる隠岐国賀海岸(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
絶景のなかに佇む校舎。現在、北は秋田から南は鹿児島まで、海外(インド)からも留学生を受け入れている(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
隠岐の島は、島根・鳥取の県境から北方約60kmに位置し、「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されている自然豊かな場所。そのうち、島前地区は、西ノ島町、海士町、知夫村から成る地域です。
今、島前地区が注目を集めていることの1つには、島の高校の島留学生や、移住者が増加していることがあります。高校生や大人を対象にした島留学制度がそのきっかけになっているのです。
もともと、移住対策の前に急務だったのは、人口減少や少子高齢化による過疎化により減少の一途をたどっていた島前高校の生徒数を確保することでした。2008年度の生徒数は1学年28人、全校でも90人しかいませんでした。そこで、始まったのが隠岐島前教育魅力化プロジェクトです。さらに、「このままでは廃校になってしまう」と危機感をつのらせた3町村が出資して、2015年に一般財団法人島前ふるさと魅力化財団が設立されました。教育魅力化事業部の宮野準也さんと地域魅力化事業部の青山達哉さんに島留学プロジェクトの経緯を伺いました。
「地元の高校がなくなれば、子どもたちは、進学のため本土に出てしまいます。保護者も一緒に移住してしまえば、過疎化はますます深刻になります。そこで、島前地区の魅力を全国にアピールし、高校への島留学生を呼び込む取組みがはじまりました」(青山さん)
海と山の景観に恵まれている道前地区(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
全国に先駆けて始まった島前高校の「島留学」島前高校の「島留学」は、島外の高校生が自然環境・文化・伝統が残る島前地区で寮生活をしながら高校へ通うプロジェクトです。鹿児島や秋田といった県外や、モンゴルやインドなど海外から留学してくる生徒もいます。現在は、全国で「離島留学」を実施する学校が増加。国土交通省では、離島活性化を図る島留学推進のため情報をホームページにとりまとめていますが、当時、島前高校の「島留学」は、全国にない取り組みでした。
「島留学」で来る生徒が通う隠岐島前高校のキャッチコピーは、「島まるごと学校。島民みんなが先生」。島留学生には、ひとりずつ、「島親さん」と呼ばれる島民がついて地域になじむのをサポート。生徒は、夕飯に呼ばれたり、夏祭りに一緒に行ったりするなかで地域の人とつながっていきます。
無形文化財に指定されている島前神楽。海外留学から帰国後、神楽を残そうと地元で活動をはじめた生徒もいる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
地域のお祭り「キンニャモニャ祭り」に参加した生徒たち。しゃもじを打ち鳴らしながら1時間踊る(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
「心掛けているのは、学校の学びを校内に閉じないこと」と宮野さん。授業には毎日のように島の人が招かれ、文化や伝統を生徒に教えています。7月に行われた、隠岐諸島でかつて使われた木造船「かんこ舟」の操船体験も地域活動のひとつ。昨年9月にIターンした米国出身の冒険家ハワード・ライスさんと、生徒たちが船を修復し、かつての海の文化を体験しました。
「ほかには、数学の授業で、島にカラオケ店をつくる想定で、経営を考える課題がありました。数学的な視点で考える力を養えます。自分に何ができるのか、常に考えて地域のことにアンテナを張る。学校で学んだことが地域に、地域で学んだことが学校の勉強に役立ちます。地域活動が学びの基礎になっているのです」(宮野さん)
現在、全校生徒数は161名とかつての約2倍に増えています。
島暮らしの原体験を手に入れられる3つの制度「島体験」「大人の島留学」「複業島留学」シェアハウスでは、制度を利用してきた人が共同生活を行う。夕飯を一緒に食べたり、仕事や生活で大変なことを相談したり。「島に何ができるのか」熱い話題で盛り上がることも(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
現在、島前地区では、若者を対象とした就労型お試し移住制度も行っています。
制度をはじめるきっかけは、2019年に松江や東京で開催された隠岐島前高校卒業生等が集うイベントでした。参加した100名近い若者から、「隠岐島前へUターンしたいと考えているが、暮らしや仕事の情報がネット上では見えづらく、移住や定住のイメージが湧かない」という声が多く寄せられたのです。そこで、隠岐島前地域の地元出身者に限らず、「島で暮らしたい」という想いをもった全国各地の若者が活用できる大人のための島留学がスタートしました。
期間ややりたい仕事別に3つの制度「島体験」「大人の島留学」「複業島留学」から選べること、シェアハウスで共同生活することが特徴です。
「島体験」は、3カ月の滞在型インターンシップ制度。仕事や普段の暮らしを通して、島を知ることができます。「大人の島留学」は、プロジェクトに就労しながら、1年間お試し移住できる制度。「複業島留学」は、2年間、複数の産業を体験しながら島の新しい働き方を探求します。
仕事内容は、海士町役場人づくり特命担当課のサポート業務、ふるさと納税プロジェクト推進サポート業務、島食プロジェクト、こども基地プロジェクト、海士町役場外貨創出プロジェクトなどさまざまです。
島体験生の研修風景。「島体験」では一週間に一度、「大人の島留学」では、一月に一度の研修が行われる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
岩ガキ、隠岐牛、農業などの一次産業にもチャレンジできる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
2年間の複業島留学では、1年に3カ所(事業所)以上、観光業、農林水産業を中心とした島の基幹産業に携わる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
報酬は、「島体験」は月額8万円、「大人の島留学」は月額15万円、「複業島留学」の年収は年間260日間(1日あたり8時間勤務した場合)で240~310万円です。
応募者をオンライン選考した上で合格した人は、興味ややりたいことと、町村が求めることとマッチングを行い、町が管理するシェアハウスで暮らしながら、島の仕事を体験します。
役場職員から、地域通貨「ハーン」の活用について学ぶ大人の島留学生(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
牛舎での仕事風景。掃除、餌やり、出荷などを手伝う(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
「大人の島留学生」の皆さん(画像提供/清瀬りほさん)
「3つの制度を利用した人は、200人ほど。そのうち、20名が就職して移住しています。チャレンジ精神のある若者は町のエネルギー。商店への経済貢献もあり、島前地区の活性化につながっています」(青山さん)
島に滞在して就労体験できる「大人の島留学」で移住者が増加中清瀬りほさん(役場職員・23歳)は、「大人の島留学」を体験した後、2021年に島への移住を決めました。
「もともと離島出身で、大学時代に離島の教育をテーマに卒論を書いていました。島前高校の魅力化プロジェクトを知り、実際に行きたいと思っていたのですが、さまざまな理由で行くことができませんでした。そのまま就職することに悩んでいたとき、母に背中を押してもらい、『大人の島留学』に参加することにしました」(清瀬さん)
「大人の島留学」で従事する仕事について、清瀬さんは、「行政の中でさまざまな取り組みをしている攻めの部署」を希望。海士町役場の人づくり特命担当課に配属されました。
仕事内容は、大人の島留学事業の推進。シェアハウスにするための空き家清掃や、情報発信、大人の島留学島体験の研修サポートを行いました。
「大人の島留学」時代、大人の島留学・島体験事務局として、島体験生のサポートをする清瀬さん(画像提供/清瀬りほさん)
西ノ島には、ハイキングコースがあり、休日は、花や野鳥を観察しながら散策を楽しんだ(画像提供/清瀬りほさん)
冬になれば雪遊び。ご近所さんから野菜のおすそ分けをいただくことも多い(画像提供/清瀬りほさん)
島での生活を振り返ると、「たくさんの島の人の顔が浮かんでくる」と言います。
「仕事でも暮らしでもたくさんの島の方と関わりながら生活しているんだなと感じます。学生時代から地域づくりに関わっていましたが、短期の活動ではわからなかった地域の地道な努力が見えてきました」(清瀬さん)
大人の島留学がはじまって半年後、清瀬さんは移住を決めます。
「来島した当初は、街づくりが進んでいる海士町から、出身地である離島の街づくりの参考になることを学ぼうという気持ちでした。でも、仕事を任されるうちに、それでは島の人に失礼だと感じるようになったんです。地元のことは一旦置いて、目の前にある島の課題に向き合い、頑張ってみたいと思いました」
留学生時代から引き続き人づくり特命担当に携わる清瀬さんは、メディアプラットフォームで、「離島のリアルを伝える」仕事をしています。清瀬さんが行った留学生へのインタビューには、「手を動かすことで学びが増えていく」「自分のためにも島のためにも」「自分の世界が広がりました」などの見出しが掲げられています。
島前に住む若者インタビュー、島前紹介、イベントレポなどを掲載(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)
清瀬さんが、島留学・移住を経て最も成長したことは、「自分の意見を持ち、言葉で表現できるようになったこと」。
地元の盆踊り大会を楽しむ清瀬さんと自宅の草刈りの様子。草刈り機の扱いにも慣れた(画像提供/清瀬りほさん)
「離島に移住するのはハードルが高く思えるかもしれませんが、実際島を体験すれば合うか合わないかがわかります。覚悟を決めなくていいので、気軽に島留学に来てほしいです」(清瀬さん)
留学時代から住んでいる海士町の多井地区は、最も人口が少なく、商店はもちろん自販機もないところです。ここで暮らすうちに、多井のことが大好きになった清瀬さん。自分が好きな場所に住める幸せを実感しています。
「大人の島留学」のホームページには、体験者の声がいっぱい。オンライン授業を受けたり、休学して、移住生活をする大学生も多く、「島体験」や「大人の島留学」をきっかけに移住を決める人も……。島での「こころを揺さぶる原体験」が、自分を成長させてくれます。
●取材協力
・隠岐島前教育魅力化プロジェクト
・大人の島留学
・島根県立隠岐島前高等学校
2009年から総務省がスタートした「地域おこし協力隊」制度。これは主に都市部に住む人が、「地域おこし協力隊員」として、地方へ1~3年という一定期間移住し、同自治体の委託を受けて地域の発展や問題解決につながる活動を行うこと。任期終了後も同地に住み続けることで、過疎化が進む地方の活性化の起爆剤としても期待されている。
とはいえ任期終了後も同地に住み続けるかは本人次第。総務省によると2021年3月末までに任期を終了した隊員たちが、その後も同地に住み続けている定住率は全国平均65.3%。この全国平均を上回る77%という数字をはじき出しているのが高知県佐川町だ。なぜ定住率が高いのかが実際に住み続ける元隊員たちの話を通じて見えてきた。
協力隊で得たスキルである程度安定して生活ができること、協力隊のコミュニティの心地よさ、さらに協力隊員同士での結婚などがその理由のようだ。さらに詳しい内容をレポートしたい。
個人経営が難しい林業を、行政が働きやすいシステムに改変し定住につなげる高知県中西部に位置する佐川町は人口12,306人(2022年8月現在)。高知市のベッドタウンとしての役割も担うが、他の地方自治体同様に少子高齢化が進む典型的な田舎町だ。この町には現在、任期を終えた地域おこし協力隊員たちの77%に当たる39人が暮らしている。これは高知県の自治体の中で、2位64%の四万十町を引き離してトップに立つ。
(写真提供/斉藤 光さん)
定住者で大きな割合を占めているのが、別記事でも紹介した「自伐型林業」をなりわいとする林業家の元隊員たちだ。2014年に自伐型林業の地域おこし協力隊として佐川町に移住し、任期終了後も妻と2人の子どもと共に暮らしているのが滝川景伍さん。「自伐型林業に興味があり、林業家を目指し移住してきましたが任期の3年間だけでは林業家としての経験が足りませんでした。しかも佐川町以外の地域で、移住者かつ初心者である私が個人経営で民営地を預かり、林業で食べていくことは非常にハードルが高いです」
山に入って仕事をするためには、その山主の許可が必要だ。各山主の所有地の境界線は複雑に張り巡らされている。「佐川町の場合、行政が中心となり山主と交渉を行い、林業家が仕事をできるように『山の集約化』を進めました。そのおかげで私のような新人林業家でも、安心して山で働ける環境が確保されていました」
他地域への参入が難しい林業ゆえに、行政のバックアップで引き続き林業家として働く場所を提供する。この取り組みが、林業をなりわいとしたい協力隊の定住率アップの要因となったことは間違いなさそうだ。「佐川町には元隊員や任期中の隊員も含めて約80人が住んでいます。面白い人たちが多いので、その人たちをつなげるワッカづくりをしていきたい」と滝川さんは意気込んでいる。
重機を使い森の中で作業を行う滝川さん(写真提供/斉藤光さん)
林業を核に新たな人材の移住を促していく2016年、林業での地域おこし協力隊の募集に加え、佐川町は“林業の六次産業化”を目指し、その拠点として「さかわ発明ラボ」を開設した。林業の六次産業化とは、生産物である材木の価値を高め、従事者の収入増を目指すこと。同ラボには最新のレーザーカッターなどデジタル工作機械が導入され、それらを巧みに操るクリエーターやエンジニアを地域おこし協力隊として募った。
「大学卒業後の進路に悩んでいたとき、『さかわ発明ラボ』の人材募集を見つけました。デジタル工作機械のものづくりで地域を盛り上げる取り組みは、難易度は高そうですが、やりがいを感じたので応募しました」と語るのは、同ラボの地域おこし協力隊の一期生として移住してきた森川好美さん。
神奈川県横浜市生まれで東京育ちの森川さんは、大学でデジタル工作機械でのあらゆるものづくり、いわゆる「デジタルファブリケーション」を学んだ。時代の先端を行く学問を修めながら、できたばかりの拠点はあるものの、その真逆の環境ともいえる佐川町での生活が始まった。
「移住当初は、自分の取り組みを町民の皆さんに知ってもらうため、毎週ワークショップを開催しました。ものづくりやデザインが好きな町民の方に足を運んでもらいましたが、取り組みを理解してもらえた実感はありませんでした。どうして良いかわからず、毎晩町内の居酒屋を飲み歩いた時期もありました(笑)」と当時を振り返り、苦笑する森川さん。
任期終了後はNPO法人「MORILAB」を立ち上げ、デザイナーやエンジニアとして活躍する森川さん(写真提供/森川好美さん)
町内にある廃業した歯科医院を活用して開設された「さかわ発明ラボ(写真提供/森川好美さん)
ラボ内ではスタッフ指導のもので子どもたちもデジタル工作機械の体験ができる(写真撮影/藤川満)
ラボを拠点に新たな仕事を生み出していく森川さんはその後も試行錯誤を繰り返し、ワークショップの対象を子どもたちへと広げた。「子ども向けワークショップを開催することで、親も興味をもってもらえる。そして子どもたちにとっては、家庭と学校以外の『第三の場所』として利用してもらえるようになり、取り組みに光が差してきました」
とはいえ東京の大学を卒業したばかりで、社会人経験も少なかった森川さんに対して、一部の心ない町民から冷ややかな視線を感じることもあった。「当時は同世代の友達もいなくて、辞めたいと思うこともありました。けれど新たな協力隊が赴任した2年目からは、業務を分担することができ、仲間が増えて楽しくなってきました」
協力隊3年目となった森川さんは、同ラボの業務以外に、大学の先輩が営む会社からや、それ以外の個人で受ける仕事も増えてきた。「任期終了後は、佐川町の木材などの地域資源をプログラミングやデザイン・設計を通して活用するNPO法人を立ち上げました。デジタル工作機器の導入サポートや加工の窓口としての業務にも取り組んでいます」
現在同ラボは、「ものづくりの場」「企画/デザイン」「子どもたちの学びの場」という三つの機能をもつ施設として、佐川町民から親しまれ、大学や大都市の企業でデザインや建築を学んだ協力隊員、元隊員の活躍の場となっている。
植物学者・牧野富太郎ゆかりの公園「牧野公園」で開催されたワークショップの様子(写真提供/森川好美さん)
同世代という仲間意識が居心地の良い環境をつくる「森川さんの活躍は高知に来る前から知っていました」と語るのは、今年隊員としての任期を終えたばかりの伊藤啓太さん。茨城県生まれの伊藤さんは、宮城県仙台市の大学でデジタルファブリケーションを学んだ。佐川町の取り組みを知ったのは、とある移住フェア。「『さかわ発明ラボ』と『自伐型林業』の連携に興味をもちました。自分があえて林業へ進めば、ラボとの接着剤の役目を果たせるのではと考えました」
林業家として採用された伊藤さんは、仕事ができない雨の日にラボへ足を運び、椅子づくりなどのワークショップを開催し、まさに接着剤として活動の幅を広げていった。任期終了後の現在、自伐型林業家兼木工デザイナーとしての道を歩み始めている。「滝川さんをはじめとする先輩林業家の人たちが、佐川町に残り働く姿を見てきたので、当たり前のように任期終了後もここで暮らすと決めていました」と伊藤さん。
実は森川さんと伊藤さんは、仕事を通じた交流をきっかけに2022年5月に結婚し、新居を町内に構えた。「最近は若い同世代の隊員が増えてきたことで、年に2~3組はカップルが誕生していますよ」と森川さん。隊員同士のカップルもいれば、隊員×地元民のカップルもいる。住む場所の決め手として、パートナーの存在も大きな要因。同世代という垣根の低さが多くのカップル誕生に寄与しているのかもしれない。
「将来的には自分で製材した木材を使ってアイテムづくりをしたい」と語る伊藤さん(写真提供/伊藤啓太さん)
同ラボ内で語らう森川さんと伊藤さん。伊藤さんは、デジタル工作機械の操作方法を森川さんから指導されることもあると話す(写真撮影/藤川満)
移住者コミュニティの発展が町全体の活性化へつなげていく「都会にいると、意外と同世代異業種の人と交流することがありません。佐川町の地域おこし協力隊は、『ものづくり』をキーワードに集まった20~30代の同世代が多く、得意分野は違いますがプライベートでも遊ぶほど仲が良いですね」と語るのは神奈川県生まれの大道剛さん。任期終了後は、町内外の学校でのプログラミング教室などの支援を主な業務とし、町内で暮らしている。
さかわ発明ラボ内で語り合う大道さん(右)と(左から)同じく元隊員で建築士の上川慎也さん、革職人の松田夕輝さん(写真撮影/藤川満)
「任期終了後の定住者がある一定数いることで、移住者のコミュニティが存在しています。さらにその中で気の合う仲間が集う複数のユニットがあり、田舎でありながら自分が心地よい場所をすぐに見つけられるのが佐川町の良いところです」と今の佐川町の移住者コミュニティの状況を教えてくれる大道さん。
さらに「東京のほうが同世代の数は圧倒的に多い、でも仕事以外での仲間はつくりにくいです。佐川のほうが同世代は少ないけど、職業を超えたつながりがつくりやすい。特技の違う仲間で雑談、相談が仕事に生きるし、そういった仲間が心の安心、支えになってくれていますね」と大道さんは、定住率の高さにつながる要因を示してくれた。
2022年7月末の夜、佐川町内バー「貉藻(むじなも)」にて、大道さんが進行役を務め、林業家の滝川さんが登壇し、自らの仕事とこれからの課題を語るイベントが開催された。集まったのは佐川町内に住む元隊員たちを中心とした移住者およそ20人。参加者の中に生粋の佐川町民はわずか1人だけだった。
滝川さんと大道さんを中心に開催されたバー「貉藻(むじなも)」でのイベント(写真撮影/藤川満)
「これは始まったばかりの試みで、これからはもともと佐川町に住む人たちの参加も促していくつもりです。まだまだ第一段階の状態です」と大道さん。移住者たちの高い結束力を目の当たりしたイベントながら、これからどのように発展し、どのように佐川町に作用していくのか注視したい。
地域おこし協力隊を活用した佐川町の取り組みは、さまざまな要因が好影響を及ぼし、高い定住率へとつながっているようだ。しかしそれは、地域おこし協力隊黎明期に移住した先輩隊員の努力が礎となっているのも確かだ。定住者コミュニティだけでなく、町全体を巻き込んだ活性化につなげられるのかは、先輩からバトンを受けた後輩隊員たちの努力次第かもしれない。
●取材協力
さかわ発明ラボ