
14万5,000円 / 40平米
東急目黒線「洗足」駅 徒歩4分
遺跡のような、森のような、なんとも不思議な外観の建築。
間取りも内装も個性あふれるお部屋でひとり暮らしをしてみませんか。
静かな住宅街で一際目を引くこちらの建物。
名前の由来が「小鳥来」である通り、小鳥が集まる森のような住まいになって欲しいという願いが込められています。
所々 ... 続き>>>.
圧倒的に不動産情報が多いですが。。。。
車や家(住宅)など、3Dプリンターの可能性がますます広がってきている。SUUMOジャーナルでも、今年中に3Dプリンターの家が一般向けに発売されるニュースなどをお伝えしてきた。今回は、2022年7月28日に「太陽の森ディマシオ美術館」(北海道・新冠(にいかっぷ)町)内に日本初の3Dプリンター建築に宿泊できるグランピング施設がオープンしたと聞き、取材した。
3Dプリンターでしか表現できない凹凸ある世界凹凸のある壁。卵形の建物。曲線で描かれた塀。まるで絵画に描かれた世界が飛び出たような空間は、北海道・新冠町の「太陽の森ディマシオ美術館」敷地内に建てられたグランピング施設「GLAMPING VILLAGE 紅葉の里」だ。フランス人幻想画家・ジェラール・ディマシオ氏が描いた、世界最大の油絵が飾られているこの現代美術館の依頼で、會澤高圧(あいざわこうあつ)コンクリート(北海道・苫小牧)が手掛けた。日本初の3Dプリンター宿泊施設としてこの夏オープンした。
大自然に囲まれた美術館の敷地内にあるグランピング施設は、北海道初(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
nitay(ニタイ)、sinta(シンタ), nonno(ノンノ)というそれぞれテーマを持った建物が並ぶ(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
會澤高圧コンクリートは、プレキャストコンクリート(※)をはじめ、コンクリートに関するあらゆる事業を手掛けている。特に、自己治癒するコンクリートや、環境対策を施したコンクリートといった、先見性の高いコンクリートを扱ってきた。加えて、2019年からは3Dプリンター技術への研究を進め、社内の若手社員が中心となり2020年には3Dプリンターで印刷した公衆トイレを発表し、話題を呼んだ。
※プレキャストコンクリート/規格化された壁などを構成するコンクリート部材で、工場で生産し、現地に運んで組み立てる
會澤高圧コンクリートが、制作した3Dプリンターで作った試作品トイレ。デザイン、機能含めトイレの普及を目指すインドへの輸出を想定して作られた(写真提供/會澤高圧コンクリート)
今回、実際に人が宿泊できる空間をアームロボット式のコンクリート 3D プリンターを用いて建設した。建設に際して、太陽の森ディマシオ美術館の専務、谷本晃一さんは「大自然、宇宙、アートの共存をお客様に感じていただくことが大事な幹と考え、このコンセプトを体感していただける建物にしたい」という要望を、會澤高圧コンクリートに出したという。
「3Dプリンターの建物の魅力は、もちろん工期を短くできるという点もあるが、何よりもその表現力の豊かさ」と話すのは、同社の3Dプリンターハウスを一手に担う、執行役員の東大智さんだ。直線と曲線を自由に合わせることが可能な建物の建築は、既存の住宅生産手法では叶わないからだ。
今回建設した3棟は、それぞれテーマを持たせ、球状や幾何学模様といった「3Dプリンター」でしか表現できない建物をデザインすることになった。型枠を用いず、曲線や複雑なテクスチャーを、まずは美術館と會澤高圧コンクリートの両者でアイデアを出し合ってデザイン化し、デッサンを進めた。
「デザイン画だけでは、実際の仕上がりの雰囲気を共有することが難しかった。それぞれ表面のデザインについては、実際の機材を使用して、1m×50cmのテストプリントを3つの建物分全て印刷して確認を行いました」と話す。
こうして自然、宇宙、芸術というテーマに合わせた3つの建物が出来上がった。建物の形は卵型と立方形の2種類。それぞれのグランピング棟は、宿泊用ハウスと、バストイレのサニタリールームとリビングスペースから成る。會澤高圧コンクリートは、その宿泊用ハウス(ベッドルーム)と囲いの壁の部分を3Dプリンターで印刷した。
宇宙をテーマとした卵がモチーフのsinta(シンタ)(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
芸術をテーマとしたアールデコがモチーフのnonno(ノンノ)(写真提供/會澤高圧コンクリート)(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
寒さとの戦い會澤高圧コンクリートの本拠地、依頼主の太陽の森ディマシオ美術館も、ともに北海道にある。冬の寒さはかなりのものだ。今回、施工を行ったのは真冬の1月。気温マイナス30度近くになることもある中で作業をしていると、コンクリートの硬化の時間が通常よりもかかることが判明したという。時には、コンクリートの材料を温め直して使用しなくてはいけない場面もあったとか。現地に機材を持ち込んで印刷する形で施工を行っていたが、「硬化時間が思いのほか長くかかり、途中で印刷のズレが起きるといったハプニングもあった」と東さんは話す。「1棟の印刷に要する時間に5日間を想定していたが、実際はそれより長い時間を要した。理由は、現場で各棟につき2、3回の印刷の微調整を繰り返す必要があったからだ」と続ける。
「プリントするためのロボットアームを現地に持ち込むと聞いてはいたが、施工開始が大変厳しい気象条件の時期に重なってしまったことを申し訳なく思った」と美術館の谷本さん。3Dプリンターを使えば「簡単に」、そして「時間をかけずにできる」というイメージだけが先行していたために考えたスケジュールだったというが、実際は建物が出来上がるまでに多くのトライ・アンド・エラーがあったことが分かり、完成までの過程での苦労に脱帽したと話す。
プリント時に「断熱材」を入れるための層を事前にしっかりと計算。スピード感を持った施工の中でも、北海道ならではの寒さ対策に余念はない(写真提供/會澤高圧コンクリート)
さらに、北海道の冬の寒さを凌げる断熱性を確保する建物にするため、「プリントの手法に工夫を施した」と東さん。プリント時に断熱材を入れる層(写真 内側の空洞)を一緒にプリントすることで、通常躯体施工→断面材施工→内装仕上げという工程を、躯体&断熱層&内装プリント→断面材施工に減らしつつ、十分な寒さ対策ができている建物をつくり上げることに成功したという。
遮音性、機密性は宿泊客からも好評紆余曲折を経て完成し「旅館業簡易宿舎営業許可」を取得。美術館は7月28日に3Dプリンター建築の宿泊施設を「GLAMPING VILLAGE 紅葉の里」と名付けて開業した。この夏は連日満室だったという。
各施設は3Dプリンターでつくられた壁で仕切り、プライベート感を演出(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
ダイニングテーブルに座れば、屋外なのにまるでリビングルームで過ごしているような感覚を味わえる(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
凹凸ある独特の外壁は、ライトアップされることで個性が強調される(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
グランピング施設では、北海道の海と山の幸を堪能できる(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
「既存の建物が敷地内にある10平米未満の増築扱いなので建築確認申請の必要はありませんでしたが、建築基準法に準拠した構造計算を行い、鉄筋も入れた建物にした」と話す東さん。実際に宿泊客を迎え入れた太陽の森ディマシオ美術館の谷本さんは「特に遮音性、機密性についてとても好評です」と、宿泊客の反応を話す。ほかにも、やはり3Dプリンターならではの形や手触りなども評判だったようだ。
「テクスチャーや外観についてはインパクトがあり、お客さまの多くが驚かれ、楽しんでおられました。遠くから見るとコンクリートには見えないこともあり、手で触れて質感を確認される人が多いのもこの建屋の特徴。また小さな子どもたちは、凹凸のある珍しい壁が “お菓子の家”に見えると言って喜んでいましたよ」と谷本さんは続ける。
自然をテーマとした大地がモチーフのnitay(ニタイ)(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
宿泊棟だけではなく、各施設の壁の模様も、建物のイメージに合わせて変えてある(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
3D「プリント」という言葉から、建物が“紙”でできているのではないか、と連想する宿泊客も実は多いという。そのため、「実物に建物を見て、コンクリートに触れた時の驚きは大きいようだ」という。
今後も、ここディマシオ美術館のグランピングビレッジ内にユニークな建屋を建設予定だと話す二人。會澤高圧コンクリートの東さんは「コンクリート会社なので、材料の取り扱いが得意な面を生かし、よりクリエイティブな建物をつくっていきたい」と話す。当面は、7棟を目標に建設を進める。
3Dプリンターで印刷された建屋の内装はシンプルで、寝るためのベッドが置かれているだけのつくり(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
會澤高圧コンクリートにて、3Dプリンタープロジェクトを一手に引き受ける東大智さん(写真提供/會澤高圧コンクリート)
太陽の森ディマシオ美術館・専務の谷本晃一さん(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
これまで3Dプリンターの国内の建物は、いずれも実験段階の物や、人が生活するための用途で建てられたものではなかった。しかし今回會澤高圧コンクリートの試みで、短い間の滞在先とはいえ、実際に「快適に」居住できるスペースとして、3Dプリンターで建てられた家が登場したことは大きい。すでに海外では、住宅として普及し始めてた3Dプリンターで建てられた家。今後宿泊施設という不特定多数の人が利用する建物ゆえに、多くの人の意見を吸い上げ、3Dプリンターでさらに心地の良い住空間を、早く、そして手ごろに建てていくようになるのではないか。新しい時代の幕開けを感じる。
ライトアップした際に、幻想的な空間を演出できるのは、3Dプリンターがなせる技(写真提供/太陽の森ディマシオ美術館)
●取材協力
會澤高圧コンクリート
太陽の森ディマシオ美術館
今でこそ“デザイン”の重要性は全国に浸透しつつあるけれど、10年前はまだ「デザインにお金を払う」感覚は、地方では一般的ではなかった。有川智子さんが、当時働いていた大阪から、生まれ育った長崎県五島に戻ったのはそんな時期だ。
有川さんは島の水産加工品や農産物、お酒や食品などのロゴやポスター、パッケージなどのデザインを手掛ける。仕事以外でも子どもを預ける学童施設を地域の人たちとつくり、自宅の横で一棟貸しの宿「菜を」も始めた。彼女の仕事と暮らしは溶け合うようにつながっていて、家族や周囲の人々とともに暮らしを育てている。まさにつみあげていく、暮らしだった。
「まちのかかりつけ医」のようなデザイナーでありたい長崎港から五島の福江港まで高速船ジェットフォイルで1時間半。わずか1時間半だが、青い波と空しか見えない船からの眺めが続き、遠くへ来た感がある。
(写真撮影/松本治樹)
有川さんは約10年前の2011年、子どもと母親の和子さんとともに生まれ故郷の五島へ帰ってきた。
そこで始めたのがデザインの仕事。島の一次産業や加工品などの商品パッケージやロゴのデザイン、名刺、パンフレットなどをつくる。有川さんは、大学院卒業後、大阪で大手のハウスメーカーに勤め、ライフスタイル研究を行う「生活研究所」という部署に所属。デザインの仕事は初めてだったが、大学時代に学んでいたこともあり、好きなことでもあった。
「当時はまだ、五島のお土産品は、墨文字でばーんと『五島』!と入ったようなデザインのものが多くて。自分や同世代の人たちが欲しいと思える商品のパッケージや、紹介したい場所のマップやパンフレットなどをつくれたらいいなと思ったんです。見た人が買ってくれたり、島に遊びに来てくれたりするかもしれない。少しは島の役に立てるかなって」
草草社の有川智子さん。自宅の一角にある仕事場で(写真撮影/松本治樹)
「草草社」という名のデザイン事務所を立ち上げる。
それにしても、島にそれほどデザインの仕事はあったのだろうか。
「それが意外とあるんですよ。五島には水産業や農業、観光系の企業が多くて、パッケージやロゴのデザインが主ですが、細かなものだとポップの表記をmlからgに変えるとか、パッケージをビニール袋から紙に替えなきゃいけないとか、小さな仕事もたくさんあります。頼まれたことは基本断らないので、小さな仕事をコツコツ。一度デザインして終わりではなくて、長いところとはずーっとお付き合いが続きます」
「まちのかかりつけ医」のようなデザイナーになりたい。有川さんはそう思ってきたという。専門医も必要だけれど、まずは困ったら身近に駆け込んで相談できる、まち医者的なデザイナー。そう思って仕事をしていると、依頼は不思議と絶えなかった。
10年経った今も、9割は島内の仕事をしている。
「自分の半径数キロ圏内に暮らす、身近な人たちの役に立てたらいいなと思って、今の仕事をしています」
周りの人たちを幸せにできたら、最終的には自分にも還ってくる。
そう教えられたようだった。
以前、有川さんを訪ねたとき、「今朝急に連絡があって、かつおの生節をつくる工房へ撮影へ行くので、一緒に行かないか」と誘ってもらったことがあった。ついていった先は、昔ながらの直火原木燻し焼きでかつおの燻製をつくる工房。一つひとつ手でさばいた魚が、古い窯の中で原木と直火によりじっくりいぶされている最中だった。
(写真提供/草草社)
(写真提供/草草社)
地元の若手カメラマン松本さんが熱心に撮影する横で、有川さんは若社長らしき人にパッケージの提案をしている。とつとつと、こちらがいいのではと、デザインしたパッケージをお勧めしているのだけれど、決して強く主張はしない。少し話しては相手の出方を待つような話しぶりだった。
都会の感覚の“デザイン”が、必ずしも通用する相手ばかりではないことが想像できた。
でもそんな相手が、今までは印刷屋などが請け負ってくれるデザインは何度も直してもらっていたのに「有川さんに頼むようになってから、一発でこれというものが出てくる」と話していた。
それでも、初めは「デザイン」にお金を払ってもらうのが難しかったという。
そもそも島では印刷屋や包材屋のインハウスデザイナーがパッケージデザインまで手掛けることが多い。
「でも実際にモノができて、ちゃんと背景や思いまで踏まえてデザインされたものと、そうでないものの違いが見える形になると、島の人たちにも、ああデザインってものが必要なんだなと思ってもらえるようになって。パッケージ次第で新しい人の目にとまったり、選ばれる商品になる。そう少しずつ理解してくれるようになったのだと思います」
地元にいなければできないような仕事の仕方をする。
「五島の名物、かんころもち(サツマイモともち米でつくる五島の名物菓子)のパンフレットをつくった時は、サツマイモを植えて、収穫して、干して、かんころもちになるまでの過程を取材しました。島外のデザイナーさんに頼めば、1年がかりの仕事で何度も島に来るのにすごくコストがかかる。『今朝、魚があがったから今日来られる?』と電話があって5分で駆けつけられるのも、近くに居るからできることだなって」
長崎県五島列島・福江島の和菓子店「ル・モンド風月」のかんころもちのパンフレット。(写真提供/草草社)
仕事のヒエラルキーよりも大事なこと独りよがりにデザインを重視するのではなく、取引先に寄り添いあくまで「売れるもの」を目指す。相手は常に目の前にいるわけで、売れないものをつくっても逃げることのできない厳しい仕事だとも言える。
オーガニックで緑茶を生産してきた(有)グリーンティ五島からは、新商品のレモングラスティのパッケージデザインを依頼された。
「まだうまくいくかわからない新商品に大きなコストはかけられないので、パッケージの袋は既存の同じものでも、ラベルだけフレーバーごとに色を変えて貼れば見栄えのするようにしました。檸檬草と漢字の表記にして、海外の漢字圏の人にもぱっと伝わるように」(有川さん)
(有)グリーンティ五島の「檸檬草」のシリーズ(写真撮影/松本治樹)
このデザインが好評で注文は増え、発売から1年で各種を2000枚ずつ増刷し、その後も徐々に増えている。(有)グリーンティ五島の川渕義徳(かわふち・よしのり)さんはこう話す。
「有川さんにデザインしてもらったパッケージはバイヤーさんが持ち帰ると、女性の反応がよかったからとすぐに注文が決まっていくんです。法人向けにパッケージしない、量の多い取引を狙った商品だとしても、選ばれるためには、誰かがどこかで見つけてくれることが大事。その機会を得るために、やはりパッケージは大事です」
反応がいい時、地元の業者さんたちは電話をかけてきて「新しいデザイン、好評だよ」とか「大口の注文が入った」といった報告を逐一してくれる。いいも悪いも共有しながら、周囲の人たちに伴走する。役に立っているのを実感できるのが何より嬉しいと有川さんは言う。
仕事では依頼主の畑へ出向くことも多い。(有)グリーンティ五島のレモングラス畑(写真撮影/松本治樹)
仕事には目に見えないヒエラルキーのようなものがあると思う。より大きな仕事、お金が動く仕事、著名な人や会社が関わる仕事。社会的に「値打ちのある」とされるものさしがあって、その大きさにやりがいや喜びを感じる人も多い。
デザインの仕事に携わる人なら、賞やアワードなど、世間的な評価を気にする目もあるだろう。実際に有川さんの手がけた仕事も、長崎デザインアワードで大賞を受賞するなど評価され始めている。田尾フラットの「あまざけ」のパッケージデザインを手がけた際には、2019年の長崎デザインアワードで大賞を受賞した。だが有川さんは、そうした“都市部の人の目にとまる”ことより、地元の人に喜んでもらう方が嬉しいという。
福江教会の外壁の改修に伴い、9つのモチーフで壁面の石版のレリーフをデザインした。9つの図案を載せたカード(写真提供/草草社)
「島で私に仕事をくれる人たちは、売りたいものがはっきりしているんです。ふわっとイメージを売っているわけじゃなくて、モノがある。売るために考えるから、デザインの仕事の足腰がしっかりする。そんな具体的なものづくりの積み重ねでしか土地の魅力ってつくれないと思うんです」
山や海などの大自然と、汗水垂らして働いた人たちの手から生まれるリアルなモノ。それを、若い人たちにも手に取ってもらえるように変換して伝えること。そこに醍醐味がある。
「五島には何百年という歴史の土台があって、その上に今がある。デザインする上でその歴史をもう一度汲みませんかと話すことはあります。遣唐使や椿、キリスト教など、五島の文化の象徴的なものにもう一度目を向ける。それがほかの土地にはない強みになると思うんです」
(写真撮影/松本治樹)
家族の居場所、暮らす環境を整えていく五島へ戻って、積み上げてきたのはデザインの仕事だけではなかった。
2013年、有川さんはお母さんの和子さんとともに、本山エリアの自宅のそばに「コミュニティカフェ・ソトノマ(外の間)」という食堂を開く。もとは酒屋だった建物で、小学校の目の前。有川さん自身が子どものころは、文房具や生活雑貨も置いてある地区の大事なお店だった。
ソトノマは和子さんが手がける地元の野菜と愛情たっぷりの食事、居心地のよさが多くの人を惹きつけ、島へやってくる若い人たちや移住者、子育て中の女性が集まる場所になっていった。この店があったから五島へ移住したという人もいる。
コミュニティカフェ・ソトノマ。木で囲まれた雰囲気で、あたたみがあって居心地がいい。食堂としてだけでなく、島の野菜を販売していたり、靴を脱いでくつろげる畳のスペースもあり、子どもたちが遊べるおもちゃ、漫画や本も並ぶ(写真撮影/松本治樹)
さらに、ソトノマから歩いて数百メートルの場所には「おうとうのいえ」と呼ばれる学童施設を有志とともに立ち上げた。2019年、地区の公民館長だった方や、移住者、子どものお母さんなどご近所さんを中心に10名ほどで集いNPO法人を設立。有川さん自身も積極的に協力した。
「おうとうの家」の中。子どもたちは自由に遊んだり勉強したりしている(写真撮影/松本治樹)
放課後、おうとうのいえの理事長である桑田隆介さんが「おうとうの家」へ案内してくれた。
子どもたちが伸び伸びと走りまわり、本を読んだり、宿題をしたりしている。女の子たちが「くわっちゃーん、見てみて~」と楽しそうに走り寄ってくる。
「働く親御さんも多いなかで、このエリアには学童がなくて、バスで隣の区の学童まで通っていた子が多かったんです。いまここへ来る子は小学校1年生から4年生くらいまでの22~23人。学校が終わるとすぐそこの小学校から歩いてきて、遅いときは19時くらいまで、地元のスタッフの皆さんが交代でみてくれています」(桑田さん)
「おうとうのいえ」。奥には桑田さんが運営する賃貸住宅「本山ヒルズ」(写真撮影/松本治樹)
有川さんの二人の子どもも、今は中学生と小学4年生になるが、低学年のころはこの学童に通い、有川さん自身仕事をする上でずいぶん助かったのだという。
桑田さんもソトノマカフェがきっかけで五島へ移住した一人。今は学童のすぐ隣に建つ移住者向けの賃貸住宅「本山ヒルズ」を運営するほか、ソトノマの店主を和子さんから引き継ぎお店の店主に。
「五島へ移住したい人は増えていますが、島には住むところが少ないんです。子育て世代がすぐに住めるよう、賃貸住宅を用意して、すぐそばに小学校もあって、学童もある。そんな環境を用意したかったんです。ありがたいことにもうずっと、空きがない状態です」
桑田さんは、港近くに「hotel sou」も運営していて、谷尻誠氏が設計したことで話題になり人気のホテルになっている。
そうして有川さんの周りには多くの人が出入りしながら、カフェや学童、住宅が整い、本山は新たに人を呼ぶ入り口になっている。彼女はずっとその中心にいた。
宿を始めたのも十年以上前から考えていたことの一つさらに今年の夏。有川さんは自宅横の古民家を改修し、一棟貸しの宿「菜を」を始めた。
有川さんの自宅横にあった古民家を改修して始めた宿「菜を」(写真撮影/松本治樹)
部屋へ入ると、大きな窓からすっと風が通る。障子を通して部屋全体に染み渡るように入る光。天井が高く広い居間には、大きなテーブルやソファ、薪ストーブも。五島へ観光客が訪れるのは夏のみのイメージだが、冬も薪割りなどしながらゆっくりした時間の流れを感じられる滞在を楽しめるようにしたいと考えている。
宿の室内。リビング(撮影提供/草草社・撮影:繁延あづさ)
宿の室内。寝室(写真撮影/松本治樹)
居室と反対側にはカウンターの設置された空間があり、ゆくゆくはここで日用品を置くグロサリーストアも始めようと考えている。だから「菜を」の名前は「野菜」そのものや、ここへ泊まる人たちが畑で野菜を育てたり調理するなど「菜をどうする?」の問いかけでもある。
グロサリーストアを始めたいと考えているスペース、宿の一角(撮影提供/草草社・撮影:繁延あづさ)
仕事も子育ても暮らしも。少しずつ環境を整えて、みごとに暮らしが積み上がってきている感じですね、と告げると、こっそり一冊のノートを見せてくれた。
表紙に「出店日誌」とある。
「出店日誌」と書かれた一冊のノート。1ページ目の日付は2008年(撮影/筆者)
中は、有川さんが将来実現したいことを書き連ねた日記のようなもので、出したいお店のイメージやカフェにどんな珈琲を置くかなど細かいことがメモしてある。1ページ目の日付は、14年前の2008年。カフェ、子どもを育てる場所、宿、お店、家を整えること……と有川さんが実現してきたことの多くは、彼女が何年も前から妄想し、日記に描いてきたことだった。
「タイミングがまだのものもありますが。宿を始めたのも、デザイナーとして現役でいられる年齢には限界があると思って。宿を一つの生業にできたらと考えたのと、歳を取ってもいろんな方が遊びに来てくれたら嬉しいじゃないですか。学童にしても、自分の子どもが巣立って少し余裕ができたときに、よその子どもさんをみることができたらと思ったんです。結局全部、自分のためなんです」と言って笑う。
十年かけて少しずつ整えてきた暮らしは、有川さんが望む形に少しずつ近づいている。
これから先の十年は、庭を育てたいという。宿からの眺めがますます素敵なものになるだろう。
望む暮らしを時間をかけて積み上げていく。それ以上に大切なことはないと気付かされるようだった。
(写真撮影/松本治樹)
●取材協力
草草社
不動産流通経営協会(FRK)が公表した2022年度の「不動産流通業に関する消費者動向調査」によると、住宅を購入する際には、立地や建物を慎重に確認している人が多いことがわかった。高額な買い物となるだけに当然のことではあるが、どういった手順を経ているのだろう?調査結果を分析していこう。
【今週の住活トピック】
「第27回(2022年度)不動産流通業に関する消費者動向調査」結果を公表/不動産流通経営協会(FRK)
この調査は、FRKの会員会社の協力により、首都圏で2021年4月から2022年3月までに住宅を取得した人を対象にWEBアンケートを実施(有効回答1311件)したもの。新築住宅購入者は267件、中古(既存)住宅購入者は1044件だった。
まず筆者が注目したのは、「新築・既存にはこだわらなかった」と回答した人が増加していることだ。
●住宅購入にあたって探した住宅の種類で「新築・既存にはこだわらなかった」割合
新築住宅購入者:
2020年度:19.2% 2021年度:17.3% 2022年度:26.6%
中古住宅購入者:
2020年度:44.3% 2021年度:47.0% 2022年度:52.5%
新築住宅購入者では「新築住宅のみ」や「主に新築住宅」という人がまだ多いものの、中古住宅購入者ではこだわらなかった人が過半数に達した。これは、新築住宅(特に新築マンション)の販売が縮小する一方で、中古住宅市場が活性化していること、新築マンションの価格が上昇していることなどの影響もあるのだろう。
購入にあたって建物検査の利用が増えている!中古住宅を購入する場合、建物の状態に不具合はないかが気になるものだ。一般消費者が見ただけではわからない点もあるので、専門家の確認もほしいところだ。今回の調査で、中古住宅購入者に対し、住宅購入にあたって建物検査を実施したかどうか聞くと、「何らかの建物検査を行った」人が52.2%となり、過半数を占めた。特に、中古一戸建て購入者については、実施した比率は72.1%とかなり高くなる。
出典:住宅購入にあたっての建物検査の実施状況(対象:中古住宅購入者)(出典/不動産流通経営協会「2022年度不動産流通業に関する消費者動向調査」より転載)
さて、ここで言う「何らかの建物検査」について少し説明しよう。何らかのという表現となるのは、いろいろな形態があるからだ。
最も多いものが、中古住宅を仲介する不動産会社が売主から預かった中古住宅の「建物保証」をするケースだ。不動産会社自身がそれぞれの方法で住宅の大きな不具合がないことを保証するもので、建物に加えて「住宅設備保証」もするケース、住宅設備保証だけをするケースもあるが、建物保証にかかわるものが建物検査に該当する。
ほかにも、民間の検査機関が行っているホームインスペクション(原則売主が行うが、費用を買主が負担する場合もある)を行っている場合も該当する。また、検査と保険をセットした「既存住宅売買瑕疵(かし)保険」に加入する場合も、検査を行うので建物検査に該当する。
これらのいずれかを行った中古住宅を購入した人が、52.2%いたということだ。
大半が事前に水害ハザードマップを確認している新築・中古を問わず、近年災害が甚大化していることもあって、災害リスクを気にする人も多いことだろう。調査結果を見ても、全体で91.2%が自然災害のリスクについて「考慮した」(57.6%)あるいは「やや考慮した」(33.6%)と回答した。
目を引くのが、「水害に関するハザードマップ」を確認した人の多さだ。「地震に関するハザードマップ」を確認した人もほぼ6割と高いので、関心の高さがうかがえるが、水害の場合は9割を超える高さとなっている。
事前に確認したハザードマップの種類について(出典/不動産流通経営協会「2022年度不動産流通業に関する消費者動向調査」より転載)
実は、2020年8月28日から契約前の重要事項説明の際に、水害ハザードマップを提示することなどが、宅地建物取引業法の改正で義務づけられている。水害ハザードマップを確認した比率が9割と高いのは、近年の台風や集中豪雨による水害を目の当たりにして、早めに自らハザードマップを確認した人もいるだろうが、仲介会社からの重要事項の説明によって確認したという人も多くいるからだろう。
20代・30代では契約に関するデジタル化の意向が高い不動産会社が買主に対面で重要な事項を書面で説明したり、対面で契約書を交付したり、というのが従来のスタイルだった。今ならメールやWEB会議の普及によって、WEB会議で重要事項説明を聞いて(=「IT重説」)メールなどで書面を受け取ったり、「電子署名」を使って売買契約書の交付を受けたりといったことができる環境が整っている。
今回の調査で、「IT重説」および「電子署名」の利用意向を聞いたところ、いずれも20代・30代で利用意向が高いことが分かった。
今後住宅を購入する際のIT重説の利用意向(出典/不動産流通経営協会「2022年度不動産流通業に関する消費者動向調査」より転載)
売買契約締結における電子署名の利用意向(出典/不動産流通経営協会「2022年度不動産流通業に関する消費者動向調査」より転載)
「IT重説を利用したいと思う理由」では、「不動産会社に行く手間が省けるから」(86.1%)と「重要事項説明を実施する日程調整の幅が広がるから」(65.0%)が多く、「IT重説を利用しないと思う理由」では、「住宅購入に関わる大事なことなので対面での説明がよいと考えるから」(75.2%)が多かった。
また、「売買契約締結における電子署名を利用したいと思う理由」では、「保管に場所を取らないから」(79.2%)、「パソコンやスマートフォンなどでいつでもどこからでも契約締結できるから」(63.0%)、「印紙税が発生せず費用負担が減るから」(62.1%)が多く、「売買契約締結における電子署名を利用しないと思う理由」では、「住宅購入に関わる大事なことなので書面がよいと考えるから」(84.1%)が多かった。
デジタル関連法案などの施行によって、今は買主と不動産会社双方が合意するなどの条件が整えば、契約に関するIT化が実際に行えるようになっている。
近年は、中古住宅を購入してリノベーションをしてから住むスタイルも普及している。その際には、隠れた不具合がないか建物検査事業者やリフォーム事業者と確認したり、災害リスクの程度を調べたりして、それらの対策を施すことが大切だ。購入とリノベを一体的に進めるには、契約が効率よくできるIT化を活用するのもよいだろう。快適な住まいを手に入れるために、賢い消費者になってほしい。
●関連サイト
不動産流通経営協会(FRK)「第27回(2022年度)不動産流通業に関する消費者動向調査」
空間のデザイン、状況と場のデザインを手掛けるデザインユニット「gift_」が、2012年に越後妻有(読み:えちごつまり 新潟県南部の十日町市、津南町の妻有郷と呼ばれる地域)につくった「山ノ家」は、空き家になった一軒家を1階はカフェ、2階をドミトリー(宿屋)にリノベーションしたもの。月半分ずつ東京と「山ノ家」で過ごしてきた「gift_」の後藤寿和さんと池田史子さんは、都心と田舎、それぞれになりわいを持ち、人々の交流を促す場づくりを行ってきました。「山ノ家」をオープンしてから10年。2拠点との関わり方を池田さんに伺いました。
1階にある「移民たちのカフェ」(画像提供/山ノ家)
都市と地方、「ダブルローカル」にそれぞれ別のなりわいを持つコロナ禍でテレワークが増え、オフィスだけでなくさまざまな場所で仕事をする人が増えました。20代・30代のビジネスパーソンやファミリーが地方に目を向けはじめ、二拠点生活への関心が高まっています。
「現在のいわゆる二拠点生活は、都心にメインとなる住まいや仕事を持ち、地方をサブとして空き家やシェアハウスに滞在しながら趣味や地域貢献をして過ごすスタイルが多いと思います。私たちが『山ノ家』を拠点に行っている二拠点生活はそれとは少し異なります。都心でデザインオフィスを経営しながら、『山ノ家』では、カフェやドミトリーなどの飲食店・宿屋の運営を月半々で行ってきました。2拠点目に都心とは全く別のなりわいと生活の場を持ち、地方をオフにするのではなく、生活という意味でも仕事という意味でも、どちらも『オン』として行き交うこと。それを私たちは『ダブルローカル』と名付けたのです」(池田さん)
旧街道筋に立つ一軒家をリノベーション。1階はカフェ、2階が素泊まりできるドミトリー(画像提供/山ノ家)
越後妻有は、棚田や里山で知られる日本有数の豪雪地帯で、上越新幹線越後湯沢駅からローカル線で30分ほど、東京から約2時間の場所にあります。里山を舞台に2000年から3年に1度開催されている「大地の芸術祭」は、世界最大の国際芸術祭で多くの人が訪れます。前回2018年は約54万人の来場者数を記録しました。今年は「越後妻有 大地の芸術祭 2022」(4/29~11/13)が開催されています。
美しい棚田は越後妻有おなじみの風景(画像提供/山ノ家)
冬期は毎年4-5mを超える積雪があり、除雪は毎日、冬の間に数回にわたる屋根の雪下ろしも欠かせない(画像提供/山ノ家)
当時、東京の恵比寿・中目黒を拠点に事務所を構えていた「gift_」の池田さんと後藤さんが地方に目を向けるきっかけとなったのは、2011年の東日本大震災でした。
「電車や電気がとまり、店頭から商品が消えました。都市の脆弱さを思い知り、このまま消費するだけの場所にいていいんだろうかと思うようになったんです。震災から3カ月後、知人から、『新潟県十日町市の松代地区に空き家があって自由にリノベしていいから、空間づくりをするサポートをしてもらえないか』とお願いされて、とりあえず見に行こう! と現地へ向かいました」(池田さん)
豪雪地帯の一軒家をリノベーションしてカフェ&ドミトリーに空き家のあった通りは、かつて宿場町として栄えた場所ですが、過疎高齢化が進んで、シャッター街に。そこで、外観を雪国の伝統的な古民家のように再生して、地域活性に繋げようという、当地に移住したドイツの建築家カール・ベンクスさんからの提案に十日町市が賛同して、外装工事の費用を補助していました。
街並み景観再生事業によって再生された街並み(画像提供/山ノ家)
「毎週末、3カ月くらい通いながら構想を練っていましたが、何だか担当者の方々の反応がおかしい。『もしかして、空き家のデザインだけでなく、その後も事業者としてここで何かやってほしいと考えていますか?』と改めて確認しましたら、『初めからそのつもりでした』と。私たちが関わる前からその空き家は街並み再生事業の第一号としてリノベされることが決定していながら事業者のいない空っぽの箱ではいけないということで、そもそもの事業者候補を探していたらしいのです。市の補助金の対象となるためには降雪が厳しくなり始める12月の中旬までには外装工事を終わらせなくてはならないことも告げられました。その時、すでに10月。あと2カ月あるかないか。たいへん厳しい状況。正直言って、私たちは積極的に「YES」と言ったわけではないのですが、「NO」と断る理由が見つけられませんでした。おそらくその時点ですでにそうした主体になることを何処かで感受していたのかもしれません」
とまどいながらも、「大地の芸術祭を受け入れているエリアなら、面白いことができるかもしれない」と考えた池田さんたちは、建物1階をカフェ、2階をドミトリーにリノベーションすることを決めました。しかし、市の補助金は外装工事の7割だけで、内装の予算はありません。当時、農業体験や地域活動をする人たちの移動手段として、十日町市が、東京まで往復するシャトルバスを無料で運行していたことを幸いに、大学生や社会人の皆さんにボランティアでリノベーションのサポートに通ってもらうことができ、「山ノ家」が完成しました。
全館Wi-Fi完備。短時間のオフィスとして使う人も(画像提供/山ノ家)
「茶もっこ」「大地の芸術祭」のイベントで都心から人を呼び、地域の人と交流「山ノ家」完成時には、東京で、200人のメディアを集めて、どんなことをしたくてどんなものをつくったのかの意思表明のプレス発表を行いました。「おそらくこれから先私たちのように単なる観光ではない”行き交う”人が増えていくだろう。そうした人たちにとって必要なものをつくってみたこと」を伝えたかったのです。
「リノベーションする間、泊まるところと食べるところに困っていました。普段のような食事ができて、コーヒーが飲めて、気軽に泊まれて、Wi-Fiが使える場所、それは私たちが最も欲しいものだったんです。10年前はゲストハウスのモデルケースが少なく、ドミトリーが成り立つのかは未知数。飲食店や宿の経営も初心者。お客さんを接待しながらベッドの準備をして家中の掃除をしてカフェ以外にも宿泊者の朝ご飯から晩ご飯も全部つくって。オープンしてからも手探りでした」(池田さん)
「gift_」は、空間デザイナーの後藤さんとクリエイティブディレクターの池田さんからなるデザインユニット(画像提供/山ノ家)
「大地の芸術祭」開催中にオープンした「山ノ家」の利用者は、海外からの観光客やアーティストがほとんどでした。お客さんでにぎわう状況ではじまりましたが、芸術祭が終わったとたん、「山ノ家」の前は、人通りが全くなくなってしまいました。
「本当の日常が現れたんですね。こんなにいなくなるのかと驚きました。地方にいるという現実に背筋を正して向き合うことになったんです。そこで、都市圏から人を呼ぶため、都市と地域、両ベクトルで楽しめるイベントを企画するようになりました。地元の人が先生になって都心の人が教わるイベントを行ったり、地元のお祭りに出店したりするうちに、必然的に私たちも地域活動に参加するようになっていきました」(池田さん)
地元の人に草餅のつくり方を教わるワークショップ(画像提供/山ノ家)
春の山菜採り。コゴミやウド、フキノトウをてんぷらに(画像提供/山ノ家)
地元との関わりが深くなったきっかけは、「茶もっこ」でした。軒先に旅人を招いてお茶をふるまう風習で、宿場町で行われていた文化です。かまくらでどぶろくを飲む「かまくら茶もっこ」を開催したのを皮切りに、山ノ家周辺の数軒が家開きをして、地元の人がそれぞれに地酒や得意の手料理でもてなすイベントに発展して大好評に。2013年からコロナ禍までの7年間、夏、秋、冬の3シーズン「茶もっこ」イベントを行いました。
「かまくら茶もっこ」の様子(画像提供/山ノ家)
(画像提供/山ノ家)
「茶もっこ」に、周辺の住民も参加。もてなされるお客さんは首都圏から来る人、市内や近隣から来る人、アーティストたちなどさまざま(画像提供/山ノ家)
2015年には、芸術祭チームから依頼を受けて、廃校になった奴奈川小学校を芸術祭の拠点施設「奴奈川キャンパス」として再生するプロジェクトに参加しました。給食室をカフェテリア「GAKUSYOKU」にリ・デザインして、立ち上げから3年間「山ノ家」が運営しました。メニューは、地元のお母さんたちによる「サトごはん」と、都市圏拠点の料理人たちによる「マチごはん」。地元名産の妻有豚や山菜など同じ食材を使いながら、全く異なる料理を、同時に一つのお盆で楽しめるカフェテリア形式で提供しました。
サトごはんとマチごはんが並ぶ(画像提供/山ノ家)
「東京でデザインの仕事をして、『山ノ家』に来たら、お皿を洗って野菜を刻んで料理をつくって、お客さんの寝床の準備をして隅々までお掃除して……ってことを延々とやっていました。ここでの仕事もなりわいとして成り立たせるため、きれいごとではなく生きるためにやる必要がありました。ただ、やるからには自分たちらしく本気でやりたかったんです」(池田さん)
よそ者の視点を持ち続ける「半移住」という選択開業当時から「山ノ家」の利用者は、海外からの観光客が半分以上ですが、移住体験の人も訪れるようになりました。そうした来訪者だけではなく、カフェには農作業を終えたあとの地元のお父さんや女子会をするお母さんたちの姿もあります。
カフェメニューは、地元の食材を使ったキーマカレーやキッシュ、ガパオなどのアジアご飯や地中海料理です。郷土料理にこだわらず、インテリアデザインも都会的です。コロナ禍で自粛していましたが、2022年の夏、カフェを2年ぶりに再会。今後は、「山ノ家」のコンセプトに共感してくれる人を募って、メンバーズシェアハウスにするため、ドミトリー部分にシェアキッチンや共有のランドリースペースをつくる予定です。
「観光で単発に宿泊するというよりは、リピーターが利用しやすい形態にと。サブスクによって連泊がしやすくなったり、シェアハウスのようにもうひとつの生活の場として使っていただけるようにしたいと考えました」(池田さん)
棚田玄米とレンズ豆のサラダ仕立て。クルミやゴボウの素揚げをトッピング(画像提供/山ノ家)
「山ノ家」定番メニューの旬菜のキッシュ(画像提供/山ノ家)
都会の人、地元の人、年齢も職業もさまざまな人が交流(画像提供/山ノ家)
当初、「完全移住はしないんですか?」と地元の人に聞かれることが多かったという池田さん。地域と交流を続けるなかで、まわりの見方も変わっていきました。象徴的だったのは、十日町市役所で作成している市報が「山ノ家」の姿勢をとりあげてくれたこと。タイトルは「半移住という選択」でした。
「私たちは、永遠のよそ者。知らないことがあって当たり前。合わせすぎなくていいと思うんです。例えば、商工会に属していても、飲み会が苦手なので参加できないと最初から言っています。無理なことは無理でいい。地方から都市を見た視点と都市から地方を見た視点、別々の、複数の視点を得たことがダブルローカルそのものなんです。いつまでも新鮮なよそ者としての視点を持ち続けたいです」(池田さん)
プレ移住のために十日町市を訪れた人も立ち寄り、「山ノ家のような場所があるなら、移住しても大丈夫かな」という声が寄せられているそうです。「ダブルローカル」を行き交いながら、2つの人生を生きる。山ノ家は、都市と地方が双方向から交わる場として、進化し続けています。
●取材協力
山ノ家