
16万円 / 77.55平米
西武新宿線「都立家政」駅 徒歩3分
庭の緑を感じながら、穏やかな時を過ごせそうな戸建て。庭にはお茶や日向ぼっこができそうな、ぽかぽかと居心地のいい縁側が付いています。
部屋の中で一番居心地がよさそうなのは、やはり庭に面した和室。床の間にテレビを置いてリビングとして使えば、一日中ごろごろとしてしまうかもしれません。 ... 続き>>>.
圧倒的に不動産情報が多いですが。。。。
島根県奥出雲町。人口わずか約600人、200世帯ほどの小さな三沢(みざわ)地区にその不動産会社はある。以前は不動産会社が一軒もなかったこのまちへ移住して、5年前に「オクリノ不動産」を開業したのは糸賀夏樹さん。
2021年8月には地域の人たちと一緒になって古民家を改修し、レンタルスペース&キッチン、「金吉屋(吉は旧字体、以下同)」をオープンさせた。今ここは頻繁にイベントやお店が開かれ、地区の人たちが出入りするまちの拠点になっている。オクリノ不動産のオフィスも、この建物に入る。なぜ、この場所で不動産事業を?また、一事業者がどう地域の人々の信頼を得ていったのか。現地を訪れて聞いてきた。
(写真撮影/RIVERBANKS)
感じた「空き家バンク」の限界出雲市から車で約50分。山間を縫うように車を走らせて向かったのは、島根県東部に位置する奥出雲町。たたら製鉄などで有名な場所だ。三沢地区には民家が軒を連ね、宿場町のような雰囲気が漂う。この中心部の通りに「金吉屋」はある。
今も金吉屋に残る「たばこ屋」の出窓。かつては雑貨屋だったというころの看板も屋内に飾られている。(写真撮影/RIVERBANKS)
築およそ170年の古民家をリノベーションし、レトロな趣を残したまま、装いを新たにした「金吉屋」はレンタルスペース&キッチンとして活用されている。運営するのは、「オクリノ不動産」の糸賀夏樹さん。
出雲市出身の糸賀さんは、20代は大阪で塾講師として働いていた。ところが病気をきっかけにして人生を見つめ直す。誰とどう時間を過ごし、どんな働き方をするのが自分にとって幸せか。また家族にとっては?を考えた。
「塾講師は子どもが好きで始めた仕事でした。でも夜遅くまで帰ってこられないので、自分に子どもができても、子どもに会えない生活になるなと思ったんです」
右が「オクリノ不動産」代表の糸賀夏樹さん、左は「トモの会」のメンバーであり「NPO法人ともに」代表の吉川英夫さん(写真撮影/RIVERBANKS)
縁あって、島根県北部の奥出雲町への移住を決意する。3年間は地域おこし協力隊として、移住定住のコーディネーターに就任。その一環で携わったのが「空き家バンク」の運営だった。
ほどなく、糸賀さんは気付く。
「不動産の専門知識がないと無理だなって。それで勉強して1年目で宅建を取りました。と同時に、空き家バンクだけで不動産を扱うことの限界も感じたんです。空き家バンクは行政の管轄なので、住民の信頼を得やすい半面、所有者と利用者のマッチングまでしかできない。契約までは立ち入れないし、お金の話は言語道断。でも現実として『あとは双方でやってください』ではうまくいかない場合が多いんです。
双方の利益を考えて法律や税金のこと、お金の話もして契約まで責任もって間に入らないと成立しない。そうしている間にも、空き家は増えるし劣化していきます。民間として不動産に携わる重要性を感じました」
(写真撮影/RIVERBANKS)
オクリノ不動産の誕生そこで糸賀さんは、協力隊の同期だった濱田達雄さんとともに、任期3年目にして事業体「オクリノ不動産」を立ち上げる。協力隊の任期期間中は利益相反になるため契約には立ち入らないようにしていたが、細やかな対応が効いて成約数は増えていった。任期1年目に10件ほどだった成約数は、「オクリノ不動産」が独立した令和元年(平成31年度)には28件と、任期初年度の倍以上の成約数を達成。
ところがいざ独立してみると、「空き家バンク」の良さにも気付いたという。
「不動産屋に対するイメージって、まだいいものではなくて、気軽に不動産屋に相談に行こうとはならないんですね。相手が事業社だと警戒されてしまう。多くの所有者さんはまず空き家バンクに相談します。行政にはお金儲けじゃないという安心感があるんです。
そこで、ファーストコンタクトは空き家バンクに、それを引き継いでうちのような会社が契約までするような連携の方法に落ち着きました。今もうちの取扱い案件のうち7~8割は空き家バンクの物件です」
同時に、不動産会社がまちの一員になることの重要性にも気付いた。「小さな拠点」モデル事業などを活用しながら、不動産会社ながら地域の一員としてフィールドワークに加わり、空き家の状況を把握する。住民の信頼を得られれば、お客さんの側から「空き家を出そう」という流れになるのが理想。
「少しずつそういう動きができ始めているかなと思います」
(写真撮影/RIVERBANKS)
まちのにぎわいは、人口数じゃなく“ワクワク感”だオクリノ不動産のコーポレートメッセージは「まちのにぎわいをつくる」。ただしその「にぎわい」とは人口のことではないという。まちはコンパクトになっても、いる人たちがやりたいことを楽しめる、ワクワク感のあるまち。
「一度は自分も田舎が嫌で都会に出た身ですし、自分の子どもに田舎は嫌だと思われたら悔しいと思ったんです。人口ビジョンを見ると人が減っていくのは自然現象で、仕方がない。でも人が減ってコンパクトになっても、あそこはみんな楽しそうだよねとか、新しいことが起きて活気があるよねって場所になれば、子どもも楽しいだろうと思ったんです。そのために不動産屋ができることがあるなって」
そこで2021年にオープンしたのがレンタルスペース兼キッチン「金吉屋」だった。金吉屋は、昔は近隣に知らない人はない、地区のシンボル的なお店だった。オーナーだった方は「いつか地域のために使いたい」と、築およそ170年になる建物を細々とメンテナンスしていたという。
「この家を借りられることになって、自由に改修もしていいと言ってもらって。自分たちでDIYで改修すれば、リノベーションのいいショールームになると思ったんですね。
ただそれだけじゃなく、地域の仲間とやれたらいいなと。みんながやりたいことを実現する場所にするには、みんなの関わりしろをどれだけつくれるかが重要だと思ったんです」(糸賀さん)
「金吉屋」の内観(写真撮影/RIVERBANKS)
若い者の集まり「トモの会」とともに「金吉屋」をオープン糸賀さんの提案を受けて「やろうやろう」と協力してくれたのが、まちの若い者会「トモの会」だった。
「僕らがあえてこの一番人口の少ない三沢地区に事務所を構えているのは、地元の人たちが元気で、応援しようって空気感があるのが大きい。若い人たちも危機感をもって自分たちで何とかしなきゃいけない、楽しいことをやろうといった独立心が強くて、音楽フェスを開催したりしていました」
「トモの会」に属するのは地区の30~50代の40人ほどで、金吉屋のプロジェクトに携わったコアメンバーは糸賀さんを入れて7名。介護系のNPOの代表もいれば、大工も土木関係者もいる。
DIYに関わった「トモの会」のメンバー(写真撮影/オクリノ不動産)
リノベーションの様子。DIYに関心のあるメンバーによってさまざまな試みが行われた。(写真撮影/オクリノ不動産)
「誰しもやりたいって気持ちには賞味期限があると思うんです。ばっと熱が上がっても覚めてしまうとしたら理由があって、その三大理由は『場所がない』『時間がない』『お金がない』。その一番目の場所がないことをまず解消しようと。思いついたことを気軽に実現できる場所を身近につくろうというのが発端です」(糸賀さん)
完成した金吉屋の大きなガラス戸をがらがらと開けるとまず広い土間があり、その奥が多目的スペース。左奥におしゃれなライトの下がったカウンターとキッチンが備え付けられている。それらを時間単位で手頃な価格でレンタルできる。
「金吉屋」で開かれたバーの様子(写真撮影/オクリノ不動産)
「金吉屋」で開かれた視察の様子(写真撮影/オクリノ不動産)
今は週に2回「NPO法人ともに」による「ともに食堂」がオープン。その日は、まちの通りに行列ができるほどにぎわう。子どもたちの「やってみたい」という言葉も後押しして、子どもだけで企画から運営までを手がけるフリーマーケットも開催。糸賀さん自身も大人のためのバーを開くなどさまざまなイベントや期間限定のお店が開かれている。
金吉屋で子どもたちによって運営されたフリーマーケット(写真撮影/オクリノ不動産)
地域のお祭り「みざわまちあかり」の様子。コロナ禍で実施できなくなった祭りの賑わいを金吉屋前の通りで実現するべく、工夫して実施した(写真撮影/オクリノ不動産)
金吉屋で生まれるにぎわいに触発されて「私もやってみたい!」とキューバサンドの店をオープンする女性も現れた。そんな風に少しずつ、まちの人たちの「やりたい気持ち」に火がつき始め、地区外の人たちも訪れるようになっている。
(写真撮影/オクリノ不動産)
長期的にまちのにぎわいを生む装置としてもともと金吉屋の3軒隣には「みらいと」というまちのシェアオフィスおよび創業支援の施設があった。「金吉屋」ができるまでは、オクリノ不動産もみらいとのオフィスを利用していた。
町の創業支援施設「mILIght(みらいと)」の入口(写真撮影/RIVERBANKS)
金吉屋のリノベーションにも積極的に協力してくれた「トモの会」のメンバーであり「NPO法人ともに」代表の吉川英夫さんとも、この「みらいと」で出会ったという。吉川さんは話す。
「最近はこの集落も人が減って、昔のような行事もなくて寂しいよねという話になって。若い人たちで何か面白いことしたいねってところから、トモの会は始まったんです。みんなが集まれる場所がないので欲しいなと思っていたところへ、この人(糸賀さん)がやろうって言うもんだから、ちょうどいいなって(笑)
良かったなと思うのは、ただ飲み会していたときとは違って、金吉屋を通じて町外のいろんな人が出入りするようになって、交友関係が一気に広がったことです」
DIYを始める際は「いくらかでも手伝ってくれる人たちにお金を払おうと思っていた」と話す糸賀さん。だが地域の仲間から返ってきた言葉は「なめんなよ」だった。
「そういうんじゃないと。俺ら自身が楽しいし、自分らのためだと思うからやるんだと。その代わりみんなでやりたいことをやろうと言われて、腹が決まったというか。DIYも、こうした方がいいってアイディアをみんなが出し合いながら、時には意見がぶつかって喧嘩したりして。それほどみんなが、本気でこの場所を自分の場所だと思ってくれているのが嬉しいんです」(糸賀さん)
そうした場ができた今、さらにまちに人の循環を生むことができたらと考えている。
「『みらいと』に創業支援の機能はあります。でもペーパー上の計画ができても実践する場所がない。そこで金吉屋で実践してもらって、うまくいけば創業してもらう。そのとき地域にうまくつないでくれるのが吉川さん。創業したらようやく物件が必要になるので、やっとうちの不動産事業に結びつきます。まだまだこれからですが、そうした長期的なしかけをつくれたらいいなと考えています」
金吉屋ができるまでオクリノ不動産のオフィスが入っていた、まちの創業支援施設「みらいと」(写真撮影/RIVERBANKS)
空き家は、不動産として流通させるのが難しいといわれる。すぐに住めないほど傷んでいたり、家財がそのまま残されていたり、所有者が高齢者や離れた所に住んでいるケースも少なくない。
そうした数々のハードルを越えて、空き家を欲しい人を掘り起こしてマッチングしていくには、一般的な不動産会社とは違ったスタイルが求められるのかもしれない。放置されている空き家を活用できるかどうかが、まちの活性化には重要で、大袈裟にいえばその鍵を握るのはまちの不動産会社ではないか。空き家を地域のにぎわいに結びつける、そんな試みがここ奥出雲町で始まっている。
奥出雲町三沢地区の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)
●取材協力
オクリノ不動産
筆者の住む北海道岩見沢市の山あいの美流渡とその周辺地区には、小さなお店を開いたり、木工や陶芸などを制作し販売したりといった、自分なりの生き方を模索する移住者が集まっている。
美流渡地区は人口わずか330人と過疎化が進むが、なぜこのエリアに移住者が集まってくるのだろう?
共通する価値観は大量生産社会への疑問、そして自給自足的な暮らし方だ。この小さな集落で、いったいどのようにして生計を立てているのだろう。つねに安定した収入があるわけではないが、それでもなんとかやりくりをして暮らす、移住者たちの3つのケースを紹介する。
岩見沢市は北海道有数の豪雪地帯。朝、扉を開けると、膝上まで雪が積もっているということはたびたび。筆者は、道外からの移住希望者の地域案内をこれまで何度かしたことがあるが、雪の多さを知って「ここには住めない」と語る人は多かった。最寄りの駅まで車で25分。4年前に小中学校も閉校しており、商店も数えるほどしかないことから、「便利さ」や「暮らしやすさ」を求める人にとっては厳しい環境だ。
岩見沢が全国ニュースで取り上げられるのは、大抵大雪のとき。降り始めからの降雪量が2メートルを超え、自衛隊に出動が要請されたこともある(撮影/來嶋路子)
けれども、ここ4、5年の間にポツポツと移住者がやってきている。年に1、2世帯(ときにはそれ以上の年も)と数としてはわずかだが、美流渡地区の人口が330人、その周辺地域も含めて500人ほどと考えると地域への影響は少なくない。
そして移住者に共通するのは、大量生産・大量消費という価値観とは異なる生き方をしようとしているところ。ほとんどの場合、空き家をDIYで改修するなど、できる限り自分の手で暮らしをつくっていこうという意識をもっている。
酒屋や食堂など商店は数店。車で20分ほどの市街のスーパーまで買い出しに行く家庭が多い(写真撮影/來嶋路子)
今回、こうした人々の中から3組に、いまの暮らし方と、経済活動をどうやって営んでいるのかについて話を聞いてみることにした。
旅行先で空き家を見つけ、電撃移住した一家。ハーブティブレンドのお店「麻の実堂」笠原麻実さん「どうやって生きているのかと聞かれたら、自然に生かされているとしか言いようがない」。
そう語るのは、美流渡よりさらに山あいに入った万字地区で暮らす笠原麻実さんだ。笠原さんは、自宅の周りでオーガニックハーブを育て、ハーブティブレンドを販売する「麻の実堂」を営んでいる。
自宅の玄関先が小さなお店。このほかオンラインストアでも販売を行っている。
麻の実堂のハーブブレンド。もともとハーブティが苦手だったという笠原さん。そんな自分でも飲みやすいブレンドをつくりたいと日々研究を重ねている。滋味深い味わいが魅力(撮影/久保ヒデキ)
「自然に生かされている」という言葉は、ハーブという自然の恵みを活かしたものづくりを行うことはもちろん、暮らしのあらゆる部分に関係している。
暖房は薪ストーブ。夫の将広さんが、知り合いが所有している山で間伐を兼ねて丸太を切り出している。笠原さんは、時間を見つけてはそれを割って薪にする。
また春から秋にかけては山菜を採取し、食卓の一品に加えている。畑で野菜も育てていて、トマトピューレや味噌など保存食づくりにも精を出す。さらには、ヤギとニワトリを飼い、ミルクや卵も自給している。
5歳になる息子さんは、ニワトリやヤギと一緒に遊ぶ(撮影/佐々木育弥)
笠原さんはヤギのミルクと採れたての卵を使ったケーキをつくることも(撮影/來嶋路子)
笠原さんは、まるで何十年も前から農的暮らしを営んでいるように見えるが、実はそうではない。5年前までは、夫妻はともにショップの販売員として働きながら東京のマンションで暮らしていた。
移住のきっかけは突然訪れた。2018年、美流渡地区に移住した友人のもとを生まれたばかりの息子を連れて訪ねたときだった。
「2泊3日の旅でした。ここで過ごしているうちに私たちも田舎暮らしをしてみたいという気になって。そのときたまたま空き家を見せてもらったんです」(笠原さん)
紹介された空き家は2世帯がつながった炭鉱住宅だった。そのうちの1世帯に暮らしている(撮影/來嶋路子)
友人を介して見に行った空き家は、万字地区にある元炭鉱住宅だった。築50年以上経過していて、床が沈んで直さなければ住めない状態だったという。
しかし、二人の心は動いた。都会の暮らしには先が見えない閉塞感を感じていた。そして、帰りの飛行機に乗ったときにはすでに移住を決めていたのだという。
話はとんとん拍子に進み、家は無償で譲り受けることになり、東京の住まいを3カ月で引き払った。
「全部、東京に置いてきましたね。本当にあの家があるのだろうかと不安を抱えながらやってきました(笑)」(笠原さん)
旅行で訪ねた以降は下見もせず、地域がどのような場所かもまったく知らないという、まさに電撃移住だった。
移住後に、どうやって生活費を稼いでいく計画だったのかと尋ねると、「私はタイ古式マッサージができたので施術をしようと考えていました。それがうまくいかなくても、どこかでアルバイトしたっていいし、なんとかなると思っていました」(笠原さん)
夫が炭鉱住宅を改修。自宅でマッサージの施術も行っている(撮影/久保ヒデキ)
試行錯誤の中での暮らしが始まった。炭鉱住宅は住みながら改修したため、最初はキャンプのような毎日。内装は将広さんが手がけた。父親が大工だったこともあり、見よう見まねでやっていったという。
また、畑にも挑戦しようと、とりあえず直売所に苗を買いに行った。
「お店の方に恐る恐る『畑をやりたいんですけど、どの苗を買ったらいいでしょうか?』と聞いて、何も分からなくて土地の真ん中にポツンと苗を植えたんですよ(笑)」(笠原さん)
手探りだった畑づくり。毎年経験を重ね、多種多様なハーブと野菜を育てられるようになった(撮影/來嶋路子)
近隣には果樹園が多く、人手が必要だということが分かった。果樹は機械化が難しく、手作業に頼る部分が多い。二人は繁忙期に農園で働くこともあった。笠原さんは、自宅でタイ古式マッサージの施術も行い、冬季は将広さんが運送会社や除雪のアルバイトに出かけたりも。
「経済的な太い柱があるわけではなく、何本もの細い柱があって、ようやく暮らしている感じです」(笠原さん)
ハーブの焙煎は薪ストーブの炎でじっくりと。まろやかな味わいに仕上がるという(撮影/久保ヒデキ)
こうした中で、一昨年よりハーブブレンドティーの販売を開始。地域の閉校した校舎を利用したイベントに出展しクチコミで広がるようになった。昨年からはハーブを利用したワークショップも開くようになり、固定ファンもつくようになった。
お湯を入れたら、焦らずにじっくり蒸らす。この蒸らしが美味しいお茶をいれるポイント(撮影/久保ヒデキ)
ハーブに目覚めたのは、移住当初、出産後の体調不良で受診したクリニックの処置で、命の危険にさらされるような経験があり、薬や医療の在り方に疑問を感じるようになったことから。昔の人々の知恵や身の回りのものを活かして、体のメンテナンスができないだろうかと考えたという。
そして、ハーブや民間療法などの本を大量に読み、また畑で植物をじっと観察し続ける中で独自のやり方を編み出していった。
この日は朴葉(ほおば)をお茶にしてみた。松や桑、桜などさまざまな植物のブレンドに挑戦している(撮影/久保ヒデキ)
コンビニでものを買わなくなった。お金に依存しない暮らしに目覚めて現在、笠原一家の収入の約3分の1がハーブ関連とマッサージ。そのほかは、将広さんのアルバイトなどさまざまな仕事の積み重ねで成り立っているという。
東京時代よりも収入はかなり減っているそうだが、その分、余計な出費も少なくなった。
「家賃もかからないし、コンビニでお惣菜やお菓子を買ったりもしません」(笠原さん)
ただ、除雪機や車のメンテナンス代など、思いがけない出費がかさむときも。しかし、不思議にタイミングよくお金が回っているそうだ。こんな出来事の積み重ねからも、自分たちは「自然という大いなる力に生かされている」と感じずにはいられないのだという。
今後の目標は万字地区にごはんやを開くこと。万字地区の人口は80人で一軒も商店がない地域。だからこそ地元の人たちがいつでも立ち寄れる場所をつくりたいと、新たな空き家を取得して改修中だ。
「ハーブもごはんやも、しっかりとした形になるまでにはすごく時間のかかることだと思います。だから焦らずにやっていきたいですね」(笠原さん)
ワークショップ「魔女のお茶会」も開くようになった。参加者と一緒にガーデンで育てたハーブを収穫。それを使ってブレンドティーやボディクリームづくりをしている(撮影/佐々木育弥)
自分らしく、やりたいように進んでいけばいい。そう心から思えたのは、自然とともにある暮らしを始めたことが何より大きかったという。
「都会では、人と足並みをそろえなくてはならないと思ってとても窮屈な思いをしていました」(笠原さん)
家の裏につくったドラム缶風呂に入りながら、山あいの景色を眺めたり、タンポポやニセアカシアなど、山や野にある植物をサラダや天ぷらにしたり。その一つ一つが、生きているという実感をわきあがらせ、心を豊かに満たしていく。
ハーブはさまざまなところに生えている。「つんで匂いを確かめてみてください。すごくいい香りがしますよ!」と笠原さん(撮影/佐々木育弥)
各地を放浪後、木工作家として美流渡にアトリエを開いて。「アトリエ遊木童」木工作家・五十嵐茂さん「やっと出稼ぎに行かなくても、暮らすことができるようになった」。
上美流渡地区で「アトリエ遊木童」という名で家具を制作する木工作家・五十嵐茂さんは、笑顔で語った。
この地に移住したのは、およそ20年前。新潟出身で10代のころに単身で上京し、ライブハウスで働いた。20代でインドを放浪。38歳になって帯広の職業訓練校で家具づくりを学び、その後、美流渡に落ち着いた。アトリエを開く決め手の一つは土地代の安さ。当時、市が所有していた土地の借用料は年間2500円だったという。
五十嵐さんは自宅をセルフビルドし、妻の恵美子さんとここで暮らすようになった。
五十嵐茂さん。10・20代はミュージシャンを目指して活動したこともあった(撮影/佐々木育弥)
移住して5年ほどは、木工作品の制作とともに介護の仕事なども行っていた。
その後、東京の青梅市にある共同アトリエに所属するようになり、東京のクラフト市や百貨店などでの販売も行ってきた。
「北海道だけでは作品の需要が少なくて、『出稼ぎ』に出ていたんだよね」(五十嵐さん)
座面にさまざまな樹種を組み合わせて、カラフルな色合いを出したスツール(撮影/佐々木育弥)
こうした暮らしに変化がやってきたのは昨年。
笠原さんも出展した地域の旧校舎を利用したイベント「みる・とーぶ展」に参加したことだ。
このイベントは、地域でものづくりをする人々や、各地のミュージシャン、飲食店を営む人々など20組以上が集まって約2週間にわたって実施されている。
昨年は、春、夏、秋の3回開催され、合計で4300人が来場した。
「みる・とーぶ展」に出展。市内の「木工房ピヨモコ」との2人展を教室で開催した(写真撮影/來嶋路子)
このイベントで五十嵐さんは春に「おんがくしつ no 椅子展」を開催。
定番となっていたスツールをメインにした展示を行った。教室には時間が足りずに塗装まで仕上げられていなかったテーブルも置いた。購入希望者が現れたら、後日塗装をして届ける予定だった。
しかし、ここで思いがけない展開があった。
「テーブルの塗装を自分でやりたい。孫にじいちゃんがつくったテーブルだよと言ってプレゼントしたいんだ」という男性が現れた。
また、別の来場者からも、テーブルを一緒につくりたいので教えてほしいと頼まれたという。
無垢の板を使ったテーブル(撮影/佐々木育弥)
みんなでつくり、交流することの大切さを知って「これで分かったのが、完成品を売るんじゃなくて、みんなでつくるってことが大事なんだということ。時代は変わったんだね」(五十嵐さん)
夏のイベントでは「おんがくしつ no 椅子展」ともに、「組み木スツールワークショップ」も会場で常時行うこととした。
あらかじめ脚や座面のパーツはつくっておき、参加者は組み立てと仕上げを行い、4時間程度で完成するようにした。10名だった定員はすぐにいっぱいになった。
スツールづくりワークショップのチラシ。参加料は約2万円。通常の商品を買うよりもかなりリーズナブルな値段を設定した(画像提供/みる・とーぶプロジェクト)
商品をたんに販売していたころよりも、売り上げは伸びた。年3回の「みる・とーぶ展」の収益と、その場で受けた注文によって、今年は暮らしを回すことができたそうだ。
組み木スツールワークショップの評判は上々。自分でつくったという物語によって、その人にとって何倍も思い出深い椅子となっていた。
「椅子をつくっている間に、みなさんの人生について聞かせてもらいました。深く話ができたことが本当によかった」(五十嵐さん)
この地域に移住した画家・MAYA MAXXさんとのコラボも行った。五十嵐さんが額をつくり、それに合う絵をMAYAさんが描いた(撮影/佐々木育弥)
人々の物語を共有すること。それは五十嵐さんの喜びにもなった。そして過疎地でも人が訪れ、そこで作品を売って暮らせる可能性が開けたことは、大きな希望につながった。
「ここは元炭鉱町で、廃れていく一方だと思っていたけれど、近年になってパワフルな移住者がやってきて、まちの風景が変わっていくのを感じるよ」(五十嵐さん)
今後の目標は、彫刻も制作すること。木の中から現れ出た精霊のような不可思議な作品をつくっていきたいのだという。
自分でものをつくって販売し、生計を立てようとする移住者がいる一方で、札幌と美流渡の二拠点暮らしを選択する人もいる。
「平日に会社員として働いて、週末にはやりたいことを自由に試してみたい」。
美流渡で月に2回、週末に玄関先で古本屋を開く「つきに文庫」を営み、アフリカンダンサーとしても活動をする寺林里紗さんは、そんな風に考えている。
「つきに文庫」を開く寺林里紗さん。冬季は休業、春から営業を再開する(撮影/佐々木育弥)
札幌から車で1時間半ほどの美流渡を知るきっかけとなったのは、万字地区に移住したアフリカ太鼓の奏者の友人が、この地で定期的に太鼓教室を開催していたこと。参加者の中から「アフリカンダンスもやってみたい」という希望があって、その講師として寺林さんに声がかかった。
アフリカンダンサーとしてライブのステージに立つことも。美流渡地区でダンスワークショップも開催している(撮影/來嶋路子)
「美流渡は、山並みがまるで四国のようでいい場所だなあと思いました。それに、移住者のみなさんが、週末になるといろいろなイベントをやっていて、おもしろい人たちのいるところだと感じていました」(寺林さん)
以来、週末住めるような家を探すようになり、1年ほどして知人の紹介で空き家を見つけた。一部修繕も必要だったが地域の友人らの手を借りて整えていった。
2階の屋根裏から山々が見渡せる。その風景が気に入ったという(撮影/佐々木育弥)
寺林さんの家には、近所の子どもが遊びに来るようになった。子どもたちが楽しめるようにと、玄関先で古本屋を開いてはどうかとあるとき思った。絵本を用意し、地球環境や旅、暮らしのエッセイなど、これまで自分が読むためにと集めてきた本を並べた。
初めてお店を開けたのは2021年7月。友人が訪ねてきて本を手に取り「これください」と言ったとき、本の値段を決めていなくて戸惑ったという。
「まさか売れるとは思っていなくて(笑)」(寺林さん)
玄関先がお店。自分が読んだことのある本を並べている(撮影/佐々木育弥)
その後は値段をつけて販売するようになったが、商いをやっているという意識はあまりないという。玄関先がオープンスペースとなり、本を通じてコミュニケーションが生まれ、みんながのんびりと過ごせる場づくりを大切にしている。
「いま建築事務所で働いています。働くことは好きなんですが、ドジらないように、毎日すごく緊張していますね」(寺林さん)
寺林さんは社会人として働きつつ、週末の月に2回古本屋さんを開き、バンドやダンス活動も続けている。美流渡に拠点を設ける以前に、これまで2度、アフリカに2~3カ月滞在してダンスを学んだことがある。1回目は会社に長期の休みを取って行き、2回目は退職して向かったが、帰国後すぐに新しい就職先を探すことができたという。
古本屋を始めると、友人からさまざまな本が集まるようになったという。寺林さんは、それを一つ一つ読んでから、ラインナップに加えていく(撮影/佐々木育弥)
「ここに住む移住者のみんなは、以前とは暮らしを大胆に変えていますが、私にはそんな勇気はないので二拠点暮らしをしています。でも、いずれは美流渡に移住したいという想いももっています」(寺林さん)
場所を変えることによって仕事とプライベートの切り替えができるそうで、週末、美流渡へと車を走らせていくと、気持ちがゆるみ、ワクワクした感覚があふれてくるのだという。
子どものころから自然の中で過ごすのが大好きで、木登りが得意中の得意だったという寺林さんにとって、山あいのこの場所は生きるエネルギーをチャージする重要な場所になっている。
「空が広くて、四季を通じた変化があった。ここに来ると本当に心が安らぐんですよ」(寺林さん)
美流渡で木に登って、ヤマブドウの実を採ることも(撮影/佐々木育弥)
お金をどう稼ぐかではなく、地域や自然と関わる中からできることを探して今回紹介した3人のように、移住者たちは、地域の人々や自然と関わる中で、何ができるのかを探り、自分なりの活動を続けている。
笠原さんは、体調を崩したことがきっかけでハーブに目覚めた。寺林さんは、美流渡に本を置いてあるスペースがなく、子どもたちに喜んでもらえたらと古本屋を始めた。そして五十嵐さんは、この地で人々と触れ合う中で、完成品を売るのではなく、みんなでつくるという方法にシフトさせていった。
旧美流渡中学校で開催された「みる・とーぶ展」には「麻の実堂」、「アトリエ遊木童」、「つきに文庫」も参加。来場者の声から新たな工夫が生まれることもある(写真撮影/佐々木育弥)
みんなそれぞれ、作品や本が売れるようにと日々試行錯誤を繰り返しているが、収入がそれほど見込めないからといって、現在の活動をやめるわけではない。
共通しているのは、「お金が儲かるから」とか「得をしそうだから」という尺度で物事を選択せず、自分が「心からやりたいことかどうか」で動いているところ。
「貯金をしておかないと、先行き不安では?」と思う人もいるかもしれない。当然、多少の不安はあるだろうが、お金がなければ畑で食べ物をつくったり、農家の手伝いに行けば「きっとなんとかなる」と考えている人は多い。
また、家も自分たちで修繕すればいいし、電気やガスに頼りすぎずに薪を燃料にすればいい。ここで暮らしていくうちに、生きていくための力が自然に備わってきているのではないかと思う。
今回紹介した移住者たちは、日々、協力しあって生きている。イベントを共同で開催したり、アフリカ太鼓のバンド活動もみんなで行っている(写真撮影/來嶋路子)
「もう、都会のマンション暮らしには戻れない」と笠原さんは夫妻で語り合うことがあるという。地面の近くで暮らすことが、何より重要だと分かったそうだ。
都会で将来への安心を求めると貯蓄や投資、保険などという紙に頼る他はない。もちろん都会にいれば、公共施設や病院などが近くにあって利用しやすいという安心感もあるだろう。一方でこの地の移住者は、この大地とつながっていて、いつでもそこから恵みを受けることができるという安心感があるのだと思う。
●取材協力
麻の実堂
つきに文庫
リクルートが、 首都圏(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・茨城県)に居住している20歳~49歳の1万人を対象に実施した「SUUMO住みたい街ランキング2023」を発表した。ランキングの結果も気になるが、なぜこの街が?という要因も気になるところだ。今回のランキングで注目の街を紹介していこう。
【今週の住活トピック】
「SUUMO住みたい街ランキング2023 首都圏版」を発表/リクルート
さっそく、2023年の住みたい街(駅)ランキングの結果を紹介しよう。「横浜」が首位を、「吉祥寺」が2位を堅持し、昨年3位に食い込んだ「大宮」がその位置をキープし、「恵比寿」が4位を死守するなど、TOP4は2022年と同じ顔触れとなった。
住みたい街(駅)総合ランキングトップ10(首都圏全体/3つの限定回答)(出典:リクルート)
TOP10で注目したいのは、まず「鎌倉」の躍進だ。もともと歴史のある良好な住宅地として人気があったが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響もあってのことか。次の注目点は、「新宿」「池袋」「渋谷」「東京」のターミナル駅がランクアップしていることだ。常に再開発などのプロジェクト案件があり、いずれも話題を集める街だ。
また、11位~25位までを見ると、顔触れは同じようだが順位が少し入れ替わっている。品川や表参道などの都心の街がランクダウンし、舞浜や船橋、立川など郊外の人気駅がランクアップしている印象を受ける。都心の低迷と郊外の上昇の傾向は、2022年も見られた現象なので、コロナ禍で、自分が暮らしている街から近い街が再評価される傾向が続いているようだ。
11位以下では「舞浜」(17位)、「みなとみらい」(26位)、「有楽町」(27位)、「所沢」(30位)、「和光市」(31位)、「新浦安」(37位)、「守谷」(47位)が過去最高位になっている。
住みたい街(駅)総合ランキング11位~25位(首都圏全体/3つの限定回答)(出典:リクルート)
明と暗に分かれた「大宮」と「浦和」。その違いは?それにしても、「浦和」(12位)が昨年の5位からTOP10外までダウンしたのは意外だった。SUUMO編集長・池本洋一さんの分析によると、20代・30代のランキングで吉祥寺を抑えて初の2位になるなど、注目度を集めた大宮に対して、広域からの注目度が低かったのが浦和だという。
「大宮」については、池本さんが「コンパクト東京?」と呼ぶほど、若者が魅力を感じる街の賑わいがあるのだそうだ。
東京と大宮の比較(出典:リクルート)
まず、駅周辺の商業施設に東京にしかなかった店が進出している。次に、氷川神社のある大宮公園からコクーンシティをつなぐ「氷川参道」の周辺に活気がある。街路樹に沿って個性的な店が並び、集客力のある「さいたまスーパーアリーナ」や「NACK5スタジアム大宮」なども隣接している。駅周辺には飲食店の多い通りもある。これが近くに凝縮しているので、コンパクトな東京のようだというのだ。
一方、「浦和」は、大宮が埼玉県内外の広域から票を集めている(地元のさいたま市からの投票シェアは23.8%)のに対して、地元の投票シェアが43.4%であるなど、地元の人気に支えられている感が否めない。加えて、浦和駅西口の駅前再開発が進行中であるため、当初あった地元の個人商店が立ち並ぶ商店街がなくなり、一時的に賑わいが減っていること、大宮に比べて賃料が高いことなどが影響しているのではないかというのが、池本さんの分析だ。再開発事業は2026年6月竣工予定だというので、今後に注目したい。
「新宿」は、コロナ禍からの復調の象徴か?次に注目したいのが、「新宿」だ。2023年にTOP5に入る躍進を見せたが、その原動力となっているのが「シングル男性」だ。ライフステージ別の内訳を見ると、新宿に投票したのはシングル男性が44.9%を占めている。シングル男性のシェアが、1位横浜は22.1%、2位吉祥寺は20.7%、3位大宮は24.0%であることと比べても、突出して高い。
ランキングTOP10のライフステージ別内訳(出典:リクルート)
もともとコロナ前の2019年のランキングでは、新宿は5位だった。2023年にコロナ禍から復調したと言ってよいだろう。SUUMOによると、新宿の街の魅力項目として高かったのは、「魅力的な働く場や企業がある」「文化・娯楽施設が充実している」「仕事のできる施設(コワーキングスペースやカフェなど)がある」などで、電車バスで行きやすいなど交通利便も上位に挙がった。たとえば、センスの良い飲食店やお店の魅力度が高い「恵比寿」などと比べると、働く・遊ぶ・買う+交通利便など多様な魅力をもつことが、コロナ禍からの復調が進んだ要因だといえるだろう。
特徴(個性)のある街はやっぱり強かった上位以外で注目の街として、「流山おおたかの森」と「所沢」を挙げておこう。
千葉県としてのランキングでは、2位:舞浜、3位:船橋、4位:柏、5位:千葉を抑えて、1位に躍り出たのが「流山おおたかの森」だ。その魅力項目TOP10を見ると明らかなように、「子育て」や「教育環境」の高さが目立つ。
一方の「所沢」は2022年の48位から2023年には30位に急上昇しただけでなく、「穴場だと思う街(駅)ランキング」でも4位に入るなど、その躍進ぶりが注目される。所沢の魅力項目TOP10も明確だ。「住居費の安さ」「コスパのよさ」「生活上の利便性」など、暮らしやすさが目立つ。所沢駅直結の商業施設「グランエミオ所沢」の完成に加え、2024年秋にも大規模商業施設が完成する予定で、街の発展への期待値も躍進の要因になっているようだ。
「流山おおたかの森」と「所沢」の街の魅力項目TOP10(出典:リクルート)
横浜や大宮、新宿に比べて多様な魅力要素がないものの、「商店街」と「公園」、「知名度」といった強力な要素があることが、吉祥寺に根強い人気がある理由だろう。その街ならではの魅力的な個性のある街は、やっぱり強いということだ。
さて、当サイトで昨年「住みたい街ランキング2022」について記事を書いたとき、最後に、「『鎌倉殿の13人』が始まり、来年のランキングで鎌倉が急上昇するような気がする」と書いた。結果は、急上昇というほどではないが、10位から8位にランクアップした。メディアで取り上げられる機会が増えて、鎌倉のもつ歴史的な背景が広く伝わったからだろう。来年も、街の魅力がしっかりと広域に伝わった街が、ランクアップすることだろう。
●関連サイト
「SUUMO住みたい街ランキング2023 首都圏版」
塩谷歩波さんは、銭湯の建物内部を俯瞰図で描く「銭湯図解」シリーズがSNSで人気を博し、刊行した著書が話題沸騰! 銭湯図解とは、銭湯を観察しメジャーなどでさまざまな部分を測量、スケッチに落とし込んでいくもの。塩谷さんの半生はドラマ化(2022年『湯あがりスケッチ』)され、2023年2月23日に自身がモチーフになったキャラが登場する映画『湯道』(企画・脚本:小山薫堂、主演:生田斗真)が公開されます。学生時代、建築を専攻し、設計事務所、高円寺(東京都杉並区)の銭湯「小杉湯」の番頭兼イラストレーターを経て、画家・文筆家へ。建築を描くことで見えてきたものとは。図解イラストを解説しながらたっぷり話していただきました。
画家・文筆家の塩谷歩波さん。現在は、銭湯以外の絵の仕事も注目されている(写真撮影/三浦えり)
銭湯での人のふるまい、美しいと思った瞬間を伝えたい――銭湯図解からは、建物の構造だけでなく、インテリアや小物までが細かく描かれています。銭湯を図解しようと思ったきっかけを教えてください。
塩谷歩波さん(以下、塩谷):「銭湯ってめっちゃいいじゃん」という純粋な気持ちですね。
銭湯に出合ったのは、当時勤めていた設計事務所を体調不良で休職していたころ。半分鬱のような状態で、同期の人と比べると自分が恥ずかしい人間であるように感じ、同世代の人と話すのがとても怖かったんです。ちょっと人間不信になっていました。
そういうときに銭湯で会う人たちは、自分の日常では絶対出会わない人が多くて。おばあちゃんと裸で知り合うことってないですよね。それが自分にとっては、いい非日常感で、日常から離れていたからこそ、違う人間になることができた。おばあちゃんに突然話しかけられても、ドラマや映画で見た番頭さんのように快活に話すことができました。自分が銭湯の一員になったように感じて、すごく癒やされたんですよね。まだ銭湯に行ったことのない友人に魅力を伝えるために描いたのが初めての銭湯図解でした。
初めて描いた銭湯図解には、友人に向けて寿湯のおすすめポイントが書かれている(画像提供/塩谷歩波さん)
高円寺にある小杉湯の銭湯図解。湯船に漬かる人、着替える人、昭和を感じるレトロなインテリアもいい(画像提供/塩谷歩波さん)
洗い場で背中を流し合う人たち。湯けむりやほっとした息づかいまで聞こえてきそう!(画像提供/塩谷歩波さん)
『銭湯図解』(2019年2月刊行)は多数のメディアに取り上げられた。2022年には、エッセイ本も出版(画像提供/中央公論新社・双葉社)
――銭湯図解には、多くの人物も描かれていますね。銭湯でくつろぐ人物の絵を見ると、湯けむりや窓からの光、露天の風まで感じられます。
塩谷:銭湯でほっとして、目をほかに向けてみると、そこでの人の触れ合いがすごく愛おしく思えて。おばあちゃん同士が背中を流し合いながら話している姿はどこか癒やされるものがありました。当時、銭湯好きの方がブログやTwitterで銭湯について書いたものはありましたが、カラン(蛇口)の数や浴室の温度などデータ的な紹介が多かったんです。銭湯での人のふるまいや、私が美しいと思った瞬間が語られていないのはもったいないと思いました。
銭湯図解は緻密な表現が魅力(画像提供/塩谷歩波さん)
番台のある待合所、男女の脱衣所、浴室などが一望できる(画像提供/©2023映画「湯道」製作委員会)
機能を兼ね備えたデザイン、地域性、文化性、銭湯建築は面白い――Twitterなどではどのような反響がありますか?
塩谷:最初のころは、銭湯ファンの方から、「銭湯の良いところが描かれていてスゴイ」と再現性を言われることが多かったですね。建築ファンの人からは、「銭湯に建築的な面白さがあったんだ」という驚きの声が寄せられました。学校の授業でも、建築の本でも、建築の目線から銭湯が語られることってまずなかったんです。銭湯のような大衆的な建物を絵におこしてみることに、意外と価値があると気づいた人が多かったです。機能を兼ね備えたデザインで、時代や場所によって浴槽の形が違うなど、文化性、地域性があるところが面白いんですよ。
あとは、「すごく癒やされる」という声もありました。自分が同じような経験をしたので、心が疲れている人からのコメントがいちばん嬉しかったですね。私と同じようにあの風景に癒やされる人がいるんだなと。
――設計事務所から高円寺の銭湯「小杉湯」に「番頭兼イラストレーター」として転職した後、アトリエエンヤを立ち上げ、小杉湯を退職してから画家として独立されています。振り返って、銭湯図解はどのようなものだったと思いますか?
塩谷:自分が絵を仕事にする可能性をつかんでくれた、そういう絵だったと思います。まさか自分が絵を専門に描く仕事をするとは夢にも思ってみませんでした。銭湯図解によって私の人生は大きく変わりました。小杉湯にいたころは、運営する立場から銭湯を見ていましたが、今はいち銭湯ファン。銭湯に行くのは一週間に一回程度になりました。東京だけでなく旅先の銭湯もすごく面白いんです。これからもいい銭湯があれば、伝えていきたいと思っています。
小杉湯の浴室。湯気を抜くために天井が高くつくられている。これほど高い天井の建物は、今は建築するのが難しいという(画像提供/塩谷歩波さん)
銭湯でのイベントで講演をする塩谷さん。なんと小杉湯では、著書『銭湯図解』1000冊を完売。本を片手に銭湯巡りをする人も現れた(画像提供/塩谷歩波さん)
制作に1枚1カ月かかることも。角度をつけて建物内部を俯瞰的に描く――図解に用いられている図法について教えてください。どういう意図で用いられているのでしょうか。
塩谷:アイソメトリックという建築図法で、角度をつけて建物内部を俯瞰的に描いています。本来は三方の軸がそれぞれ等しい角度で見えるように立体を投影するものが多いのですが、「銭湯図解」では、それぞれの銭湯によって、「どこを見せたいか」を考えて、角度や断面の表現を調整しています。例えば、脱衣所の人物も番台も見せたい場合、間の壁を切り抜いて、両方を見せています。
要所で壁を切り抜いて、番台や待合所の雰囲気、脱衣所や浴室を1枚の絵で表現(画像提供/塩谷歩波さん)
映画『湯道』の銭湯「まるきん温泉」の下書き。映画では架空の銭湯なので、資料を参考にしたが、本来は、取材に行き、実測データを元に縮尺を決めて用紙に下書きする(画像提供/塩谷歩波さん)
人物の表情はペン入れの際、さらに細いペンで描き込む。銭湯図解ににぎわいが生まれる瞬間(画像提供/塩谷歩波さん)
透明水彩で着彩。玄関でお客さんに対応している『湯道』の主人公・三浦史朗(生田斗真)の姿も(画像提供/塩谷歩波さん)
建物には、人の行動がデザインされている――最近では、高円寺や西荻窪にある店舗や全国のホテル、ゲストハウス、サウナなどの建築図解も描かれています。きっかけは?
塩谷:2019年に書籍『銭湯図解』を刊行した後、銭湯以外の建物を描きたいと思い、2020年にアトリエエンヤという屋号を掲げてお仕事でほかの建物も描くようになりました。高円寺の酒場兼古本屋の「コクテイル書房 図解」を描いたのは、書籍を出した直後ですね。当時、高円寺に住んでいて、街への愛情が高じた結果、高円寺の中で一番魅力的な建物であるコクテイル書房を描きたくなったんです。
建物は古く、オーナーがDIYしている箇所がたくさんあって、「これ何ですか?」って聞くとひとつひとつにストーリーがあるんです。絵を描くことで、そこの人たちの歴史を感じられるのがいいなと思いました。
高円寺にあるコクテイル書房の1階の図解。拾ってきた流木が天井に吊るされているなど、店主の趣味が反映された空間が面白い(画像提供/塩谷歩波さん)
――街や店舗を描くとき、銭湯を図解するときと違った発見はありましたか。
塩谷:人が服を着ていることですかね(笑)。また、街や建物によって人の動き方って全然違うんですよ。自分で建物を設計していたときに、建物によって、人のふるまいが変わることに一番興味があったんです。行動をデザインした建物が好きなんです。そういう建物は、描きながら、オーナーや設計者の意図が伝わってきて感動します。描いていて楽しい所ですね。
塩谷さんが愛する西荻窪の路地(画像提供/塩谷歩波さん)
街歩きでふらっと入った西荻窪の居酒屋「しんこぺ」のホットケーキを描いた絵がTwitterでバズり、期間限定メニューが定番の人気メニューに(画像提供/塩谷歩波さん)
カウンターでホットケーキが出て来た時の塩谷さんの感動が絵から伝わってくる(画像提供/塩谷歩波さん)
高円寺や西荻窪の建物を描くことで、人の動きが見えてくる――描いていて面白いのはどんな街?
塩谷:ガイドブックに載っていない路地がある、歩いて楽しい街ですね。高円寺は、雑多な感じで「東京のインド」と言われたりするんですけど、全然整備されていない街全体のカオスな感じがいい。西荻窪は、趣味が高じてお店をやっている人が多くて、お店はオーナーの城。建物にオーナーの世界観があって、街全体よりひとつひとつが面白いんです。
西荻窪の日本茶スタンド「Saten」。現代的な建物に和の意匠を取り入れている(画像提供/塩谷歩波さん)
緑色は抹茶をイメージした色。カウンターの奥にあるオレンジの壁は、「床の間」風コーナー。左のテラスにいるフレンチブルドッグを連れた人は実在する常連さん(画像提供/塩谷歩波さん)
描くことで、自分の好きなことをより深く理解できる――2023年2月21日から、個展が開催され、23日から映画「湯道」が公開されます。見どころを教えてください。
塩谷:映画に登場する「まるきん温泉」は、形としては京都にありそうな銭湯です。企画・脚本の小山薫堂さんも温泉・銭湯好きなので、今までの記憶の中から、好きな銭湯を繋ぎ合わせたのでしょうね。監督や映画スタッフとつくりあげた理想の銭湯を感じてみてください。
『湯道』2月23日(木・祝)全国東宝系にて公開(画像提供/©2023映画「湯道」製作委員会)
撮影後に描いた「湯道」に登場する銭湯「まるきん温泉」(画像提供/©2023映画「湯道」製作委員会)
塩谷:「まるきん温泉」の銭湯図解を描くのがとても面白かったんです。「まるきん温泉」は、セットでつくった架空の銭湯。資料から読み解く謎解きみたいで。実在しない建物も描けるんだなと気づきました。
個展では、実在しない建物の図解作品を展示します。テーマは、「家」。家はなじみ深いですが、隣の家って見たことありませんよね。同じ間取りなのに全然違う世界が広がっている。その人が考えていることが知らず知らず広がっている。面白さもあるけど怖さもある。そういうものが「家」じゃないかと思っています。
原画販売も初めて行う。5作品のひとつ、おばけの家。おばけには足がなく透けるので階段も扉もない(画像提供/塩谷歩波さん)
――街歩きや店舗を見るとき、どんな所に目を向けるとよいですか?
塩谷:アイソメトリックで描くことは建築の知識がないと難しいと思いますが、街や建物のどういう空間でどう人が動いているかよく見ると、さまざまな気づきがあります。建物の素敵な所をスマホで撮って終わりではなく、スケッチでも文章でもほかの表現に落とし込んでみると、何で好きと思ったのか、より深く理解できます。
――塩谷さんとって「描く」のはどういった意味をもつ行為でしょうか。
塩谷:描いていると、自分がなぜこの建物が好きなのか再確認できます。下書きしながら、この建物はこんなに面白く見えるんだなあって。色を塗ったり、人物を入れると、絵の中で世界ができていく。描けば描くほど豊かな世界になっていく。完成までワクワク感を抱えていますね。
絵は、自分をこの場所に連れてきてくれた大事なものであると同時に、描き続けるのが辛いときもある。好きとか嫌いとかを超えて、離れられない。表現をする人は同じことを言うと思います。寺社仏閣や教会、世界遺産の建物、民家、古いホテルや民宿、純喫茶、海外の建物……描いてみたいものがたくさんあるんです。これからも、人のふるまいや美しい瞬間を感じられる絵を描いていきたいです。
アトリエからは、試行錯誤を繰り返した創作の様子が伝わってくる。今年の秋口まで仕事はいっぱい(画像提供/塩谷歩波さん)
図解を描いた塩谷さんの思いを伺い、「なんかいいな」と感じていた建物がどういう思いでつくられているのか考えを巡らせたり、人の動きを観察するのが、面白く感じてきました。自分が住んでいる街や街歩きがもっと楽しくなりそうです。
●取材協力
塩谷歩波(Twitter)
●映画公開情報
『湯道』
2月23日(木・祝)全国東宝系にて公開
企画・脚本:小山薫堂(『おくりびと』)
監督:鈴木雅之(『HERO』シリーズ、『マスカレード』シリーズ)
音楽:佐藤直紀
出演:生田斗真、濱田岳、橋本環奈 ほか
©2023映画「湯道」製作委員会
東京23区の地価や住宅価格は、全国でも群を抜いた高さで知られている。世界でも屈指のビジネスやエンタメが集約した都市と考えると妥当とも言えるが、住まい探しの際は価格に驚くことも。そんなとき、新築よりも比較的に手が届きやすいのが中古物件。なかでもリーズナブルな中古マンションが多いのはどの駅だろう? そこで、東京23区内に位置する駅から徒歩15分圏内にある、中古マンションの価格相場を調査してみた。シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)とカップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)、それぞれの中古マンションの価格相場が安い駅トップ10をご紹介しよう。
東京23区内の中古マンション価格相場が安い駅TOP10【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(主な路線/駅の所在地)
1位 青井 1950万円(つくばエクスプレス/東京都足立区)
2位 五反野 1980万円(東武伊勢崎線/東京都足立区)
2位 北綾瀬 1980万円(東京メトロ千代田線/東京都足立区)
2位 綾瀬 1980万円(東京メトロ千代田線/東京都足立区)
5位 小岩 2080万円(JR総武線/東京都江戸川区)
5位 志村三丁目 2080万円(都営三田線/東京都板橋区)
7位 氷川台 2199万円(東京メトロ有楽町線/東京都練馬区)
8位 西新井 2220万円(東武伊勢崎線/東京都足立区)
9位 お花茶屋 2280万円(京成本線/東京都葛飾区)
9位 京成立石 2280万円(京成押上線/東京都葛飾区)
【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(主な路線/駅の所在地)
1位 新高島平 2780万円(都営三田線/東京都板橋区)
2位 西高島平 2789.5万円(都営三田線/東京都板橋区)
3位 見沼代親水公園 2941万円(日暮里・舎人ライナー・/東京都足立区)
4位 舎人 2980万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
5位 足立小台 2990万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
6位 竹ノ塚 3180万円(東武伊勢崎線/東京都足立区)
7位 柴又 3230万円(京成金町線/東京都葛飾区)
8位 京成高砂 3280万円(京成本線/東京都葛飾区)
8位 北綾瀬 3280万円(東京メトロ千代田線/東京都足立区)
10位 六町 3290万円(つくばエクスプレス/東京都足立区)
10位 谷在家 3290万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区)
※11位以降(20位まで)は記事末に記載
シングル向け中古マンションの価格相場が最も安かったのは、つくばエクスプレス・青井駅で価格相場は1950万円。つくばエクスプレスで浅草駅まで約8分、秋葉原駅までは約14分で行くことができる。駅周辺は住宅地で、徒歩10分圏内に複数のスーパーやドラッグストアがある便利な環境。駅北側の「青井兵和通り商店街」には食料品店や飲食店が並び、毎月第4日曜の朝市で有名だ。朝7時の花火を合図に開催される朝市は1978年から続いているそうで、さらに2020年からは毎月第2土曜の16時より夕市の「まんぞく市」も開催されている。日ごろは静かな街も朝市や夕市のときは多くの人でにぎわい、お祭り気分で買い物や買い食いが楽しめる。
青井駅(写真/PIXTA)
2位には価格相場が共に1980万円だった、東武伊勢崎線・五反野駅と東京メトロ千代田線・北綾瀬駅がランクイン。まずは五反野駅について見てみよう。この駅に停車する東武伊勢崎線はほぼ日比谷線直通となっており、乗り換えずに日比谷線の上野駅や銀座駅、霞ケ関駅、恵比寿駅に行くことが可能だ。五反野駅の高架下にはスーパーや100円ショップが店を構えるほか、駅前にはさまざまな飲食店がある。駅北側には50店舗ほどが軒を連ねる商店街が続き、途中にはドラッグストアやスーパーも。また、駅から北へ20分弱も歩くと足立区役所があるのも何かと便利だろう。さらに北へ数分歩くと幹線道路の環七にぶつかり、大通り沿いには「ニトリ」をはじめディスカウントストアや家電量販店などの大型店舗も見える。
同額2位の北綾瀬駅は東京メトロ千代田線の終点駅。大手町駅や霞ケ関駅、表参道駅など都心部まで乗り換えずに行けるうえ、北綾瀬駅が始発駅のため通勤時間帯でも座って乗車できる点も魅力だろう。そんな北綾瀬駅前は現在、大規模な開発事業が進められている。すでに2021年~22年には駅の高架下と駅ビルを活用した商業施設「M’av北綾瀬Lieta(マーヴ北綾瀬リエッタ)」がオープン。駅舎も新しくなり、久しぶりに訪れた人は印象がガラリと変わったことに驚くかもしれない。現在は2024年度の完成を目指して、駅北口側に駅前広場とペデストリアンデッキの整備が進行中。同時期には大型商業施設も開業予定というから楽しみだ。
北綾瀬駅(写真/PIXTA)
ここまで見てきた3駅はいずれも足立区の駅だった。さらに同額2位の五反野駅と北綾瀬駅は、直線距離で2.4kmほど。1位の青井駅はその直線上のほぼ中間地点にあるという、近い範囲の駅がトップ3を飾る結果となった。4位以下はというと、足立区のほかに江戸川区、板橋区、練馬区、葛飾区の駅がランクイン。このトップ10はいずれも東京駅よりも北側にあり、5位・志村三丁目駅と7位・氷川台駅を除く8駅は東京23区のなかでも北東部に位置している。さらに言うと、その8駅は荒川よりも北側にある。「都内でも荒川を越えると中古マンションの価格相場がリーズナブルになる」という傾向は、シングル向け中古マンションに限ったことなのか? 続いて、「カップル・ファミリー向け」のランキングを見ていこう。
「カップル・ファミリー向け」TOP10のうち7駅は足立区の駅に「カップル・ファミリー向け」ランキングの1位は、板橋区にある都営三田線・新高島平駅。価格相場は2780万円だった。2021年度の一日平均乗降人員は8235人で、これは都営三田線27駅のうち2番目に少なく、都営地下鉄計106駅の中でも3番目の少なさ。駅南側には高島平団地が広がり、駅北側も住宅地のため住民は多いのだが、電車を使って通勤や買い物に多くの人が訪れるような街ではないためかもしれない。
新高島平駅(写真/PIXTA)
1位・新高島平駅周辺には野鳥が訪れる自然林やバーベキュー場を備えた「赤塚公園」や、ポニーやモルモットとふれあえる「こども動物園 高島平分園」、東南アジアの熱帯雨林を再現した「熱帯環境植物館」があり、子どもがいるファミリーには魅力的な環境だろう。食料品の買い物には、駅前にある団地の1階部分を利用した昔ながらの商店街「ファミリー名店街」の青果店や鮮魚店、精肉店が活躍する。ただ、スーパーとなると1駅隣の高島平駅前に行く必要がある。高島平駅は今回の調査では価格相場3480万円で18位にランクインしており、駅前の商店は新高島平駅よりも充実している。こうした生活の便利さが価格差に表れたとも考えられる。とはいえ、新高島平駅~高島平駅間は歩いても10分ほどなので、自転車も活用すれば不便というほどではなさそうだ。
赤塚公園(写真/PIXTA)
2位は価格相場2789.5万円で、1位・新高島平駅から都営三田線で高島平駅と逆方面に1駅進んだ、西高島平駅がランクイン。新高島平駅とは徒歩10分ほどしか離れてないため、両駅の生活環境はほぼ同様だ。駅北側には物流倉庫街や都の浄水場の敷地が広がり、新高島平駅前にはちらほらとある飲食店も西高島平駅前には見当たらない。日ごろの買い物は、新高島平駅前の商店や2駅先の高島平駅前のスーパーが頼りとなるだろう。また、西高島平駅は都営三田線の最西端であり、始発駅ゆえに朝の混雑時間帯も沿線の神保町駅や大手町駅まで座って向かうことが可能だ。
西高島平駅(写真/PIXTA)
3位は足立区にある、日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅で価格相場は2941万円。日暮里・舎人ライナーは日暮里駅から北に向かってほぼ直線に延びる路線で、全13駅中の最北端が見沼代親水公園駅。さらにこの駅は東京23区内にある最北端の駅でもあるのだ。北に5分も歩けば都県境を越えて埼玉県に入り、もう1~2分ほど歩くとホームセンターに到着する。スーパーやフードコート、家電やファッションの売り場も併設されているので、あれこれとまとめ買いができそう。駅南側にも複数のスーパーやドラッグストアがあり、買い物には困らないだろう。あまり耳慣れない日暮里・舎人ライナーの沿線で、しかも最北端の駅だと聞くと、都心部まで遠そう……と思いきや、日暮里駅からJR線に乗り換えれば東京駅や新宿駅まで見沼代親水公園駅から50分ほどでたどり着ける。
見沼代親水公園駅(写真/PIXTA)
さて、トップ3には板橋区と足立区の駅が並んだが、4位以下はというと……。なんと4位~10位の8駅のうち6駅は足立区で残る2駅は葛飾区、つまりトップ10の全11駅中7駅は足立区という結果に。では、「シングル向け」のトップ10に見られた「都内でも荒川を越えると中古マンションの価格相場がリーズナブルになる」という傾向は、「カップル・ファミリー向け」にも当てはまるのか。地図を見てみると、トップ10の11駅のうち8駅は荒川の北側に位置していた。都心から遠くなる分、相場が安くなるのは当たり前のことでもあるが、今回の調査結果で言えば、23区内でリーズナブルな中古マンションを探す際は「シングル向け」「カップル・ファミリー向け」を問わずに「荒川越え」が一つの目安となると言えそうだ。
ちなみに、東京23区それぞれの区内で、最も安い駅はどこなのかも気になるところ。区ごとに「シングル向け」「カップル・ファミリー向け」ランキングで最も中古マンションの価格相場が安い駅も以下にピックアップしたので、住まい選びの参考にしてみてほしい。
20位以下のランキング
【シングル向け】
【カップル・ファミリー向け】
●東京23区それぞれの価格相場が最も安い駅一覧
※調査条件に満たない駅は除外
区名(シングル向け最安駅の価格相場/カップル・ファミリー向け最安駅の価格相場)
千代田区(神田と東京が同額4680万円/岩本町7130万円)
中央区(茅場町4500万円/浜町7585万円)
港区(高輪ゲートウェイ4095万円/お台場海浜公園7780万円)
新宿区(落合南長崎3180万円/落合南長崎5555万円)
文京区(護国寺と千駄木が同額3980万円/本駒込6799万円)
台東区(三ノ輪3199.5万円/三ノ輪4999万円)
墨田区(鐘ヶ淵2780万円/鐘ヶ淵3980万円)
江東区(大島2825万円/東大島4490万円)
品川区(大森海岸3134万円/大井競馬場前5350万円)
目黒区(洗足3485万円/洗足7280万円)
大田区(雑色2580万円/大鳥居4480万円)
世田谷区(上北沢2910万円/松陰神社前5780万円)
渋谷区(笹塚3790万円/笹塚7280万円)
中野区(新江古田2900万円/都立家政と野方が同額4980万円)
杉並区(荻窪と八幡山が同額3480万円/上井草4935万円)
豊島区(千川2999万円/東長崎5280万円)
北区(飛鳥山2539.5万円/梶原3930万円)
荒川区(町屋2740万円/小台3380万円)
板橋区(志村三丁目2080万円/新高島平2780万円)
練馬区(氷川台2199万円/光が丘4398.5万円)
足立区(青井1950万円/見沼代親水公園2941万円)
葛飾区(お花茶屋2280万円/柴又3230万円)
江戸川区(小岩2080万円/瑞江3990万円)
●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東京23区内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/1~2022/12
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
北海道有数の豪雪地帯、岩見沢市。その山あいにある330人の集落・美流渡(みると)地区に2020年夏、画家のMAYA MAXX(マヤマックス)さんが移住。MAYAさんはラフォーレ原宿での個展や子ども番組などへの出演を通じて人気を集め、絵本作家としても多くのファンを持つ。これまで都会で活動するイメージが強かったが、一転して過疎地での制作をスタートさせ、まちじゅうに絵を描く活動も展開。「絵を一目見てみたい」と美流渡を訪ねた人は5000人を超えた。同じ美流渡に住み、地域活動の運営を担当する筆者が、移住から2年半のMAYAさんの取り組みについてレポートする。
MAYA MAXXさんの絵本。読者の声により復刊したのが『トンちゃんてそういうネコ』(汐文社)。雑誌で発表した『ぱんだちゃん』(福音館書店)は1月に単行本化された(撮影/久保ヒデキ)
長屋の4世帯を利活用。美流渡にアトリエを開いて美流渡地区は元炭鉱街。道道38号線のわずか2kmほどのエリアに、炭鉱が活況を呈した時代は1万人がひしめき合って暮らしていた。当時を知る人は、労働者の住宅が所狭しと建てられ「美流渡には緑がなかった」と語る。昭和40年代に炭鉱が閉山すると急激な人口流出がおこり、現在は330人が暮らす。住宅があった場所の多くは自然に返っており、いまでは緑豊かな山里の風景が広がっている。
MAYAさんのアトリエがある地区。民家はまばらで森に囲まれている(撮影/久保ヒデキ)
人口減少がある一方で、1980年代からポツポツと移住者が集まるようになっていた。その中には陶芸家や木工作家、やがては薪窯のパン屋などがあった。移住したほとんどの人が、この地に縁のある友人に土地や空き家を勧められたことがきっかけ。
筆者自身も知人を介して5年前に美流渡の古家を取得。岩見沢市の街中から引越した。
MAYAさんの移住もケースは同じで、実は筆者が「空き家をアトリエとして改修してはどうか?」と声を掛けたことによる。MAYAさんとは取材をきっかけに20年来の友人だった。
この時期、個性的な移住者が多いまちとしてメディアなどでも紹介されることが増え、町会に「空き家はないか?」という問い合わせが入るようになっていた。そこで町会と市が連携し、取り壊し予定となっていた元教員住宅を移住者支援住宅として利活用することとした。住宅は4世帯が入った長屋。一棟すべてを借りれば、十分な広さのアトリエがつくれるのではないかと思った。
元教員住宅。1棟に4世帯が暮らしていた。窓だった部分や扉にMAYAさんは絵を描いた(撮影/久保ヒデキ)
そのときMAYAさんは、10年間の京都での作品発表に区切りをつけ、東京に戻っていた。知人の住宅の一室をアトリエとして借りていたが、大作を何枚も同時に描けるほどの広さはなかった。そんなこともあって美流渡でアトリエをつくったらどうかという筆者の申し出に「それもいいかもね」と軽やかに答えた。以前から、イヌイットなどの北方民族に憧れを抱き、いずれは北に行ってみたいという思いもあった。
MAYA MAXXさん。1993年よりこの名で活動を開始。画家であり絵本も多数手掛ける(撮影/久保ヒデキ)
最初は東京との二拠点を考えていたが、新型コロナウイルスの感染が深刻化。展覧会開催予定なども延期となり、都道府県をまたぐ移動にも制限があったことから、東京を離れ美流渡に完全移住することを決めた。
改修は、長沼でリフォーム工事を手掛ける「yomogiya」に依頼。内壁の塗装はMAYAさんと友人らで行うこととした。アトリエは白いペンキを3層塗った。「絵よりも毎日見るものだから」とムラなく仕上げた(撮影/來嶋路子)
長屋の2世帯分は境の壁の一部を壊してつなぎアトリエとした。1世帯は住居。残りの1世帯は、作品の収蔵庫にしようと考えていたが、内装の仕上がりが美しかったこともあり、現在はギャラリーとして使っている。
アトリエの一角。部屋を仕切っていた壁、トイレ、風呂場などもすべて取り外し、できる限りスペースを広く取った(撮影/久保ヒデキ)
ギャラリーとして使われている空間。アトリエから絵を持ち出しここに展示すると客観的な目で見られるようになる(撮影/久保ヒデキ)
自然に身を置く中で、思っても見ない変化が起こって真っ白なアトリエで、MAYAさんは制作を開始した。普段から構想をスケッチしたり下描きをしたりは一切しない。そのときの自分を介して出てきたものが画面に現れていく。美流渡で最初に描かれたのは、一面のグリーンで覆われた絵。それは、これまでほとんど使ったことがなかった色。
「緑というのは自然の色ですよね。いままでは理解できない、一番ぼんやりしている色として捉えていました」(MAYAさん)
京都や東京で描いていた絵は、黒や赤などコントラストの強い色を使い、線を多用していた。けれど、環境を変えたことによって、自分でも“思ってもみなかった”色彩による表現が生まれた。
緑は青味が強かったり黄色に傾いたりする曖昧さを持っているため、いままでは捉えどころのない色だったという。また緑を使うのが苦手という意識もあったそうだ(撮影/來嶋路子)
絵画と同じように“思ってもみなかった”活動が広がっていった。それはまちに絵を描く取り組みだ。発端は、MAYAさんのアトリエの近くに4年前に閉校となった旧美流渡小中学校の校舎があったことだ。
小学校と中学校が隣り合って立っており同じ時期に閉校した(撮影/佐々木育弥)
閉校してから校舎の1階には、豪雪で窓が割れないようにと雪除けの板が張られていた。あるときMAYAさんは「あそこに絵を描いたらいいんじゃないか」と語った。雪除けの板は全部で40枚以上。大きいものは一辺が5mにもなった。筆者が市や教育委員会との交渉の窓口となり、2021年8月から「窓板ペインティングプロジェクト」が実施されることとなった。道内各地からサポートしてくれる人々が集まり、約3カ月かけて絵が描かれた。
MAYAさんが輪郭を塗り、その中をサポートしてくれる人たちが塗った(撮影/來嶋路子)
メインとなる窓板は、MAYAさんが一人で描いた。雨の日も風の日も、一人、板に向かう姿は地域の人々の心を打った。そばで校舎の草刈りをする人や、まだ下地のペンキが塗られていない板を見つけ、「ここを白く塗っていいですか?」と声を掛けてくれる人が現れた。
「閉校した校舎を今後どう活用するかは行政が検討すること」と考える住民は多かったが、MAYAさんのアクションによって「自分たちも校舎に対して何かできることがあるのではないか」という意識が芽生えていった。
中学校側の一番大きな窓板はMAYAさんが一人で描いた。「We MIRUTO」という言葉には「仲間がいて私はその中にいる」というメッセージが込められた(撮影/來嶋路子)
閉校して子ども達の声は聞こえなくなってしまったが、絵があることで新しいにぎわいが生まれた(撮影/久保ヒデキ)
ここにも絵を描いてほしい。そんな声が広がってこのプロジェクトから、次の展開が生まれた。美流渡とその周辺地区は過疎化が進み、2021年度で路線バスが廃止となり、代替交通としてコミュニティバスが運行されることとなった。このバスのラッピングデザインをMAYAさんにお願いできないだろうかと、窓板を制作する様子をいつも見ていた町会のみなさんから声が挙がった。MAYAさんはこの依頼に「デザインをするのではなくて、車体に直接描きたい」と応えた。実際に車体を前にするからこそ浮かぶイメージがあるという。「ここには雪を降らせてみよう」や「もっと動物を増やしていこう」とまるでキャンバスと対話をするかのように描いていった。
倉庫で車体のペイントを行った。「バンパーにクマがたくさんいたらかわいいよね!」と正座で描き続けた(撮影/來嶋路子)
路線バスの廃止は、まちに暗いニュースとして流れたが、MAYAさんが絵を描いている姿が新聞に掲載されると、一転して明るい話題となった。路線バスよりも運賃が安くなり、住民のニーズに合わせたルートとなったこともあり、平日の1日の乗降数はこれまでの倍。全国から視察が来るようになった。
また、停留所で止まっていると記念撮影する人も。美流渡に来るのにマイカーでなく「あえてバスで来ました」と語る旅行者に筆者も出会ったことがある。
「乗っているみなさんの気持ちが少しでも明るくなったら」と、車体には赤と青のシカが描かれ、その周りにクマやリスが散りばめられた(撮影/久保ヒデキ)
もう一人、窓板に絵を描く様子をずっと見守っていた人がいた。食品加工メーカー・モリタンの平井章裕社長だった。モリタンは北海道の素材を使った業務用のコロッケなどの調理品や水産加工品などを製造する指折りの大手。志文地区と美流渡地区に加工工場を持っていて、そこを行き来する車中でMAYAさんの絵を知った。そして、加工工場にも看板となる絵を描いてほしいと依頼した。岩見沢市を拠点としながらも、これまで市民と接点が希薄だったことから、地域の画家に絵を描いてもらうことで、新たな交流の糸口ができるのではないかと考えたという。
打ち合わせの席でMAYAさんは「看板では目立たない。あの食品倉庫に大きなクマの顔を描きたい」と語った。
志文には高さ10m、奥行き100 mにもなる食品冷凍庫があった。その壁は白く「あそこに絵があったらいいな」と以前から思っていたのだという。
食品冷凍庫の壁にペイント。高所作業車のアームを少しずつ動かしながら描いていく(撮影/來嶋路子)
こうして「ビッグベアプロジェクト」が始まった。2022年8月、平井社長自らが高所作業車のオペレーションを行い、MAYAさんは下描きせずに目見当でクマを描いていった。制作期間は約5日。顔の直径はおよそ9 mあった。できあがって離れて見たとき、屈託のない表情で斜め上を見つめる顔がそこにはあった。「これはきっと右側からやってきた『希望』の光を見つけた喜びの顔なんじゃないか」とMAYAさんは思った。そして、自分自身が制作しているものはすべて、みなさんへの“贈り物”であったことに気付いたという。
クマはHOPEくんと名付けられた。食品冷凍庫の後ろには北海道グリーンランドの観覧車が見える(撮影/久保ヒデキ)
絵を描くことは自己表現ではなく、贈り物人は、心を込めた贈り物を受け取ったとき、気分が明るくなり、喜びの感情がわいてくるはずだ。MAYAさんの絵は、そうした気持ちを沸き立たせるもの。まちに絵を描く試みとともに、閉校した校舎を使って、これまで4回の「みんなとMAYA MAXX展」を開催してきた。移住してから身近になったシカ、リス、クマを描いた作品が発表された。会場のアンケートには「絵を見て癒やされました」や「元気が出ました」という声が多数あった。
旧校舎での展覧会は、2021年の秋と2022年春・夏・秋に各2週間開催された(撮影/佐々木育弥)
「絵のコンセプトはどうでもいいんです。私が考えていることや自己表現といったものはそばに置いておいて、とにかくみんなが可愛いと思ってもらえるようなものを描きたい」(MAYAさん)
いま世界はさまざまな危機に直面している。コロナ禍、ウクライナへの軍事侵攻、気候変動。
心が休まるときがない状況にあって、絵と向かい合ういっときはせめて明るさを取り戻してもらいたいとMAYAさんは願っている。
「みんなとMAYA MAXX展」と同時開催で、地域のつくり手の作品を集めた「みる・とーぶ展」も開催。この会場でMAYAさんは手描きのサロペットを販売した。普段、こうしたファッションを身につけない人も、気持ちが明るくなるからと購入した(撮影/來嶋路子)
4回の「みんなとMAYA MAXX」展を校舎で開催し、訪れたのは5000人以上。札幌から高速道路を利用して1時間強。岩見沢駅から車で25分という決してアクセスのよくない地域に、これだけの人が集まった理由は、どこにあるのだろうか。市や教育委員会、地元企業の協力のほか、運営はみな手弁当。企画にも広報にも戦略といったものはなかった。
来場者が日に日に増えていった理由に対して、「絵には人の気持ちが集まってくるんだよね」と、あるときMAYAさんは語った。
確かに、校舎の窓板やモリタンの絵の制作過程をSNSで公開すると、わざわざ札幌から見学に来る人も現れ、イベントのサポートスタッフになってくれるなど、人の輪が大きく広がっていった。
校舎でギャラリートークも開催。どうやって制作をしているのかや日々の暮らしについてが語られた(撮影/來嶋路子)
では、人の気持ちが集まってくる絵とは何かとMAYAさんに聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。
「モリタンのクマや校舎の窓板など公共の場所に描くときには、色数を絞って、輪郭をはっきりととって、絵の具を3度塗りして仕上げます」(MAYAさん)
曖昧な線でたくさんの色を混ぜたような絵だと、雨風に当たっていくうちに薄汚れて見えてしまうのだという。
いつどんなときでも、輝いて見えるような絵にするために、「時間に追われることもあるけれど、やっつけ仕事をしてはいけない。いつでも、いくらでも時間を使えると思って描きたい」と絵筆を動かしているそうだ。
旧校舎の庇にはクマの顔の立体が設置された。半年間かけて仲間と制作。Amiちゃんと名付けられた(撮影/來嶋路子)
描き方は人の気持ちを集めるフックにはなるが、もっと大切なことがあると日々MAYAさんと接していて思う。
それは「これをやったら得か損か」という考えを捨て、自分がやりたいという純粋な気持ちだけを持って、軽やかなステップで前へと進んでいくことだ。
「こんなことやって何になるの?という人もいますが、私は一切そうは思いません。あそこに、かわいいクマがいたら、どんなにいいだろうって。ないよりあったほうがいいよねって思います」(MAYAさん)
展覧会と並行してMAYAさんは、地域の商店の看板やシャッターにも絵を描いていった。これらも注文があったわけではない。すべてはMAYAさんの“贈り物”だった。
カフェに設置された看板。市街から山あいの地域に入っていくと、MAYAさんの絵をところどころで見つけることができる(撮影/來嶋路子)
移住をして自然と人と近くなってときどきMAYAさんは「美流渡に移住して本当によかった」と語る。自分のつくるものが“贈り物”であるという心境に達したのは、この地に暮らしてからのこと。都会での生活は「すべてのことが上滑りで、表面的だった」と語る。
大きな変化は自然との向き合い方。自分がこの大地とそして森の木々とつながっているのだということに気付き、それらを見ることが作品にも大きな影響を与えることに気付いたという。「これまで都会で生きていて、自分が自然をよく知らないということが空虚さにつながっていました。いま61歳になって、土と自然にようやく間に合ったという気がしました。私は本当に美しいものは自然だと思います。毎日美しいものを見ることができる環境に身を置くことができてよかった」(MAYAさん)
立ち枯れた植物の種子や葉を集めて制作された立体作品(撮影/久保ヒデキ)
また、人と人との距離が近くなったことも大きい。校舎での展覧会のときMAYAさんは、必ず会場の受付にいて人々を迎えている。これまで多数の美術館で個展をしてきたが、ファンの人たちは固有名詞では存在しなかったという。それが、会場で会話を交わす中で、リアルな存在となった。日々の暮らしの中でも同じ。灯油販売店や設備会社の人たちは、顔馴染みのご近所さん。自分はご近所さんに支えられて、こうして暮らしているということが実感を持って感じられたという。
仲間の存在も大きい。MAYAさんが行うプロジェクトには気心の知れた友人が集う。東京にいたころも、もちろん仲間はいたが、アポイントを入れて会うという、日常とは切り離された状態での付き合いだった。
「絵を描くことはたった一人でやるしかない孤独な時間です。その半面のような、仲間がいてみんなで協力してやる作業は、みんなでみんなのために贈り物をつくるような喜びがあります」(MAYAさん)
Amiちゃんの制作に集まった仲間。スタイロフォーム(住宅などの断熱材として使われるポリスチレン樹脂原料を押出し発泡加工したもの)を重ねて立方体をつくり、そこからクマの顔を削り出した(撮影/來嶋路子)
もちろん移住は、良いことばかりではない。とくに厳冬期には容赦なく雪が降り続け、それは時に災害をもたらす。一昨年は屋根雪の重さに耐えきれず、改修したばかりのアトリエの床が凹んだことも。雪道運転で危ない思いをしたことも数えきれない。しかし、それこそが自然と近くなることなのだとMAYAさんは、日々除雪や運転技術をスキルアップさせている。
そして、今年もすでに「あそこにあれがあったらいいよね!」と、新しいプロジェクトの計画が進行中だ。雪が解けたら、またMAYAさんはまちへと出ていく。一つ、また一つと贈り物が増えていくことで、夜道に街灯がどんどん灯っていくように、まちが明るくなっていく。
アトリエの一部は、コンクリートブロックの壁をあえて見せるつくりに(撮影/久保ヒデキ)
●取材協力
MAYA MAXXさん
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おうち時間が増えたコロナ禍で、テレワーク用の部屋や趣味部屋といった“プラスα”の空間へのニーズが高まった。その選択肢の一つとして注目が集まっているのが、タイニーハウス(小さな小屋)。住む空間としてはハードルが上がるものの、庭の空きスペースなどに建てて“離れ”のような感覚で使うのであれば気軽で、暮らしに変化も生まれ楽しそうだ。愛知県名古屋市にあるタイニーハウス専門の展示場「ニッカタイニーズパーク」で、どんな使い方がトレンドなのかを聞いてきた。
名古屋市内にタイニーハウス専門の展示場が誕生したワケSUUMOジャーナルでも注目度が高いタイニーハウス。コロナ禍の2021年、名古屋市内に、全国的にも珍しいタイニーハウス専門の展示場「ニッカタイニーズパーク」がオープンした。ニッカホーム中部の奥園丈博さんに、今誕生させたワケやタイニーハウスへのニーズについて聞いた。
展示場には広さや形、素材が異なるタイニーハウスが並ぶ(写真撮影/本美安浩)
「ニッカタイニーズパーク」には、現在4棟のタイニーハウスが展示されている。「ニッカホーム」は、名古屋市緑区に本社を置くリフォーム会社で、東海地方を中心に全国に支店を展開。リフォーム時の廃材リサイクル事業のほか、東海3県では「すてない!プロジェクト」として、まだ使えるけれど使わなくなった家具や食器、衣類などを無償で回収し、発展途上国への寄付やリユースも行っている、先進的な取り組みをする会社だ。
1番人気のモデルプラン「タイプA ラップサイディングアメリカン」は、外壁が樹脂サイディングで実用性も抜群(写真撮影/本美安浩)
「タイプA」は約6帖(9.9平米)。建築確認申請が必要ない範囲(防火・準防火地域でなく10平米未満)で最大の広さ(写真撮影/本美安浩)
「タイニーズパークに関しては、コロナが広がり始めた2020年早春、弊社の榎戸欽治会長から話がありました。会長が、本社と同じ区内に現在の土地を購入した際に、『コロナ禍はテレワークが増加し、自宅に離れをつくりたいという人が増えるのでは。リフォームで培った経験を活かして、小屋専門の展示場をつくろう』と言って始まった事業です」
1番コンパクトな「タイプB モダンスタイルのテレワークルーム」は約2帖分(3.3平米)の広さ(写真撮影/本美安浩)
カウンターをつけて仕事や趣味に使う人が多いという「タイプB」。倉庫の需要もあるサイズ(写真撮影/本美安浩)
とはいえ、当時はこれほどコロナ禍が長引き、テレワークが浸透するとは誰も予想できなかった。そこで2020年夏、まずは10棟の小屋をバーベキュー施設としてオープン。そして2021年に、新たにニーズに沿った4棟のタイニーハウスと、事務所・平屋のモデルハウスを建てて、展示場として開業した。
新築事業も行うニッカーム。奥園丈博さんは、ニッカタイニーズパークのほかニッカホーム新築事業部の事業部長を務め、新築の部門を担当(写真撮影/本美安浩)
コロナ禍が続く中、“本気”のニーズが増加タイニーハウスのニーズに変化は感じられるのだろうか。
「小屋を扱い始めた当初は、興味本位の人が多かった印象です。でも現在は、テレワークや趣味に打ち込むことを見据えて具体的にプランを練り、ご家族の了承を得ているような、本気のお客さまが多いですね」
展示している小屋は、飲食店や雑貨店に貸し出し、マルシェを開いて、実際の使用感やサイズ感を試してもらうこともある。
雑貨店やワークショップなどが出店した2020年のマルシェ。出店者はテナント料無料で、小屋の使い心地を試すことができる(写真提供/ニッカホーム)
「私たちがつくるタイニーハウスの1番の特徴は、お客さまの敷地に合わせたフルオーダーです。展示場のタイニーハウスは参考程度にお考えいただき、お好みに合わせて、一からデザインします。ですから、規格品の小屋を考えていたものの、『デザインが気に入らない』『調べたら自宅の敷地には搬入できなかった』などの理由で困っていた方が弊社にいらっしゃいます」
一からデザインするフルオーダーで、いくらくらいのものなのか? 最多の価格帯は「テレワークなどができる5~6帖の小屋で、約200万円(工事費・消費税含む、以下同)ですね。これは車1台分ほどの余剰の土地があれば建てることができます。また、倉庫や物置として使う目的の2帖くらいの小屋であれば、130万円からが目安です」とのことだ。
扉が観音開きになる「タイプE 大開口のガレージルーム」は、大型の荷物もラクに搬入できてワイルド(写真撮影/本美安浩)
開口部が広い「タイプE」は約4.2帖(6.9平米)で、車やバイク、自転車が趣味の人に人気。開放感たっぷり(写真撮影/本美安浩)
名古屋市郊外の一戸建てであれば、夫婦と子ども、または来客用として、車3台分の駐車スペースを確保している家は珍しくない。車1台分の土地と約200万円の資金で手に入るなら、憧れのタイニーハウスがグッと身近に感じられるのでは。
自宅サロンやオシャレな物置としての需要も「最近増えているのが、エステやネイル、まつ毛エクステのサロンなどを、自宅で開業したいというお客さまからのニーズです。自宅サロンとはいえ、プライベートと仕事のスペースを分けたいという人や、テナントを借りて賃料を支払うよりも、自宅の敷地内にタイニーハウスを建てようと考える人がいます。弊社では新築戸建も手掛けていますが、新築と同時に小屋を建てて、計画的に開業する人も増えていると感じます」
テレワークや趣味に使うタイニーハウスが200万円ほどであるのに対し、水回りの設備を完備するエステサロンなどでは、400万~500万円かける人が多いとのこと。自宅サロンがプライベートスペースから独立していれば、本人や家族だけでなくお客さん目線で考えても、相手に気を遣わなくていいので、よりリラックスできそうだ。
趣味のミシン部屋として使っている一宮市Sさんの小屋。リフォームや新築時に取り扱っているメーカーのドアを使用(写真提供/ニッカホーム)
大好きなフクロウ柄の壁紙を使ったSさんのミシン部屋。布や糸などの材料を広げたりしまったりするのがラクで、快適だそう(写真提供/ニッカホーム)
一方で倉庫や物置タイプのタイニーハウスも、「大きめの物置が欲しいけれど、景観は崩したくない」という人からの需要があるという。
「果樹園を持っている東郷町のお客さまは、敷地内に果実の出荷準備に使う小屋をつくり、エアコンを完備して休憩所としても使っています。また、ガーデニングがご趣味の名古屋市のお客さま(Sさん)は、手入れされたお庭になじむような小屋を希望され、庭先にログハウス風のタイニーハウスをつくりました」
用途こそ、日本に昔からある「小屋」の典型だが、デザイン性や快適性を高めることで、庭の雰囲気とマッチした現代的な空間をつくることができる。
庭の景観になじませた、名古屋市Sさんのログハウス風の小屋。夜はライトアップにより幻想的になり、毎日がキャンプ場で過ごしている気分に(写真提供/ニッカホーム)
インテリアも統一感を出したSさんの小屋。室内も山小屋の雰囲気たっぷり(写真提供/ニッカホーム)
間口が狭い名古屋の住宅地でフルオーダーが活躍当初はテレワークのための需要を見込んでいたが、製造業に従事する人も多い愛知エリアでは、完全なテレワークに移行した人は少ない印象だそう。
「お客さまのお話では、出社と自宅勤務のハイブリッド型の方が多いようです。自宅勤務OKという日に、自由に使うことができ、すぐに仕事に取り掛かることができるスペースとしての小屋が望まれているのでしょうね」
在宅ワークが増えたので小屋をつくった名古屋市Hさん。メンテナンスのことを考えて、外壁はガルバリウム鋼板に(写真提供/ニッカホーム)
デスクワーク中に外からの視線を気にせず、庭の木々が眺められるように、窓の配置にこだわった(写真提供/ニッカホーム)
他にも、地域性が現れるようなニーズはあるのだろうか。
「名古屋市内は特に、敷地や間口が狭い住宅地が多いので、規格化された小屋はうまく建てられず、フルオーダーに需要があるのでは。愛知県内でも郊外部ではなく名古屋市内に小屋専門の展示場があるのは意外かもしれませんが、実際には市内でも市外でも、小屋が欲しい人はつくるものです。これまでどのような土地でも、建蔽率や容積率の許容範囲で、ご要望にお応えできています。現在のところは、一戸建てで土地にゆとりがあるお客さまが多く、県内では名古屋市のほか、日進市や刈谷市、豊田市や常滑市などの方がいらっしゃいます」
「タイプD 採光豊かな明るい小部屋」はトレンドのスクエア型が目を引く約3.1帖(5.1平米)。外壁材は、正面は天然木の板張りでも、残り三方向はサイディングにすることでメンテナンスをラクに(写真撮影/本美安浩)
約 3.1帖(5.1平米)と小さめの「タイプD」にエアコンなどを整備すれば、個室が必要になった子どもの部屋としてもおすすめだそう。また、大きめの約6帖(9.9平米)にしてショップとして使うケースも(写真撮影/本美安浩)
郊外では二世帯や三世帯で住む家庭も多く、タイニーハウスを介護に利用する人も。
「あるお客さまは、親御さんの介護のために、自宅リビングとデッキで繋げた、離れのタイニーハウスをつくりました。普段は介護施設で暮らす親御さんが一時帰宅した際、離れのタイニーハウスで過ごしてもらうことで、リビングと裸足で行き来してもらいながら、お互いのプライバシーも確保できます。『介護のために二世帯住宅へ建て替える』となると大掛かりですが、小屋を建てるのであれば、比較的手軽にスペースを増やすことができますし、親御さんが使わない時はほかの家族も利用しやすいと好評です」
また、両親や祖父母から相続した土地など、自宅から離れた場所にタイニーハウスを建てて活用する事例も増えているという。
「名古屋市に住む人が、祖父母さまから譲り受けた三重県の土地に小屋を建てるなど、ちょっとした別荘感覚で、時々羽を伸ばせる場所を持つというケースが見受けられます」
それでは、実際にタイニーハウスを建てた人の事例をご紹介しよう。
名古屋市西区・Tさん
50代・女性 2021年6月完成 工期約1か月 費用約130万円+建築確認申請費用(約5帖8.2平米)
庭の敷地内にある縦長のスペースを活かして設計(写真提供/ニッカホーム)
――小屋をつくったきっかけは?
会社でテレワークがOKになったものの、新築の際、自分の書斎をつくっていませんでした。それまでは寝室にあるデスクで仕事をしていたのですが、生活にメリハリがつけにくく、机が小さいこともストレスだったので、思い切って、縦長にスペースが空いていた自宅の庭に、小屋を施工することにしました。
室内は、北欧などの小部屋をイメージして水色の塗装を採用(写真提供/ニッカホーム)
自宅の空き地を利用して、自由な設計の小屋ができそうだったので、お願いしました。また、展示場があり実際の小屋の仕上がりを現地で確認できることで、完成のイメージに近づけやすいと思ったからです。
――何を意識してデザインしましたか
この別棟は自分の空間なので好きにやろうと、アート作家のアトリエや、海外の雑誌にでてくる部屋などの自由な色使いを意識しました。北欧、あるいはスペインの小部屋を意識して、デザイナーさんにその旨を伝えました。採光とアクセントを兼ねた横長の窓をご提案いただき、採用しました。
――工夫したところは?
天井に傾斜をつけて、より広く感じられるようにしました。また、収納スペースがないので、壁に棚を付けて利用しています。
――現在、どのように使用していますか?
今は在宅ワークがほぼなくなったので、オンラインで始めたヨガなどに週に2、3回は使っています。やはり自分だけの空間は落ち着くので、読書をしたり、好きな音楽を聴いたりするのもここで。友人から頼まれる仕事もあるので、それに打ち込むこともあります。
仕事や趣味に打ち込むTさん。造作デスクの前におしゃれな有孔ボードを設置(写真提供/ニッカホーム)
――タイニーハウスができてから、一番生活が変わった点は?
仕事や趣味に集中しやすくなり、あまりカフェに行かなくなりました。好きな小物を配置するなど、おうち時間を楽しめるようになったと思います。すごく近い別荘みたいな感覚です。
窓際などに好みの小物をディスプレイしている(写真提供/ニッカホーム)
――今後はどのように使用したいですか?
自分専用のオフィスとして充実させたいです。立地の条件が合えば小さなショップを開いても面白いなと思います。
入り口ドアのそばにグリーンを飾って可愛らしく(写真提供/ニッカホーム)
事例2:アウトドアライフが日常になる、庭のシンボル(名古屋市名東区・Sさん)名古屋市名東区・Sさん
50代・夫婦 2021年9月完成 工期約1か月(約4.2帖6.9平米)
――小屋をつくったきっかけは?
自宅の広い庭をきれいにしたいという気持ちがあり、そのシンボルになるような小屋を建てたいと思っていました。
外観と、広めのウッドデッキはSさんが自身で塗装。プロ顔負けの仕上がりに(写真提供/ニッカホーム)
二ッカタイニーズパークを見学した時に、展示してあった小屋に山小屋風のものがあり、イメージにピッタリだったので、そちらを参考にしました。希望通り、山小屋風で4.2帖のL字型の小屋ができました。
断熱材を入れなかったものの、ストーブがあれば冬もそれほど寒くないという(写真提供/ニッカホーム)
――デザインのポイントは?
外装は杉板張りで、天然の杉板を一枚一枚、鎧張りにしてもらったこと。内装の仕上げ材も杉板で、とても気に入っています。また、自宅にしまったままになっていたステンドグラスを使ってもらいました。
自宅に保管していたステンドグラスを活用。自由設計のいいところ(写真提供/ニッカホーム)
――大変だったところは?
外観と、大きめのウッドデッキの塗装を自分でやってみました。高いところは気を付けながら作業しました。
――現在、どのように使用していますか?
仕事から帰宅後、夕飯までの間をここで過ごしています。音楽を聴きながら読書をしたり、お茶を飲んだりと、ゆったり過ごしています。
――タイニーハウスができてから、一番生活が変わった点は?
夫婦で庭の手入れをする時間が増えました。
玄関・廊下・居室で構成されたL字型の小屋。玄関にはタイルを配した(写真提供/ニッカホーム)
――今後はどのように使用したいですか?
キャンプ用品を置けるように、少しずつ手を加えていきたいです。
小物選びに、自然を愛するSさんのセンスが光る(写真提供/ニッカホーム)
確かに最近、住宅の敷地内の小屋で開業したヘアサロンや焼菓子店などを見かける。
「今後も、自宅で自分らしいお店を開業したいという人は増えるのでは。自由設計で低コスト、工期も早いタイニーハウスの存在が、そういった方たちをサポートできるのではないかと思います」と奥園さんは話した。
お店を持つ以外でも、ワークスペースや趣味のスペースにと、タイニーハウスの活用方法はアイデア次第で自由自在に。タイニーハウス(小屋)を自宅の1室や離れのように考えると、住まい方への可能性もグッと広がっていきそうだ。
●取材協力
ニッカタイニーズパーク
夫と妻が家事を分担している割合は、お宅ではどの程度だろうか? リンナイが、夫と妻にそれぞれ聞いたところ、「妻が10割」と回答したのは、妻のほうは23%いたが、夫のほうは8%しかいなかった。どうやら家事に対する認識にかなりの開きがあるようだ。
【今週の住活トピック】
「『夫婦の家事分担』に関する意識調査」を公表/リンナイ
こんなことが、あるのではないだろうか?
「夕食は何を食べたい?」と妻に聞かれた夫が、負担をかけまいと「なんでもいいよ」と答えたら、なぜだか妻の機嫌が悪くなった。
食事の後、夫が妻をいたわって「皿洗いをするよ」と言ってくれた。その後、妻がキッチンに行ってみると、たしかに皿は洗っていたが、シンクやコンロまわりは汚れたままで、キッチンの生ごみもそのままだった。妻は黙って後片付けをしたが、なんかモヤモヤした。
筆者がこんな想像をしてしまうような調査結果だったのが、リンナイの「『夫婦の家事分担』に関する意識調査」だ。
最近の男性は家事参加にも積極的だというが、夫婦の家事分担割合を夫と妻それぞれに聞いた結果、最多は「妻9割、夫1割」(女性34%・男性28%)だった。夫が2割、3割という回答も多いが、特徴的なのは「妻10割」の結果だ。自分が10割していると思っている女性が23%いるのに対して、妻が10割していると思っている男性は8%しかいない。男性から見ると、自分も1割や2割はしていると思っているのに、女性側から見たら、家事の範囲とは思えないという認識のズレだろう。
夫婦の家事分担(N=男性1305、女性1045)(出典/リンナイ「『夫婦の家事分担』に関する意識調査」のリリースより転載)
男性が行っている掃除は、ごみ袋の取り替え!?では、男性と女性がそれぞれ、自身は「どんな家事を行っている」と自認しているのだろうか? 掃除(男性53%/女性94%)、買物(男性50%/女性95%)、洗濯(男性41%/女性95%)が、男性が行っている家事のTOP3だ。女性が「パートナーにやってほしいと思う家事」の第1位(54%)が掃除なので、「掃除」は男性がしている、女性が男性にしてほしい、という点で一致しているように見える。
そこで、担当している具体的な家事について質問した結果を見よう。「掃除」については、次のような結果だった。なんと男性が行っている掃除の第1位は、「ごみ袋の取り替え」(37%)だった。
担当している具体的な家事:掃除(N=男性1305、女性1045)(出典/リンナイ「『夫婦の家事分担』に関する意識調査」のリリースより転載)
同様に、「食事」について見ると、男性が行っている第1位は「食器洗い・乾燥」(34%)だ。一方、女性は、「献立を考える」(94%)ことに始まり、調理後の「残った食材の保管・管理」(83%)や「食器・調理器具の収納」(83%)まで、一連の家事を8割以上で行っていた。
担当している具体的な家事:食事(N=男性1305、女性1045)(出典/リンナイ「『夫婦の家事分担』に関する意識調査」のリリースより転載)
「献立を考えるのが面倒」という人は多い。「負担に感じる家事」を具体的に聞いた結果を見ても、最多の57%の女性が、献立を考えることを選んだ。何を食べたいか聞かれたときに、「なんでもいい」という回答が、いかに気が利かないものかわかるだろう。今どんな食材があるのかを聞いて、それで作れる献立を答えたら、家庭の平和が保てるのではないかと思う次第だ。
また、女性が「パートナーにも気にかけてほしい家事」として最多だったのは、食事では「コンロなど調理機器の掃除・手入れ」(39%)、掃除では「換気扇の油汚れ掃除」(39%)だった。
女性は家事を行う際に、いろいろなことを考えている家事に対する夫と妻の認識の開きは、まだある。それぞれの家事で「重視するポイント」を聞いた結果を見よう。
食事を例に挙げると、女性は、「食材・食事の費用を抑えたい」(74%)、「手軽に作りたい」(66%)、「後片付けを楽にしたい」(64%)など、費用や調理・後片付けの手間などいろいろ考えている。男性は「特にない」(35%)という人も多く、「手軽に作りたい」では22%しか重視していない。
コンロの魚焼きグリルに入れて焼くだけと思って、「魚でも焼いて…」と言ったりすると、魚焼きグリルの掃除はけっこう手間がかかるので、墓穴を掘るかもしれない。
家事に関して重視するポイント:食事(N=男性1305、女性1045)(出典/リンナイ「『夫婦の家事分担』に関する意識調査」のリリースより転載)
話し合って、上手に家事分担をしようリンナイのリリースには、「知的家事プロデューサー 本間朝子先生監修 家事シェア満足度チェックテスト」も紹介されている。その中からいくつか抜粋してみた。あなたの家庭ではどうだろうか?
■「家事シェア満足度チェックテスト」より抜粋
1.家事は家族で支え合ってするものだと思う
2.夫婦で家事のバランスややり方について話し合っている
3.散らかしたものはそれぞれ本人が片づけている
4.家事が思ったようにできなかった時も責められたり否定されることはない
5.家事が思うようにできない時は臨機応変にサポートし合っている
共働きだからといって、家事分担は5:5が理想的とは限らない。やり方にこだわりがある家事については、中途半端に分担しないほうがよい場合もあるし、互いにやり方を譲り合って共有し、互いの空き時間に行うのが効率的な場合もある。
また、女性が負担を感じる家事でパートナーに気にかけてほしい家事、たとえば「コンロなど調理機器の掃除・手入れ」、「水まわりの汚れ掃除」、「換気扇の油汚れ掃除」などを、男性が積極的に担当するといった分担もあるだろう。
女性である筆者は女性目線で記事をまとめてしまうのだが、女性の負担がいまだ大きいとはいえ、以前よりは男性の家事参加が増えていると感じている。SUUMOジャーナルの筆者の担当編集者は男性だが、家事分担サポートアプリを使って、妻との家事分担を話し合ったばかりだという。
家事を可視化して、無理のない分担方法を考えていくことで効率的に行うことができれば、空いた時間を子育てなど他のことに使うことができるだろう。そんな家庭が増えていくことを期待している。
●関連サイト
リンナイ「夫婦の家事分担」に関する意識調査
北海道池田町で暮らす長谷耕平さんは、タイニーハウスビルダーであり、ハンター、そしてエゾシカの食肉販売や革製品の販売などさまざまな顔を持つ。拠点としているのは60坪のD型倉庫(※)。中にはギャラリーや作業場があり、一家が暮らすタイニーハウスもある。
なぜ、池田町に移住し、タイニーハウスという小さな空間で暮らし、ハンターとしても活動するのか? つねに自然の循環の中に自身の暮らしがあるという長谷さんの眼差しは、私たちの生き方や子育てを見つめなおすきっかけになるかもしれない。
※Dの文字を横にしたような地上部分からドーム型になっている建物。地上部に垂直の壁があって、その上部がドーム型になっているDH型、RH型などの形状もあり開口部が広いことから倉庫などさまざまな用途として使われている
毎日がキャンプ!? 移動できる住まいをつくって十勝ワインの産地として知られる池田町は、十勝平野の中にある人口約6300人の小さな街。この街の畑作地帯にある、かまぼこの形状をしたD型倉庫に長谷さん一家は暮らしている。
倉庫は池田高等学校に隣接。高校のゲストとして呼ばれ夫婦で授業をすることも(撮影/岩崎量示)
敷地は240坪。倉庫は自らリフォーム。正面は板材を張って仕上げた(撮影/岩崎量示)
倉庫の奥行きは20m以上と広く、入って右手には靴やカバンなどの革製品が並べられたギャラリー、左手にはシカ肉の保管庫、奥には事務所、作業場、そしてタイニーハウスと子ども部屋。さらに倉庫の裏手にはコンテナを利用した客室もあった。
2018年に知人の紹介でD型倉庫を購入。大工としても活動をする長谷さんがコツコツと改修を進め、翌年にギャラリーをオープンさせた。この建物は、もとは高校の野球部の屋内練習場として建てられ、その後、羊の飼育が行われていたという。
倉庫の区画は壁で仕切っていないため、ギャラリーやタイニーハウスビルダーとしての作業場などが一望できる(撮影/岩崎量示)
居住空間となっているタイニーハウス。土台には車輪がついており牽引車で移動可能(撮影/岩崎量示)
倉庫の中でひときわ存在感があるのは建物の中にある建物、タイニーハウスを利用したワンルームほどの広さの居住空間だ。
「タイニーハウスは仮住まいのためにつくったんです。土地を探していずれ本邸を建てようという計画があって。移動可能だから本邸を建設しながら、その脇で暮らすこともできると考えました」(長谷さん)
入り口近くにあるキッチンには、コンパクトに機能を集中させている。寝室はロフト。収納が少ないため登っていくハシゴのステップを引き出しにするなど随所に細かな工夫がある。
キッチンの奥がロフト。1階部分が18平米、ロフトは5平米。ご近所の農家さんたち20世帯ほどが共同で山の湧水を引っ張ってきている小規模な水道組合があり、年額5,000円で水を使い放題なのだとか。その水をトレーラー設置部下まで配管して、一度小型のろ過機を通してから生活用水として利用(撮影/岩崎量示)
そしてもっとも目を惹くのは中央に位置している、エゾシカの革を8頭分使ったというソファ。子どもたちの遊び場にもなっているようで、使い込んで良い味が出てきていると長谷さんは微笑む。
ロフトの下がリビング。スペースがコンパクトにまとめられている(撮影/岩崎量示)
ワンルームほどの空間ではあるが、トイレもユニットバスも完備。排水は、倉庫の目の前の道路に町の下水道が通っているため、トレーラー設置部下まで配管し、接続している(撮影/岩崎量示)
一家は、妻の真澄さんと、長男の李咲(りく)君、次男の掌(しょう)君の4人家族。本邸を建てる候補の土地はまだ見つかっていないそうで、この4月で丸4年、タイニーハウスに思いがけず長く住むことになった。倉庫内には、タイニーハウスとは別に入り切らない荷物を収納するスペースがあり、子どもの成長に合わせて部屋を増設したりも。
「居住空間が狭いと家事がやりにくかったりしますが、子どもたちは楽しそうにしています。友人が来ると『毎日がキャンプみたいだね』って、ワクワクしてもらえるのはうれしいですね(笑)」(真澄さん)
倉庫内に増設した子ども部屋。広さは10平米、その上にあるロフトは16平米(撮影/岩崎量示)
子ども部屋の寝室はロフトに設けた。これまで仕事で建ててきた現場の廃材を利用(撮影/岩崎量示)
(撮影/岩崎量示)
住まいとしてつくったタイニーハウスは、キッチンだけでなくバスもトイレもあり、人件費を除いた材料費や設備費を合わせると530万円ほど。池田町は厳冬期にはマイナス20度を下回ることもあるが、床暖房の設備があって快適だという。
「小さな家は材料が少量でいいので、質の高い木材を使うことができますね。また暖房費の節約にもなります」(長谷さん)
大学を出てから沖縄、群馬で暮らし、地域おこし協力隊として北海道へ長谷さんは東京出身で、出身大学は上智大学の法学部。大学卒業後に沖縄のやんばる地域にある自給自足の暮らしを行う牧場で2年間を過ごした。卒業したらすぐに就職、そんな流れとは違う可能性があるのではないかと思ったからという。馬やヤギとともに暮らし、家を建てるのも自分たちの手で行っていた。沖縄で暮らす中で、やがては建築の仕事を深めてみたいと思うようになった。
兵庫出身の真澄さんとは、この牧場で開かれたイベントで知り合い、それがきっかけとなって、その後に結婚したという。
左は妻の真澄さん、右は長谷さん(撮影/岩崎量示)
長谷さんが大工の修行をしたいと選んだ場所は群馬。地元の材を活かすログハウスメーカーで5年間働き、長男を授かったタイミングで独立することにした。
「大学時代にバックパッカーとしてアフリカやアジアなどさまざまな場所に行きました。中でも星野道夫(写真家、1952-1996)さんの本に影響を受けて、アラスカを2カ月かけて縦断したこともありました。そんな経験から北での暮らしをしてみたいと思うようになって」(長谷さん)
長谷さんは新天地を探すため移住関連のイベントに足を運ぶようになった。イベントで池田町の人々とつながり、エゾシカの解体処理施設の新設にあたり、そこで働く地域おこし協力隊を募集していることを知った。
「自給自足に関心があり、その中で狩猟はいずれ経験したいと思っていました」(長谷さん)
2016年に池田町に移住。エゾシカの解体処理施設の運営とともに、ハンターとしても活動を開始した。
ギャラリースペースに展示されていたシカの角(撮影/岩崎量示)
自然の恵みである木を活かすログハウスビルダーとしての活動移住後、エゾシカに関わる活動とともに、大工としても長谷さんは事業を展開。ギャラリーの奥にあるタイニーハウスは、自宅ではあるがモデルハウスの機能も兼ねており、「木耕」という名で、ログハウスや小屋、家具の制作を受注している。
倉庫の裏手にあるコンテナを利用した客室。広さは8平米。本州の大工仲間に仕事を手伝ってもらうこともあるそうで、滞在場所としても利用(撮影/岩崎量示)
最近、受注が多いのはJR貨物のコンテナを利用したサウナ。上士幌町の十勝しんむら牧場のミルクサウナなど、これまで3台を制作してきた。3.6×2.5mという小さな空間は、施主によって求める要素はさまざま。コストを抑えれば200万円ほどでもできるし、要望を盛り込んでいけば400万円ほどかかることもあるそうだ。
長谷さんが大工としてこだわっているのは、木という命を無駄にせず暮らしに活かすこと。道内の木材の多くが、バイオマスの燃料やパルプ材となってしまう現状の中で、新たな価値を与えようとしている。
昨夏、取り組んだコンテナサウナは「北欧のスモークサウナ」をイメージしてほしいと依頼を受けたという。
そこで、地元のカラマツを板にし、荒々しい木肌のまま内装材として使用。「カラマツは元々とてもクセが強く、建築材としてはかなり嫌がられる存在ですが、そのクセを鉄のフレームで力ずくで抑え込んだ力作」だという。
鉄のフレームは自身で溶接し、カラマツはすすで黒ずんだ雰囲気を醸し出すような塗装を施した。
JRコンテナを利用。真っ黒に塗装して仕上げた(写真提供/長谷さん)
コンテナの内部。「北欧のスモークサウナ」がテーマ(写真提供/長谷さん)
エゾシカの命をいただくことに感謝し、それを糧にする移住してから始めたエゾシカの解体処理施設の運営および、ハンターとしての活動は、自然の循環と生と死というものを深く見つめる契機となった。
「うまく利活用されず、廃棄されてしまう頭数の多さに衝撃を受けました」(長谷さん)
エゾシカの生息数は、この30年で急増。現在は減少傾向となっているが、農産物の食害は後を絶たない。そのため町内だけでも、年間600頭が捕獲されているという。
シカ肉の保管庫(撮影/岩崎量示)
倉庫内のギャラリースペース。地域おこし協力隊の任期が終わってすぐにオープンさせた(撮影/岩崎量示)
「捕ったからには無駄にしたくない」と、シカの「皮」を「革」として甦らせるための活動をスタートさせた。「皮」とは動物の皮膚である状態。それらを鞣(なめ)すことで素材としての「革」となる。
長谷さんは、この鞣を姫路の工房に依頼するとともに、自らも挑戦している。
シカ皮を塩漬けにして保管。倉庫の外にある革鞣(なめ)しの作業場(撮影/岩崎量示)
「鞣(なめし)の方法は1000年以上変わらない原始的なものなんです」(長谷さん)
倉庫の裏手には革鞣しの作業場がある。タンニンが含まれる樹皮や果皮を入れた樽に、下処理を施した皮を半年以上漬け込む。皮に含まれるコラーゲン成分とタンニンとが結合することによって、腐敗のない安定した素材になるのだという。
個人で鞣(なめし)をし、それを「革」という製品にするには、果てしない困難があるというが、その一つ一つをクリアできるように長谷さんは実験を重ねている。
長谷さんがつくった樹皮や果皮を入れた樽(写真提供/長谷さん)
昨年トライしたのは、近隣から譲り受けたブドウの搾りカスと町内で伐採されたミズナラ、カシワの樹皮を、町のワイン事業で使い古された樽で、皮と一緒に漬け込むというもの。
「山で命をいただき、その同じ山にあるもので丹念に鞣(なめ)し上げたこの革は、僕にとって伝えきれないほどの物語性に満ちている」と長谷さんは感じた。
鞣(なめ)しの作業(撮影/岩崎量示)
薪の上に鞣した革が置かれていた。スキンだけでなくファーの状態のものも(撮影/岩崎量示)
多くの工程を経て革となった素材は、信頼を寄せる革職人へとわたり、靴やカバン、家具へと変身を遂げていく。
製品には、シカの年齢、性別、捕獲日時とともに捕獲した場所のマッピング情報が添えられている。
長谷さんの作品を購入すると、シカの個体情報を記したカードが添えられている(撮影/岩崎量示)
単なる物ではなく、一つの命が生きた証を人々の記憶に残し、それが未来へとつながっていったら。こうした思いを伝えることは、日々、命の現場に身を置くものとしての使命だと長谷さんは考えている。
ギャラリーに展示された靴。オーダーメイドも受け付けている。ふるさと納税の返礼品としても取り扱いがある(撮影/岩崎量示)
「先日、息子のランドセルをつくりました。シカ撃ちから一緒に行って、仕留めたシカに手を合わせ『ありがとう、いただきます』と息子が言いました。目の前にあるものの背景にはたくさんの命や大いなるつながりがあることに、少しずつ想像が働いてほしいなと思っています」(長谷さん)
長男のランドセル(撮影/岩崎量示)
長谷さんは現在、3つの事業を、それぞれ屋号をつけて運営している。大工部門が「木耕」、革製品販売部門が「EZO LEATHER WORKS」、シカ肉の販売部門が「鹿肉屋」。
生計の内訳は、エゾシカ関連の事業とタイニーハウスビルダーとしての事業で半々ほどだという。ちなみに狩猟については、有害鳥獣駆除期(4月1日~10月23日)に限り、1頭捕獲につき1万9000円が支払われるという(自治体により期間・金額ともに変わる)。
そのどれにも濃くて深いストーリーがあって、一人の人間がやっているのかと思うと驚きを隠せない。
特に大工とシカ関連事業は、それぞれ独立した活動のように見えるが、「すべてはつながっている」と長谷さんは感じている。
狩猟を通じて、自然の循環の中に自分の生活があるという実感が高まり、また大工仕事も、木材を使うという自然の恩恵の中で成立している。それは自給自足に興味を抱き沖縄へと向かったころから変わらぬ軸といえるのかもしれない。
職業や業種の枠を超えた活動は、これからさらに有機的につながっていくのだろう。
自然とともにある新しい暮らしを切り開く挑戦は続いていく。
●取材協力
EZO LEATHER WORKS
木耕
鹿肉屋
やどかりサポート鹿児島は、住まい探しのなかで保証人の確保ができないために入居が困難となった人たちに保証を提供しているNPO法人です。さらに2019年からは保証制度の利用者で互いに支え合う仕組みを提案し、居住支援を続けています。これらの支援はどのようにして成り立っているのか、また始めた背景などを、やどかりサポートの理事長である芝田淳さん、社会福祉士の中芝あすかさん、そして実際にこの新しい連帯保証制度を利用する人に話を聞きました。
やどかりサポート鹿児島が取り組む「地域ふくし連帯保証」とは入居の際に必要な「連帯保証人の確保」は、賃貸借契約に必ず必要なことです。昨今は多くの物件が、「家賃保証会社」を使用することが入居の条件となっていて、入居者は保証会社に一定の料金を支払う代わりに滞納等があった場合は、保証会社が立て替えるという仕組みになっています。
個人で連帯保証人を立てる必要は少なくないのですが、高齢者・外国人・低所得者・障がい者・ひとり親世帯などにおいては、保証会社の審査に通りにくかったり、自身で連帯保証人を立てようにも、頼める親族や知人がいなかったりで、さらに困難な問題に直面することが少なくありません。
「居住支援とは、全ての人がその人らしい生活を営むための拠点となる住居を確保できるよう支援を提供するものです。私たちは、保証人となってくれる親類や知人がいない、審査で保証会社に断られてしまう人たちも入居できるよう、連帯保証を提供しています」(芝田さん)
特徴的なのは、ただ保証を提供するだけでなく、それぞれの利用者に支援者を配置して、生活全般について見守り、何か困ったことがあれば相談に乗る支援を一緒に行っていること。
「連帯保証とともに必要なのは、困っている人たちを社会から孤立させない支援です。そこで、私たちは、保証と同時に地域で福祉に関わっている人たちが『支援者』として制度利用者の日々の生活を継続的に見守る『地域ふくし連帯保証(地域ふくし連携型連帯保証提供事業)』のスキームを考えました」(芝田さん)
やどかりサポート鹿児島は、鹿児島県全域で、支援者の配置と2年間で2万円の利用料を支払うことを条件に、収入や過去を問うことなく連帯保証しています。スタッフ数21名(連帯保証部門11名、相談支援部門10名)の NPO法人ですが、行政や協力機関と連携し、2022年現在、年代も事情もさまざまな約400名の利用者がいるそうです。
ただ保証するだけでなく、支援者が見守り、支援することで利用者が「つながり」のなかで安定した地域生活を送れるようにすることを目指す。滞納などの金銭や法的問題が起こった場合の保証はやどかりサポート鹿児島が担うのが特徴(画像提供/やどかりサポート鹿児島)
利用者が互いに助け合う、当事者主体の居住支援連帯保証するということは、何かあったら債務を負うことでもあります。利用者が孤独死してしまったり、仕事が続かずに家賃を滞納してしまったりするケースもありますが、「支援者による利用者の暮らしの見守りで、事前に防ぐことができる」と芝田さんは言います。
「保証すると同時に支援者による見守りや支援を基本としていますが、どうしても支援者が見つからない場合があります。そこで、利用者が同じような境遇の者同士、支え合っていく『やどかりライフ』というスキームを考えました。これに応える形で、利用者の方々が互助会を作ってくれました」
利用者が企画した交流会をやどかりサポート鹿児島のスタッフがサポートする。利用者が互いを支え合う「やどかりライフ」(画像提供/やどかりサポート鹿児島)
役所への手続きをサポートしたり、病院の入退院に付き添ったり、足の悪い人の買い物を手伝ったりと、日々の暮らしを、同じ利用者内でできる人が助けます。また、身寄りのない人も多いので、亡くなったときにはほかの利用者が見送りもするそうです。
やどかりサポート鹿児島と互助会のメンバーで行った、亡くなった利用者の初盆の様子(画像提供/やどかりサポート鹿児島)
トラブルは当然起こる。それでも同じ目線で見守ることが大事当事者同士で見守る仕組みはとても画期的なものに思えますが、人と人との付き合いのなかでトラブルが起こることなどはないでしょうか。
「トラブルはたくさん起こります。しかし、トラブルを恐れてつながることができないのなら、トラブル覚悟でつながったほうがいいというのが、私の考えです」(芝田さん)
難しいのは、どこまで関わればよいのか。なかにはプライベートなことにあまり関わってほしくない人もいます。考えの違いから利用者同士で揉めることもあるのだそう。5人程度のグループならコミュニケーションが取れても、10人以上の規模になるとうまくまとまらないことも。「ルールで縛るのではなく、自主性を重んじるほうがうまくいく」というのは、互助会メンバーの感想です。
1日に1回、ラインで発言することで、見守られるだけでなく、見守る役目をそれぞれが担う。一方で人数が多くなると、発言しない人やプライベートに関わられることを嫌がる人もいて、うまくいかないという気付きも得られたそう(画像提供/やどかりサポート鹿児島)
利用者同士が中心になって支え合うものの、やどかりサポートは困ったことがあればいつでも相談に乗り、バックアップしていく体制を取っています。
支援の考え方について、事務局スタッフの一員でもある社会福祉士の中芝さんは、こう話してくれました。
「社会福祉士としては、トラブルを起こさないために、あらかじめ対策を取るべきなのかもしれません。しかし、やどかりサポート鹿児島は、互助会の人たちと一緒に歩んでいく関係です。トラブルに対して、介入したり指導するのは違うと思うのです。相談されたことに対しては真摯に答えますが、相談を受けない限りはそばで見守るという距離感が大事で、そうすれば自ずと本人同士でトラブルを解決することが多いと感じます」
この言葉に、利用者と同じ目線で関わっていく、やどかりサポートの支援の本質が表れています。
やどかりライフの取り組みは、当事者同士の連帯感が生まれただけでなく、やどかりサポートの運営者と利用者の関係にも変化をもたらしました。利用者に別の利用者へのサポートをお願いすることで、支援する側と受ける側という関係から、共に支え合う対等な立場で向き合えるようになったといいます。
「あくまで私の意見ですが、役割をもち、活躍の場ができることで、前向きに生きる意欲を取り戻し、互助会も盛り上がっていくのだと思います。ですから、何かをしてあげるのではなく、時には、こちらから利用者に対して手伝ってほしいと頼むことも大事なんです」(芝田さん)
引きこもりがちな人や、人の温もりに触れたことがあまりなく尖っていた人も、根気強く接してくれた仲間とのふれあいを通じて心を開き、今では互助会に積極的に参加するまでになったそうです。
「自分は、役割ができたことがすごく嬉しかったです。仕事をしていない人も多いので、家に一人でいることが多くなるのですが、頼み事をされたり、頼られたりするとやる気が湧きました」(利用者)
役割をもつことで責任感が芽生え、利用者同士の連帯感も生まれる(画像提供/やどかりサポート鹿児島)
連帯保証事業から賃貸管理へ。広がりを見せることで支援に幅ができるやどかりサポート鹿児島は21名のスタッフで、さまざまなトラブルや問題にも対処しています。
「連帯保証事業では、過去に何かトラブルが起きた際に物件のオーナーとの連携が密でないと、私たちスタッフは何も動けないという事例が多くありました。解決方法の一つとして、よりオーナーから任される範囲の大きいサブリース型に興味をもったのですが、やどかりサポートはあくまでNPO法人。直接、サブリース業を営むことは難しいと判断しました」(中芝さん)
そこで、芝田さん個人が地元の不動産会社と組んで、賃貸管理業を行う合同会社を設立しました。
マンションの一般の入居者と建物の管理はプロの不動産会社が行い、空き部屋が出た場合のやどかりサポート利用者への貸し出しと、利用者が入居している部屋の管理は合同会社が行います。芝田さんの合同会社は利用者の継続的な見守りや相互の関わりなどをバックアップします。そしてその管理料がやどかりサポートの収入源となります。賃貸管理業ですが、やどかりサポート利用者にとっては「大家さん」みたいな役割です。
「さらに大家さんになることで、入居者との関係を密にすることができ、また、何かあった際には、シェルターとして部屋を提供するなど、支援の幅も広がりました。現在、管理会社として関わっているサブリースが約40件、管理物件は約120件。うち、やどかりサポートの利用者は60名ほどになりました」(芝田さん)
「やどかりライフ」に参加する仲間たちが、一人では手続きが難しい人のために、銀行に同行するなどのサポートも行っている(画像提供/やどかりサポート鹿児島)
金銭的にも、マンパワー的にも、小さなNPO法人が居住支援を継続していくには多くの協力が必要です。支援したくとも、身近に支援者がいない、鹿児島市以外の地域の方は、断腸の思いで断らざるを得ないこともあるのだとか。
それでも、「より多くの入居の連帯保証に困っている人たちを支援するために「やどかりライフ」のような互助の取り組みを鹿児島市以外の地域でも志のある組織が行えるような流れをつくっていきたい」と話す芝田さん。このような取り組みを全国的に広めていくには、行政や公的機関、企業などとの連携も必須だと言います。
「支援をしてあげるのではない、共に考え、行動していくのだ」という芝田さんの言葉は、私たちに多くの気付きを与えてくれるのではないでしょうか。
●取材協力
やどかりサポート鹿児島
渋谷や中目黒、武蔵小杉など多数の人気エリアが沿線にある東急東横線は、「SUUMO住みたい街ランキング2022 首都圏版」の「住みたい沿線ランキング」でも3位にランクインしている人気路線。東京都渋谷区から神奈川県横浜市まで21駅を結んでおり、駅ごとに特徴もさまざまだ。そんな東急東横線の沿線で、リーズナブルに賃貸物件に住むならどこがいいのか? 駅から徒歩15分圏内にある、シングル向け物件(専有面積10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK)の家賃相場が安い駅を調査した。全21駅のランキングをご紹介しよう。
東急東横線の家賃相場が安い駅ランキング順位/駅名/家賃相場/駅の所在地
1位 白楽 5.85万円 神奈川県横浜市神奈川区
2位 妙蓮寺 5.95万円 神奈川県横浜市港北区
3位 東白楽 6.00万円 神奈川県横浜市神奈川区
4位 日吉 6.60万円 神奈川県横浜市港北区
5位 大倉山 6.93万円 神奈川県横浜市港北区
6位 反町 7.00万円 神奈川県横浜市神奈川区
7位 菊名 7.10万円 神奈川県横浜市港北区
8位 元住吉 7.20万円 神奈川県川崎市中原区
9位 綱島 7.50万円 神奈川県横浜市港北区
10位 多摩川 7.90万円 東京都大田区
11位 新丸子 8.00万円 神奈川県川崎市中原区
12位 武蔵小杉 8.20万円 神奈川県川崎市中原区
13位 横浜 8.39万円 神奈川県横浜市西区
14位 田園調布 8.50万円 東京都大田区
15位 自由が丘 8.80万円 東京都目黒区
16位 祐天寺 9.00万円 東京都目黒区
17位 学芸大学 9.20万円 東京都目黒区
18位 都立大学 9.40万円 東京都目黒区
19位 中目黒 11.10万円 東京都目黒区
20位 渋谷 12.50万円 東京都渋谷区
21位 代官山 12.60万円 東京都渋谷区
全21駅ある東急東横線のうち最も家賃相場が安かった駅は、白楽駅で家賃相場5万8500円。2位は妙蓮寺駅で家賃相場5万9500円、3位は東白楽駅で家賃相場6万円という結果に。ちなみにこの3駅は横浜方面に向かって2位・妙蓮寺駅~1位・白楽駅~3位・東白楽駅と連続しており、東白楽駅から2駅先に横浜駅がある。
1位・白楽駅は2021年春に駅舎が増築され、24時間営業のフィットネスジムと「タリーズコーヒーKU白楽駅店」がオープンしている。このタリーズコーヒーは白楽駅から徒歩約15分の場所に横浜キャンパスがある神奈川大学とのコラボカフェで、大学や地域の情報発信基地としての役割も担っているんだとか。学生が多い街だけあって、駅周辺にはリーズナブルな飲食店も豊富。駅西口側の「六角橋商店街」にはスーパーやドラッグストアはもちろん、食料品や生活用品の個人商店も立ち並びにぎやかな雰囲気だ。
六角橋商店街(写真/PIXTA)
「六角橋商店街」を抜けると県道12号・横浜上麻生道路の六角橋交差点にぶつかる。交差点から神奈川大学の横浜キャンパス方面にかけては「六角橋協栄会」、交差点を左折した横浜上麻生道路沿いには「にしかな商店街」と商店街がさらに続く。そのまま横浜上麻生道路を7分ほど歩くと3位・東白楽駅にたどり着く。
3位・東白楽駅の駅前に商店街はなく、個人商店やコンビニ、ミニスーパーが点在する程度。白楽駅と比べると静かな雰囲気といえる。駅の東側は県立高校、西側は仏教寺院の敷地が広がり、それ以外は住宅地となっている。しかし買い物に不便な環境ということもなく、東白楽駅から南へ8分ほど歩くとショッピングモール「イオンスタイル東神奈川」へ。さらにそこから徒歩約3分でJR東神奈川駅の西口に到着。東神奈川駅は東口側にもショッピングモールがあるなど大いににぎわっており、駅前広場をはさんで京急本線の京急東神奈川駅も。東白楽駅周辺に住むと、東急東横線とJR、そして京急本線の3路線が利用できるというわけだ。
2位・妙蓮寺駅の様子も見てみよう。妙蓮寺駅は1位・白楽駅から北に歩いて15分ほど。駅東側には駅名の由来であるお寺「妙蓮寺」の境内が広がっている。駅西側にはスーパーやドラッグストアなどが立ち並ぶ商店街があり、その先には春のお花見名所としても愛される「菊名池公園」が広がる。商店街にはラーメン店やファストフード店、こぢんまりとしたカフェも。手軽に食事を済ませたい場合や息抜きしたいときにも商店街が役立ちそう。
菊名池公園(写真/PIXTA)
トップ3の駅周辺にはいずれも大型の商業施設はないけれど、東急東横線に乗ると2位・妙蓮寺駅から1位・白楽駅と3位・東白楽駅を経由して一大繁華街の横浜駅まで約7分。みなとみらい線直通の東急東横線でそのまま横浜駅の先にある人気エリア、みなとみらい駅や元町・中華街駅に行くこともできる。ちなみに横浜駅は13位にランクインしており、家賃相場は8万3900円。トップ3との価格差が2万3000円以上あると考えると、家賃相場が低い白楽駅などに住んで、用事があるときはサクッと横浜駅に出る……という暮らし方もアリだろう。
都内の駅は軒並み家賃相場が高めだが、割安に思える駅もトップ3のほかにも注目の駅をいくつかピックアップしたい。まずは家賃相場6万6000円で4位にランクインした日吉駅。通勤特急に乗れば、横浜駅まで2駅・約11分、横浜と反対方面の渋谷駅までは4駅・約20分で行ける。日吉駅には東急目黒線と横浜市営地下鉄グリーンラインも乗り入れているほか、2023年3月にはさらにアクセス性が向上。日吉駅と相鉄本線・西谷駅を結ぶ連絡線となる東急新横浜線が開業を迎えるのだ。日吉駅~西谷駅間には新横浜駅もあるため、同駅に停車する東海道新幹線への乗り換えもグッと楽になる。
日吉駅(写真/PIXTA)
そんな新線開業に沸く4位・日吉駅は慶應義塾大学のお膝元。東口駅前にイチョウ並木が印象的な日吉キャンパスが広がり、多くの学生に利用されている。駅には「日吉東急アベニュー」が併設され、地下1階から地上3階にかけて食料品やファッション・雑貨、家電まで多彩な店舗がそろっている。西口駅前には学生にも愛用されるリーズナブルな飲食店が多数あり、自炊をあまりしない人も飽きずに毎日いろんなものが味わえるだろう。
さて、東急東横線沿線にせっかく住むなら「交通面でも買い物面でも便利な横浜駅がいい」と考える人もいるかもしれない。しかし家賃相場は専有面積10平米以上~40平米未満で8万3900円と思うと悩ましい。そんなとき狙い目は、6位・反町(たんまち)駅。横浜駅の隣駅であり歩いても15分弱という立地ながら家賃相場は7万円で、横浜駅よりも1万3900円低いのだ。反町駅周辺は住宅街で、暮らす街としてはにぎやかな横浜駅よりもこちらが落ち着くと思う人もいるだろう。精肉店や青果店などの個人商店やドラッグストア、安さがウリのスーパー、ファストフードなどのリーズナブルな飲食店もあるため、日常生活に困らない。のんびり散歩できる「東横フラワー緑道」や「反町公園」といった憩いの場も駅近くにあり、落ち着いた暮らしと横浜駅の便利さをイイトコどりできる環境だ。
ここまで見てきた駅はいずれも神奈川県横浜市内なので、東京都内に位置する駅もチェックしよう。都内の駅は10位・多摩川駅をのぞいて家賃相場が8万5000円以上。渋谷駅に近づくとやはり家賃相場もはね上がるようだ。そうしたなかでも注目は16位・祐天寺駅。渋谷方面の隣駅である中目黒駅は家賃相場11万1000円(19位)、横浜方面の隣駅である学芸大学駅は家賃相場9万2000円(17位)なのに対し、両駅の間にある祐天寺駅は家賃相場が9万円にとどまっている。
祐天寺駅前(写真/PIXTA)
16位・祐天寺駅は各駅停車しか停まらないためか知名度は低めかもしれないが、渋谷駅までは3駅・約7分の近さ。東急東横線の高架化にともなって2018年に誕生した駅ビル「エトモ祐天寺」が併設され、スーパーやドラッグストア、飲食店などが利用可能だ。駅周辺にはチェーン系から個性派までさまざまな飲食店や、人気の洋菓子店、しゃれた古着店など多彩な店舗が並んでいる。一方で活気あふれる通りを少し外れると静かな住宅地に。のんびりした暮らしと生活に便利な街並み、渋谷までの近さを兼ね備えつつ家賃相場9万円というのは、環境のよさの割には狙い目とも言えるかもしれない。2021年には駅周辺の整備計画が策定され、今後数年間をかけてより住みやすい街へと進化していく点も楽しみだ。
●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東横線沿線の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/8~2022/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
リクルートが首都圏在住の20歳以上の男女を対象に調査し、2022年10月に発表した「東京23区シングル家賃8万円以下住み続けたい駅ランキング」(「SUUMO住民実感調査2022首都圏版 家賃水準別住み続けたい駅ランキング」より)が、なかなか面白い結果になっている。
ポイントは「住みたい」ではなく「現在、住んでいる人が今後も住み続けたい」というところ。そうなると、ちょっと事情が違う。決して“派手”ではない駅が上位を独占したのだ。
まずは、下のTOP10を見てほしい。
「SUUMO住民実感調査2022首都圏版 家賃水準別住み続けたい駅ランキング」は、首都圏に住む20歳以上の男女に、現在住んでいる街に住み続けたいかを聞き、その希望度が高い駅・自治体をランキングした「SUUMO住民実感調査2022首都圏版」の上位の中から、賃貸物件の家賃相場が一定の基準以下の駅だけでエリア別にランキングしたもの(出典/リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022」)
奇しくも杉並区と世田谷区の駅ばかりだが、純粋に23区内の駅でアンケートを取った結果がこれだ。
1位に南阿佐ヶ谷、6位に阿佐ヶ谷がランクイン。阿佐ヶ谷には昨年末のM-1グランプリ2022で優勝したウエストランドが所属する事務所、タイタンもある。
筆者は高円寺に長く住んでいたので、お隣の阿佐ヶ谷も好きな街。馴染みの飲み屋も何軒かある。しかし、この結果は正直、意外だった。決して派手ではなく、都内に住んでいてもどんな街か知らない人も多そうだ。なぜ、住み続けたいのか。人気の理由を探るために街に繰り出した。
目と鼻の先に杉並区役所がある南阿佐ヶ谷駅まずは、堂々1位の南阿佐ヶ谷駅。
新宿駅から丸ノ内線で10分ちょっとという近さ(撮影/石原たきび)
ケヤキ並木が美しい中杉通りが青梅街道に突き当たる場所で、目と鼻の先には杉並区役所がある。
さまざまな手続きにも便利なエリア(撮影/石原たきび)
ここをスタート地点にして、6位に食い込んだJR中央線の阿佐ヶ谷駅周辺までを歩いてみたい。
「パールセンター」は日々の生活に根差した商店街南阿佐ヶ谷と阿佐ヶ谷を結ぶパールセンター商店街(撮影/石原たきび)
60年以上の歴史をもち、全長は約700m。常に活気があり、アーケードの商店街なので雨の日ものんびりと買い物ができる。
ほどなくして見えてきたのは、たい焼き専門店の「たいやき ともえ庵」。この場所で営業を始めたのは9年前だが、ひっきりなしにお客さんがやってくる。商店街の中でもかなり大きな存在感を放っているのだ。
店長の安部 翔さん(30歳)にご挨拶。
手にしているのは一番人気の「白玉たいやき」(350円)(撮影/石原たきび)
人の流れを見ていてどんなことを感じますか。
「阿佐ヶ谷の住人は老若男女のバランスが取れています。スーパーや青果店が価格競争をするので、肉も魚も野菜も安いし、日用品の買い物にも事欠きません。1日2万人ぐらいの人通りがありますが、よく見ていると毎日同じ方たちが歩いているんです。この商店街に来るのが日課になっているんでしょうね」
確かに、同じ中央線の中野、高円寺、吉祥寺にもアーケード商店街はあるが、いずれも他から遊びに来る人も多い場所。しかし、パールセンターは地元の住民が毎日のおかずを買いに来る人がほとんどという、生活に根差した商店街なのだ。
自慢のたい焼きは、一匹ずつ焼く「一丁焼き」にこだわる(撮影/石原たきび)
アーケード商店街の中にトークライブハウス続いて、すぐ近くのトークライブハウス、「阿佐ヶ谷LOFT A」へ。阿佐ヶ谷はアニメスタジオや映画館、古書店など、エンタメやカルチャーを楽しめるスポットも多い。そんな中でも特に「阿佐ヶ谷LOFT A」は阿佐ヶ谷のエンタメを支えている存在だ。
オープンは2007年。マンガ、アニメ、アイドル、お笑い、映画、などさまざまなジャンルのトークやアコースティック演奏などが楽しめる。
テーマは「コミュニケーションを主体とした空間」(撮影/石原たきび)
「新宿ロフト」を中心に各地でライブハウスを運営する「ロフトプロジェクト」の一員だが、それにしても、なぜ阿佐ヶ谷に出店したのだろうか。店長の齋藤 航さん(42歳)に聞いてみた。
「物件を決めるにあたって、にぎやかな商店街の中という立地がよかったんです。自分は一昨年からここの店長になりました。それまでは新宿の歌舞伎町や渋谷の円山町といった夜の繁華街ばかりで働いてきたので、子どもやお年寄りの姿はほとんど見ませんでした。阿佐ヶ谷はそうではなく、安心感というか、人が住んでいる街だなと思います」
「芸人さんがたくさん住んでいるので、お笑いライブもよくやります」と齋藤さん(撮影/石原たきび)
「スターロード」、「一番街」という2つの飲み屋街さて、パールセンターを抜けてJR阿佐ヶ谷駅南口に着いた。いつの間にか「スターバックス」や「コメダ珈琲店」ができている。
スタバは2017年、コメダは2021年にオープン(撮影/石原たきび)
南口には人々が思い思いに休息する広場がある。
街には人も鳩もくつろげる空間が必要なのだ(撮影/石原たきび)
阿佐ヶ谷駅周辺には「スターロード」、「一番街」という飲み屋街が放射線状に広がっており、いずれも個人店が頑張っている。
「スターロード」の「立呑風太くん」(撮影/石原たきび)
ここは筆者が気に入っている立ち飲み屋で、明るいうちから大勢のお客さんでにぎわっている。オーダーごとに「カーン」というゴングを威勢よく鳴らしてくれる趣向も面白い。
新宿ゴールデン街の風情にも似た「一番街」(撮影/石原たきび)
この2つの通りでは、毎夜さまざまな交流が生まれる。
約1500人を集客する「阿佐ヶ谷飲み屋さん祭り」とはいえ、よほどの酒好きでもない限り、知らない店にふらっと入るのはハードルが高い。そこで、2019年に誕生したのが立ち飲みスタイルの「アサガヤアンナイジョ」だ。
阿佐ヶ谷の飲み屋事情に詳しい店長が、お客さんにマッチしそうな店をいくつか紹介してくれるというのが売り。いわば、飲み屋のコンシェルジュだ。意外にも、訪れる客の7割が女性だという。
共同オーナーの左・鈴木伸弥さん(39歳)、右・森口剛行さん(46歳)(撮影/石原たきび)
阿佐ヶ谷には飲み屋が数多くあり、店同士の結びつきも強い。この“文化”を広く周知させ、店の扉を開けるのを躊躇していたお客さんとともに街全体を盛り上げていこうという思いから森口さんが立ち上げたのが「阿佐ヶ谷飲み屋さん祭り」。
10年前から始まった、このイベント。回数券を購入すれば、3日間の開催期間に格安料金で飲み歩ける。2022年秋の時点で参加店舗は107軒。コロナ禍で参加者は一時減ったが、昨年11月の開催では約1500人の酒好きを集客した。
祭りの日に「アサガヤアンナイジョ」で乾杯する人々(画像提供/アサガヤアンナイジョ)
ここで、鈴木さんが面白いことを言った。
「住み続けたい街に選ばれる理由ですか? 阿佐ヶ谷は中杉通りのケヤキ並木の空気感も含めて気がいいと思います。街全体のバランスがいいというか。僕、そういうのに敏感なんですよ。帰省後に阿佐ヶ谷に戻ると田舎より落ち着きます」
ジブリ作品『猫の恩返し』の舞台にもなった中杉通りのケヤキ並木(撮影/石原たきび)
森口さんも言う。
「マイナスの理由で街を出て行く人は少ない印象ですね。同棲したり結婚したりで、2DKの高い家賃が払えないから引越すというケースはあると思います。阿佐ヶ谷で一人暮らしをするなら、物件は5万円台からありますし」
阿佐ヶ谷は「じわじわと良さがわかる街」さらに向かったのは南口に事務所を構える会社「エヌキューテンゴ」。ここでは、近所や地域とつながりながら暮らす不動産の企画や、街と関わりながら暮らすためのプロジェクトなどを手がけている。
阿佐ヶ谷は「じわじわと良さがわかる街」だと代表の齊藤志野歩さん(43歳)は言う。
「派手なものはないけど、日常的に楽しい暮らしはできる街。駅前に人が集まるというよりは、周辺エリアに手づくりのお菓子屋さんや小さいものづくりの工房があるんですよね。あとは、若い店主が多いので、そういう人たちと仲よくなると住み続けたいという気持ちも強くなるでしょう」
JRの協力のもと、駅ビル内に季節ごとのイベント情報を掲示している齊藤さん(撮影/石原たきび)
大勢で街を歩きながら齊藤さんがセレクトした物件の内見もできる「ディスカバリーツアー」も企画している。
周辺環境も含めて、住む場所を選んでほしいという趣旨(画像提供/まち暮らし不動産)
「阿佐ヶ谷は商業地と住宅地がつながっていて、緑も多く、散歩には最適な街。『神社の裏側の道は夏でも涼しい』、『道に迷ったら鉄塔を目印にする』など、知っているとすぐに阿佐ヶ谷民の仲間入りができるようなスポットも案内しています」
阿佐ヶ谷の賃貸物件事情について、齊藤さんはこう言う。
「7万円台とかでちょっと小ぎれいな1R、1Kが多いので、シングルには住みやすい街でしょうね。ただ、5万円代となるとあまりないので、そういう物件を希望する人は西武新宿線沿いの井荻、鷺宮寄りに住む傾向があります。丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅の向こう側、成田エリアも緑が多くて家賃もリーズナブルですね」
さらに、7年前に南阿佐ヶ谷駅から徒歩5分の場所にできた「プラウドシティ阿佐ヶ谷」についても言及する。
「プラウドシティ阿佐ヶ谷」は5街区、全575戸の巨大分譲マンション(撮影/石原たきび)
「あの物件ができてから、各媒体が発表する『住みたい街』といわれるランキングで南阿佐ヶ谷が上位に来るようになりました。青梅街道の向こう側にも店が増えています。また、中杉通りが南側に延伸するという計画もあって、それが実現すると街の重心がもう少し変わってくるかもしれません」
青梅街道を右に進むと「プラウドシティ阿佐ヶ谷」に着く(撮影/石原たきび)
お客さんの多くが阿佐ヶ谷在住という喫茶店お次は北口へ。
まずは、2020年にスターロードの入り口にオープンしたばかりの喫茶店、「喫茶天文図舘」を訪れた。店内は宮沢賢治の世界をイメージしたノスタルジックな空間だ。
喫茶店好きのオーナー、山城隆輝さん(28歳)が言う。
「駅の1日の乗降客数は、荻窪が約24万人、高円寺が約10万人、そして阿佐ヶ谷が9万人なんです。外から入って来る人の数が少ないことが、住みやすさにつながっているのかもしれません。あまりわちゃわちゃしていないし、駅からちょっと離れると夜はめちゃくちゃ静かですよ」
山城さんはお隣の荻窪育ちなので、阿佐ヶ谷にも土地勘がある(撮影/石原たきび)
お客さんの多くが阿佐ヶ谷在住。店に入って来た瞬間に、地元の人なのか外から来たのかがなんとなくわかるという。
一番人気のクリームソーダ(750円)は空と海の色をイメージしている(撮影/石原たきび)
「阿佐ヶ谷で好きなお店ですか? たくさんありますよ。喫茶店なら『パーラーエル』や『ヴィオロン』、割烹料理と居酒屋の中間みたいな『將』(はた)の料理もすごく美味しいです」
会社を辞めて日本中をヒッチハイクで周っていた山城さん。第二の人生の舞台に阿佐ヶ谷を選んだ。
国内外の準新作や旧作を上映するアットホームなミニシアタースターロードを少し北上すると、住宅地の中に2022年7月にオプーンしたミニシアター、「Morc阿佐ヶ谷」が見えてくる。
支配人代行の趙 子男さん(33歳)は中国の遼寧省出身。国際基督教大学(ICU)入学を機に来日した。
「こんなに長く日本にいるつもりじゃなかったんですけど」と趙さん(撮影/石原たきび)
ここは名画座でかけるような作品を上映する、いわゆる二番館。作品は自分で実際に見て選んでいるという。
「ミニシアターなので自由に実験できるのが利点。持ち込みにもなるべく応えたいと思っています。例えば、女子高生が消費税増税反対を訴える青春ドラマ、『君たちはまだ長いトンネルの中』は予想を超えて満席に。いろんな作品を積極的に受け入れることも重要だなと思いました」
住宅地にあるせいか、午前中は年配の客が多い。作品によっては若い人であふれる。一方で、通りすがりにふらっと入って来る客もいるそうだ。
阿佐ヶ谷の印象について聞いてみた。
「街全体の文化度が高くて、ほかの駅とは違う落ち着いている感じ。駅の近くに豆腐屋さんが3軒あるんですが、そういう街は今あまりないのでは。取引先のところに訪問する際は老舗和菓子店、『うさぎや』さんのどら焼きを持参します。こういう、昔の雰囲気を残す個人経営のお店が愛され続けているのが阿佐ヶ谷の貴重なところではないでしょうか」
客席数は41、1日に4~6本が上映される(撮影/石原たきび)
映画館は文化の象徴。「Morc阿佐ヶ谷」の使命は大きい。
レンガ通りの道沿いには個性的な店が並ぶここからは、松山通り(旧中杉通り)を進む。ゆるやかに下る道沿いには、駅周辺とはちょっと毛色が違う個性的な店が立ち並ぶ。
松山通り商店街では特売やフリーマーケットが定期的に開催される(撮影/石原たきび)
レンガ敷きの道をのんびり歩いていると、気になる路地が数多く目に入る。
路地を覗くと何かを待っているかのように、その場から動かない野良猫(撮影/石原たきび)
阿佐ヶ谷のカルチャーを支える気鋭の古書店通りの途中でお邪魔したのは「古書コンコ堂」。店名の由来は「玉石混交」から。音楽、文学、漫画、美術、絵本など、幅広いジャンルの古書を取りそろえる。
2011年にオープンしたコンコ堂(撮影/石原たきび)
「独立するにあたって中央線沿いでいろいろと探していたんですが、阿佐ヶ谷の場合、パールセンターは賃料が高いし、線路沿いは飲み屋街。店を出すなら松山通りだなと。意外と夜遅い時間まで人が歩いているんですよ」
客層は老若男女さまざまで、ほぼ地元の人。古書店にしては平均年齢が低いそうだ。
約20年間住んだ西荻窪から阿佐ヶ谷に引越してきたコンコ堂店主の天野さん(撮影/石原たきび)
「観光客が来る街じゃないけど、面白い個人店がたくさんあります。ご飯も美味しいし、居心地はいいですね」
取材終わりに天野さんが「そういえば、阿佐ヶ谷はいま古着屋さんが増えているんですよ」と言っていた。
ここ1、2年で急激に増えた古着屋は現在10店舗阿佐ヶ谷に古着屋のイメージはなかったが、そのまま松山通りを下っていくと古着屋を発見。
ずいぶんと洒落た外観(撮影/石原たきび)
こちらは、すべて一点物の古着を扱う「JUDEE」。オーナーの高塚草太さん(28歳)に話を聞いた。
「2018年にこの店をオープンしました。高円寺で出すか阿佐ヶ谷で出すか、ずっと迷っていたんですが、激戦区の高円寺よりは、阿佐ヶ谷でもうちょっとゆったり伸び伸びやりたいなと思って」
専門学校を卒業後、高円寺の古着屋で働いたのちに独立した高塚さん(撮影/石原たきび)
阿佐ヶ谷の古着屋は、以前は2店舗ぐらいしかなかったが、今は10店舗ほど。ここ1、2年で急激に増えたという。
「阿佐ヶ谷はみんなマイペースで、人の流れがゆっくり。個人商店が多いから街歩きが楽しいですね。うちには日が暮れてから食材などの買い物のついでに寄ってくださるお客さんがいます」
お気に入りの焼肉店についても教えてくれた。
「高架下にある『清香苑』という小さなお店で、入り口も目立たない奥まったところにある街の焼肉屋さん。ここは本当に美味しくて雰囲気も好きです」
来たことがなかった阿佐ヶ谷の雰囲気に一目惚れ松山通りをさらに奥へ。ラストは昨年7月にオープンしたばかりのカフェ、「エムベイクハウス」だ。
オーナーの内田 萌さん(29歳)は総合電機メーカーで働きながら、好きなお菓子の勉強を始めた。現在、店ではこだわりのドリンクと季節の焼き菓子を提供している。
エムベイクハウス内田さん(撮影/石原たきび)
「じつは阿佐ヶ谷に来たことがなかったんです。物件は目黒区、大田区あたりで探していました。でも、たまたまこの街を訪れたとき、感覚的に好きだなと思いました。特に北側はざわざわしていないし、落ち着いた雰囲気が好きだなと」
そんな折、この物件に出合って契約する。
「お客さんは地元に住んでいる20代から40代ぐらいの女性が多いですね。あとは、バスの乗り換えが阿佐ヶ谷だからといって帰りに寄ってくれる方や、インスタグラムを見て遠くから来てくれる方もいます」
内田さんオススメのドリンクと焼き菓子もお願いした。
「ロンドンフォグラテ」と「レイヤーキャロットケーキ」(セットで1650円)(撮影/石原たきび)
冬シーズンの人気ドリンク、「ロンドンフォグラテ」はアールグレイティーをベースに、ラベンダーとバニラで香り付けしている。レイヤーキャロットケーキに入っているクルミもいいアクセントになっていた。
「最近、大田区から阿佐ヶ谷に引越して来ましたが、初めて降り立ったときの感覚と変わりません。チェーン以外のお店が多いのが都心にしては珍しいですよね。安くて美味しい手づくりのお店もたくさん見つけました」
「住み続けたい」理由が判明した気がするかくして、阿佐ヶ谷に店を構える9人に街の魅力について話を聞いた。印象的だったのは「派手なものはないけど楽しく暮らせる」「落ち着いているから住みやすい」「店同士、店と客の結びつきが強い」といったキーワード。
つまりは、「じわじわと良さがわかる街」。シングルが「住み続けたい」理由は、そこに集約されそうだ。一人暮らしのシングルにとっては、街の人々が家族のように感じるのかもしれない。
これまで阿佐ヶ谷はほとんど飲み屋にしか行かなかったが、今回巡ってみると、さまざまな顔をもつ街だとわかった。しかも、どの店も非常に個性的。「エヌキューテンゴ」の齊藤さんが言っていた「若い店主が多いので、そういう人たちと仲よくなると住み続けたいという気持ちも強くなる」という言葉の意味がよくわかる。もし住んだ場合は店主と親しくなって、じわじわと街に溶け込みたい。
阿佐ヶ谷の住民にとってはおなじみ、区役所前のブロンズ像(撮影/石原たきび)
●取材協力
たいやき ともえ庵
阿佐ヶ谷LOFT A
アサガヤアンナイジョ
エヌキューテンゴ
喫茶天文図舘
Morc阿佐ヶ谷
古書コンコ堂
JUDEE
エムベイクハウス
昭和の高度経済成長期に大量に建設された「団地」を、現代の暮らしに合うようリノベーションし、再評価・再活用する動きが続いています。では、そのリノベ団地は、コロナ禍を経てどうなっているのでしょうか。2019年に紹介した「ハラッパ団地・草加」の今を取材しました。
築51年でも満室! 家賃を維持するなど、人気ぶりは健在1971年、企業の社員寮として建築された建物をリノベして誕生した「ハラッパ団地・草加」。2018年に建物内外を刷新し、シェア農園や保育園、ドッグランを持つ賃貸住宅として生まれ変わりました。1800坪というゆとりのある敷地に、明るい黄色の2棟の建物があり、1LDK~2DKの全55戸で構成されています。ペット飼育OKで、1階に保育園があるなどの付加価値もあるため、2019年に取材したときも全室満室、ウェイティングリストができるほどの人気ぶりでした。
ハラッパ団地・草加の外観。前回取材時のときよりも、いっそう地域になじんだ印象です(写真撮影/嘉屋恭子)
あれから3年、コロナ禍もあり、ライフスタイルや価値観、住まいに求めるものも変わったように思います。その後、「ハラッパ団地」はどうなっているのでしょうか。
「3年たった今でも全室満室が続いていて、空室がでたら入居したいという希望者がいらっしゃいます。家賃も維持、または一部で上昇しているんですよ」と教えてくれたのは、広報を担当する山本恵美さん。
長らく新築住宅が最良とされてきた日本では、築年数が経過するごとに家賃を値下げするのが当たり前、半世紀も経過すれば建物の価値はほぼなくなるといわれてきました。それが築51年以上たっても家賃が下がるのではなく、上昇するとは……。適切にリノベ、管理運営されていれば、建物は長持ちするだけでなく、賃貸住宅として価値を向上させることができると証明した格好です。
保育園があることから子育て世帯の入居希望が多そうですが、実際にはシングルや夫婦暮らしなど、幅広い世帯や世代が入居しているそう。
「子どもの声が聞こえる、ということが安心感につながっているようで、一人暮らしの人にも人気となっています」。子どもたちの声が、「あたたかさ」「安心感」につながるのは、住む人にとっても、子どもたちにとっても、とても幸せなことですね。
イベントの参加者には子どももいっぱい。親世代も明るい表情です(写真撮影/片山貴博)
収穫体験にクッキングイベント。交流を生むコミュニティー運営ハラッパ団地・草加は、農園やドッグラン、食堂などの「地域にひらく」施設も魅力のひとつでした。ただ、こうしたコミュニティー運営は人とノウハウ、時間、予算が必要になります。ましてやこの3年はコロナ禍。人を集める、人が集まるのが難しくなってきた背景もあります。運営はどのように変化したのでしょうか。
「2020年、緊急事態宣言もあり感染状況を考慮して食堂は閉店、ランドリールームなども検討しましたが、団地の人が集まれる場所をということで、コミュニティールームに変更しました。この場所は団地住民であればオンラインで予約・利用できます。お住まいの方は、テレワークやオンライン会議などの場所として使っているようです」と山本さん。地域住民に、集会所・サロンの開催場所として、貸し出しも行っています。
また、2021年12月よりこのコミュニティールームを使い、「味噌づくり」「ヨガ教室」「ピクルスづくり」などのコミュニティー運営を実施するようになったといいます。
「イベントの実施主体は、ハラッパ団地を管理するハウスコムとアミックスです。コミニティーマネージャーや撮影・運営スタッフなどがいて、団地の方と地域の方が、交流を深めていける試みをしています。イベントや畑の活動は今のところ月1回のペースで行っていて、毎回参加くださる方もいれば、スポットで初めてという人も。毎回、なごやかな雰囲気でできています」(山本さん)
ハラッパ団地のコミュニティー運営に携わっているみなさん。左から細越雄太さん(農業指導)、森永顕光さん(アミックス社員)、町田国大さん(コミニティーマネージャー)山本恵美さん(コミニティーマネージャー)、夏目力さん(ライター・撮影)(写真撮影/片山貴博)
11月は、10月に収穫したさつまいもを使ってのピザ窯での焼きいもとピザづくり、畑に玉ねぎの苗を植えるイベントを実施していました。参加者は筆者が想像していたよりも多く、なんと30人以上! 参加者は多くが未就学児~小学校低学年のお子さんと保護者の方々です。お天気はあまりよいとはいえない状況でしたが、子どもたちは広場や周囲をうきうきと走り回っていました。
11月に行われた焼きいもとピザ焼きの会。まずはみなさんでご挨拶。細越雄太さんが、今日の流れを説明します(写真撮影/片山貴博)
さつまいもは紅はるかと安納芋、シルクスイートの3種類を用意して、食べ比べる計画。味の違いはわかるかな?(写真撮影/片山貴博)
洗ったさつまいもをアルミホイルで包んで……(写真撮影/片山貴博)
ピザ窯のなかにいれます。焼き上がりは1時間程度……ワクワクです!(写真撮影/片山貴博)
セミパブリックだからこそできる! 団地の可能性今回、イベントに参加された方々は、団地にお住まいという方もいれば、ご近隣にお住まいという方もいらっしゃいました。なかには、「実は先週、団地に引越してきたばかりなんです。イベント案内のチラシを見かけてすぐに応募しました。子どもたちが地域になじむきっかけになれば」という声も聞かれました。その後、焼きいもやピザづくりをしながら「何歳ですか?」「同じ学年だね~」と、お子さんや大人の会話が盛り上がっていました。まさに人と知り合う「きっかけ」、コミュニティーづくりになっています。
次は玉ねぎの苗を植えていきます。農業指導をしている細越雄太さんは、農業や食育に詳しく、自然と大人や子どもたちを引き込んでいきます(写真撮影/片山貴博)
玉ねぎの苗は、淡路島の農家から譲り受けたもの。はじめはおっかなびっくりだった子どもたちもだんだん慣れていきます(写真撮影/片山貴博)
さすがだなと思ったのは、運営側が作業をするだけでなく、「どんな種類のさつまいもを焼くのか」「玉ねぎはいつできるのか」「ピザで好きな具」などの会話のとっかかりとなる「ネタ」を提供していることです。初めて会った人同士でも、「あるある~」「私は~」と自然と会話ができるようになっています。共同作業、なかでも食があると、人と人との距離はぐっと縮まりますよね。
ズラッと並んだピザの具材(写真撮影/片山貴博)
苗を植えたあとはピザづくり。子どもたちも上手です(写真撮影/片山貴博)
準備ができたピザからピザ窯へ。マスク越しにも伝わる、うれしそうな顔!(写真撮影/片山貴博)
焼きたてピザをきりわけてもらい、いただきます!(写真撮影/片山貴博)
大人も子どももにっこにこで幸せそう(写真撮影/片山貴博)
ほっかほかの焼きいも! 品種によってほんのり色も違います(写真撮影/片山貴博)
他にも、イベントに参加している人に話を聞きましたが、「1階の保育園に通っていて、せっかくなので参加したいと思って」「近所のお友だちに誘われたので」という方が多いように感じました。
また、コロナ禍で思うように外出や遠出ができず、子どもと何かしたいと思っていたときにこのイベントを知ったという声も。
「自分で畑をやったり、ピザの準備をしたりするのは大変だけれど、近くでこんな体験ができるなんて! すごくありがたいです」というコメントもありました。
「コミュニティー運営に携わって7カ月ですが、交流イベントは今のところ8回開催し、累計100名が参加してくださっています。参加者の満足度も高く、次は何をやるんですか? という声も聞かれます。団地外の方からの参加者も多いですし、まさに交流の場所になっています。声を聞きながら、よりよい場所、よりよいコミュニティー運営を模索していきたいですね 」(山本さん)
細越さんは畑やコミュニティー運営を通して、「セミパブリック」の可能性を感じているといいます。「草むしりや苗植え、収穫など自然を通して、人々が交流し、距離感を保てる。『公』や『行政』でもなければ、完全な『私』でもない。ちょうど良い距離感をつくっていけたら」と言います。
コロナ禍では、地域や人との分断が進んだともいわれています。一方で、近くにある幸せや足元を大切にしたい、近所の人とゆる~くでも顔見知りになりたい、という思いは、静かですが確かにあるように感じます。近所づきあいや人とのかかわりを、軽やかにアップデートするために。令和の団地の挑戦はまだまだ続きそうです。
●取材協力
ハラッパ団地・草加
昭和の高度経済成長期に大量に建設された「団地」を、現代の暮らしに合うようリノベーションし、再評価・再活用する動きが続いています。では、そのリノベ団地は、コロナ禍を経てどうなっているのでしょうか。2019年に紹介した「ハラッパ団地・草加」の今を取材しました。
築51年でも満室! 家賃を維持するなど、人気ぶりは健在1971年、企業の社員寮として建築された建物をリノベして誕生した「ハラッパ団地・草加」。2018年に建物内外を刷新し、シェア農園や保育園、ドッグランを持つ賃貸住宅として生まれ変わりました。1800坪というゆとりのある敷地に、明るい黄色の2棟の建物があり、1LDK~2DKの全55戸で構成されています。ペット飼育OKで、1階に保育園があるなどの付加価値もあるため、2019年に取材したときも全室満室、ウェイティングリストができるほどの人気ぶりでした。
ハラッパ団地・草加の外観。前回取材時のときよりも、いっそう地域になじんだ印象です(写真撮影/嘉屋恭子)
あれから3年、コロナ禍もあり、ライフスタイルや価値観、住まいに求めるものも変わったように思います。その後、「ハラッパ団地」はどうなっているのでしょうか。
「3年たった今でも全室満室が続いていて、空室がでたら入居したいという希望者がいらっしゃいます。家賃も維持、または一部で上昇しているんですよ」と教えてくれたのは、広報を担当する山本恵美さん。
長らく新築住宅が最良とされてきた日本では、築年数が経過するごとに家賃を値下げするのが当たり前、半世紀も経過すれば建物の価値はほぼなくなるといわれてきました。それが築51年以上たっても家賃が下がるのではなく、上昇するとは……。適切にリノベ、管理運営されていれば、建物は長持ちするだけでなく、賃貸住宅として価値を向上させることができると証明した格好です。
保育園があることから子育て世帯の入居希望が多そうですが、実際にはシングルや夫婦暮らしなど、幅広い世帯や世代が入居しているそう。
「子どもの声が聞こえる、ということが安心感につながっているようで、一人暮らしの人にも人気となっています」。子どもたちの声が、「あたたかさ」「安心感」につながるのは、住む人にとっても、子どもたちにとっても、とても幸せなことですね。
イベントの参加者には子どももいっぱい。親世代も明るい表情です(写真撮影/片山貴博)
収穫体験にクッキングイベント。交流を生むコミュニティー運営ハラッパ団地・草加は、農園やドッグラン、食堂などの「地域にひらく」施設も魅力のひとつでした。ただ、こうしたコミュニティー運営は人とノウハウ、時間、予算が必要になります。ましてやこの3年はコロナ禍。人を集める、人が集まるのが難しくなってきた背景もあります。運営はどのように変化したのでしょうか。
「2020年、緊急事態宣言もあり感染状況を考慮して食堂は閉店、ランドリールームなども検討しましたが、団地の人が集まれる場所をということで、コミュニティールームに変更しました。この場所は団地住民であればオンラインで予約・利用できます。お住まいの方は、テレワークやオンライン会議などの場所として使っているようです」と山本さん。地域住民に、集会所・サロンの開催場所として、貸し出しも行っています。
また、2021年12月よりこのコミュニティールームを使い、「味噌づくり」「ヨガ教室」「ピクルスづくり」などのコミュニティー運営を実施するようになったといいます。
「イベントの実施主体は、ハラッパ団地を管理するハウスコムとアミックスです。コミニティーマネージャーや撮影・運営スタッフなどがいて、団地の方と地域の方が、交流を深めていける試みをしています。イベントや畑の活動は今のところ月1回のペースで行っていて、毎回参加くださる方もいれば、スポットで初めてという人も。毎回、なごやかな雰囲気でできています」(山本さん)
ハラッパ団地のコミュニティー運営に携わっているみなさん。左から細越雄太さん(農業指導)、森永顕光さん(アミックス社員)、町田国大さん(コミニティーマネージャー)山本恵美さん(コミニティーマネージャー)、夏目力さん(ライター・撮影)(写真撮影/片山貴博)
11月は、10月に収穫したさつまいもを使ってのピザ窯での焼きいもとピザづくり、畑に玉ねぎの苗を植えるイベントを実施していました。参加者は筆者が想像していたよりも多く、なんと30人以上! 参加者は多くが未就学児~小学校低学年のお子さんと保護者の方々です。お天気はあまりよいとはいえない状況でしたが、子どもたちは広場や周囲をうきうきと走り回っていました。
11月に行われた焼きいもとピザ焼きの会。まずはみなさんでご挨拶。細越雄太さんが、今日の流れを説明します(写真撮影/片山貴博)
さつまいもは紅はるかと安納芋、シルクスイートの3種類を用意して、食べ比べる計画。味の違いはわかるかな?(写真撮影/片山貴博)
洗ったさつまいもをアルミホイルで包んで……(写真撮影/片山貴博)
ピザ窯のなかにいれます。焼き上がりは1時間程度……ワクワクです!(写真撮影/片山貴博)
セミパブリックだからこそできる! 団地の可能性今回、イベントに参加された方々は、団地にお住まいという方もいれば、ご近隣にお住まいという方もいらっしゃいました。なかには、「実は先週、団地に引越してきたばかりなんです。イベント案内のチラシを見かけてすぐに応募しました。子どもたちが地域になじむきっかけになれば」という声も聞かれました。その後、焼きいもやピザづくりをしながら「何歳ですか?」「同じ学年だね~」と、お子さんや大人の会話が盛り上がっていました。まさに人と知り合う「きっかけ」、コミュニティーづくりになっています。
次は玉ねぎの苗を植えていきます。農業指導をしている細越雄太さんは、農業や食育に詳しく、自然と大人や子どもたちを引き込んでいきます(写真撮影/片山貴博)
玉ねぎの苗は、淡路島の農家から譲り受けたもの。はじめはおっかなびっくりだった子どもたちもだんだん慣れていきます(写真撮影/片山貴博)
さすがだなと思ったのは、運営側が作業をするだけでなく、「どんな種類のさつまいもを焼くのか」「玉ねぎはいつできるのか」「ピザで好きな具」などの会話のとっかかりとなる「ネタ」を提供していることです。初めて会った人同士でも、「あるある~」「私は~」と自然と会話ができるようになっています。共同作業、なかでも食があると、人と人との距離はぐっと縮まりますよね。
ズラッと並んだピザの具材(写真撮影/片山貴博)
苗を植えたあとはピザづくり。子どもたちも上手です(写真撮影/片山貴博)
準備ができたピザからピザ窯へ。マスク越しにも伝わる、うれしそうな顔!(写真撮影/片山貴博)
焼きたてピザをきりわけてもらい、いただきます!(写真撮影/片山貴博)
大人も子どももにっこにこで幸せそう(写真撮影/片山貴博)
ほっかほかの焼きいも! 品種によってほんのり色も違います(写真撮影/片山貴博)
他にも、イベントに参加している人に話を聞きましたが、「1階の保育園に通っていて、せっかくなので参加したいと思って」「近所のお友だちに誘われたので」という方が多いように感じました。
また、コロナ禍で思うように外出や遠出ができず、子どもと何かしたいと思っていたときにこのイベントを知ったという声も。
「自分で畑をやったり、ピザの準備をしたりするのは大変だけれど、近くでこんな体験ができるなんて! すごくありがたいです」というコメントもありました。
「コミュニティー運営に携わって7カ月ですが、交流イベントは今のところ8回開催し、累計100名が参加してくださっています。参加者の満足度も高く、次は何をやるんですか? という声も聞かれます。団地外の方からの参加者も多いですし、まさに交流の場所になっています。声を聞きながら、よりよい場所、よりよいコミュニティー運営を模索していきたいですね 」(山本さん)
細越さんは畑やコミュニティー運営を通して、「セミパブリック」の可能性を感じているといいます。「草むしりや苗植え、収穫など自然を通して、人々が交流し、距離感を保てる。『公』や『行政』でもなければ、完全な『私』でもない。ちょうど良い距離感をつくっていけたら」と言います。
コロナ禍では、地域や人との分断が進んだともいわれています。一方で、近くにある幸せや足元を大切にしたい、近所の人とゆる~くでも顔見知りになりたい、という思いは、静かですが確かにあるように感じます。近所づきあいや人とのかかわりを、軽やかにアップデートするために。令和の団地の挑戦はまだまだ続きそうです。
●取材協力
ハラッパ団地・草加
東京都がこのほどまとめた「都民生活に関する世論調査」の結果によると、約7割が東京に定住意向があることが分かった。その理由となるのは、第一に発達した交通網なのだが、こうした利便性とは違う項目も上位に挙がっている。その理由とは……。
【今週の住活トピック】
「都民生活に関する世論調査」結果を発表/東京都
「都民生活に関する世論調査」は、東京都全域に住む満18歳以上の男女を対象に郵送やインターネットで実施し、1883人の有効回収を得たもの。
今住んでいる地域の住みよさを聞いたところ、「住みよいところだと思う」は81.5%、「住みよいところだと思わない」は8.8%と、8割を超える人が住みよいと思っている。さらに、今住んでいる地域に今後も住みたいと思うか聞いたところ、「住みたい」は69.5%、「住みたくない」は11.3%となり、約7割が今の地域に住み続けたいと思っている(=地域定住意向あり)ことが分かった。
一方、「東京は、全般的に見て住みよいところか」を聞くと、「住みよい」は58.0%、「住みにくい」は6.6%と、約6割が住みよいと思っており、これは地域の住みよさより低い結果となった。さらに、東京に今後もずっと住みたいと思うかを聞くと、「住みたい」は69.7%、「住みたくない」は9.1%となり、約7割が東京に住み続けたいと思っている(=東京定住意向あり)という結果に。「東京は住みよい」と回答した割合よりも、東京定住意向ありの割合のほうが高い点が興味深い。
次に、それぞれの定住意向を分析すると、いずれも、そこに「長く住んでいる」人ほど定住意向が高まる傾向が見られる。東京定住意向については、さらに「東京生まれであるかないか」で、約15ポイントの開きがあった。生まれた地域、長く住んでいる地域には、今後も住み続けたいと思う、つまりは「住めば都」となることがうかがえる結果だ。
出典/東京都「都民生活に関する世論調査」の結果より抜粋転載
定住したいのは、「住み慣れているから」「利便性が高いから」のほかにも…次に、それぞれの定住意向あるなしの理由を見ていこう。
「地域定住意向あり」の1308人にその理由を聞いた結果を見ると、次のような項目が上位に挙がった。
1. 買物など日常の生活環境が整っているから 66.3%
2. 自分の土地や家があるから 43.0%
3. 地域に愛着を感じているから(住み慣れているから) 41.4%
4. 通勤・通学に便利なところだから 40.3%
また、「東京定住意向あり」の1313人にその理由を聞いた結果を見ると、次のような項目が上位に挙がった。
1. 交通網が発達していて便利だから 79.2%
2. 東京に長く暮らしているから 53.7%
3. 医療や福祉などの質が高いから 36.7%
4. 文化的な施設やコンサート・スポーツなどの催しが多いから 28.6%
住み慣れていることに加えて、地域の生活利便性や東京の交通網の発達などが住みたいと思う大きな理由になっているが、東京定住意向では、「医療や福祉の質の高さ」や「文化的な環境のよさ」など、利便性以外の要因もその理由として挙がっている点に注目したい。
東京定住意向の理由をさらに、東京生まれか否かで見ると、「交通の便利さ」はどちらも最多であるが、東京生まれの人は「長く暮らしている」ことが圧倒的に多い。これに対して、東京生まれでない人では、「文化的な環境のよさ」と「人間関係がわずらわしくない」が多くなっている。つまり、文化的な環境や地域の人間関係などは、東京生まれでない人の定住意向に影響を与える要因になっている、と言えそうだ。
出典/東京都「都民生活に関する世論調査」の結果より抜粋転載
なお、地域定住意向がない理由は「地域に愛着を感じないから」(27.7%)「家賃などの住居費が高いから」(同率27.7%)、東京定住意向がない理由は「生活費が高いから」(62.2%)が最多となった。
文化的な活動への興味関心は高いが、楽しんでいるのは若い世代?では、文化的な活動について、どう思っているのだろうか?
「東京には美術館や劇場、映画館など文化施設が集中し、さまざまな展覧会や公演が行われているが、こうした文化的な環境を楽しんでいるか」と聞いたところ、「楽しんでいる」(楽しんでいる+まあ楽しんでいる)が49.8%、「楽しんでいない」(楽しんでいない+あまり楽しんでいない)が48.8%と拮抗する結果となった。
出典/東京都「都民生活に関する世論調査」の結果より転載
「楽しんでいる」という回答は、若い世代ほど多い傾向が見られる。20代男性では64.9%だったものが、60代男性では34.9%に、20代女性では77.9%だったものが、60代女性では51.2%になるなど、年齢が上がるにつれて「楽しんでいる」という回答が減っている。
なお、男性(全体平均44.6%)より女性(54.1%)のほうが「楽しんでいる」回答が多い傾向も見られた。また、東京都区部(53.2%)のほうが市町村部(43.1%)より「楽しんでいる」割合が高いが、これは都心部に文化施設が多いことが影響しているのだろう。
次に、「芸術や文化を鑑賞したり、文化イベントに参加したりすることに興味関心があるか」と聞いたところ、興味関心が「ある」(ある+少しある)は71.5%に達した。興味関心については「楽しんでいる」回答の内訳ほどには、年代や地域の差が見られなかった。
出典/東京都「都民生活に関する世論調査」の結果より転載
また、どのような文化鑑賞や文化イベントに参加したいのかは、「映画」(58.5%)、「展覧会(美術・歴史・写真・文芸など)」48.3%、「コンサート(ポップスなど)」41.6%などが上位だった。
総務省が発表した「2022年の住民基本台帳人口移動報告」によると、「東京都は、2020年に減少した転入者数が3年ぶりに増加に転じ、増加を続けていた転出者数が減少に転じており、東京都への移動の動きが活発になりつつある」という。コロナ禍で感染拡大が激しかった東京都は、他県への転出が増加したものの、2022年には転入超過数が大幅に上昇した。
「東京一極集中」の要因として、東京に就業の機会が多いことを挙げることが多いのだが、今回の調査結果を見ると「仕事を見つけやすい、事業を起こしやすい」といった理由で、今後も住みたいと思う人はそれほど多くはなかった。住み続けたいと思わせるには、文化的な環境のよさなども大きな要因になることを、再認識した次第だ。
●関連サイト
東京都「都民生活に関する世論調査」結果
LGBTQと呼ばれるセクシュアル・マイノリティの人たちにとって、同性が二人で入居できる物件が限られたり、セクシュアリティへの偏見から審査で断られてしまったりと、住居探しはかなりハードルが高いこともあるようです。一方でそのような住まい探しの問題に積極的に取り組む不動産会社も存在します。LGBTQの当事者は、自身が抱える住まいの問題や支援の取り組みについてどのように感じているのでしょうか。LGBTQの人たちの居住支援を行うNPO法人カラフルチェンジラボの三浦暢久さんに聞きました。
セクシュアル・マイノリティの人たちが抱える居住問題LGBTQの人たちの居住問題とは、主に二つあります。一つ目は外見と戸籍上の性の違いや、同性パートナーとの同居など、パーソナルな部分を明かす必要性と、それが理解されるかという不安やストレス。二つ目はそのことに対する偏見やサポート不足から、希望する物件が借りられない・買えないことです。
「通常では気づかないような、些細に思われることが、LGBTQ当事者の住まい探しの壁となることが多々あります。セクシュアル・マイノリティの当事者たちは、常に偏見に晒されてきました。自分たちがどのように見え、どう判断されるかに対して非常にセンシティブなんです。不動産会社に行くこと自体を怖いと感じる人が多く、それをどう解消するかが住まい探しの最初のハードルです」(三浦さん、以下同)
実際に、カラフルチェンジラボが行った「2021年セクシュアル・マイノリティーの居住ニーズに関するアンケート」によれば、多くのLGBTQの人たちが不動産会社に行くこと自体に不安を感じていることがわかります。
特にL(Lesbian、レズビアン)やFB(Female Bisexual、女性のバイセクシュアル)など、不動産会社に行くことに不安を感じる人が多く、半数以上に上る(資料提供/NPO法人カラフルチェンジラボ)
またパートナーとの同居を希望する当事者にとって、二人の関係を根掘り葉掘り聞かれるのは、決して気持ちの良いものではありませんし、理解不足や偏見によって話が進まないこともあるそう。
「一般的な『二人入居OK』の物件は、夫婦や兄弟姉妹など、家族であることが前提です。同性カップルは家族とは認められず、物件の選択肢が極端に少なくなります。また、収入では特に問題が無いのに、同性カップルを理由に『ゲイの人が住んでいるとは近隣の住民に説明できないから』などといった、とんでもない偏見を理由に審査の段階で断られたというのも、実際にあった話です」
先の調査では、セクシュアル・マイノリティへの理解を得られず、大家さんには同居人がいることを告げず、隠れてパートナーと暮らさざるを得なかったという人の割合が60%以上にもなることが判明しました。これは同居人を申告していないことになるので、本来は契約違反にあたり、それを理由に退去を求められることも起こりえます。そのような不安な状況で生活をしていかざるを得ないのは大きな問題です。
パートナーと暮らすことを隠して、一人暮らしとして契約するケースも多いが、もし見つかれば契約違反で退去を求められることも(資料提供/NPO法人カラフルチェンジラボ)
LGBTQ当事者の住まい探しを支援する、カラフルチェンジラボの取り組み住まいの問題を抱えているLGBTQの人たちに対して、三浦さんが居住支援を始めようと考えた一番のきっかけは「自分自身の住まい探しの経験だった」と語ります。三浦さん自身、セクシュアル・マイノリティの一人であり、男性パートナーと同居を始めるときに困難を感じた当事者でした。
「今のパートナーとは10年前から現在の賃貸物件に一緒に住んでいます。私自身は2015年ごろから『九州レインボープライド』というLGBTQを筆頭に、マイノリティの人たちが自分らしく生きられる社会の実現を目指すイベントを開催してきましたが、パートナーは今も自身がセクシュアル・マイノリティであることを公表していません。実際に住まい探しではとても苦労をしました。多くのLGBTQの人たちと出会い、生活の不安や不満を聞くなかで、最も深刻だと感じたのが住まいの問題だったのです」
カラフルチェンジラボが主催する、九州レインボープライド。たくさんの人や企業、各国の領事館も参加している(画像提供/NPO法人カラフルチェンジラボ)
三浦さんの住まいへの課題感を具体的な活動へと変えたのは、福岡市を代表する不動産会社、三好不動産の三好修社長との出会いでした。
「三好社長にこれまでの自分の活動やLGBTQ当事者の住まいの問題について話したところ『営業担当者たちに話をしてほしい』と講演の機会をもらいました。以降、三好不動産の各店舗でLGBTQの人たちへの居住支援の取り組みがスタートし、私たちがそれをサポートさせてもらっています」
三好不動産の各店舗の入り口にはもちろんLGBTQフレンドリーな企業であることを示す「レインボーマーク」が貼られています。また、三浦さんたちの取り組みもあり、レインボーマークを掲示する店舗や会社も少しずつ増えつつある様子です。
LGBTQ当事者が望む居住支援は「フレンドリーとうたっているが、接客は自然体で」では、実際にLGBTQの人たちは、レインボーマークを掲げる不動産会社やその接客についてどのように感じているのでしょうか。先の調査によれば、当事者が「LGBTQフレンドリーをうたう企業に望むこと」として一番多かった意見は「フレンドリーとうたっているが自然に接してほしい(64.9%)」、次に多いものが「セクシュアリティは確認しないでほしい(42%)」でした。
そして、「レインボーステッカーが入り口に貼ってあると入店しやすい(41%)」「自分のセクシュアリティや二人の関係は自分のタイミングで言いたい(36.2%)」という意見が続きます。
LGBTQの人たちが不動産会社に最も求めていることは「フレンドリーとうたっているが接客は至って自然体で行ってほしい(64.9%)」(資料提供/NPO法人カラフルチェンジラボ)
「不動産会社が『LGBTQフレンドリーである』という意思表示をすることは、とても大事です。なぜなら、LGBTQ当事者の中には、自分たちを受け止めてくれる企業なのかどうかがわからないと、相談に訪れることすら躊躇(ちゅうちょ)してしまう人が多いからです。しかし一方で、特別扱いをしてほしいわけではない。これが当事者の最も切実な声です」
さらに、LGBTQの人たちの住まい探しの問題は入居申込みの手続きや審査の際にも生じます。トランスジェンダー(出生時の身体的な性別が、自身が認識している性と異なる人のこと)が本人確認書類を提示すると、外見との違いに驚きを隠さない担当者がいたり、管理会社の偏見によって審査が通らない同性カップルがいたりします。
LGBTQの人たちが本当に必要としている支援は、特別な何かではなく「当たり前に」入居できることです。
LGBTQの人たちへの支援は、まず「自分の偏見」について知ることから三浦さんはまず、多くの人に「アンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み、偏見)」があること、そのために気づかないうちに相手を傷つけてしまう可能性があることを知ってほしい、と警鐘を鳴らします。
「例えばトランスジェンダーの方に『私より全然男(女)らしいですね』といった、良かれと思って発言した何気ない一言も、言った方は褒め言葉のつもりかもしれませんが、言われた本人は、自分はニセモノだと言われているように感じてしまうことがあります。
自然に接客するためには、LGBTQの人たちが置かれている環境や考え方を理解していないと難しいでしょう。不動産会社の担当者であれば、家賃滞納のリスクヘッジのために詳しくプロフィールや本人確認をすることも必要でしょうが、いきなり立ち入ったことまで聞かれるのは誰だって嫌なものです」
三浦さんたちは、LGBTQ当事者に関するイベント開催や「住まいのプロジェクト」実施のほか、不動産会社をはじめとする企業にもコンサルティングを行っています。企業向けの講演ではLGBTQの人たちについて最低限理解してもらうために、ハラスメント問題・法的問題・同性婚について、社会や世界全体の考え方がどのように進んでいるのかを詳しく話すそう。マイノリティの人たちの特徴だけでなく、取り巻く社会環境の両方についてよく知ることが、差別や偏見のない社会につながっていくことを示しています。
カラフルチェンジラボが企業を対象に講演を実施したときの様子。LGBTQフレンドリーな企業を増やしていくには、まずは事実を知ってもらうことが大切というスタンスで続けている(画像提供/NPO法人カラフルチェンジラボ)
これからのLGBTQフレンドリー企業、そして社会に望むこと三浦さんたちが実施する住まいプロジェクトの協力企業も数社に増えてきましたが、全国にある何万もの不動産会社の中では、まだまだLGBTQの人たちへの理解が広まっているとはいえません。
カラフルチェンジラボがコンサルティングを依頼される不動産会社にヒアリングをすると「LGBTQの人たちへの取り組みを特別に行う必要があるのか」「LGBTQ当事者だと言ってくれれば、配慮して対応するのに」といった回答も多いそうです。しかし、何が問題なのかを正しく理解して能動的に行動しなければ、いつまでも社会は変わらないし、解決しないのです。
「企業が積極的にLGBTQに歩み寄らなければ、偏見に晒されるリスクがあるため、住まい探しの相談もできない人はたくさんいます。そこを理解しなければ、LGBTQの人たちが安心して住める、暮らせる社会は実現しないでしょう。
私は、LGBTQの社会参画によるマーケットへの影響は大きいと思っています。電通ダイバーシティ・ラボの『LGBTQ+調査2020』では、理解が進まないことで機会を損失していたり、当事者が消費に消極的になっている商材・業界の規模は5兆円を超えるともいわれています。また、当事者ではない人においても、約45%がLGBTQフレンドリーな企業の商品やサービスを利用したいと回答しているのです」
さらに三浦さんは「LGBTQの人たちが晒されている問題に取り組むことは、差別や人権の問題に取り組むのと同じこと」だと続けます。
「コンサルをしている企業がLGBTQ当事者への取り組みを行うと、副産物として必ずといっていいほど『サービスの質が向上した』『コミュニケーションが活性化した』という評価をもらいます。自分を知り、他者への配慮を学ぶことはLGBTQの人たちに限らず、障害をもつ人、高齢者など、全ての人がその人らしく生きることが当たり前の社会となるために、必要なことだからです」
来場者数1万人を超えた九州レインボープライド2022のステージ(画像提供/NPO法人カラフルチェンジラボ)
LGBTQの人たちへの居住支援においては無知や偏見が主な原因となるため、適切な知識を身に付けた上で取り組まなければ、個人や企業の自己満足になりかねません。また、LGBTQフレンドリーを示す店舗や会社があることは、LGBTQ当事者にとって相談しやすい指標となる一方で、それを表明した以上、LGBTQの人たちの気持ちを理解した対応をする責任がともないます。
三浦さんの言葉の通り、自分と他者への理解を深めることで、全ての人が生きやすく、住みやすい社会にしていきたいものですね。
●取材協力
NPO法人カラフルチェンジラボ