実家じまい、母の民芸コレクション数千点の譲渡会を父が設計した自宅で開催。新しい物語を次世代につなぐ 二部桜子さん

多くの人が気になる「実家の片づけ」。挿花家でエッセイストの母と建築家の父のもとに生まれた料理家の二部桜子(にべ・さくらこ)さんは、両親が世界中で集めた膨大な民芸品などのコレクションを次世代につなごうと、実家を開放して譲渡会を実施。遠方からも人が訪れて盛況に! 実家じまいとしてはもちろん、自身の今後についても多くの気づきが得られたというその経験について、二部さんにお話を伺いました。

暮らしも注目された母・二部治身さん。世界を旅して集めた民芸品が大量に

コンクリート打ちっ放しの天井の高い建築。広大な空間を埋め尽くすように、おびただしい数の器や古道具が並ぶ。「ちょっとした骨董市の物量ですよね」と二部桜子さんも笑うが、一家庭のコレクションとは思えないスケールだ。

フリマ形式の譲渡会「Recollection - 回想の記録 -」の様子(画像提供/鮫島亜希子さん)

フリマ形式の譲渡会「Recollection – 回想の記録 -」の様子(画像提供/鮫島亜希子さん)

ここは桜子さんが育った東京都八王子市郊外の家。母である挿花家でエッセイストの二部治身(にべ・はるみ)さんは、建築家の夫・誠司(せいじ)さんとともに桜子さんと弟を育てながら、約100坪もの敷地で花と野菜をつくり、四季の草花を愛でてきた。「暮らし系」という言葉が生まれるずっと以前の80年代後半から、自然とともに生きる治身さんのライフスタイルは数々の女性誌や著作で紹介され、全国に多くのファンを生んだ。

二部桜子さん。アメリカの大学で美術を学んだのちアパレル企業に勤め日米を行き来する。2017年、東京都台東区蔵前に「SHUNNO KITCHEN」スタジオを開設し、旬の野菜を軸とした料理教室やケータリング、レシピ開発を行う(写真撮影/片山貴博)

二部桜子さん。アメリカの大学で美術を学んだのちアパレル企業に勤め日米を行き来する。2017年、東京都台東区蔵前に「SHUNNO KITCHEN」スタジオを開設し、旬の野菜を軸とした料理教室やケータリング、レシピ開発を行う(写真撮影/片山貴博)

「母は高校生のころから骨董を集めていたほど器や雑貨が大好き。タイへの新婚旅行を機にアジアの魅力に目覚め、さまざまな国を訪れては現地の民芸品を山のように持ち帰っていました」と桜子さんは振り返る。「アジアやアフリカの民芸品が持つ、素朴でどこか不完全な美しさが好きだったようです。父も収集癖があり、夫婦で好みも一致していたので、二人で競うようにものを集めていました」

生活道具のみならず、イスなどの家具や壺などもコレクションしていた(画像提供/鮫島亜希子さん)

生活道具のみならず、イスなどの家具や壺などもコレクションしていた(画像提供/鮫島亜希子さん)

アジアやアフリカのオブジェやマスクも(画像提供/鮫島亜希子さん)

アジアやアフリカのオブジェやマスクも(画像提供/鮫島亜希子さん)

治身さんが現役のころは雑誌などの撮影用小道具のリース業も少なかった時代。仕事に使えるようにと集めていた部分もある。1999年に建て替えられたこの家も、治身さんの仕事の撮影にも使えるようにと誠司さんが設計したもの。「だからデザイン性は高いんですけれど、底冷えするように寒かったり、段差が多かったり。敷地も広すぎて、高齢の夫婦が暮らすには厳しくて」

両親とも実家を手放して小さく暮らすことを検討していたが、2021年に誠司さんが他界してしまう。治身さんは桜子さん夫妻と暮らすことになり、いよいよ実家じまいを行うこととなった。

仲間の力を借りながら、楽しんで準備した自宅での譲渡会が大反響

そうして始まった二部家の実家じまいだが、当初は明らかに不要なものも膨大にあったという。
「まずは不要品を処分するのがいちばん大事だと思います。体力の必要な作業ですが、海外に住む弟も帰国時にやってくれました。とはいえあまりに物量が多かったので、この最初の段階ですべてを要・不要に分けたわけではないんです。判断に迷うグレーゾーンを残しつつも、明らかな不用品やゴミを処分できたことで気持ちにゆとりができ、友人にも手伝いに来てもらいやすくなりました」

残されたのは、大量の民芸コレクション。業者に買い取りを依頼することも頭をよぎったが、せっかくなら友人に譲りたいと桜子さんはひらめいた。「アパレル業が長かったこともあり、器やインテリアが好きな友人が多いんです。話してみたら“おもしろそう!”と言ってくれて」。そうしてまずは友人知人限定で、フリマ形式の譲渡会を行うことにした。

治身さんが高校時代から集めていたデッドストックの器たちも販売された(画像提供/鮫島亜希子さん)

治身さんが高校時代から集めていたデッドストックの器たちも販売された(画像提供/鮫島亜希子さん)

フリマで難しいのが値付けだろう。「母も値段までは覚えていなかったので、骨董屋さんに出かけて値ごろ感を確かめたり、画像検索で由来や価格を調べたり。通常の骨董品店よりはかなりお得な値段に設定しました」

友人の手も借りながら準備を進め、2022年8月と9月の4日間で「Recollection – 回想の記録 -」として譲渡会を実施。「告知はInstagramの個人アカウントのみで、友人とその友人のみの予約制に。中には影響力のある友人もいたので拡散力がすごくて」。予想以上の反響があり、約1500点が新たな持ち主のもとに旅立った。

世界各国からかごやザルを背負って持ち帰った治身さんは「かご長者」とあだ名されたほどのかご好き(画像提供/鮫島亜希子さん)

世界各国からかごやザルを背負って持ち帰った治身さんは「かご長者」とあだ名されたほどのかご好き(画像提供/鮫島亜希子さん)

好評を受けて、10・11月には一般客にも予約枠を開放することに。「リテールビジネス(BtoCのビジネス)に携わっている友人たちがいろいろアドバイスをくれて。当初は“この引き出しの中はいくら”みたいな値付けでしたが、知らない人への販売なら一つひとつ値段を書いたほうが会計がスムーズだよとか。”このコーナー売れ行きがよくないね”と友人がささっとディスプレイを直してくれたとたん、驚くほど売れたりも」

明治~昭和の和食器もセンスよくディスプレイして販売(画像提供/鮫島亜希子さん)

明治~昭和の和食器もセンスよくディスプレイして販売(画像提供/鮫島亜希子さん)

手伝ってくれた友人たちとはいつしか“実家フェス”の通称が定着。「”せっかくならお茶ができたらいいよね”と、友人が和室で抹茶を立てて、私のお菓子とお出ししたり。そうやって仲間とアイデアをふくらませるのが楽しかった」。まるで学園祭のような自由さをベースに、ビジネススキルと創造力を持ち寄って準備したこのイベントには、北海道や石川県など遠方も含めのべ数百人が訪れ、総計5000点ほどを譲渡できたという。

2023年10月には「Recollection-回想の記録-エピローグ」として、治身さんの著書のレシピを再現した食事会も実施。「譲渡会で、父が建てた建築をみなさんに見ていただけたのも嬉しかったんです。せっかくだから記録に残そうと、母の料理をつくって父と母が元気だった頃の二部家を再現して、友人である写真家の鮫島亜希子さんに撮ってもらいました」

和気あいあいと和やかな食事会の様子。このときのコレクションは"お気持ち"価格で譲渡し、ウクライナの動物支援団体に寄付も行った(画像提供/鮫島亜希子さん)

和気あいあいと和やかな食事会の様子。このときのコレクションは”お気持ち”価格で譲渡し、ウクライナの動物支援団体に寄付も行った(画像提供/鮫島亜希子さん)

顔の見える使い手へ譲る喜びが、愛したものを手放す寂しさを和らげる

業者の買い取りより手間や時間はかかっても、ものの行く末がわかるのが嬉しいと桜子さん。「友人のおうちに遊びに行ったら、うちで活躍していたものにまた出合えたり。おうちで使う様子をInstagramに上げてくれる人もいて、両親の愛したものたちの新しい物語が始まるのだと実感できました」

来場した友人たちが購入物をインスタにアップ。「みなさんのセレクトが見ていて楽しくて」と桜子さん(画像提供/左から、@hirokoinabaさん、@mamimori8さん)

来場した友人たちが購入物をインスタにアップ。「みなさんのセレクトが見ていて楽しくて」と桜子さん(画像提供/左から、@hirokoinabaさん、@mamimori8さん)

治身さんもイベントの様子に感激。「ものを手放すから、と悲しむ様子が全くなくて。自分のコレクションがお店みたいにキレイに並べられて“やっぱりこれ素敵よね”なんて喜んだり。自分が好きで手に入れたものを、みなさんが楽しそうに選んで譲り受けていく姿がすごく嬉しかったようで、いい親孝行ができました」

もちろん治身さん自身が手離したくない宝物はキープ。桜子さんも、手元で大切にしたいものたちを自宅やスタジオで愛用している。

水屋箪笥はクリーニングして、桜子さんの「SHUNNO KITCHEN」スタジオで愛用(写真撮影/片山貴博)

水屋箪笥はクリーニングして、桜子さんの「SHUNNO KITCHEN」スタジオで愛用(写真撮影/片山貴博)

風格あるベンチも実家からスタジオに。桜子さんの愛犬・アズキちゃんも心地よさそう(写真撮影/片山貴博)

風格あるベンチも実家からスタジオに。桜子さんの愛犬・アズキちゃんも心地よさそう(写真撮影/片山貴博)

古い実験用漏斗をランプシェードに。「たまたま訪れたアンティークショップで、こんなふうに漏斗を照明にしているのを発見。そのお店にお願いして照明にしてもらいました」(写真撮影/片山貴博)

古い実験用漏斗をランプシェードに。「たまたま訪れたアンティークショップで、こんなふうに漏斗を照明にしているのを発見。そのお店にお願いして照明にしてもらいました」(写真撮影/片山貴博)

買い手がつかなかったランプシェードもスタジオで活躍(写真撮影/片山貴博)

買い手がつかなかったランプシェードもスタジオで活躍(写真撮影/片山貴博)

これからの“もの”との付き合い方を考えるきっかけにも

二部家の実家じまいは、かなり特別なケースかもしれない。でも桜子さんのアイデアと行動力があったからこそ譲渡会は実現でき、成功につながった。「思いついたら後先考えず突っ走るタイプ。料理の仕事もずっとやりたいと言っていたけれど、この物件との運命的な出合いがあって、会社を辞めるより先に契約したことで現実化したんです。今回のイベントも、アイデアを周囲に伝えることで現実のものになりました」

窓の前に咲く満開の桜に、自分の名前との運命的な符合を感じて契約したスタジオ。「譲渡会で知り合った人たちが一緒に料理教室に来てくれたりと、嬉しいご縁も生まれています」(写真撮影/片山貴博)

窓の前に咲く満開の桜に、自分の名前との運命的な符合を感じて契約したスタジオ。「譲渡会で知り合った人たちが一緒に料理教室に来てくれたりと、嬉しいご縁も生まれています」(写真撮影/片山貴博)

周囲の人を巻き込んだのも成功の秘訣。
「一人では絶対に無理でした。最初に不要品処分を弟がやってくれたことが突破口になったし、アパレルの仕事の友人や、料理の仕事を通してつながった暮らしに関心の高い友人が助けてくれたからこそ実現しました」

また、今回のイベントを経験して学んだこともある。
「次の世代が使いたいと思える“いいもの”だからこそ譲ることができたんですよね。自分がものを選ぶ際にも、単に便利で安価だからというのではなく、次の世代にも引き継げるものを選ぶことが大切だと痛感しました」

両親が愛用していたハンス・J・ウェグナーデザインの「Yチェア」もそのひとつ。「実家で使い込まれて、かなり傷んでいたんですが、クリーニングに出したらいい味わいを残しつつきれいになって。いいものだからこそ、こうして修繕しながら長く使えるんですよね」

二部家のダイニングで活躍していたYチェア。脚ががたつき、ペーパーコードの座面もボロボロだったが家具のクリーニングに出して風格ある姿に(写真撮影/片山貴博)

二部家のダイニングで活躍していたYチェア。脚ががたつき、ペーパーコードの座面もボロボロだったが家具のクリーニングに出して風格ある姿に(写真撮影/片山貴博)

高齢になり、広すぎる家や多すぎるものの扱いに困っていた両親の姿を見て、年齢に応じてものとの付き合い方を見直す必要性にも気づいたという。
「70歳くらいになったら新たなライフステージの準備として、またフリマをやろうかと仲間と話しているんです。そのためにも“20年後、次の使い手に引き継げるか”を、もの選びの指針として大切にしていきたいです」

桜子さんが陶芸作家の久保田由貴さんと一緒に考案した器のセット。これも大切に使って次世代につなぎたいと考えているもの(写真撮影/片山貴博)

桜子さんが陶芸作家の久保田由貴さんと一緒に考案した器のセット。これも大切に使って次世代につなぎたいと考えているもの(写真撮影/片山貴博)

桜子さんのご両親が美しいと思えるものだけを集めていたからこそ、次の使い手につながるという幸せな展開は実現した。特別なケースだと思われがちな二部家の実家じまいだが、サステナビリティが重視される時代に、“次の使い手に引き継げるか”は、誰もが実践したいもの選びの基準と言えるだろう。また次の使い手へ引き継ぐための自宅フリマや譲渡会も、新しい実家じまいのアイデアとして参考になるはずだ。

●取材協力
「SHUNNO KITCHEN」主宰 二部桜子さん
Instagram

”おせっかい”が高経年マンション問題の危機を救う!? 京都市の行政と民間の関わりがユニークすぎる管理の解決策とは

京都市が取り組む「おせっかい型支援」が注目を集めています。劣化が進むマンションを見つけだし、飛び込みで訪問する独特な後方支援ゆえに「よけいなお世話だ」と門前払いされる場合もしばしば。ハードルが高いこの支援、どのように運営しているのでしょう。京都市都市計画局住宅室住宅政策課に話を聞きました。

マンションの老朽化は周辺住民の命にかかわる問題

「『おせっかい』という言葉は、『もう、こちらから押しかけていこう』という気持ちの表れなんです」

「おせっかい型支援」の陣頭指揮を執る京都市都市計画局住宅室住宅政策課の企画担当課長、神谷宗宏(じんや ・むねひろ)さんはそう語ります。リーダーの神谷さんは、建築の技術職です。そして神谷さんをはじめ、同課係長の鈴木裕隆さん、武田あゆみさん、野上智也さんの計4名と、NPO法人「マンションサポートネット」から「おせっかい型支援」は成り立っています。

では、「おせっかい型支援」は、どのようないきさつでスタートしたのでしょう。

京都市都市計画局住宅室住宅政策課の企画担当課長、神谷宗宏(じんや むねひろ)さん(写真撮影/吉村智樹)

京都市都市計画局住宅室住宅政策課の企画担当課長、神谷宗宏(じんや むねひろ)さん(写真撮影/吉村智樹)

「外壁が崩壊等した事例(滋賀県野洲市)」(写真提供/京都市役所)

「外壁が崩壊等した事例(滋賀県野洲市)」(写真提供/京都市役所)

発足のきっかけは、国の「マンション管理適正化法」の制定を受け、2000(平成12)年から始めたマンションの実態調査にあります。

マンション管理に問題が生じていると、築年が古くなるにつれて、居室の賃貸化など非居住化が進みやすく、管理組合の高齢化も相まって、組合活動自体が難しくなり、行政に助けを求めることも難しくなる場合もあります。ひとたび管理不全に陥ると居住者の努力だけでは機能回復が難しくなるため、老朽化がさらに深刻になる実態が幾度の調査から浮き彫りになりました。

神谷「マンションの廃墟化は、京都の景観への影響も大きく、もはや私有財産の問題ではないことにいち早く気づいたのです。当初はマンションの管理に行政が踏み込む法的な根拠はありませんでした。しかし、廃墟化を待つわけにはいかない。マンションに長く快適に住み続けてほしい。だから頼まれてもないのに管理組合の支援を始めたのです。これが京都発“おせっかい型”支援の所以です」

全国でマンションの管理不全に注目が集まるきっかけとなったのが、かつて滋賀県野洲市に存在した「廃墟化マンション」です。このマンションは2010年(平成22年)に建築基準法に基づく外装材の落下防止措置などが勧告されたにもかかわらず放置状態が続き、2020(令和2)年、遂に行政代執行による解体工事が着工。その費用はなんと1.18億円にものぼりました。このように管理組合が正常に機能していない場合、問題を抱えたマンションは放置され、解体費用などで財政を圧迫してしまうケースがあるのです。

神谷「野洲の廃墟化マンションの行政代執行の件は、京都も関心を持っていました。行政代執行にかかった金額は相当ですが、何より危険です。マンションは私有財産ですが、管理不全に陥って老朽化したときに、景観だけではなく周辺の住環境やコミュニティに与える影響がひじょうに大きい。放っておくと住民の命にかかわるんです」

2020(令和2)年に国が「マンション管理適正化法」を改正し、同法に基づく指針のなかで、マンションは民間資産であり社会的資産でもあると初めて位置づけられました。行政のマンション管理への関与が位置づけられたことを機会に、近年京都の“おせっかい型支援”が注目され、全国にも広がっています。

それにしても「おせっかい型支援」とは、わかりやすい、大胆なネーミングです。

神谷「いきなり“要支援”と言葉にすると、どうしてもネガティブイメージを払拭できない。いやがる人もいるでしょう。そこで『おせっかい』という、くだけた表現を使いました」

老朽化したマンションの外壁のイメージ(画像/PIXTA)

老朽化したマンションの外壁のイメージ(画像/PIXTA)

建築のプロの目視で発見する「要支援マンション」

では、「おせっかい」が必要なマンションは、どのように発見するのでしょう。

神谷「第一歩は、各マンションの管理組合へのアンケート調査です。アンケートの回答を参考にしますが、組合活動がしっかり行われていない場合、回答をいただけないことが多い。 回答がないことが、管理不全に陥っている可能性を示唆しているんです」

アンケートの回答がないのも、一つの調査結果です。管理不全状態に陥っている可能性をより明確化するため、新たに加わったもう一つの方法が、専門家による外観目視の調査。視察するのはマンション管理士、建築士、弁護士など複数業種のエキスパート約15名によって運営されているNPO法人「マンションサポートネット」。築20年以上が経ったマンションの外壁の剥がれ具合、金属製の柵が錆びた様子などから異常がないかどうかを彼らが判断し、要支援マンションの候補とします。

ヒアリングと外観調査の双方向に指標も設け、基準7項目のうち4項目に該当していると、要支援の対象に。NPO法人「マンションサポートネット」のメンバーと、神谷さんを筆頭とした京都市都市計画局住宅室住宅政策課4名による「おせっかい」が始まるのです。マンションサポートネットはマンション管理組合が「主体的によいマンション管理ができる」ように現地へ赴き、「建物や設備の点検」「大規模修繕工事」「長期修繕計画の作成や見直し」「管理規約の改正」「委託管理の見直し」などのコンサルタント業務を行う、言わば実行部隊なのです。

要支援マンションなどの判断基準(表1)と定義(表2)(京都市役所資料を基にSUUMO編集部作成)

要支援マンションなどの判断基準(表1)と定義(表2)(京都市役所資料を基にSUUMO編集部作成)

神谷「外観から『もしや?』と感じた場所へ実際に出向き、棟内や部屋を視察すると、配管設備がボロボロだったり、ひどく漏水していたりする場合もあります。外観に傷みが見受けられると、内部もかなり劣化が進んでいると考えられるので、一刻も早い対策が必要です」

建築の技術職である神谷さん。街を歩いていても、マンションを見て「ピンとくる」場合があるのだそうです。

京都市の街のイメージ(画像/PIXTA)

京都市の街のイメージ(画像/PIXTA)

投資型マンションに多く見られる「管理不全」

要支援マンションが現れる背景には「管理不全」があります。「マンションを維持する母体となるはずの管理組合がうまく機能してない」「管理組合の実態が確認できない」など、管理責任の在り処があいまいなのです。そのようなケースでは、「おせっかい型支援」として、「管理組合の規約を立ち上げる」という根源的な部分から介入するといいます。

その管理不全に陥る一つの大きな要因に、「非居住化が進んでいる」という傾向が挙げられます。

神谷「例えば区分所有者が投資や事業を目的としてマンションを購入している場合、ご自身は住んでおられないことが多いんです。部屋を賃貸されている場合、借主である居住者には管理組合に参加する義務がない。賃貸されていなくても区分所有者が倉庫や事務所として利用されている場合もある。つまり、区分所有者は現地に住んではおられない。建物に少々の不具合があってもご自身がお住まいになっているわけじゃないので、お金を出してまで修繕するかというと、どうしても無関心になってしまうんですよね」

マンションの利用形態が複雑多様化するなか、区分所有者と居住者が異なるため、管理に関する合意形成ができず不行き届きになってしまう。非居住化が進んでいるマンションの支援は難航し、長期化します。今後の「おせっかい型支援」の大きな課題の一つです。

投資系マンションが管理不全に陥るという傾向が多いという(画像/PIXTA)

投資系マンションが管理不全に陥るという傾向があるという(画像/PIXTA)

「いらぬお世話だ」と追い返されるケースも

マンションの管理体制を立て直し、より長く使ってもらおうと立ち上がった「おせっかい型支援」。とはいえ、誰しもがやすやすとは受け入れてくれません。おせっかいと銘打つわけですから、「いらぬお世話だ」と追い返されるケースもあるのです。

神谷「話を聞いてくださる方にたどり着くのが大変ですし、たどり着けても、まずは警戒されます。いきなり押しかけてこられて、自分たちの私有財産、台所事情を探られるわけですから。たとえマンションの関係者が話を聞いてくれたとしても、管理組合が機能していない内情を簡単には明かしてくれません。根気のいる作業なんです」

「おせっかい型支援」のイメージ図(画像/PIXTA)

「おせっかい型支援」のイメージ図(画像/PIXTA)

このように、サポートに辿り着くまでに幾つもの壁があるといいます。

神谷「マンションサポートネットはその点、さすが経験豊富な専門家の集団です。さまざまなパターンに対して、対応のノウハウを蓄積されておられます。大きな声で怒鳴られるなど、危険な目に遭う可能性もあるわけですから、誰でもできるわけではない。豊富な経験に裏付けられた知見を持っている彼らは頼りになる存在です」

そうして幾度かの説得の末、申し出を受け入れたマンションと、やっと話し合いへと駒を進めることができるのです。

マンションと住民の「二つの老い」

マンションが抱える問題は、大きく二つあるといいます。一つは「マンション自体の高経年化」。二つ目が「区分所有者の高齢化」です。そしてこの二つの問題は、セットでもあるのです。

神谷「“二つの老い”と呼ばれています。昔はマンションに永住するという考え方は、あまりなかったようです。一時期はマンションに住んで、ゆくゆくは戸建てに移住する。それが一般的な暮らし方とされていました。しかし近年はマンションを終の棲家とする人たちも増えてきた。しかし管理費が計画的に積み立てられていない場合、マンションが高経年化すると修繕箇所が増えるにもかかわらず積立金が不足しているために適切な対応ができない。積立金額を上げたくても高齢化が進み、上げられない。そうしていっそう管理不全化が進んでしまうんです」

マンションの高経年化の進行(京都市役所作成)

マンションの高経年化の進行(京都市役所作成)

マンションの修繕積立金は、年数が経つにつれてだんだんと金額が上がっていく「段階積立方式」をとっている場合が多い。しかし計画的な管理ができていない場合、必要な積立金額がわからず、必要額がわかったとしても「時すでに遅し」なのです。そういった事態をできるだけ避けるため、京都市では積立方式について議論している検討会に参加しています。

京都のマンションは6割が小型

京都のマンションには、一つの顕著な特徴があります。それは「小規模マンションが多いこと」。50戸以下の小さなマンションが全数の約6割を占め、さらに21~30戸のマンションは350棟を数えます(2020年調べ)。京都市は小規模な土地が多いことや、厳しい景観政策を実行しており、建築物の高さに制限が設けられている地区があります。それゆえに高層マンションが建ちにくく、小規模化するのです。そして小さなマンションほど「支援を要する場合が多い」のだとか。

京都市住戸別マンション数(京都市役所作成)

京都市住戸別マンション数(京都市役所作成)

老朽化の兆候が見られるマンション(京都市役所作成)

老朽化の兆候が見られるマンション(京都市役所作成)

神谷「大きなマンションには、管理会社が入っていることが多いです。小規模な高経年マンションも管理会社が入っていたり、管理会社を入れずに自主管理されていたりするところは少なくありませんが、大中規模以上に比べて人材面、資金面ともに脆弱になってしまう傾向がありますね」

国土交通省も注目する「おせっかい型支援」の成功事例

では「おせっかい型支援」は、どのような実績があるのでしょう。成功事例を二つ、紹介します。

一つ目は1974(昭和49)年竣工、築50年 の「真如堂マンション」。左京区岡崎地域の静かな住宅地に立つ13 戸の小型マンションです。

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入前

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入後

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションは理事長と居住区分所有者の数名で自主管理を行ってきたものの、建物の老朽化が進みました。そこでマンションサポートネットの協力のもと、2013(平成 25 )年度に外壁塗装、鉄部の塗り替えなどの維持工事、受水槽の撤去、遮音や断熱性能の高い玄関ドアへの交換、水道管直結などを着工。資産価値のアップを図ったのです。

工事が始まる前にはマンションサポートネットのメンバーのアドバイスを仰ぎながら管理組合を立ち上げ、規約改正を行いました。そうして長期修繕計画に基づく資金計画を検討した後、修繕積立金を適正に値上げし、工事費に充てました。それでも足りない分は住宅金融支援機構の融資を活用。専門家の助言を受け、帳簿を作成し、融資の条件を満たすことができたのです。

このように多角度的な支援の甲斐があり、築50年を経ながら現在も特段に古びた様子は見受けられません。

もう一つが1971(昭和46)年竣工、築53年 の「京都グランドハイツ」。平安神宮や琵琶湖疎水など京都の歴史的建造物に囲まれた左京区聖護院にあります。7階建、総戸数91戸という中型マンションです。

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入前

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

昭和のオイルショックのさなか、管理会社から委託費用の大幅値上げを要求され、これをきっかけに1976(昭和51)年には自主管理へと移行。外壁塗装、屋上防水ほか小修繕を実施し、活発な管理が行われてきました。

しかし高経年マンション実態調査において、建物の劣化が進行していると判明。役員の高齢化が進んだなどの理由で必要な改修ができていなかったのです。京都市役所は2013(平成25)年よりマンションサポートネットを派遣。専門家の助言を契機に役員が熱心に管理業務に取り組むようになり、規約の改正、資金の調達のうえ、2018(平成30)年、遂に大規模修繕工事の実施にこぎつけました。

現在は建物の劣化や管理不全の問題が解消され、良好なマンション組合の運営が行われています。2023(令和5)年10月の国交省主催の事例報告会では好例として取り上げられたほどの事例なのです。

なかには『維持していくことすらも非現実』という物件も

管理不全に陥ったマンションのなかには、管理体制の見直しという観念ではもはや収束できない、危険な状態にある例もあるのだとか。

神谷「この建物を安心安全な状態まで修繕するには何千万、いや何億かかる。たとえ修繕積立金等を切り崩して修繕しても、老朽化は進行するので次の修繕が必要になる。重なる修繕に多額の費用がかかるであろうが修繕積立金の目途が立たない。そのように『維持していくことすらも非現実』という物件も実は幾つか見つかっています。そうなるともう、『売却すれば、今ならこれぐらいのお金は戻ってきますよ』という方向にしか話を持っていきようがない。言わば“マンションの終活”ですね。今後マンションはどんどん高経年化が進みますから、マンションの終わり方を考える支援はこれから増えていくでしょう」

マンションを支援する形も、今後は除却も視野に入れて提示するなど、選択肢が増えていくようです。

要支援状態から脱しても油断はできない

こうして京都市都市計画局住宅室住宅政策課とマンションサポートネットの尽力により、マンションにしっかりした管理組合が設立されたり、大規模修繕工事が実施されたり、長期修繕計画ができたり、管理費や修繕積立金の適切な徴収が可能となったりし、47棟あった要支援マンションは、半数がその状態を脱することに成功しました。

しかし、「そこで終わりではない」と神谷さんは言います。

神谷「専門家が入っているあいだは支援がうまくいっていたけれども、いったん専門家が外れてしまうと元に戻るケースもありました。『やっぱり、どうしていいかわからない』『うまく回せない』という例があるんです。そのためにも、支援を要しなくなったあとも、常に状況を把握しておくことが大事だと考えます」

「一度介入して終わりではなく、継続的な支援が必要だ」と語る神谷さん(写真撮影/吉村智樹)

「一度介入して終わりではなく、継続的な支援が必要だ」と語る神谷さん(写真撮影/吉村智樹)

次に取り組むのが「マンションの管理状態の“見える化”」

改正マンション管理適正化法は2022(令和4)年4月に施行されました。この法律は、マンション管理業者の業務を規定する内容が主でしたが、今回の改正で、管理組合に向けた内容が追加されました。行政が管理組合に対し、助言や指導を行うといったことも盛り込まれています。「行政もマンションの管理をしっかりやらなければならない」と国ぐるみの議論が加速化するなか、京都市役所の先進的な取り組みは他都市からも注目されています。

神谷「他の自治体さんからも高い評価をいただき、『おせっかい型支援の方法論を教えてほしい』『どのように実態を把握するのか』という問い合わせをけっこういただいています。プッシュ型支援という言い方で、全国に取り組みが広がっているんです。京都市としてはとても喜ばしいことと受け取っています」

高経年マンションが増え、新しい支援のスタイルとして全国のモデルケースとなった京都市役所。そんな京都市役所はさらに未来へ向け、次の一手を打とうとしていました。

マンションの管理の見える化のイメージ図(画像/PIXTA)

マンションの管理の見える化のイメージ図(画像/PIXTA)

神谷「現在、取り組んでいるのがマンションの管理状態の“見える化”です。2022(令和4)年に改正されたマンション管理適正化法のなかに『管理計画認定制度』という、マンションの管理状態を行政が認定する制度が作られたんです。この制度の最大の意義は、マンションの管理状態を図る物差しができたことだと考えています。マンションの広告などに『法律に基づく行政機関の認定を受けました』などと記載していただく。そうすると市民のマンション購入の目安になり、中古マンションであっても『しっかりしたマンションなんだな』と考えてもらえるでしょう。金融機関も認定によって管理状態を推し量ることができるので、『長期修繕計画もしっかりしているし融資をつけてみようか』という展開に持っていきたい。そうなると、マンション側も『うちも、どうせなら認定を取ろうか』という発想になっていきますよね。認定マンションを増やすことによって、管理に対する意識がどんどん高くなっていくと思うんです」

経過年数が長いマンションは不安視されがちです。しかし、管理計画認定がされているのならば購入を検討するなかでの安心材料となります。昨今、若い子育て世帯の流出が問題になっている京都市。マンションの認定制度が普及し、マンション全体の管理水準を上げることが、流出を食い止めるカギの一つになるでしょう。

国土交通省の発表によると、2022(令和4)年末の段階で、築40年以上のマンションは日本に約125.7万戸が存在し、20年後(2042年末)には445万戸にまで増加するのだそうです。
人間ともに高齢化するマンション。高経年による事故や悲劇を防ぐのは、どんなに時代が進んでも、「おせっかい」という古きよき人情なのだと、取材を通じて感じました。

●取材協力
京都市都市計画局住宅室住宅政策課

2023年住宅トレンドは「平屋回帰」。コンパクト・耐震性・低コスト、今こそ見直される5つのメリットとは?

一戸建てのマイホームといえば、2階建て、3LDK以上というのがこれまでの既定路線。いま、家族のあり方やライフスタイルの多様化にともない、70平米前後までのコンパクトな平屋が今需要を伸ばしています。ミニマムな広さと価格で自分らしい平屋暮らしを楽しむ人たちの声をもとに、マイホームの選択肢として注目が高まる「コンパクト平屋」の魅力を探ります。

なぜ今、コンパクト平屋が人気なのか

ここ数年、住宅資材や土地価格の高騰で、従来よりもコストダウンした住宅が関心を集めるようになりました。また、子育てファミリー世帯から、単身や高齢者夫婦、ひとり親世帯(シングルファーザー・シングルマザー)といった多様な世帯が増えたことにより、住宅ニーズも変化してきています。さらに、災害で資産を失うことや、終活、実家じまいなどでモノを多く持つことへの課題に直面し、“ミニマルな暮らし”が注目されています。
そうした背景から、年々需要を伸ばしているのが、コンパクトな平屋です。新しいマイホームの選択肢として、平屋住まいを選んだ方たちの事例取材を進めると、平屋が支持される5つのポイントが見えてきました。

平屋が支持される5つのポイント
1 上層階の重さがかからず、地震に強い構造がつくりやすい
2 施工コストが安く、購入できる人の幅が広がった
3 ランニングコストが安く、高性能な家が実現できる
4 アメリカンテイスト、ログハウスなど、デザインバリエーションの増加
5 ミニマリスト、終活など、モノを持たない暮らしへのシフト

それでは、具体的に見ていきましょう。

ポイント1 熊本地震以降、地震に強い平屋の需要が急増

熊本地震以降、全国と比較して熊本での平屋の需要が急増したことは、平屋の耐震性に着目する人が増えたことを物語っています。

2016年、震度6と震度7を立て続けに観測した熊本では、木造2階建て住宅の1階部分が上階に押し潰される形での倒壊が数多く見られました。こうした経験から、再建築や新築の際需要が増加したのが、シンプルで安定した構造の平屋の住まいでした。

全国と熊本の平屋棟数・着工割合

2016年以降、全国と比較して、熊本の平屋の割合が増加したことがわかります(データ/国土交通省より)

熊本県熊本市の工務店、グッドハート株式会社の営業・宮本紬麦さんにお話をうかがうと、「熊本地震から5年以上経っても、震災後の家づくりとしてやはり耐震性を気にかける方は多い印象です。当社で2022年度に完工した26棟のうち、10棟が平屋でした。セールスポイントであるローコストや自由設計という点にまず着目して来られる方からも、耐震性能の話は確実に出てきます」
地震に強い構造がつくりやすいということが、平屋を選ぶ大きな理由のひとつになっているようです。

外観と内観

(写真提供/グッドハート)

平屋が耐震性に優れているのは、バランスが取りやすい安定した構造であること、また建物の重心が低いため揺れにくいことが挙げられます。家にかかる重量という点でも、2階建て以上の建物と比べて軽いことから、倒壊のリスクは軽減されるといえます。
加えて、玄関や窓から屋外に逃げやすいという点も、平屋のメリットでしょう。

子どもが巣立ったのを機に、2階建ての家からリフォーム済み中古の平屋に移り住んだSさん夫妻(栃木県・夫60歳、妻52歳)。以前は福島県にお住まいで、東日本大震災で大きな地震も経験しています。「前の家では小さな地震でも2階にいると揺さぶられるように感じることがありましたが、平屋に住んでからはそこまでの揺れを感じたことがありません。いざ大きな地震や火災が起きても、足腰に負担をかけずすぐに外に逃げ出せると思うと、安心感があります」と言います。

中古の平屋をリフォーム

中古の平屋をリフォームし、夫妻と愛犬で第二の人生を楽しんでいるSさん宅(写真撮影/masaru tsurumi)

関連記事:50代から始めた終活でコンパクト平屋を選択。家事ラク・地震対策・老後の充実が決め手、築42年がリフォームで大変身

ポイント2 施工コストが低いから、多くの人の手に届きやすい

一般的に、階段や2階トイレの確保、建築中の足場代などがより必要な2階建て住宅と比べ、施工コストが抑えられる平屋。太陽光発電、高断熱といった機能性を追求しつつ、70平米前後で1500万円を切るローコスト新築住宅も登場しています。手元に老後資金を残したいシニア世帯や、住宅ローンの借入額に不安を感じていたシングル世帯、ひとり親世帯など、さまざまな人に手が届きやすい価格帯といえます。

夫と2人、マンションから住み替えたRinさん(千葉県・50代)の平屋は、約60平米で建築費は1600万円台。子どもが就職し、教育費がかからなくなったタイミングでの購入でした。「夫が住宅ローンを組める年齢だったので、10年で完済する予定で住宅ローンを組みました」と話します。

Rinさん宅

夫と二人暮らしをしているRinさん宅。面積は以前のマンションより2割ほど小さくなりました(写真提供/Rinさん)

関連記事:50代人気ブロガーRinさんがコンパクト平屋に住み替えた理由。暮らしのサイズダウンで夫婦円満に

前出のSさん夫妻(栃木県・夫60歳、妻52歳)は、老後を見据えた終活のひとつとして平屋での暮らしを選択。「平均寿命である80歳まで、住むのは20年。手元にもお金を残しておきたかったし、金銭面では無理をしないでおこうと思いました」と、元の家の売却金額をスライドして支払いに充て、住宅ローンを組まずに購入しました。

Sさん夫妻

平屋で、愛犬と一緒に二人暮らししているSさん夫妻(写真撮影/masaru tsurumi)

両親の介護を終え、実家で一人暮らしをしていたTさん(埼玉県・60代)は、実家の敷地の半分を売却し、その資金で65平米の平屋を新築しました。「必要最低限のほどよいサイズで、シンプルなつくりが気に入っています。女性単身で『家を建てるなんて無理』と思われるかもしれませんが、私にもできました」。庭では家庭菜園を楽しみ、広いウッドデッキは地域の憩いの場にもなっています。

自宅の敷地に平屋を新築したTさん。愛猫と一緒に一人暮らしを満喫しています(写真撮影/片山貴博)

関連記事:実家じまい跡に65平米コンパクト平屋を新築。家事ラク&ご近所づきあい増え60代ひとり暮らしを満喫

ポイント3 ランニングコストが安く、高性能な家に住める

この1年余りでエネルギー高に直面し、ランニングコストを下げたいという希望も高まってきました。コンパクトな平屋は冷暖房効率が高く、家中の温度を一定にしやすいのが特徴。高齢になるほど心配なヒートショック対策にもなります。また、同じ床面積の2階建てと比較して平屋は屋根面積が大きいため、より多くの太陽光パネルを設置することができます。発電効率がよく、メンテナンスがしやすいことも、注目したいポイントです。

80代の母と同居するため、2階建ての実家を約50平米の平屋に建て替えたHさん(千葉県)。「冬は朝起きる前に1時間ほどエアコンをつけておき、日中は灯油ストーブとリビングのホットカーペットだけ。廊下もないので、家中の温度差はほとんどありません」と、気密性の高いコンパクト平屋の快適さを実感しているそうです。

Hさん宅

モダンな土間キッチンのあるHさん宅。格子戸で仕切れる和室を母との2人の寝室に(写真提供/木のすまい工房)

関連記事:2階建て実家をコンパクト平屋に建て替え。高齢の母が過ごしやすい動線、高断熱に娘も満足

子どもが社会人になり独立、夫婦二人暮らしになるにあたり、67平米の平屋を新築したTさん(埼玉県・夫30代、妻40代)は、「小さい住まいは断熱性能がとてもよく、夏も冬もエアコン1台で快適に過ごせました」。電気料金が値上がりしても、使用電力が以前より少なく済んだため、電気代は抑えられたといいます。

Tさん宅

Tさん宅にはエアコンがリビングに1台のみ(写真撮影/片山貴博)

夫婦二人暮らしの久保田さん(群馬県・40代)の住まいは、約73平米、2LDKの平屋。「エアコンは3室に設置してありますが、この冬はリビングにある24畳用のエアコンだけ稼働させて、十分暖かかった。寝室に入ったときも寒さは感じませんでした」と言います。屋根には太陽光パネルを搭載。「今後メンテナンスが必要になったときも、足場が最小限で済むから費用は抑えられるはず」と話します。

久保田さん夫妻

開放的なリビングでストレスなくのびのび暮らす久保田さん夫妻(写真撮影/片山貴博)

関連記事:40代共働き夫婦、群馬県の約70平米コンパクト平屋を選択。メダカ池やBBQテラスも計画中で趣味が充実

ポイント4 アウトドア風などデザインのバリエーションも豊富に

カリフォルニアの風を感じるようなガレージ付きのアメリカンスタイルの家に、ぬくもりあふれるログハウスなど、コンパクトな平屋にも多彩なデザインが続々登場。好みや趣味によりフィットした、豊かな暮らしが叶います。テレワーク用の部屋やアウトドアなど趣味を楽しむ拠点として、敷地内に建てる“離れ”感覚のタイニーハウスも人気が高まっています。

前出のTさん夫妻(埼玉県・夫30代、妻40代)は、車をメンテナンスできる大きなガレージがほしいと、67平米のアメリカンハウスの平屋に住み替えました。「西海岸をイメージした、吹き抜けのある白いリビングが気に入っています。庭にはドライガーデンと、季節の花を植えた花壇を作りました。のんびり庭いじりしたり、デッキでお酒を飲んだりする時間が楽しいです」

Tさん夫妻

庭にガレージを建てるのが目標と話すTさん(夫)(写真撮影/片山貴博)

自宅の敷地内に約10平米のログハウスをセルフビルドした桑原さん(長野県・40代)は、10代のときから集めていたビンテージ雑貨や自転車、バイクなどを並べ、趣味の空間をつくり上げました。「6畳だけの空間は、湯船みたいな“おこもり感”もあり、サッシを開け放てばデッキの先につながる庭が見渡せて、視界が広がり開放感もあります」。ログのぬくもりも心地いい、秘密基地のようなサードプレイス平屋です。

桑原さんの小屋

ログ小屋のキットを購入してセルフビルドした桑原さんの小屋。薪ストーブもあります(撮影/窪田真一)

関連記事:10平米以下のタイニーハウス(小屋)の使い道。大人の秘密基地や、住みながら車で日本一周も! ステキすぎる実例を紹介

ポイント5 ミニマリスト、終活など、ものを持たない暮らしが実現

終活や実家じまいなどを通じて、ものを多く持つことで見えてくる課題にふれ、この先はシンプルに暮らしたいと考える人が増えてきました。コンパクトな平屋の住まいは、余計なものを持たないミニマム志向の暮らしにマッチします。

約60平米の平屋に住む前出のRinさん(千葉県・50代)はこう言います。「収納は、扇風機のような季節家電が入るくらいの奥行きがあれば十分。洋服も若いときほど多くなくていい。クロゼットもパントリーも、何があるか一目でわかるように収納しています」。必要なものだけを厳選し、家事動線を整えた小さな平屋暮らしでは、家事ストレスが減って夫婦仲も円満になったそうです。

キッチンとパントリー

写真右はキッチン横のパントリー。奥行きが浅く、全部見渡せるので、何があるのか忘れません(写真提供/Rinさん)

母娘2人で暮らす前出のHさん(千葉県)は、実家を約50平米の平屋に建て替えるのを機に、ものをすっきりと処分。「実家は使っていないものであふれていました。今の家に持ってきたのは本当に必要なものだけ。収納場所も限られていますが、手の届く範囲に収納できて、どこに何があるかきちんと把握できています」

Hさん宅

2階建ての実家を平屋に建て替えたHさん宅。ものを減らしてすっきり暮らしています(写真提供/木のすまい工房)

ライフスタイルの変化に合わせて、ものを減らし、スムーズな動線で快適に心地よく暮らす。地震に強く、広さも価格もミニマム。そんなコンパクト平屋は、世代を問わず、これからの理想の住まいとして、ますます広がりを見せていきそうです。

●関連ページ
「SUUMOトレンド発表会 2023」プレスリリース
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●取材協力
・グッドハート株式会社/ペンギンホーム
・株式会社カチタス
・Rinさん ブログ「Rinのシンプルライフ」
・ヒロ建工
・木のすまい工房
・古川工務店
・ケイアイスター不動産株式会社
・BESS(株式会社アールシーコア)

最新トレンドは「心と健康にいい住宅」。コロナ禍に世界中で注目される“WELL認証”って?

最近、住宅のキーワードとして“住宅性能”“環境配慮”などが話題にのぼっている。一方で、このコロナ禍において、世界中で住環境の見直しが進む中、新たな視点が注目を集めている。“人の健康やウェルビーイング(身体的、精神的、社会的に良好であること)”の視点で空間を評価する「WELL認証(WELL Certification)」だ。一体どんなものなのか、国内外の最新情報を探った。
住宅性能、環境の次は「健康と心」にやさしい住まい。WELL認証とは

日本国内で省エネと環境配慮を評価するLEED認証やWELL認証の普及に尽力している「グリーンビルディングジャパン(GBJ)」(2013年設立)で、WELLワーキンググループの主査を担う清水建設の沢田英一さんに話を聞いた。

サステナブルな住環境づくりに関心の高い建築や不動産関係者へ、WELL認証を始めとしたワークショップやセミナーを提供している(写真提供/GBJ)

サステナブルな住環境づくりに関心の高い建築や不動産関係者へ、WELL認証を始めとしたワークショップやセミナーを提供している(写真提供/GBJ)

「いま、ウェルビーイング(Well-being)という言葉が注目を集めています。身体的、精神的、社会的にも健康な、幸福度をあげていこうという考え方です。日本では、主に職場環境や公共ビルに対してこのウェルビーイングを向上させようという動きが進んでいて、実際、GBJへの問い合わせもLEED認証よりもWELL認証が増えています」(沢田さん)

例えば、昨年8月にWELL認証(v1)を取得した京阪ホールディングスの「GOOD NATURE HOTEL KYOTO」では、清潔で安心な空間をつくる「空調方式」を採用し、手洗い環境の整備と除菌清掃に関する取り組みが高く評価されたという。また、緑や自然を感じさせる空間を、ロビーや客室に配置。さらに、快適な安眠と目覚めを可能にするための「快眠照明システム」が導入された。

WELL認証は、こうしたウェルビーイングに基づいた「人々の健康や生活の快適さなどに焦点を当てた、建築物や居住区の環境や運用に対する性能評価システム」だ。建物を客観的に評価することにより、不動産価値を数値化できる点と、国際的な評価基準と照らしあわせることができるのが特徴。

(画像提供/G B J)

(画像提供/G B J)

2014年にv1から、2018年からはv2 pilotに移行し、コンセプトの数が10項目になった(画像提供/G B J)。現在は、v2、WELL Community、WELL Portfolio、WELL Health-Safety Rating(HSR)の4種類で登録が可能。また今年、住宅を対象にしたWELL Homes Advisoryが立ち上がったばかり

2014年にv1から、2018年からはv2 pilotに移行し、コンセプトの数が10項目になった(画像提供/G B J)。現在は、v2、WELL Community、WELL Portfolio、WELL Health-Safety Rating(HSR)の4種類で登録が可能。また今年、住宅を対象にしたWELL Homes Advisoryが立ち上がったばかり

沢田さん曰く「2014年にアメリカで誕生してから評価基準もどんどんアップデートされており、現在は『空気、水、栄養、光、運動、温熱快適性、音、材料、こころ、コミュニティ』という10項目に。特筆すべきは、WELL認証は建物の設備的な点だけではなく、建物をどのように運用するかや、どのようなプログラムを導入するかが、認証を取る際の評価の重要なポイントになっている点です」
さらに、世界的に認証取得件数も2017年の635件から2021年6月に2万5253件に増え、注目度も上がっていることがうかがえると話す。
ではWELL認証の建物で生活すると、どんなメリットがあるのだろうか? この認証では、人生の90%を室内で生活していると言われている現代人が、健康に生活するためのスタンダードをつくることで、肉体的にも、精神的にも健康に、豊かに生活できる環境を整えようとしているものだ。例えば、建物の空気質環境が良ければ、気管支炎やぜん息に罹るリスクは減るといったことなど。
現在日本では、WELL認証を導入した建物の多くはオフィスビルで、住まいへの本格導入はこれからといったところのようだ。そんななか、オランダで世界発となるWELL認証を取得した既存建築物を利用した賃貸マンションが2018年に登場しているという。

「はじめは『健康的な建物?ジムでもつくるのか?』と笑われた」

その物件は、オランダ・アーネム市にあるマンション「Aan de Rijn(アン・デ・ライン)」。

名称通り、ライン川沿いに7階建てと9階建ての2棟が並ぶ複合マンション(写真提供/Vesteda)

名称通り、ライン川沿いに7階建てと9階建ての2棟が並ぶ複合マンション(写真提供/Vesteda)

物件オーナーはオランダの不動産管理会社Vesteda(ヴェステダ)だ。そこのサステナビリティ責任者ステファン・デ・ビーさんはこう話す。

「実はVestedaがオーナーになった時点では、既存の住民からは“健康的な建物”に対する需要はなかったんです。ですが私たちは、住まいは『サステナブル』で『幸せをもたらすもの』であるべきだという信念があり、それにもとづいて、この物件も改善することにしたんです。となると、既存の住民にもそれを理解してもらわないといけない。そこで私たち自身が学ぶ場を得ると同時に、住民にも認識をうながす手段として、『WELL認証を取得すること』を思いついたのです」

その時点で、すでにマンション94室はほぼ満室。取得を決めてから最初に行ったのは、住民たちとのコミュニケーションだった。

「ある住民に『建物の健康度を測る認証をオランダのマンションで初めて取得する』という話をしたら、“ジムでもつくるつもりなのか?”と聞かれました」と笑うデ・ビーさん。

通称「緑のエントランス」と呼ばれているマンションの1F玄関部分©(写真提供/Vesteda)

通称「緑のエントランス」と呼ばれているマンションの1F玄関部分©(写真提供/Vesteda)

「居住空間の“禁煙”」に反対の声も……どう住民たちの理解を得たのか

認証取得のためのリフォームにも住民たちに積極的に関わってもらうことで、「コミュニケーション頻度が増えるなど距離が縮まり、理解を得ることができた」という。例えば、エントランスを改装する際には、デザインを住民に選んでもらった。

なかでも最も苦労したのは、評価基準の「空気」の項目。建物すべてがWELL認証を得るためには、共有部分だけでなく居住空間でも“禁煙”を徹底しなければならない。オランダでは、タバコが吸えない賃貸住宅ビルはそれまで存在しておらず、もちろん当初は反対する人も多かったという。

しかし、繰り返し「清浄な空気の大切さ」を訴えたこと、入居済みの住民に対してはこの条件が適応されないこともあって、徐々に賛同者を増やしていくことができたそうだ。(ただし、既存住民に対しては禁止ではないものの、禁煙が推奨されている)

「アン・デ・ライン」は、85平米/100平米の広さ、2LDKまたは3LDKの2種類の部屋がある。家賃は月に950ユーロ(12万円)前後(写真提供/Vesteda)

「アン・デ・ライン」は、85平米/100平米の広さ、2LDKまたは3LDKの2種類の部屋がある。家賃は月に950ユーロ(12万円)前後(写真提供/Vesteda)

ちなみにこの物件では、特別な浄化装置によってろ過される飲料水が蛇口から飲める(写真提供/Vesteda)

ちなみにこの物件では、特別な浄化装置によってろ過される飲料水が蛇口から飲める(写真提供/Vesteda)

新規の住民に対しては、「ペット不可」と同様の法的プロセスをとることで、入居時に“禁煙”の建物だと伝え、あらかじめ理解を得られるようにする。さらに、自治体にも協力を仰いで建物から半径20m以内の地域を「禁煙区域」と指定してもらうことで周辺の環境基準も整えた。

また建物全体に微粒子フィルターを備えた換気システム(熱回収機能付き)が設置されているほか、その日の外気の状態(空気の汚れ度)に応じて窓を開けるべきか/エアコンを使うべきかのアドバイスを、エントランスに設置されたタブレットや各住民のアプリを通じてチェックできるといった工夫もされている。

WELL認証のための改修費用などはどうした?

厳しいWELL認証の項目をクリアするためにリフォームを行うなど、当然、費用もかかったに違いない。一体どうやってまかなったのだろうか。

「WELL認証の改修費用は、物件の価値を上げるための投資として弊社が負担していますが、WELL認証導入後の管理費は、1戸に対して年間数ユーロだけです。管理費自体は増加しましたが、それは清掃費の分だけ。それ以外のメンテナンス関連の費用は、初期投資だけで運営費をゼロに抑える仕組みをつくりました」(デ・ビーさん)

その方法は、多くのサプライヤーにVestedaのアイデアに賛同してもらい、導入費用の割引や、パートナーシップの契約に協力を仰ぐというものだ。

例えば、施設の清掃の課題として、マンション内の植物の水やりがあった。植物が枯れないように、パートナー企業の支援で1カ月分の水を貯水できるタンクを設置した。タンクに水を入れるのは1カ月に1度だけで、必要な量についても自動的に判断し、給水される仕組みだ。そのため、清掃員は追加作業をする必要はなく、運営費もほとんど追加されていない。

定期的な水やりが心配されていたエントランスの植物(写真提供/Vesteda)

定期的な水やりが心配されていたエントランスの植物(写真提供/Vesteda)

また、前述の「換気システム」は半年に1回のフィルター交換が必要だが、メーカーに交渉し、定期的にフィルターを提供してもらう代わりにその効果を測定し、そのデータのフィードバックを行うことにした。

パートナー企業らも、革新的なプロジェクトに参画することで製品の良さを宣伝できるうえ、顧客からのフィードバックを得られるということで、プロジェクトへの参加に積極的だという。

パートナー企業等からの協力があったとはいえ、始動から3年、これらの一連の投資に見合う価値はあったのだろうか?

その問いに対し、デ・ビーさんは「間違いなくY E Sです。実際に住んでみるとその良さが分かるはず」と話す。

とはいえ、現在もWELL認証を取得しているかどうかは物件価値につながっておらず、賃料を設定するときのプラス材料とすることはできない。だが、「アン・デ・ライン」の住民たちからの評価は上々だ。「将来的にWELL認証の物件は、もっと価値が上がるのではないかと考えています」とデ・ビーさんは胸を張る。

左からRonald Papingさん(Arnhem市の市会議員)、“WELLマーク”を抱えるVestedaのCEOゲルトヤン・ヴァン・デル・バァンさん、Dick Vinkさん(BBI)、Ann-Marie Aguilar(IWBI)、Alexandra Boot(BBI)(写真提供/Vesteda)

左からRonald Papingさん(Arnhem市の市会議員)、“WELLマーク”を抱えるVestedaのCEOゲルトヤン・ヴァン・デル・バァンさん、Dick Vinkさん(BBI)、Ann-Marie Aguilar(IWBI)、Alexandra Boot(BBI)(写真提供/Vesteda)

GBJの沢田さんいわく、日本でのWELL認証の本格導入にはもう少し時間がかかりそう、とのこと。

「資料が英語で書かれ、審査書類の準備も英語で行わなければいけない。こうした言語のハードルの高さと、WELL認証を継続的に持ち続けるための運用コストの償却方法が、日本での普及の課題になっているんです」(沢田さん)

現時点で日本国内のWELL認証取得済みの建物は、オフィスや寮のみで、一般住宅はない。
とはいえ一方で、国内の認証制度である「CASBEE」でも、サステナビリティや健康に照準を当てた基準ができつつあるという。

オランダの賃貸マンションの事例では、サステナブルな住まいに対して、多くの企業が積極的に参画していただけでなく、自治体や行政も協力的だった。また、賃貸オーナーが自ら「テナントの生活環境と活力の向上に積極的に貢献する」という発想が、今後、日本でも芽生える可能性はあるのだろうか。関係する多くの協力が必要なものだけに、これからの日本での浸透に注目していきたい。

●取材協力
・一般社団法人グリーンビルディングジャパン(GBJ)
・Vesteda

テレワークが変えた暮らし【9】HSPの自分には「オフィス勤務は生きづらさだった」。生活の質を向上させた選択

「周囲の音が気になって仕方がない」「他人の気持ちを自分のことのように感じてしまい、気疲れしてしまう」――。従来は「繊細」のひと言で片付けられていた気質が生きづらさになっている人たちのことが、昨今、「HSP」=Highly Sensitive Person(とても敏感な人)として知られるようになってきた。脳のストレスを処理する扁桃体が生まれつき活発なため、刺激などを感じ取りやすい性質の持ち主のことで、5人に1人はHSPだともいわれている。そんなHSPの人々が働くうえで、テレワークは生活の質を劇的に向上させることもある。HSPを自認する男性に、話を伺った。
「集中力がない」はずが、テレワークで仕事に没頭できるように

HSPは生まれ持った特性であり、病気などではない。刺激の量や強度の適正は人により違いがあるものだが、雑音があったり、大人数がいる空間などが過敏に刺激になってしまったりすることがある。感受性の強さゆえに、たくさんの人と長時間ともに過ごす職場環境は、HSPの人にとっては大きな負荷ともなりうる。

大阪・北摂地域に住むJさんは、昨年10月に東京のITベンチャーに転職し、現在は自宅と、近所のシェアオフィスを使ってテレワークをしている。Jさんが自分をHSPだと自覚したのは、転職してテレワーク勤務を始めたところ、疲れず仕事に没頭できるようになったからだった。

職場で集中できなかった分の仕事を持ち帰ることがなくなり、空いた時間は自身の勉強にも使えるようになったというJさん(写真撮影/水野浩志)

職場で集中できなかった分の仕事を持ち帰ることがなくなり、空いた時間は自身の勉強にも使えるようになったというJさん(写真撮影/水野浩志)

「小さなころからたくさんの人がいるイベントなどが苦手で。圧倒されてしまうんです。それは自分の弱さだ、治したい、と困っていました。HSPのこと自体は知ってはいたんですが、自分自身とは結びついていなくて。でもあるときSNSで見かけたHSP当事者の方の事例が、まさに自分のことのような内容だったんです」

前職は国立大学の職員。経理関係の業務を担当していた。穏やかな語り口で聡明な印象を受けるJさんだが、前職時代は自身のことを「集中力のない人間」だと感じていたという。

「周囲に機嫌が悪い人がいたり、人が誰かに怒られていたりすると、自分のことじゃないと分かっていても気になってしまって。そういうときは仕事が手につかなくて、終業後にわざわざ図書館や自宅でこもることもありました」

家族の状況に応じて自宅とシェアオフィスを使い分ける

前職での勤続年数が10年を超え、今後は専門性を高めたいと思っていたころ、大学のデータ分析を請け負っていた現在の勤務先と出会う。事業内容への関心から、この道を歩みたいと感じたところ、ヘッドハンティングされた。転職自体はすぐ決心できたが、妻帯者で小学生と幼稚園児の2児の父親であるJさんにとって、転居が伴うのは迷うところ。会社に相談したところ、大阪に住んだままほぼフルリモートでの勤務を快諾してもらえたという。

自宅の間取りは4LDK。仕事場所は自宅とシェアオフィスで使い分けている。テレワークありきの転職ではなく、やりたい仕事の会社がたまたまテレワーク可だったそう(写真撮影/水野浩志)

自宅の間取りは4LDK。仕事場所は自宅とシェアオフィスで使い分けている。テレワークありきの転職ではなく、やりたい仕事の会社がたまたまテレワーク可だったそう(写真撮影/水野浩志)

「本来は出社して業務をするのが基本なんですが、体調不良のときや自宅で用事があるときは、テレワークができる環境が整っていた会社なんです。ことさらテレワークを推奨するというわけでなく、普通にひとつの手段としていつでも選べるように用意してある感じですね。フルリモートは僕だけですが、定期的に同じ曜日にテレワークをする同僚はいます。ただ新型コロナウイルス対応で、現在はテレワークが主という方針になりました」

大勢の同僚に囲まれる生活からシェアオフィスでひとりで働く環境へ変わるうえで不安だったのが、新しい仲間とのコミュニケーションが円滑に取れるのかということと、集中して業務に取り組めるかどうか。しかしむしろ、仕事ははかどるようになった。「自宅やシェアオフィスは静かな環境ですし、会社に在宅での勤務が普通だと理解してもらえているなかでの仕事は、まったくストレスがありませんでした」

勤務時間は7時間で、コアタイムの4時間さえ守ればフレックス制だ。働くのは、自宅でとシェアオフィスが半分ずつ。客先とのウェブ会議のときなどは、情報の漏洩を防ぐために自宅で行っている。ひとりで仕事することは食事の時間を忘れることもあるほど集中できてしまうが、自宅勤務時は家族と一緒に昼食をとることが、オンとオフを切り替えるよい時間になっているそう。「子どもたちと一緒にお昼ごはんを食べることができますし、妻に用事があれば自宅での勤務にして僕が面倒をみることもあります」。ただ、子どもたちにとっては、家に大好きなお父さんがいれば一緒に遊びたいし、話もしたいもの。「我慢させるのはかわいそうだけれど、家で仕事していれば、学校から帰ったときの様子などが分かるのは良い点だと思います」

在宅勤務時は家族との昼食で気分を切り替え。コーヒーブレイクもメリハリに(写真撮影/水野浩志)

在宅勤務時は家族との昼食で気分を切り替え。コーヒーブレイクもメリハリに(写真撮影/水野浩志)

それでも、公務員に準じる安定した仕事からの転職は、家族にとっても勇気のいるものだったのではないだろうか。しかし、妻のMさんは「たとえ給料が下がったとしても賛成だった」と話す。「夫はいろいろなアイデアを持っていたり頑張れたりするのに、活かせていない状態なのがもったいないとずっと思っていたんです。心配だったし、能力を発揮できる会社だから、そっちのほうがいいなって」

刺激への「防御」に使うエネルギーが減り、生活の質が向上

転職による収入の変化はほぼないが、生活の質は格段に向上したそう。「(他の人から)いつ話しかけられるか分からない」といった刺激の量をコントロールでき、集中して仕事に取り組めるので、単位時間あたりのアウトプットの量も増加した。「仕事を持ち帰ることは完全になくなったので、自由時間も増えました。空いた時間は勉強にも充てています」。刺激への「防御」にエネルギーを使って疲れ果てることがなくなったため、Mさんにとっても「しんどそうにしていることがなくなって、悩みの内容も『仕事をどう頑張るか』といった建設的で健康的なものになって、安心できた。家族みんなでご飯をたべる回数も増えました」と喜ばしい方向に向かっている。

いいことばかり、というMさんに、あえてテレワークならではのデメリットを聞いてみた。それは在宅で会議する際、インターネット環境を重視してWi-Fiルーターのあるリビングで行うため「長くて2時間、家族がリビングに入れないこと」だそう。日常生活に仕事が「侵食」してしまう「テレワークあるある」な課題ではある。「Wi-Fiと周波数が干渉してしまうので電子レンジが使えず、料理ができないんですよね」。とはいえそれも、家族皆で食卓を囲める環境になったからこその悩み、といえるかもしれない。

自宅のある北摂地域は、子育て家庭に人気のエリア。休日はよく、吹田市にある万博記念公園で家族と一緒に過ごす。万博記念公園は1970年に開催された日本万国博覧会の跡地を整備した公園。太陽の塔をシンボルとし、さまざまな樹木や草花が植えられ、四季折々の風景が楽しめる(写真撮影/水野浩志)

自宅のある北摂地域は、子育て家庭に人気のエリア。休日はよく、吹田市にある万博記念公園で家族と一緒に過ごす。万博記念公園は1970年に開催された日本万国博覧会の跡地を整備した公園。太陽の塔をシンボルとし、さまざまな樹木や草花が植えられ、四季折々の風景が楽しめる(写真撮影/水野浩志)

小学生の長女と幼稚園児の次女2児の父。自宅勤務のときにはしっかり者の長女が得意料理の卵焼きをつくってくれることもあるそう(写真撮影/水野浩志)

小学生の長女と幼稚園児の次女2児の父。自宅勤務のときにはしっかり者の長女が得意料理の卵焼きをつくってくれることもあるそう(写真撮影/水野浩志)

Mさんの実家は親戚の仲が良く、大人数で集まることもたびたび。Mさんにとっては当たり前の光景であったが、Jさんは参加に抵抗をみせていたそう。「以前はみんなのことが苦手なのかなって思っていました。今となればそういう状況が苦手なだけと分かるんですが」というMさんに「本当はみんなと仲良くしたいんだけど、いざその中に入ると緊張しちゃって」。今でもJさんは、5人以上人が集まる場では、圧倒されてしまう。

「(30代後半の)僕らが子どものころに受けていた教育は『みんな一緒に仲良く』。内気さは克服しないといけないものだと思っていた」とJさんは話すが、現在、他者との違いは当たり前だととらえるべき時代になってきている。従来の環境に無理に合わせるのではなく、自分に合ったところへと移るのが自然であり、オンライン環境の充実や、多様性が尊重される中で、そうすることが可能になりつつある。

テレワークは、新型コロナウイルスの感染拡大により3密を避ける目的で急速に注目されたが、自分の居心地のよい空間で働きたいという多くの人が抱く願いに置いても、ひとつの解となるだろう。制度とは本来、そこにいる人のためにあるもの。HSPによる生きづらさの解消へ、テレワークが一時的なものとならず、制度として正しく役立つことを祈りたい。

●取材協力
万博記念公園
住所:吹田市千里万博公園
営業時間:9:30~17:00(入園は16:30まで)
定休日:水曜日(4/1~GW,10,11月は無休)
自然文化園入園料:大人260円 小中学生80円

テレワークが変えた暮らし【9】HSPの自分には「オフィス勤務は生きづらさだった」。生活の質を向上させた選択

「周囲の音が気になって仕方がない」「他人の気持ちを自分のことのように感じてしまい、気疲れしてしまう」――。従来は「繊細」のひと言で片付けられていた気質が生きづらさになっている人たちのことが、昨今、「HSP」=Highly Sensitive Person(とても敏感な人)として知られるようになってきた。脳のストレスを処理する扁桃体が生まれつき活発なため、刺激などを感じ取りやすい性質の持ち主のことで、5人に1人はHSPだともいわれている。そんなHSPの人々が働くうえで、テレワークは生活の質を劇的に向上させることもある。HSPを自認する男性に、話を伺った。
「集中力がない」はずが、テレワークで仕事に没頭できるように

HSPは生まれ持った特性であり、病気などではない。刺激の量や強度の適正は人により違いがあるものだが、雑音があったり、大人数がいる空間などが過敏に刺激になってしまったりすることがある。感受性の強さゆえに、たくさんの人と長時間ともに過ごす職場環境は、HSPの人にとっては大きな負荷ともなりうる。

大阪・北摂地域に住むJさんは、昨年10月に東京のITベンチャーに転職し、現在は自宅と、近所のシェアオフィスを使ってテレワークをしている。Jさんが自分をHSPだと自覚したのは、転職してテレワーク勤務を始めたところ、疲れず仕事に没頭できるようになったからだった。

職場で集中できなかった分の仕事を持ち帰ることがなくなり、空いた時間は自身の勉強にも使えるようになったというJさん(写真撮影/水野浩志)

職場で集中できなかった分の仕事を持ち帰ることがなくなり、空いた時間は自身の勉強にも使えるようになったというJさん(写真撮影/水野浩志)

「小さなころからたくさんの人がいるイベントなどが苦手で。圧倒されてしまうんです。それは自分の弱さだ、治したい、と困っていました。HSPのこと自体は知ってはいたんですが、自分自身とは結びついていなくて。でもあるときSNSで見かけたHSP当事者の方の事例が、まさに自分のことのような内容だったんです」

前職は国立大学の職員。経理関係の業務を担当していた。穏やかな語り口で聡明な印象を受けるJさんだが、前職時代は自身のことを「集中力のない人間」だと感じていたという。

「周囲に機嫌が悪い人がいたり、人が誰かに怒られていたりすると、自分のことじゃないと分かっていても気になってしまって。そういうときは仕事が手につかなくて、終業後にわざわざ図書館や自宅でこもることもありました」

家族の状況に応じて自宅とシェアオフィスを使い分ける

前職での勤続年数が10年を超え、今後は専門性を高めたいと思っていたころ、大学のデータ分析を請け負っていた現在の勤務先と出会う。事業内容への関心から、この道を歩みたいと感じたところ、ヘッドハンティングされた。転職自体はすぐ決心できたが、妻帯者で小学生と幼稚園児の2児の父親であるJさんにとって、転居が伴うのは迷うところ。会社に相談したところ、大阪に住んだままほぼフルリモートでの勤務を快諾してもらえたという。

自宅の間取りは4LDK。仕事場所は自宅とシェアオフィスで使い分けている。テレワークありきの転職ではなく、やりたい仕事の会社がたまたまテレワーク可だったそう(写真撮影/水野浩志)

自宅の間取りは4LDK。仕事場所は自宅とシェアオフィスで使い分けている。テレワークありきの転職ではなく、やりたい仕事の会社がたまたまテレワーク可だったそう(写真撮影/水野浩志)

「本来は出社して業務をするのが基本なんですが、体調不良のときや自宅で用事があるときは、テレワークができる環境が整っていた会社なんです。ことさらテレワークを推奨するというわけでなく、普通にひとつの手段としていつでも選べるように用意してある感じですね。フルリモートは僕だけですが、定期的に同じ曜日にテレワークをする同僚はいます。ただ新型コロナウイルス対応で、現在はテレワークが主という方針になりました」

大勢の同僚に囲まれる生活からシェアオフィスでひとりで働く環境へ変わるうえで不安だったのが、新しい仲間とのコミュニケーションが円滑に取れるのかということと、集中して業務に取り組めるかどうか。しかしむしろ、仕事ははかどるようになった。「自宅やシェアオフィスは静かな環境ですし、会社に在宅での勤務が普通だと理解してもらえているなかでの仕事は、まったくストレスがありませんでした」

勤務時間は7時間で、コアタイムの4時間さえ守ればフレックス制だ。働くのは、自宅でとシェアオフィスが半分ずつ。客先とのウェブ会議のときなどは、情報の漏洩を防ぐために自宅で行っている。ひとりで仕事することは食事の時間を忘れることもあるほど集中できてしまうが、自宅勤務時は家族と一緒に昼食をとることが、オンとオフを切り替えるよい時間になっているそう。「子どもたちと一緒にお昼ごはんを食べることができますし、妻に用事があれば自宅での勤務にして僕が面倒をみることもあります」。ただ、子どもたちにとっては、家に大好きなお父さんがいれば一緒に遊びたいし、話もしたいもの。「我慢させるのはかわいそうだけれど、家で仕事していれば、学校から帰ったときの様子などが分かるのは良い点だと思います」

在宅勤務時は家族との昼食で気分を切り替え。コーヒーブレイクもメリハリに(写真撮影/水野浩志)

在宅勤務時は家族との昼食で気分を切り替え。コーヒーブレイクもメリハリに(写真撮影/水野浩志)

それでも、公務員に準じる安定した仕事からの転職は、家族にとっても勇気のいるものだったのではないだろうか。しかし、妻のMさんは「たとえ給料が下がったとしても賛成だった」と話す。「夫はいろいろなアイデアを持っていたり頑張れたりするのに、活かせていない状態なのがもったいないとずっと思っていたんです。心配だったし、能力を発揮できる会社だから、そっちのほうがいいなって」

刺激への「防御」に使うエネルギーが減り、生活の質が向上

転職による収入の変化はほぼないが、生活の質は格段に向上したそう。「(他の人から)いつ話しかけられるか分からない」といった刺激の量をコントロールでき、集中して仕事に取り組めるので、単位時間あたりのアウトプットの量も増加した。「仕事を持ち帰ることは完全になくなったので、自由時間も増えました。空いた時間は勉強にも充てています」。刺激への「防御」にエネルギーを使って疲れ果てることがなくなったため、Mさんにとっても「しんどそうにしていることがなくなって、悩みの内容も『仕事をどう頑張るか』といった建設的で健康的なものになって、安心できた。家族みんなでご飯をたべる回数も増えました」と喜ばしい方向に向かっている。

いいことばかり、というMさんに、あえてテレワークならではのデメリットを聞いてみた。それは在宅で会議する際、インターネット環境を重視してWi-Fiルーターのあるリビングで行うため「長くて2時間、家族がリビングに入れないこと」だそう。日常生活に仕事が「侵食」してしまう「テレワークあるある」な課題ではある。「Wi-Fiと周波数が干渉してしまうので電子レンジが使えず、料理ができないんですよね」。とはいえそれも、家族皆で食卓を囲める環境になったからこその悩み、といえるかもしれない。

自宅のある北摂地域は、子育て家庭に人気のエリア。休日はよく、吹田市にある万博記念公園で家族と一緒に過ごす。万博記念公園は1970年に開催された日本万国博覧会の跡地を整備した公園。太陽の塔をシンボルとし、さまざまな樹木や草花が植えられ、四季折々の風景が楽しめる(写真撮影/水野浩志)

自宅のある北摂地域は、子育て家庭に人気のエリア。休日はよく、吹田市にある万博記念公園で家族と一緒に過ごす。万博記念公園は1970年に開催された日本万国博覧会の跡地を整備した公園。太陽の塔をシンボルとし、さまざまな樹木や草花が植えられ、四季折々の風景が楽しめる(写真撮影/水野浩志)

小学生の長女と幼稚園児の次女2児の父。自宅勤務のときにはしっかり者の長女が得意料理の卵焼きをつくってくれることもあるそう(写真撮影/水野浩志)

小学生の長女と幼稚園児の次女2児の父。自宅勤務のときにはしっかり者の長女が得意料理の卵焼きをつくってくれることもあるそう(写真撮影/水野浩志)

Mさんの実家は親戚の仲が良く、大人数で集まることもたびたび。Mさんにとっては当たり前の光景であったが、Jさんは参加に抵抗をみせていたそう。「以前はみんなのことが苦手なのかなって思っていました。今となればそういう状況が苦手なだけと分かるんですが」というMさんに「本当はみんなと仲良くしたいんだけど、いざその中に入ると緊張しちゃって」。今でもJさんは、5人以上人が集まる場では、圧倒されてしまう。

「(30代後半の)僕らが子どものころに受けていた教育は『みんな一緒に仲良く』。内気さは克服しないといけないものだと思っていた」とJさんは話すが、現在、他者との違いは当たり前だととらえるべき時代になってきている。従来の環境に無理に合わせるのではなく、自分に合ったところへと移るのが自然であり、オンライン環境の充実や、多様性が尊重される中で、そうすることが可能になりつつある。

テレワークは、新型コロナウイルスの感染拡大により3密を避ける目的で急速に注目されたが、自分の居心地のよい空間で働きたいという多くの人が抱く願いに置いても、ひとつの解となるだろう。制度とは本来、そこにいる人のためにあるもの。HSPによる生きづらさの解消へ、テレワークが一時的なものとならず、制度として正しく役立つことを祈りたい。

●取材協力
万博記念公園
住所:吹田市千里万博公園
営業時間:9:30~17:00(入園は16:30まで)
定休日:水曜日(4/1~GW,10,11月は無休)
自然文化園入園料:大人260円 小中学生80円

レジ袋が全面有料化。プラごみ減らす「量り売りショップ」に注目

2020年3月から、ニューヨークでレジ袋の無料配布が禁止になりました。日本では7月からレジ袋の無料配布が禁止になりますが、“脱プラスチック”に率先して取り組んできた欧米に比べると、環境対策では大きな遅れを取っています。
「プラスチックごみを減らそう!」という声を耳にすることはあっても、その必要性をきちんと理解している自信がある人は少ないのではないでしょうか? 今回は改めて、プラスチックごみにまつわる現状と、これからどのようなライフスタイルにシフトするのがよいのかを知るべく、プラスチックをなるべく使わない生活を提案するWebサイト『プラなし生活』を運営する中嶋亮太さんと古賀陽子さんにお話を伺いました。

日本はプラスチック包装容器の個人消費量で世界2位

今、世界中で増え続ける「プラスチックごみ」が大きな環境問題になっています。

軽くて頑丈なプラスチックは生物に分解されないため、誤ってビニール袋を食べた動物が満腹だと勘違いして、餓死するケースがいくつも報告されているのです。

また、魚の体内からは大量のマイクロプラスチックが発見されています。プラスチックには生物に有害な添加剤が加えられていることが多く、巡り巡って魚を食べた人体にも影響を及ぼすことが懸念されています。

ゴミ置場からあふれ出したビニール袋やペットボトルは、風に飛ばされ、雨に流され、最終的には海に流れ着く(写真/Unsplash)

ゴミ置場からあふれ出したビニール袋やペットボトルは、風に飛ばされ、雨に流され、最終的には海に流れ着く(写真/Unsplash)

その一方で、1人あたりの使い捨てプラスチックの量は増え続けていて、その約半分が食料品の容器や、飲料ボトルなどのプラスチック包装容器です。日本は残念ながら、このプラスチック包装容器の個人消費量が世界で2番目に多い国なのです。

「プラスチックを取り巻く国内外の状況」 (UNEP 2018)より引用

「プラスチックを取り巻く国内外の状況」 (UNEP 2018)より引用

ごみ処理技術の進歩を待つだけでは、もはや手遅れになりかねません。この問題を解決するには、プラスチックの大量生産・大量消費に慣れてしまった私たちのライフスタイルを変えることが急がれます。

途上国でも進む「使い捨てプラスチック規制」

日本人はなぜ「使い捨てプラスチック」を大量生産・大量消費してしまうのでしょうか。『プラなし生活』運営者の2人はこう語ります。

「意識の高い低いというよりも、使い捨てプラスチックを使うことが当たり前になってしまっていることが問題だと思います。消費者はちょっとでも商品に傷がついていると買わないので、企業は商品を過剰に守ろうとする。だから何重にも包装するのが普通になってしまっているんです」(中嶋さん)

「プラスチックごみの問題はメディアで取り上げられているので、知っている人は多いと思うのですが、『自分はポイ捨てしないから関係ない』『ちゃんと分別していればいくら使っても大丈夫』と思っている人が多い気がします」(古賀さん)

左から『プラなし生活』運営者の中嶋亮太さんと古賀陽子さん(写真提供/中嶋さん・古賀さん)

左から『プラなし生活』運営者の中嶋亮太さんと古賀陽子さん(写真提供/中嶋さん・古賀さん)

ゴミをきちんと分別して捨てていても、プラスチックごみを減らさなくてはならないのはなぜでしょうか。

その理由の1つは、温暖化対策です。他のごみと同様、プラスチックは燃やせばCO2が発生するため、総量を抑える必要があります。

2つ目は、カンや瓶などに比べるとリサイクルが難しいためです。プラスチックは油がつきやすく落ちにくいので、きれいに洗浄できなかったプラスチックは燃やされてしまいます。また製品になる過程で、着色したり耐久性を持たせたりするための添加剤が加えられていることが多く、その場合もリサイクルは難しくなります。

なお、日本のプラスチックリサイクル率は82%と、諸外国に比べると高いのですが、これはプラスチックを燃やして発生した熱を再利用した分もリサイクル率に加えているためであって、純粋な日本国内でのリサイクル率は1割にも満たないと言われています。

3つ目は、落としたり、風に飛ばされたり、不法投棄されたりしたプラスチックが海に流れ着くことによって、生態系に悪影響を及ぼすためです。日本は廃棄物管理がきちんとしている国ではありますが、それでもゴミ置場からプラスチックごみが飛ばされたりすることは完全には防げません。また、日本は2018年1月に中国が廃プラスチックの輸入を停止するまで、自分たちのプラスチックごみの多くを中国に輸出してきました(年間約150万トン )。実際、海洋プラスチックごみのほとんどはアジアから流れ出ていることが分かっています。日本人の出したプラスチックごみが、海のごみになっている可能性は否定できません。

上勝町、亀岡市、鎌倉市など、プラごみ削減に積極的な自治体も

日本全体でのプラスチックごみ削減対策が遅れるなか、積極的な取り組みを進める自治体もあると、中嶋さんと古賀さんに教えてもらいました。

1.徳島県上勝町
人口約1300人の小さな町、徳島県上勝町は、日本で初めてゴミをゼロにすることを目指す「ゼロ・ウェイスト宣言」を2003年に発表しました。人口約1300人の小さな町の住民はゴミを34種類に分別し、その多くをリサイクルに回しています。レジ袋削減や、量り売りの推進にも積極的で、海外からも取材が来るほど注目を集めています。

2.京都府亀岡市
亀岡市は、使い捨てプラスチックごみゼロのまちとなることを目指して、2018年に「かめおかプラスチックごみゼロ宣言」を発表しました。2020年3月には「亀岡市プラスチック製レジ袋の提供禁止に関する条例」が成立し、市内で事業を行う法人、個人全てのレジ袋の提供が禁止になりました。「有料提供」も禁止する点で、国の取り組みよりも一歩踏み込んだ内容となっています。

3.神奈川県鎌倉市
鎌倉市が取り組んでいるのは、市内の公共施設に給水スポットとして「ウォータースタンド」を設置するという新しい試みです。2020年2月から市内の公共施設を中心に最大50台程度の設置を目指していて、市民や観光客にマイボトルの利用を呼びかけています。鎌倉市は2018年10月に「かまくらプラごみゼロ宣言」も行っており、市役所の自販機でのペットボトル飲料の販売廃止など、率先した取り組みが目立っています。

(写真/PEXELS)

(写真/PEXELS)

日本ではこうした一部の自治体が先進的な取り組みを行っていますが、海外では先進国・途上国問わず、多くの国ですでにレジ袋の無償配布は禁止されています。中嶋さんによると、日本よりもはるかに厳しい罰則を設けている国は多いとのこと。

「ケニアではレジ袋を持っているだけで警察に逮捕されます。レジ袋が排水溝に詰まって洪水が起きてしまったことがきっかけで、禁止になったんです。インドでも、神聖とされている牛がレジ袋を誤って食べてしまい、使い捨てプラスチックを使うと罰金刑が課されるなど、取り締まりが厳しくなりました。このようにゴミ処理の技術が未発達な国の一部は、使い捨てプラスチックが環境に及ぼす影響が顕著な分、日本よりも対策は一歩進んでいると言えます」(中嶋さん)

すぐに始められる「量り売りショップ」の利用

使い捨てプラスチックの使用量を減らすために、私たち一人ひとりができることは何でしょうか。簡単に始められるのが、「量り売りショップ」に行くことです。

「僕が住んでいたカリフォルニアでは、蜂蜜やコーンフレーク、ピーナッツバター、シャンプーやリンスが量り売りされていました」と中嶋さんは言います。海外ではプラスチックごみの問題が注目される前から、量り売りショップはわりと一般的だったそうです。

カリフォルニアでばら売りされている食材(写真提供/中嶋さん)

カリフォルニアでばら売りされている食材(写真提供/中嶋さん)

シャンプーの量り売り(写真/John Keane)

シャンプーの量り売り(写真/John Keane)

日本では、1つの店舗で多様な商品が量り売りされているお店はまだ少なく、食料品専門店が行っているケースが多いです。古賀さんにおすすめしてもらったのは、元住吉や新丸子で店舗を展開するバルクフーズ。ナッツやドライフルーツ、ピーナッツバターなどの食材をほしい分だけ購入できるお店です。

(写真提供/バルクフーズ)

(写真提供/バルクフーズ)

バルクフーズでは、瓶、缶、タッパーなど、好きな容器を持参すればその容器に商品を入れて購入できます。店舗にも備置きの容器がありますが、ビニールの小袋は紙袋へ、プラカップは瓶や紙カップへ、ビニールのレジ袋は生分解性の袋やエコバックヘと、切り替えを可能な範囲で進めているそうです。

店主の伊藤弘人さんは、量り売りを始めた理由を、「『身体にやさしいナチュラルな商品を日常的に摂取していただきたい』という思いのもと開店しましたが、そうした食品は高額なものが多く、継続的に摂取していただくためにはコストを抑える必要がありました。その手段として、量り売りは最も理に適ったやり方だったんです」と話します。店舗にとってはレジ袋を使わないことで、環境配慮だけでなくコスト削減の効果も期待できます。

またラッシュジャパンも、プラスチックごみの削減に向けて、多くの商品をパッケージ無しで販売しています。

容器不要の固形シャンプー「シャンプーバー」(写真提供/ラッシュジャパン)

容器不要の固形シャンプー「シャンプーバー」(写真提供/ラッシュジャパン)

バスボム、ソープ、シャンプーバーをはじめ、固形の商品は基本的に非包装の状態で販売しているほか、液体やクリーム状の商品のボトルやカップなどの容器には100%リサイクル可能な素材を使用し、可能な限りシンプルなデザインとしているとのこと 。

「ラッシュはビジネスを通して、社会の問題の根本をできるだけ解決したいと考えています。プラスチックの包装は、開封した途端にゴミになってしまいます。気候変動を無視することができなくなった昨今、『捨てること』を無くすことで、環境への負担を減らしたいと考えています」(ラッシュジャパン広報)

一般的にバスルームや洗面台で使われる商品は、使い捨てプラスチックで包装されていることがほとんどです。しかしラッシュでは、プラスチック包装なしで商品をショップに並べることが商品開発の時点から意識されており、プラスチックごみ対策が徹底されています。

エコな生活は「お金も時間もかかる」は本当?ラップの代わりに洗って繰り返し使えるミツロウラップ(写真提供/プラなし生活)

ラップの代わりに洗って繰り返し使えるミツロウラップ(写真提供/プラなし生活)

合成繊維(プラスチック)の食器洗いスポンジの代わりに使える綿たわし(写真提供/プラなし生活)

合成繊維(プラスチック)の食器洗いスポンジの代わりに使える綿たわし(写真提供/プラなし生活)

「エコな暮らしには憧れるけど、忙しいから自分には無理」と思う人も多いかもしれません。ところが、忙しい人ほど『プラなし生活』を実践するメリットがあると古賀さんは言います。

「使い捨てプラスチックを減らすと、身の回りにガラスやステンレス、金属、ステンレスなどの自然素材が増えます。そうすると、プラスチックの消耗品 を買ってストックする必要がなくなるので、結果的に買い物が減って、節約にもなるんです。しかも天然素材の風合いは統一感が出るので、キッチンが驚くほどオシャレになりますよ」

レジ袋を貰わないようにしたり、量り売りショップを利用してみたり。使い捨てプラスチックが地球環境に与える影響を知ることによって、今までの消費行動をできるところから変えていこうと思う人も多いのではないでしょうか。

「でも、何も『環境のため』と気負う必要はないんです」と古賀さんは語ります。

「一番大事なことは「長く続けて行く」こと。環境を変えてやるぞ、と頑張りすぎると疲れてしまうことがあります。 ちょっとおしゃれで、楽しめることだと思って、身近なところから始めてみるのが良いと思います」

『プラなし生活』の2人が言うとおり、楽しみながら取り組むことが、ライフスタイルを長期的に変えていくヒントかもしれません。

●取材協力
中嶋亮太さん
生物海洋学者。2009年に博士号を取得。米国スクリップス海洋研究所の研究員を経て、現在、国内の海洋研究所・研究員。海洋プラスチック問題、とくに海底に沈んだごみについて研究を進めている。著書に『海洋プラスチック汚染: 「プラなし」博士、ごみを語る』(岩波書店)がある。

古賀陽子さん
プラなし生活実践中の主婦。2005年にパナソニック(株)に入社し10年に渡り技術職勤務。その間、出産・育児を経て現在は自宅でお仕事中。海洋プラスチック汚染の深刻な実態を知り、中嶋氏 と共にプラスチックフリーなアイテムやヒントを探し回っている。

>プラなし生活●関連サイト
バルクフーズ
ラッシュジャパン

自動車、自転車ではなく、キックボードをシェア? 世界各国で広がる最先端の移動手段

自動車や自転車ならぬ「電動キックボード」のシェアサービスが欧米を中心に広がりを見せている。気軽に利用でき、かつ環境にやさしい移動手段としても注目を集めるこのサービス。仕組みやリスク、日本での普及可能性などについて、乗車した経験や事業者への取材などをもとに考えた。
エコで気軽に利用できる電動キックボード

電動キックボードは、キックボードにバッテリーとモーターが取り付けられた、電気を動力とする乗り物だ。右ハンドルに付いているレバーを押す(親指でレバーを押し込むイメージ)と加速する仕組みが一般的で、ブレーキも付いている。日本で目にすることは少ないが、海外では広がりを見せている。なぜなら、電動キックボードのシェアリングサービスが普及しているからだ。

シェアサービスの利用に際しては、スマートフォンにアプリを入れておく必要がある。アプリを起動すると、周辺で利用可能な電動キックボードが表示される。電動キックボードのハンドル付近には、QRコードが明示されており、同じアプリ上でQRコードをスキャンすれば鍵が外れ、利用可能となる仕組みだ。アメリカ発の「Lime(ライム)」や「Bird(バード)」といったサービス(アプリ)がよく知られている。

気軽に利用できることやタクシーと比較して割安であることなどが評価され、今やサービスは世界中に広がっている。2019年7月、南米ペルーの首都リマを訪問した際に電動キックボードを見つけた際は、「ここまで広がっているのか」と驚いた。当時は、まだそこまで浸透しているわけではなかったようで、ローカルの若者4人組が恐る恐る乗っていたのが印象に残っている。南米だけではない。東南アジアや東アジアでも電動キックボードのシェアサービスが始まっている。日本では見られない、日本人が知らない光景が、世界中に広がっているのだ。

南米ペルー・リマの街角で見かけた電動キックボード。地元の若者らが恐る恐る乗っていた(写真撮影/田中森士)

南米ペルー・リマの街角で見かけた電動キックボード。地元の若者らが恐る恐る乗っていた(写真撮影/田中森士)

実際に使ってみた感想は「便利。そして、楽しい」

実際の使用感はどうなのか。筆者は2019年4月、米国西海岸サンノゼにおいて何度か利用する機会があった。サンノゼには、筆者が専門とするマーケティングのカンファレンス参加のため滞在していたのだが、宿から会場まで1マイル(約1.6キロ)近く離れていた。もちろん歩いても行けるが、カンファレンスの朝は早い。終日みっちりプレゼンを聴講して、へとへと状態で宿に戻ると、時差の関係でそこから日本の仕事がスタート。この生活が会期中続く。少しの時間でも惜しかった。

アプリを開くと周辺で利用可能な電動キックボードが表示される(Limeのサービスページより)

アプリを開くと周辺で利用可能な電動キックボードが表示される(Limeのサービスページより)

選択肢としてはタクシーや配車サービス「Uber(ウーバー)」も当然あるが、利用には距離が短すぎる。そこで電動キックボードが選択肢として浮上する。筆者が利用したのは先に述べた「Lime」というサービス。電動キックボードは街中いたるところに乗り捨ててあり、アプリで探さずとも交差点を見渡せばすぐ目に飛び込んでくる。初乗り1ドル(2020年3月27日時点で、約108円)。そこから利用時間に応じて課金される。10分弱で2ドルちょっと。アプリで「終了」ボタンを押し、道に停めた電動キックボードをスマホで撮影すれば、決済完了となる。

ハンドルの近くにQRコードが表示されている(写真撮影/田中森士)

ハンドルの近くにQRコードが表示されている(写真撮影/田中森士)

「なんと便利な乗り物なのだろう」と率直に感じた。タクシーより安い。所要時間は徒歩の半分以下。そして利用者の多くが口にすることだが「乗っていて楽しい」。公共交通機関で長距離移動したあと、目的地までの「ラストワンマイル」を埋める移動手段は何か、という議論が起こって久しいが、電動キックボードはまさに「ぴったり」の移動手段であると感じる。

無事カンファレンス会場に付き、電動キックボードを停めたところ、それを通りすがりのスーツ姿の男性がおもむろにスキャン。颯爽とダウンタウン方面に消えていった。さすがシリコンバレー。キックボードが人々の生活に深く浸透していることがうかがえる。

米国サンノゼではいたる場所に電動キックボードが置かれており、市民生活に深く浸透していることがうかがえる(写真撮影/田中森士)

米国サンノゼではいたる場所に電動キックボードが置かれており、市民生活に深く浸透していることがうかがえる(写真撮影/田中森士)

日本への普及のハードルは、法律と道路事情

便利な電動キックボードだが、日本で広がる可能性はあるのか。個人的な見解であるが、現時点ではいくつかのハードルがある。ポイントは、法律と道路事情だ。

まず、法律。日本において、電動キックボードは「原動機付自転車」の位置付けとなる。運転する場合、ヘルメットと免許携帯が必須。ナンバー登録が義務付けられており、ナンバープレートの設置も必要だ。バックミラーや方向指示器などの装着も義務で、これらが欠けると法律違反となる。一方、筆者が米国で利用した際、年齢制限はあるものの免許は必要なかった。業界関係者によると、国によってこうしたルールは異なる。18歳以下はヘルメットの着用が必須であったり、歩道の走行が認められていたりと、各国が試行錯誤の末にルールを整備していっているという。シェアサービスとして普及してからまだ2年ほどしか経過していないため、今後も各国が検討を進めていくと考えられる。

続いて道路事情。長距離移動というより先述のとおり「ラストワンマイル」のための交通手段であるため、場合によっては細く、入り組んだ道を走るケースもあるだろう。特に米国などと比較して日本はこうした道が多い。乗車については力を抜き気味に乗るなどのコツも必要で、筆者も最初はバランスを取るのに苦労した。電動キックボードは、米国のように広々とした道であれば非常に使いやすいが、日本では道が入り組んだ場所など、エリアによっては道路事情とマッチしない可能性もある。

広々とした米国サンノゼの通り。米国は日本と比較して道が広い(写真撮影/田中森士)

広々とした米国サンノゼの通り。米国は日本と比較して道が広い(写真撮影/田中森士)

同時に、先述の通り日本では電動キックボードが原付バイクの扱いであるため、当然歩道の走行は禁じられている。車道を走る必要があるが、乗った感想としては自転車と原付バイクの中間のスピード(実際に走行する際は時速15キロ程度であることが多い)であり、現時点では幹線道路など場所によっては交通に混乱をきたす恐れもあると感じる。これらの理由から、日本で導入する場合は利用可能エリアを絞ったほうがいいのかもしれない。

日本で進む実証実験九州大学伊都キャンパスで実施されている実証実験の様子。私有地だが、バス、自動車、バイク、自転車、歩行者が通行。また、信号機、横断歩道が設けられているなど公道に近い環境となっている(モビー社提供)

九州大学伊都キャンパスで実施されている実証実験の様子。私有地だが、バス、自動車、バイク、自転車、歩行者が通行。また、信号機、横断歩道が設けられているなど公道に近い環境となっている(モビー社提供)

仮に電動キックボードが自転車と同じ扱いになれば、普及は一気に進む可能性がある。福岡市は、国に規制緩和を提案。九州大学伊都キャンパス内で実証実験を開始すると発表した(2019年11月~2020年4月で実施)。シェアサービスとしての電動キックボードの公道走行を目指すもので、実証実験の実施事業者は電動キックボードシェアリングサービス「mobby(モビー)」を提供する株式会社mobby ride(以下、モビー社)。福岡市のホームページによると、走行に関するデータを取得し、「安全性や利用ニーズについて検証する」という。

実証実験に参加したモビー社(同社Webサイトを画面キャプチャ)

実証実験に参加したモビー社(同社Webサイトを画面キャプチャ)

実は、海外で電動キックボードの普及が進む半面、規制の動きもある。利用に広がりを見せていたシンガポールでは2019年11月、事故が相次いでいることを受けて事実上禁止となった。筆者が以前、シンガポールで歩道を歩いていたところ、電動キックボードに追い抜かれヒヤッとした経験がある。最大速度は25キロにもなるため、歩行者に接触すれば双方けがにつながりかねない。ちょうど禁止になった直後にシンガポールに滞在していたのだが、どこでも目にしていたキックボードの姿は一切なかった。福岡市が安全性について検証するとしているのは、事故のリスクが背景としてあるとみられる。

一方フランスでも2019年、電動キックボードなどに関する新しい法律が公布された。2人乗りや歩道での走行を禁止するとともに、年齢と最高時速を制限するなどしたものだ。将来的にはライトなどの装備も義務付けられるという。

米国サンフランシスコでも電動キックボード(写真右の車脇)は当たり前の光景だ(写真撮影/田中森士)

米国サンフランシスコでも電動キックボード(写真右の車脇)は当たり前の光景だ(写真撮影/田中森士)

普及が進むと同時に、問題が顕在化した時点で規制が入る――というサイクルが繰り返され、中長期的に見ると世界中でゆるやかに普及が進んでいくと個人的に考える。特に観光地や都市部においては、渋滞緩和や回遊性向上が期待できるため、こうした地域を中心に世界的な潮流としては普及が進むのではないだろうか。

日本での普及には法改正が大前提となるだろう。同時に、自転車と共用の専用レーン設置などの安全対策も不可欠だ。安全を担保しなければ、そもそも法改正はかなわない。

モビー社で電動キックボードシェアサービスのビジネスを担当する安宅秀一氏は、「シェアサービスという形態を取ることで安全性を確保できる」と強調する。車体をサービス事業者が管理することで、個人所有の自転車で起こるような、整備不良や不正改造による事故を防ぐことができる。また、車体に内蔵されたGPSにより、道路環境に応じて利用エリアを限定できる。安宅氏は「われわれのサービスにおいて、電動キックボードは自転車と同じか、それ以上に安全性が高いと考えている。実証実験のフィールドを拡大するなどして、制度を変えるためのデータをできる限り多く集めたい」と話している。

人々のライフスタイルを変える、かつ「ラストワンマイル」を埋めるソリューション。日本で進む実証実験の推移を注意深く見守りたい。

●取材協力
株式会社mobby ride

民家の駐車場に“住める”!? 「バンライフ・ステーション」って?

「バン」などの車中泊仕様の車を生活拠点「家」にして、仕事や旅行などを楽しむ新たなライフスタイル「バンライフ」が話題となっている。

その流れを受け、バンライファーである筆者が、日本初の長期間“住める”民家の駐車場「バンライフ・ステーション」を2019年12月にオープンした。この試みはどういったものなのか、利用者の声も踏まえてお届けする。

なぜバンライフが熱いのか?

インスタグラムの「#VANLIFE」ハッシュタグ数は世界で676万件(2020年3月現在)にも及ぶ。インスタグラム、フェイスブック、ブログなどのソーシャルメディアを通して、世界的にあらゆるライフスタイルが共有される時代、人々の視野や価値観が拡大することで、“一緒に”変わった暮らし方にチャレンジする実践者が増えている傾向にある。

筆者の周りでも最近、「生活はバンライフで十分、(それを実践する)バンライファーになりたい」と従来の安定した正社員生活を離れ、2020年3月からトヨタ・ヴォクシーを活用し、バンライファーの仲間入りを果たした20代の若者もいる。

豊かな世の中に生まれ育った20~40代前後の若者が「何故これまでの考えのもと、人生を過ごさなければいけないの?」「時代に合わせた生活があってもいいのでは?」と暮らしの固定概念を疑問視し、精神的な豊かさや自由を求めて、旅先であらゆることを日々体感しながら暮らせるバンライフに魅力を感じ始めているようだ。

バンライフの“家”もあれこれ(写真提供/中川生馬)

バンライフの“家”もあれこれ(写真提供/中川生馬)

ハイエースをベースに、オフィスやベッドを搭載した“動く拠点”(写真撮影/中川生馬)

ハイエースをベースに、オフィスやベッドを搭載した“動く拠点”(写真撮影/中川生馬)

軽トラックや1トントラックに自作の木造の家を荷台に積むバンライファーもいる(写真撮影/中川生馬)

軽トラックや1トントラックに自作の木造の家を荷台に積むバンライファーもいる(写真撮影/中川生馬)

自身の好みで車内を改装すれば、分厚くて頑丈な外装、安全面を重視して製造された車は家にもなる。

「バンライフ=車上生活・車中生活」というと、かつては車付きの路上暮らしをイメージされがちだったが、いわゆるこの記事内の「バンライフ」は従来のイメージとは異なる。

ひと昔前は「マイホーム」が豊かさを示していたかもしれないが、今や個々の豊かさの価値観は自身の自由度にシフトし始めている。

情報通信技術が飛躍的に進化、バンライファー人口はどれくらいいる?

バンライフを実践したい人たち向けに車中泊スポットのシェアと、キャンピングカーなど車中泊仕様の車に特化したカーシェアサービスを提供するCarstay(カーステイ)によると、「世界には120万人、日本には3400人もの長期間、車で過ごすバンライファーがいる」という。

2000年初期からADSLや光回線が普及し、2010年に入ってからはモバイルWi-Fiルーターやスマホのテザリングを介したインターネットが普及。このことでいつでもどこでも場所を問わず仕事ができるようになり、バンライフに火が付き始めた。

2020年代に突入し、5Gや自動運転が普及することで、車で移動しながら仕事するだけでなく、暮らすこともできるようになる。この社会動向とともに、より多くの人が「バンライフも自分の生活の選択肢としてあり得るのでは?」と考え始め、今後の暮らし方の自由度はさらに拡大することだろう。

バンライファーが集まるイベント「キャンパーフェス」にて(長野県安曇野)(写真提供/中川生馬)

バンライファーが集まるイベント「キャンパーフェス」にて(長野県安曇野)(写真提供/中川生馬)

この流れのなかで、バンライファーたちの注目を集めているのが大手自動車会社の動向だ。

それは、情報技術と車両を活かしてあらゆるサービスを展開する概念「MaaS(Mobility as a Service)」。この市場は世界で6兆円規模と言われている。

去年開催された自動車の祭典「第46回東京モーターショー2019」では、車が単に人の「足」になるだけでなく、これまで以上に人の生活に深く入り込み、車は「動く」打ち合わせスペース、ホテル、仮設住宅など、「動くX」に生まれ変わることを自動車会社が強調していた。

「動くX」の代表例はトヨタの「e-Palette(イーパレット)」(写真提供/トヨタ自動車株式会社)

「動くX」の代表例はトヨタの「e-Palette(イーパレット)」(写真提供/トヨタ自動車株式会社)

さらにトヨタは、世界最大のエレクトロニクスとテクノロジーの見本市「CES 2020」で、MaaSなどの実証実験ができるコミュニティ「Woven City(ウーブン・シティ)」を静岡県裾野市に創ることや、通信インフラ最大手のNTTとの資本・業務提携にまで踏み込み、この世界の広がりを本格化させることを発表した。

MaaSに関わる業界全体で、車を基盤としたサービスの革新が進み、バンライフにもさらなる注目が寄せられることだろう。

住める駐車場「バンライフ・ステーション」とは?

バンライフへのアツい潮流をひしひしと実感し、2019年12月、能登半島の奥地、石川県穴水町川尻地区で筆者が安価で譲り受けた一軒の古民家を、シェアハウス、シェアオフィス、コワーキングスペースなど多用途・多目的の家「田舎バックパッカーハウス」としてバンライファー向けにオープンした。「バンライフ・ステーション」はその敷地内にある、中長期間滞在が可能な“住める民家の駐車場”だ。

バンライファーの家となる「車」を駐車場に停めて、「田舎バックパッカーハウス」にドッキング。固定された家に「動く部屋」が拡張されたイメージだ(撮影/中川生馬)

バンライファーの家となる「車」を駐車場に停めて、「田舎バックパッカーハウス」にドッキング。固定された家に「動く部屋」が拡張されたイメージだ(撮影/中川生馬)

ワークスペース、居間、台所、シャワー、トイレ、畑、Wi-Fi、パソコンモニター、デスクなど、生活で必要となるスペースや設備の共同利用が可能で、プライベート空間が必要なときや、就寝時は自身の家/ベットルーム「車」へと戻るという考え方だ。

通常、バンライファーは自宅となる車を運転しながら、その日の風呂、車中泊、仕事、充電などができるスポットを探すことで頭がいっぱいだ。

車の旅人は主に、長距離運転などの疲労による仮眠の車中泊はOKで、オートキャンプなどいわゆるレジャー目的の車中泊は“遠慮してください”としている「道の駅」、サービスエリア、車中泊が正式認定された「Carstay」ステーション、オートキャンプ場、RVパークなどを利活用することが多いが、これらの施設は「長期滞在」「連泊して住む」ことなどを目的としては機能していない。

時代とともに目的や用途は変更すべきだとは思うが、現状、本格的なバンライフを支えるインフラは存在しない。一時的にリラックスでき、24時間仕事に集中できる「バンライフ・ステーション」は、バンライファー含めた旅人に求められていると思っている。このような「バンライフ・ステーション」が増えることで、バンライファーも増えるに違いない。

「田舎バックパッカーハウス」オーナーの筆者・中川生馬は、バックパッカーあがりのバンライファーです(撮影/中川生馬)

「田舎バックパッカーハウス」オーナーの筆者・中川生馬は、バックパッカーあがりのバンライファーです(撮影/中川生馬)

今回、「田舎バックパッカーハウス」をつくろうと思った背景には、筆者のバックパッカー時代の経験がある。「田舎バックパッカーハウス」のオーナーである筆者は、以前は田舎を旅するバックパッカーだった。

前職の大手企業での会社生活に満足していたものの、会社中心のライフスタイルに疑問を抱き、2010年10月から、能登の小さな農山漁村・石川県穴水町岩車に移住した2013年5月まで、テントや炊事道具など約30キロのバックパックを担いで、全国各地の“聞いたことがない”田舎を中心に旅歩き、田舎現地の人たちの生の声を聞きながら、次の生活拠点を探した。途中、車中泊・旅人仕様に車を改装するアネックス社からハイエースがベース車輌の「ファミリーワゴンC」を購入し、バンライフを開始。

バックパッカーやバンライフをしていた当時から、中長期間、時間を気にすることなく、休憩しつつも仕事ができ、旅人の体や気持ちを癒やし共感できるスペースの必要性を感じていた。今回、「バンライフ・ステーション」を開設したのは、こういう理由からだ。

今後、バンライファーがさらに増加することで、「バンライフ・ステーション」の需要はさらに高まると思う。「バンライフ・ステーション」は現在能登に1カ所しかないが、共同企画者であるCarstayが年内中に全国から「バンライフ・ステーション」のオーナーの募集をする予定だ。

ハイエースのバンがベース車輌のキャンピングカーで打ち合わせをするCarstayのメンバー(写真提供/Carstay株式会社)

ハイエースのバンがベース車輌のキャンピングカーで打ち合わせをするCarstayのメンバー(写真提供/Carstay株式会社)

「バンライフ・ステーション」を利用した2組の声

2020年新年早々、「田舎バックパッカーハウス」に2組のバンライファー夫婦が訪れた。

1組目の矢井田さん夫妻は「バンライフ」に魅力を感じて会社を退職したという。

2019年10月ごろ、住んでいた大阪のアパートを解約し、ハイエースに引越した。自宅で使っていたベッドや棚などは車内に移動。さながらハイエースは“動くワンベッドルーム”のようだった。

矢井田さん夫妻のハイエースの家。アパートで使っていたベッドや棚を設置(撮影/中川生馬)

矢井田さん夫妻のハイエースの家。アパートで使っていたベッドや棚を設置(撮影/中川生馬)

2組目の菅原さん夫妻は、結婚当時 家がなく、唯一持っていたのは車のみだった背景から、2019年4月から旅・仕事・生活を車中で開始、今では軽自動車のハスラーで全国を周る超小型バンライフを楽しんでいる。が、少しスペースが小さすぎたようで、最近ではハイエースへの乗り換えを予定しているとのこと。

菅原さん夫婦の“家” 軽自動車ハスラー(撮影/中川生馬)

菅原さん夫婦の“家” 軽自動車ハスラー(撮影/中川生馬)

両組とも「バンライフ・ステーション」を利用しようと思った背景には、「落ち着いた環境で時間を気にせず、約1カ月間 集中して仕事をしたい」などの理由があった。

夜はみんなでわいわいと飲み食い(撮影/中川生馬)

夜はみんなでわいわいと飲み食い(撮影/中川生馬)

ご飯を自炊したり、夜中過ぎまで仕事をしたりして「田舎バックパッカーハウス」で過ごしていた二組夫婦。

同じバンライフ人生を過ごす仲間と一時を共有できたことについて「バンライファーが長期間、一つの場所に集まることは珍しい。共感できる話も多くて楽しい時間を過ごせた」と話していた。

また、味噌づくりなど地域の行事に参加、近所で野菜をお裾分けしてもらうなど、田舎ならではの体験をとおして、地域と交流ができ、人との“つながり”が生まれた。

「バンライフでは夫婦2人で居る時間がほとんど。この場をきっかけに、お互いの夫婦や地元の人たちと触れ合うことができ、新しい家族が増えたようで楽しかった。穴水町はまだまだ知られていない穴場、移住した中川生馬さんが地元の人と私たちをつなげてくれたおかげで、『知る人ぞ知る』地元ならではの体験もできてうれしかった」と、菅原さん夫婦は話してくれた。

両夫婦とも能登牡蠣には超感動(写真提供/中川生馬)

両夫婦とも能登牡蠣には超感動(写真提供/中川生馬)

矢井田さん夫妻も、「今回、バンライフ・ステーションに滞在した主な理由は、たまっていた仕事を落ち着いた空間で片付けたいと思ったからでした。バンライフでは、落ち着ける車中泊スポット、温泉や銭湯、ポータブルバッテリーの充電スポットなどを探しながら日々を過ごしています。とはいえ、連泊でき、時間を気にすることなく、自宅のように気軽に利活用できるスペースがありません。夫婦だと、ゲストハウスやホテルなどの長期宿泊すると高額になりますし、バンライフを送るにも通常1カ月あたり12万円以上かかっていましたが、ここに滞在した1カ月間は、ガソリン代や温泉代などを抑えることができ、二人一組で約半額で済みました。また、田舎への“ちょい”移住生活も体感できたし、牡蠣などの能登の食材もとにかく素晴らしかった!」と滞在を楽しんでくれた様子。

昼前から深夜にかけて仕事をする二組の夫婦(撮影/中川生馬)

昼前から深夜にかけて仕事をする二組の夫婦(撮影/中川生馬)

能登では冬季間の1~2月は雨や雪が多いが、3月ころから天気が回復して暖かくなり、過ごしやすくなる。

夏は暑いが、都会と比べると、日中や朝晩は涼しい。暑い日は、「田舎バックパッカーハウス」から数分で行ける穏やかな海へと飛び込んで涼む方法もある。

「バンライフ・ステーション」で過ごすだけでなく、牡蠣漁師の体験や…(撮影/中川生馬)

「バンライフ・ステーション」で過ごすだけでなく、牡蠣漁師の体験や…(撮影/中川生馬)

穏やかな海上で地元の食材や地酒を堪能し、釣った魚を調理し半自給自足体験をすることもできる(撮影/中川生馬)

穏やかな海上で地元の食材や地酒を堪能し、釣った魚を調理し半自給自足体験をすることもできる(撮影/中川生馬)

あらゆるものがそろっている豊かな時代。

あえて混雑した都会を離れ、バンライフというユニークな暮らし方を試してみてはいかがだろうか?

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ロボットと共生する住まいの未来。介護・見守り専門ロボット「ルチア」で目指すのは

「21世紀は猫型ロボットが、あらゆる願いをかなえてくれる」と考えていた人もいただろう。だが、現実は「円盤型の小さなロボットが、部屋のお掃除を代わりにしてくれる」くらいだ。しかし生活の中で、人の代わりに動いたり、話しをしてくれたりするロボットが徐々に増えていることは否定できない。私たちの生活にロボットは今後さらに受け入れられていくのか。それに伴い、住空間は新たな環境を求めるようになるのだろうか。

東京ビッグサイトで昨年12月に開催された「2019国際ロボット展」では、「ロボットがつなぐ人に優しい社会」をテーマに、国内外から産業用ロボやIoT、AIなど関連製品や技術が集結した。なかでも人目を引いたのが、人手不足や過重労働の課題が深刻化する介護医療の現場向け「解決提案型ロボ」だ。

介護や見守り専門のロボット「ルチア」を開発した研究者である、神奈川工科大学の三枝亮准教授に、専門家から見た「ロボットと共生する未来像」について、話を聞いた。
介護医療コンシェルジュロボット「ルチア」(写真提供/筆者)

介護医療コンシェルジュロボット「ルチア」(写真提供/筆者)

三枝准教授率いる神奈川工科大学の「人間機械共生研究室」で生み出されたロボット「ルチア」は、企業へ技術移転され「くるみ」という名で製品化されている。ルチアの持つ「夜間巡回機能」に絞り込んだもので、すでに介護施設で導入実績を持つ。

この「くるみ」は、夜間、介護施設のフロアを見回りしながら巡回し、万が一、異常を見つけると、即座にネットワークを通じて監視センターに通報する。通常ならば、夜勤の監視員数名が、夜中に定期的に巡回する仕事を、「くるみ」一台でこなす。すでに、浜松市の介護施設「社会福祉法人天竜厚生会」などの施設で役立っている。一方「ルチア」は、主に介護、医療、福祉、教育分野への先端研究を行う研究用の機体で、介護施設に加えて特別支援学校や総合病院などでも実験を続けている。

三枝氏によると「ルチアは、人とロボットが相互のやり取りを通じて、人に与えられる効能を検証するために開発した」という。

例えば、ルチアがロボットとして支援できる「歩行リハビリ」では、理学療法士がまずルチアに歩行のペースやルートなどを教え、ルチアはそれを踏まえて患者を実際に移動しながら誘導することで、歩行練習を進めることができるという関係にある。

「このように、人がルチアを育て、また人もルチアから学び、成長するような人間と機械の共生をイメージし、バリアフリーなロボットを目指しました」(三枝氏)

「不気味の谷」を意識したデザイン

ところで、ルチアの特徴はその風貌にある。まるで70年代の特撮テレビドラマ『ロボコン』に登場したキャラクターのような愛らしさがあり、足下についている車輪で移動し、顔部分に当たるモニターを通じて、人とコミュニケーションを取ることが可能だ。また体中に巡らせたセンサーのおかげで、実際にルチアを触ることで、動きを制したり、一方で寝ている人の体の変動を自動で計測したりすることもできるという。

このルチアのデザインは、人型(ひとがた)からは程遠い。その点について、三枝氏は「我々はルチアの開発をする際に、<不気味の谷>という心理学の知見に基づいてデザインをした」と話す。

「不気味の谷」とは、日本のロボット工学者の森政弘氏が1970年に提唱し、2015年にカリフォルニア州立サンフランシスコ大学の心理学者たちが実際に研究を証明した、ロボットに関する人の心理的要素を示したものだ。

三枝氏によると「人は、対象物が人の姿に近いほど親近感を持つが、人形やマネキンのように、人に似過ぎると親近感が下がり、さらにもっと人に近づくとまた親近感が復活して最高に達する」という。(図参照)

(図面提供/人間機械共生研究室)

(図面提供/人間機械共生研究室)

そしてルチアについては、「ペットのような動物性を残した愛らしい風貌や、動作に対して<意図的に>谷の手前に位置するようなデザインにした」と話す。実際、ルチアに対する好感度を調べたところ、拒否率は5%未満にとどまったという。(介護施設及び障がい者施設内での約3週間の実証試験において約100名の対面者(介護施設及び障がい者施設の利用者、施設職員、慰問中の幼児や児童を含む)に対して4人程度)

だが一方で、人のような指や足を持たないために、ハサミを使ったり、階段の上り下りができなかったりという不都合はあるが、存在用途がはっきりしているルチアにとっては、現状の体裁で申し分のない状況のようだ。

家や車がロボット化し、その中に人が住むという姿

そんなロボット研究の第一線にいる三枝准教授に、これから一般家庭で普及していくであろうロボットの想定される現実的な姿や用途について聞いてみたところ、「AI、センサー、モーター、インターフェースなどの各機能がネットワークで連携した<環境型ロボット>が最も現実的」とのこと。

ルチアのできること一覧(撮影/筆者)

ルチアのできること一覧(撮影/筆者)

つまり、家や車が全体としてロボット化し、人がロボットの中で生活をするという形だという。それはまるで車が人と会話し、自分から行動を起こせる米国の80年代に放映された近未来ドラマ『ナイトライダー』に登場した自動車<キット>が現実になると言っても過言ではないだろう。さらに「ロボット掃除機に代表されるような、自律型ロボットは、こうした環境型ロボットの端末として残っていくと思う」と三枝氏。

では、このルチアのような小型版のロボットが、一般家庭に普及することはないのだろうか。三枝氏によれば、歩行型や、ルチアのような車輪型でない形態のロボットも十分つくることはできるというが、現実問題、莫大な費用がかかるという。「ルチアをはじめ、多くのロボットは車輪型であるために、バリアフリーに近い住空間であれば、十分活躍できる」と話すように、この車輪型ロボットが、価格とパフォーマンスを兼ね備えた今現在、最も現実的なロボットと考えられそうだ。

そのような状況を踏まえると「車いすを利用する人が生活しやすい住空間をつくり、同様の仕様を満たすようにロボットを設計すれば、ロボットが活躍できる世界は十分家庭にも広がる」と三枝氏は考えている。実際、ルチアは、成人が車いすに座っている状態と同等の重量(約60kg)、車高(約100cm)、車幅(約50cm)でできており、人の手の長さに近いアーム(80cm)を備えているという。

コストとメンテナンスがロボット導入の課題会場で「ルチア」と撮影に応じた神奈川工科大学准教授・三枝亮氏(撮影/筆者)

会場で「ルチア」と撮影に応じた神奈川工科大学准教授・三枝亮氏(撮影/筆者)

現在ルチアから製品化されたロボット「くるみ」は、夜間巡回者を1名雇い入れる費用と比べると安く済むため、人手不足が否めない介護の世界では業界のニーズを満たしているという。スマートフォンや掃除ロボットが広く普及している背景にコストと価値が見合っていることがあるように、生活支援ロボットとしてルチアクラスのロボットが一般に普及するには、もっとニーズが増えると当時に、製造コストが抑えられるようになる必要がある。

そしてもう一つの課題と考えられるのが「メンテナンス」である。三枝氏によれば「現在ロボットのメンテナンスは、サービスとして成立しておらず、売り切りにせざるを得ないため、複雑なロボットが市場に出せない状況」とのこと。今後、車のように、ロボット業界も、ディーラーなどによるメンテナンスサービスや、保険サービスが事業的に成立する流れができれば、より生活支援型のロボットが我々の生活に介入してくる日も近くなると言えるだろう。

●取材協力
人間機械共生研究室(SybLab)

乙武洋匡さんが「義足で歩く」ことを選んだ意味。テクノロジーで障がい者や高齢者の暮らしはどう変わる?

ベストセラーになった著書『五体不満足』(講談社)で知られる作家の乙武洋匡さんが、昨年『四肢奮迅』(講談社)を出版した。これは40代に突入した乙武さんが最新の技術を搭載したロボット義足や義手を装着し、「歩く」ことにチャレンジしたドキュメント。障がい者が身体能力を拡張して豊かな生活を送れるようになるための橋渡しとなり、社会変革の契機になればという希望を抱いて進めているプロジェクトだ。
今回は、このプロジェクトがスタートした経緯や現状、テクノロジーによる障がい者や高齢者の暮らしの変革についてお話を伺った。

自分も知らなかった「乙武洋匡サイボーグ化計画」

――「乙武義足プロジェクト」が始まった経緯について教えてください。
「乙武義足プロジェクト」とは、ロボット技術を用いた身体能力の拡張研究を行うソニーコンピューターサイエンス研究所の義足エンジニア・遠藤謙さんを筆頭としたチームのサポートのもと、私がロボット義足を装着して自然に歩くことを目指したプロジェクトです。

電動車椅子で移動する乙武さんは、歩く必然性を感じていなかった(写真撮影/片山貴博)

電動車椅子で移動する乙武さんは、歩く必然性を感じていなかった(写真撮影/片山貴博)

義足エンジニアとの出会いで「歩く」プロジェクトが始まった(写真提供/乙武洋匡事務所)

義足エンジニアとの出会いで「歩く」プロジェクトが始まった(写真提供/乙武洋匡事務所)

遠藤さんとの出会いは、2016年3月にWebメディアの連載で対談したときでした。競技用義足の開発も進めている彼と、テクノロジーが進化することで義足と世の中がどう変わるのかというお話をしたのです。そのとき、遠藤さんが以前「乙武洋匡サイボーグ化計画」というプロポーザル(提案)を書いて、総務省が実施する人材プログラムに応募したと打ち開けてくれました。プロ野球の始球式でマウンドからベンチまでスタスタ歩く私の姿をYou Tubeで見て、「あ、義足で歩けそう」と思ったらしくて。びっくりしましたね、私に何の断りもなく提案していたなんて。相当面白くてぶっ飛んでる人だと思いました(笑)。

「もし助成を受けて予算が獲得できれば、ぜひ協力してください」と言われました。ただ、私自身、幼いころに義足に挑戦して諦めた経験があり、電動車椅子で世界中どこでも移動していたので、義足で歩く必要性をあまり感じていませんでした。それに当時の私は政治家を目指していたので、正式にお話をいただいても協力は難しいと思ったのです。

――文科省が所管する科学技術振興機構の「CREST」という研究プログラムから助成を受け、本格的に研究が動き出せる状態になった2017年、遠藤さんから研究に参加して欲しいと正式な打診がありました。協力しようと思った理由は?

遠藤さんと、プロジェクトの共同研究者である筑波大学図書館情報メディア系准教授の落合陽一さんにお会いして、話を聞きました。2人が終始ワクワクしながらプロジェクトの説明をしてくれたのですが、障がい者問題の打ち合わせにありがちな堅苦しい雰囲気ではなく、とても心地いい時間でした。それに当時の私は、週刊誌報道によって仕事をすべて失い、海外放浪の旅に出ていました。帰国してもスケジュールは真っ白という状況だったし、人生でもう二度と人様の役に立つことはできないと諦めていたので、チャンスをいただいたことや、何よりも自分を必要としてくださる人がいることが素直にうれしかったので、お引き受けしました。

――どのようにプロジェクトは進んだのですか?
お引き受けしたときは3カ月に1度ほど、モニターとして義足を履いて意見を言う程度だと思っていました。それが2018年4月にプロジェクトが始まったとき、我が家に練習用の平行棒が運ばれてきて、これは話が違うぞと面食らいました。

「自宅に平行棒が運び込まれてこれは大変だと。ここから厳しい歩行練習が始まりました」(写真提供/乙武洋匡事務所)

「自宅に平行棒が運び込まれてこれは大変だと。ここから厳しい歩行練習が始まりました」(写真提供/乙武洋匡事務所)

最初は、太もものすぐ先に足首から下がついている短い義足で練習し、割とすぐに歩けました。練習すればするほど歩けるのでワクワクしたのですが、半年後にモーターが装備された膝付きの義足で練習してみると、立つことすらままならなくなりました。目の前が真っ暗に。これはもう、歩くのは無理ではないかと。

理学療法士の登場で再び希望が持てた

―――どんな感覚になったのでしょうか。
バランス感覚が分からないんです。足を前に出そうと思っても、足が持ち上がらない。モーターを入れたことで、義足が片足だけで5kg近くになってしまったんです。素人ながら、歩けない理由は体がL字に凝り固まっているからだと気づきました。私の場合、四六時中、座った状態で生活をしていることが原因です。しかし、12月に理学療法士の内田直生さんに加わっていただきました。すると、それまでの課題が劇的に改善していったんです。

――例えば?
足を前に出しやすくするために、上半身のストレッチを重点的にするよう指導を受けました。なぜ上半身のストレッチが必要かというと、上半身をほぐして体をひねりやすくすると、その動きに下半身も連動して、足が前に出やすくなると言うんです。私が義足で歩くことの三重苦は、“膝がないこと”“手がないこと”“歩いた経験がないこと”。健常者の皆さんは意識せずにできていることですが、私はそんな動きをしたことがないので、内田さんが口で説明してくださっても最初はなかなか腑に落ちませんでした。でも、歩行練習を続けるうちに感覚が分かってきて、やっと内田さんの言葉を体が理解できて、理論と実践の回路がつながった気がしました。それはとても面白かったですね。とてもきつくて大変だけど。

――脳で理解して、それを体に落とし込んでいくという作業をされている。
そうですね、トレーニングは本当に苦しく、それこそ三歩進んで二歩下がるような進み具合でしたが、プロジェクトが開始して1年半後の2019年8月、豊洲にあるランニングスタジアムでの挑戦で、最高記録となる20mを歩くことができました。ラスト3mは水の中で溺れている無酸素のような状態になり、息が苦しくてそのまま倒れこみましたが……。
足の運びを意識しすぎると、呼吸の仕方を忘れてうまく息ができません。達成してうれしいという思いより、この息苦しさを何とかしなければいけないという次の課題が見つかりました。

――今は?
まっすぐ歩く練習は夏で一旦ストップし、秋には立ち止まったり、左右に曲がったり、Uターンしたりといった練習をしていました。年が明けてからは、屋外で緩やかな坂の登り下りを練習しています。健常者はどうやって坂道を登り下りしているのかと不思議に思うほど、なかなかうまくいきません。

あとは、筋力や持久力を鍛えるために、2日に1回のペースで、義足を装着せずに、50分かけて50フロア分のマンションの階段を上がるトレーニングをしています。また、お酒や揚げ物を控えて体重を減らすなど、アスリートのような生活をしています。40を過ぎて、何を目指しているんでしょうね(笑)。

豊洲の屋内トラックにスタッフが集まり、歩行できた距離を計測(写真提供/乙武洋匡事務所)

豊洲の屋内トラックにスタッフが集まり、歩行できた距離を計測(写真提供/乙武洋匡事務所)

違い過ぎるロンドンと日本の障がい者の暮らし

――そこまでするモチベーションは?
最初の動機は人様の役に立つことでしたが、今はできないと悔しい、達成したいという思いが強く、自分のために挑戦しているように思います。正直に言えば、このプロジェクトに取り組んでいる間に、この義足が実用化に至るのは難しいかもしれません。でも、技術や研究を継いで、たどり着いた先でいつか実用化されると思うので、私たちは全力で取り組んでいくのみだと思っています。

――そうしたテクノロジーが日本で実用化がされる際に、何が必要だと思いますか?
ロンドンで、2012年のロンドンパラリンピックの統括責任者だったクリス・ホームズさんという上院議員にインタビューをさせていただいたとき、「上院議員として一番力を入れていることは?」と質問をしました。すると、「テクノロジーを使ったバリアフリーです。日本はテクノロジー立国なので、見習うべき点がたくさんあります」という回答がありました。私はそれを聞いて恥ずかしく思いました。

――というと?
例えば、昨年でしたか、車椅子の人がバスの運転手に「30秒後に出発なので次のバスに乗ってください」と乗車拒否されたニュースが流れたことがありました。これはどういうことなのかというと、例えば東京都が運営するバスなら、まずは歩道近くに幅寄せして駐車し、下車した運転手が大きなスロープを設置する。そして、他の乗客から譲っていただいた座席2席分を跳ね上げ、乗り込んできた車椅子ユーザーをベルトで固定し、再び外に出てスロープを片付けて……という作業が発生します。5分ぐらいかかり、車椅子の方も「すみません」と運転手や乗客に謝りながら乗車するわけです。

一方、欧州のバスは、運転席にあるボタンを押せばスロープが自動的に出てきて、車椅子でも簡単に乗車できます。席を跳ね上げなくても、車椅子1~2台分のスペースがあらかじめ用意されていて、乗客がスッと場所を空けてくれる。30秒もあれば十分に乗り込めるので、バスは車椅子の乗客を乗せて出発できます。

日本はテクノロジーが発達しているのに、それを実用化していない。こうしたところに税金を費やせばいいのにと、クリス・ホームズさんの話を聞いて改めて思いました。一方、物理的なバリアフリー以外の面でも、学ぶべき点が多くありました。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

――物理的なバリアフリー以外の面?
みなさんは1日外出をして、何人の車椅子の方とすれ違うでしょうか? 1人もすれ違わないこともあると思います。でもロンドンでは2,3ブロックも歩けば、1人は車椅子の方とすれ違うんです。つまり、ロンドンは車椅子の人が外に出やすい文化なんです。例えば、地下鉄の階段に車椅子の方がいれば、1分もしないうちに手伝ってくれる人が現れる。手伝ってもらえるのが当たり前な文化なので、車椅子の人も積極的に街に出ようと思えます。

日本はその逆で、やはり手伝ってもらうことに気が引けるんですね。申し訳ないと思ってしまう。すると、どうしても障がい者は外出することが億劫になってしまう。そうした文化や意識の違いは、障がい者と一緒に学ぶような教育環境があったか、学生時代に障がい者と一緒に過ごす経験があったかどうかにも関係していると思います。

――海外と比べて、日本のパブリックな場のバリアフリー化は進んでいるのでしょうか?
古い建物が残る欧州などと比べると、バリアフリーを意識した建物は増えていると思います。それでもやはり世間が注目するような最新の建物ですら、段差がたくさんあって、人の手を借りなければ車椅子の人が行動できないところがあります。デザイン性を重視したのかもしれませんが、そんな建物に遭遇するとがっかりします。障がい者のためだけでなく、超高齢化社会がますます進んでいく時代なのに。

公共の場も住宅も、建物を建てた後にバリアフリーのためのリフォームをすると当然ながらコストかかります。であれば設計するときに、自身が高齢になったときのこと、事故や病気で障がいを負った際の不便などを想定し、最初からバリアフリーな設計にしておくことが当たり前になるような文化になればいいのにとも思います。

乙武さんは1年間、海外を巡り、障がい者の暮らしについて学びを深めてきた(写真撮影/片山貴博)

乙武さんは1年間、海外を巡り、障がい者の暮らしについて学びを深めてきた(写真撮影/片山貴博)

アイデア次第で障がい者は暮らしやすくなる

――そうした日本人の意識改革が根底にありながら、その上でテクノロジーで障がい者が暮らしやすくなるための課題は何だと思われますか?
映画やドラマの影響もあって、ロボットやテクノロジーは血が通っていないツールだと抵抗を感じる方も少なくないと思います。でも、分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」(※)などを見れば明らかで、むしろテクノロジーを使ったほうが人と人とのつながりを生み、血が通うことが多い。満員電車に乗らずに家で仕事ができるなど、諦めていたことを諦めずにすむ世の中を実現できます。

「OriHime」を開発した吉藤オリィさんとお話ししたときに、「OriHime」は特別に高度なテクノロジーを活用しているのではなく、ロボットにカメラとマイク、スピーカーを搭載しただけ、ラジコンの延長線上にあるものだから、むしろローテクなのだとおっしゃっていました。今ある技術を使ってアイデアを絞っているだけだと。それによって自宅で寝たきりの人が外の人とつながることができる。このケースを参考にすれば、アイデア次第でもっと希望が生まれて、さまざまな可能性が拓けていくように思います。

取材を終えて

「最近車椅子の人とすれ違いましたか?」と乙武さんに質問されてドキっとしました。全く思い出せないからです。そのあとロンドンの車椅子事情を聞き、日本では車椅子の方がどんな思いで街を移動されているのかを改めて想像しました。障がい者や高齢者が人の手を借りても「申し訳ない」と思わなくても普通の暮らしがかなう世の中、子どものころからバリアフリーを考慮することが当たり前になる世の中への重要さを感じました。
また、乙武さんがいつかすたすた義足で歩いたり、100m走を走ったりすれば、多くの方に希望を与え、可能性が広がります。テクノロジーと当人の努力でどこまで人間は進化するのか、見守っていきたいと思います。

※「OriHime(オリヒメ)」は生活や仕事の環境、入院や身体障害などによる「移動の制約」を克服し、「その場にいる」ようなコミュニケーションを実現する分身ロボット。寝たきりの人が遠隔操作で分身ロボットを使って接客ができるという仕事も生み出せる

●取材協力
乙武洋匡さん
1976年東京都生まれ。98年早稲田大学在学中に執筆した『五体不満足』が600万部のベストセラーに。卒業後、スポーツライター、小学校教諭などを務める。現在は執筆講演活動のほか、インターネットテレビ「AbemaTV」の報道番組『 AbemaPrime』のMCとして活動。『四肢奮迅』(講談社)など著書多数。
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パリの暮らしとインテリア[4] アーティスト夫婦が暮らす歴史的集合住宅。旅のオブジェに囲まれて

私はフランスのパリに暮らすフォトグラファーです。パリのお宅を撮影するたびに、スタイルを持った独自のイン テリアにいつも驚かされています。 今回はモンマルトルにあるアーチストのための集合住宅<Les fusains(レ・フザン)>に住むファブリスさん(夫)とベアトリスさん(妻)のアトリエ兼住居に訪れました。
特殊集合住宅<Les fusains/レ・フザン>をまずは紹介

レ・フザンはパリ18区モンマルトルの丘の麓、モンマルトル墓地近くのトゥルラク通り22番地に位置するアーティストの街です。1900年から着工され、1906年からアーティストのためのアトリエ&住居としてレンタルされ始めました。街といっても入り口はアパルトマンの扉をくぐって入ります。そこから先は迷路のような小道になっていて車は入ることができません。

一見普通のパリのアパルトマンですがこの建物の後ろに迷路のような小道があり、両脇に43世帯のアトリエ&住居が建てられています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一見普通のパリのアパルトマンですがこの建物の後ろに迷路のような小道があり、両脇に43世帯のアトリエ&住居が建てられています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レ・フザンはパブロ・ピカソやモディリアーニらが住んでいたアトリエ兼住宅バトー・ラヴォワール(洗濯船)のように、多くの有名な画家や彫刻家の住居や、仕事場であった場所として知られています。オーギュスト・ルノワールはここでワークショップを行い、アンドレ・ドランは1906年に、ジョルジュ・ジュバンは1912年に、ピエール・ボナールは1913年からここに住み作品をつくり出しています。このような芸術家が集まる集合住宅(街)としては、とても古い歴史を持ちます。
それが今もなお受け継がれ、アーティストに愛される街なのです。

ドアを開けて一歩中へ入ると、そこはもう異次元の世界

急斜面の道路から建物の中に入ると、右手はアパルトマンタイプの背の高い建物があり、小道が迷路のように入り組む両脇には一軒家が連なります。古き良き時代のパリにタイムスリップしたような気分になるのは、パリでは珍しい一軒家がたくさんあるからでしょう。大小含めた40世帯が集まるレ・フザンは全てアトリエと居住スペースが備わっているため、住民たちの交流がとても密だとか。今回訪れたのは冬だったので「今は草木たちが静かだけれど、春から夏にかけては花が咲き乱れ葉が茂りパリではなくカンパーニュのような場所になるの」とベアトリスさん。その時期は皆が外でアペリティフをしたり、夕食を食べたり、道というより庭の感覚で過ごしているそうです。

レ・フザンに入って右手にある大きなガラス窓のあるアパルトマン。大きなガラス窓はアーティストが自然光で作品を仕上げるためにとても大切。全てのアトリエがそんな工夫がなされているといいます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レ・フザンに入って右手にある大きなガラス窓のあるアパルトマン。大きなガラス窓はアーティストが自然光で作品を仕上げるためにとても大切。全てのアトリエがそんな工夫がなされているといいます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一軒家の連なる道には全ての家の前にはテーブルと椅子が用意されていて、家の一部として機能していることが伺えます。お隣とテーブル越しに楽しい会話やひとときを過ごす社交場にもなっています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一軒家の連なる道には全ての家の前にはテーブルと椅子が用意されていて、家の一部として機能していることが伺えます。お隣とテーブル越しに楽しい会話やひとときを過ごす社交場にもなっています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

小道や壁、いたるところに作品が置かれているアートスペース

彫刻や壁画などが置かれた小道は、前は誰もが入ってこれる場所でもあったそう。「作品を色々な人に見てもらうのはアーティストとしてとてもうれしいこと、しかし作品が盗まれる事件が起きるようになり住人しか入ってこれないようになってしまった」とファブリスさんは少し残念そうだった。その作品は過去に住んでいたアーティストが置いていった物、そして今の住人の作品が入り混じって置かれ時代が交差した興味深いアートスペースになっています。もうひとつ興味をそそるのが、アーティスト、画家であったり彫刻家であったり、そんな人たちの仕事場であるということはとても魅力的です。個性的で、ここから作品が生まれてくることを想像するとワクワクした気分になります。

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新旧含めた作品、主に彫刻が置かれている小道。「まるで旅をしているような迷路でしょう?」と、壁の前でレ・フザンの良さを語るおふたり(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新旧含めた作品、主に彫刻が置かれている小道。「まるで旅をしているような迷路でしょう?」と、壁の前でレ・フザンの良さを語るおふたり(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レ・フザン内で2軒目のアトリエへ引越し

お二人は10年前に今のアトリエに引越して来ました。その前も同じレ・フザン内にある60平米のアトリエ兼住居に住んでいました。「90平米のアトリエが空いたというので、すぐに引越しを決めました。北向だけれど光の入り具合もよかったし、やはり広い方が作品をつくりやすいと思ったからです」と、ファブリスさん。
住み慣れたレ・フザン内での引越しは、なんの苦労もなかったと語ります。彼らがやったことは、壁の白いペンキを塗り直し、階段をワインレッドに塗っただけだそう。1階は小さなキッチン、サロンとアトリエが一室になった自然光いっぱいのスペース。2階は寝室とアトリエから吹抜けになった浴室があります。浴室というより、部屋の中に風呂桶が置かれた個性的なつくりになっています。

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天井まで5、6mはあるアトリエのガラス窓。その続きにサロンが配置されています。サロンの天井部分が2階の浴室ルームに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井まで5、6mはあるアトリエのガラス窓。その続きにサロンが配置されています。サロンの天井部分が2階の浴室ルームに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階の浴室ルームからアトリエを見下ろすことができます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階の浴室ルームからアトリエを見下ろすことができます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階のサロン部分の上が浴槽の置かれた部屋。アトリエから吹抜けになっているので光いっぱいのスペースになっています。浴槽は黒に自分たちで塗りました。タンスは田舎の家から持って来た年代物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階のサロン部分の上が浴槽の置かれた部屋。アトリエから吹抜けになっているので光いっぱいのスペースになっています。浴槽は黒に自分たちで塗りました。タンスは田舎の家から持って来た年代物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

朝はベッドの中で朝食をとるのがお二人の日課。和ダンスは友達から譲り受けたもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

朝はベッドの中で朝食をとるのがお二人の日課。和ダンスは友達から譲り受けたもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

両親からの影響で、アートに興味を持ち、旅好きになった

ファブリスさん一家はもともと芸術家一家で、お父さんはテレビの番組制作に携わっていたり、ユネスコの仕事で20回以上日本を訪れたことのある親日家でもあったそうです。日本の武道の本を書く際に三島由紀夫をインタビューしたこともあるとか。お母さんは写真家で、マン・レイのミューズであり写真のモデルとしても交流があったそうです。そんな環境の中、彼は自然にアートの世界に入り込み、小さいときはいつでも絵を描いていたといいます。今では、絵や写真や映画のシナリオを仕事にしているマルチアーティストです。
ベアトリスさんは芸術専攻の歴史家でした。最初は文学が大好きでしたが、父が建築家であった影響で次第にアートに興味を持つようになりました。そのセンスを買われ10年間Youji Yamamotoのプレスとして働きます。Youji Yamamotoのことはジム・ジャームッシュ監督の映画『ミステリー・トレイン』で知り、非常に興味を持ったとのことでした。その後、化粧品メーカーの立ち上げなどに参加したり、日本文化を伝えるギャラリーに在籍していました。

ファブリスさんのお母様をモデルにしてマン・レイが撮った写真がサロンの一角に飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ファブリスさんのお母様をモデルにしてマン・レイが撮った写真がサロンの一角に飾られています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベアトリスさんの家族が所有していた古い家具と宝石入れ。「旅で見つけて来たものを飾ることで自分らしいコーナーになる」とか(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベアトリスさんの家族が所有していた古い家具と宝石入れ。「旅で見つけて来たものを飾ることで自分らしいコーナーになる」とか(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

旅をして見つけたものを飾るのが彼らのスタイルをつくり出す

そんなお二人の共通の趣味は旅行。数年前1年かけて世界旅行に南米から出発し、その年は冬を体験することなく過ごしたそうです。「今でも1年に2、3回は遠くに旅に出ます。旅で色々な文化、人、景色、匂い、物に触れることが人生の大きなポイントだと私たちは考えているからです」とベアトリスさん。確かに部屋のいたるところに日本をはじめインド、メキシコ、さまざまな国のオブジェが飾られています。
それらと同じ空間に家族代々使われてきた家具が置かれ、このミックス具合が彼らの独自のスタイルをつくり出しています。そして、家族のものといえば、実は有名食器ブランド「アスティエ・ド・ヴィラット」もそう。
創立者の一人イヴァン・ペリコーリは、実はファブリスさんの弟。彼らが日々使う食器は、ほとんどがアスティエ・ド・ヴィラットのものです。

家族から受け継いだものと旅で見つけてきたものがミックスされたシュミネ(暖炉)の周りに置かれている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家族から受け継いだものと旅で見つけてきたものがミックスされたシュミネ(暖炉)の周りに置かれている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

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日本で人気のアスティエ・ド・ヴィラットの食器をこんなにたくさん持っているなんて贅沢です(写真撮影/Manabu Matsunaga)

日本で人気のアスティエ・ド・ヴィラットの食器をこんなにたくさん持っているなんて贅沢です(写真撮影/Manabu Matsunaga)

旅で出会ったオブジェだけでなく、家族代々受け継いできた家具を飾り、家族のつくった食器で食事をし、家族がモデルになったオリジナルプリントも飾る。それがマン・レイのオリジナルプリントだったり、家族の食器がアスティエ・ド・ヴィラットだったり。それでもお二人にとってはとても身近な物。
ファミリーを大切にし、好きなものしか所有しない、という信念のもとで自分たちのスタイルをつくり上げる。これは新しいボヘミアンのスタイルかもしれません。

(文・松永麻衣子)

”アート後進国”日本を変える? 絵画サブスクのある暮らしとは

ZOZO創業者の前澤友作氏によるバスキアの絵画購入や、「美意識」をテーマにしたビジネス書がベストセラーになるなどの影響で、最近アートに関心をもつ人が増えている。その一方で、日本は諸外国と比べて生活の中にアートが浸透しておらず、”アート後進国”といわれている。

そんななか、利用者数を伸ばしているのが、絵画のサブスクリプションサービス「Casie(カシエ)」だ。毎月定額で商品をレンタルできるサブスクリプションサービスは購入に比べるとハードルはかなり低く、これまでアートに触れてこなかった人でも気軽に原画を生活に取り入れられる上、芸術家の支援にもつながるという。

株式会社Casie代表取締役社長CEOの藤本翔さんに話を聞いた。

SNS時代に「人と違う部屋をつくりたい」

『Casie』はアートビギナーを対象とした絵画のサブスクリプションサービス。画家たちによる一点物の原画を毎月定額でレンタルでき、2019年1月のWEBサービスオープン以来、一般家庭を中心にユーザー数を伸ばしている。

取り扱う絵画は6,500点以上。絵画のサイズによってライト、レギュラー、プレミアムの3つのプランがあり、どのプランも月1回まで交換可能だ。リビング、玄関、ダイニング、寝室などに絵画を飾ってみると、「想像以上の迫力に感動した」という感想が数多く届いている。

「これまで家にポスターを飾っていたのですが、原画は人生で初めてでした。やっぱり原画って素敵ですね。世界に同じものが一つもないことに価値を感じています。開封したときに絵の具の香りがフワッとして、とてもカラフルな可愛いペガサスの絵だったので、子どもたちも大興奮していました」(利用者の声)

Casieでレンタルしたペガサスの絵を部屋に飾った親子(写真提供/Casie)

Casieでレンタルしたペガサスの絵を部屋に飾った親子(写真提供/Casie)

届く絵は自分で指定することもできるが、おまかせも可能。藤本さんによると、特に好みの作家が固まっていないビギナーに「おまかせ」の利用者が多いそうだ。

「絵画って現物を見ないと分からないし、価格は高いし、購入しようと思うと意思決定が大変なんです。でもサブスクならどんどん交換できるので、その過程で自分の好みも分かってきます。弊社ではお部屋にどんな絵画が合うかといった相談にも乗っており、一人一人にぴったりな絵を届けるようにしています」(藤本さん)

利用者を伸ばしている背景には、「人と違う部屋をつくりたいニーズがある」と藤本さん。SNSで「自分だけの個性を表現したい!」と考える人たちに、世界に一つの原画を飾ることがマッチしているという。

Casieでレンタルした絵画を部屋に飾った様子の投稿(Instagramより引用)

Casieでレンタルした絵画を部屋に飾った様子の投稿(Instagramより引用)

また藤本さんによると、壁や床のインテリアはソファーなどの家具よりも部屋の印象を左右する。模様替えのたびに部屋のイメージをガラッと変えたい人、気分転換をしたい人にも、絵画サブスクのニーズがあるようだ。

アートを飾る人が増えなければ、芸術家は育たない株式会社Casie代表取締役の藤本翔さん(写真提供/Casie)

株式会社Casie代表取締役の藤本翔さん(写真提供/Casie)

アートのニーズの高まりにサブスクリプションサービスという形で応えた「Casie」。サービスを始めた背景には「日本の芸術家を支えたい」という藤本さんの想いがある。

一般家庭でアートが飾られることの少ない日本は、実は“アート後進国”。欧米や東南アジアではごく一般の家庭にもアートが飾られているにもかかわらず、日本ではアートが生活に浸透していない。

「アートには『資産価値』と『インテリア』という二つの文脈があります。前者については前澤友作さんのバスキア購入で注目されたように、一部の富裕層が行っているものですが、後者の『インテリア』文脈のマーケットはまだ日本で確立していません」

藤本さんによると、日本におけるアートの販売市場規模は3300億円。その7割は画廊や百貨店向けの売り上げであり、一般人が購入するハードルは高い。アート初心者は自宅に絵画を飾りたいと思ったとしても、原画を手にする機会は限られていた。

「インテリアとしてのアートの文脈を育てなければ、資産価値としてのアートの文脈も十分に育ちません」と藤本さん。アートのマーケットの規模が小さいということは、日本のアーティストが創作を続けながら生計を立てるのが難しいということを意味する。

「日本のアーティストを取り巻く状況を変えるためには、アートを飾ったり、購入したりする人を増やす必要があるんです」

Casieに作品を預けているアーティスト「Moeistic Art」さん(写真提供/Casie)

Casieに作品を預けているアーティスト「Moeistic Art」さん(写真提供/Casie)

絵画サブスクはアーティストを救うか?

アーティストを想ってCasieを運営する藤本さんは、芸術家ではない。起業する前は会社員をしていたそうだが、どのような想いからこの事業を立ち上げたのだろうか?

「僕の父が生前、絵を描く仕事をしていました。自分の描きたい絵だけを描いて生計を立てていくことは当時も難しく、商業用の絵を描いたりしていました。才能あるアーティストは創作活動に全エネルギーを投下するので、作品発表や販売に向けたエネルギーを残しておくことができません」

日本の芸術家人口は約50万人(2010年国勢調査を元にCasieが算出)。そのうち芸術家の仕事だけで生活できているのはわずか15.6%(2000年 文化庁「我が国の芸術文化の動向に関する調査」より)。才能や意欲があっても作品が売れず、生計が立てられないために創作を断念する人は後を絶たない。

そんななか、Casieが現在契約しているアーティストは約300人(2019年1月時点)。そのうち9割以上が日本で活動するアーティストだ。レンタル料金の35%、売れた場合は販売価格の60%が彼ら・彼女らに還元される。

さらに利用者のもとにはアートだけではなく、作家について詳しく記載されたプロフィール資料などが一緒に届けられる。単にアートを鑑賞するだけではなく、描かれた背景を知ることで、利用者が作家を好きになる仕組みだ。

絵画と一緒に利用者に送られる同梱物。(写真提供/Casie)

絵画と一緒に利用者に送られる同梱物。(写真提供/Casie)

一人一人が自分の家や部屋にアートを飾ることが、日本にアート文化を定着させる第一歩。その先に、芸術家が才能を発揮できる社会が待っているのかもしれない。

●取材協力
Casie (Instagram)

日本一の「自転車のまち」へ。サイクリストが集う茨城県土浦市の暮らし

日本で二番目に大きな湖である霞ヶ浦。そのすぐほとりに位置する茨城県土浦市では、今日本各地からサイクリストが集まりつつある。官民一体となってのまちづくりが功を奏している証拠だ。一体、どのような取り組みが成されているのか、土浦市へ向かってみた。
サイクリングロードをきっかけとして始まった取り組みとは

土浦市が、本格的にサイクリングに特化したまちづくりを始めたのは、2016年のこと。土浦市政策企画課の東郷裕人さんが教えてくれた。
「それまで、主なサイクリングロードは2つありました。筑波山方面の一本と、霞ヶ浦を回るルートです。それが茨城県の事業として合体することになり、全長180kmになる『つくば霞ヶ浦りんりんロード』として生まれ変わりました」

霞ヶ浦周辺をぐるりと楽しめるサイクリングロード。車の往来はそれほどないので、安心して自転車も走行できる(写真撮影/相馬ミナ)

霞ヶ浦周辺をぐるりと楽しめるサイクリングロード。車の往来はそれほどないので、安心して自転車も走行できる(写真撮影/相馬ミナ)

筑波山の麓まで行ってもよし、霞ヶ浦をぐるり一周するもよし、もちろん全てのルートを回ってもいい。茨城県を代表する風景を楽しめるサイクリングロードができたことで、土浦市はサイクリストが集う街への道を走り始めたというわけだ。

まず、環境整備としては、つくば霞ヶ浦りんりんロードに限らず、周辺の道は県道もあれば市町村それぞれが管理する道もある。各自治体で話し合い、統一のデザインで自転車走行の場所や方向を示すように整備された。サインクリングロードには、どこにも青い矢羽根が描かれている。

ちなみに霞ヶ浦の一周は約140km。アップダウンが少ない平坦な道ゆえに風景を楽しみながら、途中の温泉に寄ったり、道の駅で買い物をしたりと、ゆっくり走るのもいいだろう。しかし、子連れにはちょっと長い距離かもしれない。

商工観光課の中村良さんが話を続ける。

「一周するのが大変という方は『霞ヶ浦広域サイクルーズ』もおすすめです。自転車を乗せることができる遊覧船でショートカットする方法もあるので、そちらを利用してもらってもいいですね」

小さな子どもがいる人にも、さらには途中で雨が降ってきて早く戻らなくてはならなくなっても、遊覧船があれば安心だ。あらゆる状況を想定してサイクリングを楽しめるように考えられていることが分かる。

商工観光課の中村さん。自らも自転車に乗る機会が増えたという(写真撮影/相馬ミナ)

商工観光課の中村さん。自らも自転車に乗る機会が増えたという(写真撮影/相馬ミナ)

さまざまなニーズに対応すべく考えた施策

このように多角的な視点から「サイクリング」に取り組んでいることが伝わってくる。レンタサイクルは、市が運営するものもあれば、民間のものもあり、それぞれしっかり差別化されている。

例えば、貸出場所と返却場所は別でも大丈夫という乗り捨て可能なレンタサイクルもあれば、事前予約をするとレンタルできる今人気のスポーツタイプの電動アシスト自転車などの最新機種がそろうお店もある。さらには、専用アプリに会員登録をすれば早朝や深夜に借りたり返したりできる無人のステーションも。

一面ガラス張りで開放感のある「りんりんポート土浦」。自転車に特化した施設は、市として初めての試み(写真撮影/相馬ミナ)

一面ガラス張りで開放感のある「りんりんポート土浦」。自転車に特化した施設は、市として初めての試み(写真撮影/相馬ミナ)

「特徴を分かりやすくお伝えすることで、使い道にあった場所で借りていただければ、と考えています。さらに、サイクリストの憩いの場として、拠点となる施設である『りんりんポート土浦』もつくりました。トイレやシャワールーム、更衣室もあれば、自転車のメンテナンスができる道具やスペースもあります」(中村さん)

施設内にある自動販売機は、エネルギー補給のスイーツのほか、メンテナンス用の道具も販売されている(写真撮影/相馬ミナ)

施設内にある自動販売機は、エネルギー補給のスイーツのほか、メンテナンス用の道具も販売されている(写真撮影/相馬ミナ)

この『りんりんポート土浦』以外にも、まちなかの店舗や施設に『サイクルサポートステーション』というのぼりが立っている。そこではサイクリストに休憩場所を提供していたり、トイレを貸し出したり、空気入れや工具を用意していたりする。

休憩しながら、ルートを考えたり、他のサイクリストとコミュニケーションをとったりできるスペースになっている(写真撮影/相馬ミナ)

休憩しながら、ルートを考えたり、他のサイクリストとコミュニケーションをとったりできるスペースになっている(写真撮影/相馬ミナ)

「こうして少しずつ施設が増えることで、市全体でサイクリングを盛り上げようという意識が高まってきています。カフェメニューに自転車をかたどったスイーツをつくっていたり、パンクや鍵の紛失などに対応する自転車のロードサービスもできてきました」(中村さん)

ベースキャンプとなる駅ビルの開発

その流れの拠点となっているのが、土浦駅に直結している駅ビルである「PLAYatré TSUCHIURA」だ。

駅直結の「PLAYatré TSUCHIURA」は、市外からの玄関口になっている(写真撮影/相馬ミナ)

駅直結の「PLAYatré TSUCHIURA」は、市外からの玄関口になっている(写真撮影/相馬ミナ)

「日本最大級のサイクリングリゾート」をコンセプトに立ち上げたという。主任の髙梨将克さんに話を聞いた。

「土浦駅はサイクリングコースの『つくば霞ヶ浦りんりんロード』のスタート地点として考えています。首都圏からの玄関口でもあるので、ここをベースキャンプとしてみなさんに楽しんでもらえたら、という考えでサイクリングに特化した施設になっています」

「PLAYatré TSUCHIURA」の1階にある「りんりんスクエア土浦」内に店舗を構える「le.cyc土浦店」。レンタサイクルや販売のほか、修理や情報発信、さらにはサイクルイベントも行っている(写真撮影/相馬ミナ)

「PLAYatré TSUCHIURA」の1階にある「りんりんスクエア土浦」内に店舗を構える「le.cyc土浦店」。レンタサイクルや販売のほか、修理や情報発信、さらにはサイクルイベントも行っている(写真撮影/相馬ミナ)

「PLAYatré TSUCHIURA」の1階と地下にある「りんりんスクエア土浦」は、茨城県が事業主体となり、JR東日本、アトレが連携して管理運営を行っている施設。先ほど説明した最新モデルのロードバイク等が借りられるレンタサイクルのほか、アプリ連携での無人のレンタサイクル、コインロッカーやシャワールームなど、手ぶらで来てもサイクリングを楽しめるような設備が整っている。

地下1階にある無人のレンタサイクルのエリアにも、シャワー室がある。入り口には防犯カメラもしっかりついていて安心して使える(写真撮影/相馬ミナ)

地下1階にある無人のレンタサイクルのエリアにも、シャワー室がある。入り口には防犯カメラもしっかりついていて安心して使える(写真撮影/相馬ミナ)

ここを拠点にしてほしいという思いの表れとしての情報発信スペースもあり、ここからどう回ればいいか、さまざまなルートのパンフレットがそろっている。

「le.cyc土浦店」内の情報発信スペース。それぞれの能力や希望に合わせたルートを提案している(写真撮影/相馬ミナ)

「le.cyc土浦店」内の情報発信スペース。それぞれの能力や希望に合わせたルートを提案している(写真撮影/相馬ミナ)

日本初のサイクリストに向けた駅ビルとは

見てください、と髙梨さんが指差した足元にはブルーのラインが描かれている。

「館内はどのフロアも自転車の持ち込みが可能なんです。そのルートを表しているのがこのライン。館内の店にはサイクルスタンドが設置されているので、自身の自転車のそばで安心して過ごしてもらえるようになっています」

青いラインが館内の各フロアに敷設されている。手前にある「PLAYatré」の刻印の入ったサイクルスタンドはビル内に設置されている(写真撮影/相馬ミナ)

青いラインが館内の各フロアに敷設されている。手前にある「PLAYatré」の刻印の入ったサイクルスタンドはビル内に設置されている(写真撮影/相馬ミナ)

サイクリストは、自分の自転車に愛着を持っているものだ。お金をかけている人も多いだろう。外の駐輪場よりも、そばのスタンドに置けることで安心というわけだ。サイクリストの心理に寄り添って細やかな配慮がされている施設であることが分かる。

「TULLY’S COFFEE」はイタリアの自転車メーカー「Bianchi」とコラボレーションした内装で、チェレステカラーを使ったサイクルスタンドがある(写真撮影/相馬ミナ)

「TULLY’S COFFEE」はイタリアの自転車メーカー「Bianchi」とコラボレーションした内装で、チェレステカラーを使ったサイクルスタンドがある(写真撮影/相馬ミナ)

館内にはカフェやレストラン、学習スペースのほか、茨城の良さを広く知ってもらおうと、地元で人気のベーカリーショップやスイーツを扱う店や、ワークショップを開催する書店が並ぶエリアもある。スタンドに自転車を置いて店内へ行く人もいれば、広いスペースで折りたたんで颯爽と駅構内へ向かう人もいる。

「従来、サイクリストが電車に乗るには、自転車を折りたたんだり広げたりするスペースがなくて大変だったんです。そういうサイクリストの声を一つ一つ拾って、どんな施設が必要かを考えてできた施設なんです」(髙梨さん)

レストランフロアも充実していて、自転車にまつわるディスプレーが目を引く(写真撮影/相馬ミナ)

レストランフロアも充実していて、自転車にまつわるディスプレーが目を引く(写真撮影/相馬ミナ)

「通り過ぎるのではなく、滞在する場所にしたくて」という髙梨さんの言葉通り、飲食店でも書店でも、学習スペースでも、たくさんの人がゆったりと過ごしているのが印象的だ。さらに2020年3月には、サイクリングや観光を楽しむためのホテル「星野リゾート BEB5 土浦」も完成する。

土浦市がサイクリングへ特化した取り組みを始めて2年。地元で自転車を利用する人や、首都圏からサイクリングに訪れる数もかなり増えてきている。官民一体となって走り続けてきた取り組みが、しっかりと根付いている証しだ。

●取材協力
土浦市
PLAYatré TSUCHIURA

勝間和代さんインタビュー:“汚部屋“が一転、一番快適な場所に! 人生を変えた「断捨離」

経済評論家として、働く女性の代表的存在としても大活躍中の勝間和代さん。多忙を極める裏で、かつてはモノがあふれ収拾のつかない状態だった「汚部屋」を、「家が一番快適」というまでに蘇らせ、その体験をまとめた『2週間で人生を取り戻す!勝間式汚部屋脱出プログラム』(文春文庫)を2016年発行。2019年の文庫化を機に、勝間さんが一念発起したきっかけ、人生がガラリと変わったという劇的効果、約4年経過後の断捨離やライフスタイルの進化などを伺ってきました。
2015年秋、友人・川島なお美さんの急逝で断捨離の必然性に目覚める

――勝間さんが断捨離を始めることになったきっかけを教えていただけますか?

2007年に独立して以来、多忙を口実に、片付けに関しては放棄していました。強制的に荷物整理をするために引越しを繰り返してきましたが、今の部屋に5年以上住んだころからモノが収納限界点を超える「収納破産」状態に。部屋には使わないモノがあふれ、人も呼べない汚部屋でしたが、見て見ないふりをしていました。

そんな2015年秋、公私ともに親しくさせていただいていた川島なお美さんが急逝。同世代だけに、「死」というものが現実化して。ご主人である鎧塚俊彦さんが、なお美さんの残したものを前に辛い思いをしているのを目の当たりにして、「自分もいつ死ぬか分からない」「自分のものが多いと遺族も大変だし、何かあったときに他人を家に入れることもできない」と、スイッチが入って断捨離を始めました。

(左)同じ部屋とは思えない、汚部屋時代。デスクまわりも仕事関連のモノがあふれ、収拾のつかない状態。せっかくのルンバも床に散乱したモノで活躍の場がなかった(写真提供/勝間和代さん)(右)現在の勝間さんのお部屋。明るく広々、厳選されたものだけに囲まれた「一番快適な場所」。断捨離で床にモノがなくなり、時間セットしたルンバが毎日大活躍でさらに綺麗に(写真提供/文藝春秋)

(左)同じ部屋とは思えない、汚部屋時代。デスクまわりも仕事関連のモノがあふれ、収拾のつかない状態。せっかくのルンバも床に散乱したモノで活躍の場がなかった(写真提供/勝間和代さん)(右)現在の勝間さんのお部屋。明るく広々、厳選されたものだけに囲まれた「一番快適な場所」。断捨離で床にモノがなくなり、時間セットしたルンバが毎日大活躍でさらに綺麗に(写真提供/文藝春秋)

――断捨離の成果が出てご著書『勝間式汚部屋脱出プログラム』が出来上がるまではどれくらいの期間で?

そのときたまたま睡眠の大切さに関する本を読んでいたこともあり、試しに寝室の断捨離から始めました。するとすぐに睡眠の質が高まる効果を実感して。その相乗効果で断捨離は加速、どんどん面白くなって、毎日2~3時間片付けて、2015年末には8割のモノがゴミと化していました。ブログに書いたところ好評だったこともあり、この仕組みをまとめて、2016年に『2週間で人生を取り戻す!勝間式汚部屋脱出プログラム』の単行本を出しました。

『2週間で人生を取り戻す! 勝間式 汚部屋脱出プログラム』勝間和代 著、文春文庫

『2週間で人生を取り戻す! 勝間式 汚部屋脱出プログラム』勝間和代 著、文春文庫

片付けてスッキリすると気持ちいいし、効果を実感する、楽しくなる、どんどん捨てるべきものが目につく、という好循環で、無理はしていません。むしろ汚部屋だったころの方が、掃除をするにもモノをどかしてからでないと掃除さえもできなかったので、無理して頑張っていたと思います。

――断捨離はダイエットにも絶大なる効果があったとか?

断捨離でこまめに身体を動かすようになって、自然に体重が4~5kg落ちました。かつてはゴミを溜めておいて収集日に合わせて運んでいましたが、いまは目につけば24時間いつでもマンションの集積場所まで捨てに行きます。自然に良く身体を動かす癖がついたのだと思います。

さらに自炊に切りかえて外食が減ったこともあり、ピーク時は60kgを超えたこともあった体重はぐんぐん減って、いまは40kg台になりました。人生100年時代、人生の先輩に「体が動くのは50代のうち」と言われて、仕事ばかりでなく、意識して運動していることもあると思います。今日もゴルフ練習場に行ってきましたし、家でダンベルを使ったりして、毎日2~3時間は運動していますよ。

――家を一番快適な場所にすることによって、何が変わりましたか?

まず、モノが少なくなったことで、モノを探す無駄な時間もなくなりました。断捨離したら、ハサミやカッターが家じゅうから何セットも出てきましたからね。掃除もしやすくなりいつもきれいな状態を保て、いつ誰が訪ねてきて、どこを見られてもOKです。

家でも身体をこまめに動かすようになったので、以前は行きもしないジムに会費を払ってお金を浪費していましたが、そんな必要もなくなりました。ジムもちゃんと場所や時間帯を選んで通っていればいいのですが、たいてい入会しているだけで満足しがちですよね。

今までは家で仕事をしていても、快適とは言えない環境なのですぐ息抜きに外に行きたくなって。例えばカフェに息抜きに出かけると、その往復時間もカフェ代も無駄になります。家が一番快適でストレスもないと、外に行く必要がなく時間とお金の無駄がなくなって経済的。その時間とお金を好きなものに集中できます。

汚部屋の時代は自宅には親友くらいしか呼べなかったけれど、今は月に数回、椅子は8脚なので8名マックスのパーティーもするようになりました。以前は不意に人が来たら困っていましたが、いまはたとえ日にちを間違えていても、いつでもどこを見られても大丈夫です。

(写真提供/文藝春秋)

(写真提供/文藝春秋)

コツは捨て癖。片付けの「仕組み」で歯磨きのように習慣化

――片付けが苦手でいつも挫折しているのですが、どこから、どのように手を付ければいいでしょうか?

まずは捨て癖を付けて、成果を実感しやすいところから始めるといいですね。例えば浴室や寝室のベッドまわり。浴室は「お風呂に入る」という目的がはっきりしている狭い空間なので、取り掛かりやすいです。入浴に関係ないものがあれば取り除き、使っているもののみ残します。私は立ってシャワーを浴びるので、桶や椅子も使っていないことに気付き、処分しました。広々と気持ちよい空間でバスタイムを楽しむことができ、さらに掃除もしやすく、すぐに断捨離効果を実感できるでしょう。

寝室も同じです。「眠る」という目的に必要なものだけを残すことで、質の高い眠りを得ることができることが実感できるはずです。寝室は、まずベッドまわりから始めて、クローゼットや物置は難易度が高いので後回しで。「捨てる物を選ぶ」という発想ではなく、「残すものを選ぶ」という感覚で、捨て癖を付けていくことが大切です。8割がたの不要なものがなくなれば、「整理整頓」とか「収納」などと考える必要もなくなります。

――具体的に、捨てる・捨てない、はどのように判断すればいいのでしょうか?

判断基準はシンプルに、「使っているか、いないか」、ということだけです。こんまりさんこと、近藤麻理恵さんの「ときめき」による片付け術が世界中で大流行していますが、ときめくか、ときめかないかって、私には分かりにくくて。季節ものは別にして、1カ月間使っていないものは、要らないのでは、という目で見ます。

例えばキッチンの調理器具は包丁3本、お玉2つ、トング、木べら、ピーラーを残し、さまざまな便利グッズや予備は捨てました。同時に使うものでない限り、すぐ洗えばストックも不要です。7~8本も出てきたラップのストックも一種一本だけにしました。ちゃんと出汁をとれば、出来合いの各種調味料類も不要になります。

買い置きは、結局使わず無駄になってしまい経済的ではないので、しません。冷蔵庫の中も、3日以内に食べる物しかはいっていません。それでも米や豆、水、カセットコンロなどがありますから、台風の3、4日分の食料は大丈夫です。

そのようにどんどん身の回りのものもシンプルにしていき、化粧品もワンセット、小さな化粧ポーチのみです。そうすれば、なくなりそうなときはすぐ分かるので在庫管理も楽。アイシャドウだって何色もあっても、結局使うのはお気に入りのブラウン系だけなので、一種でいいのです。

――難易度が高い場所はどのようにクリアしてキープすればいいのでしょう?

捨て癖がついて、断捨離の効果も実感してからだと、難易度が高い断捨離もやりやすくなります。さまざまなものがあって判断が複雑になりがちな収納スペースは、捨て癖が付いた断捨離の最後に取り掛かるのがおすすめです。クローゼットの衣類なら、値段が高く使用頻度が少ないフォーマルなものは悩みますので、まずはカジュアルな服の断捨離をしてからフォーマルに。物置もさまざまなものが混在している場所なのでやっかいですが、最終的には日常的には使わないけれど、必ず使うものだけ残すのが理想です。

捨て癖は、習慣にしてこまめに捨てることが大事です。歯磨きだって3日とか1週間に一度では、歯石も溜まって大変でしょう。歯磨きを毎食後習慣にするように、断捨離もちょこちょこ習慣化してしまえば長続きします。
無理せず、こまめに、ですね。

かつて持ってはいても、床にモノが散乱していて起動できなかったルンバは、毎日タイマーで自動で動き出すようセットし、そのために床にはモノを置きません。キッチンも片付いている方が、断然お料理の効率もいいし、楽しいです。手洗いか食器洗浄機か、ではなく、両方使った方が早いので、食器に応じて手洗い&食器乾燥機、食器洗浄機、を使いわけ、食事のときには片付けも終わっているようにします。皿や調理器具もストックは持たないので、整理整頓や収納で悩むこともありません。

モノから行動の断捨離へ。時間を生み出し自分が主役の人生に

――勝間さんが捨てにくかったモノはどんなものですか? どんな変化がありましたか?

高額なもの、他人にいただいたものや思い出のあるもの、物理的に大きなものなどが捨てにくいです。100円ショップで買ったものは誰でも気軽に捨てるでしょうが、3万円を超えるものだと悩むでしょう。頂きものや思い出のものも、送り主の立場を思うと申し訳ない気持ちになります。物理的に大きなものも、運んだり粗大ごみの手配をしたりが大変です。

コレクションしている趣味のものも捨てにくいです。一眼レフやビデオカメラ、古いPCなどもたくさんありましたが、時代とともに進化して、今どきスマートフォンで事足りるので、古いものは処分しました。

捨てるのがめんどうなものが分かってからは、なるべく家まで持ち込まないようにしています。買い物は厳選し、特に3万円以上は慎重になります。いただきものも「モノを増やしたくないので」「お酒は飲みませんので」などとその時点で断ります。そうしているうちに周囲に浸透してきましたが、それでも断り切れない場合は、事務所のスタッフに配ったりして、基本家には消えもの以外は持ち帰りません。逆に自分がプレゼントを選ぶ場合も、消えものと決めています。

――モノを増やさずキープするための、勝間流の仕組みや工夫を教えてください。

基本はモノもダイエットも同じで「出る」「入る」の仕組みです。出るが多いと痩せるし、入るが多いと太る。断捨離で綺麗になっても、人間生きている限り、モノは放っておけばまた増えていきリバウンドしてしまいます。
モノが増える仕組みを知って、増やさない仕組みをつくることが大切です。買い物はとにかく厳選し、何かを買うということは、何かと入れ替えます。現在本当に必要なもののみになっているので、それに並ぶものか、入れ替えてまで欲しいモノか熟考します。

どうしても溜まりがちなものに郵便物があります。家に持ち込んでどこかにポイと置いたら最後、そのままになって溜まっていきます。そこで「郵便物は絶対にそのまま置かない」と決めて、ポストから部屋に戻る途中、エレベーターや廊下でも中身を確認して、要るものや要返信のものなどを分けるなど処理をしたうえではじめて部屋に置きます。クリーニングに出した際のハンガーも断って家には持ち込みません。

所有に拘らず、必要なものは「エアークローゼット」などのサブスク(サブスクリプションの略称で、製品やサービスなどを一定期間利用しその代金を払うシステム)を利用しています。バッグなどは買う前にいくら吟味しても使い勝手までは分からないので、まずはレンタル。今日のバッグもレンタルで、気に入ってはいるけれど購入するほどではないかな、とか使ってみて判断できますよ。

――単行本発行から文庫化まで4年、現在の断捨離の進捗状況と読者へのメッセージを。

モノに支配されない自分が主役の暮らしが快適だ、ということを断捨離で実感して以来、常に効率化できるものはないか、捨てられるものはないか、考えています。無理をしていないので、もちろんリバウンドすることもありません。自分にとって快適でストレスのない状態を追求して、断捨離しているだけです。

いまは「モノ」の断捨離から、「行動」の断捨離に移行しています。一日は24時間と限りがあるので、自分にとって快適でないことは辞めました。例えばテレビの仕事は1時間番組の収録でも、現場への往復や事前打ち合わせなどで合計6時間前後拘束されてしまいます。自分はテレビを一切見ないし、テレビに出ている時間を楽しんでいるわけでもないことに気付き、今年の2月から一切テレビのお仕事は断っています。

「行動」を断捨離することで「時間」が生まれ、自分で自分のスケジュールを組めるようになります。先日は誘われるままに、8日間で5回ゴルフのラウンドに行きました。逆に、少しでも迷った誘いは断ります。自分の人生、自分の時間は自由に使い、自分でコントロールしたいですからね。

さっそうとインタビュー場所に現れた勝間さんは、表情キラキラ、お肌ピカピカ、スッキリ華奢なシルエット。「部屋の状態は心の状況を表す」と言いますが、お部屋もご本人も、いつ誰に見られても良い状態に整っているのだと納得。最後に仕事道具を詰め込んだ大荷物の取材陣に、「バッグも小さくして、持ち歩く荷物の断捨離を」、とアドバイスいただきました。断捨離、やらないと人生損です!!

2週間で人生を取り戻す! 勝間式 汚部屋脱出プログラム』 (文春文庫) 『2週間で人生を取り戻す! 勝間式 汚部屋脱出プログラム』 (文春文庫)

パリの暮らしとインテリア[3]スタイリスト家族と犬が暮らす、花やオブジェに囲まれたアパルトマン

私はフランスのパリに暮らすフォトグラファーです。パリのお宅を撮影するたびに、スタイルを持った独自のインテリアにいつも驚かされています。
今回は数年前に花と一輪挿しに目覚めたスタイリスト&コーディネーターのまさえさんと旅や散歩で拾い集めたものをアレンジするのが得意なアートディレクターのドメさん家族のアパルトマンを訪問しました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
フランス・パリで暮らす写真家が、パリの素敵なお宅を撮影。インテリアの取り入れ方から日常の暮らしまで、現地の空気感そのままにお伝えします。二人で見て回った物件は50軒! そのなかで条件が明確に

まさえさんとドメさんが子どもと犬と一緒に暮らすアパルトマンは、地図でいうと右岸の右上の19区にあります。サン・マルタン運河、サン・ドニ運河、ウルク運河、ラ・ヴィレット貯水池、と、水場の多いのが特徴です。パリ中心部にほど近い10区のアパルトマンから2009年に引越してきたときには、少し治安が心配なエリアでしたが、ここ数年運河の周りや公園が整備され、家族で安心して楽しめる週末の人気エリアに変わりました。

ちょうど10年前、10区のアパルトマンから引越しを決意したきっかけはドメさんの病気でした。「階段の上り下りは体に負担がかかる。エレーベーター付きのアパルトマンを購入しようと思ったのです」(まさえさん)
そのころちょうどパリのアパルトマンが高騰し始めたばかり、中心部に近い人気の10区11区は無理でも19区20区あたりまで対象を広げれば希望のアパルトマンを買える価格だったそう。

今のお住まいを見つけるまで50軒以上の物件を見て回った二人。物件は良くてもアクセスが悪かったり、間取りは良くてもアパルトマンの天井が低かったり、となかなか希望どおりの物件は見つかりませんでした。
「50軒といっても、部屋を全て見たわけではありません。最寄りのメトロを出た途端に雰囲気がしっくりこなくてその場で見学をキャンセルすることもありました。メトロは私たちの足となる大切なものだから、その周りの街並みはとっても重要だと思います」(ドメさん)
物件を見て回っていて、図面や頭の中で想像しているものと実際は大きく違う、その都度自分たちがどんなアパルトマンを求めているか、条件がどんどん明確になっていくのが興味深い体験だったといいます。

そんなお二人の物件探しの条件は、パリ右岸、犬のナナの散歩が気持ちよくできる、子どもを授かったときのために公園が近い場所、エレーベーターがある、窓が大きく見晴らしが良い、できればバルコニーに小さなテーブルを置いて食事がしたい。というささやかなもの。その条件を満たしたのが今のアパルトマンだったのです。

バルコニーはもうひとつの大切な部屋、という考え方天気の良い日は13歳のフレンチブルドッグのナナともお茶をバルコニーで。まさえさんはイギリスのTony Woodの黒猫ティーポットに一目惚れ、ドメさんからのプレゼントとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天気の良い日は13歳のフレンチブルドッグのナナともお茶をバルコニーで。まさえさんはイギリスのTony Woodの黒猫ティーポットに一目惚れ、ドメさんからのプレゼントとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アパルトマンのバルコニー側は大通りのため、向かいの建物と距離があり空が広く見える。この景色をまさえさんは「大きな絵画のよう」と話す(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アパルトマンのバルコニー側は大通りのため、向かいの建物と距離があり空が広く見える。この景色をまさえさんは「大きな絵画のよう」と話す(写真撮影/Manabu Matsunaga)

大きな窓が購入の決め手となったこのアパルトマンは1970年代にできたもの。床は毛足の長いオレンジの絨毯、壁はピンクのジャガードの生地が貼られていたそう。6カ月をかけてドメさんとまさえさんで改修工事をしました。古い絨毯、古い壁紙を剥がし、 62平米の間取りはサロン、キッチン、子ども部屋、寝室と細かく区切られていたため、大きな窓のあるバルコニー側にあたるサロンとキッチンの仕切りを取り払い、広々とした明るい空間をつくり上げました。

お二人が外の部屋と呼ぶだけあって、素敵に飾られているドメさんコーナー。拾ってきたものをまずはここでストックします(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お二人が外の部屋と呼ぶだけあって、素敵に飾られているドメさんコーナー。拾ってきたものをまずはここでストックします(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「バルコニーは家の続きで、僕たちはもう一部屋が外にあるって思っています。ここで植物を育て、ここで食事をし、ここで景色を眺める、とても重要な場所なんです。そして、ここは僕が主導権を握る場所なんですよ」(ドメさん)
おふたりの生活をお聞きしていると、確かにバルコニーで過ごす時間が多い。ドメさんはヴァカンスで行った海岸で流木や貝殻、森では松ぼっくりや石ころ、パリの街では愛犬ナナの散歩のときに捨てられた枯れた植物、色々なものを拾い集めて飾っている。

海岸近くで見つけた多肉植物は水の分量が難しく、世話もドメさん担当。それを楽しそうに見守るまさえさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

海岸近くで見つけた多肉植物は水の分量が難しく、世話もドメさん担当。それを楽しそうに見守るまさえさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

旅をしていても、パリでも、蚤の市散策はお二人の共通の趣味。マリア像はパリの蚤の市で購入し植物たちの陰にそっと。海岸で拾った穴あきの石は植木鉢にデコレーション。オリジナルなセンスのバルコニーはこうやってつくられていく(写真撮影/Manabu Matsunaga)

旅をしていても、パリでも、蚤の市散策はお二人の共通の趣味。マリア像はパリの蚤の市で購入し植物たちの陰にそっと。海岸で拾った穴あきの石は植木鉢にデコレーション。オリジナルなセンスのバルコニーはこうやってつくられていく(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「これが松ぼっくりの中にある種です。差し上げるので土に植えてみてください。私も発芽させましたよ、割ると松の実が入っているので食べても美味しいですよ」とお土産をいただきました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「これが松ぼっくりの中にある種です。差し上げるので土に植えてみてください。私も発芽させましたよ、割ると松の実が入っているので食べても美味しいですよ」とお土産をいただきました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

蚤の市で買い集めた額がシークレット・ガーデンの主役

お二人が出会ったころ、ドメさんは音楽系のアートディレクター、まさえさんはイラストレーターの仕事をしていました。もうすでにそれぞれの世界観が出来上がっていたため、インテリアの趣味が微妙に違っていたそうです。そこで、ベランダはドメさん、まさえさんはトイレを担当しました。「購入後の大工事が終わって、唯一私の趣味を表現していいと許可が出たのがトイレだったのです。夫と出会う前から蚤の市で少しずつ買い集めた額に入った花や鳥モチーフの刺繍は、いつか飾りたいと思って大切にとってありました。やっと出番がきました。テーマは<シークレット・ガーデン>です」とまさえさんは笑います。

トイレの壁は<シークレット・ガーデン>の名にふさわしくナチュラルな木目に額の中の刺繍が映えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

トイレの壁は<シークレット・ガーデン>の名にふさわしくナチュラルな木目に額の中の刺繍が映えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そして、サロンや寝室はお二人の趣味がうまく調和していて、そこに長男ショーン君も加わります。ドメさんが探してきたものを今度はまさえさんが棚に飾ったり、ショーン君が拾った貝殻とまさえさんの集めている一輪挿しが一緒に置かれていたり、いろいろなコーナーを家族でつくり上げています。パリという都会に住みながら、アパルトマン全体が自然の中を旅しているような気分にさせてくれる空間になっているのです。

田舎から持ち帰ってドライにした野草はブロカント市で見つけたGustave Reynaud作の一輪挿しに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

田舎から持ち帰ってドライにした野草はブロカント市で見つけたGustave Reynaud作の一輪挿しに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンの棚は家族の好きなものを飾り、ティーポットや小さな花瓶も花が生けられてなくてもしまわないで並べるのがお二人のルール(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンの棚は家族の好きなものを飾り、ティーポットや小さな花瓶も花が生けられてなくてもしまわないで並べるのがお二人のルール(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「買ったものがほとんどない窓辺!」(まさえさん)。 「デレク・ジャーマンみたいでしょ?」(ドメさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「買ったものがほとんどない窓辺!」(まさえさん)。 「デレク・ジャーマンみたいでしょ?」(ドメさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

花好きに拍車をかけ、一輪挿しに目覚めるきっかけになった出会いとは?北向きの寝室の壁一面だけ自分たちで配合したペンキでブルーに。「花瓶を置いた途端に棚が喜んでいるように見えるでしょう」(まさえさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

北向きの寝室の壁一面だけ自分たちで配合したペンキでブルーに。「花瓶を置いた途端に棚が喜んでいるように見えるでしょう」(まさえさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お二人のアパルトマンは、シークレット・ガーデン(トイレ)、サロン、寝室、いたるところに花瓶が置かれていました。まさえさんはコーディネーターという職業柄、街をたくさん歩きます、5年前に通りかかった9区の<Debealieu>という花屋さんはフラワー・アーティストのピエールさんが開いたばかりのお店でした。「見たことのない花々や、当時珍しいドライフラワーが飾ってあって他のお店と明らかに違い、私は言うなれば一目惚れしてしまったのです。それ以来頻繁にお店に通ってピエールさんとよくお話しするようになりました。彼は花屋を始める前は別の仕事をしていたのですが、手を使った仕事がしたくて半年間のフラワー・アレンジメントの研修を受けてお店を構えたんです」

そんなある日、ピエールさんの一輪挿しを使ったディスプレーを見て、この世界観が好きだ!とその日から一輪挿しに花を飾るようになり、それと同時にブーケというものを買わなくなったという感銘ぶりでした。今では、まさえさんにとってピエールさんにしかできないアレンジや珍しい花、特別に見せてもらった一輪挿しのコレクション、彼との会話がエネルギー源になっているといいます。

ピガールから坂を下ってピエールさんに会いに。店の近くには歴史的な建造物、有名な映画監督ジャン・ルノアールが住んでいた屋敷もある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピガールから坂を下ってピエールさんに会いに。店の近くには歴史的な建造物、有名な映画監督ジャン・ルノアールが住んでいた屋敷もある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんのお店<Debealieu>の一画(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんのお店<Debealieu>の一画(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「まさえのために今日は特別に好きそうなものを出してきたからディスプレーしてみるよ。写真的にもいいか一緒に確認して」とピエールさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「まさえのために今日は特別に好きそうなものを出してきたからディスプレーしてみるよ。写真的にもいいか一緒に確認して」とピエールさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一輪挿しのコレクションを使ったまさえさんのためのコーナーをディスプレ―完成(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一輪挿しのコレクションを使ったまさえさんのためのコーナーをディスプレ―完成(写真撮影/Manabu Matsunaga)

和気あいあいと花や花瓶の魅力について語るお二人(写真撮影/Manabu Matsunaga)

和気あいあいと花や花瓶の魅力について語るお二人(写真撮影/Manabu Matsunaga)

週末になるとマルシェで花を買い、街を歩いて気になるフラワー・ショップを見つけると必ずチェックしてしまうというまさえさん。花瓶のコレクションも増え、日々の生活には花があふれています。

ガラスの花瓶も好きで、1920-1960年代の薄いピンクのものがお気に入り。季節のダリアを黄色い球根用の瓶に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ガラスの花瓶も好きで、1920-1960年代の薄いピンクのものがお気に入り。季節のダリアを黄色い球根用の瓶に(写真撮影/Manabu Matsunaga)

陶器で有名な南仏のヴァロリス村のものは個性があって夢もある。顔付きの花瓶も活ける花によって表情が変わる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

陶器で有名な南仏のヴァロリス村のものは個性があって夢もある。顔付きの花瓶も活ける花によって表情が変わる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんの影響でまさえさんも花瓶をコレクション。この春にノルマンディの小さい町の骨董市で見つけた花瓶はオブジェとして飾っても素敵ですが、花を活けると花瓶が生き生きとしてうれしそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんの影響でまさえさんも花瓶をコレクション。この春にノルマンディの小さい町の骨董市で見つけた花瓶はオブジェとして飾っても素敵ですが、花を活けると花瓶が生き生きとしてうれしそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

もう一つのエネルギー源は春から夏にかけてノルマンディーにある田舎の家で週末を過ごすこと。
「主に草刈りや家の修復などに時間がかかってしまっていますが、近くには小川が流れていて可愛い野草が
生えているのです。パリに戻るときは散歩がてら摘みに行って、少しいただいて来ます。もちろんそれを花瓶と相談しながら活けるのが楽しみで、また新しい一週間を頑張れる気がします」

旅やパリで色々なものを集めるという作業は、全てに思い出があり、家族の記録になっていると考えるドメさん。自然には何かを気付かせる力があり、ものには必ずストーリーが伴う。
「花には花瓶が必要で、その二つのハーモニーが組み合わせによって変わる楽しがあります。家の空気まで変わるんです」(まさえさん)
そう、花を飾るだけではなく、家の全てを飾る、それは人生をも飾るということなのでしょう。そんな彼ら家族だけの大切な宝物が詰まったアパルトマンでした。

(文/松永麻衣子)

パリの暮らしとインテリア[2]アクセサリーアーティストが家族と暮らすアトリエ付きの一軒家

私はフランスのパリに暮らすフォトグラファーです。パリのお宅を撮影するたびに、スタイルを持った独自のインテリアにいつも驚かされています。今回はアクセサリーアーティストの純子さんが家族と暮らす、アトリエの離れが付いた一軒家に伺いました。連載【パリの暮らしとインテリア】
フランス・パリで暮らす写真家が、パリの素敵なお宅を撮影。インテリアの取り入れ方から日常の暮らしまで、現地の空気感そのままにお伝えします。アパルトマン暮らしから一軒家へ

二人目の子どもを授かった2002年の当時、純子さんは夫のピエールさんとパリの最新トレンド発信地として人気の北マレ地区でアパルトマンの6階に住んでいました。まだ2歳だった長女と買い物などで毎日何度も階段を上り下りするのが大変で、ピエールさんと一軒家を探し始めました。
条件を夫婦でよく話し合ったそうです。

1.治安が比較的良いパリ南西部
2.パリのメトロで行ける場所
3.車が止められるスペースがあること
4.アクセサリーのアトリエをつくるスペースがあること

母屋(奥)とガレージ(手前)の間には中庭がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

母屋(奥)とガレージ(手前)の間には中庭がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さんは、当時のことをこう話します。
「売りに出されている物件を20軒くらい見に行きました。とてもいい物件でも、郊外で電車やバス移動があるところだと、どうしても気が向きませんでした。
決め手になったのは、近所の住民が親切だったことです。今住んでいる家の契約書類のサインがせまっていた時期に、住民が道にテーブルを出して、飲んだり食べたりしているところ(日本でいう町内会の集まり)に遭遇し、みんなこの周辺のことなどを親身になって教えてくれました。
今の家は、パリのメトロでのアクセスが良いところ、通りが袋小路になっていて静かなところが気に入っています。購入当時はまだ小さかった長女、これから生まれてくる次女のためにも、歩いて10分以内に幼稚園から中学校まであることも助かりました」

ピエールさんは食関係の仕事をしていてたくさんの荷物を積んで車で朝早くに出かけるので、パリにもアクセスが良いこの場所がお気に入りと言います。また、レコードコレクターでもある彼は、近隣に気にせず音楽を楽しめるようになったことも大きかったようです。

「パリにいたころは車を駐車するのにも時間がかかったりして、ストレスフルな日々でした。それと僕は音楽が大好きなので一軒家に憧れていました。
パリのアパルトマンでは、こちらが注意していても音が近隣トラブルのもとになったりしますし、どこからかいろんな音が聞こえてきて、絶えずリラックスできない環境でした。
一軒家を手に入れてからは近隣のことも気にならないし、時間に自由ができて満足しています」

ピエールさんはリビングの一部に自分のスペースをつくり、いつでも好きな音楽を聴けるように配置しています。年に何度か季節に合わせて額に入れたレコードジャケット入れ替え、まるでギャラリーのよう。「次女と音楽センスが合ってうれしい」とピエールさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんはリビングの一部に自分のスペースをつくり、いつでも好きな音楽を聴けるように配置しています。年に何度か季節に合わせて額に入れたレコードジャケット入れ替え、まるでギャラリーのよう。「次女と音楽センスが合ってうれしい」とピエールさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階に上がって左右に子ども部屋がある。ブルーのペンキは空をイメージして、自分たちで色を配合(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階に上がって左右に子ども部屋がある。ブルーのペンキは空をイメージして、自分たちで色を配合(写真撮影/Manabu Matsunaga)

手づくりの花瓶が飾ってあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

手づくりの花瓶が飾ってあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2002年当時は、まだユーロ通貨になって間もないころ。不動産もそれほど高騰はしていない時期で、とてもリーズナブルに購入できたそう。
「住居スペースは95平米、離れのガレージは25平米、中庭、車が2台分置ける駐車スペースもあって、申し分ない物件でした。それとカーヴ(ワイン貯蔵庫)が地下にあり、買い貯めていたワインも安全にストックできるのも気に入っています」とピエールさん。

購入したあとは、家族にとってより快適な空間にするために居住スペースとガレージの改装をしました。

「住居スペースは4人家族が住むには広さとしては理想的でしたが、細かく部屋が仕切られていたので、開放的なスペースにしたいと夫婦で意見が一致しました。まずは仕切り壁を取り壊し、台所も配置を換え、床がタイルだったのをフローリングにしました。
それとガレージをアトリエにするために、断熱材を入れたりして大工事になりました。
物件の購入金額に加え、その10~15%相当の工事費がかかりました」(純子さん)

一軒家でアクセサリーアーティストの活動拠点を手に入れた

純子さんは日本の服飾学校を卒業後、パリでアクセサリーアーティストとして活動。一軒家購入を機に、念願のアトリエを手に入れました。

ガレージを改装して純子さんのアトリエに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ガレージを改装して純子さんのアトリエに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

使う道具や材料は作業をしながらでも手が届くところに置いています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

使う道具や材料は作業をしながらでも手が届くところに置いています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さんの作品はパリのブティック数カ所に置かれているほか、ポップアップショップでも頻繁に展示・販売しています。

「ポップアップショップでは、お客さんと対話を通じてその方の趣味や求めているものが分かり、自分のクリエーションの参考にもなります。そこで得たことを活かしながら、アトリエでの制作活動に集中したいんです」

パリの歴史的なパッサージュ(アーケード商店街)で展示の準備(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリの歴史的なパッサージュ(アーケード商店街)で展示の準備(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新作は陶器のピアス。手づくりなので、同じものは一つもない一点物です(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新作は陶器のピアス。手づくりなので、同じものは一つもない一点物です(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お客さん対応をする純子さん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お客さん対応をする純子さん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

手づくりの感覚を大切にして一点物にこだわる姿勢、お客さんに真摯に対応する純子さんの姿に、写真家として同じくクリエーションに携わる筆者も心打たれました。

作品制作中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

作品制作中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どもたちが小さいときにつくったオブジェも大切に飾っています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どもたちが小さいときにつくったオブジェも大切に飾っています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

数年前から始めた陶器アクセサリーや、自分で使うお皿などは、地元にある美術学校エコール・デ・ボザールの窯を週1で借りて制作しているとのこと。

「そのうち、アトリエに自分の窯を置きたいです。アトリエの奥は夫のキッチンラボになっていますが、少しスペースを貸してほしいと交渉中です」と笑顔で語ります。

花瓶やお皿などの陶器づくりにも凝っています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

花瓶やお皿などの陶器づくりにも凝っています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

撮影にうかがったのは夏休み前の天気の良い日曜日でした。庭には桜の木やフランボワーズなどがありました。夏が終わるころには、甘いブドウも実るでしょう。

家の門を開けるとすぐ、桜の木と母屋が見えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の門を開けるとすぐ、桜の木と母屋が見えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さん一家は毎年できるブドウを楽しみにしています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さん一家は毎年できるブドウを楽しみにしています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんは20年間シェフとしてレストランで働いていたので、料理はお手のもの。キッチンは中庭に簡単にアクセスできるようにつくられていて、天気の良い日はパラソルを立てて食事をします。

ピエールさんの料理をする手さばきはさすが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんの料理をする手さばきはさすが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

イタリア製のプロ用のガスレンジ。今後改装しても、これだけは使い続けていきたいとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

イタリア製のプロ用のガスレンジ。今後改装しても、これだけは使い続けていきたいとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンからの眺め。バーベキュー用の窯も奥に見えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンからの眺め。バーベキュー用の窯も奥に見えます(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家購入20年の記念に。まだまだ夢が広がる

「今、アトリエ以外の改装計画も立てているところなんです。家を購入してから20年の記念に、バスルームを全面改装したいのです。日本風の洗い場があってくつろげる空間にしたくて。でも子どもたちはイタリア式の水圧が高いシャワールームがいいと言っていて。なかなか意見がまとまりませんね(笑)」と純子さん。

ピエールさんも夢を膨らませます。
「僕は地球環境問題に興味があるので、エネルギーの節約の意味も込めて家の断熱材の強化をしたいです。
また、今は庭のコンポストで生ゴミを使って庭用の肥料をつくっていて、自分の庭で取れるサクランボ、フランボワーズ、ブドウを安全で美味しく食べられるようにしています。本当は庭に鶏を飼って新鮮な卵を毎朝食べるのが夢なんです。でも隣近所に迷惑にならないようにしないと」

いろんな夢を持ち続け、それを素直に話し合い、お互いの世界を展開しているお二人に乾杯!です。これからの家の進化も楽しみです。

二人で見つけたヴィンテージのランプ、ガラスと木の素材が他のインテリアにもマッチ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

二人で見つけたヴィンテージのランプ、ガラスと木の素材が他のインテリアにもマッチ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さんが少しずつ集めたアンティークのレース類(写真撮影/Manabu Matsunaga)

純子さんが少しずつ集めたアンティークのレース類(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんを唸らせた(!)純子さんの父親のフランス車と純子さんが5歳の時の写真が大切に飾ってあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピエールさんを唸らせた(!)純子さんの父親のフランス車と純子さんが5歳の時の写真が大切に飾ってあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリの暮らしとインテリア[1]ヴィンテージ家具に囲まれたデザイナー家族のアパルトマン

私はフランスのパリに暮らすフォトグラファーです。パリのお宅を撮影するたびに、スタイルを持った独自のインテリアにいつも驚かされています。

今回はヴィンテージ家具を20年以上かけて少しずつ集めて生活を楽しんでいる、ブティックなどの内装を手がけるデザイナーのヴァレリーさん、ファッションデザイナーの仁美さんらが暮らすアパルトマンに伺いました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
フランス・パリで暮らす写真家が、パリの素敵なお宅を撮影。インテリアの取り入れ方から日常の暮らしまで、現地の空気感そのままにお伝えします。人気エリア11区から静かな『北マレ』への引越し

ヴァレリーさんと仁美さんが子どもたちと暮らすお住まいは、今パリの最新トレンド発信地として大人気の北マレ地区にあります。2005年に引越してきたときにはまだ「北マレ」というエリア名では呼ばれておらず、パリの中心地にある割にはとても静かなところでした。今では多くのギャラリーやおしゃれなカフェなどが点在し、活気がある地区に変化を遂げました。

お住まいの通りは北マレにあっても静かな通りです(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お住まいの通りは北マレにあっても静かな通りです(写真撮影/Manabu Matsunaga)

以前は子育てにも人気な地区である11区に住んでいましたが、当時の家は子ども部屋が小さかったこと、子どもたちを公立の小学校に通わせるために、パリ中心部への引越しを決めました。ちなみにそのとき住んでいた家は、お二人自身でDIYで改装していたので、売買するときもすぐに買い手が見つかり、スムーズだったといいます。

今の住まいを見つけたきっかけはインターネットでのアノンス(通知)で、とても興味深い物件だったとのこと。
「長女のアリスと長男ジェレミーがまだ小さかったので、共働きの私たちにとって、お手伝いさん用の小さなスペースが隣接していたのがここと契約する決め手になりました」と仁美さん。

入り口の共用部分の階段は、最近ようやく工事が終了! カラーリングは住人たちで相談して決めました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

入り口の共用部分の階段は、最近ようやく工事が終了! カラーリングは住人たちで相談して決めました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓から見える風景。向かいは歴史的建造物。マレ地区には古い館が点在しています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓から見える風景。向かいは歴史的建造物。マレ地区には古い館が点在しています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「ただ、部屋を自分たちでデザインしてDIYしていたので、完成には6カ月もかかりました。でも楽しい時間でした」(ヴァレリーさん)
購入した金額のプラス12%が改装費。もちろん業者さんに支払った額も含まれています。ヴァレリーさんの仕事柄、通常よりリーズナブルに収まったようです。

特に部屋の色合いには気を付けているとのこと。階段側面のグレーは自然素材のペンキFarrow&Ballで、自分たちでペイント。一部を塗ることでメリハリをつけています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

特に部屋の色合いには気を付けているとのこと。階段側面のグレーは自然素材のペンキFarrow&Ballで、自分たちでペイント。一部を塗ることでメリハリをつけています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

偶然に見つけた椅子からインテリアのヒントを得る

ヴィンテージ家具をコレクションするきっかけになったのは、仁美さんが20年以上も前にドイツ旅行をしたときにさかのぼります。たまたま見つけたオレンジの椅子が始まりです。「パットンチェアーと呼ばれる椅子に目が留まって、当時10ユーロもしなかったのですぐに飛びつきました。それからはどんなものを加えていくか夫婦二人でよく話し合うようになりました」
ひと目惚れのパットンチェアー以降はほとんど衝動買いをせず、部屋の空間バランスや色合いなどを考慮して買い足して今日に至った様子。

最初に購入したヴィンテージのオレンジの椅子がイメージを膨らませました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

最初に購入したヴィンテージのオレンジの椅子がイメージを膨らませました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家具にはいろいろな想いも詰まっているといいます。例えば息子のジェレミーの部屋に入る扉の上には、彼が生まれた記念に購入したネルソンクロックのオレンジの時計が飾られています。パリでは、子どもの出産時に記念品を購入することが多いのです。
今回写真には登場しないジェレミーは、バレエダンサーになるべくレッスンでオランダのサマースクールへ。お部屋は見せてもらえませんでしたが、彼の部屋にも少しヴィンテージ家具が置いてあるとのことでした。

息子のジェレミーが生まれた記念に購入した時計。奥がジェレミーの部屋になっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

息子のジェレミーが生まれた記念に購入した時計。奥がジェレミーの部屋になっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

東欧製のピアノ上には、ハンドプレーイングという小さなサーフボードのオブジェが飾られています。ヴァレリーさんはフランスのサーファーの聖地、ビアリッツ近くの街オースゴー出身で、子どものころからサーフィンをしていました。

ピアノは東欧のPetorf、イケアのデザインランプの横にはHand Playing(ハンドプレーイング)を飾っています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ピアノは東欧のPetorf、イケアのデザインランプの横にはHand Playing(ハンドプレーイング)を飾っています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「気に入るのはどうしても北欧系の家具になってしまいますが、ソファと椅子の2点だけはフランスものです」

家具のアクセントになるような小物もところどころに配置されています。「最近では特にドナ・ウィルソン(ロンドンを拠点に活動するクリエイター)のぬいぐるみ、ブロッコリー、ピーナッツモチーフが気に入って少しずつ足していっています」(仁美さん)

ブロッコリー、ピーナッツモチーフが気に入っているが、次は狐を狙っているとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ブロッコリー、ピーナッツモチーフが気に入っているが、次は狐を狙っているとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「家具だけでなく、デザイン性が高い小物を飾ることも大好きです。食器に関してはフランスのツェツェ・アソシエのものが大好きですが、デリケートな陶器なので扱いが難しいですね。それでも食卓に登場する頻度は高いです」(仁美さん)

大好きなツェツェ・アソシエのカップでお茶の準備中。お茶の時間は大切な家族の対話に必要(写真撮影/Manabu Matsunaga)

大好きなツェツェ・アソシエのカップでお茶の準備中。お茶の時間は大切な家族の対話に必要(写真撮影/Manabu Matsunaga)

料理はヴァレリーさんもよくつくるそうで、得意料理はパスタ。家族みんなの大好物! 仁美さんは、日曜日に必ずバスチーユのマルシェに季節の野菜や果物類を買いに行きます。

日曜日はヴァレリーさんの出番も多いです(写真撮影/Manabu Matsunaga)

日曜日はヴァレリーさんの出番も多いです(写真撮影/Manabu Matsunaga)

将来的な計画も

「今、改装を考えているところです。アリスが高校を卒業したタイミングで、彼女の部屋を使用人部屋に移そうかと。台所が2人で作業できないほど狭いので、キッチン部分を小さな寝室にして、隣接するサロン(ダイニングのような部分)をアメリカンオープンキッチンにしたいと考えているのです」(仁美さん)

改装を考える一方で、いい部屋があれば引越しも検討しているとか。仁美さんは不動産探しも趣味。アプリで自分の気に入った条件を力すると最新の情報のお知らせが来ることで、夢も広がり、寝る前のリラックスタイムになっているそうです。

「でも今は物件が高くてなかなか手が出るものはないんです。
特に今のこの場所がどこに行くのも便利なのでなかなか離れられませんね」

4人ともそれぞれの自転車を持っているので、あまり電車には乗らないそうです。
かつてヴァレリーさんがスケートボードのお店をやっていたせいか、子どもたちはスケートボードで出かけることも多いとのこと。

近所にはアリスはスケートボードで出かける(写真撮影/Manabu Matsunaga)

近所にはアリスはスケートボードで出かける(写真撮影/Manabu Matsunaga)

散歩を兼ねてよく行く近所のホテルレストランはアートセンスが満載(写真撮影/Manabu Matsunaga)

散歩を兼ねてよく行く近所のホテルレストランはアートセンスが満載(写真撮影/Manabu Matsunaga)

中庭には心地よいレストランもあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

中庭には心地よいレストランもあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お互いの興味をよく話し合い快適な住まいづくりを実践している素敵な夫婦でした。これからも家も家庭も進化していくと感じました。

30年も前からヴァレリーさんが少しずつ描き続けているデッサンを絵巻にして保存。 過去にギャラリーで展示したことがありますが、新しいものもあるのでまたやってみたいとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

30年も前からヴァレリーさんが少しずつ描き続けているデッサンを絵巻にして保存。
過去にギャラリーで展示したことがありますが、新しいものもあるのでまたやってみたいとのこと(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ヴァレリーさん自身がスケッチした間取図(画像提供/ヴァレリーさん)

ヴァレリーさん自身がスケッチした間取図(画像提供/ヴァレリーさん)

メザニン(中二階)から見下ろすサロン空間(写真撮影/Manabu Matsunaga)

メザニン(中二階)から見下ろすサロン空間(写真撮影/Manabu Matsunaga)