「東京ビエンナーレ」で市民全員がアーティスト! ゴミ分別をアート化、道路も交流の舞台に、街にもたらしたものとは?

東京ビエンナーレとは、千代田区、中央区、文京区、台東区を中心とする、東京の街を舞台にした芸術祭。国内外からクリエイターが集結し、街に深く入り込み、地域住民の方々と一緒に作り上げていく芸術祭だ。本格的な開催は今年で2回目となり、テーマは「リンケージ つながりをつくる」。東京ビエンナーレの総合ディレクターを務める、東京藝術大学絵画科教授の中村政人さんに、アートが地域にできることは何なのか、お話を伺った。

街で偶然出合うアートで心のスイッチがオンになる

最近は日本各地で芸術祭が開催され、その土地ならではの自然、景色、歴史を活かした著名な作家によるアート作品が置かれている。国内外の観客がアート目的で訪れ、その経済効果は計り知れない。街の活性化にもつながっている。
「それもとても意義のあることだと思いますが、もともと人の多い、東京ビエンナーレは少し目的が違うのかもしれません。もっと日常的で、もっと偶発的です」と、総合ディレクターの中村政人さん。

東京ビエンナーレ総合ディレクターの中村政人さん。アートを介してコミュニティと産業を繋げ、文化や社会を更新する都市創造のしくみをつくる社会派アーティスト。東京藝術大学絵画科教授でもある(写真撮影/片山貴博)

東京ビエンナーレ総合ディレクターの中村政人さん。アートを介してコミュニティと産業を繋げ、文化や社会を更新する都市創造のしくみをつくる社会派アーティスト。東京藝術大学絵画科教授でもある(写真撮影/片山貴博)

というのも、東京ビエンナーレでは、街のあちこちで、アートな仕掛けがあるからだ。
飲食店で出されたおしぼり。広げてみると刺繍がある。実はこれ、日本の文化「おしぼり」を白いキャンパスに見立てて、アーティストの作品を刺繍にしたもの。思わぬ場面でアートに出合うとともに、リユースする「おしぼり」のおもてなし文化を再確認するきっかけになるものだ。

会田誠氏、マイケル・アムターなど25組のアーティストが描いた原画をもとに刺繍を施した。レストランで無地のおしぼりに混ざってランダムに提供され、期間中にいろんな人と出会い、戻ってくる。同じ絵柄の左側の少し小さくなったおしぼりが、何度も洗いを繰り返し、旅をしてきたもの(写真撮影/片山貴博)

会田誠氏、マイケル・アムターなど25組のアーティストが描いた原画をもとに刺繍を施した。レストランで無地のおしぼりに混ざってランダムに提供され、期間中にいろんな人と出会い、戻ってくる。同じ絵柄の左側の少し小さくなったおしぼりが、何度も洗いを繰り返し、旅をしてきたもの(写真撮影/片山貴博)

「アートを美術館で観賞するものと考えている方は多いでしょう。でも、それはあくまでの他人の創作物を見ている。距離があるんです。でも街の中で偶然出会って、『なんだろう? 面白そう』とワクワクする。そんな感情のスイッチが押される。そんな仕掛けが街のいろんな場所にあればいいと思うんです。そうした感情は、大人でも子どもでも内在しているはず。自分自身がアートの当事者になることで、自分の日常に変化が生まれるはずです。東京は不特定多数の多くの人が行き交い、そんな偶然性が期待できる場所じゃないでしょうか」
そのため東京ビエンナーレの会場は、商業施設やホテル、寺院のほか、緑道の仮囲いの中、地下鉄出口からの通路、電車の高架下と、あらゆる場所が舞台だ。

例えば丸の内周辺のストリートやビルのすき間で行われる「Slow Art Collective」によるプロジェクトは、カラフルなロープや紐が結びつき、有機的に広がる作品。これは道行く人が「つくって参加」するもの。
「平日はランチや休憩の合間、仕事帰りに、丸の内で働く会社員が立ち寄ってつくっています。“無心になれるのがいいみたいです。休日は親子連れが多く、特別なイベントもあります」

オーストラリア・メルボルン在住の加藤チャコとディラン・マートレルが主宰する芸術グループ「Slow Art Collective」によるもの。竹やロープなどの自然素材、街で拾い集めた素材を用いた市民参加型のアートプロジェクトだ。写真は東京サンケイビルにて(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

オーストラリア・メルボルン在住の加藤チャコとディラン・マートレルが主宰する芸術グループ「Slow Art Collective」によるもの。竹やロープなどの自然素材、街で拾い集めた素材を用いた市民参加型のアートプロジェクトだ。写真は東京サンケイビルにて(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

丸の内の新国際ビルの裏手、オフォスビルの「すき間」でも展開。近くを通勤している人でも気づかない、都会の中の路地を、アートで誘い込み、アートを目にすることになる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

丸の内の新国際ビルの裏手、オフォスビルの「すき間」でも展開。近くを通勤している人でも気づかない、都会の中の路地を、アートで誘い込み、アートを目にすることになる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

訪れる人が自由に編み込み、自分の作業がそのままアートの一部になる。リリアン編みが得意という近所に暮らす女性が緻密な作品を残して行ったり、たまたま通った男子学生がボランティアスタッフに教えてもらいながら「生まれて初めての三つ編み」に挑戦したり(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

訪れる人が自由に編み込み、自分の作業がそのままアートの一部になる。リリアン編みが得意という近所に暮らす女性が緻密な作品を残して行ったり、たまたま通った男子学生がボランティアスタッフに教えてもらいながら「生まれて初めての三つ編み」に挑戦したり(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

3日間のみ丸の内仲通りで出張型ワークショップが開催され、コンテンポラリーダンスなども披露された。撮影時は土曜日で、小さな子どものいる家族連れも多い。次回開催は10月28日予定(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

3日間のみ丸の内仲通りで出張型ワークショップが開催され、コンテンポラリーダンスなども披露された。撮影時は土曜日で、小さな子どものいる家族連れも多い。次回開催は10月28日予定(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

海外アーティストが東京に暮らしながら制作

東京ビエンナーレでは、プロセスも重視している。立ち上げた構想段階から、当時、千代田区のアート拠点だった「3331 Arts Chiyoda」で、2018年は構想展、2019年は計画展として一般公開されていた。2020年にはコロナ禍に遭い、2020年ー21年として開催をスタート。今年は2回目だ。

海外からもアーティストを公募。街に暮らしながらリサーチ・作品制作をする「アーティスト・イン・レジデンス」を実施した。一定期間、東京で暮らしたからこそのインスピレーション、魅力を自分の作品に投影している。外からアーティストの視点で東京を切り取ることで、地元で暮らす人々が魅力に気づく効果もある。
「正直、生活コストの高い東京なので、条件は厳しかったのに、たくさんの応募をいただきました。最長1カ間暮らしながら、東京の街を歩き、交流し、東京をテーマに創作や活動をしてくれました」

例えば、海外作家ペドロ・カルネイロ・シルヴァ&アーダラン・アラムの「フリーシート」なる作品は、へッドフォンをつけると、その人だけに向けた音楽をその場で奏でてくれるというもの。
「偶然居合わせた人の心の中まで入り込み、その場でしか起こらない感情を共創するようなプロジェクトです。私も体験しましたが、その街の環境音と電子ピアノの音色が体に入り込んでくるのがわかり、何故か目の前の都心の風景に郷里の原風景が脳裏に見えてきたんです。感情がこみ上げてきてきました。サイトスペシフィック(その場所の特性を活かした)な音が他者によって自分の心の中だけに生まれます。アーティスト自身が東京に滞在制作したからこそ実現できたプロジェクトかと思います」

ドロ・カルネイロ・シルヴァ&アーダラン・アラムの「フリーシート」。中央区京橋のアーティゾン美術館前にて(画像提供/東京ビエンナーレ)

ドロ・カルネイロ・シルヴァ&アーダラン・アラムの「フリーシート」。中央区京橋のアーティゾン美術館前にて(画像提供/東京ビエンナーレ)

長い期間、多くの人が関わる、そのプロセスこそが重要

プロセスを重視するため、長い期間に及ぶプロジェクトもある。「超分別ゴミ箱2023」はその代表例だ。テーマは「プラスティックのゴミの分別を極端に進めていったらどうなるか」で、東京都立工芸高等学校の学生やPTAの協力を得て、ゴミの収集、記録を実施。さらにコンビニ3社と、プラスティック容器を製造する企業の協力を得て、商品パッケージを一挙並べた展示は圧巻だ。来場者はここにゴミを持ち込み、分別することもできる。自分が普段利用している商品があちこちに見つかり、「生きることはゴミを出すこと」と否応なく実感することになる。

メイン会場であるエトワール海渡リビング館の1階に展示されている「藤幡正樹:超分別ゴミ箱 2023 プロジェクト」のひとつ。自分たちが普段使いしている商品パッケージがずらりと並んでいることで、「自分が食べた後にでたゴミはどうなる?」と当事者にならざるをえない (写真撮影/片山貴博)

メイン会場であるエトワール海渡リビング館の1階に展示されている「藤幡正樹:超分別ゴミ箱 2023 プロジェクト」のひとつ。自分たちが普段使いしている商品パッケージがずらりと並んでいることで、「自分が食べた後にでたゴミはどうなる?」と当事者にならざるをえない (写真撮影/片山貴博)

東京都立工芸高等学校でのワークショップ自体は夏から開始(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

東京都立工芸高等学校でのワークショップ自体は夏から開始(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

市民がアーティストともに当事者になる

「アート×コミュニティ」も東京ビエンナーレの主な目的だ。
例えば賛助会員は、さまざまな会議やイベントに参加でき、クリエイター、研究者や専門家など、普段接点のない人々との交流も得られる。
ほか、会場の受付、広報やイベントなどサポートのほか、アーティストの作品制作やプロジェクト準備の手伝いもボランティアの手によるものだ。

ボランティアの年齢層は幅広く、さまざまなバックグラウンドを持つ人たち。美術鑑賞が趣味という会社員、街のコミュニティに興味のある社会学を学ぶ学生、まったく縁のない世界だからこそ覗いてみたかったという公務員など。「気分転換、癒されたいという方、経験を通してアートを楽しみたいという方たちがほとんどです。しかしなかには、何度も、それこそ毎週のように参加される方もいて、そうなってくると、もう当事者なんですよね。アーティストや主催者と同じモチベーションに近くなります。協働制作者のような関係なんです」

「Slow Art Collective」のワークショップに参加する正則学園の高校生(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

「Slow Art Collective」のワークショップに参加する正則学園の高校生(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

なかでも天馬船プロジェクトは、最も規模の大きく、関わり方もさまざまだ。
ミニの天馬船一万艘で、常盤橋→日本橋まで日本橋川を流すタイムトライアルのイベントだ。1艘1口1000円の寄付金でミニ天馬船に好きな名前を登録してみるのものも良し、日本橋川を流れるミニ天馬船の眺めを愛でるのもよし、ボランティアとして準備、当日の運営、後片付けなどに関わるのもあり。
「天馬船プロジェクトは、実行委員会から日々の作業まで全てがボランティアの方によって支えられているといっても過言ではありません」
NPO法人、町内会、デベロッパーの担当者――同じ街づくりという同じ分野で違う立場で活動するメンバーがまるで文化祭のようにプロジェクトを盛り上げる経験は、今後の街の未来にも大きな強みになるだろう。参加費用は活動費の助成とともに、河辺の活性化、浄化活動を行う団体への寄付に活用している。

今年の開催は10月29日(日)8時から。写真は去年のプロジェクトの様子。1万のミニチュア和船が流れる様子に、道行く人も足を止める。水運や物流の要だった日本橋川が注目されるきっかけにもなる(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

今年の開催は10月29日(日)8時から。写真は去年のプロジェクトの様子。1万のミニチュア和船が流れる様子に、道行く人も足を止める。水運や物流の要だった日本橋川が注目されるきっかけにもなる(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

「このミニ天馬船にタグを付ける手作業は、地域に暮らす女性たちが手伝いにくれているのですが、おしゃべりしたり、すごく楽しそうですよ」(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

「このミニ天馬船にタグを付ける手作業は、地域に暮らす女性たちが手伝いにくれているのですが、おしゃべりしたり、すごく楽しそうですよ」(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

アートとコミュニティで、社会的課題にアプローチする

アートに触れることで、今直面する社会的課題に気づく契機にもなる。
「コミュニティ・アートやソーシャリー・エンゲイジド・アートと呼んでいますが、美術館という場を飛び出して、観客を巻き込みインタラクティヴな実践を行うことで、社会的な課題に感じることができるはず。見る人が一方的に鑑賞するのではなく、参加者が心を開いて受け止める、その一連のプロセスがアートなんです」
前述の「超分別ゴミ箱2023」では当然、そのゴミの量に圧倒されるだろうし、「天馬船プロジェクト」では、川の汚れ、ゴミの多さに衝撃を受けるだろう。

単発のワークショップだけでなく、それ以前の準備段階からもそれは始まっている。
「そもそも、コミュニティの形成をプロジェクトの主眼とする場合、アイディアや活動そのものを、アートは専門外の参加者が決めていく場合もあります。アーティストが全ての意思決定になるわけではありません。
主導する意思を大切にファシリテートするのがアーティストの役割なんです」

2023年11月3日に神田の路上で開催される「なんだかんだ」。神田錦町の路上を封鎖して道路全面に畳を敷き、「縁日」に。畳があると、のんびり寛いでしまうもの。ワークショップや演劇も開催され、通常では行えないコトが可能になった空間で、普段あまり設定のない人たちとの交流が体験できる。写真は昨年の様子(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

2023年11月3日に神田の路上で開催される「なんだかんだ」。神田錦町の路上を封鎖して道路全面に畳を敷き、「縁日」に。畳があると、のんびり寛いでしまうもの。ワークショップや演劇も開催され、通常では行えないコトが可能になった空間で、普段あまり設定のない人たちとの交流が体験できる。写真は昨年の様子(画像提供/東京ビエンナーレ事務局)

街の歴史をアートで刻み、街の文化を保存する

「歴史と未来」もテーマのひとつ。東京の「記憶」を呼び覚ますことは、未来の可能性を考えることに不可欠だからだ。その舞台となるのが、再開発がどんどん進む東京において、歴史を感じさせてくれる建造物だ。

例えば、もともとは紳士服のディーラーだった海老原商店は関東大震災後の復旧時期に建てられた建物。今年の展示のテーマは「パブローブ:100年分の服」。関東大震災から現在まで100年の間に着られた服を募集し、見るだけでなく「着ることができる」体験型の展示だ。1930年代から2000年代までの服がずらりと並び、本人だけでなく、母や祖母が大切に保管していた服もある。
そして、服にはそれぞれ、その服にまつわる逸話が記されている。その文章をひとつひとつ読むだけで、その服の時代性と、個人個人の物語が浮かび上がってくる。男女雇用機会均等法の黎明期に働きだした女性のスーツ、祖母が祖父のために縫った浴衣、晴れのシーンに特別に誂えたワンピース、曾祖父が戦中に着ていた国民服……。
美術館に飾られているのではなく、実際に袖に手を通すことで、その物語がずっとリアルに感じられる。
職人によって丁寧に縫製されたワンピースは50年以上たった今も現役。ファストファッション中心の廃棄の多いファッション業界を少しだけ見直すきっかけにもなるかもしれない。

一部の展示のみの服を除けば、実際に着ることができる。着たまま街に出かけることもできるので、レトロな街並みと一緒に撮影をする若い世代が多いそうだ(写真撮影/片山貴博)

一部の展示のみの服を除けば、実際に着ることができる。着たまま街に出かけることもできるので、レトロな街並みと一緒に撮影をする若い世代が多いそうだ(写真撮影/片山貴博)

提供してくださった方の祖母が子どものころ、1920年代に着ていた着物、戦中の国民服から、1980年代に大流行していたブルゾンまで(写真撮影/片山貴博)

提供してくださった方の祖母が子どものころ、1920年代に着ていた着物、戦中の国民服から、1980年代に大流行していたブルゾンまで(写真撮影/片山貴博)

千代田区が指定した景観重要建造物である海老原商店(写真撮影/片山貴博)

千代田区が指定した景観重要建造物である海老原商店(写真撮影/片山貴博)

スクラップ&ビルドで変化し続ける東京の街並みのなか、かろうじて残っている歴史的建築物を舞台に、「記憶をつなげる」アートも展開している。
例えば、巨大な顔看板が目立つ「顔のYシャツ」。元は紳士服のオーダー店だが、この看板は60年以上も前から、この神田の街にあるもの。ただ、実はすでに解体が決まっている。

オフィスビルの多い神田の街に突如現れる看板。初代店主の青年時代の似顔絵が元だとか(写真撮影/片山貴博)

オフィスビルの多い神田の街に突如現れる看板。初代店主の青年時代の似顔絵が元だとか(写真撮影/片山貴博)

「目立つでしょう。ここに昔から住んでいる人にとっては、あって当たり前の存在なんですよね。子どものころの思い出に強力に結びついているんです」。取り壊しまでの期間、こうして「誰でも訪れることができる」ギャラリーに。Tシャツやワッペンなどグッズも販売している。実際に使っていた包装紙をモチーフにしたアイテムもおしゃれだ。
古い建物が壊されてしまう流れは止めようもない。しかし、いきなり解体、瓦礫の山になるのではなく、ゆっくり時間をかけて、お別れを言う。そんな猶予を与える役目もあるだろう。

室内は、自分の人生を振り返るような、ひとつずつ言葉を巡るギャラリーに(写真撮影/片山貴博)

室内は、自分の人生を振り返るような、ひとつずつ言葉を巡るギャラリーに(写真撮影/片山貴博)

この「顔」をモチーフにしたTシャツやステッカーなどグッズ化するほか、そっくりコンテストやお面をつけたパーティなども企画(写真撮影/片山貴博)

この「顔」をモチーフにしたTシャツやステッカーなどグッズ化するほか、そっくりコンテストやお面をつけたパーティなども企画(写真撮影/片山貴博)

「とはいえ、“アートに興味がある”人が限定されているのも事実です。ただ、前回ボランティアで参加した方の多くが今回も参加していることから、少しずつ広がっていくんじゃないでしょうか。当初は懐疑的だった協賛企業の方も、実際に利用者の反響を聞いたことで、ぐっと今年は前向きに参加してくださっているケースもあります」
アートは、言葉や年齢を超える力があり、ただ鑑賞する、だけではなく、体験する、参加する行為は、より能動的だ。これらの活動が継続されれば、それだけ街の文化として定着し、アートを媒体としたコミュニティは街の魅力になるだろう。

●取材協力
東京ビエンナーレ

役目終えた造船の地・北加賀屋が「現代アートのまち」に。地元企業、手探りの10年 大阪市

「アートによるまちづくり」で大きな成果をあげている場所があります。それが大阪の北加賀屋(きたかがや)。かつては造船景気に沸いたウオーターフロントの街が、役目を終えて沈滞。この10年でアートという新たな航路へと舵を切り、再び浮上したのです。

アートで街全体を彩る大胆な構想を実践したのは、長く地元に根差してきた、「まちの大家さん」ともいえる不動産会社、千島土地株式会社。手探りでアートとまちづくりに向きあってきた10年を振り返っていただきました。

「造船所が去った街」から「アートの街」へと変身

「弊社は不動産会社で、過去にアートにたずさわった経験がなく、『アートでの街づくり』は手探りで進めてきました」

「千島土地株式会社」(以下、千島土地)地域創生・社会貢献事業部の宇野好美さん、福元貴美子さんは、口をそろえてそう語ります。

千島土地地域創生・社会貢献事業部の宇野好美さん、福元貴美子さんと(写真撮影/出合コウ介)

千島土地地域創生・社会貢献事業部の宇野好美さん、福元貴美子さんと(写真撮影/出合コウ介)

明治45年設立の千島土地は、大阪湾に近い木津川沿いの「北加賀屋」地区に約23万平米もの広大な経営地をいだく賃貸事業主。明治時代から昭和の高度成長期にかけて造船所や関連工場などに土地を賃貸し、日本の近代化を支えてきました。

しかし、1980年代に入って産業構造の変化に伴い造船所の転出が進み、北加賀屋は空き工場や空き家が増えていったのです。なかでもとりわけ大きな空き物件が、1988年に退出した「名村造船所大阪工場」の跡地でした。

かつて造船所でつくった船はここから旅立っていったが、船の大型化により浅瀬の木津川では船づくりが難しくなり、九州などに拠点が移っていったという(写真撮影/出合コウ介)

かつて造船所でつくった船はここから旅立っていったが、船の大型化により浅瀬の木津川では船づくりが難しくなり、九州などに拠点が移っていったという(写真撮影/出合コウ介)

宇野「不動産バブルの時代で、広大な土地が返還されるケースが稀だったこともあり、そのままの姿で返還を受けました。しばらくは個人様や企業が所有するボートなどを預かるドックとして機能していました。けれどもバブルが崩壊し、いよいよ使いみちがなくなってしまったんです」

名村造船所跡地(返還時の様子)(写真提供/千島土地株式会社)

名村造船所跡地(返還時の様子)(写真提供/千島土地株式会社)

そういった重工業の集積地である北加賀屋に「アート旋風」の第一陣が巻き起こったのが2004年。「造船所の跡地を表現の場として再活用しよう」という動きが芽吹き始めたのです。

福元「造船所の跡地をアートイベントにお貸ししたら、これがとても好評で。2005年には『クリエイティブセンター大阪(CCO)』として演劇や作品展などにお貸しするようになり、それに伴い弊社もアートに理解を示すようになっていったんです」

千島土地の代表取締役社長である芝川能一(しばかわ よしかず)さんは「アートには街を変える力がある」と確信。2009年に北加賀屋を創造的エリアへと変えていく「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ(KCV)構想」を打ち立てました。

さらに2012年に株式会社設立100周年を迎えるにあたり、記念事業の一環として「一般財団法人おおさか創造千島財団」を創設。これらをきっかけに、千島土地の本格的なアート事業がいよいよ幕を開けたのです。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

Ben Eineによるウォールアート(写真提供/千島土地株式会社 Photo by keiichi yamamura)

Ben Eineによるウォールアート(写真提供/千島土地株式会社 Photo by keiichi yamamura)

宇野「北加賀屋は、なんばから地下鉄で5駅。大阪の繁華街からめちゃめちゃ離れているわけじゃないんです。けれども以前は、『北加賀屋? それどこ?』と場所を認識してもらえませんでした。『精神的距離がある街』なんて呼ばれて(苦笑)。けれどもアートでの街づくりを始めてから、『北加賀屋、カッコいいよね』というお声をいただくようになったんです」

アートによって街の印象を大きく変えたという北加賀屋。では、造船の街だった北加賀屋は、アートによってどのようにイメージチェンジしたのか、宇野さんと福元さんに実際に街をガイドしていただくとしましょう。

アーティストのために「改装自由」で部屋を貸し出した

千島土地が手がける北加賀屋の「アートで街づくり」には、さまざまな事例があります。まず紹介するのが、2020年から貸し出しが始まった通称「半田文化住宅」。

工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」が入居する半田文化住宅外装はタイル貼り。1階部分は好みにペイントしたり飾ったり、2階は元のまま、レトロな雰囲気が残る(写真撮影/出合コウ介)

工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」が入居する半田文化住宅外装はタイル貼り。1階部分は好みにペイントしたり飾ったり、2階は元のまま、レトロな雰囲気が残る(写真撮影/出合コウ介)

「文化住宅」とは、主に1950年代~1960年代に建てられた2階建て集合住宅を指す関西の言葉、関東では「モクチン」と呼ばれる場合もあります。一般的にいう「木造アパート」で、それまでの時代は共同だった玄関やトイレなどが各住戸に独立してついており、「文化的」な印象からそう呼ばれるようになりました。イメージは「2階建ての長屋」です。

千島土地はこの半田文化住宅をアーティストやクリエイター向けに、なんと! 「改装自由」「原状回復不要」といった格別な条件で賃貸しているのです。

もともとの借家人の苗字からその名で呼ばれる半田文化住宅は、Osaka Metro四つ橋線「北加賀屋」駅から徒歩わずか1分の好立地にあります。1階に2戸、2階に2戸の風呂なし物件。陶芸家や生き物の標本作家など全戸にアーティストが入居し、ものづくりに励んでいるのです。

とりわけ見違えるほどの改装を施したのが、2020年5月にここへやってきた工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」の大浦沙智子さん。大浦さんは「撮影用の背景ボード」をつくるデザインペインター。SNSやフリーマーケットアプリの「映え」には欠かせぬ、今の時代にぴったりな仕事です。

専門であるペイントや、DIYのスキルを活かして、見違えるようにおしゃれな空間になった工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」(写真撮影/出合コウ介)

専門であるペイントや、DIYのスキルを活かして、見違えるようにおしゃれな空間になった工房「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」(写真撮影/出合コウ介)

居住はせず、アトリエとして部屋を借りている大浦さん。大きな作業台を必要とする仕事柄、壁を大胆にぶち抜き、広さを確保しました。シャビーシックに色変わりしたこの空間は「水まわりと床以外は建具も含め、ほぼ自分で改装した」というから驚き。さらに2階も借り、ワークショップの会場に使用しています。

ワークショップの会場にもなる2階の作業場(写真撮影/出合コウ介)

ワークショップの会場にもなる2階の作業場(写真撮影/出合コウ介)

宇野「私どもも『ここまで生まれ変わらせていただけるとは』と感動しました」

福元「見事なDIYです。『これがビフォーアフターか!』と見とれましたね」

大浦さんが半田文化住宅を選んだ理由は――。

大浦「隣が空き地だったのが決め手の一つです。空き地のおかげで窓から光が入るのが気に入りました。サンプルの写真がとても撮りやすいんです。この部屋を選ぶ以前は住之江区内のガレージを工房の代わりに使っていました。暗いし、冷暖房はない。夏や冬は大変だったんです。私にとって半田文化住宅は天国ですよ」

この仕事を始める前、塗料の会社で経験を重ねていた大浦さん。独立後、半田文化住宅で気に入ったアトリエを持てたことで、仕事が順調になったそう(写真撮影/出合コウ介)

この仕事を始める前、塗料の会社で経験を重ねていた大浦さん。独立後、半田文化住宅で気に入ったアトリエを持てたことで、仕事が順調になったそう(写真撮影/出合コウ介)

隣接する空き地は、以前は活用されていなかった場所だったのだそう。北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想に共鳴した大浦さんは、フェンスの塗装、芝生の水やりや育成などの空き地の管理にも協力しています。

大浦「部屋の改装はまだ終わってはいません。きっと、これからもずっとどこかをなおし続けていくでしょう。改装というより、『部屋を育てる』感覚なんです」

アーティストが部屋を育て、街の景観を育てる。アートの力で街が育ってゆく。それが北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想の本質なのだろうな、そう感じました。

「住宅そのものがアート作品」という驚きの賃貸物件

居住を可能とする事例なら、2016年に誕生した「APartMENT(アパートメント)」もあります。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

「APartMENT」は、築古の集合住宅を8組のアーティストやクリエイターのプロデュースによってリノベーションし、再生させるプロジェクト。千島土地が、不動産から設計、工務までトータルでおこなう「Arts & Crafts(アートアンドクラフト)」とタッグを組んでおこなう、「住宅そのものがアート作品」という極めて意欲的な取り組みです。

福元「アーティストに限らず、アートに興味がある人々にも北加賀屋で暮らしてほしい。そのためにも住む場所の提供は弊社の課題でした。『北加賀屋らしい、アートに特化した、特徴のある集合住宅にしよう』と考えて始まったのが、このプロジェクトです。ネーミングとロゴにも『AP“art”MENT』と、アートという言葉が入っているんですよ」

「art(アート)」を内包する住宅、それはまさに北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想の所信表明といえるでしょう。

「APartMENT」には二つのタイプの部屋があります。一つ目は、北棟1階と南棟を使った「toolbox PROJECT(ツールボックス・プロジェクト)」による部屋。

「ツールボックス」とは、「自分らしい家づくり」に必要なアイテムを販売したり、実際にそれらを使用して施工したりするWebショップ。

福元「改装できるギリギリ寸止め状態まで弊社で施工しておいて、『あとの内装は自由にやっていいですよ』『ツールボックスの商品を使用した改装内容については原状回復もしなくていいですよ』という部屋なんです」

二つ目が、北棟の2階より上で展開する「8 ARTISTS PROJECT(エイトアーティスト・プロジェクト)」の部屋。モダンアート、照明作家、造園家、先鋭的なデザイン事務所などジャンルの垣根を越えた8組のアーティストが、オリジナリティあふれる「45平米のアート作品」を生みだしたのです。

なかでもインパクトが絶大なのが、現代美術作家の松延総司(まつのべそうし)さんがつくりあげた「やすりの部屋」。壁紙の代わりに使用しているのは、なな、なんと「紙やすり」! ざらりとした手触りは、住む人によってはクセになること請け合い。壁に貼られた紙やすりは部屋ごとに種類が異なり、「この部屋のやすりは刺激的だぞ」と、五感が研ぎ澄まされてゆきます。

現代美術作家の松延総司さんによる「やすりの部屋」。茶色く変化した部分は、家具が擦れて自然とついた色だそう(写真撮影/出合コウ介)

現代美術作家の松延総司さんによる「やすりの部屋」。茶色く変化した部分は、家具が擦れて自然とついた色だそう(写真撮影/出合コウ介)

宇野「以前の住民が使っていた掃除機のルンバと紙やすりが格闘した跡を、あえて現状のまま残しています。こういった生活の痕跡が引き継がれていくのがおもしろいと思うんです」

こちらは「スキーマ建築計画」による、「足す」のではなく「引く」デザインの部屋。中央奥の押入れは、引っこ抜いたかのように取り払い、収納スペースは畳の下にしまい込んで隠してしまう。「足しがち」な暮らしの固定観念を覆す、住む人の気持ちが反転していくような部屋(写真撮影/出合コウ介)

こちらは「スキーマ建築計画」による、「足す」のではなく「引く」デザインの部屋。中央奥の押入れは、引っこ抜いたかのように取り払い、収納スペースは畳の下にしまい込んで隠してしまう。「足しがち」な暮らしの固定観念を覆す、住む人の気持ちが反転していくような部屋(写真撮影/出合コウ介)

このように前衛的な部屋が並ぶ「APartMENT」は、アートとリノベーションの融合、住人の創造性の誘発といった点が評価され、2017年、大阪市が実施する顕彰事業「第30回 大阪市ハウジングデザイン賞」において「大阪市ハウジングデザイン賞特別賞」を受賞しました。

もとは1971年築の鉄工所社宅。鉄筋コンクリートによるがっしりした構造が、アーティストたちの自由な発想を受け入れています。その様子は、鉄でものづくりをしてきた先人たちが、次世代を築くアーティストたちを応援し、胸を貸しているように見えました。

「近寄りがたい」といわれていた集合住宅が交流の場として甦った

住宅を提供する場合があれば、かつて住宅だった物件を別のかたちに蘇らせたケースもあります。それが「千鳥(ちどり)文化」。

千鳥文化の外観。中央がメインとなるアトリウム。統一されていないごちゃごちゃ感もこの文化住宅ができ、育ってきた歴史を物語っている(写真撮影/出合コウ介)

千鳥文化の外観。中央がメインとなるアトリウム。統一されていないごちゃごちゃ感もこの文化住宅ができ、育ってきた歴史を物語っている(写真撮影/出合コウ介)

「千鳥文化」とは2017年にオープンした文化複合施設のこと。「クリエイターと地域の人々が緩やかに交流するプラットフォーム」をコンセプトに、食堂、商店、バー、ギャラリー・ホール、テナント区画が一堂に会しています。築60年ほどの文化住宅をリノベーションした話題のスポットなのです。

福元「アートイベントのためだけに訪れるのではなく、北加賀屋に滞在してほしい。そんな想いで始まったプロジェクトです。元々千鳥文化と呼ばれていた建物。名前もそのまま承継しました」

旧・千鳥文化は、現在の法律では住居としてありえないアバンギャルドな姿をしており、「近寄りがたい雰囲気だった」といわれています。

家の改造はお手の物だった船大工たちの作業の跡が残る室内(写真撮影/出合コウ介)

家の改造はお手の物だった船大工たちの作業の跡が残る室内(写真撮影/出合コウ介)

宇野「かつての千鳥文化は、造船業に従事していた住人たちが自らの手で増改築を繰り返していました。『もともと平屋だった建物に住民が2階を増築したのではないか』と推測されています。わかっているだけでも5回、大きな改築がなされていますね。どうやって建っているのかすらわからないほど不思議な構造だったんです」

増築に「船の素材が使われていた」など、住んでいた船大工の手によっていびつに表情を変えていったこの文化住宅は、ある意味でアートの街・北加賀屋にぴったり。とてもクリエイティブな文化遺産といえるでしょう。

旧・千鳥文化はのちに空き家となり、解体も検討されました。しかし、「迷路のように複雑化するほど人々の暮らしの痕跡が刻まれている貴重な建物だ。二度と再現できない。更地にしてしまうのはもったいない」と、北加賀屋を拠点に活動する建築家集団「dot architects(ドットアーキテクツ)」の手によって、A棟とB棟で二期に分けてリノベーションを実施。新時代の千鳥文化プロジェクトがスタートしたのです。

宇野「設計図が存在しない難物です。柱の1本1本を測りなおし、できる限り元の古材を残しながらも耐震対策は現行法に基づきしっかりやるという、気が遠くなるような作業から始まりました。完成するまでに3年もの年月がかかりましたね」

dot architectsは千鳥文化も含めた功績が認められ、2021年に建築のアワード「第2回 小嶋一浩賞」を受賞しました。

印象に残るレトロな「TEA ROOM まき」の装飾テントには手を加えず、玄関はガラス張りに改修。再生した施設内は「アトリウム」と呼ばれる吹き抜けの共有スペースがあり、誰でも出入りできます。1階部分はカフェや、展示などを行える空間として、2階部分にはアート作品が飾られており、自由に見学できるのです。

アトリウム奥のカフェ「千鳥文化」(写真撮影/出合コウ介)

アトリウム奥のカフェ「千鳥文化」(写真撮影/出合コウ介)

吹き抜けの2階部分。建物の構造を見るだけでもおもしろい(写真撮影/出合コウ介)

吹き抜けの2階部分。建物の構造を見るだけでもおもしろい(写真撮影/出合コウ介)

2階部分に常設されているのは金氏徹平「クリーミーな部屋プロジェクト」。手前と奥の部屋合わせて一人のアーティストの世界観でつくられている(写真撮影/出合コウ介)

2階部分に常設されているのは金氏徹平「クリーミーな部屋プロジェクト」。手前と奥の部屋合わせて一人のアーティストの世界観でつくられている(写真撮影/出合コウ介)

壁にあいた舟窓の穴からのぞくと隠れている奥の部屋にも現代アートがある遊び心あふれる空間(写真撮影/出合コウ介)

壁にあいた舟窓の穴からのぞくと隠れている奥の部屋にも現代アートがある遊び心あふれる空間(写真撮影/出合コウ介)

元居室の扉には、住民がいたころの紙をぺたっと貼っただけの表札が(写真撮影/出合コウ介)

元居室の扉には、住民がいたころの紙をぺたっと貼っただけの表札が(写真撮影/出合コウ介)

往時は「近寄りがたい」と言われていた建物に今や新鮮な空気が循環し、陽がさんさんと降り注ぐ。「千鳥文化というアート作品」が60年の時を経て、やっと正当に評価されたのでは。そんなふうに思えました。

現代美術作家の巨大作品がずらり並ぶ「生きている倉庫」

続いて案内されたのは、外観だけを見れば、単なる大きな倉庫。実はこの倉庫こそが、北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想が成し遂げた重要な功績の一つなのです。

MASK(マスク/MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)(写真撮影/出合コウ介)

MASK(マスク/MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)(写真撮影/出合コウ介)

扉を開けて、びっくりしない人はいないでしょう。目の前に並んでいるのは、世界に名だたる現代美術作家たちの、巨大な造形作品なのですから。

ヤノベケンジ 作品 左「ラッキードラゴン」、右「サン・チャイルド」(写真撮影/出合コウ介)

ヤノベケンジ 作品 左「ラッキードラゴン」、右「サン・チャイルド」(写真撮影/出合コウ介)

名和晃平 作品「N響スペクタクル・コンサート「Tale of the Phoenix」舞台セット」(写真撮影/出合コウ介)

名和晃平 作品「N響スペクタクル・コンサート「Tale of the Phoenix」舞台セット」(写真撮影/出合コウ介)

久保田弘成 作品「大阪廻船」(写真撮影/出合コウ介)

久保田弘成 作品「大阪廻船」(写真撮影/出合コウ介)

床面積 約1,030平米(52.5×19.5m)、高さ 9.25mというとてつもない広さを誇るスペースを使った驚異のプロジェクト、その名は「MASK(マスク/MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)」。

収蔵するアーティストは、宇治野宗輝、金氏徹平、久保田弘成、名和晃平、持田敦子、やなぎみわ、ヤノベケンジといった、国際的に活躍する現代美術の人気作家ばかり。

宇野「近年、芸術祭等で大型作品を制作する機会が増えていますが、会期後の保管はアーティストにとって大きな課題となります。実際、多くの作品が解体されたりしているのです。そのため、弊社では無償で大型作品をお預かりすることにしました」

芸術祭の会期後、「作品をどう残すのか」は、アーティストにとって頭が痛い問題です。維持するにはお金がかかる。そもそも “メガ”(大変な規模の)サイズの作品を保管できる“ストレージ”(領域)がない。実際、置き場に困り、作品が廃棄される悲しい例も多いのです。

このような状況に一石を投じるべく、千島土地が管理する鋼材加工工場の倉庫跡を利用し、2012年からアーティストの大型作品を無償で預かるプロジェクト「MASK」を発起しました。作品の保管のみならず、2014年から、年に1回「Open Storage(オープン ストレージ)」と銘打ち、一般公開をしています。

2022年は10月に「Open Storage(オープン ストレージ)」を実施。鉄の柱が張り巡らされた倉庫でたくさんの現代アートを楽しめる。撮影も可能(写真撮影/出合コウ介)

2022年は10月に「Open Storage(オープン ストレージ)」を実施。鉄の柱が張り巡らされた倉庫でたくさんの現代アートを楽しめる。撮影も可能(写真撮影/出合コウ介)

福元「みなさん『北加賀屋にこんなすごいところがあったんだ』と、とても喜んでくださいます。全国を見渡しても、これほどの量の大型作品が並ぶ場所は他にはないと思います」

宇野「北加賀屋がアートで街づくりをしていると一般の方にも知っていただけた、大きなきっかけとなった場所です。よく『なぜ無償で預かっているの? 利益が出ないでしょう』と聞かれるのですが、弊社では『アラビア数字では表せない価値をもたらしてくれた』と考えています」

収蔵のみならず、持田敦子さんの手によるビッグサイズの回転扉『拓く』は、2021年にMASKで現地制作されました。
また、「大きな作品を預かる」という点では、他の倉庫で、オランダのアーティスト、フロレンティン.ホフマンの、膨らますと高さ9.5メートルにも及ぶパブリックアート『ラバー・ダック』を管理し、各地の水上で展示する拠点にもなっています。

「すみのえアート・ビート2021」開催風景(写真提供/千島土地株式会社)

「すみのえアート・ビート2021」開催風景(写真提供/千島土地株式会社)

千島土地は作品『ラバー・ダッグ』を保有する日本唯一の窓口という意外な一面も。水都大阪2020のイベントや、東日本大震災のチャリティイベントでもおなじみの姿が北加賀屋のまちのマンホールアートでも見られる(写真撮影/出合コウ介)

千島土地は作品『ラバー・ダッグ』を保有する日本唯一の窓口という意外な一面も。水都大阪2020のイベントや、東日本大震災のチャリティイベントでもおなじみの姿が北加賀屋のまちのマンホールアートでも見られる(写真撮影/出合コウ介)

倉庫が収蔵する目的を越え、作品を生み出し発信する場所として新たな命を宿している。脈を打ち始めている。ここはまさに「生きている倉庫」ではないでしょうか。2022年の秋も一般公開が予定されています。謎のヴェールに包まれた倉庫がマスクをはぎ取る瞬間に、ぜひ立ち会ってみてください。

2022年度の一般公開「Open Storage 2022 ―拡張する収蔵庫-」は、10月14日(金)~16日(日)、21日(金)~23日(日)と、「すみのえアート・ビート」に合わせて11月13日(日)に開催予定です。

広大な造船所の跡地が表現の場へと船出した

最後に案内していただいた場所、そこはフィナーレを飾るにふさわしい、素晴らしい別天地でした。それは2007年に、経済産業省「近代化産業遺産」に認定された、木津川河口に位置する「名村造船所大阪工場跡地」。そう、千島土地がアートを手掛ける第一歩となった記念すべき場所です。2005年に跡地の一部を「クリエイティブセンター大阪(Creative Center OSAKA/略称:CCO)」と名づけ、敷地面積が約4万平米という空前の広さを活かした一大アートパラダイスへと変貌を遂げたのです。

湾岸沿いで交通の便がいいとはいえない場所だがイベントでは大勢のファンが足を運ぶ(写真撮影/出合コウ介)

湾岸沿いで交通の便がいいとはいえない場所だがイベントでは大勢のファンが足を運ぶ(写真撮影/出合コウ介)

クリエイティブセンター大阪は、「廃墟のポテンシャル」を存分に楽しめる場所。「建物そのものを楽しみたい」という人のために参加無料の見学ツアーも行われています。

さらにライブや演劇、コスプレイベント、撮影会、映画・ドラマのロケ、サバイバルゲームの舞台としてもレンタルされ、なかには結婚式に使うツウなカップルまでいるのだそうです。

福元「一般に開放した当初は、コスプレイベントのためにカートを引いた若者たちが北加賀屋に集まってくるので、地元の方々は『なんだ? なんだ?』とけげんそうな目で見ていました。けれども現在は、集まる若者たちがこの街を盛り上げてくれているんだと、歓迎してくださっています」

刮目すべきは4階にある、船の製図室の遺構をそのまま活かした無柱の創造スペース。

右奥に人のサイズ感で伝わるだろうか。柱がないこれだけの空間は極めて珍しい。この反対側にもこれと同じくらいの広さがさらに広がる(写真撮影/出合コウ介)

右奥に人のサイズ感で伝わるだろうか。柱がないこれだけの空間は極めて珍しい。この反対側にもこれと同じくらいの広さがさらに広がる(写真撮影/出合コウ介)

宇野「この部屋では以前は、船や部品の原寸図を引いていたんです。床に敷いて這いながら書くため、天井には手元を照らすための蛍光灯がずらっと並んでいます。床を見てください。まだ図面の跡があるんですよ」

まるで幾何学模様のような傷は設計の痕跡(写真撮影/出合コウ介)

まるで幾何学模様のような傷は設計の痕跡(写真撮影/出合コウ介)

本当だ。広々とした床には船の図面の面影が遺っていました。往時の果てしない造船作業、職人さんたちの高い技量と苦労が想い起こされ、胸を打ちます。そしてこの部屋は現在、現代アートの展示やイベント、さらに地下アイドルのフェスであれば物販やチェキタイムなど、ファンとの交流にも利用されているのです。

こういった取り組みが評価され、2011年には文化庁が後援する企業メセナ(企業が芸術文化活動を支援すること)協議会「メセナアワード2011」にて「メセナ大賞」を受賞。千島土地がアートでの街づくりに拍車をかけるきっかけとなりました。

かつて2万人を超える造船労働者で盛況を博した北加賀屋。役目を終えた造船所が、北加賀屋のランドマークとなって眠りから覚めました。そうして可能性を秘めたアーティストの卵たちの船出を、あたたかく見守っているのです。その海は、世界へとつながっています。

アートの力で活性化した街の「次の一手」は

造船所が転出し、一時期は活気を失っていた北加賀屋。千島土地の尽力とアートのパワーにより今や世界からも注目される街となり、息を吹き返しています。タワーマンションの供給が始まるなど具体的な経済効果も表れはじめているようです。今後の展望は。

宇野「ギャラリーの誘致を目指す新しい拠点などを計画中です。アーティストが暮らし、作品をつくり、この街で発表する。その作品に注目が集まる。この流れを生みだしていけたらいいなと考えています」

福元「そして、長く暮らしたくなる、価値が高い街にしていきたいです。アートに触れながら、親子3代にわたって住む。そうやって文化を育んでいければ」

芸術の秋です。ウォールアートやパブリックアートの数々が迎えてくれる北加賀屋を散策してみませんか。なんばから、わずか5駅ですよ。

北加賀屋の街中ではさまざまなオブジェやウォールアートが出迎えてくれる(写真撮影/出合コウ介)

北加賀屋の街中ではさまざまなオブジェやウォールアートが出迎えてくれる(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

●取材協力
「千島土地株式会社」Webサイト
「おおさか創造千島財団」Webサイト
「atelier and, so(アトリエ アンド ソー)」Webサイト
「APartMENT」(アパートメント) Webサイト
「千鳥文化」Instagram
「MASK」(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)Webサイト
「クリエイティブセンター大阪」Webサイト

入居者全員クリエイター! 築49年の今も作家たちのアイデアで進化する「インストールの途中だビル」品川区中延

東京都品川区中延にある「インストールの途中だビル」は、2012年にスタートした6階建てのビル型シェアアトリエ。現代美術家、ファッションデザイナー、演劇団体、キャンドル作家、靴職人など多業種のクリエイター20組以上が共同利用している。今年10周年を迎えたこの異色の物件には、どのような歴史やライフスタイルがあるのか。訪れて話を聞いてみた。

駅から徒歩1分、騒がしい立地が好条件に「インストールの途中だビル」が入る光洋ビルは築49年(写真撮影/小林景太)

「インストールの途中だビル」が入る光洋ビルは築49年(写真撮影/小林景太)

「インストールの途中だビル」は、東急大井町線・都営浅草線の中延駅から徒歩1分とアクセス良好な場所にあり、6階建てビルの2階から5階を使って運営される。国道1号沿いで、向かいと左右をパチンコ店に囲まれる騒がしい立地だが、音を伴う「ものづくり」の環境としては周りに気を使う必要がないため、むしろ好条件と支持されている。

運営するのは、自らを「まちづくり会社」と称する合同会社ドラマチック。建物の再生事業や全国の公共施設の運営、地域で活動したい人に向けての拠点づくり・イベント運営などを行っている。

「インストールの途中だビル」を立ち上げたドラマチック代表社員の今村ひろゆきさんにお話を伺った。

「インストールの途中だビル」責任者の今村ひろゆきさん(画像提供/ドラマチック)

「インストールの途中だビル」責任者の今村ひろゆきさん(画像提供/ドラマチック)

時間の経過とともにきれいになる。アップデートを前提としたスタート

今村さんがこのビルを知ったのは、2011年4月ごろ。ドラマチックの活動が新聞に掲載された日に、一通のメールが届いた。内容は「中延駅のすぐそばにビルを持っているが、どうにかしてくれないか」というもの。

「ビルを見に来たらびっくりしました。会社の事務所として使われていたようですが、壁もカーペットも汚れていてヤニ臭く……(笑)。しかし、駅チカでほぼ一棟まるまる空いている物件なんてそう無いですし、すごいポテンシャルを感じました」

しかし、普通のシェアオフィスやコワーキングスペースとして利用できる状態に改装するには、初期費用がかなりかかってしまう。

「活動場所を探しているアーティストの知り合いが複数いたので、アトリエとして使うのはアリだなと。ものづくりをしているとどうしても周りが汚れてしまうので、それなら最初からきれいである必要がないですしね」

オープン準備の様子(画像提供/ドラマチック)

オープン準備の様子(画像提供/ドラマチック)

シェアアトリエとして運営する方針を定めてから、どのような準備をしたのか。

「掃除と、窓を拭くこと。基本はそれだけです(笑)。あとは入居ブースごとに仕切りで区画を分けて、そのほかは入居者の自由ということにしました。壁を塗ってもいいし、照明を変えてもいい。正直まだ会社としてもお金が無かったころなので、アイデアで工夫していくしかありませんでした」

廊下の照明は、入居者の提案で蛍光灯から電球に変更。階段のウォールアートは入居者がテープで制作した(写真撮影/小林景太)

廊下の照明は、入居者の提案で蛍光灯から電球に変更。階段のウォールアートは入居者がテープで制作した(写真撮影/小林景太)

合同会社ドラマチックを立ち上げる前は、商業施設の開発をしていたという今村さん。

「新しくつくった商業施設は、時間が経てば建物が古くなって集客も減り、廃れていきます。でもこの『インストールの途中だビル』は未完成な状態から始まり、徐々に人が集まって場がアップデートされていく。いわゆる商業的な開発の流れとは逆の場をつくっていければと思いました」

コミュニケーションの中で生まれるアイデアをインストールし、よりよい環境をつくるという方針が、施設名の由来ともなるコンセプトだ。こういった事業は一般的にリノベーションを済ませてから開始するものと思い込んでいたが、入居者に使ってもらいながら整えていくという手法は、空き物件を活用するうえでの可能性を広げるアイデアだと感じた。

24時間制作可能。展示会やパフォーマンスができるスペースも

「入居している方は『ものづくりをする』という点では共通していますが、活動のジャンルは本当にばらばらですね。ビルが揺れるほどの大きな音を出して金属の彫刻物をつくる方もいます。ここでの活動を本業としている方は3割ぐらいでしょうか」

各アトリエに住宅の機能はないが、24時間出入り可能。賃料はブースの広さによって変わり、月額2万1800円から。入居金5万円と水道光熱費が別途かかる。利用を続ける中で「もう少し広いスペースを使いたい」といった要望があれば、今村さんらが大工仕事ができる入居者に依頼して仕切りを動かし、ブースを拡張することも。

過去に入居していた版画作家のアトリエの様子(画像提供/ドラマチック)

過去に入居していた版画作家のアトリエの様子(画像提供/ドラマチック)

このブースも上の写真と同じ間取りだが、利用者によって部屋の印象は大きく異なる(写真撮影/小林景太)

このブースも上の写真と同じ間取りだが、利用者によって部屋の印象は大きく異なる(写真撮影/小林景太)

ビル内には約50平米のレンタルスペースもあり、入居者は1時間200円で借りられる。演劇の稽古など広い場所が必要な活動や、作品展・イベント会場、打ち合わせ・撮影の場として使われるという。

レンタルブース「インストジオ」(写真撮影/小林景太)

レンタルブース「インストジオ」(写真撮影/小林景太)

屋上は無料で開放され、植物を育てるなど息抜きの場所となっている。気候のいい時期はここで飲食をしながら入居者同士の近況報告会が行われることも。

イベント開催時の様子(画像提供/ドラマチック)

イベント開催時の様子(画像提供/ドラマチック)

入居するクリエイターたちにとって、このビルは制作の場だけでなく、発表や交流の場ともなっているようだ。では、実際の入居者の方々にお話を聞いてみよう。

アトリエが稽古場にも舞台にもなる

まずは「インストールの途中だビル」が始まった当初から入居している演劇団体「Prayers Studio」さん。稽古場として常時利用するほか、アトリエ内に舞台と客席をつくって公演も行う。

代表の渡部朋彦さん、設立メンバーの妻鹿有利花さんが、入居当時のことからお話ししてくれた。

「Prayers Studio」代表・渡部朋彦さん(左)、妻鹿有利花さん(写真撮影/小林景太)

「Prayers Studio」代表・渡部朋彦さん(左)、妻鹿有利花さん(写真撮影/小林景太)

「ここに来るまでは区民施設などを都度借りて稽古しながら活動していました。小道具なども徐々に増えていき、どこかに拠点を構えたいと感じていたところ、劇団員がこのビルのことをTwitterで偶然見つけたんです。すぐに連絡して、4月1日のオープンぴったりのタイミングで入居しました。月末には公演を控えていたので、さっそく本番前は徹夜で稽古しましたね」(渡部さん)

50平米の部屋は、仕切りで楽屋などを設ける(写真撮影/小林景太)

50平米の部屋は、仕切りで楽屋などを設ける(写真撮影/小林景太)

声を出すことが不可欠な演劇の活動にとって、入居者全員がものづくりに理解のある環境は理想的だという。現在、Prayers Studioは11人のメンバーで4チームに分かれて活動しており、ブースには常に誰かがいるような状況。ここを拠点として活動を続けてきた結果、ビル周辺の中延エリアに引越してきた劇団員も多い。

「天井はあえて梁を見せて高さを出し、蛍光灯やカーペットは外して、客席やカーテンの仕切りを設置しました。また、24時間活動できるといっても音に関しては多少気を使います。遅い時間に大道具を組み立てたり大声を出したりするのは控えるなど。逆に私たちの公演期間はほかの入居者が音を出す作業を控えてくれて、積極的に協力してくださりありがたいです」(渡部さん)

もともと天井にあった板を転用したドア(写真撮影/小林景太)

もともと天井にあった板を転用したドア(写真撮影/小林景太)

入居者同士で生まれる活動のつながり

10年間入居していることもあり、入居者とのコミュニケーションが創作活動やプライベートにつながることもあったという。

「キャンドル作家の方に制作を依頼して、アトリエで香りを焚かせてもらったり……」(妻鹿さん)

「結婚を考えている劇団員が、アクセサリー作家さんのワークショップで婚約指輪をつくったことも。その後も結婚式の引き出物としてキャンドルをつくってもらったり、式の撮影も入居者のフォトグラファーさんにお願いしたり(笑)。逆に入居者の方の個展で僕がナレーションをやったり、劇団員がファッションブランドのモデルを務めたりしたこともありますね」(渡部さん)

想像以上に濃いつながりだった。このほかにも、中延商店街のお祭りでの公演や、子ども向けのワークショップ、観客参加型の舞台上演など、地域と関わる活動も多く行ってきたPrayers Studio。現在も「拠点を持つ劇団」という強みをきっかけに、外部のクリエイターと共同で舞台演出上の新企画に取り組んでいる。

「夜、活動を終えて帰宅するときに、ほかの部屋に明かりがついていると『自分も負けていられないな』と思います。モチベーションが刺激される環境ですね」(妻鹿さん)

舞台と客席の配置は、公演内容によって変える(写真撮影/小林景太)

舞台と客席の配置は、公演内容によって変える(写真撮影/小林景太)

イベントでたまたま訪れたビルに入居して9年目

続いては、ファッションブランド「NeLL」のデザイナー・hee(ヒー)さん。「誰でも着られる服」というコンセプトに基づき、1つの素材で1サイズのみの服をつくる『One=Everyone』というシリーズが好評だ。

「NeLL」デザイナーのheeさん(写真撮影/小林景太)

「NeLL」デザイナーのheeさん(写真撮影/小林景太)

NeLLのアトリエ(写真撮影/小林景太)

NeLLのアトリエ(写真撮影/小林景太)

このアトリエには、本職の仕事場として週5日ほど通うheeさん。入居のきっかけは、ビルの屋上で行われた2周年イベントだという。

「最初は、ただ好きなミュージシャンの方がライブをすると聞いて来たんです。でも中に入ってみたら結構良さそうな場所だったのと、ちょうど当時使っていたアトリエを出なくてはいけないタイミングだったので、後日改めて内見をしました」

求めていた条件は「ある程度の広さ」「汚しても大丈夫なこと」など。いずれも問題なさそうで、「夜でもミシンの音など気にせず作業できるのは気楽でいいな」と感じ、入居を決めたそう。

NeLLの展示会で渡したノベルティ。制作は同ビルに入居するキャンドル作家さん(写真撮影/小林景太)

NeLLの展示会で渡したノベルティ。制作は同ビルに入居するキャンドル作家さん(写真撮影/小林景太)

「入居して9年目になりますが、実は今のブースを使い始めるまでにビル内で3回引越しました。一緒に借りていたメンバーが離れるタイミングなどで、その都度ちょうどいい広さのブースに移っています。このビルは『駆け出しの人を応援する場』だという感覚もあるので、本当は早くここを出られるように頑張らなきゃいけないと思うんですけど、なかなか居心地が良くて今に至ります(笑)」

ジャンルを問わない出会いが活動の幅を広げる

heeさんに「入居してから感じた良い点」を聞いてみた。

「やっぱり入居者の知り合いができることですね。創作活動の話や展示など自分の作品を知ってもらう方法について情報交換できますし、そこから依頼が発生することもありました。インストールの途中だビルでは、月一回の定例会があって、コロナ禍で頻度は落ちてしまいましたが、ビルのメンバーとコミュニケーションをとれます。年末の忘年会など交流機会は割とあって楽しいです」

2014年には、インストールの途中だビルが主催となり近隣の商店街で「中延EXPO」を開催。ダンサーやミュージシャンが即興で演奏しながら街を練り歩くイベントで、heeさんはパフォーマーの衣装を提供したという。

「中延EXPO」の様子(画像提供/LAND FES)

「中延EXPO」の様子(画像提供/LAND FES)

「今後もさまざまなジャンルの人と関わっていきたい」と語るheeさん。ビルのレンタルスペースで開催される音楽イベントでミュージシャンの衣装提供なども予定しているとのことだった。

これからもインストールは続いていく

シェアアトリエという空間を活かし、地域や外部との交流も図ってきたインストールの途中だビル。

「料金設定もそうですが、『これからがんばっていこう』という段階のクリエイターを応援したい気持ちがあります。そのために、ハード面である物件に手を加えていくのではなく、人同士のつながりというソフト面でメンバーの活動を応援して、ビルを盛り上げていきたいです。運営を続ける中で、活動が成功して売れっ子になっていった方もいて、そういう過程を見られるのはうれしいですね」と今村さん。

あえてセオリーどおりの「快適な空間」を用意せずにスタートしたこのシェアアトリエでは、入居者自身が過ごしやすいように作業環境をつくることができる。いわば全員が「ビルのクリエイター」として一つの居場所を構築していくことは、ライフスタイルの充実に大きく寄与していると感じた。

インストールの途中だビルは今年で10周年を迎え、入居者はのべ100名を超える。今村さんは「今後も新しいクリエイターの方と出会えるのが楽しみ」とほほえみ交じりに語っていた。

●取材協力
・インストールの途中だビル
・まちづくり会社ドラマチック
・Prayers Studio
・NeLL

名もなき名建築が主役。歩いて楽しむアートフェス「マツモト建築芸術祭」 長野県松本市

2022年1月29日~2月20日、長野県松本市で「マツモト建築芸術祭」が開催されました。市内20カ所の”名建築”を会場に、17名のアーティストによる作品を展示するというもの。各地でさまざまな芸術祭が開催される中でも、「建築」にフォーカスした芸術祭は珍しいものです。建築旅がライフワークの筆者がイベントの様子をレポートします。

日本初の建築芸術祭で楽しむ、有名無名の名建築

江戸時代、城下町として発展した長野県松本市。全国で12箇所しかない、江戸時代以前からの天守が現存する国宝・松本城を筆頭に、江戸時代以来の町割(城郭を中心に据えた区画整備)、戦前の建築物など歴史の名残が色濃く感じられる松本は、街歩きが楽しい人気の観光スポットです。建築を目的にあちこちを旅してきた筆者としては、建築が観光資源になっている地域には、新しく建てられる建築物もまた、優れたものが生まれやすい土壌があると感じます。その最たるものが建築家・伊東豊雄氏の設計で2004年にオープンした「まつもと市民芸術館」。松本城の石垣を意識して外壁のパターンを、伊東氏らしさ全開の軽やかで柔らかなデザインに昇華させたこの建物は、現代日本建築随一の名作として世界的にも広く知られています。

国宝・松本城。無駄な要素が削ぎ落とされた実戦的な城郭建築。黒と白のコントラストが美しい(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

国宝・松本城。無駄な要素が削ぎ落とされた実戦的な城郭建築。黒と白のコントラストが美しい(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

江戸~大正期以来の蔵を改修した商店が建ち並ぶ「蔵通り」こと中町通り。城下町として栄えていたころから、商人の町だった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

江戸~大正期以来の蔵を改修した商店が建ち並ぶ「蔵通り」こと中町通り。城下町として栄えていたころから、商人の町だった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

まつもと市民芸術館。石垣をイメージしたパターンが有機的で軽やかに連続する様子には、竣工から20年近く経った今でも新鮮な印象を受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

まつもと市民芸術館。石垣をイメージしたパターンが有機的で軽やかに連続する様子には、竣工から20年近く経った今でも新鮮な印象を受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2Fロビー。壁面に穿たれた大小さまざまなガラス窓が輝き、ハレの空間を演出している(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2Fロビー。壁面に穿たれた大小さまざまなガラス窓が輝き、ハレの空間を演出している(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

また明治期の開国後、西洋の建築デザインを取り込もうと全国で流行した「擬洋風建築」と呼ばれる様式の代表格として、あらゆる日本建築史の教科書に登場する旧開智学校もまた必見の建築物です。

建築・デザイン関係者ならずとも一度は訪れたい松本で開催された「マツモト建築芸術祭」
芸術祭をたっぷり楽しんだ筆者が、総合ディレクターを務めたグラフィックデザイナーのおおうちおさむさんにイベントに込めた想いを伺いました。

生活の中に入り込むアートが、建物を美しく輝かせる国宝・旧開智学校には現代美術家・中島崇氏の作品が展示された。多数の細い糸が建物の前面に張り渡され、鑑賞者が建物に近づけない現状が強調されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

国宝・旧開智学校には現代美術家・中島崇氏の作品が展示された。多数の細い糸が建物の前面に張り渡され、鑑賞者が建物に近づけない現状が強調されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「アートがあることで建物が美しく感じられる、そんな関係をつくりたかったんだよね。僕は美術館に展示するために作品をつくっているアーティストはほとんどいないと思っていて。人々の暮らしの中にあって、その人の生活や空間を素敵に魅せるのがアートの本来の役割なんじゃないかな。松本は民藝の聖地でもあって、生活の中に美を見出す民藝の思想と、僕の思うアートの価値が完全につながっていて。日本各地でいろんな芸術祭が開かれているけど、松本だからこそやる意味があることはなんだろうって考えた時に、松本にしかない建築に、そこに展示するからこそ輝く作品・作家を選んでいこうと思った。松本には戦前から大切に使われてきた建築や、いろんな人の手にわたって使われ方も変わりながら引き継がれてきた建築がたくさんある。そういうストーリーをもった生活の中にアートが入り込んでいくのを想像したらすごくワクワクしたんだよね」

池上邸 土藏に展示された、磯谷博史氏の写真作品。線の細い照明は、作家の要望を受けおおうちさんがデザインしたもの(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

池上邸 土藏に展示された、磯谷博史氏の写真作品。線の細い照明は、作家の要望を受けおおうちさんがデザインしたもの(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回、芸術祭の会場として選ばれたのは松本城を中心に約800m圏内にある、有名無名の建築物で、おおうちさんの言うように、ほとんどは、筆者も知らないものでした。「名建築」の基準が独自に設定されていて、会場を訪れてみれば、どれも個性豊かで味わいのある建物ばかり。アート作品の解説以上に建物のストーリーが詳しく説明されていることも、この芸術祭の特徴です。

国登録有形文化財のかわかみ建築設計室。取り壊しの相談を受けた設計事務所が、壊すのは忍びないと自ら事務所として借り、後に所有することになった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

国登録有形文化財のかわかみ建築設計室。取り壊しの相談を受けた設計事務所が、壊すのは忍びないと自ら事務所として借り、後に所有することになった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

もともと病院として設計された名残が、エントランスの受付スペースに。現在は事務所の作業スペースとして使われており、芸術祭の最中も事務所スタッフの方が忙しく作業していた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

もともと病院として設計された名残が、エントランスの受付スペースに。現在は事務所の作業スペースとして使われており、芸術祭の最中も事務所スタッフの方が忙しく作業していた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

1階の旧応接室に展示されたロッテ・ライオン氏の作品。幾何学的な作品が、建築を構成する要素と呼応するよう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

1階の旧応接室に展示されたロッテ・ライオン氏の作品。幾何学的な作品が、建築を構成する要素と呼応するよう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2階はなんと和室になっている。この芸術祭を通じて、外部からは想像も付かない内部空間を体験することが幾度もあった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

2階はなんと和室になっている。この芸術祭を通じて、外部からは想像も付かない内部空間を体験することが幾度もあった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ここでしか見られない、建築とアートのマッチング

「僕も何回も松本には来ていたんだけど、そんなに建築に詳しいわけじゃなくて。もともと市役所に勤めていた米山さんっていう、とんでもない建築マニア、それこそ松本にある建築で知らないものはないみたいな人がいて。その人に、今回のビジョンを話したら次の日に膨大なリストをつくって持ってきてくれたんだよね。そこから気になったものをピックアップして話を聞いたり、実際に見に行った。その中で、あぁ、この建築にはこんな作品が置かれると良いだろうなぁ、ってインスピレーションが湧いた建築を選んでいって、最終的に60箇所くらいの候補のなかから絞り込んで20会場に落ち着いたんだ」

擬洋風の看板建築、下町会館。一般的な看板建築では建物のメインの立面のみデコレーションすることが多いなか、四周余念なくデザインされている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

擬洋風の看板建築、下町会館。一般的な看板建築では建物のメインの立面のみデコレーションすることが多いなか、四周余念なくデザインされている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ここに展示されたのは土屋信子氏の作品。普段は共有のオフィスとして公開され、誰でも申し込めば使うことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ここに展示されたのは土屋信子氏の作品。普段は共有のオフィスとして公開され、誰でも申し込めば使うことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回の目玉のひとつ、国登録有形文化財の割烹 松本館。昭和十年ごろの建設時に太田南海が腕を振るった精巧な装飾があふれる空間に、小畑多丘氏の彫刻が展示された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回の目玉のひとつ、国登録有形文化財の割烹 松本館。昭和十年ごろの建設時に太田南海が腕を振るった精巧な装飾があふれる空間に、小畑多丘氏の彫刻が展示された(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松本館の外観からは、とても内部が想像できない。地元民でさえ、芸術祭を通して初めてその魅力に触れた人も多いことだろう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松本館の外観からは、とても内部が想像できない。地元民でさえ、芸術祭を通して初めてその魅力に触れた人も多いことだろう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「たとえばまつもと市民芸術館は、伊東さんが石垣をイメージしてデザインした壁の隙間から差し込んでくる光に(井村)一登さんの作品を合わせたいなっていう、すごく単純な発想。たくさんの人が行き来するあの階段に置いてあったら、見ようによっては空間ごと彼の作品に見えてくるんじゃないかとか、想像が広がっていくよね。どの建築にどの作家の作品を展示してもらうか、っていうのは全部僕が決めていて、建築の空間と普段どんな使われ方をしているかってとこからイメージしていった」

まつもと市民芸術館、エントランスから2Fへ上がる大階段。左手の台に展示されているのが井村一登氏の作品(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

まつもと市民芸術館、エントランスから2Fへ上がる大階段。左手の台に展示されているのが井村一登氏の作品(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「旧念来寺の鐘楼は、お墓が並ぶところに建っていて、隣がショッピングモールになってるでしょ。人の日常的でささいな営みと、死後の世界とが共存しているなかに、他愛ないやり取りを作品化した山内(祥太)さんの映像が入り込んでいったら面白いなと思って。映像の世界観も新しくて、忘れていた記憶を引っ掻き回されるような不思議なアンリアルが、あの場所だからこそ生まれてる。アートを美術館から人の生活の中に引きずり出してあげることで、建築もアートも今までと違って見えてくる。誰にでも分かりやすい作品は選んでないから、見た人は本当に良いと思えるか、自分の眼で判断しなきゃいけない。ステートメントなんか読まなくても魅力が伝わる作品を選んでるつもりだけど、わからないな、つまんないなって人も当然出てくる。そうすることでこびりついた価値観を引き剥がしてフラットにものを見る力が養われていくことも期待してる。市は松本をアートの街に、っていう構想をもってるんだけど、本気でやるならそれくらいオリジナルなことをやらなきゃいけないと思ってて。既存の評価軸とか、過去の成功事例に乗らずに自分たちでなにが本当に価値があるのか、判断してくのはものすごくハードルが高いことで、すごくチャレンジングなことだけど、この芸術祭はその一端になったんじゃないかな」

墓地の真ん中に建つ旧念来寺鐘楼。左手側奥にショッピングモールがある(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

墓地の真ん中に建つ旧念来寺鐘楼。左手側奥にショッピングモールがある(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

なにも変えなくても、違う体験になる

ひとつひとつ建築を読み解いて、この空間にどんな作品を展示するとその場所が輝くのか。実際に足を運んで建物を選んでいくおおうちさんの熱意は相当なものです。その熱意が建物のオーナーさんにも伝わったようで。

「普通こうやって建築を活用するイベントだと、なかなか使用許可が下りないケースが多いんだけど、今回ネガティブな理由で使えなかった建物はひとつもなかった。やっぱり松本の人たちも、古い建物を守っていきたいという想いがある一方で、なかなか良い使い方ができていないってジレンマがあったんじゃないかな。新しい使い方を拓く可能性に賭けてくれたんじゃないかなって思ってる。あとはやっぱり齊藤社長の存在。彼の松本に対する貢献って本当に大きくて、松本をアートで盛り上げていきたいっていう想いが今回の芸術祭に関わった人たちの姿勢に影響を与えてる。集まってくれたボランティアの人たちも、運営に携わった実行委員会の人たちも本当に熱意があって、だからこそ良いイベントになったと思うね」

齊藤社長とは、芸術祭の実行委員長で扉ホールディングス株式会社 代表取締役の齊藤忠政氏のこと。扉ホールディングスは、創業90年の歴史をもつ老舗旅館「扉温泉 明神館」や今回の会場にもなった、古民家を改修した高級レストラン「レストラン ヒカリヤ」など、松本の観光業をまさに建築体験を通じて盛り上げてきた立役者です。かく言うおおうちさん自身も、齊藤社長の熱意に動かされてきたひとり。

会場の一つで、写真家・石川直樹氏の作品が展示されたレストラン ヒカリヤ。国登録有形文化財に登録されている明治時代の建築。奥に建つ蔵が会場となった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

会場の一つで、写真家・石川直樹氏の作品が展示されたレストラン ヒカリヤ。国登録有形文化財に登録されている明治時代の建築。奥に建つ蔵が会場となった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ヒカリヤの展示会場へは母屋の隣に建つ建物を抜けて向かう。作品へ至るアプローチも芸術祭を楽しむ仕掛けになっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

ヒカリヤの展示会場へは母屋の隣に建つ建物を抜けて向かう。作品へ至るアプローチも芸術祭を楽しむ仕掛けになっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

普段はフレンチレストランとして使われているヒカリヤ。最低限の手入れによって、文化財が美しく活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

普段はフレンチレストランとして使われているヒカリヤ。最低限の手入れによって、文化財が美しく活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「もう十何年も前、それこそ僕がヒカリヤのアートディレクションをやらせてもらって齊藤社長と知り合ったころから、ずっと、松本に残る古い建築をどうにかして残していきたいって話は聞かされてたんだよね。だけど、保存して置いておくだけじゃどんどん朽ちていって命が失われていくから、使い続けることを考えた方が良いって話をずっとしてた。やっぱり時代時代の使われ方に応じてこそ、生きた建築って言えると思う。芸術祭ではいわゆる保存とはアプローチが違うけど、新しい使い方を気づかせてあげられたんじゃないかな。旧宮島肉店なんか、ボロボロのまま長いこと放置されてたのを片付けるところから始まったんだけど、芸術祭が始まってから何件もあそこを使いたいって相談が来てる。実は僕も、今後の芸術祭準備のための拠点として使おうと思っているんだけどね(笑)」

旧宮島肉店外観。コンパクトながら均整の取れたプロポーションが特徴的。それにしてもよく見つけてきたなと思わされる、素朴な建物だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧宮島肉店外観。コンパクトながら均整の取れたプロポーションが特徴的。それにしてもよく見つけてきたなと思わされる、素朴な建物だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回、旧宮島肉店に作品を展示するにあたり、壁紙を剥がすなど大胆に手を入れた。老朽化が進む建物を事務所として使うためには、それなりの改修が必要になる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

今回、旧宮島肉店に作品を展示するにあたり、壁紙を剥がすなど大胆に手を入れた。老朽化が進む建物を事務所として使うためには、それなりの改修が必要になる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「今回、建築やアーティストとじっくり向き合ったからこその成功だったと思ってるから、この規模感は守っていきたい。なにも変えなくても、使う会場や展示する作家が変わるだけで全然違うイベントになるからね。これだけコンパクトだからこそ、街歩きもしながら1日で全部の会場を回れて、楽しみやすい芸術祭になってるし。少し数を減らして、1棟まるごと使った展示も考えてみたいかな」

鬼頭健吾氏の作品が外壁窓、中庭へ抜ける通路の天井と中庭に展示された、NTT東日本松本大名町ビル(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

鬼頭健吾氏の作品が外壁窓、中庭へ抜ける通路の天井と中庭に展示された、NTT東日本松本大名町ビル(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

中庭にはカラフルなアクリル板でかたちづくられた舟型の作品が。単体で展示されるのと、ビル全体を使った展示のひとつとして見るのとではまた印象が変わってきそうだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

中庭にはカラフルなアクリル板でかたちづくられた舟型の作品が。単体で展示されるのと、ビル全体を使った展示のひとつとして見るのとではまた印象が変わってきそうだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「次は蔵通りに会場を必ず設けたい。実はもう次回に使いたい建物は決まってて、ひとつは看板建築の古い薬局で、もうひとつは旧開智学校を手掛けた大工が建てた蔵。あとはどうにかして松本城を会場にできないかなっていうのは考えてる。この時期いろんなイベントが重なってて、今回は断念したんだけど。旧開智学校も耐震工事を終えたらお披露目をしたいね。規模は守りつつ、単発のイベントでサテライト会場として中心部から少し離れた場所を使ってみる、みたいなやり方にもチャレンジしたいな」

いまも薬局として使われているミドリ薬局。装飾から立体感が感じられる看板建築だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

いまも薬局として使われているミドリ薬局。装飾から立体感が感じられる看板建築だ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

立石清重が晩年に手掛けた蔵。立石は旧開智学校の設計・施工にも携わった、明治期の松本で活躍した大工として知られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

立石清重が晩年に手掛けた蔵。立石は旧開智学校の設計・施工にも携わった、明治期の松本で活躍した大工として知られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

会場を変え、作家を変え、継続していく建築芸術祭。実現すれば、そのたびに建築やアートの新しい楽しみ方が見つかるに違いありません。

人と建築の関係に転換を迫る、アートの力

筆者が今回の芸術祭を通して感じたことは、建築の見方をほんの少し変えてみることで、こんなにも豊かな世界が広がっているのかということでした。会場に指定されていなければ、決して中に入ることも注目することもなかっただろう建物に、芸術祭をきっかけに出会うことができたことは、参加者皆の財産になっていることだと思います。実際に中に入ってみると、外観からはまったく想像がつかない魅力にあふれた建築をいくつも訪れることとなりました。それもそのはずで、おおうちさんがアートは人の生活のためにあるものと言うように、建築もまた人々の生活のためにあるものです。生活とともにある建築の姿を知って初めて、その建築の魅力も知ることができるのだと思います。

総合ディレクターのおおうちおさむ氏。隣の井村一登氏の作品は、おおうち氏所蔵のものから出品した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

総合ディレクターのおおうちおさむ氏。隣の井村一登氏の作品は、おおうち氏所蔵のものから出品した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

中に足を踏み入れて、普段どのような使われ方をしているのか想像してみる、あるいはそこに置かれたアートと対峙することで、自分だったらこの建築にどんな価値を見出すことができるか考えてみる。そのような建築との向き合い方がデザインされていました。

そのような視点で日々の生活で触れる建築を見てみることで、いままで見過ごしていた可能性や価値を発見することができるかもしれません。松本ではいまもたくさんのお店が古い建物をリノベーションし、営業していますが、これからよりオリジナルな使われ方が模索されていくのではないかと期待が膨らむきっかけとなりました。さらに、そこにしかない建築に、その空間に合った作品を展示するマツモト建築芸術祭の枠組みは、全国どんな場所であっても実践可能だと、おおうちさんは語っていました。松本ではじまった建築活用の新しい取り組みが、全国さまざまな名建築を舞台に広がっていくことを夢見させてくれる、幸せな芸術祭でした。

●取材協力
m.truth 株式会社

ランニングして朝食を楽しむ、ゆるコミュニティがじわじわ増殖中! コロナ禍で仲間づくりどうしてる?

長引くコロナ禍で、運動不足に悩む人が増えました。屋外で取り組めるランニングは、コロナ禍にもおすすめのスポーツ。とはいえランニングにはストイックなイメージがあり、少しハードルが高く感じることもあるでしょう。今回はランニングを楽しく気軽にできると人気のコミュニティ、「ランニングと朝食」の活動を深掘りします。ランニングでまちを知り、朝食でコミュニケーションを楽しむユニークな活動の内容とは? 主宰者の林 曉甫(はやし・あきお)さんに聞きました。

仲間と「はじまりの時間」を共有し、心地よい休日をスタートする「ランニングと朝食」は国内外に全27チーム(2022年3月4日時点)あり、イベントにはフェイスブックのグループページにて参加表明をすることが必要(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」は国内外に全27チーム(2022年3月4日時点)あり、イベントにはフェイスブックのグループページにて参加表明をすることが必要(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」は、フェイスブックの承認制グループを軸にしたランニングチーム。登録者900人超えの、このランニングサークルの活動内容は至ってシンプル。それは「走って、食べて、おしゃべりする」ことです。

グループに参加すると、メンバーの各地での活動の様子や、「東京チーム」「東横線チーム」や「中央線チーム」「シアトルチーム」「鎌倉チーム」など国内外で活動する27チームの、週末ランニングの予定と参加者募集情報が流れてきます。

実際にチームランに参加しているメンバーは、フェイスブックグループのなかの一部ですが、個人で走って美味しい朝食を食べたことをシェアする人も目につきます。また自ら投稿をせずとも、フェイスブックの「ランニングと朝食」グループに休日に流れてくる投稿――各地のメンバーのランニング風景や美味しい朝食の写真を見るだけでもOK。刺激を受けて、良い休日を過ごそうというモチベーションが高まりそうです。

主宰者の林 曉甫さんは、実は「大切なのは、走ることそのものではない」と言います。

「初期メンバーが『ランニングと朝食』について、『それって、はじまりの時間を共有することだね』と指摘してくれたのですが、それが正にこの活動を言い当てていると思います。週末の朝に走ることと朝食を食べることで、はじまりの時間を共有することが大切。ポイントは走る、ではなく共有することなんです」(林 曉甫さん)

フェイスブックの承認制「プライベートグループ」が活動のハブ。基本的に走る意欲や朝食が好きであれば承認しているそう。メンバーの数は1000人に迫る(フェイスブックより)(写真提供/ランニングと朝食)

フェイスブックの承認制「プライベートグループ」が活動のハブ。基本的に走る意欲や朝食が好きであれば承認しているそう。メンバーの数は1000人に迫る(フェイスブックより)
(写真提供/ランニングと朝食)

「ランニングと朝食」主宰者の林 曉甫(はやし あきお)さん(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」主宰者の林 曉甫(はやし あきお)さん(写真撮影/蜂谷智子)

走らずに朝食を食べるだけでも歓迎のランニングチーム

ランニングコミュニティというと、運動が得意な人、意識が高い人でないと付いていけない気がして、参加に勇気が要ることも。でも「ランニングと朝食」には、そんな心配は無用です。

走る距離も決まっていないし、目標タイムもありません。速く走れなくても、途中で歩いてしまってもOK。朝食を食べるだけの参加だって歓迎です。

「この活動自体のユニークネスをあげるとしたら、徹底してハードルを設けないこと。そもそも僕がこの活動を始めたのが、『独りだと走り続けられないから、誰かと走りたい』という動機だったりします。タイムの向上とか、距離を走れるようにとか、そういうことは全く考えてなかったんですね。

活動開始からもうすぐ6年。周囲の友人だけだったメンバーも今や1000人に迫る勢いですが、『共にやる』という軸はブラさずにいます。参加者が子どもであっても、遠方に住んでいても、参加して欲しい。ランニングスタイルもそれぞれで、途中歩いてもいいし、走らないで朝食会場で合流したっていいのです」(林さん)

「誰かと一緒に楽しく体を動かして、美味しいものを食べたい」というのは誰もが抱くシンプルな欲求。そんな願いを気負わずにかなえられるからこそ、「ランニングと朝食」が、これだけのメンバーを集めているのかもしれません。

コロナ禍においては、マスク着用でソーシャルディスタンスを取り、感染対策を取りながら活動している(写真撮影/蜂谷智子)

コロナ禍においては、マスク着用でソーシャルディスタンスを取り、感染対策を取りながら活動している(写真撮影/蜂谷智子)

走ることでまちの解像度が上がり、体の経験値として積み重なっていく

27もチームがあると、自分の地元とは違う地域の「ランニングと朝食」チームに参加する楽しみもあります。

「旅先で地元のチームに参加することもできます。僕自身は東京チームが家から近いのですが、東横線沿線の東横線チームで走ったり、京都や鎌倉のチームにジョインしたり。そうやって『ランニングと朝食』つながりで知らない者同士が時間を共有したり、知らないまちを走ったりということが、楽しいですね。

走ったり朝食を食べたりしながらしゃべることで、知らない人とも距離が縮まりますし、走ることでまちの解像度も上がります。例えば東京だと移動は基本電車です。なかでも地下鉄に乗ってしまうと身体感覚があやふやなまま隣のまちに移動しているということが往々にしてあります。そこを走ってみることで体の経験値として、まちの記憶が積み重なっていくのではないでしょうか」(林さん)

軽いランニングの距離が5kmだとして、家から5km圏内にどんな風景があるのか、5km走るとどんな場所へ行けるのか、実は私たちはよく知りません。いつもは電車で移動してしまう5kmを自分の足で走ることで、素敵な風景やおいしい朝食のお店を発見することもありそうです。

「ランニングと朝食」では、メンバーが見つけた、休日にモーニングを食べられる店をマップにアーカイブしているそう。その履歴が積み重なって、今や登録されている朝食スポットは国内外で500件以上。「はじまりの時間を共有する」ための、貴重なデータです。

各地の朝ごはん情報。朝食を出すお店の多彩さに、驚く(写真提供/ランニングと朝食)

各地の朝ごはん情報。朝食を出すお店の多彩さに、驚く(写真提供/ランニングと朝食)

「ランニングと朝食」が、“アート”になる理由

「ランニングと朝食」はフェイスブックのシステムを有効活用したコミュニケーションの設計で、気軽さと親密さの程良いバランス。林さんは、本業ではNPO法人インビジブル理事長/マネージング・ディレクターという肩書きを持っています。仕事でアートによる地域活性化に携わる林さんは、実は「ランニングと朝食」の運営でも、アートや地域活性化の手法を参考にしているそうです。

「ランニングとアートにどんな関係があるのかと疑問に思われるかもしれませんが、アートとは額装して飾るような作品だけを指すのではありません。1990年代後半ぐらいから世界各地で行われているリレーショナル・アートやソーシャリー・エンゲージド・アートと言われる分野があります。それは、特定の活動やアクションによって社会を巻き込んでいくプロセスも含めて、ひとつの作品として見せていくものです。

『ランニングと朝食』は、我々にとって他者との関係性をつくるということはどういうことなのだろう……ということを、問いながらできる活動であり、ゆるやかなコミュニティであり、アートプロジェクトです。また社会的な寄与という点でも、このコロナ禍において週に一度でも誰かと走ったり話したりすることによる、精神的肉体的な影響があると思います。

林さんが参加するアーティスト支援を行う社会彫刻家基金は、書籍発行のためのクラウドファンディングを実施中だ※2022年5月31日まで(写真提供/社会彫刻家基金 撮影:丸尾隆一)

林さんが参加するアーティスト支援を行う社会彫刻家基金は、書籍発行のためのクラウドファンディングを実施中だ※2022年5月31日まで(写真提供/社会彫刻家基金 撮影:丸尾隆一)

僕は本業の方でも、アートが単に作品を体験したりモノをつくったりする場を超えて、例えば人のメンタルヘルスなどのウェルビーイング(身体、心、社会的に健康であること)にどう寄与するのかということについて、研究者を交えて調査ができたらいいなと思っています。

そういった本業で考えていることが、この『ランニングと朝食』でのコミュニケーションと、リンクしている部分がありますね」(林さん)

アートの概念は多様ですが、関係性に注目したリレーショナル・アートやソーシャリー・エンゲージド・アートの世界では、何かを生み出したり、ある状況をつくったりする過程での「人々の関係性」そのものに斬新さや美しさを見出します。

ランニング中に見た美しい風景を誰かとシェアしたり、朝食の会話で気づきがあったりといったことも、アートなのだと考えると、ワクワクしませんか?

主宰としてプロジェクトを運営しつつ、「参加する時はいち個人として楽しみたい」と林さん(撮影時のみマスクを取っています)(写真撮影/蜂谷智子)

主宰としてプロジェクトを運営しつつ、「参加する時はいち個人として楽しみたい」と林さん(撮影時のみマスクを取っています)(写真撮影/蜂谷智子)

ある日の「ランニングと朝食」、東横線チーム編走り出す前のミーティング。10分程度で軽く自己紹介をして、ルートの説明を聞きます(写真撮影/蜂谷智子)

走り出す前のミーティング。10分程度で軽く自己紹介をして、ルートの説明を聞きます(写真撮影/蜂谷智子)

「ランニングと朝食」のリアルな活動は週末の朝に始まります。東京だけでも10チームがあるのですが、今回は東横線沿線を走る「東横線チーム」を取材しました。

まず各チームマネジャーが集合場所と朝食を食べる目的地を決めて、フェイスブックのグループで呼びかけます。コース選びや朝食会場選びは、チームマネジャーの個性が出るところ。東横線チームのチームマネジャーは小嶋一平さん。本業では化粧品会社のSNSマーケティングを担当する小嶋さんは、朝食のお店の洗練されたチョイスに定評があります。今回の東横線チームは中目黒駅から駒沢公園までの約4kmのラン。駒沢公園に接した景色の良いカフェで朝食を食べるコースです。

目黒川沿いを走って駒沢まで4km、約60分のランニング(写真撮影/蜂谷智子)

目黒川沿いを走って駒沢まで4km、約60分のランニング(写真撮影/蜂谷智子)

ランナーに人気の駒沢公園の周辺にはモーニングの選択肢が多い(写真提供/ランニングと朝食)

ランナーに人気の駒沢公園の周辺にはモーニングの選択肢が多い(写真提供/ランニングと朝食)

集合後に軽くミーティングをして、自己紹介をします。お互いが初めての方や、久しぶりの方もいました。その後はランニング。ペースはゆっくりめで、お互いの近況報告をしながら走れるくらいのペース。途中で立ち止まったりしても大丈夫。チームから外れてしまっても、朝食会場で待ち合わせればいいという考え方です。ランナーはマラソン大会に出場しているような、走り慣れている方も、初心者の方もいたようです。

朝食のカフェに着く頃には、体が温まってお腹も空いてきます。取材した日も、朝食だけ参加の方が数人いました。違うルートを走って、朝食だけ参加ということも可能とのこと。朝食の際に話してみると、参加者は年齢も仕事も多種多様でした。

ランチ会場のKOMAZAWA PARK CAFÉは野菜たっぷりのブッダボウルやフルーツをトッピングしたフレンチトーストが人気(写真提供/ランニングと朝食)

ランチ会場のKOMAZAWA PARK CAFÉは野菜たっぷりのブッダボウルやフルーツをトッピングしたフレンチトーストが人気(写真提供/ランニングと朝食)

最近から参加するようになった20代女性は、去年地方から東京に転勤してきたそう。転勤してからリモートワークでなかなか知り合いができないのが悩みでした。今ではこのサークルが人との出会いのきっかけになっているとのこと。また、30代の男性は船舶勤務から地上の勤務になって、運動不足を感じたのが参加のきっかけだそうです。

キャリアの話や最近見た映画の話、家族の話など、それぞれに会話を楽しみながら1時間程度で朝食は終了。解散時間は朝の9時半で、まだ一日は始まったばかりです。まさに「はじまりの時間を共有する」活動だと感じました。

走って、食べて、おしゃべりする。その時間がアート!

2021年に新型コロナウイルスが蔓延してからというもの、体験を共有する機会や、たわいのない会話が失われがちになりました。そんななかで走って、食べて、おしゃべりする時間をアートだと捉えて慈しむことができれば、日常がより輝くものになるかもしれません。

●取材協力
ランニングと朝食
林 曉甫さん
>NPO法人インビジブル
>アーティスト支援を行う社会彫刻家基金のクラウドファンディング
●撮影協力
KOMAZAWA PARK CAFÉ

アートで防災!? まちをつなげて災害にそなえる「東京ビエンナーレ」のプロジェクトがおもしろい!

2021年7月10日からスタートする「東京ビエンナーレ2020/2021」で進行中の「災害対応力向上プロジェクト」。一見、アートから遠いように思える防災に国際芸術祭が取り組むと言います。その理由などを建築家でこのプロジェクトチームの一色ヒロタカさんに伺いました。
江戸の町火消しに着目、アートで地域コミュニティを創出したい

東京を舞台に開催する国際芸術祭、東京ビエンナーレ(開催期間:2021年7月10日~9月5日)。世界中から60組を超える幅広いジャンルの作家やクリエイターが東京に集結し、市民と一緒につくり上げていく芸術祭です。

テーマの「見なれぬ景色へ」は、「アートの力で都市の街並みに変化を起こしたい」という思いが込められている。栗原良彰《大きい人》2020 千代田区丸の内 Photo by ただ(YUKAI)(画像提供/東京ビエンナーレ)

テーマの「見なれぬ景色へ」は、「アートの力で都市の街並みに変化を起こしたい」という思いが込められている。栗原良彰《大きい人》2020 千代田区丸の内 Photo by ただ(YUKAI)(画像提供/東京ビエンナーレ)

アーティストの力で、「あ、この景色は何だ?」と思わせる。セカイ+一條、村上、アキナイガーデン《東京型家》完成イメージ図 2019 ©セカイ(画像提供/東京ビエンナーレ)

アーティストの力で、「あ、この景色は何だ?」と思わせる。セカイ+一條、村上、アキナイガーデン《東京型家》完成イメージ図 2019 ©セカイ(画像提供/東京ビエンナーレ)

ビルの壁一面に描かれた絵画。古いオフィス街に出現した巨大なアートへの違和感は、街に対する意識の変化につながる。Hogalee《Landmark Art Girl》2020 神田小川町宝ビル Photo by YUKAI ©東京ビエンナーレ(画像提供/東京ビエンナーレ)

ビルの壁一面に描かれた絵画。古いオフィス街に出現した巨大なアートへの違和感は、街に対する意識の変化につながる。Hogalee《Landmark Art Girl》2020 神田小川町宝ビル Photo by YUKAI ©東京ビエンナーレ(画像提供/東京ビエンナーレ)

そのコンテンツのひとつ、「災害対応力向上プロジェクト」は、アートから災害にアプローチする新たな取組み。芸術祭で災害や防災をテーマしたのはなぜでしょうか。
「アートを通じて、新しい地域コミュニティを生み出すことが目的です。地域コミュニティは、災害時の コミュニティにつながります。『火事と喧嘩は江戸の華』と謳われたように、江戸の町は火事がとても多かったんです。火事の被害を食い止める消防組織である町火消しは、町人が自主的に設けたもの。江戸の防災は、地域コミュニティと深く関わっていたのです」(一色さん)

上左から時計回りに、一色ヒロタカさん、村田百合さん、渡邉莉奈さん、内藤あさひさん。2年間、街のフィールドワークや催事に参加し、住民の声を集めながら、プロジェクトに携わってきた(画像提供/オンデザイン)

上左から時計回りに、一色ヒロタカさん、村田百合さん、渡邉莉奈さん、内藤あさひさん。2年間、街のフィールドワークや催事に参加し、住民の声を集めながら、プロジェクトに携わってきた(画像提供/オンデザイン)

東京都が区ごとに作成しているハザードマップを見ると、地震だけでなく、洪水・浸水・土砂災害などさまざまな災害が予想されています。

さらに、2019年12月には新型コロナウイルスが発生し、東京ビエンナーレは2020年夏の開催が延期に。2018年の発足時から掲げてきた東京ビエンナーレのコンセプトのひとつである「回復力」が、より切実なテーマとしてアーティストに突き付けられたのです。

「地震・雷・火事・水害等を対象にしてきましたが、コロナという大災害をふまえて、現在もプロジェクトをアップデートしようと模索を続けています。コロナ禍で自分と向き合う時間が増え、リモートワークなどで生活環境も大きく変わりました。災害が起きたとき、住んでいる街で、自分がどう行動するのか意識されるようになったのです。ところが、街全体の防災計画はあっても、個人レベルの細かい対策は、分からないことが多いんですね。そこで住民一人ひとりの悩みや不安に向き合ったアプローチをしようと考えました」(一色さん)

アーティストの視点で、街の課題・関係性を「見える化」

このプロジェクトを統括する事務局は、一色さん、村田百合さん、渡邉莉奈さん、内藤あさひさんによるチームで企画・運営しています。4人は東京ビエンナーレの全会場計画を担当している設計事務所オンデザインに所属する建築家です。オンデザインでは、住宅や各種施設の設計のほか、街づくりにも積極的に取り組んできました。

なかでも3.11のあと宮城県石巻市のまちづくり団体ISHINOMAKI2.0の立ち上げに関わった経験は、今回のプロジェクトに活かされています。

ISHINOMAKI2.0は、2011年5月に設立。震災前より今より街をバージョンアップしようと活動を続けている(画像提供/オンデザイン)

ISHINOMAKI2.0は、2011年5月に設立。震災前より今より街をバージョンアップしようと活動を続けている(画像提供/オンデザイン)

「震災前の元の街に戻すのではなく、石巻を世界でいちばん面白くて新しい街にしよう! という思いで会社として取り組んでいます。地域住民と対話しながら、津波で閉じてしまったシャッター街を、新しい街につくり変えるなど10年間拠点づくりをしてきました。街は地域住民の生活の器です。建築物をつくるだけでなく、地域の課題や関係性をふまえて街全体を設計するのも建築家の役割だと考えています。地域住民の不安を発掘し、課題を『見える化』するプロセスは、アートを手掛かりに街の課題を考えていく今回のプロジェクトに通じます」(一色さん)

そこで、災害対応力向上プロジェクトでは、災害対策ではなく、「災害を受け止められる地域のコミュニティをつくる」ことを最終目標に挙げています。

2019年8月に、フィールドサーベイを神田エリアで実施し、地域住民とフィールドワークをしながら、災害につながる危険な場所をリサーチ。リスクを『見える化』する取組みがスタートしました。

一色さんほかプロジェクトメンバーが同行して行われた神田エリアフィールドサーベイの様子 2019年8月実施(画像提供/オンデザイン)

一色さんほかプロジェクトメンバーが同行して行われた神田エリアフィールドサーベイの様子 2019年8月実施(画像提供/オンデザイン)

「わたし」の不安に「わたしたち」が答えるVOICE 模型

東京ビエンナーレは千代田区・中央区・文京区・台東区を中心に、周辺の区へも滲み出しながら開催されますが、災害対応力向上プロジェクトは、千代田区を中心に展開します。住民やこのエリアを活動拠点としている方々から、ヒアリングによって拾い上げた声を視覚化した「VOICE模型&MAP」を展示の軸として制作が進んでいます。

VOICE模型&MAPには、ヒアリングから得られた課題を「 VOICE」として表出させ、展示を見に来たさまざまな方々からの「アンサー」により、参加型で課題解決を図るアプローチを試みる(画像提供/オンデザイン)

VOICE模型&MAPには、ヒアリングから得られた課題を「 VOICE」として表出させ、展示を見に来たさまざまな方々からの「アンサー」により、参加型で課題解決を図るアプローチを試みる(画像提供/オンデザイン)

「今はヒアリングの段階で、千代田区の社会福祉協議会や五軒町の町内会など、地域のさまざまな人から声を集めている最中です。個人の不安・課題(VOICE)に、地域の資産(人・スキル・物)を集め、シェアできる場になれば。どこにどんな声があるかMAPで分かるようにして、具体的な解決を模型で表現しています。例えば、『庭を囲んでいる塀が倒れたら?』という不安には、『避難路に崩れたブロックをどかす軍手が必要だ』『前回の地震で、夜間の避難は、懐中電灯があって助かった』というアドバイスが集まります。家の模型やグッズで示し、具体的に解決する手段を伝える試みです」(渡邉さん)

「地震で塀が壊れたらどうしよう」という一人の不安に対し、「歩行者を守る修繕なら区からの補助金で直せるよ」「もしもの時、足元が悪いから懐中電灯を備えておくと安全だよ」など皆からアドバイスが集まる(画像提供/オンデザイン)

「地震で塀が壊れたらどうしよう」という一人の不安に対し、「歩行者を守る修繕なら区からの補助金で直せるよ」「もしもの時、足元が悪いから懐中電灯を備えておくと安全だよ」など皆からアドバイスが集まる(画像提供/オンデザイン)

無印良品計画とのコラボ「いつものもしも、市ヶ谷」

開催中、神田五軒町と市ヶ谷に2カ所の仮設防災センターを設置する予定です。「いつものもしも、神田五軒町エリア」は、民設民営のアートセンター3331Arts Chiyoda前のビル1階のテナントスペースに期間限定の仮設拠点として設けられ、VOICE模型&MAPの展示や防災の知識を学ぶワークショップ等が行われる予定です。

「いつものもしも、神田五軒町エリア」は、空きテナントを利用し、会期中に設置される予定(画像提供/オンデザイン)

「いつものもしも、神田五軒町エリア」は、空きテナントを利用し、会期中に設置される予定(画像提供/オンデザイン)

神田五軒町と市ヶ谷の2拠点で開催(画像提供/オンデザイン)

神田五軒町と市ヶ谷の2拠点で開催(画像提供/オンデザイン)

「いつものもしも、市ヶ谷エリア」は、MUJI com武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス店内に特設します。 良品計画では、毎月11日から17日までを『くらしの備え。いつものもしも。』期間とし、防災に役立つ商品をコラムと共に紹介しています。そのノウハウを活かし、東京ビエンナーレと良品計画のコラボした防災セットの展示や販売を行います。

人によって必要な防災グッズは異なる。東京ビエンナーレと良品計画のコラボした防災セットの販売のほか、それぞれに合った防災セットのつくり方を提案する予定(画像提供/良品計画)

人によって必要な防災グッズは異なる。東京ビエンナーレと良品計画のコラボした防災セットの販売のほか、それぞれに合った防災セットのつくり方を提案する予定(画像提供/良品計画)

「いつものもしも、市ヶ谷エリア」は、良品計画の店舗内に設置が予定されている。市ヶ谷には、学校やオフィスが多い。店舗を訪れる様々な年齢層が参加できる場をつくろうと企画中(画像提供/良品計画)

「いつものもしも、市ヶ谷エリア」は、良品計画の店舗内に設置が予定されている。市ヶ谷には、学校やオフィスが多い。店舗を訪れる様々な年齢層が参加できる場をつくろうと企画中(画像提供/良品計画)

「個人の声にとことん向き合うことで、街を変えていきたい。マンションに住んでいて地域コミュニティへの参加が難しいなど、自分と同じような声と出会い、『わたし』から『わたしたち』へ街を見る目が変わっていきます。東京ビエンナーレのキャッチフレーズは、『見なれぬ景色へ』。当たり前だった街の景色を変えられたとしたら、それはアートの力です。関係性によって生まれる街の魅力は、不動産価値だけではかれない街の価値です。建築家としての視点で、人や都市にアプローチして、見えないものを表出していきたいと思っています」(一色さん)

オンデザインの自主メディア「BEYOND ARCHITECTURE」では、プロジェクトに携わる人へのインタビューなど活動内容を発信している(画像提供/オンデザイン)

オンデザインの自主メディア「BEYOND ARCHITECTURE」では、プロジェクトに携わる人へのインタビューなど活動内容を発信している(画像提供/オンデザイン)

東京ビエンナーレは、今後、2年に1度開催される予定です。アートで復元・出現した地域コミュニティに関わることで、新たな「わたし」を発見できる。アートのための催事に終わることなく、市民レベルの体験を生み出そうとチャレンジが続いています。

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無印良品の“日常”にある防災、「いつものもしも」とは

●取材協力
・東京ビエンナーレ
・オンデザイン
・BEYOND ARCHITECTURE

DIYで部屋をアート作品に! クリエイターが集う名物賃貸「MADマンション」

若手のクリエイターが東京に拠点を持ちたいと思っても、家賃が高く、借りられる部屋がない……。それならば、東京よりも家賃相場が低く、アクセスのいい郊外にクリエイターが集まる街をつくろう。こう考え、まちづくり会社のまちづクリエイティブが2013年ごろから松戸に展開しているのが「MAD City(マッドシティ)」です。そのランドマークとも言えるマンション「MADマンション」に住み、製作活動をつづける小野愛さんの住まいにお邪魔しました!
「30歳になってしまう」焦りから上京を決意

都市の規制やクレームの発生などによってクリエイターの活動が制限されることが多いなか、「地域住民とコミュニケーションを図りながらクリエイターが活躍できる『まちづくり』をしたい」という想いでまちづくりプロジェクトを行っているまちづクリエイティブ。千葉県松戸市にある拠点「MAD City Gallery」から半径500mの範囲を核とした「MAD City」は、そのモデルケースとなる街です。これまで、まちづクリエイティブを通じてこの街に住んだクリエイターの数は570人以上。いまも170人以上のクリエーターがこの街に住んで、さまざまな分野の創作活動に取り組んでいます。

玄関に通された瞬間、あっ! と思わず息をのむような、奥行きのある白い空間と白い作品たち。小野さん(32歳)の住まいは、まるで部屋全体が一つの作品のようにも感じられる、静かで神秘的な雰囲気を醸し出しています。

(撮影/嶋崎征弘)

(撮影/嶋崎征弘)

小野さんの作品たち。石膏像のように見えるが、すべて白い布を用いて手縫いでつくられている(撮影/嶋崎征弘)

小野さんの作品たち。石膏像のように見えるが、すべて白い布を用いて手縫いでつくられている(撮影/嶋崎征弘)

キッチンの窓辺に飾られている瓶や植物ですら、小野さんの作品の一部のように見える(撮影/嶋崎征弘)

キッチンの窓辺に飾られている瓶や植物ですら、小野さんの作品の一部のように見える(撮影/嶋崎征弘)

小野さんがそれまで住んでいた大分県別府市から首都圏に活動拠点を移して、本格的に制作活動を行う決意をしたのは2019年のこと。「30歳を目の前に控えて、焦りもあった」と言います。

「もともとは、福岡のファッション系の専門学校を卒業しました。卒業後、布を使用した立体作品をつくるようになり、地元である大分県に戻ってアルバイトをしながら7~8年ほどは別府で活動を続けていました。29歳のころに美術家として生きていく覚悟を決めて、東京に拠点を移そうと考えたんです」(小野さん、以下同)

美術家の小野愛さん。にこやかに、穏やかに話してくれた(撮影/嶋崎征弘)

美術家の小野愛さん。にこやかに、穏やかに話してくれた(撮影/嶋崎征弘)

松戸を拠点にクリエイターが集う「MAD City」に住みたい

ところが、いざ東京都内で住居兼アトリエとして制作ができるだけの広さを確保しようとすると家賃が高くなり、なかなか予算に合う物件が見つけられなかったそう。そこで同郷のまちづクリエイティブのスタッフに相談をしたのが、入居のきっかけでした。

「都内の家賃は払えないので、もう少し郊外で、と思ったときにMAD Cityのことを知り、松戸で探すことにしました。関東での生活が初めてなので、同じようなクリエイターさんと知り合えたらいいなと。このマンションはひと目で気に入りました。広いワンルームのように使える間取りであること、そしてマンション内に他のクリエイターさんも多く住んでいることが何よりの決め手です」

以前の部屋の様子。現在の小野さんの部屋の雰囲気とは全く異なる(画像提供/まちづクリエイティブ)

以前の部屋の様子。現在の小野さんの部屋の雰囲気とは全く異なる(画像提供/まちづクリエイティブ)

小野さんの部屋を見ると、以前は2DKとして使われていたのだろうと思われる引き戸の溝があります。実際に内見をしたときには襖があったのだそうです。

もともと2DKだったと思われる間取り。DIYをする前は、中央のスペースにもクッションフロアが張られていた(資料提供/まちづクリエイティブ)

もともと2DKだったと思われる間取り。DIYをする前は、中央のスペースにもクッションフロアが張られていた(資料提供/まちづクリエイティブ)

DIYで、住まいが独特の空気感をもつアート作品に!

MADマンションは、全20室中、15室をまちづクリエイティブが借り上げています。見逃せない大きなポイントが“DIY可能”で、さらに退去時の“原状回復が不要”なこと。マンション内の1室はDIY作業が可能な共有スペースとして確保され、住人たちが道具を保管する物置として、また作業部屋として自由に使えるそう。

504号室はまちづクリエイティブが、住人のために確保している共有スペース(撮影/嶋崎征弘)

504号室はまちづクリエイティブが、住人のために確保している共有スペース(撮影/嶋崎征弘)

共有スペースの床にはところどころ物が置かれているが、作業部屋としても使えるくらい広く、がらんとしている(撮影/嶋崎征弘)

共有スペースの床にはところどころ物が置かれているが、作業部屋としても使えるくらい広く、がらんとしている(撮影/嶋崎征弘)

別府にいたころからDIYができる賃貸物件に住んでいた、という小野さん。「なぜかは分からないけど、白が好きで」自分好みの空間になるよう、手を入れてきました。

「奥の部屋はもとから床の板がむき出しになっていましたが、ダイニングと中央の部屋はクッションフロアでした。試しにめくったところ、簡単にはがれたので、中央の部屋も床の板をむき出しにして白く塗りました。梁やキッチンの扉、引き戸も白くしています」

中央のスペースとダイニングキッチンとの床の境目。今は白く塗った中央のスペースの床にも、もともとはダイニングキッチン同様のフローリング調のクッションフロアが張られていた(撮影/嶋崎征弘)

中央のスペースとダイニングキッチンとの床の境目。今は白く塗った中央のスペースの床にも、もともとはダイニングキッチン同様のフローリング調のクッションフロアが張られていた(撮影/嶋崎征弘)

もともと押入れだったと思われる収納上部の引き戸も白く塗った(撮影/嶋崎征弘)

もともと押入れだったと思われる収納上部の引き戸も白く塗った(撮影/嶋崎征弘)

もともと付いていた茶色のカーテンレールがあまり好みでなかったため、取り外し、白く塗った窓枠の手前に白いワイヤーを渡してカーテンを通した(撮影/嶋崎征弘)

もともと付いていた茶色のカーテンレールがあまり好みでなかったため、取り外し、白く塗った窓枠の手前に白いワイヤーを渡してカーテンを通した(撮影/嶋崎征弘)

空間全体が白くなり、光がよく入る5階の部屋は曇りの日でも明るく、「制作に向かう環境としてとても贅沢な空間」だと言います。

「私の動画作品の一部としても、この空間を活用しています。このマンションに住んでいたダンサーの方を紹介してもらい、撮影したんです」

小野さんの映像作品の1カット。今回話を聞いた、まさにこの部屋で撮影されている(画像提供/小野さん、出演/永井美里、撮影/鈴木ヨシアキ)

小野さんの映像作品の1カット。今回話を聞いた、まさにこの部屋で撮影されている(画像提供/小野さん、出演/永井美里、撮影/鈴木ヨシアキ)

なんと! 住まいやアトリエとしてのみならず、部屋の空間が作品にもなったんですね! それだけ小野さんのセンスを刺激する物件だったということでしょう。

住人同士や地域とのコミュニケーションも盛ん

「先日まで個展を開催していたのですが、その会場にもこのマンションに住む人たちをはじめ、MAD Cityの人たちが足を運んでくれました。いろいろな人と知り合いたいと思って関東に出てきたわけですが、コロナ禍でイベントなどが少なくなり、出会える機会もなく……。それだけに、まちづクリエイティブさんが、このマンションに住む他のクリエイターさんを紹介してくれて、少しずつ輪が広がってきたことがとてもうれしいんです」

MADマンションの外観。古いが味のある建物は、どことなくクリエイティブなにおいを放っている(撮影/嶋崎征弘)

MADマンションの外観。古いが味のある建物は、どことなくクリエイティブなにおいを放っている(撮影/嶋崎征弘)

小野さんが話してくれたように、まちづクリエイティブはクリエイター同士の交流も促進してきました。現在、その活動は物件や人の紹介だけにとどまらず、地元企業と連携した仕事の創出や、クリエイターとの商品開発などにまで及んでいます。

昨年には、松戸駅エリアでは20年ぶりとなる全長4mの新しいスタイルの商店街「Mism」を発足させて回遊性を高めるプロジェクト行ったり、松戸で唯一のクラフト瓶ビール「松戸ビール」の商品ブランディングや販売を行ったりしているそう。

若い才能を発揮できる環境が整っているからこそ、個性的な魅力を宿す住まいや新しい作品、商品が生まれるのでしょう。かくいう筆者も小野さんの作品・空間を体感して、すっかりファンになりました! 一層盛り上がっていきそうなMAD Cityと、そこに住むクリエイターさんのつながり。これからの展開にも期待がふくらみます!

●取材協力
・小野愛さん
・まちづクリエイティブ

コロナ禍でクリエイターが石巻に集結?空き家のシェアハウスで地域貢献

宮城県石巻市で、空き家を新たな発想で活用する取り組みを行ってきたクリエイティブチーム「巻組」。2020年6月、コロナ禍で困窮したクリエイターに住む場所と発表の場を提供し、地域とつながりながら「お互いさま」の関係をつくるプロジェクト「Creative Hub(クリエイティブハブ)」をスタートさせた。その取り組みは、単なる空き家問題解消にとどまらず、地域の活性化にも大きな影響を与えている。
震災ボランティアの住まいを確保するために立ち上げた「巻組」

東日本大震災の津波被害が大きかった宮城県石巻市で「Creative Hub」を企画、運営する「巻組」を立ち上げた、渡邊享子(きょうこ)さんに話を聞いた。

合同会社巻組代表の渡邊享子さん(写真提供/渡邊享子さん)

合同会社巻組代表の渡邊享子さん(写真提供/渡邊享子さん)

2011年、埼玉県出身の渡邊さんは学生ボランティアとして石巻市を訪れた。石巻市は住宅地が津波に飲み込まれ、2万2000戸の家屋が全壊。もともと賃貸物件は少ないが、既存の賃貸物件は被災者や復興需要で埋まり、ボランティアが住む場所が足りなかった。

渡邊さんは、仲間のボランティアが石巻市に残って支援を続けられるように、空き家を探し、住めるようにリノベーションをして貸し出そうと考えた。2012年から始めて何軒か手掛けるうちに、事業化できるのではと思い始めた。当時、渡邊さんは東京で就職活動をしていたが、震災不況で決まらず、「やることがある所に住もう」と移住した。

「2018年の住宅土地統計調査によると、石巻市内の空き家は1万3000戸、全家屋の約20%です。賃貸物件は、一般的にPLACE(立地)、PRICE(家賃)、PLAN(間取り・設備)の『3P』を基準に選ばれますが、私たちが扱うのは『3P』が絶望的な空き家です。敷地が公道に接していない立地や、給水設備が未整備のもの、築60年を超える廃屋など、持ち主が“ただでももらってほしい”という空き家、不動産会社も扱いづらく困っているような建物を買い上げています」(渡邊さん、以下同様)

空き家を買い上げてリノベーションした巻組の賃貸住宅。古さや傷も味わいになっている(写真提供/巻組)

空き家を買い上げてリノベーションした巻組の賃貸住宅。古さや傷も味わいになっている(写真提供/巻組)

「リノベーションで苦心しているのは、予算内でどこまでできるか。素材などお金をかけるべきところにはかけますが、できるだけ物件の持ち味を活かし、住む人自身が自らカスタマイズする余地を大事にしています」

巻組は、この空き家を活用した住宅支援や事業開発プログラムの提供などを行い、2015年に3人のメンバーで合同会社として法人化。これまで、空き家を買い上げて自社で改修した物件が35軒、そのうち、自ら運営するシェアハウスや賃貸住宅、民泊が11軒、すでにのべ約100人が居住した。

クリエイティブ人材を活用した「Creative Hub」のスタート

「不動産会社が扱いにくい廃屋、一般的には絶望的な条件も、視点を変えてプラスの価値に転換する、大量生産、大量消費とは真逆の価値観です。悪条件も、ものづくりや芸術活動などのクリエイティブな活動をする人は『かえっていいね』『おもしろい』とポジティブに受け止めてくれました。

例えば、音を出してパフォーマンスしたい人は、静かな環境で思いきり声を出すことができるし、ものづくりをするために壁や床を汚してしまう、壊してしまう恐れがあるという人には、自由に創作できるキャンバスのようなものになります。また、都会では難しい広いアトリエや作品を保管する倉庫が確保できます。

狩猟用の猟銃を所持している場合、賃貸物件を借りるときは大家さんの許可が必要で、嫌がられる場合があります。そういった、一般の賃貸住宅を借りにくい住宅難民、規格におさまりきらないニーズを持った人が喜んで使ってくれるのです」

都会にはない広さや広縁を利用したリノベーションした賃貸住宅。障子のデザインもアートごころを刺激。レトロな雰囲気が若い人には新鮮に感じられる(画像提供/巻組)

都会にはない広さや広縁を利用したリノベーションした賃貸住宅。障子のデザインもアートごころを刺激。レトロな雰囲気が若い人には新鮮に感じられる(画像提供/巻組)

水まわりを中心に改修した民泊はノスタルジックな趣。ワーケーションなどを目的に石巻に来た人に使われている(画像提供/巻組)

水まわりを中心に改修した民泊はノスタルジックな趣。ワーケーションなどを目的に石巻に来た人に使われている(画像提供/巻組)

2020年はコロナウイルスの感染が拡大するなか、活動や発表の場を奪われたアーティストが増えた。「アーティスト活動ができず、生活費を稼ぐためのアルバイトすらできなくなったクリエイターを支えたい。クリエイティブ系の人材を石巻に集めたら、使われていない地方の資源を活用できるのではないか」と、巻組は「Creative Hub(クリエイティブハブ)」プロジェクトを計画。クラウドファンディングで応援してくれる人を募り、倉庫のリノベーションなどの準備費用の寄付・協力を呼びかけた。

老若男女が出会い支え合う場をつくる

2020年6月に立ち上げたこのプロジェクトは、どんな仕組みなのか。

活動の場、働く場を失ったアーティストの卵に、巻組が運営するシェアハウスやアトリエ倉庫を一定期間無償で提供する。食料や家電など、生活に必要なものは、寄付で集めた「ギフト」をギフトバンクに集め、入居者にマッチするものを提供する。

生活の拠点と生活資材の提供を受けたアーティストは、クリエイティブな活動に集中しながら、次へのステップの準備ができる。そしてギフトのお返しとして、製作のプロセスや製作物を地域の方に公開する。また、ギフトバンクに届いた「掃除や草取り、雪かきを手伝ってほしい」「農作業の一部を手伝ってほしい」といった「ちょっとした手伝いのSOS」に対して、労働力などのお金以外の形でお返しをする。こうして、アーティストと地域住民のコミュニケーションが生まれる。

昭和以前の田舎にあった「助け合い」「おすそ分け」「お互いさま」のような関係性を再構築したのだ。

また巻組は、アーティストと地域住民の交流の場として、石巻市と連携し月1回、第4日曜日に「物々交換市」を開催している。「Creative Hub」の倉庫などを利用して、アーティストが制作物を出品したり、パフォーマンスをしたりする。地域住民は、出店するものが気に入れば、持ち寄ったものと交換したり、投げ銭などを行う。ワークショップブースでは、絵の具や木材などを使って、アーティストと一緒に制作活動が楽しめる。「物々交換市」は、3カ月間で、のべ120名が参加、約280人が市外から寄付などを通してこの仕組みを応援している。

物々交換市では、ユニークなものが出品され、思いがけない発見や出会いが生まれている(画像提供/巻組)

物々交換市では、ユニークなものが出品され、思いがけない発見や出会いが生まれている(画像提供/巻組)

「石巻ではアートのイベントを頻繁に行っていますが、地域にアーティストが定着するためには参加者も双方向的な仕組みをつくれると良いと思いました。アーティストの作品を見に来てください、と誘うとハードルが高くなりますが、物々交換なら地域の高齢者が楽しみに来てくれますし、若い人の役に立ちたいと、家にある食器類、古着、端材、農産物などを持ってきてくれます。アーティストにとっては、作品が売れたり、人の目に触れて反響があったり、応援してもらうことはとても大事なこと。首都圏のアーティストは孤立しがちですが、ここで共同生活をすることで他の人から刺激を受けることも、力になると思います。

一方で、地域の高齢者は、人の役に立つことで自己肯定感が高まります。マンション住まいの子どもたちは、家ではできないような絵の具を使って壁に絵を描いたりして、クリエイティビティな感性が育ちます。子どもから高齢者までがリアルに触れ合い、支え合い、元気になれるコミュニティがつくられる、それが重要だと思っています」。市の来場者アンケートによると「新しい人と出会えた」という意見が多く寄せられるという。

「Creative Hub」に参加して「人のための演劇」にシフト

ここで「Creative Hub」の入居者の声を紹介する。よしだめぐみさんは、東京都出身のパフォーミングアーティスト。東日本大震災のときは中学2年生、高校時代に東北を訪れる機会があったが、まさか東北に住むとは思っていなかったという。

よしだめぐみさん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

よしだめぐみさん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

小学生のときから児童劇団に所属し、演劇を続け、多摩美術大学の演劇舞踊デザイン学科に進んだが、他の世界を知らないことが不安になり、大学2年生のときに中退。さまざまな仕事を経験し、石巻市の食・アート・音楽の総合芸術祭「REBORN ART FESTIVAL(リボーンアート・フェスティバル)」でアルバイト運営スタッフとして働く。そのときに演劇をつくれるスキルを現地に滞在し制作するアーティストに面白いと言われて、演劇を再開しようと決意。

「2020年は都内でイベントの仕事をする予定でしたが、コロナの影響でイベントはできず、制作費を稼ぐのも大変になってきました。東京にいる理由がなくなり、自分を求めてくれる人、味方になってくれる人がたくさんいる石巻で活動することにしました」

住むところがなかったよしださんは、巻組を紹介され、5月からシェアハウスに入居。まもなく「Creative Hub」が始まった。

「家賃なしでクリエイターに住まいを提供してくれる、全国でもない取り組みです。全国から集まる入居者、街の人たちとも仲良くなりました。

外に出れば出会い、発見があります。街の人はお米や牡蠣、飲み物などをくれて『ちゃんと食べなさい』と言ってくれる。大きなファミリーに見守られている感じで、都会とは違った人のつながりがありますね。関係が濃密なので、人が好きな人には合っているし、やりたいことがある人には、やりやすい場所だと思います」

CheativeHubの倉庫の一角、制作した作品の中でパフォーマンスをするよしださん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

CheativeHubの倉庫の一角、制作した作品の中でパフォーマンスをするよしださん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

演劇の脚本を書き、演じ、演出もする。福祉施設のコミュニケーション教育のワークショップや高校の演劇部の指導、イベントや撮影のアシスタントも。さらに石巻、仙台、女川など、宮城県の地域のイベントやアーティストのマネジメントと、仕事の幅を広げている。

「『Creative Hub』に参加して、知らない世界を知る人たちに出会い、影響を受けました。東京にいたときは、自分ががむしゃらに演劇をやりたいと思ってきましたが、ここに来て『誰から、どんなニーズがあるから、こういう演劇をつくりたい』と、自己満足ではなく、仕事にする方向で演劇を考えられるようになりました。人のために自分のスキルを活用したいと考え、視野が広がりました。

ここを原点に、いずれは拠点を選ばずに演劇活動ができるように、発展させていきたい。石巻で必要とされなくなるまで活動していきたい」と声を弾ませる。

創作意欲が高まり、日々出会いがある

次に紹介するのは、「みち草工房」の菅原賀子(よしこ)さんと、阿部史枝(ふみえ)さん。巻組の賃貸物件を工房として借りて2人でシェアしている。菅原さんは、大阪府大阪市出身で、神戸の木材の会社に勤めていたが、交際相手が住んでいる宮城県へ移住したことをきっかけに、石巻に惹かれた。コワーキングスペースをもつ石巻のカフェを訪れ、そこで働く阿部さんと出会った。

木を使ってモノづくりをしていた菅原さん、布を使って洋服の直しやオーダーメイドを請け負っていた阿部さんは、お互いの取り組みを面白いと感じた。そして一緒に活動するべく借りたシェアオフィスが手狭になり、いったん解散しようと思ったが、巻組のシェアハウスが気に入り、作業場として二人で借りた。

「石巻のまちなかにありながら、山際に立ち、植物に囲まれ、まるで山奥にいるよう。魅力的な物件です」と菅原さん。

「ここは広いので、たくさんの端材を置けるし、庭で植物を育てたりして、家ではできないことができます。

家とは別の空間を持つ面白さもあり、癒しの場所でもあります。また、ここは誰でも気軽に立ち寄れるオープンな物件なので、巻組が連れてくる見学者、デザイナー、アーティストなど、いろいろな人が遊びに来るのも楽しい」

菅原さんと阿部さんが借りている平屋木造住宅。住居兼アトリエみたいな場所(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

菅原さんと阿部さんが借りている平屋木造住宅。住居兼アトリエみたいな場所(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

「釘を打ったり、棚をつけたりとDIYをすることは賃貸では難しいですが、ここは自分たちの好きなように自由に変えられるし、原状回復も必要ありません。この場所にいるだけで、何かをつくりたくなるような気持ちになりました。

『どうしてそんな目立たない所に引越したの?』と言う人もいましたが、一度遊びに来た人は『隠れ家みたい』と気に入って、何度も気軽に来てくれます。今は震災に関係なくここの取り組みに惹かれて移住した人が増えている感じがします」と阿部さん。

庭仕事をしている阿部さん(左)と菅原さん(右)。クリエイティブな作業に最適な環境だ(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

庭仕事をしている阿部さん(左)と菅原さん(右)。クリエイティブな作業に最適な環境だ(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

2人のコラボ作品の第一弾は、猫用のハンモック「にゃんもっく」。「物々交換市」では、住民が持ってきたものと交換、または投げ銭で物を交換する「クルクルフリマ」という物々交換の店を出している。「普通のマーケットと違って、パフォーマンスもあり、活気があります。幅広い年齢層の方がのぞいてくれますね」(阿部さん)

2人がコラボしてつくった「にゃんもっく」(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

2人がコラボしてつくった「にゃんもっく」(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

「最先端の考え方をする人が集まってきて、もともとの住民と移住した人、古さと新しさが同居する面白いまちになっていると思います」(菅原さん)

アーティストの支援にとどまらない、社会の課題解決のモデルとして

巻組は、2020年12月、築70年の古民家を改築した「OGAWA(おがわ)」を開設。密集を避けて仕事をしたい人のためのワーケーションの拠点として、都心などから人を呼び込み、石巻と関わる「関係人口」を増やすことが目的だ。

「少子高齢化、人口の減少、孤立化などは全国的な問題。空き家問題が進む地域にアイデアとして何か転化していければと思います。空き家を活用して、ただカッコいい場所をつくろうとか、クリエイティブ人材を市内外から連れてくるだけでもありません。

現在の取り組みは、反響もありますが、こういう形がどれだけ広がり、一般化していくか、課題と制約のなかで、いかに価値を出すかが、クリエイティブやアートにとって大事なところだと思います。そして、アーティストがこういう場所で生み出したものを、どう売り出していくかを考えて、形として見えやすいものにしていく必要があると思います。見逃されがちなものを、空き家を活用して、さまざまな問題にどうコミットできるかを考えていきたいです」(渡邊さん)

若いアーティスト人材の居場所をつくり、呼び込んで育てながら、地域を活性化する、巻組の取り組み。多世代のコミュニケーションが生まれ、誰も孤立させずみんなで幸せになる地域社会をつくる。人材、資材を活用しアイデアを加える、人も経済も元気になる「良循環」といえるだろう。

震災後、外から多くのアーティストやクリエイター、ボランティアなど優れた人材が出入りしたことも変化につながった。都会の便利さはない田舎だからこその懐の大きさとポテンシャルの高さ。豊かな人材、資材、アイデアが流入して変化していく石巻は面白いまちだ。

●取材協力
・巻組

“知的障害”への先入観を福祉×アートで超えていく。「ヘラルボニー」の挑戦

「異彩を、放て。」をミッションに、知的障害のある方のアート作品を、さまざまなアプローチでモノ・コト・バショに展開する福祉実験ユニット「ヘラルボニー」。出発点は自閉症の兄だったという、双子の松田文登さん・崇弥さんに、会社を立ち上げた経緯や、現在の事業展開、今後挑戦してみたいこと、そして「”障害”という言葉のイメージを取り払いたい」という想いについて、お話を伺いました。
障害のあるアーティストの作品を身近なプロダクトに

「ヘラルボニー」では、全国の福祉施設とマネジメント契約を結び、知的障害のある方々が手掛けたアートを使ったプロダクト、プロジェクトを手掛けている。それらは、職人技を駆使したアパレル、工事現場の仮囲いや駅舎を使ったソーシャル美術館、アートと福祉をつなげるワークショップなど多岐にわたる。

最初に手掛けた「ART NECKTIE」。すべてアーティストの名前を冠し、創業明治の紳士洋品の老舗「銀座田屋」の自社工房で織られたもの(写真提供/ヘラルボニー)

最初に手掛けた「ART NECKTIE」。すべてアーティストの名前を冠し、創業明治の紳士洋品の老舗「銀座田屋」の自社工房で織られたもの(写真提供/ヘラルボニー)

普段、なにげなく目にすることが多い建設現場の仮囲いを、期間限定の「ミュージアム」として捉え直す試み「全日本仮囲いアートミュージアム」(写真提供/ヘラルボニー)

普段、なにげなく目にすることが多い建設現場の仮囲いを、期間限定の「ミュージアム」として捉え直す試み「全日本仮囲いアートミュージアム」(写真提供/ヘラルボニー)

茨城県つくば市の福祉施設「自然生クラブ」とコラボし、南青山の「NORA HAIR SALON」を丸ごとギャラリーにしてしまうプロジェクト(写真提供/ヘラルボニー)

茨城県つくば市の福祉施設「自然生クラブ」とコラボし、南青山の「NORA HAIR SALON」を丸ごとギャラリーにしてしまうプロジェクト(写真提供/ヘラルボニー)

知的障害がアートの絵筆になる。そこに弱者のイメージはない

活動内容のすべてに共通するのは、福祉×クリエイティブ。「アート」を入り口に、知的障害のある人のイメージを変えたい想いだ。
「どうしても知的障害の話って重くなるでしょう。講演会なんかでも、”これから重い話が始まるぞ~”と身構えられてしまう。僕たちには、先天性の自閉症の兄がいて、こうした障害に対する可哀想とか大変といったネガタィブな世間のイメージにずっと違和感があるんですよね。彼らが描いた作品には、突き抜けたパワーがある。そこからリスペクトが生まれる。彼らのアートを身近なものに落とし込むことで、世間のネガティブな目線を少しずつ変容させていきたいんです」(文登さん)

実際、知的障害のある方たちの作品は特長的だ。何度も現れるモチーフ、驚くほどの集中力で描いたと思われる緻密さ、自由な発想、独特な世界観。絵のモチーフやタッチを見れば、〇〇さんの作品と分かる。そこにあるのは、“障がい者”とひと括りされがちな人たちの、1人1人の強烈な個性だ。

「多くの自閉症やダウン症の方々に見られる共通項として挙げられる、強いこだわりは、日々のルーティンとなり、それがアートになると、ずっと丸や四角を描くなど、繰り返しの表現に。それは唯一無二の個性になるんです。つまり、”障害”があるからこそ描ける世界があると思います」(崇弥さん)

もちろん創作活動をするのは知的障害のある一部の人たち。急に描くのを辞める人もいれば、突然描き始める人もいる。描く世界が突然変わってしまうこともあるそうだ (写真提供/ヘラルボニー)

もちろん創作活動をするのは知的障害のある一部の人たち。急に描くのを辞める人もいれば、突然描き始める人もいる。描く世界が突然変わってしまうこともあるそうだ (写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

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最初は社会的実験からスタート。高品質に振り切ったプロダクトで勝負

ヘラルボニー設立の直接のきっかけは、崇弥さんが故郷の岩手に帰省した際に立ち寄った「るんびにい美術館」。知的障害や精神障害のある作者のアート作品を多く展示している美術館だ。「ものすごい衝撃を受けました。こういう世界があるんだ、僕のやりたいことはこれじゃないかと、興奮気味に文登に電話したことを覚えています」(崇弥さん)

岩手県花巻市にある「るんびにい美術館」で撮影した写真。アトリエも併設され、作品の制作現場を実際に見て、アーティストたちと交流することもできる(写真提供/ヘラルボニー)

岩手県花巻市にある「るんびにい美術館」で撮影した写真。アトリエも併設され、作品の制作現場を実際に見て、アーティストたちと交流することもできる(写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

(写真提供/ヘラルボニー)

当時、文登さんはゼネコン、崇弥さんは広告代理店勤務。会社員生活をしつつ、お互い貯金を出しあって(「といっても、8割は僕ですよ(笑)」と文登さん)、始めたのが、前出のシルクのネクタイ制作だ。価格は2万円超えと決して安くはないが、細い絹糸を高密度で織り上げたネクタイは、その質感、艶、緻密さは、まるでアート作品のよう。

ネクタイは、通常の倍の密度で織り込まれたシルク100%のもの。これを持つことで、ちょっと背筋が伸びるような特別感のある品だ (写真提供/ヘラルボニー)

ネクタイは、通常の倍の密度で織り込まれたシルク100%のもの。これを持つことで、ちょっと背筋が伸びるような特別感のある品だ (写真提供/ヘラルボニー)

「気軽に手を出せない価格でも、最高品質のもの。障害うんぬんを外しても、純粋にほしいと思ってもらえるものをつくってみようと考えていました。例えば、福祉施設で障害のある方が5時間かけてつくったレザークラフト作品が500円で売られていたんです。それでは、材料費の方が高くなってしまう。やはり福祉だけの文脈ではなく、”ビジネス”の枠組みが必要だと感じていました」(崇弥さん)

とはいえ、最初は不安も。「銀行員の父からは”見通しが甘い”と言われてしまいました(笑)。でもこれは、福祉の現場から発信したらどうなるのか、意義のある社会的実験と考えればいいとも。もちろんビジネスとして成り立つことは大切だけれど、自分たちがワクワクしたいから、を軸に考えていましたね」(文登さん)

しかしリリースされてみると、メディアの各媒体に取り上げられ、思っていた以上に反響は大きかった。「本当にびっくりしました。もしかしたら、世の中がこういうのを求めていたのかもしれないと思いました」(文登さん)

ヘラルボニーの挑戦は、自閉症の兄の存在抜きには語れない

アクティブな両親のもと、物心付いたころから、療育の場や福祉の集まりに毎週のように出かけていたふたり。福祉はずっと身近な世界だ。「親以外の大人に遊んでもらって、けっこう楽しかったんですよね。小学校の卒業文集に、“将来の夢は特別支援学級の先生”って書いていましたから。小さな小学校で、僕たちが友達と遊ぶときも兄も一緒で。特に障害とかを大きく意識したことはなかったんです」(崇弥さん)

しかし、中学に入学すると状況は変わった。複数の小学校の学区からなるマンモス中学校で、兄のことを馬鹿にする同級生もいた。「正直、自分の弱さから、中学のときは兄の事を隠していた時期もありました。その時の想いは、今もずっと自分の中で残っています」(文登さん)

子どものころの松田三兄弟。小学生時代はどこへ行くにも一緒だったとか。今もお兄さんの話をするおふたりは楽しそう(写真提供/松田さん)

子どものころの松田三兄弟。小学生時代はどこへ行くにも一緒だったとか。今もお兄さんの話をするおふたりは楽しそう(写真提供/松田さん)

その時の世間の目線への違和感は、現在2人の活動の原動力のひとつといえる。「できないこと」を「できる」ようにするのではなく、障害を「特性」ととらえ、社会が順応していく。それが彼らの願いだ。

「僕たちは双子なので、障害のある兄弟がいることで我慢を強いられることの多い”きょうだい児”の悩みとは、わりと無縁でいられたんです。なんでも2人でシェアしているからでしょうか。僕は就職後も、なにかしら福祉に関わる仕事をするつもりだったし、やるなら文登と2人でと考えていました」(崇弥さん)

会社名となった「ヘラルボニー」は、お兄さんの翔太さんが子どものころ自由帳に書いていた言葉。ネット検索にもひっかからないナゾの言葉は、なぜか何度も登場する(写真提供/松田さん)

会社名となった「ヘラルボニー」は、お兄さんの翔太さんが子どものころ自由帳に書いていた言葉。ネット検索にもひっかからないナゾの言葉は、なぜか何度も登場する(写真提供/松田さん)

「障害=不幸ではない」出産を決めた妊婦さんも

ヘラルボニーへの反響は松田兄弟のモチベーションとなっている。
例えば「ヘラルボニーのネクタイを買ったから、作者に会いたくて、るんびにい美術館に行ってきました」という人がいる。常に応援してくれる福祉の現場のスタッフや熱狂的なファンでいてくれる自閉症を持つ親御さんたちの声も後押しになる。初めての講演会は、子どものころ兄や母と通った岩手の福祉協会。「”あの、翔太くんの双子の弟くんたちが大人になって帰ってきてくれました~”と紹介されました。まさにホームでしたね(笑)」(崇弥さん)。
なかでも、印象的だったのは、出生前診断でおなかの中の赤ちゃんにダウン症の可能性が分かった妊婦さん。「僕たちが取り上げられたテレビのニュースを見て、”この子を産んだら不幸になると考えていたけれど、こんな楽しい未来、素敵な出会いがあるのかもしれない。障害=悲しいことではなかった” という長文のメールをいただきました。産むことを決めた、とおっしゃっていました」(文登さん)

アートワーク「まちといろのワークショップ in 軽井沢」開催時の写真(写真提供/ヘラルボニー)

アートワーク「まちといろのワークショップ in 軽井沢」開催時の写真(写真提供/ヘラルボニー)

いつか実現したいのは、“できない”前提の「変わったホテル」

現在は、コロナ禍でも新しいアートの体験ができるようにと、ZOOMを利用した双方向型のオンライン美術館を企画したほか、9月にはクラウドファンディングで高品質なマスクを販売する予定だ。2021年には岩手県盛岡市で、初のソーシャルホテルをプロデュースする事業も進んでいる。さらに、家で過ごす時間の増加とともに、「おうち消費」に注目。カトラリー、クッション、壁紙など、生活にアートをしのばせる「アートライフブランド」ヘシフトしていこうと計画中だ。“福祉×アート”がより身近になる。

「今後、マスクは眼鏡のように日常生活に不可欠なものになるはず。もっとお洒落になってもいいんじゃないかと考えました」。クラウドファンディングで資金を集めて実現(写真提供/ヘラルボニー)

「今後、マスクは眼鏡のように日常生活に不可欠なものになるはず。もっとお洒落になってもいいんじゃないかと考えました」。クラウドファンディングで資金を集めて実現(写真提供/ヘラルボニー)

少しでも接点をつくりたいと、アート作品をネット解説する「オンライン美術館」を開催。参加者は延べ1000名と大好評。定期的なコンテンツとする予定(写真提供/ヘラルボニー)

少しでも接点をつくりたいと、アート作品をネット解説する「オンライン美術館」を開催。参加者は延べ1000名と大好評。定期的なコンテンツとする予定(写真提供/ヘラルボニー)

無機質だった建設現場を彩る“仮囲いアート”を、リサイクルならぬアップサイクルしてトートバッグとして生まれ変わらせる(写真提供/ヘラルボニー)

無機質だった建設現場を彩る“仮囲いアート”を、リサイクルならぬアップサイクルしてトートバッグとして生まれ変わらせる(写真提供/ヘラルボニー)

そして、「いつかは、自分たちで福祉施設を手掛けてみたい」と考えているそう。
「イメージは、『注文をまちがえる料理店』(※)のホテル版。例えば、”ウチのフロントマンはあいさつができないんです”と言い切ってしまい、ゲストに“あ、本当にあいさつはしないんだ(笑)“って体験してもらうのもおもしろいかなぁって。その代わり、ベッドメイキングや掃除が本当にていねいな人もいる。最初にエクスキューズを入れておくことで、寛容な場となれば、1人1人の個性に合った、就労の形が実現できるんじゃないかと思っています」(崇弥さん)。

※「注文をまちがえる料理店」注文を取るスタッフが、みんな認知症で、頼んだ料理と違うメニューが届くこともある料理店

最後に「今、感じている課題は?」という問いに、迷いながら、「社会貢献がすばらしいと、称賛され過ぎてしまっていることに、とうしてもギャップを感じてしまう」と答えた文登さん。「それは、どうしても障がい者が社会的弱者という目線がぬぐいきれていないからかもしれません。その文脈から脱していくことも、ある意味、僕らの課題といえますね」(文登さん)

「”福祉”というと、どうしても”支援”というイメージが強いかもしれませんが、僕たちと障害をもっているアーティストたちはビジネスの対等なパートナー。今の福祉という場にプロデュースする機能がないゆえに埋もれてしまっているすごい才能に、対価を得る機会を提供するのが僕たちの役目。そのために、社会福祉法人やNPO法人ではなく、”株式会社”という形にこだわっています。福祉の世界でも、きちんと売り上げを上げていくことからできたら最高じゃないですか」(崇弥さん)

昨年夏には、日本の次世代を担う30歳未満のイノベーター「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」に選出されるなど、注目を集めているお二人。その注目のされ方にも戸惑いつつ、常に「ああ、楽しそう」「それ、ワクワクするね」と何度も質問に答えていた様子が印象的。穏やかで、ポジティブで、信念がある。彼ら「ヘラルボニー」の今後の展開に注目したい。

主にクリエイティブは広告代理店出身の崇弥(左)さん、営業や事業計画などビジネス面はゼネコン出身の文登さん(右)と役割分担

主にクリエイティブは広告代理店出身の崇弥(左)さん、営業や事業計画などビジネス面はゼネコン出身の文登さん(右)と役割分担

●取材協力
ヘラルボニー
「アートマスク」のクラウドファンディングページ

住んで、創作して、働いて、プレゼンする。職住一体型アーティストレジデンス&アートホテル「KAGANHOTEL」

京都駅からひと駅。JR「梅小路京都西駅」の誕生もあり、京都で注目を集める京都駅西部エリア。早朝には京都市中央卸売市場で働く人々の活気ある声でにぎわうが、昼になると閑散。他の町とは時間軸が異なる、とても特殊なエリアだ。その場外市場に入っていくと、大きなアイアン×ガラスドアの無機質な建物が出現する。それが、KAGANHOTEL。築45年、5階建て青果卸売会社の社員寮兼倉庫をリノベーション。若手現代作家が住まいながら創作に励むことができる、コミュニティ型アーティストレジデンスであり、アートホテルでもあり。

「ネタ帳に「こういうものがあったらいいよね」を書き留めておく。そして、人生のタイムライン上、タイミングが合ったときに実行するようにしています」扇沢さん(写真撮影/中島光行)

「ネタ帳に「こういうものがあったらいいよね」を書き留めておく。そして、人生のタイムライン上、タイミングが合ったときに実行するようにしています」扇沢さん(写真撮影/中島光行)

早朝の市場の街に、新しい人の営みを

「ここは、まだ真っ暗な朝3時から動く町。トラックが動いて競りが始まり、朝10時には終わって、人がいなくなる。制作音が出る作品づくりなら、生活時間が重ならなくて、好都合じゃないかと」。そう語るのは、代表の扇沢友樹さんだ。市場で働く人から、アーティストに、生活のバトンタッチがグラデーションとなり、この街を彩る。「アーティストがホテルで働いてお金をかせぎながら、創作活動と同時に発表もできる、職住一体型アーティストレジデンスです。ホテルという同じ場所で流動的な人の流れとアートをマッチング。宿泊者とアーティストの新たな関係性を日常的に生み出します」

まず、KAGANHOTELの中を案内しよう。

エントランスを入ると、突如地下への階段が現れる。「創作するなら、その作品を出し入れしやすいことが必須。それなら、大きな動線が必要だろうと、もとは青果を保存していた地下倉庫につながるこの『落とし穴』ありきで、リノベーションを進めました」と扇沢さん。地下にはギャラリーとブースに仕切られたスタジオがあり、各アーティストに振り分けられている。

玄関を入るとすぐに地下へとつながる階段(写真撮影/中島光行)

玄関を入るとすぐに地下へとつながる階段(写真撮影/中島光行)

ギャラリースペース。ベッドに映像が映し出されるインスタレーション(写真撮影/中島光行)

ギャラリースペース。ベッドに映像が映し出されるインスタレーション(写真撮影/中島光行)

1階は、ホテル受付&イベントスペース&カフェバー。和室のふすまのような引戸で4つに間仕切られているので、必要に応じて空間を拡大、縮小。空間をスマートに使い分けることができる「和」を意識したスペース。古い梁や柱はグレーの構造体そのまま、手を加えたふすま部分はホワイトにペイントし、レイヤーを分けることで、元の建物の存在感と、新たに加えたものの役割やこだわりがうまく共存し、多面的な空間をつくり上げている。

ガラス戸の向こうに広がるのが場外市場。ホテルの開口部を大きく、外側に垂れ壁をつくることで、1階と町がつながる工夫を施した(写真撮影/中島光行)

ガラス戸の向こうに広がるのが場外市場。ホテルの開口部を大きく、外側に垂れ壁をつくることで、1階と町がつながる工夫を施した(写真撮影/中島光行)

カフェバースペース。前のビルと手を加えた部分がレイヤーになっているのがよく分かる。倉庫として使う地下へ1階から青果を運んでいたのはベルトコンベア、カウンターのガラスの下を支える土台としてリノベ後も活躍(写真撮影/中島光行)

カフェバースペース。前のビルと手を加えた部分がレイヤーになっているのがよくわかる。倉庫として使う地下へ1階から青果を運んでいたのはベルトコンベア、カウンターのガラスの下を支える土台としてリノベ後も活躍(写真撮影/中島光行)

2階は団体で宿泊できるドミトリー、3階はアーティストの住まい、4階は創作活動のために作家が中期的に滞在するホステル、5階はプレミアムホテルとして、一般客が宿泊できる。客室内はアーティストがプレゼンテーションする場でもあり、作品が壁に展示されていたり、作品をモチーフにしたベッドカバーなどが使われており、室内にあるタブレットには作品リストやコンセプトを紹介している。宿泊前にホテルのホームページでリストから好きな作品やアーティストをピックアップしておけば、それらの作品を、宿泊する部屋のモダンな床の間に飾るといったこともオーダーできるのだ。

団体が勉強合宿などを行う2階。アーティストがDIY中(写真撮影/中島光行)

団体が勉強合宿などを行う2階。アーティストがDIY中(写真撮影/中島光行)

4階中期滞在用ホテル。Rの窓が船舶みたいで面白い。建築当時の流行とか(写真撮影/中島光行)

4階中期滞在用ホテル。Rの窓が船舶みたいで面白い。建築当時の流行とか(写真撮影/中島光行)

(写真撮影/中島光行)

高低差が面白い5階ホテル。自分で選んだアーティストの作品を床の間で鑑賞できる(写真撮影/中島光行)

高低差が面白い5階ホテル。自分で選んだアーティストの作品を床の間で鑑賞できる(写真撮影/中島光行)

アーティストには創作拠点、滞在者にはアートとの関わりを提供

現在、KAGANHOTELのアーティストとして創作活動に励み、スタッフとして働くひとりが、現代アート作家のキース・スペンサーさん。アメリカから来日、福島と京都で暮らした経験があり、「アートに集中したい」と、日本での滞在型アーティストプログラムを探したところ、辿り着いたのが、このKAGANHOTELだった。「アーティストとして活動するなら京都がいいと思っていたので、住むことが出来て感激しています」

ギャラリーに展示されている作品「All our maps have failed」(18年作)の前で語るキース・スペンサー(写真撮影/中島光行)

ギャラリーに展示されている作品「All our maps have failed」(18年作)の前で語るキース・スペンサー(写真撮影/中島光行)

彼のとある1日は、こうだ。8時半から17時半までホテルで仕事に従事、現在は2階の工事仕事を担当している。実はこのホテル、地下+1階と5階は工務店による施工で完成しているが、2~4階はスタッフの手によるDIY。まだ、作業中の階も多く、アーティストがみずからDIYするのだ。今後は、工事だけでなくフロントやカフェなどほかのホテル業務も手伝っていく予定とのことだ。

創作活動は19時から毎日3時間。「階段を降りるとスタジオがあるのは贅沢なこと。心の中にある福島の風景をメインに、ドローイングや風景画、抽象画を手掛けています。作品も大きなものから小さなものまでありますね。ここは、アーティストのコミュニティ。アーティストと一緒に住むことで、作品のことなど、悩みを互いに理解できるのがいいですね。まだオープンして数カ月なので、宿泊者との交流とまではいかないですが、今後は反応も楽しみ。このホテルを出発点に、京都に、関西に作品を届けていきたいです」

地下のスタジオはアーティストごとにブースで仕切られている(写真撮影/中島光行)

地下のスタジオはアーティストごとにブースで仕切られている(写真撮影/中島光行)

「このホテルは、長期滞在者、中期滞在者、ワンデイステイと、いろんな使い方があり、世界を旅する客船のようでもあります」と扇沢さん。「作家の作品を買ったことがない宿泊者は、泊まっている間、身近にアートのある暮らしをすることで、コレクターの疑似体験ができます。京都に来た作家さんは1週間~1カ月、ここで創作活動ができます。数十名単位の学生が合宿し、勉強会も開催できます」。職住一体型コミュニティという完結したサイクルに、いろんなスパンの滞在者がスパイラルに関わり合いながら、アーティストをサポート。そんな仕掛けづくりが見事!

扇沢さんは、学生のころから起業を目指し、経験を積むために一度は就職活動も行ったものの、やはりすぐにでも始めようと、大学卒業後すぐ不動産会社を立ち上げたという異色の経歴。「ずっと京都にいる20代30代の若者向けの職住一体型住居を企画・運営してきました。そもそも京都には、下で商売をして上で暮らす職住一体型の京町家というスタイルが存在していたのですが、この社員寮や商店の多く残っているエリアで職住一体型というのはすごく意味があると思っています」と扇沢さん。このKAGANHOTELも、町家のように、上は住居スペース、下はイベントを開催したり、飲食経営したり、まさにチャレンジハウス。

このKAGANHOTELがアートとアーティストがテーマなのに対し、クラフトやクラフトマン、つまり職人をテーマとしたスペースがある。KAGANHOTELのすぐそば、扇沢さんが先に手掛けたREDIY(リディ)というスペースだ。「場外市場というエリアに出会ったのは5年前。まずはKAGANHOTELとなる社員寮よりもう少し規模の小さいREDIY(リディ)から始めました」

乾物屋のビルをリノベーションしたREDIY(リディ)。1階はレーザーカッターや3Dプリンタが使えるスペースになっている(写真撮影/中島光行)

乾物屋のビルをリノベーションしたREDIY(リディ)。1階はレーザーカッターや3Dプリンタが使えるスペースになっている(写真撮影/中島光行)

ここは元乾物屋のビルで、建築・クラフトマンのための、工房・シェアハウス・オフィスを併設する、職住一体型クリエイティブセンター。2階には木工や溶接までできる工房があり、建築設計、グラフィック、写真、家具造り、鉄鋼、彫刻をする人々が集まった。扇沢さんはこのセミクローズドの完結した環境で同年代のクラフトマンと自ら共同生活をしつつ、職住コミュニティの可能性を模索した。

2階の工房は、溶接や木工作業ができるよう工具がそろっている(写真撮影/中島光行)

2階の工房は、溶接や木工作業ができるよう工具がそろっている(写真撮影/中島光行)

「サラリーマンとクラフトマンの二足のわらじの人も。それぞれのライフプランに合った生活をしてほしい」

ここに住み、創作活動をしている高橋夫妻は、まさにそんな例だ。もともとレザー小物の製造販売会社で制作や販売を担当していた紗帆さんは、その後独立。「当時、家で作業するには音問題もあり、気を使いながらの作業ではストレスもたまりました」(紗帆さん)。そんな時、大輔さんがフェイスブックでREDIY(リディ)を見つけて、このシェアハウスに飛びついた。

アクセサリー作家の高橋紗帆さん、ご主人の大輔さん(写真撮影/中島光行)

アクセサリー作家の高橋紗帆さん、ご主人の大輔さん(写真撮影/中島光行)

REDIY(リディ)の面白いところは、住まいや工房の借り方が自在なところ。ちなみに高橋さんは、最初は夫婦別々に2部屋借りていたところから、大きな1部屋にチェンジ+工房1ブース、その後工房が2ブースになり、さらに工房を3ブースと、道具や材料が増えるにつれて、工房のスペースが広くなっていった。これぞ、REDIY(リディ)の拡張の法則。紗帆さんは今ではレザーと金属を使ったアクセサリーをつくる作家さん。大輔さんは現在は紗帆さんを手伝いながら、勤めていた会社をやめ、次のステップの準備中だ。

現在は3ブースレンタルしている工房風景。なんとロフトは自作!(写真撮影/中島光行)

現在は3ブースレンタルしている工房風景。なんとロフトは自作!(写真撮影/中島光行)

「将来的にものづくりを生業にしたいという思いを応援してくれる環境がそろっているのですごくやりやすい。何かをつくりたいと思ったら近くに道具があるし、制作中の騒音や匂いを気にする必要が無くなるような環境・設備があるのでフットワークも軽くなりますね。普通だと工房を借りようと思うと、家賃+α必要ですが、ここなら簡単にそういう環境が手に入る。徐々に仕事が増えていくと、自分たちの暮らし方や、仕事の幅、収入によって、住まい+工房のカタチを変化させることができるのも魅力的です。京都駅に近いので便利ですし、友達も増えて、すごく楽しいです。私たちが職住をここで行っているの見て、好きなことを仕事にしたいと挑戦する仲間が増えてきたこともうれしいですね」

京都に根付く職住一体の暮らしから、若い世代を応援

扇沢さんがライフワークとして活動したREDIY(リディ)には、住む、つくる、環境、コミュニティ、関係性。そんなキーワードが見える。「こうあったらいいな、ということを一つ一つ実現していき、それが一段落したとき、この職住システムをマクロに発展させる必要があるなと。事業としてやるということを意識し始めたんです」。そして、覚悟を決めて挑戦したのが、KAGANHOTEL。ほど近い場外市場で、REDIY(リディ)で出会った建築家さんたちと一緒につくりあげた。不動産の専門家としての立場から、美術家にとってどんな環境が必要かアウトプット。レジデンスに住まうアーティストの選考は、京都芸術大学教授の椿昇さんはじめとする現代作家の方3名にアドバイザーを依頼し、クオリティを担保したのも事業家としての責任感と思いからだ。

働き方より暮らし方。建物だけではなく、そこに生まれる関係性の価値を事業化してきた扇沢さん。今後の展望は?
「下で働いて上で暮らすグラデーションのある生き方ができる職住一体型は、特に京都で意味があると思っています。京都は人口の1割約13万人と学生が多く、『キャリアどうする?』と考えている人が大勢いるポテンシャルの都市。そんな 20代30代のために、キャリアを確立するための準備期間として住環境提供していきたいと。そのために、自分たちの作品やプロダクトを持っているクラフトマンやアーティストで始めたのが、REDIY(リディ)であり、KAGANHOTEL。将来的にはまだ手に職を持っていない若者に向けてもキャリア型学生寮ができればいいなと思っています」
 伝統的なもの、格式高いものを大切にする京都の中では、扇沢さんがつくろうとしている若い作家が刺激をしあう場や、テーマである現代芸術に対し、理解が得にくい場面もあるそうだ。しかし、扇沢さんが目指していることは、昔から続く京町家がそうであったように、暮らすことと、働くことが一体、職住一体であること。生活の中の視点から新しい芸術が生み出され、それを求めて人が訪れること、実は何も変わらない。かつては、どの街も働く音や生活音に溢れていた。朝しか活気のなかったこの市場の街が、アーティストやクラフトマンの創作の音、作品や創作活動を通じて訪れる人とで、新しい一面を生み出しつつある。新型コロナウィルスの影響で、扇沢さんが理想とする、アートを通じた人の交流は、今この瞬間は厳しい環境に立たされている。事務所費用の負担が大きいアーティスト、事業主にマンスリーオフィスやワークスペースとして貸し出すことも始めた。この苦難を乗り越え、美しいものをずっと守ってきた京都に、新たな創作が続いていくことを応援していきたい。

●取材協力
河岸ホテル

これがミニチュア!? Mozuがつくるコンセントの向こうの「小さな暮らし」

一見、なんの変哲もないコンセントが実は扉になっていて、開けるとそこには小さな部屋がある。そんな世界を描いた動画「こびとシリーズ」をご存じでしょうか。今回は若きミニチュアアニメクリエイター・Mozuさんに自分の部屋や友だちの部屋をつくった理由、将来の夢についてインタビューしました。
「自分が大好きな部屋」をミニチュア作品にしたら、バズった!

コンセントを開けると部屋?と言われても混乱してしまう人も多いでしょう。まずは手掛けた作品をご覧ください。

「こびとの秘密基地」

「こびとの階段」

制作したのは、MOZU STUDIOS代表取締役でもある水越清貴(Mozu)さん。21歳という若さながら、次々とミニチュア作品を世に出し、SNSのフォロワーはツイッター19万5000、インスタ17万という影響力を持ち、本を出版したり、個展を予定していたりと、すでにトップクリエイターといってもいい存在です。

水越清貴(Mozu)さん(写真提供/MOZU STUDIOS)

水越清貴(Mozu)さん(写真提供/MOZU STUDIOS)

冒頭の「こびとの秘密基地」はツイッターでもバズりにバズり、なんと68万いいね!超(2020年4月現在)。日本のみならず世界中から反響があったといいます。ミニチュアは1作品あたり製作期間が3~4カ月ほどかかり、身近なものを加工してすべて手作業……と、気の遠くなるような作業を重ねていることが分かります。では、なぜミニチュア作品をつくるようになったのでしょうか。

「はじまりは小学校5年生のとき。友だちに誘われてガンプラ(ガンダムのプラモデル)で遊ぼうという話になったのがきっかけです。初めてプラモデルを買った店の名前も機種も、今でもはっきりと覚えていますよ。その後、プラモデルではなく背景のジオラマづくりに興味を持つように。見よう見まねでつくったので、はじめは本物の土を使って部屋中を土で汚してしまいお母さんに怒られました(笑)」

と振り返ります。始めた当初はまったくうまくいかなかったものの、ジオラマ制作熱は冷めることなく、試行錯誤をしながらジオラマの風景の一部である、建物づくりへと没頭していきます。転機となったのは、高校生の時。趣味でつくっていた部屋を友人がSNSにアップしたところ、一夜にして大反響があり、一躍、ミニチュアクリエイターとして脚光を集めたのです。

巾木(はばき)を入れる瞬間が気持ちいい! ミニチュアの家をつくって気づいたこと

でも、どうして自分の部屋のミニチュアをつくろうと思ったのでしょうか。

「自分の部屋」(写真提供/MOZU STUDIOS)

「自分の部屋」(写真提供/MOZU STUDIOS)

「当時、芸術系の高校に進学したものの、僕が好きなのは、人に喜んでもらったり驚かせたりするカルチャー系。一方、同級生は現代アートなどに興味を持っている人が多くて、友人がまったくできず……。それで当時、いちばん好きだった『自分の部屋』をミニチュアでつくってみようと思って。それこそ、学校にいる以外の時間は全部費やしました」(水越さん)

ミニチュア作品では、「こんな家に住みたい」と理想のきれいな家がつくられることが多いなか、水越さんがつくったのは、生活感があって等身大の高校生の部屋。それこそ漫画が並んでいたり、ノートが床置きになっていたり。この「絶妙にリアルな感じ」が共感を呼んだといいます。

作業風景(写真提供/MOZU STUDIOS)

作業風景(写真提供/MOZU STUDIOS)

「“この部屋に住みたい“”あるよね~“など、いろんなコメントが寄せられました。自分が好きなこの部屋、好きなのは自分だけじゃなかったんだって、思えたんです」(水越さん)

ミニチュア作成では「実際の住まいを計測して1/6にするだけ」と言いますが、その1つひとつへのこだわり、ディテールが半端ではありません。また、家電量販店の袋や表彰状などパロディなども多く、思わずにやりとしてしまうしかけが満載です。ただ、すべて手づくりのため、1つのパーツに6時間かかることも珍しくありません。材料はすべて100均ショップなど、身近にあるものを加工していくのだといいます。

「日本の家と海外の家を比べて思うのは、壁紙が白色で落ち着いているところですね。『こびとの旅館』をつくった時には、日本人って狭い空間にギュッと生活必需品を詰めるのが好きなんだなと思いました。狭い中にものを詰め込むというか、空間が狭いゆえの工夫があるんだと思います」(水越さん)

「こびとの旅館」(写真提供/MOZU STUDIOS)

「こびとの旅館」(写真提供/MOZU STUDIOS)

また、ミニチュア作品をつくっていてめちゃくちゃ気持ちいいのが、「巾木(はばき、床と壁の境目にとりつける部材)」を入れる瞬間だとか。

「作品づくりでもかなり仕上げに近い工程なんですが、壁と床の間に巾木を入れると、めちゃくちゃ空間がしまるんですよ。それまでただの“空間”だったのが一瞬にして“部屋”になる。本物の家をつくっている大工さんも、気持ちいいんじゃないかなって思っています(笑)」(水越さん)

巾木を入れると空間が“しまる”(写真提供/MOZU STUDIOS)

巾木を入れると空間が“しまる”(写真提供/MOZU STUDIOS)

(写真提供/MOZU STUDIOS)

(写真提供/MOZU STUDIOS)

ちなみに、もともとは巾木という名前も分からずに「壁 床 木材」などで検索してその名前を知ったそう。こうやってミニチュア作品をつくることで、「見ているけれど見えていない」ものがたくさんあるんだと気がついたといいます。また、こびとシリーズで使っているコンセントと壁紙はすべて本物の建材だそう。リアリティがあるのも納得です。

「こびとのトイレ」(写真提供/MOZU STUDIOS)

「こびとのトイレ」(写真提供/MOZU STUDIOS)

「こびとの押入れ」(写真提供/MOZU STUDIOS)

「こびとの押入れ」(写真提供/MOZU STUDIOS)

「こびとの階段」(写真提供/MOZU STUDIOS)

「こびとの階段」(写真提供/MOZU STUDIOS)

夢はコマ撮りアニメーション制作会社をつくること。冒険はまだまだ続く

水越さんのミニチュア作品の特徴は、きれいすぎないこと。どこか「身近」で「ありそう」な感じが魅力のひとつです。

「以前、ジオラマで『ゴミ捨て場』をつくったんですが、たとえ捨てられたモノでも、使っていた人の思いや暮らしのニオイがするのが好きなんですね。家族がいるとこんなゴミが出るよね、粗大ごみを捨てる人がいるとか、妄想しながらつくる。また、僕が楽しそうにつくっているからこそ、見てくれる人が喜んでくれる、おもしろがってくれる。SNSで寄せられるコメントは全部見ています。これからも見てくれる人との距離が近くありたいと思っています」と話します。

「ゴミ捨て場」(写真提供/MOZU STUDIOS)

「ゴミ捨て場」(写真提供/MOZU STUDIOS)

水越さん自身は、高校卒業後、大学に進まず、アーティストとして活動することを決め、コマ撮りアニメーションのスタジオ「アードマン・アニメーションズ」(英国・ひつじのショーンなどの作品で有名)に見学にいったり、ミニチュア作家たちと対談したり、その後に自分の会社を設立したり……と数年間で着実に夢を叶えてきました。また、ミニチュア作品だけでなく、ミニチュアアニメが、アジア最大級の短編映画祭「Digicon6」で、JAPAN Youth部門の最優秀賞ゴールドを獲得したり、トリックアートを描いて出版したりと多彩に活躍しています。

現在は企業とのコラボもしていますが、将来は依頼されたミニチュア作品をつくる「職人」ではなく、「自分の好きな作品をつくって、喜んでもらうアーティスト」になりたいとのこと。また、元来の夢である「コマ撮りアニメーション」もつくりたいと計画しています。

「コマ撮りアニメーション」ってめちゃくちゃ手間ひまがかかり、お金がめっちゃかかる一大プロジェクトです!
それにしてもまだ20代なのにこの活躍ですが、ネット時代の新しい才能はこうやって開花していくのでしょうね。水越さんの小さい世界につまった、大きな夢。これからも応援したいと思います。

●取材協力
MOZU STUDIOS
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海外レポート(2)ベルリンの博物館島、サンスーシ宮殿、クヴェートリンブルクが世界遺産の理由

世界遺産フリークで世界遺産検定2級の筆者は、2020年2月に念願のドイツ世界遺産の旅に出た。デッサウのバウハウス、ベルリンのモダニズム公共住宅に続き、ここではベルリンの博物館島やポツダムのサンスーシ宮殿などの世界遺産に登録された建築物について紹介していきたい。
モダニズム建築につながるドイツ新古典主義の博物館群。会いたい人にも……

ベルリンには、世界遺産が3つある。その1つがすでに見学した、ブルーノ・タウトやバウハウス初代校長のワルター・グロピウスなど当時の一流建築家による「モダニズム公共住宅」(6団地が登録)。次に時代を遡って、「ムゼウムスインゼル(博物館島)」。さらに遡って、「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の3つだ。

時代によってそれぞれ、建築様式が異なる点がとても興味深い。では、詳しく見ていくことにしよう。
筆者がとても楽しみにしていたのが、博物館島だ。5つの博物館を見ることに加えて、会いたい人がいるからだ。

博物館島の大きな特徴は、建築順に旧博物館、新博物館、旧ナショナルギャラリー(国立美術館)、ボーデ博物館、ペルガモン博物館が林立すること。1830年に旧博物館が建設されたのを皮切りに、以降100年の間に博物館や美術館が建設されてきた。しかも、シュプレー川の中州の中にだ。

博物館内にあった模型で見ると、下の画像のような配置になる。こうした複合文化施設の先駆けであるとともに、近代博物館建築の歴史を示すことが評価されて、1999年に世界遺産に登録された。

博物館島の模型。以下、写真撮影は全て筆者

博物館島の模型。以下、写真撮影は全て筆者

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が旧博物館を建設し、後を継いだ4世が旧博物館のある中州を「芸術と科学の聖域」と定めて複数の博物館の建設を始めた。しかし、第2次世界大戦による被害を受け、ベルリンの壁の崩壊後に大規模な修復やコレクションの再編などが行われ、今に至っている。

○旧博物館 (Altes Museum)
1830年築。建築家カール・フリードリッヒ・シンケル設計
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○新博物館 (Neues Museum)
1859年築。シンケルの弟子の一人であるアウグスト・シュテューラ設計
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○旧ナショナルギャラリー(Alte National Gallerie)
1876年築。アウグスト・シュテューラとハインリッヒ・ストラック設計
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○ボーデ博物館 (Bode Museum)
1904年築。エルンスト・イーネ設計
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○ペルガモン博物館 (Pergamon Museum)※建物を改修中のため一部のみ見学可能
1930年築。アルフレッド・メッセルとルードウィッヒ・ホフマン設計。5つの中では最大規模。
外観(改修中)と博物館内に再建されたイシュタル門

外観(改修中)と博物館内に再建されたイシュタル門

博物館島の建築様式は、19世紀~20世紀に全盛だったドイツの「新古典主義」。グリークリバイバルといわれる、古代ギリシャの神殿のようなデザインが多く見られる。ただし、前述のシンケルの幾何学的で端正なデザインは、その後のモダニズム建築にも影響を与えたといわれている。

博物館としては、古代都市ペルガモンの大祭壇(訪問時は展示されていなかった)を擁するペルガモン博物館が最も有名だが、建築物としては旧ナショナルギャラリーが素晴らしかった。ドーム天井の緑色と降り注ぐ日差しの組み合わせは、心奪われるものだった。

旧ナショナルギャラリーの内部(ドーム型の天井とホールの階段)

旧ナショナルギャラリーの内部(ドーム型の天井とホールの階段)

さて、筆者が会いたかった人には、新博物館の片隅で会うことができた。その人とはエジプトの「王妃ネフェルティティ」。彼女の胸像が収められた一角は、ここだけ撮影が禁止され、厳重に守られていた。

王妃ネフェルティティの胸像のレプリカ

王妃ネフェルティティの胸像のレプリカ

新博物館の2階、一番奥の部屋に実物が展示されている

新博物館の2階、一番奥の部屋に実物が展示されている

新古典主義が装飾過剰と批判したバロック・ロココ様式とは?

さて、「新古典主義」とは、それ以前の「バロック建築・ロココ建築」の反動から、建築の本質をギリシャやローマに求めたもの。次は、装飾過剰と批判された、その建築様式を見ていこう。

バロックの語源はポルトガル語の「歪んだ真珠(バローコ)」といわれている。バロック建築ではルネサンス時代の端正な形よりも曲線や歪んだ形など動きのある形が好まれ、強烈な印象を与えようとするデザインになっていく。教会や絶対王政の国王などに富と権力が集まり、室内の天井・壁、家具、絵画・彫刻から庭園まで一体となって装飾するのが特徴だ。

旅の最初に訪れたがドレスデン。2004年に「ドレスデン・エルベ渓谷」として世界遺産に登録されたが、保存すべきエルベ川沿岸の文化的景観の川に橋を架けたため、2009年に世界遺産登録が抹消されてしまった。その景観を構成するひとつである「ツヴィンガー宮殿」は、ドイツバロック建築の傑作といわれている。フリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)が、それまでの木造建築から石造りの宮殿を建築しようと、建築家ダニエル・ペッペルマンに命じて1728年に建設された。

ドイツバロック建築のツヴィンガー宮殿。王冠の載った門なども有名

ドイツバロック建築のツヴィンガー宮殿。王冠の載った門なども有名

一方、ロココの語源はフランス語の「岩石(ロカイユ)」といわれ、貝殻や植物などをモチーフとした室内の浮彫装飾や家具・調度品の装飾に特徴がある。バロックの劇的な演出から和やかな演出を好むようになり、フランスではバロックからロココへと移っていき、ドイツに波及した。

ドイツロココ様式の代表例が、ドイツ・ポツダムの「サンスーシ宮殿」だ。世界遺産として登録された「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の構成要素になっている。サンスーシ宮殿は、1745年フリードリヒ2世により、王の意向を反映して友人の建築家クノーベルスドルフが建設したもの。

サンスーシ宮殿の外観(庭園側)

サンスーシ宮殿の外観(庭園側)

部屋は12室とかなり小規模な宮殿だが、装飾は華麗だ。音楽の間では天井の中央に蜘蛛の巣、周辺の天井や壁には植物文様の装飾が施され、曲線が美しい長椅子なども置かれている。一方、大王の書斎では天井に曲線があるものの比較的直線が多いのは、後に古典主義様式に改装されたためだという。

(左)音楽の間 (右)書斎

(左)音楽の間 (右)書斎

生粋の軍人王だった父親と対立したフリードリヒ2世は、芸術をこよなく愛したそうだ。サンスーシとは、「憂いのない」を意味するフランス語。オーストリアとの戦いの最中に建てられた宮殿は、激務を忘れ、友と語らう場として和むための居城だった。サンスーシ宮殿に自然をモチーフにしたデザインが多いのは、フリードリヒ2世が自然を住まいに取り入れようとしたとも見られるという。

世界遺産のロマネスク建築やハーフティンバー様式の街並みも

この旅で筆者が訪れた世界遺産のある都市はいくつかあるので、さらに時代を遡ってみよう。サンスーシ宮殿の「バロック・ロココ様式」から「ルネサンス様式」→「ゴシック様式」→「ロマネスク様式」と遡れる。

宗教改革の現場となったとして、1996年に世界遺産に登録されたのが、「アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群」だ。関連する教会はいくつかあるが、ルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会は「ゴシック建築」だ。天井の頭が尖ったアーチや交差して支える「リヴ・ヴォールト」などが見られる。

1483年11月11日にルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会の外観と内部

1483年11月11日にルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会の外観と内部

さらには、ドイツ発祥の地といわれるクヴェードリンブルク。10世紀前半にザクセンをひきいたハインリヒ1世は、この地に城を構え、政治、教育、文化の中心地と位置付け、国家統一の礎を築いた。

このハインリヒ1世と王妃マティルデが眠っているのが、城の中にある聖セルヴァティウス教会(聖堂参事会教会)だ。この教会は1129年(教会の日本語資料には、「平清盛11歳の時」と説明があった(笑))に4回目の建て直しがされたもので、「ロマネスク建築」の代表例とされる。その特徴は厚い壁、てっぺんが丸い小さな窓、重厚感のある柱と支柱で、円柱2本ごとに角柱を置く「ニーダーザクセン風の支柱」だという。

聖セルヴァティウス教会外観

聖セルヴァティウス教会外観

「ニーダーザクセン風の支柱」が見られる教会内部

「ニーダーザクセン風の支柱」が見られる教会内部

クヴェートリンブルクは、教会や城のほか、その街並みにも大きな特徴がある。

ザクセン王家の庇護の下、クヴェートリンブルクは商業の街として発展する。14~19世紀には、商人の邸宅やギルドハウスが、ハーフティンバー様式の木組みの家で建てられた。なんでも、庶民には石造り建築が許されなかったからだという。

そのおかげというか、ハーフティンバー様式の家が建ち並ぶ旧市街は、「木組みの家博物館」として有名になった。この旧市街は、二度の世界大戦の戦禍を免れ、その姿をそのまま残している。この旧市街と城山や教会の一体地域は、ザクセン王朝の歴史と密接なかかわりをもつ建築様式の重要性なども評価され、「クヴェートリンブルクの旧市街と聖堂参事会教会、城」として、1994年に世界遺産として登録された。

旧市街の中心「マルクト広場」

旧市街の中心「マルクト広場」

木組みの家が連なる街並み

木組みの家が連なる街並み

さて、旧市街を歩いて驚いたのは、多くの家々に文化財のマークが掲示されていることだ。木組みの家の街並みを維持していくには、街の住民の高い保存意識が背景にあるのだろう。こうした努力がないと、住宅がそのまま維持保存されるのは難しいことだ。

丸の中が文化財指定のマーク

丸の中が文化財指定のマーク

旧東ドイツエリアの世界遺産を例に、モダニズム建築からロマネスク建築(ルネサンス建築を除く)に至る建築様式を見てきたが、建築物が時代に応じてどんどん進化していくことが分かる。だからこそ、面白いのが建築物だ。

ところで、この旅をプランニングしてくれたのは、NPO法人世界遺産アカデミーの客員研究員・目黒正武さんだ。筆者は、目黒さんによる明治大学リバティアカデミー「旅する世界遺産~ヨーロッパ建築の歴史を訪ねて~」講座を一年間受講した。

目黒さんによると、「外観も内装もシンプルなモダニズム建築(バウハウス等)と重厚な外観と派手な内装のバロック建築(サンスーシ宮殿)では、真逆な印象を持つだろうが、住む人、使う人のための空間設計という点においては共通している」という。

富も権力もない筆者はサンスーシ宮殿で和むことはできないが、権威を誇示する必要がある人にとっては心地よく過ごせる空間だったのだろう。建築物はいつの時代も、暮らす人のために造られるべきということだ。

参考資料:NPO世界遺産アカデミー客員研究員目黒正武さん作成資料や現地ガイドの説明、現地で入手した資料等のほか、NPO世界遺産アカデミー監修「すべてがわかる世界遺産大事典」などを参考資料としています。なお、ドイツ語を日本語表記する場合「マルティン・ワーグナー/マルティン・ヴァーグナー」など、いくつかの表記方法がある点に留意ください。

”アート後進国”日本を変える? 絵画サブスクのある暮らしとは

ZOZO創業者の前澤友作氏によるバスキアの絵画購入や、「美意識」をテーマにしたビジネス書がベストセラーになるなどの影響で、最近アートに関心をもつ人が増えている。その一方で、日本は諸外国と比べて生活の中にアートが浸透しておらず、”アート後進国”といわれている。

そんななか、利用者数を伸ばしているのが、絵画のサブスクリプションサービス「Casie(カシエ)」だ。毎月定額で商品をレンタルできるサブスクリプションサービスは購入に比べるとハードルはかなり低く、これまでアートに触れてこなかった人でも気軽に原画を生活に取り入れられる上、芸術家の支援にもつながるという。

株式会社Casie代表取締役社長CEOの藤本翔さんに話を聞いた。

SNS時代に「人と違う部屋をつくりたい」

『Casie』はアートビギナーを対象とした絵画のサブスクリプションサービス。画家たちによる一点物の原画を毎月定額でレンタルでき、2019年1月のWEBサービスオープン以来、一般家庭を中心にユーザー数を伸ばしている。

取り扱う絵画は6,500点以上。絵画のサイズによってライト、レギュラー、プレミアムの3つのプランがあり、どのプランも月1回まで交換可能だ。リビング、玄関、ダイニング、寝室などに絵画を飾ってみると、「想像以上の迫力に感動した」という感想が数多く届いている。

「これまで家にポスターを飾っていたのですが、原画は人生で初めてでした。やっぱり原画って素敵ですね。世界に同じものが一つもないことに価値を感じています。開封したときに絵の具の香りがフワッとして、とてもカラフルな可愛いペガサスの絵だったので、子どもたちも大興奮していました」(利用者の声)

Casieでレンタルしたペガサスの絵を部屋に飾った親子(写真提供/Casie)

Casieでレンタルしたペガサスの絵を部屋に飾った親子(写真提供/Casie)

届く絵は自分で指定することもできるが、おまかせも可能。藤本さんによると、特に好みの作家が固まっていないビギナーに「おまかせ」の利用者が多いそうだ。

「絵画って現物を見ないと分からないし、価格は高いし、購入しようと思うと意思決定が大変なんです。でもサブスクならどんどん交換できるので、その過程で自分の好みも分かってきます。弊社ではお部屋にどんな絵画が合うかといった相談にも乗っており、一人一人にぴったりな絵を届けるようにしています」(藤本さん)

利用者を伸ばしている背景には、「人と違う部屋をつくりたいニーズがある」と藤本さん。SNSで「自分だけの個性を表現したい!」と考える人たちに、世界に一つの原画を飾ることがマッチしているという。

Casieでレンタルした絵画を部屋に飾った様子の投稿(Instagramより引用)

Casieでレンタルした絵画を部屋に飾った様子の投稿(Instagramより引用)

また藤本さんによると、壁や床のインテリアはソファーなどの家具よりも部屋の印象を左右する。模様替えのたびに部屋のイメージをガラッと変えたい人、気分転換をしたい人にも、絵画サブスクのニーズがあるようだ。

アートを飾る人が増えなければ、芸術家は育たない株式会社Casie代表取締役の藤本翔さん(写真提供/Casie)

株式会社Casie代表取締役の藤本翔さん(写真提供/Casie)

アートのニーズの高まりにサブスクリプションサービスという形で応えた「Casie」。サービスを始めた背景には「日本の芸術家を支えたい」という藤本さんの想いがある。

一般家庭でアートが飾られることの少ない日本は、実は“アート後進国”。欧米や東南アジアではごく一般の家庭にもアートが飾られているにもかかわらず、日本ではアートが生活に浸透していない。

「アートには『資産価値』と『インテリア』という二つの文脈があります。前者については前澤友作さんのバスキア購入で注目されたように、一部の富裕層が行っているものですが、後者の『インテリア』文脈のマーケットはまだ日本で確立していません」

藤本さんによると、日本におけるアートの販売市場規模は3300億円。その7割は画廊や百貨店向けの売り上げであり、一般人が購入するハードルは高い。アート初心者は自宅に絵画を飾りたいと思ったとしても、原画を手にする機会は限られていた。

「インテリアとしてのアートの文脈を育てなければ、資産価値としてのアートの文脈も十分に育ちません」と藤本さん。アートのマーケットの規模が小さいということは、日本のアーティストが創作を続けながら生計を立てるのが難しいということを意味する。

「日本のアーティストを取り巻く状況を変えるためには、アートを飾ったり、購入したりする人を増やす必要があるんです」

Casieに作品を預けているアーティスト「Moeistic Art」さん(写真提供/Casie)

Casieに作品を預けているアーティスト「Moeistic Art」さん(写真提供/Casie)

絵画サブスクはアーティストを救うか?

アーティストを想ってCasieを運営する藤本さんは、芸術家ではない。起業する前は会社員をしていたそうだが、どのような想いからこの事業を立ち上げたのだろうか?

「僕の父が生前、絵を描く仕事をしていました。自分の描きたい絵だけを描いて生計を立てていくことは当時も難しく、商業用の絵を描いたりしていました。才能あるアーティストは創作活動に全エネルギーを投下するので、作品発表や販売に向けたエネルギーを残しておくことができません」

日本の芸術家人口は約50万人(2010年国勢調査を元にCasieが算出)。そのうち芸術家の仕事だけで生活できているのはわずか15.6%(2000年 文化庁「我が国の芸術文化の動向に関する調査」より)。才能や意欲があっても作品が売れず、生計が立てられないために創作を断念する人は後を絶たない。

そんななか、Casieが現在契約しているアーティストは約300人(2019年1月時点)。そのうち9割以上が日本で活動するアーティストだ。レンタル料金の35%、売れた場合は販売価格の60%が彼ら・彼女らに還元される。

さらに利用者のもとにはアートだけではなく、作家について詳しく記載されたプロフィール資料などが一緒に届けられる。単にアートを鑑賞するだけではなく、描かれた背景を知ることで、利用者が作家を好きになる仕組みだ。

絵画と一緒に利用者に送られる同梱物。(写真提供/Casie)

絵画と一緒に利用者に送られる同梱物。(写真提供/Casie)

一人一人が自分の家や部屋にアートを飾ることが、日本にアート文化を定着させる第一歩。その先に、芸術家が才能を発揮できる社会が待っているのかもしれない。

●取材協力
Casie (Instagram)

名古屋・円頓寺商店街のアイデアに脱帽! 初の「あいちトリエンナーレ」会場にも

2019年10月14日(月)まで開催中の「あいちトリエンナーレ2019」。愛知県で2010年から3年ごとに開催されている、国内最大規模の現代アートの祭典は今年で4回目。企画展「表現の不自由展・その後」の展示中止問題を耳にした人も多いだろうが、それは全体の作品の中の一部。ほかにも愛知県の街中を広く使って、さまざまな現代アートを展示しているイベントだ。筆者は毎回参加しており、現代アートに詳しくなくても、気負わずに世界の新しい感性に触れられる場だと感じている。
都心部の美術館を飛び出して、名古屋市内外の街なかで作品の展示や、音楽プログラムを実施する2会場のうち1つに、名古屋の下町にある商店街が選ばれた。ここ数年、店主手づくりの祭りの開催などで話題を集め続ける、円頓寺(えんどうじ)商店街だ。四間道・円頓寺地区では10カ所でアートの展示などのプログラムが実施されている。
店主のパワーを集積してシャッターを開けた、名古屋の元気な商店街

円頓寺商店街は、名古屋駅から2km以内の距離。高層ビル群から北東へ15分ほど歩くと、精肉店が店頭でコロッケを揚げる、昔ながらの下町の風景が広がる。すぐ隣には、江戸時代からの土蔵が残る街並みの四間道(しけみち)エリアもあり、タイムトリップしたような気持ちにさせられる。この「四間道・円頓寺」地区が、今回初めて、「あいちトリエンナーレ」の会場の一つに選ばれたのだ。

昨今、全国にある商店街の多くがシャッター街と化しているように、かつて円頓寺商店街も衰退の道をたどっていた。そんな円頓寺界隈を活性化させようと、2005年には円頓寺界隈に特化した情報誌が発行され、2007年には「那古野下町衆」という有志のグループが結成された。以来、円頓寺界隈の情報発信や魅力ある新店の空き店舗への誘致など、少しずつ商店街復活に向けて取り組んできた。

そして2013年に、店主が企画した「円頓寺 秋のパリ祭」が大ヒット。このイベントでは、アーケード街に、人気フレンチのデリや花、ブロカント(古道具)などを売る屋台約80店舗が並び、アコーディオンの演奏が流れる。今年で6年目を迎えるが、年々熱が高まり、近年は歩きにくいほどの人出だ。

また、2015年には老朽化していたアーケードを改修。これは太陽光パネルを搭載し、売電で商店街の収入も得られるという優れものだ。この年、パリ最古といわれるアーケード商店街「パッサージュ・デ・パノラマ」と姉妹提携し、パリ祭は本場のお墨付きとなった。

2015年に改修し、モダンで実用的に生まれ変わったアーケード。現在はトリエンナーレ仕様で、アーケードから吊るされたロープが珊瑚色になっていることにも注目。これはトルコ出身のアーティスト、アイシェ・エルクメンによる作品「Living Coral / 16-1546 / 商店街」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

2015年に改修し、モダンで実用的に生まれ変わったアーケード。現在はトリエンナーレ仕様で、アーケードから吊るされたロープが珊瑚色になっていることにも注目。これはトルコ出身のアーティスト、アイシェ・エルクメンによる作品「Living Coral / 16-1546 / 商店街」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

あいちトリエンナーレの候補地になり、新理事長が芸術監督を案内

四間道・円頓寺界隈が「あいちトリエンナーレ2019」の開催地に内定という第一報があったのは、2018年1月だという。前後の活動について、「喫茶、食堂、民宿。なごのや」のオーナーで、円頓寺商店街振興組合で2018年5月から理事長を務める田尾大介さんにお話を聞いた。

「僕はこれまでも、円頓寺界隈を訪れる機会がなかった人を、宿に引き込んできました。あいちトリエンナーレを含め、今取り組んでいることのすべては、これまで『商店街が盛り上がればいい』と思って行動してきたことの延長線上にあります」と話す。

「2年ほど前に、四間道・円頓寺界隈があいちトリエンナーレのまちなか会場の候補地になっているという話があり、2017年から、津田大介芸術監督や実行委員会の方が、度々下見に訪れるようになりました。僕たちは、一緒に街の見どころなどを案内して回りました」

「なごのや」の名物タマゴサンド。きれいに巻かれた熱々の玉子焼きと、マヨネーズ和えのキュウリが好相性で、リピートしたくなるやさしい味(写真撮影/倉畑桐子)

「なごのや」の名物タマゴサンド。きれいに巻かれた熱々の玉子焼きと、マヨネーズ和えのキュウリが好相性で、リピートしたくなるやさしい味(写真撮影/倉畑桐子)

1階が喫茶店兼食堂、2階がゲストハウスになっている「なごのや」。外国人旅行客も多く訪れる、商店街のランドマークだ(写真撮影/倉畑桐子)

1階が喫茶店兼食堂、2階がゲストハウスになっている「なごのや」。外国人旅行客も多く訪れる、商店街のランドマークだ(写真撮影/倉畑桐子)

プロジェクトチームを結成し、街とアーティストをマッチング

「津田大介芸術監督は、アーケードのある商店街と、古い街並みが気に入ったと話していました」と振り返るのは、あいちトリエンナーレ実行委員会事務局の竹内波彦さんだ。

開催地に決定後すぐに、田尾さんたち円頓寺商店街界隈のメンバーは、まちなか展開のプロジェクトチーム「あいちトリエンナーレ 四間道・円頓寺地区推進チーム」を結成。

「街の中のどこにアートを展示するかを、僕らもゼロベースから考えなくてはなりません。『こういうところにこんな空きスペースがあるから使えるのでは』とこちらから提案することもあれば、逆に『このような展示をしたいから、それに合う場所はないか』というアーティストやキュレーターからの要望もありました。街とアーティストとのマッチングはかなり大変でした」

円頓寺商店街には古くから続く店も多い。「この地域の歴史も生かした展示がしたい」と考えるアーティストも多かった。

「やはり、初めてのことなので……引き受けたときはこんなに大変だとは思わなかった」と苦笑いする田尾さん。最初に話を聞いたときは、「いいじゃん!」と手放しで喜んだという。

「県内で行われる一番大きなアートイベントであり、アートで地域を盛り上げるというテーマもいい。商店街やこの地域に人が訪れるきっかけをどうつくるかは、いつでも一番の課題です。中でも“アート”という切り口は、自分たちだけでは持てないものなので、円頓寺界隈に新たな魅力を持ち込んでもらえることがうれしかったですね」

また、円頓寺界隈にはギャラリーもあり、プロジェクトチームの中には、元々アートに興味を持っているメンバーもいたという。

「視察のときから、そういったメンバーの観点をプラスして、街を紹介できたのもよかったのではないかと思います」

円頓寺商店街の中にある「ふれあい館えんどうじ」では、会場マップの配布や有料展示のチケットを販売(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺商店街の中にある「ふれあい館えんどうじ」では、会場マップの配布や有料展示のチケットを販売(写真撮影/倉畑桐子)

地域住民に理解を求める事前準備に、何より注力

当初から田尾さんは、事務局側に「地元の人あってこその商店街」だと強調していた。「あいちトリエンナーレが来ることで、街の良さやあり方が変わってしまうなら、必要ないと思いました」と話す。

「田尾さんに『まず、住民の人に向けて説明会を開かないと』と言われて、初めて気付かされた。ありがたかったです」と、前出の竹内さんは言う。

プロジェクトチームからの提案を受け、2018年12月、あいちトリエンナーレ実行委員会事務局は、地域住民に向けた説明会を旧那古野小学校の体育館で実施した。津田大介芸術監督からの企画概要の説明に、約80人の住民が耳を傾けた。これは前例がないことだという。また今年4月には、ジャーナリストの池上彰氏を招き、同じ場所で事前申込者向けのプレイベントも実施している。

「あいちトリエンナーレで新しいお客さんが来たら、お店の人は喜ぶけれど、地域に住む人の反応は違いますよね。今回のことに限らず、地域の人に迷惑をかけるイベントなら意味がない。だから、事前の段取りには何より注意を払いました」と田尾さん。

説明会の実施によって、地域に住む人も「街に何が起きているかが分かっているし、変化の具合も受け入れられる範囲だと知っている」ことから、「変に日常を変えられることなく、街自体はすごくいいスタートを切ることができました」と話す。

会期中は毎週、木曜から日曜の19時から「円頓寺デイリーライブ」という音楽プログラムが実施されている。長久山円頓寺駐車場の特設ステージで、さまざまなアーティストが、アコースティックの弾き語りなどの音楽ライブを繰り広げる。

「それでも、人が集まりすぎてどこかに迷惑がかかるようなこともなく、音楽が好きな人がやって来て、いい感じに過ごしている。これなら、アートと一緒になった街づくりもいいなと思えます」と田尾さん。

「円頓寺デイリーライブ」が行われるのは、鷲尾友公による「情の時代」がテーマの壁画「MISSING PIECE」(2019)前(写真撮影/倉畑桐子)

「円頓寺デイリーライブ」が行われるのは、鷲尾友公による「情の時代」がテーマの壁画「MISSING PIECE」(2019)前(写真撮影/倉畑桐子)

商店街の中にトリエンナーレを取り込んで、一体となったおもてなし

四間道・円頓寺地区の10カ所の展示やプログラムのうち「メゾンなごの808」「幸円ビル」「伊藤家住宅」の3つの見学は有料となっているが、他は無料。自由に作品を見て回りながら、名古屋市町並み保存地区である四間道や、円頓寺商店街、江川線を挟んで隣接する円頓寺本町商店街をブラブラ散策できる。勝手に自分の名前を掲示するというグゥ・ユルーの「葛宇路」(2017年)や、古いスナップ写真の人物への妄想を膨らませ、ポーズを再現したリョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)など、考える前にクスッと笑ってしまうような作品もあり、肩肘を張らずに楽しめる。

円頓寺銀座街店舗跡に自分の名前を掲示した標識は、グゥ・ユルーの作品「葛宇路」(2017年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺銀座街店舗跡に自分の名前を掲示した標識は、グゥ・ユルーの作品「葛宇路」(2017年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺商店街・四間道界隈店舗では、「トリエンナーレチケット提示サービス」として、割引や1ドリンク付きなどのサービスを38店が実施。8店は「トリエンナーレコラボメニュー」として料理やドリンク、グッズを提供している。

また、期間中は「パートナーシップ事業」として、界隈の6つのギャラリーで展示やイベントを開催。それらの情報は、円頓寺界隈の情報誌の別冊として、1冊のパンフレットに分かりやすくまとめられている。

界隈で店を営む女性メンバーで制作する円頓寺・四間道界隈の情報誌『ポゥ』の別冊として、あいちトリエンナーレのガイドブックを発行(写真撮影/倉畑桐子)

界隈で店を営む女性メンバーで制作する円頓寺・四間道界隈の情報誌『ポゥ』の別冊として、あいちトリエンナーレのガイドブックを発行(写真撮影/倉畑桐子)

「商店街としては、訪れる人への対応という意味で、いつもどおりのおもてなしをしているつもりです。トリエンナーレの総合案内所である『ふれあい館えんどうじ』も商店街の中に設置していますし、店側はサービスに協賛するだけでなく、街の中にトリエンナーレを取り込んで、本体と一緒になっておもてなししている気持ちです」と田尾さん。

会期中は、四間道・円頓寺地区における拠点「なごのステーション」にあいちトリエンナーレ実行委員会事務局のスタッフも常駐する。ボランティアスタッフも多く、各店も協力的なので、訪れた人が「どこをどう回ったらいいのか?」と迷うことも少なそうだ。

店によっては、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの作品に写真を提供したり、越後正志の「飯田洋服店」(2019年)のために古い什器を探したりするなど、アーティストの作品制作を手伝ったケースもあり、まさに、街とあいちトリエンナーレが一体となって取り組んでいる印象がある。

越後正志の「飯田洋服店」(2019年)は、円頓寺本町商店街にある実際の店との出会いから生まれた作品(写真撮影/倉畑桐子)

越後正志の「飯田洋服店」(2019年)は、円頓寺本町商店街にある実際の店との出会いから生まれた作品(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺界隈に住む人が昔の写真を提供した、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺界隈に住む人が昔の写真を提供した、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

「円頓寺デイリーライブ」の終了後も、訪れた人が余韻に浸れるよう、夜7~8時ころからのドリンクやスイーツメニューを自主的に充実させたという店もあるという。

「デイリーライブというナイトエンターテインメントは、あいちトリエンナーレで初の試みです。愛知芸術文化センターなど別会場での展示が終わってから、こちらのライブに流れてくるお客さんもいるので、そういった人にも引き続き楽しんでもらえれば」と田尾さんは話す。

作品の展示も行われている拠点「なごのステーション」は、円頓寺商店街と四間道エリアの間に位置する。作品の制作期間中は、2階がアーティストの作業場や宿泊所としても活用された(写真撮影/倉畑桐子)

作品の展示も行われている拠点「なごのステーション」は、円頓寺商店街と四間道エリアの間に位置する。作品の制作期間中は、2階がアーティストの作業場や宿泊所としても活用された(写真撮影/倉畑桐子)

パートナーとして選ばれるような、「面白い」街づくりを

最後に、全国の商店街の示唆にもなるような、日ごろからの取り組みはないかと聞いてみた。

「トリエンナーレで言えば、誘致するものではなく選んでもらうもの。商店街で何かをしたからトリエンナーレがくるのではなくて、自分たちが価値を出し合った結果、こういう広がりにつながっていくのではないでしょうか。

商店街とは、商売をしながら街をつくっていくものなので、一つ一つのお店の魅力や、サービスの良さの集合体で成り立っています。それでお客さんを満足させて、また来たいと思わせる何かがあるか、ということ。街の数だけ色々な展開があると思いますが、いつか芸術監督が下見に来たときに、『面白そうだ』と思われる街になっているかどうかです。それは自分たち商店主自身が、いかに日ごろからお客さんのことを考えているかによるのでは」

「一時的にワーッと盛り上がるのではなく、好きな人が思い思いに過ごしながら、街とアートが融合している方がいい」と話す田尾さん。そういった意味で、四間道・円頓寺界隈とあいちトリエンナーレは合っているように感じるという。

トリエンナーレの期間終了後については、「壁画やロープは街の中に残せるだろうし、“アフタートリエンナーレ”のように、今回の縁で繋がったアーティストやキュレーターのみなさんと、何かを仕掛けるのも面白そうですね」と思いを巡らせる。

「これをきっかけに、1日に一人か二人でも、この界隈をフラフラするファンが増えてくれたらいいな」とのことだ。

アートには詳しくないけれど、筆者は2010年のスタート時から、毎回あいちトリエンナーレを楽しんでいる。これまでは愛知芸術文化センターを中心に見ていたが、今回、円頓寺界隈のファンになり、街とアートが一体となった「まちなか会場」の魅力に目覚めた。あいちトリエンナーレを回る楽しみがまた増えた。

●取材協力
・円頓寺商店街振興組合
・あいちトリエンナーレ実行委員会事務局