「中銀カプセルタワービル」2022年に取り壊しへ。カプセルユニット保存へ向けて挑戦はじまる

2021年夏。世界の建築ファンが注目する建築が、いま取り壊しへのカウントダウンを刻みつつあるという。東京都・銀座8丁目に建つ、建築家・黒川紀章の代表作「中銀カプセルタワービル」(1972年)だ。丸窓を有するキューブ状のユニット140個が塔状に張り付くユニークな建築は、世界ではじめてのカプセル型の集合住宅と言われている。その住戸であるカプセルユニットの保存を、クラウドファンディングの資金援助によって行おうとしているグループの代表いしまるあきこさんに話を聞いた。
目標150万円を大きく上回る400万円の支援金を獲得

「2カ月間のクラウドファンディングの期間(5月30日~7月28日)に、延べ300人を超える方々から、当初目標とした150万円を超えて、約400万円の支援をいただきました」と「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるさんはその支援・共感の手応えを話してくれた。

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるあきこさん(写真:蔵プロダクション)

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるあきこさん(写真:蔵プロダクション)

「中銀カプセルタワービル(以下、中銀カプセル)は建築関係者だけでなく、一般の建築ファンやかつての未来感に共感を寄せる人々、しかも、若い方から建設された1970年代に子ども時代を過ごして懐かしむ方まで、幅広い世代に関心を寄せていただきました」(いしまるさん)と支援者の幅広さを強調する。

2カ月間のクラウドファンディングで、308人・406万円の支援を得た(画像提供/READYFOR)

2カ月間のクラウドファンディングで、308人・406万円の支援を得た(画像提供/READYFOR)

この独創的なカプセル建築は、建築家・黒川紀章(1934~2007年)の設計によるものだ。「中銀カプセル」は、黒川が参画した建築運動「メタボリズム」(※1)のもと、1969年に黒川が提唱した「カプセル宣言」に端を発し、1970年の大阪万博での未来型カプセル住宅の仮設パビリオンに続く、恒久的な建築として、銀座という一等地に燦然とその姿をあらわした。
日本はもとより世界で、黒川の建築思想と斬新な意匠とあいまって注目される建築となった。
ただし、黒川氏の構想ではカプセルをそれぞれ個別に25年毎に交換するアイデア(建築の新陳代謝)だったものの、現実的には建物の構造上これが難しく、結果的にカプセルはひとつも、一度も交換されないまま老朽化を迎えることになった。(※2)
また、その後には、カプセルホテルでおなじみのカプセルベッドの開発(1979年)という別の形のカプセルとしても実現した。黒川氏の60年代末に提唱した「カプセル」というコンセプトは、いまも私たちの暮らしの中の一隅に生き続けている。

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※注1:メタボリズムとは「新陳代謝」を意味し、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を目指すという、1960年代から70年大阪万博にかけての前衛建築運動だった。
※注2:建物の構造体となる階段室シャフトに対して、カプセルユニットを下から順番に引っかけて固定しており、また、カプセル同士の隙間が30cm程度しかないため、1つのカプセルを外すときに周囲のカプセルに干渉しやすく、設備配管を外すことも難しかった。棟ごとでカプセルを交換することで、ようやく実現できる。さらに、法的には一般的な分譲マンションと同様の区分所有建物であり、多くのカプセル交換は大規模修繕にあたるため所有者の大多数の合意がないと建物を改修できないという制約もカプセル交換を阻む壁となった。

黒川氏のカプセル建築は、50年のときを経て老朽化が進んでいる。
その一つ、別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(1973年・長野県御代田町)は、黒川の子息である黒川未来夫氏が取得して、同じくクラウドファンディングで資金の一部を調達して改修され、21年秋ごろには民泊として、誰もが宿泊体験できる予定だ。(黒川紀章の「カプセル建築」が再注目される理由)

別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

古い建物好きが高じて、中銀カプセルタワービルにたどり着く

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表で一級建築士のいしまるさんは、大学の建築学科の学生のころから新しいピカピカの建築よりも、歴史を重ねて年月の深みを刻んだ住宅や建築に心を引かれてきたという。
例えば、関東大震災(1923年)の復興住宅である同潤会青山アパート(※3)について、解体前年の2002年から「同潤会記憶アパートメント展」を計7回主宰し開催してきたという。(2012年に「Re1920記憶」と改称したのちも、計5回開催)最初の開催時には、大学院生だった。
また、自ら古い住宅や店舗をデザイン・リノベーションする設計やDIY活動も行ってきた。
いずれも「古い建物を使うことで残すことにつなげたい、建築を体感してもらうことでその記憶を未来につくりたい」と取り組んできたのだという。

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※注3:震災義援金をもとに1924年に設立された財団法人同潤会が、34年までに東京・神奈川の16箇所に鉄筋コンクリート造の集合住宅、いわゆる同潤会アパートを建設した。青山アパートは1926-27年建築。2003年解体。現在跡地には安藤忠雄設計の表参道ヒルズが建つ

そんないしまるさんが、中銀カプセルにたどり着いたのは、2013年のことだという。偶然見つけたカプセルの賃貸だったが、「身軽なうちに名建築に住んでみたい」と思い、お湯も出ず、キッチンも洗濯機置き場もないが、借りて住むことにした。中銀カプセルは分譲マンションで、140個のカプセルそれぞれにオーナーがいる。当時から、建て替えや保存について管理組合で議論されていたが、保存派の所有者からB棟の1室を借りて1年ほど住み、2019年まではシェアオフィスにしていた。2017年からは、B棟のシェアオフィスでの取り組みが評価されて、保存派の所有者から別のカプセルA606号室を借り受け、シェアオフィスとして企画・運営することになったという。現在は、自身を含む8人の会員とともにA606号室を活用している。(シェアオフィスの利用は8月末で終了し、退去予定)

東京都・銀座8丁目に建つ中銀カプセルタワービル。2022年に取り壊される予定だ(写真撮影/村島正彦)

東京都・銀座8丁目に建つ中銀カプセルタワービル。2022年に取り壊される予定だ(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんは「私が、中銀カプセルに住み始めた2013年には、すでにカプセルでさまざまなリフォームが行われていました。雨漏りや経年劣化で傷みがひどいところも多く、もとのカプセルのオリジナルパーツを残すのも難しかったようです。オリジナルが残っているものは、できる限りそのまま残したい、竣工時の空間をもっとちゃんと知りたいと思うようになりました」と語る。
「そこで私たちは、もともとオリジナルの棚などが多く残っていたA606を、1972年の建てられた当時の状態に“レストア”することにしました。レストア(restore)とは、クルマなどの古い乗り物を販売当初の姿に修復して使えるように復活させるときによく使われる言葉です。当初のカプセルユニットには、当時最先端の機器類がオプションで設置できました。ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオ、電卓、電話、冷蔵庫などです。これらを竣工時の状態にレストアして、A606号室では全て使えるように直しました。カメラマンの副代表が設備機器の修復、メンテナンスを担っています」(いしまる)と説明してくれた。円形のブラインドについては、竣工時の写真などをもとに工夫して復元したのだという。
いしまるさんは「セカンドハウスという位置づけでカプセルは生まれました。黒川紀章さんが1人1カプセルと謳った思想は現代にも通用すると思います。ユニットバスを含めた全部で10平米(壁芯で2.5m×4m)のコンパクトな空間ですが、直径1.3mの大きな丸窓のおかげで閉塞感も無く、過ごしているうちにちょうど良い大きさで快適だと感じていきます」と話してくれた。

カプセルの広さはユニットバスを含めて10平米。現在の標準的なビジネスホテルのシングルルームが約13平米という点からも、そのコンパクトさが分かるだろう(写真撮影/村島正彦)

カプセルの広さはユニットバスを含めて10平米。現在の標準的なビジネスホテルのシングルルームが約13平米という点からも、そのコンパクトさが分かるだろう(写真撮影/村島正彦)

ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオなどはレストアした。ブラウン管テレビに地デジやNetflixが映し出される念の入れようだ(写真撮影/村島正彦)

ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオなどはレストアした。ブラウン管テレビに地デジやNetflixが映し出される念の入れようだ(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんによると、オプションの機器類で当時最も高価だったのは「電卓」だという。いまの電卓と入力方法が異なる。タイプライターの貸出もあったという。(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんによると、オプションの機器類で当時最も高価だったのは「電卓」だという。いまの電卓と入力方法が異なる。タイプライターの貸出もあったという(写真撮影/村島正彦)

玄関脇に備えられた冷蔵庫。カプセルによってはミニシンクを備えるものもある(写真撮影/村島正彦)

玄関脇に備えられた冷蔵庫。カプセルによってはミニシンクを備えるものもある(写真撮影/村島正彦)

直径1.3mの丸窓。円形のブラインドは工夫してオリジナルに近いように作成した(写真撮影/村島正彦)

直径1.3mの丸窓。円形のブラインドは工夫してオリジナルに近いように作成した(写真撮影/村島正彦)

コンパクトに設計されたFRP製のユニットバス+トイレ。老朽化でお湯がでないので、バスタブを物置として使っている部屋が多いという。(写真撮影/村島正彦)

コンパクトに設計されたFRP製のユニットバス+トイレ。老朽化でお湯がでないので、バスタブを物置として使っている部屋が多いという(写真撮影/村島正彦)

トイレを納める角度に至るまで、コンパクト化への強いこだわりが見て取れる(写真撮影/村島正彦)

トイレを納める角度に至るまで、コンパクト化への強いこだわりが見て取れる(写真撮影/村島正彦)

ユニットバスから室内の見返し。丸いドア開口部が丸窓と呼応していてモダンに感じられる。洗面台の丸鏡もデザイン上合わせたものだろう(写真撮影/村島正彦)

ユニットバスから室内の見返し。丸いドア開口部が丸窓と呼応していてモダンに感じられる。洗面台の丸鏡もデザイン上合わせたものだろう(写真撮影/村島正彦)

クラウドファンディングを手がかりに「3つの保存」に取り組む決意

「わたしたちは、カプセルを借りているに過ぎないので、保存や解体などに直接的な権利はありません。このような意思決定は区分所有者の話し合いに委ねられています。解体に向けて2018年に大きく舵は切られ、私たちにA606号室を貸してくれていた保存派のオーナーも2019年には『買い受け企業』にA606を売却しました」ということだ。
いしまるさんは、その「買い受け企業」と弁護士を通しての粘り強い交渉の末、「1.A606住戸ユニットを譲り受けること、2.全カプセルの学術調査、3.それら費用のクラウドファンディング実施、4.見学会等の実施」を認めてもらうよう裁判所での調停で合意を取り付けたという。

7月28日に終了したクラウドファンディングを呼びかけのサイトから、いしまるさんたちの「保存」についての考え方を引用してみよう。

####(引用はじめ)
残念ながら、2022年3月以降に中銀カプセルタワービルの解体が予定されています。解体にあたって、私たちは「3つの保存」に取り組み、未来にカプセルをシェアしていきたいと考えています。

1. 記録保存  中銀カプセルタワービルの全戸調査による記録保存
2. カプセル保存 カプセル躯体とオリジナルパーツの保存
3. シェア保存  動くモバイル・カプセルとして多くの方とシェアして残す

1. 記録保存
中銀カプセルタワービル全戸の学術的調査(実測調査、写真撮影、Theta撮影、ドローン撮影など)をおこない、解体されたら消えてしまう中銀カプセルタワービルのさいごの姿を、記録を残すことで後世に伝えます。

2. カプセル保存
A606オーナーである中銀カプセルタワービルの「買い受け企業」から譲り受けるカプセルユニットと、取り外す予定のカプセルのオリジナル家具・機器類を、のちに組み合わせることでカプセルのオリジナルを保存します。オリジナルパーツが消えてしまう前に救って、再度オリジナルのカプセルユニットと組み合わせます。

3. シェア保存
「使うことで残す」ことを実践してきた私たちは、使い続けながらより多くの方とカプセルをシェアしていけるようにします。
カプセルを動かせるようにすることで、たとえば、建築学科のある大学や美術館・博物館に移動して、多くの方とオリジナルのカプセルユニットをシェアできるような仕組みをつくっていきたいと考えています。どこかに移築保存するやり方もあるとは思いますが、私たちはカプセルを移動できるようにすることがふさわしいと考えました。動くカプセルは黒川紀章氏の「カプセルは、ホモ・モーベンス(=動民)のための建築である」、「動く建築」の思想の実現でもあるからです。
####(引用終わり)

いしまるさんによると「カプセルの保存にあたって、一番問題なのはアスベスト(石綿)がカプセルに使われていることです。建設時には合法でしたが、壁の内側にある鉄骨の吹き付けアスベストと外壁にもアスベスト含有塗料が用いられています」。
かつてアスベストは柔軟性、耐熱性、耐腐食性などに優れ、さらに安価のため「夢の建材」と言われ、断熱材、耐火材、塗料などにあらゆる建材に多用された(※4)。現在では、吸入することで中皮腫・肺ガンの原因となり死に至る毒性が明らかになったことから、取り壊しなどの際には飛散防止など慎重な取り扱いが法的に義務づけられている。
建物解体時のアスベスト除去作業によって、オリジナルパーツが廃棄されてしまうのを避けるために、自分たちでアスベスト対策をした上で、オリジナルパーツを取り外して救い出すのだという。このため、いしまるさんらは自ら「石綿取扱作業従事者特別教育」を受け、更に「石綿作業主任者講習」などを受けてアスベスト関連作業を取り扱うことができるようになったという。自分たちで取り組むことでコストダウンになるが、それでもアスベスト環境下の内装解体作業だけで約100万円はかかりそうだという。そのためにクラウドファンディングを行っていた。
##
※注4:アスベストによる建材等は1990年ころまでは当たり前に使われており、日本では2006年全面禁止された

このほか、黒川氏は「カプセル宣言」のなかで、カプセルそのものを動かすことを謳っていることから、いしまるさんらは、移築保存ではなくこれを「牽引化(=車で引っ張って動かせるようにする)して動くモバイルカプセル」にすることで、動かして使いながらの保存を目標としている。
また、50年を経て傷んでいるカプセル外壁の処理などを考えると、牽引化のための特殊な台車と合わせてさらに約500万円がかかるだろうと試算している。

いしまるさんは「中銀カプセルタワービルが取り壊されるのは残念ですが、老朽化や修繕の費用負担を考えると致し方ない状況だと思っています。建物が解体されるのであれば、黒川紀章さんの当初の想いを継承して、1つのカプセルをオリジナルに近い状態で保存して、多くの方とシェアしながら使って残していくことが私たちのやるべきことだと考えています。どうやって、どこで使うのか……など、まだまだ決まっていないことだらけです。今回のクラウドファンディングで寄せられた支援金や、暖かい励ましのメッセージを受け止めて、私たちのやり方で、しっかり取り組みたいと思います」と決意を語ってくれた。

「買い受け企業」とはA606室のユニットを譲り受けることを合意した(写真撮影/村島正彦)

「買い受け企業」とはA606室のユニットを譲り受けることを合意した(写真撮影/村島正彦)

最後に筆者の個人的な思いについても、少し紹介しておきたい。
いしまるさんによる同潤会アパートの記憶の展示や、オリンピックの舞台となった新国立競技場近く千駄ヶ谷の古いRC造マンションをコツコツとセルフ・リノベーションしていたお住まい等でお会いしたのは、かれこれ10年以上前のことだ。筆者は、かつて、日本の近代建築を大学・大学院で専攻していたこともあって、いしまるさんの地に足がつき、なおかつ継続的な取り組みに共感するところは大きい。
このたびの取材においても、いしまるさんの小さな身体から、このエネルギーはどんなふうに湧いてでているのだろうと、お話しになる姿をたのもしく拝見したものだ。今後のカプセル保存までには幾つもの困難が待ち受けているだろうが、応援したい。

中銀カプセルタワービルA606プロジェクト代表のいしまるあきこさんと筆者(写真撮影/村島正彦)

中銀カプセルタワービルA606プロジェクト代表のいしまるあきこさんと筆者(写真撮影/村島正彦)

●取材協力
・中銀カプセルタワービルA606プロジェクト/カプセル1972 
・READYFOR中銀カプセルタワービルA606プロジェクト(クラウドファンディングは終了) 
・いしまるあきこWebサイト

50年前にモバイルハウスやテレワークを予言!? 黒川紀章のカプセル建築が再注目される理由

建築家・黒川紀章(1934~2007年)をご存じだろうか? 日本を代表する現代建築の運動「メタボリズム」の中心的建築家の一人だ。1973年に黒川が手がけた別荘型モデルハウス「カプセルハウスK」が、クラウドファンディングによる再生のもと、2021年夏にも宿泊体験ができるようになる。黒川は、大阪万博で未来型カプセル住宅のパビリオンを手がけ、マンションにも応用、そしてカプセルホテルのあのカプセルベッドの原型にも関わった。黒川が世に送り出したカプセル建築のDNAは現代においても発展的に息づいているようだ。
黒川紀章の別荘型モデルハウスへの宿泊体験が可能に

黒川紀章、この稀代の建築家は、京都大学で西山卯三(食寝分離の公営住宅標準設計「51C型」を開発)に師事、その後、東京大学大学院で丹下健三の研究室に学んだ。黒川は、若くして頭角を現し大学院在学中に自らの事務所を興し、浅田孝、大高正人、槇文彦、菊竹清訓ら若い建築家グループが提唱した建築運動「メタボリズム」に参画する。

メタボリズムとは「新陳代謝」を意味し、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を目指すという、1960年代から70年大阪万博にかけての前衛建築運動だった。
このメタボリズムを代表する建築として名高いのが、黒川が設計した東京都・銀座8丁目に建つ「中銀カプセルタワービル(1972年)」だ。丸窓を有するキューブ状のユニット144個が塔状に張り付くユニークな建築は、日本のみならず世界から東京を訪れる建築や近現代美術ファンの間では聖地となっている。世界ではじめてのカプセル型の集合住宅と言われている。

中銀カプセルタワービル外観(写真撮影/山田新治郎)

中銀カプセルタワービル外観(写真撮影/山田新治郎)

中銀カプセルタワービル・ユニット内観(写真撮影/山田新治郎)

中銀カプセルタワービル・ユニット内観(写真撮影/山田新治郎)

翌年の1973年、メタボリズム建築の別荘型モデルハウスとして計画されたのが「カプセルハウスK」である。「K」とは黒川のイニシャルをあらわしているのだという。場所は、長野県御代田町の急な斜面地だ。鉄筋コンクリート造のコアシャフトには玄関、リビング、階段、アトリエを設け、その周囲に4つのカプセルが取り付けられた。カプセルは、「中銀」と同等のもので、東海地方にある同じ製作会社によって造られた。2つの寝室カプセルは中銀と同じ構成でそれぞれにトイレ・バスユニットを内包したもの。残る2つは、茶室カプセルと厨房カプセルとなっている。寝室と茶室には、アクリル製のドーム状の丸窓が付いている(中銀はフラットな丸窓)。そして厨房は、鉄製サッシュの四角い窓とされている。

カプセルハウスKの外観(写真撮影/山田新治郎)

カプセルハウスKの外観(写真撮影/山田新治郎)

カプセルハウスKの茶室カプセル(写真撮影/山田新治郎)

カプセルハウスKの茶室カプセル(写真撮影/山田新治郎)

カプセルハウスKの寝室カプセル(写真撮影/山田新治郎)

カプセルハウスKの寝室カプセル(写真撮影/山田新治郎)

この別荘型モデルハウスは、黒川の事務所が所有していたが、黒川没後の民事再生に際して他の所有者の手に渡っていた。これを、黒川氏の子息・黒川未来夫氏が修復と保全のため2019年に買い戻したのだという。
未来夫氏は、民泊事業ができるように、自らの会社MIRAI KUROKAWA DESIGN STUDIOでクラウドファンディングを行い、資金の一部を調達して改修や設備の整備を行った。
新型コロナによる緊急事態宣言などから、見学会や民泊の実施は当初の計画より遅れ気味ではあるが、21年夏ごろの宿泊の受け入れに向けて着々と準備は進められている。

カプセルハウスKの平面図(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

カプセルハウスKの平面図(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

カプセルハウスKに取り付けられた4つのカプセル(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

カプセルハウスKに取り付けられた4つのカプセル(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

カプセルの思想は現代において改めて見直される

黒川紀章によるカプセルの思想がどのように受け入れられ、また、現在どのように進化し続けているのか、黒川紀章建築都市設計事務所に大学卒業後入社し黒川氏の薫陶を受け、カプセル建築に造詣が深い工学院大学建築学部の鈴木敏彦教授に話を聞いた。

「黒川は1969年に『カプセル宣言』を発表します。宣言に則り大阪万博のパビリオン、そして、中銀カプセルタワービル、カプセルハウスKと矢継ぎ早に実現します。宣言の第7条で『カプセルは、プレファブ建築、すなわち工業化建築の究極的な存在』と定義しています。カプセルを自由に着脱・交換できる新陳代謝を構想・具現化したものでした」と解説する。
「また第8条には『カプセルは全体性を拒否し、体系的思想を拒否する』とあります。難しい言い回しですが、これは機能単位でカプセルを捉えようというものです。カプセルを建築に内包する就寝設備(カプセルベッド)という機能に絞り込みました。1979年に黒川は、第1号のカプセルホテル『カプセル・イン大阪』を実現します。その後、カプセルホテルは広く全国に普及しました。また、カプセルベッドは警察・消防署などの夜勤者向けとしても活用されています」

カプセル建築の系譜(出典:Webサイト「カプセル建築プロジェクト」より)

カプセル建築の系譜(出典:Webサイト「カプセル建築プロジェクト」より)

カプセル・イン大阪1979年 FRPのカプセルベッドはコトブキシーティング(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

カプセル・イン大阪1979年 FRPのカプセルベッドはコトブキシーティング(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

黒川はメディアモンスターと異名を与えられるほど、マスコミへ露出して、自らの建築思想を大衆に語りかけた。当時の人気週刊誌「平凡パンチ」1969年3月24日号でインタビューを受けている。「動民の思想」を説き、イギリスへ大阪万博の計画のためピーター・クックとの意見交換に赴いたこと、すぐにペルーの仕事に飛ばねばならないなどエネルギッシュな仕事ぶりを披瀝している。(写真撮影/村島正彦)

黒川はメディアモンスターと異名を与えられるほど、マスコミへ露出して、自らの建築思想を大衆に語りかけた。当時の人気週刊誌「平凡パンチ」1969年3月24日号でインタビューを受けている。「動民の思想」を説き、イギリスへ大阪万博の計画のためピーター・クックとの意見交換に赴いたこと、すぐにペルーの仕事に飛ばねばならないなどエネルギッシュな仕事ぶりを披瀝している。(写真撮影/村島正彦)

鈴木教授は「さらに黒川は、カプセルのコンパクトな住居ユニットを取り外し、トラックなどに載せ移動させ使うことも想定していました。2021年のいま、思い当たるライフスタイルがあるでしょう。そう、モバイルハウスです」と、指摘する。
「『カプセル宣言』の第2条では『カプセルはホモ・モーベンスのための住まいである』と定義しています。『土地や大邸宅という不動産を人々は次第に欲求しないようになり、より自由に動ける機会と手段をもつことに価値観を見いだすだろう。カプセルは建築の土地からの解放であり、動く建築の時代の到来を告げるものである』と説明を加えています。いま人気のモバイルハウスを予言していたのです。『ホモ・モーベンス』について当時、黒川は『動民』という言葉を当てています。日本中、世界中を飛び回るようなビジネスパーソンが頭にあったのでしょう。黒川自身が世界中にプロジェクトを持ち飛び回っていましたから」

ただし鈴木教授は「70年代には、黒川の提案はまだ早すぎたのかもしれません」と話す。
「1990年代になりインターネット、ケータイ、ノートパソコンが普及して場所に囚われず仕事ができるようになりました。そして、2020年の新型コロナで、テレワークが強力に推し進められることになりました。現代にこそ改めて、黒川の提案した『カプセル建築』『ホモ・モーベンス』がもう一度見直されていいと思います」と言う。

2021年、災害時の避難シェルターにカプセル建築の思想を応用

2021年、鈴木研究室とコトブキシーティングが共同開発し発表したのが「ダンボールスリープカプセル」だ。

ダンボールスリープカプセル(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

ダンボールスリープカプセル(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

バスケットコート(15×28m)に98ユニット設置可能(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

バスケットコート(15×28m)に98ユニット設置可能(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

コトブキシーティングは、黒川のカプセル建築に端を発するカプセルホテルのカプセルベッドを1979年に開発し、現在まで6万ユニットを世に送り出している会社だ。
鈴木研究室と「災害時の避難場所をカプセルホテルに」というコンセプトで、使用しないときにはコンパクトに備蓄も可能なダンボールで開発したのだ。

鈴木教授は「コロナ禍の避難環境においても三密を防ぎ、プライバシーを確保しながら、避難所になる体育館といった限られた空間で受け入れ人数を最大化できます」と開発意図を説明してくれた。「1段平置き」「1段平置き+専用スペース」「2段重ね+専用スペース」など、ダンボールユニットを増殖させることも可能だ。まさに、黒川のカプセル建築の着脱・増殖の考え方を、現代に蘇らせた。

鈴木教授は、さらに、CLT(直交集成板)や太陽光発電など組み合わせた「E-HUT」の構想もあるという。

鈴木敏彦教授の提案する「E-HUT」。CLTで駆体を造り太陽光パネルを載せる。分解、移動が可能なカプセル(画像提供/鈴木敏彦研究室)

鈴木敏彦教授の提案する「E-HUT」。CLTで駆体を造り太陽光パネルを載せる。分解、移動が可能なカプセル(画像提供/鈴木敏彦研究室)

「これは、最近注目される小屋やモバイルハウスとしての利用を考えています。分解して移動できる、またクルマによって牽引または架台に載せて移動が可能な『カプセル』です。もちろん、自由に移動してテレワークにも利用可能でしょう」と話す。
2021年、移動しながら仕事をし、多拠点で暮らすホモ・モーベンスのための新しいカプセル建築が生まれたわけだ。

黒川が60年代末に打ち出したカプセル建築、そしてホモ・モーベンスは、当時では未来的な思想・コンセプトだった。それから半世紀が経ち、黒川の思想・コンセプトを受け入れることができる、技術と環境、生活スタイルに私たちが追いついてきたのかもしれない。

●取材協力
・カプセル建築プロジェクト
・工学院大学鈴木敏彦研究室(FBページ)