空き家リノベを家主の負担0円で! 不動産クラウドファンディングが話題 鎌倉市・エンジョイワークス

人口が減り始めた日本では、売ったり、貸したりといった活用がなかなか進まない「負動産」と揶揄される空き家が増えています。一方で、所有者の経済的な負担を減らしつつ、住まいとして現代の暮らしに合うよう、再生する試みがはじまっています。どんな仕組みなのでしょうか。仕掛け人の株式会社エンジョイワークスが始めた「0円! RENOVATION 」の取り組みを、実際のプロジェクト「鎌倉雪ノ下シェアハウス」とともにご紹介しましょう。

鎌倉駅から徒歩12分。空き家が海を見下ろすシェアハウスに

2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台でもあり、日本を代表する古都・鎌倉。戦前から避暑地として栄え、今なお「住みたい街」として根強い人気があります。そんな鎌倉駅から徒歩12分、細道を抜けた緑豊かな小高い丘に、今年、一軒家を改装したシェアハウスが誕生しました。

地名は「雪ノ下」ですが、源実朝が鶯の初音を聞いたことから、古くは「うぐいすがやつ」と呼ばれていたそう。地元の人は「うぐいす村」と呼んでいます(写真撮影/桑田瑞穂)

地名は「雪ノ下」ですが、源実朝が鶯の初音を聞いたことから、古くは「うぐいすがやつ」と呼ばれていたそう。地元の人は「うぐいす村」と呼んでいます(写真撮影/桑田瑞穂)

鎌倉駅から徒歩圏内でこの風景。緑のトンネルを抜けると……(写真撮影/桑田瑞穂)

鎌倉駅から徒歩圏内でこの風景。緑のトンネルを抜けると……(写真撮影/桑田瑞穂)

建物からの眺め。緑は濃く、鳥のさえずりが耳に愛らしい(写真撮影/桑田瑞穂)

建物からの眺め。緑は濃く、鳥のさえずりが耳に愛らしい(写真撮影/桑田瑞穂)

もともとこの一軒家は1960年に、個人の邸宅として建てられたものです。ここ15年ほど空き家になっていましたが、2年程前にこの建物に一目惚れした現オーナーが購入し、別荘として活用する計画だったそう。とはいえ、空き家だったため、建物の痛みが激しく、個人でDIYをして利用するのは難しいと断念、取り壊すには惜しいことから旧村上邸などの「鎌倉市内はじめ湘南エリアでの空き家再生」に実績のあった「エンジョイワークス」に物件を委託されたそう。

物件活用の方法として、ドミトリーなども考えられましたが、個室がしっかりとれること、昔から住んでいる地域の住民との関係、鎌倉らしい暮らしができる立地など、もろもろを考慮して、「シェアハウス」として活用するアイデアが出たそう。

シェアハウスとなる個室は全5部屋、家賃は部屋ごとに異なるものの、平均で7万5000円(Wi-Fi使用料、共益費込み)。庭には桜や紅葉が植えられていて、2階の一部の部屋からは海が見え、隣接した鶴岡八幡宮から早朝に祝詞(のりと)も聞こえるなど、まさに「鎌倉らしい暮らし」を満喫できる物件です。

鎌倉・雪ノ下にできた女性専用シェアハウス。今の建物にない味わい、ひと目見て夢中になります(写真撮影/桑田瑞穂)

鎌倉・雪ノ下にできた女性専用シェアハウス。今の建物にない味わい、ひと目見て夢中になります(写真撮影/桑田瑞穂)

「鎌倉雪ノ下シェアハウス」の間取りイラスト。左側は1階部分+庭、右側は2階部分(画像提供/エンジョイワークス)※応募時のイメージ。現状とは間取りが異なっている部分あり

「鎌倉雪ノ下シェアハウス」の間取りイラスト。左側は1階部分+庭、右側は2階部分(画像提供/エンジョイワークス)※応募時のイメージ。現状とは間取りが異なっている部分あり

エントランスからして、もうかわいい(写真撮影/桑田瑞穂)

エントランスからして、もうかわいい(写真撮影/桑田瑞穂)

玄関(写真撮影/桑田瑞穂)

玄関(写真撮影/桑田瑞穂)

建物には、部屋にマントルピース(装飾暖炉)があったり、化粧梁があったりと、かつての所有者の思い入れを感じる、凝った造りです。今回、1100万円ほどの費用をかけてリノベーションし、現在の暮らしに合うように、手すりをつける、壁を塗り直す、キッチン・設備などを交換する、傷んでいる部分を直すといった工事をしていますが、照明やバス・洗面所などはあえてそのままとし、物件が持つレトロな味わいを極力、残すようにしたといいます。

浴室はタイル貼りのまま。改修も考えたものの「このままのほうがいい」との意見で残したそう(写真撮影/桑田瑞穂)

浴室はタイル貼りのまま。改修も考えたものの「このままのほうがいい」との意見で残したそう(写真撮影/桑田瑞穂)

浴室に隣接した洗面所。籐のかごが建物の雰囲気とよくあっています(写真撮影/桑田瑞穂)

浴室に隣接した洗面所。籐のかごが建物の雰囲気とよくあっています(写真撮影/桑田瑞穂)

1階の個室。写真右側にあるマントルピース(装飾された暖炉)も照明も、従来からあったもの(写真撮影/桑田瑞穂)

1階の個室。写真右側にあるマントルピース(装飾された暖炉)も照明も、従来からあったもの(写真撮影/桑田瑞穂)

(写真撮影/桑田瑞穂)

(写真撮影/桑田瑞穂)

「大きな庭もありますので、ハーブや野菜などを育てることもできます。ゆっくり、ていねいな暮らしをしたいと考える女性に住んでもらえたらいいなと思っています」と話すのは、物件の企画・運営に携わる株式会社エンジョイワークスの事業企画部の羽生朋代さん。

物件所有者も投資家も、入居者も。みんながうれしい仕組みとは?

驚くのは今回の物件改修に際し、物件所有者の負担は「ゼロ円」だという点です。では、どのような仕組みになっているのでしょうか。

まず、物件所有者はエンジョイワークスと定期賃貸借契約を結びます。このときの賃料は、1年間の固定資産税程度の金額です。次にエンジョイワークスがプロジェクトに興味のある人に物件を紹介し、活用のための資金とアイデアを募ります。エンジョイワークスは不動産特定共同事業の匿名組合営業者としてファンドを組成し、ファンドに出資する投資家を募ります。

図版提供:エンジョイワークス

図版提供:エンジョイワークス

今回の「鎌倉雪ノ下シェアハウス」の場合、リノベーション費用にかかる総額を約1100万円と想定、1口5万円からの投資を募ったところ、約30名の投資家が「参加したい」と申し出があったそう。

ファンド募集期間中は、エンジョイワークスがイベントや意見交換会を4回ほど実施し、プロジェクトの認知を高め、共感を集め、投資家を募り、集まったファンド資金でリノベーション工事を進めます。今後は、エンジョイワークスが一定期間シェアハウスとして運営し、投資家へ利益を還元したところで、オーナーに返却するという仕組みになっています。

鎌倉は住みたい街として人気はあっても、「そもそも賃貸募集物件が少ない」「鎌倉らしい物件が少ない」という弱点を抱えているそう。今回のシェアハウスは、そうした「鎌倉らしい物件を提供する」という意味でも、入居者にもメリットがある、まさに「いいことづくめ」のプロジェクトといえるのです。

ここで、入居者を含めた4者のメリットを整理してみましょう。

入居者を含めた4者のメリット

2階の居室から見える緑。壁色にグレイッシュカラーを採用し、よりモダンな雰囲気に(写真撮影/桑田瑞穂)

2階の居室から見える緑。壁色にグレイッシュカラーを採用し、よりモダンな雰囲気に(写真撮影/桑田瑞穂)

エンジョイワークスの羽生朋代さん(写真撮影/桑田瑞穂)

エンジョイワークスの羽生朋代さん(写真撮影/桑田瑞穂)

一般に建物所有者が古民家を改修して、現代の暮らしにあうようリノベーションしようとしても金融機関からの融資が受けられない(個人・法人問わず、土地の評価額以上の借り入れが難しい)ため、税金ばかりかかって個人では維持しきれないというのが、古民家再生の大きな課題になっています。

この「0円! RENOVATION 」は、そうした所有者の負担を極力減らし、個人や企業などで事業を応援したい人からの投資という形で資金をまかない、再生するというのが大きなポイントといえそうです。また、日本には家を持っていても、「再生しようにもお金も知識もない」「誰かわからない人には貸したくない」「手放したくない」という人は多いもの。建物の良さを再発見、価値化できるのであれば、「うちもお願いしたい」という人も増えてくることでしょう。

投資家は利益よりも、「つながり」「地域活性化」「空き家再生」「社会課題の解決」に興味大

では、投資家にはどのような人が多いのでしょうか。一般的な不動産投資よりも、「プロジェクトが小さいこと」「アイデア」が出せる点が魅力に思えますが、どのような点に惹かれて、投資を決めるのでしょうか。

「利益というよりも、シェアハウスの運営を学んでみたい、地域の活性化に興味があるといった人が多いように思えます。また建物が好き、プロジェクトに参加してみたい、DIYを手伝いたいといった人もいらっしゃいましたね」と話を聞いていると、単に利益を求めて出資するというよりも、「つながり」「建物再生に携わりたい」「地域をよくしたい」という思いが背景にあるようです。

イベント時の様子(写真提供/エンジョイワークス)

イベント時の様子(写真提供/エンジョイワークス)

また、今回の物件は、かなり山深い場所に建っています。そのため、当初は庭全面に野草が生えている状態だったそう。そこで、草刈りイベントを実施したところ、投資家を含め協力的な参加者が多く1時間程度であっという間に庭がきれいになったそう。その後に実施したイベントも盛況で、単に投資しておしまいではなく、「社会への投資をしたい」「携わっていきたい」という関心の高さが伺えます。

「やはり、空き家や地域再生に関心が高いんだなと思いました。みなさん、あの建物がどのように再生していくのか、ワクワクしていらっしゃるようです。一方で私は運営の当事者でもあるので、早く入居者に入っていただき、利益を還元していかないといけないという、責任を感じています」

こうしていくと、物件を通して、オーナーさんと投資家のみなさんが、「建物の再生の物語」を共有しているように思えます。

共有スペースのリビングダイニングで。壁を壊して柱を見せている(写真撮影/桑田瑞穂)

共有スペースのリビングダイニングで。壁を壊して柱を見せている(写真撮影/桑田瑞穂)

キッチン上部には、昭和レトロなガラスを残したそう。いいですよね、昭和のガラス……(写真撮影/桑田瑞穂)

キッチン上部には、昭和レトロなガラスを残したそう。いいですよね、昭和のガラス……(写真撮影/桑田瑞穂)

庭の家庭菜園で採れたサンチュ(写真撮影/桑田瑞穂)

庭の家庭菜園で採れたサンチュ(写真撮影/桑田瑞穂)

「鎌倉に限らずですが、日本全国、不動産を持て余しているオーナーさんはたくさんいらっしゃいますし、よい物件がないという入居希望者もたくさんいらっしゃいます。『自分がいいと思うものに投資したい』『社会をよくするためにお金を使いたい』という投資家もたくさんいらっしゃる。こうした思いを結びつけて、地域の資産である建物や住まいを守っていけたら」と羽生さん。

現代の法律と金融の仕組みでは、どんなに思い入れのある建物でも、残し、住み繋いでいくことは、かんたんなことではありません。その一方で、「空き家のまま終わらせたくない」「建物を残したい」「物件を地域に開いて、暮らしを豊かにしたい」という志を持った人は確実に増えています。家を「負動産」ではなく、価値ある「不動産」にするカギは、不動産とお金、そして人と人を結びつける仕組みにありそうです。

●取材協力
エンジョイワークス
0円! RENOVATION

漫画家・山下和美さん「世田谷イチ古い洋館の家主」になる。修繕費1億の危機に立ち向かう

東京都世田谷区豪徳寺にある、推定およそ築130年の洋館。「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる政治家・尾崎行雄の旧居と伝えられてきた邸宅だ。1年前、取り壊しの危機にあった洋館は、保存を望む有志によって買い取られ、今なお往時の姿を留めている。ただ、一時的に解体を免れたものの今後も建物を維持し続けるための課題は山積み。当面の補修費用だけでも、およそ1億円がかかるという。

そうまでして、なぜこの洋館を守りたいのか? その思いやこれまでの紆余曲折、これからについて、2019年にスタートした「旧尾崎邸保存プロジェクト」発起人の漫画家・山下和美さん、笹生那実さんに聞いた。

世田谷イチ古い洋館に惹かれて

――山下さんが最初に洋館に出合った時のことを教えてください。

山下和美(以下、山下):13年前、家を建てる土地を探していた時に豪徳寺を訪れ、初めてこの洋館を見ました。水色の外観は清里高原(山梨県)にあるペンションみたいなかわいらしさがありながら、時を重ねた建物にしか出せない品のある古さが感じられる。一目で惹かれましたね。この街に家を建てたのも、洋館の存在があったからです。近くに住み始めてからはより愛着が湧き、散歩をする度に眺めていました。

山下和美さん。漫画家。『ランド』『天才柳沢教授の生活』『不思議な少年』『数寄です!』『寿町美女御殿』など、数々の作品を発表。現在は、洋館の保存活動の経緯を描いた『世田谷イチ古い洋館の家主になる』をグランドジャンプ(集英社)で連載中(写真撮影/相馬ミナ)

山下和美さん。漫画家。『ランド』『天才柳沢教授の生活』『不思議な少年』『数寄です!』『寿町美女御殿』など、数々の作品を発表。現在は、洋館の保存活動の経緯を描いた『世田谷イチ古い洋館の家主になる』をグランドジャンプ(集英社)で連載中(写真撮影/相馬ミナ)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

――それがじつは、世田谷区内に現存する「最も古い洋館」だったと。

山下:界隈では「旧尾崎行雄邸」と呼ばれていましたが、建てたのは尾崎行雄の妻テオドラの父親である尾崎三良男爵で、明治21年築という説が有力のようです。つまり、築130年以上。鹿鳴館(明治16年築)とあまり変わらない時期に建てられ、世田谷区に移築された洋館と知った時には、なおさら残す価値があると思いました。ちなみに、三良男爵の日記には、新築時に伊藤博文ら政府要人を招いたという記述もあります。

――笹生さんは、この洋館の存在をどうやって知りましたか?

笹生那実(以下、笹生):山下さんが洋館の保存活動をしていることを知って興味を持ち、一人でこっそり見に行ったんです。想像以上に大きくて、風格があって圧倒されました。また、立派だけどかわいくもあり、とても魅力的な建物だなと感じましたね。

笹生那実さん。漫画家。主な作品に『薔薇はシュラバで生まれる』『すこし昔の恋のお話』『25月病』などがある(写真撮影/相馬ミナ)

笹生那実さん。漫画家。主な作品に『薔薇はシュラバで生まれる』『すこし昔の恋のお話』『25月病』などがある(写真撮影/相馬ミナ)

――笹生さん、山下さんはもともと洋館がお好きだったのでしょうか?

笹生:洋館には子どものころから憧れがありました。私は横浜出身で、山手の西洋館エリアを見て育ちましたから。きれいな建物と広い庭、大きな犬を連れて散歩している住人。とても華やかで、本当に外国にいるような気持ちになりましたね。

――山下さんも、多くの古い洋館が残る小樽で幼少期を過ごしたそうですね。

山下:小樽(北海道)には明治維新のころにたくさんの洋館が建てられて、私が暮らしていた1960年代にはあちこちにまだ残っていました。その一部は父が勤めていた小樽商科大学の宿舎としても使われていて、職員であれば安く住むことができたんですよ。実際、私が赤ん坊のころに円柱形の不思議な洋館に住めることになり、母と姉が見学にも行ったらしいんですけど、「押入れがないと布団が仕舞えない」と母が反対して断念したそうです。当時はベッドを買うという発想がなかったみたいで。残念ながら、憧れの洋館に住むチャンスを失いました。ちなみに、今はもうその建物は取り壊されてしまったそうです。

世田谷の静かな住宅街に建つ洋館。周囲の緑と水色の外観が調和している(写真撮影/相馬ミナ)

世田谷の静かな住宅街に建つ洋館。周囲の緑と水色の外観が調和している(写真撮影/相馬ミナ)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

解体工事の2週間前に始めた「ネット署名」が流れを変える

――現在は山下さんたちが所有し、保存されている洋館ですが、一時期は取り壊し寸前までいったそうですね。

山下:3年前に近所の人から「洋館が取り壊されるらしい」という話を聞きました。跡地に建売住宅を作る計画があって、すでに土地と建物は不動産会社を通じて工務店に売却済みという状況だったんです。私たちが買い戻すとなると、3億円はかかるという話でした。

正直、私も借金して自宅を建てたばかりで、とてもそんなお金はない。それでも、何とか残す手はないかと2019年に保存プロジェクトを始めたんです。

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

――お金のこと以外に、何が特に大変でしたか?

山下:不動産会社との交渉がうまく進まず、1年近くも膠着状態になってしまったのは辛かったですね。不動産会社の言い値や契約内容に不明瞭な点があっても、私たちにそれを確かめるすべはありません。その時には前オーナーである家主さんとの接触も、不動産会社側によって完全にシャットアウトされていましたから。そうこうしているうちに解体工事の日程も決まってしまい、もはや絶望的な状況でした。

洋館の内部。洋館として「きばりすぎていない」シンプルなつくりに惹かれたと山下さん(写真撮影/相馬ミナ)

洋館の内部。洋館として「きばりすぎていない」シンプルなつくりに惹かれたと山下さん(写真撮影/相馬ミナ)

1階と2階をつなぐ手すり付きの階段(写真撮影/相馬ミナ)

1階と2階をつなぐ手すり付きの階段(写真撮影/相馬ミナ)

館内随所に130年の年月を重ねた風格がにじみ出ている(写真撮影/相馬ミナ)

館内随所に130年の年月を重ねた風格がにじみ出ている(写真撮影/相馬ミナ)

――そんな絶望的な状況から、潮目が変わったきっかけは何だったのでしょうか?

山下:解体工事の予定日まで2週間を切ったギリギリのタイミングで(保存を求める)ネット署名を集め始めたのですが、そこから少しずつ流れが変わっていきました。たくさんの賛同者が集まってくれて、多くの人に保存プロジェクトのことを知ってもらえたんです。

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

また、世田谷区議会議員の神尾りささんからもご連絡をいただき、協力してもらえることになりました。神尾さんはもともとワシントンを拠点に仕事をしていて、尾崎行雄に対して特別な思い入れがあったというんです(※編集部注:尾崎行雄は東京市長時代、ワシントンD.C.のポトマック河畔に3000余本の桜の苗木を寄贈し、日米友好に努めた)。

――それは心強い。

山下:神尾さんは、私たちが立ち上げたネット署名を海外に発信することを提案してくれました。アメリカ側からも“日米友好の象徴”である旧尾崎行雄邸保存の動きを起こそうと、英訳までやってくれたんです。

それからは本当に目まぐるしく、短期間でいろんなことが起こりましたね。さまざまなメディアにもこの一件が取り上げられ、世間的な関心が高まったこともあって、解体工事だけは延ばしてもらえました。

――工事を延ばしつつ交渉を進め、最終的には強力な支援者が現れて一時的に洋館を買い取る形になったそうですね。

笹生:はい。金額が金額だけに大変でしたが、、最終的には「取り壊しを防ぐための一時所有なら」ということで支援してくれたんです。

3つの部屋が連なる不思議な間取り。1階と2階を合わせて7つの部屋がある(写真撮影/相馬ミナ)

3つの部屋が連なる不思議な間取り。1階と2階を合わせて7つの部屋がある(写真撮影/相馬ミナ)

1億円の補修費用、どう捻出?

――所有が保存プロジェクトに移り、取り壊しは回避されました。ただ、このまま維持していくのは大変ですよね?

笹生:そうですね。一時的に解体は免れましたが、次はこれをどう維持・活用していくかという問題があります。当初は洋館を曳家(ひきや/建物をそのままの状態で移動させる手法)で移動し、広くなった土地を分譲して資金を得ることも考えましたが、なかなか買い手は見つかりませんでした。

山下:それに、既存の建物として今の場所にあるぶんには仕方ないけど、場所を移動するなら現在の建築基準法等の法令に合わせなくてはいけないんです。その後、世田谷区にも相談してさまざまなアイディアもうまれましたが、時間がかかりそうでした。

現在は、洋館を使いたい民間企業とテナント契約を結び、収益を得ながら有効活用する道を探っています。

窓ひとつとっても味わい深い。ただ、つくりが複雑なため、補修できる業者を見つけるのも一苦労だという(写真撮影/相馬ミナ)

窓ひとつとっても味わい深い。ただ、つくりが複雑なため、補修できる業者を見つけるのも一苦労だという(写真撮影/相馬ミナ)

――現時点での手応えはいかがですか?

山下:さまざまな企業が興味を示してくれましたが、最終的には都内の有名コーヒー店が本店を洋館に移したいと名乗り出ていただきました。しかも、洋館自体はそのままにして、昔の建物の雰囲気を大事にしたいと言ってくれて。厨房などは、洋館の横にある朽ちかけた小屋を改装してつくるということでした。今は具体的な詰めやスケジュールの調整を行なっているところです。

2階の洋室。かつてはここに6家族が間借りし、暮らしていたこともあったそう(写真撮影/相馬ミナ)

2階の洋室。かつてはここに6家族が間借りし、暮らしていたこともあったそう(写真撮影/相馬ミナ)

テレビのアンテナ。戦後、一部の部屋は賃貸住宅として活用され、現代の暮らしが営まれてきた(写真撮影/相馬ミナ)

テレビのアンテナ。戦後、一部の部屋は賃貸住宅として活用され、現代の暮らしが営まれてきた(写真撮影/相馬ミナ)

――ただ、築130年の建物は老朽化も進んでいて、補修費用だけでも莫大な額になると思います。家賃収入だけで賄うことは難しいのでは?

山下:当面の補修費用だけでも、およそ1億円はかかります。大家となるからには耐震工事は必須ですし、現在の古い建物のままでは寒すぎるので、暖房器具も入れなくてはいけない。ただ、普通にエアコンを入れてしまうと、せっかくの雰囲気が台無しになってしまいます。外観だけでなく中身も明治を感じさせる趣を残すには、通常よりさらにハイレベルな工事や技術が必要になるんです。他にも、窓のつくりがものすごく複雑だったりするので、修繕できる業者も限られてきます。そうなると、どうしても費用はかさんでしまう。

笹生:正直、家賃収入だけではとても足りません。そこで、保存プロジェクトでクラウドファンディングによる寄付を募り、約1800万円のご支援をいただくことができました。他にも、知人の漫画家など支援の声を挙げてくださる方がいますので、当面はお借りできるところからお借りして、家賃収入で少しずつ返していければと考えています。

取材時に洋館を案内してくれた山下さんと笹生さん。一部のスペースはお二方のギャラリーとしても活用する予定(写真撮影/相馬ミナ)

取材時に洋館を案内してくれた山下さんと笹生さん。一部のスペースはお二方のギャラリーとしても活用する予定(写真撮影/相馬ミナ)

――とりあえず取り壊しを免れたものの、保存への取り組みはまだまだ続いているわけですね。

山下:そうですね。ずっと進行中です。一番の悩みは、私たちがこの世からいなくなった後のことです。その時には絶対にまた同じ問題が起こりますよね。私たちの願いは洋館を後世にも残し続けることなので、いずれは永続的に所有してもらえるところに譲りたいと考えています。

笹生:いくつか目星はつけているので、私たちが元気なうちに何とか道筋をつけたいです。これからテナントが入り、洋館が活用されている様子を発信できれば、周囲の見方も変わってくると思います。ですから、まずは目の前の計画をしっかり進めていきたいですね。

山下さんの『世田谷イチ古い洋館の家主になる』。保存プロジェクトの詳細な経緯が描かれている(写真撮影/相馬ミナ)

山下さんの『世田谷イチ古い洋館の家主になる』。保存プロジェクトの詳細な経緯が描かれている(写真撮影/相馬ミナ)

●取材協力
旧尾崎邸保存プロジェクト(Twitter)
旧尾崎行雄邸保存プロジェクト(Facebook)
『世田谷イチ古い洋館の家主になる』(グランドジャンプ)※試し読みあり

「中銀カプセルタワービル」2022年に取り壊しへ。カプセルユニット保存へ向けて挑戦はじまる

2021年夏。世界の建築ファンが注目する建築が、いま取り壊しへのカウントダウンを刻みつつあるという。東京都・銀座8丁目に建つ、建築家・黒川紀章の代表作「中銀カプセルタワービル」(1972年)だ。丸窓を有するキューブ状のユニット140個が塔状に張り付くユニークな建築は、世界ではじめてのカプセル型の集合住宅と言われている。その住戸であるカプセルユニットの保存を、クラウドファンディングの資金援助によって行おうとしているグループの代表いしまるあきこさんに話を聞いた。
目標150万円を大きく上回る400万円の支援金を獲得

「2カ月間のクラウドファンディングの期間(5月30日~7月28日)に、延べ300人を超える方々から、当初目標とした150万円を超えて、約400万円の支援をいただきました」と「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるさんはその支援・共感の手応えを話してくれた。

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるあきこさん(写真:蔵プロダクション)

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表のいしまるあきこさん(写真:蔵プロダクション)

「中銀カプセルタワービル(以下、中銀カプセル)は建築関係者だけでなく、一般の建築ファンやかつての未来感に共感を寄せる人々、しかも、若い方から建設された1970年代に子ども時代を過ごして懐かしむ方まで、幅広い世代に関心を寄せていただきました」(いしまるさん)と支援者の幅広さを強調する。

2カ月間のクラウドファンディングで、308人・406万円の支援を得た(画像提供/READYFOR)

2カ月間のクラウドファンディングで、308人・406万円の支援を得た(画像提供/READYFOR)

この独創的なカプセル建築は、建築家・黒川紀章(1934~2007年)の設計によるものだ。「中銀カプセル」は、黒川が参画した建築運動「メタボリズム」(※1)のもと、1969年に黒川が提唱した「カプセル宣言」に端を発し、1970年の大阪万博での未来型カプセル住宅の仮設パビリオンに続く、恒久的な建築として、銀座という一等地に燦然とその姿をあらわした。
日本はもとより世界で、黒川の建築思想と斬新な意匠とあいまって注目される建築となった。
ただし、黒川氏の構想ではカプセルをそれぞれ個別に25年毎に交換するアイデア(建築の新陳代謝)だったものの、現実的には建物の構造上これが難しく、結果的にカプセルはひとつも、一度も交換されないまま老朽化を迎えることになった。(※2)
また、その後には、カプセルホテルでおなじみのカプセルベッドの開発(1979年)という別の形のカプセルとしても実現した。黒川氏の60年代末に提唱した「カプセル」というコンセプトは、いまも私たちの暮らしの中の一隅に生き続けている。

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※注1:メタボリズムとは「新陳代謝」を意味し、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を目指すという、1960年代から70年大阪万博にかけての前衛建築運動だった。
※注2:建物の構造体となる階段室シャフトに対して、カプセルユニットを下から順番に引っかけて固定しており、また、カプセル同士の隙間が30cm程度しかないため、1つのカプセルを外すときに周囲のカプセルに干渉しやすく、設備配管を外すことも難しかった。棟ごとでカプセルを交換することで、ようやく実現できる。さらに、法的には一般的な分譲マンションと同様の区分所有建物であり、多くのカプセル交換は大規模修繕にあたるため所有者の大多数の合意がないと建物を改修できないという制約もカプセル交換を阻む壁となった。

黒川氏のカプセル建築は、50年のときを経て老朽化が進んでいる。
その一つ、別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(1973年・長野県御代田町)は、黒川の子息である黒川未来夫氏が取得して、同じくクラウドファンディングで資金の一部を調達して改修され、21年秋ごろには民泊として、誰もが宿泊体験できる予定だ。(黒川紀章の「カプセル建築」が再注目される理由)

別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

別荘型モデルハウスとして計画された「カプセルハウスK」(画像提供/カプセル建築プロジェクト)

古い建物好きが高じて、中銀カプセルタワービルにたどり着く

「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表で一級建築士のいしまるさんは、大学の建築学科の学生のころから新しいピカピカの建築よりも、歴史を重ねて年月の深みを刻んだ住宅や建築に心を引かれてきたという。
例えば、関東大震災(1923年)の復興住宅である同潤会青山アパート(※3)について、解体前年の2002年から「同潤会記憶アパートメント展」を計7回主宰し開催してきたという。(2012年に「Re1920記憶」と改称したのちも、計5回開催)最初の開催時には、大学院生だった。
また、自ら古い住宅や店舗をデザイン・リノベーションする設計やDIY活動も行ってきた。
いずれも「古い建物を使うことで残すことにつなげたい、建築を体感してもらうことでその記憶を未来につくりたい」と取り組んできたのだという。

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※注3:震災義援金をもとに1924年に設立された財団法人同潤会が、34年までに東京・神奈川の16箇所に鉄筋コンクリート造の集合住宅、いわゆる同潤会アパートを建設した。青山アパートは1926-27年建築。2003年解体。現在跡地には安藤忠雄設計の表参道ヒルズが建つ

そんないしまるさんが、中銀カプセルにたどり着いたのは、2013年のことだという。偶然見つけたカプセルの賃貸だったが、「身軽なうちに名建築に住んでみたい」と思い、お湯も出ず、キッチンも洗濯機置き場もないが、借りて住むことにした。中銀カプセルは分譲マンションで、140個のカプセルそれぞれにオーナーがいる。当時から、建て替えや保存について管理組合で議論されていたが、保存派の所有者からB棟の1室を借りて1年ほど住み、2019年まではシェアオフィスにしていた。2017年からは、B棟のシェアオフィスでの取り組みが評価されて、保存派の所有者から別のカプセルA606号室を借り受け、シェアオフィスとして企画・運営することになったという。現在は、自身を含む8人の会員とともにA606号室を活用している。(シェアオフィスの利用は8月末で終了し、退去予定)

東京都・銀座8丁目に建つ中銀カプセルタワービル。2022年に取り壊される予定だ(写真撮影/村島正彦)

東京都・銀座8丁目に建つ中銀カプセルタワービル。2022年に取り壊される予定だ(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんは「私が、中銀カプセルに住み始めた2013年には、すでにカプセルでさまざまなリフォームが行われていました。雨漏りや経年劣化で傷みがひどいところも多く、もとのカプセルのオリジナルパーツを残すのも難しかったようです。オリジナルが残っているものは、できる限りそのまま残したい、竣工時の空間をもっとちゃんと知りたいと思うようになりました」と語る。
「そこで私たちは、もともとオリジナルの棚などが多く残っていたA606を、1972年の建てられた当時の状態に“レストア”することにしました。レストア(restore)とは、クルマなどの古い乗り物を販売当初の姿に修復して使えるように復活させるときによく使われる言葉です。当初のカプセルユニットには、当時最先端の機器類がオプションで設置できました。ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオ、電卓、電話、冷蔵庫などです。これらを竣工時の状態にレストアして、A606号室では全て使えるように直しました。カメラマンの副代表が設備機器の修復、メンテナンスを担っています」(いしまる)と説明してくれた。円形のブラインドについては、竣工時の写真などをもとに工夫して復元したのだという。
いしまるさんは「セカンドハウスという位置づけでカプセルは生まれました。黒川紀章さんが1人1カプセルと謳った思想は現代にも通用すると思います。ユニットバスを含めた全部で10平米(壁芯で2.5m×4m)のコンパクトな空間ですが、直径1.3mの大きな丸窓のおかげで閉塞感も無く、過ごしているうちにちょうど良い大きさで快適だと感じていきます」と話してくれた。

カプセルの広さはユニットバスを含めて10平米。現在の標準的なビジネスホテルのシングルルームが約13平米という点からも、そのコンパクトさが分かるだろう(写真撮影/村島正彦)

カプセルの広さはユニットバスを含めて10平米。現在の標準的なビジネスホテルのシングルルームが約13平米という点からも、そのコンパクトさが分かるだろう(写真撮影/村島正彦)

ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオなどはレストアした。ブラウン管テレビに地デジやNetflixが映し出される念の入れようだ(写真撮影/村島正彦)

ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオなどはレストアした。ブラウン管テレビに地デジやNetflixが映し出される念の入れようだ(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんによると、オプションの機器類で当時最も高価だったのは「電卓」だという。いまの電卓と入力方法が異なる。タイプライターの貸出もあったという。(写真撮影/村島正彦)

いしまるさんによると、オプションの機器類で当時最も高価だったのは「電卓」だという。いまの電卓と入力方法が異なる。タイプライターの貸出もあったという(写真撮影/村島正彦)

玄関脇に備えられた冷蔵庫。カプセルによってはミニシンクを備えるものもある(写真撮影/村島正彦)

玄関脇に備えられた冷蔵庫。カプセルによってはミニシンクを備えるものもある(写真撮影/村島正彦)

直径1.3mの丸窓。円形のブラインドは工夫してオリジナルに近いように作成した(写真撮影/村島正彦)

直径1.3mの丸窓。円形のブラインドは工夫してオリジナルに近いように作成した(写真撮影/村島正彦)

コンパクトに設計されたFRP製のユニットバス+トイレ。老朽化でお湯がでないので、バスタブを物置として使っている部屋が多いという。(写真撮影/村島正彦)

コンパクトに設計されたFRP製のユニットバス+トイレ。老朽化でお湯がでないので、バスタブを物置として使っている部屋が多いという(写真撮影/村島正彦)

トイレを納める角度に至るまで、コンパクト化への強いこだわりが見て取れる(写真撮影/村島正彦)

トイレを納める角度に至るまで、コンパクト化への強いこだわりが見て取れる(写真撮影/村島正彦)

ユニットバスから室内の見返し。丸いドア開口部が丸窓と呼応していてモダンに感じられる。洗面台の丸鏡もデザイン上合わせたものだろう(写真撮影/村島正彦)

ユニットバスから室内の見返し。丸いドア開口部が丸窓と呼応していてモダンに感じられる。洗面台の丸鏡もデザイン上合わせたものだろう(写真撮影/村島正彦)

クラウドファンディングを手がかりに「3つの保存」に取り組む決意

「わたしたちは、カプセルを借りているに過ぎないので、保存や解体などに直接的な権利はありません。このような意思決定は区分所有者の話し合いに委ねられています。解体に向けて2018年に大きく舵は切られ、私たちにA606号室を貸してくれていた保存派のオーナーも2019年には『買い受け企業』にA606を売却しました」ということだ。
いしまるさんは、その「買い受け企業」と弁護士を通しての粘り強い交渉の末、「1.A606住戸ユニットを譲り受けること、2.全カプセルの学術調査、3.それら費用のクラウドファンディング実施、4.見学会等の実施」を認めてもらうよう裁判所での調停で合意を取り付けたという。

7月28日に終了したクラウドファンディングを呼びかけのサイトから、いしまるさんたちの「保存」についての考え方を引用してみよう。

####(引用はじめ)
残念ながら、2022年3月以降に中銀カプセルタワービルの解体が予定されています。解体にあたって、私たちは「3つの保存」に取り組み、未来にカプセルをシェアしていきたいと考えています。

1. 記録保存  中銀カプセルタワービルの全戸調査による記録保存
2. カプセル保存 カプセル躯体とオリジナルパーツの保存
3. シェア保存  動くモバイル・カプセルとして多くの方とシェアして残す

1. 記録保存
中銀カプセルタワービル全戸の学術的調査(実測調査、写真撮影、Theta撮影、ドローン撮影など)をおこない、解体されたら消えてしまう中銀カプセルタワービルのさいごの姿を、記録を残すことで後世に伝えます。

2. カプセル保存
A606オーナーである中銀カプセルタワービルの「買い受け企業」から譲り受けるカプセルユニットと、取り外す予定のカプセルのオリジナル家具・機器類を、のちに組み合わせることでカプセルのオリジナルを保存します。オリジナルパーツが消えてしまう前に救って、再度オリジナルのカプセルユニットと組み合わせます。

3. シェア保存
「使うことで残す」ことを実践してきた私たちは、使い続けながらより多くの方とカプセルをシェアしていけるようにします。
カプセルを動かせるようにすることで、たとえば、建築学科のある大学や美術館・博物館に移動して、多くの方とオリジナルのカプセルユニットをシェアできるような仕組みをつくっていきたいと考えています。どこかに移築保存するやり方もあるとは思いますが、私たちはカプセルを移動できるようにすることがふさわしいと考えました。動くカプセルは黒川紀章氏の「カプセルは、ホモ・モーベンス(=動民)のための建築である」、「動く建築」の思想の実現でもあるからです。
####(引用終わり)

いしまるさんによると「カプセルの保存にあたって、一番問題なのはアスベスト(石綿)がカプセルに使われていることです。建設時には合法でしたが、壁の内側にある鉄骨の吹き付けアスベストと外壁にもアスベスト含有塗料が用いられています」。
かつてアスベストは柔軟性、耐熱性、耐腐食性などに優れ、さらに安価のため「夢の建材」と言われ、断熱材、耐火材、塗料などにあらゆる建材に多用された(※4)。現在では、吸入することで中皮腫・肺ガンの原因となり死に至る毒性が明らかになったことから、取り壊しなどの際には飛散防止など慎重な取り扱いが法的に義務づけられている。
建物解体時のアスベスト除去作業によって、オリジナルパーツが廃棄されてしまうのを避けるために、自分たちでアスベスト対策をした上で、オリジナルパーツを取り外して救い出すのだという。このため、いしまるさんらは自ら「石綿取扱作業従事者特別教育」を受け、更に「石綿作業主任者講習」などを受けてアスベスト関連作業を取り扱うことができるようになったという。自分たちで取り組むことでコストダウンになるが、それでもアスベスト環境下の内装解体作業だけで約100万円はかかりそうだという。そのためにクラウドファンディングを行っていた。
##
※注4:アスベストによる建材等は1990年ころまでは当たり前に使われており、日本では2006年全面禁止された

このほか、黒川氏は「カプセル宣言」のなかで、カプセルそのものを動かすことを謳っていることから、いしまるさんらは、移築保存ではなくこれを「牽引化(=車で引っ張って動かせるようにする)して動くモバイルカプセル」にすることで、動かして使いながらの保存を目標としている。
また、50年を経て傷んでいるカプセル外壁の処理などを考えると、牽引化のための特殊な台車と合わせてさらに約500万円がかかるだろうと試算している。

いしまるさんは「中銀カプセルタワービルが取り壊されるのは残念ですが、老朽化や修繕の費用負担を考えると致し方ない状況だと思っています。建物が解体されるのであれば、黒川紀章さんの当初の想いを継承して、1つのカプセルをオリジナルに近い状態で保存して、多くの方とシェアしながら使って残していくことが私たちのやるべきことだと考えています。どうやって、どこで使うのか……など、まだまだ決まっていないことだらけです。今回のクラウドファンディングで寄せられた支援金や、暖かい励ましのメッセージを受け止めて、私たちのやり方で、しっかり取り組みたいと思います」と決意を語ってくれた。

「買い受け企業」とはA606室のユニットを譲り受けることを合意した(写真撮影/村島正彦)

「買い受け企業」とはA606室のユニットを譲り受けることを合意した(写真撮影/村島正彦)

最後に筆者の個人的な思いについても、少し紹介しておきたい。
いしまるさんによる同潤会アパートの記憶の展示や、オリンピックの舞台となった新国立競技場近く千駄ヶ谷の古いRC造マンションをコツコツとセルフ・リノベーションしていたお住まい等でお会いしたのは、かれこれ10年以上前のことだ。筆者は、かつて、日本の近代建築を大学・大学院で専攻していたこともあって、いしまるさんの地に足がつき、なおかつ継続的な取り組みに共感するところは大きい。
このたびの取材においても、いしまるさんの小さな身体から、このエネルギーはどんなふうに湧いてでているのだろうと、お話しになる姿をたのもしく拝見したものだ。今後のカプセル保存までには幾つもの困難が待ち受けているだろうが、応援したい。

中銀カプセルタワービルA606プロジェクト代表のいしまるあきこさんと筆者(写真撮影/村島正彦)

中銀カプセルタワービルA606プロジェクト代表のいしまるあきこさんと筆者(写真撮影/村島正彦)

●取材協力
・中銀カプセルタワービルA606プロジェクト/カプセル1972 
・READYFOR中銀カプセルタワービルA606プロジェクト(クラウドファンディングは終了) 
・いしまるあきこWebサイト

京都の元遊郭建築をリノベ。泊まって、食べて、働いて、が一つになった宿泊複合施設に行ってみた!

2020年2月。京都に、ひときわ個性的な宿泊複合施設が誕生しました。その名は「UNKNOWN KYOTO」(アンノウン・キョウト)。ここはなんと、「ゲストハウス」「飲食店」「コワーキングスペース」が合体した複合施設。しかもそれら建物はなんと貴重な元「遊郭建築」をリノベーションしたもの。どこか謎めいた雰囲気が漂う宿泊複合施設は、いったいどのようないきさつを経て生まれたのでしょうか。
「お茶屋」と呼ばれた元遊郭建築を、現代風に再生

訪れたのは、河原町五条の南東側。鴨川と高瀬川がせせらぎ、迷路のような細い路地が随所に張り巡らされた、京都のなかでもとりわけ古(いにしえ)のたたずまいが残るエリアです。京阪本線「清水五条」駅や京都市営地下鉄烏丸線「五条」駅から至近で、かつ阪急「河原町」駅や各線「京都」駅など都心部からもぶらぶらと散歩するあいだに着いてしまうほどアクセスがいい場所です。

実はこの河原町五条の南東エリアは、昔は「遊郭街」として知られた区域でもありました。最盛期には150軒ものお茶屋や置屋があったのだそうです。

今回お話を伺った、株式会社「八清」の暮らし企画部プロデューサーで、一級建築士の落海達也さんと、OND代表取締役社長の近藤淳也さん(写真撮影/出合コウ介)

今回お話を伺った、株式会社「八清」の暮らし企画部プロデューサーで、一級建築士の落海達也さんと、OND代表取締役社長の近藤淳也さん(写真撮影/出合コウ介)

落海達也さん(以下、落海)「UNKNOWN KYOTOは、もともとは古いお茶屋さんで、周辺一帯はかつて『五條楽園』という名の旧・遊郭街でした。京都の中心部の街並みが近年、変化する中で、この辺りには遊郭街特有の街並みが残っており、京都の人にさえも知られていないコアな歴史や個性豊かな建築が残るこのロケーションに、大きなポテンシャルを感じたんです」

京都の人にさえも知られていないコアな歴史や個性……施設に冠された「UNKNOWN」(アンノウン/知られざる)は、そういった趣旨が込められているのでしょうか。

落海「ネーミングは、“知られざる京都”という意味もありますが、いわゆる観光地ではなく、あまり知られていないエリアにこそスポットを当てていきたいという想いが込められています。これまでこのエリアに足を踏み入れたことがない人たちが訪れると、きっと新鮮な驚きがあるだろう。そういう想いが反映しています」

元は明治時代に建てられた遊郭だっただけあり、UNKNOWN KYOTOは、とにかく建物の姿かたちがレトロモダンで味わい深い。年季がもたらす情趣とともに色っぽさも感じます。そのまま映画のセットに使えそうな風格があるのです。

外観(写真撮影/出合コウ介)

外観(写真撮影/出合コウ介)

落海「ずいぶんと長い間、空き家でした。当初は和風建築でしたが、どこかのタイミングで今のスタイル、いわゆる“カフェー建築”と呼ばれる独特な建築スタイルになったものと思われます。地面がモザイクタイル張りだったり、古いガラスのブロックや、レンガ造りだったり、お茶屋さんだった時代の名残りが随所に見受けらます」

建物に足を踏み入れると、広い玄関土間が。赤とピンクの小さなタイルが敷き詰められた床は、お茶屋さん当時のもの。五條楽園が華やかかりし時代は、床にタイルを貼ることで清潔感を演出したのだそう。

玄関ホールで使われているタイルは古いものを残すだけではなく、お茶屋建築の美意識を活かすために元々そこにあったかのようなタイルを厳選するというこだわりぶり。床や壁をめくるたびにタイルなどが出てきたりするので図面はあってないようなもの。おかげで相当工事はたいへんだったそう(写真撮影/出合コウ介)

玄関ホールで使われているタイルは古いものを残すだけではなく、お茶屋建築の美意識を活かすために元々そこにあったかのようなタイルを厳選するというこだわりぶり。床や壁をめくるたびにタイルなどが出てきたりするので図面はあってないようなもの。おかげで相当工事はたいへんだったそう(写真撮影/出合コウ介)

南棟の1階には、フルタイム会員のみならずドロップイン利用(¥500/2時間~)、宿泊者利用も可能なコワーキングスペースと、そして奥には2つのシェアオフィスがあります。

コワーキングスペースはくつろげるソファ、テレビモニターがある会議室、シェアキッチンまでもが設けられた充実の設備(写真撮影/出合コウ介)

コワーキングスペースはくつろげるソファ、テレビモニターがある会議室、シェアキッチンまでもが設けられた充実の設備(写真撮影/出合コウ介)

柔らかなオレンジ色の灯りに照らされたコワーキングスペースは場所を固定しないフリーアドレス制。使い方の自由度が高い! しかも椅子はすべて『種類を変えた』という凝りよう。自分の体にフィットする椅子が選べ、京都に長期滞在する際も、ここだけで気分を変えて仕事をすることができます。

キッチンでは調理器具がひと通りそろっており、お湯を沸かしたり、パンを焼いたり、お弁当を温めたり、簡単な料理づくりが可能です。吊り戸棚はなんと、もともとの建物に残っていたものを再利用。

奥には、空から光の入ってくる坪庭があります。ほっとする眺めですね。

いかにも京都らしい、奥行きのある建物の中ほどには坪庭が(写真撮影/出合コウ介)

いかにも京都らしい、奥行きのある建物の中ほどには坪庭が(写真撮影/出合コウ介)

玄関ホールから階段を登ると、「うわぁ」、思わず驚きの声をあげてしまいました。舟底天井の格式高い和室や洋館を思わせるお部屋、ドミトリータイプの大部屋が2つ(うち1つは女性専用の部屋)など、お茶屋さん時代の間取りをそのままに活かした艶っぽい空間となっています。

天窓のある客室(写真撮影/出合コウ介)

天窓のある客室(写真撮影/出合コウ介)

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上/デッキを通って行ける中庭に面した北棟1階の客室 下/中庭を望む2階部分の廊下は青い絨毯が印象的(写真撮影/出合コウ介)

上/デッキを通って行ける中庭に面した北棟1階の客室 下/中庭を望む2階部分の廊下は青い絨毯が印象的(写真撮影/出合コウ介)

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上/共用の水まわりはレトロなタイルが。下/ドミトリータイプの客室はベッド部分にテーブルもあり、一般的なものよりもゆったりとしている(写真撮影/出合コウ介)

上/共用の水まわりはレトロなタイルが。下/ドミトリータイプの客室はベッド部分にテーブルもあり、一般的なものよりもゆったりとしている(写真撮影/出合コウ介)

細かな手仕事が施された建具はできるだけそのまま利用した(写真撮影/出合コウ介)

細かな手仕事が施された建具はできるだけそのまま利用した(写真撮影/出合コウ介)

北棟の1階には3面カウンターの飲食店スペースが設けられ、ランチと夕食をフォロー(今後、朝食もスタート予定とのこと)。お昼はスパイスカレーをメインとした「スパイスオアダイ」、夜は大衆酒場「アンノウン食堂」、昼は定食、夜はイタリアンをメインとした「Sin」と、系統が異なる3店。誰もが気軽に訪れ、美味と会話を楽しめる場となっています。別々のテイストの料理をつくる2人のシェフが、息を合わせて、ガスキッチンなどのスペースをシェアしながら料理を提供しています。

キッチンだけでなくホールスタッフもシェア。注文や会計どちらにもまとめて対応している(写真撮影/出合コウ介)

キッチンだけでなくホールスタッフもシェア。注文や会計どちらにもまとめて対応している(写真撮影/出合コウ介)

このゲストハウスでは特に、飲食ができる点に強くこだわったと言います。

落海「コワーキングスペースやゲストハウスが増えている昨今、わざわざ行きたくなる場所にしないと、これからの時代はやっていけないでしょう。ネットさえつながればどこででも仕事ができますから、そうではなく、わざわざ足を運び一緒にごはんを食べたり、お酒を飲んだりするつながりに価値が生まれてくると思うんです」

一日中過ごすうちに、家族のような感覚に。つながりから化学反応を生む

UNKNOWN KYOTOはこのように、多様な訴求力に満ち満ちています。
そして、こういった宿泊と仕事場を兼ねた場所を「コリビング(Co-Living)」と呼ぶのだそう。

落海「コリビングとは、『さまざまな職業の人が仕事をしながら一緒に暮らせる場所』という意味です。コワーキングスペースとして人々が仕事をしに集まるんだけれども、意気投合したら一緒にごはんを食べたり、仕事で夜が遅くなったら、ちょっとお酒を飲んで、そのまま泊まっていけたりだとか。そんなふうに、『家族とともに過ごしている感覚になれる場所』といった概念です。全国的にも珍しく、まだ普及していない言葉だと思います。かく言う弊社もこのプロジェクトに取り組む最近までコリビングという言葉を知らなかった(苦笑)」

「住むように働く」、つまり「仕事」と「暮らし」と「旅」が重なる場所、それが「コリビング」。泊まって、食べて、働いて、機能が限定されない。まるで、2軒目の家。「滞在」の概念を変えうる新しいスタイルですよね。

落海「飲食施設も単に隣接したスペースというよりは、“拡張されたダイニング”という感覚ですね。つまり、ここにいるとプチシェアハウス体験ができる。このように外へ出ずにひとつ屋根の下で完結する業態が、京都にはこれまでありそうでなかったんです」

取材で訪れたこの日も、仕事のあいまに光の差し込む中庭を眺めてくつろいでいる人や、飲食スペースに移動して会話に花を咲かせる人たちなど、それぞれがリラックスしながら活用できる自由度の高さを感じました。確かにシェアキッチンまであるコワーキングスペースは珍しいですよね。

落海「せっかく人が集まるんだから、それぞれが単に自分の仕事をしているだけではなく、化学反応を起こす場所にしたいんです。出会った人どうしが意気投合すれば、そのままお酒を飲んだり食事をしたりしながら交流を深めてゆけるようにシェアキッチンを設けています。そこで生まれた関係から、さらに仕事へのフィードバックが期待できる場所でありたい。それがコリビングです」

京都・鎌倉、古都が拠点の3社が古民家再生、クラウドファンディング、ITで強みを発揮

新しい滞在のかたち「コリビング」を提唱するUNKNOWN KYOTOは、落海さんがお勤めになる京都の「株式会社 八清」と、同じく京都の「株式会社 OND」、神奈川県の鎌倉に本拠地を構える「株式会社 エンジョイワークス」の3社によるプロジェクトチームが起ちあげた施設です。

「八清」は創業60年を超える不動産会社。おもに木造伝統住宅「京町家」を中心とした仲介や再生・再販事業を行っています。「OND」は不動産サイト「物件ファン」を運営するインターネットサービスの会社。「エンジョイワークス」は湘南・鎌倉エリアを中心に、仲介や建築、リノベーションなどの不動産業のほか、クラウドファンディング、宿泊施設の経営など多方面に展開しています。このように、それぞれ得意ジャンルを持ちながらテリトリーが重ならない3社がタッグを組み、これまで京都になかった刺激的な“共創”的場づくりを見せようとしているのです。

落海「八清には京町家をリノベーションするノウハウがある。エンジョイワークスさんはまちづくりを促進するためのノウハウとプラットフォームを持っている。ONDさんはITに強く、「物件ファン」という面白いメディアを持っている。『この3社が組んだら面白いことができるんじゃないか』と直感し、自然な流れで手を組むことになりました。アプローチが異なる3社がそろったことで、互いに刺激になることばかりで、これからのまちづくりや不動産業について、本当に勉強になりました」

3社がコラボするきっかけとなったのが、魅力的な、このお茶屋物件。長く空き家だった建物がいだく未知なる可能性が、3社を魅了したのです。

落海「大型のお茶屋建築で、しかも2棟が並んでいるのは非常に珍しい。ここで、なにか面白いことができないかとエンジョイワークスさんからご提案をいただいたんです」

京都から遠く離れた鎌倉に本社を置くエンジョイワークスだからこそ、この建物の底知れない魅力を客観的に評価できたのかもしれません。そこから、「食事ができて働ける宿泊施設」へのチャレンジがスタートしたのです。

投資対象は、お金のリターン以上に、プロジェクトへの「共感」や参加意識

UNKNOWN KYOTOには、もうひとつの大きな特徴があります。それは「投資家特典」。ここには自由な発想がふんだんに盛り込まれていました。「投資家」と聞くと、「自分とは住む世界が違うハイソサエティ」と感じる人が少なくないでしょう。しかしUNKNOWN KYOTOがいう投資家は、1口5万円からの参加が可能な、一般の人が広く関われるタイプ。その参加目的も、もっと柔らかいイメージなのです。

落海「投資家=“場をつくる仲間”という考え方で、投資型クラウドファンディング『京都・五條楽園エリア再生ファンド』を立ち上げました。投資家というよりは“事業サポーター”の方が、印象が近いかな。エンジョイワークスさんが運営する不動産クラウドファンディングのプラットフォーム『ハロー!RENOVATION』で、小口の投資家であっても積極的に参加できるように、オープン前からワークショップやイベントを催してきました。そうして、プロジェクトの進化を一緒に楽しみたいという方々が増え、関係も深くなっていったんです」

投資家さんとのコミュニケーションを重視し、ともに五條楽園を活性化させていきたい。レボリューションを起こしたい。そんな落海さんたちの想いが京都はもとより全国へと伝わり、なんと新潟県からの参加もあったのだそう。

落海「事業の改善や、さらなるプロジェクト展開について投資家の皆さんと一緒に考えていくイベントをオープン前に13回、開きました。第一回目にはなんと、『女将さんを募集する』というイベントをやったんです。『宿泊施設をやるのならば女将さんが必要だよね、どうしよう』って。そうしたら菊池さんという女性がイベントに来てくださって、イベントのあと、そのまま女将として合流していただきました」

女将さんを募集したイベントの様子(写真提供/エンジョイワークス)

女将さんを募集したイベントの様子(写真提供/エンジョイワークス)

イベントに参加した菊池さんは元・家具職人。デンマークを代表する家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーの椅子製作を行うPP MØbler(ピーピーモブラー)でものづくりをしていた凄腕です。「かっこいい建物を家具でさらにかっこよくし、心地よいスペースをつくりたい!」といった熱い想いを胸に、インテリアのコーディネートも担いました。

なお、いっそう独特なのが、「投資家特典の決め方」です。

落海「『投資家特典をみんなで考えよう』というワークショップをやったんです。そのなかで生まれたのが“ビアジョッキ”でした。自分にしか使えないビアジョッキがあったら、『今夜もあの店へ行って、ジョッキで飲んでみようか』という気分になるんじゃないかなって。さらに、会員IDをレジに伝えてからビールを注文すると、会員限定のSNSに『だれだれが、今乾杯しました』と自動的に投稿されます。それを見たほかのメンバーが、『あ、あの人が店にいるのなら、行ってみようかな』と思う。そうやって新たな交流が生まれてくるんです」

特製会員ジョッキは、オリジナルデザインの特注品で、通常のジョッキよりもサイズがひとまわり大きい、つまり同じ値段で大容量(写真撮影/出合コウ介)

特製会員ジョッキは、オリジナルデザインの特注品で、通常のジョッキよりもサイズがひとまわり大きい、つまり同じ値段で大容量(写真撮影/出合コウ介)

レジとSNSが連動する画期的なシステム。ITに強いONDが参加しているから具現化できた工夫です。ここで重要視されるべきは、「投資のリターンが金銭だけではない」点。人と人とが出会い、ネットワークが築かれることこそが、尊いリターンであるとプロジェクトに関わった3社と投資家の皆さんたちは考えたのです。

落海「イベントを通して、自分たちがやろうとしているビジョンを伝える。共感してくれた人が女将さんへの立候補だったり、ビアジョッキだったりと『何らかのかたちで関わりたい』と考える。そうやって皆さんのご意見を実現させたことで、投資家さんたちが、とても喜んでくださったし、信用していただけた。施設を利用するだけではなく、運営に参加してもらう行為そのものを投資だという僕たちの想いが届いたんです」

ゲストハウス・飲食店からもれるあかりを軸に、周辺にも広がる五条の再生

実はこの飲食店、ゲストハウスのある建物のほかに、10mほど南に歩いたところにもう一つ、シェアオフィスがあるんです。ここも、元お茶屋さんだった遊郭建築で、『UNKNOWN KYOTO 本池中』といいます。『本池中』は元のお茶屋さんの屋号で、そのまま譲り受けたそう。

落海「この建物との出会いは偶然だったんです。はじめ、UNKNOWN KYOTOには駐輪場がなく困っていたところ、『三軒隣の旧お茶屋の女将さんが、ガレージ一台分を使っていない』という情報を耳にしまして。それで交渉をしに行って、10台分くらいは停められるスペースを貸してくださることになったんです。そして、建物が面白そうだったので2階を見せていただいたら、びっくりしましてね……」

落海さんが、そこで見た光景とは?

落海「お茶屋さん時代の艶めかしい風情を漂わせたしつらえのまま、5部屋をきれいに残しておられて。これはお借りしたいと。ところが1階に住んでいるので、宿やシェアハウスとして使われると困るとおっしゃる。『でしたら、シェアオフィスとしてなら、いかがですか』と提案したら、それだったらいいと」

現在は複数の会社がここをオフィスとして利用。打ち合わせ等に使っている(写真撮影/出合コウ介)

現在は複数の会社がここをオフィスとして利用。打ち合わせ等に使っている(写真撮影/出合コウ介)

五條楽園オリジナルと呼んで大げさではないお茶屋建築は、この偶然の訪問により、再び光が射しました。

落海「このシェアオフィスでも、本館のサービスが受けられる点が大きいと思います。ここで仕事をして、本館を食堂として使うこともできるし、泊まることもできる。離れた建物を、一つの空間として使えるこの付加価値は、ほかの施設にはなかなかないですよ」

別棟にもシェアオフィスを開くなど、なんだか旧遊郭街にタネを撒き、新たな文化の花を開かせようとしているように感じます。

落海「そうなんです。そもそも投資型クラウドファンディングは、UNKNOWN KYOTOを建てるためではなく、五條楽園エリアの活性化が目的の再生ファンドです。僕たちはここだけで終わるのではなく、この建物をきっかけに、エリアに点在しながらパラサイトしてゆくような感じにしたいなあという想いが強くあって。そのためには先ずUNKNOWN KYOTOを成功させることが大事だと考え、注力しています」

飲食店、コワーキングスペース、ゲストハウスというこの複合施設は、24時間人の動きがあり、つねに誰かの気配を感じさせる場です。もれるあかりにひかれ、「あの人、今日はいるかな?」と、ちょっとのぞいていく人の流れも、このエリアに生み出していきたいそうです。
UNKNOWN KYOTOは単なる宿泊施設ではなく、地域とともに再生し進化してゆく発信拠点でありたい。落海さんはそう語ります。遊郭街としての役目を終えた五條楽園ですが、ここに新たな楽園が生誕する。そんなふうに確信した一日でした。

「つながりシェア保育園・よよぎうえはら」とは? 地域やシェアハウス住人と一緒に行う新しい子育ての形

共働きで小さな子どもがいれば、引越しの際のポイントのひとつとして「保育園」を挙げる家庭も多いのではないだろうか。待機児童などの問題はあれど、子どもにとっての “もうひとつの家”の環境には、できるだけこだわりたいもの。保育園ごとにさまざまな特色があるが、東京都渋谷区にある「つながりシェア保育園・よよぎうえはら」は、“シェア”がテーマとなっているユニークな保育園だ。
「つながりシェア保育園・よよぎうえはら」とは?「つながりシェア保育園・よよぎうえはら」学校法人正和学園 理事長・齋藤祐善さん(中央)、施設長・佐藤喜美子さん(左)、まち暮らし不動産 代表取締役・齊藤志野歩さん(右)(写真撮影/片山貴博)

「つながりシェア保育園・よよぎうえはら」学校法人正和学園 理事長・齋藤祐善さん(中央)、施設長・佐藤喜美子さん(左)、まち暮らし不動産 代表取締役・齊藤志野歩さん(右)(写真撮影/片山貴博)

2017年に不動産に特化した投資型クラウドファンディングのプラットフォーム「クラウドリアルティ」上で資金を募り、申込金額は1億7400万円を達成。準備期間を経て2019年2月に開園した「つながりシェア保育園・よよぎうえはら」は、“日本初のクラウドファンディング保育園”として話題になった。

代々木上原から徒歩約10分。閑静な住宅街の中にあるレンガ造りの建物の1階が「つながりシェア保育園・よよぎうえはら」だ。園内は、仕切りが少なく、異年齢の子どもたちがのびのびと遊ぶことができ、明るく開放的だ。都心部でありながら周辺環境にも恵まれ、近隣の東京大学や駒場公園などにお散歩に行くのだとか。月極での契約のほか一時保育も利用可能で、海外在住の親子が日本滞在中に利用者することもあるとのこと。
地下1階は、通常は事務所として使われているが、イベントスペースとしても活用できる設計になっている。
2・3階はシェアハウスで、現在2家族が入居中。子どもを1階の保育園に預けることができれば通園時間も大幅に短縮できる。複数の家族がともに子育てをする“大きな家族”を育むことができるのは、共働きの家庭にはメリットも大きいだろう。将来的には一部を民泊としても貸し出す予定で、希望があれば民泊宿泊者と保育園の交流も行っていきたいという。

「つながりシェア保育園・よよぎうえはら」外観(写真撮影/片山貴博)

「つながりシェア保育園・よよぎうえはら」外観(写真撮影/片山貴博)

この保育園の大きな特徴は、施設名のように“子育てをシェアする”というメッセージだ。行事は保育園関係者だけで行うのではなく、近隣住民・親子、クラウドファンディングの出資者、この保育園のメッセージに共感してくれる人たちなどに開かれたものにしていく計画だという。多くの人と触れ合うことによって子どもには大きな刺激となるだろうし、孤独になりがちで悩むことの多い子育て世代や地域の交流の場ともなるだろう。

「ほかの保育園との一番大きな違いが、その名称のとおり、人とのつながり、生活そのものをシェアしていくという発想で運営しているところです。渋谷区はシェアリングエコノミーに対して積極的に取り組んでいる自治体のひとつ。そして、そのような事柄に感度の高い人がたくさん住んでいます。そのため、保育園にシェアハウスを併設して、保育園自体も社会に開いていくという形が取れないかと考えました。ただ地域や社会とつながりをもつだけではなく、さらに生活そのものをシェアしていくことで、子どもたちの成長の共有はもちろん、お母さん同士のコミュニティづくりもさらに一歩踏み出していければと思っています」(理事長・齋藤さん)

つながりをイメージしたサインもかわいい(写真撮影/片山貴博)

つながりをイメージしたサインもかわいい(写真撮影/片山貴博)

日本初のクラウドファンディング保育園

クラウドファンディングではわずか10日で目標金額を達成したことからも、“子育てをシェアする”というメッセージは、多くの人に共感・支持されていることが分かる。
「保育園を開園する際、銀行から資金を借りるのが通常のルートだと思うのですが、あえてクラウドファンディングという手法を使ったのは、仲間を増やしたかったからなんです。今回の大きなチャレンジのひとつが、保育園というハードウェアの所有をシェアすること。クラウドファンディングを使って出資者から集めた資金でファンドを組成し、クラウドリアルティさんの子会社がその資金をもとに土地を購入して、我々の学校法人がその土地をお借りするという形になるので、ここは実質的には出資していただいた数百名の方々がみんなで持っている保育園なんです。保育園で何かするときにも、出資者に声がけができるユーザーグループを持ったことが大きなポイントだと思っています。開園直前にはみんなで棚をつくったり、シェアハウスに置く本を持ち寄ったりしました。
通常の保育園だと、サービス提供者=保育園とサービス受給者=保護者・児童という関係性ができてしまうことも多いですが、ここの出資者はお金のみならず気持ちもコミットしている。そういう関係性が一番欲しかったんです。今後は、出資者の方々が時折遊びにきて一緒におやつを食べたり、一緒に遊んだりする機会を積極的につくっていきたいと思います。もちろん、まだ開園したばかりで課題もたくさんあるのですが、そのきっかけづくりはできたかなと思っています」(理事長・齋藤さん)

子どもがいることで、社会は素敵に、より安全になる保護者にその日の様子が分かるように、保育園入口横には給食のメニューやその日撮影された園児の写真などが掲示されている(写真撮影/片山貴博)

保護者にその日の様子が分かるように、保育園入口横には給食のメニューやその日撮影された園児の写真などが掲示されている(写真撮影/片山貴博)

子育てを社会や地域とシェアする。そのテーマは、保育園の内装にも表れている。光がたくさん入る大きな窓や床の一部に屋外に使うことが多いテラコッタ素材を使用して外部とのつながり感を演出した内部は、子どもはもちろん、大人も長居してしまいそうな居心地のいい空間。保育室も仕切りがなく広々としていて、子どもたちにも自然と兄弟のような関係性が生まれている。
「例えば、低年齢の子がバウンサーで泣いていると、上の子が近寄ってきてバウンサーを揺らしてあげたり、おもちゃを持ってきてあやしてあげたりしています。食事も、給食の先生含めて保育士・子どもみんなで食べていますので、『おいしいね』『もう少したべたら?』など自然と声をかけあいます。幼稚園の後に一時保育でくる子もいるのですが、保育園に入ってくるとみんなで『おかえり!』と声をかけたりして、本当に大きな家の家族のような感じです」(施設長・佐藤さん)

シェアハウス入口前のテラスには、保育園の園芸部の鉢植えが。「私と2歳の子のふたりの園芸部です(笑)。シェアハウス入口のテラスでトマトやきゅうりを育てています。毎日時間になると、『先生、園芸部の活動の時間だよ』と声をかけてくれて、毎日一緒にお水をあげています」(施設長・佐藤さん)(写真撮影/片山貴博)

シェアハウス入口前のテラスには、保育園の園芸部の鉢植えが。「私と2歳の子のふたりの園芸部です(笑)。シェアハウス入口のテラスでトマトやきゅうりを育てています。毎日時間になると、『先生、園芸部の活動の時間だよ』と声をかけてくれて、毎日一緒にお水をあげています」(施設長・佐藤さん)(写真撮影/片山貴博)

「“自分はここにいていいんだ”という安心感や所属感は、今の時代に欠けていると思うんです。特に、最近は痛ましい事故が相次いでいますよね。1990年代に学校での事件が相次いだときは、国から180cm以上のフェンスで学校のまわりを囲めという通達が出て、全国の学校・幼稚園・保育園はそのようになった。ただ、それによって地域と隔絶してしまったので、その断絶をどのように埋めるかがこの数十年のテーマだったんです。行政は、フェンスの件やお散歩などのルート改善など事件・事故を未然に防ぐための通達を出します。
もちろんそれも大切ですが、私たちは施設だけが子どもを守るということではなく、社会全体で子どもが大切だと認識して守っていくことが重要だと考えています。『つながりシェア保育園』はその最前線にいる砦。事件・事故が起こることで子どもたちを守ろうとするが故に施設に縮こまっていくのではなく、『みなさん、子どもたちと一緒に安全な地域をつくっていきましょう』と呼びかけていきたいんです。
だから、保育士には施設に閉じないようにとよく言っています。社会の中に子どもがいて、子どもがいることで社会はより素敵なものになるということをこの施設からも発信していく必要があるからです。それを徹底してやることで、地域の目も浸透してきて、子どもの安全も確保されていくと思います。このような考えの味方としてクラウドファンディングの出資者がいるということは、私たちの大きな力になっています」(理事長・齋藤さん)

子育てのハブとなる保育園を目指してシェアハウスのリビング(写真提供/まち暮らし不動産)

シェアハウスのリビング(写真提供/まち暮らし不動産)

シェア保育園が提唱する“拡張家族”の概念は、海外に住む保護者からも支持されているようだ。
「先日、お母さんが日本人、お父さんがアメリカ人で、アメリカ在住のお子さんを一時保育でお預かりしたんです。そうしたら非常に喜んでいただいて、『アメリカに帰ったらみんなに宣伝する!』と言ってくださったんです(笑)。『つながりシェア保育園』には英語を話せる保育士もいますし、親御さんが海外の方のお子さんをお預かりすることもあります。日本だけではなくて世界ともつながっていく。これからは、もっとグローバルな関係性もつくれるといいなと思っています」(施設長・佐藤さん)

シェアハウス内観。天窓から注ぐたくさんの光と木の匂いに癒やされる明るい室内。シェアハウスに住むAさんは、1階にある保育園で働き、子どもも預けている。「通勤時間は30秒。“職住近接”ならぬ“職住直接”です(笑)。1階で保育士として働いていますから、なおさら日常の暮らしと仕事、子育てなどのすべてが、つながっているのだと実感しています」(撮影/片山貴博)

シェアハウス内観。天窓から注ぐたくさんの光と木の匂いに癒やされる明るい室内。シェアハウスに住むAさんは、1階にある保育園で働き、子どもも預けている。「通勤時間は30秒。“職住近接”ならぬ“職住直接”です(笑)。1階で保育士として働いていますから、なおさら日常の暮らしと仕事、子育てなどのすべてが、つながっているのだと実感しています」(撮影/片山貴博)

(写真提供/まち暮らし不動産)

(写真提供/まち暮らし不動産)

子ども用トイレがシェアハウスの脱衣所にあるのも特徴的(撮影/片山貴博)

子ども用トイレがシェアハウスの脱衣所にあるのも特徴的(撮影/片山貴博)

「今後は併設のシェアハウスの一部を民泊として貸し出し、関わる人をもっと増やしたいと思っています。海外の人でも子どもたちと関わっていただいて、子どもに刺激を与えてもらったり、そこでつながった仲間が“子育てをシェアする”という発想を各国で発信するようなきっかけづくりは、この施設の大きなミッションのひとつです。この施設がシェア、保育、子どもの未来などについて考えたいという人たちがつながるハブになりたいと思っています」(理事長・齋藤さん)

シェアハウスの間取り(画像提供/まち暮らし不動産)

シェアハウスの間取り(画像提供/まち暮らし不動産)

民泊として貸し出す予定の部屋(撮影/片山貴博)

民泊として貸し出す予定の部屋(撮影/片山貴博)

子育てをシェアする。「つながりシェア保育園・よよぎうえはら」のテーマが浸透すれば、もっと子育てしやすく、老若男女の笑顔があふれる社会・地域になるだろう。保育園の今後の取り組みに注目し、機会があればぜひイベントに参加して“子育てのシェア”を体感してほしい。そして、この考えが社会全体に浸透していくよう、ひとりひとりがそれぞれの地域で心がけていくのが理想だ。

●取材協力
>学校法人 正和学園「つながりシェア保育園・代々木上原」
>クラウドファンディングプラットフォーム「クラウドリアルティ」
>まち暮らし不動産