金物のまち・新潟県三条市が人気NO1移住地に! スノーピークなど若者が熱視線の4事例

新潟県三条市が、人気移住地域ランキング「SMOUT移住アワード2021上半期ランキング」(面白法人カヤック発表)でNo.1に輝いた。その評価ポイントは、「市内のエリア特性を見事に生かし、移住関心者の心を掴んだこと」。「移住関心者の心を掴む」として挙げられているのが、三条市に本社を構えるスノーピーク。敷地内にキャンプ場を併設している、アウトドア業界を牽引する企業だ。
そのほかにも、一大金物産地である燕三条地域を成す三条市には、人口比あたり日本一社長が多いと言われるほど多くの企業が存在している。人気の理由を深堀りするため、「スノーピーク」と、話題の金物づくり企業「庖丁工房タダフサ」と「諏訪田製作所」、そして工場と工場、クリエイターをつなぎ文化の継承を担う「三条ものづくり学校」を訪れてみた。

「スノーピーク」アウトドアは趣味かつ仕事!全国から集まる若者が永久保証品質の担い手

国内外でアウトドア関連事業を幅広く展開するスノーピークは、三条市を代表する企業だ。「人生に、野遊びを。」をスローガンとする同社の製品は、多くのキャンパーから支持されている。

本社の地下にあるスノーピークミュージアム。創業からの歴史とこれまでの製品が展示されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

本社の地下にあるスノーピークミュージアム。創業からの歴史とこれまでの製品が展示されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

創業は1958年。三条市で山井幸雄(やまい・ゆきお)さんが金物問屋を立ち上げ、趣味の登山用に本格的なギアをつくりだしたのが始まりだ。

幸雄さんが開発した、雪山登山時に靴に装着するアイゼンと、岩にボルトを打ち込むハンマー(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

幸雄さんが開発した、雪山登山時に靴に装着するアイゼンと、岩にボルトを打ち込むハンマー(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

その後、息子の太(とおる)さんが2代目社長に就任し、オートキャンプ領域を切り開いた(現在会長職)。
キャンプ用品はバックパッカーやクライマー向きのものが中心だった時代。欲しいものを自らつくり現場で試すという信念を父親から受け継ぎ、誰もが気軽にアウトドアを楽しめる上質な用品を、次々と産み出していった。

山井太さん(左)は三条市生まれ。東京の大学で学び、外資系商社を経て2代目社長に就任した。2020年に娘の梨沙さんが3代目となり、2021年4月より代表取締役会長。執行役員でもある妻の多香子さん(右)とは商社で同期入社だったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

山井太さん(左)は三条市生まれ。東京の大学で学び、外資系商社を経て2代目社長に就任した。2020年に娘の梨沙さんが3代目となり、2021年4月より代表取締役会長。執行役員でもある妻の多香子さん(右)とは商社で同期入社だったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

暴風雨にさらされてもテントを守る頑丈なペグ。焚火のような強い直火に耐えうる鍋。室内で使用する以上に堅牢さを求められるアウトドア製品づくりは、燕三条の職人の技術が支えている。
「たとえば鍋は、大きさによりコンマミリ単位で板厚を変えねばなりません。どのくらいの厚さがベストなのか職人の経験に頼りながら、試作を繰り返します。同時に使いやすさ、美しさを追求しますから『お前が持ってくる依頼はめんどくさいものばっかりだ』と言われながらも、『こんなの無理ですよね、できないですよね』と職人魂を焚き付ければ焚きつけるほど(笑)、こちらの要求を超えてくるのが燕三条の職人です。『試作品つくるために機械もつくっちゃったよ』なんて、びっくりさせられることもよくありました」(太さん)。
高品質を誇りに、「キャンプ製品に永久保証をつけたのは我々が世界初です」と太さんは胸を張る。そんなスノーピークは2011年に、本社をキャンプ場・店舗・工場・オフィスが一体となった「Headquarters」へと進化させ、三条市街地から山を身近に望む丘稜地帯に移転した。

取材当日は大雪。雪中テント泊を楽しみにするキャンパーが関東から訪れていた(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

取材当日は大雪。雪中テント泊を楽しみにするキャンパーが関東から訪れていた(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「社員もみんなキャンパー、自然の中で過ごすのが大好きなことが入社の条件のひとつです」と語るのは、執行役員の吉野真紀夫(よしの・まきお)さん。自身も釣りとキャンプの愛好家だ。「山も川も海も近いこの場所は、アウトドア体験から製品をつくり試すのにふさわしい、素晴らしい場所です」

「これを眺めながら仕事だなんて、最高でしょ?」と雪景色にはしゃぐ吉野さん。晴れたときには広大なキャンプ場とその奥の山並みが本社屋から一望できる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「これを眺めながら仕事だなんて、最高でしょ?」と雪景色にはしゃぐ吉野さん。晴れたときには広大なキャンプ場とその奥の山並みが本社屋から一望できる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

アウトドア愛好者の憧れの会社となったスノーピークには、全国から入社希望者が殺到する。「今や社員のほとんどは新潟県以外の出身。私も東京出身です」(吉野さん)
「社員たちのアイデアは、地元の工場の職人さんたちに、それこそ打たれ研磨されて世界に誇れる商品になっていきます。新人のうちは不勉強を嘆かれつつもモノづくりへの熱い気持ちは同じ。心に火をつけて最高のギアをつくっていくのです」(吉野さん)

キャンパーであることを優とするスノーピークの採用基準と、常にキャンパーでいられるフィールド、そして、そのフィールド体験をカタチにできる燕三条のモノづくり。そんな吸引力が、若者をスノーピークに惹き寄せているようだ。

社員が自由に使える打ち合わせスペースはまるでキャンプサイト。「これからは衣食住働遊の全領域で、自然と触れ合える生活を提供していきます」(山井太さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

社員が自由に使える打ち合わせスペースはまるでキャンプサイト。「これからは衣食住働遊の全領域で、自然と触れ合える生活を提供していきます」(山井太さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「庖丁工房タダフサ」世界のバイヤーが認める鍛冶仕事は子どもたちの憧れ

庖丁工房タダフサは、世界中のバイヤーが注目する話題の企業だ。創業は1948年。現在は3代目となる曽根忠幸(そね・ただゆき)さんが経営を担う。
タダフサの主力製品はその名の通り包丁だ。手作業でつくられる鋼の包丁は極上の切れ味。例えば家庭用の万能三徳包丁は9000円(税別・取材当時)と高額だが、生産が間に合わないほどの人気を誇っている。

工場併設のショップ。鋼製包丁はオールステンレスに比べると手入れが必要だが、その重力だけで固い人参が切れる体験をすると、買わずにはいられない。研ぎ直しサービスもあるので安心(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

工場併設のショップ。鋼製包丁はオールステンレスに比べると手入れが必要だが、その重力だけで固い人参が切れる体験をすると、買わずにはいられない。研ぎ直しサービスもあるので安心(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

会社ロゴには、鋼材をつかむ、つかみ箸をデザインした。以前は鍛冶職人が最初に修行としてつくるならわしがあったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

会社ロゴには、鋼材をつかむ、つかみ箸をデザインした。以前は鍛冶職人が最初に修行としてつくるならわしがあったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「祖父の寅三郎(とらさぶろう)が大工道具の曲尺づくりを始めたのが創業のきっかけです。腕利きが認められるようになって、農具や漁業用具などさまざまな刃物を手掛けました。家庭用の包丁も問屋から注文が入るようになり、その後父・忠一郎(ちゅういちろう)に工場を引き継ぎました。職人が全工程を手作業で行うのは、創業当時と同じです」と曽根さん。

曽根忠幸さん。東京の大学卒業後3年間の会社勤めを経験し、鍛冶職人に。2012年代表取締役に就任。会長職に就いた忠一郎さんは伝統工芸士に認定されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

曽根忠幸さん。東京の大学卒業後3年間の会社勤めを経験し、鍛冶職人に。2012年代表取締役に就任。会長職に就いた忠一郎さんは伝統工芸士に認定されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

職人の数も少しずつ増え、やがて時代のニーズとともにホームセンターからの注文も入るようになった。「ホームセンターは納期が厳しかったです。長時間労働を強いられ利益も薄いのですが、売上が大きいので断れませんでした」(曽根さん)。

2011年に中川政七商店の中川政七さんに工場経営を相談したことが転機となった。
当時の市長が三条市の活性策として「モノづくり」に道を求め、中川さんにコンサルティングを依頼。多くの金物工場の中からまず1社、タダフサが先鞭をつけるべく選抜されたのだ。

中川さんと打ち合わせを重ねて気がついたのは「自分たちで何をつくるべきか考えてこなかった」ということだった。ユーザーや問屋、ホームセンターのオーダーに応え続けた結果、当時は900種もの商品数があり、その材料や資材などの在庫を抱えていたのだそう。

検討の結果、ユーザーが選びやすい「基本の3本」包丁と、料理の腕が上がったときの「次の1本」に主力商品を整理。利益に見合わない大量発注は請け負わない決断をした。
「特殊な刃物は受注製造制にして、出来上がりまで少し待ってもらうことにしました。ウチの包丁はちゃんと研げば数十年使えますからね、買い替えも数十年に一度です」と曽根さん。

左から「基本の3本」パン切り、万能三徳、万能ペティ、「次の1本」牛刀、出刃、小出刃、刺身(写真提供/庖丁工房タダフサ)

左から「基本の3本」パン切り、万能三徳、万能ペティ、「次の1本」牛刀、出刃、小出刃、刺身(写真提供/庖丁工房タダフサ)

曽根さんは、工場見学者を受け入れて作業と技術を見てもらうことにもこだわっている。
「品質はむしろ海外から評価されていて、2021年の売り上げのうち3割以上が海外関連を占めています。こういった事実は、職人の励みにもなりますね」(曽根さん)

タダフサの包丁ができるまでは大まかに21行程。材料の切断、鋼材の鍛造、焼入、研磨、歪み取りといった工程を職人が1丁1丁作業していく。その様子を見学してもらうことで製品の確かさが伝わり、「この値段ならむしろ安い」と購入してくれる。「モノづくりの背景を知ってもらうことで、価値がより高まります」(曽根さん)

工場見学には、海外のバイヤーも多かった。新型コロナ拡大状況などによる見学可否はHPで確認を(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

工場見学には、海外のバイヤーも多かった。新型コロナ拡大状況などによる見学可否はHPで確認を(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

また、タダフサの“工房心得”には「三条の子どもたちの憧れとなるべき仕事にすること」が刻まれている。「自分も父の仕事をしている姿を見るのが大好きでした」と曽根さん。「鍛冶職人のカッコ良さを見てもらい、技巧の素晴らしさに触れてもらうことで三条が産地として継続するはずです」(曽根さん)

三条市の小学生は社会科見学で工場に訪れる。「息子が『鍛冶屋になる!』と言ってくれているのがものすごく嬉しい」(曽根さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

三条市の小学生は社会科見学で工場に訪れる。「息子が『鍛冶屋になる!』と言ってくれているのがものすごく嬉しい」(曽根さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

曽根さんは、燕三条の工場を一斉にオープンする「燕三条 工場(こうば)の祭典」を2013年初代委員長として開催した、立役者でもある。2020年はオンライン開催となったが、2019年には4日間で5万人の来場者があり、職人仕事に熱い視線が集まった。

「商品を絞り、高品質を伝えることで売り上げは倍以上、利益率も上がりました。憧れの職業となるよう働く環境も整えています。うちは週休二日制、勤務時間は8時間。残業も多少ありますが、残業代は当然支払います。月に1回、会社負担でマッサージも受けられるようにして、仕事の疲れも癒してもらっています」(曽根さん)

実際、タダフサには職人に憧れる若者の入社希望が増えている。2011年の社員数は12人だったが、2022年1月時点で33人。憧れの現場には、女性の職人も4名、オーストラリアから移住してきた若者も働いている。

「職人希望者が増えて嬉しいのですが、鋼を扱う作業は冬は寒いし夏は暑い。過酷な環境で作業に没頭して技巧を磨いていけるかどうかには、向き不向きがあります。ただ、三条の鍛冶職人は世界一。しっかりと家族を養うことができる収入も得られますし、手に職をつけることにより一生涯の仕事ともなります」(曽根さん)

世界基準の技術を持つ。プライベートも大切にできる収入を得る。若者がプライド高く励む鍛冶の現場が、庖丁工房タダフサにあった。

「諏訪田製作所」はオープンファクトリーの先駆者。進化を続ける創業95年企業

「工場の祭典」は職人の後継者不足と製品の低価格化を解決する一策として、燕三条エリアの工場が一斉に工場見学を開放し、一般見学者が地図を片手に思い思いの工場を巡る一大イベント。画期的な取り組みで、全国的にも話題を集めている。
開催の先駆けとなったのが、2011年に「オープンファクトリー」として工場を刷新し、見学者を迎え入れた諏訪田製作所だ。

諏訪田製作所は材料の仕入れから製造、修理まで一貫して自社で行っている。主力商品はニッパー型のつめ切り。「創業96年を迎えます。以前から地元の愛用者が、修理などの相談でフラッと工場に来ることが多かったそうですよ」と、諏訪田製作所の水沼樹(みずぬま・たつき)さん。

来場者の受け付け体制を整えたほうがお互いに良い、ということと、3代目代表取締役・小林知行(こばやし・ともゆき)さんが「生産工程を見せることで商品価値を上げたい、そして職人にプライドを持ってもらいたい」と決断したことが工場を公開する「オープンファクトリー」のきっかけだった。

のどかな田園地帯に建つ諏訪田製作所。2019年に新築された工場はひときわ異彩を放つ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

のどかな田園地帯に建つ諏訪田製作所。2019年に新築された工場はひときわ異彩を放つ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

正面ドアを入ると、つめ切りの端材を使ったアートが迎えてくれる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

正面ドアを入ると、つめ切りの端材を使ったアートが迎えてくれる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

インテリアにこだわったカフェレストランとショップも併設されていて、工場というより美術館を訪れたような感覚に陥る(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

インテリアにこだわったカフェレストランとショップも併設されていて、工場というより美術館を訪れたような感覚に陥る(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

黒と赤で統一された工場スペースでは、職人たちの様子を間近に見ることができる。オープン前は「見学者を受け入れるなんてとんでもない。集中できない」と反対の声があったそうだが、一流の職人こそ作業に没頭している。そんな心配は無用だった。
直接ユーザーから製品の良さを聞く機会が増え、精緻な技巧を誉められることで、職人たる誇りが醸成されることにも繋がった。

見学コースと作業場所は仕切られていて安全性も保たれている。集塵機がある工場は冷気が吸い込まれてしまうためエアコンをつけないことも一般的だそうだが、諏訪田製作所では倍の数のエアコンを設置して働きやすい環境を維持(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

見学コースと作業場所は仕切られていて安全性も保たれている。集塵機がある工場は冷気が吸い込まれてしまうためエアコンをつけないことも一般的だそうだが、諏訪田製作所では倍の数のエアコンを設置して働きやすい環境を維持(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

職人の家族もオープンファクトリーに訪れる。そのカッコいい姿に子どもたちは憧れて、また職人になることを目指す(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

職人の家族もオープンファクトリーに訪れる。そのカッコいい姿に子どもたちは憧れて、また職人になることを目指す(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

見学コースを抜けると、職人技に感動した逸品が並ぶショップに繋がる。1万円のつめ切りも、もはや高いとは感じない。自宅用に、大事な人へのプレゼント用にと、お買い物が進む。その後はスイーツが自慢のカフェレストランで休憩し、SNSで情報共有したくなる。そんな仕掛けも巧妙だ。

「刃と刃の境目がわからない」ことで高品質がわかる諏訪田製作所のつめ切り(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「刃と刃の境目がわからない」ことで高品質がわかる諏訪田製作所のつめ切り(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

水沼さんは、第1回「工場の祭典」に参加して諏訪田製作所を見学し、入社を決めたうちのひとり。出身は山口県、東京の大学に進み中小企業経営を学んでいて、燕三条エリアには製造から販売まで一貫して行う工場・企業が多いことに魅力を感じていたのだそう。
「モノづくりって、人類が原始からやっていることですよね。石包丁とか土器とか。残念ながら自分は器用ではないので現場仕事には向いていないのですが、モノをつくる過程でデザインも必要だし、広報や営業も大切です。大企業とは違って職人にも経営者にも近い中小企業の工場で、いろいろなことを学びたいと考えていました」(水沼さん)

「三条に来たのは、諏訪田製作所があったから。妻は花屋を経営しています。彼女も大阪からの移住者で、燕三条で出会いました」と水沼さん(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「三条に来たのは、諏訪田製作所があったから。妻は花屋を経営しています。彼女も大阪からの移住者で、燕三条で出会いました」と水沼さん(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

実は、水沼さんは代表取締役 小林さんの大学スキー部の後輩。「工場の祭典」の前にスキー部のOB会で出会っていた。小林さんはその時にロン毛で登場。「多くの先輩がいらっしゃる中で社長にはとても見えず、ナニモノ?と強く印象に残りました(笑)」(水沼さん)。
その後ゼミ仲間と「工場の祭典」に行くことになり、小林さんに再会。経営者としての手腕と諏訪田製作所のモノづくりに惚れ込んで入社を決めた。

取材の最後に小林さん(右)にお会いできた。この日は金髪。左は取材に同行したSUUMO編集長(写真撮影/池上香夜子)

取材の最後に小林さん(右)にお会いできた。この日は金髪。左は取材に同行したSUUMO編集長(写真撮影/池上香夜子)

諏訪田製作所の社員は約60人。熟練の職人も多いが、会社の成長にともない若者の入社が増えて、今は全体の半数が20代と30代。男女比はほぼ半々なのだそう。
その若い世代にも、モノづくりを極めたくて入社してきた人が多い。「他の工場と距離が近いのも燕三条エリアの特徴だと思います。自社製品以外に、お互いの得意技術を活かしたモノづくりができる近さは魅力的です。世界に誇れる技術がたくさんあり、販路も世界中。競争意識はありますよ。まさに切磋琢磨できる、理想のモノづくり環境です」(水沼さん)。

完璧な使い心地のつめ切り、芸術作品のようなその商品でさえ、時代に合わせてモデルチェンジを繰り返す諏訪田製作所。地域を超えて日本の工場を先導する諏訪田製作所には、未来を切り拓いていく若者の姿があった。

工場と工場、そしてクリエイターを繋ぐ「三条ものづくり学校」。職人技の継承と新たな繋がりを産み育てる

燕三条エリアの特筆すべきところは、各企業が優れた商品を生み出しているだけではなく、企業間の連携も図れている点だ。そのなかで、工場と工場、そしてクリエイターをつなぎ、文化の継承を担う役割を果たしているのが、閉校した小学校をリノベーションした「三条ものづくり学校」。東京都世田谷区のIID世田谷ものづくり学校を運営する株式会社ものづくり学校が三条市から委託を受けて2015年4月に開校した。

「燕三条エリアのモノづくりの技術やアイデアを育み、地域に貢献することが設立の目的です」と三条ものづくり学校の斎藤広幸(さいとう・ひろゆき)さん。「教室だったところを小規模のクリエイターなど事業者にオフィスとして貸し出すほか、一時的に利用可能なレンタルスペースもあります」(斎藤さん)

小学校当時そのままの外観(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

小学校当時そのままの外観(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

オフィス入居の応募条件は「ものづくりに関わる事業を行う法人もしくは個人事業主であること」。30室はほぼ満室状態だ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

オフィス入居の応募条件は「ものづくりに関わる事業を行う法人もしくは個人事業主であること」。30室はほぼ満室状態だ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

「三条市の工場は規模が小さいところがほとんど。組合も専門分野ごとにバラバラで、連携が乏しいという弱点がありました。職人の技術と伝統を絶やさぬよう光を当て、時代にあった商品開発に繋がる役目を果たしたい。そのため、最初はデザイナーやクリエイターに入居を促すことから始めました」(斎藤さん)

斎藤さんは開校以来200社を超える工場に出向いている。「工場、職人の技術や経営ノウハウについてインタビューして、他の工場で参考にしてもらえるようHPなどで紹介しています。直接相談を受けることも増えていて、それが新しい商品に結びつくこともあります」(斎藤さん)

例としてあげてくれたのが、「鉛筆切出(えんぴつきりだし)」。創業から60年、鍛造技術を親子二人で守り、大工道具である切出し小刀を専門につくっている増田切出工場と、ものづくり学校にオフィスを構えるカワコッチという任意団体のデザイナーが共同開発し、ステーショナリーに仕上げた。

従来の切出小刀に窪みを加えることで鉛筆が削りやすくなった。荷物の開梱など生活のちょっとした場面で幅広く使える。IDSデザインコンペ2019準大賞を受賞(写真提供/三条ものづくり学校)

従来の切出小刀に窪みを加えることで鉛筆が削りやすくなった。荷物の開梱など生活のちょっとした場面で幅広く使える。IDSデザインコンペ2019準大賞を受賞(写真提供/三条ものづくり学校)

三条ものづくり学校ではワークショップや交流会などがたびたび開催され、入居者同士のコミュニケーションも活発だ。「全て把握することはできませんが、大小のアイディアが飛び交っているようです」(斎藤さん)。

工場に眠っていた廃材や廃盤となった製品、クリエイターが廃材からつくった作品などを事業者自身が販売する「工場蚤の市」。2019年4月は2日間の開催で約2万人が訪れた。マニアックな部品が並ぶが、「地域の工場や技術が可視化できて、一般の人も出展者もいろんな発見があったと思います」(斉藤さん)

2019年「工場蚤の市」。職人による体験教室も大人気だった。2020年・2021年は「Factory Piece Market」と題し規模を縮小して開催(写真提供/三条ものづくり学校)

2019年「工場蚤の市」。職人による体験教室も大人気だった。2020年・2021年は「Factory Piece Market」と題し規模を縮小して開催(写真提供/三条ものづくり学校)

斉藤さん。自身も三条ものづくり学校での活動を事務局内に引き継ぎ中(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

斉藤さん。自身も三条ものづくり学校での活動を事務局内に引き継ぎ中(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)

日本の多くの地方工業都市では、若者の流出が課題となることが多い。その流出を止めるには魅力的な働く場所・企業と、その環境の整備が有効なのではないだろうか。
三条市を訪れてみると、世界で戦えるモノづくりを基盤に、働きたくなるよう職場を洗練して勤務環境を整えた企業と、地元産業の職人に光を当てて繋ぐ自治体の取り組みが見えてきた。
今回訪問した企業の共通項は「高単価」「世界水準」。成し遂げていたのが、2代目・3代目だったことも共通点だった。創業者とは違う経験を通して、自社の発展と、地域・国・産業の発展とを地続きで見渡す視野の広さに感銘を受けた。

●取材協力
・スノーピーク
・庖丁工房タダフサ
・諏訪田製作所
・三条ものづくり学校
●関連リンク
・燕三条 工場の祭典

築100年の長屋のまち「墨田区京島」にクリエイターが集結中! いま面白い東京の下町

戦時中、奇跡的に戦火を免れたことから長屋が多く残り、豊かな風景をつくっている東京都墨田区の京島。歴史ある建物と、下町のコミュニティに魅せられ、ここ10年ほどで定住するクリエイターが増えています。古い家屋を現代に生かし、2008年から人と人を結ぶ活動を続けてきたまちづくりの立役者と、このまちで活動する方々に話を伺いました。
築約100年の長屋と働く人たちに魅了され、地元に根差して奮闘

東武スカイツリーライン「曳舟駅」、京成電鉄「京成曳舟駅」の南東の50万平米に満たないエリアに、約6900の世帯が集まる東京都墨田区京島。もともと一帯は水田と養魚場でしたが、1923年の関東大震災を境に急速に宅地化。新潟からきた大工衆「越後三人男」が、家を失った人々に向けて長屋を建て、賃貸住宅にしていったのがその理由です。
戦時中は近隣の線路や川・道路が防火提の代わりになったのに加え、住人の懸命な消火活動もあって戦災を免れ、それらの家屋がそのまま残存。昔懐かしい風景を引き継いでいます。

至るところにある長屋はすべて関東大震災後に大工衆「越後三人男」が建てた築約100年のもの(写真撮影/内海明啓)

至るところにある長屋はすべて関東大震災後に大工衆「越後三人男」が建てた築約100年のもの(写真撮影/内海明啓)

奥は千葉大学の学生らが手がけたシェアハウス「すみだアカデミックハウス」。収益性を見込みにくい長屋の課題を払拭した画期的なケース(写真撮影/内海明啓)

奥は千葉大学の学生らが手がけたシェアハウス「すみだアカデミックハウス」。収益性を見込みにくい長屋の課題を払拭した画期的なケース(写真撮影/内海明啓)

映画制作をしていた後藤大輝さんがはじめて京島の魅力に触れたのは、知人から聞いて訪れた2008年のこと。味わい深い家屋はさることながら、木工・樹脂・板金・切削・プレス加工などあらゆる町工場が存在。地元に根差し、支え合いながら働く人たちのあり方に“ものづくりのまち”としてのポテンシャルを感じ、「とことん引き込まれた」と言います。

京島のまちづくりの立役者である後藤大輝さん。職人が話す文化的な言葉と“土着”する姿に惹かれたそう(写真撮影/内海明啓)

京島のまちづくりの立役者である後藤大輝さん。職人が話す文化的な言葉と“土着”する姿に惹かれたそう(写真撮影/内海明啓)

築96年になる後藤さんの事務所。向かいの建具屋の方が植樹してくれた葡萄のツルが風情を加えています(写真撮影/内海明啓)

築96年になる後藤さんの事務所。向かいの建具屋の方が植樹してくれた葡萄のツルが風情を加えています(写真撮影/内海明啓)

新しい住人と既存コミュニティがものづくりを通してつながる土壌

13年前から京島で暮らし、アートイベントの開催や空き家の発掘・再生・運営など、あらゆる京島のまちづくりに携わっている後藤さん。ものづくりをする人にとって、着想を得やすい環境や、近くに助け合える人がいることは何よりの財産。京島にそうした可能性を感じたクリエイターらが、徐々に集まるようになりました。古い家屋をDIYでアトリエにしたり、ギャラリー・ショップを開いたりと、動きが広がります。

軒先は格好の作業場であり作品の展示スペース。シェアアトリエ「京島共同木工所」の前で木材をカットする「すみだ向島EXPO」実行委員会の山越栞さん(写真撮影/内海明啓)

軒先は格好の作業場であり作品の展示スペース。シェアアトリエ「京島共同木工所」の前で木材をカットする「すみだ向島EXPO」実行委員会の山越栞さん(写真撮影/内海明啓)

作品づくりのために問屋や職人が近くにいる京島にアトリエを構えた「totokoko(トゥートゥーコッコ)」デザイナーの工藤智未さん。「何かをするときに協力してくれる人がたくさんいるのがいいですね」(写真撮影/内海明啓)

作品づくりのために問屋や職人が近くにいる京島にアトリエを構えた「totokoko(トゥートゥーコッコ)」デザイナーの工藤智未さん。「何かをするときに協力してくれる人がたくさんいるのがいいですね」(写真撮影/内海明啓)

地域に新しい人が来たとき、ともすると古くからいる人たちとの間で温度差ができそうですが、ここでは逆に職人たちが力を貸してくれるのだと言います。

「そのきっかけは、例えば展示会の準備でのこと。大抵のクリエイターは趣ある会場にしたいので、職人にそれを相談します。すると教えてもらいながら一緒につくることになるケースが少なくありません。自分たちの活動に関心を持ってもらえますし、コミュニケーションも取りやすい。完成した空間を喜んでもらえると、こちらもうれしさがこみ上げます」

午後の休憩中の建具職人の方々と後藤さんが談笑。「家屋は長く大事に使うもの」という共通の思いが、新旧の住人をつないでいます(写真撮影/内海明啓)

午後の休憩中の建具職人の方々と後藤さんが談笑。「家屋は長く大事に使うもの」という共通の思いが、新旧の住人をつないでいます(写真撮影/内海明啓)

ものづくりのまちでは自分の表現したいものをさらけ出すことが自己紹介になる――。
後藤さん自身も京島にきた当初、子どもたちの施設で撮影をしたり、ワークショップの手伝いをしたりして地元の人と親睦を深めてきたからこそ、実感を込めて言います。

空き家を知ったら大家のもとへ。防災性も備えた長屋を住人につなぐ

地域に新しい人が定着するには、受け皿となる住居が欠かせません。大家と住人をつなぐことが後藤さんのライフワークになっています。

「歴史を重ねた家屋には、入居者が建物にどう関わってきたかが現れているもの。使い込まれた床や梁・柱などにあたたかみが宿り、アイデンティティを感じます。
空き家が出たとき、黙っていると駐車場やマンションになってしまいかねません。『価値ある物件がまちで生かされて欲しい』その一心で大家に交渉します」

1925年に建てられたかつてのブリキ職人の家屋の内部(現後藤さんの事務所)。屋根裏の目隠しの屏風がユニーク(写真撮影/内海明啓)

1925年に建てられたかつてのブリキ職人の家屋の内部(現後藤さんの事務所)。屋根裏の目隠しの屏風がユニーク(写真撮影/内海明啓)

かつてのブリキ職人が洋風建築をモチーフに手がけた装飾的な雨どい(写真撮影/内海明啓)

かつてのブリキ職人が洋風建築をモチーフに手がけた装飾的な雨どい(写真撮影/内海明啓)

大家へのアプローチは、はじめこそ上手くいかなかったものの、2010年に長屋を一軒、リノベーションしてシェアカフェにしたのを足がかりに「まちで活用されるのなら」と、受け入れてくれるように。
今では大家が親しくしている不動産会社とも関係が築かれ、率先して空き家の情報を教えてもらえるまでになったそう。

「後々トラブルにならないよう、『こんなふうにDIYしたい』『家賃はこのくらいがいい』といった入居者の要望と、大家の許容範囲をすり合わせ、不動産会社にしっかり契約書をつくってもらっています」

日替わりでカレーや洋食などの飲食店が入るシェアカフェ「爬虫類館分館」。京島の長屋に興味のある方は後藤さんに直接、連絡を入れれば紹介してもらえることも(連絡先は記事末の取材協力リストに)(写真撮影/内海明啓)

日替わりでカレーや洋食などの飲食店が入るシェアカフェ「爬虫類館分館」。京島の長屋に興味のある方は後藤さんに直接、連絡を入れれば紹介してもらえることも(連絡先は記事末の取材協力リストに)(写真撮影/内海明啓)

長屋は現代の建築基準法に合わせて建てられていないため、耐震性や耐火性にも注力。墨田区の「木造住宅耐震改修促進助成」を利用したり、現場の施工会社の判断を仰いだりしながら、改修のタイミングで筋交い・柱・耐力壁を入れるなどして耐震補強。
防火のために古い配線や、既存のブレーカー・照明を撤去。耐火性能の高い石膏ボードを入れるなどの試みをしています。

仲間を迎えて古い家屋を現代に蘇らせ、さらに表現を楽しめるまちへ

「京島の長屋を借りた場合の家賃は、近隣の賃貸アパートとほぼ一緒。むしろ築古だからこそ、大家も住人も育てる気持ちで労力をかけていかないと、維持できないと言えるでしょう。たとえ面倒に思えても、この歴史的な建物がベースにあるからこそ、自己表現の場としての懐の深さ・創作の伸びしろ・地域のつながりが生まれるのだと。このまちで得られる豊かさを、多くの人に体験してもらいたいです」

これまでも自身で長屋を借り、レンタルスペースやシェアハウスなどを企画・運営してきた後藤さん。今後は、滞在制作の後押しなど、まちと表現したい人をつなげる活動を、さらに推し進めたいと考えています。

約2年前から京島のプロジェクトに関わるようになったヒロセガイさんは、大阪で住宅をリノベーションしたり、全国の芸術祭で企画・制作したりして活躍してきたアーティスト&ディレクター。

京島で建物の再生を手がけるヒロセガイさん。自身が芸術監督を務める街なか芸術祭「すみだ向島EXPO」がこの10月から開催(写真撮影/内海明啓)

京島で建物の再生を手がけるヒロセガイさん。自身が芸術監督を務める街なか芸術祭「すみだ向島EXPO」がこの10月から開催(写真撮影/内海明啓)

「もともと東京には“最先端”のイメージがありましたが、約20年前、アートプロジェクトをきっかけに向島エリア(京島を含む墨田・東向島などの地区)でものづくりをする人たちと出会い、よい意味で遠慮がない『下町つき合い』に触れ、『本当の東京って、こういうことでは』と心を打たれたんです」

以来、現代美術の分野で向島エリアの仲間とつながってきたヒロセさん。約2年前、後藤さんから声をかけられたのを機に、古い家屋と人々が連帯する京島に身を置き、活動していくことにしました。

今、手がけているのは「京島駅」と名づけたまちの駅。京島に来たら訪れるべきところで、旅立つところです。
ここはかつて米屋でしたが約2年前に店主が他界。相続した親族は当初、駐車場にする予定でしたが、後藤さんが「賃貸にして欲しい」とかけ合い、ヒロセさんが企画・監督。コミュニティづくりに役立つ施設へと蘇らせました。

もとは「小倉屋」という米屋だった「京島駅」。1階の一角にはネパールレストラン「Art & Nepal」(「すみだ向島EXPO」に合わせて10月1日に オープン予定)があります(写真撮影/内海明啓)

もとは「小倉屋」という米屋だった「京島駅」。1階の一角にはネパールレストラン「Art & Nepal」(「すみだ向島EXPO」に合わせて10月1日に オープン予定)があります(写真撮影/内海明啓)

一歩入ると懐かしい空気に包まれる「京島駅」ですが、それだけでなく、あちこちにアーティストの仕かけが隠されているのがポイント。1階は田舎に帰って家族とくつろぐ空間、2階は祭りを眺める客席をイメージし、レストランやイベントスペースを設けています。

「墨田の人たちには“江戸っ子”の気風があって、私からすると未だ江戸時代を生きているように見えるんです。この場所が、現代とは違う未来につながれば面白いなと思っています」

「京島駅」の壁をセメントモルタルで装飾するのは、左官アーティストの村尾かずこさん(写真撮影/内海明啓)

「京島駅」の壁をセメントモルタルで装飾するのは、左官アーティストの村尾かずこさん(写真撮影/内海明啓)

2階のイベントスペース。家屋に合わせて入れ替えた建具が雰囲気をアップ。天井にはタコとエビの絵を描いています(写真撮影/内海明啓)

2階のイベントスペース。家屋に合わせて入れ替えた建具が雰囲気をアップ。天井にはタコとエビの絵を描いています(写真撮影/内海明啓)

家屋の構造上、水道の配管が露出されること、昔の銅管の質感のよさに着目し、配管で文字を描いたアート作品を制作。「配管工がさながら伝統工芸士になり、その場を感じてこうした作品をつくったらいいなと思い、手がけました。“配管グラフィティ”と名づけています」(写真撮影/内海明啓)

家屋の構造上、水道の配管が露出されること、昔の銅管の質感のよさに着目し、配管で文字を描いたアート作品を制作。「配管工がさながら伝統工芸士になり、その場を感じてこうした作品をつくったらいいなと思い、手がけました。“配管グラフィティ”と名づけています」(写真撮影/内海明啓)

ヒロセさんにかかると廃材さえ場をつくるための材料。家屋のところどころで感じるエピソードに着想を得て、人々がワクワクとするものへと昇華させてゆきます。

「決して取り残されたものではなく、建物側から広がる風景を大事にしたいと思っています。お祭りのアイデアを浮かべるのも好きなので、商店街でも面白いことをしていきたいです」

京島を代表するスポット「キラキラ橘商店街」。コッペパン専門店「ハト屋パン店」をはじめ、趣あるお店が並びます(写真撮影/内海明啓)

京島を代表するスポット「キラキラ橘商店街」。コッペパン専門店「ハト屋パン店」をはじめ、趣あるお店が並びます(写真撮影/内海明啓)

下町文化の魅力は国籍を超えて。まだまだ進化する京島に期待

この5月には、京島にフランス出身のギヨームさんとクロエさんによるワインショップ「アペロ」がオープンしました。

ワインショップ「アペロ」は、京島の玄関ともいえる商店街入口にある長屋に(写真撮影/内海明啓)

ワインショップ「アペロ」は、京島の玄関ともいえる商店街入口にある長屋に(写真撮影/内海明啓)

東京都港区南青山で7年間、ワインバーを営んできた2人。以前から下町のコミュニティに親しみを感じていて、2号店の場所を京島に定めました。

「フランス人は、古いものやオールドスタイルだと感じられるものが大好き。旧来の価値観や伝統をどう“今”に生かすか、いつも考えているところがあって、その感覚とまちがリンクしたんです。いつかゆったりワインを楽しむ時間を、地域の人たちとつくっていけたらと思っています」

「アペロ」スタッフの猿田知子さん。ワインはビオがほとんど。フランスのあらゆる地域と種類をそろえます(写真撮影/内海明啓)

「アペロ」スタッフの猿田知子さん。ワインはビオがほとんど。フランスのあらゆる地域と種類をそろえます(写真撮影/内海明啓)

メキシコ出身の建築家、ラファエル・バルボアさんは約1年前からオフィス「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」を構え、一角にフリースペース「UNTITLED SPACE」を設けています。

「ここでは誰もが住む人の顔を知っていて、そのことで面白さが生まれている。コミュニティのセンスがあるまちだと感じます。
私はパブリックとプライベートスペースの役割に興味があって、週末にギャラリーとして使ったり、卓球台を置いたりして、仕事場を開放しているんです。今後はさまざまなクリエイターとのコラボレーションにも挑戦してみたいですね」

「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」を主宰する建築家のラファエル・バルボアさん。日本の建築に関心があったのが、来日のきっかけです(写真撮影/内海明啓)

「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」を主宰する建築家のラファエル・バルボアさん。日本の建築に関心があったのが、来日のきっかけです(写真撮影/内海明啓)

フリースペース「untitled space」兼オフィス「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」の入口。地元の人がくつろげるよう軒先にベンチを置き、週末は三角スペースまでをまちに開いています(写真撮影/内海明啓)

フリースペース「untitled space」兼オフィス「STUDIO WASABI ARCHITECTURE」の入口。地元の人がくつろげるよう軒先にベンチを置き、週末は三角スペースまでをまちに開いています(写真撮影/内海明啓)

さまざまな動きのなかで、古さが今に生かされるまちへと進化していった京島。豊かさに触れるには、まず訪れてみるのが一番。それがこのまちとつながり、自分らしい表現をする一歩になるのかもしれません。

●取材協力
すみだ向島EXPO
キラキラ橘商店街
アペロワインショップ
STUDIO WASABI ARCHITECTURE

後藤大輝さん
090-4164-8383
info@himatoumejii.co.jp

DIYで部屋をアート作品に! クリエイターが集う名物賃貸「MADマンション」

若手のクリエイターが東京に拠点を持ちたいと思っても、家賃が高く、借りられる部屋がない……。それならば、東京よりも家賃相場が低く、アクセスのいい郊外にクリエイターが集まる街をつくろう。こう考え、まちづくり会社のまちづクリエイティブが2013年ごろから松戸に展開しているのが「MAD City(マッドシティ)」です。そのランドマークとも言えるマンション「MADマンション」に住み、製作活動をつづける小野愛さんの住まいにお邪魔しました!
「30歳になってしまう」焦りから上京を決意

都市の規制やクレームの発生などによってクリエイターの活動が制限されることが多いなか、「地域住民とコミュニケーションを図りながらクリエイターが活躍できる『まちづくり』をしたい」という想いでまちづくりプロジェクトを行っているまちづクリエイティブ。千葉県松戸市にある拠点「MAD City Gallery」から半径500mの範囲を核とした「MAD City」は、そのモデルケースとなる街です。これまで、まちづクリエイティブを通じてこの街に住んだクリエイターの数は570人以上。いまも170人以上のクリエーターがこの街に住んで、さまざまな分野の創作活動に取り組んでいます。

玄関に通された瞬間、あっ! と思わず息をのむような、奥行きのある白い空間と白い作品たち。小野さん(32歳)の住まいは、まるで部屋全体が一つの作品のようにも感じられる、静かで神秘的な雰囲気を醸し出しています。

(撮影/嶋崎征弘)

(撮影/嶋崎征弘)

小野さんの作品たち。石膏像のように見えるが、すべて白い布を用いて手縫いでつくられている(撮影/嶋崎征弘)

小野さんの作品たち。石膏像のように見えるが、すべて白い布を用いて手縫いでつくられている(撮影/嶋崎征弘)

キッチンの窓辺に飾られている瓶や植物ですら、小野さんの作品の一部のように見える(撮影/嶋崎征弘)

キッチンの窓辺に飾られている瓶や植物ですら、小野さんの作品の一部のように見える(撮影/嶋崎征弘)

小野さんがそれまで住んでいた大分県別府市から首都圏に活動拠点を移して、本格的に制作活動を行う決意をしたのは2019年のこと。「30歳を目の前に控えて、焦りもあった」と言います。

「もともとは、福岡のファッション系の専門学校を卒業しました。卒業後、布を使用した立体作品をつくるようになり、地元である大分県に戻ってアルバイトをしながら7~8年ほどは別府で活動を続けていました。29歳のころに美術家として生きていく覚悟を決めて、東京に拠点を移そうと考えたんです」(小野さん、以下同)

美術家の小野愛さん。にこやかに、穏やかに話してくれた(撮影/嶋崎征弘)

美術家の小野愛さん。にこやかに、穏やかに話してくれた(撮影/嶋崎征弘)

松戸を拠点にクリエイターが集う「MAD City」に住みたい

ところが、いざ東京都内で住居兼アトリエとして制作ができるだけの広さを確保しようとすると家賃が高くなり、なかなか予算に合う物件が見つけられなかったそう。そこで同郷のまちづクリエイティブのスタッフに相談をしたのが、入居のきっかけでした。

「都内の家賃は払えないので、もう少し郊外で、と思ったときにMAD Cityのことを知り、松戸で探すことにしました。関東での生活が初めてなので、同じようなクリエイターさんと知り合えたらいいなと。このマンションはひと目で気に入りました。広いワンルームのように使える間取りであること、そしてマンション内に他のクリエイターさんも多く住んでいることが何よりの決め手です」

以前の部屋の様子。現在の小野さんの部屋の雰囲気とは全く異なる(画像提供/まちづクリエイティブ)

以前の部屋の様子。現在の小野さんの部屋の雰囲気とは全く異なる(画像提供/まちづクリエイティブ)

小野さんの部屋を見ると、以前は2DKとして使われていたのだろうと思われる引き戸の溝があります。実際に内見をしたときには襖があったのだそうです。

もともと2DKだったと思われる間取り。DIYをする前は、中央のスペースにもクッションフロアが張られていた(資料提供/まちづクリエイティブ)

もともと2DKだったと思われる間取り。DIYをする前は、中央のスペースにもクッションフロアが張られていた(資料提供/まちづクリエイティブ)

DIYで、住まいが独特の空気感をもつアート作品に!

MADマンションは、全20室中、15室をまちづクリエイティブが借り上げています。見逃せない大きなポイントが“DIY可能”で、さらに退去時の“原状回復が不要”なこと。マンション内の1室はDIY作業が可能な共有スペースとして確保され、住人たちが道具を保管する物置として、また作業部屋として自由に使えるそう。

504号室はまちづクリエイティブが、住人のために確保している共有スペース(撮影/嶋崎征弘)

504号室はまちづクリエイティブが、住人のために確保している共有スペース(撮影/嶋崎征弘)

共有スペースの床にはところどころ物が置かれているが、作業部屋としても使えるくらい広く、がらんとしている(撮影/嶋崎征弘)

共有スペースの床にはところどころ物が置かれているが、作業部屋としても使えるくらい広く、がらんとしている(撮影/嶋崎征弘)

別府にいたころからDIYができる賃貸物件に住んでいた、という小野さん。「なぜかは分からないけど、白が好きで」自分好みの空間になるよう、手を入れてきました。

「奥の部屋はもとから床の板がむき出しになっていましたが、ダイニングと中央の部屋はクッションフロアでした。試しにめくったところ、簡単にはがれたので、中央の部屋も床の板をむき出しにして白く塗りました。梁やキッチンの扉、引き戸も白くしています」

中央のスペースとダイニングキッチンとの床の境目。今は白く塗った中央のスペースの床にも、もともとはダイニングキッチン同様のフローリング調のクッションフロアが張られていた(撮影/嶋崎征弘)

中央のスペースとダイニングキッチンとの床の境目。今は白く塗った中央のスペースの床にも、もともとはダイニングキッチン同様のフローリング調のクッションフロアが張られていた(撮影/嶋崎征弘)

もともと押入れだったと思われる収納上部の引き戸も白く塗った(撮影/嶋崎征弘)

もともと押入れだったと思われる収納上部の引き戸も白く塗った(撮影/嶋崎征弘)

もともと付いていた茶色のカーテンレールがあまり好みでなかったため、取り外し、白く塗った窓枠の手前に白いワイヤーを渡してカーテンを通した(撮影/嶋崎征弘)

もともと付いていた茶色のカーテンレールがあまり好みでなかったため、取り外し、白く塗った窓枠の手前に白いワイヤーを渡してカーテンを通した(撮影/嶋崎征弘)

空間全体が白くなり、光がよく入る5階の部屋は曇りの日でも明るく、「制作に向かう環境としてとても贅沢な空間」だと言います。

「私の動画作品の一部としても、この空間を活用しています。このマンションに住んでいたダンサーの方を紹介してもらい、撮影したんです」

小野さんの映像作品の1カット。今回話を聞いた、まさにこの部屋で撮影されている(画像提供/小野さん、出演/永井美里、撮影/鈴木ヨシアキ)

小野さんの映像作品の1カット。今回話を聞いた、まさにこの部屋で撮影されている(画像提供/小野さん、出演/永井美里、撮影/鈴木ヨシアキ)

なんと! 住まいやアトリエとしてのみならず、部屋の空間が作品にもなったんですね! それだけ小野さんのセンスを刺激する物件だったということでしょう。

住人同士や地域とのコミュニケーションも盛ん

「先日まで個展を開催していたのですが、その会場にもこのマンションに住む人たちをはじめ、MAD Cityの人たちが足を運んでくれました。いろいろな人と知り合いたいと思って関東に出てきたわけですが、コロナ禍でイベントなどが少なくなり、出会える機会もなく……。それだけに、まちづクリエイティブさんが、このマンションに住む他のクリエイターさんを紹介してくれて、少しずつ輪が広がってきたことがとてもうれしいんです」

MADマンションの外観。古いが味のある建物は、どことなくクリエイティブなにおいを放っている(撮影/嶋崎征弘)

MADマンションの外観。古いが味のある建物は、どことなくクリエイティブなにおいを放っている(撮影/嶋崎征弘)

小野さんが話してくれたように、まちづクリエイティブはクリエイター同士の交流も促進してきました。現在、その活動は物件や人の紹介だけにとどまらず、地元企業と連携した仕事の創出や、クリエイターとの商品開発などにまで及んでいます。

昨年には、松戸駅エリアでは20年ぶりとなる全長4mの新しいスタイルの商店街「Mism」を発足させて回遊性を高めるプロジェクト行ったり、松戸で唯一のクラフト瓶ビール「松戸ビール」の商品ブランディングや販売を行ったりしているそう。

若い才能を発揮できる環境が整っているからこそ、個性的な魅力を宿す住まいや新しい作品、商品が生まれるのでしょう。かくいう筆者も小野さんの作品・空間を体感して、すっかりファンになりました! 一層盛り上がっていきそうなMAD Cityと、そこに住むクリエイターさんのつながり。これからの展開にも期待がふくらみます!

●取材協力
・小野愛さん
・まちづクリエイティブ

透明トイレ、行燈トイレ、イカトイレ? 渋谷が公共トイレでまちづくり

2020年7月にSNSなどで話題をさらった東京・渋谷区の「透明トイレ」。この公共トイレは、渋谷区内17の公共トイレが生まれ変わる「THE TOKYO TOILET」プロジェクトのひとつ。2021年の夏までにすべての公共トイレが設置予定で、そのうち、7カ所が今年の夏に完成した。安藤忠雄、伊東豊雄、隈研吾、槇文彦ら16人の著名クリエイターによる、トイレの常識を覆すデザインには、性別、年齢、障害を問わず快適に過ごせる工夫がなされている。プロジェクトを企画した日本財団に詳しい話を聞いた。
16人のクリエイターの斬新なトイレ、デザインの狙いとは

渋谷区のはるのおがわコミュニティパークに完成した「透明トイレ」は、完成するやいなや、近隣に住む男性が発信したツイッターで拡散。6.8万リツイート、25万いいね(2020年10月2日現在)を集め、ニュースは、「トイレ技術の最先端」として、世界にも発信された。注目されたのは、トイレの壁が透明であること。利用者がトイレに入るとガラス製の壁が不透明になり、中が見えなくなる仕組みだ。「そんな技術があったのか!」「利用時に本当に見えないのか不安になる」と話題になった。

SNSで話題を集めたはるのおがわコミュニティパークトイレ。デザインは建築家の坂茂さん(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

SNSで話題を集めたはるのおがわコミュニティパークトイレ。デザインは建築家の坂茂さん(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

「関心を持ってもらったのはうれしかったのですが、プロジェクトの公式発表前だったこともあり、驚きました。インパクトのある見た目だけが注目されないよう、プロジェクトの目的をしっかり伝えていこうと気持ちを引き締めました」と日本財団経営企画広報部の佐治香奈(さじ・かな)さんは語る。

「もともと、日本財団では、障がい者支援などを通じ、多様性を受け入れる社会づくりを目指してきました。公共トイレに着目したのは、さまざまな人が利用するトイレに問題意識を持ってもらい、障がい者・LGBTQ・子どもなどへの意識を変えるきっかけになればという思いからです」

日本財団と渋谷区は、社会変革により、社会課題の解決を図るソーシャルイノベーションに関する包括連携協定を結んでいる。公共トイレの事業も、日本財団が、先駆的な取組みのひとつとして、渋谷区に企画を提案し、渋谷区はこれを快諾。オリンピック、パラリンピックに合わせて、渋谷区内17の公共トイレを改装する「THE TOKYO TOILET」プロジェクトが始動した。

クリエイティブの力でトイレの常識をひっくり返す

世界や日本各地からさまざまな人が集まる渋谷区のキャッチコピーは、「ちがいをちからに変える街」。日本財団と渋谷区が共に目指しているのは、障害やLGBTQ、子どもなどを受け入れる多様性や思いやりのある社会をつくること。障がい者支援でトイレの改善に取り組んだこともある日本財団は、訪れる人の多くが利用する公共トイレを起爆剤にして街に変化を起こしたいと考えた。

公共トイレは、公共という名がついていながら、汚い、臭い、暗い、怖いというイメージがあり、利用者が限られているという実態がある。

今までのイメージをくつがえすトイレをつくるために協力を仰いだのが、安藤忠雄、伊東豊雄、隈研吾、槇文彦ら16人のクリエイターだった。トイレの設計施工には大和ハウス工業、トイレの現状調査や設置機器の提案にはTOTOが参加した。

「透明トイレ」で新しいのは見た目だけではない。建築家の坂茂さんがデザインした、外壁が透明なトイレには、トイレに入る前に、中が綺麗かどうか、誰も隠れていないかを確認できるという衛生上、防犯上の狙いがある。

「透明トイレ」のほかにも、西原一丁目公園には夜になると光る「行燈トイレ」、タコの遊具によってタコ公園と呼ばれている恵比寿東公園には「イカトイレ」など、今までにない斬新なトイレが完成している。

暗かった夜の西原一丁目公園を明るく照らす坂倉竹之助さんの「行燈トイレ」(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

暗かった夜の西原一丁目公園を明るく照らす坂倉竹之助さんの「行燈トイレ」(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

タコの遊具があり、「タコ公園」と呼ばれている恵比寿東公園に完成した槇文彦さんの「イカトイレ(写真奥の白い建物)」(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

タコの遊具があり、「タコ公園」と呼ばれている恵比寿東公園に完成した槇文彦さんの「イカトイレ(写真奥の白い建物)」(画像提供/日本財団 写真撮影/永禮賢)

「行燈トイレ」は、もともと薄暗く、夜になると物騒な雰囲気すらあった西原一丁目公園を明るくする目的があった。子どもが訪れることが多い恵比寿東公園の「イカトイレ」は建物の影に人が潜まないように裏のないデザインになっている。

田村奈穂さんによる東三丁目公衆トイレではプライバシーを守れるように、さっと入ってさっと出られるように外壁をデザイン(写真撮影/エスエス 北條裕子)

田村奈穂さんによる東三丁目公衆トイレではプライバシーを守れるように、さっと入ってさっと出られるように外壁をデザイン(写真撮影/エスエス 北條裕子)

すべてのトイレに多目的トイレを設置している(写真撮影/片山貴博)

すべてのトイレに多目的トイレを設置している(写真撮影/片山貴博)

「利用者の方から、子どもが安心して遊べるようになった、夜も安全に歩けるようになったという声が寄せられています。完成した7つのトイレを巡る人もいるそうです。トイレについて皆で語ろうという機運をつくれたのではないでしょうか」と佐治さん。

「トイレは宝石箱、利用者は宝石」と語る安藤忠雄さんのトイレを訪ねた大きな屋根の庇の下は、コンクリートのたたきになっており、軒下でひと息つける空間になっている(写真撮影/片山貴博)

大きな屋根の庇の下は、コンクリートのたたきになっており、軒下でひと息つける空間になっている(写真撮影/片山貴博)

2020年9月15日に、安藤忠雄さんがデザインした神宮通公園トイレが、報道陣に公開された。まわりはビルが立ち並ぶが、公園内には緑が多い。木立の間にたたずむのは、「小さなあずまや」をイメージしてつくられたトイレだ。大きくせり出しているトイレの屋根の庇(ひさし)は、雨宿りのできる軒先をつくる目的がある。トイレとして利用するだけでなく、ちょっと休憩ができるような、パブリックな価値を持たせた。

「依頼を受けて、思い切ったプロジェクトだなというのが第一印象。クリエイターの名前を見て、刺激されました。完成した他のクリエイターのトイレを見て、みんな小さい建物にも全力投球するものだなと思いましたね。トイレは小さいけど、大きな発信力がある。私はこのトイレをデザインするにあたって、トイレは宝石箱、入る人は宝石だと考えました。公園全体を輝かせるものであるようにと願っています」と安藤忠雄さん。

「完成したのはまだ7カ所だけですが、インド、中国、ヨーロッパ各国から、完成したトイレと同じものをそのままつくってほしいというオファーが日本財団に届いています。しかし、維持管理の問題もあるので、形だけ輸出するのは慎重でありたい」と笹川順平常務理事は言う。
完成して終わりではなく、5年後、10年後にも「いいトイレだね」と使ってもらえることをプロジェクトのゴールにしているからだ。

「私のつくったトイレはUFOだとか言われている。渋谷の街に新しいものが舞い降りてきた。そんなイメージを持ってもらえたらいいですね」と安藤さん(写真撮影/片山貴博)

「私のつくったトイレはUFOだとか言われている。渋谷の街に新しいものが舞い降りてきた。そんなイメージを持ってもらえたらいいですね」と安藤さん(写真撮影/片山貴博)

外壁は風と光を通す縦格子になっている(写真撮影/片山貴博)

外壁は風と光を通す縦格子になっている(写真撮影/片山貴博)

メンテナンスでつなげる、次に使う人への思いやり

全17カ所のトイレの維持管理は、日本財団・渋谷区・一般財団法人渋谷区観光協会が三者協定を結び、実施している。「THE TOKYO TOILET」では、完成した後のメンテナンスについても、今までの常識にとらわれない方法を取り入れた。トイレの清掃員が着用するユニフォームは、若者に人気のファッションデザイナーNIGO®さんが監修したもの。清掃する側のモチベーションを高めようと依頼した。今後は、トイレの維持管理状況を特設ウェブサイトで随時更新する予定もある。

軒先の空間で取材に答える安藤さんと日本財団の笹川常務理事。笹川常務理事が着ているのが清掃員のユニフォームだ(写真撮影/片山貴博)

軒先の空間で取材に答える安藤さんと日本財団の笹川常務理事。笹川常務理事が着ているのが清掃員のユニフォームだ(写真撮影/片山貴博)

赤い印がすでに完成したトイレ。渋谷に行く際は、最寄りのトイレを訪ねてみては(画像提供/日本財団パンフレットより)

赤い印がすでに完成したトイレ。渋谷に行く際は、最寄りのトイレを訪ねてみては(画像提供/日本財団パンフレットより)

清掃員が、ユニフォームを着て清掃していると、「ありがとう」「きれいに使いますね」と声をかけてくれる人が増えたという。日本財団、渋谷区の思いを形にしたクリエイター、TOTO、大和ハウス工業、未来に引き継ぐための維持管理。そして、利用者自身が次に使う誰かに思いやりのバトンをつなぐ。小さな問題意識から変わっていく街。それこそが、多様な人を受け入れるまちづくりの一歩なのではないだろうか。

●取材協力
・日本財団
・THE TOKYO TOILET

京急線「大森町」から「梅屋敷」高架下に『ものづくり複合施設』

京浜急行電鉄(株)(京急電鉄)は、京急線大森町~梅屋敷駅間の高架下スペースに、地域の「町工場」と「クリエイター」の拠点を整備し、新旧のものづくりが融合した『ものづくり複合施設』を建設する。大田区は、大規模製造を支えてきた町工場が集積し、事業所数および従業員数において都内で最大の規模を誇る。また近年は、デザイン力や発想力を持ったクリエイターが流入している。

同施設は東京都大田区6丁目付近に建設。鉄骨造8棟(平屋建7棟、地上2階建1棟)。クリエイターのための拠点づくりを行う(株)アットカマタとの連携により、コワーキング施設を整備し、クリエイターの拠点として活用していく。また、地元町工場を受け入れる工場施設や、高架下で働く人々や地域住民の憩いの場となる飲食店舗等も整備する。開業は2019年春の予定。

さらに、次世代のものづくりを実践する方や地域の方など、誰でも参加できるオープンなイベントとして、本年7月より「ラウンドテーブル」を開催。エリアの活性化やこれからの時代に求められる“新しいものづくり”について、地域とともに自由に議論していく。

ニュース情報元:京急電鉄