パリの暮らしとインテリア[10]元テニスプレイヤー、マラットさんの高層マンションで本に囲まれた暮らし

幼少のころからテニス中心の生活を送り、世界中をまわっていたマラットさん。プロのテニスプレイヤーだった16年前からパリに移り住み、このアパルトマンは4軒目。バルコニーがなくても開放感のあるおうちにお邪魔しました。連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

パリでは珍しい眺めの良いアパルトマンを購入

一般的にパリのアパルトマンは、狭くてエレベーターがない、日当たりが悪い、ベランダ付きは珍しいという特徴があります。パリに住むのは便利だけれど、そこが難点と言われてきました。このコロナ渦で家で過ごす時間が増え、パリで暮らす私たちは、自分たちの暗い部屋での暮らしと、郊外のベランダや庭から空が見える暮らしとの違いを痛感。住まい選びの基準も大きく変化したと実感しています。

そんななか、パリを見渡せて開放感のある“高層マンション”の人気が急上昇しているそうです。マラットさんが5年前から住む14階からも、パリの街並みと空が眼前に広がっています。

マラットさんが住んでいるのは、22階建ての高層マンションの14階。3棟同じデザインが並ぶ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

マラットさんが住んでいるのは、22階建ての高層マンションの14階。3棟同じデザインが並ぶ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリでは、アパルトマンの標準は5、6階建てで、その3、4倍のいわゆる“高層マンション”は建てていい地区が決められています。中心部に近いモンパルナスタワー近辺、13区の中華街近辺、自由の女神とセーヌ川を見渡せる15区の元ホテル街、ミッテラン図書館近辺の個性的な高層マンション街、新凱旋門のあるデファンスのオフィス街、そしてマラットさんとパートナーが二人で住むパリ北東のヴィレット近辺です。

ヴィレット通り付近は近年、パリで最も人気の地区のひとつとされています。特徴のある小さなお店や美味しいレストランもたくさんあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ヴィレット通り付近は近年、パリで最も人気の地区のひとつとされています。特徴のある小さなお店や美味しいレストランもたくさんあります(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリの住まい探しは口コミ&大家に交渉、がコツ

ノルウェー人の父とポーランド人の母を持つマラットさんは、以前はノルウェーやポーランドに住んでいて、16年前にパリに移住しました。今まで4軒の物件に住んできましたが、いずれも知り合いの口コミで見つけたそうです。「パリでは不動産会社に空き部屋の情報が出る前にクチコミで見つけ、大家と直接交渉できることが多いんです。その方が安く借りることもできるので得ですね」とマラットさん。

実は、今住んでいる14階の部屋の前には、同じ建物の4階に住んでいたそう。

「4階だと向かいのビルが風景を遮っていて、窮屈な感じがしていました。遠くを眺められる住まいが重要と気付き、上層階の空き部屋が出るのを待っていたんです」

同じマンションに住んでいれば、上層階の空き情報をいち早くキャッチできる。それは「サンディカ(住民の組合)」の集会などで話題になることがほとんどで、大家への直接交渉が可能なのだそう。

「地平線と空が私にとって不可欠です。そして街を見下ろして景色を眺めながら自分の内面に目を向けるひと時が大切」(マラットさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「地平線と空が私にとって不可欠です。そして街を見下ろして景色を眺めながら自分の内面に目を向けるひと時が大切」(マラットさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

75平米の部屋を購入し、セルフリノベ

現在の14階の部屋を購入した当時、1970年代に建てられた時のままで、壁紙などが時代遅れな印象だったとか。それでもサロンの二面のガラス窓や各部屋からの眺めは格別で、パリによくある部屋とは違った明るい空間が、新しい暮らしへのイメージを膨らませてくれたと言います。

「内装がとても傷んでいたので、パリに住む叔父とパートナーと一緒に工事を始めました」

工事にあたり、内装を自分でデザイン。床や壁のほとんどを取り除き、気に入った素材などを集めながら、少しずつ作業していったそう。フランスでは、改装工事は高額で時間がかかるのはよくあること。セルフリノベをしたことで業者の4分の1ほどの出費に抑えられたとか。何より、「達成感を味わえた」と満足そう。

キッチンから見たサロンの様子。二面に窓があり、特に明るい場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンから見たサロンの様子。二面に窓があり、特に明るい場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

白色で統一された収納たっぷりのキッチンは、仕切りなしでサロンとつながっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

白色で統一された収納たっぷりのキッチンは、仕切りなしでサロンとつながっている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

一番のお気に入りの場所はサロンのソファー

こだわったのは、二面の大きな窓ガラスのあるサロンとオープンキッチンをシームレスにつなげたことと、寝室を2部屋つくったこと。

サロンは、すべての壁を真っ白に塗り、そのうちの一面に凹凸のある石をはめ込みました。

「暮らす前から、このサロンの壁際にソファーを置こうと決めていました。自分が一番長く過ごす場所になるだろうというイメージもわいていました。読書をしたり、映画を見たり、窓から夕焼けを眺めたり……」

サロンでくつろぐマラットさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンでくつろぐマラットさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「X」のオブジェはアーティストの1点ものでランプが取り付けられています。ソファーのクッションはいろいろな国で購入したもの。赤と白のクッションは2年前にマダガスカルで(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「X」のオブジェはアーティストの1点ものでランプが取り付けられています。ソファーのクッションはいろいろな国で購入したもの。赤と白のクッションは2年前にマダガスカルで(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「私は花が大好きで、パリにいるときは週に1回は自分でブーケをつくるようにしています。特に、珍しい形、明るい色、紫、緑、黄色、赤の花が大好きです」。 黒いコーヒーテーブルはフランスの建築家でありデザイナーのジャン・プルーヴェの作品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「私は花が大好きで、パリにいるときは週に1回は自分でブーケをつくるようにしています。特に、珍しい形、明るい色、紫、緑、黄色、赤の花が大好きです」。 黒いコーヒーテーブルはフランスの建築家でありデザイナーのジャン・プルーヴェの作品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

テニスコーチとなった今もトレーニングを欠かせない。サロンにマシーンを設置(写真撮影/Manabu Matsunaga)

テニスコーチとなった今もトレーニングを欠かせない。サロンにマシーンを設置(写真撮影/Manabu Matsunaga)

世界中で知り合った友達を迎え入れるためのゲストルームも

子どものころから世界中を旅していたマラットさんは、各地で知り合った友達がパリに来た時に泊まれるように寝室を2部屋つくりました。サロンにある大テーブルも最大10名が座れます。まさに、友達の集まる家なのです。
「コロナ禍で友達を迎えることはできていませんが、外出制限の時には私の仕事部屋として使っていました」と言います。

ここには、マラットさんが繰り返し読みたい本、新しく買った本を置くメインライブラリーもあり、本を読んだり、絵を描いたりと集中できる空間になっています。

客室にはテーブルを設置し、現在は仕事部屋として使用。窓際にはたくさんの本がしまわれています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

客室にはテーブルを設置し、現在は仕事部屋として使用。窓際にはたくさんの本がしまわれています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

客室のメインライブラリー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

客室のメインライブラリー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分たちの寝室はグレーで統一。「整頓された空間で眠るのが好きなので、私の部屋は常に整理されています」とマラットさん。やはりこの部屋の窓際にも本が収納されていました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分たちの寝室はグレーで統一。「整頓された空間で眠るのが好きなので、私の部屋は常に整理されています」とマラットさん。やはりこの部屋の窓際にも本が収納されていました(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドサイドテーブルには、デザイナーもののランプとB&Oスピーカーがあり、夜寝る前に音楽を聴きながら読書をするのが日課だそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドサイドテーブルには、デザイナーもののランプとB&Oスピーカーがあり、夜寝る前に音楽を聴きながら読書をするのが日課だそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の中には好きなものしか置かない主義

「本に囲まれて生活するのが好きで、どの部屋にも本棚があるんです」

サロン、キッチン、寝室2部屋、バスルームにまで本が置いてあります。

飾り方もとてもおしゃれ。本棚やキッチンの棚などに飾っているほか、装丁もサイズもバラバラな本を横に積むように置いたりして、インテリアの一部のように演出しています。

サロンの窓際にある本棚。本棚に収まりきらない本はカーヴ(地下の倉庫)に保管しています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サロンの窓際にある本棚。本棚に収まりきらない本はカーヴ(地下の倉庫)に保管しています(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンのお茶コーナーにはレシピ本を飾ってあります。「私はお茶が大好きで夢中!」とマラットさん。 旅行では最高の緑茶を探し歩くそう。お茶は彼にとって小さな儀式のようなもので、少なくとも1日1回は飲み、リラックス、熟考を楽しむとか(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンのお茶コーナーにはレシピ本を飾ってあります。「私はお茶が大好きで夢中!」とマラットさん。 旅行では最高の緑茶を探し歩くそう。お茶は彼にとって小さな儀式のようなもので、少なくとも1日1回は飲み、リラックス、熟考を楽しむとか(写真撮影/Manabu Matsunaga)

オスロのフリーマーケットで小さな赤い銅の鍋を購入。本は非常に質の高い版のアートブックで知られるファイドン出版が編集した日本料理の本。「これは私の心に強く訴える料理の聖書です」(マラットさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

オスロのフリーマーケットで小さな赤い銅の鍋を購入。本は非常に質の高い版のアートブックで知られるファイドン出版が編集した日本料理の本。「これは私の心に強く訴える料理の聖書です」(マラットさん)(写真撮影/Manabu Matsunaga)

本のほかにも、アーティストものやデザイナーもののインテリアや雑貨などが飾られた部屋からは、マラットさんの「好きなもの以外は部屋に置かない」というこだわりが伝わってきます。

自分たちの寝室の壁には、アメリカ人の映像作家、詩人、活動家のジョナス・メカスが撮影したピエル・パオロ・パゾリーニの写真が飾ってありました。花瓶には3、4カ月ごとにパリで今流行りのドライフラワーで活け直すそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分たちの寝室の壁には、アメリカ人の映像作家、詩人、活動家のジョナス・メカスが撮影したピエル・パオロ・パゾリーニの写真が飾ってありました。花瓶には3、4カ月ごとにパリで今流行りのドライフラワーで活け直すそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドサイドの金の箱には絵の具を収納。客室は普段使われていなかったので収納場所としても活用。絡み合う二人のオブジェは友人からの贈り物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドサイドの金の箱には絵の具を収納。客室は普段使われていなかったので収納場所としても活用。絡み合う二人のオブジェは友人からの贈り物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

こけしは東京と京都で見つけたもので1960年代のこけしと現代的こけし。マラットさんは日本が大好きだそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

こけしは東京と京都で見つけたもので1960年代のこけしと現代的こけし。マラットさんは日本が大好きだそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「木製のスツールは友人から贈られたアート作品ですが、アーティストの名前は覚えていません。でもとても気に入っています」 窓際に置かれた物はすべて旅行先で見つけて持ち帰った大切な思い出だそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「木製のスツールは友人から贈られたアート作品ですが、アーティストの名前は覚えていません。でもとても気に入っています」 窓際に置かれた物はすべて旅行先で見つけて持ち帰った大切な思い出だそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

漆塗りの木のアルバムは、1960年代に彼の祖父が日本に旅行したときのもの。艶を失わず大切にしている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

漆塗りの木のアルバムは、1960年代に彼の祖父が日本に旅行したときのもの。艶を失わず大切にしている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

また、機能的でリラックスしやすい空間づくりにも工夫がたくさん。選手生活中に旅先でさまざまなホテル暮らしをしてきたことが、現在のライフスタイルにも影響しているといいます。

今もパリにいないことが多く、数カ月ぶりに帰ってきた時にささっと埃を掃除できる設計にしていて、大量の本も半分以上は引き戸の付いた本棚に収納するなどして、お茶の道具とナイフ以外は全てしまわれています。

「今のところ引越しは考えていません、今よりも良い条件の物件を探すのは難しい」とマラットさん。現在の住まいの界隈が、パリで一番好きな場所だそう。

また、フォンテヌーブローの近くには庭付きの広い別荘もあり、気持ちいいテニスコートでテニスや乗馬などをして自然に触れながらトレーニングをしているのだとか。

コロナ禍ではテニスの大会も制限があったようですが、選手と同行することが多く、今でもホテル暮らしも多いマラットさん。そんな彼が、遠征生活とコロナ禍を経て自分の住まいとして行き着いたのは、ホテルのような機能的で快適な生活空間と見晴らしの良い環境。そして街での暮らしと自然のバランスがとれた生活でした。

ビュットショーモン公園は、パリ中でマラットさんの一番のお気に入りの場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ビュットショーモン公園は、パリ中でマラットさんの一番のお気に入りの場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(文/松永麻衣子)

コロナ禍で賃貸物件をセルフリノベする人が増加中!? やり方や注意点を実例で紹介

コロナ禍でおうち時間が増え、自分の暮らしを見つめ直す人が増えています。もともとあった中古住宅のリノベーション需要に加え、最近では、壁や床を張り替えるなどのセルフリノベーションをする流れが出てきました。実際、自分でやるには?注意点は? 実例を通じて、内装デザイン会社夏水組の坂田夏水さんに聞きました。
在宅時間の増加で、セルフリノベをしたい人が増えている!

DIY(Do It Yourselfの略)は、日本では、主に机や棚などの家具を自作する場合を指すことも多く、「日曜大工」として親しまれてきました。一方、セルフリノベーション(以後セルフリノベ)は、壁や床の張替え、間取りの変更などの大掛かりな部屋のリフォームを指します。セルフリノベには、すべてDIYする、専門業者に一部依頼するなどがあります。セルフリノベへの関心の高まりにはどのような背景があるのでしょうか。

「私が2020年に『セルフリノベーションの教科書』を出版する以前にもDIYのハウツー本を書いてきましたが、10年前は、本屋にDIYのコーナーはありませんでした。今では料理本のコーナーに並んでDIYコーナーにも本がたくさん並んでいて、関心の高まりを感じています。以前からDIYをやってみたいという潜在層はいたのですが、コロナ禍で在宅時間が長くなり、実際に着手する人が増えたのでしょう。オンラインで部屋が背景に映る機会もあり、身につけるものと同じように空間をおしゃれにしたいという気持ちもあるのかもしれません」

オーナーや不動産会社向けに夏水組が開催している「内装の学校」では、養生の仕方、壁紙やクッションフロアの張り方などが学べる。レトロな雰囲気の物件に合う「アンジェリーナ」というブラウン系のペンキを塗装中(画像提供/夏水組)

オーナーや不動産会社向けに夏水組が開催している「内装の学校」では、養生の仕方、壁紙やクッションフロアの張り方などが学べる。レトロな雰囲気の物件に合う「アンジェリーナ」というブラウン系のペンキを塗装中(画像提供/夏水組)

輸入壁紙「ゴッホシリーズ」を貼る参加者。この後は、撮影のポイントなどのアドバイスを受けた(画像提供/夏水組)

輸入壁紙「ゴッホシリーズ」を貼る参加者。この後は、撮影のポイントなどのアドバイスを受けた(画像提供/夏水組)

夏水組の坂田夏水さん。中古物件のリノベーションや店舗の内装デザイン、DIYショップの運営などさまざまな活動をしている(画像提供/夏水組)

夏水組の坂田夏水さん。中古物件のリノベーションや店舗の内装デザイン、DIYショップの運営などさまざまな活動をしている(画像提供/夏水組)

坂田さんは、十数年前にヨーロッパやアメリカを訪れた際、DIYの文化が広く根付いていることに驚いたといいます。
「街には、レストランや洋服のお店の隣にインテリアショップが並んでいました。ファッションや料理など趣味や家事の延長線上にDIYがあるのです。日本のDIYについては、当時はホームセンターで材料を買って、庭にデッキをつくるなどが多かった印象です。最近では、自分で壁紙を張替えたり、ペンキを塗り替えたりするDIY(セルフリノベ)が増えてきました。それでも賃貸だからと諦めていた人が多かったと思いますが、日本の不動産業界も変わりつつあり、DIY可や原状回復不要の賃貸物件も出てきています」

吉祥寺で人気の築古賃貸の床やキッチンをセルフリノベ

2008年に坂田さんが立ち上げた夏水組では、不動産会社、オーナーと住む人との間に入り、リノベーションやセルフリノベーションを行ってきました。入居者がリフォームできる新しい賃貸住宅、DIY型賃貸の企画をする不動産会社のリベストと提携し、DIYを希望する借主の相談にのっています。DIY型賃貸の借主のメリットは、賃貸物件でもDIYができること。退去時に原則、原状回復をしなくてもいいので、持ち家のように自由にセルフリノベが可能です。貸主としては、現状のまま貸せて手間がかからないメリットがあります。

それでは、DIY型賃貸でセルフリノベを行ったふたつの事例を紹介しましょう。

カリモクのソファ、インドのテーブル、イギリスのヴィンテージチェアなどが融合。レトロな雰囲気を醸し出している(写真撮影/片山貴博)

カリモクのソファ、インドのテーブル、イギリスのヴィンテージチェアなどが融合。レトロな雰囲気を醸し出している(写真撮影/片山貴博)

蔦の絡まる外観が特徴の「潤マンション」に住む宮本涼さん(20代)は、DIY可なことに惹かれ、入居を決めました。白壁に木のぬくもりを感じるリビングは、イギリスやアメリカ、インドなどの家具が置かれ、ヴィンテージな雰囲気。10.5畳ほどあるリビングの床の板張りをすべてDIYしたことに驚きます。

間取り。洋室はもともと真ん中に仕切りがあったが前の住民がひと間に。宮本さんもそのまま活かしてセルフリノベを進めた

間取り。洋室はもともと真ん中に仕切りがあったが前の住民がひと間に。宮本さんもそのまま活かしてセルフリノベを進めた

間取りは、1DK。玄関を入り、暖簾をくぐるとリビングがある(写真撮影/片山貴博)

間取りは、1DK。玄関を入り、暖簾をくぐるとリビングがある(写真撮影/片山貴博)

以前住んでいた人がコンクリートの壁を白く塗り、収納の扉を撤去していた。そこに棚やデスクを置き、ワークスペースに。元々あるものを活かしている(写真撮影/片山貴博)

以前住んでいた人がコンクリートの壁を白く塗り、収納の扉を撤去していた。そこに棚やデスクを置き、ワークスペースに。元々あるものを活かしている(写真撮影/片山貴博)

アメリカのシェードランプの脇に鉢植えのガジュマル。室内にはポイントにグリーンを配している(写真撮影/片山貴博)

アメリカのシェードランプの脇に鉢植えのガジュマル。室内にはポイントにグリーンを配している(写真撮影/片山貴博)

「ピカピカの新しいものより、味わいのある古いものが好きなんです。部屋を内見したとき、古い設えや前に住んでいた人が手を加えたところが残っていて面白いと思いました。リビングの床板は以前住んでいた人が敷いたものですが、木の板がささくれて裸足で歩けなかったので、真っ先に手を加えることにしたんです」

リビングの床の板をいったん剥がし、ささくれた表面をサンダーで削り、一枚ずつ張り直していきました。作業のほとんどはひとりで行い、かかった日数は延べ3日間程。初めての本格的なDIYでしたが、そろえた工具は、カンナ(約1000円)、ノコギリ(約1000円)、電動ドライバー(約3000円)、電動ヤスリ(約6000円)のほか紙やすりやビス、ワックスなど総額2万円ほど。自分でやり方を調べ、工具を用意するほか、夏水組からも機材の貸し出しやアドバイスをもらいました。

「壁と床の隙間に合うように、木を加工するのが難しかったですね。木の表面をヤスリでなめらかにするのも大変でした。床のDIYは音にも気を使います。両隣や向かいの方には引越しの挨拶の際、DIYする旨了承をいただいていましたが、作業する時間には気をつけていました」

DIYのためにそろえた工具。左上から、板の表面をなめらかに削る電動のサンダー、古びた味わいを出すヴィンテージワックス、紙やすりを装着して手動で使うハンドサンダー、左下は、カッター(クッションフロアを切る時に使用)、カンナ、電動ドライバー(写真撮影/片山貴博)

DIYのためにそろえた工具。左上から、板の表面をなめらかに削る電動のサンダー、古びた味わいを出すヴィンテージワックス、紙やすりを装着して手動で使うハンドサンダー、左下は、カッター(クッションフロアを切る時に使用)、カンナ、電動ドライバー(写真撮影/片山貴博)

サンダーで表面を削り、ワックスを塗ったリビングの床。自然なツヤが美しい。木の表面のささくれがなくなり、裸足で歩けるようになった(写真撮影/片山貴博)

サンダーで表面を削り、ワックスを塗ったリビングの床。自然なツヤが美しい。木の表面のささくれがなくなり、裸足で歩けるようになった(写真撮影/片山貴博)

タイル風のクッションフロアは、硬質で本物のタイル張りのよう。部屋の隅に合わせてクッションフロアをカットするのは難しい(写真撮影/片山貴博)

タイル風のクッションフロアは、硬質で本物のタイル張りのよう。部屋の隅に合わせてクッションフロアをカットするのは難しい(写真撮影/片山貴博)

そのほか、玄関の床の張替えやキッチンのリフォームを行った宮本さん。セルフリノベの魅力は、「自分で住む空間をデザインできること」だといいます。憧れていたDIYにチャレンジし、暮らしやすくなりましたが、さらに玄関脇のお風呂場の前に仕切りをつくろうと計画中です。

キッチンは、突っ張り棒のような仕組みで壁や天井に穴を開けずに柱をつくれるアイテム「ディアウォール」を使用。施工は1日ほど(写真撮影/片山貴博)

キッチンは、突っ張り棒のような仕組みで壁や天井に穴を開けずに柱をつくれるアイテム「ディアウォール」を使用。施工は1日ほど(写真撮影/片山貴博)

アンティークの鏡の横には季節のグリーンを(写真撮影/片山貴博)

アンティークの鏡の横には季節のグリーンを(写真撮影/片山貴博)

「テレワークで家にいる時間が増えて、できるだけ過ごしやすい部屋にしたいと思うようになりました。手をかけるとその分使いやすく見栄えが良くなってきます。業者に依頼してリノベした方が早いですが、リノベは一回やるとなかなか変えられません。セルフリノベは、住んで使ってみて柔軟に変えていける良さがあります」

難しいところはプロに頼りつつDIYできるDIY型賃貸物件の魅力

もうひとつの事例は、白い外壁に赤いドアが印象的なフラットハウス(平屋)です。夏水組により入居前にリノベーションされた室内は、白を基調にブルー系の差し色のシンプルでおしゃれな内装。DIY型賃貸なので、そのまま住むことも、さらに自分でDIYすることもできます。C.Kさん(39歳)とK.Kさん(38歳)は、引越したばかり。初めての賃貸暮らしなので、家具などをそろえながら、少しずつ、DIYしていきたいと考えています。

玄関から正面に見えるブルーがアクセントの壁に貼ったのは、夏水組オリジナルの襖(ふすま)紙(写真撮影/片山貴博)

玄関から正面に見えるブルーがアクセントの壁に貼ったのは、夏水組オリジナルの襖(ふすま)紙(写真撮影/片山貴博)

「アメリカンハウスのような外観に惹かれ、内見すると、グリーンと白にまとまった空間にモザイクタイルやエキゾチックな壁紙が、私の好きなモロッコ風のインテリアを連想させ、一目で気に入りました。さらに、DIYができる物件なので、自分たちが好きなように間取りを変えたり、足りない物を足したりでき、暮らしながら補えるところにも魅力を感じました」(C.Kさん)

白壁に赤いドアのフラットハウスは、海外の雰囲気を醸し出している(写真撮影/片山貴博)

白壁に赤いドアのフラットハウスは、海外の雰囲気を醸し出している(写真撮影/片山貴博)

間取り

間取り

間取りは、寝室やキッチン、リビングに仕切りのない1フロアです。

「住みながら必要なところに仕切りをつくったり、棚をつけたりしたいと思っています。キッチンカウンターは自分たちでつくるのは無理そうなので、デザインだけして木材屋さんに相談中です。自由度が高いところが、楽しい面でも難しい面でもありますね」(K.Kさん)

キッチンパネルや壁や床などブルーで統一されたキッチン(写真撮影/片山貴博)

キッチンパネルや壁や床などブルーで統一されたキッチン(写真撮影/片山貴博)

DIYする箇所はオーナーに事前に確認が必要ですが、原状回復の義務はなく、管理費もありません。エアコンなどの備え付けの設備の故障についてはオーナーへ修繕を依頼できます。

玄関の下駄箱の上の壁に板を貼り付けた。フック等を取り付ける予定とのこと(写真撮影/片山貴博)

玄関の下駄箱の上の壁に板を貼り付けた。フック等を取り付ける予定とのこと(写真撮影/片山貴博)

縁側の床は、入居後に白いペンキで塗り直してメンテナンス(写真撮影/片山貴博)

縁側の床は、入居後に白いペンキで塗り直してメンテナンス(写真撮影/片山貴博)

「どこに何を置こうか、どう手を加えていこうか、ふたりで想像をふくらませてワクワクしています。完成するまでに長い年月が必要ですが、ブラッシュアップできるのが楽しみです。きっと終わりはない気がします」(C.Kさん)

先日は、グリーンの更紗模様の壁紙に合わせて、エスニック柄のカーテンをつけました。内装を手掛けた夏水組の実店舗「Decor Interior Tokyo」では、照明や鏡、モロッコタイルに合わせたマスキングテープを購入し、アクリルBOXに貼り小物入れに。
「Decor Interior Tokyo」では、DIYグッズや壁紙、床材などの内装建材のサンプルを取りそろえ、部屋づくりをサポート。リベストで入居した人には、買い物の割引サービスも。二人は入居後、何度も訪れ、インテリアやDIYの相談をしています。

セルフリノベで必要なスキル、注意すべき点とは

セルフリノベをする際、気をつけなければいけないところを坂田さんにたずねました。

「自分でやれるところとプロに任せた方がよいところを理解するのが大切です。水まわりは、水漏れが起きると階下に迷惑がかかり、トラブルになってしまいます。電気については、漏電や感電の心配があり、専門の資格を持っていないとほとんどの施工ができません。キッチンのガスコンロの近くにスノコで収納をつくるなど防火上問題のあるDIYをしている例もSNSなどで見受けられます」

特に注意が必要なのは、建築基準法で火災の拡大や煙の発生を遅らせるために規制されている内装制限についてです。内装制限のある場合、床や壁に燃えにくい内装仕上げ材を使うなどの決まりがあります。

そのほか、貸主や管理会社の申請と承諾を得て行うことやほかの住民へ迷惑となるDIYはしないなど、オーナーと入居者、管理会社が事前に書面で確認をとるなど共通認識を持つのが大切です。

夏水組では、賃貸でDIYするときの注意点や防火法、内装制限について理解を深めてもらおうと、DIY型賃貸借のスタートブックを作成し、インターネットで公開。ブックには、全国各地のDIYショップマップもついています。

DIY型賃貸借のスタートブック。理解が難しい内装制限についても詳しく解説されている(画像提供/夏水組)

DIY型賃貸借のスタートブック。理解が難しい内装制限についても詳しく解説されている(画像提供/夏水組)

裏面には、さまざまなサービスでDIYをサポートしてくれる全国のショップがずらり。店舗情報は発行時のもの(画像提供/夏水組)

裏面には、さまざまなサービスでDIYをサポートしてくれる全国のショップがずらり。店舗情報は発行時のもの(画像提供/夏水組)

さまざまなDIYグッズやインテリア資材が並ぶDecor Interior Tokyoの店内(画像提供/夏水組)

さまざまなDIYグッズやインテリア資材が並ぶDecor Interior Tokyoの店内(画像提供/夏水組)

店内各所で実際に施工をした床や壁を見ることができるので、内装のイメージが分かりやすい(画像提供/夏水組)

店内各所で実際に施工をした床や壁を見ることができるので、内装のイメージが分かりやすい(画像提供/夏水組)

店内奥には打ち合わせ室兼ワークショップができるスペースがある。コーディネーターやDIYに詳しいスタッフが常駐しているので、サンプルを見ながら、気軽に相談ができる(画像提供/夏水組)

店内奥には打ち合わせ室兼ワークショップができるスペースがある。コーディネーターやDIYに詳しいスタッフが常駐しているので、サンプルを見ながら、気軽に相談ができる(画像提供/夏水組)

「輸入資材を豊富にそろえる店や工務店が運営している店など、今はさまざまなショップがあります。DIYを一度やってみると、床の張替え、ペンキの塗り替えと次々にやりたいことが増えていくときに頼りになるのがこうしたショップです。オーナーと借主との間に入ったり、施工の相談に乗ったり、日本のDIYを支える存在になってきています。賃貸だからと諦めず、洋服を選ぶように、自分らしい家をつくってほしいですね」

DIY・セルフリノベで、時間が経つほど暮らしやすく、愛着が増す住まい。インテリアショップやプロの力をうまく借りながら、自分らしい暮らしを自分でつくり上げる文化が日本でも根付き始めています。

●取材協力
・夏水組
・Decor Interior Tokyo
・株式会社リベスト

子育てはふるさとで。二拠点生活でお試し移住スタート 私のクラシゴト改革7

生まれ故郷である静岡で地域おこし協力隊の活動をしながら、クリエイティブディレクターとしてフリーランスで活躍する小林大輝さん。「いつかはUターン」という漠然とした思いが現実化したきっかけは、1歳半になる長男の子育て環境を考えてのこと。ふるさと副業を経て、現在の東京と静岡に分かれての二拠点生活、そして将来の家族3人完全移住計画。そんなステップで着々と基盤固めを進める小林さんに、二拠点生活の実態、お仕事感、移住への率直な思いなどを伺った。連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。東京で働きながら、ボランティア、副業、地域おこし協力隊と段階的に静岡比重を高める

地域おこし協力隊として、2020年10月から「静岡市のテレワーク推進」をミッションに取り組んでいる小林大輝さんは、現在32歳。同時に、勤務していた東京の会社を退職してフリーランスのクリエイティブディレクターとなり、静岡と家族が住む東京を行き来する二拠点ライフを実践中だ。

静岡での仕事は、主にコワーキングスペースを利用。個人ワークするだけでなく、地元ネットワークづくりができるのも魅力。写真はお気に入りの静鉄のコワーキングスペース「=ODEN(イコールオデン)」で(画像提供/小林さん)

静岡での仕事は、主にコワーキングスペースを利用。個人ワークするだけでなく、地元ネットワークづくりができるのも魅力。写真はお気に入りの静鉄のコワーキングスペース「=ODEN(イコールオデン)」で(画像提供/小林さん)

静岡で生まれ育ち、東京の大学に進学してからも両親や大好きな祖父母に会うために頻繁に帰省していたという小林さん。一年間の海外留学後は東京の企業に就職し、クリエイティブディレクター・アートディレクターとして企業のブランディングやデザインなどを幅広く手がけ、寝る暇も惜しんで働いた。「競争も激しい世界で、スピート感やクオリティの高さが刺激的でした」

一方で漠然といつかは地元に戻って暮らしたいという思いもあり、静岡での基盤固めも少しずつステップを踏んで進めていた。帰省のタイミングを利用して、友人や知人からの紹介でプロモーションの相談に乗ったり、依頼されたデザインの仕事を「将来の種まき」と考えて請け負ったりして、静岡のネットワークを広げてきた。

静岡県内企業の生産性向上サービスに取り組む「いちぼし堂」も、代表である北川氏と中学・高校の先輩という縁。静岡での人脈づくりに少しずつ手ごたえや実績も現れ始め、静岡に関わる頻度が高くなってくると、時間的に本業との両立が厳しくなってきた。そこで、小林さんは2018年に勤務先企業と退職も視野に交渉し、給料・勤務時間・ノルマ全て7割という条件で副業認定第一号に。「いちぼし堂」が行うふるさと副業支援にも参加して、静岡Uターンへの一歩を踏み出した。

「いちぼし堂」の施設。1階は子どもを預けて働ける保育園、2階はコワーキングスペース、3階は県内外企業向けのレジデンス付きテレワーク拠点。レジデンスはワンルーム6室で、小林さんのほか東京の企業やインターン生が入居中(画像提供/いちぼし堂)

「いちぼし堂」の施設。1階は子どもを預けて働ける保育園、2階はコワーキングスペース、3階は県内外企業向けのレジデンス付きテレワーク拠点。レジデンスはワンルーム6室で、小林さんのほか東京の企業やインターン生が入居中(画像提供/いちぼし堂)

本業7割、副業3割ということで、静岡には週2~3回新幹線を利用して通う生活に。地元企業の抱えている課題をヒアリング、比較的年代の近い事業承継した若手経営者との仕事など、とにかく地元での実績づくりに励んだ。運よく関わった新規事業コンペの提案が通ると、そこから新たな顧客を紹介してもらえるなど具体的な成果や拡がりもあり、副業をメインにする実感がわいてきた。

地域おこし協力隊の話があったのは、ちょうどそんなタイミング。地域おこしというと、山間部に入って木を切ったりする地域貢献のイメージが強いが、「テレワーク推進」という得意分野のミッションだった。任期は一年単位で最長三年、これはとても副業の範囲では実現しないと判断し、ついに2020年10月末付けで本業であった東京の企業を退社。静岡の地域おこし協力隊を本業として活動しながら、副業でフリーランスのクリエイティブディレクターとして働く、という新たなステップを踏んだのだ。

子育てはのんびりした環境で。家族のいる東京のマンションとのお試し二拠点生活

プライベートでは、2017年に結婚し、2019年夏には長男も誕生して3人家族に。結婚当初は新宿から少し西の街、東中野に住んでいたが、フルタイムで働く妻の妊娠をきっかけに、品川駅から山手線で一駅の大崎のマンションに転居する。共働きの二人の職場に通勤しやすく、静岡にも行きやすい大崎は絶好の立地。立地がいい分家賃も高くつくため、思い切って2019年2月に中古マンションを購入した。内装のリノベーションは、建築学科卒業で空間デザインなども仕事にしている小林さんはお手のもの。小林さんがデザイン、設計し、建築学科時代の同期の大工に工事を手伝ってもらい、自分たちの手でセルフリノベーション。こうして愛着ある、明るく広々した東京の新居が完成し、長男を迎えて3人の暮らしがスタートした。

一般的な2LDKの間取りの中古マンションを購入(工事前)(画像提供/小林さん)

一般的な2LDKの間取りの中古マンションを購入(工事前)(画像提供/小林さん)

窓右手の隣の部屋との壁を取り払うという個人のDIYを超えた大胆な工事を自ら行えるのは建築学科卒業ならでは(工事中)(画像提供/小林さん)

窓右手の隣の部屋との壁を取り払うという個人のDIYを超えた大胆な工事を自ら行えるのは建築学科卒業ならでは(工事中)(画像提供/小林さん)

完成したLDKは、便利なキッチンのカウンターを新設、ガラスを通じて隣の部屋からも日差しと風が入る開放感ある個性的な空間に(工事後)(画像提供/小林さん)

完成したLDKは、便利なキッチンのカウンターを新設、ガラスを通じて隣の部屋からも日差しと風が入る開放感ある個性的な空間に(工事後)(画像提供/小林さん)

この時、すでに小林さんは副業で静岡に通う日々を送っていた。「子どもができると、子育ては自分が育ったような自然豊かでのんびりした環境でしたい、と思いました。満員電車に乗って学校に通わせるなんて、嫌で」。いつかは、と考えていた静岡へのUターンが、一気に現実味を帯びたのだ。

東京クオリティの仕事をゆったりとした環境で。完全移住で仕事と暮らしの理想を追求静岡の実家近くの海で長男と。「子育ては自分が育ったようなのんびりした環境でしたい」と小林さん(画像提供/小林さん)

静岡の実家近くの海で長男と。「子育ては自分が育ったようなのんびりした環境でしたい」と小林さん(画像提供/小林さん)

共働きの妻も、出産後の現在は職場復帰。仕事にもやりがいを感じていて今後も働き続ける予定だが、「住む場所にはこだわらない」と静岡移住にも前向き。コロナ禍で完全リモートワークのタイミングを利用して、3カ月間の親子3人静岡お試し移住も体験済みだ。

現在は子育てサポートもあるため、東京6割、静岡4割くらいの滞在比率で小林さんが週2回往復する二拠点生活中。静岡での小林さんの拠点は、副業支援で関わった「いちぼし堂」の施設のほか、実家も利用。「どうしても移動時間が多いので、いずれは家族で完全移住するつもりです。いまは東京での子どもの世話に時間をとられますが、徐々に静岡の比率を高めていきたいですね」

ふるさと副業を支援する「いちぼし堂」のコワーキングでのワークショップ風景。小林さんはここの3階にあるワンルームを借りて静岡での拠点にしている(画像提供/小林さん)

ふるさと副業を支援する「いちぼし堂」のコワーキングでのワークショップ風景。小林さんはここの3階にあるワンルームを借りて静岡での拠点にしている(画像提供/小林さん)

漠然と故郷に戻りたいと思っていながら、地元の企業に入って働くイメージがなかったという小林さん。小林さんの話を聞いていると、静岡の企業の課題を聞き、企業ブランディングやプロモーション戦略など「出来ること」を活かしながら「求められること」を増やし、新しい仕事を自ら創り出しているのが印象的だ。地域おこし協力隊として、静岡市のテレワークを推進するという本業にたどり着いたのも、まさにその象徴だ。

「東京は、案件や競争の多さからくる仕事のスピード感、質の高さで刺激になります。一方静岡の魅力は、高い建物も少なく自然豊かで、人も気分もゆったりしているところ。東京でできることは基本的に静岡でもできるので、東京の仕事もしているからこその第三者の目線を持って、東京クオリティの仕事を愛着あり競合少ない静岡で提供できたら最強ですからね」

段階的に静岡比率を高め、最終的には完全移住を考えているという小林さん。「地域おこし協力隊は1年契約、最長で3年。そのころには、完全移住していたいですね。アウトドアも好きなので、山間部にゲストハウスを建てるのも面白そうだな、と」

「いちぼし堂」近くのお気に入りの老舗おでん屋さん。メニューはおでんと大学いものみというシンプルさ(画像提供/小林さん)

「いちぼし堂」近くのお気に入りの老舗おでん屋さん。メニューはおでんと大学いものみというシンプルさ(画像提供/小林さん)

東京でのクリエイティブディレクターとしての仕事、妻の静岡での仕事、静岡での家族の住まい、東京のマンションを貸すか売るか、実家で子どもをみてもらえるか……完全移住に向けて沢山課題はあると話す小林さん。暮らしも仕事も無理なく着実にチャレンジとステップを重ね、いままでにない理想の形をつくり上げていっている小林さんの3年後が、実に楽しみだ。

●取材協力
・いちぼし堂

若者がセルフリノベ! 過疎の団地が”海を臨む別宅”に 

過疎化が進む郊外の団地を、自らの手でリノベーションして暮らしを楽しむ若者たちがいる。二宮団地に実際に住んで日々の生活を発信する「暮らし体験ライター」として生活している彼らに、新しい団地暮らしの楽しみ方をきいた。
若者を呼び込み団地を再生!

皆さんは“団地”という言葉に、何を想起するだろうか。懐かしい昭和の香りや、家族やご近所さんとの親しい人間関係、ゆったりとした共用敷地。そんなプラスのイメージを持つ人もいるかもしれない。

一方で近年の団地が抱えているマイナス面に思いを馳せる人もいるだろう。1960年代から1980年代にかけて各地で団地が建設・供給されたが、それから約50年が経ち、建物の老朽化が進んでいる。日本の人口減少を背景に若い世代が入居せず、住人も高齢化している。実際多くの団地が膨大な空室を抱えて過疎化している現実がある。

そんななか、発信力のある若者を暮らし体験ライターとして迎えることで、プラス面を引き出し、マイナス面を乗り越えようとする団地がある。それが、神奈川県中郡二宮町にある「二宮団地」。“さとやまライフ”をキーワードに団地と地域の魅力を再発見・発信する再編プロジェクトを展開しており、暮らし体験ライターはその一環だ。ライターたちは二宮団地での暮らしをブログに綴り、 オンラインで発信している。

団地を再生する新たな取り組みを、二宮団地の事務所にて推進する神奈川県住宅供給公社の鈴木伸一朗さんと、暮らし体験ライターのチョウハシトオルさん、岸田壮史(きしだ・そうし)さん、大井あゆみさんに話をきいた。

【画像1】左上から時計回りに神奈川県住宅供給公社の鈴木伸一朗さんと、暮らし体験ライターのチョウハシトオルさん、大井あゆみさん、岸田壮史さん(写真撮影/蜂谷智子)

【画像1】左上から時計回りに神奈川県住宅供給公社の鈴木伸一朗さんと、暮らし体験ライターのチョウハシトオルさん、大井あゆみさん、岸田壮史さん(写真撮影/蜂谷智子)

【画像2】団地内の商店街にあるコミュナルダイニング。公社が企画するイベントにも使われるが、一般の人もキッチン付レンタルスペースとして使える(要予約、1時間300円~)。月に一度開催される「お食事会議」では、暮らし体験ライター以外にも、団地の人々や地域の若い移住者が集う。内装の設計・施工は主にチョウハシさん(写真撮影/蜂谷智子)

【画像2】団地内の商店街にあるコミュナルダイニング。公社が企画するイベントにも使われるが、一般の人もキッチン付レンタルスペースとして使える(要予約、1時間300円~)。月に一度開催される「お食事会議」では、暮らし体験ライター以外にも、団地の人々や地域の若い移住者が集う。内装の設計・施工は主にチョウハシさん(写真撮影/蜂谷智子)

団地再生のキーワードは、セルフリノベーションと多拠点居住

「神奈川県住宅供給公社は、ふたつの視点から二宮団地の暮らし体験ライターを人選しました。ひとつめは、セルフリノベーションのスキルがある人材。ふたつめには、団地の他にも拠点を持ち、都市部と二宮団地を行き来しながら暮らす人材です。リノベーションと多拠点居住は、今後二宮団地を再生していくカギとなる要素だと考えています。ですからライターが率先して成功事例をつくってくれることに期待しました」(鈴木伸一朗さん)

二宮団地は今年2017年から、築50年の老朽化した建物をリノベーションして賃貸する試みを始めており、徐々に住人が増え始めている。団地で想起される、畳敷きの部屋やバランス釜の風呂といった古い設備を一新し、無垢材を使った清潔感のあるさとやま風の内装や3点給湯など現代の設備仕様にすることで、若い借り手が増えたという。そこから一歩進めて、オリジナルの内装で団地をカスタマイズするモデルケースをつくることで、より個性的な暮らし方を発信する考えだ。

また、“さとやまライフ”を打ち出していることからも伝わるように、二宮団地は自然に恵まれている。しかも東海道本線や湘南新宿ラインを使えば横浜まで39分、品川まで58分、新宿まで72分と、都心の近くに位置している。JR二宮駅からバスで10分前後と通勤にはやや不便な立地だが、高台に位置する団地は見晴らしがよく、気軽に訪れて別荘のようにリフレッシュしたり、在宅ワーカーが集中して仕事をするための拠点にしたりといった用途には最適と考え、定住以外の居住スタイルも模索する。

【画像3】昨年から入居者募集を開始しているリノベーションルームでは県内産の杉を多用したタイプが人気。今年5月には入居者がセルフリノベーションするプランも打ち出した(写真撮影/蜂谷智子)

【画像3】昨年から入居者募集を開始しているリノベーションルームでは県内産の杉を多用したタイプが人気。今年5月には入居者がセルフリノベーションするプランも打ち出した(写真撮影/蜂谷智子)

【画像4】二宮駅から歩いてすぐのところに海がある。山の中腹にある団地の窓からも、海が見える(写真撮影/蜂谷智子)

【画像4】二宮駅から歩いてすぐのところに海がある。山の中腹にある団地の窓からも、海が見える(写真撮影/蜂谷智子)

デザインセンスとリノベーションのスキルで、古いものを輝かせる

募集の背景から、暮らし体験ライターのうち2名はリノベーションスキルのあるチョウハシトオルさん、岸田壮史さんが選ばれた。ふたりとも神奈川を拠点に活動するフリーランスの設計・施工技術者。実際に団地の一室をセルフリノベーションし、建物の古さを逆手に取ったクリエイティブな暮らしを楽しんでいる。

「僕は大学でインテリアデザインを学んでいたころから、古いものにデザインを加えて再生することに興味がありました。古くからあるものは時代とのズレが生じてしまいがちですが、視点を変えることで新たな魅力が見えてくることがあります。団地も部屋の使い方やコミュニティ運営などをリデザインすることで、新しい暮らし方が発見できるのではないでしょうか」(チョウハシトオルさん)

「去年7月に横須賀の工務店を辞めて、今後はフリーランスとして地域に密着したスタイルで建築や内装の仕事をしていきたいと考えています。二宮団地で自分のリノベーション作品を発信し、かつそこに住まうことで、地域とのつながりが増えたらうれしいですね。二宮の記事で僕のことを知ったお客さんから発注をいただくなど、すでに仕事にもプラスになっています」(岸田壮史さん)

若者を中心にセルフリノベーションの人気が定着しているが、都会ではリノベーション可能な物件が少ないのが現状。団地の内部を思い切りリノベーションして新しい暮らし方を発信することに、チョウハシさんも岸田さんも期待感をもって取り組んでいるようだ。

【画像5】セルフリノベーションでつくられたチョウハシさんの部屋は、古いものを巧みに利用した、個性的なインテリアが目をひく(写真撮影/蜂谷智子)

【画像5】セルフリノベーションでつくられたチョウハシさんの部屋は、古いものを巧みに利用した、個性的なインテリアが目をひく(写真撮影/蜂谷智子)

【画像6】セルフリノベーション最中の岸田さんの部屋。水まわりには古い建具をあしらっている。ディテールにこだわったつくりで、完成が楽しみになる(画像提供/岸田壮史さん)

【画像6】セルフリノベーション最中の岸田さんの部屋。水まわりには古い建具をあしらっている。ディテールにこだわったつくりで、完成が楽しみになる(画像提供/岸田壮史さん)

忙しい都会暮らしから距離を置く拠点として、団地を活用

チョウハシさんも岸田さんも、二宮団地に居住するが、フリーランスの編集者、大井あゆみさんは東京の中野の住まいと二宮団地を行き来している2拠点居住者だ。

「佐々木俊尚さんやナガオカケンメイさんなど、多拠点居住を実践する著名人を仕事で取材したことがあり、さまざまな拠点を行き来するライフスタイルに興味を持っていました。また個人的な出来事として、今年はじめに大分の実家を引き払い、両親を東京に呼び寄せた経緯があります。都会は便利ですが、故郷を彷彿とさせるような自然豊かな地域にも愛着があります。今は両親も一緒にふたつの拠点を行き来し、都会と田舎の暮らしを満喫中です」(大井あゆみさん)

政府が“働き方改革”の旗振りを行っていることもあり、在宅勤務を導入する企業も増えている。頻繁に都心に通勤する必要がなければ、住む場所も自由に選べる。大井さんのようなフリーランサーでなくても、週に何日かの田舎暮らしがリアリティを持つ時代になってきた。

「セルフリノベーションした私の部屋の家賃は、36.94m2の2DKで月に3万円ほどです。都心なら駐車場を持つ金額とほぼ同額で、海を望む別宅を持てるのは魅力的だと思いますよ。お試しで住んでみて、こちらの暮らしが性に合えば将来の移住を視野に入れるのもアリかもしれません」(大井さん)

全国的に空き家の増加が問題になっている一方で、東京都中心部の住宅価格は高騰を続けている。今後は東京に働く拠点を維持しながら、手ごろな価格で暮らせる郊外や他府県へと徐々に軸足を移し、“ときどき東京に出稼ぎしつつ、終の住処となる地方の拠点を整える“というライフスタイルを実践する人も増えてくるかもしれない。

【画像7】ウェルカムボードがかわいい大井さんの部屋は、DIYやセルフリノベーションに興味がある人々を募り、ワークショップ形式でリノベーションした。奥のリビングにはハンモックが。ここで揺られながら仕事をすれば、リラックスしてよいアイデアが生まれるのだそう(写真撮影/蜂谷智子)

【画像7】ウェルカムボードがかわいい大井さんの部屋は、DIYやセルフリノベーションに興味がある人々を募り、ワークショップ形式でリノベーションした。奥のリビングにはハンモックが。ここで揺られながら仕事をすれば、リラックスしてよいアイデアが生まれるのだそう(写真撮影/蜂谷智子)

住人の高齢化や空き家問題――昭和の時代に団塊世代向けに一括供給され、同世代人口の比率が高い団地は、日本がこれから直面する問題を先取りしているともいえる。

二宮団地に関していえば、空き家率が40%と既に深刻な状況だが、こういった状況を逆手に取って、暮らしを楽しもうとする若い世代は、着実に増えてきている。また賃貸住宅の所有者・事業者である神奈川県住宅供給公社も、老朽化した建物をメンテナンスしたり、今までの原則を緩和したりといった、受け入れ体制を整えている。二宮団地のチャレンジには、全国の住宅問題を考えるうえでも重要なヒントがありそうだ。

●取材協力
YADOKARI×二宮団地 暮らし方リノベーション
神奈川県住宅供給公社 ~湘南二宮 さとやま@コモン~