「入居条件はパン屋さん」大家さんの狙いとは? 入居者も街の人もハッピーになる賃貸1階の”小さな商店街”化が進行中 東京・蒲田

おいしいパン屋さんのある街は、きっと素敵な街。そんな印象を持っている人も多いのでは。パンブームが続く昨今、おいしいパン屋さんは地元はもちろん遠方からも人を呼ぶ求心力を持ち、さらには「引越すならパン屋さんのご近所に!」なんてケースも少なくない。蒲田(東京都大田区)の住宅街にある「SONGBIRD BAKERY」は、実は大家さんが「パン屋さん限定」で募集した物件なのだ。その背景にある思いや、開店後の住宅街の変化について、大家の茨田禎之(ばらだ・よしゆき)さんと店主の本藤正敏(ほんどう・まさとし)さんに伺った。

こだわりのパン屋さんを呼び込めば、街の魅力も上がると考えて

JR・東急 蒲田駅前のにぎわいを抜け、小さな川沿いを10分ほど歩いた先にある「SONGBIRD BAKERY(ソングバードベーカリー)」。周辺はのんびりとした住宅街で、近くを流れる呑川の反対岸の児童公園の緑が目を和ませる。2021年7月、ここでベーカリーをオープンさせたのは本藤正敏さん。国産小麦を使った高加水のもちもちパンがパン好きの間でも評判となり、オープン以来、地元はもとより遠方からもお客が訪れる人気ぶりだ。

パンは約25種類。1~2人で食べきりやすい小ぶりな食パンも2種そろう(画像提供/SONGBIRD BAKERY)

パンは約25種類。1~2人で食べきりやすい小ぶりな食パンも2種そろう(画像提供/SONGBIRD BAKERY)

看板メニューは、水分たっぷりで小麦の甘味豊かな「うるる」(右下)。「明太フランス」(左)など定番のほか、季節で具材が変わる「フリュイ」(右上)など期間限定パンも(画像提供/SONGBIRD BAKERY)

看板メニューは、水分たっぷりで小麦の甘味豊かな「うるる」(右下)。「明太フランス」(左)など定番のほか、季節で具材が変わる「フリュイ」(右上)など期間限定パンも(画像提供/SONGBIRD BAKERY)

店があるのは「カマタ_ブリッヂ」という4階建てマンション。1階は「SONGBIRD BAKERY」を含む3軒のテナント用スペース、上階は1~2人用の賃貸物件だ。テナント募集にあたり、オーナーである不動産会社「仙六屋」代表の茨田禎之さんは「パン屋さん限定」という条件を設定した。

1976年築の「カマタ_ブリッヂ」。2015年に全館フルリノベーション(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

1976年築の「カマタ_ブリッヂ」。2015年に全館フルリノベーション(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「オーナーとして、1階に何の店が入ると魅力的な物件になるかを考えてのこと。1階においしいパン屋があったら、入居者さんも街の人もハッピーでしょう?」
からっと笑う茨田さん。そのアイデアは、彼がこの界隈で行ってきた街づくりの活動がベースにある。

「当社はこのエリアにいくつか物件を所有していますが、街に波及効果のあるテナントに絞ったリーシング(商業用不動産の賃貸サポート)を行っています。この『カマタ_ブリッヂ』1階はもともと中華料理店でしたが、2015年の耐震リノベーションの際に、店は継続しつつ、残り2区画をクリエイター向けの工房併設型シェアオフィスとして開発。町工場の多いこのエリアと親和性の高いモノづくりスペースを通して、地域とつながりつつ物件の付加価値を高めようと考えたのです」

「仙六屋」代表の茨田禎之さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「仙六屋」代表の茨田禎之さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

多彩なイベントやプロジェクトを創出したシェアオフィスは2019年に京急梅屋敷駅高架下「梅森プラットフォーム」に移転が決定。そこに中華料理店閉業のタイミングが重なり、「カマタ_ブリッヂ」1階を再開発することに。そこで掲げたコンセプトは”小さな商店街”だ。

「シェアオフィスのクリエイティブな雰囲気は引き継ぎつつ、より対象を広げたい。職人さんがこだわってつくるパンならば、幅広い世代が日常的に親しめるし、隣の2店舗との相乗効果によって街に活気を生み出せる。物件としての魅力も上がり、住居部分の入居率向上にもつながると考えました」

「仙六屋」では周辺エリアを独自にリサーチ。競合ベーカリーの存在や、前と横の道路の通行量とその年齢層などを調べ、いかにこの物件がパン屋の新規出店に有利かをデータ化した。

「仙六屋」が作成した「周辺パン屋マップ」。半径500m以内に競合店がないことが明らかに(画像提供/仙六屋)

「仙六屋」が作成した「周辺パン屋マップ」。半径500m以内に競合店がないことが明らかに(画像提供/仙六屋)

「1分間通行量リサーチ」。人通りが多い時間帯や年齢層の変化が分かる(画像提供/仙六屋)

「1分間通行量リサーチ」。人通りが多い時間帯や年齢層の変化が分かる(画像提供/仙六屋)

「しかしコロナ禍も重なり、なかなか応募はなく……。そこで当社メンバーがそのデータをまとめた冊子を手づくりし、イメージに近いパン屋さんを回って営業も行いました」(茨田さん)

「仙六屋」の不動産チームが自作したパン屋さん募集用パンフレット(画像提供/仙六屋)

「仙六屋」の不動産チームが自作したパン屋さん募集用パンフレット(画像提供/仙六屋)

営業先では好反応もありつつ、やはり動きはないまま約1年が経過したころ、ベーカリー予定地の隣にカフェ開業希望者から申し込みが。

「当時はコロナ禍真っ最中でしたので、本当にいいの?という感じで。でも店主の30歳になるまでに独立したいとの決意を伺い、心意気を感じました。カフェとパン屋さんは相性がいいし、パン屋さんが出店を検討する時に、すでにカフェがあることが『ここで新しいお店がやっていけている』と説得力にもなるので、ありがたくて」と茨田さん。

そうして2020年6月にカフェ&バー「SSYET」が誕生。店主のセンスあふれるこのカフェはすぐ人気店に。そこから半年が経過したころ、ついにパン屋さんから応募が! それが本藤さんだった。

「住宅街で、地域の人たちに愛されるパンを」との店主の想いに合致

独立を考え、都内と神奈川県で物件を探しこちらを発見した本藤さん。「最初に内見した物件だったんですが、魅力的だったのですぐ申し込みました」と驚きの発言!

「SONGBIRD BAKERY」オーナーシェフの本藤正敏さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「SONGBIRD BAKERY」オーナーシェフの本藤正敏さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「物件の条件はいくつか考えていましたが、ここはすべてを満たしていて。家賃も想定内だし、住宅街にあって、公園も近くて、隣に素敵なカフェもある。『周辺パン屋マップ』などの資料もすごく助かりました。でも最終的な決め手は直感ですね。ここで自分がお店を開いているところをイメージできたんです」と本藤さん。

川の反対岸にある児童公園(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

川の反対岸にある児童公園(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

本藤さんが申し込みを急いだのは、ほかにも希望者がいるからでもあった。茨田さんは当時をこう振り返る。
「ずっと動きがなかったのになぜか同時に3件の申し込みをいただいて。ほかのお二方も素敵だったので悩みましたが、社内で協議を重ね、本藤さんに決めました。決め手は、実績はもちろん試食でいただいたパンがおいしかったこと。お人柄もパンも、優しくて柔らかい。この街にファンがついて、長く店をやっていただけそうだなと、いち住民としてイメージができました」

両者の「街に根付くパン屋さん」というイメージがぴたりと合致したのだ。そこに到達するまで時間はかかったが、茨田さんは「不動産は、ニーズが合うただ一人が見つかればいい。対象を絞ることで多少労力はかかっても、テナントが何度も入れ替わるよりずっと苦労は少ない」と確信している。

物件は駅から離れているが人通りが絶えない。「蒲田駅、梅屋敷駅、池上駅の3駅からアクセスできる立地も利点です」と本藤さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

物件は駅から離れているが人通りが絶えない。「蒲田駅、梅屋敷駅、池上駅の3駅からアクセスできる立地も利点です」と本藤さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

地域に愛されつつ、遠方から人を呼び込み街の認知を高める存在に

とうとう待望のパン屋さん「SONGBIRD BAKERY」がオープン。長い間「ここにパン屋さんが入ります」と「仙六屋」のSNSなどでも告知してきたこともあり、オープン日は雨の中行列ができる反響が。

「SONGBIRD BAKERY」オープン初日の様子(画像提供/仙六屋)

「SONGBIRD BAKERY」オープン初日の様子(画像提供/仙六屋)

本藤さんはもともと蒲田にゆかりはなかったそうだが、「お客様から『パン屋さんができてうれしい』『この街に来てくれてありがとう』とのお声をオープン以来たくさんいただいて、地域とのご縁が育っています」と微笑む。「上階にお住まいの方々もよく買いに来てくださって、懇意にしていただけています。付近は住宅やマンションが多く、30~40代の子育て中のお客様が中心。対象にしたかった層とも合致しています」

最新製法を採りつつ、住宅街の立地を考慮し、菓子パンや惣菜パン中心の親しみやすいラインアップに(画像提供/SONGBIRD BAKERY)

最新製法を採りつつ、住宅街の立地を考慮し、菓子パンや惣菜パン中心の親しみやすいラインアップに(画像提供/SONGBIRD BAKERY)

茨田さんも「パパ友やママ友、いろんなところで評判を聞くんですよ」とうれしそう。「上の階に『パン屋さんがあるから入居したい』という直接的な影響はまだないですが、空き部屋が出てもすぐ埋まるように」。マンション1階に毎日通いたい素敵なお店があることが、入居者の生活の質の向上にもつながっている。

「SONGBIRD BAKERY」「SSYET」ともに遠方から訪れる人が多く、彼らにこの街を知ってもらえることも茨田さんはうれしいという。「蒲田=飲み屋街の印象を持っている人には、この界隈はギャップを感じてもらえるのでは。蒲田も駅から少し離れるとこんなに落ち着いていて、新しい素敵なお店もある。発見する喜びがここにはあります」

波及効果あるテナントを集めて、街の魅力をさらに高めていく

連日行列ができる人気の「SONGBIRD BAKERY」。週末などはお昼すぎに売り切れ閉店することも。「買えない方には申し訳ないし、経営者としてもったいないとも思うので、難しい部分もありますが、生産量や商品ラインアップを少しずつ増やしていけたら」と本藤さん。

将来的には新たな展開も視野に。「イートインができるカフェも併設できたら。今のお店では少ないですが、個人的にはカンパーニュのようなハード系をもっとつくりたい。食事とともに出せば、そんなパンも受け入れられやすいかなと」

「サワードゥ」などハード系のパンも並ぶ(画像提供/SONGBIRD BAKERY)

「サワードゥ」などハード系のパンも並ぶ(画像提供/SONGBIRD BAKERY)

一方の茨田さんは、現在空き店舗の「カマタ_ブリッヂ」の3つめのスペースに入るお店を見つけることが目下の課題。

「現状の2店舗さんとの相性も考えつつ、長く地域に根付いて成長してくれそうなお店を探し、お互いの希望をすり合わせる。そこをしっかりやらないと」と茨田さんが言うと、「茨田さんは入居前から親身になってくださって、信用金庫に融資を受ける際も一緒に来て口添えしてくださったりも」と本藤さん。

茨田さんは照れつつも「テナントさんは運命共同体。でも口うるさいオーナーにはなりたくないから、最初にしっかりセッティングしたら、その先は口出しなし!」ときっぱり。

茨田さんは、こんなふうに影響力あるテナントを地域に点在する自社物件に呼び込むことで、街の価値を上げていくことに取り組んでいる。「大規模な都市開発ではなく、個人単位の小さな点と点をつなげる”マイクロデベロップメント”。仲間とともにまちづくりとものづくりの企画開発を行う『@カマタ』を立ち上げて活動しています」。将来的には、この取り組みによる経済的効果も実証し、他エリアにも広めたいと茨田さんは考えている。

梅屋敷駅から続く商店街(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

梅屋敷駅から続く商店街(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

京急梅屋敷駅高架下「梅森プラットフォーム」は「@カマタ」が京急電鉄に働きかけ、クリエイターと町工場が協働するモノづくり施設が実現。「仙六屋」はカフェとして入居して新たな不動産業を模索している(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

京急梅屋敷駅高架下「梅森プラットフォーム」は「@カマタ」が京急電鉄に働きかけ、クリエイターと町工場が協働するモノづくり施設が実現。「仙六屋」はカフェとして入居して新たな不動産業を模索している(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「SONGBIRD BAKERY」のように魅力ある個人商店や、「梅森プラットフォーム」のようなクリエイターの創造拠点の存在は、街を変える種火となる。その種火が連なり、燃え広がってこの街にどんな上昇気流をもたらすのか。俄然おもしろくなっていく蒲田~梅屋敷に、ぜひ注目したい。

●取材協力
茨田禎之さん
・仙六屋 
・@カマタ
本藤正敏さん
・SONGBIRD BAKERY 

賃貸物件の1階を“街の交差点”に。パン屋さんやコワーキングスペースでにぎわい生む「西葛西APARTMENTS-2」

東京都江戸川区にある「西葛西APARTMENTS-2」は、住むに加えて商う・働くという機能を加えた新感覚の集合住宅です。ベーカリー&カフェ、小商いができるオープンスペース、コワーキングスペースを設けるなどで、街のコミュニティをつくり出しています。こちらが誕生した経緯と、完成から4年でどのように地域に変化をもたらしているかを取材します。

設計者が企画、設計、運営を行う新しいタイプの複合建築

初秋のよく晴れた日の朝、最寄駅である地下鉄東西線 西葛西駅の改札を出て歩くこと約10分。「西葛西APARTMENTS-2」は、大通りから一本入った住宅街のなかにありました。通りから見えるベーカリーの窓には、パンを仕込んでいる職人さんの姿。隣にあるデッキには、木々の緑陰が落ちています。

2000年に竣工した集合賃貸住宅「西葛西APARTMENTS」(右)にデッキスペースをはさんで隣り合う「西葛西APARTMENTS-2」(左)(写真撮影/桑田瑞穂)

2000年に竣工した集合賃貸住宅「西葛西APARTMENTS」(右)にデッキスペースをはさんで隣り合う「西葛西APARTMENTS-2」(左)(写真撮影/桑田瑞穂)

エントランスのスロープは、バリアフリーに配慮して、端ではなく中央に設けた。「誰にとっても居心地のよい場所に」という想いが込められている(写真撮影/桑田瑞穂)

エントランスのスロープは、バリアフリーに配慮して、端ではなく中央に設けた。「誰にとっても居心地のよい場所に」という想いが込められている(写真撮影/桑田瑞穂)

駅からの道すがら街なかで目立つのは、整然としたコンビニやファミレスなどのチェーン店ですが、ここには、手作り感あるほっとできる空間が広がっていました。静かな朝のひとときが過ぎると、保育園に子どもを送ったあとのお母さんたちが次々にやってきて、デッキでおしゃべりがはじまります。ロードバイクでふらりと立ち寄った人も。たちまち、にぎわいが生まれました。

「7丁目PLACE」のデッキには、パンとコーヒーを飲んで一息ついているお母さんたちが多かった(写真撮影/桑田瑞穂)

「7丁目PLACE」のデッキには、パンとコーヒーを飲んで一息ついているお母さんたちが多かった(写真撮影/桑田瑞穂)

2018年に完成した「西葛西APARTMENTS-2」は、駒田建築設計事務所の駒田剛司さん、由香さん夫妻が、資金計画、設計、運営まで一貫して行っている集合住宅です。駒田さん自身が銀行で融資を受け、所有しています。

1階にはカフェ併設のベーカリー&カフェ、2階には、コワーキングスペース「FEoT」(FAR EAST of TOKYO)と自社事務所があり、3・4階が賃貸住宅で、どの場所も路地のようなオープンスペース「7丁目PLACE」に開かれています。
隣接する「西葛西APARTMENTS」1階には、シェアキッチンを備えたコミュニティスペース「やどり木」を設けました。

「西葛西APARTMENTS-2」は、単なる集合住宅ではなく、街に開いたオープンスペースを持ち、働く人、商う人、地域の人が集う複合建築であり、地域のコミュニティを再生する場です。通常、集合住宅で、店舗を併設する場合、居住者と店舗の来客の入口は別々にして、動線を分けるのが一般的ですが、「7丁目PLACE」と名付けたデッキスペースに、賃貸部分の居住者やコワーキングスペースの利用者、ベーカリーの来客などすべての動線をあえて重ね、にぎわいを生み出すようにデザインされています。

「7丁目PLACE」のデッキには、パンとコーヒーを飲んで一息ついているお母さんたちが多かった(写真撮影/桑田瑞穂)

「7丁目PLACE」のデッキには、パンとコーヒーを飲んで一息ついているお母さんたちが多かった(写真撮影/桑田瑞穂)

「『西葛西APARTMENTS』には、私たちも入居していましたが、開発事業によって発展した西葛西は、どこにでもある大型のチェーン店が多く、個人の魅力的なお店がなかったんです。徐々に、自分たちが居心地よく過ごせる場所がほしいと思うようになりました。街を面白くするには、自分たちが街に開いていくべきじゃないか。そんな想いから『西葛西APARTMENTS-2』の計画はスタートしました」(由香さん)

エントランス脇の看板は、公園の入口にある看板をイメージしてデザイン。自由に使えるオープンスペースであることを表現している。ベーカリー&カフェ「gonno bakery market」が開店すると瞬く間に自転車でいっぱいに(写真撮影/桑田瑞穂)

エントランス脇の看板は、公園の入口にある看板をイメージしてデザイン。自由に使えるオープンスペースであることを表現している。ベーカリー&カフェ「gonno bakery market」が開店すると瞬く間に自転車でいっぱいに(写真撮影/桑田瑞穂)

賃貸集合住宅に、働く、商う、集う場を複合しコミュニティを生み出す

西葛西でやりたかったのは、小さくても「住む」「働く」「商う」「集まる」というさまざまな用途をぎゅっと詰め込んだ建物でした。そのためには近隣の人をいかに呼び込むかが大切で、最初に計画したのが、誰でも気軽に立ち寄れるベーカリー&カフェを1階に誘致することでした。

「一般的な集合住宅は、生垣や塀で囲まれていて、通りから中が見えない閉じたつくりになっていますが、その真逆をやってみたいという構想は以前からもっていました。駒田建築設計事務所では、集合住宅を計画する際、『1階を開くと街の価値まで上がる』とオーナーに店舗の誘致やオープンスペースの提案をしてきましたが、『うまくいくの?』と難色を示されてしまうことが多くて。自らオーナーである『西葛西APARTMENTS-2』で、その可能性を証明できるのではと思いました」(由香さん)

誘致した「gonno bakery market」は、もともと近隣の人気店。メディアに取り上げられることも多い。スコーンやバゲットなどさまざまな種類のパンが並び、選ぶのに迷ってしまうほど(写真撮影/桑田瑞穂)

誘致した「gonno bakery market」は、もともと近隣の人気店。メディアに取り上げられることも多い。スコーンやバゲットなどさまざまな種類のパンが並び、選ぶのに迷ってしまうほど(写真撮影/桑田瑞穂)

小さな子ども連れのご家族から高齢者まで、想定通り近隣の住民でにぎわうカフェコーナー(写真撮影/桑田瑞穂)

小さな子ども連れのご家族から高齢者まで、想定通り近隣の住民でにぎわうカフェコーナー(写真撮影/桑田瑞穂)

「空間の力で集客したい」と考えた駒田さん夫妻は、エントランスに、ベーカリーの来客や建物利用者が共有するデッキスペース「7丁目PLACE」を設けました。動線やオープンスペースとしての機能を考え抜き、デザイン案は100通りにものぼったそうです。完成した「7丁目PLACE」では、パンのイベントや不揃いの野菜を販売する「でこぼこマーケット」や美大生による子ども向けアートイベントなどが開催され、大反響。「西葛西APARTMENTS-2」の屋上スペース「7丁目ROOF」も希望者に貸し出していますが、ヨガ教室などのイベントが好評です。

コロナ禍前のパンイベントでは、建物周囲を囲むほどの行列ができた(画像提供/駒田建築設計事務所)

コロナ禍前のパンイベントでは、建物周囲を囲むほどの行列ができた(画像提供/駒田建築設計事務所)

デッキスペースに出店した「でこぼこマーケット」。三輪自転車の店舗に、新鮮な野菜がずらり(画像提供/駒田建築設計事務所)

デッキスペースに出店した「でこぼこマーケット」。三輪自転車の店舗に、新鮮な野菜がずらり(画像提供/駒田建築設計事務所)

「西葛西APARTMENTS-2」の屋上「7丁目ROOF」で催されているヨガ教室。空が近く感じられる気持ちのいい場所(画像提供/駒田建築設計事務所)

「西葛西APARTMENTS-2」の屋上「7丁目ROOF」で催されているヨガ教室。空が近く感じられる気持ちのいい場所(画像提供/駒田建築設計事務所)

駒田建築設計事務所の駒田由香さん。イベントは、主催者とテーマ設定や告知について話し合いながら一緒につくり上げていく(写真撮影/桑田瑞穂)

駒田建築設計事務所の駒田由香さん。イベントは、主催者とテーマ設定や告知について話し合いながら一緒につくり上げていく(写真撮影/桑田瑞穂)

「小さな経済がここで回っていくことが大事だと思っています。住んでいる人や街の人のチャレンジを後押ししながら、自分たちも成長したいと思っています。」(由香さん)

「西葛西APARTMENTS」1階にある「やどり木」は、シェアキッチン付きのオープンスペースです。飲食店営業と菓子製造業の許可を取得済みで、和菓子の会や無農薬野菜のカレー屋さんなどさまざまな活動が催されました。ここでの活動をきっかけに、本を出版したり、ビジネスを立ち上げた人もいるそうです。

「やどり木」でのイベント風景。もともと賃貸住居として貸し出していたスペースをリノベーションしてシェアキッチンとして開放(画像提供/駒田建築設計事務所)

「やどり木」でのイベント風景。もともと賃貸住居として貸し出していたスペースをリノベーションしてシェアキッチンとして開放(画像提供/駒田建築設計事務所)

コワーキングスペースが、居住者や地域の人のサードプレイスに

「西葛西APARTMENTS-2」2階にあるコワーキングスペース「FEoT」は、家でも職場でもない居場所をつくろうという思いで企画されました。

駒田さん夫妻にとって、コワーキングスペースの運営は初めてでしたが、外が見えて風が抜けるリビングのような居心地の良い空間を目指しました。合理的な壁柱の構造を活かしたワークスペースには、プライバシーを保ちつつ、デスクがゆったりと配置されています。構造躯体でない間仕切りには、本棚やコンクリートブロックを使い、簡単にスペース全体のレイアウトを変えられるようになっています。

窓いっぱいに外が見えて開放感のある「FEoT」。右側の壁も中央の壁と同じ構造になっていて、本棚を取り外すと一体の空間として使える(写真撮影/桑田瑞穂)

窓いっぱいに外が見えて開放感のある「FEoT」。右側の壁も中央の壁と同じ構造になっていて、本棚を取り外すと一体の空間として使える(写真撮影/桑田瑞穂)

「FEoT」は駒田建築設計事務所と同フロアにあり、受付は事務所スタッフが行い、運営に関する面談や契約は由香さんが担当。開業半年後から満席が続き、空きが出てもすぐに埋まる状況が続いています。

受付を兼ねたシェアキッチン。右奥が駒田建築設計事務所の入口で、コワーキング利用者と事務所スタッフがスペースを共有している(写真撮影/桑田瑞穂)

受付を兼ねたシェアキッチン。右奥が駒田建築設計事務所の入口で、コワーキング利用者と事務所スタッフがスペースを共有している(写真撮影/桑田瑞穂)

「現在の利用者は入居者、近隣の方を中心に27名ほどです。通常、コワーキングスペースを契約する際には、禁止事項などがずらっと書かれた利用規約がありますけど、悩んだ末、必要最低限の利用規約にとどめました。お互い挨拶を交わすなかで、利用者同士や事務所スタッフが顔見知りの関係になり、みなさん安心して快適に過ごされているようです」

賃貸部分の入居者は、30代~40代が中心で、「西葛西APARTMENTS-2」の醸し出すオープンな雰囲気が気に入って入居されている方が多いようです。この建物を通じて知り合った入居者の方と、近隣に住むコワーキング利用者と三者で、被災時に対応すべきマニュアルの作成など、新しい社会的活動も始めています。

コワーキングスペースはフリーランスの方の事務所となったり、保育園に子どもを送ったあと1時間利用する人がいたり、ベーカリー&カフェでテイクアウトしたパスタを、居住エリアのベンチに持ち込んでテレワークする人も。「『西葛西APARTMENTS-2』みたいな場所があってよかった」という声が寄せられています。

男性が入居する賃貸の一室。キッチンが広めの28.8平米ワンルーム(写真撮影/桑田瑞穂)

男性が入居する賃貸の一室。キッチンが広めの28.8平米ワンルーム(写真撮影/桑田瑞穂)

朝の日差しが気持ちよく差し込んでいた(写真撮影/桑田瑞穂)

朝の日差しが気持ちよく差し込んでいた(写真撮影/桑田瑞穂)

3階のこの部屋は共有廊下に接した写真左の引き違い窓が入口で、入ってすぐキッチンがある。住居を開放して、小商いをすることも可能(写真撮影/桑田瑞穂)

3階のこの部屋は共有廊下に接した写真左の引き違い窓が入口で、入ってすぐキッチンがある。住居を開放して、小商いをすることも可能(写真撮影/桑田瑞穂)

コミュニティが再生する場をつくり、地域の価値を上げる

「1階を開くと街の価値まで変わる」と信じて、新しい集合住宅を設計した駒田さん夫妻。企画当初は、融資を打診した銀行から、立地や場所性を理由に飲食の店舗やコワーキングスペースにする計画には、難色を示されましたが、竣工から1年後、管理会社から、築20年の「西葛西APARTMENTS」の家賃の値上げを提案されたのです。「西葛西APARTMENTS2」を通じてさまざまな人が交流するなかで、「環境をつくる」ことが街に新しい価値を生み出し、その結果事業利益にもつながりました。

「以前は、コンセプトを言葉で説明しても理解されにくかったのですが、実際に「西葛西APARTMENTS-2」を見た多くの人に共感してもらえるようになりました。今までやってきたことがフィードバックされてきたのかなと思っています。これからも、地域の人が交流し発展する場所として育てていきたいです」(由香さん)

設計者自ら不動産を手掛け、「空間の力で集客できる」ことを証明した駒田建築設計事務所の剛司さんと由香さん。2022年11月には、外階段から直接住戸にアクセスでき、小商いが可能な賃貸集合住宅「wdsビル」が竣工しました。これからは、多様な人々を呼び込み、街に開いた集合住宅が、住む人、商う人、働く人の交差点になり、街のコミュニティを醸成する場になっていくのかもしれません。

●取材協力
駒田建築設計事務所