キャンピングカーをリノベで「動く別荘」に! 週末バンライフで暮らしながら家族と九州の絶景めぐり

キャンピングカー、バンライフなど、車と住まいが一体化したライフスタイルが注目を集めています。そんなトレンドの影響もあってか、リノベーションオブ・ザ・イヤー2023で特別賞を受賞したのがキャンピングカーをリノベした「動く家」です。キャンピングカーをリノベしたら、一体どのような住まいになったのでしょうか。施主と設計を担当した建築士に話を聞いてみました。

中古のキャンピングカーをリノベしてできた「動く家」

今回の「動く家」プロジェクトの施主・川原一弘さんは、サーフィンやキャンプを趣味としていて、もともとハイエースを所有していました。ただ、コロナ禍もあって自由に移動できず不便さを感じていたため、別荘またはハイエースへの買い替えを検討していましたが、偶然、中古のキャンピングカーを発見しました。

もともと、熊本を中心にリノベーションや店舗デザインなどを幅広く手掛けていた会社ASTERの社名を知っていた川原さんは、すぐに会社宛にメールを送り、相談したといいます。

「状態のいいキャンピングカーがあるのですが、これをリノベできますか」。すると、わずか10分後にメールで「できますよ!」と即答が。このレスポンスに後押しされ、キャンピングカーを購入したのです。2022年3月3日のことでした。

30年前に製造されたキャンピングカー。横顔がりりしい!(写真提供/ASTER中川さん)

30年前に製造されたキャンピングカー。横顔がりりしい!(写真提供/ASTER中川さん)

車は1993年製造、建物でいうと築30年、広さは8平米のワンルーム。キッチン・バス・トイレと運転席がついていて、昨今、都心部で話題になっている「激狭ワンルーム」と同程度といってもいいかもしれません。

「せっかくのキャンピングカーなので、単なる改装で終わらせるのは惜しいと思いました。居住性を高めて『動く家』にするのはどうだろう、という案を川原さんに提案したところ『よいですね』と話がまとまりました。キッチン・トイレ・シャワーは十分に動くためそのままで、位置などの変更も行っていません」と話すのは、設計を担当したASTERの中川正太郎さん。

既存の駆体のギミック、良さは残しつつ、価値を高めるのは「リノベ」の得意とするところです。車の改装では終わらせずに「家」「別荘」のように使える空間をつくる、そんなプランニングが固まりました。

居住性を高めるのは素材感。住宅用の無垢材、家具屋のソファを採用

「動く家」にするということは、すなわち「居住性を高める」こと。そのため、プランニングでは手触り、心地よさなど素材感を活かすことにしようと思い至ったといいます。

リノベ前の写真。これはこれで味があります(写真提供/ASTER中川さん)

リノベ前の写真。これはこれで味があります(写真提供/ASTER中川さん)

リノベ前の写真。室内から運転席を見たところ(写真提供/ASTER中川さん)

リノベ前の写真。室内から運転席を見たところ(写真提供/ASTER中川さん)

「内装の雰囲気の参考にするため、キャンピングカーショーを訪れるなどし、かなりの数のキャンピングカーを見学しました。そのなかで気がついたのは、家らしさというのは、やはり素材ということ。自動車改装用パーツで木っぽい見た目にするのは容易ですが、やっぱりどこか工業用部品なんです。ですから、今回は住宅用の建材を使おうと。床や壁にはたくさん木材を使っていますが、突板(スライスした天然木をシート状にして加工したもの)を貼っていますし、塗装も住宅用、照明はダウンライトです。ソファなども車用ではなくて家具屋さんに依頼しました」と中川さん。

ソファベッドは折りたたみ式で、ベッドのように広げたところ。間接照明がおしゃれ(写真提供/ASTER中川さん)

ソファベッドは折りたたみ式で、ベッドのように広げたところ。間接照明がおしゃれ(写真提供/ASTER中川さん)

ソファベッドをソファとテーブルを囲む椅子にした状態(左)とベッドにした状態(右)の間取図。バス・キッチン・トイレ。動線も考えられた、まさに家(写真提供/ASTER中川さん)

ソファベッドをソファとテーブルを囲む椅子にした状態(左)とベッドにした状態(右)の間取図。バス・キッチン・トイレ。動線も考えられた、まさに家(写真提供/ASTER中川さん)

狭い空間だからこそ、目に入るもの、手や足で触れるものの素材感が大事というのは、わかる気がします。また、空間がコンパクトになることから、省スペースで小さく作られていることが多い船舶用パーツを採用したとか。

「施工に関しては、普通の住宅のリノベとほぼ同様の工程です。残せる部分は残しつつ、施工する床やソファなど既存のものは剥がしています。床はヘリンボーン(角が90度になっている貼り方)なので、座席と接する面など、細かな部分は職人さんも苦労したと思います」(中川さん)

床のヘリンボーンを貼っているところ。車だと思えないですね(写真提供/ASTER中川さん)

床のヘリンボーンを貼っているところ。車だと思えないですね(写真提供/ASTER中川さん)

こうしてみると手仕事でできているのがわかります(写真提供/ASTER中川さん)

こうしてみると手仕事でできているのがわかります(写真提供/ASTER中川さん)

施工にかかったのは約1カ月半、費用は130万円ほど。通常、リノベーションでは職人さんが現地に赴いて作業を行いますが、そこは車なので、なんと職人さんの庭に移動してきて作業をしたそう。大工さんも家ではなく車に施工するとは、きっと貴重な機会になったことでしょう。

車内に船舶用の照明を採用するなど、狭くても快適に暮らせる工夫が凝縮(写真提供/ASTER中川さん)

車内に船舶用の照明を採用するなど、狭くても快適に暮らせる工夫が凝縮(写真提供/ASTER中川さん)

窓の景色が移ろう、動く城のような最強の可動産が完成!

完成した住まいは、常に移動して窓から景色が動いていく「動く城」のよう。出来上がりについて施主の川原さんは、「最強の可動産ができた!」と表現します。

この車からの眺め、そのままロードムービーに使えそう(写真提供/ASTER中川さん)

この車からの眺め、そのままロードムービーに使えそう(写真提供/ASTER中川さん)

「動線がスムーズなので、寝る、着替える、くつろぐ、収納からモノを出す、といった行動が家と同じ感覚でできています。目的地についてもキャンプ設営は不要ですし、着替えやシャワー、トイレの場所を探すといった行動にストレスがなく、滞在時間を思う存分、アクティビティに使えます。運転席にロールスクリーンがあるので、下ろして映画を見たりもしています。2人の子どもたちはゲームをしたり、家となんら変わらないくつろぎ方をしていますね。窓から景色がキレイなんですけど、まったく見ていないという……」(川原さん)

キッチンでコーヒーを淹れるだけで、至福のひととき(写真提供/ASTER 中川さん)

キッチンでコーヒーを淹れるだけで、至福のひととき(写真提供/ASTER 中川さん)

ロールスクリーンを下ろしてゲーム中。川原家のお子さんになりたい(写真提供/川原さん)

ロールスクリーンを下ろしてゲーム中。川原家のお子さんになりたい(写真提供/川原さん)

こうして動く城に家族を乗せて、サーフィンや釣り、キャンプに行ったり、初日の出を屋根の上で見たりと、すっかり家族の居場所になっているといいます。ご近所にも評判で、同級生が内見(?)するということも多いとか。

生活に必要なインフラでいうと、電気は大型のポータブルバッテリーを搭載、上水は大きめの給水タンク、下水も汚水タンクがあるため、「家」と変わらない快適さをキープ。断熱材はもともと入っているため今回は手をつけていませんが、現状、エアコン1台で冬も夏も快適に過ごせるといいます。そこはさすが断熱先進国ドイツ製!といったところでしょうか。

一方で、キャンピングカーはそのものが大きいので運転では注意が必要なこと、事前に駐車するスペースを調べておくこと、目的地までの道路が細すぎないか、という点に注意しているそう。もう一つ、気を付けている点として、家の生活感を持ち込まないことをあげてくれました。

お子さんたちのものは極力、厳選して持ち込んでいます(写真提供/川原さん)

お子さんたちのものは極力、厳選して持ち込んでいます(写真提供/川原さん)

「子どもがいるとどうしても、住空間に生活感がにじみでてしまいますよね。せっかくおしゃれにつくってくれたので、この世界観を壊さないように、大人のインテリア空間にするよう、努めています」(川原さん)

ああ、わかります、その気持ち。子どもと一緒の空間は好きなんだけれども、たまには生活感のない大人の空間にいたい……。「動く家」はそんな大人の切なる願いも叶えてくれたようです。

家や住宅ローンのように「動かせないもの」に囚われない生き方を提案したい

今回の「動く家」、現在、乗れているのはほぼ週末といいますが、川原さんがもっとも魅力を感じたのは、「家が自分についてくる、自分本意の生き方ができること」だといいます。

「私たちが暮らす九州は、風光明媚な場所が多くて、阿蘇、天草、鹿児島、大分、宮崎など、自然そのもの、移動そのものが楽しいことが多いんです。『動く家』があれば、ドライブに出かけてそのまま夜空を眺めたり、美しい景色を見て、気に入ったら長く滞在したりと、自由に暮らすことができる。時間通りに動くというより、自分に合わせて家がついてくる、そんな生き方を可能にすると思いました」

窓の向こうに広がる絶景! キャンピングカーで九州を巡るのを夢見ている人は多いのでは(写真提供/川原さん)

窓の向こうに広がる絶景! キャンピングカーで九州を巡るのを夢見ている人は多いのでは(写真提供/川原さん)

動く家。ドライブだけでもしてみたい(写真提供/ASTER中川さん)

動く家。ドライブだけでもしてみたい(写真提供/ASTER中川さん)

設計を担当した中川さんも、手応えを感じているようです。
「弊社の『マンション』『一戸建て』『賃貸』というメニューに『車』という領域を増やしたいくらい。一軒家+離れや応接間のような感覚で、車の空間を使ってみたいという人は多いと思います」と話します。確かにテレワークスペース、家族の避難場所などとして、十分に「ほしい」という人はいることでしょう。

ともすると、私たちは、家や住宅ローンという「重いもの」に縛られがちですが、「動く家」はそうした重たさや、「動かせない」という思い込みを追い払ってくれる存在です。

「老後のためにと今まで積み立ててきた有価証券を取り崩さず、担保に入れて資金調達するスキームを組むことで月々の返済負担をなくし、目先を楽しむことを実現しています。今、老後や将来のためにといって貯蓄や投資にまわす人は多いですが、死ぬときにお金はもっていけません。やりたいことを我慢するのではなく、きちんと暮らしとやりたいことは両立できるんだよという、事例になっていけたらいい」と話す川原さん。

キャンピングカーやバンライフが広がりはじめたものの、「いいなあ」「やってみたい」という人は多いはず。ただ、移動する車窓のように、人生は移ろいゆき、変化していくもの。「定年後に」「ゆくゆくはキャンピングカーで」と憧れるのではなく、実はすぐにでも動き出すことが大切なのもしれません。

●取材協力
ASTER
ASTERのInstagramアカウント

Z世代は地域社会とつながる旅を志向。調査で分かった地域貢献意識の高さや地方移住の動きを解説

宿やホテルを予約できる「じゃらん」のじゃらんリサーチセンターでは、宿泊旅行についての大型調査「じゃらん宿泊旅行調査」を定期的に行っている。今回、Z世代に焦点を当てて、Z世代の価値観や旅行への意識について再分析した結果を公表した。それによると、Z世代は「地域貢献意識」が高く、「地方への移住を考える旅」も実施しているという。地方移住の鍵になると見られるZ世代の意識について詳しく見ていこう。

【今週の住活トピック】
じゃらん宿泊旅行調査を再分析/リクルート じゃらんリサーチセンター

Z世代で多い「地域体験交流タイプ」、女性は「効率・欲張りタイプ」も

公表されたリリースでは、「Z世代」を調査対象の20代(18歳~29歳)として分析している。調査対象全体をクラスター分析すると、「1.地域体験交流」「2.地域訪問」「3.話題性重視」「4.効率・欲張り」「5.リピートなじみ」「6.計画」「7.こだわりなし」の7タイプに分類できる。

なかでも、「地域体験交流タイプ」は、Z世代男性で29.6%、女性で15.8%の出現率となり、他の世代よりも多いことが分かった。このタイプは、観光したら終わるといったものではなく、「地域や地元の文化や生活習慣を深く理解し、地域社会とのつながりを築くことに重点が置かれている」点に特徴があるという。

また、「地域体験交流タイプ」は男性が多いのに対して、「効率・欲張りタイプ」は女性が多く、なかでもZ世代の女性は22.6%と最多だった。効率・欲張りタイプの特徴は、効率よくできるだけ多くの場所を回り、新しい場所への好奇心が強いタイプだという。女性のほうが、友人や恋人との旅行比率が高いことも影響しているそうだ。

●宿泊旅行に対する意識 クラスター構成2023(性年代別)

宿泊旅行に対する意識 クラスター構成2023(性年代別)

出典:じゃらんリサーチセンター「じゃらん宿泊旅行調査再分析」より転載

Z世代の「地方への移住」を考える旅は実施フェーズに

じゃらんリサーチセンターによると、Z世代に多い「地域体験交流タイプ」で強く見られる因子が「地域志向性」だという。「地域志向性」と相関の強い6項目(ⅰ地域のためになること、貢献できることを選ぶ、ⅱ将来の移住やライフスタイルの参考になりそうな旅をする、ⅲ地元の人に積極的に話しかけて情報を聞いたり交流する、ⅳ旅行先の風土や生活習慣を体験する、v自ら主体的に参加する・体験する、ⅵ暮らすように旅をする)を可視化すると、次の画像のようになり、Z世代の地域志向性の高さが分かるという。

●Z世代の地域とのかかわりへの意識と実施(男女別)

Z世代の地域とのかかわりへの意識と実施(男女別)

出典:じゃらんリサーチセンター「じゃらん宿泊旅行調査再分析」より転載

また、コロナ禍を経てZ世代で最も変化した項目は、「地域のためになること、貢献できることを選ぶ」で、男女ともに「地域貢献意識」が大きく上昇したという。

ほかにも、「地方移住」はコロナ禍で注目度が一気に高まったキーワードだが、コロナ禍前後を比べると「将来の移住やライフスタイルの参考になりそうな旅をする」ことへの関心が高まり、実施ポイントも増加していることから、関心にとどまらず実施フェーズへの移行の兆しが見られるという。

増加が期待される「地方移住」について、Z世代が関心を持ち、動き出しているとは、なんとも頼もしい限りだ。

Z世代の価値観は、地域で活躍することがかっこいい!?

この分析を担当した同研究員の池内摩耶さんは、分析結果を「とーりまかし別冊 研究年鑑 2024」で詳しくまとめている。そこで池内さんは、「なぜZ世代は『地域とのかかわり』を求めるのか」についても考察している。

「①オンラインやリモートなど学び方、働き方が柔軟になったことで移住含め地域がより身近な存在となったこと。②Z世代の三大都市圏居住率は年々高まり約6割で地域を知る機会に乏しいこと。③地域に居を構え地域活性に向き合う若手への注目など、コロナによって「地域」というものを強く意識する機会が増えたこと。主にこれらの要因が、Z世代が地域とのかかわりを求める動機付けとなり、地域で活躍することへの憧れ・かっこよさのような志向性が表れていると考えられる」という考察だ。

Z世代がこれからの地方移住の核になりそうだ、という結果については頼もしいと思うが、一方で受け入れ側の体制の改善にも期待したい。地方自治体が予算を取って地方移住を呼び込むさまざまな対策を用意しているが、地域特性を生かした魅力的な対策でなければ、「選ばれる地方」にならない。また、受け入れる地元の住民が「よそもの」意識を持っていると、移住は進まない。

人口減少、急激な高齢化が進むなか、移住先としての地方の選別がなされるようになるだろう。こうした課題を解決していかないと、地域志向性の高いZ世代に注目されることが難しいかもしれない。

●関連サイト
じゃらんリサーチセンター「じゃらん宿泊旅行調査を再分析」
じゃらんリサーチセンター「とーりまかし別冊 研究年鑑 2024」

温泉付きリゾートマンションを98万円で購入、200万円でリノベ&DIY! 築75年をレトロかわいいセカンドハウスに大変身 小説家・高殿円さん 伊豆

『トッカン』シリーズ(早川書房)などの代表作がある小説家の高殿円さん。最近、伊豆(静岡県)の築75年のリゾートマンションの1室を98万円で購入しました。この体験を、2024年4月に発行した同人誌『98万円で温泉の出る築75年の家を買った』に綴っています。

もともと和室2Kだった部屋を、約200万円かけて40平米1Rへとリノベーションし、DIYにも挑戦しました。築古リゾートマンションのリノベで注意した点やDIYのコツを伺います。

産業廃棄物の処理が必要な部分は、業者へ依頼

高殿さんの部屋は、購入した当時、襖で2部屋に区切られた和室だったそう。高殿さんはまずはどこまで工事可能か、同じマンション内でAirbnb(民泊)を借りてシミュレーションすることから始めました。

「古い壁や建材によってはアスベストが混ざっていたり、壁の中に配管が通っていたりすると工事を断られてしまうこともありますから、まず壁や天井をどこまで壊せるのか確認しました」

小説家の高殿円さん

小説家の高殿円さん

産業廃棄物の処理が必要な和室の天井落としや、土壁部分の取り壊しは、業者へ依頼。張るのが難しい総柄の壁紙の処理も、職人さんに頼みました。

「壁紙と床を替えるだけでも、部屋の雰囲気は変わります。私は一点投資型で、ポイントとなる場所にお金をかけて、ほかは安く仕上げるタイプ。今回は壁紙にポイントを置きました」

鳥が舞う印象的な壁紙はドイツのデザイナーが手掛けた作品。上海でプリントアウトして輸入したもので、日本国内で使用したのは高殿さんが初だったそう。部屋の中のフォーカルポイントになっています。

作業の様子を見て、ほかの壁紙の張り替えも工数的に同じ職人へ頼んだほうがいいと判断し、ほかの箇所の処理も合わせて依頼。全部で約40万円ほどかけて壁紙を替えました。

鳥が舞う壁紙が目を惹く。壁紙は10万円以上した奮発ポイント

鳥が舞う壁紙が目を惹く。壁紙は10万円以上した奮発ポイント

床には飲食店などでも使われる硬くて傷がつきにくいサンゲツ(メーカー)の黒いフロアタイルを使用。

「もともと床板は張り替えるつもりだったのですが、部屋の畳を上げたら、木の素材が良くって。そのまま使っても大丈夫だと判断しました。リゾートマンションはもともと超高級マンションですから、築75年経っても使えるほど良い材質のものが使われているのでは、と施工をお願いした職人さんから教えていただきました。張り替え代が浮いた分、フロアタイルにお金をかけました」

キッチンは、木製だったものをすべて取り除き、業務用のステンレスシンクを取り付けました。

「ステンレスって磨けば何年でもピカピカに使えるのでいいですよね。中古品を約2万円で取り付けました。業務用なので、普段の手入れも楽です」

キッチンのガス回りには、名古屋でつくられた燃えにくい素材のステーションタイルを業者に張ってもらいました

キッチンのガス回りには、名古屋でつくられた燃えにくい素材のステーションタイルを業者に張ってもらいました

■関連記事:
・温泉付きリゾートマンションを98万円で購入してみた! 「別荘じまい」が狙い目、Airbnbで宿泊内見など物件選びのコツ満載 小説家・高殿円さん 伊豆
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水回りは現状維持のまま、部分DIYに挑戦

水回りは配置を動かすとお金がかかるので、今回は現状維持。お風呂やトイレはDIYして、気に入って使えるように工夫しています。

お風呂場の天井部分などの塗装壁は、表面が湿気にやられ、かびやすい部分。漆喰風に見える水性シリコン素材の「STYLE MORUMORU」を自分で塗って仕上げました。

「STYLE MORUMORUを20kgぐらい買って、友人を呼んで天井などを塗装しました。最初はていねいに塗っていたんですけど、思ったよりも時間がかかったので途中から急いで塗り終えました。無事に漆喰風になってほっとしています」

「STYLE MORUMORU」を塗ったお風呂場の天井

「STYLE MORUMORU」を塗ったお風呂場の天井

お風呂の床は、自分でタイル塗装。浴室全体の色合いを締める紺色を選びました。

「濡れる場所をタイル塗装するのは難しいんですが、『失敗してもいいや』と気楽に挑戦しました。修復方法を知っていれば、多少剥がれても直せます。もちろんプロに頼むほうがキレイですが、先々ちょっとしたことでも費用がかかりますから、長く住むなら少しでも自分で覚えることにメリットを感じました」

シックな色合いの浴室の床

シックな色合いの浴室の床

昭和風のお風呂ですが、蛇口を取り替えるなどちょっとした工夫を施して、気に入って使えるようにしています

昭和風のお風呂ですが、蛇口を取り替えるなどちょっとした工夫を施して、気に入って使えるようにしています

トイレの扉のガラス部分は、いわゆるレトロガラス。マンション建築当時に使われたものをそのまま活用することにしました。

「細工があるガラスは当時使われていた型がなくなり、現在は製造することができません。せっかくなのでそのまま活かすことにして、縁(フチ)の部分はアイアンペイントを塗りました」

現在は手に入らない細工ガラスの扉

現在は手に入らない細工ガラスの扉

高殿さんがDIYに使った用具の一部

高殿さんがDIYに使った用具の一部

収納場所は少なめに

部屋の内装で高殿さんがこだわったのは、クローゼットを設けないこと。天井からアイアンのパイプを吊るし、衣服をかけて陳列しています。

「収納スペースを設けないことで、部屋自体を広く使えます。私はもともと掃除好きで、神戸の自宅にも家具をあまり置いてないんです。収納場所があると、あっという間に物が増えちゃうんですよね。」

天井に近い場所に洋服やタオルやシーツなどを収納する棚を自作。広島県の廿日市市で木製品を製造する「WOODPRO」から足場材を取り寄せてつくりました。

「足場材って建物を作る時に利用されるのでペンキで汚れていたりするんですけど、ガサッとした質感が好みで利用しました」

同じ足場材を使って、ベッドヘッドの制作も行いました。

「ベッド自体はアイリスオーヤマで購入した安価なものですが、動いて壁紙と擦れてしまうので、足場材を使ってベッドヘッドをつくりました」

足場材を使ってつくられた棚とベッドヘッド

足場材を使ってつくられた棚とベッドヘッド

ベッド下も収納場所として活用します

ベッド下も収納場所として活用します

食器棚も同じ要領で、足場材を使って制作し、見せる収納。来客が多いため、ワイングラスなどが増えて、天井から吊るす収納方法も取り入れたそう。

「工夫したのは水切りカゴの配置場所。水が滴っても困らないように、洗濯機の上に置きました。収納場所が少ないなかで、どう楽しんで生活するか、チャレンジの場となっています」

調味料なども並ぶ食器棚

調味料なども並ぶ食器棚

洗濯機に置かれた水切りカゴ

洗濯機に置かれた水切りカゴ

高殿さんは神戸との2拠点生活を送るため、月の半分以上はセカンドハウスを空けています。空き巣対策としても、家具類は最低限に揃え、家電や小物もジモティーやYahoo!オークション、メルカリなどで安く購入したそう。

資材高騰直前に滑り込めたこともあり、今回のリノベーションとDIYでかかった総額は約200万円。

「DIYはコストを削減できる分、失敗もしますから、それも含めて楽しめるどうか、自分の性格を見極めて挑戦することが大切だと思います」

Airbnbに宿泊してリノベーション後の自室を想像するのは、なかなか考え付かない妙案です。セカンドハウス利用が多いリゾートマンションだからこそできる技ですが、2拠点生活に憧れたら試してみる価値がありそうです。

小説家の高殿円さん

●取材協力
高殿円さん
小説家。漫画の原作や脚本なども担う。2000年、『マグダミリア 三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞。2013年、『カミングアウト』で第1回エキナカ書店大賞を受賞。2024年4月には同人誌『98万円で温泉の出る築75年の家を買った』を刊行。X(旧Twitter)

<撮影:曽我美芽 / 構成:結井ゆき江 / 取材・編集小沢あや(ピース株式会社)>

温泉付きリゾートマンションを98万円で購入してみた! 「別荘じまい」が狙い目、Airbnbで宿泊内見など物件選びのコツ満載 小説家・高殿円さん 伊豆

『トッカン』シリーズ(早川書房)などの代表作がある小説家の高殿円さん。最近、伊豆(静岡県)の築75年のリゾートマンションの1室を98万円で購入しました。この体験を、2024年4月に発行した同人誌『98万円で温泉の出る築75年の家を買った』に綴っています。

もともと3Kだった物件をリノベーションとDIYで1Rに仕上げ、部屋のお風呂で温泉を楽しんでいます。自宅は神戸にある高殿さんが2拠点生活を始めたきっかけや、リゾートマンションを購入した経緯、物件選びのポイントを伺いました。

自分の人生を支える拠点・温泉付きのセカンドハウス

小説家の高殿円さんはコロナ禍で大好きな海外旅行ができず、気持ちが塞ぎ込んでしまったことをきっかけに、自分の人生を支える拠点として温泉付きのセカンドハウスの購入を決めました。

「昔から大の温泉好き。それに、自宅は神戸(兵庫県)なんですけど、東京へ出張する度に小さなストレスが重なっていたんですよね。ホテルに泊まってもドライヤーの風量が気になるし、いつもの美容液やお気に入りのタオルケットとか、荷物が多くなって大変だなと思ったんです」

高殿円さん

高殿円さん

伊豆のリゾートマンションから東京までは、特急列車「サフィール踊り子」を使えば約2時間。最寄駅からはタクシー圏内で、観光資源が豊かな土地だけに、買い物もネットスーパーを利用できるそう。

「静岡県の南側はすべて海。視界も抜けがあって気持ちがいいし、太陽の光でどこも暖かく、睡眠の質もよくなりました」

山の上に立つリゾートマンションは海からの照り返しで冬でもエアコンなしの半袖で過ごせるほどの温かさ。箱根の山から海へ向かって風が吹くため、潮風の影響を受けることもほとんどないのだそう。

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大の家好き作家・高殿円の新刊エッセイ『35歳、働き女子よ城を持て!』インタビュー

見知らぬ土地での物件取得 情報収集のポイントは?

「物件探しでは、セカンドハウスで自分が叶えたいポイントを整理することから始めました。私はお風呂好きで、1日の3分の1は漬かっていたいタイプです。だから温泉と、海が見える景観の2つを重視して探し始めました」

どの温泉地がいいか、まずは草津温泉や別府温泉、道後温泉、有馬温泉などあらゆる場所を旅しました。

「そのうち自分のなかで『瀬戸内海以外の海が見たい』『神戸からアクセスしやすい場所がいい』と条件が出てきて、最終的に伊豆エリアでセカンドハウスを探すことに決めました」

おおよそのエリアを決めた後は、よりリアルな現地の状況を知るために、近隣のお店を訪ねます。

「情報収集で良かったのは美容院。ご高齢の方が経営する場所ではなく、若い人が働く活気のある美容院で話を聞きたかったので、まずはネット予約できる場所を探しました」

そこでヘアカラーとカットを注文。その間に「最近どうですか?」と話しかけて、地域の良いところやおすすめのお店をヒアリングしていきます。たまたま高殿さんが訪ねた美容院は、東京で修業して、コロナ禍をきっかけに地元で店を構えた美容師だったといいます。

DIYしたこだわりのドレッサースペース 日々のメイクも楽しいのだとか

DIYしたこだわりのドレッサースペース 日々のメイクも楽しいのだとか

高殿さんは美容院で情報収集するだけでなく、美容院に来るお客さんにも注目しました。

「白髪染めや子どものヘアカットは、セルフで仕上げるか、美容院へ通うかの二択ですよね。美容院って、実は家計の余裕と切実に結びついているんです。美容院の客層や施術内容を、地域の豊かさを測るポイントにしていました」

特に重視したのは、子どものヘアカット。高殿さんが訪れた美容院では、入れ代わり立ち代わり近所の子どもが一人でやってきて施術していたそう。

「子どもが一人で美容院へ通うのは、母親が忙しく働いている家庭で、周辺の治安が良いからこそできることだと考えました。子育て世代が活気づく地域は少子化が緩やかですし、移住者が増える余地があるとわかりました」

「お部屋で源泉を楽しみたい」温泉好きのマニアックな物件探し

情報収集を進める一方、温泉の条件についても整理していきました。実際に物件を見るだけではなくAirbnb(民泊)やマンスリーマンションを利用して、さまざまな温泉付きマンションや一軒家に宿泊。改めて、温泉付き物件を所有する難しさを感じたといいます。

温泉を一軒家などで利用する際は温泉権が必要です。温泉権は新規取得後10年ごとに更新料がかかります。建設当初は温泉権を所有していた物件でも、相続を機に手放してしまうケースや、温泉権を所有していないのに「温泉付き」を謳ってトラックなどで温泉を運び入れるケースもありました。

加えて、温泉は温度が低くても成分を含有していれば認められるため、ガスボイラーで沸かす管理費にコストがかかる場合もあったそう。

「温泉付きマンションの管理費は、高いと約10万円もかかることもあるんです。2拠点生活では維持費が重要。軽視することはできませんでした。また、リゾートマンションで空き部屋が多い物件は、管理費の負担が増えるケースもありますから、その辺りの事情も尋ねるようにしていました」

一方、さまざまな物件と出会うなかで、高殿さん好みの温泉付き物件の条件も見えてきます。

「大浴場付きリゾートマンションは冬は寒いなかを出歩かないといけないし、同じマンションの住民と会ったら挨拶もしなくちゃいけない。それよりは、1人でじっくりお部屋のお風呂に漬かって、好きに過ごしたいなと気付きました」

将来的に売ることも考えて物件購入

最初に提示していた条件以外にも、実際に住むとなると細かなところが気になってきます。例えば虫。高殿さんは虫が苦手なので、マンションの下の階や山の中にある一軒家を避けたそう。

「リゾートマンションの1階は虫が出やすいだけでなく、湿気が上がってきやすいので床が傷んでいる可能性もあるんです。でも、庭付きでペット可物件の場合は1階でも人気が出ます。人によって好みは分かれますが、私は上層階を選ぶようにしました」

加えて、将来的に売ったり貸したりすることも考えたといいます。

「住みたい地域のマーケットを見続けると、すぐに売れるマンションとなかなか売れないマンションの違いがわかってくるんです。流動性が高い物件は売りやすいから、まずはそういう物件を探しました」

最初にあげていた高殿さんの条件である海が見える景観は、マリンスポーツ好きなどから変わらない人気があります。加えて温泉が楽しめるとあれば魅力的な物件です。

「リゾートマンションの場合は、Airbnbとして貸し出しているケースも多いので、購入希望のマンションに滞在してみて、人気の理由を探るようにしていました」

宿泊するAirbnbは、ほかの部屋と同じ間取り。どれくらいのリノベーションができるか配管の位置などもチェックしたそうです。

リノベーションとDIYで1Rに仕上げた部屋

高殿さんが購入したリゾートマンションは0円で売られている部屋もあります。相続したはいいけれど維持費がかかり手放す選択をした場合や、高齢になってから介護付きマンションへ移るために「別荘じまい」をするケースも多いのです。

「0円物件はお値打ち価格ですが、給湯器などの設備が古いと入れ替えに何十万円もかかったりします。また、築年数が古いと、建築素材にアスベストが含まれる可能性がある物件もあります。いざリノベーション工事を依頼したら『請けられません』なんてことも。どこまで内装が変えられるかは、リノベーションを経験した人と一緒に行かないとわからないかもしれません。同じマンション内にリノベ済みの部屋があれば、参考になると思います」

購入意思を固めた後は、マンションの管理組合の議事録も忘れずにチェック。

「まず、新しく入居した人と、元から住んでいた人が仲良く暮らすために建設的な対話ができているかを見ます。例えば『1階はペット可物件じゃなかったけど、空き部屋になるよりは需要が見込める選択をしよう』など、前向きな議論ができているか。壮絶な論争があったマンションには、ご近所トラブルが発生しないか、構えてしまいますよね。入居者同士の話し合いの様子は、長く物件を所有するつもりであればまずチェックしたいポイントです」

高殿円さん

60度の源泉が出るリゾートマンションを購入し、現在は月のうち1週間ほどを伊豆で過ごしている高殿さん。高殿さんのSNSでは地魚を使ったおいしそうな料理が見られ、満喫している様子が伝わってきます。

「ひとりで過ごすのはもちろん、滞在中は友達が代わる代わる遊びに来ます。みんなで順番に温泉に入って、絶景を眺めて、伊豆の海鮮を楽しむんです。友達が友達を連れてくることもあります」

大人数で滞在となると光熱費も心配になりそうですが、なんとこの物件、温泉付きだからこそ節約ができているのだとか。

「まず、温泉は沸かす必要がないため、ガス代は月に約980円。その分、熱いお湯を運ぶための配管メンテナンスが必要ですが、私のようなお風呂好きはガス代を気にせずに使いまくれるのでお得な気分です。加えて、温泉代は月額利用料が決まっていて、水道代とは別請求。結果として水道代が抑えらえます」夢の温泉付きリゾートマンション、初期費用は98万円の購入費のほか、リノベーションとDIYに約200万円がかかったそう。物件取得後のDIYやインテリアについても、別記事で詳しく伺います。

リノベーションとDIYで1Rに仕上げた部屋

●取材協力
高殿円さん
小説家。漫画の原作や脚本なども担う。2000年、『マグダミリア 三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞。2013年、『カミングアウト』で第1回エキナカ書店大賞を受賞。2024年4月には同人誌『98万円で温泉の出る築75年の家を買った』を刊行。X(旧Twitter)

<取材・編集小沢あや(ピース株式会社)/撮影:曽我美芽 / 構成:結井ゆき江 / >

関心高まる「移住・二地域居住」 、促進に向け専門委員会が中間とりまとめを公表 これから何が変わる?

空家の増加が懸念されるなか、東京圏の転入超過数はコロナ禍で一時的に減少したものの、現在は再び増加している。一方で、若者世代を含めた移住や二地域居住の希望者が増加している。こうした状況下で、地方への人の流れを創出・拡大させようと、国土交通省では移住・二地域居住等促進専門委員会を設けて「移住・二地域居住」などを促進するための施策について審議を続け、この度その中間とりまとめを公表した。

【今週の住活トピック】
移住・二地域居住等の促進に向けた対応の方向性等をとりまとめ/国土交通省

地方移住や二地域居住への関心は高い

政府は、移住や二地域居住を促進することは、東京一極集中の是正や地方創生という課題について効果があると見ている。また移住や二地域居住の促進は、「関係人口」の創出拡大を通じた魅力的な地域づくりにも有効な手段と考えている。

関係人口とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、特定の地域に継続的に多様な形で関わる人のことで、「二地域居住等」を行う人も含んでいる。なお、政府では二地域居住を「主な生活拠点とは別の特定の地域に生活拠点(ホテル等も含む)を設ける暮らし方」と定義している。必ずしも2つの地域に住まいがあることに限定していない。

さて、専門委員会の中間とりまとめを見よう。内閣府や国土交通省の調査結果から、地方移住や二地域居住への関心が高まっていると指摘している。まず、内閣府が2023年3月に行った「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査」では、東京圏(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)に居住する人の地方移住への関心は年々高まっている様子がうかがえる。

また、国土交通省が2023年8月~9月に行った「二地域居住に関するアンケート」で、二地域居住を行っていない人に二地域居住等を行いたいと思うか聞いたところ、27.9%が二地域居住を行いたい・行う予定があるなどの高い関心を示した。

地方移住への関心(東京圏)全年齢

出典/「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」より

今後、居住地や通勤・通学先以外で、二地域居住等を行いたいと思いますか?

出典/「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」の参考資料集より

このように関心が高まっている移住や二地域居住だが、実行するにはさまざまなハードルもある。

場所にしばられない働き方が可能になり、転職なき移住も

移住や二地域居住で最も高いハードルになるのが、「仕事や収入」といわれてきた。ところが、コロナ禍でテレワークが普及し、地方にいながらにして東京での仕事を続けることができるようになった。地方で希望の仕事が見つからない、地方での収入が都市部より低くて経済的に成り立たないといったハードルが低くなったことで、移住や二地域居住がしやすくなってきた。また、副業を禁止しない企業も増えているので、東京で本業を、地方で副業やボランティアを、といったスタイルが取りやすいことも追い風となっている。

パーソル総合研究所「地方移住に関する実態調査」(2022年3月作成)によると、移住した人の53.4%が「転職をしていない」と回答している。場所にしばられない働き方ができれば、「転職なき移住」も可能になるわけだ。もちろん、残りの半数近くは転職や独立・起業をしているので、それを支援する手立ても必要となる。

移住に伴う転職・職務変更

出典/「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」の参考資料集より

「住まい」「なりわい(仕事)」「コミュニティ」の3本柱

次に、「地域コミュニティへの参加のしやすさ」というハードルもある。地域独特のルールに馴染めないといったことや、「よそ者」に対する寛容性が低い地域、性別や世代などによる偏見が残っている地域があったりして、移住や二地域居住の障害になる場合もある。

そこで、中間とりまとめでは「住まい」「なりわい(仕事)」「コミュニティ」を3つの柱に据えて、それぞれの課題や対応の方向性を提示している。

「住まい」「なりわい(仕事)」「コミュニティ」の課題

出典/「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」より

移住や二地域居住の促進をするための施策についてのとりまとめなので、「中間とりまとめ」ではそれぞれの対応策について、地方自治体が取り組むべき内容や実際に取り組んでいる自治体の事例などを詳しく紹介している。さらに、受け入れる個々の地方自治体だけでなく、民間との連携や地域間、基礎自治体と広域の都道府県との連携も必要であり、区域外就学制度などの子どもの学びの環境づくりなど、横断的な対応も必要と指摘している。

筆者が取材した地方移住者の場合、空き家はあるのによそ者には売ったり貸したりしたくないという風潮があり、それが大きな課題となったという事例もあった。その事例では、移住者のサポートをする橋渡し役の人が地元住民に働きかけて意識を変えたことで、移住者向けの空き家が増え、新たなコミュニティが形成されて、今では多くの移住者や地元住民と良い関係が築けていた。

中間とりまとめは、かなり細かい点にまで言及した提言となっている。実際に行うのは難しい内容も多いが、新しい人材を求める自治体には積極的に取り組んでほしい。働き方や家族のライフスタイルなどが変化している今こそ、障害を減らして魅力を発信できる自治体が移住先・二地域居住先として選ばれていくだろう。

●関連サイト
国土交通省の報道発表:移住・二地域居住等の促進に向けた対応の方向性等をとりまとめ
「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」
「国土審議会 推進部会移住・二地域居住等促進専門委員会中間とりまとめ」の参考資料集

勤務先への出社頻度は増加しても、郊外・地方への移住ニーズは減少しない?

野村総合研究所(以下NRI)は、2023年7月、東京都内の従業員300人以上の企業に勤務する20代~60代の男女3090人を対象に、働き方と郊外・地方移住に関するインターネット調査を実施した。2022年の調査に続き2回目。新型コロナウイルス感染症が2023年5月に5類に移行してからの調査になるので、前回より勤務先への出社頻度は増加しているが、移住ニーズはどう変化したのだろう。

【今週の住活トピック】
「働き方と移住」のテーマで2回目の調査を実施/野村総合研究所

勤務先に「毎日出社」する割合が53.1%まで回帰

まず、2023年7月時点の出社頻度を尋ねたところ、「毎日出社」が53.1%を占めた。前回調査時の2022年2月は、まだ東京都でまん延防止等重点措置の期間中だったため、「毎日出社」が38.3%だったのに対してかなり増えたことになる。出社回帰の傾向は強まっているものの、コロナ前ほどには戻っていないようだ。

■各時点での出社頻度(コロナ前・今回調査時:N(回答数)=3,090、前回調査時:N=3,207)

各時点での出社頻度

注)コロナ前の出社頻度は、今回の調査対象者に2020年1月以前の出社頻度を聴取した。
前回、今回調査時の出社頻度は、各回の調査対象者に調査時点の出社頻度を聴取した。
出所:NRI「働き方と生活に関するアンケート」(2023年7月)

出社頻度が増加した理由はなんだろう? 出社頻度が増加した人にその理由を聞いたところ、「勤務先の方針やルールが変わり、出社を求められるから」(39.0%)など企業側の要請という理由もあったが、「出社したほうがコミュニケーションを円滑に取れるため、自主的に出社を増やしたから」(28.2%)や「出社したほうが業務に集中できるため、自主的に出社を増やしたから」(23.7%)など、自らの意志によるものもあった。

出社頻度が増加しても、郊外・地方への移住意向は下がらない

次に、郊外・地方※への移住意向を聞いたところ、直近1年間に移住意向がある人は全体の15.3%、5年以内に意向がある人は全体の28.4%と、それぞれ前回調査から微増した。出社頻度が増加したとはいえ、郊外や地方への移住ニーズは下がっていないことが分かった。
※都心から公共交通機関で1時間程度の場所を「郊外」、2時間以上の場所を「地方」として調査

■郊外・地方への移住意向がある人の割合(前回調査N=3,207、今回調査N=3,090)

郊外・地方への移住意向がある人の割合

出所:NRI「働き方と生活に関するアンケート」(2023年7月)

NRIは、この理由として、「「都心よりも住宅費が抑えられる郊外・地方への関心が高まっている」、「テレワークの浸透によって、より広い居住面積を有する郊外の住宅ニーズが高まっている」などが推察される」としている。また、移住意向を年代別や現在の居住形態別に分析した結果、「郊外・地方への移住意向がある層は、現在は賃貸住宅に居住している若年層(25~34歳)で、かつ将来的には持家に居住したいと考えている層だと考えられる」と指摘している。

「理想の出社頻度」を聞いたうえで、出社頻度を現在の出社頻度よりも減らしたいと考えている人を分析したところ、「郊外・地方移住意向なしの人よりも、郊外・地方移住意向ありの人の方が多い結果となった」という。最も差が開いたのは、「週3日出社」の場合。「週3日出社」している人で理想の出社頻度を減らしたい回答だったのは、「郊外・地方移住意向なし」では49.3%なのに対して、「郊外・地方移住意向あり」では63.9%で、週3日以上の出社が移住のハードルとなっているようだ。

また、「転職の意向」と重ねて分析すると、「郊外・地方移住意向あり」のうち、「今後1年の間に転職を考えている」人は47.6%で、「郊外・地方移住意向なし」の23.9%に比べてかなり高い結果となった。さらに、転職の検討理由について分析すると、「郊外・地方移住意向あり」のうち、「テレワークの制限によって理想の働き方が実現できないこと」が理由だと回答した人は23.6%で、「郊外・地方移住意向なし」の14.8%に比べて高い結果になっていた。これらのことから、NRIは、「郊外・地方移住意向ありの人の中には、出社頻度を転職の判断軸のひとつとする人が一定数いると推察される」と分析している。

郊外・地方移住をする場合の注意点とは?

では、郊外・地方に移住する際に注意すべきことはなんだろう?

現役世代が勤務しながら「郊外・地方移住」をする場合、都心部から遠くても2~3時間程度までだろう。となると、都心部と気候が全く異なるとか、自然に囲まれた田舎暮らしになるとか、そこまでの注意点は不要だろう。

そうはいっても、都心部の暮らしとは違う点も多々あるはずだ。その場所に住むことのメリットとデメリットをしっかりと把握しておきたい。

たとえば、
・広い家を手に入れやすい
・都心から離れた分だけ自然が豊かになる
・生活するための物価が安い
などのメリットがあるかもしれないし、

・近隣との関係が都心部とは異なる
・車移動が増える。そのため、ガソリン代も増える
・都心より、商業施設や娯楽施設が少ない
などのデメリットがあるかもしれない。

なぜそこに移住したいかの「理由」を明確にしておくことも大切だ。メリットの優先度が高くなったりデメリットを許容できるようになったりと、検討したメリットとデメリットの優劣も変わってくる。家族で移住するなら、よく話し合って互いに共有できるようにしておきたい。

NRIでは、「賃貸住宅に居住している若年層(25~34歳)で、かつ将来的には持家に居住したい層で、郊外・地方移住意向が高いことから「家族が増える・住宅を購入するといったタイミングでの転居において、その安さや広さから郊外・地方への関心がより高まっている」と考えられる」と見ている。利便性一辺倒ではない住まいの選び方が、今後は広がっていくのかもしれない。

●関連サイト
「野村総合研究所、都内の会社員を対象に「働き方と移住」のテーマで2回目の調査」

育休中の夫婦、0歳双子と北海道プチ移住! 手厚い子育て施策、自動運転バスなどデジタル活用も最先端。上士幌町の実力とは?

長期の育児休業中に、移住体験の制度を活用して北海道へのプチ移住を果たした私たち夫婦&0歳双子男子。
約半年間の北海道暮らしでお世話になったのは、十勝エリアにある豊頃町(とよころちょう)、上士幌町(かみしほろちょう)という2つのまち。
実際に暮らしてみると、都会とは全然違うあんなことやこんなこと。田舎暮らしを検討されている方には必見⁉な、実際暮らした目線で、地方の豊かさとリアルな暮らしを実践レポートします! 今回は上士幌町&プチ移住してみてのまとめ編です。

上士幌町は北海道のちょうど真ん中。ふるさと納税と子育て支援が有名

9月上旬から1月末まで滞在した上士幌町は、十勝エリアの北部に位置する人口5,000人ほどの酪農・農業が盛んなまち。面積は東京23区より少し広い696平方km。なんと牛の数は4万頭と人口の8倍も飼育されています。そして、十勝エリアのなかでも何と言っても有名なのが、「ふるさと納税」。ふるさと納税の金額が北海道内でも上位ランクなんです。そのふるさと納税の寄付を子育て施策に充て、0歳~18歳までの子どもの教育・医療に関する費用は基本無料、ということをいち早く導入したまち。子育て層の移住がかなり増えたことで注目を集めています。
町の北側はほとんどが大雪山国立公園内にあり、携帯の電波も届かない国道273号線(通称ぬかびら国道)を北に走ると、三国峠があり、そこからさらに北上すると、有名な層雲峡(上川町)の方に抜けていきます。

上士幌町の北の端、三国峠付近の冬のとある日。凛とした空気が気持ちよく、手つかずの国立公園が広がります(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町の北の端、三国峠付近の冬のとある日。凛とした空気が気持ちよく、手つかずの国立公園が広がります(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町にある糠平湖では、この冬から、完全に凍った湖面でサイクリングを楽しめるようになりました(上士幌観光協会にて受付・許可が必要)。タウシュベツ川橋梁のすぐ近くまで自転車で行くことができ、厳寒期しか楽しめないアクティビティ&風景が体感できます(写真提供/鈴木宏)

上士幌町にある糠平湖では、この冬から、完全に凍った湖面でサイクリングを楽しめるようになりました(上士幌観光協会にて受付・許可が必要)。タウシュベツ川橋梁のすぐ近くまで自転車で行くことができ、厳寒期しか楽しめないアクティビティ&風景が体感できます(写真提供/鈴木宏)

糠平湖上に期間限定でオープンするアイスバブルカフェ「Sift Coffee」さん。国道から数百メートル歩いた湖のほとりにて営業。歩き疲れた体に美味しいコーヒーが沁みわたります(写真撮影/小正茂樹)

糠平湖上に期間限定でオープンするアイスバブルカフェ「Sift Coffee」さん。国道から数百メートル歩いた湖のほとりにて営業。歩き疲れた体に美味しいコーヒーが沁みわたります(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町の暮らし。徒歩圏でなんでもそろうちょうどいい環境

上士幌町は人口5,000人のまちで、中心となる市街地は一つ。この中心地に人口の約8割、4,000人ほどが住んでいるそう。ここにはスーパーがコンビニサイズながら2つ、喫茶店や飲食店もたくさんあります。そして、コインランドリーに温泉に、バスターミナルに……と生活利便施設がきっちりそろっています。中心地から少し離れると、ナイタイテラス、十勝しんむら牧場のカフェ、小学校跡地を活用したハンバーグが絶品のトバチ、ほっこり空間がすっごくステキな豊岡ヴィレッジなどがあり、暮らすには不自由はほぼないと言ってもいいと思います。

そして、なんと、2022年12月から、自動運転の循環バスが本格稼働しているんです! ほかにも、ドローン配送の実験など、先進的な取組みがたくさんなされているまちでもあります。実は上士幌町さんには、デジタル推進課という課があります。ここが中心となって、高齢者にもタブレットを配布・スマホ相談窓口が設置されています。デジタル化に取り残されがちな高齢者へのサポート体制をしっかり取りながら、インターネット技術を十分活用し、まちのインフラ維持、サービス提供を進めていこうという町としての取組みは素直にすごいなと感じました。

カラフルな自動運転バスがまちの中心地をループする形で運行。雪道でも危なげなく動いていてすごかったです(写真撮影/小正茂樹)

カラフルな自動運転バスがまちの中心地をループする形で運行。雪道でも危なげなく動いていてすごかったです(写真撮影/小正茂樹)

十勝しんむら牧場さんにはミルクサウナが併設。広大な放牧地を望める立地のため、牛を眺めたり、少し遅い時間なら、満点の星空を望みながら整うことができます(写真撮影/荒井駆)

十勝しんむら牧場さんにはミルクサウナが併設。広大な放牧地を望める立地のため、牛を眺めたり、少し遅い時間なら、満点の星空を望みながら整うことができます(写真撮影/荒井駆)

ナイタイテラスからの眺めは壮観! ここで食べられるソフトクリームが美味しい。のんびり風景を楽しみながら、ゆっくり休憩がおすすめです(写真撮影/小正茂樹)

ナイタイテラスからの眺めは壮観! ここで食べられるソフトクリームが美味しい。のんびり風景を楽しみながら、ゆっくり休憩がおすすめです(写真撮影/小正茂樹)

我が家イチ押しの豊岡ヴィレッジは木のぬくもりが感じられる元小学校。子ども用品のおさがりが無料でいただけるコーナーがあり、双子育児中の我が家にとっては本当にありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

我が家イチ押しの豊岡ヴィレッジは木のぬくもりが感じられる元小学校。子ども用品のおさがりが無料でいただけるコーナーがあり、双子育児中の我が家にとっては本当にありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

誕生会やママのHOTステーションなどさまざまな出会いの場が

上士幌町では、移住された方、体験移住中の方などが集まる「誕生会」と呼ばれる持ち寄りのお食事会が月1回開催されています。毎回さまざまな方が来られるので、移住されている方がすごく多い、というのがよく分かります。移住して25年という方もいらして、移住者・まちの人、両方の視点を持っていらっしゃる先輩からの上士幌暮らしのお話は、すごく参考になることが多かったです。

毎月行われている移住者の集い、誕生会。12月はクリスマス会で、サンタさんから双子へもプレゼントが!(写真撮影/小正茂樹)

毎月行われている移住者の集い、誕生会。12月はクリスマス会で、サンタさんから双子へもプレゼントが!(写真撮影/小正茂樹)

また、上士幌町といえば、我々子育て世代にとって、すごくありがたい取組みが「ママのHOTステーション」。育児の集まりの場合、子どもたちが主役になり、「子育てサロン」として開催されることが多いのですが、この取組みの主役は“ママ”。ママが子どもたちを連れて、ゆっくりしたひと時を過ごすことができる場を元保育士の倉嶋さんを中心に企画・運営されていて、今や全国的にも注目される取組みになっています。

実は、上士幌町で移住体験がしたかった一番の目的は、この「ママのHOTステーション」を妻に体験してもらいたかったこと、倉嶋さんの取組みをしっかり体感したかったことにありました。ほぼ毎週のように参加させていただいた妻は本当に大満足で、ママ同士の交流も楽しんだようです。ここでは、〇〇くんのママではなく、きちんと名前でママたちも呼び合い、リラックスムード満点の雰囲気づくりも素晴らしいなと感じました。妻は、「ママのしんどい気持ちや育児悩みを共有してくれて、アドバイスをくれたりするのがすごくありがたいし、同じような立場のママが集ってゆっくり話せるのは嬉しい。子どもの面倒も見てくれるし、ここには毎週通いたい!」と言っていました。こういった同じ境遇のお友達ができるかどうかは、移住するときの大きなポイントだと感じました。もっといろいろな同世代、子育てファミリーに特化したような集まりがあってくれると、更に安心感が増すんだろうなと思います。

ママのHOTステーションの取組みとして面白いところは、「ベビチア」という制度。高齢者の方が登録されていて、子どもたちの世話のお手伝いをしてくださいます。コロナ禍になり、遠方にいるお孫さん・ひ孫さんと会えず寂しい思いをしている高齢の方々などが登録してくださっていて、週1回の触れ合いを楽しみにしてくださっている方も。「子育て」「小さな子ども」というのをキーワードに、多世代の方がのんびり時間を共有しているのはすごくいいなと感じました。

ママのHOTステーションが開催される建物は温浴施設などと入り口が一緒になるので、自然発生的に多世代のあいさつやたわいもない会話が生まれていて、ほっこりします(写真撮影/小正茂樹)

ママのHOTステーションが開催される建物は温浴施設などと入り口が一緒になるので、自然発生的に多世代のあいさつやたわいもない会話が生まれていて、ほっこりします(写真撮影/小正茂樹)

乳幼児救急救命講習会にも参加できました。ベビチアさんたちの大活躍のもと、子どもたちの面倒をみていただき、じっくりと救急救命講習に参加できたことはすごくありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

乳幼児救急救命講習会にも参加できました。ベビチアさんたちの大活躍のもと、子どもたちの面倒をみていただき、じっくりと救急救命講習に参加できたことはすごくありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町の移住相談窓口は、NPO法人「上士幌コンシェルジュ」さんが担われています。こちらの名物スタッフの川村さん、井田さんを中心に移住体験者のサポートを行ってくださいました。私たちも入居する前から、いろいろと根掘り葉掘りお伺いして、妻の不安を取り除きつつ、入居後もご相談事項は迅速に対応いただきました。

移住体験住宅もたくさん!テレワークなどの働く環境も

私たち家族が暮らした移住体験住宅は、75平米の2LDKで、納屋・駐車スペース4台分付きという広さ。豊頃町の体験住宅に比べるとやや狭いものの、やはり都会では考えられない広さでゆったり暮らせました。住宅の種類としては、現役の教職員住宅(異動の多い学校の先生向けの公務員宿舎)でした。平成築の建物で、冬の寒さも全く問題なく、この住宅の家賃は月額3万6000円で水道・電気代込み。移住体験をさせていただくと考えると破格の条件かもしれません(暖房・給湯などの灯油代は実費負担)。今回お借りできた住宅以外にも、短期~中・長期用まで上士幌町では10戸程度の移住体験住宅が用意されています。ただ、本当に人気のため、夏季などの気候がいい時期については、かなりの倍率になるようです。ただし、豊頃町と同じく、上士幌町でもエアコンがないことは要注意。スポットクーラーはあるものの、夏の暑さはかなりのものなので、小さなお子さんがいらっしゃる場合は、ご注意ください。エアコンはもう北海道でも必須になりつつあるようなので、少し家賃が上がっても、ご準備いただけるといいなぁと思いました。また、ぜいたくな希望になりますが、食器類や家具などの調度品も比較的古くなってきていると思うので、一度全体コーディネートされると、移住体験の印象が大きく変わるのでは、と感じました。

関連記事:
・育休中の夫婦、0歳双子と北海道プチ移住! 移住体験住宅は畑付き、スーパー代わりの産直が充実。豊頃町の暮らしをレポート
・育休中の双子パパ、家族で北海道プチ移住してみた! 半年暮らして見えてきた魅力と課題

必要最低限の家具・家電付き。広めのお家やったので、めっちゃ助かりました(写真撮影/小正茂樹)

必要最低限の家具・家電付き。広めのお家やったので、めっちゃ助かりました(写真撮影/小正茂樹)

私たちの住まいになった住宅は、まちの中心からは徒歩10~15分ほど。ベビーカーを押して動ける季節には、何度も散歩がてら出かけましたが、ちょうどいい距離感でした。南側は開けた空き地になっていて、日当たりもすごくよくて、冬の寒い日も、晴天率が高いため、日光で室内はいつもぽかぽかになっていました。

一戸建てかつ納屋まで付いて、月額3万6000円とは思えない広々とした体験住宅。子育てファミリーにとっては、一戸建ては音の心配も少なく、すごく過ごしやすかったです(写真撮影/小正茂樹)

一戸建てかつ納屋まで付いて、月額3万6000円とは思えない広々とした体験住宅。子育てファミリーにとっては、一戸建ては音の心配も少なく、すごく過ごしやすかったです(写真撮影/小正茂樹)

体験住宅の南側は空き地が広がっていて、本当に日当たり・風通しも良く、都会では到底体感できないすがすがしい毎日を過ごせました(写真撮影/小正茂樹)

体験住宅の南側は空き地が広がっていて、本当に日当たり・風通しも良く、都会では到底体感できないすがすがしい毎日を過ごせました(写真撮影/小正茂樹)

また、私たちは育児休業中だったため使うことはなかったのですが、上士幌町さんはテレワークやワーケーションなどの取組みについてもすごく前向きに取り組まれています。
まず、テレワーク施設として「かみしほろシェアオフィス」があります。建設に当たっては、ここで働く都市部からのワーカーの方に向けて眺望がいいところ、ということで場所を選定されたそう。個室などもあり、2階建ての使い勝手の良いオフィスとなっています。

個人的に2階がお気に入り。作業で煮詰まったときに正面を見ると気持ち良い風景が広がり、リラックスできる環境(写真撮影/小正茂樹)

個人的に2階がお気に入り。作業で煮詰まったときに正面を見ると気持ち良い風景が広がり、リラックスできる環境(写真撮影/小正茂樹)

さらに2022年にオープンしたのが「にっぽうの家 かみしほろ」。この施設はまちの南側、道の駅のすぐ近くに位置しています。こちらは宿泊施設になりますが、1棟貸しを基本としていて、広々したリビングで交流や打ち合わせ、個室ではプライバシーをしっかり守りつつお仕事に没頭することなどが可能に。また、ワーケーション滞在の方のために、交通費・宿泊費などの助成制度も創設されたとのことで、これからさまざまな企業・団体の活用が期待されます。

にっぽうの家は2棟が廊下で繋がった形状。仕事・生活環境が整っていて、余暇活動もたくさん楽しめる場所で、スタートアップなどの合宿をしてみるのは面白いなと感じました(写真撮影/小正茂樹)

にっぽうの家は2棟が廊下で繋がった形状。仕事・生活環境が整っていて、余暇活動もたくさん楽しめる場所で、スタートアップなどの合宿をしてみるのは面白いなと感じました(写真撮影/小正茂樹)

子育て層にとって、子どもの教育環境というのが移住検討するに当たってはかなり重要な事項となります。上士幌町では、「上士幌Two-way留学プロジェクト」として、都市部で生活する児童・生徒が住民票を移動することなく、上士幌町の小・中学校に通うことができる制度が2022年度から始まりました。この制度を使えば、移住体験中や季節限定移住などの場合も、お子さんの教育環境が担保されることとなり、これまでなかなか移住検討までできなかった就学児がいるファミリーも懸念材料の一つがなくなったこととなります。

十勝には質の高いイベントがたくさん! 起業支援なども盛ん

半年ほど暮らしてみてわかったことはたくさんあったのですが、子育てファミリーとしてすごくいいなと思ったのが、「イベントの質が高く、数も多い」にもかかわらず、「どこに行ってもそこまで混まない」こと。子育てファミリーにとって、子どもを遊ばせる場所がそこここにあるというのはものすごく大きいなと感じました。

とよころ産業まつりでの鮭のつかみ取り競争のひとコマ(写真撮影/小正茂樹)

とよころ産業まつりでの鮭のつかみ取り競争のひとコマ(写真撮影/小正茂樹)

個人的にかなり気に入ったのが芽室公園で行われたかちフェス。広大な芝生広場を会場に、さまざまな飲食・物販ブースや、サウナ体験、ライブが行われていました。すごく心地よく長時間過ごしてしまいました(写真撮影/小正茂樹)

個人的にかなり気に入ったのが芽室公園で行われたかちフェス。広大な芝生広場を会場に、さまざまな飲食・物販ブースや、サウナ体験、ライブが行われていました。すごく心地よく長時間過ごしてしまいました(写真撮影/小正茂樹)

ママたちが企画・運営した「理想のみらいフェス」には3,000人を超える来場が。様々な飲食店やワークショップが並ぶなか、革小物のハンドメイド作家の妻も双子を引き連れて、ワークショップで出店していました(写真撮影/小正茂樹)

ママたちが企画・運営した「理想のみらいフェス」には3,000人を超える来場が。様々な飲食店やワークショップが並ぶなか、革小物のハンドメイド作家の妻も双子を引き連れて、ワークショップで出店していました(写真撮影/小正茂樹)

また、実際に移住して暮らすとなるとお金をどうやって稼ぐかというのもポイントになってくると思います。上士幌町では、「起業支援塾」が年1回開催され、グランプリには支援金も出されるなど、起業サポートも充実しています。また、帯広信用金庫さんが主催され、十勝19市町村が協賛している「TIP(とかち・イノベーション・プログラム)」というものも帯広市内で年1回開催されています。2022年は7月から11月まで。私も育児の隙間を縫って参加させていただきましたが、かなり本気度が高い。野村総研さんがコーディネートをされているのですが、実際5カ月でアイディア出しからチームビルディング、事業計画までを組み上げていきます。ここで起業を実際にするもよし、このTIPには多方面の面白い方々が参加されるため、横の繋がりが生まれたりし、仕事に繋がることもあると思います。

TIPでは、カーリングと美食倶楽部のビジネス化チームに参加しました。チームで体験会を実施して、カーリングの面白さを体感しました(写真撮影/小正茂樹)

TIPでは、カーリングと美食倶楽部のビジネス化チームに参加しました。チームで体験会を実施して、カーリングの面白さを体感しました(写真撮影/小正茂樹)

また、こちらは直接起業とは関連がありませんが、「とかち熱中小学校」というものもあります。これは、山形県発祥の社会人スクールのようなもので、「もういちど7歳の目で世界を……」というコンセプト。ゴリゴリの社会人スクールというよりは、本当に小学校に近い仲間づくりができるアットホームな雰囲気。とはいえ、テーマは先進的な事例に取り組むトップランナーさんの講義や、地元の産業など。こちらも講師はもちろん、開催地が十勝エリア全般にわたるため、参加者の方もさまざまで、人間関係づくりにはもってこい。こちらには家族全員で参加させていただいていました。

2023年1月は豊頃町での開催。当日の講師は金融のプロとお笑い芸人というすごく面白い取り合わせの2コマの授業。毎回、双子を連れ立って授業を聴講でき、育児のよい気分転換にもなりました(写真撮影/小正茂樹)

2023年1月は豊頃町での開催。当日の講師は金融のプロとお笑い芸人というすごく面白い取り合わせの2コマの授業。毎回、双子を連れ立って授業を聴講でき、育児のよい気分転換にもなりました(写真撮影/小正茂樹)

農業に興味がある方は、ひとまず農家でアルバイト、というのもあります。どこの農家さんも収穫の時期などは人手が足りないケースが多く、農業の体験を通じて、地元のことを知れるチャンスが生まれると思います。私も1日だけですが、友人が勤める農業法人さんにお願いして、お手伝いさせていただきました。作物によって時給単価が違うそうなのですが、夏前から秋まで色々な野菜などの収穫がずっと続くため、いろんな農家さんに出向いて、農業とのマッチングを考えてみる、というのもありだと思います。

かぼちゃの収穫はなかなかの重労働でした。農作物によって、アルバイトの時給も違うそうで、なかには都会で働くより時給がよい場合もあるそう(写真撮影/小正茂樹)

かぼちゃの収穫はなかなかの重労働でした。農作物によって、アルバイトの時給も違うそうで、なかには都会で働くより時給がよい場合もあるそう(写真撮影/小正茂樹)

今回、長期の育休を取得し、子育てを実践するとともに、自分のこれからの暮らし方を見つめなおせるいい機会が移住体験で得られました。2拠点居住は子どもができると難しいのではとか、地方で仕事はあるのかなどの漠然とした不安を抱えていましたが、「どこに行っても暮らしのバランスはとれる」ということも分かりました。
大阪の暮らしとは明らかに異なりますが、既に暮らされている方々に教えてもらえれば、その土地土地の暮らしのツボが分かってきます。個人的には、地方に行くほど、システムエンジニアやクリエイターさんたちの活躍の場が実はたくさんある気がしています。こういう方々が積極的に暮らせるような仕組みづくりが出来ると、自然発生的に面白いモノコトが生まれてきて、まちがどんどん便利に面白くなっていくのではないかなと感じました。

我々家族としては、今後2拠点居住を考えていくにあたって、我々1歳児双子を育てている立場として重視したいポイントもいくつか判明しました。それは、「近くにあるほっこり喫茶店」「歩いていける利便施設」があることです。双子育児をするに当たって、双子用のベビーカーって重たくて、小柄な妻は車に乗せたり降ろしたりすることはかなり大変。さらに双子もどんどん重たくなっていきます。そう考えると、私たち家族の現状では、ある程度歩いて行ける範囲に最低限の利便施設があったり、近所の人とおしゃべりができる喫茶店があったりするのはポイントが高いなと妻と話していました。

我々夫婦の趣味がもともと純喫茶巡りだったこともあり、気軽に歩いて行ける範囲に1軒は喫茶店が欲しいなぁと思いました(写真撮影/小正茂樹)

我々夫婦の趣味がもともと純喫茶巡りだったこともあり、気軽に歩いて行ける範囲に1軒は喫茶店が欲しいなぁと思いました(写真撮影/小正茂樹)

今回、長期育休×地方への移住体験という新しい暮らし方にトライしてみて、憧れの北海道に実際暮らすことができました。これまで漠然とした憧れだった北海道暮らしでしたが、憧れから、より具体的なものになりました。また、たくさんの友人・知人や役場の方との繋がりもでき、仕事関係についても可能性を感じられました。
子どもが生まれると、住むまちや家について考えるご家族は多いのではないでしょうか。育休を機会に、子育てしやすく、親たちにとっても心地よいまち・暮らしを探すべく、移住体験をしてみるのは、より楽しく豊かな人生を送るきっかけになると思います。10年後には男性の育休が今より当たり前になり、子育て期間に移住体験、という暮らし方をされる方がどんどん登場すると、地方はより面白くなっていくのではないかなと感じました。
家族みんなの、より心地よい場所、暮らしを移住体験を通じて探してみませんか? いろいろな検討をして、移住体験をすることで、暮らしの可能性は大きく広がると思います。

移住して1カ月ほど経過した時の写真。これからもこの子たちにとっても、楽しく、のびのび暮らせる環境で育ててあげたいなと思います(写真撮影/小正茂樹)

移住して1カ月ほど経過した時の写真。これからもこの子たちにとっても、楽しく、のびのび暮らせる環境で育ててあげたいなと思います(写真撮影/小正茂樹)

●関連サイト
上士幌町移住促進サイト
上士幌観光協会(糠平湖氷上サイクリング)
上士幌町Two-way留学プロジェクト 
十勝しんむら牧場ミルクサウナ
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かみしほろシェアオフィス
にっぽうの家 かみしほろ
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十勝イノベーションプログラム(TIP)
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サウナ付き賃貸・築100年超は当たり前!? 念願のフィンランドに移住した『北欧こじらせ日記』作者chikaさんが語る異文化住宅事情

「週末北欧部」として、ブログやSNSで北欧への愛を長年発信し続けてきたchikaさん。フィンランドで働くため日本で寿司職人になり、実際に移住するまでの道のりをつづっているコミックエッセイ『北欧こじらせ日記』(世界文化社)は、2022年秋にドラマ化している。

昨年4月、ついに念願のフィンランド生活をスタートしたchikaさんに、フィンランドの居住環境や暮らしについてお聞きした。

週末北欧部chika『北欧こじらせ日記 移住決定編』(世界文化社)より

週末北欧部chika『北欧こじらせ日記 移住決定編』(世界文化社)より

週末北欧部 chikaさん
フィンランドが好き過ぎて12年以上通い続け、ディープな楽しみ方を味わいつくした自他ともに認めるフィンランドオタク。移住のために会社員生活のかたわら寿司職人の修行を始め、ついに2022年春に移住。モットーは「とりあえずやってみる」。好きなものは水辺、猫、酒、一人旅。著書に『マイフィンランドルーティン100』(ワニブックス)、『北欧こじらせ日記』(世界文化社)、『世界ともだち部』(講談社)など。

自分らしく働くための「寿司職人」という選択肢

北欧やフィンランドへの愛を漫画で描き、インターネットで発信する週末北欧部・chikaさん。これまで北欧の魅力を多くの人に届けてきた。フィンランドとの出合いのきっかけは何だったのだろう。

「私の誕生日がクリスマスであることからずっと憧れていたサンタさんに会うため、20歳のときに一人旅で初めてフィンランドを訪れたんです。そこで『いつかこの国に住みたい!』と強烈な一目惚れをし、以来1年に1回は必ずフィンランドに通うようになりました」

週末北欧部chika『北欧こじらせ日記 移住決定編』(世界文化社)より

週末北欧部chika『北欧こじらせ日記 移住決定編』(世界文化社)より

大学卒業後は北欧音楽に関連する会社で働き、その後日本で北欧カフェを開くことを目指して、会社員をしながら休日にカフェでアルバイトをしていた。そんな生活を続けるうちに、「どうせ苦労するなら一番好きな場所で苦労しよう」とフィンランドで生活する方法を探し始めた。

見つけたのは、日本人歓迎の寿司職人の求人だった。会社員をしながら寿司学校やお店で約2年間修行したのち、2022年4月、13年越しの思いとともにフィンランドへ移住した。

日本での修行時代にchikaさんが握ったお寿司(画像提供/週末北欧部chika)

日本での修行時代にchikaさんが握ったお寿司(画像提供/週末北欧部chika)

「寿司はフィンランドの人たちにもよく食べられていて、日本人シェフは本場の味を知っていることから重宝されているようです。寿司職人は、私らしさを活かして喜んでもらえる仕事だと思いました。フィンランドのレストランとはビデオ通話で面接を行い、採用されたことで就労ビザが得られることになり移住が決定、フィンランドに渡った3日後あたりには仕事が始まりました」

フィンランドに住むために寿司職人になる。一見奇抜な決断だが、「好きな場所で自分らしく働きたい」と考え続けたchikaさんにとっては必然的な選択だったのだと思えた。そんなchikaさんに、フィンランドの住宅事情や現地での暮らしづくりの過程を話してもらった。

都心でも自然が身近なヘルシンキヘルシンキの街並み(画像提供/週末北欧部chika)

ヘルシンキの街並み(画像提供/週末北欧部chika)

「私が住んでいるのは首都のヘルシンキで、日本から来た人はここに居住することが多いと思います。フィンランド南部の海に面する都市で、森や湖などの自然も身近にあり心地良い街です。公用語はフィンランド語ですが9割以上の人が英語も話せるので、私も英語を使って生活しています。北部に行くほどフィンランド語しか通じない場面が増えますね」

正規でアパートを借りるには、現地の銀行口座が必要。口座開設に時間がかかるため、最初はAirbnbで小さなワンルームを借りて1カ月ほど過ごしたという。ただ、長期滞在向けの部屋ではないため、家具や光熱費などを含めても1泊7,000円とどうしても割高になってしまう。

「このアパートに居続けることは金額的に難しいと考えていたところ、10年来のフィンランド人の友達がちょうどワーケーションで空けることになった家を3カ月ほど貸してもらえることになりました。かつて年1回のフィンランド通いをしていたころにも滞在したことがあり、フィンランドにある『第二の家』だと思っていたので、すごくありがたいタイミングです。その家で暮らしているときにやっと口座が開設でき、ついに物件探しがスタートしました」

パーソナルサウナや都心部と家賃の関係、一人暮らしの新居に求めた条件とはヘルシンキの水辺。フィンランドには湖が多い(画像提供/週末北欧部chika)

ヘルシンキの水辺。フィンランドには湖が多い(画像提供/週末北欧部chika)

「ヘルシンキの中心部で水辺に近い好きなエリアがあったので、そこに住むことは決めていました。物件は、休日も料理ができるようにキッチンが広いところで、家賃はお給料の30%を目安に。フィンランドではほとんどのアパートに住民共用のサウナが付いているのですが、理想をいえば部屋にパーソナルサウナがあればいいなと思っていました」

そういえばフィンランドはサウナ発祥の地だった。パーソナルサウナがある物件は主に築浅だったり家賃がその分高くなったりと条件は厳しくなるらしいが、それでもアパートにサウナが標準装備されているのはさすが本場だ。

「日本のように一人暮らし用の賃貸物件は多いです。金銭的な理由でルームシェアをする人もいますが、フィンランド人はパーソナルスペースを大切にする人が多いので、独身の場合は一人暮らしが基本ですね。家賃は都心の人気エリアだと10~15万円で、都心から電車で30分ほど離れると半額ぐらいになります。日本だと東京駅から30分離れた程度では家賃が半分になることはないと思いますが、そこで差が出やすいのはヘルシンキの特徴かもしれません」

ヘルシンキの街並み(画像提供/週末北欧部chika)

ヘルシンキの街並み(画像提供/週末北欧部chika)

「私が物件を探し始めた秋ごろは、フィンランドでちょうど学校の新年度が始まるシーズンでした。入学を控えた学生たちが部屋を探す時期だから、条件の良い物件はすぐに埋まってしまい……。そんなときに、友達のご家族が代々管理しているアパートに空きが出て、借りられることになったんです。パーソナルサウナがないこと以外は全て私の求める条件が叶っていました」

再び友達を通じた物件との出合いだ。こう聞くとたまたま運に救われているように思えるかもしれないが、chikaさんは日本で生活しながらフィンランドを愛する日々の中で、インターネットを使って幅広い交友関係を築いてきた。「大好きなフィンランドで生活したい」という気持ちがたくさんの人に伝わっていたからこそ、このような出合いが巡ってきたのだろうと感じる。

雪国としての暖房設備やシャワールームの工夫

chikaさんのお部屋の写真とともに、フィンランドの住宅のポイントを教えてもらった。まず注目したいのは、1年を通して気温がマイナス6度~17度という寒冷地ならではの暖房機能だ。

大きい湯たんぽのような「セントラルヒーティング」。料金は家賃に含まれる(画像提供/週末北欧部chika)

大きい湯たんぽのような「セントラルヒーティング」。料金は家賃に含まれる(画像提供/週末北欧部chika)

二重窓と、その間に設置されているブラインド。かつてフィンランドはカーテン文化だったが、今はほとんどの家がブラインドを採用しているという(画像提供/週末北欧部chika)

二重窓と、その間に設置されているブラインド。かつてフィンランドはカーテン文化だったが、今はほとんどの家がブラインドを採用しているという(画像提供/週末北欧部chika)

「セントラルヒーティングという、アパートのボイラーで沸かしたお湯を循環させる設備で部屋を暖めます。触ってもやけどしないくらいの温度で、タオルなどを置いて乾かすこともできるんですよ。シャワー室とトイレは床暖房になっていて、それ以外の暖房設備はこのセントラルヒーティングだけですが、外がマイナス気温だとしても室温は常に20~22度を保てています。断熱性を高めるための二重窓は間にブラインドが入っていて、窓を開けずに操作できます」

内部にお湯が流れているポール。シャワー室は床暖房になっており、使用後はすぐに水気を切れる(画像提供/週末北欧部chika)

内部にお湯が流れているポール。シャワー室は床暖房になっており、使用後はすぐに水気を切れる(画像提供/週末北欧部chika)

「シャワー室にもセントラルヒーティングと同じくお湯が循環しているポールがあって、タオルやシーツを干せます。でもこれに掛けなくても、フィンランドは湿度がとても低いので部屋干しだけでパリパリに乾くんです。アパート共用のサウナは予約制で、申請しておいた時間にプライベートで使えます」

雪国らしい設備の数々。いつでも部屋干しができるのはうらやましいと思っていたら、「冬のフィンランドで外干しをすると凍っちゃいます」とのことだった。それぞれの気候に応じた生活スタイルがある。

築100年以上、リノベーションで長く住まう水切りを兼ねた食器棚。「フィンランドのイノベーションとも称されますが、発祥については諸説あるようです」とchikaさん(画像提供/週末北欧部chika)

水切りを兼ねた食器棚。「フィンランドのイノベーションとも称されますが、発祥については諸説あるようです」とchikaさん(画像提供/週末北欧部chika)

リノベーションされたばかりの広いキッチンには、洗濯機・食洗機・オーブンが並ぶ。フィンランドの住宅はオール電化が一般的(画像提供/週末北欧部chika)

リノベーションされたばかりの広いキッチンには、洗濯機・食洗機・オーブンが並ぶ。フィンランドの住宅はオール電化が一般的(画像提供/週末北欧部chika)

「食器棚は収納と水切りを兼ねる構造になっていて、共働きの多いフィンランドではこのような家事の効率化も文化の一つになっています。また、多くの賃貸では冷蔵庫・オーブン・食洗機・洗濯機が備え付けで、大型家電を運ぶ必要がないので、引越しの際にはレンタカーを借りて家族や友達同士で手伝います」

そんなchikaさんの住むアパートは、築100年を超えているという。

「日本だと築100年はすごいと感じるかもしれませんが、周りはほとんど築100年の家ばかりです。ヨーロッパには『古いものほど価値がある』という考え方があって、取り壊さずに適宜リノベーションしつつ使っていく文化があります。私のアパートも1年前にリノベーションしたばかりなので、キッチンやシャワールームがきれいで、玄関の鍵もカードでタッチすれば開くようなものになっています」

リノベーションされている古い物件でも水道管は動かしづらく、昔の文化の名残で洗濯機が地下室に置かれている場合も多いという。地下にあるタイプの洗濯機は予約制で、「仕事休みの朝6時にしか洗濯機の予約が空いていないこともあって不便」とのこと。室内に洗濯機が備え付けの物件は人気になりやすく、chikaさんも物件選びで重視したポイントだった。

玄関にはマットを敷いて靴を脱ぐためのスペースをつくる(画像提供/週末北欧部chika)

玄関にはマットを敷いて靴を脱ぐためのスペースをつくる(画像提供/週末北欧部chika)

「日本との共通点として、フィンランドでも室内では靴を脱ぎます。ただ、玄関の境はないので、マットを自分で設置して玄関っぽい空間をつくるのが少し違うところですね。郵便物は薄いものしか家に届けられなくて、荷物類は近くの郵便局まで取りに行きます。雪がある季節はソリを使えば楽ですが、雪がない季節は少し大変です」

このほかにも、「各住民に個別の倉庫が用意されている」「古い物件ほど天井が高い(理由は不明)」などの特徴を教えていただいた。古い建物をリノベーションしていくからこそ、住宅としての機能がかなり整備された形になっているのがフィンランドの賃貸物件の特徴なのかもしれないと感じた。

お気に入りポイントは、北欧ならではの大きな窓フィンランド人もお墨付きの明るさをもたらしてくれる窓(画像提供/週末北欧部chika)

フィンランド人もお墨付きの明るさをもたらしてくれる窓(画像提供/週末北欧部chika)

「一番のお気に入りは、明るく光を取り込める窓です。フィンランドは日照時間が短いため日差しの入り具合が重視されていて、遊びに来た友達もみんな『明るいね!』と言ってくれます」

設定した時間に流せるラジオ。コマーシャルの入らない国営放送を聞くことが多いという(画像提供/週末北欧部chika)

設定した時間に流せるラジオ。コマーシャルの入らない国営放送を聞くことが多いという(画像提供/週末北欧部chika)

「大通り沿いは交通量やお店も多くにぎやかですが、私の家は表通りからは少し外れて静かで、都心でありながら自然も近い場所です。朝はコーヒーを淹れて、窓から入る日を浴びながら飲むのがルーティーンになっています。最近は友達の勧めでラジオを買って、目覚まし代わりに流れてくるラジオを聞きながら、しばらくはスマホを見ずに過ごすのがすごく良いんです」

想像するだけでうっとりするような時間の過ごし方である。そんなアパートに住む住民同士での交流などはあるのだろうか。

「交流といえるほどのものはなく、会ったらあいさつをする、という感じですね。フィンランドで暮らす人はシャイなところも日本人と結構似ていて、例えば『同じ階の誰かがエレベーターに乗ろうとしているから、その人がいなくなるまで玄関で待っていよう』とか、『一緒にエレベーターに乗った人が同じ階に降りようとしていると気まずい』みたいな考え方をするんです。もちろん人によっては社交的に生活していて、ご近所同士で仲良くなってホームパーティーをしている友人もいます(笑)」

エレベーターの話は痛いほど共感できる「あるある」で驚いた。あの意味のない時間をフィンランドの人も経験していると思うと、なんだか親近感が湧いてくる。

大好きな場所で暮らすようになっても、サードプレイスは必要だったchikaさんのお気に入りの島。「カフェもあって、夏場は毎週のように通うサードプレイスとなっています。冬は図書館に行くことが多いです」とchikaさん。夏のヘルシンキは23時まで太陽が沈まないため、20時ころまで日向ぼっこできるという。(画像提供/週末北欧部chika)

chikaさんのお気に入りの島。「カフェもあって、夏場は毎週のように通うサードプレイスとなっています。冬は図書館に行くことが多いです」とchikaさん。夏のヘルシンキは23時まで太陽が沈まないため、20時ころまで日向ぼっこできるという。(画像提供/週末北欧部chika)

念願のフィンランド生活を全力で楽しんでいるchikaさんだが、日本からの単身移住生活を成り立たせるのはそう簡単なことではなかったようだ。未知の生活をうまく楽しむための心持ちやコツを聞いてみた。

「気持ちの面では、『準備はネガティブに、やるときはポジティブに』をモットーに、大好きな国に行くけど期待はしないということを大切にしていました。何かが起こったとしても『予想よりは大丈夫だった』と思える意識は忘れないようにしています」

「テクニックとしては、気持ちを切り替えられるサードプレイス(第三の居場所)を持つことが大事です。日本にいたころは職場と家以外のサードプレイスをいくつか持っていて、フィンランドもその一つでしたが、実際に暮らすようになってからは『フィンランドという好きな場所の中でもサードプレイスを持つ必要があるんだ』と気づきました。ヘルシンキは歩ける距離に小さい島が点在していて、その中のお気に入りの島を夏のサードプレイスとしています。休みの日のお昼過ぎに出かけて、屋台でソフトクリームとコーヒーを買い、お気に入りの木陰にピクニックシートを敷いて気が済むまで滞在します。本を読んだり、日記を書いたり、少し寝たり。時間を気にしないで過ごせる場所です」

大好きでも期待しすぎず、暮らしの中の居場所を増やすこと。フィンランド、ひいては海外への移住に限らず、新たな環境で生活するために必要な心構えだと感じた。

憧れの地で探し求める理想の生活入居当時のchikaさん宅(画像提供/週末北欧部chika)

入居当時のchikaさん宅(画像提供/週末北欧部chika)

最後に、今後のフィンランド生活での抱負を聞いてみた。

「今の家も当初は『ここは誰の家なんだろう』という感覚で落ち着けなかったのですが、最近は帰ってきたらほっとできる『自分の家』になってきました。私は『いつかフィンランドに移住する』と思い続けていたので、日本にいるときからずっと仮住まいのような気持ちで、大きな買い物ができなかったり猫を飼いたくても飼えなかったりして。自分が本当に欲しいものも分からなくなっていると感じていました。これからは寿司職人の仕事と描く仕事とのワークライフバランスも含めて暮らしを整えながら、自分がどんな生活をしていきたいのかを見つめていけたらいいなと思っています」

自分の住みたい場所に住む、という目標を叶えるためにじっくりと時間をかけてきたchikaさん。「フィンランドの生活がいつまでも続くとは思わないで、まずは3年間を区切りに頑張ってみるつもりです。がむしゃらに過ごした1年目を踏まえて、2年目、3年目をより濃く過ごせたら」とも話してくれた。

chikaさんにとってのフィンランドのような場所とは、きっとそう簡単に出合えるものではない。だからこそ、「ここに住みたい」という思いが生まれたときには、自分の気持ちを信じて行動する必要があると感じた。

週末北欧部chika『北欧こじらせ日記 移住決定編』(世界文化社)より

週末北欧部chika『北欧こじらせ日記 移住決定編』(世界文化社)より

●取材協力
週末北欧部 chikaさん
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『北欧こじらせ日記』(世界文化社)

無印良品の小屋ズラリ「シラハマ校舎」に宿泊体験。災害時に強い上下水道・電気独立のオフグリッド型住宅の住みごこちって? 千葉県南房総市

シラハマ校舎は、千葉県南房総市白浜町の小学校跡地を活用してできた複合施設です。無印良品の小屋がずらりと並んだその一角に、2022年、上下水道、電気も既存インフラに頼らない「オフグリッド小屋」が誕生したといいます。省エネが注目される昨今、以前よりも耳にする機会が増えた「オフグリッド小屋」、一体どのように活用されるのでしょうか。可能性を探るため、シラハマ校舎に話を聞きました。

タイニーハウス(小屋)人気は健在。ウェイティングリストは27組も!

2016年、千葉県の房総半島の先に誕生した「シラハマ校舎」は、廃校となった長尾小学校・幼稚園の敷地と建物を用途変更してできた施設です。敷地内には18ある小屋が立つほか、レストラン(完全予約制)、シェアオフィス、コワーキングスペース、宿泊施設で構成されています。ちなみに小屋の1棟の広さは12平米で、バスやキッチン、トイレなどの水回りは共用で使います。運営しているのは、妻がこの町の出身者という多田夫妻。

小屋は発売当初、「どんな人が買うんだろう?」という声もありましたが、現在、ワーケーションやシェアオフィス、2拠点生活の場所として活用されていて、2019年に完売、2023年現在はウェイティングリストに27組もいるという人気物件です。(関連記事:コロナ禍で「小屋で二拠点生活」が人気! 廃校利用のシラハマ校舎に行ってみた 千葉県南房総市)

シラハマ校舎の夜景(写真提供/シラハマ校舎)

シラハマ校舎の夜景(写真提供/シラハマ校舎)

「今、1棟、販売されているんですが、見学にいらっしゃる方も多いですね。人気があるため、中古価格も崩れていません。
ただ、比較的大きな畑付きで、ほぼ毎週末、手入れが必要になるんです。週末くらいはゆっくりしたいというニーズが強いので。となると、当然、人を選んでしまう。やはり小屋でゆったりしたいという人は多いので」と話すのは、シラハマ校舎の企画から管理、運営までをご夫妻で行っている多田朋和さん。

また、コロナ禍で広まったアウトドア人気やキャンプ人気は未だに衰えず、特に房総半島では次々とキャンプ場が誕生しているよう。キャンプのようでもあり、別荘のようでもある、シラハマ校舎の「小屋」は、手堅い需要があるようです。

平時はキャンプ場、非常時は避難場所。小屋を柔軟に活用する

この大人気のシラハマ校舎の敷地の一角がさらに進化して、2022年には「オフグリッド」の小屋ができました。オフグリッドとは、電力などの送電網につながっていない独立型電力システムのこと。このシラハマ校舎では、電力だけでなく、なんと上下水道も既存のインフラに頼らず、自立して運営できる仕組みをつくったそう。一体なぜなのでしょうか。

「きっかけは、2019年の台風です。送電網が停止し、白浜町一帯も停電、陸の孤島となりました。避難場所となったコミュニティセンターの受け入れ可能人員は最大で80人ほど。そのため、150人近い人が避難できない状態になりました」と多田さん。また停電したことで9月の残暑が住民を直撃したほか、浄化槽も稼働できず、衛生状態もよくなかったといいます。

2022年末の取材時も、一角に残されていた井戸。今回のプロジェクトでは、こちらも活用(撮影/ヒロタ ケンジ)

2022年末の取材時も、一角に残されていた井戸。今回のプロジェクトでは、こちらも活用(撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋はそもそもサイズが小さいため、使う電気エネルギーは最小限ですみます。そのため、生活に使う電力は太陽光発電でも十分まかなえるのです。いわば、「小屋の利点」を活かして、平時と非常時の二段階活用を実践したかっこうです。誰もが空想したり、アイデアとしては浮かびますが、民間の試みでさらりと行ってしまうところが、多田さん夫妻のすごいところ。

新しい小屋の内観。こうしてみると普通のホテルですね(写真提供/シラハマ校舎)

新しい小屋の内観。こうしてみると普通のホテルですね(写真提供/シラハマ校舎)

新しい小屋の内観。電気なので、キッチンはIHです(写真提供/シラハマ校舎)

新しい小屋の内観。電気なので、キッチンはIHです(写真提供/シラハマ校舎)

「もともと下水道はなく、浄化槽(※)を利用する地域なので、非常時でも電気と水さえあれば機能します。また小学校の敷地内には古い井戸があったので、これを吸い上げて配水に利用することに。太陽光発電と水を確保できることで、いざというときも下水も稼働するんです。電気だけなら、オフグリッドでまかなえる施設はたくさんありますが、上下水が既存インフラから独立して稼働するのは、日本でもシラハマ校舎くらいじゃないかな」と多田さん。

※敷地内に設ける小規模な汚水処理設備で微生物の働きなどを利用して汚水を浄化する古くからある仕組み

万一のことを考え、シラハマ校舎そのものは送電線とはつながっていますが、いざというときは電力を買わなくても稼働するとのこと。

今のところ大きなトラブルはナシ。課題は冬場の発電量。

実際に稼働してみて、課題はないのでしょうか。
「シラハマ校舎は、南向きの土地なので、夏であれば十分に発電できるのですが、問題は冬ですね。日照時間が短いので発電した電気を一日で消費してしまうんです。そのため、オフグリッド小屋に宿泊していただくお客様には、連泊してもらう場合、別の小屋に移動してもらっています(笑)」

小屋の裏側。太陽光発電した電力を蓄えておける蓄電池が設置されている(写真提供/シラハマ校舎)

小屋の裏側。太陽光発電した電力を蓄えておける蓄電池が設置されている(写真提供/シラハマ校舎)

なるほど、運用でカバーできる範囲の課題なんですね。エネルギーの地産地消というか、オフグリッドで建物を運営するのは、もう「リアル」にできることなんだなと実感します。使うエネルギーとつくるエネルギーのプラスマイナスゼロの住まいを「ZEH(ゼッチ)」(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)といいますが、まさに小屋もZEHの時代なんですね。

「今は小屋1棟でお貸ししていますが、2棟つなげて1つにキッチンとお風呂、トイレをつくり、1つをベッドルームにした宿泊棟もつくろうかと思っています。こちらもZEHで、使うエネルギーとつくるエネルギーはプラスマイナスゼロにする予定です」と多田さん。

シラハマ校舎のアップデートはまだまだ止まりそうにありません。
「水でいうと、エアコンから出た排水や汚水などをあわせてフィルターで濾過(ろか)し、真水にして循環利用できる技術もあるのですが、商業施設や複数人が利用することを考えて、導入を見送っています。技術的に問題ないといっても、気分的に嫌悪感を抱く人がいるのは理解できるので」(多田さん)。水の技術にも興味があるほか、海岸沿いに所有する農地に小型風力発電設備を設置する計画も進めています。

白浜町はその土地柄、強い海風が吹いています。これを活用し、小規模事業でも環境に貢献していきたいとのこと。こうした施策に興味を持ち、企業や自治体の視察希望者が次々とやってくるそう。

小学校らしさを残してリノベ。オフィスやレストランなどが入っています(撮影/ヒロタ ケンジ)

小学校らしさを残してリノベ。オフィスやレストランなどが入っています(撮影/ヒロタ ケンジ)

「どこの自治体や企業も環境への取り組みが欠かせません。自社の勝機はどこにあるのか、意識の高まりを感じますね。また、日本国内では廃校が毎年約400~500ほどあるので、どこも地方自治体は活用方法に頭を悩ませています。校舎は廃校して他用途で活用しようとすると、耐震補強工事や用途変更に手間がかかるんです。シラハマ校舎の場合、校舎をワーケーションオフィスとして活用しつつ、小屋を宿泊場所にしています。これは他の自治体でも有効な『パッケージ』として輸出できないかなと考えているんですが、なかなか運用が難しいようで。あとは韓国でも少子化によって同様の問題が起こると予想されているので、『廃校活用パッケージ』として輸出できたらおもしろいですよね」(多田さん)

外観も学校らしさを残している(撮影/ヒロタ ケンジ)

外観も学校らしさを残している(撮影/ヒロタ ケンジ)

キッチンや水回りなどの共用施設がある建物(撮影/ヒロタ ケンジ)

キッチンや水回りなどの共用施設がある建物(撮影/ヒロタ ケンジ)

さらに昨年には農業法人を立ち上げ、ワイナリー+ソーラーシェアリング(太陽をシェアし太陽光発電とパネルの下で農産物を生産する取り組み)も現在計画しているとのこと。これが可能になると、天候関係なく果実ができたり、収穫できたりするようになるのだとか。なんでしょう、房総半島の先にある民間の施設なのに、どこよりも新しい試みをはじめています。

強い風を利用した風力発電も計画中(撮影/ヒロタ ケンジ)

強い風を利用した風力発電も計画中(撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋に注目が集まっている昨今ですが、オフグリッドやソーラーシェアリングなどと組み合わせ、どこよりもユニークな挑戦を続けるシラハマ校舎。小屋や環境、これからの暮らしに興味がある人なら、ぜひ一度、訪れてソンはないと思います。

●取材協力
シラハマ校舎

おしゃれ別荘に月額5.5万円で家族や友人と泊まり放題! サブスク「SANU」八ヶ岳、山中湖など

毎月定額でさまざまな暮らし方ができる「住まいのサブスク」。空き家やゲストハウスを活用したADDressやHafH(ハフ)、ホテルが泊まり放題になるサービスも登場するなど、コロナ禍でテレワークが定着したこともあり、暮らし方のひとつとして普及しつつあります。2021年11月、そんな住まいのサブスクのなかでも、大自然にあるセカンドホーム、いわゆる別荘暮らしが月額5万5円でできるサービス「SANU 2nd Home」が登場し、注目を集めています。実際の利用者の声とあわせてご紹介しましょう。

毎月5万5000円! 豊かな自然の中でもう一つの家―セカンドホームが利用できる

SANU 2nd Home(サヌ セカンドホーム)は、「Live with nature. / 自然と共に生きる。」をコンセプトにした、住まい・別荘のサブスクサービスです。月額利用料は5万5000円で、会員登録をすれば会員本人に加えて、家族や友人など3人まで無料で宿泊できます。利用できる住まいは「SANU CABIN」と呼び、都市部から車で1.5~3時間程度の白樺湖、八ヶ岳などのアクセスのよい場所に、2022年2月現在、2拠点5棟が誕生しており、春頃までに新たに5拠点45棟にオープンする予定です。

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

1回の滞在は4泊まで、週末・休前日やピークシーズンにプラス料金が発生するなどの条件はありますが、憧れの別荘が、ホテルのように使いたいときに使え、しかも定額制とあれば興味がわくのではないでしょうか。2021年11月にサービスを開始しましたが、初期の会員枠は完売し、現在、キャンセル待ちの登録希望者(ウェイティング会員)が1500人以上いる状態だそうで、いかに注目を集めているかがわかります。

今回、SANU 2nd Homeを運営する株式会社Sanuを創業したのは本間貴裕さんと福島弦さん。今まで本間さんは蔵前のNui. HOSTEL & BAR LOUNGEや東日本橋のCITANといった人気ホステルを運営してきましたが、今回の「自然の中にもう一つの家を持つ」というビジネスモデル構築のきっかけとなったのは、自身のコロナ禍の「疎開体験」だといいます。

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

「以前から漠然と自然と人をつなげる仕事をしたいと考えていたんですが、2020年の緊急事態宣言下、都市部での密な暮らしへの違和感がはっきりとしてきました。そこで、千葉県の自然豊かな環境に家を借りて過ごしたんですが、それがとても心地よくて。オンラインで仕事しつつ、合間に野に咲く花を摘んできて活けたり、サーフィンをしたり。そこで、海や山に近い場所にある住まいを、スマートフォンで会員登録すればすぐに利用できるサービスがあったらいいなと思いついたんです」(本間さん)

なるほど、本間さん自身の「あったらいいな」をかたちにしていったんですね。別荘やホテルとの違いは、「個人の空間を確保できる」そして「暮らし」の延長線上にある点だ、といいます。
「ホテルにはキッチンがないことが多く、調理や洗濯などができないことが多いもの。また、自分もバックパッカーだったからわかるのですが、アドレスホッパーのように住まいを持たずに転々とホテルやゲストハウスを渡り歩く生活をするのは万人には向きません。自宅のようにくつろぎつつ過ごせて、思いついたときに利用できる気軽さを目指しました」(本間さん)

そのため、利用する人の暮らしやすさを考え、キャビンは内装を統一し、一度滞在すると他のキャビンに滞在しても「どこに何があるかわかる」状態にしているといいます。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

海、山、湖、川…。日本の豊かな環境を建物や室内でも楽しめるように

筆者が個人的にすてき!だと思ったのは、周囲の環境だけでなく、建物やインテリアそのものが美しく、滞在したくなるという点です。また、キャビンの内装は統一しているものの、大きい窓の先に広がる風景は二つとして同じものがなく、キャビンごとにまったく異なる景色が映ります。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

「海や山や湖、川、高原など、日本の自然環境は本当に豊かです。季節ごとの変化や表情の移り変わりを部屋にいても楽しめるように配慮しています。季節が変わるたび、何度でも来たくなる、繰り返し使ってもらうことがこのサービスで大切にしたいこと」と本間さんは話します。このあたりは、何より本間さん自身が「美しい自然が好き」という想いがあるからでしょう。

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

また今回、「建物に岩手県釜石市の杉材を使用しています。それにはコロナの影響も大きく関係しています」と解説するのは、同じく創業者の福島弦さん。

「サービスの設計を考え、建築プランも決まり、いざ着工するぞという段階になって、コロナ禍で海外からの木材の輸入が少なくなったことで国内の木材価格が高騰し、調達できなくなる『ウッドショック』が起きたんです。でも、まあ着工はできるでしょと軽く考えていたら、なんと1棟目からすでに調達できない、と。そこで、日本各地の森林組合さんにお願いしてまわり、結果的に協力してもらえることになったのが釜石地方森林組合だったんです」

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

日本では、戦後に植林した杉材が樹齢50年前後になり、今、建材として“使いどき”になっていますが、長年の木材価格低迷や人手不足などの問題もあり、思うように木材として提供できない状態が続いています。今回SANU 2nd Homeでは、釜石地方森林組合と協力し、木材を提供してもらうだけでなく、キャビンのために伐採した杉の木(50棟でおよそ7500本分)と同じ本数の苗木を、釜石地方に植林する予定です。こうして事業で使った分だけ新しい木々を植えることで、地方の林業、そして森が蘇ることになりますし、事業を通じたカーボンネガティブ(CO2吸収量がCO2排出量を上回る状態)を達成することができます。

(写真提供/ADX)

(写真提供/ADX)

「針葉樹の杉だけではなく、ナラや樫、シイノキなどの広葉樹など異なる種類の苗木を植えることで、多様性のある豊かな森になる。SANU CABINをつくることで、林業が活性化し、日本の森が美しくなっていくとしたら、こんなにうれしいことはないですよね」と話します。

もちろん、SANU 2nd Homeで提供したいのは「自然のなかでの暮らし」といいますが、サービスを考えるうえでも、「持続可能性」が考えられているのはやはり時流といえるでしょう。

旅行やホテルとも違う居心地のよさ! 仕事にもプラスに

SANU 2nd Homeを利用している石田さんと野村さん(ともに30代)にも話を聞いてみました。

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

「11月はサービス開始直後から3泊、12月は4泊、1月には4泊と、今のところ毎月利用しています。初めて訪れたのは白樺湖のSANU CABINでしたが、窓からの開放感がすごくて、部屋のカーブがきれいでとても印象に残っています。キッチンも充実していますし、3泊で滞在予定でしたが、すぐに4泊にすればよかった!と思いました」(石田さん)

滞在中は、山に登ったり、自転車でサイクリングにいったり、焚き火をしたりと、存分に野遊びを楽しんでいるそう。もちろん、自宅にいるように仕事をしたり、料理をしたり。ときには地域の店で外食や買い物などをし、地域の人と交流ができるのも、ホーム感があり、二人のたのしみになっています。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「八ヶ岳では周辺の店を紹介したオリジナルのマップがあったんですが、掲載されている店はすべてめぐりました。お店の人との会話でもSANU 2nd Homeに滞在しているというと、どういうサービスなのか聞かれたり。興味関心の高さを感じました」

料理好きな野村さんにとっては、キッチンが充実しているのも、楽しいといいます。
「キャビンが同じかたちをしていて、どこに何があるのかわかるのは、我が家のような安心感がありますね。自分の別荘があるとこんな感じなのかなと思いました」(野村さん)。使い方を聞いていると、生活や暮らしの延長に利用してもらいたいという、サービスの狙い通りと言えるのかもしれません。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

SANU 2nd Homeのように自宅と別に拠点があると、仕事をするうえでもプラスになっているといいます。
「自宅で働いていると、曜日や時間などのメリハリがなくなってしまいがちですよね。その点、SANU 2nd Homeに行くぞと予定を入れることで、1週間がフラットにならずに、○曜日までにこれを終わらせるなどの意識をするようになりました。違う場所に行くことが、よい刺激になっていると思います」(石田さん)。また、場所も車で2~3時間程度で、ほどよいそう。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「ホテルやコテージと比較しても、定額料金の価格設定には納得感があるのですが、カーシェアや高速代に加えて、珍しい食材を買ったりすることで、意外とお金を使っているんです(笑)。想定外といえばそれくらいでしょうか。あと、仕事をしていると、背景が映り込むので、『どこにいるの?』と聞かれるんですよね。SANUだよ~と答えると、『いいな』『今度一緒に行きたい』などポジティブな反応がほとんど。私の周りでも移住ほどではなくても、旅行とは違う、地方の体験への興味は高まっている気がします」(野村さん)

お話を聞いていると、「いいな~~!」というみなさんの気持ちにはげしく共感します。旅行ではなく、暮らしと遊びをシームレスに楽しめる。そんなライフスタイル、やっぱり憧れますよね。

別荘を持つよりも手軽で、さまざまな拠点で飽きることもなく生活できるサブスクサービス「SANU 2nd Home」。都市部にある家ももちろん好きだけど、自然のある暮らしもしたい。コロナ禍の転換期に生まれたサービスですが、きっとコロナが収束しても、ひとつの暮らし方として、定着していくに違いありません。

●取材協力
SANU 2nd Home

おしゃれ別荘に月額5.5万円で家族や友人と泊まり放題! サブスク「SANU 2nd Home」八ヶ岳、山中湖など

毎月定額でさまざまな暮らし方ができる「住まいのサブスク」。空き家やゲストハウスを活用したADDressやHafH(ハフ)、ホテルが泊まり放題になるサービスも登場するなど、コロナ禍でテレワークが定着したこともあり、暮らし方のひとつとして普及しつつあります。2021年11月、そんな住まいのサブスクのなかでも、大自然にあるセカンドホーム、いわゆる別荘暮らしが月額5万5円でできるサービス「SANU 2nd Home」が登場し、注目を集めています。実際の利用者の声とあわせてご紹介しましょう。

毎月5万5000円! 豊かな自然の中でもう一つの家―セカンドホームが利用できる

SANU 2nd Home(サヌ セカンドホーム)は、「Live with nature. / 自然と共に生きる。」をコンセプトにした、住まい・別荘のサブスクサービスです。月額利用料は5万5000円で、会員登録をすれば会員本人に加えて、家族や友人など3人まで無料で宿泊できます。利用できる住まいは「SANU CABIN」と呼び、都市部から車で1.5~3時間程度の白樺湖、八ヶ岳などのアクセスのよい場所に、2022年2月現在、2拠点5棟が誕生しており、春頃までに新たに5拠点45棟にオープンする予定です。

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

1回の滞在は4泊まで、週末・休前日やピークシーズンにプラス料金が発生するなどの条件はありますが、憧れの別荘が、ホテルのように使いたいときに使え、しかも定額制とあれば興味がわくのではないでしょうか。2021年11月にサービスを開始しましたが、初期の会員枠は完売し、現在、キャンセル待ちの登録希望者(ウェイティング会員)が1500人以上いる状態だそうで、いかに注目を集めているかがわかります。

今回、SANU 2nd Homeを運営する株式会社Sanuを創業したのは本間貴裕さんと福島弦さん。今まで本間さんは蔵前のNui. HOSTEL & BAR LOUNGEや東日本橋のCITANといった人気ホステルを運営してきましたが、今回の「自然の中にもう一つの家を持つ」というビジネスモデル構築のきっかけとなったのは、自身のコロナ禍の「疎開体験」だといいます。

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

「以前から漠然と自然と人をつなげる仕事をしたいと考えていたんですが、2020年の緊急事態宣言下、都市部での密な暮らしへの違和感がはっきりとしてきました。そこで、千葉県の自然豊かな環境に家を借りて過ごしたんですが、それがとても心地よくて。オンラインで仕事しつつ、合間に野に咲く花を摘んできて活けたり、サーフィンをしたり。そこで、海や山に近い場所にある住まいを、スマートフォンで会員登録すればすぐに利用できるサービスがあったらいいなと思いついたんです」(本間さん)

なるほど、本間さん自身の「あったらいいな」をかたちにしていったんですね。別荘やホテルとの違いは、「個人の空間を確保できる」そして「暮らし」の延長線上にある点だ、といいます。
「ホテルにはキッチンがないことが多く、調理や洗濯などができないことが多いもの。また、自分もバックパッカーだったからわかるのですが、アドレスホッパーのように住まいを持たずに転々とホテルやゲストハウスを渡り歩く生活をするのは万人には向きません。自宅のようにくつろぎつつ過ごせて、思いついたときに利用できる気軽さを目指しました」(本間さん)

そのため、利用する人の暮らしやすさを考え、キャビンは内装を統一し、一度滞在すると他のキャビンに滞在しても「どこに何があるかわかる」状態にしているといいます。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

海、山、湖、川…。日本の豊かな環境を建物や室内でも楽しめるように

筆者が個人的にすてき!だと思ったのは、周囲の環境だけでなく、建物やインテリアそのものが美しく、滞在したくなるという点です。また、キャビンの内装は統一しているものの、大きい窓の先に広がる風景は二つとして同じものがなく、キャビンごとにまったく異なる景色が映ります。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

「海や山や湖、川、高原など、日本の自然環境は本当に豊かです。季節ごとの変化や表情の移り変わりを部屋にいても楽しめるように配慮しています。季節が変わるたび、何度でも来たくなる、繰り返し使ってもらうことがこのサービスで大切にしたいこと」と本間さんは話します。このあたりは、何より本間さん自身が「美しい自然が好き」という想いがあるからでしょう。

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

また今回、「建物に岩手県釜石市の杉材を使用しています。それにはコロナの影響も大きく関係しています」と解説するのは、同じく創業者の福島弦さん。

「サービスの設計を考え、建築プランも決まり、いざ着工するぞという段階になって、コロナ禍で海外からの木材の輸入が少なくなったことで国内の木材価格が高騰し、調達できなくなる『ウッドショック』が起きたんです。でも、まあ着工はできるでしょと軽く考えていたら、なんと1棟目からすでに調達できない、と。そこで、日本各地の森林組合さんにお願いしてまわり、結果的に協力してもらえることになったのが釜石地方森林組合だったんです」

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

日本では、戦後に植林した杉材が樹齢50年前後になり、今、建材として“使いどき”になっていますが、長年の木材価格低迷や人手不足などの問題もあり、思うように木材として提供できない状態が続いています。今回SANU 2nd Homeでは、釜石地方森林組合と協力し、木材を提供してもらうだけでなく、キャビンのために伐採した杉の木(50棟でおよそ7500本分)と同じ本数の苗木を、釜石地方に植林する予定です。こうして事業で使った分だけ新しい木々を植えることで、地方の林業、そして森が蘇ることになりますし、事業を通じたカーボンネガティブ(CO2吸収量がCO2排出量を上回る状態)を達成することができます。

(写真提供/ADX)

(写真提供/ADX)

「針葉樹の杉だけではなく、ナラや樫、シイノキなどの広葉樹など異なる種類の苗木を植えることで、多様性のある豊かな森になる。SANU CABINをつくることで、林業が活性化し、日本の森が美しくなっていくとしたら、こんなにうれしいことはないですよね」と話します。

もちろん、SANU 2nd Homeで提供したいのは「自然のなかでの暮らし」といいますが、サービスを考えるうえでも、「持続可能性」が考えられているのはやはり時流といえるでしょう。

旅行やホテルとも違う居心地のよさ! 仕事にもプラスに

SANU 2nd Homeを利用している石田さんと野村さん(ともに30代)にも話を聞いてみました。

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

「11月はサービス開始直後から3泊、12月は4泊、1月には4泊と、今のところ毎月利用しています。初めて訪れたのは白樺湖のSANU CABINでしたが、窓からの開放感がすごくて、部屋のカーブがきれいでとても印象に残っています。キッチンも充実していますし、3泊で滞在予定でしたが、すぐに4泊にすればよかった!と思いました」(石田さん)

滞在中は、山に登ったり、自転車でサイクリングにいったり、焚き火をしたりと、存分に野遊びを楽しんでいるそう。もちろん、自宅にいるように仕事をしたり、料理をしたり。ときには地域の店で外食や買い物などをし、地域の人と交流ができるのも、ホーム感があり、二人のたのしみになっています。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「八ヶ岳では周辺の店を紹介したオリジナルのマップがあったんですが、掲載されている店はすべてめぐりました。お店の人との会話でもSANU 2nd Homeに滞在しているというと、どういうサービスなのか聞かれたり。興味関心の高さを感じました」

料理好きな野村さんにとっては、キッチンが充実しているのも、楽しいといいます。
「キャビンが同じかたちをしていて、どこに何があるのかわかるのは、我が家のような安心感がありますね。自分の別荘があるとこんな感じなのかなと思いました」(野村さん)。使い方を聞いていると、生活や暮らしの延長に利用してもらいたいという、サービスの狙い通りと言えるのかもしれません。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

SANU 2nd Homeのように自宅と別に拠点があると、仕事をするうえでもプラスになっているといいます。
「自宅で働いていると、曜日や時間などのメリハリがなくなってしまいがちですよね。その点、SANU 2nd Homeに行くぞと予定を入れることで、1週間がフラットにならずに、○曜日までにこれを終わらせるなどの意識をするようになりました。違う場所に行くことが、よい刺激になっていると思います」(石田さん)。また、場所も車で2~3時間程度で、ほどよいそう。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「ホテルやコテージと比較しても、定額料金の価格設定には納得感があるのですが、カーシェアや高速代に加えて、珍しい食材を買ったりすることで、意外とお金を使っているんです(笑)。想定外といえばそれくらいでしょうか。あと、仕事をしていると、背景が映り込むので、『どこにいるの?』と聞かれるんですよね。SANUだよ~と答えると、『いいな』『今度一緒に行きたい』などポジティブな反応がほとんど。私の周りでも移住ほどではなくても、旅行とは違う、地方の体験への興味は高まっている気がします」(野村さん)

お話を聞いていると、「いいな~~!」というみなさんの気持ちにはげしく共感します。旅行ではなく、暮らしと遊びをシームレスに楽しめる。そんなライフスタイル、やっぱり憧れますよね。

別荘を持つよりも手軽で、さまざまな拠点で飽きることもなく生活できるサブスクサービス「SANU 2nd Home」。都市部にある家ももちろん好きだけど、自然のある暮らしもしたい。コロナ禍の転換期に生まれたサービスですが、きっとコロナが収束しても、ひとつの暮らし方として、定着していくに違いありません。

●取材協力
SANU 2nd Home

更地だらけの温泉街が再生! 移住者や二拠点生活者が集まる理由とは【旅と関係人口1/長門湯本温泉(山口県長門市)】

今、コロナ禍で帰省できない人や、都会で生まれ育った‘‘ふるさとを持たない‘‘人たちが多い。そんななか、従来の観光だけを目的にしていない、新しい旅のスタイルが生まれている。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」。その結果、地域と関わりを深める人が現れているのだ。それを裏付ける事例が、リピーターを巻き込んだ街づくりで温泉街を復活させた山口県長門市、長門湯本温泉だ。実際に観光などで訪れたことから、移住や二拠点生活で関わることになった人々の想いも紹介する。

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

新しい旅のスタイル。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」

働き方改革や新型コロナウイルス感染症の影響で人々の価値観が変わり、旅のニーズも変化している。都市部のふるさとを持たない人の中には、田舎に憧れを持ち、関わりを求める動きがある。求められているのは、従来の観光ではなく、現地の暮らしを体験し、滞在することを目的にした旅のかたち。その結果、地元の人や土地への愛着が生まれ、‘‘第二のふるさと‘‘ができる人が増えているという。

観光庁では、2022年度の概算要求で掲げた新規プロジェクト「第2のふるさとづくり」を始動させた。「何度も地域に通う旅、帰る旅」という新たなスタイルを定着させる取り組みだ。それぞれの地域も地域活性化を図るため、受け入れる体制を整えている。リピート型の新しい旅は、本格的な地域貢献につながる可能性があるのだ。

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

観光客が減り、老舗旅館廃業も……。苦境の温泉街を地元×リピーターで復活させた!

長門湯本の温泉街は、2020年3月にリニューアルオープンしたばかり。新設された高台の駐車場から竹林の中の階段を降りると音信川に出る。旅館が並ぶ川沿いには、おしゃれなカフェや雑貨屋をのぞきながらそぞろ歩く女子旅の人、川辺に張り出したテラスからは、川床や親水公園で遊ぶ子どもたちが見える。立ち寄り湯「恩湯(おんとう)」では、地元の人と一緒に観光客が入浴する様子も。ライトアップや季節ごとに行われるイベントを楽しみに何度も訪れる人も増えた。

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

今の活況からは想像できないが、長門湯本の温泉街は、2014年に大きな危機に見舞われていた。当時の様子を、長門市役所に勤めたのち、現在は長門湯本温泉まち株式会社エリアマネージャーをしている木村隼斗さんに伺った。

「人口約3万3000人の長門市にある湯本の温泉街は、600年の歴史がある山口県最古の温泉です。昭和50年代のピーク時には、宿泊者数40万人もの歓楽街でした、しかし、その後は訪れる人が減り続け、ついに、2014年に150年続いていた老舗旅館が廃業になりました。温泉街の中心部には複数の老朽化した施設が残り、公費での解体が必要なまでに。すっかり更地が多くなった温泉街を見て、このままでは誰もいない街になってしまうと危機感を募らせていました」(木村さん)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

長門市役所は、2016年に温泉街の再生計画をスタート。誘致したリゾートホテルと提携してマスタープランをつくり、街全体をリノベーションするプロジェクトが始まった。

「長門湯本に限らず、大型バスで宿泊施設に滞在し、施設内で飲食して帰る団体旅行から、個人旅行がトレンドになりました。川沿いの温泉街は全国で珍しくはありません。この土地にしかない魅力をつくり出すのはどうしたらいいか。箱となる施設をつくるのではなく、小さくても、個人的な思いや魅力が伝わる街にしたいと考えました」(木村さん)

プロジェクトの出発点は、長門湯本温泉の立ち寄り湯「恩湯」だった。施設の老朽化や利用客の減少により、2017年5月に公設公営での営業を終了していた温泉施設を民間で再建するプロジェクトが始まる。さらに、2017年8月から2019年にかけて、温泉街で3つの「社会実験」を実施。川床や置き座で「川を楽しむ」、道路の一部を出店ブースや休憩スペースに活用し「道を楽しむ」、湯本提灯やライトアップで「夜を楽しむ」ことをテーマとした。

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

「伝統ある立ち寄り湯を残したい! という思いで地域の若手有志が集まり、年配の旅館経営者も応援してくれました。いきなり理念や絵を見せるだけで『やります』と言っても、地元の賛同は得られません。『社会実験』イベントは、うまくできるかの実証実験で、将来目指すところを仮設で実現してみて課題を洗い出すために行いました。イメージや問題点を共有した上で、観光客の反応や地元の方々の受け止めを見て改善していったのです」(木村さん)

温泉街衰退の危機から6年が経った2020年3月に、リニューアルした「恩湯」と隣接する飲食施設「恩湯食」がオープン。冬季には、長門市出身の童謡詩人「金子みすゞ」の詩をテーマにしたライトアップ「音信川うたあかり」を行うなど季節ごとにさまざまなイベントを行っている。

「イベントを通じて、長門湯本で新しいことが始まっていると知り、山口県内や近県から訪れる人が増えました。宿泊者数はコロナの影響できびしいものの、宿泊費の単価がやや上がり、温泉街の満足度を高めることで宿泊事業にプラスの効果を生み出せる可能性を感じる兆しもあります。一人旅や女子旅で訪れる人が増え、温泉街に人が戻ってきていると実感しています」(木村さん)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

地元の人や川への愛着が決め手。温泉通いから移住してカフェやバーを経営へ

イベントの出店者選びでは、ただ商売をするだけでなく、ものづくりや地域への思いがある出店者や、居心地のいい場所をつくるサービスを選んだ。結果として、イベントや長門湯本に出店する人は、長門湯本につながりがある人や何度も観光で訪れている人が多い。

「売れ行きだけじゃなくて、自分たちが楽しめるかどうかを大事に感じる出店者さんも多い。ここなら関わってもいいなと思える未来を共有して一緒に実現したいと思っています」と木村さん。イベント出店をきっかけに移住・二拠点生活を始めた人もいる。

音信川沿いにあるカフェギャラリー、cafe&pottery音の店長、横山和代さんもそのひとり。約400年続く萩焼・深川窯の若手作家の器と自家焙煎コーヒーのカフェが女性観光客に人気だ。横山さんが長門湯本に関わるようになったきっかけは、家族と訪れた温泉だった。静岡出身の横山さんは、岡山で家族と暮らしていたが、夫の転勤で山口県山口市に移住。釣りと温泉好きな夫と娘を連れて、山口市から毎週末、長門湯本の温泉に通うようになった。

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「川沿いの温泉街がとても気に入りました。山口市内から車で1時間ほどかかりますが、月2、3回日帰り旅行で訪れるようになりました。当時入浴料が200円だった恩湯は地元の人が日常で使う温泉で、洗い場でおばあちゃんがまだ1歳だった娘を見てくれるなど、あたたかな交流をしてもらいました。仕事の都合でいったん山口を離れたのですが、あまりに居心地がよかったので、1年半後、また山口に戻ってきたんです」(横山さん)

そのころ、温泉街では、社会実験のイベント「おとずれリバーフェスタ2018」が催されていた。楽しそうな出店者の様子を見て、横山さんは、自分も出店してみることに。イベントに関わることで、木村さんをはじめとする街づくりに携わる人との出会いもあった。そして、イベント後に、長門湯本でカフェをしてみないかと誘われる。

「みなさん長門湯本をよくしようと熱い人たちで、いつも楽しそうに仕事をしているんです。いつの間にかいい意味で巻き込まれていました。旅館の方々や萩焼の若手作家さんからお声掛けいただき、とりあえず1年間だけやってみようとカフェを始めました。」(横山さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

娘と一緒に山口市内から長門湯本に通う生活が始まった。本格的に移住を決めた理由は、娘の存在が大きい。

「私がカフェで忙しいと、木村さんや近所の人が娘の面倒をみてくれました。娘にとって、長門湯本がいちばん楽しい場所、大好きな場所になっていたんです。ついには、『長門の保育園に行きたい』と言い出して。長門市役所もとても協力的で、住まいの相談にも乗ってくれました。紹介してもらったのは、庭に果樹や栗の木がある古民家。2021年6月に移住することになりました」(横山さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

カフェを訪れるのは、地元の人と観光客が半分ずつ。店内は、萩焼のギャラリーになっている。萩焼は、山口県萩市一帯でつくられている陶器で、長門市にも窯元がある。その窯元の作家の器を常設。地元の人でも「長門にこんないいものがあったのか」と驚く人もいるという。不定期に催される展示会目当てに訪れる人も増え、cafe&pottery音が地元と観光客をつなぐ場所になっている。

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

夕暮れの温泉街に浮かび上がる「THE BAR NAGATO」のマスター、黒田大介さんは、大阪との二拠点生活をしながら週末3日間経営するスタイルで、長門湯本と関わっている。バーテンダーとして30年の経験を持つ黒田さんは、長年大阪の北新地でバーを営んできた。

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「もともと、温泉街のライトアップイベントのデザイナーと知り合いで、長門湯本でバーをやらないかと誘われたんです。それは無理だけど、イベントだけならと、2017年と2018年の『おとずれリバーフェスタ』に出店者として参加することに。ところが、地元の人ととても気が合って。人のつながりがどんどん増えていきました。街づくりに携わっている市役所の人、イベントのデザイナー、出店者がみんなプロフェッショナルで、自分も携わることに魅力を感じました」(黒田さん)

2回目のイベントに参加したとき、市役所から築70年の長屋を紹介された黒田さん。「改装したら、絶対いい場所になる」と夢が膨らんだ。長屋をリノベーションして2021年3月に「THE BAR NAGATO」をオープン。大阪から長門湯本へは新幹線を使いドアツードアで片道6時間ほどかかるが、毎週来るのが楽しみだという。

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

長屋の2階にある「THE BAR NAGATO」の店内は、映画のセットのような空間にデザインされ、こだわりのウィスキーやカクテルが飲める。バーを訪れる人にリピーターも増えて来た。

「日帰りや旅館に素泊まりの人が来てくれますね。湯本を拠点にして長門市内へ足を伸ばしているようです。私がなぜここでバーを経営することになったか、聞かれることもあります。長屋のリノベーションを手がけたオーナーの木村大吾さんが店を訪れたとき、街づくりについてお客さんと盛り上がることもありました。『来るたびによくなるね』と驚くリピーターのお客さんも多いです」(黒田さん)

旅で訪れた人を引き付けているのは、温泉だけでなく、街全体に長門湯本をよくしたいという熱い想いが込められているから。地元の人と訪れた人で一緒につくる新しいふるさと。「これから始まる街にいるわくわく感があるんです」という横山さんの言葉がとても印象的だった。

●取材協力
・長門湯本温泉
・cafe&pottery音
・THE BAR NAGATO

房総半島の小屋で二拠点生活。都会と地方を行き来する新しい生き方

新型コロナウイルスの影響で、働き方と住まいの関係が大きく変わる今、タイニーハウスなどの小屋暮らしや、時間とお金に余裕のある人しか実現できない絵空事ではなくなりつつあります。今回は、房総半島にある「シラハマ校舎」で二拠点生活を楽しむ2家族にインタビュー。等身大の二拠点生活に迫ります。

購入待ちは40組以上! 廃校跡地に建つ18棟の無印良品の小屋小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎があるのは、房総半島の先端、千葉県南房総市白浜町。東京都心からは車で2時間あまり、公共交通機関なら最寄駅から路線バスに30分ほど乗る必要があるためか、関東にありながらもどこか“秘境”、時間以上に遠方に来たような雰囲気が漂います。

シラハマ校舎は、廃校となった長尾小学校・幼稚園の敷地と建物をコンバージョン(用途変更)した施設で、18の小屋とレストラン(完全予約制)、シェアオフィス、コワーキングスペース、宿泊施設から成ります。事業がはじまったのは2016年ですが、小屋は2019年に完売し、現在は40組以上のウェイティングリストがある大人気物件です。

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋は「無地良品の小屋」として販売されているもので、複数戸が村のようにずらりと並ぶのは世界でもここだけ。建物は規格品に沿っていますが、ディスプレイや外観に少しずつオーナーの個性が現れるので、見ているだけでも楽しいもの。小屋の内部の広さは9平米で、大人がなんとか4人宿泊できるサイズ。バスやトイレ、キッチンは校舎のものを使用するので、建物は寝室・リビングとして役割を果たします。価格は1棟300万円ほどで、比較的短時間で来られること、密が避けられることといったことに加え、「小屋」で維持管理がかんたんであることなどに惹かれ、特にコロナ禍以降はひっきりなしに問い合わせが来ているといいます。

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

今回、取材させてもらった2家族は、「コンパクトでチャレンジしやすい」「メンテナンスもラク」という小屋にひかれて、二拠点生活をはじめたといいます。2家族が知り合ったきっかけはシラハマ校舎だったそうですが、今では会社の人以上に「顔を合わせている」というほどの仲良しに。では、実際にどんな使い方をしているのか、話を伺ってみましょう。

「小屋? ナニソレ?」からはじまった二拠点生活

小屋のオーナーである西岡ご夫妻は埼玉県在住で、二人の男の子とともに、週末や長期休みにこのシラハマ校舎で過ごしています。もともと夫が釣りやキャンプが好きだったことがきっかけで、小屋の購入を考えたそう。

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「子どもが小さいかったころ、いっしょに『おさるのジョージ』という米国のアニメを見ていたんです。主人公のおさると黄色い帽子のおじさんは、普段、都会で暮らしているんですが、週末や長期休みは田舎で過ごすんですね。自分はあれで二拠点生活のイメージをつかんで、楽しそうだなあと思っていたんです。その後、小屋の存在を知り、妻に相談したんですが、『小屋を買う』って言っても『え?何を言ってるの?』って、なかなか二拠点生活や小屋について理解が得られず……。確かに別荘とも違うし、キャンプとも違う。家はすでにあるし、イメージがつかみにくかったんだと思います。そこで、ここにいるときは、食事は自分がつくるという約束で購入しました(笑)」といいます。現在は月1回または、2週間に1回程度、週末、家族で過ごしているそう。

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「私はアクティブではないので、夫に連れられてきています。家事は夫がする約束ですが、やっぱりそれだけでは追いつかないので、実際は私もやっています。男の子はエネルギーの塊なので、ここで発散しています」と妻が言うとおり、5年生と3年生の兄弟は元気いっぱい、芝生の上を元気に走り回っています。

「お兄ちゃんは塾に通っていますが、小屋に行くという理由で、夏期講習や冬期講習は休んでいます。どうやらうちだけみたいなので、驚かれますね」と夫。現代の子育てでは、子どもたちを静かにさせるためにゲームや動画は欠かせませんが、こうした大人気のゲーム端末は持って行かず、スマートフォンで観る動画も必要最低限のみ。その代わり、親である夫が子どもたちと向き合い、全力で遊んでいるのが印象的です。とはいえ、全力で遊び過ぎてしまうため、この冬休み期間中は、一度、寝込んでしまったとか。

「この間、万歩計を見たら、一日2万歩を記録していました。だからそんな毎週末は来られません」と苦笑いしますが、やはり小屋があることが、「人生の楽しみ」につながっているそう。

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「敷地管理などをシラハマ校舎の管理人である多田さんにおまかせできるのは大きいです。荷物は常に置いておけるし、別荘ほど大きくないから、管理もラク。家族4人でテーマパークや旅行に行けば1回あたり10万~20万はあっという間。それを考えれば、建物の金額は高くないと感じています」と話します。一生のうち親子が一緒に過ごせる時間は案外、短いもの。都会とは違う場所があることで、子どもの可能性を伸ばし、また親もリフレッシュできるのかもしれません。

二拠点生活は暮らしの延長線。毎週通っているから親子で発見がある

藤田さん夫妻は、2020年に小屋を購入。西岡さん夫妻と同じく2人のお子さんがいる4人家族で、東京都在住。ほぼ毎週、シラハマ校舎に来ているといいます。

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「コロナ禍では長く過ごしたこともあり、今ではすっかり気心がしれた仲に。毎週水曜になると白浜の天気をチェックして、木曜になると西岡さんに連絡して(笑)、金曜日の夜9時に自宅を出発、夜11時ごろにここに到着するスケジュールでしょうか。土日はまるまるここで過ごしています」。旅行ではなく、あくまでも暮らしの延長線、自然なことだそう。夫婦交代で校舎内のコワーキングスペースで仕事をすることもあります。

「ここにいると他の小屋を利用している家族を含めた子ども同士で遊んでくれるから、気持ちの面でラクになります。ただ、その分、金曜日までは大忙し。子どもの習い事も予定も、ぎゅっと平日に詰め込んでいます。家事はテレワークだから平日でもできている部分もありましたが、最近は出社することも増えたので、正直、家事はまわっていません(笑)」と妻はあっけらかんと話します。西岡さんと同様、もともと夫妻ともにアウトドア好きで、小屋の購入を決断したそう。

「当初は購入を迷っていたんですけれど、小屋がどんどん売れてしまって、あと残り1棟ですって言われてあわてて申し込んだんです。その後、コロナの流行があって、強制的にテレワークになって……。ここがあってほんとに良かったなと思いました。家族みんなにとっての、息抜きの場所になっていますから」と夫が話します。

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「キャンプって、設営と撤収でけっこうな時間がかかるし、それから焚き火をして料理をするのは大変。用具の手入れや後片付けもある。この小屋だとその必要がなくて、来て布団を敷けばすぐに眠れるし、すぐ遊べる。理想のかたちでした」と妻は言います。さらに旅行との違いとして、いつもの場所に来る良さがある、と続けます。

「毎週、来ているので季節ごとの雲の形や海の色、緑の様子、波の様子など、変化に気がつけるし、親子で発見があるんです。それは通っている強みだなと思います」と妻。

「二拠点生活で良いのは、まったく異なる価値観に触れられることでしょうか。都会は効率よくて仕事もあって、情報や人も集まっていて、出会いや刺激がある。でも、白浜は漁師町ということもあり、地元の人はたくましくてちょっとあらっぽいところもある。この前なんて、『サラリーマンはいいよな、会社にいけばお給料がもらえるんだろ』って言われたり(笑)」。なるほど、都会と地方を行き来し、価値観がゆさぶられるというのは、貴重な体験といえるかもしれません。

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

海釣りのために船を共同購入!

さらに藤田さんと西岡さんは最近、共同で船を購入したのだとか!
「西岡さんの影響で海釣りにハマって、船を買おうかという話が持ち上がって、トントン拍子で購入しました。高いものではなくて、本当に漁船(笑)」(藤田さん)と楽しそう。

(写真提供/藤田さん)

(写真提供/藤田さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

いちばん好きな季節は夏。釣れないと子どもたちは海に潜ってしまうこともあるそう。たくましい……。

(写真提供/西岡さん)

(写真提供/西岡さん)

「二拠点生活の話を会社の人や友人に話すと、みんな『いいね』とか『私にはできない』っていうんですけど、そんなに難しくないです。やればできるし、やったら絶対楽しい(笑)。子どものためといいつつ、大人が人生を楽しまないと」と妻。

今後のシラハマ校舎は防災拠点としての活用も

実はシラハマ校舎は、2018年の台風によって停電する被害に遭いました。その経験も踏まえ、今後は隣の敷地にマイクログリッド・オフグリッドハウス(※送電網が「オフ」な状態、送電網につながらずともライフラインを維持できる住まいのこと)をつくり、防災拠点としての活用も見据えているそう。小屋と防災を組み合わせた新しい展開ですね。

コロナ禍では、おうちキャンプを楽しむ人が増えましたが、テントに入ると小さな空間が持つ豊かさに気づかされます。小屋はそんな小さな豊かさを体現した存在です。リフレッシュの場所として、地域交流の場所、防災の拠点として。日本人の暮らしになじむ小屋はまだまだ増えていくに違いありません。

●取材協力
シラハマ校舎
現在は新型コロナウイルスの影響もあり、建物内部は見学できません

コロナ禍で「小屋で二拠点生活」が人気! 廃校利用のシラハマ校舎に行ってみた 千葉県南房総市

新型コロナウイルスの影響で、働き方と住まいの関係が大きく変わる今、タイニーハウスなどの小屋暮らしや、時間とお金に余裕のある人しか実現できない絵空事ではなくなりつつあります。今回は、房総半島にある「シラハマ校舎」で二拠点生活を楽しむ2家族にインタビュー。等身大の二拠点生活に迫ります。

購入待ちは40組以上! 廃校跡地に建つ18棟の無印良品の小屋小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎があるのは、房総半島の先端、千葉県南房総市白浜町。東京都心からは車で2時間あまり、公共交通機関なら最寄駅から路線バスに30分ほど乗る必要があるためか、関東にありながらもどこか“秘境”、時間以上に遠方に来たような雰囲気が漂います。

シラハマ校舎は、廃校となった長尾小学校・幼稚園の敷地と建物をコンバージョン(用途変更)した施設で、18の小屋とレストラン(完全予約制)、シェアオフィス、コワーキングスペース、宿泊施設から成ります。事業がはじまったのは2016年ですが、小屋は2019年に完売し、現在は40組以上のウェイティングリストがある大人気物件です。

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋は「無地良品の小屋」として販売されているもので、複数戸が村のようにずらりと並ぶのは世界でもここだけ。建物は規格品に沿っていますが、ディスプレイや外観に少しずつオーナーの個性が現れるので、見ているだけでも楽しいもの。小屋の内部の広さは9平米で、大人がなんとか4人宿泊できるサイズ。バスやトイレ、キッチンは校舎のものを使用するので、建物は寝室・リビングとして役割を果たします。価格は1棟300万円ほどで、比較的短時間で来られること、密が避けられることといったことに加え、「小屋」で維持管理がかんたんであることなどに惹かれ、特にコロナ禍以降はひっきりなしに問い合わせが来ているといいます。

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

今回、取材させてもらった2家族は、「コンパクトでチャレンジしやすい」「メンテナンスもラク」という小屋にひかれて、二拠点生活をはじめたといいます。2家族が知り合ったきっかけはシラハマ校舎だったそうですが、今では会社の人以上に「顔を合わせている」というほどの仲良しに。では、実際にどんな使い方をしているのか、話を伺ってみましょう。

「小屋? ナニソレ?」からはじまった二拠点生活

小屋のオーナーである西岡ご夫妻は埼玉県在住で、二人の男の子とともに、週末や長期休みにこのシラハマ校舎で過ごしています。もともと夫が釣りやキャンプが好きだったことがきっかけで、小屋の購入を考えたそう。

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「子どもが小さいかったころ、いっしょに『おさるのジョージ』という米国のアニメを見ていたんです。主人公のおさると黄色い帽子のおじさんは、普段、都会で暮らしているんですが、週末や長期休みは田舎で過ごすんですね。自分はあれで二拠点生活のイメージをつかんで、楽しそうだなあと思っていたんです。その後、小屋の存在を知り、妻に相談したんですが、『小屋を買う』って言っても『え?何を言ってるの?』って、なかなか二拠点生活や小屋について理解が得られず……。確かに別荘とも違うし、キャンプとも違う。家はすでにあるし、イメージがつかみにくかったんだと思います。そこで、ここにいるときは、食事は自分がつくるという約束で購入しました(笑)」といいます。現在は月1回または、2週間に1回程度、週末、家族で過ごしているそう。

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「私はアクティブではないので、夫に連れられてきています。家事は夫がする約束ですが、やっぱりそれだけでは追いつかないので、実際は私もやっています。男の子はエネルギーの塊なので、ここで発散しています」と妻が言うとおり、5年生と3年生の兄弟は元気いっぱい、芝生の上を元気に走り回っています。

「お兄ちゃんは塾に通っていますが、小屋に行くという理由で、夏期講習や冬期講習は休んでいます。どうやらうちだけみたいなので、驚かれますね」と夫。現代の子育てでは、子どもたちを静かにさせるためにゲームや動画は欠かせませんが、こうした大人気のゲーム端末は持って行かず、スマートフォンで観る動画も必要最低限のみ。その代わり、親である夫が子どもたちと向き合い、全力で遊んでいるのが印象的です。とはいえ、全力で遊び過ぎてしまうため、この冬休み期間中は、一度、寝込んでしまったとか。

「この間、万歩計を見たら、一日2万歩を記録していました。だからそんな毎週末は来られません」と苦笑いしますが、やはり小屋があることが、「人生の楽しみ」につながっているそう。

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「敷地管理などをシラハマ校舎の管理人である多田さんにおまかせできるのは大きいです。荷物は常に置いておけるし、別荘ほど大きくないから、管理もラク。家族4人でテーマパークや旅行に行けば1回あたり10万~20万はあっという間。それを考えれば、建物の金額は高くないと感じています」と話します。一生のうち親子が一緒に過ごせる時間は案外、短いもの。都会とは違う場所があることで、子どもの可能性を伸ばし、また親もリフレッシュできるのかもしれません。

二拠点生活は暮らしの延長線。毎週通っているから親子で発見がある

藤田さん夫妻は、2020年に小屋を購入。西岡さん夫妻と同じく2人のお子さんがいる4人家族で、東京都在住。ほぼ毎週、シラハマ校舎に来ているといいます。

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「コロナ禍では長く過ごしたこともあり、今ではすっかり気心がしれた仲に。毎週水曜になると白浜の天気をチェックして、木曜になると西岡さんに連絡して(笑)、金曜日の夜9時に自宅を出発、夜11時ごろにここに到着するスケジュールでしょうか。土日はまるまるここで過ごしています」。旅行ではなく、あくまでも暮らしの延長線、自然なことだそう。夫婦交代で校舎内のコワーキングスペースで仕事をすることもあります。

「ここにいると他の小屋を利用している家族を含めた子ども同士で遊んでくれるから、気持ちの面でラクになります。ただ、その分、金曜日までは大忙し。子どもの習い事も予定も、ぎゅっと平日に詰め込んでいます。家事はテレワークだから平日でもできている部分もありましたが、最近は出社することも増えたので、正直、家事はまわっていません(笑)」と妻はあっけらかんと話します。西岡さんと同様、もともと夫妻ともにアウトドア好きで、小屋の購入を決断したそう。

「当初は購入を迷っていたんですけれど、小屋がどんどん売れてしまって、あと残り1棟ですって言われてあわてて申し込んだんです。その後、コロナの流行があって、強制的にテレワークになって……。ここがあってほんとに良かったなと思いました。家族みんなにとっての、息抜きの場所になっていますから」と夫が話します。

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「キャンプって、設営と撤収でけっこうな時間がかかるし、それから焚き火をして料理をするのは大変。用具の手入れや後片付けもある。この小屋だとその必要がなくて、来て布団を敷けばすぐに眠れるし、すぐ遊べる。理想のかたちでした」と妻は言います。さらに旅行との違いとして、いつもの場所に来る良さがある、と続けます。

「毎週、来ているので季節ごとの雲の形や海の色、緑の様子、波の様子など、変化に気がつけるし、親子で発見があるんです。それは通っている強みだなと思います」と妻。

「二拠点生活で良いのは、まったく異なる価値観に触れられることでしょうか。都会は効率よくて仕事もあって、情報や人も集まっていて、出会いや刺激がある。でも、白浜は漁師町ということもあり、地元の人はたくましくてちょっとあらっぽいところもある。この前なんて、『サラリーマンはいいよな、会社にいけばお給料がもらえるんだろ』って言われたり(笑)」。なるほど、都会と地方を行き来し、価値観がゆさぶられるというのは、貴重な体験といえるかもしれません。

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

海釣りのために船を共同購入!

さらに藤田さんと西岡さんは最近、共同で船を購入したのだとか!
「西岡さんの影響で海釣りにハマって、船を買おうかという話が持ち上がって、トントン拍子で購入しました。高いものではなくて、本当に漁船(笑)」(藤田さん)と楽しそう。

(写真提供/藤田さん)

(写真提供/藤田さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

いちばん好きな季節は夏。釣れないと子どもたちは海に潜ってしまうこともあるそう。たくましい……。

(写真提供/西岡さん)

(写真提供/西岡さん)

「二拠点生活の話を会社の人や友人に話すと、みんな『いいね』とか『私にはできない』っていうんですけど、そんなに難しくないです。やればできるし、やったら絶対楽しい(笑)。子どものためといいつつ、大人が人生を楽しまないと」と妻。

今後のシラハマ校舎は防災拠点としての活用も

実はシラハマ校舎は、2018年の台風によって停電する被害に遭いました。その経験も踏まえ、今後は隣の敷地にマイクログリッド・オフグリッドハウス(※送電網が「オフ」な状態、送電網につながらずともライフラインを維持できる住まいのこと)をつくり、防災拠点としての活用も見据えているそう。小屋と防災を組み合わせた新しい展開ですね。

コロナ禍では、おうちキャンプを楽しむ人が増えましたが、テントに入ると小さな空間が持つ豊かさに気づかされます。小屋はそんな小さな豊かさを体現した存在です。リフレッシュの場所として、地域交流の場所、防災の拠点として。日本人の暮らしになじむ小屋はまだまだ増えていくに違いありません。

●取材協力
シラハマ校舎
現在は新型コロナウイルスの影響もあり、建物内部は見学できません

コロナ禍で二拠点生活がブーム? “先駆け”千葉県南房総市の今と課題

コロナ禍で地方移住や二拠点生活の熱が高まるなか、首都圏からのアクセスがよく、里山と海、両方を楽しめる地域として人気が高まっている千葉県の南房総エリア。2018年12月に取材した南房総市を再訪し、ヤマナハウスの変化や当時は二拠点生活をしていた川鍋宏一郎さんのその後と、南房総市の二拠点生活者、移住支援に関わってきた市、民間団体に、現状や課題について伺いました。
二拠点生活から南房総市に家を建築、また一歩移住に近づく

2016年ごろから東京に本社のある外資系IT企業に勤めながら、家族で住む横浜市と南房総市で二拠点生活をしてきた川鍋宏一郎さん。以前、取材をした際には、二拠点生活や移住を支援するヤマナハウスに週末通いながら、DIYスキルを学んでいました。その後、ヤマナハウスの近くに借りていた家と土地を購入し、2020年に家を新築。横浜との二拠点生活は継続しているものの、自身の生活の比重は南房総市が大きくなっています。
「コロナによるテレワークで都内に出社するのは月1回程度になり、週末は南房総市で過ごすようになりました。金曜日に横浜市内の綱島から高速を使って車で約1時間20分ほどかけて来ますが、日曜日の夜に家族が帰った後に、1週間ひとりで生活することもあります。南房総市は光回線が整っているので、仕事に不便はありませんし、とても静かで集中できます」

1500~2000坪の敷地の母屋を壊して家を建てた。「30年先でも暮らせる家」をイメージしてBESSというブランドで建てた家。カタログから開放的なデザインのWONDER DEVICEのFRANKを選んだ(写真撮影/片山貴博)

1500~2000坪の敷地の母屋を壊して家を建てた。「30年先でも暮らせる家」をイメージしてBESSというブランドで建てた家。カタログから開放的なデザインのWONDER DEVICEのFRANKを選んだ(写真撮影/片山貴博)

川鍋さん一家。子どもたちは裏山を駆け回ったり、川辺で遊んだり、自然と触れ合って過ごしている(写真撮影/片山貴博)

川鍋さん一家。子どもたちは裏山を駆け回ったり、川辺で遊んだり、自然と触れ合って過ごしている(写真撮影/片山貴博)

当初から土地には母屋と納屋がふたつありました。週末に母屋をDIYで修理しようと考えていた川鍋さんでしたが、床を剥がして基礎を確認するなどした結果、自分ひとりで直すのは困難だと分かりました。二拠点目に家を建てることに不安はなかったのでしょうか。

「もともと移住を見据えて二拠点生活をしていますが、横浜の自宅と南房総の家の二重ローンになってしまうので、悩みました。古い母屋は住居として整っていなかったので、以前は家族があまり来たがらなくて。長女は現在10歳で、小学校高学年~中学生になると習い事が始まり、このままでは少ししか田舎暮らしを体験させてあげられない。DIYしている時間はないなと思いました。それに、子育てはあと10年ほど。10年後に引越さない理由がありません。いつか移住したいと思っていても、年を重ねてからDIYや農業の知識を習得するよりも、今から準備を進めた方が良い。多少コスパが悪くても36歳の今、建てようと決めました」

納屋の中は、DIYするときの作業場になっている。いずれ納屋をきれいにして友人と一緒にくつろげる場にする予定(写真撮影/片山貴博)

納屋の中は、DIYするときの作業場になっている。いずれ納屋をきれいにして友人と一緒にくつろげる場にする予定(写真撮影/片山貴博)

知人から譲り受けたパワーショベルで裏山の開墾にひとりで挑む(写真撮影/片山貴博)

知人から譲り受けたパワーショベルで裏山の開墾にひとりで挑む(写真撮影/片山貴博)

キャンプ場をつくろうとパワーショベルで傾斜をならし平地に(写真撮影/片山貴博)

キャンプ場をつくろうとパワーショベルで傾斜をならし平地に(写真撮影/片山貴博)

現在は、二拠点目に本格的に居住することで、自身や家族、周囲の理解が変化しました。

「週末にキャンプやバーベキューを楽しみに来る一時的な場所ではなく、10年後にはここに住むんだとはっきりイメージできるようになりました。よく別荘と勘違いされるんですが、私にとって、南房総市は生活の場所。子どもたちも喜んで来るようになり、妻も草刈りなどを手伝ってくれます。地元の人にも本気だと伝わり、より親切にしてもらっています。地区の賛助会員になり、共同作業をする機会も増えました」

5年間、南房総市に関わりながら、平日は仕事、週末は裏山の整備や地域の作業があり、休みがなく大変な面も。とはいえ、好きなことを思い切りできる環境が気に入っています。

「これから、伐採した木を丸太にしてウッドデッキをつくろうと思っているんです」と川鍋さんは笑顔で語っていました。

アイランドキッチンのあるリビング。経年変化が楽しめる木の床材や壁材をふんだんに使っている(写真撮影/片山貴博)

アイランドキッチンのあるリビング。経年変化が楽しめる木の床材や壁材をふんだんに使っている(写真撮影/片山貴博)

「金曜の夜に車で来て、薪ストーブをつけてビールを開けると、1週間が終わったなとほっとします」と川鍋さん(写真撮影/片山貴博)

「金曜の夜に車で来て、薪ストーブをつけてビールを開けると、1週間が終わったなとほっとします」と川鍋さん(写真撮影/片山貴博)

自然豊かな場所で暮らせる一方で、仕事や家探しに課題も

内房の東京湾、外房の太平洋に面した海岸エリアと里山のある丘陵エリアがある南房総市。豊かな自然に惹かれ、移住先として注目されていますが、二拠点生活や移住の状況はどうなっているのでしょうか。移住支援を行っている南房総市役所企画財政課の山口幸弘さんに伺いました。

「住民票で確認できない二拠点生活者の把握は難しいのですが、Uターン、Iターンの移住が増えています。なかでも30、40代のIターンが多い印象です。移住前に登録してもらっている空き家バンク協議会の希望者は昨年の2倍以上。興味のある人は確実に増えていると感じています」

市として、無料でお試し移住ができるトライアルステイを実施。海が見えるエリア、里山エリア、都心から好アクセスなエリアの3地区に分かれて滞在するなかで、南房総市を肌で感じてもらう取り組みです。例えば、農業に関心のある参加者の場合、地域おこし協力隊員が同行し、地元の農家で農作業が体験できます。昨年は20家族を受け入れました。

丘陵エリアにあるヤマナハウス。春を迎えて草木が動き出した里山(写真撮影/片山貴博)

丘陵エリアにあるヤマナハウス。春を迎えて草木が動き出した里山(写真撮影/片山貴博)

移住者を受け入れるなかで、南房総市が課題とするのが、就労と住宅についてです。

「移住するためには仕事が大事ですが、農業は最初に畑整備や農機具をそろえるなどの投資が必要ですし、自然災害のリスクもあります。南房総市は事務職の求人が少ないので、工事関係や介護、配送等に就職する場合が多いようです。場所を選ばず仕事ができるIT系のフリーランスの方など職業によっては、支障のない方もいますが、サラリーマンの方は、理想を描いて移住してきても現実の生活とのギャップを感じてしまう人もいます。市として起業をする人を支援する取り組みをしていますが、なかなか難しい面があります」

住宅については、賃貸アパートが少なく、中古住宅が人気ですが、実際に貸したり売ったりできる物件が少ない現状があります。持ち主の高齢化で片付けができない、家を継いだ人が都心にいて管理できないという問題があるのです。

「高齢化が進む南房総市は住民がお互いに支え合って成り立っています。若い世代には、海岸清掃・生活道路の草取りなどの維持管理等地域の共同作業に参加してほしいです。それは、早くコミュニティに馴染んで、楽しく長く暮らせるコツでもあります。地域の活動に参加する以外には、若い世代は子育て、年配の方は釣りや庭づくりなどの趣味を通じて、地元に溶け込んでいます」

二拠点生活者や移住希望者を受け入れてきたヤマナハウスの現在

南房総市と業務提携して、移住支援に取り組んでいるのが、シェアオフィス運営を手掛けるHAPON新宿の創始者の一人、永森昌志さんです。HAPON新宿では、南房総市と一緒にイベントを行うほか、移住について相談できる「南房総2拠点サロン」やオンラインカフェを運営してきました。
なかでも、二拠点生活者や移住希望者が集まる場となっているのが、南房総市三芳にあるヤマナハウスです。
永森さんが「シェア里山」と呼ぶヤマナハウスは、約3500坪の里山にある古民家を改修し、希望者で古民家改修や畑仕事、裏山の整備などを行う場所。2018年に取材に訪れた際には、週末に年齢も職業もさまざまな人が集まり、田舎暮らしを楽しんでいました。二拠点生活や移住に対する関心が高まるなか、ヤマナハウスはどのような変化をしているのでしょうか。新緑が芽吹き始めた4月はじめのヤマナハウスを訪ねました。

築300年以上のヤマナハウス。都心から訪れた参加者に、里山ツアーや狩猟体験など1泊2日のプログラムが行われた(写真撮影/片山貴博)

築300年以上のヤマナハウス。都心から訪れた参加者に、里山ツアーや狩猟体験など1泊2日のプログラムが行われた(写真撮影/片山貴博)

月数回の寄り合いや、地ビールやジビエを楽しむイベントも(写真撮影/片山貴博)

月数回の寄り合いや、地ビールやジビエを楽しむイベントも(写真撮影/片山貴博)

訪れた時は、希望者にヤマナハウスや周辺の里山を体験してもらう見学ツアーの真っ最中。プログラムには、狩猟の講習会やヤマナハウスの裏にある里山探検、イノシシの解体があり、東京から来た参加者は、バーベキューでヤマナハウスのメンバーとの交流を楽しんでいました。

土間にコンクリートを打ってコミュニケーションスペースに。使っていない梁でつくったロングテーブル。かまどもワークショップで自作(写真撮影/片山貴博)

土間にコンクリートを打ってコミュニケーションスペースに。使っていない梁でつくったロングテーブル。かまどもワークショップで自作(写真撮影/片山貴博)

裏山での狩猟体験で罠を仕掛けるヤマナハウス副代表の沖さん(写真撮影/片山貴博)

裏山での狩猟体験で罠を仕掛けるヤマナハウス副代表の沖さん(写真撮影/片山貴博)

里山の植物や生き物に参加者は興味津々。水辺にはトウキョウサンショウウオの卵も(写真撮影/片山貴博)

里山の植物や生き物に参加者は興味津々。水辺にはトウキョウサンショウウオの卵も(写真撮影/片山貴博)

「2018年の取材時から3年が経ち、問い合わせは3倍以上になりました。週末だけ来ていた人が、都心に部屋を借りたまま、南房総市に移住し、都心へ月に何回か通う逆二拠点生活を始める人も増えてきました。コロナ禍で都心での自由度が減り、ストレス発散やリフレッシュできる田舎暮らしに関心が高まっているのでしょう」

永森さん自身、2007年から東京と南房総市との二拠点生活を経て、移住を経験しています。永森さんが仲間との共同運営でヤマナハウスをスタートしたのは2015年。古民家を遊び場にして仲間とDIYでリノベーションをするうちに、メディアに取り上げられるようになり、問い合わせが来るようになりました。

車座になり、ヤマナハウスや南房総の地域の課題についての講演を受ける参加者(写真撮影/片山貴博)

車座になり、ヤマナハウスや南房総の地域の課題についての講演を受ける参加者(写真撮影/片山貴博)

「私が南房総市に通うようになった当時、二拠点生活という言葉すらなく、情報も支援もありませんでした。田舎暮らしはしたいと思っていても、いきなりひとりで始めるのはハードルが高いと思います。そこで、改修した古民家をシェアして、二拠点生活や移住希望者の拠点をつくろうと考えたのです。家を借りなくても、週末にヤマナハウスに通うことで、二拠点生活や移住の助走期間にしてもらえれば」

さらに、移住へのハードルを下げてもらおうと始めたのが、南房総市に3カ月通いながら、狩猟を学べる「南房総2拠点ハンターズハウス」です。趣味を入り口にして南房総市を知ってもらう取り組みのひとつで、6回の狩猟講座に参加しながら、民宿に30泊できて15万円。募集を開始したところ、10名の定員はあっという間に埋まり、最終的に15名が参加しました。

ヤマナハウスのメンバーによるイノシシの解体。狩猟講座で学び、皮なめしなどのスキルも身につけた(写真撮影/片山貴博)

ヤマナハウスのメンバーによるイノシシの解体。狩猟講座で学び、皮なめしなどのスキルも身につけた(写真撮影/片山貴博)

「自活力、自給自足力をつけ、自分でサバイバルしていきたい欲求が高まっていると感じています。お金で買うのと同等かそれ以上に、自分でつくったものやその過程に価値を置く人が増えているんです」

とはいえ、都心からの参加者が多いこともあり、緊急事態宣言下では、地域での活動に悩んだことがあったといいます。

「地元の方へ自粛した方がよいか相談に行ったのですが、むしろぜひ作業に参加してほしいとお願いをされました。地域は70、80代の高齢者が多く、作業の担い手が不足しています。野山を放置すれば、道が通れなくなったり、田んぼの水路が埋まったりしてしまいます。草刈りなどを行い、とても感謝されました。こういった地元の活動に一人で出るのは気後れしても、ヤマナハウスに参加しながら、自分のペースで出られる時に出る形で無理なく馴染んでいってほしいと思っています」

飲食店の営業許可をとるため改修中のキッチン(写真撮影/片山貴博)

飲食店の営業許可をとるため改修中のキッチン(写真撮影/片山貴博)

見はらしのよい高台にウッドデッキを制作中。デッキの上にゲル(円形テント)を置く予定(写真撮影/片山貴博)

見はらしのよい高台にウッドデッキを制作中。デッキの上にゲル(円形テント)を置く予定(写真撮影/片山貴博)

ハーブ園ではミント、パクチーが元気に育っていた。これから藍染に使う蓼(たで)も栽培する(写真撮影/片山貴博)

ハーブ園ではミント、パクチーが元気に育っていた。これから藍染に使う蓼(たで)も栽培する(写真撮影/片山貴博)

「二拠点生活は、けっこう大変ですよ」と笑顔で話す川鍋さんに、苦労とそれ以上の充実を感じました。二拠点生活や移住対策について、ほかの自治体では模索中のところも多いですが、南房総市のように成功事例もあります。コロナ禍での価値観の変化を経て高まる需要と、受け皿となる市やヤマナハウスの取り組み。川鍋さんのように充実した暮らしを手に入れるための道のりは険しいですが、さまざまな支援をうまく利用することで、最初の一歩を踏み出せそうです。

●関連記事(2018年取材時の記事)デュアルライフ・二拠点生活[1] 南房総に飛び込んで生まれた、新しい人間関係や価値観

●取材協力
HAPON新宿

人気落語家・柳家花緑が二拠点生活をはじめた理由。窓一面に富士山の見えるお気に入りの空間

筆者は落語や歌舞伎が趣味なので、たびたび劇場や寄席を訪れている。好きな落語家の一人が、人間国宝五代目柳家小さんを祖父に持つ「柳家花緑」師匠だ。
YouTubeの「柳家花緑チャンネル」を正月に見ていて、花緑師匠が二拠点生活を始めたことを知った。落語会で全国を飛び回る落語家が二拠点生活とは意外な気がするが、なぜその決断をしたのだろう。

寄席に落語会、全国を飛び回る落語家がなぜ?

人気落語家・柳家花緑が二拠点生活を実践する“デュアラー”になった!

早速取材を申し込んで快諾いただいてから、実現するまでに時間がかかってしまった。新型コロナウイルスの影響だ。それでも、2度目の「緊急事態宣言」解除後、東京の「まん延防止等重点措置」が適用される前に、取材に伺うことができた。

花緑師匠は現在、母親が暮らす目白の実家(師匠で祖父の五代目柳家小さんの家)近くの賃貸住宅を1拠点目とし、静岡県内の富士山の麓に2拠点目を構えている。その2拠点目に取材に伺った。

お宅に入ると、花緑師匠が気さくに迎えてくれた。このシーン、どこかで見たことがあると思ったら、三鷹市の古民家で開催される「井心亭寄席」で見慣れたシーンだと思い当たった。落語会が終わると壁にその日の落語の演目が貼られるのだが、花緑師匠はその横の窓から顔を出して、観客が演目を撮影する際に一緒に写るというサービスをしてくれる。筆者が知る限り、最もフレンドリーな落語家さんだ。

玄関ホール横の壁の穴から取材陣を笑顔で迎える花緑師匠(撮影:片山貴博)

玄関ホール横の壁の穴から取材陣を笑顔で迎える花緑師匠(撮影:片山貴博)

定席の寄席は都内に4カ所(浅草、上野、池袋、新宿)あるが、いずれも都心にある。名前の知られた落語家は全国の落語会にも呼ばれるので、首都圏内や地方への移動が多い。都心部に拠点を構えて移動するのが効率的、というのが一般的な考え方だろう。

「それではなぜ、二拠点居住をするのか?」この疑問を花緑師匠にぶつけてみた。ところが「当初は二拠点の生活を考えていなかった」と、予想に反した答えが返ってきた。

二拠点生活のきっかけ、実は「家を建てたかった」から

花緑師匠は2014年に「無印良品の家」の仕事で、倉敷の無印良品の施工事例を取材した。すると、すっかりその家が気に入ってしまい、「家を建てたい」と思うようになった。それからは、無印良品の家シリーズや他のハウスメーカーの家を見て回り、最終的に倉敷で見た「窓の家」を建てようと決断したという。

「妻にとっては裏切り行為です。10年前に結婚したときには、生涯賃貸で暮らそうねと話し合っていたのに、いきなり家を建てたいと言い出したんですから」と花緑師匠。それほど建てたいと思った家だが、目白で土地を探すと土地代だけで何億にもなる。かといって、狭い土地に小さな家を建てたいわけではない。実家である小さんの家は剣道の道場があるほど広かったので、家は広いものという感覚がある。それに、弟子を10人抱える花緑師匠には、一門が集まれる広い家が必要、という落語家ならではの事情もあった。

インタビュー中の花緑師匠。話が止まらないことでも有名(撮影:片山貴博)

インタビュー中の花緑師匠。話が止まらないことでも有名(撮影:片山貴博)

解決策が見いだせないまま、5年ほどたった。そんなときに、花緑師匠は、以前から関心のあったスピリチュアルで世界的に有名な方に相談する機会を得た。将来の家について「建っているのは、木々が多いところ。人はあまり通らない。都心へのアクセスはよい」というサジェスチョンを聞いて、「都心にこだわらなくてよいのだ」と気づいたという。

となると、どこに家を建てるか。思いついたのが、自身のTwitterに写真を何枚もアップするほど「富士山が好きだ」ということ。飲む水も、富士山の水を選んでいた。そんなときに静岡県の落語会で、富士山の麓には湧き水が豊富にあると聞いた。水道水が富士山の地下水という自治体もあるほどだという。花緑師匠は俄然、富士山の麓に興味を持ち、静岡県に住む知人にあちこち案内してもらったりした。そして今の場所にたどり着いたのだ。

家のテラスからは美しい富士山が見える(写真提供/柳家花緑師匠)

家のテラスからは美しい富士山が見える(写真提供/柳家花緑師匠)

二拠点居住に、初め妻は反対だった

妻の承諾は得られたのだろうか?「私は、実際に設計図ができるまで、反対していました」と花緑師匠の妻。それまでの花緑師匠は、「休みの日があると罪悪感にかられる」ほどワーカーホリックだった。休みもないのに、離れた場所に家を建てて、実際に行く機会があるのかと懸念したからだ。

ほかにも心配の種はあった。東京で生まれ育った花緑師匠に、田舎暮らしができるのか。行き来するための移動手段はどうするのか。妻は生活に根差したことを考えて、安易に賛成できなかったが、設計図ができた段階で、諦めて腹をくくったという。

花緑師匠も初めは、東京と同じ暮らしをイメージしていたので、駅からバスで行けばいいと思っていた。しかし、妻の心配を聞き、買い物のことなどを考えるとそうもいかないと思い直し、ペーパードライバー教習を受けるなどして車の運転をするようになった。

そして念願の家は2019年に竣工し、ようやく二拠点生活を始めることになったのだが、そこへ新型コロナウイルスが襲撃した。

花緑師匠の担当マネージャーは「コロナ禍だからこそ、二拠点生活ができてよかったと思います」と語る。最初の緊急事態宣言では、寄席や落語会がほぼ中止になった。今も以前より落語会が開かれる数は減っている。仕事が激減して精神的につらい時期に、東京から離れて豊かな自然の中で生活できたことが、心身ともによかったというのだ。しかも、コロナ禍だからこそ、時間をかけて2拠点目の新生活をスタートさせることができた。妻の懸念は、幸いにも解消されることになった。

大好きな空間で寛ぎ、庭仕事に勤しむ

では、富士山の麓で、花緑師匠はどんな暮らしをしているのだろう。
まずは、好きな空間をつくった。以前からあった家具に加え、“TRUCK FURNITURE”の家具などを新たに買いそろえて、ダイニング、リビング、2階の書斎とお気に入りの空間をつくっていった。

お気に入りの場所の一つ、2階から見たリビング。上部が吹抜けなので開放感がある。テーブルとブーメランチェア、オットマンなどをTRUCK FURNITUREで新たに購入した(撮影:片山貴博)

お気に入りの場所の一つ、2階から見たリビング。上部が吹抜けなので開放感がある。テーブルとブーメランチェア、オットマンなどをTRUCK FURNITUREで新たに購入した(撮影:片山貴博)

庭の手入れにも目覚めた。隣家に芝刈り機を借りるなど、庭を通じて近居づきあいも始まった。周囲に温泉が多いので、行きつけの温泉もできた。買い物は、JA(農業協同組合)の野菜市場で新鮮な野菜が安く買えるし、スーパーマーケットやホームセンターも大型な店舗があり、かえって東京より品ぞろえが豊富だという。

「普段の生活は東京とあまり変わりません。東京でも静岡でも落語の稽古をしますが、ここなら隣家と離れているので、夜に大声で稽古ができるくらいの違いです」。ただし、「余暇は一変しました。東京では、演劇や映画を見に行ったりしていましたが、ここでは自然を楽しんでいます」と花緑師匠。

二拠点生活には課題もあるが、窓の中の富士山には代えられない

敢えてデメリットを挙げるとしたら、どんなことかを聞いた。

ひとつは「田舎暮らしには、自然と付き合う必要があること」。東京に行っている間に蛾が大量発生して、庭の芝が枯れてしまったこともあった。また、虫がいると鳥がそれを食べにきて、その鳥を蛇が食べにくるといった食物連鎖で、庭の木に蛇が現れたこともあった。一方で、小鳥を餌付けできる楽しみもあり、ヒマワリの種を置いておくと小鳥が食べにくるそうだ。

庭の木に設置した小鳥の餌台。下に吊るしているのはライト入りのランタン(撮影:片山貴博)

庭の木に設置した小鳥の餌台。下に吊るしているのはライト入りのランタン(撮影:片山貴博)

また「地元のご近所付き合いも課題」だという。ごみの捨て方が違っていて、家までゴミ袋を返されたこともあったが、それが縁で仲良くなった。花緑師匠は妻がそうした付き合いが上手だというが、妻は静岡の人はフレンドリーだから付き合いやすいのだという。

ほかに、経済的な課題もある。浅草演芸場で10日間のトリ(寄席の目玉として最後に高座に上がる落語家)を取ったときに、毎日静岡から通ったら交通費だけでかなりかかったそうだ。また、目白の拠点を以前の半分程度の広さの賃貸住宅に住み替えてもいる。「要するに、何にお金を掛けるかのバランスが課題です」と花緑師匠。

最後に、花緑師匠が最も気に入っている空間を紹介しよう。2階の書斎には、無印良品の「窓の家」の特徴である、壁と一体化した窓がある。風景を絵画のように切り取る窓に目を向けると、そこには我が家だけの富士山がある。その富士山は、季節や時間、天気によって刻々と姿を変える。いつ見ても飽きることがないその姿に、花緑師匠は魅了されているという。

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上:コンランのソファに座る花緑師匠がお気に入りの空間。この日は曇っていたので富士山が顔を見せてくれなかった(撮影:片山貴博)。下:天気が良い日に撮影した写真を花緑師匠に提供してもらった

上:コンランのソファに座る花緑師匠がお気に入りの空間。この日は曇っていたので富士山が顔を見せてくれなかった(撮影:片山貴博)。下:天気が良い日に撮影した写真を花緑師匠に提供してもらった

2階の書斎横には大きなテラスがあり、テラスからも大きな富士山が見える。気候によっては屋外テラスで富士山を眺めることもあるという。

実は、天気予報を見ながら取材日を決めたのだが、残念ながらこの日は一日中曇りで、富士山が雲に隠れていた。いつもはこんな風に見えると、花緑師匠がiPadで撮影した写真を見せてくれた。花緑師匠によると「東京からお客様が来ると、いつも富士山が見えないんです。地元の知人が来るときはきれいに見えるんですけど」。どうやら、柳家花緑宅の富士山は、人見知りのようだ。

東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング発表!選ばれる場所のポイントは「身近さ」と「住むイメージのつきやすさ」

リクルート住まいカンパニーが「移住」「二拠点居住」に焦点を当てて、その大票田となる東京都在住者に対して、どのエリアに拠点を持ちたいかを聞いた。票を集めたエリアをランキングした結果、意外に近いエリアがトップになった。詳しく見ていこう。【今週の住活トピック】
「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」を公表/リクルート住まいカンパニー【東京都】八王子・奥多摩エリア と【神奈川県】鎌倉・三浦エリアが2トップ

東京一極集中が指摘されるなか、新型コロナウイルスの影響で東京都からの転出超過が続いている。また、働き方の変革が急速に進み、テレワークを導入する企業が増えたことで、地方への「移住」や都心と地方の二地域に拠点を持って行き来する「二拠点居住」がしやすくなり、いま注目が集まっている。

リクルート住まいカンパニーの調査では、東京駅から50km以上離れたエリアを「地方」と定義して、東京都在住の20代~60代に居住したいエリアを聞き、希望する順位に応じた得点を算出して、ランキングした。その結果は次のようになった。

「移住したい」エリアランキング 上位10

「二拠点居住したい」エリアランキング 上位10

「移住したい」「二拠点居住したい」エリアランキング 上位10(出典:リクルート住まいカンパニー「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」より転載)

「移住したい」「二拠点居住したい」ランキングでは、順位は異なるが、「【東京都】八王子・奥多摩エリア」 と「【神奈川県】鎌倉・三浦エリア」が1位と2位になった。いずれも首都圏のエリアだ。

3位以降は顔ぶれが少し変わり、「移住したい」ランキングでは、3位「【北海道】石狩エリア」、4位「【沖縄県】離島・諸島エリア」 、5位「【福岡県】福岡エリア」といずれも東京から離れたエリアとなった。

一方、「二拠点居住したい」ランキングでは、3位「【神奈川県】湘南エリア」、4位「【静岡県】伊豆エリア」と東京から行き来しやすい距離のエリアが続き 、5位の「【沖縄県】那覇エリア」以降に遠方のエリアが入る結果となった。移住と違って、二拠点居住のほうが東京と行き来する頻度が多くなるからだろう。

さて、移住支援などを行っている「ふるさと回帰支援センター」への窓口相談者が選んだ移住希望地ランキング(2021年3月5日公表)では、「1位:静岡県 2位:山梨県 3位:長野県」となっている。調査対象者が同センターを訪れて相談をした人なので、積極的に情報提供や窓口相談を行っている自治体が上位に挙がる傾向がある。

そのため、リクルート住まいカンパニーの調査と結果に違いはあるが、リクルート住まいカンパニーの調査でも、静岡県の伊豆エリアの人気が高いことに加え、「移住したい」ランキングで18位~20位は長野県のエリアが占め、「二拠点居住したい」ランキングで7位と18位に長野県と山梨県のエリアが入るなど、その人気ぶりがうかがえる。

都民に身近な八王子・奥多摩エリアが人気なのはなぜ?

さて、筆者は東京生まれ・東京育ちのバリバリの東京都民だ。「都民の日」の10月1日は全国どこでも学校が休みだと思っていて、大学に入学して休みじゃないことに驚いたほどだ(小中高が公立だったので休みなだけだった)。そんな筆者にとって「八王子・奥多摩エリア」は、通勤圏の範囲でもあり、遠足やキャンプに行く場所でもある。そんな身近な場所が、移住や二拠点居住の場所として上位になるのはなぜか、筆者は疑問に思った。

この疑問をSUUMO副編集長の笠松美香さんにぶつけたところ、その謎が解明された。
SUUMOでは、2019年のトレンド予測キーワードとして「デュアラー=デュアルライフ(二拠点生活)を楽しむ人」を挙げた。この際の調査で、全国を対象に二拠点居住したい場所を選んでもらったところ、おおむね6割~7割が自分の住む都道府県を挙げた。この結果を笠松さんは、「近くて愛着があり、イメージしやすい場所に二拠点目を持って行き来したいというニーズが強いのではないか」と分析したという。

また、今回の調査では、「地方移住または二拠点居住を検討している・強い関心がある」層と「関心あり」層が対象になるように調査対象者を絞っているため、なんとなくというより、具体的に移住先や二拠点目を考えてエリアを選択した人が多いという背景もある。

その結果、住むイメージがつきやすいエリア、家族が住んでいたりレジャーなどで何度も行ったりしたエリアが上位に挙がったというのだ。「八王子・奥多摩エリア」や「鎌倉・三浦エリア」、「湘南エリア」、「伊豆エリア」はまさにそうしたエリアなのだろう。

ほかにも、遠方でありながら、札幌を擁する「【北海道】 石狩エリア」や「【福岡県】 福岡エリア」などの地方の大都市や、「【沖縄県】 離島・諸島エリア」などの人気リゾートエリアが上位に入るのも理解できる結果だ。

レーダーチャートで分かる、エリアが人気な理由

さて、調査では地図を示すなどして具体的な自治体名を挙げているが、「八王子・多摩エリア」に含まれるのは「八王子市、青梅市、あきる野市、日の出町、奥多摩町、檜原村」だ。またリリースでは上位エリアのレーダーチャートを紹介している。これを見ると、そのエリアがどう見られたかがよく分かる。

「八王子・多摩エリア」では、車の移動がしやすく、住居費が安いこと、子育て環境が良いことが高く評価されている。高尾山や秋川渓谷、奥多摩湖などの豊かな自然が評価を上げる要因のようだ。都心部に行きやすい点も安心材料になっているのではないか。

【東京都】八王子・奥多摩エリア(八王子市、青梅市、あきる野市、日の出町、奥多摩町、檜原村)(出典:リクルート住まいカンパニー「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」より転載)

【東京都】八王子・奥多摩エリア(八王子市、青梅市、あきる野市、日の出町、奥多摩町、檜原村)(出典:リクルート住まいカンパニー「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」より転載)

一方、古都鎌倉や海のイメージが強い「鎌倉・三浦エリア」のレーダーチャートを見ると、「エリア内に賑わいがある街がある」点が特出して高い。エリアのイメージの良さや街に個性があることが人気を集めた要因だ。

【神奈川県】鎌倉・三浦エリア(鎌倉市、逗子市、横須賀市、三浦市、葉山町)(出典:リクルート住まいカンパニー「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」より転載)

【神奈川県】鎌倉・三浦エリア(鎌倉市、逗子市、横須賀市、三浦市、葉山町)(出典:リクルート住まいカンパニー「東京都民が移住・二拠点居住したいエリアランキング調査」より転載)

さらに、「【沖縄県】 離島・諸島エリア」では、自然の豊かさが高く評価され、「【北海道】 石狩エリア(札幌市、江別市、千歳市、恵庭市、北広島市、石狩市、当別町、新篠津村)」では、医療施設の充実と食べ物がおいしいことなどが、「【静岡県】 伊豆エリア」では、気候の穏やかさやエリアの発展性などが、それぞれ高く評価されている。

60代の1位は「【静岡県】伊豆エリア」。リタイア後にはリゾート地が人気

次に、回答者の年代による違いを見ていこう。

20代、30代、40代、50代が「移住・二拠点居住したいエリアランキング」で1位と2位に「【東京都】八王子・奥多摩エリア」 と「【神奈川県】鎌倉・三浦エリア」を挙げたのに対して、60代では「【静岡県】伊豆エリア」、2位「【神奈川県】鎌倉・三浦エリア」、3位「【神奈川県】箱根・足柄エリア」と、静岡県・神奈川県のリゾート・温泉地が上位を占めた。リタイア後の生活を想定して選んだ場合、八王子・奥多摩ほど近くなくていいが、東京近郊でリラックスできる場所を選んだということだろう。

さて、笠松副編集長は、移住・二拠点居住の「子育て環境が良いから」ランキングにも注目していた。1位「【栃木県】宇都宮エリア」、2位「【香川県】高松エリア」など、適度に都市圏で生活と教育環境のバランスが取れている街が上位になったと言う。テレワークの普及で親たちの働く場所の自由度は広がったが、次は子どもの学ぶ場所の自由度が広がることを期待したい。

二拠点生活で小・中学校はどうする? コロナ禍で高まるニーズ受けて

コロナで2回目の緊急事態宣言が発令されて始まった2021年。今回は休校や休園などの事態は免れたものの、テレワークなどの新しい生活様式の推奨に伴って、郊外への引越しや地方移住、二拠点生活を検討する人が増えていると言います。

2019年から二拠点生活を始めて2年、小学校・中学校への進学を控える子ども2人を持つ筆者が、改めて二拠点生活の「学校どうするか」問題について考えます。

コロナで地方移住や二拠点生活の志向が高まっている!?

1月29日、総務省が2020年の住民基本台帳に基づく人口移動報告を発表し、東京都からの転出者が全国で唯一増加となったことが話題になりました。転出先は神奈川・埼玉・千葉の近隣3県が55%を占めることに。コロナの影響でリモートワークが普及し、都心から通勤圏内の郊外へ移り住む流れが進んでいると言われます。

また、リクルート住まいカンパニーが発表した調査でも同様の傾向が見られます。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を2020年1月と8月で比較した伸び率をランキングすると、伸び率1位となったのは中古マンションでは神奈川県三浦市、中古一戸建てでは千葉県富津市でした。さらにいずれもトップ5は都心から100キロメートル圏内の郊外エリアだったのです。2拠点生活意向者も2018年11月と比べ、2020年7月時点では13.4ポイント増加し、二拠点生活を志向する人が約2倍に増えていることを示しています。

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

二拠点生活をするとき、学校の選択肢は?

これまで二拠点生活の実現を阻むと言われてきた二大要素が「仕事」と「子どもの就学」でした。そのうち、「仕事」については、WEB会議システムをはじめとしたテレワーク化の流れによって、地方に住みながら今の仕事を続けられるかも、と二拠点生活をイメージできる人が増えたのではないでしょうか。

そして、もう一つの困難が「子どもの就学」問題です。二拠点生活をするときの通学形態には、いくつかの選択肢があります。公立の小・中学校に通学する場合、大体次の3つに分けられるでしょう。

1)いずれか主となる住所地に住民票と学籍を置き、その学校にのみ通学する
・現在の学校に引き続き通学
・転校する(親子留学制度などを利用する場合も含む)

2)デュアルスクール制度のある自治体(徳島県、長野県塩尻市、秋田県など)で区域外就学制度(後述)を活用し、都心部に住民票と学籍を置いたまま、地方の学校にも通学する

3)主となる住所地に住民票と学籍を置き、別拠点に滞在中はフリースクールや家庭教師など任意の教育で補う

山梨県や長野県に移住した友人からは、それらの県の一部地域で募集されている「親子留学」制度が、コロナによって問い合わせが増えていると聞きます。この親子留学制度も上の1)の住民票と学籍を移す形になります。

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

「区域外就学制度」が使える? 自治体や教育委員会に問い合わせてみた!

古くから各地方自治体には「区域外就学」の制度があります。これは具体的な事情が相当と認められる場合に、住民票と学籍のない自治体の公立学校に通うことが可能となる制度です。

実は、地方移住や二拠点生活などのニーズを反映し、2017年7月に文部科学省からこの区域外通学に関する通達が出されました。この通達には、「相当と認めるとき」に「地方への一時的な移住や二地域に居住するといった理由」も含まれることが記載されています。二拠点でこの制度を活用することに文科省のお墨付きを得ている、とも言えるこの通達ですが、文部科学省教育制度改革室の松岡将さんによると「実際の運用と認められるかどうかの判断は、各地方自治体の教育委員会の判断に委ねられている」と言います。

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

そこで、筆者は現在、東京の拠点である品川区と住民票を置いている佐賀県佐賀市にこの制度が活用できるかを尋ねてみることにしました! それぞれの自治体のホームページには、学期の途中で転出した場合などに加え、「その他教育委員会が特に必要と認めた場合」に区域外就学制度を利用できる旨の記載があります。

「コロナ」という“特別な事情”が、加味される可能性も

ところが、実際に各自治体に相談してみると、筆者のように1回あたり数日~1週間程度の滞在では申請が認められることは難しく、一つの目安として「一定期間(2~3週間程度)以上、居住していること」が必要であることが判明しました。

また、自治体によっては、主に海外赴任で一時的に帰国している場合などに、住民票がなくとも一定期間居住していることを条件に「体験入学」できる制度を設けているところもあります。この制度を活用する場合においても、居住期間2~3週間以上の場合の申請が一般的ということでした。

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

ただ、品川区学務課の篠田英夫さんによると「コロナによって区内に住む人から、地方の祖父母宅など一時的に他のエリアで子どもを通学させることができないか、といった相談が出てきている」といいます。

「『コロナのような特別な事情』があれば、受け入れ側の自治体との調整によっては可能になる場合もあるかもしれません。個別事情によって判断することになるので、詳細は各自治体や教育委員会などの窓口に相談してほしいと思います」(篠田さん)

意外と「デュアルスクール」を望んでいない子どもも!?

子ども2人がそれぞれ小学校、中学校に進学するのにともない、筆者の中では改めて“学校どうしよう”問題が湧き上がりました。特に1カ月に1~2回、3~7日ほどの東京・佐賀の行き来が日常になっていた長男には、区域外就学制度が活用できたらよかったのにな……という思いも拭えません。

ところが、いざ息子にその話をしてみると「小学校は佐賀だけでいい。2つも学校行くのは面倒だから」と言います。中学校に進学する長女に聞いても同様の返答です。

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

実は、私たちの二拠点生活も最初から全てが順調だったわけではなく、佐賀に引越して最初の半年ほどの間は、よく保育園の園長先生から長男の様子について話がありました。息子が移動中のバスの中でお友達を叩いたり、体操の時間にみんなで走っているときに前の子を押したりすることが頻発したのです。

園長先生から聞いたのは息子が「怒っているように見える。お母さんが仕事で東京に行って不在のときは、特にイライラしている様子」だということ。半年ほど経って息子の様子が落ち着いてきたことを園長先生と話したとき、「生活に慣れて、いつもの安心できる環境になったんでしょうね」と言われて、気付かされた思いでした。子どもにとっては“いつもの安心できる環境”が第一なのだな、と。

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

国も自治体も、そして親も「子どもの教育環境」を第一に

松岡さんに話を聞いたときにも印象的だったのは「子どもの教育環境が大切」という言葉が繰り返し使われたことです。また、篠田さんは「学級運営や他の子どもたちの学習環境にも影響するので、区域外就学も安易には認められない」と言っていました。

親としては生活の選択肢を増やす意味で、また子どもの将来にとって良かれと思って、二拠点生活に活用できる就学制度があれば、と思わずにいられません。実際、都会育ちの子どもが、デュアルスクールを体験し、かけがえのない経験や、自分の居場所はどこにでもつくれるという強い自信を得た、といった素晴らしい話も聞きます。一方で、二拠点生活を考える際に子どもの学校をどうするのか、本当に子どもにとって2つの学校に通うことが必要なのかどうかは、それぞれの家庭の事情にあわせて慎重に検討する必要があると感じました。

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

二拠点生活を始めた当時、小学4年生だった長女が転校して現在の小学校にすんなり馴染めたのも、既に顔見知りの同級生がいたことが大きいと思っています。実は、娘は東京・品川区の小学校に入学した6歳のころから4年間、毎年冬休みには佐賀の祖父母宅に一人で2週間ほど滞在し、現在の住まいの近所に住む子どもたちと一緒に遊んできたのです。

デュアルスクール制度、区域外就学制度、体験入学制度、親子留学制度など、二拠点生活の広まりに応じて活用できそうな就学制度が出てきました。また、コロナの今だからこそ、活用できる可能性もありそうです。

“子どもの教育環境”という簡単には答えの出ない問題だからこそ、まずは親子で休暇を利用して一時的に滞在してみる、「子連れワーケーション」を実践してみるなど、“試しに”から始めて子どもの様子を見るのも一手かもしれませんね。

●取材協力
・文部科学省
・東京都品川区
・佐賀県佐賀市

二拠点生活で小・中学校はどうする? コロナ禍で高まるニーズ受けて

コロナで2回目の緊急事態宣言が発令されて始まった2021年。今回は休校や休園などの事態は免れたものの、テレワークなどの新しい生活様式の推奨に伴って、郊外への引越しや地方移住、二拠点生活を検討する人が増えていると言います。

2019年から二拠点生活を始めて2年、小学校・中学校への進学を控える子ども2人を持つ筆者が、改めて二拠点生活の「学校どうするか」問題について考えます。

コロナで地方移住や二拠点生活の志向が高まっている!?

1月29日、総務省が2020年の住民基本台帳に基づく人口移動報告を発表し、東京都からの転出者が全国で唯一増加となったことが話題になりました。転出先は神奈川・埼玉・千葉の近隣3県が55%を占めることに。コロナの影響でリモートワークが普及し、都心から通勤圏内の郊外へ移り住む流れが進んでいると言われます。

また、リクルート住まいカンパニーが発表した調査でも同様の傾向が見られます。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を2020年1月と8月で比較した伸び率をランキングすると、伸び率1位となったのは中古マンションでは神奈川県三浦市、中古一戸建てでは千葉県富津市でした。さらにいずれもトップ5は都心から100キロメートル圏内の郊外エリアだったのです。2拠点生活意向者も2018年11月と比べ、2020年7月時点では13.4ポイント増加し、二拠点生活を志向する人が約2倍に増えていることを示しています。

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

『デュアルライフ(2拠点生活)に関する意識・実態調査』と2020年7月実施調査の比較(左)。『SUUMO』の物件詳細閲覧数を、2020年1月と8月で比較した際の伸び率をランキング化。赤が中古マンション 青が中古一戸建て(右)(資料/SUUMO編集部)

二拠点生活をするとき、学校の選択肢は?

これまで二拠点生活の実現を阻むと言われてきた二大要素が「仕事」と「子どもの就学」でした。そのうち、「仕事」については、WEB会議システムをはじめとしたテレワーク化の流れによって、地方に住みながら今の仕事を続けられるかも、と二拠点生活をイメージできる人が増えたのではないでしょうか。

そして、もう一つの困難が「子どもの就学」問題です。二拠点生活をするときの通学形態には、いくつかの選択肢があります。公立の小・中学校に通学する場合、大体次の3つに分けられるでしょう。

1)いずれか主となる住所地に住民票と学籍を置き、その学校にのみ通学する
・現在の学校に引き続き通学
・転校する(親子留学制度などを利用する場合も含む)

2)デュアルスクール制度のある自治体(徳島県、長野県塩尻市、秋田県など)で区域外就学制度(後述)を活用し、都心部に住民票と学籍を置いたまま、地方の学校にも通学する

3)主となる住所地に住民票と学籍を置き、別拠点に滞在中はフリースクールや家庭教師など任意の教育で補う

山梨県や長野県に移住した友人からは、それらの県の一部地域で募集されている「親子留学」制度が、コロナによって問い合わせが増えていると聞きます。この親子留学制度も上の1)の住民票と学籍を移す形になります。

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

テレワーク普及の影響か、親子留学制度を活用しようと考える人も増えている様子(写真/PIXTA)

「区域外就学制度」が使える? 自治体や教育委員会に問い合わせてみた!

古くから各地方自治体には「区域外就学」の制度があります。これは具体的な事情が相当と認められる場合に、住民票と学籍のない自治体の公立学校に通うことが可能となる制度です。

実は、地方移住や二拠点生活などのニーズを反映し、2017年7月に文部科学省からこの区域外通学に関する通達が出されました。この通達には、「相当と認めるとき」に「地方への一時的な移住や二地域に居住するといった理由」も含まれることが記載されています。二拠点でこの制度を活用することに文科省のお墨付きを得ている、とも言えるこの通達ですが、文部科学省教育制度改革室の松岡将さんによると「実際の運用と認められるかどうかの判断は、各地方自治体の教育委員会の判断に委ねられている」と言います。

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

2017年7月に各都道府県・指定都市の教育委員会就学事務担当課長宛に通知された「地方移住等に伴う区域外就学制度の活用について」(画像/文部科学省)

そこで、筆者は現在、東京の拠点である品川区と住民票を置いている佐賀県佐賀市にこの制度が活用できるかを尋ねてみることにしました! それぞれの自治体のホームページには、学期の途中で転出した場合などに加え、「その他教育委員会が特に必要と認めた場合」に区域外就学制度を利用できる旨の記載があります。

「コロナ」という“特別な事情”が、加味される可能性も

ところが、実際に各自治体に相談してみると、筆者のように1回あたり数日~1週間程度の滞在では申請が認められることは難しく、一つの目安として「一定期間(2~3週間程度)以上、居住していること」が必要であることが判明しました。

また、自治体によっては、主に海外赴任で一時的に帰国している場合などに、住民票がなくとも一定期間居住していることを条件に「体験入学」できる制度を設けているところもあります。この制度を活用する場合においても、居住期間2~3週間以上の場合の申請が一般的ということでした。

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

自治体によっては、海外からの一時帰国者を主な対象に「体験入学」制度を設けているところも(写真/PIXTA)

ただ、品川区学務課の篠田英夫さんによると「コロナによって区内に住む人から、地方の祖父母宅など一時的に他のエリアで子どもを通学させることができないか、といった相談が出てきている」といいます。

「『コロナのような特別な事情』があれば、受け入れ側の自治体との調整によっては可能になる場合もあるかもしれません。個別事情によって判断することになるので、詳細は各自治体や教育委員会などの窓口に相談してほしいと思います」(篠田さん)

意外と「デュアルスクール」を望んでいない子どもも!?

子ども2人がそれぞれ小学校、中学校に進学するのにともない、筆者の中では改めて“学校どうしよう”問題が湧き上がりました。特に1カ月に1~2回、3~7日ほどの東京・佐賀の行き来が日常になっていた長男には、区域外就学制度が活用できたらよかったのにな……という思いも拭えません。

ところが、いざ息子にその話をしてみると「小学校は佐賀だけでいい。2つも学校行くのは面倒だから」と言います。中学校に進学する長女に聞いても同様の返答です。

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

リビングで宿題をする小学6年生の長女。佐賀市の指定区域内の中学校への進学を希望している(撮影/唐松奈津子)

実は、私たちの二拠点生活も最初から全てが順調だったわけではなく、佐賀に引越して最初の半年ほどの間は、よく保育園の園長先生から長男の様子について話がありました。息子が移動中のバスの中でお友達を叩いたり、体操の時間にみんなで走っているときに前の子を押したりすることが頻発したのです。

園長先生から聞いたのは息子が「怒っているように見える。お母さんが仕事で東京に行って不在のときは、特にイライラしている様子」だということ。半年ほど経って息子の様子が落ち着いてきたことを園長先生と話したとき、「生活に慣れて、いつもの安心できる環境になったんでしょうね」と言われて、気付かされた思いでした。子どもにとっては“いつもの安心できる環境”が第一なのだな、と。

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

4月から小学校に進学する長男。佐賀でお気に入りの場所の一つ、佐賀県立図書館と併設する「こころざしの森」にて(撮影/唐松奈津子)

国も自治体も、そして親も「子どもの教育環境」を第一に

松岡さんに話を聞いたときにも印象的だったのは「子どもの教育環境が大切」という言葉が繰り返し使われたことです。また、篠田さんは「学級運営や他の子どもたちの学習環境にも影響するので、区域外就学も安易には認められない」と言っていました。

親としては生活の選択肢を増やす意味で、また子どもの将来にとって良かれと思って、二拠点生活に活用できる就学制度があれば、と思わずにいられません。実際、都会育ちの子どもが、デュアルスクールを体験し、かけがえのない経験や、自分の居場所はどこにでもつくれるという強い自信を得た、といった素晴らしい話も聞きます。一方で、二拠点生活を考える際に子どもの学校をどうするのか、本当に子どもにとって2つの学校に通うことが必要なのかどうかは、それぞれの家庭の事情にあわせて慎重に検討する必要があると感じました。

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

有明海の干潟でカニ探しをして遊ぶ長男。子どもに自然体験を増やしたいと考える人も多いだろう(撮影/酒井皓司)

二拠点生活を始めた当時、小学4年生だった長女が転校して現在の小学校にすんなり馴染めたのも、既に顔見知りの同級生がいたことが大きいと思っています。実は、娘は東京・品川区の小学校に入学した6歳のころから4年間、毎年冬休みには佐賀の祖父母宅に一人で2週間ほど滞在し、現在の住まいの近所に住む子どもたちと一緒に遊んできたのです。

デュアルスクール制度、区域外就学制度、体験入学制度、親子留学制度など、二拠点生活の広まりに応じて活用できそうな就学制度が出てきました。また、コロナの今だからこそ、活用できる可能性もありそうです。

“子どもの教育環境”という簡単には答えの出ない問題だからこそ、まずは親子で休暇を利用して一時的に滞在してみる、「子連れワーケーション」を実践してみるなど、“試しに”から始めて子どもの様子を見るのも一手かもしれませんね。

●取材協力
・文部科学省
・東京都品川区
・佐賀県佐賀市

多拠点生活ブームで賃貸物件が変わる? 家賃を下げられるものも

二拠点生活、多拠点生活への需要が高まっていますが、多くの人が家賃に頭を悩ませています。そんななか、新しい働き方・暮らし方に合った画期的な賃貸サービスが続々と登場しています。傾向と詳細、そして多拠点生活をする上での注意点をハウスメイトマネジメントの伊部尚子さんと太平洋不動産の宮戸淳さんに伺いました。
テレワークの普及で、多拠点生活の需要が高まっている!

2020年は、コロナ禍を背景にテレワークの普及が加速しました。全国平均で48.0%、東京では71.1%の人がテレワークを経験しています。そのうち66.1%は「良かった」と答え、8割以上の人が今後も継続したいと前向きに捉えています(2020年「リクルートキャリア」「リクルート住まいカンパニー」調べ)。働く場所の選択肢が増えたことで、暮らし方も変化しています。そのひとつが、二拠点・多拠点で生活をするスタイル。長引く緊急事態宣言下で、やや動きは停滞しているものの、これからの暮らし方として注目が集まっています。

神奈川県の二宮・大磯エリアで賃貸物件を扱う宮戸さんも、その流れを感じているそうです。コロナ禍以降の問い合わせが増え、同エリアでは一戸建ての賃貸物件が不足している状況と言います。特に人気が高いのが、見晴らしのいい開放感のあるマンションや一軒家。都内の2LDKと同じ家賃で借りられることも魅力的に映っているようです。

「海が好きで釣りやサーフィンを楽しみたい人、車が好きでガレージがほしい人やガーデニングがしたくて庭付きを希望する人が多いです」と宮戸さん。伊部さんも「田舎をセカンドハウスとして、利便性のいい都心部に拠点を残しつつ、週末だけ環境のいい郊外で過ごす方もいます」と続けます。

「都心から移ってきた人がよかった点として上げるのは、地域のコミュニティや自然環境の良さです。都会で物を所有するのではなく、田舎での体験に価値を置く人が増えていると感じています」(宮戸さん)
太平洋不動産を訪れる多拠点生活希望者の多くは、比較的仕事の自由度が高いフリーランスの人、独身やご夫婦が多いそうです。

神奈川県二宮の庭付きアパート。駅近ながら自然豊かな環境(画像提供/太平洋不動産)

神奈川県二宮の庭付きアパート。駅近ながら自然豊かな環境(画像提供/太平洋不動産)

海を見渡せるマンション。海までの距離は徒歩わずか1分(画像提供/太平洋不動産)

海を見渡せるマンション。海までの距離は徒歩わずか1分(画像提供/太平洋不動産)

「ここがモヤモヤ……」多拠点生活の問題点

一見、多拠点生活はとても豊かな暮らしを送れそうな印象を受けますが、注意しなければいけない点もあります。実際に多拠点生活者から挙がった声、トラブルをもとに紹介します。

・家賃・光熱費が余分にかかる
・家具や家電が両方の拠点で必要になる
・食材を腐らせないよう管理が大変
・回収日によっては、ゴミが捨てられない
・コロナ下での移動のリスク
・ご近所との関係構築、住まいの管理が難しい
・転貸という違法行為をしてしまう人が出てきている

一戸建ての場合、庭の草が管理できず伸び放題になってしまったり、地域の組や班の当番ができなかったり、近隣とうまくいかなくなるケースもあります。なかには、家賃を少しでも浮かそうと「転貸」という契約者以外に賃貸に住まわせる違法な行為をしてしまう人も。「転貸が問題なのは、契約者以外が住んでいるため、生活する上での注意などが正しく伝わらず近隣トラブルになりやすいのです。さらに、火災保険は被保険者である契約者がおこした火事にしか適用されないため、家財を守ることができません。オーナーの建物に対する賠償責任も補償されませんし、もし集合住宅であれば他の入居者に対する賠償責任も補償されないことになります。オーナー・契約者両方にとって、大変リスクのある行為なのです」(伊部さん)

防火上の観点から荷物を玄関前に置かないなど長期不在ならではの注意点も(PIXTA)

防火上の観点から荷物を玄関前に置かないなど長期不在ならではの注意点も(PIXTA)

多拠点生活の需要に、課題や問題の解決策がまだまだ追いついていないのが現状です。それでも、新しい暮らしに寄り添った賃貸サービスも登場し、少しずつ時代の変化に対応していっています。

働き方・暮らし方の変化に対応! 新しい賃貸サービスとは?

2018年に相次いで提供が開始された「ADDress」「Hafh」などの全国のゲストハウスやシェアハウス等に定額制で泊まり放題・住み放題になるサブスプリクション型住居サービスは、全国の拠点で住み放題になるうえ、家賃の負担を抑えられると注目を集めました。

今回は、サブスク以外の選択肢として、「unito」「TNER」の事例をご紹介します。

外泊するほど安く住める「リレント型賃貸」unito

東京都千代田区に拠点があるUnitoが提供する賃貸サービス「unito(ユニット)」は、「リレント」という方法を採用。居住者が家に帰らない日に、宿泊者に部屋をホテルとして貸すことで、家賃を下げられる仕組みです。例えば、1カ月の基本料金が8万6000円の家賃の部屋では、家にいない日数が月に10日間あった場合、2万円が割り引かれ、実際の家賃は6万6000円になります。

手続きは、アプリでリレントの申請をし、鍵付きのロッカーに自分の荷物を収納するだけ。リレントの申請をすれば、短期利用者が利用しない場合も割引が受けられます。家をシェアしている間に短期利用者により備品の破損があった場合の保障もされ、宿泊後には部屋のクリーニングをしてもらえます。敷金・礼金、水道・光熱費、退去費用がかからず、多拠点生活がしたいと思い立ったら即開始できるメリットも。「unitoCHIYODA」、「unitoEbisu」の2拠点のほか、「WISE OWL HOSTELS」などホテルや民泊の宿泊施設と提携し、都内を中心にサービスを展開しています。

明るいエントランスの「unitoCHIYODA」(画像提供/Unito)

明るいエントランスの「unitoCHIYODA」(画像提供/Unito)

「unitoCHIYODA」では、「都会に安く簡単に住む」をコンセプトに30ベッドを用意(画像提供/Unito)

「unitoCHIYODA」では、「都会に安く簡単に住む」をコンセプトに30ベッドを用意(画像提供/Unito)

押上にある「WISE OWL HOSTELS RIVER TOKYO」は個室タイプ。生活に必要な家具や家電が備え付けられている(画像提供/Unito)

押上にある「WISE OWL HOSTELS RIVER TOKYO」は個室タイプ。生活に必要な家具や家電が備え付けられている(画像提供/Unito)

東京と大阪の二拠点生活を送る、利用者のS.Eさんは「unitoCHIYODA」の拠点を利用、「家賃が安くなるので無理に自宅(東京)に帰ることが減り、出張の移動効率アップや移動費の削減にも繋がっています」と話します。

経営コンサルタントをしているS.Eさんは、会社員からフリーランスになり、依頼に応じてさまざまな都道府県に出張する必要がありました。家賃だけでなく地方での宿泊費と移動費がかかるようになり、どうにか家賃や宿泊費を抑えたいと考え、「unito」への入居を決めました。

東京(2日間)→長崎(10日間)→福岡(一週間)→大阪(一週間)というスケジュールで動いた時は、長崎には仕事で3日間の滞在で十分でしたが、次が福岡だったため、自宅には戻らず、そのまま長崎に滞在してワーケーションをしたそうです。最近は、地方出張が多く、自宅には月1、2日しか戻っていないとのこと。以前より格段に場所や時間の自由度が上がったそうです。

「unito」を提供している株式会社Unitoの代表取締役近藤佑太朗さんによると、出張が多かった近藤さん自身の経験がサービス開発のきっかけになったといいます。「私自身、若いころは出張が多く、8万5000円のアパートに月半分しか帰らなかったんです。15日間で8万5000円の家賃ということは、実質、1カ月17万円支払うのと同じと言えます。それなら、ホテル的に住めばよいのではと発想しました」

「unito」の用途区分はホテルですが、住民票がとれるので、郵便物の受け取りも可能です。利用者は、20代前半から30代が多く、学生から経営者までさまざまな人が利用しています。

「unitoCHIYODA」には、寝具や棚など都会で暮らす最低限の設備がそろっている。キッチンやシャワーは部屋にはなく、シェアスペースを利用(画像提供/Unito)

「unitoCHIYODA」には、寝具や棚など都会で暮らす最低限の設備がそろっている。キッチンやシャワーは部屋にはなく、シェアスペースを利用(画像提供/Unito)

ワークスペースの一角には、利用者同士が交流できるスペースも(画像提供/Unito)

ワークスペースの一角には、利用者同士が交流できるスペースも(画像提供/Unito)

「WISE OWL HOSTELS RIVER TOKYO」 1階のカフェスペース。リモートワークやミーティングに使われ、地域の人も訪れる(画像提供/Unito)

「WISE OWL HOSTELS RIVER TOKYO」 1階のカフェスペース。リモートワークやミーティングに使われ、地域の人も訪れる(画像提供/Unito)

2020年11月には、月3日間1万500円から都心でワーケーションができるサブスク「urban(アーバン)」をリリースしました。コロナにより、引越し件数は減っていますが、「unito」の月間契約数は横ばい。「移動を控えて一時的に停滞しているだけではないでしょうか」と近藤さんは話します。多拠点生活が気軽にできる賃貸サービスの需要は変わっていません。

借りながら貸せる「シェア型複合施設」TNER

テレワークによって進む“職住融合”の流れを汲みつつ、多拠点生活者にも対応した物件も登場しています。借りたオフィスの使っていない時間を他の人に貸し出せる「TNER(トナー)」です。オフィスや個定デスクを、複数の法人でシェアしたり、時間貸し(500円/2時間)ができます。例えば、固定デスクは、一人席月額利用料2万2000円+共益費3000円(キャンペーン価格/期間の定めあり)で、法人登録も可能。他の人に貸し出した分の収入があるので、お金も無駄になりません。10階建ての「TNER」は、1階をエントランスフロアとし、2階にはミーティングスペースやレンタルキッチンがあり、3、4階がオフィスや固定デスク、フリーデスク区画です。5~9階は一般の賃貸マンションで、10階のSOHO(2部屋)は、自宅やオフィスとして使え、教室などの小商いをするスペースとしても活用できます。基本的にSOHO入居者のみオフィススペースを利用可能ですが、一般の賃貸物件入居者も希望すれば対応してもらえます。

「TNER」事業主である株式会社エコラの代表取締役百田好徳(ももた・よりのり)さんは「新しく会社をつくるとき、オフィスを借りる必要がありますが、起業したばかりで金銭的に難しい場合があります。オフィスやデスクをシェアすることで、これから起業する人を応援する場にしたいと考えました」と話します。

固定デスク。作業デスク、チェア、棚、メールボックス付き(画像提供/エコラ)

固定デスク。作業デスク、チェア、棚、メールボックス付き(画像提供/エコラ)

ガラス張りのドアの向こうがオフィス。シャワー、バス、トイレ付きのオフィスもある。ガラスの扉のある部屋を時間貸しすることが可能(画像提供/エコラ)

ガラス張りのドアの向こうがオフィス。シャワー、バス、トイレ付きのオフィスもある。ガラスの扉のある部屋を時間貸しすることが可能(画像提供/エコラ)

利用者の職業は、経営コンサルタント、広告代理店、ウェブ制作会社など多岐にわたります。シェアオフィスをつながりの場とすることでビジネスにも活かしてもらおうとイベントスペースやシェアキッチン、ミーティングスペースなども充実させました。

利用者のK.Sさんは、会社役員で、神奈川と仙台で二拠点生活をしています。「来客時の打ち合わせスペースとして、または、WEB会議やリモートワークで、フリーデスクを活用しています」(K.Sさん)会社経営者で千葉在住のS.Aさんは、「本社は他県にありますが、仙台オフィスとして使う予定です」と話します。いずれも、交通の利便性やシェアキッチン、ミーティングスペースが利用の決め手になりました。

3階にあるシェアキッチン。交流の場としてフロアの中央に配置(画像提供/エコラ)

3階にあるシェアキッチン。交流の場としてフロアの中央に配置(画像提供/エコラ)

2階のレンタルキッチンは、1時間1000円~(画像提供/エコラ)

2階のレンタルキッチンは、1時間1000円~(画像提供/エコラ)

2階のレンタルキッチンは、飲食店営業許可や菓子製造業許可を取得済で、お菓子やお弁当などを販売できます。先行投資しなくてもチャレンジできるとあって利用者が絶えません。3階のシェアキッチン隣接のイベントスペースでは、利用者同士の交流もあるそうです。

「これからは、オフィスで仕事をして、自宅で休むという二択ではありません。オフィスと自宅の間の点が増えれば、働き方、暮らし方の自由度はもっと上がります」(百田さん)

“職住融合”や多拠点生活など、これからの暮らしに合った賃貸物件は、今後、ますます増えると予想されます。場所に縛られず、時間やお金の問題が解決できれば、人生の選択肢が広がっていくでしょう。新しい賃貸サービスを上手に選択して、もっと身軽に自分らしい暮らしを実現していきたいですね。

●取材協力
・株式会社ハウスメイトマネジメント
・太平洋不動産株式会社
・株式会社Unito
・株式会社エコラ

子育てはふるさとで。二拠点生活でお試し移住スタート 私のクラシゴト改革7

生まれ故郷である静岡で地域おこし協力隊の活動をしながら、クリエイティブディレクターとしてフリーランスで活躍する小林大輝さん。「いつかはUターン」という漠然とした思いが現実化したきっかけは、1歳半になる長男の子育て環境を考えてのこと。ふるさと副業を経て、現在の東京と静岡に分かれての二拠点生活、そして将来の家族3人完全移住計画。そんなステップで着々と基盤固めを進める小林さんに、二拠点生活の実態、お仕事感、移住への率直な思いなどを伺った。連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。東京で働きながら、ボランティア、副業、地域おこし協力隊と段階的に静岡比重を高める

地域おこし協力隊として、2020年10月から「静岡市のテレワーク推進」をミッションに取り組んでいる小林大輝さんは、現在32歳。同時に、勤務していた東京の会社を退職してフリーランスのクリエイティブディレクターとなり、静岡と家族が住む東京を行き来する二拠点ライフを実践中だ。

静岡での仕事は、主にコワーキングスペースを利用。個人ワークするだけでなく、地元ネットワークづくりができるのも魅力。写真はお気に入りの静鉄のコワーキングスペース「=ODEN(イコールオデン)」で(画像提供/小林さん)

静岡での仕事は、主にコワーキングスペースを利用。個人ワークするだけでなく、地元ネットワークづくりができるのも魅力。写真はお気に入りの静鉄のコワーキングスペース「=ODEN(イコールオデン)」で(画像提供/小林さん)

静岡で生まれ育ち、東京の大学に進学してからも両親や大好きな祖父母に会うために頻繁に帰省していたという小林さん。一年間の海外留学後は東京の企業に就職し、クリエイティブディレクター・アートディレクターとして企業のブランディングやデザインなどを幅広く手がけ、寝る暇も惜しんで働いた。「競争も激しい世界で、スピート感やクオリティの高さが刺激的でした」

一方で漠然といつかは地元に戻って暮らしたいという思いもあり、静岡での基盤固めも少しずつステップを踏んで進めていた。帰省のタイミングを利用して、友人や知人からの紹介でプロモーションの相談に乗ったり、依頼されたデザインの仕事を「将来の種まき」と考えて請け負ったりして、静岡のネットワークを広げてきた。

静岡県内企業の生産性向上サービスに取り組む「いちぼし堂」も、代表である北川氏と中学・高校の先輩という縁。静岡での人脈づくりに少しずつ手ごたえや実績も現れ始め、静岡に関わる頻度が高くなってくると、時間的に本業との両立が厳しくなってきた。そこで、小林さんは2018年に勤務先企業と退職も視野に交渉し、給料・勤務時間・ノルマ全て7割という条件で副業認定第一号に。「いちぼし堂」が行うふるさと副業支援にも参加して、静岡Uターンへの一歩を踏み出した。

「いちぼし堂」の施設。1階は子どもを預けて働ける保育園、2階はコワーキングスペース、3階は県内外企業向けのレジデンス付きテレワーク拠点。レジデンスはワンルーム6室で、小林さんのほか東京の企業やインターン生が入居中(画像提供/いちぼし堂)

「いちぼし堂」の施設。1階は子どもを預けて働ける保育園、2階はコワーキングスペース、3階は県内外企業向けのレジデンス付きテレワーク拠点。レジデンスはワンルーム6室で、小林さんのほか東京の企業やインターン生が入居中(画像提供/いちぼし堂)

本業7割、副業3割ということで、静岡には週2~3回新幹線を利用して通う生活に。地元企業の抱えている課題をヒアリング、比較的年代の近い事業承継した若手経営者との仕事など、とにかく地元での実績づくりに励んだ。運よく関わった新規事業コンペの提案が通ると、そこから新たな顧客を紹介してもらえるなど具体的な成果や拡がりもあり、副業をメインにする実感がわいてきた。

地域おこし協力隊の話があったのは、ちょうどそんなタイミング。地域おこしというと、山間部に入って木を切ったりする地域貢献のイメージが強いが、「テレワーク推進」という得意分野のミッションだった。任期は一年単位で最長三年、これはとても副業の範囲では実現しないと判断し、ついに2020年10月末付けで本業であった東京の企業を退社。静岡の地域おこし協力隊を本業として活動しながら、副業でフリーランスのクリエイティブディレクターとして働く、という新たなステップを踏んだのだ。

子育てはのんびりした環境で。家族のいる東京のマンションとのお試し二拠点生活

プライベートでは、2017年に結婚し、2019年夏には長男も誕生して3人家族に。結婚当初は新宿から少し西の街、東中野に住んでいたが、フルタイムで働く妻の妊娠をきっかけに、品川駅から山手線で一駅の大崎のマンションに転居する。共働きの二人の職場に通勤しやすく、静岡にも行きやすい大崎は絶好の立地。立地がいい分家賃も高くつくため、思い切って2019年2月に中古マンションを購入した。内装のリノベーションは、建築学科卒業で空間デザインなども仕事にしている小林さんはお手のもの。小林さんがデザイン、設計し、建築学科時代の同期の大工に工事を手伝ってもらい、自分たちの手でセルフリノベーション。こうして愛着ある、明るく広々した東京の新居が完成し、長男を迎えて3人の暮らしがスタートした。

一般的な2LDKの間取りの中古マンションを購入(工事前)(画像提供/小林さん)

一般的な2LDKの間取りの中古マンションを購入(工事前)(画像提供/小林さん)

窓右手の隣の部屋との壁を取り払うという個人のDIYを超えた大胆な工事を自ら行えるのは建築学科卒業ならでは(工事中)(画像提供/小林さん)

窓右手の隣の部屋との壁を取り払うという個人のDIYを超えた大胆な工事を自ら行えるのは建築学科卒業ならでは(工事中)(画像提供/小林さん)

完成したLDKは、便利なキッチンのカウンターを新設、ガラスを通じて隣の部屋からも日差しと風が入る開放感ある個性的な空間に(工事後)(画像提供/小林さん)

完成したLDKは、便利なキッチンのカウンターを新設、ガラスを通じて隣の部屋からも日差しと風が入る開放感ある個性的な空間に(工事後)(画像提供/小林さん)

この時、すでに小林さんは副業で静岡に通う日々を送っていた。「子どもができると、子育ては自分が育ったような自然豊かでのんびりした環境でしたい、と思いました。満員電車に乗って学校に通わせるなんて、嫌で」。いつかは、と考えていた静岡へのUターンが、一気に現実味を帯びたのだ。

東京クオリティの仕事をゆったりとした環境で。完全移住で仕事と暮らしの理想を追求静岡の実家近くの海で長男と。「子育ては自分が育ったようなのんびりした環境でしたい」と小林さん(画像提供/小林さん)

静岡の実家近くの海で長男と。「子育ては自分が育ったようなのんびりした環境でしたい」と小林さん(画像提供/小林さん)

共働きの妻も、出産後の現在は職場復帰。仕事にもやりがいを感じていて今後も働き続ける予定だが、「住む場所にはこだわらない」と静岡移住にも前向き。コロナ禍で完全リモートワークのタイミングを利用して、3カ月間の親子3人静岡お試し移住も体験済みだ。

現在は子育てサポートもあるため、東京6割、静岡4割くらいの滞在比率で小林さんが週2回往復する二拠点生活中。静岡での小林さんの拠点は、副業支援で関わった「いちぼし堂」の施設のほか、実家も利用。「どうしても移動時間が多いので、いずれは家族で完全移住するつもりです。いまは東京での子どもの世話に時間をとられますが、徐々に静岡の比率を高めていきたいですね」

ふるさと副業を支援する「いちぼし堂」のコワーキングでのワークショップ風景。小林さんはここの3階にあるワンルームを借りて静岡での拠点にしている(画像提供/小林さん)

ふるさと副業を支援する「いちぼし堂」のコワーキングでのワークショップ風景。小林さんはここの3階にあるワンルームを借りて静岡での拠点にしている(画像提供/小林さん)

漠然と故郷に戻りたいと思っていながら、地元の企業に入って働くイメージがなかったという小林さん。小林さんの話を聞いていると、静岡の企業の課題を聞き、企業ブランディングやプロモーション戦略など「出来ること」を活かしながら「求められること」を増やし、新しい仕事を自ら創り出しているのが印象的だ。地域おこし協力隊として、静岡市のテレワークを推進するという本業にたどり着いたのも、まさにその象徴だ。

「東京は、案件や競争の多さからくる仕事のスピード感、質の高さで刺激になります。一方静岡の魅力は、高い建物も少なく自然豊かで、人も気分もゆったりしているところ。東京でできることは基本的に静岡でもできるので、東京の仕事もしているからこその第三者の目線を持って、東京クオリティの仕事を愛着あり競合少ない静岡で提供できたら最強ですからね」

段階的に静岡比率を高め、最終的には完全移住を考えているという小林さん。「地域おこし協力隊は1年契約、最長で3年。そのころには、完全移住していたいですね。アウトドアも好きなので、山間部にゲストハウスを建てるのも面白そうだな、と」

「いちぼし堂」近くのお気に入りの老舗おでん屋さん。メニューはおでんと大学いものみというシンプルさ(画像提供/小林さん)

「いちぼし堂」近くのお気に入りの老舗おでん屋さん。メニューはおでんと大学いものみというシンプルさ(画像提供/小林さん)

東京でのクリエイティブディレクターとしての仕事、妻の静岡での仕事、静岡での家族の住まい、東京のマンションを貸すか売るか、実家で子どもをみてもらえるか……完全移住に向けて沢山課題はあると話す小林さん。暮らしも仕事も無理なく着実にチャレンジとステップを重ね、いままでにない理想の形をつくり上げていっている小林さんの3年後が、実に楽しみだ。

●取材協力
・いちぼし堂

移住や二拠点生活は“コワーキングスペース”がカギ! 地域コミュニティづくりの拠点に

新型コロナウイルス感染症拡大にともない、テレワークが急速に浸透した。地方移住への関心も高まっているなかで注目を集めているのが、全国で数を増やしている地方のコワーキングスペース。働く場所としてだけでなく、地域コミュニティの拠点や移住相談の場としての側面もあるようだ。
長野県富士見町にある「富士見 森のオフィス(以下「森のオフィス」)」運営者の津田賀央さんにお話を伺った。

移住者がいても、「つながり」がなければ何も生まれない

「富士見 森のオフィス」は、2015年12月、八ヶ岳の麓・長野県富士見町にオープンした複合施設だ。コワーキングスペースを中心に、個室型のオフィスや会議室、さらには食堂やキッチン、シャワールーム、森に囲まれた庭やBBQスペースも備える。2019年には宿泊棟「森のオフィスLiving」もオープン。サテライトオフィスやテレワーク拠点として、また地域住民の“公民館”的スペースとして、都市部と富士見を行き来する人・地域に暮らす人をつなぐ拠点になっている。

富士見町が進める移住促進施策「テレワークタウン計画」の一貫としてオープンした施設だが、当初、計画内にコワーキングスペースのオープン予定はなかったという。

一軒家を事業主へ安価に貸し出すなどの施策を中心としていた当初の計画に対し、「人と人のつながりを生む場」の必要性を主張し、具体的なプランを提案したのが、当時はまったく富士見町と無縁だった津田さんだ。

津田賀央さん Route Design合同会社代表。2015年、富士見町に家族で移住。週に3日は東京を拠点に活動する二拠点生活者。「森のオフィス」の運営をはじめ、コミュニティー・スペース立ち上げのコンサルティングや地域商品の企画開発などさまざまなプロジェクトに携わる(画像提供/津田賀央さん)

津田賀央さん
Route Design合同会社代表。2015年、富士見町に家族で移住。週に3日は東京を拠点に活動する二拠点生活者。「森のオフィス」の運営をはじめ、コミュニティー・スペース立ち上げのコンサルティングや地域商品の企画開発などさまざまなプロジェクトに携わる(画像提供/津田賀央さん)

「良い計画だけど、まだあまり本格化してなさそうだな、と思ったんです。せっかく移住してきた人がいても、その地域でつながりができなければ何も生まれないだろうなと」(津田さん)

津田さん自身は神奈川県横浜市の出身だ。都内の大手企業でオフィスワークをしていたが、リンダ・グラットンの著書『ワークシフト』を読んで「働き方」についての考えが変わった。「これからはどこにいても働ける時代が来る」と直感した。

移住を検討していた最中、富士見町のテレワークタウン計画を知り、その数十分後には担当者へ連絡。津田さんの提案は富士見町の担当者に歓迎され、プロジェクトリーダーとしての参画が決まった。

八ヶ岳の麓にある「森のオフィス」。元は大学の保養所だったそう(画像提供/津田賀央さん)

八ヶ岳の麓にある「森のオフィス」。元は大学の保養所だったそう(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」で「つながり」が生まれる理由

「森のオフィス」オープンから5年。当初はWEBデザイナーなどクリエイターが多かった利用者の層も、今はかなり多様になっているという。

「フリーランスの方だけでなく、会社員の方も増えていますね。プログラマー、エンジニア、デイトレーダー、事務、会計、プロジェクトマネージャー、大学の研究者やアウトドアのアクティビティスクール運営者などもいらっしゃいます」(津田さん)

単に作業場として活用している人もいるが、やはり「つながりを求めて」来る人が多いそう。
「漠然と“何かやりたい”“面白い人とつながれたら”という気持ちを持って来られている方、この場を利用して自分の人生に前向きな変化を生み出したい、というメンタリティを持った方が多い印象です」(津田さん)

実際に、この場からは3年間で120以上のプロジェクトが生まれている。
元マスコミ系企業に勤めていた人と動画クリエイターがつながって、八ヶ岳のローカルメディアをつくるチームが立ち上がったり、お弁当屋さんをやりたいという利用者がコワーキングスペース内のキッチンで営業をはじめたり。さらにその人と農家やデザイナーがつながってビジネスが広がっていったケースもあるとのこと。

利用者の変化に合わせ、津田さんは「つながり」のつくり方も日々考え続けている。
「会社員の中には副業が禁止されていて、プロジェクトへの参加が難しい方もいます。今後はライフワークや趣味をベースにつながれるような取り組みもしていきたいですね」(津田さん)

(画像提供/津田賀央さん)

(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」のアウトドアスペース。BBQやマルシェなどのイベントも催される(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」のアウトドアスペース。BBQやマルシェなどのイベントも催される(画像提供/津田賀央さん)

広告はほとんど利用しておらず、利用者は口コミで集まってくるという。

「“共感”がベースにあると思います。森のオフィスがはじまった2015年当時は、二拠点居住やリモートワークがまだまだ珍しいものでした。身近な例が無いから、想像もしづらかったと思います。なので、僕自身が森のオフィスを通じて実現したいワークスタイル、ライフスタイルを体現してきたつもりです。最初はそれに共感する人が集まってきてくれて、その人がまた新しい人を連れてきてくれた。

共感が共感を呼んで、人が人をつれてきた。結果、さまざまな知恵やスキルが集まって、プロジェクトを生み出せるようになった。そのプロジェクトを起点に、さらにつながりが広がって、深くなっていく。そんな風に、コミュニティが大きくなっていきました」(津田さん)

利用者同士をつなぐ仕掛けや仕組みがあるのだろうか。そう津田さんに尋ねると、「仕組みと言えるものはないんですよね」と笑う。

「森のオフィス」のコワーキングスペース(画像提供/山田智大さん)

「森のオフィス」のコワーキングスペース(画像提供/山田智大さん)

「かなり地道で属人的ですが、スタッフが意識して“仲人さん”をしているんです。移住促進を目的につくられた施設なので、『どこから来たんですか』とか『ご家族は?』とか、会話の中で利用者のプロフィールを聞いて、会員同士の共通点を見つけるようにしている。例えば『カレーが好き』と聞けば、『誰々さんもカレー好きって言っていましたよ』と伝えるとか、とにかくつながるきっかけをつくるようにしています」(津田さん)

もともとつながりを求めてやってくる人が多いが、なかでも縁を広げていける人に特徴があるとすれば、「特技と強い好奇心を持っている人」、特に後者が重要だと津田さんは語る。

「例えば、オフィスの利用者に元大手PCメーカーの修理エンジニアの方がいるんですが、すごい人気者なんですよ。PCやデジタル機器で何か困ったことがあるとみんな彼に聞くから。
でもそれだけじゃなくて、相談に乗るときに一緒にごはんを食べたり、修理するときに家に遊びに行ったり、逆に招いたり、その機会を活かしている。相手に対する興味を持って接しているんですよね。その方は移住して半年ほどで本当にいろんな方とつながって、今では森のオフィスにその方を訪ねて来る方もいらっしゃいます」(津田さん)

地方は「働く場と生活の場が同じ」。だから関係が育ちやすい

「森のオフィス」のように、個性的なコワーキングスペースは長野県内だけでも増えているという。津田さんがいくつかの例を教えてくれた。

まずは塩尻エリアにある『スナバ』。イノベーション創出を主目的とした施設で、『森のオフィス』より、「ビジネスを生み出す」という色が強い印象だ。長野県が進める移住支援制度「おためしナガノ」とも連携しており、実際に「スナバ」を利用してビジネスを進める移住者もいる。
「行政職員の方が運営しているコワーキングスぺ―スですが、いい意味で“行政っぽさ”を裏切る柔軟さがあって、素敵なコミュニティが生まれているようです」(津田さん)

「スナバ」のコワーキングスペース(画像提供/スナバ)

「スナバ」のコワーキングスペース(画像提供/スナバ)

続いて松本の『SWEET WORK』。「パンの香りのするコワーキング」というキャッチコピーの通り、老舗ベーカリーが運営している。会員はパン食べ放題、というこちらもユニークな施設だ。利用者は国籍も職業もさまざまだが、懇親会などのイベントもあり、会員同士の雑談からゆるやかなコミュニティが生まれている。

都内のコワーキングスペースづくりにも携わる津田さんは、地方と都市部それぞれのコワーキングスペースの違いを「働く場と生活の場の距離」だと話す。

「地方は働く場と生活の場がほぼ同じなんですよね。利用者同士の家も近い。外食の選択肢も限られるから、行った先で知り合いに会うし、誰かの家で食べることも多い。家をリフォームしたいとか、田んぼを探しているとか、利用者同士が生活の相談で仲良くなることも多いです。だから関係の育ち方に違いが出るんじゃないでしょうか。

都市部のコワーキングスペースで働いた後に一時間半かけて自宅に帰るのとは違う。地方のコワーキングスペースは“生活”そのもの。“生活の場”と“仕事の場”の“顔が同じ”なんです。

だからこそ、地方でつながりをつくりたいと思ったら、コワーキングスペースを使うことが突破口になるのかもしれないですね」(津田さん)

異なる背景やスキルを持つ仲間をつくり、自分を変化させる

新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、「森のオフィス」も一時休館せざるを得なくなった。その時は「今までつくった文化がなくなってしまうのではと不安になった」という津田さん。しかし5月の運営再開後、新規登録者や見学者、移住相談の問い合わせは増えているそう。結果的に“時代が追い付いた”ということなのかもしれない。

「“人生100年時代”と言われています。寿命が延び、働く期間が長くなるなかで、僕たちの世代は60代・70代になっても、新しいスキルを身に付けないといけない。そのためには、自分自身がこれまで持っていた慣習や常識を都度捨てて、“次”に向き合う必要がある。でも、ひとりだと難しいですよね。
そんなときに、同じ意思を持ちながらも自分とは違うバックグラウンドやスキルを持った仲間がいることで、自分を変化させやすくなると思うんです。

実際、富士見に移住してくる方も、ひと昔前みたいに“仕事をリタイアして余生を過ごす”みたいな方ばかりではないです。“人生100年時代”に、連続的に自分を変えていかないといけないなかで、刺激を求めてやってくる人が増えていると感じます。自分や周囲の既成概念から脱するという意味でも、移住は良い方法なんじゃないでしょうか。

僕自身も、仕事と生活を軸に、既成概念や慣習を疑って、変化を促す取り組みを続けることで、自分自身を変え続けたい。そんな思いで、『森のオフィス』の運営を続けていきたいと思っています」(津田さん)

「森のオフィス」の外庭を使った“アウトドアオフィス”での会議風景(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」の外庭を使った“アウトドアオフィス”での会議風景(画像提供/津田賀央さん)

地方コワーキングスペースを「きっかけ」に

地方では、「暮らし」と「仕事」が同じ空間にある。だからこそ、コワーキングスペースという存在が地域とつながる突破口になりうる。
少し前まで、「仕事の刺激(都会)」と「豊かな生活環境(地方)」はトレードオフの関係と捉えられていたように思う。だが、状況は変わってきた。「森のオフィス」のような場を活用することで、どちらも手に入れることは可能になりつつある。
気になる地域と関係を持ちたい、何か新しいことにチャレンジしてみたいという人は、こうした場を活用することから始めてみるのも良いかもしれない。

●取材協力
富士見 森のオフィス
スナバ

都内37平米+三浦半島の11平米の小屋。親子3人の二拠点生活、コンパクトに暮らすコツは?

「ステイホーム」「おうちで過ごそう」などと盛んに言われた昨今、「家」について改めて考えた人も多いことでしょう。東京都内の37平米の賃貸と三浦半島にあるハーフビルドでつくった11平米の小屋、その2つを行き来しながら暮らすIさんに、住まいや暮らしのあり方についてインタビューしてみました。
親子3人でも37平米でちょうどいい。コンパクトに暮らしたい

Iさんは、現在、東京都内の賃貸アパートに、夫妻とお子さんの親子3人で暮らしている30代の女性です。以前はワンルームに暮らしていましたが、夫の仕事を考え、昨年末、現在のアパートに引越してきました。広さは37平米と少し狭いようにも思えますが、「不便さはまったく感じない」といいます。

Iさん夫妻がユニークなのは、東京都内の住まいと、三浦半島にある「小屋」とで二拠点生活を送っていること。小屋といっても広さ11平米、その中に土間とシャワー・トイレ・キッチンもあるという本格的なもの。これをプロの力を借りながら、自分たちで建てたというから驚きです。新型コロナウイルスで行き来を控える前は、平日は都内の住まいで暮らし、休日は三浦の小屋で暮らす日々を送っていたそう。ではその暮らしに至った背景から聞いてみましょう。

平日に暮らしている都内の37平米のアパート(イラスト/ぼんやりウィークエンド)

平日に暮らしている都内の37平米のアパート(イラスト/ぼんやりウィークエンド)

週末を過ごす11平米の小屋(イラスト/ぼんやりウィークエンド)

週末を過ごす11平米の小屋(イラスト/ぼんやりウィークエンド)

「私が30代になるとき、夫婦がこれから、どういう場所で、どんなふうに生きていきたいか、よく話し合ったんです。友人は結婚などをきっかけに家を買う人も多かったけれど、自分たちの暮らしには、しっくりこない。大きい家を買ってローンを組んで、というのに惹かれなかったんです」(Iさん)

普通であればそこでなんとなく話が立ち消えてしまいそうですが、Iさん夫妻は民泊を利用し、週末に気になる場所を1泊ずつ巡るという試みをはじめます。はじめは逗子・葉山に泊まって過ごし、ときにはそこで一週間暮らし、都内まで通勤してみたことも。

「街自体は魅力的なんですけど、この暮らしで夫婦共働きをしていると、平日は忙しくて街が楽しめないんですよね。じゃあ東京に賃貸で暮らして、二拠点がアリなんじゃないか」となったそう。逗子や葉山・横須賀といえば、別荘も多いエリア。ここで別荘を買うという方法もありますが……。

「やっぱり…販売されている物件だと私たちには大きすぎるんですよね。持て余してしまう。夫婦ともに大きいとテンションがあがらないんです(笑)」(Iさん)

ないなら「つくろう!」ではじまった小屋づくり

終始、広さよりも「コンパクトさ」にこだわるIさん。エリアを逗子、横須賀、三浦半島と広く検討した結果、手ごろな土地を三浦に発見。そこで「ハーフビルド」で「小屋」をつくろうという結論になったといいます。

「夫妻ともに大学で建築を学んでいたんですが、DIYや金づちを打った経験もゼロ。でも、せっかく小屋を建てるならたずさわってみたい。とはいえ、建築確認申請も必要になりますし、基礎や構造部分、水道や電気工事はプロにおまかせしたい。そこでちょうどいい『ハーフビルド』という方法に至りました」(Iさん)

ポイントは、ゆっくり。期限を区切らず、のんびりつくることだったそう。ただそう思ってはじめたところ、思わぬところで「つながり」がうまれていった、といいます。

「ちょうど同時期、三浦でDIYでリノベして宿をはじめるという同年代のご夫婦と知り合いになって、そこで作業をお手伝いしていたら、友人の輪が広がっていって。年代や性別を問わず、知り合いが増えていきました。当初は思ってもみなかったんです。ふたりだけでこじんまりと小屋をつくるはずが、いろんな人に助けられて。夫は少し社交的になりました(笑)」

(イラスト/ぼんやりウィークエンド)

(イラスト/ぼんやりウィークエンド)

小屋づくりというプロジェクトのなかで夫妻が得たのは、「自信」だといいます。
「当初は電気もない、トイレもない、断熱材がないので、不便だし寒い。それでも、照明は工事用でもなんとかなるし、知り合いからもらった端材を加工して家具にしたりと、ないなりに工夫できることも分かりました。それと、電気が通ったときにとてもうれしいんです。『明るい!!』って(笑)。当たり前にあるものではなく、1から暮らしを組み立てていく経験を積み重ねたことで、『生きていく芯』が見えてきた感じです」と話します。

(イラスト/ぼんやりウィークエンド)

(イラスト/ぼんやりウィークエンド)

暮らしの「芯」があるから、ステイホームも苦にならず

小屋をつくっている途中、ずーーーっと楽しかったというIさん。その後、妊娠と出産を経て、新しい家族が増えました。まだまだ小さい赤ちゃんを連れて、二拠点を行き来しはじめた矢先、今回の新型コロナウイルス騒動が起きました。

「私たち夫妻にとっては、平日の都内の暮らしも、三浦の小屋に移動するのも、日常の一部なんです。ただ、今回はそうもいかず、都内の家でじっとしていました」といいます。

移動ができないとなると、家の大きさを「狭い」と感じることはなかったのでしょうか。
「3人で暮らしていましたが息苦しい、狭いと感じることはありませんでした。もともと家具はちゃぶ台ひとつで暮らしてきましたし。緊急事態宣言中は、夫も在宅勤務になったのですが、机がなくてアイロン台で仕事をしていたんです(笑)。さすがに不便を感じて、押入れをDIYしてデスクスペースにしていましたね」(Iさん)

押入れをDIYして生まれたデスクスペース(イラスト/ぼんやりウィークエンド)

押入れをDIYして生まれたデスクスペース(イラスト/ぼんやりウィークエンド)

Iさん自身はモノを持たない、というほどのミニマリストではないそう。ただ、「あるものでなんとかしてきた」「コンパクトに暮らしたい」という暮らしの根っこは揺らがなかったといいます。

「小屋づくりというプロジェクトのなかで、夫婦でしっかり話し合って、暮らしの芯というか軸を共有していたので、あまり揺らがなかったように思います。もちろん、子どもが大きくなるにつれて、小屋をアップデートする必要はあるかもしれませんが、3人で暮らしていけるね、そういう自信があります」(Iさん)

もちろん、誰もがIさんのようにコンパクトに暮らすことが「最適解」ではないでしょう。人の理想の暮らしはそれぞれ。住まいは「買う」「借りる」だけでなく、「実際に暮らしてみる」「自分たちでつくる」「DIYリノベする」などの選択肢がある時代です。新しい住まい方、暮らし方を考えているのであれば、Iさんのように、一度、行動にうつしてみるのもよいのではないでしょうか。

デュアルライフ・二拠点生活[22] 東京と長野県松本市。温泉街の一軒家を家族でセルフリノベ

向井さんは、平日は東京で仕事をし、週末は妻と息子が住む長野県松本市にある浅間温泉で築50年の家をリノベしながら過ごすという、二拠点生活を送っている。その暮らしぶり、二拠点生活を始めた経緯や、始めてからの変化を聞いた。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、さまざまな世代がデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。「古い家を改装したい」という夢を実現

JR新宿駅から特急あずさで2時間半。長野県のほぼ中央に位置する松本市は、旧城下町らしい歴史的建造物が残る街並みが特徴だ。夏は過ごしやすいものの、冬は氷点下まで下がる厳しい気候だが、古くから温泉街も多く、とりわけ「浅間温泉」は1000年も続く歴史ある温泉街だ。

1000年の歴史を感じさせる浅間温泉の街並み(写真撮影/高木真)

1000年の歴史を感じさせる浅間温泉の街並み(写真撮影/高木真)

向井家の庭先には、干し柿や玉ねぎを保存。生活を大切にしている様子がうかがえる(写真撮影/高木真)

向井家の庭先には、干し柿や玉ねぎを保存。生活を大切にしている様子がうかがえる(写真撮影/高木真)

今から6年前、3年間の中国・大連での駐在生活を終え、日本に帰国した向井さん一家。帰国後に改めて拠点を考えたとき、もともとアウトドアが大好きな家族にとって「東京」は、それほど魅力的に映らなかったのだという。

「住みたい場所に住めばいい」と考え、スキーやキャンプで何度も訪れたことのある信州・松本が自然と候補に挙がったのだという。

信州は、温泉あり、山あり、観光地としても人気のあるエリアなので、東京に住む家族や友人たちが、喜んで足を運んでくれる。またネットショッピングを使えば、買い物にも不便を感じることはない。最近ではおしゃれなカフェやベーカリーも多くできているのだとか。さらに関西出身の向井さんと、東京に実家がある妻・Sさんにとっても、信州は便のよい場所だった。

2年ほど賃貸で生活した後、定住を考えたときに出合ったのが、この築50年の一軒家だった。「ワクワク感を、この家を見たときに感じた」とはSさんの言葉だ。

街角には、温泉水を飲めるスポットが存在する(写真撮影/高木真)

街角には、温泉水を飲めるスポットが存在する(写真撮影/高木真)

広い軒先は、庭と家のつなぎ役として、とても重宝しているそう(写真撮影/高木真)

広い軒先は、庭と家のつなぎ役として、とても重宝しているそう(写真撮影/高木真)

浅間温泉は、松本駅から約4km、車で20分ほどと便がよく、向井さんの家は100坪の土地に40坪ほどの大きさの家が建っている。家も、広すぎず狭すぎずちょうどいい大きさだった。こうして、立地ありきで中古物件を手に入れることになった。

大工だった祖父と、建築関係の仕事をしていた父をもつSさんにとって、古い家を改装して住むというのは昔からの夢だった。その夢を実現するチャンスを、この家を見たときに感じたのだそうだ。なお当時2年近く売りに出されていたにもかかわらず、買い手が付かなかったこの家は、向井さん一家が購入しなければ、2週間後に取り壊しになる運命だったとか。

この家の中心的存在である広いリビングダイニング(写真撮影/高木真)

この家の中心的存在である広いリビングダイニング(写真撮影/高木真)

閃きを実現するセルフリノベ

こうして、実際に購入した家をDIYでセルフリノベーションして住むことにした向井さん一家。夫妻と、当時小学2年生だった息子の3人に加え、Sさんの父に助けを借り、一気にリノベーションを始めたのが今から4年ほど前。

「こんな風にしたいけれど、どうしたらいいだろうか、と考えているうちに、パッとひらめくのです」と話すSさん。向井さんは週末しか松本にいない。そのため、平日はSさんが1人でできる作業だけ進め、週末に家族で大きな作業を行うサイクルが出来上がっていった。

「家づくりのプロが“普通に”考えたらやらないようなことに挑戦してきた」と話す一家。例えば息子の“砦”となっている2階のロフトは、あえて天井を壊し、客間の天井を20cm下げてつくり出したスペース。また、信州らしさが感じられる「漆喰」を取り入れるため、夜な夜なネットで研究した妻は、あちこちから必要な材料を集め、実際に漆喰の壁を見事につくりあげてしまった。

2階の中央の部屋は、押入れをなくして、息子の秘密基地につながる階段を設置(写真撮影/高木真)

2階の中央の部屋は、押入れをなくして、息子の秘密基地につながる階段を設置(写真撮影/高木真)

息子の砦となっているロフト部分は、8畳の客間と同じ広さのスペース(写真撮影/高木真)

息子の砦となっているロフト部分は、8畳の客間と同じ広さのスペース(写真撮影/高木真)

毎日がアウトドア

ところで向井家にはエアコンも暖房もない。あるのは薪ストーブと、客間に用意のある電気ストーブ1つ。冬の寒さには、この家の顔といってもいいこの「薪ストーブ」が活躍する。この薪ストーブのある生活が、一軒家を購入するきっかけになった最大の理由でもある。

この家の顔といえる信州発エイトノットの薪ストーブ(写真撮影/高木真)

この家の顔といえる信州発エイトノットの薪ストーブ(写真撮影/高木真)

薪ストーブのオーブンを利用してつくるメニューの定番はピザ(写真提供/向井さん)

薪ストーブのオーブンを利用してつくるメニューの定番はピザ(写真提供/向井さん)

まるで釜で焼いたような美味しさとのこと(写真提供/向井さん)

まるで釜で焼いたような美味しさとのこと(写真提供/向井さん)

「薪ストーブの生活は、すごく労働が求められる。毎年2~11月の間に、薪となる木材を求めてりんご園などへ出かけています。手伝いをした対価として、いらなくなった木をもらってくるんです」と話す向井さん。こうして集めた木材を、切断して庭の棚で乾燥させておき、冬の間、薪としてストーブに使うという。

すっかり薪割りの名人(写真撮影/高木真)

すっかり薪割りの名人(写真撮影/高木真)

2月から11月の間に、薪ストーブ用の薪を調達し冬に備える向井一家。これだけの薪が、ひと冬でなくなってしまうのだそう(写真撮影/高木真)

2月から11月の間に、薪ストーブ用の薪を調達し冬に備える向井一家。これだけの薪が、ひと冬でなくなってしまうのだそう(写真撮影/高木真)

またリビングの天井の角に通気口を開けたことで、2階にも薪ストーブの暖が伝わる仕組みになっている。これで寒い冬も薪ストーブの柔らかい暖かさが、家中に伝わる。「それでも密閉度が低いので、寒いときは寒いです」と笑う。そんなときは、暖かい温泉に浸かりに行けばいい。

1階の暖かいな空気は、この通気口を通して2階に渡る(写真撮影/高木真)

1階の暖かいな空気は、この通気口を通して2階に渡る(写真撮影/高木真)

「薪の火つけや火加減は息子の仕事」と話す向井さん。リノベ作業でも大活躍した息子は、家づくりから、日々の家のメンテナンスまで、積極的に自分の住む家とかかわっている。

今や薪ストーブの名人となった息子(写真撮影/高木真)

今や薪ストーブの名人となった息子(写真撮影/高木真)

「毎日がアウトドアみたいな生活なので、むしろアウトドアに出かける機会は減りました」とのこと。その代わり、引越しをしてから近所に住むアルピニストや山小屋のオーナーなどの登山にかかわる人と多く知り合い、家族で「登山」を楽しむようになったのだとか。

「入居したころは、周りの家の家主は、80代のおじいちゃんやおばあちゃんばかりでした。でも代替わりしてきて、東京から長野へ戻ってきた家族がいたり、市内から移り住んだ家族がいたり、息子の同級生も増えてきた。いろいろな世代が混ざっているこの街の雰囲気はとてもいいです」と向井さん。

ご近所付き合いも親密で、庭先で一緒にバーベキューを楽しんだり、息子は、近くのお寺でサッカーや野球、バドミントンなどをするようになったのだとか。最近では、近くに借りた小さな田んぼでもち米をつくり、年末には地域の人たちと餅つきを楽しむこともあるという。

家の近くに借りた畑では、もち米を育てている(写真提供/向井さん)

家の近くに借りた畑では、もち米を育てている(写真提供/向井さん)

中古物件の良さは、自由度が高いこと

「中古の家なので、気兼ねなく手を入れて変えられる」と話すSさん。大人3人と子ども1人だけで、梁を付け替え、壁を壊し、床を張り替えるといった作業を全てこなした向井さん家族にとって、引越してきた当初から2年間は、週末のほとんどをDIYに費やしたのだそうだ。プロの手は最低限しか借りず、家族だけで取り組んだプロジェクトゆえに、今ではすっかり愛着ある家が出来上がったという。

客間の上には息子の秘密基地が。天井を20cmほど下げてロフトスペースをつくった(写真撮影/高木真)

客間の上には息子の秘密基地が。天井を20cmほど下げてロフトスペースをつくった(写真撮影/高木真)

「まだ完成まで7割ほど」という向井邸。今は屋根瓦を塗り替えているところだという。今後は、中学生になる息子のための小屋を、庭先につくるつもりなのだとか。「どんな部屋にするか、今家族で相談しているところ」と向井さんはうれしそうに話す。

「日々の生活を大事にして生きているので、正直先のことを考えてはいません。松本の生活は、“別荘”で生活しているみたいな感覚なので、将来東京に戻りたくなったら東京に戻ればいいし、子どもの学校などで移動することになったら移動したらいい、そんな風に考えています」とはSさんの言葉だ。

住みたいところに住む「マルチハビテーション」を体現している向井家からは、日々の生活を大切にしながら、住む家のために、自分たちで考え、手を動かし、守っていることが伝わってくる。家族にとって心地いい場所が何なのか、探りながら行うリノベ作業が、家族の形をつくる上で、とても大切な時と場所なのだ。「“くたボロ”まで作業しても、かけ流しの温泉に入れるだけで生き返る」と話す向井さん。毎週末は温泉で英気を養い、平日は東京での仕事に精を出す二拠点生活は続く。

浅間温泉の街並みが見渡せるサンルームは、ゆったりとした時が流れる(写真撮影/高木真)

浅間温泉の街並みが見渡せるサンルームは、ゆったりとした時が流れる(写真撮影/高木真)

DIYセルフリノベについて書いたSさんのブログ

サブスク型住居サービス「ADDress」を体験。暮らしの新たな価値を見た

「デュアラー(二拠点生活者)」、家を持たない暮らしを送る「アドレスホッパー」など、ひとつの家に留まらない暮らしが注目を集めています。そんななか、定額で全国のゲストハウスやシェアハウス等に泊まり放題・住み放題になるサブスプリクション型住居サービスが今年4月から続々と登場。一体どんなものなのか、サービスのひとつ、「ADDress」で体験してきました。
多拠点生活を通じて、地域との関わりを生み出していく

「ADDress」は、日本全国の空き家や遊休別荘と、住みたい人をマッチングする「コリビング(Co-living)」サービス。月額4万円(光熱費込み)、全国25拠点(2019年11月20日時点)で多拠点生活ができます。メイン拠点をひとつ選ぶことができ、住民票の登録をすることも可能(荷物の受け取りや、郵便物の受け取りもすることができます)。会員と地域をつなぐ役割を担う家守(やもり)と呼ばれるスタッフを通じて、滞在先で地域と深く関わっていけるのも特徴です。

今回伺ったのは、東京から電車で1時間ほどの北鎌倉の拠点。街には円覚寺、浄智寺、東慶寺といった由緒ある寺社が点在し、静かで自然も感じられます。拠点までは北鎌倉駅から徒歩13分と少々距離がありますが、味わい深い個人経営の喫茶店や豆腐屋などのお店、カワセミが住む小川などを眺めながらのんびり歩いていると、時間も気になりません。

北鎌倉駅(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

北鎌倉駅(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

建長寺(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

建長寺(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

住宅街を進んでいくと、モダンな一軒家がありました。見た目は一般的な家屋なので見落としそうになりますが、玄関には「ADDress」のステッカーが貼ってあり、拠点であることが分かります。玄関先に暗証番号を入れて取り出せる鍵があり、そちらを使って中へ。

北鎌倉の拠点。自転車(1台)は会員は誰でも使うことができます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

北鎌倉の拠点。自転車(1台)は会員は誰でも使うことができます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

1階には広々としたリビングやキッチン、2階にはベッドが置かれた部屋が3部屋あります。

取材陣が滞在した、ゲスト部屋(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

取材陣が滞在した、ゲスト部屋(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

タオル、布団カバー等が用意されていました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

タオル、布団カバー等が用意されていました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

家の中を見た限りでは、出入り自由ということ以外、よくあるシェアハウスと変わらないように思えます。ADDressでの暮らしについて、家守と会員に話を聞いてみました。

北鎌倉拠点の家守に聞いた。ADDressで人と地域とつながりを生み出す

まずは7月から北鎌倉拠点の家守になった北原浩一さん。もともと都内に住んでいてフリーランスのビジネスプロデューサーとして働いていましたが、鎌倉に住んでみたいと家守になったそうです。「運営と住人はフラットな関係で、家守も一緒に拠点に暮らすメンバーの一人なんです」と言います。

北鎌倉の拠点には、現在は6名(20代後半~40代)がメイン拠点として使用、2組がゲスト宿泊ができるようになっているとのこと。メンバーは、拠点として使っている人、別荘感覚で使っている人、全国の拠点を旅しながら多拠点生活を満喫する人などさまざま。

北鎌倉拠点の家守・北原浩一さん。ゲストの予約管理や掃除、イベントの企画等を行っています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

北鎌倉拠点の家守・北原浩一さん。ゲストの予約管理や掃除、イベントの企画等を行っています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「6人全員が居合わせることはほとんどありませんが、北鎌倉をメイン拠点として使っているメンバーは、Facebookのグループチャットをつくって交流できるようにしています。スケジュールを合わせて、一緒にご飯を食べたりします。突然メンバーの一人が海が見たいと言い出して、三浦半島の先端にある三崎港に旅行に行ったこともありました。今後はもっと会員同士の交流が深まるようなコミュニティや地域コミュニティとの交流を広げていきたいですね」

広いリビングはコワーキングスペースとダイニングスペースに分割。プロジェクタで大きなスクリーンに映画を映して上映会をしたり、会員と家守で飲み会をしたりと、さまざまな使い方をしているそうです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

広いリビングはコワーキングスペースとダイニングスペースに分割。プロジェクタで大きなスクリーンに映画を映して上映会をしたり、会員と家守で飲み会をしたりと、さまざまな使い方をしているそうです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

シアタースペースもある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

シアタースペースもある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

今後の課題は?と尋ねると「地域とのつながりづくり、ですね」との回答。

「外部とのつながりづくりは各拠点の家守に一任されています。友人が鎌倉でシェアハウスを運営しているので、地元の人を紹介してもらったりしているところです。拠点を地元の人に使ってもらって、座禅などの鎌倉らしいイベントができればと思っています」

「ADDress」暮らしってどう? 会員に聞いてみた

夜にリビングで一緒になった、会員のTさんとFさんにも話を聞いてみました。

Tさんが手料理をふるまってくれました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

Tさんが手料理をふるまってくれました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

取材陣が持参した惣菜も一緒に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

取材陣が持参した惣菜も一緒に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

WEBライター Tさん(30代・女性)「地方に行動の幅が広がるのがうれしい」

Tさんは8月からお試し会員になり、愛車のカブに乗って旅をしているところでした。

会員になってから1カ月間でめぐった拠点は、清川村(神奈川県)、一宮町(千葉県)、世田谷区(東京都)、南伊豆町(静岡県)、鎌倉市(神奈川県)、南房総市(千葉県)の6拠点。取材時は再度、鎌倉市(神奈川県)に滞在していました。

特に印象に残っている拠点は南房総とのこと。午前中に仕事をし、午後は観光へ。鋸山に登ったり、カブで海辺を走ったり、景色のいい温泉を見つけたり。移動しない暮らしでは体験できないような濃厚な一日です。多拠点生活ではこれが日常になるのかと、羨ましくなりました。

Tさんは、会社でリモートワークが認められていること、仕事で地方に取材に行く機会があること、何よりも旅が好きで、「地方に拠点があることで、行動の幅が広がるのがうれしい」と言います。

「はじめはゲストハウス暮らしをしようと思っていましたが、ドミトリーでは同室の人に気を使わなければいけなかったりして、ずっと続けるのは辛い。利用者のことを知っていればその必要もないし、気楽でいいなと思います。現在は東京都内のシェアハウスで暮らしていますが、本格的にADDress暮らしにシフトしようと思っています」とTさん。すでに二子玉川の拠点に申し込みしているとのことでした。

翌日、次の拠点(清川村)へカブに乗ってさっそうと旅立っていきました。次の拠点では、どんな一日を過ごすのでしょうか。

会社員 Fさん(20代・女性)「普段は出会えない人たちと会えるのが楽しい」

Fさんは、北鎌倉拠点で唯一、ほぼ毎日帰宅しているメンバー。都内の会社に勤めていて、21時過ぎに食卓に合流しました。

話に花が咲き、就寝したのは夜中の25時(笑)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

話に花が咲き、就寝したのは夜中の25時(笑)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

今までは熊本県、福岡県、大阪府のシェアハウスやルームシェアをしていたとのこと。10回以上の引越しを経て、転職を機に7月中旬からここでの暮らしをスタートさせました。

「普段会えない、いろんな働き方をしている人たちに会えるのが楽しいんです。新しいサービスだからかな、面白い人が多い」とFさん。

庭があり、ガーデニングや小さな菜園を楽しむこともできるとか。訪問時はサウナ好きのメンバーが設置したサウナテントがありました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

庭があり、ガーデニングや小さな菜園を楽しむこともできるとか。訪問時はサウナ好きのメンバーが設置したサウナテントがありました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「今後も他の地域に転職する可能性もありますし、基本的には“移動する生活”をしていたいんです。ゲストハウスなどで気に入った場所を転々とするのもいいと思ったけれど、やはり、そのままの自分でいられるという精神的基盤があることと、お互いを知っている人と暮らすのは安心感があります。休みの日は、メンバーと鎌倉に行ったり、伊豆で波の音を聞きながらお酒を飲んだり、一人暮らしとは違う、人とのつながりを感じられるところも気に入っています」

海外旅行客が多いゲストハウスで住み込みで働いていた経験から、今後は「日本の常識に縛られない暮らしを知る機会になれば」と、来年以降は海外のサブスク型居住サービスを利用することも考えているとか(現在ADDressでは海外拠点はなし)。

地方の暮らを始めるのでさえ敷居が高いと思いがちなのに、海外はなおのこと。それを比較的気軽にしてくれるのも、サブスク型居住サービスの魅力かもしれませんね。

働く場所、住む場所の垣根がなくなっていく

取材陣が滞在したのは一日だけでしたが、Tさん、Fさんとは連絡先を交換し、後日、さっそく仕事をご一緒しました。
家守の北原さんは、「ADDressは“旅と住むの中間”」と言います。全国の拠点を移動しながら各地域でつながった地元の人たちと旅行ツアーをつくる等、ADDressの出会いで生まれたビジネスも誕生しているとのこと。
働く場所、住む場所は、今後もっと垣根がなくなっていく。体験を通じて、そんなことを実感しました。

●取材協力
ADDress
※現在、入居者の募集はしていないが、今後拠点を増やすにあたり、随時募集していくとのこと

デュアルライフ・二拠点生活[21] 高円寺と別府。意外と似ている2つの街を楽しむ暮らし

ぐつぐつと煮立つお湯に例えた「地獄めぐり」で有名な温泉地・大分県別府市。この街を盛り上げようと奮闘する池田佳乃子さんは、別府に住みながら夫のいる高円寺にも家を持ち、二拠点生活を送っている。大学入学とともに上京し、企業で働いていた池田さんが別府に戻った理由や、高円寺と別府の意外な共通点などについて伺った。
高円寺での新しいコミュニティを通して得た価値観

JR中央線の高円寺駅と阿佐ヶ谷駅のちょうど真ん中。高円寺駅から高架下をずっと歩いて行った先に開ける芝生広場が印象的な高円寺アパートメントは、JR東日本の社宅をリノベーションした住宅で、50世帯がA棟とB棟に住んでいる。A棟の1階には2つの飲食店と4つの住居兼店舗が並び、目の前の芝生広場では月に数度、住人たちが企画・運営するマルシェなどのイベントが行われている。

池田佳乃子さんの東京での拠点、「高円寺アパートメント101(いちまるいち)」は、店舗と夫である石井航さんの設計事務所を兼ねている住居兼店舗だ。開放的な雰囲気から今では近所の子どもたちの居場所にもなっている。

高円寺アパートメントの芝生広場で住人たちとお花見(写真提供/池田佳乃子さん)

高円寺アパートメントの芝生広場で住人たちとお花見(写真提供/池田佳乃子さん)

池田さんは大分県別府市生まれの31歳。大学入学とともに上京し、卒業後は映画会社と広告代理店に勤め、29歳のときに結婚。夫の石井さんが設計事務所を開設するタイミングでここに引越してきた。

30歳になったとき、池田さんは「なにかチャレンジングなことをしよう」と思い立った。
池田さんの周りには、建築家や写真家、役者などアーティストとして自分を表現している友人が多く、彼らと日々過ごす中で、自分には何もオリジナリティがないとコンプレックスを感じていた。そんな中、ふと故郷のプロモーションを目にして、別府の人たちが自由に自分を表現していることに気づき、別府であればもっと自分のオリジナリティが出せるのではないかと思い立った。

今までのキャリアの中で映画や広告に携わり、コンテンツを企画することには自信があった。別府の面白い人たちと一緒に、自分のキャリアを生かした新しいコンテンツを生み出すことで、自分らしい表現ができるかもしれない、そうした思いが日に日に募っていった。

お湯のように湧き立つ思いとともに別府へ

池田さんに迷いはなかった。夫と住む東京を離れ、別府市と連携してビジネスを支援している「一般社団法人別府市産業連携・協働プラットフォームB-biz LINK」に転職した。B-biz LINKは、2017年別府市の出資により立ち上げられた組織で、池田さんは主に別府でビジネスをする人たちのネットワークを広げ、別府の産業を盛り上げる仕事をしている。こうして念願の別府での仕事が始まり、池田さんは二拠点生活者となった。

別府市の鉄輪温泉。たくさんの旅と引越しのあとでたどりついた(写真提供/池田佳乃子さん)

別府市の鉄輪温泉。たくさんの旅と引越しのあとでたどりついた(写真提供/池田佳乃子さん)

結婚してから何年も経っていない夫妻に不安はなかったのだろうか。池田さんは別府に移ってから、月に10日ほど東京に出張している。東京2割、別府8割ほどの生活だ。
「周りにはよく寂しくないのか?と聞かれるのですが、高円寺アパートメントに暮らしていることが大きな安心材料になっているのかもしれません。ご近所づきあいが自然とできているので、夫が晩ごはんを一人寂しく食べることもないし、夜な夜な飲み歩く必要もない。むしろ、芝生で遊ぶ子どもたちと触れ合ったり、夕食を持ち寄って住人たちと一緒に食べたり、自宅で営む雑貨屋のお客さんと楽しく会話したりしているので、一人で東京に暮らしているという感覚はあまりないのかもしれません。夫は東京で、私以外に家族の輪を広げているのだと思います。その感覚が心地よくて、安心しています」

(写真提供/池田佳乃子さん)

(写真提供/池田佳乃子さん)

別府では実家で両親と暮らしている。「二拠点生活になったことで幅広い人たちとコミュニケーションをとるようになったので、自分の中の引き出しが増え、バランス感覚がよくなった気がします」と池田さん。別府と高円寺でコミュニティづくりに携わる中で、共通点があることにも気づいた。「別府と高円寺は似ています。カレー屋さんが多いこと、自由な人が多いこと、あまり周りを気にしていない人が多いこと、銭湯文化が根づいていることとか」と池田さんは分析する。お風呂を通じて人々と交流でき、湯けむりが漂う中で自分を表現できる街、高円寺と別府の両方を心から好きだと思っている。「そういえば、最近高円寺から別府に移住した人がいるんです。やっぱり似ていて住みやすいのかもしれませんね」(池田さん)

鉄輪妄想会議の様子(写真提供/池田佳乃子さん)

鉄輪妄想会議の様子(写真提供/池田佳乃子さん)

湯けむりに囲まれた鉄輪のコワーキングスペース『a side-満寿屋-』

別府の中でも無数の湯けむりが立ちのぼる光景で知られ、古くから湯治場として栄えてきた鉄輪(かんなわ)エリアに、2019年4月コワーキングスペース『a side -満寿屋-』がオープンした。鉄輪エリアは別府を代表する温泉地の一つだが、そこに暮らす女将さんたちは鉄輪の未来に危機感を感じていた。それは、後継者不足によって廃業する旅館やお店が多く、空き家が増加していること。女将さんたちはその課題をどのようにしたら解決できるか、自主的に会議を開いて考えていた。池田さんは、そんな熱意のある女将さんたちと出会い、2018年6月に地域の人たちや学生、地元の起業家や不動産などの専門家を交えて、ワークショップ形式の話し合いの場“鉄輪妄想会議”を開いた。その中で、古くから続く湯治文化を現代のライフスタイルに合わせるには、働きながら湯治ができるスタイルを実現することが近道なのではないかという発想が生まれ、このアイデアから“湯治のアップデート”をコンセプトに、元湯治宿だった空き家をコワーキングスペースにリノベーションすることが決まった。

a side -満寿屋-の内部(写真提供/池田佳乃子さん)

a side -満寿屋-の内部(写真提供/池田佳乃子さん)

築80年の温泉旅館をリノベーションしたコワーキングスペース「a side-満寿屋-」はこうしてできあがった。「来るたび、鉄輪の蒸気によって少しずつ変化を感じることができる空間」をコンセプトにしているというこの場所。利用料金は1日1000円からという都内では破格の価格で、設備は充実している。ソファ席や心を落ち着かせる「ZEN」の部屋があり、プロジェクターやスクリーンは無料で貸し出している。鉄輪には昔と同じように湯治場があり、長期滞在することができる。

2019年9月に行ったワーケーション企画での1コマ(写真提供/池田佳乃子さん)

2019年9月に行ったワーケーション企画での1コマ(写真提供/池田佳乃子さん)

湯治場とコワーキングスペースの組み合わせの背景には、ワーケーションという働き方を池田さんや仲間たちが知ったことがあった。これが普及すればきっと鉄輪のにぎわいは戻ってくるはずだとみんなで思いついた。実際に、コワーキングスペースができてから、利用者がふえてななめ向かいの飲食店が復活した。今後も空き家会議をして、さらに盛り上げていきたいと池田さんはもちろん、地域のみんなで思っている。今はまだ別府市内から4割、鉄輪6割の利用者だが、もっと外からの人の割合を高め、鉄輪の湯のあたたかさを知ってほしいと考えている。2019年9月には、実験的に鉄輪で8社の都市部の企業のメンバーと一緒にコワーキングスペースを活用したワーケーションを実施した。別府にある大学生を巻き込んだ「イノベーション創出型」という形で、あらたな可能性を見つけることができたという。

二拠点生活だからこそ分かったことがある

「東京と別府では情報の粒度とか鮮度が違いますし、東京のさまざまな情報と、別府の実験場としての土壌が上手くブレンドされたら面白いのではないかと感じています。そうした今までに無い網を張るのが、自分の役割だと思っています。将来的には、海外や都会の人たちが交流できる機会をつくることで、別府の中学生や高校生がさまざまな価値観に触れ、キャリアの選択肢を広げられるようになったらいいなと考えています」

池田さんの高円寺の家は、「東京でのつながりをつくる実験の場」でもあり、自宅のリビングをお店にすることで、パブリックとプライベートの境界線を曖昧にしている。「暮らしの境目をなくすとどういう変化が生まれるのかを実験しています。分かったのは、子どもたちが自由に自宅に遊びに来てくれることですね。ここで設計の仕事をしている夫は、子どもたちの保育園に必要な『お迎えカード』を預かって、お母さんが迎えにいけないときのピンチヒッターになっているんですよ」と池田さんは笑う。誰に対しても分け隔てのない夫妻の性格がよく表れているエピソードだ。

池田佳乃子さんご夫妻(写真提供/池田佳乃子さん)

池田佳乃子さんご夫妻(写真提供/池田佳乃子さん)

「二拠点生活を始めて、いろんな角度から物事を見られるようになりました。ひとつしか拠点を持たない生活では、価値観が画一的だった気がするんです」と池田さんは二拠点生活のよさを語る。「でも、私には二拠点までですね。その土地で暮らして「おかえり」と言ってもらえることが自分の居心地の良さにつながっているので、2拠点以上の多拠点暮らしは自分には向いていないかもしれません」(池田さん)

それぞれの土地でコミュニティを築いているからこそ分かる“拠点”の大切さ、そして人とのつながりの尊さ。池田さんは別府と高円寺というまるで違うようで実はよく似ている二つの街を、いいお湯の加減のようにバランスよく、しかし精力的に生きていくのだろう。

●取材協力
a side -満寿屋-

デュアルライフ・二拠点生活[20] 横浜と西軽井沢。定年前にプレ移住した理由

50歳を前に、西軽井沢と東京(現在は横浜)で二拠点生活を始めたWさん夫妻。
「ただ、そんなに目的をもって二拠点生活を始めたわけではないんです」と言いつつ、「この選択に間違いはなかった。この暮らし方を満喫しています」というWさん夫妻に、今回は現在の暮らしぶり、二拠点生活を始めた経緯、将来の展望についてインタビューした。

連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、さまざまな世代がデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。妻は会社をセミリタイア。夫は二拠点生活に

「老後は田舎暮らしをしたい」とずっと考えていたというWさん夫妻。それを前倒しする形で、2年前から西軽井沢拠点での暮らしを始めた。軽井沢暮らしを機に、妻は長年勤めた会社を退職している。「ずっとずっと辞めたいなぁと思っていて(笑)、せっかく家を建てたし、もっと満喫したい。今が辞め時だって思い切りました。新卒で25年以上働いてきて、もういいかなぁって。ここで一区切り、新しい生活をしてみようと思ったんです」(妻)
一方、夫は東京と西軽井沢の二拠点生活。金曜日の夜に西軽井沢へ。土、日を過ごし、月曜日の早朝に新幹線で出社している。「軽井沢駅までは車で15分、軽井沢駅から東京駅までは新幹線で1時間程度。満員電車知らずで、かなり快適です。近い将来には、一日ほどリモートワークさせてもらって、週4長野、週3東京といった生活ができればいいなって思っています」(夫)
最近、夫が東京から神奈川県に転勤になったことに伴い、東京都三鷹市の住まいは売却。横浜市内に1LDKのマンションを借り、妻も友人に会うなど、東京に用事があるときなどに、拠点としているそうだ。

二人とも「のんべえ」さん。外食よりも家でのんびりお酒を飲むことが多いそう(写真撮影/片山貴博)

二人とも「のんべえ」さん。外食よりも家でのんびりお酒を飲むことが多いそう(写真撮影/片山貴博)

こだわったのは、平屋でシンプルな住まいであること依頼したのは、宿泊できる住宅展示場を展開している「class vesso西軽井沢」。W夫妻宅の完成後、入居までの半年間はモデルハウスとして貸していた(写真撮影/片山貴博)

依頼したのは、宿泊できる住宅展示場を展開している「class vesso西軽井沢」。W夫妻宅の完成後、入居までの半年間はモデルハウスとして貸していた(写真撮影/片山貴博)

西軽井沢の住まいは、土地を買い、注文住宅を建てた。
「東京の自宅は3階建てで、今はいいけれど、年を取ると階段の上り下りは大変になる。次の住まいは“平屋”がいい。それがこだわりでした」(妻)
当初は“平屋は意外と割高になる”とも聞いていたが、あらかじめ構造計算されたユニット式の住宅をアレンジすることで、コストを削減。木のぬくもりが感じられる住まいが実現した。開放的なキッチン、外と一体感のあるテラス、タイル細工がアクセントのパウダールームなど、随所にこだわりも。
「ドアは最小限で、ほぼワンルーム。今は2つ住まいがあるので、モノも最小限にと思っています。とはいえ、生活の場でもあるので、だんだんモノは増えてしまっていますね」(妻)
長野の拠点ができたことで、東京から友人が泊りがけで遊びに来ることも増えた。「このあたりは別荘地なので、布団のレンタルサービスもあり、客用布団は不要です」(妻)

開放感あるリビング。冬の暖房は薪ストーブで (写真撮影/片山貴博)

開放感あるリビング。冬の暖房は薪ストーブで (写真撮影/片山貴博)

赤いドアがアクセントの玄関。既製品のハンガーフックを斜めにつけて、スキー板置き場にDIY (写真撮影/片山貴博)

赤いドアがアクセントの玄関。既製品のハンガーフックを斜めにつけて、スキー板置き場にDIY (写真撮影/片山貴博)

開放感あるカウンターキッチン。「コーヒーを淹れるのは夫の担当。彼は料理も得意です」 (写真撮影/片山貴博)

開放感あるカウンターキッチン。「コーヒーを淹れるのは夫の担当。彼は料理も得意です」 (写真撮影/片山貴博)

トイレと一体化したパウダールーム。モザイクタイルがおしゃれ (写真撮影/片山貴博)

トイレと一体化したパウダールーム。モザイクタイルがおしゃれ (写真撮影/片山貴博)

趣味のワインに没頭。コミュニティづくりにも一役買う

一足先にセミリタイア生活を送っている妻。「ここでの生活どうですか?」と漠然とした質問をしたところ、「今も会社勤めをしている彼には悪いけれど……」と前置きしたうえで、「かなり楽しい!」 と即答。「例えば夕暮れ時に染まっていく空の色をぼんやりみるだけで、心癒やされます。野菜を植えたり、家の中を少しDIYしたり、ちょっとしたことで季節の移り変わりを感じたり。忙しい東京での暮らしでは考えられないことです」
そんな妻が今、夢中なのが「ワイン」。移住者向けの農業セミナー「農ある暮らし研修」や1年間のワインアカデミーで知り合った友人たちと一緒に、ブドウ農園で醸造用葡萄づくりのお手伝いをしたり、ワイナリーをはしごしたり、趣味とコミュニティづくりを兼ねた日々を過ごしている。「このあたりは移住者や二拠点生活をしている方も多く、共通の趣味があるので、自然と仲良くなれます」

今日は、ワインアカデミーで知り合った、長野県東御市在住の葡萄農家の方の畑で収穫のお手伝い(画像提供/妻)

今日は、ワインアカデミーで知り合った、長野県東御市在住の葡萄農家の方の畑で収穫のお手伝い(画像提供/妻)

ワインアカデミーの同期の面々。「ご夫婦で小諸に移住された方、東京から長野に週末通って、葡萄を育てている方、ボランティアで収穫にかかわっている方などさまざまで面白いです」 (画像提供/友人)

ワインアカデミーの同期の面々。「ご夫婦で小諸に移住された方、東京から長野に週末通って、葡萄を育てている方、ボランティアで収穫にかかわっている方などさまざまで面白いです」 (画像提供/友人)

今は、平日は夫婦別居生活になっているWさん夫妻。二拠点生活をしている夫に、「生活は変わりましたか?」と聞いてみると、「実はあまり生活が変わっていない」と返答。「もともと、共働きで、平日の夕食はお互い自己解決だったため、今と同じです」。むしろ、今は、別々に暮らす平日でもLINEでおしゃべりしながら夕食をとったり、休日は、毎朝森の中を数kmランニングするなど、ほぼ一緒に過ごし、かえって、メリハリのある関係でいられるようだ。

西軽井沢の住まいのテラスでのんびり過ごす、おふたり(写真撮影/片山貴博)

西軽井沢の住まいのテラスでのんびり過ごす、おふたり(写真撮影/片山貴博)

“新幹線通勤もありえる場所”――それが二拠点生活の始まり

そもそも、どうして西軽井沢に拠点を構えることになったのだろう? 
「東京はあくまでも“稼ぐ場所”。ずっと暮らすつもりはなかったから」と、夫婦ともに口をそろえる。夫は福島、妻は福岡と、ともに地方出身で、東京に一戸建てを建てたものの、「定年後は、どこか田舎で暮らしたい」とずっと思っていたそう。「だから、どこか旅行に行くたび、“ここで暮らしたらどうだろう”と考えていました。地元の不動産会社をのぞいたり、実際に物件に足を運んだこともありました」(妻)
訪れた場所は、富山、湯布院、屋久島、小豆島、阿蘇など多種多様。さらには、タイやフランス、ニュージーランドなど、海外移住も漠然と検討していたそう。そんななか、毎年参加している小布施見にマラソンのついでに、たまたま足を運んだのが、この西軽井沢の土地。最寄駅となる御代田駅は、軽井沢駅から、しなの鉄道線で3駅、約15分のロケーションだ。「もともと別荘地として宅地分譲されていたもの。旧軽井沢など昔からの別荘地の土地は高いですが、少し離れることで手の届く価格になっていました」(妻)
しかも、「この場所なら、東京の職場へも通える」距離感だったことも決め手になった。「当初は定年退職、少なくとも早期退職後に、田舎暮らしを始めるつもりでしたが、この場所なら新幹線通勤もアリじゃないかなと思い始めました。それなら、“いつか”ではなく、“今”買ってもいいのかもと思うように」(夫)
その日のうちに申し込み。“いつかの夢”と思っていた田舎暮らしの夢が一気に現実に近づくことになった。

友人が手掛けたワインで乾杯。「軽井沢は昔からの別荘地なので、地元のスーパーもジャムやハム、チーズなど気の利いたものが充実しています」(写真撮影/片山貴博)

友人が手掛けたワインで乾杯。「軽井沢は昔からの別荘地なので、地元のスーパーもジャムやハム、チーズなど気の利いたものが充実しています」(写真撮影/片山貴博)

近所にある農作物の直売所センターにはよく足を運ぶ。「新鮮でとにかく安い。バターナッツなど知らない野菜にも出会えて楽しいです」(写真撮影/片山貴博)

近所にある農作物の直売所センターにはよく足を運ぶ。「新鮮でとにかく安い。バターナッツなど知らない野菜にも出会えて楽しいです」(写真撮影/片山貴博)

50代の今だからこそできることも。前倒ししてよかったと実感

当初は「定年後に田舎暮らし」を想定していたWさん夫妻。それが10年以上前倒しになったことは想定外だったけれど、結果的に正解だったと思っているそう。
「田舎暮らしは、やることが意外と多いんですよね。ストーブの薪割り、庭の手入れ、大工仕事など、いろいろあります。60代でいきなりこんな生活に突入するのは正直キツかったと思うんですよね。だから、リタイア前に、二拠点を構えて、働き方、暮らし方をゆるやかにシフトしていくやり方は、よかったなと思っています」(夫)

薪割り、薪置き場のDIY、煙突の掃除など、田舎生活はやることがいっぱい(画像提供/妻)

薪割り、薪置き場のDIY、煙突の掃除など、田舎生活はやることがいっぱい(画像提供/妻)

(画像提供/妻)

(画像提供/妻)

現在は横浜と西軽井沢の二拠点生活だが、定年退職後は西軽井沢に完全移住するつもりというWさん夫妻。家のメンテナンスをする。東京の住まいを売却し、モノを減らす。コミュニティをつくる。それらのすべてが、完全移住のための準備に。「この土地に出会ったことで、すべてが動き出しました。決断して良かったなと思います」(妻)
定年後の田舎暮らしに憧れる人は多いが、いきなり始めてしまうのはハードルが高いもの。Wさん夫妻のように、現役時代に、二拠点生活を始めてみることで、ゆるやかにシフトしていくのは賢い選択だろう。Wさんの場合は家を建てたが、試しに賃貸で始めて見るのもひとつの方法だ。

二拠点生活の先進国・フィンランドへ。自給自足ライフを体験!

「二拠点生活(デュアルライフ)」の日本の実践者は1.3%(リクルート住まいカンパニー調べ)。一方、フィンランドは、“サマーハウス”と呼ばれる二拠点目での暮らしを楽しむ人が半数を超え、現地の人に聞いたところによると「8割の人は一度は体験している」という二拠点生活の先進国といわれている。今回は、自らも日本での二拠点生活を実践するSUUMO編集長が、現地で二拠点生活を体験したことをレポートします。
フィンランドには、サマーハウスの予約サイトがある!

2019年のトレンドワードとして「デュアラー(二拠点生活実践者)」を発表した弊社としては、デュアラー先進国のフィンランドで浸透の秘密を探りつつ、ちゃんと実体験もしないと。という理屈で、フィンランドでの二拠点生活体験&取材が決まりました。

今回は、フィンランドの知人のオッリさんに、彼の親族が所有する二拠点目の住居(サマーハウス)を体験させてもらおうと画策・相談しました。が、そのサマーハウスはヘルシンキから少し距離があり、時間がかかるということで彼から「サマーハウス専用の予約サイトがあるから、そこからヘルシンキにほど近いサマーハウスを探して予約しましょう」という提案が来ました。下記がそのサイトです。サマーハウスを持っている人が使わないときは人に貸し出すサービスでフィンランド版のAirbnbのようなものです。

サマーハウス予約サイト。実際に予約した家がこちら。予約期間の初期設定が7daysと日本から見ると羨ましくなるような長さが、二拠点生活の先進国・フィンランドらしい

サマーハウス予約サイト。実際に予約した家がこちら。予約期間の初期設定が7daysと日本から見ると羨ましくなるような長さが、二拠点生活の先進国・フィンランドらしい

今回はショートステイで大人最大7名が泊まれるサマーハウスに2泊。ベッドシーツ、タオルレンタルやクリーニング代すべて合わせて616ユーロ(約7万円)でした。
鍵の受け取り等と、食料品の買い込み、準備はオッリさんに全部やってもらい、我々はヘルシンキから車でサマーハウスに乗り込みました。

平均29平米といわれるサマーハウスのなかでは、平屋でかなり大きめのサイズ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

平均29平米といわれるサマーハウスのなかでは、平屋でかなり大きめのサイズ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

到着して最初に行うのは、アレ!

我々が到着したのは夕方の16時ごろ。到着後、荷物を置いて、部屋割りを決めて、オッリさんにすぐに連れて行かれたのは小さな小屋。「では、束になっている薪をこのトレイに積んで」と指示を受けて持って行ったのは、湖のほとりの別の小屋。ここはもしや?と思ったら、予想通りサウナ小屋でした。まずサウナから。さすがサウナの本場フィンランドです。日本でいうと温泉旅館に到着したら、浴衣に着替えてまずはお風呂にいく、あの感覚に近いです。

薪をしまっておく倉庫。小屋はDIYでつくった感のある簡易なもの(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

薪をしまっておく倉庫。小屋はDIYでつくった感のある簡易なもの(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

サウナの温め方は、薪ストーブに似ています。炉内に薪をくべて、薄く剥いだ木片に火をつけて、それを火種に、最初にくべた薪に火を回します。薪が燃えると上にある石が徐々に温まっていくという形。石が温まるまでは時間がかかるので最初にやります。

ところで石の上にかける水はというと、湖から汲んできます。フィンランドのサマーハウスのほとんどは湖のほとりにありますが、これは景観的に美しいとか、サウナ後にすぐ飛びこめるといったものだけでなく、水の調達がしやすいという実利面もあるようです。

サウナ小屋の先には階段があり、下りた先は湖。桟橋は、ときに“飛び込み台”になり、腰を掛けて足先を水につけて読書するときの“椅子”になります(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

サウナ小屋の先には階段があり、下りた先は湖。桟橋は、ときに“飛び込み台”になり、腰を掛けて足先を水につけて読書するときの“椅子”になります(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

サウナ小屋の内部の様子。オレンジのバケツに湖から取ってきた水を入れておきます。サウナの外に着替えや仮眠ができる小部屋があります(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

サウナ小屋の内部の様子。オレンジのバケツに湖から取ってきた水を入れておきます。サウナの外に着替えや仮眠ができる小部屋があります(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

外国人客をもてなすディナーはあの肉

サマーハウスの母屋に戻ると、夕食の準備が進んでいます。「ではメインの肉を焼きましょう、はい、焼き担当は外へ出ましょう」とオッリさん。ウッドデッキ上にあるBBQグリルで炭をおこし、プレートの上で焼くのは、「レインディア(トナカイの肉)」です。トナカイ肉はやや高級品らしく、豚:牛:トナカイ=1:2:3くらいの値段と聞きました。今回のトナカイ肉はスーパーで売っているごく一般的なものでしたが、まったく臭みがなくて、塩コショウだけで超美味でした。ビールがどんどん進みます。

トナカイ肉でBBQ
「はい、できました」とオッリさん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「はい、できました」とオッリさん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)


さてリビングに戻ると、仲間たちがお手伝いして夕食がどんどんできあがっていました。調理場でもオッリさんが大活躍。フィンランドでは男子が調理場に立つのは普通のようですが、なかでもオッリさんは超料理男子でした。

リビングでの夕食の様子
リビングでの夕食の様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

リビングでの夕食の様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

食事も盛り上がり、夜も更けて、外は暗くなってくるかと思いきや、ここは夏のフィンランド。日が長かった。夜の20時でも全然明るいのです。夕食後に、サウナにいってさらに湖で泳ぐことができます。

サウナはとても気持ち良いものの、果たして体や髪の毛はどう洗うのか?ぱっと見ると上水道はありません。はい、実は汲んできた湖の水を洗面器に移してそれをすくって頭から豪快にバシャーです。

汲んできた湖の水を洗面器に移す
湖で汲んできた水をサウナ用の薪で熱湯に変えて、水を混ぜて適温にして豪快に頭からかぶる。よく見ると少し小枝が浮いているが、そんな小さなことは気にしない様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

湖で汲んできた水をサウナ用の薪で熱湯に変えて、水を混ぜて適温にして豪快に頭からかぶる。よく見ると少し小枝が浮いているが、そんな小さなことは気にしない様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

そのままサウナに入ること数十分。体がポカポカになってきたところで、小屋の先の階段を下りていきます。そして……湖にドボンです。

写真撮影した時間は20時近くと思われますが明るいです。サウナ後に遊泳するだけでなく、小舟で釣りに出かけ、その釣った魚を調理して食べるのもサマーハウスの楽しみ方(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

写真撮影した時間は20時近くと思われますが明るいです。サウナ後に遊泳するだけでなく、小舟で釣りに出かけ、その釣った魚を調理して食べるのもサマーハウスの楽しみ方(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さて夜も深まって睡眠。朝は散歩に出かけます。今回利用させていただいたサマーハウスの付近は日本の別荘地と異なり、建物が立て込んでいません。建物はポツポツとある程度で、周囲は自然そのものです。また、建物も均一ではなくきれいなものもあれば、自分で建てたであろう小屋も点在します。

日本の北海道に近い光景。急峻な山はなく、緩やかな小高い丘に緑のじゅうたんの景色が広がる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

日本の北海道に近い光景。急峻な山はなく、緩やかな小高い丘に緑のじゅうたんの景色が広がる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

家に戻って朝ごはん、ここでも調理男子オッリさんがフィンランドの朝らしい朝食ををつくってくれてました。ブルーベリーパイに、卵料理などテーブルの上にズラリ。そして何よりも窓からの景色が彩りとなって、豊かな朝の時間が流れます。

朝食では、ブルーベリーパイ、ハム、エッグ
朝食では、ブルーベリーパイ、ハム、エッグ。ランチではフィンランド名物サーモンクリームスープをいただきました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

朝食では、ブルーベリーパイ、ハム、エッグ。ランチではフィンランド名物サーモンクリームスープをいただきました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

優雅なランチタイムを終えて、最後に記念写真をパチリ。

今回は現地で魚やマッシュルームを調達する自給自足体験は諦め、スーパーで食品を調達する形に。
オッリさんが自宅で下ごしらえするなど凝ったパーティー料理を準備してくれました。もっと自給自足的な昔の暮らしを楽しむスタイルもあります。子どもと一緒に森に入り、ふんだんにあるブルーベリーを摘み、マッシュルームを集め、湖で釣りをして、さばいて食べるなんてこともよくあることです。近くの森林から伐採した木を割って薪にしてサウナを沸かすことも一般的。サマーハウスもほぼDIYで建てたものから、厳しい冬も暖かく過ごせる高断熱の立派なサマーハウスまでさまざまです。サマーハウスで家族や親族、知人と一緒に過ごし、多様な体験を得ることがフィンランドの二拠点生活文化として根付いています

日本の別荘は、暮らしに必要なインフラや設備を用意しすぎなのかもしれません。フィンランドのサマーハウスは自然と親しみ、一体化する感覚が強いです。サマーハウスが建つ場所も、食べ物も、水光熱にかかる部分も自然の恵みを上手に利用して、リーズナブルに、手間を楽しんで、時間に追われずゆったり過ごす。日本においても管理・共用棟だけ充実させ、個人の家の空間は、広さや設備をミニマムにして、もっとリーズナブルに提供すればいいのではないでしょうか。特に若い世代にはそのほうがヒットする予感がしす。デュアルライフを楽しむために必要なのは、立派な箱ではなく、調理ができる、火が起こせる、肉が上手に焼けるという個人スキルだと思いました。同行したスタッフも「一番驚いたのは、オッリの料理スキルの高さ! 調理が『家事』ではなく『余暇の過ごし方』という位置付けなのが、その要因の一つでは。サバイバビリティの高さは、今の日本のキャンプブームとも通ずるものがあると感じました」とのこと。その点で自分はどうかというと……がんばります(苦笑)。

今回、サマーハウス体験をしたみなさんと家の前で。お世話になりました!左手に薪の小屋、奥に見えるのが湖。その手前にサウナ小屋があります(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

今回、サマーハウス体験をしたみなさんと家の前で。お世話になりました!左手に薪の小屋、奥に見えるのが湖。その手前にサウナ小屋があります(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

デュアルライフ・二拠点生活[19]東京・佐賀、仕事バリバリ母の「いいとこ取り」な日々

「二拠点生活してます」と言うと、仕事は都心で、住まいは田舎で素敵にスローライフ、なイメージでしょうか?
半年前から二拠点生活を始めた筆者ですが、もともと自他ともに認める「超・仕事人間」。田舎時間でゆっくり子育て生活か……というと、実はそうでもなく、仕事と利便性にあふれた都心の生活と両立するため、常にバタバタしています。

「仕事は思いっきり」「子どもはのびのび育てたい」どちらも捨てられず、「まずはやってみよう」と始めた二拠点生活、よろしければご覧ください。

連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、さまざまな世代がデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます大人になって見直した故郷「佐賀」の魅力

子どもが生まれてから気付いたことがありました。
「退屈でつまらない」と思っていた故郷が、文化的で美しい「広い平野と水辺にあふれた町」だったことです。

佐賀県庁前のお堀。もともと佐賀城内にあたる佐賀の中心部、佐賀県庁や県立図書館付近はお堀に囲まれており、筆者の小学校から高校までの通学路でもあった(写真撮影/唐松奈津子)

佐賀県庁前のお堀。もともと佐賀城内にあたる佐賀の中心部、佐賀県庁や県立図書館付近はお堀に囲まれており、筆者の小学校から高校までの通学路でもあった(写真撮影/唐松奈津子)

筆者は大学を卒業して5年ほど会社勤めをし、10年ちょっと前に会社を立ち上げて、企業のブランドづくりやプロモーションのお手伝い、パンフレットやホームページなどの制作を仕事にしてきました。会社をつくった年に娘が生まれ、5年前に息子が生まれ、今は仕事と育児をしながら、社会人大学院に通っています。仕事もしたい、子どもも育てたい、学び続けたい……欲張りなのだと思います。

東京でクライアントと新しいサイト立ち上げのための打ち合わせ中。奥側左が筆者(写真撮影/唐松奈津子)

東京でクライアントと新しいサイト立ち上げのための打ち合わせ中。奥側左が筆者(写真撮影/唐松奈津子)

そんな私が東洋大学大学院の公民連携専攻で地方自治体の取り組みについて学ぶなか、佐賀県は「子育てし大県“さが”」を掲げて子育て世帯の支援に熱心なこと、ICT教育への取り組みが全国トップクラスであることを知りました。

子育てし大県“さが”のホームページ

子育てし大県“さが”のホームページ

さらに近年、佐賀の持つ資源に気付いた面白い人、コトが集まり始めており、「ここちよいさが」を生み出すために4年前から年に1回、「佐賀デザイン会議(仮)」と「勝手にプレゼンFES」がクリエイター30~100人を集めて開かれています。私もそれらのイベントに参加しながら、佐賀の空き家や空き地を有効活用するための事業の準備を進めています。

2019年5月に東京都永田町で開催された佐賀デザイン会議(仮)。勝手にプレゼンFESの紹介をするのはさがデザイン、県庁職員の宮原耕史さん。勝手にプレゼンFESでは佐賀県知事の山口祥義さんをはじめ、県庁の各部署の担当者たちも一堂に会す(写真撮影/唐松奈津子)

2019年5月に東京都永田町で開催された佐賀デザイン会議(仮)。勝手にプレゼンFESの紹介をするのはさがデザイン、県庁職員の宮原耕史さん。勝手にプレゼンFESでは佐賀県知事の山口祥義さんをはじめ、県庁の各部署の担当者たちも一堂に会す(写真撮影/唐松奈津子)

さがデザインは県知事が政策の柱として打ち出した二本柱のうちの一つ。佐賀県庁の2階にあるさがデザインの執務スペース「ODORIBA」は、県内のプロジェクトを紹介するギャラリーも兼ねており出入り自由。筆者も事業の相談等にふらっと寄らせてもらっている(写真撮影/唐松奈津子)

さがデザインは県知事が政策の柱として打ち出した二本柱のうちの一つ。佐賀県庁の2階にあるさがデザインの執務スペース「ODORIBA」は、県内のプロジェクトを紹介するギャラリーも兼ねており出入り自由。筆者も事業の相談等にふらっと寄らせてもらっている(写真撮影/唐松奈津子)

空き家になっていた祖母宅に親戚価格で仮住まい

私が東京・佐賀の二拠点生活を始めたのは2019年の2月から。「もう佐賀には戻らない」と言い放って東京で一人暮らしを始めた18歳の春以来、ろくに佐賀に帰ることもなく、ずっと東京都心で生活してきたのに、です。子どもが生まれてから、特に2人目の男児が生まれてからというもの、狭いマンションのリビングで走り回る息子を見ては、広い土地と自然豊かな佐賀で子育てをしたくて仕方がなくなってきたのです。

佐賀では、介護施設に入って5年近く空き家になっていた祖母の家を親戚価格で借り受けています。ご多聞にもれず、佐賀の住宅地も空き家が増えていて、家の周辺を歩いていると10軒中1~2軒の頻度で空き家を見つけることができる状態です。

筆者の佐賀の自宅周辺。高齢化が進み、空き家もちらほら見られるようになってきた(写真撮影/唐松奈津子)

筆者の佐賀の自宅周辺。高齢化が進み、空き家もちらほら見られるようになってきた(写真撮影/唐松奈津子)

大学院で空き家の研究をしている私は、実際に空き家に住んで、古い家でも快適な暮らしが実現できるのかを確かめたいと思っていました。わが家となった祖母の家は築60年の9DK、敷地内に小川(クリーク)が流れる広い庭もあります。

わが家の間取り。9DKと広すぎて特に2階の客間などはほとんど使わず持て余している感もあるが、子どもたちは家の中で追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり楽しそう(図/唐松奈津子)

わが家の間取り。9DKと広すぎて特に2階の客間などはほとんど使わず持て余している感もあるが、子どもたちは家の中で追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり楽しそう(図/唐松奈津子)

昔ながらの家なので、いたるところに縁側がある。引越したのは2月だったが、寒い冬も縁側でぽかぽか日向ぼっこをして過ごせた(写真撮影/唐松奈津子)

昔ながらの家なので、いたるところに縁側がある。引越したのは2月だったが、寒い冬も縁側でぽかぽか日向ぼっこをして過ごせた(写真撮影/唐松奈津子)

田舎の生活で子どもたちの創造力が開花した!

佐賀での生活を始めて、一番よかったと思うことは、やはり子どもたちの過ごし方です。まだ住み始めて半年強ですが、時間、空間、そして心に余白のある生活は子どもたちのクリエイティビティを開花させたように思います。

小学校5年生になる娘は「いろんなお家の庭がきれいだから、自分も庭に花を植えたい」と言い出しました。近くのホームセンターに行けば、数十円~数百円で花の苗が売られているので、子どものお小遣いでも簡単に10苗くらい買えます。お手本は周りにたくさんあるので、登下校の際に周辺の家の庭を覗き見しては、こんな風に植わっているときれいだ、と玄関から門につづくアプローチを花壇にして試行錯誤しています。

娘がつくった花壇の第1弾が完成したときの記念撮影。夏は小さなひまわりが両脇の花壇にたくさん咲いた(写真撮影/唐松奈津子)

娘がつくった花壇の第1弾が完成したときの記念撮影。夏は小さなひまわりが両脇の花壇にたくさん咲いた(写真撮影/唐松奈津子)

東京では時間があるとテレビを見たい、YouTubeを見たいと私にせがんでばかりいた息子も、引越しの際に使用した山積みの段ボールで工作をする時間が増えました。リビング・ダイニングにテレビもパソコンもiPadもない生活。東京では家電やおもちゃを買い与えるばかりでしたが、佐賀では、ミニカーを走らせる道路もおままごと用の家やベッドも本人による段ボール製になりました。おままごとに使うぬいぐるみは編みぐるみやフェルトでお姉ちゃんがたくさんつくってくれます。

ミニカーを走らせる坂道の道路と街を段ボールで製作中の息子(写真撮影/唐松奈津子)

ミニカーを走らせる坂道の道路と街を段ボールで製作中の息子(写真撮影/唐松奈津子)

娘がつくったぬいぐるみの一例。つくっては弟にプレゼントして反応を見るのがお姉ちゃんのお楽しみ(写真撮影/唐松奈津子)

娘がつくったぬいぐるみの一例。つくっては弟にプレゼントして反応を見るのがお姉ちゃんのお楽しみ(写真撮影/唐松奈津子)

生活コスト、コスパの良さにうれし涙!

さらに大人にとって何よりうれしいのは、ご飯がおいしいこと。
家賃や食費などの生活コストはざっと感覚値で東京の2分の1です。南北に海、中央に山、そして広大な平野がある日本をぎゅっと凝縮したような佐賀の地形は、農作物はもちろん、魚も肉も豊富に手に入ります。

東京にいるときには、子どもたちのお祝いごとに鯛を手に入れようとしても、まず売っているところを見つけるのに一苦労、見つかっても大きなものは1000円を超える値段で買うのに躊躇(ちゅうちょ)したものでした。ところが今は近くのスーパーで真鯛でも1尾300円以下、連子鯛なら1尾100円以下で手に入ったりします。魚がおいしいおいしいと子どもたちがせがむので、私も魚の種類に応じたさばき方をマスターして日々さばきまくっています。

わが家から車で数分のところにあるスーパーの魚売り場。連子鯛1尾98円(税別)。佐賀県は鯛の消費量が全国一、日本全体の平均の3倍以上らしい(写真撮影/唐松奈津子)

わが家から車で数分のところにあるスーパーの魚売り場。連子鯛1尾98円(税別)。佐賀県は鯛の消費量が全国一、日本全体の平均の3倍以上らしい(写真撮影/唐松奈津子)

そして九州はお肉の産地としても有名で、佐賀には「佐賀牛」というブランド牛があります。九州産の和牛だってスーパーのタイムセールを狙えば、私と子ども2人の肉じゃがにちょうどいい1パック150g前後が500円以下で手に入っちゃったりします。

美味しいお肉が安いのでついついタイムセールの時間を狙って買いだめ(写真撮影/唐松奈津子)

美味しいお肉が安いのでついついタイムセールの時間を狙って買いだめ(写真撮影/唐松奈津子)

「田舎あるある」ですが、野菜はご近所や隣に住む両親が知り合いからもらってきたものでかなりまかなえるので、夕飯を準備する時間が十分にないときにはありものの肉と野菜でお庭バーベキューです。私が食材の準備をしている前で10歳の娘が火の見張り番をやってくれるので、娘はかなりのバーベキューマスターになりました(笑)。

実は行き来も楽チン、東京―佐賀のアクセスと仕事

「でも、移動とか大変ですよね?」
二拠点生活をしていると話すと、必ず聞かれるのがこの質問です。もともと東京・品川の自宅は超効率化、いわゆる「時短」と「両立」を考えて選んだ住まいでした。

息子が通っていた保育園が隣にあり、保育園と渡り廊下でつながる娘の小学校も隣。大小の公園、大きな森を抱える由緒ある神社、区立図書館、住民票取得などの手続きができる地域センター、500円でフィットネス施設を利用できる区の健康センター、コンビニ、駅……それらが全て徒歩5分圏内にあります。

保育園の隣にある東京の自宅。ベランダからは保育園の園庭が見える近さ。たまに息子がベランダからのぞくと、引越し前まで同じクラスだったお友だちが園庭から呼びかけてくれるときも(写真撮影/唐松奈津子)

保育園の隣にある東京の自宅。ベランダからは保育園の園庭が見える近さ。たまに息子がベランダからのぞくと、引越し前まで同じクラスだったお友だちが園庭から呼びかけてくれるときも(写真撮影/唐松奈津子)

マンションの階段からは娘が通っていた小学校の体育館やグラウンドが見える(写真撮影/唐松奈津子)

マンションの階段からは娘が通っていた小学校の体育館やグラウンドが見える(写真撮影/唐松奈津子)

羽田空港から車で20分の東京宅、佐賀空港から車で20分の佐賀宅を行き来するのは、実は思ったよりも負荷が少ないのです。今のところ、子どもたちのいる佐賀を主な拠点として、私は月に2~3回往復しながら約1/3を東京、残りの2/3を佐賀で過ごしています。たしかに移動に多くの時間を費やすことは効率が悪いかも……と思っていましたが、いざ始めてみると、移動中にやる仕事は無茶苦茶はかどる! それこそデスクワークは1日分のタスクを移動中に終わらせることができるくらいです。ちなみにこの原稿も飛行機の中で書いています。

片道1時間半~2時間の飛行機の中。私はパソコンを、息子は絵本を広げて過ごすのがお約束(写真撮影/唐松奈津子)

片道1時間半~2時間の飛行機の中。私はパソコンを、息子は絵本を広げて過ごすのがお約束(写真撮影/唐松奈津子)

LCCが使えるようになり、時間に余裕があるときは成田空港から佐賀へ。セールのときは片道2000円以下、平常時は8000円前後で成田―佐賀間を移動でき、子どもたちも1~2カ月に1回の飛行機移動にすっかり慣れた(写真撮影/唐松奈津子)

LCCが使えるようになり、時間に余裕がある時は成田空港から佐賀へ。セールの時は片道2,000円以下、平常時は8,000円前後で成田―佐賀間を移動でき、子どもたちも1~2カ月に1回の飛行機移動にすっかり慣れた(写真撮影/唐松奈津子)

東京での打ち合わせや会議は、取引先の協力を得ながらWEB会議のシステムを利用することで、効率化できるようになりました。

パパは東京の会社に勤めており、品川の自宅にいるため、月に1回程度は子どもたちを東京に連れて休みを過ごします。もちろん、逆にパパが佐賀に来て過ごすパターンも。私が仕事で東京にいる間は、子どもたちは隣に住む両親(子どもたちにとっての祖父母)と過ごします。都心と地方、両方の地域性を実際に住んで体感できること、親以外の「ナナメの関係」である祖父母とも生活を共にする時間があること。それが今後の子どもたちの将来にどう影響するか、楽しみにしているところです。

東京にいるときの休日はパパとお出かけしたり、ゆっくり過ごすのがうれしい息子(写真撮影/唐松奈津子)

東京にいるときの休日はパパとお出かけしたり、ゆっくり過ごすのがうれしい息子(写真撮影/唐松奈津子)

二拠点生活を始めて、気づいたことがあります。それは、都心でも田舎でも、結局多くの人に助けられながら子育てをしているということ、だからこそ「人との繋がり」のありがたさを再認識したことです。

多くの子育て世代が同じ場所にいた東京・品川での子育ては同級生のパパやママ、今でもベビーシッターさんにたくさんお世話になります。故郷でもある佐賀で感じるのは親戚やご近所、同級生の「身内感」がとにかく楽なこと。昔ながらの緩やかなコミュニティが成り立っていて、毎月会費を払うことで運用される自治会、月に一度、朝7時から近くにある公園の掃除に参加するのも気持ちが良いものです。

テレワークや在宅、副業OKなど、企業においても働き方がどんどん多様になってきました。また、LCCの普及やネットワーク環境の整備により、移動も、仕事をする環境も飛躍的に便利になりました。私は実際に自分が二拠点生活を始めてみて、多くの恵みと多くの人との出会いに感謝しています。だからこそ、仕事で忙しいという人にも「試しにやってみたら?」と提案したい暮らし方です。

●取材協力
・佐賀県 健康福祉部 男女参画・こども局 こども未来課
・佐賀県「さがデザイン」

デュアルライフ・二拠点生活[18]東京と北海道洞爺。小屋を建て、土を耕す。仲間と一緒に「つくる」を楽しむ生活とは?

新千歳空港から車で約1時間30分。到着したのは火山に温泉、美しい眺めで、旅人を魅了する洞爺湖です。周囲約50kmの湖畔は見どころが満載。カフェやレストラン、ワイナリーなど、魅力的なスポットも点在しています。そんな湖の西側に位置する洞爺湖町月浦が、今回ご紹介するデュアルライフの舞台。主役のふたり、宇野豪佑(うのごうすけ)さんと加奈(かな)さんの暮らしぶりは?インタビュー、スタートです。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、さまざまな世代がデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます2011年の震災をきっかけに、考え始めたこれからのこと

取材に訪れたのは8月中旬。前日の雨がウソのように晴れ渡り、お盆を過ぎると急に秋めいてくる北海道には珍しく、気温も30度を超える暑さ。照りつける日差しのなか、仲間たちと小屋づくりをしていた宇野さんは、作業の手を止め「こんにちは」と、笑顔で迎えてくれました。

洞爺の拠点をふたりは『Blue Village』と命名。湖の真ん中に浮かぶ中島から、有珠山に昭和新山まで見渡せる(写真撮影/川村一之)

洞爺の拠点をふたりは『Blue Village』と命名。湖の真ん中に浮かぶ中島から、有珠山に昭和新山まで見渡せる(写真撮影/川村一之)

自然のなかで土に触れ、自分たちの手でつくる生活の場を、北海道の洞爺湖町に求めた豪佑さんと加奈さん。豪佑さんは兵庫県三田市出身で大学から東京へ、加奈さんは東京生まれの東京育ち。北海道に縁のなかったふたりが、洞爺を選んだ理由も気になるところですが、まずはデュアルライフのきっかけから聞いてみましょう。

東京では宇野さんが個別指導の学習塾、加奈さんは訪問療育と、いずれも子どもに関わる仕事に携わっている。洞爺では土地の自然と互いの経験を活かしたワークショップ『旅する學校』なども企画(写真撮影/川村一之)

東京では宇野さんが個別指導の学習塾、加奈さんは訪問療育と、いずれも子どもに関わる仕事に携わっている。洞爺では土地の自然と互いの経験を活かしたワークショップ『旅する學校』なども企画(写真撮影/川村一之)

「きっかけは2011年の震災でした。そのとき僕はシンガポールにいたのですが、海外で報道されるニュースと国内にいる家族や友人から聞く情報が違っていて、日本の政治や経済のシステムに違和感をおぼえたんです。ライフラインが断たれることへの不安もありました」

そんなときに、自然の循環を取り入れながら自給自足に近い暮らしを実践する人たちと出会った宇野さんは、「とても人間らしいというか自然に見えて、自分もそんな暮らしがしたいとワクワクしました。僕以上に加奈は自然のなかでの暮らしを求めていたと思います」

薬膳アドバイザーの資格をもつ加奈さん。お裾分けでもらった梅の実をシロップに。色もきれいなジュースはやさしい味わい(写真撮影/川村一之)

薬膳アドバイザーの資格をもつ加奈さん。お裾分けでもらった梅の実をシロップに。色もきれいなジュースはやさしい味わい(写真撮影/川村一之)

豪佑さんにとって妻の加奈さんは、一番の理解者で思いを分かち合う同志。
「僕がSNSで発信した言葉に加奈が反応してくれて、会うことになったんです。学生時代は顔見知り程度で、ちゃんと話すのはその時が初めてだったのに、待ち合わせした喫茶店で何時間も話し込んで。そこから付き合いが始まりました」

兵庫の山間出身で海外経験も長い豪佑さん。設計や建築の経験はなくとも、自分で調べてとにかく行動を起こす(写真撮影/川村一之)

兵庫の山間出身で海外経験も長い豪佑さん。設計や建築の経験はなくとも、自分で調べてとにかく行動を起こす(写真撮影/川村一之)

その後ふたりは結婚。自然を大切にし、既存のシステムに頼らず持続可能な暮らし方を模索するなかで、東京を離れ別の場所に移り住むことを現実問題として考え始めます。
「海外に住むのもアリだよねって、ふたりでニュージーランドにも行きました。ニュージーランドは自然エネルギーの利用が普及していたり、マオリの文化が継承されていたり、国民の意識が高く、国全体で豊かな自然に感謝しながら暮らしている印象でした」

そんなニュージーランドから帰国して、次に訪れたのが北海道の洞爺湖。
「湖を取り巻く風景や空気感がニュージーランドに似ていると思いました。実際に移住することを考えたら、食べ物は日本のほうがおいしいし、北海道なら東京と関西にいる互いの両親にもすぐ会いに行けますしね」と加奈さん。

ニュージーランドから帰国後出合った洞爺は海も湖も山も近く北海道の中では最も温暖な地域だ(写真撮影/川村一之)

ニュージーランドから帰国後出合った洞爺は海も湖も山も近く北海道の中では最も温暖な地域だ(写真撮影/川村一之)

湧き水に恵まれた高台の原野で、キャンプしながら小屋づくり

洞爺湖町の空き家バンクで土地を見つけたのが2017年の夏。湖を望む高台にぽっかり開けた400坪の土地を手に入れた豪佑さんは、自分たちが思い描く理想の暮らしの実現に向けて、2018年春から本格的に小屋づくりをスタート。

森の木々に埋もれるようにポツンとたたずむ小屋。昨年秋には屋根もかけられ、雪にも耐えて2年目を迎えた(写真撮影/川村一之)

森の木々に埋もれるようにポツンとたたずむ小屋。昨年秋には屋根もかけられ、雪にも耐えて2年目を迎えた(写真撮影/川村一之)

三角屋根にはソーラーパネルを載せて太陽光発電で電気を確保。快適に発電しているそう(写真撮影/川村一之)

三角屋根にはソーラーパネルを載せて太陽光発電で電気を確保。快適に発電しているそう(写真撮影/川村一之)

「図面を描いて材料をそろえて、仲間に手伝ってもらいながらゼロからつくっていきました。ただ、斜面を整地して小屋の基礎部分をつくるのは、さすがに自分たちだけでは難しくて、地元の方に助けていただきました」と豪佑さん。

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窓枠の取り付けも一つひとつ手作業。東京から駆けつけた頼もしい助っ人がこの日も大活躍(写真撮影/川村一之)

窓枠の取り付けも一つひとつ手作業。東京から駆けつけた頼もしい助っ人がこの日も大活躍(写真撮影/川村一之)

東京でそれぞれの仕事を続けながら、まとまった時間ができると洞爺にやって来て、小屋づくりのキャンプ生活。文明の利器に頼りすぎない生活は、ふたりにとっては不自由さよりも楽しさのほうが勝っているよう。

小屋の内部は天井も高くロフト付き。「都内のワンルームよりずっと広いですし、キッチンも外につくったのでスペース的な狭さは感じません」と豪佑さん(写真撮影/川村一之)

小屋の内部は天井も高くロフト付き。「都内のワンルームよりずっと広いですし、キッチンも外につくったのでスペース的な狭さは感じません」と豪佑さん(写真撮影/川村一之)

壁には噴火湾産のホタテの貝殻を原料にした塗り壁材「ホタテ漆喰」を使用。虫よけに天井から下げた藍色の蚊帳がブルーの壁に似合っている(写真撮影/川村一之)

壁には噴火湾産のホタテの貝殻を原料にした塗り壁材「ホタテ漆喰」を使用。虫よけに天井から下げた藍色の蚊帳がブルーの壁に似合っている(写真撮影/川村一之)

「東京にいるときは思考が先行して、頭ばかりが働いている状態でしたけど、洞爺にいるときは考えるより先に、体が直感に従って動く感じがします。庭のブルーベリーが青くなってきたから摘むとか、自然をより身近に感じられる気がします」と加奈さん。

そんな加奈さんを一番近くで見ている豪佑さんは、「3m近くある小屋の屋根にのぼってビスを打ったり、東京ではしないようなことも平気みたいで、むしろ楽しんでいる感じですよね。そばで見ていても溌剌としているなって思います」とうれしそう。

加奈さんは電動カッターの扱いも慣れたもの。材料は購入したものもあるが多くは廃材を利用(写真撮影/川村一之)

加奈さんは電動カッターの扱いも慣れたもの。材料は購入したものもあるが多くは廃材を利用(写真撮影/川村一之)

楽しくもワイルドな小屋づくりのキャンプ生活が2年目を迎えた今年の夏、豪佑さんと加奈さんは隣接する土地の一戸建てを購入。さらにフィールドを広げています。

今年新たに購入した隣接する土地の築25年の一戸建て。資金はふたりの両親から借り入れ、書類なども作成し、毎月返済をしている。この先はゲストハウスとして使う予定(写真撮影/川村一之)

今年新たに購入した隣接する土地の築25年の一戸建て。資金はふたりの両親から借り入れ、書類なども作成し、毎月返済をしている。この先はゲストハウスとして使う予定(写真撮影/川村一之)

子どもたちの五感を刺激する、新しい体験の場をつくりたい

新たに購入した平屋の一戸建ては持ち主が亡くなったあとは使われず、遺族も管理が大変ということで売却を考えていたそう。「家の管理を任されている方がいて、草刈りや畑仕事で定期的に来ていたので、僕らも小屋づくりをしながらいろいろ教わって、もし売却するときは教えてほしいと話していたんです」

購入した一戸建てのリビング。窓の外は洞爺湖を一望できる広いウッドデッキ(写真撮影/川村一之)

購入した一戸建てのリビング。窓の外は洞爺湖を一望できる広いウッドデッキ(写真撮影/川村一之)

二面に窓を設けたビューバス。湯船につかって洞爺湖を眺められるこの家の自慢(写真撮影/川村一之)

二面に窓を設けたビューバス。湯船につかって洞爺湖を眺められるこの家の自慢(写真撮影/川村一之)

電気も水道もガスも整っている一戸建ては、今後ゲストハウスとして使うことを計画中。「10年くらい使われていなかったので、これから少しリノベーションして来年の春にはオープンできたらいいなって思っています。いずれは洞爺に拠点を移すつもりなので、僕も塾の運営は信頼できるパートナーに任せて、こっちでも教育に関わる仕事をする予定です」

一戸建てのリビングの奥には障子を開放して続き間として使える和室もあり、ゲストハウスとして大人数での宿泊もできそう(写真撮影/川村一之)

一戸建てのリビングの奥には障子を開放して続き間として使える和室もあり、ゲストハウスとして大人数での宿泊もできそう(写真撮影/川村一之)

加奈さんも「訪問療育の仕事を今年の春でいったん辞めました。彼と一緒に洞爺のこの場所と、自分たちの経験を活かして、子どもたちの新しい体験の場をつくれたらいいなって思っています」
早くも次のステップへと踏み出している豪佑さんと加奈さん。

購入した一戸建てと小屋との間には焚火を囲めるファイヤースペース。仲間たちと語り合う大切な場所(写真撮影/川村一之)

購入した一戸建てと小屋との間には焚火を囲めるファイヤースペース。仲間たちと語り合う大切な場所(写真撮影/川村一之)

「もともと自分が旅好きなのもあって、子どもたちと一緒に自然を体験しながら共同生活をする『旅する學校』というイベントを企画していました。小屋もつくり始めたばかりでしたが、それも含めて新しい体験になるかなと思って、洞爺でも去年の夏に開いたんです」

小屋の前につくった石積みのガーデンキッチンはイベントでも大活躍。作業しているとご近所さんが「食べきれないから」と、庭のとれたて野菜や海の幸を届けてくれるそう(写真撮影/川村一之)

小屋の前につくった石積みのガーデンキッチンはイベントでも大活躍。作業しているとご近所さんが「食べきれないから」と、庭のとれたて野菜や海の幸を届けてくれるそう(写真撮影/川村一之)

小屋のすぐそばにある湧き水はそのまま飲め、地元の人も汲みに来る隠れた名水。夏場は冷たくドリンクを冷やす天然の冷蔵庫(写真撮影/川村一之)

小屋のすぐそばにある湧き水はそのまま飲め、地元の人も汲みに来る隠れた名水。夏場は冷たくドリンクを冷やす天然の冷蔵庫(写真撮影/川村一之)

最初は日常と違いすぎる環境に、声も出せなかった子が、時間を過ごすうちに友だちができて楽しくなってくると、「絶対にイヤ!」と抵抗していた外のトイレも平気になっていく。どんどん変化する子どもたちの表情に、ふたりも目が離せなかったといいます。

「子どもの適応能力は僕らが想像している以上に高くて、驚かされることのほうが多いです。僕らの暮らしは始まったばかり。仲間もどんどん増えていて、どうなるか分からない部分もありますが、それも含めて楽しみたいですね」

取材日に泊まりに来ていた加奈さんのご両親。普段は東京都心暮らしだが、すでに洞爺がお気に入りだそう(写真撮影/川村一之)

取材日に泊まりに来ていた加奈さんのご両親。普段は東京都心暮らしだが、すでに洞爺がお気に入りだそう(写真撮影/川村一之)

広いフィールドで次は何をつくるのか?「親たちが過ごす家を建ててもいいし、これだけ広かったら何でもできますよね」と豪佑さん(写真撮影/川村一之)

広いフィールドで次は何をつくるのか?「親たちが過ごす家を建ててもいいし、これだけ広かったら何でもできますよね」と豪佑さん(写真撮影/川村一之)

デュアルライフ・二拠点生活[17] 都会のオフィスを離れ、徳島で働き・暮らす夏 “ワーケーション”で働き方改革を

徳島県三好市(みよしし)、周囲を山に囲まれた吉野川の渓谷は大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)と呼ばれ、国の天然記念物や名勝にも指定された観光の名所でもある。渓流を利用したラフティング、紅葉などで人気の高い場所だ。そんな自然に恵まれた山間の街をサテライトオフィスとして社員が長期滞在し、働き、暮らす。そんな試みを野村総合研究所(以下、野村総研)が行っているという。巨大IT企業と山間の街、意外な組み合わせが生み出す効果とは? 三好市に行ってみた。徳島県三好市。四国では一番広い市で、日本で初めてのラフティング世界選手権や、アジアでは初となるウェイクボード世界選手権も開催されるウォータースポーツの街としても注目を集めている(写真撮影/上野優子)

徳島県三好市。四国では一番広い市で、日本で初めてのラフティング世界選手権や、アジアでは初となるウェイクボード世界選手権も開催されるウォータースポーツの街としても注目を集めている(写真撮影/上野優子)

三好市の市街地の中心にあるJR阿波池田駅。特急も停まる四国交通の古くからの要所。ホームが5つあるのは四国ではこの駅と高松駅のみで、鉄道マニアによく知られた駅だ(写真撮影/上野優子)

三好市の市街地の中心にあるJR阿波池田駅。特急も停まる四国交通の古くからの要所。ホームが5つあるのは四国ではこの駅と高松駅のみで、鉄道マニアによく知られた駅だ(写真撮影/上野優子)

連載【デュアルライフ・都会と地方とで新しい働き方を】
今、デュアルライフ(二拠点生活)に注目が集まっています。空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、特別な富裕層、リタイヤ層でなくてもデュアルライフを楽しむ選択肢がでてきているのも背景です。しかし、自分の希望する仕事は都会にしかないし、いける頻度も限られるし、デュアルライフの実現に、自由な働き方は不可欠。そんな新しい働き方に取り組む企業や、個人についてシリーズで紹介していきます。徳島県三好市をサテライトオフィスにした実験的な取り組み古くからの面影が残る本町通り。このあたり一帯は、幕末から明治にかけて刻みたばこ産業で発展してきた(写真撮影/上野優子)

古くからの面影が残る本町通り。このあたり一帯は、幕末から明治にかけて刻みたばこ産業で発展してきた(写真撮影/上野優子)

四国のほぼ真ん中に位置し、古くから宿場町としても栄えてきた三好市は、さまざまな人とモノとが交流する拠点となってきた歴史を持つ。中心街となるJR阿波池田駅を降り、アーケード付きの昔ながらの商店街、刻みたばこ業で栄えた商家の並ぶ風情ある街並みを抜けた先に三好市交流拠点施設『真鍋屋』愛称MINDE(ミンデ)がある。広い中庭を有するこの空間は、江戸時代は刻みたばこ業、その後、醤油(しょうゆ)製造で栄え、三好のシンボルとも言える場だった。事業終了後、この真鍋屋の土地家屋は持ち主の好意により市に寄贈、リノベーションを経て、現在の地域交流拠点施設となった。野村総研では、三好市をサテライトオフィス兼宿泊場所として年に3回、約1カ月間ずつ従業員を派遣しており、今回はここ、真鍋屋がその場となった。三好キャンプと呼ばれるこの取り組みは、2017年冬から始まりすでに5回。普段は東京大手町・横浜のビルで働くのべ60人余りの社員が参加し、実験的な活動が続いている。

歴史を感じさせる真鍋屋MINDEの外観(写真撮影/上野優子)

歴史を感じさせる真鍋屋MINDEの外観(写真撮影/上野優子)

正面。「MINDE(みんで)」は食べてみんで、寄ってみんで、のように気軽にしてみない?という意味でつかわれる地元の方言(写真撮影/上野優子)

正面。「MINDE(みんで)」は食べてみんで、寄ってみんで、のように気軽にしてみない?という意味でつかわれる地元の方言(写真撮影/上野優子)

真鍋屋は大きなガラス窓の開放的な日本家屋が中庭を取り囲む構造。中庭ではマルシェやジャズフェスティバル、結婚パーティーが行われることも(写真撮影/上野優子)

真鍋屋は大きなガラス窓の開放的な日本家屋が中庭を取り囲む構造。中庭ではマルシェやジャズフェスティバル、結婚パーティーが行われることも(写真撮影/上野優子)

起きてすぐ起動! 明るい時間に街と自然を堪能

私たち取材班が真鍋屋に着くと、サテライトオフィスと中庭を挟んだ古民家カフェ「MINDE KITCHEN(ミンデキッチン)」へ。まずは野村総研の従業員の方と一緒にランチをいただいた。ここでは、新鮮な地元の野菜を使った食事が楽しめ、2階部分はドリンク片手に自習する学生たちも。ランチの間も、ベビーカーを押した地元のママや、夏休み前で早く授業を終えた高校生たちがやってくる。中庭には地域猫の「ぬし」ちゃんがパトロール。生活者がいる風景、普段の都会の社員食堂とは違う、リラックスした雰囲気だ。

リノベーションで梁部分をむき出しにしたことで開放的な空間になっている(写真撮影/上野優子)

リノベーションで梁部分をむき出しにしたことで開放的な空間になっている(写真撮影/上野優子)

2階の畳スペースで勉強をしていた地元高校生たち。2階には他にも会合やサークル活動などにも使えるフリースペースも(写真撮影/上野優子)

2階の畳スペースで勉強をしていた地元高校生たち。2階には他にも会合やサークル活動などにも使えるフリースペースも(写真撮影/上野優子)

(写真撮影/上野優子)

(写真撮影/上野優子)

野菜中心でヘルシーなビュッフェスタイルのランチが提供されている(写真撮影/上野優子)

野菜中心でヘルシーなビュッフェスタイルのランチが提供されている(写真撮影/上野優子)

そしてワークスペースへ。昼食を終え、午後の業務が始まった。真鍋屋の中庭を望む土間タイプの室内に、大きなテーブルを置き、各々ワークを行う。東京との会議は、会議システムを使って音声や資料のやり取りをする。従業員参加者に聞くと、音声の遅れ等、特に不便は感じないという。

中庭に面したワークスペース。お試しオフィスとして、三好市に起業・開業する際の準備拠点としても利用ができる(写真撮影/上野優子)

中庭に面したワークスペース。お試しオフィスとして、三好市に起業・開業する際の準備拠点としても利用ができる(写真撮影/上野優子)

ワークスペースを対面のカフェから望む。中庭を挟んですぐだから仕事中のちょっとした休憩にもカフェとの間を行き来できる(写真撮影/上野優子)

ワークスペースを対面のカフェから望む。中庭を挟んですぐだから仕事中のちょっとした休憩にもカフェとの間を行き来できる(写真撮影/上野優子)

仕事中もふいと中庭に現れる地域猫のぬしちゃん(写真撮影/上野優子)

仕事中もふいと中庭に現れる地域猫のぬしちゃん(写真撮影/上野優子)

実は徳島は県全域に光ファイバーが普及した通信環境が強みの県、CATV網の普及率は7年連続日本一という。交通利便性が低く、企業誘致が難しい課題に対し、この環境を活かして企業のサテライトオフィスを誘致しようと長く取り組んできたことが成果を上げてきており、現在65社(うち三好市は8社)の誘致に成功している。通信網は、その環境にどれだけ利用があるかで速度に差が出る。高速道路に例えると利用者の多い都会は渋滞しているのに比べ、ここ徳島はガラガラの道路をスイスイと走行しているようなものだという。

このワークスペースの2階と奥の主屋部分が宿泊できるようになっており、野村総研の従業員はそれぞれ個室に寝泊まりしている。ダイニングキッチン、リビングは共用で、仕事を終えると、近くのスーパーに買い出しに行ってみんなで鍋を囲み、朝はそれぞれ好きなものを好きな時間に食べて仕事に臨む。

左/ワークスペースの奥の共同ダイニングキッチン 右/2階の宿泊場所。もともと民家として利用されていたのでアットホームな雰囲気(写真撮影/上野優子)

左/ワークスペースの奥の共同ダイニングキッチン 右/2階の宿泊場所。もともと民家として利用されていたのでアットホームな雰囲気(写真撮影/上野優子)

「宿泊施設がオフィスですから、朝のスタートダッシュがとにかく早いですね。東京だと、9時から仕事を始めるにも、1時間以上前には家を出て、まず満員電車通勤に疲れ、仕事のスイッチを入れるのにコーヒーで一服、と起動に時間がかかるところが、ここなら、起きて朝食を食べたらすぐにフル稼働です。7時から仕事を始めて16時に終えてしまうといったことも。先日、夕方の明るいうちから、かつてたばこ産業や宿場町として栄えた歴史ある街道や吉野川の自然をレンタサイクルでめぐるツアーに参加してきました。とにかく1日を有効に使えますね」(従業員参加者)
通勤時間に追われ、毎日同じ景色を見ている都会での働き方とは時間の流れ方が大きく違うわけだ。

ポルタリングと呼ばれるレンタサイクルのツアーで、ガイドが付いて、史跡を巡りながら説明を受けることができる。今回は夕方5時から1時間ほどのツアーに参加。半日コースや一日コースなども。地元を盛り上げる企画として事業化しており海外からの問い合わせも多いそう(写真提供/野村総合研究所)

ポルタリングと呼ばれるレンタサイクルのツアーで、ガイドが付いて、史跡を巡りながら説明を受けることができる。今回は夕方5時から1時間ほどのツアーに参加。半日コースや一日コースなども。地元を盛り上げる企画として事業化しており海外からの問い合わせも多いそう(写真提供/野村総合研究所)

キャンプ参加者が撮影した土讃本線の大歩危小歩危。偶然出会った地元の撮り鉄に、吉野川水面ぎりぎりで撮れるスポットを案内してもらったおかげで、このような絶景が撮れた。前日の雨で増水した川と特急南風を収めた一枚は人気鉄道雑誌が運営する「今日の1枚」に選ばれ、三好の方もとても喜んだそう(写真提供/野村総合研究所)

キャンプ参加者が撮影した土讃本線の大歩危小歩危。偶然出会った地元の撮り鉄に、吉野川水面ぎりぎりで撮れるスポットを案内してもらったおかげで、このような絶景が撮れた。前日の雨で増水した川と特急南風を収めた一枚は人気鉄道雑誌が運営する「今日の1枚」に選ばれ、三好の方もとても喜んだそう(写真提供/野村総合研究所)

夕方の真鍋屋。カフェは18時まで営業しており、手前側には、22時まで営業する日本酒バーも。地域の人たちの交流の場となっている(写真撮影/上野優子)

夕方の真鍋屋。カフェは18時まで営業しており、手前側には、22時まで営業する日本酒バーも。地域の人たちの交流の場となっている(写真撮影/上野優子)

一度きりで終わらない、地域の人との交流とビジネスを生む工夫も

野村総研ではこのキャンプで地域貢献や、地域特有の課題解決にも挑戦している。地元の学校へのロボットやVRをテーマとした出張授業、行政職員向けに業務改善を目的としたIT勉強会、鳥害獣害や水害などに対するITを活用した対策検討などだ。またこれらオフィシャルな活動だけでなく、「四国酒祭り」や「やましろ狸まつり」といったローカル活動へのボランティア参加も積極的に行っている。キャンプには前回参加した従業員を案内役として必ず1名以上入れることで、せっかく顔見知りになった縁が途切れずに、次のキャンプ参加者につなげていけるよう運営も工夫をしている。この三好キャンプにも早期から関わり、毎回参加している野村総研 福元さんが街中を歩けば、役場の人、商店の人、あちこちから声をかける人が現れる。今回が初めてという参加者も、おかげでスムーズに地域の人たちとの交流に入ることができたという。

三好市へ貢献したいとの思いから出前授業で実施している、カードを使ってゲーム形式で情報システムを学ぶプログラム。3DVRやリモート操作ロボットの最新IT機器体験も用意しており、子どもたちからはいつもと違った授業で、初めての体験ができたと好評を得ている。講師役の従業員も、素直に喜んでくれる様子を見て喜びを感じるという(写真提供/野村総合研究所)

三好市へ貢献したいとの思いから出前授業で実施している、カードを使ってゲーム形式で情報システムを学ぶプログラム。3DVRやリモート操作ロボットの最新IT機器体験も用意しており、子どもたちからはいつもと違った授業で、初めての体験ができたと好評を得ている。講師役の従業員も、素直に喜んでくれる様子を見て喜びを感じるという(写真提供/野村総合研究所)

真鍋屋で開催された三好市へ新たに移住された方と先輩移住者との交流を目的としたBBQ交流会。野村総研従業員は会場設営や炭焼き担当としてサポート参加。移住者には三好で新しい事業を起こしている方もいて、自身の働き方の見直しという観点からも、野村総研従業員が気づきや刺激をもらう場となった(写真提供/野村総合研究所)

真鍋屋で開催された三好市へ新たに移住された方と先輩移住者との交流を目的としたBBQ交流会。野村総研従業員は会場設営や炭焼き担当としてサポート参加。移住者には三好で新しい事業を起こしている方もいて、自身の働き方の見直しという観点からも、野村総研従業員が気づきや刺激をもらう場となった(写真提供/野村総合研究所)

「都会では職場の人間関係ばかりになりがちですが、ここでは多様な人と交流を持つ場があり、その出会いからいろんなところを案内していただきました。商店街を歩いていても、JR四国の備品をシンボルにした鉄道好きにはたまらないおしゃれなカフェやゲストハウス、都会にあっても驚くほど種類が豊富なワインショップなど、個性あるお店も多いんです。歴史的にさまざまな人たちが行き交う宿場町だったことからも、情報感度の高い人が集まりやすい街だそうです。今では馴染みのお店も増えて気軽に行くことができます」(福元さん)

農家の方の誘いで、野菜収穫と野菜のみのBBQを体験。トマト、ナス、キュウリなどの夏野菜の収穫はほとんどの社員が初体験で、その場でかじる採りたて野菜のおいしさにも感激。トマトが苦手だった社員が食べられるようになったとも(写真提供/野村総合研究所)

農家の方の誘いで、野菜収穫と野菜のみのBBQを体験。トマト、ナス、キュウリなどの夏野菜の収穫はほとんどの社員が初体験で、その場でかじる採りたて野菜のおいしさにも感激。トマトが苦手だった社員が食べられるようになったとも(写真提供/野村総合研究所)

非日常環境での経験をキャリアの見直し、イノベーションに

野村総研といえば、シンクタンクとしての役割はもちろん、コンサルティング、システム開発など、幅広い分野でビジネスを支える企業。そんな野村総研がこのキャンプで挑戦していることは、働き方改革の推進、地域貢献活動、そしてイノベーションの創出だ。都心に人も職も一極集中しているなか、地方は高齢化や過疎などにより地域社会の担い手が減り、従来からのインフラ、生活環境が維持できなくなってきている。政策でもビジネスでも地方創生は大きなテーマだ。
「行政や地域事業、イベントに関わる体験を持つことで、地方ならではの新しい価値を発掘することや、同じ従業員でも、異なる経験やスキルを持ったメンバーによる共同生活の中から、新たな価値を生み出す相乗効果にも期待しています。私自身もそうですが、50歳くらいの年齢を迎える人に積極的に参加してもらいたいと思っています。会社としては、これからも活躍してほしい、一個人としては、あと10年以上は続くビジネスパーソンとしてのキャリアをどうしていきたいか、どんなことが生み出せるか、刺激のある場で考える機会ができます。ここでの時間の流れ方、さまざまな経験や出会いは、後から振り返ったとき、きっとキーポイントになっていると思いますね」(福元さん)
実際、参加者からは、自分の働き方や時間の使い方を見直すきっかけになった、地域課題に直接触れるので、その後のアンテナや関心も広がったと、キャンプ終了後の働き方にもプラスの効果が表れているようだ。

「うだつ」のある街並み。「うだつが上がらない」とは、うだつがあるような立派な家を建てられるほどは、まだ出世していないということ(写真撮影/上野優子)

「うだつ」のある街並み。「うだつが上がらない」とは、うだつがあるような立派な家を建てられるほどは、まだ出世していないということ(写真撮影/上野優子)

取材班が訪ねた日の夜は、今回の宿泊場所の共用キッチンダイニングで地元の市役所の人たちと、持ち寄り式の懇親会が行われていた。三好市もほかの地方都市同様、高齢化、少子化が進む。そんななか、市役所の人をはじめ三好市の人たちは、街の住み心地を上げ、持続可能な産業を育てていくために、野村総研のような「関係人口」の知恵や力に期待している。「関係人口」とは、そこに暮らす「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉。日本全体の人口が減っていく中で、一人の人が一つの地域に縛られるのではなく、複数の地域と関わることで、活躍の機会を増やすとともに、地域にとっては、地域社会の一部担い手となってもらおうという発想だ。

市役所の皆さんからのお手製の天ぷらや、きゅうりのからし漬などの持ち込みに、野村総研の従業員の皆さんは前日からつくったラタトゥイユやピクルスでおもてなし。三好の話が弾む(写真撮影/上野優子)

市役所の皆さんからのお手製の天ぷらや、きゅうりのからし漬などの持ち込みに、野村総研の従業員の皆さんは前日からつくったラタトゥイユやピクルスでおもてなし。三好の話が弾む(写真撮影/上野優子)

野村総研メンバーより三好に来て体験したこと、気に入った風景などを即席スクリーンにプレゼンテーション。市役所の皆さんには見慣れた風景が、訪れる人にどんな印象を与えているのか聞き入る(写真撮影/上野優子)

野村総研メンバーより三好に来て体験したこと、気に入った風景などを即席スクリーンにプレゼンテーション。市役所の皆さんには見慣れた風景が、訪れる人にどんな印象を与えているのか聞き入る(写真撮影/上野優子)

参加者の一人、市役所の中村さんは言う
「地方市役所と都会のIT企業、まったく異なる環境で働く人たちがこうして交流することに、進化の可能性を感じています。今日、焼いているこのお肉は猪で、畑を荒らす害獣ですが、豚よりもうまみが強くおいしいんです。三好の資産としてもっと広げていけないか、安定的に供給していくために日々考えています。三好に住んでいる人間には当たり前で目にとまらないことが、都会の人の目にはどう映っているのか、刺激をもらうことで私たちも進化していくきっかけになればと。このような出会いや機会を大切にしていきたいですね」

猪肉の特徴を話す市役所の中村さん。徳島県では「阿波地美栄(あわじびえ)」として消費拡大を狙っている(写真撮影/上野優子)

猪肉の特徴を話す市役所の中村さん。徳島県では「阿波地美栄(あわじびえ)」として消費拡大を狙っている(写真撮影/上野優子)

たった1日だけだったが、見学と取材とでこのキャンプに触れ、今、置かれている都会の環境の方が、むしろ仕事がしづらいのではないかと気付かされた。満員電車に乗り降りし、人混みの邪魔にならない速さで歩き、フロアに行くためにエレベーターに並び、会議のたびにいろんな部屋を行ったり来たり。蛍光灯でいつも同じ明るさのオフィスにいると、いつ夕日は沈んだのか、雨はいつ止んだのかに気が付くこともない。一日の天気の変化を感じ、生活者がすぐそばにいる環境だからこそリラックスして発揮できる集中力や、ビジネスを生むための生活者目線がここでは強く持てる気がした。リモートワークが普及して、仕事などどこでもできるのだと思っていたが、それは単に合理性の追求だけではなかった。積極的にここでしかできない体験や交流をするという24時間の使い方すべてが成果であり、個人にとって価値あるものだろう。働き方と住まい、幸せのために重要なこの要素が柔軟に混じり合う三好市のような地方がビジネスを生む場としてより機能していくことに期待したい。

デュアルライフ・二拠点生活[16]東京と小淵沢。「保育園落ちた!」がきっかけで始まった新たな暮らしとは?

新宿駅から特急あずさで約2時間、小淵沢駅に到着した。住所でいうと山梨県北杜市になる。標高は約880メートル。北に八ヶ岳、南に南アルプスを望む風光明媚なエリアだ。小淵沢には数多くの乗馬クラブがあり、「馬のまち」としても知られている。

駅から車で数分の場所に、安井さん家族が送るデュアルライフの拠点となる家があった。家族構成は安井省人さん(45歳)、妻の陽(あきら)さん(37歳)、5歳の双子の息子と娘。

連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、さまざまな世代がデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます日本産の木材、土、自然素材でつくられた家は4年ほど前に完成(撮影/片山貴博)

日本産の木材、土、自然素材でつくられた家は4年ほど前に完成(撮影/片山貴博)

取材に訪れたのは7月中旬。降るような蝉の声と鳥のさえずりが耳に心地よい。

屋内外を自由に行き来するアビシニアンの「あちゃ」が出迎えてくれた(撮影/片山貴博)

屋内外を自由に行き来するアビシニアンの「あちゃ」が出迎えてくれた(撮影/片山貴博)

省人さんは東京でいくつかの会社で仕事を兼業している。平日は神奈川県川崎市のマンションに一人で生活し、金曜夜から翌月曜の夜までを小淵沢で家族と過ごす。

二拠点生活に踏み切るきっかけは一時期話題になった「保育園落ちた!」だ。とはいえ、事態を前向きに捉えた。

火曜から金曜までは東京のオフィスで働く省人さん(写真提供/安井さん)

火曜から金曜までは東京のオフィスで働く省人さん(写真提供/安井さん)

省人さんは当時をこう振り返る。

「子どもが生まれて、まず0歳児の時点で保育園に入れなかった。でも0歳のときはそもそも入園できる保育園も近所には1園しかなく、それほど大事には捉えていませんでした。しかし、結果として妻は仕事に復帰できないし、途方にくれました。そして、1歳の入園申し込みの時期が来たときに子どもにとっての都会暮らしについて深く考えるようになりました」

陽さんも言う。

「保育園を申し込むために、いろんな園を見学しましたが、田舎育ちの主人や、郊外のニュータウンで育った自分の環境に比べると、園庭が狭かったり、歩道のない道を子ども2人と歩く想像などをして、都会でのびのびとした子育てをすることの難しさを感じていました」

元々、夫婦の間では、遠くない将来、田舎暮らしをしようという話はしていた。伊豆、九十九里、茨城、福島、長野。結婚後は車でいろんな田舎を巡っていた夫妻。漠然とした将来の生活の下見のような意味もあった。保育園に入れない間にも刻々と時間が過ぎていく中で、もう少し先に描いていた田舎暮らし計画が、今の自分たちにとって必要なものとして、少しづつ現実的に考えられるようになっていった。

広いリビングには大きな窓を採用、緑の風景を眺めながらくつろげる(撮影/片山貴博)

広いリビングには大きな窓を採用、緑の風景を眺めながらくつろげる(撮影/片山貴博)

「海沿いの生活にも惹かれましたが、そもそも、僕が兵庫の山あいのまち、妻が千葉の内陸の出身。二人ともサーフィンやマリンスポーツを楽しむというのも志向的にイメージできなかったし、山の姿に妙に落ち着くことに気づきました」

小淵沢にピンと来たのは陽さんだった。

「『水がきれいだから美味しいウイスキーができるんだよね』と言って水と自然の美しさを求めて白州に行ってみました。帰るときに小淵沢インターを使うんですが、そこで見た八ヶ岳と南アルプスの眺望に感動したのが最初のきっかけ。2人が好きなニュージーランドの風景にどこかしら似ているのも決めた理由のひとつです」

1階と2階、その上のロフトは吹抜けでつながっている(撮影/片山貴博)

1階と2階、その上のロフトは吹抜けでつながっている(撮影/片山貴博)

二人はさっそく北杜市内の不動産屋を訪れた。そこで紹介されたのが現在の土地だ。

「周辺の土地相場に比べて、ここは斜面の雑木林でさらに安かった。約200坪の土地は都会では考えられない額でした」と省人さん。

2015年1月に土地を探し始めて3月に決定。長野県原村に営業所を構えるアトリエDEFとの打ち合わせが始まる。「木と土の力を活かして、自然に寄り添う暮らし」がコンセプトの工務店だ。床はカラマツ、梁は杉、土壁に漆喰(しっくい)という理想の家は8カ月で完成した。

双子の保育園もすぐに見つかり、陽さんはパート勤務で仕事復帰を果たしている。

「以前は正社員で働いていたので、給料こそ減りましたが、通勤時間も短くなり、ここでは余裕をもてる時間が増え、平日の出費がほぼゼロ。都会の子育てでは、子どもを連れて移動するだけでも一苦労で、心の余裕がなく、ふさぎ込んでしまうこともありましたが、移住後は開放的な環境で、自然と共に暮らす充実した毎日です」

小淵沢の夏は冷房いらず、冬は薪ストーブで暖を取る(撮影/片山貴博)

小淵沢の夏は冷房いらず、冬は薪ストーブで暖を取る(撮影/片山貴博)

薪割りは省人さんの仕事。数年の間できれいに割るテクニックも身に付いた(撮影/片山貴博)

薪割りは省人さんの仕事。数年の間できれいに割るテクニックも身に付いた(撮影/片山貴博)

「割った薪は乾燥させて1、2年後に使えるようになります。エアコンはいらないし、光熱費として考えると川崎に家族で住んでいたころより安くすんでます」

省人さんは庭に畑をつくって、トマト、トウモロコシ、枝豆、かぼちゃ、さつまいもなどを育てている。

子どもの食育のためにも実験的にいろいろ植えてみたそうだ(撮影/石原たきび)

子どもの食育のためにも実験的にいろいろ植えてみたそうだ(撮影/石原たきび)

さらに、夏場はご近所さんから野菜のおすそ分けがある。

「今朝もお隣さんからじゃがいもとズッキーニの差し入れをいただきました。留守の場合は玄関先に置いてくれるんです。地元のみなさんに馴染んでご近所付き合いができるのか当初は不安もありましたが、杞憂でした。北杜市は移住者が多いから受け入れる土壌ができているんでしょうね」

こうしたうれしいおすそ分けも食事が楽しくなった理由のひとつ(撮影/片山貴博)

こうしたうれしいおすそ分けも食事が楽しくなった理由のひとつ(撮影/片山貴博)

冬には「八ヶ岳ブルー」と呼ばれる真っ青な空と白い雪山とのコントラストが楽しめる。身近に絶景のある暮らしは最高だ。

晴れていれば夜は満天の星空を眺めながら山梨ワインを飲むといった贅沢なひと時も(撮影/片山貴博)

晴れていれば夜は満天の星空を眺めながら山梨ワインを飲むといった贅沢なひと時も(撮影/片山貴博)

浴室は2階に設置して、入浴しながら窓外の景色を楽しめるようにした(撮影/片山貴博)

浴室は2階に設置して、入浴しながら窓外の景色を楽しめるようにした(撮影/片山貴博)

そして、何といっても移住を最も喜んでいるのは子どもたちだ。二人とも引っ込み思案だったが、小淵沢に来てからは社交的かつ活発になったという。

お気に入りのストライダーで家の周囲をぐるぐる回るのが今、子どもたちのお気に入りの遊び(撮影/片山貴博)

お気に入りのストライダーで家の周囲をぐるぐる回るのが今、子どもたちのお気に入りの遊び(撮影/片山貴博)

陽さんが言う。

「神奈川県川崎市で暮らしていた場所は交通量が多いので、子どもたちと道を歩いていても、ずっと『危ない!』と言わなきゃいけない。そういうストレスが子どもたちにも自然に溜まっていたんじゃないでしょうか」

二人の子どもはネット動画も見ないし、キャラクターグッズでも遊ばない。テレビもほとんどつけない。すぐそばにあるもので自由に自分たちで考えて遊ぶ。子ども部屋にあったオモチャは実にクリエイティブだった。

牛乳パックの船は息子、手前のお弁当箱は娘の作品だ(撮影/片山貴博)

牛乳パックの船は息子、手前のお弁当箱は娘の作品だ(撮影/片山貴博)

独創的なコース設定のレール。リュックをかける棒は省人さんが白樺の枝でつくった(撮影/片山貴博)

独創的なコース設定のレール。リュックをかける棒は省人さんが白樺の枝でつくった(撮影/片山貴博)

省人さんは言う。

「最初はこっちでもパソコンを開いて仕事をしてましたけど、今は楽しいことが多すぎて徐々にしなくなりました。田舎暮らしは意外とやることが多いんです。その分、東京のオフィスと特急あずさの車内では集中して働いています(笑)」

今後について、省人さんは笑いながらこう言った。

「でも、せっかくだからまた違う土地にも暮らしてみたい。老後は海沿いもいいし、逆に都会という選択肢もあるなあという話はしています。あまり生きる場所を固定せず旅するように生きていけるといいなぁと」

子どもたちがつくったてるてる坊主は一家の未来も見守る(撮影/片山貴博)

子どもたちがつくったてるてる坊主は一家の未来も見守る(撮影/片山貴博)

最後に二拠点生活を検討している人たちへのアドバイスを聞いた。

「やりたいなら早く実行した方がいい。子どもが成長すれば生活環境を変えるのが大変になりますから。育てる場所が決まれば、その後の教育プランも立てやすいでしょう」

小淵沢に完全移住するか。別の場所でさらに田舎暮らしを満喫するか。あるいは、東京に戻るか。いずれにせよ、家族全員が大満足の二拠点生活は当分続きそうだ。

デュアルライフ・二拠点生活[15]70代で仕事も現役。「仕事があるから、山里田舎暮らしが楽しい」

今回、インタビューを受けて下さったのは、70代にして大阪で勤務する技術士(電気電子)の加藤進さん。2014年から大阪池田市と岡山県久米郡美咲町でデュアルライフ(二拠点生活)を満喫中です。その動機や経緯などについて、緑ゆたかな美咲町でうかがいました。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、さまざまな世代がデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきますデュアルライフのきっかけは、太陽光発電。妻の実家近くでたまたま見つけたのが美咲町

大阪から車で約2時間。美咲町は岡山県の中央部に位置する町で、山道を抜けて町に入ると美しい田園風景が広がる。その小高い丘の上にあるのが、加藤さんの家だ。私たちが到着するやいなや、加藤さんが真っ先に紹介してくれたのが、近くにお住まいの中村隆重さん。この方なくして、デュアルライフは成り立たないと感謝する。

「中村さんは私の師匠!今も土木会社に務めながら、人の田畑まで世話するパワフルな方で、すごく丁寧に教えて下さって。うちの田んぼも、もともと中村さんがずっと世話をしてくれていた関係から、今もサポートしていただいて。裏にある畑も中村さんの指導のおかげです」

加藤さん(右)と中村さん(左)。「加藤さんはすごく丁寧な方ですね」と中村さん。中村さんの畑は加藤さんの畑と隣同士(写真撮影/出合コウ介)

加藤さん(右)と中村さん(左)。「加藤さんはすごく丁寧な方ですね」と中村さん。中村さんの畑は加藤さんの畑と隣同士(写真撮影/出合コウ介)

加藤さんがこの生活を始めたきっかけは、太陽光発電というからびっくり。

「私は電気工学科出身の技術士(電気電子)で、自分なりに楽しみながら太陽光発電をやりたかったわけですが、大きな敷地がいる。最初は大阪で探していたのですが、いい物件がなかなか見つからなくて。それなら田舎がいいなと、岡山県津山市にある妻の実家近くで探すことにしました。年に何度か帰っていたのですが、どうせ田舎に家を構えるなら、やはり妻が時々両親を見に行ける環境が欲しいなと思ったんです」

親(嫁)孝行と趣味生活の両立。まさに一石二鳥と加藤さんは笑う。地元の不動産店から3カ所紹介してもらい、この美咲町の物件を見た瞬間、「ここだ」とピンと来て即決した。

「築70年の物件は、柱と梁も立派で、太陽光を搭載するのに家の大きさもちょうどいい。義父の後押しも大きかったですね。山と田んぼ、家がぽつりぽつり。ここから見えるそんな景色も、すごく気に入りました」

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

庭の奥に山と田園が広がるこの景色が加藤さんのお気に入り。「この緑の絨毯がね、秋には黄金に変わるんです」と加藤さんの妻(写真撮影/出合コウ介)

庭の奥に山と田園が広がるこの景色が加藤さんのお気に入り。「この緑の絨毯がね、秋には黄金に変わるんです」と加藤さんの妻(写真撮影/出合コウ介)

「ここに座ってぽかんと外を眺めているだけで、気が晴れる。山から抜ける風も気持ちいいです」(写真撮影/出合コウ介)

「ここに座ってぽかんと外を眺めているだけで、気が晴れる。山から抜ける風も気持ちいいです」(写真撮影/出合コウ介)

技術者の血が騒ぐ?「ああしたい」「こうしたい」がいっぱい出てくる、田舎暮らし

梅田の高層ビルで週4日パソコンに向かう加藤さん。今は月2、3回美咲町に通い、妻は津山市の実家へ、夫は田畑作業と農機調整に励み、リフレッシュ!「お互い気を使わず、好きなようにやっているのがいいんですね。でも、田畑はおまけでついてきたようなもので。田舎暮らしで畑くらいはやるつもりだったけど、まさか田んぼまでやることになるとは」と加藤さん。田んぼの登記簿謄本を譲度する場合の規制は厳しく、本当にできるかどうか審査が必要だ。加藤さんは「そこに山があるから登るように、そこに田んぼがあるから耕すだけ」と、行政書士の方に営農計画を造ってもらい、時間をかけて譲り受けた。1年目はそのまま中村さんに預かってもらっていたが、「このままじゃプランの趣旨に外れる」と2年目から奮起して、農業開始!

「素人がイチから始めるので、中村さんの教えやネット情報をたよりに、娘夫婦やその友達に手伝ってもらいました。1年目は田畑を耕す耕運機を使う初歩的なやり方でしたが、2年目からトラクターを使うなど、失敗しながら自分なりにソリューションを見つけて対処していくのもまた楽しい(笑)。それは畑も同じですね。稲作は実は繊細で、毎日水の状態を見て、水を充てる、水を引くなどの対処が必要ですが、中村さんがわずかな金額でやってくださるから、続けられるんです。何かあればスグに連絡下さるし、頼もしい味方です」

家から歩いて5分の場所にあるハート型の田んぼは2反(600坪)は物件購入時についてきた。中村隆重さんと加藤さんとお孫さん(写真撮影/出合コウ介)

家から歩いて5分の場所にあるハート型の田んぼは2反(600坪)は物件購入時についてきた。中村隆重さんと加藤さんとお孫さん(写真撮影/出合コウ介)

今や田植えは家族の年中行事のひとつ「田植えの時期に合わせて来るようにしています」と娘さん(写真/ご本人提供)

今や田植えは家族の年中行事のひとつ「田植えの時期に合わせて来るようにしています」と娘さん(写真/ご本人提供)

畑にはキャベツやピーマン、トマト、キュウリなどの旬の野菜が育つ。「このあたりはムジナが出て、トマトの皮だけ残して食べるんです」(写真撮影/出合コウ介)

畑にはキャベツやピーマン、トマト、キュウリなどの旬の野菜が育つ。「このあたりはムジナが出て、トマトの皮だけ残して食べるんです」(写真撮影/出合コウ介)

念願だった太陽光も、業務用10kwを屋根に上げ、申請から設計、電気工事、メンテナンスまで全部自分でやり、「古民家の柱は太陽光パネル800kgを支えてくれる頑丈なつくりでした」と大満足。家の電気配線も自ら工事(※)、井戸にポンプをつけて配水したり、草刈り機がオーバーヒートしたから自分で直したり、水やりが大変だから今度はスプリンクラーつくりたいと、田舎暮らしは技術屋の血が騒ぐそう。

「のびのび、マイペースにやりたいようにやれる環境がすごくいい。頭使うのも身体動かすのも大好きで、最初は漠然と始めた田舎暮らしでしたが、住み始めたら、ああしたい、こうしたいがいっぱい出てきて。今後は使っていない部屋のDIYもゆっくりしていきたいですね。もともと趣味だったアマチュア無線、今はお休みしています(笑)」

小高い丘の山裾にある加藤さんの家。太陽光発電が搭載され、田舎の町並みで一際目立つ(写真撮影/出合コウ介)

小高い丘の山裾にある加藤さんの家。太陽光発電が搭載され、田舎の町並みで一際目立つ(写真撮影/出合コウ介)

井戸にポンプを付けて、簡単に水が使えるように。さすが、エンジニア(写真撮影/出合コウ介)

井戸にポンプを付けて、簡単に水が使えるように。さすが、エンジニア(写真撮影/出合コウ介)

「子どもたちがトカゲに触っているのを見て、お友達も触れるようになりました」

もともと池田市でもしょっちゅう集まっていた仲良し家族だが、「家族イベントが増えました」と加藤さん。お孫さんたちもここがお気に入りで、川遊びしたり、BBQしたり。特に娘さんの次男坊は昆虫や生き物が大好き。今回、美咲町をおとずれたときも、あぜ道を歩くと足の踏み場もないほどの数の生まれたての小さなカエルにびっくり!トカゲや蝉、トンボと、本当に豊かな自然の恩恵を受けた生き物がいっぱい。「あれ、かなへび」。加藤さんのお孫さんがそっと教えてくれた。

「この子はねえ、本当に生き物が大好きでね。この前もかなへびを手のひらに3匹も乗せて、顔を見ては『かわいいかわいい』って喜んでいて。帰る時間になって、母親が捨てなさいと言うと、泣いて悲しがってるんですよ」と加藤さんは目を細める。孫の知らない一面が垣間見れたのも、「田舎暮らしのおかげ」と喜ぶ。

昆虫や生き物が大好きなお孫さんと(写真撮影/出合コウ介)

昆虫や生き物が大好きなお孫さんと(写真撮影/出合コウ介)

下流で川遊び。網で魚をとって、みんな楽しそう(写真/ご本人提供)

下流で川遊び。網で魚をとって、みんな楽しそう(写真/ご本人提供)

田んぼでとれたお米でつくるおむすびは最高!おばあちゃんを手伝う、娘さんの長男くん(写真撮影/出合コウ介)

田んぼでとれたお米でつくるおむすびは最高!おばあちゃんを手伝う、娘さんの長男くん(写真撮影/出合コウ介)

バーベキューを楽しむ加藤さんとお孫さんたち(写真撮影/出合コウ介)

バーベキューを楽しむ加藤さんとお孫さんたち(写真撮影/出合コウ介)


(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

小さいながらも地元の祭りも多く、桜祭りや夏祭り、花火大会など季節の行事を楽しみにしていて、「花火はね、田んぼの向こうに上がるんですが、これがまたキレイで。今では孫もこっちに地元の友達もできて、喜んでます」。夏休みには、お孫さんのお友達家族も訪れ、合宿を行うそう。

「住宅街では近所に気兼ねしますが、ここなら大声を出しても大丈夫だし、駐車スペースもいっぱい。気軽に集まれるのがいいですね。次男が昆虫や生き物を喜んで触っているのを見て、最初は怖がっていたお友達も触れるようになったんですよ」と娘さんが教えてくれた。加藤さんも「都会の子に田舎の良さを伝えられるのも、田舎暮らしの醍醐味(だいごみ)です」

娘夫婦の友達とその子どもたちもいっぱい遊びに来て夏を過ごすのも年中行事に(写真/ご本人提供)

娘夫婦の友達とその子どもたちもいっぱい遊びに来て夏を過ごすのも年中行事に(写真/ご本人提供)

偶然にも隣家の妻が同級生!「町内会を紹介してもらい、地元にもすんなり溶け込みました」

「今日も着いた早々、近所の方から『豆が出来すぎたから取りに来て』と言われ、孫と取りに行って来ました。旬の食材をよくいただきます」。実は、隣にお住まいの中村勉さんの妻が加藤さんの妻と偶然同級生だったことから、町内会の人を紹介してもらい、地域に溶け込んでいった。

隣にお住まいの中村勉さんはもくもくと草刈り。この方の妻が加藤さんの妻と同級生だった。ちなみに、この近くの方々はみんな中村さんらしい(写真撮影/出合コウ介)

隣にお住まいの中村勉さんはもくもくと草刈り。この方の妻が加藤さんの妻と同級生だった。ちなみに、この近くの方々はみんな中村さんらしい(写真撮影/出合コウ介)

「おかげで、スムーズにお付き合いさせて頂けて、本当に助かりました。美咲町は外から来た人々に対して寛容というかそういう風土があり、2人ほど先輩の移住者の方がいらっしゃいましたが、私たち同様、初めての稲作も助けてもらいながらやっていたみたいです」

前出の中村隆重さんも、管理している11反のうち、9反は遠くに住んでいたり、手がまわらない方の田んぼを預かって面倒をみているという。当たり前のように支え合う精神。なるほど、週末だけ来ては楽しむ別荘とは違い、月に数回ではあるが、地域とつながってこその、二拠点生活。今後の目標は?

「都会でランニングマシンに乗るより、農作業をしていい汗かくのが気持ちいい!梅田での忙しいオン生活があるからこそ、田舎でのオフ生活。この生活を始めて、両方手放せないことがよく分かりました。みなさん、よく終活って言いますが、私は今の暮らしの延長線上に将来があると思っています。70歳で現役続行していますが1年契約です。1年、1年できる範囲で仕事をがんばり、この二拠点生活のまま、ピンピンころりといきたいものです(笑)」。70代でお仕事をしているだけでも驚きだったが、デュアルライフを通じて、思いがけなく、自分にぴったりのライフスタイルを見つけた加藤さん。今後も妻や子どもたち、その家族に囲まれて、末永く笑顔で暮らしていただきたいものだ。

※加藤さんは、第1種電気工事士の有資格者のため、ご自身で電気工事を行っています。電気工事士法により、電気工事は専門の資格を持つ者・事業者が行うことが定められています

デュアルライフ・二拠点生活[14] 11年目のリアル「子どもの入園を機に、ほぼ完全移住しました」

二拠点生活(デュアルライフ)は楽しそう。でもずっと続けると、どんなことが起きるのか。今回は、二拠点生活11年目、週末だけの田舎暮らしから、ほぼ移住生活となった先輩デュアラ―の暮らしを紹介。きっかけや当初の目的はもちろん、子どもの教育、働き方の変化、親の介護、コミュニティなど、これまでのデュアルライフをインタビューしました。

今回、インタビューを受けてくださったのは、建築家の高木俊さん。2008年から、東京都江東区の住まいと千葉県館山市で二拠点生活を始め、現在は、妻と2人のお子さんとともにほぼ完全移住をしています。

連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、さまざまな世代がデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきますどこかハワイを思わせる丘の一軒家を週末の家に高木俊さん(写真撮影/片山貴博)

高木俊さん(写真撮影/片山貴博)

――二拠点生活を選んだきっかけは?

当初は妻の母が古民家暮らしをしてみたいと、都内から車で行ける古民家を探していたんです。また、私たち夫妻にも、娘が生まれ、自然豊かな環境でも子育てしたいと思うように。本格的に探し始めたところ出合ったのが、現在の館山の住まいでした。急勾配の坂道を上った丘の上に位置しているので、周囲に建物がなく、開放的。温暖な気候、海が近い、丘の上。どこか妻の好きなハワイに似ているなぁと。そこで、思い切って購入したんです。自分たちの手でどんどんリフォームしていくつもりでしたので「借りる」選択肢はありませんでした。

室内は壁をぶちぬき、リビング、ダイニング、ワークスペースを兼ねた、ひとつの大空間に(写真撮影/片山貴博)

室内は壁をぶちぬき、リビング、ダイニング、ワークスペースを兼ねた、ひとつの大空間に(写真撮影/片山貴博)

――当初は、こちらの館山の住まいは、週末の家だったんですよね。

そうです。月に一度、家族全員と犬と猫と一緒に大移動していました。草むしりをしたり、家の中をDIYしたり、のんびり過ごすはずが、意外とすることはいっぱいありました。また、妻の父が若くして病に倒れ、介護が必要になったことも、二拠点生活を選んだもうひとつの理由でした。たまには田舎でのんびり過ごさせてあげたかったんです。そのうち、訪れる頻度こそ変わりませんでしたが、滞在日数が長くなり、仕事が許す限り、1週間程度こちらにいましたね。家屋の改修をまとまってやることができました。

子育て重視で移住へ。仕事環境も少しずつ変化

――その後、2012年に家族で移住するわけですが、何故でしょうか。

息子が生まれ、娘が幼稚園に入園する前のタイミングのときに、妻と“東京でずっと子育てするイメージがわかない”という話になり、定住を決めました。当時の東京都内の住まいは賃貸で身軽でしたし。
東京はいろいろ恵まれていますが、どうしても閉塞感がある。雄大な自然の前では、人間が決めたルールなんてふき飛んでしまう。そんな自然の力を子どもたちと共に肌で感じたいと思ったんです。
移住を決める前に、地元の運動会をのぞいてみたりして、ここでの子育てをイメージしてみました。散歩していると、道行く子どもたちが「こんにちは」とあいさつしてくれるのもいいなぁと思いました。ここは1学年20人ほどの1クラス。小・中とずっと一緒なので、結束力も強い。保護者みんなが子どもたち一人ひとりを知っているので、社会全体で子どもたちを育てる姿を目の当たりにしています。

周囲に建物がなく、森の中に急に現れたような趣の住まい。敷地は1000坪以上で、まだ手付かずの場所も(写真撮影/片山貴博)

周囲に建物がなく、森の中に急に現れたような趣の住まい。敷地は1000坪以上で、まだ手付かずの場所も(写真撮影/片山貴博)

庭にはハーブや果実を収穫できる植物が生育。今日は、サラダの彩りに、食べられる花、エディブルフラワーを摘む贅沢さ(写真撮影/片山貴博)

庭にはハーブや果実を収穫できる植物が生育。今日は、サラダの彩りに、食べられる花、エディブルフラワーを摘む贅沢さ(写真撮影/片山貴博)

取材時には、大豆ミート、ドライベジタブルなどを使ったランチをご馳走してもらった(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

取材時には、大豆ミート、ドライベジタブルなどを使ったランチをご馳走してもらった(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

――現在、高木さんの仕事はどうされているのでしょうか。

現在、本業の設計の仕事とは別に、東京理科大学で1スタジオの授業を持っているので、週に一度、僕だけ東京に戻っています。オフィスも一応都内に残していて、夜は妻の実家に泊まっています。都内に設計の仕事があれば、頻繁に現場に行くなど、フレキシブルに働いています。
実はここに拠点を移して3年経ったころから、少しずつ地元(千葉)の仕事を増やしている最中なんです。田舎では「建築家に設計を頼む」という文化はあまりないので、今までどおりとはいきませんが、だんだん地元の友人が増え、仕事につながるケースも少なくありません。地元の青年団、小学校のPTAなどには、必ず地元の大工さん、職人さんがいて、顔を出しているうちに自然と人脈ができるんです。

――コミュニティが仕事につながるんですね。

狭い社会ですし、僕は臆せず飛び込んでいける性格なんです。
確かに東京をベースにしたほうが、仕事も多く、収入面ではメリットが大きいかもしれません。でもここでなら、自給自足をしたり、物々交換をしたり、都会とは別の価値観で十分暮らせて行けるんではないかなと思っています。暮らしの延長が仕事になっていると実感しています。
都会は都会で刺激がたくさんあり、都会暮らしを決して否定はしません。でも、たくさん働いてたくさん稼ぐ働き方でなくてもいいなと思っているんです。とはいえ、何があるのか分からないので、都内のオフィスはそのまま残していますけど(笑)。最近は、後輩の建築家とシェアオフィスにするなど、コストは削減していますし、こちらで得た知見を都会で広める野望もあります。

もとからあったビニールハウスは修繕を加えて洗濯物干し場兼DIYの作業場に(写真撮影/片山貴博)

もとからあったビニールハウスは修繕を加えて洗濯物干し場兼DIYの作業場に(写真撮影/片山貴博)

家の裏手には大きなテントを張れるスペースも。学生たちが寝泊まりした(写真撮影/片山貴博)

家の裏手には大きなテントを張れるスペースも。学生たちが寝泊まりした(写真撮影/片山貴博)

子育てを通してコミュニティに馴染む。義父の看取りも経験

――ほぼ定住することで、暮らしはどう変わりましたか?

地元のコミュニティに深く関わるようになったことが大きいですね。今は、小学校のPTA会長をやっています。実は僕の大学のスタジオのテーマは「二地域居住」。この前は、学生たちが30人ぐらいやってきて、ウチに宿泊していきました。地元のみなさんの協力を得て、農作業など貴重な経験をさせてもらいました。家庭菜園もバージョンアップして、妻はパーマカルチャーを学ぶなど、僕よりずっとこの暮らしを謳歌しています。

1匹の犬と6匹の猫たちとも同居生活。猫たちは自分なりの居心地のいい場所を見つけるのが得意(写真撮影/片山貴博)

1匹の犬と6匹の猫たちとも同居生活。猫たちは自分なりの居心地のいい場所を見つけるのが得意(写真撮影/片山貴博)

独立した広いキッチンにはたくさんの食器や調理器具が並べられている。最大30人分の食事を用意したこともあったそう(写真撮影/片山貴博)

独立した広いキッチンにはたくさんの食器や調理器具が並べられている。最大30人分の食事を用意したこともあったそう(写真撮影/片山貴博)

――4年前からは、義理のお父さまと同居されたんですよね。

はい。近くの白浜にとてもいい介護施設があり、利用できるのは地域住民であることが前提だったことから、2015年より同居を始めました。週に5日、デイサービスに通い、月に一度は一週間の宿泊をお願いしました。その間、介護をしていた義母は東京で骨休めでき、よかったと思います。
残念ながら、2年前に義父は亡くなりました。お葬式はこの自宅で、近くの神社の宮司さんが取り仕切ってくれるなど、とてもアットホームな式になりました。この家で、義父を看取ることができたことは大変良かったと思っています。しばらくして、義母が古民家を求めた意図に気付くことができました。今では義母が週末に田舎を楽しんでいます。

――最後に、二拠点生活をしたい方たちにアドバイスをお願いします。

私たちの場合、子育てと田舎生活をほぼ同時に開始したので、慣れないことが多く、大変かなと思っていました。でも、できないことはできないと開き直れました。田舎生活の初心者だからこそ、周囲に素直に「助けて」とお願いできます。都会ではカッコつけていた、ってことなんでしょうね。都会にいたら、情報がいろいろ集まってくる分、自分の子育てを比較したり、焦ったりしていたでしょう。
特に子どものいる世代での二拠点生活は、学校の問題などハードルはありますが、子どもがいるほうが、地元のコミュニティに溶け込みやすいという利点は大きいと思います。

週末だけの二拠点生活から、ほぼ移住生活に移行した高木さんファミリー。とはいえ、将来子どもたちが東京の学校に進学したいと希望したら、妻の実家から通うこともできるとフレキシブルに考えているそう。仕事も子育ても決めすぎず、軽やかに拠点を変えるライフスタイルは、まさに新しい暮らし方といえるでしょう。

館山の住まいは丘の上に建つ、平屋の一戸建て。特に出かけなくても、自然を身近に感じる子育てができる(写真撮影/長谷井涼子)

館山の住まいは丘の上に建つ、平屋の一戸建て。特に出かけなくても、自然を身近に感じる子育てができる(写真撮影/長谷井涼子)

二拠点生活(デュアルライフ)は日本で定着する? 先進国・フィンランドの暮らしを訪ねた

日本で今、広がりを見せている「二拠点生活(デュアルライフ)」。とはいえ、実践者は1.3%(リクルート住まいカンパニー調べ)。一方、フィンランドは、“サマーハウス”と呼ばれる二拠点目の暮らしを楽しむ人が半数を超え、中には「8割超えではないか」と言う人もいる、いわば二拠点生活の先進国。今回は、自らも二拠点生活を実践するSUUMOジャーナル編集長が、フィンランドの二拠点生活を視察。親族がサマーハウスを持っていて、自身もよく活用しているというフィンランド人オッリさんに、現地の二拠点生活事情を聞いてみました。「森と湖の国」と言われるだけあって、フィンランドは、陸地の約65%が森林に覆われ、18万8000の湖がある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「森と湖の国」と言われるだけあって、フィンランドは、陸地の約65%が森林に覆われ、18万8000の湖がある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

フィンランドでは、戦前と戦後にサマーハウスブームがあった!

サマーハウスの文化が始まったのは19世紀後半。産業の繁栄を背景に、金銭的に豊かな人々が、湖畔などの水辺にサマーハウスを建て始めたのがはじまりです。そして、1920~30年にかけての経済成長期に、富裕層から中間層への広がりを見せますが、この時はセルフビルドが主流。50平米未満のコンパクトなサマーハウスを建てる「第一次サマーハウスブーム」的なものがやってきました。第二次世界大戦が始まると、ブームはいったん下火になりますが、戦後、再び経済成長が始まると再燃。1960年代には工場生産のサマーハウスも登場し、「第二次サマーハウスブーム」が到来します。ピークである1980年代には10万戸を超えるサマーハウスが建設されました。2000年代以降は落ち着きをみせ、年間約2000戸ペースとなりました。
「最近、建てられているサマーハウスの平均面積は72平米に達し、住宅設備は通常の住宅とほぼ同レベルとなっています」(オッリさん)

フィンランド語の「ruska」は、「紅葉」や「秋の色」を意味する言葉。この言葉の通り、秋には、色づいた森の広葉樹や針葉樹が鮮やかにサマーハウスの周りを彩る(写真提供/オッリさん)

フィンランド語の「ruska」は、「紅葉」や「秋の色」を意味する言葉。この言葉の通り、秋には、色づいた森の広葉樹や針葉樹が鮮やかにサマーハウスの周りを彩る(写真提供/オッリさん)

2018年時点で、国内にあるサマーハウスは、約50万9800戸。うち約43万2300戸が私有で、残りの約7万7500戸が企業や自治体、外国人などの所有です。フィンランドの総世帯数が267万7000世帯であることから算出すると、サマーハウスを私的に所有している世帯の割合は、約16%となりますが、親族同士で1つのサマーハウスを共有していることを考慮すると、実際は、もっと多くの割合の世帯がサマーハウスを利用していると考えられます。実感値としては、少なくとも過半数の人が、自分か親族所有のサマーハウスを利用している感覚です。

統計によると、サマーハウスの平均面積は49平米とコンパクト。ただ最近、建てられているものの平均面積は72平米と、広くなっている傾向があります。内訳を見ると、約3分の1は20~39平米で一番多く、次いで40~59平米が3割弱。総じてコンパクトなサイズであることが分かります。

出典:「建物とサマーハウスの調査」フィンランド統計局

出典:「建物とサマーハウスの調査」フィンランド統計局

フィンランド人はなぜサマーハウスを持つのか?

オッリさんによると、サマーハウスが流行った理由として最も大きいのは、「自然の中に身を置くことで、平日の仕事や日常生活の煩わしさを忘れてリラックスしたいという願望でしょう」とのこと。
「また、自給自足的な昔の暮らしを楽しみたいというのもありますね。子どものころに親や親族、知人を通じてサマーハウスでの暮らし経験をしていて、新しい家族を持ったときに子どもにも経験させてやりたいというのもあると思います」(オッリさん)

日本では、“別荘”というと「避暑」の目的が強いですね。軽井沢、那須、八ヶ岳などは、いずれも避暑地です。でもフィンランドは違います。快適な短い夏を目いっぱい楽しむためにサマーハウスを活用することから、高原避暑地ではなく、湖のほとりに建てるのが一般的です。

森と湖の国フィンランドには、10万を超える湖があります。湖のほとりはそこら中にあるのです(笑)。そこに小さな家とサウナ小屋を建て、サウナに入って汗かいて湖に飛び込んで泳ぐ。お腹が空いたら魚を釣る。近くにあるマッシュルームやブルーベリーを摘んで、バーベキューを楽しむ。こんな生活です。

フィンランドの人々が二拠点生活に求めるもので、日本人と共通しているのは「リラックス」「自然と親しむこと」。違いは、「自給自足的な生活を楽しめるか、あるいは面倒と思うか」というところでしょうか?

サマーハウスの周辺には、鹿などの野生動物もしばしば出没。これぞ自然と共存するシンプルライフの醍醐味(だいごみ)だ(写真提供/SUUMOジャーナル編集部)

サマーハウスの周辺には、鹿などの野生動物もしばしば出没。これぞ自然と共存するシンプルライフの醍醐味(だいごみ)だ(写真提供/SUUMOジャーナル編集部)

サマーハウスのマストアイテムは水道でも電気でもなくサウナ!

さて、サマーハウスの設備はどうなっているのでしょうか。驚いたのは、なにはともあれ「サウナ」ということ。水道や電気を引くよりも、サウナが優先なんだそうです。「水道、電気なしで生活できるの?」と聞くとオッリさんからはこんな答えが返ってきました。
「水道が通っていないサマーハウスは、湖から水を運べばいいのです。サウナに使う木は、ふんだんにある森から調達できます。最近のサマーハウスは、シャワーが付いていますが、古めのサマーハウスはシャワーなしです。その場合は、サウナの熱で湖のお湯を沸かし、体や髪の毛をサウナの脇で洗えばいい。トイレも通常は屋外です。最近は下水道完備のサマーハウスが増えていますが」(オッリさん)

かつてはセルフビルドでサマーハウスを建てていたフィンランド人も、最近は「Honka」などのログハウスメーカーに建ててもらうケースが増えました。価格は、夏に住む仕様だと1平米あたり約1500ユーロ(約18万円・2019年6月時点・以下同様)、冬でも住める仕様になると1平米あたり2000ユーロ~2500ユーロ(約24万円~30万円)となり、平均的な広さである49平米に換算すると、夏仕様で約890万円、冬仕様で約1200万円~1500万円となります。

オッリさんのサマーハウスのサウナ。フィンランド人のサウナ好きは、海外にあるフィンランド大使館やヘルシンキにある国会議事堂にもサウナが設けられていることからも分かる(写真提供/オッリさん)

オッリさんのサマーハウスのサウナ。フィンランド人のサウナ好きは、海外にあるフィンランド大使館やヘルシンキにある国会議事堂にもサウナが設けられていることからも分かる(写真提供/オッリさん)

自分や親族で使うのが基本だが、サマーハウス貸し出しサイトもある

フィンランド統計局の調査では、自宅からサマーハウスまでの距離は平均92kmですが、中央値は39kmであることから、半数以上は38km以下の近距離にサマーハウスがあることが分かります。ただし、首都ヘルシンキのあるUusimaa県に住む人で見ると、平均が167km、中央値が131kmと、全国平均よりは距離があり、首都圏ほどサマーハウスが遠い傾向があることが分かります。サマーハウスへの移動手段は、基本は自動車です。
 
さて、このサマーハウス。使わないときはどうしているのでしょう。

「使わないときは人に貸すこともありますが、基本的には自分や親族だけで使います。フィンランド最大のサマーハウス賃貸サイトを見ると、貸し出されているサマーハウスは約4000戸ありました。総数50万戸と比べると少ないですが、貸せる仕組みはあるということです。また、企業が所有するサマーハウスは、安い利用料で従業員に貸し出されています」(オッリさん)
 
また、この調査によると、サマーハウスを持つ人の24%が夏の長期休暇中をまるまるサマーハウスに滞在するとしており、62%の人は長期休暇の一部をサマーハウスで過ごすとしています。冬でも住める仕様のサマーハウスであれば、年間を通じて週末をサマーハウスで過ごすのが一般的です。

なお、サマーハウスに対して特別な税金の控除や補助金はなさそうです。ただし、サマーハウス用途の住宅の固定資産税はメイン居住の住宅よりも負担が軽いのが通例です。

夏にはハイキング、冬にはクロスカントリースキーなどが楽しめる森の中のサマーハウス。フィンランドでは、誰でも自然の中の好きな場所を自由に歩けるという権利「自然享受権」が認められている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

夏にはハイキング、冬にはクロスカントリースキーなどが楽しめる森の中のサマーハウス。フィンランドでは、誰でも自然の中の好きな場所を自由に歩けるという権利「自然享受権」が認められている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

若い世代の「サマーハウス離れ」について

この取材に行く前に、「フィンランドの若い世代には、サマーハウス離れという現象があるのではないか」という記事を読みました。調べてみると、フィンランド統計局の調査では、サマーハウス所有者の平均年齢63歳であり、40歳未満は6%とわずか。やはり、「若者離れが進んでいるのでは?」と感じるデータです。でもオッリさんの見解は違いました。

「若い世代の”サマーハウス離れ“と言いますが、少なくとも私はそうは思いません。現に、水道や電気が通っていなくてもサマーハウスを利用したいと考えている20~30歳の人たちを、私は個人的に知っています。統計調査でも、18~25歳以上の人の半数がサマーハウスを所有したいと考えており、80%以上がサマーハウス生活を送ることに前向きです」

にもかかわらず、なぜこれほど多くの高齢者がサマーハウスを持っているのでしょうか。そのひとつめの理由として考えられるのが、40歳未満の人々は自宅の住宅ローンを払っている最中か、あるいは自宅購入すらしていないためではないかということ。また、サマーハウスの多くは、所有者の死亡時に子どもに相続されることによって所有権が移るため、必然的に、所有者の年齢が高くなるという事情もあるようです。

湖では、ボートこぎ、カヌー遊び、釣りなどが楽しめる。もちろん、サウナの後に体をクールダウンさせるときにも、湖は天然の水風呂に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

湖では、ボートこぎ、カヌー遊び、釣りなどが楽しめる。もちろん、サウナの後に体をクールダウンさせるときにも、湖は天然の水風呂に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ボートで湖に漕ぎ出して、静寂に包まれながら湖上で釣り糸を垂れるひととき。フィンランドでは誰でも無料で釣りができるが、ルアー・フィッシングには許可が必要(写真提供/オッリさん)

ボートで湖に漕ぎ出して、静寂に包まれながら湖上で釣り糸を垂れるひととき。フィンランドでは誰でも無料で釣りができるが、ルアー・フィッシングには許可が必要(写真提供/オッリさん)

湖にかかる桟橋は、ときに“飛び込み台”になったり、腰を掛けて足先を水につけて読書するときの“椅子”になったりと、大活躍(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

湖にかかる桟橋は、ときに“飛び込み台”になったり、腰を掛けて足先を水につけて読書するときの“椅子”になったりと、大活躍(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

日本でも二拠点生活は一般的になるのか?

実は妻が日本人で、日本の事情にも詳しいオッリさん。日本での二拠点生活の普及の可能性についても聞いてみました。

「フィンランドが日本よりも二拠点生活が盛んなのは、フィンランド人のほうが自由な時間が多いという理由が最も大きいでしょうね。長時間労働が定着している日本では、サマーハウスでの生活を楽しめるほど十分な休暇はなかなか取れませんから。ただ、ライフスタイルや暮らしを楽しみたいという気持ちは、日本人もフィンランド人も、さほど変わりません。日本人には、フィンランドの人々と同じように自然や住まいに親しみ、故郷の親戚を訪ねたり、温泉でリラックスしたいという志向があるからです。フィンランドでは、土曜日が休日になったことで、週末に小旅行をする時間が生まれて、サマーハウスのブームが始まりました。当初、自給自足的に野菜を栽培するときの拠点であったサマーハウスは、やがてリラックスするために求められるようになり、今やフィンランドの人々は、自然と触れ合いながら、サマーハウスでのシンプルな生活を通じて、都会での忙しい生活とのバランスを取ることができています」(オッリさん)

そう考えると、日本人の働き方が変わり、自由な時間が増えれば、二拠点生活がさらに広がり、浸透するのではないでしょうか。

また、もう一つのキーは「自給自足的な生活を楽しめるかどうか」。交通や商業の利便性を重視する人が多い日本で、ある意味「面倒で手間のかかる生活」をしたいのか? 魚や山菜を取ってBBQをする、あるいは薪を割るなどという生活を好むのかどうか? そうした志向を日本人が持てるようになるかどうか…。
この点においても、日本人の志向が変わりつつある兆しを感じます。その一つがキャンプ。オシャレなキャンプ道具が増え、キャンプ人口は着実に増えています。家庭菜園も人気ですね。部屋の内装をDIYでつくりこむ日本人も増えてきています。また、都心の物件価格が異常に上昇する一方で、地方や田舎では空き家も増え、買うにせよ借りるにせよ、価格や家賃はリーズナブルになっています。加えて、法が整備されたことで、地域によっては持ち家を合法的に宿としても貸せるようになり、取得コストを10年以内に回収できる選択肢も出てきました。
豊かな二拠点生活の一般普及の環境は、徐々に整いつつあるように感じます。

デュアルライフ・二拠点生活[13]8年目のリアル「二拠点生活のために会社を辞めました」

二拠点生活(デュアルライフ)は楽しそう。でもずっと続けると、どんなことが起きるのか。
今回は、二拠点生活8年目となった先輩デュアラ―の暮らしを紹介。きっかけや当初の目的はもちろん、コミュニティ、働き方の変化、家族の反応、お金のことなど、これまでの様子をインタビューしました。

今回、インタビューを受けてくださったのは、会社員の菅原祐二さん(63)。2011年から、東京都葛飾区の自宅と、南房総(千葉県冨津市)の二拠点生活を送っています。

連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、さまざまな世代がデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきますローンは組めない。そのときに下した大胆な決断

――そもそも、二拠点生活を始めた理由、きっかけは何だったんでしょうか?
釣りが好きで、千葉の海に通ううち、荷物を置いたり休憩したりできる、釣りの拠点になるような小さな家でいいから欲しいと思ったんです。そこで不動産会社をのぞいたら、“けっこう空き家がある。価格的にも買えるかも。DIYで改修するのも楽しそうだ”と思ったんです。その後、仲良くなった不動産会社の担当者から「探している物件とは違うけど、面白い古民家を見に行くので一緒に行きませんか」と誘われて、興味本位で付いて行きました。築100年ほどの古民家、長屋門や蔵、そして現役の井戸などがある、時代劇に出てくるような物件をそのとき初めて目の当たりにしました。それから一気に古民家に興味が移り、本格的に探し始めて出会ったのが、現在の古民家でした。

もともと建具屋さんの家だったらしく、造りも凝っていたし、太い立派な梁がすっかり気に入りました。正直、予算オーバーだったけれど、購入を決めました。当初は、土・日と月曜が休みの週4日勤務だったので、金曜日に仕事が終わったら、車で南房総に。金、土、日、月と過ごし、月曜日の夜に東京の自宅に戻る生活でした。

8年かけて少しずつ改修した古民家。建具や窓は、もともとあったものを再利用したものもあれば、解体現場を手伝いに行った際にもらい受けたものもある(写真撮影/片山貴博)

8年かけて少しずつ改修した古民家。建具や窓は、もともとあったものを再利用したものもあれば、解体現場を手伝いに行った際にもらい受けたものもある(写真撮影/片山貴博)

元々は小さな和室が並んであった1階は、すべて広げてフローリングの洋室に。置いてある家具や家電もほぼもらいもの(写真撮影/片山貴博)

元々は小さな和室が並んであった1階は、すべて広げてフローリングの洋室に。置いてある家具や家電もほぼもらいもの(写真撮影/片山貴博)

――週休3日制なんですね! 二拠点生活にあこがれていても、過ごせるのが土日だけと躊躇する人も多いです。二拠点生活当初からそのような勤務スタイルだったんですか?
それには事情がありまして……。実はこの古民家を購入するときに、ローンを組めず、現金が必要になったんです。そこで、先輩が代表を務める会社から“仕事を手伝ってもらえないか”と、ずっと誘われていたことを思い出したんです。“退職金が手に入れば買えるな”と決断。早期退職し、転職。誘われたのを幸いに、勤務を週4日にしてもらえるよう交渉したんですよ。2年前からは週3日勤務にして、金曜日の夜から火曜日までここで過ごしています。

――うらやましいです。二拠点生活が、仕事面での転機にもなったんですね。家族の反応は?
実は内緒だったんですよ。でもさすがに会社を辞めるときには言わざるを得なくて……。

――え、内緒だったんですか?
そうなんです。最初、妻は口をきいてくれませんでした。でも、実際に手を入れてキレイになったこの住まいを見て、ビックリしていました。東京じゃ、ありえない暮らしですからね。今は、友人たちが孫と一緒によく遊びに来ます。

古民家の現状を見て、初日に「失敗した」と大後悔

――確かに。子どもたちにとっては、夢のような環境ですね。二拠点での暮らしぶりについて教えてください。
当初は、まず “住める状態にしないといけない”ミッションがあったので、ひたすら、片付け、大工仕事に明け暮れる毎日でした。トイレをつくる、ピザ釜をつくる、ふすまでつながった和室を全部つなげて広いフローリングのリビングにする。次から次へとやるべきこと、やりたいことは出てくるので夢中でした。今は一段落しましたが、まだまだ手を加えてみたいので、改修工事に終わりはないですね。だから、当初の目的だったはずの釣りはしばらく、まったくできなかったんですよ(笑)。
今は、同じような移住者やデュアラー仲間の家に行って、改修を手伝ったり、ウチで集まって酒を飲んだりしています。釣りも再開しました。

仲間と談笑する菅原さん(中央)。自然と周囲に人が集まるのも、菅原さんのとてもフレンドリーでオープンマインドな人柄ゆえ(写真撮影/片山貴博)

仲間と談笑する菅原さん(中央)。自然と周囲に人が集まるのも、菅原さんのとてもフレンドリーでオープンマインドな人柄ゆえ(写真撮影/片山貴博)

――楽しそうです。でも、つらかったことはありませんか? やめたいと思ったことは?
実は初日に“やめたい”って思ったんですよ。まず室内が住める状態じゃないし、電気も通っていなくて、真っ暗。見学したときには気付かなかった欠点が目に付いて、大失敗したぞって思っちゃったんです。パンドラの箱を開けた気分でした。

でも、当初反対していた家族の手前、後には引けなくて頑張るしかないんですよね。今は仲間ができてお互いに工事を手伝い合っていますが、そのときは一人。例えば板を上に持ち上げるのも一苦労でした。でもそうなったら、なんとか創意工夫するんですよ。竹で足場をつくれば一人で持ち上げるのも可能だぞって。その試行錯誤する過程も、便利すぎる東京では、得難い経験だと思います。

もちろんプロにも改修工事をお願いしていたので、休憩の合間に教えてもらったりもしましたね。今では、確実にDIYのスキルは上がって、当時お願いしていた大工の棟梁さんから“定年になったら、ウチでアルバイトすればいい”って、言われています(笑)。そんな暮らしも悪くないですね。

小屋1階は作業スペース。道具類をさっと取りやすいように棚をDIY。秘密基地のようなスペースは菅原さんのお気に入り(写真撮影/片山貴博)

小屋1階は作業スペース。道具類をさっと取りやすいように棚をDIY。秘密基地のようなスペースは菅原さんのお気に入り(写真撮影/片山貴博)

デュアラー仲間が、菅原さんの作業場を使って大工仕事。お互い助け合いながら楽しんでいる(写真撮影/片山貴博)

デュアラー仲間が、菅原さんの作業場を使って大工仕事。お互い助け合いながら楽しんでいる(写真撮影/片山貴博)

コミュニティの存在は大きい一方、想定外の困りごとも

――この8年間で一番の変化は何でしょうか。
何より、仲間ができたことが大きいですね。最初の4年間はほぼ一人で作業していたのですが、4年前の断熱材のワークショップに参加してみたら、同じような境遇の仲間がたくさんいて、お互いの家の改修工事を手伝いに行くようになったんです。一人でやっていたことも仲間がいたら、圧倒的にはかどる。そのうち、宴会になって、泊まって、また翌日作業するっていうのが日課になりました。

こっちの人間関係の何がいいって、すごくフラットなこと。年齢も職業もまったく違う人たちと、素の付き合いができるんですよ。それに、この暮らし方を選ぶということは、どこか価値観が似ているということ。オープンマインドな人たちが多く、共通の作業を通して付き合いが深まるのがいい。東京だけでは得られない付き合いは、今では宝物です。

日曜日、取材に伺うと、南房総の仲間たちと朝ごはんの準備をされていました。かまどは元々あったものを移築、修理したもの(写真撮影/片山貴博)

日曜日、取材に伺うと、南房総の仲間たちと朝ごはんの準備をされていました。かまどは元々あったものを移築、修理したもの(写真撮影/片山貴博)

かまどで炊き上げたごはん。美味しそう! (写真撮影/片山貴博)

かまどで炊き上げたごはん。美味しそう! (写真撮影/片山貴博)

――コミュニティの存在が、二拠点生活を長く続けられる理由になるんですね。また、お金の面も気になります。コストについて教えてください。
この640坪の古民家は、土地代合わせて1200万円。さらにこれまで解体・改修にかかったお金はトータル1000万円くらいですね。確かにお金はかかりますが、キャッシュという動産を家という不動産に変えただけ。リフォームで住まいの価値を上げていると思っているんです。

――確かに。今後二拠点生活がもっと普及すれば、二拠点生活向きのエリアや、古民家の雰囲気は残されたまますぐに生活ができるよう改修された住まいは人気が集まりそうです。いいことばかりのように思えますが、想定外の困ったことってありますか?
やはり移動時間は正直、しんどいなと思うこともあります。今は職場もしくは自宅から通っていて、多少ルートは違いますが、車で1時間半くらいかかります。本当はもっと南に行ったほうが海も近く、温暖な気候になるので、二拠点目としては理想的。ですが、私は車の運転があまり好きじゃないので、これが限界かなと。また高速道路代やガソリン代などの移動費用は1回往復で約7000円。月に4回行けば、3万円弱ですから、小さな出費とは言えないでしょうね。

釣った魚、採れたて卵、地元のルバーブジャム、と豪勢な朝食に。ジャムは、地元「よぜむファーム」さんのもの。生産者自らがそれぞれ持ち寄った(写真撮影/片山貴博)

釣った魚、採れたて卵、地元のルバーブジャム、と豪勢な朝食に。ジャムは、地元「よぜむファーム」さんのもの。生産者自らがそれぞれ持ち寄った(写真撮影/片山貴博)

卵は、南房総山名のたまご屋さん「すぎな舎」のもの。平飼の有精卵を生産していている。卵かけご飯が最高(写真撮影/片山貴博)

卵は、南房総山名のたまご屋さん「すぎな舎」のもの。平飼の有精卵を生産していている。卵かけご飯が最高(写真撮影/片山貴博)

南房総仲間と一緒に、日曜日の朝食。建築家、コンサルタントなどをしているデュアラーや、地元を中心に活動するライター、地元の果物農園、養鶏業者の方々でにぎやか(写真撮影/片山貴博)

南房総仲間と一緒に、日曜日の朝食。建築家、コンサルタントなどをしているデュアラーや、地元を中心に活動するライター、地元の果物農園、養鶏業者の方々でにぎやか(写真撮影/片山貴博)

――旅行と違って何度も通うことになるので、移動費用や時間もシビアに考えないといけないですね。今後も二拠点生活を続けますか? それとも完全移住をしますか?
う~ん、まだ決めていません。完全移住も考えなくはないですが、東京の家は、現在、妻と成人した息子が暮らしていて、完全に引き払うことはありえない。となると結局、二拠点生活を続けていくんでしょうね。ただ、こっちの暮らしが楽しくなっちゃって、今後、さらに休みを増やして、週2日勤務にする予定。若い人たちも成長していて、職場での私が担う役割も変化してきたと思いますしね。

――人手不足や技術の伝承の必要性が問題になっている社会では、まさに理想的なセカンドキャリアですね。
最後に、二拠点生活を検討している方にアドバイスをお願いします。特に、“定年退職したら、田舎暮らしを始めよう”と思われている方も多いですが、もし菅原さんは55歳の現役ではなく、定年退職されてから二拠点生活を始めていたら、どうだったと思いますか?
正直、大変じゃないでしょうかね。きっと身体が思っていた以上に動かないと思いますし、誰も知り合いがいない土地に、いきなり暮らすのは正直キツイと思います。働き方も暮らし方もゆっくりシフトチェンジしていくには、55歳で決断したのは良かったと思います。二拠点目を持つことがセカンドキャリアに移行していく、いい機会にもなりました。

購入直後に菅原さんが手掛けたのが、屋外にあるトイレ。配管など、初めてのことばかりで悪戦苦闘したそう(写真撮影/片山貴博)

購入直後に菅原さんが手掛けたのが、屋外にあるトイレ。配管など、初めてのことばかりで悪戦苦闘したそう(写真撮影/片山貴博)

現在、進行中なのが小屋の二階。元々は干し草を保管する場所で、屋根に断熱材を設けたり、窓を設置するなどの改修を施している(写真撮影/片山貴博)

現在、進行中なのが小屋の二階。元々は干し草を保管する場所で、屋根に断熱材を設けたり、窓を設置するなどの改修を施している(写真撮影/片山貴博)

当初は趣味を充実させるために二拠点生活を始めた菅原さん。その後、新たなコミュニティを得ることで、地域に根を下ろし、二拠点目がリタイア後の人生の拠点へと移行していったように思われます。働き方のシフトチェンジも見事。二拠点目を持つことは、お金や仕事が大きな障害になることは事実ですが、100年生きる人生であることを考えれば、自分自身の働き方、生き方を変化させる、またとない機会となることは間違いありません。

「デュアラーを面白がる会」開催。切実なるお金と移動問題はどうなる?

6月25日(火) 、SUUMO(リクルート住まいカンパニー)による『第1回 デュアラーを面白がる会』が開催されました。
この『面白がる会』は、「お酒を飲みながらワイワイ」と、課題の洗い出し、解決方法のアイデア出しをブレストするというもの。
今回は、デュアルライフに憧れている、実際に検討している人、彼らにサービスを提供する・したいと考えている企業の担当者などが集まりました。当初はぎこちなかった初対面同士も、お酒を飲みながら打ち解け、いろんなアイデアが飛び出しました。
どうして始められない? 実践して困ったことは何?

「面白がる会」は、難しい課題を“自分ごと”としてとらえ、今までの慣例や常識にとらわれず、“こうだったらいいんじゃない”とアイデアをみんなでブレストする会。「意見を否定しない」、「難しい言葉・業界用語を使わない」、「偉そうにしない」、「思いついたアイデアをどんどん発表」をルールに、お酒を飲みながら、軽く食べながら、ワイワイ話し合います。

まずは、「デュアルライフの課題は何か」を話し合いました。
参加者の立場はそれぞれ。憧れつつも、実現していない人が「乗り越えられないハードルは何か」というアプローチと、実践者ならではの「現在進行形の悩み」について、情報共有されていたようでした。

「面白がる会」運営代表の唐品知浩さんの音頭で、まずは乾杯からスタート(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「面白がる会」運営代表の唐品知浩さんの音頭で、まずは乾杯からスタート(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

最初に発表したグループからは、デュアラー実践者である男性から、「二拠点を持つということは生活コストが二倍になる。購入となると、固定資産税も二カ所分です」と早々にシビアな意見が。
ほかにも移動に関わるコスト面を指摘したグループは多数。「高速代、ガソリン代だけでなく、車検代、保険、税金など出費がかさみます、都会だけなら車ナシ生活でもOKですが、田舎は車がマストになるので、正直痛いです」

そもそも「車を運転しないので、基本は公共交通機関を利用するしかありません。でも、そんな生活って都会では可能でも、田舎では難しいですよね」という女性も。田舎は路線バスの本数が少ない事情もあります。コスト面だけではなく、移動時間の長さも、デュアルライフの阻害要因になるようでした。

さらに、田舎でのコミュニティに入りづらいと指摘をする人もたくさんいました。「基本はよそもの。独特の近所付き合いに慣れない」、「交流はしたいけれど、きっかけがない」、「そもそも、デュアラー全員が地元コミュニティに深く入りたい人ばかりではないのでは」など、立ち位置はそれぞれ違うものの、都会とは異なる地域との距離感に戸惑う声が多く聞かれました。また、受け入れ側も「空き家であっても貸したがらない」、「知らない人には警戒してしまう」という事情もあるようです。

家族の問題も課題です。特に子どもがいる場合、小学校に入るタイミングで、どちらかに拠点を決めざるを得ないケースも。ほかにも、自分1人がデュアラーをする場合は、「家族の同意が得られないのでは」、「家族バラバラになりそう」という心配がありました。

ほかにも、「ゴミを決まった曜日に捨てられず、都内まで持って帰っている」、「やはり人が住まないと建物が傷む」「冬場は水道が凍結してしまう」「とにかく寒いので、エアコンを稼働して温かくするまで時間がかかる」、「事前に荷物や食材を送りたくても、受け取る人がいない」など、実践者ならではのリアルな悩みも多々ありました。

開催されたのは平日の19時~。約半数が「デュアラー」未経験者。3割が実践者、それ以外が不動産会社や支援団体などの関係者という顔ぶれ。ほぼ誰もが初対面同士(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

開催されたのは平日の19時~。約半数が「デュアラー」未経験者。3割が実践者、それ以外が不動産会社や支援団体などの関係者という顔ぶれ。ほぼ誰もが初対面同士(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

デュアルライフの経験がない人も、自分がするとしたらまずはこんな壁にぶち当たりそうと、想像を巡らせて発言していきます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

デュアルライフの経験がない人も、自分がするとしたらまずはこんな壁にぶち当たりそうと、想像を巡らせて発言していきます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

コスト削減だけではない。デュアラーを支援するアイデアいっぱい

デュアルライフの課題発表終了後は、2回目のブレストタイム。これまでに出た課題に対し、「何でもあり」でアイデアを出し合うことに。時間も経ち、お酒も回って、話は大盛り上がりました。

以下、課題として多く指摘された「住居費」「移動」「コミュニティ」「ゴミ出し」に関して発表された、面白いアイデアを箇条書きで紹介します。

住居費について
・「10人で10軒をシェア」各拠点をみんなでシェアすれば二居住どころかマルチ居住
・「交換デュアラー」田舎の人も東京で過ごしたいのでは?→だったら交換してみればいい
・「デュアラー特区」デュアラーに力を入れている自治体。固定資産税などの減税、空き住戸含めた情報提供など、自治体の積極的なPRあれば二拠点目のエリアとして選びやすい
・「私、〇〇できます」宣言。料理人がいろんなシェアハウスを転々としながら暮らしている例がある。一年中、収穫を手伝いながら旅する人もいるそう。自分のスキルを田舎暮らしで活かし、コストに充てる
・「デュアルアワー貸し」人によっては短い間だけ借りるのもアリでは

移動について
コストを削減する方法と、移動=価値を見出す方法の2通り提案されました
・「定額新幹線乗り放題」自由席ならどれだけ乗ってもいい。デュアラー割引でも可
・「長距離トラックに相乗り」
・「移動するついでに宅配」車移動のついでに荷物を運び、利益を得る
(「あなたの代わりに墓参りします」墓参りを代行も)
・道の駅に「コワーキングスペース」(すぐにでも実現できそう!)
・「自動運転でラクに移動」:乗用車2台を前後につなぎ、2台目のほうは自動運転で付いていく形なら技術的にもスムーズでは?(完全妄想!)

女性ばかりのテーブルでは、女性ならではのコミュ力で一気に打ち解け、話が盛り上がる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

女性ばかりのテーブルでは、女性ならではのコミュ力で一気に打ち解け、話が盛り上がる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

コミュニティについて
・「草刈りフェス」コミュニティに入るきっかけになる、お祭りも兼ねて一石二鳥
・「村人に聞こう~ドラクエ化」地元の人に話しかけ、交流が生まれるような仕掛け。
例:この人にこの質問をしないと、家の鍵がもらえない。まずは「〇〇店」で〇〇を購入、装備する、などロールプレーイング風に
・「よろしくステッカー」家の前に、交流ウェルカムという意思表示のステッカーを貼る。
逆に「サーフィンに来ています」ならサーフボードのステッカー、「ひとりでのんびりしにきています」なら寝ているステッカーなど、二拠点の目的を明確にする
・受け入れ側も「うちはウェルカムですよ」というステッカーがあれば、きっかけがつかみやすい。
・「おじいちゃんおばあちゃんとシェアハウス」広い一軒家にひとりで住んでいるお年寄りは多いはず。遠方にいる子世帯に様子を知らせれば安心(例:草刈りを手伝ったり、車で病院に連れて行ってあげたりなど労働力を提供すれば、住居費はタダ)

デュアルライフ実践者からリアルな意見も。みなさんプレゼン慣れしています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

デュアルライフ実践者からリアルな意見も。みなさんプレゼン慣れしています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ゴミ出しなどについて
・「マッチングアプリでお願い、ご近所さん」 ゴミ出しや荷物の受け取りをご近所の方にお願いして、電子マネーで謝礼を払う
・「ドローンでゴミ捨て」 広告を載せて宣伝にも使えばコスト削減できる
・「大学生が管理するデュアラー村」 複数の家の1つを大学生の寮や合宿所に。不在時のさまざまな雑務を引き受けてもらう

デュアラーに愛される街が、もうかる自治体になればいい

ほかにも、「学校データ化で、子どもの勉強の進度などを情報共有。どこでも学べる環境になる」、「デュアラー向けに家を貸すのを躊躇するオーナーさん向けに、デュアル保険を用意して貸し手の不安を払拭する」、「まずは公共施設を開放し、再活用できるような動きをするべきでは」というさまざまな意見が出ました。

「デュアラーによる“住みたい街ランキング”も面白そう。スーモさん、是非やって」という声も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「デュアラーによる“住みたい街ランキング”も面白そう。スーモさん、是非やって」という声も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さらに、「デュアルライフに市場原理を持ち込もう」という切り口で、「デュアルファンドを創設する」→「投資に値する、選ばれる行政を目指すようになる」→「投資した人は、家族、友人を誘って足を運ぶようになる」→「もうかる自治体はさらに魅力的になる」など、経済がまわっていく仕組みをつくれないかなど、壮大なアイデアもありました。
具体的に「奥多摩を盛り上げよう」という地名が出たことで、「以前は東京の人がみんな軽井沢などの別荘地に憧れましたが、現在のデュアラーは移動の時間とコストにシビア。例えば中央線沿線なら奥多摩や山梨方面、東京北部なら秩父方面、東京東部なら千葉の南房総など、今の生活圏の延長線上にある立地を選ぶほうが、現実的で愛着が持ちやすいのでは」と主催者のひとりが提案。そのあたりにもデュアラーを盛り上げるヒントがありそうです。

以上、すぐに取り組めそうなものから。かなり壮大なレベルのものまで、さまざまにアイデアが上がった、盛況な会に。数年後には、なにかが実現しているかもしれません。

デュアルライフ・二拠点生活[12] 新鮮マグロに採れたて野菜。5組11人が集う三崎港ビューの“シェア別荘”とは?

玄関のドアを開ければ目の前に三崎港――。「三崎の『ミ~』で!」という掛け声とともにポーズをとってくれた彼らは、この場所に建つ築80年の古民家で週末移住を楽しむ5組の人々だ。

職業もバラバラで知り合ってからの年月も浅い。しかし、旧知の仲のように息もぴったりだ。そんな彼らが営むデュアルライフと地域との交流の様子を覗いてみよう。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます品川から京急本線で1時間ちょい、そこから路線バスで15分

三浦半島の南端に位置する三崎港(神奈川県三浦市)。全国有数のマグロ水揚げ港として知られ、年間15隻前後のマグロ漁船が入港する。

最寄駅の三崎口駅までは、品川駅から京急本線快特に乗って1時間ちょい。そこから路線バスに揺られること15分で三崎港に到着した。

2階の窓からの風景。晴れた日には左の方角に富士山も見える(撮影/相馬ミナ)

2階の窓からの風景。晴れた日には左の方角に富士山も見える(撮影/相馬ミナ)

港内に係留された水中観光船の脇には、「うらり」の愛称で親しまれている「三崎フィッシャリーナ・ウォーフ」。2001 年に旧三崎魚市場の跡地の一部に建てられた施設で、新鮮な魚や野菜を販売している。年間の来館者数は130万人を超える。

「うらり」の2階デッキからは360°の眺望が楽しめる。料理教室やお笑いライブなども定期的に開催(撮影/相馬ミナ)

「うらり」の2階デッキからは360°の眺望が楽しめる。料理教室やお笑いライブなども定期的に開催(撮影/相馬ミナ)

また、毎週日曜の目玉は早朝5時~朝9時に開催される「三崎朝市」。マグロを中心に、海の幸、山の幸を求める人々で大いににぎわう。

白首系の「三浦大根」は食感が柔らかいのに煮崩れしにくい。おでんなどの煮物に最適(写真提供/山本葵)

白首系の「三浦大根」は食感が柔らかいのに煮崩れしにくい。おでんなどの煮物に最適(写真提供/山本葵)

さらに、街を歩くと美味しそうな飲食店が続々と現れた。例えば、老舗の「まるいち魚店」では店頭で選んだ地魚を隣の食堂で食べられるというサービス付き(調理代は別)。

扱う魚のほとんどは三崎港で水揚げされたもの。すべて量り売りで販売してくれるのもうれしい(撮影/相馬ミナ)

扱う魚のほとんどは三崎港で水揚げされたもの。すべて量り売りで販売してくれるのもうれしい(撮影/相馬ミナ)

平日は表参道のアパート、週末は三崎の古民家というデュアルライフ

街の紹介はここまで。満を持してデュアラーたちにご登場いただこう。すべてのきっかけをつくったのは、コンサル業を営む杉本篤彦さん(29歳)。うらりにほど近い、三浦の看板ともいえるような通りにたたずむ古民家がデュアルライフの舞台だ。

杉本さんは言う。

「きっかけは、この物件を管理していた大家さんの姪っ子さんとの出会いから。4年前に三浦市が2週間のお試しで空き家に住める『三浦トライアルステイ』という企画を始めたんですが、私がそれに参加した際に住む家の相談をしました」

以前から、自分と波長が合う人が集まるスペースをつくりたいと思っていた杉本さん。この出会いをきっかけにデュアラーとしての第一歩を踏み出した(撮影/相馬ミナ)

以前から、自分と波長が合う人が集まるスペースをつくりたいと思っていた杉本さん。この出会いをきっかけにデュアラーとしての第一歩を踏み出した(撮影/相馬ミナ)

とはいえ、二つ返事で物件を貸してくれたわけではない。

「三崎はマグロで儲けた人たちが多い街。収入のために空き家を売ったり貸したりするよりは、思い出が詰まった空き家のままにしておきたいと考える人が多いため、物件サイトに載っていない空き家もたくさんあります。仲良くなれば中を見せてくれて、『月いくらでいい』と言われるパターンも少なくないですね」

杉本さんも、そのパターン。姪っ子さんとかなり打ち解けた段階で、週末移住者のための共同スペースをつくるという「シェア別荘計画」を打ち明けた。「それなら、親戚の空き家でこんな物件があるよ」という流れで、この古民家を紹介してもらった。

撮影場所はメンバーお気に入りの喫茶店「トエム」。人気のクリームソーダは380円(写真提供/山本葵)

撮影場所はメンバーお気に入りの喫茶店「トエム」。人気のクリームソーダは380円(写真提供/山本葵)

平日は表参道のアパート、週末は三崎の古民家というデュアルライフが始まったのは2年半前。家賃は5万円以内という“お友達価格”だ。しかし、11年間誰も住んでいない物件は予想以上に手強かった。

「まずは普通に住めるような家にしようと、一人で黙々と作業。掃除が本当に大変で、ぶっちゃけ、何度も心が折れそうになりました(笑)」

杉本さんがFacebookに載せていた夕日の写真が決め手

そんな杉本さんの思いに賛同して合流したのが、自営業役員の山本陽平(33歳)さんとインテリア雑貨企画開発の葵(33歳)さん夫妻。

陽平さんはお祭り好きが高じて「オマツリジャパン」という全国のお祭り情報サイトを立ち上げた“お祭り男”だ。

取材前日も後ろの海南神社の八雲祭で御輿を担いだ陽平さんは「肩、バッキバキですよ」と笑う。葵さんはシェア別荘のオシャレ担当(撮影/相馬ミナ)

取材前日も後ろの海南神社の八雲祭で御輿を担いだ陽平さんは「肩、バッキバキですよ」と笑う。葵さんはシェア別荘のオシャレ担当(撮影/相馬ミナ)

神輿は地元の青年会のメンバーらが担ぐ(写真提供/山本葵)

神輿は地元の青年会のメンバーらが担ぐ(写真提供/山本葵)

現在、山本さん夫妻は西新宿の賃貸マンションに住んでいるが、杉本さんからの誘いに軽い気持ちで乗ったという。

「費用の負担も少ないし、二人ともアウトドア好き。そして、何よりも杉本さんがFacebookに載せていた夕日の写真が決め手でした」(葵さん)

三崎のすぐ南にある城ヶ島から望む夕日と大島の影。夕日好きの葵さんにとっては堪らない1枚だった(写真提供/山本葵)

三崎のすぐ南にある城ヶ島から望む夕日と大島の影。夕日好きの葵さんにとっては堪らない1枚だった(写真提供/山本葵)

時代を感じさせる柱や掛け軸など、古民家の魅力は残したい

古民家での週末移住に山本さん夫妻という戦力が加わった。杉本さんとしては家賃負担が半分になったこともうれしい。

「こないだ部屋の畳を剥がしたら昭和48年の新聞が敷かれていました。つまり46年間、そのままだったということ」(葵さん)

とはいえ、古民家の魅力は極力残したい。時代を感じさせる柱や掛け軸もそのひとつだ。長年にわたって誰も触れなかった調度品が家の歴史を物語る。

コンロや洗濯機を設置したことで、ようやく“普通に住める”レベルの家に(撮影/相馬ミナ)

コンロや洗濯機を設置したことで、ようやく“普通に住める”レベルの家に(撮影/相馬ミナ)

みんなと場をつくる楽しさ、喜びも悲しみも共有できる

仲間はどんどん増えていった。昨年11月に会社員の永田篤史さん(42歳)と1歳の息子を連れた栗山和基さん(36歳)、奈央美さん(34歳)夫妻が参戦。

Negiccoファン歴6年の永田さん。推しメンを聞くと「箱推し」、すなわちグループ全体を推すスタイルらしい(撮影/相馬ミナ)

Negiccoファン歴6年の永田さん。推しメンを聞くと「箱推し」、すなわちグループ全体を推すスタイルらしい(撮影/相馬ミナ)

「多拠点居住にはもともと興味があったんです。今は江戸川区に住んでいますが、将来的にはマレーシアと日本の両方に拠点を持ちたくて。さらに、エストニアの電子国民の資格も取りました」

「東京と比べて、ここは時間の流れもゆっくり。魚も美味しいし」と語る永田さん。シェア別荘が旅館に泊まるのと決定的に違うのは、「みんなと場をつくる楽しさ、喜びも悲しみも共有できる点」だという。

一方で、栗山家は西新宿でシェアハウスを運営。自身もそこで暮らしている。メインの住居も週末用の別荘もシェアしているのだ。

「今日は『ジモティー』経由で乾燥機をもらいました。子ども連れだと服が多くなるので、ここで乾かせるといいなと思って」(撮影/相馬ミナ)

「今日は『ジモティー』経由で乾燥機をもらいました。子ども連れだと服が多くなるので、ここで乾かせるといいなと思って」(撮影/相馬ミナ)

三浦半島には大人も子どもも楽しめるスポットがたくさんある

最後に仲間入りしたのは、中国人でエンジェル投資家のロウさん(39歳)家族。妻は42歳の会社員で、小学5年生の娘と小学2年生の息子がいる。

「住居は天王洲アイルにあるので、ここへのアクセスもいい。子どもが大きくなるにつれて、テーマパークとかよりは山や海で遊ばせたいと思うようになったんです」

この日も目の前の海で魚獲り(撮影/相馬ミナ)

この日も目の前の海で魚獲り(撮影/相馬ミナ)

見事、ハゼと沢ガニをゲット(撮影/相馬ミナ)

見事、ハゼと沢ガニをゲット(撮影/相馬ミナ)

妻が言う。

「最近は小網代の森でホタルを観察したり、ソレイユの丘でバーベキューをしたり。三浦半島には大人も子どもも楽しめるスポットがたくさんあって気に入っています」

全国のデュアラー共通の悩みは「ゴミ出し」

ここに来るのは月に1回から3回程度と、皆さん頻度こそ違う。しかし、じつに濃い顔ぶれでそれぞれ専門分野を持っている。サッカーチームならかなり強力なイレブンになりそうだ。

ポイントは、週末移住者を“募集”しているわけではないということ。

「すべて、メンバーからの紹介です。“シェア別荘”で一番の醍醐味(だいごみ)は人。どの物件をシェアするかより、誰とシェアするかが重要なんです」(杉本さん)

複数の家族が円滑に利用するためのチェックシート。三崎の先っちょにあるから「みさきっちょ」だという(撮影/相馬ミナ)

複数の家族が円滑に利用するためのチェックシート。三崎の先っちょにあるから「みさきっちょ」だという(撮影/相馬ミナ)

「あと、全国のデュアラー共通の悩みは『ゴミ出し』。平日はいないので、私たちも各自で持ち帰ったり、たまに地元の方にゴミ捨て代行してもらったりしています」(葵さん)

看板娘がいるような港町のバーもつくりたい

取材後、杉本さんと山本夫妻の案内で再び近所を散策した。

どこか落ち着く懐かしい街並み(撮影/相馬ミナ)

どこか落ち着く懐かしい街並み(撮影/相馬ミナ)

「よく外に飲みに行くので、この辺の飲み屋の店主はみんな友達。看板娘がいるような港町のバーもつくりたいねと飲食店をやっている友達と相談しているところです。適任者がいたらやろうかなと」(杉本さん)

三崎港バスロータリー前の「山田酒店」では看板犬がお出迎えしてくれた。

購入したお酒を店内で飲めるうえに、2階は民泊として開放しているという。天国か(撮影/相馬ミナ)

購入したお酒を店内で飲めるうえに、2階は民泊として開放しているという。天国か(撮影/相馬ミナ)

毎年8月13日、14日の2日間は「みうら夜市」で盛り上がる(写真提供/山本葵)

毎年8月13日、14日の2日間は「みうら夜市」で盛り上がる(写真提供/山本葵)

この場所に5組全員がそろうのは2カ月に1回ぐらい

ちなみに、2週間に1回は都内で顔を合わせてミーティングを行う。来られない人はオンラインで参加する。この場所に5組全員がそろうのは2カ月に1回のペースだ。

「貴重な機会なので、今日はこれからみんなでバーベキューです」というので、「ぜひ、写真を送ってください」と頼んで三崎を後にした。

届いた写真がこちら。どう見ても美味しいに決まっているやつだった(写真提供/山本葵)

届いた写真がこちら。どう見ても美味しいに決まっているやつだった(写真提供/山本葵)

今回取材した人々は皆、社会の第一線で活躍する人々。しかし、そんな彼らでも東京での生活に疲弊することがある。月に数回、東京に背を向けて眺める美しい夕焼けは心の避難所なのかもしれない。

風光明媚(めいび)で食べ物も美味しい土地に建つ別荘を安く“シェア”するという発想。今後、こうした動きはますます増えていくだろう。

新鮮な魚、採れたての野菜、そして“シェア別荘”がある人生に乾杯!(写真提供/山本葵)

新鮮な魚、採れたての野菜、そして“シェア別荘”がある人生に乾杯!(写真提供/山本葵)

●取材協力
・オマツリジャパン

デュアルライフ・二拠点生活[11]京都府福知山市 ライフステージの変化を受け入れ、無理なくしなやかに変わる二拠点暮らし

2012年、単身で京都府福知山市雲原地区に移住し、農家民宿を運営する吉田美奈子さん(30)。地域の人との関り、地域に溶け込み、雲原生活を楽しみながらも、結婚や出産などライフステージの大きな変化とともに京都市との二拠点生活へと移行しました。環境の変化に合わせて無理なく、しなやかにデュアルライフを楽しむ吉田さんの暮らしぶりをうかがいました。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます「こんな風になりたい」と思える人たちとの出会いに移住を決意

京都府福知山市の北端に位置し、山に囲まれたのどかな風景の広がる雲原地区。吉田さんが雲原に移住したのは2012年、地域の方々が主催する『歩こう会』という山を歩くイベントに参加したのがきっかけでした。
福知山市の中心部出身の吉田さんにとって、雲原は知っているようで知らなかった場所。特に観光的目玉や「これ!」といった特徴がある地域ではないけれど、雲原の人たちはとても雲原を愛していて、明るくて、カラッとしていて……関われば関わるほど、その風通しの良い人柄に惚れ込み「ここで暮らしたら、皆さんみたいになれるんじゃないか」と移住を決意したのだそう。

移住の半年前に偶然空き家になった一軒家を借り、農家民宿を運営しながら地域の方々と関わる日々。消防団員になったり、地元の人の憩いの場になるように100円カフェを開いたり、畑で農作業をしたり、雲原での暮らしは想像以上の充実ぶりで、あっという間に5年が過ぎました。

『雲原の父』『雲原の母』と呼べるような間柄の人もでき、「結婚するなら、この山の暮らしに抵抗がない人に婿養子に来てもらわないと!って思っていました」と吉田さん。

「生きるところを探していたら雲原にやってきた」という吉田さん。最初はひとりだった雲原生活も、今ではプログラマーの夫(42)と娘さん(2)の3人に。実はもうすぐもうひとり家族が増える予定。ますます雲原がにぎやかになりそうだ(写真撮影/中島光行)

「生きるところを探していたら雲原にやってきた」という吉田さん。最初はひとりだった雲原生活も、今ではプログラマーの夫(42)と娘さん(2)の3人に。実はもうすぐもうひとり家族が増える予定。ますます雲原がにぎやかになりそうだ(写真撮影/中島光行)

結婚や出産など、ライフステージにおける大きな変化が起きがちな20代後半にさしかかったとき、吉田さんにとってひとつの転機が訪れます。京都市出身で京都市に暮らす夫と付き合いはじめた当時、「結婚後も雲原で暮らし続けることは、結婚成立への最大にして唯一のハードルである!」と思っていた吉田さんは「結婚しても雲原生活をやめたくない」と相談。すると、夫から「田舎だけとか都会だけとか、どっちかに決めなくてもいいんじゃないの?」という答えが!

結婚を機に、夫か妻かどちらかの生活圏に合わせて拠点を構えねばならないと思い込んでいた吉田さんにとって意外過ぎる、まるで目から鱗が落ちるような言葉だったそう。そして、そんな柔軟な発想をもっていた夫と結婚。吉田さんの暮らしは夫の拠点である京都市と、吉田さんの拠点である福知山市のデュアルライフに移行していきました。

吉田さんも手伝っていた『北陵うまいもん市雲原店』。町内のおばちゃんたちが調理する『水車定食』は遠方から食べにくる人も。この日はこんにゃくと、おかずの仕込みをするために集まっていた。みんな「あら!おかえり!」と家族のように吉田さんを迎える(撮影/中島光行)

吉田さんも手伝っていた『北陵うまいもん市雲原店』。町内のおばちゃんたちが調理する『水車定食』は遠方から食べにくる人も。この日はこんにゃくと、おかずの仕込みをするために集まっていた。みんな「あら!おかえり!」と家族のように吉田さんを迎える(撮影/中島光行)

雲原地区は福知山市の北端、四方を山が囲む標高300~400mの盆地にある小さな集落。「他の地域をたくさん見たわけではないけれど、ここは田舎特有の囲い込み感が少なく居心地がいい。これまで暮らしたどこよりも大切にしたい場所」と吉田さん(撮影/中島光行)

雲原地区は福知山市の北端、四方を山が囲む標高300~400mの盆地にある小さな集落。「他の地域をたくさん見たわけではないけれど、ここは田舎特有の囲い込み感が少なく居心地がいい。これまで暮らしたどこよりも大切にしたい場所」と吉田さん(撮影/中島光行)

2009年、地元中学校の閉校をきっかけにつくられた「みんなの水車広場」。村の人の手によって建てられた水車と水車小屋は動かすことができ、この水車で約12時間かけて精米した「水車米」は、隣接する「みんなの和楽家(わがや)」で提供するランチに使用(撮影/中島光行)

2009年、地元中学校の閉校をきっかけにつくられた「みんなの水車広場」。村の人の手によって建てられた水車と水車小屋は動かすことができ、この水車で約12時間かけて精米した「水車米」は、隣接する「みんなの和楽家(わがや)」で提供するランチに使用(撮影/中島光行)

水車小屋ができた翌年、新たに地域住民が集える拠点になるよう、昔ながらのおくどさんや囲炉裏、畳敷きの部屋などをそなえた施設「みんなの和楽家(わがや)」が完成。日曜日は「北稜うまいもん市雲原店」として定食の提供も行う。要予約でピザ焼き体験も可能(撮影/中島光行)

水車小屋ができた翌年、新たに地域住民が集える拠点になるよう、昔ながらのおくどさんや囲炉裏、畳敷きの部屋などをそなえた施設「みんなの和楽家(わがや)」が完成。日曜日は「北稜うまいもん市雲原店」として定食の提供も行う。要予約でピザ焼き体験も可能(撮影/中島光行)

この日、つくられていた「雲原こんにゃく」は凝固させるためにそば殻の灰を使用する、雲原地区伝統の製法。灰汁抜きせずにそのまま生で食べられる。おかずはおばちゃんたちがすべて手づくりする人気の「水車定食」の一品にもこのこんにゃくを使用(撮影/中島光行)

この日、つくられていた「雲原こんにゃく」は凝固させるためにそば殻の灰を使用する、雲原地区伝統の製法。灰汁抜きせずにそのまま生で食べられる。おかずはおばちゃんたちがすべて手づくりする人気の「水車定食」の一品にもこのこんにゃくを使用(撮影/中島光行)

支えてくれる、繋がりある人たちのありがたさを実感

●火・水・木曜日→京都市にいて、夫は会社に出勤して仕事をし、吉田さんは京都の自宅で娘さんと過ごす。
●金・土・日・月曜日→福知山市へ。夫は自宅で普段通りに仕事をして、吉田さんは借りている田畑で畑仕事をして農家民宿を開く。
吉田家のスケジュールはだいたいこのようになっています。

吉田さんの運営する農家民宿は、お客さんと一緒に食事をつくって食べる共同調理形式で、お客様と一緒に時間を過ごすスタイル。もちろんそこには夫も娘さんも参加します。「週末もずっと仕事をしている形になるけれど、暮らしの延長のような感じなのでまったく苦じゃないですね」と吉田さん。お客さんのいない日はみんなで農作業をしたり、地域の集まりに参加したり。大変そうなイメージだった二拠点の移動も、夫と娘さんがいればこそで、まるで小旅行気分で楽しんでいるのだそう。

「ただ、二拠点になったことで地域の集まりに顔を出すことがやはり減ってしまいました。月に一度の区費の集金の会なども、参加できるときにまとめて払わせていただいたり、雲原の人たちも私たちの二拠点生活に柔軟に対応してくださっていてとてもありがたいです。二拠点になったからこそ、各場所での自分たちの役割についても、強く意識するようになりました」

吉田さんは二拠点になったからこそ、暮らすこととは家族のことだけでなく、周囲の人たちのとの協働プロジェクトだ、と思うようになったと言います。
「この先もどんな風に変わっていくか分かりませんが、その変化そのものも楽しんでいきたいと思います」

雲原の家は一軒家で、もともと大工さんが使っていた家だったからかメンテナンスもほぼ完ぺき。住むにあたっては天井を少し直したくらいで、手を加えた部分はほとんどなかったのはラッキーだった。部屋数は7部屋で広々としている(撮影/中島光行)

雲原の家は一軒家で、もともと大工さんが使っていた家だったからかメンテナンスもほぼ完ぺき。住むにあたっては天井を少し直したくらいで、手を加えた部分はほとんどなかったのはラッキーだった。部屋数は7部屋で広々としている(撮影/中島光行)

雲原・京都ともに同居する人がいる吉田家。二拠点ならではのゴミ出しの日の合わせにくさや不在時の防犯上の問題をカバーしあえるのが同居のいいところ。この日は偶然、同居する種池徹さんの彼女さんが雲原に。吉田家との顔合わせだった(撮影/中島光行)

雲原・京都ともに同居する人がいる吉田家。二拠点ならではのゴミ出しの日の合わせにくさや不在時の防犯上の問題をカバーしあえるのが同居のいいところ。この日は偶然、同居する種池徹さんの彼女さんが雲原に。吉田家との顔合わせだった(撮影/中島光行)

以前、吉田さんとハウスシェアをしていた佐々井飛矢文さん。佐々井さんもデュアラーで、大学の研究で訪れた雲原に魅了され、埼玉との二拠点暮らしを送るように。雲原では「雲原 大江山 鬼そば屋」の7代目店長を務める(撮影/中島光行)

以前、吉田さんとハウスシェアをしていた佐々井飛矢文さん。佐々井さんもデュアラーで、大学の研究で訪れた雲原に魅了され、埼玉との二拠点暮らしを送るように。雲原では「雲原 大江山 鬼そば屋」の7代目店長を務める(撮影/中島光行)

気構えすぎずに、流れに身を任せてみるのもひとつ

吉田さんが二拠点暮らしの中で「どうすればいいかな」と思ったのは、娘さんの学校のことでした。夫婦ふたりだけだったころと子どもができてからでは、同じ二拠点暮らしでも悩むことが異なってきます。子どもができたことで考えなければならなくなった「教育」に関する問題は、まず「保育園をどうするか」からはじまりました。そもそも、京都市内と福知山市を行ったり来たりするなかで、子どもを保育園に通わせることができるのか?どのように通わせるのがいいのか?

「調べること自体が億劫で、もう通わせなくてもいいんじゃ……なんて考えました」と吉田さん。
京都市内・福知山市内と両方の保育園を見学するなかで、自ら理想の保育園を開けばいいのでは……まで思いつめたことも。結果的に、京都市の一時保育の制度を利用することにしたそうだけれど、もう少し時間がたてば、今度は「小学校をどうするか」を考えなくてはならないのでは。そう思い、聞いてみました。

「小学校は京都市で通わせる予定にしています。こっちは歩いて行ける距離に小学校がないし、通学のバスもいつまで運行されるか分からない部分がありますから。子どもが小学校に通いはじめるときに、この二拠点暮らしがどんな風になるかは分からないけれど、暮らしのバランスを保つためにきっと何かいい方法があるんじゃないかなって思っています」

吉田さん家族の二拠点暮らしのとらえかたは、「こうしなければならない!」という縛りがなく、その時々で一番心地いい方法を選び、楽しんでいるように見えます。それは二拠点暮らしをはじめるときに夫が言った「無理にどっちかに決めなくてもいいんじゃないの?」が根底にあるからなのかもしれません。

雲原ののどかな風景のなかを元気いっぱいに走る娘さん。今、吉田さんは第2子を妊娠中で、秋ごろにはお姉ちゃんになる予定(撮影/中島光行)

雲原ののどかな風景のなかを元気いっぱいに走る娘さん。今、吉田さんは第2子を妊娠中で、秋ごろにはお姉ちゃんになる予定(撮影/中島光行)

吉田さんが単身ではじめた雲原暮らし。夫との結婚を機に二拠点暮らしになり、家族が増え、さまざまな面において雲原との関わりも変化しています。片道115キロを毎週移動する暮らしに無理や大変さを感じないのは、きっと、その時々で無理のない暮らし方を選んできたからなのでしょう。吉田さん家族には、これからもいろんな変化が訪れるはず。でも、きっとその時々に、それぞれの場所で、家族の在り方を考え、その考えにしなやかに寄り添うような暮らし方を実践されていくことでしょう。

●取材協力
・雲の原っぱ社
・北陵うまいもん市雲原店
・雲原 大江山 鬼そば屋

二地域居住、約6割が「興味ある」

(公社)全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)と、(公社)全国宅地建物取引業保証協会(全宅保証)は、このたび「住まい方の意識トレンド調査」の結果を公表した。
この調査は、いまの社会環境を含めた住まいに関して、生活者の思考とニーズを把握することを目的に行ったもの。調査は2019年1月24日~1月28日、インターネットで実施。20歳以上の男女2,400名から回答を得た。

あなたの住まいの環境で、最も重視するものは何ですか?では、「買い物施設や病院など利便施設の充実」が38.5%と最も多く、次いで回答の多かった「通勤のしやすさ」(18.8%)と「治安」(17.1%)に比べて倍以上のスコアであることから、生活のしやすさが最も求められていることがわかった。

将来、都市部と地方のどちらに住みたいですか?では、「都市部」が59.0%、「地方」が41.0%とやや都市部が地方を上回った。性別による差異は見られなかったが、年代別では20代、居住区分別では3世帯以上の2つの属性で「地方」が「都市部」を上回った。

また、平日は都市部、週末は地方で暮らすスタイルの二地域居住(週末移住)については関心が高いようで、約6割が「やりたい」あるいは「興味はある」と回答している。特に20代の関心が高く、「可能ならやりたい」「是非やりたい」の割合が他の年代と比べて高い。

住居を選ぶ際にリノベーション済みの戸建てやマンション、アパートへの抵抗はありますか?では、「全く抵抗ない」が27.6%、「少し抵抗はあるが、検討できる」が35.7%と、あわせて半数以上がリノベーション済みの物件に対して前向きであることがわかった。年代別では特に20代が抵抗が少ない一方で、30代は「絶対に検討したくない」割合が16.6%と全年代で最も高かった。

ニュース情報元:全宅連

「デュアラー」って何? トークイベントに参加してみた

3月7日(木) 、SUUMO(リクルート住まいカンパニー)による「実践者に学ぶ! 二拠点生活のリアルを語り合う会」が開催されるということで、取材半分&個人的興味半分で参加してみました。前半は実際にデュアルライフ実践者2人によるリアルなトーク、後半は実際のサービスの紹介がされました。

ちなみに、「デュアル」というのは「DUAL=二重の、二通りの」という意味。「デュアラー」というのは、デュアルライフを実践する人。住まい領域でいえば、「都心と田舎の2拠点で生活する人」のことだそう。

今回のトークイベントに登場したのは2人のデュアラー。
3歳の息子をもつワーキングマザーの古後紘子さんと、千葉の流山市と南房総市の二拠点生活を送る現役ビジネスマンの成田剛史さんです。
Case1 自然ならではアクティビティを満喫。子育てデュアラー今回のトークゲスト、八ヶ岳(蓼科)で家族で週末を過ごす古後紘子さん(写真撮影/飯田照明)

今回のトークゲスト、八ヶ岳(蓼科)で家族で週末を過ごす古後紘子さん(写真撮影/飯田照明)

古後さん
「マウンテンバイクで山の中を走りたいと言う夫が、“いちいち自転車を運ぶのは面倒”、“東京の部屋に自転車を置くスペースはない”という理由で、蓼科のアパートを借りました。今は、平日は港区の賃貸マンションで暮らしつつ、家族3人で月に1~2回の頻度で蓼科に。“都会の子育てだけでは得られない経験を”と、夏はマウンテンバイク、登山、バーベキュー。冬はスノーボードと、アクティブに楽しんでいます。

息子くん、3歳にして自転車で山の中を走り抜けています(筆者の息子が自転車に乗れたのは6歳だったことを考えると、凄すぎ! (写真撮影/古後さん)

息子くん、3歳にして自転車で山の中を走り抜けています(筆者の息子が自転車に乗れたのは6歳だったことを考えると、凄すぎ! (写真撮影/古後さん)

夏は登山、キャンプやバーベキューなどアクティビティいろいろ(写真撮影/古後さん)

夏は登山、キャンプやバーベキューなどアクティビティいろいろ(写真撮影/古後さん)

冬はスノーボードに挑戦(写真撮影/古後さん)

冬はスノーボードに挑戦(写真撮影/古後さん)

古後さん
「借りているのは、18平米のワンルーム。家賃は駐車場込みで2万円。狭いけれど、1日のほとんどは、アウトドアで外出しているので、アパートは基本寝るだけと考えれば問題ありません。お風呂は近くに広~い温泉があるので、ユニットバスは使わず、収納スペースに。ガスは使わないから契約もしておらず、光熱費が浮きます。それに狭い集合住宅なので、別荘に比べると暖房費も低く抑えられるのもメリットですね」

蓼科のアパート。お風呂のユニットバスはふたをして上も下も収納スペースに(写真撮影/飯田照明)

蓼科のアパート。お風呂のユニットバスはふたをして上も下も収納スペースに(写真撮影/飯田照明)

古後さん
「車は蓼科でしか乗らないため、蓼科に置き、都内から蓼科(最寄駅は茅野駅) までは電車移動で約2時間半。車のほうが渋滞で時間がかかるうえ、行き帰りの運転でヘトヘトに。電車なら車内に乗ったときから、ワクワクした気持ちになれます。交通費もJRの特別急行あずさの回数券を利用すれば、片道約4000円ですみます」

確かに、家族で週末に旅行すると、ホテル代だけで1泊2万円オーバー。2連泊すると4万円以上することを考えると、別拠点を持つことも、ぐっとリアルティを増してきます。 夏休みやゴールデンウィークなら宿泊料金はかなり高額になるので、なおさら。賃貸なら、「事情が変われば辞める」という選択も簡単です。

Case2 南房総で週末DIYを楽しむデュアラーもう一人のトークゲスト、南房総で週末をDIY中心に楽しむ成田剛史さん(写真撮影/飯田照明)

もう一人のトークゲスト、南房総で週末をDIY中心に楽しむ成田剛史さん(写真撮影/飯田照明)

成田さん
「8年前に南房総にある600坪の古民家を購入しました。最初は家族で過ごしていましたが、現在は1人で、ほぼ毎週、仕事終わりの金曜日から南房総に通っています。何をしているかというと、DIYですね。DIYって1人でやるより、みんなでやるほうがすごくはかどるんですよ。同じデュアラー仲間や地元住民などにも手伝ってもらいながら、反省会、懇談会と称し、飲み会もしょっちゅうやっています(笑)。

仲間が加わり、DIYが形に。東京の友人を呼ぶこともあるそう(写真撮影/成田さん)

仲間が加わり、DIYが形に。東京の友人を呼ぶこともあるそう(写真撮影/成田さん)

DIY仲間、地元の人たちとの宴会の様子。確かに楽しそう! (写真撮影/成田さん)

DIY仲間、地元の人たちとの宴会の様子。確かに楽しそう! (写真撮影/成田さん)

成田さん
「街のイベントに参加しているうちに、自然とDIY仲間ができました。東京では基本、会社や肩書ありきの会話が始まりますが、南房総ではまったく関係ない。その人のキャラクターとか、何ができるかのほうが大事です。例えばDIYでチェンソーをうまく使えるかとか、力仕事は苦手だけど、酒のつまみをつくるのは得意だよ、とか。そういう丸裸の人間関係って、やっぱりすごく貴重だなと思うんです。ビジネスの場面では、どうしても人は営業成績などの“成果”といった面で評価されがちです。でも人ってそれだけじゃないですから」

「旅行と二拠点生活は何が違うのか」の答え

確かに楽しそうなデュアルライフ。でも、
「同じ拠点に通い続けるより、旅行のほうがいろんなところに行けて楽しくないですか?」

「旅行も新鮮な非日常で楽しいですけど、張り切っていろんなことを盛り込んで、疲れる側面もあるでしょう。下調べしたり、知らないことで不安になったり、時にはストレスもあるわけです。でも二拠点生活における2つ目の拠点は、非日常ではなくてあくまでも家。自然に囲まれた生活を、日常の一部とする二拠点生活はリラックスできるし、愛着もわく。旅行のリフレッシュ部分だけ味わえるような感覚なんです」

古後さんの旅行とデュアルライフの解説に会場も納得(写真撮影/飯田照明)

古後さんの旅行とデュアルライフの解説に会場も納得(写真撮影/飯田照明)

正直、二拠点生活のデメリットはある。でもまず体験してみる

古後さん
「冬は本当に厳しい。その代わり、ウインタースポーツが楽しめますけど。二拠点居住をするなら、まずは1年通して経験してからの方がいいですね。あと、土日を丸々遊びに使ってしまうので、週末にまとめて家事ができないというのは、共働きのハードルにはなりやすいかも」

成田さん
「意外と交通費がかかることですね。元々ワンボックスカーで、気ままに日本全国旅するのが趣味。そのときは、普通の一般道路でぶらりぶらり行きましたけど、今は、少しでも早く南房総の家に行きたいので、高速を使う。ガソリン代も含めると、月4回で3万円弱。これは想定外でした」

成田さんは、第二の拠点である南房総の古民家は購入していますが、実際に「購入」となるとハードルが高いのも事実。そんな中、印象的だったのが、成田さんが二拠点目を持つに至った、きっかけ。それが8年前の3.11でした。

「いずれは、自然豊かな場所に別邸を持ちたいと考えて、いろいろ探してはいたんです。でも結局、先送りのままになっていたときに起きたのが、2011年、東日本大震災でした。ボランティアに行った際、倒壊した家、家財道具、がれきの山、途方に暮れる人たちが立ち尽くす光景を目の当たりにして、何が起きてもおかしくない。時間は限られていると痛感しました。いつも仕事では、“時間は有限だ”と言いながら、時間を無駄に使っていたなと思い、それからは別宅探しにギアがかかったんです。私は購入しましたが、最初はシェアハウスや民泊といった形で始めるのも手だと思います。今はそういうサービスも多様化していますから」

デュアルライフをサポートする団体も。具体的に行動を起こす一歩に

2人のイベント後は、こうしたデュアルライフをサポートしてくれる団体の方々が壇上に上がり、さまざまな取り組みを紹介。まずは地域のことを知ってもらおうと、旅行気分で地元の人や先輩デュアラーや移住者と交流できるイベントがあったり、今回のトークイベントのような東京都心の情報発信地もあったりと、興味をもつきっかけになりそう。ほかにも、リゾート・別荘専門サイトや、地方に生活の基盤をもつデュアラーのための定額でホステル泊まり放題のサービスなども。デュアルライフは思っていた以上にぐっと身近になっているようです。

4つのサービス提供団体の代表が取り組みを紹介。まずはイベントに参加するのもアリ(写真撮影/飯田照明)

4つのサービス提供団体の代表が取り組みを紹介。まずはイベントに参加するのもアリ(写真撮影/飯田照明)

左/Little Japan代表取締役 柚木 理雄氏さん  地域と世界をつなぐゲストハウス「Little Japan」をはじめ月1.5万円~のホステルパスで全国のホステルに泊まり放題になる「Hostel Life」など人の移動を つくるサービスを運営 右/「ヤマナハウス」主宰 永森 昌志さん 南房総で古民家と里山をシェアして里山生活を楽しむ「ヤマナハウス」を主宰。自身が共同経営している新宿のシェアオフィス兼イベントスペースでも定期的に南房総のイベントや情報発信を行う(写真撮影/飯田照明)

左/Little Japan代表取締役 柚木 理雄氏さん
地域と世界をつなぐゲストハウス「Little Japan」をはじめ月1.5万円~のホステルパスで全国のホステルに泊まり放題になる「Hostel Life」など人の移動を つくるサービスを運営
右/「ヤマナハウス」主宰 永森 昌志さん
南房総で古民家と里山をシェアして里山生活を楽しむ「ヤマナハウス」を主宰。自身が共同経営している新宿のシェアオフィス兼イベントスペースでも定期的に南房総のイベントや情報発信を行う(写真撮影/飯田照明)

左/Dialogue with代表 中村 一浩さん 「小布施インキュベーションキャンプ」等の活動のほか、長野県小布施町で古民家を活用した小栗八平衛商店を運営。地域のイベントを通し、暮らす人、訪れた人がつながるコミュニティの場を提供している 右/リゾートノート取締役 唐品 知浩氏さん  全国の別荘やリゾートマンションを専門的に扱う唯一の不動産ポータルサイト「別荘リゾートネット」を運営。高級別荘だけでなく、誰でもが別荘を持てる世の中を目指す(写真撮影/飯田照明)

左/Dialogue with代表 中村 一浩さん
「小布施インキュベーションキャンプ」等の活動のほか、長野県小布施町で古民家を活用した小栗八平衛商店を運営。地域のイベントを通し、暮らす人、訪れた人がつながるコミュニティの場を提供している
右/リゾートノート取締役 唐品 知浩氏さん
全国の別荘やリゾートマンションを専門的に扱う唯一の不動産ポータルサイト「別荘リゾートネット」を運営。高級別荘だけでなく、誰でもが別荘を持てる世の中を目指す(写真撮影/飯田照明)

デュアルライフ・二拠点生活[10]家族3人で家賃2万円、利便性と暮らしの楽しみと、両方あって成立

東京の都心に住む会社員のIさん(36)は、マウンテンバイク好きの夫(38)の趣味から高じて、長野県の蓼科(茅野市)との二拠点生活を送っています。平日過ごす都心の家は便利さを追求した立地でミニマムに、暮らしの楽しみは蓼科でと切り分けることで家族の生活を充実させているIさんのデュアルライフからは、仕事と子育ての両立のヒントもうかがえました。

連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。二拠点で物を少なく、家事は省力化で時間確保

3歳の男の子のママであるIさんが暮らす都心の家は、45平米の2DK。月に一度訪問する蓼科の家は家賃約2万円の賃貸で、18平米のワンルームアパートです。借り始めたのは2009年で、Iさん夫妻が2011年に結婚する前のこと。蓼科にある知人の別荘を訪問した際にマウンテンバイクにはまった夫が、自転車を置くスペースや東京の自宅からその都度持参する手間の軽減のための拠点として構えました。八ヶ岳がきれいに見えることが気に入ったという物件は、別荘ではないため管理費などのランニングコストが高額でなく、近隣には同じデュアラーとみられる人も住んでいるそうです。

どこを見ても絵画ような美しい山と空が広がる蓼科。この景色を見るだけで、東京での疲れを忘れ心から癒やされるという(写真撮影/飯田照明)

どこを見ても絵画ような美しい山と空が広がる蓼科。この景色を見るだけで、東京での疲れを忘れ心から癒やされるという(写真撮影/飯田照明)

結婚した時点ですでにデュアルライフの“インフラ”は整っていたわけですが、共働き世帯であれば家事は土日にまとめてやらざるを得ないことは、よくある話。Iさんも当初は「土日を自分の家以外で過ごすことが成立するのか」という不安があったそうです。

しかしIさんのライフスタイルは「家事は省力化」。

料理は、宅配で届くものを使って一度にたくさんつくっておく、洗濯物は、畳んで収納、にはこだわらず洗濯乾燥機から取り出してそのまま使ったり。水まわりも全て強力な洗剤をかけて流すだけ。「たまるほどの家事はほぼないです。貴重な土日を家事にあてること自体をやめたい、という考え方にシフトしました」

また、とにかく立地の良さを求めた東京の家は、一部屋は夫の部屋でもう一部屋は寝室、ダイニングはテーブルと本棚のみ。「家がもうひとつあるから荷物を少なくできるので、手狭な部屋でも困りません」。掃除も毎日箒で30秒くらい掃くだけ。管理が必要な範囲を小さくできるのも、二拠点の利点のようです。

プロフィール 東京都心と蓼科(長野県茅野市)でデュアルライフを送るIさんご家族(写真撮影/古後さん)

プロフィール 東京都心と蓼科(長野県茅野市)でデュアルライフを送るIさんご家族(写真撮影/古後さん)

移動時間は貴重な家族の時間

蓼科の移動には、JRの特別急行「あずさ」を利用しています。回数券の割引を利用すれば、片道約4000円。もともとは車で通っていましたが、東京からの所要時間が渋滞で3時間をこえることが多く、少し遠いと感じたそう。「電車を利用すれば、乗車時間は家族の自由な時間。お酒を飲んだり、仕事をしたりすることもありますが、普段はなかなか時間がとれない家族とじっくり話せるいい機会でもあります」。東京にいると夫婦がそれぞれの用事を優先してしまい、家族で過ごす時間が削られることもありますが、蓼科では必ず家族3人で行動するので、その意味でも大切な時間だそうです。

東京では車を所有していないが、蓼科の生活には欠かせない。自家用車は蓼科のアパートに置いてフル稼働している(写真撮影/飯田照明)

東京では車を所有していないが、蓼科の生活には欠かせない。自家用車は蓼科のアパートに置いてフル稼働している(写真撮影/飯田照明)

アパートから車で15分位のところにスキー場のある生活。長男は早朝から大好きなスノーストライダーで遊び、疲れてぐっすり眠る健康的な週末を送っている(写真撮影/飯田照明)

アパートから車で15分位のところにスキー場のある生活。長男は早朝から大好きなスノーストライダーで遊び、疲れてぐっすり眠る健康的な週末を送っている(写真撮影/飯田照明)

長男のお気に入りトランポリン施設「BASE」。1分間ずつ交代制となっているため、小さい子どもから、本格的に練習したい人も同じ場で楽しむことができる。欧米ではウインタースポーツをはじめとするアスリートがしなやかな筋肉をつくるためにトランポリントレーニングを取り入れるのが当たり前となっているそう(写真撮影/飯田照明)

長男のお気に入りトランポリン施設「BASE」。1分間ずつ交代制となっているため、小さい子どもから、本格的に練習したい人も同じ場で楽しむことができる。欧米ではウインタースポーツをはじめとするアスリートがしなやかな筋肉をつくるためにトランポリントレーニングを取り入れるのが当たり前となっているそう(写真撮影/飯田照明)

蓼科では、知人から3万円で購入した中古車をフル活用。アパートは無料の駐車場付きなので駐車場代はかかりません。滞在中は、マウンテンバイクで山道を下ったり、トランポリンのジムなど、アクティビティを満喫。生活用品は琺瑯(ほうろう)の食器やカセットコンロなどアウトドア用品を活用しているため、バーベキューを楽しむことも多いそう。また、東京では生活感の薄い都会ゆえに近所にない、ホームセンターや百円均一店、回転ずし店へ行くのも楽しみのひとつ。「東京では通勤への便利さで、快適な住環境は蓼科。両方あって初めて成立しているんです。もし蓼科の拠点をやめるなら、東京の家ももう少し広くて緑の多い場所を選んだと思いますね」

蓼科では夏はマウンテンバイクや登山、冬はスキーとアウトドアを存分に楽しむ生活。まだ3歳の長男はもう補助輪なしで自転車に乗れるという(写真撮影/左 飯田照明、右 古後さん)

蓼科では夏はマウンテンバイクや登山、冬はスキーとアウトドアを存分に楽しむ生活。まだ3歳の長男はもう補助輪なしで自転車に乗れるという(写真撮影/左 飯田照明、右 古後さん)

生後1カ月半から一緒に蓼科へ通っている息子に、雄大な自然の中でさまざまな体験をさせられることも重要です。3歳にして補助輪なしの自転車に乗れるのは、おそらくそんな体験のたまもの。「自転車でジャンプできる! パパすごい! っていうリスペクトが強いんです。東京にいるだけではこうはならなかったかも」。川の水が飲めたり、鹿や馬に触れたりできるほか、いろんな人と会う機会も多いため、初めてのことに動じない性格に育っているそうです。

夫のもともとの知人や常連になったお店、また近所の温泉での会話などから、コミュニティーも広がってきています。そのなかで強く感銘を受けたのは、地元の夏祭りだったそう。「小さな神社でやっているお祭りなのですが、子どもたちがみんなすごくおしゃれしてやってきていて。きっととても大事なイベントなのだろうな、と。都会は外から来た人の集合体だから、このお祭りの “地元”な感じがとてもすてきでした。小さいときのそういう思い出は、すごくいいなって」。いまはまだ家族の時間優先の息子も、いずれここに住む友達と一緒に来れたら、と願っているそうです。

行きつけの蕎麦店、傍/katawaraでは無農薬の野菜に合わせと白・黒二種類の蕎麦が楽しめる。窓からの美しい景色もごちそう(写真撮影/飯田照明)

行きつけの蕎麦店、傍/katawaraでは無農薬の野菜に合わせと白・黒二種類の蕎麦が楽しめる。窓からの美しい景色もごちそう(写真撮影/飯田照明)

人気の「グリル野菜モリモリ盛ったベジ温そば」と「もろこしスープ」(写真撮影/飯田照明)

人気の「グリル野菜モリモリ盛ったベジ温そば」と「もろこしスープ」(写真撮影/飯田照明)

「いざとなれば二拠点目がある」は大きかった

蓼科は避暑地や別荘地としても人気で、旅行先に選ぶ人も多い地域です。旅行との違いを尋ねると、「旅行は楽しい刺激がたくさんある一方で、知らない場所への交通手段を調べたり、限られた時間に予定を詰め込んだり、ちょっとしたストレスもありますよね。土地勘のある二地域目ではそのストレスがなく、旅行のいいところだけを体験できるようなものなんです」

東京での駐車場代以下の金額で蓼科なら部屋が借りられることは、Iさん夫妻の場合は自転車という物理的な荷物の大きさもありリーズナブル。拠点ならではの土地勘があることや、宿泊施設のチェックインなどを気にせずゆったり時間を使えることは、旅行のリフレッシュさをストレスなく満喫できることでもあります。大型連休など世間で費用が高くなるときは蓼科へ行き、他の場所への旅行は、安く済む時期などのタイミングを見て出かけています。

また、旅行と拠点の違いを強く実感したのは、東日本大震災のときだったそうです。「会社からも自宅待機と言われ、東京がどうなるか分からないとなったとき、いざとなれば私たちは蓼科に行けると思いました。自分たちの日常はパラレルであるという安心感は、すごく大きかったんです」

蓼科の住まいは18平米のワンルーム。壁は夫がDIYでつくった木製棚。趣味のマウンテンバイクやアウトドアグッズなどの収納になっている。窓からは八ヶ岳連峰の景色が一望できる(写真撮影/飯田照明)

蓼科の住まいは18平米のワンルーム。壁は夫がDIYでつくった木製棚。趣味のマウンテンバイクやアウトドアグッズなどの収納になっている。窓からは八ヶ岳連峰の景色が一望できる(写真撮影/飯田照明)

ユニットバスは収納として利用。「この辺りにはたくさんの温泉施設があるので、お風呂はそちらでゆったり入っています(笑)」。ちなみに料理にはカセットコンロを利用。ガスを契約しないことで光熱費を削減している(写真撮影/飯田照明)

ユニットバスは収納として利用。「この辺りにはたくさんの温泉施設があるので、お風呂はそちらでゆったり入っています(笑)」。ちなみに料理にはカセットコンロを利用。ガスを契約しないことで光熱費を削減している(写真撮影/飯田照明)

新鮮な地元の野菜や特産物が手に入る「たてしな自由農園 原村店」。Iさんの特にお気に入りは試飲もできる田舎味噌。出汁をとらなくても食材から出る味だけでおいしいお味噌汁は長男も大好物(写真撮影/飯田照明)

新鮮な地元の野菜や特産物が手に入る「たてしな自由農園 原村店」。Iさんの特にお気に入りは試飲もできる田舎味噌。出汁をとらなくても食材から出る味だけでおいしいお味噌汁は長男も大好物(写真撮影/飯田照明)

購入ではなく賃貸にこだわり

Iさんは二拠点生活を送るにあたって、家族の生活体系や関係性の調整が常に心にあったといいます。子どもが生まれる前は、車移動のほうがいいのか、場所はこのままでいいのか。雪山があるのだからと夫がスノーボードを始めた際には、のめり込むあまり本格的なゲレンデを求めて蓼科から足が遠のいたことも。「私たちの世代はライフイベントやスタイルの変化がある時期。どのように二拠点目を使っていくのか、考えることは増えますよね」。だからこそIさん夫婦が選んだのは、物件の購入ではなく賃貸で拠点を構えること。購入したとしてもそこまで高額ではありませんが、身軽でいるためにあえて賃貸を続けているそうだ。

実際、息子の出産前には、蓼科の家を持ち続けるかの議論にもなりました。平日の職住近接に、教育環境や待機児童が少ない地区を考慮して現在の家の場所を決めましたが、のびのびとした育児も両立させるには、蓼科の家が必要だと判断したそうです。「平日と週末では、求めていることが違うけれど、両方を満たした環境はすごく高い。だったら拠点自体を分けようよと考えたんです」

二拠点を構えることは旅行とは違い、日常の延長線上にあります。Iさん夫妻にとって蓼科は見知った土地でしたが、より良い場所を求めるがあまり、無理してしまうことには危惧もあるそう。ランニングコストも含め、持続可能かどうか。その見極めのためにも、購入よりも賃貸から始めるのは、賢くそして手堅い選択なのかもしれません。

おいしいコーヒー豆とマスターの五味さんとの楽しい会話を求め茅野市の面白い人たちはみんなここに集まる、と言われるサロン的コーヒー豆店「Molino coffee」。行くと誰かしらに会える茅野の名物スポット(写真撮影/飯田照明)

おいしいコーヒー豆とマスターの五味さんとの楽しい会話を求め茅野市の面白い人たちはみんなここに集まる、と言われるサロン的コーヒー豆店「Molino coffee」。行くと誰かしらに会える茅野の名物スポット(写真撮影/飯田照明)

特急で東京に帰るまでの間、集中してワークしたいとき利用している茅野駅目の前のワークスペース「ワークラボ八ヶ岳」。蓼科の利用者にはIさんと同じようなデュアラー(二拠点生活者)も多いそう(写真撮影/飯田照明)

特急で東京に帰るまでの間、集中してワークしたいとき利用している茅野駅目の前のワークスペース「ワークラボ八ヶ岳」。蓼科の利用者にはIさんと同じようなデュアラー(二拠点生活者)も多いそう(写真撮影/飯田照明)

運転していると東南方向には富士山も(写真撮影/飯田照明)

運転していると東南方向には富士山も(写真撮影/飯田照明)

●取材協力
富士見パノラマリゾート
BASE
傍/katawara  
たてしな自由農園
Molino coffee
ワークラボ八ヶ岳

デュアルライフ・二拠点生活[9]兵庫県城崎温泉 ”踊る”ことを見つめ直す、もうひとつの居場所

京都市内在住、「コミュニティダンス・ファシリテーター」という肩書きで活動する千代その子さん(31)。とあるプロジェクトのために訪れ、街と街の人々にもすっかり惚れ込んだ兵庫県豊岡市の城崎温泉をもうひとつの拠点にするべく2018年に社団法人を設立。ダンスを通した地域貢献を実践しています。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。日本にもっともっと踊れる場が増えればいいのに

「物心ついたときには踊っていた」という千代さん。3歳でバレエをはじめてから今まで「息をすること」と同じくらい、日々の中で「踊ること」が当たり前にある人生を歩んできました。17歳でイギリスへバレエ留学。その後、イタリアのダンスカンパニーへの所属や、バレエ講師になるための再留学など、海外での経験が、千代さんの「踊ること」や「ダンサーとしての職業観」へ大きく影響を与えました。そして帰国後、フリーのダンサーやバレエ講師として活動していくなかで、
「どうすれば日本でダンサーが自立して生きていけるんだろう。ダンスが自然に在る世の中にもっとしたいけれど、その在り方ってなんだろう、という疑問に行きつき、大学院の政策学研究科に入りました」

千代さんが代表を務める一般社団法人ダンストーク(Danstork)が主催する「KINOSAKI OPEN DANCE CLASS」。住人も、旅行者も、大人も子どもも、ダンスの経験の有無も関係なく、誰でも普段着で気軽に参加でき、ダンスのもつ根源的な魅力や楽しさを体感できる(写真撮影/田中友里絵)

千代さんが代表を務める一般社団法人ダンストーク(Danstork)が主催する「KINOSAKI OPEN DANCE CLASS」。住人も、旅行者も、大人も子どもも、ダンスの経験の有無も関係なく、誰でも普段着で気軽に参加でき、ダンスのもつ根源的な魅力や楽しさを体感できる(写真撮影/田中友里絵)

大学院では地域政策やまちづくりについて研究し、インターンシップをきっかけにNPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワークに所属。千代さんはそこで運命の職業「コミュニティダンス・ファシリテーター」に出合います。「コミュニティダンス」とは、ダンス経験の有無・年齢・性別・障がいにかかわらず、「誰もがダンスを創り、踊ることができる」という考えのもと、アーティストがかかわりながらダンスの力を地域社会のなかで活かしていく活動のこと。そしてそのためのワークショップ等の活動において、参加者一人一人の表現力や創造力を引き出し、全体を目的に向かって進行するのが「コミュニティダンス・ファシリテーター」。千代さんはその養成講座の日本初の開講に準備段階から携わり、また、自分自身も「コミュニティダンス・ファシリテーター」としての活動をスタートさせ、やってきたのが兵庫県豊岡市にある城崎温泉でした。

開湯から約1300年の歴史があり、かつては志賀直哉や島崎藤村など文豪に愛された城崎温泉。7つの外湯を巡って楽しむ「外湯めぐり発祥の地」で、旅行誌の人気温泉地ランキングでは常に上位!近年は外国人観光客が5年で約40倍に急増したことで注目を集めている(撮影/田中友里絵)

開湯から約1300年の歴史があり、かつては志賀直哉や島崎藤村など文豪に愛された城崎温泉。7つの外湯を巡って楽しむ「外湯めぐり発祥の地」で、旅行誌の人気温泉地ランキングでは常に上位!近年は外国人観光客が5年で約40倍に急増したことで注目を集めている(撮影/田中友里絵)

「ダンスってなんだろう?」の答えをくれた場所

千代さんが兵庫県北部・豊岡市にある城崎温泉を初めて訪れたのは2012年。2年後に温泉街の中での開館を控えた、舞台芸術のアーティスト・イン・レジデンス施設としては日本最大級となる「城崎国際アートセンター」で行われるコミュニティダンスのプロジェクトのための視察でした。
「初めて来たのにどこか懐かしい雰囲気のする穏やかな街だなぁ、という印象でした」と千代さん。しかしそのときはまだ、自分がこの街とこんなに深くかかわることになるとは思っていなかったそう。しかし、そのプロジェクトの中心となるイタリア人アーティストの通訳兼コーディネーターを担当することになり、事前リサーチやアーティスト帯同のため、2014年・2015年にかけて京都から城崎温泉へ通う日々がはじまりました。

城崎国際アートンセンターは舞台芸術に特化したアーティスト・イン・レジデンスで、芸術監督は劇作家・演出家の平田オリザ氏が務める。年1回の公募により選ばれたアーティストは最長で3カ月の間滞在し、作品制作を行うことができる(撮影/田中友里絵)

城崎国際アートンセンターは舞台芸術に特化したアーティスト・イン・レジデンスで、芸術監督は劇作家・演出家の平田オリザ氏が務める。年1回の公募により選ばれたアーティストは最長で3カ月の間滞在し、作品制作を行うことができる(撮影/田中友里絵)

「地元の人を巻き込まないと成立しないプロジェクトだったんですが、どの人が街の人でどの人が観光客か、最初は見分けすらつかなくて。地元の人はどこにいるんですかー!!って感じでした(笑)」

ほんの少しのとっかかりを掴んだら数珠つなぎのように人に人を紹介してもらい、地元の人を訪ねて街を歩きまわり、話を聞き、プロジェクトやダンスについて想いを伝え続ける日々。最初は「自分たちが踊る?」と、どこか警戒していた人たちの表情も、コミュニケーションを重ねるにしたがって次第に和らぎ、街を歩くと手を振ってくれたり、「その子ちゃんなにしとるん!?」と声をかけてくれたり、飲みに誘われることも。コツコツと、とにかく地道に関係性を深めていきました。

「実際の公演では、皆さんに舞台上で踊ってもらったんですが、公演前の1カ月はもう!ところどころ記憶がないほど、とにかく必死で。私のすべてを捧げたというか、作品をつくること・踊ること・踊る人・踊る場を考え続け……実は、こんなにダンスと真正面から向き合ったのは初めてだったのかもしれません。そして、踊りながらときどきふと思っていた”ダンスって何だろう”という疑問に、ひとつの答えが出た気がしたんです。そして私自身、踊ることが大好きだ!って」

千代さんがかかわったプロジェクトでは温泉街の旅館の若旦那たちも舞台に。今も滞在中の生活に必要なものを借りるなど、城崎温泉での活動をサポートしてくれている。「旅館・やまとやの若旦那の結城さんは親戚のお兄さんのような存在」(写真撮影/田中友里絵)

千代さんがかかわったプロジェクトでは温泉街の旅館の若旦那たちも舞台に。今も滞在中の生活に必要なものを借りるなど、城崎温泉での活動をサポートしてくれている。「旅館・やまとやの若旦那の結城さんは親戚のお兄さんのような存在」(写真撮影/田中友里絵)

城崎国際アートセンターの近くにある喫茶店スコーピオ。お腹が空いたときはもちろん、一息つきたいときにもよく訪れる。マスターは、城崎に誰も知り合いのいなかった千代さんが最初に打ちとけ、さまざまな相談にのってくれた恩人(写真撮影/田中友里絵)

城崎国際アートセンターの近くにある喫茶店スコーピオ。お腹が空いたときはもちろん、一息つきたいときにもよく訪れる。マスターは、城崎に誰も知り合いのいなかった千代さんが最初に打ちとけ、さまざまな相談にのってくれた恩人(写真撮影/田中友里絵)

日本のどこにもないダンスの在り方を、ここ城崎温泉で

プロジェクトが終わったあとも、しばらく城崎温泉のことが忘れられなかったという千代さん。せっかく築いた街の人との関係をどうにか続けられないか……それほどに、城崎温泉の人と街に魅了されていました。そんなとき、城崎の子どもたちのなかから 「ダンスを続けたい」という相談の連絡がきたのです。

「この街の子どもたちのダンスの環境を、私がかかわることでもしも変えることができるのであれば、なんだってしたい!そしてこの街なら、性別や世代、いろんな条件を越えてひとりひとりを大切にできて、ダンスを通したさまざまな繋がりをつくれるんじゃないか。踊る人も踊らない人もすべての人の身近にダンスがある。まさに現代のダンスの在り方が実践できるんじゃないかって思ったんです」

城崎温泉と京都を行き来しながら活動をするにあたり、家族の理解は得られたものの収入面や他の活動とのバランスなどクリアしなければならない問題も。
「私の気持ちだけで見切り発車のように事業をスタートしてしまったら、もし行き詰まったとき、純粋に“ダンス”が好き!って思ってくれた子どもたちからまたダンスを取り上げてしまうことになる。それだけは避けたくて、どうにかできる方法はないかを模索しました」

そんなとき、千代さんの考えに賛同した城崎国際アートセンターが場所を提供してくれることに!ほかにもさまざまな形で協力してくれる人が増え、2016年に「誰でも気らくにたのしめる、みんなのおどる場所」をコンセプトに掲げた「KINOSAKI OPEN DANCE CLASS」がスタートしました。3年目を迎えた今では、豊岡市だけでなく、周辺の市町からもクラスに参加する人たちも。このクラスの存在を聞きつけ、旅を兼ねてわざわざ関東方面から参加してくれた人もいたそう。そして昨年、この活動をさらに広げるべく、城崎温泉を所在地に置く一般社団法人ダンストーク(Danstork)を設立したのです。実際に、設立後は城崎温泉を軸にしながら活動エリアを広げ、出石町やお隣の養父市での「オープンダンスクラス」開催や、豊岡市内の高校でのダンスプログラムの実施など、千代さんはダンスの在る暮らしの愉しさや豊かさをより広く多くの人に届けています。

城崎国際アートセンターの田口館長(真ん中)と、職員でありダンストークのメンバーでもある橋本さん(左)。ふたりとも、千代さんの活動を応援してくれるよき相談相手 (写真撮影/田中友里絵)

城崎国際アートセンターの田口館長(真ん中)と、職員でありダンストークのメンバーでもある橋本さん(左)。ふたりとも、千代さんの活動を応援してくれるよき相談相手 (写真撮影/田中友里絵)

城崎温泉では、町内に外湯(そとゆ)と呼ばれる公衆浴場が7つ点在している。地元の人は100円で利用できることもあって社交場のひとつになっており、大切なコミュニケーションの場に。「レッスン後に参加者と一緒になることも。いきなり裸のお付き合いです(笑)」 (写真撮影/田中友里絵)

城崎温泉では、町内に外湯(そとゆ)と呼ばれる公衆浴場が7つ点在している。地元の人は100円で利用できることもあって社交場のひとつになっており、大切なコミュニケーションの場に。「レッスン後に参加者と一緒になることも。いきなり裸のお付き合いです(笑)」 (写真撮影/田中友里絵)

家族と暮らす京都を拠点にしながら、月に1週間ほど(長いときで3週間滞在することも!)城崎温泉に滞在する暮らしは千代さんにとってどんな影響を与えているのかを聞いてみました。
「家族と暮らす京都は、生活面でサポートし合うことができるので、何かを学んだり吸収したりする環境が整っているインプットの場。そして城崎は、京都で得たものを使いながら集中してダンスと向き合う実践の場、という感じでしょうか。行き来することで、人や場ともいい意味での距離感を保つことができています。城崎にいたら京都に帰りたいなぁ、って思うこともあるし、京都にいるときは城崎に早く行きたい!って思いますしね(笑)」

千代さんの理想は、城崎や但馬を「すべての人のまわりに“ダンス”が当たり前のように在る」、そんな場所にすることだそう。そして、他の地域から注目され人が来る場所になれば、人と人との関わりのなかにまたダンスが生まれ、みんなにとってダンスが在って当たり前のことになっていく。それが地域社会をより豊かなものにできるダンスの力である、と千代さんは信じているからです。「私にとって、夢をかなえられる場所が城崎温泉なのかもしれません。踊っても踊らなくてもダンスは必ず、日々を豊かにしてくれます。大好きな城崎や但馬の人たちに、これからもそのことを伝え続け、場をつくり続けていきたい」と千代さん。
人が日常のなかで暮らしと仕事とのバランスをとるように、千代さんは日常の中で京都と城崎温泉をバランスよく行き来し、夢に向かって進んでいます。

(写真撮影/田中友里絵)

(写真撮影/田中友里絵)

●取材協力
・一般社団法人 ダンストーク
・城崎国際アートセンター

デュアルライフ・二拠点生活[9]兵庫県城崎温泉 “踊る”ことを見つめ直す、もうひとつの居場所

京都市内在住、「コミュニティダンス・ファシリテーター」という肩書きで活動する千代その子さん(31)。とあるプロジェクトのために訪れ、街と街の人々にもすっかり惚れ込んだ兵庫県豊岡市の城崎温泉をもうひとつの拠点にするべく2018年に社団法人を設立。ダンスを通した地域貢献を実践しています。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。日本にもっともっと踊れる場が増えればいいのに

「物心ついたときには踊っていた」という千代さん。3歳でバレエをはじめてから今まで「息をすること」と同じくらい、日々の中で「踊ること」が当たり前にある人生を歩んできました。17歳でイギリスへバレエ留学。その後、イタリアのダンスカンパニーへの所属や、バレエ講師になるための再留学など、海外での経験が、千代さんの「踊ること」や「ダンサーとしての職業観」へ大きく影響を与えました。そして帰国後、フリーのダンサーやバレエ講師として活動していくなかで、
「どうすれば日本でダンサーが自立して生きていけるんだろう。ダンスが自然に在る世の中にもっとしたいけれど、その在り方ってなんだろう、という疑問に行きつき、大学院の政策学研究科に入りました」

千代さんが代表を務める一般社団法人ダンストーク(Danstork)が主催する「KINOSAKI OPEN DANCE CLASS」。住人も、旅行者も、大人も子どもも、ダンスの経験の有無も関係なく、誰でも普段着で気軽に参加でき、ダンスのもつ根源的な魅力や楽しさを体感できる(写真撮影/田中友里絵)

千代さんが代表を務める一般社団法人ダンストーク(Danstork)が主催する「KINOSAKI OPEN DANCE CLASS」。住人も、旅行者も、大人も子どもも、ダンスの経験の有無も関係なく、誰でも普段着で気軽に参加でき、ダンスのもつ根源的な魅力や楽しさを体感できる(写真撮影/田中友里絵)

大学院では地域政策やまちづくりについて研究し、インターンシップをきっかけにNPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワークに所属。千代さんはそこで運命の職業「コミュニティダンス・ファシリテーター」に出合います。「コミュニティダンス」とは、ダンス経験の有無・年齢・性別・障がいにかかわらず、「誰もがダンスを創り、踊ることができる」という考えのもと、アーティストがかかわりながらダンスの力を地域社会のなかで活かしていく活動のこと。そしてそのためのワークショップ等の活動において、参加者一人一人の表現力や創造力を引き出し、全体を目的に向かって進行するのが「コミュニティダンス・ファシリテーター」。千代さんはその養成講座の日本初の開講に準備段階から携わり、また、自分自身も「コミュニティダンス・ファシリテーター」としての活動をスタートさせ、やってきたのが兵庫県豊岡市にある城崎温泉でした。

開湯から約1300年の歴史があり、かつては志賀直哉や島崎藤村など文豪に愛された城崎温泉。7つの外湯を巡って楽しむ「外湯めぐり発祥の地」で、旅行誌の人気温泉地ランキングでは常に上位!近年は外国人観光客が5年で約40倍に急増したことで注目を集めている(撮影/田中友里絵)

開湯から約1300年の歴史があり、かつては志賀直哉や島崎藤村など文豪に愛された城崎温泉。7つの外湯を巡って楽しむ「外湯めぐり発祥の地」で、旅行誌の人気温泉地ランキングでは常に上位!近年は外国人観光客が5年で約40倍に急増したことで注目を集めている(撮影/田中友里絵)

「ダンスってなんだろう?」の答えをくれた場所

千代さんが兵庫県北部・豊岡市にある城崎温泉を初めて訪れたのは2012年。2年後に温泉街の中での開館を控えた、舞台芸術のアーティスト・イン・レジデンス施設としては日本最大級となる「城崎国際アートセンター」で行われるコミュニティダンスのプロジェクトのための視察でした。
「初めて来たのにどこか懐かしい雰囲気のする穏やかな街だなぁ、という印象でした」と千代さん。しかしそのときはまだ、自分がこの街とこんなに深くかかわることになるとは思っていなかったそう。しかし、そのプロジェクトの中心となるイタリア人アーティストの通訳兼コーディネーターを担当することになり、事前リサーチやアーティスト帯同のため、2014年・2015年にかけて京都から城崎温泉へ通う日々がはじまりました。

城崎国際アートンセンターは舞台芸術に特化したアーティスト・イン・レジデンスで、芸術監督は劇作家・演出家の平田オリザ氏が務める。年1回の公募により選ばれたアーティストは最長で3カ月の間滞在し、作品制作を行うことができる(撮影/田中友里絵)

城崎国際アートンセンターは舞台芸術に特化したアーティスト・イン・レジデンスで、芸術監督は劇作家・演出家の平田オリザ氏が務める。年1回の公募により選ばれたアーティストは最長で3カ月の間滞在し、作品制作を行うことができる(撮影/田中友里絵)

「地元の人を巻き込まないと成立しないプロジェクトだったんですが、どの人が街の人でどの人が観光客か、最初は見分けすらつかなくて。地元の人はどこにいるんですかー!!って感じでした(笑)」

ほんの少しのとっかかりを掴んだら数珠つなぎのように人に人を紹介してもらい、地元の人を訪ねて街を歩きまわり、話を聞き、プロジェクトやダンスについて想いを伝え続ける日々。最初は「自分たちが踊る?」と、どこか警戒していた人たちの表情も、コミュニケーションを重ねるにしたがって次第に和らぎ、街を歩くと手を振ってくれたり、「その子ちゃんなにしとるん!?」と声をかけてくれたり、飲みに誘われることも。コツコツと、とにかく地道に関係性を深めていきました。

「実際の公演では、皆さんに舞台上で踊ってもらったんですが、公演前の1カ月はもう!ところどころ記憶がないほど、とにかく必死で。私のすべてを捧げたというか、作品をつくること・踊ること・踊る人・踊る場を考え続け……実は、こんなにダンスと真正面から向き合ったのは初めてだったのかもしれません。そして、踊りながらときどきふと思っていた”ダンスって何だろう”という疑問に、ひとつの答えが出た気がしたんです。そして私自身、踊ることが大好きだ!って」

千代さんがかかわったプロジェクトでは温泉街の旅館の若旦那たちも舞台に。今も滞在中の生活に必要なものを借りるなど、城崎温泉での活動をサポートしてくれている。「旅館・やまとやの若旦那の結城さんは親戚のお兄さんのような存在」(写真撮影/田中友里絵)

千代さんがかかわったプロジェクトでは温泉街の旅館の若旦那たちも舞台に。今も滞在中の生活に必要なものを借りるなど、城崎温泉での活動をサポートしてくれている。「旅館・やまとやの若旦那の結城さんは親戚のお兄さんのような存在」(写真撮影/田中友里絵)

城崎国際アートセンターの近くにある喫茶店スコーピオ。お腹が空いたときはもちろん、一息つきたいときにもよく訪れる。マスターは、城崎に誰も知り合いのいなかった千代さんが最初に打ちとけ、さまざまな相談にのってくれた恩人(写真撮影/田中友里絵)

城崎国際アートセンターの近くにある喫茶店スコーピオ。お腹が空いたときはもちろん、一息つきたいときにもよく訪れる。マスターは、城崎に誰も知り合いのいなかった千代さんが最初に打ちとけ、さまざまな相談にのってくれた恩人(写真撮影/田中友里絵)

日本のどこにもないダンスの在り方を、ここ城崎温泉で

プロジェクトが終わったあとも、しばらく城崎温泉のことが忘れられなかったという千代さん。せっかく築いた街の人との関係をどうにか続けられないか……それほどに、城崎温泉の人と街に魅了されていました。そんなとき、城崎の子どもたちのなかから 「ダンスを続けたい」という相談の連絡がきたのです。

「この街の子どもたちのダンスの環境を、私がかかわることでもしも変えることができるのであれば、なんだってしたい!そしてこの街なら、性別や世代、いろんな条件を越えてひとりひとりを大切にできて、ダンスを通したさまざまな繋がりをつくれるんじゃないか。踊る人も踊らない人もすべての人の身近にダンスがある。まさに現代のダンスの在り方が実践できるんじゃないかって思ったんです」

城崎温泉と京都を行き来しながら活動をするにあたり、家族の理解は得られたものの収入面や他の活動とのバランスなどクリアしなければならない問題も。
「私の気持ちだけで見切り発車のように事業をスタートしてしまったら、もし行き詰まったとき、純粋に“ダンス”が好き!って思ってくれた子どもたちからまたダンスを取り上げてしまうことになる。それだけは避けたくて、どうにかできる方法はないかを模索しました」

そんなとき、千代さんの考えに賛同した城崎国際アートセンターが場所を提供してくれることに!ほかにもさまざまな形で協力してくれる人が増え、2016年に「誰でも気らくにたのしめる、みんなのおどる場所」をコンセプトに掲げた「KINOSAKI OPEN DANCE CLASS」がスタートしました。3年目を迎えた今では、豊岡市だけでなく、周辺の市町からもクラスに参加する人たちも。このクラスの存在を聞きつけ、旅を兼ねてわざわざ関東方面から参加してくれた人もいたそう。そして昨年、この活動をさらに広げるべく、城崎温泉を所在地に置く一般社団法人ダンストーク(Danstork)を設立したのです。実際に、設立後は城崎温泉を軸にしながら活動エリアを広げ、出石町やお隣の養父市での「オープンダンスクラス」開催や、豊岡市内の高校でのダンスプログラムの実施など、千代さんはダンスの在る暮らしの愉しさや豊かさをより広く多くの人に届けています。

城崎国際アートセンターの田口館長(真ん中)と、職員でありダンストークのメンバーでもある橋本さん(左)。ふたりとも、千代さんの活動を応援してくれるよき相談相手 (写真撮影/田中友里絵)

城崎国際アートセンターの田口館長(真ん中)と、職員でありダンストークのメンバーでもある橋本さん(左)。ふたりとも、千代さんの活動を応援してくれるよき相談相手 (写真撮影/田中友里絵)

城崎温泉では、町内に外湯(そとゆ)と呼ばれる公衆浴場が7つ点在している。地元の人は100円で利用できることもあって社交場のひとつになっており、大切なコミュニケーションの場に。「レッスン後に参加者と一緒になることも。いきなり裸のお付き合いです(笑)」 (写真撮影/田中友里絵)

城崎温泉では、町内に外湯(そとゆ)と呼ばれる公衆浴場が7つ点在している。地元の人は100円で利用できることもあって社交場のひとつになっており、大切なコミュニケーションの場に。「レッスン後に参加者と一緒になることも。いきなり裸のお付き合いです(笑)」 (写真撮影/田中友里絵)

家族と暮らす京都を拠点にしながら、月に1週間ほど(長いときで3週間滞在することも!)城崎温泉に滞在する暮らしは千代さんにとってどんな影響を与えているのかを聞いてみました。
「家族と暮らす京都は、生活面でサポートし合うことができるので、何かを学んだり吸収したりする環境が整っているインプットの場。そして城崎は、京都で得たものを使いながら集中してダンスと向き合う実践の場、という感じでしょうか。行き来することで、人や場ともいい意味での距離感を保つことができています。城崎にいたら京都に帰りたいなぁ、って思うこともあるし、京都にいるときは城崎に早く行きたい!って思いますしね(笑)」

千代さんの理想は、城崎や但馬を「すべての人のまわりに“ダンス”が当たり前のように在る」、そんな場所にすることだそう。そして、他の地域から注目され人が来る場所になれば、人と人との関わりのなかにまたダンスが生まれ、みんなにとってダンスが在って当たり前のことになっていく。それが地域社会をより豊かなものにできるダンスの力である、と千代さんは信じているからです。「私にとって、夢をかなえられる場所が城崎温泉なのかもしれません。踊っても踊らなくてもダンスは必ず、日々を豊かにしてくれます。大好きな城崎や但馬の人たちに、これからもそのことを伝え続け、場をつくり続けていきたい」と千代さん。
人が日常のなかで暮らしと仕事とのバランスをとるように、千代さんは日常の中で京都と城崎温泉をバランスよく行き来し、夢に向かって進んでいます。

(写真撮影/田中友里絵)

(写真撮影/田中友里絵)

●取材協力
・一般社団法人 ダンストーク
・城崎国際アートセンター

デュアルライフ・二拠点生活[8]「きれいな川」へのこだわり、千葉県いすみ市の夷隅川そばで半自給自足生活を追求

東京・三軒茶屋に住む福島新次さん(38)は多感な高校時代の原体験から、美しい水辺での生活を求め、千葉県いすみ市との二拠点生活を実践。同県最大の流域面積を誇る夷隅川(いすみがわ)の近くに購入した古家のリノベーションを家族や友人とともに楽しみながら、二拠点ならではの子育てを満喫しています。福島新次さん(38)。大好きな夷隅川にて(写真撮影/片山貴博)

福島新次さん(38)。大好きな夷隅川にて(写真撮影/片山貴博)

連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。

皆が買わない物件こそ、チャンス

恵比寿でアパレルの営業職として働く福島さんは、妻の美佳さん(47)、長男の凛音(りお)くん(11)、次男の塔七(とな)くん(7)との4人家族。普段は三軒茶屋駅から徒歩10分、約50平米の賃貸住宅に住み、金曜の夜から日曜の昼までいすみ市で過ごしています。

福島新次さんと次男の塔七くん(写真撮影/片山貴博)

福島新次さんと次男の塔七くん(写真撮影/片山貴博)

奈良県出身の福島さんは、地元では「吉野川」の名称で親しまれる豊かな水脈の紀の川の近くで育ち、川遊びを楽しむような高校時代を過ごしました。「就職で上京して、東京は水や自然がきれいではないことがとてもショックでした。水をきれいにするような活動や文化に貢献できたらという思いを抱きながら、きれいな川の近くに住みたくて10年以上ずっと物件を探していたんです」

どこの川がいいかを悩みながら、結婚後の2011年に現在住んでいる物件とは別の、三軒茶屋駅から徒歩5分約50平米のマンションを1980万円で購入。高額すぎるローンは避け、納得のいく物件が見つかるまで約2年探しましたが、一生の住まいにするつもりではなく、東京五輪の開催時期をめどに売却することを見越していたそうです。

福島さんがいすみ市の家と出合ったのは、2017年の夏。きっかけは、物件を探していることを知っていた先輩が見かけた立て看板でした。350坪の敷地に、取り壊すことが前提の昭和47年築の家屋つきで700万円という案内で、インターネット上にも載っていない情報だったそう。「都心から通うことが可能な約1時間半の地域というこだわりはありましたが、決め手は、物件の安さと自然に豊かな環境がそろっていたからでしたね」

築45年あまりの古屋。木製の雨戸はあるもののボロボロに壊れていた(写真撮影/福島新次さん)

築45年あまりの古家。木製の雨戸はあるもののボロボロに壊れていた(写真撮影/福島新次さん)

(上)裏小屋は修復不可能な状態だったので、取り壊して、簡易的な倉庫(下)を建てた(写真撮影/福島新次さん)

(上)裏小屋は修復不可能な状態だったので、取り壊して、簡易的な倉庫(下)を建てた(写真撮影/福島新次さん)

家屋は雨漏りがしていて壁もカビで黒ずみ、一見してボロボロ。「でも梁もしっかりしていて、まだ使える。不動産屋さんも解体するのはもったいないと思っていたので、壊さなくていいから土地代を安くしてほしいと交渉できました」。何度か交渉を重ねて500万円まで値下げされて、2018年1月に購入。「三軒茶屋のマンションを買ったときもそうだったのですが、ちょっとしたことでみんなが買うのをやめちゃう物件こそチャンスというか。壁は確かにカビが生えていたけど、表面が劣化しているだけ。直せばいいんです」

DIYを始めた当初。和室はカビだらけの状態(写真撮影/福島新次さん)

DIYを始めた当初。和室はカビだらけの状態(写真撮影/福島新次さん)

カビだらけだった和室のDIYをほぼ終え、今は眠るところもある小さな居間が出来上がりぐっと居心地がよくなった(写真撮影/片山貴博)

カビだらけだった和室のDIYをほぼ終え、今は眠るところもある小さな居間が出来上がりぐっと居心地がよくなった(写真撮影/片山貴博)

いすみ市に滞在する週末は、ほとんどの時間を家のリノベーションをしながら過ごしています。雨漏りのため家の中にテントを張り、トタンを置いて雨をしのぐことから始め、排泄物をたい肥に加工できるコンポストトイレを設置し、4畳半の居間が完成。快適に住めるようになったことで「テント生活のときは朝の4時や5時には作業を始めていたのに、むしろ起きなくなってしまいました(笑)」

(上)トイレは汲み取り式のものがあっただけ。水洗式にするには汚水を浄化する浄化槽を専門の施工会社に設置してもらう必要がある (下)浄化槽を設置するまではコンポストトイレを使用。排泄物を微生物で分解、農作物の肥料となるたい肥にできる(写真撮影/福島新次さん)

(上)トイレは汲み取り式のものがあっただけ。水洗式にするには汚水を浄化する浄化槽を専門の施工会社に設置してもらう必要がある
(下)浄化槽を設置するまではコンポストトイレを使用。排泄物を微生物で分解、農作物の肥料となるたい肥にできる(写真撮影/福島新次さん)

物がないからこそ、子どもの想像力を育める

元々、棚づくりなどのDIY経験はありましたが、ここまで大がかりなリノベーションは初めて。それでも、近隣に住む二拠点経験のある先輩や近隣住民のアドバイスを受けながら取り組むうち、その楽しさが増していったそう。「都内だと騒音なども気にしないといけないけど、ここは広いから大胆にいろいろできる。自分で自分のものをつくるのが面白くて」。月に1、2度一緒に来る子どもたちも、既製品がないなかから自分で遊びを見出す喜びや成長を見せています。この日一緒に来ていた塔七くんは、福島さんが作業する横で自分も角材にカンナをかけ、お手製の木刀をつくって遊んでいました。

DIYを始めた当初。和室はカビだらけの状態(写真撮影/福島新次さん)

DIYはネットで安い材料を探したり、海で流木を拾ったりと、お金をかけず工夫。塔七くんもハンマーやカンナなどを使うことを覚えた(写真撮影/片山貴博)

暗くなる前に作業を済ませるための段取りを考える必要性は、物にあふれる都会の子どもではできない体験です。「今後の社会で求められるのは、想像力が豊かな人材になるはず。良い影響を与えられているのではと思っています」。また、福島さん自身も、子どもとの向き合い方で発見があったそう。それは、三軒茶屋ではたくさん子どもを叱ってしまうのに、いすみ市では叱ることがほとんどないこと。「子どもの将来のために叱っているのではなく、周囲や世間とのトラブル回避のためにしているんだなと。でもいすみ市では隣近所との距離も離れているし、広い敷地で走り回れるので、叱る内容が少ないんです」。叱るときは、危険なときだけ。そして、計画的に段取りし時間をコントロールすることは、福島さん自身も上達したそう。

わんぱく盛りの次男の塔七くんと、長男凛音くんのお気に入りは庭の大きな木にぶら下げた廃材のタイヤを使ったブランコ。騒いでも誰にも迷惑はかからない(写真撮影/片山貴博)

わんぱく盛りの次男の塔七くんと、長男凛音くんのお気に入りは庭の大きな木にぶら下げた廃材のタイヤを使ったブランコ。騒いでも誰にも迷惑はかからない(写真撮影/片山貴博)

居間が完成したことで、二拠点生活やリノベーション自体に興味をもつ友人が遊びにくることも増えました。リノベーションを本格的に始めた当初は1年半での完成を目指していましたが、彼らと一緒に作業をするうち、最短での完成を目指すのはなく、都会ではできないダイナミックな楽しみをみんなでゆっくりと堪能する方向にシフト。凛音くんと塔七くんも、立派な戦力です。いっぱい働いてくれるので、時給200円の“バイト”制にしたところ、日給1000円を稼ぐことも。

庭にはキャンプファイアスペースを作成。DIYを手伝いに来た友人もここで、アウトドアな食事を楽しんでいる(撮影/福島新次さん)

庭にはキャンプファイアスペースを作成。DIYを手伝いに来た友人もここで、アウトドアな食事を楽しんでいる(撮影/福島新次さん)

二拠点目の購入資金は、マンションの売却益750万円から出し、引越し代などを引いた余剰の200万円弱をリノベーション予算や交通費に充てています。しかしいすみ市での、コミュニティーで物をやりとりしたり、リノベーションに廃材を活用したりするうち、今までは物を消費しすぎていたと実感したそう。「この価値観の変化はとても大きかったです」。それは、水へのこだわりにも通じています。「コンビニでの買い物とか、都会では不可避な消費活動が、水を汚してしまうことにもつながると感じています。こうやって半分自給自足のような生活への共感が広がればいい」

居間以外の部屋も、壁をはがして、これから板を張っていく予定(写真撮影/片山貴博)

居間以外の部屋も、壁をはがして、これから板を張っていく予定(写真撮影/片山貴博)

二拠点を選んだのではなく、自然に二拠点になった

きれいな川のそばに住むことは福島さんの念願ですが、いすみ市への完全移住までは、まだ決めてはいません。妻の美佳さんは二拠点生活に協力的ですが「子どもにも奥さんにも、東京でそれぞれのコミュニティーがある。一気に移ってしまうと、リスクもあります」。それよりは、福島さんが子どもだけを連れていすみ市に来ている間、普段はPTA活動などで多忙な美佳さんがリラックスできる時間を確保できる、現在のスタンスのほうが自然なのだそう。

福島さんの大好きな海もすぐ近く。サーフィンをしたり、流木を拾ったり、いつも身近な存在だ(写真撮影/片山貴博)

福島さんの大好きな海もすぐ近く。サーフィンをしたり、流木を拾ったり、いつも身近な存在だ(写真撮影/片山貴博)

訪れる友人だけでなく、近隣に住む住人との交流も増えています。近所の伊東研二さん(34)とは、共通の趣味があることから親しくなりました。

ご近所の伊東研二さん(34)と犬の空(くう)ちゃん。伊東さんは福島さんより半年ほど早く昨年の7月に引越してきた。スケボーやサーフィンなど共通の趣味があり自然と交流がスタート。今では、伊東さんも同じアパレル業なので東京で展示会があるときに遊びに行くなど、いすみ市だけでないお付き合いとなっている(写真撮影/片山貴博)

ご近所の伊東研二さん(34)と犬の空(くう)ちゃん。伊東さんは福島さんより半年ほど早く昨年の7月に引越してきた。スケボーやサーフィンなど共通の趣味があり自然と交流がスタート。今では、伊東さんも同じアパレル業なので東京で展示会があるときに遊びに行くなど、いすみ市だけでないお付き合いとなっている(写真撮影/片山貴博)

近所の方の薪割りを手伝ったときにいただいたイチゴの苗。廃材でスペースをつくり植えてみた。どうやって育てるのか悩むより、まずはやってみることが大事だそう(写真撮影/片山貴博)

近所の方の薪割りを手伝ったときにいただいたイチゴの苗。廃材でスペースをつくり植えてみた。どうやって育てるのか悩むより、まずはやってみることが大事だそう(写真撮影/片山貴博)

そうした温かい人間関係やゆったりした生活は、多くの人の郷愁を誘うものです。ただ、田舎へのふんわりした憧れだけで移住を考えることは、心配もあるといいます。リノベーション中とはいえ、建物には隙間風が吹き込むこともあれば、都会では見かけない虫に悩まされることも。「いきなり移住して乗り越えられないことは怖いし、そういうお試しの意味でも、二拠点から始めるのはいいかもしれませんね」
デュアルライフは、将来、実現したいライフスタイルを明確にしていくステップとして、さまざまな機会や気づきを与えてくれるようです。

敷地内には古井戸も。今は掃除をしたところ。これから水質を調査して使っていこうと考えている(写真撮影/片山貴博)

敷地内には古井戸も。今は掃除をしたところ。これから水質を調査して使っていこうと考えている(写真撮影/片山貴博)

デュアルライフ・二拠点生活[7]都市部のマンションと里山が結びつき、住民の第二のふるさとに

通勤便利なJR千葉みなと駅徒歩3分の大規模マンションの管理組合が、マンションの魅力アップ策として新たに「里山縁組プロジェクト」に取り組み、絵に描いたような美しい里山の風景が広がる群馬県川場村との交流を始めた。利便性の高い都市部に住みながらマンションぐるみで里山とつながる、そんな新しい形のデュアルライフを紹介しよう。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。平日は都会の生活、休日は自然豊かな環境へ。住民経営マンションの新たな取り組み

「ブラウシア」はJR千葉みなと駅から徒歩3分と近く都内への通勤者も多い、2005年完成の438世帯約1400人が住む大規模マンションだ。マンションの資産価値を保つことを目的に、管理組合が積極的に活動する「住民経営マンション」としても注目されているブラウシア管理組合が、あらたなマンション魅力アップ策として取り組んでいるのが「里山縁組プロジェクト」だ。

2005年完成、438世帯約1400人が住む「ブラウシア」。大規模マンションながら住民交流も活発で空室もないという人気だ(写真提供/ブラウシア管理組合)

2005年完成、438世帯約1400人が住む「ブラウシア」。大規模マンションながら住民交流も活発で空室もないという人気だ(写真提供/ブラウシア管理組合)

このプロジェクトを仕掛けたのは、資産価値向上のために「住民経営マンション」として活動するブラウシア管理組合の皆さんと、植栽管理およびコミュニティ形成活動にかかわっている東邦レオ株式会社(以下東邦レオ)だ。マンションの立地は変えることはできないが、マンションにとっての「第二のふるさと」をつくって住民が自然を楽しめる環境をつくることが付加価値のひとつになるのでは、というアイデアから「里山縁組プロジェクト」はスタートした。

「利便性のいい都市型マンションに住んで都内に通勤しながら、一方で自然に囲まれのんびりしたいと思っている人が多いのでは、と。私自身移住も考えたこともありますが、通勤のため断念。実際、週末になるとマンションからキャンプに出掛ける車をよく見かけます」と管理組合の吉岡さん。

川場村には山、川、田畑など絵に描いたような里山の風景が広がる。恵まれた自然はすぐにブラウシアの子どもたちの遊び場に(画像提供/ブラウシア管理組合)

川場村には山、川、田畑など絵に描いたような里山の風景が広がる。恵まれた自然はすぐにブラウシアの子どもたちの遊び場に(画像提供/ブラウシア管理組合)

東邦レオ側で面識のあった川場村の永井酒造さんからのご縁で、まずは管理組合が初めて川場村に足を運んだのが2017年7月。その後住民も交えてバスツアーなどのイベントも実施。ブラウシア側は、訪れた誰もが、豊かな自然と温かいもてなしに感激。そしてマンション内交流も盛んであったことから相思相愛となり、さまざまな共同イベントを本格開催するに至った。

住民同士の交流も深めたリンゴ狩り&BBQ日帰りバスツアー

具体的に一つ、ブラウシアと川場村の交流イベントをご紹介しよう。12月に行われたイベントは川場村のリンゴ農家での収穫体験と交流BBQをメインにしたもの。ブラウシア側の参加者は子ども10人を含む28人が、満席のバスで早朝にマンションを出発。バスはまず、川場村のリンゴ農園へ。

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

1本のリンゴの樹にブラウシアの家族がオーナーになる「りんごオーナー制度」。自分たちの樹のリンゴを自分の手で収穫(写真撮影/内海明啓)

1本のリンゴの樹にブラウシアの家族がオーナーになる「りんごオーナー制度」。自分たちの樹のリンゴを自分の手で収穫(写真撮影/内海明啓)

川場村との交流のため、あらかじめ川場村のリンゴの樹の年間オーナーを募集し、応募したブラウシア住民家族は、現地で自分たちの樹のリンゴを収穫。オーナー以外の家族も、リンゴ狩りをして自分たちが採ったリンゴを買い取って楽しんだ。川場村は知る人ぞ知る、リンゴの名産地なのだ。

この日収穫したリンゴの一部。自然環境に恵まれた川場村は、リンゴのほかにも米、そば、ブルーベリー、ブドウなど農産物が豊富だ(写真撮影/内海明啓)

この日収穫したリンゴの一部。自然環境に恵まれた川場村は、リンゴのほかにも米、そば、ブルーベリー、ブドウなど農産物が豊富だ(写真撮影/内海明啓)

リンゴ狩りのあとは、川場村の住民中村さんのお宅のお庭で川場村住民、ブラウシア、川場村の取り組みにかかわっている東京農業大学の学生さんら総勢50人余りでBBQを楽しむ。このBBQが川場村のみなさんとの重要なコミュニケーションの場でもある。その後、川場村の自然に触れられる体験イベントや温泉などに移動して最後はマンションまで戻って解散、というもの。イベントのスケジュールは主だったものは決めるが、あまり固定しすぎず、その場のみんなの意見や、川場村の皆さんのアドバイスで臨機応変に変更し、住民交流できるようにしているという。

農家の庭先を借りてのBBQ交流会の様子。ブラウシア住民約30名に加え、川場村のみなさん、川場村と交流のある世田谷川場ふるさと公社や東京農業大学のみなさん合計4団体50人超で大賑わい(写真撮影/内海明啓)

農家の庭先を借りてのBBQ交流会の様子。ブラウシア住民約30名に加え、川場村のみなさん、川場村と交流のある世田谷川場ふるさと公社や東京農業大学のみなさん合計4団体50人超で大にぎわい(写真撮影/内海明啓)

川場村の皆さんは郷土料理だご汁(団子汁)をつくっておもてなし。つくり方や素材の話で会話も弾む(写真撮影/内海明啓)

川場村の皆さんは郷土料理だご汁(団子汁)をつくっておもてなし。つくり方や素材の話で会話も弾む(写真撮影/内海明啓)

単なる旅行でなく田植え、BBQ、地元交流など目的のあるイベントを楽しむ

このような住民を交えたバスツアーを、提携後11月「敬老会」、6月「田植え体験」、7月「古民家とブルーベリー」、9月「稲刈り体験(雨天により中止)」、12月「リンゴ狩り」と計画、実施し、イベント運用の目途も立ってきた。好評な「道の駅 川場田園プラザ」でのお買い物を定番にさまざまな企画を加え、来年度はより多くの住民に参加してもらう予定だという。

「道の駅川場田園プラザ」は東日本でも指折りの充実した道の駅。ここに立ち寄り地元の新鮮野菜をBBQ用やお土産用に買い物するのはイベントの定番コースに(写真撮影/内海明啓)

「道の駅川場田園プラザ」は東日本でも指折りの充実した道の駅。ここに立ち寄り地元の新鮮野菜をBBQ用やお土産用に買い物するのはイベントの定番コースに(写真撮影/内海明啓)

今回、ご家族4名で参加された守屋さんは、6月の田植え体験に続いて2回目の参加。ご夫婦ともに千葉出身で「いわゆる田舎らしい田舎がないので、子どもにここでしかできない田植えやリンゴの収穫などを実際に体験させてあげられることが貴重です」と語る。5歳の長男も田植えをしたら収穫が楽しみになり、いい教育になったという。

6月に行われた田植えは泥んこになって大人も子どもも初体験。夢中になってカエルを探したり、お米ができるまでに興味をもったり、貴重な体験となった(画像提供/ブラウシア管理組合)

6月に行われた田植えは泥んこになって大人も子どもも初体験。夢中になってカエルを探したり、お米ができるまでに興味をもったり、貴重な体験となった(画像提供/ブラウシア管理組合)

小学生の男の子を連れて家族2人で参加した高田さん一家は、なんとプライベートでもおとずれるといい、今回で6回目の川場村訪問。「川場村の道の駅は第七駐車場まであっても一杯になり、一日中遊べるくらいの充実度で都会的です。でもそこから数分走って村までくると観光客には誰にも会わない、この絶妙なバランスがいいですね」と高田さん。川場村との提携の話を聞いて、早速一家で訪問してからすっかりお気に入りだという。「子どもには田んぼでの泥んこ遊びがとにかく楽しかったみたいです。通っているうちに村に、というより出会う村の人に愛着を感じ、人に会いに来ています」

このように、川場村の住民の皆さんとの交流も楽しみのひとつ。地元の親子も参加する交流BBQや自然体験を通じて子ども同士も仲良くなり、「環境が異なる場所で育っている子ども同士の触れ合いもいい刺激です」という声も。「途中の道の駅でBBQ用の野菜を買ったら、川場村側の参加者にその野菜の生産者さんがいた」「メールアドレスを交換して珍しい野菜の調理方法や田舎料理のレシピを教えてもらった」など。相互の交流を楽しむ声が続々聞こえてきた。

バスツアーのほか、マンション内で行われる夏祭りなどのイベントでは、川場村の産直野菜を販売するマルシェはもはや定番。過去2回実施したが、発売前に長蛇の列ができるほどの人気だ。

ブラウシアで実施する夏祭りやクリスマスなどのイベントでは川場村の産直野菜を販売。発売30分で売り切れるほどマンション住民にも大人気だ(画像提供/ブラウシア管理組合)

ブラウシアで実施する夏祭りやクリスマスなどのイベントでは川場村の産直野菜を販売。発売30分で売り切れるほどマンション住民にも大人気だ(画像提供/ブラウシア管理組合)

管理組合のみなさんに今後の抱負を伺うと「川場村でお米や野菜を育てたい」「蛍が見られるときにツアーを」「お米の田植えと収穫体験をセットで」「りんご農家さんで受粉体験を」「川場村の獣害などお困りごと解決ボランティア」「川場村のような提携先を複数の自治体と」など次々にアイデアがあふれ出る。来季からはより多くの住民がイベントに参加し、川場村と交流できるようにする予定。着実に群馬県川場村はブラウシア住民の心の故郷になろうとしている。こんなマンションに住んだら休日も楽しそう、と思ったが「残念ながら現在空室ありません」とのこと。やはり管理組合が活性化しているマンションは人気なのだ。

●取材協力
ブラウシア管理組合
東邦レオ

デュアルライフ・二拠点生活[6] 山梨県北杜市 子育てのために選択した里山の生活で家族全員が変わった!

八ヶ岳や南アルプスなど美しい山々に囲まれた山梨県北杜市。お子さんの入園をきっかけに東京から住まいを移したOさん一家は、夫の通勤のための拠点も持つ、のびのび子育てデュアラーだ。デュアルライフ(二拠点生活)を決断するまでは夫婦で悩み抜いた、と笑顔で振り返るOさんの暮らしをご紹介しよう。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。休日は大自然に囲まれ家族だんらん、夫は通勤のためニ拠点を使いわけ東京都府中市から山梨県北杜市に住まいを移したOさんご家族(写真撮影/内海明啓)

東京都府中市から山梨県北杜市に住まいを移したOさんご家族(写真撮影/内海明啓)

遠くに八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳などの南アルプス連峰がそびえる雄大な景色に囲まれた里山、山梨県北杜市。Oさんご一家が東京からここに住まいを移し、通勤のためデュアルライフ(二拠点生活)を始めるきっかけになったのは、日登(ひのと)くん(4歳)の入園だった。

「子どもは自然豊かな環境で、余計な知識を与えずに育てたいと思っていました。どうしてもここの保育が受けたくて、動くなら入園前にと悩みに悩んだ末の一大決心でした」と妻の未来さん(36歳)。

自宅から園まで、雄大な南アルプスの山々を眺めながら田んぼの間の道をまっすぐ進む、映画のような風景が広がる山梨県北杜市。すぐそこに森も川も広がる、豊かな里山だ(写真撮影/内海明啓)

自宅から園まで、雄大な南アルプスの山々を眺めながら田んぼの間の道をまっすぐ進む、映画のような風景が広がる山梨県北杜市。すぐそこに森も川も広がる、豊かな里山だ(写真撮影/内海明啓)

1年前までのお住まいは、夫・善行さん(37歳)が勤務する新宿まで一本で通勤できる府中の賃貸一戸建て。現在は善行さんが、通勤時は栃木にある妻の実家、休日は家族が待つ北杜市という二拠点を行き来している。「幸い夜勤もあるシフト制の仕事なので、夜勤明けは実質3日間ゆっくり家族で過ごすことができます」

日登くんが4月から通い始めた園は、北杜市の住まいから車で約20分の「森のようちえんピッコロ」。保育士と保護者による共同運営の園で、子どもの感性・想像力・考える力を信じて大人が先導せずに見守る保育を実践している。教育方針に強く共感したものの、山梨県北杜市に地縁があるわけではない。o夫妻が入園と自分たちのデュアルライフを決断するまでには大きな葛藤があった。

文字通り里山に囲まれた「森のようちえんピッコロ」。園庭もまさに自然。つくられた砂場や遊具はなく、遊びを通して危険との付き合い方も覚える(写真撮影/内海明啓)

文字通り里山に囲まれた「森のようちえんピッコロ」。園庭もまさに自然。つくられた砂場や遊具はなく、遊びを通して危険との付き合い方も覚える(写真撮影/内海明啓)

子育て、仕事、住まい、将来設計など悩みぬいて教育方針と環境に惹かれた園へ

東京で一生を終えるイメージが沸かず、自然の中での暮らしにも憧れがあったご夫妻は「自分たちがこれから根を張って生きていく場所を探そう」と、日登くんの入園を前に都内や移住先候補の長野や山梨、実家のある栃木など複数のエリアで幼稚園の情報収集や現地見学を行った。

実際に現地に出かけてみると、似た環境の園でも実情は千差万別であること、移住を考えていた場所がイメージより都会、などさまざまな気付きがあった。教育方針に共感したピッコロは善行さんが通勤するには遠いので、通勤圏内での転職先探し、未来さんが就職して保育園を探すなど、あらゆる選択肢を検討して悩み抜いたという。

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

園を選択すると、住まい、仕事、将来設計、など全てがつながって変わってくるので、どんどん身動きが取れなくなる。決断ができないまま月日がたち、日登くんの入園にすべてを間に合わせるはずが、条件がそろってから途中入園でも、と弱気になった。そんなとき先輩ママさんから「年少さんは年中・年長さんたちからたくさんの気持ちを寄せてもらって愛情を浴び、見えないものを積もらせてゆくかけがえのない時」と言われて、未来さんはハッとした。「全てが整うのを待ってからではなく、今できるベストの選択をしよう。全てを一度に変えようとせず、できるところから。まずは園を決めて住まいを山梨に移そう」と善行さんに決心を告げる。

善行さんは「体調が悪くなったとき、そばにいてあげられないし、頼る親も友人もいない」と反対。持病があり健康面の不安がある未来さんにとって、いざというときに親に頼れる実家のある栃木に家族3人で移住することが安全な選択だった。しかし「安全な選択ではあるものの、自分が大切にしたいものを失う気がした」という未来さんを説得しようとしても、「どんどん妻の顔が暗くなっていくのが分かりました」と善行さん。

未来さんの熱意に影響され、善行さん自身も「安定志向で思い切った決断をできない自分を変えたい」「行ってみてダメなら帰ってくればいい」、と二拠点での暮らしに同意したのは入園申し込みの締め切りギリギリだった。

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

こうした大きな葛藤を経て、日登くんの園は決まった。入園が正式に決定するとすぐに、北杜市に家を探して引越した。地縁もないなか「ペーパードライバーだったので、家から園までの通園ルートの運転練習から始めた」という未来さん、初めての園通いの日登くん、通勤のため妻の実家を新たな拠点とした善行さん。家族3人それぞれ新しいチャレンジのデュアルライフがスタートした。

山梨は冬が寒いのではと不安だったが、選んだ賃貸は断熱性が高く、ひと冬過ごしてみて、快適で冷暖房費もあまりかからず大正解だったという(写真撮影/内海明啓)

山梨は冬が寒いのではと不安だったが、選んだ賃貸は断熱性が高く、ひと冬過ごしてみて、快適で冷暖房費もあまりかからず大正解だったという(写真撮影/内海明啓)

子どもはのびのび、妻は健康に、夫もオンオフのメリハリができ、家族全員が楽しんで成長自然に恵まれた北杜市は野菜や果物の宝庫でもある。自宅と園の間にある明治・大正・昭和の校舎を活用した「三代校舎ふれあいの里」で地元産の新鮮な野菜を選ぶのも楽しみ(写真撮影/内海明啓)

自然に恵まれた北杜市は野菜や果物の宝庫でもある。自宅と園の間にある明治・大正・昭和の校舎を活用した「三代校舎ふれあいの里」で地元産の新鮮な野菜を選ぶのも楽しみ(写真撮影/内海明啓)

日登くんは、森や川に囲まれた恵まれた自然環境の中、園でたくさんのお友達と心が揺れる経験を積み重ねて大きく成長中。保育では自分で薪に火をつけたり、野菜を包丁を使って切ったりなどの体験を通して、「うまくいかない」や、「揺れる心」を味わい尽くすそうだ。「時間に追われず、ありのままを受け入れてもらうことで、元々持っていた個性がどんどん現れて輝いています。自己主張もはっきりするようになりました。生きる喜びにあふれている様子です」と未来さん。

保育後、お友達とお料理ごっこやお店屋さんごっこで一緒に遊ぶ日登くん。園に行くのが楽しみで仕方ないという(写真提供/未来さん)

保育後、お友達とお料理ごっこやお店屋さんごっこで一緒に遊ぶ日登くん。園に行くのが楽しみで仕方ないという(写真提供/未来さん)

実は変わったのは子どもだけではない。「引っ込み思案な妻が、コミュニケーションを楽しみながら、園の運営にかかわる姿に驚きました」と善行さん。「環境が身体に合うのか、薬のお世話になる日が激減し、健康面の不安も少なくなりました」と未来さん。

都会では遠足に出かけないと見ることができないような森や川がすぐそばにある恵まれた環境。写真は父の日の保育「お父さんと森へゆこう」のひとコマ(写真提供/未来さん)

都会では遠足に出かけないと見ることができないような森や川がすぐそばにある恵まれた環境。写真は父の日の保育「お父さんと森へゆこう」のひとコマ(写真提供/未来さん)

いのちをより身近に感じる機会も東京暮らしのときにくらべ圧倒的に増えた(写真提供/未来さん)

いのちをより身近に感じる機会も東京暮らしのときにくらべ圧倒的に増えた(写真提供/未来さん)

善行さんも育児はもちろん、地域の方々とつくり上げる行事やイベントなどにも積極的に参加。「ほかの子どもたちや地域の方々と触れ合う機会も多く、自分自身も癒やされます」と善行さん。はじめる前は離れて暮らすことに抵抗はあったが、日登くんと未来さんのイキイキとした姿を目の当たりにして、選択して良かったと思うようになった。善行さん自身、オンとオフのメリハリもでき仕事のモチベーションも上がった。子育てのためにと思い切って一歩を踏み出したデュアルライフは、子どもだけでなく、予想外にも大人に変化と成長をもたらしたようだ。園での理想の子育ても、憧れの自然の中での暮らしも、しっかりと手ごたえを感じているOさん一家だ。

●取材協力
・森のようちえんピッコロ

デュアルライフ・二拠点生活[5]山梨県南巨摩郡、月に一度のゆる田舎暮らし。手間とお金をかけず楽しむデュアルライフ

「まさか、自分の人生で猿と本気で戦う日々が訪れるとは思ってもいませんでした」。そう語るのは、都会暮らしの長いHさん(40代)。月に一度、四方を山に囲まれた、住む人もまばらな里山で、悠々自適なデュアルライフ(二拠点生活)を楽しんでいます。天候や害獣に翻弄されはするものの、それも楽しみ方のひとつ。友人を招いてのアウトドア料理やDIYなど、新たな趣味も生まれました。なぜ、そのようなライフスタイルの変化が起きたのか、Hさんにうかがいました。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
デュアルライフ(二拠点生活)にはこれまで、別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイア組が楽しむものだというイメージがありました。しかし最近は、空き家やシェアハウス、賃貸住宅などさまざまな形態をうまく活用してデュアルライフを楽しむ若い世代も増えてきたようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます東日本大震災をきっかけに、土地に根差した生活を志向

Hさんはフリーランスのライター/雑誌記者。普段は、都心の事務所を拠点に、取材や原稿執筆に追われています。東京で生まれ、大阪を経て、横浜育ち。田舎とは無縁の生活を送ってきましたが、学生時代から、年に1、2回ほど、山梨県南巨摩郡にある人里離れた山中の集落に足を運んでいたとのこと。そこは、Hさんの祖父が生まれ育った土地。鎌倉時代から続くH家のルーツなのだそうです。

「最盛期には90人近くの住民がいたそうですが、急速に過疎が進行。祖父自身も、若くして山を下り、北海道に移り住みました。ただ、晩年になり、故郷に錦を飾りたくなったのでしょう。老朽化が進み、住む人もいなくなった生家を建て直し、瓦葺きの立派な母屋を新築したのです」

それが、40数年前のこと。ただ、新築後の数年を除き、すぐに空き家になってしまったそうです。

「そのため、私の両親や親戚がたまに手入れに行き、家を維持してきました。私自身も、学生時代から年に1、2回、墓掃除などに駆り出されていたんです。ただ、自宅から片道3時間弱かかるし、夜は真っ暗。私にとって、仕方なく行く場所でしかなく、次第に足は遠のいていきました」

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

築40数年。長く無人であったとは思えないほどしっかり保たれた室内。間取りは、なんと8LDK。山間だけあって日照時間は限られるが、室内には明るい日が差し込む(写真撮影/内海明啓)

築40数年。長く無人であったとは思えないほどしっかり保たれた室内。間取りは、なんと8LDK。山間だけあって日照時間は限られるが、室内には明るい日が差し込む(写真撮影/内海明啓)

祖父の実家でありながら、次第に足が遠のいていった土地。そうした意識が、180度変わったのが、東日本大震災だったとHさんは言います。

「テレビ番組で、タレントが畑を耕しながら、『村』を開拓する企画がありましたよね。好きな番組でしたが、原発事故により、その『村』が帰還困難区域に含まれたことを知りました。私も当時、仕事やボランティアで福島に何回か足を運びましたが、多くの人が理不尽にも、土地を追われたことに心を痛めました。私自身は、根無し草のような生活をしてきたけれど、本来、農耕民族である日本人にとって、土地は切っても切り離せないもの。たまたま、自分にはゆかりの土地がある。土地と共に暮らすとはどういうことか、肌感覚として知りたくなったんです」

土いじりやアウトドアとは無縁の生活からの第一歩

そんな思いから、Hさんのデュアラー(二拠点生活者)としての暮らしが始まりました。とは言っても、あくまで「気軽に、肩ひじ張らず」がコンセプト。土地を開墾し、小さな畑でもつくり、新鮮な野菜を肴(さかな)に、うまい酒が飲めればそれでいい、くらいに考えていたそうです。

「当時、『週末農業』という言葉が流行っていましたが、毎週なんてとても無理。そこで、『月1農業』と名付け、月1回のペースで都内から通うことにしたんです。最初のうちは、キュウリやナス、白菜など、さまざまな野菜を育てましたが、収穫のタイミングを逸したり、手入れが追いつかなかったりと大変。3年目以降は、月に1回の訪問でも育つ、ジャガイモやサツマイモなどの根菜を主力作物としています」

ありがたかったのは、設計関係の仕事をしている友人のAさんが趣旨に賛同してくれたこと。畑や造作関係で多大な力を発揮してくれているそうです。なんと、今ではHさんより訪問回数が多いとか。ほかにも、収穫の時期を中心に、多くの友人・知人が遊びに来てくれると言います。

最初のシーズンの収穫物。収穫時期を逸して、キュウリやナスが巨大化してしまった(画像提供/Hさん)

最初のシーズンの収穫物。収穫時期を逸して、キュウリやナスが巨大化してしまった(画像提供/Hさん)

友人のAさん(右)らとジャガイモを収穫。大勢来ても大丈夫なように、たくさんの作業着や長靴が用意されている(画像提供/Hさん)

友人のAさん(右)らとジャガイモを収穫。大勢来ても大丈夫なように、たくさんの作業着や長靴が用意されている(画像提供/Hさん)

農業どころか家庭菜園の経験もなかったHさん。最初は、ホームセンターで購入した苗を、プラスチックの黒いポットごと土に植えようとしていたほど。それが今では、たい肥を自作するまでになりました。

「ジャガイモの茎に、ミニトマトのような実がなって驚いたことがありましたが、ジャガイモもトマトも同じナス科の植物と知って納得。そんな、小さな気づきが、行くたびに生まれました。無農薬で育てた不格好な白菜が、虫の棲み処と化しているのを見たときは、農家さんの努力に頭が下がると同時に、スーパーに並ぶきれいな野菜は、どれだけ農薬を使っているのだろうか、と思ったり」

そうした害虫以上に手強いのが害獣だと、Hさんは力説します。

「新芽をすぐに摘んでしまう鹿や、土を掘り返す猪に対しては、畑に侵入しないよう、柵で囲うことで対抗したのですが、問題は猿との終わりなき攻防です。ご近所の方も、手を焼いているようでした。奴らは上から攻めてくるので、天井を含め、柵を全面ネットで覆うことで防御態勢を敷きました」

柵の中の作物を狙っている猿。人間が近づくとすぐに逃げるが、遠巻きに獲物を狙っている。こちらの画像は、動くものに反応してシャッターを切る「動物監視カメラ」で撮影(画像提供/Hさん)

柵の中の作物を狙っている猿。人間が近づくとすぐに逃げるが、遠巻きに獲物を狙っている。こちらの画像は、動くものに反応してシャッターを切る「動物監視カメラ」で撮影(画像提供/Hさん)

しかし、友人のAさんが、手間暇かけて育てたトウモロコシを、まさに収穫しにいったその日、猿の一団がナイロン製のネットを破って侵入。一瞬のスキをつかれ、すべて奪われてしまったのだと言います。

「ゆでたてのトウモロコシをつまみにビールを飲むことだけを楽しみにやってきたAさんの怒りは、その時、頂点に達しました。一方、私はといえば、猿と本気で戦っている自分たちの姿が、これまでの都会での生活とかけ離れているため、無性におかしくなり、笑いをこらえるのに必死でした。とはいえ、このまま手をこまねいているわけにもいかず、柵を全面、金網で囲うことにしたのです」
その後、半年かけて金網化を完了するものの、その翌年、まさかの大雪が。金網にしたことがあだとなり、柵は見事につぶれてしまいます。「本当にぺっちゃんこになってしまい、笑ってしまいました」とHさん。

積雪量が少ない地域にもかかわらず、数十年ぶりといわれる大雪に見舞われ、単管パイプ(足場パイプ)で組んでいた25mプールほどの大きさの柵が崩壊(画像提供/Hさん)

積雪量が少ない地域にもかかわらず、数十年ぶりといわれる大雪に見舞われ、単管パイプ(足場パイプ)で組んでいた25mプールほどの大きさの柵が崩壊(画像提供/Hさん)

その後、小さな柵を複数再建するも、今に至るまで、猿の軍団の遊び場と化している(画像提供/Hさん)

その後、小さな柵を複数再建するも、今に至るまで、猿の軍団の遊び場と化している(画像提供/Hさん)

新旧の友人が集う、大人の「秘密基地」として機能

それ以外にも「水道管が破裂した」「台風で屋根の瓦が吹っ飛んだ」「付近で山火事が起きた」「土砂崩れで道がふさがれた」「ネズミが食べ物を食い散らかした」など、行くたびにトラブルが生じます。しかし、そんな騒ぎも、楽しめるくらいたくましくなってきたとHさん。人里離れた、山暮らしの魅力とは何でしょうか。

夏から秋にかけてはスズメバチが活発化。日本酒やみりんでつくった自家製トラップの効果は高いが、軒下等に巣を見つけた場合は、シルバー人材センターなどに連絡して駆除してもらう(写真撮影/内海明啓)

夏から秋にかけてはスズメバチが活発化。日本酒やみりんでつくった自家製トラップの効果は高いが、軒下等に巣を見つけた場合は、シルバー人材センターなどに連絡して駆除してもらう(写真撮影/内海明啓)

「昔から、モノづくりやDIYに興味があったんです。けれど、都心の住宅地では、物音を立てるわけにはいきません。でも、ここでは、電気ノコギリや電動ドリル、エンジンチェーンソーを使っても、誰にも迷惑がかかりません。燻製やバーベキューなど、煙や臭いが出る調理もできるし、大音量で映画や音楽を楽しむこともできるんです」

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

屋外での調理やバーベキューでも、煙や臭いを心配する必要はなし(写真撮影/内海明啓)

屋外での調理やバーベキューでも、煙や臭いを心配する必要はなし(写真撮影/内海明啓)

Hさんたちがつくったのは、ウッドデッキをはじめ、テーブル、カウンター、石窯、アウトドアキッチン、ドラム缶風呂など、挙げればきりがありません。

「憧れだった電動工具をひと通りそろえました。コンクリートで基礎をつくるのも、昔からしてみたかったこと。今後は、溶接や鉄工に挑戦しようと思っています」

(画像提供/Hさん)

(画像提供/Hさん)

単管パイプと木材を併用して製作したウッドデッキ。母屋と庭を結ぶ大切な接点であり、憩いの場。この後、1.5倍に拡張したうえ、蚊帳や日除け、照明、ハンモックなどが吊るせるよう、柱と梁を設置した(画像提供/Hさん)

単管パイプと木材を併用して製作したウッドデッキ。母屋と庭を結ぶ大切な接点であり、憩いの場。この後、1.5倍に拡張したうえ、蚊帳や日除け、照明、ハンモックなどがつるせるよう、柱と梁を設置した(画像提供/Hさん)

自作の石窯はHさんの自信作。ただし、ピザを焼く適温の400度になかなか達しないのが悩み。改良の余地ありだとか(写真撮影/内海明啓)

自作の石窯はHさんの自信作。ただし、ピザを焼く適温の400度になかなか達しないのが悩み。改良の余地ありだとか(写真撮影/内海明啓)

裏の竹林から切り出した青竹でオリジナルの門松を製作。コストは限りなくタダに近い(画像提供/Hさん)

裏の竹林から切り出した青竹でオリジナルの門松を製作。コストは限りなくタダに近い(画像提供/Hさん)

先ほどから、料理の写真が続いていますが、Hさん自身は、決して料理が得意なわけではありません。都会の暮らしでは、なかなか味わえないような料理づくりも楽しみのひとつだとか。

「料理好きの友人が多いので、一緒になって、いろいろなことに挑戦しています。そば打ちや、手打ちうどん、流しそうめん、鯛の塩釜焼きといった和食から、自家製ソーセージやハンバーガー、パエリアやシュラスコなどの各国料理まで。七面鳥を焼くこともあるんです」

バウムクーヘンもづく作り。生地を塗った竹を炭火にかざし、回転させながら一層一層、焼き上げたのだそう(画像提供/Hさん)

バウムクーヘンも手づくり。生地を塗った竹を炭火にかざし、回転させながら一層一層、焼き上げたのだそう(画像提供/Hさん)

最近はパンづくりにも挑戦。ピザを焼いた後の石窯に発酵させたパン生地を投入し、鉄扉をとじるだけで見事な食パンが完成(画像提供/Hさん)

最近はパンづくりにも挑戦。ピザを焼いた後の石窯に発酵させたパン生地を投入し、鉄扉をとじるだけで見事な食パンが完成(画像提供/Hさん)

定番メニューと化しているという燻製。安いチーズやウインナーが極上のつまみになる(画像提供/Hさん)

定番メニューと化しているという燻製。安いチーズやウインナーが極上のつまみになる(画像提供/Hさん)

年に2回、農作物の「収穫祭」を実施。ここ数年は、現地に来られない人のために、収穫した作物を東京に持ち帰り、友人宅で豪華なホームパーティーを開催している(画像提供/Hさん)

年に2回、農作物の「収穫祭」を実施。ここ数年は、現地に来られない人のために、収穫した作物を東京に持ち帰り、友人宅で豪華なホームパーティーを開催している(画像提供/Hさん)

月1で通いだして3年目のこと。それまで携帯電話の電波もつながりづらかった土地に、光回線が開通し、インターネットが使えるようになりました。

「画期的な出来事でした。滞在期間中に急な仕事や作業が発生しても、都内の仕事場に戻らずにある程度の対応ができるようになりました。また、映画や音楽の配信サービスも利用できますから、大音量でそれらを楽しむこともできます。いずれにしろ、月に1回、リフレッシュする時間、空間があるというのは、都内で仕事をするうえでも貴重です」

二拠点生活をするようになって、話しのタネに困らなくなったと話すHさん。はじめて会う人でも、興味をもってくれる人が少なくないそう。交通の便がいいとは言えないものの、大勢の友人・知人が遊びに来てくれることが何よりうれしいとも。

「古い友人が訪ねてくれることもあります。知り合いが、その知り合いや家族を連れて来てくれることで、出会いも広がりました。単にうまい酒を飲みに来るのでもいいし、山登りやツーリング、釣りのついでに立ち寄るのでもいい。それぞれの人にとっての『秘密基地』として、機能してくれたらうれしいです」

バーカウンターにはウイスキーが並ぶ。「月に1回程度の訪問だから、封を開けてもボトルキープが利く蒸留酒がちょうどいいんです」とHさん(写真撮影/内海明啓)

バーカウンターにはウイスキーが並ぶ。「月に1回程度の訪問だから、封を開けてもボトルキープが利く蒸留酒がちょうどいいんです」とHさん(写真撮影/内海明啓)

ウッドデッキに照明を灯すと、おしゃれな雰囲気に。雲がないとプラネタリウムのような星空が広がる。初夏にはホタルが飛び交うシーンも(写真撮影/内海明啓)

ウッドデッキに照明を灯すと、おしゃれな雰囲気に。雲がないとプラネタリウムのような星空が広がる。初夏にはホタルが飛び交うシーンも(写真撮影/内海明啓)

夏に、一回り下の友人たちとした花火のひとコマ。世代に関係なく交流が広がっていく(画像提供/Hさん)

夏に、一回り下の友人たちとした花火のひとコマ。世代に関係なく交流が広がっていく(画像提供/Hさん)

祖父から引き継がれた家屋(現在はHさんの父親名義。Hさんは周辺の土地を所有)は、瓦の葺き替えや、井戸水ポンプの交換など、細かい修繕は必要なものの、大規模なリノベーションをしているわけではありません。身の丈にあわせて、コツコツのんびりやるのが性に合っているとのこと。必要以上にお金と手間をかけないことが長続きの秘訣なのでしょう。別荘みたいな使い方だけれど、それよりは頻繁に足を運ぶ大人の「秘密基地」。都会と田舎のいいとこ取り。そんなデュアルライフ(二拠点生活)を求めている人に、ヒントを与えてくれそうです。

デュアルライフ・二拠点生活[4] 千葉県香取市 将来の移住を見据え、都心のタワマンから週末滞在型農園に土いじりに通う

共働きのYさん夫妻のお住まいは、超都心のタワーマンションの高層階。仕事のため利便性重視で山手線沿線の住まいを購入したものの、一生住むつもりではない。将来移住するならば野菜づくりの趣味くらいあったほうがいいと千葉県香取市に居住スペースと畑を借り、毎週末自分の畑の手入れに通う。いわばプレ移住デュアラーであるYさんのライフスタイルをご紹介しよう。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。定年後の移住を視野に、趣味のアウトドアから土いじりにチャレンジ東京都港区のタワーマンションの高層階に愛犬とお住まいのYさんご夫妻(写真撮影/内海明啓)

東京都港区のタワーマンションの高層階に愛犬とお住まいのYさんご夫妻(写真撮影/内海明啓)

都心のタワーマンションに暮らし、ともに公務員として平日は仕事が忙しいというYさんご夫妻は、週末は千葉県香取市に借りた自分たちの畑で汗を流すという一面ももつデュアラーだ。お住まいは10年前に仕事のため利便性重視、資産価値が下がらないよう山手線駅最寄りで徒歩10分以内を条件に購入した港区のタワーマンション高層階。一方、今年4月から千葉県香取市が運営する滞在型市民農園「クラインガルテン栗源(くりもと)」を借り、ここにも自分たちの小屋と畑があるのだ。

休日は愛犬を連れてオートキャンプ、トレッキング、海や山などに出かけることが多かったお二人。「今は仕事があるから都心が便利でも、一生暮らすつもりはない」と、山か温暖な場所への移住を漠然と考えていた。東京都出身で特にほかに地縁があるわけではなく、八ヶ岳、鴨川、館山、などさまざまな場所にリサーチがてら出かけているうちに「定年後移住するなら、土いじりができたほうが楽しめそう」と思ったのが農業に興味をもつきっかけだったという。

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

それまではベランダのプランターで野菜をつくる程度だったので、きちんと学ぼうと早速行動開始。まずは夫が一人で農業体験教室へ。千葉県千葉市まで隔週で1年通い、約25万円かけて農業の基礎を学んだのが3年前だ。その後、学んだことを実践する場を探し、たまたまテレビ番組で紹介されていた滞在型市民農園を知り応募するが落選。代わりに千葉県の山奥の畑を1年契約7万円で借りたものの、畑の規模も小さく植えるものも決められていて自由度もなく物足りなかった。そこで1年後のこの4月に再度応募し、約310平米の敷地に畑と宿泊も可能な休憩小屋がセットされたひと区画を借り、デュアルライフが始まった。

畑110平米と休憩小屋35平米と庭のセットで約310平米ひと区画がY夫妻の専用スペース(写真撮影/内海明啓)

畑110平米と休憩小屋35平米と庭のセットで約310平米ひと区画がY夫妻の専用スペース(写真撮影/内海明啓)

週末早朝に都心を出発し、愛犬と畑仕事に一日を費やし暮らしにメリハリ

クラインガルテン栗源は、畑スペースと休憩小屋のセットが全20区画、さらに共同の畑や集会所などの共用スペースもある香取市が運営するコミュニティだ。年間40万円と2.4万円の共益費(電気・ガスは別途)で、最長5年間借りることができる、いわばプチ農業体験スペース。農業に必要な肥料や耕運機などの工具も共用で用意され、地元の農家の方に農業指導をしてもらう機会もある。「道具を一からそろえる必要もなく、気軽にスタートできました。農業といえるほどの畑の広さではありませんが、季節ごとに植える物の場所や配分を計画するのが楽しいです」と夫。

共同利用農業器具、ビニールハウス、洗い場など基本的なものは共用部分にそろっているため、初心者でも手軽に畑仕事をスタートしやすい環境だ(写真撮影/内海明啓)

共同利用農業器具、ビニールハウス、洗い場など基本的なものは共用部分にそろっているため、初心者でも手軽に畑仕事をスタートしやすい環境だ(写真撮影/内海明啓)

現在のYさん夫妻の週末のライフスタイルはこうだ。愛犬を連れて土曜日早朝に都心を車で出発し、香取市に着いたら自分の庭で畑を眺めながら朝食。途中、昼食休憩をはさんで、午前と午後は畑仕事に集中。暗くなるまで作業をしたら、帰路の渋滞の様子を見ながら畑からの収穫物を持ってその日のうちにマンションに戻る。土曜日が雨なら日曜日、必ず週1回は訪れる。

いざ畑仕事を始めると、それぞれの役割分担を黙々と集中してやる、というお二人。実は虫が苦手という妻の手つきもなかなかのもの(写真撮影/内海明啓)

いざ畑仕事を始めると、それぞれの役割分担を黙々と集中してやる、というお二人。実は虫が苦手という妻の手つきもなかなかのもの(写真撮影/内海明啓)

自分たち専用の空間があることで、農地だけを借りていた昨年とは使い勝手が全く違うという。軽く調理して食事、農作業後のシャワー、休憩、必要な荷物を置いておくこともできる。「それでも、実はまだ宿泊したことはありません。その日のうちに都内に戻ったほうが、翌日も有効に使えるからです」。週末の楽しみができたことで、メリハリのある生活になったという。

専用の室内は35平米とコンパクトながら約10畳のリビングと水まわり(キッチン・バス・洗面・トイレ)も一通りそろい、エアコン付き。休憩はもちろん、宿泊も可能な快適さだ(写真撮影/内海明啓)

専用の室内は35平米とコンパクトながら約10畳のリビングと水まわり(キッチン・バス・洗面・トイレ)も一通りそろい、エアコン付き。休憩はもちろん、宿泊も可能な快適さだ(写真撮影/内海明啓)

移住お試し期間で畑やコミュニティを楽しみ将来の選択肢を広げるYさんの区画は全20区画並ぶクラインガルテン栗源のなかで一番共用スペース寄りのため、通りがかるほかの住人とも顔を合わす機会も多く、思いのほかコミュニケーションが増えたという(写真撮影/内海明啓)

Yさんの区画は全20区画並ぶクラインガルテン栗源のなかで一番共用スペース寄りのため、通りがかるほかの住人とも顔を合わす機会も多く、思いのほかコミュニケーションが増えたという(写真撮影/内海明啓)

毎週通うようになって、同じクラインガルテン栗源の住人たちとのお付き合いも始まった。畑仕事という共通の趣味があるため、年齢や職業や住んでいる場所など一切関係なく話が弾むという。「畑の先輩たちが多いので、親切にいろいろ教えてもらって助かっています」と夫。都心のマンション暮らしにはコミュニティがないし、移住していきなりディープなコミュニティに入れるかどうかの不安もある。そんななか、共通の趣味を通じた週末畑仕事のデュアルライフはまさにイイトコ取りで、コミュニケーションもライフスタイルも楽しんでいる。

農作物は生き物でどんどん育つため、連休でキャンプなどに遠出しても、その帰りには必ず通っているという。「大変ですが、世話する喜びもあります。農作物を上手に育てるコツは丁寧に世話することですから」と夫。

今回の瑞々しい収穫物。初年から豊作で、家族では食べきれず職場やご近所の方々に配ったという(写真撮影/内海明啓)

今回の瑞々しい収穫物。初年から豊作で、家族では食べきれず職場やご近所の方々に配ったという(写真撮影/内海明啓)

農業の学校にまで通ったアウトドア派の夫に対し、実は虫が苦手だという妻。「虫は今も嫌いだけど、虫も農作業もだいぶ慣れました(笑)。作物は待ってくれないのでいつも追われて大変なことが多いですが、その分収穫の喜びは大きいですね」という。

移住を考えるために、自分たちに実際何ができて何ができないかを見極めたいというお二人。「定年はまだ先ですがそれに縛られず臨機応変に早めに探してもいいし、将来の可能性を広げておきたいですね」と夫。プレ移住デュアルライフによって、お二人の将来計画のイメージはより具体的になってきているようだ。

お二人が畑作業中、愛犬は庭の一角に設けたドッグランで自由に過ごす。普段はマンション暮らしだけに土の上を走り回ることができてうれしそうだという(写真撮影/内海明啓)

お二人が畑作業中、愛犬は庭の一角に設けたドッグランで自由に過ごす。普段はマンション暮らしだけに土の上を走り回ることができてうれしそうだという(写真撮影/内海明啓)

●取材協力
・滞在型市民農園 クラインガルテン栗源(平成31年度の募集は1月23日まで)

デュアルライフ・二拠点生活[3]南伊豆の廃墟同然の空き家を絶景の夢の家に再生、大自然に囲まれオンオフを切り替える

吉祥寺にお住まいの坂田さん夫妻が、3年前海水浴帰りに運命の出会いをしたのが南伊豆にある視界一面に海が広がる崖に建つ家。初めて訪れたときは、長く空き家だったため草木に覆われ廃屋同然だったというが、その大自然に一目惚れ。DIYと地元の大工さんの協力で見事に蘇ったガラス張りのモダンな建物での自然癒やされデュアルライフ、ご紹介します。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。ダイナミックな自然に囲まれた空き家に一目惚れ、その日のうちに購入を決定海に面した急な崖に建つ全面ガラス張りの外観が印象的な南伊豆の坂田夫妻宅(画像提供/坂田華)

海に面した急な崖に建つ全面ガラス張りの外観が印象的な南伊豆の坂田夫妻宅(画像提供/坂田華)

坂田夫妻の住まいで特に印象的なのは、海に突き出すようなウッドデッキ。「この部分は新しくつくったのですが、第二のリビングとして大活躍です」

坂田夫妻の住まいで特に印象的なのは、海に突き出すようなウッドデッキ。「この部分は新しくつくったのですが、第二のリビングとして大活躍です」

坂田夫妻と南伊豆のクリフハウスとの出会いは3年前の夏。秋に結婚式を控え、新居は実家にも近い吉祥寺の賃貸一戸建てに決まっていた。当初は購入も考えたが、都内で条件に合う広い家は無理だと判断した。暮らす拠点は決まったものの、夫婦ともに大の自然好き。夫のBさんは「婚約指輪の代わりに滝のある森林でも買おうか」と本気で言うほどだ。大都市だけに住むということになんとなく違和感があったし、映像関係の自由度の高い仕事なので東京に縛られることなく、賃貸でない自分たちの居場所も欲しかった。

そんなとき、下田での海水浴帰りに出会ったのが、海と山に囲まれ周りには家もない、まさに理想的な環境の崖に建つ別荘。10年近く空き家だったため、1000平米もある広い敷地内には草木が森のように茂り、1時間半かけてようやく見つけた小さな建物のドアは外れ、ガラス窓は割れ、鉄筋はさび、蔦に覆われ、文字通り廃墟同然。野生動物の巣になっていたらしく家の中に蛇までいて、床も泥だらけだった。

購入時の建物は、鉄筋はさび、ガラスも割れ、室内は野生動物に荒らされ「まさに廃墟同然だった」という(画像提供:坂田華)

購入時の建物は、鉄筋はさび、ガラスも割れ、室内は野生動物に荒らされ「まさに廃墟同然だった」という(画像提供:坂田華)

それでも建物を見つけたときにトキメキを感じ、「二人同時に恋に落ちた」というまさに一目惚れ。廃墟同然の家でも「今から思えばデザインの力でしょう、昔はすごかっただろう雰囲気にピンときて、この家を以前の姿に再生してあげたいと強く感じました」と華さん。売り出し価格は900万円台。初めて訪れた場所で地縁もなかったが、その日のうちに購入を決めた。結婚を控えた30代の二人に資金的なゆとりはなく、ハネムーンや婚約指輪もこの購入費用に充てられた。

大自然に覆われた廃墟がDIYと改修工事で絶景の夢の家に蘇る
全面ガラス張りのモダンな家と広々ウッドデッキとパノラマの海崖に建つ家の前は一面の海、裏には山が連なる、大自然に囲まれたまさに理想的な環境。ただし草木が生い茂って蔦に絡まれた家からは、当初この景色は見えなかった

崖に建つ家の前は一面の海、裏には山が連なる、大自然に囲まれたまさに理想的な環境。ただし草木が生い茂って蔦に絡まれた家からは、当初この景色は見えなかった

海に突き出すウッドデッキで。豊かな南伊豆の食材でのBBQは格別

海に突き出すウッドデッキで。豊かな南伊豆の食材でのBBQは格別

購入しても改修工事の資金はなく、貯めるまでの約1年間は毎週末二人で現地に出かけてDIY。ボロボロでとても人が住める状態ではなかったためキャンプのように家の中にテントを張り、割れた窓をポリカーボネートとガムテープで塞いだり、泥だらけの床を高圧洗浄機で何度も何度も掃除したり、ジャングル状態の蔦を取り払うなど、自分たちでできることは全てやった。

夫婦でできるところからDIYで改修を始める。通路をつくり、絡まった蔦を取り払うと、目の前には絶景の海が現れた(画像提供:坂田華)

夫婦でできるところからDIYで改修を始める。通路をつくり、絡まった蔦を取り払うと、目の前には絶景の海が現れた(画像提供:坂田華)

身内には「返品してきなさい」、大工さんにも「あの物件買っちゃったの」、と言われるほど、改修困難な物件だった。実際見積もりをすると新築より高い3500万円と言われたこともあり、誰もが「直すにはお金がかかりすぎる」と反対した。しかし二人は直感を信じて夢の家通いとDIYを続けた。通ううちに地元の方々との交流も増え、「ユリを植えると球根を猪が食べに来て、石垣が破壊されるからやめたほうがいい」など地元ならではのアドバイスに助けられた。そこから良心的な大工さんにも巡り合い、購入1年後に建物本体の改修工事とウッドデッキ新設を依頼。工事期間も、進捗状況を見るのが楽しみで毎週末現地に通った。

そうして蘇ったのが絶景のクリフサイドハウス。1969年築と、築50年に近いとは思えないモダンな建物と海に突き出す広々したウッドデッキ、まさに夢の家だ。華さんはパソコンさえあれば仕事場所は問わないため、完成後は平日ほとんどをここで過ごすほどだった。「朝日で目が覚める、目の前に海が広がっている、猿が屋根で飛び回る、沈む夕日の美しさにハッとする……。時間がゆったり流れ、自然の中にいるだけで生き返る気がします。都会だけで生活していたときに比べメリハリがついて、仕事にもより集中できるようになりました」

蘇った崖に建つガラス張りの家と新設した海に突き出すウッドデッキ(写真提供/坂田華)

蘇った崖に建つガラス張りの家と新設した海に突き出すウッドデッキ(写真提供/坂田華)

大自然の中でオンオフ切り替え。使わないときは民泊としても利用しフル活用海に面したダイニングでブランチの準備をする華さん。仲良くなった地元のかたから魚や貝を分けてもらうこともあり、それら現地の食材で料理するのも楽しみのひとつ。また広い敷地内にはさまざまな植物があり、みかんも豊作だった

海に面したダイニングでブランチの準備をする華さん。仲良くなった地元のかたから魚や貝を分けてもらうこともあり、それら現地の食材で料理するのも楽しみのひとつ。また広い敷地内にはさまざまな植物があり、みかんも豊作だった

海に面したダイニングでブランチの準備をする華さん。仲良くなった地元のかたから魚や貝を分けてもらうこともあり、それら現地の食材で料理するのも楽しみのひとつ。また広い敷地内にはさまざまな植物があり、みかんも豊作だった

改修工事が終わって住めるようになってからも、DIY仕事はいまだに尽きることはない。玄関まわりのアプローチや外構の整備、埋まっていた階段を掘り返す、草を刈る、など、時には家族や友人も動員して行った。広大な庭の手入れをして、季節ごとに咲く花を見て回り、果実を収穫するのも楽しみのひとつ。特に予定がなくても、現地に行くだけで空気が違うので浄化される。海に突き出した絶景のウッドデッキでのブランチや、ハンモックでの休憩が最高のご褒美だ。

お二人のお気に入りは絶景のウッドデッキで過ごすこと

お二人のお気に入りは絶景のウッドデッキで過ごすこと

現在は利用していないときは民泊として貸し出し、こちらも絶景ゆえに大人気。愛着のある家を他人に貸すというのは気がかりも多いだろうが「多くの人に利用してもらうことで家も活気づき、輝きを増す気がします。この夏は人気のホテル並みに宿泊希望が入ってびっくり。自分たちが使う暇がないくらいでした」。この収入は、全てこの家の改修に還元され、手を付けたいところがたくさんあるので助かっているという。

吉祥寺が生活の拠点であるならば、二拠点目の南伊豆は理想通りの自然に囲まれた夢の家。ここに来れば、心が解放され、夫婦の会話も弾む、リラックス空間としてだけでなく、クリエイティブな仕事もはかどる、最強の仕事場としても機能している。また何よりも巣づくり優先になったので、無駄遣いもしなくなったという。「出来上がるまでの過程も、ここで過ごす時間もどれもとにかく楽しいです。旅行と違って思い立ったときに渋滞を避けて行き帰りできるし、自分たちが時間と手間をかけた家だからこそ思い入れも全く違います」と華さん。デュアルライフはパワフルに人生を楽しむお二人にとって、自然に癒やされパワーチャージする必然の選択だったようだ。

デュアルライフ・二拠点生活[3]南伊豆の廃墟同然の空き家を絶景の夢の家に再生、大自然に囲まれオンオフを切り替える

吉祥寺にお住まいの坂田さん夫妻が、3年前海水浴帰りに運命の出会いをしたのが南伊豆にある視界一面に海が広がる崖に建つ家。初めて訪れたときは、長く空き家だったため草木に覆われ廃屋同然だったというが、その大自然に一目惚れ。DIYと地元の大工さんの協力で見事に蘇ったガラス張りのモダンな建物での自然癒やされデュアルライフ、ご紹介します。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。ダイナミックな自然に囲まれた空き家に一目惚れ、その日のうちに購入を決定海に面した急な崖に建つ全面ガラス張りの外観が印象的な南伊豆の坂田夫妻宅(画像提供/坂田華)

海に面した急な崖に建つ全面ガラス張りの外観が印象的な南伊豆の坂田夫妻宅(画像提供/坂田華)

坂田夫妻の住まいで特に印象的なのは、海に突き出すようなウッドデッキ。「この部分は新しくつくったのですが、第二のリビングとして大活躍です」

坂田夫妻の住まいで特に印象的なのは、海に突き出すようなウッドデッキ。「この部分は新しくつくったのですが、第二のリビングとして大活躍です」

坂田夫妻と南伊豆のクリフハウスとの出会いは3年前の夏。秋に結婚式を控え、新居は実家にも近い吉祥寺の賃貸一戸建てに決まっていた。当初は購入も考えたが、都内で条件に合う広い家は無理だと判断した。暮らす拠点は決まったものの、夫婦ともに大の自然好き。夫のBさんは「婚約指輪の代わりに滝のある森林でも買おうか」と本気で言うほどだ。大都市だけに住むということになんとなく違和感があったし、映像関係の自由度の高い仕事なので東京に縛られることなく、賃貸でない自分たちの居場所も欲しかった。

そんなとき、下田での海水浴帰りに出会ったのが、海と山に囲まれ周りには家もない、まさに理想的な環境の崖に建つ別荘。10年近く空き家だったため、1000平米もある広い敷地内には草木が森のように茂り、1時間半かけてようやく見つけた小さな建物のドアは外れ、ガラス窓は割れ、鉄筋はさび、蔦に覆われ、文字通り廃墟同然。野生動物の巣になっていたらしく家の中に蛇までいて、床も泥だらけだった。

購入時の建物は、鉄筋はさび、ガラスも割れ、室内は野生動物に荒らされ「まさに廃墟同然だった」という(画像提供:坂田華)

購入時の建物は、鉄筋はさび、ガラスも割れ、室内は野生動物に荒らされ「まさに廃墟同然だった」という(画像提供:坂田華)

それでも建物を見つけたときにトキメキを感じ、「二人同時に恋に落ちた」というまさに一目惚れ。廃墟同然の家でも「今から思えばデザインの力でしょう、昔はすごかっただろう雰囲気にピンときて、この家を以前の姿に再生してあげたいと強く感じました」と華さん。売り出し価格は900万円台。初めて訪れた場所で地縁もなかったが、その日のうちに購入を決めた。結婚を控えた30代の二人に資金的なゆとりはなく、ハネムーンや婚約指輪もこの購入費用に充てられた。

大自然に覆われた廃墟がDIYと改修工事で絶景の夢の家に蘇る
全面ガラス張りのモダンな家と広々ウッドデッキとパノラマの海崖に建つ家の前は一面の海、裏には山が連なる、大自然に囲まれたまさに理想的な環境。ただし草木が生い茂って蔦に絡まれた家からは、当初この景色は見えなかった

崖に建つ家の前は一面の海、裏には山が連なる、大自然に囲まれたまさに理想的な環境。ただし草木が生い茂って蔦に絡まれた家からは、当初この景色は見えなかった

海に突き出すウッドデッキで。豊かな南伊豆の食材でのBBQは格別

海に突き出すウッドデッキで。豊かな南伊豆の食材でのBBQは格別

購入しても改修工事の資金はなく、貯めるまでの約1年間は毎週末二人で現地に出かけてDIY。ボロボロでとても人が住める状態ではなかったためキャンプのように家の中にテントを張り、割れた窓をポリカーボネートとガムテープで塞いだり、泥だらけの床を高圧洗浄機で何度も何度も掃除したり、ジャングル状態の蔦を取り払うなど、自分たちでできることは全てやった。

夫婦でできるところからDIYで改修を始める。通路をつくり、絡まった蔦を取り払うと、目の前には絶景の海が現れた(画像提供:坂田華)

夫婦でできるところからDIYで改修を始める。通路をつくり、絡まった蔦を取り払うと、目の前には絶景の海が現れた(画像提供:坂田華)

身内には「返品してきなさい」、大工さんにも「あの物件買っちゃったの」、と言われるほど、改修困難な物件だった。実際見積もりをすると新築より高い3500万円と言われたこともあり、誰もが「直すにはお金がかかりすぎる」と反対した。しかし二人は直感を信じて夢の家通いとDIYを続けた。通ううちに地元の方々との交流も増え、「ユリを植えると球根を猪が食べに来て、石垣が破壊されるからやめたほうがいい」など地元ならではのアドバイスに助けられた。そこから良心的な大工さんにも巡り合い、購入1年後に建物本体の改修工事とウッドデッキ新設を依頼。工事期間も、進捗状況を見るのが楽しみで毎週末現地に通った。

そうして蘇ったのが絶景のクリフサイドハウス。1969年築と、築50年に近いとは思えないモダンな建物と海に突き出す広々したウッドデッキ、まさに夢の家だ。華さんはパソコンさえあれば仕事場所は問わないため、完成後は平日ほとんどをここで過ごすほどだった。「朝日で目が覚める、目の前に海が広がっている、猿が屋根で飛び回る、沈む夕日の美しさにハッとする……。時間がゆったり流れ、自然の中にいるだけで生き返る気がします。都会だけで生活していたときに比べメリハリがついて、仕事にもより集中できるようになりました」

蘇った崖に建つガラス張りの家と新設した海に突き出すウッドデッキ(写真提供/坂田華)

蘇った崖に建つガラス張りの家と新設した海に突き出すウッドデッキ(写真提供/坂田華)

大自然の中でオンオフ切り替え。使わないときは民泊としても利用しフル活用海に面したダイニングでブランチの準備をする華さん。仲良くなった地元のかたから魚や貝を分けてもらうこともあり、それら現地の食材で料理するのも楽しみのひとつ。また広い敷地内にはさまざまな植物があり、みかんも豊作だった

海に面したダイニングでブランチの準備をする華さん。仲良くなった地元のかたから魚や貝を分けてもらうこともあり、それら現地の食材で料理するのも楽しみのひとつ。また広い敷地内にはさまざまな植物があり、みかんも豊作だった

海に面したダイニングでブランチの準備をする華さん。仲良くなった地元のかたから魚や貝を分けてもらうこともあり、それら現地の食材で料理するのも楽しみのひとつ。また広い敷地内にはさまざまな植物があり、みかんも豊作だった

改修工事が終わって住めるようになってからも、DIY仕事はいまだに尽きることはない。玄関まわりのアプローチや外構の整備、埋まっていた階段を掘り返す、草を刈る、など、時には家族や友人も動員して行った。広大な庭の手入れをして、季節ごとに咲く花を見て回り、果実を収穫するのも楽しみのひとつ。特に予定がなくても、現地に行くだけで空気が違うので浄化される。海に突き出した絶景のウッドデッキでのブランチや、ハンモックでの休憩が最高のご褒美だ。

お二人のお気に入りは絶景のウッドデッキで過ごすこと

お二人のお気に入りは絶景のウッドデッキで過ごすこと

現在は利用していないときは民泊として貸し出し、こちらも絶景ゆえに大人気。愛着のある家を他人に貸すというのは気がかりも多いだろうが「多くの人に利用してもらうことで家も活気づき、輝きを増す気がします。この夏は人気のホテル並みに宿泊希望が入ってびっくり。自分たちが使う暇がないくらいでした」。この収入は、全てこの家の改修に還元され、手を付けたいところがたくさんあるので助かっているという。

吉祥寺が生活の拠点であるならば、二拠点目の南伊豆は理想通りの自然に囲まれた夢の家。ここに来れば、心が解放され、夫婦の会話も弾む、リラックス空間としてだけでなく、クリエイティブな仕事もはかどる、最強の仕事場としても機能している。また何よりも巣づくり優先になったので、無駄遣いもしなくなったという。「出来上がるまでの過程も、ここで過ごす時間もどれもとにかく楽しいです。旅行と違って思い立ったときに渋滞を避けて行き帰りできるし、自分たちが時間と手間をかけた家だからこそ思い入れも全く違います」と華さん。デュアルライフはパワフルに人生を楽しむお二人にとって、自然に癒やされパワーチャージする必然の選択だったようだ。

デュアルライフ・二拠点生活[2] 長野県小布施 自分のスキルが地域の役に立つ感覚、刺激的な人とのつながりは都会生活だけでは得られない

普段は東京のデザイン会社でデザイナーとして企業の価値創造のためのデザイン に携わる丸山拓哉さん(35)は、ふとしたことから長野県・小布施町を知り、この町で地域振興に携わるようになりました。川崎市に住む丸山さんですが、今では小布施町に定期的に滞在するというデュアルライフを実現しています。
現在の生活や思いについて、小布施町のコワーキングスペース「ハウスホクサイ」で丸山さんに話を伺いました。

連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます若者会議から生まれた小布施町のコワーキングスペースをデザインプロフィール/丸山拓哉さんは、ハウスホクサイのチーフデザイナー。石川県・金沢市の美術大学を卒業し、いくつかの企業を経て、東京、銀座のデザイン会社に勤務。川崎市で妻と二人住まい 。(写真撮影/内海明啓)

プロフィール/丸山拓哉さんは、ハウスホクサイのチーフデザイナー。石川県・金沢市の美術大学を卒業し、いくつかの企業を経て、東京、銀座のデザイン会社に勤務。川崎市で妻と二人住まい(写真撮影/内海明啓)

丸山さんが小布施町を知ったのは2年ほど前。六本木ミッドタウンで開催されていた地域の町づくりを紹介する催しを見たことからです。「そこで、『小布施若者会議』というイベントがあることを知りました」と丸山さんは語ります。

これは、小布施町に若者を集め、2泊3日を一緒に過ごす間、地域のありかたを議論し、地域活性化のアイデアを出すプログラムです。「不思議なことをやってる町があるな、というのが最初の印象でした。著名人の講演会など、議論と提案だけで終わってしまうイベントは多いのですが、小布施若者会議では若者の発想を活かし、実践するところに新鮮さを感じました」

もともと町づくりに関心のあった丸山さんは、この若者会議に参加しました。「30人以上が集まり、教育・観光などのテーマに沿って、6人毎のチームに分かれて議論をするのですが、そのチームのなかで僕は最年長でした。ウェブ開発者、SE、デザイナーなどクリエイティブ職の人が多く、大学生もいました。そこから出てきたアイデアが、『ハウスホクサイ』です。

町民向けのギャラリースペースを、宿泊施設が隣接したコワーキングスペースという創造活動の拠点にも使えるように改装したハウスホクサイ。小布施若者会議でのアイデアが形になった(写真撮影/内海明啓)

町民向けのギャラリースペースを、宿泊施設が隣接したコワーキングスペースという創造活動の拠点にも使えるように改装したハウスホクサイ。小布施若者会議でのアイデアが形になった(写真撮影/内海明啓)

小布施若者会議がきっかけでできたハウスホクサイは、小布施町の利用率の低下が課題だった町民向けの施設を改装してできたコワーキングスペース。若者会議でこうした場をつくるアイデアが出て、小布施町との協議を重ねて実現したものです。地元の会員もいますが、2階は町営の宿泊施設になっているので、海外や都心からの利用者も寝泊まりでき、長期的な利用も可能です。

丸山さんはハウスホクサイのチーフデザイナーとして、ロゴ・名刺・告知媒体のデザイン・オフィスレイアウト・内装デザイン・インテリアデザインなど幅広く手がけてきました。これを機に小布施町に人のつながりもでき、今、月に1回ほどのペースで小布施町に滞在し、他のメンバーと企画や運営に携わっています。自宅の川崎市と、勤務地である東京・銀座、そしてそこに小布施町での活動が加わり、まさにデュアルライフを実践中です。

ハウスホクサイの1階。2階は利用者が宿泊できる町営の宿泊施設がある。1日単位のゲスト利用ができ、また会員となって定期利用をすることも可能 (写真撮影/内海明啓)

ハウスホクサイの1階。2階は利用者が宿泊できる町営の宿泊施設がある。1日単位のゲスト利用ができ、また会員となって定期利用をすることも可能(写真撮影/内海明啓)

ハウスホクサイのある小布施町は年間95万から100万人の観光客が訪れる。名産の栗と花で知られ、秋は観光の最盛期だ。周辺は歴史あり自然ありの豊かな環境 (写真撮影/内海明啓)

ハウスホクサイのある小布施町は年間95万から100万人の観光客が訪れる。名産の栗と花で知られ、秋は観光の最盛期だ。周辺は歴史あり自然ありの豊かな環境 (写真撮影/内海明啓)

最大の動機は自己実現の場を求めていたこと

丸山さんは当初は、特に二拠点生活をするつもりはなかったそうです。それが実際にはそうなったのはなぜでしょうか。

「最も大きな動機は、デザイナーとしての能力や可能性を、東京での普段の仕事とは別の形で活かせる場所が欲しかったことです。一種の自己実現と言えるかもしれません」

スケジュールに追われてアウトプットが続くこともある東京の仕事のなかで、自分から進んでインプットをする必要性を強く感じていたことも、動機の一つだったそうです。

ハウスホクサイでは内装やイベント告知など、さまざまなデザインに取り組む丸山さん。ハウスホクサイのチーフデザイナーとして、デザイン全般を担当。現在は、カフェスタンドのデザインを作成中(写真撮影/内海明啓)

ハウスホクサイでは内装やイベント告知など、さまざまなデザインに取り組む丸山さん。ハウスホクサイのチーフデザイナーとして、デザイン全般を担当。現在は、カフェスタンドのデザインを作成中(写真撮影/内海明啓)

丸山さんは愛知県の出身で、小布施町には縁もゆかりもありませんでした。しかし小布施町にかかわった経験から、全く新しい環境で活動を始めるほうが、デュアルライフの拠点には望ましいのでは、と語ります。

「出身地などを拠点の一つにするやりかたもありますが、地縁や血縁のある地域は自由に活動しにくいこともあります 。むしろ、僕を誰も知らない土地でコミュニティに参加するほうがいろいろなことができると思います」

もちろんこれが閉鎖的な地域ではむずかしいのですが、その点、小布施町には非常にオープンな風土があります。

小布施町は、古くから交通の要衝であり、晩年の葛飾北斎が滞在して天井画を制作するなど、外から人が来ることにあまり抵抗がないという気風があります。それに加え、小布施町が外部人材を受け入れやすくしている大きな要因が市村良三町長です。市村町長は、小布施町で「若者版ダボス会議」をやりたいと考えていたなど、町外とのかかわりに積極姿勢で臨みました。

実際に日米学生会議の受け入れ、高校生向け国際サマースクール HLAB の開催など、市村町長のリーダーシップによって実現。この10年ほどで、地域や都市を研究する大学生、研究者などが頻繁に訪れるという若者にとっても開放的な町となりました。

ハウスホクサイでは定期的にイベントを開き、自分の活動などをシェアする機会を設けている。参加者は都心で仕事している若手社会人、地元で活動しているメンバーなどさまざま(写真提供/ハウスホクサイ 写真撮影/Shiho Yokoyama)

ハウスホクサイでは定期的にイベントを開き、自分の活動などをシェアする機会を設けている。参加者は都心で仕事している若手社会人、地元で活動しているメンバーなどさまざま(写真提供/ハウスホクサイ 写真撮影/Shiho Yokoyama)

小布施町は1980年から小布施町並み修景事業として、景観への配慮を打ち出し、それが町のそこかしこに感じられる(写真撮影/内海明啓)

小布施町は1980年から小布施町並み修景事業として、景観への配慮を打ち出し、それが町のそこかしこに感じられる(写真撮影/内海明啓)

丸山さんとともにハウスホクサイにかかわり、小布施町の観光DMO事務局の仕事を任されている谷口優太さん(25)は、こう説明します。

「小布施町は行政も住民もオープンマインドな方が多いです。小布施では“観光”でなく“交流と協働”という言葉を使います。見て帰っておしまいでなく、外の人が地域の人々とかかわりあうことを重視しているからです。長野県で最も面積の小さな町ですが、子連れで移住してくる人、新しく農業を始める人、起業する人など若い世代で移住してくる世帯も多くいます」

谷口さん自身、学生時代に高校生向けの国際英語サマースクールHLABの事業に携わっていた関係で、小布施町を初めて訪れました。大学卒業後、海外の旅行情報サイト運営会社に勤務した後、小布施町で開催されたスラックラインワールドカップのボランティアを契機に小布施に惹かれ、移住しました。

(写真撮影/内海明啓)

(写真撮影/内海明啓)

丸山さんと一緒にハウスホクサイを立ち上げ、ハウスホクサイを運営する法人の代表理事である塩澤耕平さん(31)も、現在は小布施に移住しています。長野県駒ヶ根市の出身で、これまで、IT系企業や在宅医療診療所で新規事業を担当していました。

「30歳を契機に会社から独立して、実家で土蔵を改装したカフェを始めようと考えていたのです。なので、若者会議での提案も、最初は半信半疑でした。丸山さんと『DIYで場所づくりだけ形にできたら合格点だよね』と話していたのです(笑)。しかし、出来上がってくる場所、丸山さんを始めかかわってくれる人たちの応援によって、徐々に意識が変わり、『法人を立ち上げて、運営までやってみよう』と思うようになりました」

塩澤さんは2017年2月の若者会議の参加をきっかけに小布施町とかかわり始め、同年12月に移住するまでは、東京・世田谷区の自宅と小布施町を行き来するデュアルライフを送っていました。

「この期間は小布施町の友人宅に93泊していました。「移住しなよ!」と簡単に言う人がいますが、移住は簡単に決断できるようなことではないと思います。だからグラデーションの期間があることは大事です。家族の理解を得たり、移住先のネットワークを構築して、自分の事業を考える期間をつくるという点でも二拠点居住は役立ちます」

ハウスホクサイ(写真撮影/内海明啓)

ハウスホクサイ(写真撮影/内海明啓)

塩澤さんは、ハウスホクサイの管理運営以外にも、小布施町の地域おこし協力隊でクリエイターと小布施をつなぐ仕事もされています。また、東京でのEC事業もフリーランスとしてやられているとのことで、兼業を組み合わせて事業と生活のポートフォリオをつくっているそうです。

丸山さんと塩澤耕平さん(中央)、谷口優太さん(向かって右)。塩澤さんは丸山さんと「小布施若者会議」で出会い、ハウスホクサイの立ち上げからかかわった。谷口さんは、小布施町で開催されたスラックラインのワールドカップで小布施町との縁が深まって移住を決めたという(写真撮影/内海明啓)

丸山さんと塩澤耕平さん(中央)、谷口優太さん(向かって右)。塩澤さんは丸山さんと「小布施若者会議」で出会い、ハウスホクサイの立ち上げからかかわった。谷口さんは、小布施町で開催されたスラックラインのワールドカップで小布施町との縁が深まって移住を決めたという(写真撮影/内海明啓)

丸山さんは、小布施町での生活や経験が、東京での仕事にも役立っていると語ります。

「以前と比べ、社内でのチーム形成や、業務改善の方法などをより強く考えるようになったと思いますね。小布施町では、普段の東京の仕事のなかでは接することがないタイプの人に出会えることが多いのですが、“やるべき”だけでなく、内面からの“やりたい”を意識して、物事に取り組んでいらっしゃる方が多いように感じます。そんな環境のなかで得たいろいろな新しい経験を社内で共有して、チーム成長のきっかけにすることも、会社での僕の役割だと感じています」

小布施町のまちづくりは全国的に注目され、クリエイターの拠点として、ハウスホクサイにも訪問者が訪れることもある。丸山さんたちは、「内と外」の両方視点をもって、この事業の意義を説明する(写真撮影/内海明啓)

小布施町のまちづくりは全国的に注目され、クリエイターの拠点として、ハウスホクサイにも訪問者が訪れることもある。丸山さんたちは、「内と外」の両方視点をもって、この事業の意義を説明する(写真撮影/内海明啓)

岡山県の片山工業株式会社が開発した、ステップに足を乗せ、左右交互に踏み込んで走るウォーキング・バイシクル。小布施町で観光や健康利用のための実証が行われている。この地ではこのような新規性の高い取り組みに積極的。再生可能エネルギーを活用した新しい地域新電力の取り組みなども始まっている(写真撮影/内海明啓)

岡山県の片山工業株式会社が開発した、ステップに足を乗せ、左右交互に踏み込んで走るウォーキング・バイシクル。小布施町で観光や健康利用のための実証が行われている。この地ではこのような新規性の高い取り組みに積極的。再生可能エネルギーを活用した新しい地域新電力の取り組みなども始まっている(写真撮影/内海明啓)

●取材協力
一般社団法人ハウスホクサイ
>HP 

デュアルライフ・二拠点生活[1] 南房総に飛び込んで生まれた、新しい人間関係や価値観

今までにない、デュアルライフ(二拠点生活)で、人生を充実させている人が増えています。その一人が、川鍋宏一郎さん(34)。東京に本社のある外資系IT企業に勤務し、横浜市内の自宅で四人家族で生活していますが、2年ほど前から、毎週末は、千葉県南房総のもう一つの拠点に通っています。
その動機や経緯、意識の変化などについて、南房総でうかがいました。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
デュアルライフ(二拠点生活)にはこれまで、別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイア組が楽しむものだというイメージがありました。しかし最近は、空き家やシェアハウス、賃貸住宅などさまざまな形態をうまく活用してデュアルライフを楽しむ若い世代も増えてきたようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。田舎の不動産探しをきっかけにシェアハウスを知る

「もともとキャンプや自然が好き。しかし住んでいるのは綱島(横浜)の住宅地。あるとき、東京近郊でも少し田舎に行けば、空き家物件が300万円くらいと驚くような低価格で買えることを知って、探し始めたのがきっかけです。同じころ、建築ライターの馬場未織さんの書かれた書籍『週末は田舎暮らし』にも影響を受けました」と川鍋さん。

川鍋宏一郎さん。東京に本社のある外資系IT企業に勤務。キャンプ好きが昂じて南房総と綱島のデュアルライフをするようになった(写真撮影/内海明啓)

川鍋宏一郎さん。東京に本社のある外資系IT企業に勤務。キャンプ好きが高じて南房総と綱島のデュアルライフをするようになった(写真撮影/内海明啓)

手に入れた住宅を改修して週末に過ごすことを想定、まずはDIYのスキルを身につけようと、ワークショップを探すうち、見つけたのが、ヤマナハウスのウェブサイトでした。「関心のある人が月一回集まって、古民家の改修に取り組もうとしていました。これだ!と思って、参加したんです」

千葉県南房総市三芳にあるヤマナハウスは、シェアオフィス運営を手がけるHAPON新宿の創設者の一人、永森昌志さんが主宰しメンバーと共同運営しています。約2500坪もの里山にある古民家を改造したので『シェア里山』と呼び、年齢も職業もさまざまな人たちが週末に集まっては、田舎暮らしを楽しんでいます。

千葉県南房総の広大な里山にある古民家を改修してできたヤマナハウス(写真撮影/内海明啓)

千葉県南房総の広大な里山にある古民家を改修してできたヤマナハウス(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウス室内。川鍋さんら、このハウスのメンバーがリフォーム。週末に集まって野良仕事などした後は、ここで食事を(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウス室内。川鍋さんら、このハウスのメンバーがリフォーム。週末に集まって野良仕事などした後は、ここで食事を(写真撮影/内海明啓)

大工仕事の腕も上がった川鍋さんは現在、ほぼ毎週末をヤマナハウスで過ごしています。「綱島から車で約1時間20分ほど。金曜の夜にヤマナハウスに着き、日曜日の朝に戻るというパターンです」。交通費は高速を使って1回に5000円~6000円程度です。
現地では、ここの仲間のほかに、移住してきた人たちも加わり、野良仕事やバーベキュー、飲み会などを楽しんでいます。古民家の改修・改造は今も続いています。取材中も、多くの人が集まり、にぎやかに新たな物置を建設中でした。

綱島の自宅付近も緑の多い住宅地ですが、南房総とは比べものになりません。「人工的な自然ですし、落ち葉を集めての焚き火もできません。キャンプにも親しんできましたが、キャンプ場は管理されていて、薪のための木一本切ることもできません。しかしここでは自由にいろいろなことができます」

ヤマナハウスは2015年の春にスタート。古民家改修、畑仕事、裏山の整備・手入れなどを行い、それが都市ではできない“遊び”にもなっている(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウスは2015年の春にスタート。古民家改修、畑仕事、裏山の整備・手入れなどを行い、それが都市ではできない“遊び”にもなっている(写真撮影/内海明啓)

取材の日は、ヤマナハウスの前に物置小屋を建築中で川鍋さんもお手伝い(写真撮影/内海明啓)

取材の日は、ヤマナハウスの前に物置小屋を建築中で川鍋さんもお手伝い(写真撮影/内海明啓)

5歳、7歳になる二人の娘さんを連れて行くと、自然のなかでキックボードをしたり、川や砂浜で貝殼を拾ったり、虫やカエルをつかまえたりと、都会ではできない生活を楽しんでいるそうです。
「妻は福島の自然の豊かなところの出身ですから、最初は、今さらなぜ田舎に?と感じたようですが、協力してくれました。たくさんの人が集まっているので、代わる代わる誰かが子どもの相手をしてくれるのもうれしいところ。このヤマナハウスには、疑似(大)家族的な側面がありますね」

左)川鍋さんの娘さんたち。自然のなかで遊び、生きものに触れる機会が増えた。右)農作業のお手伝いも貴重な経験(画像提供/川鍋宏一郎)

左)川鍋さんの娘さんたち。自然のなかで遊び、生きものに触れる機会が増えた。右)農作業のお手伝いも貴重な経験(画像提供/川鍋宏一郎)

新しい人間関係が生まれ、都会での価値観が変わる

こうしたデュアラー(二拠点生活者)としての生活は、川鍋さんの意識にも変化をもたらしました。
「それまでの生活では絶対知り合えなかったはずの、年齢、職業などが多種多様な友人ができました。それぞれが得意なことが違うので、教え合い、手分けする“タスク分散”もできます。僕は酒が好きなので、果実酒のつくり方を伝えたりしています」

川鍋さんは、東京都品川・戸越銀座の育ちです。祭りのときは御輿(みこし)担ぎに駆り出されるなど、人間関係は今もしっかり残っていて、いわゆる“都市生活者の孤独”とは無縁です。「でもそれは、上下のある縦の人間関係なんです。一方、シェアハウスでの人間関係はフラットで平等。これも心地よさの理由かもしれません」

モノはお金を払って買う、という発想も揺らぎました。必要なモノはつくる、誰かと交換する、壊れたら自らの手で直す、そうした発想になりました。「すぐ近くに移住して養鶏をしている人がいるので、そこに酒を持って行き、卵を分けてもらうといったこともあります」

都心のIT企業に長く勤務し、千葉県君津市に移住して、毎月ヤマナハウスに足を運んでいる高橋新志さん(52)も、「犬の散歩に一周歩いたら、いただいた野菜で両手がいっぱい、といったことが起こります。ここは物々交換経済がまだかなり機能しているんですね。だから東京の基準で考えたら低い収入だとしても、豊かな暮らしがしていけるんです」

ヤマナハウスの土間部分に設けられたキッチン。床部分のコンクリートも職人さんに教わりながらメンバーが手伝って敷いた。(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウスの土間部分に設けられたキッチン。床部分のコンクリートも職人さんに教わりながらメンバーが手伝って敷いた(写真撮影/内海明啓)

スタディツアーでやってきた都内の大学生との交流会。ヤマナハウスメンバー以外にも地元の方も加わり、多様な世代、多様なライフスタイルの人達と関わりが持てる場になっている(写真提供/ヤマナハウス)

スタディーツアーでやってきた都内の大学生との交流会。ヤマナハウスメンバー以外にも地元の方も加わり、多様な世代、多様なライフスタイルの人たちとかかわりがもてる場になっている(写真提供/ヤマナハウス)

ヤマナハウスには女性の参加者もいます。東京のSI企業に勤務している女性SEは、「東京では体を動かして何かをするという実感が得られず、自然に引かれて参加しました。月に1、2回ですが、こちらに来ると元気になりますね」。
前述の高橋新志さんは、東日本大震災以降、自給自足的な生活拠点を持つことへの関心が高まってきたことを感じるそうです。「川鍋さんはキャンプという下地があったので、田舎の生活になじみやすかったように思えます。ご家族の協力があることも大きいですね」(高橋新志さん)

田舎の生活に人間関係は大切、と語るのは、高橋保雄さん(54)。千葉県船橋市に住み、都会の企業に勤務し、ヤマナハウスには月に2度くらい来ています。「川鍋さんが若いときから、こういう生活を試せるのはうらやましいですね。僕が若いころはそうした機会を得られず、粛々と会社人間を続けました。実はそれで精神的に参ったことが、デュアルライフに切り替えたきっかけになったんです」(高橋保雄さん)

ヤマナハウスのメンバーのほか、南房総が気に入って移住してきた人たちも加わっての作業。田舎で、職業や背景の異なる仲間と出会うのも楽しみだ。得意な人、慣れた人が教えて、みんなで学んでいく関係になっている(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウスのメンバーのほか、南房総が気に入って移住してきた人たちも加わっての作業。田舎で、職業や背景の異なる仲間と出会うのも楽しみだ。得意な人、慣れた人が教えて、みんなで学んでいく関係になっている(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウス室内。築250~300年ほどの古民家を再生・改修したもの。古い窓枠や廊下の木材はそのまま利用している(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウス室内。築250~300年ほどの古民家を再生・改修したもの。古い窓枠や廊下の木材はそのまま利用している(写真撮影/内海明啓)

個人としても家と土地を借りる

川鍋さんは、移住を考えたところから始まって、デュアラーとなりましたが、移住を諦めたわけではありません。移住も視野に入れ、家を借りることもしています。 
「このヤマナハウスの大家さんのご紹介で、私個人が半年ほど前から近くに家を借りました。家と言っても1500~2000坪の敷地も込みで、東京で言えば駐車場代程度。将来はここにキャンプ場をつくりたいと考えているんです」

川鍋さんがこのような紹介で、土地と家を借りることができたのも、ヤマナハウスが地元に定着し、そこで活動していることで、地元の人たちの信頼を得るようになったからと言えそうです。
「ヤマナハウスのみんなで、地域で年に1回行われる草刈りに参加したり、祭りでは御輿を担いだりしています。地元の青年部の方々には喜んでいただけていますね。そこからまた知り合いを紹介されるなど、人の輪が広がることもあります」

ヤマナハウスとは別に、すぐ近くに川鍋さんが借りた家。小屋や車を何台も停められる広いスペースも。これに手を加え、将来は仲間とのキャンプの拠点にしたいと考えている(写真撮影/内海明啓)

ヤマナハウスとは別に、すぐ近くに川鍋さんが借りた家。小屋や車を何台も停められる広いスペースも。これに手を加え、将来は仲間とのキャンプの拠点にしたいと考えている(写真撮影/内海明啓)

裏山で長年放置されて広がってしまった竹をみんなで刈って整備。新しい農法に挑戦したりなど新しい取り組みにも挑戦している(写真提供/ヤマナハウス)

裏山で長年放置されて広がってしまった竹をみんなで刈って整備。新しい農法に挑戦したりなど新しい取り組みにも挑戦している(写真提供/ヤマナハウス)

将来の移住のためのトライアルとしても有効なデュアルライフ

川鍋さんのお話からは、デュアルライフに必要なヒントがいくつも見出せます。自ら工夫する力、お金ではない価値を大切にすること、家族の協力、地元の方々との良い人間関係などです。
またデュアルライフは、都会の仕事をやめずに実現できるので、特別な富裕層でなくても可能です。また将来の移住を考えている人にとっては、トライアルとしても有効な手段と言えるでしょう。

南房総の里山の自然は豊か。季節の変化を感じる生活が、都会の変化だけでは得られない変化を与えてくれ、翌週の活力につながっている(写真撮影/内海明啓)

南房総の里山の自然は豊か。季節の変化を感じる生活が、都会の変化だけでは得られない変化を与えてくれ、翌週の活力につながっている(写真撮影/内海明啓)

●取材協力
HAPON新宿