”おせっかい”が高経年マンション問題の危機を救う!? 京都市の行政と民間の関わりがユニークすぎる管理の解決策とは

京都市が取り組む「おせっかい型支援」が注目を集めています。劣化が進むマンションを見つけだし、飛び込みで訪問する独特な後方支援ゆえに「よけいなお世話だ」と門前払いされる場合もしばしば。ハードルが高いこの支援、どのように運営しているのでしょう。京都市都市計画局住宅室住宅政策課に話を聞きました。

マンションの老朽化は周辺住民の命にかかわる問題

「『おせっかい』という言葉は、『もう、こちらから押しかけていこう』という気持ちの表れなんです」

「おせっかい型支援」の陣頭指揮を執る京都市都市計画局住宅室住宅政策課の企画担当課長、神谷宗宏(じんや ・むねひろ)さんはそう語ります。リーダーの神谷さんは、建築の技術職です。そして神谷さんをはじめ、同課係長の鈴木裕隆さん、武田あゆみさん、野上智也さんの計4名と、NPO法人「マンションサポートネット」から「おせっかい型支援」は成り立っています。

では、「おせっかい型支援」は、どのようないきさつでスタートしたのでしょう。

京都市都市計画局住宅室住宅政策課の企画担当課長、神谷宗宏(じんや むねひろ)さん(写真撮影/吉村智樹)

京都市都市計画局住宅室住宅政策課の企画担当課長、神谷宗宏(じんや むねひろ)さん(写真撮影/吉村智樹)

「外壁が崩壊等した事例(滋賀県野洲市)」(写真提供/京都市役所)

「外壁が崩壊等した事例(滋賀県野洲市)」(写真提供/京都市役所)

発足のきっかけは、国の「マンション管理適正化法」の制定を受け、2000(平成12)年から始めたマンションの実態調査にあります。

マンション管理に問題が生じていると、築年が古くなるにつれて、居室の賃貸化など非居住化が進みやすく、管理組合の高齢化も相まって、組合活動自体が難しくなり、行政に助けを求めることも難しくなる場合もあります。ひとたび管理不全に陥ると居住者の努力だけでは機能回復が難しくなるため、老朽化がさらに深刻になる実態が幾度の調査から浮き彫りになりました。

神谷「マンションの廃墟化は、京都の景観への影響も大きく、もはや私有財産の問題ではないことにいち早く気づいたのです。当初はマンションの管理に行政が踏み込む法的な根拠はありませんでした。しかし、廃墟化を待つわけにはいかない。マンションに長く快適に住み続けてほしい。だから頼まれてもないのに管理組合の支援を始めたのです。これが京都発“おせっかい型”支援の所以です」

全国でマンションの管理不全に注目が集まるきっかけとなったのが、かつて滋賀県野洲市に存在した「廃墟化マンション」です。このマンションは2010年(平成22年)に建築基準法に基づく外装材の落下防止措置などが勧告されたにもかかわらず放置状態が続き、2020(令和2)年、遂に行政代執行による解体工事が着工。その費用はなんと1.18億円にものぼりました。このように管理組合が正常に機能していない場合、問題を抱えたマンションは放置され、解体費用などで財政を圧迫してしまうケースがあるのです。

神谷「野洲の廃墟化マンションの行政代執行の件は、京都も関心を持っていました。行政代執行にかかった金額は相当ですが、何より危険です。マンションは私有財産ですが、管理不全に陥って老朽化したときに、景観だけではなく周辺の住環境やコミュニティに与える影響がひじょうに大きい。放っておくと住民の命にかかわるんです」

2020(令和2)年に国が「マンション管理適正化法」を改正し、同法に基づく指針のなかで、マンションは民間資産であり社会的資産でもあると初めて位置づけられました。行政のマンション管理への関与が位置づけられたことを機会に、近年京都の“おせっかい型支援”が注目され、全国にも広がっています。

それにしても「おせっかい型支援」とは、わかりやすい、大胆なネーミングです。

神谷「いきなり“要支援”と言葉にすると、どうしてもネガティブイメージを払拭できない。いやがる人もいるでしょう。そこで『おせっかい』という、くだけた表現を使いました」

老朽化したマンションの外壁のイメージ(画像/PIXTA)

老朽化したマンションの外壁のイメージ(画像/PIXTA)

建築のプロの目視で発見する「要支援マンション」

では、「おせっかい」が必要なマンションは、どのように発見するのでしょう。

神谷「第一歩は、各マンションの管理組合へのアンケート調査です。アンケートの回答を参考にしますが、組合活動がしっかり行われていない場合、回答をいただけないことが多い。 回答がないことが、管理不全に陥っている可能性を示唆しているんです」

アンケートの回答がないのも、一つの調査結果です。管理不全状態に陥っている可能性をより明確化するため、新たに加わったもう一つの方法が、専門家による外観目視の調査。視察するのはマンション管理士、建築士、弁護士など複数業種のエキスパート約15名によって運営されているNPO法人「マンションサポートネット」。築20年以上が経ったマンションの外壁の剥がれ具合、金属製の柵が錆びた様子などから異常がないかどうかを彼らが判断し、要支援マンションの候補とします。

ヒアリングと外観調査の双方向に指標も設け、基準7項目のうち4項目に該当していると、要支援の対象に。NPO法人「マンションサポートネット」のメンバーと、神谷さんを筆頭とした京都市都市計画局住宅室住宅政策課4名による「おせっかい」が始まるのです。マンションサポートネットはマンション管理組合が「主体的によいマンション管理ができる」ように現地へ赴き、「建物や設備の点検」「大規模修繕工事」「長期修繕計画の作成や見直し」「管理規約の改正」「委託管理の見直し」などのコンサルタント業務を行う、言わば実行部隊なのです。

要支援マンションなどの判断基準(表1)と定義(表2)(京都市役所資料を基にSUUMO編集部作成)

要支援マンションなどの判断基準(表1)と定義(表2)(京都市役所資料を基にSUUMO編集部作成)

神谷「外観から『もしや?』と感じた場所へ実際に出向き、棟内や部屋を視察すると、配管設備がボロボロだったり、ひどく漏水していたりする場合もあります。外観に傷みが見受けられると、内部もかなり劣化が進んでいると考えられるので、一刻も早い対策が必要です」

建築の技術職である神谷さん。街を歩いていても、マンションを見て「ピンとくる」場合があるのだそうです。

京都市の街のイメージ(画像/PIXTA)

京都市の街のイメージ(画像/PIXTA)

投資型マンションに多く見られる「管理不全」

要支援マンションが現れる背景には「管理不全」があります。「マンションを維持する母体となるはずの管理組合がうまく機能してない」「管理組合の実態が確認できない」など、管理責任の在り処があいまいなのです。そのようなケースでは、「おせっかい型支援」として、「管理組合の規約を立ち上げる」という根源的な部分から介入するといいます。

その管理不全に陥る一つの大きな要因に、「非居住化が進んでいる」という傾向が挙げられます。

神谷「例えば区分所有者が投資や事業を目的としてマンションを購入している場合、ご自身は住んでおられないことが多いんです。部屋を賃貸されている場合、借主である居住者には管理組合に参加する義務がない。賃貸されていなくても区分所有者が倉庫や事務所として利用されている場合もある。つまり、区分所有者は現地に住んではおられない。建物に少々の不具合があってもご自身がお住まいになっているわけじゃないので、お金を出してまで修繕するかというと、どうしても無関心になってしまうんですよね」

マンションの利用形態が複雑多様化するなか、区分所有者と居住者が異なるため、管理に関する合意形成ができず不行き届きになってしまう。非居住化が進んでいるマンションの支援は難航し、長期化します。今後の「おせっかい型支援」の大きな課題の一つです。

投資系マンションが管理不全に陥るという傾向が多いという(画像/PIXTA)

投資系マンションが管理不全に陥るという傾向があるという(画像/PIXTA)

「いらぬお世話だ」と追い返されるケースも

マンションの管理体制を立て直し、より長く使ってもらおうと立ち上がった「おせっかい型支援」。とはいえ、誰しもがやすやすとは受け入れてくれません。おせっかいと銘打つわけですから、「いらぬお世話だ」と追い返されるケースもあるのです。

神谷「話を聞いてくださる方にたどり着くのが大変ですし、たどり着けても、まずは警戒されます。いきなり押しかけてこられて、自分たちの私有財産、台所事情を探られるわけですから。たとえマンションの関係者が話を聞いてくれたとしても、管理組合が機能していない内情を簡単には明かしてくれません。根気のいる作業なんです」

「おせっかい型支援」のイメージ図(画像/PIXTA)

「おせっかい型支援」のイメージ図(画像/PIXTA)

このように、サポートに辿り着くまでに幾つもの壁があるといいます。

神谷「マンションサポートネットはその点、さすが経験豊富な専門家の集団です。さまざまなパターンに対して、対応のノウハウを蓄積されておられます。大きな声で怒鳴られるなど、危険な目に遭う可能性もあるわけですから、誰でもできるわけではない。豊富な経験に裏付けられた知見を持っている彼らは頼りになる存在です」

そうして幾度かの説得の末、申し出を受け入れたマンションと、やっと話し合いへと駒を進めることができるのです。

マンションと住民の「二つの老い」

マンションが抱える問題は、大きく二つあるといいます。一つは「マンション自体の高経年化」。二つ目が「区分所有者の高齢化」です。そしてこの二つの問題は、セットでもあるのです。

神谷「“二つの老い”と呼ばれています。昔はマンションに永住するという考え方は、あまりなかったようです。一時期はマンションに住んで、ゆくゆくは戸建てに移住する。それが一般的な暮らし方とされていました。しかし近年はマンションを終の棲家とする人たちも増えてきた。しかし管理費が計画的に積み立てられていない場合、マンションが高経年化すると修繕箇所が増えるにもかかわらず積立金が不足しているために適切な対応ができない。積立金額を上げたくても高齢化が進み、上げられない。そうしていっそう管理不全化が進んでしまうんです」

マンションの高経年化の進行(京都市役所作成)

マンションの高経年化の進行(京都市役所作成)

マンションの修繕積立金は、年数が経つにつれてだんだんと金額が上がっていく「段階積立方式」をとっている場合が多い。しかし計画的な管理ができていない場合、必要な積立金額がわからず、必要額がわかったとしても「時すでに遅し」なのです。そういった事態をできるだけ避けるため、京都市では積立方式について議論している検討会に参加しています。

京都のマンションは6割が小型

京都のマンションには、一つの顕著な特徴があります。それは「小規模マンションが多いこと」。50戸以下の小さなマンションが全数の約6割を占め、さらに21~30戸のマンションは350棟を数えます(2020年調べ)。京都市は小規模な土地が多いことや、厳しい景観政策を実行しており、建築物の高さに制限が設けられている地区があります。それゆえに高層マンションが建ちにくく、小規模化するのです。そして小さなマンションほど「支援を要する場合が多い」のだとか。

京都市住戸別マンション数(京都市役所作成)

京都市住戸別マンション数(京都市役所作成)

老朽化の兆候が見られるマンション(京都市役所作成)

老朽化の兆候が見られるマンション(京都市役所作成)

神谷「大きなマンションには、管理会社が入っていることが多いです。小規模な高経年マンションも管理会社が入っていたり、管理会社を入れずに自主管理されていたりするところは少なくありませんが、大中規模以上に比べて人材面、資金面ともに脆弱になってしまう傾向がありますね」

国土交通省も注目する「おせっかい型支援」の成功事例

では「おせっかい型支援」は、どのような実績があるのでしょう。成功事例を二つ、紹介します。

一つ目は1974(昭和49)年竣工、築50年 の「真如堂マンション」。左京区岡崎地域の静かな住宅地に立つ13 戸の小型マンションです。

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入前

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入後

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションは理事長と居住区分所有者の数名で自主管理を行ってきたものの、建物の老朽化が進みました。そこでマンションサポートネットの協力のもと、2013(平成 25 )年度に外壁塗装、鉄部の塗り替えなどの維持工事、受水槽の撤去、遮音や断熱性能の高い玄関ドアへの交換、水道管直結などを着工。資産価値のアップを図ったのです。

工事が始まる前にはマンションサポートネットのメンバーのアドバイスを仰ぎながら管理組合を立ち上げ、規約改正を行いました。そうして長期修繕計画に基づく資金計画を検討した後、修繕積立金を適正に値上げし、工事費に充てました。それでも足りない分は住宅金融支援機構の融資を活用。専門家の助言を受け、帳簿を作成し、融資の条件を満たすことができたのです。

このように多角度的な支援の甲斐があり、築50年を経ながら現在も特段に古びた様子は見受けられません。

もう一つが1971(昭和46)年竣工、築53年 の「京都グランドハイツ」。平安神宮や琵琶湖疎水など京都の歴史的建造物に囲まれた左京区聖護院にあります。7階建、総戸数91戸という中型マンションです。

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入前

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

昭和のオイルショックのさなか、管理会社から委託費用の大幅値上げを要求され、これをきっかけに1976(昭和51)年には自主管理へと移行。外壁塗装、屋上防水ほか小修繕を実施し、活発な管理が行われてきました。

しかし高経年マンション実態調査において、建物の劣化が進行していると判明。役員の高齢化が進んだなどの理由で必要な改修ができていなかったのです。京都市役所は2013(平成25)年よりマンションサポートネットを派遣。専門家の助言を契機に役員が熱心に管理業務に取り組むようになり、規約の改正、資金の調達のうえ、2018(平成30)年、遂に大規模修繕工事の実施にこぎつけました。

現在は建物の劣化や管理不全の問題が解消され、良好なマンション組合の運営が行われています。2023(令和5)年10月の国交省主催の事例報告会では好例として取り上げられたほどの事例なのです。

なかには『維持していくことすらも非現実』という物件も

管理不全に陥ったマンションのなかには、管理体制の見直しという観念ではもはや収束できない、危険な状態にある例もあるのだとか。

神谷「この建物を安心安全な状態まで修繕するには何千万、いや何億かかる。たとえ修繕積立金等を切り崩して修繕しても、老朽化は進行するので次の修繕が必要になる。重なる修繕に多額の費用がかかるであろうが修繕積立金の目途が立たない。そのように『維持していくことすらも非現実』という物件も実は幾つか見つかっています。そうなるともう、『売却すれば、今ならこれぐらいのお金は戻ってきますよ』という方向にしか話を持っていきようがない。言わば“マンションの終活”ですね。今後マンションはどんどん高経年化が進みますから、マンションの終わり方を考える支援はこれから増えていくでしょう」

マンションを支援する形も、今後は除却も視野に入れて提示するなど、選択肢が増えていくようです。

要支援状態から脱しても油断はできない

こうして京都市都市計画局住宅室住宅政策課とマンションサポートネットの尽力により、マンションにしっかりした管理組合が設立されたり、大規模修繕工事が実施されたり、長期修繕計画ができたり、管理費や修繕積立金の適切な徴収が可能となったりし、47棟あった要支援マンションは、半数がその状態を脱することに成功しました。

しかし、「そこで終わりではない」と神谷さんは言います。

神谷「専門家が入っているあいだは支援がうまくいっていたけれども、いったん専門家が外れてしまうと元に戻るケースもありました。『やっぱり、どうしていいかわからない』『うまく回せない』という例があるんです。そのためにも、支援を要しなくなったあとも、常に状況を把握しておくことが大事だと考えます」

「一度介入して終わりではなく、継続的な支援が必要だ」と語る神谷さん(写真撮影/吉村智樹)

「一度介入して終わりではなく、継続的な支援が必要だ」と語る神谷さん(写真撮影/吉村智樹)

次に取り組むのが「マンションの管理状態の“見える化”」

改正マンション管理適正化法は2022(令和4)年4月に施行されました。この法律は、マンション管理業者の業務を規定する内容が主でしたが、今回の改正で、管理組合に向けた内容が追加されました。行政が管理組合に対し、助言や指導を行うといったことも盛り込まれています。「行政もマンションの管理をしっかりやらなければならない」と国ぐるみの議論が加速化するなか、京都市役所の先進的な取り組みは他都市からも注目されています。

神谷「他の自治体さんからも高い評価をいただき、『おせっかい型支援の方法論を教えてほしい』『どのように実態を把握するのか』という問い合わせをけっこういただいています。プッシュ型支援という言い方で、全国に取り組みが広がっているんです。京都市としてはとても喜ばしいことと受け取っています」

高経年マンションが増え、新しい支援のスタイルとして全国のモデルケースとなった京都市役所。そんな京都市役所はさらに未来へ向け、次の一手を打とうとしていました。

マンションの管理の見える化のイメージ図(画像/PIXTA)

マンションの管理の見える化のイメージ図(画像/PIXTA)

神谷「現在、取り組んでいるのがマンションの管理状態の“見える化”です。2022(令和4)年に改正されたマンション管理適正化法のなかに『管理計画認定制度』という、マンションの管理状態を行政が認定する制度が作られたんです。この制度の最大の意義は、マンションの管理状態を図る物差しができたことだと考えています。マンションの広告などに『法律に基づく行政機関の認定を受けました』などと記載していただく。そうすると市民のマンション購入の目安になり、中古マンションであっても『しっかりしたマンションなんだな』と考えてもらえるでしょう。金融機関も認定によって管理状態を推し量ることができるので、『長期修繕計画もしっかりしているし融資をつけてみようか』という展開に持っていきたい。そうなると、マンション側も『うちも、どうせなら認定を取ろうか』という発想になっていきますよね。認定マンションを増やすことによって、管理に対する意識がどんどん高くなっていくと思うんです」

経過年数が長いマンションは不安視されがちです。しかし、管理計画認定がされているのならば購入を検討するなかでの安心材料となります。昨今、若い子育て世帯の流出が問題になっている京都市。マンションの認定制度が普及し、マンション全体の管理水準を上げることが、流出を食い止めるカギの一つになるでしょう。

国土交通省の発表によると、2022(令和4)年末の段階で、築40年以上のマンションは日本に約125.7万戸が存在し、20年後(2042年末)には445万戸にまで増加するのだそうです。
人間ともに高齢化するマンション。高経年による事故や悲劇を防ぐのは、どんなに時代が進んでも、「おせっかい」という古きよき人情なのだと、取材を通じて感じました。

●取材協力
京都市都市計画局住宅室住宅政策課

参加者3万人「京都モダン建築祭」を建築ライターがめぐってみた! 明治・大正時代の名建築の内部を限定公開

2022年11月、京都市中心部に点在する近代建築を公開する一斉公開イベント、「京都モダン建築祭」が開催されました。京都や大阪を拠点に研究活動を行う建築史家らが選定する文化的価値の高い建築物が公開されるとあり、初開催にもかかわらず3日間でのべ3万人の参加者を数える注目イベントとなりました。現役の庁舎建築や教会、レストラン・商店など民間の建築、長い歴史のなかでもともとの用途から転用された文化施設など、さまざまなバリエーションが楽しめる36軒が参加しました。

京都で開催の建築公開イベント。「モダン建築」をテーマにした理由京都市役所本庁舎 市会議場。普段から一般公開されているエントランスホールや屋上庭園に加え、通常非公開の市会議場と正庁の間が公開された(写真撮影/筆者)

京都市役所本庁舎 市会議場。普段から一般公開されているエントランスホールや屋上庭園に加え、通常非公開の市会議場と正庁の間が公開された(写真撮影/筆者)

建築を見ることを趣味とする筆者にとって、普段は中に入れず、外観を眺めるしかない建築の内部を見学できる機会はありがたく貴重です。また数ある名建築の中から興味を引く建築物を探し、その見学方法まで調べて見に行くのとは異なり、気軽に楽しめるのも人気の理由。地域に住む人びとが地元文化の魅力に触れる機会にもなり、こうした建築公開イベントは各地に広がりを見せています。
今回参加したのは、近現代建築と呼ばれるもの。社会が近代化していく時代以降につくられたもので、日本における時代区分としては概ね明治維新以降の時期を指します。一般的には社寺建築や町家など、より古い年代の建築のイメージが強い京都において、近現代建築をテーマにしたのはなぜなのでしょうか?

聖アグネス教会。教会建築は普段から見学者を受け入れているところも多いが、信者でないとなかなか入るのはハードルが高い(写真撮影/筆者)

聖アグネス教会。教会建築は普段から見学者を受け入れているところも多いが、信者でないとなかなか入るのはハードルが高い(写真撮影/筆者)

祭壇。実際に使用されている状態そのままを知ることができるのも、建築公開イベントの醍醐味(写真撮影/筆者)

祭壇。実際に使用されている状態そのままを知ることができるのも、建築公開イベントの醍醐味(写真撮影/筆者)

「建築史の研究者からすると、京都は優れた近代建築の宝庫なんです。けれどそのことはあまり知られていません。存在と認識のギャップが最も激しいのが京都なのではないかと。われわれとしてはごく自然に、京都の近代建築の素晴らしさを知っていただきたいという思いが出発点となっています」
今回お話を伺ったのは、大阪公立大学教授で京都モダン建築祭の実行委員に名を連ねる建築史家の倉方俊輔氏。2021年に京都市京セラ美術館で開催された「モダン建築の京都」展でも、アドバイザーを務めました。

入場待ち列ができるほど人気となったフォーチュンガーデン京都。島津製作所の旧本社ビルがレストランに転用されている(写真撮影/筆者)

入場待ち列ができるほど人気となったフォーチュンガーデン京都。島津製作所の旧本社ビルがレストランに転用されている(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

「京都市の美術館で行う展覧会だから、京都市民のためになる建築の展覧会にしようと。公立の美術館で京都の近代建築をまとめて紹介するのは初めての試みでした。展覧会で紹介した建築は、実際に京都市内に建っているもの。せっかくなら展示だけでなく実物も見てもらおう、ということで建物所有者の方に掛け合って建築見学ツアーを実施したり、会期終了後もオンラインサロンを継続するなど活動が広がっていきました」
こうした展覧会を機に生まれた動きが、京都モダン建築祭につながっていったといいます。今回公開された建築も、展覧会で生まれた縁があってこそ公開できたものも多いそうです。
倉方さんは、大阪で10年続く建築公開イベント「イケフェス大阪」でも長年実行委員を務めてこられました。2019年からは、東京都品川区の名建築を公開する「オープンしなけん」の企画にも携わり、優れた建築の魅力を広めていく活動に力を注いでいます。大学で教鞭を執る傍ら、こうした活動も大切にしている倉方さん。どのような思いで取り組んでいらっしゃるのでしょうか?

「私自身は、ライトな層、専門的なことに詳しいわけではないけれど建物を見るのが好きとか、自分が描いている漫画の背景のヒントにしたいとか、そういう方々を大切にしたいです。もちろん建築の専門家であったり、普段から建築を見に行くことを趣味にしているような人も大切なんだけれど、こういうイベントを通して、建築を使った楽しみが世の中に増えていくといいなと思っています。

例えば今回取り上げているようなモダン建築だと、大正時代や明治時代の、建てられた当時の生活がそのまま残されていたりするわけですよね。そこから何か想像を広げたり、受け取り手次第で新しい見方ができることで、その人にとっての楽しみが増える。新しい楽しみが増えていくことは、世界を豊かにしていくことにつながると思っているので、建築の楽しみ方を増やしていくことで貢献していきたいですね」

参加建築マップ。京都市中心部の36軒が、11月11~13日の3日間に参加した(写真提供/京都モダン建築祭実行委員会)

参加建築マップ。京都市中心部の36軒が、11月11~13日の3日間に参加した(写真提供/京都モダン建築祭実行委員会)

ビギナーから建築通まで、誰もが楽しめる多彩なプログラム

京都モダン建築祭では建物の公開のほかにも、専門家のガイドツアーをはじめとするさまざまなプログラムが用意されました。日々の運営に携わる方が、建物の歴史や運営面での工夫も交えて案内してくれるツアーや、倉方さんや実行委員長である笠原一人さんをはじめ建築史家の方が街歩きをしながら建物ひとつひとつのデザインの特徴を解説してくれるツアーなど盛りだくさん。なかにはツアーでしか見学ができない建築もあり、高い抽選倍率となりました。ライトな建築好きから専門家まで、各々の知識レベルによって違った楽しみ方ができるラインナップです。

任天堂旧本社社屋をリノベーションしたホテル丸福樓。京都モダン建築祭の特別ツアー参加時に撮影(写真撮影/筆者)

任天堂旧本社社屋をリノベーションしたホテル丸福樓。京都モダン建築祭の特別ツアー参加時に撮影(写真撮影/筆者)

2022年のリニューアルの際、建築家の安藤忠雄による新棟(ガラス張り部分)が増築された(写真撮影/筆者)

2022年のリニューアルの際、建築家の安藤忠雄による新棟(ガラス張り部分)が増築された(写真撮影/筆者)

筆者も参加させていただいた、笠原一人さんによる三条通の近代建築ツアーでは、三条通に建ち並ぶバリエーション豊かな近代建築の鑑賞ポイントが紹介されました。一括りに近代建築といっても、手掛けた建築家によってまったく異なる表現になるのが面白いポイント。また同じ建築家であっても、ほんの少し建てられた時期が違ったり、建物の用途の違いによって表現が変えられていて、その背景を知ることで一気に身近に感じられます。

見学する建物が通り沿いに連なっているのも重要で、金融関係の施設が集中するエリアから商業エリアへと歩みを進めることで、街の発展の歴史も同時に学ぶことができます。近世以前の社寺建築のイメージが強い京都で、なぜモダン建築を取り上げるのか。ひとつには「市の中心でまさに今人々の生活と密接に結びつくモダン建築は、役目を終えたら壊されてしまう可能性がある。今のうちから親しんでもらうことでこうした建築が街に必要なんだと感じてほしい」と笠原さん。建築史家として古い建物を残していきたい思いをもちつつ、ツアーでは純粋に個々の建築の面白さを紹介してくれました。
ツアー前はどれも似たような様式建築に見えていた建築群が、ツアー後はひとつひとつのデザインが際立って見えてくる。こうした機会を通じて建築の魅力が広まっていくことで、優れた建築が街に残り豊かな景観が維持されていくのだなと感じます。

講義室でレクチャーを聴くのとは違い、実際に街へ出て現物を見ながらそのデザインに込められた意図を聞く体験は、知識が体に染み込んでいくような充実感を得られました。京都モダン建築祭ではこうしたツアーのほかWEBサイト上でも、建築を解説する音声コンテンツが用意され、建物を見ながら建築の知識を同時に学ぶための工夫が伺えました。

三条通界隈の近代建築群。観光客でにぎわうルートに、バリエーション豊富なモダン建築が建ち並ぶ(写真撮影/筆者)

三条通界隈の近代建築群。観光客でにぎわうルートに、バリエーション豊富なモダン建築が建ち並ぶ(写真撮影/筆者)

それは実行委員の方々自身が建築をどのように楽しんでいるのか、その姿勢から来ているのではないかという気がします。倉方さんは、建築を見る楽しみについてこのように語ってくれました。
「あっちからやってくる感じ、それが建築ならではの面白さですね。こちらから理解しようとか楽しもうとか思わなくても、建築の中に入れば空間に包まれるし、いろんなスケールのものが目に入ってきて、向こうから楽しみがやってくる感覚があります。

それに知識があればあったで、これがつくられた年に戦争が始まったんだなとか、これをつくった人が後にあの建築をつくったんだなとか、その関係を読み解いたり、前に見たものと目の前のものが頭の中でつながって、何かひらめきが生まれたりとか。そうやってあっちからやってくるものをいかに捉えるか、というのが真の『鑑賞』なんじゃないかと思います。繰り返し訪れている建築でも、行くたびに自分自身の知識や経験が増えているから、また新しいものが見えてきますし、それこそ見に行く対象も無限にあるので、とにかく飽きないです。その感じをみんながもてるようになるといいですね。結構いい趣味だと思いますよ、交通費くらいしかかからないですし(笑)」

大規模な近代建築が集まる岡崎エリアに建つ、京都市武道センター(旧武徳殿)(写真撮影/筆者)

大規模な近代建築が集まる岡崎エリアに建つ、京都市武道センター(旧武徳殿)(写真撮影/筆者)

旧武徳殿内部。西洋由来のトラス構造が屋根を支えているため木造の大空間が可能となっている。西洋の技術が近代の木造建築を支えている例(写真撮影/筆者)

旧武徳殿内部。西洋由来のトラス構造が屋根を支えているため木造の大空間が可能となっている。西洋の技術が近代の木造建築を支えている例(写真撮影/筆者)

祇園祭と肩を並べる一大イベントに。実行委員長の思い

イベントに一番力を尽くしている実行委員の方々自身が、こうした純粋な建築の面白さにのめり込んでいるからこそ、このようなイベントが開催できるのだなと実感させられます。

笠原さんはこの京都モダン建築祭を、「ライバルは祇園祭」と位置づけています。京都の街なかを舞台に繰り広げられる祇園祭には、調度品や美術品を飾った町家などを公開する「屏風祭」と呼ばれる行事があります。普段は見ることのできない京都の文化に親しむ機会を設けることで次の世代につないでいこうとする思いは、今も昔も変わらないということなのかもしれません。
1000年の歴史をもつ祇園祭と開催1年目のモダン建築祭とでは1000倍の歴史の差があります。しかしモダン建築祭が100年続けば差は10分の1に、1000年続けば差は2分の1へと縮まっていく。いつか祇園祭に並ぶ京都を代表するイベントになってほしいと語る笠原さんの言葉には、建築という数千年の歴史をもつ文化と長年向き合ってきた重みが見え隠れするように思いました。

日頃は古建築に目が行きがちな京都の知られざる魅力に触れる建築祭、ぜひ長く続いていってほしいですね。

●取材協力
京都モダン建築祭 実行委員会

京都の細長すぎる家に思わず二度見!1階は立ち飲み兼古本屋、2階は自宅の”逆うなぎの寝床” バヒュッテ

京都にある「細長ぁ~い」お店が話題です。間口がおよそ18mあるのに対し、奥行きはたったの2~3m。この悪条件のなか、なんと住居兼店舗を実現。狭小な敷地の有効活用が高い評価を受け、2021年度「グッドデザイン賞」を受賞しました。

連日にぎわうこの店には、未利用地の活用に頭を痛める人々を救うヒントがあるはず。古書、雑貨、立ち呑みの三つの商いを一堂で行う「バヒュッテ」の清野郁美さんに運用の秘訣をうかがいました。

狭い? 広い? 思わず二度見してしまう不思議な建物

「グッドデザイン賞」を受賞したウワサのお店は、叡山(えいざん)電鉄「修学院」駅を下車し、徒歩およそ5分のところにあります。

駅前のアーケード商店街「プラザ修学院」を抜けると、そこは白川通りという名の車道。ここに築かれた建物こそが、目指すお店「ba hütte.(バヒュッテ)」です。オープンは2019年5月30日。2022年で4年目を迎えます。

あなたは、きっと二度見するでしょう。木立のなかに現れたその建物を。あまりにも、あまりにも「細い」。いや、「細い」を通り越して、「薄い」のです。

白川通りに面して立つ、思わず二度見してしまう細長い建物。これがグッドデザイン賞を受賞した「バヒュッテ」(写真撮影/吉村智樹)

白川通りに面して立つ、思わず二度見してしまう細長い建物。これがグッドデザイン賞を受賞した「バヒュッテ」(写真撮影/吉村智樹)

しかし、通りの反対側から眺めてみると、今度は「ひ、広い!」。間口はなんと、およそ18mにも及ぶといいます。

広いのか、はたまた狭いのか。見る角度によって印象が大きく変わる、まるでトリックアートのような建物。隣接する大学施設や神社の樹木と相まって、とてもファンタジックな印象を受けます。

白川通をはさんで反対方向から眺めると、とても大きな建物に見える(写真撮影/吉村智樹)

白川通をはさんで反対方向から眺めると、とても大きな建物に見える(写真撮影/吉村智樹)

しかし、横から見ると窓サッシと同じサイズの奥行きしかない。神社の石碑もあり、神秘的なムードが漂う(写真撮影/吉村智樹)

しかし、横から見ると窓サッシと同じサイズの奥行きしかない。神社の石碑もあり、神秘的なムードが漂う(写真撮影/吉村智樹)

間口が広く、奥行きが浅い「逆・うなぎの寝床」

「うちの店はよく“逆・うなぎの寝床”と呼ばれますよ」

そう語るのは「バヒュッテ」店主、清野(せいの)郁美さん(38歳)。

古本・雑貨・立ち呑み「バヒュッテ」店主、清野郁美さん(写真撮影/吉村智樹)

古本・雑貨・立ち呑み「バヒュッテ」店主、清野郁美さん(写真撮影/吉村智樹)

「逆・うなぎの寝床」とは言い得て妙。「うなぎの寝床」といえば間口が狭く、反面、奥行きが深い建物のこと。江戸時代、京都は間口の広さに比例して税金の額が決められていました。そのため、住民はこぞって間口を狭くし、奥行きが深い家を建てたのです。京都の建築様式が「うなぎの寝床」と呼ばれているのは、そのためです。

バヒュッテは、うなぎの寝床の正反対。間口は驚くほど広く、しかしながら奥行きはたったの2.2~3.7mしかありません。間口が約18mもありながら、建坪はなんと、わずか8.7坪しかないのです。

清野「自分は見慣れているので日ごろはなんとも思わないのですが、たまに旅から帰ってきて、改めて自分の店を見てみると、『ほそっ!』と思います(笑)。江戸時代だったら、うちの店はものすごくたくさんの税金を払わなきゃいけませんね」

細長い店内には古本と雑貨がひしめく。とはいえ天井が高く、意外と閉塞感がない(写真撮影/吉村智樹)

細長い店内には古本と雑貨がひしめく。とはいえ天井が高く、意外と閉塞感がない(写真撮影/吉村智樹)

細長いだけではありません。敷地は、実はきれいな長方形になっていない不整形地。ご近所の人が言うには、以前この場所には小屋のように簡素な造りの魚屋さんがあったのだとか。さらにそれ以前は水車小屋が立っていました。代々、“地元に根付く小屋がある場所”だったようです。

更地にした状態。細長いうえに台形の不整形地。最南端の奥行きは驚きのわずか2.2m(画像提供/バヒュッテ)

更地にした状態。細長いうえに台形の不整形地。最南端の奥行きは驚きのわずか2.2m(画像提供/バヒュッテ)

かつてはここで鮮魚店が営まれていた(画像提供/バヒュッテ)

かつてはここで鮮魚店が営まれていた(画像提供/バヒュッテ)

清野「偶然なのですが、バヒュッテの『ヒュッテ』も小屋という意味なんです」

なんと、この地のさだめに引き寄せられたかのように、新たな小屋(ヒュッテ)が誕生していたのでした。ではバヒュッテの「バ」とは?

清野「世代を超えた交流の“場(バ)”になったらいいな、と思い……というのは後付けで、本当は“バ!”というパワーがある語感が好きなので名づけました」

本、雑貨、お酒。どれもはずせない要素だった

パワフルな語感のバヒュッテは、建物の細長さのみならず、業態もインパクト強め。コンセプトは「古本と雑貨と立ち呑みのお店」。壁一面に本棚があり、シブめなセレクトにうならされます。

殿山泰司、田中小実昌、深沢七郎、色川武大など「風来坊」「無頼派」と呼ばれた作家や役者の本が数多く並ぶ。風変わりな店の雰囲気とよく合っている(写真撮影/吉村智樹)

殿山泰司、田中小実昌、深沢七郎、色川武大など「風来坊」「無頼派」と呼ばれた作家や役者の本が数多く並ぶ。風変わりな店の雰囲気とよく合っている(写真撮影/吉村智樹)

2016年に結婚した清野郁美さん。パートナーの清野龍(りょう)さん(42)は20年以上にわたり大手書店にお勤めのベテラン書店員です。清野さんも同じ書店に10年以上働いていており、二人はかつての同僚でした。

夫妻ともども本が大好き。バヒュッテで販売している本はほぼすべて、ご両人の私物。センスのいい本ばかりと思ったのもどうりで。二人は二階で暮らし、夫の龍さんは、書店の勤務が休みの日はバヒュッテを手伝うのだそうです。

京都の大手書店で店長を務め、休日になるとバヒュッテを手伝う夫の龍さん。本とともに生きる日々(写真撮影/吉村智樹)

京都の大手書店で店長を務め、休日になるとバヒュッテを手伝う夫の龍さん。本とともに生きる日々(写真撮影/吉村智樹)

雑貨は、ポーチやペン、ノート、手ぬぐいと、バリエーション豊か。

手ぬぐい、靴下、ステーショナリーなど雑貨の品ぞろえも豊富(写真撮影/吉村智樹)

手ぬぐい、靴下、ステーショナリーなど雑貨の品ぞろえも豊富(写真撮影/吉村智樹)

そして注目すべきは、L字になった魅惑の立ち呑みスタンド。背徳の昼呑みが楽しめます。建築物としてのユニークさにばかり目を奪われがちですが、古書店で飲酒ができる点もかなり希少でしょう。

L字の立ち呑みスタンドで午後2時からお酒が楽しめる。意外とない“チョイ呑み”スポットだ(写真撮影/吉村智樹)

L字の立ち呑みスタンドで午後2時からお酒が楽しめる。意外とない“チョイ呑み”スポットだ(写真撮影/吉村智樹)

清野「私自身、本が好きで雑貨が好きで、そしてお酒が大好きだったんです。だから本、雑貨、お酒、三つともそろえました。狭いスペースで欲張りすぎなんですけれど、どれ一つ、はずせなかったですね」

清野さんの朗らかなキャラクターに惹かれ、夕方から続々とお客さんが呑みにやってきます。語感で選んだという「バヒュッテ」の「バ」は、コミュニティーの「場」として根付き、成熟していったようです。

南側の出入口には「外呑み」できるスペースが設けられている(写真撮影/吉村智樹)

南側の出入口には「外呑み」できるスペースが設けられている(写真撮影/吉村智樹)

「理想の物件に出会えないのならば土地を買って建てよう」

住居兼店舗である「バヒュッテ」は店舗としても住居としても非凡な、言わば珍建築のハイブリット。その発想は、どこから生まれたのでしょうか。

清野「結婚するタイミングで、夫と『家を借りようか。それとも買おうか』と話し合っているなかで、『お店もやれたらいいね』という気持ちが芽生えてきたんです」

本好きの二人は、「古本の販売を基本とした、自分たちらしいお店を営みたい」という夢を共有するようになりました。しかしながら、物件探しは簡単にはいきません。

清野「はじめは、『住むマンションは買って、店はテナントを借りる』という方針で動いていました。とはいえ、いいなと感じる住居、面白いと思えるテナント、二つを同時に探すのがものすごく大変で」

「自分たちらしい店がやりたいと思い、はじめは居住とテナントを別々に探していたが、なかなかいい物件に巡り合えなかった」と語る清野さん(写真撮影/吉村智樹)

「自分たちらしい店がやりたいと思い、はじめは居住とテナントを別々に探していたが、なかなかいい物件に巡り合えなかった」と語る清野さん(写真撮影/吉村智樹)

なかなか理想郷にたどり着けない清野さん夫妻。そこで、大胆な発想の転換を試みたのです。

清野「だったら、『いっそ思いきって土地を購入して、拠点を新たに建てたほうが、自分たちにあったかたちにできるんじゃないか』って、考え方が変わってきたんです」

店舗兼住居を借りるのではなく、「建てる」。言わば一世一代の大勝負に出た清野さん。そうしてたどり着いた場所が、「逆・うなぎの寝床」。ユニーク極まりない、尻込みする人が多い不整形地ですが、画期的な業態の店舗を開こうとする二人の新しい門出として、むしろ適していたのです。この土地に出会うまでに、「およそ3年もの月日を要した」と言います。

清野「長かったですね。やっと出会えた、そんな気がしました。私も夫も一目惚れ。『ここ、ここ!』って即決しました。並木道なので緑が豊富。散歩コースだから人通りもそれなりにある。隣接している建物がなく、たとえ少々音をたてたとしてもご近所に迷惑が掛からない。すぐそばに商店街があり、さらにスーパーマーケットがあって、病院があって、銀行があってと、至れり尽くせり。『住む』と『商売をする』の両立を可能とする唯一の物件だったんです」

レアな土地に誕生した、レアな城。遂にバヒュッテは完成し、細長さを逆手に取った仕様がたちまち話題になりました。そうして遂に「グッドデザイン賞」の受賞に至ったのです。

木材を斜めにとりつける大胆な構造。建築のプロたちも驚いた

バヒュッテがグッドデザイン賞に輝いた大きな理由の一つが「筋交い(すじかい)」。筋交いとは建物を強くするために、柱の間などに斜めに交差させてとりつけた木材のこと。とはいえ、実際に筋交いが空間を堂々と斜めに横切る店舗はそうそうありません。バヒュッテのシンボルともいえる武骨な筋交いは、何度見ても驚かされます。

バヒュッテのシンボルといえる、大胆に設えられた「筋交い」。初めて見た人はギョッとする(写真撮影/吉村智樹)

バヒュッテのシンボルといえる、大胆に設えられた「筋交い」。初めて見た人はギョッとする(写真撮影/吉村智樹)

清野「筋交いをしなきゃいけない理由は、通りに面した柱を減らすためです。『間口は全面ガラス張りにする』という設計士さんのアイデアがあり、そのために壁面に大きな筋交いが必要となったんです。これだけ大きいと、隠しようがない」

集成材でできた筋交いで壁側をしっかり固め、揺るぎない構造に。これにより間口の開放感がグンと増しました。

では、そもそも間口を全面ガラス張りにした理由は、なんなのでしょう。それは、「歩道すら建築の一部だと錯覚させるため」。狭いゆえに、外の景色も店内に採り入れようという発想なのです。筋交いは功を奏し、抜群の採光と眺望を手に入れました。視覚的効果がこれほどの爽快感をもたらすとはと、感心してしまいます。

筋交いが建物をしっかり支え、間口の全面ガラス張りを可能にしている。ガラス張りによって店内にいながら屋外の街路樹など眺望を楽しめる。おかげで狭さを感じない(写真撮影/吉村智樹)

筋交いが建物をしっかり支え、間口の全面ガラス張りを可能にしている。ガラス張りによって店内にいながら屋外の街路樹など眺望を楽しめる。おかげで狭さを感じない(写真撮影/吉村智樹)

地面を掘って天井を高く見せる効果は絶大

もう一つ、バヒュッテの構造には大きな特徴があります。それは古本や雑貨が並ぶ店舗部分の地面を掘り下げていること。その深さは約600mm。

清野「地面を掘ったのも設計士さんのアイデアです。掘って床を下げ、天井を高く見せ、狭さを感じなくさせているんです」

書籍や雑貨のコーナーは600mm掘り下げ、それによって天井を高く見せた(写真撮影/吉村智樹)

書籍や雑貨のコーナーは600mm掘り下げ、それによって天井を高く見せた(写真撮影/吉村智樹)

確かに掘られた床に立っていると、窮屈さをまるで感じません。天井が高く、ガラス戸から陽光が差し込み、まるで教会にいるような敬けんな気持ちにすらなってきます。

とはいえ、それは怪我の功名ともいえます。実はこの敷地、かたちがいびつなだけではなく、南北で高低差もある難物だったのです。地面を掘って店舗に床高の変化をつけたのは、やっかいな敷地を店舗として成立させる苦肉の策でもありました。そしてこの店内の起伏が、グッドデザイン賞を受賞したポイントとなったのです。

不整形かつ南高北低の傾斜地というなかなか難易度が高い立地。店内の床を掘り、地面をフラットにせざるをえなかった。最高で地上440mmの基礎を設け、雨の侵入を防いでいる(写真撮影/吉村智樹)

不整形かつ南高北低の傾斜地というなかなか難易度が高い立地。店内の床を掘り、地面をフラットにせざるをえなかった。最高で地上440mmの基礎を設け、雨の侵入を防いでいる(写真撮影/吉村智樹)

工事の様子(画像提供/バヒュッテ)

工事の様子(画像提供/バヒュッテ)

細長い店舗兼住居が「新時代の町家建築」と高評価に

2021年度「グッドデザイン賞」に選ばれたこの類まれなる店舗併用住宅「バヒュッテ」を設計したのは京都市北区にある「木村松本建築設計事務所」。

公益財団法人「日本デザイン振興会」は、バヒュッテを「京都に出現した新時代の町家建築だ。働くことと暮らすことが混ざり合った都市住宅の新しい在り方を示すことに成功している。街の本屋がどんどんと閉店していく中で、古本屋がこうやって暮らしと溶け合うのは、大変に現代的な現象であるとも言える。時代の流れを生む重要なデザインである」と評価しました。それが受賞の理由。

設計者の一人である木村吉成さんはバヒュッテを、「クライアント、構造家、施工者が一丸となってつくった建物」と語りました。自分たちでも会心の作だったという熱い想いが伝わってきます。木村松本建築設計事務所はさらにバヒュッテの設計を高く評価され、日本建築家協会が主催する「JIA新人賞」も同年に受賞。いっそう箔をつけたのです。

グッドデザイン賞の受賞を機に、特殊な構造を一目見ようと、バヒュッテには設計士、建築関係者、大学教授、建築を勉強する学生たちが続々とやってくるようになりました。なかには他府県からわざわざ見学に訪れる人もいるのだとか。

世代や国籍を問わず、建築に関心がある人たちが集まり、交流が始まるという(画像提供/バヒュッテ)

世代や国籍を問わず、建築に関心がある人たちが集まり、交流が始まるという(画像提供/バヒュッテ)

清野「みんな怪訝な表情で10分ほど写真を撮っていかれます。そして居合わせた見学者さん同士でビールを飲んで盛りあがる場合もしばしばあるんです。そんなときはいつも、『こういう仲をとりもてたのが、この構造の一番の効果かな』と思うんです。ただ、ここを設計してくれた木村さんは、『ここまで立ち呑み屋として発展するとは自分でも意外だった。酒がすすむ効果までは考えていなかった』とおっしゃっていましたね」

間口をガラス張りにして閉塞感を拭い去り、筋交いを隠すことなくさらけだした構造には、設計士すらも気がつかなかった、飾らずに楽しく会話させる効能があったのかもしれません。

立ち呑みコーナーには続々と人がやってきて、会話に花が咲く。「立ち呑み屋としてここまで機能するとは」と設計士自身も驚いたという(写真撮影/吉村智樹)

立ち呑みコーナーには続々と人がやってきて、会話に花が咲く。「立ち呑み屋としてここまで機能するとは」と設計士自身も驚いたという(写真撮影/吉村智樹)

珍しい日本酒やクラフトビールがそろう。BGMはアナログレコード。やさしい音色が穏やかな空間に溶け込む(写真撮影/吉村智樹)

珍しい日本酒やクラフトビールがそろう。BGMはアナログレコード。やさしい音色が穏やかな空間に溶け込む(写真撮影/吉村智樹)

不整形地もアイデア次第で活用できる

さて、気になるのは居住部分。さまざまな仕掛けで狭さを感じさせないように設計されたバヒュッテですが、家となるとさすがに「細長すぎるのでは」と心配になります。

間取図。「店を通らずに居住スペースへ行ける」点にこだわったという(画像提供/バヒュッテ)

間取図。「店を通らずに居住スペースへ行ける」点にこだわったという(画像提供/バヒュッテ)

建築模型。周辺の木立は当初から大切な要素だった(画像提供/バヒュッテ)

建築模型。周辺の木立は当初から大切な要素だった(画像提供/バヒュッテ)

清野「お客さんからよく、『本当に夫婦で二階に住んでいるの?』『人が住めるんですか?』と聞かれます。確かによその家よりも細長いので、友達を数人呼ぶと、横一列に並んで座る感じになりますね。『ちょっと、どいて』って言わないと通れませんし。でも、不便を感じるのはそれくらいかな。ロフトになっていて、狭さを感じないです。総面積だと小さめのマンション一部屋ぶんくらい十分にありますよ」

居住スペース。陽当たり良好。西日が強いため厚さが異なる2枚のカーテンで光の量を調節する(写真撮影/吉村智樹)

居住スペース。日当たり良好。西日が強いため厚さが異なる2枚のカーテンで光の量を調節する(写真撮影/吉村智樹)

それを聞いて安心しました。そして、いよいよ核心である「お値段」について踏み込まねばなりません。バヒュッテの建築には、いったいいくらかかったのでしょう。

清野「土地だけで2680万円。魚屋さんの建物を撤去する費用に10万円。そして店舗兼住居の建築費に3000万円。計およそ6000万円ですね。借入は35年の住宅ローンです。35年じゃないとローンが組めなかったので」

人気の京都市左京区内で、しかも駅から徒歩5分ほど場所の土地が2680万円とは安い。さらにもとあった鮮魚店店舗の撤去費用がわずか10万円とは破格にお得。不整形地でも固定観念を覆し、冴えたアイデアさえあれば存分に活かせるのだと、バヒュッテは教えてくれます。

お客さんに寄り添いながら流動してゆく店に

いまや修学院駅周辺エリアのランドマークであり、大切なコミュニティーの「バ」となったバヒュッテ。今後はどんなお店にしたいと考えているのでしょう。

清野「自分たちでこうしたいというより、お客さんに寄り添いながら流動してゆく店でありたい。もともとは古本と雑貨をメインに考えていて、午前11時オープン、夜は早く閉まるお店でした。けれども立ち呑みコーナーが人気となって、現在は昼下がりの午後2時から午後8時までになったんです。お酒の品ぞろえもお客さんの好みに合わせて変わってきました。そんなふうにニーズを探りつつ、自分たちがやりたいことをすり合わせて、変化させていく。そんなお店にしたい。現状維持はつまらないですしね」

夜になるとさらに存在感が増すバヒュッテ。全面ガラス張りの間口から漏れる灯りが街の治安にも貢献している(写真撮影/吉村智樹)

夜になるとさらに存在感が増すバヒュッテ。全面ガラス張りの間口から漏れる灯りが街の治安にも貢献している(写真撮影/吉村智樹)

開店して4年。いまや地元のコミュニティーの場として欠かせない存在となった(写真撮影/吉村智樹)

開店して4年。いまや地元のコミュニティーの場として欠かせない存在となった(写真撮影/吉村智樹)

街角に現れた、見る角度によって大きさが変わる不思議な小屋。そこは、人間の多様性や多面性を受け入れるやさしさがありました。

●取材協力
ba hütte.(バヒュッテ)
住所 京都府京都市左京区山端壱町田町38番地
営業時間 14:00 ~ 20:00
定休日 火曜日 水曜日 臨時休業あり
電話 075-746-5387
地上2階 /敷地面積:52.60平米 /建築面積:29.00平米 /延床面積:53.64平米

住んで、創作して、働いて、プレゼンする。職住一体型アーティストレジデンス&アートホテル「KAGANHOTEL」

京都駅からひと駅。JR「梅小路京都西駅」の誕生もあり、京都で注目を集める京都駅西部エリア。早朝には京都市中央卸売市場で働く人々の活気ある声でにぎわうが、昼になると閑散。他の町とは時間軸が異なる、とても特殊なエリアだ。その場外市場に入っていくと、大きなアイアン×ガラスドアの無機質な建物が出現する。それが、KAGANHOTEL。築45年、5階建て青果卸売会社の社員寮兼倉庫をリノベーション。若手現代作家が住まいながら創作に励むことができる、コミュニティ型アーティストレジデンスであり、アートホテルでもあり。

「ネタ帳に「こういうものがあったらいいよね」を書き留めておく。そして、人生のタイムライン上、タイミングが合ったときに実行するようにしています」扇沢さん(写真撮影/中島光行)

「ネタ帳に「こういうものがあったらいいよね」を書き留めておく。そして、人生のタイムライン上、タイミングが合ったときに実行するようにしています」扇沢さん(写真撮影/中島光行)

早朝の市場の街に、新しい人の営みを

「ここは、まだ真っ暗な朝3時から動く町。トラックが動いて競りが始まり、朝10時には終わって、人がいなくなる。制作音が出る作品づくりなら、生活時間が重ならなくて、好都合じゃないかと」。そう語るのは、代表の扇沢友樹さんだ。市場で働く人から、アーティストに、生活のバトンタッチがグラデーションとなり、この街を彩る。「アーティストがホテルで働いてお金をかせぎながら、創作活動と同時に発表もできる、職住一体型アーティストレジデンスです。ホテルという同じ場所で流動的な人の流れとアートをマッチング。宿泊者とアーティストの新たな関係性を日常的に生み出します」

まず、KAGANHOTELの中を案内しよう。

エントランスを入ると、突如地下への階段が現れる。「創作するなら、その作品を出し入れしやすいことが必須。それなら、大きな動線が必要だろうと、もとは青果を保存していた地下倉庫につながるこの『落とし穴』ありきで、リノベーションを進めました」と扇沢さん。地下にはギャラリーとブースに仕切られたスタジオがあり、各アーティストに振り分けられている。

玄関を入るとすぐに地下へとつながる階段(写真撮影/中島光行)

玄関を入るとすぐに地下へとつながる階段(写真撮影/中島光行)

ギャラリースペース。ベッドに映像が映し出されるインスタレーション(写真撮影/中島光行)

ギャラリースペース。ベッドに映像が映し出されるインスタレーション(写真撮影/中島光行)

1階は、ホテル受付&イベントスペース&カフェバー。和室のふすまのような引戸で4つに間仕切られているので、必要に応じて空間を拡大、縮小。空間をスマートに使い分けることができる「和」を意識したスペース。古い梁や柱はグレーの構造体そのまま、手を加えたふすま部分はホワイトにペイントし、レイヤーを分けることで、元の建物の存在感と、新たに加えたものの役割やこだわりがうまく共存し、多面的な空間をつくり上げている。

ガラス戸の向こうに広がるのが場外市場。ホテルの開口部を大きく、外側に垂れ壁をつくることで、1階と町がつながる工夫を施した(写真撮影/中島光行)

ガラス戸の向こうに広がるのが場外市場。ホテルの開口部を大きく、外側に垂れ壁をつくることで、1階と町がつながる工夫を施した(写真撮影/中島光行)

カフェバースペース。前のビルと手を加えた部分がレイヤーになっているのがよく分かる。倉庫として使う地下へ1階から青果を運んでいたのはベルトコンベア、カウンターのガラスの下を支える土台としてリノベ後も活躍(写真撮影/中島光行)

カフェバースペース。前のビルと手を加えた部分がレイヤーになっているのがよくわかる。倉庫として使う地下へ1階から青果を運んでいたのはベルトコンベア、カウンターのガラスの下を支える土台としてリノベ後も活躍(写真撮影/中島光行)

2階は団体で宿泊できるドミトリー、3階はアーティストの住まい、4階は創作活動のために作家が中期的に滞在するホステル、5階はプレミアムホテルとして、一般客が宿泊できる。客室内はアーティストがプレゼンテーションする場でもあり、作品が壁に展示されていたり、作品をモチーフにしたベッドカバーなどが使われており、室内にあるタブレットには作品リストやコンセプトを紹介している。宿泊前にホテルのホームページでリストから好きな作品やアーティストをピックアップしておけば、それらの作品を、宿泊する部屋のモダンな床の間に飾るといったこともオーダーできるのだ。

団体が勉強合宿などを行う2階。アーティストがDIY中(写真撮影/中島光行)

団体が勉強合宿などを行う2階。アーティストがDIY中(写真撮影/中島光行)

4階中期滞在用ホテル。Rの窓が船舶みたいで面白い。建築当時の流行とか(写真撮影/中島光行)

4階中期滞在用ホテル。Rの窓が船舶みたいで面白い。建築当時の流行とか(写真撮影/中島光行)

(写真撮影/中島光行)

高低差が面白い5階ホテル。自分で選んだアーティストの作品を床の間で鑑賞できる(写真撮影/中島光行)

高低差が面白い5階ホテル。自分で選んだアーティストの作品を床の間で鑑賞できる(写真撮影/中島光行)

アーティストには創作拠点、滞在者にはアートとの関わりを提供

現在、KAGANHOTELのアーティストとして創作活動に励み、スタッフとして働くひとりが、現代アート作家のキース・スペンサーさん。アメリカから来日、福島と京都で暮らした経験があり、「アートに集中したい」と、日本での滞在型アーティストプログラムを探したところ、辿り着いたのが、このKAGANHOTELだった。「アーティストとして活動するなら京都がいいと思っていたので、住むことが出来て感激しています」

ギャラリーに展示されている作品「All our maps have failed」(18年作)の前で語るキース・スペンサー(写真撮影/中島光行)

ギャラリーに展示されている作品「All our maps have failed」(18年作)の前で語るキース・スペンサー(写真撮影/中島光行)

彼のとある1日は、こうだ。8時半から17時半までホテルで仕事に従事、現在は2階の工事仕事を担当している。実はこのホテル、地下+1階と5階は工務店による施工で完成しているが、2~4階はスタッフの手によるDIY。まだ、作業中の階も多く、アーティストがみずからDIYするのだ。今後は、工事だけでなくフロントやカフェなどほかのホテル業務も手伝っていく予定とのことだ。

創作活動は19時から毎日3時間。「階段を降りるとスタジオがあるのは贅沢なこと。心の中にある福島の風景をメインに、ドローイングや風景画、抽象画を手掛けています。作品も大きなものから小さなものまでありますね。ここは、アーティストのコミュニティ。アーティストと一緒に住むことで、作品のことなど、悩みを互いに理解できるのがいいですね。まだオープンして数カ月なので、宿泊者との交流とまではいかないですが、今後は反応も楽しみ。このホテルを出発点に、京都に、関西に作品を届けていきたいです」

地下のスタジオはアーティストごとにブースで仕切られている(写真撮影/中島光行)

地下のスタジオはアーティストごとにブースで仕切られている(写真撮影/中島光行)

「このホテルは、長期滞在者、中期滞在者、ワンデイステイと、いろんな使い方があり、世界を旅する客船のようでもあります」と扇沢さん。「作家の作品を買ったことがない宿泊者は、泊まっている間、身近にアートのある暮らしをすることで、コレクターの疑似体験ができます。京都に来た作家さんは1週間~1カ月、ここで創作活動ができます。数十名単位の学生が合宿し、勉強会も開催できます」。職住一体型コミュニティという完結したサイクルに、いろんなスパンの滞在者がスパイラルに関わり合いながら、アーティストをサポート。そんな仕掛けづくりが見事!

扇沢さんは、学生のころから起業を目指し、経験を積むために一度は就職活動も行ったものの、やはりすぐにでも始めようと、大学卒業後すぐ不動産会社を立ち上げたという異色の経歴。「ずっと京都にいる20代30代の若者向けの職住一体型住居を企画・運営してきました。そもそも京都には、下で商売をして上で暮らす職住一体型の京町家というスタイルが存在していたのですが、この社員寮や商店の多く残っているエリアで職住一体型というのはすごく意味があると思っています」と扇沢さん。このKAGANHOTELも、町家のように、上は住居スペース、下はイベントを開催したり、飲食経営したり、まさにチャレンジハウス。

このKAGANHOTELがアートとアーティストがテーマなのに対し、クラフトやクラフトマン、つまり職人をテーマとしたスペースがある。KAGANHOTELのすぐそば、扇沢さんが先に手掛けたREDIY(リディ)というスペースだ。「場外市場というエリアに出会ったのは5年前。まずはKAGANHOTELとなる社員寮よりもう少し規模の小さいREDIY(リディ)から始めました」

乾物屋のビルをリノベーションしたREDIY(リディ)。1階はレーザーカッターや3Dプリンタが使えるスペースになっている(写真撮影/中島光行)

乾物屋のビルをリノベーションしたREDIY(リディ)。1階はレーザーカッターや3Dプリンタが使えるスペースになっている(写真撮影/中島光行)

ここは元乾物屋のビルで、建築・クラフトマンのための、工房・シェアハウス・オフィスを併設する、職住一体型クリエイティブセンター。2階には木工や溶接までできる工房があり、建築設計、グラフィック、写真、家具造り、鉄鋼、彫刻をする人々が集まった。扇沢さんはこのセミクローズドの完結した環境で同年代のクラフトマンと自ら共同生活をしつつ、職住コミュニティの可能性を模索した。

2階の工房は、溶接や木工作業ができるよう工具がそろっている(写真撮影/中島光行)

2階の工房は、溶接や木工作業ができるよう工具がそろっている(写真撮影/中島光行)

「サラリーマンとクラフトマンの二足のわらじの人も。それぞれのライフプランに合った生活をしてほしい」

ここに住み、創作活動をしている高橋夫妻は、まさにそんな例だ。もともとレザー小物の製造販売会社で制作や販売を担当していた紗帆さんは、その後独立。「当時、家で作業するには音問題もあり、気を使いながらの作業ではストレスもたまりました」(紗帆さん)。そんな時、大輔さんがフェイスブックでREDIY(リディ)を見つけて、このシェアハウスに飛びついた。

アクセサリー作家の高橋紗帆さん、ご主人の大輔さん(写真撮影/中島光行)

アクセサリー作家の高橋紗帆さん、ご主人の大輔さん(写真撮影/中島光行)

REDIY(リディ)の面白いところは、住まいや工房の借り方が自在なところ。ちなみに高橋さんは、最初は夫婦別々に2部屋借りていたところから、大きな1部屋にチェンジ+工房1ブース、その後工房が2ブースになり、さらに工房を3ブースと、道具や材料が増えるにつれて、工房のスペースが広くなっていった。これぞ、REDIY(リディ)の拡張の法則。紗帆さんは今ではレザーと金属を使ったアクセサリーをつくる作家さん。大輔さんは現在は紗帆さんを手伝いながら、勤めていた会社をやめ、次のステップの準備中だ。

現在は3ブースレンタルしている工房風景。なんとロフトは自作!(写真撮影/中島光行)

現在は3ブースレンタルしている工房風景。なんとロフトは自作!(写真撮影/中島光行)

「将来的にものづくりを生業にしたいという思いを応援してくれる環境がそろっているのですごくやりやすい。何かをつくりたいと思ったら近くに道具があるし、制作中の騒音や匂いを気にする必要が無くなるような環境・設備があるのでフットワークも軽くなりますね。普通だと工房を借りようと思うと、家賃+α必要ですが、ここなら簡単にそういう環境が手に入る。徐々に仕事が増えていくと、自分たちの暮らし方や、仕事の幅、収入によって、住まい+工房のカタチを変化させることができるのも魅力的です。京都駅に近いので便利ですし、友達も増えて、すごく楽しいです。私たちが職住をここで行っているの見て、好きなことを仕事にしたいと挑戦する仲間が増えてきたこともうれしいですね」

京都に根付く職住一体の暮らしから、若い世代を応援

扇沢さんがライフワークとして活動したREDIY(リディ)には、住む、つくる、環境、コミュニティ、関係性。そんなキーワードが見える。「こうあったらいいな、ということを一つ一つ実現していき、それが一段落したとき、この職住システムをマクロに発展させる必要があるなと。事業としてやるということを意識し始めたんです」。そして、覚悟を決めて挑戦したのが、KAGANHOTEL。ほど近い場外市場で、REDIY(リディ)で出会った建築家さんたちと一緒につくりあげた。不動産の専門家としての立場から、美術家にとってどんな環境が必要かアウトプット。レジデンスに住まうアーティストの選考は、京都芸術大学教授の椿昇さんはじめとする現代作家の方3名にアドバイザーを依頼し、クオリティを担保したのも事業家としての責任感と思いからだ。

働き方より暮らし方。建物だけではなく、そこに生まれる関係性の価値を事業化してきた扇沢さん。今後の展望は?
「下で働いて上で暮らすグラデーションのある生き方ができる職住一体型は、特に京都で意味があると思っています。京都は人口の1割約13万人と学生が多く、『キャリアどうする?』と考えている人が大勢いるポテンシャルの都市。そんな 20代30代のために、キャリアを確立するための準備期間として住環境提供していきたいと。そのために、自分たちの作品やプロダクトを持っているクラフトマンやアーティストで始めたのが、REDIY(リディ)であり、KAGANHOTEL。将来的にはまだ手に職を持っていない若者に向けてもキャリア型学生寮ができればいいなと思っています」
 伝統的なもの、格式高いものを大切にする京都の中では、扇沢さんがつくろうとしている若い作家が刺激をしあう場や、テーマである現代芸術に対し、理解が得にくい場面もあるそうだ。しかし、扇沢さんが目指していることは、昔から続く京町家がそうであったように、暮らすことと、働くことが一体、職住一体であること。生活の中の視点から新しい芸術が生み出され、それを求めて人が訪れること、実は何も変わらない。かつては、どの街も働く音や生活音に溢れていた。朝しか活気のなかったこの市場の街が、アーティストやクラフトマンの創作の音、作品や創作活動を通じて訪れる人とで、新しい一面を生み出しつつある。新型コロナウィルスの影響で、扇沢さんが理想とする、アートを通じた人の交流は、今この瞬間は厳しい環境に立たされている。事務所費用の負担が大きいアーティスト、事業主にマンスリーオフィスやワークスペースとして貸し出すことも始めた。この苦難を乗り越え、美しいものをずっと守ってきた京都に、新たな創作が続いていくことを応援していきたい。

●取材協力
河岸ホテル

デジタル工作機器でオリジナルなグッズがつくれるカフェ。「ファブカフェ キョウト」が伝えたい「ものづくり」のある暮らし

お気に入りの写真やロゴマークなど自分でつくったデザインを、オブジェやグッズにしたり、友達と企画したイベントでノベルティなどをつくって、参加者とおそろいにしたり、そんな、オリジナルなものがある生活、素敵ですよね。表現の幅が広がり、暮らしはきっともっと豊かなものになるでしょう。「ハンドメイドで!」と考えるものの、そもそも、加工ができる工具や設備がありませんし、ショップに製作を依頼するにはロット数が少なすぎて、数の割にはお金がかかってしまいます。

近年、「メイカースペース」「Fab スペース(以下「ファブスペース」)」と呼ばれる、3Dプリンターや、デジタルミシンなどのデジタル工作機器を取りそろえた施設が、各地にできています。京都の街なかにある「FabCafe Kyoto」(ファブカフェ キョウト)は、お茶や食事も楽しめるカフェにファブスペースが併設された「ファブカフェ」。

工房と一体化した夢のようなカフェは、今、この街でどんなふうに住民との関係を築いているのか。「FabCafe Kyoto」を運営している株式会社ロフトワークのディレクター、木下浩佑さんにお話をうかがいました。

おしゃれなカフェとデジタル工作機器の不思議なバランス

訪れた場所は、「五条」と呼ばれるエリア。東には世界遺産の清水寺があり、西へ歩けば東本願寺、南へさがれば京都タワー。徒歩圏内に京都を代表する名だたる観光スポットをいだきながらも、静かな趣をたたえる街です。

2017年6月9日にオープンした「FabCafe Kyoto」。ここは、築およそ120年という木造建築をリノベーションしたクリエイティブ・スポットです。和の意匠を活かした堂々たるたたずまいに見とれてしまいます。

最近では町屋をリノベしたカフェやゲストハウスも増え、若い人たちに人気の五条エリア。真黒でモダンな外観はつい中をのぞき込みたくなる(写真撮影/出合コウ介)

最近では町屋をリノベしたカフェやゲストハウスも増え、若い人たちに人気の五条エリア。真黒でモダンな外観はつい中をのぞき込みたくなる(写真撮影/出合コウ介)

店内に足を踏み入れると、そこは30席を擁する、ゆったりとしたカフェ空間。インターネット回線と電源を無料開放し、コワーキングスペースのようにも使えます。

1階左手は長いカフェカウンター。この奥にファブコーナーがある(写真撮影/出合コウ介)

1階左手は長いカフェカウンター。この奥にファブコーナーがある(写真撮影/出合コウ介)

もとは工場や家具屋として使われていた築120年の建物。モノや車が出入りしていた通りに面した部分は開放感のある窓と入口になっている(写真撮影/出合コウ介)

もとは工場や家具屋として使われていた築120年の建物。モノや車が出入りしていた通りに面した部分は開放感のある窓と入口になっている(写真撮影/出合コウ介)

そして! 刮目すべきは、1階のカフェの明るい窓に面した奥。ここに、工作用マシンがズラリと並んでいます。

設置されているのは、プラスチックや皮革や材木などを彫刻したり切断したりできる「レーザーカッター」、3次元の造形ができる「3Dプリンター」、紫外線をあてると硬化する特殊インクで、紙以外にも印刷できる「UVプリンター」、切削工具を回転させながら彫刻をしたり穴をあけたりできる小型「CNCフライス」、最大8色の糸でさまざまな色彩とデザインが表現できる「デジタル刺繍ミシン」などなど。高価なため家庭での購入が難しい機器の数々が並び、ワクワクしてきます。
それぞれ、利用時間に応じて料金が設定されています。また、レーザーカッターとデジタル刺繍ミシン、UVプリンターは操作方法の講習会を受講した方のみ使用が可能となっています。

写真上/ずらりと並んだデジタル工作機器、写真下/デジタルミシン(手前)とUVプリンター(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部(上)、出合コウ介(下))

写真上/ずらりと並んだデジタル工作機器、写真下/デジタルミシン(手前)とUVプリンター(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部(上)、出合コウ介(下))

木下浩佑さん。この店で働く前も東京のモノづくり施設で運営に携わる。経験を活かし、京都ならではの素材や伝統、人脈を活かしたファブスペースづくりに取り組んでいる(写真撮影/出合コウ介)

木下浩佑さん。この店で働く前も東京のモノづくり施設で運営に携わる。経験を活かし、京都ならではの素材や伝統、人脈を活かしたファブスペースづくりに取り組んでいる(写真撮影/出合コウ介)

木下浩佑さん(以下、木下)「カフェに工作機器をそろえたこのスペースは、ものづくりをしたい人たちを応援をするためのラボ(工房)です。工作機器の多くは製造工場や教育施設などにあり、扱うのは専門の職人さんや、専門の勉強をしている人が中心です。そのような場に行かない限り、一般の人には機械を目にするきっかけも、触る機会も少ない。そういった専業職種の機械を広く一般に開放してゆくのが私たちのようなファブスペースの役目なんです。カフェという気軽に入れるスペースとくっついていることで、さらに多くの方が機械を利用できるのではないかと考えました」

社会実験から始まったアメリカ生まれのファブラボが、カフェ併設で、より日常に

工場にあって表に出ない工作機械と市井の人々をつなぐ場。もともとはアメリカのマサチューセッツ工科大学が、「高度な機器を市民に開放すると、地域でどんな活動が始まるのか?」という社会実験として「ファブラボ」と呼ばれる場をつくったことから始まったのだそう。そしてこの実験精神や理念が多くの人に受け容れられ、今や海を渡り、ファブスペースは世界中に誕生しているのです。

木下「例えば、レーザーカッターで硬い素材にスリット(切れ込み)を入れると、手で曲げられるほど柔らかくなります。アクリル板を凹凸にカットして組み合わせると箱など容器がすぐにつくれます。文字を切り出すと、商店のポップなどにも使えます。あると便利だけれど家庭では制作できない雑貨などが、ここでは実現可能なんです」

アクリル板をレーザーカッターでカットすればさまざまな立体がつくれる(写真撮影/出合コウ介)

アクリル板をレーザーカッターでカットすればさまざまな立体がつくれる(写真撮影/出合コウ介)

UVプリンターでアクリル版に塗装したもの。革や布などにも塗装可能で、人気の機器だ(写真撮影/出合コウ介)

UVプリンターでアクリル版に塗装したもの。革や布などにも塗装可能で、人気の機器だ(写真撮影/出合コウ介)

カフェと工房が一体化したスタイルは、ここが世界で9軒目、この京都店と同じ系列では台北、香港、渋谷、といった大都市のほかに岐阜県の飛騨にも。ファブラボの「ファブ」に「FABrication(ものづくり)」と「FABulous(愉快な、素晴らしい)」という二つの意味を込めており、「伝統と革新、デジタルとアナログが混ざりあう、楽しい創造の場所にしてゆきたい」という想いがあるとのこと。

カフェと工房のあいだに仕切りなし。お客さんどうしの交流が生まれる

今回はSUUMOジャーナル編集部が、トートバッグにオリジナルな刺繍をチャレンジ。原画は編集部員Kのお母さんが「趣味で描いた」という油絵の写真。

写真撮影/編集部K

写真撮影/編集部K

持ち込んだイラストやデザインをPCで加工、デジタル工作機器に取り込むことで器用な人でも誰でも思い通りの作品をつくることが可能(写真撮影/出合コウ介)

持ち込んだイラストやデザインをPCで加工、デジタル工作機器に取り込むことで器用な人でも誰でも思い通りの作品をつくることが可能(写真撮影/出合コウ介)

PCで4色の色に変換された絵の画像は、4色の糸で次々と刺繍されていく(写真撮影/出合コウ介)

PCで4色の色に変換された絵の画像は、4色の糸で次々と刺繍されていく(写真撮影/出合コウ介)

それにしても驚くのが、カフェとファブスペースの境目がまるでない点。ここまで飲食スペースと一体化しているとは想像していませんでした。

木下「カッティングやミシンがけなど作業の際に出るノイズに包まれながら、ある人はパソコンで仕事をし、ある人は読書をし、ある人は思考をめぐらせ、ある人はおしゃべりに興じたり、ミーティングをしたり。そんなふうに、それぞれが自分なりのワークをしながら音に寛容になれる場所が京都にあってもいいんじゃないかと考えて、あえて仕切りは設けていません。『ガラス張りにすらしたくない』って思ったんです。『静かにしなきゃいけない』って、お客さんにとって、すごいプレッシャーですしね」

コーヒーを飲みながらコワーキングスペースとして利用する人も(写真撮影/出合コウ介)

コーヒーを飲みながらコワーキングスペースとして利用する人も(写真撮影/出合コウ介)

木下さんがおっしゃる通り、店内はさまざまな機械音がリズムを刻んでいて躍動感があり、「サウンドで元気がもらえるカフェだな」という印象を受けました。騒音だとはまるで感じず、むしろ音の色彩感を味わえる、ここはそんな場所なのです。

木下「それに仕切りをなくすと、見知らぬ人どうしで『何をつくっているんですか?』ってフレンドリーに話しかけやすい。新たな交流が生まれます。ここに来た人やクリエイターと、あるいはクリエイターと企業が協創するきっかけなればうれしいですね」

作業中は「あえて手伝わない」。自分の力で完成させるからこそ、ものづくりは楽しい

「FabCafe Kyoto」の、もうひとつの大きな特徴、それは機械や工具の使用が「セルフサービス」である点。教えてくれる人がつかないため、不安に感じて利用を躊躇するお客さんもいるのでは?

木下「はじめは不安でも、失敗してもいいからDIYを楽しんでほしい。実はオープン当初はオペレーターつきのプランも設けていたんです。でも、やめました。助手をつけると結局、人に頼ってしまって、自分だけでは完成させられなくなるんです。試行錯誤しつつ、『ここをもっと、こうしたほうがいい』『こう操作するとクオリティがあがるのか』と気がつくことこそが、ものづくりのおもしろさだと思うんですね。それに自分でつくると、『職人さんって、やっぱスゴいな!』って、リスペクトの気持ちが改めて湧いてきます」

失敗したっていい。間違えたから気づきがある。ああでもないこうでもないと首をひねりながらも、手を動かしたからこそ生まれるアイデアもある。そうやってカフェの一画でさまざまな人々がハンドメイドにチャレンジし、「木目の上に透明なインクを印刷して半立体にしたグッズ」など意欲作が続々と誕生しました。

レーザーカッターの切る幅を変わるだけで素材の印象は大きく変わる。細く細かく入れれば固いものもしなやかに曲がる(写真撮影/出合コウ介)

レーザーカッターの切る幅を変わるだけで素材の印象は大きく変わる。細く細かく入れれば固いものもしなやかに曲がる(写真撮影/出合コウ介)

年間およそ数百アイテムが誕生。伝統工芸の歴史深き京都では「京都らしく」

デスクワークがメインだったクリエイターが、初めて機械に触れるケースも多いのだそう。実際の工芸作業をした経験がなかったデザイナーがレーザーカッターを自力で操作し、「自分が設計したデータが商品になるって、こういうことなんだ!」と子どものように初々しく喜ぶ姿も見受けられたと木下さんは言います。

木下「FabCafe Kyotoから生まれた作品は、年間およそ数百種類。どれも素晴らしくて、僕らも刺激をもらえます。そういえば、海外からお見えになられたお客さんが『スーツケースの取っ手が壊れたから』と言って、3Dプリンターで取っ手をサッとつくってサッと帰っていった日もありました。必要なものをつくることが当たり前になっている、あの時は『カッコいい!』ってテンションがアガりました」

上/分厚いアクリル板の裏側にUVプリンターで画像を塗装したもの。立体感が出て素敵なオブジェに。下/3Dプリンターでつくった模型。設計図となるデータは、さまざまなサイトで共有されていて、自分でイチからつくれなくても、データのサイズを変えたり、デザインを変えたりなどなどカスタマイズすることからチャレンジすることもできる(写真撮影/出合コウ介)

上/分厚いアクリル板の裏側にUVプリンターで画像を塗装したもの。立体感が出て素敵なオブジェに。下/3Dプリンターでつくった模型。設計図となるデータは、さまざまなサイトで共有されていて、自分でイチからつくれなくても、データのサイズを変えたり、デザインを変えたりなどなどカスタマイズすることからチャレンジすることもできる(写真撮影/出合コウ介)

一般の方々がカジュアルにドロップインし、ものづくりを学べる「FabCafe Kyoto」。カフェですから、工作機械はもちろん、ドリンクももちろん充実。珈琲豆は、京都伏見で焙煎しているスペシャルティコーヒーショップ「Kurasu Kyoto」に依頼したオリジナルブレンドと、緑豊かな京都・大山崎の山麓にある「大山崎 COFFEE ROASTERS 」で自家焙煎した豆を使用、「抹茶ラテ」には新進気鋭の茶舗「京都ぎょくろのごえん茶」の抹茶粉を使用するなど京都らしいラインナップです。

本格的に茶筅でたてる抹茶ラテ(写真撮影/出合コウ介)

本格的に茶筅でたてる抹茶ラテ(写真撮影/出合コウ介)

木下「京都ぎょくろのごえん茶さんは、抹茶の仕入れだけではなく、うちのレーザーカッターのヘビーユーザーなんです。お店に使うポップをハンドメイドしているんですよ」

食材の仕入れ先という結びつきを超え、カフェとラボは、新たなる有機的な関係を築いていたのです。ほかにもゲストハウスや飲食店を営む人が、ルームキーのキーホルダーや、施設内のサインプレート、メニュー表やカップをつくったりなど、暮らしや生業に根差した使われ方をされているそう。ここには、漆や引箔(ひきはく:和紙に金銀箔で模様を施し断裁した糸。西陣織に使われるもの)といった伝統的な素材から、サンルミシスインキ(ブラックライトで光る蛍光顔料)や熱硬化性素材など最新のマテリアルも展示しており、創作イメージが広がります。
「ここ、京都は商売だけでなく、職人さんや芸術家も多い町です。ちょっと立ち寄ったときに、素材や人からの刺激を受けたり、試作品をつくる場になったりもしています」ひとくちにファブスペースといっても、この京都のようにカフェがあったり素材があったりなど、その街にどんな人が暮らしているかによって、形態はさまざま。つくること、お客さんに見せることが暮らしの一部となっている京都の人が、足を運びやすい「ものづくりの場」として地域に溶け込んでいるようです。

カフェスペースではさまざまな京都やモノづくり、マテリアルに関係したイベントも多数開催している(写真提供/FabCafe Kyoto)

カフェスペースではさまざまな京都やモノづくり、マテリアルに関係したイベントも多数開催している(写真提供/FabCafe Kyoto)

ショップ看板(左)、ウィンドウサイン(右)のほか、店内のディスプレイもここでつくったオリジナル。周辺のお店の人、職人さん、芸術家らもこのようなオリジナルな1点をつくりに来るそう(写真撮影/出合コウ介)

ショップ看板(左)、ウィンドウサイン(右)のほか、店内のディスプレイもここでつくったオリジナル。周辺のお店の人、職人さん、芸術家らもこのようなオリジナルな1点をつくりに来るそう(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

さて! いよいよトートバッグの刺繍ができあがりました。今回は特別に木下さん直々にミシンがけをしていただきました。間違いなく、誰がどう見てもオンリーワンなバッグとなりましたが、いかがでしょう。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

どうだろうか。なかなかサイケデリックな仕上がり(写真撮影/編集K)

どうだろうか。なかなかサイケデリックな仕上がり(写真撮影/編集K)

いまなお町家や古民家が建ち並ぶ古きよき五条エリアで地域に溶け込んでいる、ものづくりカフェ。ミシンの針が進む速度で、工芸の新しいかたちが育まれている。そんなふうに感じました。

●取材協力
FabCafe Kyoto

京都の元遊郭建築をリノベ。泊まって、食べて、働いて、が一つになった宿泊複合施設に行ってみた!

2020年2月。京都に、ひときわ個性的な宿泊複合施設が誕生しました。その名は「UNKNOWN KYOTO」(アンノウン・キョウト)。ここはなんと、「ゲストハウス」「飲食店」「コワーキングスペース」が合体した複合施設。しかもそれら建物はなんと貴重な元「遊郭建築」をリノベーションしたもの。どこか謎めいた雰囲気が漂う宿泊複合施設は、いったいどのようないきさつを経て生まれたのでしょうか。
「お茶屋」と呼ばれた元遊郭建築を、現代風に再生

訪れたのは、河原町五条の南東側。鴨川と高瀬川がせせらぎ、迷路のような細い路地が随所に張り巡らされた、京都のなかでもとりわけ古(いにしえ)のたたずまいが残るエリアです。京阪本線「清水五条」駅や京都市営地下鉄烏丸線「五条」駅から至近で、かつ阪急「河原町」駅や各線「京都」駅など都心部からもぶらぶらと散歩するあいだに着いてしまうほどアクセスがいい場所です。

実はこの河原町五条の南東エリアは、昔は「遊郭街」として知られた区域でもありました。最盛期には150軒ものお茶屋や置屋があったのだそうです。

今回お話を伺った、株式会社「八清」の暮らし企画部プロデューサーで、一級建築士の落海達也さんと、OND代表取締役社長の近藤淳也さん(写真撮影/出合コウ介)

今回お話を伺った、株式会社「八清」の暮らし企画部プロデューサーで、一級建築士の落海達也さんと、OND代表取締役社長の近藤淳也さん(写真撮影/出合コウ介)

落海達也さん(以下、落海)「UNKNOWN KYOTOは、もともとは古いお茶屋さんで、周辺一帯はかつて『五條楽園』という名の旧・遊郭街でした。京都の中心部の街並みが近年、変化する中で、この辺りには遊郭街特有の街並みが残っており、京都の人にさえも知られていないコアな歴史や個性豊かな建築が残るこのロケーションに、大きなポテンシャルを感じたんです」

京都の人にさえも知られていないコアな歴史や個性……施設に冠された「UNKNOWN」(アンノウン/知られざる)は、そういった趣旨が込められているのでしょうか。

落海「ネーミングは、“知られざる京都”という意味もありますが、いわゆる観光地ではなく、あまり知られていないエリアにこそスポットを当てていきたいという想いが込められています。これまでこのエリアに足を踏み入れたことがない人たちが訪れると、きっと新鮮な驚きがあるだろう。そういう想いが反映しています」

元は明治時代に建てられた遊郭だっただけあり、UNKNOWN KYOTOは、とにかく建物の姿かたちがレトロモダンで味わい深い。年季がもたらす情趣とともに色っぽさも感じます。そのまま映画のセットに使えそうな風格があるのです。

外観(写真撮影/出合コウ介)

外観(写真撮影/出合コウ介)

落海「ずいぶんと長い間、空き家でした。当初は和風建築でしたが、どこかのタイミングで今のスタイル、いわゆる“カフェー建築”と呼ばれる独特な建築スタイルになったものと思われます。地面がモザイクタイル張りだったり、古いガラスのブロックや、レンガ造りだったり、お茶屋さんだった時代の名残りが随所に見受けらます」

建物に足を踏み入れると、広い玄関土間が。赤とピンクの小さなタイルが敷き詰められた床は、お茶屋さん当時のもの。五條楽園が華やかかりし時代は、床にタイルを貼ることで清潔感を演出したのだそう。

玄関ホールで使われているタイルは古いものを残すだけではなく、お茶屋建築の美意識を活かすために元々そこにあったかのようなタイルを厳選するというこだわりぶり。床や壁をめくるたびにタイルなどが出てきたりするので図面はあってないようなもの。おかげで相当工事はたいへんだったそう(写真撮影/出合コウ介)

玄関ホールで使われているタイルは古いものを残すだけではなく、お茶屋建築の美意識を活かすために元々そこにあったかのようなタイルを厳選するというこだわりぶり。床や壁をめくるたびにタイルなどが出てきたりするので図面はあってないようなもの。おかげで相当工事はたいへんだったそう(写真撮影/出合コウ介)

南棟の1階には、フルタイム会員のみならずドロップイン利用(¥500/2時間~)、宿泊者利用も可能なコワーキングスペースと、そして奥には2つのシェアオフィスがあります。

コワーキングスペースはくつろげるソファ、テレビモニターがある会議室、シェアキッチンまでもが設けられた充実の設備(写真撮影/出合コウ介)

コワーキングスペースはくつろげるソファ、テレビモニターがある会議室、シェアキッチンまでもが設けられた充実の設備(写真撮影/出合コウ介)

柔らかなオレンジ色の灯りに照らされたコワーキングスペースは場所を固定しないフリーアドレス制。使い方の自由度が高い! しかも椅子はすべて『種類を変えた』という凝りよう。自分の体にフィットする椅子が選べ、京都に長期滞在する際も、ここだけで気分を変えて仕事をすることができます。

キッチンでは調理器具がひと通りそろっており、お湯を沸かしたり、パンを焼いたり、お弁当を温めたり、簡単な料理づくりが可能です。吊り戸棚はなんと、もともとの建物に残っていたものを再利用。

奥には、空から光の入ってくる坪庭があります。ほっとする眺めですね。

いかにも京都らしい、奥行きのある建物の中ほどには坪庭が(写真撮影/出合コウ介)

いかにも京都らしい、奥行きのある建物の中ほどには坪庭が(写真撮影/出合コウ介)

玄関ホールから階段を登ると、「うわぁ」、思わず驚きの声をあげてしまいました。舟底天井の格式高い和室や洋館を思わせるお部屋、ドミトリータイプの大部屋が2つ(うち1つは女性専用の部屋)など、お茶屋さん時代の間取りをそのままに活かした艶っぽい空間となっています。

天窓のある客室(写真撮影/出合コウ介)

天窓のある客室(写真撮影/出合コウ介)

171269_sub07

上/デッキを通って行ける中庭に面した北棟1階の客室 下/中庭を望む2階部分の廊下は青い絨毯が印象的(写真撮影/出合コウ介)

上/デッキを通って行ける中庭に面した北棟1階の客室 下/中庭を望む2階部分の廊下は青い絨毯が印象的(写真撮影/出合コウ介)

171269_sub09

上/共用の水まわりはレトロなタイルが。下/ドミトリータイプの客室はベッド部分にテーブルもあり、一般的なものよりもゆったりとしている(写真撮影/出合コウ介)

上/共用の水まわりはレトロなタイルが。下/ドミトリータイプの客室はベッド部分にテーブルもあり、一般的なものよりもゆったりとしている(写真撮影/出合コウ介)

細かな手仕事が施された建具はできるだけそのまま利用した(写真撮影/出合コウ介)

細かな手仕事が施された建具はできるだけそのまま利用した(写真撮影/出合コウ介)

北棟の1階には3面カウンターの飲食店スペースが設けられ、ランチと夕食をフォロー(今後、朝食もスタート予定とのこと)。お昼はスパイスカレーをメインとした「スパイスオアダイ」、夜は大衆酒場「アンノウン食堂」、昼は定食、夜はイタリアンをメインとした「Sin」と、系統が異なる3店。誰もが気軽に訪れ、美味と会話を楽しめる場となっています。別々のテイストの料理をつくる2人のシェフが、息を合わせて、ガスキッチンなどのスペースをシェアしながら料理を提供しています。

キッチンだけでなくホールスタッフもシェア。注文や会計どちらにもまとめて対応している(写真撮影/出合コウ介)

キッチンだけでなくホールスタッフもシェア。注文や会計どちらにもまとめて対応している(写真撮影/出合コウ介)

このゲストハウスでは特に、飲食ができる点に強くこだわったと言います。

落海「コワーキングスペースやゲストハウスが増えている昨今、わざわざ行きたくなる場所にしないと、これからの時代はやっていけないでしょう。ネットさえつながればどこででも仕事ができますから、そうではなく、わざわざ足を運び一緒にごはんを食べたり、お酒を飲んだりするつながりに価値が生まれてくると思うんです」

一日中過ごすうちに、家族のような感覚に。つながりから化学反応を生む

UNKNOWN KYOTOはこのように、多様な訴求力に満ち満ちています。
そして、こういった宿泊と仕事場を兼ねた場所を「コリビング(Co-Living)」と呼ぶのだそう。

落海「コリビングとは、『さまざまな職業の人が仕事をしながら一緒に暮らせる場所』という意味です。コワーキングスペースとして人々が仕事をしに集まるんだけれども、意気投合したら一緒にごはんを食べたり、仕事で夜が遅くなったら、ちょっとお酒を飲んで、そのまま泊まっていけたりだとか。そんなふうに、『家族とともに過ごしている感覚になれる場所』といった概念です。全国的にも珍しく、まだ普及していない言葉だと思います。かく言う弊社もこのプロジェクトに取り組む最近までコリビングという言葉を知らなかった(苦笑)」

「住むように働く」、つまり「仕事」と「暮らし」と「旅」が重なる場所、それが「コリビング」。泊まって、食べて、働いて、機能が限定されない。まるで、2軒目の家。「滞在」の概念を変えうる新しいスタイルですよね。

落海「飲食施設も単に隣接したスペースというよりは、“拡張されたダイニング”という感覚ですね。つまり、ここにいるとプチシェアハウス体験ができる。このように外へ出ずにひとつ屋根の下で完結する業態が、京都にはこれまでありそうでなかったんです」

取材で訪れたこの日も、仕事のあいまに光の差し込む中庭を眺めてくつろいでいる人や、飲食スペースに移動して会話に花を咲かせる人たちなど、それぞれがリラックスしながら活用できる自由度の高さを感じました。確かにシェアキッチンまであるコワーキングスペースは珍しいですよね。

落海「せっかく人が集まるんだから、それぞれが単に自分の仕事をしているだけではなく、化学反応を起こす場所にしたいんです。出会った人どうしが意気投合すれば、そのままお酒を飲んだり食事をしたりしながら交流を深めてゆけるようにシェアキッチンを設けています。そこで生まれた関係から、さらに仕事へのフィードバックが期待できる場所でありたい。それがコリビングです」

京都・鎌倉、古都が拠点の3社が古民家再生、クラウドファンディング、ITで強みを発揮

新しい滞在のかたち「コリビング」を提唱するUNKNOWN KYOTOは、落海さんがお勤めになる京都の「株式会社 八清」と、同じく京都の「株式会社 OND」、神奈川県の鎌倉に本拠地を構える「株式会社 エンジョイワークス」の3社によるプロジェクトチームが起ちあげた施設です。

「八清」は創業60年を超える不動産会社。おもに木造伝統住宅「京町家」を中心とした仲介や再生・再販事業を行っています。「OND」は不動産サイト「物件ファン」を運営するインターネットサービスの会社。「エンジョイワークス」は湘南・鎌倉エリアを中心に、仲介や建築、リノベーションなどの不動産業のほか、クラウドファンディング、宿泊施設の経営など多方面に展開しています。このように、それぞれ得意ジャンルを持ちながらテリトリーが重ならない3社がタッグを組み、これまで京都になかった刺激的な“共創”的場づくりを見せようとしているのです。

落海「八清には京町家をリノベーションするノウハウがある。エンジョイワークスさんはまちづくりを促進するためのノウハウとプラットフォームを持っている。ONDさんはITに強く、「物件ファン」という面白いメディアを持っている。『この3社が組んだら面白いことができるんじゃないか』と直感し、自然な流れで手を組むことになりました。アプローチが異なる3社がそろったことで、互いに刺激になることばかりで、これからのまちづくりや不動産業について、本当に勉強になりました」

3社がコラボするきっかけとなったのが、魅力的な、このお茶屋物件。長く空き家だった建物がいだく未知なる可能性が、3社を魅了したのです。

落海「大型のお茶屋建築で、しかも2棟が並んでいるのは非常に珍しい。ここで、なにか面白いことができないかとエンジョイワークスさんからご提案をいただいたんです」

京都から遠く離れた鎌倉に本社を置くエンジョイワークスだからこそ、この建物の底知れない魅力を客観的に評価できたのかもしれません。そこから、「食事ができて働ける宿泊施設」へのチャレンジがスタートしたのです。

投資対象は、お金のリターン以上に、プロジェクトへの「共感」や参加意識

UNKNOWN KYOTOには、もうひとつの大きな特徴があります。それは「投資家特典」。ここには自由な発想がふんだんに盛り込まれていました。「投資家」と聞くと、「自分とは住む世界が違うハイソサエティ」と感じる人が少なくないでしょう。しかしUNKNOWN KYOTOがいう投資家は、1口5万円からの参加が可能な、一般の人が広く関われるタイプ。その参加目的も、もっと柔らかいイメージなのです。

落海「投資家=“場をつくる仲間”という考え方で、投資型クラウドファンディング『京都・五條楽園エリア再生ファンド』を立ち上げました。投資家というよりは“事業サポーター”の方が、印象が近いかな。エンジョイワークスさんが運営する不動産クラウドファンディングのプラットフォーム『ハロー!RENOVATION』で、小口の投資家であっても積極的に参加できるように、オープン前からワークショップやイベントを催してきました。そうして、プロジェクトの進化を一緒に楽しみたいという方々が増え、関係も深くなっていったんです」

投資家さんとのコミュニケーションを重視し、ともに五條楽園を活性化させていきたい。レボリューションを起こしたい。そんな落海さんたちの想いが京都はもとより全国へと伝わり、なんと新潟県からの参加もあったのだそう。

落海「事業の改善や、さらなるプロジェクト展開について投資家の皆さんと一緒に考えていくイベントをオープン前に13回、開きました。第一回目にはなんと、『女将さんを募集する』というイベントをやったんです。『宿泊施設をやるのならば女将さんが必要だよね、どうしよう』って。そうしたら菊池さんという女性がイベントに来てくださって、イベントのあと、そのまま女将として合流していただきました」

女将さんを募集したイベントの様子(写真提供/エンジョイワークス)

女将さんを募集したイベントの様子(写真提供/エンジョイワークス)

イベントに参加した菊池さんは元・家具職人。デンマークを代表する家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーの椅子製作を行うPP MØbler(ピーピーモブラー)でものづくりをしていた凄腕です。「かっこいい建物を家具でさらにかっこよくし、心地よいスペースをつくりたい!」といった熱い想いを胸に、インテリアのコーディネートも担いました。

なお、いっそう独特なのが、「投資家特典の決め方」です。

落海「『投資家特典をみんなで考えよう』というワークショップをやったんです。そのなかで生まれたのが“ビアジョッキ”でした。自分にしか使えないビアジョッキがあったら、『今夜もあの店へ行って、ジョッキで飲んでみようか』という気分になるんじゃないかなって。さらに、会員IDをレジに伝えてからビールを注文すると、会員限定のSNSに『だれだれが、今乾杯しました』と自動的に投稿されます。それを見たほかのメンバーが、『あ、あの人が店にいるのなら、行ってみようかな』と思う。そうやって新たな交流が生まれてくるんです」

特製会員ジョッキは、オリジナルデザインの特注品で、通常のジョッキよりもサイズがひとまわり大きい、つまり同じ値段で大容量(写真撮影/出合コウ介)

特製会員ジョッキは、オリジナルデザインの特注品で、通常のジョッキよりもサイズがひとまわり大きい、つまり同じ値段で大容量(写真撮影/出合コウ介)

レジとSNSが連動する画期的なシステム。ITに強いONDが参加しているから具現化できた工夫です。ここで重要視されるべきは、「投資のリターンが金銭だけではない」点。人と人とが出会い、ネットワークが築かれることこそが、尊いリターンであるとプロジェクトに関わった3社と投資家の皆さんたちは考えたのです。

落海「イベントを通して、自分たちがやろうとしているビジョンを伝える。共感してくれた人が女将さんへの立候補だったり、ビアジョッキだったりと『何らかのかたちで関わりたい』と考える。そうやって皆さんのご意見を実現させたことで、投資家さんたちが、とても喜んでくださったし、信用していただけた。施設を利用するだけではなく、運営に参加してもらう行為そのものを投資だという僕たちの想いが届いたんです」

ゲストハウス・飲食店からもれるあかりを軸に、周辺にも広がる五条の再生

実はこの飲食店、ゲストハウスのある建物のほかに、10mほど南に歩いたところにもう一つ、シェアオフィスがあるんです。ここも、元お茶屋さんだった遊郭建築で、『UNKNOWN KYOTO 本池中』といいます。『本池中』は元のお茶屋さんの屋号で、そのまま譲り受けたそう。

落海「この建物との出会いは偶然だったんです。はじめ、UNKNOWN KYOTOには駐輪場がなく困っていたところ、『三軒隣の旧お茶屋の女将さんが、ガレージ一台分を使っていない』という情報を耳にしまして。それで交渉をしに行って、10台分くらいは停められるスペースを貸してくださることになったんです。そして、建物が面白そうだったので2階を見せていただいたら、びっくりしましてね……」

落海さんが、そこで見た光景とは?

落海「お茶屋さん時代の艶めかしい風情を漂わせたしつらえのまま、5部屋をきれいに残しておられて。これはお借りしたいと。ところが1階に住んでいるので、宿やシェアハウスとして使われると困るとおっしゃる。『でしたら、シェアオフィスとしてなら、いかがですか』と提案したら、それだったらいいと」

現在は複数の会社がここをオフィスとして利用。打ち合わせ等に使っている(写真撮影/出合コウ介)

現在は複数の会社がここをオフィスとして利用。打ち合わせ等に使っている(写真撮影/出合コウ介)

五條楽園オリジナルと呼んで大げさではないお茶屋建築は、この偶然の訪問により、再び光が射しました。

落海「このシェアオフィスでも、本館のサービスが受けられる点が大きいと思います。ここで仕事をして、本館を食堂として使うこともできるし、泊まることもできる。離れた建物を、一つの空間として使えるこの付加価値は、ほかの施設にはなかなかないですよ」

別棟にもシェアオフィスを開くなど、なんだか旧遊郭街にタネを撒き、新たな文化の花を開かせようとしているように感じます。

落海「そうなんです。そもそも投資型クラウドファンディングは、UNKNOWN KYOTOを建てるためではなく、五條楽園エリアの活性化が目的の再生ファンドです。僕たちはここだけで終わるのではなく、この建物をきっかけに、エリアに点在しながらパラサイトしてゆくような感じにしたいなあという想いが強くあって。そのためには先ずUNKNOWN KYOTOを成功させることが大事だと考え、注力しています」

飲食店、コワーキングスペース、ゲストハウスというこの複合施設は、24時間人の動きがあり、つねに誰かの気配を感じさせる場です。もれるあかりにひかれ、「あの人、今日はいるかな?」と、ちょっとのぞいていく人の流れも、このエリアに生み出していきたいそうです。
UNKNOWN KYOTOは単なる宿泊施設ではなく、地域とともに再生し進化してゆく発信拠点でありたい。落海さんはそう語ります。遊郭街としての役目を終えた五條楽園ですが、ここに新たな楽園が生誕する。そんなふうに確信した一日でした。