【京都】再建築不可の路地裏の長屋が子育てに理想すぎる住まいに! 子育て家族の家賃優遇、壁に落書きし放題など工夫もユニーク

都市部に多い路地物件は再建築不可とされているものが多い。リフォームはできても新築ができず、利便性の良い土地なのにうまく活用されていない場合がある。その問題に官・民・専が一体となって取り組み、子育てファミリーに向けて新しく建築した、京都の長屋プロジェクトを取材。実際に路地裏で子育てをしているファミリーにも話を伺った。

再建築不可の物件は実はポテンシャルが高い

再建築不可物件とは、建っている建物を解体して更地にしてしまうと、新たに建物を新築することができない土地のこと。主に建築基準法上の道路と2m以上接道していない場合や、路地や通路(非道路)のみにしか接していない場合も、原則、再建築不可となる。全国的にいうと総戸数6240万7400戸のうち、道路に接していない住戸は129万5500戸、幅員2m以内が292万3600戸あり(総務省統計局 平成30年度調査)、約7%近くが更地にしてしまうと新たに建物を建てることができない。

再建築不可物件の概念

再建築不可物件の概念

路地裏(写真/PIXTA)

路地裏(写真/PIXTA)

ところが基本的に再建築不可物件があるのは都市計画区域内、しかも昔から人々が暮らしていた都市部が中心で、今も人気の高いエリアが多い。再建築不可の物件を上手に活用することは、そのまちの魅力を保つ大きな要素になるはずだ。

東京では、一帯を大規模開発して、まったく違う景色にしてしまう手法が中心だが、京都では路地文化を活かしたまま再構築している例が見られる。リノベーションの技術が進み、どんなに古くても柱や梁など必要な建物の基礎さえ残っていれば、修繕・改修することは可能だが、火事などで建物自体が残っていない場合は、この手法が使えない。

しかし、乗り越えなければならないハードルも高い。京都では、この問題に官・民・専が三位一体となって取り組んでいると聞いた。一部が火事で焼失してしまい残されていた路地(袋路)を他の物件と一緒に再建することを可能にした例は、非常に興味深く、同様の課題に悩む街にとっても参考になると思う。

官・民・専が三位一体となって進める路地再生プロジェクト

京都の魅力の1つに、幅員の狭い細街路と約4,300本以上もあるといわれる行き止まりの通路、袋路(ふくろじ)の存在がある。もともとは人々の生活のために誕生した路地だが、隠れ家のような雰囲気と、京都のローカルな生活を感じられて、最近では、わざわざそういった場所に店舗を持つ場合も増えている。

門や扉がある路地も多い(画像提供/八清)

門や扉がある路地も多い(画像提供/八清)

ところが安全面や市場性という点では、課題を抱えていることが多い。路地奥の家は再建築不可の場合が多く、リフォームはできても、原則建て替え・増改築はできない。プロジェクトを進めるにあたり、山積する問題をひとつずつ解決していく必要がある。

現在、京都市では再建築不可物件の再生を図るために「路地カルテ」という取り組みを行っている。いわゆる再建築不可の敷地であっても、建築基準法の許可を受けることで建て替え等ができる場合があるが、接道許可を受けるまで許可の可否は判断できない。そのため「路地カルテ」を発行すれば事前に許可が可能な路地であることが確認でき、流通の促進になり、早い段階から住宅ローン審査にも応じてもらえる環境づくりを目指せるというものだ。

くわえて驚くことに、京都では「路地の再活用」という取り組みに、官・民・専が三位一体となって一緒に取り組んでいる。1994年に誰もが住みやすい京都のまちづくりをめざしてスタートした建築、不動産、建築行政等専門家のネットワークで構成する「都市居住推進研究会(都住研)」の存在が大きい。

30年以上、まちづくりの観点から路地再生に取り組んできた都市居住推進研究会

都市居住推進研究会(以下、都住研)が主体として「袋路内子育て支援住環境事業」に取り組んできたのが、下京区中堂寺前田町路地長屋再生プロジェクトだ。

今回お話を伺った都住研のメンバーは、京都美術工芸大学教授・京都大学名誉教授の髙田光雄氏(会長)、京都光華女子大学准教授でスーク創生事務所代表の大島祥子氏(事務局)、不動産会社 八清の会長の西村孝平氏(以下、運営委員)、京都女子大学准教授の是永美樹氏、京都美術工芸大学教授の森重幸子氏だ。

(前列左より)運営委員の西村孝平氏、会長の髙田光雄氏、(後列左2番目より)運営委員 森重幸子氏、事務局 大島祥子氏、運営委員 是永美樹氏(画像提供/八清)

((前列左より)運営委員の西村孝平氏、会長の髙田光雄氏、(後列左2番目より)運営委員 森重幸子氏、事務局 大島祥子氏、運営委員 是永美樹氏(画像提供/八清)

「もともとは2014年ごろに京都市から『20 数年前の火災で空き地になっている土地の焼け跡の始末・撤去に持ち主の相談に乗ってほしい』と相談されたことから始まりました。すでに消失しているのでリノベーションで再生するという手法は使えません。問題の解決には、周辺の建物の所有者との協働、さらに行政と一緒になった取り組みが不可欠でした」(運営委員 西村氏)

空き家化が進んでいた袋路内の6区画の土地を集約し、長屋建て住宅4戸を供給する取り組み。4戸の住宅は子育て世帯が快適に住めるように、住戸内、路地空間をその仕様で計画・デザインした。

「2016年から行政も交えて研究を重ね、2018年から国のモデル事業に採択。2方向避難が確保できるなら、特例許可により建設が可能ではないかという話になりました。子育て空間として再生・継承することが、都市課題を緩和することもできるとモデル事業として実施、その知見を他の路地の再生でも使えるようにしたいと考えました」(事務局 大島氏)

しかし、プロジェクトを進めるにあたり、山積する問題をひとつずつ解決していく必要があった。

「所有者が不明になっている土地や国有地(水路跡)も含まれていました。行政との協働なしには進められなかったと思います。また特例許可に必要な『路地・まち防災まちづくり整備計画』の作成や近隣の方々の通路の維持に関するご理解も必要でした。そのために新しく居住する子育て世帯、そして近隣住民が安心して快適に暮らせるための協定書も締結しました」(事務局 大島氏)

このような路地裏がどのように変身するのか(画像提供/八清)

このような路地裏がどのように変身するのか(画像提供/八清)

なぜ路地空間が子育てに適しているかも聞いてみた。

「もともと日本の都市ではいろいろな生活行為が道空間で行われてきました。道がコミュニケーションの場だったのです。私が子どものころだって道で遊ぶのはあたりまえでした。モータリゼーションが進んだ現在、路地は子育ち、子育てという点からも極めて重要な存在だと思っています」(会長 髙田氏)

建築行政というのは自治体がそれぞれカスタマイズしていることが多いが、京都では再建築不可物件を含めすべての建物に手を入れられる可能性がある状況だそう。

「行政の手も届き始め、うまく住みこなす人たちも増えてきました。その人たちに聞くと『路地空間に住んでみたら、結構いいと感じる』と評価が高いのです。子どもが家の前で遊べるのは、目が届くし、他の人にあいさつもできる、意外に使い勝手がいいという意見も聞かれました」(運営委員 森重氏)

「2012年に東京から京都に引越してきて、まず驚いたのは、路地の再活用という取り組みに、行政だけでなく研究者や建築家といった専門家と不動産業者が一緒に取り組んでいることです。東京ではあまり見られない気がします。一般的に路地を活かした事業は大規模にならないので、そんなに収益性がいいわけではありません。八清さんのような地元密着型の事業者さんだからこそ可能となる期待感があります」(運営委員 是永氏)

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完成した「あさひ長屋」は子育てに適した工夫がいっぱいの空間あさひ長屋。LDKと路地が一体になる設計。格子の扉が美しい(画像提供/八清)

あさひ長屋。LDKと路地が一体になる設計。格子の扉が美しい(画像提供/八清)

下京区中堂寺前田町路地長屋再生プロジェクトは「あさひ長屋」として、2024年完成した。そこで路地空間がどう活かされているか見せてもらった。入口はまったく目立たないが、小さな通路をくぐると驚くほど開放的な空間が広がっている。もともと6軒の家が建っていたという場所は、各住戸が建っていた位置から大きくセットバックしたことで3mの幅員を確保した明るく開放感のある路地に生まれ変わった。

あさひ長屋の敷地配置図(画像提供/八清)

あさひ長屋の敷地配置図(画像提供/八清)

外観は4棟の長屋として設計されているが、それぞれの柱は独立しているので、柱を共有している長屋と比べると強度と防音性が高い構造。これはリノベーションではなく新築物件だから実現した大きなポイントだ。

一角には、住人用の駐輪スペースが設けられているうえに、宅配ボックスも設置され、現代生活に対応した設備も整えられている。

あさひ長屋のA号地。LDKから見た路地空間(画像提供/八清)

あさひ長屋のA号地。LDKから見た路地空間(画像提供/八清)

あさひ長屋のB号地。LDKはタイル貼りで床下暖房が設置されている(画像提供/八清)

あさひ長屋のB号地。LDKはタイル貼りで床下暖房が設置されている(画像提供/八清)

各住戸の間取りは、引戸による大開口が用意されていることがまず第一の特徴だ。1階には風通しが良く路地に開けたLDK(DK)があり、家族だけではなくご近所とのつながりが生まれやすい設計になっている。

1階部分の床はA・C号地が暖かみのある木のフローリングで設えられ、B・D号地がスタイリッシュなタイルと2パターンで仕上げられている。タイルの場合は床暖房を設置しており、冬の底冷え対策もされている。

また2階は和室と洋室を要したプライベートな空間、和室のふすま紙は各戸によって色を変えており、個性を楽しめるようになっている。

更に全戸モニター付インターフォンにすることで、安心して子どもと過ごすことができるように防犯性にも配慮している。

B号地の2階の和室。襖の色は各住戸で異なる(画像提供/八清)

B号地の2階の和室。襖の色は各住戸で異なる(画像提供/八清)

C号地の2階。ロフトスペースもあり、季節外のものなどを置ける(画像提供/八清)

C号地の2階。ロフトスペースもあり、季節外のものなどを置ける(画像提供/八清)

子育て家族には家賃を安くするシステム。実際に路地空間で子育てをしている方に話を伺った

「路地が子育てに向いている」というテーマで開発された中堂寺前田町の「あさひ長屋」。同じように八清プロデュースで路地奥を改修した「さらしや長屋」で暮らしているSさんに、路地でのくらしについて聞いてみた。

さらしや長屋に設置された黒板ボード。子どもたちが思いきり落書きできる(画像提供/八清)

さらしや長屋に設置された黒板ボード。子どもたちが思いきり落書きできる(画像提供/八清)

さらしや長屋の路地にはパーゴラ(※)のあるスペースも(画像提供/八清)※ツタや籐などのつる植物をからませるためにつくられた、棚形あるいはトンネル形の構築物のこと(画像左奥)

さらしや長屋の路地にはパーゴラ(※)のあるスペースも(画像提供/八清)
※ツタや籐などのつる植物をからませるためにつくられた、棚形あるいはトンネル形の構築物のこと(画像左奥)

さらしや長屋は入口の扉をリノベーション後も残している(画像提供/八清)

さらしや長屋は入口の扉をリノベーション後も残している(画像提供/八清)

「マンション住まいのときには経験できなかったような、ご近所とのおつきあいができました。路地の入口には扉があり、そのため用事のない人は立ち入ることはありません。中に入ると顔見知りの人しかいないので、子どもも安心して遊んでいます。子育てを一人でしているのではない、という気持ちになれました。自分の家族だけでなく、周りの方に見守られながら子どもたちが育つのはいいことだと思いますし、私自身、以前よりストレスを感じなくなりました。」

路地裏の長屋には、入口に扉があることもある。リノベーションで取り払ってしまわずに残している。子育て中の家族には、毎月の家賃を抑えるシステムもオーナーの協力で導入している。

「うれしいシステムですね。路地部分には、子どもたちが好きに落書きしてもいいお絵かきスペースがあって、のびのびと落書きができます。賃貸でこんなに子育てのことを考えて作られた物件は他にないと思い、すぐに入居を決めました」

Sさんは入居から約7年、路地空間での子育てに満足して暮らしているようだ。

路地に多い再建築不可物件は、都市部の利便性のいい場所に存在することが多い。その隠れた価値に日を当ててて再活用することは、京都だけではなく全国的に必要とされているはず。今回のプロジェクトは地域に合ったカタチでの解決策を探す、いいきっかけになると思う。

”おせっかい”が高経年マンション問題の危機を救う!? 京都市の行政と民間の関わりがユニークすぎる管理の解決策とは

京都市が取り組む「おせっかい型支援」が注目を集めています。劣化が進むマンションを見つけだし、飛び込みで訪問する独特な後方支援ゆえに「よけいなお世話だ」と門前払いされる場合もしばしば。ハードルが高いこの支援、どのように運営しているのでしょう。京都市都市計画局住宅室住宅政策課に話を聞きました。

マンションの老朽化は周辺住民の命にかかわる問題

「『おせっかい』という言葉は、『もう、こちらから押しかけていこう』という気持ちの表れなんです」

「おせっかい型支援」の陣頭指揮を執る京都市都市計画局住宅室住宅政策課の企画担当課長、神谷宗宏(じんや ・むねひろ)さんはそう語ります。リーダーの神谷さんは、建築の技術職です。そして神谷さんをはじめ、同課係長の鈴木裕隆さん、武田あゆみさん、野上智也さんの計4名と、NPO法人「マンションサポートネット」から「おせっかい型支援」は成り立っています。

では、「おせっかい型支援」は、どのようないきさつでスタートしたのでしょう。

京都市都市計画局住宅室住宅政策課の企画担当課長、神谷宗宏(じんや むねひろ)さん(写真撮影/吉村智樹)

京都市都市計画局住宅室住宅政策課の企画担当課長、神谷宗宏(じんや むねひろ)さん(写真撮影/吉村智樹)

「外壁が崩壊等した事例(滋賀県野洲市)」(写真提供/京都市役所)

「外壁が崩壊等した事例(滋賀県野洲市)」(写真提供/京都市役所)

発足のきっかけは、国の「マンション管理適正化法」の制定を受け、2000(平成12)年から始めたマンションの実態調査にあります。

マンション管理に問題が生じていると、築年が古くなるにつれて、居室の賃貸化など非居住化が進みやすく、管理組合の高齢化も相まって、組合活動自体が難しくなり、行政に助けを求めることも難しくなる場合もあります。ひとたび管理不全に陥ると居住者の努力だけでは機能回復が難しくなるため、老朽化がさらに深刻になる実態が幾度の調査から浮き彫りになりました。

神谷「マンションの廃墟化は、京都の景観への影響も大きく、もはや私有財産の問題ではないことにいち早く気づいたのです。当初はマンションの管理に行政が踏み込む法的な根拠はありませんでした。しかし、廃墟化を待つわけにはいかない。マンションに長く快適に住み続けてほしい。だから頼まれてもないのに管理組合の支援を始めたのです。これが京都発“おせっかい型”支援の所以です」

全国でマンションの管理不全に注目が集まるきっかけとなったのが、かつて滋賀県野洲市に存在した「廃墟化マンション」です。このマンションは2010年(平成22年)に建築基準法に基づく外装材の落下防止措置などが勧告されたにもかかわらず放置状態が続き、2020(令和2)年、遂に行政代執行による解体工事が着工。その費用はなんと1.18億円にものぼりました。このように管理組合が正常に機能していない場合、問題を抱えたマンションは放置され、解体費用などで財政を圧迫してしまうケースがあるのです。

神谷「野洲の廃墟化マンションの行政代執行の件は、京都も関心を持っていました。行政代執行にかかった金額は相当ですが、何より危険です。マンションは私有財産ですが、管理不全に陥って老朽化したときに、景観だけではなく周辺の住環境やコミュニティに与える影響がひじょうに大きい。放っておくと住民の命にかかわるんです」

2020(令和2)年に国が「マンション管理適正化法」を改正し、同法に基づく指針のなかで、マンションは民間資産であり社会的資産でもあると初めて位置づけられました。行政のマンション管理への関与が位置づけられたことを機会に、近年京都の“おせっかい型支援”が注目され、全国にも広がっています。

それにしても「おせっかい型支援」とは、わかりやすい、大胆なネーミングです。

神谷「いきなり“要支援”と言葉にすると、どうしてもネガティブイメージを払拭できない。いやがる人もいるでしょう。そこで『おせっかい』という、くだけた表現を使いました」

老朽化したマンションの外壁のイメージ(画像/PIXTA)

老朽化したマンションの外壁のイメージ(画像/PIXTA)

建築のプロの目視で発見する「要支援マンション」

では、「おせっかい」が必要なマンションは、どのように発見するのでしょう。

神谷「第一歩は、各マンションの管理組合へのアンケート調査です。アンケートの回答を参考にしますが、組合活動がしっかり行われていない場合、回答をいただけないことが多い。 回答がないことが、管理不全に陥っている可能性を示唆しているんです」

アンケートの回答がないのも、一つの調査結果です。管理不全状態に陥っている可能性をより明確化するため、新たに加わったもう一つの方法が、専門家による外観目視の調査。視察するのはマンション管理士、建築士、弁護士など複数業種のエキスパート約15名によって運営されているNPO法人「マンションサポートネット」。築20年以上が経ったマンションの外壁の剥がれ具合、金属製の柵が錆びた様子などから異常がないかどうかを彼らが判断し、要支援マンションの候補とします。

ヒアリングと外観調査の双方向に指標も設け、基準7項目のうち4項目に該当していると、要支援の対象に。NPO法人「マンションサポートネット」のメンバーと、神谷さんを筆頭とした京都市都市計画局住宅室住宅政策課4名による「おせっかい」が始まるのです。マンションサポートネットはマンション管理組合が「主体的によいマンション管理ができる」ように現地へ赴き、「建物や設備の点検」「大規模修繕工事」「長期修繕計画の作成や見直し」「管理規約の改正」「委託管理の見直し」などのコンサルタント業務を行う、言わば実行部隊なのです。

要支援マンションなどの判断基準(表1)と定義(表2)(京都市役所資料を基にSUUMO編集部作成)

要支援マンションなどの判断基準(表1)と定義(表2)(京都市役所資料を基にSUUMO編集部作成)

神谷「外観から『もしや?』と感じた場所へ実際に出向き、棟内や部屋を視察すると、配管設備がボロボロだったり、ひどく漏水していたりする場合もあります。外観に傷みが見受けられると、内部もかなり劣化が進んでいると考えられるので、一刻も早い対策が必要です」

建築の技術職である神谷さん。街を歩いていても、マンションを見て「ピンとくる」場合があるのだそうです。

京都市の街のイメージ(画像/PIXTA)

京都市の街のイメージ(画像/PIXTA)

投資型マンションに多く見られる「管理不全」

要支援マンションが現れる背景には「管理不全」があります。「マンションを維持する母体となるはずの管理組合がうまく機能してない」「管理組合の実態が確認できない」など、管理責任の在り処があいまいなのです。そのようなケースでは、「おせっかい型支援」として、「管理組合の規約を立ち上げる」という根源的な部分から介入するといいます。

その管理不全に陥る一つの大きな要因に、「非居住化が進んでいる」という傾向が挙げられます。

神谷「例えば区分所有者が投資や事業を目的としてマンションを購入している場合、ご自身は住んでおられないことが多いんです。部屋を賃貸されている場合、借主である居住者には管理組合に参加する義務がない。賃貸されていなくても区分所有者が倉庫や事務所として利用されている場合もある。つまり、区分所有者は現地に住んではおられない。建物に少々の不具合があってもご自身がお住まいになっているわけじゃないので、お金を出してまで修繕するかというと、どうしても無関心になってしまうんですよね」

マンションの利用形態が複雑多様化するなか、区分所有者と居住者が異なるため、管理に関する合意形成ができず不行き届きになってしまう。非居住化が進んでいるマンションの支援は難航し、長期化します。今後の「おせっかい型支援」の大きな課題の一つです。

投資系マンションが管理不全に陥るという傾向が多いという(画像/PIXTA)

投資系マンションが管理不全に陥るという傾向があるという(画像/PIXTA)

「いらぬお世話だ」と追い返されるケースも

マンションの管理体制を立て直し、より長く使ってもらおうと立ち上がった「おせっかい型支援」。とはいえ、誰しもがやすやすとは受け入れてくれません。おせっかいと銘打つわけですから、「いらぬお世話だ」と追い返されるケースもあるのです。

神谷「話を聞いてくださる方にたどり着くのが大変ですし、たどり着けても、まずは警戒されます。いきなり押しかけてこられて、自分たちの私有財産、台所事情を探られるわけですから。たとえマンションの関係者が話を聞いてくれたとしても、管理組合が機能していない内情を簡単には明かしてくれません。根気のいる作業なんです」

「おせっかい型支援」のイメージ図(画像/PIXTA)

「おせっかい型支援」のイメージ図(画像/PIXTA)

このように、サポートに辿り着くまでに幾つもの壁があるといいます。

神谷「マンションサポートネットはその点、さすが経験豊富な専門家の集団です。さまざまなパターンに対して、対応のノウハウを蓄積されておられます。大きな声で怒鳴られるなど、危険な目に遭う可能性もあるわけですから、誰でもできるわけではない。豊富な経験に裏付けられた知見を持っている彼らは頼りになる存在です」

そうして幾度かの説得の末、申し出を受け入れたマンションと、やっと話し合いへと駒を進めることができるのです。

マンションと住民の「二つの老い」

マンションが抱える問題は、大きく二つあるといいます。一つは「マンション自体の高経年化」。二つ目が「区分所有者の高齢化」です。そしてこの二つの問題は、セットでもあるのです。

神谷「“二つの老い”と呼ばれています。昔はマンションに永住するという考え方は、あまりなかったようです。一時期はマンションに住んで、ゆくゆくは戸建てに移住する。それが一般的な暮らし方とされていました。しかし近年はマンションを終の棲家とする人たちも増えてきた。しかし管理費が計画的に積み立てられていない場合、マンションが高経年化すると修繕箇所が増えるにもかかわらず積立金が不足しているために適切な対応ができない。積立金額を上げたくても高齢化が進み、上げられない。そうしていっそう管理不全化が進んでしまうんです」

マンションの高経年化の進行(京都市役所作成)

マンションの高経年化の進行(京都市役所作成)

マンションの修繕積立金は、年数が経つにつれてだんだんと金額が上がっていく「段階積立方式」をとっている場合が多い。しかし計画的な管理ができていない場合、必要な積立金額がわからず、必要額がわかったとしても「時すでに遅し」なのです。そういった事態をできるだけ避けるため、京都市では積立方式について議論している検討会に参加しています。

京都のマンションは6割が小型

京都のマンションには、一つの顕著な特徴があります。それは「小規模マンションが多いこと」。50戸以下の小さなマンションが全数の約6割を占め、さらに21~30戸のマンションは350棟を数えます(2020年調べ)。京都市は小規模な土地が多いことや、厳しい景観政策を実行しており、建築物の高さに制限が設けられている地区があります。それゆえに高層マンションが建ちにくく、小規模化するのです。そして小さなマンションほど「支援を要する場合が多い」のだとか。

京都市住戸別マンション数(京都市役所作成)

京都市住戸別マンション数(京都市役所作成)

老朽化の兆候が見られるマンション(京都市役所作成)

老朽化の兆候が見られるマンション(京都市役所作成)

神谷「大きなマンションには、管理会社が入っていることが多いです。小規模な高経年マンションも管理会社が入っていたり、管理会社を入れずに自主管理されていたりするところは少なくありませんが、大中規模以上に比べて人材面、資金面ともに脆弱になってしまう傾向がありますね」

国土交通省も注目する「おせっかい型支援」の成功事例

では「おせっかい型支援」は、どのような実績があるのでしょう。成功事例を二つ、紹介します。

一つ目は1974(昭和49)年竣工、築50年 の「真如堂マンション」。左京区岡崎地域の静かな住宅地に立つ13 戸の小型マンションです。

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入前

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入後

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションの「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

真如堂マンションは理事長と居住区分所有者の数名で自主管理を行ってきたものの、建物の老朽化が進みました。そこでマンションサポートネットの協力のもと、2013(平成 25 )年度に外壁塗装、鉄部の塗り替えなどの維持工事、受水槽の撤去、遮音や断熱性能の高い玄関ドアへの交換、水道管直結などを着工。資産価値のアップを図ったのです。

工事が始まる前にはマンションサポートネットのメンバーのアドバイスを仰ぎながら管理組合を立ち上げ、規約改正を行いました。そうして長期修繕計画に基づく資金計画を検討した後、修繕積立金を適正に値上げし、工事費に充てました。それでも足りない分は住宅金融支援機構の融資を活用。専門家の助言を受け、帳簿を作成し、融資の条件を満たすことができたのです。

このように多角度的な支援の甲斐があり、築50年を経ながら現在も特段に古びた様子は見受けられません。

もう一つが1971(昭和46)年竣工、築53年 の「京都グランドハイツ」。平安神宮や琵琶湖疎水など京都の歴史的建造物に囲まれた左京区聖護院にあります。7階建、総戸数91戸という中型マンションです。

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入前

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入前(写真提供/京都市役所)

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

京都グランドハイツ「おせっかい型支援」介入後(写真提供/京都市役所)

昭和のオイルショックのさなか、管理会社から委託費用の大幅値上げを要求され、これをきっかけに1976(昭和51)年には自主管理へと移行。外壁塗装、屋上防水ほか小修繕を実施し、活発な管理が行われてきました。

しかし高経年マンション実態調査において、建物の劣化が進行していると判明。役員の高齢化が進んだなどの理由で必要な改修ができていなかったのです。京都市役所は2013(平成25)年よりマンションサポートネットを派遣。専門家の助言を契機に役員が熱心に管理業務に取り組むようになり、規約の改正、資金の調達のうえ、2018(平成30)年、遂に大規模修繕工事の実施にこぎつけました。

現在は建物の劣化や管理不全の問題が解消され、良好なマンション組合の運営が行われています。2023(令和5)年10月の国交省主催の事例報告会では好例として取り上げられたほどの事例なのです。

なかには『維持していくことすらも非現実』という物件も

管理不全に陥ったマンションのなかには、管理体制の見直しという観念ではもはや収束できない、危険な状態にある例もあるのだとか。

神谷「この建物を安心安全な状態まで修繕するには何千万、いや何億かかる。たとえ修繕積立金等を切り崩して修繕しても、老朽化は進行するので次の修繕が必要になる。重なる修繕に多額の費用がかかるであろうが修繕積立金の目途が立たない。そのように『維持していくことすらも非現実』という物件も実は幾つか見つかっています。そうなるともう、『売却すれば、今ならこれぐらいのお金は戻ってきますよ』という方向にしか話を持っていきようがない。言わば“マンションの終活”ですね。今後マンションはどんどん高経年化が進みますから、マンションの終わり方を考える支援はこれから増えていくでしょう」

マンションを支援する形も、今後は除却も視野に入れて提示するなど、選択肢が増えていくようです。

要支援状態から脱しても油断はできない

こうして京都市都市計画局住宅室住宅政策課とマンションサポートネットの尽力により、マンションにしっかりした管理組合が設立されたり、大規模修繕工事が実施されたり、長期修繕計画ができたり、管理費や修繕積立金の適切な徴収が可能となったりし、47棟あった要支援マンションは、半数がその状態を脱することに成功しました。

しかし、「そこで終わりではない」と神谷さんは言います。

神谷「専門家が入っているあいだは支援がうまくいっていたけれども、いったん専門家が外れてしまうと元に戻るケースもありました。『やっぱり、どうしていいかわからない』『うまく回せない』という例があるんです。そのためにも、支援を要しなくなったあとも、常に状況を把握しておくことが大事だと考えます」

「一度介入して終わりではなく、継続的な支援が必要だ」と語る神谷さん(写真撮影/吉村智樹)

「一度介入して終わりではなく、継続的な支援が必要だ」と語る神谷さん(写真撮影/吉村智樹)

次に取り組むのが「マンションの管理状態の“見える化”」

改正マンション管理適正化法は2022(令和4)年4月に施行されました。この法律は、マンション管理業者の業務を規定する内容が主でしたが、今回の改正で、管理組合に向けた内容が追加されました。行政が管理組合に対し、助言や指導を行うといったことも盛り込まれています。「行政もマンションの管理をしっかりやらなければならない」と国ぐるみの議論が加速化するなか、京都市役所の先進的な取り組みは他都市からも注目されています。

神谷「他の自治体さんからも高い評価をいただき、『おせっかい型支援の方法論を教えてほしい』『どのように実態を把握するのか』という問い合わせをけっこういただいています。プッシュ型支援という言い方で、全国に取り組みが広がっているんです。京都市としてはとても喜ばしいことと受け取っています」

高経年マンションが増え、新しい支援のスタイルとして全国のモデルケースとなった京都市役所。そんな京都市役所はさらに未来へ向け、次の一手を打とうとしていました。

マンションの管理の見える化のイメージ図(画像/PIXTA)

マンションの管理の見える化のイメージ図(画像/PIXTA)

神谷「現在、取り組んでいるのがマンションの管理状態の“見える化”です。2022(令和4)年に改正されたマンション管理適正化法のなかに『管理計画認定制度』という、マンションの管理状態を行政が認定する制度が作られたんです。この制度の最大の意義は、マンションの管理状態を図る物差しができたことだと考えています。マンションの広告などに『法律に基づく行政機関の認定を受けました』などと記載していただく。そうすると市民のマンション購入の目安になり、中古マンションであっても『しっかりしたマンションなんだな』と考えてもらえるでしょう。金融機関も認定によって管理状態を推し量ることができるので、『長期修繕計画もしっかりしているし融資をつけてみようか』という展開に持っていきたい。そうなると、マンション側も『うちも、どうせなら認定を取ろうか』という発想になっていきますよね。認定マンションを増やすことによって、管理に対する意識がどんどん高くなっていくと思うんです」

経過年数が長いマンションは不安視されがちです。しかし、管理計画認定がされているのならば購入を検討するなかでの安心材料となります。昨今、若い子育て世帯の流出が問題になっている京都市。マンションの認定制度が普及し、マンション全体の管理水準を上げることが、流出を食い止めるカギの一つになるでしょう。

国土交通省の発表によると、2022(令和4)年末の段階で、築40年以上のマンションは日本に約125.7万戸が存在し、20年後(2042年末)には445万戸にまで増加するのだそうです。
人間ともに高齢化するマンション。高経年による事故や悲劇を防ぐのは、どんなに時代が進んでも、「おせっかい」という古きよき人情なのだと、取材を通じて感じました。

●取材協力
京都市都市計画局住宅室住宅政策課

参加者3万人「京都モダン建築祭」を建築ライターがめぐってみた! 明治・大正時代の名建築の内部を限定公開

2022年11月、京都市中心部に点在する近代建築を公開する一斉公開イベント、「京都モダン建築祭」が開催されました。京都や大阪を拠点に研究活動を行う建築史家らが選定する文化的価値の高い建築物が公開されるとあり、初開催にもかかわらず3日間でのべ3万人の参加者を数える注目イベントとなりました。現役の庁舎建築や教会、レストラン・商店など民間の建築、長い歴史のなかでもともとの用途から転用された文化施設など、さまざまなバリエーションが楽しめる36軒が参加しました。

京都で開催の建築公開イベント。「モダン建築」をテーマにした理由京都市役所本庁舎 市会議場。普段から一般公開されているエントランスホールや屋上庭園に加え、通常非公開の市会議場と正庁の間が公開された(写真撮影/筆者)

京都市役所本庁舎 市会議場。普段から一般公開されているエントランスホールや屋上庭園に加え、通常非公開の市会議場と正庁の間が公開された(写真撮影/筆者)

建築を見ることを趣味とする筆者にとって、普段は中に入れず、外観を眺めるしかない建築の内部を見学できる機会はありがたく貴重です。また数ある名建築の中から興味を引く建築物を探し、その見学方法まで調べて見に行くのとは異なり、気軽に楽しめるのも人気の理由。地域に住む人びとが地元文化の魅力に触れる機会にもなり、こうした建築公開イベントは各地に広がりを見せています。
今回参加したのは、近現代建築と呼ばれるもの。社会が近代化していく時代以降につくられたもので、日本における時代区分としては概ね明治維新以降の時期を指します。一般的には社寺建築や町家など、より古い年代の建築のイメージが強い京都において、近現代建築をテーマにしたのはなぜなのでしょうか?

聖アグネス教会。教会建築は普段から見学者を受け入れているところも多いが、信者でないとなかなか入るのはハードルが高い(写真撮影/筆者)

聖アグネス教会。教会建築は普段から見学者を受け入れているところも多いが、信者でないとなかなか入るのはハードルが高い(写真撮影/筆者)

祭壇。実際に使用されている状態そのままを知ることができるのも、建築公開イベントの醍醐味(写真撮影/筆者)

祭壇。実際に使用されている状態そのままを知ることができるのも、建築公開イベントの醍醐味(写真撮影/筆者)

「建築史の研究者からすると、京都は優れた近代建築の宝庫なんです。けれどそのことはあまり知られていません。存在と認識のギャップが最も激しいのが京都なのではないかと。われわれとしてはごく自然に、京都の近代建築の素晴らしさを知っていただきたいという思いが出発点となっています」
今回お話を伺ったのは、大阪公立大学教授で京都モダン建築祭の実行委員に名を連ねる建築史家の倉方俊輔氏。2021年に京都市京セラ美術館で開催された「モダン建築の京都」展でも、アドバイザーを務めました。

入場待ち列ができるほど人気となったフォーチュンガーデン京都。島津製作所の旧本社ビルがレストランに転用されている(写真撮影/筆者)

入場待ち列ができるほど人気となったフォーチュンガーデン京都。島津製作所の旧本社ビルがレストランに転用されている(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

(写真撮影/筆者)

「京都市の美術館で行う展覧会だから、京都市民のためになる建築の展覧会にしようと。公立の美術館で京都の近代建築をまとめて紹介するのは初めての試みでした。展覧会で紹介した建築は、実際に京都市内に建っているもの。せっかくなら展示だけでなく実物も見てもらおう、ということで建物所有者の方に掛け合って建築見学ツアーを実施したり、会期終了後もオンラインサロンを継続するなど活動が広がっていきました」
こうした展覧会を機に生まれた動きが、京都モダン建築祭につながっていったといいます。今回公開された建築も、展覧会で生まれた縁があってこそ公開できたものも多いそうです。
倉方さんは、大阪で10年続く建築公開イベント「イケフェス大阪」でも長年実行委員を務めてこられました。2019年からは、東京都品川区の名建築を公開する「オープンしなけん」の企画にも携わり、優れた建築の魅力を広めていく活動に力を注いでいます。大学で教鞭を執る傍ら、こうした活動も大切にしている倉方さん。どのような思いで取り組んでいらっしゃるのでしょうか?

「私自身は、ライトな層、専門的なことに詳しいわけではないけれど建物を見るのが好きとか、自分が描いている漫画の背景のヒントにしたいとか、そういう方々を大切にしたいです。もちろん建築の専門家であったり、普段から建築を見に行くことを趣味にしているような人も大切なんだけれど、こういうイベントを通して、建築を使った楽しみが世の中に増えていくといいなと思っています。

例えば今回取り上げているようなモダン建築だと、大正時代や明治時代の、建てられた当時の生活がそのまま残されていたりするわけですよね。そこから何か想像を広げたり、受け取り手次第で新しい見方ができることで、その人にとっての楽しみが増える。新しい楽しみが増えていくことは、世界を豊かにしていくことにつながると思っているので、建築の楽しみ方を増やしていくことで貢献していきたいですね」

参加建築マップ。京都市中心部の36軒が、11月11~13日の3日間に参加した(写真提供/京都モダン建築祭実行委員会)

参加建築マップ。京都市中心部の36軒が、11月11~13日の3日間に参加した(写真提供/京都モダン建築祭実行委員会)

ビギナーから建築通まで、誰もが楽しめる多彩なプログラム

京都モダン建築祭では建物の公開のほかにも、専門家のガイドツアーをはじめとするさまざまなプログラムが用意されました。日々の運営に携わる方が、建物の歴史や運営面での工夫も交えて案内してくれるツアーや、倉方さんや実行委員長である笠原一人さんをはじめ建築史家の方が街歩きをしながら建物ひとつひとつのデザインの特徴を解説してくれるツアーなど盛りだくさん。なかにはツアーでしか見学ができない建築もあり、高い抽選倍率となりました。ライトな建築好きから専門家まで、各々の知識レベルによって違った楽しみ方ができるラインナップです。

任天堂旧本社社屋をリノベーションしたホテル丸福樓。京都モダン建築祭の特別ツアー参加時に撮影(写真撮影/筆者)

任天堂旧本社社屋をリノベーションしたホテル丸福樓。京都モダン建築祭の特別ツアー参加時に撮影(写真撮影/筆者)

2022年のリニューアルの際、建築家の安藤忠雄による新棟(ガラス張り部分)が増築された(写真撮影/筆者)

2022年のリニューアルの際、建築家の安藤忠雄による新棟(ガラス張り部分)が増築された(写真撮影/筆者)

筆者も参加させていただいた、笠原一人さんによる三条通の近代建築ツアーでは、三条通に建ち並ぶバリエーション豊かな近代建築の鑑賞ポイントが紹介されました。一括りに近代建築といっても、手掛けた建築家によってまったく異なる表現になるのが面白いポイント。また同じ建築家であっても、ほんの少し建てられた時期が違ったり、建物の用途の違いによって表現が変えられていて、その背景を知ることで一気に身近に感じられます。

見学する建物が通り沿いに連なっているのも重要で、金融関係の施設が集中するエリアから商業エリアへと歩みを進めることで、街の発展の歴史も同時に学ぶことができます。近世以前の社寺建築のイメージが強い京都で、なぜモダン建築を取り上げるのか。ひとつには「市の中心でまさに今人々の生活と密接に結びつくモダン建築は、役目を終えたら壊されてしまう可能性がある。今のうちから親しんでもらうことでこうした建築が街に必要なんだと感じてほしい」と笠原さん。建築史家として古い建物を残していきたい思いをもちつつ、ツアーでは純粋に個々の建築の面白さを紹介してくれました。
ツアー前はどれも似たような様式建築に見えていた建築群が、ツアー後はひとつひとつのデザインが際立って見えてくる。こうした機会を通じて建築の魅力が広まっていくことで、優れた建築が街に残り豊かな景観が維持されていくのだなと感じます。

講義室でレクチャーを聴くのとは違い、実際に街へ出て現物を見ながらそのデザインに込められた意図を聞く体験は、知識が体に染み込んでいくような充実感を得られました。京都モダン建築祭ではこうしたツアーのほかWEBサイト上でも、建築を解説する音声コンテンツが用意され、建物を見ながら建築の知識を同時に学ぶための工夫が伺えました。

三条通界隈の近代建築群。観光客でにぎわうルートに、バリエーション豊富なモダン建築が建ち並ぶ(写真撮影/筆者)

三条通界隈の近代建築群。観光客でにぎわうルートに、バリエーション豊富なモダン建築が建ち並ぶ(写真撮影/筆者)

それは実行委員の方々自身が建築をどのように楽しんでいるのか、その姿勢から来ているのではないかという気がします。倉方さんは、建築を見る楽しみについてこのように語ってくれました。
「あっちからやってくる感じ、それが建築ならではの面白さですね。こちらから理解しようとか楽しもうとか思わなくても、建築の中に入れば空間に包まれるし、いろんなスケールのものが目に入ってきて、向こうから楽しみがやってくる感覚があります。

それに知識があればあったで、これがつくられた年に戦争が始まったんだなとか、これをつくった人が後にあの建築をつくったんだなとか、その関係を読み解いたり、前に見たものと目の前のものが頭の中でつながって、何かひらめきが生まれたりとか。そうやってあっちからやってくるものをいかに捉えるか、というのが真の『鑑賞』なんじゃないかと思います。繰り返し訪れている建築でも、行くたびに自分自身の知識や経験が増えているから、また新しいものが見えてきますし、それこそ見に行く対象も無限にあるので、とにかく飽きないです。その感じをみんながもてるようになるといいですね。結構いい趣味だと思いますよ、交通費くらいしかかからないですし(笑)」

大規模な近代建築が集まる岡崎エリアに建つ、京都市武道センター(旧武徳殿)(写真撮影/筆者)

大規模な近代建築が集まる岡崎エリアに建つ、京都市武道センター(旧武徳殿)(写真撮影/筆者)

旧武徳殿内部。西洋由来のトラス構造が屋根を支えているため木造の大空間が可能となっている。西洋の技術が近代の木造建築を支えている例(写真撮影/筆者)

旧武徳殿内部。西洋由来のトラス構造が屋根を支えているため木造の大空間が可能となっている。西洋の技術が近代の木造建築を支えている例(写真撮影/筆者)

祇園祭と肩を並べる一大イベントに。実行委員長の思い

イベントに一番力を尽くしている実行委員の方々自身が、こうした純粋な建築の面白さにのめり込んでいるからこそ、このようなイベントが開催できるのだなと実感させられます。

笠原さんはこの京都モダン建築祭を、「ライバルは祇園祭」と位置づけています。京都の街なかを舞台に繰り広げられる祇園祭には、調度品や美術品を飾った町家などを公開する「屏風祭」と呼ばれる行事があります。普段は見ることのできない京都の文化に親しむ機会を設けることで次の世代につないでいこうとする思いは、今も昔も変わらないということなのかもしれません。
1000年の歴史をもつ祇園祭と開催1年目のモダン建築祭とでは1000倍の歴史の差があります。しかしモダン建築祭が100年続けば差は10分の1に、1000年続けば差は2分の1へと縮まっていく。いつか祇園祭に並ぶ京都を代表するイベントになってほしいと語る笠原さんの言葉には、建築という数千年の歴史をもつ文化と長年向き合ってきた重みが見え隠れするように思いました。

日頃は古建築に目が行きがちな京都の知られざる魅力に触れる建築祭、ぜひ長く続いていってほしいですね。

●取材協力
京都モダン建築祭 実行委員会

高齢者や外国人が賃貸を借りにくい京都市。不動産会社・長栄の「入居を拒まない」取り組みとは

国内外から多くの観光客を呼び込む京都のまちに、市内の賃貸管理物件数で多くのシェアを誇る株式会社長栄(以下、長栄)という不動産管理会社があります。長栄は長年にわたり、高齢者や外国人など、賃貸物件への入居が難しい人たちへのサポートを実施してきました。賃貸物件の入居や日々の生活に困難を感じる人を支援するためには、どのような体制や仕組みが必要なのでしょうか。長栄の奥野雅裕さんに話を聞きました。

観光地として国内外から注目を浴びる京都市ならではの住まい事情

奥野さんによれば、さまざまな理由で入居に困難を感じる人がいるなかで、特に京都のまちがもつ特徴から支援が必要だと感じられるのは、高齢者・子育て世帯・外国人の人たちだと言います。

「背景の一つとして、京都市の物件価格の高さが挙げられます。もともと盆地で人が住みやすい条件を満たす土地が限られる中、古くからの建造物や歴史的価値の高い建物も多く、新しい住宅を建てられる場所が、ごくわずかしかありません。提供できる住宅の数が少なければ価格が上がり、それに紐づいて市場が高騰するという悪循環が生じてきました」(奥野さん、以下同)

京都府内の賃料は高止まり状態が続いていて、住宅弱者の住まい探しをより困難にしている(画像提供/長栄)

京都府内の賃料は高止まり状態が続いていて、住宅弱者の住まい探しをより困難にしている(画像提供/長栄)

数が限られた住宅、特に賃貸物件においては、高齢による孤独死などのリスクを不安に思う大家さんが、高齢者の入居を断ることが多々ありました。

また、京都というまちのブランド力により、不動産投資の対象として外国人投資家などからの注目度が高いことも住宅価格を押し上げる要因です。それゆえ、一般の子育て世帯が住宅を購入しづらい点が指摘されています。

そして、京都には大学が多く存在し、留学生の積極的な受け入れに舵を切ったことから、海外からの学生が急激に増えました。ただでさえ賃貸物件数が限られる中、外国人が身寄りのない日本で住居を確保するのは、なかなか難しい状況になっているのです。

「コロナ禍で情勢が変わったのは間違いありませんが、京都市内の住まいの需要は減っていません。売買価格や賃料は高止まりしている状況です」

長栄が主催する外国人留学生に向けた、日本の慣習やルールの説明会。慣れない国での暮らしをスムーズに送るためのサポートを行なっている(画像提供/長栄)

長栄が主催する外国人留学生に向けた、日本の慣習やルールの説明会。慣れない国での暮らしをスムーズに送るためのサポートを行なっている(画像提供/長栄)

市内の不動産会社との連携で住宅弱者の問題に取り組む

このような背景をもとに、「京都の不動産会社には、協力して住宅確保の問題に取り組んで行こうとする会社が多い」と奥野さんは言います。

今回お話を伺った、奥野雅裕さん。賃貸管理部門で12年間経験を積んだ後、顧客サービス部門で日本人、外国人を問わない、入居者に喜ばれるサービスを構築。長期入居者の増加や入居者のニーズに沿ったスキーム、物件の改善に取り組んでいる(画像提供/長栄)

今回お話を伺った、奥野雅裕さん。賃貸管理部門で12年間経験を積んだ後、顧客サービス部門で日本人、外国人を問わない、入居者に喜ばれるサービスを構築。長期入居者の増加や入居者のニーズに沿ったスキーム、物件の改善に取り組んでいる(画像提供/長栄)

京都市は2012年に「すこやか住宅ネット」の愛称で居住支援協議会を立ち上げました。これは、住宅セーフティネット法(住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律)に基づき、住宅確保に配慮が必要な人が円満に民間の賃貸住宅へ入居できる環境を整えるため、行政と民間企業が一体となって取り組んでいく組織です。

京都市は、不動産会社や家主に対して高齢であったり障がいがあったりすることだけを理由に入居を拒否しないよう指導するなど、入居に困難を抱える人を受け入れていくよう説明する機会を積極的に設けています。

「協議会メンバーである不動産会社が中心となって、セキュリティー会社と連携したり、IoT機器を使ったりして、家主が安心して高齢者を受け入れられる環境を作り、高齢者の入居を受け入れてもらうことにも取り組んでいます。当社は協議会立ち上げ当初から関わり、ほかの不動産会社への情報共有や勉強会・セミナーなども行ってきました」

京都市の居住支援協議会、「すこやか住宅ネット」では行政と不動産会社が共に、高齢者や障がい者といった住宅弱者の住まい探しや、暮らしに寄り添う取り組みを行なっている(画像提供/京都市住宅支援協議会)

京都市の居住支援協議会、「すこやか住宅ネット」では行政と不動産会社が共に、高齢者や障がい者といった住宅弱者の住まい探しや、暮らしに寄り添う取り組みを行なっている(画像提供/京都市住宅支援協議会)

「入居を断らない」ことが、大家さんの収益最大化につながる

住宅確保に配慮が必要な人への支援を継続していくには、一時的なものではなく、事業として成り立たなくてはなりません。

「私たちが目指しているのは、家主さんの収益の最大化との両立です。当然のことながら、高齢者、外国人、低所得者だからと言って入居をお断りしていては、家主さんの収益の機会損失になります。入居のハードルが下がれば、入居者さんが増え、家主さんの収益にもつながるというのが、私たちの考えです」

基本的に「入居を希望する人を断らない」のが、長栄のスタンスだそう。だからと言って、やみくもに入居を推し進める訳でありません。

「家賃保証とそのための審査は、不動産の管理・運営をしていく上での肝となる業務です。当社の管理物件に入居される際はほとんどの場合、グループ内の保証会社が対応しています」

必要があれば、入居者と契約前に個別に面談を行って自分たちで審査することも。高齢者の孤独死をはじめ、大家さんにとってリスクの高い人には、「特約」を設けるなど個別対応し、リスクヘッジを図りながら入居を促進するのが長栄のやり方です。

また、高齢者には、セキュリティー会社と連携した見守りサービスの提供、外国人には、各種手続きのサポートやトラブルを避けるための説明会を開催するなどしています。万が一、家賃の滞納が続く場合は、入居者の母国語を話せる外国人スタッフが、事前に取得している母国の連絡先に連絡して対応するなどの解決策を講じています。

高齢者の見守りサービス「ベルヴィシルバーあんしんサポート」。70歳以上の人が単身で入居する際に加入することで、スムーズに入居ができる(画像提供/長栄)

高齢者の見守りサービス「ベルヴィシルバーあんしんサポート」。70歳以上の人が単身で入居する際に加入することで、スムーズに入居ができる(画像提供/長栄)

「入居者ファースト」のサービス会社であることが会社の“幹”

「今後の課題は、住宅確保に配慮が必要な方たちが安心して、長く住んでいただける状況をつくっていくことです」

入居者に長く住んでもらえば収益も安定するので、長栄は入居率を重視しています。現在管理している物件の入居率は、実に96.31%(2022年11月30日時点)と業界平均を大きく上回る状態です。しかし奥野さんは、目先の利益を上げるために、手数料収入さえもらえれば良いと考えている、“不動産屋さん”的な考え方の不動産管理会社が、まだまだ多いと感じているそうです。

「私たちの収益の源泉は入居者さんがお支払いいただく家賃です。入居者さんのために何ができるか、私たちの仕事はサービス業であるという考えが事業の『幹』にあります」

この考えは、長栄の全社員が入社した頃から叩き込まれているといいます。マニュアル通りにはいかないこともたくさんあり、それらにどう対応していくかは日々トレーニングだとも。

「入居者お一人おひとりが本当に困っていることが何なのかを丁寧にうかがって、私たちが解決のためにできることを、しっかりと構築していきたいと考えています」

京都は観光地としての知名度や学校が多いことから外国人も多く、土地や住宅の高騰で、高齢者やひとり親世帯の住宅弱者が多い土地柄。今後も居住支援を長く継続していくには、家主をはじめ周囲の理解と同時に不安を取り除くことが必要です。

そのためには、リスクヘッジをしっかりと行い、万が一のトラブルが起こっても対応できる、仕組みや体制を整えることが大事で、その幹となる心構えがあって初めて居住支援の輪が広がっていくのだと感じました。

●取材協力
株式会社長栄

水害対策で注目の「雨庭」、雨水をつかった足湯や小川など楽しい工夫も。京都や世田谷区が実践中

2015年に閣議決定された国土形成計画をきっかけに、グリーンインフラという言葉が広く知られるようになりました。グリーンインフラとは、自然環境が持つ機能を社会におけるさまざまな課題解決に活用しようとする考え方です。雨水を利用する「雨庭(あめにわ)」は、グリーンインフラの取り組みのひとつとして注目されています。近年、雨庭を設置する自治体や雨水を利用する仕組みを建物に導入する建設会社も現れてきました。多発する豪雨などによる都市型洪水が問題視されていますが、その減災の取り組みとしても注目されている雨庭。一体どのようなものなのでしょうか?

都市化や気候変動によるゲリラ豪雨で、都市型洪水が増えている

近年、気候変動に伴う異常気象が引き起こす大型台風やヒートアイランド現象等の自然現象が深刻になり、ゲリラ豪雨も問題になっています。処理できない水があふれ、マンホールを吹き飛ばすニュースの映像が印象に残っている人も多いのではないでしょうか。都市型洪水を減災する取り組みのひとつが雨庭(あめにわ)です。地上に降った雨をそのまま下水道に流れないよう受け止め、ゆっくり浸透を図る仕組みを持たせた植栽空間を指します。

近年、局地的に短時間で降る激しい豪雨、ゲリラ豪雨が多発している(イメージ写真)(PIXTA)

近年、局地的に短時間で降る激しい豪雨、ゲリラ豪雨が多発している(イメージ写真)(PIXTA)

2022年6月3日には、東京をはじめ首都圏で、1日に2度のゲリラ豪雨が発生。夕方には電車が遅延し、帰りの足に影響が出て、ツイッター上では、「ゲリラ豪雨」がトレンド1位に(イメージ写真)(PIXTA)

2022年6月3日には、東京をはじめ首都圏で、1日に2度のゲリラ豪雨が発生。夕方には電車が遅延し、帰りの足に影響が出て、ツイッター上では、「ゲリラ豪雨」がトレンド1位に(イメージ写真)(PIXTA)

九州大学大学院 環境社会部門流域システム工学研究室の田浦扶充子さんに、雨庭の成り立ちを伺いました。

「地面がアスファルトで舗装された都市では、雨水は地面に浸透せずに、雨水管や水路を経由して河川に放流されます。一時的な豪雨で、雨水が流入するスピードが、河川へ排水されるスピードを上回ると、雨水管が満管になり、水路や排水溝から水があふれる都市型洪水が起こります。都市化が進んだことによって、雨が浸透できる緑地や田畑などが減ったため、雨水管へ流れ込む雨の量が増えていることが主な原因といわれています。早くから下水道を整備した都心部などでは、雨水と家庭からの汚水を1本の下水管で流す合流式下水道という方式をとっている地域もあります。そのような地域では、豪雨の際にすべての下水(汚水と雨水)を下水処理場で処理できなくなり、河川へ未処理状態の下水が流れ出ることもあり、それによる河川水質への影響も懸念されています」

つまり、マンホールを吹き飛ばしたのは、下水道管からあふれた下水。都市型洪水を防ぐためには、雨天時に雨水管に入る雨の量を減らす必要があります。敷地内に水が浸透できる場所を増やし、降った雨水を敷地内で処理する必要があるのです。

アイデアがいっぱい! 個人宅につくった「あめにわ憩いセンター」

島谷幸宏教授(現熊本県立大学所属)が中心となり、2016年に福岡の河川工学等の研究者らや建築士などによるあまみず社会研究会を立ち上げ、流域抑制技術の研究を行ってきました。島谷教授が提唱したのは、「あまみず社会」という雨水を色々な場所で浸透させたり、利用することで、有機的に成り立つ社会。一般の人に雨水浸透や利用について興味を持ってほしいとの思いから、造園や建築の専門家と協力し、住宅の敷地内の雨水を処理するための技術開発を行ってきました。そのひとつが雨庭です。雨庭で雨水を敷地内に貯留し、ゆっくりと地面に浸透したり蒸発させたりすることで水害を予防しながら、水が循環する社会に。ヒートアイランド現象の緩和にもつながります。

透水性のないアスファルト舗装に対し、庭や畑、森など土が表出している場所は雨水が浸透する量が多い(画像提供/あまみず社会研究会)

透水性のないアスファルト舗装に対し、庭や畑、森など土が表出している場所は雨水が浸透する量が多い(画像提供/あまみず社会研究会)

もともと日本では、ずっと昔から、雨庭のような機能を意識した庭園が造られており、敷地の中で上手に雨水を貯め、植物や生物の生育環境、生活用水としても活かしてきました。アメリカでグリーンインフラ整備が進むにつれ、2010年ころには、レインガーデンが、ニューヨーク市内の歩道につくられはじめました。日本庭園の枯山水やレインガーデンを参考に、島谷教授と志を共にする京都大学の森本幸裕名誉教授により、このような仕組みを近代都市の中に取り入れようと誕生したのが、日本の雨庭です。

築50年の民家の敷地内に設けたあめにわ憩いセンターの雨庭は、一見、普通の庭と変わりません。しかし、かなりの豪雨「対象降雨(※)」の場合に敷地全体に発生する雨水の量に対して敷地外への流出を80%も抑制できるというから驚きです。
※2009年7月九州北部豪雨時に観測された、総降雨量198mm・約6時間(最大時間雨量105mm/h)の雨量。

あめにわ憩いセンターには、雨水を利用するさまざまな仕組みがある(画像提供/あまみず社会研究会)

あめにわ憩いセンターには、雨水を利用するさまざまな仕組みがある(画像提供/あまみず社会研究会)

屋根から取水した雨水を6つのかめに貯め、利用する(画像提供/あまみず社会研究会)

屋根から取水した雨水を6つのかめに貯め、利用する(画像提供/あまみず社会研究会)

「雨庭づくりでは、雨が地面に浸み込む力が弱ければ、必要であれば、砂や腐葉土を土に混ぜて浸透速度を調整します。あめにわ憩いセンターは、もともと庭に植物が多く、雨が浸みこみやすい土でした。そこで、従来、屋根から縦樋を通って雨水桝(ます)、それから公共雨水菅へつながっていた連結を途中で切り、敷地内で雨水を貯水、利用し、また土に浸透させて、できるだけ敷地外へ雨水を流出させないようにしました」(田浦さん)

集めた雨水を竹筒から流して庭に小川のような水場をつくる(画像提供/あまみず社会研究会)

集めた雨水を竹筒から流して庭に小川のような水場をつくる(画像提供/あまみず社会研究会)

鎖樋(くさりとい)という鎖状になった樋に雨水を伝わせて、樽に溜まる仕掛け(画像提供/あまみず社会研究会)

鎖樋(くさりとい)という鎖状になった樋に雨水を伝わせて、樽に溜まる仕掛け(画像提供/あまみず社会研究会)

屋根から水がめに貯留した雨水を沸かして足湯ができるユニークな工夫も。2020年まで一般開放され、地域の人に親しまれていました。

雨水タンクに貯めた雨水を太陽光発電で温め足湯を楽しむ(画像提供/あまみず社会研究会)

雨水タンクに貯めた雨水を太陽光発電で温め足湯を楽しむ(画像提供/あまみず社会研究会)

全国に広がる雨庭。民間企業や自治体で取り組みが進む

グリーンインフラへの関心が高まるなか、鹿島建設では、一部の建物に雨水利用システムで蓄えた雨水をトイレの洗浄水に用いるほか、災害時の非常用水として利用するシステムを開発。地面には、雨が浸み込む透水性舗装を取り入れ、都市型洪水の防止に取り組んでいます。竹中工務店は、一部のマンションに、屋上雨水を地下ピットに一次貯留し、ろ過処理した後に植栽散水やトイレの洗浄水として利用するシステムを採用。緑化した屋上に畜雨できる三井住友海上駿河台ビル(東京都千代田区)は、雨水活用の先駆けとして話題になりました。

全国の自治体でも、グリーンインフラ整備が進められ、雨庭をまちづくりに取り入れる動きが出ています。
世田谷区役所土木部豪雨対策・下水道整備課に取り組みを伺いました。

「世田谷区(東京都)では、かねてより豪雨対策の一環として、河川や下水道などに雨水が流れ込む負担を軽くする流域対策を推進しています。グリーンインフラについては、社会的な関心が高まる前から、流域対策の強化の新たな視点として、持続的で魅力あるまちづくりのために取り入れてきました」(世田谷区役所土木部豪雨対策・下水道整備課)

世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)のレインガーデン。左は、雨水を一時的にため込む保水性竪樋(じゃかご樋)。伝わった水が花壇へ導かれる(画像提供/世田谷区役所)

世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)のレインガーデン。左は、雨水を一時的にため込む保水性竪樋(じゃかご樋)。伝わった水が花壇へ導かれる(画像提供/世田谷区役所)

グリーンインフラの考え方を取り入れた施設である「世田谷区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)」のほか、公園や道路などさまざまな公共施設で、グリーンインフラの考え方を取り入れた流域治水の取り組みがなされているとのことです。また公共施設だけでなく、区内の土地利用の約7割を占める民有地での取り組みを推進するため、民間施設を建築する際に、貯留、浸透施設の設置をお願いしているそうです。

また、京都府京都市でも雨庭の整備が進められています。京都市情報館建設局みどり政策推進室に伺いました。

「グリーンインフラの考え方を取り入れながら、市民の方々が身近に接することのできる歩道の植樹帯において、京都の伝統文化のひとつである庭園文化とともに触れていただけるものとして、雨庭の整備を進めています」(京都市情報館建設局みどり政策推進室)

2017年度に京都市として初めての雨庭を四条堀川交差点南東角に整備し、2021年度末までに合計8カ所の雨庭が完成しました。2022年度は、2カ所の雨庭を整備する予定です。

東山二条交差点南東角の雨庭は、背景にある妙傳寺と一体感のある空間に設えている(画像提供/京都市情報館)

東山二条交差点南東角の雨庭は、背景にある妙傳寺と一体感のある空間に設えている(画像提供/京都市情報館)

四条堀川交差点北西角(南側)に2019年に整備された雨庭。京都の造園技術を活かし、貴船石をはじめとする地元を代表する銘石を織り交ぜた庭園風(画像提供/京都市情報館)

四条堀川交差点北西角(南側)に2019年に整備された雨庭。京都の造園技術を活かし、貴船石をはじめとする地元を代表する銘石を織り交ぜた庭園風(画像提供/京都市情報館)

道路の縁石の一部を穴あきのブロックに据え替えて、車道上に降った雨水も雨庭の中に集水し、州浜(すはま)で一時的に貯留し、ゆっくり地中に浸透させる(画像提供/京都市情報館)

道路の縁石の一部を穴あきのブロックに据え替えて、車道上に降った雨水も雨庭の中に集水し、州浜(すはま)で一時的に貯留し、ゆっくり地中に浸透させる(画像提供/京都市情報館)

講習会で雨庭を体験。「自分でつくってみたい!」という声も

あまみず社会研究会や東京都世田谷区、京都市のそれぞれが、一般の市民へ雨庭普及のための講習会やワークショップなどを行っています。

あまみず社会研究会の代表でもある島谷教授が熊本県立大学に就任し、プロジェクトリーダーを務める流域治水を核とした復興を起点とする持続社会 地域共創拠点を創設しました。雨庭の認知拡大に取り組んでいる研究員の所谷茜さんは、「体感してもらうことが大切」と言います。

「高校でワークショップをしたとき、『思ったより、水が土に浸透するスピードは速いんだ!』と驚きの声が生徒からあがりました。実感していただき、雨庭への理解を深めてもらいたいですね」(所谷さん)

民家に雨庭をつくっている様子。建物から1.5m離して窪地をつくり、この事例では腐葉土等を入れ微生物の動きを活発にすることで浸透性を高めた。1時間100ミリの雨を想定し、17平米の屋根に対し、2平米の雨庭をつくり、雨水が敷地外に流出する量を約40%カット。費用は2万円ほど(画像提供/緑の治水流域研究室)

民家に雨庭をつくっている様子。建物から1.5m離して窪地をつくり、この事例では腐葉土等を入れ微生物の動きを活発にすることで浸透性を高めた。1時間100ミリの雨を想定し、17平米の屋根に対し、2平米の雨庭をつくり、雨水が敷地外に流出する量を約40%カット。費用は2万円ほど(画像提供/緑の治水流域研究室)

世田谷では、“環境共生・地域共生のまちの実現”を目指し、市民主体による良好な環境の形成及び参加・連携・協働のまちづくりを推進する(一財)世田谷トラストまちづくりによって、個人宅でもできる雨庭づくりの普及を進めています。2020年に、NPO法人雨水まちづくりサポートの協力を得ながら、区内の産官民学連携で、区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり施工。この取り組みをきっかけに、住宅都市世田谷で市民の小さな実践をつなげて人口92万人が取り組むグリーンインフラとして「自分でもできる雨庭づくり」の3つの視点(1. 個人宅でも実践しやすい 2. 目に見える楽しさや魅力がある 3. 生物多様性の向上につながる)を整理しました。

個人宅での雨庭における雨の流れイメージ図。竪樋(たてどい)から塩化ビニル管に流れて来た雨水を、建物基礎から離して雨庭に放流。オーバーフローした水は、導水路から雨水は雨水排水桝へ(画像提供/NPO法人雨水まちづくりサポート理事長神谷博さん)

個人宅での雨庭における雨の流れイメージ図。竪樋(たてどい)から塩化ビニル管に流れて来た雨水を、建物基礎から離して雨庭に放流。オーバーフローした水は、導水路から雨水は雨水排水桝へ(画像提供/NPO法人雨水まちづくりサポート理事長神谷博さん)

区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり中。雨が降った日を観察し、その雨水の流れに沿って、園路沿いに土を掘り、窪地をつくる(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

区立次大夫堀公園内里山農園前に雨庭を手づくり中。雨が降った日を観察し、その雨水の流れに沿って、園路沿いに土を掘り、窪地をつくる(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

窪地に砂利等を敷き詰め、植栽を配し雨庭が完成した(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

窪地に砂利等を敷き詰め、植栽を配し雨庭が完成した(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

世田谷トラストまちづくりでは、2021年度より「世田谷グリーンインフラ学校~自分でもできる雨庭づくり」の企画運営を区より委託を受け実施。グリーンインフラや雨庭等を体系的に学び、演習フィールドにおいて手づくりで施工する市民向けの講座です。定員15名のところ、区内外から60名もの応募がありました。「水の循環を知りたい」「暮らし、地域に取り入れたい」「ガーデニングに取り入れたい」との声が寄せられたそうです。グリーンインフラの取り組みをはじめて3年目になり、「雨庭をつくりたい。どうしたらいいか」と区民からの問合せも増えています。

グリーンインフラ学校の風景。グリーンインフラや雨水、植物などを体系的に学びながら、グループにわかれてディスカッション。最終的に雨庭を手づくり施工する(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

グリーンインフラ学校の風景。グリーンインフラや雨水、植物などを体系的に学びながら、グループにわかれてディスカッション。最終的に雨庭を手づくり施工する(画像提供/世田谷トラストまちづくり)

京都市でも、市民から緑を増やしたい場所として多くの声が寄せられている道路に雨庭の整備を進め、管理に参加してもらうボランティアを募集するなど雨庭の普及に努めています。

都市での暮らしでは、ふだん、水の流れは見えず、洪水が起こってから「水は怖い」と感じてしまいます。「昔は、雨が土に浸みこんで地下水となり、または蒸発して再び雨になるという実感がありました。雨水を楽しく使いながら水の循環を知ってもらいたいです」と田浦さん。身近に広がる雨庭は、グリーンインフラを整えるだけでなく、緑や水場のある景観を生み出し、心の豊かさにもつながりそうです。

●取材協力
・あまみず社会研究会
・世田谷区役所
・一般財団法人世田谷トラストまちづくり
・京都市情報館

京都の細長すぎる家に思わず二度見!1階は立ち飲み兼古本屋、2階は自宅の”逆うなぎの寝床” バヒュッテ

京都にある「細長ぁ~い」お店が話題です。間口がおよそ18mあるのに対し、奥行きはたったの2~3m。この悪条件のなか、なんと住居兼店舗を実現。狭小な敷地の有効活用が高い評価を受け、2021年度「グッドデザイン賞」を受賞しました。

連日にぎわうこの店には、未利用地の活用に頭を痛める人々を救うヒントがあるはず。古書、雑貨、立ち呑みの三つの商いを一堂で行う「バヒュッテ」の清野郁美さんに運用の秘訣をうかがいました。

狭い? 広い? 思わず二度見してしまう不思議な建物

「グッドデザイン賞」を受賞したウワサのお店は、叡山(えいざん)電鉄「修学院」駅を下車し、徒歩およそ5分のところにあります。

駅前のアーケード商店街「プラザ修学院」を抜けると、そこは白川通りという名の車道。ここに築かれた建物こそが、目指すお店「ba hütte.(バヒュッテ)」です。オープンは2019年5月30日。2022年で4年目を迎えます。

あなたは、きっと二度見するでしょう。木立のなかに現れたその建物を。あまりにも、あまりにも「細い」。いや、「細い」を通り越して、「薄い」のです。

白川通りに面して立つ、思わず二度見してしまう細長い建物。これがグッドデザイン賞を受賞した「バヒュッテ」(写真撮影/吉村智樹)

白川通りに面して立つ、思わず二度見してしまう細長い建物。これがグッドデザイン賞を受賞した「バヒュッテ」(写真撮影/吉村智樹)

しかし、通りの反対側から眺めてみると、今度は「ひ、広い!」。間口はなんと、およそ18mにも及ぶといいます。

広いのか、はたまた狭いのか。見る角度によって印象が大きく変わる、まるでトリックアートのような建物。隣接する大学施設や神社の樹木と相まって、とてもファンタジックな印象を受けます。

白川通をはさんで反対方向から眺めると、とても大きな建物に見える(写真撮影/吉村智樹)

白川通をはさんで反対方向から眺めると、とても大きな建物に見える(写真撮影/吉村智樹)

しかし、横から見ると窓サッシと同じサイズの奥行きしかない。神社の石碑もあり、神秘的なムードが漂う(写真撮影/吉村智樹)

しかし、横から見ると窓サッシと同じサイズの奥行きしかない。神社の石碑もあり、神秘的なムードが漂う(写真撮影/吉村智樹)

間口が広く、奥行きが浅い「逆・うなぎの寝床」

「うちの店はよく“逆・うなぎの寝床”と呼ばれますよ」

そう語るのは「バヒュッテ」店主、清野(せいの)郁美さん(38歳)。

古本・雑貨・立ち呑み「バヒュッテ」店主、清野郁美さん(写真撮影/吉村智樹)

古本・雑貨・立ち呑み「バヒュッテ」店主、清野郁美さん(写真撮影/吉村智樹)

「逆・うなぎの寝床」とは言い得て妙。「うなぎの寝床」といえば間口が狭く、反面、奥行きが深い建物のこと。江戸時代、京都は間口の広さに比例して税金の額が決められていました。そのため、住民はこぞって間口を狭くし、奥行きが深い家を建てたのです。京都の建築様式が「うなぎの寝床」と呼ばれているのは、そのためです。

バヒュッテは、うなぎの寝床の正反対。間口は驚くほど広く、しかしながら奥行きはたったの2.2~3.7mしかありません。間口が約18mもありながら、建坪はなんと、わずか8.7坪しかないのです。

清野「自分は見慣れているので日ごろはなんとも思わないのですが、たまに旅から帰ってきて、改めて自分の店を見てみると、『ほそっ!』と思います(笑)。江戸時代だったら、うちの店はものすごくたくさんの税金を払わなきゃいけませんね」

細長い店内には古本と雑貨がひしめく。とはいえ天井が高く、意外と閉塞感がない(写真撮影/吉村智樹)

細長い店内には古本と雑貨がひしめく。とはいえ天井が高く、意外と閉塞感がない(写真撮影/吉村智樹)

細長いだけではありません。敷地は、実はきれいな長方形になっていない不整形地。ご近所の人が言うには、以前この場所には小屋のように簡素な造りの魚屋さんがあったのだとか。さらにそれ以前は水車小屋が立っていました。代々、“地元に根付く小屋がある場所”だったようです。

更地にした状態。細長いうえに台形の不整形地。最南端の奥行きは驚きのわずか2.2m(画像提供/バヒュッテ)

更地にした状態。細長いうえに台形の不整形地。最南端の奥行きは驚きのわずか2.2m(画像提供/バヒュッテ)

かつてはここで鮮魚店が営まれていた(画像提供/バヒュッテ)

かつてはここで鮮魚店が営まれていた(画像提供/バヒュッテ)

清野「偶然なのですが、バヒュッテの『ヒュッテ』も小屋という意味なんです」

なんと、この地のさだめに引き寄せられたかのように、新たな小屋(ヒュッテ)が誕生していたのでした。ではバヒュッテの「バ」とは?

清野「世代を超えた交流の“場(バ)”になったらいいな、と思い……というのは後付けで、本当は“バ!”というパワーがある語感が好きなので名づけました」

本、雑貨、お酒。どれもはずせない要素だった

パワフルな語感のバヒュッテは、建物の細長さのみならず、業態もインパクト強め。コンセプトは「古本と雑貨と立ち呑みのお店」。壁一面に本棚があり、シブめなセレクトにうならされます。

殿山泰司、田中小実昌、深沢七郎、色川武大など「風来坊」「無頼派」と呼ばれた作家や役者の本が数多く並ぶ。風変わりな店の雰囲気とよく合っている(写真撮影/吉村智樹)

殿山泰司、田中小実昌、深沢七郎、色川武大など「風来坊」「無頼派」と呼ばれた作家や役者の本が数多く並ぶ。風変わりな店の雰囲気とよく合っている(写真撮影/吉村智樹)

2016年に結婚した清野郁美さん。パートナーの清野龍(りょう)さん(42)は20年以上にわたり大手書店にお勤めのベテラン書店員です。清野さんも同じ書店に10年以上働いていており、二人はかつての同僚でした。

夫妻ともども本が大好き。バヒュッテで販売している本はほぼすべて、ご両人の私物。センスのいい本ばかりと思ったのもどうりで。二人は二階で暮らし、夫の龍さんは、書店の勤務が休みの日はバヒュッテを手伝うのだそうです。

京都の大手書店で店長を務め、休日になるとバヒュッテを手伝う夫の龍さん。本とともに生きる日々(写真撮影/吉村智樹)

京都の大手書店で店長を務め、休日になるとバヒュッテを手伝う夫の龍さん。本とともに生きる日々(写真撮影/吉村智樹)

雑貨は、ポーチやペン、ノート、手ぬぐいと、バリエーション豊か。

手ぬぐい、靴下、ステーショナリーなど雑貨の品ぞろえも豊富(写真撮影/吉村智樹)

手ぬぐい、靴下、ステーショナリーなど雑貨の品ぞろえも豊富(写真撮影/吉村智樹)

そして注目すべきは、L字になった魅惑の立ち呑みスタンド。背徳の昼呑みが楽しめます。建築物としてのユニークさにばかり目を奪われがちですが、古書店で飲酒ができる点もかなり希少でしょう。

L字の立ち呑みスタンドで午後2時からお酒が楽しめる。意外とない“チョイ呑み”スポットだ(写真撮影/吉村智樹)

L字の立ち呑みスタンドで午後2時からお酒が楽しめる。意外とない“チョイ呑み”スポットだ(写真撮影/吉村智樹)

清野「私自身、本が好きで雑貨が好きで、そしてお酒が大好きだったんです。だから本、雑貨、お酒、三つともそろえました。狭いスペースで欲張りすぎなんですけれど、どれ一つ、はずせなかったですね」

清野さんの朗らかなキャラクターに惹かれ、夕方から続々とお客さんが呑みにやってきます。語感で選んだという「バヒュッテ」の「バ」は、コミュニティーの「場」として根付き、成熟していったようです。

南側の出入口には「外呑み」できるスペースが設けられている(写真撮影/吉村智樹)

南側の出入口には「外呑み」できるスペースが設けられている(写真撮影/吉村智樹)

「理想の物件に出会えないのならば土地を買って建てよう」

住居兼店舗である「バヒュッテ」は店舗としても住居としても非凡な、言わば珍建築のハイブリット。その発想は、どこから生まれたのでしょうか。

清野「結婚するタイミングで、夫と『家を借りようか。それとも買おうか』と話し合っているなかで、『お店もやれたらいいね』という気持ちが芽生えてきたんです」

本好きの二人は、「古本の販売を基本とした、自分たちらしいお店を営みたい」という夢を共有するようになりました。しかしながら、物件探しは簡単にはいきません。

清野「はじめは、『住むマンションは買って、店はテナントを借りる』という方針で動いていました。とはいえ、いいなと感じる住居、面白いと思えるテナント、二つを同時に探すのがものすごく大変で」

「自分たちらしい店がやりたいと思い、はじめは居住とテナントを別々に探していたが、なかなかいい物件に巡り合えなかった」と語る清野さん(写真撮影/吉村智樹)

「自分たちらしい店がやりたいと思い、はじめは居住とテナントを別々に探していたが、なかなかいい物件に巡り合えなかった」と語る清野さん(写真撮影/吉村智樹)

なかなか理想郷にたどり着けない清野さん夫妻。そこで、大胆な発想の転換を試みたのです。

清野「だったら、『いっそ思いきって土地を購入して、拠点を新たに建てたほうが、自分たちにあったかたちにできるんじゃないか』って、考え方が変わってきたんです」

店舗兼住居を借りるのではなく、「建てる」。言わば一世一代の大勝負に出た清野さん。そうしてたどり着いた場所が、「逆・うなぎの寝床」。ユニーク極まりない、尻込みする人が多い不整形地ですが、画期的な業態の店舗を開こうとする二人の新しい門出として、むしろ適していたのです。この土地に出会うまでに、「およそ3年もの月日を要した」と言います。

清野「長かったですね。やっと出会えた、そんな気がしました。私も夫も一目惚れ。『ここ、ここ!』って即決しました。並木道なので緑が豊富。散歩コースだから人通りもそれなりにある。隣接している建物がなく、たとえ少々音をたてたとしてもご近所に迷惑が掛からない。すぐそばに商店街があり、さらにスーパーマーケットがあって、病院があって、銀行があってと、至れり尽くせり。『住む』と『商売をする』の両立を可能とする唯一の物件だったんです」

レアな土地に誕生した、レアな城。遂にバヒュッテは完成し、細長さを逆手に取った仕様がたちまち話題になりました。そうして遂に「グッドデザイン賞」の受賞に至ったのです。

木材を斜めにとりつける大胆な構造。建築のプロたちも驚いた

バヒュッテがグッドデザイン賞に輝いた大きな理由の一つが「筋交い(すじかい)」。筋交いとは建物を強くするために、柱の間などに斜めに交差させてとりつけた木材のこと。とはいえ、実際に筋交いが空間を堂々と斜めに横切る店舗はそうそうありません。バヒュッテのシンボルともいえる武骨な筋交いは、何度見ても驚かされます。

バヒュッテのシンボルといえる、大胆に設えられた「筋交い」。初めて見た人はギョッとする(写真撮影/吉村智樹)

バヒュッテのシンボルといえる、大胆に設えられた「筋交い」。初めて見た人はギョッとする(写真撮影/吉村智樹)

清野「筋交いをしなきゃいけない理由は、通りに面した柱を減らすためです。『間口は全面ガラス張りにする』という設計士さんのアイデアがあり、そのために壁面に大きな筋交いが必要となったんです。これだけ大きいと、隠しようがない」

集成材でできた筋交いで壁側をしっかり固め、揺るぎない構造に。これにより間口の開放感がグンと増しました。

では、そもそも間口を全面ガラス張りにした理由は、なんなのでしょう。それは、「歩道すら建築の一部だと錯覚させるため」。狭いゆえに、外の景色も店内に採り入れようという発想なのです。筋交いは功を奏し、抜群の採光と眺望を手に入れました。視覚的効果がこれほどの爽快感をもたらすとはと、感心してしまいます。

筋交いが建物をしっかり支え、間口の全面ガラス張りを可能にしている。ガラス張りによって店内にいながら屋外の街路樹など眺望を楽しめる。おかげで狭さを感じない(写真撮影/吉村智樹)

筋交いが建物をしっかり支え、間口の全面ガラス張りを可能にしている。ガラス張りによって店内にいながら屋外の街路樹など眺望を楽しめる。おかげで狭さを感じない(写真撮影/吉村智樹)

地面を掘って天井を高く見せる効果は絶大

もう一つ、バヒュッテの構造には大きな特徴があります。それは古本や雑貨が並ぶ店舗部分の地面を掘り下げていること。その深さは約600mm。

清野「地面を掘ったのも設計士さんのアイデアです。掘って床を下げ、天井を高く見せ、狭さを感じなくさせているんです」

書籍や雑貨のコーナーは600mm掘り下げ、それによって天井を高く見せた(写真撮影/吉村智樹)

書籍や雑貨のコーナーは600mm掘り下げ、それによって天井を高く見せた(写真撮影/吉村智樹)

確かに掘られた床に立っていると、窮屈さをまるで感じません。天井が高く、ガラス戸から陽光が差し込み、まるで教会にいるような敬けんな気持ちにすらなってきます。

とはいえ、それは怪我の功名ともいえます。実はこの敷地、かたちがいびつなだけではなく、南北で高低差もある難物だったのです。地面を掘って店舗に床高の変化をつけたのは、やっかいな敷地を店舗として成立させる苦肉の策でもありました。そしてこの店内の起伏が、グッドデザイン賞を受賞したポイントとなったのです。

不整形かつ南高北低の傾斜地というなかなか難易度が高い立地。店内の床を掘り、地面をフラットにせざるをえなかった。最高で地上440mmの基礎を設け、雨の侵入を防いでいる(写真撮影/吉村智樹)

不整形かつ南高北低の傾斜地というなかなか難易度が高い立地。店内の床を掘り、地面をフラットにせざるをえなかった。最高で地上440mmの基礎を設け、雨の侵入を防いでいる(写真撮影/吉村智樹)

工事の様子(画像提供/バヒュッテ)

工事の様子(画像提供/バヒュッテ)

細長い店舗兼住居が「新時代の町家建築」と高評価に

2021年度「グッドデザイン賞」に選ばれたこの類まれなる店舗併用住宅「バヒュッテ」を設計したのは京都市北区にある「木村松本建築設計事務所」。

公益財団法人「日本デザイン振興会」は、バヒュッテを「京都に出現した新時代の町家建築だ。働くことと暮らすことが混ざり合った都市住宅の新しい在り方を示すことに成功している。街の本屋がどんどんと閉店していく中で、古本屋がこうやって暮らしと溶け合うのは、大変に現代的な現象であるとも言える。時代の流れを生む重要なデザインである」と評価しました。それが受賞の理由。

設計者の一人である木村吉成さんはバヒュッテを、「クライアント、構造家、施工者が一丸となってつくった建物」と語りました。自分たちでも会心の作だったという熱い想いが伝わってきます。木村松本建築設計事務所はさらにバヒュッテの設計を高く評価され、日本建築家協会が主催する「JIA新人賞」も同年に受賞。いっそう箔をつけたのです。

グッドデザイン賞の受賞を機に、特殊な構造を一目見ようと、バヒュッテには設計士、建築関係者、大学教授、建築を勉強する学生たちが続々とやってくるようになりました。なかには他府県からわざわざ見学に訪れる人もいるのだとか。

世代や国籍を問わず、建築に関心がある人たちが集まり、交流が始まるという(画像提供/バヒュッテ)

世代や国籍を問わず、建築に関心がある人たちが集まり、交流が始まるという(画像提供/バヒュッテ)

清野「みんな怪訝な表情で10分ほど写真を撮っていかれます。そして居合わせた見学者さん同士でビールを飲んで盛りあがる場合もしばしばあるんです。そんなときはいつも、『こういう仲をとりもてたのが、この構造の一番の効果かな』と思うんです。ただ、ここを設計してくれた木村さんは、『ここまで立ち呑み屋として発展するとは自分でも意外だった。酒がすすむ効果までは考えていなかった』とおっしゃっていましたね」

間口をガラス張りにして閉塞感を拭い去り、筋交いを隠すことなくさらけだした構造には、設計士すらも気がつかなかった、飾らずに楽しく会話させる効能があったのかもしれません。

立ち呑みコーナーには続々と人がやってきて、会話に花が咲く。「立ち呑み屋としてここまで機能するとは」と設計士自身も驚いたという(写真撮影/吉村智樹)

立ち呑みコーナーには続々と人がやってきて、会話に花が咲く。「立ち呑み屋としてここまで機能するとは」と設計士自身も驚いたという(写真撮影/吉村智樹)

珍しい日本酒やクラフトビールがそろう。BGMはアナログレコード。やさしい音色が穏やかな空間に溶け込む(写真撮影/吉村智樹)

珍しい日本酒やクラフトビールがそろう。BGMはアナログレコード。やさしい音色が穏やかな空間に溶け込む(写真撮影/吉村智樹)

不整形地もアイデア次第で活用できる

さて、気になるのは居住部分。さまざまな仕掛けで狭さを感じさせないように設計されたバヒュッテですが、家となるとさすがに「細長すぎるのでは」と心配になります。

間取図。「店を通らずに居住スペースへ行ける」点にこだわったという(画像提供/バヒュッテ)

間取図。「店を通らずに居住スペースへ行ける」点にこだわったという(画像提供/バヒュッテ)

建築模型。周辺の木立は当初から大切な要素だった(画像提供/バヒュッテ)

建築模型。周辺の木立は当初から大切な要素だった(画像提供/バヒュッテ)

清野「お客さんからよく、『本当に夫婦で二階に住んでいるの?』『人が住めるんですか?』と聞かれます。確かによその家よりも細長いので、友達を数人呼ぶと、横一列に並んで座る感じになりますね。『ちょっと、どいて』って言わないと通れませんし。でも、不便を感じるのはそれくらいかな。ロフトになっていて、狭さを感じないです。総面積だと小さめのマンション一部屋ぶんくらい十分にありますよ」

居住スペース。陽当たり良好。西日が強いため厚さが異なる2枚のカーテンで光の量を調節する(写真撮影/吉村智樹)

居住スペース。日当たり良好。西日が強いため厚さが異なる2枚のカーテンで光の量を調節する(写真撮影/吉村智樹)

それを聞いて安心しました。そして、いよいよ核心である「お値段」について踏み込まねばなりません。バヒュッテの建築には、いったいいくらかかったのでしょう。

清野「土地だけで2680万円。魚屋さんの建物を撤去する費用に10万円。そして店舗兼住居の建築費に3000万円。計およそ6000万円ですね。借入は35年の住宅ローンです。35年じゃないとローンが組めなかったので」

人気の京都市左京区内で、しかも駅から徒歩5分ほど場所の土地が2680万円とは安い。さらにもとあった鮮魚店店舗の撤去費用がわずか10万円とは破格にお得。不整形地でも固定観念を覆し、冴えたアイデアさえあれば存分に活かせるのだと、バヒュッテは教えてくれます。

お客さんに寄り添いながら流動してゆく店に

いまや修学院駅周辺エリアのランドマークであり、大切なコミュニティーの「バ」となったバヒュッテ。今後はどんなお店にしたいと考えているのでしょう。

清野「自分たちでこうしたいというより、お客さんに寄り添いながら流動してゆく店でありたい。もともとは古本と雑貨をメインに考えていて、午前11時オープン、夜は早く閉まるお店でした。けれども立ち呑みコーナーが人気となって、現在は昼下がりの午後2時から午後8時までになったんです。お酒の品ぞろえもお客さんの好みに合わせて変わってきました。そんなふうにニーズを探りつつ、自分たちがやりたいことをすり合わせて、変化させていく。そんなお店にしたい。現状維持はつまらないですしね」

夜になるとさらに存在感が増すバヒュッテ。全面ガラス張りの間口から漏れる灯りが街の治安にも貢献している(写真撮影/吉村智樹)

夜になるとさらに存在感が増すバヒュッテ。全面ガラス張りの間口から漏れる灯りが街の治安にも貢献している(写真撮影/吉村智樹)

開店して4年。いまや地元のコミュニティーの場として欠かせない存在となった(写真撮影/吉村智樹)

開店して4年。いまや地元のコミュニティーの場として欠かせない存在となった(写真撮影/吉村智樹)

街角に現れた、見る角度によって大きさが変わる不思議な小屋。そこは、人間の多様性や多面性を受け入れるやさしさがありました。

●取材協力
ba hütte.(バヒュッテ)
住所 京都府京都市左京区山端壱町田町38番地
営業時間 14:00 ~ 20:00
定休日 火曜日 水曜日 臨時休業あり
電話 075-746-5387
地上2階 /敷地面積:52.60平米 /建築面積:29.00平米 /延床面積:53.64平米

京都らしい街並みが消えていく…。1年に800件滅失する京町家に救世主?

古都・京都の風情を残す「京町家」。 筆者もある種の憧れを感じてきたが、このたび「京町家等の不動産情報ポータルサイトが公開された」という報道を見て、そのサイトをのぞいてみた。そこには、実際に賃借や購入ができる京町家の物件情報に加え、京町家を活用した事例の紹介もされていた。このサイトを見ているだけでも面白いのだが、サイト公開に至る経緯などの詳しい話を聞きに行くことにした。

1日に2軒の京町家がなくなっている!京町家を保全する活動が盛んに

ポータルサイトの名前は、「MATCH YA(マッチヤ)」だ。 文化的価値を持つ京町家や古民家、近代和風住宅などの歴史的建造物に特化して、マッチングのための“不動産情報”や活用したい企業や起業家の参考になる“活用事例”が紹介されている。運営するのは、経済、不動産、建築、金融、法律、市民活動、行政の団体で構成され、所有者や居住者と協力して京町家などの保全・継承を担う「京町家等継承ネット」(事務局:公益財団法人京都市景観・まちづくりセンター)だ。

今回、取材に対応していただいたのは、事務局の京都市景観・まちづくりセンター(以下、まちセン)の西井明里さん、網野正観さん、京町家等継承ネットに協力する株式会社フラット・エージェンシーの寺田敏紀さん、浜田幸夫さんの4名だ。

「MATCH YA」公開に至る経緯には、いくつか要因がある。

直近の要因は、新型コロナウイルスの影響だ。京町家への関心は、日本全国あるいは海外へと広がっているが、コロナ下でテレワークが普及したり、京都への来訪が難しくなったりしたことで、インターネットを活用した京町家の物件や活用事例の紹介の重要性が高まった。

そして、より根源的な要因は、京町家が年々減少していることだ。京都市が行った2016(平成28)年の調査によると、その時点の京町家は約4万軒(うち約5800軒が空き家)あり、7年前と比べて約5600軒の京町家が滅失しているという。1日当たり2軒が取り壊された計算になり、空き家率も高まっている。

京町家は建物や街並みというだけでなく、京都の生活文化を残すものでもある。京町家には、京都の暮らしの文化、建築が持つ空間の文化、職住共存を基本として発展してきたまちづくりの文化が息づいている。そこで、20年ほど前から京町家を残そうという活動が盛んになるが、「MATCH YA」開設も、この京町家の保全・継承を目指すビッグプロジェクトの取り組みの一つにすぎなかった。

20年以上にわたる「京町家を残そう」という活動

「MATCH YA」を運営する「京町家等継承ネット」の事務局であるまちセンは、住民・企業・行政が連携してまちづくりを推進する橋渡しをしようと、1997年に設立した。京町家が街から姿を消していく現状を目の当たりにして、2001年から「京町家なんでも相談」を、2005年から「京町家まちづくりファンド」を始めた。

ちなみに、今回の取材場所として指定されたのは、取材時点で「MATCH YA」に賃貸物件として掲載されていた京町家だ。ここは、京町家なんでも相談に所有者が改修の相談に来て、「京町家まちづくりファンド」で外観改修助成を行った物件だという。地道で長期的な活動が、成果を生んでいる事例ということだろう。

取材場所になった「元カフェの町家」。かつて豆腐屋として建てられた名残である、大きな土間が特徴(筆者撮影)

取材場所になった「元カフェの町家」。かつて豆腐屋として建てられた名残である、大きな土間が特徴(筆者撮影)

京都市も、京町家の保全・継承に本腰を入れるようになる。2007年に「京町家耐震改修助成制度」を設け、2012年には「京都市伝統的な木造建築物の保存及び活用に関する条例」を制定し、2013年には新たに鉄筋コンクリート造等の非木造建築物も対象に加え、名称も「京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」に改正した。さらに2017年に「京都市京町家の保全及び継承に関する条例(京町家条例)」を制定した。

こうしたなか、2014年にはまちセンを事務局として「京町家等継承ネット」が設立された。京町家の保全継承には、公的な支援制度も必要なうえ、伝統技術の継承、法律等の専門知識、改修費用のための金融支援、利活用を促す市場流通のための不動産業の協力や経済界の支援など、幅広い領域のサポートが不可欠であることから、31の関係団体が会員となったネットワークで京町家の継承に当たろうという組織だ。

「京町家を守りたい」という京都の“ホンキ度”がすごい!

実は、筆者自身も東京で、歴史ある建物の保全活動をする団体の会員になっている。ただし、とてつもなく高いハードルを感じている。歴史ある建物を保全しようとすると、安全性や意匠性を担保するための改修費用がかなり掛かり、建て替えた方が安く済むということが多い。たとえ所有者が愛着ある建物を保全したいと思っても、次の代に相続が発生すると、相続人たちの話し合いで売却されてしまうことも多い。行政側も、よほど著名な建築家が設計したり著名な人が住んでいたりしない限り、保全に動くことは少ない。

ところが、京町家の場合は、行政も含めて、あの手この手で可能な手を打ち続けている。保全継承の“ホンキ度”がハンパないと感じた。たとえば、京都市ではすでに紹介したように、現実的に京町家の保全継承を支援する条例を定めている。

まず、京町家であるという認識がなく、単なる古い家と思っている所有者も多い。そこで、条例で京町家について定義をした。
〇京町家の主な定義
築年:昭和25年以前に建築
構造:伝統的な構造で建てられた、平入り屋根の木造一戸建て(長屋建て含)など
形態・意匠:通り庭、火袋、通り庇などの京町家特有の形態を1つ以上有すること

典型的な京町家の改修事例

釜座町町家の改修事例(画像提供:京町家等継承ネット)

釜座町町家の改修事例(画像提供:京町家等継承ネット)

また、京町家条例では京町家を個別にあるいは地区を指定して、保全継承のために相談対応や補助金などの支援をする一方で、解体をする場合は着手する1年前までに届け出をすることを定めている。解体までに保全継承の手立てはないかを検討する時間が1年生じることで、保全継承につなげたい狙いだ。

一方、条例で法律の制限を緩和する策を講じた。建築基準法が制定された昭和25年より前の伝統的な構造で建てられた家は、建築基準法に合致していない。こうした家を増築したり、住宅から飲食店や宿泊施設などに変更したりすると、現行の建築基準法に適合させなければならない。となると、壁や筋交いなどの構造材を補強するなどで、京町家らしい文化的な意匠や形態を保全することができない事例も出てくる。

そのため、景観的・文化的に特に重要なものとして位置付けられた建築物について、建築物の安全性の維持向上を図ることにより、建築基準法の適用を除外して、改修が行えるようになった。2017年からは、「包括同意基準」(一定の構造規模・安全基準・維持管理の方法の基準からなる技術的基準)を制定して、一般的な京町家の改修手続きの簡素化なども図っている。

京都では、京都市内の京町家の調査を継続して行っている。調査によって、典型的な京町家だけでなく、長屋や看板建築などの見た目ではそうとはわかりづらい京町家の存在も明らかになった。京都市と立命館大学、まちセンが2008・2009年度に実施した大規模調査では、専門調査員とボランティアの市民調査員が、京都市内の約5万軒の京町家について外観調査とアンケート調査を行い、京町家の実態を把握した。2016年にも追跡調査により、京町家の滅失状況などを捕捉している。

京町家まちづくりファンドの改修前後の事例(画像提供:京町家等継承ネット)

京町家まちづくりファンドの改修前後の事例(画像提供:京町家等継承ネット)

また、まちセンでは京町家の価値を客観的に把握してもらうために、文化的価値や建物の基礎情報などをまとめた「京町家カルテ」などの作成等も行っている。

京町家を「保全継承したい人」と「活用したい人」をマッチング

しかし、このように行政・民間を問わず京町家の保全継承に取り組んでいるとはいえ、個々の京町家の所有者が補助金等の支援を受けて改修工事を実施し、自ら活用者を探すことは難しい。所有者の相談などに応じて、活用計画を立てて活用してくれる人を探してくれる存在が必要だ。

そこで、京都市やまちセンでは、「マッチング制度」によって、不動産会社などの登録団体が活用の提案や助言をする仕組みを整えている。

改修費用についても、公的な補助制度のほか、地元不動産会社の働きかけなどにより地元金融機関において京町家向けのローンが提供されたり、賃貸の場合に所有者(貸主)と活用事業者(借主)の費用分担で、借主が全額負担して家賃を低減する方法なども提案している。

冒頭のポータルサイト「MATCH YA」は、こうしたマッチングの取り組みのひとつでもある。同サイトに京町家の掲載を依頼できるのは、事前に登録した不動産会社のみで、申請された物件をさらにまちセンで「MATCH YA」の要件に合うかどうか審査したうえで物件情報として掲載するなど、厳しい運用をしている。京町家に興味のある個人だけでなく、店舗やオフィスなどとして活用したい企業にもアピールしたいとしている。

京町家の保全継承とひとくちにいっても、所有者だけではなく、多方面の専門家の知恵を絞らないと実現できない。京町家の保全継承には生活スタイルに合わせた改修が不可欠だが、取材時に「京町家を健全に改修する」という言葉を何度か聞いた。建築基準法のような同じルールに従うのではなく、個別の京町家の構造体がどんな状態か把握し、伝統的な構造に適した耐震補強や意匠を保持しながら防火性能を高める方法を検討して、京町家として健全に改修をすることで、こうした改修技術を引き上げることも必要となる。多方面での地道な努力によって、ようやく京町家の保全継承が実現するというわけだ。

とはいえ、京町家はあくまで個人の所有財産だ。所有者側に京町家を保全継承しようというマインドや環境が整わなければ、実現するには至らない。ここまであの手この手を尽くしても、残念ながら滅失してしまう京町家も相当数あるだろう。

京町家の長い奥行きの敷地を生かした通り庭や奥庭、大戸、出格子など季節を取り込む工夫や独特のデザインは、ぜひ守ってほしいと思うが、所有者や関係者だけで保全継承を担うのは難しい。ファンドに寄付をしたり活用に手を挙げたりなど、多くの人たちが京町家の保全継承に長く関心を払うことが大切だろう。

●関連サイト
京都市、京町家等の不動産情報ポータルサイトの公開について
「MATCH YA」未来と町家をマッチするポータルサイト
京町家等継承ネット

コロナ禍で増える自転車のマナー違反! まちづくりと人に警鐘

コロナ禍で公共交通機関を避け、通勤も含めて自転車を利用する人が増えているようだ。一方で、近年の自転車ブームもあり事故も増加傾向に。安心して自転車に乗れる街づくりのために、何が必要なのか? 自宅から会社まで直接自転車で通勤する人を「自転車ツーキニスト」と呼び、そのスタイルを提唱。自転車に関する著述活動を行っている疋田智さんに話を伺った。
駐輪場や自転車通行帯等の整備は進んでいるのだが……

自転車産業復興協会によれば2020年6月の1店舗あたりの新車平均販売台数は前年同月比で+8.1台。1店舗につき前年同月より平均8台以上も売れているということ。コロナ禍で満員電車をはじめ公共交通機関を避ける動きが現れている一例だろう。

疋田智さん(写真提供/疋田智さん)

疋田智さん(写真提供/疋田智さん)

「確かに、日ごろから自転車通勤している私の体感として、自転車ユーザー(サイクリスト)は少し増えているように思います。それに比例するように、交通ルールを守らない人も目立つようになりました。これは、今まで自転車に乗っていなかった人が増えたからではないでしょうか」

そもそも2011年の東日本大震災を機に、サイクリストがグンと増えたと疋田さん。それを受けるかのように、2012年から警視庁(管轄は東京都)が「自転車ナビマーク・自転車ナビライン」の設置を開始するなど、自転車の通行帯を整備する動きが加速している。多くの人が車道の路肩や歩道内に、自転車が通行できることを示すマーク等を見かけるようになったのではないだろうか。

自転車の通行帯は、地方独自のものもあり、さまざまな種類がある。写真は警視庁(東京都)の「自転車ナビマーク・自転車ナビライン」(写真/PIXTA)

自転車の通行帯は、地方独自のものもあり、さまざまな種類がある。写真は警視庁(東京都)の「自転車ナビマーク・自転車ナビライン」(写真/PIXTA)

また駐輪場の整備も進んでいる。なかには定位置に自転車を置いて、ボタンを押すだけでそのまま地下に吸い込まれていく機械式駐輪システムもあり、「日本はハイテクだ!」と海外でも話題になったほどだ。東京都だけを見ると、山手線の駅はほぼ全てに地下駐輪場が設けられ、駅前の違法駐輪が随分と解消されている。

品川駅港南口(東口)にある地下駐輪場(こうなん星の公園自転車駐車場)。5基あり1020台収納可能。自転車に取り付けるICタグを機械に読み込ませて入庫させ、出庫時はICカードで操作する(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

品川駅港南口(東口)にある地下駐輪場(こうなん星の公園自転車駐車場)。5基あり1020台収納可能。自転車に取る付けるICタグを機械に読み込ませて入庫させ、出庫時はICカードで操作する(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「京都市も中心街の地下に大きな駐輪場を設置しています。過去には雨でも傘を差さず安全に運転できるよう100円でカッパを買えるような試みもしていて(現在は撤去済み)、現在も自転車ユーザーが快適に利用できるような施策を常に模索しています」。このように日本の駐輪環境は、進化しつづけていると言っていいだろう。

御射山自転車等駐輪場(写真提供/疋田智さん)

御射山自転車等駐輪場(写真提供/疋田智さん)

かつて雨具を販売する試みも行っていた(写真提供/疋田智さん)

かつて雨具を販売する試みも行っていた(写真提供/疋田智さん)

コロナ禍で見えてきた、日本の自転車環境の問題

一方で、ここ数年の自転車事故が全事故に占める割合は増加傾向にある。「サイクリストや車のドライバーを含め、日本人があまり自転車走行のルールをよく分かっていないことが原因だと思います」と疋田さん。
そこには日本人の「自転車観」が大きく影響しているという。そもそも自転車は「軽車両」。リヤカーや人力車などと同じカテゴリーの「車両」の1種であり、道路交通法では自動車などと一括りに「車両等」と表記される。また「車両等」であるから、原則は車と同様、車道の左側に寄って走ることと、道路交通法にも定められている。「世界的にも、車と自転車は同一方向を走ることが義務付けられています」

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

ところが多くの人は、「自転車は自動車と同じカテゴリーではなく、歩行者に近い存在の乗りものだと捉えています」。この認識のズレが、歩道を走ったり車道の右側を走るサイクリストが絶えない原因であり、交通事故を増やす要因の一つになっているのだ。

「え、でも自転車は歩道を走れるでしょ?」と思うかもしれないが、実は「一定の条件下」と道路交通法では定められているのだ。その一定の条件とは1.道路標識などにより通行できることが示されている歩道2.自転車の運転手が、児童や幼児、高齢者、障碍者など、車道を通行すると危険だと政令で定められた者であるとき3.政令で定められた場合以外でも、安全に走るためには歩道を走行してもやむを得ないと認められるとき、の3つ。しかも全ての場合で徐行が義務づけられている。とはいえ、あまり知られていないのが実情だ。

「まずは、自転車は車道を走る“車両”であるという認識から再スタートしないと、いつまでたっても事故は減らないのではないでしょうか」と疋田さんは警鐘を鳴らす。

京都市から見えてきた「自転車の乗りやすい街づくり」のヒント

ここまで見てきたように、日本のサイクリスト人口は確実に増え、駐輪環境は整備されつつあるものの、交通ルールの徹底がまだまだ行き届いていない。だからこそ自転車が関わる事故が、今後も増えてしまう危険がある。

もちろん、誰もが手をこまねいているわけではない。例えば京都市。2014年度を「自転車政策元年」と位置付け、さまざまな自転車の走行環境整備などを進めている。車道や歩道内の自転車の通行帯の多くは、例えば渋谷駅から六本木駅を結ぶ国道246号の路肩など、A地点からB地点を結ぶ“線”で設置されることが多いが、京都市の場合は「まずは〇〇通と〇〇通に囲まれた街区」というように、“面”で設置していると疋田さん。

京都の道路(写真提供/疋田智さん)

京都の道路(写真提供/疋田智さん)

(写真提供/疋田智さん)

(写真提供/疋田智さん)

色のついたエリアが京都市の自転車走行の環境が整備された箇所。このように「面展開」されている(画像出典:「京都市サイクルサイト」より)

色のついたエリアが京都市の自転車走行の環境が整備された箇所。このように「面展開」されている(画像出典:「京都市サイクルサイト」より)

「細い路地の多い街区なので、みんなが左側通行を守り、速度も出さない(出せない)ため事故も減りました。それを隣の街区、さらに隣へという具合に面展開しているのです」。設置された街区で頭でも体でもルールを覚えたサイクリストたちは、エリアが広がっても同様にルールを守るようになる。「ここ10年間の自転車に関する施策の中で一番のヒットだと思います」

また世界中のサイクリストから人気の高い「しまなみ海道」を擁する愛媛県では、2015年から県立高校で自転車通学する生徒のヘルメット着用を義務化。ここまでは他地域でも昔からよくある話だが、その際に、かつての白くて丸いヘルメットではなく、ロードバイク用の安全性や空力性、デザイン性を考慮したヘルメットを無償提供したこともある(2015年度。2016、2017年度は購入費用の一部補助)。「だから学生が、田舎くさく見えない。爽やかだし、カッコいいんです」

こうしたヘルメットで自転車に乗ることを覚えた高校生は、大人になっても「ヘルメット=ダサい」いう感覚がないため、大人になっても被り続けるようになると疋田さん。実際、疋田さんも参加している「自転車ヘルメット委員会」の2020年7月に実施した全国調査によれば、47都道府県でヘルメット着用率の1位は29%で愛媛県がトップだった。以下長崎県の26%、鳥取県の18%と続く。

ヘルメット装着によって実際に死亡事故が防がれている。なかには、追突された衝撃で頭部がフロントガラスにぶつかり、フロントガラスが割れるなどの事故が起こったが、ヘルメットをきちんとかぶっていたために、命を守ることができたそう(写真提供/愛媛県教育委員会)

ヘルメット装着によって実際に死亡事故が防がれている。なかには、追突された衝撃で頭部がフロントガラスにぶつかり、フロントガラスが割れるなどの事故が起こったが、ヘルメットをきちんとかぶっていたために、命を守ることができたそう(写真提供/愛媛県教育委員会)

自転車先進国には「車の進入禁止」エリアもある

海外からヒントを学ぶ方法もある。「自転車先進国とよく言われるのはデンマーク、オランダ、ドイツです。これらの国々には“ゾーン30”と呼ばれるエリアがたくさん設定されています」

ゾーン30とは歩行者から車まで、すべてが30km/h以内で移動しなければならないエリア。「そこではウサイン・ボルト(ロンドンオリンピック決勝時の最高速度は約45km/h)も全速力で走ってはいけないんです(笑)」

30km/h以下ならお互いが衝突を避けやすく、万が一ぶつかっても死亡事故に至る確率も低い。「さらに自家用車の進入を禁止したゾーン30もあります。例えばドイツのミュンスターやフライブルクなどがそうです。エリア内に住む人々の自家用車の駐車場はゾーン30の外に設定し、中に入れるのは物流用トラックと公共機関のバスだけ。おかげで交通事故や渋滞が減ったのはもちろん、空気がきれいになり、住民の健康寿命が延びて医療費が抑えられたという話も。ゾーン30にしたおかげでいくつもの果実を得られた例です」

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

ドイツ・ミュンスターにて。“ここから先は歩行者限定”ということを表す標識(写真提供/疋田智さん)

ドイツ・ミュンスターにて。“ここから先は歩行者限定”ということを表す標識(写真提供/疋田智さん)

日本にも住宅地を中心にゾーン30が設定されているエリアはいくつもあるが、自家用車まで規制しているところはない。

そもそも一定条件下とはいえ、歩道を通れるようになったのは、高度経済成長期の道路交通法の改正によるもの。当時の急激なモータリゼーションの高まりから、クルマの数が激増し、自転車との事故が増えた。このため自転車を緊急避難的に歩道に上げてしまった。要するに車道に自転車レーンを設けるインフラ整備が追いつかないための苦肉の策だったわけだ。

地震大国日本にとって自転車は強力な武器になる

しかも自転車環境を整備していくメリットは、事故を減らすだけはない。地震大国である日本にとって、自転車は減災の大きな武器になるようだ。「東京大学大学院(都市工学)にいたころ、構造計画研究所と共同で、宮崎県日南市を例に、地震による津波が発生した場合のシミュレーションを行ったのですが、自転車による避難がとても有効であることが分かりました」

日南市(写真提供/疋田智さん)

日南市(写真提供/疋田智さん)

日南市油津近くの海岸通り(写真提供/疋田智さん)

日南市油津近くの海岸通り(写真提供/疋田智さん)

それによると、25分以内に避難しなければならないと仮定した場合の避難完了率、つまり逃げ遅れが最も少ない順は、1位が欧州仕様の電動アシスト自転車(24km/h以上でもモーターがアシストしてくれる)で、次いで日本の電動アシスト自転車(24km/hまでモーターがアシストしてくれる)、普通の自転車、徒歩、車という順位になった。これは5つの手段の利用割合がいずれも20%としてシミュレーションした結果で、「車の利用率が十分低くて渋滞が起こらなければ一番早いのですが、渋滞が起こるほど交通量が増えると一番遅くなるのです」

シミュレーションの設定条件次第では上記の順位は変わるが、少なくとも自転車は徒歩より早く津波から逃げられる。地震大国日本の避難方法としては有効な手段だし、素早く避難するためにも、やはり交通ルールの徹底など自転車の利用環境の整備をすることは、減災に繋がると言えるではないだろうか。

それに自転車が走りやすくなれば、サイクリストも増えるだろう。それは健康な人が増える、ということでもある。疋田さんの例で言えば「84kgの体重が1年で67kgに減り、コレステロール値や中性脂肪値、尿酸値、空腹時血糖値などが、すべてC判定からA判定になりました」。健康な人が増えれば、医療費の抑制にも繋がる。

このように自転車環境を整えるということはメリットがたくさんある。では、今後日本で自転車環境を整えていくには、何が必要か。まずは、一見遠回りに思えるかもしれないが、自転車は車両である、という原点を再認識することから始めることではないだろうか。「そこから左側走行をはじめとした原則を再確認すれば、交通ルールの徹底や、自転車環境整備も進みやすくなり、事故も減ると思います」。自転車先進国だけでなく、日本にとって多くの果実を生む可能性のある自転車。丁寧にその環境を育てる時期にきているようだ。

●取材協力
疋田智さん
1966年生まれ。自転車で通勤する人=「自転車ツーキニスト」NPO法人自転車活用推進研究会理事、学習院生涯学習センター非常勤講師、某TV局プロデューサーも兼ねる。メールマガジン「週刊自転車ツーキニスト」は2006年の“メルマガオブザイヤー”総合大賞を受賞。
>疋田智の週刊自転車ツーキニスト

京都市
「京都市サイクルサイト」
愛媛県

デジタル工作機器でオリジナルなグッズがつくれるカフェ。「ファブカフェ キョウト」が伝えたい「ものづくり」のある暮らし

お気に入りの写真やロゴマークなど自分でつくったデザインを、オブジェやグッズにしたり、友達と企画したイベントでノベルティなどをつくって、参加者とおそろいにしたり、そんな、オリジナルなものがある生活、素敵ですよね。表現の幅が広がり、暮らしはきっともっと豊かなものになるでしょう。「ハンドメイドで!」と考えるものの、そもそも、加工ができる工具や設備がありませんし、ショップに製作を依頼するにはロット数が少なすぎて、数の割にはお金がかかってしまいます。

近年、「メイカースペース」「Fab スペース(以下「ファブスペース」)」と呼ばれる、3Dプリンターや、デジタルミシンなどのデジタル工作機器を取りそろえた施設が、各地にできています。京都の街なかにある「FabCafe Kyoto」(ファブカフェ キョウト)は、お茶や食事も楽しめるカフェにファブスペースが併設された「ファブカフェ」。

工房と一体化した夢のようなカフェは、今、この街でどんなふうに住民との関係を築いているのか。「FabCafe Kyoto」を運営している株式会社ロフトワークのディレクター、木下浩佑さんにお話をうかがいました。

おしゃれなカフェとデジタル工作機器の不思議なバランス

訪れた場所は、「五条」と呼ばれるエリア。東には世界遺産の清水寺があり、西へ歩けば東本願寺、南へさがれば京都タワー。徒歩圏内に京都を代表する名だたる観光スポットをいだきながらも、静かな趣をたたえる街です。

2017年6月9日にオープンした「FabCafe Kyoto」。ここは、築およそ120年という木造建築をリノベーションしたクリエイティブ・スポットです。和の意匠を活かした堂々たるたたずまいに見とれてしまいます。

最近では町屋をリノベしたカフェやゲストハウスも増え、若い人たちに人気の五条エリア。真黒でモダンな外観はつい中をのぞき込みたくなる(写真撮影/出合コウ介)

最近では町屋をリノベしたカフェやゲストハウスも増え、若い人たちに人気の五条エリア。真黒でモダンな外観はつい中をのぞき込みたくなる(写真撮影/出合コウ介)

店内に足を踏み入れると、そこは30席を擁する、ゆったりとしたカフェ空間。インターネット回線と電源を無料開放し、コワーキングスペースのようにも使えます。

1階左手は長いカフェカウンター。この奥にファブコーナーがある(写真撮影/出合コウ介)

1階左手は長いカフェカウンター。この奥にファブコーナーがある(写真撮影/出合コウ介)

もとは工場や家具屋として使われていた築120年の建物。モノや車が出入りしていた通りに面した部分は開放感のある窓と入口になっている(写真撮影/出合コウ介)

もとは工場や家具屋として使われていた築120年の建物。モノや車が出入りしていた通りに面した部分は開放感のある窓と入口になっている(写真撮影/出合コウ介)

そして! 刮目すべきは、1階のカフェの明るい窓に面した奥。ここに、工作用マシンがズラリと並んでいます。

設置されているのは、プラスチックや皮革や材木などを彫刻したり切断したりできる「レーザーカッター」、3次元の造形ができる「3Dプリンター」、紫外線をあてると硬化する特殊インクで、紙以外にも印刷できる「UVプリンター」、切削工具を回転させながら彫刻をしたり穴をあけたりできる小型「CNCフライス」、最大8色の糸でさまざまな色彩とデザインが表現できる「デジタル刺繍ミシン」などなど。高価なため家庭での購入が難しい機器の数々が並び、ワクワクしてきます。
それぞれ、利用時間に応じて料金が設定されています。また、レーザーカッターとデジタル刺繍ミシン、UVプリンターは操作方法の講習会を受講した方のみ使用が可能となっています。

写真上/ずらりと並んだデジタル工作機器、写真下/デジタルミシン(手前)とUVプリンター(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部(上)、出合コウ介(下))

写真上/ずらりと並んだデジタル工作機器、写真下/デジタルミシン(手前)とUVプリンター(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部(上)、出合コウ介(下))

木下浩佑さん。この店で働く前も東京のモノづくり施設で運営に携わる。経験を活かし、京都ならではの素材や伝統、人脈を活かしたファブスペースづくりに取り組んでいる(写真撮影/出合コウ介)

木下浩佑さん。この店で働く前も東京のモノづくり施設で運営に携わる。経験を活かし、京都ならではの素材や伝統、人脈を活かしたファブスペースづくりに取り組んでいる(写真撮影/出合コウ介)

木下浩佑さん(以下、木下)「カフェに工作機器をそろえたこのスペースは、ものづくりをしたい人たちを応援をするためのラボ(工房)です。工作機器の多くは製造工場や教育施設などにあり、扱うのは専門の職人さんや、専門の勉強をしている人が中心です。そのような場に行かない限り、一般の人には機械を目にするきっかけも、触る機会も少ない。そういった専業職種の機械を広く一般に開放してゆくのが私たちのようなファブスペースの役目なんです。カフェという気軽に入れるスペースとくっついていることで、さらに多くの方が機械を利用できるのではないかと考えました」

社会実験から始まったアメリカ生まれのファブラボが、カフェ併設で、より日常に

工場にあって表に出ない工作機械と市井の人々をつなぐ場。もともとはアメリカのマサチューセッツ工科大学が、「高度な機器を市民に開放すると、地域でどんな活動が始まるのか?」という社会実験として「ファブラボ」と呼ばれる場をつくったことから始まったのだそう。そしてこの実験精神や理念が多くの人に受け容れられ、今や海を渡り、ファブスペースは世界中に誕生しているのです。

木下「例えば、レーザーカッターで硬い素材にスリット(切れ込み)を入れると、手で曲げられるほど柔らかくなります。アクリル板を凹凸にカットして組み合わせると箱など容器がすぐにつくれます。文字を切り出すと、商店のポップなどにも使えます。あると便利だけれど家庭では制作できない雑貨などが、ここでは実現可能なんです」

アクリル板をレーザーカッターでカットすればさまざまな立体がつくれる(写真撮影/出合コウ介)

アクリル板をレーザーカッターでカットすればさまざまな立体がつくれる(写真撮影/出合コウ介)

UVプリンターでアクリル版に塗装したもの。革や布などにも塗装可能で、人気の機器だ(写真撮影/出合コウ介)

UVプリンターでアクリル版に塗装したもの。革や布などにも塗装可能で、人気の機器だ(写真撮影/出合コウ介)

カフェと工房が一体化したスタイルは、ここが世界で9軒目、この京都店と同じ系列では台北、香港、渋谷、といった大都市のほかに岐阜県の飛騨にも。ファブラボの「ファブ」に「FABrication(ものづくり)」と「FABulous(愉快な、素晴らしい)」という二つの意味を込めており、「伝統と革新、デジタルとアナログが混ざりあう、楽しい創造の場所にしてゆきたい」という想いがあるとのこと。

カフェと工房のあいだに仕切りなし。お客さんどうしの交流が生まれる

今回はSUUMOジャーナル編集部が、トートバッグにオリジナルな刺繍をチャレンジ。原画は編集部員Kのお母さんが「趣味で描いた」という油絵の写真。

写真撮影/編集部K

写真撮影/編集部K

持ち込んだイラストやデザインをPCで加工、デジタル工作機器に取り込むことで器用な人でも誰でも思い通りの作品をつくることが可能(写真撮影/出合コウ介)

持ち込んだイラストやデザインをPCで加工、デジタル工作機器に取り込むことで器用な人でも誰でも思い通りの作品をつくることが可能(写真撮影/出合コウ介)

PCで4色の色に変換された絵の画像は、4色の糸で次々と刺繍されていく(写真撮影/出合コウ介)

PCで4色の色に変換された絵の画像は、4色の糸で次々と刺繍されていく(写真撮影/出合コウ介)

それにしても驚くのが、カフェとファブスペースの境目がまるでない点。ここまで飲食スペースと一体化しているとは想像していませんでした。

木下「カッティングやミシンがけなど作業の際に出るノイズに包まれながら、ある人はパソコンで仕事をし、ある人は読書をし、ある人は思考をめぐらせ、ある人はおしゃべりに興じたり、ミーティングをしたり。そんなふうに、それぞれが自分なりのワークをしながら音に寛容になれる場所が京都にあってもいいんじゃないかと考えて、あえて仕切りは設けていません。『ガラス張りにすらしたくない』って思ったんです。『静かにしなきゃいけない』って、お客さんにとって、すごいプレッシャーですしね」

コーヒーを飲みながらコワーキングスペースとして利用する人も(写真撮影/出合コウ介)

コーヒーを飲みながらコワーキングスペースとして利用する人も(写真撮影/出合コウ介)

木下さんがおっしゃる通り、店内はさまざまな機械音がリズムを刻んでいて躍動感があり、「サウンドで元気がもらえるカフェだな」という印象を受けました。騒音だとはまるで感じず、むしろ音の色彩感を味わえる、ここはそんな場所なのです。

木下「それに仕切りをなくすと、見知らぬ人どうしで『何をつくっているんですか?』ってフレンドリーに話しかけやすい。新たな交流が生まれます。ここに来た人やクリエイターと、あるいはクリエイターと企業が協創するきっかけなればうれしいですね」

作業中は「あえて手伝わない」。自分の力で完成させるからこそ、ものづくりは楽しい

「FabCafe Kyoto」の、もうひとつの大きな特徴、それは機械や工具の使用が「セルフサービス」である点。教えてくれる人がつかないため、不安に感じて利用を躊躇するお客さんもいるのでは?

木下「はじめは不安でも、失敗してもいいからDIYを楽しんでほしい。実はオープン当初はオペレーターつきのプランも設けていたんです。でも、やめました。助手をつけると結局、人に頼ってしまって、自分だけでは完成させられなくなるんです。試行錯誤しつつ、『ここをもっと、こうしたほうがいい』『こう操作するとクオリティがあがるのか』と気がつくことこそが、ものづくりのおもしろさだと思うんですね。それに自分でつくると、『職人さんって、やっぱスゴいな!』って、リスペクトの気持ちが改めて湧いてきます」

失敗したっていい。間違えたから気づきがある。ああでもないこうでもないと首をひねりながらも、手を動かしたからこそ生まれるアイデアもある。そうやってカフェの一画でさまざまな人々がハンドメイドにチャレンジし、「木目の上に透明なインクを印刷して半立体にしたグッズ」など意欲作が続々と誕生しました。

レーザーカッターの切る幅を変わるだけで素材の印象は大きく変わる。細く細かく入れれば固いものもしなやかに曲がる(写真撮影/出合コウ介)

レーザーカッターの切る幅を変わるだけで素材の印象は大きく変わる。細く細かく入れれば固いものもしなやかに曲がる(写真撮影/出合コウ介)

年間およそ数百アイテムが誕生。伝統工芸の歴史深き京都では「京都らしく」

デスクワークがメインだったクリエイターが、初めて機械に触れるケースも多いのだそう。実際の工芸作業をした経験がなかったデザイナーがレーザーカッターを自力で操作し、「自分が設計したデータが商品になるって、こういうことなんだ!」と子どものように初々しく喜ぶ姿も見受けられたと木下さんは言います。

木下「FabCafe Kyotoから生まれた作品は、年間およそ数百種類。どれも素晴らしくて、僕らも刺激をもらえます。そういえば、海外からお見えになられたお客さんが『スーツケースの取っ手が壊れたから』と言って、3Dプリンターで取っ手をサッとつくってサッと帰っていった日もありました。必要なものをつくることが当たり前になっている、あの時は『カッコいい!』ってテンションがアガりました」

上/分厚いアクリル板の裏側にUVプリンターで画像を塗装したもの。立体感が出て素敵なオブジェに。下/3Dプリンターでつくった模型。設計図となるデータは、さまざまなサイトで共有されていて、自分でイチからつくれなくても、データのサイズを変えたり、デザインを変えたりなどなどカスタマイズすることからチャレンジすることもできる(写真撮影/出合コウ介)

上/分厚いアクリル板の裏側にUVプリンターで画像を塗装したもの。立体感が出て素敵なオブジェに。下/3Dプリンターでつくった模型。設計図となるデータは、さまざまなサイトで共有されていて、自分でイチからつくれなくても、データのサイズを変えたり、デザインを変えたりなどなどカスタマイズすることからチャレンジすることもできる(写真撮影/出合コウ介)

一般の方々がカジュアルにドロップインし、ものづくりを学べる「FabCafe Kyoto」。カフェですから、工作機械はもちろん、ドリンクももちろん充実。珈琲豆は、京都伏見で焙煎しているスペシャルティコーヒーショップ「Kurasu Kyoto」に依頼したオリジナルブレンドと、緑豊かな京都・大山崎の山麓にある「大山崎 COFFEE ROASTERS 」で自家焙煎した豆を使用、「抹茶ラテ」には新進気鋭の茶舗「京都ぎょくろのごえん茶」の抹茶粉を使用するなど京都らしいラインナップです。

本格的に茶筅でたてる抹茶ラテ(写真撮影/出合コウ介)

本格的に茶筅でたてる抹茶ラテ(写真撮影/出合コウ介)

木下「京都ぎょくろのごえん茶さんは、抹茶の仕入れだけではなく、うちのレーザーカッターのヘビーユーザーなんです。お店に使うポップをハンドメイドしているんですよ」

食材の仕入れ先という結びつきを超え、カフェとラボは、新たなる有機的な関係を築いていたのです。ほかにもゲストハウスや飲食店を営む人が、ルームキーのキーホルダーや、施設内のサインプレート、メニュー表やカップをつくったりなど、暮らしや生業に根差した使われ方をされているそう。ここには、漆や引箔(ひきはく:和紙に金銀箔で模様を施し断裁した糸。西陣織に使われるもの)といった伝統的な素材から、サンルミシスインキ(ブラックライトで光る蛍光顔料)や熱硬化性素材など最新のマテリアルも展示しており、創作イメージが広がります。
「ここ、京都は商売だけでなく、職人さんや芸術家も多い町です。ちょっと立ち寄ったときに、素材や人からの刺激を受けたり、試作品をつくる場になったりもしています」ひとくちにファブスペースといっても、この京都のようにカフェがあったり素材があったりなど、その街にどんな人が暮らしているかによって、形態はさまざま。つくること、お客さんに見せることが暮らしの一部となっている京都の人が、足を運びやすい「ものづくりの場」として地域に溶け込んでいるようです。

カフェスペースではさまざまな京都やモノづくり、マテリアルに関係したイベントも多数開催している(写真提供/FabCafe Kyoto)

カフェスペースではさまざまな京都やモノづくり、マテリアルに関係したイベントも多数開催している(写真提供/FabCafe Kyoto)

ショップ看板(左)、ウィンドウサイン(右)のほか、店内のディスプレイもここでつくったオリジナル。周辺のお店の人、職人さん、芸術家らもこのようなオリジナルな1点をつくりに来るそう(写真撮影/出合コウ介)

ショップ看板(左)、ウィンドウサイン(右)のほか、店内のディスプレイもここでつくったオリジナル。周辺のお店の人、職人さん、芸術家らもこのようなオリジナルな1点をつくりに来るそう(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

さて! いよいよトートバッグの刺繍ができあがりました。今回は特別に木下さん直々にミシンがけをしていただきました。間違いなく、誰がどう見てもオンリーワンなバッグとなりましたが、いかがでしょう。

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

どうだろうか。なかなかサイケデリックな仕上がり(写真撮影/編集K)

どうだろうか。なかなかサイケデリックな仕上がり(写真撮影/編集K)

いまなお町家や古民家が建ち並ぶ古きよき五条エリアで地域に溶け込んでいる、ものづくりカフェ。ミシンの針が進む速度で、工芸の新しいかたちが育まれている。そんなふうに感じました。

●取材協力
FabCafe Kyoto

京都の元遊郭建築をリノベ。泊まって、食べて、働いて、が一つになった宿泊複合施設に行ってみた!

2020年2月。京都に、ひときわ個性的な宿泊複合施設が誕生しました。その名は「UNKNOWN KYOTO」(アンノウン・キョウト)。ここはなんと、「ゲストハウス」「飲食店」「コワーキングスペース」が合体した複合施設。しかもそれら建物はなんと貴重な元「遊郭建築」をリノベーションしたもの。どこか謎めいた雰囲気が漂う宿泊複合施設は、いったいどのようないきさつを経て生まれたのでしょうか。
「お茶屋」と呼ばれた元遊郭建築を、現代風に再生

訪れたのは、河原町五条の南東側。鴨川と高瀬川がせせらぎ、迷路のような細い路地が随所に張り巡らされた、京都のなかでもとりわけ古(いにしえ)のたたずまいが残るエリアです。京阪本線「清水五条」駅や京都市営地下鉄烏丸線「五条」駅から至近で、かつ阪急「河原町」駅や各線「京都」駅など都心部からもぶらぶらと散歩するあいだに着いてしまうほどアクセスがいい場所です。

実はこの河原町五条の南東エリアは、昔は「遊郭街」として知られた区域でもありました。最盛期には150軒ものお茶屋や置屋があったのだそうです。

今回お話を伺った、株式会社「八清」の暮らし企画部プロデューサーで、一級建築士の落海達也さんと、OND代表取締役社長の近藤淳也さん(写真撮影/出合コウ介)

今回お話を伺った、株式会社「八清」の暮らし企画部プロデューサーで、一級建築士の落海達也さんと、OND代表取締役社長の近藤淳也さん(写真撮影/出合コウ介)

落海達也さん(以下、落海)「UNKNOWN KYOTOは、もともとは古いお茶屋さんで、周辺一帯はかつて『五條楽園』という名の旧・遊郭街でした。京都の中心部の街並みが近年、変化する中で、この辺りには遊郭街特有の街並みが残っており、京都の人にさえも知られていないコアな歴史や個性豊かな建築が残るこのロケーションに、大きなポテンシャルを感じたんです」

京都の人にさえも知られていないコアな歴史や個性……施設に冠された「UNKNOWN」(アンノウン/知られざる)は、そういった趣旨が込められているのでしょうか。

落海「ネーミングは、“知られざる京都”という意味もありますが、いわゆる観光地ではなく、あまり知られていないエリアにこそスポットを当てていきたいという想いが込められています。これまでこのエリアに足を踏み入れたことがない人たちが訪れると、きっと新鮮な驚きがあるだろう。そういう想いが反映しています」

元は明治時代に建てられた遊郭だっただけあり、UNKNOWN KYOTOは、とにかく建物の姿かたちがレトロモダンで味わい深い。年季がもたらす情趣とともに色っぽさも感じます。そのまま映画のセットに使えそうな風格があるのです。

外観(写真撮影/出合コウ介)

外観(写真撮影/出合コウ介)

落海「ずいぶんと長い間、空き家でした。当初は和風建築でしたが、どこかのタイミングで今のスタイル、いわゆる“カフェー建築”と呼ばれる独特な建築スタイルになったものと思われます。地面がモザイクタイル張りだったり、古いガラスのブロックや、レンガ造りだったり、お茶屋さんだった時代の名残りが随所に見受けらます」

建物に足を踏み入れると、広い玄関土間が。赤とピンクの小さなタイルが敷き詰められた床は、お茶屋さん当時のもの。五條楽園が華やかかりし時代は、床にタイルを貼ることで清潔感を演出したのだそう。

玄関ホールで使われているタイルは古いものを残すだけではなく、お茶屋建築の美意識を活かすために元々そこにあったかのようなタイルを厳選するというこだわりぶり。床や壁をめくるたびにタイルなどが出てきたりするので図面はあってないようなもの。おかげで相当工事はたいへんだったそう(写真撮影/出合コウ介)

玄関ホールで使われているタイルは古いものを残すだけではなく、お茶屋建築の美意識を活かすために元々そこにあったかのようなタイルを厳選するというこだわりぶり。床や壁をめくるたびにタイルなどが出てきたりするので図面はあってないようなもの。おかげで相当工事はたいへんだったそう(写真撮影/出合コウ介)

南棟の1階には、フルタイム会員のみならずドロップイン利用(¥500/2時間~)、宿泊者利用も可能なコワーキングスペースと、そして奥には2つのシェアオフィスがあります。

コワーキングスペースはくつろげるソファ、テレビモニターがある会議室、シェアキッチンまでもが設けられた充実の設備(写真撮影/出合コウ介)

コワーキングスペースはくつろげるソファ、テレビモニターがある会議室、シェアキッチンまでもが設けられた充実の設備(写真撮影/出合コウ介)

柔らかなオレンジ色の灯りに照らされたコワーキングスペースは場所を固定しないフリーアドレス制。使い方の自由度が高い! しかも椅子はすべて『種類を変えた』という凝りよう。自分の体にフィットする椅子が選べ、京都に長期滞在する際も、ここだけで気分を変えて仕事をすることができます。

キッチンでは調理器具がひと通りそろっており、お湯を沸かしたり、パンを焼いたり、お弁当を温めたり、簡単な料理づくりが可能です。吊り戸棚はなんと、もともとの建物に残っていたものを再利用。

奥には、空から光の入ってくる坪庭があります。ほっとする眺めですね。

いかにも京都らしい、奥行きのある建物の中ほどには坪庭が(写真撮影/出合コウ介)

いかにも京都らしい、奥行きのある建物の中ほどには坪庭が(写真撮影/出合コウ介)

玄関ホールから階段を登ると、「うわぁ」、思わず驚きの声をあげてしまいました。舟底天井の格式高い和室や洋館を思わせるお部屋、ドミトリータイプの大部屋が2つ(うち1つは女性専用の部屋)など、お茶屋さん時代の間取りをそのままに活かした艶っぽい空間となっています。

天窓のある客室(写真撮影/出合コウ介)

天窓のある客室(写真撮影/出合コウ介)

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上/デッキを通って行ける中庭に面した北棟1階の客室 下/中庭を望む2階部分の廊下は青い絨毯が印象的(写真撮影/出合コウ介)

上/デッキを通って行ける中庭に面した北棟1階の客室 下/中庭を望む2階部分の廊下は青い絨毯が印象的(写真撮影/出合コウ介)

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上/共用の水まわりはレトロなタイルが。下/ドミトリータイプの客室はベッド部分にテーブルもあり、一般的なものよりもゆったりとしている(写真撮影/出合コウ介)

上/共用の水まわりはレトロなタイルが。下/ドミトリータイプの客室はベッド部分にテーブルもあり、一般的なものよりもゆったりとしている(写真撮影/出合コウ介)

細かな手仕事が施された建具はできるだけそのまま利用した(写真撮影/出合コウ介)

細かな手仕事が施された建具はできるだけそのまま利用した(写真撮影/出合コウ介)

北棟の1階には3面カウンターの飲食店スペースが設けられ、ランチと夕食をフォロー(今後、朝食もスタート予定とのこと)。お昼はスパイスカレーをメインとした「スパイスオアダイ」、夜は大衆酒場「アンノウン食堂」、昼は定食、夜はイタリアンをメインとした「Sin」と、系統が異なる3店。誰もが気軽に訪れ、美味と会話を楽しめる場となっています。別々のテイストの料理をつくる2人のシェフが、息を合わせて、ガスキッチンなどのスペースをシェアしながら料理を提供しています。

キッチンだけでなくホールスタッフもシェア。注文や会計どちらにもまとめて対応している(写真撮影/出合コウ介)

キッチンだけでなくホールスタッフもシェア。注文や会計どちらにもまとめて対応している(写真撮影/出合コウ介)

このゲストハウスでは特に、飲食ができる点に強くこだわったと言います。

落海「コワーキングスペースやゲストハウスが増えている昨今、わざわざ行きたくなる場所にしないと、これからの時代はやっていけないでしょう。ネットさえつながればどこででも仕事ができますから、そうではなく、わざわざ足を運び一緒にごはんを食べたり、お酒を飲んだりするつながりに価値が生まれてくると思うんです」

一日中過ごすうちに、家族のような感覚に。つながりから化学反応を生む

UNKNOWN KYOTOはこのように、多様な訴求力に満ち満ちています。
そして、こういった宿泊と仕事場を兼ねた場所を「コリビング(Co-Living)」と呼ぶのだそう。

落海「コリビングとは、『さまざまな職業の人が仕事をしながら一緒に暮らせる場所』という意味です。コワーキングスペースとして人々が仕事をしに集まるんだけれども、意気投合したら一緒にごはんを食べたり、仕事で夜が遅くなったら、ちょっとお酒を飲んで、そのまま泊まっていけたりだとか。そんなふうに、『家族とともに過ごしている感覚になれる場所』といった概念です。全国的にも珍しく、まだ普及していない言葉だと思います。かく言う弊社もこのプロジェクトに取り組む最近までコリビングという言葉を知らなかった(苦笑)」

「住むように働く」、つまり「仕事」と「暮らし」と「旅」が重なる場所、それが「コリビング」。泊まって、食べて、働いて、機能が限定されない。まるで、2軒目の家。「滞在」の概念を変えうる新しいスタイルですよね。

落海「飲食施設も単に隣接したスペースというよりは、“拡張されたダイニング”という感覚ですね。つまり、ここにいるとプチシェアハウス体験ができる。このように外へ出ずにひとつ屋根の下で完結する業態が、京都にはこれまでありそうでなかったんです」

取材で訪れたこの日も、仕事のあいまに光の差し込む中庭を眺めてくつろいでいる人や、飲食スペースに移動して会話に花を咲かせる人たちなど、それぞれがリラックスしながら活用できる自由度の高さを感じました。確かにシェアキッチンまであるコワーキングスペースは珍しいですよね。

落海「せっかく人が集まるんだから、それぞれが単に自分の仕事をしているだけではなく、化学反応を起こす場所にしたいんです。出会った人どうしが意気投合すれば、そのままお酒を飲んだり食事をしたりしながら交流を深めてゆけるようにシェアキッチンを設けています。そこで生まれた関係から、さらに仕事へのフィードバックが期待できる場所でありたい。それがコリビングです」

京都・鎌倉、古都が拠点の3社が古民家再生、クラウドファンディング、ITで強みを発揮

新しい滞在のかたち「コリビング」を提唱するUNKNOWN KYOTOは、落海さんがお勤めになる京都の「株式会社 八清」と、同じく京都の「株式会社 OND」、神奈川県の鎌倉に本拠地を構える「株式会社 エンジョイワークス」の3社によるプロジェクトチームが起ちあげた施設です。

「八清」は創業60年を超える不動産会社。おもに木造伝統住宅「京町家」を中心とした仲介や再生・再販事業を行っています。「OND」は不動産サイト「物件ファン」を運営するインターネットサービスの会社。「エンジョイワークス」は湘南・鎌倉エリアを中心に、仲介や建築、リノベーションなどの不動産業のほか、クラウドファンディング、宿泊施設の経営など多方面に展開しています。このように、それぞれ得意ジャンルを持ちながらテリトリーが重ならない3社がタッグを組み、これまで京都になかった刺激的な“共創”的場づくりを見せようとしているのです。

落海「八清には京町家をリノベーションするノウハウがある。エンジョイワークスさんはまちづくりを促進するためのノウハウとプラットフォームを持っている。ONDさんはITに強く、「物件ファン」という面白いメディアを持っている。『この3社が組んだら面白いことができるんじゃないか』と直感し、自然な流れで手を組むことになりました。アプローチが異なる3社がそろったことで、互いに刺激になることばかりで、これからのまちづくりや不動産業について、本当に勉強になりました」

3社がコラボするきっかけとなったのが、魅力的な、このお茶屋物件。長く空き家だった建物がいだく未知なる可能性が、3社を魅了したのです。

落海「大型のお茶屋建築で、しかも2棟が並んでいるのは非常に珍しい。ここで、なにか面白いことができないかとエンジョイワークスさんからご提案をいただいたんです」

京都から遠く離れた鎌倉に本社を置くエンジョイワークスだからこそ、この建物の底知れない魅力を客観的に評価できたのかもしれません。そこから、「食事ができて働ける宿泊施設」へのチャレンジがスタートしたのです。

投資対象は、お金のリターン以上に、プロジェクトへの「共感」や参加意識

UNKNOWN KYOTOには、もうひとつの大きな特徴があります。それは「投資家特典」。ここには自由な発想がふんだんに盛り込まれていました。「投資家」と聞くと、「自分とは住む世界が違うハイソサエティ」と感じる人が少なくないでしょう。しかしUNKNOWN KYOTOがいう投資家は、1口5万円からの参加が可能な、一般の人が広く関われるタイプ。その参加目的も、もっと柔らかいイメージなのです。

落海「投資家=“場をつくる仲間”という考え方で、投資型クラウドファンディング『京都・五條楽園エリア再生ファンド』を立ち上げました。投資家というよりは“事業サポーター”の方が、印象が近いかな。エンジョイワークスさんが運営する不動産クラウドファンディングのプラットフォーム『ハロー!RENOVATION』で、小口の投資家であっても積極的に参加できるように、オープン前からワークショップやイベントを催してきました。そうして、プロジェクトの進化を一緒に楽しみたいという方々が増え、関係も深くなっていったんです」

投資家さんとのコミュニケーションを重視し、ともに五條楽園を活性化させていきたい。レボリューションを起こしたい。そんな落海さんたちの想いが京都はもとより全国へと伝わり、なんと新潟県からの参加もあったのだそう。

落海「事業の改善や、さらなるプロジェクト展開について投資家の皆さんと一緒に考えていくイベントをオープン前に13回、開きました。第一回目にはなんと、『女将さんを募集する』というイベントをやったんです。『宿泊施設をやるのならば女将さんが必要だよね、どうしよう』って。そうしたら菊池さんという女性がイベントに来てくださって、イベントのあと、そのまま女将として合流していただきました」

女将さんを募集したイベントの様子(写真提供/エンジョイワークス)

女将さんを募集したイベントの様子(写真提供/エンジョイワークス)

イベントに参加した菊池さんは元・家具職人。デンマークを代表する家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーの椅子製作を行うPP MØbler(ピーピーモブラー)でものづくりをしていた凄腕です。「かっこいい建物を家具でさらにかっこよくし、心地よいスペースをつくりたい!」といった熱い想いを胸に、インテリアのコーディネートも担いました。

なお、いっそう独特なのが、「投資家特典の決め方」です。

落海「『投資家特典をみんなで考えよう』というワークショップをやったんです。そのなかで生まれたのが“ビアジョッキ”でした。自分にしか使えないビアジョッキがあったら、『今夜もあの店へ行って、ジョッキで飲んでみようか』という気分になるんじゃないかなって。さらに、会員IDをレジに伝えてからビールを注文すると、会員限定のSNSに『だれだれが、今乾杯しました』と自動的に投稿されます。それを見たほかのメンバーが、『あ、あの人が店にいるのなら、行ってみようかな』と思う。そうやって新たな交流が生まれてくるんです」

特製会員ジョッキは、オリジナルデザインの特注品で、通常のジョッキよりもサイズがひとまわり大きい、つまり同じ値段で大容量(写真撮影/出合コウ介)

特製会員ジョッキは、オリジナルデザインの特注品で、通常のジョッキよりもサイズがひとまわり大きい、つまり同じ値段で大容量(写真撮影/出合コウ介)

レジとSNSが連動する画期的なシステム。ITに強いONDが参加しているから具現化できた工夫です。ここで重要視されるべきは、「投資のリターンが金銭だけではない」点。人と人とが出会い、ネットワークが築かれることこそが、尊いリターンであるとプロジェクトに関わった3社と投資家の皆さんたちは考えたのです。

落海「イベントを通して、自分たちがやろうとしているビジョンを伝える。共感してくれた人が女将さんへの立候補だったり、ビアジョッキだったりと『何らかのかたちで関わりたい』と考える。そうやって皆さんのご意見を実現させたことで、投資家さんたちが、とても喜んでくださったし、信用していただけた。施設を利用するだけではなく、運営に参加してもらう行為そのものを投資だという僕たちの想いが届いたんです」

ゲストハウス・飲食店からもれるあかりを軸に、周辺にも広がる五条の再生

実はこの飲食店、ゲストハウスのある建物のほかに、10mほど南に歩いたところにもう一つ、シェアオフィスがあるんです。ここも、元お茶屋さんだった遊郭建築で、『UNKNOWN KYOTO 本池中』といいます。『本池中』は元のお茶屋さんの屋号で、そのまま譲り受けたそう。

落海「この建物との出会いは偶然だったんです。はじめ、UNKNOWN KYOTOには駐輪場がなく困っていたところ、『三軒隣の旧お茶屋の女将さんが、ガレージ一台分を使っていない』という情報を耳にしまして。それで交渉をしに行って、10台分くらいは停められるスペースを貸してくださることになったんです。そして、建物が面白そうだったので2階を見せていただいたら、びっくりしましてね……」

落海さんが、そこで見た光景とは?

落海「お茶屋さん時代の艶めかしい風情を漂わせたしつらえのまま、5部屋をきれいに残しておられて。これはお借りしたいと。ところが1階に住んでいるので、宿やシェアハウスとして使われると困るとおっしゃる。『でしたら、シェアオフィスとしてなら、いかがですか』と提案したら、それだったらいいと」

現在は複数の会社がここをオフィスとして利用。打ち合わせ等に使っている(写真撮影/出合コウ介)

現在は複数の会社がここをオフィスとして利用。打ち合わせ等に使っている(写真撮影/出合コウ介)

五條楽園オリジナルと呼んで大げさではないお茶屋建築は、この偶然の訪問により、再び光が射しました。

落海「このシェアオフィスでも、本館のサービスが受けられる点が大きいと思います。ここで仕事をして、本館を食堂として使うこともできるし、泊まることもできる。離れた建物を、一つの空間として使えるこの付加価値は、ほかの施設にはなかなかないですよ」

別棟にもシェアオフィスを開くなど、なんだか旧遊郭街にタネを撒き、新たな文化の花を開かせようとしているように感じます。

落海「そうなんです。そもそも投資型クラウドファンディングは、UNKNOWN KYOTOを建てるためではなく、五條楽園エリアの活性化が目的の再生ファンドです。僕たちはここだけで終わるのではなく、この建物をきっかけに、エリアに点在しながらパラサイトしてゆくような感じにしたいなあという想いが強くあって。そのためには先ずUNKNOWN KYOTOを成功させることが大事だと考え、注力しています」

飲食店、コワーキングスペース、ゲストハウスというこの複合施設は、24時間人の動きがあり、つねに誰かの気配を感じさせる場です。もれるあかりにひかれ、「あの人、今日はいるかな?」と、ちょっとのぞいていく人の流れも、このエリアに生み出していきたいそうです。
UNKNOWN KYOTOは単なる宿泊施設ではなく、地域とともに再生し進化してゆく発信拠点でありたい。落海さんはそう語ります。遊郭街としての役目を終えた五條楽園ですが、ここに新たな楽園が生誕する。そんなふうに確信した一日でした。

地域に根差した劇場が誕生! 京都駅の東南部エリアが文化芸術都市に

「京都」といえば歌舞伎や能・狂言など伝統芸能のイメージが強いですよね。ところが、実は現代劇や小演劇のカルチャーも盛んなのです。

今、京都で最も注目を集めているエリアといえば、京都駅の東南部。京都市はここ一帯を「文化芸術都市」として発展させたい意向があるようです。そのようななか、先手を打つかのように一館の劇場が誕生しました。なんでも、京都では過去にない多くの機能を誇る施設なのだそう。いったい、どんな劇場なのでしょう。そっと、ドアを開けてみましょう。

さわやかな風が吹く鴨川沿いに話題の劇場が誕生

京都を代表する一級河川、鴨川。春には遊歩道に桜が咲き誇る、市民の憩いの場です。

京都を南北に貫く、京都人の心のよりどころ、鴨川(写真撮影/吉村智樹)

京都を南北に貫く、京都人の心のよりどころ、鴨川(写真撮影/吉村智樹)

涼やかな川風に吹かれながら、鴨川のほとりを歩いていると、樹々の向こうに真新しい劇場が顔を覗かせました。

鴨川の遊歩道、桜の木立の間から垣間見える話題の新劇場「THEATRE E9 KYOTO」(写真撮影/吉村智樹)

鴨川の遊歩道、桜の木立の間から垣間見える話題の新劇場「THEATRE E9 KYOTO」(写真撮影/吉村智樹)

この劇場の名は、「THEATRE E9 KYOTO(シアター・イーナイン・キョウト)」。今年(2019年)6月22日にオープンしたばかりのニューフェイス。「E9」とは、劇場が建つ街「東九条」をイーストナインと訳してつけられたもの。

エントランスはガラス張りで明るい印象。「E9」とは劇場がある東九条を意味する(写真撮影/吉村智樹)

エントランスはガラス張りで明るい印象。「E9」とは劇場がある東九条を意味する(写真撮影/吉村智樹)

開館して間もない劇場ながら、公演スケジュールは驚くほどぎっしり! おめでたい狂言「三本柱」をこけら落としに、音楽劇、独り芝居、喜劇、ミステリー、舞踊、バーレスクなどなど、上演されるジャンルは多種多彩。知的好奇心をくすぐるラインナップとなっています。

ウワサの新劇場はカフェとコワーキングスペースを兼ね備える

さらにこの劇場の大きな特徴は、カフェとコワーキングスペースを併設していること。鴨川のせせらぎを眺めながら飲食を楽しんだり、仕事をしたり。ゆったりとした極上の雰囲気。

併設された「Cafe & Restaurant Odashi」(写真撮影/吉村智樹)

併設された「Cafe & Restaurant Odashi」(写真撮影/吉村智樹)

「コワーキングスペースは朝7時から夜11時まで年中無休で使えます。劇場とコワーキングスペースが一緒になっていて、さらにカフェまで備わった場所は日本中を探しても、なかなかないです。単にお芝居を鑑賞するだけではなく、さまざまな文化が交わる空間になっています」

「THEATRE E9 KYOTO」の支配人であり、運営する一般社団法人「アーツシード京都」の理事を務める蔭山陽太さん(55)は、そう言います。蔭山さんはこれまで「ロームシアター京都」をはじめ、京都・横浜・松本で4つの劇場で支配人を務めた名マネージャーです。

「THEATRE E9 KYOTO」の支配人、蔭山陽太さん。かつて札幌で和食の料理人をやっていた異色の経歴をもつ(写真撮影/吉村智樹)

「THEATRE E9 KYOTO」の支配人、蔭山陽太さん。かつて札幌で和食の料理人をやっていた異色の経歴をもつ(写真撮影/吉村智樹)

5つもの小劇場が一気に閉館! 京都の演劇界を襲った危機

楽しさがたっぷりと詰まった新劇場。しかし……幕が上がるまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。そもそもこの劇場が誕生した理由は、ある危機的状況がきっかけでした。

「ロームシアター京都を運営していたある日、芸術監督のあごうさとしさんから、『2015~2016年の間に京都市内の小劇場が5つもクローズする』という話を聴いたんです。京都の小劇場は民間経営が多く、建物の老朽化やオーナーの高齢化などが理由で維持できなくなっていたんですね」

京都は日本でもトップ5に入ると謳われる、演劇活動が盛んな街でした。そのような京都で主要小劇場が一気に5つも閉館になるなんて、文化的喪失の大きさは計り知れません。33年続いていた、京都の中心的な小劇場『アトリエ劇研』で最後のディレクターを務めていたあごうさとしさんと、現代美術と演劇を融合させてきた作家のやなぎみわさんは、蔭山さんに『新しい劇場をつくれないか』と相談を持ち掛けます。

「小劇場の文化が廃れていたのならば、『もう現代には需要がないんだ』と諦めるしかない。けれども、消滅するどの劇場もフル稼働だったんです。観る側、舞台に立つ側、ともにニーズがあった。そんななかでの閉館とあって、本当に残念だったんです。さらに、このまま劇場がない状態が続くと、京都から劇団や表現者が離れていったり、未来の担い手が辞めてしまったりしてしまう。私も強い危機感を抱き、『ひと肌脱ぎたい』という気持ちになりました」

新たな劇場を創設する新天地として選ばれた「東九条」

京都の小劇場界が苦境にさらされる現況が忍びない。そこで蔭山さんたちは新劇場の開館を目指し、物件探しに奔走します。

ところが、これがなかなか見つからない。京都市内で最寄駅から徒歩圏内にあり、100席を設置できて、天井が高く、音や声が出しても周辺から苦情が来ない。そんな好条件に合う物件に出会えずにいました。

「どこにも物件がないので、私がそれまで個人的にお世話になっていた、リノベーションを得意とする株式会社八清の西村直己社長に相談しました。すると『東九条に、自社倉庫があります』とすすめてくださったんです」

かつては倉庫として使われていた建物(画像提供/THEATRE E9 KYOTO)

かつては倉庫として使われていた建物(画像提供/THEATRE E9 KYOTO)

「東九条」とは、京都駅の東南側と鴨川の間をはさむ地域。交通至便でありながら、住民の高齢化と人口減少によって空き家や空き地が増え、エアポケットと化していた場所です。

指し示された空き倉庫は、鴨川の沿岸に建っていました。ここは、ほかにもJRと京阪電鉄「東福寺」駅や地下鉄「九条」駅からも歩いて訪れることが可能な、願ってもない地だったのです。

「京都という名だたる観光都市の、新幹線停車駅から徒歩圏内。世界的に見ても劇場の立地としては超一等です。『ここしかない』、そう思いました。ただ……」

ただ? そう、さっそく資金の問題が立ちはだかったのです。

クラウドファンディングで申請資金の調達に成功。もう後へは引けない!

「倉庫を劇場にリノベーションするためには、建築審査会に申請書を提出して特例許可を得なければなりません。そして最も頭が痛いのが、申請をするだけでも、約1200万円がかかること。耐震や防音など専門家に依頼して調査をしないといけませんから」

申請のみで、およそ1200万円が飛んでいく。潤沢な資金は、もちろんありません。そこで蔭山さんたちは、クラウドファンディングを呼びかけます。設定は「オール・オア・ナッシング」。期限は3カ月。手数料を含めた目標額1400万円に達することができなければ、劇場を建てる計画そのものをあきらめることも考えました。

すると……。

「オープンできた今だからお話しますが、正直に言って『お金は集まらないだろう』と踏んでいました。新しい劇場の誕生を望んでいる人が、果たしてどれほどいるのだろうか……って。ところが、予想をはるかに超えた約1900万円を超える金額が集まったんです。とてもうれしかったし、驚きました。『劇場が生みだす文化を応援したいと考えてくださっている人が、こんなにたくさんいたんだ!』と。そして、『もう後には引けない』と、決意を新たにしました」

初期費用1200万円を集める段階で「劇場の建設は無理ではないか」と、あきらめかけていたという(写真撮影/吉村智樹)

初期費用1200万円を集める段階で「劇場の建設は無理ではないか」と、あきらめかけていたという(写真撮影/吉村智樹)

うれしい出来事は、ほかにもありました。同時期に鴨川周辺でカフェとコワーキングスペースを営みたいと考えていた株式会社ラ・ヒマワリと巡りあい、一棟を共同でつくりあげる運びとなったのです。

地元企業の支援や、演劇を愛する人々の熱い想いに支えられた

こうして申請に充てられる資金の調達をクラウドファンディングで成しえた蔭山さんたち。ところが、喜びも束の間、工事費は当初予想額の3倍、およそ2億円にまで膨れ上がりました。蔭山さんは資金繰りに明け暮れる日々を送ります。

さらに検査する箇所は日ごとに増え、検査されるたびに修正が求められ、開館を発表したあとでもまだ工事が進まない状況。このような逆境に陥るたびに、劇場の未来に可能性を感じた地元企業の支援や、演劇や表現を愛する人々の情熱によって支えられてきたのです。

壁には支援してくれた人たちの名が刻み込まれている(写真撮影/吉村智樹)

壁には支援してくれた人たちの名が刻み込まれている(写真撮影/吉村智樹)

開館までに、蔭山さんにはもうひとつ、やらねばならない重要な仕事がありました。それは「地域住民から理解を得ること」。産声をあげる劇場は、新天地である東九条の街に根差さなければ意味がないと考えた蔭山さんは、できるかぎり住民たちとの交流を深める努力をしました。

「東九条にお住まいの皆さまに、劇場を続ける意義をご理解いただくために、地域のお祭には積極的に参加し、アーティストを呼んでワークショップも開催しました。そのおかげか、2度開催した公聴会では、劇場を開くことに反対する方はひとりもおられなかったんです」

多様な表現を可能にする「ブラックボックス」

そうして、遂に幕を開けた「THEATRE E9 KYOTO」は、さまざまな表現に対応できるブラックボックス(四方八方が真っ暗なスペース)と呼ばれる劇場形式。これまで幾度も劇場の開館に立ち会ってきた蔭山さんですが、ゼロから3年、苦労の末に完成までたどり着き、理想の空間が目の前に開けたときは感慨もひとしおだったとか。

京都から消え去ろうとしていた「ブラックボックス」タイプの劇場を蘇らせた(画像提供/THEATRE E9 KYOTO)

京都から消え去ろうとしていた「ブラックボックス」タイプの劇場を蘇らせた(画像提供/THEATRE E9 KYOTO)

客席には一見、普通のスタッキングチェアが設置されていますが、この椅子こそ、蔭山さんのこだわりでした。

「クッション性と反発性のバランスがちょうどよく、長く座っていても疲れない椅子を吟味しました。椅子の状態がよくないと、どんなにいいお芝居やパフォーマンスも、集中して鑑賞することができません。劇場や映画館、スタジアムの椅子を専門につくっている会社の協力を得て、小劇場向けに特別に研究開発された椅子を導入することができました。みなさんに長く親しんでいただけるかと思います」

「これからは団塊の世代が演劇を楽しむ時代。椅子の品質にはこだわり抜いた」という蔭山さん(写真撮影/吉村智樹)

「これからは団塊の世代が演劇を楽しむ時代。椅子の品質にはこだわり抜いた」という蔭山さん(写真撮影/吉村智樹)

アートのパワーで大きな変貌を遂げる「京都駅東南部エリア」

「THEATRE E9 KYOTO」が注目される理由は、劇場の多様な機能、だけではありません。特筆すべきは劇場の立地。今後京都のトレンドを大きく左右する場所にあるのです。

2017年3月、京都市は「京都駅東南部エリア活性化方針」と題し、京都駅から鴨川をはさむ東南方面へかけての地域を「アートによって活性化させる」方針を打ちだしました。2023年度には近隣の駅東部へ京都市立芸術大学や京都市立銅駝美術工芸高等学校の移転が予定されるなど、今後は文化芸術に関連する多くの資源が集積してゆくエリアなのです。

京都駅から徒歩圏内の東九条に建てられた「THEATRE E9 KYOTO」は、アートによって変わってゆく街の、まさに先鞭をつける存在となりました。

「地域の人たちに育てられて、新しい人や新しい作品が生まれてくる。この劇場から、国内外で活躍するアーティストが生まれるかもしれないし、そうなってほしい。それが私たちの願いです」

目標は「100年続く劇場」。世界にその名を轟かせる劇場都市へ

蔭山さんたちが高く掲げる目標は「100年続く劇場」。東九条が国内だけでなく世界の文化都市とつながる「劇場がある街」になるための、その一歩を踏み出したのです。

「地域に根差し、地域に認められ、地域に必要とされる劇場でありたいですね。劇場を訪れた方が、この街でお茶をしたり、食事をしたり、買い物をしたりして楽しむ。そして街が活性化する。地域に貢献できる劇場でありたい、そんなふうに考えています」

悠久の時を刻み、流れ続ける鴨川。そのほとりに誕生した新劇場もまた、100年後も人々の心にあり続けるのでしょうね。そのような想像がひろがり、胸が熱くなった一日でした。

「街の人々に愛され、100年続く劇場にしたい」。蔭山さんはそう熱く語る(写真撮影/吉村智樹)

「街の人々に愛され、100年続く劇場にしたい」。蔭山さんはそう熱く語る(写真撮影/吉村智樹)

●取材協力
THEATRE E9 KYOTO/一般社団法人「アーツシード京都」

京都・四条河原町に複合型商業施設、12月に開業

京阪ホールディングス(株)は、京都・四条河原町で開発を進める複合型商業施設「GOOD NATURE STATION」の開業時期を、2019年12月に決定した。同施設は、京阪電車「祇園四条駅」より徒歩5分、阪急電鉄「河原町駅」より徒歩2分に立地する9階建て。3階部分で高島屋京都店と接続し、従来にはない、新たな食、宿泊、美容、体験を京都の地から発信していく。

1Fの「GOOD NATURE MARKET」は、マーケットとレストランの2つのゾーンで構成。マーケットゾーンでは、オーガニック商品や地元京都の食品などを販売する。レストランゾーンではカジュアルダイニングを展開。シェフズキッチン、テーブル席、個室で、幅広い利用シーンに対応していく。

2Fの「GOOD NATURE GASTRONOMY」は、賑わいあふれる1階のレストランと異なり、上質な空間で特別な食体験を提供するフロア。和や洋、中華などをベースに、従来のジャンルの枠にしばられない独創的なラインナップを予定している。

3Fの「GOOD NATURE STUDIO」では、オリジナルコスメや雑貨類を販売するエリアと、カットやネイルケアなどを行うサロン、一息つけるカフェを設ける。4~9Fの「GOOD NATURE HOTEL」では、天然木を基調とした優しい内装で、28~90m2の広々とした客室を用意する計画。

なお、同施設では、建物内で暮らし、働く居住者の健康・快適性に焦点を当てた建物・室内環境評価システム「WELL Building Standard(R)」認証(WELL認証)の取得を進めており、取得した場合、WELL認証に関してはホテルとして世界初となる。

ニュース情報元:京阪ホールディングス(株)

京都・洛西口の高架下複合施設、10月22日に第1期グランドオープン

阪急電鉄と京都市が開発を進める複合施設「TauT(トート)阪急洛西口」の第1期エリア(洛西口駅付近)が、10月22日(月)にグランドオープンする。

「TauT 阪急洛西口」は京都市西京区川島六ノ坪町に立地。阪急京都線・洛西口駅付近の連続立体交差化事業(鉄道高架化)により生み出された総延長約1km、面積約11,200m2の高架下空間。第1期エリアは「地域の魅力を再発見するエリア」と位置付け、地元京都で人気の店舗や地元企業による店舗を中心に誘致した。

京都・大阪・滋賀に13店舗を展開、魚食文化の本質的価値を提唱する老舗鮮魚店の新ブランド「uroco by 西浅」、長岡京市に本店を構える天然酵母パンの名店「BAKEHOUSE Mere(ベークハウス メール)」、世界大会で活躍するバリスタ・大西剛氏のお店「Latteart Junkies Roastingshop(ラテアート ジャンキーズ ロースティングショップ)」などがオープンする。

全体開業は2020年の予定。

ニュース情報元:阪急電鉄

やっぱり便利な宅配ボックス! 京都の宅配ボックス実験プロジェクトの結果がすごかった

ネット通販の普及で、私たちの生活はますます便利になってきています。けれど、そんな中で悩ましいのが、荷物の受け取り。多くの人は平日には仕事や学校などで不在がちですし、週末も外出の予定があると、配送業者とすれ違いが続いてしまうことに。そんな再配達問題を憂慮したのが、日本一学生が集中する(※1)京都。そんな京都市とパナソニック株式会社(以下、パナソニック)、京都産業大学等が実施した宅配ボックスに関する実証実験の結果が発表されました。その驚きの結果をご紹介したいと思います。

※1 平成29年(2017年)度学校基本調査(速報値)(文部科学省)より、対人口比、短大生を含む

アパートでの再配達率が43%から15%に減少

この産学公が連携した宅配ボックスに関するプロジェクト名は、「京(みやこ)の再配達を減らそうプロジェクト」。京都市が主催し、パナソニックと京都産業大学及び宅配事業者が協力して実施したものです。

実証実験では、パナソニック製のアパート用宅配ボックス『COMBO-Maison(コンボ-メゾン)』合計39台を京都市内5カ所のアパート(合計106世帯)に設置。

アパート用宅配ボックス(画像提供/パナソニック株式会社)

アパート用宅配ボックス(画像提供/パナソニック株式会社)

その結果、アパートでの再配達率が43%からなんと15%(※2)に減少したのだそう!

※2 アパート3棟(66世帯)7日間/月×3カ月=21日間の累計での出口調査の結果より算出。再配達率=再配達荷物を受け取り荷物総数で割算。実証実験前の数値は、宅配ボックスでの受け取り個数を再配達と換算して比較

この数字に関してパナソニックの担当者は、「過去に行っていた福井県の実証実験で、48%から8%の結果が出ていたので、それに近い数字になる事を想定していました」と取材に答えてくれました。かつて同社は福井県あわら市で一戸建住宅、主に共働き世帯を対象とした実証実験も実施されていたので、ある程度の予測はついていたそうです。それでもやはり、この減少率はすごいですね!

ちなみにやむを得ず再配達になってしまったケースのなかには、「箱が大きすぎて、宅配ボックスに入らなかった」という理由がありました。そういった声にも対応するため、同社では2018年4月より「COMBO-Maison(コンボ-メゾン)」大型タイプ(ミドルタイプ)といったバリエーションもそろえていくことになっています。

さらに京都産業大学キャンパス内にも公共用の宅配ボックスを設置し、モニタリングを実施。

公共用の宅配ボックス(画像提供/パナソニック株式会社)

公共用の宅配ボックス(画像提供/パナソニック株式会社)

アンケートなどにより、自宅ではなくキャンパス内で荷物を受け取るニーズがあることが実証されました。

「宅配ボックスを、郵便受けのように当たり前の存在に」

この結果を受け、パナソニックの担当者は宅配ボックスの有用性に自信をのぞかせます。

「宅配ボックスは、単身世帯向けのアパートなどには必要不可欠な位置づけの製品ですが、まだまだ普及していません。物件検索で宅配ボックスありのものをお選びいただくことも可能です。メーカーとしては、今後ポストのように当たり前の製品となるように提案していきます」(パナソニック)

再配達が減ることで配送会社の負担も減りますし、それはひいては交通量の低下による環境改善にもつながります。また女性の一人暮らしの場合は夜間の配送の際にもドアを開ける必要がないので、安全かつストレスフリーで荷受けができそうです。

次回の物件探しの際は、宅配ボックスの有無もチェック項目に加えてみてはどうでしょうか。

●参照記事
・PR TIMES
●取材協力
・Panasonic