離島の高校で学ぶ「島留学」に日本中から熱視線! 大人版もスタートで移住者増 島根県隠岐

全国の離島では、本土より早いペースで人口減少が続いています。日本海の隠岐諸島にある西ノ島町、海士町、知夫村も過疎化が進んでいました。そこで、2008年から高校生を対象とした「島留学」制度を開始し、その後、大人の「島留学」制度も開始。現在、高校の生徒数や移住者が増加しています。「島留学」が島に与えた影響と、島留学生のその後を取材しました。

以前は住民の数が年々減少し、島で唯一の高校は廃校寸前だった雄大な景観が魅力で多くの観光客が訪れる隠岐国賀海岸(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

雄大な景観が魅力で多くの観光客が訪れる隠岐国賀海岸(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

絶景のなかに佇む校舎。現在、北は秋田から南は鹿児島まで、海外(インド)からも留学生を受け入れている(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

絶景のなかに佇む校舎。現在、北は秋田から南は鹿児島まで、海外(インド)からも留学生を受け入れている(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

隠岐の島は、島根・鳥取の県境から北方約60kmに位置し、「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されている自然豊かな場所。そのうち、島前地区は、西ノ島町、海士町、知夫村から成る地域です。

今、島前地区が注目を集めていることの1つには、島の高校の島留学生や、移住者が増加していることがあります。高校生や大人を対象にした島留学制度がそのきっかけになっているのです。

もともと、移住対策の前に急務だったのは、人口減少や少子高齢化による過疎化により減少の一途をたどっていた島前高校の生徒数を確保することでした。2008年度の生徒数は1学年28人、全校でも90人しかいませんでした。そこで、始まったのが隠岐島前教育魅力化プロジェクトです。さらに、「このままでは廃校になってしまう」と危機感をつのらせた3町村が出資して、2015年に一般財団法人島前ふるさと魅力化財団が設立されました。教育魅力化事業部の宮野準也さんと地域魅力化事業部の青山達哉さんに島留学プロジェクトの経緯を伺いました。

「地元の高校がなくなれば、子どもたちは、進学のため本土に出てしまいます。保護者も一緒に移住してしまえば、過疎化はますます深刻になります。そこで、島前地区の魅力を全国にアピールし、高校への島留学生を呼び込む取組みがはじまりました」(青山さん)

海と山の景観に恵まれている島前地区(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

海と山の景観に恵まれている道前地区(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

全国に先駆けて始まった島前高校の「島留学」

島前高校の「島留学」は、島外の高校生が自然環境・文化・伝統が残る島前地区で寮生活をしながら高校へ通うプロジェクトです。鹿児島や秋田といった県外や、モンゴルやインドなど海外から留学してくる生徒もいます。現在は、全国で「離島留学」を実施する学校が増加。国土交通省では、離島活性化を図る島留学推進のため情報をホームページにとりまとめていますが、当時、島前高校の「島留学」は、全国にない取り組みでした。

「島留学」で来る生徒が通う隠岐島前高校のキャッチコピーは、「島まるごと学校。島民みんなが先生」。島留学生には、ひとりずつ、「島親さん」と呼ばれる島民がついて地域になじむのをサポート。生徒は、夕飯に呼ばれたり、夏祭りに一緒に行ったりするなかで地域の人とつながっていきます。

無形文化財に指定されている島前神楽。海外留学から帰国後、神楽を残そうと地元で活動をはじめた生徒もいる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

無形文化財に指定されている島前神楽。海外留学から帰国後、神楽を残そうと地元で活動をはじめた生徒もいる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

地域のお祭り「キンニャモニャ祭り」に参加した生徒たち。しゃもじを打ち鳴らしながら1時間踊る(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

地域のお祭り「キンニャモニャ祭り」に参加した生徒たち。しゃもじを打ち鳴らしながら1時間踊る(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

「心掛けているのは、学校の学びを校内に閉じないこと」と宮野さん。授業には毎日のように島の人が招かれ、文化や伝統を生徒に教えています。7月に行われた、隠岐諸島でかつて使われた木造船「かんこ舟」の操船体験も地域活動のひとつ。昨年9月にIターンした米国出身の冒険家ハワード・ライスさんと、生徒たちが船を修復し、かつての海の文化を体験しました。

「ほかには、数学の授業で、島にカラオケ店をつくる想定で、経営を考える課題がありました。数学的な視点で考える力を養えます。自分に何ができるのか、常に考えて地域のことにアンテナを張る。学校で学んだことが地域に、地域で学んだことが学校の勉強に役立ちます。地域活動が学びの基礎になっているのです」(宮野さん)

現在、全校生徒数は161名とかつての約2倍に増えています。

島暮らしの原体験を手に入れられる3つの制度「島体験」「大人の島留学」「複業島留学」シェアハウスでは、制度を利用してきた人が共同生活を行う。夕飯を一緒に食べたり、仕事や生活で大変なことを相談したり。「島に何ができるのか」熱い話題で盛り上がることも(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

シェアハウスでは、制度を利用してきた人が共同生活を行う。夕飯を一緒に食べたり、仕事や生活で大変なことを相談したり。「島に何ができるのか」熱い話題で盛り上がることも(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

現在、島前地区では、若者を対象とした就労型お試し移住制度も行っています。

制度をはじめるきっかけは、2019年に松江や東京で開催された隠岐島前高校卒業生等が集うイベントでした。参加した100名近い若者から、「隠岐島前へUターンしたいと考えているが、暮らしや仕事の情報がネット上では見えづらく、移住や定住のイメージが湧かない」という声が多く寄せられたのです。そこで、隠岐島前地域の地元出身者に限らず、「島で暮らしたい」という想いをもった全国各地の若者が活用できる大人のための島留学がスタートしました。

期間ややりたい仕事別に3つの制度「島体験」「大人の島留学」「複業島留学」から選べること、シェアハウスで共同生活することが特徴です。

「島体験」は、3カ月の滞在型インターンシップ制度。仕事や普段の暮らしを通して、島を知ることができます。「大人の島留学」は、プロジェクトに就労しながら、1年間お試し移住できる制度。「複業島留学」は、2年間、複数の産業を体験しながら島の新しい働き方を探求します。

仕事内容は、海士町役場人づくり特命担当課のサポート業務、ふるさと納税プロジェクト推進サポート業務、島食プロジェクト、こども基地プロジェクト、海士町役場外貨創出プロジェクトなどさまざまです。

島体験生の研修風景。「島体験」では一週間に一度、「大人の島留学」では、一月に一度の研修が行われる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

島体験生の研修風景。「島体験」では一週間に一度、「大人の島留学」では、一月に一度の研修が行われる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

岩ガキ、隠岐牛、農業などの一次産業にもチャレンジできる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

岩ガキ、隠岐牛、農業などの一次産業にもチャレンジできる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

2年間の複業島留学では、1年に3カ所(事業所)以上、観光業、農林水産業を中心とした島の基幹産業に携わる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

2年間の複業島留学では、1年に3カ所(事業所)以上、観光業、農林水産業を中心とした島の基幹産業に携わる(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

報酬は、「島体験」は月額8万円、「大人の島留学」は月額15万円、「複業島留学」の年収は年間260日間(1日あたり8時間勤務した場合)で240~310万円です。

応募者をオンライン選考した上で合格した人は、興味ややりたいことと、町村が求めることとマッチングを行い、町が管理するシェアハウスで暮らしながら、島の仕事を体験します。

役場職員から、地域通貨「ハーン」の活用について学ぶ大人の島留学生(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

役場職員から、地域通貨「ハーン」の活用について学ぶ大人の島留学生(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

牛舎での仕事風景。掃除、餌やり、出荷の手伝いなどを手伝う(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

牛舎での仕事風景。掃除、餌やり、出荷などを手伝う(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

「大人の島留学生」の皆さん(画像提供/清瀬りほさん)

「大人の島留学生」の皆さん(画像提供/清瀬りほさん)

「3つの制度を利用した人は、200人ほど。そのうち、20名が就職して移住しています。チャレンジ精神のある若者は町のエネルギー。商店への経済貢献もあり、島前地区の活性化につながっています」(青山さん)

島に滞在して就労体験できる「大人の島留学」で移住者が増加中

清瀬りほさん(役場職員・23歳)は、「大人の島留学」を体験した後、2021年に島への移住を決めました。

「もともと離島出身で、大学時代に離島の教育をテーマに卒論を書いていました。島前高校の魅力化プロジェクトを知り、実際に行きたいと思っていたのですが、さまざまな理由で行くことができませんでした。そのまま就職することに悩んでいたとき、母に背中を押してもらい、『大人の島留学』に参加することにしました」(清瀬さん)

「大人の島留学」で従事する仕事について、清瀬さんは、「行政の中でさまざまな取り組みをしている攻めの部署」を希望。海士町役場の人づくり特命担当課に配属されました。

仕事内容は、大人の島留学事業の推進。シェアハウスにするための空き家清掃や、情報発信、大人の島留学島体験の研修サポートを行いました。

「大人の島留学」時代、大人の島留学・島体験事務局として、島体験生のサポートをする清瀬さん(画像提供/清瀬りほさん)

「大人の島留学」時代、大人の島留学・島体験事務局として、島体験生のサポートをする清瀬さん(画像提供/清瀬りほさん)

西ノ島には、ハイキングコースがあり、休日は、花や野鳥を観察しながら散策を楽しんだ(画像提供/清瀬りほさん)

西ノ島には、ハイキングコースがあり、休日は、花や野鳥を観察しながら散策を楽しんだ(画像提供/清瀬りほさん)

冬になれば雪遊び。ご近所さんから野菜のおすそ分けをいただくことも多い(画像提供/清瀬りほさん)

冬になれば雪遊び。ご近所さんから野菜のおすそ分けをいただくことも多い(画像提供/清瀬りほさん)

島での生活を振り返ると、「たくさんの島の人の顔が浮かんでくる」と言います。

「仕事でも暮らしでもたくさんの島の方と関わりながら生活しているんだなと感じます。学生時代から地域づくりに関わっていましたが、短期の活動ではわからなかった地域の地道な努力が見えてきました」(清瀬さん)

大人の島留学がはじまって半年後、清瀬さんは移住を決めます。

「来島した当初は、街づくりが進んでいる海士町から、出身地である離島の街づくりの参考になることを学ぼうという気持ちでした。でも、仕事を任されるうちに、それでは島の人に失礼だと感じるようになったんです。地元のことは一旦置いて、目の前にある島の課題に向き合い、頑張ってみたいと思いました」

留学生時代から引き続き人づくり特命担当に携わる清瀬さんは、メディアプラットフォームで、「離島のリアルを伝える」仕事をしています。清瀬さんが行った留学生へのインタビューには、「手を動かすことで学びが増えていく」「自分のためにも島のためにも」「自分の世界が広がりました」などの見出しが掲げられています。

島前に住む若者インタビュー、島前紹介、イベントレポなどを掲載(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

島前に住む若者インタビュー、島前紹介、イベントレポなどを掲載(画像提供/島前ふるさと魅力化財団)

清瀬さんが、島留学・移住を経て最も成長したことは、「自分の意見を持ち、言葉で表現できるようになったこと」。

地元の盆踊り大会を楽しむ清瀬さんと自宅の草刈りの様子。草刈り機の扱いにも慣れた(画像提供/清瀬りほさん)

地元の盆踊り大会を楽しむ清瀬さんと自宅の草刈りの様子。草刈り機の扱いにも慣れた(画像提供/清瀬りほさん)

「離島に移住するのはハードルが高く思えるかもしれませんが、実際島を体験すれば合うか合わないかがわかります。覚悟を決めなくていいので、気軽に島留学に来てほしいです」(清瀬さん)

留学時代から住んでいる海士町の多井地区は、最も人口が少なく、商店はもちろん自販機もないところです。ここで暮らすうちに、多井のことが大好きになった清瀬さん。自分が好きな場所に住める幸せを実感しています。

「大人の島留学」のホームページには、体験者の声がいっぱい。オンライン授業を受けたり、休学して、移住生活をする大学生も多く、「島体験」や「大人の島留学」をきっかけに移住を決める人も……。島での「こころを揺さぶる原体験」が、自分を成長させてくれます。

●取材協力
・隠岐島前教育魅力化プロジェクト
・大人の島留学
・島根県立隠岐島前高等学校

地域おこし協力隊・高知県佐川町の“その後”が話題。退任後も去らずに定住率が驚異の7割超の理由

2009年から総務省がスタートした「地域おこし協力隊」制度。これは主に都市部に住む人が、「地域おこし協力隊員」として、地方へ1~3年という一定期間移住し、同自治体の委託を受けて地域の発展や問題解決につながる活動を行うこと。任期終了後も同地に住み続けることで、過疎化が進む地方の活性化の起爆剤としても期待されている。

とはいえ任期終了後も同地に住み続けるかは本人次第。総務省によると2021年3月末までに任期を終了した隊員たちが、その後も同地に住み続けている定住率は全国平均65.3%。この全国平均を上回る77%という数字をはじき出しているのが高知県佐川町だ。なぜ定住率が高いのかが実際に住み続ける元隊員たちの話を通じて見えてきた。

協力隊で得たスキルである程度安定して生活ができること、協力隊のコミュニティの心地よさ、さらに協力隊員同士での結婚などがその理由のようだ。さらに詳しい内容をレポートしたい。

個人経営が難しい林業を、行政が働きやすいシステムに改変し定住につなげる

高知県中西部に位置する佐川町は人口12,306人(2022年8月現在)。高知市のベッドタウンとしての役割も担うが、他の地方自治体同様に少子高齢化が進む典型的な田舎町だ。この町には現在、任期を終えた地域おこし協力隊員たちの77%に当たる39人が暮らしている。これは高知県の自治体の中で、2位64%の四万十町を引き離してトップに立つ。

(写真提供/斉藤 光さん)

(写真提供/斉藤 光さん)

定住者で大きな割合を占めているのが、別記事でも紹介した「自伐型林業」をなりわいとする林業家の元隊員たちだ。2014年に自伐型林業の地域おこし協力隊として佐川町に移住し、任期終了後も妻と2人の子どもと共に暮らしているのが滝川景伍さん。「自伐型林業に興味があり、林業家を目指し移住してきましたが任期の3年間だけでは林業家としての経験が足りませんでした。しかも佐川町以外の地域で、移住者かつ初心者である私が個人経営で民営地を預かり、林業で食べていくことは非常にハードルが高いです」

山に入って仕事をするためには、その山主の許可が必要だ。各山主の所有地の境界線は複雑に張り巡らされている。「佐川町の場合、行政が中心となり山主と交渉を行い、林業家が仕事をできるように『山の集約化』を進めました。そのおかげで私のような新人林業家でも、安心して山で働ける環境が確保されていました」

他地域への参入が難しい林業ゆえに、行政のバックアップで引き続き林業家として働く場所を提供する。この取り組みが、林業をなりわいとしたい協力隊の定住率アップの要因となったことは間違いなさそうだ。「佐川町には元隊員や任期中の隊員も含めて約80人が住んでいます。面白い人たちが多いので、その人たちをつなげるワッカづくりをしていきたい」と滝川さんは意気込んでいる。

重機を使い森の中で作業を行う滝川さん(写真提供/斉藤光さん)

重機を使い森の中で作業を行う滝川さん(写真提供/斉藤光さん)

林業を核に新たな人材の移住を促していく

2016年、林業での地域おこし協力隊の募集に加え、佐川町は“林業の六次産業化”を目指し、その拠点として「さかわ発明ラボ」を開設した。林業の六次産業化とは、生産物である材木の価値を高め、従事者の収入増を目指すこと。同ラボには最新のレーザーカッターなどデジタル工作機械が導入され、それらを巧みに操るクリエーターやエンジニアを地域おこし協力隊として募った。

「大学卒業後の進路に悩んでいたとき、『さかわ発明ラボ』の人材募集を見つけました。デジタル工作機械のものづくりで地域を盛り上げる取り組みは、難易度は高そうですが、やりがいを感じたので応募しました」と語るのは、同ラボの地域おこし協力隊の一期生として移住してきた森川好美さん。

神奈川県横浜市生まれで東京育ちの森川さんは、大学でデジタル工作機械でのあらゆるものづくり、いわゆる「デジタルファブリケーション」を学んだ。時代の先端を行く学問を修めながら、できたばかりの拠点はあるものの、その真逆の環境ともいえる佐川町での生活が始まった。

「移住当初は、自分の取り組みを町民の皆さんに知ってもらうため、毎週ワークショップを開催しました。ものづくりやデザインが好きな町民の方に足を運んでもらいましたが、取り組みを理解してもらえた実感はありませんでした。どうして良いかわからず、毎晩町内の居酒屋を飲み歩いた時期もありました(笑)」と当時を振り返り、苦笑する森川さん。

任期終了後はNPO法人「MORILAB」を立ち上げ、デザイナーやエンジニアとして活躍する森川さん(写真提供/森川好美さん)

任期終了後はNPO法人「MORILAB」を立ち上げ、デザイナーやエンジニアとして活躍する森川さん(写真提供/森川好美さん)

町内にある廃業した歯科医院を活用して開設された「さかわ発明ラボ(写真提供/森川好美さん)

町内にある廃業した歯科医院を活用して開設された「さかわ発明ラボ(写真提供/森川好美さん)

ラボ内ではスタッフ指導のもとで子どもたちもデジタル工作機械の体験ができる(写真撮影/藤川満)

ラボ内ではスタッフ指導のもので子どもたちもデジタル工作機械の体験ができる(写真撮影/藤川満)

ラボを拠点に新たな仕事を生み出していく

森川さんはその後も試行錯誤を繰り返し、ワークショップの対象を子どもたちへと広げた。「子ども向けワークショップを開催することで、親も興味をもってもらえる。そして子どもたちにとっては、家庭と学校以外の『第三の場所』として利用してもらえるようになり、取り組みに光が差してきました」

とはいえ東京の大学を卒業したばかりで、社会人経験も少なかった森川さんに対して、一部の心ない町民から冷ややかな視線を感じることもあった。「当時は同世代の友達もいなくて、辞めたいと思うこともありました。けれど新たな協力隊が赴任した2年目からは、業務を分担することができ、仲間が増えて楽しくなってきました」

協力隊3年目となった森川さんは、同ラボの業務以外に、大学の先輩が営む会社からや、それ以外の個人で受ける仕事も増えてきた。「任期終了後は、佐川町の木材などの地域資源をプログラミングやデザイン・設計を通して活用するNPO法人を立ち上げました。デジタル工作機器の導入サポートや加工の窓口としての業務にも取り組んでいます」

現在同ラボは、「ものづくりの場」「企画/デザイン」「子どもたちの学びの場」という三つの機能をもつ施設として、佐川町民から親しまれ、大学や大都市の企業でデザインや建築を学んだ協力隊員、元隊員の活躍の場となっている。

植物学者・牧野富太郎ゆかりの公園「牧野公園」で開催されたワークショップの様子(写真提供/森川好美さん)

植物学者・牧野富太郎ゆかりの公園「牧野公園」で開催されたワークショップの様子(写真提供/森川好美さん)

同世代という仲間意識が居心地の良い環境をつくる

「森川さんの活躍は高知に来る前から知っていました」と語るのは、今年隊員としての任期を終えたばかりの伊藤啓太さん。茨城県生まれの伊藤さんは、宮城県仙台市の大学でデジタルファブリケーションを学んだ。佐川町の取り組みを知ったのは、とある移住フェア。「『さかわ発明ラボ』と『自伐型林業』の連携に興味をもちました。自分があえて林業へ進めば、ラボとの接着剤の役目を果たせるのではと考えました」

林業家として採用された伊藤さんは、仕事ができない雨の日にラボへ足を運び、椅子づくりなどのワークショップを開催し、まさに接着剤として活動の幅を広げていった。任期終了後の現在、自伐型林業家兼木工デザイナーとしての道を歩み始めている。「滝川さんをはじめとする先輩林業家の人たちが、佐川町に残り働く姿を見てきたので、当たり前のように任期終了後もここで暮らすと決めていました」と伊藤さん。

実は森川さんと伊藤さんは、仕事を通じた交流をきっかけに2022年5月に結婚し、新居を町内に構えた。「最近は若い同世代の隊員が増えてきたことで、年に2~3組はカップルが誕生していますよ」と森川さん。隊員同士のカップルもいれば、隊員×地元民のカップルもいる。住む場所の決め手として、パートナーの存在も大きな要因。同世代という垣根の低さが多くのカップル誕生に寄与しているのかもしれない。

「将来的には自分で製材した木材を使ってアイテムづくりをしたい」と語る伊藤さん(写真提供/伊藤啓太さん)

「将来的には自分で製材した木材を使ってアイテムづくりをしたい」と語る伊藤さん(写真提供/伊藤啓太さん)

同ラボ内で語らう森川さんと伊藤さん。伊藤さんは、デジタル工作機械の操作方法を森川さんから指導されることもあると話す(写真撮影/藤川満)

同ラボ内で語らう森川さんと伊藤さん。伊藤さんは、デジタル工作機械の操作方法を森川さんから指導されることもあると話す(写真撮影/藤川満)

移住者コミュニティの発展が町全体の活性化へつなげていく

「都会にいると、意外と同世代異業種の人と交流することがありません。佐川町の地域おこし協力隊は、『ものづくり』をキーワードに集まった20~30代の同世代が多く、得意分野は違いますがプライベートでも遊ぶほど仲が良いですね」と語るのは神奈川県生まれの大道剛さん。任期終了後は、町内外の学校でのプログラミング教室などの支援を主な業務とし、町内で暮らしている。

さかわ発明ラボ内で語り合う大道さん(右)と(左から)同じく元隊員で建築士の上川慎也さん、革職人の松田夕輝さん(写真撮影/藤川満)

さかわ発明ラボ内で語り合う大道さん(右)と(左から)同じく元隊員で建築士の上川慎也さん、革職人の松田夕輝さん(写真撮影/藤川満)

「任期終了後の定住者がある一定数いることで、移住者のコミュニティが存在しています。さらにその中で気の合う仲間が集う複数のユニットがあり、田舎でありながら自分が心地よい場所をすぐに見つけられるのが佐川町の良いところです」と今の佐川町の移住者コミュニティの状況を教えてくれる大道さん。

さらに「東京のほうが同世代の数は圧倒的に多い、でも仕事以外での仲間はつくりにくいです。佐川のほうが同世代は少ないけど、職業を超えたつながりがつくりやすい。特技の違う仲間で雑談、相談が仕事に生きるし、そういった仲間が心の安心、支えになってくれていますね」と大道さんは、定住率の高さにつながる要因を示してくれた。

2022年7月末の夜、佐川町内バー「貉藻(むじなも)」にて、大道さんが進行役を務め、林業家の滝川さんが登壇し、自らの仕事とこれからの課題を語るイベントが開催された。集まったのは佐川町内に住む元隊員たちを中心とした移住者およそ20人。参加者の中に生粋の佐川町民はわずか1人だけだった。

滝川さんと大道さんを中心に開催されたバー「貉藻(むじなも)」でのイベント(写真撮影/藤川満)

滝川さんと大道さんを中心に開催されたバー「貉藻(むじなも)」でのイベント(写真撮影/藤川満)

「これは始まったばかりの試みで、これからはもともと佐川町に住む人たちの参加も促していくつもりです。まだまだ第一段階の状態です」と大道さん。移住者たちの高い結束力を目の当たりしたイベントながら、これからどのように発展し、どのように佐川町に作用していくのか注視したい。

地域おこし協力隊を活用した佐川町の取り組みは、さまざまな要因が好影響を及ぼし、高い定住率へとつながっているようだ。しかしそれは、地域おこし協力隊黎明期に移住した先輩隊員の努力が礎となっているのも確かだ。定住者コミュニティだけでなく、町全体を巻き込んだ活性化につなげられるのかは、先輩からバトンを受けた後輩隊員たちの努力次第かもしれない。

●取材協力
さかわ発明ラボ

住み続けたい街ランキング関西2022発表! 駅1位は夙川おさえ山陽電鉄・人丸前(明石市)。自治体1位は?

リクルートが関西圏(大阪府、兵庫県、京都府、奈良県、滋賀県、和歌山県)に居住している人を対象にWEBアンケートを実施した「SUUMO住民実感調査2022 関西版」を発表した。この調査は「住んでいる街(駅・自治体)に住み続けたいかどうか」を聞いたもの。住んでいる人に愛され、将来もずっと住み続けたいと思われているのはどんな街なのか。詳細を見てみよう。

「住み続けたい自治体」は芦屋市、西宮市、箕面市がトップ3に

アンケートは「住み続けたい自治体」と「住み続けたい駅」の2つについて尋ねた。それぞれ「子育てに関する自治体サービスが充実している」「今後街が発展しそう」「地域に顔見知りや知り合いができやすい」などさまざまな観点で、魅力項目を点数化した。
毎年発表している「住みたい街ランキング」は“住んでみたい”という憧れの要素が大きいが、「住み続けたい街」は居住者が感じるリアルな声が反映されている点が大きな違いだ。

まず、「住み続けたい自治体ランキング」を見てみよう。
トップ2は兵庫県の芦屋市、西宮市と、全国的なブランド力のある自治体が上位を占めた。

自治体ランキング TOP20

1位の芦屋市は、阪神間の閑静な住宅街として有名だ。魅力項目で「街の住民がその街のことを好きそう」が1位になったのもうなずける。
2位の西宮市も阪神間に位置し、「2022年住みたい街ランキング関西版自治体編」で今年も1位を獲得。年代別調査でも20代から70代以上まで全世代でトップ10入りした。
多くの人が憧れる理由が住んでいる人の実感値にしっかり裏打ちされていることがわかる。

西宮市(写真/PIXTA)

西宮市(写真/PIXTA)

ベスト20には、4位福島区、7位天王寺区、9位北区、13位阿倍野区、18位西区と大阪市内の5区が名を連ねた。いずれもマンション供給が多く、人口が急増している大阪市の中心地域だ。
神戸市では6位灘区、10位東灘区、11位中央区とベスト20位に3区がランクイン。また、京都府では8位京都市中京区、16位長岡京市、17位京都市左京区が入った。
大阪、神戸、京都とも、各都市の中心部やその近くに位置し、利便性の高い自治体が上位に並ぶ結果となった。

恵まれた自然環境や交通アクセスの良さで郊外の自治体も20位以内にランクイン

注目したいのは、中心地から離れた郊外も上位に登場している点。5位の奈良県北葛飾郡、16位の京都府長岡京市などだ。
北葛飾郡は馬見丘陵公園など広い公園や古墳が集まる穏やかな環境ながら、難波・天王寺方面へのアクセスが良い。長岡京市も竹林や筍で知られる自然環境が身近にあり、JR長岡京駅、阪急京都線長岡天神駅が利用できて京都の中心部や大阪方面への利便性が高い。「自然豊かな環境+都心へのアクセスの良さ」が郊外に「住み続けたい」と思わせるキーポイントのようだ。

馬見丘陵公園(写真/PIXTA)

馬見丘陵公園(写真/PIXTA)

新駅誕生や市民目線の施策で箕面市が3位に

ここからは3位以下で注目したい街を紹介しよう。
3位の大阪府箕面市は2023年度に北大阪急行延伸に伴い2つの新駅「箕面船場阪大前」「箕面萱野」駅が誕生する予定。延伸が完了すれば、大阪メトロ「梅田」駅まで約30分以内で結ばれる見通しで、箕面市から大阪市内へのアクセスが良くなることに期待値も高い。「子育てに関する自治体サービスが充実している」、「防犯対策がしっかりしており治安が良い」でも高評価を得た。同市では全ての市立小中学校の通学路及び公園に防犯カメラを設置。市が設置費用の一部を補助して自治会が設置した台数を含めると約2000台(令和4年9月時点)の防犯カメラが運用されており、犯罪抑止効果を高めるとともに、実際に早期の犯人検挙に繋がっているという。また、高齢者や障害者の交通サポートを低負担で提供。高齢者への火災警報器や紙おむつ給付など手厚いサービスも実施しており、「介護や高齢者向けサービスなどが充実している」を高く評価した人も多かった。

箕面萱野駅予定地(写真/PIXTA)

箕面萱野駅予定地(写真/PIXTA)

4位の大阪市福島区はこの10年あまりで新築マンション供給が相次ぎ人口も増加。もともと飲食店などが集積した繁華街のイメージが強いが、イオンをはじめスーパーマーケットが27もあり、生活上の用事を効率的に済ませられるのが評価のポイントになった。隣接する北区で進む「うめきた2期開発」の波及効果があり、発展への期待も大きそうだ。

5位の奈良県北葛飾郡は、“郡”といっても王子駅(JR関西本線、JR和歌山線、近鉄生駒線)を要する交通の要所。難波・天王寺方面へのアクセスが良く、駅周辺に「リーベル王子」など商業施設が充実している。自然環境に恵まれ交通利便性の良いことが、やはり大きな魅力だ。

府県別の自治体ランキングで兵庫県赤穂市や滋賀県守山市がトップ10入り

総合ランキングのほかに府県別ランキングの集計も行った。

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 大阪府

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 兵庫県

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 京都府

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 滋賀県

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 奈良県

居住府県別 住み続けたい自治体ランキング 和歌山県

大阪府では大阪市中心部と箕面市、吹田市、高槻市、豊中市の北摂エリアが上位を占めた。
兵庫県では阪神間と神戸市内が支持を集めたが、7位明石市のほか岡山県との県境に位置する赤穂市が10位に。同市は千種川が瀬戸内海に注ぐ城下町。新快速電車でJR播州赤穂駅から神戸まで直通70分と時間はかかるが、住む人たちは美しい自然や街並み、穏やかな環境に、都会の利便性以上の価値を感じているようだ。
奈良県は難波・天王寺・生駒にアクセスの良い北葛城郡王寺町が1位になり、広陵町も3位にランクイン。どちらも宅地や一戸建ての分譲が多く人口が増え続けているが、公園や古墳などが多く豊かな環境を享受できる点が魅力となっている。
滋賀県の1位、守山市はもりやまエコパーク交流拠点やびわこ地球市民の森、温泉施設ができて人気が復活。和歌山県有田市は結婚する人に住宅関連費用を最大30万円、出産祝金や入学祝金など最大で約200万円の支給で移住を促進している。
魅力的な新施設の創出や市民目線の施策により、県の中心地を抜いて1位を獲得した自治体があるのも興味深い。

「住み続けたい駅ランキング」では人丸前が1位に。子育て項目では明石市の駅が上位を占める

住み続けたい駅ランキング TOP20

次に「住み続けたい駅ランキング」を見ていこう。
驚くのは、阪神間の夙川や苦楽園口、京都の烏丸御池など人気の高い駅を抑えて明石市の人丸前が1位を獲得したこと。
人丸前は山陽電鉄本線の駅で、北には日本標準子午線で知られる明石市立天文科学館、南方面には海水浴場や芝生の広場などのある大蔵海岸公園が広がるのどかな駅だ。明石市といえば、おむつ定期便や第2子以降の保育料の完全無料化など手厚い子育て支援で注目され、「子育てに関する自治体サービスが充実している自治体ランキング」で1位を獲得している。人丸前は「公共施設が充実している」でも7位。明石海浜プールや天文科学館、文化博物館などは年齢によって無料となり、身近に利用できる施設が多いのも魅力だ。
「子育て環境が充実している駅ランキング」ではほかにも同じ山陽電鉄の東二見が3位、西新町が4位、魚住が7位、大久保が8位、明石が10位と、明石市内の6駅がトップ10に並び、子育ての項目で圧倒的な強さを見せている。

2位の「さくら夙川」、3位の「夙川」、4位の「苦楽園口」は「住み続けたい自治体」2位の西宮市内にある駅。いずれも徒歩10分程度で行けるほど近接し、生活圏はほぼ同じだ。桜並木が美しい夙川公園があり、人気の阪急西宮ガーデンズも普段使いできる。大阪・神戸どちらにも電車で20分程度。魅力がバランス良く満たされている。
上位20位までに西宮市から8駅がランクインし、同市の強さも顕著となった。

5位の「姫松」は大阪市阿倍野区南西部の阪堺電気軌道上町線の駅で、大阪市住吉区北西部にかけて帝塚山と呼ばれる古い住宅地が広がる。学校が多い文教地区で、街の魅力項目の「教育環境が充実している」でも5位にランクインするなど、子育て層に人気が高い。

ターミナル駅の隣駅+再開発で阪急電鉄今津線の阪神国道がトップ10入り

人丸前と並び、これまで注目度が高くなかったがトップ10入りしたのが9位の阪急電鉄今津線阪神国道。西宮北口駅の1駅南にあり、人気の商業施設阪急西宮ガーデンズにも約1kmと徒歩圏。駅の東側の元アサヒビール工場跡地では公園を核とした大規模な再開発が予定され、新病院の建設も計画。「ターミナル駅の隣駅」「再開発による発展の期待」で高評価につながったようだ。

阪神国道駅(写真/PIXTA)

阪神国道駅(写真/PIXTA)

リクルートが毎年発表している「関西 住みたい街(駅)ランキング」の2022年版で1位を獲得した梅田は、今回の「住み続けたい駅ランキング」では50位以内に入っていない。「住みたい……」で2位だった西宮北口も「住み続けたい駅……」では13位と意外な結果だった。
梅田も西宮北口も交通アクセス、買い物利便性が高いターミナル駅。多くの人が「住んでみたい」と思う街だが、ずっと住み続けたいと思わせるには、子育て環境や高齢者サービス、静かで落ち着いた住環境など違った魅力が不可欠なのかもしれない。
住んでみなければ分からない実感を反映したこのランキングを参考に、本当の住みやすさとは何かを考えてみたい。

●関連サイト
「SUUMO住民実感調査2022 関西版」2022年住み続けたい街(自治体/駅)ランキング

移住相談も課長募集もSlackで!? 長野県佐久市の「リモート市役所」が画期的と話題

移住に興味があるけれど、コロナ禍で情報収集できる機会が減ってしまった……。そんな状況を補うのが、ビジネスチャットツール「Slack」を活用した、長野県佐久市による移住のオンラインサロン「リモート市役所」。日本で初めて自治体が運営する、移住の共創型オープンプラットフォームです。
サービス開始は2021年1月。どんな背景でスタートしたのか、どんなコンテンツがあるのか、市民や移住希望者の反響は? リモート市役所を担当する佐久市役所広報広聴課の垣波さんと、移住交流推進課の森下さんにお話をうかがいました。

移住関心度の高い佐久市の新たなシティプロモーション

長野県の東部に位置する佐久市は、浅間山、蓼科山、八ヶ岳を望む自然豊かなまちです。標高約700mの佐久平駅を中心に市街地が広がり、憧れの避暑地として知られる軽井沢もご近所。東京から佐久平までは新幹線で約75分と、首都圏からのアクセスも良好です。

新幹線が停車する佐久平駅を中心に市街地を形成。山もすぐそこ(写真提供/佐久市役所)

新幹線が停車する佐久平駅を中心に市街地を形成。山もすぐそこ(写真提供/佐久市役所)

人口は10万人弱。日本の地方都市同様、高齢化が進み、2010年をピークに人口は減少に転じています。一方、ほかの地域からの転入者数は転出者数を上回っており、2021年の社会増減数(統計ステーションながの「毎月人口異動調査(2021年)年間人口増減 統計表」より)は長野県で第一位。住みやすい環境などから、移住への関心の高さもうかがえます。

そんな佐久市では、従来から市役所に移住相談窓口を設置していました。さらにリモート市役所を立ち上げたのは、どんな経緯があったのでしょうか。
「移住希望者に向けて、まずは佐久市を知ってもらおう、来てもらおうと活動してきましたが、2020年、コロナ禍に突入。佐久市を実際に訪問してもらうことは難しくなりました。そこで、移住に興味のある方が佐久市民とつながり、情報のやり取りができるコミュニケーションプラットフォームとして、『リモート市役所』を立ち上げました」と垣波さん。
実際に足を運ばずとも、佐久市のリアルな情報や魅力を届けたいと考えたのです。

Slackを活用してインタラクティブなメディアに

「Slack」とは、職場で採用していておなじみの人も多いですが、改めて紹介すると、アプリやWEB上で情報共有、グループチャット、ダイレクトメッセージ、通話などができる、いわゆるコミュニケーションツール。この現代的なツールを活用することで、ホームページのような自治体サイドからの一方的な発信ではなく、移住を考える方が暮らしにまつわる質問を投げかけ、実際に佐久市に住んでいる市民が答えるという、双方向のコミュニケーション環境が生まれました。
Slackは書き込みや閲覧に会員登録が必要で、ホームページと比べると閲覧者は限られる一方で、参加者同士がダイレクトにやり取りできるのがメリット。感じたことに対してすぐに反応が返ってくることや、答える側もかしこまったスタンスではなく、自分の本音を伝えることができるため、より現実味のある情報を交換することができます。
利用者の声を聞いてみても、「気軽に質問できる」「リアルな声を発信できる」と、楽しんで活用している様子。垣波さんたち職員も、いち市民の目線で参加し、質問に答えているそうです。

佐久市役所広報広聴課広報係の垣波竜太さんと、移住交流推進課移住推進係の森下慶汰さん

佐久市役所広報広聴課広報係の垣波竜太さんと、移住交流推進課移住推進係の森下慶汰さん

リモート市役所のトップ画面。のぞいてみたくなる、ワクワクするデザインです(写真提供/佐久市役所)

リモート市役所のトップ画面。のぞいてみたくなる、ワクワクするデザインです(写真提供/佐久市役所)

現在、リモート市役所にはおよそ10の課(チャンネル)が用意され、「写真課」「魅力はどこ課」「子育て課」など、それぞれのテーマごとに楽しげなやり取りが行われています。「佐久市の写真」チャンネルでは、市民が撮影した写真を気軽に投稿。ちなみに、昨冬の雪の写真はインパクト大でした。実は雪は滅多に降らないエリアのため、「浅間山が3回白くなると里に雪が降るといわれています」「風が吹くとかなり寒い。冬はマイナス10度を下回ることも」「移住を考えている方は、冬に一度訪れるのがおすすめ」など、話のタネになったとか。どんな気候なのかも、移住したい人には気になるところですよね。ちなみに、標高約700mの佐久市では、観測史上、熱帯夜(夕方から翌朝までの最低気温が25度を超える夜)を記録したことがないのだとか。晴天率は全国トップクラス。快適に過ごせそうです……!

雪の日の写真を市民がアップ。冬の寒さや雪の多さも事前に知っておきたいところ(写真提供/佐久市役所)

雪の日の写真を市民がアップ。冬の寒さや雪の多さも事前に知っておきたいところ(写真提供/佐久市役所)

5月の連休には県下最大級の熱気球大会「佐久バルーンフェスティバル」が行われます(写真提供/佐久市役所)

5月の連休には県下最大級の熱気球大会「佐久バルーンフェスティバル」が行われます(写真提供/佐久市役所)

「移住の質問部屋」では、「保育園の入りやすさはどう?」「4月に引越すのだけど、暖房器具は必要?」「自治会費っていくらくらい?」など、かなり具体的な質問が飛び交います。ときにはマイナスな情報も、隠さずに伝えているのが印象的です。
「たとえば、佐久市では家庭ゴミは有料の指定袋に入れ、しかも名前を書かなくてはならない。それが面倒だという市民の声も実際にあるのですが、移住を考えている方にはネガティブなことも含めて、ありのままを知ってほしい。あとで違った、こんなはずじゃなかったと後悔するよりも、わかって納得したうえで、それでもメリットの方が上回るから住みたい、と思ってもらえたら」と森下さんは言います。

「アイデア」チャンネルでは提言、提案も盛んです。「保育園の空き状況を調べるのに一件ずつ見ていくのが大変。今自分が住んでいる自治体のように一覧にしてほしい」など、こんなチャンネルがほしい、こんなアプリがあったら……といった声が上がります。「ここが使いづらい、もっとこうだったらいいのに、と思っても、わざわざ市役所にメールする方はなかなかいませんよね。思いついたら気軽に声が上げられるのも、リモート市役所ならではかな、と思っています」(垣波さん)

移住に興味のある人と市民が情報交換できる「移住の質問部屋」。スレッド機能があり追跡しやすいのもいい(写真提供/佐久市役所)

移住に興味のある人と市民が情報交換できる「移住の質問部屋」。スレッド機能があり追跡しやすいのもいい(写真提供/佐久市役所)

参加者は、開始2カ月半で約800人が登録。その後じわじわと増え続け、2022年7月現在、1900人強が参加しています。垣波さんによると、誰でも無料で参加できるので、特に発信はしない“見る専”の方も多いそう。匿名でも参加可能のため、本音でトークしやすく、ローカルネタで盛り上がることもあるようです。<拍手>や<いいね>といったリアクションスタンプが押せるのもとっても気楽! チャットを眺めているだけでも、佐久市への興味が高まってきます。

投稿をきっかけに始まった、新たな移住支援サービス

リモート市役所内の投稿をもとに、新たな取り組みも始まりました。佐久市への移住を検討している方向けの試住の支援サービス「Shijuly(シジュリー)」です。

試住をサポートするサイト「Shijuly」も生まれました(写真提供/佐久市役所)

試住をサポートするサイト「Shijuly」も生まれました(写真提供/佐久市役所)

「生活環境を確認したい、学校を見学したい、家を探したい、という方たちに、お試しで滞在する『試住』をおすすめしています。その際の宿泊先や、子どもの預け先はどうするか、コワーキングスペースはあるかなど、知りたい情報をまとめたサイトがShijulyです」と森下さん。
試住中の宿泊費や移動費などに最大50%補助金(上限あり)が出るのも魅力です。補助金の申請もオンラインで行えて便利。「補助金の利用上限日数は最大6日分ですが、2泊を2~3回に分けて、という方も結構いらっしゃいます。ぜひ、移住のシミュレーションをしてみてください」

稲荷山公園など、市内で子どもと遊べる公園も紹介しています(写真提供/佐久市役所)

稲荷山公園など、市内で子どもと遊べる公園も紹介しています(写真提供/佐久市役所)

業務はオンライン、副業OK、報酬ありの「リモート市役所課長」が誕生

さらに、リモート市役所の「課長」を広く募集したことも話題を呼びました。リモート市役所課長は原則オンラインでの業務で、月に1度の運用会議に参加するほか、Slack内の投稿やリアクションにも対応する、いわばリモート市役所の盛り上げ役。副業も歓迎、報酬もあります(今年度は、年間で固定給50万円、企画・運用費50万円)。

リモート市役所課長募集のお知らせも、わかりやすくてユニーク(写真提供/佐久市役所)

リモート市役所課長募集のお知らせも、わかりやすくてユニーク(写真提供/佐久市役所)

2021年度の初代課長には、実際にリモート市役所を活用して佐久市に移住した、伊藤侑果さんが選ばれました。伊藤さんは、子育てしながら起業家として働く女性。移住者視点、ママ視点を活かして、熱量をもってさまざまなプロジェクトに携わったそうです。
そして今年度、二代目課長に任命されたのは、FMヨコハマのラジオディレクター・やのてつさん。番組の企画で佐久市に訪れたのをきっかけに佐久市のファンになり、首都圏在住でありながら、佐久市への愛にあふれた方なのだそうです。

本年度のリモート市役所課長に選ばれたやのてつさん。任期は2023年3月末まで(写真提供/佐久市役所)

本年度のリモート市役所課長に選ばれたやのてつさん。任期は2023年3月末まで(写真提供/佐久市役所)

7月には、初のオンラインイベント「リモート市役所サミット」が開催されました。サミットでは、移住を検討するファミリーに向けて、佐久市の魅力を感じられる移住モデルコースづくりにチャレンジ。2チームに分かれてZOOMでワークショップを行いました。

リモート市役所サミットの風景。当初はオフラインを予定していましたが、新型コロナの感染者増加に伴いオンラインで実施(写真提供/佐久市役所)

リモート市役所サミットの風景。当初はオフラインを予定していましたが、新型コロナの感染者増加に伴いオンラインで実施(写真提供/佐久市役所)

課長のやのてつさんが審査員となり、優秀チームを決定。後日、やのてつさんがご家族とともに実際にそのモデルコースを訪問・取材し、FMリモート市役所でオンエアする予定です。
「リモート市役所は文字や写真での発信がメインですが、やのてつさんの課長就任を機に、ラジオコンテンツ『FMリモート市役所』を強化中。またポッドキャストなど、新たな音声コンテンツも発信していく予定なので、お楽しみに」(垣波さん)

FMリモート市役所では、Slackでの投稿から抽出した選りすぐりの情報などを音声でお届け(写真提供/佐久市役所)

FMリモート市役所では、Slackでの投稿から抽出した選りすぐりの情報などを音声でお届け(写真提供/佐久市役所)

こうした取り組みが評価され、リモート市役所は
「シティプロモーションアワード2021」金賞・未来創造賞
「PRアワードグランプリ2021」ブロンズ
「第14回日本マーケティング大賞」奨励賞
「PR Awards Asia 2022」2部門でゴールド
「Golden Worlds Awards 2022」パブリック・セクター部門最優秀賞
といった賞に輝いています。

また、全国の自治体から問い合わせやオンラインでの視察申し込みも相次ぎました。今年5月には、福岡県北九州市でもSlackを用いた移住のオンラインサロン「バーチャル北九州市」がオープン。佐久市のリモート市役所がお手本となって開設されたそうです。

PR Awards Asia 2022の盾が輝きます(写真提供/佐久市役所)

PR Awards Asia 2022の盾が輝きます(写真提供/佐久市役所)

市民同士の交流を深め、シビックプライドの向上をめざす

実際にリモート市役所への参加を機に佐久市へ移住したのは、わかっているだけで3人。ちょっと少ない数字に見えますが、Uターンや長野県内からの転入もあり、数の把握が難しいのだとか。「今年度より移住者の実情を把握するため、市民課の窓口に転入届を出す際に、自分の意思で移転したか、5年以上住み続ける意思があるか、というアンケートを取り始めました。その結果にも期待したいです」と森下さんは言います。

今後のリモート市役所は、どうなっていくのでしょう。
「参加者も増えてきていますし、イベントの開催など、もっと定期的にチェックしてもらえるような場にしていきたい。市民にとっても、市民同士の交流の場として使ってもらえることを期待しています。佐久市っていいところだなと、市民のみなさんに誇ってもらえるように」と垣波さん。
移住情報中心のプラットフォームとしてだけでなく、市民と市民、市民と行政をつなぐ場所としての役割も担うリモート市役所。市民が愛着を持てる、誇れるまちであることが、移住のその先、定住の促進へとつながっていくはずです。

●取材協力
佐久市役所
リモート市役所
Shijuly・シジュリー
FMリモート市役所

シングルが住み続けたい街ランキング(家賃8万円以下)を世田谷線沿線が席巻! ローカル感がエモい街

リクルートは10月「SUUMO住民実感調査2022首都圏版」と、「SUUMO住民実感調査2022首都圏版 家賃水準別住み続けたい駅ランキング」の2つを発表した。前者は、首都圏に住む20代以上の男女に、現在住んでいる街に住み続けたいかを聞き、その希望度が高い駅・自治体をランキングしたもの。後者は、その上位の中から、賃貸物件の家賃相場が一定の基準をクリアする駅だけでエリア別にランキングしたものだ。今回、紹介するのは後者の方、住民が今後も住み続けたいと感じていて、かつ賃貸物件も手が届きやすい街のランキングとなる。「東京23区シングル家賃8万円以下住み続けたい駅ランキング」のトップ10に、東急世田谷線(以降、世田谷線)、山下、上町、宮の坂、松陰神社前、松原の5駅がランクインした。
世田谷線は、下高井戸駅と三軒茶屋駅(全ての駅は世田谷区内)を結ぶ軌道線で、新宿駅や渋谷駅といった主要ターミナルを起点としない、比較的マイナーな路線といってよいだろう。なぜ、世田谷線の街が多数ランクインしたのだろうか?

高度成長期に「取り残された」のが都内の数少ない軌道線である世田谷線松陰神社前駅に停車する世田谷線の車両。小ぶりの車体の2両編成。うち1編成は、沿線の名所・豪徳寺の「招福の招き猫」が車体にあしらわれている。車内のつり革も猫型だ(写真撮影/村島正彦)

松陰神社前駅に停車する世田谷線の車両。小ぶりの車体の2両編成。うち1編成は、沿線の名所・豪徳寺の「招福の招き猫」が車体にあしらわれている。車内のつり革も猫型だ(写真撮影/村島正彦)

世田谷線は、軌道を走るトラム型車両で運行されている。同様の軌道電車には、都内ではもう一つ、三ノ輪橋と早稲田を結ぶ都電荒川線(東京さくらトラム)がある。

歴史を紐解けば、明治後期(1907年)に近代化・都市開発のため必要な砂利を多摩川から調達するため、渋谷と玉川(現在の二子玉川)の間に軌道(道路上に電車などが走るために設けた線路)が開業した。大正14年(1925年)に三軒茶屋から下高井戸の間に新設軌道の支線、下高井戸線が設けられた。

モータリゼーションの高まりとともに、昭和44年(1969年)現在の国道246号上の軌道線・渋谷~玉川の路線が廃止され、道路と共用しない専用軌道であり残った三軒茶屋~下高井戸の支線は「世田谷線」と改称された。

ほとんどの駅に改札はなく、全線150円の均一料金(2022年現在)。低いプラットフォームから乗降可能な、通常の鉄道車両より小ぶりな2両編成で、三軒茶屋と下高井戸間の5.0kmを17~18分かけてゆっくりとしたスピードで運行されている。

20代後半~30代の「大人のシングル」に人気の松陰神社前(出典/リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022」)

(出典/リクルート「SUUMO住み続けたい街ランキング2022」)

特筆すべきは、8位に松陰神社前。

地元で不動産仲介サイト「せたがやクラソン」を運営している(株)松陰会舘の山下勇樹さんは「都心に近いことを重視して、東急東横線の祐天寺~中目黒駅あたりや、田園都市線の池尻大橋~三軒茶屋駅あたりで部屋を探していた人が、家賃の兼ね合いもあるでしょうが、少し踏み込んで世田谷線で物件を探してみて、ゆったりとした街の雰囲気に魅せられて住み始めた人が多いように思います。20代後半から30代の単身者、職業は多種多様ですが、広告業界やライター、デザイナーといった自分のスタイルを持った人が多い印象です」と話してくれた。

週末にはカフェ巡りなど来街者も増えて、いまではすっかり世田谷線を代表する駅として認知されている松陰神社前だが、そうした動きはいつからだろうか。

(株)松陰会舘代表の佐藤芳秋さんは、生まれも育ちもこのエリアだ。佐藤さんによると「2010年ごろは世代交代などで空き店舗が目立っていました。それが、大きく変わったのが2014~15年ごろです。若い人たちがカフェやバルなど出店し始めて街に活気と華やぎが戻ってきました」と話す。「自社では、仲介のほか不動産も所有しているので、世田谷線に面した自社所有の老朽化した木造アパートを、用途転用・リノベーションして物販ができるテナントとして企画したのが松陰 PLAT です。新しい店が飲食店に偏っていたので、地域の人が手土産や日々の生活に彩りを加える雑貨などを売る物販のテナントも意識的に呼び込みました」と打ち明ける。地元で50年前からガス事業と不動産業を営む松陰会舘の3代目として、当時は取締役であった佐藤さんが事業を主導した。

松陰神社前駅のほど近くに2014年にオープンしたスイーツ店「MERCI BAKE(メルシーベイク)」。気取らないオシャレなフランス菓子は、手づかみで食べられる。このころから、松陰神社前駅の商店街に若い感覚のお店の開店ラッシュとなった(写真撮影/村島正彦)

松陰神社前駅のほど近くに2014年にオープンしたスイーツ店「MERCI BAKE(メルシーベイク)」。気取らないオシャレなフランス菓子は、手づかみで食べられる。このころから、松陰神社前駅の商店街に若い感覚のお店の開店ラッシュとなった(写真撮影/村島正彦)

ぷらっと寄れる街のプラットホーム「松陰PLAT」は、2016年に佐藤さんが自社物件の築50年の木造アパートを8つの商業施設にリノベーションした。物販店や飲食店が入居する(写真撮影/村島正彦)

ぷらっと寄れる街のプラットホーム「松陰PLAT」は、2016年に佐藤さんが自社物件の築50年の木造アパートを8つの商業施設にリノベーションした。物販店や飲食店が入居する(写真撮影/村島正彦)

「自社で仲介など行う範囲と重なりますが、世田谷区のなかでも、環七と環八の間、甲州街道と国道246号で挟まれたエリアを『世田谷ミッドタウン』と勝手に呼んで、2015年に『せたがやンソン』というお店を紹介するウェブメディアを立ち上げました」と話す。

佐藤さんは、環七と環八の間、甲州街道と国道246号で挟まれたエリアを『世田谷ミッドタウン』と命名した。世田谷線沿線がまさにこのエリアだ(作成/SUUMOジャーナル)

佐藤さんは、環七と環八の間、甲州街道と国道246号で挟まれたエリアを『世田谷ミッドタウン』と命名した。世田谷線沿線がまさにこのエリアだ(作成/SUUMOジャーナル)

このころには、松陰神社前は若い出店希望者が殺到したが、空き店舗が見つからず、上町・宮の坂・山下などに新しい店が少しずつ広がっていったという。こうした、新しい店を応援し紹介し、地域の価値を高めるメディアとして立ち上げたのが、『せたがヤンソン』だ。店主のこだわりや店を開くに至った動機や人となりについて記事に盛り込むことを心掛けている。

この地域は都心に近いながら、ある意味あまり知られていない穴場エリア。「サイトの月間のPVは約3万とそれほど多くはありません。でも、サイトを見て、お客さんが店主の背景を知り、店主との会話のきっかけになっているという話をよく聞きます。あまり流行りすぎもせず、ゆったりとコミュニケーションがつくられる状況は、ちょうど良いと思っています」と話す。

佐藤さんは、2015年から「せたがやンソン」という世田谷ミッドタウンの情報サイトを立ち上げた。2022年6月にはサイトで紹介したお店100軒を載せた「せたがやンソン MY SETAGAYA100」を出版(HPより)

佐藤さんは、2015年から「せたがやンソン」という世田谷ミッドタウンの情報サイトを立ち上げた。2022年6月にはサイトで紹介したお店100軒を載せた「せたがやンソン MY SETAGAYA100」を出版(HPより)

昭和の商店街に新感覚のお店が混在。エモい街!

佐藤さんと同じく、このエリアが故郷の吉澤卓さんは「国士舘大学や駒澤大学、日本大学(文理学部)などが近くて、学生のころから住み慣れ親しんだ人が、そのまま気に入って住み続けている面もあるのでは」と話す。

吉澤さんは、2021年に親が所有する松陰神社駅前のビル2階に、コワーキングスペース「100work」と個人オーナーが小さな書棚で本を売る「100人の本屋さん」、イベントスペース「100cube」を開設した。約130平米の空間に3つの機能がシームレスに混在している。
「新型コロナでステイホームになった近隣の住民が、家では集中できないときや人と話したいと思った際に利用してもらえるような、街の小さな文化・交流拠点になればと思いました」と意図を語ってくれた。

「100人の本屋さん」(松陰神社前)にて、吉澤卓さん(左)と佐藤芳秋さん(右)に話しを聞いた(写真撮影/村島正彦)

「100人の本屋さん」(松陰神社前)にて、吉澤卓さん(左)と佐藤芳秋さん(右)に話しを聞いた(写真撮影/村島正彦)

世田谷線エリアの生まれ育ちで、地域に詳しい佐藤さん・吉澤さんに、この地域にシングルが住み続けたいと感じる魅力について尋ねた。2人の意見を総合すると以下のようなものだ。

・個性的なほかの街にないような飲食店・物販店がある。
・商店街の古くからのお店と、若い人たちが新しく開いたお店が適度に混じり合うことで重層的魅力をつくっている(下町感のある商店街に洒落た店が点在)。
・駅が小さく、また道路が狭いから大きな建物がない。テナントも10坪程度の狭い物件ばかりで、ナショナルチェーンでは採算が合わず出店しないから、街が画一的にならない。逆に若者が小規模な資金で店を開きやすい。
・商店街、道が狭いく緩やかに蛇行するなど(クルマ通りが少なく)歩く人が中心で知り合いと顔を合わせやすい。
・招福の招き猫で有名な豪徳寺、世田谷城址、世田谷八幡、ぼろ市通り、代官屋敷、松陰神社などプチ名所を散歩(世田谷線)で巡って楽しい街。自転車があると最強。
・住民は古くからの地域の老人やファミリー、シングルが混在しており多様な人間模様。気取らない普段着で外出することができる。
・世田谷線を使わなくても、田園都市線や、小田急線・京王線などの駅から歩けなくはない。都心への時間距離はさほどではない(近い)が、賃料は安め。
・上町からは渋谷までバス便が便利。国道246号には通勤時はバスレーンがありスムース。本数も多い。

といったところだ。

これを聞いていた、仲介の山下さんからは「この間、案内した20代後半のシングルの方は、初めて世田谷線エリアを歩くらしく『エモいっすねー』と連発して感激していたのが印象的でした」という。昭和から続く商店街のゆったりした古風な佇まいに、いま風のお店が混じり合って、老いも若きも気取らずに生活を楽しんでいる風景が「エモい」という表現になったようだ。
言い換えてみるなら、大都会・東京にあって、人と人の距離が近い「田舎感」にあふれるエリアということだろうか。

以下、世田谷線沿線の雰囲気を感じていただけるスポットを紹介する。

松陰PLATの一角「good sleep baker」は、クラフトビール(3種の樽を常時開栓)を楽しめる。焼きたてパンも売っており、店内で食べることも持ち帰りも可。店主の小林由美さんによると「仕事を終えた後に美味しいビールを飲んで、明日の朝食のパンも調達できるお店」というコンセプトだ(写真撮影/村島正彦)

松陰PLATの一角「good sleep baker」は、クラフトビール(3種の樽を常時開栓)を楽しめる。焼きたてパンも売っており、店内で食べることも持ち帰りも可。店主の小林由美さんによると「仕事を終えた後に美味しいビールを飲んで、明日の朝食のパンも調達できるお店」というコンセプトだ(写真撮影/村島正彦)

上町駅の近くの包丁と砥石のお店「ひとひら」。店主の相澤北斗さんは「包丁は、研いでメンテナンスしながら長く使って欲しい」という。世田谷・上町に店を開いたのは「生活・食をきちんと楽しんでいる人が多く住んでいるから」という理由だった。販売だけでなく、包丁研ぎのサービスも行っている(写真撮影/村島正彦)

上町駅の近くの包丁と砥石のお店「ひとひら」。店主の相澤北斗さんは「包丁は、研いでメンテナンスしながら長く使って欲しい」という。世田谷・上町に店を開いたのは「生活・食をきちんと楽しんでいる人が多く住んでいるから」という理由だった。販売だけでなく、包丁研ぎのサービスも行っている(写真撮影/村島正彦)

宮の坂駅近く、モダンな設えの和菓子屋さん「まほろ堂蒼月」。山岸史門さんは「オーソドックスな和菓子はもちろんオリジナルにもこだわりたい」という。店内には喫茶スペースもあり、窓からはゆっくりと走る世田谷線を眺めながら、お茶とお菓子を楽しめる(写真撮影/村島正彦)

宮の坂駅近く、モダンな設えの和菓子屋さん「まほろ堂蒼月」。山岸史門さんは「オーソドックスな和菓子はもちろんオリジナルにもこだわりたい」という。店内には喫茶スペースもあり、窓からはゆっくりと走る世田谷線を眺めながら、お茶とお菓子を楽しめる(写真撮影/村島正彦)

豪徳寺・山下駅近くの青果店「九百屋 旬世(くおや しゅんせ)」。鮮度抜群の野菜が手頃な値段とあっていつも店頭は人だかりが。仕入れた野菜・果物でスムージーやボリューム満点のサンドウィッチを店内で製造販売し、地元の人に人気だ(写真撮影/村島正彦)

豪徳寺・山下駅近くの青果店「九百屋 旬世(くおや しゅんせ)」。鮮度抜群の野菜が手頃な値段とあっていつも店頭は人だかりが。仕入れた野菜・果物でスムージーやボリューム満点のサンドウィッチを店内で製造販売し、地元の人に人気だ(写真撮影/村島正彦)

山下駅・豪徳寺駅から徒歩5分の住宅地に2022年2月にオープンした「七月堂古書部」。詩歌を中心とした新本と古書の書店だ。明大前から引っ越してきた。古書部部長の後藤聖子さんは「のんびりとした住宅地ですが、お客様が探してたどり着いて下さいます」と話す(写真撮影/村島正彦)

山下駅・豪徳寺駅から徒歩5分の住宅地に2022年2月にオープンした「七月堂古書部」。詩歌を中心とした新本と古書の書店だ。明大前から引っ越してきた。古書部部長の後藤聖子さんは「のんびりとした住宅地ですが、お客様が探してたどり着いて下さいます」と話す(写真撮影/村島正彦)

世田谷線沿線は散歩コースも充実

世田谷線沿線には、ささやかな観光スポットが点在している。住んでみれば、日常的な散歩コースに組み入れて、仕事や雑事をしばし忘れることができそうだ。

豪徳寺(山下駅・宮の坂駅) 彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺。招き猫が多数奉納されていることで観光スポットにもなっている。墓所には、幕末・桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も(写真撮影/村島正彦)

豪徳寺(山下駅・宮の坂駅) 彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺。招き猫が多数奉納されていることで観光スポットにもなっている。墓所には、幕末・桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も(写真撮影/村島正彦)

世田谷八幡宮(宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷八幡宮(宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷城址公園(上町駅・宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷城址公園(上町駅・宮の坂駅)(写真撮影/村島正彦)

松陰神社(松陰神社前)(写真撮影/村島正彦)

松陰神社(松陰神社前)(写真撮影/村島正彦)

世田谷代官屋敷(上町駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷代官屋敷(上町駅)(写真撮影/村島正彦)

世田谷ボロ市(上町駅・世田谷駅) 代官屋敷前の通りで400年続く「市」。毎年12・1月15・16日に開催される(写真撮影/村島正彦)

世田谷ボロ市(上町駅・世田谷駅) 代官屋敷前の通りで400年続く「市」。毎年12・1月15・16日に開催される(写真撮影/村島正彦)

それから、山下さんからは「沿線で人気の地域スーパー、オオゼキの存在も大きいかもしれません」という話が飛び出した。
「世田谷線沿線での住み替えを案内することがありますが、“オオゼキがある街”という希望もよく聞きます」
日常的に使う、スーパーマーケット・オオゼキは地域密着で、エリアの魅力に貢献しているのだという。

オオゼキは売り場に、仕入れ・販売の権限を任せることで地元民の絶大な支持

オオゼキは、世田谷線の松原駅の近くで乾物屋を営んでいたが、1965年にスーパーマーケットに業態変更した。以来、世田谷区を中心とした東京、そして神奈川・千葉に合計41店舗を展開するスーパーだ(2022年現在)。

(株)オオゼキのコミュニケーション統括本部の内田信也さんにお話を聞いた。
「オオゼキは、松原駅の至近に本店の松原店があります。また世田谷線沿線では、上町店があります。この2店舗は、41ある当社の店舗のなかでもとりわけ床面積が大きい旗艦店となります」と説明する。「創業の地である世田谷線エリアは、昔からのお客様、そして地域柄、進学や就職で上京した方が多く住む地域です。ファミリー層から単身者まで幅広い方にご利用いただいています」

松原駅・上町駅の最寄りには地元密着スーパーで地元民に絶大な人気を誇る「オオゼキ」がある。(写真は松原店)品ぞろえ豊富で店員さんは親しみもあり、オリジナルお総菜・弁当や寿司の美登利も店内で製造販売。シングルの味方だ(写真撮影/村島正彦)

松原駅・上町駅の最寄りには地元密着スーパーで地元民に絶大な人気を誇る「オオゼキ」がある。(写真は松原店)品ぞろえ豊富で店員さんの親しみもあり、オリジナルお総菜・弁当や寿司の美登利も店内で製造販売。シングルの味方だ(写真撮影/村島正彦)

上町店(写真撮影/村島正彦)

上町店(写真撮影/村島正彦)

地域のシングル層にオオゼキが訴えるポイントについて「当社は、各店舗・売り場毎に担当者が仕入れから販売まで責任を持つ方針を創業以来とっています。お客様から、このこだわりの商品を入れて欲しいと担当者が聞いて、できる限り対応しています」と内田さん。

例えば、味噌や醤油など、日本全国を網羅し地域性豊かに50~60種類を常時置いている。地方から上京した単身者にとって、近所で手軽に故郷の味が手に入るわけだ。

以下のように続ける。
「全国展開の大手スーパーであれば、社員は管理部門に少数を配置し、多くをパートでまわしています。対して、当社は、レジ担当を含めてスタッフの7割を正社員として採用しています。これが、仕入れと売り場に責任を持って回してくれること、社員ひとり一人に権限を与えているので、お客様のニーズをダイレクトに聞き仕入れ、店頭に並べる商品に反映することに繋がっています。また、地方から上京してきた高卒社員も積極的に採用し、若いうちから売り場を担当してもらっています。若い子は、最新の流行に敏感ですから、新しい・流行っている商品をすぐに仕入れて売り場に並べてくれます。こうしたことも、シングルの若い方に好感をもっていただけるポイントなのではないでしょうか」

また、鮮魚・肉など生鮮食料品売り場で、若い男女のグループが買い物をしているシーンを見かけるという。
「友達をアパートに呼んで、ふだんはやらない鍋でもしようかというときに、オオゼキなら一人暮らしではふだん買えない珍しい食材をみんなでわいわい買うことができて楽しい、という声を聞きます」

冬は、多品種の魚介類をパックにした寄せ鍋セットや、ボリュームたっぷりのアンコウの切り身・肝などを売っている。
「また、各店舗に店内でお総菜・お弁当を作って販売しています。それから、近傍の梅ヶ丘の有名店・寿司の美登利に、松原店・上町店などでは専従スタッフを置いてもらい、できたてのお寿司を買うことができるのも、地域の方には重宝してもらっているのでは」と話してくれた。

オオゼキの生鮮品の品ぞろえ豊富で、飲食店を営むプロの仕入れの場でもあるという。トマトは常時15種類程度の品ぞろえ 、魚介類も穴子や鮎、のどぐろ、ツブ貝、ドジョウなどなど普通のスーパーではなかなか見かけないものまで多品種をそろえる(写真撮影/村島正彦)

オオゼキの生鮮品の品ぞろえ豊富で、飲食店を営むプロの仕入れの場でもあるという。トマトは常時15種類程度の品ぞろえ 、魚介類も穴子や鮎、のどぐろ、ツブ貝、ドジョウなどなど普通のスーパーではなかなか見かけないものまで多品種をそろえる(写真撮影/村島正彦)

醤油、味噌なども全国のメーカーの「レアもの」がそろう。味噌だけで約60種類。東京にいながら、出身地の味が手ごろに入れられる(写真撮影/村島正彦)

醤油、味噌なども全国のメーカーの「レアもの」がそろう。味噌だけで約60種類。東京にいながら、出身地の味が手ごろに入れられる(写真撮影/村島正彦)

世田谷線は、新宿や渋谷といったターミナル駅に直結しておらず、地元密着の個人店やスーパーもあいまって、大都会東京にあって「田舎感」や「地元感」にあふれているように見受けられた。一度住み始めたシングルには、適度に街のお店や人たちとの繋がりを感じて、住み続けたい街として高い評価を獲得しているようだ。

●取材協力
100人の本屋さん
松陰会舘
せたがやンソン
オオゼキ

少子高齢化でも社会保障費に頼らないまち目指す民間企業 仙台市「OpenVillageノキシタ」の挑戦

宮城県仙台市の被災者が多く暮らす新興住宅地にある「Open Villageノキシタ」は、「コレクティブスペース」「保育園」「障がい者サポートセンター」「障がい者就労支援カフェ」 の4つの事業所が集まる小さなまち。高齢者、障がい者、子ども、子育て中の親たちが横断的に交流し、補助金や助成金に過度に頼らずに、「つながりと役割で社会課題を解決する」ことを目指した全国でも珍しい取り組みが行われている。その「Open Villageノキシタ」が生まれた経緯や、オープンから約3年間で見えてきたこと、今後の展望について、施設を統括する株式会社AiNest(アイネスト)代表取締役社長の加藤清也さん、取締役の阿部恵子さんに話を聞いた。

被災者のコミュニティづくりと社会保障費の削減を目指す小さなまち

もともと農地だった仙台市宮城野区田子西地区に「Open Villageノキシタ(以下、ノキシタ)」ができたきっかけは、1994年に遡る。当時、地権者らが土地区画整理事業を検討し始め、AiNest(以下、アイネスト)の親会社である国際航業が専門家の立場で携わることになった。

造成工事が始まって間もなく東日本大震災が発生。多くの被災者が家を失ったため、急きょ仙台市と協議をして集団移転用地に変更し、「災害に強く環境にやさしいまちづくり」をテーマにしたまちづくりが始まった。

仙台市は震災時の長期停電を教訓として、エネルギーの地産地消を目指した「エコモデルタウン推進事業」を実施した。複数の民間企業からなる運営事業法人の責任者となったのが、当時国際航業の技術士として、防災まちづくりに取り組んでいた加藤清也さんだ。

加藤さんは、事業を推進する過程でのさまざまな気づきから、新たな構想が芽生えたという。

アイネストの代表取締役社長、加藤清也さん(写真撮影/伊藤トオル)

アイネストの代表取締役社長、加藤清也さん(写真撮影/伊藤トオル)

「ノキシタがある田子西地区には、沿岸部の住み慣れた広い家で被災し、初めてアパートタイプの市営住宅に移住した方々などが住んでいます。話を聞くと新しい環境で知り合いがいない、集まる場所もない、おしゃべりの輪に入れない。まるでお母さんたちの公園デビューのよう問題があるとわかり、コミュニティづくりが必要だと思ったんです」

加藤さんはどんなコミュニティをつくるべきかと並行して、以前から疑問に思っていた福祉行政の問題もあわせて考えた。

「障がい者と子どもと高齢者を社会が支える社会の仕組みはすべて縦割りで、横のつながりがほとんどありません。横のつながりをつくろうと取り組んでいる所も、ベースになるのは補助金や助成金です。

今後ますます高齢化が進み、行政の税収入は減ります。福祉事業を補助金や助成金に頼るやり方が継続できるのか。財源がなくなったときに困るのは、福祉サービスを受けている高齢者や障がい者です。お金の流れを根本的に変えて、増税ではなく社会保障費を削減するような仕組みをつくらないといけない、試しにつくってみようと思いました」

多世代の交流の場「コレクティブスペース・エンガワ」と「カフェ」は風雪を避ける軒下でつながり、バリアフリーで歩きやすい道が巡る(写真撮影/伊藤トオル)

多世代の交流の場「コレクティブスペース・エンガワ」と「カフェ」は風雪を避ける軒下でつながり、バリアフリーで歩きやすい道が巡る(写真撮影/伊藤トオル)

こうして全国的にも珍しい、民間企業とNPO法人、社会福祉法人の3法人の共同運営による、高齢者、障がい者、子どもや親ら多世代がボーダーレスに集まる小さなまち「ノキシタ」が誕生した。

人とつながり、役割をもつことの健康効果&経済効果を検証する場に

「ノキシタ」設立は、加藤さんの経験に基づく気づきも大きい。

「プライベートでの経験ですが、軽度の認知症の父に重度知的障がい者の息子をお風呂に入れてほしいと頼んだら、父は孫をお風呂に入れることが楽しくて認知症が和らいだのです。一般的に高齢者や障がい者に対して周りは何でもやってあげようとして、その人自身でやることが失われてしまいますが、自らやってもらう効果の大きさを目の当たりにしたんです。

世代や障がいを超えて人と人がつながり、社会に支えられる立場と考えられがちな人が、人を支える役割を持つことで健康寿命がのびて、認知症や寝たきり、要介護の期間が減れば、社会保障費を削減できるのではないか、と思ったんです。

調べてみると、人と人がつながる大切さを裏付けるデータもありました。要介護認定を受けていない一人暮らしの男性の例で、一人で食事をする(独食)のは、誰かと食事をする(共食)より約2.7倍もうつ状態になりやすい(「日本老年学的評価研究(JAGES)」による研究プロジェクト ※1)。また運動も、一人で運動をしているより、スポーツグループに参加して誰かと一緒に行う方が抑うつにいたる率が低い(※2)といったデータもあります。

コロナ禍になって、配食サービスやオンラインフィットネスなど家にこもって一人で何かをすることが増えて、人と交流する大切さや効果が忘れられていく。人と人のつながりと役割が持つ効果を実証・検証する場がノキシタです」

「コレクティブスペース・エンガワ」の明るいスタッフ。後列左が加藤清也さん、前列右が施設を案内してくれた阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

「コレクティブスペース・エンガワ」の明るいスタッフ。後列左が加藤清也さん、前列右が施設を案内してくれた阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

高齢者、障がい者、子ども、親たちが丸ごとつながる開かれたまちづくり

敷地内には、“ふたご山”と呼ばれる緑に覆われた築山を囲むように4つの施設が配置されている。庭はボランティアの力も借り、季節ごとの花に彩られている。

社会福祉法人仙台はげみの会が運営する障がい者サポートセンター、グループホーム「Tagomaru」では、重度の障がいがある方の短期入所(ショートステイ)、日中一時支援事業(単独型)、共同生活援助(日中サービス支援型)などが行われている。

2つの建物から成る障がい者サポートセンター「Tagomaru」(写真撮影/伊藤トオル)

2つの建物から成る障がい者サポートセンター「Tagomaru」(写真撮影/伊藤トオル)

NPO法人シャロームの会が運営する「シャロームの杜ほいくえん」は0歳児~2歳児を対象に、地域、保育者、保護者、ノキシタに集う多様な方々とのコミュニケーションを大切にしたダイバーシティ保育園(地域全員参画型保育園)を目指している。

左手の建物が「シャロームの杜ほいくえん」(写真撮影/伊藤トオル)

左手の建物が「シャロームの杜ほいくえん」(写真撮影/伊藤トオル)

元気に遊ぶ保育園の園児たち(写真提供/Ainest)

元気に遊ぶ保育園の園児たち(写真提供/Ainest)

同じくNPO法人シャロームの会が運営している「ノキシタカフェ・オリーブの小路(こみち)」は、障がい者の就労支援も行うカフェで、畳のキッズスペースを含め定員は30名位。むく材がふんだんに使われた店内には明るい日差しが射し込む。

緑に囲まれたカフェ(写真撮影/伊藤トオル)

緑に囲まれたカフェ(写真撮影/伊藤トオル)

食事はオリジナルスープカレーやランチプレートなど野菜がたっぷりのメニュー。障がい者や高齢者、子ども連れ、誰でも周りに気兼ねなく利用でき、昼どきは人気のスープカレーを目あてに近所の会社員や遠くから足を運ぶ人も多い。

木のぬくもりに包まれる落ち着いた店内。一人でもグループでも利用しやすい造り(写真撮影/伊藤トオル)

木のぬくもりに包まれる落ち着いた店内。一人でもグループでも利用しやすい造り(写真撮影/伊藤トオル)

補助金や助成金に頼らない交流スペースは「実家のようにほっとする居場所」

そして、ノキシタの交流の要となるのが、アイネストが運営する「コレクティブスペース・エンガワ」という会員制の交流スペースだ。効果を検証する場であることから利用者の年齢や特性を把握する目的もあって会員制(会費は無料)で、現在の登録会員数は約900人。1回の利用料は400円と利用しやすい設定だ。

「コレクティブスペース・エンガワ」入口(写真撮影/伊藤トオル)

「コレクティブスペース・エンガワ」入口(写真撮影/伊藤トオル)

大きなテーブルがある談話スペース。奥の和室は子ども連れに好評だそう(写真撮影/伊藤トオル)

大きなテーブルがある談話スペース。奥の和室は子ども連れに好評だそう(写真撮影/伊藤トオル)

「ここでは、何をして過ごしてもいいし、何もしなくてもいいんです。カフェのメニューをテイクアウトして食べることもできます。お茶を飲んでスタッフと話をするだけの方、毎日ピアノを弾きに来てくださる方もいます。自然と利用者同士で話したり、誰かと楽器でセッションしたり。スタッフが何かをしましょうと声をかけるのではなく、それぞれの方が何に関心を持つか、どう過ごしたいかを距離を置いて見守っています」と取締役の阿部恵子さん。

施設内を案内してくれた、アイネスト取締役の阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を案内してくれた、アイネスト取締役の阿部恵子さん(写真撮影/伊藤トオル)

「エンガワ」では、さをり織り機、楽器、キッチンなど、施設内の設備に自由にふれることができる。天井の梁に架かるきれいな布は、世界一簡単な手織りといわれる「さをり織り」でつくられたもの。スタッフが丁寧に教えてくれるので、初めての人や小さな子どもも好きな糸を選んで自分だけの作品を簡単につくれる(予約制、有料)。

パレットのような色とりどりの糸が並ぶ糸棚とさをり織りの手織り機(写真撮影/伊藤トオル)

パレットのような色とりどりの糸が並ぶ糸棚とさをり織りの手織り機(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を明るく彩る、さをり織で作られた布(写真撮影/伊藤トオル)

施設内を明るく彩る、さをり織で作られた布(写真撮影/伊藤トオル)

シェアキッチンでは自由に料理ができるので、お昼ご飯をつくって食べる人もいる。子育て中のお母さんも隣接する和室で小さい子どもを遊ばせたり、交代で面倒を見ながら料理教室やパンづくり教室に参加できる。

ひととおりの調理家電や器具、食器がそろう家庭的でオープンなシェアキッチン(写真撮影/伊藤トオル)

ひととおりの調理家電や器具、食器がそろう家庭的でオープンなシェアキッチン(写真撮影/伊藤トオル)

昇って遊べるジャングルジムは南三陸の木材を組んでつくられ、簡単にばらすこともできる(写真撮影/伊藤トオル)

昇って遊べるジャングルジムは南三陸の木材を組んでつくられ、簡単にばらすこともできる(写真撮影/伊藤トオル)

中庭を望むライブラリーではゆっくり読書ができる。子ども用のドラムやギター、ウクレレなどの楽器も自由に演奏できる。ここでは「〇〇をしてはいけない」などとルールで縛るよりも、そのとき一緒にいる人と気持ち良く過ごすために、互いを尊重し合いながら時間と場所を共有することを重視しているという。

備え付けの本を自由に読めるライブラリースペース(写真撮影/伊藤トオル)

備え付けの本を自由に読めるライブラリースペース(写真撮影/伊藤トオル)

エンガワの別棟「ハナレ」もガラス張りの明るい空間で、ギャラリーやレンタルスペースとして活用できる。「ここで何をしようか」という想像がふくらむ。

三角屋根が目印のハナレの外観。幹線道路からもわかりやすいノキシタのランドマーク(写真撮影/伊藤トオル)

三角屋根が目印のハナレの外観幹線道路からも分かりやすいノキシタのランドマーク(写真撮影/伊藤トオル)

ハナレの1階にはさをり織りの作品が展示販売されている(写真撮影/伊藤トオル)

ハナレの1階にはさをり織りの作品が展示販売されている(写真撮影/伊藤トオル)

半円形の窓から緑を望むハナレの2階はドラムの練習やヨガ教室の場にも(写真撮影/伊藤トオル)

半円形の窓から緑を望むハナレの2階はドラムの練習やヨガ教室の場にも(写真撮影/伊藤トオル)

入口に掲示してある「ノキシタは実家のような場所」と利用者が書いたコメントが印象的だった。「年齢層が幅広く、実家に帰ってきたような感覚で来てくださる方もいます。人生の先輩に家族に話せないようなことも相談したり、素直に助言を聞くことができるようです。心に重いものを抱えていた方がどんどん健康になったり表情が明るくなり、演奏する音色まで変わっていく利用者さんを見るのが嬉しいです」と阿部さんは話す。

社会課題解決の新しい居場所をつくったことで見えてきた本当のニーズ

オープンして3年余りがたち、計画当初の想像と違うことや新たな課題がたくさん見えてきたと加藤さんは話す。「交通の便が良くないので、計画時は半径1、2km圏程度の近所の方の利用を想定していましたが、ふたを開けてみたら仙台市外など遠くからも、多くの方が会員登録をしていたんです。話を聞いてみると、近所の方にはあまり知られたくないような悩みや困りごともここだと本音で話せるそうです。

また、利用者は当初予想していた高齢者に限らず、幅広い年齢層となっています。特に子育て中のお母さんが孤立していたり、気軽に使える場所がないという声があり、子ども連れのイベントを増やしました。人は自分の経験からさまざまなことを想像しがちですが、自分とは違った経験を持つ人々と交流することで、想像を超えたニーズに気づけるのがノキシタの強みです」(加藤さん)

毎週金曜日に開催している子育て支援イベント「ちほさんのポッケ」風景(写真提供/Ainest)

毎週金曜日に開催している子育て支援イベント「ちほさんのポッケ」風景(写真提供/Ainest)

エンガワでは、月に10回程度のイベントを開催している。当初はさをり織りやパンづくり教室、高齢者のIT教室など、スタッフが企画したイベントが中心だったが、これを呼び水に、利用者が提案・企画するイベントが自然に増えたという。なかでも、プロにメイクをしてもらいプロのカメラマンが写真を撮る女性向けのおしゃれ企画や自ら発表するミニコンサートなどは高齢者に人気が高く、驚くほど表情がイキイキするそうだ。

「コロナ禍で人が集まるイベントは減っていますが、楽しみを持つことが大切。コロナ禍で最初に緊急事態宣言が出たときにエンガワを約1カ月間休業したんです。すると、障がい者のサポートするのが楽しくて毎日通ったことで、支援されずに再び一人で歩けるようになったおばあちゃんが、1カ月後に車椅子になってしまいました。そこで感染対策も必要だけど、大切なことを失う問題もあると気づいて、感染対策に留意しながらできるだけ多くの方に継続的にご利用いただけるように取り組んでいます」

クラフトビールをつくる「ノキシタホッププロジェクト」。「エンガワ」の前の軒下でホップを収穫しながら交流(写真撮影/伊藤トオル)

クラフトビールをつくる「ノキシタホッププロジェクト」。「エンガワ」の前の軒下でホップを収穫しながら交流(写真撮影/伊藤トオル)

2021年4月から「ノキシタ」を、多くの方に知ってもらいたいとアイネストの企画でクラフトビールづくりを始めた。近くの農家が所有する休耕田で、宮城県石巻市を拠点とするイシノマキ・ファームの指導を受けて地域の方と障がい者が一緒にホップを栽培している。そのホップと地域で採れたお米を原料に、岩手県の世嬉の一(せきのいち)酒造が醸造と販売を行う。ラベルの絵は知的障がいがあるノキシタ関係者が描いた。そして多くの方々の協力を得て、2022年3月に第一号の「Sendaiノキシタビール」が誕生した。

高齢化社会に向けた前例がないまちづくり「ノキシタ」は、まだ効果を検証している試行段階だ。「現在は、親会社の国際航業の支援を受けて運営していますが、いつまでもその支援に甘えてはいられません。近い将来に黒字化することを目標に、利用料収入などではないアウトカムビジネスでのサスティナブル経営(ESG経営)を目指しています」と収益の確保を前向きに考えている。

「こんな施設が自宅の近くにあったらうれしい」と思う人は多いだろう。「ノキシタの1カ所でいくら効果を上げても社会的インパクトは小さいと思っています。例えば、高度成長期にできて今は高齢者が増えて若者が減っているニュータウンといわれる団地や、子どもが減って廃校になった学校や空き家などを活用して、この仕組みを広く展開したいと考えています。

今はまだ試行して、効果を見せて、共感や賛同する方を増やす第一段階。次は、補助金に頼らずに持続するシステムを確立させて、行政や他の企業とも連携していきたい。3年たって、この取り組みへの関心も高まっていると感じますし、取材等を受けることで新たな広がりも期待します。その先は無謀な夢かもしれませんが、仙台市内、宮城県、日本全国、世界に展開して、社会を変えていきたい」と加藤さん。

「ノキシタ」をもっと良い施設にするために、4つの事業所の代表が集まり共有する機会も設けている(写真撮影/伊藤トオル)

「ノキシタ」をもっと良い施設にするために、4つの事業所の代表が集まり共有する機会も設けている(写真撮影/伊藤トオル)

社会課題を解決に導く地域共生型の事業モデルを全国、世界へ

障がい者も高齢者も、孤立しがちな子育て中の親も、すべての世代の人たちがお互いに支え合い、丸ごとつながり、地域の課題解決を試みる地域共生型まちづくり「ノキシタ」。少子高齢化が進むなかで生まれるさまざまな問題を、他人事ではなく我が事としてとらえ、本気で取り組んでいる。

まだ試行錯誤の段階だが、すでに世代や分野といった枠を超えた広がり、良い化学反応が生まれている。目の前の利益や前例にとらわれない新たな視点と柔軟な活動、ゴールを目指しできることから一歩ずつ積み上げていく事業モデルは、高齢者が健康寿命を延ばし、お母さんたちが楽しく子育てができて、災害弱者と呼ばれる方々を支える仕組みをつくるヒント、呼び水となるのではないか。

筆者も話を聞いて、見て、カフェで食事をしてみて「何かできることはないか」という思いが込み上げた。何もできないまでも、関心を持ち共感し利用し協力する人が増えれば、「地域が共生するまちづくり」事業化の後押しになるに違いない。

●取材協力
Open Villageノキシタ

品川駅まで電車で30分以内、家賃相場が安い駅ランキング! 2022年版

東京を代表するビジネス街の一つである品川駅。羽田空港へのアクセス拠点で、2027年にはリニア中央新幹線の駅開業を控えているほか、最近は東京メトロ南北線の延伸計画の素案も発表された。品川エリアでは京急電鉄とトヨタ自動車による複合施設の建設が進められている。そんな品川駅へのアクセスが良い狙い目の駅はどこだろうか。シングル向け物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK)を対象にした、品川駅まで30分以内で行ける家賃相場が安い駅ランキングから考えてみたい。

品川駅まで電車で30分以内、家賃相場が安い駅15駅

順位/駅名/家賃相場/(主な沿線名/駅の所在地/品川までの所要時間(乗り換え時間・駅から駅への徒歩移動時間を含む)/乗り換え回数)
1位 羽沢横浜国大 5.30万円(JR埼京線/横浜市神奈川区/30分/1回)
2位 星川 5.50万円(相鉄本線/横浜市保土ケ谷区/30分/1回)
2位 片倉町 5.50万円(横浜市営地下鉄ブルーライン/横浜市神奈川区/30分/1回)
4位 保土ケ谷 5.64万円(JR横須賀線/横浜市保土ケ谷区/24分/1回)
5位 山手 5.70万円(JR京浜東北・根岸線/横浜市中区/30分/1回)
6位 安善 5.90万円(JR鶴見線/横浜市鶴見区/27分/2回)
6位 白楽 5.90万円(東急東横線/横浜市神奈川区/29分/1回)
8位 武蔵白石 5.95万円(JR鶴見線/川崎市川崎区/29分/2回)
9位 三ツ沢下町 6.00万円(横浜市営地下鉄ブルーライン/横浜市神奈川区/26分/1回)
9位 小田栄 6.00万円(JR南武線/川崎市川崎区/25分/2回)
11位 大口 6.10万円(JR横浜線/横浜市神奈川区/29分/1回)
11位 天王町 6.10万円(相鉄本線/横浜市保土ケ谷区/28分/1回)
13位 三ツ沢上町6.15万円(横浜市営地下鉄ブルーライン/横浜市神奈川区/27分/1回)
14位 東白楽 6.20万円(東急東横線/横浜市神奈川区/28分/1回)
14位 浜川崎 6.20万円(JR南武線/川崎市川崎区/27分/2回)

1位の羽沢横浜国大駅は相鉄と東急の直通控え、再開発進む

ランキングはすべて神奈川県の駅が占め、所在地は横浜市神奈川区が目立つ。神奈川区は横浜市の北東に位置し、海と山に囲まれた自然豊かな地域で、横浜のイメージらしいおしゃれな繁華街のヨコハマポートサイド地区があるほか、横浜駅の北側に隣接している。

羽沢横浜国大駅(写真/PIXTA)

羽沢横浜国大駅(写真/PIXTA)

1位の羽沢横浜国大駅も、横浜市神奈川区に位置している。横浜国立大学の最寄駅で、2019年のJRと相鉄の直通に伴い開業した新しい駅だ。

駅開業までは鉄道の整備が不十分で、都心へのアクセスも良いとはいえないエリアだったが、相鉄は23年3月に、羽沢横浜国大駅から新横浜駅を経由して、東急東横線と目黒線の日吉駅まで直通する連絡線を開業予定。渋谷駅などへ乗り換えなしで行けるようになるほか、東急目黒線の相互乗り入れしている東京メトロ南北線や都営三田線も利用できるようになる。新幹線の停車する新横浜駅までのアクセスが抜群のため、遠方への出張が多いビジネスパーソンには心強いだろう。

東急との直通線の開業に合わせ、横国大の研究チームや提携企業などによる駅周辺の再開発が進められ、買い物施設なども増えてきている。駅前には商業店舗や医療施設、子育て支援施設や横国大の関係施設が入った高層マンションが建設中。今後も市街地整備などが進められる予定だという。

2位は、横浜市保土ケ谷区に位置する星川駅で、相鉄本線の快速が停車する。快速乗車時は横浜駅の次の停車駅で、両駅間の所要時間は約7分だ。

星川駅(写真/PIXTA)

星川駅(写真/PIXTA)

横浜市といえば坂の多さが知られているが、星川駅周辺は比較的、平坦な地形が広がっている。駅の近くには駐車場の完備された大規模なスーパーなどが充実しており、広いホームセンターもすぐそば。少し行くと、地元産の野菜や生鮮食品などの専門店が連なり「ハマのアメ横」の愛称で親しまれる人気スポットの「横浜洪福寺松原商店街」がある。総菜店も充実しており、日中は歩行者天国にもなっているため、食べ歩きも楽しそうだ。

所在地である保土ケ谷区役所の最寄駅でもあり、徒歩約2分の近さなのも便利。図書館や公会堂、警察署なども集まっている。星川駅周辺はかつて大規模な工場地帯だが、1980年代に移転。その跡地が官公庁用地となったため、現在は区の行政の中心地となっている。

ビジネス街でもあり、オフィスビル群にレストランや公園などが備わったビジネスセンター「横浜ビジネスパーク」にも近い。かつて存在したビールメーカー「東京麦酒」の工場跡地が再開発されたエリアで、中央の公園「ベリーニの丘」はイタリアの著名建築家マリオ・ベリーニの手によるもの。アート展示やイベントなども随時開催され、ビジネスパーソンだけでなく地元民の憩いの場になっている。

ベリーニの丘(写真/PIXTA)

ベリーニの丘(写真/PIXTA)

駅から少し行くと、広大な県立公園の「保土ケ谷公園」がある。野球場やサッカーやラグビーのグラウンド、テニスコートやプールが整備されており、2002年の日韓ワールドカップではサブグラウンドとして使用されたことでも知られる。現在も、女子サッカーリーグ「なでしこリーグ」の試合などが開催されることもある。また神奈川フィルハーモニー管弦楽団の練習拠点である文化施設「かながわアートホール」もあり、休日の趣味の満喫にも事欠かなさそうだ。

横浜駅へのアクセス抜群な駅も多数ランクイン

5位の山手駅は、ランキング中唯一の、JR京浜東北・根岸線の沿線駅。横浜駅までは約10分で行くことができる。

山手駅(写真/PIXTA)

山手駅(写真/PIXTA)

周辺は一戸建て住宅が目立ち、閑静な雰囲気の住宅街が広がる。付近には、横国大の教育学部附属横浜小学校や、中高一貫の男子校聖光学院中学校・高等学校などの教育機関も多い。

駅そばには深夜まで営業しているスーパーがあるが、買い物施設が充実しているとは言いがたいかもしれない。しかし、おしゃれなセレクトショップが立ち並ぶ横浜の人気観光地である「元町商店街」まで約2kmで、横浜中華街やみなとみらいなどの繁華街へも遠くはない。また、付近をめぐる市営バスの本数も充実している。交通利便性の高さと落ち着いた環境を優先するなら、選択肢に入れてもよさそうだ。

6位の白楽駅と14位の東白楽駅は、首都圏の「住みたい沿線ランキング」(リクルート)上位常連で、2022年では3位に入っている人気路線の東急東横線の隣駅同士。どちらも各駅列車しか停車しないが、白楽駅は横浜駅まで3駅で、所要時間は約5分。距離は約3kmのため、横浜駅で終電を逃しても帰宅に大きな負担にはならなさそうなのは魅力だ。

白楽駅は神奈川大学横浜キャンパスの最寄駅の一つであり、単身者向けの物件が充実。学生の心強い味方になりそうな定食店やチェーン系の飲食店も豊富で、深夜まで営業している店も多い。

学生街の顔を持つ一方で、駅から少し行くと、のんびりした住宅街が広がる。白楽駅近くの「六角橋商店街」は、生鮮食品や日用品だけでなく、個性的な雰囲気の飲食店も点在。独特のレトロな雰囲気は、昭和を舞台にした映画やドラマの撮影地にもなっている。

六角橋商店街(写真/PIXTA)

六角橋商店街(写真/PIXTA)

その白楽駅から約800mの距離にある東白楽駅は、横浜方面の隣駅。徒歩圏内にJR東神奈川駅と京急本線の京急東神奈川駅があり、交通利便性がより高いといえそうだ。東神奈川駅は新横浜駅まで直通しており、京急東神奈川駅は羽田空港への京急本線エアポート急行が運行している。ビジネスパーソンには白楽駅よりもより向いているかもしれない。東神奈川駅は、駅の所在地である神奈川区の区役所の最寄駅の一つでもある。

駅前は落ち着いた雰囲気だが、少し行くと、コメダ珈琲店やファミレス、ファストフードなども多数入っている大規模スーパーの「イオンスタイル東神奈川」がある。ほかにも、深夜まで営業しているスーパー、安売りスーパーなどが充実。日々の生活で不便することはなさそうだ、

また、横浜方面へ向かって、両脇に花壇が整えられた緑道が整備されている。休日のウオーキングや散歩が楽しみになるだけでなく、自然豊かな雰囲気も感じることができるのは、生活に潤いを与えてくれそうだ。

新しく生まれ変わりつつある品川駅のように、街や駅も、常に変化を続けている。住宅地も同様で、再開発で魅力を増す速度の著しい街もあれば、ゆったりとした変化が愛おしい街もある。自身の人生やライフステージの変化に合わせ、その時々の生活にフィットする街や部屋を探したいものだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている品川駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/4~2022/6
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年7月25日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

古びた温泉街の空き家に個性ある店が続々オープン。立役者は住職の妻、よそ者と地元をつなぐ 島根県温泉津(ゆのつ)

日本には、古きよき温泉街が各地に残っている。場所によっては古い建物が増え、まちが寂れる要因になっている一方で、若い人たちが古い建物に価値を見出し、新しい息を吹き入れるまちもある。今、まさににぎわいを取り戻しているのが、島根県の日本海に面する温泉まち、温泉津(ゆのつ)。いま小さな灯りがぽつぽつ灯り始めたところだが、これから点と点がつながればより大きなうねりになっていくだろう。4軒のゲストハウスと「旅するキッチン」を営む近江雅子さんに話を聞いた。

小さな温泉街で起きていること

名前からして、温泉のまちだ。温泉津と書いて「ゆのつ」。津とは港のこと。島根県の日本海に面し、「元湯」「薬師湯」という歴史ある、源泉掛け流しの温泉が二つある。端から端まで歩いても30分とかからない、こぢんまりした温泉街の細い街並みには、格子の民家や白壁の土蔵など趣ある建物が連なり、その多くが温泉旅館や海鮮問屋だった建物で、空き家も多い。

車で20分ほどの石見銀山とともに世界遺産の一部で、重要伝統的建築にもなっている温泉津の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)

車で20分ほどの石見銀山とともに世界遺産の一部で、重要伝統的建築にもなっている温泉津の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)

正式には大田市温泉津町温泉津。町全体で人口は1000人弱ほどの規模だ。

そこへ、2016年以降、新しい店が次々に生まれている。ゲストハウス、コインランドリー、キッチン、サウナ、バー。
始まりは「湯るり」という一軒のゲストハウスだった。元湯、薬師湯まで歩いて5分とかからない女性限定の古民家の宿である。

ゲストハウス「湯るり」 (写真撮影/筆者)

ゲストハウス「湯るり」 (写真撮影/筆者)

この宿を始めたのが、近江雅子さん。10年前に家族で温泉津へ移住してきた。肩にかからない位置でぱつっと髪を切りそろえた、てきぱき仕事をこなす女性。でもほどよく気の抜けたところもあって、笑顔が魅力的な人だ。隣の江津出身で、結婚して東京に住んでいたが、夫がお寺の住職で、温泉津のお寺を継がないかと話があったのだった。

近江雅子さん(写真撮影/RIVERBANKS)

近江雅子さん(写真撮影/RIVERBANKS)

「東京に住んで長かったですし、子どもも向こうの生活に慣れていたので初めは反対しました。でもいざここへ来てみると、なんていいところだろうって。もともと古い家が好きなので、街並みや路地裏など宝物のように見えて。歩いているだけで漁師さんが魚をくれたり農家さんが野菜をくれたり、田舎らしいコミュニケーションも残っていて」

そんな温泉津の魅力は、一泊二日の旅行ではわかりにくい。そう感じた雅子さんは、お寺の仕事をしながら、中長期滞在できる宿を始める。

まちをくまなく楽しむ、旅のスタイル

第1号のゲストハウスが「湯るり」だった。温泉宿といえば、食事もお風呂も付いて、宿のなかですべてが完結するのが従来のスタイルだろう。だが、雅子さんが目指したのは、お客さんがまち全体を楽しむ旅。2~3泊以上の滞在になれば、食事に出たり、スーパーで買い物をして調理をしたり、漁師さんから直接魚を買ったりと、いろんなところで町との接点が生まれる。

徒歩で無理なく歩ける小さなまち、温泉津にはぴったりのスタイルだった。

たとえば湯るりに宿泊すると、宿には食べるところがないため、地元の飲食店や近くの旅館で食事することになる。予約すればご近所のお母さんがつくってくれたお弁当が届いたり。温泉では常連さんが熱いお湯への入り方を教えてくれる。

「アルベルゴ・ディフーゾ(※)といってよいかわかりませんが、まち全体を宿に見立てて“暮らすような旅”をしてもらえたらいいなと考えました。そのためには一棟貸しもあった方がいいし、飲食や、コインランドリーの機能も必要だよねと、どんどん増えていったんです」(雅子さん)

(※)アルベルゴ・ディフーゾ:イタリア語で「分散したホテル」の意味。1970年代に、廃村の危機に陥った村の復興を進める過程で生まれた手法で、空き家をリノベーションして、受付、飲食、宿泊などの機能を町中に分散させ、エリア全体を楽しんでもらう旅を提供する。

2016年の「湯るり」に始まり、ここ5~6年の間に一棟貸しの「HÏSOM(ヒソム)」「燈 Tomoru」、2021年にはコインランドリーと飲食店を併設したゲストハウス「WATOWA」と4つの宿泊施設をオープンさせた。

WATOWAの外観。奥がキッチン。そのさらに奥の建物がゲストハウスになっている。1階がドミトリーで2階は個室(写真撮影/筆者)

WATOWAの外観。奥がキッチン。そのさらに奥の建物がゲストハウスになっている。1階がドミトリーで2階は個室(写真撮影/筆者)

WATOWAキッチンの入り口。手前がコインランドリーになっている(写真提供/WATOWA)

WATOWAキッチンの入り口。手前がコインランドリーになっている(写真提供/WATOWA)

実際にこうした旅のスタイルによって、お客さんが少しずつまちを回遊するようになった。地元の人の目にも若い人の姿が増え、明らかにまちが活気づいていった。

温泉街でも世界の味が楽しめる「旅するキッチン」

なかでも、WATOWAの1階にできたキッチンは、近隣の市町に住む人たちにも評判で、小さな活気を生んだ。そのしくみが面白い。数週間ごとにと料理人も料理も変わるシェアキッチンである。

「まちには飲食店が少ないので飲食の機能が必要でした。でも平日の集客がまだそこまで多くないので、自社でレストランを運営するのはハードルが高い。そこで料理人に身一つで来てもらってこちらで環境を整えるスタイルなら、お互いにリスクが少ないと考えたんです」(雅子さん)

WATOWAキッチンに、最初に立ったシェフ第1号は中東料理をふるまう越出水月(こしでみづき)さんだった。

「シェフの水月さんもすっかり温泉津を気に入ってくれて、地元の漁師さんの船に乗せてもらってイカを釣ってきたり、畑から野菜を買ってきたり。このあたりでは中東料理なんて食べたこともないって人がほとんどで、新聞にも大々的に取り上げていただいて、地元の人たちも食べに来てくれました」(雅子さん)

(写真提供/WATOWA)

(写真提供/WATOWA)

その後、アジア料理、スパイス料理、フィンランド料理……と、コロナ禍で思うように都市で営業できないシェフが各地から訪れた。なかには新宿で有名なカレー屋「CHIKYU MASALA」を営むブランドディレクターのエディさんも。100種を超えるテキーラを提供するメキシコ料理店として知られる、深沢(東京都世田谷区)の「深沢バル」は温泉津に第2号店を開く予定にもなっている。

「温泉津に来れば世界の料理が味わえる」という楽しさから、旅行者だけでなく、近隣の市町からも若い人を中心に集う場所になっている。私もこれまでに三度、このキッチンで食事させてもらったのだけれど、どの料理も素晴らしく美味しかった。エディさんのカレーも、食堂アメイルのアジ料理も。

ある日のランチで提供された、食堂アメイルのアジのカレー(写真撮影/RIVERBANKS)

ある日のランチで提供された、食堂アメイルのアジのカレー(写真撮影/RIVERBANKS)

交通の便がいいとはいえないこのまちに、途切れることなくシェフが訪れるのはなぜなのか。一つには寝泊まりできる家や車など暮らしの環境が、雅子さんの配慮で用意されていること。滞在できる一軒家は一日1000円程度、車も保険料さえ負担してもらえたら安く貸している。

そしてもう一つは、ほかのシェアキッチンに比べて、経済面でも良心的であること。マージンは売上の15%と、一般的な額の約半分。いずれも雅子さんのシェフを歓迎する意思の表れだ。

「食堂アメイル」の二人は、今年3月初めてこのキッチンで営業をして、すぐまた6月に再び訪れたという。

「初めて来たとき、いいところだなぁと思ったんです。また来たいなって。地元の人たちがみんなすごくよくしてくれて」(Lynneさん)

「何より新鮮な魚介が安く手に入ります。その日に獲れた魚が道の駅にも売ってあるし」(Kaiseiさん)

WATOWAのシェアキッチンで期間限定で営業する「食堂アメイル」の二人(写真撮影/RIVERBANKS)

WATOWAのシェアキッチンで期間限定で営業する「食堂アメイル」の二人(写真撮影/RIVERBANKS)

二人はキッチンでの営業を終えた今も、温泉津に長期滞在したいと、雅子さんが用意した部屋に暮らしている。この後9月、12月にもキッチンでの営業予定が決まっている。

「田舎ではとにかく働き手が少ないので、ここに居てくれるって人の気持ちはそれだけでとても貴重」と雅子さん。外から訪れた人たちが手軽に住みやすい環境を用意できるかどうか。それがその後のまちの雰囲気を大きく変えていく。

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

信用と信用をつなぐ、空き家を紹介する入り口に

雅子さんが、古い家を改修して4軒のゲストハウスを立ち上げたり、Iターン者に家を紹介するのを見た地元の人たちは、次第に「近江さんなら何とかしてくれるのでは」と空き家の相談をもちかけるようになっていく。

都会なら、それほど次々に家を改修するのにどれだけお金が必要だろうと考えてしまうが、温泉津では、古い家にそれほど高い値段がつくわけではない。解体するのに数百万円かかることを考えると、多少安くても売ってしまいたい家主も少なくない。

「連絡をもらうとまず見に行くんです。もちろん私は不動産屋でも何でもないんですけど。屋根がしっかりしているかとか、ここを改修したらいい感じになりそうと頭に入れておいて、IターンやUターンなど、家を探している人が現れた時に紹介します」

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

湯るりやHÏSOMに宿泊したのがきっかけで、その後も何度か温泉津を訪れ、移住する人たちが現れた。まちの勢いを敏感に察知し、温泉津でお店を始めたいという人も出始めている。その都度、雅子さんが地元の人たちとの間に入って、空き家を紹介する。

「温泉津に来て家を買いたいなんて、地元の人たちからしたらストレンジャー。普通ならよそから来た人に、いきなり家は売らない。信用できないからです。それは地域を守るための慣習でもあるんですね。でも私が間に立つことで、何かあったら近江さんに言えばいいのねって。少し気持ちが楽になるんじゃないかと思うんです。

私たちも最初はよそ者ですが、お寺の信用を借りている部分が大きい。皆さん『西念寺さん(お寺の名前)の知り合いなら』といって家を見せてくれます。今までにお寺が築いてきた信用の上でやらせてもらっています」

それにしても、観光で訪れた人が、移住したいと思うようになるなんて、ごく稀なことだと思っていた。でも温泉津で起きていることを見ていると、雅子さんの「住みたいならいつでも紹介しますよ」という声掛けが、温泉津を気に入った人たちの気持ちを後押ししている。

今年夏にオープンしたサウナ&スナック「時津風」。兵庫に拠点を置くデザイナーの小林新也さんが運営している。

今年夏にオープンしたサウナ&スナック「時津風」。兵庫に拠点を置くデザイナーの小林新也さんが運営している。

「観光から移住」の導線をつなぐ

すべてが順調に進んできたわけではなかった。日祖(ひそ)という集落で、ゲストハウスを始めようとしたときには、地元の人たちから大反対を受けた。これまで静かだった集落に騒音やゴミの問題が出てくるのではと危惧されたのだ。その時、雅子さんは丁寧に説明会を繰り返し、草刈りを手伝い、住民との関係性を築いていったという。

そしてある時、こう言ったそうだ。「ここはすごくいい所だから、来てくれた人の中に住みたいって言ってくれる人が現れたらいいですね」
このひと言が周りの気持ちを変えた。そう、地元のある漁師さんが教えてくれた。

「私がこうして中長期滞在型の宿を進めるのは、観光の延長上に移住をみているからです。まちの良さがわかって、何度も足を運んでくれるようになると、住んでみたいと思ってくれる方が現れるんじゃないかって」(雅子さん)

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

この夏には、温泉津の温泉街のほうに新しくバー兼宿「赭Soho」もオープンした。オーナーは東京の銀座でもバーを経営する人で、一年間温泉津に住んで古民家を改修して開業。自らがこの場所を気に入ったことに加えて、今の温泉津の勢いに商売としても採算の見込みがあるとふんだそうだ。何より雅子さんのような頼れる人がいるのが大きかった、と話していた。

地方にはただでさえプレイヤーが少ない。だからこそ雅子さんのような、人材を地元の人につなぐ役割が不可欠。

「田舎では、よそ者が入りづらい暗黙の域があって、事業を始める、家を買うなどの信用問題に関わることには特にシビア。なので間に立つ人間が必要だなと思うんです。

私もこの人なら大丈夫って言う手前、若い人たちにはとくに、地域に入ってしっかりやってほしいことはちゃんと伝えます。都会の常識は田舎の非常識だったりもするから。ゴミはちゃんとしようとか、自治会には必ず入って草刈りは一緒にやろうとか」

最近、温泉津に住みたいという若手が増えてきたため、長期滞在できるレジデンスをつくろうと計画している。

本気で受け入れてもらえるかどうか?を若い人たちは敏感にかぎわけるのかもしれない。
「まちづくり」とは大仰な言葉だと思ってきたけれど、今まさに温泉津では新しい飲食店ができ、バーができ、レジデンスができて……文字通り、まちがつくられていっている。

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

●取材協力
WATOWA

品川駅まで電車で30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2022年版

リニア中央新幹線の始発駅に決定している品川駅。周辺にはオフィスビルが林立し、商業施設も充実しており、東海道新幹線などJR各線、京浜急行本線が通るターミナル駅でもある。さらに先日、東京メトロ南北線を白金高輪台駅で分岐して品川駅まで延伸し、2030年代半ばの開業を目指すと発表されたことでも注目されている。そんな品川駅まで30分圏内にある、中古マンションの価格相場を調べてみた。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と、専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの価格相場が安い駅トップ10を見てみよう。

品川駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10

【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/品川駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 石川町 1790万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市中区/28分/1回)
2位 生麦 2080万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/26分/2回)
3位 神奈川 2479.5万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市神奈川区/24分/1回)
4位 京急鶴見 2480万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/21分/1回)
5位 黄金町 2499万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市南区/29分/1回)
6位 鶴見 2530万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市鶴見区/16分/1回)
7位 西馬込 2580万円(都営浅草線/東京都大田区/19分/1回)
8位 関内 2599万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市中区/26分/1回)
9位 大森海岸 2655万円(京浜急行本線/東京都品川区/12分/0回)
10位 日ノ出町 2680万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市中区/27分/1回)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/品川駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 生麦 3185万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/26分/2回)
2位 保土ケ谷 3280万円(JR横須賀線/神奈川県横浜市保土ケ谷区/24分/1回)
3位 浜川崎 3380万円(JR南武線/神奈川県川崎市川崎区/27分/2回)
4位 津田山 3430万円(JR南武線/神奈川県川崎市高津区/29分/1回)
5位 花月総持寺 3480万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市鶴見区/25分/2回)
6位 小田栄 3580万円(JR南武線/神奈川県川崎市川崎区/25分/2回)
7位 子安 3630万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市神奈川区/28分/2回)
8位 神奈川新町 3639万円(京浜急行本線/神奈川県横浜市神奈川区/22分/0回)
9位 天王町 3790万円(相鉄本線/神奈川県横浜市保土ケ谷区/28分/1回)
10位 西横浜 3900万円(相鉄本線/神奈川県横浜市西区/26分/1回)

「シングル向け」トップ10には京浜急行本線の駅が6駅もランクイン

「シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)」ランキングの1位は、JR京浜東北・根岸線の石川町駅。価格相場はトップ10唯一の2000万円未満、1790万円だった。石川町駅から3駅目の横浜駅でJR東海道本線に乗り換えると、計約28分で品川駅に到着する。石川町駅は横浜市中区に位置し、歴史ある洋館が残る山手エリアや、人気のショップや飲食店が並ぶ商店街がある元町といった、横浜を代表する観光スポットの最寄り駅でもある。元町の商店街を通りつつ10分少々歩くと、みなとみらい線の元町・中華街駅も利用可能だ。また、駅周辺にはスーパーやコンビニ、総合病院など日々の暮らしを支える施設も充実。横浜中華街も駅から歩いて10分ほどなので、休日はぶらりと食べ歩きに出かけてもいいだろう。

石川町駅前商店街(写真/PIXTA)

石川町駅前商店街(写真/PIXTA)

2位は京浜急行本線・生麦駅で価格相場は2080万円だった。まず京急鶴見駅に行き、駅前広場をはさんで位置する鶴見駅からJR京浜東北・根岸線に乗って川崎駅へ、さらにJR東海道本線に乗り換えると品川駅まで乗り換え2回・計約26分。乗り換え回数を減らしたいなら、鶴見駅からJR京浜東北・根岸線に乗ったままでも品川駅まで30分弱で行くことができるし、時間はかかるが京浜急行本線の普通列車(各駅停車)1本でも品川駅にたどり着く。ちなみに経由駅の京急鶴見駅は4位に、鶴見駅は6位にランクインしている。

生麦駅の駅名はその地名に由来しており、江戸時代まで周辺一帯が麦畑だったためとの説もあるが、現在の駅周辺は田畑のない住宅地。駅前には飲食店やコンビニが多数点在するほか、スーパーやベーカリーなどの個人商店も。毎月第2・4日曜には、商店街でテイクアウト中心のフードフェア「生麦de日曜マルシェ」が開催されている。また、駅から歩いて15分ほどの鶴見川近くにある生麦魚河岸通りも注目。通り沿いに何軒もの鮮魚店が立ち並び、魚介類や名物・あなごの天ぷらなどが買えるのだ。午前中に店仕舞いする店舗がほとんどだが、近所に住んでいれば立ち寄りやすいだろう。毎年11月にこの通りで開催される「生麦 旧東海道まつり」も楽しみだ。

3位は京浜急行本線・神奈川駅で価格相場は2479万5000円。横浜駅まで1駅という便利な立地で、横浜駅からJR東海道本線に乗り換えると品川駅まで計約24分で行ける。神奈川駅前には目立った商業施設はなく、人通りも多くはない。しかし横浜駅まで歩いて10分もかからないので、横浜駅で降りて買い物をしてから歩いて帰宅してもいいくらいだろう。ちなみに横浜駅の価格相場は3365万円で、神奈川駅よりも885万5000円もアップする。よりリーズナブルな物件がある神奈川駅周辺に住み、横浜駅の便利さを享受するのが賢いかもしれない。

「シングル向け」のトップ10を見てみると、2位・3位をはじめ京浜急行本線の駅が6駅もランクインしている。さらに3駅はJR京浜東北・根岸線の駅。残る1駅は、都営浅草線・西馬込駅だ。

西馬込駅(写真/PIXTA)

西馬込駅(写真/PIXTA)

7位にランクインした西馬込駅は東京都大田区に位置し、価格相場は2580万円。五反田駅からJR山手線に乗り換えると、品川駅まで計約19分で到着する。また西馬込駅は、渋谷駅まで約23分、新宿駅まで約30分と、他の繁華街へもアクセスしやすい。都営浅草線の始発駅のため、混雑する通勤時間帯も座って乗車しやすい点も魅力だろう。地下鉄駅の地上出口がある国道1号・第二京浜沿いにはスーパーやドラッグストア、コンビニが点在。国道沿いは交通量が多いが、脇道に入ると静かな住宅街へ。駅から南に10分ほど歩けば、池上本門寺に隣接する緑豊かな本門寺公園や、池上梅園などの憩いの場もあり、息抜きに散歩するのも楽しい街並みだ。

「カップル・ファミリー向け」ランキングには街の再開発が進む駅も

「カップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)」ランキングの1位は京浜急行本線・生麦駅。「シングル向け」では2位にランクインしており、街の様子については前述の通り。中古マンションの広さにかかわらず価格相場は低いようなので、品川駅までアクセスがよくリーズナブルな物件を探す際は、生麦駅は要チェックだろう。

2位にはJR横須賀線・保土ケ谷駅がランクイン。JR横須賀線1本で品川駅まで5駅・約27分で行けるほか、1駅隣の横浜駅でJR東海道本線に乗り換えると品川駅まで計約24分だ。保土ケ谷駅にはJR湘南新宿ラインも停車するため、乗り換えせずに渋谷駅まで33分、新宿駅まで38分で行くこともできる。

保土ケ谷駅には駅ビルの「シァル保土ヶ谷」と「ビーンズ保土ヶ谷」が直結し、館内にあるスーパーやドラッグストア、飲食店から書店まで駅を出てすぐに利用できる便利な環境。かつて東海道の宿場町として栄えた駅周辺には史跡や歴史ある寺社も点在し、どこか落ち着いた雰囲気が漂っている。駅から車で10分弱進むと、「神奈川県立保土ケ谷公園」へ。広大な園内には梅や桜など季節の花が咲き、アスレチック広場や夏期オープンのプールもあるので子どもと一緒に出かけてもいいだろう。

保土ヶ谷公園のイチョウ並木(写真/PIXTA)

保土ヶ谷公園のイチョウ並木(写真/PIXTA)

3位はJR南武線・浜川崎駅で価格相場は3380万円。浜川崎駅はJR南武線のなかでも枝分かれした支線に位置するため、尻手駅で川崎方面行きのJR南武線に乗り換える。川崎駅から品川駅まではJR東海道本線で1駅、浜川崎駅から計約27分でたどり着く。浜川崎駅は貨物列車の駅でもあるため鉄道ファンには知られているが、一般的にはなじみが薄いかもしれない。駅の南側、運河沿いには工業地帯が広がり商業施設は見当たらない。住宅街は駅北側に広がっている。駅前は寂しい雰囲気だが、北に10分ほども歩くとショッピングモールやホームセンター、大型スポーツ用品店が集まる商業エリアへ。この一帯には小学校や児童公園、子育て支援センターも集まっている。

ショッピングセンターや小学校がある街の中心部は、どちらかというと浜川崎駅の1駅隣にある6位・小田栄駅のほうが近い。しかし小田栄駅の価格相場は浜川崎駅よりも200万円アップの3580万円。街の中心部から少し離れた、浜川崎駅寄りでお得な物件を探すのも一案だろう。

さてトップ10のうちもう1駅、9位の相鉄本線・天王町駅もチェックしておきたい。1駅隣は10位の西横浜駅で、3駅目に横浜駅がある。横浜駅でJR東海道本線に乗り換えると、品川駅までは計約28分だ。駅前には飲食店やドラッグストア、スーパーがあり、住宅の合間には遊具がある公園が点在する、暮らしやすそうな街並み。駅から北に10分ほど歩くと、「ハマのアメ横」と呼ばれる「洪福寺松原商店街」がある。生鮮食品のお店から総菜店、雑貨店に飲食店までがひしめく、活気ある商店街だ。

そして現在、天王町駅~隣接する星川駅間の全長約1.4kmにわたる高架下空間の開発が進められている。第I期開発区域は2022年冬に開業予定とのことなので、楽しみに待ちたい。さらに天王町駅から徒歩10分ほどの場所には、2022年秋に「イオン天王町ショッピングセンター」が開業予定。進化していく天王町駅は、これから注目度が高まりそうだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている品川駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/4~2022/6
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年7月25日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

山あいの商業施設「VISON」に客が続々!? AIなど最先端技術を活用し地域課題の解消に挑む 三重県多気町

地方都市の人口減少や過疎化、産業の衰退……。日本各地で課題の多い地域が増えてきています。そんななか、10年以上もの歳月をかけ、官民連携「デジタル田園都市国家構想」に基づきながら創り上げた、三重県多気郡多気町の一大複合施設「VISON(ヴィソン)」(以下、読み同じ)が注目されています。AIやビッグデータなどの最先端技術を活用して、地域医療やモビリティ、観光振興、エネルギー等地域の社会課題の解決を目指して取り組む施設とのことで、多くの地域が抱えている課題を解決するヒントがありそうです。どんな仕掛けがあるのでしょうか。ヴィソン多気株式会社、代表取締役の立花哲也さんにお話を伺いました。

三重県にはもっと知ってほしい魅力がある

三重県のほぼ中心に位置する多気町は、人口約14000人弱の小さな町。名古屋市内からは車で1時間半ほど、大阪方面からは2時間で足を運ぶことができ、小旅行がてら立ち寄るにはちょうどよいエリアです。ここに日本最大級の複合施設『VISON』がグランドオープンしたのは、2021年7月のことでした。

“美しい村”を意味する『VISON(美村)』。山間地の一部にある、東京ドーム約24個分の雄大な敷地は、一つの村になっています。道や店舗は、その土地の起伏を活かしたつくりになっており、画一的な商業施設からは脱した、個性とデザイン、風景を大切にした自然と調和するつくりが印象的です。
6棟のヴィラ、全155室のホテルや、著名なデザイナーやクリエイターが関わった40室のコンセプチュアルな宿泊施設に、ミュージアム、73店舗のこだわりの飲食店や温浴施設、農園、そして地元農家や漁師による毎朝直送の生産品が並ぶマルシェなど、9つのエリアが集まります。

その広大かつ充実の内容ゆえ、1日では回り切ることができません。じっくりと長期滞在をして楽しみたいほど、暮らしにまつわる豊かな体験をたっぷりと味わうことができる施設です。

VISONのコンセプトづくりにかかわった陶芸家・造形作家の内田鋼一氏が手掛けるミュージアムなどが並ぶ(写真撮影/本美安浩)

VISONのコンセプトづくりにかかわった陶芸家・造形作家の内田鋼一氏が手掛けるミュージアムなどが並ぶ(写真撮影/本美安浩)

勾配を生かした敷地のふもとにのぞむ蔵エリアと、山頂部にそびえるホテルエリアの美しい姿(写真撮影/本美安浩)

勾配を活かした敷地のふもとにのぞむ蔵エリアと、山頂部にそびえるホテルエリアの美しい姿(写真撮影/本美安浩)

「三重県は、観光地としての認知度が高くない。代表的な観光地である伊勢神宮には、毎年多くの参拝者が訪れているけれど、その多くは日帰り客で、観光振興とまでは言い難いのです。そして農作物や海産物など、実り豊かな食材や加工品がありますが、そのこともあまり多くの人には知られていません。このように魅力的な点がありながらも、うまく伝わりきっていないというジレンマがありました。さらに多気町周辺では、若者が就職時になると三重を離れてしまうなど、人口減少が課題となっていました。こうした課題を解決するために多気町周辺にある5町(多気町・大台町・明和町・度会町・紀北町)が手を取り合って、少子高齢化などのさまざまな地域課題の解決に向けて取り組みを始めたのが「デジタル田園都市国家構想」という取り組み。『VISON』はこの取り組みの実証実験の場としてつくり上げられた施設だったのです」

8年以上の歳月をかけてつくり上げたその熱意と奮闘について語る、ヴィソン多気株式会社の代表取締役、立花哲也さん(写真撮影/本美安浩)

8年以上の歳月をかけてつくり上げたその熱意と奮闘について語る、ヴィソン多気株式会社の代表取締役、立花哲也さん(写真撮影/本美安浩)

このデジタル田園都市国家構想では、官公庁をはじめ、三重県に由来する民間企業も多数連携。イオンタウン株式会社や、ロート製薬株式会社なども参画し、長い年月をかけて作り上げていきます。

その先陣を切ったのが、三重県菰野町で『アクアイグニス』という一大リゾートを築き、成功へと導いた立花代表でした。

「この地で何かをつくるならば、ただのホテルやリゾート、ショッピングセンターでは意味がないんです。”三重、ひいては日本の文化の発信地となる施設”、そういう場所をつくろうと思いました。文化を守り伝えるためには、ナショナルチェーンやコンビニエンスストア、自動販売機などは施設内に一切設けず、著名なデザイナーが関わるライフスタイルショップやミュージアム、今まで一度も商業施設に出店したことのないような製造メーカー、農家、生産者などにも出店してもらっています」

内田鋼一氏が世界各国から集めていた「食」にまつわる様々な道具を展示するミュージアム(写真撮影/本美安浩)

内田鋼一氏が世界各国から集めていた「食」にまつわるさまざまな道具を展示するミュージアム(写真撮影/本美安浩)

マルシェコーナーには朝採れ野菜が豊富に並び、開店と同時に足を運ぶお客さんの姿がうかがえる(写真撮影/本美安浩)

マルシェコーナーには朝採れ野菜が豊富に並び、開店と同時に足を運ぶお客さんの姿がうかがえる(写真撮影/本美安浩)

伊勢海老をはじめ、地元鮮魚を30年以上も提供している鈴木水産。ミシュランガイドパリ一つ星の手島シェフが監修したソースとともにいただく、揚げたてのアジフライや、フレッシュな鮮魚を使用した定食が注目だ(写真撮影/本美安浩)

伊勢海老をはじめ、地元鮮魚を30年以上も提供している鈴木水産。ミシュランガイドパリ一つ星の手島シェフが監修したソースとともにいただく、揚げたてのアジフライや、フレッシュな鮮魚の使用した定食が注目だ(写真撮影/本美安浩)

出店してもらうのにどれほどの苦労があったのでしょう。プロジェクト構想が立ち上がってからVISONがオープンするまでは8年近くの歳月をかけたといいます。

「この場所から、三重の食文化や日本の発酵文化の面白さについて発信し、大切な伝統を継承していきたい。だから御社の力が必要だ、と地道に対話することを繰り返していましたね。『VISON』には70ほどの店がありますが、ここまで辿り着くまでにおよそ700件近く声を掛けてまわりました。時間はかかりましたけれど、一流の文化発信地にしたいという想いが強くて妥協することはなかったです」

文化や個性の感じられる、オリジナリティあふれる店舗たち

さっそく施設の中を歩いていきましょう。木造建築を中心とした、柔らかな風合いの施設には、土地古来の魅力が感じられる店舗がそろいます。

たとえば和の文化を伝える「和ヴィソン」エリア。主に日本の伝統である味噌・みりん・醤油・酒などの調味料の製造元が軒を連ねています。

その一つであるみりん蔵である『美醂 VIRIN de ISE』。ここでは、多気町産のもち米、米麹、米焼酎をつかった本格みりんの醸造の様子を見学することができます。立花さんの熱意に絆され『VISON』の開業とともに、ここへ蔵を構えました。日本の伝統的な技のみで引き出したみりんは 飲むほどにおいしく、訪れる人がたちまちみりんの魅力に虜になっていきます。

かつおぶし・味噌・醤油など、日本の調味料の魅力を伝える「和ヴィソン」エリア(写真撮影/本美安浩)

かつおぶし・味噌・醤油など、日本の調味料の魅力を伝える「和ヴィソン」エリア(写真撮影/本美安浩)

同じく三重県生まれの、あずきで有名な「井村屋」。同社が新しい文化を発信するきっかけとして、ここで「福和蔵」を構え、日本酒づくりを始めました。

開業前である2019年から仕込んだプレミアムな清酒「福和蔵 純米大吟醸酒」は、訪れる人たちにその意外性と、新たな出会いを提供しているそう。三重という土地に根差した清酒は、これからも魅力のひとつとして語り継がれていきそうですね。

蔵の軒並みから坂道を上っていくと、VISONの注目点の一つであるストリート、サンセバスチャン通りが見えてきます。ここに並ぶ数々のインテリアや雑貨、ライフスタイルショップ。ナガオカケンメイ氏の立ち上げた「D&DEPARTMENT MIE by VISON」や、奈良に拠点を持つ「くるみの木」が運営する、ミュージアムショップ「くるみの木 暮らしの参考室」など、日ごろ目にする商業施設にはない、豊かなライフスタイルを提唱するコンセプトショップが並びます。

サンセバスチャン通りに店を構える、本場スペイン・サンセバスチャンのバスクチーズタルトを再現した店「Egun on(エグノン)」(写真撮影/本美安浩)

サンセバスチャン通りに店を構える、本場スペイン・サンセバスチャンのバスクチーズタルトを再現した店「Egun on(エグノン)」(写真撮影/本美安浩)

サンセバスチャン通りでは食の異文化発信にも力を入れています。食の豊かなスペイン・サンセバスチャン市と三重県多気町は、”美食を通じた友好の証“を締結、互いの文化発信地として誕生したのがこのストリートです。

なかでも印象的なのは「エグノン」のバスクチーズタルト。スペインのバスク地方のチーズタルトを日本の地で発信するために立ち上げられた店です。世界三大ブルーチーズと評されるフランス産の「ロックフォール」を使用したタルトは、柔らかでトロッとした食感の味わい。

店内の厨房で、時間をかけて丁寧に作り上げる(写真撮影/本美安浩)

店内の厨房で、時間をかけて丁寧に作り上げる(写真撮影/本美安浩)

バスクチーズタルトは、ひんやりとした口当たり。とろりととろける食感が新鮮(写真撮影/本美安浩)

バスクチーズタルトは、ひんやりとした口当たり。とろりととろける食感が新鮮(写真撮影/本美安浩)

こうした出会いは、VISONならではであり、訪れた人にとっては新たな感動と、知識と触れ合うことができそうです。

勾配のある坂道をさらに上っていくと温浴施設、自家栽培農園などが広がり、ひとしきり街を散策したあとは、ゆったりと穏やかな時間を過ごすことができます。敷地の最上部にそびえるホテルからは、全エリアが一望でき、体験した数々の豊かな時間を反芻する時間が味わえそうです。

農園では、専属のスタッフが毎日丹精込めて野菜を育て、剪定する(写真撮影/本美安浩)

農園では、専属のスタッフが毎日丹精に野菜を育て、剪定する(写真撮影/本美安浩)

農作物を季節に合わせて豊富に育てているエリア。農園で併設するレストランでも食材として使用される(写真撮影/本美安浩)

農作物を季節に合わせて豊富に育てているエリア。農園で併設するレストランでも食材として使用される(写真撮影/本美安浩)

敷地内はあえて舗装や街並みを整えすぎず、勾配や土地の形などを残しつつも、自然な街並みをつくり上げています。一見不便に見えるかもしれないですが、画一的なつくりではないからこそ生まれる、美しい景色や豊かな体験、経験を得るためにも「地の利」を大切にしているといいます。

勾配のある敷地内は、モビリティを使って移動するのが楽しい(写真撮影/本美安浩)

勾配のある敷地内は、モビリティを使って移動するのが楽しい(写真撮影/本美安浩)

(写真撮影/本美安浩)

(写真撮影/本美安浩)

雄大かつ勾配のある敷地内は、車での移動やモビリティの利用もおすすめ。道中は景色や風が楽しめる(写真撮影/本美安浩)

雄大かつ勾配のある敷地内は、車での移動やモビリティの利用もおすすめ。道中は景色や風が楽しめる(写真撮影/本美安浩)

働くスタッフの意識も変化

立花さんは「ここは観光地でもあるのですが、日常を営むための場所でもある」と話します。VISON内の広大なマルシェにも、この意味が込められているそうです。

「松阪牛や海老などの魚介、農作物など、三重には誇れる特産品があるんですよね。ところがそれらは、流通量の多い東京や大阪に出ると、適正な価格にはならず、生産者も潤いません。こうした食材たちに光を当てたいというのが私たちの願うことです。観光客にとっては普段見ることのできない食材との出会いがあり、また生産地で、商品の価値にあった価格で提供されることによって、生産者にとっても満足度の高い仕組みができるのです」

木造建築で、敷地の起伏を利用してつくられたマルシェは、美しく開放的(写真撮影/本美安浩)

木造建築で、敷地の起伏を利用してつくられたマルシェは、美しく開放的(写真撮影/本美安浩)

(写真撮影/本美安浩)

(写真撮影/本美安浩)

マルシェヴィソンでは多種多様なトマトが並ぶ(写真撮影/本美安浩)

マルシェヴィソンでは多種多様なトマトが並ぶ(写真撮影/本美安浩)

各農家からは、毎朝熟れたトマトが直送される。手に取りやすく陳列される姿からはまるで芸術のような美しさも感じる(写真撮影/本美安浩)

各農家からは、毎朝熟れたトマトが直送される。手に取りやすく陳列される姿からはまるで芸術のような美しさも感じる(写真撮影/本美安浩)

カップに詰まったカラフルなトマトたち。市場に流通しない希少な銘柄も並ぶ。まるでフルーツを食べているかのように甘くやわらかな味わいのものも(写真撮影/本美安浩)

カップに詰まったカラフルなトマトたち。市場に流通しない希少な銘柄も並ぶ。まるでフルーツを食べているかのように甘くやわらかな味わいのものも(写真撮影/本美安浩)

こうした願いゆえに、食材の流通については毎日直送、直仕入れにこだわるという。

「こんなところまで運んでくるって大変だと思うでしょう。でも、貴重な味わいを届けたいし、知ってもらえると思えば、私たちにとって価値のあることなのです。日本のなかでも本当にいいもの、おいしいものが集まっている場所として、食材の魅力を伝えていきたいし、訪れた人のお気に入りが見つかれば、これからは直接生産者から買ってもらえるかもしれない。こうしたつながりをたくさん増やしていきたいのです」

多種多様な魚たちが生きたまま運ばれてきている(写真撮影/本美安浩)

多種多様な魚たちが生きたまま運ばれてきている(写真撮影/本美安浩)

無造作に並ぶ直送野菜たちは、たっぷりと栄養の行きわたり、みずみずしい(写真撮影/本美安浩)

無造作に並ぶ直送野菜たちは、たっぷりと栄養の行きわたり、みずみずしい(写真撮影/本美安浩)

生産者だけではなく、施設内で働く人たちにも変化が生まれているという。

「若い世代を中心に、就学や就職を機会に、関西方面や関東方面へ転出してしまうというのがこれまででした。VISONの開業とともに、働く人も三重に戻ってきている。これは嬉しいことですよね。さらには、Iターンするスタッフも最近増えています」

実際に働くスタッフの声に耳を傾けてみましょう。

VISON内の店舗スタッフとして働く40代の方は、それまで東京で働いていたそう。
「三重といえば伊勢神宮、鈴鹿山脈、熊野古道がある……くらいのイメージでした。実際働き始めて、おいしいものがこんなにたくさんあるんだと感じたし、自然も本当に美しい。それに多気町の人は温かくていい人たちばかり」と思うようになっていったのだとか。

ヴィソン多気のオフィスで働く30代のスタッフも、これまで県外で働いていたけれど、開業とともに三重へ越したうちのひとり。

「ここは田舎だし、何もないと思っていたけど、観光の拠点になっていくのは良いことですね。お客様からも『おいしいものがそろっているし、何もないからこそ味わえる美しいこの景色を楽しめる』と喜びの声をいただいています」

さまざまな人たちにとって、多気・三重の見える景色や感じ方に変化が生まれているようです。

100年も200年も、途絶えることなく続く場所でありたい

VISONは一つの村です。村は時を経て、当然人の入れ替わりが生まれるでしょう。商業施設もあるので、店舗の入れ替わりやリニューアルなどもこれからするのではないでしょうか。

今、地方では「できる限り継続的に営み、風土を形成するということ」ができていないことが課題だそう。

しかし、立花さんは「私たちはここを消費や売上だけを優先した場所にするつもりはまったくありません」と話します。

「一般的な商業施設は、定期借地契約がほとんどで、壊すことを前提でつくられていますが、VISONの建物は、持続性を考えてほとんどが木造建物になっています。近郊にある伊勢神宮は、はるか続く歴史の中で、20年ごとに遷宮を迎えると宮を新しくつくり替えて何百年と続いていますが、私たちもそれにならうように、仮に建物は全て作り変えることはできなくても、メンテナンスをしながら、100年も200年も続くサステナブルな施設であることを目指していますね」

関係人口をもっと広げたいと意気込む立花さん。VISONの描く多気町のこれからは、無限の可能性を秘めている(写真撮影/本美安浩)

関係人口をもっと広げたいと意気込む立花さん。VISONの描く多気町のこれからは、無限の可能性を秘めている(写真撮影/本美安浩)

デジタル田園都市国家構想を推進中の5町。次なる一手として、DXを推進し、医療の強化や周辺の観光施設・商店街との地域活性化も動き出したようです。

「DXの力は大きな鍵になると思っています。日本の文化とデジタルの力を融合させることで、この地域でじっくりと伝統と文化を紡ぎ、三重の魅力を伝えていきたいですね」

●取材協力
・VISON
・ヴィソン多気株式会社

木造でも「火事に負けない」賃貸住宅! 法改正で木造の可能性広がる。地域と住民のハブにも アーブル自由が丘

木造建築は、環境負荷の低さや、性能がここ数年で格段に進化していることで注目されているだけでなく、2020年の建築基準法の改正以降、耐火・準耐火に関する基準の見直しや整備により、利用の可能性が広がったこと、2021年の「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律(通称、改正木材利用促進法」によって、木材利用の推進対象が公共建築物から一般建築物に広がり、「高層木造ビル」といった今までには考えられなかった建築物が続々と登場しています。

植物の緑に木のあしらい。まるで昔からあったかのような佇まい

今回は話題の木造建築のなかでも、今年2月に誕生した店舗+集合住宅の複合施設「アーブル自由が丘」(東京都目黒区)を取材しました。地球環境や安全に配慮しながら、その街らしさを色濃く打ち出したこれからの住まいのカタチとは、どのようなものでしょうか。

スイーツや雑貨店などが集まり、おしゃれな街として知られる自由が丘(東京都目黒区)。「アーブル自由が丘」は、自由が丘駅から徒歩5分の場所に、今年2月に誕生した複合施設です。1階には自家焙煎のスペシャルティコーヒーショップ「ONIBUS COFFEE(オニバスコーヒー)」、ワインのセレクトショップ(角打ちも可!)「VIRTUS(ウィルトス)」、ごま油でおなじみの「かどや製油」による初のカフェ「goma to(ごまと)」のテナント、2階と3階はTECH人材向けのコミュニティ型賃貸住宅「TECH RESIDENCE JIYUGAOKA(テックレジデンス自由が丘)」(全22室)、さらにオーナーがお住まいの2住戸から構成されています。

1階のテナントが設けているテラス席では、植物の緑がつくる心地よい木陰で、ご近所の人たちが思い思いに過ごしています。その風景はあまりにもなじんでいるため、ずっと前からあったかのような佇まいです。

自由が丘らしさを感じる1階。カフェやワインバーのテラス席は大人気です(写真撮影/片山貴博)

自由が丘らしさを感じる1階。カフェやワインバーのテラス席は大人気です(写真撮影/片山貴博)

「アーブル自由が丘」があるのは、準防火地域(市街地における火災の危険を防ぐために定められる地域)。敷地に対して最大限のボリュームを確保するため、1時間耐火建築物(※)とし、さらに1階は鉄骨造、2~3階は木造という「混構造」にしています。火災にも強い、今、大注目の木造建築物というわけですが、ここに至るまでの道のりは平坦ではありませんでした。話の始まりは、なんと10年前、2012年~13年ごろになるといいます。

※耐火建築物……建物の主要構造部(柱・梁・床・耐力壁など)が耐火構造または所定の性能を満たし、延焼のおそれのある部分に設けられた開口部には、防火設備(防火サッシやシャッター)が用いられたもの

アーブル自由が丘の断面図。1階が鉄骨造、2~3階が木造(画像提供/内海さん)

アーブル自由が丘の断面図。1階が鉄骨造、2~3階が木造(画像提供/内海さん)

木造で自由が丘らしい建物を目指し、10年かけてコンセプトを詰めていく

「もともと材木商を営んでいたオーナーのご家族から、『実家を建て替えたいので、相談にのってほしい』ともちかけられたのがきっかけです。そのころ、私は世田谷区下馬で、5階建の木造集合住宅を手掛けていたのですが、できたら木造で建て替えられないかというお話からスタートしました」と話すのは、設計を手掛けた内海彩建築設計事務所の内海彩さん。

仕上げ材にも高知・四万十産の良質のスギをふんだんに使い、新築ですがすでに自由が丘の景観になじんでいます(写真撮影/片山貴博)

仕上げ材にも高知・四万十産の良質のスギをふんだんに使い、新築ですがすでに自由が丘の景観になじんでいます(写真撮影/片山貴博)

もともとは、お隣も合わせた約2倍の広さの土地(借地)に4棟のアパートやご自宅がありました。ちょうど商業地域と住宅地の境目にあり、都市計画道路予定地(※2)でもあります。

完成した現在の敷地はL字型になっていますが、建て替えの話がもちあがったときは、どの範囲が敷地になるのか決まっておらず、敷地面積や建物の床面積・用途に応じてチェックするべき都や区の条例が異なるので、さまざまなケーススタディを繰り返したそう。それにしても、今でこそゼネコン各社を含めて木造高層建築に注力していますが、依頼者から希望はあったとはいえ、なぜ当時はまだハードルが高かった“木造”を想定していたのでしょう。

※2 都市計画道路予定地……都市計画法に基づいて計画された道路が予定されている地。計画であり決定ではないため、土地の売買や建築は可能だが建築物の構造や高さ、階数などに制限がある

(画像提供/内海さん)

(画像提供/内海さん)

「オーナーさんが元木材屋さんということで、木造建築物への関心が高かったこともあり、クリアしなければいけない課題は多くあったものの、『木造でいけたらいいね』という方向性は一貫していました。木造ならではの温かみ、風景との調和など木の持つ良さ、価値を共有できていたんだと思います。一方で、従来の『裸木造』(防耐火性能のない木造のこと)のイメージも強く、耐震性などへの不安もおありのようでしたので、CLT(繊維方向が直交するように積層接着した木質系材料)といった最新の木質材料もご紹介し、これからの時代にふさわしい耐震耐火性能を備えた『都市木造』を目指すことにしたのです」(内海さん)

設計を担当した内海彩さん(写真撮影/片山貴博)

設計を担当した内海彩さん(写真撮影/片山貴博)

もともと、内海さんが木造建築に注目したのは2000年前後。建築士として独立した直後で時間もあり、勉強会に参加して、「鉄筋コンクリート造や鉄骨造ばかりの都市に『木造』という選択肢をつくれたらおもしろそう」と夢を思い描いていました。ただ、「世間的には木造というと2~3階建ての一戸建てがイメージされてしまうもの。中高層の木造集合住宅といっても理解されずに、聞きかえされることもしばしばでした」

そんななか、2010年に「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律(通称、木材利用促進法)」ができて、国交省の「木のまち整備促進事業(現・サステナブル建築物等先導事業)」に採択されたことが大きな追い風となり、2013年、世田谷区下馬に5階建の耐火木造集合住宅が完成しました。設計プランとしては注目されていたものの、竣工したことにより、「『本当にできるんだ……!』と多くの方が関心を寄せてくださったんです」と内海さん。

1・2階がRC造(鉄筋コンクリート造)、2~5階が木造の集合住宅「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

1・2階がRC造(鉄筋コンクリート造)、2~5階が木造の集合住宅「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

「下馬の集合住宅(サンパパ下馬ハウス)」(設計:小杉栄次郎・内海彩、撮影:淺川敏)

今回の「アーブル自由が丘」はすべて民間で開発・実現しました。都市計画道路予定地のため、高さ制限や構造制限があり、また、1階は当初より店舗として貸すことが決まっていたため、区画内に柱や壁をつくらず、できるだけ天井高を確保できるよう鉄骨造に。住空間である2・3階を木造とすることにしました。どこにでもある店舗ではなく、暮らしや食に豊かさを感じられるような「自由が丘らしい建物にしたい」というオーナーさんの思いを汲んでテナント募集が進められました。

「コンビニやファミレスへの1店鋪貸しではなく、小ぶりでもセンスの良い、ちょっと入ってみたくなるようなカフェやベーカリー、ギャラリーやフラワーショップなどが並ぶすてきな街並みをつくりたい、というお考えでした。もともと自由が丘に長くお住まいなので、いい街にしたい、この街にふさわしいものをという想いがおありだったんです」(内海さん)

3階にお住まいのオーナーさんのお住い。画廊のお仕事もされていてアートにも造詣が深く、室内のそこかしこに作品が飾られています(写真撮影/片山貴博)

3階にお住まいのオーナーさんのお住い。画廊のお仕事もされていてアートにも造詣が深く、室内のそこかしこに作品が飾られています(写真撮影/片山貴博)

お住まいの一角には、お仕事スペースも。ロールスクリーンを使ってゆるく空間を区切る工夫がされています(写真撮影/片山貴博)

お住まいの一角には、お仕事スペースも。ロールスクリーンを使ってゆるく空間を区切る工夫がされています(写真撮影/片山貴博)

共用ホールにテナント。住民の居場所が複数ある構造に

こうして「木造建築物」「自由が丘らしい」などのコンセプトが固まってきた一方、シェアスペースがあったらいいという話もでてきました。

「この街にふさわしいものを、という話の中で、シェアオフィスもいいねという案が出てきました。単なるワンルームマンションではなく、暮らす人たちが交流・休憩・触発されるような共用空間があったなら……。
シェアオフィス単体で成立させるのは事業計画上難しそうだったのですが、そんな中、テナント募集を進めていた東急さんより、賃貸住宅部分の運営会社としてCEスペースさんのご紹介がありました。CEスペースさんは、IT人材専用コミュニティ型住宅『テックレジデンス』を都内数カ所で運営されています。そのノウハウもプランニングに盛り込み、2・3階を『TECH RESIDENCE JIYUGAOKA(テックレジデンス自由が丘)』として、IT系エンジニアに入居してもらうことになりました。
もともとワンルームだけではなく、2LDK、3LDKと混在させる計画でしたが、これらをシェアタイプの賃貸住戸として利用できるよう調整しました。状況が変われば、シェアハウスの3DKを2LDKに改修できるよう考慮しています。

目黒区の『自由が丘街並み形成委員会』との事前協議でもこの建物の話をしたところ、応援していただきました。自由が丘は、これから駅前を中心に再開発が進みます。そんな未来の自由が丘に才能ある若いIT系エンジニアが集まり、新しい価値観を発信していく、ということに大きな期待があるようでした」(内海さん)

こうして、ワンルーム住戸5室とシェアタイプ住戸内の個室17室、共用ホールという構成が決まり、さらに細部のプランを詰めていき、ついに着工。途中、ウッドショックの荒波に揉まれつつも、1年の工期をかけて完成しました。

入居が始まって約半年が経過した今、共用ホールに至る廊下にはさり気なくオーナーが選んだアートが飾られているほか、トップライトから日光が降り注いだり、木のぬくもりがあったりと、職業はデジタルな「ITエンジニアの住まい」でありつつも、どことなく「アートな香り」「あたたかさ」などアナログの良さを感じられる住まいとなっています。

「アーブル自由が丘」の共用ホール。「ゆ」ののれんが掛かっているのは住戸の玄関で、住民の方がつけたもの。のれんの奥はワンルーム住戸になっています(写真撮影/片山貴博)

「アーブル自由が丘」の共用ホール。「ゆ」ののれんが掛かっているのは住戸の玄関で、住民の方がつけたもの。のれんの奥はワンルーム住戸になっています(写真撮影/片山貴博)

吹き抜けを上部から見たところ。開放感がお分かりいただけますでしょうか(写真撮影/片山貴博)

吹き抜けを上部から見たところ。開放感がお分かりいただけますでしょうか(写真撮影/片山貴博)

吹き抜けの共用ホールは、住民のみが利用できる場所です。ここで仕事をしてもいいですし、気が向いたときは1階のカフェやワインバーも利用できます。自分だけの水まわりがあるワンルームタイプと、キッチン、バス、トイレを3~4名で共用する3~4DKのシェアタイプが混在するので、自分にあった住まい方、暮らし方ができるのもいいですね。家賃は9万4000円~12万6000円。自由が丘駅徒歩数分、共用スペースがあるので感覚的な“広さ”は十分。住む、働くが一体化していることを考えると、納得なのではないでしょうか。

「1階カフェと連携したサブスクリプションサービスが提供されているので、自分がコーヒーを飲むだけでなく、仕事の打ち合わせ、友達とのおしゃべりにも活用できますよね。仕事の打ち合わせでも、共用スペースや1階のカフェ、レストランなどを”自分のテリトリー”として利用できると、人を呼びやすいだろうなと思います。そこからどこかに出かけてもよいし、そういうときに魅力的なスポットがあちこちにある『自由が丘』という地の利もより活かせると思います」と内海さん。

居室に設けられた部屋番号とインターフォン。工事の端材でつくられたものですが、こちらも木のあしらいがかわいい。施錠にはスマートロックを利用しています(写真撮影/片山貴博)

居室に設けられた部屋番号とインターフォン。工事の端材でつくられたものですが、こちらも木のあしらいがかわいい。施錠にはスマートロックを利用しています(写真撮影/片山貴博)

シェアタイプ住戸内の個室。家具・家電は備え付けられているので、カーテンとベッド、身の回りのものがあれば生活が始められます(写真撮影/片山貴博)

シェアタイプ住戸内の個室。家具・家電は備え付けられているので、カーテンとベッド、身の回りのものがあれば生活が始められます(写真撮影/片山貴博)

2階のシェアタイプ住戸の窓。構造材、耐火被覆、外装仕上げを合わせたため、壁の厚みは40センチ弱あり、一般的な一戸建ての2倍以上! そのため、温熱環境はもちろんのこと、遮音性も高く、驚くほど静か(写真撮影/片山貴博)

2階のシェアタイプ住戸の窓。構造材、耐火被覆、外装仕上げを合わせたため、壁の厚みは40センチ弱あり、一般的な一戸建ての2倍以上! そのため、温熱環境はもちろんのこと、遮音性も高く、驚くほど静か(写真撮影/片山貴博)

シェアタイプの部屋を外側から見たところ。フシのない杉材は外装材で、内側には木の構造材と断熱材、それを耐火被覆した壁があります(写真撮影/片山貴博)

シェアタイプの部屋を外側から見たところ。フシのない杉材は外装材で、内側には木の構造材と断熱材、それを耐火被覆した壁があります(写真撮影/片山貴博)

住戸と住戸を仕切る隔壁パネルにも杉材を使用。他の賃貸集合住宅では見られない仕様です(写真提供/内海彩さん)

住戸と住戸を仕切る隔壁パネルにも杉材を使用。他の賃貸集合住宅では見られない仕様です(写真提供/内海彩さん)

シェアタイプの水まわり。バス、洗濯機、トイレ、洗面所を共用して使います(写真撮影/片山貴博)

シェアタイプの水まわり。バス、洗濯機、トイレ、洗面所を共用して使います(写真撮影/片山貴博)

キッチンには冷蔵庫や炊飯器も。共用部は週2回の業者による清掃が入ります(写真撮影/片山貴博)

キッチンには冷蔵庫や炊飯器も。共用部は週2回の業者による清掃が入ります(写真撮影/片山貴博)

注目されている木造耐火建築、その街らしいテナント、シェアタイプの住戸と、通常の開発よりも手間と時間をかけて完成した「アーブル自由が丘」。それを実現したのは、オーナーさんと建築家さんの「よい街にしたい」「木とともに心地よく暮らしてほしい」という強い思いでした。

「シェアハウスとワンルームの混在」「共用スペース」「一階に店舗がある」「入居者がITエンジニア限定」「木造」など、この物件の魅力の感じ方は人それぞれでしょう。ただ、暮らしの多様性、生き方や地域への関わり方が増えていることは確かです。成熟した街・自由が丘に、今までにない木造の建物ができ、若い世代/才能がともに暮らす。街をよりすてき・魅力的にするような、そんな化学反応が起きるのではないでしょうか。

●取材協力
内海彩建築設計事務所 内海彩さん

不動産屋さんがなぜ米づくり?! 松戸のまちづくりで知られるomusubi不動産、コミュニティづくりは農業だ!

千葉県松戸市にある「omusubi不動産」。一般的な不動産会社は物件への入居希望者と物件をマッチングし、契約を結ぶところまでが仕事だが、同社の場合はむしろ契約してからがスタート。入居者や地域の人たちと一緒に田植えを行うなど、ユニークなアプローチでコミュニティづくりを行っている。
「お米づくりとコミュニティ形成は似ている」と言うomusubi不動産の殿塚建吾さん。その共通点やコミュニティづくりにおける具体的な仕掛け、また、10年にわたり関わり続けている千葉県松戸の街がどう変化してきたかなど、じっくりお話を伺った。

お米づくりはコミュニティの原点

――「omusubi不動産」では、物件の入居者や地域の人たちと田んぼを管理し「お米づくり(田植え、稲刈り)」などを行っています。まず、そもそもなぜお米づくりだったのか、経緯から教えてください。

殿塚建吾(以下、殿塚): うちは祖父の代から不動産会社(omusubi不動産とは別会社)を営んでいて、将来は自分も不動産業に関わるんだろうなと漠然と考えていました。一方、母方は農家だったこともあって、田舎での自給自足の暮らしにもなんとなく憧れを持っていたんです。

そこで、不動産業と田舎のライフスタイルを融合したような働き方ができないかと思い、2012年に「自給自足」をテーマにしたトークイベントやワークショップなどを行う「green drinks松戸」を立ち上げました。同時に、知人から紹介してもらった千葉県白井市にある田んぼで米づくりに挑戦してみることにしたんです。

omusubi不動産の殿塚建吾さん。幼稚園のころから松戸で育ち、新卒で中古マンションのリノベーション会社に就職。その後、企業のCSRプランナーを経て、房総半島にある古民家カフェ「ブラウンズフィールド」に居候。2011年の東日本大震災を機に松戸へ戻り、松戸駅前のまちづくりプロジェクト「MAD City」に参加。2014年、「omusubi不動産」を立ち上げる(写真撮影/松倉広治)

omusubi不動産の殿塚建吾さん。幼稚園のころから松戸で育ち、新卒で中古マンションのリノベーション会社に就職。その後、企業のCSRプランナーを経て、房総半島にある古民家カフェ「ブラウンズフィールド」に居候。2011年の東日本大震災を機に松戸へ戻り、松戸駅前のまちづくりプロジェクト「MAD City」に参加。2014年、「omusubi不動産」を立ち上げる(写真撮影/松倉広治)

――その後、2014年に「omusubi不動産」を立ち上げていますが、最初から入居者のみなさんと一緒に田んぼをやるつもりだったんでしょうか?

殿塚:いえ、当初はあくまで僕の個人的な活動として、地元の農家さんに手伝ってもらいながら田んぼをやるつもりでした。でも、たまたま田んぼに遊びにきた近所の人が家探しをしていて相談に乗ったり、逆にomusubi不動産で仲介した入居者さんが田んぼに興味を持ったりと、両方が結びつくようになっていって。次第に多くの人が田んぼに集まるようになりましたね。その時に、お米づくりってコミュニティをつくるのにすごく適しているんじゃないかと思ったんです。それから、会社のイベントとして参加者を募り、希望する入居者の方に田植えや稲刈りに参加してもらうようになりました。

千葉県白井市にある田んぼ。母方の祖父母の家からも近く、縁を感じたそう(画像提供/加藤甫)

千葉県白井市にある田んぼ。母方の祖父母の家からも近く、縁を感じたそう(画像提供/加藤甫)

――お米づくりのどんなところがコミュニティ形成に適していると思いますか?

殿塚:お米づくりは自然との戦いでもあります。人間一人きりでは、とても厳しい自然と対峙することはできません。田んぼをやっていると、自然相手には到底ひとりで生きるのは無理だろうなと嫌でも感じます。だから、大昔の先人たちも、みんなで力を合わせて田んぼを守り、お米をつくってきたのだと思います。

そういう意味では、米づくりはコミュニティの原点と言えるかもしれません。実際、「omusubi不動産」も田んぼを通じて入居者さん同士はもちろん、地域の方々も含めた豊かなコミュニケーションが生まれる、きっかけになっています。

空き家を「DIY可の賃貸」として貸し出し新京成線・みのり台駅から徒歩6分の「omusubi不動産」。omusubiの頭文字である「O」には、「Organic(食べもの、身につけるものの素材や人のつながりも有機的に)」「Old(古くても懐かしいもの)」「Ourselves(身の回りのことはできるだけ、自分自身で)」「Originality(それぞれの個性やオリジナリティを尊重すること)」。この4つの“Oを結ぶ”存在になりたいという意味が込められている(写真撮影/松倉広治)

新京成線・みのり台駅から徒歩6分の「omusubi不動産」。omusubiの頭文字である「O」には、「Organic(食べもの、身につけるものの素材や人のつながりも有機的に)」「Old(古くても懐かしいもの)」「Ourselves(身の回りのことはできるだけ、自分自身で)」「Originality(それぞれの個性やオリジナリティを尊重すること)」。この4つの“Oを結ぶ”存在になりたいという意味が込められている(写真撮影/松倉広治)

――omusubi不動産では、古民家やレトロな団地、空き家などを積極的に取り扱っています。古い建物の利活用に注目したのはどうしてでしょうか?

殿塚:祖父母の家が古民家のような造りだったこともあり、もともと古い建物に愛着がありました。それに、まだ使える空き家を取り壊し、新しく建て替えるのはもったいないと感じていたので、自分が不動産の世界に関わるなら既存の建物を活かしたいと思ったんです。新卒で中古マンションのリノベーション会社に入ったのも、それが動機ですね。

――既存の物件をそのまま貸し出すのではなく、「DIY可能」や「シェアOK」といった付加価値をつけているのも特徴ですよね。

殿塚:もちろん、こちらでリノベーションをして物件の魅力を高め、高い賃料で貸すという方法もあります。でも、それが通用するのって高額家賃でも借り手がつく都心部だけで、松戸のような場所だと賃料をそこまで上げることは難しいですよね。だったら、入居者さんご自身が自由に改修できる「DIY可能物件」として貸してしまえば、オーナーさんも改修コストがかかりませんし、入居者側も「自由に物件が使える」「安くDIYを始められる」など、双方にメリットがあるだろうと考えました。

実際に借りてくださっているのはデザイナーやイラストレーターなど、クリエイターの方が多いですね。他には、DIYに挑戦したい公務員の方などもいます。ちょっと変わったタイプの物件なので、それに共感してくれるユニークな感性を持った人が多いように思います。

――ちなみに、空き家はどう探していますか? また、そのオーナーとどうやって知り合うのでしょうか?

殿塚:改修費の負担が大きい古い建物って市場になかなか出てこないので、足で探すしかありませんでした。よさそうな建物を見つけたら、役所で所有者を調べてお電話したり、建物にお手紙を投函したりして、本当に地道な活動です。ただ、今では知り合ったオーナーさん側から所有物件のご相談をいただくこともありますし、月に100件以上は見つかるようになりました。なかには、これまで空き家を積極的に活用する気はなかったけど、「街が面白くなるならいいよ」と快く貸してくださるオーナーさんもいましたね。

居酒屋の廃業を機に、オーナーさんから預かった物件。今ではお蕎麦屋や革製品のアトリエが入居している(写真撮影/松倉広治)

居酒屋の廃業を機に、オーナーさんから預かった物件。今ではお蕎麦屋や革製品のアトリエが入居している(写真撮影/松倉広治)

――その結果、「DIY物件」の取り扱い数が日本一になったと。ちなみに、空き家を取り扱う上での苦労みたいなものはありますか?

殿塚:たとえば権利関係なども物件によりさまざまですし、空き家の場合は前オーナーの荷物や家具などがそのままになっていることもあります。一般的な賃貸物件のようにマニュアル通りに進められることはほとんどなく、個別に問題を解決していかなければいけないのは空き家ならではだと思いますね。

子どものころから憧れていた建物を再生

――住居以外にクリエイティブスペースも手がけられていますが、特に面白いのが「せんぱく工舎」です。古い社宅にクリエイターが集まるこのスペースは、どういう経緯で誕生したのでしょうか?

殿塚:ここは、もともと船の会社が持っている築60年の社宅でした。僕の母校の近くにあったので、学生の頃からカッコいい建物だなと思っていたんです。大人になり、松戸に戻ってきてから改めて見てもその印象は変わりませんでした。長く空き家でボロボロな状態ではありましたが、400平米もの大きなスケールの建物ですし、うまく活用できたら街のランドマークになるんじゃないかと。

そこで、オーナーである神戸の会社に手紙を出し、協議を重ねた結果、現在のような形で使わせてもらえることになったんです。

「せんぱく工舎」。改修中の部屋からは阪急ブレーブスのブーマーが満塁ホームラン打ったときの新聞が出てきたそう(画像提供/omusubi不動産)

「せんぱく工舎」。改修中の部屋からは阪急ブレーブスのブーマーが満塁ホームラン打ったときの新聞が出てきたそう(画像提供/omusubi不動産)

――改修はかなり大変だったのでは?

殿塚:外観は刷新しましたが、内部はDIY物件として貸す前提で、最低限の改修のみ行いました。そのぶん家賃を抑えて、入居者さんが好きに手を加えられるようにしています。余談ですが、改修する時って建物を布で囲うじゃないですか。なので、地域の人は布で囲われた様子を見て解体が始まったと思いきや、囲いが外されるやいなや綺麗な外観に生まれ変わっていてビックリされていましたよ。

オーナーとの交渉から2年後にオープン。1階にはカフェやスコーン屋、本屋、スペインバル、劇団の事務所、2階にはクリエイターの工房が入る(画像提供/omusubi不動産) 

オーナーとの交渉から2年後にオープン。1階にはカフェやスコーン屋、本屋、スペインバル、劇団の事務所、2階にはクリエイターの工房が入る(画像提供/omusubi不動産) 

――部屋数も多く、立地的にも満室にするのは大変だったと思います。どのように入居者を集めたのでしょうか?

殿塚:リノベーションしたとはいえ、古い建物には変わりません。なので、一般的なスペースとは異なることを理解してもらうために、完成前からSNSでの告知に力を入れたり、内覧ツアーを組んだりしていました。また、廊下を塗ったり、外にウッドデッキをつくったりするワークショップなども定期的に行い、みんなで協力しながら少しずつ街に開いていきました。そうした取り組みのなかからさまざまなつながりが生まれ、最終的には多くの人に借りていただくことができましたね。

――DIY賃貸物件の場合、特別な入居の審査はあるのでしょうか?

殿塚:「せんぱく工舎」は何かにチャレンジしたい人、叶えたい夢がある人の土台になる場所だったり、クリエイティブな活動を始めたい人の学校のような場所にしたいと考えていますので、そうした方々を迎えています。実際、面白い人が多いと感じますし、さまざまな才能が集まることによる化学反応みたいなものも生まれていますよ。

例えば、omusubi不動産の事務所がある「あかぎハイツ」に出店しているキッチンカーは、オーナーも車をデザインしたデザイナーも、ロゴを描いたイラストレーターも全て、「せんぱく工舎」の入居者だった方々です。業種もスキルもバラバラな入居者同士が新しいプロジェクトを生み出したり、退去後もつながって一緒に街で活動してくれるのは、とても嬉しいですね。それに、そうやって面白い人が一箇所に集まりコラボすることで様々な仕掛けが生まれ、街自体の魅力も高まっていくと思うんです。

――「せんぱく工舎」では街に開いたイベントも行っていますよね。

殿塚:月に一度の「ゆるっとオープンデー」というイベントでは、入居者同士がコラボ料理を開発したり、2階のクリエイターが個展を開いたりしています。また、以前は入居者さんの発案で生まれた「おもかじ祭」や「とりかじ祭」というイベントに紐づけて、街なかを巡るイベント「やはしら日々祭」を同時開催したこともあります。

1階のベルエンザイム、星子スコーン、せんぱくブックベース、エルアルカと、2階のTransMeatがコラボした「せんぱく弁当」(画像提供/omusubi不動産)

1階のベルエンザイム、星子スコーン、せんぱくブックベース、エルアルカと、2階のTransMeatがコラボした「せんぱく弁当」(画像提供/omusubi不動産)

――殿塚さんはそうした「せんぱく工舎」のイベントだけでなく、2018年からは国際芸術祭「科学と芸術の丘」の企画・運営にも携わっています。そうしたイベントや、これまでの活動の結果として、松戸の街自体が盛り上がってきたと感じますか?

松戸市で行われる「科学と芸術の丘」では国の重要文化財である「戸定邸」のほか、松雲亭、戸定が丘歴史公園にて、国内外のアーティストによる作品展示やトークイベント、ワークショップを開催(画像提供/加藤甫)

松戸市で行われる「科学と芸術の丘」では国の重要文化財である「戸定邸」のほか、松雲亭、戸定が丘歴史公園にて、国内外のアーティストによる作品展示やトークイベント、ワークショップを開催(画像提供/加藤甫)

今年は初年度のようにマルシェも開催予定とのこと(画像提供/加藤甫)

今年は初年度のようにマルシェも開催予定とのこと(画像提供/加藤甫)

殿塚:僕の活動の成果どうこうは置いておいて、松戸がどんどん面白くなっているのは間違いないですね。「せんぱく工舎」がオープンしたのと同時期に、シェアカフェがオープンしたり、都内にある有名な本屋がなぜか松戸に出店してきたりと、面白いお店が一気に増えています。

それに、数年前に比べて「この街で何かを始めたい」と考える人が増えたように感じます。以前は松戸で新しい試みを始める時には、まず我々に声がかかり、何かしらの形で関わることが多かったんです。でも、今は僕らと全く関係のないところで人が集まり、どんどん面白い動きが始まっている。街がイキイキと動き始めた感じがして、とても喜ばしいことだなと。

これまでのように僕らが声をあげて「松戸にきませんか?」「一緒に楽しいことしませんか?」と呼びかけなくても、まちの外の方から松戸を面白がって来てくれるようになったのは、大きな変化だと思います。

2020年には下北沢の「BONUS TRACK」でコワーキングスペースの運営。さらに昨年からは東急が手掛けている、学芸大学の高架下活用プロジェクトなど、松戸以外にも活動の幅を広げている(画像提供/加藤甫)

2020年には下北沢の「BONUS TRACK」でコワーキングスペースの運営。さらに昨年からは東急が手掛けている、学芸大学の高架下活用プロジェクトなど、松戸以外にも活動の幅を広げている(画像提供/加藤甫)

――不動産会社の枠を超え、どんどん活動の領域が広がっていますが、今後はどのようなことにチャレンジしていきますか?

殿塚:これから注力していきたいのは「人が集まって暮らすことの再構築」。つまり、コミュニティをリノベーションすることです。単に住居や活動の場所を用意するだけではなく、そこに住む人たちや集まる人たちが楽しく幸せに過ごせたり、そこで何かをやりたいクリエイターが力を発揮しやすい環境を整えること。もちろんこれまでにも取り組んできたことですが、より意識的に取り組んでいけたらと考えています。

(写真撮影/松倉広治)

(写真撮影/松倉広治)

――そして、お米づくりも続けていくと。

殿塚:そうですね。コミュニティーづくりって、田んぼへの向き合い方と似ていると思うんです。田んぼも、苗が育ちやすい環境を整備することがとても重要で、場づくりと全く同じですよね。管理する人がしっかり手をかけないと、良いコミュニティは育っていかない。お米づくりをしていると、改めてそのことに気付かされますね。そうした原点を忘れないためにも田んぼは今後も続けながら、コミュニティのリノベーションの事例を増やしていきたいです。

●取材協力
omusubi不動産

昭和レトロの木造賃貸が上池袋で人気沸騰! 住民や子どもが立ち寄れる憩いの場、喫茶店やオフィスにも活用 豊島区

東武東上線の北池袋駅(東京都豊島区)から徒歩10分ほどの場所で活動する「かみいけ木賃文化ネットワーク」。活動の中心は昭和に建築された3つの木造賃貸建築物。コミュニティづくりやアートワーク、オフィス、住居などに利用し、訪れる人や住まう人たちがゆるやかに活動をする繋がりをつくり上げています。
そのようななか、2022年1月に新たなスペースとして「喫茶売店メリー」をオープン。まちなかに住む人々とのつながりが変化したそうです。一体どのように変わったのでしょうか。

木造賃貸アパートをもっと面白く活用したい

巨大ターミナル駅・池袋駅の1つ隣にある、東武東上線の北池袋駅。周辺には低層住宅が所せましと並び、大都会である豊島区・池袋とは思えぬ穏やかな時間が流れます。駅から住宅街を10分ほど歩いていくと、昔ながらの木造の建物「山田荘」「くすのき荘」「北村荘」が見えてきます。戦後、「木賃(もくちん)」と呼ばれる、狭い木造賃貸アパートが多く建築されたこのまちで、ネットワークをつくりながら”木賃文化”を盛り上げているのは、「かみいけ木賃文化ネットワーク」を運営する、山本直さん・山田絵美さん夫妻。

実家である「山田荘」について、思いを話す山田絵美さん(写真撮影/片山貴博)

実家である「山田荘」について、思いを話す山田絵美さん(写真撮影/片山貴博)

「かみいけ木賃文化ネットワーク」は木造賃貸アパートをどう面白く活用するかを徹底的に考える活動。活動のきっかけは、山田さんが両親から受け継いだ「山田荘」でした。

「『山田荘』は、もともと私の実家が、賃貸アパートとして運営していた建物です。とはいえ、狭くて古い建物を住まいとして貸し続けることには限界があると感じていて。私が受け継ぐ時に、この建物を『もっと良く活用ができないものか』と考え始めたんです」(山田さん)

1979年築の木造賃貸アパート「山田荘」は、昔ながらの風呂なし・トイレ共同で、4畳半の部屋が並ぶ6室構成。随所に古き良き面影を残しながらも、綺麗にリフォームされています。入口では愛らしい人形がお出迎えする(写真撮影/片山貴博)

1979年築の木造賃貸アパート「山田荘」は、昔ながらの風呂なし・トイレ共同で、4畳半の部屋が並ぶ6室構成。随所に古き良き面影を残しながらも、綺麗にリフォームされています。入口では愛らしい人形がお出迎えする(写真撮影/片山貴博)

「山田荘もそうですが、かなり築年数の進んだ木造アパートなどは、現代の建物と比べると機能も足りてないところが多いんですよね……。風呂なし、トイレ共同、洗濯機置き場がないというのがおおむねスタンダードです。でも暮らしの全てを、自分の住むスペースでまかなうのではなく、まち全体を1つの『家』に見立てれば、いろんな暮らし方ができるんじゃない?と思うのです。台所がないなら食堂へ。お風呂がないならば、銭湯へ。アトリエがないならばガレージへ。庭がないならば公園へ――古き良き木造建築物を楽しんで生かし、”足りないことはまちなかで補い、まちの人や暮らしとゆるく繋がろう”ということを目指しています」(山田さん)

アーティストの拠点として、木造賃貸アパートの居室を利活用

こうした活動に至ったのは、山田さん自身が、豊島区内で実施していたアートイベントとの出合いも影響していたようです。2011年ごろから、東京都や豊島区は「としまアートステーション構想」という、地域資源を活かした「アート」につながる活動をする場づくりをしていました。その一環で山田荘のアパートの一部を、美術家である中崎透さんの滞在制作場所として提供しました。

アーティストなどに賃貸している山田荘1階の入口部分(写真撮影/片山貴博)

アーティストなどに賃貸している山田荘1階の入口部分(写真撮影/片山貴博)

「山田荘をプロジェクトで活用してもらえることはうれしかったですね。この建物は、古い木造建築物で、当時の建築基準法に沿ってつくられており、現行法では既存不適格です。そのため、これを壊すことなく同じ形で、建物そのものが持つ良さを文化として残したいという思いもあったので、これはチャンスだと感じました」(山田さん)

3つの拠点を行き来することで、新たな出会いと交流が生まれる

「山田荘」の、居住する以外の活用方法を通じて、おもしろさを実感した山本さん・山田さん。

「そうしたら、自然と空き物件が目に入るようになったんです(笑)」(山田さん)

その後、2016年に「山田荘」から徒歩5分ほどの位置にある「くすのき荘」を借り、2020年には「北村荘」を借りることとなりました。

運送会社が使用していた建物を改修した「くすのき荘」。右横にはくすのき公園があり、まるで庭のよう(写真撮影/片山貴博)

運送会社が使用していた建物を改修した「くすのき荘」。右横にはくすのき公園があり、まるで庭のよう(写真撮影/片山貴博)

運送会社の名残を残す「くすのき荘」は、1975年築の2階建て事務所兼住居建物です。隣にはくすのき公園があり、あたりには気持ちの心地の良い穏やかな時間が流れています。

運送会社時代に倉庫として使用されていた天井の高い1階スペースは、メンバー制のシェアアトリエとして利用。2階は、山本さん・山田さん夫妻の居住スペースのほか、メンバーのシェアリビング、シェアキッチンとしても開放。時折開かれるイベントには、近所に住むメンバー外の人も訪れることもあり、まさに「まちのリビング」として、思い思いの時間を過ごしています。

1階にあるメンバー制のシェアアトリエ。大学生がアート作品の制作をしたり、アーティストがワークショップを開いたりと、それぞれの活動を繰り広げている(写真撮影/片山貴博)

1階にあるメンバー制のシェアアトリエ。大学生がアート作品の制作をしたり、アーティストがワークショップを開いたりと、それぞれの活動を繰り広げている(写真撮影/片山貴博)

2階のシェアスペースは、勉強に使ってよし、食事してよし、と使い道は自由自在。時折イベントやワークショップも実施されている(写真撮影/片山貴博)

2階のシェアスペースは、勉強に使ってよし、食事してよし、と使い道は自由自在。時折イベントやワークショップも実施されている(写真撮影/片山貴博)

看板猫がのんびりと同居中(写真撮影/片山貴博)

看板猫がのんびりと同居中(写真撮影/片山貴博)

一方、2020年に活動開始した「北村荘」は一見すると一軒家のようですが、1階・2階にそれぞれ玄関があり、スペースが区切られている2階建ての木造賃貸アパート。1階は住人たちのコミュニティスペース、2階はシェアハウスになっています。

「1964年築のこの建物は、山田荘と同じく、旧耐震基準の建物です。やはり一度壊したら同じ形での再建築は不可です。私たちが山田荘に対して感じていたことと同じように、不動産屋さんからも『この建物を壊すことなく活かす方法を探している』と相談をいただき、引き受けることにしました」(山田さん)

その後、耐震改修を加え、内装をDIYで改装し、「北村荘」は再生されたのです。

「北村荘」への入口は昔ながらの細路地(写真撮影/片山貴博)

「北村荘」への入口は昔ながらの細路地(写真撮影/片山貴博)

1階のコミュニティスペース、2階のシェアハウス(居住スペース)にはそれぞれに別の玄関がある(写真撮影/片山貴博)

1階のコミュニティスペース、2階のシェアハウス(居住スペース)にはそれぞれに別の玄関がある(写真撮影/片山貴博)

DIYのワークショップを行いながら改装した「北村荘」1階のコミュニティスペース。”日常生活の中で探求する場”として研究活動や、ワークショップなどが行われている(写真撮影/片山貴博)

DIYのワークショップを行いながら改装した「北村荘」1階のコミュニティスペース。”日常生活の中で探求する場”として研究活動や、ワークショップなどが行われている(写真撮影/片山貴博)

「3つの建物は、コンセプトも用途も異なりますが、利用者は居住者やご近所さんだけでなく、遠方から”何か楽しい集まり”や”出会い”を期待して足繁く通う人もいます。また、それぞれの拠点を行き来する使い方もあります。そうすることで新たな出会いや交流が生まれますね」(山田さん)

コロナ禍で、半径500m圏内のご近所付き合いを実感

「開けたまちのスペース・まちの人同士をつなぐ場でありたい」という願いがありながらも、「メンバーシップ制」のため、どうしても仲間うちの閉じた活動になりやすいことが悩みだったそうです。

「活動をするメンバーは、”アート”をきっかけに興味を持った人のほか、豊島区近郊ではなく、首都圏内広くから、さらにはそれより遠方から通うクリエイターさんもいて。特に『くすのき荘』はガレージの奥が深く、常にオープンしていたわけではないので、近所の人たちからは『一体あそこで何をやっているのだろう?』と思われがちだったんです」(山本さん)

子どもが気軽に楽しめるようにと、駄菓子やおもちゃも販売(写真撮影/片山貴博)

子どもが気軽に楽しめるようにと、駄菓子やおもちゃも販売(写真撮影/片山貴博)

隣にあるくすのき公園で遊ぶ人も(写真撮影/片山貴博)

隣にあるくすのき公園で遊ぶ人も(写真撮影/片山貴博)

そんななか、2020年からのコロナ禍で状況が大きく変化しました。

区外の離れた場所からコミュニティスペースに通えなくなる人が増加した一方で、人々の活動範囲が狭められ、半径500m圏内の生活濃度が上がったのを実感したそうです。

これを機に、『くすのき荘』を、地域の人たちと繋がるためのもっと”開けた場”にし直そうと決意。いつでも誰でもふらっと足を運び、気軽におしゃべりしたり、交流する” 半径500m圏内の憩いの場”にするべく、リニューアルすることにしたのです。

特別な店ではない 日常の延長にある「喫茶売店メリー」をオープン

山本さんは、リニューアルにあたって「喫茶売店メリー」を設けることを決めます。

「喫茶というよりも、イメージは『公園にある売店』といった感じのものを考えていました。ガレージを開放した状態だと、隣にあるくすのき公園と地続きになり、自由に行き来ができる。そういうつくりにして、『喫茶売店メリー』が”街の一角である”ことをイメージさせたかったのです」(山本さん)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

正面の通りからも、ガレージ側からも購入ができる開放的なキッチンカウンター(写真撮影/片山貴博)

正面の通りからも、ガレージ側からも購入ができる開放的なキッチンカウンター(写真撮影/片山貴博)

やはり、まちの人にとって「こんな開放的な場所があるのね!」と知ってもらい、いつでも足を延ばしてほしい、という思いがあるゆえなのでしょう。

「このエリアにはお年を召した方も多く住んでいます。若い単身者や外国にルーツを持つ人も多く、まさに多種多様です。さまざまな人にとって魅力的に感じ、いつでも気軽に訪れることができるコンテンツは何か?と考えた結果、カフェという答えに行きつきました。でも僕自身は今までカフェなんてやったことなかったんですよ。だから本当にイチから勉強で、試行錯誤もいいところです(笑)。

最初はレシピやメニューをつくるにも、何からすればいいか分からなかったんです。なので、近所に住む台湾人の料理人のおじさんに教えてもらい、看板メニューであるルーローハンをつくったんですよ。おかげさまで彼はよく顔を出してくれます」(山本さん)

看板メニューのルーローハンとアイスコーヒー(写真撮影/片山貴博)

看板メニューのルーローハンとアイスコーヒー(写真撮影/片山貴博)

カフェを増築するにあたっては、山本さんと旧知の関係である建築事務所「チンドン」主宰、建築家の藤本綾さんが設計を担当しました。

設計を担当した藤本綾さん。施主である山本・山田さん夫妻の想いや願いを聞きながら一緒につくり上げていくことが新鮮かつ楽しかったそう(写真撮影/片山貴博)

設計を担当した藤本綾さん。施主である山本・山田さん夫妻の想いや願いを聞きながら一緒につくり上げていくことが新鮮かつ楽しかったそう(写真撮影/片山貴博)

「中をのぞけば楽しそうにしている方たちがたくさんいるのに、外部から中の様子が見えづらいことで、入りづらさを感じて。開放的な場所づくりを意識し、建物の大きな扉を開けるとコンパクトな売店が出現する設計にしました。テイクアウトで使えるような小さな窓口を設けることで、通りを歩く人との接点がつくりやすいようにしています」(藤本さん)

通りからフラッと入れる入口ゆえ、この日も台湾人のおじさんが顔を出す(写真撮影/片山貴博)

通りからフラッと入れる入口ゆえ、この日も台湾人のおじさんが顔を出す(写真撮影/片山貴博)

ゆるく交わるオープンスペースの連続性で、都心の街並みは変わる

2022年1月に「喫茶売店メリー」がオープンしてから、半年以上が経過。内輪感のある空気にひそかに頭を悩ませていた山田・山本さん夫妻は「顔ぶれに変化が生まれた」と話します。

開放的なガレージ部を利用した喫茶スペースに開店と同時に人が集う(写真撮影/片山貴博)

開放的なガレージ部を利用した喫茶スペースに開店と同時に人が集う(写真撮影/片山貴博)

「ワンちゃん連れのお客さんが散歩の途中でコーヒーを買ってくれたり、ベビーカーで赤ちゃんを連れたファミリーが公園に寄る途中で訪れてくれたりすることが増えましたね。あと、たまに小学生がフラっとガレージに紛れ込んでくるんです。何気なくベンチで休憩していて(笑)。そういうのが楽しいですよね。まちの居場所として思ってもらえているんだなと」(山本さん)

これまでに「かみいけ木賃文化ネットワーク」の活動にアドバイスしてきた、「まちを編集する出版社」千十一編集室の代表・編集者の影山裕樹さんは、今回「喫茶売店メリー」オープンに伴い、クラウドファンディングの立ち上げから、コピーライティング、コンセプトの考案などのディレクションに携わりました。その時のことを思い出しながら、こう話します。

まちのコミュニティについて研究を続ける影山さんは、「かみいけ木賃文化ネットワーク」を支える重要な存在の一人(写真撮影/片山貴博)

まちのコミュニティについて研究を続ける影山さんは、「かみいけ木賃文化ネットワーク」を支える重要な存在の一人(写真撮影/片山貴博)

「昔は、角のタバコ屋のようにちょっとした憩いの場ってありましたよね。いまでも都市公園にある、気の抜けた売店みたいな場所があり、そこに集う人々は飲食や休憩、遊具の購入などいろいろな目的を持って訪れています。ですが、現代の都市空間においては、経済合理性が優先され、お店の機能が限定されてしまっています。複数の機能を持ったゆるいスペースがなくなっているんです。そういう場所をつくりたかったので、今回のプロジェクトは渡りに船だなと感じました。また、東京の人たちは、自分の足元の半径500mのコミュニティとの繋がりがほとんどなく、せいぜいコンビニや居酒屋とかしか行かない。こうした狭い範囲で暮らす人が多様な人と関われる場所にもしたくて、”公園の売店のようなお店”だとか、”開けっぱなしの客席”というコンセプトにつながりました」(影山さん)

上池袋のまちを中心とした、「木賃文化」のことやご近所付き合いについても、続けてこう話します。

「このエリアは木造密集エリアとして知られ、火事などの災害に弱い反面、木貸アパートが持つゆるやかなご近所づきあいという、文化的遺伝子を持つエリアでもあります。都市開発において、木造賃貸アパートは次第に淘汰されていく運命ですが、高度成長期は地方都市からの上京組が、その時代を経て、日本へやってきた外国人や単身者が暮らし、家族とは違うコミュニティを形成してきました。こうしたご近所さんとのゆるやかなつながりを生み出す仕組みを、現代に引き継ぐというのが木賃アパートの価値だと思います。こうしたソフト面でのまちづくりは現代の東京に必要な視点だと思いますね」(影山さん)

くすのき荘オープン時に募ったクラウドファンディングのリターンの1つ、中崎透制作の看板たち。地域の応援でこの場所は支えられている(写真撮影/片山貴博)

くすのき荘オープン時に募ったクラウドファンディングのリターンの1つ、中崎透制作の看板たち。地域の応援でこの場所は支えられている(写真撮影/片山貴博)

「カフェができることによって、出入り自由のオープンな雰囲気がより強くなったと思います。こうした空気感のある中で生まれる小さなつながりが、徐々に広がっていくと、きっと住みやすい街になっていきそうですよね」(山本さん)

「かみいけ木賃文化ネットワーク」内にもたらされた、「喫茶売店メリー」オープンという変化は、都市のソーシャルな課題を解決するために多くの人に知ってほしい、”小さくも大きい出来事”だったのではないでしょうか。

●取材協力
・かみいけ木賃文化ネットワーク

おんせん県なのに温泉ナシの豊後大野市。サウナ嫌いが移住したら、なぜか九州一の「サウナのまち」になっちゃった話 高橋ケンさん

大分県といえば「日本一のおんせん県」をうたっているが、豊後大野市(ぶんごおおのし)には温泉が、ない。その状況を逆手にとり、2021年に「サウナのまち」を宣言した。現在、官民一体となってサウナを盛り上げている。
鍾乳洞サウナ、清流に“ドボン”できるサウナなど、自然の地形を活かしたアウトドアサウナが市内だけで5カ所。バラエティの豊かさからSNSなどで注目を集め、県内外のサウナーたちがこぞって足を運んでいる。
この「サウナのまち」の仕掛け人が、宿泊施設「LAMP豊後大野」支配人であり、アウトドアサウナ協議会「いいサウナ研究所」所長でもある高橋ケンさんだ。茨城県守谷市出身、東京都内での仕事を経て、豊後大野市に移住した高橋さん。豊後大野での暮らしなどについて、移住のリアルな話を伺った。

「REBUILD SAUNA」、宿泊施設「LAMP豊後大野」支配人の高橋ケンさん。豊後大野市内に点在するアウトドアサウナをとりまとめる協議会「いいサウナ研究所」の所長でもある(写真撮影/衞藤克樹)

「REBUILD SAUNA」、宿泊施設「LAMP豊後大野」支配人の高橋ケンさん。豊後大野市内に点在するアウトドアサウナをとりまとめる協議会「いいサウナ研究所」の所長でもある(写真撮影/衞藤克樹)

“サウナ嫌い”から開眼。3年で九州一アウトドアサウナの多い地域に

東京の広告代理店、株式会社LIGの地方創生チームのメンバーだった高橋さんが豊後大野市に足を踏み入れたきっかけは、大分県での移住定住イベント。そこからあれよあれよという間に山あいにある廃校跡地の委託事業を任され、2017年に宿泊施設「LAMP豊後大野」を開業。自身も移住することになった。

元小学校跡地に立つ宿泊施設LAMP豊後大野。木組の外観はドイツ建築の雰囲気が漂う(写真撮影/衞藤克樹)

元小学校跡地に立つ宿泊施設LAMP豊後大野。木組の外観はドイツ建築の雰囲気が漂う(写真撮影/衞藤克樹)

看板には、豊後大野の特徴でもある祖母傾国定公園の山々が描かれている。「REBUILD SAUNA」は施設内に設置されている(写真撮影/衞藤克樹)

看板には、豊後大野の特徴でもある祖母傾国定公園の山々が描かれている。「REBUILD SAUNA」は施設内に設置されている(写真撮影/衞藤克樹)

日光がたっぷり入り込む明るい施設内。手づくりのガーランドほか、アート作品などが散りばめられ、ぬくもりのある雰囲気を演出している(写真撮影/衞藤克樹)

日光がたっぷり入り込む明るい施設内。手づくりのガーランドほか、アート作品などが散りばめられ、ぬくもりのある雰囲気を演出している(写真撮影/衞藤克樹)

「当時はサウナ嫌いだったんです」と話す高橋さんが、なぜ現在は、まちのアウトドアサウナ施設をとりまとめる協議会「おんせん県いいサウナ研究所」所長にまでなったのか。そのはじまりは移住3年目の2018年、宿泊施設にお客さんを呼ぼうと、必死で集客方法や宣伝方法を模索していた時期だった。

ある日、LIGの同僚で、のちに長野県信濃町でThe Sauna(LAMP野尻湖内)を立ち上げた野田クラクションべべーさんにサウナへ誘われた。「その時は、ただ熱いのを我慢するものだと何も魅力を感じていなかったんです」と振り返る。当然、野田さんの勧めを断ろうとしたが、あまりの熱意に負けて、「ウェルビー福岡」(福岡県福岡市)で初めてのサウナ体験をすることになった。

野田さんに言われるままにサウナの流儀(サウナ→水風呂→休憩)に従っていると、あきらかにこれまでと違う感覚、“ととのい”が訪れるのを感じた。大分への帰り道でも、自分の身体がまだポカポカと温かく、「サウナって温泉みたい」と気付いた。「案外サウナっていいものなんだな」。目からうろこだった。1人でサウナへ通う楽しみができた。

(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

そこから高橋さんのサウナ熱は加速していく。

豊後大野の「カフェパラム」オーナーとサウナ話で意気投合し、カフェの前に流れる清流を水風呂代わりにするアイデアで大盛り上がり。2019年にはテントサウナを張ってイベント開催するに至り、大盛況となった。さらに、それがきっかけで2020年7月はLAMP豊後大野内にフィンランド式サウナ「REBUILD SAUNA」を建設。同年3月にアウトドアサウナを市内に増やすべくサウナ協議会「いいサウナ研究所」も立ち上げ、2021年には自治体を巻き込み市をあげて「サウナのまち宣言」をするに至った。

高橋さんがサウナにハマってから、わずか3年のできごとだ。

地域、カルチャー、資源をリビルドしたサウナを中心に展開

高橋さんが施設内につくった「REBUILD SAUNA」のサウナ小屋は、解体される長屋などの廃材を再利用し、本来捨てられてしまうものを利活用している。素人でもできる部分は、できる限りDIYした。

“再構築”と言う意味の「REBUILD」と名付けたのは、廃材活用をしているからだけではない。

尾平地区には、LAMP豊後大野のほか、鉱山事務所とおじいちゃん1人が住む住宅しかない。この地域の再生、自然を活かしたフィンランド式サウナの導入によって新しい文化を紡いでいきたい、という想いも込めている。

廃材の合板にボルトを打ち付けてつくったロゴ(写真撮影/衞藤克樹)

廃材の合板にボルトを打ち付けてつくったロゴ(写真撮影/衞藤克樹)

「REBUILD SAUNA」(写真撮影/衞藤克樹)

「REBUILD SAUNA」(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ室(サ室)内。まだ九州では珍しい薪ストーブを使用。最大10名まで収容可能(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ室(サ室)内。まだ九州では珍しい薪ストーブを使用。最大10名まで収容可能(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ小屋のほか、広々とした外気浴スペースと、小学校のプールを活かした水風呂エリアがある。水風呂には、奥岳川の最上流部から水を引いている。透明度が高く、柔らかい水質は、温まった体をしっかり包み込み、キュッと肌を引き締めてくれる(写真撮影/衞藤克樹)

サウナ小屋のほか、広々とした外気浴スペースと、小学校のプールを活かした水風呂エリアがある。水風呂には、奥岳川の最上流部から水を引いている。透明度が高く、柔らかい水質は、温まった体をしっかり包み込み、キュッと肌を引き締めてくれる(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

高橋さんは、職人さんから「大分県臼杵市の長屋が解体される」と聞き、自ら車を運転して資材をレスキューしに行った。廃材は、合板、トイレ、ライト、床材と、使えそうなものは全て利活用している(写真撮影/衞藤克樹)

高橋さんは、職人さんから「大分県臼杵市の長屋が解体される」と聞き、自ら車を運転して資材をレスキューしに行った。廃材は、合板、トイレ、ライト、床材と、使えそうなものは全て利活用している(写真撮影/衞藤克樹)

透きとおった豊後大野の清流。この水が水風呂へと流れている(写真撮影/衞藤克樹)

透きとおった豊後大野の清流。この水が水風呂へと流れている(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

(写真撮影/衞藤克樹)

シシ麻婆(1,200円)とオロポ(450円)。シシ麻婆は大分県産のイノシシ肉とスパイスが絶妙に絡み合う一品。どちらもサウナ後の栄養・水分補給にはもってこいのメニューだ(写真撮影/衞藤克樹)

シシ麻婆(1,200円)とオロポ(450円)。シシ麻婆は大分県産のイノシシ肉とスパイスが絶妙に絡み合う一品。どちらもサウナ後の栄養・水分補給にはもってこいのメニューだ(写真撮影/衞藤克樹)

「自然を活かしたサウナは、やはりほかで真似できないところが魅力ですね。その土地の空気感、外気浴で感じる風、におい。すべてが違っているんですよね」と語る高橋さん。

それでも、九州のほかのエリアにも、人気のサウナは数多い。豊後大野市まで足を運んでもらうためにはもっと工夫が必要だと考えて、アウトドアサウナの数を増やすことを思い立つ。まちのサウナ協議会「おんせん県いいサウナ研究所」を設立し、市内でのアウトドアサウナの立ち上げの促進や地域ブランディングにも力を入れることにした。

市内の各サウナのオーナー同士のつながりができたおかげで、県外からもさまざまな趣向を凝らしたアウトドアサウナを存分に楽しもうとサウナのはしごを楽しむお客さんが来るようになった。まち単位での大規模イベント「サウナ万博」も定期開催できるようになり、例年チケットは完売。今年(2022年)10月22日にロッジ清川で開催される「第3回サウナ万博in豊後大野」も、多くのサウナーたちが当日を心待ちにしている状況だ。

現在は、フィンランドと姉妹都市を結ぶべく市へ提案もしている最中だという。

「おんせん県いいサウナ研究所」に加盟しているサウナのひとつ「稲積水中鍾乳洞サウナ」。水風呂代わりに鍾乳洞へとダイブできる(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

「おんせん県いいサウナ研究所」に加盟しているサウナのひとつ「稲積水中鍾乳洞サウナ」。水風呂代わりに鍾乳洞へとダイブできる(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

同じく「おんせん県いいサウナ研究所」加盟サウナ「Tuuli Tuuli」は、「REBUILD SAUNA」がきっかけで誕生した、カフェパラムのオーナーが運営するDIYサウナ。カフェの目の前に流れる清流が水風呂だ(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

同じく「おんせん県いいサウナ研究所」加盟サウナ「Tuuli Tuuli」は、「REBUILD SAUNA」がきっかけで誕生した、カフェパラムのオーナーが運営するDIYサウナ。カフェの目の前に流れる清流が水風呂だ(写真提供/おんせん県いいサウナ研究所)

移住して変わった、自然への尊敬と危機意識

中学生の頃からずっと「山に住みたい」という夢を持ち続けていた高橋さん。まさか大分県に住むとは思ってもみなかったそうだが、実際に訪れてみると、豊後大野の棚田の美しさに感動したという。「田んぼに水がはられて、その水面に夕陽が映る。夜空を見上げれば、天の川の星群を肉眼で見ることができる。四季の移ろいも、気温の上がり下がりだけではない、植物の変化で感じることができる。そういうひとつひとつのことに感動してしまう、大分県の自然のスケール感に心震える毎日です」と笑う。

九州を代表する祖母傾山。豊後大野市は九州で唯一「ユネスコ・エコパーク」と「日本ジオパーク」の両方に認定された自然が豊かな地域。水源も多いせいか、濃緑の山の連なりがひたすらに広がっている(写真撮影/衞藤克樹)

九州を代表する祖母傾山。豊後大野市は九州で唯一「ユネスコ・エコパーク」と「日本ジオパーク」の両方に認定された自然が豊かな地域。水源も多いせいか、濃緑の山の連なりがひたすらに広がっている(写真撮影/衞藤克樹)

森林浴の森日本100選にも選ばれる川上渓谷。夏は川遊びをする人たちもちらほら(写真撮影/衞藤克樹)

森林浴の森日本100選にも選ばれる川上渓谷。夏は川遊びをする人たちもちらほら(写真撮影/衞藤克樹)

山でろ過されて澄みきった水。大分県内でも豊後大野の水質はいいと評判だ(写真撮影/衞藤克樹)

山でろ過されて澄みきった水。大分県内でも豊後大野の水質はいいと評判だ(写真撮影/衞藤克樹)

一方で、環境問題について考えることが多くなった。

「例えば自然災害。雨が降って斜面が崩れるってことが田舎では本当に起きるんです。その時に、前はこんなところから水が出てたかな?と上の方を見たら木が伐採されていたのを発見したこともある。いかに人間のエゴで自然が犠牲になっているかを実感せざるを得ないし、地域の過去・現在・未来を自然から感じることで、自分たちが今からどうしなきゃいけないのか?と向き合うことも多くなりました」

出身地の茨城では都市部で生活していた上に仕事は東京。そのため当時は気がつかなかった問題が見えてきた。高橋さんは今、この集落を守るために、自然を守りつつ、どうすれば子どもから高齢者までが住みやすい環境になるかを真剣に模索している。

豊後大野市の幸福度を上げたい

「大分県には、将来子どもたちのために自分たちは何を残せるかを考えている人、どのようにまちの課題を解決して、どんな未来を託すかを考えている仲間が結構います。そこがすごくいいなと思うし、それだけ、地域で生きるってことは、日本の未来に直結している問題と向き合っているなと自分自身で生活のなかでも感じます。

LAMP豊後大野のスタッフと談笑する高橋さん。スタッフはサウナ移住や地域おこし協力隊として働いている人たちが多く、この場所から独立して大分で働く人たちも多いそうだ(写真撮影/衞藤克樹)

LAMP豊後大野のスタッフと談笑する高橋さん。スタッフはサウナ移住や地域おこし協力隊として働いている人たちが多く、この場所から独立して大分で働く人たちも多いそうだ(写真撮影/衞藤克樹)

東京では、自分の半径何kmだけしか見なくても生活はしていける。けれども地域では、地域共同体で考える必要があります。行政のやることでみんなの暮らしがリアルに決まっちゃうので、税収が少なくなれば、余生をそこで過ごせなくなって、中心地に移動せざるを得ない、みたいなことが現実として起こりえる。この集落を残すためには、ここにいる人たち個人の考えや行動ひとつひとつが本当に大事なんだと意識するようになりました。

そんななかで、なぜサウナをやるのか。それは、単なるサウナが好きという気持ちだけにはとどまりません。豊後大野の教育と福祉を充実させ、子どもから高齢者までが幸福度の高いまちにしたいと思っているからです。そうすれば、きっとこの場所はなくならない。だからこそ、もっと地元と外部との接点が必要で、そこからいいものを取り入れていく必要がある。サウナはその外の世界とのきっかけづくりに位置しているんじゃないかなと思っています」

高橋さんが豊後大野市に移住してから7年が経つ。
移住のきっかけは、ただ仕事のためだった。だが現在は「自分たちが暮らすまちのために」と大きく視点、思考が変化し、地元の仲間と共にいかにまちの暮らしをよくするか、問題解決の糸口を探っている。

「地域に愛着を持つということは、それと共に問題をも一緒に共有をしていくということでもあります。移住を検討している人は、それをわずらわしいと思うかどうかを、実際に何度か移住候補先へと通って先輩移住者の声を聞いてフラットに判断することが大切だと思います」と高橋さんは話す。

地域の共同体として生きる上で直面する問題は、決して1人で解決するものでないことを高橋さんの話を聞いて感じた。移住の決め手は、自分自身が一歩前に踏み出すことはもちろん、地域にどのような人が住んでいて、どう一緒に生活をしていくのかまで目を向け、手を横に広げることが大切なのかもしれない。

高橋さんは今日も豊後大野の愛する景色を守るべく、アウトドアサウナのハブとしてカルチャーを広めている。

高橋さんお気に入りの景色(写真撮影/衞藤克樹)

高橋さんお気に入りの景色(写真撮影/衞藤克樹)

●取材協力
LAMP豊後大野
REBUILD SAUNA
おんせん県いいサウナ研究所

高知の山里に若い移住者相次ぐ。「儲かる林業=自伐型」に熱視線 高知県佐川町

2023年春、日本の植物学の父・牧野富太郎博士を描いた朝ドラ(NHK連続テレビ小説)『らんまん』がスタートする。博士が生まれたのは、高知県の中西部にあり、高知市から車でおよそ40分の佐川(さかわ)町。同町はドラマの舞台として注目される一方で、「自伐型林業」というあまり聞き慣れない林業の先進地としても、実は熱い視線が注がれている。

安定収入が得られるうえに、空いた時間も副業などで有効活用できると言われる自伐型林業。今佐川町では、それに魅力を感じた若者たちが全国から移住してきているという。新しい林業で活気づきつつあるという町の実態を知るために、佐川町へ足を運んでみた。

町面積の7割を占める森を新たな産業の源に

84%という全国トップの森林率を誇る高知県。佐川町でも町面積の7割を森が占める。さらにその7割が人工林でありながら、同町で林業は産業としてほぼ成立していなかった。かつての一般的な林業は、山林の所有者が森林組合などの事業者に管理を委託し、対象となる木を全て伐採する「皆伐」、あるいは木々を間引く「間伐」を必要以上に行う大規模型林業。ところが高額な投資の割には利益が上げづらいといわれ、担い手は減るばかりだった。

人が入らなくなった放置林は、地表に日光が届かず、下層の植物が育たない。大雨時には直接雨水が地表を流れ、土砂災害を誘発する。また大規模な皆伐、さらに大型重機を通す広い作業道の敷設は、放置したままの山で起こる災害以上の被害を発生させる恐れがある。これまでの林業を取り巻く環境は、採算性に加え、環境面でも多くの問題を孕んでいた。

2013年、佐川町の森を産業の源のひとつと考え、「自伐型林業」による林業振興を公約に掲げた堀見和道町長が就任する。「小規模投資で参入しやすく、利益も上げやすい。しかも雇用を生み、環境にもいい」とされる自伐型林業。近年全国50以上の自治体が導入支援を行っているが、堀見町政以降の佐川町ほど手厚い支援を行う自治体は少なく「佐川型自伐林業」として知られるほどになった。

従来型林業と、自伐型林業の大きな違いは伐採のスパンと規模だ。これまでの林業は、約50年のスパンで大規模に皆伐し、また造林する、というのを、場所を変え繰り返していくため、その規模に見合った大型な機械や作業道などへの投資が必要で、採算性に問題があった。その不採算を高額の補助金で補填している側面もあった。

自伐型林業は、一つの場所を100年から150年以上の長いスパンでとらえ、皆伐はせず、少しずつ伐採し長く利益を得ていく。従来型に比べ、機械や作業道への投資規模は小さくて済み、小さな法人や個人なども参入でき、採算化もしやすいため、補助金の補填も最小限で済むといった特徴があり、近年、注目されているのだ。

佐川町の人工林は約5000haあるといわれている(写真提供/斉藤 光さん)

佐川町の人工林は約5000haあるといわれている(写真提供/斉藤 光さん)

メリット多き自伐型林業の魅力をさらに高める施策

現在佐川町の林業家は、やり方次第では自伐型林業だけで300万円以上の収入を得ることが可能だ。それは佐川町が林業家に対して行う支援によって実現した。例えば佐川町では従事者に対してショベルカーなどの重機は一日500円でレンタルできる補助を行う。極端なモデルケースでは「自立支援金で購入した軽トラとチェーンソーがあればできる」といわれるほど初期投資は少なく、参入もしやすくなった。

またこれまでの林業は、前述のように約50年単位で大規模な伐採をしていた。しかしスギやヒノキにとってこの年数はまだ若く、高価格な建材としては出荷できず加工用として安く取引されてしまうことが多い。しかも次の伐採は50年後だ。

自伐型林業では、混み合った木々を間引いていく間伐を、森全体の2割で留める。これは伐採しても木が自然に増えていく森林成長率に即した割合だという。これにより継続的に出荷できる上に、残った木も成長により価値が上がり、森の環境も維持できる。

間伐を進めるための補助金を支給していた高知県。その条件は森全体の3割を間伐すること。これを森林成長率に照らし合わせると、森を傷めることになりかねない。佐川町は高知県と協議の末、「2割間伐」での緊急間伐補助金の新設に成功。従事者には1haを間伐するごとに、12万2000円が支給されるようになった。

作業道の整備に対しても、1m開通に付き、県と町あわせて2000円を支給し、林業家のモチベーションを高めている。実は林業にとって作業道は、人間にとって血管のごとく重要な存在。作業道があって初めて森の中で仕事ができる。自伐型林業のために整備する作業道は、従来型に比べ狭く済み、土壌流出を最小限に留め、かつ法面の緑化を促す。つまり小規模な作業道の整備は、災害に強い森づくりと林業振興のダブル効果があるのだ。

自伐型林業では幅2~2.5m程度の作業道をつくる。これは重機が通れる最低限の道幅だ(写真提供/斉藤 光さん)

自伐型林業では幅2~2.5m程度の作業道をつくる。これは重機が通れる最低限の道幅だ(写真提供/斉藤 光さん)

担い手不足は全国から募った地域おこし協力隊が補う

このようにいいことずくめの自伐型林業だが、問題のひとつとしてあげられていたのが担い手不足。「佐川町内での林業家募集に望みは薄い」と考えた佐川町は、2014年に地域おこし協力隊の制度を活用し、全国から人材を募ることでこの問題に対応した。毎年5人を採用し、10年間続ける計画だ。

「森林率全国一位の林業県である高知で働くということは、私にとっては林業界のハリウッドで働くということです(笑)」と語るのがこの第一期生となった滝川景伍さん(38歳)。京都生まれの滝川さんは、一時は映画監督を目指すも挫折し、大学卒業後は出版社で編集者として活躍した。

ほぼ毎日終電帰りという多忙さと、子どもを授かったことによる心境の変化を機に、30歳の時に転職を決意。農業などの一次産業に魅力を感じていた時、偶然にも大学の先輩が自伐型林業推進協議会の事務局長をしていたことから、自伐型林業を知ることになった。

「単なる林業ではなく『自伐型』という響きに興味を持ちました。いろいろ調べてみると最小限の道具だけで始められる。しかも高知県は近代自伐型林業の発祥地であり最先端を行く場所。ちょうど佐川町で自伐型林業の地域おこし協力隊を募集していたのが決め手でした」

今や佐川町の自伐型林業のリーダー的存在となった滝川さん。メディアからも引っ張りだこだ(写真提供/斉藤 光さん)

今や佐川町の自伐型林業のリーダー的存在となった滝川さん。メディアからも引っ張りだこだ(写真提供/斉藤 光さん)

林業家の職場を確保するための山の集約化

地域おこし協力隊として赴任したばかりの滝川さんは、予想以上に重いチェーソーに四苦八苦しながらも、技術の習得に励んだ。「林業家として山主さんから安心して管理を任せてもらうためには、ヨソ者の私にとって、協力隊3年間の任期内での技術習得は絶対条件でした」と振り返る。

任期終了後、独立支援金としての100万円で、軽トラックと防護服など必要な備品を買い揃え、林業家としての道を歩み始めた滝川さん。とはいえ自由に森へ入って仕事ができるわけではない。森の中には、数多くの山主の所有地があり、その境界線が複雑に張り巡らされ、一箇所ずつ許可を得る必要がある。

そこで佐川町は、林業家の代わりとなって山主と交渉する「山の集約化」を推し進めた。それにより滝川さんもスムーズに山へ入っていくことができた。現在滝川さんが管理を任されている森は約35ha。自伐型林業を専業にして生活していくためには50ha、兼業で30haが必要とされている。

滝川さんによると、これまで佐川町が山主と管理契約を行った700haの森のうち、施業者に委託されたのは約100ha。道半ばの印象はあるが、「町が集約化を進めたことで、林業を行う仕事場が確保されたメリットは大きい」と滝川さんが語るように、行政のバックアップは新人林業家には頼もしい存在だ。

チェーンソーを使いこなす滝川さん。怪我と隣り合わせの仕事ゆえに、「精神的にゆとりを持って臨むことが大切」と語る(写真/斉藤 光さん)

チェーンソーを使いこなす滝川さん。怪我と隣り合わせの仕事ゆえに、「精神的にゆとりを持って臨むことが大切」と語る(写真/斉藤 光さん)

林業で食べていくための補助金は、安全な地域づくりの必要経費

新人林業家として、まずは作業道づくりに励んだ滝川さん。一日平均15mを作れば、1m2000円×15mで、その日の収入は30000円となる。経費は重機のレンタル代ワンコイン500円と燃料代の3000円程度。「最初の年は1.8kmの作業道をつくりました。ただ作業道の補修には労力がかかるので、壊れない道づくりも大切です」と滝川さん。

作業道づくりだけで年間300万円以上の収入に加え、間伐補助金、さらに木材の売上げで十分な年収を確保できた滝川さんだが、「木材の売上げは微々たるもので、補助金で生かされているのも事実。しかし、森を整備することで、山の資産価値を高め、災害防止にも繋がります。補助金は地域の公益性を高めるために必要な先行投資だと思っています」と語る。

長いスパンで仕事を進める林業。滝川さんは「どの木を切るかではなく、どの木を残していくかが大切です」と極意を語る。現時点では木材の売上げは少ないものの、それは高価値の木材を育てるための助走期間。補助金を活用しつつ、将来的には販売売上げの割合を上げていくことが理想だ。

ショベルカーを使いこなし作業道をつくる滝川さん。「天地返し」という工法で地中の砂利を路面に敷き、路面強化を図る(写真/斉藤 光さん)

ショベルカーを使いこなし作業道をつくる滝川さん。「天地返し」という工法で地中の砂利を路面に敷き、路面強化を図る(写真/斉藤 光さん)

林業の包容力が可能にした兼業が生む地域とのつながり

「毎日手がかかる農業と異なり、林業はとてものんびりしています。一度手入れすれば一年ほったらかしにしてもいいこともある。森に入れば自然に包まれ心が和らぐ。こんなストレスフリーな仕事はありませんよ」とその魅力を語る滝川さん。

佐川町で林業家として独立して5年が経った。毎日子どもを保育園へ送り届け、朝の家事をこなして9時ごろに森へ入る。7時間ほど働いたら17時には帰宅。土日や大雨の日は休みだ。2021年の場合、約150日を林業に従事し、それ以外は副業として郷土史の編集や地域の人たちを繋げる活動に取り組んだ。

「佐川町の自伐型林業は、まだまだ地元では実態が把握されていません。町民に山へ関心を持ってもらうことが、山に無関心だった山主へ波及すると考えています。山と地域を繋げることは、ある意味前職の編集に通じます。そんな思いで地域の人と関わる活動にも注力するようになりました」

時間にゆとりのある林業だからこそ、副業や地域活動に取り組める。それが林業家と地元民との新たな接点となり、山に視線を向けてもらう。そんな循環の新たな担い手として期待されているのが、2017年に地域おこし協力隊として赴任し、現在は林業家と町議会議員を兼業している斉藤 光さんだ。

森の中で滝川さんと談笑する斉藤さん(左)は人なつっこいキャラクターで人気者だ(写真/斉藤 光さん)

森の中で滝川さんと談笑する斉藤さん(左)は人なつっこいキャラクターで人気者だ(写真/斉藤 光さん)

モノゴトを「おかゆ化」することで林業の発信を目指す

東京生まれで鍼灸院を営んでいた斉藤さんが、佐川町へ移住するきっかけとなったのは、娘の待機児童問題に直面したこと。「知り合いの紹介もあって、のびのび子育てできる高知へ移住を考えました。当初、林業は仕事として思い入れもなく始めましたが、自己負担なしで林業に必要な免許をすべて取得でき、その技術で作業道をつくれることに興奮しました!」

滝川さんや斉藤さん以外にも、2022年までに39人の地域おこし協力隊が着任。さまざまな形で林業に携わり、「キコリンジャー」という愛称で、それなりに知られるようになった。彼らの家族も含め、そのほかの分野の協力隊など、移住者の存在は徐々に増しつつあった。

「当時の町長の堀見さんに『そろそろ君たち移住者の代表が町議会にいてもいいのでは?』と声をかけられた時には、本当に驚きました」と振り返る斉藤さん。それをきっかけに70代が大半を占める町議会の実体を知ることになり、若者の代表として立候補を決意。2021年10月、定員14人中13位で当選する。

「世の中は簡単なモノゴトをとても難しく伝えていることが多いです。だから私は、誰でも簡単にのみ込めるように『おかゆ化』して、政治の情報をSNSで発信してきたい」と斉藤さんは意気込む。今は林業家兼議員としてどのように林業を盛り上げていくか模索中だ。

時間にゆとりのある林業家だからこそ、議員活動にも力を入れることができる。さらに鍼灸師としての仕事も増え、三足のわらじを履きこなし地域と交流を深める斉藤さん。林業をベースに地方での働き方の新しいカタチを教えてくれているようだ。

「林業を楽しんでいます」と語る斉藤さんだが、作業中は常に真剣だ(写真/斉藤 光さん)

「林業を楽しんでいます」と語る斉藤さんだが、作業中は常に真剣だ(写真/斉藤 光さん)

六次産業化で価値を高め、さらに「食える林業へ」

豊富な補助金、山の集約化などの施策により、林業家の職場と収入は確保されつつある佐川町。さらに肝心要となる木材の売上げを伸ばし、収入増を目指すために林業の六次産業化を進めている。六次産業化とは、生産物の価値を高め、農林漁業などの一次産業従事者の収入を上げることだ。

その拠点となるのが2016年に町内に開設された「さかわ発明ラボ」。ここにはレーザーカッターなどのデジタル工作機器が導入され、林業家はもちろん町内の一般の人も自由に木材の加工ができる。またそれらを巧みに操るクリエーターやエンジニアが在籍し、佐川の木材を使った新たな商品の開発に取り組んでいる。

さらに2023年には「まきのさんの道の駅・佐川」が新たにオープンする。施設内には「おもちゃ美術館」が併設され、佐川町産の木材を使ったおもちゃ等を展示する。同町の林業を産業として発信するシンボリックな役割を果たしそうだ。

さまざまなスタイルの働き方が広がりつつある昨今、自伐型林業という新しい林業をベースに、自らの得意分野を活かした仕事や、新しい分野へのチャレンジを副業として取り入れている佐川町の若者たち。彼らの取り組みは地方移住者の働き方の良きモデルケースになるかもしれない。また産業振興と移住者獲得という2つの効果をもたらした佐川町の取り組みもまた、他の地方自治体にも大いに参考になるはずだ。

歯科医院跡の建物を利用した「さかわ発明ラボ」。地域の子どもたちの交流の場にもなっている(写真/森川好美さん)

歯科医院跡の建物を利用した「さかわ発明ラボ」。地域の子どもたちの交流の場にもなっている(写真/森川好美さん)

●取材協力
さかわ発明ラボ

わずか7畳のタイニーハウスに夫婦二人暮らし。三浦半島の森の「もぐら号」は電気もガスもある快適空間だった!

「タイニーハウス(小屋)」や「キャンピングカー」「バンライフ」のような、小さな空間での暮らしが関心を集めています。旅行のように数日ではなく、日常生活を送るのは不便ではないのでしょうか? 費用やその方法は? 夫妻でタイニーハウス暮らしをしている相馬由季さんと夫の哲平さんのお二人に、その等身大の暮らしを教えてもらいました。

広さ12平米、ロフト5平米の自作タイニーハウスで夫妻ふたり暮らし

米国では2008年のリーマンショック以降、西海岸を中心に、暮らしの選択肢としてタイニーハウスを選ぶ人たちが増えているといいます。このムーブメントは日本にも押し寄せ、タイニーハウスの認知度もじょじょに高まってきていますが、実際に「住まい」として暮らしはじめた人がいると聞き、取材に行ってきました。

場所は、三浦半島のとある私鉄の駅から徒歩数分、森のなかに、まるで童話のなかに出てくるような車輪付きの「小屋」がぽつんと佇んでいます。あまりのかわいさに「映画やドラマのセット?」にも思えてきますが、これは立派な住まいです。

駅から徒歩数分、海も山も近い場所にできたタイニーハウス(写真撮影/桑田瑞穂)

駅から徒歩数分、海も山も近い場所にできたタイニーハウス(写真撮影/桑田瑞穂)

タイニーハウスで暮らしている夫妻。セットのようですが、本物の家です(写真撮影/桑田瑞穂)

タイニーハウスで暮らしている夫妻。セットのようですが、本物の家です(写真撮影/桑田瑞穂)

扉をあけたところ。外観以上にセットのような愛らしさ(写真撮影/桑田瑞穂)

扉をあけたところ。外観以上にセットのような愛らしさ(写真撮影/桑田瑞穂)

「引越してきたばかりのころは、『人が暮らしているの?』とよく聞かれました(笑)」と話すのはタイニーハウスの主でもある、相馬由季さんと哲平さん夫妻。車輪付きのタイニーハウスを由季さんのニックネームにちなんで「もぐら号」と名付けました。広さはわずか12平米とロフト5平米、室内はキッチン、バス、トイレ付きです。ひとり暮らし向けの物件でも部屋の広さは15~20平米を確保していることが多いことを考えると、よりコンパクトな住まいであることがわかるかもしれせん。

シャワー・トイレの排水は、移動できるよう着脱式にして下水道につなげているので、従来の住まいと変わりありません(写真撮影/桑田瑞穂)

シャワー・トイレの排水は、移動できるよう着脱式にして下水道につなげているので、従来の住まいと変わりありません(写真撮影/桑田瑞穂)

建物を横から見たところ。玄関の反対側はエアコン、給湯、プロパンガスなどのインフラチーム(写真撮影/桑田瑞穂)

建物を横から見たところ。玄関の反対側はエアコン、給湯、プロパンガスなどのインフラチーム(写真撮影/桑田瑞穂)

このタイニーハウスで驚くのは、由季さんによる水まわりなど以外は自分でつくる「セルフビルド」であるということ。今でこそ、タイニーハウスを販売している会社も増えていますが、こちらはそうした市販品を使うことなく、木材から建材、トイレなどの住宅設備機器まで、ネットやホームセンターで購入し、つくったといいます。

コンパクトな空間なので価値観のすり合わせが重要だったといいます。キッチンの大きさ、快適さなどの価値観をすり合わせながらつくりあげたので、ストレスなく生活できているそうです(写真撮影/桑田瑞穂)

コンパクトな空間なので価値観のすり合わせが重要だったといいます。キッチンの大きさ、快適さなどの価値観をすり合わせながらつくりあげたので、ストレスなく生活できているそうです(写真撮影/桑田瑞穂)

「DIYのワークショップに1度参加したくらいで、特別なスキルもなかったんですが、はじめてみないことには何も進まないと思い、材料が置けて作業できる場所を探し、都内の木材屋さんの倉庫を借りて実際につくりはじめたんです。
2年かけて必死になって、どうにかこうにかタイニーハウスが完成し、ここで住み始めたのは2020年の年末。それから1年半経過しましたが、狭さや不便さは感じません」(由季さん)

哲平さんは秘境・登山ガイドという仕事のため留守にすることもありますが、基本的には二人で自宅で過ごしているといいます。仕事はテレワーク中心ですが、必要に応じて近所のカフェを利用できるため、不便ではないそう。二人にとって「広さ」は、暮らしの快適さにおいてさほど問題ではないのです。

赤い三角屋根に、街灯、3つの窓に玄関。すべてがかわいい!(写真撮影/桑田瑞穂)

赤い三角屋根に、街灯、3つの窓に玄関。すべてがかわいい!(写真撮影/桑田瑞穂)

ひと月にかかる費用は光熱費1万円のみ!?

相馬由季さんがタイニーハウスを知ったのは2014年ごろ。移動ができる小さな住まいにひと目ぼれし、海外のタイニーハウスに住む人々を訪ね歩いたといいます。

由季さんがタイニーハウス暮らしを思い描いていたころ、夫の哲平さんに出会いました。つきあいはじめてすぐに、「タイニーハウスで暮らす夢」について話したといいます。

「もともとシェアハウスで暮らしていたこと、登山が好きということもあって、室内が狭いということにはまったく抵抗がありませんでした」という哲平さん。どのような暮らしを送りたいか価値観をすり合わせるようにし、つくる過程で少しずつ二人で暮らす仕様になっていったといいます。

駅からすぐ近くにあり、お友だちが遊びに来ることも多いそう(写真撮影/桑田瑞穂)

駅からすぐ近くにあり、お友だちが遊びに来ることも多いそう(写真撮影/桑田瑞穂)

「料理好きなのでキッチンは大きめにしたり、180cm 以上ある身長(夫)にあわせて、室内の高さを考えたり、少しずつ一緒に暮らす前提でつくっていきました」といい、いわばタイニーハウスは結婚する「二人らしさ」を形にした住まいなのです。結婚式を挙行するかわりにタイニーハウスづくり……、ありかもしれません。ただ、どの住宅もそうですが、夢と現実の条件面で折り合いを付ける必要があります。資金面や土地の事情の「リアル」「お金面」では、どのようになっているのでしょうか。

「タイニーハウスの土台となるシャーシが約120万円、設備や材料費、水まわり施工費が約250~300万円、完成したタイニーハウスの移設・設置費が約20万円ほどでした」と由季さん。およそ400万円で完成したといいます。

一方で難航したのが土地探しです。

緑があって、海も近い環境です。周囲の人もおおらかで、快くタイニーハウスの存在を受け入れてもらえたといいます(写真撮影/桑田瑞穂)

緑があって、海も近い環境です。周囲の人もおおらかで、快くタイニーハウスの存在を受け入れてもらえたといいます(写真撮影/桑田瑞穂)

「土地は2年くらいかけて探しました。以前は神奈川県横浜市のシェアハウスに暮らしていたのですが、理想の土地を求めて東京都内、千葉、神奈川などさまざま見学したものの、駅からの距離、土地の広さ、上下水道の引き込み、周辺環境など、気に入るものがなくて。今のこの場所は、駅を降りた瞬間から、駅からの距離、海への近さ、スーパーなど含めて気に入って、『ココだね』となったんです」(哲平さん)

庭で大葉などのハーブや野菜を育てています。想像以上に広いためか、手入れは大変だといいますが、どこかうれしそう(写真撮影/桑田瑞穂)

庭で大葉などのハーブや野菜を育てています。想像以上に広いためか、手入れは大変だといいますが、どこかうれしそう(写真撮影/桑田瑞穂)

土地の広さは1100平米で、価格は交渉。加えて、上下水道の引き込みなどで費用が100万円ほどかかりましたが、ローンは利用せずに思い切って一括で購入しました。
また、タイニーハウスは車輪がついているため、固定資産税がかかるのは土地のみです。自動車として扱うため自動車税と自動車重量税になり、現在かかっているひと月あたりの費用はこれらの税金と水道光熱費のみだそう。

「電気もガスも水道も少量ですむので、光熱費は毎月1万円程度でしょうか」(由季さん)といいます。生活するための住居費や光熱費を稼がなくては……というプレッシャーとは無縁で、より好きなことを仕事にできる感覚があります。

ほかにも「タイニーハウスづくり」を応援してくれた家具屋さんから、「新居祝いに」と庭のテーブルセットをもらったり、地元の植木屋さんから良い木を植えてもらったりと、人とのつながりに助けられている、と笑います。自然体の二人が楽しそうにタイニーハウス暮らしに挑戦しているからこそ、まわりも助けたくなるのかもしれません。

ソファを来客時はベッドになるようにDIY。2人までなら宿泊できるそう(写真撮影/桑田瑞穂)

ソファを来客時はベッドになるようにDIY。2人までなら宿泊できるそう(写真撮影/桑田瑞穂)

通常の部屋の様子(写真撮影/桑田瑞穂)

通常の部屋の様子(写真撮影/桑田瑞穂)

ソファをベッドにし、テーブルを収納するとこのように。コンパクトですが可変性があり、ここまでできるんだと関心してしまいます(写真撮影/桑田瑞穂)

ソファをベッドにし、テーブルを収納するとこのように。コンパクトですが可変性があり、ここまでできるんだと関心してしまいます(写真撮影/桑田瑞穂)

現在の場所に移動してきてから後付けしたテーブル。折りたたみ式で収納可能です(写真撮影/桑田瑞穂)

現在の場所に移動してきてから後付けしたテーブル。折りたたみ式で収納可能です(写真撮影/桑田瑞穂)

小さくても断熱環境やキッチンのサイズ、「快適さ」はゆずらない

とはいえ、予算重視、予算ありきでタイニーハウスをつくったわけではありません。

「室内が小さいからこそ快適性はゆずりたくなくて、断熱材は厚めに入れましたし、窓は樹脂窓(フレームが樹脂製のため金属製に比べ断熱性の高い窓)にしました。キッチンは大きめにしましたし、トイレもバスも好きなものを選んでいます。また、赤い三角屋根のシルエットは、一貫してこだわった部分ですね」(由季さん)といいます。

赤い屋根と樹脂窓、ランプ……。すべてネット通販などで買えるそう。びっくり(写真撮影/桑田瑞穂)

赤い屋根と樹脂窓、ランプ……。すべてネット通販などで買えるそう。びっくり(写真撮影/桑田瑞穂)

一年を通して快適な断熱環境を目指して、樹脂窓を採用(写真撮影/桑田瑞穂)

一年を通して快適な断熱環境を目指して、樹脂窓を採用(写真撮影/桑田瑞穂)

哲平さんが料理好きということもあり、大きめのキッチン。シンクも広々、3口コンロです(写真撮影/桑田瑞穂)

哲平さんが料理好きということもあり、大きめのキッチン。シンクも広々、3口コンロです(写真撮影/桑田瑞穂)

DIYで棚をつくったり、微調整しながら暮らせるのが良いそうです(写真撮影/桑田瑞穂)

DIYで棚をつくったり、微調整しながら暮らせるのが良いそうです(写真撮影/桑田瑞穂)

タイニーハウスは、基本的にひと部屋。採用できる建具や設備が限られているからこそ、一つひとつのパーツ、こだわり、自分の好きなものをぎゅっと選べます。だからこそ、扉を開けたときに、つくり手の価値観が一目で表現できるのがおもしろさでもあります。相馬さん夫妻のタイニーハウスは断熱材や窓、開口部にこだわったこともあり、今年2022年の夏のような猛暑でもすぐに涼しくなり、冬は寒さを感じずに快適だそう。

「完成した『もぐら号』にはたくさんの人が遊びに来てくれましたが、『意外と広い!』『快適なんだ』と言われることが多いですね。プロジェクターを設置したり、折りたたみのテーブルをつけたり、快適に暮らせる微調整は日々、続けています。だからこそ外から見ている以上に空間に広がりがあり、自分の好きに囲まれて暮らせていて、本当に心地いいんです」と話します。季節の衣類や登山用具は、庭のガレージに保管しているため、過度に捨てたり処分したりの必要はないといいます。

プロジェクターを設置しているので、大画面で映画も楽しめます。すごいなー(写真撮影/桑田瑞穂)

プロジェクターを設置しているので、大画面で映画も楽しめます。すごいなー(写真撮影/桑田瑞穂)

映画をベッドに寝転がって鑑賞。夫妻でキャンプのようで楽しい!(写真撮影/桑田瑞穂)

映画をベッドに寝転がって鑑賞。夫妻でキャンプのようで楽しい!(写真撮影/桑田瑞穂)

「趣味のカメラでも、登山用品でも、一つ買ったら一つ売るを徹底しているので、すっきり暮らせているのも心地いいですね」と哲平さんは笑います。ちなみにもぐら号を見た哲平さんのお父さんは、「俺もほしい」と話していたそう。その気持ち、わかります。

タイニーハウスは人生を考える「きっかけ」。暮らしはもっと軽やかでいい笑顔がすてきな夫妻。大きさや持つことにとらわれない、等身大の幸せがあります(写真撮影/桑田瑞穂)

笑顔がすてきな夫妻。大きさや持つことにとらわれない、等身大の幸せがあります(写真撮影/桑田瑞穂)

周囲の人からも大好評の「もぐら号」ですが、泊まってみたいという要望も多いことから、夫妻は今、第2棟となる「カワウソ号」を作成しています。今度は自作ではなくデザインと仕上げの内装は自分で行い、施工はプロに依頼しています。

「タイニーハウスで暮らしてみて改めて思ったのは、住まいを考えるということは、人生を考えるきっかけになるということです。住まいって、暮らし方、働き方、誰とどんな場所で生きていきたいのか、考えるきっかけになりますよね。特にタイニーハウスは小さいからこそ、暮らしや自身の価値観と向き合わないとできないんです」と話します。

2棟目のタイニーハウス「カワウソ号」は9月中には「もぐら号」の隣に移設予定とのこと(写真提供/相馬さん)

2棟目のタイニーハウス「カワウソ号」は9月中には「もぐら号」の隣に移設予定とのこと(写真提供/相馬さん)

やはり小さく、制限があるからこそ、本当に大切にしたいものは何かをよく考え、厳選するようになるのかもしれません。特にコロナでさまざまな価値観が変わった今こそ、「やりたいことをベースにする」に、イチから住まい方を考え直したい、そう思う人が多いからこそ、相馬さんのタイニーハウスづくりを応援したい、興味をもっているという人が増えているのでしょう。

「日本で誰もやったことがない」ことから、「自分がやりたいからやってみる」とタイニーハウスづくりをはじめた相馬さん。「住居費のためではなくて、自分の人生を生きたい」と考えるなら、まずは今までの住まいのあり方を疑ってみるのも、ひとつの方法かもしれません。

●取材協力
相馬由季さん・哲平さん
由季さんのInstagram
ブログ

東京・北品川、築90年の古民家群をリノベした「SHINAGAWA1930」。親子カフェや熟成酒専門店などでまちの拠点に成長中

日本有数のターミナル駅である品川駅にほど近く、かつての東海道五十三次の宿場の一つ、品川宿の雰囲気が色濃く残る北品川エリア。今と昔が共存する、そんな北品川を象徴するかのような複合施設「SHINAGAWA1930」が2022年6月にグランドオープンした。戦前に建てられた古民家をリノベーションしたこの建物は、地域の新たな交流拠点として人や地域とのつながりをどのように生み出しているのだろうか。

かつて品川宿のあった北品川の街並み

品川駅から京急本線で一駅の北品川駅。品川駅からも徒歩圏内ながら、高層ビルが立ち並ぶ品川・港南エリアとはうって変わり、北品川本通り商店会には古き良き宿場町の雰囲気が残る。

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

江戸時代に整備された旧東海道は、現在の東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ街道だ。道中の53の宿場は「東海道五十三次」として歌川広重の浮世絵などでも知られている。その1つめである品川宿は、人々が行き交う「江戸の玄関口」としてにぎわっていた。

そんな旧東海道の名残を見せる商店街を横切り、八ツ山通りの十字路に出ると目に入ってくる2階建ての木造建築物が複合施設「SHINAGAWA1930」。1930(昭和5)年に建てられたとされる古民家をリノベーションしている。

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

同施設は、1棟2階建ての計5棟構成。ソーシャルカフェや親子向けのコワーキングスペース、古酒と熟成酒の専門店といったバラエティ豊かなテナントが入居し、残りの2棟は建築事業を行う企業がオフィスとして利用している。

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

建物の裏には品川浦が広がり、屋形船や釣船が停まる船溜まりを見ることができた。

(写真撮影/阿部夏美)

(写真撮影/阿部夏美)

「一度壊したら、もう戻らない」風景を引き継ぐ新施設

北品川にある古い民家の家並みは、品川区の生活・歴史・風土を伝える風景「しながわ百景」に選ばれたこともあったが、民家の減少により、現在では「失われた百景」に数えられている。

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

SHINAGAWA1930の前身の建物は、このエリアの再開発を見越して京急電鉄が取得していた。これからどう活用していくのか。取り壊して駐車場にする案も挙がるなか、京急電鉄のグループ会社でリノベーション事業を行う株式会社Rバンクの清水麻里さんに相談が持ちかけられた。

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

「築90年を超える古民家が5棟全て残っているのは珍しい。壊すのは簡単ですが、一度壊したらその風景はもう戻りません。建物の歴史を引き継ぎながら地域のためになる新しいことをやりたい、という思いがありました」(清水さん)

町の歴史と立地の特徴から、人々の交流が生まれる場所として古民家を再生してはどうか。2019年、清水さんを中心として運営事務局が立ち上がる。

改修費用の一部はクラウドファンディングで募った。物件の改修工事は京急電鉄が行い、内外装の一部はDIY。柱や梁を生かし、窓ガラスやサッシは一部をそのまま使う。外壁は損傷が激しくほぼ交換したが、元の雰囲気を壊さないように注意を払ったという。

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

クラウドファンディングの支援者や地域住民など、改修を手伝った人は述べ150人以上。「偶然通りがかった人が興味を持って壁を塗ってくれる、なんてこともありました」と清水さん。「何か手伝えることはないか」と、近くに住む人が施設のプロモーション動画を制作してくれたこともあった。

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

清水さんは、施設のすぐ裏にある民家に戦前から住んでいる女性と時々話すそう。

「戦時中、あたりに爆弾が落ちてもこの一角だけは焼けなかったのだとか。石畳は、都電品川線が廃止された時にみんなで石をもらって敷いたと聞きました」(清水さん)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

そうして時代を生き抜き歴史を紡いできた建物が、人々の出会いの場として続いていく。

新型コロナウイルスの感染拡大により、入居テナントが完全な状態で営業できなかったり、イベントが開催直前に中止になってしまったりと影響を受けながらも、2021年1月からテナントが順次オープン。2022年6月に施設全体のグランドオープンを迎えた。

昼夜を通して人が集まるソーシャルカフェ

A棟の1階にはソーシャルカフェ「PORTO(ポルト)」が入り、2階は多目的スペースとして使われている。

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

ソーシャルカフェというコンセプトの通り、昼はカレーやお好み焼きなど曜日ごとに異なる飲食店が営業。夜は日替わりで、美容師やダンサー、ゲストハウスのオーナー、デザイナー、会社員など多様な職種の人が1日店長として店に立つ。

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

2階は時間制で場所を貸し出し、鍼灸院やヨガのレッスン、学習塾などに活用されている。PORTOで食事する人の背後を学習塾に通う小学生が元気に階段をかけのぼっていく光景も見られるそう。

取材時にランチ営業していたのは、スリランカカレーなどを提供する「カレーと紅茶 ミカサ」。昼時の店内は近隣のオフィスワーカーでにぎわっていた。

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

店主の茨木直子さんは北品川エリアについて、「昔ながらの小さな店が地域を支え合っている雰囲気に惹かれた」と話す。当初は飲食をやるならオフィス街でと考えていたが、コロナ禍により生活様式は一変。住民の生活に根ざしたまちに注目するようになったという。

「実は私の店は5日前に営業を始めたばかり。ここで経験を積みながら、北品川の人とふれ合う時間をつくっていきたいです」(茨木さん)

子育て世代のつながりの場をつくる

C棟に入る親子向けの「ママプラスカフェ」は、子連れ歓迎のコワーキングスペースとしても利用できる。もちろんパパも歓迎で、週末は家族での来店も多いのだとか。

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

2階では、ママ講師によるヨガやピラティスのレッスンなどさまざまなイベントを開催。

「同じくらいの月齢の子がいると、親同士の交流は生まれやすいですよね。イベントの参加者同士が意気投合して、後日一緒にカフェに来店することもあります」と店長の森田健吾さん。カフェでは赤ちゃんが隣の人の席に遊びに行ってしまい、それがきっかけで親同士が仲良くなることもあるのだとか。

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

カフェメニューに使う野菜は北品川本通り商店会の青果店で仕入れることで、商店街の人にも店を知ってもらえるようになった。「商店会で紹介されたから来てみた」というお客さんもいる。

「小さい子を育てていると、子ども以外とのつながりがどうしても断たれがち」と森田さん。この店に来ることで、社会との接点を断つことなく子育ての期間を楽しく過ごしてほしいと話す。

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

時代を感じる店内で酒を楽しむ「体験」を提供

B棟「いにしえ酒店」店主の薬師大幸さんは、前店舗の移転先を探していたタイミングでSHINAGWA1930のオープン情報をキャッチ。古民家をリノベーションした物件は店のコンセプトにぴったりで、「物件情報を見て即連絡した」という。

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

日本酒を寝かせた古酒・熟成酒を販売しているが、薬師さんは「ただ酒を売ることだけが目的ではない」と話す。「マーケットが小さいジャンルなので、まずは知って、味わって、体験してもらいたい」と、店内の商品は全て有料試飲することができる。

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

2階の「いにしえLABO」では、日本酒ナビゲーターによるセミナーや、自分好みのペアリングを探す「チーズと熟成酒の会」などを開催。日本酒「車坂」の杜氏を招いて3時間ひたすら語ってもらう会や、苔の専門家をゲストに苔を眺めながら飲む「苔と熟成酒」など、個性的なイベントも企画している。

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「見たり聞いたり、自分で組み合わせを試して味わったり。この店での体験を通して、古酒・熟成酒のことを深く知ってほしい。ただ商品を買って帰るだけでは、なかなかそうはなりませんから」(薬師さん)

肩肘張らない地域の雰囲気を感じながら働く

E棟とD棟をオフィスとして使うのは、BIMという技術で木造建築に関わる業務の効率化を推進する株式会社MAKE HOUSE。

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

オフィスのしつらえは社員みんなで考え、梱包材をカバー代わりにするソファやパイプを使ったテーブルを置く。およそオフィスという雰囲気はなく、ゆったりと働けそうな印象を受けた。

もう1棟は、実証実験の会場になっていた(期間限定のため現在は終了)。社員数の増加に伴い、今後はオフィスとして使うという。

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

移転前は品川駅付近にオフィスを構えていた同社。社員の岩田剛士さんは「今のオフィスは肩肘張らずにいられる」と話す。

「品川と北品川では、だいぶ雰囲気が違いますね。以前は高層ビルのワンフロアで働き、昼食は主にキッチンカーで買っていましたが、今は商店街やリーズナブルなごはん屋さんが近くにあるし、PORTOさんで食べることもあります。都市部でありながら、こぢんまりとした雰囲気が気に入っています」(岩田さん)

SHINAGAWA1930のこれから

建物の完成からグランドオープンまで、1年半をかけて少しずつまちにひらいてきたSHINAGAWA1930。施設としては町内会と商店会に加入しており、清水さんは「コロナの状況が落ち着いたら、商店会と連携した企画を進めるなど、もっと地域と関わっていきたい」と話す。

最近は、1人でふらっと遊びに来た地元の子どもが施設を気に入り、後日親子で再訪してくれることもあったそう。そんなゆるやかさが北品川ののんびりとした雰囲気にマッチし、人と人とが出会うきっかけを自然に生み出しているのかもしれない。

●取材協力
SHINAGAWA1930

生活保護を理由に入居差別。賃貸業界の負の解消に取り組む自立サポートセンター「もやい」の願い

長引くコロナ禍で、仕事を失ったり、家賃を支払えない人が増えています。また以前から、生活保護受給者を入居拒否する入居差別はありました。連帯保証人がいないなどの問題もあります。こういった生活困窮者の住まい探しのサポートを行っている自立生活サポートセンター・もやいに、生活困窮者の住まい探しの現状と入居支援などについて取材しました。

生活保護受給者の住まい探しは難しい。入居を希望しても断られる入居差別の実態コロナ禍で困窮が深まったため、2020年4月から臨時の相談会を開催。公的制度の利用のための支援や、宿泊費・生活費を提供するなどのサポートを行っている(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

コロナ禍で困窮が深まったため、2020年4月から臨時の相談会を開催。公的制度の利用のための支援や、宿泊費・生活費を提供するなどのサポートを行っている(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

自立生活サポートセンター・もやいの名前の由来は、「もやい結び」という船を港に係留するときや、登山や救助活動で安全を確保するときのロープの結び方を表す言葉です。“船と船をつなぎあわせること”“寄り添って共同でことをなすこと”という意味があり、「日本の貧困問題を社会的に解決する」という理念を表しています。2010年からもやいの活動に携わってきた理事長の大西連さんは、生活困窮者による問い合わせ件数がコロナ禍前に比べて1.5倍以上に増えているといいます。

メディアからのインタビューを受ける大西さん。2022年には、地方新聞46紙と共同通信社が選ぶ「地域再生大賞」の優秀賞にもやいが選ばれたが、「もやいが必要のない世界」を目指し発信を続けている(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

メディアからのインタビューを受ける大西さん。2022年には、地方新聞46紙と共同通信社が選ぶ「地域再生大賞」の優秀賞にもやいが選ばれたが、「もやいが必要のない世界」を目指し発信を続けている(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

生活困窮者とひとくくりにいっても、ネットカフェに泊まりながら派遣で働く若者や、パートナーのDVから避難してきた女性、低年金・無年金の高齢者などさまざまな人がいます。年代は、10代~70代と幅広く、男女比は6:4で男性が多いですが、年々女性の数も増えています。

「6000件/年の問い合わせには、『生活費が足りない』『仕事が見つからない』という生活に関する相談のほか『住むところが見つからない』という住まいに関する困りごとも寄せられます。賃貸住宅に入居を希望する場合、入居審査を受ける必要があります。もやいの設立当初、審査で重要視されていたのは、収入や支払い能力のある連帯保証人がいること。ホームレスで仕事がなかったり、連帯保証人が見つけられないと、審査に通りませんでした。近年では保証会社の利用が一般的なので連帯保証人は必須ではありませんが、親族等の緊急連絡先が必要です。緊急連絡先は連帯保証人とは異なり法的な責任を問われるものではありませんが、依頼できる先が見つからず物件申込ができないという相談は多く寄せられます。入居を希望しても、生活保護だからという理由で断られる入居差別もあります」(大西さん)

連帯保証人を引き受けるなど、生活困窮者の住まい探しをサポート

設立当初、野宿者支援を行うなかで、連帯保証人を見つけられず賃貸住宅に入居できない問題に直面したもやいは、連帯保証人を引き受ける入居支援「もやい保証」の取り組みをはじめました。今までに、もやいが連帯保証人になったのは、延べ2400世帯。宅建免許を取得した2018年以降は、仲介を行う「住まい結び」で生活困窮者の住まい探しをサポートしてきました。

入居支援チーム。左から川岸夕子さん、東あさかさん、伊藤かおりさん。入居者、大家さん、管理会社、それぞれの利害を調整しながら、支援の形を模索している(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

入居支援チーム。左から川岸夕子さん、東あさかさん、伊藤かおりさん。入居者、大家さん、管理会社、それぞれの利害を調整しながら、支援の形を模索している(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

全体の問い合わせのうち、住まいが見つからない相談者に対し、身分証や携帯電話がない場合の取得方法、収入がなくて家賃が払えない場合の生活保護の利用についてアドバイスしています。

仲介担当の東あさかさんは、入居差別があるなかで住まいを探す厳しさを実感しています。

「生活相談後に希望があれば、不動産情報サイトを使って物件を調べ、不動産会社に問い合わせをします。生活保護を利用している方だと伝えると、当初は7割断られる状況でした。『生活保護相談可』という物件でも『受給理由』によるというケースは多く、精神障害のある方は断られることが多いという二重の差別もあります。入居拒否の理由はさまざまですが、『無職だと生活サイクルがほかの居住者と合わない』と心配される大家さんもいます。明確な理由はなく『トラブルを起こすのでは』という先入観もあるようです。一般の人が、さまざまな不動産情報サイトにアクセスし、自分で住まいを選べるのに対し、生活困窮者の選択肢はとても少ないのです」(東さん)

都営住宅や市営住宅など公的な住宅は老朽化していたり供給戸数が限られており、エリアによっては選択肢にならない場合も多いのです。行政は、生活困窮者向けの居住支援として、住宅セーフティネット制度を2017年にスタート。高齢者、障害者、子育て世帯など住宅の確保に配慮が必要な人が今後増加すると見込み、民間の空き家・空き室を活用して供給を促す取り組みです。「セーフティネット住宅情報提供システム」から誰でも検索できるようになっています。さらに2021年7月には、住むところに不安を抱えている人の相談窓口「すまこま。」のサイトがオープン。最近では、住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律(通称:住宅セーフティネット法)に基づき、都道府県が指定した団体(居住支援法人)が居住支援を行えるようになりました。

もやいでは、2017年から毎年、厚生労働省に対して、「生活保護制度の改善および適正な実施に関する要望書」を提出している(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

もやいでは、2017年から毎年、厚生労働省に対して、「生活保護制度の改善および適正な実施に関する要望」書を提出している(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

「社会的意識の高まりという面での前進はあると思いますが、『セーフティネット住宅情報提供システム』は、登録件数も少なく相談現場での現実的な選択肢にはなりません。『すまこま。』は、電話・メールなどからの相談を受けて、最寄りの該当窓口へつなぐもの。仲介は行っていません。生活保護の住宅扶助内では、新宿区や千代田区など家賃が高いエリアで物件探しが難しい実態もあります」(東さん)

生活困窮者に向けた居住支援は少しずつ広がりを見せていますが、まだ課題が山積みです。

「制度があっても現実に即していない場合があるのです。住宅確保給付金は、離職・廃業や所得の減少が受給条件の一つとなっているので、慢性的貧困に陥っているワーキングプアは使えません。月々の家賃の支払い能力があっても、転居のための初期費用が用意できず、やむなくネットカフェ暮らしをしている人もいます。公的補助による転居支援が必要とされています」(大西さん)

サロンや誰でも入れる互助会「もやい結びの会」を運営。孤立しがちな生活困窮者を息の長い支援で支えるもやいの事務所内で、誰でも立ち寄れる交流サロン「サロン・ド・カフェ こもれび」を運営(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

もやいの事務所内で、誰でも立ち寄れる交流サロン「サロン・ド・カフェ こもれび」を運営(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

週替わりランチ・おやつ、飲み物を提供していた。現在はコロナ禍での活動を模索中(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

週替わりランチ・おやつ、飲み物を提供していた。現在はコロナ禍での活動を模索中(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

もやいでは、新たな取り組みとして、2020年に、住居がない人のためにシェルターの運営を開始。アパート型のシェルターに住民票をおいてマイナンバーカードなどの身分証明書を取得するなど態勢を整えた上で、賃貸住宅に移ってもらおうというものです。

期間限定のモデル事業としてスタートした「もやいシェルター」だが、コロナ禍で困窮が深まったと判断し、2022年度も継続している(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

期間限定のモデル事業としてスタートした「もやいシェルター」だが、コロナ禍で困窮が深まったと判断し、2022年度も継続している(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

保証人の担当をしている伊藤かおりさんは、「相談者との付き合いは、入居後の方が長い」と言います。

「不動産会社とトラブルがあれば間に入って対応をしています。入居しても、その後、孤立してしまう相談者もいますので、契約更新時には面談をするなどコミュニケーションを図っています。バースデーカードや年賀状、年4回の会報も郵送しています。会報には、切手不要のハガキを添え、近況を返信してもらえるよう工夫しています。コロナ禍に送ったお米には感謝の声が寄せられました」(伊藤さん)

「助けられるだけでなく、もやいの活動に参画するひとり」だと感じてほしいと、連帯保証人・緊急連絡先の引き受けを行った相談者は、すべて、『もやい結びの会』という互助会に属しています。もやいの事務所を開放した『サロン・ド・カフェ こもれび』や農業活動も行ってきました。今後、コロナ禍での交流をどうしていくか検討を進めています」

2021年4月にはじまった「もやい畑@藤沢」。藤沢市と協働して行っている。2021年度の開催回数は53回、延べ390名が参加。畑づくりをきっかけに新たな目標を見つける参加者も(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

2021年4月にはじまった「もやい畑@藤沢」。藤沢市と協働して行っている。2021年度の開催回数は53回、延べ390名が参加。畑づくりをきっかけに新たな目標を見つける参加者も(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

「もやい畑@藤沢」で収穫したじゃがいも。休憩時間は、持ち帰った野菜の食べ方などの会話で盛り上がる(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

「もやい畑@藤沢」で収穫したじゃがいも。休憩時間は、持ち帰った野菜の食べ方などの会話で盛り上がる(画像提供/自立生活サポートセンター・もやい)

「サロンや農業は自由参加です。ゆるく長く見守り続けるのがもやい流。『ここに来れば安心できる居場所があるんだ』と思ってもらえたら」と大西さん。

生活困窮者は遠い存在ではなく、身近に困っている人がいるかもしれません。「生活保護に先入観のある人も、知らずに出会っていたら、その人に違った印象を持ったでしょう。一面だけで判断しないでほしいのです」という東さんのメッセージが心に残っています。皆が安心して住めるように、関心を持ち続け、自分の意識から変えていくことが大切だと感じました。

●取材協力
・自立生活サポートセンター・もやい

渋谷駅まで電車で30分以内、家賃相場が安い駅ランキング 2022年版

東京屈指の繁華街である、渋谷駅。大規模な再開発が進行中で、7月に東急百貨店本店跡地の複合ビルの計画概要が発表され「都心のオアシス構築」を目指すという。新しい顔を次々と見せてくれる渋谷までアクセスが良い場所に住むなら、どこがねらい目か。ワンルーム・1K・1DK(10平米以上~40平米未満)を対象にした、家賃相場が安い駅ランキングの最新版から考えてみた。

渋谷駅まで電車で30分以内、一人暮らし向け物件の家賃相場の安い駅TOP13

順位 駅名 家賃相場(主な路線/駅所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 生田 4.98万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区/27分/2回)
2位 読売ランド前 5.35万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区/30分/2回)
3位 妙蓮寺 5.90万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/30分/1回)
4位 和泉多摩川 6.05万円(小田急線/東京都狛江市/25分/2回)
5位 和光市 6.10万円(東武東上線/埼玉県和光市/29分/1回)
5位 宿河原 6.10万円(JR南武線/神奈川県川崎市多摩区/28分/1回)
5位 青葉台 6.10万円(東急田園都市線/神奈川県横浜市青葉区/28分/0回)
8位 つつじヶ丘6.20万円(京王線/東京都調布市/27分/1回)
8位 向ヶ丘遊園6.20万円(小田急線/神奈川県川崎市多摩区/24分/1回)
8位 新百合ヶ丘6.20万円(小田急線・多摩線/神奈川県川崎市麻生区/30分/1回)
8位 狛江 6.20万円(小田急線/東京都狛江市/23分/2回)
8位 高田 6.20万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/30分/1回)
13位 久地 6.30万円(JR南武線/神奈川県川崎市高津区/26分/1回)
13位 喜多見 6.30万円(小田急線/東京都世田谷区/21分/2回)
13位 戸田公園6.30万円(JR埼京線/埼玉県戸田市/29分/0回)

1位と2位は川崎市多摩区のベッドタウン、生田駅と読売ランド前駅

1位と2位は、ともに川崎市多摩区に位置する駅がランクインした。多摩区は北に多摩川、南には多摩丘陵が広がる緑豊かなエリア。かつては多摩川梨の栽培で知られた農村地帯だったが、都心へのアクセスのよさから宅地開発が進んだベッドタウンだ。

川崎市多摩区(写真/PIXTA)

川崎市多摩区(写真/PIXTA)

1位の生田駅は小田急線の沿線駅で、準急や通勤準急の停車駅。新宿駅へも約20分で行くことができ、ランキング中で唯一、家賃が5万円を切っている。

生田駅は明治大学の生田キャンパスや聖マリアンナ医科大学の最寄駅で、専修大学生田キャンパスなども近い。そのため、学生を対象にした手ごろな家賃の単身者用物件が充実しているのもランキングに影響しているかもしれない。

駅周辺には大規模な商業施設があるというわけではないが、学生街らしく、手軽に行ける飲食店やドラッグストアなどは数多い。大学を中退した青年の引きこもりの葛藤を描いた滝本竜彦の人気小説やアニメ『NHKにようこそ!』の舞台になった街でもある。

少し行くと一戸建てが目立つ住宅街が広がっており、近年はファミリー層の住民も増えている。アットホームな雰囲気のこぢんまりした商店街があり、野菜の直売所を見かけることも。付近には遊歩道や、天候に恵まれた日には東京スカイツリーまで望める展望広場などもある。

3位の妙蓮寺駅は、人気の東急東横線の駅。各駅列車のみの停車駅だが、横浜駅へ約6分で行けるほか、特急停車駅の菊名駅は隣駅で、駅間距離は約1.5km。菊名駅は新幹線の新横浜駅へのアクセスも良く、物件の立地によっては手ごろな家賃と交通利便性の両方がねらえそうだ。

妙蓮寺駅(写真/PIXTA)

妙蓮寺駅(写真/PIXTA)

駅前には駅名の由来となった日蓮宗のお寺「妙蓮寺」がある。そのためか緑豊かで、街並みもどこか閑静な印象。昔ながらの個人商店が散在するノスタルジックな路地などは、街歩きも楽しそうだ。

駅の近くには、2万8000平米の敷地を持つ菊名池公園がある。桜並木や広場などのほか、夏に猛暑が続く昨今には嬉しい流水プールなどの施設も備えており、小さな子どもがいる家庭にとっても魅力的なエリアかもしれない。

渋谷まで直通の和光市駅、駅直結の施設開業でより便利に

5位の和光市駅は、ランキング中唯一、東武東上線・東京メトロ有楽町線・副都心線の沿線駅。副都心線は渋谷駅まで直通しているため、時間を気にしなければ座って乗り換えなしで行ける。東武東上線は池袋駅まで約13分、有楽町線は有楽町駅や銀座駅まで乗り換えなしで移動できるのもうれしいところだ。

和光市駅は所在地である埼玉県和光市の中心部にある、市の玄関口。駅南側を中心に大型スーパーやドラッグストア、飲食店は充実しているが、大きな繁華街へのアクセスがよいだけに、以前は足元の駅付近は日常以上の買い物施設も十分、とまでいえなかったかもしれない。しかし2020年に東武ホテルなどが入った駅直結の商業施設「エキアプルミレ和光」が開業したことで、仕事などの帰宅途中に家の近くで寄れる選択肢が増えた。

和光市駅(写真/PIXTA)

和光市駅(写真/PIXTA)

駅前広場では毎月2回、野菜の直売会も開催されている。和光市内は郊外を中心に農家も数多く、地元の農家の手による新鮮な農産品の直売所も市内各地にあり、店頭では目にしないような珍しい野菜や、地元特産のブランドいちごなども販売されている。駅近くにはそんないちご狩りができる農園があるほか、市が農地を貸し出して菜園体験ができる市民農園などもある。

整備された駅周辺の景色からベッドタウンとしてのイメージが強いが、和光市は江戸時代には川越街道の宿場の一つ、白子宿(しらこじゅく)としてにぎわった歴史を持つ。そのため古くから住んでいる住民も多く、地域のつながりが密接で、地域のお祭りやイベントの開催も盛ん。また市をあげて、日本中のご当地鍋の日本一を決めるコンテスト「ニッポン全国鍋グランプリ」を開催しており、観光客の殺到する名物イベントになっている。

駅北口は周辺道路が狭く住宅が密集しているが、新たな駅前広場や公園の整備、道路を拡充する再開発が推進中。安全で災害に強い街づくりが進められている。

同率5位の青葉台駅は、神奈川県横浜市青葉区に位置する。東急田園都市線の駅で、急行や準急が停車する。平日は渋谷駅からの深夜急行バスも運行しており、帰宅が遅くなりがちな多忙なビジネスパーソンから重宝されている。

青葉台駅(写真/PIXTA)

青葉台駅(写真/PIXTA)

駅から直結する商業施設「青葉台東急スクエア」はスーパーやドラッグストアのほか、書店やカルディコーヒーファーム、インテリアショップの「Francfranc」、生活雑貨の「ナチュラルキッチン」など、近場にあったら便利な店舗がひと通りそろっている。カルチャーセンターやコンサートホールも入っており、クラシックコンサート会場としての評価も高い。

駅周辺も「成城石井」や「明治屋」などの買い物施設や商店街、チェーン系からこだわりの飲食店まで充実しておりにぎやか。安売り店の「MEGAドン・キホーテ青葉台店」や業務スーパーもあり、買い物には不自由することはなさそうだ。

道路の幅も広く整備されており、住みやすさがうかがえる。駅から少し行くと、桜台公園がある。自然な環境が残された池や、森の中に散策路が設けてあり、都心の中とは思えない豊かな緑を満喫できるもの心地よい。ただ、住宅街は一戸建てが大半で、集合住宅も大規模建築が目立つ。子ども向けの教育施設も多く、どちらかというファミリー向けのエリアだが、ライフステージが変わっても満足して住み続けられる場所、ともいえるかもしれない。

8位の新百合ヶ丘駅は、小田急多摩線の始発駅。快速急行や急行、特急ロマンスカーも停車する。

駅には「小田急アコルデ新百合ヶ丘」「小田急マルシェ新百合ヶ丘」の2つの商業施設が直結。付近のスーパーなども大型の施設が多い。少し行くと飲食店が充実した商店街「マプレ専門店街」もある。

マプレ専門店街(写真/PIXTA)

マプレ専門店街(写真/PIXTA)

新百合ヶ丘は芸術啓発に力を入れている街であり、駅周辺には映画館やホールなどの文化施設が多い。南口の駅前には大作映画をチェックできるシネコン「イオンシネマ新百合ヶ丘」だけでなく、北口から徒歩3分の「川崎市アートセンター」には名画の上映が行われる「アルテリオ映像館」、演劇公演、イベントなども行われる「アルテリオ小劇場」などがある。また、日本で唯一の映画の単科大学である日本映画大学や昭和音楽大学も、新百合ヶ丘駅が最寄駅。昭和音楽大学では一般向けのコンサートも開催されている。そうしたホールなどが共催し、地域が主体となった芸術イベントや映画祭などの開催も数多い。

住宅街は閑静で、あちこちに中規模の公園や緑道を見かける。また所在地である麻生区は、区域の約4分の1が農地や山林だが、川崎市は緑地保全を推進しているため、穏やかな環境が急変することもなさそうだ。

巨大繁華街である渋谷駅へのアクセスの良さでピックアップしたランキングだが、自然豊かな街で閑静な街が多いため、部屋探しの際の選択肢の多彩さや奥深さが感じられる。ゆったりした生活と、繁華街での仕事や遊びのメリハリがつく、充実した日々の拠点になる部屋が、きっと見つかるはずだ。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている渋谷駅まで電車で30分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2022/4~2022/6
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年6月27日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

災害時、避難所でなく「在宅避難」するための条件は? 一戸建ては「レジリエンス住宅」という選択肢も

9月は「防災月間」になっている。1923年9月1日に発生した「関東大震災」、1959年9月26日の「伊勢湾台風」と、以前から9月には甚大な災害が多いのだ。積水ハウス 住生活研究所の調査によると、災害時に避難所へ行くより在宅避難を望む人が多いというのだが……。

【今週の住活トピック】
「自宅における防災に関する調査(2022年)」 を公表/積水ハウス

災害時に避難所に行くのは抵抗感がある。理由はプライバシー

「自宅における防災に関する調査(2022年)」(調査対象500人)によると、災害時に避難所に行くかというと、どうやら抵抗感のある人が多いようなのだ。「災害時に避難所へ行くことに抵抗感があるか」を聞くと、コロナ禍前の時点でも、61.0%が「抵抗がある」と回答したが、コロナ禍の現在においては、抵抗を感じる人がさらに増え、74.6%が「抵抗がある」と回答した。

出典:積水ハウス 住生活研究所「自宅における防災に関する調査(2022年)」

出典:積水ハウス 住生活研究所「自宅における防災に関する調査(2022年)」

では、なぜこれほど抵抗感があるのだろう? 避難所へ行くことに抵抗があると回答した373人にその理由を尋ねたところ、「プライバシーがないから」が72.7%に達し、「新型コロナウィルス感染症の懸念」の60.9%よりも多くなった。避難所の感染対策や衛生面の不安もあるが、なによりプライバシーがないことに抵抗感が強いようだ。

出典:積水ハウス 住生活研究所「自宅における防災に関する調査(2022年)」

出典:積水ハウス 住生活研究所「自宅における防災に関する調査(2022年)」

「在宅避難」するための条件とはどんなもの?

避難所に行かないなら、どうするのか?となると、「在宅避難」をすることになる。そうはいっても、住宅が安全ではないのに、避難生活をおくるわけにはいかない。

マンションが多い自治体などでは、「在宅避難」を勧めている場合もある。新耐震基準のマンションは、過去の大地震でも倒壊する件数が少ないことから、避難所には家が倒壊した人などを優先しようということだ。そのため、ホームページなどに在宅避難に関する情報を多く掲載している。例えば、東京都台東区が用意している「在宅避難判定フローチャート」を見ていこう。

災害時において自宅に倒壊や焼損、浸水、流出の危険性がない場合に、そのまま自宅で生活を送る方法を「在宅避難」と位置づけ、在宅避難が可能かどうかは、こちらのフローチャートで確認するように呼び掛けている。

■台東区の在宅避難判定フローチャート

判断1 危険を見極める
チェックポイント
・自宅の家屋に倒壊などの被害があるか?
・隣家の倒壊・火災などで自宅に影響があるか?
・自宅が水害や土砂災害の被害を受け、生活できないか?
→ 危険または不安を感じたら避難所へ
→ 危険がなければ判断2へ
※応急危険度判定が実施された場合には、判定結果に従う

判断2 生活できるか確認
 チェックポイント
・日常生活をするうえで、他人のサポートが必要になるか?
→ 自宅での生活ができなければ避難所へ
→ 不安がなければ在宅避難へ
なお、自宅だけでなく避難所も、停電や断水している場合があり、その対策のため設備にも限りがあるが、在宅避難者も避難所のマンホールトイレなどの利用や食料受給が可能としている。

そして、在宅避難をするためには、非常用備蓄品(飲料水や燃料、食品、生活用品等)を常備するように促している。

このフローチャートを見ると、自宅が停電や断水している場合であっても、在宅避難してほしいということのようだ。

在宅避難を支援する「レジリエンス」の設備機器もある

先ほどの調査結果に戻ろう。「自然災害による被災経験または計画停電の経験がある」という人が64%もおり、「経験したことのある事態」で多いのが、「自然災害による停電」(74.7%)、断水(38.8%)、計画停電(34.4%)だった。計画停電を含み、停電の経験者が多いことが分かる。

出典:積水ハウス 住生活研究所「自宅における防災に関する調査(2022年)」

出典:積水ハウス 住生活研究所「自宅における防災に関する調査(2022年)」

次に停電の経験者239人に、停電時の行動を尋ねたところ、85.4%の人が「自宅で電力が復旧するまで我慢する」と回答した。自宅での防災対策についての質問では、飲料水や非常食などを備蓄したり、家具の転倒に備えたりしている人が多いが、「災害時の電力確保」をしている人は9.4%しかいなかった。我慢するのはかなり大変だろう。

では、災害時の停電や断水でも最低限の生活ができるようにするには、どうしたらよいのだろう?マンションの場合、共用設備は管理組合で維持管理するものなので、すべて各家庭で判断できるものではないが、一戸建ての場合は各家庭で住宅用設備機器を選ぶこともできる。

最近では、ハウスメーカーの多くが、災害などのリスクを乗り越える力をもつ「レジリエンス(※)住宅」という、さまざまな設備機器を組み合わせた住宅を提供している。

※レジリエンス(resilience)…強靭さ、弾性(しなやかさ)、回復力といった意味を持つ英単語

レジリエンス住宅としてよく見られるのがまず、自宅に「発電機能」を備えること。例えば、屋根に太陽光発電システムを搭載するなど。ただし、停電時に発電できるのは太陽が出ている間となるため、雨や夜の時間帯に電気を使うには、「蓄電機能」を備える必要がある。例えば、家庭用蓄電池に発電した電気をためて使うなど。発電システムと蓄電池などを組み合わせることで、災害時の停電に備えることができるのだ。

ほかにも、ガスと水道が来ていれば発電と給湯ができる「エネファーム(家庭用燃料電池)」を使う選択肢もある。断水時には発電ができないが、エネファームはお湯を「貯湯タンク」にためるので、いざというときにタンク内の水を取り出して使うことができる。

また、電動車を使って、車から住宅に電気を供給するという方法もある。説明してきたような設備機器を設置するには、もちろん費用がかかるし、それらを維持していくことも必要となる。どこまでどのように備えるかは、家庭ごとに判断すればよいだろう。

災害への不安を抱えるだけでなく、具体的に災害リスクに対する備えをして、万一のときに在宅避難ができるような体制を整えておくことが大切だ。いまは住宅の設備機器で災害に備えるという選択肢があることも、知っておいてほしい。

●関連サイト
積水ハウス 住生活研究所「自宅における防災に関する調査(2022年)」
台東区「在宅避難と備蓄について」

地元の北本団地が高齢化。生まれ育った子どもたちが住居付き店舗をジャズが流れるコミュニティスペースに 埼玉県

総戸数2000戸を超える巨大な団地「北本団地」(埼玉県北本市)。しかし、高齢化や少子化に伴って入居数は年々減り、団地中心部の商店街もシャッター通りと化していた。そこで2021年に発足したのが「北本団地活性化プロジェクト」だ。北本団地出身・在住のまちづくりチーム「暮らしの編集室」を主体に、北本市・良品計画・MUJIHOUSE・UR都市機構の5者が連携し、団地の活性化に取り組んできた。

どうにかして“ふるさとの団地”と関わりたかった

その最初の取り組みが、団地内にある商店街の活性化だ。商店街にある20の建物は全てが住居付店舗(1階店舗、2階住宅)になっているが、その一つをジャズが流れるコミュニティスペース「中庭」として再生。1階は「暮らしの編集室」が改装し、2階の住居部分はMUJIHOUSEとUR都市機構がリノベーションした。なお、2階部分には中庭を運営する夫妻が暮らしている。商店街の住居付店舗を再生し、そこに住みながら地域活性化に取り組むという、全国的にも珍しい試み。その背景や目的、これからについて「暮らしの編集室」メンバーの江澤勇介さん、岡野高志さんに伺った。

「暮らしの編集室」のメンバー江澤勇介さん(左)と岡野高志さん(右)。2人は中学校の同級生(写真撮影/松倉広治)

「暮らしの編集室」のメンバー江澤勇介さん(左)と岡野高志さん(右)。2人は中学校の同級生(写真撮影/松倉広治)

――2021年にスタートした「北本団地活性化プロジェクト」ですが、その主体である「暮らしの編集室」設立の経緯から教えてください。

岡野高志(以下、岡野):私は北本市の観光協会に勤めているのですが、2019年に埼玉県と北本市から「街を活性化するために、商店街や中心市街地で何かできないか」と相談を受けました。そこで、まずは北本駅前周辺にある空き店舗を活用して何かを始めようと考え、地元の友人だったカメラマンの江澤と建築家の若山に声をかけ「暮らしの編集室」を立ち上げたんです。

江澤勇介(以下、江澤):暮らしの編集室のコンセプトは、地元・北本に暮らしながら楽しめる街をつくっていくこと。北本市って典型的な郊外のベッドタウンで、手付かずの自然や田畑のほかには「何もない街」なんです。でも、何もないからこそ、何か新しいことをやるためのフィールドや余白が残っていると思いました。

――まずは、どんな活動からスタートしましたか?

岡野:はじめは、「市民がチャレンジできる場所」をつくりたいと思い、「暮らしの編集室」の拠点を兼ね、1日からレンタルできるシェアキッチン「ケルン」をつくりました。立ち上げから2年半が経ちますが、延べ35組の方々にご利用いただき、現在は1カ月のうち平均20日くらいは稼働しており、地元野菜を使った、さまざまな美味しい料理が食べられる場になっていますよ。

「暮らしの編集室」の拠点でもある「ケルン」(画像提供/暮らしの編集室)

「暮らしの編集室」の拠点でもある「ケルン」(画像提供/暮らしの編集室)

――その後、2021年には「北本団地活性化プロジェクト」を発足させていますが、そもそも北本団地に目を向けた理由というのは?

江澤:北本団地は僕が生まれ育った場所なんです。団地を出た後も「団地祭」という夏祭りには毎年訪れていたのですが、年々衰退していくのを目の当たりにしてきました。とはいえ、自分も今は住んでいないし、関わりしろもない。仕方ないと思いつつも、団地内の商店街がシャッター通りになったままなのは寂しくて。地元の同級生とも「どうにかしたいね」と話していたんです。

岡野:私も団地には7年ほど住んでいます。北本団地は北本町が市になった1971年に完成し、総戸数2000戸を超える巨大な団地として注目を集めました。しかし、次第に高齢化が進み、団地内の商店街の店舗も少しずつシャッターを下ろすようになっていったんです。2021年3月には、団地の子どもたちが通うためにつくられた小学校も閉校してしまいました。

北本駅から車で15分の北本団地商店街(写真撮影/松倉広治)

北本駅から車で15分の北本団地商店街(写真撮影/松倉広治)

江澤:僕も岡野も昔の活気ある商店街の風景を覚えているだけに、非常に寂しい気持ちでした。そして、せっかく「暮らしの編集室」をつくったのだから、北本団地の空き店舗を活用して何かできないかと考えたんです。それから、「ケルン」の運営と並行して、その可能性を模索するようになりました。

――まずは「ケルン」と同様に、自分たちで北本団地の空き店舗を借りたと伺いました。

岡野:そうですね。そこは「ケルン」の成功体験が大きかったと思います。一般的なお店ではなく、ケルンのシェアキッチンのような入り口があれば、その場所を使いたい人が集まってくる。そして、そのコミュニティをきっかけにさまざまな展開が起こる流れを体験していたので、団地でも同じことができるのではないかと考えました。

団地活性化のカギは「住居付店舗の再生」

――「北本団地活性化プロジェクト」には「暮らしの編集室」に加え、北本市・良品計画・MUJIHOUSE・UR都市機構が参加しています。連携することになった経緯を教えてください。

岡野:もともと、北本市とは地域づくりの事業を進めてきた実績がありました。また、良品計画には私の知人がいて、北本団地についても相談していたんです。良品計画も団地の活性化には課題感を持っていて、これから団地や商店街に活気を呼び起こすには「住宅付店舗」(1階が店舗、2階が住宅)のような、職住隣接の暮らし方がキーになるということでした。ぜひ北本団地でも敷地内の商店街にある既存の住居付店舗を積極的に活用したいと考え、団地を管理するUR都市機構へ提案しにいきました。

北本団地(画像提供/暮らしの編集室)

北本団地(画像提供/暮らしの編集室)

シャッター商店街となっていた北本団地(写真撮影/松倉広治)

シャッター商店街となっていた北本団地(写真撮影/松倉広治)

――それが採択され、大きなプロジェクトへ発展していったわけですね。プロジェクトのなかで「暮らしの編集室」はどんな役割を担っているのでしょうか?

江澤:僕らは現場でプロジェクトを主導するプレイヤーですね。街づくりでありがちなのは、支援者は多いのに、実際にそこで何かをやる人、現場を動かす人がいないことです。特に少子高齢化が進んでいる団地はネガティブなものとして捉えられ、進んでやりたがる人は多くありません。でも、ここは僕らの地元ですし、発起人としての責任もある。そこで、「暮らしの編集室」のメンバーが実際に現場で動くプレイヤーとなり、北本市・良品計画・MUJIHOUSE・UR都市機構にバックアップしてもらう体制をとっています。

――では、「住宅付店舗」を再生させる取り組みを進めるにあたり、最初に何から始めたのでしょうか?

岡野:「きたもと未来会議」というワークショップを開きました。「団地の活性化」とか「街の未来」といっても漠然としているし、描くものは人によって違うじゃないですか。ですから、まずはみんなが「この場所をどうしたいか」について話し合い、共通言語をつくる必要があると考えたんです。会議には団地の自治会の人、商店街の人、UR都市機構の人、地元の友人などを招き、団地や街に対する思いをぶつけてもらいました。

江澤:従来の団地の自治会でも会議は行われていましたが、これまではそこで出た住民の要望をUR都市機構に伝えるだけでした。でも、今は自治会とUR都市機構、そして僕たちも含めたプロジェクトのメンバーがともに顔を付き合わせて、団地の未来について考えています。直接コミュニケーションをとることでアイデア出しや意見交換も活発に行われるようになり、例えば自治会からはコロナ禍で2年間開催できていない「団地祭」についての相談が出たり、UR都市機構からは「団地の広場を防災のために活用してはどうか」という提案が出たりしています。

「きたもと未来会議」の様子(画像提供/暮らしの編集室)

「きたもと未来会議」の様子(画像提供/暮らしの編集室)

――みんなで一丸となって「団地や暮らしを良くしていこう」という気概が感じられますね。

岡野:もちろん、それまでにも多くの人が良くしようという気持ちは抱いていたと思います。でも、それがうまく形にできていなかったし、そもそも思いをぶつけられる場がなかった。「暮らしの編集室」では“コミュニケーションを軸とした編集”を基本にしています。だから、みんながフラットに話せる場はとても重要なんです。

――今回の住居付店舗再生の取り組みにあたって苦労した点はありますか? 5者が連携するとなると、足並みをそろえるのも大変だと思うのですが。

江澤:みなさん同じ目線で考えてくださったので、その部分での苦労はありませんでした。しいて言えば、資金繰りですね。「住宅付店舗」を再生させる上で、2階の住宅部分はMUJI×URで改装を行い、1階の店舗部分は「暮らしの編集室」が改装を行ったのですが、僕たちは資金力が豊富にあるわけではありませんでしたから。

岡野:改装には初期投資だけで約350万円かかったんですが、その資金集めはかなり大変でしたね。ふるさと納税型クラウドファンディングで200万円は集まりましたが、足りない部分は会社からの持ち出しによって工面しました。

――どこまで自分たちで改修されたんですか?

江澤:入り口の建具、水回り、電気は工務店にお願いしましたが、その他は自分たちで改修しています。UR都市機構はスケルトン貸し、スケルトン返しが基本なので、例えば天井のほこり留めは塗り直したものの、色はもとのままです。あとは、棚やカウンター、入り口の壁などもDIYしました。

1階部分を改修(画像提供/暮らしの編集室)

1階部分を改修(画像提供/暮らしの編集室)

「一緒に面白がれる人」に住んでほしかった

――そこに住む人はどう選定しましたか?

岡野:実は、そこが一番のネックでした。プロジェクトは順調に進み1階を「飲食を軸とした交流スペース」にすることまで決定していたものの、肝心の「誰に住んでもらうか」というところが、なかなか決まらなかったんです。初めての試みだけにどういう形になるか分からなかったし、「誰でもいいから住んでほしい」という類いのものでもない。できれば、私たちと一緒にこの場所を“面白がれる”人に来てほしいと思い、慎重に候補を探していました。

江澤:最終的には、僕の知人である落合夫妻が住んでくれることになりました。1階はただのお店ではなく「みんなの居場所」になるようなスペースにしたいと考えていたところ、夫がジャズミュージシャン、妻が喫茶店を営む落合夫妻が「それならジャズ喫茶をやってみたい」と言ってくれたんです。それで、西荻窪(東京)から引っ越していただき、2021年の5月末に「ジャズ喫茶 中庭」がオープンしました。

北本団地「住宅付店舗」の第一号でもある「ジャズ喫茶 中庭」(写真撮影/松倉広治)

北本団地「住宅付店舗」の第一号でもある「ジャズ喫茶 中庭」(写真撮影/松倉広治)

妻のカナコさんは喫茶店を営みながら、縫い物のワークショップを開いている(写真撮影/松倉広治)

妻のカナコさんは喫茶店を営みながら、縫い物のワークショップを開いている(写真撮影/松倉広治)

――当初の狙い通り、人が集まる場になっていますか?

江澤:そうですね。現在では落合夫妻だけでなく、地元の人が投げ銭ライブを開催したり、週一でジャズライブを行ったりしています。毎回ライブに来ているお客さんもいて「中庭でのライブ鑑賞が私の趣味になった」と楽しんでくれていますよ。

岡野:お店の1周年記念の時には自治会の人が街宣車を出して、「本日は中庭が1周年です」と告知して回ってくれたんです。「こういうことは、ちゃんと言わなきゃダメだよ」って。自治会のみなさんには本当にいろいろと協力していただいて、感謝しきれません。

グランドピアノ、レコード、オーディオなどは落合夫妻の知人から譲り受けたものだそう。また、店内で使用している中華椅子は以前この商店街で49年営んでいた「大盛食堂」のもの。いろんなものが混在しているのが面白いと2人は語る(写真撮影/松倉広治)

グランドピアノ、レコード、オーディオなどは落合夫妻の知人から譲り受けたものだそう。また、店内で使用している中華椅子は以前この商店街で49年営んでいた「大盛食堂」のもの。いろんなものが混在しているのが面白いと2人は語る(写真撮影/松倉広治)

地域のお客さんからのプレゼント(写真撮影/松倉広治)

地域のお客さんからのプレゼント(写真撮影/松倉広治)

「ジャズ喫茶 中庭」を営みつつ、2階で暮らす落合さん。住み心地については「とても良いです。長く住む方々からの視線は感じますが『面白いことをやっているな!』と来てくださる方も多いので救われています。まだまだこれからですが、徐々になじんできていると思います」と話す(写真撮影/松倉広治)

「ジャズ喫茶 中庭」を営みつつ、2階で暮らす落合さん。住み心地については「とても良いです。長く住む方々からの視線は感じますが『面白いことをやっているな!』と来てくださる方も多いので救われています。まだまだこれからですが、徐々になじんできていると思います」と話す(写真撮影/松倉広治)

江澤:正直、団地の人たちとの関わり方は大変だと思います。でも、この2人だからうまくやれていると感じますし、こちらとしても非常に助かっています。実は一度、生音を出した際にクレームが入り、シャッターに生卵をぶつけられたこともあったんですよ。でも、落合夫婦は自粛するのではなく「調整しよう」って言うんです。やりたいことはやりながらも、もしヤダと言われたら折衝していく。疲れるけれど、この場所で新しいことを受け入れてもらうためには欠かせないことなのかなと思います。

「郊外団地」再活性化のモデルケースに

――現在、商店街に「住居付店舗」は20戸あるということですが、他の建物も「中庭」のように再生していくのでしょうか?

「商店街だけでなく、団地にも人が入るサイクルも考えていきたい」と岡野さん(写真撮影/松倉広治)

「商店街だけでなく、団地にも人が入るサイクルも考えていきたい」と岡野さん(写真撮影/松倉広治)

岡野:そうですね。現在、1階のテナント部分にはスーパーや接骨院、診療所などが入っていますが、2階に暮らしながら運営しているのは「中庭」だけです。せっかくの住居付店舗ですから、やはりそこに暮らしながら地域を盛り上げてくれる人を増やしていきたいと思っています。また、今年5月には同じ商店街内に「まちの工作室 てと」がオープンし、2階部分をシェアアトリエとして活用しています。今までとは異なる、新たな商店街の使い方が広がると、もっと面白くなっていくんじゃないでしょうか。

江澤:「まちの工作室 てと」は、もともとケルンで展示販売をやってくれていた作家さんが、ギャラリー兼シェアアトリエが欲しいということでスタートしました。他にも、この商店街へ遊びに来て「私たちも借りたい」と言ってくれる方は多いので、今後も増やしていきたいですね。

「まちの工作室 てと」。羊毛の手芸家、洋裁師、天然石とビーズでアクセサリーデザイナーの3人の女性が入居

「まちの工作室 てと」。羊毛の手芸家、洋裁師、天然石とビーズでアクセサリーデザイナーの3人の女性が入居

「てと」でワークショップ終わりに「中庭」でランチする人は珍しくないそう(画像提供/暮らしの編集室)

「てと」でワークショップ終わりに「中庭」でランチする人は珍しくないそう(画像提供/暮らしの編集室)

岡野:実は今、「多肉植物と陶芸のお店を開きたい」という人と交渉中です。私たちには想像もつかない活用法ですが、こうして商店街を訪れる人が「こんなふうに使いたい」と可能性を見いだしてくれるのは、とても面白いですし、いい傾向だと思います。

江澤:また、「中庭」でも空いている日はシェアキッチンとして貸し出しを行っています。この間は川越(埼玉)の台湾料理店が借りてくれましたし、お店を持っていない人たちも間借りなら気軽にトライできる。これまでに例えば、お弁当屋さん、タップダンス教室、坊主カフェなど、いろんなお店が開かれましたよ。あとは、社会福祉協議会の方々と一緒に手話で注文できるカフェも月に1回オープンしています。手話を使う人って、注文の手間だったり、周囲の目線など一般的なお店に入るのを躊躇するそうなんです。それもあってか、毎回大盛況で外に人があふれていますね。

(画像提供/暮らしの編集室)

(画像提供/暮らしの編集室)

岡野:ほかにも、ピザのキッチンカーが来たり、JAが野菜を売りに来たりしています。実は、キッチンカーは団地出身の人がやってくれているんですよ。この場所なら、採算を度外視してでも毎月出たいと言ってくださっています。私たちがそうだったように、なんとかこの思い出の場所に関わりたいという人たちは意外と多いのだと思います。だから、関わりしろさえあれば惜しみなく協力してくれる。クラウドファンディングをやった時も、北本団地ではないですが「昔、団地に住んでいました」という支援者からのコメントが多かったですし、団地って愛着がわきやすいんでしょうね。

(画像提供/暮らしの編集室)

(画像提供/暮らしの編集室)

(画像提供/暮らしの編集室)

(画像提供/暮らしの編集室)

――それにしても、決して利便性が高いとはいえない団地に、これだけ多くの人が関わりたいと思っているというのは意外でした。

江澤:そうですね。実際、これまでのMUJI×URのプロジェクトも都内近郊で、都心に通うような人たちをターゲットにしてきたところがあると思います。一方で、北本団地のような場所って言い方は悪いですが、「中途半端な郊外」なんですよね。だけど、日本中にはそんな「中途半端な郊外」の団地の方が多いんじゃないでしょうか。今まで放って置かれがちだった「中途半端な郊外」の団地に、思いを持つ人が集まり再生の道を探るというのは、これまでになかったこと。新しい郊外団地の在り方として、可能性を示していけたらいいですね。

「今後、団地に住んでいたころに感じた“楽しい”と思える場所の選択肢を増やしていきたい」と江澤さん(写真撮影/松倉広治)

「今後、団地に住んでいたころに感じた“楽しい”と思える場所の選択肢を増やしていきたい」と江澤さん(写真撮影/松倉広治)

●取材協力
暮らしの編集室

「サブカルのシモキタ」開発で再注目。熱気と個性が下北沢に戻ってきた!

下北沢は「サブカルチャーの聖地」「若者のまち」として1970年代から人気を集めてきた。しかしここ20年はチェーン店が増加し、「かつての熱気が失われたのでは」ともささやかれていた。しかし現在、再び脚光を浴びているのだ。
京王井の頭線と小田急線が通る下北沢エリア(東京都世田谷区)は2013年から在来線の地下化や高架化が行われ、ここ数年は「下北線路街」「ミカン下北」などさまざまな複合施設のオープンラッシュ。大規模開発で駅前も整備された。現在はどのような進化を遂げているのだろうか。

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

開発から10年、まちやカルチャーの専門家3人の目線から現在の下北沢はどう見えているのか

SUUMOジャーナルでは、2021年8月にも下北沢の開発の様子をお伝えした。あれから1年、新しい商業施設も増え、さらなる進化を遂げている。
そこで今回は、2022年6月30日にTSUTAYA BOOKSTORE下北沢のSHARE LOUNGE(シェアラウンジ)で開催された「書店から考える〈ウォーカブルな街「下北沢」を支える新施設と人〉」をテーマにしたトークイベントに登壇した、下北沢に縁の深い3名に下北沢のまちの現在についてインタビューを行った。

左からB&B/BONUS TRACKの内沼晋太郎さん、CCC門司孝之さん、『商店建築』編集長の塩田健一さん(写真撮影/嶋崎征弘)

左からB&B/BONUS TRACKの内沼晋太郎さん、CCC門司孝之さん、『商店建築』編集長の塩田健一さん(写真撮影/嶋崎征弘)

「商業施設」を通じてまちの移り変わりを追い続ける雑誌『商店建築』編集長の塩田健一さん、下北沢を代表する本屋B&Bの共同経営者で商業施設「BONUS TRACK」を運営する散歩社の取締役・内沼晋太郎さん、TSUTAYA BOOKSTORE下北沢の物件開発担当のカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)門司孝之さん、それぞれの目から今の下北沢はどう見えているのだろうか。

開発が始まった当初の10年前、下北沢のまちを大手チェーン店が席巻していた(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

10年前に内沼さんらが「本屋B&B」をオープンした時、「こういう店ができたのは久しぶりだ」と言われたという。

下北沢が長年「サブカルチャーのまち」「若者のまち」として愛されてきた背景には、個性派個人店が多く存在していたことがある。

しかし、まちの人気にともない、店舗の賃料が上昇。潰れた個人店の跡には、高い賃料が弊害となり小さな個人店は入ることができず、大手チェーン店ができる……という流れが生まれ、下北沢の特色を生む個性派個人店がオープンする「余白」がなくなりつつあったのだという。

こうして大手チェーン店が席巻するなか、内沼さんらがオープンさせた「本屋B&B」には、「チャレンジできる場所」としての下北沢らしさがあったようだ。

「本屋B&B」は2回の移転を経て、現在は「BONUS TRACK」内にある(写真撮影/嶋崎征弘)

「本屋B&B」は2回の移転を経て、現在は「BONUS TRACK」内にある(写真撮影/嶋崎征弘)

毎日イベントを開催する、店内でビールが飲めるなど、当時から書店として型破りの挑戦をしてきたこともあって、「本屋B&B」は今や下北沢を代表する存在になった。

「本屋B&B」が個人店復活の先駆けとなったこと、時を同じくして下北沢の大規模開発で個人店の入居を想定した商業施設づくりが始まったことから、現在では、特色ある個人店が再び活気を生んでいる。

一方、TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢は今回の開発で新規参入した “大手チェーン”だが、他の地域と同じ店づくりはしていない。店舗開発を担当した門司さんは、下北沢のカラー、個性に寄り添った展開を心掛けたようだ。

もともとTSUTAYAや蔦屋書店は地域の特性に合わせた店舗づくりをしているが、「本屋B&B」をはじめ、個性派書店が数多くある下北沢だからこそ、逆に「本のラインナップは個性を打ち出すのではなく、総合書店として話題の本やコミックをしっかりとそろえる」ことにしたという。

その代わり、地域の人々が横のつながりを持つことができる場所に、とSHARE LOUNGEを設けた。

「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」。「これまで下北沢の書店には、意外と文芸書やコミックなどの売れ筋を扱うところが多くはなかったんです」と内沼さんは振り返る(写真撮影/嶋崎征弘)

「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」。「これまで下北沢の書店には、意外と文芸書やコミックなどの売れ筋を扱うところが多くはなかったんです」と内沼さんは振り返る(写真撮影/嶋崎征弘)

SHARE LOUNGEではビールサーバーや軽食を用意している(写真撮影/嶋崎征弘)

SHARE LOUNGEではビールサーバーや軽食を用意している(写真撮影/嶋崎征弘)

既存の個人店との役割を分けながら、新しい地元の場所を創出したかたちだ。

そんな“大手チェーン店”の参入を、「本屋B&B」の内沼さんは当初は「脅威を感じた」一方で、実際にできた店を訪れて「TSUTAYAという新しいこのピースが入ったことで、下北沢というまち全体で、本を買うことが楽しくなる環境がより整った」と感じた。

「本屋というのは、まちに住む人や訪れる人の影響を受けて品ぞろえをするため、まちの特色を代弁する存在になりやすいです。現在の下北沢は、全国どこを見渡しても稀有な、本屋めぐりが楽しい特別なまちになっていると思います」(内沼さん)

「本屋B&B」と「TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢」は、現在の下北沢における個性派個人店と大型チェーン店の新たな関係性を表しているようだ。本屋だけでなく、今やほかのジャンルにおいても、同様の動きが生まれつつある。

7月号で下北沢を特集した『商店建築』編集長の塩田さんは、取材を通じて「いずれの商業施設も、『個人商店が集まった、顔が見える商業施設づくり』をテーマにしていたことが印象的だった」と話す。

「下北沢に新しい商業施設がオープンするたびに取材をしてきました。新しいアイデアが結集してできあがったまちという印象がある一方で、すごく懐かしい、昔の商店街のような要素を感じます。昔の商店街にあった、お店をやっている人が奥に住んでいて、その人たちの生活やお茶の間が見えていた世界観が、ここ最近で続々とオープンした施設に入っているお店にも垣間見られるんです。顔の見える個人商店が集まっているような雰囲気です」(塩田さん)

下北沢は、歩きまわって楽しい仕掛けが散りばめられたまちに生まれ変わった

下北沢の魅力は、“特色のある個人店が多いこと”だけではない。
塩田さんは、下北沢が「ますます歩いて楽しい“ウォーカブルなまち”になった」と感じたという。
「下北沢にはもともとたくさんの路地があり、特色ある店がここかしこに存在していました。しかし近年、まちが整備されたことで、ますます“歩き回って面白い”仕掛けがたくさん散りばめられました」(塩田さん)

『商店建築』7月号「変貌する『下北沢』」特集(写真提供/商店建築社)

『商店建築』7月号「変貌する『下北沢』」特集(写真提供/商店建築社)

まず、2020年4月にオープンした商業施設「BONUS TRACK」の存在は大きいという。「BONUS TRACK」には、書店や発酵食品の店、コワーキングスペースなど13のテナントが立ち並んでいる。

「訪れた人が、歩いたり、溜まったり、そこでの過ごし方を自由に選べる。そういった“回遊性”を楽しめる、絶妙な構成でつくられているんです」(塩田さん)

「BONUS TRACK」。「本の読める店 fuzkue」や、全国の発酵食品を販売する「発酵デパートメント」など13テナントが立ち並ぶ。(写真撮影/嶋崎征弘)

「BONUS TRACK」。「本の読める店 fuzkue」や、全国の発酵食品を販売する「発酵デパートメント」など13テナントが立ち並ぶ。(写真撮影/嶋崎征弘)

施設内は、路地裏を歩いているような感覚を楽しめる「余白」を意識したつくり。食事をしたり、知り合いや店の人と立ち話をしたり。時には広場でポップアップイベントも開催される(写真撮影/嶋崎征弘)

施設内は、路地裏を歩いているような感覚を楽しめる「余白」を意識したつくり。食事をしたり、知り合いや店の人と立ち話をしたり。時には広場でポップアップイベントも開催される(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

「その後に誕生した『reload(リロード)』や『ミカン下北』などの商業施設のつくりもユニークです」と塩田さん。
「外観からはわからないのですが、建物の中に入ると、まるで路地に迷い込んだ感覚になります。商業施設のなかに、路地が張り巡らされた小さなまちがあるようです。こういった施設が増えたことで、下北沢の“歩いて楽しいまち”のイメージが広がったように思います」

2021年6月に小田急線線路跡地にオープンした「reload」(写真撮影/嶋崎征弘)

2021年6月に小田急線線路跡地にオープンした「reload」(写真撮影/嶋崎征弘)

「reload」は、“店主の顔が見える個店街”がコンセプト。下北沢で長年ビジネスを営んできた店から、下北沢初出店の店舗まで個性豊かな顔ぶれ。「歩くたびに見える景色が違う」と塩田さん。テナントは路地や階段で結ばれ、ちょっとした迷路探索気分(写真撮影/嶋崎征弘)

「reload」は、“店主の顔が見える個店街”がコンセプト。下北沢で長年ビジネスを営んできた店から、下北沢初出店の店舗まで個性豊かな顔ぶれ。「歩くたびに見える景色が違う」と塩田さん。テナントは路地や階段で結ばれ、ちょっとした迷路探索気分(写真撮影/嶋崎征弘)

従来の商業施設は、どの施設にも同じような店が並んでいたり、画一的なレイアウトだったりして、歩き回る楽しさよりも動線の効率化が優先されているものが多い。そのため、施設内に入ると、せっかくのまち歩きの楽しさが分断されてしまっていた。

しかし、新しく登場した商業施設の回遊性を大切にしたつくりは、楽しいまち歩きの延長線上となり、下北沢が施設内を含めて“歩いて楽しいまち”に昇華された形だ。

また、塩田さんは「下北沢駅からまちに出る方法にも、複数の選択肢があるのもおもしろい」と言う。駅を上るとカフェや居酒屋が並ぶ「シモキタエキウエ」へ、井の頭線・中央口改札、小田急線・東口改札から出て右手側に歩くとすぐに「ミカン下北」があり、駅を出た瞬間からそれぞれに違ったまち歩きがスタートする。

2022年3月に高架下に誕生した「ミカン下北」は、外側からはズラリと並ぶテナントが見えるが、中に入るとストリートが登場する(写真撮影/嶋崎征弘)

2022年3月に高架下に誕生した「ミカン下北」は、外側からはズラリと並ぶテナントが見えるが、中に入るとストリートが登場する(写真撮影/嶋崎征弘)

「ミカン下北」のストリート。レトロな提灯街を思い起こさせるショップの数々、歩く人との距離の近さが、下北沢の路地感をそのまま表現しているかのようだ(写真撮影/嶋崎征弘)

「ミカン下北」のストリート。レトロな提灯街を思い起こさせるショップの数々、歩く人との距離の近さが、下北沢の路地感をそのまま表現しているかのようだ(写真撮影/嶋崎征弘)

新しさと懐かしさが同居する

国土交通省は今、「『居心地が良く歩きたくなる』空間づくり」を推進し、全国で支援などを行っている。そんななか、塩田さんは「下北沢の開発はこれから他の地域のモデルになる」と断言する。

「他に類を見ない最先端の商業施設がここにできあがりました。一方で、全国で商業施設をつくりたいと考えている人が理想とするものが、今、下北沢に出そろっているということになるのではないでしょうか。だから、今後は規模の大小はあるとしても、下北沢を参考にして、日本中にたくさんの個性的な商業施設ができあがってくると思うし、できてほしい」

新しい商業施設が続々とできる一方で、居酒屋や古着屋などが雑多に立ち並ぶ以前から変わらない風景も。昔ながらの路地裏巡りも、下北沢の変わらない醍醐味のひとつ(写真撮影/嶋崎征弘)

新しい商業施設が続々とできる一方で、居酒屋や古着屋などが雑多に立ち並ぶ以前から変わらない風景も。昔ながらの路地裏巡りも、下北沢の変わらない醍醐味のひとつ(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

ここも駅前で整備されたエリア。誕生した商業施設を緩やかに新たな道で繋ぎ、まちがより一層ウォーカブルになった(写真撮影/嶋崎征弘)

ここも駅前で整備されたエリア。誕生した商業施設を緩やかに新たな道で繋ぎ、まちがより一層ウォーカブルになった(写真撮影/嶋崎征弘)

まち全体で課題を共有していく必要がある

「本屋B&B」「BONUS TRACK」を手掛けてきた内沼さんは現在、下北沢と長野県御代田町で二拠点生活を送っている。「BONUS TRACKという場所に20年間かかわる覚悟を決めたので、東京という場所、下北沢というまちを客観視するために、住まいを移しました」と話す。

そうして見えてきたのは、「それぞれの店が、自分の店のことだけを考えるのではなく、課題を共有しながら運営していくことが大切」ということ。

下北沢が「歩くのが楽しいウォーカブルなまち」となり、個人店が再び集う「若者たちが挑戦できるまち」として復活しつつある今、以前よりもまちの一体感は高まっているのではないか。かつては個人店という点同士がまちをかたちづくっていた。しかし今後はまち全体としてお互いを高め合い、より魅力的なまちをつくっていく予感を感じた。

●取材協力
BONUS TRACK
本屋B&B
TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢
ミカン下北
reload
商店建築

新品なのに捨てられる「建材ロス」問題。オトクに販売し建築業界の悪しき慣習に挑む  HUB&STOCK

まだ食べられる食材が廃棄される「フードロス問題」はよく知られていますが、実は建築業界でも同様に余剰となった新品の建築資材が廃棄されている「建築資材ロス問題」があります。まだ使える建材をレスキューして、再利用につなげる、そんな会社をはじめた建築士の挑戦をご紹介します。

新品を廃棄!? 背景は「納期厳守」の建築業界の慣習

日本の、特に都市部などの利便性の高いエリアでは、ビルやマンションの槌音が絶える日はありません。新しいビルが建設されるとき、建築会社は内装材をはじめ資材を必要量よりやや多めに発注します。「引き渡し日」を死守するため、長年、行われてきた業界の慣習です。

そうして、無事に建物が完成すると、使われなかった新品の建築資材、端材が発生します。多くの場合、工事後にまとめて廃棄しています。まだ新品で使えるのにも関わらず、会社が処分費用を払って、です。

建築会社からレスキューしてきた建築資材。どれも使われていない、新品です(写真提供:HUB&STOCK)

建築会社からレスキューしてきた建築資材。どれも使われていない、新品です(写真提供:HUB&STOCK)

こうした余剰の建築資材を集め、必要となる人や企業へ届けようとはじめたのが「HUB&STOCK(ハブ&ストック)」です。立ち上げたのは、一級建築士の豊田訓平さん。ゼネコン、一級建築士事務所を経て、2021年にはじめたスタートアップ企業です。

HUB&STOCKをはじめた一級建築士の豊田さん(写真提供:HUB&STOCK)

HUB&STOCKをはじめた一級建築士の豊田さん(写真提供:HUB&STOCK)

「今、東京をはじめ首都圏で合計約100万トンの建築混合廃棄物が出ています(2018年度)が、うち約2割がこうした新品だと思われます。東京の最終処分場の処理能力は既に限界です。最終処分場がいっぱいになってじゃあ、地方に持っていって捨てていいのか?と。一方で建築会社も建築資材を捨てたくて捨てているわけではありません。半端な量なのと、資材流用になってしまうので、他の現場では使えない。『もったいないよね』『なんとかできないかな』、皆そう思っているけど、既存の仕組みでは難しい。迷っていたときに、社会起業家集団ボーダレス・ジャパンの人と会って話をし、『もう、やるしかないじゃん』と腹を括ってはじめました」(豊田さん)

HUB & STOCKの倉庫には今、約600種類、1万2000点もの、今すぐ使える建材がずらりと並んでいます。資源として「すでに利用可能な状態」の建材を再利用するのは、環境負荷として非常に負荷が低く、無理も無駄もありません。ただ、業界の慣習でなかなか変えられない側面があり、文字どおり豊田さんが身ひとつ、真っ向から挑戦している状況です。

豊田さん自身が回収してきた資材たち。きれいに仕分けされ、ところ狭しと並びます(写真撮影/嘉屋恭子)

豊田さん自身が回収してきた資材たち。きれいに仕分けされ、ところ狭しと並びます(写真撮影/嘉屋恭子)

多いのは床材。これがすべて廃棄されていたと思うと信じられません(写真撮影/嘉屋恭子)

多いのは床材。これがすべて廃棄されていたと思うと信じられません(写真撮影/嘉屋恭子)

自ら会社に出向いて建材を仕入れ。販売はホームセンターで実施

立ち上げから1年が経過し、余剰となった資材提供をしてくれる会社も、1社また1社と増え、現在、一都三県の協力してくれる20もの建設会社にまで増えたそう。また、引取時はどんなに少額でも引取費用を支払っているといいます。そのため、建設会社から見ると、(1)資材を保管、廃棄する手間がなくなる、(2)廃棄処分費用が不要になる、(3)収入になる、と3つのメリットがあることになります。

豊田さんが仕入れるのは主に床材、壁紙、タイル、巾木など。一つずつ、タグをつけて保管するだけでなく、なおかつ実際の使用例まで見せられるのは、豊田さんが一級建築士である強みです。

巾木がずらり。素人が見てもなんだかわかりませんが、タグ付け、仕分けができているので、いつでも出荷できる状態です(写真撮影/嘉屋恭子)

巾木がずらり。素人が見てもなんだかわかりませんが、タグ付け、仕分けができているので、いつでも出荷できる状態です(写真撮影/嘉屋恭子)

「1つの建設会社から出る建築資材は、だいたい2トントラック一杯分です。初めての取引先は青山だったんですが、トラックを運転して行きました。今は2~3カ月に一度程度、回収しています。モノによっては重さ60kgある建材を自身で搬入搬出しているので、だいぶ足腰が鍛えられました(笑)」(豊田さん)

保管されている建材は現在、ホームセンターなどで、メーカーの希望小売価格の7~8割引き、卸売価格の2~3割引きという、アウトレット価格で販売されています。
「DIYをする人やプロからは、必要な資材がすぐに買える貴重な場だけあって、『ぜひ売ってほしい』『店舗を見たい』という要望を多くいただいているのですが、今は、自分ひとりで回しているので、弊社で直接、販売できるキャパシティがないんです。首都圏であればホームセンターの山新さんで、『アウトレット建材コーナー』を設置してもらい販売しています。ホームセンターは全国で約5000店舗あるので、『新古建材を循環する流れ』をつくる意義を考えると、自社で販売するよりもこちらのほうが有利と考えてのことです」と豊田さん。

とはいえ、スタートアップ企業のHUB&STOCKが、ホームセンター大手企業といきなり取引するのは容易ではありません。そこでホームセンターの業界紙に取り上げてもらった記事を片手に、豊田さんが各社社長宛てに直筆の手紙を書き、販売交渉にあたったそう。当たり前ですが、1人で何役もこなすその努力に頭が下がります。

新古建材を使って原状回復をした例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

新古建材を使って原状回復をした例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

異なる柄のタイルカーペットも組み合わせることで有効活用できる例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

異なる柄のタイルカーペットも組み合わせることで有効活用できる例。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

言われなければ新古建材を使っているとはわかりません。豊田さんのデザイナーとしての腕の確かさを感じます。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

言われなければ新古建材を使っているとはわかりません。豊田さんのデザイナーとしての腕の確かさを感じます。平和建設の原状回復工事「下戸田一戸建プロジェクト」(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」のデスクまわりの様子(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」のデスクまわりの様子(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」部屋全体(写真提供:HUB&STOCK)

平和建設の原状回復工事「第一たつみ荘 リモートテーブル」部屋全体(写真提供:HUB&STOCK)

課題は売る建材がない!? 将来は地域拠点やアジアでの進出も視野に

現状、苦労して黒字を計上できる月も出てきたといいますが、このところ建材不足と価格高騰という追い風が吹いていて、ありがたくもあり、困っている状況でもあるといいます。

「とにかく課題は山積みなんですが、今は建材が高騰しているので、とにかく欲しいので売ってくれ、という引き合いが多いですね。要望が多いのはとくに床材です。利用用途としては、賃貸物件の原状回復、個人のDIYなどでしょうか。当社に入ってくる資材は特性上、少量ロットになるので、個人のリフォームや原状回復と相性がいいんですよ」(豊田さん)

まさかの資材不足の影響がココにもきているそう。
「今、ここにある断熱材もすでに行き先が決まっています。いい建材がたくさんあるので、売れていくのはうれしいですね。メーカーはじめ、企業との協業も水面下で進んでいるんですが、まだまだ言えないことも多くて困ります」と苦笑いをします。

いちばん上に載せられた断熱材。すでに使いたいと申し出があるといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

いちばん上に載せられた断熱材。すでに使いたいと申し出があるといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

「賃貸でも分譲でも、住まいに無関係な人はいません。ぜひ、建築の資材問題を知ってもらいたいですし、欲しいなと思ったらホームセンターで手に取ってほしいですね。実は新築の建材廃棄問題は、メーカーでも卸売会社でも発生しています。販売できなかった商品は処分されているんですね。メーカーさんもこのままじゃいけないのは、わかっている。弊社で引き取り、アウトレット建材ということで販売していけたらいいなと思っています」(豊田さん)

今後の展望としては、建築資材を地域で循環させていくモデルを確立すること。

「利便性のいい土地に大拠点をつくると輸送費のほうが高くなるので(笑)、関東や中部、関西など、その地域地域にあわせたストックをつくり、循環させていくモデルをつくりたいですね」といい、日本のみならず、さらには海外展開も視野に入れているといいます。
「日本だけでなく、現在、発展著しいアジア各地でも同様の問題は起きるはずです。将来はアジアにもビジネスモデルを輸出していけたら」と話します。

ほかにも、余った建材どう組み合わせてデザインするか、設計手法のコンサルティングなども考えているそう。「デザインありき」ではなく、建材をどうやって組み合わせて空間を見せるか、考えただけでもおもしろそうです。今後、国内では中古住宅のリフォーム、修繕、メンテナンスはますます広がりを見せることでしょう。そんなときの、ホームセンターで新古建材を選ぶことが当たり前の選択肢になる、そんな日はそう遠くない気がします。

●取材協力
HUB&STOCK

わずか6畳のプレハブ書店。本屋が消えた町に住民らが「六畳書房」を立ち上げた理由 北海道浦河町

海からのんびり歩くこと3分、木々に囲まれた中にあるプレハブ小屋が見えてきた。人口約1万2000人の町唯一の書店「六畳書房」だ。本屋のなくなった町で、2014年に初代店主と住民ら有志が立ち上がりスタートした。現在の店主は武藤あかり(むとう・あかり)さん、書店勤務の経験はない。なぜ、この地に、いったいどのような経緯でこの店ができたのか、北海道の浦河町を訪ねた。

「浦河町」っていったいどんなところ? 夏は涼しく冬は温暖な地域

札幌から車で約3時間、太平洋に面した浦河町。夏は涼しく冬は温暖で雪が少ない。大きな娯楽施設や商業施設はなく、道を歩いていると、「こんにちは」と声をかけてくれるのどかな町だ。

競走馬の生産地としてよく知られ、町の中心部から車を10分ほど走らせると、牧草地が広がり馬ののんびり歩く姿を見ることができる。町内にはJRA(日本中央競馬会)の日高育成牧場をはじめ約200の牧場があり、道路には「馬横断注意」という看板が掲げられているほど馬が多く自然豊かな場所だ。

牧場が広がる浦河町。乗馬体験も人気だ(写真撮影/岡みなこ)

牧場が広がる浦河町。乗馬体験も人気だ(写真撮影/岡みなこ)

「馬横断注意」の看板。道路のいたるところで見ることができる(写真撮影/岡みなこ)

「馬横断注意」の看板。道路のいたるところで見ることができる(写真撮影/岡みなこ)

そんな浦河町に「六畳書房」ができたのは、2014年のこと。地元の書店やチェーン書店が次々と撤退し「本屋のない町」になっていた。

「町に本屋が欲しい」──。住民たちの切実な思いに、地域おこし協力隊で札幌から浦河町に来ていた武藤拓也(むとう・たくや)さんが立ち上がった。ある日、拓也さんらは、ユニークなフェアを次々生み出してきた札幌の「くすみ書房」が行ったクラウドファンディングで、店主の久住邦晴(くすみ・くにはる)さんを講演に呼べるというリターンを見つけ講演会を開いた。久住さんからのアドバイスを得て、一口5000円の寄付を100人近くから集め、古民家の六畳間に小さな書店を完成させた。開店は週1回、皆の力で開いた書店だからと、拓也さんは自分自身のことを店長ではなく、店番と呼んだ。

だが、開店からわずか3年後に拓也さんの仕事が忙しくなったことや資金面など、さまざまな理由が重なり閉店してしまった。また町から本屋がなくなってしまう──。浦河町に移住してきた夫妻が中継ぎとして運営を引き受け、自宅の居間で営業を再開した。

自分と対話を続け、3代目店主に手を挙げた

あくまで中継ぎ、“長く続けられる人を”と3代目を探していたところに、手を挙げたのが現在店長を務めるあかりさんだった。浦河出身のあかりさんは、「ここから出たい」と札幌の高専へ進学したが、結婚を機に浦河町へUターンをして地元で子育てを始めた。

子どもが1歳になるころに育休から復帰したものの、勤務先はホテルでシフト制。子どもの急な発熱などで、穴を開けてしまうこともあり、両立の難しさをひしひしと感じていた。忙しい日々の中でふと、「あれ、私のやりたいことってなんだった……?」と思いを巡らせた。

20代、映像作品の制作にのめりこんでいたころの気持ちを思い出したあかりさん。浦河町に戻ってきてからも細々と制作は続けていたが、それまでのような制作方法に限界を感じていた。「30代を子どもと一緒に浦河でどう過ごそうか」と悩みに悩んだ末、「つくり手ではなく表現物を紹介する側でもいいのでは」とこれから進む道筋を見つけた。

以前から「六畳書房」が3代目店主を募集していたことを知っていたため、「私がやりたいんですが……」と手を挙げた。

木々に囲まれた中にある「六畳書房」。町の中心部からも近い(写真撮影/岡みなこ)

木々に囲まれた中にある「六畳書房」。町の中心部からも近い(写真撮影/岡みなこ)

「本当にやるの? やりたいの?」初代として「六畳書房」を立ち上げた夫は驚いたようにこう言ったが、あかりさんの決意は固かった。

2020年11月に引き継ぎスタートしたものの…襲ったコロナ禍

2020年11月に引き継ぎ、当初は出張本屋としての運営を考えていたが、コロナ禍にぶつかりイベント販売もままならない状況になってしまった。出張型は諦め、自宅近くの場所に、あかりさんの祖父の使っていたプレハブを移設した。店を構え、2021年7月に3代目店主あかりさんの「六畳書房」がついに開店した。偶然にも譲り受けたプレハブは“6畳”の広さだった。

店内の様子(写真提供/六畳書房)

店内の様子(写真提供/六畳書房)

店内に入るとすぐ目につくのが新刊やおすすめの書籍が並ぶ棚だ。取材した日は浦河町出身で『少年と犬』で2020年に直木賞を受賞した馳星周(はせ・せいしゅう)さんの新著『黄金旅程』が山積みされていた。同作は、直木賞受賞後の第一作で浦河町を舞台にしている。

絵本など児童書は子どもの手の取りやすいところに並べられ、子どもが座って読めるように、座卓を使ったちょっとした小上がりも用意されている。

座卓に座って本を選んだり、読んだりすることもできる(写真撮影/岡みなこ)

座卓に座って本を選んだり、読んだりすることもできる(写真撮影/岡みなこ)

浦河町出身の直木賞作家・馳星周さんのサイン(写真撮影/岡みなこ)

浦河町出身の直木賞作家・馳星周さんのサイン(写真撮影/岡みなこ)

営業は週3回程度 表現力豊かなポップがお出迎え

表紙の色や雰囲気なども見つつ、本の位置を考え、陳列していくあかりさん。「立ち読み歓迎。どうぞごゆっくり本をお選びください」と書かれた貼り紙や、「今読みたいロシア・戦争の関連本」「店長推しマンガ」「ナンセンス絵本の神と言われる長新太さんの絵本」「『カニ ツンツン』なんか笑っちゃってうまく読めない!(笑)」など本の紹介や思わず本を開いてみたくなる感想が書かれた手書きのポップが随所に貼られ、それらを読むだけでも楽しい気持ちになる。

月50冊の新刊が入ってくる「六畳書房」。本の陳列を見直すあかりさん(写真撮影/岡みなこ)

月50冊の新刊が入ってくる「六畳書房」。本の陳列を見直すあかりさん(写真撮影/岡みなこ)

「立ち読み歓迎」の貼り紙、あかりさんの温かさを感じられる(写真撮影/岡みなこ)

「立ち読み歓迎」の貼り紙、あかりさんの温かさを感じられる(写真撮影/岡みなこ)

営業は月によって変わるが、主に水~土の間で週3日程度。事前にTwitterやInstagramなどSNSで営業日を告知している。Instagramには、その時のおすすめや新しく入荷した本などをあかりさんの感想などコメントを添えて投稿している。

例えば、『本のフルコース 選書はひとを映す鏡』(著・佐藤優子)の紹介では、「旅先に持っていきたい1冊」と端的だけど心くすぐる一言が記されていた。「六畳書房」に行ってみようかな、本を手に取ってみようかなと思うような仕掛けが凝らされ、「SNSを見て来た」というお客さんも増えているそうだ。

猫やカモメのお客さんも来店! 1時間近くかけて来店する人もいる

来店客は、1人も来ない日もあれば、5組~10組どっと来店する日もあるそう。猫やカモメのお客さんがひょっこり現れることもある。客層も幅広く、老若男女問わずさまざまなお客さんが来店する。書店のない近隣の町から車で1時間近くかけて来る人もいるそうだ。ネットが使えず読みたい本を購入できない高齢者からの注文も受けており、数は少ないながらも住民のインフラ的な存在にもなっている。

「六畳書房」から見える浦河の港。潮の香りが漂ってくる(写真撮影/岡みなこ)

「六畳書房」から見える浦河の港。潮の香りが漂ってくる(写真撮影/岡みなこ)

店に並ぶ本は、新刊8割、古本が2割ほどで、新刊入荷は月50冊程度。選書はあかりさんがいいと思うものや、常連さんの好みに合いそうな本、話題の本、お客さんにおすすめを教えてもらったりして仕入れている。

一般的な書店にある返品制度が六畳書房ではさまざまな理由から使えず、買い切りになっているため、売れ残りにならないよう慎重な選書をしているそうだ。「本当はマンガなどももっと入れたい」と言うが、返品できないというリスクもあり、大々的な販売には踏み切れていない。

一番の売れ筋は意外にも「絵本」だという。自分の子ども用だけでなく、出産などお祝い向けに買って行く人が多い。手に取って、本を開き、プレゼントする人のことを思い浮かべながら選ぶことができる。リアル書店ならではのよさだ。

本を選ぶことは旅行と一緒 予想外の出会いがうれしい

絵本に限らず、自分が興味なかった分野の本でも、書店で平積みされているのを見たり、表紙を見たり、手に取ってみたりして買って読んでみると意外にも面白くのめりこんでしまうことがある。「六畳書房」ではその寄り道の楽しさや偶然の出会いなどリアル書店ならではの醍醐味を味わうことができるのだ。

あかりさん自身も“予定調和でない出会い”はとても大切にしており、お店の運営においても重視しているという。

「予定していないものに出会うことを大切にしています。例えば旅行に行って、予定通りに動こうとしても、そのとおりにいかないことのほうが多いですよね。でも、帰ってきてから記憶に残っているのは想定外のことだったりしますよね。

本棚を眺めていて全然知らなかった本を手に取ってみることも旅行と同じです。アマゾンやネットフリックスはネット上でなんでも見られるように思えますが、その人に最適化されたものが次々と表示されているだけで偶然の出会いは起こりにくい」(あかりさん)

浦河の街並みを一望できるルピナスの丘(写真撮影/岡みなこ)

浦河の街並みを一望できるルピナスの丘(写真撮影/岡みなこ)

何かが起きる場所としての「六畳書房」

だからこそ、浦河町で本屋を開く意味があるという。「田舎は都会と比べると知らない人に出会う機会も、知らない物に出会うことも少ない。手に取れるカルチャーや訪れることのできる文化施設が少ないのが都会との違いです。ここの書店を何かが起こる場所にしたかった」(あかりさん)

あかりさん自身も「六畳書房」を始めてからいくつもの偶然の出会いがあった。訪ねてきたお客さんの中には地元は近いが六畳書房で初めて出会い、話してみると札幌時代に近所に住んでいたことや趣味が似ていることがわかり、泊まりがけで遊ぶ仲になった同い年の人もいる。この「場」がなかったら起こりえなかったことだ。

長く続けるために「商売としてきちんと続けるつもりでやらないと、続かない」と言い、利益を出すことを目指している。しかし、現在はまだまだ利益が出ているとはいえない。そのため、本屋の営業以外にも本や映画やローカル情報の話をする有料の動画配信も始めた。また、今は週3回程度の営業だが、子どもの成長に合わせて今後少しずつ日数を増やすことも視野に入れているという。

「ここに住んでいる人たちが町に愛着を持てる存在になれたらいいなと思っている」というあかりさんの言葉が強く印象に残った。

人と人、物と人が偶然出会う場は、ネット通販が主流になったこの時代でも必要なものであるということを「六畳書房」を通して改めて実感した。町の本屋さんという場を通して、人と人とが出会い、そこで交流を深めることで町にも活気が湧いてくる。これまでだったら家で過ごしていた時間を本屋に行く時間に充て、町を歩き、行く途中や店でさまざまな人との出会いも生まれる。さらに、歴代の店主や住民の想いが詰まった「六畳書房」が浦河にあることで町に愛着を感じ、ここに住んだり訪れたりする理由になるかもしれない。六畳と小さくても町にとって貴重な存在であることは確かである。

●取材協力
・「六畳書房」(Twitter/@rokujoshobo、Instagram/@rokujoshobo)

不動産広告、駅からの徒歩分数表示など9月1日に改正!住まい探しや不動産売却時に注意

不動産公正取引協議会連合会は、改正された「不動産の表示に関する公正競争規約(以下、表示規約)」及び「表示規約施行規則」を、2022年9月1日に施行するという。これによって、10年ぶりに不動産広告に関するルールが変わることになる。具体的に説明していこう。

【今週の住活トピック】
9月1日施行の「新 表示規約・同施行規則」について/不動産公正取引協議会連合会

不動産広告に掲載する情報には細かいルールがあり、実情に応じて変更している

まず、「表示規約」について説明しよう。不動産広告には、物件のどんな情報を掲載するか、掲載する情報はどんな基準で表示するかといった、統一したルールが必要だ。全国9地区の不動産公正取引協議会では、会員の不動産業界団体に所属する不動産事業者が守るべき自主規制ルールを運用し、そのルールを公正取引委員会と消費者庁から認定を受けている。このルールが表示規約だ。

表示規約では、土地や新築分譲住宅、中古マンションなどの物件種別ごとに表示すべき事項を定めているほか、「新築」といえるのは完成後1年未満で、かつ、未入居のものと規定したり、「徒歩1分=道路距離80メートル(端数切り上げ)」、「1畳=1.62平方メートル以上」といったさまざまな表示の基準を設けている。

今回の改正の経緯について、改正案を取りまとめた同連合会の会員である首都圏不動産公正取引協議会の理事・事務局長の佐藤友宏さんに聞いた。表示規約の大きな改正は、前回2012年5月31日に施行された。それから10年が過ぎ、その間に協議会には、不動産広告を扱うSUUMOのようなポータルサイトや不動産事業者から、さまざまな問い合わせや要望が寄せられていた。実情に合わない部分なども出てきたため、改正作業に着手したという。

消費者に不利益にならないかを改正の線引きに

例えば、不動産広告に掲載する建物の写真については、実際に取引するものを掲載するルールだが、新築住宅で建物が未完成の場合、「取引しようとする建物と規模、形質及び外観が同一の他の建物の外観写真」であれば掲載することができる、としている。ところが実際には、同一の他の建物の写真であるのはまれなことで、広告上では「施工例」などと称して規定に適合しない他の建物の外観写真を掲載している事例も多かった。

不動産ポータルサイトの任意団体である「不動産情報サイト事業者連絡協議会(RSC)」で調査したところ、「施工例として他の建物の写真を掲載すること」について、ほぼ8割の消費者が許容するという結果もあり、「同一の建物でなくとも、規模、形質、外観が類似する建物であれば掲載できる」と変更した。

ルールを決める線引きのラインは、業界の実情に合っているか、消費者に利益がある、または不利益がないかということ。表示規約の改正には、公正取引委員会と消費者庁からの認定が必要であり、消費者に不利益となるような変更はなされないのが原則だ。

要注意!徒歩所要時間などに大きな変更あり

佐藤さんに、特に消費者に知っておいてほしい改正点を聞いた。今回の改正では「徒歩所要時間や道路距離を算出する場合の起点の考え方と分譲物件の所要時間表示」の影響が大きいという。どういうことだろうか?

徒歩1分=道路距離80メートルと定められているが、問題はどこから(起点)どこまで(着点)の距離かということ。改正前はその施設などから最も近い物件(敷地)の地点を起点または着点とするルールだった。一定規模の分譲地や大規模なマンションの場合は、多くの一戸建てやマンションが建っている場合があり、筆者も経験したことがあるが、広告に記載された徒歩分数では取材先のお宅に行きつけなかったということが起こる。

今回はこうした点でいくつか改正点がある。まず、【画像1】のような住宅の戸数が複数ある分譲物件の場合、従来の最も近い住戸からの所要時間に加え、最も遠い住戸からの所要時間も表示すると改正した。同様に、周辺情報として例えば市役所等がある場合の表示方法も「○○市役所まで200mから450m」や「○○市役所まで3分から6分」(今回の改正で公共施設や商業施設については、道路距離に代えて所要時間の表示も可能となった)と最近と最遠の幅で表示することになる。

【画像1】最も近い住戸からの徒歩所要時間に加え、最も遠い住戸からの時間も表示する

出典:「表示規約・同施行規則の主な改正点を解説したリーフレット」より転載

出典:「表示規約・同施行規則の主な改正点を解説したリーフレット」より転載

また、【画像2】のように物件から駅などの施設までの徒歩所要時間や道路距離を表示する際、マンションやアパートの場合は、その起点を「建物の出入り口」と明文化された。

ちなみに、駅の出入口は駅舎の出入口が起着点となり、改札口としなくてよい。地下鉄の場合は地上にある出入口となるので注意してほしい。

【画像2】所要時間や道路距離の起点は、マンションなどの場合は「建物の出入り口」とする

出典:「表示規約・同施行規則の主な改正点を解説したリーフレット」より転載

出典:「表示規約・同施行規則の主な改正点を解説したリーフレット」より転載

では「なぜ、消費者への影響が大きいのか」を佐藤さんに聞いた。最も遠い住戸までの所要時間も併記することは、消費者にはわかりやすいというメリットがあり、特にデメリットはない。一方、マンションの出入口を起点とすることも、消費者にわかりやすい改正点だ。ただし、従来のルールでは敷地内の最も近い地点から計測して構わなかったので、広告する際に【画像2】の敷地(緑色の部分)の最も駅に近い場所から計測してもルールに違反することはなかった。

改正前にマンションを購入し、これから売ろうとしている場合、購入当初の物件パンフレットには、例えばA駅から徒歩2分のマンションと記載されていても、売るときにはマンションの出入口が起点に変わるため、計測し直した結果、A駅から徒歩3分とか4分という表示になる可能性がある。

自分のマンションは駅から徒歩2分だと思っていたのに、広告では違う分数で表示されてビックリ!といったことのないように、ルールの変更点を正しく理解しておくことが大切なのだ。

まだまだある、広告表示の改正点

ほかにも、いろいろな改正点がある。所要時間を調べるには、ほとんどの人が交通ルート検索サイトやアプリなどを利用しているだろう。その場合、乗り換えや待ち時間を含んだ所要時間が計算される。従来のルールでは、「乗り換えが必要な場合はその旨を明示」とだけだったので、所要時間には乗り換え時間や待ち時間を含めると変更した。

【画像3】所要時間に乗り換え・待ち時間を含む(最寄りのA駅からC駅まで30分~33分)

出典:「表示規約・同施行規則の主な改正点を解説したリーフレット」より転載

出典:「表示規約・同施行規則の主な改正点を解説したリーフレット」より転載

また、電車などの所要時間について、改正前は「平常時の所要時間を著しく超えるときは通勤時の所要時間を明示すること」とされていたので、よほど差がない限り、最も短い所要時間を表記しており、通勤ラッシュ時の所要時間ではなかった。今回の改正では「朝の通勤ラッシュ時の所要時間を明示し、平常時の所要時間をその旨を明示して併記できる」に変更された。

ほかにもさまざまな改正点がある。詳しく知りたい場合は、不動産公正取引協議会連合会のホームページで確認できる。

不動産広告は、マイホームを選ぶ際に重要な情報となる。そのため、消費者が同じモノサシで比較できるよう、同じルールで広告しようと、不動産業界自らがルールを定めている。物件を選ぶ消費者側も、どんなルールで掲載しているのか、ルールをきちんと守っている会社かを、しっかりチェックすることが大切だ。

●関連サイト
不動産公正取引協議会連合会「公正競争規約の紹介」
「表示規約・同施行規則の主な改正点を解説したリーフレット」
「不動産の表示に関する公正競争規約・同施行規則の新旧対照表」

渋谷駅まで電車で30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2022年版

ここ数年で大型複合ビルが次々と誕生し、さらに2027年度まで再開発プロジェクトが目白押しの渋谷駅周辺。すでに都内屈指の商業・ビジネスの街でありながら、今後はいっそうの発展が見込まれる注目のエリアだ。今回はそんな渋谷駅まで30分圏内にある駅の中古マンションの価格相場を調査した。専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの中古マンションの価格相場が安い街はどこなのか? さっそく見ていこう。

渋谷駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10

【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/渋谷駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 西川口 2380万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/29分/1回)
2位 川口 2473万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/26分/1回)
3位 西馬込 2580万円(都営浅草線/東京都大田区/21分/1回)
4位 大森海岸 2655万円(京浜急行本線/東京都品川区/28分/2回)
5位 練馬 2800万円(西武有楽町線/東京都練馬区/23分/0回)
6位 平和島 2899万円(京浜急行本線/東京都大田区/25分/1回)
7位 木場 2910万円(東京メトロ東西線/東京都江東区/29分/1回)
8位 中板橋 2930万円(東武東上線/東京都板橋区/24分/1回)
9位 沼袋 2980万円(西武新宿線/東京都中野区/24分/1回)
9位 門前仲町 2980万円(都営大江戸線/東京都江東区/25分/2回)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/渋谷駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 読売ランド前 2680万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/30分/2回)
2位 高田 3190万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/30分/1回)
3位 久地 3380万円(JR南武線/神奈川県川崎市高津区/26分/1回)
4位 津田山 3430万円(JR南武線/神奈川県川崎市高津区/24分/1回)
5位 西川口 3580万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/29分/1回)
6位 宮崎台 3680万円(東急田園都市線/神奈川県川崎市宮前区/27分/0回)
7位 向ヶ丘遊園 3699万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/24分/1回)
8位 戸田公園 3780万円(JR埼京線/埼玉県戸田市/29分/0回)
9位 生田 3790万円(小田急小田原線/神奈川県川崎市多摩区/27分/2回)
10位 上板橋 3930万円(東武東上線/東京都板橋区/29分/1回)

「シングル向け」は渋谷・新宿・池袋に30分以内で行ける西川口駅が1位に!

今回の調査基点にした渋谷駅の中古マンションの価格相場は、「シングル向け(専有面積20平米以上~50平米未満)」が5365万円、「カップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)」が9975万円。さすがというか、なかなかに高額! しかし渋谷駅まで30分圏内にまで範囲を広げると、価格相場もぐっと下がることが調査より見て取れる。

渋谷駅まで30分圏内にある中古マンションの価格相場が安い駅のうち「シングル向け」ランキングの1位は、JR京浜東北・根岸線の西川口駅で価格相場は2380万円。そして西川口駅より1駅東京方面にある川口駅が、価格相場2473万円で2位にランクインした。

西川口駅前(写真/PIXTA)

西川口駅前(写真/PIXTA)

共に埼玉県川口市に位置する1位・西川口駅と2位・川口駅は、直線距離で2kmほどしか離れていない。川口駅のほうがより埼玉県を代表する主要駅として知られているが、両駅周辺の様子は大きくは違わない。ここでは1位・西川口駅を中心にして街の様子を見ていこう。

1位・西川口駅から渋谷駅までは約29分。JR京浜東北・根岸線で赤羽駅に向かい、そこからJR埼京線に乗り換えると渋谷駅に到着する。赤羽駅~渋谷駅間には池袋駅や新宿駅もあるので、渋谷・新宿・池袋の3駅まで30分以内で行ける便利なロケーションというわけだ。そんな西川口駅には、肉や魚、野菜の売り場からベーカリー、100円ショップにレストランまで備えた駅ビル「ビーンズ西川口」が直結。駅前にもスーパーやディスカウントストア「ドン・キホーテ」、ファストフード店をはじめとした多彩な飲食店が立ち並ぶ。また、西口側には「西川口チャイナタウン」と呼ばれるエリアが広がり、中国系をはじめとしたアジア各国の食材店や飲食店が数多い点も特徴だ。

西川口駅からお隣の2位・川口駅方面に15分ほど歩くとショッピングモール「アリオ川口」があり、さらに10分ほど歩くと川口駅へ。川口駅前には広々とした「川口西公園」が広がるほか、行政センターや市立中央図書館、川口総合文化センターなどの公共施設も点在。川口市役所の最寄駅でもあり、西川口駅よりも川口駅のほうが市を代表する駅といえそうだ。そのためもあってか価格相場は西川口駅よりも川口駅のほうが93万円高い結果となった。

川口駅(写真/PIXTA)

川口駅(写真/PIXTA)

3位は東京都大田区に位置する都営浅草線・西馬込駅で、価格相場は2580万円だった。都営浅草線で五反田駅に行き、JR山手線に乗り換えると渋谷駅まで計約21分。この渋谷駅までの所要時間はトップ10のうち最短だ。また、五反田駅で下車せずそのまま都営浅草線に乗っていると、新橋駅や東銀座駅、日本橋駅などへも30分以内に到着できる。地下鉄駅の西馬込駅から地上に出ると、そこは国道1号・第二京浜の大通り沿い。駅前広場のようなものはなく、国道沿いにはマンションや飲食店などが立ち並んでいる。少し脇道に入ると静かな住宅街で、かつてこのエリア一帯には多くの文人・芸術家が住み「馬込文士村」と呼ばれた由緒ある地でもある。大型商業施設はないが、スーパーやドラッグストア、個人商店やおしゃれなカフェなど地元の人に愛されるお店が点在。静かに暮らしたい人にはいい街といえそうだ。

西馬込駅(写真/PIXTA)

西馬込駅(写真/PIXTA)

4位以下にも都内の駅が並んでいる。そのうち渋谷駅まで乗り換え0回で行けるのは、5位にランクインした東京都練馬区の西武有楽町線・練馬駅。西武有楽町線は練馬駅~新桜台駅~小竹向井原駅のわずか3駅の路線だが、小竹向原駅から東京メトロ副都心線と直通運転しているため渋谷駅まで乗り換えなしで行けるのだ。また、副都心線は東急東横線やみなとみらい線と直通運転しており、乗る列車を選べば練馬駅から渋谷駅を通り過ぎて横浜の元町・中華街駅まで1本で行くこともできる。

都営大江戸線も通る5位・練馬駅は練馬区を代表する駅といえ、駅周辺にはスーパーやドラッグストア、100円ショップといった暮らしを支える店舗や飲食店などの商店が充実。区の子ども家庭支援センターや区役所も、駅から徒歩10分圏内にある。また、駅から北に15分ほど歩くと遊園地としてにぎわった「としまえん」跡地が広がっている。この跡地は東京都が公園として整備する計画が進行中。その一角には2023年に「ハリー・ポッター」の体験施設が誕生予定なので、オープンが楽しみだ。

「カップル・ファミリー向け」トップ10には川崎市から6駅ランクイン

「カップル・ファミリー向け(専有面積50平米以上~80平米未満)」ランキングの1位は、神奈川県川崎市多摩区にある小田急小田原線・読売ランド前駅。価格相場はトップ10唯一の2000万円台となる2680万円で、2位以下よりも510万円も低かった。渋谷へのアクセスは小田急小田原線の各駅停車と快速急行を乗り継いで下北沢駅に出て、そこから京王井の頭線に乗り換えると約30分でたどり着く。読売ランド前駅から1駅目には9位の生田駅、2駅目には7位の向ヶ丘遊園駅、という位置関係だ。

読売ランド前駅(写真/PIXTA)

読売ランド前駅(写真/PIXTA)

1位・読売ランド前駅は絶叫マシンや夏季営業のプールで人気の「よみうりランド」の最寄駅の一つで、駅前からバスに乗って約10分で行くことができる。駅北側には日本女子大学と大学付属中学・高校の敷地が広がるため、平日には学生の姿も多く見られる。駅にスーパーが直結しているほか、南口前の通り沿いには精肉店や鮮魚店、野菜が安いと評判のミニスーパーやドラッグストアも。駅周辺は住宅街で、住宅の合間に市立の小中学校や保育園が点在。大型商業施設がない点がネックだが、そのぶん静かに暮らせる環境ともいえる。下り方面に2駅進むとショッピングモールや映画館が駅前にそろう新百合ヶ丘駅があるので、休日に遊びがてらまとめ買いに出かけてもいいだろう。

2位は神奈川県横浜市港北区にある横浜市営地下鉄グリーンライン・高田駅で、価格相場は3190万円。2駅先の日吉駅から東急東横線に乗り換えると、渋谷駅まで約30分だ。横浜市営地下鉄グリーンラインは2008年に開業した比較的新しい路線で、利用者数が年々増加してきた。朝のラッシュ時間帯に対応するため駅改良工事を進め、2022年9月からは現状より2両増やした6両編成の運転を導入予定。混雑緩和が見込まれており、より快適に通勤・通学ができそうだ。駅周辺は静かな住宅地で、グリーンラインの開業以降にホームセンターやスーパー、ドラッグストアも誕生して生活の利便性が向上。また、駅前の交差点近くには広大な敷地の工場跡地があり、ここに新たな商業施設が誕生するとの情報も。今後、さらに便利な街への発展が期待されている。

3位は神奈川県川崎市高津区にあるJR南武線・久地駅で、価格相場は3380万円。1駅隣にある4位・津田山駅を経由して武蔵溝ノ口駅に行き、東急東横線の溝の口駅に乗り換えれば約26分で渋谷駅に到着する。スーパーが点在する駅前から北へ15分ほど歩くと、多摩川の河川敷へ。久地駅は都県境近くに位置しているため、対岸には東京都世田谷区が見える。また、駅から南に徒歩10分~15分ほどの場所には植物園や子ども広場を備えた「県立東高根森林公園」や、水遊びや焚火もできる広場から屋根付きスポーツ広場、木工などの創作スペースまで備えた「川崎市子ども夢パーク」がある。川や緑を身近に感じながら暮らせる久地駅周辺は、のびのび子育てをしたいファミリーにもよさそうだ。

県立東高根森林公園(写真/PIXTA)

県立東高根森林公園(写真/PIXTA)

トップ10のうち、渋谷駅まで乗り換え0回で行けるのは6位の東急田園都市線・宮崎台駅と8位のJR埼京線・戸田公園駅。この2駅のうち渋谷駅への所要時間がより短く、約27分で行けるのは神奈川県川崎市宮前区に位置する6位の宮崎台駅だ。同駅には東急電鉄が運営する「電車とバスの博物館」が直結しているので、乗り物好きキッズがいる家庭は注目だ。駅周辺には複数のスーパーに加え、川崎市内の新鮮な農畜産物がそろうJA直営のファーマーズマーケットがあるのも嬉しいところ。また、コンパクトながら遊具を備えた児童公園が複数点在していたり、地域児童の遊び場「宮崎こども文化センター」があったりと、小さな子どもがいるファミリーが暮らしやすい街並みだ。

6位の宮崎台駅を含め、トップ10のうち6駅は神奈川県川崎市に位置している。川崎市はコロナ禍でも転出より転入が上回り、2021年に人口が154万人を突破。なかでも15歳未満の人口が約19万人と多くの子どもたちが暮らしているそうで、子育て支援を推進するべく「第2期川崎市子ども・若者の未来応援プラン」を2022年3月に策定。安心して子育てができる街づくりに向けてさまざまな取り組みを行っており、詳細については市のウェブサイトでも公開している。子育て期間中に引越しを考えているファミリー層は、交通の便や街の環境に加え、こうした自治体の取り組みもチェックして住まい探しをするといいだろう。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている渋谷駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/4~2022/6
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年6月27日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

『魔法のリノベ』ドラマ秘話。コロナ禍で人生を見つめ直している今こそ共感のテーマ 脚本家・プロデューサーインタビュー

「まさかリノベがドラマになるとは。感慨深い……」「国土交通省住宅局イチオシ」など、不動産業界のみならず、住まいを管轄する国土交通省まで注目しているのが、今クールのテレビドラマ『魔法のリノベ』(主演:波瑠)です。その魅力はどこにあるのでしょうか。プロデューサーの岡光寛子さん、脚本を担当するヨーロッパ企画の上田誠さんにお話を伺いました。

きっかけはコロナ禍。2年の構想制作期間を経て実写ドラマ化!リノベを扱ったドラマ『魔法のリノベ』が放映中(写真提供/カンテレ)

リノベを扱ったドラマ『魔法のリノベ』が放映中(写真提供/カンテレ)

今ある建物に対して、新たな機能や価値を付け加える「リノベーション(以下、リノベ)」。修繕をして元通りにする「リフォーム」ではなく、間仕切りを広くする、住宅設備をより現代的で使いやすいものへと変更するなどの工事をすることをいいます。

2022年7月から放映されているテレビドラマ『魔法のリノベ』(カンテレ・フジテレビ系、月曜午後10時)は、このリノベをテーマにしたお仕事ドラマ。このところ住まいや不動産を扱ったドラマはあるものの、主に家を買う、売る、借りるといった題材を扱っているため、「まさかリノベがテーマになる日がくるとは……」と不動産や住宅関連企業、国土交通省まで注目、SUUMOジャーナルも放映開始から熱く見守るなど、まさに「業界騒然」なドラマなのです。

まずは、リノベを扱うようになった、その背景などを岡光プロデューサーに伺いました。
「今回のドラマは、星崎真紀さんの同名マンガが原作です。きっかけとなったのは2年前のコロナ禍。半強制的に自宅で過ごす時間が増え、家や家族、仕事や人生についてあらためて考えた人は多かったはず。私もそのひとりですが、住まいをリノベすることで人生もリノベしていく、人間関係や壊れたものを再生していくというテーマに惹かれました。脚本を上田さんにお願いし、月曜22時にふさわしい実直なお仕事ドラマに、遊び心とクセを付け加え、ヒューマンとコメディが行き交うエンタメにしています」と話します。

波瑠さんが演じる主人公の小梅。もともとは大手リフォーム会社にいましたが、人間関係でやらかし、転職してきます(写真提供/カンテレ)

波瑠さんが演じる主人公の小梅。もともとは大手リフォーム会社にいましたが、人間関係でやらかし、転職してきます(写真提供/カンテレ)

ドラマそのものは、大手リフォーム会社にいた主人公の小梅(波瑠)が、理由あって家族経営の「まるふく工務店」に転職してきたところからはじまります。主人公とコンビを組むのは工務店の長男でもあり、2回の離婚歴があるシングルファーザー福山玄之介(間宮祥太朗)。それぞれ凹凸はあるものの、回を重ねるごとによき理解者、よい雰囲気になっていく、という展開です。

ドラマは1話完結、課題を抱えた家族(ゲスト俳優)がリノベを依頼し、それらを主人公の小梅たちが解決していく、という展開です。そのため、毎週視聴するとよりおもしろいですし、途中から見てもわかりやすいストーリー仕立てです。和モダンと夫婦のかたち、夫婦の寝室どうする、事故物件で暮らしたい、風水と強烈な占い師、防犯と親子など、「今らしさを感じるリノベ」を扱っています。どの回も、何度も見返したくなるおもしろさです。

小梅とコンビを組むのは、間宮祥太朗さん(右)演じる福山玄之介。バツ2のシングルファーザーで圧倒的お詫び力「詫びリティ」の持ち主(写真提供/カンテレ)

小梅とコンビを組むのは、間宮祥太朗さん(右)演じる福山玄之介。バツ2のシングルファーザーで圧倒的お詫び力「詫びリティ」の持ち主(写真提供/カンテレ)

ミニチュア、CAD、アイテム、エンディングまで見どころいっぱい!

ドラマのストーリー、展開もおもしろいのですが、ドラマの舞台となる「1階 工務店」と「2階 玄之介の部屋」に本物の住宅設備を採用しているだけでなく、提案する間取りをCAD(実際に建築の現場で使用されている設計ソフト)とミニチュア模型までちゃんとつくり込んでいてドラマ中に登場したり、リノベ依頼者の家のリノベ前と後のセットを組んで多角的に見せたりしています。主人公たちが使っているお仕事道具なども限りなくリアルで、「予算、すごいことになっているのでは」「凝っているなあ……」という感想しかありません。

1階まるふく工務店の様子(写真撮影/カンテレ)

1階まるふく工務店の様子(写真撮影/カンテレ)

2階にある玄之介と進之介の部屋。キッチンや内窓など、LIXILの本物の住宅設備を使ったセット。室内用窓を採用するとはさすが!(写真撮影/カンテレ)

2階にある玄之介と進之介の部屋。キッチンや内窓など、LIXILの本物の住宅設備を使ったセット。室内用窓を採用するとはさすが!(写真撮影/カンテレ)

「今回の制作費は特別なものではなく、通常のドラマと同じ範囲でやりくりしています。ミニチュアに関しては『シルバニアファミリー』や『ブロックおもちゃ』のように、小さな住まいのもつよさ、シズル感を表現したくてぜひ取り入れようと。住まいのビフォーやアフターも毎回、工夫としてしっかりつくっています。原作に似た物件を探してきたり、それをどう表現するか美術技術VFXチームと相談したり、まさにスタッフ全員の総力戦ですね」と岡光さん。

また、リノベのプロが監修し、脚本のたたき台の段階、脚本執筆後の段階、撮影の段階と、逐一、相談したり、チェックしてもらったりしているそう。当然、出演者が持っている仕事道具なども極力、プロ仕様になっているので、リアリティーが増すようになっています。

オープニングに登場するミニチュア。「1階 まるふく工務店」の様子です(写真提供/カンテレ)

オープニングに登場するミニチュア。「1階 まるふく工務店」の様子です(写真提供/カンテレ)

CADの画面をスタッフが見ているシーン(写真撮影/カンテレ)

CADの画面をスタッフが見ているシーン(写真撮影/カンテレ)

設計図面。リノベのビフォーとアフター、住まいの課題と解決法などをセリフに落とし込んでいるので、「なるほどねー」と納得しながら視聴できます(写真撮影/カンテレ)

設計図面。リノベのビフォーとアフター、住まいの課題と解決法などをセリフに落とし込んでいるので、「なるほどねー」と納得しながら視聴できます(写真撮影/カンテレ)

会社のロゴや住所まで入ったリノベーションを提案するシート。「もう散らからない」というコピーがリアル(写真撮影/カンテレ)

会社のロゴや住所まで入ったリノベーションを提案するシート。「もう散らからない」というコピーがリアル(写真撮影/カンテレ)

セット内のチラシまでつくり込まれています(写真撮影/カンテレ)

セット内のチラシまでつくり込まれています(写真撮影/カンテレ)

「まるふく工務店」の外観。看板やのぼりもあり、「どこかにありそう……」な感じを醸し出しています(写真撮影/カンテレ)

「まるふく工務店」の外観。看板やのぼりもあり、「どこかにありそう……」な感じを醸し出しています(写真撮影/カンテレ)

まるふく工務店のマスコット、「まるふくろう」(写真撮影/カンテレ)

まるふく工務店のマスコット、「まるふくろう」(写真撮影/カンテレ)

ドラマはもちろんファンタジーの部分もありますが、お仕事ドラマの場合は「説得力」と「リアルさ」がカギになります。だからこそ細部に手を抜かないという、制作陣の意気込みを感じます。また、個人的に大好きなのが、エンドロールで紹介されるリノベ後の住まいの様子です。特に出演者がリノベ後の家で幸せそうにしている姿を見ると、見ているこちらもウキウキするので、筆者は何度も見返しています。「まだ月曜日……(白目)」となりがちな時間帯にコレを視聴できるの、いいですよね。

第1話のリノベ後の住まい。夫妻の関係をすぐに見抜いた小梅の観察力、提案力に驚かされます。築60年の住まいを「一気に刷新したい」と乗り気の夫、あまり積極的になれない妻。その根っこにあったわだかまりを見つけ、解決しました(写真撮影/カンテレ)

第1話のリノベ後の住まい。夫妻の関係をすぐに見抜いた小梅の観察力、提案力に驚かされます。築60年の住まいを「一気に刷新したい」と乗り気の夫、あまり積極的になれない妻。その根っこにあったわだかまりを見つけ、解決しました(写真撮影/カンテレ)

大きなキッチンにそば打ちなどのお話に登場したアイテムがちらりと映り込んでいます(写真撮影/カンテレ)

大きなキッチンにそば打ちなどのお話に登場したアイテムがちらりと映り込んでいます(写真撮影/カンテレ)

和モダンのよさ、夫妻のこれからの暮らしが想像できて、明るい気持ちになります(写真撮影/カンテレ)

和モダンのよさ、夫妻のこれからの暮らしが想像できて、明るい気持ちになります(写真撮影/カンテレ)

すべて新しくすればいいというものではないのが、リノベの魅力だと思います(写真撮影/カンテレ)

すべて新しくすればいいというものではないのが、リノベの魅力だと思います(写真撮影/カンテレ)

空間は人間関係を変える。まさにリノベに魔法はある!

ドラマは回を進めるごとに人間関係がより複雑になってきてハラハラする場面も。特に主人公がかつて在籍していた会社の後輩である桜子の怖さ、イラっとさせる具合が絶妙で、Twitterでも「桜子」がトレンド入りしていました。もちろん、社内でのやりとりのコメディシーンは、見ていてニンマリしてしまいます。脚本家の上田誠さんは、セリフをどのように考えたのでしょうか。

脚本を担当する上田誠さん(写真提供/ヨーロッパ企画)

脚本を担当する上田誠さん(写真提供/ヨーロッパ企画)

「マンガ原作があるので、これを非常に大切にしています。それこそ文字起こしをするくらい自分の血肉にして、脚本にとりかかりました。星崎先生もかなりリノベについて取材をされていらっしゃって、尋常ではないこだわり、想いを感じています。ドラマのクライマックスはリノベ案のプレゼンなので、営業の言葉遣いを逸脱することなく、その上で心に残る台詞を目指しています。『どうぞイメージなさってください』『リノベは魔法なんです』というセリフを、役者さんがどう表現するかは見どころのひとつだと思っています」と上田さん。

クライマックスのセリフはいつも同じですが、毎回、言い方が微妙に異なります。役者さんってすごいですね(写真提供/カンテレ)

クライマックスのセリフはいつも同じですが、毎回、言い方が微妙に異なります。役者さんってすごいですね(写真提供/カンテレ)

なるほど、決めセリフがあるからこそ、毎回の変化がおもしろいんですね。また演者さんも役に入り込むことで、「何かやってやろう」というアドリブも出てくるんだとか。これも脚本家と出演者、信頼関係のなせる技ともいえるのでしょう。また、ドラマは、住まいや家族に潜む「闇」や「魔物」「不満」を毎回発見して対峙、解決していくミステリー仕立てにもなっています。これは新築の住まいを買う/借りるだけでは、なかなかできない展開です。

案件が無事終わると、ふたりで打ち上げに行く。ひと仕事終えたあと、緊張がすこしゆるみ、信頼感、距離感がより近づいていきます(写真提供/カンテレ)

案件が無事終わると、ふたりで打ち上げに行く。ひと仕事終えたあと、緊張がすこしゆるみ、信頼感、距離感がより近づいていきます(写真提供/カンテレ)

「既存の住宅を舞台にするので、必ず家族や夫婦の問題が根っこにあるんですよね。第2回がわかりやすいですが、冒頭に夫妻の行動があって、手がかりや引っかかりがある。見ながらアレはなんだったのかと考えていただき、観察やヒアリングを進めるなかで、小梅たちと一緒になって解決し、気持ちよくエンドロールまで向かってもらえたらと思います」と岡光さん。

なるほど、リノベーションはミステリー、その発想はありませんでした。では、上田さんから見たリノベーションの魅力はどんな点にあるのでしょうか。
「舞台を長年、やってきた経験から、空間の変化が人間のコミュニケーションに与える影響を目の当たりにしてきました。人間関係の問題は、空間で具体的に解決できることもあるんです。だからこそ、リノベに魔法はあります!と言いたいですね。また、リノベを通して、人生や家族が再生していく様子も見てほしいなと思います」と話します。

まるふく工務店の面々。左から玄之介と三男の竜之介、従業員の小出誠二、主人公の真行寺小梅、越後寿太郎。小さな会社らしい、わちゃわちゃしたやり取りは見ていて心和みます(写真提供/カンテレ)

まるふく工務店の面々。左から玄之介と三男の竜之介、従業員の小出誠二、主人公の真行寺小梅、越後寿太郎。小さな会社らしい、わちゃわちゃしたやり取りは見ていて心和みます(写真提供/カンテレ)

ドラマでは、住まいや家族に潜む問題を「魔物」と表現しています。ひとりでも、夫妻でも、家族であっても、家に潜んでいる「魔物」に向き合うのは時間、お金、何より気力が必要です。だからこそ、新築物件と同じように「家に自分たちを合わせる=リノベ済み」物件のほうを選ぶ人が増えている傾向もあるようです。でももし、ドラマのように、プロの手を借りつつ、自分たちの課題と向き合い、解決できるのであれば、きっと「暮らしに家を合わせた」家が手に入るのだと思います。仲間といっしょにパーティを組み、前に進む。まさにリノベは人生そのもの、ですね。

リノベの「魔法」にかけて、突然現れるRPG風のシーン。「魔物」も出てきます!(写真提供/カンテレ)

リノベの「魔法」にかけて、突然現れるRPG風のシーン。「魔物」も出てきます!(写真提供/カンテレ)

●取材協力
『魔法のリノベ』(月曜22時~22時54分、フジテレビ系)
Tver
カンテレ
ヨーロッパ企画/脚本家 上田誠さん

人気の花火職人が山里で始めたカフェ兼宿。コロナ禍で気づいた豊かさや幸せの答え 「山の家」福岡県みやま市

コロナ禍によって人々の価値観が変わった。大切なことが明確になった、という人も多いかもしれない。今回紹介する筒井良太、今日子夫妻がカフェ兼宿「山の家」(福岡県みやま市)を始めたのも、コロナがきっかけだった。「足元に目を向ける」「地元のものを生かす」と口でいうのは簡単だが、誰かに提供するには形にしないとならない。お土産品、飲食店、カフェやゲストハウス……さまざまな形があるけれど、筒井夫妻が始めたのは、みやまの宝を集結した家だった。なぜ宿を?山の家を訪れて話を聞いた。

趣のある「山の家」

福岡県の南に位置するみやま市。福岡の繁華街からわずか車で1時間ほどだが、まるで風景が変わる。道脇には清流が流れ、小高い山々や田畑が広がる。今年3月、ここに「山の家」と呼ばれるカフェ兼宿がオープンした。築100年以上の屋敷を改修して店を始めたのは、同じみやま市で玩具花火をつくってきた「筒井時正玩具花火製造所」の筒井良太、今日子夫妻だ。

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

山の家に到着すると、お屋敷、といっていいような風格ある古民家が、緑の茂るなかに立っていた。山の家という名から、標高の高い場所にあるのかと想像していたが、思っていたより平地からすぐの場所にある。

中へ入ると思わず声が漏れた。「うわぁ素敵ですね」。
年月を経た家の重厚な空気感に、ラインの美しいカウンターや洗練された椅子とテーブル。ショーケースには美味しそうなケーキが並び、レジ向こうは座敷になっていて、女性スタッフが座って花火づくりの作業をしていた。

古い壁から出てきた竹格子はあえて残してある。窓際のカウンター上部には長崎の陶器ブランド「JICON」のオレンジ色の照明が存在感を放っている。(写真撮影/藤本幸一郎)

古い壁から出てきた竹格子はあえて残してある。窓際のカウンター上部には長崎の陶器ブランド「JICON」のオレンジ色の照明が存在感を放っている。(写真撮影/藤本幸一郎)

玄関から向かって左半分のスペースが「カフェ・フイユ」。右ののれんをくぐった先が宿「山の家」になる。

「カフェフイユ」のフイユとはフランス語で「葉っぱ」のこと。「葉っぱに「予約席」の文字(写真撮影/藤本幸一郎)

「カフェフイユ」のフイユとはフランス語で「葉っぱ」のこと。「葉っぱに「予約席」の文字(写真撮影/藤本幸一郎)

「じつはすごく贅沢な暮らしをしていた」

筒井夫妻は、ここから車で5分ほどの場所で「筒井時正玩具花火製造所」兼ギャラリーを営んできた。なぜ、宿を?

「コロナ禍で何がほんとうに贅沢で豊かなのか。幸せって何だろうって考え直した時、「みやま」ってなんていいところなんだろうって改めて思ったんです。

今まではお金を稼いでいいもの買って、というのが贅沢だったけど、明らかに以前とは考え方が変わった。ここでは採れたての野菜が食べられたり、週末には炭でパンを焼いて青空の下で食べたりして」

川はきれいで緑は豊か。夜には星も見える。子どもたちはのびのびと花火もできるし川遊びもできる。周囲には優しい地元の人たち。それまで当たり前に享受してきたあれこれが、いかに贅沢であるかに気づいた。

「この豊さを、都会から訪れる人たちにも楽しんでもえたらいいなと思ったんですね。地元のいいものを集めた場所がつくれたらいいなって」

そうして昨年2021年、導かれるように知人に紹介されたのがこの物件だった。

筒井今日子さん。夫の良太さんとともに「筒井時正玩具花火製造所」を営む(写真撮影/藤本幸一郎)

筒井今日子さん。夫の良太さんとともに「筒井時正玩具花火製造所」を営む(写真撮影/藤本幸一郎)

“ユミちゃんのケーキ”が食べられる店

今年の春には、まず「カフェ・フイユ」を先行してオープン。メニューには地元の美味しいものが詰まっている。切り盛りするのは、「ユミちゃん」の愛称で呼ばれる、パティシエの高巣由美(たかす・ゆみ)さん。もともと地元で「ランコントル」という予約制のケーキ屋を営んでいた。

カフェをやるなら、ユミちゃんにお願いできないかと今日子さんはまず思ったのだそうだ。

パティシエで、カフェフイユのオーナー、高巣由美さん(写真撮影/藤本幸一郎)

パティシエで、カフェフイユのオーナー、高巣由美さん(写真撮影/藤本幸一郎)

「ユミちゃんのケーキはほんとに人気で、でも予約して数日待たないと食べられない。それがこのカフェでいつでも食べられればみんな喜ぶだろうなと思ったんです。蓋を開けてみると、思ったとおりでした(笑)」(今日子さん)

ショーケースにはチーズケーキやガトーショコラなど美味しそうなケーキが並び、持ち帰りもできる。看板商品はレーズンサンド。クリームには近くの酒蔵の甘酒や酒粕を使用。それとは別に、酒粕パンも販売している。

ケーキの並ぶショーケースの横には、筒井時正玩具花火製造所の線香花火をはじめ、びわの葉茶や九州の工芸品も並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

ケーキの並ぶショーケースの横には、筒井時正玩具花火製造所の線香花火をはじめ、びわの葉茶や九州の工芸品も並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

ランチのスープセット。今は食事のメニューはホットサンドとスープセットのみだが、カレーも近く提供する予定(写真撮影/藤本幸一郎)

ランチのスープセット。今は食事のメニューはホットサンドとスープセットのみだが、カレーも近く提供する予定(写真撮影/藤本幸一郎)

11時の開店時間を過ぎると、カフェはお客さんでいっぱいになった。若者や女性が多いのだろうと想像していたのだが、年配者も多い。地元の人らしいお母さんたちが少しお洒落した装いで集まっている。「パン買いに来たよ~」とにこにこ声をかける女性もいる。

「お店をオープンする前に、地元の人たち先行でお披露目会をしたんです。そうじゃないとなかなか接点がもてないんじゃないかと思って。地元が元気になったらいいなと始める店でもあるから」(今日子さん)

「ユミちゃん、ユミちゃん」とお客さんが楽しげに声をかけているのが聞こえてきた。

おしゃべりに興じるご近所さん(写真撮影/藤本幸一郎)

おしゃべりに興じるご近所さん(写真撮影/藤本幸一郎)

長いこと、地域には背を向けてきた

もともと「筒井時正玩具花火製造所」は、少し変わった花火メーカーでもある。

花火の国産メーカーは、安い海外品におされて数が減っている。なかでも線香花火をつくる会社は、いま全国に4軒しかない。一時期は残り一社となった製造所が廃業し、絶滅寸前に陥った。このままでは線香花火は日本でつくられなくなってしまうぞという時に、筒井時正玩具花火製造所3代目の筒井良太さんが廃業前の製造所へ出向いて修行をし、技術を引き継いだのだった。

国産の線香花火は、海外産に比べて火花が大きく、長く火が落ちない。その質の良さを生かして、二人は自社の線香花火をギフトや雑貨として「一箱40本で1万円」の高価なオリジナル商品として発表した。

「そんな高い花火が売れるはずない」と周囲に反対されながらも、インテリアライフスタイル展などに出展し、販路を増やしてきた。花火を製造する工房横には、線香花火を試せるギャラリーも設けた。新しい花火のあり方を切り開いてきた10年間だった。

筒井時正玩具花火製造所の線香花火。火花が大きく長くもつ(提供/筒井時正玩具花火製造所)

筒井時正玩具花火製造所の線香花火。火花が大きく長くもつ(提供/筒井時正玩具花火製造所)

だからこそ、これまではほとんど地元に関心を向けてこられなかったのだという。

「花火を売れるようにするのに必死やったんで。どうしてもそっちが先になってしまって」と良太さん。

けれど、自社のギャラリーを訪れたお客さんにリピーターが少ないことに気付く。

「自分のところだけ頑張っていてもダメだなって。お客さんにとっては、ここへ来た後、あそこでお昼を食べて、最後ここに寄って帰ろうなどいくつか立ち寄れる場所があるといいですよね。だからみんなでまちを盛り上げていけたらいいなと思ったんです」(今日子さん)

筒井さんたちは山の家を始める前にもう一軒、「川の家」という宿を近くで運営している。花火をできる場所がどんどん限られていることも宿を始めるきっかけだった。

「今、3割の子どもたちは花火をしたくてもできないまま、大人になってしまうと知ったんです。それがショックで。公園も浜辺もどこも禁止、禁止でしょう。川沿いなど屋外であればいくらでも花火を楽しめますから」(今日子さん)

筒井時正玩具花火製造所の線香花火(写真撮影/藤本幸一郎)

筒井時正玩具花火製造所の線香花火(写真撮影/藤本幸一郎)

びわプロジェクト

山の家をオープンするに至るには、これまでに筒井さんが地元の人たちと進めてきたいくつもの活動が背景にあった。

そのひとつが、「びわプロジェクト」だ。

ある時、筒井さんたちに、びわ畑を引き取ってもらえないかと相談があった。広さ1500坪の畑は、そう簡単に「はい」と引き受けられる規模ではなかったが、調べてみると、びわにはさまざまな活用法があることがわかった。びわの葉を使ったお茶、お灸、びわ染め。

今日子さんは、すぐに営利目的で活用するのは難しいけれど、地域のみんなとびわ畑で新しいことを始めるのにはいいと考えた。

「山の家」宿側の縁側から見える庭(写真撮影/藤本幸一郎)

「山の家」宿側の縁側から見える庭(写真撮影/藤本幸一郎)

「びわプロジェクト」を立ち上げるのに造園家、農家、市役所の職員など有志約20名が集まり、みやま市の地域ブランドをつくろうと活動が始まったのが2020年6月。それから月に一度、みんなで楽しみながら作業を続けていて、現在は約50名のプロジェクトメンバーがいる。

昨年の6月には立派な実がたくさん収穫できて、道の駅などで販売した。

(提供/びわプロジェクト)

(提供/びわプロジェクト)

びわプロジェクトの活動の様子(提供/びわプロジェクト)

びわプロジェクトの活動の様子(提供/びわプロジェクト)

「ゆくゆくはびわを活用して商品化、ブランドにしてお金をまわしていくことも考えているんですけど、いま動いてくれる人たちはほとんどがボランティア。それじゃあ長続きしないと思って、びわコインという地域通貨を発行しています。でもベースはみなさんの地元がよくなるようにって気持ち、郷土愛によるものなんです。

みやまには、誰かが何かを始めるんやったら、よっしゃ一緒にやってやろうと関わってくれる人がたくさんいる。そんな人が50人もいるってすごいじゃないですか」(今日子さん)

このびわプロジェクトは、2年目からウコンも含めた「薬草研究会」として発展。びわゼリー、びわ大福、びわフローズンを試作したり、びわやウコンの効能、加工、商品開発に向けての意見交換をして、収穫から活用まで考えている。

その、地元の人たちと活動してきたひとつの出口として「山の家」がある。近々、ウコン(ターメリック)とびわ茶、みやまの特産品であるセロリを用いたカレーも新しいメニューとして、カフェで提供される予定。宿で出すお茶もびわ葉。部屋着やのれんもびわ染めした。

宿「山の家」は、人とのつながりで生まれた

年内には宿「山の家」もオープンする予定。全面に庭の緑が見える広々としたお座敷と、現代風にアレンジされた中の間の二部屋、屋敷の右半分が貸切で使用できる。

座敷(写真撮影/藤本幸一郎)

座敷(写真撮影/藤本幸一郎)

中の間(写真撮影/藤本幸一郎)

中の間(写真撮影/藤本幸一郎)

「初めは接客のプロを雇ってお任せしようと思っていたんです。でも知人に、老舗旅館と勝負しても勝てないのではと言われて、そうだなって。私たちはあくまで花火屋。サービスレベルなどで勝負しても、長年旅館をやっていらっしゃるところにはかないっこない。であれば、せめて私たち自身が直接お客さんと話したり、最大限のもてなしをする方が私たちらしいやり方なんじゃないかと思うようになりました」

泊まらなくても「山の家」を気軽に体験できるよう、カフェと宿の定休日である水曜限定の、ジビエ料理「Nuit」と「山の家鍼灸所」をオープンした。

「地元の人たちにも楽しんでもらえるといいなと思って。この家は格子から漏れる光がきれいで、夜の雰囲気がすごく素敵なんです」

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

さらに今年、筒井さんたちは「有明月」という名前の一般社団法人を設立した。地元の人たちとのつながりも増え、より機動力のある形で動けるようにとの思いから。お寺の住職さんと朝のお勤めを体験するツアーを実施したり、元商工会の職員さんと事業計画づくりのサポートをする仕事をしたり。

「行政にしかできないことはもちろんあると思いますが、小さくても自分たちでできることはどんどんやろうって気持ちなんです。役場の職員さんも、個人的に関わってくれていたりします」

山の家を始めるうえで協力してくれた人たちは数えきれない。今日子さんの話に登場する人たちはみんな、個性的で魅力的で聞いていて飽きない。ジビエ料理にしたのも、ハンティングから手がける若きシェフとの出会いがあったから。カフェの器を依頼したのは海外に暮らす作家さん。びわの栽培を教えてくれた佐賀のおじいさんの話。

「私たちがやっていることって、結局すべて人とのつながりから始まってるんです。ああ、この人と一緒に何かしたいなって思ったら一緒にやる。そうしてひとつひとつ、つながってきた結果が山の家かもしれない」(今日子さん)

そんな山の家の成り立ちを聞いていると、田舎の未来像が見えるようだった。

(写真撮影/藤本幸一郎)

(写真撮影/藤本幸一郎)

●取材協力
山の家
カフェ・フイユ

NY現地レポ! 新型コロナ、戦争、物価高。「モノ不足」に市民が悲鳴

コロナ禍になって3年目。アメリカでは「モノ不足」が叫ばれるようになって久しい。
2020年3月、日本と同様、アメリカでも人々は未曾有の脅威に備え「買いだめ」に走った。それによりトイレットペーパー、消毒液、不織布マスク、風邪薬、長期保存用のパスタや米といった食料品、ミネラルウォータなどがスーパーの棚からごっそり消えた。
感染拡大の落ち着きとともに品不足は解消されたが、コロナ禍3年目の今年になっても、さまざまな「モノ不足」が社会問題になっている。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

アメリカで深刻な粉ミルク不足

日本では、新型コロナや戦争などに関連して材料不足・労働力不足による値上げや品不足が取りざたされているが、それだけとも限らない。例えば今春、ベビーフォーミュラ(粉ミルクなど乳児用ミルク)の品薄が子を持つ親にとって切実な問題となった。

そもそもの原因は、粉ミルクを飲んだ乳児4人が細菌による感染症で入院、うち2人が死亡したことだ。この粉ミルクは米最大手アボット・ラボラトリーズのミシガン州の工場で製造されたもので、同社は問題発覚後、製品を回収し工場の稼働を停止した。その影響で消費者がパニック買いをしたことで、5月半ばには全米で粉ミルクが常時より43%減り、どの店でも品薄状態に陥った。

きっかけは1社の感染症によるもので、厳密に言えば労働力不足や戦争などが関連したものではないが、コロナ禍で社会不安が広がるなか、人々がニュースに敏感になり、ちょっとした異変を感じては買いだめに走り、商品が棚からごっそりなくなるという意味では、この2年で発生したほかの品不足騒動と類似している。

その後FDA(アメリカ食品医薬品局)は、外国製粉ミルクの輸入を認める方針を発表し、ヨーロッパからの輸入に頼る緊急対策を打ち出した。さらに、工場の衛生環境の見直しなどを条件にアボット社の再稼働を許可したことで、問題はさしずめ落ち着いたように見られるが、店によってはまだ品薄状態だ。足りない地域の人々は、他州に買いに行ったりオンラインで購入したりしている。

7月下旬になっても、ニューヨーク市内のドラッグストアでは乳幼児用製品が品薄状態  (c) Kasumi Abe

7月下旬になっても、ニューヨーク市内のドラッグストアでは乳幼児用製品が品薄状態 (c) Kasumi Abe

ドラッグストアでは、タンポンも不足気味だ。まったくないわけではないが、商品によっては空の棚が目立つ。

タンポン売り場。7月下旬、ニューヨーク市内のドラッグストアにて (c) Kasumi Abe

タンポン売り場。7月下旬、ニューヨーク市内のドラッグストアにて (c) Kasumi Abe

ニューヨークタイムズによると、タンポンの品薄状態はインフレによる消費者物価の上昇が背景にあるという。また、金融関連の専門メディア、ブルームバーグによると、インフレにより今年5月の時点で、生理用ナプキンの平均価格は今年の初めに比べて8%以上上昇し、タンポンの価格は10%近く上昇した。

タンポンの製造を行うタンパックス(Tampax)社は、コットンやプラスチックなどの原材料を入手するのに高いコストがかかっていることにより(製造が)非常に不安定であると発表している。

コロナ禍以降のモノ不足について、ニューヨークタイムズは、粉ミルクやタンポン以外にも「トイレットペーパー、自動車、厨房機器などの世界的なサプライチェーンが品薄の危機に晒されている」と報じた(筆者の住むエリアでは、トイレットペーパーの仕入れはここ1~2年ほど安定しているが、全米では品薄の場所もあるようだ)。

また筆者は本屋を取材した際、出版業界でも紙不足と労働力不足で印刷が減っているという話も聞いた。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

米労働省労働統計局(U.S. Bureau of Labor Statistics)によると、2021年6月と比べて、食品価格は10.4%上昇した。具体的に卵は33.1%、レタスは11.4%、パンは10.8%値上がりし、消費者物価指数(CPI)は1981年以来もっとも高い上昇率だという。ガソリンの高騰も報じられている。

インフレ以前もアメリカの都市部では物価、家賃、外食費は高かったのだが、以前ならスーパーでちょっとしたものを購入し て5000円~1万円程度で済んでいたものが、インフレの今は、6000円~1万1000円出さないといけない状態だ。買い物1回あたりは約1.1倍と微増だが、塵も積もれば結構な出費となる。筆者も極力外食を減らし自炊を増やしているのはもちろんのこと、単価が高くなったもの自体の購入自体をやめた、もしくは購入する回数を減らしたケースもある(例えば、6ドルから数セント値上がりしついに7ドルに達したお気に入りのジュースなど。6ドルでも高いと思ったが、7ドルになると手が出せない域になったと感じた)。

価格高騰の波は、さまざまな分野に影響を及ぼす

例えばニューヨークでは、数々の映画でもおなじみの観光地であるセントラルパークのボートハウスが2022年10月16日、150年の歴史に幕を閉じることが7月21日に発表された。閉店理由は「人件費と物価の上昇による」という。「また1つ、ニューヨークのアイコンがなくなる」と、市民を失望させるニュースだった。市内ではコロナ禍以降、店舗の閉店が増えるなど、ボートハウスの閉店は氷山の一角だ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

また、都市部では住宅不足による家賃高騰も続いている。

新型コロナがサプライチェーンにもたらす影響

コロナ禍初期、行動制限により世界中の工場が操業を停止した。それにより何が起こったかというと、サプライチェーン(商品や製品が消費者の手元に届くまでの調達、製造、在庫管理、配送、販売、消費という一連の流れ)の一時停滞と、世界の物流の寸断だ。

コロナ禍3年目のいま、初期とは別の問題が生じている。一時は停滞していた経済活動が回復し、需要が増えたのはいいが、供給が追いつかない状態なのだ。コロナ禍以降、住宅着工件数が急増したことで、輸入木材の価格は2021年10月の時点で、コロナ禍前の2019年12月に比べて1.8倍に、自動車や電子機器に使われる銅の価格は2021年11月、2019年12月の1.5倍にはね上がった。木材や銅などの資源価格が急激に上昇し、コンテナ不足などもあり物流が混乱している状態だ。

労働力も足りない

コロナ禍以降の不足は「モノ」など物質だけではない。「人」や「労働力」もそうだ。

筆者は日常生活のあらゆる場で、人手不足を感じている。例えば、銀行に行くにも予約が取りにくい状況だ。その理由を行員に尋ねると「Labor shortage(人手不足、労働力不足)」と説明される。薬局では、万引き防止で鍵のかかった商品を出してもらおうと店員を呼んでも、しばらく誰も来てくれないことがある。スタッフが足りていないのだ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

現在は真夏のプールシーズン真っ盛りだが、ライフガード不足でいくつかの公共プールの閉鎖(もしくは入場制限)が報じられた。

また、今はそれほど深刻ではないものの、今後はオリーブオイルの品薄も懸念されている。オリーブの生産国の1つ、イタリアでオリーブ急速衰退症候群といってオリーブの樹木を枯らす細菌が急速に蔓延しているのが原因だ。専門家によると、そのせいで過去5年間で生産量が約50%も損なわれるなど大きな被害が出ている。これに加え、世界中のサプライチェーンの問題、労働力不足、ウクライナでの戦争も供給に影響を及ぼすというのだ。

このようにコロナ禍以降の「人・モノ不足」は、アメリカのみならず世界各地での切実な問題だ。
市井の人の視点としては、モノ不足に関して「まったくない」状態ではないので行政の目立った対策はないものの、以前と比べて「チョイスが限られるようになった」のは事実。世界的なサプライチェーンの問題はしばらく続きそうだが、それさえ解決できたら少しは人・モノ不足も解消されていくだろうと、人々は期待を寄せている。

「空家特措法」施行から7年、空き家問題はどうなった? 実家の相続方針は早めに検討を

空き家問題がクローズアップされ、「空家等対策の推進に関する特別措置法(空家特措法)」が2015年に施行されてから7年。国土交通省が定期的に、市区町村の取り組み状況について調査しているが、全国で空き家対策が進んでいることが分かる結果となった。

【今週の住活トピック】
「空き家対策に取り組む市区町村の状況について」(令和4年3月31日時点調査)を公表/国土交通省

空家特措法により地方自治体の空き家対策を促した結果は?

空き家といえども、誰かが所有している私的な財産だ。本来は所有者が、適切に管理する義務がある。ところが、所有者が分からない、あるいは長年放置されているといった空き家が増加し、近隣トラブルが生じているという問題が表面化した。その対策として制定されたのが「空家特措法」だ。

空家特措法の狙いは2つあり、第一に国の指針に沿って、各地方自治体で空き家の実態を把握し、適切な管理を促したり空き家やその跡地を活用したりする体制を整えること。第二に、近隣トラブルを引き起こすような空き家(「特定空家等」と呼ぶ)を減らしていくことだ。

国土交通省が公表した調査結果によると、第一の狙いの核となる自治体の「空家等対策計画」の策定状況を見ると、1397市区町村(全自治体の80.2%)が策定済みだった。また、第二の狙いである「特定空家等」に対する自治体の措置状況(法施行から2021年度末まで)は、「助言・指導」が3万785件、「勧告」が2382件、「命令」が294件、「行政代執行」が140件、「略式代執行」が342件だった。

助言・指導  30,785件
勧告     2,382件
命令     294件
行政代執行  140件
略式代執行  342件
合計     33,943件

ちなみに、「勧告」に従わない場合は、「固定資産税・都市計画税の住宅用地に係る課税標準の特例」の適用対象から除外され、「命令」に従わない場合は、50万円以下の過料が課せられる。また、「行政代執行」は、特定空家等の所有者に代わって行政が強制的に措置を行うことで、「略式代執行」は、特定空家等の所有者が特定できない場合に行政が措置を行うことをいう。

このように空き家対策は徐々に進んでいて、空き家を取り壊して更地にしたり、問題となる部分を修繕などによって適切な管理になったりした事例も増えている。調査結果によると、空家特措法によるものが1万9599件、自治体の取り組みによるものが12万2929件、合計14万2528件の管理不全の空き家が改善されているということだ。

空家特措法の措置により除却や修繕等※がなされた特定空家等 19,599件
左記以外の市区町村による空き家対策の取組により、除却や修繕等※がなされた管理不全の空き家 122,929件
合計  142,528件
※除却や修繕等:除却、修繕、繁茂した樹木の伐採、改修による利活用、その他適切な管理

固定資産税の軽減目的で空き家を放置は通用しない

各自治体がそれぞれの実態に応じて取り組む空き家対策のほかに、空き家のまま放置される原因を減らしていくための措置もなされている。

まず、自治体から「勧告」を受けても従わない場合の「固定資産税・都市計画税の住宅用地に係る課税標準の特例」の適用除外について説明しよう。土地や建物を所有する場合に、固定資産税などが課される。とはいえ、マイホームは生活の基盤であるので、人が居住する建物の土地には課税額を軽減する措置がある。それがこの特例だ。

具体的には、固定資産税についてはその評価額が「小規模宅地」(敷地面積200平米まで)では1/6に(都市計画税については3/1)に、「一般住宅地」(200平米を超える部分)では1/3(同2/3)に軽減される。特定空家等に該当する空き家の中には、更地にしてしまうとこの軽減措置が受けられなくなるので、老朽化した家を取り壊さないというケースも多いことから、空き家を残したとしてもこの軽減措置が受けられない措置を導入したというわけだ。

相続した実家の利活用には減税措置も

次に、「空き家の譲渡所得の特別控除」の適用がある。不動産を売却して得た費用は、譲渡所得として課税対象になるが、実際に居住していたマイホームであれば、譲渡所得から最大3000万円が差し引ける「居住用財産の特別控除」の適用が受けられる。ただし、相続した実家などは売却する本人が居住していないので、相続後に売却する場合は対象外となる。相続した実家などについても、利活用を促す目的で、譲渡所得から最大3000万円差し引けるようにしたのが、「空き家の譲渡所得の特別控除」だ。

この特別控除の適用を受けるためには、ポイントが2つある。1つは、故人が亡くなる直前まで住んでいた、あるいは要介護になって老人ホームに入所したために亡くなるまで空き家になっていた場合。もう1つが、実家が、1981年(昭和56年)5月末日までに建築(いわゆる旧耐震基準)された住宅で、相続人が耐震リフォーム(いわゆる新耐震基準)をしたうえで土地と建物を売却した場合、あるいは、住宅を取り壊して更地にして売却した場合。

2つの条件を満たした場合は、3000万円までの控除によって、譲渡所得税が0円になる事例が増える。今回の国土交通省の調査では、「空き家の譲渡所得の特別控除」に係る確認書の交付実績も調べている。それを見ると、2021年度末までの累計は、962市区町村で5万743件の交付実績があった。2021年度単年で見ても、631市区町村で1万1976件が交付されており、年々増加している。特に、住宅価格の高い都市圏で交付実績が多いのが特徴だ。

さて、空き家対策については、相続登記の申請を義務化するなど、政府は次々と手を打っている。今後も「不動産を負動産にしない」手立てが続くことだろう。実家が空き家になる可能性があるなら、早めに家族で話し合い、登記はどうなっているのか、誰がどのように実家を引き継ぐのか、売ったり貸したりできる状態かなど、具体的に検討しておきたいものだ。

●関連サイト
・国土交通省「空き家対策に取り組む市区町村の状況について」(令和4年3月31日時点調査)
・国土交通省「都道府県別等の調査結果」(令和4年3月31日時点調査)

屋根の上には中央線! 高架下の学生向け賃貸「中央ラインハウス小金井」完成から2年、コロナ禍での住み心地

2020年3月、JR中央線東小金井駅から武蔵小金井駅間の高架下に建設された、学生向け賃貸住宅「中央ラインハウス小金井」。JR中央線の高架下を敷地としていること、3人の有名建築家が各棟を設計、専用カフェテリアでの食事付き、などが話題となった。現在、入居開始から3年目。コロナ禍をまともに受けつつ、どのように学生たちが過ごしているのか、お話を伺った。

中央線の高架下の有効活用が「食事付き学生専用マンション」

「入居開始後、最初の入居者は地方出身の1年生(当時)がほとんどでした。新築の「デザイナーズマンション」であることに加え、管理人がいて学生専用である安心感、朝夕の食事付きであることも親御さんからの支持が大きいです。いわゆる学生寮に比べればプライベートな居住空間はしっかり確保され、門限もない自由さもいいようです」と当物件の管理運営を担っている株式会社学生情報センター 広報室の寺田律子さん。

周辺には商店街も。そもそもここに学生向け賃貸住宅が計画されたのは、中央線の高架化に伴い生まれた土地の有効活用という観点から。多くの大学に通学できる利便性から、法政大学、東京農工大学、国際基督教大学はじめ約30校の学生が暮らしている(写真撮影/桑田瑞穂)

周辺には商店街も。そもそもここに学生向け賃貸住宅が計画されたのは、中央線の高架化に伴い生まれた土地の有効活用という観点から。多くの大学に通学できる利便性から、法政大学、東京農工大学、国際基督教大学はじめ約30校の学生が暮らしている(写真撮影/桑田瑞穂)

高架下かつ第一種低層住居専用地域で、「寄宿舎」カテゴリによる建築確認申請により建設をしているため、共同施設が必要になる。当物件には食堂があり、おのずと目玉は学生専用カフェテリアに。平日の朝と夕に、管理栄養士監修のボリューム感ある食事は「美味しい」と評判だ。さらに、専用カフェテリアが営業しない週末は自炊も。専用部分にキッチンがない学生は共用キッチンで調理をする。

メニューの一例(写真は夕食)。食事は朝食・夕食の提供で1万7600円/月(税込)。提供時間は月~金曜の7時~9時、18時~21時 (画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

メニューの一例(写真は夕食)。食事は朝食・夕食の提供で1万7600円/月(税込)。提供時間は月~金曜の7時~9時、18時~21時 (画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

外から中が見える、開放的なカフェテリアは居住する学生専用。近所の住民の方から「これは何?」と聞かれることも多いとか(写真撮影/桑田瑞穂)

外から中が見える、開放的なカフェテリアは居住する学生専用。近所の住民の方から「これは何?」と聞かれることも多いとか(写真撮影/桑田瑞穂)

高架下ということで騒音や揺れが気になるのでは、とイメージする人は多そうだが、実際はほとんど気にならない。
C棟に住むAさん(大学3年・男性)は、「むしろ、昔から鉄道が好きで、高架下のマンションということでがぜん興味を覚えました。都市学にも興味があり、こんな新しい土地活用は、恰好のネタにもなると思いました。暮らすのは一番の実践です」と話す。

棟は3通り。専用部分はミニマムに。共用スペースをシェア

実際の部屋や共用スペースを案内していただいた。
各部屋専有部は10~15平米とコンパクトだが、机やベッド、収納などが備え付けられ、洗濯機や冷蔵庫など家電も付いている(棟によって内容は異なる)。必要最低限の荷物で生活が始められるとあって、地方から上京する新1年生に人気の物件だ。

共用部を通らず入室でき、2住戸ごとにオートロックがあるなど、最も独立性の高い「C棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

共用部を通らず入室でき、2住戸ごとにオートロックがあるなど、最も独立性の高い「C棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

C棟の部屋は13.04~15.94平米で、ロフト、キッチン、浴室付きが最も人気が高い(写真撮影/桑田瑞穂)

C棟の部屋は13.04~15.94平米で、ロフト、キッチン、浴室付きが最も人気が高い(写真撮影/桑田瑞穂)

勉強や食事などができるコミュニティスペースを併設している「L棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

勉強や食事などができるコミュニティスペースを併設している「L棟」(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟の部屋は10.75~11.36平米(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟の部屋は10.75~11.36平米(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟にある共用キッチン(写真撮影/桑田瑞穂)

L棟にある共用キッチン(写真撮影/桑田瑞穂)

コインランドリー(写真撮影/桑田瑞穂)

コインランドリー(写真撮影/桑田瑞穂)

最も天井の高い「H棟」(10.44~11.59平米)。シャワーユニットとロフト付き。冷蔵庫付き(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

最も天井の高い「H棟」(10.44~11.59平米)。シャワーユニットとロフト付き。冷蔵庫付き(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

ロフトから見たH棟の部屋(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

ロフトから見たH棟の部屋(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

コロナ禍で交流イベントが白紙に。現在は少しずつ挑戦中

「共用部を充実させることで、付加価値を付けられたらと考えています。当初は、さまざまなイベントを提供することで、自然と交流を生み出す手伝いもできたらと考えていました」と寺田さん。というのも、多くの学生専用マンションを手掛けてきた同社は、これまでウェルカムパーティーやゲーム大会、ハロウィーンイベントなど、さまざまな仕掛けで、入居する学生たちの交流を促してきた実績があったからだ。

しかし、完成と同時にコロナ禍に。当然、さまざまなイベントは白紙になった。新入生も突如すべての授業がオンラインになるなか、実家にも帰れないという状況が続いた。前出のAさんも「最初の3カ月間は、初めての一人暮らしとコロナ禍のダブルで精神的につらかったです」と思い返す。

ただし、この学生向け賃貸住宅なら、会話を通しての交流は難しくても、同じ建物内に人がいる安心感や自分の部屋以外のスペースを使えるメリットがある。
「共用スペースで料理をしていれば、当然他の学生と同じ時間に料理したりすることがあるので、そこで会話をして顔見知りになっていくことができました」とH棟の住民の学生Sさん(大学2年・男性)

「感染状況をみながら、イベントも少しずつ再開しました。例えば、カフェテリアでスタッフが楽器を演奏するイベントなどを試みました」と当物件の事業開発主体であり、沿線のコミュニティを創発する株式会社JR中央線コミュニティデザインの山口剛さん。パーティーは無理だが、音楽を通して自然とそこに居る人たちの一体感が増す仕掛けだ。

6月にカフェテリアで行われた音楽イベント。スタッフがアコースティックギターとバイオリンを奏でて(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

6月にカフェテリアで行われた音楽イベント。スタッフがアコースティックギターとバイオリンを奏でて(画像提供/JR中央線コミュニティデザイン)

学生自ら企画に参加。東京五輪の観戦イベントも

学生が自ら企画したイベントもある。前出のSさんは、東京五輪のサッカー戦をカフェテリアで一緒に観戦するイベントを担当した。

「せっかく、ただのアパートではなく学生マンションに住んでいるので、他の学生とも気軽に交流できる環境をつくりたいと思ったんです。一緒に企画したり、実際に来てくれた人と話している中で、他の大学の話を聞いたり、北から南まで出身地がバラバラで、故郷の話を聞いたり、すごく面白かったんです。もともとは部屋の美しさと食堂があったことで決めた物件ですが、いろんなバックグラウンドを持つ学生が集まっている良さを実感しました」(Bさん)

シェア工作室で地域にも開かれた場所に

そして、住人の学生だけでなく地域にも開かれた交流の場となっているのが、ナレッジルームだ。さまざまな工具、道具が用意されているため、材料を持ち込んでDIYをしたり、不用品を分解してつくるアートを楽しむこともできる。入居している学生のなかには、壊れていたものを自分で直したり、自分の部屋用にと棚や箱などぴったりサイズのものをDIYする人も。

「何をするかは自分で決める」が基本だが、小さなワークショップを開催することもある。小学生でも、初回のみ保護者の同伴が必要だが、保護者の許可があれば小学生だけで利用することも可能だ。
「ここは高架下で多くの方が“ここは何だろう”と思う場所。その注目度を活かして、学生だけでなく、地域の皆さまにも自然に交流が生まれる場所になったら理想的だなと思っています」と山口さん。

毎週月・火曜13時~18時、日曜10時~15時(不定期)にオープン。クリエイティブ・フィールドVIVISTOPを運営するVIVITA JAPAN(株)のスタッフに相談もできる(写真撮影/桑田瑞穂)

毎週月・火曜13時~18時、日曜10時~15時(不定期)にオープン。クリエイティブ・フィールドVIVISTOPを運営するVIVITA JAPAN(株)のスタッフに相談もできる(写真撮影/桑田瑞穂)

あらゆる工具のほか、ミシンやロックミシン、カッティングマシーン、シルクスクリーンなどが準備されている(写真撮影/桑田瑞穂)

あらゆる工具のほか、ミシンやロックミシン、カッティングマシーン、シルクスクリーンなどが準備されている(写真撮影/桑田瑞穂)

また、ナレッジルームで行われるイベントを学生が手伝うケースもある。
C棟に住むCさん(大学3年)は、「たまたま夏に募集があって、ヒマだったので参加しました。一般の来場者向けに、デイジーの種を空き缶で育てるプラントづくりを考案し、当日たくさんの方にレクチャーしました。緊張しましたがとても楽しくて、やってよかったですね。それきっかけで、スタッフの方と仲良くなり、たまに顔を出しています」と他にはない体験を楽しんだようだ。

正直、コロナ禍で、当初思うような交流の場が設けられていないのは事実だ。
「しかし、こちらの物件ではありませんが、オンラインを使ったe-スポーツ大会、有給のインターシップなど、新しい試みを実施しています。今後は学生さんたちもさまざまなイベントを企画する側から参加していただけたら面白いですね」(寺田さん)

できた当初は“高架下にできた学生寮”という珍しさで注目を集めた「中央ラインハウス小金井」。実は、中央線の高架化に伴い、学生向け賃貸住宅のほかにも、新たな商業施設、コワーキングスペース、保育園、クリニックなどが整備されている。つまり、駅の高架下という立地は、自然と地域住民が目にすることの多いロケーションなのだ。こうした特性を生かし、今後は、地域との交流も加速していくかもしれない。

現時点では、交流が入居の決め手になった学生はそれほど多くないが、今後は変わるかもしれない。就職活動において「自ら考え、自ら動いてきたか」を重視する傾向にある今、自分が暮らす場がその舞台になるのは絶好の機会だ。今後は「交流をしたいから」「イベントを自分で考えてみたいから」入居するという学生が増えるかもしれない。今後にも期待したい。

今回お話を伺った学生情報センター寺田律子さんと、JR中央線コミュニティデザインの山口剛さん(写真撮影/桑田瑞穂)

今回お話を伺った学生情報センター寺田律子さんと、JR中央線コミュニティデザインの山口剛さん(写真撮影/桑田瑞穂)

●取材協力
・中央ラインハウス小金井
・学生情報センター

日本製3Dプリンターでつくった倉庫やサウナ、公衆トイレなど続々! 全国初の建築確認申請も取得 鎌倉市・ポリウス

国内外で3Dプリンターの家や建築物の研究・開発が進んでいる。今年から国内でも販売をスタートする予定という企業もあり、ますます現実のものとなりつつある。
そんな国内でも盛り上がりを見せる3Dプリンターの家・建築物界隈で話題になっているのが、今年2月に登場した、日本製の3Dプリンターでつくった、建築基準法に適合(10平米以上の建築物施工)させた倉庫だ。手掛けたのは、神奈川県鎌倉市に拠点を構える会社Polyuse(ポリウス)。3Dプリンターの家・建築物の最新事情とともに、どのようなものなのか取材した。

建設業界のDX化の流れで導入進む

建設用3Dプリンターの開発は、2012年ごろから活発に行われるようになり、海外ではすでに住宅も施工されている。しかし、日本国内では地震、台風といった自然災害から生活を守るための建築基準法の基準を、3Dプリンターを用いた建築でクリアするのが難しく、長らく課題となっていた。

(写真提供/ポリウス)

(写真提供/ポリウス)

それでも、このコロナ禍の2、3年では、建設業界でのDX化は加速していると建築ITジャーナリストの家入龍太さんは話す。パンデミックにより、人材不足の深刻化、対人作業の削減や効率化、持続可能な住宅建設への意識の高まりが相まって、3Dプリンターをはじめとした最新の施工D X機器を現場に積極的に導入する動きがあるからだ。

「今は業界全体として、新しい機器導入には積極的です。3Dプリンターも、最新機器の一つとして建築現場で導入されています」(家入さん)

日本国内でも少しずつ住宅業界や建築業界で、3Dプリンターが浸透してきているとはいえ、前述の建築基準法をクリアするのは簡単ではなく、建築確認申請が不要な10平米以下のコンテナやユニットハウス、タイニーハウスがつくられることが多かった。また、日本の建築現場で導入されている3Dプリンターは、ほとんどが海外製だ。

そんななかで、自社製(日本製)の建設用3Dプリンターを使い、かつ、国内で初めて建築基準法に適合する形で生活空間としても十分な18平米の広さを確保した倉庫をつくったベンチャー企業Polyuse(ポリウス)の試みは、日本の3Dプリンターの家・建築物の進化の大きな一歩となったと注目を集めている。

左からポリウス代表取締役・大岡航さん、材料開発責任者/博士(工学)・鎌田太陽さん(写真提供/ポリウス)

左からポリウス代表取締役・大岡航さん、材料開発責任者/博士(工学)・鎌田太陽さん(写真提供/ポリウス)

今後、ここから日本国内での3Dプリンターの家・建築物はどう進化していくのだろうか。

やってみないと進まない3Dプリンター関連の開発

ポリウスは、今年4期目を迎えた平均年齢27歳の建設D Xベンチャーだ。国内唯一の建設用3Dプリンターメーカーで、建設業界が抱える人材不足やインフラの老朽化といった課題を、3Dプリンターを利用して解決しようと挑んでいる。
国土交通省が主導するプロジェクトにて排水土木構造物の印刷造形を手掛けたり、国内初の3Dプリンター適用の公共工事を高知県で国土交通省土佐国道事務所・入交建設と共に道路改良工事の現場で必要な土木構造物を造形・導入したりといった、工事現場で活躍するマシンやそのマシンがつくる建材の提供を行ってきた。

そんなポリウスが3Dプリンターの建築物に挑むことになったきっかけは、群馬県高崎市にあるMAT一級建築士事務所からの相談だった。施主やMAT一級建築士事務所に、18平米の倉庫を3Dプリンターで印刷した建材を用いるアイデアを提案し、12体の建築部材を印刷するエンジニアとして、ポリウスに白羽の矢を立てた。

建設業界のDX化を支えるポリウスの面々。自社生産する3Dプリンターと共に(写真提供/ポリウス)

建設業界のDX化を支えるポリウスの面々。自社生産する3Dプリンターと共に(写真提供/ポリウス)

10平米を超える建築確認申請が必要なプロジェクトであったため、ビジネス的側面では、法整備の課題をクリアしなくてはならなかった。そもそも3Dプリンターでつくる建物が、安全基準や建築基準法における現状の枠に含まれていないため、既存の基準と照らし合わせて何が問題なのか、実際に建物をつくり、申請し、精査しないことにはわからなかったからだ。

「3Dプリンター関連の開発は、現在の基準に当てはまらないものばかり。やってみないと、何ができて、何が今後において具体的な課題や障壁になるのかがわからない。ビジネス面においても、技術面においてもプロジェクトを行った意義はありました」とポリウスの代表取締役・大岡航さんは話す。

一方ポリウスの材料開発責任者/博士(工学)の鎌田太陽さんは「コンクリートが固まりにくい冬場の施工という点で、描き出すコンクリートを、強度を担保しながらスケジュールどおりに硬化させることに、たびたび微調整が必要でした」と話す。さらに「高さが1.5m 、長さが2m ある部材を12体印刷したが、最初のパーツと最後のパーツでは出来に若干の違いがあって成長過程がわかります」と続ける。

各構造物ごとに異なるサイズや形状を製作できる(写真提供/ポリウス)

各構造物ごとに異なるサイズや形状を製作できる(写真提供/ポリウス)

実物に触れた人たちからは「コンクリート打ちっぱなしのよう(に頑丈そう)」「曲面がおしゃれ」といった感想が。表面の積層模様が美しい(写真提供/ポリウス)

実物に触れた人たちからは「コンクリート打ちっぱなしのよう(に頑丈そう)」「曲面がおしゃれ」といった感想が。表面の積層模様が美しい(写真提供/ポリウス)

耐震性をどう担保するか

今回のプロジェクトのカギは、自社製の3Dプリンターと、建築基準法をいかにクリアしたか。まずは、3Dプリンターの家や建築物において、国内でたびたび議論される耐震性や耐火性について聞いてみた。

「木造、RC造の家、といった現在の建築基準に準ずる分類が、3Dプリンターでつくる家には該当しないんです。そのため、今回はあえて構造体を鉄骨造にしつつ、さらに鉄筋も組み込み、印刷方法自体も工夫しました。それらにより強度が高い3Dプリンター建築物としての構造体を実現し、従来の基準もクリアしました。その後も建築物としての頑丈さや安全面での検証を続けています」(大岡さん)

窓やドア、屋根など「安くて良いものは積極的に既製品も使用している」とのこと(写真提供/ポリウス)

窓やドア、屋根など「安くて良いものは積極的に既製品も使用している」とのこと(写真提供/ポリウス)

今回の倉庫づくりは、設計から施工・仕上げまで合計1月半ほどの期間を要し、費用は600万円ほどだという。3Dプリンターの家づくりは、「安くて早い」が売りだが、プレハブなら1坪あたり50,000~200,000円でつくれる中で、この600万円を“手ごろ”と片付けるのは難しい。しかし「群馬県の倉庫の躯体施工自体は約1日前後で終了しました。弊社での3Dプリンター建築物は既存と比べても遜色なく強固で耐久性も高い建築物です。もちろん今後技術開発を進めていくうえで、価格は十分に下がる見込みもたっており、スピードも格段に速くなってきています」と大岡さんは話す。

(写真提供/ポリウス)

(写真提供/ポリウス)

だがポリウスの見立てでは、3Dプリンターでつくられる住宅が、一般的に普及するにはもう少し時間がかかりそうとのこと。

今、続々とプロトタイプがリリースされ始めているが、大岡さんは慎重な見方を崩さない。「いわゆるプロトタイプと、皆様が安全にかつ満足した暮らしができる販売住宅には、天と地の差があります。耐震基準をはじめとした法的整備はもちろん、3Dプリンター建築物における基礎や仕上げの工程や3Dプリンター特有の構造に対しての基準等、まだまだいろいろな課題が残っています。そして、弊社の直近の3Dプリンター建築においては、公共施設や仮設住宅、学校、公園といった身近にあるレベルの建築物での印刷を優先的に開始させていただいております。その過程を経て、車ぐらいの価格で購入することが数年以内にできるように進めていきます」と話す。

仮設住宅のデザイン(写真提供/ポリウス)

仮設住宅のデザイン(写真提供/ポリウス)

仮設住宅のデザイン(写真提供/ポリウス)

仮設住宅のデザイン(写真提供/ポリウス)

海外プリンターとの差別化がカギ

今回のプロジェクトのもうひとつのカギが、自社製の3Dプリンター。
2000年代初頭から、技術を磨いてきたオランダや米国をはじめとした欧米プリンターメーカーに対して、後発の日本製プリンターの役割は何だろうか。

「大前提は日本特有の建設課題や価値観に徹底してコミットしているという点です。中でも、建築基準法や必要強度規格のような安全基準への対策と狭小領域という2つの点では海外特有の操作性や大型の機体サイズが存在する3Dプリンターに対して、弊社は徹底して日本の建設業界の方々が簡単に運べてかつ使いやすく、そのうえで日本の国内で建築する際に必要となる機体や材料のカスタマイズや、操作オペレーション面でのサポート体制のカスタマーサービス等々では、自信を持って現場で一緒に考えています」と大岡さんは話す。

続けて、「海外の3Dプリンターを日本に輸入し導入する動きは進んでいますが、日本の基準にない外国製の材料を使うことを推奨されていることが多く、国内基準への適用の調整や運搬費用が嵩むうえ、国際情勢に影響されて貨物の遅れが納期に影響するケースも出てきています」と建設DXの陰に見え隠れする問題を指摘する。

オランダやアメリカ製の大型の3Dプリンター機器に比べ、コンパクトなポリウスのマシンは、縦3m×横3m×高さ3mほど。国内で生産しているうえ、使用するコンクリートの材料も国内で調達できるため、輸送コストとリードタイムの両面で、大きなメリットを持つ。

さらに日本の耐震面や気候といった独特な風土や、建設現場のサイズにあわせ、マシンの改良依頼に応えなければならない場合もあるが、海外製品の場合、「その対応に時間も費用もかかる」という。

コンパクトなポリウスの3Dプリンター(写真提供/ポリウス)

コンパクトなポリウスの3Dプリンター(写真提供/ポリウス)

また、プリンターを開発する過程で、実際に運用する建設会社や施工会社の意見を取り入れた形で機器をつくり、最適化しているということも海外製との大きな違いだ。

みんなが使える公共物から

今後ポリウスでは、大型の住宅建設を進めていく前に、まずは土木分野での地道な技術開発を進めていくという。「建築物という大きなものをつくる時は、鉄筋とどう組み合わせるかも大きな壁になります。いかに耐震性を担保するかを達成するには、技術開発や実証実験に時間がかかる。一方土木は鉄筋なしの『無筋構造物』も多い。耐震性を強く求められない構造物から技術を磨いていき、スムーズかつ早く技術を一般の方へお届けできると考えて着手しています」と鎌田さんは話す。

現在、彼らのところへ舞い込んでいる建築物の相談の多くは、飲食店、仮設住宅、大型サウナ施設、キャンプ場、公共トイレといったいわゆる「みんなが使える公共物、共用物」が中心だという。この秋には、高知県のキャンプ場のトイレを印刷することが決まっているという。ようやく一般ユーザーが、3Dプリンターの建物に触れる機会が登場しそうだ。

高知県のキャンプ場で印刷が決まっているトイレ棟(写真提供/ポリウス)

高知県のキャンプ場で印刷が決まっているトイレ棟(写真提供/ポリウス)

(写真提供/ポリウス)

(写真提供/ポリウス)

「日本の建設会社に一番近い3Dプリンターメーカーとして存在していきたい」と話す鎌田さん。同時に、「私たちは技術提供しているいちエンジニアであって、脇役。プロジェクトの主人公はあくまでも業界を引っ張る建築家や建設会社や国土交通省で、業界が抱えている課題に真剣に向き合っている彼らが、より良い仕事をし、そこによりスポットライトが当たることが、この先若手人材が業界に参入するきっかけにもなると思っています」と続ける。

現在、ポリウスの3Dプリンターを導入したい、3Dプリンターでものづくりにチャレンジしたいと考えている行政や大学、建築業界関係者は多く、「勉強したい」「技術についてもっと教えてほしい」と前向きな声が集まっているという。

こうした前向きなアプローチやコンソーシアムといった緩やかな協力関係を用いて前進しようとするアプローチは、セレンディクスの飯田国大さんのインタビューでも聞かれたように、日本の3Dプリンターを利用したいと考える建設業界全体に見られる。

3Dプリンターの建物領域はまだまだ伸び代の大きな分野。ゆるやかに周辺とつながりながら、あくまでもカメのように慎重に、一歩一歩着実に進んでいく彼らの姿勢こそ、世界では後発の日本産3Dプリンターメーカーが世界を狙っていくための最速の方法なのかもしれない。

●取材協力
Polyuse(ポリウス)

京都の細長すぎる家に思わず二度見!1階は立ち飲み兼古本屋、2階は自宅の”逆うなぎの寝床” バヒュッテ

京都にある「細長ぁ~い」お店が話題です。間口がおよそ18mあるのに対し、奥行きはたったの2~3m。この悪条件のなか、なんと住居兼店舗を実現。狭小な敷地の有効活用が高い評価を受け、2021年度「グッドデザイン賞」を受賞しました。

連日にぎわうこの店には、未利用地の活用に頭を痛める人々を救うヒントがあるはず。古書、雑貨、立ち呑みの三つの商いを一堂で行う「バヒュッテ」の清野郁美さんに運用の秘訣をうかがいました。

狭い? 広い? 思わず二度見してしまう不思議な建物

「グッドデザイン賞」を受賞したウワサのお店は、叡山(えいざん)電鉄「修学院」駅を下車し、徒歩およそ5分のところにあります。

駅前のアーケード商店街「プラザ修学院」を抜けると、そこは白川通りという名の車道。ここに築かれた建物こそが、目指すお店「ba hütte.(バヒュッテ)」です。オープンは2019年5月30日。2022年で4年目を迎えます。

あなたは、きっと二度見するでしょう。木立のなかに現れたその建物を。あまりにも、あまりにも「細い」。いや、「細い」を通り越して、「薄い」のです。

白川通りに面して立つ、思わず二度見してしまう細長い建物。これがグッドデザイン賞を受賞した「バヒュッテ」(写真撮影/吉村智樹)

白川通りに面して立つ、思わず二度見してしまう細長い建物。これがグッドデザイン賞を受賞した「バヒュッテ」(写真撮影/吉村智樹)

しかし、通りの反対側から眺めてみると、今度は「ひ、広い!」。間口はなんと、およそ18mにも及ぶといいます。

広いのか、はたまた狭いのか。見る角度によって印象が大きく変わる、まるでトリックアートのような建物。隣接する大学施設や神社の樹木と相まって、とてもファンタジックな印象を受けます。

白川通をはさんで反対方向から眺めると、とても大きな建物に見える(写真撮影/吉村智樹)

白川通をはさんで反対方向から眺めると、とても大きな建物に見える(写真撮影/吉村智樹)

しかし、横から見ると窓サッシと同じサイズの奥行きしかない。神社の石碑もあり、神秘的なムードが漂う(写真撮影/吉村智樹)

しかし、横から見ると窓サッシと同じサイズの奥行きしかない。神社の石碑もあり、神秘的なムードが漂う(写真撮影/吉村智樹)

間口が広く、奥行きが浅い「逆・うなぎの寝床」

「うちの店はよく“逆・うなぎの寝床”と呼ばれますよ」

そう語るのは「バヒュッテ」店主、清野(せいの)郁美さん(38歳)。

古本・雑貨・立ち呑み「バヒュッテ」店主、清野郁美さん(写真撮影/吉村智樹)

古本・雑貨・立ち呑み「バヒュッテ」店主、清野郁美さん(写真撮影/吉村智樹)

「逆・うなぎの寝床」とは言い得て妙。「うなぎの寝床」といえば間口が狭く、反面、奥行きが深い建物のこと。江戸時代、京都は間口の広さに比例して税金の額が決められていました。そのため、住民はこぞって間口を狭くし、奥行きが深い家を建てたのです。京都の建築様式が「うなぎの寝床」と呼ばれているのは、そのためです。

バヒュッテは、うなぎの寝床の正反対。間口は驚くほど広く、しかしながら奥行きはたったの2.2~3.7mしかありません。間口が約18mもありながら、建坪はなんと、わずか8.7坪しかないのです。

清野「自分は見慣れているので日ごろはなんとも思わないのですが、たまに旅から帰ってきて、改めて自分の店を見てみると、『ほそっ!』と思います(笑)。江戸時代だったら、うちの店はものすごくたくさんの税金を払わなきゃいけませんね」

細長い店内には古本と雑貨がひしめく。とはいえ天井が高く、意外と閉塞感がない(写真撮影/吉村智樹)

細長い店内には古本と雑貨がひしめく。とはいえ天井が高く、意外と閉塞感がない(写真撮影/吉村智樹)

細長いだけではありません。敷地は、実はきれいな長方形になっていない不整形地。ご近所の人が言うには、以前この場所には小屋のように簡素な造りの魚屋さんがあったのだとか。さらにそれ以前は水車小屋が立っていました。代々、“地元に根付く小屋がある場所”だったようです。

更地にした状態。細長いうえに台形の不整形地。最南端の奥行きは驚きのわずか2.2m(画像提供/バヒュッテ)

更地にした状態。細長いうえに台形の不整形地。最南端の奥行きは驚きのわずか2.2m(画像提供/バヒュッテ)

かつてはここで鮮魚店が営まれていた(画像提供/バヒュッテ)

かつてはここで鮮魚店が営まれていた(画像提供/バヒュッテ)

清野「偶然なのですが、バヒュッテの『ヒュッテ』も小屋という意味なんです」

なんと、この地のさだめに引き寄せられたかのように、新たな小屋(ヒュッテ)が誕生していたのでした。ではバヒュッテの「バ」とは?

清野「世代を超えた交流の“場(バ)”になったらいいな、と思い……というのは後付けで、本当は“バ!”というパワーがある語感が好きなので名づけました」

本、雑貨、お酒。どれもはずせない要素だった

パワフルな語感のバヒュッテは、建物の細長さのみならず、業態もインパクト強め。コンセプトは「古本と雑貨と立ち呑みのお店」。壁一面に本棚があり、シブめなセレクトにうならされます。

殿山泰司、田中小実昌、深沢七郎、色川武大など「風来坊」「無頼派」と呼ばれた作家や役者の本が数多く並ぶ。風変わりな店の雰囲気とよく合っている(写真撮影/吉村智樹)

殿山泰司、田中小実昌、深沢七郎、色川武大など「風来坊」「無頼派」と呼ばれた作家や役者の本が数多く並ぶ。風変わりな店の雰囲気とよく合っている(写真撮影/吉村智樹)

2016年に結婚した清野郁美さん。パートナーの清野龍(りょう)さん(42)は20年以上にわたり大手書店にお勤めのベテラン書店員です。清野さんも同じ書店に10年以上働いていており、二人はかつての同僚でした。

夫妻ともども本が大好き。バヒュッテで販売している本はほぼすべて、ご両人の私物。センスのいい本ばかりと思ったのもどうりで。二人は二階で暮らし、夫の龍さんは、書店の勤務が休みの日はバヒュッテを手伝うのだそうです。

京都の大手書店で店長を務め、休日になるとバヒュッテを手伝う夫の龍さん。本とともに生きる日々(写真撮影/吉村智樹)

京都の大手書店で店長を務め、休日になるとバヒュッテを手伝う夫の龍さん。本とともに生きる日々(写真撮影/吉村智樹)

雑貨は、ポーチやペン、ノート、手ぬぐいと、バリエーション豊か。

手ぬぐい、靴下、ステーショナリーなど雑貨の品ぞろえも豊富(写真撮影/吉村智樹)

手ぬぐい、靴下、ステーショナリーなど雑貨の品ぞろえも豊富(写真撮影/吉村智樹)

そして注目すべきは、L字になった魅惑の立ち呑みスタンド。背徳の昼呑みが楽しめます。建築物としてのユニークさにばかり目を奪われがちですが、古書店で飲酒ができる点もかなり希少でしょう。

L字の立ち呑みスタンドで午後2時からお酒が楽しめる。意外とない“チョイ呑み”スポットだ(写真撮影/吉村智樹)

L字の立ち呑みスタンドで午後2時からお酒が楽しめる。意外とない“チョイ呑み”スポットだ(写真撮影/吉村智樹)

清野「私自身、本が好きで雑貨が好きで、そしてお酒が大好きだったんです。だから本、雑貨、お酒、三つともそろえました。狭いスペースで欲張りすぎなんですけれど、どれ一つ、はずせなかったですね」

清野さんの朗らかなキャラクターに惹かれ、夕方から続々とお客さんが呑みにやってきます。語感で選んだという「バヒュッテ」の「バ」は、コミュニティーの「場」として根付き、成熟していったようです。

南側の出入口には「外呑み」できるスペースが設けられている(写真撮影/吉村智樹)

南側の出入口には「外呑み」できるスペースが設けられている(写真撮影/吉村智樹)

「理想の物件に出会えないのならば土地を買って建てよう」

住居兼店舗である「バヒュッテ」は店舗としても住居としても非凡な、言わば珍建築のハイブリット。その発想は、どこから生まれたのでしょうか。

清野「結婚するタイミングで、夫と『家を借りようか。それとも買おうか』と話し合っているなかで、『お店もやれたらいいね』という気持ちが芽生えてきたんです」

本好きの二人は、「古本の販売を基本とした、自分たちらしいお店を営みたい」という夢を共有するようになりました。しかしながら、物件探しは簡単にはいきません。

清野「はじめは、『住むマンションは買って、店はテナントを借りる』という方針で動いていました。とはいえ、いいなと感じる住居、面白いと思えるテナント、二つを同時に探すのがものすごく大変で」

「自分たちらしい店がやりたいと思い、はじめは居住とテナントを別々に探していたが、なかなかいい物件に巡り合えなかった」と語る清野さん(写真撮影/吉村智樹)

「自分たちらしい店がやりたいと思い、はじめは居住とテナントを別々に探していたが、なかなかいい物件に巡り合えなかった」と語る清野さん(写真撮影/吉村智樹)

なかなか理想郷にたどり着けない清野さん夫妻。そこで、大胆な発想の転換を試みたのです。

清野「だったら、『いっそ思いきって土地を購入して、拠点を新たに建てたほうが、自分たちにあったかたちにできるんじゃないか』って、考え方が変わってきたんです」

店舗兼住居を借りるのではなく、「建てる」。言わば一世一代の大勝負に出た清野さん。そうしてたどり着いた場所が、「逆・うなぎの寝床」。ユニーク極まりない、尻込みする人が多い不整形地ですが、画期的な業態の店舗を開こうとする二人の新しい門出として、むしろ適していたのです。この土地に出会うまでに、「およそ3年もの月日を要した」と言います。

清野「長かったですね。やっと出会えた、そんな気がしました。私も夫も一目惚れ。『ここ、ここ!』って即決しました。並木道なので緑が豊富。散歩コースだから人通りもそれなりにある。隣接している建物がなく、たとえ少々音をたてたとしてもご近所に迷惑が掛からない。すぐそばに商店街があり、さらにスーパーマーケットがあって、病院があって、銀行があってと、至れり尽くせり。『住む』と『商売をする』の両立を可能とする唯一の物件だったんです」

レアな土地に誕生した、レアな城。遂にバヒュッテは完成し、細長さを逆手に取った仕様がたちまち話題になりました。そうして遂に「グッドデザイン賞」の受賞に至ったのです。

木材を斜めにとりつける大胆な構造。建築のプロたちも驚いた

バヒュッテがグッドデザイン賞に輝いた大きな理由の一つが「筋交い(すじかい)」。筋交いとは建物を強くするために、柱の間などに斜めに交差させてとりつけた木材のこと。とはいえ、実際に筋交いが空間を堂々と斜めに横切る店舗はそうそうありません。バヒュッテのシンボルともいえる武骨な筋交いは、何度見ても驚かされます。

バヒュッテのシンボルといえる、大胆に設えられた「筋交い」。初めて見た人はギョッとする(写真撮影/吉村智樹)

バヒュッテのシンボルといえる、大胆に設えられた「筋交い」。初めて見た人はギョッとする(写真撮影/吉村智樹)

清野「筋交いをしなきゃいけない理由は、通りに面した柱を減らすためです。『間口は全面ガラス張りにする』という設計士さんのアイデアがあり、そのために壁面に大きな筋交いが必要となったんです。これだけ大きいと、隠しようがない」

集成材でできた筋交いで壁側をしっかり固め、揺るぎない構造に。これにより間口の開放感がグンと増しました。

では、そもそも間口を全面ガラス張りにした理由は、なんなのでしょう。それは、「歩道すら建築の一部だと錯覚させるため」。狭いゆえに、外の景色も店内に採り入れようという発想なのです。筋交いは功を奏し、抜群の採光と眺望を手に入れました。視覚的効果がこれほどの爽快感をもたらすとはと、感心してしまいます。

筋交いが建物をしっかり支え、間口の全面ガラス張りを可能にしている。ガラス張りによって店内にいながら屋外の街路樹など眺望を楽しめる。おかげで狭さを感じない(写真撮影/吉村智樹)

筋交いが建物をしっかり支え、間口の全面ガラス張りを可能にしている。ガラス張りによって店内にいながら屋外の街路樹など眺望を楽しめる。おかげで狭さを感じない(写真撮影/吉村智樹)

地面を掘って天井を高く見せる効果は絶大

もう一つ、バヒュッテの構造には大きな特徴があります。それは古本や雑貨が並ぶ店舗部分の地面を掘り下げていること。その深さは約600mm。

清野「地面を掘ったのも設計士さんのアイデアです。掘って床を下げ、天井を高く見せ、狭さを感じなくさせているんです」

書籍や雑貨のコーナーは600mm掘り下げ、それによって天井を高く見せた(写真撮影/吉村智樹)

書籍や雑貨のコーナーは600mm掘り下げ、それによって天井を高く見せた(写真撮影/吉村智樹)

確かに掘られた床に立っていると、窮屈さをまるで感じません。天井が高く、ガラス戸から陽光が差し込み、まるで教会にいるような敬けんな気持ちにすらなってきます。

とはいえ、それは怪我の功名ともいえます。実はこの敷地、かたちがいびつなだけではなく、南北で高低差もある難物だったのです。地面を掘って店舗に床高の変化をつけたのは、やっかいな敷地を店舗として成立させる苦肉の策でもありました。そしてこの店内の起伏が、グッドデザイン賞を受賞したポイントとなったのです。

不整形かつ南高北低の傾斜地というなかなか難易度が高い立地。店内の床を掘り、地面をフラットにせざるをえなかった。最高で地上440mmの基礎を設け、雨の侵入を防いでいる(写真撮影/吉村智樹)

不整形かつ南高北低の傾斜地というなかなか難易度が高い立地。店内の床を掘り、地面をフラットにせざるをえなかった。最高で地上440mmの基礎を設け、雨の侵入を防いでいる(写真撮影/吉村智樹)

工事の様子(画像提供/バヒュッテ)

工事の様子(画像提供/バヒュッテ)

細長い店舗兼住居が「新時代の町家建築」と高評価に

2021年度「グッドデザイン賞」に選ばれたこの類まれなる店舗併用住宅「バヒュッテ」を設計したのは京都市北区にある「木村松本建築設計事務所」。

公益財団法人「日本デザイン振興会」は、バヒュッテを「京都に出現した新時代の町家建築だ。働くことと暮らすことが混ざり合った都市住宅の新しい在り方を示すことに成功している。街の本屋がどんどんと閉店していく中で、古本屋がこうやって暮らしと溶け合うのは、大変に現代的な現象であるとも言える。時代の流れを生む重要なデザインである」と評価しました。それが受賞の理由。

設計者の一人である木村吉成さんはバヒュッテを、「クライアント、構造家、施工者が一丸となってつくった建物」と語りました。自分たちでも会心の作だったという熱い想いが伝わってきます。木村松本建築設計事務所はさらにバヒュッテの設計を高く評価され、日本建築家協会が主催する「JIA新人賞」も同年に受賞。いっそう箔をつけたのです。

グッドデザイン賞の受賞を機に、特殊な構造を一目見ようと、バヒュッテには設計士、建築関係者、大学教授、建築を勉強する学生たちが続々とやってくるようになりました。なかには他府県からわざわざ見学に訪れる人もいるのだとか。

世代や国籍を問わず、建築に関心がある人たちが集まり、交流が始まるという(画像提供/バヒュッテ)

世代や国籍を問わず、建築に関心がある人たちが集まり、交流が始まるという(画像提供/バヒュッテ)

清野「みんな怪訝な表情で10分ほど写真を撮っていかれます。そして居合わせた見学者さん同士でビールを飲んで盛りあがる場合もしばしばあるんです。そんなときはいつも、『こういう仲をとりもてたのが、この構造の一番の効果かな』と思うんです。ただ、ここを設計してくれた木村さんは、『ここまで立ち呑み屋として発展するとは自分でも意外だった。酒がすすむ効果までは考えていなかった』とおっしゃっていましたね」

間口をガラス張りにして閉塞感を拭い去り、筋交いを隠すことなくさらけだした構造には、設計士すらも気がつかなかった、飾らずに楽しく会話させる効能があったのかもしれません。

立ち呑みコーナーには続々と人がやってきて、会話に花が咲く。「立ち呑み屋としてここまで機能するとは」と設計士自身も驚いたという(写真撮影/吉村智樹)

立ち呑みコーナーには続々と人がやってきて、会話に花が咲く。「立ち呑み屋としてここまで機能するとは」と設計士自身も驚いたという(写真撮影/吉村智樹)

珍しい日本酒やクラフトビールがそろう。BGMはアナログレコード。やさしい音色が穏やかな空間に溶け込む(写真撮影/吉村智樹)

珍しい日本酒やクラフトビールがそろう。BGMはアナログレコード。やさしい音色が穏やかな空間に溶け込む(写真撮影/吉村智樹)

不整形地もアイデア次第で活用できる

さて、気になるのは居住部分。さまざまな仕掛けで狭さを感じさせないように設計されたバヒュッテですが、家となるとさすがに「細長すぎるのでは」と心配になります。

間取図。「店を通らずに居住スペースへ行ける」点にこだわったという(画像提供/バヒュッテ)

間取図。「店を通らずに居住スペースへ行ける」点にこだわったという(画像提供/バヒュッテ)

建築模型。周辺の木立は当初から大切な要素だった(画像提供/バヒュッテ)

建築模型。周辺の木立は当初から大切な要素だった(画像提供/バヒュッテ)

清野「お客さんからよく、『本当に夫婦で二階に住んでいるの?』『人が住めるんですか?』と聞かれます。確かによその家よりも細長いので、友達を数人呼ぶと、横一列に並んで座る感じになりますね。『ちょっと、どいて』って言わないと通れませんし。でも、不便を感じるのはそれくらいかな。ロフトになっていて、狭さを感じないです。総面積だと小さめのマンション一部屋ぶんくらい十分にありますよ」

居住スペース。陽当たり良好。西日が強いため厚さが異なる2枚のカーテンで光の量を調節する(写真撮影/吉村智樹)

居住スペース。日当たり良好。西日が強いため厚さが異なる2枚のカーテンで光の量を調節する(写真撮影/吉村智樹)

それを聞いて安心しました。そして、いよいよ核心である「お値段」について踏み込まねばなりません。バヒュッテの建築には、いったいいくらかかったのでしょう。

清野「土地だけで2680万円。魚屋さんの建物を撤去する費用に10万円。そして店舗兼住居の建築費に3000万円。計およそ6000万円ですね。借入は35年の住宅ローンです。35年じゃないとローンが組めなかったので」

人気の京都市左京区内で、しかも駅から徒歩5分ほど場所の土地が2680万円とは安い。さらにもとあった鮮魚店店舗の撤去費用がわずか10万円とは破格にお得。不整形地でも固定観念を覆し、冴えたアイデアさえあれば存分に活かせるのだと、バヒュッテは教えてくれます。

お客さんに寄り添いながら流動してゆく店に

いまや修学院駅周辺エリアのランドマークであり、大切なコミュニティーの「バ」となったバヒュッテ。今後はどんなお店にしたいと考えているのでしょう。

清野「自分たちでこうしたいというより、お客さんに寄り添いながら流動してゆく店でありたい。もともとは古本と雑貨をメインに考えていて、午前11時オープン、夜は早く閉まるお店でした。けれども立ち呑みコーナーが人気となって、現在は昼下がりの午後2時から午後8時までになったんです。お酒の品ぞろえもお客さんの好みに合わせて変わってきました。そんなふうにニーズを探りつつ、自分たちがやりたいことをすり合わせて、変化させていく。そんなお店にしたい。現状維持はつまらないですしね」

夜になるとさらに存在感が増すバヒュッテ。全面ガラス張りの間口から漏れる灯りが街の治安にも貢献している(写真撮影/吉村智樹)

夜になるとさらに存在感が増すバヒュッテ。全面ガラス張りの間口から漏れる灯りが街の治安にも貢献している(写真撮影/吉村智樹)

開店して4年。いまや地元のコミュニティーの場として欠かせない存在となった(写真撮影/吉村智樹)

開店して4年。いまや地元のコミュニティーの場として欠かせない存在となった(写真撮影/吉村智樹)

街角に現れた、見る角度によって大きさが変わる不思議な小屋。そこは、人間の多様性や多面性を受け入れるやさしさがありました。

●取材協力
ba hütte.(バヒュッテ)
住所 京都府京都市左京区山端壱町田町38番地
営業時間 14:00 ~ 20:00
定休日 火曜日 水曜日 臨時休業あり
電話 075-746-5387
地上2階 /敷地面積:52.60平米 /建築面積:29.00平米 /延床面積:53.64平米

伊豆下田の絶景・名店6選で移住気分。地元写真家が推す“日常の贅沢”を追体験

5年前に東京から静岡県・下田に移住したカメラマンの津留崎徹花です。
私が住んでいる下田は美しい海や山、温泉にも恵まれているため観光地として人気の場所です。
もちろん旅行でもその魅力に触れていただけるのですが、住んでいるからこそ味わえることもたくさんあります。
たとえば温泉や海水浴、おいしい海の幸山の幸も特別なものではなく、ごく当たり前の日常となるのです。
なんてことない日常のなかで目にする夕暮れ時の海。
そうした自然の美しさに触れると「これが本当の贅沢なのではないか」と感じます。

今回「じゃらんニュース」と「SUUMOジャーナル」の合同で、
「じゃらんニュース」では下田観光をする場合のモデルコースを、「SUUMOジャーナル」では下田に住んだらこんな暮らし方ができるというおすすめ情報を掲載しています。
タイムスケジュールに沿ってご紹介していますので、参考にしていただけたらと思います(撮影は5月です)。

AM5:30 爪木崎自然公園(静岡県下田市須崎)

絶景スポットで、海から昇る朝日を拝む。

 駐車場のすぐ横にある芝生の広場から、こんな絶景を眺めることができます(写真撮影/津留崎徹花)

駐車場のすぐ横にある芝生の広場から、こんな絶景を眺めることができます(写真撮影/津留崎徹花)

下田に住んでいるとふとした時に、「あぁ、本当にきれいだ…」とため息が出るような景色に出会います。
快晴の日に車を運転していると、輝く海の美しさにハッとしたり。
買い物の帰りに、夕日を浴びて真っ赤に染まりゆく広々とした空を眺められたり。
そして、一日の始まりにちょっとだけ早起きをして、近くの海で朝日が上るのを見ることだってできるのです。

私のお気に入りの場所は、須崎半島の突端に位置する爪木崎。
水仙祭りや柱状節理で有名な景勝地なのですが、日の出もまた想像以上に素晴らしいのです。
わざわざ遠出をしなくても、日常のなかに絶景が広がっている。
これは下田で暮らしているからこその豊かさだと感じます。

爪木埼の灯台と朝日を眺める(写真撮影/津留崎徹花)

爪木崎の灯台と朝日を眺める(写真撮影/津留崎徹花)

早起きは三文の徳、ぜひこの景色を堪能してください(写真撮影/津留崎徹花)

早起きは三文の徳、ぜひこの景色を堪能してください(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日には、ハッとするような美しいブルーが広がります(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日には、ハッとするような美しいブルーが広がります(写真撮影/津留崎徹花)

AM10:00 農産物直売所・旬の里(静岡県下田市河内)

朝どれのみずみずしい地場野菜が並ぶ、おすすめ直売所!

柑橘天国、伊豆下田。なかでもこの「旬の里」は、一年を通して常に柑橘を購入できるお店です(写真撮影/津留崎徹花)

柑橘天国、伊豆下田。なかでもこの「旬の里」は、一年を通して常に柑橘を購入できるお店です(写真撮影/津留崎徹花)

下田といえばおいしい魚のイメージがあるかと思うのですが、実は海の幸だけではなく山の幸にも恵まれています。
「旬の里」はその名の通り、旬の山菜や野菜などがずらりと並ぶ人気の直売所です。
生産者さんがその日に採れたものを直接お店におろしているので、新鮮そのもの。
春になるとタケノコや山菜が並び、夏にはトマトが棚いっぱいに並びます。
秋にはツヤツヤのナスや栗、冬にはどっかりとした白菜や大根が鎮座。
朝採れたばかりの地物野菜を持ち帰り、その日のうちに味わう。
そうして「またこの季節が巡ってきたのか」と、四季の移ろいを感じるのは下田暮らしの楽しみのひとつです。

早朝、地元の生産者さんが次々と採れたばかりの野菜や果物を納品。みずみずしくおいしい地物をいただけるのは本当にありがたいです(写真撮影/津留崎徹花)

早朝、地元の生産者さんが次々と採れたばかりの野菜や果物を納品。みずみずしくおいしい地物をいただけるのは本当にありがたいです(写真撮影/津留崎徹花)

野菜だけではなく、地元の方が手作りしたパンやお惣菜、漬物などもそろっています(写真撮影/津留崎徹花)

野菜だけではなく、地元の方が手作りしたパンやお惣菜、漬物なども揃っています(写真撮影/津留崎徹花)

夏にはこんな立派なスイカもずらり、お値段もとてもリーズナブルです(写真撮影/津留崎徹花)

夏にはこんな立派なスイカもずらり、お値段もとてもリーズナブルです(写真撮影/津留崎徹花)

PM12:00 FermenCo.(静岡県下田市吉佐美)

注目店!海を見ながらピザを頬張る、極上のひととき。

キリッと冷えたナチュラルワインと香ばしいマルゲリータ、最高です(写真撮影/津留崎徹花)

キリッと冷えたナチュラルワインと香ばしいマルゲリータ、最高です(写真撮影/津留崎徹花)

白い砂浜と透明度抜群の美しい海が広がる入田浜は、地元でも人気のビーチ。
その入田浜の目の前に、昨年「FermenCo.」フェルメンコというピザ屋がオープンしました。
絶好のロケーションもさることながら、とにかくこちらのピザがとてもおいしいのです。
「FermenCo.」の大きな特徴でもあるのがピザの生地。
小麦粉と水だけで起こすサワードウという自家製発酵種を使い、長時間かけてじっくりと発酵させています。
さっぱりとしたなかに小麦本来の甘みが感じられるのが、サワードウならではの優しい味わい。
店内に響く心地のよい音楽、目の前には青い海、そしてナチュラルワインを傾けながらおいしいサワードウピザを楽しむ。
贅沢すぎる時間を、ぜひ。

入田浜がすぐ目の前に。シンプルで洗練された店内の雰囲気も心地よく、つい長居してしまいます(写真撮影/津留崎徹花)

入田浜がすぐ目の前に。シンプルで洗練された店内の雰囲気も心地よく、つい長居してしまいます(写真撮影/津留崎徹花)

イタリアから仕入れたこだわりのピザ窯。400度以上にもなる高温の窯で焼きあげたピザは、ふっくらとした食感と炭火の香ばしさが楽しめます(写真撮影/津留崎徹花)

イタリアから仕入れたこだわりのピザ窯。400度以上にもなる高温の窯で焼きあげたピザは、ふっくらとした食感と炭火の香ばしさが楽しめます(写真撮影/津留崎徹花)

モッツァレラチーズやマッシュルーム、卵などがトッピングされたビスマルクもおすすめです。トリュフオイルの香りが独特のアクセントに(写真撮影/津留崎徹花)

モッツァレラチーズやマッシュルーム、卵などがトッピングされたビスマルクもおすすめです。トリュフオイルの香りが独特のアクセントに(写真撮影/津留崎徹花)

PM15:00 鈴与鮮魚店(静岡県下田市一丁目)

キンメだけじゃない、下田のおいしい地魚を食べるなら迷わずこのお店へ!

夕方になると地元の常連さんがお刺身を買いにくるのをよく見かけます。わが家もお刺身を買うならここ、と決めているのです(写真撮影/津留崎徹花)

夕方になると地元の常連さんがお刺身を買いにくるのをよく見かけます。わが家もお刺身を買うならここ、と決めているのです(写真撮影/津留崎徹花)

下田といえば金目鯛が有名ですが、そのほかにも四季折々のおいしい地魚がたくさんあります。
鈴与鮮魚店さんの店先に並ぶ魚は、そのほとんどが地元であがった天然ものの良質な魚。
「売ればいいってもんじゃないんだよね、いいものを仕入れないと意味がないから」と話すのは店主の鈴木さん。
そうしたこだわりは、一口味わってみれば納得がいきます。
魚の臭みなどみじんなく、うま味だけがすっと身体に染み込んでいく感覚。
こだわりがあるからこそ、時には店先の魚が乏しくなることも。

「海が荒れれば魚は上がらない、自然相手だからいい日もあれば悪い日もあるんだよ。」とご主人。
冷凍や養殖ものを扱えば、天候に左右されずに商売ができます。
けれど、地元で上がった天然の魚を一番おいしい旬の時期に提供したいというのがご主人の姿勢。
魚の種類によっては仕入れてから一晩寝かせ、翌日身が緩んだらようやく骨を抜く。さらにもう一日寝かせてから店先で販売するのだそう。そうして一番おいしいタイミングでお客さんに提供するのです。

「今日はお魚が並んでいるかな?」そんな風に魚を買いにいくのも、下田暮らしの楽しみのひとつです。

仕入れた魚を丁寧に処理するご主人(写真撮影/津留崎徹花)

仕入れた魚を丁寧に処理するご主人(写真撮影/津留崎徹花)

店先に並んでいる魚は身が引き締まっていて、とにかく美しい。この日に並んでいたのは色鮮やかな地金目鯛や高級魚のオオモンハタ、芭蕉イカ(あおりイカ)など(写真撮影/津留崎徹花)

店先に並んでいる魚は身が引き締まっていて、とにかく美しい。この日に並んでいたのは色鮮やかな地金目鯛や高級魚のオオモンハタ、芭蕉イカ(あおりイカ)など(写真撮影/津留崎徹花)

お刺身の盛り合わせの一例(写真撮影/津留崎徹花)

お刺身の盛り合わせの一例(写真撮影/津留崎徹花)

PM17:00 下田ビューホテル(静岡県下田市柿崎)

外浦海岸を一望!日帰り入浴ができる絶景温泉。

ジャグジー付きの内風呂からも海が一望できます(写真撮影/津留崎徹花)

ジャグジー付きの内風呂からも海が一望できます(写真撮影/津留崎徹花)

東京で暮らしていた頃は、長期休暇を利用して温泉旅行へ出かけていました。
けれど今は、温泉地としても人気のある下田に住んでいます。
つまり、「あぁ、疲れた~」というときにすぐ温泉につかることができるのです。
家族で近くの温泉宿に宿泊することもあるのですが、ひとりでふらっと日帰り入浴に行くことも多々あります。
なかでもお気に入りの日帰り入浴が下田ビューホテル。
昭和47年に開業した下田ビューホテルは、クラシカルな雰囲気がとても素敵で、お風呂は内風呂と露天風呂があり、美しい外浦海岸を一望することができる絶景温泉なのです。
青い海を眺めながらゆっくり入浴していると、一日の疲れがしだいに解けていきます。
特別な旅行ではなく、日常に温泉があるという暮らし方はとても心地のよいものです。
(新型コロナウィルス拡大防止のため、現在下田市在住の方のみ日帰り入浴が可能です。)

お風呂は男女ともに露天風呂と内風呂があります(時間帯によって入れ替え制)(写真撮影/津留崎徹花)

お風呂は男女ともに露天風呂と内風呂があります(時間帯によって入れ替え制)(写真撮影/津留崎徹花)

ラウンジでのランチを予約すると無料で温泉が利用できます。メニューは和定食や海鮮丼などで2500円(税込)(ランチは要事前予約、2名様より予約可能)(写真撮影/津留崎徹花)

ラウンジでのランチを予約すると無料で温泉が利用できます。メニューは和定食や海鮮丼などで2500円(税込)(ランチは要事前予約、2名様より予約可能)(写真撮影/津留崎徹花)

こちらは客室からの眺め。日帰り入浴だけではなく、宿泊してのんびりするのもおすすめです(写真撮影/津留崎徹花)

こちらは客室からの眺め。日帰り入浴だけではなく、宿泊してのんびりするのもおすすめです(写真撮影/津留崎徹花)

PM18:00 外浦海水浴場(静岡県下田市外浦)

仕事が終わったら、さあビール片手に海へ行こう!

ふじのくに限定「静岡麦酒」で乾杯!(写真撮影/津留崎徹花)

ふじのくに限定「静岡麦酒」で乾杯!(写真撮影/津留崎徹花)

「今日もよく頑張った…という仕事終わり、飲みにいく?どこに?近所の海に!」
という贅沢なことができてしまうのが下田暮らしの良いところです。

私が夕暮れどきによく足を運ぶのは、外浦海水浴場。
下田には9つの海水浴場があるのですが、なかでも波が穏やかなのがこの外浦海水浴場です。
夏になると小さい子ども連れの海水浴客でひしめき合う人気のスポットなのですが、人けのなくなる夕方になると、ちょうど夕日が海の方向へ差し込みます。
波のない静かな海が真っ青に色づき、そして空はピンク色に染まっていく。
なんとも美しい色合いの景色を眺めながら、冷えた缶ビールで乾杯。
一日頑張った自分への最高のご褒美です。

こんな景色が家のすぐそばで見られるなんて、これほど贅沢なことはないです(写真撮影/津留崎徹花)

こんな景色が家のすぐそばで見られるなんて、これほど贅沢なことはないです(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日中もまた、素晴らしい景色が広がります(写真撮影/津留崎徹花)

晴れた日中もまた、素晴らしい景色が広がります(写真撮影/津留崎徹花)

下田で暮らし始めてから5年が経ちます。東京に住んでいたときには渋滞に巻き込まれながら旅行に出かけていました。けれど今はちょっと休息をしたければすぐ目の前に海や温泉がある、贅沢な環境だとつくづく思います。
そして、時が経てば経つほど下田の魅力を感じています。豊かで美しい自然、そうした自然を生かしながら寄り添って暮らしてきた地元の方々の知恵には、学ぶことがとても多いと感じる日々です。
今回の記事をきっかけに下田に興味を持ってくださったらとても嬉しいです。ぜひ一度、下田に足を運んでください。

●関連記事
「じゃらんニュース」で関連記事をチェック!
静岡・下田の魅力を発見できる観光&グルメスポット。移住者が教える1日モデルコースをご案内

●紹介スポット
爪木崎自然公園
[住所]静岡県下田市須崎
[営業時間・定休日・料金]散策自由
[アクセス]伊豆急下田駅より約15分
伊豆急下田駅よりバス「爪木崎」行き 爪木崎下車
[駐車場]あり(500円)
「爪木崎自然公園」の詳細はこちら(爪木崎)

農産物直売所・旬の里
[電話] 0558-27-1488
[住所]静岡県下田市河内281-9
[営業時間]8:30~17:00
[定休日]なし/年末年始のみ休業(12/31~1/3)
[アクセス]【電車】伊豆急蓮台寺駅から徒歩5分
【車】伊豆急下田駅から国道414号松崎方面に向かい車で約5分
[駐車場]あり(無料)
「農産物直売所・旬の里」の詳細はこちら

FermenCo. フェルメンコ
[電話]0558-36-3643
[住所] 静岡県下田市吉佐美348-37
[営業時間11:00-14:30
[定休日]月・火曜日
[料金]ピザ1300円~
マルゲリータ1500円
ビスマルク1900円
ナチュラルハウスワイン グラス600円
[アクセス]【電車】伊豆急下田駅より車で10分
【車】(東京方面より)新東名長泉沼津ICより伊豆縦貫道を通り、下田方面へ約1時間半
[駐車場]入田浜海水浴場の駐車場を利用(夏季期間有料)
「FermenCo.」の詳細はこちら

鈴与鮮魚店
[TEL]0558-22-0458
[住所]静岡県下田市一丁目14−47
[営業時間]11:00~17:00
[定休日]毎週水曜日・月末だけ水・木曜日
[アクセス]伊豆急下田駅から徒歩約3分
[駐車場]なし

下田ビューホテル
[電話]0558-22-6600
[住所]静岡県下田市柿崎633
[営業時間]日帰り入浴 11:00-14:00
[定休日]繁忙期は日帰り入浴の受け入れなし
[料金]1500円(ランチ2500円)
[アクセス]
【電車】JR特急踊り子号で伊豆急行の伊豆急下田駅へ。 伊豆急下田駅より車で6分。送迎あり。
【車】
<東京方面から>
東名高速道路を名古屋方面~東名厚木IC~小田原厚木道路~石橋ICから国道135号で白浜へ
<名古屋方面から>
東名高速道路を東京方面~新東名・長泉沼津IC~〔東駿河湾環状道(有料)~伊豆中央道(有料)~修善寺道(有料)〕~国道136号、国道414号から国道135号で白浜へ
※新東名長泉沼津ICから約1時間35分
[駐車場]あり(80台無料)
「下田ビューホテル」の詳細はこちら

外浦海水浴場
[住所]下田市外浦
[営業時間・定休日・料金]散策自由
[アクセス] 伊豆急下田駅より約7分
[駐車場]あり(夏季期間有料)
「外浦海水浴場」の詳細はこちら

好きすぎて長野にサウナ移住。The Saunaをつくったら、聖地になり移住希望者も続々で人生が変わった話 野田クラクションべべーさん

サウナは今、空前のブーム。なかでも全国各地の自然や水質を活かしたアウトドアサウナは、その地域にしかない唯一無二であり、サウナーたちにとって欠かせない体験のひとつとなった。そのアウトドアサウナの先駆者である『The Sauna』支配人の野田クラクションべべーさんは、東京生まれの東京育ち。だが5年前、サウナをつくるために長野県信濃町に移住した。サウナに熱狂し、サウナをきっかけに移住したその後の暮らしはどうだろうか。サウナ移住のいきさつと、移住後の暮らしについて話を伺った。

誰に言うでもなかった密かな趣味、サウナを仕事にしようと思い立った

野田さんは、もともとWEBメディアの広告代理店・株式会社LIGを経営する社長のカバン持ちとしてインターンで就業(その後正社員に)。ブログコンテンツの企画のために社長の無茶ぶりに応え、タイで仕入れたTシャツを1ヶ月で200枚を売るために訪問販売したり、海外で野宿生活を送ったりなどもしていた。そんな日々のなか、1年間車中泊をしながら日本全国を回る企画で国内を放浪していた時にハマったのが、サウナ。開眼のきっかけは、高知県田野町にある入浴施設・たのたの温泉だと振り返る。

「その日は、お遍路で100km程度の道程を3日間かけて歩いてたんですよ。日差しの強い中、お風呂も入らずに歩き続けていたので、両手が日焼けでとっても痛かった。なのでまずは、と水風呂に入ったんですよね。で、体が冷たくなったから、そのままサウナへ。するとサウナ室内でのオルゴール調のBGM、夕方の外気浴、目の前で流れる小川の音と、グルービングがバチッとハマって、はー、気持ちいいなってふわっと体が軽くなった。さらに、その日はすごくよく眠れたんです。それがサウナに目覚めたきっかけですね」

それを機に、東京に戻った後もサウナに通うようになった。

お遍路巡りをする当時の野田さん。20kgの荷物を抱えて毎日30km歩いているなか、サウナのととのいに目覚めた(写真提供/野田さん)

お遍路巡りをする当時の野田さん。20kgの荷物を抱えて毎日30km歩いているなか、サウナのととのいに目覚めた(写真提供/野田さん)

その後、ラッパー活動(これも仕事)を通じて本気で音楽をやる人たちに出会ったことで、改めて「自分が本気になれることって何だろう」と考え始めた野田さん。誰に話すわけでもない、それでも通い続けていたサウナならやれる。サウナへの道を進む決断をした。

最初は、会社を辞めてサウナ施設へ転職するつもりだった野田さん。昔からお世話になっている編集者の先輩に相談したところ、社長の運営する長野の宿泊施設「LAMP」内でのサウナ建設をすすめられた。

「まだ湖に飛び込むようなサウナは日本にないから、やってみれば?」。その一言で、野田さんの人生は本格的にアウトドアサウナへと舵をきっていく。アウトドアサウナは、フィンランドが本場。それを知った野田さんは早速社長に旅費を借りて現地視察。自然の地形を活かしたサウナを見て、これを野尻湖でやろう!と決心し、その勢いのまま2018年11月に信濃町に移住した。

サウナ発祥の地・フィンランドでは、サウナはコミュニケーションツール。人々がサウナに入る風景があちこちで見られる(写真提供/野田さん)

サウナ発祥の地・フィンランドでは、サウナはコミュニケーションツール。人々がサウナに入る風景があちこちで見られる(写真提供/野田さん)

サウナ後、湖や池に飛び込む現地の人々(写真提供/野田さん)

サウナ後、湖や池に飛び込む現地の人々(写真提供/野田さん)

移住するやいなや、自身で損益分岐表をネットなどで調べながら作成。クラウドファンディングで約6カ月で264万円の建設費を集めることに成功した。

そして半年後、The Sauna 第1号棟の「ユクシ」が誕生する。

The Sauna全景。長野県・野尻湖のほとりにある宿泊施設LAMPの敷地内につくったThe Saunaは、全部で4棟のログハウス式サウナが並ぶ。手前が第1号棟の「ユクシ」(写真撮影/新井友樹)

The Sauna全景。長野県・野尻湖のほとりにある宿泊施設LAMPの敷地内につくったThe Saunaは、全部で4棟のログハウス式サウナが並ぶ。手前が第1号棟の「ユクシ」(写真撮影/新井友樹)

薪ストーブでサ室内は高温に。フィンランド式のセルフロウリュで、スタッフが用意したアロマ水をじゅわーとアツアツのサウナストーンにかける(写真撮影/新井友樹)

薪ストーブでサ室内は高温に。フィンランド式のセルフロウリュで、スタッフが用意したアロマ水をじゅわーとアツアツのサウナストーンにかける(写真撮影/新井友樹)

サウナ中に白樺の小枝を束ねた「ヴィヒタ」で体を叩く「セルフウィスキング」をするのがフィンランド流。フィンランドには「ヴィヒタ抜きのサウナは塩抜きの料理」という格言もあるとか。葉っぱは長野県の白樺、林檎の木の葉など長野県産のものを使用。ヴィヒタはオプションで購入可能(2500円~)(写真撮影/新井友樹)

サウナ中に白樺の小枝を束ねた「ヴィヒタ」で体を叩く「セルフウィスキング」をするのがフィンランド流。フィンランドには「ヴィヒタ抜きのサウナは塩抜きの料理」という格言もあるとか。葉っぱは長野県の白樺、林檎の木の葉など長野県産のものを使用。ヴィヒタはオプションで購入可能(2500円~)(写真撮影/新井友樹)

十分に体が温まったら水風呂タイム。サウナ小屋の隣の水風呂のほか、徒歩5分ほどと少し離れてはいるが、野尻湖へ“ドボン”もできる(写真撮影/新井友樹)

十分に体が温まったら水風呂タイム。サウナ小屋の隣の水風呂のほか、徒歩5分ほどと少し離れてはいるが、野尻湖へ“ドボン”もできる(写真撮影/新井友樹)

アウトドアサウナは体験がすべて。だから地元の誰とつくるかを大事にした

“ぜんぶ、しぜん。”をコンセプトにしたThe Saunaは、地元の資材を使うことはもちろん意識しながらも、最も大事にしたところは、地元の誰とつながるか、ということだという。

「利用者にストーリーを話せるサウナにしたい」。そう考えた野田さんが声をかけたのは地元のログハウス会社。「これまでつくったことがない」と言われながらも、一緒にサウナをつくりあげた。また、ヴィヒタを長野の白樺の生産者と共同開発したり、フードメニューに信濃町に移住してきた農家さんがつくった無農薬野菜を取り入れたりもした。

サウナ上がりのご飯、“サ飯”も楽しみの一つ。写真手前は、花山椒を効かせた名物の「ラムマーボーご飯」(1200円)。写真はプラス100円で野沢菜をトッピングしている。写真右上の「リーフサラダ」(ハーフサイズ500円)は地元の有機野菜を使用。移住者でもある地元農家のスペイン人・フリアンさんがクワも使わず育てた野菜は、肉厚で味が濃い。写真奥は手づくりシロップを加えた「本気のレモンスカッシュ」(500円)※すべて税込(写真撮影/新井友樹)

サウナ上がりのご飯、“サ飯”も楽しみの一つ。写真手前は、花山椒を効かせた名物の「ラムマーボーご飯」(1200円)。写真はプラス100円で野沢菜をトッピングしている。写真右上の「リーフサラダ」(ハーフサイズ400円)は地元の有機野菜を使用。移住者でもある地元農家のスペイン人・フリアンさんがクワも使わず育てた野菜は、肉厚で味が濃い。写真奥は手づくりシロップを加えた「本気のレモンスカッシュ」(500円)※すべて税込(写真撮影/新井友樹)

さらに、と、野田さんは続ける。

「アウトドアサウナって、やはり自然だから、天候によって体験が変わるんです。虫が多くて気持ちよくサウナに入れない日が10点だとしたら、雨上がりで水温が低くてむちゃくちゃ水風呂が綺麗な100点の日もある。同じ場所でも同じ体験ができるとは限らないところも醍醐味なんです。

だからこそ、アウトドアサウナにはスタッフのサービスがとても大事。お客さまにとって心地よいサービスができれば150点になる日もある。The Saunaはそこをすごく重要視してますね。うちは、サ室の温度を保つために薪の管理などをする担当者、いわゆる“サウナ番”がいるのですが、特に設けなくてもいいポジションかもしれない。でも、最高の体験になるように演出するためには必要なんです」

サウナ前にはワイン樽を切ってつくった水風呂が。黒姫山の伏流を引き込んだ、冷たい天然水がサウナでほてった体を急速に冷やす(写真撮影/新井友樹)

サウナ前にはワイン樽を切ってつくった水風呂が。黒姫山の伏流を引き込んだ、冷たい天然水がサウナでほてった体を急速に冷やす(写真撮影/新井友樹)

外気浴スペースは樹に囲まれたスペースなどいろんな場所にある。水風呂で体を冷やした後、ととのいイスに座れば訪れる、開放感。鳥のさえずりに木々の枝葉の揺れ、小川の音。すっかり五感が解き放たれ、まるで森と一体化したような感覚を味わえる(写真撮影/新井友樹)

外気浴スペースは樹に囲まれたスペースなどいろんな場所にある。水風呂で体を冷やした後、ととのいイスに座れば訪れる、開放感。鳥のさえずりに木枝の木々の枝葉の揺れ、小川の音。すっかり五感が解き放たれ、まるで森と一体化したような感覚を味わえる(写真撮影/新井友樹)

サウナから出ると、サウナ番のスタッフが準備してくれたお茶と塩飴が並べてある(写真撮影/新井友樹)

サウナから出ると、サウナ番のスタッフが準備してくれたお茶と塩飴が並べてある(写真撮影/新井友樹)

“やんわり、すっと”を心がけてほどよい距離感でのサービスを常に考えている。その後、ドラマの『サ道』(テレビ東京系)やととのえ親方の情報発信などのおかげでサウナへの認知度が上がり、The Saunaは今では人気のサウナスポットになった(写真撮影/新井友樹)

“やんわり、すっと”を心がけてほどよい距離感でのサービスを常に考えている。その後、ドラマの『サ道』(テレビ東京系)やととのえ親方の情報発信などのおかげでサウナへの認知度が上がり、The Saunaは今では人気のサウナスポットになった(写真撮影/新井友樹)

勢いで移住したが、コロナ禍で信濃町の魅力をかみしめた

とにかくサウナをつくりたい。その一心で長野県信濃町に移住し、最初の1年はただがむしゃらで、当初は楽しむ余裕もなかった。一人でも多くのお客さんを呼ぶことに夢中で、まちを楽しむどころではなかった。

ところが国内で新型コロナが蔓延し、約2カ月の休業を余儀なくされたとき、LAMPの宿で自身が提供していたサービスを経験してみた。その時に初めて信濃町の魅力に気がついたという。

「野尻湖のおかげで釣りが趣味になりました。起きて5分後には釣りができるんですよ。また春と秋には山菜狩りやきのこ狩りが、夏にはカヤックやSUP、冬にはクロスカントリーやスノーシューが楽しめます。新潟県の上越にもアクセスが良くて山へお出掛けもできる。信濃町は長野駅から車で30~40分程度なので、移動もそこまで苦じゃない――その環境の豊かさを初めて知った時に、『なんていい場所だろう』と改めてこの場所が好きになりました」

釣りを楽しむ野田さん(写真提供/野田さん)

釣りを楽しむ野田さん(写真提供/野田さん)

生活も早寝早起きにシフトチェンジし、東京では難しかった健康的な生活を送っているそうだ。

「何より、自然のことを考える機会が多くなりましたね。嫌でもアウトドアで自然に触れるので、SDGsは意識するようになった。以前はそこまで深く考えることはなかったんですけれどね。例えば、木を永続的に残していくためにはどうしたらいいかとか、自分がおじいちゃんになった後もこの環境をどう維持していくかといったことを考えるようになって、先進的なフィンランドの取り組みを積極的に学んだりするようになりました。今はフィンランドや他の国の人と直接対話がしたくて、人生で初めて英語を学びたいなと思うようになりました」

野尻湖では、カヤックボードの上に寝そべって日光浴を楽しむこともできる(写真撮影/新井友樹)

野尻湖では、カヤックボードの上に寝そべって日光浴を楽しむこともできる(写真撮影/新井友樹)

湖のほとりで森林浴とヨガを楽しむ人がいるのも日常的な光景(写真撮影/新井友樹)

湖のほとりで森林浴とヨガを楽しむ人がいるのも日常的な光景(写真撮影/新井友樹)

The Saunaは、アウトドアサウナ初心者の利用が多い。つまり、信濃町に初めて触れる機会にもなるというパブリックな一面もあることをとても意識しているという。だからこそ、信濃町の暮らしや観光などについての情報もシェアしているとのこと。

「そのためにも、信濃町の良さをどう多くの人たちと共有できるかを考えるようになりました。信濃町の魅力を知ってもらえれば、ゆくゆくは移住者も増えて、地域の活性化につながるかもしれない。そのためには地域の経済成長が大事です。なので、自分たちのサウナやサービスのクオリティを高めることで、もっと地域に人が来てくれるきっかけになればいいなと思いますね」と話す野田さん。

こうして、個人の“好き”からはじまった勢いまかせのサウナ移住は、徐々に地域をどう盛り上げていけるかという視点へと広がっていったのだ。

最近ではサウナビルダーとして全国のサウナの立ち上げにも関わる野田さんだが、野尻湖の風景が一番好きだと話す(写真撮影/新井友樹)

最近ではサウナビルダーとして全国のサウナの立ち上げにも関わる野田さんだが、野尻湖の風景が一番好きだと話す(写真撮影/新井友樹)

移住はデメリットもメリットもある。どこで判断するかがポイント

野田さんが移住して今年で5年。アウトドアサウナは、野田さんの活動をきっかけに今や他の地域でも増え、その地域でしか体験できないサウナに魅せられて移住する人が少しずつ出てくるまでになった。野田さんのたった一人の決断もまた、多くのサウナ移住検討者たちへ背中を見せる形となった。

「正直、勢いで移住を決めた僕のパターンはあまり参考にならないかもしれないですが、決めるってことが大事な気がします。信濃町でいえば冬は積雪量が多いので雪かきが必要です。田舎だと虫も多かったりするし、それ以外でも嫌なことだってある。でも都会だって嫌なことはある。その嫌な部分も含めて決断するってことが大事だと思うんですよね。

第三者から見た、住みやすさを条件にするのも、良いは良い。けれどどこの部分で移住を決めるかを自分で実際に通ってみて考えることが割と重要かなと思います」と真っ直ぐ前を見て野田さんは語る。

(写真撮影/新井友樹)

(写真撮影/新井友樹)

The Saunaには、全国から「サウナやアウトドアを楽しみたい、学びたい」という人が移住してきて、スタッフとして働いている。移住希望者には、まずはヘルパー制度という期間を設け、まちや季節感などを実際に体験してから判断してもらうそうだ。

「移住は合う人合わない人がいます。まずは自分にとってどうなのか、できれば、地域の春夏秋冬を見てもらった上で判断してもらえたらいいなと思いますね。住んだ後の人との関係も出てくるので、ローカルルールやまちの集会など理解しておくとスムーズかなと思います。役所などのオンライン移住相談で話を聞くなど、まずは自分の条件やイメージに合うかを一次情報で判断していけたらいいですね」

自分の生活の条件だけでなく、何が好きか、何が許容できて、何ができないのかといった、自分の価値観をどこに置くか。その点が決断するポイントの一つかもしれない。

勢いでしたサウナ移住だったが、価値観や人生観、ライフスタイルもガラッと変わったという野田さん。野田さんは今日もまたサウナを通じて、新たな地域の価値を探っていく。

(写真撮影/新井友樹)

(写真撮影/新井友樹)

●取材協力
LAMP野尻湖
The Sauna
野田クラクションべべ―さん

シニア向け分譲マンションって高齢者施設とどう違う? 平均価格や提供サービス例は?

東京カンテイが、『シニア向け分譲マンション』の供給動向について分析した結果を公表した。ところで、シニア向け分譲マンションとはどういったものか、ご存じだろうか? 分析結果を参考にして、その実態を見ていこう。

【今週の住活トピック】
「『シニア向け分譲マンション』の供給動向分析」を公表/東京カンテイ

シニア向け分譲マンションとはどんなもの?

東京カンテイが分析したのは、これまで供給された(2023年までに竣工予定のものを含む)全国の98物件、1万4947戸(2022年6月末時点)のシニア向け分譲マンションについてだ。

『シニア向け分譲マンション』について、東京カンテイでは、区分所有建物(いわゆるマンション)であること、などの同社のデータベース登録基準に合致するという前提の下で、次のように定義している。
・敷地内にケア施設がある、または一棟全体が高齢者に配慮した設計である
・管理費とは別にケア関連サービスを受けるための費用条項がある

分譲マンションなので、購入して所有権を持ち、売却したり相続させたりすることができる。一般的な分譲マンションと違うのは、ハードとなる建物はバリアフリーなど高齢者が安全に住むことへの配慮がなされ、ソフト面では高齢者が望むさまざまなサービスの提供が求められるという点だ。

シニア向け分譲マンションは、一般的に、おおむね自立して生活できる高齢者を対象にしている。そのため、提供するサービスも健康維持が目的であったり、生活満足向上が目的であったりするものも多い。分析結果から具体的に見ていこう。

平均価格は4386万円、徒歩15分圏内の供給も多い

まず、どのエリアに供給されているかと言うと、以前は「東海地方」(特に静岡県)など、気候が温暖で過ごしやすい、あるいは自然豊かで温泉があるといった地域での供給が多かった。近年になると、東京・神奈川・千葉や大阪・兵庫などの都市圏での供給が多くなっている。

出典/東京カンテイ プレスリリース「シニア向け分譲マンション供給動向」より転載

出典/東京カンテイ プレスリリース「シニア向け分譲マンション供給動向」より転載

次に「最寄駅からの所要時間」を見ると、最多は「バス便」(30.6%)になる。これは、自然が豊かな地域に立地している影響が大きいが、バス停まで3分以内などの物件も多いという。一方、2番目に多いのが「徒歩5分以内」(24.5%)で、徒歩15分圏内の物件が全体の6割を占める。このように、自立した高齢者が対象なので、徒歩で移動できる場所の物件が多いのが特徴だ。

出典/東京カンテイ プレスリリース「シニア向け分譲マンション供給分布」より抜粋し、筆者が作成

出典/東京カンテイ プレスリリース「シニア向け分譲マンション供給分布」より抜粋し、筆者が作成

気になる価格はどうだろう?
2020年以降の供給物件で見ると、平均専有面積は60.08平米、平均価格は4386万円となっている。関東地方に限定して見ると、平均専有面積は59.15平米、平均価格は4245万円なので、全国平均とさほど変わらない。

また過去の推移を見ると、バブル期に面積は広く(66.14平米)、価格は高く(5879万円)なったが、2000年以降は、平均専有面積はおおよそ60平米、平均価格は3000万円台で落ち着いている。ただし、平均坪単価は2000年代199.9万円、2010年代200.5万円、2020年以降240.4万円と、近年は上昇傾向にある。

シニア向け分譲マンションではどんなサービスを提供している?

さて、シニア向け分譲マンションには、どんな施設が設けられているのだろう?

同社では、2000年以降に竣工した73物件を対象に、「食事サービス」「娯楽サービス」「医療サービス」「介護サービス」の4つに区分して、それぞれの設備の付帯状況を調べている。それぞれの区分で多いものを見ていこう。

■シニア向け分譲マンションにおける付帯施設の導入状況(対象:2000年以降竣工の73物件)
「食事サービス」
・レストラン・食堂94.5%

「娯楽サービス」
・ホビールーム60.3%
・娯楽室57.5%
・AVルーム46.6%
・カラオケルーム45.2%
・温泉28.8%
・体操室19.2%

「医療サービス」
・医療提携87.7%
・クリニック・診療所24.7%

「介護サービス」
・訪問介護事業所21.9%
・居宅介護支援事業所19.2%
※出典/東京カンテイ プレスリリース「シニア向け分譲マンションの付帯施設&ランニングコスト」より抜粋

食事サービスを提供する「レストラン・食堂」の導入率は94.5%と極めて高い。分譲マンションなのでキッチンが部屋にもあるはずだが、ここで提供される食事は栄養士などが考えた食事になっているので、家事負担の軽減だけでなく健康面でもメリットがあるだろう。

娯楽サービスでは、「ホビールーム」や「娯楽室」「AVルーム」「カラオケルーム」の導入率が特に高い。以前は、趣味ごとに部屋が設置される事例が多かったが、広い部屋を多目的に使えるように変わってきているという。AVルームやカラオケルームは、一般の大規模マンションでも多く設置される共用施設なので、利用者が多いということだろう。

また、医療サービスでは、「医療提携」の導入率が極めて高い。自立した生活を送れると言っても、病気やけがの心配もあって、医療サービスは頻繁に受けたいということだろう。半面、介護サービスは医療サービスに比べると導入率は高くはない。

こうしてマンション内に施設が多く設けられたり、いろいろなサービスを提供したりするので、管理費や修繕積立金は、一般の分譲マンションより高額になる。各種サービスによる便利さが高まれば、それに伴ってランニングコストも増えるということだ。こうした施設を活用して住人同士の交流を深めたいという、アクティブなシニアに向いていると言えるだろう。

高齢期に住む拠点はさまざまにある

高齢者の住まいとしては、ほかにも「有料老人ホーム」や「サービス付き高齢者向け住宅」などがある。

まず、有料老人ホームは、食事提供や家事支援、健康管理、介護サービスなどのいずれかが提供される介護施設で、利用料を支払う形になる。「介護付」「住宅型」などのタイプがあり、介護付きではホームが介護サービスを提供するが、住宅型では外部の介護サービスを利用する形になる。

次に、サービス付き高齢者向け住宅(以下、サ高住)は、高齢者が安心して住めるような建物で、安否確認や生活相談といったサービスが受けられるが、毎月賃料を支払う(長期間の賃料を前払いする場合もある)賃貸住宅である。「一般型」と「介護型」があり、一般型は主に介護度が軽い人が対象だが、介護度が重い人にも対応できるようにしたのが「介護型」だ。国の支援もあって、サ高住の供給数が増えているのも特徴のひとつだ。

住宅型の老人ホームや一般型のサ高住の中には、シニア向け分譲マンションに近いものもあるが、契約形態や費用面などに違いがあるので、違いをきちんと理解しておきたい。

さて、自宅を高齢期に向けてリフォームして住み続けることも含めて、高齢期を過ごす拠点にはさまざまある。立地、居室の状況、提供されるサービスの有無、介護サービスの受け方などがそれぞれ異なるので、どのように暮らしたいか、どういったマネープランを立てるかなどをよく考えて選んでほしい。

●関連サイト
東京カンテイ「『シニア向け分譲マンション』の供給動向分析」

入居者全員クリエイター! 築49年の今も作家たちのアイデアで進化する「インストールの途中だビル」品川区中延

東京都品川区中延にある「インストールの途中だビル」は、2012年にスタートした6階建てのビル型シェアアトリエ。現代美術家、ファッションデザイナー、演劇団体、キャンドル作家、靴職人など多業種のクリエイター20組以上が共同利用している。今年10周年を迎えたこの異色の物件には、どのような歴史やライフスタイルがあるのか。訪れて話を聞いてみた。

駅から徒歩1分、騒がしい立地が好条件に「インストールの途中だビル」が入る光洋ビルは築49年(写真撮影/小林景太)

「インストールの途中だビル」が入る光洋ビルは築49年(写真撮影/小林景太)

「インストールの途中だビル」は、東急大井町線・都営浅草線の中延駅から徒歩1分とアクセス良好な場所にあり、6階建てビルの2階から5階を使って運営される。国道1号沿いで、向かいと左右をパチンコ店に囲まれる騒がしい立地だが、音を伴う「ものづくり」の環境としては周りに気を使う必要がないため、むしろ好条件と支持されている。

運営するのは、自らを「まちづくり会社」と称する合同会社ドラマチック。建物の再生事業や全国の公共施設の運営、地域で活動したい人に向けての拠点づくり・イベント運営などを行っている。

「インストールの途中だビル」を立ち上げたドラマチック代表社員の今村ひろゆきさんにお話を伺った。

「インストールの途中だビル」責任者の今村ひろゆきさん(画像提供/ドラマチック)

「インストールの途中だビル」責任者の今村ひろゆきさん(画像提供/ドラマチック)

時間の経過とともにきれいになる。アップデートを前提としたスタート

今村さんがこのビルを知ったのは、2011年4月ごろ。ドラマチックの活動が新聞に掲載された日に、一通のメールが届いた。内容は「中延駅のすぐそばにビルを持っているが、どうにかしてくれないか」というもの。

「ビルを見に来たらびっくりしました。会社の事務所として使われていたようですが、壁もカーペットも汚れていてヤニ臭く……(笑)。しかし、駅チカでほぼ一棟まるまる空いている物件なんてそう無いですし、すごいポテンシャルを感じました」

しかし、普通のシェアオフィスやコワーキングスペースとして利用できる状態に改装するには、初期費用がかなりかかってしまう。

「活動場所を探しているアーティストの知り合いが複数いたので、アトリエとして使うのはアリだなと。ものづくりをしているとどうしても周りが汚れてしまうので、それなら最初からきれいである必要がないですしね」

オープン準備の様子(画像提供/ドラマチック)

オープン準備の様子(画像提供/ドラマチック)

シェアアトリエとして運営する方針を定めてから、どのような準備をしたのか。

「掃除と、窓を拭くこと。基本はそれだけです(笑)。あとは入居ブースごとに仕切りで区画を分けて、そのほかは入居者の自由ということにしました。壁を塗ってもいいし、照明を変えてもいい。正直まだ会社としてもお金が無かったころなので、アイデアで工夫していくしかありませんでした」

廊下の照明は、入居者の提案で蛍光灯から電球に変更。階段のウォールアートは入居者がテープで制作した(写真撮影/小林景太)

廊下の照明は、入居者の提案で蛍光灯から電球に変更。階段のウォールアートは入居者がテープで制作した(写真撮影/小林景太)

合同会社ドラマチックを立ち上げる前は、商業施設の開発をしていたという今村さん。

「新しくつくった商業施設は、時間が経てば建物が古くなって集客も減り、廃れていきます。でもこの『インストールの途中だビル』は未完成な状態から始まり、徐々に人が集まって場がアップデートされていく。いわゆる商業的な開発の流れとは逆の場をつくっていければと思いました」

コミュニケーションの中で生まれるアイデアをインストールし、よりよい環境をつくるという方針が、施設名の由来ともなるコンセプトだ。こういった事業は一般的にリノベーションを済ませてから開始するものと思い込んでいたが、入居者に使ってもらいながら整えていくという手法は、空き物件を活用するうえでの可能性を広げるアイデアだと感じた。

24時間制作可能。展示会やパフォーマンスができるスペースも

「入居している方は『ものづくりをする』という点では共通していますが、活動のジャンルは本当にばらばらですね。ビルが揺れるほどの大きな音を出して金属の彫刻物をつくる方もいます。ここでの活動を本業としている方は3割ぐらいでしょうか」

各アトリエに住宅の機能はないが、24時間出入り可能。賃料はブースの広さによって変わり、月額2万1800円から。入居金5万円と水道光熱費が別途かかる。利用を続ける中で「もう少し広いスペースを使いたい」といった要望があれば、今村さんらが大工仕事ができる入居者に依頼して仕切りを動かし、ブースを拡張することも。

過去に入居していた版画作家のアトリエの様子(画像提供/ドラマチック)

過去に入居していた版画作家のアトリエの様子(画像提供/ドラマチック)

このブースも上の写真と同じ間取りだが、利用者によって部屋の印象は大きく異なる(写真撮影/小林景太)

このブースも上の写真と同じ間取りだが、利用者によって部屋の印象は大きく異なる(写真撮影/小林景太)

ビル内には約50平米のレンタルスペースもあり、入居者は1時間200円で借りられる。演劇の稽古など広い場所が必要な活動や、作品展・イベント会場、打ち合わせ・撮影の場として使われるという。

レンタルブース「インストジオ」(写真撮影/小林景太)

レンタルブース「インストジオ」(写真撮影/小林景太)

屋上は無料で開放され、植物を育てるなど息抜きの場所となっている。気候のいい時期はここで飲食をしながら入居者同士の近況報告会が行われることも。

イベント開催時の様子(画像提供/ドラマチック)

イベント開催時の様子(画像提供/ドラマチック)

入居するクリエイターたちにとって、このビルは制作の場だけでなく、発表や交流の場ともなっているようだ。では、実際の入居者の方々にお話を聞いてみよう。

アトリエが稽古場にも舞台にもなる

まずは「インストールの途中だビル」が始まった当初から入居している演劇団体「Prayers Studio」さん。稽古場として常時利用するほか、アトリエ内に舞台と客席をつくって公演も行う。

代表の渡部朋彦さん、設立メンバーの妻鹿有利花さんが、入居当時のことからお話ししてくれた。

「Prayers Studio」代表・渡部朋彦さん(左)、妻鹿有利花さん(写真撮影/小林景太)

「Prayers Studio」代表・渡部朋彦さん(左)、妻鹿有利花さん(写真撮影/小林景太)

「ここに来るまでは区民施設などを都度借りて稽古しながら活動していました。小道具なども徐々に増えていき、どこかに拠点を構えたいと感じていたところ、劇団員がこのビルのことをTwitterで偶然見つけたんです。すぐに連絡して、4月1日のオープンぴったりのタイミングで入居しました。月末には公演を控えていたので、さっそく本番前は徹夜で稽古しましたね」(渡部さん)

50平米の部屋は、仕切りで楽屋などを設ける(写真撮影/小林景太)

50平米の部屋は、仕切りで楽屋などを設ける(写真撮影/小林景太)

声を出すことが不可欠な演劇の活動にとって、入居者全員がものづくりに理解のある環境は理想的だという。現在、Prayers Studioは11人のメンバーで4チームに分かれて活動しており、ブースには常に誰かがいるような状況。ここを拠点として活動を続けてきた結果、ビル周辺の中延エリアに引越してきた劇団員も多い。

「天井はあえて梁を見せて高さを出し、蛍光灯やカーペットは外して、客席やカーテンの仕切りを設置しました。また、24時間活動できるといっても音に関しては多少気を使います。遅い時間に大道具を組み立てたり大声を出したりするのは控えるなど。逆に私たちの公演期間はほかの入居者が音を出す作業を控えてくれて、積極的に協力してくださりありがたいです」(渡部さん)

もともと天井にあった板を転用したドア(写真撮影/小林景太)

もともと天井にあった板を転用したドア(写真撮影/小林景太)

入居者同士で生まれる活動のつながり

10年間入居していることもあり、入居者とのコミュニケーションが創作活動やプライベートにつながることもあったという。

「キャンドル作家の方に制作を依頼して、アトリエで香りを焚かせてもらったり……」(妻鹿さん)

「結婚を考えている劇団員が、アクセサリー作家さんのワークショップで婚約指輪をつくったことも。その後も結婚式の引き出物としてキャンドルをつくってもらったり、式の撮影も入居者のフォトグラファーさんにお願いしたり(笑)。逆に入居者の方の個展で僕がナレーションをやったり、劇団員がファッションブランドのモデルを務めたりしたこともありますね」(渡部さん)

想像以上に濃いつながりだった。このほかにも、中延商店街のお祭りでの公演や、子ども向けのワークショップ、観客参加型の舞台上演など、地域と関わる活動も多く行ってきたPrayers Studio。現在も「拠点を持つ劇団」という強みをきっかけに、外部のクリエイターと共同で舞台演出上の新企画に取り組んでいる。

「夜、活動を終えて帰宅するときに、ほかの部屋に明かりがついていると『自分も負けていられないな』と思います。モチベーションが刺激される環境ですね」(妻鹿さん)

舞台と客席の配置は、公演内容によって変える(写真撮影/小林景太)

舞台と客席の配置は、公演内容によって変える(写真撮影/小林景太)

イベントでたまたま訪れたビルに入居して9年目

続いては、ファッションブランド「NeLL」のデザイナー・hee(ヒー)さん。「誰でも着られる服」というコンセプトに基づき、1つの素材で1サイズのみの服をつくる『One=Everyone』というシリーズが好評だ。

「NeLL」デザイナーのheeさん(写真撮影/小林景太)

「NeLL」デザイナーのheeさん(写真撮影/小林景太)

NeLLのアトリエ(写真撮影/小林景太)

NeLLのアトリエ(写真撮影/小林景太)

このアトリエには、本職の仕事場として週5日ほど通うheeさん。入居のきっかけは、ビルの屋上で行われた2周年イベントだという。

「最初は、ただ好きなミュージシャンの方がライブをすると聞いて来たんです。でも中に入ってみたら結構良さそうな場所だったのと、ちょうど当時使っていたアトリエを出なくてはいけないタイミングだったので、後日改めて内見をしました」

求めていた条件は「ある程度の広さ」「汚しても大丈夫なこと」など。いずれも問題なさそうで、「夜でもミシンの音など気にせず作業できるのは気楽でいいな」と感じ、入居を決めたそう。

NeLLの展示会で渡したノベルティ。制作は同ビルに入居するキャンドル作家さん(写真撮影/小林景太)

NeLLの展示会で渡したノベルティ。制作は同ビルに入居するキャンドル作家さん(写真撮影/小林景太)

「入居して9年目になりますが、実は今のブースを使い始めるまでにビル内で3回引越しました。一緒に借りていたメンバーが離れるタイミングなどで、その都度ちょうどいい広さのブースに移っています。このビルは『駆け出しの人を応援する場』だという感覚もあるので、本当は早くここを出られるように頑張らなきゃいけないと思うんですけど、なかなか居心地が良くて今に至ります(笑)」

ジャンルを問わない出会いが活動の幅を広げる

heeさんに「入居してから感じた良い点」を聞いてみた。

「やっぱり入居者の知り合いができることですね。創作活動の話や展示など自分の作品を知ってもらう方法について情報交換できますし、そこから依頼が発生することもありました。インストールの途中だビルでは、月一回の定例会があって、コロナ禍で頻度は落ちてしまいましたが、ビルのメンバーとコミュニケーションをとれます。年末の忘年会など交流機会は割とあって楽しいです」

2014年には、インストールの途中だビルが主催となり近隣の商店街で「中延EXPO」を開催。ダンサーやミュージシャンが即興で演奏しながら街を練り歩くイベントで、heeさんはパフォーマーの衣装を提供したという。

「中延EXPO」の様子(画像提供/LAND FES)

「中延EXPO」の様子(画像提供/LAND FES)

「今後もさまざまなジャンルの人と関わっていきたい」と語るheeさん。ビルのレンタルスペースで開催される音楽イベントでミュージシャンの衣装提供なども予定しているとのことだった。

これからもインストールは続いていく

シェアアトリエという空間を活かし、地域や外部との交流も図ってきたインストールの途中だビル。

「料金設定もそうですが、『これからがんばっていこう』という段階のクリエイターを応援したい気持ちがあります。そのために、ハード面である物件に手を加えていくのではなく、人同士のつながりというソフト面でメンバーの活動を応援して、ビルを盛り上げていきたいです。運営を続ける中で、活動が成功して売れっ子になっていった方もいて、そういう過程を見られるのはうれしいですね」と今村さん。

あえてセオリーどおりの「快適な空間」を用意せずにスタートしたこのシェアアトリエでは、入居者自身が過ごしやすいように作業環境をつくることができる。いわば全員が「ビルのクリエイター」として一つの居場所を構築していくことは、ライフスタイルの充実に大きく寄与していると感じた。

インストールの途中だビルは今年で10周年を迎え、入居者はのべ100名を超える。今村さんは「今後も新しいクリエイターの方と出会えるのが楽しみ」とほほえみ交じりに語っていた。

●取材協力
・インストールの途中だビル
・まちづくり会社ドラマチック
・Prayers Studio
・NeLL

シェア型書店やよろず相談所がつなぐ、令和のご近所づきあい。大田区池上で「半径2kmリビング化」が拡張中

東京都大田区の池上地区で「ノミガワスタジオ」を運営するアベケイスケさん。メインはギャラリー兼イベントスペースだが、他にも放課後や休日に親子と談笑したり、「本」を介したコミュニケーションスペースとしての顔も持つ。また、地域の人がアベさんにさまざまな相談をしにくる「よろず相談所」としての側面も。アベさんがこうしたスペースを始めた背景には、幼少期に大分県の別府で体験した“地縁文化とお互いに世話を焼く温かさ”があったという。「地域の人を知ると安心感が生まれ、暮らしはもっと心地よくなる」と話すアベさんに、地域交流のあり方について伺った。

「人と人とのつながり」に安心感を覚えた別府での生活

――はじめに、アベさんが運営する「堤方4306(つつみかたヨンサンマルロク)」と「ノミガワスタジオ」について教えてください。

アベケイスケ(以下、アベ):「堤方4306」は動画配信のスタジオに加え、ギャラリー、間借り喫茶など、誰もが利用できる多目的スペースとして運営してきました。2020年に現在の場所へ移転し、同時にスタートしたのが「ノミガワスタジオ」です。ギャラリー&イベントスペースとして、ランドスケープの設計事務所「スタジオテラ」と共同で運営しています。

デザイナーのアベケイスケさん。大田区に住んで19年目(写真撮影/松倉広治)

デザイナーのアベケイスケさん。大田区に住んで19年目(写真撮影/松倉広治)

1階に「ノミガワスタジオ」と「堤方4306」が、2階に「スタジオテラ」のオフィスが入る(写真撮影/松倉広治)

1階に「ノミガワスタジオ」と「堤方4306」が、2階に「スタジオテラ」のオフィスが入る(写真撮影/松倉広治)

アベ:また、時折イベントを開催するだけでなく、毎週金・土曜はシェア型の書店「ブックスタジオ」として営業し、地域のみなさんにご利用いただいています。

――シェア型の書店って何ですか?

アベ:本棚をいくつかの区画に分け、それを個人や団体に貸し出す形態の書店です。借りた人(棚主)はそこに自分が選んだ本を陳列し、販売することができます。吉祥寺にある「Book Mansion」の中西さんが発案したコンテンツで、「ブックスタジオ」を立ち上げる際にご協力いただきました。入会金のほか、1区画当たりの賃料は月額4000円ですが、現在のところ44区画中28区画が埋まっていますね。来月また一つ面白い本棚が生まれます。ちなみに、お店番は当番制で、その時々の棚主さんである“店主”と訪れた人の、本を介した交流を促進する狙いもあります。

ノミガワスタジオに設置されたブックスタジオ。なかには町田から来ている棚主さんもいるそう(写真提供/ノミガワスタジオ)

ノミガワスタジオに設置されたブックスタジオ。なかには町田から来ている棚主さんもいるそう(写真提供/ノミガワスタジオ)

――地域のコミュニケーションスペースとしての役割もあるんですね。

アベ:はい。ノミガワスタジオの目の前には小学校があるので、親子で立ち寄る方も多いです。最初は子どもが遊びに来て、後日に親御さんを連れてくるパターンとか。この場所で知り合いになる親御さんたちもいて、ご近所付き合いにも貢献しているのかなと思います。ちなみに、池上は寺町情緒が色濃く残り、昔ながらの住民が多く暮らすエリアですが、最近ではマンションも立ち新しい人たちも増えています。そんな新しい住民のみなさんが地域になじんだり、顔見知りをつくる場所としても役立てばうれしいです。親御さんたちからは「なんで、こんなことしているんですか?」と聞かれますけどね。

夕方には学校帰りの子どもや親が集う。親同士が「〇〇に行ってくるから、ちょっとだけ見てて~」と、互いに子どもを見守り合う光景も日常茶飯事なのだとか(写真撮影/松倉広治)

夕方には学校帰りの子どもや親が集う。親同士が「〇〇に行ってくるから、ちょっとだけ見てて~」と、互いに子どもを見守り合う光景も日常茶飯事なのだとか(写真撮影/松倉広治)

――ちなみに、なぜなんでしょう?

アベ:これには僕の幼少期の体験が大きく影響しています。僕は三重県で育ったのですが、両親の実家は大分県の別府で、夏休みや正月のたびに帰省していました。そのときに、別府には観光地ならではの「外から来た人に対して寛容で、温かい空気」が流れていると感じたんです。僕自身も、帰省中の短い生活のなかで地域の人にお世話を焼いてもらった思い出が、強く記憶に残っています。

例えば、気付いたら商店街でおばさんたちの井戸端会議に参加してたり、お呼ばれしてご飯をご馳走になったり、銭湯でタオルをお湯に入れておじさんに怒られたり。ペットが飼いたかった私に猫の散歩をさせてくれたり、近所の大人に声を掛けてもらうこともしばしば。何気ないことですが、早くに父を亡くした私には地域にいつも見守られている感覚があって、地域の人の寛容さがとても居心地がよかった。今思えば、普段暮らしている街以上に地域のつながりや人情が残っていて「人と人とのつながり」に、安心感を覚えていたんでしょうね。「袖振り合うも多生の縁」ですね。

――別府での生活を経験したから、なおさら良さがわかるわけですね。

アベ:そうですね、僕にとって別府の生活はとても心地よくて。感覚的に「家から半径2km以内にいる人たち」のことを知っていると、地域に精神的な居場所があると感じられ、居心地の良さにつながると思います。リラックスできる場所が家の中だけでなく、家の外にも拡張されるというか。ですから、池上に暮らす人もノミガワスタジオでの会話を通じて、そんな居心地のキャッチボールができたらと思っています。ちなみに、僕はこれを「半径2kmリビング化計画」と呼んでいます。家から半径2km圏内に会話のできる場所やあいさつできる人を複数つくり、日々を充実させていきませんか?という考え方です。

営業日は金・土曜日。下校時間はアベさんが子どもたちを見守っている。アベさんいわく「別府の経験があるからこそできる」活動とのこと(画像提供/ノミガワスタジオ)

営業日は金・土曜日。下校時間はアベさんが子どもたちを見守っている。アベさんいわく「別府の経験があるからこそできる」活動とのこと(画像提供/ノミガワスタジオ)

――ちなみに、「堤方4306」ではどんな動画を配信しているのでしょうか?

アベ:近年、メインに配信しているのは「池上放談」という地域の人へのインタビュー動画です。10年前くらいから「普通の人が一番面白い!」と思っていて、別府や自身の生い立ちから「この人は、どうしてこんな人に育ったのだろう…」と知りたくなったことをきっかけに始めたのがインタビューの配信でした。例えば、昨年に亡くなられた地域のおじいちゃんがいるのですが、生前にインタビュー配信に出ていただいたことがあるんです。すごく生き生きと自分の半生を語っていただき、お話を聞いている僕もうれしくなりました。そんなふうに普通の人の人生に触れることや、スイッチが入ったときの話を聞くことは単純に楽しいですし、それが「ご近所のあそこの店主」となれば会いに行きたくなったりもします。それだけでも地域の他のみなさんにとっても意義があると思うんです。

地域の人にインタビューする動画「池上放談」(画像提供/堤方4306)

地域の人にインタビューする動画「池上放談」(画像提供/堤方4306)

――どうしてですか?

アベ:インタビュー動画を見た人が自分の住む街や人のことを深く知れば、安心につながり、さらに居心地が良くなると思ったからです。居心地が良くなれば自然と笑顔になり、それが周囲にも伝播していく。そんなふうに笑顔の輪を広げ、自宅以外にもリラックスして暮らせるエリアを拡張していってほしい。そんな思いから始めました。私にとっては、ごく普通の感覚ですが、この安堵感を知らない人も多いのかなと。「半径2kmリビング化」がその人たちに伝わればいいなと思っています。

過去のインタビュー配信「お米やさんと釜飯屋さん」(画像提供/堤方4306)

過去のインタビュー配信「お米やさんと釜飯屋さん」(画像提供/堤方4306)

アベ:余談ですが以前、私が街の諸先輩たちに「街の昔話を聞かせてほしい」と、あるお店に伺いました。すると先代の80代くらいの方が「いやいや、私は語れない。そこのお店のご主人がちょうど良い」って言うんです。すると、今度は80代半ばの方が「いやいや、私もまだ若くて語れない。それならあそこの……」って言うんです。「いやいやいやいや、じゃあ、幾つになったら語るんですか!(笑)」と。とにかく、お話が聞きたかったです。

地域の人が「街」について語る機会を

――ノミガワスタジオでは他にも、地域の人や場所とコラボしたさまざまなイベント、プロジェクトも実施しているそうですね。これまでの事例を教えてください。

アベ:養源寺というお寺の本堂をお借りして、『まちの本屋』というドキュメンタリー映画の上映会を行いました。近年は「お寺をもっと開かれた場所にし、外に知ってもらうための努力も必要」と考えている住職さんもいらっしゃいます。そんなこともあり、本堂を使ったイベントに快くご協力いただけました。

本と街をテーマにした映画の上映会を行うことは、ブックスタジオの棚主さん同士が会話できる良い機会になるのではと思い、企画しました。今回は主に棚主さん向けでしたが、今度は一般の方も含めてまた『まちの本屋』の上映をしたいですね。

上映会の様子。上映当日は大小田直貴監督も来場するなど大成功に終わった(画像提供/ノミガワスタジオ)

上映会の様子。上映当日は大小田直貴監督も来場するなど大成功に終わった(画像提供/ノミガワスタジオ)

上映開始まで本堂の廊下でそよ風に和む至福の時間(画像提供/ノミガワスタジオ)

上映開始まで本堂の廊下でそよ風に和む至福の時間(画像提供/ノミガワスタジオ)

アベ:ゆくゆくは、こうした催し物ができるお寺をもっと増やしていき、「回遊イベント」のようなことがみんなでできればと思っています。近隣のお寺さんのなかには、地域の動きに協力して下さる人も増えている気がします。そのため、いろんなお寺の住職さんと仲良くなろうとしている最中です(笑)

――他にはどんなイベントを?

アベ:大田区と東急が推進するまちづくり協定の枠組み「池上エリアリノベーションプロジェクト」の一環で、2021年6月から11月末まで半年にわたって「温 THE TOWN」というイベントが行われていたのですが、これを個人的に引き継いで続けています。

「温 THE TOWN」は休業中の銭湯「久松温泉」の2階を活用し、落語のイベントやトークセッションなど文化的な交流や発信をするというもの。名前の通り“まちの体温を少し上げる”プロジェクト(画像提供/温 THE TOWN)

「温 THE TOWN」は休業中の銭湯「久松温泉」の2階を活用し、落語のイベントやトークセッションなど文化的な交流や発信をするというもの。名前の通り“まちの体温を少し上げる”プロジェクト(画像提供/温 THE TOWN)

アベ:とはいえ、予算がないので今のメインコンテンツは紙相撲なんですけどね(笑)。ただ、これが意外と大人も子どもも夢中になってくれるんですよ。銭湯になじみのない子どもや大人も遊びにきてくれて、「半径2kmリビング化計画」につながる接点が増えたかな。ちなみに、ノミガワスタジオキッズはみんな経験者ですし、今夏は近隣小学校の夏休み講座に土俵を持って出向きます。夢は巡業のように、他県での紙相撲ツアーをしたいですね(笑)

「温 THE TOWN」で行われた紙相撲大会の様子。小さな力士が大きく映し出され動くさまは意外にも迫力があるもの(画像提供/温 THE TOWN)

「温 THE TOWN」で行われた紙相撲大会の様子。小さな力士が大きく映し出され動くさまは意外にも迫力があるもの(画像提供/温 THE TOWN)

他には、今年度はスタッフとして「池上まちよみプロジェクト」に関わっています。昔の街の写真をもとに“地域のアーカイブ”をつくって、オンライン、オフラインで可視化する活動ですね。以前に地元のお年寄りと写真を見る機会があったのですが、「これはあそこじゃないか?」「これが今のあそこ」と、イキイキした様子でお話しくださるんですよ。そんなふうに、街の人が気軽に見に来て、街の歴史や現在について知ったり、思い出を語ったり、世代に関係なく雑談するきっかけになったらうれしいです。

「池上まちよみプロジェクト」で地域の方々と昔の街の写真や記事を眺める様子(画像提供/ノミガワスタジオ)

「池上まちよみプロジェクト」で地域の方々と昔の街の写真や記事を眺める様子(画像提供/ノミガワスタジオ)

目指すは落語に出てくる「ご隠居」

――池上は2019年から3年間にわたり「池上エリアリノベーションプロジェクト」が展開されるなど、積極的に活性化の取り組みが進められてきたエリアです。アベさん自身、街の盛り上がりや地域の人の変化を感じることはありますか?

アベ:もちろん感じますし、地元以外の人からも、池上は盛り上がっているように見えるみたいです。散歩をしていると、街ゆく人に「良いところですね」と声を掛けられたりしますからね。おそらく、以前にはなかった景色が生まれていて、街全体に楽しい雰囲気が漂っているのだと思います。

(写真撮影/松倉広治)

(写真撮影/松倉広治)

アベ:それに、以前からここに暮らしている住民の方も、街に対してこれまでにない可能性を感じているんじゃないでしょうか。ここにいれば「何か楽しそうなことが起こりそう」という期待感を持ってくれていると思うんです。僕らはそのムードを消さないよう、地域のみなさんと連携して、さらに盛り上げていかなければいけないですよね。ただ、頑張りすぎず、楽しみながら(笑)

――もっと多くの人を巻き込むには、何が必要でしょうか?

アベ:まずは「気軽さ」だと思います。まちづくりって面倒なことも多いですし、誰もが高いモチベーションを持ってコミットするのは難しいですよね。だから、運営側がそんなに頑張らなくても何となく「街を良くするのに役立っている」「居心地がいい」と思える。そんな参加ハードルの低い機会をみんなでつくれたらいいですね。

まちづくりって、色んなフェーズがあると思うのですが、極論何も特別なことをする必要はないと思うんです。特にここは寺町で心地のよい広い空間や緑も多く、お寺のメインストリートはすごく良い景色です。でもそれらは、檀家さんが支えてくれているものであって、街の人は享受しているだけです。だから、ちょっとでも何かできるとしたら自転車に小さいトングとゴミ袋を常備して、気付いたらゴミ拾いをするルーティンも面白いかなと思っています。

――それは誰にでもできるし、とても良いルーティンですね。

アベ:そう思います。きっと街への愛着が強ければ強いほど、綺麗な方がうれしいはずなんですよね。だって、自分の部屋にゴミが落ちていたら拾うし、タバコの吸い殻を床に捨てたりはしないじゃないですか。自分が住んでいる街のことも自分の部屋くらい愛着を持てるようになったら、心地よい状態を保とうとするはず。みんなが自然とそういう意識になるように、池上の良さを感じられる企画をこれからも考え、まわりと話していきたいですね。

池上の駅前商店街(画像提供/ノミガワスタジオ)

池上の駅前商店街(画像提供/ノミガワスタジオ)

――これから特に力を入れようとしていることは何ですか?

アベ:一つは、今以上に街の人に話を聞いて、動画配信を増やしていきたいです。普通に暮らしているだけだと、地域の人やそこで活動しているプレイヤーと知り合う機会ってなかなかないじゃないですか。だから、自分がそのパイプ役になれるような取材活動は続けていきたいですね。あとは、今目指しているのは「長屋のご隠居」ですかね。

――ご隠居?

アベ:そう、ご隠居さんです。落語に出てくる長屋のご隠居のところには、さまざまな相談事が舞い込みます。そして、それら一つひとつをお世話していく。僕も地域でそんな存在になれたらと思います。実際、こうしてスペースを構えていると、本当にいろんな相談を受けますからね。不動産屋じゃないのに物件探しの相談を受けたり、池上で商売をしたい人の話とか、最近は小学生の恋の悩み相談も。そもそも解決ではなく、言いたいだけなときもありますし(笑)。本当にいろいろありますよ。でも、そうやって何でも言ってきてくれることが本当にうれしいんです。これからも地域のご隠居として、この街と関わっていきたいですね。

●取材協力
ノミガワスタジオ
BOOK STUDIO

パリの暮らしとインテリア[15] 芸術を愛するパリジャンが猫と暮らす、アートと植物いっぱいの70平米アパルトマン

フランス・パリの北東19区には、市内最大級の緑地といわれる約25ha(東京ドーム約5.3個分)のビュット・ショーモン公園があります。ナポレオン3世の時代19世紀に造園された公園で、起伏に富んだレイアウトと高台からパリを一望する景観は、今もパリ市民を魅了してやみません。ここから徒歩10分ほどのアパルトマンに、ヨアン・メルロさんはパートナーのティエリーさん、愛猫フォアンと暮らしています。RMN-GP(フランス国立美術館連合)に勤務し、私生活ではアンティーク探しを楽しむヨアンさん。芸術を愛する彼の、個性的な70平米を訪ねました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

玄関を中庭側につくる! 思いがけない選択肢ヨアンさんの家のすぐそばにある憩いの公園「Square du Sergent Aurelie Salel」。周辺には借景の恩恵にあずかるアパルトマンが多く、これらの物件は人気が高く高額である(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ヨアンさんの家のすぐそばにある憩いの公園「Square du Sergent Aurelie Salel」。周辺には借景の恩恵にあずかるアパルトマンが多く、これらの物件は人気が高く高額である(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「このアパルトマンを購入して10年になります。地上階(日本でいう1階)の35平米と、地下の35平米、合わせて70平米の物件で、もともとはショップでした。それをロフト風に改装し、私たち好みの住まいにつくり替えて暮らしています」
と、緑いっぱいの玄関先で迎えてくれたヨアンさん。

ここは、通りに面した建物の後ろ側にある静かな中庭。集合住宅の共有スペースです。ヨアンさん宅は、住まいそのものは歩道に面した地上階ですが、玄関はいったん建物の中に入った中庭側にある、というアクセスです。なかなか個性的ですね。いったいどうやって見つけた物件なのだろう、と不思議になり聞くと、ティエリーさんが近所のカフェで元オーナーと出会ったことがきっかけなのだそう。まるでフランス映画のシナリオのようですが、思えば30年くらい前までは、部屋探しをしている人に「あそこのカフェで聞いてみるといいよ、あそこの親父はこの界隈のことならなんでも知っているから」と、パリジャンたちは言ったものでした。今では不動産会社をあたるのが一般的になったとはいえ、こんな出会いもまだ健在というのは心温まります。もしかすると、ティエリーさんは、コミュニケーション力のある方なのかもしれません。そしてヨアンさんも、引き寄せる力の持ち主なのかも。

ご近所さんからも好評のグリーンたち。朝はここにテーブルを出して朝食をとることも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ご近所さんからも好評のグリーンたち。朝はここにテーブルを出して朝食をとることも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

というのも、中庭に配された美しいグリーンのほとんどが、2人が道端で「保護した」ものだからです。

「植木鉢が25個もありますから、みんな『ここの住人はガーデニングが趣味だ』と思うようです。でも実は、ここにある植物の品種すら知らないのですよ。例えば一番大きく成長しているこの木、道端で見つけた時は乾ききって本当に助けが必要な状態でした。それがご覧ください、今では屋根を越えているでしょう。葉が大きくてきれいだね、と、いろんな人から品種を聞かれますが、そんなわけで答えられないのです」

パリの道端には古い家具や食器類が無造作に置いてあったりするものですが、観葉植物は珍しい! 道端で保護したり、友人から分けてもらったり、旅先から持ち帰ったり。そうして集まった名も知らない植物たちを、こんなに元気に育てられるとは驚きます。北向きながらも一日中柔らかい光で満たされた中庭は、カンカン照りにならず、植物にとってちょうどいい環境なのかもしれません。優しげに葉を揺らす植物に迎えられながら、ヨアンさんは玄関のドアを開けました。

物件の個性を活かして改装

「もともとは通りに面したドアが玄関でした。それを塞いで中庭側の元裏口を玄関にしたおかげで、プライベート感がぐっと高まりました。反対に、中庭に面した壁全体に一直線に続く窓をつくり、開放感を出しています。こうしたことで、ショップだった当時のロフト風の雰囲気を、効果的に活かすことができたと思います」

アトリエ風に水平一列につくった窓から、中庭の柔らかい光が差し込む。北向きの地上階とは思えない明るさ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アトリエ風に水平一列につくった窓から、中庭の柔らかい光が差し込む。北向きの地上階とは思えない明るさ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

玄関前は、愛猫フォアンのコーナーです。レジのあった一角は、箱のようなキッチンに。ダイニングコーナーに向かって開く窓をつけた、半オープンキッチンです。家の中に窓というのは意外ですが、この窓があるおかげで中庭からの自然光がキッチンの中まで届きます。装飾的な効果と実用性の、両方を兼ね備えた開口、というわけです。

コレクションのマグネットを貼り付けたドア。この一角が愛猫フォアンのコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

コレクションのマグネットを貼り付けたドア。この一角が愛猫フォアンのコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レジのあったボックス部分をキッチンに。ちょうどうまい具合に半分閉じ、半分空いているところが、結果的に使いやすいキッチンとなった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

レジのあったボックス部分をキッチンに。ちょうどうまい具合に半分閉じ、半分空いているところが、結果的に使いやすいキッチンとなった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ダイニングコーナーは、石造りの壁が印象的です。これは改装工事中に偶然見つけたオリジナルで、せっかくの持ち味を活かすために専門家に依頼し、漆喰(しっくい)で修復してもらったこだわりの作。

改装工事中に発見した19世紀の石造りの壁! 修復してインテリアに活かしたところは、ヨアンさんの審美眼の賜物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

改装工事中に発見した19世紀の石造りの壁! 修復してインテリアに活かしたところは、ヨアンさんの審美眼の賜物(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「そもそもの物件がクラシックなアパルトマンではありませんから、あえてこの物件らしいボヘミアンな雰囲気を活かしたい、それをインテリアのテーマにしよう、と思いました。ティエリーはここを初めて訪問したときから、地下へ下りる階段が気に入っていたのですよ」

リビングにニュッと飛び出た階段の柵を、規格外と捉えるか、魅力と認識するか。人それぞれのジャッジの分かれ道であり、物件との相性がものをいう部分だといえそうです。

空間を有効利用して、ものを厳選する

地下の35平米には、ベッドコーナーとドレッシングコーナー、書斎コーナーがあります。やはり地上階と同じで仕切りは設けず、ロフト風のレイアウト。地下なので窓はありませんが、スケルトン階段の開口のおかげで、思いのほか自然光が入ってきます。その階段下を書斎コーナーにしてデスクを置き、スペースを最大限に活用。

リビングから、地下の眺め。落ち着く色合いで統一したベッドまわりが、整然とした印象を与える(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングから、地下の眺め。落ち着く色合いで統一したベッドまわりが、整然とした印象を与える(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面全体に造り付けた本棚は、文字通り「用の美」。収納力抜群で、使い勝手もよい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面全体に造り付けた本棚は、文字通り「用の美」。収納力抜群で、使い勝手もよい(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「スペースの有効活用という点では、収納家具を使わずにドレッシングコーナーをつくったことも効果的でした。自分の持ち物に合わせて、一番下には靴、その上にTシャツ類、その上にはコートやスーツなどを掛け、さらにその上には帽子という具合に棚を組み、地厚なカーテンで覆っています。収納家具以上の収納力があって、しかも存在が邪魔になりません」

左側に見えるベージュのカーテンの後ろ側が、ヨアンさんこだわりのドレッシングコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

左側に見えるベージュのカーテンの後ろ側が、ヨアンさんこだわりのドレッシングコーナー(写真撮影/Manabu Matsunaga)

確かに、収納家具の存在感というのは威圧的なもの。それを置かずに、ベージュのカーテンの向こう側全てをドレッシングにする、という選択は、結果として空間全体をスッキリさせ、広く感じさせています。家具はどうしても凹凸がありますが、カーテンはペタリと平面になり、視界の邪魔にならないせいでしょう。

厳選されたものだけを置いた階段前の一角。どのオブジェにも、まるで最初からここに置くために選んだかのような、それぞれの居場所が感じられる。「オブジェ集めが好きな分、たくさん置きすぎないよう心がけているから」とヨアンさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

厳選されたものだけを置いた階段前の一角。どのオブジェにも、まるで最初からここに置くために選んだかのような、それぞれの居場所が感じられる。「オブジェ集めが好きな分、たくさん置きすぎないよう心がけているから」とヨアンさん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アートを身近に! パリならではのメリット

地上階と地下、元ショップだった70平米を大改装してつくった、ショーモン公園そばのスイートホーム。自分たちのライフスタイルに合った快適な住まいを完成させ、そこに暮らす喜びは、格別に違いありません。ところがそれだけでなく、なんとヨアンさんカップルは、ノルマンディーの海沿いにも一戸建てを所有しています。毎週木曜日から週末をノルマンディーで暮らし、週の始まりをパリで過ごす、行ったり来たりの生活を始めてもう5年とのこと。パリの住まいとノルマンディーとの距離は約200kmで、車や電車で大体2時間半で移動しているそうです。コロナ禍以前からリモートワークがメインだったからこそ、こんな贅沢も可能なわけですが、それならいっそノルマンディーに引越してしまっても良いのでは? この物件なら、いいお値段ですぐに買い手が決まりそうですし……。

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

ノルマンディーの家(写真提供/ヨアンさん)

「いえいえ、それはできません! ギャラリー巡りをしたり、エキシビションを見たり、そういうパリ暮らしが私には不可欠なのです。先日、興味本位で査定をしてもらったところ、10年前の購入時の5倍ほどの値段がついて驚きました。でもできるだけ、金銭的な必要に迫られない限りこの住まいは売らず、パリとノルマンディーを行き来する生活を続けたいのです。いざとなったら貸すこともできますから」

職業柄、そしてまた趣味や娯楽の面からも、芸術の都パリから切り離された生活は考えられないのでした。でもそれができるなら、それに越したことはありません!
そんなヨアンさんのインテリアは、もちろん、アートがいっぱいです。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス国立美術館工房が製造販売するフランソワ・ポンポンの複製もインテリアに登場(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス国立美術館工房が製造販売するフランソワ・ポンポンの複製もインテリアに登場(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ものとの出合いを楽しむ秘訣、実は……?

趣味はアンティーク探し、というヨアンさん。蚤の市を巡るのはもちろんのこと、オークションの「ドルオー」にも足を運びます。

「オークションと聞くとみんな高いものを想像しますが、実はものすごく安いものも出されるのです。この間は80ユーロ(約1万円)のテーブルを買いました。大きくて立派なテーブルなので、ノルマンディーの家で使っています。オークションには本当にいろんなものが出品されるので、細かくチェックするのがコツです」

蚤の市や、オークション「ドルオー」で入札したオブジェたち。時代を経た魅力あるオブジェを見つけるのがヨアンさんの長年のホビーである(写真撮影/Manabu Matsunaga)

蚤の市や、オークション「ドルオー」で入札したオブジェたち。時代を経た魅力あるオブジェを見つけるのがヨアンさんの長年のホビーである(写真撮影/Manabu Matsunaga)

幼いころから両親に連れられ、競売場(オークションハウス)に出かけていたヨアンさんには、オークションは特別なものではなく数ある買い物の手段の一つ。オークションを利用している人たちが口をそろえていうのは、特に面倒な手続きはないし、何よりも専門家が査定しているので品物や価格に間違いがなく安心、ということ。そう聞くと、一度くらいは体験したくなります。

「アンティーク以外には、友人からプレゼントされたものも多いです。みんな、私が集めているものを知っているので、ドアに貼るマグネットやらオブジェやらをよく贈ってくれます。ものを集めている割には整然としていますか? そうですね、確かにパリの住まいに置くものは厳選しています。そのかわり、ノルマンディーの家は集めたオブジェであふれかえっていますよ!」

フランス国立美術館工房の複製と、ヨアンさんのアンティークコレクション(写真撮影/Manabu Matsunaga)

フランス国立美術館工房の複製と、ヨアンさんのアンティークコレクション(写真撮影/Manabu Matsunaga)

友人がプレゼントしてくれた肘掛け椅子。ここに愛猫フォアンと座る時間は、ヨアンさんにとって最良のひととき(写真撮影/Manabu Matsunaga)

友人がプレゼントしてくれた肘掛け椅子。ここに愛猫フォアンと座る時間は、ヨアンさんにとって最良のひととき(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ティエリーさんがデザインして自作したテーブルも、オブジェのような美しさ! 日曜大工店で木とガラスを切ってもらい、自分で組み立てた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ティエリーさんがデザインして自作したテーブルも、オブジェのような美しさ! 日曜大工店で木とガラスを切ってもらい、自分で組み立てた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリとノルマンディー、二つの住まいを行き来する生活は、それぞれの良さを享受しながら暮らせるところがいい。ヨアンさんの話を聞きながら、そう思いました。一つの住まいに完璧を求めないで済む分、ストレスが少なく、それぞれの持ち味を冷静に見極めて、それらを十分に楽しめる気がするのです。人やものとの出会いも、そんな心の余裕があってこそでしょう。

ヨアンさんお気に入りのビストロ。人情味がたまらないそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ヨアンさんお気に入りのビストロ。人情味がたまらないそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

人気のパティスリー「ブノワ・カステル」もご近所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

人気のパティスリー「ブノワ・カステル」もご近所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

多くの人は、二つではなく一つの住まいに暮らしていると思います。自分が暮らしている住まいを、ヨアンさんになった気分で眺めることができたら、別の捉え方ができるかもしれません。不満やあら探しではなく、いいところを認めて、それをもっと謳歌したくなる。そんな気がします。

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
ヨアン・メルロさん
インスタグラム
フランス国立美術館工房

都市部で混雑率の高い路線・低い路線のランキングは? 2021年度の都市鉄道の混雑率調査結果が発表!

国土交通省では、毎年度通勤通学時間帯における鉄道の混雑状況を調査している。大都市圏での通勤電車といえば、ぎゅうぎゅう詰めで混雑状況はかなり厳しいものがあるが、2021年度はどうだったのだろうか?

【今週の住活トピック】
「都市鉄道の混雑率調査結果(令和3年度実績)」を公表/国土交通省

コロナ禍で三大都市圏の混雑率は大きく減少

まず、三大都市圏の混雑率の推移を見てみよう。いずれの圏域も混雑率は、1975年度は200%前後とかなり混雑していたが、1980年代、90年代まで徐々に下がっていき、2000年以降からはおおむね横ばいとなっていた。ところが、2020年度、2021年度では大幅に混雑率が下がった。

三大都市圏の混雑率の推移

注)混雑率:最混雑時間帯1時間の平均(主に令和3年10月~11月の1日又は複数日の乗車人員データを基に計算したもの)

これは明らかに、コロナ禍における人流抑制が要因だろう。リモートワークや時差出勤が推奨されたことで、混雑率は大きく引き下げられた。2021年度は微増となったが、今後も新型コロナ感染状況の影響を受けそうだ。

さて国土交通省では、混雑率の目安を示している。1975年度の200%というと、体がふれあい相当圧迫感がある状態だ。コロナ前の東京圏の163%では、新聞を広げて何とか読める程度だろう。それが、2021年度には104%~110%の範囲になったので、定員乗車(座席につくか、吊革につかまるか、ドア付近の柱につかまることができる)レベルになっている。これなら通勤時間帯でも苦にはならない混雑具合だろう。

混雑率の目安イラスト

混雑率の目安(出典:国土交通省「資料1:三大都市圏の主要区間の平均混雑率の推移(2021)」)

JR東日本の中央線(快速)は、混雑率が山手線より高く、埼京線より低かった

そうはいっても、筆者が利用する電車は、たまに通勤時間帯に乗車するとけっこう混雑している。もう少し詳しく見ていこう。

資料3「都市部の路線における最混雑区間の混雑率」の中で、筆者が使っている東京圏のJR東日本「中央線(快速)」を見ると、中野→新宿(7:41~8:41)で混雑率は120%になっている。主要区間の平均108%よりはかなり高くなっている。
注)主要区間:国土交通省において継続的に混雑率の統計をとっている区間等

かつてゲキ混みと言われた山手線なら、もっと混雑しているのではないかと思って見てみると、「山手線内回り」新大久保→新宿(7:39~8:39)で103%、「山手線外回り」上野→御徒町(7:40~8:40)で94%だった。なんと中央線(快速)は山手線を上回っていた。山手線はターミナル駅が多いので、乗客の入れ替えが多いことも影響しているかもしれない。上野-御徒町間については、2015年に「上野東京ライン」が開業して、宇都宮線・高崎線・常磐線が東京駅に直接乗り入れることで、山手線の混雑が解消された影響もあるだろう。

では、同じようにゲキ混みと言われる埼京線はどうだろう?「埼京線」板橋→池袋(7:51~8:51)は132%と中央線(快速)を上回っていた。もっと混雑している路線を見つけて、不謹慎ながらちょっと嬉しくなった。

都市部で混雑率の高い路線・低い路線ランキング

では、今回の調査で最も混雑率の高い路線はどこなのだろう?気になったので、混雑率の高い順に紹介しよう。

■混雑率の高い路線ランキング
※都市部の路線における最混雑区間の混雑率(2021)より

1位:144%
東京都交通局「日暮里・舎人ライナー」赤土小学校前→西日暮里(7:20~8:20)
2位:140%
西日本鉄道「貝塚線」名島→貝塚(7:30~8:30)
3位:137%
JR東日本「武蔵野線」東浦和→南浦和(7:05~8:05)
4位:132%
JR東日本「埼京線」板橋→池袋(7:51~8:51)
4位:132%
JR西日本「可部線」可部→広島(7:30~8:30)
6位:131%
都営地下鉄「三田線」西巣鴨→巣鴨(7:30~8:30)
7位:130%
JR東日本「信越線」新津→新潟(7:27~8:27)
8位:128%
東京メトロ「東西線」木場→門前仲町(7:50~8:50)
9位:127%
東京メトロ「日比谷線」三ノ輪→入谷(7:50~8:50)
9位:127%
横浜市交通局「4号線」日吉本町→日吉(7:15~8:15)

全体的に見ると、住宅地から都心に向かう乗換駅のところで混雑しているという印象だ。人口の多い東京圏の路線が多いのも特徴だろう。

となると、今度は混雑率の低い路線も気になってくるではないか。どんな路線だろう?

■混雑率の低い路線ランキング
※都市部の路線における最混雑区間の混雑率(2021)より

1位:14%
関東鉄道「竜ヶ崎線」竜ヶ崎→佐貫(7:00~8:00)
2位:23%
能勢電鉄「日生線」日生中央→山下(6:45~7:45)
3位:29%
東海交通事業「城北線」比良→小田井(7:40~8:40)
4位:31%
阪堺電気軌道「阪堺線」今船→今池(7:30~8:30)
5位:32%
山万「ユーカリが丘線」地区センター→ユーカリが丘(6:30~7:30)

さて、路線別の混雑率に注目して紹介してきたが、コロナ禍で混雑率が下がっているのが実態だ。となると、気になるのはポストコロナ。コロナ感染が落ち着いても、リモートワークがある程度継続すると見られているが、すべての人がリモートワークをできるわけではない。仕事柄、通勤せざるを得ない人も多いので、通勤時の混雑状況というのも、住まい選びには重視したい点だ。

●関連サイト
国土交通省「都市鉄道の混雑率調査結果を公表(令和3年度実績)」

コロナ、がん、認知症など重い社会課題に”太陽のアプローチ”を。「注文をまちがえる料理店」小国士朗さんが起こした『笑える革命』

世界にはさまざまな「社会課題」がありますが、そのほとんどはどこか重々しく、深刻な雰囲気をまとっています。そんな、ともすれば目を背けてしまいたくなる課題に対し、「笑って考える」という独特のアプローチで向き合う人がいます。

小国士朗さん。認知症の状態にある高齢者などがホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」をはじめ、社会課題をテーマにした話題のプロジェクトを数多く手掛けてきました。

「みんなで手を取り合って、にこにこ、へらへら、わっははと笑いながら革命をしたい」と語る小国さん。そんな「笑える革命」に取り組む理由や思いについて伺いました。

全ての企画には「原風景」がある

――小国さんはこれまで社会課題をテーマにしたさまざまなイベントやプロジェクトを手掛けていますが、最初に大きな話題を呼んだのはNHK在職時の2017年に企画した「注文をまちがえる料理店」でした。この企画は、どんな経緯で生まれたのでしょうか?

小国:企画の起点になったのは、2012年に『プロフェッショナル 仕事の流儀』というテレビ番組の取材で訪れた、とあるグループホームでの出来事でした。ロケの合間に入居者のおじいさん、おばあさんからお昼ご飯をご馳走になることがあったのですが、その日の食卓に出てきたのは事前に聞いていたハンバーグではなく餃子。でも、そんな“まちがい”を気にする人なんてそこには誰もいなくて、みんな美味しそうに餃子を食べている。そんな「風景」が強烈に印象に残ったんです。

小国士朗さん。株式会社小国士朗事務所 代表取締役/プロデューサー。2003年NHK入局。『プロフェッショナル 仕事の流儀』『クローズアップ現代』などのドキュメンタリー番組を中心に制作。その後、番組のプロモーションやブランディング、デジタル施策を企画立案する部署で、ディレクターなのに番組を作らない“一人広告代理店”的な働き方を始める。150万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」の他、個人的なプロジェクトとして、世界150カ国に配信された、認知症の人がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」なども手掛ける。2018年6月にNHKを退局し、現職。「deleteC」「丸の内15丁目プロジェクト」「Be Supporters!」など多数のプロジェクトに携わっている(写真撮影/片山貴博)

小国士朗さん。株式会社小国士朗事務所 代表取締役/プロデューサー。2003年NHK入局。『プロフェッショナル 仕事の流儀』『クローズアップ現代』などのドキュメンタリー番組を中心に制作。その後、番組のプロモーションやブランディング、デジタル施策を企画立案する部署で、ディレクターなのに番組を作らない“一人広告代理店”的な働き方を始める。150万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」の他、個人的なプロジェクトとして、世界150カ国に配信された、認知症の人がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」なども手掛ける。2018年6月にNHKを退局し、現職。「deleteC」「丸の内15丁目プロジェクト」「Be Supporters!」など多数のプロジェクトに携わっている(写真撮影/片山貴博)

小国:僕はそれまで、「間違いは指摘して正すのが当たり前」だと思っていました。でも、そうではなくて、その場にいるすべての人がそれを受け入れれば間違いではなくなるのだと気づいた。目からウロコが落ちると同時に、ふと“注文をまちがえる料理店”というワードと、そこで働くおじいさん、おばあさんの姿、間違えて運ばれてきた料理を笑いながら食べているお客さんの姿が浮かびました。

認知症の状態にある高齢者や若年性認知症の方がホールスタッフを務めるイベント型のレストラン「注文をまちがえる料理店」。オーダーや配膳を間違えても、それを一緒に笑い飛ばすおおらかな雰囲気に包まれている(画像提供/小国士朗さん)

認知症の状態にある高齢者や若年性認知症の方がホールスタッフを務めるイベント型のレストラン「注文をまちがえる料理店」。オーダーや配膳を間違えても、それを一緒に笑い飛ばすおおらかな雰囲気に包まれている(画像提供/小国士朗さん)

――小国さんの企画には、全てにそうした「原風景」があるそうですね。

小国:そうですね。これまでに携わってきた企画には全て、心を動かされた「原風景」があります。僕はただ、それをちょっとずらしたり、拡張しているだけなんです。

例えば、みんなの力でがんを治せる病気にすることを目指すプロジェクト「deleteC」も、とある原風景が企画の発端になっています。この企画はもともと、自身も乳がんを患っていた友人の中島ナオさんから「がんを治せる病気にしたい」と相談を受けたのが始まりでした。でも、そんなことを言われても正直、医者でも研究者でもない僕にできることなんて何もないと思っていたんです。

そんな時、ふとナオさんが見せてくれた一枚の名刺を見た瞬間に衝撃を受けました。

アメリカのがん専門病院に勤務する上野直人医師の名刺。「Cancer(がん)」の文字の部分に赤線が引かれている(画像提供/小国士朗さん)

アメリカのがん専門病院に勤務する上野直人医師の名刺。「Cancer(がん)」の文字の部分に赤線が引かれている(画像提供/小国士朗さん)

小国:その名刺は「Cancer(がん)」の文字の部分に赤線が引かれていました。僕はこれを見て感動するとともに、こんなアイデアが浮かびました。「世の中の商品やサービスの名前から“C”の文字を消して、それらの売上の一部を、がんの治療研究に寄付しよう」と。

つまり、この名刺を見た時に受けた衝撃が「deleteC」の原風景です。「Cancer」の文字を消した名刺に僕が心を動かされたように、コンビニで“C”が消えた商品を見た人が「何これ?」と前のめりになってくれるんじゃないかと。僕が感動した原風景を、企画を通して共有するようなイメージですね。

――その、共有できる「風景」がないと、企画はうまくいかないのでしょうか?

小国:必ずしもそうではないと思いますが、僕の場合は「風景」にものすごくこだわります。多くの人が参加したくなる企画や、社会全体に広がっていくようなプロジェクトには、本能的に体が動いてしまう要素があると思います。そして、そんな本能的な行動を呼び起こすのが、企画者自身が心を動かされた原風景です。それがないと、単に奇を衒(てら)ったコンセプトありきの、薄っぺらいものになってしまう気がするんです。

Cの文字を消したC.C.Lemon。この商品を買うと、売上の一部ががん治療の研究費用として寄付される(画像提供/小国士朗さん)

Cの文字を消したC.C.Lemon。この商品を買うと、売上の一部ががん治療の研究費用として寄付される(画像提供/小国士朗さん)

(画像提供/小国士朗さん)

(画像提供/小国士朗さん)

社会課題の解決には、北風よりも「太陽のアプローチ」で

――小国さんは著書『笑える革命』のなかで「北風ではなく、太陽のアプローチを心がける」と書いています。社会課題を取り上げる時、あるいは解決しようとする時に、なぜ「太陽のアプローチ」が必要なのでしょうか?

小国:NHKで社会課題を取材していた際、僕は基本的に北風的な番組づくりをしていました。つまり「このままだとヤバイですよ」「みなさん、このままでいいんですか?」といういわゆる不安訴求型のアプローチですね。もちろん、社会の大きな問題に気づいてもらうためには、こうしたド直球の伝え方も必要です。

『笑える革命』(光文社)(写真撮影/片山貴博)

『笑える革命』(光文社)(写真撮影/片山貴博)

でも、世の中がその課題に気づいた後もずっと北風を吹かせ続けていると、次第にそのテーマが顔を出しただけで目をそらしたくなってしまう。やっぱり北風がビュービュー吹いている谷には、そもそもみんな寄り付きませんから。だから、「課題解決」を目指すフェーズでは正攻法ではない「太陽のアプローチ」が必要なのだと思います。

――太陽のアプローチとは具体的にどのようなものですか?

小国:ワハハと笑いながら、思わず行動を起こしたくなるようなアプローチです。一見、暗くて重い社会課題とは似つかわしくないやり方ですね。

例えば、NHKの『テンゴちゃん』(2020年3月に放送終了)という番組で、2018年に放送した「8・15無念じいといっしょ」という企画は、まさに太陽的なアプローチだったと思います。長崎県で自身の被曝体験を次世代に語り継ぐ「語り部」の森口貢さん(当時82歳)が、VTuber(バーチャルユーチューバー)に扮して若者たちと語り合う、という企画です。

――82歳の語り部VTuverとは、かなりぶっとんだ企画ですね。

小国:森口さんはそれまでずっと、小中学校などで子どもたちに向けて戦争の悲惨さを伝える活動を続けてこられました。しかし、とある中学校で語り部をしていた際、そこにいた生徒数名から心無い暴言を吐かれることがあったんです。でも、森口さんはそこで「自分の伝え方が悪かったんだ」と反省し、どうすれば若い人にもっと伝わるのか、発信の仕方を試行錯誤していました。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

だったら、いっそのこと森口さんを当時流行りはじめていたVTuberにしちゃうのはどうだろうと、番組のメンバーが言い始めたんですね。82歳のおじいさんが戦争を語ると、中学生にとっては重すぎると感じてしまうかもしれない。でも、VTuberを通せば受け入れやすく、自分ごととして捉えてもらえるのではないかと考えました。結果、1時間の生放送の間に1万5000通の質問や便りが森口さん宛に届くなど、驚くほどの反響があったんです。森口さんが言っていること自体はいつもと変わらないのですが、見せ方、表現の仕方を変えるだけでこんなにも多くの人に届くのだと実感しましたね。

――そうした太陽のアプローチが広く社会の関心を呼び、「笑える革命」につながっていくと。ただ、こうした方法は“奇策”ととられ、快く思わない人も出てきそうですが。

小国:もちろん、僕もできることなら正攻法で届けたいと思います。正攻法で世の中に広がって人が動くなら、それが一番いい。でも、それだけでは届かないことをNHKのディレクター時代に思い知らされてきました。NHKでは『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』といった社会課題を取り上げる番組を制作していましたが、もともとその問題に関心がある人は見てくれるんです。でも、大きくコトを動かすためには「関心がない」あるいは「(その問題を)知らない」人たちに、いかに届けるかが重要だと思っていました。

――そして、そのためには北風的なアプローチだけでは限界があると。実際、小国さんが個人として初めて手掛けた「注文をまちがえる料理店」は、国内外で大きな反響を呼びましたよね。多くの人に「届いた」という実感はありましたか?

小国:そうですね、番組づくりでは全くなかった手応えを「注文をまちがえる料理店」で初めて感じることができました。SNSなどでの反響・熱量もすごかったし、国内外のメディアが撮影に来ました。“世の中がざわついている”という感覚があって、これが「届く」ということなんだなと。

(画像提供/小国士朗さん)

(画像提供/小国士朗さん)

(画像提供/小国士朗さん)

(画像提供/小国士朗さん)

特に、海外のメディアが関心を寄せてくれたのは、自分のなかで大きかったですね。なぜなら、日本って「課題先進国」と言われているわりに、国内に解決策が少ない気がしていたんです。僕が『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』をつくっていたときも、「課題」は国内でいくらでも取材できる。でも、「解決策」が国内になかなかないから、ノルウェーやオランダ、イギリス、アメリカの事例を取材するという状況が当たり前になっていました。それってヘンじゃないですか。課題先進国であるなら「解決先進国」であってもいいはずなのに、その答えを海外に求めるのは違うような気がしたんです。

そんなモヤモヤがあったなか、規模は小さいけれど自分が企画したプロジェクトに対し、海外メディアが関心を示して世界に発信してくれた。ノルウェーの公衆衛生協会の偉い方がが「これが高齢化社会の次のモデルだ」と言ってくれたりした。このことは素直に嬉しかったですね。

「当たり前」を営み続けられる社会であってほしい

――もともとはテレビ番組のディレクターだった小国さんが、こうした社会課題をテーマにした企画を手掛けるようになったきっかけを教えてください。

小国:番組ディレクターとしての仕事には、大きなやりがいを感じていました。でも、33歳の時に病気になり、医者から「(激務である)ディレクターの仕事を続けるのはおすすめしません」と言われてしまったんです。

当時は、自分の一番の武器を突然奪われてしまったように感じて落ち込みましたが、同時にどこかホッとしているところもありました。先ほども言いましたが、ディレクターの仕事は楽しかったものの、いくら良い番組をつくれても、それが思うように届かないジレンマがあった。本当に届けたい人に大切なテーマが届かないというモヤモヤを抱えたまま、長く番組づくりを続けているような状態でした。

そんな時に病気になり「これで、やっと“降りられる”」と思えました。そして、安堵すると同時に、これからは「番組をつくらないディレクターになろう」と考えるようになった。テレビというものにこだわらず、自分が大切だと思うことを届け切るために、あらゆる手段を探求していこうと。

――その「届けきりたいこと」とは、それまで番組づくりで取材してきたさまざまな社会課題だったのでしょうか?

小国:いえ、僕はそもそも社会課題そのものに関心がある人間ではありません。関心があるのは、「誰も見たことがない風景」や「誰も触れたことがない価値観」を形にして、多くの人に届けることです。そもそも“Tele-vision(テレビジョン)”という言葉の意味は「遠く離れた場所でのできごとを映す」ことですから。

社会課題というのは、当事者以外にとっては遠く離れた場所での出来事、つまり“Tele”ですよね。だから、それを映したい、届けたいと思うんです。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

――今は当事者ではなく「遠く離れた場所での出来事」のように思えても、いつかは自分がその問題に直面する時が来るかもしれません。すぐに何か具体的な行動を起こすことは難しくても、それについて日頃から考えておくのは大事なことですよね。

小国:そのためには、「日々の暮らし」と「社会の課題」を自然な形で結びつけることが大事だと思います。もちろん、「注文をまちがえる料理店」のように尖ったコンセプトのイベントを開催して、多くの人にそのテーマについて考えてもらうことにも意義はあるのですが、イベントというのは単発で終わってしまう。イベントをきっかけに認知症について関心を寄せてくれた人も、そのうち忘れてしまうかもしれません。

だからこそ、暮らしの中に社会課題にタッチできる接点をつくり、常にそのことについて身近に感じられるような状態にしていきたいんです。例えば、「deleteC」はコンビニやスーパーで「Cを消した商品」を買うだけで、がんの治療研究を少しだけ前に進めることができる。日々の買い物が、そのまま「がんを治せる病気にする」という社会の実現を後押しするわけです。

――そうした接点を数多く社会に実装していけば、みんなが普通に暮らしているだけで様々な社会課題を解決できるかもしれません。

小国:はい。そうなれば日本だけでも1億人ぶんのパワーが集まるわけですから、とてつもなく大きなインパクトを与えられるのではないでしょうか。

――では最後に、小国さんがこれから取り組んでみたいテーマがあれば教えてください。

小国:今は「当たり前を営む」ことに関心があります。というのも、今ってこれまで当たり前だったことが、当たり前じゃなくなっていると感じるんです。例えば、ウイルスによって当たり前のことができなくなったし、考えられないような戦争も起きてしまった。こうやって「当たり前が当たり前でなくなる」というのは、とても怖いことだと思います。

ひと箱50枚入りのマスクを55枚分の料金で販売する「おすそわけしマスク」。残りの5枚分は福祉現場に寄付(おすそわけ)される仕組み(写真提供/小国士朗さん)

ひと箱50枚入りのマスクを55枚分の料金で販売する「おすそわけしマスク」。残りの5枚分は福祉現場に寄付(おすそわけ)される仕組み(写真提供/小国士朗さん)

だって、本来は「認知症の人と共生できる社会をつくりましょう」も「気候変動をストップしましょう」も、当たり前のことですよね。でも、今はその当たり前を声高に叫ばなければいけないくらい、いろんなことが歪んでいたり、こんがらがっていたりする。同じように、「戦争なんてないほうがいい」という当たり前のことすら、いずれは当たり前に言えなくなる社会になってしまうかもしれません。

だからこそ、これからも多くの人が「当たり前」を営み続けられるよう、その尊さを実感できるような企画をやっていきたいですね。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

●取材協力
小国士朗さん

倉敷がいま若者に人気の理由。廃れない街並みの背景に地元建築家と名家・大原家の熱い郷土愛

江戸情緒あふれる町並みが魅力の観光地・岡山県倉敷。観光の中心地点となる美観地区を流れる倉敷川に沿って、江戸時代から残る木造の民家や蔵を改装したショップやカフェ、文化施設などが立ち並びます。空襲を免れたことで旧家が残り、観光資源として活用されている倉敷ですが、それだけではなく、印象派絵画のコレクションで知られる「大原美術館」や、工場跡をホテルにコンバージョンした「倉敷アイビースクエア」など、決して広くはないエリアに国内有数の観光施設が点在しています。
古い建物が残る地域は日本各地に見られる中で、倉敷にこれほど魅力的なスポットが集中する理由はどこにあるのでしょうか。
倉敷で生まれ育ち、すみずみまで知り尽くす建築家の楢村徹さんに、長年倉敷の古民家再生にかかわってきたからこそ見えてきたまちの魅力を伺いました。

倉敷の土台を築いた名士、大原家近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷はまちも人も恵まれた場所ですね。古いものが残っていて、常に新しいことを仕掛けていこうというエネルギーがある。一朝一夕ではない、時間をかけて育まれた文化が根付いています」
建築家として全国のまちを訪れてきた楢村さん。自身の出身地であることを差し引いても、倉敷は面白いまちだといいます。
伝統的な町並みの印象が強い倉敷のまちに対し「新しい」というワードも不思議な気がしましたが、確かに倉敷を代表する建造物は建設当時の最先端を行くものです。大原美術館に採用されているヨーロッパの古典建築を再現するデザインは、建築家の薬師寺主計がヨーロッパ各国の建築を学び設計したもの。文化の面でも欧米列強を追いかけていた当時の日本において、芸術の殿堂と古代ローマ建築をモチーフとするデザインとの組み合わせは、ここでしか見られないオリジナルなアイデアです。蔦で包まれた外壁が特徴のアイビースクエアも、産業遺産である工場をホテルに転用する、日本でも先駆け的なプロジェクトでした。

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

伝統を崩さず、新しさを採り入れる

さらに總一郎は、建築家の浦辺鎮太郎とともに市と連携して倉敷市民会館や倉敷市庁舎、倉敷公民館など市民の生活を支える施設を整備していきます。
大原美術館と並び倉敷観光の中心を成す倉敷アイビースクエアも、もともと倉敷紡績の工場だったものを浦辺の設計でコンバージョンして蘇らせた文化複合施設です。

「倉敷には江戸時代以来の商人のまちとしての歴史があって、時代ごとに築きあげてきたものが積み重なっていまの倉敷をつくっているんです。空襲にもあいませんでしたから。ドイツに中世につくられた道や建物がそのまま残っているローテンブルクというまちがあるんですが、總一郎さんが倉敷をドイツのローテンブルクのようなまちにしようと呼びかけた。そこからいろんな人たちが協力して古いまち並みを残してきた結果、一周遅れのトップランナーといった感じで注目されるようになってきた。いま我々がやっているのはそれを生かして新築ではできない魅力をさらに積み重ねていく、新しいエッセンスを加えて次の世代にわたしていくと、こういうことです」

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷は町家造りの建物が並んでいて、広場になるような場所がないんです。だけど建物の正面から一歩奥に入ると、細い路地がポケットパーク的に点在しています。日常的に使わないから物置として放置されていたりもするんですが、大きなテーマとして、そういった本来裏の空間である路地空間を表の空間として皆が入ってこられる場所にすることと、それらをつないでいくことでまちに奥行きをつくりだして歩いて散策できるまちにすること、このふたつに取り組んでいます」

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「もともと私は古民家が好きとか、古い建物が好きとかそういうわけでもないんです。新しいデザインを追求した結果、古民家がもっている歴史の積み重ねに新しい要素を加えることを考えました。若いころに読んでいたヨーロッパの建築雑誌には、石造りの古い建物をリノベーションした建築が載っていて、これが非常にモダンで格好良いんです。そういうものを見て、自分もやってやろうというモチベーションでしたから、一番新しいデザインだと思ってやっています。長い年月を朽ちることなく耐え抜いてきた古民家に使われているのは、選びぬかれた本物の材料です。いまでは手にはいらないような貴重な材料でつくられているから、時間が経っても古びない、むしろ味わいが増していく魅力があると思います」

いいものをつくることが、保存への近道

楢村さんは建築家として独立した30年以上前に同世代の建築家たちと「古民家再生工房」を立ち上げ、全国の古民家を改修する活動を続けてきました。当時はバブル真っ只中。建築業界では次々に建て変わる建物の更新スピードと並走するように、目まぐるしくデザインの傾向が変わっていきました。そんななか、地道に古民家の改修を続ける楢村さんたちの活動はどのように受け止められたのでしょうか。

「建築の設計に携わっている専門家ほど、『お前らそんな仕事しかないのか』と見向きもしない傾向はありました。でも建物を建てるのは一般の人なんだから、専門家からどう言われようが自分たちが信じたことをやっていけば良いとは思っていました。
地元のメディアに働きかけてテレビやラジオ、雑誌に取り上げてもらったり、講演会や展覧会を自分たちでずっと継続してきて、一般の人たちに建築デザインの魅力や古民家再生の良さを知ってもらおうと活動してきました。
それまでは古民家というと保存する対象で、古い建物を東京の偉い先生が見に来てこれは残すべきだとか、大切に使ってほしいとかそういうことを言ってきたわけです。でも建物の持ち主からすれば、歴史的な価値がどうとか言われてもよくわからないですよね。
それを我々はアカデミックな見方ではなくて、現代の目で見て良いデザインに生まれ変わらせようという視点で設計してきたから受け入れられたんだと思います。若い人たちがここに住みたいと思うようなものにしてしまえば、保存してほしいなんて言わなくても使い続けてもらえるわけですからね」

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「そんなことを十年以上やっていたら、倉敷で中心市街地の活性化事業がスタートしたときに声をかけてもらって。もう十五年以上、倉敷の町家再生に携わっています。といっても単に建物を改修するだけではダメで、そこをどんな場所にするのか、お店をやるならどんな内容にするのかとか、どうしたらちゃんと事業として回っていくのかとか、中身のことも一緒に考えていくから設計の仕事は全体の3割位ですね。
なにかお店を入れようと思ったら周りとの調整も必要だし、1つの建物を生まれ変わらせるのに4、5年かかるのが普通です。その間はお金にもならないし、思うようにいかないことばかりで大変ですが、誰かがやらなくちゃいけないことですから。本当はなにも描いていないまっさらな白紙に、倉敷がこんなまちになったら良いななんてイメージを描いていくのが一番楽しいんですが、実現しないとなんの意味もない。思い描いたうちの8割でも7割でも、かたちにして次につないでいくことが、我々がいますべきことだと思っています」

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「理想は観光客に対してではなく、倉敷に住む人にとって良いまちにしていくこと、その結果、外の人が来ても楽しめるまちになるといいなと思ってやってきました。最近は若い人たちが倉敷のまちづくりに関わるようになってきています。私の事務所から独立して町家の改修をやっている人もいるし、頑張って新築をつくっている人も。
そうやって若い人たちが集まってきて、やりたいことを実現できる土壌があって、それがちゃんと経済的にも成り立つだけのポテンシャルがある。これまで倉敷が積み重ねてきた文化の地層に、新しい要素を付け加えながら、次の倉敷をつくっていってほしいですね」

●取材協力
楢村徹さん

ドラマ『魔法のリノベ』放送開始! リノベーション理解や事業者選びのヒントにも

7月から「魔法のリノベ」というテレビドラマがスタートした。リノベとはリノベーションのこと。住宅関連のテーマのドラマなので、さっそく視聴した。住宅の間取りや製品などが多く登場するのだが、住宅建材・設備機器メーカーの企業LIXILが製品をドラマの撮影セットに提供しているという。で、ドラマはと言うと……。

【今週の住活トピック】
システムキッチンや水栓、サッシ、インテリアなどLIXIL製品をドラマ撮影セットに美術協力/LIXIL

テレビドラマ「魔法のリノベ」放送スタート!

関西テレビの「魔法のリノベ」サイトを見ると、「人生こじらせ凸凹営業コンビが、“住宅リノベ”で家や依頼人の心に潜む魔物をスカッと退治!」とある。どうやら、住宅のリノベーションを通じて、依頼した家族の人生のリノベーションまでしてしまうことが、「魔法のリノベ」という意味らしい。

原作は星崎真紀さんの漫画だ。筆者は漫画を拝読していないので、放送されたテレビドラマでしか、その内容を把握できていない。初回は、波瑠さん演じる真行寺小梅が、間宮祥太朗さん演じる福山玄之介が営業を務める『まるふく工務店』に転職してくる下りが描かれ、中山美穂さんと寺脇康文さんが演じる夫婦の古い家をリノベする…という展開だった。

LIXILによると、このドラマの「1階 まるふく工務店」と「2階 玄之介の部屋」に、システムキッチンや水栓、サッシ、インテリアなどの製品を美術協力しているという。

玄之介の部屋(出典/LIXILニュースルームより)

玄之介の部屋(出典/LIXILニュースルームより)

玄之介の部屋のリビングで、小梅が登山用の寝袋にくるまって寝ていて、芋虫状態で子どもに発見されるというシーンがあった。工務店の2階というからには、それなりの設備機器が設置されていて当然だろう。LIXILでは、最新のシステムキッチンやキッチン・リビング収納、非接触で吐水/止水ができるタッチレス水栓、ハイブリッド窓、内装壁機能タイル、インテリア建材などを美術協力していているという。

美術協力しているLIXILの製品(出典/LIXILニュースルームより)

美術協力しているLIXILの製品(出典/LIXILニュースルームより)

住宅のリノベーションとはなんだ?

今ではよく使われる用語になっている「住宅のリノベーション」だが、実は正式な定義はない。

一般的に住宅業界では、リフォームは経年劣化した部分を建築当時の水準に戻す改修工事のこと。リノベーションとは、キッチンなどの設備の交換や間取りの変更などの大規模な改修工事だけでなく、いまの生活を快適にするレベルに住宅の性能を引き上げることも含んでいる。たとえば、第1話で中山美穂さんの実家をリノベーションする際に、キッチンの交換や間取りの変更に加えて、古い家なので耐震性も引き上げようという話が出ていた。耐震基準なども年代によって変わってくるので、いまの基準に引き上げることが安全性確保のために大切だからだ。

リノベーション業界の団体である(一社)リノベーション協議会のホームページを見ると、リノベーションを次のように定義している。

「リノベーションとは、中古住宅に対して、機能・価値の再生のための改修、その家での暮らし全体に対処した、包括的な改修を行うこと。例えば、水・電気・ガスなどのライフラインや構造躯体の性能を必要に応じて更新・改修したり、ライフスタイルに合わせて間取りや内外装を刷新すること」

この定義について、リノベーション協議会の会長である内山博文さんに話を聞いた。
この定義は10年以上も前、協議会を立ち上げる時に決めたもので、当時はリフォームとリノベーションの違いもあいまいだった、という。包括的な改修としたのは、住宅の機能改修というハード面だけでなく、そこに住む利用者のソフト面も含めて、住宅の価値を上げていこうという考えだった。

10年以上経ったいまでは、世の中にリノベーションがポジティブに受け取られて、今住んでいる住宅をリノベーションするだけでなく、中古住宅を買ってリノベーションをして住むという選択肢も一般的になってきた。リノベーションが、新築という規制の枠にはまらない、自分らしい暮らしをデザインするのに最適な方法だと気づいたからだろうと、内山さんは見ている。

リノベーションで魔法はかけられる?

さて、ドラマタイトルに「魔法の」という修飾語がついているが、「リノベーションで魔法はかけられるか?」と内山さんに聞いてみた。「事業者もいろいろあるので、すべての事業者に当てはまるとは思わないが」という前置きはあったが、「生活者の目線で一緒に課題を解決できる事業者が増えてきたと思っている」と、会長らしい視点のコメント。生活者の希望を超えるものを提案できる、ある意味で魔法が使える事業者も数多くいるということだろう。

第2話では、夫婦別寝室プランを夫婦それぞれで希望するが、希望している理由に加えて、夫婦の関係性を読み取ってプランを提案していた。生活者と同じ目線で課題を解決してこその提案だ。

最後に、「このドラマに、どんなことを期待しているか?」と聞いた。内山さんは「ドラマは、2社のリノベーション事業者が競争する展開となっているので、どういう会社を選んだらよいかということが、視聴者に伝えられることに期待している」という。

ドラマでは、事業者側の都合を上手に隠して顧客に提案するライバル会社と、生活者目線で提案する小梅たちの会社が競争をする形になっている。実際に、リノベーションをやるという事業者は多いが、事業者の提案はそれぞれ異なる。当初の玄之介の営業のように、顧客の希望条件をそのまま図面にする提案もあれば、小梅のように生活者の代わりに課題を解決する提案もある。なかには、顧客の希望を無視した事業者側の都合による提案もあるかもしれない。

建築の専門知識のない一般の消費者には、その違いがわかりにくいだろう。となると、各社から見積もりを取った結果、工事費用の金額だけに目が行きがちということも。ドラマ効果で、提案内容をしっかり見極めるということが一般的になって、自宅での暮らしの価値を上げるようなリノベーションが実現することを、筆者も大いに期待している。

●関連サイト
ドラマ「魔法のリノベ」ホームページ
LIXILニュースルーム「7月スタートのカンテレ・フジテレビ系月10ドラマ「魔法のリノベ」 番組枠内で“夏の断熱リフォーム”を訴求するインフォマーシャルを放映開始」

マンションも木造の時代に! 耐震性や遮音など住みごこち満足度98%のお墨付き 「MOCXION INAGI」東京都稲城市

法律の改正により国土交通省が民間での木材活用を推進したこともあり、2021年から木造ビルが各地に誕生し、今、かつてないほど「木造建築」に注目が集まっています。なかでも、2021 年に完成した「MOCXION INAGI(以下、モクシオン稲城)」(三井ホーム)は木造マンションの幕開けを象徴するような建物です。入居者の実際の住み心地や満足度、マンションの性能、今後どのように普及していくかについて紹介します。

遮音、耐震性もバッチリ! 入居者の98%が住み心地に満足と回答

高層ビルやマンションは珍しいものではありませんが、その多くはコンクリートと鉄骨鉄筋で、構造でいうと、鉄筋コンクリート(RC造)や、鉄骨鉄筋コンクリート(SRC造)にあたります。だからこそ、記事冒頭のように一見よくある新築マンションが「木造なんだよ」と言われたら、多くの人は驚くのではないでしょうか。

「木造マンション」という新しいカテゴリーを生み出した「モクシオン稲城」一見、よくあるマンションですが、実は「木造」なんです(写真撮影/片山貴博)

「木造マンション」という新しいカテゴリーを生み出した「モクシオン稲城」一見、よくあるマンションですが、実は「木造」なんです(写真撮影/片山貴博)

そんな驚くような木造マンション「モクシオン稲城」が2021年11月、東京都稲城市に完成しました。総戸数は51戸、間取りは2LDK~3LDK、専有面積は50平米~96平米で、シングルからディンクス、子どものいる世帯が暮らしています。1階はRC(鉄筋コンクリート)造で、2~5階に木造枠組壁工法を採用しています。賃料は稲城駅の周辺物件の相場よりも高額な設定でありながらも、見学した人の約7割が入居を申し込みたい(内覧即申し込み含む)と回答し、募集開始後約1カ月で満室になるほどの人気物件です。

エントランスの上部にも木をあしらっています。木ってやっぱりカッコいい(写真撮影/片山貴博)

エントランスの上部にも木をあしらっています。木ってやっぱりカッコいい(写真撮影/片山貴博)

木造の建物というと、音や耐火性、耐震性などが心配という人もいるかもしれませんが、住み心地はどうなのでしょうか。

「入居から4カ月が経過した今春、アンケートをしましたが、入居している47世帯からの回答のうち98%もの人が満足と回答してくださっています」と話すのはこのプロジェクトの推進責任者の依田明史(よだあけし・三井ホーム)さん。では、どのような点に魅力を感じているのでしょうか。

「入居開始が12月だったので、入居者のみなさんは冬をマンションで過ごされたわけですが、断熱性にすぐれ、結露が少なくて快適、天井高や断熱、遮音といった点で高く評価していただいています。耐震性でいうと、3月には東京都で震度4の地震が発生しましたが、その際も揺れてモノが落ちるなどもなく、コンクリートのマンションに住んでいたときと体感はまったく変わらなかったとのコメントも聞きました」(依田さん)

「木造」マンションを推進した依田さん。完成するまでは「木造でしょ」と言われることが多く、悔しい思いをしたことも(写真撮影/片山貴博)

「木造」マンションを推進した依田さん。完成するまでは「木造でしょ」と言われることが多く、悔しい思いをしたことも(写真撮影/片山貴博)

見学のきっかけは、「木造マンションに興味」「脱炭素に貢献」

木造建築物をめぐる法改正などの背景はSUUMOジャーナルでもお伝えしてきましたが、そうはいっても、「一戸建てではない木造建築に住みたい!」と意欲的な人は実はまだごく少数なのではないでしょうか。そもそも、入居者のみなさんは、「木造マンション」のどのあたりに魅力を感じて、見学にいらっしゃったのでしょう。

「見学者のみなさんに来場のきっかけのアンケートをしたのですが、『木造マンションに興味があった』が2位、『木造マンションは地球環境にやさしく脱炭素に貢献』が6位となっていました。実はこの『脱炭素に貢献』というのは、マーケットにおける環境意識の変化を知りたくて手探りで選択肢に入れたのですが、驚くほど上位に来ていました。私たちが思っている以上に、環境意識が高まっているのだと思います」と依田さんは分析します。

回答数89、複数回答可

回答数89、複数回答可

近隣エリアからの見学者は当然のことながら多かったそうですが、東京都品川区や文京区といった都心部からの住み替えもあったといい、いかに木造マンションが注目されていたかがわかります。

「コロナ禍で、多くの企業でテレワークが導入されたことで、郊外で少し広め、質のよい建物に住みたいという需要をくみ取れたと思います。室内の広さを確保したい、地球環境意識の高まりなど、まさに時代の流れにあった建物が完成したと思っています」(依田さん)

エントランスホールには木をふんだんにあしらった和モダンな雰囲気に(写真撮影/片山貴博)

エントランスホールには木をふんだんにあしらった和モダンな雰囲気に(写真撮影/片山貴博)

廊下は建物に内包された「内廊下方式」に。高級感があっていいですよね(写真撮影/片山貴博)

廊下は建物に内包された「内廊下方式」に。高級感があっていいですよね(写真撮影/片山貴博)

部屋番号も木製。こういう遊び心のある造りも心躍ります(写真撮影/片山貴博)

部屋番号も木製。こういう遊び心のある造りも心躍ります(写真撮影/片山貴博)

1階のモデルルーム。木造マンションへの関心は高く、デベロッパー、不動産会社、金融機関など見学希望が絶えないそう(写真撮影/片山貴博)

1階のモデルルーム。木造マンションへの関心は高く、デベロッパー、不動産会社、金融機関など見学希望が絶えないそう(写真撮影/片山貴博)

5階のモデルルーム。最上階ですが表面に木材を使って仕上げています(写真撮影/片山貴博)

5階のモデルルーム。最上階ですが表面に木材を使って仕上げています(写真撮影/片山貴博)

テレワークを想定した部屋。コロナ禍のテレワーク需要に応える結果に(写真撮影/片山貴博)

テレワークを想定した部屋。コロナ禍のテレワーク需要に応える結果に(写真撮影/片山貴博)

RC造(写真左)には柱や梁(はり)のでっぱりがありますが、木造(写真右)は壁面工法のため梁のでっぱりがなく、部屋がより広く、のびやかな空間になるのがおわかりいただけますでしょうか(写真撮影/片山貴博)

RC造(写真左)には柱や梁(はり)のでっぱりがありますが、木造(写真右)は壁面工法のため梁のでっぱりがなく、部屋がより広く、のびやかな空間になるのがおわかりいただけますでしょうか(写真撮影/片山貴博)

写真を見ていただくとわかると思いますが、エントランスや内廊下、キッチン、リビングなど、随所に木が使われていて、一般的な賃貸物件のデザイン・仕様とは一味違います。

建物をつくる、住む、解体する。すべてのステップで環境負荷を軽減

木造建築の強みとして(1)快適で住み心地がよい、(2)断熱性にすぐれる、(3)軽量で施工性にすぐれるが挙げられますが、それだけではありません。

「『木』で建物をつくるということは、S(鉄骨)造、RC(鉄筋コンクリート)造、SRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造と違い、二酸化炭素を大気中に戻さないわけですから、この建物で炭素を数十年間貯蔵しているわけです。この建物だと約736.4トン、貯蔵している計算になり、これは樹齢35年の杉の木に換算すると約3,000本に相当します。また、建築にかかる二酸化炭素排出量はRC造の半分程度で、将来、解体するときも二酸化炭素の排出量が抑えられるでしょうし、解体後も木材なら再利用も可能です」と依田さん。

コンクリートは二酸化炭素を吸収してくれませんが、木は二酸化炭素を吸収して大きくなります。木材を使っている住まいだとそれだけで「二酸化炭素を貯蔵している」というのは、新しい発見です。また、冒頭に挙げたとおり、(2)木材は断熱性にすぐれているという特性を活かし、省エネルギー集合住宅の証である「ZEH-M oriented(ゼッチ・エム・オリエンテッド)」の認証を取得。住んでいる人から見ると、真夏の冷房、真冬の暖房使用量が少なくて済み、より省エネルギーになるというわけです。よく、“つくる責任、使う責任”といわれますが、トータルで見ても環境性能にすぐれる木造建築は、非常に時代に合った建物といえそうです。

中層建築・大型建築を可能にした高強度耐力壁「MOCX wall」(写真撮影/片山貴博)

中層建築・大型建築を可能にした高強度耐力壁「MOCX wall」(写真撮影/片山貴博)

モデルルームでは生活音を再現し、音の伝わり方を体験できて、遮音性の高さに驚くはず(写真撮影/片山貴博)

モデルルームでは生活音を再現し、音の伝わり方を体験できて、遮音性の高さに驚くはず(写真撮影/片山貴博)

木材に加えて、構造的にも高気密・高断熱とすることで、住宅性能評価の「断熱等性能等級4」「一次エネルギー消費量等級5」を取得(写真撮影/片山貴博)

木材に加えて、構造的にも高気密・高断熱とすることで、住宅性能評価の「断熱等性能等級4」「一次エネルギー消費量等級5」を取得(写真撮影/片山貴博)

課題は部資材や人材確保。「木造マンション」を当たり前の時代に

実は木造マンション、環境負荷が低いだけでなく、工期を短縮できることから、RC造と比較して「建築費が安く、工期も早い」という利点もあったそうですが、昨今のウッドショックの影響と世界情勢による建築費の高騰から「安くて早い」とは断言しにくくなったとのこと。

「住宅建材全般の急激な値上がりが激しいのと、工事を実施する土地の周辺事情により建築費と工期は違ってきます」と依田さん。

もう一つ、今まで木造住宅の普及のネックになってきたのがとポータルサイトでの「ジャンル」です。

「一般的にはアパートよりマンションの方が価値が高いと認識されています。しかし、今まで弊社でどんなによい木造賃貸住宅をつくっても、SUUMOほか、ポータルサイトでは規約によりマンションで募集登録できませんでしたし、同業他社からは『木造アパートはマンションでないため経年すると価値が下がり入居者募集に苦労しますよ』と言われてきました。どんなにいい木造建築をつくっても評価されないのだと、悔しい思いをしてきたんです。今回、一定の要件のもと、木造住宅でも『マンション』として募集できるようになりました。さらに、プロ投資家に向けて、住宅性能評価書と投資判断に重要とされるエンジニアリングレポートを取得することで、木造でもRC(鉄筋コンクリート)造と同等の減価償却期間47年が可能となることを証明し、木造建物に投資する門戸を広げました」(依田さん)

今後の課題は、木材の確保、部資材の調達、施工監理などの人材育成だといいます。
「普及を考えたときの木材や、木造マンションに合った建材、部資材の確保は課題といえるでしょう。あわせて施工してくれる人材は必要不可欠なので、その点を解決していきたいですね。これは私の後輩の役割となると思いますが、RC造と同様に、木造マンションが当たり前の選択肢として世の中に広まっていったら、と願っています」(依田さん)

「同潤会アパート」や「霞が関ビルディング」のように、時代の転換点を象徴するような「建築物」がありますが、後世から振り返ってみたとき、「モクシオン稲城」もそのような存在になるのかもしれません。

●取材協力
モクシオン稲城

いくえみ綾らレジェンド漫画家12名、名作を生んだ住まい秘話にときめきが止まらない!『少女漫画家「家」の履歴書』

青池保子、一条ゆかり、庄司陽子、山岸凉子、美内すずえ、いくえみ綾といった少女漫画家の名前を聞いて、「なつかしい!」「夢中で読んだ!」と思う人は多いはず。そんな少女漫画家たちに、住まいを軸に半生を語ってもらったのが『少女漫画家「家」の履歴書』(文藝春秋、週刊文春編)です。レジェンド少女漫画家への取材時のエピソードなど、本が完成するまでの舞台裏を文春新書編集部に聞きました。

庄司陽子先生からの直電も! 読者からも熱いお便りが届く

才能あふれる若き漫画家たちが次々と登場し、少女漫画界に新しい風を吹き込んでいた1970年代。『少女漫画家「家」の履歴書』(文藝春秋、週刊文春編)は、そんな70年代にデビューした少女漫画家の半生と住まいを振り返る一冊です。もともとは、2004年から2021年の「週刊文春」に掲載されたものでしたが、この春、新書になって刊行となりました。少女漫画を読んで大きくなった筆者としては、すぐに飛びついてしまいましたが、同じような人は多かったようです。

表紙・裏表紙には不朽の名作12冊の書影が並ぶ『少女漫画家「家」の履歴書』(文藝春秋、週刊文春編)

表紙・裏表紙には不朽の名作12冊の書影が並ぶ『少女漫画家「家」の履歴書』(文藝春秋、週刊文春編)(画像提供/文春新書編集部)

「発売前から書店員さんを中心に『水野英子、青池保子、一条ゆかり、美内すずえ、庄司陽子、山岸凉子、木原敏江、有吉京子、くらもちふさこ、魔夜峰央、池野恋、いくえみ綾と名前が並んでいるだけでワクワクする』とSNSで話題にしていただきましたが、発売後も読者がどんどん書影とともに感想を紹介してくれ、口コミが広がっていくのを実感しました」と話すのは編集を担当した文春新書編集部・池内真由さん。

実際、編集部には3枚以上にわたる長文の手紙が届くこともあるそうで、少女漫画を心の支えにしていた人はたくさんいるようです。しかも本書の発売後には、なんと庄司陽子先生から直接、池内さんにお電話がかかってきたそう。

「1度目は電話をとれず、2度目に『知らない番号だな……』とおそるおそる出てみたら『庄司陽子です』と! にわかに信じられなくて、先生には申し訳ないのですが、お名前を聞き直してしまいました(笑)。『大変いい思い出になりました。どうもありがとう』と仰ってくださって。私にとってはレジェンドの先生が、ただただ感謝を伝えるためだけに電話をしてくださったことに感動してしまいました。それが自分にとっては一番の『反響』かもしれません」

なんでしょう、そのエピソードだけで、なんだか胸がいっぱいになります。

(画像提供/文春新書編集部)

(画像提供/文春新書編集部)

取材OKがもらえるのは3人に1人! 鮮明な記憶に仰天!

それにしても、掲載されている少女漫画家の先生方は大御所のみなさまばかり。取材交渉も大変なのではないでしょうか。

「『家』というプライベートな話を扱うので、漫画家に限らず3人に依頼してようやく1人に受けていただけるかという企画なんです。何人もの編集者が関わっているので、それぞれ取材を快諾してもらうまでの難しさはあったと思います。残念ながら私は雑誌連載時の取材には同行していないのですが、取材をしてみると、さすが漫画家の先生方は記憶力バツグンで、次から次へと映像的なイメージが浮かぶように話してくださったと聞いています。一流の漫画家はこんなにも映像的な記憶力が優れているのかと思うほどだったと。青池保子先生はあらかじめ大きな方眼紙に手ずからご生家の間取り図を描いてくださって、担当編集者は家宝にしているそうです(笑)」

(画像提供/文春新書編集部、(c)市川興一)

(画像提供/文春新書編集部、(c)市川興一)

やはり絵を扱うプロだけあって、間取りや住まいへの解像度、理解度は並外れたものがあるようです。インタビューで衝撃を受けたのは、凉子先生。なんとエプロン姿で表れたといいます。

「山岸先生といえば“天才肌”で“知的”で“クール”。先生の描く『青青の時代』の日女子(卑弥呼)や『馬屋古女王』のようなミステリアスで威厳のある女性の姿を想像していました。ただ、実際には白を基調としたモダンな建築のお家の玄関に、エプロン姿で出迎えてくださって。自らセレクトした美味しいケーキと紅茶を振る舞っていただき、誌面に載せきれないほどの怪奇現象をお伺いしました。特に、幼少期に育った北海道の社宅や初めて建てた洋館での怪奇現象が本当に怖かったです」

(画像提供/文春新書編集部、(c)市川興一)

(画像提供/文春新書編集部、(c)市川興一)

作品さながらの怪奇現象を聞けるなんて、うらやましい……。ただ、エプロン姿でありながらも、同時代を生きる人たちのはるか先を見据えているような雰囲気があり、まるで“生きている厩戸皇子”だと思ったそう。

一輪のバラにすら書き手の表現力があらわれる

本書は表紙だけでなく、随所にバラがあしらわれているのも特徴的です。そうですよね、1970年代の少女漫画といえばバラです。かたい中身が多い新書の装丁では、少し珍しい印象です。

「たくさんの編集者の漫画愛が詰まってできた一冊なので、それが無事に届くようにと思っていました。文藝春秋社の新書の読者層はどちらかというと男性が多いので、少女漫画を読んできた女性は少ないのではないかと思っていたからです。そこで、70年代を想起させるようなバラで表紙を飾ろうと当初から思っていたのですが、たった一輪のバラでも、無料のイラストでは全然70年代の雰囲気が出ないんですよ」(池内さん)

そこで、バラのイラストを笹生那実さん(『薔薇はシュラバで生まれる』(イースト・プレス))に書き下ろしていただいたそう。笹生さんは美内すずえさんや山岸凉子さんのもとでアシスタントをされていた経験の持ち主で、このバラであれば、時代の空気までも伝えられると確信したといいます。

(画像提供/文春新書編集部、(c)笹生那実)※誌面よりトリミング

(画像提供/文春新書編集部、(c)笹生那実)※誌面よりトリミング

「バラ一つとってもそうなのですから、一冊の漫画ができ上がるまでに、漫画家、アシスタント、編集者の方々が注ぎ込む労力はハンパなものじゃないですよね。だから人の心を揺さぶることができるんだと思いました」

そうですよね、先人たちが文字通り「心血注いでできた」少女漫画だからこそ、今のように後進が続いているのだと思います。では、先生方からの原稿への赤字(間違いを正す指示書き)も厳しいものがあったのでしょうか。

「漫画家はセリフを書くプロでもありますから、赤字も面白かったです。さらに新たな要素が加わったり言葉のリズムが生き生きとした会話になったり。今回は連載時に加えて近況を『追伸』という形でメッセージをいただいています。どんな内容かは、ぜひ本書で確かめていただきたいです」
たしかに!! 追伸の内容、くすりとさせられました。あれは先生方からの赤字だったんですね……。

女性が漫画を描く道を切り開き、理想の家を建てた

それにしても、本書では女性漫画家それぞれの歩みのようで、日本の女性が社会に出て働けるようになった足跡とも重なります。

「そうですね、本書に登場するのは、魔夜峰央先生をのぞく11名が女性です。水野英子先生を皮切りに年齢の違う12人の漫画家の半生を見ていくことによって、『女性が漫画を描く』という道を切り拓き、その姿に憧れて新たな女性漫画家が生まれていったという時代の変遷を感じ取れると思います。結果として女性漫画家は、当時の働く女性の中でも飛び抜けた富を得て経済的に自立し、理想の家を建てるまでになりました」

個人的には新築マンションを購入し、3LDKを1Lにリノベーションしたいくえみ綾先生の話が印象的です。その時なんと20歳(!)。あまりの若さから施工業者に「あなたが買うんじゃないんですよね?」と言われ、お父様が「いえこの子が買うんです」と言い返したとか。伝説ですよね……。その他先生方の家を建てるとき、買うときのエピソードもまた個性があって、痛快すぎます。こだわりをつめこんだ注文住宅を建てるだけでなく、今でいうニ拠点生活をしていたり、ホテルで缶詰になって仕事をしていたり、アシスタントとのシェア生活だったりと、さまざまな住まい方のバリエーションが出てきます。やはり少女漫画家にとって「家」は特別な場所なのでしょうか。

「漫画家の場合、自宅が仕事場であることも多く、仲間たちと切磋琢磨した『戦場』でもあります。取材前は、家は傑作が生まれた『舞台裏」だと思っていました。ただ、山岸凉子先生に『あの頃 わたしは あの家で マンガ家になろうと 足掻(あが)いていた』と帯に書いていただき、随分と狭い考えだったと反省しました。12人のレジェンドたちがまだ何者でもなかった時の原体験。それを与えてくれたのが『家』なのだなと。彼らが何者でもない時に、何をみていたのか。どんな家で、家族とどんな時間を過ごしたのか。つまり、『世界をどのように見てきたか』、その視点こそが漫画家としての根っこになっているんだと気付かされたんです。そんな奥行きのあるコピーをわずか2行で書いてしまうんですから、すごいですよね」

(画像提供/文春新書編集部)

(画像提供/文春新書編集部)

やはり、時代をつくった稀代の少女漫画家は違いますね。もっと他の先生のお話や続編にも期待しているのですが、予定はあるのでしょうか。

「個人的には続編を出せたらいいなと思っています。今後も順調に売れてくれればですが……(笑)。本書が出てから『この漫画家に取材してほしい』というメッセージをいただきましたし、こちらとしても出ていただきたくてアプローチをしている先生方もいらっしゃいます。特に里中満智子さんはぜひご登場いただきたい方の一人です」と語ってくれました。

本書を読んで、久しぶりに少女漫画を読んでいたころのときめきを思い出しました。大人になると家は、広さや家賃、価格、駅徒歩、設備などの情報に目を奪われがちですが、実は住まい探しに大切なのは、「幼き日の憧れ」や「ときめき」かもしれません。

●取材協力
文藝春秋

東京駅まで30分以内、中古マンション価格相場が安い駅ランキング 2022年版

東京駅は、東西南北に走るJRの在来線各線に加え、新幹線の始発駅でもあり、東京メトロ丸ノ内線も乗り入れている。駅周辺には多数のオフィスビルが林立し、東京を代表するビジネスの要所でもある。もはや開発の余地もないかに思えたが、東京駅前・八重洲エリアでは現在、大規模再開発が繰り広げられている。今回は、ますますの発展が期待される東京駅まで30分圏内にある駅の価格相場を調査! 専有面積20平米以上~50平米未満の「シングル向け」と専有面積50平米以上~80平米未満の「カップル・ファミリー向け」、それぞれの中古マンションの価格相場が安い街をご紹介しよう。

東京駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10

東京駅まで30分以内の価格相場が安い駅TOP10
【シングル向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/東京駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 十条 2089万円(JR埼京線/東京都北区/24分/1回)
2位 お花茶屋 2180万円(京成本線/東京都葛飾区/30分/1回)
3位 大森海岸 2355万円(京浜急行本線/東京都品川区/27分/1回)
4位 西馬込 2440万円(都営浅草線/東京都大田区/29分/1回)
5位 西川口 2498万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/26分/1回)
6位 川口 2580万円(JR京浜東北・根岸線/埼玉県川口市/23分/1回)
6位 鶴見 2580万円(JR京浜東北・根岸線/神奈川県横浜市鶴見区/25分/1回)
8位 新宿御苑前 2590万円(東京メトロ丸ノ内線/東京都新宿区/15分/0回)
9位 大森 2640万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/17分/1回)
10位 馬込 2735万円(都営浅草線/東京都大田区/27分/1回)

【カップル・ファミリー向け】
順位/駅名/価格相場(路線/駅所在地/東京駅までの所要時間/乗り換え回数)
1位 足立小台 2799万円(日暮里・舎人ライナー/東京都足立区/27分/2回)
2位 竹ノ塚 2980万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/30分/2回)
3位 松戸 2989.5万円(JR常磐線/千葉県松戸市/27分/0回)
4位 青井 3180万円(つくばエクスプレス/東京都足立区/25分/1回)
5位 西船橋 3219.5万円((JR京葉線//千葉県船橋市/29分/0回)
6位 お花茶屋 3300万円(京成本線/東京都葛飾区/30分/1回)
7位 五反野 3380万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/27分/1回)
7位 六町 3380万円(つくばエクスプレス/東京都足立区/27分/1回)
7位 西新井 3380万円(東武伊勢崎線/東京都足立区/27分/1回)
10位 堀切菖蒲園 3385万円(京成本線/東京都葛飾区/28分/1回)

名物商店街と再開発で注目される十条駅が「シングル向け」1位に

駅周辺の再開発で注目が高まる東京駅。駅東側の八重洲エリアに2021年には地上38階建ての商業・オフィスの複合ビル「常盤橋タワー」が竣工し、商業ゾーンがグランドオープンしている。隣接地では2027年度の竣工を目指して日本一の高さとなるシンボルタワービル「Torch Tower」を建設中だ。さらに2022年9月には「東京ミッドタウン八重洲」の一部エリアが先行オープンとなり、2023年3月にはグランドオープンを迎える予定だ。

そんな東京駅まで30分圏内にある駅のうち「シングル向け」中古マンションの価格相場が最も安かったのは、東京都北区にあるJR埼京線・十条駅で価格相場は2089万円。東京駅まで乗り換え1回・約24分で行けるほか、JR埼京線で池袋駅まで2駅、新宿駅まで3駅、渋谷駅まで4駅という便利な立地だ。十条駅の名物といえば、駅北口を中心に広がる「十条銀座商店街」だろう。このアーケード商店街には170店舗以上が軒を連ねており、食料品や日用品の買い出しから食事までここにくればまかなえる。テイクアウトできる総菜やお弁当のお店も充実し、仕事帰りに買って自宅ですぐ夕食を楽しむこともできる。駅周辺にはコンビニも点在しているので、早朝や深夜のちょっとした買い物にも困らない。

十条銀座商店街(写真/PIXTA)

十条銀座商店街(写真/PIXTA)

また、十条駅西口では再開発が進行中。住宅・商業・公益一帯の複合施設「J&TERRACE(ジェイトテラス)」「J&MALL(ジェイトモール)」の建設に着工し、2024年度中の完成を目指している。さらに十条駅周辺のJR埼京線を1.5km区間に渡り高架化し、道路と鉄道を立体交差化する工事も進められている。こちらは2030年の完成予定とまだ先だが、これから十条の街は大きく様変わりしていくだろう。

2位は東京都葛飾区の京成本線・お花茶屋駅で価格相場は2180万円。東京駅までは乗り換え1回・約30分で到着する。駅周辺にはドラッグストアや100円ショップ、コンビニが点在し、徒歩10分圏内にスーパーも複数あるので日常の買い物には困らないだろう。駅北側の商店街にはラーメン店や洋食店、魚料理が自慢の食事処やインドカレー店などもあるので、お気に入りの店を探して食べ歩いても楽しそう。ちなみにお花茶屋駅は「カップル・ファミリー向け」ランキングでも6位にランクインしており、シングル向け物件だけでなく広めの中古マンションもリーズナブルな物件がそろっているようだ。

お花茶屋駅(写真/PIXTA)

お花茶屋駅(写真/PIXTA)

3位には東京都品川区にある京浜急行本線・大森海岸駅がランクイン。価格相場は2355万円で、東京駅には乗り換え1回・約27分で行くことができる。かつては駅近くにまで海岸が迫っていたため付いた駅名だが、その後に埋立地が形成されて現在は海からは少々離れている。駅東側に広がる平和島や城南島といった埋立地には複数の公園があるほか、「大井競馬場」や「しながわ水族館」がある勝島も埋立地の一つ。水族館は「しながわ区民公園」の一角にあり、緑豊かな園内には海水を引き入れた人工湖や芝生広場も。2021年には水族館がある南側ゾーンの再整備が完了したところなので、きれいな園内で息抜きするのもよいだろう。

商業施設は大森海岸駅の西側に多く、複数のコンビニのほかにショッピングモールのイトーヨーカドーやスーパーの西友も徒歩10分圏内。そのまま西へと歩くと、大森海岸駅から徒歩10分弱で9位にランクインしたJR京浜東北・根岸線の大森駅へ。大森駅には駅ビル「アトレ大森」が併設されており、ここで買い物をすることも可能だ。

また、都営浅草線の4位・西馬込駅と10位・馬込駅は共に9位・大森駅から車で10分ほどの近さ。3位・大森海岸駅、4位・西馬込駅、9位・大森駅、10位・馬込駅はいずれも東京駅から南へ直線距離で11kmほどと大差ない立地なのだ。しかしこの4駅の価格相場には最大380万円の開きがあり、東京駅までの所要時間も約17分~約29分と違いがある。似通ったエリアにあっても価格相場やアクセスの利便性は駅ごとに変わってくるので、今回のようなランキング情報を参考にしながら物件探しをしたほうが後悔のない住まい探しができそうだ。

「カップル・ファミリー向け」には「子育てにやさしいまち」の駅もランクイン

「カップル・ファミリー向け」の1位は、東京都足立区にある日暮里・舎人ライナーの足立小台駅。価格相場は2799万円で、東京駅までは乗り換え2回・約27分で到着する。この駅は北に荒川、南に隅田川が流れる立地で、高架の駅を降りると広々とした荒川土手が目の前に広がる。東側の駅前には家電量販店、西側の駅前にはスーパーを併設したホームセンターが建っている。荒川に架かる扇大橋や隅田川に架かる尾久橋を越えた、駅から徒歩15分圏内にはコンビニやスーパーも。川に挟まれた細長い地形のため駅前の土地面積が広くはない足立小台駅周辺で物件を探すなら、駅からの近さにこだわり過ぎず、川を越えたエリアも視野に入れたほうが物件の選択肢も増えそうだ。

足立小台駅(写真/PIXTA)

足立小台駅(写真/PIXTA)

2位は東京都足立区に位置する、東武伊勢崎線・竹ノ塚駅で価格相場は2980万円。東京駅までは乗り換え2回・約30分で行くことができる。竹ノ塚駅の1駅隣は急行が停車する7位・西新井駅で、3駅先には同額7位・五反野駅があり、さらにそのまま東武伊勢崎線に乗っていると浅草駅にたどり着く。そんな竹ノ塚駅は2022年3月に上下緩行線(普通列車)の高架化が完了し、新駅舎もできたばかりというまだ新しさを感じる駅。この高架化により「開かずの踏切」がなくなり、駅周辺のアクセスの利便性が向上した。駅周辺にはUR賃貸住宅の集合住宅をはじめとした住宅地が広がり、スーパーやコンビニ、ファストフード店などの飲食店もそろっている。また、足立区では「竹ノ塚エリアデザイン」計画に着手。これは駅高架化を「東西一体となった街づくり」の好機だととらえ、将来に向けて街の魅力向上を目指すもの。まだ具体的な実行計画までは立てられていないが、今後の進化を楽しみにしたい。

この足立区による街づくり「エリアデザイン」は、同額7位の六町駅と西新井駅の周辺エリアでも進行中。いずれも民間の協力を得ながら駅前を中心とした街を再整備する計画が、竹ノ塚エリアに先立って策定されている。これからより魅力的な街の実現に向けて取り組んでいくそうで、注目のエリアと言えるだろう。

「カップル・ファミリー向け」トップ10には東京都足立区の駅が6つもランクインしており、京成本線の6位・お花茶屋駅と10位・堀切菖蒲園駅も足立区に隣接する東京都葛飾区にある。この計8駅は直径7kmほどの円内に収まる近い位置関係だ。そんななか3位には千葉県松戸市にある、JR常磐線・松戸駅が価格相場2989万5000円でランクイン。東京都外に位置しながら、東京駅までは乗り換え0回・約27分で行くことができる。これは上野駅~東京駅を途中停車駅なしで結ぶ、JR上野東京ラインに直通運転されるJR常磐線が通っているおかげ。この列車に乗ると6駅目が東京駅という近さなのだ。東京駅を基点に住まい探しをすると都内の駅に目が向きがちだが、路線によっては都外でもアクセスしやすい駅があることも頭に入れておきたい。

松戸駅西口前の様子(写真/PIXTA)

松戸駅西口前の様子(写真/PIXTA)

さて松戸駅の様子を見てみると、JR常磐線に加え新京成線も乗り入れており、新京成線では一番の乗降客数を誇るターミナル駅でもある。JR常磐線の各駅停車は東京メトロ千代田線と直通運転されているため、大手町駅や霞ケ関駅、赤坂駅、表参道駅などにも乗り換えなしで行ける点も魅力的だ。また松戸駅は現在、改良工事中で、2027年春の完成を目指して東西通路の拡幅や駅南側の駅ビル建設などが進められている。あわせて西口駅前広場の整備も進行中なので、あと5年ほどで新たな松戸駅の姿が見られそうだ。

そんな松戸駅には駅ビル「アトレ松戸」が併設され、食料品からファッション、雑貨のお店、レストランまで多彩な店舗が揃っている。駅近くには松戸市役所もあるなど市の中心地と言えるエリアで、駅周辺は多くの人が行き交う繁華街。駅西口側に「キテミテマツド」、東口側には「プラーレ松戸」というショッピングモールもあるなど商業施設が充実している。一方で駅から歩いて5分ほどの場所には松戸中央公園や相模台公園といった憩いの場もあり、駅から西に10分も歩くと散策路が整備された江戸川河川敷へ。のびのび遊びたい子どもがいるファミリーも暮らしやすそうな環境だ。

ちなみに松戸市は2017年には市内全23カ所の駅前・駅ナカへの小規模保育施設の整備が完了し、「待機児童6年連続ゼロ」(※2021年4月時点の国の基準)を誇るなど「子育てにやさしいまち」を掲げている。これから育児をする環境として住まい探しをする場合は、こうした市の子育てに関する取り組み・支援も念頭に置きつつ立地選びをするのも大切だろう。

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている東京駅まで電車で30分圏内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】
駅徒歩15分圏内、物件価格相場3億円以下、築年数35年未満、敷地権利は所有権のみ
シングル向け:専有面積20平米以上50平米未満
カップル・ファミリー向け:専有面積50平米以上80平米未満
【データ抽出期間】2022/2~2022/4
【物件相場の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された中古マンション価格から中央値を算出
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2022年5月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が2回までの駅を掲載

電気代を抑えながらエアコンを使うにはどうすればいい? 猛暑の節電対策とは?

なんと6月中に猛暑が続き、東京電力管内で「電力需給ひっ迫注意報」が連日発令される事態になっている。家庭でも節電が促される一方で、熱中症のリスクも指摘され、適切なエアコンの使用を求めるなど、暑さに振り回される日々がもう始まっている。これから迎える本格的な夏の暮らしが心配このうえないが、どうしたらよいのだろう?

【今週の住活トピック】
「住まいにおける夏の快適性に関する調査(2022年)」結果を公表/積水ハウス 住生活研究所
「『自宅の省エネ意識』に関する実態調査」結果を公表/フリエ住まい総研

コロナ禍の外出自粛が緩和ムードでも、夏は自宅で過ごしたい!?

積水ハウスの住生活研究所が、「住まいにおける夏場快適性に関する調査(2022年)」の結果を公表した。それによると、「約2人に1人が他の季節と比べ、夏場の日中は自宅にいる時間が増えると回答した」という。詳しく見ていこう。

「夏場の日中、外出したいか、自宅で過ごしたいか」を聞いたところ、「自宅で過ごしたい」という回答がコロナ禍前と比べて、20代では減少(38.0%→33.0%)したが、その他の30~60代では増加(50.8%→57.8%)している。この夏は旅行を促進する動きもあり、外出自粛が緩和されるムードではあるが、約半数が自宅で過ごしたいと考えていることがわかった。その理由は、「夏の暑さ」で、約8割が「暑くて外出したくない」と回答したという。

出典:積水ハウス 住生活研究所「住まいにおける夏場の快適性に関する調査(2022年)」

出典:積水ハウス 住生活研究所「住まいにおける夏場の快適性に関する調査(2022年)」

また、「夏に自宅で長時間過ごす上で、気になることやネックになること」という質問では、「電気代」が64.0%と最多になり、2位の「運動不足」(37.8%)や3位の「室内温度調整」(23.2%)に大差をつけて気にしていることがわかった。これは、在宅勤務の増加などで、自宅にいる時間が長くなったことも影響している。コロナ禍で自宅にいる時間が長くなった人ほど、電気代が上がったと回答していることからもうかがえる。加えて、最近は電気代の値上げが相次ぎ、エアコンの利用による電気代が気になるのは当然のことだろう。

電気代の上昇が夏の省エネ意識を高めている!

次に、フリエ住まい総研の「『自宅の省エネ意識』に関する実態調査」を見ていこう。「今年の夏は自宅の省エネを意識するか」を聞いたところ、「はい」という回答は 83.5%にも達した。「以前に比べ省エネ意識に変化はあったか」を聞くと、51.9%の人が「向上した」と回答した。

省エネ意識が向上した人たちに対して、「省エネ意識が上がった要因」を聞いたところ、9割近い87.9%が「電気代の上昇」と回答した。直接的に家計に響く電気代が、省エネのモチベーションになっているというわけだ。

出典:フリエ住まい総研「自宅の省エネ意識」 に関する実態調査

出典:フリエ住まい総研「自宅の省エネ意識」 に関する実態調査

では、具体的にどういった省エネに取り組んでいるかというと、「エアコンの温度設定」「照明をこまめに消す」「エアコンの使用を控える」などが上位に挙がった。

出典:フリエ住まい総研「自宅の省エネ意識」 に関する実態調査

出典:フリエ住まい総研「自宅の省エネ意識」 に関する実態調査

さきほどの積水ハウス 住生活研究所で、「夏の電気代の対策」を聞いた調査結果では、「エアコンの稼働時間を減らす」「家族で一つの部屋に集まってエアコンの稼働台数を減らす」「エアコンとサーキュレーター・扇風機を併用する」など、エアコンの電気代の削減に関する項目が多くなった。

出典:積水ハウス 住生活研究所「住まいにおける夏の快適性に関する調査」

出典:積水ハウス 住生活研究所「住まいにおける夏の快適性に関する調査」

夏の省エネや電気代対策は、やはりエアコンの電気代をいかに削減するかということになるようだ。

夏のエアコンの電気代対策、あなたはどうしている?

「エアコンの電気代対策」としては、すでに調査項目に挙がっているものもあるが、一般的に以下のようなものが挙げられる。
・省エネ性の高いエアコンを使用する
・設定温度を上げる
・サーキュレーターや扇風機を併用する
・エアコンのフィルターなどを定期的に掃除する
・短時間の外出ならエアコンをつけっぱなしにする

ほかに効果が大きいのが、「窓の断熱性向上」や「窓の遮熱の工夫」だ。窓は直接外気に触れているので、省エネ性の高い窓(ガラスやサッシ)に変えるリフォームをすると、外気の影響を受けにくくなり、夏・冬共に節電効果が大きい。また、積水ハウスによると、「手軽にできる夏の日射対策としては、窓の外をつる植物などで覆うグリーンカーテンやすだれ、外付けのシェード、遮光・遮熱シート等も効果的」だという。

最後に、住宅設備機器メーカー株式会社コロナの提案を紹介しよう。寝苦しい夜のエアコンは「除湿運転で28度設定」がオススメだという。「除湿運転(弱冷房除湿)」は、弱冷房により除湿をするので、ゆっくり温度を下げることができ、風量も弱いことから喉を痛めにくいというメリットがあるからだ。さらに、寝苦しい夜は、扇風機を併用し、体に風が当たらないように注意しながら部屋の温度ムラをかき混ぜるとより快適に過ごすことができるそうだ。

気になる電気代について、コロナの広報に聞いてみた。
部屋の広さや室温・外気温度などの様々な要因に大きく左右されるので、必ずとは言えないようだが、「冷房運転」が室温を設定温度にできるだけ早く合わせようとする運転を行うのでそれだけ電力がかかるのに対して、「ドライ(除湿)運転」は除湿を重視しながら設定温度に合わせる運転を行うので、設定温度に達する時間はかかるもののそれだけ電力を節約できるという。

6月末から猛暑に悩まされるとは思いもしなかったが、地球温暖化の影響もあるので、今後は長い夏の暑さを覚悟する必要があるのだろう。そのためには、一時的に費用はかかっても長い目で見て、窓の省エネ改修や省エネ性の高いエアコンへの買い替えなどを検討したほうが良いと思う。

7月8月とまだまだ暑い夏は続きそうだ。それぞれの家庭で節電の工夫をして、この夏の暑さを乗り切ってほしい。

●関連サイト
積水ハウス 住生活研究所「住まいにおける夏の快適性に関する調査」
フリエ住まい総研「自宅の省エネ意識」 に関する実態調査

NY、経済活動再開で家賃相場が30%増の地域も! シビアな世界の不動産事情

新型コロナウイルス感染症拡大で、2020年以降大打撃を受けたアメリカ・ニューヨーク。一時はロックダウンで街から人が消え去り、さらにはリモートワーク/テレワークなどの新たな働き方の浸透によって、多くの市民が市外や州外へ転出した。それに伴って、市内の不動産価格や家賃が下落。あれから2年。コロナ禍3年目となった今、感染状況は一進一退だが、不動産価格や家賃相場は再び上昇傾向になっている。そこには全世界から人が集まる大都市ならではの「ある理由」があった。

NYと日本、いま「住みたい街」とは?

アメリカの大都市ニューヨークでは、東京や大阪などと同様に、街によってそこを選ぶ人の世代やライフスタイルが異なる。収入が十分でない若年層が注目するのは、マンハッタンの外れの地域や、川を越えたクイーンズだ。タウンハウスという一軒家を借りて何人かでシェアしていることもある。子育てをしているファミリー層はマンハッタンから電車で1時間ほどの郊外にある、広い庭付きの一軒家が好まれる傾向がある。富裕層はマンハッタンのパークアベニューやアップタウン、トライベッカなどに好んで住む傾向だ。個性を求めているアーティストには、クリエイティブで独自の文化があるマンハッタンのダウンタウンや、広いロフトが多いブルックリンなどが人気だ。

ブルックリン(写真/PIXTA)

ブルックリン(写真/PIXTA)

ちなみに日本では、今コロナ禍による影響も大きな要因となって、都心よりも郊外の人気がやや上昇している。在宅時間が長くなり、人々が利便性に優れた都心だけでなく郊外の住環境などにも目を向けた結果だろう。 今年発表された「SUUMO住みたい街(駅)ランキング2022」でも、横浜駅や吉祥寺駅、恵比寿駅の人気は相変わらずだが、上位に埼玉県の大宮市や浦和市など、郊外の都市がランクインしたのが特徴的だった。

ニューヨークも同様、観光客が多いマンハッタンの繁華街ではなく、中心部から少し離れた場所や郊外などが「住みたい街」として注目されている。

2年前、この街は新型コロナウイルスの感染拡大によって大打撃を受け、経済が壊滅状態となった。感染を避けるため、またはリモートワーク/テレワークの浸透によって、多くの市民が市外や州外へと続々と転出したことが地元メディアでも報じられた。それによって、不動産価格や地価、家賃の下落が起きたのだ。不動産の調査をする「ストリート・イージー」によると、2021年1月~3月期のマンハッタンの月の家賃の中央値はコロナ騒動が勃発した時期の前年同期比17%減の2700ドル(当時の為替で約29万円)だった。これは集計を開始した10年以来で最低の数値だった。

コロナ禍3年目、不動産市場が再び活況に

しかしコロナ禍3年目となる今、ニューヨーク市内での不動産価格や地価、家賃の上昇が伝えられている。

「ニューヨークは戻った」という見出しを掲載したビジネス誌『FORTUNE(フォーチュン)』のウェブ版記事は、「アメリカの金融資本の需要はかつてないほど高まっている」とし、マンハッタンの家賃が記録的な金額に達したと報じた。

マンハッタン(写真/PIXTA)

マンハッタン(写真/PIXTA)

同誌によると、マンハッタンの家賃は昨年に比べて24%も上昇したという。中央値は昨年より705ドル(9万円以上。1ドル128円計算。以下同)も値上がりし、(今年3月時点で)3700ドル(47万円超え)に。家賃の上昇は、オフィス勤務の復活や学校再開に伴い人々が市内に戻り、空室が少なくなったことを意味する。空室率は昨年2月の時点で12%近かったが、今年の同時期は1.32%まで下がっている。

マンハッタン以外でも、ブルックリンで昨年に比べて10.5%上昇し、中央値は2900ドル(37万円超え)、クイーンズで14.5%上昇し中央値は2888ドル(37万円超え)に達するなど、市内の至るところで家賃が上昇している。

地元メディアのニューヨークポストによると、特に中心部や繁華街(マンハッタンのアッパーウェストサイドやダウンタウン、ブルックリン)の駅近くの物件において家賃が上昇傾向にあるという。

NY、エリア別の家賃相場

家賃が東京の2倍もしくはそれ以上とも言われるニューヨーク。家賃相場はエリアにより、また間取りやビルの状態などによって異なる。
ニューヨークは全体的に家賃が急上昇しています。特にマンハッタンは前年同月比で30%くらい上がっていると思います。ブルックリンも負けずに上がっています」と話すのは、滝田不動産(Yoshi Takita REALTOR(R))の代表、滝田佳功(たきたよしのり)さん。

Living NY社に勤務する、ニューヨーク州認定の不動産エージェント、木城祐(ひろし)さんも、「特に家賃が上昇しているのはマンハッタンです。アッパーマンハッタン(北部)など一部エリアを除いて、上がり続けています」と話す。

アッパーウエストサイド(写真/PIXTA)

アッパーウエストサイド(写真/PIXTA)

木城さんによると、昨年は入居者を呼び込むための優遇措置で、家賃割引や仲介料なしといった物件もあったが、現在の市場ではそれらの優遇措置はほぼ見られないという。

「日本人留学生などに人気のイーストビレッジ地区やローワー・イーストサイド地区ではパンデミック中、入居者が大量に流出し、多数の空室が出て大家は頭を抱えました。しかし昨年秋に市内の大学が対面授業の再開を発表するや否や、学生が州外や国外から市内に戻り、瞬く間に空室がなくなってしまったのが印象的です」(木城さん)

また前述の「優遇」の恩恵を受けた入居者も1年契約が終わった途端に家賃が大幅に高騰し、住み続けられず慌ててほかのアパートを探すケースもよくあるという。

滝田さんは、学校が再開して学生が戻ってきたあと、学生寮のルームシェアが撤廃されたため、寮以外の一般のアパートを借り始めた学生も多いという情報を聞いており、そんな事情も家賃上昇に拍車をかけている一因になっていそうだ。

学生だけでなく、新しくビジネスを始める人々や一度は郊外や州外に引越しをしたがやはりニューヨーク市内での生活が良いと感じた人などが戻り、市内を拠点にしたことで、家賃の高騰に拍車をかけた。

家賃以外で、暮らしで変化したこと

ニューヨーカーの暮らしを圧迫しているのは家賃だけではない。物価高騰も暮らしを圧迫している。
家賃上昇に加え、最近アメリカでは記録的なインフレが続いている。2021年から加速して39年ぶりの高水準となり、ガソリンや日用品、食費などあらゆる物価が高騰している。特にロシアによるウクライナ侵攻後、ガソリン価格が過去最高値を更新した。

また、物不足も深刻だ。住宅建築需要の増加によって、木材不足・価格高騰(ウッドショック)や半導体などあらゆる不足が連日ニュースとなっている。そして最近は、粉ミルク不足も大きな社会問題となっている。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

今後、家賃相場の高騰に対するなにか対策がされていくのか

また、インフレとは無関係に、世界を代表する大都市ニューヨークは、世界中から移住者が増え続けており、家賃は恒常的に毎年上昇し続けている。ブルックリンのアパートに住む筆者の家賃も、13年前の引っ越し当初の家賃と比べて、円にして数万円単位で値上がりしている。家賃上昇と物価高騰のWパンチで、ますます大都市は住みにくくなっている。

「この街を一層ユニークで味のあるものにしてきたのは、ここで生まれ育ったニューヨーカーたち。そんな彼らが、物価上昇と家賃の高騰に悲鳴を上げている。以前と同じ住居やエリアに住み続けられないのだとしたら、それはとても残念なことです」と、木城さんは話す。

滝田さんも、以下のように言う。
「ニューヨーク州の条例では、コロナ禍に家賃が払えなくなった住民のために『Eviction Moratorium(強制立ち退き猶予)』が設けられ、今年1月15日まで、大家による強制立ち退きは禁止されていました。またハードシップ手当として、家賃支払いができない人のための補助金も出ていたので、本当に家賃が支払えなくて退去させられた人は少ないと思います。また、生活費に困窮した市民が申請し、審査に通れば、よりリーズナブルな家賃で住める『アフォーダブルハウジングのプログラム』などの措置もあります」

最近物価高騰が報じられる日本だが、それでもコンビニに行けば、数百円単位の美味しいものに出合うことができる。当地でも昔から1ドルピザなるものがあったが、コロナ禍で次々に閉店が報じられている。物価上昇と家賃上昇などで、この大都市はさらに住みにくい街として汚名を着せられていくのか? 人々は戦々恐々としている。

●取材協力
Yoshi Takita REALTOR(R)
Living New York

神勝寺では“うどんを食う”も禅体験に! 建築や庭などすべてが「禅」のミュージアム 広島県福山市

近年、世界的にも注目を高めている“禅”。精神を統一して真理を追求する仏教・禅宗の教えが広まったことで、日常生活にも取り込まれていきました。高尚で精神的なものをイメージしてしまいがちですが、禅の教えを楽しみながら、五感で体験できるミュージアムがあることをご存知でしょうか? 広島県福山市にある「神勝寺 禅と庭のミュージアム」では、広大な境内に点在する建築物を巡りながら、禅の教えに触れる体験ができると聞き、実際に体験した様子をレポートしたいと思います。

あの有名建築家の建築も! 建物自体が展示作品境内全体図(提供:神勝寺)

境内全体図(提供:神勝寺)

緑豊かな山道を登った先に見えてくる総門をくぐると、建築史家・建築家 藤森照信氏が設計した寺務所、「松堂」が出迎えてくれます。
屋根に植えられた松の木は、藤森氏が「禅と縁の深い」木として選んだもの。もちろん、勝手に生えてきてしまったのではなく、デザインされた外観なんです。
藤森氏といえば、屋根にタンポポを植えた自邸の「タンポポハウス」や故・赤瀬川原平邸「ニラハウス」をはじめ、建築に直接植物を植えるデザインに繰り返し挑戦しています。

「松堂」外観。 面で構成された外観は現代的でありながら、屋根比率の大きなデザインなど古建築の要素も随所に見られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「松堂」外観。
面で構成された外観は現代的でありながら、屋根比率の大きなデザインなど古建築の要素も随所に見られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松が屋根に植えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松が屋根に植えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一見すると突拍子もないおふざけのようにも見えてしまいますが、実は「芝棟」と呼ばれる屋根から植物を生やした日本古来の住宅形式に着想を得たもの。それもそのはずで、藤森氏は建築家でありながら、建築史家として長年古建築の研究に携わってこられました。
松堂に植えられた松は、自然と共に生きてきた日本人の知恵を、現代に蘇らせたデザインなんです。
軒下の天井と壁を一体化させた継ぎ目のない漆喰による面のつくり方も、日本古来の手法を現代的に再解釈したデザイン。新しくもありどこか懐かしい温かみを感じる藤森氏の建築は、温故知新を体現するミュージアムに来訪者を招き入れるゲートの役割に、これ以外ないと思わせるバランスで応えていました。

軒を支える列柱も、一本一本形状の異なる木材を用いる伝統的な手法(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

軒を支える列柱も、一本一本形状の異なる木材を用いる伝統的な手法(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然と共にある庭も禅への入口

松堂の眼前に広がる「賞心庭」は、作庭家・中根史郎氏が手掛けたもの。池の周りを巡り楽しむ回遊式の庭園で、四季折々の草花を愛でることができる見どころが随所に施されています。
この池を挟んで松堂と正対するように立っているのが茶房「含空院」。こちらはもともと滋賀県にある永源寺より移築されたもので、築350年以上の歴史をもった茅葺きの建築です。維持管理の手間がかかる茅葺きですが、美しく保たれているのが印象的です。含空院では庭園を眺めながらお茶や甘味をいただくことができます。
神勝寺には含空院のほかにも、年代も様式も用途もバラバラな多くの建物が各地から移築され境内に点在しています。「神勝寺 禅と庭のミュージアム」は、もともと臨済宗の寺院として築かれていた境内に、含空院をはじめいくつかの建築を移築し、また新たな建造物を建ててオープンしました。
寺院建築では他の寺院から建造物を譲り受け、移築すること自体は昔から行われてきましたが、これだけたくさんの建築物を移築し、また新築して境内全体を刷新するのはあまり例のない試みといえるでしょう。庭や美術作品のほか、建築物も含めて禅の体験を提供する「ミュージアム」というコンセプトだからこそ、建物自体もミュージアムを構成する作品の一部として、様式や宗派といった個々の建築が有する背景と矛盾なく同居させることが可能なのかもしれませんね。

自然そのものと、デザインされた植栽・建築が見事に調和した「賞心庭」(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然そのものと、デザインされた植栽・建築が見事に調和した「賞心庭」(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

含空院の縁側からは、賞心庭の全景を見通すことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

含空院の縁側からは、賞心庭の全景を見通すことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

永源寺では歴代の住持の住まいだった含空院は茶房に用途を変えて来訪者を迎える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

永源寺では歴代の住持の住まいだった含空院は茶房に用途を変えて来訪者を迎える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

25分のインスタレーション作品で禅を体験

賞心庭から松堂の脇を抜け坂を登っていくと、多宝塔が見えてきます。そこからさらに歩を進めると、神勝寺最大の目玉ともいえるアートパビリオン《洸庭》が出迎えてくれます。
彫刻家・名和晃平氏率いるクリエイティブ・プラットフォーム、Sandwichが制作した《洸庭》では、約25分間の禅をテーマにしたプログラムが用意されています。

右手に見える多宝塔の屋根からは相輪が延びる。宗教建築のパターンを踏襲したデザイン(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

右手に見える多宝塔の屋根からは相輪が延びる。宗教建築のパターンを踏襲したデザイン(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

洸庭の周囲にも広大な庭園が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

洸庭の周囲にも広大な庭園が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

係員の誘導に従って一連のプログラムを体験することで、誰でも禅のエッセンスに触れることができるアート作品です。このように作品として体験する空間や場所はインスタレーションと呼ばれ、現代アートの表現ジャンルとして発展してきました。
お寺にアート作品? と意外な気もしましたが、よくよく考えてみると、古くからお寺は芸術が生まれ、人々の目に触れる場として機能してきました。博物館で観ることのできる美術品にも、お寺でつくられ、使われていたものが多く展示されています。いまの時代であれば現代アートがお寺に展示制作されることは、むしろ自然な流れといえそうです。
《洸庭》は内部のインスタレーションはもちろん、建築としても見応え十分。広い庭に舟形の建物が浮かぶように立つ様子からは、浮世離れした印象を受けますね。建物全体を包むように、伝統建築の屋根に多用されてきたこけら葺きと呼ばれる技法で木材が施されており、全体のプロポーションとも相まって巨大なお堂のようにも見えます。船を模した造形は、ミュージアムの運営母体である造船会社から着想を得たデザインで、インスタレーションの内容とも連動しているんです。

船底に潜り込むように作品の中へ(Photo :Nobutada OMOTE | SANDWICH)

船底に潜り込むように作品の中へ(Photo :Nobutada OMOTE | SANDWICH)

特定の用途のために建てられる建築も、多様な使われ方を想定してある程度融通の利くように設計されるのが一般的です。ここでは、一つのインスタレーション作品の体験の場を創出する目的のみに特化することで、独創的なデザインを実現しています。

うどんをすする禅体験? 修行僧のごちそうをいただきます

お昼時には「五観堂」に立ち寄りましょう。ここでは、普段は食事も修行の一環として厳しく制限されている修行僧・雲水にとって一番のごちそうである、湯だめのうどんをいただくことができます。
ただうどんを食べるだけではないのが神勝寺の面白さです。ここにもまた禅の教えに触れる工夫が。
配膳を前に、食事の作法を教えてくれます。本来であれば食事中ですら音を立ててはいけない雲水も、うどんを食べるときだけは豪快にうどんをすすり音を立てて食べることが許されているのだそうです。
厳しい修行における束の間の解放感、その疑似体験を通じて、雲水の修行に思いをはせることが禅を体感する足掛かりになるなんて不思議ですね。

うどんがゆで上がるのを待つ間、雲水の食事作法を聞かせてもらう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

うどんがゆで上がるのを待つ間、雲水の食事作法を聞かせてもらう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

太くコシの強い神勝寺うどん(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

太くコシの強い神勝寺うどん(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

五観堂からさらに先へ進むと、「秀路軒」、その先には「一来亭」が見えてきます。どちらも茶室・数寄屋研究の泰斗である中村昌生氏が携わり再現/復元された茶室。いずれも千利休に縁のある建築で、合わせて見学することで利休の追求した美の一端に触れることができます。

表千家を代表する書院「残月亭」、茶室「不審菴」を、古図を手掛かりに中村昌生氏の設計で再現した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

表千家を代表する書院「残月亭」、茶室「不審菴」を、古図を手掛かりに中村昌生氏の設計で再現した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一来亭の奥には一頭のロバが飼育されています。その名も一休。禅宗において門弟のことを目の見えないロバ、瞎驢(かつろ)と呼ぶことからロバは禅宗と縁の深い動物なのだとか(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一来亭の奥には一頭のロバが飼育されています。その名も一休。禅宗において門弟のことを目の見えないロバ、瞎驢(かつろ)と呼ぶことからロバは禅宗と縁の深い動物なのだとか(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

庭園にも美術品にも潜む禅の思想

それらを後にしてさらに登っていくと一気に視界が開け、広大な枯山水庭園が広がる頂上へと到達します。この庭園は「足立美術館」の庭園作庭などで知られる中根金作氏によるもの。総門からここへたどり着くまでに仕掛けられたさまざまな工夫と対比されるように、要素が限定され白い砂利が一面に広がる空間に身を置くと、邪念が吹き飛び心が洗われるよう。「禅と庭」をテーマにしたミュージアムのクライマックスにふさわしい庭園空間です。賞心庭を手掛けた中根史郎氏は息子でもあり、境内を上下に挟むように親子共演を楽しむことができるようになっています。

枯山水庭園「阿弥陀三尊の庭」と鉄筋コンクリート造の「荘厳堂」が美しく調和する(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

枯山水庭園「阿弥陀三尊の庭」と鉄筋コンクリート造の「荘厳堂」が美しく調和する(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然との調和を図る賞心庭とは対照的に、人為的な印象を強く受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然との調和を図る賞心庭とは対照的に、人為的な印象を強く受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

また荘厳堂に展示される禅画・墨跡は《洸庭》と並ぶミュージアムのもう一つの目玉。その中心は江戸時代中期に臨済宗を中興した禅師白隠のコレクションで、ユーモアも交えた魅力的で多彩な作品が展示されています。誰もがその写真を見たことのあるような有名な作品を、その思想の発信基地である臨済宗の寺院で鑑賞できる貴重な体験です。

約200点にのぼるコレクションから定期的に展示が入れ替えられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

約200点にのぼるコレクションから定期的に展示が入れ替えられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

全身で体感し、持ち帰る禅体験

本堂から階段を下りる視線の先には、建物一つ見えない自然豊かな景色が広がっています。人里離れた静かな境内で、草木に囲まれて自然の声に耳を澄ますのもまた禅との接点になっているんです。
こうして建物を見て歩き、境内を巡るだけでも、禅の思想を頭ではなく、楽しみながら体で体験することができるのがこのミュージアムのすごいところ。ほかにも写経や坐禅体験のプログラムも用意されていて、訪問者の時間に合わせた禅体験ができるようになっています。
ひと通り回った後は、浴室で汗を流しましょう。ここでは入浴中に口に含むための飴玉が配られます。口内の飴玉に意識を集中させることで雑念を振り払う、瞑想の訓練としての飴玉なんです。

「阿弥陀三尊の庭」からの見下ろし。緑豊かな自然に包まれるだけでも心身ともにリフレッシュできる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「阿弥陀三尊の庭」からの見下ろし。緑豊かな自然に包まれるだけでも心身ともにリフレッシュできる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

内省を促すように照明が抑えられた浴室(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

内省を促すように照明が抑えられた浴室(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「神勝寺 禅と庭のミュージアム」では、大掛かりなインスタレーションアートから、うどんの食事や入浴といった日常生活と地続きのものまで、さまざまな場面を通じて禅の思想に触れることができます。
それは単にこの場所で禅の体験をするにとどまらず、日々の暮らしの中で禅を意識し、暮らしを見つめ直す第一歩となることを意図したもの。
禅の思想は最近ではビジネスの世界でも注目が集まっていますが、それ自体は臨済宗の教えからエッセンスを抜き出して、ビジネスへの活用を考えようとする動きです。素人目には、仏教の思想をそんなふうに都合よく扱って良いものだろうか? と思ってしまいますが、時代が変われば宗教の存在価値もまた変わっていくもの。むしろ積極的に日々の暮らしに役立ててほしいと、多様なプログラムが用意されていることに驚きました。
そしてそのプログラムを伝える媒体となる建築もまた、求められるニーズに合わせてアップデートされ、新しいデザインの可能性を切り開いていました。
禅と庭、そして美術と建築、これらが一体となった神勝寺は、建築好きあるいは美術好きでなくとも、新しい発見を得ることができる、皆に開かれたミュージアムでした。

●取材協力
神勝寺

口コミで移住者急増! アート、オーガニックなど活動が拡散し続ける理由を地元不動産会社2代目に聞いた 神奈川県二宮町

改札口から出ると、鎌倉や辻堂、藤沢に代表されるようないわゆる「湘南」の華やかさとは異なるゆるりとした空気が流れる二宮駅。「湘南新宿ラインで大磯と国府津の間」といえば、何となく海沿いのまちを想像いただけるだろうか。神奈川県二宮町(にのみやまち)は、5年ほど前から少しずつ「ものづくり」を好む人たちに支持されて移住者が増え、転入人口が転出人口を上回る年が増えているという。今、二宮で何が起きているのか。小さなまちの中で暮らす人とその営みを、美しい海と里山の風景とともにお届けする。

「幸福の本質が二宮にある」と気づいた、不動産会社の2代目吾妻山の中腹から二宮駅と相模湾を望む。自然と人の営みとが美しく調和している(写真撮影/相馬ミナ)

吾妻山の中腹から二宮駅と相模湾を望む。自然と人の営みとが美しく調和している(写真撮影/相馬ミナ)

“二宮”といえば最初に名前が挙がる人、それがまちの人が「プリンス・ジュン」と呼ぶ太平洋不動産の宮戸淳さんだ。宮戸さんは父が創業した不動産会社の店長として、日々、二宮の住まいやまちの魅力をブログで発信し、イベントがあればプリンス・ジュンとして参加し、場を盛り上げてきた。

太平洋不動産の宮戸淳さん。父が創業した不動産会社の店長をしている(写真撮影/相馬ミナ)

太平洋不動産の宮戸淳さん。父が創業した不動産会社の店長をしている(写真撮影/相馬ミナ)

町内のイベントなどの際には「プリンス・ジュン」として登場し、場をわかせる(写真/唐松奈津子)

町内のイベントなどの際には「プリンス・ジュン」として登場し、場をわかせる(写真/唐松奈津子)

宮戸さんは生まれも育ちも二宮。高校を卒業してから千葉の大学に進学し、東京の不動産会社に就職した。「10年間、二宮を離れたことで地元の良さを再認識した」と言う。

「僕は、都心ではお金を使うこと、つまり消費によって心を満たしていたと思います。ところが、二宮に戻ってきて、日常生活の中で目に入る風景に癒やされていることに気づいて。自然を身近に感じて心が満たされる、幸福の本質はここにあると思いました」(宮戸さん)

町の南側は海。ちょっとした街角にも海の気配を感じることができる(写真撮影/相馬ミナ)

町の南側は海。ちょっとした街角にも海の気配を感じることができる(写真撮影/相馬ミナ)

一つのパン屋の存在で「人の流れが変わった」

しばらくは東京にいたころと同じ感覚で不動産の仕事をしていた宮戸さん。その意識を大きく変えたのが、今や二宮を代表するお店となった小さなパン屋「ブーランジェリー・ヤマシタ」の店主、山下雄作さんとの出会いだった。

「もともと山下さんは会社員をされていて、静かな場所で暮らしたいと10年前に茅ヶ崎から二宮に移住してきた方。お住まいを私が紹介したんです。その2年後、8年ほど前に山下さんが誰も見向きもしないような放置された空き家を見つけて『ここでパン屋をやりたい、所有者さんに当たってほしい』と相談されました」(宮戸さん)

山下さんはその空き家をたくさんの人の力を借りながらもできる範囲で自分の手でリノベーションした。出来上がった店舗を見たときのことを思い出し、宮戸さんは「こんなオシャレなお店が二宮にできるなんて衝撃だった」と言う。

取材に訪れた日も、店の前には「何を買おうか」とパンを楽しみに待つ人の行列ができていた(写真/唐松奈津子)

取材に訪れた日も、店の前には「何を買おうか」とパンを楽しみに待つ人の行列ができていた(写真/唐松奈津子)

「食堂」と呼ぶイートインスペースは、信頼できる大工さんとともに倉庫だった場所をリノベーションして雰囲気のあるすてきな店舗に改装(写真撮影/相馬ミナ)

「食堂」と呼ぶイートインスペースは、信頼できる大工さんとともに倉庫だった場所をリノベーションして雰囲気のあるすてきな店舗に改装(写真撮影/相馬ミナ)

ハード系のパンが中心に並ぶ店内。午後早めの時間には売り切れていることもしばしば(写真撮影/相馬ミナ)

ハード系のパンが中心に並ぶ店内。午後早めの時間には売り切れていることもしばしば(写真撮影/相馬ミナ)

「ブーランジェリー・ヤマシタはおいしいパン、オシャレなお店というだけでなく、二宮の人の流れそのものを変えました。店内では展示会や演奏会などが開催され、日々の暮らしにアートや音楽を取り入れながら、心豊かに暮らそうとする人たちが集まるようになったんです。お店一つで地域の価値が変わった、と感じた瞬間でした」(宮戸さん)

空き家の入居者をプレゼン方式で募集

山下さんのような人が増えれば、まちの価値自体がどんどん上がっていく。町内には、まだ放置されている空き家がいっぱいある。そのことに気づいた宮戸さんは「自分のまちの見方、不動産との関わり方自体が変わっていった」と話す。

まず、町内に点在する空き家について、プレゼン形式で入居者を募集することにした。現在、諏訪麻衣子さんと養鶏も営む農家が一緒に営業しているお店「のうてんき」も、その一つ。当初は、宮戸さんが空室になった平屋をコミュニティスペースにする目的で地域の人たちと一緒にリノベーションし、「ハジマリ」という屋号でお店を開いてみたい人たちに貸したり、ワークショップを開催したりしてきた。今はとれたての卵やオーガニック野菜などを農家が直接販売できる場所としてオープン。「二宮の農家さんを応援したい」と活動している諏訪さんと仲間たちがお店番をやりながら、その野菜と卵を使った料理を振る舞っている。

古い平屋を町内のアーティストがペイント。カラフルなガーランドとともに訪れる人を温かく迎えてくれる(写真撮影/相馬ミナ)

古い平屋を町内のアーティストがペイント。カラフルなガーランドとともに訪れる人を温かく迎えてくれる(写真撮影/相馬ミナ)

古い平屋を改装した「のうてんき」の店内(写真撮影/相馬ミナ)

古い平屋を改装した「のうてんき」の店内(写真撮影/相馬ミナ)

外のテラスでも食事ができる(写真撮影/相馬ミナ)

外のテラスでも食事ができる(写真撮影/相馬ミナ)

二宮の農家がつくった、採れたて野菜が諏訪さんの手で美しく、体に優しい料理に。この日のランチメニューは2種類(お豆と野菜)のカレー(写真撮影/相馬ミナ)

二宮の農家がつくった、採れたて野菜が諏訪さんの手で美しく、体に優しい料理に。この日のランチメニューは2種類(お豆と野菜)のカレー(写真撮影/相馬ミナ)

以後、町内のさまざまな場所でマルシェが開催されるようになった。2016年、町と地域と神奈川県住宅供給公社が連携し、二宮団地の再編プロジェクトが始まったころから「二宮が面白いよ」という声が口コミで広がる。まさに転入が転出を超過し始めた5年ほど前から、宮戸さんも肌でまちの盛り上がりを感じられるようになってきたそう。それまでは何か面白いことがあれば首を突っ込んでは追いかけ、ブログで紹介してきた宮戸さんだが「町内の各所で自発的に面白い活動が展開・拡散し続けた今は、もはや自分の手に負えない」と笑う。

月に1つのペースで増えて続ける「壁画アート」で彩られるまち

そんな宮戸さんが今、準備を進めているのが、2022年10月に開催予定のアートイベント「二宮フェス」だ。このイベント開催の背景には2年半前から「Area8.5(エリア・ハッテンゴ)」としてこの地域を盛り上げようという動きの中で、Eastside Transitionのアーティストである乙部遊さんと、ディレクターの野崎良太さんによる壁画アート活動がある。

彼らには「アートでこのエリアに彩りを与え、活性化し、他のエリアからも注目されたい。この活動を通じて、このエリアに住む若い世代に地元への誇りや愛着を持ってもらいたい」という想いがあった。そして、想いに共感したEDOYAガレージの江戸理さんが手始めに自宅の外壁に絵を描いてもらうことにしたのだ。

乙部さんがNYから二宮に移り住む前から、作品のファンだったという江戸さん(写真撮影/相馬ミナ)

乙部さんがNYから二宮に移り住む前から、作品のファンだったという江戸さん(写真撮影/相馬ミナ)

自宅ガレージのシャッターと壁に乙部さんに絵を描いてもらったのがArea8.5内のアート活動の始まり(写真撮影/相馬ミナ)

自宅ガレージのシャッターと壁に乙部さんに絵を描いてもらったのがArea8.5内のアート活動の始まり(写真撮影/相馬ミナ)

このカッコ良さに注目をする人が増え、2人のもとには壁画制作の依頼が相次ぐようになった。創業109年を迎える地元の印刷会社、フルサワ印刷の真下美紀さんもその活動に魅せられた一人だ。壁画の完成後、若い人はもちろん、近隣に住む年配の人も会社の前を訪れては「よくぞ描いてくれた」と褒めてくれるのだと言う。

大正時代から続く老舗、フルサワ印刷の外壁。Eastside Transitionの作品が町内を彩る(写真撮影/相馬ミナ)

大正時代から続く老舗、フルサワ印刷の外壁。Eastside Transitionの作品が町内を彩る(写真撮影/相馬ミナ)

アメリカン雑貨を扱う「D-BOX」の看板(写真撮影/相馬ミナ)

アメリカン雑貨を扱う「D-BOX」の看板(写真撮影/相馬ミナ)

町内の壁画は今も月に1カ所のペースで増え続けており、野崎さんによれば、2022年5月末時点で「既に18カ所目の壁画制作の予定まで決まっている」らしい。

Eastside Transitionが経営するアートギャラリー「8.5HOUSE」(写真撮影/相馬ミナ)

Eastside Transitionが経営するアートギャラリー「8.5HOUSE」(写真撮影/相馬ミナ)

店内ではさまざまなアート作品やTシャツを扱う(写真撮影/相馬ミナ)

店内ではさまざまなアート作品やTシャツを扱う(写真撮影/相馬ミナ)

「オーガニック」「エコ」の流れは二宮のまちにとっての「必然」

もう一つの新しい波として、宮戸さんは「オーガニック」「エコ」の流れが二宮に来ていることを挙げる。

「アーティストや編集者、映像製作などのクリエイターやものづくりに興味のある人、この景色に魅力を感じる人が集まってきました。二宮の自然が好きで集まった人たちなのでオーガニック志向やエコ意識が高いことは、ある種の必然と言えるかもしれません」(宮戸さん)

先に紹介した「のうてんき」で提供される料理も体に優しいごはんだった。さらに、そのテラスから畑と空き地を挟んだ向かいには、植物で囲われた独特のオーラを放つ古家がある。この家も宮戸さんがプレゼン形式で入居者の募集を行った物件だ。今はオーガニック製品の量り売りを行う「ふたは」の店舗として、天然素材の優しさと、手仕事のぬくもりや喜びに満ちた空間になっている。

ツタに覆われた「ふたは」の外観(写真撮影/相馬ミナ)

ツタに覆われた「ふたは」の外観(写真撮影/相馬ミナ)

店のドアは植物に埋もれて、異世界への入口のよう!(写真撮影/相馬ミナ)

店のドアは植物に埋もれて、異世界への入口のよう!(写真撮影/相馬ミナ)

店内には量り売りの天然素材や食料品が並び、外観からは想像できないほど明るくて心地のいい空間になっている(写真撮影/相馬ミナ)

店内には量り売りの天然素材や食料品が並び、外観からは想像できないほど明るくて心地のいい空間になっている(写真撮影/相馬ミナ)

豊かな自然と東海道にはじまる新旧の営みが、未来をはぐくむ

町を見下ろすことができる吾妻山、湘南の海を望む梅沢海岸などの美しい風景も、昔から変わらない二宮の代表的なスポット。50年以上前から町の北側を中心に28棟856戸(うち、10棟276戸は2021年3月時点で賃貸終了)を展開してきた神奈川県住宅供給公社の「二宮団地」では、再編プロジェクトによって町の魅力づくりや小田原杉を使った部屋のリノベーションを行うなど、新しい風も吹いている。自然と親しみの深い土地は、このまちで育つ子どもたちにも温かいまなざしを向けてきたことだろう。

約87haもの里山に開発された「二宮団地」。50年以上の時を経て、里山の美しい景色に溶け込んでいる(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

約87haもの里山に開発された「二宮団地」。50年以上の時を経て、里山の美しい景色に溶け込んでいる(写真提供/神奈川県住宅供給公社)

近年の子どもたちや親子の居場所として注目したいのが、「みらいはらっぱ」だ。東京大学果樹園跡地の活用を町が計画し、2021年から地元企業が運営。貸し出しスペースを利用して、さまざまな企業・団体や個人がそれぞれのアイデアで参加・活用をしている。

「みらはらSTAND」では、平日に(一社)あそびの庭が子どもたちのサードプレイスを提供。土日はイベントやワークショップも開催されている。かわいいルーメット(キャンピングトレーラー)は、テレワークをはじめ多用途に使える子連れOKのシェアスペースとして運用を始めようというところだ。

毎週月・水・金曜日の10時~17時には、「はらっぱベース」として子どもたちの居場所事業を行う(写真撮影/相馬ミナ)

毎週月・水・金曜日の10時~17時には、「はらっぱベース」として子どもたちの居場所事業を行う(写真撮影/相馬ミナ)

ルーメットがテレワークなどに使えるシェアスペースに改装され、子どもたちも興味津々(写真撮影/相馬ミナ)

ルーメットがテレワークなどに使えるシェアスペースに改装され、子どもたちも興味津々(写真撮影/相馬ミナ)

二宮を訪れて出会う誰もが「人が優しい」と口にする。「ずっと住んでいた人も、移住して来た人も優しくて、新しい取り組みをみんなが応援してくれる」と。

江戸日本橋から、京都三条大橋までの東海道、その53の宿場を指す東海道五十三次で「8」大磯と「9」小田原の間にあるまち。Area「8.5」の由来はここにある。昔から多くの人が行き交い、交流してきた土地柄だからこそ、できた空気感なのかもしれない。その空気と自然をまとう二宮のまちに心地よさを感じた人たちが、日々の暮らしを営みながら、これからも新しい何かをつくり続けていくのだろう。

●取材協力
・太平洋不動産
・ブーランジェリー・ヤマシタ(Facebook)
・のうてんき
・8.5 House(Eastside Transition)
・EDOYAガレージ(Facebook)
・フルサワ印刷
・D-BOX
・ふたは
・みらいはらっぱ
・あそびの庭
・二宮団地(神奈川県住宅供給公社)

タイニーハウスやバンライフがコロナ禍で浸透! 無印やスノーピークなども続々参入する”小屋”の魅力とは?

「小屋」「タイニーハウス」「バンライフ」などのコンパクトな暮らしは、この10年ですっかりおなじみの存在となった。特にこの数年は、新型コロナウィルスの影響で「働く場所」「移動できる暮らし」としての拠点としても注目を集めています。いま、小屋やタイニーハウス事情はどうなっているのでしょうか。現在地を取材しました。

無印良品やスノーピークも参入! 小屋やタイニーハウスは憧れのライフスタイルに

「やはりコロナ禍の影響で、小屋の存在感、注目度は増しているように思います」と話すのは、約10年前から日本の小屋・タイニーハウス(小さな家)文化を牽引してきたYADOKARI株式会社の遠藤美智子さん。アメリカでは、タイニーハウスは2008年のリーマンショック以降にライフスタイルを見直した人が中心となって広まってきましたが、日本では東日本大震災を経験した2011年以降、徐々に広まってきました。特に2020年以降、リモートワークやテレワークが普及し、インターネット環境が整っていればどこでも働ける人が増えたため、「都会にいる必要はない」「自然のなかで暮らしたい」という声が増加、「小屋を郊外や地方に構えて2拠点生活をしてみたい」というニーズをよく聞くようになったそう。

YADOKARIが運営する「タイニーズ 横浜日ノ出町」では、鉄道の高架下に3種類のタイニーハウスを並べている。小屋ライフのお試しにぴったりだ(写真撮影/桑田瑞穂)

YADOKARIが運営する「タイニーズ 横浜日ノ出町」では、鉄道の高架下に3種類のタイニーハウスを並べている。小屋ライフのお試しにぴったりだ(写真撮影/桑田瑞穂)

「小さな家全般のことをタイニーハウスといい、弊社でも複数取り扱っていますが、先日もトレーラーを改造したトレーラーハウスのお引渡しがありました。土地代と中古トレーラーハウス代合わせて600万円以内で収まりました。都内に拠点を持ちながら、週末は愛犬といっしょに小屋で暮らしたい。今の暮らしにちょうどよい『選択肢』として定着しているように思います」と遠藤さんは続けます。
「先日、弊社で扱う小屋を一堂に展示する一般向けのイベントを湘南で開催したのですが、非常に多くのお客さまがいらっしゃいました。子どもたちも来場していて、とても和やかな雰囲気でした。今まで対企業として小屋を扱うことが多かったので、小屋への関心の高さ、広がりに私たちが驚いたほどです」と話すのは、同じくYADOKARIの齊藤佑飛さん。

イベント時の様子。次回は展示場の見学予約を開催予定(7月3日(日)、6日(水)予約制)(写真提供/YADOKARI)

イベント時の様子。次回は展示場の見学予約を開催予定(7月3日(日)、6日(水)予約制)(写真提供/YADOKARI)

こうした小屋人気の背景には、無印良品やスノーピーク(建築家の隈研吾氏デザイン)、カインズホームなど、さまざまな業種からの参入が続いたことも大きく影響しているそう。
「デザイン性や価格など、さまざまな特徴を持つ小屋が増えました。バリエーションも豊かになり、ますます個人の好みに合った小屋が選べるようになっています」と遠藤さん。

YADOKARIの遠藤美智子さん(左)と齊藤佑飛さん(右)(写真撮影/桑田瑞穂)

YADOKARIの遠藤美智子さん(左)と齊藤佑飛さん(右)(写真撮影/桑田瑞穂)

移動と定住、インドアとアウトドア。小屋にも派閥がある!?

固定の場所で暮らすタイプの小屋に加えて、今では、バンや軽自動車などを改造して移動しながら暮らす「バンライフ」や「モバイル小屋」も増えています。そこにはユーザーの志向やタイプに少し違いがあるそう。現在よく耳にするようになった「小屋」の種類とタイプを解説してもらいました。

■スモールハウス(小屋)、タイニーハウス
広さ10~20平米弱の小さな住まい。住まいになるため、基礎の上に建てます。移動させずに1カ所に定着するため、周囲で畑を耕したり地元の人と交流したりする人もいます。無印良品やスノーピークから販売されている商品のほか、組み立てキットなど、さまざま商品が登場しています。今後は3Dプリンターの家も登場するといわれています。

(写真提供/加藤甫)

(写真提供/加藤甫)

■コンテナハウス、トレーラーハウス
貨物コンテナを小屋として改造したものが「コンテナハウス」、さらに自動車で牽引できる家が「トレーラーハウス」です。「タイニーズ 横浜日ノ出町」の小屋は「トレーラーハウス」にあたります。バス・トイレがあり、人が暮らしを営めますが、法律上は車両です。移動もできるのが特徴です。

YADOKARI株式会社が運営する「タイニーズ 横浜日ノ出町」のカフェ部分は、コンテナを改造した「コンテナハウス」です。コンテナらしい無骨な風合いが、独特の味わいを醸し出しています(写真撮影/桑田瑞穂)

YADOKARI株式会社が運営する「タイニーズ 横浜日ノ出町」のカフェ部分は、コンテナを改造した「コンテナハウス」です。コンテナらしい無骨な風合いが、独特の味わいを醸し出しています(写真撮影/桑田瑞穂)

「タイニーズ 横浜日ノ出町」にある小屋は「トレーラーハウス」。建物のそのものは、住宅を手掛ける大工さんに施工してもらったといいます(写真撮影/桑田瑞穂)

「タイニーズ 横浜日ノ出町」にある小屋は「トレーラーハウス」。建物のそのものは、住宅を手掛ける大工さんに施工してもらったといいます(写真撮影/桑田瑞穂)

タイニーハウス「Wonder」の前で。小屋といいつつも、ゆとりがあるのがおわかりいただけますでしょうか(写真撮影/桑田瑞穂)

タイニーハウス「Wonder」の前で。小屋といいつつも、ゆとりがあるのがおわかりいただけますでしょうか(写真撮影/桑田瑞穂)

「Wonder」のお部屋。4人まで宿泊できますが、狭さを感じません(写真撮影/桑田瑞穂)

「Wonder」のお部屋。4人まで宿泊できますが、狭さを感じません(写真撮影/桑田瑞穂)

シャワーやトイレもあります。トイレは水洗。工具を使わずに着脱できる配管を使用し、下水道につなげている。すぐ移動ができるよう、土地には固定していないとのこと(写真撮影/桑田瑞穂)

シャワーやトイレもあります。トイレは水洗。工具を使わずに着脱できる配管を使用し、下水道につなげている。すぐ移動ができるよう、土地には固定していないとのこと(写真撮影/桑田瑞穂)

「Wonder」のシャワーブース。こうして見ると小屋といっても案外、広さがあることがわかります(写真撮影/桑田瑞穂)

「Wonder」のシャワーブース。こうして見ると小屋といっても案外、広さがあることがわかります(写真撮影/桑田瑞穂)

「タイニーハウスに興味がある人に加え、友達と個室に宿泊したい、個性的な部屋に泊まりたいという需要で利用する人も増えてきました(齋藤さん)」(写真撮影/桑田瑞穂)

「タイニーハウスに興味がある人に加え、友達と個室に宿泊したい、個性的な部屋に泊まりたいという需要で利用する人も増えてきました(齋藤さん)」(写真撮影/桑田瑞穂)

■キャンピングカー・バン
自動車の居住性を高めたのが「キャンピングカー」や「バン」です。基本的には車の延長上にあるため、居住面積は小さめです。アウトドア好きな人が多く、旅をしながら暮らしたい、いろいろなところに行きたいという、「移動」したい人“バンライファー”に向いている形態です。お風呂やトイレがついていないこと、また車中泊の場所には注意が必要です。

(写真提供/加藤甫)

(写真提供/加藤甫)

★番外編 
■サウナトレーラー
サウナの本場・フィンランドでは、自動車で牽引できる「サウナトレーラー」があるそう。バカンスの時期になると自宅の車につないで別荘に持っていき、好きな場所でサウナを楽しむといった使い方です。きれいな川、湖がある場所に移動すれば、最高の水風呂で“ととのう”ことは間違いなさそう。YADOKARIで販売をはじめたので、これから一気に盛り上がりそうです。

(写真提供/YADOKARI)

(写真提供/YADOKARI)

なるほど、移動を重視するアクティブ派は「バン」「キャンピングカー」、好みの場所に定住したい派は「小屋(タイニーハウス)」、「コンテナハウス」(移動はできるけれど、基本は1カ所で過ごす)といえるのかもしれません。「生き方」や「好きな暮らしのタイプ」にあわせて小屋が選べるようになっているあたり、小屋・タイニーハウス文化の広がりを感じます。

オフグリッドにコミュニティ、まだまだ可能性は広がる

「今まで弊社では、主に企業と組んで、小屋のプロデュースや土地の活用法をご紹介・提案してきました。シェアオフィス、コワーキングスペース、最近ではビジネスの側面からトレーラーハウスの引き合いがとても多いですね。ただ、このコロナ禍で大きく価値観が変わり、都会で暮らす意味を問い直す人や、住宅ローンや家賃にしばられない暮らしがしたい、という人がさらに増えたように思います。広さや駅からの距離、家賃などといった今までの物件の選び方とは異なる価値観を提案していけたらいいですね」と遠藤さん。

(写真提供/加藤甫)

(写真提供/加藤甫)

「もともと住まいって、広さよりも、どう過ごすかのほうが大事なはず。僕自身も今は小さな家に暮らしていて、広い家にあまり興味はありません(笑)。自分の身の丈にあったサイズの家が心地よいと思うんです。必要なら拡張したり、縮小したりする。柔軟な暮らし方ができるんだよと伝えていけたらいいですね」と齊藤さん。“うさぎ小屋”のようだと揶揄されてきた日本では、「広さこそ、豊かさ」と考えていた時代が続いていたわけですが、その価値観は今、大きく変わったようです。

では、今後小屋がさらに普及するうえで課題となっているもの、次の展開などについて聞いてみました。

「現状の課題のひとつは、ローンが組みにくいことがあります。小屋は住宅ローンのような超低金利ローンは利用できないのです。お金を借りるにしても金利が高くなってしまうのは、悩ましいですね。今後の展開や展望でいうと、やりたいことが多くて。自然エネルギーを活用したオフグリッドハウス(外部の電力と切り離され、独立した住まい)や、小屋で暮らす人が集まるコミュニティ、災害発生時の仮設住宅など、アイデアはたくさんあるので、ひとつずつ実現していけたらいいですね」(遠藤さん)

以前、YADOKARIが提唱する「ゼロハウス構想」(住宅ローンや家賃などの金銭的負荷を減らして可処分所得や時間を人、文化の醸成に再投資する)という考え方を聞いたとき、正直、筆者は「理想はわかるけれど、実際にはね……?」と疑っていました。ただ、小屋の価格が手ごろになり、空き家や活用しにくい土地が増えてきたこと、どこでも仕事ができるようになっているなどの時代の変化を考えたときに、「ゼロハウス、無理じゃないかも」と思うようになりました。

暮らし方も働き方も大きく転換している今なら、好きな場所で、小さく豊かに暮らすが、「リアル」な選択肢になりつつあります。小屋暮らしに興味があるのであれば、今が恰好のタイミングかもしれません。

●取材協力
ヤドカリ
タイニーズ 横浜日ノ出町

郊外の空き地で、焚き火や養蜂に住民みんなが挑戦!「“禁止”はNG」が合言葉の「nexusチャレンジパーク 早野」

今から100年以上前、近代都市計画の祖といわれる英国のハワードが提唱した、豊かな自然環境と都市が融合した「田園都市構想」。この考え方に影響を受けて誕生したのが、東急田園都市線とその沿線に広がる住宅街です。今年春、そのお膝元ともいえる場所に、東急が「nexusチャレンジパーク 早野」をオープン。これまで活用されていなかった土地に、“みんなでチャレンジできる遊び場”をつくったといいます。さっそく取材してきました。

ヤギ、養蜂、コーヒー焙煎、シェア農園……住民が遊べる広場

「nexus(ネクサス)チャレンジパーク 早野」があるのは、東急田園都市線あざみ野駅からバスで10分ほど、虹ヶ丘団地とすすき野団地のあるエリア。今年4月、約8000平米の敷地に登場したのは、地産地消マルシェなどのイベントに利用できる「ネクサスラボ」、シェア型のコミュニティ農園「ニジファーム」、焚き火を囲んで遊べる「ファイヤープレイス」、養蜂やカブトムシの育成などに挑む「生き物の森」で構成されていて、基本的に住民が自由に使うことができる広場です。

斜面のある土地を利用してできたnexusチャレンジパーク 早野。緑が濃く、パーク全体になんともいえないワクワク感が漂っています(写真撮影/片山貴博)

斜面のある土地を利用してできたnexusチャレンジパーク 早野。緑が濃く、パーク全体になんともいえないワクワク感が漂っています(写真撮影/片山貴博)

取材時は「チャレンジデイ」ということで、パークでどんなチャレンジができるのかを知ってもらうイベントを行っていました。当日は、「ヤギとのふれあい」「焚き火でコーヒー焙煎」などの体験や、「どんなところかひと目みたい」という地元のみなさんでにぎわっていました。周囲は団地で、緑にあふれる環境。この日は晴天で、風が吹き抜ける中、子どもたちが自由に駆け回っていて、とても清々しい気持ちになりました。

子どもにも大人にも大人気のヤギさん。「葉っぱだよ~」とたくさんもらっていて、お腹いっぱいになっていました(写真撮影/片山貴博)

子どもにも大人にも大人気のヤギさん。「葉っぱだよ~」とたくさんもらっていて、お腹いっぱいになっていました(写真撮影/片山貴博)

ファイヤープレイスで実施されていた「焚き火でコーヒー焙煎」体験(写真撮影/片山貴博)

ファイヤープレイスで実施されていた「焚き火でコーヒー焙煎」体験(写真撮影/片山貴博)

自分で焙煎したものを手挽きして世界に1つの極上の一杯を抽出!(写真撮影/片山貴博)

自分で焙煎したものを手挽きして世界に1つの極上の一杯を抽出!(写真撮影/片山貴博)

ニジファーム(写真撮影/片山貴博)

ニジファーム(写真撮影/片山貴博)

ニジファームで栽培しているハーブを摘んで、来場者がハーブティを楽しんでいました(写真撮影/片山貴博)

ニジファームで栽培しているハーブを摘んで、来場者がハーブティを楽しんでいました(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

ベンチに腰掛けてお茶をしたり、シャボン玉をしたりと、思うまま「自由に試し、遊べる場所」です(写真撮影/片山貴博)

ベンチに腰掛けてお茶をしたり、シャボン玉をしたりと、思うまま「自由に試し、遊べる場所」です(写真撮影/片山貴博)

焚き火もOK! 自由に、楽しく、街で試してチャレンジ

都市部でも郊外でも、何かと制約や禁止が多い昨今ですが、ここではハチやヤギのような生き物はいるし、焚き火もOKという、きわめて自由度の高い場所としてデザインされています。

「生き物の森」に設置された養蜂箱。ここではちみつが取れるか、チャレンジしているそう(写真撮影/片山貴博)

「生き物の森」に設置された養蜂箱。ここではちみつが取れるか、チャレンジしているそう(写真撮影/片山貴博)

「企画のかなり早い段階で、パーク内に『禁止』と書くのはやめようね、という話になりました。禁止といわれてしまうと、とたんにあれもこれもダメになってしまう。大切なのはチャレンジできること。ダメだから、と諦めるのではなく、どうやったらできるか? という発想で進めているんです」と話すのは、nexusチャレンジパーク運営チームの清水健太郎さん。

確かに、「ダメ」や「迷惑でしょ」といわれてしまうと、大人も子どももとたんに遠慮や萎縮が出てしまうもの。あくまで「チャレンジをする場所」と位置づけ、まずはやってみたいことを募り、法律や地域のルールにも配慮しながら、「どうやったらできるか」を考えていくといいます。

看板(写真左)には禁止という文言は見当たらず、「思いやりをもって、チャレンジを応援しよう」という文言が。また、チャレンジパークでやってみたいことを募集したところ(写真右)、“リレー”や“水あそび大会”、“肉フェス”、“工作”など自由な発想が描かれています(写真撮影/片山貴博)

看板(写真左)には禁止という文言は見当たらず、「思いやりをもって、チャレンジを応援しよう」という文言が。また、チャレンジパークでやってみたいことを募集し(写真右)、“リレー”や“水あそび大会”、“肉フェス”、“工作”など自由な発想が描かれています(写真撮影/片山貴博)

模造紙に書かれた、パークでチャレンジしたい内容を見ていくと「フェス」や「おまつり」「ざっそうとり大会」「無料カフェ」など、ユニークな内容がずらり。いいですよね、毎週、文化祭やおまつり気分。早くも「チャレンジパークにいくと、楽しいことがあるよ」「楽しい人がいるよ」という場所になりそうな予感がします。

nexusチャレンジパーク運営チームのみなさん(写真撮影/片山貴博)

nexusチャレンジパーク運営チームのみなさん(写真撮影/片山貴博)

「こうした自由な遊び場を通じて、地域の人の想いを結びつけ、コミュニティとして育つ空間をつくりたい」と話すのは、前出の清水さん。住む人が自然とつながり合い、語り合い、一緒にチャレンジし、また語り合う、そんなサイクルを生み出す、これこそが、運営チームのみなさんがこの場で実現したいことだそう。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

東急田園都市線沿線は、閑静な住宅地として大いに発展してきましたが、2020年の新型コロナウイルス感染症拡大により、その住宅で『働く』ことが当たり前になりました。コロナ禍で私たちのライフスタイルは大きく変わり、以前のような毎日決まった時間に通勤する人の動きに、もう戻らないだろうともいわれています。

「家での滞在時間が増えたということは、居住地域で過ごす時間が増えたということ。だとしたら、新たな居場所が必要だよね、と。これまでは「住む」の意味合いが強かった場所に、「学ぶ」「働く」そしてnexusチャレンジパークのような「遊ぶ」場がある、そんな『街づくり』、『歩いていて楽しい街』にしていきたい。」と清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

大人が遊ぶというと、お酒を飲むとか、イベントに行くとかになりがちですが、焚き火遊びや野遊びができる場が近所にあったら、やっぱりそれは楽しいし、利用したくなりますよね。

街のバディ(仲間)を発掘。人が人を呼ぶ楽しさ、つながる喜び

また、もう一つこだわったのは、運営や企画に携わるのが「地域の人」という点です。

「今回、記録撮影に入っているカメラマンさん、地元にお住まいなんです。ひょんなことから地域に住んでいるカメラマンさんとの出会いがあり、お願いすることになりました。今回来てくれたヤギのオーナーさんも、団地の方が紹介してくださり話がまとまったんです。チャレンジパーク内の施工関係は地元の桃山建設の専務が参画されていたりと、地域の仲間、つまりバディを発掘しながらつくりあげています。今後もそんな輪を広げていきたいですね」と、清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

パーク敷地内にある竹林から竹を切り出すところから体験する「巨大そうめん台」づくり。子どもと一緒になり、のこぎりで竹を切っているのは、地元の建設会社・桃山建設の川岸憲一さん。本物の大工さんと竹を切り出す体験なんて、そうそうできない……(写真撮影/片山貴博)

パーク敷地内にある竹林から竹を切り出すところから体験する「巨大そうめん台」づくり。子どもと一緒になり、のこぎりで竹を切っているのは、地元の建設会社・桃山建設の川岸憲一さん。本物の大工さんと竹を切り出す体験なんて、そうそうできない……(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

切り出した竹を真っ二つに割っていきます。子どもだけでなく、親世代でも人生初、という声も聞かれました。確かに!(写真撮影/片山貴博)

切り出した竹を真っ二つに割っていきます。子どもだけでなく、親世代でも人生初、という声も聞かれました。確かに!(写真撮影/片山貴博)

その後、節をくり抜いて、台のうえに竹を並べて巨大なそうめん流し台が完成。この日はそうめんは流さず、水を流して遊ぶ子どもたち。笑顔がまぶしい(写真撮影/片山貴博)

その後、節をくり抜いて、台のうえに竹を並べて巨大なそうめん流し台が完成。この日はそうめんは流さず、水を流して遊ぶ子どもたち。笑顔がまぶしい(写真撮影/片山貴博)

地域コミュニティを創出するプロに依頼し、それらしい空間をつくるのは容易いことでしょう。でも、そうはせず、時間はかかっても、その土地で暮らしてきた人々の気持ち、地域の縁によって育てていくのが、チャレンジパークのコンセプト。

ちなみに、撮影を担当していたカメラマンさんによると、「この地域には映像ディレクターにプログラマーなど、優秀な人が多くて、才能の宝庫です。自由にやっていいといったら何でもできるのではないでしょうか」とのことです。

「昔と違って地域に住んでいる人って、実はなかなか出会わないし、知り合いになる機会って限定されていますよね。でも、農作業をする、とか焚き火をする、一緒に遊ぶという活動や体験の共有があると、ぐっと距離が縮まるでしょう。地域に住む人が、自然と、互いにつながる場になっていけたら」と清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

今年2022年に創立100年を迎える東急グループ。沿線も街も成熟していますが、一方で、街として成熟するということは、自由な余白がなくなるということでもあり、規則が増えるということでもあります。

成熟した街に、もう一度、余白と自由を取り戻す。緑豊かな田園の環境と都市の利便性、美しさの融合が「田園都市」だとしたら、このnexusチャレンジパークは、本来の意味での「田園都市」としてアップデートする試みといえるのかもしれません。

●取材協力
nexusチャレンジパーク 早野

パリ郊外の古い一戸建てを大改造しモロッコ空間に!緑いっぱいサンルームでガーデンパーティも パリの暮らしとインテリア[14]

二人暮らしから赤ちゃんが生まれて家族が増え。ライフスタイルの変化とともに、住まいに求める内容も変化します。パリ郊外の街モントルイユに暮らすドミニクさん夫妻は、25年前、変化に合わせて暮らしを大きく変えました。未知の環境をどのように選び、どのようにして新しいライフスタイルをつくり上げたのでしょうか ? 緑いっぱいの一戸建てを訪問し、話を伺いました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

エレベーター無しの7階から、庭のある郊外の一戸建てへ

ドキュメンタリストのドミニク・メタン・ド・ラージュさんは、パリ郊外の街モントルイユに引越して25年になります。ドキュメンタリストという職業はあまり馴染みがありませんが、映画やテレビ番組を制作する際に、歴史的資料やデータといった諸々のドキュメント(文書)を集める仕事なのだそう。今はちょうどNetflix向けに資料集めをしている真っ最中です。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

仕事場は自宅。フランス政府が文化を守るために舞台関係者などを金銭的支援するアーティスト認定制度「アンテルミッタン」を獲得しているドミニクさんは、自由業者にはない安定の保証を得つつ、時間や場所の制約なしで作業ができるライフスタイルに、心から満足しているよう。これというのも25年前、パリを脱出し、環状線の外側の郊外へ飛び出したおかげなのでした。

庭に面した壁を取り壊してつくったサンルーム。キッチンからリビング、サンルームまでひと続きになって庭に抜ける(写真撮影/Manabu Matsunaga)

庭に面した壁を取り壊してつくったサンルーム。キッチンからリビング、サンルームまでひと続きになって庭に抜ける(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「パリ生活は、ミュージシャンが多く住むオベルカンフ通り周辺が拠点でした。夫は今もそうですが、以前は私もレコード会社に勤めていたこともあって、あのエリア特有の自由でクリエイティブな空気がとても気に入っていたのです。ただ、アパルトマンはエレベーター無しの7階で……子どもが産まれてからは、不自由を感じるようになって。そもそも寝室が1つしかなく、リビングの一角に夫婦のベッドコーナーをつくってなんとかやり過ごしていたのです。でも、次男を妊娠した1996年、片方の腕で長男を抱いて、もう片方で紙おむつの大きなパックやミネラルウオーターを抱えながら、毎日7階まで階段を昇る生活をやめる時がきた、と悟りました」

ファミリーのポートレート(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ファミリーのポートレート(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさん夫妻にとって、音楽は人生の重要な要素(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさん夫妻にとって、音楽は人生の重要な要素(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリの古いアパルトマンの、木の階段を昇り降りする日々、しかも小さな子どもと一緒! 想像するだけでよく頑張りましたと絶賛したくなりますが、そのくらいパリ暮らしが気に入っていて、パリ以外の場所での生活は考えられなかったということでしょう。

「実は1年ほどパリ市内で物件探しをしていたのです。でも値段が高いばかりで、ちっともいい物件に出会えませんでした。そんな時、友人のひとりがモントルイユのことを教えてくれました。当時はまだ安かったですし、感じのいい一戸建てが多いんだよ、と」

友人のすすめですぐに不動産屋とコンタクトを取り、3軒目に訪問したこの家でピンときて、即決断。パリではさんざん苦労した物件探しも、モントルイユに来た途端、たった1カ月で目的達成できました。

春には壁伝いに白い藤の花が咲く。クレマチスやケマンソウ、オダマキなど、たくさんの花の見ごろを、ドミニクさんは楽しみにしている。時には庭で読書も(写真撮影/Manabu Matsunaga)

春には壁伝いに白い藤の花が咲く。クレマチスやケマンソウ、オダマキなど、たくさんの花の見ごろを、ドミニクさんは楽しみにしている。時には庭で読書も(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「条件はまず第一に、メトロに近いことでした。なぜなら、パリの友人たちは、みんなが必ずしも車を持っているわけではないからです。友人たちとこれまで通り行き来しやすいよう、交通の便がいいことは絶対でした。第二の条件は、十分な広さがあること。ここは一戸建てですし、庭もあります。住空間は約130平米、庭がだいたい50平米くらい。内見をした時に、庭をどんなふうに手入れして、家をどう改装するか、そこで私たち家族がどんな暮らしを送るのか……情景がすぐにイメージできたのです。家の裏に広い公園があることも、決断を後押しする大きなポイントでした。交通量の多い大通りを渡ったりせずに、すぐに遊びに行ける広い公園があることは、子どもたちにとって何より嬉しいことですから」

アーティストのアトリエが多いモントルイユの環境や、隣人が地下を改装してバンドの練習をしていたことも好印象だったそう。物件購入後、田舎の家そのものだったこの一戸建てを、ドミニクさん夫婦は自分達のライフスタイルに合わせて大改装していきました。

2階建てを3階建てにつくり替えて、寝室を増やす ?!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

夫妻と、息子2人。合計4人の家族全員が、快適に暮らせるようにと購入した一戸建て。その希望に応えるポテンシャルはありながらも、購入時の家は現在の姿とは全く違っていました。

「2階建てとはいえ、中は昔ながらのつくりのせいで廊下ばかりが場所をとり、肝心な各部屋はとても小さかったのです。しかもトイレは、屋外に後付けされていました。私たちはまず、寝室をもう1つ増やすために2階の天井を低くして、屋根裏を寝室につくり変えることにました。つまり、2階建ての家の中身を、3階建てに変えたのです」

冬に家全体を暖めてくれる薪ストーブ。イームズのラウンジチェアはドミニクさんへの60歳の誕生日プレゼント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

冬に家全体を暖めてくれる薪ストーブ。イームズのラウンジチェアはドミニクさんへの60歳の誕生日プレゼント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさんが母から受け継いだナポレオン3世スタイルの長椅子は、ヒョウ柄に張り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ドミニクさんが母から受け継いだナポレオン3世スタイルの長椅子は、ヒョウ柄に張り替えた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モントルイユ在住アーティスト、ナタリー・シューの作品などを窓辺に。さまざまなスタイルのオブジェをミックスするのがドミニクさん好み(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モントルイユ在住アーティスト、ナタリー・シューの作品などを窓辺に。さまざまなスタイルのオブジェをミックスするのがドミニクさん好み(写真撮影/Manabu Matsunaga)

3階に新しく寝室をつくって、ここを長男の部屋にする、というプランでした。

「1階は、庭の魅力を最大限に取り入れたかったので壁をすべて取り払い、代わりにサンルームをつくりました。このおかげで、サンルームの屋根の部分が、2階のバルコニーになったのです。これは本当にいい判断だったと思っています。サンルームのガラスが納品されるまでの間、ベニア板で塞いで暮らしていた1カ月以上にわたる悪夢も、今では笑い話ですね」

天井を低くしたり、壁を取り壊したり。かなりの大工事を経験せねばなりませんでしたが、こうして完成した住まいは広々とした4LDK。もちろんトイレもちゃんと家の中です! さあ、どんな間取りになったのか、玄関から順を追って見ていきましょう。

庭のメリットを最大限に生かす住まいのレイアウト

まず、ピンク色にペイントした玄関を入ってその先へ。右側がキッチンとリビングです。リビングは例のサンルームに続き、その先にドミニクさんお気に入りの庭が広がっています。廊下を挟んでリビングの向かい側、つまり玄関の先の左側は、仕事部屋兼テレビルームです。モロッコ風のニッチは美と実益を兼ねていて、ドミニクさん自慢のコーナーの一つです。

モロッコやアジアなど、色々な文化スタイルをあえてミックス。旅先から持ち帰ったものも多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モロッコやアジアなど、色々な文化スタイルをあえてミックス。旅先から持ち帰ったものも多い(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

2階には夫妻の寝室と、長男の部屋が。サンルームの屋根を利用してできたバルコニーは、夫妻の寝室からひと続きになっています。このバルコニーも、ドミニクさんのお気に入り空間です。一人で静かに過ごす日中、ベッドの上で読書をして、気が向いたらバルコニーに出て空を眺める。そんな時間をドミニクさんは心から愛しているのです。

そしてこの上階、屋根裏につくった寝室が次男の部屋、という次第。今では長男・次男ともに独立し、一緒に住んではいません。現在、次男の部屋にはプロジェクターをセットして、ホームシアターとして使っているとのことでした。ここも、ドミニクさんのお気に入り空間です。

ベッドの上で読書をするのも好きな時間(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ベッドの上で読書をするのも好きな時間(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ここにもモントルイユのアーティスト、ナタリー・シューのオブジェが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ここにもモントルイユのアーティスト、ナタリー・シューのオブジェが(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルーム上につくったベランダ。夫妻の寝室からアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルーム上につくったベランダ。夫妻の寝室からアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルームの屋根を活用してつくったバルコニーは、一人リラックスタイムを過ごすのに最適な場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

サンルームの屋根を活用してつくったバルコニーは、一人リラックスタイムを過ごすのに最適な場所(写真撮影/Manabu Matsunaga)

インテリアはミックスで

家を一周して一番印象に残るのは、なんと言ってもモロッコ風のアクセントです。ピンク色の壁とポインテッドアーチ型のニッチは、まるでモロッコの都市・マラケシュにいるよう。なぜモロッコテイストなのかなと思い尋ねたたところ、ドミニクさん夫妻は15年前からモロッコで賃貸の一戸建てを借りていて、バカンスのたびに彼の地へ行くのが習慣になっているのだそう。夫の両親がモロッコに住んでいたこともあり、愛着のある土地なのだと教えてくれました。

モロッコから運んだスパイス棚も「用の美」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

モロッコから運んだスパイス棚も「用の美」(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「モロッコの職人芸術には、かなりインスパイアされていると思いますよ。ポインテッドアーチ型のニッチのように、装飾性と実用性を兼ねたものが多いこともその理由かも知れません。加えて、モロッコからパリまではバスを使った格安の配送サービスがあるので、家づくりに必要なものを買ってパリに送ることが簡単にできるのです。例えば、壁のピンクの顔料はモロッコで買ったもの。普通のペンキよりもずっと発色がいいのです」

そして全てをモロッコスタイルにするのではなく、ミッドセンチュリーデザインや、モントルイユのアーティストのオブジェ、世界中の旅先から持ち帰ったものなど、いろいろなスタイルをミックスしていることにも気づきます。あえてひとつのスタイルに統一しないのは、フランスの人々の住まいによく見られる特徴です。ファッションと同じように、住まいづくりにも自分の個性を尊重して、自分のために空間をつくる。だからこそ自分が心地よく暮らせるのだということを、個人主義の彼らは経験から熟知しているのです。

シンク上のミッドセンチュリー風の棚は、なんとドミニクさんのお父様の手づくり作品!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

シンク上のミッドセンチュリー風の棚は、なんとドミニクさんのお父様の手づくり作品!(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

照明はミッドセンチュリーデザインをセレクト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

照明はミッドセンチュリーデザインをセレクト(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面を覆う印象的な「カケモノ」は、ドキュメンタリストとして関わったテレビ番組で使用したもの。撮影後、ゴミになる前に譲ってもらった。「カケモノ」とは装飾用の幕のことで、フランスの演出業界では一般的な表現。日本の掛け物からきている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

壁面を覆う印象的な「カケモノ」は、ドキュメンタリストとして関わったテレビ番組で使用したもの。撮影後、ゴミになる前に譲ってもらった。「カケモノ」とは装飾用の幕のことで、フランスの演出業界では一般的な表現。日本の掛け物からきている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

時には60人を招いてガーデンパーティも!

一戸建てを大改装し、自分達の暮らしに合うようつくり替えたドミニクさん。家の中の多くの部分がお気に入り空間になっていることから分かるように、改装工事は大成功でした。

「でも実は、この家で一番気に入っているのは庭なんです。庭は、日々の生活に心の安らぎと喜びを与えてくれます。自然は毎日変化し、時間ごとに変化しますから、見飽きるということがありません。時にはここで、大勢を招いてガーデンパーティをします。一番最近は夫の70歳のバースデーパーティ。60人を招待しました!」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そんなに大勢をどうやって !? 食器だって足りないのではと心配になりますが、フランスの人たちは招待客でもパーティの準備に参加する、いわゆる「持ち寄り」精神が旺盛なのだそう。食器はともかく、料理の方はみんなで持ち寄って参加するので、招待する側だけが何日も前から仕込みをしたり、プロのケータリングを頼んだりせずに済むそうです。気負わずに大人数のパーティができるのはいいですね。

「パリの西にあるモントルイユは、近年人気が上昇し続けている街です。エコロジーに根ざした環境と、パリジャンやパリジェンヌとは違ったメンタリティーの人たちが住んでいることが、その人気の理由です。街そのものは特別美しくはありませんが、17世紀から19世紀にかけて作られた『桃の壁』という文化遺産があって、多くのアソシエーションがここで都市型農園や参加型菜園などのプロジェクトを進めています。つまり、いいエナジーのある街。いろいろなバランスがいいので、老後も田舎へ引越すことは考えていません。もし引越すならモロッコです! そのくらい、今のライフスタイルに満足しています」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この壁面の内側に「桃の壁」がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

この壁面の内側に「桃の壁」がある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園は、四季折々の姿を見せてくれる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園は、四季折々の姿を見せてくれる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園。この存在は息子たちの成長にとって非常に大きかった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

家の裏にある広大な公園。この存在は息子たちの成長にとって非常に大きかった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「住まい」とは、家の中だけではなくて、庭や環境、街のエナジーまでも含む自分を取り囲む空間のこと。物件探しをする際は、周辺の環境もしっかり見なくては! そう肝に銘じさせられる、ドミニクさんのお宅訪問でした。

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
ドミニクさん

シャーロック・ホームズの事件現場や建築を図解! 長年の謎「西日問題」も解決?! ホームズ研究家・北原尚彦さんに聞いた

「名探偵といえば?」と問われたら必ず名前が挙がるのが、アーサー・コナン・ドイルが生み出した名探偵シャーロック・ホームズだろう。その原作に登場する建物や事件の現場は、実際はどんな建築物だったのか? この課題に取り組み、『シャーロック・ホームズの建築』という本にまとめた北原尚彦さんに話を聞いた。

『シャーロック・ホームズの建築』の始まりは、「キャラクター」

まず、この本ができるまでの経緯を聞いた。北原さんの話によると、SNSがきっかけだという。

あるキャラクターを使った本に興味を持った北原さん。その本についてTwitterで取り上げたら、大きな反響があった。それがきっかけで、その本を出版したエクスナレッジの編集者である佐藤美星さんと知り合いになり、佐藤さんから自社の「建築知識」という雑誌で連載をしてほしいと依頼があった。当初は「ミステリー小説の間取り」という依頼だったが、「ホームズに登場する建物だけならできるかも」と返信したら、実現してしまったのだという。

今回のインタビューには、担当編集の佐藤さんにも同席してもらったのだが、「逃してなるものか!」とすぐに企画を上げたのだとか。北原さんにとっては、まさしく逃れられない状態になったわけだ。

北原さんと佐藤さんは、雑誌での連載前から単行本化を想定していた。単行本にまとめたときのラインナップをイメージして、シャーロック・ホームズ・シリーズの中から、作品名に建物の名前がついているものをピックアップしたり、建物の所在エリアが分散するように配慮したりして、あらかじめ取り上げる作品(建物)をすべて決めていたという。

15回の連載を終えて、2つの事例を追加したり、スコットランドヤードの建物を特別事例に加えたりなど、全体を見直した上で、単行本として世に出たのが、『シャーロック・ホームズの建築』だ。

「正典に忠実なシャーロッキアン」と「現実の建物に忠実な建築家」の強力バディ

次に、原作の記述から建物をイメージすることで、どこが難しかったかを聞いた。

北原さんはシャーロック・ホームズの専門家ではあるが、建築物の専門家ではないので、図を描くのは建築家の村山隆司さんに依頼することになった。北原さんは「正典」(コナン・ドイルのホームズシリーズの原作60作のこと。シャーロッキアンと呼ばれるホームズ研究家が使う呼称)に忠実でありたいという信念をもっていたが、村山さんはホームズが活躍した時代の英国の建築様式などから外れないようにという考えをもっていた。

原作の記述内容は解釈の仕方によっては、現実の英国の建築では考えられないという事例が、まれに出てくる。そこで互いに意見を交わすのだが、「正典に忠実派」の北原さんと「現実の建築様式に忠実派」の村山さんでは結論を出すのが難しい場合もあり、佐藤さんがその間を取り持つということもしばしば。とはいえ、意見交換により新たな気づきがあり、そこで出した結論が、ホームズ研究家の中でも「新説」として評価される事例もあったというから、苦労の甲斐はあったのだ。

密室殺人事件「まだらの紐」の間取りはどうなっていた?

具体的な事例として、筆者が聞いてみたい作品があった。筆者はご多分に漏れず、小学生のときに子ども向けのホームズ全集を読んで、ミステリーファンになった一人だ。そのころ、「まだらの紐」という密室殺人の起こった部屋の間取りを見てみたいと思ったものだ。

「まだらの紐」は、依頼人であるヘレンがホームズに相談に来るところから話が始まる。ヘレンはストーク・モーラン屋敷に、姉のジュリア、義理の父親のロイロット博士とともに暮らしていたが、2年前にジュリアは不審な状況で死んでしまう。最近、ヘレンも身に危険を感じるようになったことから、ホームズに相談にきたというわけだ。その事件の起こった建物「ストーク・モーラン屋敷」ついて、詳しく聞いてみた。

この屋敷は、17世紀末に建てられた古い領主館(マナー・ハウス)で、義理の父親、亡くなった姉、妹の寝室が3部屋並んでいる。その部屋の並びや通風孔と呼び鈴の紐(引き綱)が事件のカギになるのだ。

北原さんによると、謎を解くカギになる部屋については、原作に詳しい記述があるので、それほど難しいことではなかったが、屋敷全体に関する記述の解釈が難しくて、そのほうが苦労をしたという(単行本には屋敷全体の俯瞰(ふかん)図なども掲載されている)。ただし、引き綱の長さについては村山さんに何度か描き直してもらったという。長すぎず、短すぎずの頃合いが難しかったようだ。「なるほど、まだらの紐に見えるものがこうして……」、おっと北原さんにネタバレはしないようにと釘を刺されていたのだ。

画像:『シャーロック・ホームズの建築』(エクスナレッジ)の「ストーク・モーラン屋敷 事件現場の間取り」(画作成:村山隆司)

画像:『シャーロック・ホームズの建築』(エクスナレッジ)の「ストーク・モーラン屋敷 事件現場の間取り」(画作成:村山隆司)

ちなみに、呼び鈴とは、屋敷の部屋ごとにある紐を引くと、使用人のいる部屋でベルが鳴り、どの部屋で呼んでいるのか分かる仕掛けのものだ。この呼び鈴の紐が、その役目を果たしておらず、通風孔にくくりつけられただけだというのが、ホームズの名推理を生むカギにもなる。

宝探しの暗号解読「マスグレイヴ家の儀式書」の屋敷はどうなっていた?

次に聞いてみたい作品が「マスグレイヴ家の儀式書」だ。いわゆる暗号解読もので、儀式書に太陽とか木とか、北へ十歩などの歩数が出てくる。これを解くと宝の在り処が分かるという謎解きだ。方向音痴の筆者は、どういった場所かイメージすることがなかなかできないのだが、原作の「ハールストン屋敷」は、どんな配置がされていたのだろう?

西サセックス地方の古い建物であること、Lの字型であること(長い部分が建て増した部分)、建物の周囲に庭園があることなど、屋敷についてはホームズが語る記述がある。さらに、マスグレイヴ氏が自室からビリヤード室までの経路や儀式書のあった書斎などについて語る記述もある。こうしたものを積み重ねて、配置を想像していくのだが、以前よりシャーロッキアンの間で「西日問題」と言われる課題があった。

玄関は東向きであるらしいのに、そこに「沈みかけた太陽」が照らしていた、つまり西日が差していたという記述があるのだ。これは合理的ではないので、配置を考える上では大問題だ。シャーロッキアンの間では、この問題を解消する説もあったが、村山さんによると建築的に現実的ではないということで検討を重ねた結果、古い棟には中庭があるという設定で問題を解消することにした。この新説が、研究家の仲間内で面白いと評価されたのだ。

では、屋敷の「俯瞰図」を見ていこう。暗号を解くカギになる樫(かし)の木や楡(にれ)の木の切り株が描かれている。建物の「入り口」と書かれたところから中庭につながる通路になる。そして、儀式書の歩数などから割り出したのが、「謎解きの絵」だ。暗号はこの地下室に誘導するのだが、そこには使用人が消えた事件の謎も、隠されているという話になるのだ。

画像:『シャーロック・ホームズの建築』(エクスナレッジ)の「ハールストン屋敷の俯瞰図』(上)と「儀式書の謎解き」(下)(画作成:村山隆司)

画像:『シャーロック・ホームズの建築』(エクスナレッジ)の「ハールストン屋敷の俯瞰図』(上)と「儀式書の謎解き」(下)(画作成:村山隆司)

北原さんによると、このように原作の記述と矛盾しないように、綿密に解釈していくのが、ホームズ研究の醍醐味なのだという。

ロンドンで最も有名な「ベイカー街221B」が最も難問?

さて、ホームズと相棒のワトスンが住んでいたのが「ベイカー街221B」。冒頭の画像がその建物の外観図となる。では、部屋の間取りはどうなっていたのだろう?

ここには、謎解きの依頼人が訪れたり、ロンドン警視庁の警部が相談に来たり、犯罪者が脅しに来たり、この部屋で事件が解決されたりと、原作に何度も登場する。当然ながら多くの作品に、この部屋に関する記述がある。ならば、間取りを考えるのは簡単かというと、実はそうではなかったのだ。

特に「マザリンの宝石」にだけ、ホームズの寝室に通じる秘密の出入り口があることが記述されている。これが難問の理由になるのだが、北原さんは忠実に解釈を試みた。北原さんと村山さんは、後に隣の部分を買い取って増床したという解釈をして、見事に間取図を描いてみせた。

それが、以下の「ベイカー街221Bの間取図」だ。ランバールームとあるのが、元のホームズの寝室で、ワトスンの寝室は階段を上がった3階にある。秘密のドアの右側が増床部分になる。

画像:『シャーロック・ホームズの建築』(エクスナレッジ)の「221Bのリフォーム後の間取り」(画:北原尚彦・村山隆司)

画像:『シャーロック・ホームズの建築』(エクスナレッジ)の「221Bのリフォーム後の間取り」(画作成:村山隆司)

Twitterを見ていたら、この件について、「「こんな方法があったのか!」と解決してくれたのが『シャーロック・ホームズの建築』だ。」というツイートを見つけた。ホームズ好きも納得の解釈だったのだろう。北原さんたちの苦労の賜物だ。

さて、ベイカー街221Bは、もちろん当時では架空の場所なのだが、現在はベイカー街221Bという場所がある。筆者はかつて現地の「シャーロック・ホームズのウォーキングツアー」というものに参加したことがある。そのツアーでは、ベイカー街221Bにも歩いていって、住所のプレートを見ながらガイドがいろいろ説明してくれた。残念ながら英語が得意でない筆者には、説明の内容はあまり理解できなかったのだが、プレートだけは明確に記憶している。

最後に北原さんに、なぜここまでシャーロック・ホームズは人気があるのだろうかと聞いた。

北原さんは、コナン・ドイルの発想が天才的だったととらえている。ドイルは、謎を解くホームズと事件を記録するワトスンという強力な『バディ』を、魅力的なキャラクター設定により作り上げた。ホームズとワトスンの成功が、その後現在に至るまで、多くのバディものを生んだことは、言うまでもない。

そういえば、ディーン・フジオカさんがホームズ役、岩田剛典さんがワトスン役でバディを組む映画『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』が公開されるという。やっぱりホームズの人気は絶大だ。

●関連サイト
エスクナレッジ「シャーロック・ホームズの建築」北原尚彦 文 村山隆司 絵・図

各国の専門家がデザインした「防災都市」とは? 世界で相次ぐ気象災害と共生めざす

日本全国で地震や風水害、土砂崩れなど自然災害が頻発していますが、今後は世界中で災害が増加、激化すると予測されています。では、私たちの暮らす「場所」はどのように変わるべきなのでしょうか。 2022年4月に東京・日本橋で開催された「リジェネラティブ・アーバニズムー災害から生まれる都市の物語」展の統括プロデューサー・阿部仁史さんと次世代の都市や暮らし、ライフスタイルのあり方について考えてみました。

「災害」ではなく「自然現象」と人間が協調しながら生きていく「都市」

東日本大震災から11年が経過した今年4月、東京・日本橋で展覧会「リジェネラティブ・アーバニズム展ー災害から生まれる都市の物語」が開催されました。環太平洋大学協会[APRU]に属する11大学が参加する国際共同プロジェクト「ArcDR3」で、災害にしなやかに対応する社会に向け、都市がどうあるべきかを各大学が研究し、その最新成果が発表された形です。とはいえ、「リジェネラティブ・アーバニズム」といわれてもピンと来るひとは少ないはず。まず、阿部仁史さんにこの考え方について伺いました。

「リジェネラティブ・アーバニズム展ー災害から生まれる都市の物語」の展示風景(写真提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「リジェネラティブ・アーバニズム展ー災害から生まれる都市の物語」の展示風景(写真提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「ひとことでいうなら、『自然と共生していく都市のつくり方』でしょうか。防災の専門家に教えてもらったのですが、そもそも『自然災害』という言葉が適切ではないのです。地震や水害、森林火災は本来自然に発生している単なる『自然現象』です。ただ、人間の暮らす領域が広がり、自然現象と人の行為が交わるとき、自然のサイクルが強く人間のシステムが壊れれば『災害』となり、一方で人間のシステムが大きく自然のサイクルが傷つけられると『環境破壊』になるわけです。では、なるべくあつれきが起きないような方法が見つかればいいのではないか。やわらかく、人間と自然がお互いに協調し、調整しあうような都市デザインができないか、というのがこのプロジェクトの趣旨であり、本展のタイトルとした背景もそこにあります」と話します。

今まで、都市や住まいは自然災害から「人命や財産を守る」ことが至上とされ、自然災害で被災すると「もと通りに戻す」ことが求められてきました。「リジェネラティブ・アーバニズム」は、それとはまったく考え方を変え、災害を「起きるもの」「共生するもの」と捉えて設計できないかを考えているのです。

また、展覧会名を「アーバニズム」としているのは、「アーバン」、つまり都市部だけでなく、郊外や農村など自然に近い領域、そもそも人間の生活のあり方、ライフスタイル、社会制度にもふれてるからです。広く、大きく「人が営む場所と自然とのあり方」をテーマにしていると捉えるとイメージがつかみやすいかもしれません。

ではなぜ、今、「災害と都市」なのでしょうか。
「いくつか理由はありますが、1つは地球全体で災害が頻発しているということ。気象が変動して今までの状況とは異なってきているという点があります。2つ目はやはり人口が増えて、人間が住まう領域が拡大し、本来住んでいなかったところに住むようになっている。つまり、自然との距離感が保てないところまできている点があります。3つ目はテクノロジーの発達によって、地球上で起きている災害の情報が伝わるようになり、自分の身近に感じられるようになっている点があると思います。やはり環境問題と災害というのは表裏一体の関係にありますから、SDGsも含む環境を考える動きともあいまって、関心が高まっているのだと思います」(阿部さん)

一部の予測によれば、2050年には人類は97億人になり、うち2/3にあたる60億人が都市に住むといわれています(※1)。人口の増加と都市、人間のあり方は、「今」考えておかないといけない、喫緊の課題なのですね。

「森林火災が起きても延焼しない」「洪水時に都市が漂流する」ユニークな都市ばかり

この展覧会では、水成、群島、時制、火成、共生、遊牧、対話という、架空の7つの都市の物語が展示されました。都市の構想を練ったのは、東北大学や東京大学(日本)、UCLAとカリフォルニア大学バークレー校(米国)、メルボルン大学(豪州)、国立成功大学(台湾)など、各国を代表する11大学です。7つの都市は架空、想像の都市ということもあり、どれもとてもユニークですが、阿部さんに印象に残った都市の例を紹介してもらいました。

(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「アメリカやオーストラリアでもっとも身近な災害が山火事です。落雷などで山火事が頻繁に発生するのですが、火事が起きることで、生態系が維持されるようにもなっています。こうした森林火災が起きることを想定した『火成都市』では、森林と人間の居住エリアのあいだにバッファとなる緩衝地帯をもうけ、人間が下草などを管理することで、ゆるやかな防火機能をもった農村田園地帯をデザインしています。つまり火災は起きるけれども、被害は減らせるという発想です(エディティッド・エッジ(原生調整帯と都市調整帯))」

なるほど、人と自然のまじわるエリア、ゾーンがグラデーションになっています。ほかにも、洪水発生時には水がいったん都市部の遊水池や公園のような場所に流れ込み、一時的にヴェネチアのような景観を形成する都市(フィルタリング・ランドスケープ)や、みつばちとの共生を考えた都市(ミツバチ・コモンズ)なども提案されました。

「エディティッド・エッジ(原生調整帯と都市調整帯)」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「エディティッド・エッジ(原生調整帯と都市調整帯)」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「フィルタリング・ランドスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「フィルタリング・ランドスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「ミツバチ・コモンズ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「ミツバチ・コモンズ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

「都市機能は一定であることが前提とされていますが、四季が移ろうように、都市機能そのものが変化する景観としてあってもよいわけです。たとえば洪水であふれた水が都市に入ってくることを、人間の方が受け止められる都市機能にする。それによって発生する変化を楽しむという発想もあっていいと思うのです」

なるほど、平時と非常時の二重の都市計画ラインとでもいう感じでしょうか。

「東日本大震災でも、『此処(ここ)より下に家を建てるな』という石碑が歴史的に受け継がれていたことが話題になりました。あれは、住む場所と働く場所をわけ、海抜60mの地点より上に家を建てることで集落を守るという知恵だったわけです。平時と非常時、二重の海岸線が機能した例です。そもそも今回の展覧会は2015年、宮城県仙台市で開催された「国連防災世界会議」が開催されたプラットフォーム『ArcDR3(Architecture and Urban Design for Disaster Risk Reduction and Resilience)イニシアチブ』がもとになっています。未曾有の被害となった東日本大震災を教訓として世界で共有し、今後の都市の希望に変えられないかという試みでもあります」(阿部さん)

災害の多い国で暮らしているためか、私たちは、「ああ、また災害だ」で終わってしまいがちです。「災害を悲劇で終わらせない」、これこそが「リジェネラティブ・アーバニズム」のスタート地点なのだとすると、とても有意義な試みであることは間違いありません。

よりよい都市像と住まい方へ。世界をよりよく変えていく

今回の都市の物語は、あくまで「提案」「想像」とありますが、実装することは可能なのでしょうか。

「シンガポールでは、行政が主導して、環境問題を施策として推進しています。国家の成り立ちからして、災害や上下水道整備、環境問題に取り組むことが死活問題なのです。そういった先進的な取り組み、実証実験を行いながら、環境や防災都市計画そのものをビジネスモデルとして国外に売り込むことも考えています」(阿部さん)といい、単なる提案で終わらせない他国の取り組みに可能性を感じます。

「今まで日本社会は、高度経済成長を通し、都市や人工物は『壊れない』ことを前提に堅牢堅固な建物を作ることに腐心してきました。実際には竣工して終わりではなく、短・中・長期でメンテナンスをして適切に入れ替えていかなければ、建物は維持できません。建造物が美しいのは当然として、大きな自然の一部として、新陳代謝をし入れ替わっていく、ゆらぎがあり、壊れるものであると捉えなおすことで、新しい枠組みや都市像が見えてくるのだと思います」(阿部さん)

阿部仁史さん(写真提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会 Photo by Kentaro Yamada)

阿部仁史さん(写真提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会 Photo by Kentaro Yamada)

日本は高度経済成長期に急激な都市化が進みましたが、そのときに建設された建造物が今、まさにうつろいのさなかにいます。これを単なるスクラップ&ビルドで高層化し新しく塗り替えるべきなのか考えさせられます。筆者と同じように考える人は「リジェネラティブ・アーバニズム」展を見学した人にも多いようで、見学後のアンケートには、

「都市化、都市への一極集中化が良いことのようにされているけれど、そもそもの議論が必要だと思う」
「まだ世界にはリスクがいっぱいで、最低限にも満たない暮らしを強いられる人がいることに気づかされた」
「総合的に、グローバルな観点から考察する必要がある」

などのコメントが寄せられていました。

都市というとアスファルト舗装された土地、立ち並ぶ高層ビル、添えられた緑を思い浮かべていましたが、それは20世紀モデルであり完成形ではありません。よりしなやかで強靭、変貌と変化があり、自然現象と共生する都市デザインである「リジェネラティブ・アーバニズム」の新しい試みと価値観に期待が止まりません。

豪雨や洪水によって市街地の浸水リスクが高まると、都市のモビリティと景観が一気に災害モードに切り替わる「フルーイッド・シティスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

豪雨や洪水によって市街地の浸水リスクが高まると、都市のモビリティと景観が一気に災害モードに切り替わる「フルーイッド・シティスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

造成時に掘り出した土砂を盛土して、池や島など、凹凸した起伏ある景観を人工的に作り出す「アイランド・ディストリクト」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

造成時に掘り出した土砂を盛土して、池や島など、凹凸した起伏ある景観を人工的に作り出す「アイランド・ディストリクト」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

急激な海面上昇による潮位の変化や洪水に柔軟に対応する、モジュール型の「親水性(しんすいせい)居住ユニット」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

急激な海面上昇による潮位の変化や洪水に柔軟に対応する、モジュール型の「親水性(しんすいせい)居住ユニット」(画像提供/ArcDR3展覧会製作実行委員会)

津波や高潮の危険性を抱え、先人たちによってその危険性や身を守る術などが伝えられてきた沿岸部。そこを住民や観光客を引き込む水辺の公共空間として再整備することで、地域の防災意識を高めている「メモリアル・ランドスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会制作実行委員会)

津波や高潮の危険性を抱え、先人たちによってその危険性や身を守る術などが伝えられてきた沿岸部。そこを住民や観光客を引き込む水辺の公共空間として再整備することで、地域の防災意識を高めている「メモリアル・ランドスケープ」(画像提供/ArcDR3展覧会制作実行委員会)

●取材協力
ArcDR3展覧会製作実行委員会
※1 国際連合広報センター

旅するカレー研究家・水野仁輔に聞く「おうちスパイスカレー」の世界。”世界一簡単”なレシピも紹介

このコロナ禍で、おうち時間の過ごし方が見直され、新しい楽しみのトビラを開いた人も少なくない。スパイスからつくる「おうちカレー」もそのひとつだろう。一方で、スパイスカレーは世界中で食べられているグルメであり、そこでしか味わえない魅力もある。きっと、コロナ禍が落ち着いたら遠出して食べたい「旅カレー」もあることだろう。
今回は「SUUMO」×「じゃらん」のコラボ企画として、そんなカレーを「おうちカレー」「旅カレー」それぞれの視点から楽しみ方を紐解いてみたい。そこでSUUMOジャーナルでは、スパイスを求めて20年、各国に旅をしながら、著書やnoteなどでカレーレシピを発信し続けているカレー研究家の水野仁輔さんに「おうちカレー」の話を聞いてみた。

スパイスだけを持参し、各地の食材でカレーをつくる水野仁輔さん(カレー研究家)。カレー専門の出張料理人として活動する傍ら、スパイスを求めて世界中を旅したり、友人とカレーを研究したり、カレーについて学べる学校を開講したりと、約20年間にわたりカレー・スパイス中心の生活を送ってきた。『スパイスカレー新手法』など、これまでに手掛けた関連著書は60冊以上(写真撮影/嶋崎征弘)

水野仁輔さん(カレー研究家)。カレー専門の出張料理人として活動する傍ら、スパイスを求めて世界中を旅したり、友人とカレーを研究したり、カレーについて学べる学校を開講したりと、約20年間にわたりカレー・スパイス中心の生活を送ってきた。『スパイスカレー新手法』など、これまでに手掛けた関連著書は60冊以上(写真撮影/嶋崎征弘)

――水野さんは20年間にわたってカレーとスパイスを探求してきたということですが、何がきっかけだったのでしょうか?

水野仁輔さん(以下、水野):子どものころ、地元・浜松市に「ボンベイ」というカレー屋ができたんです。当時の静岡・東海地方では珍しかったタンドール(※1)を導入していて、本格的なインド料理を食べることができました。そのお店が僕の原点ですね。スパイシーな味付けのカレーが大好きで、中学生、高校生になってからは自分のお小遣いで通うようになりました。

(※1)インド料理などで使われる壺窯型のオーブン

――子どものころから甘口のカレーではなく、スパイシーなカレーに親しんでいたとは。

水野:僕にはとても美味しく感じられました。大学進学を機に上京しましたが、ボンベイの味は忘れられず、似た味を求めてさまざまな有名店のカレーを食べ歩いたり、インド料理店でアルバイトをしてみたりと、カレー中心の生活でしたね。バイト先で覚えたカレーを誰かに食べてもらいたくなって、よくホームパーティーも開いていたんですが、最初は数名の友人だけだったのが段々と増えていって。社会人一年目のころには公園に30名くらい集めて、カレーイベントを開いたりもしましたね。

――イベントまで。そのころからすでに、スパイスカレーの美味しさを周りに広めていたんですね。

水野:イベントといっても、僕が公園でカレーをつくり、みんなに食べてもらうだけでしたけどね。それでも思いのほか好評で、これを機に「東京カリ~番長(※2)」というグループを作って活動を始めたんです。多くのイベントやクラブから「カレーをつくってほしい」というオファーをいただき、当時は毎月のように出張していましたね。

(※2)2000年に結成されたカレーの出張料理ユニット。日本各地のイベントやクラブなどに出張し、創作カレーを販売。「二度と同じカレーはつくらない」がポリシー

日印混合インド料理集団「東京スパイス番長」メンバーでインドを訪れたときの写真(写真提供/水野仁輔さん)

日印混合インド料理集団「東京スパイス番長」メンバーでインドを訪れたときの写真(写真提供/水野仁輔さん)

水野:特に、スパイスカレーは「香り」が強いため、つくっている途中から盛り上がるんですよ。「香り」はその場にいる全員が感じることができますし、調理中は目紛しく変化します。他の料理では、なかなか体験できないんですよね? それが成功の要因だと思います。

――それから20年経った今も出張料理は続けられていますよね。

水野:はい。目標は47都道府県の制覇です。12人のメンバーで、全国各地へ出張していますよ。ちなみに、昔はあらかじめカレーを仕込んでいましたが、今はスパイスだけを持参し、その土地の市場やスーパーで買った食材を使ってカレーをつくっています。

――それは楽しいですね。それに、地元で買えるものを使っているということで、参加者も自宅で真似しやすそうです。ちなみに、日々カレーを研究するにあたって、どのように情報やヒントを得ているんでしょうか?

水野:コロナが流行する前は、月の半分ほど海外に足を運び、各地のカレーやスパイスからヒントを得ていました。そして、帰国後にそのカレーを“解剖”してレシピをつくったり、新しいカレーを開発するための研究に活かしたり、という形ですね。1人でコツコツやるというより、シェフ仲間や「カレーの学校(※3)」の卒業生たちと一緒に、アレコレ実験しながら研究することが多いです。

(※3)水野さん主宰の“カレープレーヤー”養成所。通信講座で、カレーにまつわるさまざまな授業を行う

(写真提供/水野仁輔さん)

(写真提供/水野仁輔さん)

「カレーの学校」授業の様子(写真提供/水野仁輔さん)

「カレーの学校」授業の様子(写真提供/水野仁輔さん)

水野さんのおうちでのカレーの楽しみ方って?

――みんなでカレーづくりすると、面白い化学反応が生まれそう。

水野:いろんな仲間が集まって、カレーの話をしたり、探求するのは本当に楽しいです。それぞれが面白いアイディアを持っているので、1人では思いもしなかった発想が飛び出したりもするんですよ。そのため、ここのオフィスは卒業生、カレー仲間のシェフには常に無料で開放しています。使いたい人は自由にどうぞって(笑)。

――気前がいいですね。

水野:スパイスや調理器具は常備していますし、部屋には僕が世界中から集めてきた本がそろっています。もはや、僕がいない日でも一日中、みんなでカレーを楽しんでいますよ。そうやって一緒にカレーを面白がってくれる仲間たちがいて、本当に恵まれていると思います。これは、カレーがつないでくれた縁ですね。

――楽しそうです。読者が自宅でみんなでカレーづくりをするなら、どんな楽しみ方をするのがおすすめですか?

水野:みんなで集まってつくること自体が楽しいんですが、何人かでつくるのなら複数のカレーをつくってワンプレート盛り合わせをするのがいいと思います。あとは、カレーをメインとしたホームパーティーを楽しむなら、「カレーはあるから他を持ち寄りにしよう」と言って、前菜やつまみ、デザート、お酒などを持ち寄ってもらったらいいと思いますよ。

水野さんのオフィスには世界各国の本屋で収集したカレー・スパイスの本や資料が並ぶ(写真撮影/嶋崎征弘)

水野さんのオフィスには世界各国の本屋で収集したカレー・スパイスの本や資料が並ぶ(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

――私もみんなでスパイスカレーをつくってみたいです。ちなみに初心者にオススメのスパイスはありますか?

水野:「ターメリック」「レッドチリ」「コリアンダー」。おまけとして「クミン」というところですね。この4つの組み合わせがオススメです。4人分のカレーをつくる場合の配合は、ターメリック小さじ1、レッドチリ小さじ1、コリアンダー小さじ3、クミン小さじ3がいいでしょう。分量の基本として、「黄色」のターメリックと「赤色」のレッドチリは少なめ。コリアンダーやクミンのような「茶色」は多め、と覚えておくといいと思います。これを加えるだけで、市販のカレー粉よりも抜群に良い香りになりますよ。

急きょ「カレーの学校」が開講(写真撮影/嶋崎征弘)

急きょ「カレーの学校」が開講(写真撮影/嶋崎征弘)

――意外と簡単! さっそく試してみます。

水野:そう、簡単なんです。スパイスカレーってハードルが高いと思われがちなんですけど、じつはそんなこともないんですよ。それでいて、いったん体験してしまうとスパイスの奥深さに気づいて、探求が止まらなくなるんです。

ターメリック(右上)、レッドチリ(右下)、コリアンダー(左下)、クミン(左上)(写真撮影/嶋崎征弘)

ターメリック(右上)、レッドチリ(右下)、コリアンダー(左下)、クミン(左上)(写真撮影/嶋崎征弘)

水野:ちなみに、初心者の人には「ハンズオフカレー」をオススメしています。僕が考案した世界一簡単なカレーのつくり方で、材料をすべて鍋に入れて蓋をしたら、あとは火にかけるだけ。スパイスがそろっていない場合は市販のカレー粉で代用可能ですが、今日は「AIR SPICE(※4)」のスパイスを使ってつくってみましょう。

(※4)レシピ付きのスパイスセットが毎月届く、サブスクサービス

「世界一簡単」な鍋に食材とスパイスを入れるだけ「ハンズオフカレー」

【ハンズオフカレーの作り方】
●材料(4人分)

クリーム色の「パウダースパイスA」と茶色の「パウダースパイスB」を使用(写真撮影/嶋崎征弘)

クリーム色の「パウダースパイスA」と茶色の「パウダースパイスB」を使用(写真撮影/嶋崎征弘)

・植物油…大さじ3強(40g)
・玉ねぎ(粗みじん切り)…小1個(200g)

■パウダースパイスA
・オニオンパウダー…大さじ1
・ジンジャーパウダー…小さじ1
・ターメリックパウダー…小さじ1
・ガーリンクパウダー…小さじ1/2弱

■パウダースパイスB
・クミンパウダー…大さじ1
・コリアンダーパウダー…小さじ2
・パプリカパウダー…小さじ1
・ガラムマサラパウダー…小さじ1/2
・グリーンカルダモンパウダー…小さじ1/2
・ブラックペッパーパウダー…小さじ1/2

・塩…小さじ1と1/2(8g)
・鶏もも肉(一口大に切る)…400g
・トマト(粗みじん切り)…小1個(150g)
・水…150ml
・ココナッツミルク…100ml
・ミント(あれば、ざく切り)…1/2カップ

(写真撮影/嶋崎征弘)

(写真撮影/嶋崎征弘)

●作り方
材料を上から順にすべて鍋のなかに入れ、強火で3分ほど鍋の中央がフツフツとするまで煮立て、蓋をして弱火で30分ほど煮る。30分後、塩で味を調整する。

「カレー調理に技術は要らない」ということでハンズオフカレーと名付けたそう(写真撮影/嶋崎征弘)

「カレー調理に技術は要らない」ということでハンズオフカレーと名付けたそう(写真撮影/嶋崎征弘)

――本当に簡単ですね。

水野:そうですね。基本、鍋に食材とスパイスを入れて30分ほど放置するだけですから。ちなみに、30分はあくまで目安で、使用する鍋や火力によって適切な時間は異なります。ただ、このカレーは“しゃばしゃば”だと味気なくなってしまうので、ある程度は煮詰めるようにしてください。

30分後。スパイスの良い香りが部屋中に広がる(写真撮影/嶋崎征弘)

30分後。スパイスの良い香りが部屋中に広がる(写真撮影/嶋崎征弘)

完成。ビールやスパークリングワイン、ジンジャーエールなど発泡系のドリンクと合わせるのがオススメとのこと(写真撮影/嶋崎征弘)

完成。ビールやスパークリングワイン、ジンジャーエールなど発泡系のドリンクと合わせるのがオススメとのこと(写真撮影/嶋崎征弘)

――おいしい……! スパイスの刺激とココナッツミルクやミントの爽やかさが不思議とマッチしていて、とても複雑な香りと味わいですね。

水野:おそらく、これまで自宅で食べてきたカレーとは全く別物だと思います。でも、いつものカレーと違うことといったら、スパイスの香りだけなんですよ。それだけ、料理にとって香りがいかに重要な要素であるかということですよね。

道具にもこだわると、もっとカレーの世界が広がる

――カレーづくりにおすすめの調理環境や道具などについてもお聞きしたいのですが、水野さんはキッチンに対するこだわりはありますか?

水野:それが、特別これといったこだわりはないんですよ。あとは、自分にとって使いやすい状態になっていればいいかなと。そういうのって決まった法則があるわけじゃなくて、日々使っていくうちに整っていくものだから、結局は使い慣れた自宅のキッチンが一番オススメです。

――では、調理道具のこだわりは何かありますか?

水野:同じものがずらっと何個もそろっている状態が好きですね。ここのキッチンにも、鍋やカセットコンロ、キッチンタイマー、ゴムベラなんかも、同じものが5個ずつくらい揃っているんですよ。ぱっと見の景観が統一されている状態が気持ちよくて。だからこそ、“一つ目”を決めるまで徹底的に調べ尽くして、お気に入りを見つけたらまとめて買うようにしています。

――それは独特のこだわりですね(笑)。でも、木ベラは違うものが何種類もあるようですが?

水野:木ベラに関しては特に好きな調理道具なので、新しい形を見つけるとすぐに買ってしまうんです。それに、どんなカレーをつくるかによって鍋の形が変わり、最適な木ベラの形やサイズも変わってくるんですよ。例えば、食材を潰しながら加熱したり、焦げないように鍋底をこする必要がある場合は、丸い形状の木ベラよりも「平らな形状」の木ベラのほうが鍋底に当たる部分が広いので使いやすいです。

水野さん愛用の木ベラ。なかでもお気に入りは、長く握っていても疲れない太いグリップの木ベラ。素材は固くて持ちやすいオリーブがオススメとのこと(写真撮影/嶋崎征弘)

水野さん愛用の木ベラ。なかでもお気に入りは、長く握っていても疲れない太いグリップの木ベラ。素材は固くて持ちやすいオリーブがオススメとのこと(写真撮影/嶋崎征弘)

――木ベラ以外に、カレーづくりに欠かせない調理道具はありますか?

水野:基本的には鍋と木ベラがあれば十分だと思いますが、よりステップアップを目指すなら「すり鉢」と「スパイスクラッシャー」は持っておいても良いかもしれません。スパイスをすり鉢でパウダー状にしたり、ホールスパイスをスパイスクラッシャーで粗挽きにすると、より香りが立ちますよ。

水野さんがインドで購入した「スパイスクラッシャー」(写真撮影/嶋崎征弘)

水野さんがインドで購入した「スパイスクラッシャー」(写真撮影/嶋崎征弘)

――最初からパウダー状になっているものと、その場ですりおろすのとでは香りが変わってくるのでしょうか?

水野:まるで違います。可能なら、全てのスパイスを自分で挽いてほしいですね。おそらく「今まで自分が買ってきたスパイスは何だったんだろう」と思うくらいに差は歴然だと思います。コーヒーが好きな人も粉で買わずに、家で豆を挽くじゃないですか? それと同じで、挽きたてはとにかく香りが良いんです。

好きなカレー屋を見つけると街の暮らしがもっと豊かになる

――おうちカレーも楽しいのですが、カレー屋さんってどの街にもあり、お気に入りのお店を見つけると、その街での暮らしが俄然楽しくなったりすると思います。最後にぜひ、水野さんオススメのカレー屋さんも教えていただきたいのですが、最近も食べ歩きはしていますか?

水野:じつはここ数年は食べ歩きをしていません。というのも、行くお店はもう決まっていて、6軒のカレー店に20年近く通っているんです。「ムルギー(東京都渋谷区)」「デリー(東京都文京区)」「ピキヌー(東京都世田谷区)」「ブレイクス(東京都渋谷区)」「共栄堂(東京都千代田区)」「ナイルレストラン(東京都中央区)」ですね。この6軒さえあれば、僕は幸せなカレーライフを送れます。カレーづくりのヒントやアイデアの種は、食べ歩き以外のところでも得られますしね。

必要最低限の調理道具だけがそろう、整理整頓されたキッチン(写真撮影/嶋崎征弘)

必要最低限の調理道具だけがそろう、整理整頓されたキッチン(写真撮影/嶋崎征弘)

――6軒それぞれカレーの特徴が異なりますが、共通して好きなポイントはありますか?

水野:どのお店もカレーの“表情”が美しいです。僕は基本的に運ばれてきた料理をすぐ食べるようにしているのですが、この6軒のカレーだけはいつも写真におさめたくなってしまいますね。単に綺麗に盛り付けられているというだけでなく、ソースの色味やテクスチャーなど、僕なりの判断基準があります。完全に僕の主観と経験に基づくものなので、解説するのが難しいんですけどね。

それから、どこか落ち着く雰囲気も共通しています。お店の人との「最近どう?」みたいなコミュニケーションも心地よくて、行きつけのバーを訪れるような感覚に近いかもしれません。

――そんなふうに、自分なりのお気に入りのお店を見つけるのも楽しそうです。

水野:自宅の近くにそんなお店があったら、きっと毎日が楽しいと思います。僕の知人にも、好きなカレー店を追いかけて引越した人がいるくらいですから。そうまでする価値があるくらい、カレーは生活を豊かにしてくれるものだと思いますよ。みなさんもぜひ、ふらっと立ち寄れる距離でお気に入りのカレー店を探してみてください。そして、ぜひ店主や常連客とコミュニケーションをとって、仲良くなってほしいですね。

●取材協力
水野仁輔さん
note
AIR SPICE

●関連記事
水野さんのスパイスカレー探究の旅については「じゃらんニュース」で
カレー研究家・水野仁輔の「世界のスパイスカレー探求旅」がスゴすぎる! 日本の絶品ホテルカレー4選も

子育て支援の“東西横綱”千葉県流山市と兵庫県明石市、「住みたい街ランキング」大躍進の裏にスゴい取り組み

2022年3月に発表された「SUUMO住みたい街ランキング2022」において、首都版で得点が最も伸びた街(自治体)に選ばれた千葉県流山市と、関西版で子育て世代の投票を特に集めた兵庫県明石市。共に子育てサービスが充実し、子育て環境が充実している点が支持につながりました。全国初の支援を次々と打ち出している流山市と明石市では、どのように子育てができるのでしょうか。子育て支援の最新事情を取材しました。

“「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」”から12年、定着した駅前送迎ステーション、保育園数は5倍に

「住みたい街ランキング2022首都圏版」の、昨年より得点がジャンプアップした自治体ランキングで1位を獲得した流山は、自然豊かな住宅都市。つくばエクスプレス快速で秋葉原駅まで約20分。そのほか市内には、JR武蔵野線、常磐線、東武野田線、流鉄流山線など5線11駅があり、バス網も整備されています。流山おおたかの森駅前には、大型ショッピングモールや子育て支援施設、公園が充実。駅前に多くを集結させ、時間効率性をアップしたことで子育て世代や共働きカップルの得点が高い結果になりました。

流山おおたかの森駅前。2022年春開業したCOTOE(コトエ)は、約40店舗が入居する複合商業施設。保育所や学習塾が入ったこもれびテラスも近くにある(画像提供/流山市役所)

流山おおたかの森駅前。2022年春開業したCOTOE(コトエ)は、約40店舗が入居する複合商業施設。保育所や学習塾が入ったこもれびテラスも近くにある(画像提供/流山市役所)

流山グリーンフェスティバルの様子。春には住宅街で個人邸のオープンガーデンが催される(画像提供/流山市役所)

流山グリーンフェスティバルの様子。春には住宅街で個人邸のオープンガーデンが催される(画像提供/流山市役所)

流山が子育て家族の街として注目されたのは、「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」のキャッチフレーズで2010年から展開された市のプロモーション活動です。2007年から開始されていた駅前保育送迎ステーション(保護者それぞれで保育園に子どもを送らなくても、駅前のステーションにまで送っていけば、そこから市内各所の保育園に送迎してくれる仕組み)も注目を集めました。流山市の子育て支援のサービスや支援を続けるなかでの課題、新しい子育て支援について、流山市マーケティング課河尻和佳子さんに伺いました。

「当時全国に先駆け開設した駅前保育送迎ステーションは、現在も稼働しています。2022年3月の利用児童は131名。『通勤前後に子どもを送り出せて時短になる』と保護者に好評ですが、実は徐々に利用者は減っています。理由は保育園の定員が入園を希望する児童数に追いついてきたためです。駅前保育送迎ステーションはもともと家の近くの保育園に預けられず、離れた園に空きはあっても待機児童になってしまうのを解消する目的ではじめた施策なので、保育園数が増えて利用者が減ることは目標に近づいていると言えます」(河尻さん)

駅前保育送迎ステーション。おおたかの森駅前、南流山駅前で児童を預けられる。通勤に使う駅で送り迎えができるので、通勤している共働き世帯に好評のサービスだ(画像提供/流山市役所)

駅前保育送迎ステーション。おおたかの森駅前、南流山駅前で児童を預けられる。通勤に使う駅で送り迎えができるので、通勤している共働き世帯に好評のサービスだ(画像提供/流山市役所)

保育園数は、10年余で5倍になり、定員も4倍強に増加。大規模な共同住宅等を建設する場合、事業者に保育所の設置を要請しています。今後、子どもたちが通うための小学校の新設も予定されているそうです。

流山市がさまざまな子育て支援策を打ち出し始めたのは、井崎義治市長が就任した2003年以降。流山市では今後住民の高齢化が進行し、将来、市の財政が厳しくなるリスクがありました。そこで、共働きが多い若い世代への子育て環境の整備を行い、移住者を呼び込み、少子高齢社会を支えようと考えたのです。全国初のマーケティング課を市役所に創設し、首都圏の子育て世代をターゲットにインターネット等でプロモーション活動をしたところ、「自分に語り掛けてくるようだ」と30代~40代の子育て世代から予想以上の反響がありました。

「流山市の人口は、10年間で約3.8万人増えています。年齢別人口でみると35~39歳代の人口が伸びており、その多くが首都圏からの移住者です。4歳以下の子どもの数も増え、合計特殊出生率は1.55。人口増加はつくばエクスプレス開業の効果もありますが、子育て施策が注目され、メディアでの露出が増え、知名度やイメージが向上したことも大きいと感じています」(河尻さん)

オンラインコミュニティNの研究室や女性創業支援で、自己実現をバックアップ

移住してきた子育て世代が街に定着している流山市では、今後、どのような支援が求められていくのでしょうか。

「日本の人口が減り続けるなかで、流山市の人口増加は2027年がピークと推計しています。今後も魅力ある街として共働きの子育て世代に選ばれるには、子育て環境の整備だけでは足りません。『子育てしながら、なりたい自分になれるまち』を目指し、そのきっかけの場づくりなどをしていきます」(河尻さん)

商工振興課では、女性の創業・起業支援として創業スクールを開講。100人以上に及ぶ卒業生の中には、創業のほか、NPO団体や街のコミュニティを立ち上げる人もいます。民間のシェアサテライトオフィスTrist(トリスト)は、都内に通勤していた子育て女性によって「地元でスキルを活かした仕事をしたい女性を応援する」ために設立されました。現在は、市内2拠点でリモートワークの場として、企業と一緒に復職プログラムを開発したり、利用者同士のコミュニティもつくられています。

講師を迎えて開講される創業スクールの授業風景(画像提供/流山市役所)

講師を迎えて開講される創業スクールの授業風景(画像提供/流山市役所)

2022年度の募集パンフレット。募集を開始すると2日で定員が埋まる盛況ぶり(画像提供/流山市役所)

2022年度の募集パンフレット。募集を開始すると2日で定員が埋まる盛況ぶり(画像提供/流山市役所)

さらに市民の「やってみたい」を形にするため、2022年1月末から、市民のためのオンラインコミュニティ「Nの研究室」が開設されました。

「アイデアの提案や仲間探しの場になればと企画しました。コメント欄では、2カ月で80人強の市民が参加し活発な意見交換が行われています。『虫が苦手なママのための昆虫教室』や『市内の名所で家族写真を撮るサービス』などの発案がプロジェクト化に向け進行しています」(河尻さん)

当初否定的なコメントが増える可能性を案じていたが、熱い議論が交わされ「面白そう」と市外から参加する人も(画像提供/流山市役所)

当初否定的なコメントが増える可能性を案じていたが、熱い議論が交わされ「面白そう」と市外から参加する人も(画像提供/流山市役所)

実際に、流山市に移住し、子育てをしている田中さん(専業主婦・30代)に、流山市の住み心地を取材しました。田中さんが夫と共に約3年間暮らしたアメリカ・ニューヨークから、里帰り出産のため愛知県の実家に戻ったのが2020年の1月ごろ。出産を経て6月に流山市へ引越し、1か月後に帰国した夫と家族3人で暮らしています。流山市へ移住した理由は、都心に出やすく、夫の通勤に便利なこと、徒歩圏内に商業施設や公園がたくさんあることが決め手でした。

「児童センターや支援センターを積極的に活用しています。月ごとにさまざまなイベントがあり、子どもは喜んで通っています。最新の子育て情報を知ることができるLINE配信も便利です」(田中さん)

コミュニティのイベントで娘を遊ばせる田中さん。「まわりのお母さんたちが子どもの成長を一緒に見届けてくれることがうれしい」と話す(画像提供/田中さん)

コミュニティのイベントで娘を遊ばせる田中さん。「まわりのお母さんたちが子どもの成長を一緒に見届けてくれることがうれしい」と話す(画像提供/田中さん)

田中さんは、NY mom’sナガレヤママムズという3歳以下の子どもをもつ母が参加できるコミュニティの3期目の運営に携わりました。昨年度の流山マムズ参加人数は、約90名。活動内容は、Facebookでの情報交換、月に一度の交流会、季節のイベント、月に数回少人数で集まる会、部活動(英語部、絵本部、ダンス部、ホームパーティー部などです。流山市に移住して間もない母親の加入が多く、情報交換の場になっているそうです。

田中さんの流山市の子育て支援についての満足度は、10点満点中8点。

「流山市は新しい保育園がたくさんでき、駅前保育送迎ステーションなど働くお母さんのための選択肢がたくさんあるのが良いですね。私は専業主婦なので、幼稚園ももっと充実させていただけたらうれしいなと思います」(田中さん)

自己実現の満足度を訪ねると、「料理が苦手なので8点くらいですが、10点を目指しています!」と明るく答えてくれました。

所得制限なく5つの無料化を続ける明石市。すべての子育て世代に支援を明石城跡につくられた明石公園では、週末にマルシェが催されることも(画像提供/明石市役所)

明石城跡につくられた明石公園では、週末にマルシェが催されることも(画像提供/明石市役所)

面積約50平方kmの兵庫県明石市は、目の前に明石海峡や淡路島を望む、海に面した街です。明石市では、2011年の泉房穂市長就任以降、「子どもを核としたまちづくり」を掲げてきました。「住みたい街ランキング2022関西版」では、夫婦+子育て世帯を対象にしたランキングで明石市として10位、明石駅は過去最高の7位。兵庫県民ランキングにおいては、初のベスト5入りと支持を集めました。明石市の子育て支援について、明石市役所に取材しました。

明石市の無料化施策の特徴は、現金を配るのではなく、サービスを提供すること。しっかり子どもに支援を届けていくために、今すでに発生している公共サービスを無料にしています。例えば、『おむつ定期便』では、経済的負担の軽減に加え、毎月支援員が家庭を訪問することで必要な支援につなげています。さらに、親の所得に関わらず、すべての子どもたちにサービスを届けるため、5つの無料化はすべて所得制限なしで提供されています。

【明石市独自である子育て支援の5つの無料化】※すべて所得制限、自己負担なし

1. こども医療費
2013 年より、中学3年生までの医療費を無料化。さらに 2021年に対象を高校 3 年生まで拡大
2. 中学校給食費
すべての市立中学校で提供している給食を、2020 年から無償化
3. 保育料
2016年から、第2子以降の保育料の完全無料化
4. 公共施設の入場料
天文科学館(市内外問わず高校生以下)、明石海浜プール(市内在住・在学の小学生以下)など
5. おむつ定期便
2020年より、子育て経験がある見守り支援員(配達員)が、0 歳児の赤ちゃんがいる家庭に紙おむつなどを直接お届け

おむつ定期便では、おむつを渡すだけでなく、子育て経験のある支援員が相談にのってくれる(画像提供/明石市役所)

おむつ定期便では、おむつを渡すだけでなく、子育て経験のある支援員が相談にのってくれる(画像提供/明石市役所)

市内に5カ所あるあかし子育て支援センターでは、就学前の子どもが入り混じって遊ぶ(画像提供/明石市役所)

市内に5カ所あるあかし子育て支援センターでは、就学前の子どもが入り混じって遊ぶ(画像提供/明石市役所)

ボールプールや滑り台、読み聞かせのできる図書コーナーもある(画像提供/明石市役所)

ボールプールや滑り台、読み聞かせのできる図書コーナーもある(画像提供/明石市役所)

長年子育て支援を継続した結果、定住人口は9年連続で増加し、2020年の国勢調査で30万人を超え過去最高に。25~39歳の子育て層が増加しており、0~4歳人口も増えています。合計特殊出生率は、2020年統計時に1.7に上昇しました。人口が増えるとともに、明石駅の公共施設がさらに充実し、商業施設、商店街ににぎわいが生まれ、市外からも人が集まるように。交流人口が増加し、商業地地価も毎年上昇しています。

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

明石駅前。大規模商業施設だけでなく、近くに公共施設や商店街がある(画像提供/明石市役所)

人口が増加してからも、次々と新しい子育てサービスを実施。2020年9月に市内全公立幼稚園で給食をスタート(副食費は無料)したり、離婚前後の子どもを支援したり、さまざまな施策を行っています。離婚前後の養育支援では、面会交流のコーディネートのほか、2020年7月~2021年3月に、養育費の不払いがあった際、市が支払い義務者に働きかけを行い、不払いが続く場合に1か月分(上限5万円)の立て替えを行いました。「子どもに会えて成長を確認できてうれしい」「養育費がちゃんと支払われるようになった」と利用者から感謝の声が寄せられたそうです。

すべての子どもをまちのみんなで応援することが、まちの未来をつくる

明石市では、全小学校区に子ども食堂を配置していますが、運営団体は、まちづくり協議会や民生児童委員協議会、地区社会福祉協議会、ボランティア団体など住民主体の活動です。2020年度の子どもの利用者は、3916名でした。

食材は、地産地消にこだわり、管理栄養士によるバランスのとれた食事を提供したり、団体によって様々な工夫をしている(画像提供/明石市役所)

食材は、地産地消にこだわり、管理栄養士によるバランスのとれた食事を提供したり、団体によって様々な工夫をしている(画像提供/明石市役所)

小学校内や公民館、民間施設などで実施され、ボランティアによって運営されている(画像提供/明石市役所)

小学校内や公民館、民間施設などで実施され、ボランティアによって運営されている(画像提供/明石市役所)

また、街づくりの一環としてはじまった「本のまちづくり」は、子どもたちのこころの豊かさを育むことにつながっています。2017年に、子育て施設などが入る明石駅前ビルに移設オープンした、あかし市民図書館を中心に、「いつでも、どこでも、だれでも手を伸ばせば本に届くまち」を掲げ、さまざまな取り組みを行っています。

2017年からは、4か月児健診時に絵本2冊と読み聞かせ体験をプレゼントする『ブックスタート』、2018年から、3歳6か月児健診時に絵本1冊のプレゼントと読み聞かせのアドバイスを行う『ブックセカンド』を開始しました。2020 年の 4 月~5 月に未就学児を対象に実施した『絵本の宅配便』では、コロナ禍で外出自粛を余儀なくされた子どもと保護者がいつもと変わらず楽しい時間を過ごせるよう、絵本を各家庭まで配送。利用者には大変喜ばれ、多くのお礼のお手紙が図書館に寄せられたそうです。こうした取り組みが評価され、「Library of the Year2021」において、あかし市民図書館が優秀賞とオーディエンス賞をダブル受賞しました。

移動図書館車の「めぐりん」で本を選ぶ子どもたち。大小2台の移動図書館車が市内を巡回して本を届け、子どもが本に接する機会を市がたくさん提供している(画像提供/明石市役所)

移動図書館車の「めぐりん」で本を選ぶ子どもたち。大小2台の移動図書館車が市内を巡回して本を届け、子どもが本に接する機会を市がたくさん提供している(画像提供/明石市役所)

すべての子どもを街のみんなで支えるという、明石市が進める子どもを核とした街づくり。無償化するだけでなく、子ども食堂での見守りや面会交流支援など、寄り添う支援を行うことで、安心して子育てができる環境をつくっていると感じました。

それぞれ独自のサービスで支持を集めている流山市と明石市。ふたつの街づくりで共通するのは、子育て世代のニーズに応えられるように、常に変わり続けていること、子どもと一緒に自分の未来が描けることでした。

●取材協力
・流山市役所
・明石市役所

「付加価値リノベ」という戦略。元ゼネコン設計者が自邸を入魂リノベ、資産価値アップで売却益も

一級建築士・管理建築士の伯耆原洋太(ほうきばら・ようた)さんは今、新しい住まいと暮らしのスタイルを模索している。大手ゼネコンの設計部に勤め、今春独立した伯耆原さんは、2019年に中古マンションを購入。自らリノベーションを施し、そこに暮らした後で売却した。リノベーションによる付加価値がついたことで、購入時を上回る価格で売れたという。そして、現在はその売却益を原資に次の家を購入し、再びリノベーションにとりかかっている。つまり、「家を買う」→「自らリノベ」→「一定期間住む」→「売却」というサイクルを実践しているのだ。

「ライフスタイルや家族構成の変化で住みたい家は変わる。それなら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいい」と語る伯耆原さん。詳しくお話を伺った。

「自分がデザインした」と言えるものをつくりたかった

――まず、伯耆原さんのご経歴からお伺いします。もともとは大手のゼネコンにいらっしゃったと。

伯耆原:早稲田大学で建築を学んだ後、「竹中工務店」の設計部に就職しました。入社後は10万平米を超えるオフィスのビッグプロジェクトに配属されました。当時、会社内では一番大きなプロジェクトだったと思います。4年ほど携わっていましたが、竣工目前で次のプロジェクトへ異動が命じられまして。しかも、今度はさらに大きなプロジェクトでした……。

設計士・伯耆原洋太さん(写真撮影/小野奈那子)

設計士・伯耆原洋太さん(写真撮影/小野奈那子)

――さらに大きな案件に携われるのは良いことのようにも思いますが。

伯耆原:もちろん誇らしいことですし、自分一人ではとても関われないようなプロジェクトなので、貴重な経験だとは思います。ただ、入社当初は中小規模のプロジェクトにもっと濃密に携わりたかった。ビッグプロジェクトになればなるほど関わる人間も多いため、「ここは僕がデザインした!」と言うのは難しい。僕は自己表現の欲が強いので(笑)、そこに対しては葛藤がありましたね。

――自邸をつくることになったのも、その思いが関係しているのでしょうか?

伯耆原:そうですね。会社の仕事って、良い意味でも悪い意味でも、いち社員が責任を負い切れないじゃないですか。だから30歳が近くなった時に、個人として挑戦したいなと考えるようになりました。そして「自分のデザインを、自分の全責任においてつくりたい」と強く思うようになったんです。

とはいえ、個人としての実績がない僕にいきなりクライアントが現れるわけはありません。そこで、プロジェクトを自分で仕込み、クライアントは自分、デザインも自分という座組みで自邸をつくることにしました。

――その時にはすでに、一定期間住んでから売却することを考えていたのでしょうか?

伯耆原:ぼんやりと、「自邸は一生に一つじゃなくてもいいんじゃないか」とは考えていました。ライフスタイルや家族構成が変わることで、いま住みたい家と10年後・20年後に住みたい家はまるで違うものになるのは言うまでありません。だったら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいいのではないかと。そこで、買った家を自分でリノベーションし、一定期間暮らしたあとに売却して、また次の家へ、というビジョンが浮かびました。

自邸=自分をプレゼンできるショールーム

――そこから、会社に所属しつつ自邸のプロジェクトをスタートさせたと。まずは物件選びについて教えてください。

伯耆原:物件については、最低限の不動産価値があることは大前提でした。というのも、どんなに素敵なリノベーションができても、不動産としての価値はエリアや駅までの所要時間、築年数、坪単価などが大きく物をいいます。売却を前提として考えると、その空間に住みたいと思ってもらえるような「デザイン」と物件自体の「不動産価値」の2つがそろっていなければ、このスキームは成り立たないだろうと。

あとは、当時の自分の生活スタイルや仕事のことを考えて、希望は「都心の60平米くらいの中古マンション」。予算に合う物件をひたすら探しました。

――物件はすぐに見つかりましたか?

伯耆原:それが、けっこう苦戦しましたね。当時は毎日のようにSUUMOと睨めっこし、内覧を重ねる日々でした。そこで気づいたのは、完璧な物件など存在しないということ。だから、「ここだけは譲れない」という要素を決めておいて、マイナス要素だけど目をつむれる範囲を決めておくことが大事なのだと思います。

僕の場合、最終的には世田谷区の中古マンションを購入しました。

――どんなところが気に入りましたか?

伯耆原:リノベーションでは変えられない部分に重きを置いて選びました。その1つが天井の高さ。日本の中古マンションは2400mm前後が多いのですが、ここは天井高が2700mmもあります。これだけあれば、全てのプロポーションが全く違って見えてくるんですよ。あとは吹き抜け、螺旋階段、ルーフバルコニーという幼いころからの憧れだった要素が備わっていたことも大きかったですね。

購入した三宿エリアの中古マンション(リノベーション前)。築年数は17年でJRと東京メトロの駅まで徒歩10分圏内。また、60平米弱で当時の住宅ローン控除が適用されたそう(写真提供:伯耆原洋太)

購入した三宿エリアの中古マンション(リノベーション前)。築年数は17年でJRと東京メトロの駅まで徒歩10分圏内。また、60平米弱で当時の住宅ローン控除が適用されたそう(写真提供:伯耆原洋太)

――購入時点でリノベーションのプランはある程度固まっていましたか?

伯耆原:どんなデザインにするかまでは固まっていませんでしたが、テーマとしては「30歳の子どものいない夫婦」の住む家をイメージしていました。いわゆるDINKSだからこそ、挑戦できる空間にしたいなと。最大の気積(床面積×高さ)として豊かに空間を感じられることを重要視しました。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

伯耆原:また、これは自邸であると同時に、建築家としての自分を売り込むためのショールームでもあると考えていました。当時はゼネコンに所属していましたが、いつまで会社に必要としてもらえるかは分かりません。そのなかで、今後のキャリアを考えて個人名を知ってもらう意味でも、建築的・空間的に魅力的なものをつくろうと思っていましたね。

――どれくらいの期間をかけて設計されましたか?

伯耆原:会社の仕事と同時並行なので、約4カ月かかりましたね。なお、この物件はそこまで古くなかったこともあり風呂・トイレ・キッチンは変えず、リビングのみを施工しています。

リノベーション風景。工事施工費は500万程度に抑えたそう(写真提供:伯耆原洋太)

リノベーション風景。工事施工費は500万程度に抑えたそう(写真提供:伯耆原洋太)

―――ちなみに、仕事ではオフィスビルを設計していたということですが、マンションのリノベーションは未経験でしたか?

伯耆原:そうですね。オフィスビルの設計と住宅リノベーションとでは当然ながら勝手が違います。使う素材や規模感もまるで異なるため、けっこうな挑戦でした。ただ、それだけにワクワクしましたね。特に、職人さんとダイレクトにやり取りできるのは会社で中々経験できないので、すごく楽しかったですよ。

購入から約半年で完成。寝室とも2枚のカーテンで仕切り、デスクは昇降式(写真提供:伯耆原洋太)

購入から約半年で完成。寝室とも2枚のカーテンで仕切り、デスクは昇降式(写真提供:伯耆原洋太)

思った以上の反響が自信に

――そして、いよいよ“自邸兼ショールーム”が完成するわけですが、ゆくゆくは売却する予定とはいえ、しばらくは住むつもりだったわけですよね?

伯耆原:60平米弱なので子どもが小学生になるころには手狭になるだろうと考えていましたが、実際はわずか1年で売却することになりましたね。

――早い! なぜですか?

伯耆原:一番の要因はコロナ禍でリモートワークに切り替わり、ライフスタイルがだれも想像しなかったくらい劇的に変化したことです。物件を購入したのはコロナ前でしたが、住み始めたのは2020年の春。ちょうど1回目の緊急事態宣言の真っ只中でした。夫婦ともにリモートワークになって、同時にテレビ会議に入ってしまうと音が聞き取りづらかったんです。間仕切りを増やす等、正直工夫はいくらでもできましたが、ワンルームのコンセプトを中途半端に変えたくなかったのと、もう一回、自分の作品をつくりたいという想いが強くなり、売却を考えました。

一人で在宅時はルーフバルコニーで仕事することも(写真提供:伯耆原洋太)

一人で在宅時はルーフバルコニーで仕事することも(写真提供:伯耆原洋太)

――いつから売却に出していましたか?

伯耆原:住み始めてから数カ月後ですね。出した当時は売るためというよりも、単純に反応をみたいなと思いまして。自分がリノベーションした空間がプロや一般の方々にどう評価されるのか、どれくらいの人が興味を示してくれるのか、試してみたい気持ちがありました。

――反応はいかがでしたか?

伯耆原:内覧者はめちゃくちゃ来てくれましたね。多分、50組100人以上は来たんじゃないかな。おかげで僕の土曜日は毎週潰れまして。前半はカップルや夫婦が来ており、後半は裕福な一人暮らしの人が多く来てくれました。

それから、「ArchDaily」や「architecture photo」などの建築界隈で有名なメディアにも取り上げられました。また、驚いたのはリノベーション雑誌の「LiVES」から取材を受け、この部屋が表紙を飾ったことです。

「LiVES」の表紙(写真提供:伯耆原洋太)

「LiVES」の表紙(写真提供:伯耆原洋太)

――売却はいつ決まったのですか?

伯耆原:手放したのは2021年の春です。クリエイターの人がセカンドハウスとして購入してくれました。もちろん、立地とマンション自体が好条件というのはありますが、最後の決め手は内装と言って購入してくれたので喜びもひとしおでした。

――建築家としての腕試し的なところもあったかと思いますが、相当な自信になったのではないですか?

伯耆原:そうですね。依頼されてつくったものではなく、僕が自発的につくったものが評価され、そこに住みたい人がいるというのは自信になりました。それに、多くのメディアに取り上げられ「完全に自分がデザインした」上で個人名を知ってもらうこともできましたし、自邸を自分自身のショールームにできました。それに、つくれれば売れるし、売れることでまたつくれる可能性がちらっと見えてきたのも良かったと思います。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

2件目はとにかく広い物件&リノベーション

――2021年の春に1件目を売却した後は、また新たな物件を購入したのでしょうか?

伯耆原:はい。売却で得たお金を原資に新たな家を購入しました。そして、近所の賃貸物件に住みながら、新しい家の設計と現場の監理をしました。今度は部分リノベーションではなく、フルリノベーション。最近やっと竣工し、引っ越しも終えたところです。

――今回の物件はどういう条件で探したのでしょうか?

伯耆原:今回は予算内でとにかく広い物件を探しました。今後、ライフスタイルに多少の変化があっても対応できる追従性を持てるからです。ただ、なかなか良い物件は見つからなかったですね。しかも、僕がリノベーションしたいので、すでにされていないことが条件でしたから、余計に見つけづらかった。当然ですが、SUUMOの検索には「リノベ済み」というチェック項目はあっても「未リノベ」はないんです(笑)。

調べた物件をエクセルで管理しながら粘り強く探した結果、最終的には世田谷区に希望の条件に合った90平米のマンションを購入することができました。

リノベーション前の状態(写真提供:伯耆原洋太)

リノベーション前の状態(写真提供:伯耆原洋太)

――どんなところに惹かれましたか?

伯耆原:これまでに見たことがないつくりで「ここなら面白いデザインができる」と思えましたね。それと、天井の高さと開口の量に惹かれました。ただ、ここの物件は正確な現状図面がなかったんです。だから、図面を書くために全て自分で実測する必要がありました。

そして、実測の結果、いろんな問題も出てきました。それでも現場で関係者全員とコミュニケーションしながら解決する能力は会社で揉まれていたので、やり切れました。それに、1件目を経験していたことで、2件目ではコスト感やスケジュール管理など予測しながら進められましたね。

設計図。パズルゲームのように様々なプランを模索。結果、Cのプランを採用し、廊下はなく、広いリビングとキッチンが部屋の拠点となった(写真提供:伯耆原洋太)

設計図。パズルゲームのように様々なプランを模索。結果、Cのプランを採用し、廊下はなく、広いリビングとキッチンが部屋の拠点となった(写真提供:伯耆原洋太)

デッドスペースとなりがちな廊下を徹底的になくし、間仕切りを増やしてもリビングに必ず隣接する平面計画(写真提供:伯耆原洋太)

デッドスペースとなりがちな廊下を徹底的になくし、間仕切りを増やしてもリビングに必ず隣接する平面計画(写真提供:伯耆原洋太)

伯耆原:90平米にもなると、どこになにを配置するか、いろんなパターンが考えられます。リノベーション前は部屋の真ん中にトイレ、お風呂、洗面所が構えており、せっかくの「開口の抜け」が塞がれていました。

そこで僕のプランでは大きなワンルームにして、真ん中には回遊できるキッチンを配置。そうすることで、この物件の一番の強みである「開口の抜け」を最大化させました。

――実際、かなり広々とした印象を受けます。

伯耆原:ワンルームだからこそ、汎用性があると思うんです。不動産的な思考だと、60平米もあれば2LDK・3LDKと壁で区切る物件が非常に多いじゃないですか。でも、個人的には空間をいかに広く使えるかが大事だと考えていて、光が抜け、風が通ると暮らしが豊かになると思っています。新しい部屋が必要になったら、その時に仕切ればいい。この部屋も仕切りを用いることで、最大4LDKまでカスタム可能です。いろいろな場所でリモートワークできるので快適ですよ。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

――この住居には、いつまで住む予定ですか?

伯耆原:一生いるつもりはないですが、次のステップが決まるまでは住みます。「売る」という選択肢を持っていることが大事だと思います。ちなみに、次は一戸建の自邸を手掛けたいです。

また、今年の春に会社を辞めて、建築事務所を設立しました。建築設計料だけでお金を稼ぐのではなく、自邸に配置する家具のデザインやプロダクトの販売、さらには“自邸のショールーム化やスタジオ化”を通して、「建築家によるライフスタイル」を提案していくような発信ができたらいいですね。

●取材協力
伯耆原洋太さん
HAMS and, Studio
Twitter

「付加価値リノベ」という戦略。建築家が自邸を入魂リノベ、資産価値アップで売却益も

一級建築士・管理建築士の伯耆原洋太(ほうきばら・ようた)さんは今、新しい住まいと暮らしのスタイルを模索している。大手ゼネコンの設計部に勤め、今春独立した伯耆原さんは、2019年に中古マンションを購入。自らリノベーションを施し、そこに暮らした後で売却した。リノベーションによる付加価値がついたことで、購入時を上回る価格で売れたという。そして、現在はその売却益を原資に次の家を購入し、再びリノベーションにとりかかっている。つまり、「家を買う」→「自らリノベ」→「一定期間住む」→「売却」というサイクルを実践しているのだ。

「ライフスタイルや家族構成の変化で住みたい家は変わる。それなら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいい」と語る伯耆原さん。詳しくお話を伺った。

「自分がデザインした」と言えるものをつくりたかった

――まず、伯耆原さんのご経歴からお伺いします。もともとは大手のゼネコンにいらっしゃったと。

伯耆原:早稲田大学で建築を学んだ後、「竹中工務店」の設計部に就職しました。入社後は10万平米を超えるオフィスのビッグプロジェクトに配属されました。当時、会社内では一番大きなプロジェクトだったと思います。4年ほど携わっていましたが、竣工目前で次のプロジェクトへ異動が命じられまして。しかも、今度はさらに大きなプロジェクトでした……。

設計士・伯耆原洋太さん(写真撮影/小野奈那子)

設計士・伯耆原洋太さん(写真撮影/小野奈那子)

――さらに大きな案件に携われるのは良いことのようにも思いますが。

伯耆原:もちろん誇らしいことですし、自分一人ではとても関われないようなプロジェクトなので、貴重な経験だとは思います。ただ、入社当初は中小規模のプロジェクトにもっと濃密に携わりたかった。ビッグプロジェクトになればなるほど関わる人間も多いため、「ここは僕がデザインした!」と言うのは難しい。僕は自己表現の欲が強いので(笑)、そこに対しては葛藤がありましたね。

――自邸をつくることになったのも、その思いが関係しているのでしょうか?

伯耆原:そうですね。会社の仕事って、良い意味でも悪い意味でも、いち社員が責任を負い切れないじゃないですか。だから30歳が近くなった時に、個人として挑戦したいなと考えるようになりました。そして「自分のデザインを、自分の全責任においてつくりたい」と強く思うようになったんです。

とはいえ、個人としての実績がない僕にいきなりクライアントが現れるわけはありません。そこで、プロジェクトを自分で仕込み、クライアントは自分、デザインも自分という座組みで自邸をつくることにしました。

――その時にはすでに、一定期間住んでから売却することを考えていたのでしょうか?

伯耆原:ぼんやりと、「自邸は一生に一つじゃなくてもいいんじゃないか」とは考えていました。ライフスタイルや家族構成が変わることで、いま住みたい家と10年後・20年後に住みたい家はまるで違うものになるのは言うまでありません。だったら、その時々に合わせた家をつくって住み替え続けていくサイクルがあってもいいのではないかと。そこで、買った家を自分でリノベーションし、一定期間暮らしたあとに売却して、また次の家へ、というビジョンが浮かびました。

自邸=自分をプレゼンできるショールーム

――そこから、会社に所属しつつ自邸のプロジェクトをスタートさせたと。まずは物件選びについて教えてください。

伯耆原:物件については、最低限の不動産価値があることは大前提でした。というのも、どんなに素敵なリノベーションができても、不動産としての価値はエリアや駅までの所要時間、築年数、坪単価などが大きく物をいいます。売却を前提として考えると、その空間に住みたいと思ってもらえるような「デザイン」と物件自体の「不動産価値」の2つがそろっていなければ、このスキームは成り立たないだろうと。

あとは、当時の自分の生活スタイルや仕事のことを考えて、希望は「都心の60平米くらいの中古マンション」。予算に合う物件をひたすら探しました。

――物件はすぐに見つかりましたか?

伯耆原:それが、けっこう苦戦しましたね。当時は毎日のようにSUUMOと睨めっこし、内覧を重ねる日々でした。そこで気づいたのは、完璧な物件など存在しないということ。だから、「ここだけは譲れない」という要素を決めておいて、マイナス要素だけど目をつむれる範囲を決めておくことが大事なのだと思います。

僕の場合、最終的には世田谷区の中古マンションを購入しました。

――どんなところが気に入りましたか?

伯耆原:リノベーションでは変えられない部分に重きを置いて選びました。その1つが天井の高さ。日本の中古マンションは2400mm前後が多いのですが、ここは天井高が2700mmもあります。これだけあれば、全てのプロポーションが全く違って見えてくるんですよ。あとは吹き抜け、螺旋階段、ルーフバルコニーという幼いころからの憧れだった要素が備わっていたことも大きかったですね。

購入した三宿エリアの中古マンション(リノベーション前)。築年数は17年でJRと東京メトロの駅まで徒歩10分圏内。また、60平米弱で当時の住宅ローン控除が適用されたそう(写真提供:伯耆原洋太)

購入した三宿エリアの中古マンション(リノベーション前)。築年数は17年でJRと東京メトロの駅まで徒歩10分圏内。また、60平米弱で当時の住宅ローン控除が適用されたそう(写真提供:伯耆原洋太)

――購入時点でリノベーションのプランはある程度固まっていましたか?

伯耆原:どんなデザインにするかまでは固まっていませんでしたが、テーマとしては「30歳の子どものいない夫婦」の住む家をイメージしていました。いわゆるDINKSだからこそ、挑戦できる空間にしたいなと。最大の気積(床面積×高さ)として豊かに空間を感じられることを重要視しました。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

伯耆原:また、これは自邸であると同時に、建築家としての自分を売り込むためのショールームでもあると考えていました。当時はゼネコンに所属していましたが、いつまで会社に必要としてもらえるかは分かりません。そのなかで、今後のキャリアを考えて個人名を知ってもらう意味でも、建築的・空間的に魅力的なものをつくろうと思っていましたね。

――どれくらいの期間をかけて設計されましたか?

伯耆原:会社の仕事と同時並行なので、約4カ月かかりましたね。なお、この物件はそこまで古くなかったこともあり風呂・トイレ・キッチンは変えず、リビングのみを施工しています。

リノベーション風景。工事施工費は500万程度に抑えたそう(写真提供:伯耆原洋太)

リノベーション風景。工事施工費は500万程度に抑えたそう(写真提供:伯耆原洋太)

―――ちなみに、仕事ではオフィスビルを設計していたということですが、マンションのリノベーションは未経験でしたか?

伯耆原:そうですね。オフィスビルの設計と住宅リノベーションとでは当然ながら勝手が違います。使う素材や規模感もまるで異なるため、けっこうな挑戦でした。ただ、それだけにワクワクしましたね。特に、職人さんとダイレクトにやり取りできるのは会社で中々経験できないので、すごく楽しかったですよ。

購入から約半年で完成。寝室とも2枚のカーテンで仕切り、デスクは昇降式(写真提供:伯耆原洋太)

購入から約半年で完成。寝室とも2枚のカーテンで仕切り、デスクは昇降式(写真提供:伯耆原洋太)

思った以上の反響が自信に

――そして、いよいよ“自邸兼ショールーム”が完成するわけですが、ゆくゆくは売却する予定とはいえ、しばらくは住むつもりだったわけですよね?

伯耆原:60平米弱なので子どもが小学生になるころには手狭になるだろうと考えていましたが、実際はわずか1年で売却することになりましたね。

――早い! なぜですか?

伯耆原:一番の要因はコロナ禍でリモートワークに切り替わり、ライフスタイルがだれも想像しなかったくらい劇的に変化したことです。物件を購入したのはコロナ前でしたが、住み始めたのは2020年の春。ちょうど1回目の緊急事態宣言の真っ只中でした。夫婦ともにリモートワークになって、同時にテレビ会議に入ってしまうと音が聞き取りづらかったんです。間仕切りを増やす等、正直工夫はいくらでもできましたが、ワンルームのコンセプトを中途半端に変えたくなかったのと、もう一回、自分の作品をつくりたいという想いが強くなり、売却を考えました。

一人で在宅時はルーフバルコニーで仕事することも(写真提供:伯耆原洋太)

一人で在宅時はルーフバルコニーで仕事することも(写真提供:伯耆原洋太)

――いつから売却に出していましたか?

伯耆原:住み始めてから数カ月後ですね。出した当時は売るためというよりも、単純に反応をみたいなと思いまして。自分がリノベーションした空間がプロや一般の方々にどう評価されるのか、どれくらいの人が興味を示してくれるのか、試してみたい気持ちがありました。

――反応はいかがでしたか?

伯耆原:内覧者はめちゃくちゃ来てくれましたね。多分、50組100人以上は来たんじゃないかな。おかげで僕の土曜日は毎週潰れまして。前半はカップルや夫婦が来ており、後半は裕福な一人暮らしの人が多く来てくれました。

それから、「ArchDaily」や「architecture photo」などの建築界隈で有名なメディアにも取り上げられました。また、驚いたのはリノベーション雑誌の「LiVES」から取材を受け、この部屋が表紙を飾ったことです。

「LiVES」の表紙(写真提供:伯耆原洋太)

「LiVES」の表紙(写真提供:伯耆原洋太)

――売却はいつ決まったのですか?

伯耆原:手放したのは2021年の春です。クリエイターの人がセカンドハウスとして購入してくれました。もちろん、立地とマンション自体が好条件というのはありますが、最後の決め手は内装と言って購入してくれたので喜びもひとしおでした。

――建築家としての腕試し的なところもあったかと思いますが、相当な自信になったのではないですか?

伯耆原:そうですね。依頼されてつくったものではなく、僕が自発的につくったものが評価され、そこに住みたい人がいるというのは自信になりました。それに、多くのメディアに取り上げられ「完全に自分がデザインした」上で個人名を知ってもらうこともできましたし、自邸を自分自身のショールームにできました。それに、つくれれば売れるし、売れることでまたつくれる可能性がちらっと見えてきたのも良かったと思います。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

2件目はとにかく広い物件&リノベーション

――2021年の春に1件目を売却した後は、また新たな物件を購入したのでしょうか?

伯耆原:はい。売却で得たお金を原資に新たな家を購入しました。そして、近所の賃貸物件に住みながら、新しい家の設計と現場の監理をしました。今度は部分リノベーションではなく、フルリノベーション。最近やっと竣工し、引っ越しも終えたところです。

――今回の物件はどういう条件で探したのでしょうか?

伯耆原:今回は予算内でとにかく広い物件を探しました。今後、ライフスタイルに多少の変化があっても対応できる追従性を持てるからです。ただ、なかなか良い物件は見つからなかったですね。しかも、僕がリノベーションしたいので、すでにされていないことが条件でしたから、余計に見つけづらかった。当然ですが、SUUMOの検索には「リノベ済み」というチェック項目はあっても「未リノベ」はないんです(笑)。

調べた物件をエクセルで管理しながら粘り強く探した結果、最終的には世田谷区に希望の条件に合った90平米のマンションを購入することができました。

リノベーション前の状態(写真提供:伯耆原洋太)

リノベーション前の状態(写真提供:伯耆原洋太)

――どんなところに惹かれましたか?

伯耆原:これまでに見たことがないつくりで「ここなら面白いデザインができる」と思えましたね。それと、天井の高さと開口の量に惹かれました。ただ、ここの物件は正確な現状図面がなかったんです。だから、図面を書くために全て自分で実測する必要がありました。

そして、実測の結果、いろんな問題も出てきました。それでも現場で関係者全員とコミュニケーションしながら解決する能力は会社で揉まれていたので、やり切れました。それに、1件目を経験していたことで、2件目ではコスト感やスケジュール管理など予測しながら進められましたね。

設計図。パズルゲームのように様々なプランを模索。結果、Cのプランを採用し、廊下はなく、広いリビングとキッチンが部屋の拠点となった(写真提供:伯耆原洋太)

設計図。パズルゲームのように様々なプランを模索。結果、Cのプランを採用し、廊下はなく、広いリビングとキッチンが部屋の拠点となった(写真提供:伯耆原洋太)

デッドスペースとなりがちな廊下を徹底的になくし、間仕切りを増やしてもリビングに必ず隣接する平面計画(写真提供:伯耆原洋太)

デッドスペースとなりがちな廊下を徹底的になくし、間仕切りを増やしてもリビングに必ず隣接する平面計画(写真提供:伯耆原洋太)

伯耆原:90平米にもなると、どこになにを配置するか、いろんなパターンが考えられます。リノベーション前は部屋の真ん中にトイレ、お風呂、洗面所が構えており、せっかくの「開口の抜け」が塞がれていました。

そこで僕のプランでは大きなワンルームにして、真ん中には回遊できるキッチンを配置。そうすることで、この物件の一番の強みである「開口の抜け」を最大化させました。

――実際、かなり広々とした印象を受けます。

伯耆原:ワンルームだからこそ、汎用性があると思うんです。不動産的な思考だと、60平米もあれば2LDK・3LDKと壁で区切る物件が非常に多いじゃないですか。でも、個人的には空間をいかに広く使えるかが大事だと考えていて、光が抜け、風が通ると暮らしが豊かになると思っています。新しい部屋が必要になったら、その時に仕切ればいい。この部屋も仕切りを用いることで、最大4LDKまでカスタム可能です。いろいろな場所でリモートワークできるので快適ですよ。

(写真撮影/小野奈那子)

(写真撮影/小野奈那子)

――この住居には、いつまで住む予定ですか?

伯耆原:一生いるつもりはないですが、次のステップが決まるまでは住みます。「売る」という選択肢を持っていることが大事だと思います。ちなみに、次は一戸建の自邸を手掛けたいです。

また、今年の春に会社を辞めて、建築事務所を設立しました。建築設計料だけでお金を稼ぐのではなく、自邸に配置する家具のデザインやプロダクトの販売、さらには“自邸のショールーム化やスタジオ化”を通して、「建築家によるライフスタイル」を提案していくような発信ができたらいいですね。

●取材協力
伯耆原洋太さん
HAMS and, Studio
Twitter

NY「ビリオネア通り」の不動産が活況! 億万長者だらけの最新マンションに潜入

ニューヨークには、世界の億万長者が好んで住んでいる通りがいくつかあります。その最たる通りの名は、「Billionaires’ Row(ビリオネアズ・ロウ)」。「億万長者の並び」という意味で、世界の名だたる実業家や投資家など選ばれし者が注目するストリートです。

なぜここがそのように富裕層の人々から関心を向けられているのでしょうか。この通りの一角に今年新築されたばかりのマンションを特別に内見させてもらいながら、不動産専門家に話を聞きました。

NYのビリオネア通り(億万長者通り)って?

ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークからほんの2ブロック南にある東西に延びる通り、「ビリオネアズ・ロウ(億万長者通り、ビリオネア通り)」は、実業家や投資家、セレブなど世界中の富裕層が好んで売買する高級物件が集まっており、富の象徴となっています。

(写真提供/7w57)

(写真提供/7w57)

この通りには以前より、お金持ち御用達の高級老舗デパート「Bergdorf Goodman(バーグドルフ・グッドマン)」や「Nordstrom(ノールドストローム)」、ルイ・ヴィトン、シャネルなど世界を代表するハイブランド店が点在しています。この通りが住居や投資物件としてビリオネアや投資家の関心を集め始めたのは、かれこれ13年ほど前にさかのぼります。

2009年、当時としては市内でもっとも高層のコンドミニアム「One57 (ワン57)」が この通りに着工しされ、14年に完成しました。これに続けとばかりに、11年には、それよりもさらに高層(当時、市内で一番高い住居用)ビルとして85階建ての「432 Park Ave.(432パークアベニュー)」もこの通りに着工され、15年 に完成。それを機にビリオネアズ・ロウはゆうに80フロアを超える縦に細長い超高層ビルの建設ラッシュが続き、「Race to the Sky(空に向かった競争)」として活気付きました。現在は8棟ほどの超高層タワーマンションが立ち並んでいます 。

「432 Park Ave.」(写真撮影/安部かすみ)

「432 Park Ave.」(写真撮影/安部かすみ)

縦に細長いビルが立っている通りが、ビリオネアズ・ロウになる(写真撮影/安部かすみ)

縦に細長いビルが立っている通りが、ビリオネアズ・ロウになる(写真撮影/安部かすみ)

「マンハッタンの57丁目は、不動産市場の動きを注視する目の肥えた(実業家や投資家などの)世界中のバイヤーたちを魅了する超高層のラグジュアリーなコンドミニアムが集合したことで『ビリオネアズ・ロウ』という称号(呼び名)で呼ばれるようになりました。ここ10数年以上にわたって販売記録を更新し続けています」と説明するのは、米不動産大手コーコラン社のライセンス・セールスパーソン、ジョアンナ・パッシュビー(Joanna Pashby)さん。

432パークアベニューには一時期、女優のジェニファー・ロペス氏が当時の婚約者、アレックス・ロドリゲス氏と共にペントハウスを購入し話題になるなど、セレブも多くこの通りに物件を所有するようになりました。

またほかにも、イギリスの歌手スティング(Sting)ほか、デル(DELL)の創設者、マイケル・デル(Michael Dell )氏、アリババの共同創設者、ジョセフ・ツァイ(Joe Tsai)氏、HGTVネットワークの創設者、ケニス・ロウ(Kenneth Lowe)氏、日本の女優、松居一代氏など世界のそうそうたる富裕層がビリオネアズ・ロウに物件を購入したことが、メディアなどで報じられています。

特にデル氏が2015年に購入したワン57の最上階2フロアにわたるペントハウスの価格は、100.47ミリオンドル(1ドル130円計算で130億円超え)。市内で販売された最も高額なアパートとして話題をかっさらいました。

57丁目には、超高級の老舗デパート「Bergdorf Goodman」(写真)や「Nordstrom」、世界のハイブランド店などが軒を連ねる(写真撮影/安部かすみ)

57丁目には、超高級の老舗デパート「Bergdorf Goodman」(写真)や「Nordstrom」、世界のハイブランド店などが軒を連ねる(写真撮影/安部かすみ)

ビリオネアズ・ロウの5分圏内には、広大で緑豊かなセントラルパークが広がり、四季折々のレクリエーションが楽しめる(写真撮影/安部かすみ)

ビリオネアズ・ロウの5分圏内には、広大で緑豊かなセントラルパークが広がり、四季折々のレクリエーションが楽しめる(写真撮影/安部かすみ)

新築の「7w57」にいざ潜入

パッシュビーさんが次に注目するのは、ビリオネアズ・ロウの五番街と六番街の間に新築されたコンドミニアムの「7w57」です。

7w57は今年春に完成したばかりの、20階建て高級アパートメント(コンドミニアム)です。

「15戸のコンドミニアム(15家族分の住居物件)があり、ペントハウスは2フロア(この2フロアもカウントすると、ビル自体は22階建てということになる)で、セントラルパークを望む屋外スペースもあるんです」とパッシュビーさんは案内してくれます。

米コーコラン社のライセンスセールス、パッシュビーさん(写真撮影/安部かすみ)

米コーコラン社のライセンスセールス、パッシュビーさん(写真撮影/安部かすみ)

7w57の外観(写真提供/7w57)

7w57の外観(写真提供/7w57)

ロビー。当地の高級物件では言わずものがなの、24時間ドアマンサービス(写真提供/7w57)

ロビー。当地の高級物件では言わずものがなの、24時間ドアマンサービス(写真提供/7w57)

パッシュビーさんは、まず6階の2ベッドルームのお部屋から案内してくれました。

ニューヨークの高級物件で、特にコロナ禍以降の需要が高いプライベートエレベーターが、このアパートメントにも備えられています。プライベートエレベーターを降りると、アート作品が飾られたギャラリー風の長くてゆったりとした廊下の向こうに、広々とした豪華なリビングルームが広がっています。全面ガラス一面に映し出された57丁目の通りの景色自体が、まるで「アート作品」のようです。

窓全体がアート作品のような、6階のリビングルーム(写真提供/7w57)

窓全体がアート作品のような、6階のリビングルーム(写真提供/7w57)

リビングルームから57丁目のビリオネアズ・ロウを見下ろす(写真撮影/安部かすみ)

リビングルームから57丁目のビリオネアズ・ロウを見下ろす(写真撮影/安部かすみ)

(写真撮影/安部かすみ)

(写真撮影/安部かすみ)

窓側から見た6階リビングルーム(写真撮影/安部かすみ)

窓側から見た6階リビングルーム(写真撮影/安部かすみ)

6階の住居スペースは、1723スクエアフィート(約160平米)の面積に2ベッドルーム(寝室)、2.5バスルーム(浴室とトイレ)、リビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む5部屋が完備されています。

(画像提供/7w57)

(画像提供/7w57)

6階のキッチンスペース。洗浄機が備えられているのはもちろん、「料理の煙を換気扇がすぐにキャッチし吸い取ってくれ、キャビネットには指紋が付きにくいんですよ」と、使い勝手がいいように細かい部分まで配慮されています(写真提供/7w57)

6階のキッチンスペース。洗浄機が備えられているのはもちろん、「料理の煙を換気扇がすぐにキャッチし吸い取ってくれ、キャビネットには指紋が付きにくいんですよ」と、使い勝手がいいように細かい部分まで配慮されています(写真提供/7w57)

キッチンスペース(写真提供/7w57)

キッチンスペース(写真提供/7w57)

ホテルのような、バスルーム(写真提供/7w57)

ホテルのような、バスルーム(写真提供/7w57)

(資料提供/7w57)

(資料提供/7w57)

ベッドルーム(写真提供/7w57)

ベッドルーム(写真提供/7w57)

もう一つのベッドルーム(写真提供/7w57)

もう一つのベッドルーム(写真提供/7w57)

また最上階の2フロアと屋上テラスで展開するペントハウスは、2801スクエアフィート(約260.2平米)の面積に、2ベッドルーム(寝室)やリビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む5部屋に、2.5バスルーム(浴室とトイレ)などに加え、セントラルパークを眼下に望む広い屋外スペース(北と南の2カ所、1017スクエアフィート(約94.4平米)なども完備されています。

ローワーレベル(下階)(画像提供/7w57)

ローワーレベル(下階)(画像提供/7w57)

アッパーレベル(上階)(画像提供/7w57)

アッパーレベル(上階)(画像提供/7w57)

テラス(屋外スペース)(画像提供/7w57)

テラス(屋外スペース)(画像提供/7w57)

ペントハウスのリビングルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのリビングルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのベッドルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのキッチン(写真提供/7w57)

ペントハウスのキッチン(写真提供/7w57)

ペントハウスのバスルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスのバスルーム(写真提供/7w57)

ペントハウスの2フロアをつなぐ階段(写真撮影/安部かすみ)

ペントハウスの2フロアをつなぐ階段(写真撮影/安部かすみ)

ペントハウスの北側に位置する屋外スペース。ここと別に南にも屋外スペースがあり、専用のキッチンやお手洗いスペース、ストレージ(倉庫)などを完備(写真提供/7w57)

ペントハウスの北側に位置する屋外スペース。ここと別に南にも屋外スペースがあり、専用のキッチンやお手洗いスペース、ストレージ(倉庫)などを完備(写真提供/7w57)

目の前は豪華なセントラルパークとアイコンビルのザ・プラザ(プラザホテル)。四季折々の季節がここから楽しめる(写真提供/7w57)

目の前は豪華なセントラルパークとアイコンビルのザ・プラザ(プラザホテル)。四季折々の季節がここから楽しめる(写真提供/7w57)

問い合わせは国内外の富裕層からきているとのこと。コロナ禍3年目でさらに不動産市場が活気付いているニューヨークで、このような超高級物件の需要は相変わらず高いようです。

住居用としてもそうですが投資先としてもますます目が離せないビリオネアズ・ロウ。「Race to the Sky(空に向かった競争)」は、今後もさらに活気付いていきそうです。

●取材協力
7w57
※記事中の部屋情報

6階
$3,950,000(1ドル130円計算で約5億1000万円)
5Rooms, 2 Bedrooms, 2.5baths
約1723 平方 ft(約160平米)

ペントハウス
$12.5 million(1ドル130円計算で約16億円)
2 Bedrooms, 2.5 baths

屋内スペース
約2801平方 ft(約260.2平米)

屋外スペース
約1017 平方 ft(約94.4平米)

●関連URL
One57(ワン57)
432 Park Ave.(432パークアベニュー)

3Dプリンターの家、日本国内で今夏より発売開始! 2023年には一般向けも。気になる値段は?

2022年3月、愛知県小牧市に完成した3Dプリンターの家が話題になっている。広さは10平米で、完成までの所要時間が合計23時間12分、300万円で販売予定とのこと。手掛けた兵庫県西宮市にある企業、セレンディクスCOOの飯田国大さんに、詳細や今後の展望について話を聞いた。

まずはグランピングでの利用として展開予定10平米のスフィアは、グランピングを想定して設計された建物(C)CLOUDS Architecture Office

10平米のスフィアは、グランピングを想定して設計された建物(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

完成したのは「Sphere(スフィア)」と名付けられたプロトタイプ。広さ10平米の球体状で、今後はこれをもとに改良されていく。最初に量産向けにつくられる10棟の用途はグランピング。10平米を超えない場合、現行の建築基準法外の建物と扱われ、水回りはない。今回は10棟が建設される予定だ。さらに2022年8月には、一般向けの販売もスタートさせるという。

スフィアは直感的に「未来」を感じさせるデザインで、スマートロックやヒューマンセンサーといったIoT、オフグリッドのシステム(電力を自給自足できるシステム)、ホームオーナーの要望に対応する個人ロボットなどといった最先端の技術も多数取り入れられている。

スフィアは未来を感じさせるデザイン。機能面でも、IoTなどの最新技術が投入される予定だという(C)CLOUDS Architecture Office

スフィアは未来を感じさせるデザイン。機能面でも、IoTなどの最新技術が投入される予定だという(C)CLOUDS Architecture Office

日本人の4割がマイホームを持つことができない

「ゴールは、3Dプリンターで家をつくることではない。未来の家、世界最先端の家をつくり、人類を豊かにすることが目的なんです」と飯田さん。そのために、最終的には「100平米で300万円の家を実現すること」を目指している。

「現在、日本人の住宅ローンの平均完済年齢は73歳といわれていることをご存知ですか?」

投げ掛けられた飯田さんの言葉にハッとした。

「2020年度の住宅金融支援機構の住宅ローン利用者の平均値から見ると、借入時の平均年齢は40.3歳、借入期間の平均は33.1年で、単純計算で、完済時の年齢は73歳となる。また、総務省『平成30年住宅・土地統計調査』によると、持ち家率は61.2%となっており、約4割の人は家を持ってはいないということになります」(飯田さん)

こうした大きな負債を長期にわたって抱える住宅ローンという問題を、既存の「家づくり」の常識にとらわれない手法で解決することにしたのだという。

(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

この「3Dプリンターの家」完成のニュースは、世界26カ国59媒体に翻訳され掲載された。それだけ、住宅に関する万国共通の問題は深刻で、多くの人の関心の的だと言えるだろう。

車を買い替えるように家を買い替えられるようにしたい

3Dプリンターの家は海外ではすでに提供され始めているが、それらとスフィアとはいくつかの違いがある。

1つ目は、「鉄筋などの構造体が必要ない」こと(べた基礎には躯体を接続するために鉄筋を使用してつないでいる)。そのため、自然災害に対して物理的な耐久性があるという“球体”のフォルムも実現できた。球体の安定性は、壁厚30cm以上、10平米で重さ22トンになるコンクリート構造により、頑丈さを確保している。

(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

2つ目は、「家づくりに対する考え方」。「海外の3Dプリンター住宅のメーカーは、既存の家づくりの延長線上でしか考えていないと感じます。既存の家づくりにおけるパーツを3Dプリンターでつくる目的で利用していることが多いのです。そのため、『資材のコスト・人件費・施工時間』において抜本的な改革ができていなかったんです」と飯田さんは話す。

スフィアでは、3Dプリンターで出力した場合に最適な形を導入することで、施工時間計24時間以内を実現。単一素材(コンクリート)を利用することで資材のコストが低くすみ、3Dプリンターが自動ですべての作業を行うため人件費もかからない。こうした従来の家づくりとは違ったアプローチで既存の平均住宅価格の10分の1を目指している。

今回完成させたスフィアは、コロナ禍でプリンターの準備が遅延したため、最終的に海外で書き出し(印刷)・施工した。しかし今後は、建設予定地にプリンターを持ち込んで直接印刷していくことで、さらに時間や労力の面での負担を減らしていくという。

海外で書き出した家が、日本に届いた様子(C)CLOUDS Architecture Office

海外で書き出した家が、日本に届いた様子(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

「今回の住宅の壁の書き出しには12時間ほどかかっていますが、現在、私が最も信頼を置いている住宅用の3DプリンターメーカーのApis Cor(アピスコ社/米国)に改善ポイントを求めたところ、最終的には4時間でできるようになると言っていました」と飯田さん。

時間が短縮されれば、生産が効率化でき、人件費も下がり、その分販売価格も下げられる。
「将来的には、車を乗り換えるように、家を買い替えられるようにしたいと思っているんです」(飯田さん)

飯田さんは、住宅の価格を安くするだけでなく、都市部から離れた土地の価格が安い場所に建てることで、さらにコストダウンができないかと考えているという。未来には空飛ぶ車が一般的になっているかもしれない。そうすれば、今より移動も格段に便利になる。飯田さんは現在、政令指定都市である福岡市から車で90分かかる場所に住み、そのプロジェクトの実現を目指している。

データを共有することで世界中で同じスペックの家を建てることができる愛知県小牧市に建てられたスフィアの建設現場。壁の厚さがよくわかる(C)CLOUDS Architecture Office

愛知県小牧市に建てられたスフィアの建設現場。壁の厚さがよくわかる(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

(C)CLOUDS Architecture Office

スフィアの住宅性能面はどうだろう。写真の壁の厚さからわかるように、断熱性能は日本より厳しいヨーロッパの住宅基準をクリアし、耐震面では日本の最先端の耐震技術を採用している。

「壁厚が30cm以上、10平米で20トン以上の重さがあるコンクリート製の家です。ビルのような頑丈さで、住んでいても安心感をもってもらえるはずです」と飯田さん。

こうした高品質の住宅を、既存の住宅価格の10分の1で提供できれば、住宅価格が10年で2倍になっているカナダをはじめ、住宅価格の高騰といった先進国で進行しつつある住宅問題に対する課題解決につながると考えている。

世界中でデータを共有できるという点も3Dプリンターならではの大きな強みだ。データを共有すれば、同じスペックの家を世界中のどこでもつくることができる。

スフィアのデータ(C)CLOUDS Architecture Office

スフィアのデータ(C)CLOUDS Architecture Office

世界中の企業90社が開発に参加

日本では長年、建築基準法の関係や、技術的な点から「3Dプリンターの家づくりは不可能だ」といわれてきた。スフィアが構想から3年と驚異的なスピードで完成したことに対して、飯田さんは「コンソーシアム(共同事業体)による、オープンイノベーション(課題を共有し、意見やアイデアを取り込んで進める手法)だから実現できました」と話す。

コンソーシアムとは、同じ目的のもとに、異なる事業や専門をもった人・企業が集まった組織のこと。今回のプロジェクトには世界中の企業90社が参加。今後、参加を検討している企業を含めると150社を超えるという。

「セレンディクス1社で3Dプリンターの家をつくろうとしていたら、課題だらけだったでしょう」と飯田さん。スフィアのデザインをした、ニューヨークの曽野正之とオスタップ・ルダケヴィッチのデザインを、実際の図面に落とし込んだのは、ヨーロッパにいるチームで、さらに日本の耐震基準を通せる形に修正したのは、コンソーシアムに所属する日本の専門家たち、そして海外で書き出し(印刷)を行ったのは中国とカナダだったという。その上で、今回の施工時には、日本でコンクリート住宅を長年扱い、ノウハウをもった企業「百年住宅」が参画することで、1パーツ6トンにもなる壁を難なく取り扱えるようになった。

「コンソーシアムに参加してくださったのは、30年ローンで住宅が販売されている時代の限界を感じている人たちの集まり」とのこと。中には大手住宅メーカーなどの人もいて、未来の住宅にまつわる環境づくりに協力したいと考えているのだという。

スフィアを2つつないだ様子(C)CLOUDS Architecture Office

スフィアを2つつないだ様子(C)CLOUDS Architecture Office

「今回のスフィア開発に対して、実はセレンディクスは1円も出していないんです。コンソーシアムに関連する企業が、手弁当で協力してくれています」(飯田さん)。もちろんそれぞれの参加者や参加企業には、「技術を提供したい」「販売にかかわりたい」といった理由がある。

だがそれ以上に、同じ「課題を解決したい」という目的をもつことが、プロジェクトを一緒に動かす原動力になっていると話す。飯田さんは、オープンイノベーションの力強さを目の当たりにし、それぞれの力を結集させて新しいものをつくり出すことへの熱意と可能性を見出したと語った。

セレンディクスCOO飯田国大さん(写真提供/セレンディクス)

セレンディクスCOO飯田国大さん(写真提供/セレンディクス)

2023年春に3Dプリンターの家(49平米)を一般販売予定

「いきなり3Dプリンターハウスに住め、というと抵抗がある人も多いと思うので、まずは別荘やグランピング施設としてなじんでもらい、その次に一般の住宅にも導入していこうと考えています」と飯田さん。

一方で「プロジェクトを立ち上げて以来、300件以上の購入希望の問い合わせがある」という。特に、60歳以上のシニア層からの問い合わせが多いことに驚いたという。

シニアからの問い合わせの理由には、「家のリフォームが必要になったが、見積もりで1000万円以上だった」や「一生賃貸でいいと思っていたが、60歳を過ぎたら家が借りにくくなった」といったことなど。手ごろに手に入る終の住処を購入したいというニーズが改めて浮き彫りになっているという。

こうした背景から、建築基準法に準拠し、鉄筋構造を含めた49平米の平屋の建設へ舵を切った。慶應義塾大学の研究機関と一緒に開発を進めている通称「フジツボハウス」は、2023年春には500万円以下の価格で販売開始予定だ。

慶應義塾大学の研究機関と共同研究で進められている49平米の平屋住宅は、来年から販売開始予定(C)CLOUDS Architecture Office

慶應義塾大学の研究機関と共同研究で進められている49平米の平屋住宅は、来年から販売開始予定(C)CLOUDS Architecture Office

「2025年以降、すべての人から住宅ローンを無くしたいと思っている」と話す飯田さん。今、さまざまな企業が着目し、開発を進めている3Dプリンターの家。3Dプリンターの家によって世界中の住宅問題を解決できる日がくるのか、待ち遠しい。

●取材協力
セレンディクス

百貨店、閉店ラッシュで奮起。鳥取大丸と伊勢丹浦和店、地元民デイリー使いの“たまり場”へ

2019年以降、郊外中核都市における百貨店の閉店ラッシュが続いています。その一方で、街の百貨店では今、住民と一体となり活性化させる動きが出てきました。今回は、鳥取県鳥取市「鳥取大丸」と埼玉県さいたま市「伊勢丹浦和店」に、「愛する街をもっと自分ごとに」する地方百貨店での新たな取り組みについてお話を伺いました。

地方老舗百貨店が、市民参加型スペースを導入する一大決心

2020年4月、「鳥取大丸」(鳥取県鳥取市)の5階と屋上に「トットリプレイス」がオープンしました。ここは創業や、イベントを実施してみたい市民が、自身の力を試して挑戦することができる市民参加型の多目的スペースです。
フロア内には1日単位から飲食店舗を出店できる「プレイヤーズダイニング」、菓子製造のできる工房「プレイヤーズラボ」、調理器具・機材の揃ったキッチンスペースでパーティや料理教室などができる「プレイヤーズキッチン」、屋上には音響施設を完備したステージがあり、ライブやパフォーマンスの発表の場にも使える「プレイヤーズガーデン」などバラエティにあふれています。

こうしたシェアキッチンや創業支援スペースなどは、都市部では増えてきていますが、地方でかつ百貨店での取り組みとなると、珍しい試みのように思います。コロナ禍でのオープンとなりましたが、5店舗分の区画があるチャレンジショップは、既に多くの人がトライアルしているそう。

トットリプレイス内にある、月単位で借りられるチャレンジショップブース「プレイヤーズマーケット」。ここには雑貨やアクセサリー作家などで、初めてお店経営に挑戦したいという人がトライアルで出店している。(画像提供/鳥取大丸)

トットリプレイス内にある、月単位で借りられるチャレンジショップブース「プレイヤーズマーケット」。ここには雑貨やアクセサリー作家などで、初めてお店経営に挑戦したいという人がトライアルで出店している。(画像提供/鳥取大丸)

「ここに勤めて30年経ちますが、栄枯盛衰ありました。開店当時からリニューアル前の2018年までの間に売上は約3分の1となり、従業員の数も減っています。街に住む市民が高齢化し、若者が街から離れていくなかで、百貨店としても従来のスタイルを続けていてはいけない、と危機を感じていました」そう話すのは、鳥取大丸の田口健次さん。2年がかりで“百貨店再生”をテーマにリニューアル計画を立て、オープンにたどり着いたそうです。

現在の鳥取大丸の現在の外観。前身の丸由百貨店を経て1949年にオープンした、地域を支える百貨店(画像提供/鳥取大丸)

現在の鳥取大丸の現在の外観。前身の丸由百貨店を経て1949年にオープンした、地域を支える百貨店(画像提供/鳥取大丸)

街の人にとって“ハレ”の場所ではなく、“デイリー”な場所でありたい

「トットリプレイス」のある5階は、リニューアル前までは催事場として使用されてきましたが、催事イベントは常に実施されるものではないため、スペースを有効活用しきれているとは言い難い状況でした。百貨店にとって、催事は売上や客足への起爆剤となる大切なイベントですが、田口さんはこの広いスペースをもっと「市民が日々愛着を持って足をのばしてくれる場所」にしたいと考えて、市民参加型活動の場へと転じる決意をしたそうです。

トットリプレイスにリニューアル前は、催事場だった5Fフロア。写真は2010年頃の催事の様子(画像提供/鳥取大丸)

トットリプレイスにリニューアル前は、催事場だった5Fフロア。写真は2010年頃の催事の様子(画像提供/鳥取大丸)

リニューアル後のスペースには展示エリアも設けられている(画像提供/鳥取大丸)

リニューアル後のスペースには展示エリアも設けられている(画像提供/鳥取大丸)

プレイヤーズダイニングスペースでは、飲食物の販売が可能(画像提供/鳥取大丸)

プレイヤーズダイニングスペースでは、飲食物の販売が可能(画像提供/鳥取大丸)

実は、もともと百貨店から程近い場所に、市民スペースである男女総合参画センターがありました。しかし百貨店のリニューアルを機に合併させ、キッチンやショップなどのスペースを充実させて、設備を整えました。

5階トットリプレイスのフロアマップ。市民参加スペースに加え、飲食店もそろう(画像提供/鳥取大丸)

5階トットリプレイスのフロアマップ。市民参加スペースに加え、飲食店もそろう(画像提供/鳥取大丸)

「リニューアルをしたことで、人の流れが少しずつ変わってきたように思います。以前は街のなかに本当に若い世代の人がいるのか?と思うほど見かけることがなかったのが、リニューアル後は、街中でも今まで百貨店内であまり見なかった若い世代の人を見かけるようになりました。『トットリプレイス』を訪れ、その足で店内で食事や買い物をする、という流れも生まれているようです。百貨店も、もはや物を売るだけではない時代。こうした憩いの場のような、市民の“ハレ”だけではなく“日常”に寄り添えることがこれからは大切なのだと感じています」(田口さん)

まだまだ長引くコロナ禍で、制限を設けながらスペースを使用しており、試行錯誤が続いています。アフターコロナにはさらに市民の姿でにぎわう様子が待ち遠しいですね。

眠っていた屋上スペースを利活用、市民にイベント企画を委ねて地域活性化

一方、市民団体にイベントの企画を委ねて百貨店の活性化に取り組んでいるのは、「伊勢丹浦和店」(埼玉県さいたま市)です。

伊勢丹浦和店の外観(画像提供/伊勢丹浦和店)

伊勢丹浦和店の外観(画像提供/伊勢丹浦和店)

ずっと手を入れていなかった屋上の“有効活用”と、市民のチャレンジの場とすることを目的に、2019年10月19日、20日に「うらわLOOP☆屋上遊園地」を実施しました。共同主催したのは、パパ友たちが立ち上げた一般社団法人「うらわClip」。屋上にメリーゴーラウンドやこどもサーキットなどのアトラクションを設置したほか、地元店によるマルシェをオープンし、日ごろは閑散としている屋上が大にぎわい。2日間で約4000人が来場しました。

2019年の「うらわLOOP☆屋上遊園地」実施時の様子。3世代ファミリーでの来場も目立ち、屋上遊園地を楽しむ姿が見られました(画像提供/伊勢丹浦和店)

2019年の「うらわLOOP☆屋上遊園地」実施時の様子。3世代ファミリーでの来場も目立ち、屋上遊園地を楽しむ姿が見られました(画像提供/伊勢丹浦和店)

伊勢丹浦和店の担当者である甲斐正邦さんと「うらわClip」の共同代表である長堀哲也さんは、約6年前に地域の市民祭で知り合ったそう。「意気投合をして“いつか一緒に何かをやりたいね“と話していて。その後、屋上遊園地の実現となりました」と話す長堀さん。

2021年秋には、伊勢丹浦和店40周年記念のイベントとして、デパートの屋上文化の新たな価値を生み出す「デパそらURAWA」を10~12月の土日祝限定でオープン。このために再び市民団体「デパそら実行委員会」を立ち上げて、伊勢丹浦和店との共催という形をとりました。

「都市型アウトドアスペース」をコンセプトに、屋上にハンモックやテントを備えるほか、地元ミュージシャンのライブを開催するほか、地元とつながりのあるクラフトビール店が出店するなど、駅前スペースでありながらもアウトドア気分を満喫できる空間になりました。

「デパそらURAWA」実施時の様子。ウッドデッキやハンモックもあり、来場者は思い思いに過ごしていた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「デパそらURAWA」実施時の様子。ウッドデッキやハンモックもあり、来場者は思い思いに過ごしていた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ピクニックスペース以外にも子ども向けアトラクションやイベントもちりばめられていて、飽きることなく過ごせる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ピクニックスペース以外にも子ども向けアトラクションやイベントもちりばめられていて、飽きることなく過ごせる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

アウトドアスペースは予約も可能。テントを貸し切って、3世代で誕生日パーティを楽しむ姿も。コロナ禍ということもあり、こうした屋外でのイベントニーズも高かったそう(写真提供/伊勢丹浦和店)

アウトドアスペースは予約も可能。テントを貸し切って、3世代で誕生日パーティを楽しむ姿も。コロナ禍ということもあり、こうした屋外でのイベントニーズも高かったそう(写真提供/伊勢丹浦和店)

ここ数年、夏のビアガーデン以外では活用されていなかった屋上スペースは、開店40周年を記念してリニューアル。「デパそら」という晴れやかなイベントに合わせてより使いやすく過ごしやすい空間にするべく、設備を大改装しました。ウッドデッキや青々と美しい芝生スペースが設けられ、見違える姿に変身し、今では誰もが心地よく時間を楽しめるパブリックスペースになっています。

改装前の屋上スペース。床面に無骨な風合いが残る(写真提供/伊勢丹浦和店)

改装前の屋上スペース。床面に無骨な風合いが残る(写真提供/伊勢丹浦和店)

改装後の屋上スペース。ウッドデッキも設置され、くつろげる憩いの空間に(写真提供/伊勢丹浦和店)

改装後の屋上スペース。ウッドデッキも設置され、くつろげる憩いの空間に(写真提供/伊勢丹浦和店)

そして、2022年春に「デパそらURAWA」が復活します。都市型アウトドアスペースに加え、夜はビアガーデンも楽しめるそう。百貨店という場に「日常」が味わえる場所が、朝から夜まであるというのは、市民にとっても嬉しいところです。

街をより良くするために、リスクよりも挑戦

市民主体で、百貨店でのイベントを実施するというのは、さまざまな課題やリスクもあったのではないでしょうか。

「もちろん、課題やリスクはゼロとは言えません。しかし、誰かが始めないとこうした面白い挑戦はできない。それに、“屋上”という誰も利活用できていなかった場所をより良くするには、十分すぎるほど魅力的なコンテンツでした。長堀さんとはすでに信頼関係が構築されていたし、彼は誰よりも浦和の街のことを想い行動できる人。この街にとって私たち伊勢丹ができることは、地元愛のある個人や団体が活躍できる場を作り出すことであり、屋上はその象徴的な場所だったのです」(甲斐さん)
「浦和で生まれ育った自分にとって、百貨店はやはり憩いの場であってほしいと思っています。街づくりの活動に参加・企画をしていて感じるのは、自分たちは街の特性を良くわかり、人脈は豊富にあるけれど、まちづくり団体だけではできることが限られる。こうした地域のシンボルのような百貨店と協業できれば、互いの良さを生かして、より浦和という街を盛り上げられます。そして何より願うことは、“デパそら”に訪れる子どもたちが暮らす街に愛着を持ち、自分ごととして捉えてくれること。そして未来において街づくりの担い手になってくれれば嬉しいです」(長堀さん)

伊勢丹浦和店の甲斐さん(向かって左)と、デパそら実行委員会の長堀さん(右)。立場は違えど地域を愛する気持ちは同じ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

伊勢丹浦和店の甲斐さん(向かって左)と、デパそら実行委員会の長堀さん(右)。立場は違えど地域を愛する気持ちは同じ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さまざまな立場の人を巻き込み、協業していくことが理想

日本に百貨店が誕生して100年以上が経ちました。ちょっと特別な買い物や食事ができる、レジャーを楽しむことができる「百貨店」は、地域の人の消費や憩いを支えてきた大切な場所です。しかし、時代を経て地域の中でより長く根付いていくためには、「挑戦すること」「市民との協業」が必要だと、2店の担当者は話します。“街をよくしたい”という思いは市民も、周辺の商店も、大型施設であるショッピングセンターや百貨店もみな同じです。転換期に差し掛かる百貨店も、街の“キーマン”たちと協力し、新しい価値を模索し始めています。

●取材協力
・鳥取大丸
・伊勢丹浦和店
・デパそら実行委員会
・うらわClip

会話はNG、読書したい人限定の店「フヅクエ」お酒やコーヒー片手に長居も 西荻窪など

家でもカフェでもなく、ただゆっくり一人で本を読むことができたら。自宅で過ごす時間が増えた今、外へ出てほどよい緊張感のある場所で読書に浸る。そんな贅沢を叶えてくれるのが「本の読める店fuzkue」(以下、フヅクエ)だ。おしゃべりはもちろん、仕事も勉強もNG。シャットアウトされた空間で、飲物を片手に好きなだけ本に没頭する。本好きにとっては至福の時間だろう。「好き」を共有するお客さんの心をとらえ、ニッチでも特定のニーズに振り切るフヅクエは、今後のお店のあり方を示唆しているようでもある。

どんなお店か?

JR西荻窪駅から歩いて約10分。「fuzkue西荻窪」(東京都杉並区)は通りから一歩奥まったところに入り口がある。大きな窓からはゆったりしたソファが見える。

中に入ると洗練された空間に、静謐な空気が流れていた。図書館よりずっと澄んだ静けさ。中途半端な時間帯のせいか、お客さんは2人。背筋の伸びる思いで一番手前のソファに腰かけた。

ガラスの向こうに店内が見える。階段を数段降りた、半地下の位置にある入口からしてフヅクエの雰囲気。(写真撮影/古末拓也)

ガラスの向こうに店内が見える。階段を数段降りた、半地下の位置にある入口からしてフヅクエの雰囲気。(写真撮影/古末拓也)

まず運ばれてきたのは普通のメニューより少し厚めの「案内書きとメニュー」。
最初にこうある。

——————————
「本の読める店」とは
愉快な読書の時間のための店です

「本の読める店」は、「愉快な読書の時間を過ごしたい」と思って来てくださった方にとっての最高の環境の実現を目指して設計・運営されています。この店が考える「たしかに快適に本の読める状態」は、大きく分けて2つの要素から成り立っています。ひとつは穏やかな静けさが約束されていること、もうひとつは心置きなく過ごせること。
——————————

そのあとに、店で過ごすための細やかな決まりごとが続く。たとえば「勉強、仕事、作業」は禁じられていること。「ペンの取り扱い」について。パソコンは見るのもNG。スマホはOKだが動画視聴はNG、といった具合。でも語り口がとてもやわらかで、嫌な感じは一切しない。お店の主旨を知って訪れるお客さんは、読書のための雰囲気を保つためだと理解している。

50ページ近くある「案内書きとメニュー」(写真撮影/古末拓也)

50ページ近くある「案内書きとメニュー」(写真撮影/古末拓也)

西荻窪店は、フヅクエの3店舗目として2021年6月にオープンした。一号店は2014年に初台に、二号店は2020年に下北沢で開店。創業者の阿久津隆さんは、まちにじっくり本が読める場所が少ないと感じて、8年前にフヅクエを始めた。

「カフェで読もうとしても、隣のお客さんが複数人でおしゃべりしたり、勉強する人のせわしない気配やパソコンのキーボードを叩く音が気になったりと不確定要素が多いですよね。家には家族がいたり、一人だとだれてしまったり。とにかくじっくり読書を楽しむ、そこに特化した店をつくりたいと思ったんです」

初台店ができたときのフヅクエのウェブサイトには、チェーン店の片隅では味わえない、「なんとなくほっとできる、なんだかよくわからないけれど人間味みたいなものを、 親密さみたいなものを感じられる、そんな場所で本を読みたい」と書かれている。

そうした阿久津さん自身の願いを叶えるための店であり、ほかにないから自分がつくろうという提案でもある。

初台でフヅクエを始めた阿久津隆さん(写真撮影/古末拓也)

初台でフヅクエを始めた阿久津隆さん(写真撮影/古末拓也)

「本を読みたい人」に振り切る

一号店がオープンしたころは、まだ100%読書をするための店ではなかった。読書目的のお客さんを含む「一人の時間を応援する」という、より広い主旨で、仕事も勉強もOKだった。それ以降、店のしくみをブラッシュアップするたびに、フヅクエはどんどん「本を読みたい人のための店」に特化していった。

たとえば料金体系も、お客さんが気兼ねなくゆっくり過ごせるように、を第一に考えられている。長時間滞在を前提に、ドリンクやフードをオーダーするごとに、席料が小さくなる。コーヒー一杯700円を注文した場合は席料が900円だが、コーヒーを2杯オーダーすると席料は300円に。2杯のコーヒーにケーキなんて頼むと、席料はゼロ。2年ほど前から1000円前後で1時間だけ利用することもできる「1時間フヅクエ」も始まった。

こうしたしくみは「どれだけ居ても大丈夫ですよ、そのためのお店です」という店側からの意思表示でもある。

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

ただし「こうしたお客さんに向けた店です」という姿勢をはっきりさせるほど、裏を返せば、それ以外のお客さんを排除してしまうことにもなるだろう。

「世の中にはいいお店と悪いお店があるわけではなくて、For Meのお店かNot For Meのお店があるだけだと思うんです。どれだけクオリティの高い店でも肩身を狭く感じればNot For Meだろうし、どれだけ汚かったり怖かったり評判が悪かったりする店でも、For Meに感じる人にとっては尊い場所のはずで。大事なのは、For You、つまりどんな人にFor Meの店だと感じてもらいたいのかを決めて、とにかくその人に届けようとすることじゃないかと思います。フヅクエにとってのYouは気持のいい読書の時間を過ごしたいと思う人なんです」

相当ニッチにも思えるフヅクエだが、SNSでは「こんなお店があってよかった」といった声、反応が多く届いた。紛れもなく、そうした声がフヅクエと阿久津さんを支えてきた。

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

「お客さんに読書の時間を楽しんでほしいなと考える店はたくさんあると思います。でもなかなかそこに100%振り切るのは勇気というか、覚悟がいりますよね。そもそも自分の店をおしゃべりできない空間にしたいと思う人なんて滅多にいないはずで(笑)そこを愚直に追求してきたのがフヅクエかなと」

今も、そうした特殊なお店とは知らずに入ってくるお客さんもいる。そのことがわかると、必要に応じてスタッフが店の主旨を説明するのだそうだ。

「『そうなんだ、じゃあやめとこうか』とか『じゃあまたゆっくり一人で来ます』といって帰られる方ももちろんいます。それはむしろ嬉しいことで、ミスマッチが起きなくてよかったと安堵する感じがあるんです。過ごしたくもない時間を過ごして不満を持って帰られるのが一番避けたいことなので」

今は100%「読書を楽しむ」ための空間として、お客さんを守るためのルールがしっかり確立している。

まちにひらかれた店

西荻窪店はフヅクエにとって初のフランチャイズ店。店長は、阿久津さんの本を読んで共感したという、酒井正太さん。

「お店のしくみもうそうですが、フヅクエの考え方が何より面白いと思ったんです。もともとは西荻窪界隈で本屋をやりたいと思っていたんですが、フヅクエを知って、自分がやりたいのはこっちかもなって思って。それで阿久津さんにお会いして物件を探して」(酒井さん)

右が西荻窪店の経営者、酒井正太さん(写真撮影/古末拓也)

右が西荻窪店の経営者、酒井正太さん(写真撮影/古末拓也)

西荻窪には、個人経営の小さな本屋がいくつもある。今野書店、旅の本屋のまど、本屋ロカンタン、BREW BOOKS……と新刊書店も古本屋もそろっていて、お隣の荻窪の本屋Titleもフヅクエから徒歩10分圏内。近所の本屋で本を買ってフヅクエでじっくり読む。そんな休日の過ごし方をまるごと提案できるのも、西荻窪ならでは。

さらに、店の周囲は住宅街。

「学生さんからご年配の方まで、比較的近所の方が利用してくださっているような印象です。オープン当初から通ってくれているおばあさんもいらして。こんなお店が欲しかったってすごく喜んでいただいて、それはすごく嬉しいですね」(酒井さん)

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

「初台や下北沢店のときは、まちに対してちゃんと挨拶をできなかったな、という反省があったんです。とくに初期はあまり多くの人目に触れたくないとさえ思っていたので。でもお客さんを守り切るためのルールを整えることもできましたし、西荻窪はもっとまちに開かれた場にしたいねと酒井さんとも話していたんです」(阿久津さん)

初めての人でも入りやすいよう、店の手前はゆったりした開放感のある空間に。相席できる広いソファを置き、店の奥へ行くほど一人で深く読書に浸れるような設計になっている。

西荻窪店では、地元のラム酒専門店とのコラボレーションにより、他店よりラム酒の種類が豊富に置いてあったり、近所のケーキ屋「Kequ」の焼き菓子を持ち込むお客さんもいたりする。近所の本屋ロカンタンにはフヅクエコーナーもあり、オリジナルグッズやショップカードを置いてくれているそうだ。同じまちに仲間が多いことがうかがえる。

本棚の本は、お客さんが自由に読むことができる。メニューにはビール、ウィスキー、カクテルなどアルコールも豊富(写真撮影/古末拓也)

本棚の本は、お客さんが自由に読むことができる。メニューにはビール、ウィスキー、カクテルなどアルコールも豊富(写真撮影/古末拓也)

ゆかいなミスマッチを

これまでは「いかにフヅクエでゆっくり過ごしてもらうか」ばかりを考えてきたという阿久津さん。だが、ルールがかたまったことでお客さんの幅を広げても大丈夫かもしれないと、2年前から全店舗で「1時間フヅクエ」を始めた。

「西荻窪店を始める前の冬に、1000円ちょっとで過ごせるライトな1時間用プランをつくったのは、6年目にして大きな変化でした。あるときふと、短時間の読書に対応できない状態は本の読める店としておかしいんじゃないか、とやっと気づいて。長時間を前提にしていたのはお客さんを守るためでもあったのですが、そもそも読書以外、何もできない店になったので、短い時間用の過ごし方を用意しても今の雰囲気を損なわれることはないと判断して導入しました」

あくまでお客さんの読書の時間を守るために、フヅクエは存在する。だが「1時間フヅクエ」を導入したことで利用者の幅も広がった。

「今は愉快な事故がもっと起きたらいいなと思っていて。たとえば、そうとは知らずに来た人が、帰るのもなんだしそれなら1時間本を読んで過ごしていくかとなって、いざ過ごしてみたら案外気に入っちゃって、たまには読書もいいものだな、みたいなことを起こせたらすごく楽しいですね。1時間フヅクエをつくったことで、偶然の読書の時間を生めるようになった感じですね」

実際に、フヅクエを訪れる前までは全然本を読んでいなかった人が「今月は6冊読んだ」なんてツイートを見かけることもあって、それは阿久津さんにとってとても嬉しいことだという。

店内には本を読むのに邪魔にならないような音楽が流れている(写真撮影/古末拓也)

店内には本を読むのに邪魔にならないような音楽が流れている(写真撮影/古末拓也)

「幸せな読書の時間の総量を増やす」

トークイベントなどは行わないフヅクエだが、これまで店で不定期に開催してきたのが「会話のない読書会」。お客さんが集まって同時に同じ本を読む。

「感想を述べ合うわけでもなく、それぞれの世界に入っているんですが、同じ空間で全員同じものを読んでいるという。あれはまたやりたいですね。映画と同じで、一人で読むのとは明らかに違う体験になります」

なぜあえて、その時間を共有するのだろう。

「たとえば映画も、映画館で見る方が“体験”になって記憶に残りやすいと思うんです。家では、できることの可能性がひらかれすぎていて、一時停止したり、見るのをやめることもできちゃうし。ある意味、半強制的にでも集中できる状態に自分を閉じ込めるのは大事なことなんじゃないかなと思って。今そういう時間が圧倒的に減っているので。スマホから離れられるのも大きい」

シャットアウトされる時間の貴重性。わざわざ電波の入らない「秘境」に行かずとも、読書に没頭する以外にない店があれば、日常からすっとスイッチオフできる。

「削ぎ落としたほうが贅沢。いまはそういう部分があるんじゃないですかね」と阿久津さんは言う。

店の敷居の奥には、一人でこもることのできるスペースも(写真撮影/古末拓也)

店の敷居の奥には、一人でこもることのできるスペースも(写真撮影/古末拓也)

一方で、いまフヅクエのミッションとして掲げているのが「幸せな読書の時間の総量を増やす」。

店舗を訪れるだけでなく、どこに居ても本を読む人が増えたらという思いから「#フヅクエ時間」というサービスを始めた。サイトを開くと、いまこの瞬間に本を読んでいる人の投稿が、日本地図上に点灯して示される。いまこの時も日本のどこかで本を楽しんでいる人がいる。そのことを誰かと共有していると思うだけでなぜだかほっとする。

フヅクエのウェブサイトで、こんな言葉が心に残った。

「より安心して何かを好きでいられる社会をつくる」

自分の「好き」に忠実であることは、ときに難しい。だがフヅクエは、こと読書に関してはとことん追求することを許容し背中を押してくれる。

「好き」が起点にあるお店は、お客さんからもこれほど愛されるのだなということが店の空気から伝わってきた。フヅクエの存在は、読書に限らず、誰かの「好き」を肯定することの、心強い味方になるのではないかと思えた。

(写真撮影/古末拓也)

(写真撮影/古末拓也)

●取材協力
本の読める店「fuzkue」

愛知「住み続けたい街ランキング2022年版」住民評価1位は名古屋おさえ長久手市!

例年、「住みたい街」のランキングを発表しているリクルートが、2022年は住民の実感調査による「住み続けたい街」のランキングを発表。再開発や再整備、注目の施設の開業など、変化が著しい愛知。今住んでいる住民が「住み続けたい」街とは……?! どんな街が上位なのか、評価されたポイントなど、愛知県春日井市生まれ、現在名古屋市に住み続けて18年の筆者と一緒に見ていこう。

2022年「住み続けたい街(駅)」は、2020年「住みたい街(駅)」とは大きく違う顔ぶれに!

今回の「住み続けたい」街(自治体・駅)ランキングは、愛知県内の街(自治体・駅)について、居住者に「今後もお住まいの街に住み続けたいですか?」と聞いた結果をランキングしたもの

「住みたい街」は、住んでみたいと思われている憧れの街だといえるが、「住み続けたい街」は、住民の居住継続意向によるもの。住み替えの際に参考となる多様な視点を提供することが、この調査の目的になっている。

[愛知県]住み続けたい駅ランキング

「住み続けたい駅」TOP10は、長久手市の駅である3位「はなみずき通」と、一宮市の駅である9位「観音寺」以外、すべて名古屋市内にある駅となった。

前回2020年には、「SUUMO住んでいる街実感調査」として「住民に愛されている街(駅)」ランキングを発表しており、こちらは1位「いりなか」、2位「御器所」、3位「覚王山」で、「荒畑」と「はなみずき通」も8位と9位にランクイン。今年の「住み続けたい街」と似た顔ぶれとも言える。

ところが、同じく前回の2020年発表の「住みたい街(駅)」ランキングでは、1位「名古屋」、2位「金山」、3位「豊橋」という大きく違った結果だった。こちらは7位に繁華街の「栄」もランクインしている。

これらのランキングから、「住んでみたい」と思われている街は、リニア中央新幹線開業への期待感なども込めて、再開発が進む都市部の街。一方で、実際に今住んでいる住民から愛され、「住み続けたい」と思われている街は、利便性のほかに住宅街としての顔を持った、下町らしさや自然が残る街という印象だ。

「住み続けたい街」(駅)1位は、歴史と新しさが共存する「覚王山」!

それでは、「住み続けたい街」(駅)ランキング上位の街について見ていこう。

1位「覚王山」は、オフィスや商業施設が集まる「名古屋」や「栄」にも直通の地下鉄東山線沿線の駅で、名古屋市千種区に所在。シンボルは覚王山日泰寺で、駅を出るとすぐに400mほどの参道が続き、商店街が広がる。レトロな雰囲気の食堂などのほか、東海発祥のドーナツ店やパティスリーといった人気店も軒を連ね、新旧の良さが合わさる街だ。住民も街の魅力として「雰囲気やセンスのいい、飲食店やお店がある」という項目を上位に挙げている。

覚王山日泰寺(写真/PIXTA)

覚王山日泰寺(写真/PIXTA)

春夏秋に開催される「覚王山祭り」など地域の行事も盛んなので、世代を問わず楽しめる。また、一帯は古くからの住宅地で、特に本山方面にかけて広がる丘陵地は、閑静な住宅街として知られる。

2位「御器所」、4位「いりなか」、5位「荒畑」、8位「八事日赤」の4つは名古屋市昭和区の駅。一体は大学や高校が集まる文教地区で、それぞれの街の住民が、街の魅力の上位に「教育環境が充実している」ことを挙げた。

なかでも、2位「御器所」は駅徒歩圏内に名古屋柳城短期大学、名古屋国際高校・中学校などがある。また、女子バスケットボールの強豪校として全国に知られる桜花学園高校も。

御器所駅は昭和区役所や保健所とエレベーターで直結し、各種手続きや健診に便利。広路通沿いには24時間営業のスーパーや飲食店が並び、生活利便性も高い。地下鉄は市内中心部を南北に走る桜通線と、東西に走る鶴舞線の2路線が乗り入れ、通勤や通学に便利だ。鶴舞線は名鉄豊田線とも直通であるため、豊田市駅へも好アクセスだ。

注目なのは、住民による街の魅力として挙がった項目に「周囲の目を気にせず自由な生活ができる」が入っていること。目立つ施設がある街ではないけれど、交通利便性が高く必要なものがそろうので、充実した毎日が過ごせそうだ。

同じく名古屋市昭和区内にあり、教育環境が注目を集める4位「いりなか」は、南山学園(私立)の小中高・大学までの最寄駅。南山学園には名古屋都市景観重要建築物等に指定された建物があり、景観も美しい。また、駅からすぐにある隼人池公園では、季節ごとに花見や紅葉が楽しめるなど自然と触れ合える魅力も。人気の駅「八事」と「川名」の間に位置し、「八事」の興正寺は参道でのマルシェが好評だ。「川名」は複合遊具がある「川名公園」がファミリーに人気で、遠出しなくても地元で楽しみが見つかりそう。

川名公園(写真/PIXTA)

川名公園(写真/PIXTA)

千種区「本山」から昭和区「八事」方面へ南北に走る四谷通は、山手通や山手グリーンロードとも呼ばれ、周辺は「四谷・山手通都市景観形成地区」に指定されている。丘陵地帯である八事山のなだらかな坂やカーブはドライブするのも楽しい。道沿いには名古屋大学や南山大学をはじめ大学が集中し、キャンパスタウンとしても知られる。

古くは実業家の保養地としても発展した丘陵地帯であることから、周辺にはゆとりある区画割の住宅街が広がる。8位「八事日赤」までの八事エリア一帯は、緑を残しつつ洗練された雰囲気を醸し出す、憧れのエリアだ。

3位「はなみずき通」は、長久手市にある愛知高速交通東部丘陵線リニモの駅。名古屋市の東端にある「藤が丘」の隣駅で、名古屋市とも行き来しやすい。市のランドマークでもある長久手市中央図書館の最寄駅でもあり、図書館のほか長久手市文化の家に繋がる道は、図書館通りと呼ばれて親しまれている。周辺にはベーカリーやカフェなどのほか、遊具が豊富な後山(うしろやま)公園があるなど、駅周辺に施設が充実しているのも生活のしやすさにつながっているのだろう。

住民による街の魅力項目1位が「街の住民がその街のことを好きそう」、2位が「人からうらやましがられそう」、3位が「子育て環境が充実している」というのも納得。

「住み続けたい自治体」の第1位は、今秋「ジブリパーク」が第1期開業する長久手市!

[愛知県]住み続けたい自治体ランキング

次に、「住み続けたい自治体」についても見ていこう。TOP10の自治体のうち、7つは名古屋市の行政区。一方で名古屋市に隣接の市もランクインしていて、名古屋市中心部へのアクセスの良さと住環境が両立したエリアも高評価だった。

そんな、「住み続けたい自治体」ランキングの1位は、名古屋市16区を抑えて市外の長久手市!「住み続けたい駅(街)」3位の「はなみずき通」駅を擁する市だ。

街の魅力の評価で、「子育てに関する自治体サービスが充実している」をはじめ、多くの項目で自治体ランキング1位と、住民から高い評価を得た長久手市は、名古屋市名東区や日進市に隣接。名東区の駅「藤が丘」から豊田方面に延びるリニモ沿線の街だ。人口1人当たりの都市公園面積が県内1位で、緑が多いことが特徴。

人口は増加傾向で、市民の平均年齢が40.2歳(2020年国勢調査)という「日本一若い」街としても知られる。市内には愛知県立大学をはじめ大学が点在し、子育てファミリーも多い。

リニモ「長久手古戦場」駅前に映画館を併設するイオンモール長久手があり、「公園西」駅前にはIKEA長久手があるなど、商業施設が充実。そして2022年11月1日には、自然と共存し里山の景観を維持した愛・地球博記念公園内に、「ジブリパーク」が第1期開業予定! 「ジブリの大倉庫」「青春の丘」「どんどこ森」の3エリアが先行オープンとのことで、今から楽しみだ。

長久手市(写真/PIXTA)

長久手市(写真/PIXTA)

同じく名古屋市外から5位にランクインした「大府市」にも注目したい。名古屋市緑区に隣接しているこの街は、魅力偏差値では「子育て環境が充実している」で1位、「子育てに関する自治体サービスが充実している」で2位に。

大府市は市民の健康づくりに注力。市南部には健康・医療・福祉・介護関連の施設が集中する地区があり、ウェルネスバレーと名付けられている。その中には約100haの総合施設「あいち健康の森」があり、アスレチックやターザンロープが楽しめる公園で、多世代が体を動かせる。また、県内唯一の小児保健医療専門施設「あいち小児保健医療総合センター」があるなど、子育てファミリーに手厚い環境だ。

「住み続けたい自治体」ランキング2位の「名古屋市昭和区」は、「住み続けたい駅」TOP10にランクインした「御器所」「いりなか」「荒畑」「八事日赤」の4駅が所在する区。文教地区であるだけに、街の魅力項目でも「教育環境が充実している」で1位だった。

3位の「名古屋市東区」は、「住み続けたい街(駅)」7位の駅「高岳」がある。「高岳」は久屋大通や栄エリアまで2km圏内でありながら、公園や幼稚園、保育園と商店が点在する住宅街の一面も。地下鉄の駅だけでなく、JR大曽根駅や名鉄瀬戸線の駅も利用でき、バスレーンも通ることから、街の魅力項目でも交通利便性が高く評価された。「いろいろな場所に電車・バス移動で行きやすい」「職場など決まった場所に行くなら電車・バス移動が便利だ」の2項目で、「名古屋市中区」に次いで2位に。

4位の「名古屋市千種区」は「住み続けたい駅」1位の「覚王山」駅がある区。地下鉄東山線沿線の街で、「今池」「池下」「星ヶ丘」「東山公園」の駅周辺にも商業施設が集まる。

名古屋市郊外に位置する8位「緑区」は、名鉄「左京山」駅徒歩圏内に106haの広大な敷地を持つ公園「大高緑地」があり、1人100円でゴーカートが楽しめる。また、JR「南大高」駅はイオンモール大高と南生協病院に隣接していて便利で、世代を問わず住み心地が良さそうだ。

魅力項目別のランキングからも、注目の街が見えてくる

続いて、「街の魅力項目駅ランキング」からも、注目の街をピックアップしてみよう。

歩ける範囲で日常のもの(食料品/日用品など)はひととおり揃う 駅ランキング TOP10

「歩ける範囲で日常のもの(食料品/日用品など)がひととおり揃う」駅ランキングTOP10には、大須商店街を形成する「上前津」と「大須観音」、栄エリアと大須エリアの間に位置する「矢場町」がランクイン。そのほか、2位はイオンモールナゴヤドーム前がある街。4位「東別院」は、駅名にもなっているお寺で毎月8が付く日に開かれる朝市が評判だ。8位「いりなか」や9位「鶴舞」は大学が近いことから学生も多く、スーパーやコンビニエンスストア、ドラッグストアなどが充実している。

子育て環境が充実している 駅ランキング TOP10

「子育て環境が充実している」駅ランキング2位は「東山公園」。中学生以下は入園無料の東山動植物園があり、花見や写生大会、ナイトZOOなどのイベントでも自然や生物と触れ合える。5位の「瑞穂区役所」の周囲には名古屋市博物館があるほか、高校や大学が点在。春には山崎川沿いの桜並木が楽しめる。また現在、2026年アジア競技大会のメイン会場になる瑞穂公園陸上競技場を建て替え中で、竣工後はより市民に開かれた施設になる予定だ。

今後、街が発展しそう 自治体ランキング TOP10

ラストは「街の魅力項目自治体ランキング」から、「今後、街が発展しそう」と思われている街をご紹介。第1位は再び「長久手市」。ジブリパークの第1期開業を今年11月に控え、愛・地球博記念公園内で、新たな移動手段や移動体験の実現に向け、自動運転などの実証実験も始まっている。

2位の「名古屋市中区」は、今年3月、「栄」の丸栄跡地にマルエイガレリアがオープン。名古屋初出店のスーパーマーケット、パントリーが入居して話題に。今後も2024年に中日ビルが建て替え、2026年に錦三丁目に高層ビルが誕生予定など、大型開発が控えている。

3位の「刈谷市」は、周辺にトヨタ系部品メーカーであるデンソーやアイシン精機などの本社がある財政力豊かな街。名鉄線「刈谷市」駅北西側では2028年度まで市街地の整備が続く予定で、より魅力ある街へ進化しそうだ。

長く「住み続けたい街」とは、ライフスタイルが変わっても、その時々で暮らしやすく、楽しみが見つかる街ではないかと思う。

筆者が住んでいる街もTOP10入りしていた。確かに、近くに公園や商業施設があって、今は働きながら子育てしやすいし、自然や文化に触れられるスポットも徒歩圏内だから、将来はのんびり散歩できそう……。

住民のリアルな声を集めた「住み続けたい街」ランキングからは、街の新たな魅力が見えてくる。

●関連記事
SUUMO住民実感調査2022 愛知県版

愛知「住み続けたい街ランキング2022年版」住民評価1位は名古屋市おさえ長久手市!

例年、「住みたい街」のランキングを発表しているリクルートが、2022年は住民の実感調査による「住み続けたい街」のランキングを発表。再開発や再整備、注目の施設の開業など、変化が著しい愛知。今住んでいる住民が「住み続けたい」街とは……?! どんな街が上位なのか、評価されたポイントなど、愛知県春日井市生まれ、現在名古屋市に住み続けて18年の筆者と一緒に見ていこう。

2022年「住み続けたい街(駅)」は、2020年「住みたい街(駅)」とは大きく違う顔ぶれに!

今回の「住み続けたい」街(自治体・駅)ランキングは、愛知県内の街(自治体・駅)について、居住者に「今後もお住まいの街に住み続けたいですか?」と聞いた結果をランキングしたもの。

「住みたい街」は、住んでみたいと思われている憧れの街だといえるが、「住み続けたい街」は、住民の居住継続意向によるもの。住み替えの際に参考となる多様な視点を提供することが、この調査の目的になっている。

[愛知県]住み続けたい駅ランキング

「住み続けたい駅」TOP10は、長久手市の駅である3位「はなみずき通」と、一宮市の駅である9位「観音寺」以外、すべて名古屋市内にある駅となった。

前回2020年には、「SUUMO住んでいる街実感調査」として「住民に愛されている街(駅)」ランキングを発表しており、こちらは1位「いりなか」、2位「御器所」、3位「覚王山」で、「荒畑」と「はなみずき通」も8位と9位にランクイン。今年の「住み続けたい街」と似た顔ぶれとも言える。

ところが、同じく前回の2020年発表の「住みたい街(駅)」ランキングでは、1位「名古屋」、2位「金山」、3位「豊橋」という大きく違った結果だった。こちらは7位に繁華街の「栄」もランクインしている。

これらのランキングから、「住んでみたい」と思われている街は、リニア中央新幹線開業への期待感なども込めて、再開発が進む都市部の街。一方で、実際に今住んでいる住民から愛され、「住み続けたい」と思われている街は、利便性のほかに住宅街としての顔を持った、下町らしさや自然が残る街という印象だ。

「住み続けたい街」(駅)1位は、歴史と新しさが共存する「覚王山」!

それでは、「住み続けたい街」(駅)ランキング上位の街について見ていこう。

1位「覚王山」は、オフィスや商業施設が集まる「名古屋」や「栄」にも直通の地下鉄東山線沿線の駅で、名古屋市千種区に所在。シンボルは覚王山日泰寺で、駅を出るとすぐに400mほどの参道が続き、商店街が広がる。レトロな雰囲気の食堂などのほか、東海発祥のドーナツ店やパティスリーといった人気店も軒を連ね、新旧の良さが合わさる街だ。住民も街の魅力として「雰囲気やセンスのいい、飲食店やお店がある」という項目を上位に挙げている。

覚王山日泰寺(写真/PIXTA)

覚王山日泰寺(写真/PIXTA)

春夏秋に開催される「覚王山祭り」など地域の行事も盛んなので、世代を問わず楽しめる。また、一帯は古くからの住宅地で、特に本山方面にかけて広がる丘陵地は、閑静な住宅街として知られる。

2位「御器所」、4位「いりなか」、5位「荒畑」、8位「八事日赤」の4つは名古屋市昭和区の駅。一体は大学や高校が集まる文教地区で、それぞれの街の住民が、街の魅力の上位に「教育環境が充実している」ことを挙げた。

なかでも、2位「御器所」は駅徒歩圏内に名古屋柳城短期大学、名古屋国際高校・中学校などがある。また、女子バスケットボールの強豪校として全国に知られる桜花学園高校も。

御器所駅は昭和区役所や保健所とエレベーターで直結し、各種手続きや健診に便利。広路通沿いには24時間営業のスーパーや飲食店が並び、生活利便性も高い。地下鉄は市内中心部を南北に走る桜通線と、東西に走る鶴舞線の2路線が乗り入れ、通勤や通学に便利だ。鶴舞線は名鉄豊田線とも直通であるため、豊田市駅へも好アクセスだ。

注目なのは、住民による街の魅力として挙がった項目に「周囲の目を気にせず自由な生活ができる」が入っていること。目立つ施設がある街ではないけれど、交通利便性が高く必要なものがそろうので、充実した毎日が過ごせそうだ。

同じく名古屋市昭和区内にあり、教育環境が注目を集める4位「いりなか」は、南山学園(私立)の小中高・大学までの最寄駅。南山学園には名古屋都市景観重要建築物等に指定された建物があり、景観も美しい。また、駅からすぐにある隼人池公園では、季節ごとに花見や紅葉が楽しめるなど自然と触れ合える魅力も。人気の駅「八事」と「川名」の間に位置し、「八事」の興正寺は参道でのマルシェが好評だ。「川名」は複合遊具がある「川名公園」がファミリーに人気で、遠出しなくても地元で楽しみが見つかりそう。

川名公園(写真/PIXTA)

川名公園(写真/PIXTA)

千種区「本山」から昭和区「八事」方面へ南北に走る四谷通は、山手通や山手グリーンロードとも呼ばれ、周辺は「四谷・山手通都市景観形成地区」に指定されている。丘陵地帯である八事山のなだらかな坂やカーブはドライブするのも楽しい。道沿いには名古屋大学や南山大学をはじめ大学が集中し、キャンパスタウンとしても知られる。

古くは実業家の保養地としても発展した丘陵地帯であることから、周辺にはゆとりある区画割の住宅街が広がる。8位「八事日赤」までの八事エリア一帯は、緑を残しつつ洗練された雰囲気を醸し出す、憧れのエリアだ。

3位「はなみずき通」は、長久手市にある愛知高速交通東部丘陵線リニモの駅。名古屋市の東端にある「藤が丘」の隣駅で、名古屋市とも行き来しやすい。市のランドマークでもある長久手市中央図書館の最寄駅でもあり、図書館のほか長久手市文化の家に繋がる道は、図書館通りと呼ばれて親しまれている。周辺にはベーカリーやカフェなどのほか、遊具が豊富な後山(うしろやま)公園があるなど、駅周辺に施設が充実しているのも生活のしやすさにつながっているのだろう。

住民による街の魅力項目1位が「街の住民がその街のことを好きそう」、2位が「人からうらやましがられそう」、3位が「子育て環境が充実している」というのも納得。

「住み続けたい自治体」の第1位は、今秋「ジブリパーク」が第1期開業する長久手市!

[愛知県]住み続けたい自治体ランキング

次に、「住み続けたい自治体」についても見ていこう。TOP10の自治体のうち、7つは名古屋市の行政区。一方で名古屋市に隣接の市もランクインしていて、名古屋市中心部へのアクセスの良さと住環境が両立したエリアも高評価だった。

そんな、「住み続けたい自治体」ランキングの1位は、名古屋市16区を抑えて市外の長久手市!「住み続けたい駅(街)」3位の「はなみずき通」駅を擁する市だ。

街の魅力の評価で、「子育てに関する自治体サービスが充実している」をはじめ、多くの項目で自治体ランキング1位と、住民から高い評価を得た長久手市は、名古屋市名東区や日進市に隣接。名東区の駅「藤が丘」から豊田方面に延びるリニモ沿線の街だ。人口1人当たりの都市公園面積が県内1位で、緑が多いことが特徴。

人口は増加傾向で、市民の平均年齢が40.2歳(2020年国勢調査)という「日本一若い」街としても知られる。市内には愛知県立大学をはじめ大学が点在し、子育てファミリーも多い。

リニモ「長久手古戦場」駅前に映画館を併設するイオンモール長久手があり、「公園西」駅前にはIKEA長久手があるなど、商業施設が充実。そして2022年11月1日には、自然と共存し里山の景観を維持した愛・地球博記念公園内に、「ジブリパーク」が第1期開業予定! 「ジブリの大倉庫」「青春の丘」「どんどこ森」の3エリアが先行オープンとのことで、今から楽しみだ。

長久手市(写真/PIXTA)

長久手市(写真/PIXTA)

同じく名古屋市外から5位にランクインした「大府市」にも注目したい。名古屋市緑区に隣接しているこの街は、魅力偏差値では「子育て環境が充実している」で1位、「子育てに関する自治体サービスが充実している」で2位に。

大府市は市民の健康づくりに注力。市南部には健康・医療・福祉・介護関連の施設が集中する地区があり、ウェルネスバレーと名付けられている。その中には約100haの総合施設「あいち健康の森」があり、アスレチックやターザンロープが楽しめる公園で、多世代が体を動かせる。また、県内唯一の小児保健医療専門施設「あいち小児保健医療総合センター」があるなど、子育てファミリーに手厚い環境だ。

「住み続けたい自治体」ランキング2位の「名古屋市昭和区」は、「住み続けたい駅」TOP10にランクインした「御器所」「いりなか」「荒畑」「八事日赤」の4駅が所在する区。文教地区であるだけに、街の魅力項目でも「教育環境が充実している」で1位だった。

3位の「名古屋市東区」は、「住み続けたい街(駅)」7位の駅「高岳」がある。「高岳」は久屋大通や栄エリアまで2km圏内でありながら、公園や幼稚園、保育園と商店が点在する住宅街の一面も。地下鉄の駅だけでなく、JR大曽根駅や名鉄瀬戸線の駅も利用でき、バスレーンも通ることから、街の魅力項目でも交通利便性が高く評価された。「いろいろな場所に電車・バス移動で行きやすい」「職場など決まった場所に行くなら電車・バス移動が便利だ」の2項目で、「名古屋市中区」に次いで2位に。

4位の「名古屋市千種区」は「住み続けたい駅」1位の「覚王山」駅がある区。地下鉄東山線沿線の街で、「今池」「池下」「星ヶ丘」「東山公園」の駅周辺にも商業施設が集まる。

名古屋市郊外に位置する8位「緑区」は、名鉄「左京山」駅徒歩圏内に106haの広大な敷地を持つ公園「大高緑地」があり、1人100円でゴーカートが楽しめる。また、JR「南大高」駅はイオンモール大高と南生協病院に隣接していて便利で、世代を問わず住み心地が良さそうだ。

魅力項目別のランキングからも、注目の街が見えてくる

続いて、「街の魅力項目駅ランキング」からも、注目の街をピックアップしてみよう。

歩ける範囲で日常のもの(食料品/日用品など)はひととおり揃う 駅ランキング TOP10

「歩ける範囲で日常のもの(食料品/日用品など)がひととおり揃う」駅ランキングTOP10には、大須商店街を形成する「上前津」と「大須観音」、栄エリアと大須エリアの間に位置する「矢場町」がランクイン。そのほか、2位はイオンモールナゴヤドーム前がある街。4位「東別院」は、駅名にもなっているお寺で毎月8が付く日に開かれる朝市が評判だ。8位「いりなか」や9位「鶴舞」は大学が近いことから学生も多く、スーパーやコンビニエンスストア、ドラッグストアなどが充実している。

子育て環境が充実している 駅ランキング TOP10

「子育て環境が充実している」駅ランキング2位は「東山公園」。中学生以下は入園無料の東山動植物園があり、花見や写生大会、ナイトZOOなどのイベントでも自然や生物と触れ合える。5位の「瑞穂区役所」の周囲には名古屋市博物館があるほか、高校や大学が点在。春には山崎川沿いの桜並木が楽しめる。また現在、2026年アジア競技大会のメイン会場になる瑞穂公園陸上競技場を建て替え中で、竣工後はより市民に開かれた施設になる予定だ。

今後、街が発展しそう 自治体ランキング TOP10

ラストは「街の魅力項目自治体ランキング」から、「今後、街が発展しそう」と思われている街をご紹介。第1位は再び「長久手市」。ジブリパークの第1期開業を今年11月に控え、愛・地球博記念公園内で、新たな移動手段や移動体験の実現に向け、自動運転などの実証実験も始まっている。

2位の「名古屋市中区」は、今年3月、「栄」の丸栄跡地にマルエイガレリアがオープン。名古屋初出店のスーパーマーケット、パントリーが入居して話題に。今後も2024年に中日ビルが建て替え、2026年に錦三丁目に高層ビルが誕生予定など、大型開発が控えている。

3位の「刈谷市」は、周辺にトヨタ系部品メーカーであるデンソーやアイシン精機などの本社がある財政力豊かな街。名鉄線「刈谷市」駅北西側では2028年度まで市街地の整備が続く予定で、より魅力ある街へ進化しそうだ。

長く「住み続けたい街」とは、ライフスタイルが変わっても、その時々で暮らしやすく、楽しみが見つかる街ではないかと思う。

筆者が住んでいる街もTOP10入りしていた。確かに、近くに公園や商業施設があって、今は働きながら子育てしやすいし、自然や文化に触れられるスポットも徒歩圏内だから、将来はのんびり散歩できそう……。

住民のリアルな声を集めた「住み続けたい街」ランキングからは、街の新たな魅力が見えてくる。

●関連記事
SUUMO住民実感調査2022 愛知県版

パリの暮らしとインテリア[14]パリジェンヌ、息子&猫と郊外へ。移住してでも欲しかったアートとグリーンいっぱいの住まい

大きな窓から差し込む自然光、白い空間を飾る無数の額、心地よく配されたグリーン……1年前の引越しで手に入れた新しい環境に、心から満足しているエヴ=マリーさん。27平米から54平米へ、約2倍になった住空間と、念願のバルコニーのある暮らしです。これと引き換えに手放したのは、大好きなパリ暮らしへのこだわりでした。エヴ=マリーさん決断の物語です。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

大好きなパリ暮らしにさよなら!

エヴ=マリー・ブリオラさんは息子のエミール君と、大きな猫のノラちゃんと暮らしています。ちょうど1年前、パリ北西の郊外の街、ル・プレ・サン・ジェルヴェにある54平米の集合住宅に引っ越してきました。パリに愛着を持つパリジェンヌにとって、パリを離れる決断はとても重大です。しかしエヴ=マリーさんには、広い住空間とバルコニーのある暮らしを得る、という明確なヴィジョンがあったのです。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「パリのそのアパルトマンには15年以上暮らしていて、パリらしいオスマニアン建築(※)にも、街でのライフスタイルにも、とても満足していました(※オスマニアン建築:19世紀のパリ改造を象徴する集合住宅の建築様式。石造りの壁、凝った装飾を施した鉄柵のバルコニーなどが特徴)。でも息子が8歳になり、27平米の暮らしがだんだんと手狭になってきて……そこへコロナ禍の外出制限(ロックダウン)が重なったのです。オフィスで働く生活が一変し、自宅勤務が当たり前になった時、慣れ親しんだパリ暮らしにお別れする決意をしました」と、エヴ=マリーさん。

そのころエヴ=マリーさんは、自身が2018年に創業した手編みキットのブランドKnit in Parisの経営者として、責任ある仕事をしていました。そしてそれ以前の仕事は、DIYとインテリアデコレーション専門のジャーナリストだったそう。20年以上にわたって、『MARIE CLAIRE IDEES(マリクレール・イデ)』をはじめとするフランスのメジャー雑誌で仕事をしていたのです。つまり、快適な住まいづくりのプロ! 

「新しい暮らしのイメージが具体的に、はっきりとありましたから、物件は3週間もかからずに見つかりましたよ」

決断したら早いところは、さすが、自ら会社を立ち上げた経験の持ち主です。しかも郊外暮らしをスタートした後に仕事も一新し、この1月から非営利団体の広報責任者を務めているとのこと。もともとジャーナリストだったエヴ=マリーさんにとって、情報を集めて文章を書き、それを効果的なグラフィックで見せていくという点で、現在の仕事は長くキャリアを積んだフィールドと共通しているのだそうです。
新しい街で、新しい住まいをつくり、新しい仕事を始めたエヴ=マリーさん。彼女が「大満足しています!」と言う住まいに、お邪魔しました!

エミール君とノラちゃん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

エミール君とノラちゃん(写真撮影/Manabu Matsunaga)

条件に合わせて街を決め、さらに物件を絞り込む

「15年以上暮らしたパリの27平米のアパルトマンを賃貸に出して、その家賃収入で広い住まいを借りて住む」
これがエヴ=マリーさんの引越しプロジェクトでした。「広さ、バルコニー、地下物置」という条件を満たす物件は、郊外に多く見つかりましたが、ル・プレ・サンジェルヴェに絞り込んだことには理由がありました。なぜならこの街からは、パリの中心部レ・アルまでメトロ1本でアクセスできるのです。東京に例えるなら、新宿駅に地下鉄1本でアクセスできる感覚。これなら、パリのギャラリーやエキシビジョン巡りをする生活が続けられますし、エミール君も転校せずに通学できます。この立地が、全く未知の街だったル・プレ・セン・ジェルヴェを、有力な引越し先にしたのでした。

街の様子(写真撮影/Manabu Matsunaga)

街の様子(写真撮影/Manabu Matsunaga)

街が決まったら、次は物件です。これも条件が明確だったため、検索ですぐに絞り込みができたと言います。広さ、バルコニー、そして地下物置。

念願のバルコニー! エミール君とノラちゃんの安全のためにネットを装着した(写真撮影/Manabu Matsunaga)

念願のバルコニー! エミール君とノラちゃんの安全のためにネットを装着した(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「内観したときに、ここで暮らしている様子がすんなりとイメージできました」
ということで即決。このジャッジの速さと正確さは、インテリアに携わる仕事をしてきた経験のたまもの。多くを見て知っている分、迷いがないわけです。ダイニングスペースのある広いキッチンと、広いリビング、子ども部屋、バルコニーと地下物置のある日当たりのいい10階の物件を、予算内で見つけることができました。

「気に入らないところはバスルームだけ。でも賃貸なので、ある程度の妥協はやむを得ませんね。バルコニーからの眺めと、遮るものがなくいつでも明るい10階の環境は、何ものにも代えられませんから」

こだわりのインテリア。選び方や配置のコツは?

エヴ=マリーさんの住まいは個性にあふれている印象。なぜかな、と思ってぐるりと見渡し気づくのは、やはり特徴的なインテリアづかい。白で統一した空間に、たっぷりと配したグリーン、そして壁を覆う額。

ダイニングスペースのある広いキッチン。ここにも額を飾り、グリーンをたっぷりと配している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

ダイニングスペースのある広いキッチン。ここにも額を飾り、グリーンをたっぷりと配している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「写真やイラストが好きで、たくさん購入してしまうのです。息子が生まれたころ、つまり9年くらい前から少しずつ集め始めて、引越しを機に数えたところ、なんと額が89枚もありました! 友達に手伝ってもらって1つ1つ包むのに、丸1日かかりましたよ。以前の住まいは27平米でしたから、それこそ1cmの隙間もないくらい、壁一面に飾っていました。そこに対する友達の反応ですか? 上々でしたよ!」

今は飾るべき壁がたくさんあることも、エヴ=マリーさんには喜びです。額を飾るコツを聞くと、壁に飾る前にまず床に平置きして、全体のバランスを見るのだそう。どこに何を置くか配置が決まったら、しっかり採寸して壁に穴を開けて釘を打ち、飾っていきます。こうすれば失敗を未然に防ぐことができるわけですが、もし失敗したときは「後で壁を塗り替えればいい」と頭を切り替え、やり直します。

「モダンな額と、ナポレオン3世スタイル(19世紀中頃のフランスで流行した建築様式、室内装飾様式。第二帝政期スタイルとも呼ばれる)が好きで、額はこのモダンスタイルとナポレオン3世スタイルの2タイプに統一しています。アンティークの額はeBay(主に中古品を売る転売サイト)や蚤の市で見つけることが多いです。まだまだたくさん飾りますよ、せっかく広い壁があるのですから! 以前の住まいのように、1cmの隙間もないくらい飾りたいです。それからグリーンも大好きなので、自然光がたっぷり入る今の環境は最高ですね」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

白い壁と白い家具、モダンな額とナポレオン3世スタイルの額、そしてグリーン。このベースにそってインテリアを整えているので、たくさんのアートを飾っても、雑然とせず統一感があります。そしてそれはキッチンやサロンだけでなく、廊下も、子ども部屋も、家の中すべてに言えることなのでした。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

子どものころからアートを生活に取り入れて

エミール君の部屋は、9歳の男の子の部屋とは思えないシックなインテリア。モダンな額とナポレオン3世スタイルの額が壁を覆い、家具はやはり白が基調です。額の中の絵や写真をよく見ると、自分が小さかったころに描いた絵や顔写真などがあって、ああ、やっぱり子ども部屋なんだと気付かされる感じ。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「エミールの部屋に飾るものは、もちろん本人の意見を反映していますよ。彼自身、自分がつくり上げた飾り付けを誇りに思っているようです。私が何かを飾るときに、どちらにしようか悩んだりすると彼に意見を聞くこともあります。子どもの意見を聞くことは重要ですし、アートについて考える機会を与えることも大切だと思っています。私が幼かったころ両親がしてくれたように、人生の中でアートは重要だということを、ごく自然に学んでくれたら」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

エミール君はお小遣いができると、近所の園芸店へ植物を買いに行くのだとか。アートとグリーンを愛する心は、しっかりと育まれているようです。

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

あれ? でもちょっと待ってください。エミール君の部屋はありますが、エヴ=マリーさんの寝室がありません! 

「私はリビングのソファベッドに寝ています。70年代建築のこの物件はよくできていて、玄関からの廊下に沿ってまずバスルーム、その向かいに子ども部屋、その先にリビング、キッチン、と続き、リビングを通らずにキッチンやバスルームに行ける間取りになっています。つまり、リビングのドアを閉めてしまえば、ここは独立した私の部屋。実はさっきまで、私の母がキッチンでエミールの宿題を見てくれていました。その間、私はこうしてプライバシーを確保しながら、お客様と話ができます。この間取りのおかげで、あと10年はここに住めそうです。引っ越しはとても大変な作業なので、しばらくは動きたくありませんから!」

リビングからもキッチンにアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングからもキッチンにアクセスできる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

新しい生活と共に始まる、これからの豊かな暮らし

理想の間取りとバルコニー、そして収納力たっぷりの地下物置のある住まい。そして、以前は知らなかった郊外の街。そのどちらにも大満足しているエヴ=マリーさんを見ながら、決断の大切さを思いました。外出制限中の「パリ暮らしにさよならする」決断があったからこそ、現在の暮らしがあるのです。

「この街には、私が大好きなアムステルダムを思わせるレンガ建築の一角があったり、オーガニックやヴィーガンの食材店が充実していたり、住んでみて嬉しい発見がたくさんありました。朝は車の騒音ではなくて、小鳥のさえずりと共に目覚めます。ほんとうに、パリのすぐそばなのに。この街そのものの暮らしの魅力と、パリへのアクセスの良さと、その両方が得られたのはラッキーだったと思います」

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのオーガニック専門店(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのオーガニック専門店(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「ラッキー」は、自分の基準がはっきりわかっている、ということなのかも知れません。基準さえ明確なら、あとは何を決めるのも早いし、失敗も少ないはずですから。
引越してから2年目になる今年の夏も、エヴ=マリーさんは友達を自宅に招待し、自慢のバルコニーでアペリティフを楽しむことでしょう。自分の基準、重要ですね。

(文/Keiko Sumino-Leblanc)

●取材協力
エヴ=マリー・ブリオラさん
著書
動物好きのエヴ=マリーさんがボランティアをしている動物保護非営利団体Truffes Sans Toit

相撲稽古場をイラスト図解! 力士の成長を支える44部屋をスポーツ記者が描く 佐々木一郎さんインタビュー

東京都を中心に、全国に43ある大相撲の稽古場(相撲部屋)。力士にとっては技と心を鍛える場であると同時に、生活の場でもある。大相撲という特殊な世界に生きる若者たちは、そこでどんな一日を過ごしているのだろうか? また、それぞれの稽古場には、どんな特徴があるのだろうか?

「稽古場は、親方一人ひとりの思いが反映された空間なんです」。そう語るのは、日刊スポーツ記者の佐々木一郎さん。一つひとつの稽古場の様子を、詳細な図解イラストで読み解いた『稽古場物語』の著者でもある佐々木さんに、個性豊かな稽古場とそこでの力士たちの生活などについて聞いた。

相撲部屋での力士の生活とは?

――佐々木さんは2015年から4年にわたり、数多くの相撲部屋(以下、稽古場)を取材されています。力士にとって稽古場とはどんな場所なのでしょうか?

佐々木一郎さん(以下、佐々木):稽古場は鍛錬の場所でもあり、生活の空間でもあります。『稽古場物語』では44の稽古場を描いていますが、どの部屋も基本的なつくりは似ていますね。1階に土俵を中心とした稽古場、風呂場、調理場(ちゃんこ場)があり、2階以上が力士や親方の生活スペースになっています。関取(十両以上の力士)には個室が与えられ、それ以外の力士は大部屋での共同生活。ほとんどの稽古場は、伝統的にこの形を踏襲しています。

――個室がもらえるのは関取だけなんですね。

佐々木:はい。関取以外の力士が暮らす大部屋はプライベートな空間も少ないですし、不自由なことが多いです。ただ、だからこそ「早く関取になって、個室がほしい」というハングリー精神が生まれてくる。そういう狙いもあるのだろうと思います。

佐々木一郎さん(日刊スポーツ新聞社 デジタル編集部部長)。1996年日刊スポーツ新聞社入社。2010年3月場所から大相撲の担当記者になり、2013年4月からデスク。2015年から月刊『相撲』(ベースボール・マガジン社)で「稽古場物語」を連載。4年にわたって40以上の稽古場をめぐり、その特徴や親方たちの思いを自作のイラストとともに紹介してきた。近著は『関取になれなかった男たち』(ベースボール・マガジン社)。記者時代からの取材ノートは82冊を数える(写真撮影/藤原葉子)

佐々木一郎さん(日刊スポーツ新聞社 デジタル編集部部長)。1996年日刊スポーツ新聞社入社。2010年3月場所から大相撲の担当記者になり、2013年4月からデスク。2015年から月刊『相撲』(ベースボール・マガジン社)で「稽古場物語」を連載。4年にわたって40以上の稽古場をめぐり、その特徴や親方たちの思いを自作のイラストとともに紹介してきた。近著は『関取になれなかった男たち』(ベースボール・マガジン社)。記者時代からの取材ノートは82冊を数える(写真撮影/藤原葉子)

――他に、稽古場ならではの間取りの特徴や工夫はありますか?

佐々木:どの部屋も、稽古場から風呂場、ちゃんこ場までの動線がよく考えられていますね。稽古で体についた土や砂を生活空間に持ち込まないよう、稽古場と風呂場が直結していたり、勝手口から外を通って風呂場に行けるようになっていたりします。そして、体をきれいにしたあとは、そのまま1階でちゃんこを食べられる。

例えば、旧二所ノ関部屋は稽古場への出入り口に脱衣所があって、すぐに風呂場へ行けるようになっていました。一般的な住宅でも家事や生活のしやすさを考えて動線を考えると思いますが、稽古場の場合も稽古と生活をスムーズにつなげるという観点で、理にかなったものになっていると思います。

佐々木さんの手描きによる稽古場の俯瞰図。土俵を中心とした稽古場の間取りや特徴が一目で分かる(写真撮影/藤原葉子)

佐々木さんの手描きによる稽古場の俯瞰図。土俵を中心とした稽古場の間取りや特徴が一目で分かる(写真撮影/藤原葉子)

イラストの描き方は、佐々木さんが学生時代から大ファンだった作家・妹尾河童さんの著書で学んだそう(写真撮影/藤原葉子)

イラストの描き方は、佐々木さんが学生時代から大ファンだった作家・妹尾河童さんの著書で学んだそう(写真撮影/藤原葉子)

――ちなみに、稽古場での一日とはどういったものなのでしょうか?

佐々木:まずは朝稽古。開始時間は部屋により違いますが、早朝からスタートして午前中には終わるところがほとんどです。食事は1日2回で、1回目は朝稽古終わりのちゃんこ。最初に親方と関取が食べ、その後は番付順に食べていきます。力士が多い部屋の場合、最後の人が食べ終わるのは午後2時くらいになることもありますね。その後は、関取であれば夜のちゃんこまでフリータイム。ジムなどで自主トレーニングをする人もいますし、家族がいる場合は自宅に帰って翌朝の稽古に備えます。

一方、関取以外の若い衆は朝のちゃんこの片付けをした後、夕方まで大部屋で昼寝です。午後4時くらいから掃除や夜のちゃんこの準備をして、食事が終わった後は寝るまで自由時間ですね。

――自由時間はどう過ごす人が多いですか?

佐々木:スマホでゲームをしたり、動画を観たり、漫画を読んだりと、そこは一般的な若者と変わらないと思いますよ。もちろん稽古場やジムなどで自主トレーニングに励む力士もいます。なお、朝稽古に支障をきたさないために多くの部屋に門限があり、この2年間はコロナ禍にあるため、そもそも外出する時間に制限があります。

伝統と革新が融合する、個性的な稽古場

――どの稽古場も基本的なつくりは似ているということですが、それでも部屋ごとにちょっとした違いや個性は見られますか?

佐々木:そうですね。本当に部屋によってさまざまな特徴があります。正直、連載の取材を始める前は、多くの部屋でネタがかぶってしまうんじゃないかと心配していました。でも、実際は稽古場ごとに違いがあり、それぞれのストーリーを感じられるんです。

例えば、千葉県習志野市の「阿武松部屋」には、部屋のあちこちに美術作品が飾られていました。先代の親方が芸術を好んだ方で、弟子に対して「相撲だけしか知らないのではなく、絵など芸術にも触れてほしい。『これはなんだろう』と感じてもらうだけでもいい」という思いが込められているんです。

また、東京都江東区の「高田川部屋」には、力士が突っ張りの稽古をする「テッポウ柱」が5本もあります。これは角界でもここだけですね。普通は1本しかないため、親方は現役時代、ほかの力士とケンカしながらテッポウ柱を取り合っていたのだとか。そこで、弟子たちには存分に稽古をしてもらおうと5本も立てたそうです。

阿武松部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

阿武松部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

高田川部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

高田川部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

――親方の稽古に対する考え方が、部屋づくりに反映されているわけですね。

佐々木:東京都墨田区の「鳴戸部屋」も革新的ですよ。風呂場に2つの浴槽があって、温水と冷水の交代浴ができるようになっています。これは、「血液の流れをよくして疲れをとるため」という理由からで、鳴戸親方(元大関・琴欧州)のこだわりです。親方は現役引退後に日体大に入学するなど新しいことを学ぶのに貪欲で、従来の相撲部屋にはなかった取り組みを次々と実現させています。

鳴戸部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

鳴戸部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

また、いま注目しているのは二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)が茨城に建設中の「二所ノ関部屋」。構想では土俵を2面用意したり、大部屋もプライベート空間を重視したりと、既存の稽古場にはあまりなかった発想で部屋づくりをしています。高田川部屋の5本のテッポウ柱と同じように、土俵が2面あれば力士が順番待ちをせずに稽古に励めるだろうという考え方ですね。ちなみに、二所ノ関親方も現役引退後に早稲田大学の大学院で学んでいます。自分の経験とスポーツ科学を組み合わせ、試行錯誤しながら新しい稽古のあり方を模索しているんです。

――若い親方が新しい発想を取り入れて、稽古場のありようも変わってきていると。

佐々木:はい。大相撲の伝統を尊重しながらも、科学的なトレーニングや合理的なやり方を取り入れる親方は増えています。特に、学生相撲出身の親方は新しい試みに積極的な印象があります。大学の相撲部は4年間という限られた期間でトーナメントを勝ち上がるために、早く強くなれる効率のいいトレーニングを重視していますから。

例えば、日本大学出身の木瀬親方(元幕内・肥後ノ海)が率いる「木瀬部屋」(東京都墨田区)は、力士を相撲に集中させるための合理性を追求しています。稽古場は冷暖房完備で、稽古をビデオで撮影し、テレビモニターですぐに確認できるようにもなっている。これは、古くからある稽古場では考えられなかったことですね。

木瀬部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

木瀬部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

――ちなみに、立地はどうでしょうか? 両国国技館に近い東京23区内ではなく、茨城、千葉、埼玉などに部屋を構えるケースもあります。相撲に集中するための環境としては、どちらのほうがいいと思いますか?

佐々木:一長一短があるので、どちらがいいとは言えません。6場所のうち半分は両国国技館で開催されるので、「通勤」のことを考えたら都心のほうが便利ですよね。でも、当然ながら都心は土地が高いので、稽古場自体は狭くなります。逆に、茨城や埼玉、千葉などの部屋は国技館からは遠いですが、かなりゆったりと贅沢なスペースがとれる。

例えば、千葉県松戸市の「佐渡ヶ嶽部屋」の敷地面積は630坪もあり、力士は充実した環境で稽古に励んでいます。一方で、東京都墨田区の「宮城野部屋」はもともとバイク店だった建物をリフォームしていて、かなり窮屈なんです。ただ、そんな環境で横綱の白鵬が優勝を重ねていたことを考えると、稽古場が狭いからといって強い力士が育たないとは言えない。結局は親方の考え方次第ですよね。一般住宅でも、都心で便利さを求めるか、郊外で広さを求めるかで悩むじゃないですか。それと同じことではないでしょうか。

佐渡ヶ嶽部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

佐渡ヶ嶽部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

宮城野部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

宮城野部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

「ただ強くなればいい」ではない

――先ほど、新しい試みに積極的な親方が増えているというお話がありましたが、その一方で、あえて「昔ながらの稽古」を貫く親方もいらっしゃるのでしょうか?

佐々木:もちろんです。特に、歴史の長い部屋を受け継いだ親方や、中学卒業と同時に角界入りした叩き上げの親方はその傾向が強いかもしれません。「稽古場は“鍛錬の場”なのだから、冷暖房なんて必要ない。冬は汗をかけば温まるし、夏は暑さを我慢してやるものだ」と。

この根底には「相撲は修業の一環である」という考え方があります。つまり、ただ相撲が強くなればいいのではなく、人間教育にも重きを置かなくてはいけない。ですから、昔ながらのやり方を一概に時代遅れなどと切り捨てることはできませんし、どの考え方も正解なのだと思います。

「親方衆は、いかにして弟子の番付を上げ、いかにして人間教育と両立させていくかについて頭を悩ませています」と佐々木さん(写真撮影/藤原葉子)

「親方衆は、いかにして弟子の番付を上げ、いかにして人間教育と両立させていくかについて頭を悩ませています」と佐々木さん(写真撮影/藤原葉子)

――確かに、ただ競技能力の向上だけを目的とするなら、そもそも相撲部屋のシステム自体が決して合理的とはいえませんよね。

佐々木:そう思います。大部屋での集団生活や、ちゃんこ番、部屋の掃除までしなくてはいけないなんて、他のプロスポーツ選手であれば考えられませんよね。相撲で勝つことだけを考えるなら、ひたすら稽古だけに没頭したほうがいいし、各々が個室でリラックスし、ベッドでゆっくり休んで疲れをとったほうがいいのは明白ですから。ただ、それも全て、修業の一環なんです。

大相撲の場合、新弟子検査をクリアすればプロになれます。プロ入りのハードルは低い反面、関取になれるのはほんのひと握りです。10人のうち9人は30歳くらいまでに引退をして、相撲とは別の世界で生きていかなくてはならない。だからこそ、親方は弟子たちをいかに教育し、相撲界から卒業させるかに心を砕いているわけです。稽古場とは、そんな親方一人ひとりの思いが反映された空間なんですよ。

――佐々木さんのお話を伺って、稽古場を見学してみたくなりました。

佐々木:今はコロナの影響で中止になっていますが、以前は多くの部屋が朝稽古を一般に公開していました。また再開されたら、ぜひ訪れてみてほしいですね。もちろん、私語をしないなどマナーは守った上で、稽古場の空気を感じていただきたいと思います。

●取材協力
佐々木一郎(Twitter)
『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

漫画家・山下和美さん「世田谷イチ古い洋館の家主」になる。修繕費1億の危機に立ち向かう

東京都世田谷区豪徳寺にある、推定およそ築130年の洋館。「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる政治家・尾崎行雄の旧居と伝えられてきた邸宅だ。1年前、取り壊しの危機にあった洋館は、保存を望む有志によって買い取られ、今なお往時の姿を留めている。ただ、一時的に解体を免れたものの今後も建物を維持し続けるための課題は山積み。当面の補修費用だけでも、およそ1億円がかかるという。

そうまでして、なぜこの洋館を守りたいのか? その思いやこれまでの紆余曲折、これからについて、2019年にスタートした「旧尾崎邸保存プロジェクト」発起人の漫画家・山下和美さん、笹生那実さんに聞いた。

世田谷イチ古い洋館に惹かれて

――山下さんが最初に洋館に出合った時のことを教えてください。

山下和美(以下、山下):13年前、家を建てる土地を探していた時に豪徳寺を訪れ、初めてこの洋館を見ました。水色の外観は清里高原(山梨県)にあるペンションみたいなかわいらしさがありながら、時を重ねた建物にしか出せない品のある古さが感じられる。一目で惹かれましたね。この街に家を建てたのも、洋館の存在があったからです。近くに住み始めてからはより愛着が湧き、散歩をする度に眺めていました。

山下和美さん。漫画家。『ランド』『天才柳沢教授の生活』『不思議な少年』『数寄です!』『寿町美女御殿』など、数々の作品を発表。現在は、洋館の保存活動の経緯を描いた『世田谷イチ古い洋館の家主になる』をグランドジャンプ(集英社)で連載中(写真撮影/相馬ミナ)

山下和美さん。漫画家。『ランド』『天才柳沢教授の生活』『不思議な少年』『数寄です!』『寿町美女御殿』など、数々の作品を発表。現在は、洋館の保存活動の経緯を描いた『世田谷イチ古い洋館の家主になる』をグランドジャンプ(集英社)で連載中(写真撮影/相馬ミナ)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

――それがじつは、世田谷区内に現存する「最も古い洋館」だったと。

山下:界隈では「旧尾崎行雄邸」と呼ばれていましたが、建てたのは尾崎行雄の妻テオドラの父親である尾崎三良男爵で、明治21年築という説が有力のようです。つまり、築130年以上。鹿鳴館(明治16年築)とあまり変わらない時期に建てられ、世田谷区に移築された洋館と知った時には、なおさら残す価値があると思いました。ちなみに、三良男爵の日記には、新築時に伊藤博文ら政府要人を招いたという記述もあります。

――笹生さんは、この洋館の存在をどうやって知りましたか?

笹生那実(以下、笹生):山下さんが洋館の保存活動をしていることを知って興味を持ち、一人でこっそり見に行ったんです。想像以上に大きくて、風格があって圧倒されました。また、立派だけどかわいくもあり、とても魅力的な建物だなと感じましたね。

笹生那実さん。漫画家。主な作品に『薔薇はシュラバで生まれる』『すこし昔の恋のお話』『25月病』などがある(写真撮影/相馬ミナ)

笹生那実さん。漫画家。主な作品に『薔薇はシュラバで生まれる』『すこし昔の恋のお話』『25月病』などがある(写真撮影/相馬ミナ)

――笹生さん、山下さんはもともと洋館がお好きだったのでしょうか?

笹生:洋館には子どものころから憧れがありました。私は横浜出身で、山手の西洋館エリアを見て育ちましたから。きれいな建物と広い庭、大きな犬を連れて散歩している住人。とても華やかで、本当に外国にいるような気持ちになりましたね。

――山下さんも、多くの古い洋館が残る小樽で幼少期を過ごしたそうですね。

山下:小樽(北海道)には明治維新のころにたくさんの洋館が建てられて、私が暮らしていた1960年代にはあちこちにまだ残っていました。その一部は父が勤めていた小樽商科大学の宿舎としても使われていて、職員であれば安く住むことができたんですよ。実際、私が赤ん坊のころに円柱形の不思議な洋館に住めることになり、母と姉が見学にも行ったらしいんですけど、「押入れがないと布団が仕舞えない」と母が反対して断念したそうです。当時はベッドを買うという発想がなかったみたいで。残念ながら、憧れの洋館に住むチャンスを失いました。ちなみに、今はもうその建物は取り壊されてしまったそうです。

世田谷の静かな住宅街に建つ洋館。周囲の緑と水色の外観が調和している(写真撮影/相馬ミナ)

世田谷の静かな住宅街に建つ洋館。周囲の緑と水色の外観が調和している(写真撮影/相馬ミナ)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

解体工事の2週間前に始めた「ネット署名」が流れを変える

――現在は山下さんたちが所有し、保存されている洋館ですが、一時期は取り壊し寸前までいったそうですね。

山下:3年前に近所の人から「洋館が取り壊されるらしい」という話を聞きました。跡地に建売住宅を作る計画があって、すでに土地と建物は不動産会社を通じて工務店に売却済みという状況だったんです。私たちが買い戻すとなると、3億円はかかるという話でした。

正直、私も借金して自宅を建てたばかりで、とてもそんなお金はない。それでも、何とか残す手はないかと2019年に保存プロジェクトを始めたんです。

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』1巻より(集英社)

――お金のこと以外に、何が特に大変でしたか?

山下:不動産会社との交渉がうまく進まず、1年近くも膠着状態になってしまったのは辛かったですね。不動産会社の言い値や契約内容に不明瞭な点があっても、私たちにそれを確かめるすべはありません。その時には前オーナーである家主さんとの接触も、不動産会社側によって完全にシャットアウトされていましたから。そうこうしているうちに解体工事の日程も決まってしまい、もはや絶望的な状況でした。

洋館の内部。洋館として「きばりすぎていない」シンプルなつくりに惹かれたと山下さん(写真撮影/相馬ミナ)

洋館の内部。洋館として「きばりすぎていない」シンプルなつくりに惹かれたと山下さん(写真撮影/相馬ミナ)

1階と2階をつなぐ手すり付きの階段(写真撮影/相馬ミナ)

1階と2階をつなぐ手すり付きの階段(写真撮影/相馬ミナ)

館内随所に130年の年月を重ねた風格がにじみ出ている(写真撮影/相馬ミナ)

館内随所に130年の年月を重ねた風格がにじみ出ている(写真撮影/相馬ミナ)

――そんな絶望的な状況から、潮目が変わったきっかけは何だったのでしょうか?

山下:解体工事の予定日まで2週間を切ったギリギリのタイミングで(保存を求める)ネット署名を集め始めたのですが、そこから少しずつ流れが変わっていきました。たくさんの賛同者が集まってくれて、多くの人に保存プロジェクトのことを知ってもらえたんです。

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

『世田谷イチ古い洋館の家主になる』2巻より(集英社)

また、世田谷区議会議員の神尾りささんからもご連絡をいただき、協力してもらえることになりました。神尾さんはもともとワシントンを拠点に仕事をしていて、尾崎行雄に対して特別な思い入れがあったというんです(※編集部注:尾崎行雄は東京市長時代、ワシントンD.C.のポトマック河畔に3000余本の桜の苗木を寄贈し、日米友好に努めた)。

――それは心強い。

山下:神尾さんは、私たちが立ち上げたネット署名を海外に発信することを提案してくれました。アメリカ側からも“日米友好の象徴”である旧尾崎行雄邸保存の動きを起こそうと、英訳までやってくれたんです。

それからは本当に目まぐるしく、短期間でいろんなことが起こりましたね。さまざまなメディアにもこの一件が取り上げられ、世間的な関心が高まったこともあって、解体工事だけは延ばしてもらえました。

――工事を延ばしつつ交渉を進め、最終的には強力な支援者が現れて一時的に洋館を買い取る形になったそうですね。

笹生:はい。金額が金額だけに大変でしたが、、最終的には「取り壊しを防ぐための一時所有なら」ということで支援してくれたんです。

3つの部屋が連なる不思議な間取り。1階と2階を合わせて7つの部屋がある(写真撮影/相馬ミナ)

3つの部屋が連なる不思議な間取り。1階と2階を合わせて7つの部屋がある(写真撮影/相馬ミナ)

1億円の補修費用、どう捻出?

――所有が保存プロジェクトに移り、取り壊しは回避されました。ただ、このまま維持していくのは大変ですよね?

笹生:そうですね。一時的に解体は免れましたが、次はこれをどう維持・活用していくかという問題があります。当初は洋館を曳家(ひきや/建物をそのままの状態で移動させる手法)で移動し、広くなった土地を分譲して資金を得ることも考えましたが、なかなか買い手は見つかりませんでした。

山下:それに、既存の建物として今の場所にあるぶんには仕方ないけど、場所を移動するなら現在の建築基準法等の法令に合わせなくてはいけないんです。その後、世田谷区にも相談してさまざまなアイディアもうまれましたが、時間がかかりそうでした。

現在は、洋館を使いたい民間企業とテナント契約を結び、収益を得ながら有効活用する道を探っています。

窓ひとつとっても味わい深い。ただ、つくりが複雑なため、補修できる業者を見つけるのも一苦労だという(写真撮影/相馬ミナ)

窓ひとつとっても味わい深い。ただ、つくりが複雑なため、補修できる業者を見つけるのも一苦労だという(写真撮影/相馬ミナ)

――現時点での手応えはいかがですか?

山下:さまざまな企業が興味を示してくれましたが、最終的には都内の有名コーヒー店が本店を洋館に移したいと名乗り出ていただきました。しかも、洋館自体はそのままにして、昔の建物の雰囲気を大事にしたいと言ってくれて。厨房などは、洋館の横にある朽ちかけた小屋を改装してつくるということでした。今は具体的な詰めやスケジュールの調整を行なっているところです。

2階の洋室。かつてはここに6家族が間借りし、暮らしていたこともあったそう(写真撮影/相馬ミナ)

2階の洋室。かつてはここに6家族が間借りし、暮らしていたこともあったそう(写真撮影/相馬ミナ)

テレビのアンテナ。戦後、一部の部屋は賃貸住宅として活用され、現代の暮らしが営まれてきた(写真撮影/相馬ミナ)

テレビのアンテナ。戦後、一部の部屋は賃貸住宅として活用され、現代の暮らしが営まれてきた(写真撮影/相馬ミナ)

――ただ、築130年の建物は老朽化も進んでいて、補修費用だけでも莫大な額になると思います。家賃収入だけで賄うことは難しいのでは?

山下:当面の補修費用だけでも、およそ1億円はかかります。大家となるからには耐震工事は必須ですし、現在の古い建物のままでは寒すぎるので、暖房器具も入れなくてはいけない。ただ、普通にエアコンを入れてしまうと、せっかくの雰囲気が台無しになってしまいます。外観だけでなく中身も明治を感じさせる趣を残すには、通常よりさらにハイレベルな工事や技術が必要になるんです。他にも、窓のつくりがものすごく複雑だったりするので、修繕できる業者も限られてきます。そうなると、どうしても費用はかさんでしまう。

笹生:正直、家賃収入だけではとても足りません。そこで、保存プロジェクトでクラウドファンディングによる寄付を募り、約1800万円のご支援をいただくことができました。他にも、知人の漫画家など支援の声を挙げてくださる方がいますので、当面はお借りできるところからお借りして、家賃収入で少しずつ返していければと考えています。

取材時に洋館を案内してくれた山下さんと笹生さん。一部のスペースはお二方のギャラリーとしても活用する予定(写真撮影/相馬ミナ)

取材時に洋館を案内してくれた山下さんと笹生さん。一部のスペースはお二方のギャラリーとしても活用する予定(写真撮影/相馬ミナ)

――とりあえず取り壊しを免れたものの、保存への取り組みはまだまだ続いているわけですね。

山下:そうですね。ずっと進行中です。一番の悩みは、私たちがこの世からいなくなった後のことです。その時には絶対にまた同じ問題が起こりますよね。私たちの願いは洋館を後世にも残し続けることなので、いずれは永続的に所有してもらえるところに譲りたいと考えています。

笹生:いくつか目星はつけているので、私たちが元気なうちに何とか道筋をつけたいです。これからテナントが入り、洋館が活用されている様子を発信できれば、周囲の見方も変わってくると思います。ですから、まずは目の前の計画をしっかり進めていきたいですね。

山下さんの『世田谷イチ古い洋館の家主になる』。保存プロジェクトの詳細な経緯が描かれている(写真撮影/相馬ミナ)

山下さんの『世田谷イチ古い洋館の家主になる』。保存プロジェクトの詳細な経緯が描かれている(写真撮影/相馬ミナ)

●取材協力
旧尾崎邸保存プロジェクト(Twitter)
旧尾崎行雄邸保存プロジェクト(Facebook)
『世田谷イチ古い洋館の家主になる』(グランドジャンプ)※試し読みあり

通勤時間1分。「会社のとなりに住む人は幸せか?」を聞いてみた

この世には、「会社のとなりに住む人たち」がいる。

通勤時間を極限まで減らし、空いた時間を生活やさらなる仕事に割り振る。限られた人生の時間を、究極の方法で生み出す者だ。

コロナ禍で、働き方の可能性を大きく広げたリモートワーク。それでも補完しにくい、直接的なコミュニケーションが可能なオフィスの役割も見直されるいま。彼らの生活に迫ってみた。

90万円の部屋に住み、となりの会社へ通う社長

今回はそんな日常生活を送る2人に話を伺った。この両者、家賃は10倍ほど違う。まずは90万円もの高額な家賃を払いながら、会社のとなりに住む1人目の声を聞く。

左はオフィスがあるアークヒルズ、右は住居の泉ガーデンレジデンス。本当にとなりだ(写真撮影/辰井裕紀)

左はオフィスがあるアークヒルズ、右は住居の泉ガーデンレジデンス。本当にとなりだ(写真撮影/辰井裕紀)

位置関係はこの通り(写真撮影/辰井裕紀)

位置関係はこの通り(写真撮影/辰井裕紀)

六本木のアークヒルズサウスタワーに会社を構え、システムエンジニアリングサービス事業とSaaS事業を営む株式会社エージェントグロー。このエリアは完全なる「ビジネス一等地」だが、よりによってとなりにある超高級マンション、泉ガーデンレジデンスに居を構えている人がいる。同社代表取締役の河井智也さんである。

「ウマ娘」にハマる河井社長(撮影時のみマスクを外しています。写真撮影/辰井裕紀)

「ウマ娘」にハマる河井社長(撮影時のみマスクを外しています。写真撮影/辰井裕紀)

会社のとなりへ住むようになったいきさつを語ってくれた。

「実家暮らしが長かったんですけど、27~28歳で一人暮らしを始めてから、ずっと職場の近くに住むようにしています」

そこには理由があった。

「実は私、元引きこもりのニートで。家は貧乏でしたし、学歴もそれほどじゃなくて」

世の中は不平等だ。

「ですがある日、『どんな人にも時間は平等なんだよな』と気付いたんです」

当時住んでいた新横浜の実家から、都心へは通勤に1時間以上かかる。その通勤時間を時給2000円で計算すると「1年でおよそ100万円」になる。

「時間を有効活用して通勤時間を仕事や勉強に費やそうと思い、『会社の近くに住もう』と決めました」

そう一念発起して、18億円を超える売り上げと317名もの従業員を抱える会社を築いた。

かつて河井さんのオフィスがあった溜池交差点(写真撮影/辰井裕紀)

かつて河井さんのオフィスがあった溜池交差点(写真撮影/辰井裕紀)

創業当初のオフィスは溜池山王にあり、赤坂に住んでいた。

「当時は会社から7分くらいのところに住んでいたのですが、会社が移転したのに伴い徒歩10分ぐらいになっちゃって。それを機に『新社屋から一番近い部屋に引っ越そう!』って決めたんです」

部屋の中。さまざまな日本画が飾られている(写真提供/河井智也)

部屋の中。さまざまな日本画が飾られている(写真提供/河井智也)

真ん中に見えるのが自宅と会社を行き来する裏道(写真撮影/辰井裕紀)

真ん中に見えるのが自宅と会社を行き来する裏道(写真撮影/辰井裕紀)

新しい住まいは1LDKで66平米ほど。リビングは16.5畳(約30平米)でバルコニーも広々としている。

「赤坂のときは妻と2人暮らしで2LDKに住んでいたんですけど、引っ越し先を決める際に『個室がふたつあるより、リビングの大きいところに住みたいね』と話して。画家の妻が大きな作品を描くにも便利なので、広いリビングのある1LDKに引っ越しました」

始業の10分前に起きても会社へ間に合う

一人暮らし時代の家賃は15万円、赤坂のときは30万円。六本木で48万円と来た。そしてこの記事が出るころには、同じマンションの高層階に引っ越している。床面積は2倍近くに広がるも、家賃はさらに90万円へ跳ね上がった。

「子どもが生まれてから物がすごく増えて手狭になり、リビングがさらに広い2LDKに引っ越しました。物置が大きいので、たくさんある妻の画材もしまえますね」

リビングは19畳と広々している(画像提供/河井智也)

リビングは19畳と広々している(画像提供/河井智也)

90万円もの高額な部屋に住む、決断に至った心中とは。

「環境がよければ、お金を稼げますから。家賃が高くとも、たくさん頑張って成果を出せばいいので」

力強く語る。そのために寝る時間も大切にしている。

「家が会社のとなりにあるおかげで、徒歩1分で帰宅できます。会社を出るのが24時を過ぎても7~8時間は眠れますし、仮に寝坊して8時50分に起きても、定時の9時に間に合いますよ」

エスカレーターを乗り継げば泉ガーデンレジデンスからアークヒルズまで雨に濡れずに移動できる(写真撮影/辰井裕紀)

エスカレーターを乗り継げば泉ガーデンレジデンスからアークヒルズまで雨に濡れずに移動できる(写真撮影/辰井裕紀)

「電車通勤が不要」なのも、会社のとなりに住む利点という。

「なかなか気づかないですけど、電車に乗るのは意外と精神的に削られるんですよ。人とすごく近いとかで。会社に着いた時点でもう、ちょっと疲れちゃうんですよね」

“仕事のパフォーマンスに直結する”との考えから、電車に乗らなくていい家を選んだ。

東京メトロ南北線 六本木一丁目駅も近いがほぼ使わない(写真撮影/辰井裕紀)

東京メトロ南北線 六本木一丁目駅も近いがほぼ使わない(写真撮影/辰井裕紀)

近いから家庭生活も大事にできる

会社の成長にも、「会社のとなり」生活が活きた。

「一番大きいのは、採用面接ですね。面接に来る求職者の方の大半は平日の日中帯に働いていますから、だいたい定時後か土日の面接を希望されるんですよ。コロナ前は対面の面接がメインだったんですが、さまざまな事情で来社できなくなる方もたまにいらっしゃって」

家が遠ければ通勤時間が気になるが、家がとなりにあれば精神的にも余裕ができる。土日の面接でもゆとりを持って対応でき、良い社員が続々と入社してくる好循環が生まれた。そして、「結婚生活」においてもメリットがある。

「1歳にならない子どもがいるんですが、子どもに何かがあって妻からヘルプがあったらすぐ帰れるんですよね。家のベランダから会社の明かりが見えるほど近いので、お互い安心できます」

中央右側が家。バルコニーから合図を送れる距離だ(写真撮影/辰井裕紀)

中央右側が家。バルコニーから合図を送れる距離だ(写真撮影/辰井裕紀)

ちなみに行きつけのお店は?

「自宅近くのお店にはだいたい入ったことがあるので、誰かとごはんを食べるときにいいお店はある程度把握しています」

さすがの網羅ぶりを見せる河井さんに、いくつか店をピックアップしてもらった。

「THE CITY BAKERY BRASSERIE RUBINは、パリのパン屋さんのレストランです。広くて子連れで行きやすいうえにテラス席もありますし、妻も好きなお店です。あとは陳麻婆豆腐とか。辛いのが好きな社員も多いので、みんなでランチによく行きますよ」

陳麻婆豆腐(写真撮影/辰井裕紀)

陳麻婆豆腐(写真撮影/辰井裕紀)

ランチセットは1,100円。ごはんを大盛りにすれば食べごたえもある(写真撮影/辰井裕紀)

ランチセットは1,100円。ごはんを大盛りにすれば食べごたえもある(写真撮影/辰井裕紀)

歩かなくなって30キロ太った(撮影時のみマスクを外しています。写真撮影/辰井裕紀)

(撮影時のみマスクを外しています。写真撮影/辰井裕紀)

メリットは多いが、意外な盲点も。

「会社の近くとなると大都会であることも多いので、まず家賃が跳ね上がります。職場近くにずっといると生活もマンネリ化しがちなので、旅行などでリフレッシュするように心がけます」

近くに住むからこそ、遠出する余裕もできるという。そして河井社長は笑って話す。

「会社のとなりに住むようになって、30キロ太ったんですよ。あまりに太りすぎてみんなから『痩せろ』と言われて。歩くってカロリー消費に大切だったんだなと。あわててジムに通い始めましたね」

老後は、会社を離れて住むことも考えている。

「歳を取って会社の近くに住まなくてよくなったとき、競馬ファンの私は『競馬場の近く』にでも住んでいるかもしれません(笑)。そのとき自分が熱中しているものや、やりたいことを叶えられるところに住むのが一番だと思いますから」

それまでは、仕事がやりやすい「会社のとなり」生活を謳歌する。

「仕事で成果を出したり年収を上げたりしたい人は、絶対会社の近くに住んだ方がいいと思いますね」

(写真撮影/辰井裕紀)

(写真撮影/辰井裕紀)

あの大阪の大手ゲーム社員も「会社のとなりに住む」

もう1人。誰もが知るあの大阪の大手ゲーム会社のとなりに住むのが、キャラクターデザイナーのolorさんだ。

olorさんの近影(画像提供/olor)

olorさんの近影(画像提供/olor)

「会社への距離は……本当に1分くらいですね。距離は50mもないです」

JR吉祥寺駅前 (写真/PIXTA)

JR吉祥寺駅前 (写真/PIXTA)

いったいなぜ会社のとなりに住んだのか。それは東京時代にさかのぼる。

「吉祥寺に住み、渋谷まで通勤していました。会社までは50分かかり、出退勤ラッシュに苦しんでいたんです。人混みに眼鏡を割られたこともありますし、酔ったとなりの人からゲロを吐かれたことも3回あります(笑)」

olorさんが勤めるゲーム会社の社屋(画像提供/olor)

olorさんが勤めるゲーム会社の社屋(画像提供/olor)

電車を逃して会社に何度も泊まったこともあり、通勤の苦労は深く脳裏に刻まれた。そこから3年前に転職し、東京から大阪に移住する。

8年住んだ吉祥寺は気に入っており、「関西の吉祥寺」のようなところを探したが、なかった。そこで目を付けたのが、会社のとなりだったのだ。

「さすがに会社のとなりは、仕事モードのオンオフができなさそうで悩みました。ですがこだわりポイントがすべて集まっていたのも、会社の近くだったんです。川の真ん中にあってオシャレな中之島公園もあるし、10分歩けば大阪城。ショッピングモールもあったので」

そして「通勤・退勤ラッシュにつかまらない」のも理由のひとつだった。

遊覧船が通る中之島公園。イベントも開催されてにぎわう(画像提供/olor)

遊覧船が通る中之島公園。イベントも開催されてにぎわう(画像提供/olor)

関西の物件は東京よりは安いと思っていたが、本社があるのは大阪市でも都会の中央区だ。7万2000円の家賃では広い部屋を借りられなかった。

「吉祥寺時代の6畳から9畳になりましたが、実質キッチンが3畳ほど取っている1Kなので、やっぱり狭いです」

olorさんの部屋。キッチンが部屋のスペースを取っている(画像提供/olor)

olorさんの部屋。キッチンが部屋のスペースを取っている(画像提供/olor)

猛暑や梅雨も関係なく過ごせる

「残業が多い業界で近所に住む社員も多いですが、本当にすぐとなりだと知るとびっくりされましたね」

だからプライベートでもよく同僚と遭遇する。

「気まずくはないですけど、ピザを買って帰るところを目撃されて『今日ピザなんですね』とか言われることはあります(笑)」

行きつけのお店も、やはり近くの店になる。

「いつも同じところばっかりに行ってしまうのが問題です(笑)」

長い行列のできるつけ麺の井手本店や、たっぷりの鶏むねからあげが食べられる万喜鶏などは、olorさんも何十回と通っている。

焼き鳥屋の万喜鶏。「めちゃくちゃなボリュームの鶏のむねからあげが好きで、よく行きます」(画像提供/olor)

焼き鳥屋の万喜鶏。「めちゃくちゃなボリュームの鶏のむねからあげが好きで、よく行きます」(画像提供/olor)

+200円で倍近くからあげが増える(画像提供/olor)

+200円で倍近くからあげが増える(画像提供/olor)

住んでみると徒歩1分もかからず出勤できるし、電車のラッシュとは無縁で、まるで体力を消耗しなかった。猛暑や梅雨も苦にならないし、自分の時間が増えた。

「家と会社への往復があまりにもカンタンですから、家のPCの調子が悪くなったときも、出勤して会社のPCでやり過ごせました。退社後には『olorさんがデータを確認しないと進めない』などの連絡もたまに来るんですが、パジャマのまま会社に行ってすぐ解決できますよ」

「ついでに」の行動ができない

だが、デメリットもある。olorさんが勤めるような大企業は都会にあるため、「都市のノイズがうるさい」

「働くならいいんですが、住むのは大変です。そばに片側5~6車線くらいあるすごく大きい道路があり、緊急車両のサイレンが毎日のように鳴るし、バイクの暴走族もいます。休日にはデモまで」

さらにまわりには高い建物が多く、日当たりも微妙だという。

「会社と家の往復では仕事のオンオフができません。インドア派の私でも、変化がなくて息苦しさを感じます」

関西に来て3年経つが、その実感も薄いという。会社もデスクワークのため、1日10分も歩かない。

「あと、通勤に距離があるとお店や公園に寄ったり、映画を観たりできます。家が近すぎると、意識してアクションを起こさないと外での行動ができません。お家に入ったら『もう出たくない』となるので」

物も増えて手狭になり、引っ越しを計画中(画像提供/olor)

物も増えて手狭になり、引っ越しを計画中(画像提供/olor)

「会社から離れる幸せ」も見えてきた

なので、次は会社から離れたところへのマイホーム購入を考えている。

「大阪は東京ほど電車が混まないっていうし、30分以上離れてもいいかなと。物も増えましたし、関西で落ち着いてもいいと思ったので」

探しているのは交通の便のよさとともに、自然豊かな街だ。

「京都と大阪の真ん中にある高槻市とか、大阪・枚方市の樟葉とか。老後も考えたら、京都の宇治市もいいかなって。通勤は1時間かかりますが、電車1本ですぐ京都市内には出られるので。趣味のバイクで琵琶湖にもすぐ行けますから」

宇治市御蔵山から見渡す秋晴れの山科方面の景色      (写真/PIXTA)

宇治市御蔵山から見渡す秋晴れの山科方面の景色 (写真/PIXTA)

そうやって引っ越しを考える日々だが、それでも「会社のとなり生活」は、メリットの方が多いと語る。

「移動がない分、自分の時間は明らかに増えます。仕事が生活のメインの人か、完全にインドアの人にはいいと思いますし、都会生活が好きな人には最適だと思いますよ」

会社のとなりに住みたくなった人には。

「単調な毎日になりやすいので、帰宅後や週末のプランを意図的に組み込んで、気分のオンオフをしたほうがいいですね」

夕日が沈む琵琶湖(写真撮影/辰井裕紀)

夕日が沈む琵琶湖(写真撮影/辰井裕紀)

テレワークで、時間と距離の自由を得た現代人。しかし、もし行き詰まりを感じているようであれば、「会社のとなりに住む」のも選択肢の一つだ。多くのメリットとともに、デメリットも確実にある。そこを見きわめて納得できたら、こう生きるのもいいだろう。

会社のとなりに住むメリットと、離れて住むメリット。一緒に見つめられるはずだ。

●取材協力
株式会社エージェントグロー
olorさん

埼玉県民も驚いた!? 人口8000人の横瀬町が「住み続けたい街」に選ばれた理由

埼玉県の北西部、秩父郡に属する横瀬町。県内でも知名度が高いとはいえない街だが、「2021年 住み続けたい街(自治体/駅)ランキング首都圏版」(SUUMO調べ)でTOP50位以内にランクインした。埼玉県下に限れば、なんと4位! 人口8000人の横瀬町が、「なぜ住み続けたい」と思われているのか? どんな魅力が隠されているのか? その謎を紐解くべく、横瀬町で生まれ育ち、街づくりに関わる田端将伸さん(横瀬町役場まち経営課)に聞いてみた。

「横瀬町で何かやりたい人」をバックアップする仕組み

――さっそくですが、地域住民が投票した「住み続けたい街ランキング」にて、なぜ横瀬町が上位にランクインしたと思いますか?

田端将伸(以下、田端):じつは横瀬町では、数年前から官民が連携した街づくりプロジェクトを進めてきました。今回の埼玉県下で4位という結果は、それが少しずつ実を結びはじめている証ではないかと思います。

横瀬町職員の田端将伸さん(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町職員の田端将伸さん(写真撮影/藤原葉子)

――どのような取り組みなのですか?

田端:まちづくりのアイデアを形にできるプラットフォーム「よこらぼ」を使い、さまざまなプロジェクトを行っています。個人、団体・企業を問わず、「横瀬町で何かをやってみたい」という熱意を持つ人が、「よこらぼ」を通じて、さまざまなことにチャレンジできるんです。

――なるほど。具体的なプロジェクトについて伺う前に、そもそも「よこらぼ」はどういった経緯で生まれたのですか?

田端:きっかけは富田町長と、ある起業家の立ち話からでした。「サービスのアイデアはあっても、それを実証する場がなかなかない。ぜひ、横瀬町でやらせてもらえないか?」という提案があったんです。当時、東京都内には数多くのベンチャー企業が台頭していましたが、同じような悩みを抱えている起業家は多かったようで。そのとき、これはチャンスかもしれないと考えたんです。

――なぜですか?

田端:どこの自治体も企業誘致を試みています。しかし、横瀬町のような山間地域に来てくれる企業って、なかなか見つからないんですよ。そこで、企業そのものを誘致するのは難しくても、「プロジェクト」を誘致することならできるかもしれないと考えました。

横瀬町を実証実験の場として積極的に活用してもらえば、人、物、お金、情報がどんどん入ってくるのではないかと。そこで、そのための窓口として2016年に「よこらぼ」を立ち上げました。そして、企業の実証実験だけでなく、個人にも「自分のやりたいこと」「横瀬町をよくすること」などを提案してもらうことにしたんです。

「小さな行政」の利点を生かし、ハイスピードでプロジェクトを回す

――立ち上げ当時の反響はいかがでしたか?

田端:最初に想定していた通り、都内のベンチャー企業による実証実験の応募が多かったです。例えば、「廃校など町の遊休スペースを貸し出すプロジェクト(採択No.02)」や「被写体中心の360度自由視点映像サービスの実証(採択No.20)」、都内のクリエイターたちがチームで挑んだ「中学生を対象としたキャリア教育プログラム(採択No.08)」などですね。応募が集まることで新聞やWebメディアなどでも紹介され、記事を見た企業が「うちもやりたい」と声を挙げてくれる、いい循環ができていました。ちなみに、現在までに189件の応募があり、そのうち108件を採択しています(2022年3月1日時点)。

世界初の特許技術、360度自由視点映像サービス「SwipeVideo」でフォームをチェック(画像提供/横瀬町)

世界初の特許技術、360度自由視点映像サービス「SwipeVideo」でフォームをチェック(画像提供/横瀬町)

都内のクリエイターによる、中学生を対象にした半年間のキャリア教育プログラム「横瀬クリエイティビティー・クラス」(画像提供/横瀬町)

都内のクリエイターによる、中学生を対象にした半年間のキャリア教育プログラム「横瀬クリエイティビティー・クラス」(画像提供/横瀬町)

――採択率およそ6割と、けっこう高いですね。「よこらぼ」に寄せられたアイデアはどのようなフローで採択しているのでしょうか?

田端:毎月、審査会を開き、町民代表や役場の職員らで審査をしています。早ければ、応募から約一ヶ月という早いスピードで各プロジェクトをスタートできるように心掛けています。このペースはずっと守り続けてきました。これは、小さな町、小さな行政だからこそできる強みといえるかもしれません。

――だから、5年で100件以上のプロジェクトを実行できたんですね。

田端:そうですね。また、スピードだけでなく横瀬町の「コミュニティの強さ」も、プロジェクトを進める上でプラスに働いていると思います。ここで何かしらのサービスの実証実験をやろうとすると、住民が積極的に協力して、実証のサービスや商品を使ってくれようとするんです。リアルな住民に使ってもらい、フィードバックを得られるのは、企業側にとっても魅力なのではないでしょうか。他にも、Wi-Fiなどが使える現地オフィスの提供、行政権限を生かした法的なサポートも行っています。

――手厚いですね。最近では、どんなプロジェクト事例がありますか?

田端:最近では「電動アシスト付きの手押し一輪車による、運搬労力の削減プロジェクト(採択No.107)」という事案がありました。そこで、農園と建設作業場に手押し一輪車を持っていき、実証を行ったんです。一見すると、どこででも実験可能な内容に思えますが、このような実証実験をしてくれる自治体は、ほぼないでしょう。

また、地方では農園も建設現場も、最近は労働力不足が深刻化しています。そこで、電動の手押し一輪車で重い荷物を運べるようになるだけでも、多少なりとも生産性は上がるはずです。地方の課題を解決しつつ、企業にとっても良いフィードバックが得られる。なおかつ、町民のためになり、横瀬町の知名度も上がる。こうした良いサイクルを生むプロジェクトが多いように思います。

手押し一輪車のタイヤを交換するだけで、電動化することができる(画像提供/横瀬町)

手押し一輪車のタイヤを交換するだけで、電動化することができる(画像提供/横瀬町)

――ただ、毎月の審査会でどんどん新しいプロジェクトが採択されるとなると、町民の協力を得るのも大変な気がしますが。

田端:そこは私たちのほうでも意識していて、いつも同じ町民ばかりにお声がけして負担が偏らないよう、案件ごとにご協力いただく方を調整しています。ただ、今は基本的にみなさん快く協力してくださいますね。確かに、最初は説明するのが大変だった時期もありました。例えば、「シェアリングエコノミーのプロジェクトです」と言っても、特にご高齢の方には伝わりづらいですよね。ですから、噛み砕いて分かりやすい言葉で丁寧に伝えることは意識していましたし、「よこらぼ」の冊子をつくるなどして、活動そのものへの理解を深めるように努めていました。

――それは根気が必要ですね……。

田端:ただ、全員に完璧に理解してもらってからやろうとすると、いつまでたっても前に進みません。ですから、そこにばかりエネルギーを注ぎすぎず、同時並行でプロジェクトを次々と回し、参加してもらうことで理解してもらいました。すると、結果的に町民が他の町民を巻き込むような形になり、「よこらぼ」自体の認知度や理解も深まっていったように思います。最近では、「何をやっているかは未だにわからないけど、この街を変えているんだよね」と言ってくださる人も多いです(笑)。

――町民も街の変化に気づいているんですか?

田端:そう思います。だからといって、今のところ暮らしが豊かになったとか、幸せになったかとか、具体的な何かがあるわけではありません。それは、まだまだ先の話。でも、隣町や少し離れた街の人から「横瀬を褒められる」ことがあり、嬉しかったという声はいただいています。そうした周囲からの評価を聞いて、改めて横瀬に誇りを持ってくださる人もいたのではないでしょうか。

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

町民一人一人の「やりたい」を起点に、街を活性化していく

――企業以外の団体や個人のプロジェクトにはどんなものがありますか?

田端:企業以外の団体では、大学と連携することが多いです。例えば「介護における、転倒リスクを予防する」プロジェクトなどがあります。また、「よこらぼ」の認知度向上に伴い、個人の応募も増えてきましたね。最近も、地元の人が「横瀬の材料を使ったお菓子をつくりたい」というプロジェクトを応募してくれたんです。横瀬町のPRにもつながると考え、すぐに採択しました。はじめに、販売先の紹介などの支援をしましたが、今ではしっかり自走しています。けっこう売り上げも良いみたいですよ。

――それは素晴らしいプロジェクトですね。

田端:そのプロジェクトは、自身が小さいころから思い描いていた夢だったそうで。その夢を「よこらぼ」のおかげで叶えることができたと、嬉しそうでした。こうした、「自分がやりたいこと」を起点にプロジェクトを立ち上げ、結果的に街づくりの担い手になってくれるような町民が、これからも増えていってくれるといいですね。

――そうした「街づくりの気運」みたいなものは高まっているのでしょうか?

田端:そうですね。高まりつつあると思います。例えば、「よこらぼ」をきっかけに作られた「Area898」というコミュニティスペースがあるのですが、これも町民のみなさんの提案でした。

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

田端:「よこらぼ」がスタートしてから、地域外からも多くの人が訪れるようになり、新しい出会いやコミュニティも生まれました。しかし、せっかく交流が生まれたのに、横瀬町には人と人が交わる“リアルな場所”がなかったんです。そこで、ある町民団体から「よこらぼ」を通じて「新しいコミュニティ・イベントスペースをつくりたい」という提案があり、JA旧直売所跡地を使って「Area898」を整備することになりました。

――確かに、駅前などには日常的に交流できそうな場所が見当たりませんでした。

田端:そうなんです。だから、よく見る商店街の光景で「あら、〇〇さん。こんにちは」というシーンも生まれない。それってすごくもったいない気がしたんです。そこで「集まりたくなる場」を町民と行政でつくったわけです。

今では「Area898」に連日、人が集っている(画像提供/横瀬町)

今では「Area898」に連日、人が集っている(画像提供/横瀬町)

――「Area898」の利用状況はいかがですか?

田端:横瀬町民はもちろん、横瀬に関わる町外の人たちも集まるようになりました。自分の好きなこと、楽しいこと、やりたいこと、共有したいことを軸に「Area898」に人が集い、新しい活動が生まれるようになりましたね。かなり、面白い場所だと思いますよ。私が会議をしている横で、お年寄りがスマホ相談会を受けていたり、中学生が勉強をしていたり。誰でも無料で利用できることで、多くの住民が集まりやすい環境ができたと思います。

Wi-fiも完備。その後、住民から寄贈されたボルタリング、黒板、スクリーンなどが徐々に加えられていった(写真撮影/藤原葉子)

Wi-fiも完備。その後、住民から寄贈されたボルタリング、黒板、スクリーンなどが徐々に加えられていった(写真撮影/藤原葉子)

JA旧直売所に残っていたものも再利用。パレットはブランコに、米びつはショーケースに生まれ変わった(写真撮影/藤原葉子)

JA旧直売所に残っていたものも再利用。パレットはブランコに、米びつはショーケースに生まれ変わった(写真撮影/藤原葉子)

田端:また、2022年の3月からは「よこらぼ」「Area898」と並ぶ、新たな試みもスタートさせています。それが「ENgaWAプロジェクト」。横瀬の中心部にあった給食センターの跡地に作った、“チャレンジキッチン”です。

――「エンガワ」。どんな場所なんでしょうか?

田端:町内でとれる農作物を使った、新しい商品の開発などを町民と一緒に考えるスペースです。コロナ禍で農作物が売れずに余ってしまったため、新たな活用方法を模索する場所として誕生しました。商品開発だけでなく、食のイベントなどを通した町民同士の交流スペースとしても活用していきたいと考えています。最近も、地元の大豆を使ったイベントを開催しました。

節分に合わせて2月5日に開催された「大豆フェスティバル」

節分に合わせて2月5日に開催された「大豆フェスティバル」

オリジナルメニューは4品。写真はオリジナルスイーツ「くるむー焼」(画像提供/横瀬町)

オリジナルメニューは4品。写真はオリジナルスイーツ「くるむー焼」(画像提供/横瀬町)

――地産地消だけでなく、地域の人がメニューまで開発してしまうというのは面白いですね。

田端:ありがとうございます。ちなみに、「ENgaWA」のメンバーは農作業のお手伝いもしています。農家さんの負担を少しでも軽減し、その見返りとして収穫した農作物をおすそ分けしてもらっているんです。

――本当に、助け合いの心が根付いていますね。そして、それが見事に街づくりの源泉になっている。

田端:それもこれも、「よこらぼ」というベースがあったからだと思います。とはいえ、当たり前ですが全ての町民が積極的に街づくりに関わりたいわけではありません。ですから、決して無理な呼びかけや、ましてや強制などはしません。あくまで、興味がある人がガッツリやればいい。そうでもない人は基本スルーでいいし、なんとなく興味が出てきた時だけ参加してくれればいい。そういう、ゆるさが大事だと思うんですよね。行政は環境だけを整えて、あとは町民の意思に委ねる。このやり方が、今のところはうまくいっているのではないかと感じます。

「大豆フェスティバル」をお手伝した町民の方々(画像提供/横瀬町)

「大豆フェスティバル」をお手伝した町民の方々(画像提供/横瀬町)

「閉鎖的な田舎」からの脱却を

――お話を伺っていて、横瀬町が「住み続けたい街」として評価されている理由がなんとなくわかりました。町民自らが「街をよくしよう」と活動しているわけですから、愛着も生まれますよね。

田端:だとすれば、嬉しいことですね。今も人口は減り続けていますが、“何か面白いことをやりたい人”は確実に増えていると感じます。ですから、今後はさらにいろんなチャレンジができそうな気がしますね。また、「よこらぼ」で実証実験に来た人が、プロジェクト終了後も遊びに来てくれたり、二拠点居住のような形で頻繁に訪れてくれることも増えてきました。こんなふうに、移住とまではいかなくても横瀬町を第二の故郷のように思ってくれるのは、とても嬉しいことですね。

空き家バンクも、最近はすぐに埋まってしまうそう。去年の登録件数14件のうち、13件が成約(画像提供/横瀬町)

空き家バンクも、最近はすぐに埋まってしまうそう。去年の登録件数14件のうち、13件が成約(画像提供/横瀬町)

――今後も横瀬が「住み続けたい街」であり続けるためには、何が必要だと思いますか?

田端:「関わりしろのある街の可能性」を示し続けることじゃないかと思います。街がチャレンジし続けていれば、若い人にもきっと「この街だったら、まだやれることがあるんじゃないか」と思ってもらえるでしょうから。

ただ、チャレンジには失敗がセットです。だから、横瀬町では失敗を咎めません。それに、チャレンジといっても、別に大きなことでなくていいんです。例えば、ウォーキングだっていいし、盆栽だっていい。それが直接的に街づくりにはつながらなくても、一人ひとりがやりたいことをやっている。そんな街でありたいです。そのためにも、私たちが率先して、チャレンジしている姿を見せ続けていきたいですね。

(写真撮影/藤原葉子)

(写真撮影/藤原葉子)

●取材協力
よこらぼ
Area898
ENgaWA

谷根千エリアを地元目線で取材! 街の見方が変わるローカルメディア「まちまち眼鏡店」がスタート

谷根千「谷中・根津・千駄木」を拠点に、活動を続ける一級建築事務所HAGI STUDIOが、2022年3月末に谷根千のローカルWebメディア「まちまち眼鏡店」をローンチした。おもしろいところは、情報を発信するだけでなく、谷根千に住んでいる人、この街を愛する人なら誰でも参加できるという、街全体を巻き込もうとしているところ。メディアを通じて、どのようにコミュニティをつくっていくのか、その想いや背景を取材した。

地元密着の建築事務所だからこそ、メディア発信が必要左から、千十一編集室の影山裕樹さん、『まちまち眼鏡店』店長の坪井美寿咲さん、副店長の柳スルキさん、HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん(写真撮影/片山貴博)

左から、千十一編集室の影山裕樹さん、『まちまち眼鏡店』店長の坪井美寿咲さん、副店長の柳スルキさん、HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん(写真撮影/片山貴博)

「HAGI STUDIO」は、ちょっと変わった建築事務所だ。例えば「宿(まちやど hanare)」を運営しているし、「教室・イベント(まちの教室KLASS)」も開く。さまざまなジャンルの「食(HAGI CAFE、TAYORI等)」のお店や、カフェやギャラリーなどの「複合施設(HAGISO)」も運営している。ただし、場所は谷根千エリアが主軸。活動範囲は狭く、そして深い。
「事務所から自転車で行ける範囲で7件ほどの拠点があります。それらの運営をするなかで、自然と街の人々と関わることが増え、自分たちで発信するローカルメディアの必要性を感じていたんです」と代表取締役の宮崎晃吉さん。とはいえ、本業が忙しく、なかなか重い腰を上げられなかったという。
「そんななかコロナ禍で、遠くに行けない事態になり、地元への関心が高まりました。谷根千は、観光地であり住宅街であり、寺町であり職人の街であり、商業地でもあります。生まれも育ちもココという人もいれば、最近はマンションが増え、新しい住民も増えています。同じ街でも、違う人が見れば、違ったふうに見える。人の目線を借りることで、街の魅力を再発見するのは、街の豊かさにつながる。それでメディアをつくろうと思いました」(宮崎さん)。

HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん。学生時代に住んでいた木造アパート「萩荘」を改修し2013年『最小文化複合施設HAGISO』として生まれ変わらせる。以来、谷根千エリア内での建物再生と運営、全国での建築設計を手掛ける(写真撮影/片山貴博)

HAGI STUDIO代表取締役の宮崎晃吉さん。学生時代に住んでいた木造アパート「萩荘」を改修し2013年『最小文化複合施設HAGISO』として生まれ変わらせる。以来、谷根千エリア内での建物再生と運営、全国での建築設計を手掛ける(写真撮影/片山貴博)

背景にはステレオタイプな谷根千イメージへの危機感が

こうしたローカルメディアを考えた背景には、既存メディアで谷根千が「昭和」「レトロ」というステレオタイプに扱われていることに、一種の危機感があったそう。
「あまりにもイメージが定着しすぎると、街がそれを追いかけるようになる。“昭和レトロな店しかこの街らしくない”とか。それでは街の解像度が粗い。実際はもっと複雑です。分かりやすいほうが消費しやすいのも分かりますが、複雑さは街の豊かさにつながるもの。複雑なものをそのまま享受するのは、分かりやすさを優先する既存のメディアでは難しいだろうと思ったんです」(宮崎さん)

では、手掛けるローカルメディアの柱とはなんだろうか?
「まず、観光客向けではなく、暮らす人に軸足を置くこと。読み手もつくり手になるような参加するメディアであること。このメディアを媒体にして、さまざまな属性を持つ人々のコミュニティ化が出来たら理想的だと考えました。これは単身者、ファミリー、高齢者、暮らす人働く人と、多様性のある谷根千ご近所エリアだからこそできることです」とはメディア監修を行う、千十一編集室の影山裕樹さん。

千十一編集室代表の影山裕樹さん。全国各地でローカルメディアや地域プロジェクトのディレクション、コンサルティング、制作を行う。今回はメディアのプロとして監修を行う(写真撮影/片山貴博)

千十一編集室代表の影山裕樹さん。全国各地でローカルメディアや地域プロジェクトのディレクション、コンサルティング、制作を行う。今回はメディアのプロとして監修を行う(写真撮影/片山貴博)

誰かの目線の「眼鏡」に見立てたウェブメディアがコンセプト

メディア名は「まちまち眼鏡店」。といっても眼鏡を売っているのではない。「誰かの目線で暮らしが深まるローカルメディア」をコンセプトに。多様な視点を”眼鏡”に見立て、まちを紹介する試みだ。
いわゆる観光客向けの情報サイトではない。具体的には、Web上で特集や、インタビュー、エッセイ、動画、ラジオ音源を掲載し、まちに関わる人たちが、どんな見方でまちを見ているのかを追体験できるメディアを考えている。「眼鏡店」と名付けたWebだから、運営するスタッフは「店長」「副店長」と、ちょっと変わった肩書にした。

「まちまち眼鏡店」という名は「ひとの数だけまちの見方がある」という気づきをもとに、まちを見る目を眼鏡に見立てたことから(画像提供/HAGI STUDIO)

「まちまち眼鏡店」という名は「ひとの数だけまちの見方がある」という気づきをもとに、まちを見る目を眼鏡に見立てたことから(画像提供/HAGI STUDIO)

コンテンツ例(画像提供/HAGI STUDIO)

コンテンツ例(画像提供/HAGI STUDIO)

軒先、塀の上などで思い思いに園芸を楽しむ路地裏の風景は谷根千ではおなじみ。「“路上園芸鑑賞家”の村田あやこさんとまち歩きをした際、その家の個性、最近の流行まで分かったんです。その気づきがメディアづくりのきっかけにもなりました」(宮崎さん)(写真撮影/片山貴博)

軒先、塀の上などで思い思いに園芸を楽しむ路地裏の風景は谷根千ではおなじみ。「“路上園芸鑑賞家”の村田あやこさんとまち歩きをした際、その家の個性、最近の流行まで分かったんです。その気づきがメディアづくりのきっかけにもなりました」(宮崎さん)(写真撮影/片山貴博)

読み手がつくり手にもなる。制作過程が目的にもなるメディア

収益面でも挑戦がある。
通常のメディアは、媒体でもWebでも、広告収入でまかなうのが普通だ。しかしローカルメディアは対象が限られているため、こうしたマスメディアの広告ありきのスキームは限界がある。
そこで、目指すのは「当事者たちによる自立した収益モデル」。地域の事業者で構成されるパートナー会員に加え、個人のメンバー会員も募集。「編集会議」と「まちの作戦会議」に参加する権利が得られる。メンバーについては現状、オープン記念につき10月末まで無料で登録ができるとのこと。

読み手がつくり手も担うことで、制作物であるWebメディアとその制作過程(ビハインド)の両方がコミュニティの場となるのだ。

「毎月の編集会議はリアルとオンラインの併用を想定。未定ですが、それぞれの興味あるものをフックに、地域に関われるリアルな場を設けたいと考えています。イメージは部活。例えば写真部、カレー部、猫部、お茶部など。引越して、いきなり町内会はハードルが高いけれど、例えば、一見では入りにくいお店に、地元の常連さんと一緒に入ってみるのが、地元での関わりのきっかけになるかもしれません」(宮崎さん)

編集会議の様子(画像提供/HAGI STUDIO)

編集会議の様子(画像提供/HAGI STUDIO)

メディアを活用することで、リアルの場の活性化も期待

ローカルメディアの登場によって、現在実施している「リアルな場」も良い影響を与えることも期待を寄せている。

例えば、「HAGI STUDIO」が手掛ける「まちの教室 KLASS」は、地域の方が教え、教わることができる学び場だ。
「ただし多くは単発で、なかなか継続的な流れにならないのが残念でした。集客がままならないケースもありました。コロナ禍でオンラインも試みたのですが、“初めまして”でいきなりネット上は難しいと感じていました」と、HAGI STUDIOのKLASS担当、柳スルキさん。
「例えば、メディアが発信し続けることで、ゆるくつながる場になります。また、部活的なチームのようなものができれば、先生役も希望者がリレーでまわすこともできます。知り合いの中でなら、教える側になるのもハードルが低く、継続的な活動ができやすくなります。またチームとして顔見知りになればオンライン上のやり取りもスムーズになると思います」(柳さん)

柳スルキさん。韓国生まれ日本育ち。KLASS担当のスタッフで、ローカルメディア『まちまち眼鏡店』副店長(写真撮影/片山貴博)

柳スルキさん。韓国生まれ日本育ち。KLASS担当のスタッフで、ローカルメディア『まちまち眼鏡店』副店長(写真撮影/片山貴博)

コロナ前のKLASSの教室の風景。アイランドカウンターのキッチンがあり、料理教室が人気。地域の方を講師に迎え、近所の大工さんによる箸づくりや金継ぎ教室なども(画像提供/HAGI STUDIO)

コロナ前のKLASSの教室の風景。アイランドカウンターのキッチンがあり、料理教室が人気。地域の方を講師に迎え、近所の大工さんによる箸づくりや金継ぎ教室なども(画像提供/HAGI STUDIO)

また、取材をするという名目の上、普段つながりがないような街の人々から思わぬ話が聞け、街への理解が深まる面も。『まちまち眼鏡店』店長の坪井美寿咲さんは、宿泊施設「まちやど hanare 」では、ゲストの要望に合わせた街の情報を提供したり、案内したりする「まちのコンシェルジュ」としても働いている。
「私は、生まれも育ちも谷中。だからよく知っていると思っていたのですが、取材となると、消費者の私では気付けない面を知る機会を得ます。例えば、子どものころからよく買い物にいった魚屋さんに思わぬ物語があることを知ったり、寺の住職からは“こんな話、聞かれるまで忘れていた”なんてエピソードを聞いたり。逆に、ホテルの宿泊ゲストと街歩きを一緒にしたときは、自分がまったく気付いていなかった街頭ランプの美しさを教えてもらいました。メディアでの取材と、コンシェルジュの両方の業務で、街への解像度が上がってきたことを実感しています」

坪井美寿咲さん。「私は、地元、谷中の工務店の娘で、今も街のあちこちに知り合いが(笑)。街の皆さんに見守っていただきながら幼少期を過ごしました」(写真撮影/片山貴博)

坪井美寿咲さん。「私は、地元、谷中の工務店の娘で、今も街のあちこちに知り合いが(笑)。街の皆さんに見守っていただきながら幼少期を過ごしました」(写真撮影/片山貴博)

どこか懐かしいモダンなデザインの街灯ランプ。「ホテルのお客様が写真を撮られていました。私はいつもこの下を通っているのに、特別視をしたことがなかった。人の数ほど、街の見方があると実感した出来事でした」(坪井さん)(写真撮影/片山貴博)

どこか懐かしいモダンなデザインの街灯ランプ。「ホテルのお客様が写真を撮られていました。私はいつもこの下を通っているのに、特別視をしたことがなかった。人の数ほど、街の見方があると実感した出来事でした」(坪井さん)(写真撮影/片山貴博)

取材したのは4月の発行前の3月初旬。地元の人、編集者・ライターといった書くプロ、音楽家や料理家の専門家による「寄稿」をベースとして考えているとのこと。街の目利きによる、編集のプラットフォームだ。 
「通常、広告で成り立つネットの世界では、“PV(ページビュー)をいくら稼げるか”みたいなことが重要視されますが、今や単体でメディアを成立するにはもう難しい時代にきているのかなと。このローカルメディアは、地域に関わりたい人たちにとって、この街で暮らす上で必要なツールになることができれば成功だと思っています」(影山さん)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

●取材協力
・まちまち眼鏡店
・HAGI STUDIO

空き家を日替わりで活用。地域住民によるコーヒー店から結婚式場まで 東京都調布市深大寺

東京都調布市深大寺で空き家問題に取り組むコミュニティ「空き家をスナックする会」。「まずやってみる」をコンセプトに、メンバー自らが空き家のDIY改装を行い、工作や料理のワークショップ、間借りでの店舗運営、さらには結婚式など、さまざまな形で活用している。発起人の薩川良弥さんに、活動の背景やこれまでの事例、今後の展望について聞いてみた。

地域の人たちと空き家の活用方法を模索

――はじめに「空き家をスナックする会」とはなんですか?

薩川良弥(以下、薩川):空き家を活用することによって、街の活性化につなげることを目的としたコミュニティです。メンバーはオンラインでつながり、アイデアを出し合いながら企画を固め、みんなで実践していくチャレンジ型のチームですね。2018年3月に立ち上げて、現在の会員数は70名ほどです。

「空き家をスナックする会」の運営者、薩川良弥さん(写真撮影/松倉広治)

「空き家をスナックする会」の運営者、薩川良弥さん(写真撮影/松倉広治)

薩川:現在、主に運営している元空き家のスペースは2箇所。調布の深大寺エリアにある「いづみや」と「COMORI」です。「空き家をスナックする会」のメンバーであれば利用が可能で、それぞれが企画を発案して自ら協力者を募り、これまでにさまざまな形で利用されています。

――「いづみや」、「COMORI」はどんな施設ですか?

薩川:「いづみや」は元お蕎麦屋さんでした。10年ほど空き店舗だった建物を改装し、今は地域に住むメンバーに間借りしてもらって日替わりのお店を運営しています。リアルな店舗で思い思いの“商売”ができるということで、人気の施設になっていますね。現在、月の半分は埋まっていますよ。

もう1つの「COMORI」は、一般的な二階建ての一戸建て住宅なのですが、静かに1人の時間を過ごす、お一人様向けの宿として運営しています。深大寺の自然を感じながら集中したり、何も考えずに過ごしていただくことができます。

――薩川さんはなぜ「空き家をスナックする会」をつくろうと思ったんですか?

薩川:私はもともとコミュニティマネージャーの仕事をしていて、場の運営とコミュニティづくりをメインに活動してきました。そのなかで「いづみや」の存在を知り、私なりに活用方法を模索してみたんです。

外観や看板は現在もそのまま使用している(写真撮影/松倉広治)

外観や看板は現在もそのまま使用している(写真撮影/松倉広治)

薩川:一般的な空き家活用って、フルリノベーション後に貸すか売るか、もしくは自分で運営するかじゃないですか。でも、私の場合は地域住民に“参加”してほしかったんです。住民のみなさんに改装や運営にも加わってもらい、空き家活用を体験してもらうことで長期的に街に愛される場所になるのではないかと思ったんです。そこで、空き家とコミュニティをセットにしたオンラインサロンとして「空き家をスナックする会」を開くことにしました。

――空き家問題という街の課題について、住民自らが考えるきっかけにもなりますね。

薩川:そうですね。自分自身も、そうやって住民たちが自ら盛り上げていくような街で暮らしたいと思いますし、メンバーも同じような気持ちで参加してくれているように感じます。

――なるほど。ちなみに、「空き家をスナックする会」の“スナック”の由来って?

薩川:以前、(芸人で著作家の)西野亮廣さんが「これからは産業がスナックする」と話されていたんですよね。スナックに集まるお客さんって美味しいお酒やツマミというよりは、コミュケーションを求めていると。だから、ママに「片付けといて」と言われたら、お客さんも働く。つまり、商品を提供して消費するだけではなく、一緒につくり上げることがこれからは重要なんじゃないかというお話で、まさにそのとおりと思ったんです。その象徴がスナックなんです。

――たしかに。みんなで場をつくっている感じがします。

薩川:だから、空き家もオーナーさん、地域住民、行政、地域の企業、みんながフラットな関係でつくれたらいいなと思い、スナックという言葉を用いました。

壁面のペイントや置物はお蕎麦屋さん時代からのもの(写真撮影/松倉広治)

壁面のペイントや置物はお蕎麦屋さん時代からのもの(写真撮影/松倉広治)

空き家のオーナーさんへ飛び込み提案のはずが……なぜか「茶飲み仲間」に

――活動を始めるにあたって、最初はどんな課題がありましたか?

薩川:一番大変だったのは、そもそも空き家が見つからないことでした。いや、空き家自体はあるんですけど、安く借りられて、自由にリノベーションして活用できるような“都合のいい空き家”なんて、実際にはそうそうない。建物自体は魅力的でも、オーナーさんの意向であまり大掛かりなことはしたくないというケースもありますからね。そこで、いい感じの建物を見つけるたびに、手紙を出していました。100件くらいには投函したと思います。

――100件! すごい行動力ですね。

薩川:そんなことを半年ほど続けましたが、実際にオーナーさんと出会えた数でいうと7~8人でしたね。そんな時に「いづみや」の賃貸情報が出たんです。不動産会社を介して物件を見学させてもらい、オーナーさんともお話しすることができました。ただ、不動産会社が設定した賃料が高くて……。当時、とてもそんな予算はありませんでした。

「いづみや」のオーナーさん(右)と話し込む薩川さん(画像提供/薩川良弥)

「いづみや」のオーナーさん(右)と話し込む薩川さん(画像提供/薩川良弥)

――どうされたんですか?

薩川:とにかく、必死に熱意を伝えました。「いづみや」でやりたい事業プランを持っていき、「現状の家賃では難しいのですが、ただただチャレンジしたいんです」と。当時のプランは、1階はコミュニティースペースとして運営し、2階は民泊として外国からの観光客向けに貸し出す、みたいなものでしたね。

――想いは伝わりましたか?

薩川:もちろん、すぐに結論は出ませんでした。ただ、オーナーさんには「信用できるやつだな」と認識していただけたようで、連絡を取り合うようになったんです。気付いたら、一緒にお茶をする関係になっていましたね。

――なんと……!

薩川:それから2~3カ月後くらいですかね、「1日だけお試しで営業してみる?」というようなことを言っていただきまして。僕はそこで「いづみやで何かしたい人は、きっといっぱいいます。僕が地域住民を集めるので、どのように生まれ変わらせるのがいいか、みんなで考える会を開きたいです」と提案しました。

オーナーさんは半信半疑でしたが、告知したところ一瞬で40席が埋まったんです。空き家の活用に興味がある人は多いだろうと思っていたけど、正直、ここまでの反応は予想していませんでしたね。オーナーさんも、ここまで人が集まるならと、私が管理することを条件にしばらく使わせてもらえることになりました。

地域住民と一緒に「いづみや」の活用方法を話し合った時の様子(画像提供/薩川良弥)

地域住民と一緒に「いづみや」の活用方法を話し合った時の様子(画像提供/薩川良弥)

――事業の内容云々の前に、薩川さん自身を認めてもらえたような感じですね。

薩川:そうであれば嬉しいですね。オーナーさんとは今も月に一度、活動の報告会をさせていただき一緒にお茶を飲んでいます。私はもちろん、オーナーさんも楽しそうで、良好な関係を築くための大切な時間になっていると思います。

ちなみに、「いづみや」の運営が始まってから4年が経った今も賃貸借契約は結んでおらず、オーナーさんのご好意で月額の家賃ではなく、その都度安価で貸していただいています。お金だけではなく、人と人との関係性によって成り立っているんです。「いづみや」でやりたいのも、まさにそれ。この場所で地域住民がつながることで、さまざまな街の課題を解決していきたいと思っています。

特に何もしなくても、人と人が自然につながるコミュニティが理想

――「いづみや」では、当初どんな活動をしましたか?

薩川:当初から今のような「間借り」で運用することを考えていたので、まずは飲食許可を取得するための改装を行いました。資金はクラウドファンディングで募り、最終的に200万円ほどのご支援をいただくことができました。

クラウドファンディング前の「いづみや」のキッチン(画像提供/薩川良弥)

クラウドファンディング前の「いづみや」のキッチン(画像提供/薩川良弥)

メンバーとキッチンを改装(画像提供/薩川良弥)

メンバーとキッチンを改装(画像提供/薩川良弥)

クラウドファンディングで支援を受け、生まれ変わったキッチン(画像提供/薩川良弥)

クラウドファンディングで支援を受け、生まれ変わったキッチン(画像提供/薩川良弥)

――間借りをする人はどうやって集めましたか?

薩川:口コミもありましたが、多くは実際に「いづみや」に来たお客様ですね。その日に入っているお店の人と話すなかで「私は木曜日だけ借りているんですよ」みたいな会話から少しずつ増えていきました。大々的に告知をしているわけではないので一気に借り手が増えることはありませんが、このゆるやかなスピード感と、こぢんまりとした規模感が逆に良いと思っています。

なぜなら、そのほうが関わるメンバー全員に当事者意識が生まれます。実際、掃除もみんなでやるし、お店の使い方も私が決めるのではなく、みんなで話し合っています。そうやって、みんなで少しずつ意見を出し合いながら運営していくスタイルが理想的だと思うんです。

――新しく加わる人もネットの情報だけではなく「場の雰囲気」を見て決めているから、ギャップを感じることも少なそうです。

薩川:そうですね。空き家活用ってなんとなくイケてる!お洒落!みたいなイメージだけが先行して、現場の実態を知らないまま来られてしまうと、ちょっと難しいように思いますね。正直、古い空き家って隙間風もすごいし、不便なところもたくさんあります。それに対して「ちゃんと管理して直してくれないと困るよ!」と言われてしまうと、少し辛いかなと。そんな部分も含めて、この場所を愛してくれる人と一緒にやっていきたいです。

――現在、どんな店舗が入られていますか?

薩川:今日(取材日)のコーヒー屋さんをはじめ、壺の焼き芋屋さん、バリ料理屋さん、薬膳カレー屋さん、チャイ屋さん、グルテンフリーカフェ、ほかにも単発でそば打ち体験イベントなどを開催しています。基本的には地域住民が多く、何かチャレンジしてみたい、この場を活用してみたい、という方々にご利用いただいています。

毎週木曜日に出店している自家焙煎コーヒー「みよし珈琲(344coffee)」。コーヒー豆は「いづみや」で焙煎している(写真撮影/松倉広治)

毎週木曜日に出店している自家焙煎コーヒー「みよし珈琲(344coffee)」。コーヒー豆は「いづみや」で焙煎している(写真撮影/松倉広治)

――薩川さんも毎日いるわけじゃないですよね? それでも問題なく運営できていますか?

薩川:そこは入居いただいているみなさんのおかげですね。本当に人柄が良い方ばかりで、私がここにいられない時でも安心して場を任せられます。それに、最近は私がいなくても、自然と人と人のつながりが生まれているんですよ。今日のコーヒー屋さんでも、ここでお客さん同士が出会い、ランチ仲間になったりしています。そうやって、こちらが特に何もしなくても勝手につながりが生まれていくのがコミュニティの本質だと思います。そういう意味では、順調に場が育ってくれているのかなと。

――過去にはここで結婚式もやられたそうですね。

薩川:はい。といっても、私の結婚式なんですが。いづみやで食事を提供し、裏の駐車場にミュージシャンを呼んで、野外パーティーみたいな結婚式でした。我ながら良い式だったなと思うので、次は他のカップルの結婚式もやりたいですね。

薩川さんの結婚式。オーナーさんもとても喜んでくれたそう(画像提供/薩川良弥)

薩川さんの結婚式。オーナーさんもとても喜んでくれたそう(画像提供/薩川良弥)

街の人たちの力を結集し、完成した「森の宿」

――もう一つのスペース「COMORI」の経緯も教えてください。

薩川:こちらも「いづみや」と同じオーナーさんの所有物件で、何年も空き家でした。そこで、サロンのメンバーだけでなく、「いづみや」で出会った方々と一緒につくり上げたんです。例えば、WEBデザイナーのメンバーにサイトをつくってもらったり、コーディネーターに家具を選定してもらったり。企画の段階からみんなで考え、みんなの力を借りながら一緒に形にしていきました。そのぶん、完成した時の喜びも大きかったですね。最初から理想としていた「空き家という課題を、街のみんなで解決する」ことができたのは、とても感慨深かったです。

深大寺の小さい森の中にある、お一人様用の宿「COMORI」(写真撮影/松倉広治)

深大寺の小さい森の中にある、お一人様用の宿「COMORI」(写真撮影/松倉広治)

茶室をイメージした和室(画像提供/薩川良弥)

茶室をイメージした和室(画像提供/薩川良弥)

空き家を通じて、街と街をつなげたい

――4年にわたり「いづみや」を運営してきて、街の人たちからの反応は変わってきていますか?

薩川:少しずつ「いづみや」の存在を認知していただいていると感じます。当初は深大寺という場所柄、観光客の方が中心だったのですが、最近は地域住民のお客様が増え、近所のお蕎麦屋さんなども世間話がてらお茶を飲みに来てくださるようになりました。大きなことではないかもしれませんが、4年かけて街の人が気軽に立ち寄ってくれる場所になったことは、素直に嬉しいですね。

今では地域の交流の場にもなっている(写真撮影/松倉広治)

今では地域の交流の場にもなっている(写真撮影/松倉広治)

――街に「いづみや」のような場所があるだけで、街がどんどん面白くなっていく気がします。今後はどんな展開を考えていますか?

薩川:「いづみや」も「COMORI」も古い建物なので、2階の積極的な活用は避けてきました。とはいえ、せっかくスペースがあるので、なんとか活用したいです。これもメンバーや街のみなさんと一緒に模索していきたいと思います。また、これからは他の空き家の活用も手がけていきたいですね。

オンラインサロンを通じて、それぞれのスタンスで空き家活用に関われる仕組みづくりも模索している(写真撮影/松倉広治)

オンラインサロンを通じて、それぞれのスタンスで空き家活用に関われる仕組みづくりも模索している(写真撮影/松倉広治)

――調布以外での活動も考えていますか?

薩川:そうですね。今は調布でコミュニティとして活動させてもらっていますが、空き家を通じて「街」と「街」がつながっていくようなことができたら面白いと思います。「空き家をスナックする会」がハブとなって人や情報をつなぐことで、姉妹都市のような関係性が生まれるかもしれません。そして、もしかしたら調布からそこに移住するメンバーも出てくるかもしれないですよね。

理想は、空き家を軸に他の街のコミュニティともつながっていき、その輪をどんどん広げていくこと。そのためにも、これからもチャレンジしていきたいですね。

全国的に増え続けている「空き家問題」。しかし、オーナーさんとつながることで、地域にとって意義のある場所へ変化させることができるかもしれない。今後、薩川さんが手がける空き家が楽しみだ。

●取材協力
空き家をスナックする会
深大寺いづみや
COMORI

省エネになる「木製内窓」に熱視線! 後付けもOK、樹脂や金属の窓枠と何が違う?

コロナ禍での経済活動の再開、おうち時間が増え、住環境の見直しをする人が増えています。住まいの省エネには窓のリフォーム、特に高性能な内窓の取り付けが効果的と言われています。そんななか、YKK APが木材・木建具事業者による木製内窓の商品化の支援を2021年に開始し、話題になっています。樹脂やハイブリッド(アルミと樹脂の複合)などとの違い、取り組みの背景などについて紹介します。

YKK APの窓の部材・部品を使って木製・建具事業者が自社ノウハウで製品化

今すでにある窓の内側に、もう一つの窓を取り付ける「内窓」。工事も簡易で、グリーン住宅ポイント制度や自治体の補助金などができるたびに話題になっていますが、昨今は光熱費の高騰などを背景に、「省エネになるらしい」「家の光熱費の節約にいいらしい」などとして、興味や関心を持つ人が増えています。

左はアルミ樹脂複合窓、右は樹脂窓(写真提供/YKK AP)

左はアルミ樹脂複合窓、右は樹脂窓(写真提供/YKK AP)

窓のサッシ(枠)の素材といえば、樹脂またはハイブリッド(アルミと樹脂の複合)が主流ですが、国産木材を使った、「木製内窓」にも関心が集まっています。高い断熱性能を持つ木製内窓を取り付けることで、元からある窓と付けた内窓の間に断熱効果のある空気層ができ、さらに木材のサッシは金属性に比べ熱を伝えにくいことから、より断熱効果を高めてくれます。木製内窓のメリットは大きく4つで、(1)断熱性が高まる(2)結露の軽減、(3)光熱費の節約、(4)木製素材ならではのあたたかみ、デザイン性があげられます。一方で、(1)価格が高くなる、(2)窓に求められる断熱や耐候性、おさまり(部材が美しく取りつけられた状態)などを確保するのが難しいといった難点があり、なかなか普及に至りませんでした。

今回、木製内窓を開発・発売したのは岐阜県岐阜市にある後藤木材で、その商品化を支援したのがYKK APです。YKK APといえば超大手、高性能な樹脂サッシを取り扱っていて、過去には木材を使った窓を生産していたこともあるといいます。今回、自社での開発でなく、木製内窓の商品化を支援する立場として“木製・木材加工のプロ”へ専用の部材・部品を開発し提供することに至った背景には、どのような理由があるのでしょうか。

木製内窓(写真提供/凰建設 森亨介さん)

木製内窓(写真提供/凰建設 森亨介さん)

「日本は森林資源も豊富にあり、木材は再生可能な材料でもあります。弊社でも活用を図ってきましたが、木材の調達加工、品質を確保しつつ製品化となるとやはり難しい。窓のことならすこしは得意なんですが(笑)、木材加工のプロである後藤木材さんに相談にいき『木材サッシ、木製の製品化にどうやって取り組むのがよいか』とヒアリングをしていたところ、『後付できる内窓をつくってみませんか?』という話になりました。こうした取り組みは初めてですので、お互いに手探りではじまったんです」と話すのはYKK APの住宅本部 住宅事業推進部商品企画部部長でもある山田司さん。

3年ほどの試行錯誤の末、YKK APが窓に必要な複層ガラスや部品や部材、ノウハウを提供し、後藤木材は独自の圧密技術(圧力をかけて木の強度を高める)の強みを活かして木材の調達や加工、組み立て、取り付けまでを行うという事業の枠組みができあがりました。
「YKK APが表にでるのではなく裏方になって、地方にたくさんある木材を扱う会社と組み、ネットワークを広げることが木製内窓にとってもよいのでは、という結論になりました」(山田さん)

木製内窓の提供イメージ。窓に必要な部品、部材、情報提供はYKK APが行い、木材加工ノウハウをもつ木材建具事業者が製品化する(画像提供/YKK AP)

木製内窓の提供イメージ。窓に必要な部品、部材、情報提供はYKK APが行い、木材加工ノウハウをもつ木材建具事業者が製品化する(画像提供/YKK AP)

木材・建具会社など13社から問い合わせ。試作品を製作した会社も

最近では伝統工芸×おもちゃなど、異なる業種・業態のコラボ商品やサービスを目にすることが増えましたが、今回の木製内窓は、「それぞれのプロフェッショナルが得意分野を活かす」という、ある意味で、「王道のコラボ」といえるかもしれません。YKK APは今回のビジネスモデルを後藤木材だけでなく、全国の木材加工・建具企業にも応用していきたいと考えているそう。

「2021年7月にプレスリリースを発表しましたが、13社から問い合わせがあり、6社が商品化を検討、1社が試作品の段階に来ています」と前出の山田さん。
驚いたのは、木材加工だけでなく、建具や家具といったいわゆる工芸品の会社からの問い合わせがあったことだそう。確かに欧米のインテリアと比較した場合、窓のデザイン面では現在の内窓は物足りなさを感じてしまうのが現状です。さまざまな木材加工のノウハウを持つ会社が木製内窓に参入することで、技術面や価格面でも新しい発見があることでしょう。

窓次第で部屋の雰囲気はぐっと変化する(写真提供/YKK AP)

窓次第で部屋の雰囲気はぐっと変化する(写真提供/YKK AP)

「窓辺を美しくしたいという潜在的な需要はありそうですし、何より日本には豊富な森林資源があります。1社で完結するのではなく、他社と強みを活かしつつ、窓の高性能化、断熱化を図っていけたらいいですね」と続けます。

10cmあれば取り付け可能。極薄で高性能な「木製サッシ」

一方、部材の提供を受け、木製内窓の開発にあたった後藤木材の後藤栄一郎社長と内外装事業部上條武さんは、地元の工務店である凰建設の森亨介専務とともに、数年前から木製サッシの製品化に興味を持っていたといいます。

「弊社は杉・ひのきという柔らかい木を複数層重ねて圧縮して強度を増す独自の技術を持っており、床材、テーブルカウンターなど幅広い用途で商品展開をしてきました。また、ユーザーと接点を持つ工務店の意見を聞きたいと、数年前から森さんとも懇談・勉強を重ねてきました。以前に木製窓をつくったこともあったんです」(後藤社長)。

とはいえ、木製サッシを自社のみでつくるのは容易ではなく、風圧や遮音、気密、断熱といった性能については、森さんにリスクを負ってもらうかたちとなり、性能面でもしっかりとしたものを世に送り出したいという思いを抱いていたそう。

「今回、内窓の製品化にあたっては、富山県にあるYKK APの技術施設に行き、木製内窓の試作品確認会や検証試験を行い、強度、施工のしやすさ、おさまり、断熱、防音など徹底的に試験でき、樹脂の内窓と同程度の性能が担保できました」(上條さん)といい、胸を張って送り出せる「木製内窓」が完成したそう。

驚くべきはその薄さで、なんと10cm! 自然素材である木材は節などがあるため、薄くて強度を出すのは容易ではないそう。一方で、10cmという薄さを担保したことで、既存のマンションや一戸建ての窓に施工しやすく、多くの窓に取り付けることができ、見た目にも美しく収まります。

断熱性や気密性といった性能面、薄さを両立(写真提供/後藤木材)

断熱性や気密性といった性能面、薄さを両立(写真提供/後藤木材)

「完成した内窓を今回、我が家で取り付けましたが、施工時間や手間などは樹脂の内窓とほぼ変わりません。なれてくれば1窓1時間あれば施工可能になりそうです」(森さん)

木製内窓を組み立てる様子。10cmと薄いため、マンション/戸建てともにおさまりのよい商品に。木枠ってやっぱり見ていて惚れ惚れします……(写真提供/後藤木材)

木製内窓を組み立てる様子。10cmと薄いため、マンション/戸建てともにおさまりのよい商品に。木枠ってやっぱり見ていて惚れ惚れします……(写真提供/後藤木材)

欧米の高性能窓に遜色なし。日本の技術を集めた窓に木製内窓を取り付けたところ。YKK APが誇る高性能樹脂窓「APW430」と遜色ない断熱性の数値を出せるそう(写真提供/凰建設 森亨介さん)

木製内窓を取り付けたところ。YKK APが誇る高性能樹脂窓「APW430」と遜色ない断熱性の数値を出せるそう(写真提供/凰建設 森亨介さん)

左側が内窓を取り付けていない箇所、右側が内窓を取り付けた箇所のサーモ画像。左側の窓は青みが強く、右側の窓は緑色になっていて、温度に差があることがわかります。「暮らしがてきめんに変わったということはありませんが、気がつくと快適」(森さん)といいます(写真提供/凰建設 森亨介さん)

左側が内窓を取り付けていない箇所、右側が内窓を取り付けた箇所のサーモ画像。左側の窓は青みが強く、右側の窓は緑色になっていて、温度に差があることがわかります。「暮らしがてきめんに変わったということはありませんが、気がつくと快適」(森さん)といいます(写真提供/凰建設 森亨介さん)

木製内窓の第一号は、ともに研究をしてきた森さん宅の住まいに設置。もとから木のぬくもりを感じる住まいでしたが、木製内窓が違和感なくなじみ、「元からこのような住まいだったのでは?」と見紛うほど。

「住んでしまうとすぐに慣れてしまい以前との差が分かりにくいのですが、朝晩の冷えは気にならなくなりましたし、やはり常に快適です。また、既存の窓と内窓をあわせるとYKK APさんのトリプルガラスのAPW430を上回る熱貫流率0.84w/(平米・K)の性能が出せるように。木製の内窓でここまで性能値を出している商品はないので、自信をもっておすすめできます」と森さん。

ちなみに、森さんがこの木製内窓と相性がよいと考える住まいは、(1)既存~新築マンション、(2)2005年~最近に建てられた一戸建て、(3)防火地域に建てる新築一戸建てだそう。

「特に(1)マンションの場合、窓部分は共用部のため、個人で簡単には窓を取り換えることができませんが(新築・中古ともに)、こうした内窓であれば取り付けやすいでしょう。マンションは躯体自体の断熱性は高いものの、北側は底冷えしたり、直射日光を強く受ける夏場は冷房効率も悪くなるので、弱点ともいえる窓の部分を対策するのにお金をかける価値は十分にあることでしょう」

(写真提供/凰建設 森亨介さん)

(写真提供/凰建設 森亨介さん)

「現在13社から問い合わせがありますが、木製内窓の商品化支援を進め、もっとつながりをつくっていきたいですね。後藤木材様をはじめ、今後、商品化される事業者の技術やノウハウを蓄積・共有することで、生産性向上やコストダウンにもつなげていただきたいと思います。また、森林資源の活用をして、地域活性化にもつなげていただきたいと思います」(山田さん)

後藤木材の後藤さんも、地域活性、森林資源の活用を課題に挙げます。
「戦後に植林された木材は今、使い時を迎えています。1本の丸太からさまざまな製品をつくりたいですし、地域で使って、地域にお金を落としていきたい。今回のように業界や会社の垣根を超えて、知恵を出していけたら」といいます。

森さんは、「今回の内窓のように大勢の人が集まっていいものをつくっても、住まいに採用されなかったとしたらあまりにさみしいので(笑)、まず知ってもらうこと、そして体感してもらうことが大切だと思います。日本の住まいの高断熱化は、本当に窓がカギとなっているので」と力説します。

今年は、「こどもみらい住宅支援事業」がはじまり、記事で紹介した内窓「ゴトモクのウチマド」を使ったリフォームも補助対象となっています。もし、「家が寒い」「光熱費が高い」と気になっているのであれば、この木製内窓、ぜひ検討してみてはいかがでしょうか。ちなみに我が家は2012年築、省エネ等級4ですが、この冬の電気代は3万円を超えました。今、真剣に検討中です。

●取材協力
YKK AP
後藤木材
凰建設 

佐賀県庁の食堂は県民集まるおしゃれカフェ! 住民向けイベントも。デザインはOpenA

セルフサービス方式のカフェの受付、木材の貼られたカウンターの脇にはランチやスイーツの品書きの黒板が。スチールパイプと木のシンプルなテーブルや椅子が並ぶラウンジ。ランチの混み合う時間を終えると、一角ではセミナーのためにプロジェクターを設置して、それに合わせてテーブルを並べ替えしている人々の姿が見える。洒落た大学キャンパスのカフェラウンジのようにも見えるが、ここは「県庁の地下食堂」(佐賀県佐賀市)だという。

県庁の職員食堂を、市民に開かれたカフェラウンジに

「放課後の時間になると、ライトコートに面したテーブルで近所の県立高校の生徒が自習している姿が見られます。役所の暗い地下食堂……から明るく開放的に一新され、職員だけでなく市民が訪れてくれる空間に生まれ変わりました」と話してくれたのは、佐賀県庁・総務部人事課の佐藤優成さんだ。

きっかけは、テナントとして入居し、県庁職員向けの食堂を経営していた事業者の経営不振からの撤退だった。県庁職員の昼食の受け皿である大切な食堂だが、佐藤さんによると「中小企業診断士に調査してもらったところ、職員の昼食需要だけでは採算が取れず経営が成り立たないという結果でした」という。そこで「県庁に訪れる市民や周辺住民にもランチ需要だけでなくホテルラウンジ的なカフェとして利用していただく方針とし、プロポーザル方式で事業者を募りました」(佐藤さん)と説明してくれた。

カフェのメニューやイベントなどの提案内容から、運営事業者としてサードプレイスが選定された。2018年3月に客席部分のみ整備してプレオープン、その後、厨房スペースの改修を行い、同年9月に佐賀県庁地下ラウンジ「SAGA CHIKA」がフルオープンした。
カフェはセルフサービス方式で、ラウンジは誰もが自由に出入りできる。職員や市民にとって、持ち込んだ飲み物やお弁当を食べることもできる、パブリックな空間という位置づけだ。

「SAGA CHIKA」の一角、セルフサービス方式のカフェ「CAFE BASE」。カウンター脇の黒板に、日替わりのランチ、スイーツのメニューが並ぶ(写真撮影/村島正彦)

「SAGA CHIKA」の一角、セルフサービス方式のカフェ「CAFE BASE」。カウンター脇の黒板に、日替わりのランチ、スイーツのメニューが並ぶ(写真撮影/村島正彦)

ラウンジには、誰もが自由に出入りでき、飲み物やお弁当を持ち込むことも可能だ。地下だがライトコートからの視線を遮らないことで、外光を感じられる空間となっている(写真撮影/村島正彦)

ラウンジには、誰もが自由に出入りでき、飲み物やお弁当を持ち込むことも可能だ。地下だがライトコートからの視線を遮らないことで、外光を感じられる空間となっている(写真撮影/村島正彦)

会議やセミナーにも使える柔軟な利用、県産食材の売り場スペースも

「SAGA CHIKA」の改修・インテリアなどを担当したのは、OpenA(オープン・エー)だ。
OpenAは、建築設計を中心にリノベーション、公共空間の再生、地方都市の再生、本やメディアの編集・制作などまで、幅広く行っている。
企画・デザインを担当したOpenAの加藤優一さんは、「既存の空間をスケルトン状態にして、間仕切りフレームと移動可能なテーブル・椅子などを設けることで、様々な活用ができる緩やかな空間にしました」と話す。間仕切りやカウンター、ロングベンチなどには、佐賀県産のスギ材を用いた。

「SAGA CHIKA」の一角のカフェ「CAFE BASE」を運営するのは、サードプレイスの清田祥一朗さんだ。県庁も立地する佐賀城内地区にある県立博物館のカフェの運営も行っている。
清田さんは、隣県の福岡県出身で、オーストラリアで経験したカフェ文化に触れたことで、カフェ経営に夢を描いたのだという。その後、学生時代を過ごした佐賀に住まいを移し、現在は佐賀市内で3店舗を経営している。
県内の農家との繋がりを大切にして、県産の食品を使った料理を提供するとともに、ラウンジ内では佐賀県産の小麦粉や野菜、醤油・味噌など加工食品の販売も行っている。

既存の空間をスケルトン状態にして、間仕切りフレームと移動可能なテーブル・椅子で構成した(写真撮影/村島正彦)

既存の空間をスケルトン状態にして、間仕切りフレームと移動可能なテーブル・椅子で構成した(写真撮影/村島正彦)

間仕切りフレームやテーブル・椅子には県産材のスギ材を活用した(写真撮影/村島正彦)

間仕切りフレームやテーブル・椅子には県産材のスギ材を活用した(写真撮影/村島正彦)

カフェカウンターの脇では、佐賀県産の小麦粉がレシピカード付きで販売されている(写真撮影/村島正彦)

カフェカウンターの脇では、佐賀県産の小麦粉がレシピカード付きで販売されている(写真撮影/村島正彦)

羊羹、醤油、味噌など、佐賀県の名産品が販売されている。会計は、カフェカウンターで(写真撮影/村島正彦)

羊羹、醤油、味噌など、佐賀県の名産品が販売されている。会計は、カフェカウンターで(写真撮影/村島正彦)

ワークショップ、イベント開催で市民が足を運び親しまれる県庁に

2022年3月現在、「SAGA CHIKA」フルオープンから約3年半が経つ。
清田さんは「2020年春からの新型コロナウイルスの蔓延で、当初考えていたイベントなど満足に行えない状況ではあります。これまで、コーヒーセミナーや味噌づくりワークショップ、お酢のメーカーのトークイベントなど、地域の食関連の会社と連携しながら、市民の方にSAGA CHIKAに足を運んでもらうきっかけづくりを行っています」と話す。

また、カフェラウンジは、職員で混み合う昼休み以外は県庁内や外部の会議やセミナーにも場所貸しをしている。ラウンジのスペースを4つのブロックとして、事業者が県と協力してイベントなどを開催することは予約制で利用できる。取材で訪れた日には、ラウンジの一角で県の流通貿易課の民間事業者向けのセミナーが開催されていた。

人事課の佐藤さんは「旧来の職員食堂は、主に昼休みに職員だけが利用する場所になっていました。刷新されてオープンなスタイルになったSAGA CHIKAには、市民の方が足を運んでくれるようになり、施設の利用価値も高まり、県の発信する情報に触れていただく機会も増えたと思います」と話す。

エレベーターホールから「SAGA CHIKA」の入り口部分に当たる空間は、2021年4月に「SAGA TRACK」というスポーツ情報発信スペースとしてオープンした。2024年開催の「SAGA2024(佐賀国民スポーツ大会)」を市民にアピールする施設だ。佐賀県出身の柔道家、故・古賀稔彦氏のバルセロナ五輪のメダルや、「SAGA2024」のために整備が進められている「SAGAサンライズパーク」の模型展示など、「SAGA CHIKA」へ訪れる市民への広報にも一役買っている。

カフェを運営するサードプレイスでは、地元の食材関連の会社と連携してワークショップなど企画・開催している。写真は、お酢メーカーのトークイベントの様子(写真撮影/清田祥一朗)

カフェを運営するサードプレイスでは、地元の食材関連の会社と連携してワークショップなど企画・開催している。写真は、お酢メーカーのトークイベントの様子(写真撮影/清田祥一朗)

この日は、ラウンジの一角で県の流通貿易課の民間事業者向けのセミナーが開催されていた(写真撮影/村島正彦)

この日は、ラウンジの一角で県の流通貿易課の民間事業者向けのセミナーが開催されていた(写真撮影/村島正彦)

「SAGA CHIKA」のエントランス脇には、2021年4月に「SAGA TRACK」が整備、オープンした。これは、2024年開催の「SAGA2024」のPR施設という位置づけだ。空間デザイン監修をOpenAが行った(写真撮影/村島正彦)

「SAGA CHIKA」のエントランス脇には、2021年4月に「SAGA TRACK」が整備、オープンした。これは、2024年開催の「SAGA2024」のPR施設という位置づけだ。空間デザイン監修をOpenAが行った(写真撮影/村島正彦)

用事がないと訪れない、市民には馴染みの薄い県庁。「SAGA CHIKA」は、リノベーションによって、職員の昼食利用のニーズに応えると共に、地域に開かれ、ランチやコーヒーを楽しむ市民の憩いの場に。「お堅い印象、入りづらい」をデザインの力と、カフェ事業者の企画・運営力による、市民に親しみやすい公共空間づくりの成功例と言えるだろう。

●取材協力
・佐賀県総務部人事課
・OpenA
・サードプレイス

「SUUMO住みたい街ランキング2022関西版」、大阪市中心部人気が高まる。郊外は明石などが再開発+子育て施策で人気アップ

リクルートは関西圏(大阪府・兵庫県・京都府・奈良県・滋賀県・和歌山県)に居住している20歳~49歳の4600人を対象に実施した「SUUMO住みたい街ランキング2022関西版」を発表した。今年はどんな順位になったのだろう。

昨年から順位逆転。1位は「梅田」、2位は「西宮北口」

まず「2022年の住みたい街(駅)」ランキングの結果を紹介しよう。
TOP3では4年連続1位を堅守していた「西宮北口」と2位の「梅田」が逆転。トップになったのは関西ナンバーワンの大都市「梅田」だった。
神戸市の中心地「神戸三宮」は今年も3位に。

住みたい街(駅)ランキング1位~20位

本年度より、集計方法を変更しており、上記の表の見方および、注意点については本記事末に表示。

4年ぶりに1位となった「梅田」。周辺ではJR大阪駅北側「うめきた2期地区開発プロジェクト」が進み、関空に直結するJR新駅が2023年に誕生予定など、再開発とともに将来への期待感の高まりが感じられる。

梅田駅周辺の風景(写真/PIXTA)

梅田駅周辺の風景(写真/PIXTA)

一方、盤石の人気を誇ってきた「西宮北口」だが、約10年ほど前から駅周辺の人口増加が落ち着いていた。対して梅田駅のある大阪市北区は5年で1割増程度のペースで人口増加を続けている。そのことからも人気の逆転現象がうかがえる。

若い世代の支持を集め、大阪市内中心部の人気が顕著に

TOP20に注目すると、「本町」「心斎橋」が初トップ20入りを果たした。
得点を見ても、「なんば」(+90点)「梅田」(+79点)「福島(22位)」(+66点)「本町」(+41点)など大阪市の中心部が昨年より急上昇。都心人気の高まりが顕著な結果となった。
ちなみに「梅田」は男女ともに20代で1位。「本町」は20代女性でベスト10に入るなど、若い世代からの支持が高いことがわかる。

梅田エリアに隣接する「福島」は「うめきた2期」の波及効果で人気が上昇。初トップ20入りした「本町」は、西区と中央区のほぼ境目。両区ともタワーマンションの相次ぐ誕生や靭(うつぼ)公園、大坂城公園など都心部でも緑豊かな環境とあって、子育て層が流入。このため「本町」のある中央区は15歳未満人口が大幅に増加している。

本町の街並み(写真/PIXTA)

本町の街並み(写真/PIXTA)

一方、「岡本」(8位→12位)「芦屋川」(13位→19位)などブランドイメージの強い阪神間の住宅地がやや順位を下げている。
共働き世帯率が上がり、新築マンションを中心とする大阪市内の住宅供給が増えたことから、大阪市内中心部の居住ニーズが高まった結果だろう。

関西圏はコロナ禍でも郊外より都市部

2年前から続くコロナ禍で、郊外への注目度が上がったことは報道でも伝えられている。首都圏の住みたい街ランキングは郊外人気が顕著な結果となった。
ところが、関西では逆に都市部への注目度が一層増す結果に。なぜか。
関西は首都圏に比べてテレワーク率が低いことが理由のひとつにあげられる。また、生まれ育った地域に住み続けている人が多いことや、通勤時間が首都圏ほど長くないことなどから、コロナ禍でも生活スタイルを変える人が少なかったためではないだろうか。

「明石」がランクアップした理由とは?

一方、都心部以外で大きくランクアップし、初のベスト20入りしたのが「明石」(27位→16位)。
「住みたい自治体」でも明石市は過去最高の6位となり、関西全体で最も得点を伸ばした(+123点)。

住みたい自治体ランキング(1位~20位

明石がこれほどランクアップしたのはなぜだろう。
明石市は神戸市など周辺エリアからファミリー層が流入し、2020年の国勢調査では人口増加率が全国62中核市で1位になっている。
明石駅周辺で長年進められていた再開発が完成し、大型商業施設や子育て支援などの公共施設、タワーマンションが整備されたことに加え、子ども医療費の無料化、第2子以降の保育料無料化、中学校の給食の無償化など市が子育て支援の施策を次々に打ち出し、ファミリー層を引きつけているようだ。
投票した理由として、駅周辺のショッピングモールや商店街の利便性、緑豊かな明石公園など、派手ではないが暮らしやすさを評価する人が多かった。
また、明石市に投票した人のうち、神戸市・明石市以外の兵庫県に住む人が半数近くを占めた。子育て支援の取り組みなど、市民目線の自治体の施策が、他都市から新住民を呼び込む大きな要因となっていることがわかる。

明石市(写真/PIXTA)

明石市(写真/PIXTA)

「住みたい自治体」では、草津市(+43点)、姫路市(+58点)も得点が急上昇した。
草津市の中心部である「草津」や「南草津」は、再開発により大型商業施設を整備。両駅を核とする地域発展への期待に加えて、琵琶湖畔の景観に恵まれた住宅地の美しさや、JRで大阪と直結する交通アクセスの良さなどにより、不動産価値上昇への期待などが高支持の理由だろう。
「姫路市」も駅周辺の再整備で駅前に大型商業施設が整備。大ホールのある姫路市文化コンベンションセンターやはりま姫路総合医療センターなどの大型施設のオープンが相次ぎ、駅周辺が目覚ましい発展を見せている。

明石市、草津市、姫路市はいずれも再開発・大型整備が完成したことで街が美しく整備され、生活の利便性を増した。さらにJR新快速電車の停車駅で大阪や神戸、京都への通勤が可能なことなどが、共通した魅力といえる。

再開発で変化した姫路駅前(写真/PIXTA)

再開発で変化した姫路駅前(写真/PIXTA)

ブランドより実利性が重視される傾向

住みたい街2022を見ると、若い世代の都心部人気の高まりとともに、郊外でも子育てしやすい住環境や自治体の施策が評価に影響していることを感じた。
明石市がその典型だが、高槻市(+40点)も医療施設や教育環境の充実が支持を集めており、姫路市も文化・娯楽施設や学びの施設充実で評価を高めている。
従来からのイメージやブランド力だけでなく、実利面でも住みやすさに注目が集まっている印象をもつ。今後、西宮北口のような住みたい街ランキング上位の常連となる街が新たに登場するかもしれない。今後の結果が楽しみだ。

■関連ページ
>「SUUMO住みたい街ランキング2022 関西版」
>住みたい街ランキング トップページ

■記事中に紹介しているランキング表について
・調査対象は関西2府4県(大阪府・兵庫県・京都府・滋賀県・奈良県・和歌山県)に住む20代~40代の男女4600人。調査は2022年1月に実施。最も住みたい街(駅・自治体)から3位までを投票し、最も住みたい街を3点、2番目に住みたい街を2点、3番目に住みたい街を1点として集計している。
・本年度より、集計方法を「※注」のように変更している。
※注:本年度より、「駅すぱあと路線図」において、複数の駅が、地下通路や連絡通路でつながっている場合には同じ駅として集計している。表中の※印は本年度より得点を合算している駅で、先頭に表記している駅を代表して表示している。以下が合算している対象駅
※1:梅田 大阪 大阪梅田 東梅田 西梅田 北新地
※2:神戸三宮 三ノ宮 三宮 三宮・花時計前
※3:なんば 難波 大阪難波 JR難波
※4:天王寺 天王寺駅前
※5:神戸 高速神戸 ハーバーランド
※6:烏丸 四条
※7:明石 山陽明石
※8:心斎橋 四ツ橋

ニューヨーカー、日本に魅了され自宅を「Ryokan(旅館)」にリノベ! 日本の芸術家は滞在無料

ニューヨーク・マンハッタンの繁華街にある、8階建てのビル。エレベーターで上階に上がるまで、このビルの中に「和の空間」が存在しているなんて誰が想像できるでしょう?
持ち主は、26年前の訪日以降、日本の大ファンになり日本の文化に敬意を表すニューヨーカーの男性です。一体彼はなぜ、自宅を和室空間にリノベーションしたのでしょうか? お部屋を見せてもらいました。

訪日で日本文化に魅了され、自宅を和の空間に大改造

ニューヨーク・マンハッタンのダウンタウン地区。地下鉄ユニオンスクエア駅から徒歩5分の便利な場所に、煉瓦造りのコンドミニアム(日本でいう分譲マンションにあたるもの)があります。この辺ではよく見かける 歴史的なヨーロッパ建築の8階建てビルです。

エレベーターで7階に上がり、廊下の奥のドアを開けると、なんと2間の「和室」が広がっています!

京都から取り寄せた畳以外の和の素材は、アメリカ現地で調達したもの。全部で約700スクエアフィート(65平米)(写真撮影/安部かすみ)

京都から取り寄せた畳以外の和の素材は、アメリカ現地で調達したもの。全部で約700スクエアフィート(65平米)(写真撮影/安部かすみ)

持ち主は、スティーブン・グローバス(Stephen Globus)さんというマンハッタン生まれ・育ちの生粋のニューヨーカーです。彼は26年前、出張で初めて日本を訪れ、京都・龍安寺の冬景色の美しさに息を呑んだと言います。その後も、東京・新宿の友人の日本家屋に滞在する機会が幾度かあり、「畳の生活」に魅了されたそうです。

ニューヨークに戻ってからも「畳の間が恋しい」と思うようになり、当地にある日系の施工会社、MiyaSに相談したところ、ニューヨークでも和の空間をつくることができると知り、早速自宅の大改築を依頼。2004年に完成したのが、この和室空間なのです。

茶会用に水屋も備わっている(写真撮影/安部かすみ)

茶会用に水屋も備わっている(写真撮影/安部かすみ)

床の間(写真撮影/安部かすみ)

床の間(写真撮影/安部かすみ)

「日本人はチェックアウトの際、必ず来た時よりも綺麗に掃除して出発しますね」と感心する、家主のグローバスさん。お気に入りの浴衣を羽織って(写真撮影/安部かすみ)

「日本人はチェックアウトの際、必ず来た時よりも綺麗に掃除して出発しますね」と感心する、家主のグローバスさん。お気に入りの浴衣を羽織って(写真撮影/安部かすみ)

構想の段階では、ただ「自分のために和室を」いうコンセプトでしたが、完成すると噂は瞬く間に広がっていき、「茶室として利用できないか?」という周囲のリクエストが多く集まったそうです。それに応え、せっかくなので茶室として一般向けに、スペースの提供を始めました。そうして茶会イベントが徐々に増え、日本人や日系の人々、日本文化が好きな地元の人の間で「話題の場所」になりました。

ただ、ここはそもそも茶室専用に つくったわけではなかったため、茶道口(点前をするときの亭主用の出入り口)や炉(ろ)がない状態です。本格的な茶会イベントが頻繁に行われると、どうしても不便が生じてしまうようになりました。

そこでグローバスさんは、今度は8階の別の自室スペースとペントハウスのスペースを利用して、本格的な茶室にリノベをしたのです。そうして誕生したのが「グローバス和室」(憩翠庵)でした。

現在は、7階を「グローバス旅館」としてアーティスト向けのゲストハウスにし、8階とペントハウスの「グローバス和室」を、当地在住の茶の講師(表千家流、上田宗箇流)に使ってもらい、一般向けに茶会を定期的に催しています。

8階は茶室スペースの「グローバス和室」。写真は昨年12月に行われた着物の展示イベント(写真撮影/安部かすみ)

8階は茶室スペースの「グローバス和室」。写真は昨年12月に行われた着物の展示イベント(写真撮影/安部かすみ)

「グローバス旅館」について特筆すべきは、ここはアーティストであれば「無料」で滞在できる場所ということです。その理由をグローバスさんに聞いてみると、「私は芸術が好きなので、日本とアメリカの文化交流の場をつくりたいのです。才能ある日本人アーティストにニューヨークで夢を叶えてほしい」と言います。

「予算が限られた中で活動をしている芸術家が多く、いざニューヨークでアート活動と言っても滞在費用はかさみますから、才能ある芸術家のサポートができたら嬉しいです」。つまり、ここで芸術活動をしてもらう代わりに、無料でこの和室空間を彼らの滞在先として提供したい、ということなのです。

これまで滞在したアーティストやパフォーマーの数は100人を優に超え、茶会、絵の展示会やライブ・ドローイング・パフォーマンス、生け花、舞踊、琴や三味線などの演奏会、着物の展示会などさまざまなイベントが行われてきました。

例えば2016年、当地在住の日本人カップルのために、福岡県の宮地嶽神社から宮司や巫女を招き、神前結婚式を行っています。「その時は6人の巫女さんが当旅館に滞在しました」(グローバスさん)。

グローバス旅館の奥の部屋(写真撮影/安部かすみ)

グローバス旅館の奥の部屋(写真撮影/安部かすみ)

2部屋にある布団は3人分なので、それ以上のグループでは過去に、寝袋で滞在した人もいたそうです。「私の提供しているものは、カルチュラル・グッドウィル(文化に絡んだ親善活動)です。つまり私がトップアーティストを支援したいという気持ちによるものですから、(通常の)ホテルやホテルのようなサービス、アメニティがここにあるわけではないことをご理解ください」。そして、「ニューヨークで夢を叶えてもらって、私が日本に行った時に彼らのプログレス(進化)を見るのを楽しみにしているんですよ」と、目を輝かせながらグローバスさんは言います。

ここでの芸術イベントおよび滞在に興味があれば、下のウェブサイトの「Contact」から問い合わせてみてください。

障子の外は、ニューヨークの日常の景色が広がっている。室内は外界の音が遮断され、ここがマンハッタンというのを忘れてしまうほど静か(写真撮影/安部かすみ)

障子の外は、ニューヨークの日常の景色が広がっている。室内は外界の音が遮断され、ここがマンハッタンというのを忘れてしまうほど静か(写真撮影/安部かすみ)

2年に及ぶコロナ禍。年の大半をビーチで過ごす

普段はベンチャー・キャピタリストとして活動するグローバスさん。2020年春、ニューヨークで新型コロナウイルスの感染が大拡大し、人々の間ではリモートワークがニューノーマルとなりました。これを機に州外や国外に居住地を移した人も多いです。

グローバスさんも人口密度が高く、ウイルスが蔓延する市内に留まることをやめ、2020年と2021年はそれぞれ5月から11月の間、セカンドハウスのある郊外のロングアイランド(ニューヨーク州南東部に広がる 地域)にある、車の通行が禁止されている島、ファイアーアイランドのビーチハウスで生活しました。

また今年頭まで、家族の住むフロリダやヨーロッパ、そしてハワイにも滞在。「仕事をしている以外は、人の密度が低いビーチを散歩するような生活でした」と、すっかり大自然の中で充電してきた模様です。

州民の大多数がワクチン接種を完了し、感染状況が落ち着きつつあるニューヨークには、2月に戻ってきたばかりです。避難生活中も着物の展示イベントなどを開催し、そのようなイベントを行うたびに、スーツケースを抱えて、戻って来ていました。

久しぶりに故郷であるニューヨークに戻り、アメリカ用につくられたやや深めの堀ごたつに腰掛けてくつろぐグローバスさん。「やっぱり和の空間は心が落ち着きますね」と言いながら、心底リラックスしているようでした。

●取材協力
グローバス和室
グローバス旅館(ゲストハウス)
889 BroadwayNew York, NY 10003

パリの暮らしとインテリア[13] アーティスト河原シンスケさんが暮らす、狭カッコいいアパルトマン

パリを拠点に活動するアーティストの河原シンスケさんは、若者に人気のエリア、バスティーユに暮らしています。話題のレストランやショップが次々と誕生するそばで、庶民の市場やおじさんたちのカフェが健在しているミックス感が、とても居心地良いのだそう。アーティスト・河原シンスケ(かわはら・しんすけ)さんの住まいにおじゃましました。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

今の自分に合わせて選んだ、コンパクトな住まい

ヨーロッパ、アメリカ、アジアの、さまざまな都市を舞台に活動するアーティスト、河原シンスケさん。日本に生まれ、武蔵野美術大学を卒業し、アーティスト活動を始めてからはパリに暮らしています。

河原さんのアートに頻繁に登場する動物、うさぎ。うさぎをモチーフにしたオブジェが室内のあちこちに点在している。うさぎの黒いキャンバス画は河原さんの作品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんのアートに頻繁に登場する動物、うさぎ。うさぎをモチーフにしたオブジェが室内のあちこちに点在している。うさぎの黒いキャンバス画は河原さんの作品(写真撮影/Manabu Matsunaga)

その生活は文字通り移動の連続で、フランスでエルメスとのコラボレーションを続けつつ、東京都南青山にあるギャラリーSCÈNEや宮城県仙台市の仙台うみの杜水族館、ブリュッセルの@elevensteens 等で展覧会を開催する、といった具合。フットワークの軽さは引越しにも影響するのか、パリ暮らしの約30年の間に、なんと7回も住居を変え、そのたびに改装を重ねたそうです。

「パリで最初に住んだワンルームは、レピュブリック広場近く、今人気の北マレにある小さな住まいでした。そのあとでエッフェル塔の正面にある住まいや、90平米もある歴史的なアパルトマンなど、広さも、建築年代も、さまざまな住居に暮らしました。8年前に引越してきた今の住まいは、日本式でいう1階(海外では日本の2階部分を1階と数える)にあります。日本やフランスの地方都市への移動が多くなったころに、生活をコンパクトにしたいと思って、これまで住んだことがない20平米のワンルームを買いかえました」と、河原さん。

住まいの目の前は車の入らない路地。通行人の行き来もあまり激しくなく、若者エリアにありながらエアポケットにいるよう。古き良きパリの風情の中に、若者に人気のレストランが点在している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

住まいの目の前は車の入らない路地。通行人の行き来もあまり激しくなく、若者エリアにありながらエアポケットにいるよう。古き良きパリの風情の中に、若者に人気のレストランが点在している(写真撮影/Manabu Matsunaga)

20平米はともかく、フランスでは1階の物件は人気がありません。集合住宅の入り口の階なので、人が出入りするたびにドアを開閉する音が響いたり、窓の目の前を通行人が行き来したり。都市の喧騒がそのまま住空間の中に入ることが、敬遠される理由です。日当たりも良くありません。住みにくいことが大前提になっている証拠に、かつて建物の入り口脇の1階は、管理人が暮らすスペースの定番でした。そこをなぜあえて、河原さんは選んだのでしょう?

「移動が多い私にとって、スーツケースを簡単に出し入れできる1階の住まいは何より楽です。段差がないので、作品の搬出の際も便利。そしてコンパクトな住まいは戸締まりが簡単で、セキュリティ面の心配も少ないでしょう。以前、90平米に住んでいた時は、出張のたびにチェックポイントが多くてなかなか面倒でした。今は東京からパリに戻って荷物を置いて、そのままブリュッセルへ出張、ということもとても楽にできます」

あえて暗く演出した室内はひっそりとしたムードがあり、とても落ち着く。壁画アートに見える木製の壁は、全て収納の扉(写真撮影/Manabu Matsunaga)

あえて暗く演出した室内はひっそりとしたムードがあり、とても落ち着く。壁画アートに見える木製の壁は、全て収納の扉(写真撮影/Manabu Matsunaga)

1階には1階のメリットがある。これは意外な発見でした。でも、日当たりや通行人による騒音はどうでしょう?

「もちろん日当たりの良い住まいの方が、悪い住まいよりはいいですよね。でも住まいというのは、その時その時の予算の中で、自分が何を優先するかで決まると思うのです。これから先また変わるとしても、今の私にとっての優先順位はまず、移動が楽な1階であること、そしてコンパクトであること。その優先順位の中で納得のいく物件を選び、そしてその中で、自分にとって暮らしやすい空間づくりに挑戦したいと思いました」

「狭くて落ち着く大人な場所」を表現

「自分にとって暮らしやすい空間」をつくる! そう明確な意図があった河原さんは、物件を購入するや否や大改装に着手しました。入り口のドアを塞ぎ、逆に塞がれ使われていなかったほうのドアを開け、こちらを入り口に変更。リビング側から住まいに入るつくりに変えました。リビングの奥に続く細長い空間は、キッチン兼バスルームに。システムキッチンは、奥行きをリビングとの仕切りになった入り口の開口に合わせてオーダーメイドしたものです。そのおかげでシステムキッチン全体が壁面のようにペタンと空間に収まり、全く圧迫感がありません。

リビングの開口に合わせて、ペタンと平面になるようデザインしたシステムキッチン。その向かいにバスタブが設置されている。洗濯機とトイレも、バスタブの延長に並列(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングの開口に合わせて、ペタンと平面になるようデザインしたシステムキッチン。その向かいにバスタブが設置されている。洗濯機とトイレも、バスタブの延長に並列(写真撮影/Manabu Matsunaga)

オーダーメイドのシンクは奥行き約30cmとコンパクト。収納扉の取っ手は、バーナーを使って自分で焼き色を入れ加工した。河原さんは料理の腕前も有名。シンプルでおいしいおしゃれなレシピを日本の雑誌で連載中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

オーダーメイドのシンクは奥行き約30cmとコンパクト。収納扉の取っ手は、バーナーを使って自分で焼き色を入れ加工した。河原さんは料理の腕前も有名。シンプルでおいしいおしゃれなレシピを日本の雑誌で連載中(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンに立った時に、背の側になる壁面がバスタブとトイレです。こちらも、リビングからの開口部の幅に合わせた奥行きにそろえて、スッキリと造り付けました。なんと、今バスタブが置かれている壁面が、以前の入り口ドアの場所だというのですから、河原さんの大改装がどれだけ抜本的なものだったのか想像できるというものです。白いパネル式のスライドドアでトイレや洗濯機をカバーして、1枚の壁にして隠す仕組みも、河原さんの考案によるオーダーメイドです。

「一人暮らしだからこんなことも可能」と、大胆な場所に設置したバスタブ。なんと今はタイルで覆われている壁が、物件購入時にはドアだった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「一人暮らしだからこんなことも可能」と、大胆な場所に設置したバスタブ。なんと今はタイルで覆われている壁が、物件購入時にはドアだった(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンの向こうは小さな中庭。リビングの窓と合わせて、窓はトータル2カ所ある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンの向こうは小さな中庭。リビングの窓と合わせて、窓はトータル2カ所ある(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「小さな住まいだからといって、学生の一人暮らしみたいな場所にはしたくありませんでした。これまでもずっとそうでしたが、ここでも『真似できない独特の空間をつくる』ことをポリシーに、住まいづくりをしています。もし家族がいたら20平米は狭すぎるでしょうし、予算は同じでも優先したいこと、しなければならないことは他にあったでしょう。でも私は今一人で、自分が満足するための空間づくりに集中することができるのです。ここには『狭くて落ち着く大人な場所』をつくりたいと思いました」

居心地の良さに必要な条件は、どうやら広さや日当たりにあるとは限らないようです。河原さんの住まいに居ると、確かにそう感じます。今の自分が満足するには何を優先するべきか、そこがカギになる、とスッと納得できるのです。では、1階にあるこの20平米がなぜ心地よいのか、そのポイントを探っていきましょう。

キッチンとリビングの間の開口部上に、トレーニング用のバーを設置。ジムの役割も備え、今の自分にとって必要な全てを装備した空間に。2カ月間続いたコロナ禍のロックダウン中も、この住まいのおかげで快適に過ごすことができた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

キッチンとリビングの間の開口部上に、トレーニング用のバーを設置。ジムの役割も備え、今の自分にとって必要な全てを装備した空間に。2カ月間続いたコロナ禍のロックダウン中も、この住まいのおかげで快適に過ごすことができた(写真撮影/Manabu Matsunaga)

床暖房と、暗い照明

まず、住空間の快適さのために、河原さんは床暖房を取り入れました。床暖房は暖房装置としての性能が優れていることに加え、もし暖房器具を取り付けるとなった場合に必要な、気に入ったデザインを見つける時間や労力をまるまるカットすることができます。多忙な人ならなおのこと、この素早いジャッジは参考にしたいところです。さらには、暖房器具そのものを住空間に取り付けなくて済む、という大きなメリットもあります。小さい住まいにとって、電気機器等の家電の出っ張りは、できればない方がありがたい!

暖房器具としても、装飾のオブジェとしても、活躍している暖炉。暖炉はもともとあったものを残した。来客のあった時などにムードづくりも兼ねて使用するとか。暖炉の奥行きと窓の開口に合わせて、壁面収納をオーダーした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

暖房器具としても、装飾のオブジェとしても、活躍している暖炉。暖炉はもともとあったものを残した。来客のあった時などにムードづくりも兼ねて使用するとか。暖炉の奥行きと窓の開口に合わせて、壁面収納をオーダーした(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そして照明。1階であるが故の暗さをカバーするために、天井にスポットを付ける、という発想が一般的なところですが、河原さんはその反対。できるだけ暗くする目的で、アンティークやヴィンテージのライトを採用しました。

うさぎモチーフのネオンを照明に。明るさを抑えた照明をいくつも組み合わせるのが、心地よさのポイント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

うさぎモチーフのネオンを照明に。明るさを抑えた照明をいくつも組み合わせるのが、心地よさのポイント(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「ライティングはくつろぎの演出にとってとても重要な要素です。落ち着きやリラックス感を得られるよう、できるだけ暗い照明にしたいと思いました。ライトの他に、キャンドルも毎日の生活に取り入れています」

『狭くて落ち着く大人な場所』は、床暖房の快適さと、抑えた照明がポイントであると言えそうです。実は、リビングにある唯一の窓の前には、屏風が置かれています。自然光をさえぎるのはもったいない、と多くの人が思うところですが、こうすることで窓の前を歩く通行人の存在が気にならず、なんとも言えない隠れ家的ムードが生まれるのでした。

窓の前の屏風は、河原さんの作品。ここにもうさぎが登場している。花は河原さんの生活に欠かせない大切なディテール(写真撮影/Manabu Matsunaga)

窓の前の屏風は、河原さんの作品。ここにもうさぎが登場している。花は河原さんの生活に欠かせない大切なディテール(写真撮影/Manabu Matsunaga)

既製品に手を加えて、自分だけのオリジナル家具に

あえて照明を暗くして、心地よさを演出した小さな住まい。コンパクトだからこそ、空間を最大限に生かすために、システムキッチンや収納をオーダーすることが不可欠だったことがわかりました。照明と、造り付けのオーダー家具の他はどうでしょう? 他の部分の、心地よさのポイントは? そう思って河原さんの住まいを眺めて気づくのは、目に入る全てが河原さん流だということです。

「コンパクトな生活をしたくて決めた20平米の暮らしでしたから、持ち物も厳選して、徹底的にミニマムにしました。ここには必要なもの、気に入っているもの、実際に使うものしかありません。小さい子どものいる家だったら、お客さん用の食器と普段使いのものを使い分けた方が安心です。でも、ここはそうではない。気に入っていて、使う食器だけがあれば十分で、たくさん持つ必要がないのです」

リビングのベッドは毎朝布団を収納に片付け、毎晩眠る前にベッドメイキングしている。毎日きちんとやるのは大変だ、と思ってしまうが「日本の布団だってそうでしょう?」と言われてみれば確かにそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

リビングのベッドは毎朝布団を収納に片付け、毎晩眠る前にベッドメイキングしている。毎日きちんとやるのは大変だ、と思ってしまうが「日本の布団だってそうでしょう?」と言われてみれば確かにそう(写真撮影/Manabu Matsunaga)

そのように厳選されたものが集まっているから、目に入る全てが河原さん流なのでしょう。壁のペイントや、作品のインスタレーション、そして既製品にバーナーで焼き色をつけた家具など、河原さんの手によるものと、アンティークのベッドや椅子、ヴィンテージの照明といった河原さんが選んだお気に入りが混在し、『真似できない独特の空間』がつくられているのでした。

イケアのテーブルと椅子は、バーナーで焼き色を入れて自分で加工した。このテーブルで6人が着席するディナーを振る舞うことも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

イケアのテーブルと椅子は、バーナーで焼き色を入れて自分で加工した。このテーブルで6人が着席するディナーを振る舞うことも(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バーナーで焼き色を入れた収納家具と壁面。ここが入り口のドア(写真撮影/Manabu Matsunaga)

バーナーで焼き色を入れた収納家具と壁面。ここが入り口のドア(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アールデコのカトラリーホルダーも日常使いの小物。そしてこれも、やはりうさぎ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

アールデコのカトラリーホルダーも日常使いの小物。そしてこれも、やはりうさぎ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんのお話を伺いながら、いつか取材した女性内装デザイナーの話を思い出しました。家づくりは洋服選びと違って経験値が少ない分、失敗が怖くて冒険ができません。そう彼女に伝えると、「あなたの住まいなのですから、あなたが好きなようにすればいいのです。第一、外科の手術ではなくてインテリアです、失敗したらやり直せばいい。もし誰かに悪趣味だと言われたとしても、あなたの家はあなたのためのものですよ」との言葉。自分にとっての優先順位を明確にして、自分がいいと思うものを選ぶ、という河原さんのお話と、核心は同じです。そして同時に思うのです、自分が選ぶこと、自分が決めることに、なんと私たちは不慣れなことか! そう河原さんに伝えると、そっと背中を押してくれる言葉が返ってきました。

「予算や、家族等の条件や、色々を含めて、その中で最大限に楽しもうと考えてはどうでしょう? せっかく自分で、住まいづくりができるのですから」

河原さんのように、セオリーではなく、自分を優先してみる! そう考えるだけでプレッシャーから解放され、気が楽になります。住まいづくりを自由に楽しむことができそうです。

自分のバッグのオリジナルペイントは、フランスのファッション&アクセサリーブランドである「ピエール・アルディ」とのコラボの楽しみとして始めた。その後オーダーが殺到し、4月中ごろからピエール・アルディのサイトにも登場することに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

自分のバッグのオリジナルペイントは、フランスのファッション&アクセサリーブランドである「ピエール・アルディ」とのコラボの楽しみとして始めた。その後オーダーが殺到し、4月中ごろからピエール・アルディのサイトにも登場することに(写真撮影/Manabu Matsunaga)

個性的なドクロのドアノブは、道端で拾ったもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

個性的なドクロのドアノブは、道端で拾ったもの(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井の高さを生かして設置したインスタレーション。鏡の額装を兼ねている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天井の高さを生かして設置したインスタレーション。鏡の額装を兼ねている(写真撮影/Manabu Matsunaga)

お気に入りのパリ暮らし。そしてこれから。

フランス人が敬遠する1階のワンルーム、しかもコンパクトな20平米をあえて選んで、自分のための快適な空間づくりに挑戦し、それを実現した河原さん。住まいがあるエリアもお気に入りで、19世紀から続くアリーグルの市場や、目利きが選ぶアンティークショップ、おしゃれなカフェやベトナムレストランなど、庶民の活気と最新アドレスが混ざり合うパリならではの環境を、一人のパリジャンとして日々、満喫しています。朝ちょっと外に出てテラスでカフェを飲む。そんななんでもないことが当たり前にできるのも、パリ暮らしの魅力だ、と。

天気がいい時、気分転換したい時、打ち合わせの時、ふらりと活用できるカフェはパリジャンにとって第2のリビング(写真撮影/Manabu Matsunaga)

天気がいい時、気分転換したい時、打ち合わせの時、ふらりと活用できるカフェはパリジャンにとって第2のリビング(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんがよく立ち寄るヴィンテージのショップ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

河原さんがよく立ち寄るヴィンテージのショップ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリジャンの暮らしに花は欠かせない。庭は無くとも、新鮮な切花が部屋にあればフレッシュな季節感を感じられる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

パリジャンの暮らしに花は欠かせない。庭は無くとも、新鮮な切花が部屋にあればフレッシュな季節感を感じられる(写真撮影/Manabu Matsunaga)

19世紀から続くアリーグル市場はいつでも庶民の活気に満ちている。河原さんのお気に入りスポットの一つ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

19世紀から続くアリーグル市場はいつでも庶民の活気に満ちている。河原さんのお気に入りスポットの一つ(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

(写真撮影/Manabu Matsunaga)

「でも実は、そろそろ次を考え始めているのですよ。気に入っていても、飽きるので(笑)。次の住まいは、広々とした郊外もいいかもしれませんし、コロナ禍以降人気の上がっている地方都市も面白いかもしれません。ヨーロッパのほかの都市という選択肢だってあり得ます。いろいろな考えが浮かんでは消えてゆき、まだ確定していません。というのも、ギャラリーや美術館の多いパリの暮らしがやっぱり好きですし、世界中どこへ行くにもここは便利ですから」

新しい住まいづくりは新しいチャレンジ! そう捉えている河原さんだからこそ、暮らし変えを躊躇せず、常に前に進んで行けるのだなあと実感しました。

(文/角野恵子)

●取材協力
河原シンスケさん
HP
Instagram
●関連サイト
ピエール・アルディ

量産型”折りたたむ家”は10坪で約580万円!イーロン・マスクも住むと話題の最新プレハブ住宅

コロナ禍で高インフレが続く米国では、タイニーハウス(小さな家)などの低価格住宅への需要は増すばかりだ。そんななか、ネバダ州ラスベガスを拠点に置く企業BOXABL(ボクサブル)による、5万ドル(約580万円)のプレハブ住宅「カシータ」というモデルが話題になっている。テスラ社のイーロン・マスクが住んでいると報じられたことも。いったいどんな住まいなのか、BOXABL社ディレクターのガリアーノ・ティラマーニさんにインタビューをした。

住宅を“折り畳む” !? 工数や配送コストを下げて低価格を実現

イーロン・マスクがテキサスの住居としてタイニーハウスを利用していると米国INSIDERが報じ、話題になったのがBOXABL(ボクサブル)社のプレハブ住宅「カシータ」。

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

BOXABL社のプレハブ住宅は、1部屋(モジュールと呼ぶ、約35平米)に水回りや電化製品もすべて完備されているのに約580万円と低価格。その秘密は、折り畳めるようにしたことで配送コストを、生産工程の自動化したことで生産コストを下げたこと。2021年10月の受注開始以来、全米50州から7,000万件以上の注文が入っているという。同社の共同創業者で、ディレクターのGaliano Tiramani(ガリアーノ・ティラマーニ)さんに詳しい話を聞いた。

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

オンライン取材に応じたボクサブルの創業者でディレクターのガリアーノ・ティラマーニさん(写真提供/筆写撮影)

オンライン取材に応じたボクサブルの創業者でディレクターのガリアーノ・ティラマーニさん(写真提供/筆写撮影)

ガリアーノさんらが事業を立ち上げたのは2017年。きっかけは、当時カリフォルニア州で、庭付き一戸建て住宅の庭に付属住宅(ADU)を建て、それを賃貸したり、居住スペースを広げたりする需要が高まっていたことだったという。CEOでガリアーノさんの父であるパオロさんは、工業デザイナーやエンジニアとしてプレハブ住宅の生産に関わるなかで、現代の住宅における2つの課題に気が付いた。

一つ目は、「建築現場における人間による作業量の多さ」だ。それは100年前からほぼ変化がなく、一棟の家を建てるのに数カ月から数年の時間を要し、大量の人材が必要だ。
二つ目は、「配送」。プレハブ住宅は工場で部材生産、加工し、組立を行うことで価格を抑えることができるが、ガリアーノさんによると「多くのプレハブ住宅の生産者が、配送時のトラブルで損をしてきた」とのこと。具体的には、何度も運ぶことでの燃料コストの負担や、配送途中に部材を傷つけてしまったりなどである。

これらの課題に対し、「住宅を折り畳むこと」と「配送しやすいサイズにした上で、工場での大量生産すること」で、高品質の住宅を手ごろな価格で提供する仕組みをつくり上げた。

「今はあらゆる製品が、『組立てライン』さえ構築できれば、低コストで高品質なものがつくれる時代だ。しかし住宅にはその考えが欠けていた。私たちの技術は、住宅業界の価格に大きな影響を与えると考えている」とガリアーノさん。

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

1分間に1戸の生産を目指す

ボクサブルが採用したのは、自動車のオートメーション方式だ。ポルシェの生産方式を真似て、まるで自動車工場のように、住宅を自動化してつくる。最終的には、1分間に1戸を目標に生産を拡大する予定だという。

プレハブ住宅「カシータ」は、現在1日あたり2棟生産されている。2022年の年末までに、1日あたり10棟の生産が可能な体制になる見込みだとガリアーノさんは話す。現在は、最初に受注を受けたフロリダの現役軍人用住居156棟の生産と建設を行っている。

「需要を満たすには、現在の工場の10倍の大きさが必要」と、はやくも拠点を拡大する計画を進めている。

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

「ボクサブル流こそ未来の住宅だ」

「カシータ」は、375平方フィート(約10坪・約35平米)のモジュールで、8フィート×13フィート(約2.4m×約4m)に折り畳まれて台車に引かれて運ばれていく。料金には洗濯乾燥機、食器洗い機、オーブン、電子レンジなど、ソファとベッド以外の主な家具が含まれていて、引き渡し時はそれらがすべて完備されている状態。現地で住宅を“広げ”、排水と電気の接続さえ終えれば、すぐに生活が開始できる。モダンな家具や設備を配置し、機能性を重視し生活しやすさを追求したデザイン性にこだわりを持った、小さいが快適な住空間が広がる。

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

ガリアーノさんは、「私たちは、世界中のさまざまな環境条件に対応できるよう、カシータの工学技術に多くの時間を費やしてきた。猛暑や強風、地震、水害など、さまざまな環境条件に対応できるような建材を選び、従来の建物よりも強く、安全で、エネルギー効率に優れた建物になるよう、細心の注意を払ってつくり上げた」と胸を張る。ジオバーニさんも、「私達が使っているのは、木材よりもエネルギー効率が高く、低コストで、長持ちし、強度が高いなど、より優れた素材だ」と話す。

「カシータ」が使用しているのは、木材ではなく、鉄やセラミックボード、断熱材として発泡スチロールなどの素材。発泡スチロールは、軽量で硬質な「独立気泡」の断熱材であるため、最小限の水分しか吸収しない。その結果、吹雪やハリケーン、洪水などの厳しい天候にも耐えることができるという。さらに、最大25万ポンド(125t)の圧力に耐えることができ、耐震構造になっている。

ボクサブルが使用している壁面パネルの耐火テストの様子

さらに、「昨今注目を集めている3Dプリンター住宅よりも未来志向だ」と続ける。「(3Dプリンター住宅は)ほとんどの場合、コンクリートの外壁を3Dプリントしているだけだ。家というのは、コンクリートの外壁よりももっと多くの要因がある。私たちは、その解決策が『組立ライン』にあると思っている」(ガリアーノさん)

(写真提供/BOXABL)

(写真提供/BOXABL)

すでに完備されたキッチン、オーブン、冷蔵庫(写真提供/BOXABL)

すでに完備されたキッチン、オーブン、冷蔵庫(写真提供/BOXABL)

確かに3Dプリンターの家は、原材料の面で無駄がないと言われているが、そのサステナビリティ性は、外壁を作りにおける工程を削減できる、ということに限られる。一方でボクサブルの組立ラインは、住宅の外見だけでなく、室内装備に至るまでデザインを統一することで、建築時の無駄を省き、また住宅としてのエネルギー効率を高めているという。

ボクサブルは今後、生産の過程で出る廃棄物を減らし、エネルギー効率も向上させていくことを目指す。「効率化」が、サステナブルな生産に結びつくと考えているという。また、カシータのリサイクルや二次流通についてジオバーニさんは、「将来的に、カシータを売却したり、移動させたりすることも可能だ」と話してくれた。

すでに海外展開も視野に

「カシータ」は現在1種類のみだが、今後は顧客のニーズに合わせて、サイズや形を変えた住宅生産も検討しているという。

さらに、海外展開も視野に入れている。
「海外では、私たちの技術を活用してパートナー工場をつくりたいと考えている。すでにWebサイト経由で問い合わせを受けた国際的な大企業と話し合いを始めている」と話すガリアーノさん。

海外展開もすでに視野に入れている(画像提供/BOXABL)

海外展開もすでに視野に入れている(画像提供/BOXABL)

とはいえ、まだまだ課題もある。日本でも木材価格が高騰するウッドショックや給湯器の部品不足が話題になったが、米国の建築業界でも原材料不足と、価格の高騰が問題になっている。これにともなってカシータの販売価格も、今後は6万ドル(約690万円)に引き上げざるを得ないと話す。

「壁面パネルは自社生産している。スチールや発泡スチロールも自分たちで生産し、垂直統合を進めており、最終的にすべての部品を自社生産に切り替えられれば、もっと生産スピードを上げられる」とガリアーノさん。自社生産に加え生産効率が上がれば、価格のコントロールもしやすくなるとのこと。

「カシータ」は災害があった被災地に、すぐに住みやすい住宅を提供することも可能だ。ほかにも既存の物件の庭先に小さな個室を建て、趣味部屋にしたり、賃貸したりすることも可能だ。その可能性は無限に広がる。土地に限りがある日本でも、新たな住宅のヒントになるかもしれない。

※原稿中の日本円は2022年2月28日時点のレートで計算したもの

●取材協力
BOXABLディレクター Galiano Tiramani氏

月額5000円でお迎えから目的地まで乗り放題! 新交通サービス「mobi」はじまる 渋谷や名古屋市など

呼べばすぐ専用車がお迎えに来てくれる。そんな定額乗り放題のAIオンデマンドサービス「mobi(モビ)」が、昨年7月から東京都の渋谷エリアで始まりました。現在は、愛知県名古屋市千種区と京都府京丹後市、海外でも展開されています。子どもの送迎や買い物に便利そうですが、具体的にはどんなサービスなのでしょう。同サービスを運営しているウィラーの広報担当である清水美帆さんに伺いました。

乗りたいと思ったときにすぐお迎えにきてくれる

「自分専属の運転手を持つように、日常生活の中で乗りたいだけ乗れるサービスだ」。「mobi(モビ)」サービスを知るために体験してみた、私たち取材班の素直な感想です。

利用した区間は渋谷駅から渋谷区松濤にある小さな公園まで。スマートフォンの専用アプリを操作して車を手配し、すぐ近くにある規定の乗降場所へ移動。そこで待つこと約5分で、最大7名まで乗れる車両が現れました。

乗降場所で待っていると、約5分で車両が迎えに来てくれた(写真撮影/片山貴博)

乗降場所で待っていると、約5分で車両が迎えに来てくれた(写真撮影/片山貴博)

この車体のロゴが目印(写真撮影/片山貴博)

この車体のロゴが目印(写真撮影/片山貴博)

あとは目的地近くにある乗車場所まで、AIが提示する最適なルートに沿って運転手が車を走らせるだけ。この時は他に相乗りしてくる利用者がいなかったため、あっという間に目的地まで到着しましたが、タイミングによっては途中で他の利用者を乗せていくこともあります。そのため自家用車やタクシーと比べて、目的地までの到着時間がかかることを想定して利用する必要があります。また、運行エリアは渋谷区内に設定された半径2km圏内となっています。

足元も広々(写真撮影/片山貴博)

足元も広々(写真撮影/片山貴博)

車内でスマートフォンの充電も出来る(写真撮影/片山貴博)

車内でスマートフォンの充電も出来る(写真撮影/片山貴博)

とはいえ1人あたり月額(30日間)5000円。同居する家族を会員として追加することもでき、追加料金は1人につき500円。例えば、家族3人で利用しても月々6000円ですから自家用車の購入費や維持費などと比べても、遙かに割安です。

一方で「相乗り」ならではのメリットもあります。渋谷エリアでサービスが始まってから半年以上が経ちましたが、子どもの通学や習い事の送迎などに使う親子は、当然同じ時間帯に利用します。そのため車内で母親同士が顔なじみになり、ママ友に発展するケースが珍しくないそうです。「運転手も何人かの固定メンバーで運用していますから、運転手とも顔なじみになり、安心して子ども一人だけでも塾の送迎に使える、という声もいただいております」と清水さん。

さらに「mobiを利用するようになってから『朝食を食べに街中のカフェへ行くのが楽しい日課になった』というように、ライフスタイルが変化し、日常に溶け込んでいる様子が窺えるコメントもいただいています」

渋谷の街を走るmobi(写真撮影/片山貴博)

渋谷の街を走るmobi(写真撮影/片山貴博)

ラストワンマイルを解決する1つとして登場

最寄り駅やバス停から、自宅をはじめとした最終目的地までのちょっとした区間のことを、交通の「ラストワンマイル」と言います。このラストワンマイルの移動手段として、最近は都市部なら電動キックボードや電動アシスト自転車、車を使ったシェアリングサービスがあります。この定額乗り放題サービスもその1つに挙げられます。

しかしmobiは電動キックボードや電動アシスト自転車と違い、自ら運転する必要がありませんし、雨の日も気軽に利用できます。

またカーシェアリングサービスは(当たり前ですが)運転免許を持った人が利用しなければなりません。しかしmobiなら、子どもだけ乗せて塾への送迎に使う、なんて使い方もできます。また自家用車やカーシェアリングと違い、目的地周辺で駐車場を探す必要もありません。

渋谷区といえば「ハチ公バス」と呼ばれるコミュニティバスもありますが、それとの大きな違いは乗降場所(公共バスで言うバス停)が圧倒的に多いこと、また決まった路線や時刻での運行ではないことです。例えば渋谷エリアでは、半径約2kmのエリア内に約150箇所もの乗降場所が用意されています。この範囲は、渋谷区の面積に対して約8割。ですから、さすがに全ての人の自宅前とはいかないにせよ、自宅周辺で乗り降りができるのです。

買い物や通勤などで渋谷駅との往復で利用するという使い方もある(写真/PIXTA)

買い物や通勤などで渋谷駅との往復で利用するという使い方もある(写真/PIXTA)

さらにママ友ができたり、運転手と顔なじみになることなんて、他のラストワンマイルサービスやコミュニティバスでは、なかなかありえません。このような地域のコミュニティを形成しやすいということも、大きな特徴と言えそうです。

現在mobiは渋谷以外にも名古屋市千種区と京都府京丹後市、さらにシンガポールとベトナムでも展開されています。エリア内定額乗り放題で、アプリや電話で配車を依頼し、AIを使って最適なルートを走るというサービスの根本は同じなのですが、地域によって利用者の年齢や属性、利用目的に多少の差はあるそうです。

「例えば京丹後市は車がないと通勤や買い物にも不便で、そのため家族1人に車が1台あるようなエリアです。しかし子どもの送迎や買い物などをmobiで行えるようになり、家族での所有台数を減らしてもよいかもいう考えをお持ちの方もいらっしゃいます。『車にかかる維持費が減ったから、その分を別の費用に充てることができる』『マイカーを使う頻度が減った』と喜ばれています」

京丹後市(写真/PIXTA)

京丹後市(写真/PIXTA)

京丹後市で活動中の車両。エリア特性等によって使用する車両は変わる(写真提供/WILLER)

京丹後市で活動中の車両。エリア特性等によって使用する車両は変わる(写真提供/WILLER)

また免許返納を考えているけれど、買い物などに車が手放せない、という高齢者の背中も押してくれるサービスのようです。

さらにmobiには、法人会員制度も設けられており、エリア内の飲食店や病院、塾などでお客さまや従業員の送迎にも活用されているとのこと。このようにエリアのニーズに沿ってサービス内容をアレンジすることも可能だそうです。

今後の課題は到着時間の短縮と、アプリの使いやすさの向上

現状の課題としては、先述したように「1. 目的地までの到着時間が読みにくいことと2. スマートフォンに馴染みのない高齢者へのサポートが挙げられます」と清水さん。

1. の到着時間、つまり乗降している時間を縮める対策ですが、そもそも「mobi」では相乗りする際に車が向かう順番や運行ルートなどを、AIを使って最適化しています。AIは日々学習していくのが特徴の1つですから、利用者が増えるほど最適化ルートの提案が進歩し、時間短縮を図れます。

また「お客さまの声などをもとに、よりスムーズに乗り降りしてもらえる場所や、最適なルートをたどる場合にどこで乗ってもらえばよいかなど、乗降場所の微妙な位置修正といった最適化も常に行っています」

アプリ上に表示された乗降場所の中から行き先と出発地を指定(操作画面より)

アプリ上に表示された乗降場所の中から行き先と出発地を指定(操作画面より)

所要時間等や配車状況も確認できる(操作画面より)

所要時間等や配車状況も確認できる(操作画面より)

さらに利用者が多い時間帯は、車を増やすことで相乗りする人数を減らし、その結果として乗降時間を短くするなどの調整も随時行っているそうです。

もう一つの課題、2. の高齢者へのサポートですが、高齢者を含めてスマートフォンに不慣れな方のために、現在でもアプリだけでなく電話による配車応対も行っています。「また誰でも扱いやすいよう、アプリのユーザーインターフェースの改善を日々行っています」

アプリを用いるメリットは、改良されたらすぐにアップデートされること。いずれ高齢者でも簡単に操作できるようになる日も近そうです。少なくとも、スマートフォンに慣れている世代は、現状でも戸惑うことはありません。

KDDIとの協働で、サービスエリアの拡大も

昨年末、ウィラーはKDDIと共同で今後のサービスを全国へ展開していくことを発表しました。

高速バス運行事業者、そして京都丹後鉄道の運営事業者でもあり、すでにこの事業を国内3エリア・海外2エリアで展開し、独自のITマーケティングシステムを持つウィラー社。

そこに全国の地方自治体とつながりが深く、大量の人々の移動データを所有し、その活用に長けたKDDIが加われば、サービスエリアが加速的に増えていことも期待できそうです。将来的には自動運転による自動運行も既に検討が始まっているのだとか。

既に同社では東京都豊島区や愛知県名古屋市などで自動運転の実証実験を行っている(写真提供/WILLER)

既に同社では東京都豊島区や愛知県名古屋市などで自動運転の実証実験を行っている(写真提供/WILLER)

そうなると、例えば渋谷区のサービスエリアが拡大、例えば隣の港区へもこのサービスで行き来できるようになるのでしょうか。

「渋谷区とは別に港区でも展開することはあり得ますが、両区の行き来は行いません(設定した2kmが区をまたぐ場合はある)。サービス提供エリアがどんどん増えていくイメージです。例えば渋谷から港区六本木に行く場合、渋谷駅から地下鉄や公共バスが利用できます。mobiはその渋谷駅までのラストワンマイルの移動を自由にすることが目的ですから」

もし鉄道やバスで移動するような広い範囲をサービスエリアにすると、車の移動距離が増えてしまい、呼んでも到着まで時間がかかるようになります。それでは「呼べばすぐ迎えに来る」というサービスのメリットが薄れてしまいます。ちなみに1マイルは約1.6km。同社では半径約2kmを目安に運営しています。

一方自治体としては、地元エリア内で人々の移動が増えるということは、買い物に行くことや、駅やバスなどの公共交通の利用につながる外出のきっかけづくりをはじめとする行動が増えるため、地域の活性化に繋がります。また近隣住民同士のコミュニティが形成されることは、安心安全な街づくりにもメリットです。さらに高齢者は家でじっとしているより、積極的に外に出掛け、交流を持つなど、動いたほうが心身ともに健康になりますから、自治体としては医療費の抑制にもつながります。

子どもの塾への送迎から開放され、自治体も地域が活性化するなど、たくさんの人々がWin-Winの間柄になれるサービス。都心部、地方都市など今後たくさんの街でサービスが始まり、ラストワンマイルの課題が解決していくことを期待したいです。

●取材協力
mobi

寂れていた街がAIやビッグデータ活用で蘇った! バルセロナに学ぶ市民参加型のまちづくりとは?

ビッグデータやICTを活用したまちづくりで注目されるスペイン・バルセロナ。データを活用して、市民と行政がともにまちづくりへの意見交換をして、さまざまな政策実現に結びつけているという。20年前からバルセロナで都市計画に携わった経験を持つ、東京大学特任准教授の吉村有司さんに話を聞いた。

デジタルテクノロジーを市民生活の向上に役立てる(写真提供/吉村さん)

(写真提供/吉村さん)

吉村有司
東京大学先端科学技術研究センター特任准教授
愛知県生まれ、建築家。2001年より渡西。ポンペウ・ファブラ大学情報通信工学部 博士課程修了。バルセロナ都市生態学庁、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て2019年より現職。ルーヴル美術館アドバイザー、バルセロナ市役所情報局アドバイザーを兼任

バルセロナ(写真/PIXTA)

バルセロナ(写真/PIXTA)

――先生はアーバンサイエンスというデジタルテクノロジーやビッグデータを都市計画・まちづくりに活用するという研究に取り組まれています。

吉村 バルセロナでは、デジタルテクノロジーをうまく活用して、市民生活を向上させよう、公共空間の再生を図ろうという試みを行っています。データを公開することによって、市民一人ひとりに街の現状を認識してもらって、街をどのように変えていったらよいか考えてもらおうとしています。
バルセロナ市では、Decidim(デシディム)という、参加型のプラットフォームをオープンソースで開発して、運用しています。まちづくりの分野に、市民参加を積極的に促すための仕組みです。市民に気軽に意見を書き込んでもらって、対話や議論をしてもらい、都市の施策に反映しようというものです。

このDecidimについては、市役所では大々的に広告するなどして、市民の認知度も高く、PCやスマホなどから、高齢者などのデジタルが苦手な人達でも、できるだけ使いやすくし、書き込みや投票など誰もが参加しやすくしています。また、オンラインだけでなく、実際の対面でのグループディスカッションでの話し合いで補完もしています。
選挙による市長や議員の選出、議会での議論の末の予算執行という間接的な民主主義から、地域の市民一人ひとりが意思決定のプロセスに参加できる「民主主義のアップデート」と言えるでしょう。つまり、市民自身が、提案を行い、議論し、優先順位を決め、決断を下すのです。
Decidimは実験的な段階ですが、2016年から2019年にかけて行われた第1段階では、約4万人の市民が参加して、約1500の施策に落とし込まれました。
また2020年からの第2期の取り組みでは、住民からの提案について議論され、2021年6月に投票が行われました。これには、参加型予算として、市の予算のうち3~5%に当たる使い方を、Decidimで得られた市民の意見をもとに決めようというものです。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

Decidimは、バルセロナ市以外では、ニューヨーク市やヘルシンキ市など、300以上の公的機関や団体などで使われています。日本でも、兵庫県加古川市や東京都渋谷区などで取り組みがはじまっています。

―― まちづくりへの市民参加は、日本の自治体などでもこれまでさまざまに取り組まれてきました。ICTなどデジタルツールを用いて、市民の意見を採り入れ、議論し、決断までしていくという仕組みは画期的と思いました。ただ、公の場で個人の意見を表明することが苦手だったり、文化的な背景も違う日本でもDecidimを使いこなすことができるのでしょうか?

吉村 昨年(2021年)、渋谷でDecidimによる「ママチャリプロジェクト」を行いました。電動自転車の利用者が街を移動するGPS情報や環境情報などで、危険な箇所などを探り、快適なママチャリのための環境整備を行おうというものです。
ここでは、行政が行うワークショップは平日の昼間で時間的にキビシイ……、まちづくりの会合は男性ばかりで発言しづらい……。子育て中のママさん、パパさんたちからは、オンラインだと時間に縛られない、デジタルツールであれば家で子どもと居ながら参加できるといったメリットがあるという声が聞かれました。

(画像/渋谷区「親子にやさしいまちづくり」HPより)

(画像/渋谷区「親子にやさしいまちづくり」HPより)

19世紀半ばからデータに基づく都市計画に先鞭をつける

――バルセロナ市が、世界に先駆けてデジタルを駆使した取り組みに挑戦しているのはどうしてなのでしょうか?

吉村 スペインでは1930年代に始まった内戦、1975年までの長い独裁体制が敷かれた暗い歴史があります。一方で、独裁体制の後、1978年に新憲法を制定して以降、市民の民主化や自治に対する意識がとりわけ高いことが挙げられるかもしれません。
さらに、データを用いた都市計画・まちづくりについての取り組みは、実は19世紀にまでさかのぼります。
1850年代、イルデフォンソ・セルダ(1815~76年)という、土木技師がバルセロナの近代都市化に重要な役割を果たしました。セルダは、住戸一軒一軒を訪問調査し、人々の暮らしや家族構成などに関するデータを集め、それを分析することで、これをバルセロナの都市拡張の都市計画に活かしたと言われています。セルダが示した都市計画案は、1859年に承認されました。直感ではなく、データという根拠をもとに理論を構築して、バルセロナの都市づくりに応用したのです。つまりアーバンサイエンスという考え方が150年前からあったわけです。

―― 先生の経験を通して、バルセロナの都市計画・まちづくりのあり方ついて教えてください。

吉村 バルセロナには2001年に渡り、バルセロナ都市生態学庁やカタルーニャ先進交通センターなど行政系の機関に所属していました。モノ、ヒト、クルマなどの動きを通して、都市の分析をする仕事をしてきました。
都市生態学庁には、建築家や都市計画家だけでなく、数学者や物理学者など多様な専門家が集まっていて、都市のデータをもとに議論を行い政策に反映させていました。
また、市民の意見を聞くことも大切です。バルセロナには自分の街に愛着とプライドを持っている住民が多く、建築家・都市計画家なりがデザインをトップダウンだけで決めていくことには抵抗がある市民が多いと感じました。
ただし、いまの都市は大きくなりすぎました。また多様な人が暮らしていて、そうした状況で市民の意見を聞くことはたいへんです。そこで、市民にデータを公開しながら、デジタル技術を活用して意見を聞く仕組みを整備していきました。

スーパーブロック(歩行者空間化)を市民と自治体担当者が輪になって議論している様子(写真提供/吉村先生)

スーパーブロック(歩行者空間化)を市民と自治体担当者が輪になって議論している様子(写真提供/吉村先生)

スーパーブロック(歩行者空間化)された街路の現在の使われ方(写真提供/吉村先生)

スーパーブロック(歩行者空間化)された街路の現在の使われ方(写真提供/吉村先生)

吉村さんが2005年に担当していたグラシア地区の歩行者空間化(スーパーブロックの実証実験)の現在の姿。死んでいた街が蘇った(写真提供/吉村先生)

吉村さんが2005年に担当していたグラシア地区の歩行者空間化(スーパーブロックの実証実験)の現在の姿。死んでいた街が蘇った(写真提供/吉村先生)

歩いて楽しい街には経済波及効果があることが分かった

――ビッグデータの分析から、人々が歩いて楽しめる都市空間が街の経済に効果があることが分かったそうですね。

吉村 都市においてクルマ中心の道路空間を、歩行者に解放する動きが世界的に進められています。また、新型コロナによって、道路空間をオープンカフェなどに転用することが注目を集めています。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

ところが、道路に面する小売店や飲食店の店主などから「これまでクルマで買い物に来ていたお客さんが来なくなって、売上げが落ちる」という言い分がありました。
都市計画に関わるわれわれは、歩行者数が増えると、売上げは上がるはずだと考えていました。ただ、これを経済学的に裏付けるデータや論文は見当たりませんでした。
そこで、バルセロナ市やスペイン全土の都市の歩行者空間にされている道路をオープンストリートマップ(OSM)から自動抽出して、個人情報などに十分に注意しながらもその道路に面している事業者の売上情報との比較を行いました。すると、レストランやカフェなど飲食店については、歩行者空間にした後には、売上増に結びついているという結果が出ました。(*)データサイエンスにもとづく、まちづくりの可能性を示した成果と言えるでしょう。
*:東京大学先端科学技術研究センター+マサチューセッツ工科大学+ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行の共同研究

バルセロナ等の都市で歩行者空間の分布(画像/東京大学先端科学技術研究センター)

バルセロナ等の都市で歩行者空間の分布(画像/東京大学先端科学技術研究センター)

日本でもデータ活用によるまちづくりの可能性が広がる

――ビッグデータの解析や研究が、まちづくりのあり方やその効果検証に使えるのですね。

吉村 日本においても、国にはデジタル庁が創設され、東京都でも昨年4月にデジタルサービス局ができ、ビッグデータの収集や公開などの環境整備がはかられつつあります。
東京都の「デジタルツイン実現プロジェクト」は、センサーなどから取得したデータをもとに、建物や道路などのインフラ、経済活動、人の流れなど様々な現実空間の要素を、コンピューターやコンピューターネットワーク上の仮想空間上に「双子」のように再現しようというものです。
これまでの平面の地図上だけでなく、3次元空間の中で、従来は重ね合わせることが難しかったデータを可視化し、AIによって高度な分析・シミュレーションが可能になるでしょう。まちづくりや防災、交通、エネルギーなど、様々な分野で活用が期待されています。

東京都が行う「デジタルツイン実現プロジェクト」ウェブサイト(画像/東京都ホームページ)

東京都が行う「デジタルツイン実現プロジェクト」ウェブサイト(画像/東京都ホームページ)

これからのまちづくり・都市計画は、トップダウン型の一人のヒーローではなく、市民を中心としたボトムアップ型の取り組みが求められると考えています。
そのために、データはとても重要です。そのデータに基づいて、みんなで議論することが可能になります。
市民や行政、専門家を含めて、自分たちの街をみんなで良くしていける時代が訪れることを期待しています。

――市民も身近にまちづくりに参加できる時代が訪れているということですね。今日はありがとうございました。

●取材協力
・東京大学先端科学技術研究センター 
●関連サイト
・デジタルツイン実現プロジェクト
・渋谷区「親子にやさしいまちづくり」

おしゃれ別荘に月額5.5万円で家族や友人と泊まり放題! サブスク「SANU」八ヶ岳、山中湖など

毎月定額でさまざまな暮らし方ができる「住まいのサブスク」。空き家やゲストハウスを活用したADDressやHafH(ハフ)、ホテルが泊まり放題になるサービスも登場するなど、コロナ禍でテレワークが定着したこともあり、暮らし方のひとつとして普及しつつあります。2021年11月、そんな住まいのサブスクのなかでも、大自然にあるセカンドホーム、いわゆる別荘暮らしが月額5万5円でできるサービス「SANU 2nd Home」が登場し、注目を集めています。実際の利用者の声とあわせてご紹介しましょう。

毎月5万5000円! 豊かな自然の中でもう一つの家―セカンドホームが利用できる

SANU 2nd Home(サヌ セカンドホーム)は、「Live with nature. / 自然と共に生きる。」をコンセプトにした、住まい・別荘のサブスクサービスです。月額利用料は5万5000円で、会員登録をすれば会員本人に加えて、家族や友人など3人まで無料で宿泊できます。利用できる住まいは「SANU CABIN」と呼び、都市部から車で1.5~3時間程度の白樺湖、八ヶ岳などのアクセスのよい場所に、2022年2月現在、2拠点5棟が誕生しており、春頃までに新たに5拠点45棟にオープンする予定です。

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

1回の滞在は4泊まで、週末・休前日やピークシーズンにプラス料金が発生するなどの条件はありますが、憧れの別荘が、ホテルのように使いたいときに使え、しかも定額制とあれば興味がわくのではないでしょうか。2021年11月にサービスを開始しましたが、初期の会員枠は完売し、現在、キャンセル待ちの登録希望者(ウェイティング会員)が1500人以上いる状態だそうで、いかに注目を集めているかがわかります。

今回、SANU 2nd Homeを運営する株式会社Sanuを創業したのは本間貴裕さんと福島弦さん。今まで本間さんは蔵前のNui. HOSTEL & BAR LOUNGEや東日本橋のCITANといった人気ホステルを運営してきましたが、今回の「自然の中にもう一つの家を持つ」というビジネスモデル構築のきっかけとなったのは、自身のコロナ禍の「疎開体験」だといいます。

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

「以前から漠然と自然と人をつなげる仕事をしたいと考えていたんですが、2020年の緊急事態宣言下、都市部での密な暮らしへの違和感がはっきりとしてきました。そこで、千葉県の自然豊かな環境に家を借りて過ごしたんですが、それがとても心地よくて。オンラインで仕事しつつ、合間に野に咲く花を摘んできて活けたり、サーフィンをしたり。そこで、海や山に近い場所にある住まいを、スマートフォンで会員登録すればすぐに利用できるサービスがあったらいいなと思いついたんです」(本間さん)

なるほど、本間さん自身の「あったらいいな」をかたちにしていったんですね。別荘やホテルとの違いは、「個人の空間を確保できる」そして「暮らし」の延長線上にある点だ、といいます。
「ホテルにはキッチンがないことが多く、調理や洗濯などができないことが多いもの。また、自分もバックパッカーだったからわかるのですが、アドレスホッパーのように住まいを持たずに転々とホテルやゲストハウスを渡り歩く生活をするのは万人には向きません。自宅のようにくつろぎつつ過ごせて、思いついたときに利用できる気軽さを目指しました」(本間さん)

そのため、利用する人の暮らしやすさを考え、キャビンは内装を統一し、一度滞在すると他のキャビンに滞在しても「どこに何があるかわかる」状態にしているといいます。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

海、山、湖、川…。日本の豊かな環境を建物や室内でも楽しめるように

筆者が個人的にすてき!だと思ったのは、周囲の環境だけでなく、建物やインテリアそのものが美しく、滞在したくなるという点です。また、キャビンの内装は統一しているものの、大きい窓の先に広がる風景は二つとして同じものがなく、キャビンごとにまったく異なる景色が映ります。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

「海や山や湖、川、高原など、日本の自然環境は本当に豊かです。季節ごとの変化や表情の移り変わりを部屋にいても楽しめるように配慮しています。季節が変わるたび、何度でも来たくなる、繰り返し使ってもらうことがこのサービスで大切にしたいこと」と本間さんは話します。このあたりは、何より本間さん自身が「美しい自然が好き」という想いがあるからでしょう。

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

また今回、「建物に岩手県釜石市の杉材を使用しています。それにはコロナの影響も大きく関係しています」と解説するのは、同じく創業者の福島弦さん。

「サービスの設計を考え、建築プランも決まり、いざ着工するぞという段階になって、コロナ禍で海外からの木材の輸入が少なくなったことで国内の木材価格が高騰し、調達できなくなる『ウッドショック』が起きたんです。でも、まあ着工はできるでしょと軽く考えていたら、なんと1棟目からすでに調達できない、と。そこで、日本各地の森林組合さんにお願いしてまわり、結果的に協力してもらえることになったのが釜石地方森林組合だったんです」

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

日本では、戦後に植林した杉材が樹齢50年前後になり、今、建材として“使いどき”になっていますが、長年の木材価格低迷や人手不足などの問題もあり、思うように木材として提供できない状態が続いています。今回SANU 2nd Homeでは、釜石地方森林組合と協力し、木材を提供してもらうだけでなく、キャビンのために伐採した杉の木(50棟でおよそ7500本分)と同じ本数の苗木を、釜石地方に植林する予定です。こうして事業で使った分だけ新しい木々を植えることで、地方の林業、そして森が蘇ることになりますし、事業を通じたカーボンネガティブ(CO2吸収量がCO2排出量を上回る状態)を達成することができます。

(写真提供/ADX)

(写真提供/ADX)

「針葉樹の杉だけではなく、ナラや樫、シイノキなどの広葉樹など異なる種類の苗木を植えることで、多様性のある豊かな森になる。SANU CABINをつくることで、林業が活性化し、日本の森が美しくなっていくとしたら、こんなにうれしいことはないですよね」と話します。

もちろん、SANU 2nd Homeで提供したいのは「自然のなかでの暮らし」といいますが、サービスを考えるうえでも、「持続可能性」が考えられているのはやはり時流といえるでしょう。

旅行やホテルとも違う居心地のよさ! 仕事にもプラスに

SANU 2nd Homeを利用している石田さんと野村さん(ともに30代)にも話を聞いてみました。

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

「11月はサービス開始直後から3泊、12月は4泊、1月には4泊と、今のところ毎月利用しています。初めて訪れたのは白樺湖のSANU CABINでしたが、窓からの開放感がすごくて、部屋のカーブがきれいでとても印象に残っています。キッチンも充実していますし、3泊で滞在予定でしたが、すぐに4泊にすればよかった!と思いました」(石田さん)

滞在中は、山に登ったり、自転車でサイクリングにいったり、焚き火をしたりと、存分に野遊びを楽しんでいるそう。もちろん、自宅にいるように仕事をしたり、料理をしたり。ときには地域の店で外食や買い物などをし、地域の人と交流ができるのも、ホーム感があり、二人のたのしみになっています。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「八ヶ岳では周辺の店を紹介したオリジナルのマップがあったんですが、掲載されている店はすべてめぐりました。お店の人との会話でもSANU 2nd Homeに滞在しているというと、どういうサービスなのか聞かれたり。興味関心の高さを感じました」

料理好きな野村さんにとっては、キッチンが充実しているのも、楽しいといいます。
「キャビンが同じかたちをしていて、どこに何があるのかわかるのは、我が家のような安心感がありますね。自分の別荘があるとこんな感じなのかなと思いました」(野村さん)。使い方を聞いていると、生活や暮らしの延長に利用してもらいたいという、サービスの狙い通りと言えるのかもしれません。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

SANU 2nd Homeのように自宅と別に拠点があると、仕事をするうえでもプラスになっているといいます。
「自宅で働いていると、曜日や時間などのメリハリがなくなってしまいがちですよね。その点、SANU 2nd Homeに行くぞと予定を入れることで、1週間がフラットにならずに、○曜日までにこれを終わらせるなどの意識をするようになりました。違う場所に行くことが、よい刺激になっていると思います」(石田さん)。また、場所も車で2~3時間程度で、ほどよいそう。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「ホテルやコテージと比較しても、定額料金の価格設定には納得感があるのですが、カーシェアや高速代に加えて、珍しい食材を買ったりすることで、意外とお金を使っているんです(笑)。想定外といえばそれくらいでしょうか。あと、仕事をしていると、背景が映り込むので、『どこにいるの?』と聞かれるんですよね。SANUだよ~と答えると、『いいな』『今度一緒に行きたい』などポジティブな反応がほとんど。私の周りでも移住ほどではなくても、旅行とは違う、地方の体験への興味は高まっている気がします」(野村さん)

お話を聞いていると、「いいな~~!」というみなさんの気持ちにはげしく共感します。旅行ではなく、暮らしと遊びをシームレスに楽しめる。そんなライフスタイル、やっぱり憧れますよね。

別荘を持つよりも手軽で、さまざまな拠点で飽きることもなく生活できるサブスクサービス「SANU 2nd Home」。都市部にある家ももちろん好きだけど、自然のある暮らしもしたい。コロナ禍の転換期に生まれたサービスですが、きっとコロナが収束しても、ひとつの暮らし方として、定着していくに違いありません。

●取材協力
SANU 2nd Home

おしゃれ別荘に月額5.5万円で家族や友人と泊まり放題! サブスク「SANU 2nd Home」八ヶ岳、山中湖など

毎月定額でさまざまな暮らし方ができる「住まいのサブスク」。空き家やゲストハウスを活用したADDressやHafH(ハフ)、ホテルが泊まり放題になるサービスも登場するなど、コロナ禍でテレワークが定着したこともあり、暮らし方のひとつとして普及しつつあります。2021年11月、そんな住まいのサブスクのなかでも、大自然にあるセカンドホーム、いわゆる別荘暮らしが月額5万5円でできるサービス「SANU 2nd Home」が登場し、注目を集めています。実際の利用者の声とあわせてご紹介しましょう。

毎月5万5000円! 豊かな自然の中でもう一つの家―セカンドホームが利用できる

SANU 2nd Home(サヌ セカンドホーム)は、「Live with nature. / 自然と共に生きる。」をコンセプトにした、住まい・別荘のサブスクサービスです。月額利用料は5万5000円で、会員登録をすれば会員本人に加えて、家族や友人など3人まで無料で宿泊できます。利用できる住まいは「SANU CABIN」と呼び、都市部から車で1.5~3時間程度の白樺湖、八ヶ岳などのアクセスのよい場所に、2022年2月現在、2拠点5棟が誕生しており、春頃までに新たに5拠点45棟にオープンする予定です。

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

白樺湖の風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABIN(写真提供/SANU、撮影/Yikin Hyo)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

SANU CABINは抜群のロケーションに建つ(写真提供/Timothée Lambrecq)

1回の滞在は4泊まで、週末・休前日やピークシーズンにプラス料金が発生するなどの条件はありますが、憧れの別荘が、ホテルのように使いたいときに使え、しかも定額制とあれば興味がわくのではないでしょうか。2021年11月にサービスを開始しましたが、初期の会員枠は完売し、現在、キャンセル待ちの登録希望者(ウェイティング会員)が1500人以上いる状態だそうで、いかに注目を集めているかがわかります。

今回、SANU 2nd Homeを運営する株式会社Sanuを創業したのは本間貴裕さんと福島弦さん。今まで本間さんは蔵前のNui. HOSTEL & BAR LOUNGEや東日本橋のCITANといった人気ホステルを運営してきましたが、今回の「自然の中にもう一つの家を持つ」というビジネスモデル構築のきっかけとなったのは、自身のコロナ禍の「疎開体験」だといいます。

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

左から、本間貴裕さん、福島弦さん。本間さんはゲストハウス・ホステルを運営するBackpackers’ Japanの創業者でもあり、ご自身もサーフィンやスノーボードが趣味の、自然を愛する人でもあります。福島さんは、外資系コンサルティング企業を経て、プロラグビーチームの創業やラグビーチームW杯の運営に携わった経歴の持ち主。スキーとラグビーがお好きです(写真提供/SANU、撮影/Ayato Ozawa)

「以前から漠然と自然と人をつなげる仕事をしたいと考えていたんですが、2020年の緊急事態宣言下、都市部での密な暮らしへの違和感がはっきりとしてきました。そこで、千葉県の自然豊かな環境に家を借りて過ごしたんですが、それがとても心地よくて。オンラインで仕事しつつ、合間に野に咲く花を摘んできて活けたり、サーフィンをしたり。そこで、海や山に近い場所にある住まいを、スマートフォンで会員登録すればすぐに利用できるサービスがあったらいいなと思いついたんです」(本間さん)

なるほど、本間さん自身の「あったらいいな」をかたちにしていったんですね。別荘やホテルとの違いは、「個人の空間を確保できる」そして「暮らし」の延長線上にある点だ、といいます。
「ホテルにはキッチンがないことが多く、調理や洗濯などができないことが多いもの。また、自分もバックパッカーだったからわかるのですが、アドレスホッパーのように住まいを持たずに転々とホテルやゲストハウスを渡り歩く生活をするのは万人には向きません。自宅のようにくつろぎつつ過ごせて、思いついたときに利用できる気軽さを目指しました」(本間さん)

そのため、利用する人の暮らしやすさを考え、キャビンは内装を統一し、一度滞在すると他のキャビンに滞在しても「どこに何があるかわかる」状態にしているといいます。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

海、山、湖、川…。日本の豊かな環境を建物や室内でも楽しめるように

筆者が個人的にすてき!だと思ったのは、周囲の環境だけでなく、建物やインテリアそのものが美しく、滞在したくなるという点です。また、キャビンの内装は統一しているものの、大きい窓の先に広がる風景は二つとして同じものがなく、キャビンごとにまったく異なる景色が映ります。

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

「海や山や湖、川、高原など、日本の自然環境は本当に豊かです。季節ごとの変化や表情の移り変わりを部屋にいても楽しめるように配慮しています。季節が変わるたび、何度でも来たくなる、繰り返し使ってもらうことがこのサービスで大切にしたいこと」と本間さんは話します。このあたりは、何より本間さん自身が「美しい自然が好き」という想いがあるからでしょう。

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

デッキから見える風景(写真提供/SANU、撮影/Timothée Lambrecq)

また今回、「建物に岩手県釜石市の杉材を使用しています。それにはコロナの影響も大きく関係しています」と解説するのは、同じく創業者の福島弦さん。

「サービスの設計を考え、建築プランも決まり、いざ着工するぞという段階になって、コロナ禍で海外からの木材の輸入が少なくなったことで国内の木材価格が高騰し、調達できなくなる『ウッドショック』が起きたんです。でも、まあ着工はできるでしょと軽く考えていたら、なんと1棟目からすでに調達できない、と。そこで、日本各地の森林組合さんにお願いしてまわり、結果的に協力してもらえることになったのが釜石地方森林組合だったんです」

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

(写真提供/SANU、撮影/Sayuri Murooka)

日本では、戦後に植林した杉材が樹齢50年前後になり、今、建材として“使いどき”になっていますが、長年の木材価格低迷や人手不足などの問題もあり、思うように木材として提供できない状態が続いています。今回SANU 2nd Homeでは、釜石地方森林組合と協力し、木材を提供してもらうだけでなく、キャビンのために伐採した杉の木(50棟でおよそ7500本分)と同じ本数の苗木を、釜石地方に植林する予定です。こうして事業で使った分だけ新しい木々を植えることで、地方の林業、そして森が蘇ることになりますし、事業を通じたカーボンネガティブ(CO2吸収量がCO2排出量を上回る状態)を達成することができます。

(写真提供/ADX)

(写真提供/ADX)

「針葉樹の杉だけではなく、ナラや樫、シイノキなどの広葉樹など異なる種類の苗木を植えることで、多様性のある豊かな森になる。SANU CABINをつくることで、林業が活性化し、日本の森が美しくなっていくとしたら、こんなにうれしいことはないですよね」と話します。

もちろん、SANU 2nd Homeで提供したいのは「自然のなかでの暮らし」といいますが、サービスを考えるうえでも、「持続可能性」が考えられているのはやはり時流といえるでしょう。

旅行やホテルとも違う居心地のよさ! 仕事にもプラスに

SANU 2nd Homeを利用している石田さんと野村さん(ともに30代)にも話を聞いてみました。

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

野村さん(左)と石田さん(右)(写真提供/野村さん、石田さん)

「11月はサービス開始直後から3泊、12月は4泊、1月には4泊と、今のところ毎月利用しています。初めて訪れたのは白樺湖のSANU CABINでしたが、窓からの開放感がすごくて、部屋のカーブがきれいでとても印象に残っています。キッチンも充実していますし、3泊で滞在予定でしたが、すぐに4泊にすればよかった!と思いました」(石田さん)

滞在中は、山に登ったり、自転車でサイクリングにいったり、焚き火をしたりと、存分に野遊びを楽しんでいるそう。もちろん、自宅にいるように仕事をしたり、料理をしたり。ときには地域の店で外食や買い物などをし、地域の人と交流ができるのも、ホーム感があり、二人のたのしみになっています。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「八ヶ岳では周辺の店を紹介したオリジナルのマップがあったんですが、掲載されている店はすべてめぐりました。お店の人との会話でもSANU 2nd Homeに滞在しているというと、どういうサービスなのか聞かれたり。興味関心の高さを感じました」

料理好きな野村さんにとっては、キッチンが充実しているのも、楽しいといいます。
「キャビンが同じかたちをしていて、どこに何があるのかわかるのは、我が家のような安心感がありますね。自分の別荘があるとこんな感じなのかなと思いました」(野村さん)。使い方を聞いていると、生活や暮らしの延長に利用してもらいたいという、サービスの狙い通りと言えるのかもしれません。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

友人たちを招いてホームパーティーをすることも(写真提供/野村さん、石田さん)

SANU 2nd Homeのように自宅と別に拠点があると、仕事をするうえでもプラスになっているといいます。
「自宅で働いていると、曜日や時間などのメリハリがなくなってしまいがちですよね。その点、SANU 2nd Homeに行くぞと予定を入れることで、1週間がフラットにならずに、○曜日までにこれを終わらせるなどの意識をするようになりました。違う場所に行くことが、よい刺激になっていると思います」(石田さん)。また、場所も車で2~3時間程度で、ほどよいそう。

(写真提供/野村さん、石田さん)

(写真提供/野村さん、石田さん)

「ホテルやコテージと比較しても、定額料金の価格設定には納得感があるのですが、カーシェアや高速代に加えて、珍しい食材を買ったりすることで、意外とお金を使っているんです(笑)。想定外といえばそれくらいでしょうか。あと、仕事をしていると、背景が映り込むので、『どこにいるの?』と聞かれるんですよね。SANUだよ~と答えると、『いいな』『今度一緒に行きたい』などポジティブな反応がほとんど。私の周りでも移住ほどではなくても、旅行とは違う、地方の体験への興味は高まっている気がします」(野村さん)

お話を聞いていると、「いいな~~!」というみなさんの気持ちにはげしく共感します。旅行ではなく、暮らしと遊びをシームレスに楽しめる。そんなライフスタイル、やっぱり憧れますよね。

別荘を持つよりも手軽で、さまざまな拠点で飽きることもなく生活できるサブスクサービス「SANU 2nd Home」。都市部にある家ももちろん好きだけど、自然のある暮らしもしたい。コロナ禍の転換期に生まれたサービスですが、きっとコロナが収束しても、ひとつの暮らし方として、定着していくに違いありません。

●取材協力
SANU 2nd Home

更地だらけの温泉街が再生! 移住者や二拠点生活者が集まる理由とは【旅と関係人口1/長門湯本温泉(山口県長門市)】

今、コロナ禍で帰省できない人や、都会で生まれ育った‘‘ふるさとを持たない‘‘人たちが多い。そんななか、従来の観光だけを目的にしていない、新しい旅のスタイルが生まれている。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」。その結果、地域と関わりを深める人が現れているのだ。それを裏付ける事例が、リピーターを巻き込んだ街づくりで温泉街を復活させた山口県長門市、長門湯本温泉だ。実際に観光などで訪れたことから、移住や二拠点生活で関わることになった人々の想いも紹介する。

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

川沿いの遊歩道を走る子どもたち。何度も訪れたくなる場所が第二のふるさとに(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

新しい旅のスタイル。ふるさとに帰るように、何度も地域に通う「ふるさと旅」

働き方改革や新型コロナウイルス感染症の影響で人々の価値観が変わり、旅のニーズも変化している。都市部のふるさとを持たない人の中には、田舎に憧れを持ち、関わりを求める動きがある。求められているのは、従来の観光ではなく、現地の暮らしを体験し、滞在することを目的にした旅のかたち。その結果、地元の人や土地への愛着が生まれ、‘‘第二のふるさと‘‘ができる人が増えているという。

観光庁では、2022年度の概算要求で掲げた新規プロジェクト「第2のふるさとづくり」を始動させた。「何度も地域に通う旅、帰る旅」という新たなスタイルを定着させる取り組みだ。それぞれの地域も地域活性化を図るため、受け入れる体制を整えている。リピート型の新しい旅は、本格的な地域貢献につながる可能性があるのだ。

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

旅先のイベントに観光客として参加したのがきっかけで、そのイベントの出店者になる人もいる(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

観光客が減り、老舗旅館廃業も……。苦境の温泉街を地元×リピーターで復活させた!

長門湯本の温泉街は、2020年3月にリニューアルオープンしたばかり。新設された高台の駐車場から竹林の中の階段を降りると音信川に出る。旅館が並ぶ川沿いには、おしゃれなカフェや雑貨屋をのぞきながらそぞろ歩く女子旅の人、川辺に張り出したテラスからは、川床や親水公園で遊ぶ子どもたちが見える。立ち寄り湯「恩湯(おんとう)」では、地元の人と一緒に観光客が入浴する様子も。ライトアップや季節ごとに行われるイベントを楽しみに何度も訪れる人も増えた。

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

ライトアップされた竹林の階段は旅情あふれる雰囲気。(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社、撮影/Shimomura Yasunori)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

音信川の飛び石で遊ぶ子どもたち(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

地元の人も観光客も「おとずれ足湯」でほっこり(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

(画像提供/長門湯本温泉まち株式会社)

今の活況からは想像できないが、長門湯本の温泉街は、2014年に大きな危機に見舞われていた。当時の様子を、長門市役所に勤めたのち、現在は長門湯本温泉まち株式会社エリアマネージャーをしている木村隼斗さんに伺った。

「人口約3万3000人の長門市にある湯本の温泉街は、600年の歴史がある山口県最古の温泉です。昭和50年代のピーク時には、宿泊者数40万人もの歓楽街でした、しかし、その後は訪れる人が減り続け、ついに、2014年に150年続いていた老舗旅館が廃業になりました。温泉街の中心部には複数の老朽化した施設が残り、公費での解体が必要なまでに。すっかり更地が多くなった温泉街を見て、このままでは誰もいない街になってしまうと危機感を募らせていました」(木村さん)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

2014年当時の長門湯本温泉街。老朽化や廃業による取り壊しで空き地が増えていた(画像提供/長門市役所)

長門市役所は、2016年に温泉街の再生計画をスタート。誘致したリゾートホテルと提携してマスタープランをつくり、街全体をリノベーションするプロジェクトが始まった。

「長門湯本に限らず、大型バスで宿泊施設に滞在し、施設内で飲食して帰る団体旅行から、個人旅行がトレンドになりました。川沿いの温泉街は全国で珍しくはありません。この土地にしかない魅力をつくり出すのはどうしたらいいか。箱となる施設をつくるのではなく、小さくても、個人的な思いや魅力が伝わる街にしたいと考えました」(木村さん)

プロジェクトの出発点は、長門湯本温泉の立ち寄り湯「恩湯」だった。施設の老朽化や利用客の減少により、2017年5月に公設公営での営業を終了していた温泉施設を民間で再建するプロジェクトが始まる。さらに、2017年8月から2019年にかけて、温泉街で3つの「社会実験」を実施。川床や置き座で「川を楽しむ」、道路の一部を出店ブースや休憩スペースに活用し「道を楽しむ」、湯本提灯やライトアップで「夜を楽しむ」ことをテーマとした。

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

立ち寄り湯「恩湯」では、岩盤から湧き出る温泉を見られる(画像提供/長門湯守株式会社)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「せせらぎ橋」の上に特設されたレストランでイタリアンを(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

社会実験イベントの様子。ベンチやフェンス、コンテナなどを仮設して、実際に人がどのように利用するのかを確かめた(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

解体する旧恩湯に感謝を込めて開催した「Thanks ONTO」。社会実験として、今ある橋梁にキャンドルライトを設置し、人が楽しめる夜間景観を灯りの改善で実現できるか検証した(画像提供/長門市役所)

「伝統ある立ち寄り湯を残したい! という思いで地域の若手有志が集まり、年配の旅館経営者も応援してくれました。いきなり理念や絵を見せるだけで『やります』と言っても、地元の賛同は得られません。『社会実験』イベントは、うまくできるかの実証実験で、将来目指すところを仮設で実現してみて課題を洗い出すために行いました。イメージや問題点を共有した上で、観光客の反応や地元の方々の受け止めを見て改善していったのです」(木村さん)

温泉街衰退の危機から6年が経った2020年3月に、リニューアルした「恩湯」と隣接する飲食施設「恩湯食」がオープン。冬季には、長門市出身の童謡詩人「金子みすゞ」の詩をテーマにしたライトアップ「音信川うたあかり」を行うなど季節ごとにさまざまなイベントを行っている。

「イベントを通じて、長門湯本で新しいことが始まっていると知り、山口県内や近県から訪れる人が増えました。宿泊者数はコロナの影響できびしいものの、宿泊費の単価がやや上がり、温泉街の満足度を高めることで宿泊事業にプラスの効果を生み出せる可能性を感じる兆しもあります。一人旅や女子旅で訪れる人が増え、温泉街に人が戻ってきていると実感しています」(木村さん)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

川床でせせらぎを聞きながらくつろぐ(画像提供/大谷山荘)

地元の人や川への愛着が決め手。温泉通いから移住してカフェやバーを経営へ

イベントの出店者選びでは、ただ商売をするだけでなく、ものづくりや地域への思いがある出店者や、居心地のいい場所をつくるサービスを選んだ。結果として、イベントや長門湯本に出店する人は、長門湯本につながりがある人や何度も観光で訪れている人が多い。

「売れ行きだけじゃなくて、自分たちが楽しめるかどうかを大事に感じる出店者さんも多い。ここなら関わってもいいなと思える未来を共有して一緒に実現したいと思っています」と木村さん。イベント出店をきっかけに移住・二拠点生活を始めた人もいる。

音信川沿いにあるカフェギャラリー、cafe&pottery音の店長、横山和代さんもそのひとり。約400年続く萩焼・深川窯の若手作家の器と自家焙煎コーヒーのカフェが女性観光客に人気だ。横山さんが長門湯本に関わるようになったきっかけは、家族と訪れた温泉だった。静岡出身の横山さんは、岡山で家族と暮らしていたが、夫の転勤で山口県山口市に移住。釣りと温泉好きな夫と娘を連れて、山口市から毎週末、長門湯本の温泉に通うようになった。

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「街の人がやさしくてあったかい」と横山さん(画像提供/横山和代さん)

「川沿いの温泉街がとても気に入りました。山口市内から車で1時間ほどかかりますが、月2、3回日帰り旅行で訪れるようになりました。当時入浴料が200円だった恩湯は地元の人が日常で使う温泉で、洗い場でおばあちゃんがまだ1歳だった娘を見てくれるなど、あたたかな交流をしてもらいました。仕事の都合でいったん山口を離れたのですが、あまりに居心地がよかったので、1年半後、また山口に戻ってきたんです」(横山さん)

そのころ、温泉街では、社会実験のイベント「おとずれリバーフェスタ2018」が催されていた。楽しそうな出店者の様子を見て、横山さんは、自分も出店してみることに。イベントに関わることで、木村さんをはじめとする街づくりに携わる人との出会いもあった。そして、イベント後に、長門湯本でカフェをしてみないかと誘われる。

「みなさん長門湯本をよくしようと熱い人たちで、いつも楽しそうに仕事をしているんです。いつの間にかいい意味で巻き込まれていました。旅館の方々や萩焼の若手作家さんからお声掛けいただき、とりあえず1年間だけやってみようとカフェを始めました。」(横山さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

古民家の外装はできるだけ活かし、1階内装を中心にリノベーション(画像提供/横山和代さん)

娘と一緒に山口市内から長門湯本に通う生活が始まった。本格的に移住を決めた理由は、娘の存在が大きい。

「私がカフェで忙しいと、木村さんや近所の人が娘の面倒をみてくれました。娘にとって、長門湯本がいちばん楽しい場所、大好きな場所になっていたんです。ついには、『長門の保育園に行きたい』と言い出して。長門市役所もとても協力的で、住まいの相談にも乗ってくれました。紹介してもらったのは、庭に果樹や栗の木がある古民家。2021年6月に移住することになりました」(横山さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

川遊びを楽しむ子どもたち(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

「川沿いにある八百屋さん『荒川食品』が子どもたちを集めてスイカ割りをさせてくれたこともあります」(横山さん)(画像提供/横山和代さん)

カフェを訪れるのは、地元の人と観光客が半分ずつ。店内は、萩焼のギャラリーになっている。萩焼は、山口県萩市一帯でつくられている陶器で、長門市にも窯元がある。その窯元の作家の器を常設。地元の人でも「長門にこんないいものがあったのか」と驚く人もいるという。不定期に催される展示会目当てに訪れる人も増え、cafe&pottery音が地元と観光客をつなぐ場所になっている。

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

手づくりケーキが人気。長門産の果物「ゆずきち」を使ったジュースもある(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

萩焼のギャラリーは、日常使いがイメージできるディスプレイを工夫(画像提供/横山和代さん)

夕暮れの温泉街に浮かび上がる「THE BAR NAGATO」のマスター、黒田大介さんは、大阪との二拠点生活をしながら週末3日間経営するスタイルで、長門湯本と関わっている。バーテンダーとして30年の経験を持つ黒田さんは、長年大阪の北新地でバーを営んできた。

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「居心地がいいからまた来たくなる街です」と黒田さん(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

「もともと、温泉街のライトアップイベントのデザイナーと知り合いで、長門湯本でバーをやらないかと誘われたんです。それは無理だけど、イベントだけならと、2017年と2018年の『おとずれリバーフェスタ』に出店者として参加することに。ところが、地元の人ととても気が合って。人のつながりがどんどん増えていきました。街づくりに携わっている市役所の人、イベントのデザイナー、出店者がみんなプロフェッショナルで、自分も携わることに魅力を感じました」(黒田さん)

2回目のイベントに参加したとき、市役所から築70年の長屋を紹介された黒田さん。「改装したら、絶対いい場所になる」と夢が膨らんだ。長屋をリノベーションして2021年3月に「THE BAR NAGATO」をオープン。大阪から長門湯本へは新幹線を使いドアツードアで片道6時間ほどかかるが、毎週来るのが楽しみだという。

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

開業前、リフォームを手掛けた木村大吾さんたちと記念撮影をする黒田さん(写真提供/黒田大介さん)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

空き家だった長屋が非日常を感じさせるバーに生まれ変わった(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

ライトアップイベント時には窓からきらめく川が見える(画像提供/長門市観光コンベンション協会)

長屋の2階にある「THE BAR NAGATO」の店内は、映画のセットのような空間にデザインされ、こだわりのウィスキーやカクテルが飲める。バーを訪れる人にリピーターも増えて来た。

「日帰りや旅館に素泊まりの人が来てくれますね。湯本を拠点にして長門市内へ足を伸ばしているようです。私がなぜここでバーを経営することになったか、聞かれることもあります。長屋のリノベーションを手がけたオーナーの木村大吾さんが店を訪れたとき、街づくりについてお客さんと盛り上がることもありました。『来るたびによくなるね』と驚くリピーターのお客さんも多いです」(黒田さん)

旅で訪れた人を引き付けているのは、温泉だけでなく、街全体に長門湯本をよくしたいという熱い想いが込められているから。地元の人と訪れた人で一緒につくる新しいふるさと。「これから始まる街にいるわくわく感があるんです」という横山さんの言葉がとても印象的だった。

●取材協力
・長門湯本温泉
・cafe&pottery音
・THE BAR NAGATO

パリの暮らしとインテリア[12] 陶芸作家が暮らすアール・デコ様式のアパルトマン

陶芸作家ソン・ヨンヒさんは、サンマルタン運河沿いのアール・デコ様式のアパルトマンに住んでいます。2年前から画家や写真家などのアーティスト仲間とリニューアル工事に着手し、現在も手を加えながら暮らしています。モノトーンを基調にした空間に、鮮やかな色合いの家具やアンティークの家具を配置して、パリ・シックを見事に体現したおうちです。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

ノスタルジックな下町の雰囲気が残るグルメなおしゃれエリア10区で暮らす

ヨンヒさんは、レースなどの繊細なモチーフにこだわったセラミック作品を生み出す陶芸作家で、絵画も手掛けています。彼女が住むのは10区の主役ともいえるサンマルタン運河沿い。さまざまな小説の舞台になり、名画にも登場しています。とりわけ有名なのはマルセル・カルネ監督の映画『北ホテル』映画『アメリ』など。パリの庶民の暮らしぶりを撮り続けたロベール・ドアノーの写真にも多く登場するフォトジェニックな界隈です。パリのおしゃれなボボ(ブルジョワ・ボヘミアンの略。裕福で高学歴、オーガニックやエコロジーに関心があり、自由なボヘミアンスタイルを好む人々)に好まれる地区で、運河の両サイドには、いまのパリの空気を感じられるようなバーやカフェ、雑貨店がひしめき合っています。もっとも、こうしたエリアも昔は下町で、歩いて数分でインド、オリエンタル、アフリカやアラブ人街があるさまざまな文化が交差しています。

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

特にシャトー・ドー(Château d’eau)界隈やフォブール・サン・ドニ通り(rue du faubourg Saint Denis)は活気があり、チーズ専門店、エピスリー(食材店)、炭火焼きサンドイッチの店などの新店が次々と誕生しています。ヨンヒさんのおうちの周辺は、パリきってのブランジュリーの激戦地区。古代小麦やオーガニックにこだわった「マミッシュ(Mamiche)」や「サン・ブランジュリー(Sain Boulangerie)」、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」といった、いまパリで最も注目を集める店が軒を並べています。「私は食に興味があるので、さまざまな国の料理や食材に囲まれている、この界隈での生活にとても刺激を受けています」とヨンヒさんは語ります。週末の朝はフレッシュな食材が勢ぞろいする「マルシェ・ヴィレット」に行くのが日課。このあたりはパリで第二の中華街ともいわれるベルヴィル街で、懐に優しい中華料理店、新鮮なお豆腐屋、北アフリカ名物クスクスの店など、食の宝庫。ベルヴィルは、19世紀末から移民が移り住み、現在、アジア系、北アフリカ系、ユダヤ系の集まる、コスモポリタンなパリを象徴する地区となっています。

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

心地よい暮らしを求めてリノベーション

ヨンヒさんが渡仏した2000年当初は、パリ郊外の住宅街サン=モール=デ=フォセの友人宅に3カ月間お世話になった後、パリ16区の高級住宅街ジャスマンに3カ月、パリの東ヴァンセンヌ城から目と鼻の先のワンルームに2年間ちょっと暮らしていました。その後、家族の介護のために日本とフランスを行き来していましたが、2005年にフランスに戻り、彫刻家の故・藤江孝さんが生前に住んでいた南郊外ヴァンヴのアパルトマンに1年間居住。その翌年、渡仏直後に出会い、ずっと心の支えになってくれた後の夫の持ち家であるアパルトマンに引越し、現在で16年になります。

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

このアパートは1930年代に建てられたアール・デコ様式の建築で、直線的で機能的なデザインに特徴があります。後に夫となるピエール・リシアンさんは、フランス映画界の重鎮でした。ヌーヴェルヴァーグ(1950年代末に始まったフランスの映画運動)の金字塔『勝手にしやがれ』の助監督を経て、映画宣伝として世界で初めてプレスブックをつくった後、アメリカやアジアの新しい才能を世界に発信し続けた筋金入りの映画人。カンヌ映画祭を長きにわたって影で支えた立役者であるリシアンさんの世界各地の旅に同行し、ヨンヒさんも年の3分の1はパリを不在にする日々が始まります。映画に関するさまざまな雑貨やオブジェのコレクターであった夫は、映画のみならず文学、絵画に関する書籍や何万単位のDVDなど所有量が半端ではありません。まるで映画博物館のようで、「人を招待できる場所ではなかった」とヨンヒさんは述懐します。当時、二人は1階下に35平米のワンルームも所有し、友人知人をもてなしていました。フランスでは自宅に招き合って交流を深める習慣があります。ヨンヒさんはとびきりの料理上手。頻繁に招き招かれの生活を送りながら、夫と世界各国の映画人が深い関係を築いていくのに何役も買いました。
ところが2018年の春、夫が急逝します。ヨンヒさんは失意の時を過ごしますが、1年としばらく経ってから決意をします。「これから生きていく上でより快適に、心地よく暮らせる空間を」とリノベーション工事に着手。その上での絶対条件が「夫の思い出を散りばめた空間」にすることでした。

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

ところが、リニューアルは最初から難題に突入。“フランスあるある”で、夏のバカンス前から始める工事には困難がつきまといました。まずは工事の始まる数カ月前からアパートの管理組合の許可を取り、準備を粛々と進めなければいけないことが後になって判明します。バカンス前には工事が殺到するため、職人の確保も困難を極めます。リニューアルの第一歩はガス工事をする必要があるのに、当初来てくれる人たちのキャンセルが相次ぎました。しかもフランスではさまざまな部品がすぐに届かないことも大きな要因。「このままでは(“完成しない建築”とも言われる)サグラダ・ファミリアのようになってしまう!?」という不安がよぎったそうです。

そこで、2019年6月からヨンヒさんは業者の手を借りずに、画家、写真家などのアーティスト仲間と、一つ一つのディテールにこだわり抜きながら、唯一無二の空間づくりを開始することにしました。
現場監督は室内装飾家であり画家でもある鈴木出さん。彼は壁の質感や色に徹底的に気を配り、丁寧な作業を続けてくれました。元はパリでアンティーク店を営んでいたパク・ソンジンさんは、水道、電気、内装などでマルチな才能を発揮。花瓶をランプに変身させたり、古い家具を加工したりすることはお手の物です。いまはベルリンに居を移して写真家として活躍するパクさんは、工事のためにパリとベルリン間を往復する生活を2年以上も続けました。サックス奏者の北学さんは、アール・デコ様式の古くなった黒いボロボロのドアを溶接し、10日かけて丹精込めて修復しました。サッカーの指導者でジュエリー作家でもある向和孝さんは、強靭な体格を活かして壁を壊したりしたほか、ペンキ塗りを担当。そのほかにも随時、友人知人の手を借りて、一つ一つを丁寧につくり上げていきました。

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

試行錯誤のなかで始めた工事ですが、いろいろな気づきもありました。85平米でサロンと2つの寝室がある間取りのアパルトマンは、最初はやたらにドアが多いことや部屋の形がデコボコしていることなどを不思議に思ったそうですが、実は、どの部屋にも窓があってもプライバシーが守られる機能的な設計だったことが分かりました。リビング、お風呂、トイレの壁は左官技法によって、その空間にぴったりとくる質感の壁をつくり上げました。砂の割合などを緻密に計算してつくる左官による仕事は水回りの水分を早く吸収してくれます。現場監督の鈴木さんは画家の本領を発揮して、表面を美しく整えてくれました。

アンティークを日常生活に溶け込ませて、格調高く

内装は白、黒、グレーのモノトーンを基調に、イエロー、青、赤といったカラフルな色を差し色にした、クラシックとモダンが調和した現代的なパリ・シック。「古いものだけだと重たい印象になるので、明るいトーンの差し色や、少しだけラグジュアリーなものを融合してメリハリがあるように心掛けました」

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

パリでは一つの年代に統一するのではなく、「クラシックとモダンの調和」が好まれる傾向にあります。古いものを現代的なものと融合させてこそ「センスのある人」とみなされます。
かねてからのアンティーク好きのヨンヒさんは、外国を旅行すればその国の骨董街を訪ねて、日常的にアンティークを取り入れてきました。彼女の週末の楽しみの一つは「蚤の市散策」。クリニャンクールの蚤の市(マルシェ・オ・ピュス・サントアン)では、がらくたの山からアンティークのステンドグラスを発見。ドアノブや蛇口も蚤の市の“戦利品”です。

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

4回も旅行で訪れたポルトガル北部ポルトへの目的の一つも、本物のアンティークのタイル探し。昨今、ポルトガルですら本物は希少価値が高く、市場に出回っているものの多くはレプリカだそうです。

ヨンヒさんがポルト中心部のアンティーク街でたまたま入った店では、鮮やかな黄色のタイルに熱狂。高めのものでは1枚100ユーロのタイルも珍しくない中、25枚で400ユーロにまけてもらいました。値段交渉の駆け引きもアンティーク品や掘り出し物探しの醍醐味です。
サロン入り口のステンドグラスの横に配置された人形は、パリ7区のアンティークの老舗店で一目惚れ。高額でしたが、「こんなに優しい表情の人形はかつて見たことがない」と3回も通った末に、「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで購入しました。1700年代につくられたこの人形は、フランス語ではサントン、英語圏ではサントスと呼ばれ、クリスマスに飾る装飾で「小さな聖人」を意味します。

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんが一日で最も多くの時間を過ごすサロンには、「タベルナクル」と呼ばれる、祈りのための装飾的な祭壇があります。「大切な人を身近に感じるために、サロンの一番見晴らしのいい場所に置きました」

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

サロンでのくつろぎの時間こそ、最高の贅沢

彼女が一日のうち、一番くつろげるのは、夕方の黄昏時。「風通しのいい窓際でアペリティフをしながら、静かに過ごすのが至福の時間です」。日差しがさんさんと降り注ぐ窓辺には植物や花を配し、都会にいながらも自然を愛でる暮らしを送っています。窓からはサンマルタン運河が一望でき、四季折々の、胸にしみるような美しさを見せます。

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夫が亡くなった後も、彼女の周りには友人が集います。フランスでは女主人が席につかないと食事を始められない、という暗黙のルールがあります。食事とおしゃべりを楽しみながら交流を深めていくのがフランス流。女性がキッチンで料理にかかりっきりは、良しとされない文化があるのです。そこで今回のリノベーションでは、サロンにつながる食堂の奥にオープンキッチンを設置。「料理をしながら和気あいあいとしたおしゃべりが楽しいのです」。フランスの食事はスタートから終了までがとても長いため、長時間座っていても座り心地のいい椅子を探すために苦心したヨンヒさん。古い椅子を8脚そろえるために時間をかけて、決して妥協を許しませんでした。テーブルは長方形だと端に座った人たちがコミュニケーションを取れないので、正方形を選択しました。

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

寝室とゲストルームは白い壁にシンプルでリラックスできる空間を演出。

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

それぞれの部屋には310cm×320cmのタンスを設置し、ここにほとんどの衣類やモノを収納できるようにしました。このタンスは長年の友人である、93歳のアルジェリア人の家具職人によるものです。彼は13歳の時に故郷アルジェリアからフランスに渡って以来、80年もの間、家具一筋で生きてきた熟練の職人。仕事にシビアで、こだわりの強さは半端ではありません。フランスの木を購入し、車で南仏マルセイユ港まで運び、船でアルジェリアに渡り、そこのアトリエで制作し、パリに持ってくる事をなんども繰り返してくれたのです。「今は使い捨ての家具が多いが、家具を接着剤で貼るのではなく、全部組み合わせる方法でつくったから何百年も使えるんだ」と誇らしげに話すのが彼の口癖だったそう。

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんは今のアパルトマンが気に入っているので、引越しは考えていませんが、将来は田舎で生活をするのが夢です。「花や野菜を育てたりしながら、創作活動を続けたいです」とヨンヒさん。

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

友人知人のアーティストや職人たちの、確かな「手」によってつくり上げた、唯一無二のパーソナルな空間。サンマルタン運河を眺めながら、ゆったりと心地よく暮らす、本当の贅沢を垣間見た気がしました。

(文 / 魚住桜子)

パリの暮らしとインテリア[12] 陶芸作家が暮らすアール・デコ様式のアパルトマン

陶芸作家ソン・ヨンヒさんは、サンマルタン運河沿いのアール・デコ様式のアパルトマンに住んでいます。2年前から画家や写真家などのアーティスト仲間とリニューアル工事に着手し、現在も手を加えながら暮らしています。モノトーンを基調にした空間に、鮮やかな色合いの家具やアンティークの家具を配置して、パリ・シックを見事に体現したおうちです。

連載【パリの暮らしとインテリア】
パリで暮らすフォトグラファーManabu Matsunagaが、フランスで出会った素敵な暮らしを送る人々のおうちにおじゃまして、こだわりの部屋やインテリアの写真と一緒に、その暮らしぶりや日常の工夫をご紹介します。

ノスタルジックな下町の雰囲気が残るグルメなおしゃれエリア10区で暮らす

ヨンヒさんは、レースなどの繊細なモチーフにこだわったセラミック作品を生み出す陶芸作家で、絵画も手掛けています。彼女が住むのは10区の主役ともいえるサンマルタン運河沿い。さまざまな小説の舞台になり、名画にも登場しています。とりわけ有名なのはマルセル・カルネ監督の映画『北ホテル』映画『アメリ』など。パリの庶民の暮らしぶりを撮り続けたロベール・ドアノーの写真にも多く登場するフォトジェニックな界隈です。パリのおしゃれなボボ(ブルジョワ・ボヘミアンの略。裕福で高学歴、オーガニックやエコロジーに関心があり、自由なボヘミアンスタイルを好む人々)に好まれる地区で、運河の両サイドには、いまのパリの空気を感じられるようなバーやカフェ、雑貨店がひしめき合っています。もっとも、こうしたエリアも昔は下町で、歩いて数分でインド、オリエンタル、アフリカやアラブ人街があるさまざまな文化が交差しています。

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

冬は静かなサンマルタン運河は、散歩には最適な場所(撮影/manabu matsunaga)

特にシャトー・ドー(Château d’eau)界隈やフォブール・サン・ドニ通り(rue du faubourg Saint Denis)は活気があり、チーズ専門店、エピスリー(食材店)、炭火焼きサンドイッチの店などの新店が次々と誕生しています。ヨンヒさんのおうちの周辺は、パリきってのブランジュリーの激戦地区。古代小麦やオーガニックにこだわった「マミッシュ(Mamiche)」や「サン・ブランジュリー(Sain Boulangerie)」、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」といった、いまパリで最も注目を集める店が軒を並べています。「私は食に興味があるので、さまざまな国の料理や食材に囲まれている、この界隈での生活にとても刺激を受けています」とヨンヒさんは語ります。週末の朝はフレッシュな食材が勢ぞろいする「マルシェ・ヴィレット」に行くのが日課。このあたりはパリで第二の中華街ともいわれるベルヴィル街で、懐に優しい中華料理店、新鮮なお豆腐屋、北アフリカ名物クスクスの店など、食の宝庫。ベルヴィルは、19世紀末から移民が移り住み、現在、アジア系、北アフリカ系、ユダヤ系の集まる、コスモポリタンなパリを象徴する地区となっています。

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

サンマルタン運河の川縁は春先からは人々が集い憩いの場所となります(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさん宅のご近所には、グルテンフリーの名店「シャンベラン(Chambelland)」など、おいしいパン屋さんが多い(撮影/manabu matsunaga)

心地よい暮らしを求めてリノベーション

ヨンヒさんが渡仏した2000年当初は、パリ郊外の住宅街サン=モール=デ=フォセの友人宅に3カ月間お世話になった後、パリ16区の高級住宅街ジャスマンに3カ月、パリの東ヴァンセンヌ城から目と鼻の先のワンルームに2年間ちょっと暮らしていました。その後、家族の介護のために日本とフランスを行き来していましたが、2005年にフランスに戻り、彫刻家の故・藤江孝さんが生前に住んでいた南郊外ヴァンヴのアパルトマンに1年間居住。その翌年、渡仏直後に出会い、ずっと心の支えになってくれた後の夫の持ち家であるアパルトマンに引越し、現在で16年になります。

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

サロンはヨンヒさんが1日で一番長く過ごす場所。窓が北東に面している ので日差しが入り気持ちよく、サンマルタンが運河が一望できる(撮影/manabu matsunaga)

このアパートは1930年代に建てられたアール・デコ様式の建築で、直線的で機能的なデザインに特徴があります。後に夫となるピエール・リシアンさんは、フランス映画界の重鎮でした。ヌーヴェルヴァーグ(1950年代末に始まったフランスの映画運動)の金字塔『勝手にしやがれ』の助監督を経て、映画宣伝として世界で初めてプレスブックをつくった後、アメリカやアジアの新しい才能を世界に発信し続けた筋金入りの映画人。カンヌ映画祭を長きにわたって影で支えた立役者であるリシアンさんの世界各地の旅に同行し、ヨンヒさんも年の3分の1はパリを不在にする日々が始まります。映画に関するさまざまな雑貨やオブジェのコレクターであった夫は、映画のみならず文学、絵画に関する書籍や何万単位のDVDなど所有量が半端ではありません。まるで映画博物館のようで、「人を招待できる場所ではなかった」とヨンヒさんは述懐します。当時、二人は1階下に35平米のワンルームも所有し、友人知人をもてなしていました。フランスでは自宅に招き合って交流を深める習慣があります。ヨンヒさんはとびきりの料理上手。頻繁に招き招かれの生活を送りながら、夫と世界各国の映画人が深い関係を築いていくのに何役も買いました。
ところが2018年の春、夫が急逝します。ヨンヒさんは失意の時を過ごしますが、1年としばらく経ってから決意をします。「これから生きていく上でより快適に、心地よく暮らせる空間を」とリノベーション工事に着手。その上での絶対条件が「夫の思い出を散りばめた空間」にすることでした。

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の思い出のコーナー(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

亡き夫の友人の映画監督&写真家ジェリー・ シャッツバーグの撮った有名人の写真。フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ボブ・ディラ ン、アンディ・ウォーホールなどのオリジナルプリント(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

エンジェルのモチーフが大好 きなヨンヒさんのお宅にはさまざまな写真やオブ ジェがある。右の写真は、アメリカの映画監督アレクサンダー・ペイ ンが夫の著書を読んでいる写真(撮影/manabu matsunaga)

ところが、リニューアルは最初から難題に突入。“フランスあるある”で、夏のバカンス前から始める工事には困難がつきまといました。まずは工事の始まる数カ月前からアパートの管理組合の許可を取り、準備を粛々と進めなければいけないことが後になって判明します。バカンス前には工事が殺到するため、職人の確保も困難を極めます。リニューアルの第一歩はガス工事をする必要があるのに、当初来てくれる人たちのキャンセルが相次ぎました。しかもフランスではさまざまな部品がすぐに届かないことも大きな要因。「このままでは(“完成しない建築”とも言われる)サグラダ・ファミリアのようになってしまう!?」という不安がよぎったそうです。

そこで、2019年6月からヨンヒさんは業者の手を借りずに、画家、写真家などのアーティスト仲間と、一つ一つのディテールにこだわり抜きながら、唯一無二の空間づくりを開始することにしました。
現場監督は室内装飾家であり画家でもある鈴木出さん。彼は壁の質感や色に徹底的に気を配り、丁寧な作業を続けてくれました。元はパリでアンティーク店を営んでいたパク・ソンジンさんは、水道、電気、内装などでマルチな才能を発揮。花瓶をランプに変身させたり、古い家具を加工したりすることはお手の物です。いまはベルリンに居を移して写真家として活躍するパクさんは、工事のためにパリとベルリン間を往復する生活を2年以上も続けました。サックス奏者の北学さんは、アール・デコ様式の古くなった黒いボロボロのドアを溶接し、10日かけて丹精込めて修復しました。サッカーの指導者でジュエリー作家でもある向和孝さんは、強靭な体格を活かして壁を壊したりしたほか、ペンキ塗りを担当。そのほかにも随時、友人知人の手を借りて、一つ一つを丁寧につくり上げていきました。

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

扉はすべてアール・デコ 建築の様式。クリニャンクールの蚤の市でボロボロのドアを購入してサックス奏者の北学さんが10日 かけて修復した。とても重くて作業が大変だったとか(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

傷んでいたステンドクラスは、教会や修道院など文化遺産の修復を手掛ける専門店で完璧にレストアしてもらった(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

照明のうち数個は手づくりしている。蚤の市で収集してきた真鍮のパーツを花瓶などと組み合わせた(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

現在も工事中のお風呂場は自分で工事するとのこと(撮影/manabu matsunaga)

試行錯誤のなかで始めた工事ですが、いろいろな気づきもありました。85平米でサロンと2つの寝室がある間取りのアパルトマンは、最初はやたらにドアが多いことや部屋の形がデコボコしていることなどを不思議に思ったそうですが、実は、どの部屋にも窓があってもプライバシーが守られる機能的な設計だったことが分かりました。リビング、お風呂、トイレの壁は左官技法によって、その空間にぴったりとくる質感の壁をつくり上げました。砂の割合などを緻密に計算してつくる左官による仕事は水回りの水分を早く吸収してくれます。現場監督の鈴木さんは画家の本領を発揮して、表面を美しく整えてくれました。

アンティークを日常生活に溶け込ませて、格調高く

内装は白、黒、グレーのモノトーンを基調に、イエロー、青、赤といったカラフルな色を差し色にした、クラシックとモダンが調和した現代的なパリ・シック。「古いものだけだと重たい印象になるので、明るいトーンの差し色や、少しだけラグジュアリーなものを融合してメリハリがあるように心掛けました」

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

アパルトマンに入ると、まず最初に目に入る衣紋掛けから、部屋への期待が高まる(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

カラフルなインテリアを差し色に(撮影/manabu matsunaga)

パリでは一つの年代に統一するのではなく、「クラシックとモダンの調和」が好まれる傾向にあります。古いものを現代的なものと融合させてこそ「センスのある人」とみなされます。
かねてからのアンティーク好きのヨンヒさんは、外国を旅行すればその国の骨董街を訪ねて、日常的にアンティークを取り入れてきました。彼女の週末の楽しみの一つは「蚤の市散策」。クリニャンクールの蚤の市(マルシェ・オ・ピュス・サントアン)では、がらくたの山からアンティークのステンドグラスを発見。ドアノブや蛇口も蚤の市の“戦利品”です。

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

スイッチもアンティーク。壁は左官の技術を使い、鈴木出さんによってつくられた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

蚤の市で見つけたボロボロの手洗い場に真鍮などのアクセサリーを取り付けた(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

クリニャンクールの蚤の市のお気に入り店で見つけた王家の紋章のタイル。非常に古く、鉄筋が入っていたの で、一枚ずつ割らない様に剥がして高さを整えるのに苦心したそう。写真右の部分には、亡き夫の記念碑プレートを制作してはめ込む予定(撮影/manabu matsunaga)

4回も旅行で訪れたポルトガル北部ポルトへの目的の一つも、本物のアンティークのタイル探し。昨今、ポルトガルですら本物は希少価値が高く、市場に出回っているものの多くはレプリカだそうです。

ヨンヒさんがポルト中心部のアンティーク街でたまたま入った店では、鮮やかな黄色のタイルに熱狂。高めのものでは1枚100ユーロのタイルも珍しくない中、25枚で400ユーロにまけてもらいました。値段交渉の駆け引きもアンティーク品や掘り出し物探しの醍醐味です。
サロン入り口のステンドグラスの横に配置された人形は、パリ7区のアンティークの老舗店で一目惚れ。高額でしたが、「こんなに優しい表情の人形はかつて見たことがない」と3回も通った末に、「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで購入しました。1700年代につくられたこの人形は、フランス語ではサントン、英語圏ではサントスと呼ばれ、クリスマスに飾る装飾で「小さな聖人」を意味します。

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんが一日で最も多くの時間を過ごすサロンには、「タベルナクル」と呼ばれる、祈りのための装飾的な祭壇があります。「大切な人を身近に感じるために、サロンの一番見晴らしのいい場所に置きました」

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

壁際は夫のコレクションスペース。祈りのための祭壇「タベルナクル」はサロンの中央に鎮座(撮影/manabu matsunaga)

サロンでのくつろぎの時間こそ、最高の贅沢

彼女が一日のうち、一番くつろげるのは、夕方の黄昏時。「風通しのいい窓際でアペリティフをしながら、静かに過ごすのが至福の時間です」。日差しがさんさんと降り注ぐ窓辺には植物や花を配し、都会にいながらも自然を愛でる暮らしを送っています。窓からはサンマルタン運河が一望でき、四季折々の、胸にしみるような美しさを見せます。

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

生花も至るところに(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夕方以降はキャンドルに灯した明かりや、ランプの光で過ごす(撮影/manabu matsunaga)

夫が亡くなった後も、彼女の周りには友人が集います。フランスでは女主人が席につかないと食事を始められない、という暗黙のルールがあります。食事とおしゃべりを楽しみながら交流を深めていくのがフランス流。女性がキッチンで料理にかかりっきりは、良しとされない文化があるのです。そこで今回のリノベーションでは、サロンにつながる食堂の奥にオープンキッチンを設置。「料理をしながら和気あいあいとしたおしゃべりが楽しいのです」。フランスの食事はスタートから終了までがとても長いため、長時間座っていても座り心地のいい椅子を探すために苦心したヨンヒさん。古い椅子を8脚そろえるために時間をかけて、決して妥協を許しませんでした。テーブルは長方形だと端に座った人たちがコミュニケーションを取れないので、正方形を選択しました。

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

リノベーションにあたって一番重視したというオープンキッチン。以前は台所と 食卓が区切られていたので改装が大変だったとのこと。友人に囲まれ、おしゃべりしながら楽しく料理 できる空間づくりを心がけた。 タイルは蚤の市で一目惚れしたタイルを使用(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

ステンドグラスの食器棚は とても古く、購入時はガラスが半分以上 割れていて、ドアも外れていたそう。購入価格より、修復には何倍もの費用がかかっ た(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

テーブルは長方形だと端の人達がコミュニケーションを取れな いので、正方形のテーブルにこだわった(撮影/manabu matsunaga)

寝室とゲストルームは白い壁にシンプルでリラックスできる空間を演出。

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

とても明るいゲストルームは、心地よいファブリックでデコレーション(撮影/manabu matsunaga)

それぞれの部屋には310cm×320cmのタンスを設置し、ここにほとんどの衣類やモノを収納できるようにしました。このタンスは長年の友人である、93歳のアルジェリア人の家具職人によるものです。彼は13歳の時に故郷アルジェリアからフランスに渡って以来、80年もの間、家具一筋で生きてきた熟練の職人。仕事にシビアで、こだわりの強さは半端ではありません。フランスの木を購入し、車で南仏マルセイユ港まで運び、船でアルジェリアに渡り、そこのアトリエで制作し、パリに持ってくる事をなんども繰り返してくれたのです。「今は使い捨ての家具が多いが、家具を接着剤で貼るのではなく、全部組み合わせる方法でつくったから何百年も使えるんだ」と誇らしげに話すのが彼の口癖だったそう。

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ゲストルームにある特注ダンスは、工事中の寝室にも配置されて いる(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんは今のアパルトマンが気に入っているので、引越しは考えていませんが、将来は田舎で生活をするのが夢です。「花や野菜を育てたりしながら、創作活動を続けたいです」とヨンヒさん。

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

食器棚にはたくさんの食器が。料理に合わせてテーブルコーディネートするのが大好きとのこと(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

ヨンヒさんがパリ南西郊外のドゥルダン(Dourdan)に借りているアトリエで制作するお皿はどれも一点物でとても繊細です(撮影/manabu matsunaga)

友人知人のアーティストや職人たちの、確かな「手」によってつくり上げた、唯一無二のパーソナルな空間。サンマルタン運河を眺めながら、ゆったりと心地よく暮らす、本当の贅沢を垣間見た気がしました。

(文 / 魚住桜子)

空き家だらけの下町に2000世帯も転入! 大阪・蒲生四丁目がオシャレなまちに「がもよんモデル」

「がもよん」の愛称で親しまれる大阪の下町が、2021年度グッドデザイン賞「グッドデザイン・ベスト100」に選出されました。昭和の風情が今なお息づく庶民的な街がいったいなぜ、ここにきて注目を集めているのでしょう。それはこの街が日本中の市区町村が頭を抱える「空き家問題」「古民家再生」に対し先鋭的な取り組みをしてきたからなのです。

「がもよんモデル」と呼ばれる、その方法とは? 実際に「がもよん」の街を歩き、キーパーソンをはじめ関わった人々にお話を伺いました。

街をむしばむ「空き家問題」に悩まされた「がもよん」

「がもよん」。まるでドジな怪獣のような愛らしい語感ですが、これは大阪府大阪市城東区の蒲生(がもう)四丁目ならびにその周辺の愛称。「がもう・よんちょうめ」略して「がもよん」なのです。

大阪城の北東に位置する「がもよん」には住宅がひしめいています。蒲生四丁目交差点を中心として半径2kmに広がるエリアに約7万もの人が暮らしているのです。かつては大坂冬の陣・夏の陣の激戦地。現在は大阪きっての住宅密集地となっています。

住宅が軒を連ねる蒲生四丁目。通称「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

住宅が軒を連ねる蒲生四丁目。通称「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

大阪メトロ長堀鶴見緑地線と同・今里筋線が乗り入れる「がもよん」は、副都心「京橋」まで地下鉄でわずか3分で着く交通利便性が高い場所。それでいて昭和30年(1955年)ごろに発足した城東商店街や入りくんだ路地など、のんびりした下町の風情がいまなお薫るレトロタウンなのです。

味わい深い小路が縦横に延びる「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

味わい深い小路が縦横に延びる「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

そんな「がもよん」は下町ゆえの問題もはらんでいました。旧街道に沿う蒲生四丁目は第二次世界大戦の空襲を逃れたため戦前に建てられた木造の古民家や長屋、蔵が多く残っていたのです。住民の少子高齢化とともに築古の空き家が増加し、住む人がいない建物は日に日に朽ちてゆきます。街は次第に寂れたムードが漂い始めていました。

2000世帯以上の流入を成し遂げた「がもよんにぎわいプロジェクト」

そんな下町「がもよん」が2021年10月20日、グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出されました。

グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよんにぎわいプロジェクト」(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよんにぎわいプロジェクト」(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

約5800件から選ばれたのは、一般社団法人「がもよんにぎわいプロジェクト」の事業。「がもよんにぎわいプロジェクト」とは閉業した昭和生まれの商店や老朽化した古民家などの空き家を事業用店舗に再生する取り組みのこと。これが「住民が地域活性化に参加できる“エリア全体のリノベーション”を実現した」と高く評価されたのです。

「“がもよんにぎわいプロジェクト”を始めて13年。今回の受賞が全国で増加する空き家問題を解決する一手となり、活動を支えてくれた地域の人が、街を誇りに感じてもらえたらうれしいですね」

そう語るのは「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事であり、建設・不動産業を営む会社R-Play(アールプレイ)の代表取締役、和田欣也さん(56)。

「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事、和田欣也さん(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事、和田欣也さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは無人物件の所有者と事業オーナーとのマッチングによって空き家問題を解決し、「貸す人も借りる人も地域も喜ぶ」三方よしの新たなビジネスモデルを打ち立てています。しかも公的な補助金はいっさい受け取らず、民間の力だけで。「経済自立したエリアマネジメント」を成立させたのです。

「この5年間で、がもよんは2030世帯も住民が増えたんです(令和2年 国勢調査)。『にぎわう』という当初の目標は達成できているんじゃないかな」

「がもよんにぎわいプロジェクト(GAMO4)」のラッピングバスが大阪市内を走る。知名度がアップし、さらににぎわいをもたらす(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

「がもよんにぎわいプロジェクト(GAMO4)」のラッピングバスが大阪市内を走る。知名度がアップし、さらににぎわいをもたらす(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

地道な「街歩き」で人々と接してきた効果は絶大

和田さんがこの10余年に「がもよん」内にて手掛けた空き家再生の物件は40軒以上。そのうち店舗は33軒。刮目すべきは、再生した物件のほぼすべてがしっかり収益を上げ、成功していること。家庭の事情で閉業した一例を除き、業績の不振によって撤退したケースはなんと「ゼロ」なのだそう。コロナ禍の渦中ですら一軒も潰れることなく営業していたのだから感心するばかり。

成功の秘訣は、自らの足で街を巡り、路地に立ち、街の空気を感じること。和田さんが「がもよん」を歩くと、皆が声をかけてくる。いわば「街の顔」なのです。

「僕の顔、み~んな知っています。街を歩けば、近所のおばちゃんから『あそこに新しい店ができたなー。こんど連れて行ってーや』と声をかけられる。サービス券を渡したら、『孫も連れて行くから、もう一枚ちょうだい』って」

和田さんは「がもよん」エリア内にある40軒以上の空き家を再生してきた(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは「がもよん」エリア内にある40軒以上の空き家を再生してきた(写真撮影/吉村智樹)

「ここは“がもよん”や。梅田とちゃうぞ」と敬遠された

そんな和田さんには他のまちおこしプランナーにはない大きな特徴があります。それは「耐震診断士の資格」を取得していること。過去に「あいち耐震設計コンペ最優秀賞」「兵庫県耐震設計コンペ兵庫県議長賞」を受賞している和田さん。実はこの耐震診断士資格こそが「がもよんにぎわいプロジェクト」の発端といえるのです。

「がもよんにぎわいプロジェクト」が誕生したきっかけは、2008年6月、築120年以上の米蔵をリノベーションしたイタリアンレストラン「リストランテ・ジャルディーノ蒲生」(現:リストランテ イル コンティヌオ)の開業でした。

再生物件の第一号。古い米蔵をイタリアンの店に蘇らせた「リストランテ イル コンティヌオ」(旧:リストランテ・ジャルディーノ蒲生)(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

再生物件の第一号。古い米蔵をイタリアンの店に蘇らせた「リストランテ イル コンティヌオ」(旧:リストランテ・ジャルディーノ蒲生)(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

老朽化したまま放置された米蔵の扱いに悩んでいた現スギタハウジング株式会社の代表取締役、杦田(すぎた)勘一郎さん。「古い米蔵が醸し出す温かな雰囲気を残したい」と、当初は「そば屋」をイメージしてテナントを募集しました。しかしながら、反応がありません。「先代から引き継いだ古い建物を守りつつ、次の世代へ良い形で残したい」と願うものの、和食という固定観念にとらわれていた様子。

そこで杦田さんは、耐震のエキスパートである和田さんに参加を呼びかけ、古民家再生プロジェクトがスタートしました。そして和田さんは「蔵だから和食、では当たり前すぎる」と、「柱や梁を残し、蔵の装いをそのまま活かしたイタリアンレストラン」への転用を提言したのです。

「フルコースでイタリアン。一番安いコースを3000円くらいで食べられる。そういうタイプの予約制の店は、がもよんにはなかった。ないからこそ、やりたかったんです」

しかし、蔵の所有者は「そんなワケのわからんものにするくらいなら更地にせえ」と猛反対。周囲からも「がもよんでイタリアンなんか流行るわけがない」と奇異な目で見られ、理解が得られませんでした。

「めちゃくちゃ敬遠されました。13年前はまだ外食の際に予約を取る習慣ががもよんにはなかったんです。ジャージにつっかけ履きのままで、ふらりとメシ屋の暖簾をくぐるのが当たり前やったから。『予約がないと入れない? はぁ? なにスカシとんねん。ここをどこやと思っとんのじゃ。がもよんやぞ。梅田ちゃうで』と、訪れた客から捨て台詞まで吐かれる。梅田に比べて破格に安い値段設定にしたのですが、それでも受け入れてもらえませんでした」

「高級レストランへの再生をなかなか理解してもらえず、ナンギした」と当時を振り返る和田さん(写真撮影/吉村智樹)

「高級レストランへの再生をなかなか理解してもらえず、ナンギした」と当時を振り返る和田さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは「失敗したらギャラはいらん」と覚悟の姿勢を見せて所有者を説得。建築のみならず腕利きの料理人のスカウトまで担ったのです。

古い物件ゆえに耐震や断熱の工事に時間がかかります。蔵は天井が低く、地面を掘り下げる必要が生じるなど工事は困難を極めました。周囲は「失敗を確信していた」といいます。

ところが結果は……オープンと同時にテレビをはじめマスコミが「下町に不似合いなイタリアンの店が誕生」と報じ、噂を聞きつけて他都市からわざわざ訪れる客やカップル、家族連れなどで予約が取れぬほどの盛況に。街のランドマークとなり、がもよんの外食需要が掘り起こされたのでした。

このイタリアンの件を機にタッグを組んだ和田さんと杦田さん。杦田さんは「自分は空き家を数多く所持している。一軒の店の再生という“点”で終わらず、地域という“面”で活性化に取り組まないか」と提案し、これが「がもよんにぎわいプロジェクト」へと発展していったのです。

目の当たりにした阪神淡路大震災の悲劇

和田さんが古民家を再生するにあたり、もっとも重要視するのが「耐震」。

「耐震にはうるさいので、疎ましがられます。『和田さんはさー、耐震野郎なんだよ』とよくからかわれました。喜ばしいことですよ。それくらい耐震を考えて街づくりをしている人が少ないということです」

和田さんが耐震に重きを置く背景には1995年に発生した阪神・淡路大震災がありました。

「震災でお亡くなりになった約7000人のうち、圧死したのはおよそ3000人。多くの人が自分の家につぶされて亡くなっている。最も安心できるはずのわが家に殺されるって、なんて悲しいんだろうと」

和田さんは震災の後、ブルーシートや水を車に積んで被災地へボランティアへ出かけました。そこで見た光景は「忘れることができない」悲壮なものだったのです。

「雪がちらつく寒い夜、公園に被災した人が集まっている。けれども誰も眠っていないんです。『襲われるんじゃないか』と不安になって眠ることができない。みんな殺気立っていました」

生き残った人たちまで疑心暗鬼に駆られる悲劇を二度と繰り返したくない。そのため耐震の重要性を説くものの、当初はなかなか理解してもらえませんでした。

「古民家改修の耐震設計は一から行うより大変なんです。どうしてもお金と時間がかかる。そのわりに目に見えた効果がない。お店に入って『耐震がしっかりしているか』なんて、わからないじゃないですか。そもそも地震が来るかどうかすらわからない。耐震を軽んじれば時間も予算も削減できる。なので、所有者の説得には何度も心が折れそうになりましたよ」

阪神・淡路大震災の経験から、耐震工事の重要性を痛感した和田さん(写真撮影/吉村智樹)

阪神・淡路大震災の経験から、耐震工事の重要性を痛感した和田さん(写真撮影/吉村智樹)

「ちょっと背伸びして」味わえるフードタウンへ

イタリアンの店「ジャルディーノ蒲生」のヒットをきっかけに旗揚げされた「がもよんにぎわいプロジェクト」。このプロジェクトはいったい、なにをテーマとするのか。これが和田さんに課せられた最初の命題でした。

同じころ、大阪の各所では「古い街を活性化させようとする動き」が起こっていました。先駆事例を挙げるなら、北区の中崎町は「雑貨」、天王寺区の空堀(からほり)町は「アート」といったように。

そこで和田さんが選んだプロジェクトのテーマは「ごはん」。

「雑貨はお客さんが『店に入っても何も買わない』選択ができてしまう。アートは『自分には縁がない』と考える人がいる。けれども誰しも必ず食事はする。月に一度は外食をするでしょう。なので、人口密度が高くファミリーが多いがもよんを『フードタウンにしようやないか』と」

食べ物でのまちおこし。下町なら「B級グルメ」が定番。しかし和田さんは、あえてB級を選びませんでした。

「がもよんでB級グルメって、そのまんまでしょう。ギャップがない。目指したのは“地元の高級店”。お祝いごととか、正月に娘や息子が帰ってくるとか。そういうときに『ちょっと、ごはんを食べに行こうや』となりますよね。でもファミレスでは『ざんない』(しのびない)。とはいえオータニはさすがに高い。そのあいだくらいの、“ちょい背伸びする料金”でおいしいものが食べられる街にしましょうよ、と提案しました」

こうして古民家の趣を大切に残しつつ、一店舗一店舗オリジナリティに溢れる飲食店の誘致が始まったのです。

「古民家再生」の気概に触れ、腕のいい料理人が集結

「和田さんと杦田さんから、『がもよんには本格的な和食割烹がない。店をやっていただけませんか』とお誘いをいただいて」

そう語るのは、オープン5年目を迎えるカウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん。

カウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん(写真撮影/吉村智樹)

カウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんたちからの出店の依頼を引き受けた最も大きな理由は「古民家の再生プロジェクト」という点が琴線に触れたから、なのだそう。

「空き家って、どの街でも大きな問題になっているじゃないですか。私も微力ながら問題解消のために協力できるのでは、と思いまして」

紹介された空き家は「93年前までの資料しか残っていない」という、築100年越えの可能性がある四軒長屋の一棟。もともとは大きな邸宅で、一軒を四軒に分離させた異色の建築です。恐るべきことに、工事前はなんと「耐震措置ゼロ」というつくりでした。

もともとは築100年を超えるとみられる古民家だった(写真撮影/吉村智樹)

もともとは築100年を超えるとみられる古民家だった(写真撮影/吉村智樹)

「和田さんにしっかり耐震工事をやっていただきました。それでいて、できるかぎり元の建物の情緒を残してもらって。なので、とても気に入っています。欄間は当時の家のまま。ガラスも今ではつくる職人さんがいない、割れたら終わりという貴重なものなんです」

風情ある欄間は当時の家のまま。カウンター中央にはしっかりとした太い柱が設えられ、耐震対策は万全(写真撮影/吉村智樹)

風情ある欄間は当時の家のまま。カウンター中央にはしっかりとした太い柱が設えられ、耐震対策は万全(写真撮影/吉村智樹)

「割れると再現できない」という貴重なガラス戸(写真撮影/吉村智樹)

「割れると再現できない」という貴重なガラス戸(写真撮影/吉村智樹)

再生した古民家に「満足している」という多羅尾さん。さらに気に入ったのは「がもよんにぎわいプロジェクト」に加盟している店同士の「仲の良さ」でした。

「ミナミや北新地って各店がライバル関係なんです。けれども、がもよんは店舗さん同士の仲が良くて。一緒に飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったり。皆さんで協力し合ってまちおこしをしている。『自分もその輪に入って力になれたら』という気持ちが湧いてきましたね」

古民家に惹かれUターンする人も

かつての「がもよん」の住人が、古民家再生の取り組みに惹かれ、再びこの街へ転入してきた例もあります。

そのうちの一軒が2021年6月にオープンしたイタリアンカフェ『amaretto(アマレット)』。エスプレッソのみならず抹茶やほうじ茶のティラミスなど絶品のイタリアンスイーツが楽しめるお店です。

ほろ苦い「ほうじ茶のティラミス」が人気(写真撮影/吉村智樹)

ほろ苦い「ほうじ茶のティラミス」が人気(写真撮影/吉村智樹)

店主の脇裕一朗さんは他都市でさまざまな飲食関係の業務を経験したのち独立。故郷であるがもよんへ帰ってきました。そうして初めての個人店を開いたのです。

イタリアンカフェ「amaretto(アマレット)」のオーナーシェフ、脇裕一朗さん。古民家再生の取り組みに関心を寄せ、がもよんへUターンした(写真撮影/吉村智樹)

イタリアンカフェ「amaretto(アマレット)」のオーナーシェフ、脇裕一朗さん。古民家再生の取り組みに関心を寄せ、がもよんへUターンした(写真撮影/吉村智樹)

「イタリアの田舎町にある雰囲気の店にしたかったので、古民家を探していたんです。そんなときに以前に住んでいたがもよんが古民家再生でまちおこしをしていると知り、『それはちょうどいいな』と思って和田さんにお願いしました」

吹抜けに建て替えた古民家は、天井はそのまま。梁も玄関戸があった位置も往時の姿を今に残しています。

たっぷりとした広さがあるアプローチも古民家時代のまま。「このスペースが気に入ったんです」と脇さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

たっぷりとした広さがあるアプローチも古民家時代のまま。「このスペースが気に入ったんです」と脇さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

さらに脇さんが気に入ったのは、街を包む活気でした。

「がもよんは、いい意味で雰囲気は昔っからの下町のまんま。けれども人口が増え、『新しいお店がいっぱいできているな』という印象です」

プロジェクトが生みだす店同士の連帯感

「がもよんにぎわいプロジェクト」は店舗物件の保守管理にとどまらず、マネジメントの一環として、店舗同士が集うコミュニティも運営しているのが特徴。割烹『かもん』の多羅尾さんがプロジェクトに関心を抱いたのも、この点にありました。

コミュニティの本拠地は元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。ここで毎週木曜日に店主ミーティングが開かれているのです。

元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。定期的に店主が集まりミーティングが開かれる(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。定期的に店主が集まりミーティングが開かれる(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

「がもよんにぎわいプロジェクトは加盟金などない非営利団体。鬼ごっこと同じです。『入りたい』と思ったら入っていい。『もういやや』って感じたら抜けていい。ミーティングも任意参加。そんな気楽な関係やけど、参加してくださる方はとても多いんですよ」(和田さん)

ミーティングではハード面での相談はもちろん、経営ノウハウの共有、情報交換や共同イベント企画など、店主さんたちが腹を割って話し合います。そうすることで店同士が経営動向を把握し、悩みを解消し合い、連帯感を生む。支え合い、ひいては、がもよん一帯の魅力を押し上げているのです。

「お店の周年記念には、花を贈り合う。そんな温かな習慣が生まれています。お店同士の仲がいいと、お客さんにもそれが伝わる。常連客が『あっちの店にも行ってみるわ』と他店へも顔を出すようになり、経済が回るんです」

店主同士、仲がいい。この良好な関係を築くため、和田さんには決めている原則があります。それは「同じ業態の店舗はエリア内で一つだけ」というルール。

「例えばラーメン屋さんやったら一軒だけ。同業者がお客さんを奪い合って共倒れになったらプロジェクトが持続できない。それに大家さんも、店子と店子がライバルになったら悲しいでしょう」

「競争ではなく共闘できる環境づくり」。それが和田さんのモットーなのです。

「空き家の活用は普通、物件の契約が済んだら関係は終わる。でも、がもよんにぎわいプロジェクトは“契約からがスタート”なんです。『がもよんに店を開いて良かった』と思ってほしいですから。そのために、やれるサポートはやっていくつもりです」

「まちおこしは“店同士の仲の良さ”が大事」と和田さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

「まちおこしは“店同士の仲の良さ”が大事」と和田さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

こうして和田さんたちの取り組みは「売り上げ」という目に見える形で効果を表し、いつしか「がもよんモデル」と呼ばれ、評価され始めました。

赤と黒が織りなす戦乱のゲストハウス

成功のノウハウを蓄積し、発起から10年を過ぎて地域密着型まちづくりモデルとして成熟してきた「がもよんにぎわいプロジェクト」。その手法は次第に飲食店というワクを超え、他分野へ応用されるようになってきました。

例えば2018年に「戦国の世」をイメージしてオープンしたゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。

がもよんが戦国武将「真田幸村」ゆかりの地であることから、幸村のイメージカラーである赤と黒を基調として内装。寝室には人気アニメ『ワンピース』とのコラボでも話題の墨絵師・御歌頭氏が描く大坂・冬の陣が壁全面に広がっており、大迫力。

ゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。かつて「大坂・冬・夏の陣」の合戦場だったがもよん。真田幸村の激闘を描いた真っ赤な寝室が話題に(写真撮影/吉村智樹)

ゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。かつて「大坂・冬・夏の陣」の合戦場だったがもよん。真田幸村の激闘を描いた真っ赤な寝室が話題に(写真撮影/吉村智樹)

「『民泊ブームの逆路線を行こう』。そんな発想から生まれた宿です」

そう語るのは、和田さんの右腕として働くアールプレイ株式会社の宅建士、田中創大(そうた)さん。

和田さんの右腕として働く宅建士、田中創大さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんの右腕として働く宅建士、田中創大さん(写真撮影/吉村智樹)

確かに、野点を再現した居間、黒で囲まれた和の浴室など、民泊ではありえない非日常感があります。

「もともとは大きな住宅でした。『せっかく広々とした場所があるのだから、旧来のホテルや旅館とは違う、がもよんに来ないと体験できないエンタテインメントを感じてもらおう』。そのような気持ちから、見てのとおりの設えになりました」

ブッ飛んだ発想は海を越えて口コミで広がり、コロナ禍以前は英語圏や中華圏から宿泊予約が殺到したのだそう。

改修不能な空き家が「農園」に生まれ変わった

古民家の再生によりまちおこしを図る「がもよんにぎわいプロジェクト」。とはいえ古民家のなかには改修不能な状態に陥った物件もあります。そこで和田さんたちが始めたのが貸農園「がもよんファーム」。

住宅地に突如現れる貸農園「がもよんファーム」(写真撮影/吉村智樹)

住宅地に突如現れる貸農園「がもよんファーム」(写真撮影/吉村智樹)

2018年、平成最後の年に大阪に甚大な被害をもたらした「平成30年台風第21号」。風雨にさいなまれた空き家4棟は屋根瓦が崩れ落ちるなど倒壊の危険性をはらんでいました。

「がもよんファーム」は、そんな空き家が連なっていた住宅密集地にあります。「え! ここに農園が?」と驚くこと必至な、意外な立地です。

案内してくれた田中さんは、こう言います。

「台風の被害に遭った空き家を修復しようにも、当時は大阪全体の業者さんが多忙で、工事のスケジュールが押さえられない状況でした。『このまま放置はできない』と、仕方なく解体し、更地にしたんです」

台風により大きな被害を受けた古民家の跡地に貸農園を開いた(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

台風により大きな被害を受けた古民家の跡地に貸農園を開いた(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

台風の被害が大きかった建物を解体撤去して拓いた貸農園「がもよんファーム」。令和元年(2019)5月、新元号の発表とともに開園。全29区画。1区画が5平米(約2.5平方m)。1 区画/月に4000円という手ごろな賃料。

開園に先立ち、設置したのが農機具を預けられるロッカー。

「住宅街なので鍬(くわ)を持参するのはハードルが高い。『手ぶらで来られる農園』をアピールしました」

農器具を預けられるロッカー。手ぶらで往き来できる(写真撮影/吉村智樹)

農器具を預けられるロッカー。手ぶらで往き来できる(写真撮影/吉村智樹)

それにしても、いったいなぜ「農園」だったのでしょう。

「街の空き地はコインパーキングにするのが一般的です。けれども、夜中にエンジンの音が聴こえたり、狭路なので事故につながったり。『駐車場では、近隣の人々に喜んでもらえないだろう』と。それで地域のかたが利用できる農園を開きました。これまで農園という発想がなかったです。なんせ畑がぜんぜんない地域だったので。初めての経験で、手探りでしたね」

反応が予想できず、恐る恐る始めた「がもよんファーム」。ところが開園後1カ月で全区画が埋まる人気に。しかも8割以上のユーザーが開園当時から現在まで利用を継続しているというから驚き。いかに貸農園のニーズが潜在していて「待望の空間」だったかがうかがい知れます。

前例がないため不安だった貸農園の開園。しかし、またたく間に予約で全区画が埋まった(写真撮影/吉村智樹)

前例がないため不安だった貸農園の開園。しかし、またたく間に予約で全区画が埋まった(写真撮影/吉村智樹)

さらに幸運だったのが、がもよん在住歴13年という元・農業高校の教師、加藤秀樹さんが退職直後に区画の借主になってくれたこと。加藤さんが他の利用者に栽培のアドバイスをするなどし、おかげで世代間交流が盛んに。農園から新たなコミュニティが生まれたのです。

「がもよんファーム」の救世主と呼んでも大げさではない元・農業高校の教師、加藤秀樹さん(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんファーム」の救世主と呼んでも大げさではない元・農業高校の教師、加藤秀樹さん(写真撮影/吉村智樹)

「週に3回、夏は週に4回は『がもよんファーム』へ来ます。自宅から歩いて13~14分なので近いですし。『がもよんファーム』の存在はホームページで知りました。この辺で『がもよんバル』(※)というのをやっていて、『今年もあるのかな』と思ってホームページを見てみたら、たまたま農園が開かれるニュースを見つけたので」(加藤さん)

※がもよんバル……和田さんたちが開催する飲食イベント。店と地域の人をつなぐ取り組み

「加藤さんは一般の人ではわかりにくい病気を発見してくれて、『気をつけたほうがいいですよ』とアドバイスをしてくださるので助かります」(田中さん)

加藤さんの助言によりキュウリがたくさん実り「ご近所に配って喜ばれたのよ」とほほ笑むご婦人も。

さらに『がもよんファーム』は新たなニーズを開拓しました。

「趣味で園芸を楽しんでいる利用者だけではなく、アロマのお店がハーブを育てていたり、クラフトビールの工房がホップを育てていたりします」(田中さん)

ゆくゆくは、がもよん生まれの地ビールがこの街の名物になるかもしれません。住宅密集地に誕生した貸農園が商業利用の需要を発掘したのです。これもまた、街全体を活気づけるエリアリノベーションであり、「古民家再生」の姿といえるでしょう。

「がもよんモデル」を世界へ

こうして文字通り「にぎわい」を創出し、「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよん」。和田さんが考える今後は?

「喫茶店でお茶を飲んでいたらね、後ろの席で女性が『昔はな、がもよんに住んでるって言うのが恥ずかしかった。なので、京橋に住んでるねんって言ってた。でも今は『がもよんに住んでるって自慢してるねん』と話していたんです。思わず『よしっ!』って小さくガッツポーズしましたよ。自分が住む街を誇りに思えるって、素敵じゃないですか。こんな気持ちを日本中、世界中の人に感じてほしい。がもよんモデルには、それができる力があると思うんです。なので、ほかの街でも展開していきたいですね」

「がもよんモデルを全国、全世界へと広げてゆきたい」。和田さんの夢は大きい(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんモデルを全国、全世界へと広げてゆきたい」。和田さんの夢は大きい(写真撮影/吉村智樹)

空き家問題への対策から誕生した新たなビジネスモデル「がもよんモデル」。地域のお荷物だった空き家が収益を生み、「わが街の自慢」にイメージチェンジする。和田さんはその方法論を全国に広げたいと考えています。

これからますます深刻になってゆく空き家問題。しかしながら、空っぽだからこそ、新しい価値観を芽生えさせるチャンスでもある。がもよんが、それを教えてくれた気がします。

●取材協力
がもよんにぎわいプロジェクト

ビカクシダだらけ!? デザイナー夫妻が猫と暮らすインダストリアルな賃貸

インダストリアルな室内に、ビカクシダ(コウモリラン)や自然のオブジェなどが置かれ、白とグレーの猫が悠々とたたずむ。そんな自然物が似合う「博物館」をテーマにした部屋で暮らす森田賢吾さん・仁美さん夫婦に、ライフスタイルとリンクする「ステキなお部屋づくり」について伺いました。

「ペット可・バイク駐車可・変わった物件」を条件に部屋探し

クリエイティブディレクターでグラフィックデザイナーの森田賢吾さんと、クリエイティブディレクターでテキスタイルデザイナー、イラストレーターの森田仁美さん。多摩美術大学の同級生のご夫妻は、お互いに好きなものを集めているうちに部屋が狭くなり、2019年に今の住まいに引っ越しました。
Twitter(@Hi__MoriMori)で、普通ではないお住まいとジャングルのような植物、カッコイイ家具、2匹の猫の美しさに興味をひかれ、訪問させていただきました。

まるで絵のよう。クールなインテリアに植物や猫が生命のぬくもりを添える(写真提供/森田さん)

まるで絵のよう。クールなインテリアに植物や猫が生命のぬくもりを添える(写真提供/森田さん)

この賃貸物件を見つけたのは、夫の賢吾さん。「東京周辺で、猫が飼えて、バイクが置ける場所があって、おしゃれなデザイナーズ物件」の4つを条件に、お部屋探しのアプリを5、6個ダウンロードして時間があれば見ていました。不動産会社に行って、「コンクリートの箱みたいな部屋でいいので、変わった物件はないですか」とイメージに近い写真を見せて相談しましたが、東京都内はペット可物件が少なく、条件やイメージに合う部屋はなかなか巡り合えませんでした。

陽が当たる窓際は猫も植物も大好きな場所(写真撮影/相馬ミナ)

陽が当たる窓際は猫も植物も大好きな場所(写真撮影/相馬ミナ)

「不動産屋さんが紹介してくれるのは、ほとんどが一般的な普通の部屋でした。これはと思う物件はスピード勝負ですぐに内定していたり、なかなか条件が合わなかったり。この物件はポータルサイトで見つけて、内見して即決しました」(賢吾さん)

「部屋自体に個性やスタイルがあるより、ニュートラルな部屋で、自分たちが好きで集めてきたものを置いてスタイルができ上がるような物件がいいと思っていました」と話す仁美さん。夫婦の趣味が合うので、決断はスムーズでした。

コンセプトを「博物館&インダストリアル」に決めてぶれない部屋づくり

住まいはインテリアや家具、暮らし方で表情が変わるもの。ブランディングの仕事をしている森田さん夫妻は、コンセプトから始めました。

「まずこの部屋をどういう世界観にしたいか、お互いに意見を出してコンセプトを決めました。『木や石、植物などの自然物が映える、博物館のような家』をコンセプトにプランニングしたことで、想像どおりの家になりました。持っている家具をリストアップして、サイズを測って間取図に落とし込んだり、世界観資料のようなものをつくって、仕事でやっていることを部屋でもやりました」(賢吾さん)

住まいのメインステージは、窓が大きいリビングです。天井と壁の一部はコンクリートの打ちっぱなしで、床は黒いストロングフロアに壁は黒やグレー。モノクロがベースですが、陽当たりが良く明るい雰囲気。デザイン書やレコードなどを収納している本棚は、アメリカでガレージに置くようなものを、キッチンの棚はお店の厨房などで使用されているものを買って、無骨さを生かした部屋づくりを目指したそうです。

シンプルなリビング。低い家具でまとめているため広く感じる(写真提供/森田さん)

シンプルなリビング。低い家具でまとめているため広く感じる(写真提供/森田さん)

リビングのテーブルは恵比寿にある人気のインテリアショップ「パシフィック・ファニチャー・サービス」で購入。使うほどに色が濃くなり味が出てくる無垢材の寄せ木の天板が特徴的です。

テーブルと木の色が合う椅子はイームズ(写真撮影/相馬ミナ)

テーブルと木の色が合う椅子はイームズ(写真撮影/相馬ミナ)

対面式キッチンは吊り戸棚もキャビネットもなく、圧迫感も生活感も感じられず、キッチンというよりお店のカウンターのよう。キッチンとダイニング・リビングの間の段差が空間を仕切らずに分けています。家具は、キッチンの前壁のステンレスと木の色とできるだけ合わせるなど、マテリアルやカラーを統一しています。

カフェのようなキッチン。レトロなペンダント照明も素敵(写真撮影/相馬ミナ)

カフェのようなキッチン。レトロなペンダント照明も素敵(写真撮影/相馬ミナ)

家具はアメリカ系のインテリアショップや業務用の家具屋さんで買ったものがほとんど。「私たちは好みが似ていて、デザインされすぎているものより、インダストリアル感がある武骨なものが好きなんです。自然物、木のモノ、植物沢山が映えるように主張し過ぎる家具は置かないし、可愛い家具や小物に惹かれても、コンセプトのインダストリアルから外れるなら選びません」(仁美さん)

リモートワークの際に夫婦が並んで作業ができるワークスペースもシンプルに(写真撮影/相馬ミナ)

リモートワークの際に夫婦が並んで作業ができるワークスペースもシンプルに(写真撮影/相馬ミナ)

また、浴室もコンクリートの壁に囲まれていて19世紀後半のアメリカで流行した猫脚の浴槽が設置されています。浴室とトイレ、洗面台が同じ空間にあるため、来客時に水まわりが丸見えにならないよう内装屋さんに頼んでガラスドアにカッティングシートを貼ったそうです。

猫脚の浴槽が置かれたガラス張りの水廻り。ビカクシダが水分を補給中(画像提供/森田さん)

猫脚の浴槽が置かれたガラス張りの水まわり。ビカクシダが水分を補給中(画像提供/森田さん)

自慢のコレクションを飾り、生活感があるものは徹底的に隠す

両親が水産大学出身であったことから、子どもの頃から魚の造形に興味をもち、釣りや魚の絵を描いて過ごし、たくさんの魚や昆虫を捕ってきて飼育をしていたという賢吾さん。自然が豊かな環境で、動物たちが多くいる実家で育ち、よく昆虫を捕ったりしていた仁美さん。森田さん夫婦は、そんな原体験をベースに、自然や動物、生き物に興味をもち続け、自分たちの目線を通した「博物館」を居住空間で表現しています。

家具と同様、コレクションも厳選された美しいモノばかり。テレビ台の隣にある六面体のオブジェは、イタリアのデザインデュオ、alcarol(アルカロール)が製作したもので、世界遺産のドロミテ山の低層で眠っていた”むした苔をまとった木材”を使用したスツール。「池をそのままくりぬいて形にしたような、水の中に入っているような気持ちになれる不思議なオブジェです」と仁美さん。

感性に合うアートを厳選。テレビ台の横にある椅子は本来座るもの。テーブルの上にあるのは賢吾さんが作成した苔のテラリウム(写真撮影/相馬ミナ)

感性に合うアートを厳選。テレビ台の横にある椅子は本来座るもの。テーブルの上にあるのは賢吾さんが作成した苔のテラリウム(写真撮影/相馬ミナ)

夫のコレクションの石。自然に造られた形や柄、色が美しい(写真撮影/相馬ミナ)

夫のコレクションの石。自然に造られた形や柄、色が美しい(写真撮影/相馬ミナ)

石の博物館やジビエ屋で購入した化石や骨。コレクターにとって垂涎の逸品(写真撮影/相馬ミナ)

石の博物館やジビエ屋で購入した化石や骨。コレクターにとって垂涎の逸品(写真撮影/相馬ミナ)

流木で出来た牛の骨格は、アーティスト・古賀充さんの作品(写真撮影/相馬ミナ)

流木で出来た牛の骨格は、アーティスト・古賀充さんの作品(写真撮影/相馬ミナ)

すっきりと暮らす秘訣を聞くと、「植物、石、アートなどのコレクションやデザイン書、レコード、DJの機材などは出しっぱなしだし、収集癖があるのでモノはたくさんあります。ただ生活感があるもの、例えば商品としてデザインされたパッケージなどがあると生活空間がごちゃごちゃしてしまうので、見えない所に隠しています」と賢吾さん。

キッチンは食器棚の代わりに、飲食店の厨房にあるようなステンレス製の収納台を設置。家電もステンレスや黒で統一。流しの下の空洞には、サイズを測ってコンテナボックスやダストボックスを収めています。

調味料も台車式の収納ボックス内に収納(写真撮影/相馬ミナ)

調味料も台車式の収納ボックス内に収納(写真撮影/相馬ミナ)

「調味料や油や鍋などは、キッチンに出しておいた方が使いやすいかもしれませんが、夫が生活感のあるものを出しておくのが嫌いなので、使うときに出して、出したらすぐしまうことが習慣になりました」(仁美さん)

細かいものや日常品は収納グッズを利用。アメリカのバンカーズや無印良品の収納ボックスなどの、同じ形のフタ付きのツールボックスをいくつか重ねたり並べたりしてモノを隠しています。

寝室の収納。収納ボックスは棚のサイズに合うものを選んだ(写真撮影/相馬ミナ)

寝室の収納。収納ボックスは棚のサイズに合うものを選んだ(写真撮影/相馬ミナ)

猫と両立する「スッキリきれいなインテリア」

森田家には2匹の猫がいます。仁美さんは、実家で10匹~15匹くらいの保護猫と暮らしていましたが、賢吾さんは結婚して初めて触れあった猫の人懐っこさに驚いたそうです。

白猫のやっこちゃん。猫もアートのように美しい(写真撮影/相馬ミナ)

白猫のやっこちゃん。猫もアートのように美しい(写真撮影/相馬ミナ)

凛と佇む姿が部屋の雰囲気に溶け込んでいる、しじみちゃん(写真撮影/森田さん)

凛とたたずむ姿が部屋の雰囲気に溶け込んでいる、しじみちゃん(写真撮影/森田さん)

「最初の頃は、机の上にあるものを片っ端から落とすので、お気に入りガラスの置物を壊されたこともありましたが、『猫はモノを落とす生き物だから、しまっておかない人間が悪い』と夫に話して理解してもらいました。おかげで、モノを出しておかないきっかけになったかもしれません。

猫のおもちゃも、夜寝る前にはしまいます。出しっぱなしより、時々出した方が喜んで遊んだりしますね。植物にいたずらするのは、かまってほしいときなので、猫草で気をそらすようにしています」(仁美さん)

やっこちゃんのお気に入りの場所。猫は狭い凹みが大好き(写真撮影/相馬ミナ)

やっこちゃんのお気に入りの場所。猫は狭い凹みが大好き(写真撮影/相馬ミナ)

自然と向き合うこと、ビカクシダを育てることもクリエイティブ

仁美さんは、この部屋に越して急激に植物への興味が出てきたそうです。最初は多肉植物や大きい花瓶に枝ものを刺したりしていましたが、コケ玉に着生したビカクシダ(コウモリラン)をひとつ買って、調べるうちに、植物の概念を覆すような生態やインテリアとしての面白さに惹かれたそうです。植物は種類により猫との共生に気をつける必要がありますが、森田さんは猫たちが、多肉植物やビカクシダなどに反応しないことをテスト済みの上、増やしています。

ビカクシダは丸い葉っぱ(貯水葉)と長い葉っぱ(外套葉)から成る(写真撮影/相馬ミナ)

ビカクシダは丸い葉っぱ(貯水葉)と長い葉っぱ(外套葉)から成る(写真撮影/相馬ミナ)

自然界では地面に生えるのではなく木に寄生して生きるビカクシダ。板に貼り付ける人もいますが、仁美さんは、「室内に自然物があるような感じにしたい」と、コルクの木の樹皮にくくりつけています。

天井に突っ張りポールを設置して吊るしたビカクシダ。一つひとつ形が違い、葉っぱの形に装飾性があり面白い(写真提供/森田さん)

天井に突っ張りポールを設置して吊るしたビカクシダ。一つひとつ形が違い、葉っぱの形に装飾性があり面白い(写真提供/森田さん)

「同じフォーマットでも少しずつデザインや色が違うものを集めたくなるコレクター魂が刺激されて、今は20株ほどあります。部屋の陽当たりがいいので、すごい早さで植物が育つんです。全部大きくなると大変なので、これ以上は増やせないと思っています」

お手入れは「陽当たりが良く、常にサーキュレーターをつけて、風がそよそよと吹く状態を作っておくこと。水苔が乾いたら浴室でコルクの樹皮と植物の間にある水苔にたっぷりと水をあげて、水を切って部屋に戻します。数が多いので手はかかりますが、ビカクシダを育てて約2年、一度も枯らしたことがありませんし、最近はホームセンターなどに育てやすく品種改良されたものも売っているので、初めての人もトライしやすいと思います」と仁美さん。Twitterを始めたのも、愛好家がビカクシダをどう育てているのか、情報を収集するためだそう。

一年を通して水苔が乾いたらたっぷりと水を与える(写真撮影/相馬ミナ)

一年を通して水苔が乾いたらたっぷりと水を与える(写真撮影/相馬ミナ)

「ビカクシダはS缶やフックを使って天井や突っ張り棒に吊るしたり、ハンガーラックにかけるなど、壁に掛けて飾れるので生活面積を邪魔しません。床が広いまま増やせるのも魅力です」

ハンガーラックに沢山並べて吊るしている(写真提供/森田さん)

ハンガーラックに沢山並べて吊るしている(写真提供/森田さん)

希少性の高いビカクシダは金額が高いので、胞子から育て始めた仁美さん。「時間をかけて育てられた達成感もあり、愛着が違うので、興味がある人は育ててみるのもいいかもしれません。ちょこちょこ手を加えて見ていると、一気に大きくなったり変化が分かりやすく、自然と向き合うことが楽しい。植物を育てるのはクリエイティブな作業です」

撒いた胞子が芽を出し9カ月位でここまで育った(写真撮影/相馬ミナ)

撒いた胞子が芽を出し9カ月位でここまで育った(写真撮影/相馬ミナ)

ビカクシダは仁美さんの趣味ですが、賢吾さんは、最近渓流でのテンカラ釣りに凝っていて、イワナなど川魚のはく製や毛鉤(けばり)を作るための素材(鳥の羽など)を少しずつ集めているそう。「お互いに好きなものは認めて応援しています。これからも、まだまだ興味が広がって変化するかもしれません」と仁美さん。

独自の世界観をつくり上げている森田夫妻。「植物が沢山ある自然と向き合う暮らし。日常生活でありながら非日常に住むスペシャル感というか、非日常が日常になっていて、居心地がとてもいい」と仁美さん。「好きなモノを自分の身のまわりに置いて、好きを感じられる趣味部屋のような家。趣味、ライフスタイルイコール部屋みたいな感じはします」と賢吾さん。

好きなことを優先し、コンセプトを決めて、しっかりプランニングして統一感をもたせることで完成した、オリジナリティあふれる「博物館のような住まい」。夫妻のような特別なセンスがなくても、取り入れたり試せるヒントがあるのではないでしょうか。

●森田賢吾さん
クリエイティブディレクター・グラフィックデザイナー
多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。大貫デザイン、博報堂デザインを経て2016年デザインユニットknotを設立。JAGDA正会員。ハイクオリティなビジュアルコミュニケーションを軸としたブランディングデザインを多数手がける。NY ADC賞、 D&AD賞、 ONE SHOW、TOPAWARDS ASIA、グッドデザイン賞、亀倉雄策賞・JAGDA賞ノミネートなど国内外の賞を多数受賞。
HP
Instagram

●森田仁美さん
クリエイティブディレクター・ テキスタイルデザイナー・イラストレーター。多摩美術大学テキスタイルデザイン学科卒業。アパレル小物の企画デザインや生産に携わった後に独立。国内の靴下工場のCDO(チーフデザインオフィサー)としてものづくりの現場のブランディングを行う傍ら、イラストの仕事も手がける。
Twitter (モリヒト)

指先ひとつで渋谷を変える! アプリで参加「shibuya good pass」

100年に一度と言われる大規模な再開発が進む「渋谷」。筆者はそんな街に暮らして20数年が過ぎた。新しいビルが次々に建ち、駅へのアプローチが変わり、その変化についていけない気持ちになることがある。街のイメージと住民の間に大きなギャップが生まれそうだった。
そこに博報堂と三井物産が共同で進める、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」が進んでいると聞いた。すでにスタートしている、渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」について博報堂ミライの事業室の大家雅広さんと三井物産エネルギーソリューション本部New Downstream事業部の寺西五大さんに話を聞いた。

デジタル活用で生活者の声を集め、まちづくりに活かす「生活者ドリブン・スマートシティ」

筆者は東京都内でいろいろな区に住んでみたが、渋谷が一番長くなってしまった。渋谷に住んでいると言うと「あんなにぎやかなところに住めるの?」と言われることもある。おまけに渋谷駅前は再開発中だ。住む街としてのイメージはつきにくいかもしれない。

ところが都心のまん中なのに、意外に住み心地がいい。町内会の活動もしっかりしている。ただ大きなビルがどんどん建って、毎週のように駅までの道のりが変わるので、少し取り残されそうな不安があった。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

そんななか、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」を実現するために、博報堂が渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」がスタートしたらしい。これは博報堂と三井物産が共同で進めるまちづくり構想で、テクノロジーが主役ではなく生活者が主役のスマートシティだそうだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

「渋谷エリアにおける暮らしをより良くしていくために、デジタルアプリサービスを通じて、生活者の声や応援を集めます。その声を、さまざまな都市サービスに反映させていくとともに、みんなの声を可視化することで、生活者共創によるまちづくりのモデルをつくっていきます。モビリティ、エネルギー、ワークプレイス、都市農園、スポーツなど、さまざまな都市サービスとの連携も予定しています。生活者が主体的に関わる創造的なまちづくりを通じて、次世代の持続可能なスマートシティモデルの実現を目指したいと思っています」(大家さん)

渋谷でできるgoodな体験のための「shibuya good pass」

「今回、私たちが開発したshibuya good passは、行政、企業、生活者が力を合わせてよりよい渋谷の街をつくっていくことを実現するサービスです。『みんなでつくる、goodな渋谷』がキーメッセージ。スマートフォンで利用できるデジタルサービスとして、2021年夏よりベータ版の提供を始め、すでにいくつかのプロジェクトがスタートしています」(大家さん)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

登録は無料で、会員になると渋谷で展開される活動やプロジェクトに参加したり応援したりできるほか、渋谷エリアでのさまざまな提携サービスを利用することができる。カフェのメニューを試したり、クーポンを利用できたり、「ありのママカフェ」というママたちの座談会や料理講座やピラティス教室などイベントに参加したりといったサービスが受けられる。

なかでも昨年実施された“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)は代表的なイベントだ。「ササハタハツ」とは、京王線笹塚駅・幡ヶ谷駅・初台駅のそれぞれ頭文字を採ったエリアのこと。エリア内にある、玉川上水旧水路緑道は、渋谷区の事業として再整備計画が進められている。再整備コンセプトは「FARM」。地域の人々で食と暮らしを楽しみ、こどもから大人、年齢や障がいの有無に関係なく、誰もが参加できる場所に生まれ変わろうとしている。その再整備コンセプトを体現する実験イベントが“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)だ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

農・食・コミュニティに関する社会課題や地域課題を解決するために、生産者直売マルシェ・体験イベント・ワークショップなどが企画された。注目すべきは「みんなの声”でつくるGOODなideaギャラリー」というテーマで、緑道沿いに渋谷の街に対する“みんなの声”が書かれたポスターを設置したこと。さらに当日来場した方たちの声として、これから再整備が進む緑道やこの町でやってみたいことを集めた。設置されたポスターのビジュアルはshibuya good passのInstagramにも連動していて、いいね!の数に応じて、近くのデジタルサイネージにも“みんなの声”が可視化された。

こういったカタチで、一般の人々の意見が行政やプロジェクトで届くのはわかりやすいし、オープンな意見交換の場にもなる。すでに「仮設FARM」を設置して一定期間利用してくれる人の募集も始まっている。今後どのように活用していくか、また住民自身がどのようにかかわっていくか、注目していきたいと思う。

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

新しい地域交通「shibuya good mobi」など、エネルギーやインフラからも考える

またイベント参加だけではなく、地域のエネルギーやインフラについても、一般の人が意見を出し、どのシステムを利用するか選択できるシステムを生み出している。

「三井物産のエネルギーソリューション本部は2020年4月に発足。グローバルな社会課題である気候変動問題の産業的解決をビジネス成長の機会と捉え、さまざまな事業領域において蓄積した知見、事業基盤、ならびに顧客・パートナー基盤を結集しました。三井物産ならではの複合的かつ機動的な取り組みで次世代領域における新事業創出にチャレンジしています」(寺西さん)

「good energy」は地球環境にやさしい再生可能エネルギーを地域で共同購入し、まちづくりに還元するサービスだ。電力の共同購入希望者が一定数集まったところで、新電力をはじめとする電力会社が参加のもと、一番安い電力供給者を決めるリバースオークションを行う。共同購買によって、電気代を安くするとともに、コストダウンが図れた部分の一部で地域の活動を援助することが出来る、
例えば、「シブヤ大学」(誰もが参加できる学び場づくり)、「TEN-SHIP アソシエーション」(高齢者の方々の困りごと支援)、「stride」(障害を抱える方々の就労支援)、「渋谷の遊びを考える会」(子どもたちの遊び場づくりを通じた子育て支援)などのNPO法人や一般社団法人、コミュニティ運営のために寄付されるといったことだ。地域コミュニティ単位での電力共同購入をサポートするリバースオークションのシステムも導入しており、多くの人が利用するほど安く利用できる可能性も高まる。

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

「shibuya good mobi」は、WILLERと連携した月額定額乗り放題で半径約2kmのエリア内を回遊できるモビリティサービスで、すでにサービスを開始している。
渋谷は比較的交通の利便性が高い街だが、エリア内を自由に回遊できるような移動サービスがなく、同サービスを利用することで行動範囲が広がったり、お子さんの送迎が快適になったり、自分時間が増えるなどライフスタイルが変わり、より生活が豊かになる。アプリで車両を呼び出すと、好きな時間に好きな目的地まで移動でき、月額定額料金のためおサイフを気にすることなく何度でも利用できる。同時にどのような人がどのようなニーズで移動しているかを継続的に把握できるため、そのニーズを汲み取って走行ルートやサービスが最適化していくこともできる。交通事業者から一方的に提供されるのではなく、地域に暮らす人々の共創によってブラッシュアップされていくモビリティサービスだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

どちらのサービスも提供されるだけでなく、自分が参加・利用することで地域に貢献できたり、自分の暮らしをより快適に変えていくことができる点が注目だ。

「shibuya good pass」がこれから目指すもの

現在の会員は女性が多く、特に30代40代が中心だそうだ。渋谷区はもともと住民の女性の割合が多い。2021年のデータで、男性が約11万716人、女性が11万9790人と、女性が9000人多い。それだけ女性に暮らしやすい環境が整っているかも知れない。現に私自身も都内での暮らしは渋谷が一番長くなった。今後、それがどのように発展していくかも見守りたい。

このほか、渋谷に住む人や通う人、働く人、事業者や行政など渋谷に関わるすべての人々が、好きなオフィスを、好きな時に、選んで使えるワークプレイスサービス「shibuya good place」など、約 10 カテゴリーの連携サービスの実証実験を開始。また市民参加型の活動として、市民の声をまちづくりや政策に反映させるためのオープンプラットフォーム「decidim」を活用した「shibuya good talk」の実証実験と、地域の企業活動・市民活動を応援するクラウドファンディングの取り組み「shibuya good idea fund」も開始している。

博報堂と三井物産は、こうしたアイデアをまず渋谷で実装し、その後は国内の複数の都市に展開する計画だそうだ。どんな都市でも、働く人、住む人、遊びに訪れる人や企業、行政がうまく連携を取れるようになるのはテーマの1つだろう。どんなに大規模な開発が進もうとも、そこには人間同士のコミュニケーションは必要だ。官民一体となった双方向のつながりが生まれることに期待したい。

●取材協力
shibuya good pass

住民主体で渋谷を変える! アプリで参加「shibuya good pass」

100年に一度と言われる大規模な再開発が進む「渋谷」。筆者はそんな街に暮らして20数年が過ぎた。新しいビルが次々に建ち、駅へのアプローチが変わり、その変化についていけない気持ちになることがある。街のイメージと住民の間に大きなギャップが生まれそうだった。
そこに博報堂と三井物産が共同で進める、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」が進んでいると聞いた。すでにスタートしている、渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」について博報堂ミライの事業室の大家雅広さんと三井物産エネルギーソリューション本部New Downstream事業部の寺西五大さんに話を聞いた。

デジタル活用で生活者の声を集め、まちづくりに活かす「生活者ドリブン・スマートシティ」

筆者は東京都内でいろいろな区に住んでみたが、渋谷が一番長くなってしまった。渋谷に住んでいると言うと「あんなにぎやかなところに住めるの?」と言われることもある。おまけに渋谷駅前は再開発中だ。住む街としてのイメージはつきにくいかもしれない。

ところが都心のまん中なのに、意外に住み心地がいい。町内会の活動もしっかりしている。ただ大きなビルがどんどん建って、毎週のように駅までの道のりが変わるので、少し取り残されそうな不安があった。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

そんななか、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」を実現するために、博報堂が渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」がスタートしたらしい。これは博報堂と三井物産が共同で進めるまちづくり構想で、テクノロジーが主役ではなく生活者が主役のスマートシティだそうだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

「渋谷エリアにおける暮らしをより良くしていくために、デジタルアプリサービスを通じて、生活者の声や応援を集めます。その声を、さまざまな都市サービスに反映させていくとともに、みんなの声を可視化することで、生活者共創によるまちづくりのモデルをつくっていきます。モビリティ、エネルギー、ワークプレイス、都市農園、スポーツなど、さまざまな都市サービスとの連携も予定しています。生活者が主体的に関わる創造的なまちづくりを通じて、次世代の持続可能なスマートシティモデルの実現を目指したいと思っています」(大家さん)

渋谷でできるgoodな体験のための「shibuya good pass」

「今回、私たちが開発したshibuya good passは、行政、企業、生活者が力を合わせてよりよい渋谷の街をつくっていくことを実現するサービスです。『みんなでつくる、goodな渋谷』がキーメッセージ。スマートフォンで利用できるデジタルサービスとして、2021年夏よりベータ版の提供を始め、すでにいくつかのプロジェクトがスタートしています」(大家さん)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

登録は無料で、会員になると渋谷で展開される活動やプロジェクトに参加したり応援したりできるほか、渋谷エリアでのさまざまな提携サービスを利用することができる。カフェのメニューを試したり、クーポンを利用できたり、「ありのママカフェ」というママたちの座談会や料理講座やピラティス教室などイベントに参加したりといったサービスが受けられる。

なかでも昨年実施された“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)は代表的なイベントだ。「ササハタハツ」とは、京王線笹塚駅・幡ヶ谷駅・初台駅のそれぞれ頭文字を採ったエリアのこと。エリア内にある、玉川上水旧水路緑道は、渋谷区の事業として再整備計画が進められている。再整備コンセプトは「FARM」。地域の人々で食と暮らしを楽しみ、こどもから大人、年齢や障がいの有無に関係なく、誰もが参加できる場所に生まれ変わろうとしている。その再整備コンセプトを体現する実験イベントが“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)だ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

農・食・コミュニティに関する社会課題や地域課題を解決するために、生産者直売マルシェ・体験イベント・ワークショップなどが企画された。注目すべきは「みんなの声”でつくるGOODなideaギャラリー」というテーマで、緑道沿いに渋谷の街に対する“みんなの声”が書かれたポスターを設置したこと。さらに当日来場した方たちの声として、これから再整備が進む緑道やこの町でやってみたいことを集めた。設置されたポスターのビジュアルはshibuya good passのInstagramにも連動していて、いいね!の数に応じて、近くのデジタルサイネージにも“みんなの声”が可視化された。

こういったカタチで、一般の人々の意見が行政やプロジェクトで届くのはわかりやすいし、オープンな意見交換の場にもなる。すでに「仮設FARM」を設置して一定期間利用してくれる人の募集も始まっている。今後どのように活用していくか、また住民自身がどのようにかかわっていくか、注目していきたいと思う。

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

新しい地域交通「shibuya good mobi」など、エネルギーやインフラからも考える

またイベント参加だけではなく、地域のエネルギーやインフラについても、一般の人が意見を出し、どのシステムを利用するか選択できるシステムを生み出している。

「三井物産のエネルギーソリューション本部は2020年4月に発足。グローバルな社会課題である気候変動問題の産業的解決をビジネス成長の機会と捉え、さまざまな事業領域において蓄積した知見、事業基盤、ならびに顧客・パートナー基盤を結集しました。三井物産ならではの複合的かつ機動的な取り組みで次世代領域における新事業創出にチャレンジしています」(寺西さん)

「good energy」は地球環境にやさしい再生可能エネルギーを地域で共同購入し、まちづくりに還元するサービスだ。電力の共同購入希望者が一定数集まったところで、新電力をはじめとする電力会社が参加のもと、一番安い電力供給者を決めるリバースオークションを行う。共同購買によって、電気代を安くするとともに、コストダウンが図れた部分の一部で地域の活動を援助することが出来る、
例えば、「シブヤ大学」(誰もが参加できる学び場づくり)、「TEN-SHIP アソシエーション」(高齢者の方々の困りごと支援)、「stride」(障害を抱える方々の就労支援)、「渋谷の遊びを考える会」(子どもたちの遊び場づくりを通じた子育て支援)などのNPO法人や一般社団法人、コミュニティ運営のために寄付されるといったことだ。地域コミュニティ単位での電力共同購入をサポートするリバースオークションのシステムも導入しており、多くの人が利用するほど安く利用できる可能性も高まる。

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

「shibuya good mobi」は、WILLERと連携した月額定額乗り放題で半径約2kmのエリア内を回遊できるモビリティサービスで、すでにサービスを開始している。
渋谷は比較的交通の利便性が高い街だが、エリア内を自由に回遊できるような移動サービスがなく、同サービスを利用することで行動範囲が広がったり、お子さんの送迎が快適になったり、自分時間が増えるなどライフスタイルが変わり、より生活が豊かになる。アプリで車両を呼び出すと、好きな時間に好きな目的地まで移動でき、月額定額料金のためおサイフを気にすることなく何度でも利用できる。同時にどのような人がどのようなニーズで移動しているかを継続的に把握できるため、そのニーズを汲み取って走行ルートやサービスが最適化していくこともできる。交通事業者から一方的に提供されるのではなく、地域に暮らす人々の共創によってブラッシュアップされていくモビリティサービスだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

どちらのサービスも提供されるだけでなく、自分が参加・利用することで地域に貢献できたり、自分の暮らしをより快適に変えていくことができる点が注目だ。

「shibuya good pass」がこれから目指すもの

現在の会員は女性が多く、特に30代40代が中心だそうだ。渋谷区はもともと住民の女性の割合が多い。2021年のデータで、男性が約11万716人、女性が11万9790人と、女性が9000人多い。それだけ女性に暮らしやすい環境が整っているかも知れない。現に私自身も都内での暮らしは渋谷が一番長くなった。今後、それがどのように発展していくかも見守りたい。

このほか、渋谷に住む人や通う人、働く人、事業者や行政など渋谷に関わるすべての人々が、好きなオフィスを、好きな時に、選んで使えるワークプレイスサービス「shibuya good place」など、約 10 カテゴリーの連携サービスの実証実験を開始。また市民参加型の活動として、市民の声をまちづくりや政策に反映させるためのオープンプラットフォーム「decidim」を活用した「shibuya good talk」の実証実験と、地域の企業活動・市民活動を応援するクラウドファンディングの取り組み「shibuya good idea fund」も開始している。

博報堂と三井物産は、こうしたアイデアをまず渋谷で実装し、その後は国内の複数の都市に展開する計画だそうだ。どんな都市でも、働く人、住む人、遊びに訪れる人や企業、行政がうまく連携を取れるようになるのはテーマの1つだろう。どんなに大規模な開発が進もうとも、そこには人間同士のコミュニケーションは必要だ。官民一体となった双方向のつながりが生まれることに期待したい。

●取材協力
shibuya good pass

災害時の大停電、切り札は「地域マイクログリッド」。電気の地産地消は進むか?

気候変動の影響で、災害が頻繁に発生しているなか、「地域マイクログリッド」が注目されています。これは「既設の送配電ネットワークを活用して電気を調達し、非常時にはネットワークから切り離して電気の自給自足をする柔軟な運用が可能なエネルギーシステム」(資源エネルギー庁「地域マイクログリッド構築のてびき」より)のことで、現在各地域に導入推進をしています。一体どのような仕組みなのか、資源エネルギー庁の担当者にお話を聞きました。

エネルギーは中央集権型から分散型へ

2018年の北海道胆振東部地震や2019年に発生した台風15号の被害により大規模停電被害が発生し、“インフラ断絶“が大きな課題になったことは、多くの人にとって記憶に新しいと思います。これは、エネルギーのシステムが中央集権型システムで、電気が一括供給されていることが原因でした。通常、電力は各地域の大手電力発電所で大量につくられ、そして送電線からその地域の施設や住宅に供給されます。この中央の送電システムが断絶すると、一気に全体のライフラインが絶たれてしまいます。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

そこで着目されたのが、リスク分散が期待できる分散型エネルギー。従来の大規模・集中型エネルギーとは違い、集中型エネルギーを使いつつも、各地域の特徴も踏まえ、小規模かつさまざまな方法や地域からの分散型エネルギーも上手に活用することで、「電力レジリエンス強化」をすることができるのです。「レジリエンス(resilience」とは、「弾力」「回復力」「強靭」といった意味で使われ、防災分野においては、災害発時にその影響を強くしなやかに乗り越え、速やかに回復できる状態を指しています。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

中央集権型から分散型への変化。多様な環境と供給方法に対応することができる(資料/資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会(第6回会合) 資料1」)

中央集権型から分散型への変化。多様な環境と供給方法に対応することができる(資料/資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会(第6回会合) 資料1」)

分散型エネルギーの好活用「地域マイクログリッド」

さらに分散型エネルギーは、地域のエネルギーをその地域で消費することによる省エネ効果を見込むことも。そのために国が推進しているのが「地域マイクログリッド」です。

「地域マイクログリッドは、平常時は下位系統の潮流を把握し、災害等による大規模停電時には自立して電力を供給できるエネルギーシステムです。平常時は地域の再生可能エネルギーを有効活用しつつ、電力会社などとつながっている送配電ネットワークを通じて電力供給を受けますが、非常時には事故復旧の一手段として送配電ネットワークから切り離され、その地域内の再生可能エネルギー電源をメインに、他の分散型エネルギーと組み合わせて自立的に電力供給可能なシステムです」(担当者)

このモデルは、都市部・郊外・離島では、送配電ネットワークの密集度や非常時に期待される役割がそれぞれ異なるため、対象エリアの特性に合わせ、その仕組みも最適化していきます。

経済産業省 資源エネルギー庁が2021年4月に公表した「地域マイクログリッド 構築のてびき」によると、地域におけるマイクログリッドのシステムモデル例が次のように示されています。

地域マイクログリッドの仕組み例。非常時に断絶されても、リスクヘッジできる仕組みになっている(資料/資源エネルギー庁「地域マイクログリッド 構築のてびき」)

地域マイクログリッドの仕組み例。非常時に断絶されても、リスクヘッジできる仕組みになっている(資料/資源エネルギー庁「地域マイクログリッド 構築のてびき」)

このモデル図では、平常時と非常時の電気の流れが異なることを示しています。非常時には大型の発電所との送配電ネットワークを切り離し、再エネ電源等から直接の送電を受けることで、生活復旧に必要最低限の電力が確保できるようになっているのです。

なぜ今マイクログリッドなのか?

なぜ今、マイクログリッドが注目されているのでしょうか? それはマイクログリッドによって「分散型電源」である再生可能エネルギーを効率よく活用できるからです。そもそも、電力はエネルギーの状態で貯めておくことはできない上に、送電の間にその一部が失われる「送電ロス」があります。電力を生み出すところと使うところが離れるほどそのロスは大きく、本来地域で電力を作って地域内で消費する分散型モデルの方が無駄なく使えるのです。近年、太陽光発電など再生可能エネルギーを普及させる取り組みが進み、分散型電源を活用しやすいマイクログリッドというエネルギーシステムが注目を集め始めました。そうしたなか、国は地域マイクログリッドの構築を後押しするために、補助事業も行っています。2018年度と2020年度には、それぞれ10組を超える民間企業や地方自治体などが参画したマスタープランが採択されました。これから徐々に取り入れようとしている企業や団体も増えてきているようです。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

地域マイクログリッドでプラン採択された団体は多くありますが、事業完成という実例はまだない状況です。一方で、自営線を活用する事例としては、宮城県大衡村の第二仙台北部中核工業団地にある『F-グリッド』(2015年開始)が挙げられます。

宮城県大衡村の、第二仙台北部中核工業団地にある「F-グリッド」(資料/経済産業省『地域マイクログリッド構築の手引き』)

宮城県仙台市大衡村の、第二仙台中核工業団地にある「F-グリッド」(資料/経済産業省『地域マイクログリッド構築の手引き』)

「F-グリッド」が導入された地域内では、日頃から蓄積しているエネルギーをF-グリッド内各工場へのエネルギー供給のみならず、余剰電力は東北電力を通じて近隣の地域防災拠点である大衡村役場などへ供給し、さらにはプラグインハイブリッド車と、充放電システムを拠点に配置をしているため、有事の際にすぐに災害支援活動ができる体制を備えています。

その一方で、「地域マイクログリッド」の構築には技術的にもクリアしなければならない点やビジネスモデルとして収益を確立することに課題点があり、これをクリアすることが普及の鍵となるようです。

あらゆる地域で安定稼働するまで、まだ少し時間がかかりそうですが、地域にこうした安心材料が一つでも増えると、市民にとってはとても嬉しいですね。

また補助事業とは別の制度を利用する形で、マイクログリッドの仕組みを導入している事例もあります。千葉県木更津市にある、広さ30ヘクタールの農場で食や農業体験ができるサステナブルファーム&パーク「クルックフィールズ」では、2021年2月に蓄電池システムを導入しました。「クルックフィールズ」では、2019年9月の台風15号による停電を経験して、長期停電時でも家畜のいる牛舎等への電力の安定供給や、地域住民の避難所として電力供給を自前で行えるようにしたいと思い導入に踏み切ったとのこと。自立したライフラインだけではなく、何かあったときには地域との人たちと助け合える、今後こうした施設は増えていきそうです。

太陽光発電設備を導入後に蓄電池施設も導入し、マイクログリッドの仕組みを作っている。(写真提供/クルックフィールズ)

太陽光発電設備を導入後に蓄電池施設も導入し、マイクログリッドの仕組みを作っている(写真提供/クルックフィールズ)

地域マイクログリッドによる期待と効果とは?

地域マイクログリッドは、対象エリアの分散型エネルギーを活用します。こうした分散型エネルギーの活用によって、災害時や非常時のレジリエンス強化だけではないメリットがあると期待されています。それは環境負荷削減と、エネルギーの高効率での地産地消ということです。地域マイクログリッドに取組むことそのものが地域に新たな産業振興をもたらす可能性もあります。エネルギー課題と街づくりを一体化して取組むことで、地域の活性化につながるかもしれません。
こうした災害や非常時に強い、そして自分たちだけで自立した暮らしを営むことができる街づくりというのは、生活する人としては安心感があり、住みやすいのではないでしょうか。今後住まいを選ぶ一つのキーワードとして、マイクログリッドを取り入れるエリアは、注目ポイントになりそうです!

●取材協力
・資源エネルギー庁
・(株)KURKKU FIELDS

コロナ禍のNYで高級物件ニーズ高まる!「4億円超アパート」に潜入 米国ニューヨークよりレポート

新型コロナウイルスによるパンデミックで、一時は冷え込んだニューヨーク(アメリカ)の不動産業界も、昨年春から再び以前のような活気が市場に戻ってきました。今、新築物件もどんどん建設されています。
そんななか、マンハッタンの高所得者が多く住むアッパーウエストサイド地区で建設が進められている新築物件をのぞいてみる機会がありました。ニューヨークの高級アパートメント(日本でいう高級マンション)での暮らしってどんな感じなのでしょうか?「4億円超」の新築物件を特別に内見させてもらいました 。

国内外から注目されている高級エリアの新規物件

高級エリアであるアッパーウェストサイド地区は、ニューヨークの中でも比較的治安が良いとされています。同地区は、コロンビア大学やアメリカ自然史博物館があるなど文化的施設に恵まれ、落ち着いた雰囲気です。

今回内見に来たブティックビルディング「212 West 93rd Street」は93丁目で現在建設が進められていて、最寄りの地下鉄駅から徒歩1分。セントラルパークやリバーサイドパークまで数ブロック。もし近くに住んだら毎朝早起きして、セントラルパークにジョギングや犬の散歩をしに行ってみたい、そんな想像が膨らみます。

また、近所には日本食レストランや人気スーパー、Trader Joe’sやWhole Foods Marketなどもあり、都心から地下鉄で15分と少し離れた落ち着い生活、楽しく充実したニューヨーク生活が送れそうです。

セントラルパークもすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

セントラルパークもすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

人気スーパーの、Trader Joe's(写真撮影/Kasumi Abe)

人気スーパーの、Trader Joe’s(写真撮影/Kasumi Abe)

最寄りの駅もすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

最寄りの駅もすぐ近く(写真撮影/Kasumi Abe)

「212 West 93rd Street」は14階建てで、中には20のコンドミニアム(20家族分の住居)があります。

ロビーには24時間ドアマンが常駐し、ペット可の物件です。犬や猫を飼っているニューヨーカーはとても多いので、大切なポイントでしょう。またほかにもこの物件の「あるポイント」が高く評価され、現在多くの問い合わせが国内外からきているということです。

(写真撮影/Kasumi Abe)

(写真撮影/Kasumi Abe)

コロナ禍で専用エレベーターや屋外テラスへの需要高まる

「コロナ禍を乗り切りパンデミックから何とか抜け出そうとしているニューヨークではこの数カ月、高級不動産物件の需要が非常に高まり、市場は再び活気に満ちています」と説明するのは、ヘンリー・ハーシュコウィッツさん。この物件の独占販売およびマーケティングエージェントをしている米大手不動産情報サイト「Compass」の不動産ブローカーです。

「物件購入者は新たな優先順位を設けて物件を探しています。この5階にある5Bのコンドミニアムのような、専用エレベーターや屋外テラスが完備した物件です」とハーシュコウィッツさん。これらはコロナ以前は「贅沢なプラスアルファ」だったのが、パンデミックで『必要なもの』という評価が付くようになったそうです。一時はロックダウンしたニューヨーク。感染拡大防止のため、密を避けソーシャルディスタンスが求められる中、そのようなプライベートが守られた自分専用のエレベーターや、テラス、バックヤードなど自分専用の「屋外スペース」の需要が高まっているとのことです。

さっそく、5Bの物件を見せてもらいました。

5Bは、2048スクエアフィート(約190平米)の面積に、4ベッドルーム(寝室)、3バスルーム(浴室とトイレ)、リビング兼ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む全8室が完備されています。

5Bの間取り(画像提供/212 West 93rd Street)

5Bの間取り(画像提供/212 West 93rd Street)

(写真撮影/Kasumi Abe)

(写真撮影/Kasumi Abe)

ロビーから専用エレベーターに乗ると、5階の5Bで止まりました。専用エレベーターと言えば、フロア直結のタイプや住居直結のタイプなどがありますが、この物件の5Bのタイプはエレベーターと居住スペースが直結していて、扉が開くと目の前に「ギャラリー」と呼ばれる、広くて長いスペースが広がります。壁にお気に入りのアートを飾ると、お招きしたゲストに鑑賞してもらいながら奥のリビングルームにご案内できる素敵なウェルカムスペースになりそうです。

お気に入りの絵を飾ったりアートを置いたりできそうなギャラリースペース(写真撮影/Kasumi Abe)

お気に入りの絵を飾ったりアートを置いたりできそうなギャラリースペース(写真撮影/Kasumi Abe)

リビング兼ダイニングルームや、それぞれのベッドルームは自然光で明るく、天井も高く広々とした印象です。大きなカウチやキングサイズのベッドを置いてもゆとりがあるスペースで、「おうち時間」をゆっくりくつろげそうです。

ビルの設計はODA、内装や家具、照明などのインテリアはGRADE New Yorkによるもの(※モデルルームのため、インテリアは販売物件についてきません)(写真撮影/Kasumi Abe)

ビルの設計はODA、内装や家具、照明などのインテリアはGRADE New Yorkによるもの(※モデルルームのため、インテリアは販売物件についてきません)(写真撮影/Kasumi Abe)

以下の写真が、コロナ禍で需要が伸びている、リビング兼ダイニングルームに隣接したテラススペースです。このビルの70%のコンドミニアムに、このような広々とした屋外テラスを完備されています。「中には、平均的なマンハッタンのスタジオアパートよりも広いテラスもありますよ」とハーシュコウィッツさん。

また、このような屋外テラス付き物件はマンハッタンではそれほど多くないということ。確かに街中を見て回っても、自分の住宅にテラスやベランダがあるのは「ほんの一部の特別な物件」ということがわかります 。

テラスだけで250スクエアフィート(約23.2平米)あり、大きなチェアやテーブルを     置いても十分ゆとりがあるほど(写真撮影/Kasumi Abe)

テラスだけで250スクエアフィート(約23.2平米)あり、大きなチェアやテーブルを置いても十分ゆとりがあるほど(写真撮影/Kasumi Abe)

向かいには高層ビルが立っていますが、大きな通りを挟んでいるのでご近所との圧迫感などは感じません(写真撮影/Kasumi Abe)

向かいには高層ビルが立っていますが、大きな通りを挟んでいるのでご近所との圧迫感などは感じません(写真撮影/Kasumi Abe)

5Bの気になるお値段ですが、販売価格は419万5000ドル(約4億8000万円超)。これに加えて3288ドル(約33万円)の共益費と3148ドル(約32万円)の税金が毎月かかります。共益費はドアマンや共有部の清掃、光熱費などで、この物件だけが特別なわけではなく、ニューヨークの高級物件を購入した場合は通常これくらいになります(支払い方法は、契約内容次第)。

ピンからキリまでさまざまな物件があるニューヨークでは数億円単位の物件は決して珍しくありませんが、その中でもこのビルは、(設備や周りの環境も含めた)物件自体の価値を総合的に判断すると、かなりラグジュアリーな物件と言えるでしょう。

また5Bの隣のユニット、5Aも同様に専用エレベーターがついています。

(写真撮影/Kasumi Abe)

(写真撮影/Kasumi Abe)

1562スクエアフィート(約145平米)の面積に、3ベッドルーム(寝室)、2.5バスルーム(浴室とトイレ)、リビングルーム、ダイニングルーム、キッチンエリアなどを含む全6室が完備されています。

5Aの購入価格は290万ドル(約3億3000万円超)。こちらの物件にも共益費と税金が毎月かかります。

5Aのベッドルーム(写真撮影/Kasumi Abe)

5Aのベッドルーム(写真撮影/Kasumi Abe)

バーベキューグリルも完備の眺望の良い屋上(完成予想図)。私だったらラップトップ(ノートパソコン)を持参し、マンハッタンの景色を見ながら執筆仕事をしたり、天気の良い日は日向ぼっこしたり、友人を招待してバーベキューパーティーをしたりしたいです(写真提供/212 West 93rd Street)

バーベキューグリルも完備の眺望の良い屋上(完成予想図)。私だったらラップトップ(ノートパソコン)を持参し、マンハッタンの景色を見ながら執筆仕事をしたり、天気の良い日は日向ぼっこしたり、友人を招待してバーベキューパーティーをしたりしたいです(写真提供/212 West 93rd Street)

そのほか、住民専用のスポーツジム、ビル自体にキッズルーム、ロッカーや倉庫スペースなども完備されています。ロビーなどの共有部分は2020年に工事がスタートし、今年の第1クオーター(1~3月)にすべての共有部分が完成予定です。

お問い合わせは、プライベートをより重視した人、中心地ではなく少し離れた落ち着いた環境をお求めになられている高所得者層の人(国内、国外)からあるようです。内見を終え、コロナ以降もこのようなプライベート空間が充実したアパートの需要が高まっていくと思いました。

■取材協力
212 West 93rd Street

※記事中の部屋情報
#5B – 212 West 93rd Street
$4,195,000 ↓
8 rooms, 4 beds3 baths約190平米

#5A – 212 West 93rd Street
$2,900,000 6 rooms, 3 beds2 baths, 1 half bath
約145平米

房総半島の小屋で二拠点生活。都会と地方を行き来する新しい生き方

新型コロナウイルスの影響で、働き方と住まいの関係が大きく変わる今、タイニーハウスなどの小屋暮らしや、時間とお金に余裕のある人しか実現できない絵空事ではなくなりつつあります。今回は、房総半島にある「シラハマ校舎」で二拠点生活を楽しむ2家族にインタビュー。等身大の二拠点生活に迫ります。

購入待ちは40組以上! 廃校跡地に建つ18棟の無印良品の小屋小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎があるのは、房総半島の先端、千葉県南房総市白浜町。東京都心からは車で2時間あまり、公共交通機関なら最寄駅から路線バスに30分ほど乗る必要があるためか、関東にありながらもどこか“秘境”、時間以上に遠方に来たような雰囲気が漂います。

シラハマ校舎は、廃校となった長尾小学校・幼稚園の敷地と建物をコンバージョン(用途変更)した施設で、18の小屋とレストラン(完全予約制)、シェアオフィス、コワーキングスペース、宿泊施設から成ります。事業がはじまったのは2016年ですが、小屋は2019年に完売し、現在は40組以上のウェイティングリストがある大人気物件です。

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋は「無地良品の小屋」として販売されているもので、複数戸が村のようにずらりと並ぶのは世界でもここだけ。建物は規格品に沿っていますが、ディスプレイや外観に少しずつオーナーの個性が現れるので、見ているだけでも楽しいもの。小屋の内部の広さは9平米で、大人がなんとか4人宿泊できるサイズ。バスやトイレ、キッチンは校舎のものを使用するので、建物は寝室・リビングとして役割を果たします。価格は1棟300万円ほどで、比較的短時間で来られること、密が避けられることといったことに加え、「小屋」で維持管理がかんたんであることなどに惹かれ、特にコロナ禍以降はひっきりなしに問い合わせが来ているといいます。

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

今回、取材させてもらった2家族は、「コンパクトでチャレンジしやすい」「メンテナンスもラク」という小屋にひかれて、二拠点生活をはじめたといいます。2家族が知り合ったきっかけはシラハマ校舎だったそうですが、今では会社の人以上に「顔を合わせている」というほどの仲良しに。では、実際にどんな使い方をしているのか、話を伺ってみましょう。

「小屋? ナニソレ?」からはじまった二拠点生活

小屋のオーナーである西岡ご夫妻は埼玉県在住で、二人の男の子とともに、週末や長期休みにこのシラハマ校舎で過ごしています。もともと夫が釣りやキャンプが好きだったことがきっかけで、小屋の購入を考えたそう。

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「子どもが小さいかったころ、いっしょに『おさるのジョージ』という米国のアニメを見ていたんです。主人公のおさると黄色い帽子のおじさんは、普段、都会で暮らしているんですが、週末や長期休みは田舎で過ごすんですね。自分はあれで二拠点生活のイメージをつかんで、楽しそうだなあと思っていたんです。その後、小屋の存在を知り、妻に相談したんですが、『小屋を買う』って言っても『え?何を言ってるの?』って、なかなか二拠点生活や小屋について理解が得られず……。確かに別荘とも違うし、キャンプとも違う。家はすでにあるし、イメージがつかみにくかったんだと思います。そこで、ここにいるときは、食事は自分がつくるという約束で購入しました(笑)」といいます。現在は月1回または、2週間に1回程度、週末、家族で過ごしているそう。

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「私はアクティブではないので、夫に連れられてきています。家事は夫がする約束ですが、やっぱりそれだけでは追いつかないので、実際は私もやっています。男の子はエネルギーの塊なので、ここで発散しています」と妻が言うとおり、5年生と3年生の兄弟は元気いっぱい、芝生の上を元気に走り回っています。

「お兄ちゃんは塾に通っていますが、小屋に行くという理由で、夏期講習や冬期講習は休んでいます。どうやらうちだけみたいなので、驚かれますね」と夫。現代の子育てでは、子どもたちを静かにさせるためにゲームや動画は欠かせませんが、こうした大人気のゲーム端末は持って行かず、スマートフォンで観る動画も必要最低限のみ。その代わり、親である夫が子どもたちと向き合い、全力で遊んでいるのが印象的です。とはいえ、全力で遊び過ぎてしまうため、この冬休み期間中は、一度、寝込んでしまったとか。

「この間、万歩計を見たら、一日2万歩を記録していました。だからそんな毎週末は来られません」と苦笑いしますが、やはり小屋があることが、「人生の楽しみ」につながっているそう。

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「敷地管理などをシラハマ校舎の管理人である多田さんにおまかせできるのは大きいです。荷物は常に置いておけるし、別荘ほど大きくないから、管理もラク。家族4人でテーマパークや旅行に行けば1回あたり10万~20万はあっという間。それを考えれば、建物の金額は高くないと感じています」と話します。一生のうち親子が一緒に過ごせる時間は案外、短いもの。都会とは違う場所があることで、子どもの可能性を伸ばし、また親もリフレッシュできるのかもしれません。

二拠点生活は暮らしの延長線。毎週通っているから親子で発見がある

藤田さん夫妻は、2020年に小屋を購入。西岡さん夫妻と同じく2人のお子さんがいる4人家族で、東京都在住。ほぼ毎週、シラハマ校舎に来ているといいます。

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「コロナ禍では長く過ごしたこともあり、今ではすっかり気心がしれた仲に。毎週水曜になると白浜の天気をチェックして、木曜になると西岡さんに連絡して(笑)、金曜日の夜9時に自宅を出発、夜11時ごろにここに到着するスケジュールでしょうか。土日はまるまるここで過ごしています」。旅行ではなく、あくまでも暮らしの延長線、自然なことだそう。夫婦交代で校舎内のコワーキングスペースで仕事をすることもあります。

「ここにいると他の小屋を利用している家族を含めた子ども同士で遊んでくれるから、気持ちの面でラクになります。ただ、その分、金曜日までは大忙し。子どもの習い事も予定も、ぎゅっと平日に詰め込んでいます。家事はテレワークだから平日でもできている部分もありましたが、最近は出社することも増えたので、正直、家事はまわっていません(笑)」と妻はあっけらかんと話します。西岡さんと同様、もともと夫妻ともにアウトドア好きで、小屋の購入を決断したそう。

「当初は購入を迷っていたんですけれど、小屋がどんどん売れてしまって、あと残り1棟ですって言われてあわてて申し込んだんです。その後、コロナの流行があって、強制的にテレワークになって……。ここがあってほんとに良かったなと思いました。家族みんなにとっての、息抜きの場所になっていますから」と夫が話します。

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「キャンプって、設営と撤収でけっこうな時間がかかるし、それから焚き火をして料理をするのは大変。用具の手入れや後片付けもある。この小屋だとその必要がなくて、来て布団を敷けばすぐに眠れるし、すぐ遊べる。理想のかたちでした」と妻は言います。さらに旅行との違いとして、いつもの場所に来る良さがある、と続けます。

「毎週、来ているので季節ごとの雲の形や海の色、緑の様子、波の様子など、変化に気がつけるし、親子で発見があるんです。それは通っている強みだなと思います」と妻。

「二拠点生活で良いのは、まったく異なる価値観に触れられることでしょうか。都会は効率よくて仕事もあって、情報や人も集まっていて、出会いや刺激がある。でも、白浜は漁師町ということもあり、地元の人はたくましくてちょっとあらっぽいところもある。この前なんて、『サラリーマンはいいよな、会社にいけばお給料がもらえるんだろ』って言われたり(笑)」。なるほど、都会と地方を行き来し、価値観がゆさぶられるというのは、貴重な体験といえるかもしれません。

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

海釣りのために船を共同購入!

さらに藤田さんと西岡さんは最近、共同で船を購入したのだとか!
「西岡さんの影響で海釣りにハマって、船を買おうかという話が持ち上がって、トントン拍子で購入しました。高いものではなくて、本当に漁船(笑)」(藤田さん)と楽しそう。

(写真提供/藤田さん)

(写真提供/藤田さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

いちばん好きな季節は夏。釣れないと子どもたちは海に潜ってしまうこともあるそう。たくましい……。

(写真提供/西岡さん)

(写真提供/西岡さん)

「二拠点生活の話を会社の人や友人に話すと、みんな『いいね』とか『私にはできない』っていうんですけど、そんなに難しくないです。やればできるし、やったら絶対楽しい(笑)。子どものためといいつつ、大人が人生を楽しまないと」と妻。

今後のシラハマ校舎は防災拠点としての活用も

実はシラハマ校舎は、2018年の台風によって停電する被害に遭いました。その経験も踏まえ、今後は隣の敷地にマイクログリッド・オフグリッドハウス(※送電網が「オフ」な状態、送電網につながらずともライフラインを維持できる住まいのこと)をつくり、防災拠点としての活用も見据えているそう。小屋と防災を組み合わせた新しい展開ですね。

コロナ禍では、おうちキャンプを楽しむ人が増えましたが、テントに入ると小さな空間が持つ豊かさに気づかされます。小屋はそんな小さな豊かさを体現した存在です。リフレッシュの場所として、地域交流の場所、防災の拠点として。日本人の暮らしになじむ小屋はまだまだ増えていくに違いありません。

●取材協力
シラハマ校舎
現在は新型コロナウイルスの影響もあり、建物内部は見学できません

コロナ禍で「小屋で二拠点生活」が人気! 廃校利用のシラハマ校舎に行ってみた 千葉県南房総市

新型コロナウイルスの影響で、働き方と住まいの関係が大きく変わる今、タイニーハウスなどの小屋暮らしや、時間とお金に余裕のある人しか実現できない絵空事ではなくなりつつあります。今回は、房総半島にある「シラハマ校舎」で二拠点生活を楽しむ2家族にインタビュー。等身大の二拠点生活に迫ります。

購入待ちは40組以上! 廃校跡地に建つ18棟の無印良品の小屋小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

小学校の敷地と建物を再利用してできた施設「シラハマ校舎」。近年は、学校跡地の有効活用ということで全国から視察が絶えないそう(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎があるのは、房総半島の先端、千葉県南房総市白浜町。東京都心からは車で2時間あまり、公共交通機関なら最寄駅から路線バスに30分ほど乗る必要があるためか、関東にありながらもどこか“秘境”、時間以上に遠方に来たような雰囲気が漂います。

シラハマ校舎は、廃校となった長尾小学校・幼稚園の敷地と建物をコンバージョン(用途変更)した施設で、18の小屋とレストラン(完全予約制)、シェアオフィス、コワーキングスペース、宿泊施設から成ります。事業がはじまったのは2016年ですが、小屋は2019年に完売し、現在は40組以上のウェイティングリストがある大人気物件です。

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

目の前には太平洋。すぐ裏手は山という自然豊かな環境。愛らしい小屋が並んでいます(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

シラハマ校舎の内部。もともと学校だったため、「初めてなのに懐かしい」「おしゃれで居心地がいい」不思議な空間です(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

校舎にある一部屋(オフィス兼居住スペース)を拝見。こんなにおしゃれなのに、学校でおなじみの黒板が同居しているというギャップ(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

レストラン(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

こちらは宿泊施設(撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋は「無地良品の小屋」として販売されているもので、複数戸が村のようにずらりと並ぶのは世界でもここだけ。建物は規格品に沿っていますが、ディスプレイや外観に少しずつオーナーの個性が現れるので、見ているだけでも楽しいもの。小屋の内部の広さは9平米で、大人がなんとか4人宿泊できるサイズ。バスやトイレ、キッチンは校舎のものを使用するので、建物は寝室・リビングとして役割を果たします。価格は1棟300万円ほどで、比較的短時間で来られること、密が避けられることといったことに加え、「小屋」で維持管理がかんたんであることなどに惹かれ、特にコロナ禍以降はひっきりなしに問い合わせが来ているといいます。

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

芝生の敷地にズラリと並ぶ小屋。テラスのような玄関から部屋にはいっていく(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

お風呂とシャワーは別棟にあるので、そこを利用。都会生活の快適さとキャンプの楽しさの両方を味わえます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

今回、取材させてもらった2家族は、「コンパクトでチャレンジしやすい」「メンテナンスもラク」という小屋にひかれて、二拠点生活をはじめたといいます。2家族が知り合ったきっかけはシラハマ校舎だったそうですが、今では会社の人以上に「顔を合わせている」というほどの仲良しに。では、実際にどんな使い方をしているのか、話を伺ってみましょう。

「小屋? ナニソレ?」からはじまった二拠点生活

小屋のオーナーである西岡ご夫妻は埼玉県在住で、二人の男の子とともに、週末や長期休みにこのシラハマ校舎で過ごしています。もともと夫が釣りやキャンプが好きだったことがきっかけで、小屋の購入を考えたそう。

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さん家族。男の子たちは冬にも関わらず水鉄砲を持って元気に走りまわっていました(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「子どもが小さいかったころ、いっしょに『おさるのジョージ』という米国のアニメを見ていたんです。主人公のおさると黄色い帽子のおじさんは、普段、都会で暮らしているんですが、週末や長期休みは田舎で過ごすんですね。自分はあれで二拠点生活のイメージをつかんで、楽しそうだなあと思っていたんです。その後、小屋の存在を知り、妻に相談したんですが、『小屋を買う』って言っても『え?何を言ってるの?』って、なかなか二拠点生活や小屋について理解が得られず……。確かに別荘とも違うし、キャンプとも違う。家はすでにあるし、イメージがつかみにくかったんだと思います。そこで、ここにいるときは、食事は自分がつくるという約束で購入しました(笑)」といいます。現在は月1回または、2週間に1回程度、週末、家族で過ごしているそう。

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

西岡さんの小屋。月末や長期休みに訪れます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

小屋には本と釣り道具がずらり。大人がわくわくします(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「私はアクティブではないので、夫に連れられてきています。家事は夫がする約束ですが、やっぱりそれだけでは追いつかないので、実際は私もやっています。男の子はエネルギーの塊なので、ここで発散しています」と妻が言うとおり、5年生と3年生の兄弟は元気いっぱい、芝生の上を元気に走り回っています。

「お兄ちゃんは塾に通っていますが、小屋に行くという理由で、夏期講習や冬期講習は休んでいます。どうやらうちだけみたいなので、驚かれますね」と夫。現代の子育てでは、子どもたちを静かにさせるためにゲームや動画は欠かせませんが、こうした大人気のゲーム端末は持って行かず、スマートフォンで観る動画も必要最低限のみ。その代わり、親である夫が子どもたちと向き合い、全力で遊んでいるのが印象的です。とはいえ、全力で遊び過ぎてしまうため、この冬休み期間中は、一度、寝込んでしまったとか。

「この間、万歩計を見たら、一日2万歩を記録していました。だからそんな毎週末は来られません」と苦笑いしますが、やはり小屋があることが、「人生の楽しみ」につながっているそう。

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

敷地にテントを設置。子どもたちは思い思いに遊んでいます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「敷地管理などをシラハマ校舎の管理人である多田さんにおまかせできるのは大きいです。荷物は常に置いておけるし、別荘ほど大きくないから、管理もラク。家族4人でテーマパークや旅行に行けば1回あたり10万~20万はあっという間。それを考えれば、建物の金額は高くないと感じています」と話します。一生のうち親子が一緒に過ごせる時間は案外、短いもの。都会とは違う場所があることで、子どもの可能性を伸ばし、また親もリフレッシュできるのかもしれません。

二拠点生活は暮らしの延長線。毎週通っているから親子で発見がある

藤田さん夫妻は、2020年に小屋を購入。西岡さん夫妻と同じく2人のお子さんがいる4人家族で、東京都在住。ほぼ毎週、シラハマ校舎に来ているといいます。

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

藤田さん家族。取材時、お兄ちゃんは宿題をしていました。小屋での生活が、日常生活の延長にあるんですね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「コロナ禍では長く過ごしたこともあり、今ではすっかり気心がしれた仲に。毎週水曜になると白浜の天気をチェックして、木曜になると西岡さんに連絡して(笑)、金曜日の夜9時に自宅を出発、夜11時ごろにここに到着するスケジュールでしょうか。土日はまるまるここで過ごしています」。旅行ではなく、あくまでも暮らしの延長線、自然なことだそう。夫婦交代で校舎内のコワーキングスペースで仕事をすることもあります。

「ここにいると他の小屋を利用している家族を含めた子ども同士で遊んでくれるから、気持ちの面でラクになります。ただ、その分、金曜日までは大忙し。子どもの習い事も予定も、ぎゅっと平日に詰め込んでいます。家事はテレワークだから平日でもできている部分もありましたが、最近は出社することも増えたので、正直、家事はまわっていません(笑)」と妻はあっけらかんと話します。西岡さんと同様、もともと夫妻ともにアウトドア好きで、小屋の購入を決断したそう。

「当初は購入を迷っていたんですけれど、小屋がどんどん売れてしまって、あと残り1棟ですって言われてあわてて申し込んだんです。その後、コロナの流行があって、強制的にテレワークになって……。ここがあってほんとに良かったなと思いました。家族みんなにとっての、息抜きの場所になっていますから」と夫が話します。

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

ほぼ毎週末、来ているというだけあって、家電類も充実。小屋は外観から受ける印象以上に広く使えます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

「キャンプって、設営と撤収でけっこうな時間がかかるし、それから焚き火をして料理をするのは大変。用具の手入れや後片付けもある。この小屋だとその必要がなくて、来て布団を敷けばすぐに眠れるし、すぐ遊べる。理想のかたちでした」と妻は言います。さらに旅行との違いとして、いつもの場所に来る良さがある、と続けます。

「毎週、来ているので季節ごとの雲の形や海の色、緑の様子、波の様子など、変化に気がつけるし、親子で発見があるんです。それは通っている強みだなと思います」と妻。

「二拠点生活で良いのは、まったく異なる価値観に触れられることでしょうか。都会は効率よくて仕事もあって、情報や人も集まっていて、出会いや刺激がある。でも、白浜は漁師町ということもあり、地元の人はたくましくてちょっとあらっぽいところもある。この前なんて、『サラリーマンはいいよな、会社にいけばお給料がもらえるんだろ』って言われたり(笑)」。なるほど、都会と地方を行き来し、価値観がゆさぶられるというのは、貴重な体験といえるかもしれません。

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

みんなで裏山に薪木を拾いにいきます。昔話でおなじみ、「おじいさんは芝刈りに」をリアルに体験している令和の子ども、いいなあ(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

集めた薪木で火をおこす子どもたち。慣れた手付きで、たくましさを感じます(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

取材時の昼食はうどん。みんなで火をおこして、うどんを茹でて外で食べる。それだけで最高のごちそう!(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

潮風を浴びて食べるご飯って、世界一美味しいよね(写真撮影/ヒロタ ケンジ)

海釣りのために船を共同購入!

さらに藤田さんと西岡さんは最近、共同で船を購入したのだとか!
「西岡さんの影響で海釣りにハマって、船を買おうかという話が持ち上がって、トントン拍子で購入しました。高いものではなくて、本当に漁船(笑)」(藤田さん)と楽しそう。

(写真提供/藤田さん)

(写真提供/藤田さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

スケジュールが合う時は西岡家、藤田家で一緒に船に乗るのだとか。釣った魚をシェアキッチンで子どもがさばいて、夕飯に刺身やあら汁を食べるのだそう!(写真提供/西岡さん)

いちばん好きな季節は夏。釣れないと子どもたちは海に潜ってしまうこともあるそう。たくましい……。

(写真提供/西岡さん)

(写真提供/西岡さん)

「二拠点生活の話を会社の人や友人に話すと、みんな『いいね』とか『私にはできない』っていうんですけど、そんなに難しくないです。やればできるし、やったら絶対楽しい(笑)。子どものためといいつつ、大人が人生を楽しまないと」と妻。

今後のシラハマ校舎は防災拠点としての活用も

実はシラハマ校舎は、2018年の台風によって停電する被害に遭いました。その経験も踏まえ、今後は隣の敷地にマイクログリッド・オフグリッドハウス(※送電網が「オフ」な状態、送電網につながらずともライフラインを維持できる住まいのこと)をつくり、防災拠点としての活用も見据えているそう。小屋と防災を組み合わせた新しい展開ですね。

コロナ禍では、おうちキャンプを楽しむ人が増えましたが、テントに入ると小さな空間が持つ豊かさに気づかされます。小屋はそんな小さな豊かさを体現した存在です。リフレッシュの場所として、地域交流の場所、防災の拠点として。日本人の暮らしになじむ小屋はまだまだ増えていくに違いありません。

●取材協力
シラハマ校舎
現在は新型コロナウイルスの影響もあり、建物内部は見学できません

管理費が急に値上げ! 都心マンションの「駐車場」が抱える根深い問題

多くのマンションは駐車場を所有し、使用者が使用料を負担する仕組みにしていますが、空いているケースも見られます。駐車場からの収益は管理費に充当することが望ましいとされており、空きがでることで、管理組合の収入が減り、管理費の値上げを迫られることも。「マンション・バリューアップ・アワード2020」受賞事例の中から、駐車場の収益改善で、管理費の値上げを阻止した成功事例を紹介します。

車所有者が年々減少。駐車場の空き問題が管理組合の財政を圧迫

公共交通機関が充実し、カーシェアリングの普及が進む都市部のマンションでは、車を所有する人が減少し、マンションの駐車場の契約者が減る傾向があり、駐車場使用料の収入減につながっています。さらに、機械式駐車場などメンテナンスコストや修繕費が計画当初よりも値上がりすれば、想定外の経費が増えることに。管理組合の財政を圧迫し、管理費の値上げを迫られる場合があるのです。

空き駐車場問題に直面したマンションの管理会社は、様々なノウハウを活かし、駐車場の維持管理費の削減や使用料金の収益改善の提案をしています。「住み心地の向上」や「建物の適切な維持・管理」の優れた事例やアイデアを募集する「マンション・バリューアップ・アワード2020」(マンション管理業協会開催)を受賞した管理会社に、経緯と成功のポイントを聞きました。

タワーマンションの空き駐車場問題を、区画改修で改善

財政部門(組合財政の健全化)の部門賞を受賞したのが、住友不動産建物サービスが管理している東京都港区のタワーマンション「ワールドシティタワーズ」の事例です。4年前より「ワールドシティタワーズ」の担当になった営業所長の友光学さんは、着任早々さまざまな課題に直面しました。

「消費税増税による支出増加や人件費の高騰などで管理組合の支出が大幅に上がってしまい、このままいけば、管理費の値上げは避けられない状況でした。管理費を上げずにいかに諸問題に対応できるか、2017年1月頃からさまざまな検討をはじめました」(友光さん)

総戸数2000戸を超える「ワールドシティタワーズ」(画像提供/住友不動産建物サービス)

総戸数2000戸を超える「ワールドシティタワーズ」(画像提供/住友不動産建物サービス)

マンションの駐車場の空き問題は管理組合の収入減に直結するため、理事会の悩みの種になっている(画像提供/住友不動産建物サービス)

マンションの駐車場の空き問題は管理組合の収入減に直結するため、理事会の悩みの種になっている(画像提供/住友不動産建物サービス)

助成金や補助金を活用し、共用部分の照明のLED化やテレビブースターなど共聴設備更新工事などの経費削減を進めながら、倉庫を賃貸化して収入を得たり、資源ごみの買取りによる収益改善策を講じました。さまざま検討を重ねるなかで、着目したのが、駐車場の待機者リストでした。

「1302台の駐車場区画には平置きと機械式駐車場があります。機械式駐車場には、車高、車幅、車長の異なる様々なタイプのパレット(1台分の駐車スペース)がありました。そのなかに人気のあるパレットと人気のないパレットがあることに気づきました。平置き及び特大駐車場は満車で、1台目の待機者が36名もいることに着目。人気なのは、車幅1950cmの大きな外車が入れられるパレット。人気のないパレットをつぶして人気のあるサイズにできないか。そこから、駐車場の区画改修の検討が始まりました」(友光さん)

機械式駐車場のメーカー、住友不動産建物サービスの技術担当者と何度も打合せを重ねた結果、設備的な問題点をクリアし、1つの駐車場の設備あたり5000万円の改修費用が発生する見積りが出ました。

「待機者リストには2種類ありました。現在、マンションの敷地外に借りている人で一台目を駐車するため待っている人、マンションの駐車場を借りてはいるが、大きなパレットに移動したい人です。マンションの駐車場を借りてくれれば、その分が管理組合の収入増になります。その場合の使用料を計算すると、5000万円が8年位で回収できると試算。管理組合にメリットがあると判断し、理事会に提案しました」(友光さん)

理事会はすぐに提案を承認し、駐車場の区画改修プロジェクトが開始しました。

友光さんは、2年前から担当に加わった岩佐淳史さんと協力しながら、コツコツとデータを集め、わかりやすいプレゼン資料を作成。居住者のメリットが伝わり、総会ではスムーズに可決されました。プロジェクト開始前の検討期間を入れると、工事完了までに3年がかかりましたが、1302台のうち元々321台あった空きを、改修後は、201台の空きに減らすことができたのです。

「年間約1600万円の駐車場使用料の増収が見込まれています。改修工事だけで120台減ったとは言えませんが、空き問題を解決するだけでなく、待機者のニーズを満たせて、居住者の利便性向上にもつながったと思います」(友光さん)

管理会社の経験を信頼して、一緒にマンションの資産価値を守る

今回の事例が成功した背景のひとつとして、友光さんは、4年前からはじまった住友不動産建物サービスの「現場密着型の管理」を挙げます。

「担当者は基本的にマンションに常駐するようになり、居住者の方と近い感覚を持てるようになりました。雑談のなかで、マンションの困りごとを直接聞けるようになったんです。理事会との関係性も格段に良くなりました。今まで引き出せなかった問題を知ることで、会社にストックされたノウハウや個人の経験から改善策が導かれていく。良い循環が生まれるようになりました」(友光さん)

友光さんと岩佐さん。「マンション・バリューアップ・アワード2020」受賞で、「居住者からの感謝の言葉が何よりうれしかった」と言う(画像提供/住友不動産建物サービス)

友光さんと岩佐さん。「マンション・バリューアップ・アワード2020」受賞で、「居住者からの感謝の言葉が何よりうれしかった」と言う(画像提供/住友不動産建物サービス)

契約者が年々減少。機械式駐車場の平面化で解決

駐車場の空き区画問題の解決策のひとつとして、「平面化工事」があります。平面化工事とは、機械式駐車場を砕石等で埋め戻し、アスファルト舗装等で仕上げをしたり、機械式駐車場を撤去したあとに鋼板スラブを設置する工事のこと。機械式駐車場の利用者の減少に合わせて台数を減らすことができ、メンテナンスコストや修繕費用を削減する目的で行われています。

大和ライフネクストが管理する総戸数42戸の大阪市内のマンションは、「平面化工事」の成功事例として、「マンション・バリューアップ・アワード2020」財政部門で佳作を受賞しました。担当したマンション事業本部の竹ノ下巧さんに平面化に至るまでの経緯を聞きました。

当時、築24年を迎えたマンションは、年々駐車場の空き区画が増えている状況でした。そして、2020年4月に、ある所有者が複数の駐車場区画を全て解約したため、駐車場35区画のうち空きが14区画に。マンションの収入が著しく減少する事態になりました。

「解約の書面を受け取ってすぐに、理事会に報告し、管理費を値上げするか、それとも他の方法があるのか検討しました。実は、マンションは、その前年に、修繕積立金の改定を行ったばかり。さらに、管理費を上げるのは居住者の理解を得られないと思い、何とかしなければという気持ちでした」(竹ノ下さん)

駐車場を借りたい方がいない状況を受けて提案したのが、機械式駐車場の平面化です。マンション所有の二段式機械式駐車場のうち一部を平面化することで、無駄な区画を削減し、機械式駐車場の維持費用の削減を試みました。

駐車場の解約による収入減は、約60万~75万円/月で、その分が管理費の値上げになってしまいます。理事会に提案したのは、35台分ある機械式駐車場の一部18台を800万円の工事費用をかけて埋め戻し、平置き駐車場9台に改修するというもの。その結果、機械式駐車場の維持メンテナンス費用を40%ほど削減できる計算です。

画像4

大和ライフネクストの事例では、2段式駐車場の一部である18台を平面駐車場9台に変更した。写真と本文とは関係ありません(PIXTA)

大和ライフネクストの事例では、2段式駐車場の一部である18台を平面駐車場9台に変更した。写真と本文とは関係ありません(PIXTA)

プロジェクトが始まり、竹ノ下さんは、大和ライフネクストの工事部と相談しながら提案資料を作成。保守費用、機器類交換、撤去・平面化の費用など今後30年間のシミュレーション等をつくりました。

そして、埋め戻しをするスペースの契約者で改修後は場所を移動する予定の居住者の家を訪ね、一人一人に説明。さらに、総会の前に住民アンケートを実施しました。このままでは、管理費の値上げになること、そのために、800万円を使って改修工事をすることについて賛否を問うことに。結果は8割が賛成でどちらともいえないが2割。反対者はいませんでした。埋め戻しと料金改定の2つの軸をしっかり切り分けた提案が理解され、事前説明のかいもあって、1回の総会で無事可決。工事までにかかった期間は約1年でした。

2021年に実施された改修工事により、将来見込まれていた機械式駐車場のメンテナンス費用が減り、金額にして今後30年間で約3000万円のコスト削減ができました。8年ほどで800万円の工事費用を回収でき、修繕積立金の負担が約2200万円軽減されることとなったため、管理費値上げ分とほぼ相殺できました。

竹ノ下さん。いちばん苦労した点は、「総会をスムーズに通すための下準備」。居住者の不安を解消する提案を心がけた(画像提供/大和ライフネクスト)

竹ノ下さん。いちばん苦労した点は、「総会をスムーズに通すための下準備」。居住者の不安を解消する提案を心がけた(画像提供/大和ライフネクスト)

管理組合、管理会社両方にメリットがある提案を常に探る

経営企画室の金坂将史さんは、機械式駐車場そのものが悪ではなく、時代のトレンドにあった収益改善・経費削減が必要と言います。

「そもそも40年前は、平置き駐車場が多かったんです。その後普及した機械式駐車場は、狭いスペースでも数を確保でき収益が出る計算で取り入れられた商品でした。しかし、時代が変わり、住民の高齢化や社会的な車離れによって、駐車場利用者が減り、空き駐車場に悩むマンションが増えてきました。大和ライフネクストが管理している全国のマンションでも5年ほど前から平面化の波が来ています。更新工事は、長期修繕計画に入っていますが、平面化はそこにないイレギュラーな工事。建物担当が注目していないとできない提案です」(金坂さん)

大和ライフネクストでは、2021年10月に空き駐車場課題解決に特化した組織を立ち上げ、11月より「駐車場診断」「駐車場サブリース」のサービス提供を開始しました。大和ライフネクスト管理受託マンションを中心に、管理受託外マンションやビル等建物の駐車場にも対応しています。

「収益化をやりたいという声は居住者からはなかなか出ないので、管理費の改善をするなかで、提案することが多いですね。経費削減や収益が上がる提案をしないと管理会社として生き残っていけないと考えています。管理組合、管理会社双方にメリットがあり、管理組合にとってリスクの少ない提案が、他社との差別化にもつながります」(金坂さん)

管理組合が抱える空き駐車場問題に、管理会社は、マンション管理のプロとして挑んでいました。管理組合と管理会社が垣根を越えて、お互いをパートナーとして信頼できれば、様々な問題の解決が早まりそうです。あなたのマンションでも、もしかしたらここ何年かで駐車場利用率に変化が起きているかもしれません。着目し話し合ってみてはどうでしょうか。

●取材協力
・住友不動産建物サービス株式会社
・大和ライフネクスト株式会社
●参考
マンションバリューアップアワード(一般社団法人マンション管理業協会)

明治大学(和泉キャンパス)学生の一人暮らしにオススメの街2022年! 家賃相場ランキングも

新年度が始まる4月に合わせて、そろそろ引越しを考えている人も増える時期。進学を機に大学の近くで一人暮らしを始める予定の学生もいるだろう。そんな新入生や、これから入学を目指す人の参考になるように、今回は明治大学 和泉(いずみ)キャンパスの最寄駅である明大前駅にアクセスしやすく、家賃相場が安い駅を調査。さらに不動産会社の方がおすすめする、和泉キャンパスに通う学生が住む街もご紹介していきたい。

明大前駅まで電車で15分以内の家賃相場が安い駅TOP15(17駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 調布 6.40万円(京王線/東京都調布市/12分/0回)
2位 三鷹台 6.50万円(京王井の頭線/東京都三鷹市/13分/0回)
2位 久我山 6.50万円(京王井の頭線/東京都杉並区/9分/0回)
4位 仙川 6.55万円(京王線/東京都調布市/11分/0回)
5位 富士見ケ丘 6.60万円(京王井の頭線/東京都杉並区/9分/0回)
6位 つつじケ丘 6.70万円(京王線/東京都調布市/12分/0回)
7位 成城学園前 6.90万円(小田急小田原線/東京都世田谷区/15分/1回)
8位 松原 6.97万円(東急世田谷線/東京都世田谷区/8分/1回)
9位 井の頭公園 7.00万円(京王井の頭線/東京都三鷹市/15分/0回)
9位 永福町 7.00万円(京王井の頭線/東京都杉並区/2分/0回)
11位 下高井戸 7.10万円(京王線/東京都世田谷区/1分/0回)
11位 千歳烏山 7.10万円(京王線/東京都世田谷区/7分/0回)
11位 西永福 7.10万円(京王井の頭線/東京都杉並区/4分/0回)
14位 経堂 7.20万円(小田急小田原線/東京都世田谷区/13分/1回)
15位 宮の坂 7.30万円(東急世田谷線/東京都世田谷区/12分/1回)
15位 桜上水 7.30万円(京王線/東京都世田谷区/2分/0回)
15位 高井戸 7.30万円(京王井の頭線/東京都杉並区/8分/0回)

「ハウスメイトショップ渋谷店」店長の山本泰史さんおすすめの駅
ランク外 明大前駅 7.80万円(京王線/東京都世田谷区/0分/0回)
ランク外 千歳烏山駅 7.10万円(京王線/東京都世田谷区/10分/1回)
ランク外 下北沢駅 8.40万円(京王線/東京都世田谷区/1分/0回)

大学名を冠した「明大前駅」周辺は生活する街としても魅力的

東京都内を中心に、4キャンパス・10学部を抱える明治大学。なかでも東京都杉並区にある和泉キャンパスは、主に法学部や商学部といった文系学部の1・2年生が通っている。大学から徒歩5分ほどの最寄駅はその名も「明大前駅」。明治大学予科(当時)が移転してきたのを機に1935年から、この駅名になったのだとか。

明大前駅(写真/PIXTA)

明大前駅(写真/PIXTA)

明大前駅は新宿駅まで京王線の特急で1駅・最短約5分、渋谷駅まで京王井の頭線の急行で2駅・最短約6分という好立地。2022年春のダイヤ改正により京王線特急の停車駅が増えて明大前駅から新宿駅まで2駅になるものの、便利さほど変わらない。駅ビル「フレンテ明大前」が併設され、スーパーや書店、飲食店などがある点も魅力の一つだ。駅周辺は細い路地に沿ってコンビニや100円ショップ、ファストフード店やラーメン店といったリーズナブルな飲食店が建ち並び、学生にも愛用されている。大型の商業施設はなく、駅前から少し離れると住宅街。また、明治大学以外にも日本女子体育大学の付属高校など学校が点在しており、通学時間帯の駅周辺は学生の姿でにぎわっている。

明大前駅周辺で住まい探しをする学生は実際に多く、「ハウスメイトショップ渋谷店」店長の山本泰史さんもイチオシだそう。

「大学生の住まい探しは、キャンパスまでドア・トゥ・ドアで30分以内、もしくは電車で2~3駅圏内がおすすめ。近年は自転車でも通える距離内でお探しになる方が増えています。また、住む街を選ぶ際はアルバイトや部活動など、授業以外の利便性も考慮したいところ。その点、明大前駅は渋谷駅や新宿駅に乗り換えなしでアクセスできて非常に便利。駅前商店街に飲食店も多く、コンパクトながら生活に必要な施設はそろっています」

そんな明大前駅から徒歩15分圏内にある、シングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。以下同)の家賃相場は7万8000円。便利な街だけあって、学生の一人暮らしにとって安くはない。もう少し家賃相場がお手ごろで魅力的な街として山本さんがおすすめしてくれたのが、今回調査したランキングの11位にも入っている京王線・千歳烏山駅だ。

千歳烏山駅(写真/PIXTA)

千歳烏山駅(写真/PIXTA)

家賃相場は明大前駅より7000円低い7万1000円となっており、「家賃を抑えたい方におすすめです」とのこと。「風情あふれる商店街があり、ドラッグストアや定食屋さんなど日常使いできる店が多数、建ち並んでいます。また、家具や工具を買いたい場合はホームセンターが隣駅の仙川にありますので、カーシェアなどを利用すれば20分程度で行くことが可能です」と山本さん。千歳烏山駅から明大前駅までは、京王線の準特急で1駅・約7分。先ほど述べた2022年春のダイヤ改正で準特急は廃止されるが、特急の停車駅として新たに加わり明大前駅から1駅で行ける点は同様だ。駅前には韓国発のフライドチキン専門店や家系ラーメン店といった若者に人気の飲食店や、昭和レトロな喫茶店、行列のできるベーカリーもある点も魅力だろう。

明大前駅まで乗り換えなし&15分以内の駅でも家賃相場は1万円以上も下がる

続いてランキング上位になった駅も見ていこう。明大前駅まで電車で15分圏内にある、家賃相場が最も安かった駅は京王線・調布駅。家賃相場は6万4000円で、明大前駅より1万4000円も下がる。調布駅は明大前駅と同様に、各駅停車から特急まですべての列車が停車する京王線を代表する駅の一つで、準特急や特急に乗れば約12分で明大前駅に到着する。

調布駅前(写真/PIXTA)

調布駅前(写真/PIXTA)

駅のホームは地下にあり、地上部分には2017年にオープンした駅ビル「トリエ京王調布」が建っている。3館に分かれたこの商業施設には、ファッション店や食品フロア、レストラン、家電量販店に映画館までそろい、日々の買い物から休日の息抜きにまでお役立ち。ほかにも駅周辺には「調布パルコ」をはじめ商業施設が充実し、大いににぎわっている。調布は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげる氏ゆかりの地でもあり、駅北側の「布多天神社」の参道に連なる「天神通り商店会」には鬼太郎や妖怪たちのモニュメントが点在している点も注目だ。

2位は京王井の頭線・三鷹台駅で家賃相場は6万5000円。明大前駅までは各駅停車で7駅・約13分で行けるほか、若者にも人気の街・吉祥寺駅に2駅・約3分で到着する。駅周辺は線路と沿うように神田川が流れており、川の北側にあるドラッグストアとコンビニの先には立教女学院の敷地と住宅地が広がる。商店が多いのは川と線路の南側。スーパーやコンビニのほか、三鷹台駅前通り沿いの商店街を中心にラーメン店や宅配ピザなどの飲食店も点在している。1駅隣には9位・井の頭公園駅があり、駅名通りに緑豊かな井の頭恩賜公園の最寄り駅なので電車や自転車で足を延ばしてもいいだろう。

三鷹台駅前周辺(写真/PIXTA)

三鷹台駅前周辺(写真/PIXTA)

京王井の頭線・久我山駅も、三鷹台駅と同じ家賃相場6万5000円で2位にランクイン。三鷹台駅から井の頭公園駅とは逆方向、明大前・渋谷方面に1駅進むと久我山駅に到着する。駅舎と一体になったビルには朝から営業しているベーカリーやファミレス、書店があるほか、駅の北側と南側それぞれにスーパーやドラッグストア、コンビニも備わっている。気軽に利用できる持ち帰り弁当店やコーヒーショップにラーメン店、居酒屋もあり、食事には困らないだろう。三鷹台駅前を流れる神田川は久我山駅前にも続いており、川沿いには緑地や「都立高井戸公園」「宮下橋公園」などほっと寛げる場所もある。

流行に敏感な人には、新スポット目白押しの下北沢駅も要チェック!

さて、明治大学の学生が住む街として前出の山本さんはもう1駅、おすすめしてくれた。それは京王井の頭線・下北沢駅。

「バンド、サブカル、古着の聖地。駅前商店街はいつも20代の若者でにぎわっており、学生さんにとても人気がある街です。そのぶん少々、家賃は高いですが……」と話す山本さん。家賃相場を調べてみると8万4000円で、明大前駅よりもアップしてしまう点は確かにネックかもしれない。しかし明大前駅までは京王井の頭線の各駅停車で3駅・約3分、そして渋谷駅までは急行で1駅・約4分、各駅停車でも4駅・7~8分。小田急線も乗り入れているので、通勤急行や快速急行に乗って2駅・約9分で新宿駅にも出られるアクセスのよさが魅力的。

「reload」(写真撮影/相馬ミナ)

「reload」(写真撮影/相馬ミナ)

「BONUS TRACK」(写真撮影/相馬ミナ)

「BONUS TRACK」(写真撮影/相馬ミナ)

下北沢の街自体も山本さんがおすすめするように若者に人気があり、わざわざ遠方から遊びに来る人も少なくない。小田急線の地下化により生まれた線路跡地の開発が進められ、2020年4月には飲食店や物販店、コワーキングスペースなどが立ち並ぶカルチャー発信地「ボーナストラック」ができたほか、2021年6月~9月には下北沢駅と東北沢駅の中間エリアに商業空間「reload(リ・ロード)」や都市型ホテル「MUSTARD HOTEL SHIMOKITAZAWA(マスタードホテル 下北沢)」、エンタメカフェ「ADRIFT(アドリフト)」が相次いで誕生。この線路跡地一帯「下北線路街」では2022年1月にもミニシアターや宿を備えた商業施設が開業予定なので、今後はますます下北沢の注目度が高まりそうだ。話題の施設が集まる刺激的な街で暮らしてプライベートを充実させたい人に、下北沢はうってつけかもしれない。

●関連記事
下北沢は開発でどう変貌した? 全長1.7km「下北線路街」がすごかった!

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている明大前駅まで15分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/8~2021/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年10月1日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

早稲田大学(早稲田キャンパス)学生の一人暮らしにオススメの街2022年! 家賃相場ランキングも

引越しをするタイミングで多いのは、進学や就職など新生活を始めるとき。この春から大学に進学し、初めての一人暮らしをスタートさせる人もいるだろう。そんな新入生や、これから入学を目指す人の参考になるように、今回は早稲田大学・早稲田キャンパスの最寄駅にアクセスしやすく、家賃相場が安い駅を調査。さらに不動産会社の方から、早稲田キャンパスに通う学生が住む街としておすすめの駅について教えてもらった。ではさっそく見ていこう。

早稲田キャンパス最寄駅まで電車で20分以内の家賃相場が安い駅TOP10

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数/到着駅)
1位 小竹向原 6.9万円(東京メトロ副都心線/東京都練馬区/11分/0回/西早稲田(東京メトロ副都心線※以下略))
1位 野方 6.9万円(西武新宿線/東京都中野区/12分/0回/高田馬場(JR・西武新宿線※以下略))
3位 下井草 7万円(西武新宿線/東京都杉並区/15分/1回/高田馬場)
3位 千川 7.0万円(東京メトロ副都心線/東京都豊島区/9分/0回/西早稲田)
5位 都立家政 7.2万円(西武新宿線/東京都中野区/14分/0回/高田馬場)
5位 阿佐ケ谷 7.2万円(JR総武線/東京都杉並区/11分/0回/高田馬場)
7位 東長崎 7.3万円(西武池袋線/東京都豊島区/15分/1回/高田馬場)
7位 沼袋 7.3万円(西武新宿線/東京都中野区/8分/0回/高田馬場)
7位 鷺ノ宮 7.3万円(西武新宿線/東京都中野区/10分/0回/高田馬場)
10位 新桜台 7.35万円(西武有楽町線/東京都練馬区/14分/1回/西早稲田)

「ハウスメイトショップ新宿店」店長の大堀智史さんおすすめの駅
ランク外 和光市 6.50万円(東武東上線/埼玉県和光市/23分/1回/高田馬場(JR・西武新宿線))
ランク外 朝霞台 5.25 万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/27分/1回/高田馬場(JR・西武新宿線))
ランク外 朝霞 5.70万円(東武東上線/埼玉県朝霞市/26分/1回/高田馬場(JR・西武新宿線))

複数の駅に囲まれた早稲田キャンパス周辺は学生が集う街

2022年に創立140周年を迎える早稲田大学を代表するキャンパスと言えば、国の重要文化財に指定された大隈講堂が建つ東京都新宿区の早稲田キャンパス。6つの学部生が通うキャンパスは、JR山手線と西武新宿線、東京メトロ東西線が通る高田馬場駅から東へ歩いて20分ほど。駅から早稲田キャンパスに向かう通りは「早稲田通り」と呼ばれている。数多くの飲食店に加えて古書店も建ち並んでいる点は、さすが大学お膝元の街といった趣だ。またこの一帯には早稲田大学のほかに学習院女子大学もあるほか、高校や専門学校、学習塾も多いので、学生らしき若者の姿もよく見かける。

早稲田キャンパスのすぐ近くにはサークル活動の拠点である学生会館を備えた戸山キャンパスがあるほか、高田馬場駅から徒歩15分ほどの場所には西早稲田キャンパスも。各キャンパスの近くには東京メトロ東西線・早稲田駅や東京さくらトラム(都電荒川線)早稲田駅、東京メトロ副都心線・西早稲田駅もあり、そちらを利用する学生も少なくない。

そこで今回は高田馬場駅(JR・西武新宿線)をはじめ、早稲田駅(東京メトロ東西線・都電荒川線)、西早稲田駅(東京メトロ副都心線)のいずれかの駅の20分圏内にある駅を調査対象とし、それぞれの駅から徒歩15分圏内にあるシングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。以下同)の家賃相場が安い駅を順位付けした。その結果が上記のランキングというわけだ。

ちなみに高田馬場駅の家賃相場は8万7000円。同じくキャンパス最寄駅の早稲田駅(東京メトロ東西線・都電荒川線)と西早稲田駅はどちらも8万9000円。都心部だけあり学生にとっては手ごろとは言いがたい金額だが、早稲田大学の学生たちは実際、どんな場所に住んでいるのだろう。早稲田大学の学生にも利用されている、「ハウスメイトショップ新宿店」店長の大堀智史さんにお話を伺った。

「特に早稲田大学の方は、大学周辺で物件を探していらっしゃるように感じます」と話す大堀さん。「どこに住むとよいかは人それぞれで、例えば学業に専念したいなら移動時間を極力減らすために早稲田駅周辺、大学以外にもアクセスしやすいほうがよければJR山手線も通る高田馬場駅周辺や、高田馬場駅まで2駅のターミナル駅・新宿駅周辺などがよいでしょう」。早稲田駅の周辺は高田馬場駅ほどの繁華街ではないので、落ち着いて暮らせる住環境のよさを求める人にもおすすめだそう。

高田馬場駅(写真/PIXTA)

高田馬場駅(写真/PIXTA)

東京メトロ東西線 早稲田駅周辺(写真/PIXTA)

東京メトロ東西線 早稲田駅周辺(写真/PIXTA)

通学時間を短く、家賃も抑えたい場合はランキングがお役立ち

通学時間をなるべく短縮するなら大学の近くに住むのがいいし、実際にそうしている学生も多い様子。とはいえ、広さなどそのほかの条件も加味した家賃が自分の予算と合わなければ、近さだけを重視して住まいを決めるのは難しい。そんな場合は、今回調査した家賃相場が安い駅のランキングを参考にするのもいいだろう。ランキングトップ10の駅は家賃相場が6万円台~7万円台なので、家賃相場が8万円後半だった早稲田キャンパスの徒歩圏内と比べるとだいぶ負担を抑えることができる。

最も家賃相場が低かったのは、東京メトロ副都心線・小竹向原(こたけむかいはら)駅の6万9000円だ。早稲田キャンパスの最寄駅の一つである西早稲田駅までは、5駅・約11分。西早稲田駅に向かう途中には都内屈指の繁華街・池袋駅もあり、遊びに出るにも便利な立地と言える。また、池袋駅からJR山手線に乗り継ぐと、小竹向原駅から計約15分で高田馬場駅に行くことも可能だ。そんな小竹向原駅周辺の様子はというと、大型商業施設はない住宅街。コンビニやドラッグストア、スーパーに100円ショップなどはあるので、日々の暮らしには困らないだろう。気軽に利用できるチェーン系の飲食店はファミレスが1軒ある程度だが、持ち帰り弁当店があるので自炊が面倒なときに役立ちそうだ。

小竹向原駅前(写真/PIXTA)

小竹向原駅前(写真/PIXTA)

小竹向原駅と同じく家賃相場が6万9000円で1位となった、西武新宿線・野方駅は東京都中野区に位置。1駅下り方面に5位の都立家政駅、1駅上り方面には7位の沼袋駅があり、いずれも西武新宿線1本で高田馬場駅に行くことができる。野方駅を出ると北口側の北原通り、南口側の駅前通りをはじめ5つの商店街が続いている。通りに並ぶ商店は飲食店からスーパー、食料品関係の個人商店、雑貨店など約320店! 大学帰りや休日に商店街をめぐるのも楽しそうだ。

野方駅周辺(写真/PIXTA)

野方駅周辺(写真/PIXTA)

トップ10の駅で大学最寄駅までの所要時間が最も短かったのは、東京都中野区にある7位の西武新宿線・沼袋駅で家賃相場は7万3000円。前述の通り1位の野方駅の隣に位置し、高田馬場駅へは4駅・約8分で到着する。沼袋駅周辺の商店は駅北側に多く点在しており、駅前にラーメン店などの飲食店やベーカリー、さらに北へ進むと100円ショップやドラッグストアも。大型スーパーは見当たらないが、小型のスーパーやコンビニはあるので、学生の一人暮らしなら日常生活に必要なものはそろえられそう。駅南口から2分も歩くと、「中野区立平和の森公園」へ。広大な園内は緑豊かで、池や滝のある水辺の広場や草地広場、林間を通るジョギング・ウォーキングコース、バーベキューサイトなどがあるので、友達と遊びに訪れるのもいいだろう。

高田馬場駅から25分前後の東武東上線沿線なら家賃相場は5万円台~6万円台に

トップ10にランクインした駅の家賃相場は早稲田キャンパス周辺に比べると下がってはいる。だけど「さらに安く住める街はないか?」と考える学生もいるだろう。そこで「ハウスメイトショップ新宿店」店長・大堀さんに、家賃を抑えたい人向けのおすすめの街を教えてもらった。

「東武東上線の和光市駅がいいでしょう」と大堀さん。和光市駅から東武東上線で池袋駅に出て、そこからJR山手線に乗れば高田馬場駅までは計約23分で行ける。「東武東上線の急行に加えて快速急行の停車駅でもあり、快速急行なら池袋駅まで1駅・最短約12分です。さらに和光市駅は東京メトロの有楽町線・副都心線の始発駅でもあり、副都心線1本で早稲田大学近くの西早稲田駅までも約24分で到着できます」

和光市駅 南口(写真/PIXTA)

和光市駅 南口(写真/PIXTA)

そんな和光市駅は埼玉県和光市にあり、東京メトロの駅としては最北端かつ最西端に位置している。2020年3月には駅ビル「エキア プレミエ和光」が全館開業した。改札階である地下1階から地上3階にかけてレストランや食料品店、さらにユニクロなど多彩な店舗がずらりと並び、4階~7階部分は「和光市東武ホテル」となっている。また、駅南口には書店やファストフード店などが並ぶ専門店街を併設した「イトーヨーカドー和光店」もあるなど、大型のスーパーも点在している。暮らしやすそうな街並みながら、埼玉県という立地からか家賃相場は6万5000円。ランキングトップ10の駅と比べてもだいぶリーズナブルになっている。

さらに家賃を抑えたい人に向け、大堀さんは和光市駅と同じ東武東上線の沿線で、埼玉県朝霞市にある朝霞台駅と朝霞駅もおすすめしてくれた。

朝霞台駅は東武東上線の急行停車駅で、家賃相場は5万2500円。「急行なら池袋駅まで3駅、最短約17分で到着。東京メトロ副都心線直通の東武東上線に乗れば、乗り換えせずに西早稲田駅まで約32分で行くことができます」と話す大堀さん。また、「朝霞台駅の駅前ロータリーをはさんでJR武蔵野線の北朝霞駅があり、2つの路線を利用できる点も便利ですよ」とのこと。高田馬場駅までは池袋駅からJR山手線に乗り換え、計約27分で行ける。朝霞台駅は改札前コンコースにファストフード店やベーカリー、書店などがあり、駅前には複数のコンビニや気軽に入れる飲食店も。すぐ近くにスーパーもあるので、日常の買い物には困らない環境だ。池袋など都内へのアクセスのよさから、首都圏のベッドタウンとして人口を増やしている。

北朝霞・朝霞台駅 駅前広場(写真/PIXTA)

北朝霞・朝霞台駅 駅前広場(写真/PIXTA)

朝霞駅は朝霞台駅の隣に位置しており、家賃相場は5万7000円。「こちらは準急が利用でき、池袋駅まで3駅・最短約16分です」と大堀さん。朝霞台駅と同様に池袋駅で乗り換えて、高田馬場駅までは約26分。また、副都心線直通の東武東上線に乗ると、西早稲田駅まで約28分だ。朝霞駅には駅ビル「エキア朝霞」が併設されており、ラーメン店やハンバーガー店、カフェといった飲食店に、服飾雑貨店、書店やドラッグストアなど23店舗が利用できる。駅前にも複数の飲食店が点在するほか、安さを売りにしたスーパーもあるのは自炊派で食費を節約したい人にもうれしいポイントだろう。

朝霞駅 南口(写真/PIXTA)

朝霞駅 南口(写真/PIXTA)

大堀さんおすすめの3つの駅は高田馬場駅まで25分前後ほど離れている半面、家賃相場は5万円台~6万円台におさまっている。一方で早稲田キャンパスの徒歩圏内にある、高田馬場駅や早稲田駅、西早稲田駅は家賃相場が8万円後半だ。そして今回調査したランキングトップ10の駅は高田馬場駅まで20分以内、家賃相場は6万円台~7万円台前半という結果だった。都心にあるキャンパスに近いと家賃は高く、離れると安くなるものの通学に時間と費用がかかる、と一長一短である。冒頭で大堀さんがアドバイスしてくれた通り、「どこに住むとよいかは人それぞれ」。何よりも通学時間が短いことを重視するか、家賃の安さをとるか……。まずは自分がどんな学生生活を送りたいのかをよく考えてから、住む街を選ぶことが大切だろう。

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている高田馬場駅、西早稲田駅、早稲田駅(メトロ、都電)まで20分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/8~2021/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
※早稲田駅については、メトロ、都電を最寄りとする物件両方の中央値を掲載しています
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年10月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

慶應義塾大学(日吉&三田キャンパス)学生の一人暮らしにオススメの街2022年! 家賃相場ランキングも

間もなく訪れる新年度より、大学進学を機に慣れない土地での生活が始まる人も多いはず。そんな人の参考になるように、今回は慶應義塾大学で学部数の多い三田キャンパスと日吉キャンパスに通いやすく、家賃相場が安い駅を調査! 各キャンパスの最寄駅である田町駅、三田駅、赤羽橋駅いずれかまで電車で20分圏内、日吉駅まで電車で15分圏内に位置し、家賃相場が安い駅のランキングをご紹介する。さらに、不動産会社の方に聞いた各キャンパス周辺にある学生が住む街としておすすめの駅についても見ていこう。

三田キャンパス最寄り:田町駅、三田駅、赤羽橋駅いずれかまで20分以内の家賃相場が安い駅TOP20

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数/到着駅)
1位 昭和島 7.2万円(東京モノレール/東京都大田区/19分/1回/田町(JR山手線・京浜東北線※以下略))
2位 流通センター 7.8万円(東京モノレール/東京都大田区/18分/1回/田町)
3位 大森町 8.1万円(京浜急行本線/東京都大田区/18分/1回/三田(都営地下鉄浅草線・三田線※以下略)
4位 平和島 8.2万円(京浜急行本線/東京都大田区/13分/0回/三田)
4位 武蔵小杉 8.2万円(JR横須賀線/神奈川県川崎市中原区/18分/1回/田町)
6位 川崎 8.25万円(JR東海道本線/神奈川県川崎市川崎区/16分/1回/田町)
7位 大岡山 8.3万円(東急目黒線/東京都大田区/16分/0回/三田)
7位 田園調布 8.3万円(東急目黒線/東京都大田区/20分/0回/三田)
9位 梅屋敷 8.35万円(京浜急行本線/東京都大田区/19分/1回/三田)
10位 洗足 8.4万円(東急目黒線/東京都目黒区/16分/0回/三田)
10位 糀谷 8.4万円(京浜急行空港線/東京都大田区/20分/0回/三田)
12位 西馬込 8.5万円(都営浅草線/東京都大田区/14分/0回/三田)
12位 馬込 8.5万円(都営浅草線/東京都大田区/12分/0回/三田)
14位 旗の台 8.51万円(東急大井町線/東京都品川区/18分/1回/田町)
15位 中延 8.6万円(都営浅草線/東京都品川区/11分/0回/三田)
15位 緑が丘 8.6万円(東急大井町線/東京都目黒区/17分/1回/三田)
15位 荏原町 8.6万円(東急大井町線/東京都品川区/18分/1回/田町)
18位 大森 8.7万円(JR京浜東北・根岸線/東京都大田区/10分/0回/田町)
18位 戸越公園 8.7万円(東急大井町線/東京都品川区/15分/1回/田町)
18位 西大井 8.7万円(JR横須賀線/東京都品川区/12分/1回/田町)

「ハウスメイトショップ目黒店」の須田さんオススメの駅
10位 洗足
15位 中延
ランク外 武蔵小山 9.0万円(東急目黒線/東京都品川区/11分/0回/三田)

日吉キャンパス最寄り:日吉駅まで15分以内の家賃相場が安い駅TOP15(16駅)

順位/駅名/家賃相場(主な路線名/駅の所在地/所要時間/乗り換え回数)
1位 白楽 5.7万円(東急東横線/神奈川県横浜市神奈川区/11分/0回)
2位 高田 5.9万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/5分/0回)
3位 妙蓮寺 6.0万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/9分/0回)
3位 東白楽 6.0万円(東急東横線/神奈川県横浜市神奈川区/13分/0回)
5位 大口 6.3万円(JR横浜線/神奈川県横浜市神奈川区/13分/1回)
6位 日吉本町 6.4万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市港北区/2分/0回)
7位 大倉山 6.5万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/4分/0回)
7位 日吉 6.5万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/0分/0回)
7位 東山田 6.5万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市都筑区/7分/0回)
7位 菊名 6.5万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/5分/0回)
11位 小机 6.55万円(JR横浜線/神奈川県横浜市港北区/14分/1回)
12位 綱島 6.9万円(東急東横線/神奈川県横浜市港北区/1分/0回)
13位 元住吉 7.0万円(東急東横線/神奈川県川崎市中原区/1分/0回)
14位 中川 7.13万円(横浜市営地下鉄グリーンライン/神奈川県横浜市都筑区/15分/1回)
15位 平間 7.2万円(JR南武線/神奈川県川崎市中原区/11分/1回)
15位 武蔵新城 7.2万円(JR南武線/神奈川県川崎市中原区/12分/1回)

「ハウスメイトショップ目黒店」の須田さんオススメの駅
12位 綱島
13位 元住吉
ランク外 武蔵小杉 8.2万円(東急東横線/神奈川県川崎市中原区/3分/0回)

慶應義塾大学を代表する2つのキャンパス周辺の環境&家賃相場は?

慶應義塾大学の主なキャンパスといえば、多くの学部の1・2年生が通う日吉キャンパスと、同様に複数の学部の2~4年生や大学院生が通う三田キャンパス。特に東京都港区にある三田キャンパスは慶應義塾の原点といえる地だ。最寄駅である田町駅にはJRの山手線や京浜東北・根岸線が乗り入れており、駅周辺はビジネス街として発展。駅から大学へと向かう通り一帯はリーズナブルな飲食店がひしめく学生街としても愛されている。田町駅のすぐ近くには都営三田線と浅草線が通る三田駅が位置。キャンパスから北へ徒歩8分ほどの場所にある都営大江戸線・赤羽橋とあわせて、この3駅が主に大学の最寄駅として利用されている。

田町駅前(写真/PIXTA)

田町駅前(写真/PIXTA)

三田駅(写真/PIXTA)

三田駅(写真/PIXTA)

赤羽橋駅周辺(写真/PIXTA)

赤羽橋駅周辺(写真/PIXTA)

そんな田町駅周辺のシングルタイプの賃貸物件(10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DK。駅から徒歩15分圏内。以下同)の家賃相場は11万1000円、三田駅の家賃相場は11万3000円、赤羽橋駅の家賃相場は12万2000円。大学への通いやすさなら最寄駅周辺に住むのが一番だろうが、学生にとってこの家賃相場は相当高めに思える。実際、今回お話をうかがった「ハウスメイトショップ目黒店」の須田さんによると、「徒歩で通える三田周辺は家賃が高めのため、電車を使ってドア・トゥ・ドアでキャンパスまで30分以内にある物件を探す方が多い印象です」とのこと。上記ランキングで記載している所要時間は「電車の乗車時間(乗り換え時間含む)」であり「物件~駅~大学間の所要時間」は含まないので、その点は物件探しの際に考慮したい。とはいえ家賃相場に注目するとトップ20の駅は7万円台~8万円台で、田町駅や三田駅、赤羽橋の周辺よりも2万5000円~5万円ほど費用をおさえることが可能だ。

慶應義塾大学 日吉キャンパス(写真/PIXTA)

慶應義塾大学 日吉キャンパス(写真/PIXTA)

神奈川県横浜市港北区に位置する日吉キャンパスの最寄駅は、東急東横線と東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンラインが乗り入れている日吉駅。駅を出るとまず見事なイチョウ並木に目を奪われる。この並木沿いを進むと敷地面積約10万坪という広大なキャンパスにたどり着く。駅周辺にはにぎやかな商店街があり、学生が日常使いできる飲食店も多彩。駅直結の「日吉東急アベニュー」には食料品店からユニクロなどの服飾・雑貨店、家電量販店までそろっており、日常生活に必要な買い物はすべて駅周辺でまかなえそうだ。駅前の商店街を抜けると静かな住宅地が広がっており、住む街としても魅力的だ。

日吉駅周辺(写真/PIXTA)

日吉駅周辺(写真/PIXTA)

7位にランクインし、起点駅でもある日吉駅周辺の学生向け賃貸物件の家賃相場は6万5000円。都心に位置する三田キャンパスに比べれば、学生にも手が届きやすい価格帯だろう。実際、「日吉駅もしくは、近隣駅の徒歩圏内で探される学生が多いですね」と「ハウスメイトショップ武蔵小杉店」店長の高橋良平さん。日吉キャンパスは単位取得のため学校に行く機会が多い1・2年生時に通う人が多いので、特にキャンパスへの近さが重視されるようだ。

高橋さんは「近すぎると友人のたまり場になり、遠すぎると通うのが面倒になるので、学校から20分ほどの範囲で探すのもいいですよ」とアドバイスをくれた。友達と過ごすばかりでなく一人の時間も大事にしたいタイプや、大学がある街以外での生活も楽しみたいなら、最寄駅とは別の場所に住むのがいいかもしれない。

とにかく家賃が安いことを望むなら、駅からの距離や広さを妥協するのもよいだろう。しかし一度住まいを決めたらそう簡単には引越しするわけにもいかないので、安さばかりではなく住みやすい街かどうかも気になるところ。そこで先に登場したお2人に、三田・日吉の各キャンパスに通う学生の住む街としておすすめの駅を教えてもらった。

三田キャンパスに通う学生の住まいとしておすすめの駅3選

まずは三田キャンパスに通う学生も利用するという、「ハウスメイトショップ目黒店」須田さんがおすすめする街を紹介しよう。住む街を選ぶ際のポイントは、「交通の利便性が高い駅であること」と話す須田さん。「三田キャンパスを利用する3・4年生は、アルバイトや就職活動など学校外での活動が増えてくる時期。そのため学校への行きやすさをふまえた上で、他の場所へのアクセスの利便性も高い駅を選ぶのがよいでしょう。特におすすめは東急目黒線の沿線。都営三田線と相互直通運転されていてキャンパスがある三田駅まで乗り換えせずに行けること、目黒駅に出れば都内の主要駅に行きやすいJR山手線に乗り換えられる点が魅力です」

武蔵小山駅前の様子(写真/PIXTA)

武蔵小山駅前の様子(写真/PIXTA)

なかでも須田さんイチ押しは、急行停車駅でもある東急目黒線・武蔵小山駅。大学最寄りの三田駅までは都営三田線直通の東急目黒線なら約11分で行くことができる。家賃相場は9万円と少々高めで、今回のランキングでは27位だった。「開発が進み、近年は家賃相場が上がった点はネック。ですが、東京で最も長いアーケード商店街があって、買い物や外食にたいへん便利な環境です。にぎわいのある街なだけに適度に人目があり、治安の面でも安心感があると評判で、学生の一人暮らしでも安心でしょう」。都内最長だというアーケード商店街「武蔵小山商店街パルム」は、全長約800m! 店舗数は約250軒にのぼり、例年は夏の納涼市や秋のサンバパレードなどイベントも豊富。あちこちの街へ出かけにくいコロナ禍では、自分の住む街自体にこうした楽しみがあることが特に魅力的に思える。

武蔵小山商店街パルム(写真/PIXTA)

武蔵小山商店街パルム(写真/PIXTA)

もう少し家賃相場をおさえたいなら、「東急目黒線の東京都区間内では比較的に家賃相場が安い、洗足(せんぞく)駅もおすすめです」と須田さん。洗足駅の家賃相場は8万4000円で10位にランクインしており、三田駅までは約16分でたどり着く。「駅前にスーパーやドラッグストアがそろっていて買い物に便利な環境です。駅周辺は閑静な住宅街で落ち着いた印象です。ただ、人通りが少ない点が心配なら、住まい探しの際に駅までの道のりチェックも忘れずにしましょう」。この洗足駅前には美しいイチョウ並木が続き、並木通り沿いを中心に商店街が広がっている。日々の食事に役立つ惣菜店もあるほか、神保町に本店がある欧風カレーの名店「ボンディ」の支店も。商店街をめぐり、自分のお気に入りの店を探すのも楽しそうだ。

洗足駅前の風景(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

洗足駅前の風景(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

須田さんがもう1駅、おすすめしてくれたのが15位の都営浅草線・中延(なかのぶ)駅。家賃相場は8万6000円で、三田駅までは約11分。「都営浅草線と東急大井町線が利用できて便利。若者に人気の自由が丘駅までも1本で行くことができます。駅近くには商店街が3つあり、八百屋さんや精肉店などが並んでいるので食費をおさえる助けにもなるかも。駅前にユニクロがあるのもうれしいところです」。商店街のなかでも注目は、「なかのぶスキップロード」と呼ばれる中延商店街。中延駅から北に延びており、東急池上線の荏原中延駅まで約330mも続くアーケード商店街だ。買い物に利用できる商店街独自のポイントシステムも用意されているので、ポイントを貯めつつお得に買い物が楽しめる。

なかのぶスキップロード(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

なかのぶスキップロード(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

日吉キャンパスに通う1・2年生が住むなら、こちらの駅がおすすめ!

続いて日吉キャンパスに通う学生におすすめの街を、「ハウスメイトショップ武蔵小杉店」店長の高橋さんに伺った。先述した通り、日吉キャンパスに通う学生は日吉駅や近隣駅に住むことが多いのだそう。「日吉駅や日吉近隣の東急東横線沿線は、飲食店をはじめ商業施設が充実している駅も多く、初めての一人暮らしでも安心して居住できる環境ですよ」と話す高橋さん。なかでも特におすすめの駅を3つ、教えてくれた。

おすすめ度1位は日吉駅の隣、東急東横線と東急目黒線が通る元住吉駅で、家賃相場は7万円で家賃相場ランキングでは13位に登場している。「駅を挟んで東西2つの商店街があり、チェーン系の店舗・地元の個人商店も含め約270店舗の商店が立ち並んでいます。主にファミリー層が住むエリアなので、落ち着いた住環境を求められる方には非常におすすめできる駅です」。また、駅から徒歩7分ほどの場所に広大な「川崎市中原平和公園」があったり、駅前を流れる渋川沿いに約2kmにわたる桜並木が続いていたりと、自然を感じられる環境なのも魅力だという。気軽に遠出しづらいコロナ禍において、近所にリフレッシュできる場所があるのはうれしいものだ。

元住吉駅(写真/PIXTA)

元住吉駅(写真/PIXTA)

続いておすすめしてくれたのは東急東横線と東急目黒線、JR南武線が乗り入れている武蔵小杉駅。日吉駅までは2駅・約3分、家賃相場は8万2000円だ。「家賃の価格帯は少し上がりますが、住みたい街ランキングでも上位に入る、人気が高いエリアです。『ららテラス 武蔵小杉』や『グランツリー武蔵小杉』など大型商業施設も充実。乗り入れ路線も多く、都内への玄関口として非常に利便性が高い駅です」。

武蔵小杉駅東口の様子(写真/PIXTA)

武蔵小杉駅東口の様子(写真/PIXTA)

「SUUMO住みたい街ランキング2021 関東編」(リクルート調べ)で14位にランクインした武蔵小杉駅は神奈川県川崎市にあるが、駅東側を流れる多摩川を越えると東京都大田区に。東急東横線の通勤特急に乗れば、自由が丘駅まで1駅・約5分、渋谷駅まで3駅・約15分で行くことができる。日吉キャンパスまでの近さはもちろんのこと、せっかく進学で上京するならば都内までの近さも重視したい人にとっては、うってつけの環境といえるだろう。また、武蔵小杉駅は今回調査した「三田キャンパス」周辺の家賃相場が安い駅ランキングで4位にランクインしてもいる。1・2年次は日吉キャンパス、3年次以降は三田キャンパスに通う予定の学生なら、進級後も引越しせず済み続けられる点も便利そう。

高橋さんおすすめの3つ目の駅は、12位にランクインしている東急東横線・綱島駅。元住吉駅とは逆側、日吉駅から下り方面へ1駅目に位置しており、家賃相場は6万9000円。「スーパーやドラッグストア、飲食店など、駅周辺には幅広いジャンルの店舗がとても豊富。2022年度には東急新横浜線の新綱島駅が開業予定で、ますます利便性が高まる点も注目です!」と高橋さん。

新綱島駅のイメージ(写真/PIXTA)

新綱島駅のイメージ(写真/PIXTA)

東急新東横線は日吉駅~新横浜駅を結ぶ路線として開業予定で、同じく開業準備が進む新横浜駅~羽沢横浜国大駅・西谷駅を結ぶ相鉄新横浜線とともに、相鉄・東急直通線の連絡線としての役割を担う。開業したあかつきには相鉄線と東急線との相互直通運転が可能となる。新しく誕生する新綱島駅は綱島駅から100mほどの位置なので、この辺りに住むと将来的には2駅2路線が利用できるわけだ。

さて今回はランキング調査に加え、これまで多くの学生を新生活へと送り出してきた不動産会社のお話を参考に、学生におすすめの街をご紹介した。安さ重視でランキングの駅を参考に探すもよし、環境重視でおすすめに挙げてもらった街で探すのもよし。自分好みの街に住んで、ぜひ楽しい新生活を送ってほしい。

●取材協力
ハウスメイトショップ

●調査概要
【調査対象駅】SUUMOに掲載されている田町駅、三田駅、赤羽橋駅まで20分以内、日吉駅まで電車で15分以内の駅(掲載物件が11件以上ある駅に限る)
【調査対象物件】駅徒歩15分以内、10平米以上~40平米未満、ワンルーム・1K・1DKの物件(定期借家を除く)
【データ抽出期間】2021/8~2021/10
【家賃の算出方法】上記期間でSUUMOに掲載された賃貸物件(アパート/マンション)の管理費を含む月額賃料から中央値を算出(3万円~18万円で設定)
【所要時間の算出方法】株式会社駅探の「駅探」サービスを使用し、朝7時30分~9時の検索結果から算出(2021年10月30日時点)。所要時間は該当時間帯で一番早いものを表示(乗換時間を含む)
※記載の分数は、駅内および、駅間の徒歩移動分数を含む
※駅名および沿線名は、SUUMO物件検索サイトで使用する名称を記載している
※ダイヤ改正等により、結果が変動する場合がある
※乗換回数が1回までの駅を掲載

知的障がい者の一人暮らしをサポート。24時間体制の介助「パーソナルアシスタンス」とは?

重度の知的障がいと自閉症をもちながらも、都内でアパートを借り、1人暮らしをする岡部亮佑さん。自分らしい生活ができる理由は、公的な制度の利用に加え、本人の自己選択に基づき、24時間体制でサポートするパーソナルアシスタントの存在。とある平日に同行し、アシスタントチームのマネージャーである中田了介さんと、亮佑さんの父親で社会福祉学者の岡部耕典さんにお話を聞きました。

将来の自立を考え、11歳から介助者のいる暮らしをスタート

日本の人口の7.4%(936.6万人)に当たる障がいがあるとされる人のなかで、知的にハンディを負う人は108.2万人。障害者手帳を有する65歳未満の知的障がい者は96.2万人ですが、そのうち81%が親や兄弟・姉妹をはじめとした同居者、また14.9%がグループホームといった施設に住んでおり、1人暮らしをする人は、わずか3%にとどまっています(2016年 厚生労働省 生活のしづらさなどに関する調査)。
そんななか、岡部亮佑さん(以下、亮佑さん)は重度の知的障がいと自閉症をもちながら24時間体制で介助者の力を借り、自立した生活をしています。

通所施設から帰宅中の岡部亮佑さん(右)とパーソナルアシスタントの中田了介さん(左)(写真撮影/田村写真店)

通所施設から帰宅中の岡部亮佑さん(右)とパーソナルアシスタントの中田了介さん(左)(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんは赤い洋服が好きで、自分で選ぶことも。休日は自立生活センターの仲間とプールや川で遊んだり、パーソナルアシスタントと公園や銭湯に行ったりして過ごします(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんは赤い洋服が好きで、自分で選ぶことも。休日は自立生活センターの仲間とプールや川で遊んだり、パーソナルアシスタントと公園や銭湯に行ったりして過ごします(写真撮影/田村写真店)

今年28歳になる亮佑さんが、実家を離れて1人暮らしを始めたのは、学校生活を終える18歳のときのこと。しかし、それ以前から介助者が身近にいる日々を送っていました。背景には、ご両親の考えがあります。
「常に見守りが必要で、集団生活でストレスを抱えがちな息子の将来を思えば、早い段階で自立を支えてくれる人を見つけ、環境を整えたほうがいい」と、小学校5年生のときから平日は放課後から夕食までの約4時間、休日は丸1日を介助者と過ごしてきたのです。
常時8人ほどが交代で訪れていたため、大人に差しかかるころには、本人の意思をくんだ上で適切に対応できるチームがつくられていました。
ハンディを負う当事者が、主体性をもって生活するべくアシスタントを育て、サービスを利用していくことを“パーソナルアシスタンス”といい、北欧やイギリス・カナダなどでは一般的です。亮佑さんは、まさにその概念を日本で体現しているといえます。

本人の意思を尊重しつつ、リスクを回避するのもアシスタントの役割

平日は通所施設、土日はプライベートの時間を過ごす亮佑さん。現在、かかわっているパーソナルアシスタント(以下、アシスタント)は、全て当初から契約している自立生活センター「特定非営利活動法人 グッドライフ」のスタッフです。
「自立生活センター」とは、障がいのある当事者が中心になり、地域生活をかなえるための各種サービスや情報提供などを行う民間機関のこと。中田了介さんが亮佑さんのアシスタントチームのマネージャーとなり、自身もアシスタント業務に入りながら、全体のスケジュール調整や課題解決を図っています。
中田さんは、亮佑さんが介助者利用を開始したころからのメンバー。付き合いは17年にもなると言います。
ある平日の2人に同行させてもらいながら、お話を伺いました。

高校時代の同級生が介護の専門学校に通っていたことから関心をもち、介護福祉士になった中田さん。最初は老人ホームでキャリアを積んでいましたが、先輩に誘われ自立生活センターで仕事をするように(写真撮影/田村写真店)

高校時代の同級生が介護の専門学校に通っていたことから関心をもち、介護福祉士になった中田さん。最初は老人ホームでキャリアを積んでいましたが、先輩に誘われ自立生活センターで仕事をするように(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんの日常でアシスタントがつかないのは、通所施設の間だけ。この日は施設終了時間の16時に中田さんが訪れ、ともに自宅に向かいました(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんの日常でアシスタントがつかないのは、通所施設の間だけ。この日は施設終了時間の16時に中田さんが訪れ、ともに自宅に向かいました(写真撮影/田村写真店)

自閉症には「言葉のやりとりの難しさ」「特定のものごとへの強いこだわり」といった、共通して見られがちな傾向があるものの、一人ひとりで個性や人となりはさまざまです。亮佑さんの場合は好きなことが明確で、常にやりたいことがいっぱい。中田さんはパーソナルアシスタントとして、本人の自己決定に基づいてサポートしていきますが、ただ、時としてそうでない場面が出てくると言います。

「例えば本人の嗜好のまま食事をすると、ソースを大量にかけたり、甘いジュースをとことん飲んだりしてしまうことが。『健康を害しても好物だから構わない』と納得しているならよいですが、そうではありません。ぎりぎりまで尊重しますが、『これは止めておこう』と促すこともあります」(中田さん)

帰り道が、毎回同じだと執着が生まれてしまうことや、その時々で調子に違いがあるため、アシスタントが臨機応変に変えます。亮佑さんが中田さんに腕を添えるのは比較的、状態が優れないときですが「この人は大丈夫」と感じている証しでもあります(写真撮影/田村写真店)

帰り道が、毎回同じだと執着が生まれてしまうことや、その時々で調子に違いがあるため、アシスタントが臨機応変に変えます。亮佑さんが中田さんに腕を添えるのは比較的、状態が優れないときですが「この人は大丈夫」と感じている証しでもあります(写真撮影/田村写真店)

自動販売機の前で清涼飲料水の見本を指さし、飲みたいことを示す亮佑さん。何本も欲しいと伝えますが、促されて1本に。リュックから財布を取り出し、中田さんがお金を払います(写真撮影/田村写真店)

自動販売機の前で清涼飲料水の見本を指さし、飲みたいことを示す亮佑さん。何本も欲しいと伝えますが、促されて1本に。リュックから財布を取り出し、中田さんがお金を払います(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんには感覚が繊細なところがあり、人の騒がしい声などを聞くと、調子が傾いて行動が落ち着かなくなることが。また、マンホールを踏んだり、水に触れたりするのを好むため、道端で見掛けると突進しそうになることもあります。放っておくと社会生活の輪から外れてしまうため、これを制して周囲の人と調和できるようにすることもアシスタントの役割です。

公園は、帰りによく立ち寄る場所。この日はたまたま居合わせたお子さんとともにブランコをこぎました(写真撮影/田村写真店)

公園は、帰りによく立ち寄る場所。この日はたまたま居合わせたお子さんとともにブランコをこぎました(写真撮影/田村写真店)

「行動の傾向が目立ちやすく、変わった人に映るかもしれませんが、『やりたいな』と思うことをしているのはみんなと同じ。亮佑さんの場合は『赤信号で渡らない』など、基本的なルールをわかっていますが、障がいの内容は本当に人それぞれです」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

「行動の傾向が目立ちやすく、変わった人に映るかもしれませんが、『やりたいな』と思うことをしているのはみんなと同じ。亮佑さんの場合は『赤信号で渡らない』など、基本的なルールを分かっていますが、障がいの内容は本当に人それぞれです」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

今日は公園に約40分滞在。最後は中田さんもブランコに参加。自閉症の人は「同調」を好むところがありますが、「合わせなくては」と苛立ちになり得るため、偏り過ぎないことが大切と言います(写真撮影/田村写真店)

今日は公園に約40分滞在。最後は中田さんもブランコに参加。自閉症の人は「同調」を好むところがありますが、「合わせなくては」と苛立ちになり得るため、偏り過ぎないことが大切と言います(写真撮影/田村写真店)

公園を出たら、手袋とゴミ袋を買いにホームセンターへ。亮佑さんが要求しなくても生活のなかで必要になる日用品は、前日のアシスタントがノートに書き込み、翌日の担当者が買うようにしています(写真撮影/田村写真店)

公園を出たら、手袋とゴミ袋を買いにホームセンターへ。亮佑さんが要求しなくても生活のなかで必要になる日用品は、前日のアシスタントがノートに書き込み、翌日の担当者が買うようにしています(写真撮影/田村写真店)

時間をかけてきたからこその、当事者とアシスタントの心地いい関係

当事者の身の回りでできないことに対し、介助者がどうかかわっていくかは、事業所によって考えが異なります。自立の一環として一緒に取り組む人もいますが、亮佑さんのアシスタントチームでは、本人が関心の無いことは無理強いしない方針。例えば食事は基本的に食べたいものがあるのでそれに沿いますが、掃除や洗濯・日用品の買い足しは、完全にアシスタントが行います。

「ただ、はっきり『する・しない』の線引きをしているわけではなく、そのときの状況を見た上で長年の感覚に頼ることが多いです。毎日の洋服選びや休日に出掛けるスポットなどは、日ごろから本人の親しんでいるものがわかるので、自然と答えが落ち着きます」(中田さん)

これは亮佑さんとアシスタントチームが17年の月日のなかで、心地よいあり方を育んできたからこそ。
一方で、入所施設やグループホームだと、こうはいかないと話します。

本人の好みで自炊をすると味つけが偏りがちなため、最近は外食が中心。「食事、何にしようか」と中田さんが聞くと「うどん、ポテト」と亮佑さんが言い、これらがそろう回転寿司店へ(写真撮影/田村写真店)

本人の好みで自炊をすると味つけが偏りがちなため、最近は外食が中心。「食事、何にしようか」と中田さんが聞くと「うどん、ポテト」と亮佑さんが言い、これらがそろう回転寿司店へ(写真撮影/田村写真店)

「施設ではどうしても複数の入居者を1人のスタッフで見るため、後回しになることが出てきます。以前いたグループホームで、たまたま1対1で入居者を見るようになった時期があるのですが、自由に過ごせることで穏やかになり、知らなかった一面が見えてきた方がいました。異動の多い施設だとなおさら、一人ひとりとじっくり向き合い、理解していくのは難しいでしょう。一概に1人暮らしがよいとは言いませんが、違いはあると思います」(中田さん)

築約30年・2DKのアパートは自分名義で借りたもの。お茶を入れ、絵を描き、音楽を聴き、ゲームをしてと、帰宅後もやりたいことがたくさん。ただ本人ができることが必ずしも安全とは限らないため、中田さんは常に注意をめぐらせています(写真撮影/田村写真店)

築約30年・2DKのアパートは自分名義で借りたもの。お茶を入れ、絵を描き、音楽を聴き、ゲームをしてと、帰宅後もやりたいことがたくさん。ただ本人ができることが必ずしも安全とは限らないため、中田さんは常に注意をめぐらせています(写真撮影/田村写真店)

頸椎損傷やALSの人の在宅介護をしたこともある中田さん。亮佑さんが就寝中、隣で横になりますが、少しの気配で起きることができると言います(写真撮影/田村写真店)

頸椎損傷やALSの人の在宅介護をしたこともある中田さん。亮佑さんが就寝中、隣で横になりますが、少しの気配で起きることができると言います(写真撮影/田村写真店)

各種制度の利用に加え、息子のよき支援者をつくることに尽力

1人暮らしがすっかり板についている亮佑さんですが、どうやってここまでの土台を築いてきたのでしょう。
父親であり、社会福祉学者でもある岡部耕典さんにお話を聞きました。

早稲田大学教授で福祉社会学・障害学を専門とする岡部耕典さん。これまで障がい者政策・制度改革にも携わっていました(写真提供/岡部さん)

早稲田大学教授で福祉社会学・障害学を専門とする岡部耕典さん。これまで障がい者政策・制度改革にも携わっていました(写真提供/岡部さん)

現在、亮佑さんの生活支援は夜間を含む介護(重度訪問介護)と施設への通所(生活介護)、生計は「障害年金」「特別障害者手当」「東京都重度心身障害者手当」で成り立っています。岡部さんご夫妻は、自分では環境を整えられない息子の親として、資金面の基盤を用意するだけでなく、自立を支えてくれる支援者をつくることに力を入れてきました。
重度訪問介護とは、重度の肢体不自由者もしくは行動上著しい困難がある知的障がい者および精神障がい者が、生活全般にわたる介護を受けられる制度のこと。認定された事業所であればどこでも利用できますが「パーソナルアシスタンスの考えに理解があること」「丸1日のサポートに対応できること」を重視すると、おのずと見えてきたのは自立生活センターだったと言います。
ただ、長時間の重度訪問介護制度を使うのは、地域によっては壁が高いのだとか。

「自治体によって姿勢が異なるため、きちんとコミュニケーションを取り、利用する側の意志を伝えていくことが必要です。例えば依頼する予定の事業所と、一緒に相談や申請に行くのもよいでしょう。自立生活センターなど、重度訪問介護の制度を熟知し、手続きに慣れている事業所もあります」(岡部さん)

いずれにしても地域で暮らすようにしたいとなったら「うちの子どもにできるはずがない」と思い込まず、重度訪問介護を利用した自立生活を選択肢に入れてみたらよいのでは、と話します。

「まずは、できるだけ早い段階から短時間でも介助者を利用してみて、本人が慣れていくこと。当事者を理解し、相談に乗り、ともに励んでくれるアシスタントを事業所と一緒につくり上げていくことが大事ではないでしょうか」(岡部さん)

思いがけないことを経験しながらも、自分らしい生活を営んでいく

今、亮佑さんが住むのは1人暮らしを始めて2軒目の物件。通所施設に近く、より静かな環境を求めて住み替えを決めたものの、希望するエリアで不動産会社から紹介してもらえたのは2軒だけ。部屋探しには、ままならない現実があると言います。また、道端などで人と接触したとき、一方的に非があるとされるケースも少なくないそうです。

「だからといって特別扱いされるのも違っていて、仮に迷惑をかけたならほかの人たちと変わらない対応をしてほしいと思うんです。そうすることで当たり前のように社会になじんでいけるのではないでしょうか」(中田さん)

中田さん自身、自閉症の人と接したのは亮佑さんが初めてで、言葉の少ないところに最初は躊躇したとか。しかし、今では意思疎通が図れないとは、まったく思わないと言います。

「たまに『何でこんなことにこだわるの?』と思って『あっ、そうか』と気付くんです。そのくらい自閉症であることを忘れています(笑)。
当事者と介助者は相性がありますし、もちろん役割を担っているので大変な場面もあります。でも1人と長く付き合うと、よく知った仲になるだけにラクでいられるんです。いろいろなところに出掛けると楽しいですし、『気持ちが通じ合った』『うれしいことが伝わった』と思える瞬間があるのが、この仕事のよさ。亮佑さんからたまに新しい言葉を聞けることがあり、日々の発見も面白いです」(中田さん)

亮佑さんは絵が得意で、国立新美術館で作品を展示するほか、都内のアート展で佳作を取ったことも。「フリーハンドで正確な直線や真円を描けるのですが、直に目にすると本当にすごいと感じます」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

亮佑さんは絵が得意で、国立新美術館で作品を展示するほか、都内のアート展で佳作を取ったことも。「フリーハンドで正確な直線や真円を描けるのですが、直に目にすると本当にすごいと感じます」(中田さん)(写真撮影/田村写真店)

「自閉症や知的障がいとされる人は、街のあちこちにいます。確かに触れたことのない言動を目の当たりにすると、驚いて『何かされるのでは』と感じるかもしれませんが、アシスタントが一緒であればまず大丈夫でしょう。どうあるべきかの答えはないかもしれません。でも、まずは知ってほしいと思います」(岡部さん)

最後に、これからの亮佑さんの暮らしの課題を問うと、中田さんは「今は十分な生活ができていて、これ以上はないほどだと思うので、現状維持かなと。この状態を長く続けられたらと、切に願います」と話しました。

ただただ自分らしく暮らしを営む。そうであることの意味がここにあるのかもしれません。

家を建てるなら知るべき8年後のリスク。ZEH基準未満の住宅は市場価値が下がる!?

2020年10月に菅前首相が宣言した「2050年までに脱炭素社会の実現」。でも、あと約30年あるなあ、なんてぼんやり思っている場合ではなかった。この宣言を受け、国はまるでせきを切ったかのように一気に動き出したのだ。それに伴い、私たちの住宅環境がこの10年で激変するかもしれない。脱炭素化社会実現に向けて具体的な施策を話し合う「脱炭素社会に向けた住宅・建築物の省エネ対象等のあり方検討会」はじめ、政府の政策動向に詳しい自然エネルギー財団の西田裕子さんに、今後の住宅に関する施策のポイントと、家の買い方やリフォーム等の注意点を伺った。

あと8年後にはZEH基準が最低の省エネ基準になる

2021年10月に第6次エネルギー基本計画が閣議決定された。当然、2050年までに脱炭素社会の実現に向けた計画なのだが、電気自動車の普及促進くらいでは全く足りなかった。その内容はもう明日明後日の私たちの考え方を大きく変えなければならないような方針がびっしりと詰まっていたのだ。

「例えば2050年までにゼロカーボンにするために2030年、つまりあと8年で2013年度から46%削減する目標が掲げられました。この46%削減目標は2021年10月31日~11月13日に開催されたCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)に向け、国連に日本の目標として提出されています」と西田さん。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

あと8年で約半減。岸田首相も宣言時に2030年までを「勝負の10年」と言ったとおり、「これまでの削減方法の積み上げでは難しい数値」だと西田さんはいう。そこで「脱炭素社会に向けた住宅・建築物の省エネ対策等のあり方検討会」では、具体的な施策が話し合われた。

まず決められたのが2050年と2030年それぞれで目指すべき姿だ。私たちの住む家を含む「住宅・建築物」では下記のような目標が掲げられている。

※1/ZEHとは使うエネルギーを減らして、太陽光発電等でエネルギーをつくり、1年間で消費する一次エネルギー量をおおむねゼロ以下にする住宅のこと。ZEBはこのビル版 ※2/ストック平均で住宅については一次エネルギー消費量を省エネ基準から20%程度削減、建築物については用途に応じて30%または40%程度削減されている状態 ※3/住宅・強化外皮基準および再生可能エネルギーを除いた一次エネルギー消費量を現行の省エネ基準から20%削減。建物も同様に用途に応じて30%削減または40%削減(小規模は20%削減)

※1/ZEHとは使うエネルギーを減らして、太陽光発電等でエネルギーをつくり、1年間で消費する一次エネルギー量をおおむねゼロ以下にする住宅のこと。ZEBはこのビル版
※2/ストック平均で住宅については一次エネルギー消費量を省エネ基準から20%程度削減、建築物については用途に応じて30%または40%程度削減されている状態
※3/住宅・強化外皮基準および再生可能エネルギーを除いた一次エネルギー消費量を現行の省エネ基準から20%削減。建物も同様に用途に応じて30%削減または40%削減(小規模は20%削減)

「2050年にはストック、つまり既存の建物全てを平均するとZEH基準になるということです。平均ですからZEH基準に満たないものも少しはあるでしょうが、基準以上もあるという状態。これを実現するためにもまず、2030年には新築の住宅全てにZEH基準を義務化しなければなりません」

2020年に現行の省エネ基準でさえ義務化が見送られ、代わりに基準に適合しているかどうか“説明”することが“義務化”された。それと比べて省エネ基準より高いZEH基準があと8年で義務化されるというのは、かなり“今までのツケを払う”感がある。しかし、そうまでしないと「2030年に46%削減」「2050年にゼロ」を達成することは不可能なのだ。いつかはやろうと後回しにしてきた姿勢が、世界中で異常気象を起こしている。もう待ったなしだ、ということだ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

さらに2030年のZEH基準義務化を達成するために、2025年には現行の省エネ基準がついに義務化される。「つまりあと3年で現行の省エネ基準が、あと8年でZEH基準が最低限の基準となるわけです」

一方、再生可能エネルギー(基本的には太陽光発電)は、2030年には新築の6割に導入するという具体的な目標も掲げられた。「2021年10月に第6次エネルギー基本計画が閣議決定されました。これには2030年までに日本の電源構成における再生可能エネルギーの割合を、2019年の18%から36~38%に引き上げる目標が定められています。これを達成するのに、荒廃した農地での太陽光発電利用や洋上風力の導入が間に合うかどうか。制度改革が必要になるなどリードタイムがかかり過ぎるからです。一番可能性があるのは住宅等建築物に太陽光発電を載せることです」

要は8年後には、ZEH基準の断熱・省エネ性を備え、太陽光発電を載せた住宅が“最低基準”になるということなのだ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

8年後を待たず、今すぐZEH基準以上で建てないと資産価値が下がる

だから今ZEH基準以下の住宅を建ててしまうと、8年後の2030年には家の価値が自動的に下がってしまうことになる。何しろ周りはZEH基準以上の住宅ばかりになるのだから。

そうはいっても「急にZEH基準の家を建てろと言われても……」と戸惑う人も多いだろう。それは私たち消費者だけでなく、住宅メーカーや工務店、さらに窓や建材のサプライヤーも同じだ。しかし「2030年にZEH基準が最低基準」と目標が明確になったことは「ZEH基準以下の商品は今後つくっても売りにくくなるということです」。そのためZEH基準以上の商品マーケットが活性化するだろうと西田さんは指摘する。

「例えばZEH基準以上の断熱に必要な高断熱窓はすでに販売されています。ただ現状はZEH基準以下でも家を建てることができるため、マーケットとしては小さく、そのため価格も思うように下がりませんでした。しかしこれからはZEH基準に満たない住宅に使われる性能の窓をつくっても売れないわけですから、ZEH基準以上の住宅に合った高断熱窓が多く生産されることになります。既に高断熱窓は生産量の増加に伴い、価格が下がってきていますから、さらに量産効果による価格低下が期待できます」

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

太陽光発電についても、先述の通り2030年には新築の6割に搭載される目標だ。FIT制度(再生可能エネルギーの固定価格買取制度)による売電価格が下がって、太陽光発電の設置をためらう人もいるだろうが、太陽光発電システムの価格も10年前に比べてかなり安くなってきている。発電した電力を自宅で使って光熱費を抑えたり、安いとはいえ売電して収入を得ることで初期費用は今なら約10年で回収可能だという。もちろんその先はプラスになるだけだ。さらに災害時にも活用できる可能性もある。何より周囲に太陽光発電が搭載された住宅が建つようになれば、備えていない家の価値が目減りしてしまう。

「設備が今後さらに安くなることを見越して、今はまだ搭載しないでおくにしても、将来的にどこに搭載するか検討しておいて、屋根のスペースを空けておいたり、配線等を家に引き込む準備だけでもしておいたほうがいいでしょう」

脱炭素社会に向けて、既に地域格差が生まれている

一方で、国のこうした施策より先に住宅の省エネ化を進めてきた自治体もある。例えば既に京都府京都市や鳥取県は、現状の省エネ基準より高い独自の基準を設け、脱炭素社会に向けた住宅の推進を図っている。東京都もその一つだ。

東京都では2019年から現在の省エネ基準より高い断熱・省エネ性能の基準を設け、クリアした住宅を「東京ゼロエミ住宅」と認定する「東京ゼロエミ住宅新築等助成事業」を開始。「それをさらに強化する方向で動いています。東京都の考え方としては、簡単にいえば国より早くZEH基準以上の住宅を普及させようというものです」

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

さらに、年間2万平米以上供給するような住宅メーカー等に、ZEH基準以上の住宅を一定割合建てることを義務化する検討も始まった。先日、小池知事が「新築住宅へ太陽光発電の設置を義務化することを検討」と発言したことはニュースにもなった。

太陽光発電については、東京都のように住宅密集地の場合、発電効率の劣る住宅もあるから義務化は難しいのではないかと西田さんに尋ねると「義務化されるのは住宅メーカー等、建てる側に対してです。ですから、ある住宅は2kWhの小さな太陽光発電だけど、別の住宅では8kWhとか、その住宅メーカーが手掛ける住宅のトータルで何kWh以上というように義務化されるでしょう」

このように自治体によって既に温度差がある。今後は脱炭素住宅が建てやすい・建てにくいという「自治体格差」がより見えやすくなりそうだ。脱炭素化に向けて積極的な自治体ほど、補助金制度等が充実していく。何しろあと8年でZEH基準が最低基準になる。住んでいる自治体はどう考えているのか、近隣はどうか、今のうちに確認しておくことが必要だ。

既存住宅や賃貸住宅でもZEH化が必須になりそう

以上はこれから新築住宅を建てることを検討している人に向けた心構えだが、とはいえ既存住宅や賃貸住宅で暮らす人が無関係でいられるはずはない。

国土交通省が試算した「住宅・建築物の新築・ストックの省エネ性能別構成割合(~2050)」を見てみよう。

BEIとは一次エネルギー消費量のこと。簡単にいえば数値が小さいほど断熱性能が高い。2030年に新築に義務化される「ZEH基準以上」とは、BEIの数値でいえば0.8以下、ということになる

BEIとは一次エネルギー消費量のこと。簡単にいえば数値が小さいほど断熱性能が高い。2030年に新築に義務化される「ZEH基準以上」とは、BEIの数値でいえば0.8以下、ということになる

ご覧のように図1の新築戸建のグラフは目標通りにいくと仮定して2030年以降は全てがZEH基準以上となっている。その一方で図2のストック、つまり既存住宅のほうは2050年でも約40%しか達成していない。

「現在は、新築に関する政策は固まってきましたが、既存住宅に関してはこれからという状況。既存住宅は基準に適合しないから壊すということはできませんから、改修リフォームの誘導施策や省エネ性能表示の義務化など、やらなければならないことがたくさんあります。それは今後の課題です」

何しろここまで見てきたように、今年に入って急にあれこれが決まってきている状況。既存住宅への対応が後回しになったのは致し方ないというべきか。しかし既存住宅についても避けて通れない問題だけに、今後新築同様に矢継ぎ早に施策が決まっていく可能性はある。実際、新築・リフォームとも省エネに対する多額の補助予算が決定しています。

少なくともZEH基準以上の住宅が増えるほど、そうではない既存住宅の価値は下がる。それにZEH基準以上ということは、断熱性能がとても高いため結露は発生しないし、ヒートショックの心配もほとんどないなど健康にも良く、光熱費も削減できるので住む人にとってはメリットが多い。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

「その家の事情に合ったリフォーム方法を提案してくれる省エネコンサルタントなどがもっと重要になってくるでしょう。それだけのマーケット規模があるのですから。例えば積水ハウスは、自社で建てた住宅のリフォームで、子どもが巣立って2階はあまり使わないという施主に対し、1階部分のみZEH基準の改修を行うというような改修提案も始めています。内側に高断熱窓を備えるといった応急措置から根本的な改修まで、今何をしたらいいか省エネのコンサルティングをできるような人が、今後は求められると思います」

賃貸住宅についても、現在検討されている省エネ性能表示が義務化されれば、どの賃貸住宅が快適か一目でわかるようになる。もう「家を買えば快適だけど、賃貸だから我慢」という時代ではないのだから、賃貸住宅でもZEH基準以上が入居者から求められるようになるだろう。賃貸住宅のオーナーからしても、ZEH基準に達していないと賃料の値引きの材料にされやすくなる。それでは賃料収入が先細るばかりだ。

振り返れば「2050年までに脱炭素社会の実現」宣言が号砲となり、あっという間にあれこれ決まってきた住宅にまつわるさまざまな施策。西田さんは「世界的な動きに対して遅かったが、それでもギリギリ間に合うタイミング」だという。30年後だから子どもたちの問題だなと思っていたら、実は自分に突きつけられていた課題。唐突ではなく、今までは霧が多くてよく見えなかっただけのようだ。

●関連情報
経済産業省「第6次エネルギー基本計画が閣議決定されました」

●取材協力
シニアマネージャー(気候変動)西田 裕子さん
シニアマネージャー(気候変動)
西田 裕子さん
専門は、都市再開発や再開発についての調査研究、都市のサスティナブルデベロップメント(環境建築/都市づくり)関連の政策。2017年まで、東京都において気候変動、ヒートアイランド対策の政策立案および国際環境協力を担当。世界の大都市ネットワークであるC40と連携して、都市の建築の省エネルギー施策集「Urban Efficiency」を取りまとめるなど、世界の都市をサポートする活動をしてきた。早稲田大学政治経済学部卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院卒、行政学修士。
自然エネルギー財団では、中長期戦略の策定、建築部門のエネルギー転換とともに、自治体やビジネスセクターなど非政府アクターの気候変動対策を支援する

リノベーション・オブ・ザ・イヤー2021受賞作に見る、最新トレンド18選

1年を代表するリノベーション作品を決める「リノベーション・オブ・ザ・イヤー」。その授賞式が2021年12月7日に開催されました。応募作品228から選出された総合グランプリをはじめ、各受賞作から最新のリノベーションの特徴を読み解きました。

【注目point1】自然災害、コロナ禍……リノベーションが地域復興の力に

ここ数年、毎年のように発生する大規模な自然災害に加え、一昨年から続くコロナ禍によって、大きな苦境に陥っている地域の文化や経済。物理的に破壊された地域や施設、観光経済に打撃を受けた地域。日本各地に暮らす人々にも多くの暗い影を落としています。

今年のグランプリ作品は、そうした地域に落ちた暗い影を吹き飛ばすような大型案件。2020年、球磨川の氾濫により甚大な被害を受けた「球磨川くだり」の観光拠点となる施設を復興したものでした。被災前、人吉城を踏襲した和風建築だった建物を、川向きに大きく開口した新旧融合の意匠により再生。本瓦の大屋根にガラス張りの開口部を組み合わせ、復興のシンボルとなる美しい佇まいを見せています。

災害復興だけでもかなりの費用やマンパワーなどが必要ですが、観光施設という、コロナ禍においては切り捨てられられがちな要因をものともせず、1年という比較的短い期間で再生を果たした点で、選考委員から「もっとも強烈にコロナの逆風が吹いた分野でのリノベーション」「関係者の決意に胸が熱くなる」「未来期待の創造もなしえた」と高い評価を受けました。

いまだ続くコロナ禍という大きな逆境を乗り越え、地域のシンボルとなる美しい自然と融合した憩いの場をつくり、地域に希望の光がもたらされる。リノベーションが生み出す大きな可能性を感じとることができました。

●総合グランプリ
『災害を災凱へ(タムタムデザイン+ASTER)』株式会社タムタムデザイン

184516_sub01

和の風情を宿す「HASSENBA」(人吉市)。木船での川下りという100年の歴史ある文化や景観を蘇らせています(写真提供/株式会社タムタムデザイン)

和の風情を宿す「HASSENBA」(人吉市)。木船での川下りという100年の歴史ある文化や景観を蘇らせています(写真提供/株式会社タムタムデザイン)

【注目point2】ワークスペースとプライベート空間の切り離しに特徴

暮らしが劇的に変わったこの2年。テレワーク、おうち時間の充実などは今や普通のこととなってきています。今回のエントリー作品はコロナ禍においてプランされたものがほとんど。そのため、2020年同様、今回も「ワークスペースの設置」という職住融合を形にした作品が数多く見受けられました。

そんな傾向において、今回受賞した「商店街の昔ながらの家」「都市型戸建を再構成する。」の2作品は、ワークスペースとプライベート空間とを切り離すことを重視した点で注目が集まりました。一気に普及したオンライン会議によって、ワークスペースの独立性を確保する必要に迫られた結果だと思われます。

2作品とも、ワークスペースを玄関の土間スペースと合体するという特徴があり、いずれも店舗の奥に居住スペースがある店舗併用住宅や農作業スペースのある農家などをイメージした、職住融合家屋である点が共通しています。「職住一体の暮らしを商店街のお店になぞらえて、新しいオンとオフのつくり方を提示している」と選考委員から評価されました。

●500万円未満部門・最優秀賞
『商店街の昔ながらの家』株式会社ニューユニークス

マンションの玄関ドアを開けると、8.86畳の土間ワークスペースが。店舗の奥に居住スペースがある昔ながらの商店のつくりを想起させます(写真提供/株式会社ニューユニークス)

マンションの玄関ドアを開けると、8.86畳の土間ワークスペースが。店舗の奥に居住スペースがある昔ながらの商店のつくりを想起させます(写真提供/株式会社ニューユニークス)

●1000万円以上部門・最優秀賞
『都市型戸建を再構成する。』株式会社アートアンドクラフト

184516_sub04

1フロアの面積が約25平米ほどのコンパクトな都市型3階建て。写真上のように1階の玄関を兼ねた土間のワークスペースと非日常感を味わえる屋上の対比が印象的(写真提供/株式会社アートアンドクラフト)

1フロアの面積が約25平米ほどのコンパクトな都市型3階建て。写真上のように1階の玄関を兼ねた土間のワークスペースと非日常感を味わえる屋上の対比が印象的(写真提供/株式会社アートアンドクラフト)

【注目point3】家族の成長に合わせた2回目リノベ

リノベーションは、家族の成長や人数の変化、ライフスタイルなどに応じて、住まいをより快適に変えていくという役割があります。だから1回では終わらず、中には2回、3回……と行う人も。今回は子どもの成長に合わせて、住み替えではなく、2回目のリノベーションを選んだという作品が受賞しています。

「リノベはつづくよどこまでも」「ハウスインハウスでタイニーハウス」の2作品は、家族4人で約68平米、家族3人で55平米といずれもコンパクトですが、間取り変更によって小さいながらも子どものスペースを生み出しています。ロフトや家内小屋空間など、ユニークな方法で空間を区切っているのが大きな特徴で、さまざまなリノベ手法の可能性があることが見て取れます。

作品名「リノベはつづくよどこまでも」が表すように、今後、必要に応じて全体的に、また部分的にリノベを重ねて長く住み続けることへの可能性を感じさせました。

●1000万円未満部門・最優秀賞
『リノベはつづくよどこまでも』株式会社ブルースタジオ

子どもの誕生やライフスタイルの変化に合わせて2度目のリノベでアップデート。子ども部屋やワークスペースをロフトでゆるやかに区切る、家族がつながるプランです(写真提供/株式会社ブルースタジオ)

子どもの誕生やライフスタイルの変化に合わせて2度目のリノベでアップデート。子ども部屋やワークスペースをロフトでゆるやかに区切る、家族がつながるプランです(写真提供/株式会社ブルースタジオ)

●ラブリーデザイン賞
『ハウスインハウスでタイニーハウス』株式会社ブルースタジオ

広い玄関土間の一角を子ども部屋に。収納付き2段ベッドとデスクというミニマムな空間が、小屋風のつくりで楽しい雰囲気に仕上がっています(写真提供/株式会社ブルースタジオ)

広い玄関土間の一角を子ども部屋に。収納付き2段ベッドとデスクというミニマムな空間が、小屋風のつくりで楽しい雰囲気に仕上がっています(写真提供/株式会社ブルースタジオ)

社会的課題を解決する作品や個性派リノベなどにも注目集まる

リノベーションが持つ社会的役割は大きく、社会のさまざまな課題を解決する手法としてその有効性を最大限発揮しています。いくつか事例を見ていきましょう。

1. 地域の活動拠点を担う施設へのコンバージョン
使われなくなった建物を、地域の人々が集う別の目的の施設へ変えていくことは、各自治体や各地方で進められています。受賞作の「BOIL_通信発信基地局から、地域参加型の文化発信基地局へ」は、神奈川県川崎市の「若い世代が集う賑わうまちづくり」の一環として、NTT基地局を文化施設にコンバージョン。「Blank~ワークライフバランスからワークライフシナジーへ~」は東北での活動拠点を担う施設となるべく、マンションをコンバージョンした複合施設です。

●無差別級部門・最優秀賞
「BOIL_通信発信基地局から、地域参加型の文化発信基地局へ」リノベる株式会社

楽しい雰囲気のフロントヤード。建物内にはブレイクダンス等のダンススタジオ、シェアキッチン、ブルワリー、コワーキングスペースが(写真提供/リノベる株式会社)

楽しい雰囲気のフロントヤード。建物内にはブレイクダンス等のダンススタジオ、シェアキッチン、ブルワリー、コワーキングスペースが(写真提供/リノベる株式会社)

●無差別級部門・最優秀賞
「Blank~ワークライフバランスからワークライフシナジーへ~」株式会社エコラ

築46年のマンションを、SOHO、アパートメント、ホテル、ワークスペース、シェアラウンジ、カフェ、イベントスペースに。地域に人の流れを生んでいます(写真提供/株式会社エコラ)

築46年のマンションを、SOHO、アパートメント、ホテル、ワークスペース、シェアラウンジ、カフェ、イベントスペースに。地域に人の流れを生んでいます(写真提供/株式会社エコラ)

2. 可変性の高い仕掛けで、産業廃棄物を最小限に
間取り変更を伴うリノベーションは、産業廃棄物増加の問題も生じさせます。受賞作「doredo(ドレド)−気軽に居場所を作り、作り直せる暮らし方−」は、木製の「箱」を組み合わせることで、部屋数や収納量などを変更できるフレキシブルさが特徴。暮らしに合わせて自分で間取りを変更することができるため、工事で生じる廃棄物問題を解決する有効な手法になる可能性を提示しています。一般的な「nLDK」という間取りの概念を壊すこのプランは、今後、より求められていくのではと感じました。

●R1フレキシブル空間賞
「doredo(ドレド)−気軽に居場所を作り、作り直せる暮らし方−」株式会社リビタ

箱型モジュール「doredo」を自由に組み合わせて、間仕切り兼収納とする可変性の高さが特徴。住みながらワークライフバランスやライフスタイルに合わせての間取り変更が可能に(写真提供/株式会社リビタ)

箱型モジュール「doredo」を自由に組み合わせて、間仕切り兼収納とする可変性の高さが特徴。住みながらワークライフバランスやライフスタイルに合わせての間取り変更が可能に(写真提供/株式会社リビタ)

3. 空き家問題を解決する住宅性能向上リノベ
全国にある空き家は約849万9000戸(「平成30年 住宅・土地統計調査」より)と、過去最多を記録。衛生環境や景観、治安などの悪化につながると危惧されている空き家問題を解決する方法として、リノベーションは有効です。高性能リノベーション、間取りや設備変更リノベーションで居住性能を格段に高めることで、新たな住み手を生み出しています。

●グリーンtoグリーン賞
「Green House」株式会社タムタムデザイン

184516_sub11

写真上、築約45年。蔦の絡まる写真はビフォーの状態。内装だけでなく耐震性や断熱性も高め、地球や住む人に優しい住環境を実現しています(写真提供/タムタムデザイン)

写真上、築約45年。蔦の絡まる写真はビフォーの状態。内装だけでなく耐震性や断熱性も高め、地球や住む人に優しい住環境を実現しています(写真提供/タムタムデザイン)

●R5アフォータブル性能リノベーション賞
「国交省の長期優良住宅化リフォーム補助金のおかげで」株式会社まごころ本舗

築約39年。国からの補助金200万円を受けることで高性能化を実現。この家のように、“長期優良化リフォーム再販物件”が広がることが期待されます(写真提供/株式会社まごころ本舗)

築約39年。国からの補助金200万円を受けることで高性能化を実現。この家のように、“長期優良化リフォーム再販物件”が広がることが期待されます(写真提供/株式会社まごころ本舗)

●省エネリノベーション普及貢献賞
「省エネリノベーションをもっと身近に」株式会社インテリックス

燃費計算や断熱材、高性能内窓、熱交換式換気装置、全館空調エアコンを標準仕様化することで、わかりにくくコストも高いという省エネリノベーションをパッケージ化&低コスト化(写真提供/株式会社インテリックス)

燃費計算や断熱材、高性能内窓、熱交換式換気装置、全館空調エアコンを標準仕様化することで、わかりにくくコストも高いという省エネリノベーションをパッケージ化&低コスト化(写真提供/株式会社インテリックス)

また、理想のライフスタイルを目指した個性派リノベが今回も目立っていました。

●フリーダムリノベーション賞
「ビートルに乗ってリゾートへ? いえ、ここは団地の一室です。」株式会社フロッグハウス

築40年の団地のリビングにドーンと可愛いビートルが鎮座! ビーチ気分に浸れる内装も個性的です(写真提供/株式会社フロッグハウス)

築40年の団地のリビングにドーンと可愛いビートルが鎮座! ビーチ気分に浸れる内装も個性的です(写真提供/株式会社フロッグハウス)

●ニューノーマルリノベーション賞
「暮らし方シフト2020」株式会社リビタ

165平米超のゆとりある空間

都心を離れ、郊外のメゾネットマンションで眺望と鳥の囀りを味わう暮らしにシフト。165平米超のゆとりある空間には夫婦それぞれのワークスペースと衣装部屋をリノベでプランしています(写真提供/株式会社リビタ)

都心を離れ、郊外のメゾネットマンションで眺望と鳥の囀りを味わう暮らしにシフト。165平米超のゆとりある空間には夫婦それぞれのワークスペースと衣装部屋をリノベでプランしています(写真提供/株式会社リビタ)

●絶景リノベーション賞
「穏やかな瀬戸内の海とともにある日常」よんてつ不動産株式会社

海を眺めながら過ごしたいという施主の憧れを実現。細かく分かれていた間取りを広げ、寝室の壁を引き戸にすることで、寝室までもオーシャンビューに(写真提供/よんてつ不動産株式会社)

海を眺めながら過ごしたいという施主の憧れを実現。細かく分かれていた間取りを広げ、寝室の壁を引き戸にすることで、寝室までもオーシャンビューに(写真提供/よんてつ不動産株式会社)

最後に注目したいのが、古き良き建物を生かしたリノベです。古民家は、古き良き情緒を感じさせてくれる地域の宝。とはいえ普段の使い勝手などを考えるとなかなか住み手が見つからない問題も。そんな古民家をリノベーションの力でより魅力的に快適に変えた作品を見ていきましょう。

●地域資源インテグレート賞
「アフターコロナを見据えた、地方建築家の新たな職能への挑戦」paak design株式会社

重要伝統建築群保存築に立つ築88年の古民家

重要伝統建築群保存築に立つ築88年の古民家を、最新テクノロジーによって、チェックイン/アウトまで完全非接触の宿泊施設に(写真提供/paak design株式会社)

重要伝統建築群保存築に立つ築88年の古民家を、最新テクノロジーによって、チェックイン/アウトまで完全非接触の宿泊施設に(写真提供/paak design株式会社)

●フォトジェニック賞
「古民家が継なぐ、ふたりの夢」株式会社アトリエいろは一級建築士事務所

184516_sub22

築100年超の古民家で指圧院とカフェを開業。移住+古民家リノベによって夫婦それぞれの夢が叶えられました(写真提供/株式会社アトリエいろは一級建築士事務所)

築100年超の古民家で指圧院とカフェを開業。移住+古民家リノベによって夫婦それぞれの夢が叶えられました(写真提供/株式会社アトリエいろは一級建築士事務所)

●ビジネスモデルデザイン賞
「目黒本町の家」株式会社ルーヴィス

築68年、昭和の趣が残る古民家。両隣が隣家と接するため、天窓と2階床に透過素材を用いて、1階に光を届けています(写真提供/株式会社ルーヴィス)

築68年、昭和の趣が残る古民家。両隣が隣家と接するため、天窓と2階床に透過素材を用いて、1階に光を届けています(写真提供/株式会社ルーヴィス)

●地域貢献リノベーション賞
「中山道脇のロングライフシンボル、町並みを応援する家」株式会社WOODYYLIFE

築40年の日本家屋。物置化していた広縁を濡れ縁に変更してデッキを拡張。地元産木材をはじめ、自然素材でどこか懐かしさを感じる、中山道の町並みに似合う外観に(写真提供/株式会社WOODYYLIFE)

築40年の日本家屋。物置化していた広縁を濡れ縁に変更してデッキを拡張。地元産木材をはじめ、自然素材でどこか懐かしさを感じる、中山道の町並みに似合う外観に(写真提供/株式会社WOODYYLIFE)

リノベーションが困難を乗り越え希望を見出す力となる

コロナ禍に揺れ、それを抜きには語れない年が2年続きました。テレワーク、オンライン会議が当たり前のように行われる状況では、家の中に専用スペースをつくらざるをえない人も増え、そうした「ワークスペースの拡充リノベ」が、リノベーション業界の大きなテーマとなっているのが今回の受賞作品から見てとれました。

ライフスタイルを見直すことが余儀なくされ、生活拠点をも見直すような事例も多かったでしょう。いずれの見直しにおいても、暮らしの質を高める手法としてリノベーションが有効であることを、各作品は教えてくれています。

2020年に洪水による大きな被害とコロナウイルス感染対策の影響をもろにかぶった観光施設の復興がたった1年(関係者にとっては長い1年だったでしょうが)で成し遂げられ、地域の希望となったことに、地元・熊本をはじめ、選考委員会や、投票(反響数830いいね!)した方々も驚いたのではないでしょうか。

希望や心の拠り所が求められる時代、リノベーションは、人が楽しく集える場所を生み出し、仕事も暮らしも快適に過ごせる住まいを数多くつくっています。授賞式を終えて、以前にも増してリノベーションが時代にも人々にも求められていることを感じました。

次回も、人々が希求する素敵なリノベーション作品に出合える日を心から楽しみにしています。

赤絨毯に盛装が決まっている受賞者のみなさん。2022年も素敵な作品を期待しています(写真提供/リノベーション協議会)

赤絨毯に盛装が決まっている受賞者のみなさん。2022年も素敵な作品を期待しています(写真提供/リノベーション協議会)

●関連記事
「洪水被害をうけた熊本県人吉市にもう一度、光を」。倒産寸前の川下りを新名所にした「HASSENBA」のドラマ

●取材協力
リノベーション協議会「リノベーション・オブ・ザ・イヤー2021」

木造住宅や建築が地球を救う!? 法改正で住まいの潮流は変わる?

2021年10月に木材利用に関する法律が改正された。もっと建築物に木材を利用しましょう、というものだが、なぜ今、国は木材利用を促進するのか。その背景には、単に脱炭素社会を進めるためだけでなく、森林を健全に保つことで人々の生活を豊かにし、地域経済を活性化しようという目標があった。今後の住宅やまちの建築物はどうなっていくのだろうか。具体的に見てみよう。

日本の人工林の半数以上がすでに利用期を迎えている

2021年10月に改正された法律は「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律」。要はもっと木材を利用しましょう、利用しやすい環境も整えます、という法律なのだが「改正」という通り、もとの法律は10年以上前の平成22年に制定された「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」だ。

「戦後復興による木材需要の高まりを受けて、日本全国で植林活動が盛んに行われるようになりました。それにより現在では約54億立方メートルという豊かな森林資源を保有するまでになりました。植林から50年以上が経って大きく育ち、本格的な利用期を迎えた人工林がたくさんあるのです」と林野庁の林政部木材利用課、櫻井知さん。

平成29年(2017年)時点で利用期を迎える51年生以上の人工林が全体の50%に達している。なお「齢級」とは、植林からの年数を5年の幅でくくった単位。植林した年を「1年生」として、「11齢級」なら51年~55年生となる(資料提供/林野庁)

平成29年(2017年)時点で利用期を迎える51年生以上の人工林が全体の50%に達している。なお「齢級」とは、植林からの年数を5年の幅でくくった単位。植林した年を「1年生」として、「11齢級」なら51年~55年生となる(資料提供/林野庁)

高性能林業機械による伐採の様子(写真提供/林野庁)

高性能林業機械による伐採の様子(写真提供/林野庁)

樹木は高齢になると成長量が減少し、CO2吸収量も減少するため、森林サイクルを回して若い森林を増やすことが重要だ。森林サイクルを回すメリットは、CO2削減だけではない。このサイクルを回すことで下記図の通り、全国各地の山間部の経済や雇用、生物の多様性、国土や水資源の保全、豊かな海の創出、健康の促進……多様なSDGsにも貢献することになる。「森林」にはそれだけたくさんの産業や、それに伴う人々が関わっていることになる。

人工林を伐って、使って、植えて、育てるという森林サイクルが回ることで、様々なSDGsに貢献することができる(資料提供/林野庁)

人工林を伐って、使って、植えて、育てるという森林サイクルが回ることで、様々なSDGsに貢献することができる(資料提供/林野庁)

木材は国外依存度が高く、安定的な供給が課題

そこで平成22年(2010年)に公共建築物での木材利用を促進する「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」が定められた。さらに木材の利用量を増やすため、2021年に入って公共建築物等だけでなく民間の建築物での利用も促す法律に改定されたというわけだ。

木材の利用事例。江東区立有明西学園(写真提供/ウッドデザイン賞運営事務局)

木材の利用事例。江東区立有明西学園(写真提供/ウッドデザイン賞運営事務局)

木材の利用事例。東急池上線戸越銀座駅(写真提供/ウッドデザイン賞運営事務局)

木材の利用事例。東急池上線戸越銀座駅(写真提供/ウッドデザイン賞運営事務局)

改定内容の大きな特徴は、対象物を単に民間建築物に広げただけでなく、建築主などの事業者による木材利用の取組を国や地方自治体が後押ししたり、川上から川下まですべからく見通しをよくし、お互いの信頼関係をつくることができるよう「建築物木材利用促進協定制度」が新設されたことにある。

木材の流通経路は、川の流れに例えて、よく「川上」「川中」「川下」と呼ばれる。「川上」は森林所有者や丸太の生産者、造林などの林業従事者など、主に原材料としての木材を供給する立場のこと。「川中」は木材の流通に関わる業者や、単板・合板、チップ等の加工業者、プレカット(施工前にあらかじめ使用サイズや形状に加工しておくこと)業者などが当てはまる。「川下」は住宅メーカーなどの施工会社、家具製造会社、バイオマス事業者、建築主や消費者など、木材の最終利用者や最終製品の提供者や利用者を指す。

「山に木が植えられてから、住宅などに使用される間には、たくさんの人々が関係しています。そのため川上からは川下の、逆に川下から川上も、それぞれが抱えている課題が見えにくくなっています」。また間に多くの人々が絡むということは、お互いの信頼関係が築きにくいということもある。

特に信頼関係が重要だということは、最近のウッドショックで例えるとわかりやすい。新型コロナウイルス感染症拡大により、アメリカでは一時期経済が落ち込んだ一方で、急速に新築戸建需要が高まり、木材の供給が需要に追いつかなくなった。そのため木材の価格が世界的に高騰。また、コンテナ不足によって、欧州、北米の現地サプライヤーは、アメリカ向けの供給を増やしたことなどにより、日本向けの供給量は減少。これがウッドショックだ。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

先述の通り森林資源が豊かな日本は、一見ウッドショックと無縁かと思われがちだが、日本でも木材価格が高騰した。これまで多くの木材を輸入していた日本は、そもそもウッドショックを受けやすい。だからといって豊富なはずの国内に目を向けても、蛇口をひねるように木材は増えないからだ。例えば製材事業者ひとつとっても、これまで以上の製材を行うためには設備投資が必要になる。「投資後も木材の利用が進むようなら製材事業者としても投資するでしょうが、一時の需要だけで投資するのはリスクが高いのです」と櫻井さん。

投資の難しさを理解するために、もう1つ加えるならば、木は植えて50年後にようやく伐採できるということ。春に植えて秋には収穫できる稲作とはタイムスケールが大きく異なるのだ。ウッドショックで言えば「伐れば植えなければならないが、植えた木を50年後に買ってくれるんですか?」と懐疑的になってもおかしくはない。林野庁では、中期的な戦略として、サプライチェーン・マネジメントの構築によるハウスメーカー等からの国産材の安定需要の獲得、加工流通施設の整備等による国産材製品の供給量の増大や競争力の強化、ICTを活用した生産流通管理等による原木の供給量増大を図っていくこととしている。そこで「建築物木材利用促進協定制度」にも、国や地方自治体が川上・川中・川下の三者の信頼関係の構築に一役買うことが期待されている。

法改正により川上から川下まで、信頼関係が築ける環境をつくる

「建築物木材利用促進協定制度」とは、建築主となる民間の事業者等が、安心して木材の利用に取り組めるようにするため、国や地方公共団体、そしてその先の川中や川上サイドと結ぶ協定だ。主に下記のような形態が考えられている。国や地方公共団体が協定に関わることで、事業者等による取組が社会的に認知されやすくなったり、川上から川下までの関係する各者がお互いの信頼関係を構築しやすくなる。

建築物木材利用促進協定制度による協定のイメージ例。建築主となる事業者は、木材供給事業者等と本協定を締結することで、木材の安定的な供給を受けやすくなる。一方で木材を供給する側も安心して供給できる(資料提供/林野庁)

建築物木材利用促進協定制度による協定のイメージ例。建築主となる事業者は、木材供給事業者等と本協定を締結することで、木材の安定的な供給を受けやすくなる。一方で木材を供給する側も安心して供給できる(資料提供/林野庁)

川下である建設事業者側から見れば、これまで製材を販売する川中までは知っていたとしても、森林所有者など木材を供給する川上の事情まではあまり把握していなかった。しかしこの協定制度によって、利用する木材の産地にこだわることができたり、川上では今どんな種類・樹齢の木材が供給可能であるか、再造林は確実に行われているかなど、全体の流れを隅々まで把握できるようになるから、事業計画を立てやすい。逆に川上の木材供給側は川下の考えを直接聞けるようになるため、木材の供給や植林計画が立てやすくなる。その信頼関係は国や地方自治体等が入ることで裏付けもされる。

新設された「木材利用促進本部」は、いわばこの協定制度の旗振り役といったところ。建築物での木材利用促進に関する基本方針の策定や、実施の推進を行う。これまでは農林水産大臣や国土交通大臣の役割だったが、民間企業を広く巻き込む今回の改正後は環境大臣、経済産業大臣、総務大臣、文部科学大臣といった、関係するすべての大臣が加わっている。

さらに官民協議会「民間建築物等における木材利用促進に向けた協議会」(通称「ウッド・チェンジ協議会」)が昨年9月に立ち上がった。これには日本経済団体連合会(日本経団連)、経済同友会、日本商工会議所の経済3団体をはじめ、日本建設業連合会など建築サイド、全国森林組合連合会や全国木材組合連合会など木材供給サイド、全国知事会など行政サイド……という具合に、川上から川下までの各界の関係者が一堂に会する協議会だ。「法改正を契機として、経済3団体を含む幅広い団体に参画いただくことができました」と櫻井さん。今回の法改正は、木材の利用促進にオールニッポンとして一丸となって取り組もうという意思の表れともいえる。

環境問題への取り組みは、もはや企業の至上命題

実際に、民間企業が木材利用を進めている事例も出てきている。例えば三井ホームは国産材も用いて木造マンション「モクシオン」を建設。また三菱地所は建材用の木材の製造から販売までのビジネスフローを統合することで、中間コストを抑制し、新たな建材の生産や、プレファブ化を行う新会社「MEC Industry」を設立。通常の一戸建てでの商品力・供給力を高めるだけでなく、中高層建築・大規模建築物においても木材利用を推進していくことを目指している。

昨年10月に竣工した東京都中央区銀座の「HULIC &New GINZA 8」(ヒューリック アンニュー ギンザエイト)も民間企業による木材利用促進事例の一つだ。

HULIC &New GINZA 8。約60mという高さのうえ、細長いため先進的な技術が必要だった。設計施工は竹中工務店、基本デザイン監修を隈研吾建築都市設計事務所が担当した。

HULIC &New GINZA 8。約60mという高さのうえ、細長いため先進的な技術が必要だった。設計施工は竹中工務店、基本デザイン監修を隈研吾建築都市設計事務所が担当した。

日本初の耐火木造12階建て商業ビルで、木造+鉄骨造のハイブリッド建築。内装では木材を利用した柱や梁、天井が現し(構造材が見える状態のまま仕上げる方法)となっていて、外装材にも木材が利用されている。しかもこの建築で使用された木材と同等量の、約1万2000本が福島県白河市で植林され、森林サイクルを回している。

貸室内観。外観には天然木のルーバーをあしらい、内装では耐火集成材の柱や梁、CLT(直交集積板)の天井が現しとなっている

貸室内観。外観には天然木のルーバーをあしらい、内装では耐火集成材の柱や梁、CLT(直交集積板)の天井が現しとなっている

ヒューリックプロパティソリューション(株)の浦谷健史副社長は「きっかけは2018年の、経済同友会で提言としてまとめられた『地方創生に向けた“需要サイドからの”林業改革~日本の中高層ビルを木造建築に!~』。主に都心における建築での木材利用を促進し、それにより林業の活性化を図り、地方の創生に繋げていこうという趣旨です。もともと当社は約10年前からCO2削減に着目して事業を展開してきましたが、これに地方創生を加えた方針に賛同し、自ら第一号のビル(HULIC &New GINZA 8)を建てて世の中に木造利用の促進を訴えようと考えたのです」

CO2削減に以前から着目していたというが、それはなぜか? 「ESG投資(環境・社会・企業統治に配慮している企業を重視・選別して行なう投資)が注目されているように、これからの企業にとって、企業価値を高めるために環境問題に取り組むことはもはや必須だからです」

実際、同社は約7年前から太陽光発電事業に参入し、全国各地にメガソーラーを建設。そこで発電した電力を、本社ビルをはじめグループ全体で活用している。2024年までに自社で使用する電力を再生可能エネルギーへ100%転換、2030年には同社が保有する全ての建物において 電力由来のCO 2 排出量ネットゼロ化を達成するという目標も掲げられた。ちなみに、このメガソーラーのひとつが福島県にあり、それが縁で今回の福島県白河市の森林サイクル活動につながったそうだ。

太陽光発電施設(埼玉県加須市)。ヒューリックのメガソーラー。他に福島県等にもある。同社はメガソーラー以外にも自社ビル屋上に太陽光発電パネルを設置している(写真提供/ヒューリック)

太陽光発電施設(埼玉県加須市)。ヒューリックのメガソーラー。他に福島県等にもある。同社はメガソーラー以外にも自社ビル屋上に太陽光発電パネルを設置している(写真提供/ヒューリック)

法改正によって森林サイクルが回りやすくなってきた

今回の法改正について浦谷さんは「改正の目的である『民間建築物に木材利用を広げよう』ということは、まさに当社がHULIC &New GINZA 8で身をもって示そうとしたこと。改正の趣旨や改正点は、当社が取り組んでいる姿勢と同義だと考えています」という。

加えて、実際に手がけたからこそわかる、木材利用の課題についても教えてくれた。それはコストだ。高層化や耐火に対応できる木材は最近の技術で、まだ広く普及していないこともあって、現状では高層化・耐火建築物に木材を利用しようとすると、鉄筋コンクリート造よりもコストが高くなるという。

ただし浦谷さんは同時に、この法律によって日本の木材の生産者(川上)や製造者(川中)の活動が促進されれば、市場が活性化されてコストが下がるだろうと期待していている。また「建築物木材利用促進協定制度」などで、福島県白河市とのような関係が他地域とも築けることに期待を寄せる。「やはり国産材を使いたいですし、建物によってそれぞれ特徴にあった木材を利用したいと思います。そのために全国の様々な木材生産者等とつながりやすくなることはとても有効だと思います」

同社は今後も、現在計画中の新宿区の老人ホーム建設をはじめ木材利用を推進していくという。「これを一時のブームで終わらせてはいけません。木材利用は継続的にやること、森林サイクルを回すことに意味があるのですから」

森林サイクルを回すことで脱炭素化が図れるだけでなく、地域経済も潤い、雇用が増え、森や海が保全されて私たちの生活まで豊かになる。今回の法改正では木材利用を国民運動として展開するため「木材利用促進の日」(10月8日)と「木材利用促進月間」(10月)が法定された。私たちもまずは家を建てる際に、利用する木材に思いをはせることから森林サイクルについて考えてみてはどうだろう。

●取材協力
林野庁
ヒューリック

「この8年が地球温暖化を食い止める正念場」。COP26や海外から見る脱炭素の最新事情

2020年10月、菅前首相の「2050年カーボンニュートラル宣言」により、地球温暖化対策の「脱炭素」に対する日本全体の関心が高まりました。しかし、すでに世界では、さまざまな分野で脱炭素化が進み、新たなビジネスも生まれています。SUUMO編集長池本洋一が、NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサーとして「脱炭素」を追ってきた堅達京子さんに最新事情を聞きました。2021年10・11月にイギリスで行われたCOP26取材時の様子、そして住宅業界の脱炭素の動きはどうなっているのでしょうか。

各地を襲う洪水や巨大台風。地球温暖化を食い止める瀬戸際にきている

近年、世界中で、ハリケーンや大雨による洪水など異常気象が深刻化しています。日本でも、2019年台風15号19号による大水害、2020年熊本豪雨、2021年8月の記録的な大雨など自然災害が頻発。「地球が何かおかしい」と感じる人も多いのではないでしょうか。地球温暖化の主な原因となっているのが、産業革命以降、化石燃料の使用によって増加した二酸化炭素(CO2)などの大気中の温室効果ガスです。

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

2021年10・11月、イギリスのグラスゴーで行われたCOP26は、地球温暖化の進行により起きている問題について、国際社会がどのような対策をとるのか、話し合うための会議でした。

そもそも、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにする「2050カーボンニュートラル」が意識され始めたのは、2018年のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)1.5℃特別報告書です。世界の科学者が発表する論文や観測・予測データを、選ばれた専門家がまとめています。当時は、温暖化対策の国際合意「パリ協定」で決めた産業革命前の地球の平均気温からの上昇を2℃に抑えることが野心的目標でした。まだ1.5℃は努力目標だったのです。しかし、2018年の特別報告書は、1.5℃に抑えた場合と2℃に抑えた場合の影響の大きな違いを科学的に示し、1.5℃に抑えるには、2050年までに世界のCO2排出量を正味ゼロにすることが必要だと明らかにしたのです。

そして、2021年8月のIPCC第6次評価報告書においては、1.5℃達成のために残された時間が少ないことに警鐘が鳴らされました。このため、COP26では、1.5℃を目指すことが公式文書に明記され、世界のスタンダードな目標になりました。

地球の平均気温が上がるとどんな危機が訪れるのでしょうか。COP26の取材を終えて帰国したNHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー堅達京子さんはこう言います。

「地球の平均気温が1.5℃や2℃上昇する危険性はピンと来ないかもしれませんが、1.1℃上昇した現在でも北極圏の氷や永久凍土が溶け始めています。気温の上昇が続けば、海水温が上がり、大気や海流の動きが変わることで、アマゾンの熱帯雨林がサバンナ化し、ついには南極の氷床が融解する可能性があるのです。この『温暖化のドミノ倒し』が起こる境界は、2℃前後と見られています。回避するためには、2030年までにCO2排出量の大幅な削減が必要です。1.5℃から先を食い止めないと、『温暖化のドミノ倒し』で、ホットハウス・アース(灼熱地球)になり、人類文明にとって最大の危機が訪れます。1.5℃は地球のガードレール、今が地球温暖化を食い止める正念場なんです」(堅達さん)

2020年は北極圏で38℃を記録。グリーンランドなどでも氷床が融解している(写真/PIXTA)

2020年は北極圏で38℃を記録。グリーンランドなどでも氷床が融解している(写真/PIXTA)

堅達さんは、気候変動やSDGsをテーマに数多くの番組の取材・制作に携わってきました。中でも、2017年12月、NHKスペシャル「激変する世界ビジネス”脱炭素革命”の衝撃」を放送すると、「脱炭素」という言葉が初めてツイッターのトレンドワードになり、検索数も急上昇。大きな反響を呼びました。2021年9月には、著書『脱炭素革命への挑戦』を出版しました。世界の潮流と日本の課題が、とてもわかりやすくまとまっていると、ビジネス界だけでなく、本を読んだ一般の人々からも、「今、読むべき本」との声が寄せられました。

堅達京子さんは、2007年に行ったIPCCの議長へのインタビューで気候変動問題の深刻さを痛感。「なぜ、これほど重要なことを伝えてこなかったのだろう」と思い、以後、ライフワークとして脱炭素の現状を伝えることに取り組んできた(画像提供/堅達京子)

堅達京子さんは、2007年に行ったIPCCの議長へのインタビューで気候変動問題の深刻さを痛感。「なぜ、これほど重要なことを伝えてこなかったのだろう」と思い、以後、ライフワークとして脱炭素の現状を伝えることに取り組んできた(画像提供/堅達京子)

「2030年まで、あと8年で何とかしなくてはいけません。イギリス滞在中、BBCでは、COP26を朝から晩まで放送し、オリンピック並みの関心の高さがうかがえました。地球温暖化による危機が差し迫っているリアリティを感じた2週間の取材でした」(堅達さん)

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

(画像提供/堅達京子)

脱炭素化なくしてビジネスはできない!? 産業を仕組みから変える!

世界では、むしろこの危機をビジネスチャンスと捉える動きがあります。その動きを加速させたのは、2020年7月にEU(欧州連合)が新型コロナウイルスによる景気後退対策として創設した「欧州復興基金(Next Generation EU)」です。約94兆円に上るその基金は約3分の1が気候変動対策に充てられ、「グリーンリカバリーファンド」とも呼ばれています。

「『グリーンリカバリー』(緑の復興)とは、コロナ禍からの復興で必要になる巨額の資金を、脱炭素社会を構築する経済刺激策に投じようという考え方です。脱炭素を実現するには、化石燃料に頼ってきた産業の仕組みそのものを変えないといけません。世界各国は‘‘脱炭素革命‘‘に向け、大きく舵を切ったのです」(堅達さん)

2020年9月には、CO2の最大排出国である中国が、「2060年までにカーボンニュートラルを目指す」と表明し、アメリカは、バイデン政権発足直後の2021年2月に「パリ協定」に復帰。アメリカのグローバル企業も脱炭素に向けて行動を本格化しました。

「変化を印象づけたのは、アップルによる『2030年カーボンニュートラル宣言』です。ポイントは、自社だけでなく、iPhoneなどの自社製品の部品を提供するサプライヤー全体に及ぶこと。EUでは、2035年にCO2を排出するガソリン車やディーゼル車などの新車販売を全面的に禁止します。脱炭素なくして世界でビジネスができなくなる日も遠い未来ではありません」(堅達さん)

EV化を促進しているEUでは、EVステーションの増設が進む(写真/PIXTA)

EV化を促進しているEUでは、EVステーションの増設が進む(写真/PIXTA)

脱石炭火力で期待される洋上風力発電。イギリスやドイツでは、3000基以上がすでに稼働している(写真/PIXTA)

脱石炭火力で期待される洋上風力発電。イギリスやドイツでは、3000基以上がすでに稼働している(写真/PIXTA)

住宅業界で急がれる脱炭素化。世界は? 日本は?

金融界の変化と産業界が挑み始めた脱炭素化の取り組み。住宅業界についてはどうでしょうか。

「長期にわたって社会のインフラとして使い続ける住宅・建築物は、まっさきに手掛けるべき分野です。COP26議長国のイギリスでは、EV充電スタンドの新築住宅での設置を義務化しました。アメリカも200万戸以上のサステナブルな住宅や商業ビルの建設や改修を行うことを決め、カリフォルニア州では新築住宅の太陽光設置を義務化しています。日本でも2021年6月に政府が『グリーン成長戦略』を閣議決定しました。まだまだスタート地点ですが、今後、遅れていた住宅分野の脱炭素化が加速すると期待しています」(堅達さん)

2050年までに目指すべき住宅・建築物の姿とされているのが、ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)・ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)です。これは、快適な室内環境を実現しながら、建物で消費する年間の一次エネルギーの収支ゼロを目指した建物のこと。必要となるのは、断熱性能を高めることによる省エネと、太陽光発電設備等による再エネ(再生可能エネルギー)の導入です。

2枚のガラスの間に、乾燥空気やガスを封入した複層ガラスは、断熱性能が高い(写真/PIXTA)

2枚のガラスの間に、乾燥空気やガスを封入した複層ガラスは、断熱性能が高い(写真/PIXTA)

「省エネ」に加えて、「創エネ」も必要。日本でも、新築住宅への太陽光パネル設置義務化の議論が始まっている(写真/PIXTA)

「省エネ」に加えて、「創エネ」も必要。日本でも、新築住宅への太陽光パネル設置義務化の議論が始まっている(写真/PIXTA)

2030年までに、新築される住宅・建築物において、ZEH・ZEB基準の水準の省エネ性能が必要になり、新築戸建て住宅の6割において太陽光発電設備が導入される見込みです。

住宅業界の大手メーカーによる開発競争も激しくなってきました。進む注文住宅の脱炭素化に対し、遅れていた賃貸分野では、積水ハウスが、賃貸住宅「シャーメゾンZEH」を展開。2021年1月時点の累計受注戸数は3806戸です。大東建託は、LCCM(ライフ・サイクル・カーボン・マイナス)賃貸集合住宅を埼玉県草加市に2021年6月に完成させました。建設から解体までを通じてCO2排出量をマイナスにするLCCMの基準を満たす賃貸集合住宅は日本で初です。

大東建託の脱炭素住宅「LCCM賃貸集合住宅」(写真提供/大東建託)

大東建託の脱炭素住宅「LCCM賃貸集合住宅」(写真提供/大東建託)

脱炭素住宅の普及には、消費者の認知が重要です。「2020年注文住宅動向・トレンド調査」(2020年8月リクルート調べ)によると、建築者(全国)の ZEH認知率は67.0%。そのうち、導入した人は21.8%でした。ZEH導入による光熱費の経済的メリットは、平均で6865円/月です。2025年に、省エネ基準適合義務化、省エネ表示の広告義務化を控え、光熱費の目安など省エネ性能を不動産情報サイトでラベル表示する試みも検討が始まりました。

「メリットをビジュアル的にわかりやすく表示し、『見える化』するのは大事ですね。地球に優しいだけでなく、ヒートショックの防止、光熱費の節減など消費者のメリットがあり、中長期でみれば初期投資コストを取り戻せることもアピールするとよいでしょう」(堅達さん)

脱炭素化がスタンダードになったヨーロッパ。日本は遅れを取り戻せるか

日本では、環境問題を意識高い系の人がすることだとひとごとに考えたり、コストが高いと言われている再生可能エネルギーの推進は景気対策に水を差す、と考える人もいますが、ヨーロッパの人々はどのように受け止めているのでしょうか。
「特にSDGsの教育を受けた若者の意識は高いです。COP26開催期間中、グラスゴーでは、若者主導のデモが行われました。赤ちゃんを連れた参加者もいて、沿道の家から温かな声援が送られていました。自分の子どもやその子どもたちのために、今がんばらないといけないという気運が高まっているのです」(堅達さん)

滞在したビジネスホテルの朝食に出たヨーグルト。リサイクルカップを紙で巻いた簡易包装で、目立つところに環境性能表示のQRコードが。脱炭素化の取り組みが、具体的な商品に落とし込まれていた(画像提供/堅達京子)

滞在したビジネスホテルの朝食に出たヨーグルト。リサイクルカップを紙で巻いた簡易包装で、目立つところに環境性能表示のQRコードが。脱炭素化の取り組みが、具体的な商品に落とし込まれていた(画像提供/堅達京子)

世界では、CO2排出量1トンにつき規定の金額を税として徴収する炭素税(カーボンプライシングの1種)の引き上げが議論されています。2020年12月に行われた国連の気候野心サミットでは、カナダは連邦炭素税を2030年にCO2排出量1トンあたり、約1万5000円にまで大幅に引き上げると発表しました。さらに、EUで検討している「国境炭素税」は、地球温暖化対策が不十分な国からの輸入品に事実上の関税を課すものです。脱炭素に対し結果を出さないと、企業の利益や国益が守れないようになってきているのです。日本でも実質的な炭素税である『地球温暖化対策税』が2012年から導入されていますが、企業などが負担しているCO2排出量1トンあたり289円は世界に比べると極めて低い金額です。

「日本でもCO2を減らした企業が得をして減らさなかった企業が損をする仕組みづくりが必須だと思います。住宅業界に関しては、政府が補助金や法人税、固定資産税の税制優遇措置を進め、施主側も省エネに配慮した建物の設計を要求し、当初に必要なコストを受け入れることが必要です。とはいえ、我慢ばかりの脱炭素では、理解は得られないと思います。省エネに配慮した性能の高い住宅は住む人にとって、快適で健康面のメリットがあります。ノルマとして脱炭素を捉えるのではなく、未来への投資としてポジティブに考えてもらえたら」(堅達さん)

最後に、堅達さんが日々行っていること、私たちができることを聞きました。

「私は、家に内窓をつけて断熱性能を高め、フードロス軽減のため、ベランダにコンポストを置いています。なかなか習慣にするのは難しいけど、肉の生産で出る温室効果ガスを減らすため、一週間に1回は肉を食べない日も始めました。脱炭素を進めている企業を応援するなど消費者としてできることもたくさんあります」(堅達さん)

すでに、マイボトル、エコバッグ、車のシェアリングなど、身近なところで取り組みが進んでいます。脱炭素化は不可逆の流れ。さっそく今日からできることをしながら、今後の展開を注視したいと思います。

●取材協力
NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー
堅達 京子(げんだつ・きょうこ)さん 
1965年、福井県生まれ。早稲田大学、ソルボンヌ大学留学を経て、1988年、NHK入局、報道番組のディレクター。2006年よりプロデューサー。NHK環境キャンペーンの責任者を務め、気候変動やSDGsをテーマに数多くの番組を放送。NHKスペシャル『激変する世界ビジネス “脱炭素革命”の衝撃』 『2030 未来への分岐点 暴走する温暖化 “脱炭素”への挑戦』、BS1スペシャル『グリーンリカバリーをめざせ! ビジネス界が挑む脱炭素』はいずれも大きな反響を呼んだ。
2021年8月、株式会社NHKエンタープライズに転籍。日本環境ジャーナリストの会副会長。環境省中央環境審議会臨時委員。文部科学省環境エネルギー科学技術委員会専門委員。世界経済フォーラムGlobal Future Council on Japanメンバー。東京大学未来ビジョン研究センター客員研究員。
主な著書に『脱炭素革命への挑戦 世界の潮流と日本の課題』『NHKスペシャル 遺志 ラビン暗殺からの出発』『脱プラスチックへの挑戦 持続可能な地球と世界ビジネスの潮流』。

認知症になっても住める街へ。街全体で見守る「ふくろうプロジェクト」始動 栃木県下野市

2021年、高齢者人口は3640万人(※1)と過去最多となりました。みなさんの身のまわりでも、年齢を重ねた父母や祖父母が高齢者だけ、または一人で暮らしているというご家庭は多いのではないでしょうか。高齢者、また認知症になった人を見守る、栃木県で地域ぐるみのユニークな「ふくろうプロジェクト」がはじまりました。その試みと街への影響をご紹介します。

ゴミ収集をしつつ、ひとり歩きの高齢者の足元を確認

今年11月、栃木県下野(しもつけ)市ではじまったのが、「ふくろうプロジェクト」です。この取り組みは、認知症になっても暮らしやすい街を目指すというもので、その内容はゴミ収集車とスタッフが通常のゴミ回収を行いつつ、歩いている高齢者の足元をさりげなく気にするというもの。認知症になると、街を徘徊してしまい、徘徊中に自宅に帰れなくなってしまったり、交通事故に巻き込まれてしまったりすることもあるといいます。

そこで大切になるのが、徘徊の早期発見です。このプロジェクトではまず街を縦横に走るゴミ収集車に着目し、清掃員がゴミを回収しながらまちゆく高齢者の足元を見て、気になる人がいれば警察や地域包括支援センターに連絡するという仕組みが考案されました。

では、なぜ高齢者の「足元」なのでしょうか。このプロジェクトの発案者である、横木淳平さんに聞いてみました。

「もともと、靴を見るのは私の職業病みたいなものなんです。街を歩いていても、ついつい高齢者の足元を見てしまう。それは、徘徊している人は、状況やサイズにあっていない履物を履いていることが多いことから。スリッパやサイズのあわない靴、子どもの靴など、明らかに違和感のある靴を履いていること多いんですね。高齢者も徘徊しようと思って徘徊しているのではなくて、ご自身は目的があって出かけたけれど、家がわからない、何が目的だったかわからないなどの理由で歩いてしまう。だから靴に違和感があるんです」

ゴミ収集車につけられた「ふくろうプロジェクト」のステッカー(写真提供/ふくろうプロジェクト)

ゴミ収集車につけられた「ふくろうプロジェクト」のステッカー(写真提供/ふくろうプロジェクト)

なるほど、確かにその違和感は人間の目だからこそ気付ける観点ですね。今回のプロジェクトは、ゴミの回収という通常業務にあたりつつ「さり気なく」気にするというのもポイントです。

「今、できることから、ちょっとだけ世の中を良くしようというのが今回のプロジェクトの趣旨です。だから、気になる人を見つけたら、警察や地域包括支援センターに引き継いで、その後は通常業務にあたってもらいます」と横木さん。大切なのは、できるだけ多くの人に、無理なく、継続的に協力してもらう仕組みだといいます。

高齢者を取り巻く環境は悪化する。だからこそ視線を増やすことが大切

「今回はゴミ収集車と清掃員に協力してもらいましたが、運送会社、新聞や郵便、飲料の配達など、街のなかに今にいる人達にちょっとだけ、視線という機能を貸してもらえるだけで、高齢者が街にずっと住み続けていくことができるようになります。今後も高齢者人口、認知症の人口は増え続けていきます。まちなかには空き家も増えますし、ゲリラ豪雨、熱中症の増加のように、命の危険を感じるような天候も増えています。超高齢化社会の到来を考えると、もともとある高齢者施設だけでは受け皿になりきれない。だからこそ、普段の生活のなかで、ちょっとだけ助けてもらう、そんな仕組みが大切なんです」と話します。

認知症は一度発症すると進行を遅くすることはできても、治すことはできないといわれています。また高齢者の数に対する施設の受け入れ数など、高齢者をとりまく環境は厳しくなる一方です。であれば、プロの介護事業者だけでなく、周囲の人のちょっとした「見守り」があることで、高齢者が安心して暮らせるようにというのは納得の発想です。

プロジェクト発案者である横木さん(右)と廃棄物収集運搬業を営み、今回プロジェクトをともに行うことになった有限会社国分寺産業の田村友輝さん(左)(写真提供/ふくろうプロジェクト)

プロジェクト発案者である横木さん(右)と廃棄物収集運搬業を営み、今回プロジェクトをともに行うことになった有限会社国分寺産業の田村友輝さん(左)(写真提供/ふくろうプロジェクト)

「やさしい視線が多い街って、やっぱり住みやすいと思うんですよ。認知症だから、高齢者だから、家や施設で寝ていてもらえばいい、そんなことは絶対にないはず。生きる希望に満ちた暮らしをかなえてあげたい。徘徊を問題行動だと考えるのではなく、地域に居場所がある、役割がある、そんな街が住みやすい街と言えるのではないでしょうか。こうした視線が行き届いた街は、地方創生・復活のコンテンツにもなり得ると思っています」(横木さん)

筆者自身、母親になってわかったことですが、親になると子どもや子ども連れの人に助けられたり、助けたりということが格段に増えます。そして多くの人は、「少しおせっかいかもしれないけれど、助けたい」と思っているのだとしみじみ思います。まだ介護は経験していませんが、多くの人は子育てと同様、どこかみんなで助けたい/助けられたいと思っているはず。今回は、そんな「相互の思い」をかたちにした事業といえるでしょう。

発見はゼロでいい。できることからはじめてみよう

今回は「仕組み」として整えることで「発見」や「おせっかい」がしやすくなるのもポイントです。
「運用にあたって、できる限り本業に支障をきたさない、気楽に参加しやすようにと、極限までハードルを下げ、誰でも参加できる仕組みを考えました。それは、街にヒーローをつくりたいから。介護やゴミ収集の仕事は、やはり敬遠されがち。特に、コロナ禍でその過酷さが注目されました。しかし今回のプロジェクトのように『人助けができる』『まちの目線になる』ということで、仕事の価値をさらに広げ、関心をもつ人を増やしていけたらいいですよね」と横木さん。

「街にヒーローをつくりたい」と話す横木さん。徘徊を見つけてもらえたら、それこそご家族にとってはヒーローですよね(写真提供/ふくろうプロジェクト)

「街にヒーローをつくりたい」と話す横木さん。徘徊を見つけてもらえたら、それこそご家族にとってはヒーローですよね(写真提供/ふくろうプロジェクト)

極限までハードルを下げたというだけあって、ゴミ収集のほかに新聞配達などの企業からも声がかかっているそう。確かに街を駆け巡っているという点は同じですから、親和性は高そうです。

「はじまってまだ半月なので、今のところ、徘徊に気がついたという報告はあがってきていません。でも、いいんです、結果ゼロ件でも想像以上に多かったでも。やってみないとわからない。できることからはじめて、ちょっとだけ社会を、地域を良くしたい、そういう思いを共有できる仲間が増えていくことが大事ですし、広がっていくことが大切だと思っています」(横木さん)

思いは通じているようで、今のところ、行政や地域の人からも好評で、「応援しているよ」と声をかけてもらえることが多いといいます。そもそも、「靴を見る」という今回のプロジェクトそのものが、じんわりと認知症への理解へとつながります。

またテレワークが普及した昨今では、住んでいる街で1日の多くの時間を過ごす人が増えたことになります。単に「いる」だけではなく、「関心」や「かかわり」「やさしい視線」が増えていけば、今住んでいる場所も、より住みやすい街となっていくことでしょう。

高齢者や認知症だけでなく、障がいがある人、子どもたち。社会で暮らしているのは、健康な成人だけではありません。誰しも居場所があって、役割がある。「理解する」「ちょっとだけ気にかけてみる」「行動をほんのりと見守る」というあたたかい視線こそが、2020年代の住みやすい街に必要なのかもしれません。

※1総務省統計局より

●取材協力
横木淳平さん 
介護3.0

築62年の松陰神社「共悦マーケット」が取り壊しに。街ぐるみで見送った昭和のアーケードの最期

東京都世田谷区、松陰神社通り商店街。2021年10月末「共悦マーケット」は、62年の歴史の幕を閉じた。この昭和のマーケットが取り壊されることを知ったひとりの写真家が、1年前からこの場を劇場に見立ててゲリラ的にパフォーマンス上演を開催してきた。そして、10月には、子どもたちによる「共悦マーケットの人々」と題した演劇が上演され、まちぐるみでマーケットに別れを告げた。

老朽化と耐震性能の不足からマーケットの取り壊しが決まった

東急世田谷線の二両編成ののんびりとした電車に乗って三軒茶屋駅から5分あまり。松陰神社前駅の周辺は、昔ながらの八百屋や魚屋といったお店と、今どきのカフェやスイーツ店が混在する、暮らしてよし散歩してよしの楽しい商店街がある。クルマ通りもほとんどない、まちの人たちが安心して歩ける雰囲気も魅力だ。
その商店街に面して「共悦マーケット」はあった。1959年に建築された4軒の2階建て木造建物の間に通路が設けられ、小規模ながら屋根掛けされた私設アーケードが、この共悦マーケットだ。このマーケットには、居酒屋、定食屋、古本屋兼シェアオフィス、レコード屋、アパレルショップ、整体院、ハチミツ屋、フランス料理店……昔ながらのお店と新しいお店が混在して商店街の魅力の中核を担っていた。
ところが、築60年を過ぎて建物が老朽化し耐震性に劣ること、大家さんの高齢化などの理由から、建て替えられることになった。大家さんは2年ほど前に「取り壊し」を、賃借しているお店に伝えたのだという。

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

写真家がマーケットを劇場に見立てパフォーマンス公演を企画

「無くなるものを、何かかたちにして残したい」と、共悦マーケットの一角、牡蠣専門居酒屋「マルショウアリク」の常連、写真家・加藤孝さんは、取り壊しまで1年を控えて、そう考えた。加藤さんは、舞台の役者や演劇公演のポスターの写真撮影を得意とする写真家だ。「アリクの店主、廣岡好和さんと相談し、ボクにやれることはなんだろうと考えて、本業の写真、そして多くのパフォーマーに知り合いがいるので、想い出をつくるイベントの企画を考えました」と話す。
マーケットには屋根付きのアーケードが設えられており、60年にわたって道行く街の人やお客さんが雨に濡れないように守ってくれていた。わずか30m程のアーケードは短いがゆえに親密な空間をつくりだしていた。そこで、加藤さんは、友人・知人の様々なジャンルのパフォーマーに声をかけて、このアーケードを劇場に見立て、月に一回「共悦劇場」というゲリラ型の路上イベントを企画した。
2020年9月の第一回は講談、第二回は江戸大神楽、その後は、薩摩琵琶、パントマイム、紙芝居、タップダンス……と続いていく。加藤さんは、自ら撮影機材などを持ち出して撮影、YouTubeでライブ動画配信するとともに、それらパフォーマンス動画を「共悦劇場」と題してアーカイブ化していった。

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

地元の小学生がマーケットを題材にした演劇づくりの仲間集め

そんななか、「マルショウアリク」が定期的に行っている軒先マルシェで、店主の廣岡さんが2021年6月に「このマーケットは10月末でなくなるんだ」と「子どものお店」を出していた顔なじみの地元の小学生たちに話した。これを聞いて、「共悦マーケットの人たちの話を聞いて劇をつくりたい」と言った子どもがいた。
近くの小学校に通うわたくん(4年生)だ。わたくんは、2021年3月、世田谷区の世田谷パブリックシアターが行っていた「小学生のためのえんげきワークショップ+発表会「下馬のゆうじさんをめぐる冒険」に演劇ワークショップに参加した経験があり、人から話を聞いて演劇をつくる、というイメージを持っていた。同じく世田谷パブリックシアターのさまざまな演劇ワークショップに参加していたFUMIさん(3年生)など数名の仲間を集めて、「共悦マーケット子どもプロジェクト」のキックオフミーテングを行った。そこで、「演劇チーム」「新聞チーム」「紙芝居チーム」ができ、10月中旬の発表を目指すことになった。
まず共悦マーケットの人にインタビューをはじめた。
インタビューの中で、廣岡さんから「共悦マーケットのお店の人たちに『好きな言葉』『大切にしている言葉』を聞いてみるといいんじゃないかな」とヒントをもらった。廣岡さんは「子どもたちが、ここで商売をしている大人たちの思いや考えを知ってもらうのに良いアイディアだと思いました」と打ち明ける。
また、それと並行して、さらなる仲間集めをはじめた。役立ったのは学校の学習で使っているタブレットだ。さっそく、共悦マーケットについての演劇をつくりたいこと、一緒に演劇をつくる仲間を集めたいこと、その内容を盛り込んだチラシをつくった。そのチラシを見て5~6人の賛同者が集まった。

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

周りの大人たちもサポート。仲間はどんどん増えていった

「共悦マーケット子どもプロジェクト」と名付けられたこの取り組みは、子どもたちが主体であるものの、周りの大人たちのサポートもあった。二人の通う地元小学校のPTAサークル「IBASHO」は、子どもたちがすこやかに自立に向かっていける「放課後」の過ごし方について考え、実践しながら、その課題を地域と共有している。今回の子どもたちもIBASHOの活動に参加していたため、IBASHOメンバーたちは「劇をつくりたい」という声にすぐに反応し、多岐にわたるサポートを行った。

脚本づくりや稽古の場所は、共悦マーケットの店舗で一足先に空き家になっていた古書店「nostos books」(世田谷区砧に移転)の跡を大家さんにお願いして貸してもらった。大家さんも創立間もなかった地元小学校の卒業生だ。かわいい「後輩たち」の申し出に、喜んで貸し出してくれたという。
商店街に面するガラス張りのスペースだったことから、通りがかりにその作業風景を見かけた小学生の友達がどんどん参加してくれることになった。
学校でも校長先生が協力してくれて、校長室の前にポスターを貼らせてもらった。最終的に19~20人で演劇を行うことになった。学年も1年生から5年生まで幅広い年代の子どもたちが参加したという。「年は違うけど、みんなため口でしゃべりあう友達になりました」とわたくん。わたくんとFUMIさんは、劇のタイトルを「共悦マーケットの人々」と決めた。

共悦マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展

その一方、写真家の加藤さんは月1の「共悦劇場」に加えて、取り壊しが目前に迫った9月末から、共悦マーケット内のお店の人たち、利用する街の人たちのポートレートを撮り始めた。本業の写真家として、無くなりゆく共悦マーケットに対する思いを込めた。「KYO-ETSU MARKET April.1959~November.2021」と書き入れたポスターを自らデザインして、モノクロのポートレートを1点ずつあしらった。そして、これらポスターを「nostos books」跡のショーウィンドウにできた順に貼っていった。

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

このポスターを見た街の人たちが、次々と自分も撮って欲しいということになり、加藤さん撮影のポスターが増えていった。それとともに「nostos books」跡のショーウィンドーはどんどん隙間無く埋められていった。マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展の様相を帯びてきた。
「これは何?」とポスターに足を止めて興味深く眺め入る人も多くいた。加藤さんは「10月末に共悦マーケットが建物の役目を終えて、11月には取り壊されるんです。KYO-ETSU MARKETという字が下に行くほど薄くなっているのは、この建物が無くなることをあらわしています」と説明していた。

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

「共悦マーケットの人々」はみんなで一緒に踊って別れを告げた

10月16日(土)・17日(日)は、子ども劇「共悦マーケットの人々」発表の本番だ。

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

最初に、「紙芝居チーム」による「未来の商店街」の上演。
その後には、子どもたちによるギター、キーボード、ピアニカ、縦笛の演奏に併せて、観客も含めて「カントリー・ロード」の唄を。
いよいよ、共悦マーケットのお店の人たちに取材した劇「共悦マーケットの人々」の上演だ。
お店の人たちの大切にしている言葉「一期一会」「夢じゃなくて目的を大切にしている」「やればできる」「先義後利(道義を優先して利益を後回しにする)」「天は人の上に人をつくらず、天は人の下に人をつくらず」といった言葉が披露されていく。取材した食堂で、美味しいきんぴらゴボウと卵焼きを食べさせてもらったことまで劇中で紹介してくれた。
共悦マーケットの大家さんから聞いたたくさんのお話の中で、子どもたちは自分が伝えたいことを選んで朗読した。その内容は「12軒のお店があって、かつては店子さんと親子のような関係だったこと」「『共悦』は共に喜ぶという意味であること。ご近所同士が仲良くなれればという思いを込めたこと」「好きな言葉は”フィリア”、ギリシャ語で愛を表すこと」「安全のために建て替えること」「子どもたちが共悦マーケットをみんなで見送ってくれることに感謝していること」などだった。
そして劇の締めくくりには、観覧していた大人も招き入れてオリジナルの盆踊りを踊った。踊り終えた後には、みんなで共悦マーケット全体を仰ぎ見て「さようなら」と手を振り、アーケードを走り抜けた。アーケードの未来を予感させるこの演出は、子どもたちの演劇をカメラを通して見守っていた加藤さんによるものだ。

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

大人たちをまねて、居酒屋を貸し切って「打ち上げ」

共悦マーケットの狭い間口の入り口に、街の人たちが鈴なりに詰めかけて、子どもたちの演劇を見守った。子どもたちの「共悦マーケット」への思いに、胸を打たれた大人たちは多かったのではないだろうか。劇の終わりには、盛大な拍手が寄せられた。
上演を無事終えると、子どもたちは、演劇づくりのきっかけをつくってくれた居酒屋「マルショウアリク」の席を陣取った。みんなで、ジュースで乾杯だ。大人たちが大きな仕事が終わると「打ち上げ」と称して居酒屋で乾杯する姿を見ていたので、子どもたちも、ジュースで打ち上げの乾杯をしてお菓子を食べて、みんなで「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功をお祝いした。

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

大人たちもそれを取り囲んで、子どもたちと一緒に「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功を祝福して、街ぐるみで温かな空気をつくりだしていた。
後日、わたくんとFUMIさんに話を聞いた。演劇づくりは本番の3~4週間前からが佳境だったという。子どもによっては塾や習い事との兼ね合いもあり全員は揃わないので、放課後の演劇づくりはたいへんだった。土日には、演劇づくりに6時間も費やすこともあったという。
劇の仕上がり、満足度を聞いたところ、FUMIさんは「99点……98点かなぁ」、わたくんは「100点!」と満足いく出来だった。二人とも「また、演劇づくりをやりたい」と話してくれた。
上演当日のチラシ(協力:IBASHO)には「この共悦マーケットは、その名のとおり喜びを共にする小さなアーケードでした。ただの通路ではなく、抜け道であり、ときには傘になり、井戸端会議の場、遊び場で子どもたちにとっては異次元へのトンネル、まちの行燈でもありました。古きも新しきも、思い出を残す存在でした。子どもたちが『ここでやりたい』と発想したのも、ここから受けてきた有形無形の恵みを感じ取っていたからではないかと想像します」とある。
IBASHO代表の岡田陽子さんは「私たちは、街の力と、子どもたちの見えないものをつかみとる力と、まだ見ぬものを形にしていく演劇の力によって、たくさんの奇跡のかけらを見ました。それは、私たちの地域がすでに持っている力に気づく時間でもありました。日常の地続きにあるその力こそ未来の街をつくる原動力です。子どもたちの『放課後』はその可能性を秘めているという点でも大変貴重な時間です。子ども×街×PLAYは足し算ではなく掛け算ですね。閉幕のあとも、きらめくような記憶のかけらが街を彩っている気がしています」と、語ってくれた。
残念ながら11月になり共悦マーケットは取り壊しが進められ、そのかつての姿はもう見ることができない。
ただし、写真家の加藤さんが撮影・配信・アーカイブされた「共悦マーケットの人々」は、いまもYouTubeで見ることができる。そして、加藤さんによる、共悦マーケットを見送る街の人たちのポートレートは、1冊限りの写真集が作られた。松陰神社前駅のほど近く「100人の本屋さん」に納本・常備されているので、気になった方は見に訪れていただきたい。
これからも、松陰神社前駅の街の人々の心のなかに「共悦マーケット」は、生き続けていくのだろう。

184123_sub11

●取材協力
・加藤孝・写真家
・YouTubeチャンネル「共悦劇場」
・マルショウアリク・廣岡好和
・IBASHO

築62年の松陰神社「共悦マーケット」が取り壊しに。街ぐるみで見送った昭和のアーケード

東京都世田谷区、松陰神社通り商店街。2021年10月末「共悦マーケット」は、62年の歴史の幕を閉じた。この昭和のマーケットが取り壊されることを知ったひとりの写真家が、1年前からこの場を劇場に見立ててゲリラ的にパフォーマンス上演を開催してきた。そして、10月には、子どもたちによる「共悦マーケットの人々」と題した演劇が上演され、まちぐるみでマーケットに別れを告げた。

老朽化と耐震性能の不足からマーケットの取り壊しが決まった

東急世田谷線の二両編成ののんびりとした電車に乗って三軒茶屋駅から5分あまり。松陰神社前駅の周辺は、昔ながらの八百屋や魚屋といったお店と、今どきのカフェやスイーツ店が混在する、暮らしてよし散歩してよしの楽しい商店街がある。クルマ通りもほとんどない、まちの人たちが安心して歩ける雰囲気も魅力だ。
その商店街に面して「共悦マーケット」はあった。1959年に建築された4軒の2階建て木造建物の間に通路が設けられ、小規模ながら屋根掛けされた私設アーケードが、この共悦マーケットだ。このマーケットには、居酒屋、定食屋、古本屋兼シェアオフィス、レコード屋、アパレルショップ、整体院、ハチミツ屋、フランス料理店……昔ながらのお店と新しいお店が混在して商店街の魅力の中核を担っていた。
ところが、築60年を過ぎて建物が老朽化し耐震性に劣ること、大家さんの高齢化などの理由から、建て替えられることになった。大家さんは2年ほど前に「取り壊し」を、賃借しているお店に伝えたのだという。

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

写真家がマーケットを劇場に見立てパフォーマンス公演を企画

「無くなるものを、何かかたちにして残したい」と、共悦マーケットの一角、牡蠣専門居酒屋「マルショウアリク」の常連、写真家・加藤孝さんは、取り壊しまで1年を控えて、そう考えた。加藤さんは、舞台の役者や演劇公演のポスターの写真撮影を得意とする写真家だ。「アリクの店主、廣岡好和さんと相談し、ボクにやれることはなんだろうと考えて、本業の写真、そして多くのパフォーマーに知り合いがいるので、想い出をつくるイベントの企画を考えました」と話す。
マーケットには屋根付きのアーケードが設えられており、60年にわたって道行く街の人やお客さんが雨に濡れないように守ってくれていた。わずか30m程のアーケードは短いがゆえに親密な空間をつくりだしていた。そこで、加藤さんは、友人・知人の様々なジャンルのパフォーマーに声をかけて、このアーケードを劇場に見立て、月に一回「共悦劇場」というゲリラ型の路上イベントを企画した。
2020年9月の第一回は講談、第二回は江戸大神楽、その後は、薩摩琵琶、パントマイム、紙芝居、タップダンス……と続いていく。加藤さんは、自ら撮影機材などを持ち出して撮影、YouTubeでライブ動画配信するとともに、それらパフォーマンス動画を「共悦劇場」と題してアーカイブ化していった。

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

地元の小学生がマーケットを題材にした演劇づくりの仲間集め

そんななか、「マルショウアリク」が定期的に行っている軒先マルシェで、店主の廣岡さんが2021年6月に「このマーケットは10月末でなくなるんだ」と「子どものお店」を出していた顔なじみの地元の小学生たちに話した。これを聞いて、「共悦マーケットの人たちの話を聞いて劇をつくりたい」と言った子どもがいた。
近くの小学校に通うわたくん(4年生)だ。わたくんは、2021年3月、世田谷区の世田谷パブリックシアターが行っていた「小学生のためのえんげきワークショップ+発表会「下馬のゆうじさんをめぐる冒険」に演劇ワークショップに参加した経験があり、人から話を聞いて演劇をつくる、というイメージを持っていた。同じく世田谷パブリックシアターのさまざまな演劇ワークショップに参加していたFUMIさん(3年生)など数名の仲間を集めて、「共悦マーケット子どもプロジェクト」のキックオフミーテングを行った。そこで、「演劇チーム」「新聞チーム」「紙芝居チーム」ができ、10月中旬の発表を目指すことになった。
まず共悦マーケットの人にインタビューをはじめた。
インタビューの中で、廣岡さんから「共悦マーケットのお店の人たちに『好きな言葉』『大切にしている言葉』を聞いてみるといいんじゃないかな」とヒントをもらった。廣岡さんは「子どもたちが、ここで商売をしている大人たちの思いや考えを知ってもらうのに良いアイディアだと思いました」と打ち明ける。
また、それと並行して、さらなる仲間集めをはじめた。役立ったのは学校の学習で使っているタブレットだ。さっそく、共悦マーケットについての演劇をつくりたいこと、一緒に演劇をつくる仲間を集めたいこと、その内容を盛り込んだチラシをつくった。そのチラシを見て5~6人の賛同者が集まった。

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

周りの大人たちもサポート。仲間はどんどん増えていった

「共悦マーケット子どもプロジェクト」と名付けられたこの取り組みは、子どもたちが主体であるものの、周りの大人たちのサポートもあった。二人の通う地元小学校のPTAサークル「IBASHO」は、子どもたちがすこやかに自立に向かっていける「放課後」の過ごし方について考え、実践しながら、その課題を地域と共有している。今回の子どもたちもIBASHOの活動に参加していたため、IBASHOメンバーたちは「劇をつくりたい」という声にすぐに反応し、多岐にわたるサポートを行った。

脚本づくりや稽古の場所は、共悦マーケットの店舗で一足先に空き家になっていた古書店「nostos books」(世田谷区砧に移転)の跡を大家さんにお願いして貸してもらった。大家さんも創立間もなかった地元小学校の卒業生だ。かわいい「後輩たち」の申し出に、喜んで貸し出してくれたという。
商店街に面するガラス張りのスペースだったことから、通りがかりにその作業風景を見かけた小学生の友達がどんどん参加してくれることになった。
学校でも校長先生が協力してくれて、校長室の前にポスターを貼らせてもらった。最終的に19~20人で演劇を行うことになった。学年も1年生から5年生まで幅広い年代の子どもたちが参加したという。「年は違うけど、みんなため口でしゃべりあう友達になりました」とわたくん。わたくんとFUMIさんは、劇のタイトルを「共悦マーケットの人々」と決めた。

共悦マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展

その一方、写真家の加藤さんは月1の「共悦劇場」に加えて、取り壊しが目前に迫った9月末から、共悦マーケット内のお店の人たち、利用する街の人たちのポートレートを撮り始めた。本業の写真家として、無くなりゆく共悦マーケットに対する思いを込めた。「KYO-ETSU MARKET April.1959~November.2021」と書き入れたポスターを自らデザインして、モノクロのポートレートを1点ずつあしらった。そして、これらポスターを「nostos books」跡のショーウィンドウにできた順に貼っていった。

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

このポスターを見た街の人たちが、次々と自分も撮って欲しいということになり、加藤さん撮影のポスターが増えていった。それとともに「nostos books」跡のショーウィンドーはどんどん隙間無く埋められていった。マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展の様相を帯びてきた。
「これは何?」とポスターに足を止めて興味深く眺め入る人も多くいた。加藤さんは「10月末に共悦マーケットが建物の役目を終えて、11月には取り壊されるんです。KYO-ETSU MARKETという字が下に行くほど薄くなっているのは、この建物が無くなることをあらわしています」と説明していた。

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

「共悦マーケットの人々」はみんなで一緒に踊って別れを告げた

10月16日(土)・17日(日)は、子ども劇「共悦マーケットの人々」発表の本番だ。

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

最初に、「紙芝居チーム」による「未来の商店街」の上演。
その後には、子どもたちによるギター、キーボード、ピアニカ、縦笛の演奏に併せて、観客も含めて「カントリー・ロード」の唄を。
いよいよ、共悦マーケットのお店の人たちに取材した劇「共悦マーケットの人々」の上演だ。
お店の人たちの大切にしている言葉「一期一会」「夢じゃなくて目的を大切にしている」「やればできる」「先義後利(道義を優先して利益を後回しにする)」「天は人の上に人をつくらず、天は人の下に人をつくらず」といった言葉が披露されていく。取材した食堂で、美味しいきんぴらゴボウと卵焼きを食べさせてもらったことまで劇中で紹介してくれた。
共悦マーケットの大家さんから聞いたたくさんのお話の中で、子どもたちは自分が伝えたいことを選んで朗読した。その内容は「12軒のお店があって、かつては店子さんと親子のような関係だったこと」「『共悦』は共に喜ぶという意味であること。ご近所同士が仲良くなれればという思いを込めたこと」「好きな言葉は”フィリア”、ギリシャ語で愛を表すこと」「安全のために建て替えること」「子どもたちが共悦マーケットをみんなで見送ってくれることに感謝していること」などだった。
そして劇の締めくくりには、観覧していた大人も招き入れてオリジナルの盆踊りを踊った。踊り終えた後には、みんなで共悦マーケット全体を仰ぎ見て「さようなら」と手を振り、アーケードを走り抜けた。アーケードの未来を予感させるこの演出は、子どもたちの演劇をカメラを通して見守っていた加藤さんによるものだ。

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

大人たちをまねて、居酒屋を貸し切って「打ち上げ」

共悦マーケットの狭い間口の入り口に、街の人たちが鈴なりに詰めかけて、子どもたちの演劇を見守った。子どもたちの「共悦マーケット」への思いに、胸を打たれた大人たちは多かったのではないだろうか。劇の終わりには、盛大な拍手が寄せられた。
上演を無事終えると、子どもたちは、演劇づくりのきっかけをつくってくれた居酒屋「マルショウアリク」の席を陣取った。みんなで、ジュースで乾杯だ。大人たちが大きな仕事が終わると「打ち上げ」と称して居酒屋で乾杯する姿を見ていたので、子どもたちも、ジュースで打ち上げの乾杯をしてお菓子を食べて、みんなで「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功をお祝いした。

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

大人たちもそれを取り囲んで、子どもたちと一緒に「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功を祝福して、街ぐるみで温かな空気をつくりだしていた。
後日、わたくんとFUMIさんに話を聞いた。演劇づくりは本番の3~4週間前からが佳境だったという。子どもによっては塾や習い事との兼ね合いもあり全員は揃わないので、放課後の演劇づくりはたいへんだった。土日には、演劇づくりに6時間も費やすこともあったという。
劇の仕上がり、満足度を聞いたところ、FUMIさんは「99点……98点かなぁ」、わたくんは「100点!」と満足いく出来だった。二人とも「また、演劇づくりをやりたい」と話してくれた。
上演当日のチラシ(協力:IBASHO)には「この共悦マーケットは、その名のとおり喜びを共にする小さなアーケードでした。ただの通路ではなく、抜け道であり、ときには傘になり、井戸端会議の場、遊び場で子どもたちにとっては異次元へのトンネル、まちの行燈でもありました。古きも新しきも、思い出を残す存在でした。子どもたちが『ここでやりたい』と発想したのも、ここから受けてきた有形無形の恵みを感じ取っていたからではないかと想像します」とある。
IBASHO代表の岡田陽子さんは「私たちは、街の力と、子どもたちの見えないものをつかみとる力と、まだ見ぬものを形にしていく演劇の力によって、たくさんの奇跡のかけらを見ました。それは、私たちの地域がすでに持っている力に気づく時間でもありました。日常の地続きにあるその力こそ未来の街をつくる原動力です。子どもたちの『放課後』はその可能性を秘めているという点でも大変貴重な時間です。子ども×街×PLAYは足し算ではなく掛け算ですね。閉幕のあとも、きらめくような記憶のかけらが街を彩っている気がしています」と、語ってくれた。
残念ながら11月になり共悦マーケットは取り壊しが進められ、そのかつての姿はもう見ることができない。
ただし、写真家の加藤さんが撮影・配信・アーカイブされた「共悦マーケットの人々」は、いまもYouTubeで見ることができる。そして、加藤さんによる、共悦マーケットを見送る街の人たちのポートレートは、1冊限りの写真集が作られた。松陰神社前駅のほど近く「100人の本屋さん」に納本・常備されているので、気になった方は見に訪れていただきたい。
これからも、松陰神社前駅の街の人々の心のなかに「共悦マーケット」は、生き続けていくのだろう。

184123_sub11

共悦マーケットが取り壊される際に入居していた店舗の図面。IBASHOメンバーで建築士の久米良寛さんが作成した(写真/吉澤卓)

●取材協力
・加藤孝・写真家
・YouTubeチャンネル「共悦劇場」
・マルショウアリク・廣岡好和
・IBASHO