誰でも収穫して食べてOKな農園も!? 公園の一角やビル屋上などに都市型農園が増加中! 『まちを変える都市型農園』新保奈穂美さんに聞く3事例

都市に暮らしていると感じにくい、大地に根差して「生きている」手ごたえ。今、都市部の農地や公園の一角、ビルの屋上などに、市民が参加し、農体験できる「都市型農園」が増加中だ。「都市型農園は、生の実感を取り戻せる場所」と語るのは、『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』(学芸出版社)の著者・新保奈穂美さん。都市型農園が増加している背景を事例とともに紹介する。

農園ブームで進む、都市のスキマ活用土に触れる機会がない都市での生活。都市型農園では、自分自身で自分の食べるものをつくることができる(画像提供/平野コープ農園)

土に触れる機会がない都市での生活。都市型農園では、自分自身で自分の食べるものをつくることができる(画像提供/平野コープ農園)

新保さん(現・兵庫県立大学大学院の緑環境景観マネジメント研究科講師)が執筆した『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』。さまざまなケースの都市型農園18例を収録(画像提供/学芸出版社)

新保さん(現・兵庫県立大学大学院の緑環境景観マネジメント研究科講師)が執筆した『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』。さまざまなケースの都市型農園18例を収録(画像提供/学芸出版社)

著書では、アーバンガーデニングや農的活動の場となる自宅外の空間を、都市型農園と呼んでいる。新保さんによると、都市型農園は、コロナ前から需要が増え始め、コロナ後は、利用申し込みが数倍になった農園があったり、民間の貸農園の数が拡大したりなどブームが高まっているという。

「地方移住などで若い世代の田園回帰の意識が高まっており、農を取り入れたライフスタイルが注目されつつあったところに、新型コロナウィルス感染症のパンデミックが起き、比較的安全な屋外の庭や貸農園で野菜や花を育てる需要が高まりました。SDGsや環境問題への関心の高まりから、社会や環境のために何かをやりたい人が増加し、その手段になっている印象です」(新保さん)

世界的にも、都市住民が都市の空間を活用して野菜や花を育てる活動「アーバンガーデニング」の人気が高まっている。日本では、開発により消えつつあった農的空間を、積極的に都市に取り入れようとする動きが出てきた。

日本の市民農園は、大正後期~昭和初期に、ドイツ発祥の区画貸し農園「クラインガルテン」をルーツとして始まり、1960年代ごろから現在のような市民農園が存在していた。従来の市民農園は、都市部の農家が所有する農地を、区画に分けて貸し出している農園を指す。農林水産省の発表によると、調査を開始した2002年以来、2017年~2018年に減少したほかは増加し続けており、2022年3月末時点で、全国に4235農園が存在している。

ドイツにあるクラインガルテンの区画の一例(画像提供/新保奈穂美さん)

ドイツにあるクラインガルテンの区画の一例(画像提供/新保奈穂美さん)

アートとガーデンの融合で多様な住民同士の交流を活性化するドイツ・ベルリン市のグーツガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

アートとガーデンの融合で多様な住民同士の交流を活性化するドイツ・ベルリン市のグーツガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

住民主導でマイノリティの居場所をつくったドイツ・ハノーファー市のシュペッサートガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

住民主導でマイノリティの居場所をつくったドイツ・ハノーファー市のシュペッサートガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

「東京、横浜、神戸、福岡などの大都市で盛んで、農家や民間のスタッフが農を教える体験農園、利用者が自主的に運営するコミュニティガーデンなどバリエーションの幅も広がりました。今、野菜を育てるだけでなく、コミュニティの課題解決や持続可能なまちづくりのアプローチとして、注目されているのです」(新保さん)

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住宅地内の農地を住民の居場所に。「せせらぎ農園」

ここからは、具体的に全国の事例を見ていこう。

そもそも新保さんが、都市型農園の持つ可能性を強く意識したのは、東京大学の学生だった2009年に、クラインガルテンの研究のためオーストリアのウィーンを訪れた時のことだった。

「首都の都心部に農園があって、のんびり花に水をあげたり、ベンチに寝そべって日向ぼっこをする人々の姿が印象的でした。それまで、私にとって都市の生活は、ぎゅうぎゅうの満員電車で学校や職場に通うイメージでしたから、こんな暮らし方があるんだと、カルチャーショックを受けたのです」(新保さん)

以来、世界の都市型農園を訪れ、「都市における農」の研究に携わってきた。ヨーロッパを研究の舞台としてきた新保さんが、日本の都市型農園の研究に関わるきっかけとなったのは、「せせらぎ農園」との出会いだった。

東京都日野市の住宅地内にある「せせらぎ農園」は、2008年に設立された老舗の都市型農園だ。「せせらぎ農園」の特徴は、地域の生ごみを肥料として活用し、環境保全に貢献しながら、野菜やハーブの栽培が行われていること。設立者である佐藤美千代氏が農園設立以前に、市民団体「ひの・まちの生ごみを考える会」を立ち上げた経緯があり、障がい者支援を行うNPOなど地域のさまざまな主体と連携し、地域住民が集うコミュニティ拠点として成長してきた。利用者は60代が中心で、子育て世帯も参加している。

運営者は、市民団体「まちの生ごみ活かし隊」。活動日には、毎回、10~20人程度の利用者が集まり、生ごみを活用した農作物栽培などを行う(画像提供/せせらぎ農園)

運営者は、市民団体「まちの生ごみ活かし隊」。活動日には、毎回、10~20人程度の利用者が集まり、生ごみを活用した農作物栽培などを行う(画像提供/せせらぎ農園)

軽トラックで地域から収集した生ごみを下ろす参加者(画像提供/新保奈穂美さん)

軽トラックで地域から収集した生ごみを下ろす参加者(画像提供/新保奈穂美さん)

土壌還元作業に子どもと一緒に参加する利用者。障がい者施設に生ごみの発酵を促す竹パウダーの袋詰め作業を依頼するなど、多世代・多様な人々が関わる(画像提供/新保奈穂美さん)

土壌還元作業に子どもと一緒に参加する利用者。障がい者施設に生ごみの発酵を促す竹パウダーの袋詰め作業を依頼するなど、多世代・多様な人々が関わる(画像提供/新保奈穂美さん)

廃家具を再利用した薫製箱でつくったチーズやベーコンにハーブを添えて(画像提供/新保奈穂美さん)

廃家具を再利用した薫製箱でつくったチーズやベーコンにハーブを添えて(画像提供/新保奈穂美さん)

「せせらぎ農園」の農活動は、「援農」という農家の農作業を都市住民が手伝い、無償もしくは謝礼として農作物を得るというスタイルだ。「せせらぎ農園」を視察し、農作業を手伝った新保さんは、都市型農園の持つ可能性を実感したという。

「現代は、あらゆることが私たちの体から、切り離されています。食糧生産の場から離れた都市に暮らし、パソコンで仕事をしていると、自分の手で何ができるんだろう? という気持ちになってきます。草を取って、水やりをすると、だんだん野菜が育っていく。目に見えて成果が分かるのが、とても嬉しくて。都市の中に農と関われる場所がある大切さを再認識しました」(新保さん)

都市型農園の多くは、農家所有の農地を活用している

都市型農園には、公園の一部やビルの屋上を活用する事例もあるが、多くは地元の人が所有する農地を利用している。都市型農園発展の転換期になったきっかけは、生産緑地法の改正と「都市農地の貸借の円滑化に関する法律」の制定だ。

大きく分けて都市には、市街化を促す市街化区域と市街化を抑制する市街化調整区域がある。従来の市民農園は、土地代が安く、比較的自由に貸し出ししやすい市街化調整区域に多かった。一方、市街化区域の農地では、1974年に生産緑地法が制定され、営農の継続を希望すれば、都市環境を保全するための生産緑地地区(以下、生産緑地)の指定を受けられるようになった。

市街化区域内の農地はいずれ住宅や商業地になるはずだったが、人口減少による需要減もあり、都市の環境保全の場として見直されている(画像提供/新保奈穂美さん)

市街化区域内の農地はいずれ住宅や商業地になるはずだったが、人口減少による需要減もあり、都市の環境保全の場として見直されている(画像提供/新保奈穂美さん)

「生産緑地の指定を受ければ、土地に対する課税が安くなるものの制限も多く、生産緑地指定を受ける農地は少なかったのです。ところが、1992年の法改正で、三大都市圏の特定市にある生産緑地指定を受けていない農地に対し、宅地並みの課税が実施されることに。生産緑地の指定を受ければ、固定資産税の軽減や相続税の納税猶予の措置が認められたため、生産緑地の指定を受ける農地が一気に増えました。しかし、指定を受けるには、30年間、所有者自らがそこで農業を続けることが条件。所有者以外の都市住民が耕作する都市型農園に生産緑地を利用するには、『せせらぎ農園』のように、援農が主流でした」(新保さん)

都市型農園の近年の発展は、2018年に「都市農地の貸借の円滑化に関する法律」が施行されたことが大きい。生産緑地に指定された農地を他人に貸して耕作してもらえるようになり、「援農」の形式に縛られず、多様な活用が可能になったのだ。農家でない市民やNPO、民間企業による市民農園の開設ができるようになり、農園内に、農産物の直売所や農家レストランを設けるなど、都市部の高齢者や子育て世代までさまざまな住民が関わる拠点として、期待が高まっているのだ。

公園の活用や防災・減災への貢献も

最近では、農地以外の土地の活用も始まり、全国には、「ベトナム人住民が創る農園」(兵庫県姫路市)や「金町駅前団地コミュニティガーデン」(東京都葛飾区)など、異文化交流や地域活性化などさまざまな取り組みが行われている。その中からユニークな取り組みを紹介しよう。

公園の一角を再生した「平野コープ農園」

兵庫県神戸市にある「平野コープ農園」は、2021年4月に開設された比較的新しい都市型公園だ。市が管理していた低利用の公園に近隣住民が定期的に訪れる場所をつくろうと、神戸市経済観光局農水産課と建設局公園部が協働し、住民コミュニティの再生を目指す市の実証実験として誕生した。

コミュティ農園の入口に掲げられた看板。誰でも入れることや収穫物は自己責任で自由に食べていいことが書かれている(画像提供/新保奈穂美さん)

コミュティ農園の入口に掲げられた看板。誰でも入れることや収穫物は自己責任で自由に食べていいことが書かれている(画像提供/新保奈穂美さん)

「全国でも珍しい公園を使った都市型農園です。皆のためにある公園を一部の人が主に利用するには、課題が多く、議論を重ねて実現しました。エディブルパーク(食べられる公園)がテーマで、ユニークなのは、誰でも入って収穫できるコミュニティ農園があること。ただ、人通りが少ない場所にあり、コミュニティ農園の利用はまだ少ない状況です。自分で区画を持ち野菜栽培を実践できる『学びの広場』の利用者は、30・40代の女性が多く、商店街の人たちと連携して、イベントを行ったりしています。子育て中は孤独を感じやすいので、地域の人と繋がる大切な場所になっているようです」(新保さん)

六甲山系の山裾にある平野展望公園内の約390平米を利用(画像提供/新保奈穂美さん)

六甲山系の山裾にある平野展望公園内の約390平米を利用(画像提供/新保奈穂美さん)

多くの子どもたちも参加(画像提供/平野コープ農園)

多くの子どもたちも参加(画像提供/平野コープ農園)

地域活性化と過密な住宅地の防災に貢献「たもんじ交流農園」

地域活性化のために始めた都市型農園が、地域の防災の場になった事例もある。東京都墨田区の「たもんじ交流農園」だ。

墨田区たもんじ交流農園。地元野菜寺島なすのほかトマトやサトイモなどを栽培(画像提供/新保奈穂美さん)

墨田区たもんじ交流農園。地元野菜寺島なすのほかトマトやサトイモなどを栽培(画像提供/新保奈穂美さん)

「2017年に、現・寺島・玉ノ井まちおこし協議会(以下、てらたま)が、街を盛り上げるため、この地にルーツがある伝統江戸野菜「寺島なす」を活用するプロジェクトを立ち上げ、3年がかりでコミュニティ農園『たもんじ交流農園』をつくりました。約660平米の敷地に12の交流農園があり、農園利用者が使用する毎週日曜日以外にもいつでも誰でも入ることができます。もともと、このエリアは、木造住宅密集地域(木密地域)で、地震・火災の防災・減災対策が課題でした。都市型農園によるオープンスペースの創出が、結果的に、防災・減災対策に繋がりました。災害時には避難スペースになりますし、水やりに使っている雨水タンクは火消しにも役立ちます」(新保さん)

多聞寺の臨時駐車場を無償で借りてつくられた。12区画の交流農園のほか、ウッドデッキやピザ窯がある。画像は、てらたま提供資料に新保さんが加筆したもの(画像提供/新保奈穂美さん)

多聞寺の臨時駐車場を無償で借りてつくられた。12区画の交流農園のほか、ウッドデッキやピザ窯がある。画像は、てらたま提供資料に新保さんが加筆したもの(画像提供/新保奈穂美さん)

農園で収穫された寺島なすは、地域住民や飲食店に提供(画像提供/たもんじ交流農園)

農園で収穫された寺島なすは、地域住民や飲食店に提供(画像提供/たもんじ交流農園)

そもそも、雨水タンクは、循環型農園を目指し、自然資源を活用した農作業を実現するために他の施設から使わなくなったものを譲り受けたものだが、結果として、防災にも生きている。「たもんじ交流農園」に限らず、続けるうちに、農体験から派生して、活動が複合的になっていくことが多々あるという。「いい感じに有機的につながっていくのが面白いところ」と新保さん。

著書の最後には、研究の原点となった「せせらぎ農園」を訪れた時のエピソードが書かれている。都市型公園の研究を続ける原動力ともなった大切な体験だった。

「『せせらぎ農園』の皆さんは、私が何者かも聞かずに、受け入れてくれました。『ここにいていいんだよ』と救われた気持ちがしたのです。こんないいところが、街のあちこちにあったらなあと。都市型農園が増えれば、私のように救われる人が増えるかもしれません」(新保さん)

新保さんが研究を通じて触れた「農のふところの深さ」。都市型農園がもっと身近になり、地域のハブとして、多世代・多様な人々を繋ぐ日は、そう遠くないのではと感じた。

●取材協力
・新保奈穂美さん
・『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』(学芸出版社)

個人で公園レンタルできるサービスが誕生!? 子育て・休日の活用に便利な全国の最新情報あつまるアプリも 「PARKFUL」

私達の生活に癒やしをくれる存在、公園。住んでいる街にあると、休憩したり、子どもを遊ばせたりと、いろいろと助かりますよね。公園情報プラットフォーム「PARKFUL」(アプリ)は、全国の公園の情報が集約され、近くの小さな公園も検索でき、口コミ情報でリアルな公園の評判を知ることもできます。「PARKFUL」WEB版では、公園を“レンタル”できる「PARKFUL Rental」のサービスが始まりました。これらのサービスは、地域の人たちにどのようなメリットをもたらすのでしょうか。パークフルの高村南美さんに伺いました。

全国の公園情報を集約することで何が便利になる?公園を楽しむための情報が充実している「PARKFUL」WEB版(画像提供/パークフル)

公園を楽しむための情報が充実している「PARKFUL」WEB版(画像提供/パークフル)

パークフルは、公園で見かけるベンチや遊具などを製造、販売している株式会社コトブキのグループ会社で、国内12万カ所以上の公園情報を有するプラットフォーム「PARKFUL」(アプリ・WEB)を運営しています。目指しているのは、公園に関する情報を集約し、自治体の情報管理や公園づくりの基盤となること。
自治体の情報発信や広報をサポートしたり、公園情報が一般の人の役に立てるように提供しています。さらに、公園の占用許可などの申請をオンラインでできる「PARKFUL Rental」、公園管理活動を効率化する「PARKFUL Watch」など自治体向けサービスを展開しています。

左:公園のサイズ、地域、特徴、設備情報のキーワードから公園が探せる。右:マイページでは、投稿した公園やフォロー中の公園、保存したイベントをまとめられる(画像提供/パークフル)

左:公園のサイズ、地域、特徴、設備情報のキーワードから公園が探せる。右:マイページでは、投稿した公園やフォロー中の公園、保存したイベントをまとめられる(画像提供/パークフル)

「インターネットで公園を検索しても、位置情報しか出てこなかったり、有名な公園の情報ばかりになることが多いと思います。『PARKFUL』アプリの特徴は、市区町村の境なしに、ひとつのアプリで全国の公園を探せること。マップ機能や検索機能のほか、公園を訪れた人が、写真とコメントで公園の魅力を投稿したり、レポートでき、マイページに、自分の投稿やフォロー中の公園をまとめる機能があります。地元の人しか知らないような小さな公園やどんな施設や設備があるのか、利用状況や評判など細かい情報を一覧で知ることができるのです」(高村さん)

公園で友人とピクニックすることが多い筆者。今までは、誰もが知っている人気の公園に行っていましたが、いつも混んでいて、静かにピクニックができる公園を探したい!と思っていました。さっそく「PARKFUL」アプリを使ってみました。

エリアを「東京都」にして、検索キーワードは「ピクニック」を選ぶと、近くにある大小35の公園がヒットしました。公園情報が一覧で示され、規模、アプリの中で見られた回数、写真点数なども一目瞭然です。

その中で気になった中央区の黎明橋公園を詳しく見てみます。芝生広場があるけれど、どんな状態なのか気になる……。「みんなの投稿」をチェックすると、綺麗な芝生広場の写真が! 「イクシバ」という芝生を皆で手入れする取組みをしているから、芝生は青々としていて、ピクニックに最適そう! ボール遊びをするエリアがちゃんと分けられているのも安心。「超高層ビルの日陰になる時間は暑い日でも過ごしやすい」という有益情報も発見。ピクニックの集合時間を決める参考にしよう……。

筆者がインターネット検索より便利だと感じたのは、「東京都 港区 公園 桜梅の名所 おむつ台」など複数キーワードを一発で検索できることです。場所によっては、インターネット検索より、検索結果が少ない公園もありますが、公園だけの情報が表示されるのでとても見やすく感じました。

左:緑のマークは、公園の規模を表している。右:公園を利用したユーザーが投稿した写真付きの本音レビューが参考になる!(画像提供/パークフル)

左:緑のマークは、公園の規模を表している。右:公園を利用したユーザーが投稿した写真付きの本音レビューが参考になる!(画像提供/パークフル)

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インターネットの検索では出てこない公園情報を知れば、もっと公園が楽しくなる

「実は、あまり知られていない、地域に寄り添った小さな公園が全国には無数にあるんです」と高村さん。

「住んでいる方は、町内にある公園にとても愛着を持っています。『公園を思い浮かべてください』と言われたら浮かんでくる近所の公園が皆さんにあると思うんです。コトブキは、『パブリックスペースをにぎやかにすることで人々を幸せにする』という経営理念で製品をつくってきました。『集めた公園情報を皆で活用して、遊具などをもっと楽しく使ってもらいたい』という思いで、グループ会社の株式会社コトラボが開発したのが、『PARKFUL』(アプリ・WEB)でした」(高村さん)

苦労したのは、47都道府県に何十万とある公園情報を一つのフォーマットに落としこみ、自治体ごとに持っていた公園情報をまとめること。地道な作業を繰り返し、2014年に「PARKFUL」アプリをリリース。13万4300DL、WEB版は、30万PV/月に達しています(2023年5月時点)
※現在、WEB版での全国公園検索は、連携自治体の公園情報のみ掲載される仕様になっているため、他の自治体の公園情報はアプリでの検索を推奨している。

子どもに大人気の大型遊具ロング&ローラーすべり台がある公園や結婚式が挙げられる公園など特集記事が充実(画像提供/パークフル)

子どもに大人気の大型遊具ロング&ローラーすべり台がある公園や結婚式が挙げられる公園など特集記事が充実(画像提供/パークフル)

WEB版のオンラインショップでは、ニューヨークの公園など世界のパブリックスペースをまとめた冊子も販売(画像提供/パークフル)

WEB版のオンラインショップでは、ニューヨークの公園など世界のパブリックスペースをまとめた冊子も販売(画像提供/パークフル)

2017年から週1~3回アプリを利用しているというユーザーの小峰智子さんに使用感を伺いました。

「子どもが小さいので、近くの公園を検索したり、帰省した時やお出かけ先で近くの公園を検索するために使っています」と小峰さん。

使いやすいところは?

「公園に特化しており、遊具やベンチなどの情報があるのがいいですね。検索には公園しか出てこないので、例えば公園名がうろ覚えで一部検索で『代官山』と打てば代官山と付く公園だけが出てきますので、検索が早いなと感じます」(小峰さん)

おすすめの使い方を教えてください。

「公園の特集記事もあるので、読むとワクワクしますし、行ったことのない公園を検索するのが楽しいです。毎回写真の投稿をしているので、あとで過去に行った公園を見返すこともあるし、ほかの人と公園の情報を交換し合っているような感覚があります。行ってみたい公園はフォロー機能でチェックしています。いつか全国の公園の情報がコンプリートされたらいいなぁと期待しています」(小峰さん)

公園レンタルの申請がオンラインでできる「PARKFUL Rental」

2017年に都市公園法が改正され、民間企業の進出が進み、公園内にカフェができるなど、より多様な公園の活用が見られるようになってきました。パークフルの自治体の情報管理・地域との公園づくりの基盤となる事業として、マルシェやフリーマーケットなど公園の占用/行為許可の各種手続きが簡単にできる公園レンタルサービス「PARKFUL Rental」があります。「PARKFUL Rental」では、ヨガイベントなど少人数で費用の発生しない集まりなど個人利用の届け出もできます。

事業者が工事などで公園の一部を占用する場合は占用許可、イベント等で公園内を一部占用する場合などは行為許可の申請をする必要がある(画像提供/パークフル)

事業者が工事などで公園の一部を占用する場合は占用許可、イベント等で公園内を一部占用する場合などは行為許可の申請をする必要がある(画像提供/パークフル)

「サービス導入前の2020年1月、兵庫県芦屋市の道路・公園課と実証実験を行いました。実証実験では、既存の書面での申請を残したまま、公園レンタルサービスを導入。1~3月の間に全34件の申請があり、約8割がオンラインによる申請で、手続きの所要時間は、書面申請に比べて7分の1以下になりました」(高村さん)

申請者側も自治体側も手続きの作業時間が大幅に削減できることが確認され、2021年4月より、芦屋市に正式に導入。市内の公園をレンタルしたい人誰もが簡単にインターネットで各種申請ができるようになりました。

導入前は、窓口まで行き書面で申請する必要がありましたが、一連の手続きを24時間365日できるようになった(画像提供/パークフル)

導入前は、窓口まで行き書面で申請する必要がありましたが、一連の手続きを24時間365日できるようになった(画像提供/パークフル)

自治体・維持団体向け「PARKFUL Watch」から、最新情報をアプリに転載

さらに、2021年6月には、公園の維持団体の活動をデジタルで記録・管理し、発信できる自治体・維持団体向けサービス「PARKFUL Watch」がリリースされました。

「全国の公園の維持管理には、数万団体が関わっていますが、活動内容や頻度などを自治体、維持団体双方で把握することが難しい面がありました。『PARKFUL Watch』は、ボランティアさんなど日常的に公園の維持管理を行う担い手が、活動状況をデジタルで自治体へ簡単に共有できるサービス。『PARKFUL』(アプリ・ウェブ)と連動し、活動内容を一般の方へ知ってもらうこともできます」(高村さん)

維持管理者がスマホで送信した管理情報は、『PARKFUL Watch』を介して自治体が把握できる。公開したい管理情報は、『PARKFUL』アプリに転載(画像提供/パークフル)

維持管理者がスマホで送信した管理情報は、『PARKFUL Watch』を介して自治体が把握できる。公開したい管理情報は、『PARKFUL』アプリに転載(画像提供/パークフル)

一般の人は、アプリに転載された管理情報から、「壊れていたベンチが直ったんだ」「花壇にこんな花を植えたのね」など公園の状態がわかる(画像提供/パークフル)

一般の人は、アプリに転載された管理情報から、「壊れていたベンチが直ったんだ」「花壇にこんな花を植えたのね」など公園の状態がわかる(画像提供/パークフル)

神奈川県茅ケ崎市など複数の自治体・団体での運用が始まっています。「公園内不具合の報告が正確になり、現場調査が減った」「以前よりコミュニケーションが増えた」という声が届いているそうです。

2023年4月現在、パークフルが、連携・公式情報の管理をしている自治体は71。各サービスについて全国の自治体からの問い合わせが増えています。

「地域との公園づくりに役立っているようです。『PARKFUL Watch』は、地域の人にとっては、これまでなかなか目に触れることのなかった維持管理の活動を知ることができます。『PARKFUL』アプリであれば、例えば、『公園のここが夜怖い』という情報を市民の方が載せて、自治体の方が知ることで、明るくしたり、綺麗にするなどの運営指針を立てることができます。各サービスを公園が安全で安心で楽しい場所に変わっていくために皆さんに役立ててもらえたら嬉しいです」(高村さん)

最近の公園は、敷地内にカフェがあったり、マルシェなどのイベントを開催したり、地域コミュニティの要へ進化しています。パークフルでは、今後、「PARKFUL」アプリに、自治体や管理会社が発信したイベント情報をユーザーがプッシュ通知で受け取れる機能を検討中です。全国の公園情報がまとまることで広がる公園の活用。筆者もピクニック以外の楽しみ方をアプリで開拓したいと思っています。

●取材協力
株式会社パークフル

郊外の空き地で、焚き火や養蜂に住民みんなが挑戦!「“禁止”はNG」が合言葉の「nexusチャレンジパーク 早野」

今から100年以上前、近代都市計画の祖といわれる英国のハワードが提唱した、豊かな自然環境と都市が融合した「田園都市構想」。この考え方に影響を受けて誕生したのが、東急田園都市線とその沿線に広がる住宅街です。今年春、そのお膝元ともいえる場所に、東急が「nexusチャレンジパーク 早野」をオープン。これまで活用されていなかった土地に、“みんなでチャレンジできる遊び場”をつくったといいます。さっそく取材してきました。

ヤギ、養蜂、コーヒー焙煎、シェア農園……住民が遊べる広場

「nexus(ネクサス)チャレンジパーク 早野」があるのは、東急田園都市線あざみ野駅からバスで10分ほど、虹ヶ丘団地とすすき野団地のあるエリア。今年4月、約8000平米の敷地に登場したのは、地産地消マルシェなどのイベントに利用できる「ネクサスラボ」、シェア型のコミュニティ農園「ニジファーム」、焚き火を囲んで遊べる「ファイヤープレイス」、養蜂やカブトムシの育成などに挑む「生き物の森」で構成されていて、基本的に住民が自由に使うことができる広場です。

斜面のある土地を利用してできたnexusチャレンジパーク 早野。緑が濃く、パーク全体になんともいえないワクワク感が漂っています(写真撮影/片山貴博)

斜面のある土地を利用してできたnexusチャレンジパーク 早野。緑が濃く、パーク全体になんともいえないワクワク感が漂っています(写真撮影/片山貴博)

取材時は「チャレンジデイ」ということで、パークでどんなチャレンジができるのかを知ってもらうイベントを行っていました。当日は、「ヤギとのふれあい」「焚き火でコーヒー焙煎」などの体験や、「どんなところかひと目みたい」という地元のみなさんでにぎわっていました。周囲は団地で、緑にあふれる環境。この日は晴天で、風が吹き抜ける中、子どもたちが自由に駆け回っていて、とても清々しい気持ちになりました。

子どもにも大人にも大人気のヤギさん。「葉っぱだよ~」とたくさんもらっていて、お腹いっぱいになっていました(写真撮影/片山貴博)

子どもにも大人にも大人気のヤギさん。「葉っぱだよ~」とたくさんもらっていて、お腹いっぱいになっていました(写真撮影/片山貴博)

ファイヤープレイスで実施されていた「焚き火でコーヒー焙煎」体験(写真撮影/片山貴博)

ファイヤープレイスで実施されていた「焚き火でコーヒー焙煎」体験(写真撮影/片山貴博)

自分で焙煎したものを手挽きして世界に1つの極上の一杯を抽出!(写真撮影/片山貴博)

自分で焙煎したものを手挽きして世界に1つの極上の一杯を抽出!(写真撮影/片山貴博)

ニジファーム(写真撮影/片山貴博)

ニジファーム(写真撮影/片山貴博)

ニジファームで栽培しているハーブを摘んで、来場者がハーブティを楽しんでいました(写真撮影/片山貴博)

ニジファームで栽培しているハーブを摘んで、来場者がハーブティを楽しんでいました(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

ベンチに腰掛けてお茶をしたり、シャボン玉をしたりと、思うまま「自由に試し、遊べる場所」です(写真撮影/片山貴博)

ベンチに腰掛けてお茶をしたり、シャボン玉をしたりと、思うまま「自由に試し、遊べる場所」です(写真撮影/片山貴博)

焚き火もOK! 自由に、楽しく、街で試してチャレンジ

都市部でも郊外でも、何かと制約や禁止が多い昨今ですが、ここではハチやヤギのような生き物はいるし、焚き火もOKという、きわめて自由度の高い場所としてデザインされています。

「生き物の森」に設置された養蜂箱。ここではちみつが取れるか、チャレンジしているそう(写真撮影/片山貴博)

「生き物の森」に設置された養蜂箱。ここではちみつが取れるか、チャレンジしているそう(写真撮影/片山貴博)

「企画のかなり早い段階で、パーク内に『禁止』と書くのはやめようね、という話になりました。禁止といわれてしまうと、とたんにあれもこれもダメになってしまう。大切なのはチャレンジできること。ダメだから、と諦めるのではなく、どうやったらできるか? という発想で進めているんです」と話すのは、nexusチャレンジパーク運営チームの清水健太郎さん。

確かに、「ダメ」や「迷惑でしょ」といわれてしまうと、大人も子どももとたんに遠慮や萎縮が出てしまうもの。あくまで「チャレンジをする場所」と位置づけ、まずはやってみたいことを募り、法律や地域のルールにも配慮しながら、「どうやったらできるか」を考えていくといいます。

看板(写真左)には禁止という文言は見当たらず、「思いやりをもって、チャレンジを応援しよう」という文言が。また、チャレンジパークでやってみたいことを募集したところ(写真右)、“リレー”や“水あそび大会”、“肉フェス”、“工作”など自由な発想が描かれています(写真撮影/片山貴博)

看板(写真左)には禁止という文言は見当たらず、「思いやりをもって、チャレンジを応援しよう」という文言が。また、チャレンジパークでやってみたいことを募集し(写真右)、“リレー”や“水あそび大会”、“肉フェス”、“工作”など自由な発想が描かれています(写真撮影/片山貴博)

模造紙に書かれた、パークでチャレンジしたい内容を見ていくと「フェス」や「おまつり」「ざっそうとり大会」「無料カフェ」など、ユニークな内容がずらり。いいですよね、毎週、文化祭やおまつり気分。早くも「チャレンジパークにいくと、楽しいことがあるよ」「楽しい人がいるよ」という場所になりそうな予感がします。

nexusチャレンジパーク運営チームのみなさん(写真撮影/片山貴博)

nexusチャレンジパーク運営チームのみなさん(写真撮影/片山貴博)

「こうした自由な遊び場を通じて、地域の人の想いを結びつけ、コミュニティとして育つ空間をつくりたい」と話すのは、前出の清水さん。住む人が自然とつながり合い、語り合い、一緒にチャレンジし、また語り合う、そんなサイクルを生み出す、これこそが、運営チームのみなさんがこの場で実現したいことだそう。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

東急田園都市線沿線は、閑静な住宅地として大いに発展してきましたが、2020年の新型コロナウイルス感染症拡大により、その住宅で『働く』ことが当たり前になりました。コロナ禍で私たちのライフスタイルは大きく変わり、以前のような毎日決まった時間に通勤する人の動きに、もう戻らないだろうともいわれています。

「家での滞在時間が増えたということは、居住地域で過ごす時間が増えたということ。だとしたら、新たな居場所が必要だよね、と。これまでは「住む」の意味合いが強かった場所に、「学ぶ」「働く」そしてnexusチャレンジパークのような「遊ぶ」場がある、そんな『街づくり』、『歩いていて楽しい街』にしていきたい。」と清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

大人が遊ぶというと、お酒を飲むとか、イベントに行くとかになりがちですが、焚き火遊びや野遊びができる場が近所にあったら、やっぱりそれは楽しいし、利用したくなりますよね。

街のバディ(仲間)を発掘。人が人を呼ぶ楽しさ、つながる喜び

また、もう一つこだわったのは、運営や企画に携わるのが「地域の人」という点です。

「今回、記録撮影に入っているカメラマンさん、地元にお住まいなんです。ひょんなことから地域に住んでいるカメラマンさんとの出会いがあり、お願いすることになりました。今回来てくれたヤギのオーナーさんも、団地の方が紹介してくださり話がまとまったんです。チャレンジパーク内の施工関係は地元の桃山建設の専務が参画されていたりと、地域の仲間、つまりバディを発掘しながらつくりあげています。今後もそんな輪を広げていきたいですね」と、清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

パーク敷地内にある竹林から竹を切り出すところから体験する「巨大そうめん台」づくり。子どもと一緒になり、のこぎりで竹を切っているのは、地元の建設会社・桃山建設の川岸憲一さん。本物の大工さんと竹を切り出す体験なんて、そうそうできない……(写真撮影/片山貴博)

パーク敷地内にある竹林から竹を切り出すところから体験する「巨大そうめん台」づくり。子どもと一緒になり、のこぎりで竹を切っているのは、地元の建設会社・桃山建設の川岸憲一さん。本物の大工さんと竹を切り出す体験なんて、そうそうできない……(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

切り出した竹を真っ二つに割っていきます。子どもだけでなく、親世代でも人生初、という声も聞かれました。確かに!(写真撮影/片山貴博)

切り出した竹を真っ二つに割っていきます。子どもだけでなく、親世代でも人生初、という声も聞かれました。確かに!(写真撮影/片山貴博)

その後、節をくり抜いて、台のうえに竹を並べて巨大なそうめん流し台が完成。この日はそうめんは流さず、水を流して遊ぶ子どもたち。笑顔がまぶしい(写真撮影/片山貴博)

その後、節をくり抜いて、台のうえに竹を並べて巨大なそうめん流し台が完成。この日はそうめんは流さず、水を流して遊ぶ子どもたち。笑顔がまぶしい(写真撮影/片山貴博)

地域コミュニティを創出するプロに依頼し、それらしい空間をつくるのは容易いことでしょう。でも、そうはせず、時間はかかっても、その土地で暮らしてきた人々の気持ち、地域の縁によって育てていくのが、チャレンジパークのコンセプト。

ちなみに、撮影を担当していたカメラマンさんによると、「この地域には映像ディレクターにプログラマーなど、優秀な人が多くて、才能の宝庫です。自由にやっていいといったら何でもできるのではないでしょうか」とのことです。

「昔と違って地域に住んでいる人って、実はなかなか出会わないし、知り合いになる機会って限定されていますよね。でも、農作業をする、とか焚き火をする、一緒に遊ぶという活動や体験の共有があると、ぐっと距離が縮まるでしょう。地域に住む人が、自然と、互いにつながる場になっていけたら」と清水さん。

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

今年2022年に創立100年を迎える東急グループ。沿線も街も成熟していますが、一方で、街として成熟するということは、自由な余白がなくなるということでもあり、規則が増えるということでもあります。

成熟した街に、もう一度、余白と自由を取り戻す。緑豊かな田園の環境と都市の利便性、美しさの融合が「田園都市」だとしたら、このnexusチャレンジパークは、本来の意味での「田園都市」としてアップデートする試みといえるのかもしれません。

●取材協力
nexusチャレンジパーク 早野

まちの「公園」が進化中! 治安を激変させた南池袋公園など事例や最新事情も

いま、公園がちょっとした休憩や散歩をする場所から地域コミュニティの要へ進化しつつあります。おしゃれなカフェが併設されていたり、泊まれたり、イベントが開催されたりと、地域の特徴を活かした魅力的な公園が続々と登場しています。国土交通省都市局公園緑地・景観課の秋山義典さんに話を伺い、事例を踏まえながら紹介します。
治安すらも激変させた! 南池袋公園の芝生広場とカフェ

ここ数年で、民間と協業したり、空間に工夫が凝らされるなどした公園が、各地でみられるようになってきました。美しい景観に、カフェやレストラン、アパレルショップなどが設置された公園は、以前にも増してにぎわいを見せ、新しい観光地として注目されるようになりました。

新しい公園のモデルのひとつとなったのが、東京都豊島区の南池袋公園です。場所は、JR池袋駅東口から徒歩5分ほどの繁華街の中にあり、周囲にはサンシャイン60などの超高層ビルが立ち並んでいます。約7800平米の広さがある南池袋公園の魅力は、開放的な芝生広場です。休日には、ピクニックをする人、ごろんと寝転ぶ人、多くの人が思い思いに楽しんでいます。公園の敷地内に設けられたおしゃれなカフェレストランには、地域の人だけでなく、遠方からも人が訪れています。

芝生への立ち入りを禁止している公園もあるなか、海外のようなみんなで使える芝生広場に。年齢層を問わずさまざまな使い方ができる(画像提供/豊島区)

芝生への立ち入りを禁止している公園もあるなか、海外のようなみんなで使える芝生広場に。年齢層を問わずさまざまな使い方ができる(画像提供/豊島区)

養生期間を設けたり、注意の看板を設置したり、「南池袋をよくする会」が中心になり、芝生を守る活動がされている(画像提供/豊島区)

養生期間を設けたり、注意の看板を設置したり、「南池袋をよくする会」が中心になり、芝生を守る活動がされている(画像提供/豊島区)

1951年に開園した南池袋公園が現在の姿にリニューアルしたのは、2016年でした。手入れされた緑の芝生広場とカフェレストランの組み合わせのセンスがよく、話題を呼んで多くの人を惹き付けました。

リニューアル前の南池袋公園は、樹木がうっそうと生い茂り、暗い印象で利用者は限られていました。当時から公園の活用について、何度も話し合いが行われていましたが、なかなか意見がまとまらなかったのです。

「公園周辺の商店街の人から、もっと公園を活用したいという声がありましたが、隣接するお寺はなるべく静かに使ってほしいと要望していました。意向が相対し、話し合いは遅々として進みませんでした。そんなころ、豊島区新庁舎のランドスケープデザインをやっていた、平賀達也さんに南池袋公園の設計を依頼したところ、ニューヨークのブライアントパークを参考とした、誰もが魅力を感じる素晴らしい公園の設計が出来上がりました。また、東京電力から南池袋公園の地下に変電所を設置したいという申し出がありました。そのためには公園の施設を一度すべて取り払い再整備を行う必要があります。これらのことをきっかけにリニューアルの話が進展したということです」(秋山さん)

豊島区も、「都市のリビング」というリニューアルコンセプトの下、公園へカフェレストランの導入を決め、民間と協力して地域に根ざした持続可能な公園運営を目指すことになったのです。

その後の都市公園法改正の参考例になったのが、地元町会や商店街の代表者、隣接する寺の関係者、豊島区、カフェレストランの事業者による協議会の発足です。この取組みは、リニューアルオープン後に「南池袋をよくする会」と名付けられ、引き続き、地元関係者が南池袋公園の運営に携わっています。休日には近隣の商店街や地域の人が出店するマルシェも催され、公園は地域コミュニティの拠点となりました。

カフェレストランRACINES(ラシーヌ)の名前は、フランス語racineで「根源」という意味。新しい公園のルーツになるという思いが込められている(画像提供/豊島区)

カフェレストランRACINES(ラシーヌ)の名前は、フランス語racineで「根源」という意味。新しい公園のルーツになるという思いが込められている(画像提供/豊島区)

桜の木が植えられた多目的広場では、マルシェなどのイベントが行われる(画像提供/豊島区)

桜の木が植えられた多目的広場では、マルシェなどのイベントが行われる(画像提供/豊島区)

官民連携の新しい公園が全国65カ所へ拡大中

公園の管理について定めている法律は、都市公園法といい、1956年に制定されました。
「施行されたのは、戦後復興が収束していないころ。都市開発が進むにつれ、身近な自然がなくなることが問題になっていました。また、公園で闇市が催されたり、勝手に建物を建てられて私有地化されてしまったりすることも。そこで、都市公園法で、公園内の施設の設置や管理に必要なルールを設けたのです。しかし、時代が経つにつれ、規制ばかりで『何もできない公園』というイメージを持つ方も多くなりました。行政主導による公園管理と地域社会が求める公園機能との剥離が著しくなってきたのです」(秋山さん)

各地域のニーズに合った公園の管理方法、設備計画が求められている(写真/PIXTA)

各地域のニーズに合った公園の管理方法、設備計画が求められている(写真/PIXTA)

時代のニーズの変化を踏まえ、そのたびに都市公園法は改正されてきましたが、直近の2017年の改正では、官民連携等による公園の整備・管理を推進するため、南池袋公園が事例となった協議会制度を含むさまざまな改革がなされました。

「2017年の改正においては、公募設置管理制度(Park-PFI)が創設されたことも目玉の一つです。南池袋公園での、カフェレストランの売り上げの一部が『南池袋をよくする会』の活動資金に充てられているという仕組みや、大阪市天王寺公園での民設民営によって公園の再整備された事例を基に、これらの取組を行いやすくし、他の地域でも行ってもらうためにつくられた制度です」(秋山さん)

公募設置管理制度(Park-PFI)は、公募により公園施設の設置・管理を行う民間事業者を選定する仕組みで、民間事業者が設置する施設から得られる収益の一部を公共部分の整備費に還元することを条件に、設置管理の許可期間の延長や建蔽率(土地面積に対する建築面積の割合)の緩和などを特例として認めるものです。

「特例は民間事業者の参入をうながすためです。現在は、65公園でPark-PFIの活用がされています。オープンした施設は30施設。107カ所の施設で検討が進んでいるところです。民間事業者にとっては、公園という緑豊かで開放的な空間で施設を設置でき、公共としても管理費用の一部にその収益を充てられ、お互いにメリットがあります」(秋山さん)

参入する施設の選定は、まず公園管理者である公共が、マーケットサウンディングを行います。どういう施設が求められているか、地域の自治会、現状の管理者等にリサーチし、民間事業者に個別のヒアリングを行っています。例えば、愛知県名古屋市の久屋大通公園では、市街地の中心にあるため、ブランドなどを扱うアパレルショップを選定。今までの公園になかった都心ならではのにぎわい創出に成功しました。

新宿中央公園には、カフェ、レストラン、フィットネスクラブが利用できるSHUKNOVA(シュクノバ)を設置(画像提供/国土交通省)

新宿中央公園には、カフェ、レストラン、フィットネスクラブが利用できるSHUKNOVA(シュクノバ)を設置(画像提供/国土交通省)

北九州市のシンボルである小倉城下の勝山公園には、コメダ珈琲店が出店した(画像提供/国土交通省)

北九州市のシンボルである小倉城下の勝山公園には、コメダ珈琲店が出店した(画像提供/国土交通省)

パークツーリズムで各地の公園・庭園が観光地へ

近年では、公園そのものが旅の目的地になるパークツーリズム(ガーデンツーリズム)が、話題を集めています。

「各地に知る人ぞ知る、素晴らしい庭園や植物園がたくさんあります。ところがPR不足や庭園同士の連携不足などで、そうしたポテンシャルが活用しきれていないケースも多いんですね。北海道のガーデン街道のように、複数の庭園・植物園が共通のテーマに沿って連携してアピールすれば、魅力が広く伝わり、観光ルート化されるなど波及効果が期待できます」(秋山さん)

テーマには、地域ごとの風土、文化が反映されています。目指しているのは、魅力的な体験や交流を創出することを促すことで、継続的な地域の活性化と庭園文化の普及を図ることです。現在は、10のエリアにおいて協議会が設立され計画が進行中で、さまざまな取組が進められています。

北海道ガーデン街道のひとつ、帯広市の真鍋庭園。樹木の「輸入・生産・販売」をしている農業者「真鍋庭園苗畑」が運営している2万5000坪のテーマガーデン(画像提供/国土交通省)

北海道ガーデン街道のひとつ、帯広市の真鍋庭園。樹木の「輸入・生産・販売」をしている農業者「真鍋庭園苗畑」が運営している2万5000坪のテーマガーデン(画像提供/国土交通省)

室町時代に活躍した水墨画・日本画家の雪舟が作庭した庭園を集めた「雪舟回廊」。岡山県総社市、島根県益田市、 山口県山口市、広島県三原市などが参加し、ガーデンツーリズムとしてPRを行っている(画像提供/国土交通省)

室町時代に活躍した水墨画・日本画家の雪舟が作庭した庭園を集めた「雪舟回廊」。岡山県総社市、島根県益田市、 山口県山口市、広島県三原市などが参加し、ガーデンツーリズムとしてPRを行っている(画像提供/国土交通省)

フラワーパークアメイジングガーデン・浜名湖は、浜松市のはままつフラワーパークのほか、湖西市、袋井市、掛川市の庭園を集めた(画像提供/国土交通省)

フラワーパークアメイジングガーデン・浜名湖は、浜松市のはままつフラワーパークのほか、湖西市、袋井市、掛川市の庭園を集めた(画像提供/国土交通省)

誰でも公園づくりに参加できる中間支援組織の活動

各地に新しい公園が生まれていくなか、地域に根ざした公園管理を進めるため、公共とボランティア団体、住民や地元の事業者などの間に入り橋渡し役を担う中間支援組織が活動の幅を広げています。東京都では、中間支援組織でもあるNPO法人NPObirth(バース)に公園の指定管理を任せています。中間支援組織という存在は、もともと、アメリカ、イギリスでスタートし、日本に浸透してきた取組みです。タイムズスクエアとグランド・セントラル駅の中間に位置する、ニューヨークの代表的な公園、ブライアントパークも一例です。1980年代に治安の悪化で使われていなかった公園を、周辺の店舗や近隣住民が出資して中間支援組織を設立。公園の管理を行い、今では、観光客も訪れる魅力的な公園になっています。

「日本でも、かねてから、公園の管理、整備に携わりたい地域住民の方はいましたし、そういう声は今でも増えています。公園愛護会等のボランティア団体がその例ですが、活動したくてもとりまとめる人がいなかったり、行政としてもボランティアにどう接したらいいか悩んでいました。NPObirthのような中間支援組織が間に入り、公園を拠点としたプラットホームができたことで、地域の人、行政、民間の事業者が関わりやすくなりました」(秋山さん)

NPObirthは、野川公園や葛西海浜公園などの都立公園、西東京市の公園など72の公園の管理をしています。公園の自然について伝えるパークレンジャー、地域の魅力を引き出すパークコーディネーターが、イベントやボランティア活動を企画運営することで、公園を拠点に地域コミュニティが育まれています。

人々とともにマルシェなどの楽しい催しを企画・運営(画像提供/NPObirth)

人々とともにマルシェなどの楽しい催しを企画・運営(画像提供/NPObirth)

西東京いこいの森公園で行われたヨガ教室。緑のなかで日ごろの疲れをリフレッシュ(画像提供/NPObirth)

西東京いこいの森公園で行われたヨガ教室。緑のなかで日ごろの疲れをリフレッシュ(画像提供/NPObirth)

環境教育の一環として、自然の知識を持つパークレンジャーが観察会や自然体験の場を提供(画像提供/NPObirth)

環境教育の一環として、自然の知識を持つパークレンジャーが観察会や自然体験の場を提供(画像提供/NPObirth)

コロナ禍でストレス発散や運動の場を求めて公園の利用者は増加しており、魅力的な公園が増えることでさらに利用者が増えることが予想されます。

「QoLの向上のため公園づくりに携わりたいと考える人も増えていくのでは。それぞれの地域で公園管理に関わっている人や求められているニーズが違うので、成功事例をそのままほかに使うことはできません。色々な方の意見をくみ取って、公共側との調整なども担うノウハウがある中間支援組織が、公園の活性化に大きな役割を果たしています」(秋山さん)

身近な公園で進められている行政と民間の力を合わせた新たな取組みを紹介しました。今までの使い方に加え、公園を拠点にさまざまな活動ができるようになっています。私自身も、地域活動のひとつとして気軽に公園の管理に携わったり、各地の公園を訪ねて旅に出かけたりしたいと感じました。

●取材協力
・国土交通省
・豊島区
・NPObirth

安澤太郎氏「TAICOCLUBでは地域に何も残らなかった」。次は“LPK”で新しい日常をつくる

2018年に惜しまれつつも幕を下ろした野外音楽フェス「TAICOCLUB」。オーガナイザーの安澤太郎さんは「一時的な熱狂の繰り返しでは、その土地に何も残らなかった」と反省し、千葉県北部のとある場所で新たな取り組みを始めていた。彼が掲げる「LPK(リビング/ラボ・パーク・キッチン)構想」とは、フェスのような「非日常の演出」とは異なる、「日常と非日常の距離を近づける」ものだそう。安澤さんが試みる、田舎暮らしとも二拠点居住とも異なる新しい暮らし方とは?
「フェスのときだけテンションが上がる」のは健全なのか?(写真撮影/yoshihiro yoshikawa)

(写真撮影/yoshihiro yoshikawa)

音楽ファンの間で13年にわたり愛された野外音楽フェス「TAICOCLUB」は、2006年に長野県木曽郡で生まれた。毎年1万人近くを動員し、地方創生にも一役買っていたのは間違いないが、その歴史に幕を下ろしたのは、発起人である安澤さん本人だった。

なぜ、「TAICOCLUB」は終わらなくてはならなかったのか? 安澤さんは当時の思いを次のように語る。

「『TAICOCLUB』では、みんなが一年に一回、瞬発力的に盛り上がる場所をつくってきました。もちろんその良さはあったけれども、単に『イベントを始めて終える』繰り返しでは、その土地に何かが残るわけではないと気づいたんです。

そもそも僕は『TAICOCLUB』を始めたとき、そこにいる人たちが自分たちでカルチャーを積み上げていけるような場所をつくりたかったんです。でも、実際はそうなっていない。やりたかったことと現実の乖離が見えてきてしまいました」

安澤太郎さん(写真提供/安澤太郎さん)

安澤太郎さん(写真提供/安澤太郎さん)

安澤さんは「TAICOCLUB」の来場者の様子を眺めながら、なぜ人々がこれほどまでに楽しんでいるのか、考えを巡らせていたという。

「都市って人が多くて密集しているので、どうしても周りを気にしながら生活せざるを得ませんよね。例えばベランダでバーベキューをしたら隣の部屋に煙がいってしまうかもしれないし、楽器を演奏したら音が響いてしまうかもしれない。物理的にも精神的にもすぐに影響してしまう環境だからこそ、やりたいことがあっても、『迷惑かもしれないからやめておこう』と自分で自分を締め付けていると思うんです。

でも『TAICOCLUB』では、知らない人とも自然と話したり遊んだりしながら、大好きな音楽を心から楽しんでいる。それを見て、みんな日常で解放できないものを発散できる場所を求めているんだろうなと思いました」

(写真撮影/Mariko Kurose)

(写真撮影/Mariko Kurose)

フェスでの盛り上がりは、それだけ日常生活でたまったものがあることの証拠。だとしたら、都市生活者の非日常と日常の間には、あまりにも大きな乖離がある。安澤さんはその問題に気づいた。

「非日常体験で一気にテンションが上がって、日常でガクッと落ちてしまうのって、血糖値が急上昇して健康に良くないのと同じことだと思うんです。例えば結婚でも、結婚したあとの日常生活こそ楽しくあるべきなのに、結婚式のときがピークってきついですよね?

僕は非日常だけじゃなく、そのあとの日常生活もちゃんと楽しめるようにしたい。非日常に全部の楽しみがあるんじゃなくて、もう少し非日常を日常に組み込む暮らし方を考えてみたいと思ったんです」

そんな安澤さんが、知人の紹介を通じて知ったのが千葉県北部の土地だった。

非日常を求めて自然が豊かな場所を求めようとすると、忙しい日常との両立は難しい。しかし、千葉なら都心部から車で約1時間で来られるうえ、ひらけた土地が気持ちいい。日常と非日常を近づけた暮らしを実験するのに、これ以上ぴったりの土地はないのではないか?―― 安澤さんの新たな挑戦の地がここに定まった瞬間だった。

「もう一つの自分の場所」が、非日常と日常の距離を近づける(写真撮影/cabcab)

(写真撮影/cabcab)

安澤さんが掲げる「LPK(リビング/ラボ・パーク・キッチン)構想」とは、まるで公園の中で住むように暮らし、創り、表現する空間をつくることで、利用者や参加企業による主体的かつ継続的な活動を促すものだという。

「あまり運営側から『これをやります』とは言いたくないんです。そういう一方的なアプローチだと、僕らの考えている範囲のものしか生まれない。それはつまらないと思うんです。用意されたもので楽しむ機会は、すでに大型テーマパークなどで大資本が提供していますよね。

僕らの役割は、この土地で実現したいことがある人に、それができる箱やインフラを提供すること。その結果、みんなのクリエイティビティやこだわりがいっぱい集まった場所になればいいなと思っています」

(画像提供/安澤太郎さん)

(画像提供/安澤太郎さん)

その暮らし方は、「パソコンに外付けハードディスク等を装着する拡張のようなイメージ」だと、安澤さんは続ける。

「都市は狭くて行動が制限されたり、ものを置けなかったりするので、自分の趣味を思いっきりできる場所を外に大きく持ってもらうんです。例えば料理が趣味の人なら、ここに来れば他の人と一緒に好きなだけ料理ができる、というように。

都市は便利なので、住んでいると『ここでいいや』って思うようになってくるんですが、その中だけで暮らすのって、本当は面白くない。住んでいる場所とは別に自分の居場所を求めることで、その人の内部の均衡が保たれることがあると思うんです」

そのイメージはその場所である光景を目にした際、より確かなものになった。

「先日、東京に住んでいる知り合いが大きな犬を連れてきたんです。リードを離した瞬間、その犬がものすごい勢いでダーッと走っていって、もう全然帰ってこなくて(笑)。その犬は普段、ドッグランや家の近くの散歩で自分を満足させようとしていたけれども、本当はそれぐらい走りたかったんだろうなと。人間にも同じことが言えますよね。もう一つの自分の場所は、精神面だけでなく、身体面にも大きな変化をもたらすと感じています」

(写真提供/安澤太郎さん)

(写真提供/安澤太郎さん)

また、安澤さんは「もう一つの自分の場所」の必要性について、都市生活者の不動産の選び方が生み出している面もあると語った。

「そもそも不動産って、日々の暮らしを営む場所として生まれたはずです。ところが今は、『いかに良く暮らせるか』よりも、『こちらの方が将来高く売れそう』というように、資産価値で判断される傾向にある。日常生活は我慢して、売れた瞬間という非日常だけに喜びがあるのって、ちょっと偏っていますよね? 日常を豊かに過ごす上で最適な場所を住居に選べていないのなら、なおさら『もう一つの自分の場所』は必要だと思います」

「田舎暮らし」や「二拠点居住」とも異なる、新しい暮らし方を提案

安澤さんがLPK構想で目指す暮らしは、「田舎暮らし」や「二拠点居住」とは少し異なるようだ。

「僕は都心部が好きなので、東京での暮らしを捨てることはできません。そういう人にとって、田舎暮らしは現実的ではないと思います。また、二拠点居住だと、子どもにどちらの学校へ通わせるかなどのシビアな問題が絡んでくるので、そう簡単に決断できない人も多いのではないでしょうか。
でも、週末に車を1時間走らせるだけで簡単にアクセスできる場所があれば、都心部で過ごしながらも自分を自由に解放できる。そういう暮らし方があってもいいと思うんです」

(写真撮影/cabcab)

(写真撮影/cabcab)

安澤さんの提案する暮らしは、新たな刺激をもたらすものとして、地元の人々からも歓迎されているという。都市部からほどよい距離でひらけた土地を持つ地域は全国に存在する。都市部で暮らす人と地方で暮らす人の両方に受け入れられる新しい暮らし方が、そこから広がっていく可能性は大いにあるだろう。

現在千葉県北部にある土地が、LPK構想の舞台。まずは安澤さんの知人を中心に実験を進めていく。将来的には一般の人からの応募を受け付ける予定だが、時期は未定だ。

安澤さんは、LPK構想をどのように進めていくつもりなのだろうか?

「それは変な話、僕らもまだ分からないんです。でも、それでいいと思っています。共感してくれる方と一緒に、ゆっくり積み上げていけたらいいなと。今の世の中、最初にどーんと大きくつくったものが長く続いていくとは思えません。変えたいなと思ったときにソフトウェアのように柔軟に変えられる場所にしたほうが、結果的に長く残るものが生み出せるんじゃないかと思います」

かつては「TAICOCLUB」という「非日常」を築き上げた。その安澤さんが提案する新しい「日常」を早く見てみたいが、価値あるものこそ形成するのには時間がかかるもの。安澤さんの言葉をヒントに「日常」と「非日常」のバランスを見直しつつ、その街の変化を気長に見守りたい。

●取材協力
安澤太郎(やすざわ・たろう)
オーガナイザー。
2006年より13年間にわたり長野県木曽郡木祖村にて開催された野外ミュージックフェスティバルTAICOCLUBを主催。
TAICOCLUBは、コンセプトやジャンルにとらわれず、そのときに聴きたいアーティストが集まることで、感度のよいフェスティバルとして知られるようになった。その後、来場者数1万人の日本を代表する音楽フェスティバルの一つへと成長させ、2018年にその幕を降ろした。
現在は、クリエイティブと拘りが集まる多拠点居住空間や、そこでしか体験できない「物語のある音楽」をつくるプロジェクト「SOUND TRIP」等に取り組む。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科中退。

TAICOCLUB
SOUND TRIP

安澤太郎氏「TAICOCLUBでは地域に何も残せなかった」。次は“LPK”で新しい日常をつくる

2018年に惜しまれつつも幕を下ろした野外音楽フェス「TAICOCLUB」。オーガナイザーの安澤太郎さんは「一時的な熱狂の繰り返しでは、その土地に何も残らなかった」と反省し、千葉県北部のとある場所で新たな取り組みを始めていた。彼が掲げる「LPK(リビング/ラボ・パーク・キッチン)構想」とは、フェスのような「非日常の演出」とは異なる、「日常と非日常の距離を近づける」ものだそう。安澤さんが試みる、田舎暮らしとも二拠点居住とも異なる新しい暮らし方とは?
「フェスのときだけテンションが上がる」のは健全なのか?(写真撮影/yoshihiro yoshikawa)

(写真撮影/yoshihiro yoshikawa)

音楽ファンの間で13年にわたり愛された野外音楽フェス「TAICOCLUB」は、2006年に長野県木曽郡で生まれた。毎年1万人近くを動員し、地方創生にも一役買っていたのは間違いないが、その歴史に幕を下ろしたのは、発起人である安澤さん本人だった。

なぜ、「TAICOCLUB」は終わらなくてはならなかったのか? 安澤さんは当時の思いを次のように語る。

「『TAICOCLUB』では、みんなが一年に一回、瞬発力的に盛り上がる場所をつくってきました。もちろんその良さはあったけれども、単に『イベントを始めて終える』繰り返しでは、その土地に何かが残るわけではないと気づいたんです。

そもそも僕は『TAICOCLUB』を始めたとき、そこにいる人たちが自分たちでカルチャーを積み上げていけるような場所をつくりたかったんです。でも、実際はそうなっていない。やりたかったことと現実の乖離が見えてきてしまいました」

安澤太郎さん(写真提供/安澤太郎さん)

安澤太郎さん(写真提供/安澤太郎さん)

安澤さんは「TAICOCLUB」の来場者の様子を眺めながら、なぜ人々がこれほどまでに楽しんでいるのか、考えを巡らせていたという。

「都市って人が多くて密集しているので、どうしても周りを気にしながら生活せざるを得ませんよね。例えばベランダでバーベキューをしたら隣の部屋に煙がいってしまうかもしれないし、楽器を演奏したら音が響いてしまうかもしれない。物理的にも精神的にもすぐに影響してしまう環境だからこそ、やりたいことがあっても、『迷惑かもしれないからやめておこう』と自分で自分を締め付けていると思うんです。

でも『TAICOCLUB』では、知らない人とも自然と話したり遊んだりしながら、大好きな音楽を心から楽しんでいる。それを見て、みんな日常で解放できないものを発散できる場所を求めているんだろうなと思いました」

(写真撮影/Mariko Kurose)

(写真撮影/Mariko Kurose)

フェスでの盛り上がりは、それだけ日常生活でたまったものがあることの証拠。だとしたら、都市生活者の非日常と日常の間には、あまりにも大きな乖離がある。安澤さんはその問題に気づいた。

「非日常体験で一気にテンションが上がって、日常でガクッと落ちてしまうのって、血糖値が急上昇して健康に良くないのと同じことだと思うんです。例えば結婚でも、結婚したあとの日常生活こそ楽しくあるべきなのに、結婚式のときがピークってきついですよね?

僕は非日常だけじゃなく、そのあとの日常生活もちゃんと楽しめるようにしたい。非日常に全部の楽しみがあるんじゃなくて、もう少し非日常を日常に組み込む暮らし方を考えてみたいと思ったんです」

そんな安澤さんが、知人の紹介を通じて知ったのが千葉県北部の土地だった。

非日常を求めて自然が豊かな場所を求めようとすると、忙しい日常との両立は難しい。しかし、千葉なら都心部から車で約1時間で来られるうえ、ひらけた土地が気持ちいい。日常と非日常を近づけた暮らしを実験するのに、これ以上ぴったりの土地はないのではないか?―― 安澤さんの新たな挑戦の地がここに定まった瞬間だった。

「もう一つの自分の場所」が、非日常と日常の距離を近づける(写真撮影/cabcab)

(写真撮影/cabcab)

安澤さんが掲げる「LPK(リビング/ラボ・パーク・キッチン)構想」とは、まるで公園の中で住むように暮らし、創り、表現する空間をつくることで、利用者や参加企業による主体的かつ継続的な活動を促すものだという。

「あまり運営側から『これをやります』とは言いたくないんです。そういう一方的なアプローチだと、僕らの考えている範囲のものしか生まれない。それはつまらないと思うんです。用意されたもので楽しむ機会は、すでに大型テーマパークなどで大資本が提供していますよね。

僕らの役割は、この土地で実現したいことがある人に、それができる箱やインフラを提供すること。その結果、みんなのクリエイティビティやこだわりがいっぱい集まった場所になればいいなと思っています」

(画像提供/安澤太郎さん)

(画像提供/安澤太郎さん)

その暮らし方は、「パソコンに外付けハードディスク等を装着する拡張のようなイメージ」だと、安澤さんは続ける。

「都市は狭くて行動が制限されたり、ものを置けなかったりするので、自分の趣味を思いっきりできる場所を外に大きく持ってもらうんです。例えば料理が趣味の人なら、ここに来れば他の人と一緒に好きなだけ料理ができる、というように。

都市は便利なので、住んでいると『ここでいいや』って思うようになってくるんですが、その中だけで暮らすのって、本当は面白くない。住んでいる場所とは別に自分の居場所を求めることで、その人の内部の均衡が保たれることがあると思うんです」

そのイメージはその場所である光景を目にした際、より確かなものになった。

「先日、東京に住んでいる知り合いが大きな犬を連れてきたんです。リードを離した瞬間、その犬がものすごい勢いでダーッと走っていって、もう全然帰ってこなくて(笑)。その犬は普段、ドッグランや家の近くの散歩で自分を満足させようとしていたけれども、本当はそれぐらい走りたかったんだろうなと。人間にも同じことが言えますよね。もう一つの自分の場所は、精神面だけでなく、身体面にも大きな変化をもたらすと感じています」

(写真提供/安澤太郎さん)

(写真提供/安澤太郎さん)

また、安澤さんは「もう一つの自分の場所」の必要性について、都市生活者の不動産の選び方が生み出している面もあると語った。

「そもそも不動産って、日々の暮らしを営む場所として生まれたはずです。ところが今は、『いかに良く暮らせるか』よりも、『こちらの方が将来高く売れそう』というように、資産価値で判断される傾向にある。日常生活は我慢して、売れた瞬間という非日常だけに喜びがあるのって、ちょっと偏っていますよね? 日常を豊かに過ごす上で最適な場所を住居に選べていないのなら、なおさら『もう一つの自分の場所』は必要だと思います」

「田舎暮らし」や「二拠点居住」とも異なる、新しい暮らし方を提案

安澤さんがLPK構想で目指す暮らしは、「田舎暮らし」や「二拠点居住」とは少し異なるようだ。

「僕は都心部が好きなので、東京での暮らしを捨てることはできません。そういう人にとって、田舎暮らしは現実的ではないと思います。また、二拠点居住だと、子どもにどちらの学校へ通わせるかなどのシビアな問題が絡んでくるので、そう簡単に決断できない人も多いのではないでしょうか。
でも、週末に車を1時間走らせるだけで簡単にアクセスできる場所があれば、都心部で過ごしながらも自分を自由に解放できる。そういう暮らし方があってもいいと思うんです」

(写真撮影/cabcab)

(写真撮影/cabcab)

安澤さんの提案する暮らしは、新たな刺激をもたらすものとして、地元の人々からも歓迎されているという。都市部からほどよい距離でひらけた土地を持つ地域は全国に存在する。都市部で暮らす人と地方で暮らす人の両方に受け入れられる新しい暮らし方が、そこから広がっていく可能性は大いにあるだろう。

現在千葉県北部にある土地が、LPK構想の舞台。まずは安澤さんの知人を中心に実験を進めていく。将来的には一般の人からの応募を受け付ける予定だが、時期は未定だ。

安澤さんは、LPK構想をどのように進めていくつもりなのだろうか?

「それは変な話、僕らもまだ分からないんです。でも、それでいいと思っています。共感してくれる方と一緒に、ゆっくり積み上げていけたらいいなと。今の世の中、最初にどーんと大きくつくったものが長く続いていくとは思えません。変えたいなと思ったときにソフトウェアのように柔軟に変えられる場所にしたほうが、結果的に長く残るものが生み出せるんじゃないかと思います」

かつては「TAICOCLUB」という「非日常」を築き上げた。その安澤さんが提案する新しい「日常」を早く見てみたいが、価値あるものこそ形成するのには時間がかかるもの。安澤さんの言葉をヒントに「日常」と「非日常」のバランスを見直しつつ、その街の変化を気長に見守りたい。

●取材協力
安澤太郎(やすざわ・たろう)
オーガナイザー。
2006年より13年間にわたり長野県木曽郡木祖村にて開催された野外ミュージックフェスティバルTAICOCLUBを主催。
TAICOCLUBは、コンセプトやジャンルにとらわれず、そのときに聴きたいアーティストが集まることで、感度のよいフェスティバルとして知られるようになった。その後、来場者数1万人の日本を代表する音楽フェスティバルの一つへと成長させ、2018年にその幕を降ろした。
現在は、クリエイティブと拘りが集まる多拠点居住空間や、そこでしか体験できない「物語のある音楽」をつくるプロジェクト「SOUND TRIP」等に取り組む。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科中退。

TAICOCLUB
SOUND TRIP

ツリーハウスのある空間「椿森コムナ」が素敵!不動産会社が宅地計画を中止した理由

千葉駅から徒歩9分、千葉公園沿いに「ツリーハウスカフェ&コミュニティスペース 椿森コムナ」があります。運営しているのは地元千葉をメインに展開する不動産会社・株式会社拓匠(たくしょう)開発です。同社は千葉県内にもコミュニティ活動を目的としてパン屋をはじめとした複合商業施設も運営しています。なぜ不動産会社がコミュニティスペースを運営するのか、その想いを聞きました。
本物のツリーハウスと吊り橋に子どもも大人も思わず笑顔に! (写真撮影/片山貴博)

おしゃれで居心地よく、何より楽しい!「椿森コムナ」(写真撮影/片山貴博)

千葉を代表するターミナル千葉駅から10分ほど歩くと、住宅街に突然、木製の階段とデッキ、ツリーハウスが見えてきます。何もしらない人であれば、「えっ?なに?ココ?」と驚くことでしょう。木製の階段を登ると、一面にウッドチップが敷き詰められ、おしゃれなキッチンカーがあり、さまざまな人々がコーヒーを片手に思い思いに過ごしています。

階段を登るとそこはカフェスペース。取材日は月に1度の「農の市」が開催されていて出店も多く、より和やかな雰囲気に(写真撮影/片山貴博)

ツリーハウスとそれをむすぶ吊橋。子どもはもちろん、大人もはしゃいでしまう(写真撮影/片山貴博)

2021年1月に拡張してできた「椿森コムナ」のテラス席。施工を担当したのはなんと宮大工。拡張した場所と既存の建物に違和感がない(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

とはいえ、不動産会社である拓匠開発には、カフェなどの飲食店の企画運営経験のある人はおらず、施設運営のカギとなる人物を求めて、千葉県内のカフェを巡っていたそう。

「おしゃれなカフェがあるという噂を聞いてそのお店を訪ねたところ、たまたま出会えたのがジーザスさんでした。実はそのカフェにいらっしゃったのはお手伝いに来ていた3日間だけ、出会った日が最終日だったんです。その場でコムナの企画を説明し、施工中の現地を見学。木々を見てもらって、その場で話がまとまりました」と振り返ります。

執行役員の湯浅さん、中央がジーザスさん。右は椿森コムナを知り拓匠開発に入社したという経営企画部の石井友美さん(写真撮影/片山貴博)

(写真提供/拓匠開発)

場所をつくるきっかけとなった木々も、変化したといいます。
「サクラも当初は元気がなくて、申し訳なさそうに花をつける程度でしたが、年々、人に見られるようになって、樹勢を増してきたように思います。春のサクラ、新緑のカシ、秋の紅葉したイチョウ、キンモクセイなど、季節ごとに風景もうつろっていく。夏は池をあがってくる風が心地よいし、四季折々の発見があるんですよ」とジーザスさんは解説します。

オープンエアだからこそ、雨の日、寒い日などの苦労は絶えませんが、何よりもこの場所で「大人も子どもも笑い声が絶えない」ということに喜びを感じるそう。

月に1度、日曜朝は7時から営業し、マルシェを開催(写真撮影/片山貴博)

月に1度、日曜朝は7時から営業し、マルシェを開催(写真撮影/片山貴博)

千葉の新鮮野菜や岡山のしょうゆ、オリーブオイルなどさまざまな美味しいものが並ぶ(写真撮影/片山貴博)

千葉の新鮮野菜や岡山のしょうゆ、オリーブオイルなどさまざまな美味しいものが並ぶ(写真撮影/片山貴博)

初めてでも常連でも! また来たくなる居心地のよさ

利用者はどう思っているのでしょうか、訪れていた人に聞いてみました。

「私は何度も来ていて、今日は知り合いと来ました。今日のような昼間もいいですが、夏の夜、仕事終わりにビールを一杯、飲んで帰るのが幸せです。向かいの公園には池があるので、風が心地よいんですよ」と地元在住の女性が教えてくれました。一緒にいた若い女性は、「今日、初めてきました。あのツリーハウスや吊橋って、大人も登っていいんですか? ワクワクします。あとで絶対、登ろう(笑)」と楽しそう。

こちらのカフェは常時開店している。左の小屋はポートランドのタイニーハウスに着想を得たもの(写真撮影/片山貴博)

カフェで提供され、椿森コムナの名物となっている「BAMBIバーガー」。肉の焼ける匂いが食欲をそそります(写真撮影/片山貴博)

同じグループの男性も「大人も登れるなら、ツリーハウスに登りたいですよね(笑)。自分はキャンプが好きなんですが、今回、初めて訪れました。まさか近所にこんな場所があるとは思わず。すごく居心地がいいですねえ、またぜったい来ると思います」とにこやかです。

来場者には、ジーザスさんの人柄、センスのファンもいるそうだとか。
「駅を歩いていてジーザスさん!って声をかけられることもあります。この1年、コロナ禍でしたが、屋外ということもあって、人が途絶えることはありませんでした。運営では大変なことも多かったけど、はっきりとコムナの存在価値が見えてきたなあと思っています」とジーザスさん。

この場所に『あったらいいな』と思う空間をつくる。それが仕事

椿森コムナはファンや常連客に愛される場所となり、採算も確保して継続的に運営できる状態だとか。
「イベント開催や飲食の売上などで、無事に運営できてきます。地元のご高齢の方々が、毎朝、千葉公園を散策されるのですが、コムナでコーヒーを飲んで、無人販売の野菜を買っていってくださいます。また、コムナの運営は、弊社を知っていただくきっかけになり、採用にも良い影響を与えています。会社の取り組みや想いを体感してもらえる場所として、価値のある活動だと思っています」と湯浅さん。

立川駅前の進化がすごい! 「GREEN SPRINGS」で街がどう変わる?

かつて広大な飛行場が広がっていた立川。再開発が進められるなか、駅近くに残されていた巨大な空地が気になっていた方も多いのでは? 2020年4月、ついにそのエリアに大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープン。従来の立川のイメージを覆す洗練された空間に、子どもから大人まで多くの人が日々訪れている。歴史とともに変わり続けてきた立川のまちは、どこに向かっていくのだろうか?
米軍基地跡だった空き地に、緑豊かな「街」が誕生

新宿から中央線で約26分。都心からのアクセスに恵まれ、駅近くには緑豊かな国営昭和記念公園が広がるこの街は、かつて「基地のまち」だった。

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

大正時代に整備され、立川駅周辺に広がっていた「立川飛行場」は、1970年代まで米軍基地として使用されていた。立川は長い間、戦争のイメージと切っても切り離せない街だったのだ。

ところが平成に入ると、街は徐々にその姿を変える。土地区画整理事業や駅前の再開発により、大型商業施設やデパートなどが次々とオープン。上空を多摩都市モノレールが走る光景は、街の発展を印象づけた。

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

そして来たる2020年4月、残されていた駅北側の約3.9haの広大な空き地に、大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープンした。

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「ウェルビーイングタウン」をコンセプトとする同施設には、店舗や飲食店のほかに、2500席規模のホール「TACHIKAWA STAGE GARDEN」や、日常遣いできる都市型リゾートの「SORANO HOTEL」、保育園、オフィスなどが配置されている。単なる商業施設ではない、人が暮らす「街」を意識したテナント構成が特徴だ。

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ。(写真/片山貴博)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる。(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる(写真/片山貴博)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

歩いていると、点在するアート作品や遊び心のある演出が目を楽しませてくれた。よくある郊外の大規模商業施設のような既視感がないのは、こうした細部へのこだわりに、施設の個性が表れているからかもしれない。

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

新型コロナの影響で、4月のオープニングイベントは全て中止に 。しかし平日の夕方に高校生が訪れておしゃべりを楽しんだり、カスケードで水遊びをしたりするようになり、彼らの口コミから、 徐々に評判が広がった。 以前は立川駅からIKEAに向かう人々が通り過ぎるだけだったエリアが、現在では多くの人でにぎわっている。取材日は平日の昼間だったが、子ども連れのファミリーや若い女性が多く訪れていた印象だ。

この「GREEN SPRINGS」の開発を先導したのが、立川市のほぼ中央に約98万平方メートルもの土地を所有する、株式会社立飛ホールディングスだ。

1924年設立の立川飛行機を前身とし、戦後は不動産賃貸業を中心に事業を展開してきた同社が、地域社会に対する貢献へと舵を切ったのは2012年。グループ再編を経て、村山正道さんが代表取締役社長就任したことがそのきっかけとなった。

村山社長は、昭和48年(1973年)に立飛ホールディングスに入社。代表取締役社長に就任するまでの33年間、一貫して経理を務めてきた村山社長は、地域貢献に対する思いを次のように語った。

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

「かつての当社は、敷地を万年塀で囲うような閉鎖的な会社、地域に開かれているとは言えませんでした。でも私は、土地とは単なる資産ではなく社会資本なのだから、それを所有している以上、地域に対する責任を果たさなくてはならないとずっと考えていました」

村山社長の率いる立飛ホールディングスは、意思決定の速さを強みに、この8年で数々のプロジェクトを展開してきた。2015年12月の「ららぽーと立川立飛」を皮切りに、日本最大のフェイクビーチ「タチヒビーチ」、スポーツ大会やイベントで利用できる「アリーナ立川立飛」「ドーム立川立飛」などがオープン。街づくりを通じた社会貢献を意識しているからこそ、商業施設一辺倒ではない、多様な事業を誘致してきた。特に、街の文化振興への思いは強い。

「世界的に見ても、歴史上長く栄えてきたのは芸術・文化の街です。立川を、買い物ができるだけではなく、音楽などの芸術やスポーツを楽しめる街にしたいんです。今はなんでもオンラインでできると言われていますが、やはり生で見たときの刺激や学びは大きい。特にこの街で育つ子どもたちには、そうした環境を提供したいですね」

いま郊外の街の多くは、商業施設を中心とした再開発により、どこも同じような 印象だ。そんななか、立川はオリジナルな発展を遂げているように見える。参考にしている街はあるかと村山社長に問うと、「どこかの真似をしている感覚はない」と即答だった。

「立川には立川の街の歴史があり、独自の文化があります。それはほかのどの街とも、似て非なるものです。地域独自の文化を前面に押し出したまちづくりをすれば、街の魅力が上がり、結果的に住みたい人や働きたい人が増えると考えています」

「GREEN SPRINGS」には、ところどころ飛行場のモチーフが散りばめられている。街の歴史を大切にする立飛ホールディングスのこだわりが垣間見えた。

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

子ども時代のイメージが一変。立川は「変化を受け入れるまち」

変わっていく立川を、住民はどんな気持ちで見つめているのか。立川エリアで生まれ育った、あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さんにお話を聞いた。

岩崎さんは1995年に同組合の理事会に参加。2011年から代表理事として地域のさまざまな活動に携わっている。岩崎さんは活動を通じて、街の歴史の深さを知るとともに、立川ならではの良さに気づいたという。

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

「立川には特別有名な観光名所があるわけではありませんが、面白い施設が駅前の狭いエリアにぎゅっと詰まっています。専門店や百貨店、家電量販店、映画館、劇場、スポーツ施設、サブカルチャーや芸術関係の施設など。自然と触れ合える国営昭和記念公園もあります。新型コロナの影響で遠くに行きづらい時期だからこそ、徒歩圏内にこれだけの楽しみがあるのは一層魅力的に感じますね」

笑顔で語る岩崎さん。しかし意外なことに、子ども時代にはあまり立川にいいイメージを抱いていなかったという。
 
「親には、駅の北側(現在GREEN SPRINGSがあるエリア)には行くなと言われていました。昔その辺りは米軍基地でしたから、基地の方を相手にしていた大人なお店も多かったんです」

それが平成に入り、立川はみるみるうちに変貌を遂げる。再開発が進むにつれ、昔ながらの街並みが失われたことを嘆く住民もいた。しかし岩崎さんは、「今の立川の方が断然いい」とすっきりした表情だ。

「ずいぶんにぎやかになりましたよ。街が大きくなったと感じます。人口は昔からほとんど変わっていませんが、立川には昼間働きにきたり、遊びにきたりする『昼間人口』が多いんですね。居住人口が今後増えることは考えにくいので、関わってくれる人を増やすのは、街が存続していくために大切なことです」

昼間人口の増加とともに、人が訪れるエリアも広がっている。かつては「良くなったのは駅前だけ」と卑下する人もいたそうだが、GREEN SPRINGSは立川駅から徒歩8分。駅からは少し離れた場所にある。岩崎さんの言うように、街の大きさは確実に広がっており、それとともに、街全体に活気がもたらされているのだ。

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

「若い人が関わりたいと思ってくれる、魅力ある街であってほしいですね。立派な施設ができても、建物自体はいずれ古くなります。街が発展し続けるためには、やる気のある人がチャレンジしやすい環境が必要です。幸い立川には、よそ者を拒むような地域性がありません。昔から何でも受け入れる街なんです。懐を広く保っておくことが、立川の未来のためには大事なことだと思いますね」

変化を拒まず、受け入れる。日本の人口減少が止まらない中、立川の歴史は、郊外の街が発展し続けるための一つの方向性を示しているように見えた。

●取材協力
GREEN SPRINGS
立飛ホールディングス
立川市の歴史

立川駅前の進化がすごい! 「GREEN SPRINGS」で街がどう変わる?

かつて広大な飛行場が広がっていた立川。再開発が進められるなか、駅近くに残されていた巨大な空地が気になっていた方も多いのでは? 2020年4月、ついにそのエリアに大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープン。従来の立川のイメージを覆す洗練された空間に、子どもから大人まで多くの人が日々訪れている。歴史とともに変わり続けてきた立川のまちは、どこに向かっていくのだろうか?
米軍基地跡だった空き地に、緑豊かな「街」が誕生

新宿から中央線で約26分。都心からのアクセスに恵まれ、駅近くには緑豊かな国営昭和記念公園が広がるこの街は、かつて「基地のまち」だった。

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

国営昭和記念公園(写真/PIXTA)

大正時代に整備され、立川駅周辺に広がっていた「立川飛行場」は、1970年代まで米軍基地として使用されていた。立川は長い間、戦争のイメージと切っても切り離せない街だったのだ。

ところが平成に入ると、街は徐々にその姿を変える。土地区画整理事業や駅前の再開発により、大型商業施設やデパートなどが次々とオープン。上空を多摩都市モノレールが走る光景は、街の発展を印象づけた。

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

開発前の様子(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

2015年から2018年まで、このエリアでヤギたちが除草をする姿は名物となっていた(写真提供/株式会社立飛ホールディングス)

そして来たる2020年4月、残されていた駅北側の約3.9haの広大な空き地に、大型複合施設「GREEN SPRINGS」がオープンした。

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「GREEN SPRINGS」屋外の休憩スペース(写真/片山貴博)

「ウェルビーイングタウン」をコンセプトとする同施設には、店舗や飲食店のほかに、2500席規模のホール「TACHIKAWA STAGE GARDEN」や、日常遣いできる都市型リゾートの「SORANO HOTEL」、保育園、オフィスなどが配置されている。単なる商業施設ではない、人が暮らす「街」を意識したテナント構成が特徴だ。

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

(画像/「GREEN SPRINGS」HPより引用)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ。(写真/片山貴博)

地産地消が意識されており、建物やベンチには、多摩産の木材が多く使用されている。広大な敷地を活かした贅沢な空間構成だ(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる。(写真/片山貴博)

ビオトープには、4種類の生き物(メダカ、ドジョウ、フナ、エビ)を放った。自然界からカモなどが訪れ、生態系が構築されつつあるという。自然に癒やされながら落ち着いた時間を過ごせる(写真/片山貴博)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

SORANO HOTEL最上階に位置するインフィニティプール。立川の空、広大な国営昭和記念公園の豊かな緑、快晴の日には富士山も望める(写真提供/SORANO HOTEL)

歩いていると、点在するアート作品や遊び心のある演出が目を楽しませてくれた。よくある郊外の大規模商業施設のような既視感がないのは、こうした細部へのこだわりに、施設の個性が表れているからかもしれない。

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

招待作家と公募作家による作品が配置されている。写真は『上昇輝竜』(中村 哲也)(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

冒険地図風の施設MAP(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

かつてこの地区で除草作業に励んでいたヤギたちのイラストがポールに描かれている(写真/片山貴博)

新型コロナの影響で、4月のオープニングイベントは全て中止に 。しかし平日の夕方に高校生が訪れておしゃべりを楽しんだり、カスケードで水遊びをしたりするようになり、彼らの口コミから、 徐々に評判が広がった。 以前は立川駅からIKEAに向かう人々が通り過ぎるだけだったエリアが、現在では多くの人でにぎわっている。取材日は平日の昼間だったが、子ども連れのファミリーや若い女性が多く訪れていた印象だ。

この「GREEN SPRINGS」の開発を先導したのが、立川市のほぼ中央に約98万平方メートルもの土地を所有する、株式会社立飛ホールディングスだ。

1924年設立の立川飛行機を前身とし、戦後は不動産賃貸業を中心に事業を展開してきた同社が、地域社会に対する貢献へと舵を切ったのは2012年。グループ再編を経て、村山正道さんが代表取締役社長就任したことがそのきっかけとなった。

村山社長は、昭和48年(1973年)に立飛ホールディングスに入社。代表取締役社長に就任するまでの33年間、一貫して経理を務めてきた村山社長は、地域貢献に対する思いを次のように語った。

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

立飛ホールディングス村山社長(写真/片山貴博)

「かつての当社は、敷地を万年塀で囲うような閉鎖的な会社、地域に開かれているとは言えませんでした。でも私は、土地とは単なる資産ではなく社会資本なのだから、それを所有している以上、地域に対する責任を果たさなくてはならないとずっと考えていました」

村山社長の率いる立飛ホールディングスは、意思決定の速さを強みに、この8年で数々のプロジェクトを展開してきた。2015年12月の「ららぽーと立川立飛」を皮切りに、日本最大のフェイクビーチ「タチヒビーチ」、スポーツ大会やイベントで利用できる「アリーナ立川立飛」「ドーム立川立飛」などがオープン。街づくりを通じた社会貢献を意識しているからこそ、商業施設一辺倒ではない、多様な事業を誘致してきた。特に、街の文化振興への思いは強い。

「世界的に見ても、歴史上長く栄えてきたのは芸術・文化の街です。立川を、買い物ができるだけではなく、音楽などの芸術やスポーツを楽しめる街にしたいんです。今はなんでもオンラインでできると言われていますが、やはり生で見たときの刺激や学びは大きい。特にこの街で育つ子どもたちには、そうした環境を提供したいですね」

いま郊外の街の多くは、商業施設を中心とした再開発により、どこも同じような 印象だ。そんななか、立川はオリジナルな発展を遂げているように見える。参考にしている街はあるかと村山社長に問うと、「どこかの真似をしている感覚はない」と即答だった。

「立川には立川の街の歴史があり、独自の文化があります。それはほかのどの街とも、似て非なるものです。地域独自の文化を前面に押し出したまちづくりをすれば、街の魅力が上がり、結果的に住みたい人や働きたい人が増えると考えています」

「GREEN SPRINGS」には、ところどころ飛行場のモチーフが散りばめられている。街の歴史を大切にする立飛ホールディングスのこだわりが垣間見えた。

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

敷地の道がクロスするようにデザインされているのは、過去と未来、地域が交わる、等の意味が込められている(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

通路からカスケード(水が流れている階段)につながる一本道は、滑走路をイメージ(カスケードの角度は実際のテイクオフの角度)(写真/片山貴博)

子ども時代のイメージが一変。立川は「変化を受け入れるまち」

変わっていく立川を、住民はどんな気持ちで見つめているのか。立川エリアで生まれ育った、あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さんにお話を聞いた。

岩崎さんは1995年に同組合の理事会に参加。2011年から代表理事として地域のさまざまな活動に携わっている。岩崎さんは活動を通じて、街の歴史の深さを知るとともに、立川ならではの良さに気づいたという。

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

あけぼの商店街振興組合理事長の岩崎太郎さん(写真/片山貴博)

「立川には特別有名な観光名所があるわけではありませんが、面白い施設が駅前の狭いエリアにぎゅっと詰まっています。専門店や百貨店、家電量販店、映画館、劇場、スポーツ施設、サブカルチャーや芸術関係の施設など。自然と触れ合える国営昭和記念公園もあります。新型コロナの影響で遠くに行きづらい時期だからこそ、徒歩圏内にこれだけの楽しみがあるのは一層魅力的に感じますね」

笑顔で語る岩崎さん。しかし意外なことに、子ども時代にはあまり立川にいいイメージを抱いていなかったという。
 
「親には、駅の北側(現在GREEN SPRINGSがあるエリア)には行くなと言われていました。昔その辺りは米軍基地でしたから、基地の方を相手にしていた大人なお店も多かったんです」

それが平成に入り、立川はみるみるうちに変貌を遂げる。再開発が進むにつれ、昔ながらの街並みが失われたことを嘆く住民もいた。しかし岩崎さんは、「今の立川の方が断然いい」とすっきりした表情だ。

「ずいぶんにぎやかになりましたよ。街が大きくなったと感じます。人口は昔からほとんど変わっていませんが、立川には昼間働きにきたり、遊びにきたりする『昼間人口』が多いんですね。居住人口が今後増えることは考えにくいので、関わってくれる人を増やすのは、街が存続していくために大切なことです」

昼間人口の増加とともに、人が訪れるエリアも広がっている。かつては「良くなったのは駅前だけ」と卑下する人もいたそうだが、GREEN SPRINGSは立川駅から徒歩8分。駅からは少し離れた場所にある。岩崎さんの言うように、街の大きさは確実に広がっており、それとともに、街全体に活気がもたらされているのだ。

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

多摩都市モノレールの走る街並み(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

道幅が広く開放的な、緑あふれるサンサンロード(写真/片山貴博)

「若い人が関わりたいと思ってくれる、魅力ある街であってほしいですね。立派な施設ができても、建物自体はいずれ古くなります。街が発展し続けるためには、やる気のある人がチャレンジしやすい環境が必要です。幸い立川には、よそ者を拒むような地域性がありません。昔から何でも受け入れる街なんです。懐を広く保っておくことが、立川の未来のためには大事なことだと思いますね」

変化を拒まず、受け入れる。日本の人口減少が止まらない中、立川の歴史は、郊外の街が発展し続けるための一つの方向性を示しているように見えた。

●取材協力
GREEN SPRINGS
立飛ホールディングス
立川市の歴史

宮下公園が生まれ変わった! 進化する渋谷の新たな魅力を探ってみた

渋谷ストリームに渋谷パルコ、渋谷駅構内……続々と再開発の産声があがり、近ごろ勢いにのっている渋谷。そんな渋谷に公園×商業施設×ホテルが一体となった「MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク)」がオープンしました。そこで、ミヤシタパークがどういう背景を持ってリニューアルしたのか。関係者に話を聞きながら、施設の印象や渋谷の新たな魅力などをお伝えしたいと思います。
全長約330mの“低層複合施設”に。生まれ変わったミヤシタパークとは?

渋谷の象徴的スポットでもあった宮下公園をリニューアルし、ショッピングに食べ歩き、スポーツまで、世界中から訪れてもらうことを目指した最新のカルチャースポットに生まれ変わったミヤシタパーク。出店する商業施設はなんと約90店舗! なかでも日本初出店が7店舗、商業施設に初めて出店するのは32店舗と今までになかったお店も多くあります。

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

原宿方面へつながる北街区には、ラグジュアリーをはじめファッションブランドのお店が中心。南街区はカフェやファッションなど、さまざまなジャンルの店舗が集合しています。また、お酒好きには「渋谷横丁」は見逃せません。全国各地のご当地料理を楽しみながら楽しいひとときが味わえます。

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

(画像提供/MIYASHITA PARK)

憩いスポットである屋上の公園スペースは、渋谷ストリートの象徴として親しまれてきたスケート場やボルダリングウォールに加え、サンドコート仕様の多目的運動施設を新設。その反対側には渋谷の空を横切る約1000平米の芝生ひろばが広がっており、自由気ままにくつろげる憩いの場として、誰もが活用できるレジャースポットになっています。都会のど真ん中ながら、緑に囲まれた屋外でくつろいだり、スポーツを楽しめるなんてあまりないですよね!

「スターバックス コーヒーMIYASHITA PARK店」。海外のガソリンスタンドからインスパイアされたデザインだとか(写真撮影/竹治昭宏)

「スターバックス コーヒーMIYASHITA PARK店」。海外のガソリンスタンドからインスパイアされたデザインだとか(写真撮影/竹治昭宏)

渋谷のカルチャーを支えた、リニューアル前の宮下公園

1970年代からずっと若者文化の中心地であり続けた渋谷。渋谷といえば、若者文化と消費文化のまちといったイメージです。特に1990年代には「渋谷系」と呼ばれる若者文化や109を中心としたギャル文化が花開くことになり、ファッションや音楽などのトレンド発信地として憧れだった人も多いのではないでしょうか。そのなかで宮下公園はヒップホップやサブカルチャーの発信地でもありました。

「リニューアル前の宮下公園は1階に駐車場があり、2階に公園がありましたが、建築基準法が改正される前の1967年に建築されているので、もともと耐震上に課題があり、かつ樹木が成長して年々悪化する状況にありました。このことを改善する必要があったんです」と話すのは、公園を管理する渋谷区土木部公園課の明石真幸さんです。

改修前の宮下公園(画像提供/PIXTA)

改修前の宮下公園(画像提供/PIXTA)

リニューアルにあたって目指したのは、幅広い層を呼び込むこと

こうした宮下公園の負のイメージを払拭しようと渋谷区とタッグを組んだのが、日本橋再生計画や東京ミッドタウン、柏の葉スマートシティなど、全国でさまざまな街づくりを行ってきた三井不動産です。商業施設本部アーバン事業部の芦塚弘子さんはこのプロジェクトで目指したことを次のように語ります。

「20~30代をメインターゲットに、30~40代の渋谷カムバック層を取り込むことを考えました。公園と連動したスポーツショップや飲食店を中心に、トレンド最先端のラグジュアリーブランドから日本の流行を世界に発信するような店舗、フードホールや横丁型飲食店舗など、ここでしか体験できないような時間消費型空間の提供を目指しました」(芦塚さん)

実際、改修後は公園のイメージが一新! これまで存在したスケートカルチャーや公園ならではのコミュニケーションポイントをうまく発展させ、世界に誇れるような公園になったといっても過言ではありません。

渋谷駅方面の入口。その前に置かれた彫刻『きゅうちゃん』は渋谷駅前に鎮座する『忠犬ハチ公』の遠い親戚です(写真撮影/竹治昭宏)

渋谷駅方面の入口。その前に置かれた彫刻『きゅうちゃん』は渋谷駅前に鎮座する『忠犬ハチ公』の遠い親戚です(写真撮影/竹治昭宏)

リニューアルで増す、ミヤシタパークの存在感

従来のイメージを払拭し、“発信力を持った公園”へと進化を遂げたミヤシタパーク。訪れる人が思い思いに過ごせ、楽しさを発見できるような“にぎわいの場所”を目指しているといいます。

その言葉どおり、「ショッピング利用はもちろん、屋上のボルダリングウォールやスケート場の利用など、オープンしたばかりですが、以前より確実に来園者は増えています」(明石さん)とのこと。

確かに屋上のプレイスポットは言うまでもなく、ニューヨーク発のストア「KITH(キス)」の日本初となる旗艦店をはじめとするショッピングスポットの数々。またショッピングだけでなく、全国のご当地グルメが楽しめる横丁や三井不動産グループの次世代型ライフスタイルホテル「sequence(シークエンス)」など、目新しいだけでなく、遊ぶ、買う、食べる、の3拍子がそろった新たなカルチャーは大人が楽しめる“遊び場”として申し分なしでしょう。

ミヤシタパークは都心にありながら、緑が感じられる環境。と同時に、ラグジュアリーブランドが立ち並び、若者カルチャーを発信するショップがあり、異なる文化がぶつかる刺激的かつ稀有(けう)な場所と言えます。それは本来持っていた宮下公園の本質に他ならないのでは? 当時青春時代を過ごしていた人はもちろんのこと、新世代の若者にとっても楽しめる、そんな場所になったのではないでしょうか。

北は北海道、南は沖縄まで、日本全国の産直食材や郷土料理、B級グルメ、ソウルフード、ご当地ラーメン、餃子、空揚げや元力士がつくる力士めしが楽しめる全19店!流しやDJなどのイベント、全国のご当地ママが登場する喫茶スナックなど、毎日がフェスのエンタメ横丁(画像提供/渋谷横丁)

北は北海道、南は沖縄まで、日本全国の産直食材や郷土料理、B級グルメ、ソウルフード、ご当地ラーメン、餃子、空揚げや元力士がつくる力士めしが楽しめる全19店!流しやDJなどのイベント、全国のご当地ママが登場する喫茶スナックなど、毎日がフェスのエンタメ横丁(画像提供/渋谷横丁)

公園の利用者にも話を聞いてみました。

「ファッションや飲食はもちろん、それにプラスして、屋上にはスタバがあり、スケボーやビーチバレー、ボルダリングなどを楽しめる開放的な広場が広がっていて、とても気持ち良さそうです。1階の横丁はいろいろなエリアの飲食が楽しめるというので、コロナ禍が落ち着いたらハシゴ酒を楽しみたいですね」(来訪者の声)

筆者自身もリニューアル前は、「また同じような商業施設ができるなんてつまらない……」そんなふうに思っていました。昔の温度感のある公園がなくなってしまったのは残念で、やはり均一化されてしまったなぁという印象はあるものの、入っているテナント等にひねりがあって「昔のカルチャーをバックボーンに持ちながら、すごくイマドキな感じのスタイルを追求しているな」と感じました。

公園と街づくりというと、2016年4月に全面リニューアルした南池袋公園も公園の再開発で街が大きく変わった事例といえるでしょう。開放された緑の芝生広場を開放し、公園施設の一部にはおしゃれなカフェレストランを併設。開園当初から多くの人を引き付け、園内ではマルシェなど各種イベントも頻繁に開催されているといいます。

家族のくつろぎや地域交流といったイメージからほど遠かった池袋が変わったように、ミヤシタパークのオープンとともに渋谷の街も、今まで以上に大人が楽しめる“遊び場”として今後も盛り上がりを見せていくに違いないでしょう。若者の街から全方向へとターゲットを広げた渋谷の街。今後どのようにしてさらなる街の発展を目指すのか、ますます目が離せません。

●取材協力
・MIYASHITA PARK
※東京都の新型コロナウィルス感染拡大防止のため、当面はショップ11時~21時、レストラン・フードホール11時~23時で営業 ※一部店舗は異なる場合があるため、最新の営業時間等は公式HPで確認を(2020年9月8日時点)

・三井不動産
・渋谷区土木部公園課

名古屋市東桜一丁目に複合施設を開発、NTT都市開発

NTT都市開発(株)による「『(仮称)東桜一丁目1番地区建設事業』の計画提案に係る都市計画素案」が、3月15日付で都市計画決定の告示を受けた。この計画は、同社が都市再生特別措置法第37条の規定に基づき、名古屋市へ提案していたもの。

計画地は、久屋大通公園及び桜通に面した、同社保有「アーバンネット名古屋ビル」の北西に隣接。開発敷地面積は約1,934m2、延床面積は約30,900m2。地上20階、地下1階、塔屋1階の建物を建設する。

ICTを活用した最新鋭のワークスペースとオフィスサポート機能、オープンスペースににぎわいを与える商業施設を配置。久屋大通公園や地下街とつながりのあるオープンスペースや歩行者ネットワークの効果的な整備、土地の合理的かつ健全な高度利用を図ることで、同地区にふさわしい業務・商業・交流拠点の形成を目指す。

今後の計画としては、2019年9月に準備工事に着手、2022年1月に建物竣工、同年2月に開業予定。

ニュース情報元:NTT都市開発(株)

お墓の近くの物件って、実際どうなの?

もうすぐ春のお彼岸。「お墓」「墓地」「霊園」……これらの言葉に、どのようなイメージをおもちですか? 「特になんとも思わない」「供養のための大切な場所」と思う人がいる一方、「ちょっと怖いな」というイメージをおもちの方もいるようです。物件探しの際にお墓近くの物件を紹介されたら、あなたはどうしますか? 今回は、墓地の近くに住むことについてお伝えします。
お墓は怖くない? 火の玉とか出ない!?

ある時、「お墓近くの物件は怖そう」と都市部に育った筆者が言うと、友人に不思議そうな顔をされました。筆者の家のお墓は、少し郊外の霊園の一角にあり、非日常を感じる場所です。一方、友人の家のお墓は隣接するお寺の中にあるものだから、日常の風景に過ぎないとのこと。

「火の玉とか出るんじゃないの?」と筆者が聞くと「最近は火葬だから出ないよ」と笑われ、一蹴されてしまいました(火の玉は、土葬された遺体の中にあるリンが化学反応を起こすことで発生するといわれています)。でも墓地近くに住むって、実際のところはどんな感じなのでしょう……。そこで、不動産のプロにお話を伺うため「アパマンショップ自由が丘店」を訪問しました。

墓地近くの物件について教えてくださったのは、アパマンショップ自由が丘店を運営する株式会社アップルグループのアップル東京株式会社 執行役員の片岡潤(かたおか・じゅん)さん。実は片岡さん自身がお寺や神社に囲まれた下町の地域で育ったという、不動産のプロでありながら、墓地近くで暮らすことに慣れている「プロ」でもありました。

風通しよく、日当たり良好な物件も

「自由が丘近辺、それから目黒や西大井にかけては歴史的な経緯からお寺が多く、墓地も多い地域ですが、それほど家賃を下げなくても借りる方が多いですね。お寺や墓地が近いというよりも、物件の内容、スペックのほうを重視される方がほとんどです」(片岡さん)

意外にも墓地の近くの物件を気にする方は少ないということで、気にしていた自分が少し恥ずかしいような……。店舗で物件の内容(広さや設備など)を確認して気に入ったのであれば、墓地のことはさておいて、実際に現地に行って内見する方がほとんどとのこと。

「お墓や、墓地のあるお寺のそばにある物件は、日当たりや風通しなどがよい場合が多いです。ですから、迷っていても、見に行って『ここに決めよう』という方もいらっしゃいます。まわりが静かですから、そういった意味では住みやすいと思いますよ。お墓の場合は近いといっても、塀や道で隔てられているのでそれなりの距離が保たれています」(片岡さん)

卒塔婆のクローズアップ(画像/PIXTA)

卒塔婆のクローズアップ(画像/PIXTA)

墓地が近いことをもし大家さんがマイナスに感じている場合、家賃や敷金・礼金を割安に設定することがあります。これは借り手としてはうれしいポイントです。これらお金の面に加え、設備などを充実させて部屋のスペックを高くすることで好条件にし、借り手に「この物件がいいな」と思わせる工夫をしている物件もあるそうです。

実は静かで住みやすい?

「日当たりがよくて静かな墓地近くの物件は、気に入って住み続ける方が多くいらっしゃいます」(片岡さん)。入居者は単身者や家族など、エリアによってさまざま。ただ片岡さんいわく、デメリットは、どうしても周辺の夜道が暗めになってしまうこと。そのため、女性よりも男性の入居者の方が多いのだとか。

前述の筆者の友人は、「お盆にはお参りの人たちがたくさんやってくる」と言っていました。そのあたりはどうなのでしょうか。

「お盆やお彼岸には確かにたくさんの方がお越しになりますが、うるさすぎるという苦情を受けたことはないですね。その時期がそういうものでしかたないという認識もありますし、そもそも単身者の方は、自分も帰省などで留守にしていることが多いためでしょう」(片岡さん)

鐘楼(画像/PIXTA)

鐘楼(画像/PIXTA)

音で言えば、お寺なら朝晩鐘の音がします。筆者も以前住んでいた物件で、朝晩お寺の鐘の音が聞こえてくるところがありました。定刻に鳴る音は規則正しい生活を促しますし、風情があってそれはそれでよいかもしれませんね。

「個人的には、ここ10数年くらいの間に、お墓を気にしない人がさらに増えたように感じています。駐車場があって1日中音が絶えず、夜中も皓皓(こうこう)と明るいコンビニなどや、救急病院の近く、あるいは大通り沿いや線路沿いよりも、墓地の近くのほうが、個人的には住みやすいと感じます」(片岡さん)

お墓をどのようなものとしてとらえているかには個人差がありますが、「なんだか怖そうだなー」と敬遠していた筆者も、お話を聞いて「なるほど!」と思わせられました。

日当たりがよく、静かで、スペックや家賃に恵まれていることもある墓地近くの物件。これから家探しをする方は、ぜひ候補に入れて考えてみてください。南無。