都市ではデザイナー、地方ではカフェ・宿オーナー。2つの人生を生きるという選択 「山ノ家」新潟県十日町市

空間のデザイン、状況と場のデザインを手掛けるデザインユニット「gift_」が、2012年に越後妻有(読み:えちごつまり 新潟県南部の十日町市、津南町の妻有郷と呼ばれる地域)につくった「山ノ家」は、空き家になった一軒家を1階はカフェ、2階をドミトリー(宿屋)にリノベーションしたもの。月半分ずつ東京と「山ノ家」で過ごしてきた「gift_」の後藤寿和さんと池田史子さんは、都心と田舎、それぞれになりわいを持ち、人々の交流を促す場づくりを行ってきました。「山ノ家」をオープンしてから10年。2拠点との関わり方を池田さんに伺いました。

1階にある「移民たちのカフェ」(画像提供/山ノ家)

1階にある「移民たちのカフェ」(画像提供/山ノ家)

都市と地方、「ダブルローカル」にそれぞれ別のなりわいを持つ

コロナ禍でテレワークが増え、オフィスだけでなくさまざまな場所で仕事をする人が増えました。20代・30代のビジネスパーソンやファミリーが地方に目を向けはじめ、二拠点生活への関心が高まっています。

「現在のいわゆる二拠点生活は、都心にメインとなる住まいや仕事を持ち、地方をサブとして空き家やシェアハウスに滞在しながら趣味や地域貢献をして過ごすスタイルが多いと思います。私たちが『山ノ家』を拠点に行っている二拠点生活はそれとは少し異なります。都心でデザインオフィスを経営しながら、『山ノ家』では、カフェやドミトリーなどの飲食店・宿屋の運営を月半々で行ってきました。2拠点目に都心とは全く別のなりわいと生活の場を持ち、地方をオフにするのではなく、生活という意味でも仕事という意味でも、どちらも『オン』として行き交うこと。それを私たちは『ダブルローカル』と名付けたのです」(池田さん)

旧街道筋に立つ一軒家をリノベーション。1階はカフェ、2階が素泊まりできるドミトリー(画像提供/山ノ家)

旧街道筋に立つ一軒家をリノベーション。1階はカフェ、2階が素泊まりできるドミトリー(画像提供/山ノ家)

越後妻有は、棚田や里山で知られる日本有数の豪雪地帯で、上越新幹線越後湯沢駅からローカル線で30分ほど、東京から約2時間の場所にあります。里山を舞台に2000年から3年に1度開催されている「大地の芸術祭」は、世界最大の国際芸術祭で多くの人が訪れます。前回2018年は約54万人の来場者数を記録しました。今年は「越後妻有 大地の芸術祭 2022」(4/29~11/13)が開催されています。

美しい棚田は越後妻有おなじみの風景(画像提供/山ノ家)

美しい棚田は越後妻有おなじみの風景(画像提供/山ノ家)

冬期は毎年4-5mを超える積雪があり、除雪は毎日、冬の間に数回にわたる屋根の雪下ろしも欠かせない(画像提供/山ノ家)

冬期は毎年4-5mを超える積雪があり、除雪は毎日、冬の間に数回にわたる屋根の雪下ろしも欠かせない(画像提供/山ノ家)

当時、東京の恵比寿・中目黒を拠点に事務所を構えていた「gift_」の池田さんと後藤さんが地方に目を向けるきっかけとなったのは、2011年の東日本大震災でした。

「電車や電気がとまり、店頭から商品が消えました。都市の脆弱さを思い知り、このまま消費するだけの場所にいていいんだろうかと思うようになったんです。震災から3カ月後、知人から、『新潟県十日町市の松代地区に空き家があって自由にリノベしていいから、空間づくりをするサポートをしてもらえないか』とお願いされて、とりあえず見に行こう! と現地へ向かいました」(池田さん)

豪雪地帯の一軒家をリノベーションしてカフェ&ドミトリーに

空き家のあった通りは、かつて宿場町として栄えた場所ですが、過疎高齢化が進んで、シャッター街に。そこで、外観を雪国の伝統的な古民家のように再生して、地域活性に繋げようという、当地に移住したドイツの建築家カール・ベンクスさんからの提案に十日町市が賛同して、外装工事の費用を補助していました。

街並み景観再生事業によって再生された街並み(画像提供/山ノ家)

街並み景観再生事業によって再生された街並み(画像提供/山ノ家)

「毎週末、3カ月くらい通いながら構想を練っていましたが、何だか担当者の方々の反応がおかしい。『もしかして、空き家のデザインだけでなく、その後も事業者としてここで何かやってほしいと考えていますか?』と改めて確認しましたら、『初めからそのつもりでした』と。私たちが関わる前からその空き家は街並み再生事業の第一号としてリノベされることが決定していながら事業者のいない空っぽの箱ではいけないということで、そもそもの事業者候補を探していたらしいのです。市の補助金の対象となるためには降雪が厳しくなり始める12月の中旬までには外装工事を終わらせなくてはならないことも告げられました。その時、すでに10月。あと2カ月あるかないか。たいへん厳しい状況。正直言って、私たちは積極的に「YES」と言ったわけではないのですが、「NO」と断る理由が見つけられませんでした。おそらくその時点ですでにそうした主体になることを何処かで感受していたのかもしれません」

とまどいながらも、「大地の芸術祭を受け入れているエリアなら、面白いことができるかもしれない」と考えた池田さんたちは、建物1階をカフェ、2階をドミトリーにリノベーションすることを決めました。しかし、市の補助金は外装工事の7割だけで、内装の予算はありません。当時、農業体験や地域活動をする人たちの移動手段として、十日町市が、東京まで往復するシャトルバスを無料で運行していたことを幸いに、大学生や社会人の皆さんにボランティアでリノベーションのサポートに通ってもらうことができ、「山ノ家」が完成しました。

全館Wi-Fi完備。短時間のオフィスとして使う人も(画像提供/山ノ家)

全館Wi-Fi完備。短時間のオフィスとして使う人も(画像提供/山ノ家)

「茶もっこ」「大地の芸術祭」のイベントで都心から人を呼び、地域の人と交流

「山ノ家」完成時には、東京で、200人のメディアを集めて、どんなことをしたくてどんなものをつくったのかの意思表明のプレス発表を行いました。「おそらくこれから先私たちのように単なる観光ではない”行き交う”人が増えていくだろう。そうした人たちにとって必要なものをつくってみたこと」を伝えたかったのです。

「リノベーションする間、泊まるところと食べるところに困っていました。普段のような食事ができて、コーヒーが飲めて、気軽に泊まれて、Wi-Fiが使える場所、それは私たちが最も欲しいものだったんです。10年前はゲストハウスのモデルケースが少なく、ドミトリーが成り立つのかは未知数。飲食店や宿の経営も初心者。お客さんを接待しながらベッドの準備をして家中の掃除をしてカフェ以外にも宿泊者の朝ご飯から晩ご飯も全部つくって。オープンしてからも手探りでした」(池田さん)

「gift_」は、空間デザイナーの後藤さんとクリエイティブディレクターの池田さんからなるデザインユニット(画像提供/山ノ家)

「gift_」は、空間デザイナーの後藤さんとクリエイティブディレクターの池田さんからなるデザインユニット(画像提供/山ノ家)

「大地の芸術祭」開催中にオープンした「山ノ家」の利用者は、海外からの観光客やアーティストがほとんどでした。お客さんでにぎわう状況ではじまりましたが、芸術祭が終わったとたん、「山ノ家」の前は、人通りが全くなくなってしまいました。

「本当の日常が現れたんですね。こんなにいなくなるのかと驚きました。地方にいるという現実に背筋を正して向き合うことになったんです。そこで、都市圏から人を呼ぶため、都市と地域、両ベクトルで楽しめるイベントを企画するようになりました。地元の人が先生になって都心の人が教わるイベントを行ったり、地元のお祭りに出店したりするうちに、必然的に私たちも地域活動に参加するようになっていきました」(池田さん)

地元の人に草餅のつくり方を教わるワークショップ(画像提供/山ノ家)

地元の人に草餅のつくり方を教わるワークショップ(画像提供/山ノ家)

春の山菜採り。コゴミやウド、フキノトウをてんぷらに(画像提供/山ノ家)

春の山菜採り。コゴミやウド、フキノトウをてんぷらに(画像提供/山ノ家)

地元との関わりが深くなったきっかけは、「茶もっこ」でした。軒先に旅人を招いてお茶をふるまう風習で、宿場町で行われていた文化です。かまくらでどぶろくを飲む「かまくら茶もっこ」を開催したのを皮切りに、山ノ家周辺の数軒が家開きをして、地元の人がそれぞれに地酒や得意の手料理でもてなすイベントに発展して大好評に。2013年からコロナ禍までの7年間、夏、秋、冬の3シーズン「茶もっこ」イベントを行いました。

「かまくら茶もっこ」の様子(画像提供/山ノ家)

「かまくら茶もっこ」の様子(画像提供/山ノ家)

(画像提供/山ノ家)

(画像提供/山ノ家)

「茶もっこ」に、周辺の住民も参加。もてなされるお客さんは首都圏から来る人、市内や近隣から来る人、アーティストたちなどさまざま(画像提供/山ノ家)

「茶もっこ」に、周辺の住民も参加。もてなされるお客さんは首都圏から来る人、市内や近隣から来る人、アーティストたちなどさまざま(画像提供/山ノ家)

2015年には、芸術祭チームから依頼を受けて、廃校になった奴奈川小学校を芸術祭の拠点施設「奴奈川キャンパス」として再生するプロジェクトに参加しました。給食室をカフェテリア「GAKUSYOKU」にリ・デザインして、立ち上げから3年間「山ノ家」が運営しました。メニューは、地元のお母さんたちによる「サトごはん」と、都市圏拠点の料理人たちによる「マチごはん」。地元名産の妻有豚や山菜など同じ食材を使いながら、全く異なる料理を、同時に一つのお盆で楽しめるカフェテリア形式で提供しました。

サトごはんとマチごはんが並ぶ(画像提供/山ノ家)

サトごはんとマチごはんが並ぶ(画像提供/山ノ家)

「東京でデザインの仕事をして、『山ノ家』に来たら、お皿を洗って野菜を刻んで料理をつくって、お客さんの寝床の準備をして隅々までお掃除して……ってことを延々とやっていました。ここでの仕事もなりわいとして成り立たせるため、きれいごとではなく生きるためにやる必要がありました。ただ、やるからには自分たちらしく本気でやりたかったんです」(池田さん)

よそ者の視点を持ち続ける「半移住」という選択

開業当時から「山ノ家」の利用者は、海外からの観光客が半分以上ですが、移住体験の人も訪れるようになりました。そうした来訪者だけではなく、カフェには農作業を終えたあとの地元のお父さんや女子会をするお母さんたちの姿もあります。

カフェメニューは、地元の食材を使ったキーマカレーやキッシュ、ガパオなどのアジアご飯や地中海料理です。郷土料理にこだわらず、インテリアデザインも都会的です。コロナ禍で自粛していましたが、2022年の夏、カフェを2年ぶりに再会。今後は、「山ノ家」のコンセプトに共感してくれる人を募って、メンバーズシェアハウスにするため、ドミトリー部分にシェアキッチンや共有のランドリースペースをつくる予定です。

「観光で単発に宿泊するというよりは、リピーターが利用しやすい形態にと。サブスクによって連泊がしやすくなったり、シェアハウスのようにもうひとつの生活の場として使っていただけるようにしたいと考えました」(池田さん)

棚田玄米とレンズ豆のサラダ仕立て。クルミやゴボウの素揚げをトッピング(画像提供/山ノ家)

棚田玄米とレンズ豆のサラダ仕立て。クルミやゴボウの素揚げをトッピング(画像提供/山ノ家)

「山ノ家」定番メニューの旬菜のキッシュ(画像提供/山ノ家)

「山ノ家」定番メニューの旬菜のキッシュ(画像提供/山ノ家)

都会の人、地元の人、年齢も職業もさまざまな人が交流(画像提供/山ノ家)

都会の人、地元の人、年齢も職業もさまざまな人が交流(画像提供/山ノ家)

当初、「完全移住はしないんですか?」と地元の人に聞かれることが多かったという池田さん。地域と交流を続けるなかで、まわりの見方も変わっていきました。象徴的だったのは、十日町市役所で作成している市報が「山ノ家」の姿勢をとりあげてくれたこと。タイトルは「半移住という選択」でした。

「私たちは、永遠のよそ者。知らないことがあって当たり前。合わせすぎなくていいと思うんです。例えば、商工会に属していても、飲み会が苦手なので参加できないと最初から言っています。無理なことは無理でいい。地方から都市を見た視点と都市から地方を見た視点、別々の、複数の視点を得たことがダブルローカルそのものなんです。いつまでも新鮮なよそ者としての視点を持ち続けたいです」(池田さん)

プレ移住のために十日町市を訪れた人も立ち寄り、「山ノ家のような場所があるなら、移住しても大丈夫かな」という声が寄せられているそうです。「ダブルローカル」を行き交いながら、2つの人生を生きる。山ノ家は、都市と地方が双方向から交わる場として、進化し続けています。

●取材協力
山ノ家

東京・北品川、築90年の古民家群をリノベした「SHINAGAWA1930」。親子カフェや熟成酒専門店などでまちの拠点に成長中

日本有数のターミナル駅である品川駅にほど近く、かつての東海道五十三次の宿場の一つ、品川宿の雰囲気が色濃く残る北品川エリア。今と昔が共存する、そんな北品川を象徴するかのような複合施設「SHINAGAWA1930」が2022年6月にグランドオープンした。戦前に建てられた古民家をリノベーションしたこの建物は、地域の新たな交流拠点として人や地域とのつながりをどのように生み出しているのだろうか。

かつて品川宿のあった北品川の街並み

品川駅から京急本線で一駅の北品川駅。品川駅からも徒歩圏内ながら、高層ビルが立ち並ぶ品川・港南エリアとはうって変わり、北品川本通り商店会には古き良き宿場町の雰囲気が残る。

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

江戸時代に整備された旧東海道は、現在の東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ街道だ。道中の53の宿場は「東海道五十三次」として歌川広重の浮世絵などでも知られている。その1つめである品川宿は、人々が行き交う「江戸の玄関口」としてにぎわっていた。

そんな旧東海道の名残を見せる商店街を横切り、八ツ山通りの十字路に出ると目に入ってくる2階建ての木造建築物が複合施設「SHINAGAWA1930」。1930(昭和5)年に建てられたとされる古民家をリノベーションしている。

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

同施設は、1棟2階建ての計5棟構成。ソーシャルカフェや親子向けのコワーキングスペース、古酒と熟成酒の専門店といったバラエティ豊かなテナントが入居し、残りの2棟は建築事業を行う企業がオフィスとして利用している。

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

建物の裏には品川浦が広がり、屋形船や釣船が停まる船溜まりを見ることができた。

(写真撮影/阿部夏美)

(写真撮影/阿部夏美)

「一度壊したら、もう戻らない」風景を引き継ぐ新施設

北品川にある古い民家の家並みは、品川区の生活・歴史・風土を伝える風景「しながわ百景」に選ばれたこともあったが、民家の減少により、現在では「失われた百景」に数えられている。

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

SHINAGAWA1930の前身の建物は、このエリアの再開発を見越して京急電鉄が取得していた。これからどう活用していくのか。取り壊して駐車場にする案も挙がるなか、京急電鉄のグループ会社でリノベーション事業を行う株式会社Rバンクの清水麻里さんに相談が持ちかけられた。

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

「築90年を超える古民家が5棟全て残っているのは珍しい。壊すのは簡単ですが、一度壊したらその風景はもう戻りません。建物の歴史を引き継ぎながら地域のためになる新しいことをやりたい、という思いがありました」(清水さん)

町の歴史と立地の特徴から、人々の交流が生まれる場所として古民家を再生してはどうか。2019年、清水さんを中心として運営事務局が立ち上がる。

改修費用の一部はクラウドファンディングで募った。物件の改修工事は京急電鉄が行い、内外装の一部はDIY。柱や梁を生かし、窓ガラスやサッシは一部をそのまま使う。外壁は損傷が激しくほぼ交換したが、元の雰囲気を壊さないように注意を払ったという。

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

クラウドファンディングの支援者や地域住民など、改修を手伝った人は述べ150人以上。「偶然通りがかった人が興味を持って壁を塗ってくれる、なんてこともありました」と清水さん。「何か手伝えることはないか」と、近くに住む人が施設のプロモーション動画を制作してくれたこともあった。

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

清水さんは、施設のすぐ裏にある民家に戦前から住んでいる女性と時々話すそう。

「戦時中、あたりに爆弾が落ちてもこの一角だけは焼けなかったのだとか。石畳は、都電品川線が廃止された時にみんなで石をもらって敷いたと聞きました」(清水さん)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

そうして時代を生き抜き歴史を紡いできた建物が、人々の出会いの場として続いていく。

新型コロナウイルスの感染拡大により、入居テナントが完全な状態で営業できなかったり、イベントが開催直前に中止になってしまったりと影響を受けながらも、2021年1月からテナントが順次オープン。2022年6月に施設全体のグランドオープンを迎えた。

昼夜を通して人が集まるソーシャルカフェ

A棟の1階にはソーシャルカフェ「PORTO(ポルト)」が入り、2階は多目的スペースとして使われている。

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

ソーシャルカフェというコンセプトの通り、昼はカレーやお好み焼きなど曜日ごとに異なる飲食店が営業。夜は日替わりで、美容師やダンサー、ゲストハウスのオーナー、デザイナー、会社員など多様な職種の人が1日店長として店に立つ。

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

2階は時間制で場所を貸し出し、鍼灸院やヨガのレッスン、学習塾などに活用されている。PORTOで食事する人の背後を学習塾に通う小学生が元気に階段をかけのぼっていく光景も見られるそう。

取材時にランチ営業していたのは、スリランカカレーなどを提供する「カレーと紅茶 ミカサ」。昼時の店内は近隣のオフィスワーカーでにぎわっていた。

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

店主の茨木直子さんは北品川エリアについて、「昔ながらの小さな店が地域を支え合っている雰囲気に惹かれた」と話す。当初は飲食をやるならオフィス街でと考えていたが、コロナ禍により生活様式は一変。住民の生活に根ざしたまちに注目するようになったという。

「実は私の店は5日前に営業を始めたばかり。ここで経験を積みながら、北品川の人とふれ合う時間をつくっていきたいです」(茨木さん)

子育て世代のつながりの場をつくる

C棟に入る親子向けの「ママプラスカフェ」は、子連れ歓迎のコワーキングスペースとしても利用できる。もちろんパパも歓迎で、週末は家族での来店も多いのだとか。

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

2階では、ママ講師によるヨガやピラティスのレッスンなどさまざまなイベントを開催。

「同じくらいの月齢の子がいると、親同士の交流は生まれやすいですよね。イベントの参加者同士が意気投合して、後日一緒にカフェに来店することもあります」と店長の森田健吾さん。カフェでは赤ちゃんが隣の人の席に遊びに行ってしまい、それがきっかけで親同士が仲良くなることもあるのだとか。

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

カフェメニューに使う野菜は北品川本通り商店会の青果店で仕入れることで、商店街の人にも店を知ってもらえるようになった。「商店会で紹介されたから来てみた」というお客さんもいる。

「小さい子を育てていると、子ども以外とのつながりがどうしても断たれがち」と森田さん。この店に来ることで、社会との接点を断つことなく子育ての期間を楽しく過ごしてほしいと話す。

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

時代を感じる店内で酒を楽しむ「体験」を提供

B棟「いにしえ酒店」店主の薬師大幸さんは、前店舗の移転先を探していたタイミングでSHINAGWA1930のオープン情報をキャッチ。古民家をリノベーションした物件は店のコンセプトにぴったりで、「物件情報を見て即連絡した」という。

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

日本酒を寝かせた古酒・熟成酒を販売しているが、薬師さんは「ただ酒を売ることだけが目的ではない」と話す。「マーケットが小さいジャンルなので、まずは知って、味わって、体験してもらいたい」と、店内の商品は全て有料試飲することができる。

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

2階の「いにしえLABO」では、日本酒ナビゲーターによるセミナーや、自分好みのペアリングを探す「チーズと熟成酒の会」などを開催。日本酒「車坂」の杜氏を招いて3時間ひたすら語ってもらう会や、苔の専門家をゲストに苔を眺めながら飲む「苔と熟成酒」など、個性的なイベントも企画している。

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「見たり聞いたり、自分で組み合わせを試して味わったり。この店での体験を通して、古酒・熟成酒のことを深く知ってほしい。ただ商品を買って帰るだけでは、なかなかそうはなりませんから」(薬師さん)

肩肘張らない地域の雰囲気を感じながら働く

E棟とD棟をオフィスとして使うのは、BIMという技術で木造建築に関わる業務の効率化を推進する株式会社MAKE HOUSE。

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

オフィスのしつらえは社員みんなで考え、梱包材をカバー代わりにするソファやパイプを使ったテーブルを置く。およそオフィスという雰囲気はなく、ゆったりと働けそうな印象を受けた。

もう1棟は、実証実験の会場になっていた(期間限定のため現在は終了)。社員数の増加に伴い、今後はオフィスとして使うという。

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

移転前は品川駅付近にオフィスを構えていた同社。社員の岩田剛士さんは「今のオフィスは肩肘張らずにいられる」と話す。

「品川と北品川では、だいぶ雰囲気が違いますね。以前は高層ビルのワンフロアで働き、昼食は主にキッチンカーで買っていましたが、今は商店街やリーズナブルなごはん屋さんが近くにあるし、PORTOさんで食べることもあります。都市部でありながら、こぢんまりとした雰囲気が気に入っています」(岩田さん)

SHINAGAWA1930のこれから

建物の完成からグランドオープンまで、1年半をかけて少しずつまちにひらいてきたSHINAGAWA1930。施設としては町内会と商店会に加入しており、清水さんは「コロナの状況が落ち着いたら、商店会と連携した企画を進めるなど、もっと地域と関わっていきたい」と話す。

最近は、1人でふらっと遊びに来た地元の子どもが施設を気に入り、後日親子で再訪してくれることもあったそう。そんなゆるやかさが北品川ののんびりとした雰囲気にマッチし、人と人とが出会うきっかけを自然に生み出しているのかもしれない。

●取材協力
SHINAGAWA1930

倉敷がいま若者に人気の理由。廃れない街並みの背景に地元建築家と名家・大原家の熱い郷土愛

江戸情緒あふれる町並みが魅力の観光地・岡山県倉敷。観光の中心地点となる美観地区を流れる倉敷川に沿って、江戸時代から残る木造の民家や蔵を改装したショップやカフェ、文化施設などが立ち並びます。空襲を免れたことで旧家が残り、観光資源として活用されている倉敷ですが、それだけではなく、印象派絵画のコレクションで知られる「大原美術館」や、工場跡をホテルにコンバージョンした「倉敷アイビースクエア」など、決して広くはないエリアに国内有数の観光施設が点在しています。
古い建物が残る地域は日本各地に見られる中で、倉敷にこれほど魅力的なスポットが集中する理由はどこにあるのでしょうか。
倉敷で生まれ育ち、すみずみまで知り尽くす建築家の楢村徹さんに、長年倉敷の古民家再生にかかわってきたからこそ見えてきたまちの魅力を伺いました。

倉敷の土台を築いた名士、大原家近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷はまちも人も恵まれた場所ですね。古いものが残っていて、常に新しいことを仕掛けていこうというエネルギーがある。一朝一夕ではない、時間をかけて育まれた文化が根付いています」
建築家として全国のまちを訪れてきた楢村さん。自身の出身地であることを差し引いても、倉敷は面白いまちだといいます。
伝統的な町並みの印象が強い倉敷のまちに対し「新しい」というワードも不思議な気がしましたが、確かに倉敷を代表する建造物は建設当時の最先端を行くものです。大原美術館に採用されているヨーロッパの古典建築を再現するデザインは、建築家の薬師寺主計がヨーロッパ各国の建築を学び設計したもの。文化の面でも欧米列強を追いかけていた当時の日本において、芸術の殿堂と古代ローマ建築をモチーフとするデザインとの組み合わせは、ここでしか見られないオリジナルなアイデアです。蔦で包まれた外壁が特徴のアイビースクエアも、産業遺産である工場をホテルに転用する、日本でも先駆け的なプロジェクトでした。

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

伝統を崩さず、新しさを採り入れる

さらに總一郎は、建築家の浦辺鎮太郎とともに市と連携して倉敷市民会館や倉敷市庁舎、倉敷公民館など市民の生活を支える施設を整備していきます。
大原美術館と並び倉敷観光の中心を成す倉敷アイビースクエアも、もともと倉敷紡績の工場だったものを浦辺の設計でコンバージョンして蘇らせた文化複合施設です。

「倉敷には江戸時代以来の商人のまちとしての歴史があって、時代ごとに築きあげてきたものが積み重なっていまの倉敷をつくっているんです。空襲にもあいませんでしたから。ドイツに中世につくられた道や建物がそのまま残っているローテンブルクというまちがあるんですが、總一郎さんが倉敷をドイツのローテンブルクのようなまちにしようと呼びかけた。そこからいろんな人たちが協力して古いまち並みを残してきた結果、一周遅れのトップランナーといった感じで注目されるようになってきた。いま我々がやっているのはそれを生かして新築ではできない魅力をさらに積み重ねていく、新しいエッセンスを加えて次の世代にわたしていくと、こういうことです」

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷は町家造りの建物が並んでいて、広場になるような場所がないんです。だけど建物の正面から一歩奥に入ると、細い路地がポケットパーク的に点在しています。日常的に使わないから物置として放置されていたりもするんですが、大きなテーマとして、そういった本来裏の空間である路地空間を表の空間として皆が入ってこられる場所にすることと、それらをつないでいくことでまちに奥行きをつくりだして歩いて散策できるまちにすること、このふたつに取り組んでいます」

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「もともと私は古民家が好きとか、古い建物が好きとかそういうわけでもないんです。新しいデザインを追求した結果、古民家がもっている歴史の積み重ねに新しい要素を加えることを考えました。若いころに読んでいたヨーロッパの建築雑誌には、石造りの古い建物をリノベーションした建築が載っていて、これが非常にモダンで格好良いんです。そういうものを見て、自分もやってやろうというモチベーションでしたから、一番新しいデザインだと思ってやっています。長い年月を朽ちることなく耐え抜いてきた古民家に使われているのは、選びぬかれた本物の材料です。いまでは手にはいらないような貴重な材料でつくられているから、時間が経っても古びない、むしろ味わいが増していく魅力があると思います」

いいものをつくることが、保存への近道

楢村さんは建築家として独立した30年以上前に同世代の建築家たちと「古民家再生工房」を立ち上げ、全国の古民家を改修する活動を続けてきました。当時はバブル真っ只中。建築業界では次々に建て変わる建物の更新スピードと並走するように、目まぐるしくデザインの傾向が変わっていきました。そんななか、地道に古民家の改修を続ける楢村さんたちの活動はどのように受け止められたのでしょうか。

「建築の設計に携わっている専門家ほど、『お前らそんな仕事しかないのか』と見向きもしない傾向はありました。でも建物を建てるのは一般の人なんだから、専門家からどう言われようが自分たちが信じたことをやっていけば良いとは思っていました。
地元のメディアに働きかけてテレビやラジオ、雑誌に取り上げてもらったり、講演会や展覧会を自分たちでずっと継続してきて、一般の人たちに建築デザインの魅力や古民家再生の良さを知ってもらおうと活動してきました。
それまでは古民家というと保存する対象で、古い建物を東京の偉い先生が見に来てこれは残すべきだとか、大切に使ってほしいとかそういうことを言ってきたわけです。でも建物の持ち主からすれば、歴史的な価値がどうとか言われてもよくわからないですよね。
それを我々はアカデミックな見方ではなくて、現代の目で見て良いデザインに生まれ変わらせようという視点で設計してきたから受け入れられたんだと思います。若い人たちがここに住みたいと思うようなものにしてしまえば、保存してほしいなんて言わなくても使い続けてもらえるわけですからね」

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「そんなことを十年以上やっていたら、倉敷で中心市街地の活性化事業がスタートしたときに声をかけてもらって。もう十五年以上、倉敷の町家再生に携わっています。といっても単に建物を改修するだけではダメで、そこをどんな場所にするのか、お店をやるならどんな内容にするのかとか、どうしたらちゃんと事業として回っていくのかとか、中身のことも一緒に考えていくから設計の仕事は全体の3割位ですね。
なにかお店を入れようと思ったら周りとの調整も必要だし、1つの建物を生まれ変わらせるのに4、5年かかるのが普通です。その間はお金にもならないし、思うようにいかないことばかりで大変ですが、誰かがやらなくちゃいけないことですから。本当はなにも描いていないまっさらな白紙に、倉敷がこんなまちになったら良いななんてイメージを描いていくのが一番楽しいんですが、実現しないとなんの意味もない。思い描いたうちの8割でも7割でも、かたちにして次につないでいくことが、我々がいますべきことだと思っています」

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「理想は観光客に対してではなく、倉敷に住む人にとって良いまちにしていくこと、その結果、外の人が来ても楽しめるまちになるといいなと思ってやってきました。最近は若い人たちが倉敷のまちづくりに関わるようになってきています。私の事務所から独立して町家の改修をやっている人もいるし、頑張って新築をつくっている人も。
そうやって若い人たちが集まってきて、やりたいことを実現できる土壌があって、それがちゃんと経済的にも成り立つだけのポテンシャルがある。これまで倉敷が積み重ねてきた文化の地層に、新しい要素を付け加えながら、次の倉敷をつくっていってほしいですね」

●取材協力
楢村徹さん

空き家だらけの下町に2000世帯も転入! 大阪・蒲生四丁目がオシャレなまちに「がもよんモデル」

「がもよん」の愛称で親しまれる大阪の下町が、2021年度グッドデザイン賞「グッドデザイン・ベスト100」に選出されました。昭和の風情が今なお息づく庶民的な街がいったいなぜ、ここにきて注目を集めているのでしょう。それはこの街が日本中の市区町村が頭を抱える「空き家問題」「古民家再生」に対し先鋭的な取り組みをしてきたからなのです。

「がもよんモデル」と呼ばれる、その方法とは? 実際に「がもよん」の街を歩き、キーパーソンをはじめ関わった人々にお話を伺いました。

街をむしばむ「空き家問題」に悩まされた「がもよん」

「がもよん」。まるでドジな怪獣のような愛らしい語感ですが、これは大阪府大阪市城東区の蒲生(がもう)四丁目ならびにその周辺の愛称。「がもう・よんちょうめ」略して「がもよん」なのです。

大阪城の北東に位置する「がもよん」には住宅がひしめいています。蒲生四丁目交差点を中心として半径2kmに広がるエリアに約7万もの人が暮らしているのです。かつては大坂冬の陣・夏の陣の激戦地。現在は大阪きっての住宅密集地となっています。

住宅が軒を連ねる蒲生四丁目。通称「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

住宅が軒を連ねる蒲生四丁目。通称「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

大阪メトロ長堀鶴見緑地線と同・今里筋線が乗り入れる「がもよん」は、副都心「京橋」まで地下鉄でわずか3分で着く交通利便性が高い場所。それでいて昭和30年(1955年)ごろに発足した城東商店街や入りくんだ路地など、のんびりした下町の風情がいまなお薫るレトロタウンなのです。

味わい深い小路が縦横に延びる「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

味わい深い小路が縦横に延びる「がもよん」(写真撮影/吉村智樹)

そんな「がもよん」は下町ゆえの問題もはらんでいました。旧街道に沿う蒲生四丁目は第二次世界大戦の空襲を逃れたため戦前に建てられた木造の古民家や長屋、蔵が多く残っていたのです。住民の少子高齢化とともに築古の空き家が増加し、住む人がいない建物は日に日に朽ちてゆきます。街は次第に寂れたムードが漂い始めていました。

2000世帯以上の流入を成し遂げた「がもよんにぎわいプロジェクト」

そんな下町「がもよん」が2021年10月20日、グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出されました。

グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよんにぎわいプロジェクト」(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

グッドデザイン賞2021「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよんにぎわいプロジェクト」(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

約5800件から選ばれたのは、一般社団法人「がもよんにぎわいプロジェクト」の事業。「がもよんにぎわいプロジェクト」とは閉業した昭和生まれの商店や老朽化した古民家などの空き家を事業用店舗に再生する取り組みのこと。これが「住民が地域活性化に参加できる“エリア全体のリノベーション”を実現した」と高く評価されたのです。

「“がもよんにぎわいプロジェクト”を始めて13年。今回の受賞が全国で増加する空き家問題を解決する一手となり、活動を支えてくれた地域の人が、街を誇りに感じてもらえたらうれしいですね」

そう語るのは「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事であり、建設・不動産業を営む会社R-Play(アールプレイ)の代表取締役、和田欣也さん(56)。

「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事、和田欣也さん(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんにぎわいプロジェクト」代表理事、和田欣也さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは無人物件の所有者と事業オーナーとのマッチングによって空き家問題を解決し、「貸す人も借りる人も地域も喜ぶ」三方よしの新たなビジネスモデルを打ち立てています。しかも公的な補助金はいっさい受け取らず、民間の力だけで。「経済自立したエリアマネジメント」を成立させたのです。

「この5年間で、がもよんは2030世帯も住民が増えたんです(令和2年 国勢調査)。『にぎわう』という当初の目標は達成できているんじゃないかな」

「がもよんにぎわいプロジェクト(GAMO4)」のラッピングバスが大阪市内を走る。知名度がアップし、さらににぎわいをもたらす(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

「がもよんにぎわいプロジェクト(GAMO4)」のラッピングバスが大阪市内を走る。知名度がアップし、さらににぎわいをもたらす(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

地道な「街歩き」で人々と接してきた効果は絶大

和田さんがこの10余年に「がもよん」内にて手掛けた空き家再生の物件は40軒以上。そのうち店舗は33軒。刮目すべきは、再生した物件のほぼすべてがしっかり収益を上げ、成功していること。家庭の事情で閉業した一例を除き、業績の不振によって撤退したケースはなんと「ゼロ」なのだそう。コロナ禍の渦中ですら一軒も潰れることなく営業していたのだから感心するばかり。

成功の秘訣は、自らの足で街を巡り、路地に立ち、街の空気を感じること。和田さんが「がもよん」を歩くと、皆が声をかけてくる。いわば「街の顔」なのです。

「僕の顔、み~んな知っています。街を歩けば、近所のおばちゃんから『あそこに新しい店ができたなー。こんど連れて行ってーや』と声をかけられる。サービス券を渡したら、『孫も連れて行くから、もう一枚ちょうだい』って」

和田さんは「がもよん」エリア内にある40軒以上の空き家を再生してきた(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは「がもよん」エリア内にある40軒以上の空き家を再生してきた(写真撮影/吉村智樹)

「ここは“がもよん”や。梅田とちゃうぞ」と敬遠された

そんな和田さんには他のまちおこしプランナーにはない大きな特徴があります。それは「耐震診断士の資格」を取得していること。過去に「あいち耐震設計コンペ最優秀賞」「兵庫県耐震設計コンペ兵庫県議長賞」を受賞している和田さん。実はこの耐震診断士資格こそが「がもよんにぎわいプロジェクト」の発端といえるのです。

「がもよんにぎわいプロジェクト」が誕生したきっかけは、2008年6月、築120年以上の米蔵をリノベーションしたイタリアンレストラン「リストランテ・ジャルディーノ蒲生」(現:リストランテ イル コンティヌオ)の開業でした。

再生物件の第一号。古い米蔵をイタリアンの店に蘇らせた「リストランテ イル コンティヌオ」(旧:リストランテ・ジャルディーノ蒲生)(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

再生物件の第一号。古い米蔵をイタリアンの店に蘇らせた「リストランテ イル コンティヌオ」(旧:リストランテ・ジャルディーノ蒲生)(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

老朽化したまま放置された米蔵の扱いに悩んでいた現スギタハウジング株式会社の代表取締役、杦田(すぎた)勘一郎さん。「古い米蔵が醸し出す温かな雰囲気を残したい」と、当初は「そば屋」をイメージしてテナントを募集しました。しかしながら、反応がありません。「先代から引き継いだ古い建物を守りつつ、次の世代へ良い形で残したい」と願うものの、和食という固定観念にとらわれていた様子。

そこで杦田さんは、耐震のエキスパートである和田さんに参加を呼びかけ、古民家再生プロジェクトがスタートしました。そして和田さんは「蔵だから和食、では当たり前すぎる」と、「柱や梁を残し、蔵の装いをそのまま活かしたイタリアンレストラン」への転用を提言したのです。

「フルコースでイタリアン。一番安いコースを3000円くらいで食べられる。そういうタイプの予約制の店は、がもよんにはなかった。ないからこそ、やりたかったんです」

しかし、蔵の所有者は「そんなワケのわからんものにするくらいなら更地にせえ」と猛反対。周囲からも「がもよんでイタリアンなんか流行るわけがない」と奇異な目で見られ、理解が得られませんでした。

「めちゃくちゃ敬遠されました。13年前はまだ外食の際に予約を取る習慣ががもよんにはなかったんです。ジャージにつっかけ履きのままで、ふらりとメシ屋の暖簾をくぐるのが当たり前やったから。『予約がないと入れない? はぁ? なにスカシとんねん。ここをどこやと思っとんのじゃ。がもよんやぞ。梅田ちゃうで』と、訪れた客から捨て台詞まで吐かれる。梅田に比べて破格に安い値段設定にしたのですが、それでも受け入れてもらえませんでした」

「高級レストランへの再生をなかなか理解してもらえず、ナンギした」と当時を振り返る和田さん(写真撮影/吉村智樹)

「高級レストランへの再生をなかなか理解してもらえず、ナンギした」と当時を振り返る和田さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんは「失敗したらギャラはいらん」と覚悟の姿勢を見せて所有者を説得。建築のみならず腕利きの料理人のスカウトまで担ったのです。

古い物件ゆえに耐震や断熱の工事に時間がかかります。蔵は天井が低く、地面を掘り下げる必要が生じるなど工事は困難を極めました。周囲は「失敗を確信していた」といいます。

ところが結果は……オープンと同時にテレビをはじめマスコミが「下町に不似合いなイタリアンの店が誕生」と報じ、噂を聞きつけて他都市からわざわざ訪れる客やカップル、家族連れなどで予約が取れぬほどの盛況に。街のランドマークとなり、がもよんの外食需要が掘り起こされたのでした。

このイタリアンの件を機にタッグを組んだ和田さんと杦田さん。杦田さんは「自分は空き家を数多く所持している。一軒の店の再生という“点”で終わらず、地域という“面”で活性化に取り組まないか」と提案し、これが「がもよんにぎわいプロジェクト」へと発展していったのです。

目の当たりにした阪神淡路大震災の悲劇

和田さんが古民家を再生するにあたり、もっとも重要視するのが「耐震」。

「耐震にはうるさいので、疎ましがられます。『和田さんはさー、耐震野郎なんだよ』とよくからかわれました。喜ばしいことですよ。それくらい耐震を考えて街づくりをしている人が少ないということです」

和田さんが耐震に重きを置く背景には1995年に発生した阪神・淡路大震災がありました。

「震災でお亡くなりになった約7000人のうち、圧死したのはおよそ3000人。多くの人が自分の家につぶされて亡くなっている。最も安心できるはずのわが家に殺されるって、なんて悲しいんだろうと」

和田さんは震災の後、ブルーシートや水を車に積んで被災地へボランティアへ出かけました。そこで見た光景は「忘れることができない」悲壮なものだったのです。

「雪がちらつく寒い夜、公園に被災した人が集まっている。けれども誰も眠っていないんです。『襲われるんじゃないか』と不安になって眠ることができない。みんな殺気立っていました」

生き残った人たちまで疑心暗鬼に駆られる悲劇を二度と繰り返したくない。そのため耐震の重要性を説くものの、当初はなかなか理解してもらえませんでした。

「古民家改修の耐震設計は一から行うより大変なんです。どうしてもお金と時間がかかる。そのわりに目に見えた効果がない。お店に入って『耐震がしっかりしているか』なんて、わからないじゃないですか。そもそも地震が来るかどうかすらわからない。耐震を軽んじれば時間も予算も削減できる。なので、所有者の説得には何度も心が折れそうになりましたよ」

阪神・淡路大震災の経験から、耐震工事の重要性を痛感した和田さん(写真撮影/吉村智樹)

阪神・淡路大震災の経験から、耐震工事の重要性を痛感した和田さん(写真撮影/吉村智樹)

「ちょっと背伸びして」味わえるフードタウンへ

イタリアンの店「ジャルディーノ蒲生」のヒットをきっかけに旗揚げされた「がもよんにぎわいプロジェクト」。このプロジェクトはいったい、なにをテーマとするのか。これが和田さんに課せられた最初の命題でした。

同じころ、大阪の各所では「古い街を活性化させようとする動き」が起こっていました。先駆事例を挙げるなら、北区の中崎町は「雑貨」、天王寺区の空堀(からほり)町は「アート」といったように。

そこで和田さんが選んだプロジェクトのテーマは「ごはん」。

「雑貨はお客さんが『店に入っても何も買わない』選択ができてしまう。アートは『自分には縁がない』と考える人がいる。けれども誰しも必ず食事はする。月に一度は外食をするでしょう。なので、人口密度が高くファミリーが多いがもよんを『フードタウンにしようやないか』と」

食べ物でのまちおこし。下町なら「B級グルメ」が定番。しかし和田さんは、あえてB級を選びませんでした。

「がもよんでB級グルメって、そのまんまでしょう。ギャップがない。目指したのは“地元の高級店”。お祝いごととか、正月に娘や息子が帰ってくるとか。そういうときに『ちょっと、ごはんを食べに行こうや』となりますよね。でもファミレスでは『ざんない』(しのびない)。とはいえオータニはさすがに高い。そのあいだくらいの、“ちょい背伸びする料金”でおいしいものが食べられる街にしましょうよ、と提案しました」

こうして古民家の趣を大切に残しつつ、一店舗一店舗オリジナリティに溢れる飲食店の誘致が始まったのです。

「古民家再生」の気概に触れ、腕のいい料理人が集結

「和田さんと杦田さんから、『がもよんには本格的な和食割烹がない。店をやっていただけませんか』とお誘いをいただいて」

そう語るのは、オープン5年目を迎えるカウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん。

カウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん(写真撮影/吉村智樹)

カウンター割烹『かもん』店主、多羅尾光時さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんたちからの出店の依頼を引き受けた最も大きな理由は「古民家の再生プロジェクト」という点が琴線に触れたから、なのだそう。

「空き家って、どの街でも大きな問題になっているじゃないですか。私も微力ながら問題解消のために協力できるのでは、と思いまして」

紹介された空き家は「93年前までの資料しか残っていない」という、築100年越えの可能性がある四軒長屋の一棟。もともとは大きな邸宅で、一軒を四軒に分離させた異色の建築です。恐るべきことに、工事前はなんと「耐震措置ゼロ」というつくりでした。

もともとは築100年を超えるとみられる古民家だった(写真撮影/吉村智樹)

もともとは築100年を超えるとみられる古民家だった(写真撮影/吉村智樹)

「和田さんにしっかり耐震工事をやっていただきました。それでいて、できるかぎり元の建物の情緒を残してもらって。なので、とても気に入っています。欄間は当時の家のまま。ガラスも今ではつくる職人さんがいない、割れたら終わりという貴重なものなんです」

風情ある欄間は当時の家のまま。カウンター中央にはしっかりとした太い柱が設えられ、耐震対策は万全(写真撮影/吉村智樹)

風情ある欄間は当時の家のまま。カウンター中央にはしっかりとした太い柱が設えられ、耐震対策は万全(写真撮影/吉村智樹)

「割れると再現できない」という貴重なガラス戸(写真撮影/吉村智樹)

「割れると再現できない」という貴重なガラス戸(写真撮影/吉村智樹)

再生した古民家に「満足している」という多羅尾さん。さらに気に入ったのは「がもよんにぎわいプロジェクト」に加盟している店同士の「仲の良さ」でした。

「ミナミや北新地って各店がライバル関係なんです。けれども、がもよんは店舗さん同士の仲が良くて。一緒に飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったり。皆さんで協力し合ってまちおこしをしている。『自分もその輪に入って力になれたら』という気持ちが湧いてきましたね」

古民家に惹かれUターンする人も

かつての「がもよん」の住人が、古民家再生の取り組みに惹かれ、再びこの街へ転入してきた例もあります。

そのうちの一軒が2021年6月にオープンしたイタリアンカフェ『amaretto(アマレット)』。エスプレッソのみならず抹茶やほうじ茶のティラミスなど絶品のイタリアンスイーツが楽しめるお店です。

ほろ苦い「ほうじ茶のティラミス」が人気(写真撮影/吉村智樹)

ほろ苦い「ほうじ茶のティラミス」が人気(写真撮影/吉村智樹)

店主の脇裕一朗さんは他都市でさまざまな飲食関係の業務を経験したのち独立。故郷であるがもよんへ帰ってきました。そうして初めての個人店を開いたのです。

イタリアンカフェ「amaretto(アマレット)」のオーナーシェフ、脇裕一朗さん。古民家再生の取り組みに関心を寄せ、がもよんへUターンした(写真撮影/吉村智樹)

イタリアンカフェ「amaretto(アマレット)」のオーナーシェフ、脇裕一朗さん。古民家再生の取り組みに関心を寄せ、がもよんへUターンした(写真撮影/吉村智樹)

「イタリアの田舎町にある雰囲気の店にしたかったので、古民家を探していたんです。そんなときに以前に住んでいたがもよんが古民家再生でまちおこしをしていると知り、『それはちょうどいいな』と思って和田さんにお願いしました」

吹抜けに建て替えた古民家は、天井はそのまま。梁も玄関戸があった位置も往時の姿を今に残しています。

たっぷりとした広さがあるアプローチも古民家時代のまま。「このスペースが気に入ったんです」と脇さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

たっぷりとした広さがあるアプローチも古民家時代のまま。「このスペースが気に入ったんです」と脇さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

さらに脇さんが気に入ったのは、街を包む活気でした。

「がもよんは、いい意味で雰囲気は昔っからの下町のまんま。けれども人口が増え、『新しいお店がいっぱいできているな』という印象です」

プロジェクトが生みだす店同士の連帯感

「がもよんにぎわいプロジェクト」は店舗物件の保守管理にとどまらず、マネジメントの一環として、店舗同士が集うコミュニティも運営しているのが特徴。割烹『かもん』の多羅尾さんがプロジェクトに関心を抱いたのも、この点にありました。

コミュニティの本拠地は元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。ここで毎週木曜日に店主ミーティングが開かれているのです。

元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。定期的に店主が集まりミーティングが開かれる(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

元・空き家だったスペース「久楽庵(くらくあん)」。定期的に店主が集まりミーティングが開かれる(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

「がもよんにぎわいプロジェクトは加盟金などない非営利団体。鬼ごっこと同じです。『入りたい』と思ったら入っていい。『もういやや』って感じたら抜けていい。ミーティングも任意参加。そんな気楽な関係やけど、参加してくださる方はとても多いんですよ」(和田さん)

ミーティングではハード面での相談はもちろん、経営ノウハウの共有、情報交換や共同イベント企画など、店主さんたちが腹を割って話し合います。そうすることで店同士が経営動向を把握し、悩みを解消し合い、連帯感を生む。支え合い、ひいては、がもよん一帯の魅力を押し上げているのです。

「お店の周年記念には、花を贈り合う。そんな温かな習慣が生まれています。お店同士の仲がいいと、お客さんにもそれが伝わる。常連客が『あっちの店にも行ってみるわ』と他店へも顔を出すようになり、経済が回るんです」

店主同士、仲がいい。この良好な関係を築くため、和田さんには決めている原則があります。それは「同じ業態の店舗はエリア内で一つだけ」というルール。

「例えばラーメン屋さんやったら一軒だけ。同業者がお客さんを奪い合って共倒れになったらプロジェクトが持続できない。それに大家さんも、店子と店子がライバルになったら悲しいでしょう」

「競争ではなく共闘できる環境づくり」。それが和田さんのモットーなのです。

「空き家の活用は普通、物件の契約が済んだら関係は終わる。でも、がもよんにぎわいプロジェクトは“契約からがスタート”なんです。『がもよんに店を開いて良かった』と思ってほしいですから。そのために、やれるサポートはやっていくつもりです」

「まちおこしは“店同士の仲の良さ”が大事」と和田さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

「まちおこしは“店同士の仲の良さ”が大事」と和田さんは語る(写真撮影/吉村智樹)

こうして和田さんたちの取り組みは「売り上げ」という目に見える形で効果を表し、いつしか「がもよんモデル」と呼ばれ、評価され始めました。

赤と黒が織りなす戦乱のゲストハウス

成功のノウハウを蓄積し、発起から10年を過ぎて地域密着型まちづくりモデルとして成熟してきた「がもよんにぎわいプロジェクト」。その手法は次第に飲食店というワクを超え、他分野へ応用されるようになってきました。

例えば2018年に「戦国の世」をイメージしてオープンしたゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。

がもよんが戦国武将「真田幸村」ゆかりの地であることから、幸村のイメージカラーである赤と黒を基調として内装。寝室には人気アニメ『ワンピース』とのコラボでも話題の墨絵師・御歌頭氏が描く大坂・冬の陣が壁全面に広がっており、大迫力。

ゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。かつて「大坂・冬・夏の陣」の合戦場だったがもよん。真田幸村の激闘を描いた真っ赤な寝室が話題に(写真撮影/吉村智樹)

ゲストハウス「宿本陣 幸村/蒲生」。かつて「大坂・冬・夏の陣」の合戦場だったがもよん。真田幸村の激闘を描いた真っ赤な寝室が話題に(写真撮影/吉村智樹)

「『民泊ブームの逆路線を行こう』。そんな発想から生まれた宿です」

そう語るのは、和田さんの右腕として働くアールプレイ株式会社の宅建士、田中創大(そうた)さん。

和田さんの右腕として働く宅建士、田中創大さん(写真撮影/吉村智樹)

和田さんの右腕として働く宅建士、田中創大さん(写真撮影/吉村智樹)

確かに、野点を再現した居間、黒で囲まれた和の浴室など、民泊ではありえない非日常感があります。

「もともとは大きな住宅でした。『せっかく広々とした場所があるのだから、旧来のホテルや旅館とは違う、がもよんに来ないと体験できないエンタテインメントを感じてもらおう』。そのような気持ちから、見てのとおりの設えになりました」

ブッ飛んだ発想は海を越えて口コミで広がり、コロナ禍以前は英語圏や中華圏から宿泊予約が殺到したのだそう。

改修不能な空き家が「農園」に生まれ変わった

古民家の再生によりまちおこしを図る「がもよんにぎわいプロジェクト」。とはいえ古民家のなかには改修不能な状態に陥った物件もあります。そこで和田さんたちが始めたのが貸農園「がもよんファーム」。

住宅地に突如現れる貸農園「がもよんファーム」(写真撮影/吉村智樹)

住宅地に突如現れる貸農園「がもよんファーム」(写真撮影/吉村智樹)

2018年、平成最後の年に大阪に甚大な被害をもたらした「平成30年台風第21号」。風雨にさいなまれた空き家4棟は屋根瓦が崩れ落ちるなど倒壊の危険性をはらんでいました。

「がもよんファーム」は、そんな空き家が連なっていた住宅密集地にあります。「え! ここに農園が?」と驚くこと必至な、意外な立地です。

案内してくれた田中さんは、こう言います。

「台風の被害に遭った空き家を修復しようにも、当時は大阪全体の業者さんが多忙で、工事のスケジュールが押さえられない状況でした。『このまま放置はできない』と、仕方なく解体し、更地にしたんです」

台風により大きな被害を受けた古民家の跡地に貸農園を開いた(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

台風により大きな被害を受けた古民家の跡地に貸農園を開いた(画像提供/がもよんにぎわいプロジェクト)

台風の被害が大きかった建物を解体撤去して拓いた貸農園「がもよんファーム」。令和元年(2019)5月、新元号の発表とともに開園。全29区画。1区画が5平米(約2.5平方m)。1 区画/月に4000円という手ごろな賃料。

開園に先立ち、設置したのが農機具を預けられるロッカー。

「住宅街なので鍬(くわ)を持参するのはハードルが高い。『手ぶらで来られる農園』をアピールしました」

農器具を預けられるロッカー。手ぶらで往き来できる(写真撮影/吉村智樹)

農器具を預けられるロッカー。手ぶらで往き来できる(写真撮影/吉村智樹)

それにしても、いったいなぜ「農園」だったのでしょう。

「街の空き地はコインパーキングにするのが一般的です。けれども、夜中にエンジンの音が聴こえたり、狭路なので事故につながったり。『駐車場では、近隣の人々に喜んでもらえないだろう』と。それで地域のかたが利用できる農園を開きました。これまで農園という発想がなかったです。なんせ畑がぜんぜんない地域だったので。初めての経験で、手探りでしたね」

反応が予想できず、恐る恐る始めた「がもよんファーム」。ところが開園後1カ月で全区画が埋まる人気に。しかも8割以上のユーザーが開園当時から現在まで利用を継続しているというから驚き。いかに貸農園のニーズが潜在していて「待望の空間」だったかがうかがい知れます。

前例がないため不安だった貸農園の開園。しかし、またたく間に予約で全区画が埋まった(写真撮影/吉村智樹)

前例がないため不安だった貸農園の開園。しかし、またたく間に予約で全区画が埋まった(写真撮影/吉村智樹)

さらに幸運だったのが、がもよん在住歴13年という元・農業高校の教師、加藤秀樹さんが退職直後に区画の借主になってくれたこと。加藤さんが他の利用者に栽培のアドバイスをするなどし、おかげで世代間交流が盛んに。農園から新たなコミュニティが生まれたのです。

「がもよんファーム」の救世主と呼んでも大げさではない元・農業高校の教師、加藤秀樹さん(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんファーム」の救世主と呼んでも大げさではない元・農業高校の教師、加藤秀樹さん(写真撮影/吉村智樹)

「週に3回、夏は週に4回は『がもよんファーム』へ来ます。自宅から歩いて13~14分なので近いですし。『がもよんファーム』の存在はホームページで知りました。この辺で『がもよんバル』(※)というのをやっていて、『今年もあるのかな』と思ってホームページを見てみたら、たまたま農園が開かれるニュースを見つけたので」(加藤さん)

※がもよんバル……和田さんたちが開催する飲食イベント。店と地域の人をつなぐ取り組み

「加藤さんは一般の人ではわかりにくい病気を発見してくれて、『気をつけたほうがいいですよ』とアドバイスをしてくださるので助かります」(田中さん)

加藤さんの助言によりキュウリがたくさん実り「ご近所に配って喜ばれたのよ」とほほ笑むご婦人も。

さらに『がもよんファーム』は新たなニーズを開拓しました。

「趣味で園芸を楽しんでいる利用者だけではなく、アロマのお店がハーブを育てていたり、クラフトビールの工房がホップを育てていたりします」(田中さん)

ゆくゆくは、がもよん生まれの地ビールがこの街の名物になるかもしれません。住宅密集地に誕生した貸農園が商業利用の需要を発掘したのです。これもまた、街全体を活気づけるエリアリノベーションであり、「古民家再生」の姿といえるでしょう。

「がもよんモデル」を世界へ

こうして文字通り「にぎわい」を創出し、「グッドデザイン・ベスト100」に選出された「がもよん」。和田さんが考える今後は?

「喫茶店でお茶を飲んでいたらね、後ろの席で女性が『昔はな、がもよんに住んでるって言うのが恥ずかしかった。なので、京橋に住んでるねんって言ってた。でも今は『がもよんに住んでるって自慢してるねん』と話していたんです。思わず『よしっ!』って小さくガッツポーズしましたよ。自分が住む街を誇りに思えるって、素敵じゃないですか。こんな気持ちを日本中、世界中の人に感じてほしい。がもよんモデルには、それができる力があると思うんです。なので、ほかの街でも展開していきたいですね」

「がもよんモデルを全国、全世界へと広げてゆきたい」。和田さんの夢は大きい(写真撮影/吉村智樹)

「がもよんモデルを全国、全世界へと広げてゆきたい」。和田さんの夢は大きい(写真撮影/吉村智樹)

空き家問題への対策から誕生した新たなビジネスモデル「がもよんモデル」。地域のお荷物だった空き家が収益を生み、「わが街の自慢」にイメージチェンジする。和田さんはその方法論を全国に広げたいと考えています。

これからますます深刻になってゆく空き家問題。しかしながら、空っぽだからこそ、新しい価値観を芽生えさせるチャンスでもある。がもよんが、それを教えてくれた気がします。

●取材協力
がもよんにぎわいプロジェクト

京都らしい街並みが消えていく…。1年に800件滅失する京町家に救世主?

古都・京都の風情を残す「京町家」。 筆者もある種の憧れを感じてきたが、このたび「京町家等の不動産情報ポータルサイトが公開された」という報道を見て、そのサイトをのぞいてみた。そこには、実際に賃借や購入ができる京町家の物件情報に加え、京町家を活用した事例の紹介もされていた。このサイトを見ているだけでも面白いのだが、サイト公開に至る経緯などの詳しい話を聞きに行くことにした。

1日に2軒の京町家がなくなっている!京町家を保全する活動が盛んに

ポータルサイトの名前は、「MATCH YA(マッチヤ)」だ。 文化的価値を持つ京町家や古民家、近代和風住宅などの歴史的建造物に特化して、マッチングのための“不動産情報”や活用したい企業や起業家の参考になる“活用事例”が紹介されている。運営するのは、経済、不動産、建築、金融、法律、市民活動、行政の団体で構成され、所有者や居住者と協力して京町家などの保全・継承を担う「京町家等継承ネット」(事務局:公益財団法人京都市景観・まちづくりセンター)だ。

今回、取材に対応していただいたのは、事務局の京都市景観・まちづくりセンター(以下、まちセン)の西井明里さん、網野正観さん、京町家等継承ネットに協力する株式会社フラット・エージェンシーの寺田敏紀さん、浜田幸夫さんの4名だ。

「MATCH YA」公開に至る経緯には、いくつか要因がある。

直近の要因は、新型コロナウイルスの影響だ。京町家への関心は、日本全国あるいは海外へと広がっているが、コロナ下でテレワークが普及したり、京都への来訪が難しくなったりしたことで、インターネットを活用した京町家の物件や活用事例の紹介の重要性が高まった。

そして、より根源的な要因は、京町家が年々減少していることだ。京都市が行った2016(平成28)年の調査によると、その時点の京町家は約4万軒(うち約5800軒が空き家)あり、7年前と比べて約5600軒の京町家が滅失しているという。1日当たり2軒が取り壊された計算になり、空き家率も高まっている。

京町家は建物や街並みというだけでなく、京都の生活文化を残すものでもある。京町家には、京都の暮らしの文化、建築が持つ空間の文化、職住共存を基本として発展してきたまちづくりの文化が息づいている。そこで、20年ほど前から京町家を残そうという活動が盛んになるが、「MATCH YA」開設も、この京町家の保全・継承を目指すビッグプロジェクトの取り組みの一つにすぎなかった。

20年以上にわたる「京町家を残そう」という活動

「MATCH YA」を運営する「京町家等継承ネット」の事務局であるまちセンは、住民・企業・行政が連携してまちづくりを推進する橋渡しをしようと、1997年に設立した。京町家が街から姿を消していく現状を目の当たりにして、2001年から「京町家なんでも相談」を、2005年から「京町家まちづくりファンド」を始めた。

ちなみに、今回の取材場所として指定されたのは、取材時点で「MATCH YA」に賃貸物件として掲載されていた京町家だ。ここは、京町家なんでも相談に所有者が改修の相談に来て、「京町家まちづくりファンド」で外観改修助成を行った物件だという。地道で長期的な活動が、成果を生んでいる事例ということだろう。

取材場所になった「元カフェの町家」。かつて豆腐屋として建てられた名残である、大きな土間が特徴(筆者撮影)

取材場所になった「元カフェの町家」。かつて豆腐屋として建てられた名残である、大きな土間が特徴(筆者撮影)

京都市も、京町家の保全・継承に本腰を入れるようになる。2007年に「京町家耐震改修助成制度」を設け、2012年には「京都市伝統的な木造建築物の保存及び活用に関する条例」を制定し、2013年には新たに鉄筋コンクリート造等の非木造建築物も対象に加え、名称も「京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」に改正した。さらに2017年に「京都市京町家の保全及び継承に関する条例(京町家条例)」を制定した。

こうしたなか、2014年にはまちセンを事務局として「京町家等継承ネット」が設立された。京町家の保全継承には、公的な支援制度も必要なうえ、伝統技術の継承、法律等の専門知識、改修費用のための金融支援、利活用を促す市場流通のための不動産業の協力や経済界の支援など、幅広い領域のサポートが不可欠であることから、31の関係団体が会員となったネットワークで京町家の継承に当たろうという組織だ。

「京町家を守りたい」という京都の“ホンキ度”がすごい!

実は、筆者自身も東京で、歴史ある建物の保全活動をする団体の会員になっている。ただし、とてつもなく高いハードルを感じている。歴史ある建物を保全しようとすると、安全性や意匠性を担保するための改修費用がかなり掛かり、建て替えた方が安く済むということが多い。たとえ所有者が愛着ある建物を保全したいと思っても、次の代に相続が発生すると、相続人たちの話し合いで売却されてしまうことも多い。行政側も、よほど著名な建築家が設計したり著名な人が住んでいたりしない限り、保全に動くことは少ない。

ところが、京町家の場合は、行政も含めて、あの手この手で可能な手を打ち続けている。保全継承の“ホンキ度”がハンパないと感じた。たとえば、京都市ではすでに紹介したように、現実的に京町家の保全継承を支援する条例を定めている。

まず、京町家であるという認識がなく、単なる古い家と思っている所有者も多い。そこで、条例で京町家について定義をした。
〇京町家の主な定義
築年:昭和25年以前に建築
構造:伝統的な構造で建てられた、平入り屋根の木造一戸建て(長屋建て含)など
形態・意匠:通り庭、火袋、通り庇などの京町家特有の形態を1つ以上有すること

典型的な京町家の改修事例

釜座町町家の改修事例(画像提供:京町家等継承ネット)

釜座町町家の改修事例(画像提供:京町家等継承ネット)

また、京町家条例では京町家を個別にあるいは地区を指定して、保全継承のために相談対応や補助金などの支援をする一方で、解体をする場合は着手する1年前までに届け出をすることを定めている。解体までに保全継承の手立てはないかを検討する時間が1年生じることで、保全継承につなげたい狙いだ。

一方、条例で法律の制限を緩和する策を講じた。建築基準法が制定された昭和25年より前の伝統的な構造で建てられた家は、建築基準法に合致していない。こうした家を増築したり、住宅から飲食店や宿泊施設などに変更したりすると、現行の建築基準法に適合させなければならない。となると、壁や筋交いなどの構造材を補強するなどで、京町家らしい文化的な意匠や形態を保全することができない事例も出てくる。

そのため、景観的・文化的に特に重要なものとして位置付けられた建築物について、建築物の安全性の維持向上を図ることにより、建築基準法の適用を除外して、改修が行えるようになった。2017年からは、「包括同意基準」(一定の構造規模・安全基準・維持管理の方法の基準からなる技術的基準)を制定して、一般的な京町家の改修手続きの簡素化なども図っている。

京都では、京都市内の京町家の調査を継続して行っている。調査によって、典型的な京町家だけでなく、長屋や看板建築などの見た目ではそうとはわかりづらい京町家の存在も明らかになった。京都市と立命館大学、まちセンが2008・2009年度に実施した大規模調査では、専門調査員とボランティアの市民調査員が、京都市内の約5万軒の京町家について外観調査とアンケート調査を行い、京町家の実態を把握した。2016年にも追跡調査により、京町家の滅失状況などを捕捉している。

京町家まちづくりファンドの改修前後の事例(画像提供:京町家等継承ネット)

京町家まちづくりファンドの改修前後の事例(画像提供:京町家等継承ネット)

また、まちセンでは京町家の価値を客観的に把握してもらうために、文化的価値や建物の基礎情報などをまとめた「京町家カルテ」などの作成等も行っている。

京町家を「保全継承したい人」と「活用したい人」をマッチング

しかし、このように行政・民間を問わず京町家の保全継承に取り組んでいるとはいえ、個々の京町家の所有者が補助金等の支援を受けて改修工事を実施し、自ら活用者を探すことは難しい。所有者の相談などに応じて、活用計画を立てて活用してくれる人を探してくれる存在が必要だ。

そこで、京都市やまちセンでは、「マッチング制度」によって、不動産会社などの登録団体が活用の提案や助言をする仕組みを整えている。

改修費用についても、公的な補助制度のほか、地元不動産会社の働きかけなどにより地元金融機関において京町家向けのローンが提供されたり、賃貸の場合に所有者(貸主)と活用事業者(借主)の費用分担で、借主が全額負担して家賃を低減する方法なども提案している。

冒頭のポータルサイト「MATCH YA」は、こうしたマッチングの取り組みのひとつでもある。同サイトに京町家の掲載を依頼できるのは、事前に登録した不動産会社のみで、申請された物件をさらにまちセンで「MATCH YA」の要件に合うかどうか審査したうえで物件情報として掲載するなど、厳しい運用をしている。京町家に興味のある個人だけでなく、店舗やオフィスなどとして活用したい企業にもアピールしたいとしている。

京町家の保全継承とひとくちにいっても、所有者だけではなく、多方面の専門家の知恵を絞らないと実現できない。京町家の保全継承には生活スタイルに合わせた改修が不可欠だが、取材時に「京町家を健全に改修する」という言葉を何度か聞いた。建築基準法のような同じルールに従うのではなく、個別の京町家の構造体がどんな状態か把握し、伝統的な構造に適した耐震補強や意匠を保持しながら防火性能を高める方法を検討して、京町家として健全に改修をすることで、こうした改修技術を引き上げることも必要となる。多方面での地道な努力によって、ようやく京町家の保全継承が実現するというわけだ。

とはいえ、京町家はあくまで個人の所有財産だ。所有者側に京町家を保全継承しようというマインドや環境が整わなければ、実現するには至らない。ここまであの手この手を尽くしても、残念ながら滅失してしまう京町家も相当数あるだろう。

京町家の長い奥行きの敷地を生かした通り庭や奥庭、大戸、出格子など季節を取り込む工夫や独特のデザインは、ぜひ守ってほしいと思うが、所有者や関係者だけで保全継承を担うのは難しい。ファンドに寄付をしたり活用に手を挙げたりなど、多くの人たちが京町家の保全継承に長く関心を払うことが大切だろう。

●関連サイト
京都市、京町家等の不動産情報ポータルサイトの公開について
「MATCH YA」未来と町家をマッチするポータルサイト
京町家等継承ネット

実家や我が家、これからどうする? 空き家にせず地域で活かした2家族の物語

地方の集落や郊外住宅地、都市部など、あちらこちらで「空き家かな?」と思われる住まいが増えてきました。みなさんの中にも親や祖父母が暮らしていた住まいをどうしようか?と悩んでいる人は多いことでしょう。今回はそんな悩ましい実家問題を「地域に開く」という方法で解決し、建物にも地域にも、そして自身にもプラスになっている2事例をご紹介します。
親が死去して相続した思い出の古民家。取り壊すのはしのびない

あなたが生まれ育った家に、現在、住んでいる人はいるでしょうか。両親が元気に暮らしているという人もいれば、老親が1人で暮らしている、家族が他界、施設に入っているため空き家になっているという人も少なくないはず。本格的な人口減少社会を迎えた今、日本各地でじわりと「空き家」が増えつつあります。

東京都郊外、東村山市にあった日本家屋もそんな建物のひとつでした。1958(昭和33)年に建てられた古き良き日本の住まい、離れの2棟ありましたが、2014(平成26)年にこの建物で暮らしていた主が亡くなり、空き家となっていました。受け継いだのは、川島昭二さん。東村山駅から徒歩10分圏内、府中街道沿いということもあり、建て替えて、不動産投資にしないかという話も多く寄せられたといいます。

昔の離れの写真(写真提供/川島さん)

昔の離れの写真(写真提供/川島さん)

「私は今も近くに暮らしているので、月に数回、庭の草取りなどに通い、どうしようかと迷っていました。この家で生まれ育って、隣は天王森不動尊。懐かしく、思い出がつまった建物と風景を、壊してしまうのはどうにもさみしくて、決めかねていたんです」(川島さん)

そんな川島さんが相談を持ちかけたのが、地元の工務店・大黒屋の袖野伸宏さん。
「まずは築30数年の離れとなっていた建物をリノベーションして貸し出そうという計画になりました。ただ、築年数60年経過した母屋には風情もあって、取り壊すのはもったいない。川島さんご両親が残したモノもたくさんおいてある。どうしたものかと不動産や建築関連の友人・知人と相談していたんです」と話します。

とはいえ、築年数が経過し、敷地を囲むようにつくられていたブロック塀は地震で崩れてしまう恐れもあり、建物も放置するほどに傷んでいきます。どうしようか決めかねていた袖野さんは、思い切って川島さんにある提案をします。
「まだどうするか活用方法は何も見えないけれど、もし大黒屋で借りたいといったら、貸してくれますか? と話したんです。弊社も事務所が手狭になってきたし、社員が使ってもいいなあくらいの考えでした。川島さんは、『いいよ』って気軽に言うんです(笑)」

思いがけない展開に、川島さんはどう思っていたのでしょうか。
「やっぱり地元の会社で長く続けている工務店なので、安心感や信頼感があり、建物を残してもらえればいいよとおまかせすることにしました」とにこやかに請け負ったといいます。

アトリエ、コーヒースタンド、シェアキッチンなどの複合施設に

その後、大黒屋の袖野さんが地域の人たちに「借りたい人はいない?」という声をかけていき、プロジェクトとして本格的にスタートします。和紙造形作家のにしむらあきこさんや編集やデザインをしているハチコク社さんたちと出会うことで、母屋は「OFF/DO BOOK LOUNGE」「アトリエ&ギャラリー 紙と青」、それにハチコク社のオフィス、離れはシェアキッチンの「木づつみのえん」となることが徐々に決まっていきます。そして、2019年5月には複合施設「百才(ももとせ)」として、地域にひらかれた場所としてお目見えしました。

百才に携わるみなさん。左から木づつみのえんの松本千栄さん、大黒屋の袖野伸宏さん、建物の大家である川島昭二さん、ハチコク社の勝股芳樹さん(写真撮影/片山貴博)

百才に携わるみなさん。左から木づつみのえんの松本千栄さん、大黒屋の袖野伸宏さん、建物の大家である川島昭二さん、ハチコク社の勝股芳樹さん(写真撮影/片山貴博)

築30年と築60年の建物をあわせて『百才』。母屋の縁側から庭を眺める。これぞ日本の風景。最高です! (写真撮影/片山貴博)

築30年と築60年の建物をあわせて『百才』。母屋の縁側から庭を眺める。これぞ日本の風景。最高です! (写真撮影/片山貴博)

建物はもとの建物の良さを活かしつつ、大幅リノベーション! 建具一つひとつに味わいがあります(写真撮影/片山貴博)

建物はもとの建物の良さを活かしつつ、大幅リノベーション! 建具一つひとつに味わいがあります(写真撮影/片山貴博)

もとからあった井戸(奥)。染色と縁の深い「アトリエ&ギャラリー 紙と青」に(写真撮影/片山貴博)

もとからあった井戸(奥)。染色と縁の深い「アトリエ&ギャラリー 紙と青」に(写真撮影/片山貴博)

気楽に立ち寄れるコーヒースタンドOFF/DO COFFEE(写真撮影/片山貴博)

気楽に立ち寄れるコーヒースタンドOFF/DO COFFEE(写真撮影/片山貴博)

シェアオフィスとして入居する「ハチコク社」が編集する東村山の“わ”を伝える「むらのわ」と百才の歩みをまとめた冊子(写真撮影/片山貴博)

シェアオフィスとして入居する「ハチコク社」が編集する東村山の“わ”を伝える「むらのわ」と百才の歩みをまとめた冊子(写真撮影/片山貴博)

家を「地域に開く」というのは、まだまだ新しい考え方です。そのため、お二人とも「家を開く」という考え方はご存じなかったようですが、「建物を残したい」「どうやって建物を有効活用できるか」「モノをつくる人や地域の人が集まる場所にしたい」などと考え抜いた結果、今のかたちになりました。シェアキッチンなどの利用は予約が必要ですが、ふらりと寄れるおばあちゃんの家の庭のような「ゆるく開かれた場所」になっています。

近所の子どもたちはこの庭で、泥だらけになって遊んでいるといいます。
「あまりにも泥だらけになるので、手洗いだけでなくて、足洗い場をつくったんですよ。子どもは木の葉一枚で楽しい。遊びの天才です」と袖野さん。

百才のお庭は、「おばあちゃんの家のお庭以上、公園未満」という地域に開かれた使われ方をしています(写真撮影/片山貴博)

百才のお庭は、「おばあちゃんの家のお庭以上、公園未満」という地域に開かれた使われ方をしています(写真撮影/片山貴博)

「建物が完成して、周囲にお披露目会をして驚いたのが、地域の関心の高さです。ご近所に住む人から市長まで、どんな場所になるのか楽しみにされていて、期待を寄せていただいているのが分かりました。プロジェクトを動かすなかで、東村山に眠っていた価値に改めて驚かされましたし、建物や不動産の持つ可能性、工務店ができることを再発見できました」と袖野さん。

「今も散歩がてら庭の手入れに来ていますが、子どもたちが遊ぶ姿は、かつての自分たち家族の風景を見るようです。建物を残すことで、ふるさとへの愛着や思い出を残していけたら、こんなに幸せなことはないですよね」と川島さん。

府中街道沿いにある離れ。リノベーションをして、現在はシェアキッチンとして活用している(写真撮影/片山貴博)

府中街道沿いにある離れ。リノベーションをして、現在はシェアキッチンとして活用している(写真撮影/片山貴博)

今はコロナ禍で、多くの人が集まることはできませんが、時期を見計らって庭や母屋を使って、「流しそうめん」「すいか割り」「わらべうた」「餅つき」「コマ遊び」など、日本の暮らしや遊びを伝えていけたらとスタッフのみなさんは考えているそう。現代の子どもたちがこうした建物と遊びふれることで、「日本にかつてあった暮らし」の思い出をつくっていけるのは、本当に幸せなことですよね。自宅を地域に開くことで、自分も周囲も豊かになる、そんなすてきなケースといえるでしょう。

鎌倉にある自宅をコワーキングスペースに。人とつながるうれしい“想定外”も

自身と家族が住んでいた家を手入れして、そのまま地域に開いた人もいます。コワーキングスペース、イベントスペース、シェアキッチンとして使われている「ハルバル材木座」です。

鎌倉市材木座の住宅街にできた「ハルバル材木座」(写真撮影/桑田瑞穂)

鎌倉市材木座の住宅街にできた「ハルバル材木座」(写真撮影/桑田瑞穂)

1階のコワーキングスペース。この絶妙なオシャレと落ち着いた風情がたまりません(写真撮影/桑田瑞穂)

1階のコワーキングスペース。この絶妙なオシャレと落ち着いた風情がたまりません(写真撮影/桑田瑞穂)

シェアキッチンの「ハルバルキッチン」。料理イベントでも使われている(写真撮影/桑田瑞穂)

シェアキッチンの「ハルバルキッチン」。料理イベントでも使われている(写真撮影/桑田瑞穂)

2021年3月、会社を早期退職した伊藤賢一さんが立ち上げた場所で、現在、コロナ禍でもありますが、「イチゴについて雑談する会」「さくら貝をつかったスマホケース製作」「お茶会」などさまざまなワークショップが開催されています。内容を聞くだけでも、おもしろそうですよね。

ワークショップやイベントの告知。タイトルだけでもおもしろそうな内容です(写真撮影/桑田瑞穂)

ワークショップやイベントの告知。タイトルだけでもおもしろそうな内容です(写真撮影/桑田瑞穂)

イベントの様子。コロナ対策をしつつ、盛り上がっているのが分かります(写真撮影/桑田瑞穂)

イベントの様子。コロナ対策をしつつ、盛り上がっているのが分かります(写真撮影/桑田瑞穂)

「単なるイベントスペースは味気ないことが多いですが、この場所は住まいだったこともあって、ぬくもりがあり、そうした点を気に入ってくれる人が多いようです。昨今、コワーキングスペースは増えていますが、多くは企業が運営していて、仕事をする場所。会話や雑談がしにくいところが多いですよね。でも、ここは、利用者の方が許せば『私が少しばかりお節介を焼いてお手伝い』することにしています。雑談するなかで、人と人を引き合わせることができたり、新しい発見があったり。コロナ禍だからこそ、人と話すことの価値が見直されている気がするんです」と話します。

伊藤賢一さん(写真撮影/桑田瑞穂)

伊藤賢一さん(写真撮影/桑田瑞穂)

伊藤さんは、もともと「退職後にやってみたいこと」として、地域で人と人の繋がりを創り出す仕組みづくりを考えていたそう。
「今回、『家を開く』にあたって、ご近所にあいさつに伺いましたが、前向きな言葉をいただくことが多かったですね。人が地域に集まることにおおらかというか、鎌倉や材木座という地域に愛着がある人が多いように思います」と話します。伊藤さんの語り口調は本当に穏やかで、紳士。仕事というよりも、伊藤さんと話したくなる気持ちになります。利用者の女性に話を伺いました。

他愛ないおしゃべりから人との繋がりがうまれ、それが地域との繋がりになっていく。気負いなく話せる時間と場所って貴重です(写真撮影/桑田瑞穂)

他愛ないおしゃべりから人との繋がりがうまれ、それが地域との繋がりになっていく。気負いなく話せる時間と場所って貴重です(写真撮影/桑田瑞穂)

「住まいと勤務先は東京ですが、鎌倉のヨガスタジオに通っていて、どこかひと息つける場所をということで、この場所を見つけました。伊藤さんとのお話も楽しいし、鎌倉という街が好きで、鎌倉に自分の居場所を見つけられたように思っています。東京も楽しいし、鎌倉にも拠点がほしい、私にはぴったりの場所でした」といいます。

オープンして半年も経過していませんが、こうした声は少なくないようで、鎌倉との接点を探していた人や、人や人との出会い、新しい発見につながっているよう。

「長野県茅野市にある両親が住んでいた家が空き家になっていました。実はこの『ハルバル材木座』での出会いがきっかけで、『ハルバル茅野』という形で活用してもらえる人が見つかったんです。この場所が海の家なら、茅野は山の家。どちらも所有したかったし、理想の形で活用できています」と話します。

「ハルバル材木座」はこの春、はじまったばかり。コロナ禍もあり、「順調に見えるけれど、これからどうなるか分からない(笑)」と笑う伊藤さんですが、先が見通せない時代だからこそ、新しいチャレンジを楽しんでいるようです。

川島さんと伊藤さん、お二人ともに寛容で、「所有」と「利用」を分けて考える、柔軟な考え方をなさっています。そして、縁の下の力持ちというか、若い人や地域のために何かをしたいと考えていたすえに、「家を開く」という結果になっていました。
ただ、家を地域に開くことが、結果としてご自身の人生を豊かにしているというのが不思議です。今まで「住まい」だった場所が、人を呼び、縁を紡ぎ、にぎわいをつくっていく。「家を開く」という選択は、人口が減る時代にかなった有意義な活用法なのかもしれません。

●取材協力
百才
大黒屋
ハチコク社
ハルバル材木座

田舎暮らしは“異世界”? 漫画編集者が会社を辞めて「半農半X」に挑んだ結果

コロナの影響でテレワークが当たり前となり、「都会で暮らす意味ってなんだっけ……?」と思っていませんか? 現に、二拠点居住や移住を考える人も増えているようです。そんな人たちに参考になりそうなのが、都会生まれ都会育ちの漫画編集者が田舎という異世界で暮らす様子を赤裸々に描く実録マンガ『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』(講談社)です。原作者のクマガエさんに田んぼとお住まいで話を聞いてきました。
深夜も土日も仕事。朝まで新宿ゴールデン街で飲み歩いていた漫画編集者時代『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』(講談社 (c)クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』(講談社 (c)クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

本作は、主人公・佐熊陽平が激務の漫画編集者時代を振り返るところから物語がはじまります。主人公のモデルはクマガエさん自身で、自身の移住体験をもとに話は展開していきます。

『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』の冒頭。明け方までの激務(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』の冒頭。明け方までの激務(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

誰が言ったか、「田舎暮らしは異世界暮らし」(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

誰が言ったか、「田舎暮らしは異世界暮らし」(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

「編集者時代は終電後に飲みに行って、朝5~6時まで飲んで、さらにもう1軒……なんてこともざらでした。土日も関係なく働いていましたし、だいたい朝に寝てお昼に出社できればいい方という日々です」とクマガエさんは振り返ります。妻のルキノさんと出会ったのも新宿ゴールデン街がきっかけだといい、二人はかつての暮らしを「なぜあんなに飲んでいたのか分からない」と笑うほど。

その多忙な生活に疲れ、“異世界”である田舎で稲作をはじめたのは、今から6年前。コロナ禍のさなか、今年4月、『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』単行本1巻が発売となり、田舎暮らし・郊外暮らしを描いているということで注目を集め、メディアからの取材も続いているといいます。

クマガエさん(写真撮影/土屋比呂夫)

クマガエさん(写真撮影/土屋比呂夫)

「読者で多いのは、私がそうだったように30代前半から半ばでしょうか。多忙な都会の日々に限界を感じている、特に最近では仕事がテレワークになったことで移住や二拠点生活ができるのではないか、と考えはじめるようです。あとは、大学生なども読んでくれていて、働き方や生き方について考えさせられましたといった声が届いています」(クマガエさん)

給料は伸びなくても、都市部の家賃や住宅ローンの負担はずしりと重くのしかかります。日々、忙しく働いているのに、「手元にお金も残らず、家も狭いし、これって幸せなんだっけ?」と思う気持ち、よく分かります。

漫画編集者を辞めようと悩むものの……(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

漫画編集者を辞めようと悩むものの……(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

会社員を辞めて「田舎暮らし」という異世界へ踏み出します(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

会社員を辞めて「田舎暮らし」という異世界へ踏み出します(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

田舎+古民家ライフができるのはバーサーカー(狂戦士)だけ!?

現在、クマガエさんがしているのは、いわゆる「ど田舎にある古民家・自然派暮らし」ではありません。1話目冒頭で紹介されている通り、住まいは築浅の賃貸アパート、近くにはカフェもあり、東京にも電車で1時間半ほどでアクセスできるなど、都内に出社できないこともない、田舎と郊外の狭間での暮らしです。

「マンガで描いているように、私自身も米づくり体験→会社を辞めることを検討→田舎で空き家探し→移住の流れです。空き家探しは、会社を辞める前提で家賃を抑えられたらいいな~と、気楽に考えていたんですが、まさに異世界体験となりました。修繕しないですぐ住める家はないし、前の住人の荷物で ゴミ屋敷と化していたり。都会の賃貸物件を内見する感覚でいたので、めちゃくちゃびっくりしました。でも、地方や田舎出身の人に話を聞くと、よくある話みたいですよ(笑)」といいます。

異世界・田舎での家探しがスタート(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

異世界・田舎での家探しがスタート(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

しかし思ったようにいかず……(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

しかし思ったようにいかず……(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

家探しの前提条件が違うのは衝撃ですよね。同じ時代の同じ国、同じ言葉を話すのに「言葉や感覚が違う」というのはまさには、異世界転生。なんか……バグっていく感覚です。

妻のルキノさんは、もともと引越しが大好きで、賃貸の更新をせずに引越したいと思うタイプ。ただ、夫妻二人ともに都市部育ちということもあり、便利な東京23区外で暮らせるのかという不安はあったそう。

「結局、いい空き家が見つからず、知人の古民家に間借りというかたちで田舎暮らしが始まりました。実際に古民家で暮らしてみて、家の修繕を自分でできて、暑さ寒さや湿気、虫の多さも気にしない、過酷な環境にも対応できるバーサーカー(狂戦士)じゃないと、あの生活はできないだろうと痛感して。それで今の賃貸に落ち着きました。SUUMOで探した気がします(笑)。今の家は家賃7万円台、広さ60平米弱の2LDKで、駐車場1台付きです。東京時代は夫婦二人で渋谷区のワンルーム暮らしで30平米未満、家賃は10万円超でしたからねえ」としみじみと振り返ります。

夫妻が暮らす賃貸アパートのリビング。陽がたっぷりと入り、のびのびとした空間(写真撮影/土屋比呂夫)

夫妻が暮らす賃貸アパートのリビング。陽がたっぷりと入り、のびのびとした空間(写真撮影/土屋比呂夫)

ベランダでは収穫した玉ねぎを乾燥させています(写真撮影/土屋比呂夫)

ベランダでは収穫した玉ねぎを乾燥させています(写真撮影/土屋比呂夫)

デスクを並べて夫妻でお仕事。奥の壁は原状回復できる色付きの壁紙で明るくし、画の額縁も自作。DIYスキルも上がっています(写真撮影/土屋比呂夫)

デスクを並べて夫妻でお仕事。奥の壁は原状回復できる色付きの壁紙で明るくし、画の額縁も自作。DIYスキルも上がっています(写真撮影/土屋比呂夫)

稲作6年目、そろそろレベルアップ!? 海の近くへ引越しも検討中

「今は米づくりのほかに、畑で野菜を育てるほか、ぬか漬け、梅仕事、味噌づくりなど、田舎暮らしの経験値もぐっと溜まってきました。半農半X、つまり米づくりや畑や農作業のほか、今までもっているスキルをかけあわせて、農作業のほかに、フリーランスのマンガ編集者、漫画原作などを並行して暮らしています」

自宅でとれた稲の糠をつかってのぬか漬け(左)と梅干しづくり(右)にも挑戦中。手仕事って見ているだけでも楽しい(写真/土屋比呂夫)

自宅でとれた稲の糠をつかってのぬか漬け(左)と梅干しづくり(右)にも挑戦中。手仕事って見ているだけでも楽しい(写真/土屋比呂夫)

田んぼ作業がある日は朝6~7時ごろに起きてお弁当を持って田んぼへ行き、夜には自宅で食事。23時には就寝と、夫妻二人、東京にいたころに比べれば“人間らしい”暮らしを送っています。「田んぼ仕事って、年中、忙しいわけではなくて、5月半ばの田植えのあとは、週1回程度の草引きを2カ月ほどやれば大丈夫なんです。今の田んぼは4家族でシェアして使っていますが、去年は夫婦二人で食べきれないほどのお米(110kg程度)が収穫できました」(クマガエさん)

東京から電車で2時間弱。広い空と水田に心和みます。日本人の原風景なんでしょうね、きっと(写真/土屋比呂夫)

東京から電車で2時間弱。広い空と水田に心和みます。日本人の原風景なんでしょうね、きっと(写真/土屋比呂夫)

(写真撮影/土屋比呂夫)

(写真撮影/土屋比呂夫)

草取りは“ニルヴァーナ(涅槃)“だったのです。解脱も近い?(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

草取りは“ニルヴァーナ(涅槃)“だったのです。解脱も近い?(画像提供/講談社 (c) クマガエ/宮澤ひしを 講談社)

この生活をすることで、物欲も減り、飲み会も行かなくてもいいかな、と思うようになりました。友人と集まって一緒に味噌づくりをしたり、味噌の完成お披露目会をしたり、そんなことが楽しいですね。今はどこでも味噌が売っていて、買えますよね。一見、すごく便利なようだけど、実はみんなでわいわい味噌をつくるような楽しい機会を奪われているんじゃないか……って思うようにもなりました。あと家事の大切さ、家仕事の価値がすごく低く見積もられている気がします」(クマガエさん)

確かに家事って生きる日々の営みですものね。おろそかにしていいことではない気がします。今、二人は、賃貸で快適な暮らしをキープしつつ、農作業と仕事をする「ちょうどよい暮らし」をしているように見えますが、実はレベルアップ(?)も間近だとか。

「一度、東京都心の塀のなかから飛び出したことで、『あ、私たち、郊外でも暮らせるんだ』って、自信がついた感じでしょうか。もう都会暮らしは無理かもしれませんが、もうちょい不便でも暮らしていけるかも」とルキノさん。今、引越し先として考えているのは海の近くで、農作業ができるエリアだとか。

(写真撮影/土屋比呂夫)

(写真撮影/土屋比呂夫)

(写真撮影/土屋比呂夫)

(写真撮影/土屋比呂夫)

「こうやって取材を受けるなかで、そろそろ次のレベルにいってもいいかもな、と思うようになりました。今の場所を見て、『田舎じゃない』っていう人もいるんですけれど、田舎って言ってもグラデーションになっていて、いろんな人がいて、場所がある。もしハードルが高いと感じるなら、いきなり移住・引越ししなくたっていい。まずは農作業経験とかに参加してみたり、軽い気持ちでチャレンジしてもいいと思うんですよね」とクマガエさん。

コロナ禍を経て、私たちの働き方、暮らし方は大きく変わろうとしています。郊外や地方での暮らしのハードルはぐっと下がっている今、農作業と仕事を自分らしく楽しむ「半農半X」という方法で、無理せずやりたいことを実現するのは、決して夢物語ではありません。もしかしたらクマガエさんのように異世界に踏み出す勇者は、続々と現れるのではないでしょうか。

●取材協力
『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』公式Twitter
1話試し読み
作画担当 宮澤ひしを先生Twitter

村民総出でおもてなし!空家が客室、村がリゾート!? 島根「日貫一日プロジェクト」

中国山地の山あいにある島根県邑南(おおなん)町「日貫(ひぬい)」地区。のどかな田園風景が広がるこの場所に、新しいスタイルの宿泊施設が2019年に誕生した。地方の空き家率増加や人口減が課題となっているなか、それらを逆手に取って、「関係人口」という形であたたかなつながりを育む「日貫一日(ひぬいひとひ)プロジェクト」。その立ち上げの中心人物、一般社団法人弥禮の代表理事・徳田秀嗣さんに話を聞いた。
地域ゆかりの建築家の旧家を、1日1組限定の“籠もれる”宿に

中国山地を貫く山道を車で走ると、川沿いにのどかな田園風景が広がる小さな村、日貫に辿り着く。緑の山々が重なり、そのふもとには水を張り始めた田んぼや、住人たちが日々の糧にと育てる畑。赤褐色の石州瓦を葺いた民家が点々と続く、のんびりした村だ。

山々の間に田んぼと畑と民家。のどかな日貫の遠景(写真撮影/福角智江)

山々の間に田んぼと畑と民家。のどかな日貫の遠景(写真撮影/福角智江)

その風景に溶け込むように、村の古民家をリノベーションした宿泊棟「安田邸」がある。どこか懐かしい日本の家。その雰囲気をそのままに、緑の中にひっそりたたずむその建物は、日貫にゆかりの建築家・安田臣(かたし)氏が暮らした旧家だという。
ここは1日1組限定の宿。宿泊者は滞在中、この「安田邸」を1棟丸ごと利用することができる。建物内には、寝室はもちろん、ゆっくりくつろげる和室、キッチンやダイニング、のんびりしたテラスや、木の香りが心地よいヒノキ風呂までそろう。

(写真撮影/福角智江)

(写真撮影/福角智江)

「日貫一日」の宿泊棟「安田邸」(写真撮影/福角智江)

「日貫一日」の宿泊棟「安田邸」(写真撮影/福角智江)

のれんをくぐって建物の中に入ると、広い土間にキッチンとダイニングテーブル。大きな窓の向こうには、のどかな村の風景が広がる(写真撮影/福角智江)

のれんをくぐって建物の中に入ると、広い土間にキッチンとダイニングテーブル。大きな窓の向こうには、のどかな村の風景が広がる(写真撮影/福角智江)

土間からリビングスペースとなる和室、さらにその奥には寝室が続く。一棟貸しならではの贅沢な空間でくつろげる(写真撮影/福角智江)

土間からリビングスペースとなる和室、さらにその奥には寝室が続く。一棟貸しならではの贅沢な空間でくつろげる(写真撮影/福角智江)

浴室も驚くほどの広さ。壁も天井も木張りで、ほのかな木の香りに包まれる(写真撮影/福角智江)

浴室も驚くほどの広さ。壁も天井も木張りで、ほのかな木の香りに包まれる(写真撮影/福角智江)

日貫での一日をゆっくりと、という願いを込めた「日貫一日」

「もともとこの地域には建てられた当時のままの風情を残した古民家がいくつもあって、それを何とか地域の活性化のために活かせないかと考えたのが、このプロジェクトの始まりでした」と徳田さん。当初、自治体で観光関係の仕事をしていた徳田さんが、この地区に残る「旧山崎家住宅」の活用提案に手を挙げたのがその第一歩。残念ながらその提案は不採用となったが、その後も古民家活用の模索を続けるなかで出会ったのが「安田邸」だった。
農林水産省の農泊推進事業など、地域・産業活性のために国や行政が用意したスキームを活用するため、思いを共有できる地元の仲間たちと一般社団法人を設立。宿泊施設を計画した。「幸いにもさまざまな人とのつながりに恵まれて、建築家はもちろん、ロゴなどのデザインを手掛けるデザイナーや、フードディレクターなど、たくさんの方と一緒にプロジェクトを進めてきました」

日貫は人口440人ほどの小さな村だ(写真撮影/福角智江)

日貫は人口440人ほどの小さな村だ(写真撮影/福角智江)

しかし、一番の課題は「どうやって人を呼ぶか」。客室を区切って複数の宿泊客を受け入れるゲストハウスのような構想も挙がったなかで、徳田さんが一番しっくり来たのが、「籠もれる宿」というコンセプトだったという。「1日1組のお客様が朝から夜までのんびりと心豊かに過ごせる、そんな空間づくり、おもてなしを目指しました」。「日貫一日」という名前も、そんな想いで名づけられたものだという。

日貫という地域の魅力をじんわり味わう、心温まるおもてなし

例えば料理。通常、ホテルでは調理された料理がテーブルに並ぶが、日貫一日では宿泊者自身が料理を楽しめるように、設備が充実したキッチンが用意されている。しかも、「日貫は農業が盛んで新鮮な野菜がたくさん採れますし、石見ポークや石見和牛も有名です。せっかくなので、そうした食材を存分に味わってもらえるように、こだわりの3種類のレシピを準備しました」。事前に依頼しておけば、必要な食材を冷蔵庫などに準備しておいてくれるしくみだ。

近所の農家さんから仕入れることも多いという新鮮な野菜(写真撮影/福角智江)

近所の農家さんから仕入れることも多いという新鮮な野菜(写真撮影/福角智江)

豚本来のヘルシーさと脂の美味しさを併せ持つ石見ポーク(写真撮影/福角智江)

豚本来のヘルシーさと脂の美味しさを併せ持つ石見ポーク(写真撮影/福角智江)

自分たちで料理して食べるのも楽しい「へか(日貫伝統 すき焼き)」。味噌が効いた甘辛いお出汁で、素材のおいしさを満喫。ごはんが止まらない!(写真撮影/福角智江)

自分たちで料理して食べるのも楽しい「へか(日貫伝統 すき焼き)」。味噌が効いた甘辛いお出汁で、素材のおいしさを満喫。ごはんが止まらない!(写真撮影/福角智江)

ほかにも、室内には日貫や周辺地域のものを多く備えてある。「独特の風合いの食器類は、邑南町の森脇製陶所のもの。香りもいい野草茶は、近所に住んでいる80歳のおばあちゃんが育てているもので、今朝、煎りたてを分けていただきました」。新鮮な野菜も、近所の農家さんから買い取っているものが多いという。和室のちゃぶ台の上には、「せいかつかのじかんにつくりました」とメッセージ付きで、地元の小学生による「日貫の生き物」の手づくり図鑑も置かれている。

地元の小学生が手描きでつくった日貫の生き物図鑑(写真撮影/福角智江)

地元の小学生が手描きでつくった日貫の生き物図鑑(写真撮影/福角智江)

安田邸で使われている茶器と、ご近所さんお手製の野草茶(写真撮影/福角智江)

安田邸で使われている茶器と、ご近所さんお手製の野草茶(写真撮影/福角智江)

時間が合えば、日貫を流れる川沿いにある荘厳な滝や、かつての庄屋さんの住まいだという立派な茅葺の住宅を案内してもらえることもある。田んぼのあぜ道をのんびり歩けば、畑仕事をしている住民たちと気軽に言葉を交わせる。「これ、持って帰りんさい!」とたくさんの野菜をもらったと、うれしそうに話してくれた宿泊者の人もいたという。
のんびり過ごすほどに味わいが増す、そんな場所だ。

大きな田んぼをトラクターで耕していたのは住人の草村さん。徳田さんの姿を見るとみんな笑顔で話しかけてくれる(写真撮影/福角智江)

大きな田んぼをトラクターで耕していたのは住人の草村さん。徳田さんの姿を見るとみんな笑顔で話しかけてくれる(写真撮影/福角智江)

宿から車で10分ほどのところにある「青笹滝の観音」。普段はもっと水流が多く迫力もあるそうで、角度によって観音様のように見えるのだとか(写真撮影/福角智江)

宿から車で10分ほどのところにある「青笹滝の観音」。普段はもっと水流が多く迫力もあるそうで、角度によって観音様のように見えるのだとか(写真撮影/福角智江)

日貫の庄屋を務めた旧家・旧山崎家住宅。立派な茅葺屋根が見事(写真撮影/福角智江)

日貫の庄屋を務めた旧家・旧山崎家住宅。立派な茅葺屋根が見事(写真撮影/福角智江)

フロント「一揖(いちゆう)」は住民との交流の場。人の集まるイベントも

「この場所に宿泊施設をつくるという話をしたとき、近所の人たちの多くは半信半疑のようでした。こんなところに泊まりに来る人が居るのか?と(笑)。しかし、プレオープンで試泊を受け付けていた半年ほどの間に、ほぼ毎日明かりがともるのを見ていた人も多いようで、少しずつ、興味を持ってくれる人も増えてきました」
カフェやイベントスペースとしても利用できる日貫一日のフロント「一揖」は、近所の人が集まることも多く、地域の人が気軽に集まっておしゃべりできる社交場にもなっている。かつて電子部品工場だったという建物をリノベーションし、「会釈する」という意味の「一揖」と名付けた。現在は、宿泊者の朝食場所になっているほか、日貫にコーヒーの焙煎所ができたことで、スタッフが焙煎した豆でコーヒーを淹れる、カフェ営業も定着してきている。

カフェやイベントスペースとしても利用できるフロント「一揖」。かつての部品工場時代を知っていて「なつかしい!」という人も(写真撮影/福角智江)

カフェやイベントスペースとしても利用できるフロント「一揖」。かつての部品工場時代を知っていて「なつかしい!」という人も(写真撮影/福角智江)

「一揖」のカウンターは、日貫一日のフロントであり、カフェのキッチンでもある(写真撮影/福角智江)

「一揖」のカウンターは、日貫一日のフロントであり、カフェのキッチンでもある(写真撮影/福角智江)

丁寧に淹れられるコーヒーの豊かな香りにも癒される(写真撮影/福角智江)

丁寧に淹れられるコーヒーの豊かな香りにも癒される(写真撮影/福角智江)

最近では、日貫に移住してきた若者が「食で繋がる 日貫の台所」と銘打って、「一揖」に集まって、地域のみんなでご飯をつくり、一緒に食べる、そんなイベントも定期開催。「今後は宿泊者も巻き込みながら、住人と宿泊者が交流できる場にもなればいいですね」(徳田さん)

地域の住人の皆さんが関わりやすい、「お仕事」スタイルで笑顔の循環

「日貫一日では、木製のお風呂の掃除や、朝食の支度など、地元のお母さんたちにお給料を払ってお手伝いしてもらってるんです。このプロジェクトを長く続けていくためには、地域の方を巻き込みながら、いかに楽しく運営していけるかが大切だと思うんです」と徳田さん。
地域おこしというと、ボランティアという形で関わるケースも少なくない。しかし、徳田さんたちがこだわるのは、興味をもってくれた人にあくまで「仕事」として、何らかの形で関わってもらえる機会をつくるということ。「きちんと報酬があるということが強いやりがいと人のつながりを生み、ひいては日貫全体を盛り上げていく力になると信じています」
朝食の支度にやってきては、「ええなぁ」と満足そうにテーブルに並んだ料理を眺めるお母さん。宿泊者の方から「野菜がおいしい!」という感想を聞いて、畑仕事にも力が入るお父さん。「日貫一日に関わることで、地域のみなさんの笑顔が増えるとうれしいですね」

日貫に縁を持つ次世代の若者たちをスタッフに迎え、持続可能な施設運営を

最近、日貫一日のスタッフに新たに2人が加わり、計3人になった。立ち上げメンバーである夫と一緒に日貫にやってきたという湯浅さん。邑南町に住むおじいちゃんと一緒に暮らすために京都の大学を卒業後に日貫に来たという倉さん。そして、以前は公務員をしていたが、日貫一日に興味をもって関わるようになったという、地元出身の上田さん。それぞれが不思議な縁をたどって、今は日貫一日で働いている。
「日貫を盛り上げたいという想いを継いで活動してくれる次の世代の存在はとても重要です。このスタッフがそろったことで、その布石ができました。今後は彼女たちも一緒に、プロジェクトを盛り上げていけたらいいですね」

日貫一日で働くスタッフのみなさん(左から2番目が徳田さん)。みんなそれぞれの縁で、このプロジェクトに関わっている(写真撮影/福角智江)

日貫一日で働くスタッフのみなさん(左から2番目が徳田さん)。みんなそれぞれの縁で、このプロジェクトに関わっている(写真撮影/福角智江)

取材の最後に、「今度は施設のすぐ裏にある神社の境内でマルシェを企画しているんですよ」と教えてくれた徳田さん。「昔のお宮さんのお祭りみたいな雰囲気で、フリーマーケットとかをしてもいいかな~」。そう話す徳田さんは笑顔満面。日貫に新たな人の笑顔が満ちるのが目に見える、そんな素敵な笑顔だった。

●取材協力
日貫一日

副業・多拠点生活・田舎暮らし、会社員でもやりたいことはあきらめない! 私のクラシゴト改革4

民間気象会社に勤めながら副業でカメラマンの仕事をしつつ、東京・京都・香川での3拠点生活を実現している其田有輝也(そのだ・ゆきや)さん。最初から柔軟な働き方が可能な職場だったのかと思いきや、其田さんの入社時点では、副業自体が認められていない環境だったそう。其田さんはどのように会社を説得し、現在の働き方・暮らし方を手に入れたのか?連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今、私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。副業を認めてもらうために、入社一年目で会社と交渉

其田さんは大学生時代、フリーランスのフォトグラファーとして活動する夢があった。

一年間休学して世界を旅しながら写真を撮ったり、ファミリーフォトやウェディングフォトの仕事を請けるなどして、独立の可能性を探っていた。しかし、単価の低い仕事を多く受けるスタイルから抜け出せず、フリーランスへの道は断念。卒業後は、大学で学んだ気象予報の知識を活かせる民間気象予報会社に就職した。

プロモーション関連の部署を希望していたものの、配属されたのは希望とは異なる部署。其田さんは、「これでは自分のやりたいことが全然できない生活になってしまう」と感じ、副業でフォトグラファーの仕事を始めることを思い立つ。

当時、其田さんの会社では、副業は認められていなかった。しかし、其田さんは諦めることなく、約半年かけて交渉を重ねた末、会社に副業を認めてもらったのだ。一体どのように会社を説得したのだろうか?

「会社で副業が認められていないからといって、社内の全ての人が反対しているわけではありませんでした。本当に大変でしたが、若手に対して柔軟な姿勢を持っていて、かつ人事系の要職に就いている方に、直接相談して、少しずつ自分の味方になってくれる人を増やしていきました」

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

其田さんは入社から2、3カ月を待たずして、会社と交渉を始める。新人の立場から会社に制度変更を訴えるのは勇気がいるはずだが、すぐに動いたのには理由があった。

「勤続年数が経ってから相談をすると、交渉のハードルがさらに高くなってしまうと思ったんです。副業で得たスキルや経験をどれぐらい会社にフィードバックできるのかを定量的に示さなければ、認めてもらえない気がして。でも一年目なら、そこまでシビアな要求はされないのではと思い、早めに行動しました」

それでも、説得する際には、副業で得られるスキルを会社に還元できる旨を、会社側にはっきりと伝えたという。

「副業を始めてしばらく経ってから、気象予報士のキャスター名鑑作成の仕事や顧客Webサイトのデザインリニューアルを任せてもらったんです。キャスターの写真撮影にも、冊子やWebサイトのデザインにも、副業で得られたスキルが活きています。『副業は本業にも役に立つ』と口で言うだけでなく、少しずつ地道に行動で示したことで、会社の信頼を獲得してこれたのではないかと思います」

コロナ禍で分かった、会社員でいることの価値

其田さんのInstagramやnote、TwitterなどSNSのフォロワー数の合計は約5万人。カメラメーカーのキヤノンや定額住み放題サービスのHafH、バンシェアのCarstayのプロモーションを請け負うなど、フォトグラファーとしての活動の場を広げている。撮影するだけでなく、SNSでの発信に力を入れたり、自分のWebサイトを検索サイトの検索結果で上位表示させるなどの努力も地道に重ねてきた結果だ。

キヤノンのプロモーションに利用した写真(写真提供/其田さん)

キヤノンのプロモーションに利用した写真(写真提供/其田さん)

(写真提供/其田さん)

(写真提供/其田さん)

これだけの実力があるならば、会社員を辞めて、フリーランスになったとしても十分にやっていけそうだ。しかし其田さんは、「自分は副業としてフォトグラファーの仕事をすることが独自化や差別化、リスクヘッジになると思っています」と強調する。

「副業を始めたてのころは、外国人観光客の写真を撮る仕事を中心に手掛けていたんですが、その仕事はコロナ禍の影響でほとんどゼロになってしまいました。今は企業からプロモーションの仕事をいただけるようになったので、副業の収入は徐々に回復していますが、もし会社員でなかったら一時的に収入がゼロになっていたことを思うと、やっぱり会社員をやっていてよかったと思います」

収入だけでなく、メンタルの面でも、副業のメリットは大きいという。

「平日に通勤して、土日に副業をしていると、休みがないので体がきつくなることもあります。でも、副業は好きなことなので、どんなに忙しくても精神的な辛さはないですね。会社でストレスを感じる出来事があったとしても、副業でリフレッシュできるので、心のバランスを保つ上でも、副業は効果があるなと感じました。ただ、自己管理がちゃんとできていないと体調を崩してしまい、会社や取引先に迷惑をかけてしまうこともあり得るので、その点には注意が必要です」

築100年の古民家を購入。東京・京都・香川の多拠点生活へ

もともと、東京と京都を拠点にフォトグラファーとして活動していた其田さん。コロナ禍によりテレワークが認められると、同じくフォトグラファーとして働く妻が暮らしている香川県高松市を含めた、3拠点での暮らしを始めた。

(写真提供/其田さん)

(写真提供/其田さん)

其田さんが利用している、HafH加盟ホステルのWeBase高松(写真提供/其田さん)

其田さんが利用している、HafH加盟ホステルのWeBase高松(写真提供/其田さん)

HafHに加盟しているNINIROOM(京都)ラウンジでテレワーク中の其田さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

HafHに加盟しているNINIROOM(京都)ラウンジでテレワーク中の其田さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ところが、其田さんが始めたのはただの多拠点生活ではない。香川県でも街の中心部ではなく、田舎の築100年の古民家を購入し、田舎暮らしも同時に実現しようとしている。

仕事や暮らしに効率を求めるなら、拠点の場所は駅近がベストなはず。其田さんはなぜ、都心から遠く、しかも駅からも離れた場所に3拠点目を構えたのだろうか?

「都会でずっといそがしく働いていると、心がすり減ってしまう気がして。でも、田舎だけだと副業の単価がどうしても低くなってしまいがち。田舎と都会を行き来することで、心のバランスだけでなく、収入のバランスも保っていけるのではないかと考えました」

新たに物件を所有する場合、固定資産税や光熱費などの費用が発生する。多拠点生活において、こうした固定費は重くのしかかってくるのではないだろうか?

「香川県の古民家は、シェアハウスやゲストハウスとしての運営を視野に入れています。せめてランニングコストだけでも利用者と分担しあえる仕組みをつくれば、この暮らしを長く続けていけるのではないかと考えました。妻が現在もシェアハウスの経営をしているので、そのノウハウも活かしながら力を合わせてやっていければ。また、こんな変わった物件には、自分たちと共通する価値観を持った人たちが訪れてくれると思っています。ここで新しいコミュニティが生まれると思うと、今からすごく楽しみですね」

其田さん夫妻が自らの手でリノベーションを進めている香川県の古民家(写真提供/其田さん)

其田さん夫妻が自らの手でリノベーションを進めている香川県の古民家(写真提供/其田さん)

(写真提供/其田さん)

(写真提供/其田さん)

コロナ禍が追い風となって実現した現在の暮らしのメリットを、其田さんは次のように語る。

「時間を柔軟に使えることですね。以前は週5日出勤しなければならなかったので、地方へ出られるのは週末だけでした。でも今は、テレワークで会社の仕事をした後、すぐに副業やリノベーションの作業に移れます。1日の時間を無駄なく使えるようになり、この一年でガラッと生活は変わったなと感じています」

古民家の屋根を瓦から鉄の板に張り替える作業をしている。「これを土日だけやって東京と行き来していたら、全然終わらないんですよ(笑)。移動時間を挟まずに作業に取りかかれるから、働きながらリノベーションができるんです」(写真提供/其田さん)

古民家の屋根を瓦から鉄の板に張り替える作業をしている。「これを土日だけやって東京と行き来していたら、全然終わらないんですよ(笑)。移動時間を挟まずに作業に取りかかれるから、働きながらリノベーションができるんです」(写真提供/其田さん)

会社員をしながら、どこまでやりたいことをできるか挑戦中

フォトグラファーとしての副業、多拠点生活、田舎暮らし……と、次々と新しい挑戦をしてきた其田さん。今後については、「会社員をしつつ、地道にコツコツどこまでやりたいことを実現できるのか挑戦してみたい」と、意気込みを語る。

「今は働き方の選択肢が増えただけに、今後のキャリアについて悩んでいる方は多いと思うんです。そんな中で自分は、会社員とフリーランスを組み合わせながら新しいことに挑戦しつつ、テレワークや複業、多拠点の魅力を自身のSNSやメディアを通じて発信していきたいですね。もちろん、大変なことや辛いことも本当にたくさんあります。大切なのは諦めずに少しずつ前に進むこと。ちいさくはやく、行動に移すことが大切だと感じています。自分もまだ、もがきつつチャレンジしているフェーズなので、こんなやり方もあるんだと面白がってもらえたらうれしいです」

自分のやりたいことに向かって臆せず前進し続ける其田さん。その背中は、働き方や暮らし方に迷う私たちに、「会社員だからって、やりたいことをあきらめる必要なんてない」と、語りかけているように見える。

拠点の一つ、京都の東山での写真撮影をしている様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

拠点の一つ、京都の東山での写真撮影をしている様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

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空き家になった岡山の元呉服店の奥座敷を鎌倉に。時代や空間を越えて繋がる古民家移築物語

移築した古民家の新オーナーは歴史が刻まれた家屋を譲り受け、元オーナーは愛着ある建物を壊すことなく引き継ぐ。「私たちは、まさにWin-Winの関係です」と口をそろえるのは、鎌倉に移築された岡山の元呉服店の蔵付き古民家の新旧オーナー。前回は、見事によみがえった古民家の建物やインテリアの詳細を紹介した(URL入れる)。古民家移築再生は、時代や空間を越えて家が繋ぐご縁。今回はそんな蔵付き古民家を移築した鎌倉の小泉邸が完成するまでの過程や、工夫の数々をご紹介しよう。
立地、建物どちらかが気に入らず難航した家探しが、土地購入+古民家移築、で解決!

鎌倉に移築した古民家の施主である小泉成紘さんが住まい探しを始めたのは、いまから6~7年前の2012年ごろのこと。鎌倉の谷戸(丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形で鎌倉に多い)の雰囲気が好きで、そんな静かな場所にある趣ある家を求め、鎌倉から湘南エリアのさまざまな中古物件を見学した。しかし、いくら探しても立地と建物両方が理想的な物件に巡り合うことはなく、見学物件数は増える一方で難航。

イメージしたのは、学生時代に全国の旧道を自転車で廻った際に御世話になった山の中の古民家。自然豊かな環境の中での伝統的日本家屋のライフスタイルに憧れ、いつかそんな家に住みたいと思っていた。古民家やアンティークが好きで、10年以上前から日本民家再生協会(JMRA)のイベントなどにも参加していた。

中古一戸建ての住まい探しでは、思い通りの物件に出会えなかった小泉さん。そこで方向転換して、土地と建物は別々に探すことに。すると、ほどなく鎌倉の駅にも近い谷戸の大きなお屋敷の敷地が5分割され、売り出されるとの情報が。日本民家再生協会(JMRA)の事業登録者で鎌倉での古民家移築実績も多い建築家の大沢匠さん(O設計室)に相談し、土地はここに決定。建物は、「民家バンク」に登録された、空き家となって次の引き取り手を待っている古民家情報の中からイメージに合うものを求めて全国へ視野を広げた。実際に4~5軒見学した中で一目惚れしたのが、今回の岡山県の元呉服屋の蔵付き古民家だった。

Before:かつて岡山の旧道沿いで呉服店「和泉屋」を営んでいたという移築前の蔵付き古民家。平屋と蔵の西側には母屋があり、法事の際などは親戚が大勢集まりにぎわっていたが、この家の主亡きあとは空き家になっていた(写真提供:元オーナー・米本弘子さん)

Before:かつて岡山の旧道沿いで呉服店「和泉屋」を営んでいたという移築前の蔵付き古民家。平屋と蔵の西側には母屋があり、法事の際などは親戚が大勢集まりにぎわっていたが、この家の主亡きあとは空き家になっていた(写真提供:元オーナー・米本弘子さん)

After:敷地の関係で母屋は岡山に残し、平屋と蔵をそのままの配置で鎌倉に移築再生した小泉邸。「建物完成後は庭に着手、植栽が育つのが楽しみです。家は着々と進化中」(写真提供:新オーナー・小泉成紘さん)

After:敷地の関係で母屋は岡山に残し、平屋と蔵をそのままの配置で鎌倉に移築再生した小泉邸。「建物完成後は庭に着手、植栽が育つのが楽しみです。家は着々と進化中」(写真提供:新オーナー・小泉成紘さん)

縁側に並ぶ木製建具の美しさに一目惚れ、丁寧に手仕事で解体し、運ばれ、鎌倉で復元

「縁側にピシッと並んだ一本レールの木製建具の繊細な美しさが決め手でした。平屋部分は建物に敬意を払って、そのままの姿を復元することにこだわりました」という小泉さん。岡山の元呉服店で奥座敷の離れとして使われていた平屋は、明治時代の建築。それを手仕事で丁寧に解体し、鎌倉に運び、また元の通りに復元する。「古民家移築の工程の中で移築設計や現場監理が大変なのはもちろんですが、実は最も気を遣うのが解体です。古い建物だけに壊れてしまうと替えはありませんし、再生するときのことも考えながら、細かく番付けして設計図に反映していきます。解体には慎重さはもちろん技術が必要で、今ではこれができる職人も少なくなりました」と建築家の大沢さん。

明治時代の平屋と蔵をL字に配置して完成した小泉邸。縁側には波打つレトロなガラスの木製建具が正面7枚、左手に4枚、計11枚一本のレールに並ぶ繊細さ。平屋部分の木の風合いと蔵部分の漆喰の白と焼杉の黒のモノトーンのコントラストが印象的(写真撮影/高木 真)

明治時代の平屋と蔵をL字に配置して完成した小泉邸。縁側には波打つレトロなガラスの木製建具が正面7枚、左手に4枚、計11枚一本のレールに並ぶ繊細さ。平屋部分の木の風合いと蔵部分の漆喰の白と焼杉の黒のモノトーンのコントラストが印象的(写真撮影/高木 真)

(撮影/高木 真)

一本レールに木製建具が並ぶ繊細さに一目惚れしたため、引き違い用のレールを増やすことなく、あえて元の姿のままに再生。そのため、風雨をよけるため雨戸にしたり、通風のため網戸にする際は、ガラス戸を一枚ずつ外して入れ替えていくという手間も力仕事も伴う。不便さあっての美しさ、そして日本家屋での暮らしはひと昔前までこれが当たり前だった(撮影/高木 真)

一本レールに木製建具が並ぶ繊細さに一目惚れしたため、引き違い用のレールを増やすことなく、あえて元の姿のままに再生。そのため、風雨をよけるため雨戸にしたり、通風のため網戸にする際は、ガラス戸を一枚ずつ外して入れ替えていくという手間も力仕事も伴う。不便さあっての美しさ、そして日本家屋での暮らしはひと昔前までこれが当たり前だった(撮影/高木 真)

屋根の鬼瓦や棟瓦にあたる部分は、岡山の井原地域独自だという珍しい波模様の粋な形状。瓦の一部は劣化して耐久性に問題ありと診断されたため、足りない瓦は全く同じ形に複製して元の姿に復元された。一方、岡山では総瓦屋根だったが、それでは鎌倉では重厚過ぎると判断。上部を瓦、下部を銅板葺きに変更して街並みとの調和を図っている(写真撮影/高木 真)

屋根の鬼瓦や棟瓦にあたる部分は、岡山の井原地域独自だという珍しい波模様の粋な形状。瓦の一部は劣化して耐久性に問題ありと診断されたため、足りない瓦は全く同じ形に複製して元の姿に復元された。一方、岡山では総瓦屋根だったが、それでは鎌倉では重厚過ぎると判断。上部を瓦、下部を銅板葺きに変更して街並みとの調和を図っている(写真撮影/高木 真)

そのままの姿に復元、オリジナルの工夫を盛り込んで設計変更、古民家移築は自由自在

岡山にあった「母屋」「離れ」「蔵」の3つの建物からなる古民家のうち、敷地の関係で「離れ」の平屋と「蔵」の2つが移築された小泉邸。平屋は外観・内観共に元の姿に忠実に復元され、おもてなしスペースに。一方蔵は、生活空間として元の構造を活かしつつ、全面的に設計変更。それぞれに、現代ならではの新たな工夫やチャレンジがみられることも興味深い。

(写真撮影/高木 真)

おもてなしスペースとして、元の姿に忠実に復元された二間続きの和室。ところが床の間の上の小さな引き戸を開けると、なんと奥のキッチンと繋がる設計上のアイデアが盛り込まれている。「開放すると想像以上に気持ちいい風が通り抜けて驚きました」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

おもてなしスペースとして、元の姿に忠実に復元された二間続きの和室。ところが床の間の上の小さな引き戸を開けると、なんと奥のキッチンと繋がる設計上のアイデアが盛り込まれている。「開放すると想像以上に気持ちいい風が通り抜けて驚きました」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

小泉邸の蔵の2階は構造材を全てそのまま見せるデザインの勾配天井にして、更に中央の白い漆喰壁を大画面としてプロジェクター投影ができる大空間。「元々の蔵は倉庫のため、窓も少なく天井も低めのつくり。蔵を快適な生活空間にするため、元の構造材に60センチ分足して天井を高くしたり窓も増やすなどの設計上の工夫をしています」と建築家の大沢さん(写真撮影/高木 真)

小泉邸の蔵の2階は構造材を全てそのまま見せるデザインの勾配天井にして、更に中央の白い漆喰壁を大画面としてプロジェクター投影ができる大空間。「元々の蔵は倉庫のため、窓も少なく天井も低めのつくり。蔵を快適な生活空間にするため、元の構造材に60センチ分足して天井を高くしたり窓も増やすなどの設計上の工夫をしています」と建築家の大沢さん(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

キッチンは造作で、古民家だけに天板はあえてステンレスや人造大理石でなく木に挑戦。使用したのはもちろん古材、群馬の養蚕農家の梁を入手して加工した、厚みがある松らしき一枚板(写真撮影/高木 真)

キッチンは造作で、古民家だけに天板はあえてステンレスや人造大理石でなく木に挑戦。使用したのはもちろん古材、群馬の養蚕農家の梁を入手して加工した、厚みがある松らしき一枚板(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

椹(さわら)の浴槽に大正時代のアンティークのステンドグラスが映える浴室。壁はなんと漆喰塗り。湿気の多い鎌倉でこれを実現するためには、湿気がこもらないように、浴室部分の基礎コンクリートを土台から立ち上げ、スノコ下はそのまま排水と通気ができるよう工夫されている(写真撮影/高木 真)

椹(さわら)の浴槽に大正時代のアンティークのステンドグラスが映える浴室。壁はなんと漆喰塗り。湿気の多い鎌倉でこれを実現するためには、湿気がこもらないように、浴室部分の基礎コンクリートを土台から立ち上げ、スノコ下はそのまま排水と通気ができるよう工夫されている(写真撮影/高木 真)

昔ながらのヒューズを使った配電盤も特注品。これをつくれる職人さんを探すのも一苦労だったという(写真撮影/高木 真)

昔ながらのヒューズを使った配電盤も特注品。これをつくれる職人さんを探すのも一苦労だったという(写真撮影/高木 真)

歴史ある家を新たな場所で再生する「古民家移築」は、日本の伝統的木造建築ならではの技

移築前には現在の持ち主で古民家移築の施主である小泉さんが岡山に訪れ、移築後は元オーナー一族が鎌倉に逆訪問。取材時も、元オーナーの米本さん親子が遊びに来ていた。「岡山にあったころから空き家になってしまい、自宅も離れているため定期的に掃除に行くのも負担になっていました。処分には解体費用も掛かるし、なんといっても思い出が詰まった家です。民家バンクに登録したときは、バラバラに解体され木材になってしまうと覚悟していただけに、家がそのまま残って感激しています」、と感慨深げ。いまや岡山を離れ全国バラバラに住む親戚たちも、鎌倉の小泉邸を見学に来て、思い出話に花が咲いたという。まさに家が繋ぐ縁、そのものだ。

明治時代に2間続きの和室で行われた結婚式(写真左:提供元オーナー・米本弘子さん)と、現在の小泉邸に元オーナーである米本さん親子が訪ねてきた際の写真(写真右:撮影/長井純子)。全く同じ造りの和室で、岡山にいると錯覚するほどだという

明治時代に2間続きの和室で行われた結婚式(写真左:提供元オーナー・米本弘子さん)と、現在の小泉邸に元オーナーである米本さん親子が訪ねてきた際の写真(写真右:撮影/長井純子)。全く同じ造りの和室で、岡山にいると錯覚するほどだという

気になるのは、古民家移築のコスト面。「古民家移築の建築コストの目安は一般的な新築の2~3割増しでしょうか」と建築家の大沢さん。空き家となった古民家は無償で譲り受けることができるので、これらの材料費は基本不要、成約時に日本民家再生協会(JMRA)への紹介料のみ。ただし、特に繊細な作業と技術を要する解体費と移送費が新築にない費用としてプラスされる。やりようによっては安くもなるし、こだわるとキリがなく、コストは千差万別だという。小泉邸の場合、元の形に復元することにこだわったため解体費を含めて4250万、坪単価は約145万。確かに割高になるものの、この本物ならではの魅力と歴史の重みには変えがたい。

「築100年の家を再生したら、少なくともあと100年、築200年なら200年は持ちます」と大沢さん。「敷地の関係で岡山に残した母屋も素晴らしい建物、活用されることを願っています」と小泉さん。日本各地に数多く残る古民家を一棟でも多く残したい、という思いは、小泉邸の移築再生に関わった人全員共通だ。

秋田の酒蔵を鎌倉に移築し2002年完成した「結の蔵」も建築家・大沢さんの設計によるもの。古いものを大切にする鎌倉の象徴的撮影スポットのひとつで、大沢さんのO設計室もこの一室に入居している(写真撮影/高木 真)

秋田の酒蔵を鎌倉に移築し2002年完成した「結の蔵」も建築家・大沢さんの設計によるもの。古いものを大切にする鎌倉の象徴的撮影スポットのひとつで、大沢さんのO設計室もこの一室に入居している(写真撮影/高木 真)

1997年に設立された日本民家再生協会(JMRA)は、日本の伝統文化である民家を蘇らせ次代に引き継ぐため、情報誌や書籍の発行、各種イベントを定期開催。民家を譲りたい人と譲り受けたい人を取り持つ「民家バンク」もあり、情報誌「民家」には登録された民家の情報が掲載されている(写真撮影/長井純子)

1997年に設立された日本民家再生協会(JMRA)は、日本の伝統文化である民家を蘇らせ次代に引き継ぐため、情報誌や書籍の発行、各種イベントを定期開催。民家を譲りたい人と譲り受けたい人を取り持つ「民家バンク」もあり、情報誌「民家」には登録された民家の情報が掲載されている(写真撮影/長井純子)

築百年を超える家も、移築して再生されることで建築法上は「新築」扱い。そして、百年の年月を経て強度も増した木材は、更に百年は持つという。時代や空間を越えてご縁を繋ぎ、次世代に繋がる家。取材を通じて、出会った施主である現オーナー、元オーナー、建築家を始めとする工事関係者、そして何より家自体が喜んでいるのを感じる。空き家は増加する一方、日本全国に残る古民家が一つでも多く壊されることなく次世代に繋がることを心より祈る古民家在住ライターであった。

●取材協力
NPO法人 日本民家再生協会(JMRA)
O設計室

築100年超の蔵付き古民家を鎌倉に移築再生、妥協無しで理想を追求したこだわりの家

鎌倉の静かな住宅街に、岡山の蔵付き古民家を移築再生した小泉さんの住まい。2019年2月に行われた完成披露のオープンハウスには、大正時代の蔵と明治時代の平屋を組み合わせたその存在感ある建物を一目見ようと、一日で130名を超える見学者が訪れた。『渡辺篤史の建もの探訪』取材時に渡辺さんをも「感動しました」と唸らせた、妥協無しの本物ならではのこだわりがつまった小泉邸をご紹介しよう。
岡山の呉服屋だったお屋敷の明治時代の蔵と平屋が、鎌倉で蘇る

この移築古民家の施主である小泉成紘さんが、鎌倉・逗子・葉山のエリア限定で、趣のある日本家屋を探し始めたのは今から6~7年前。しかし多くの中古物件を見学したものの、立地と建物、どちらも気に入るものはなく、住まい探しは難航した。どちらも譲れない小泉さんが最終的に選択したのは、理想の土地を新規で購入し、そこに別の場所で空き家となった古民家を移築するという古民家移築再生だった。

選んだ土地は、鎌倉駅にも近くて山を背負った谷戸の趣も残る静かな住宅地。建物は日本民家再生協会(JMRA)を通じて出会った、かつて呉服屋だった岡山県のお屋敷の大正生まれの平屋と明治生まれの蔵。縁側にガラス戸が綺麗に並んだ古民家の写真に惹かれ現地を見学、実際に築100年を超す建物の本物ならではの風格や味わいに惹かれ、この建物を忠実に鎌倉で再現したいと思ったという。

離れの座敷として使用されていた平屋と、2階建ての土蔵。敷地の関係で西隣にあった母屋を除き、職人の手仕事で丁寧に解体されたあと移送し、そのまま鎌倉で蘇った(写真撮影/高木 真)

離れの座敷として使用されていた平屋と、2階建ての土蔵。敷地の関係で西隣にあった母屋を除き、職人の手仕事で丁寧に解体されたあと移送し、そのまま鎌倉で蘇った(写真撮影/高木 真)

明治時代のお座敷は、時代と空間を越えて忠実に元の姿に蘇り、次世代へと引き継がれる

それでは、こだわりのつまった小泉邸を、写真を中心にご紹介していこう。平屋部分は明治時代に呉服屋の奥座敷として使われていた二間続きの和室と縁側からなる日本の伝統的木造建築の粋を集めたつくり。ここは忠実に元の姿に復元し、来客時やイベントなどに使うおもてなしスペースにすることに。「元々この建物に惹かれたので、建材や建具などの部材ひとつたりとも変えたくなくて。瓦など劣化していると判断されたものもありましたが、現代では手に入らないものは特注でつくってもらいました」というほどのこだわりよう。

その甲斐あって、元のオーナーが訪れた際「岡山の家にいるよう」と感嘆するほどに、忠実に復元・再生されて蘇っている。

一目惚れした縁側は、一本レールに波打つレトロなガラスの木製建具11枚が並ぶ繊細なつくりをそのままに再現。庭の脇には薪ストーブ用の薪を収納する薪小屋を新設。薪小屋の屋根は今では希少な天然スレート瓦。「薪小屋には贅沢なようですが、室内からも外からも目につく場所なので」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

一目惚れした縁側は、一本レールに波打つレトロなガラスの木製建具11枚が並ぶ繊細なつくりをそのままに再現。庭の脇には薪ストーブ用の薪を収納する薪小屋を新設。薪小屋の屋根は今では希少な天然スレート瓦。「薪小屋には贅沢なようですが、室内からも外からも目につく場所なので」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

呉服屋の奥座敷として使われていた離れのニ間続きの和室。できるだけ忠実に元の空間を再現することにこだわり、間取りや建具などの部材がそのまま。さらに、元の古民家から円卓や箪笥などの家具も譲ってもらったため、まさに岡山の家そのものの空間が出来上がった(写真撮影/高木 真)

呉服屋の奥座敷として使われていた離れのニ間続きの和室。できるだけ忠実に元の空間を再現することにこだわり、間取りや建具などの部材がそのまま。さらに、元の古民家から円卓や箪笥などの家具も譲ってもらったため、まさに岡山の家そのものの空間が出来上がった(写真撮影/高木 真)

明治時代につくられたとは思えない、斬新なデザインの欄間(らんま)。職人さんの手仕事で丁寧に解体、壊れないよう岡山から鎌倉まで運ばれ、再び組み立てられ、時代と空間を越えて再生された(写真撮影/高木 真)

明治時代につくられたとは思えない、斬新なデザインの欄間(らんま)。職人さんの手仕事で丁寧に解体、壊れないよう岡山から鎌倉まで運ばれ、再び組み立てられ、時代と空間を越えて再生された(写真撮影/高木 真)

和室には珍しい洋風の重厚な上げ下げ窓が印象的で、当時はかなり斬新なデザインだったと推測される。二間続きの和室は、来客時やイベントの際のおもてなしスペースに(写真撮影/高木 真)

和室には珍しい洋風の重厚な上げ下げ窓が印象的で、当時はかなり斬新なデザインだったと推測される。二間続きの和室は、来客時やイベントの際のおもてなしスペースに(写真撮影/高木 真)

生活の場となる2階建ての蔵は、世界各国のアンティークを取り入れ和洋折衷のレトロ空間に

忠実に元の姿に復元された平屋に対して、2階建ての蔵は普段の生活スペースとして、建物の構造は活かしつつゼロベースで自由にプランニング。土蔵だった建物の構造は活かしつつ、趣味の空間や仕掛けがふんだんに組み込まれている。インテリアは元々好きだった世界各国のアンティークを取り入れて、和洋折衷なレトロ感あふれる個性的な仕上がりに。「イメージに合うアンティークものを一つひとつ自分でそろえて行きました。何でもできるので、かえって形にするのが大変で手間も時間もかかりましたね」と小泉さん。

蔵部分に設けられた玄関の扉は1920-30代イギリスのアンティーク。漆喰の白壁とのコントラストが美しい黒の外壁は焼き杉で、伝統を重んじつつ個性を演出(写真撮影/高木 真)

蔵部分に設けられた玄関の扉は1920-30代イギリスのアンティーク。漆喰の白壁とのコントラストが美しい黒の外壁は焼き杉で、伝統を重んじつつ個性を演出(写真撮影/高木 真)

玄関を入ると、1960年代ノルウエーの薪ストーブがある広い土間スペース。薪ストーブは土壁と相性の良い輻射熱式の全館暖房をと考え導入、2階の寝室まで吹抜けになっていて、生活空間である蔵スペース全体がこれひとつで温まる仕組みだ(写真撮影/高木 真)

玄関を入ると、1960年代ノルウエーの薪ストーブがある広い土間スペース。薪ストーブは土壁と相性の良い輻射熱式の全館暖房をと考え導入、2階の寝室まで吹抜けになっていて、生活空間である蔵スペース全体がこれひとつで温まる仕組みだ(写真撮影/高木 真)

蔵の1階は水まわりなどの生活スペース。イギリスやフランスの片田舎を思わせるキッチン、インテリアのポイントはブルーの勝手口ドア。これもフランスのアンティークで、実はこの家で一番高価だったという(約30万円)。キッチンはこのドアありきで設計が決まったそう(写真撮影/高木 真)

蔵の1階は水まわりなどの生活スペース。イギリスやフランスの片田舎を思わせるキッチン、インテリアのポイントはブルーの勝手口ドア。これもフランスのアンティークで、実はこの家で一番高価だったという(約30万円)。キッチンはこのドアありきで設計が決まったそう(写真撮影/高木 真)

造作キッチンの天板は群馬の養蚕農家の梁だった古材を加工したもの。「イギリス・ショーズ社のスロップ型シンクと水栓、ベルギーのスライス煉瓦、窓はアメリカのアンダーセンなど、パーツ一つひとつを厳選しました」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

造作キッチンの天板は群馬の養蚕農家の梁だった古材を加工したもの。「イギリス・ショーズ社のスロップ型シンクと水栓、ベルギーのスライス煉瓦、窓はアメリカのアンダーセンなど、パーツ一つひとつを厳選しました」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

玄関ホールからキッチンに通じる廊下も兼ねたスペースは、両側の防音仕様の扉を閉めると、ピアノ演奏のための防音室になる構造。壁紙はオランダのデザイナーもの、床タイルは市松模様にして機能性を追求する中にも遊び心が(写真撮影/高木 真)

玄関ホールからキッチンに通じる廊下も兼ねたスペースは、両側の防音仕様の扉を閉めると、ピアノ演奏のための防音室になる構造。壁紙はオランダのデザイナーもの、床タイルは市松模様にして機能性を追求する中にも遊び心が(写真撮影/高木 真)

なんともレトロな雰囲気のお風呂。椹(さわら)の浴槽に大正時代のアンティークのステンドグラス、壁はなんと漆喰塗り。水栓金具はテイストが合うものを求めて、フランスの現代ものエルボ社に(写真撮影/高木 真)

なんともレトロな雰囲気のお風呂。椹(さわら)の浴槽に大正時代のアンティークのステンドグラス、壁はなんと漆喰塗り。水栓金具はテイストが合うものを求めて、フランスの現代ものエルボ社に(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

トイレの床タイルも市松模様、便器はアメリカのコーラー社、手洗いにはフランスの陶器のガーデン用シンクを選んでレトロな雰囲気に。ポイントはアンティ-クのステンドグラスで、1920-30年代イギリスのロンデルガラス入り。トイレ側、玄関側、内外どちらから見ても美しい(写真撮影/高木 真)

トイレの床タイルも市松模様、便器はアメリカのコーラー社、手洗いにはフランスの陶器のガーデン用シンクを選んでレトロな雰囲気に。ポイントはアンティ-クのステンドグラスで、1920-30年代イギリスのロンデルガラス入り。トイレ側、玄関側、内外どちらから見ても美しい(写真撮影/高木 真)

2階へ階段で上がると、構造材を全てそのまま見せるデザインのダイナミックな寝室兼リビングの多目的空間。壁は土壁の中塗り仕上げ、中央は白い漆喰塗りにして、趣味の写真や映画、テレビもプロジェクター投影して大画面で見る仕掛け(写真撮影/高木 真)

2階へ階段で上がると、構造材を全てそのまま見せるデザインのダイナミックな寝室兼リビングの多目的空間。壁は土壁の中塗り仕上げ、中央は白い漆喰塗りにして、趣味の写真や映画、テレビもプロジェクター投影して大画面で見る仕掛け(写真撮影/高木 真)

白い漆喰壁の裏には、趣味のフイルム写真現像用の暗室スペースも(写真撮影/高木 真)

白い漆喰壁の裏には、趣味のフイルム写真現像用の暗室スペースも(写真撮影/高木 真)

勾配天井を活かした2階の大空間。築100年以上の木材がダイナミックに組み合わされた姿は眺めていて見飽きない。1階にある薪ストーブの配管が吹抜けになって、2階のこの大空間も温まる仕掛けだ(写真撮影/高木 真)

勾配天井を活かした2階の大空間。築100年以上の木材がダイナミックに組み合わされた姿は眺めていて見飽きない。1階にある薪ストーブの配管が吹抜けになって、2階のこの大空間も温まる仕掛けだ(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

インテリアのポイントとなる照明器具や時計などはもちろん、スイッチプレートやドアノブなどの小さな設備機器に至るまで、全て歴史ある古民家のテイストに合うものをと、小泉さん自らアンティークショップやインターネットなどで一つひとつ集めた。「真鍮のスイッチプレートを家一軒分の数そろえるのも結構大変でした」。この細部まで手抜きなしのこだわりが、本物の重厚感を生む(写真撮影/高木 真)

インテリアのポイントとなる照明器具や時計などはもちろん、スイッチプレートやドアノブなどの小さな設備機器に至るまで、全て歴史ある古民家のテイストに合うものをと、小泉さん自らアンティークショップやインターネットなどで一つひとつ集めた。「真鍮のスイッチプレートを家一軒分の数そろえるのも結構大変でした」。この細部まで手抜きなしのこだわりが、本物の重厚感を生む(写真撮影/高木 真)

緑豊かで静かな立地に、歴史が刻まれた古民家とそれにあう世界各国のインテリアを一つひとつ厳選して移築再生された小泉邸。その妥協無しの世界観は、実にお見事の一言。本物ならではの風格漂う古民家再生、実は古民家の部材などは基本無償だという。次回は、部材だけでなくその歴史ごと受け継ぐことができメリットの多い、「古民家移築」の仕組みや流れを中心に紹介しよう。

●取材協力
NPO法人 日本民家再生協会(JMRA)
O設計室

SDGs発信の拠点「鎌倉みらいラボ」として鎌倉市景観重要建築物・旧村上邸が生まれ変わった!

お屋敷の多い鎌倉の中でも、個人宅でありながら茶室や池のある日本庭園に加え、能舞台まであるといえば、その荘厳さの想像がつくだろうか。鎌倉市の景観重要建築物にも指定されているこの建物は、所有者であった村上梅子さんの「建物を残し、日本古来の良きものを伝える場に」との想いを受け継ぎ鎌倉市に寄付され、SDGs未来都市に選ばれた鎌倉市のモデル事業として新たなスタートを切った。そのお披露目会で公開された建物の詳細、保存活動の流れと今後の活用方法をレポートしよう。780坪(約2600m2)もの広大な敷地には、母屋と別棟の茶室があり、日本庭園も池がある立派なお屋敷だ(写真撮影/飯田照明)

780坪(約2600m2)もの広大な敷地には、母屋と別棟の茶室があり、日本庭園も池がある立派なお屋敷だ(写真撮影/飯田照明)

キーワードは「サスティナビリティ(持続可能性)」。継続的に、みんなで、関わる場に

旧村上邸は、鎌倉の旧市街地の中でもひときわ静かな西御門にある和風木造住宅。母屋には茶室や能舞台、敷地内には日本庭園や別棟の茶室もあり、能や謡曲の会、茶会などが行われて文化伝承や交流の場として愛されてきた。所有者である村上梅子さん(以下梅子さん)が2014年逝去し、遺志を継いで市に寄付されたのが2016年。2018年6月には内閣府から自治体SDGsモデル事業に選定され、ますますこの保存活用事業が注目されることに。

その後プロポーザル(※1)を経て、保存活用のための民間の事業主体がエンジョイワークスに決定、改修工事やイベントが実施された。そして2019年5月20日、企業の研修所や市民の文化活動の場として「旧村上邸―鎌倉みらいラボ―」がお披露目された。完成お披露目会には松尾崇鎌倉市長をはじめ、このプロジェクトを支えた約20名の来賓と報道陣がこの家の代名詞でもある能舞台に集まった。
※1.旧村上邸の保存・活用する企画提案を市が公募し優れた提案を選ぶこと

SDGs未来都市に選定された鎌倉市の取り組みを語る松尾市長。お披露目当日は村上家の親族やご友人、事業主体者や工事関係者、研修運営関係者など旧村上邸に縁が深い方々が列席(写真撮影/飯田照明)

SDGs未来都市に選定された鎌倉市の取り組みを語る松尾市長。お披露目当日は村上家の親族やご友人、事業主体者や工事関係者、研修運営関係者など旧村上邸に縁が深い方々が列席(写真撮影/飯田照明)

鎌倉では街のあちらこちらで、この旧村上邸の近くでも古民家が取り壊されているのが現実。旧村上邸は鎌倉市の所有となり取り壊しは免れたものの、歴史ある大きな建物や敷地を安全に活用するための改修には莫大な費用が掛かるうえに、継続的な維持管理も必要になる。たとえ国や市からの補助金が出たとしても、一時的なもの。この静かで緑豊かな環境を維持しながらこれだけの規模のお屋敷を活用していくためには、官だけでなく、市民、企業みなが一体となって継続的に関わっていく仕組みが必要だった。

大切にされたお屋敷の和の趣を残しながら耐震性をクリアして多目的に活用しやすく

では、具体的な改修のポイントを紹介していこう。最も大きな課題だったのが耐震性だ。昭和14(1939)年以前に建てられた母屋は耐震補強が必要だったものの、筋交いや耐力壁を設けてしまっては、この荘厳な日本家屋や能舞台が台無しになる。趣を損なうことなく、大空間を残しながら耐震性を高め安全に活用できる建物にする方法が検討され、「仕口ダンパー」を採用。一棟で、なんと80~90個もの仕口ダンパーを使って柱と梁の接続部を補強したという。それでも安全性を考慮し、2階建ての建物だが2階部分は使用しない判断がなされた。

能舞台というこの建物の特徴的な大空間の趣を壊さず耐震補強するため、目につく部分とつかない部分に分けて2種類の仕口ダンパーで補強された(写真撮影/飯田照明)

能舞台というこの建物の特徴的な大空間の趣を壊さず耐震補強するため、目につく部分とつかない部分に分けて2種類の仕口ダンパーで補強された(写真撮影/飯田照明)

入口近くの計28畳の和室は、趣を変えないよう畳敷きのまま会議室に。和室ならではのフレキシブルさで8畳ふたつ、6畳ふたつの4部屋に仕切ることもできるし、オープンな大空間として使用することも可能。和室としてはもちろん、写真のように畳の上で使えるテーブルと椅子もある。新しくWifiも完備され、ホワイトボードやプロジェクター、スクリーンなど、会議に必要な備品も用意された。

畳敷きで和室の風情を残した会議室で、庭の緑を眺めながらの企業研修に。和室4室に分けることも、オープン28畳の大空間として使うことも可能。4時間利用で5万円のところ、オープン割引期間は1万5000円、一日利用は3万円(写真撮影/飯田照明)

畳敷きで和室の風情を残した会議室で、庭の緑を眺めながらの企業研修に。和室4室に分けることも、オープン28畳の大空間として使うことも可能。4時間利用で5万円のところ、オープン割引期間は1万5000円、一日利用は3万円(写真撮影/飯田照明)

梅子さんが居室にしていたという家の中心部のニ間続きの和室は、じゅうたん敷きに変更してラウンジスペースに。こことキッチンは、会議室利用者が研修時の休憩スペースや憩いの場として活用できる。

ソファやじゅうたんも古民家に合う和の色合いで、欄間の梅の模様ともマッチしている(写真撮影/飯田照明)

ソファやじゅうたんも古民家に合う和の色合いで、欄間の梅の模様ともマッチしている(写真撮影/飯田照明)

元の間取りをベースに、入口脇の和室と能舞台をそれぞれ貸し出しスペースに。その他を共用部分として手を加え、ラウンジやキッチン、トイレも男女別に増設された。別棟の茶室はそのまま茶室として貸し出し(写真提供/エンジョイワークス)

元の間取りをベースに、入口脇の和室と能舞台をそれぞれ貸し出しスペースに。その他を共用部分として手を加え、ラウンジやキッチン、トイレも男女別に増設された。別棟の茶室はそのまま茶室として貸し出し(写真提供/エンジョイワークス)

静かな伝統ある古民家で、10年後、100年後の自分たちのあるべき姿を考える

梅子さんが足袋を履かずに上がることを許さなかった、というほど大切にしていた荘厳な能舞台は、そのままで企業研修、講座、お稽古など多目的に使用する場に。座布団や椅子を並べることができるが、場の雰囲気を壊さないよう神社仏閣などで使われる椅子を選び、さらに椅子の脚裏には能舞台を傷付けないようフェルトを付けるなど配慮されている。

旧村上邸の特徴である日本庭園に面した能舞台。最大収容30名程度で、能のお稽古はもちろん、椅子や座布団で講座や研修などにも。4時間で3万5000円、一日7万円(写真撮影/飯田照明)

旧村上邸の特徴である日本庭園に面した能舞台。最大収容30名程度で、能のお稽古はもちろん、椅子や座布団で講座や研修などにも。4時間で3万5000円、一日7万円(写真撮影/飯田照明)

梅子さん百寿を記念してつくられた冊子には、2002年当時、能舞台で多くの観客を前に笛を吹く梅子さんの姿が。多くの人に愛された場であったことが伝わってくる(写真撮影/飯田照明)

梅子さん百寿を記念してつくられた冊子には、2002年当時、能舞台で多くの観客を前に笛を吹く梅子さんの姿が。多くの人に愛された場であったことが伝わってくる(写真撮影/飯田照明)

別棟の茶室は炉も切られ、水屋もある本格的なつくり。独立感もあるため個室として、お茶のお稽古はもちろん、10名までの少人数の集まりなどに使用できる。

別棟の茶室は4時間で1.5万円のところ、オープン割引料金1万円、1日(8時間)2万円で利用可能(写真撮影/飯田照明)

別棟の茶室は4時間で1.5万円のところ、オープン割引料金1万円、1日(8時間)2万円で利用可能(写真撮影/飯田照明)

旧村上邸再生にあたっては、補助金だけでなく一般からの投資も受けるため投資型クラウドファンディングも募集し、目標金額900万のところ、見事120%の目標達成にて終了。投資家特典は施設利用割引券や企画会議参加権などということからも、市民の関心の高さがうかがえる。イベントにも多くの市民が参加して、実際に障子の張り替えやペンキ塗り、暖簾の草木染めなど、普段触れることが少なくなった昔ながらの暮らしの手仕事を体験する貴重な機会となった。

威風堂々とした門構えの「旧村上邸―鎌倉みらいラボ―」。所有者であった村上梅子さんにちなんで梅のマークの草木染の暖簾は、市民参加のワークショップを開催し手づくりされた(写真撮影/飯田照明)

威風堂々とした門構えの「旧村上邸―鎌倉みらいラボ―」。所有者であった村上梅子さんにちなんで梅のマークの草木染の暖簾は、市民参加のワークショップを開催し手づくりされた(写真撮影/飯田照明)

梅子さんの百歳を祝う「百寿の会」には瀬戸内寂聴さんも村上邸を訪れ、その日のことがエッセーに書かれているというから、その交友関係の広さには驚くばかり。そうやって梅子さんが日本古来の良きものを伝え、交友を広げてきた場が、いまもここに存在している。

100年先の未来に伝えるべき事、そのためにこの10年自分ができること。実際梅子さんは100歳をこの家で迎え、最後までこの家で暮らした。この家も正確な築年数は不明だが、80年前の昭和14年には既に建っていることから、100歳に近いといわれる。そんな100年という時の流れをリアルに感じるこの場所で、日常を離れ、自分が、会社が、鎌倉が、日本が、世界が、より幸せであるために何ができるか考えるために、これ以上ふさわしい場所はない。これから市民も参加可能なお茶体験や手仕事のイベントも企画されている。目の前にあるものを五感で味わい、次世代につなげるべきものを生み出す場として楽しみに活用していきたい。企業研修担当者の皆さん、非日常で斬新な研修場所、ここにあります!

(写真撮影/飯田照明)

(写真撮影/飯田照明)

窓の外には緑豊かで池もある本格的な日本庭園が広がる。会議室、能舞台、茶室,それぞれの利用もでき、全館利用の場合は9時から17時の8時間で15万円。オープン割引中は8時間が10万円、4時間なら5万円に(写真撮影/飯田照明)

窓の外には緑豊かで池もある本格的な日本庭園が広がる。会議室、能舞台、茶室,それぞれの利用もでき、全館利用の場合は9時から17時の8時間で15万円。オープン割引中は8時間が10万円、4時間なら5万円に(写真撮影/飯田照明)

●取材協力
旧村上邸 ―鎌倉みらいラボ―
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古都鎌倉の街並みを守れ!市所有「旧村上邸」を通じてSDGsを考える

9月は“秋バテ”に注意? 家でできる予防策を紹介!

暑かった2018年、夏。ようやく少し気温が下がってきました。でも実は、この時期も体調管理に注意が必要。特に冷房を酷使した今年は、今ごろになって体調不良をおこしている人が多いのです。それが秋バテ。その原因を調査し、対処法を探りました。
自律神経が乱れることで起こる、秋バテの症状

2018年は猛暑を通り越した酷暑でしたね。7月23日、埼玉県熊谷市では最高気温が41.1度と、国内の観測史上最高気温を更新。

最近は少し暑さも落ち着いてきて一安心……と思いきや、身体のダルさを感じる方も多いのでは?暑さのピークは過ぎたのに、どうして? と不思議に感じるかもしれませんが、実はこの時期、秋バテに注意が必要なのです。

夏バテはよく聞くけれど、秋バテとは? 免疫やアレルギー疾患などに詳しい、医師の清益 功浩(きよます・たかひろ)氏によれば、秋バテの主な原因は、気温差による自律神経の乱れだといいます。

「暑い季節から涼しくなると交感神経が優位になり、逆に涼しかったのに暑くなると副交感神経が優位になります。ところが寒暖差が激しくなる秋には、気温による刺激が目まぐるしく入れ替わり、交感神経・副交感神経のバランスが崩れてしまいます。それがだるさにつながり、さまざまな体調不良が引き起こされるのです」(清益氏)

今年のような猛暑の後、秋口は気温差が大きく、例年より秋バテになる可能性も高そうです。さらに9月は依然残暑も厳しい季節。朝晩の気温が下がるものの、日中は真夏並みの30℃を超えることも多く、1日の寒暖差も激しくなります。

秋バテになりやすい気候の今、予防策はあるのでしょうか?

秋バテを防ぐために、エアコンで部屋が冷えすぎないよう注意する

秋バテの季節に追い打ちをかけるのが、強い冷房。夏の間に下げた設定温度のままだと、秋には低すぎます。冷えた室内環境が、体感する寒暖差を広げ、また朝まで冷房をつけっ放しにすることによって、睡眠中に体が冷えてしまうことも。

「エアコンの設定温度は本来であれば、28度ぐらいで十分。でも、エアコンの効きによっては、28度では暑すぎると感じる人もいるでしょう。そんな場合は設定温度を下げてもよいのですが、こまめに設定温度を変えたり、就寝時にタイマー機能をセットしたりして調節してください。部屋を冷やしすぎず、一定の温度を保つことが大切です」(清益氏)

今年の夏は冷房の設定温度を下げてもなかなか室温が下がらず、エアコンの設定を低めにしていた人も多いと思います。ところが夏の設定温度のままでは、秋になって室温が下がりすぎていたということになりがち。センサーやAIで室温を快適に保ってくれる高機能エアコンもありますが、一般的にはエアコン任せにしておくと、冷えすぎたり、蒸し暑いままになってしまったりと、なかなか適温になりませんよね。

「体が冷えると免疫力が下がるという問題もあります。睡眠をしっかりとって適度な運動をし、入浴時に湯船で体を温めるなど、免疫力アップの対策も必要です」(清益氏)

熱中症対策に必須の冷房。残暑が厳しいうちは活用するべきですが、寒暖差をつくりだしたり体を冷やしすぎたりという弊害もあるのですね。こまめに冷房をつけたり消したりすることも必要ですが、実はエアーコントロールが上手くいかない原因の一つに、家の構造問題があるようです。

夏に温度が上がりやすく、冷房が効きにくい。日本の住宅の問題点

実はエアコンの効き方には、家の構造も大きく関係しているそうです。「日本の住宅は断熱性能に問題があり、外気の影響を受けやすく、エアコンの効きも悪くなります」と指摘するのは、東北芸術工科大学の建築・環境デザイン学科教授で、設計事務所「みかんぐみ」の竹内 昌義(たけうち・まさよし)氏。省エネルギー住宅の専門家です。

「日本の住宅は、通気性を重視して断熱性を軽んじる伝統があります。『家の作りやうは、夏をむねとすべし』という『徒然草』の時代からの伝統があり、開放的な住宅が良しとされてきました。しかし現代日本の気候は、この文章が書かれた鎌倉時代に比べて格段に暑さが厳しく、夏も風通しがよいだけでは太刀打ちできません」(竹内氏)

断熱性の足りない家は、空気が常に家に入り込み、また逃げていきます。熱しやすく冷めやすく、またエアコンの空気が外に漏れるため、冷房も効きにくいそう。これでは、気温の高い日中は設定温度を低くしないと部屋が涼しくなりませんし、逆に外気が冷えると部屋が寒くなりすぎてしまう。つまり、家が秋バテを加速してしまうのです。

「断熱がしっかりした家は、外気の熱が侵入しにくいので、そこまで室内温度が上がりません。また室内の温度調節した空気をしっかりと保持してくれるので、冷房効率もよいのです。また夜間の冷房による寝冷え防止にも、断熱は有効です。日照がない夜に暑さがおさまらない原因は、コンクリートの蓄熱性。鉄筋コンクリート造の家は、昼間の熱射を溜め込んでしまうのですが、しっかりと断熱していればそんなことはありません。断熱性能の高い家は夏の夜の寝苦しさも、ぐっと緩和されます」(竹内氏)

温暖化が進んだ現代、地面をアスファルトに覆われた日本の気候には、昔ながらの家はフィットしない(画像提供/PIXTA)

温暖化が進んだ現代、地面をアスファルトに覆われた日本の気候には、昔ながらの家はフィットしない(画像提供/PIXTA)

今住んでいる家の断熱をアップして秋バテを防ぐ方法は?

冷房による冷やしすぎも防げて、さらにエネルギー効率も良い断熱住宅。しかしながら、日本の住宅は今のところ断熱住宅の基準を満たす住宅が少ないそう。

「国土交通省の資料によると、2020年に義務化が検討されている『改正省エネ基準』に達している家は、日本全体の5%程度です」(竹内氏)

つまり、今のところ日本の住宅のほとんどが、断熱性能が足りていないということ。一体どのようにすれば、現在住んでいる家の断熱性をアップして、上手に冷房と付き合えるのでしょうか。

「天井や窓から熱が入ってくるので、天井裏に断熱材を敷き詰めたり、二重窓にしたりするとよいですね。窓に関しては、断熱ブラインドを活用する方法もあります。その際は窓のサイズにぴったりと合ったものを選んでください。また、昔ながらの“よしず”*を立てかけるだけでも、効果はありますよ」(竹内氏)

*“よしず”とは、葦を編んだ日よけ。立てかけて使用する。

酷暑に冷房を使って熱中症を防ぐことは大切ですが、気候が変化する秋口にもエアコンを乱用する癖が抜けないと、今度は冷房のせいで体調を崩すこともあります。
冷房でのエアーコントロールに加えて、家の性能をアップする工夫や、免疫力を高める努力もして、健康的に新しい季節を迎えたいですね。

●取材協力
・All About 「医師 / 家庭の医学」ガイド 清益 功浩(きよます たかひろ)
・設計事務所「みかんぐみ」

BEAMS流インテリア[4] 新しいのに懐かしい、ビンテージ好きが選んだ経年変化を楽しむ古民家暮らし

渋谷のBEAMS MEN SHIBUYAでショップマネージャーとして働く近藤洋司(こんどう・ひろし)さん。ファッションだけでなくインテリアもビンテージ好きで、住まいは築50年の平屋を全面リノベーションしたという徹底ぶり。鎌倉の高台に建つ、自然と古き良きものに囲まれた、ちょっと懐かしい感じがする古民家のお宅にお邪魔した。●BEAMSスタッフのお住まい拝見・魅せるインテリア術
センス抜群の洋服や小物等の情報発信を続けるBEAMS(ビームス)のバイヤー、プレス、ショップスタッフ……。その美意識と情報量なら、プライベートの住まいや暮らしも素敵に違いない! 5軒のご自宅を訪問し、モノ選びや収納の秘訣などを伺ってきました。経年変化で味わいが増し、価値が落ちないのがビンテージの魅力

鎌倉の築50年の平屋を一年がかりで探し、さらに約半年かけてリノベーションしたという近藤さん。ガーデニング関連の仕事をする妻と2人で住む新居だ。「神奈川出身なので、家を持つならなじみが深く自然豊かなエリアがいいと思い、鎌倉、逗子、葉山で古民家を探し始めました」

近藤さんは、住まいだけでなくファッションもインテリアのコレクションなども一貫して、大のビンテージ好き。ビンテージとの出合いは、中学生のころ。当時サッカーの中田選手や前園選手がビンテージ物の服を着こなしているのに影響を受け、古着に凝り始めたのだという。今でも古着好きで、仕事にもつながる筋金入りだ。

寝室のクローゼットコーナー3列のうち右側2列が近藤さん分。洋服の半分は新品、半分は40年代から70年代ものだという古着好き(写真撮影/片山貴博)

寝室のクローゼットコーナー3列のうち右側2列が近藤さん分。洋服の半分は新品、半分は40年代から70年代ものだという古着好き(写真撮影/片山貴博)

古着の次は、働き始めてから食器に凝り始めた。「いい食器があるとモテるかな、と思って(笑)」とビンテージの北欧食器、ARABIA(アラビア)の絵皿を約8000円で単品購入。そうするとシリーズでそろえたくなって、海外駐在していた姉に頼んだり、インターネットなどさまざまなルートで集めたという。

キッチンのオープンな収納棚には、シリーズごとにRORSTRAND(ロールストランド)やARABIAなどのビンテージ北欧食器がずらり(写真撮影/片山貴博)

キッチンのオープンな収納棚には、シリーズごとにRORSTRAND(ロールストランド)やARABIAなどのビンテージ北欧食器がずらり(写真撮影/片山貴博)

さらにビンテージのコレクションは家具、雑貨、インテリア小物などと、広がっていく。「新しい物より、古い物の方が好きです。ストーリーがあるし、何より本物だから」という近藤さん。「本当にいい物で新しい物は高くて手が出なかったり、数が限られていて手に入らなかったり。さらに新品は中古になった瞬間に価値が下がるけれど、ビンテージ物は価値が下がりにくいのも魅力です」。

古い日本家屋にインダストリアルなテイストを組み合わせた独自空間

新居を探す際、住まいも価値が下がらないビンテージをと考えた。ところが、中古住宅を見学しても、築20年や30年ではただ古いだけで、味わいがあるちょうど良い古さの家はなかった。物件探しを始めて約一年、ようやく鎌倉の高台に建つ築50年の平屋に出合う。古いうえに小部屋が多くて室内は暗く、空き家になって長いため、庭にはススキや雑草が生い茂っていた。それでも「おばあちゃんが住んでいそうな懐かしい感じ。縁側があって、木の建具やレトロなガラスなど、求めていたイメージにピッタリでした」。

早速、雑誌などで作品を見て設計依頼したいと思っていた宮田一彦アトリエさんと現地へ。海が近く湿気が多い鎌倉だが、高台なので古くても基礎や土台は傷んでいないとプロからのお墨付きをもらい、購入して暗く使いにくい間取りは全面的にリノベーションをすることにした。

昔ながらのレトロな木製建具が残る平屋に一目惚れして、これを活かしてリノベーションすることに。高台にあるので遠くの山並みも見えて眺めも良い(写真撮影/片山貴博)

昔ながらのレトロな木製建具が残る平屋に一目惚れして、これを活かしてリノベーションすることに。高台にあるので遠くの山並みも見えて眺めも良い(写真撮影/片山貴博)

リノベーションにあたって近藤さんからオーダーしたのは3つ。アイランドキッチンにすること、フローリングを山形杉の柿渋塗装(柿渋からつくった液による古くからある日本の塗装方法。時間経過によって味わい深い色へと変化していくのが魅力)にすること、物が多いので最大限の収納スペースをつくること。「作品例を見てテイストは気に入っていたので、基本的に間取りはお任せしました」。

近藤さんの住まいのビフォーアフター。4畳半を中心に細かく仕切られ暗かった約60平米を、仕切りを全て取り払い、LDK・寝室・水まわりのシンプルでオープンな空間に(近藤さん提供の間取図をもとにSUUMOジャーナル編集部にて作成)

近藤さんの住まいのビフォーアフター。4畳半を中心に細かく仕切られ暗かった約60平米を、仕切りを全て取り払い、LDK・寝室・水まわりのシンプルでオープンな空間に(近藤さん提供の間取図をもとにSUUMOジャーナル編集部にて作成)

そして出来上がったのは、大きなLDKと寝室と水まわりに分かれたオープンな空間。天井は全て構造材をむき出しにして、ギリギリまで天井の高さを利用してロフトをつくり、物を置けるようにして収納の悩みを解決した大胆なリノベーションだ。

LDKの中央にはステンレスのアイランドキッチン。照明はむき出しの蛍光灯と2つの50年代フランスの工業用照明がインテリアのポイントに(写真撮影/片山貴博)

LDKの中央にはステンレスのアイランドキッチン。照明はむき出しの蛍光灯と2つの50年代フランスの工業用照明がインテリアのポイントに(写真撮影/片山貴博)

LDKと寝室を仕切るのは大正末期の「蔵戸」といわれる重厚な引き戸。アンティーク家具ショップをはしごしてイメージに合うものを近藤さん自身が探した(写真撮影/片山貴博)

LDKと寝室を仕切るのは大正末期の「蔵戸」といわれる重厚な引き戸。アンティーク家具ショップをはしごしてイメージに合うものを近藤さん自身が探した(写真撮影/片山貴博)

寝室の奥には広くオープンなクローゼットスペース。「クローゼットの中は隠したいものではないし、使い勝手の面でも湿気対策面でも扉を付ける必要を感じません」(写真撮影/片山貴博)

寝室の奥には広くオープンなクローゼットスペース。「クローゼットの中は隠したいものではないし、使い勝手の面でも湿気対策面でも扉を付ける必要を感じません」(写真撮影/片山貴博)

収納は縦空間を利用、古い日本家屋にインダストリアルでレトロなインテリア

近藤さんの収納のポイントは、何といっても縦空間の活用。平屋の天井高をフル活用して、ロフトを収納スペースにしていることだ。「季節外の衣類や趣味のキャンプ用品など、かなりの量を収納できて助かっています」。

基本的に全て見せる収納。物はかなり多いほうだというが、これをきれいに見せる秘訣は「きれいに畳むことと、同じものを集めてメリハリをつけること」。なるほど、物をたくさん置くコーナーと、何も置かず、置く場合も間隔を空けてスッキリ見せるコーナーと、メリハリをつけているのだという。

玄関の上など天井裏は全て収納スペースに。かさばるシュラフは天井から吊るして見せて収納。まるでアウトドアショップの展示のようなこのコーナーには物を雑然と、間隔も狭くたくさん置いている(写真撮影/片山貴博)

玄関の上など天井裏は全て収納スペースに。かさばるシュラフは天井から吊るして見せて収納。まるでアウトドアショップの展示のようなこのコーナーには物を雑然と、間隔も狭くたくさん置いている(写真撮影/片山貴博)

洋服は色別・柄別にまとめてきれいに畳むのが見せる収納のコツ。床から天井まで、ハンガーポールの上部も靴などがびっしり(写真撮影/片山貴博)

洋服は色別・柄別にまとめてきれいに畳むのが見せる収納のコツ。床から天井まで、ハンガーポールの上部も靴などがびっしり(写真撮影/片山貴博)

季節外の衣類はアーミー風のトランクにまとめて収納。そのまま寝室のインテリアにもなっている(写真撮影/片山貴博)

季節外の衣類はアーミー風のトランクにまとめて収納。そのまま寝室のインテリアにもなっている(写真撮影/片山貴博)

ビンテージの北欧食器コレクションをディスプレイするため、天井から吊って食器棚をあらかじめ造り付けた。天井までの空いたスペースも季節外の衣類などの収納に(写真撮影/片山貴博)

ビンテージの北欧食器コレクションをディスプレイするため、天井から吊って食器棚をあらかじめ造り付けた。天井までの空いたスペースも季節外の衣類などの収納に(写真撮影/片山貴博)

インテリアも「好きな物を集めただけ」というが、全て徹底したレトロ。日本の古い物はもちろん、北欧、フランス、アフリカ、など国はバラバラだが、共通するのは古き良き懐かしいテイスト。「古い日本家屋にインダストリアルなテイストを組み合わせた」という狙いどおりの仕上がりになっている。

昭和の建具、50年代のフランスの照明、フィンランドの50年代のダイニングテーブルと椅子、これらが見事に調和している(写真撮影/片山貴博)

昭和の建具、50年代のフランスの照明、フィンランドの50年代のダイニングテーブルと椅子、これらが見事に調和している(写真撮影/片山貴博)

レトロな模様のガラス入りの建具や障子は、この家の雰囲気に合わせて近藤さんがアンティークショップ巡りをしてサイズが合うものを探し出した(写真撮影/片山貴博)

レトロな模様のガラス入りの建具や障子は、この家の雰囲気に合わせて近藤さんがアンティークショップ巡りをしてサイズが合うものを探し出した(写真撮影/片山貴博)

少し無理をしてでも本物を買う、という近藤さん。「模倣されたデザインの物が次々に生まれても、その原点である本物を知っていることは仕事の現場でも役に立ちます」。新品は買った時が一番新しく徐々に古くなっていくが、ビンテージ物は経年変化が味になって価値が落ちにくい。新品では手に入らない物でも、時間が経つと手に入りやすいというメリットもあり、自分の元に来るまでのストーリーごと楽しんでいるという。徹底したアンティーク好きのお洒落な古民家、初めて訪れたのに懐かしい気持ちになり和みました。

●取材協力
・BEAMS

逗子にたたずむ「和モダン」な住まい 季節を楽しむ演出とは?

住宅取材を長年続けてきた筆者が、心底憧れる住まい。それはご近所にある、お庭も素晴らしい入母屋造りの家。愛犬と暮らすSさんの、日常を大切にするライフスタイルにも惹かれています。建物ハードと住まい方ソフトの両面で、和と洋が融合した情緒ある和モダンのお住まいを紹介します。
緑青の銅屋根が美しい、和紙とガラス工芸が彩る住まい

神奈川県逗子市の里山に囲まれた谷戸で、ひときわ目を引く白壁の門構え。
緑青屋根のグリーンと木の濃い茶色が、白壁とのコントラストで美しく映える外観です。

茶色はガレージの折戸、今は閉じて中をギャラリーにリモデル。植栽のドウダンツツジは秋に紅葉して右写真のように鮮やかになる(写真撮影/(左)片山貴博・(右)Sさん)

茶色はガレージの折戸、今は閉じて中をギャラリーにリモデル。植栽のドウダンツツジは秋に紅葉して右写真のように鮮やかになる(写真撮影/(左)片山貴博・(右)Sさん)

玄関門扉の素晴らしさが、この家への関心を高めます。
よく見る豪邸の威圧的な門でなく、板引戸の渋さが“わびさび”感すら醸し出し、里山の自然に囲まれた街並みに調和しています。

庭の桜を背景にたたずむ門扉。正面の飾りや手前の鉢植えは季節毎に替わり、道ゆく人を楽しませてくれる(写真撮影/片山貴博)

庭の桜を背景にたたずむ門扉。正面の飾りや手前の鉢植えは季節毎に替わり、道ゆく人を楽しませてくれる(写真撮影/片山貴博)

玄関灯は、Sさんが大好きなガラス工芸の蝉(写真撮影/片山貴博)

玄関灯は、Sさんが大好きなガラス工芸の蝉(写真撮影/片山貴博)

取材時は陶器の時計が飾られていたが、お正月飾り(右)やクリスマスリースだけでなく天使の羽などバリエーション豊富(写真撮影/(左)片山貴博・(右)Sさん)

取材時は陶器の時計が飾られていたが、お正月飾り(右)やクリスマスリースだけでなく天使の羽などバリエーション豊富(写真撮影/(左)片山貴博・(右)Sさん)

門をくぐり、庭石のアプローチを進むと玄関。
こちらも合理的でシンプルで美しい、和のたたずまいには必須、引戸の玄関。

庭の花を愛でながら、自然石のアプローチを進む。木の造作が施されたガラス引戸(写真撮影/片山貴博)

庭の花を愛でながら、自然石のアプローチを進む。木の造作が施されたガラス引戸(写真撮影/片山貴博)

「どうぞ、お上がりください」と、Sさん。廊下の両側は、はめ込みガラスで庭を眺めながら入っていくと
「この扉、素敵でしょ。奈良の古い知人宅を取り壊すときに、もったいないからいただいたのよ」

見事な鶴が描かれた板戸、かなりな年代物のよう。高さや取手をリメイクして、この家で生きのびた幸せな鶴(写真撮影/片山貴博)

見事な鶴が描かれた板戸、かなりな年代物のよう。高さや取手をリメイクして、この家で生きのびた幸せな鶴(写真撮影/片山貴博)

「この貝殻、逗子海岸に犬と散歩に行く度に拾っていたら、こんなたくさんになっちゃった(笑)」
ゴミ拾いのボランティアをしていた所、砂浜で貝が“拾って!”ってSさんに向かって光っているのだそう……。

自分がきれいだと思うものを、好きなガラスの器に飾る。好きなものに囲まれて生活する心地よさを教えてくれた(写真撮影/片山貴博)

自分がきれいだと思うものを、好きなガラスの器に飾る。好きなものに囲まれて生活する心地よさを教えてくれた(写真撮影/片山貴博)

今回、顔出しNGのSさんですが、知人が描いたパステル画肖像でご紹介。何と、50歳から始めたフラメンコを踊る姿。
「フラメンコを見たとき、それまでの私は“自分”を生きていなかったことに気づいたの」と、フラメンコダンサーがりりしい眼差しで見栄を切る姿に魅了され習い始めたそうです。

この肖像は筆者(50歳代)と同じ歳のころのSさん。「フラメンコのおかげで足腰が鍛えられました」実は、20歳上の大先輩!(写真撮影/片山貴博)

この肖像は筆者(50歳代)と同じ歳のころのSさん。「フラメンコのおかげで足腰が鍛えられました」実は、20歳上の大先輩!(写真撮影/片山貴博)

廊下から居間へ入ると、庭に面した広縁のある畳10畳の和室が広がっています。
古材を利用した表しの梁は、年季の入った焦茶色。同色の造り付け家具と共に、落ち着いた古民家のような大空間です。

漆喰の壁に、和紙の創作照明が柔らかな光を映す(写真撮影/片山貴博)

漆喰の壁に、和紙の創作照明が柔らかな光を映す(写真撮影/片山貴博)

畳敷にテーブル&チェア、こんな風に和洋折衷のライフスタイルでくつろぐアイデアが満載のお住まいです。

居間の引戸の引手は、「安土桃山時代の形に七宝焼きでつくっていただいたの」(写真撮影/片山貴博)

居間の引戸の引手は、「安土桃山時代の形に七宝焼きでつくっていただいたの」(写真撮影/片山貴博)

こんな細部に伝統工芸のアイデア、宝探しのように見つけるとうれしくなります。

日本的な曖昧さが豊かさをもたらす、広縁のある暮らし

Sさんのお住まいは、約25年前に建てた木造2階建て。

「建てるときに注文したのは、屋根。迎賓館などで見る緑青の銅板屋根にしたかったの。私、色もねグリーンが好きなのよ」

屋根にこだわるなんて、素人考えではなかなか出てこない。Sさんの感性には、いつも驚かされている筆者。
旅先や雑誌などで見たもの感動したことを、自分でやって見るのだそう。

2層になった入母屋屋根の下、すだれは日除けと共に外観デザインのアクセントにもなっている(写真撮影/片山貴博)

2層になった入母屋屋根の下、すだれは日除けと共に外観デザインのアクセントにもなっている(写真撮影/片山貴博)

すだれは外部からの視界を遮る役目も。ちょうど、お向かい2階からの視線を遮ることができます。高い塀を立てずに、緩やかにプライバシーを守る技に脱帽。

外側はガラスサッシ戸、和室側は障子によって囲われた板張りの広縁(ひろえん)。室内との緩衝エリアとなっている広縁は、季節ごとに寒さを遮ったり、涼を運んだり。

Sさんは、その広縁にお気に入りのものを飾っていました。

この日は、珍しいガラス細工が施されたアンティークの噴水(ムラーノ島ヴェネチアングラス)。百合が活けられている花瓶も、やっぱり好きな緑色(写真撮影/片山貴博)

この日は、珍しいガラス細工が施されたアンティークの噴水(ムラーノ島ヴェネチアングラス)。百合が活けられている花瓶も、やっぱり好きな緑色(写真撮影/片山貴博)

こちら側の広縁は、愛犬Doriちゃんの特等席です!

Doriちゃんは、Sさんが保護団体から譲り受けた2代目の愛犬。Sさん宅にもらわれた犬は皆、元気に生まれ変わる(写真撮影/片山貴博)

Doriちゃんは、Sさんが保護団体から譲り受けた2代目の愛犬。Sさん宅にもらわれた犬は皆、元気に生まれ変わる(写真撮影/片山貴博)

庭と居間の間にある広縁は、その面積以上に生活を豊かにしてくれるもののようです。

6月はインテリアも衣替え、季節を感じる住まい方

玄関と広縁からも出られるお庭は、あまりつくり込まずに自然な趣にされています。

奥のほうには近所の子どもが遊べるよう、ブランコと鉄棒も(写真撮影/片山貴博)

奥のほうには近所の子どもが遊べるよう、ブランコと鉄棒も(写真撮影/片山貴博)

取材時、桜やお花の時期とズレてしまったのでSさんの写真をお借りしました。

かれんな“立てば”芍薬、“座れば”牡丹。Sさんのよう! (写真撮影/Sさん)

かれんな“立てば”芍薬、“座れば”牡丹。Sさんのよう! (写真撮影/Sさん)

お庭の花を花器に飾って、二度楽しむ。枝垂れ桜が和の住まいと調和する(写真撮影/Sさん)

お庭の花を花器に飾って、二度楽しむ。枝垂れ桜が和の住まいと調和する(写真撮影/Sさん)

キッチンからは裏庭が望めるよう、大きなフィックス窓。キッチンキャビネットは、やはりグリーン!(写真撮影/片山貴博)

キッチンからは裏庭が望めるよう、大きなフィックス窓。キッチンキャビネットは、やはりグリーン!(写真撮影/片山貴博)

お庭の四季を楽しむと共に、日本住宅の季節感ある伝統的な機能も見せて下さいました。
秋から冬、6月までは内側に障子戸を入れて寒さを防ぎながら、和紙の柔らかい空間で過ごす居間。

「障子の桟(さん)を少なくしたデザインをお願いしたの」、桟の入れ方次第で障子の表情も大きく変わるものだ(写真撮影/片山貴博)

「障子の桟(さん)を少なくしたデザインをお願いしたの」、桟の入れ方次第で障子の表情も大きく変わるものだ(写真撮影/片山貴博)

そして6月になったら、夏障子とも呼ばれる簾戸(すど)に替えるのです(わざわざ替えていただきました!)

Sさん邸の簾戸には萩が使われている。夏は風通し良く、日差しを遮る日本の伝統建具(写真撮影/片山貴博)

Sさん邸の簾戸には萩が使われている。夏は風通し良く、日差しを遮る日本の伝統建具(写真撮影/片山貴博)

そしてもう一つ、すてきなアイデアを拝見。和紙でつくられた四枚仕立ての屏風ですが、両面異なるデザインになっており、季節によって使い分けることができるようになっています。

クローバーが描かれた、淡いブラウン系の片面(写真撮影/片山貴博)

クローバーが描かれた、淡いブラウン系の片面(写真撮影/片山貴博)

もう一面は、アイビーが描かれた水色の屏風。「季節やイベントに合わせて使い分けるの」とSさん(写真撮影/片山貴博)

もう一面は、アイビーが描かれた水色の屏風。「季節やイベントに合わせて使い分けるの」とSさん(写真撮影/片山貴博)

ほかにも、キッチンのドアを暖簾(のれん)に替えるなど、インテリア小物でも季節を楽しむ住まい方を教えてくれました。

“天使が舞い降りる” 好きなものに囲まれると、家がパワースポットに

2階のプライベートゾーンにもご案内いただきました。
「天使がたくさん、居るわよ」と、早速、階段に天女のような絵がお出迎え。

ご友人の画家が描かれた絵、天女はSさんのイメージと重なる(写真撮影/片山貴博)

ご友人の画家が描かれた絵、天女はSさんのイメージと重なる(写真撮影/片山貴博)

「なんだか、天使が集まってくるのよね(笑)」と寝室にも、羽の生えた天使たちの絵が……

折り上げ天井で、空間に豊かさが増す寝室(写真撮影/片山貴博)

折り上げ天井で、空間に豊かさが増す寝室(写真撮影/片山貴博)

その天井には、ヴェネチアンガラスのシャンデリア。やはり!緑色があしらわれたもの(写真撮影/片山貴博)

その天井には、ヴェネチアンガラスのシャンデリア。やはり!緑色があしらわれたもの(写真撮影/片山貴博)

Sさんお気に入りのスペース・デザインは、この暖炉の一角。
「昔、スペインのホテル リッツのロビーで見たとき“これはすてき!”と思ったの」、そのアイデアを取り入れたそう。

部屋の角、三角に暖炉を取り、その上に直角にミラーを天井まで貼ることで、万華鏡のように部屋が映りこみ、ズーと奥まで部屋が広がって見える(写真撮影/片山貴博)

部屋の角、三角に暖炉を取り、その上に直角にミラーを天井まで貼ることで、万華鏡のように部屋が映りこみ、ズーと奥まで部屋が広がって見える(写真撮影/片山貴博)

2階の寝室は、1階の古民家風とは打って変わって洋館の雰囲気になっています。
部屋のドアとバスルームへのドアも、木製の開き戸。

左がバスルームへのドア、右が部屋のドア。対の小窓にも、天使!(写真撮影/片山貴博)

左がバスルームへのドア、右が部屋のドア。対の小窓にも、天使!(写真撮影/片山貴博)

天使とガラスが大好きなSさんがオーダーした、趣のある色彩がすてきなエッチングガラス(写真撮影/片山貴博)

天使とガラスが大好きなSさんがオーダーした、趣のある色彩がすてきなエッチングガラス(写真撮影/片山貴博)

バスルームには、洗面との壁にはめ込まれた大きなエッチングガラス(彫刻ガラス)の作品が!

エッチングガラスのデザインも空飛ぶ天使。洗面室の壁には寝室のシャンデリアと同じヴェネチアンガラスの、ブラケット照明(写真撮影/片山貴博)

エッチングガラスのデザインも空飛ぶ天使。洗面室の壁には寝室のシャンデリアと同じヴェネチアンガラスの、ブラケット照明(写真撮影/片山貴博)

天使が舞う魅惑の寝室空間でお話を聞いていると、何だか時空が歪むような感覚になってしまいました。
「天使にほほ笑まれて、ついつい欲しくなってしまってね(笑)」、好きなものに囲まれたSさんにとってはパワースポットのような家。

ふと、窓から外を見下ろすと……

2階寝室の眼下には、入母屋造りの緑青屋根が重なり、マンサクのピンクの花が広がっていた(写真撮影/片山貴博)

2階寝室の眼下には、入母屋造りの緑青屋根が重なり、マンサクのピンクの花が広がっていた(写真撮影/片山貴博)

この居間で、よく、お友達やご近所さんを招いてホームパーティーをしてくださるSさん邸。
「ボケ防止に、ここでマージャンをしたりね!」と、住生活の楽しみはますます広がっている様子。

テーブルは囲炉裏(いろり)も備え付けられ、冬に使う鉄瓶をつるしてみてくださった(写真撮影/片山貴博)

テーブルは囲炉裏(いろり)も備え付けられ、冬に使う鉄瓶をつるしてみてくださった(写真撮影/片山貴博)

今回じっくりお話を伺って、今まで気づかなかった家の細部に改めて魅了されました。
Sさんの趣味や旅、人との出会いで築いてこられた感性が、この家に集約されていて、住まいは人の鏡なのだと実感する取材でした。

古民家暮らしの魅力や注意点は? 実際の購入者に話を聞いた 古民家購入マニュアル(後編)

「憧れの古民家暮らしがしたい」。前編では、購入に関するノウハウをお伝えしましたが、後編の今回は、実際に古民家を購入し、新しい暮らしを手に入れた方々にお話をうかがいました。古民家暮らしの魅力や購入前のアドバイスなど、実際に購入した人たちの暮らしから探っていきましょう。
古民家を購入してカフェをオープン!DIYで心地よい空間を(30代夫婦)

まずお話を聞いたのは、「古民家で暮らしながらカフェをやりたい」と、東京都内から千葉県茂原市に転居。2015年に古民家を改装して「コーヒーくろねこ舎」をオープンしたKさん夫妻(30代)です。
古民家暮らしをしようと思った理由は、もともと夫が山形育ちとのことで、のびやかな環境で自分たちのペースで暮らしたいと考えていたから。「私は東京生まれ東京育ちですが、ゆったり暮らしたいっていうのは誰しも考えることですし、いつか自分でカフェを開きたいと思っていたので、住む場所は都会に限定しなくても」と古民家探しをはじめたそうです。

「数えきれないほど(笑)」物件を見学したKさん夫妻。じっくり探した結果、住む家とカフェが別々で設けられる2棟建て、敷地内に畑が設けられ、お客さんが駐車できる広い敷地など、希望を叶えた現在の場所を見つけました。

そこからはカフェオープンに向けてこつこつDIYで店舗づくり。「電動工具などそれまで触ったこともなかったのですが、いざやってみると大変だけど楽しかったですね」。サンダーで削ったり、床板をくぎ打ちしたり、少しずつ自分たちの色が広げていきました。「古民家ははじめて訪れてもどこか懐かしい空間が魅力だと思います。もともと好きだった古道具店めぐりや雑貨収集などもより楽しくなりました。テーブルや椅子も古道具を使っていくつか自作しているのですが、ちょっと曲がっていたりしても、この空間だから味になるというか」。そんな魅力を発見しながら、つい長居したくなる古民家カフェができました。

壁の漆喰塗から床の張り替え&自然塗料による塗装、近隣の古道具店などから手に入れたテーブルや椅子をカスタマイズ。Kさん夫妻が営む古民家カフェ「コーヒーくろねこ舎」の内装はすべてDIYでこつこつつくり上げられたもの。のんびりした風景と調和する優しい空間だ(写真撮影/山口俊介)

壁の漆喰塗から床の張り替え&自然塗料による塗装、近隣の古道具店などから手に入れたテーブルや椅子をカスタマイズ。Kさん夫妻が営む古民家カフェ「コーヒーくろねこ舎」の内装はすべてDIYでこつこつつくり上げられたもの。のんびりした風景と調和する優しい空間だ(写真撮影/山口俊介)

「貯蓄」と「地域共生」 古民家暮らし満喫のための大切な要素

そんなKさん夫妻のように、古民家カフェや古民家パン屋など、古民家暮らしと古民家を活かした事業を両立したいという人が若い人の中で増えています。ですが、Kさんは古民家暮らしには「夢や理想だけでは厳しい部分もあると思います」といいます。

「当たり前だと思いますが、購入前に貯蓄は必要だと思います。もし貯蓄が無かったら、当然生活のためにしたくない仕事をしなくてはいけなくなります。それではせっかくのびやかに自分たちのペースで暮らしたいという理想がかなえられませんよね。だから私たちは目標として、2年はお客さまが入らなくて、赤字になっても暮らしていける額を設定して、貯蓄してから購入しました」。もちろん新築に比べて固定資産税などがかからない特徴はありますが、自分たちの手で維持していくにもお金がかかるもの。住んですぐ引越さなくてはいけなくなるのは避けたいものです。特に事業を行うならなおさら注意が必要です。

もうひとつは近隣の方々とのお付き合い。古民家が立地する多くのエリアは、昔から代々住んでいる人が多く、また、土地ごとに風習、文化が色濃く残っていることも多いのが都会と異なる点です。

「ご近所付き合いは大切にしたほうが良いと思いますね。私はどちらかというと苦手なのですが、夫は得意な性分で、地元の消防団に入ったり、お祭りに参加したり、積極的にコミュニケーションをとって地域に参加しています。人との繋がりが広がっていくといろいろ発見がありますし、自分たちのペースで繋がる感じがすごく心地よいです」といいます。だからこそ「事前に住む地域がどんな文化的背景があるかや、地域の行事が充実しているかなどをしっかりリサーチしておくと良いかなと。そういう文化に積極的に触れられるのも、田舎の古民家暮らしならではだと思います」

「お客様はみなさんのんびり、ゆっくり過ごしていただいています」(Kさん)。古民家独特のどこか懐かしくて、落ち着きを感じる空間はリピーターも多いという(写真撮影/山口俊介)

「お客様はみなさんのんびり、ゆっくり過ごしていただいています」(Kさん)。古民家独特のどこか懐かしくて、落ち着きを感じる空間はリピーターも多いという(写真撮影/山口俊介)

アメリカの雄大な自然環境に触れ、古民家暮らしを決意

お次は千葉県長南町の古民家で暮らすトモ長谷川さん(50代夫婦と子ども)。実は日本を代表する銃器や刃物の写真家であり、大学時代は夫婦ともに建築学科で日本家屋を専攻していたというマルチな方です。

そんなトモ長谷川さんの古民家暮らしへの憧れは大学生時代。「東京に住んでいたのですが、競技射撃選手だったので、演習などでアメリカ・カリフォルニア州のヨセミテの近くの広大な原野で生活することも多かったんです」。そんな自然の中での暮らしに何度も触れたことから、「日本の都会に戻ってくると、周囲に配慮しすぎたり、自然に触れられない環境に徐々に息が詰まるようになって。また、日本国内で旅をすることも多かったのですが、なぜかひきつけられるように『古民家』の宿を泊まり歩いていて。いつしか古民家で生活したい!と思ったんです」。

自然あふれる田舎暮らしにあこがれて古民家暮らしを決意したトモ長谷川さん。時間を見つけてはさまざまな物件を見学し、現在の立派な長屋門が付いた由緒ある古民家を見つけて購入しました。古民家を購入する前と購入後でどんな変化があったのでしょう?

「私にとってはとても価値ある暮らしができていると実感しています。「自然がリビング」といえる環境を感じながらの暮らしは、都会ではなかなか味わえない。また、良さがどんどんわかってくるのも古民家ならではだと思います。使われている部材はもちろん天然素材で、アカマツなど今では希少な木材ばかり。それが長い年月を経たことにより、風合いやたたずまいに時が刻まれることで、自然がつくった彫刻品に住んでいるような気さえします」

森を背に広大な敷地に建つトモ長谷川邸。こつこつDIYで住まいを改装しながら暮らしている(写真提供/トモ長谷川さん)

森を背に広大な敷地に建つトモ長谷川邸。こつこつDIYで住まいを改装しながら暮らしている(写真提供/トモ長谷川さん)

(左)周囲に自生する山菜なども満喫。季節や自然を感じながらの食事は格別だそう(右)屋根裏部屋にDIYで子ども部屋を制作した。歴史を感じる梁や柱に囲まれての生活は、新築では味わえないという(写真提供/トモ長谷川さん)

(左)周囲に自生する山菜なども満喫。季節や自然を感じながらの食事は格別だそう(右)屋根裏部屋にDIYで子ども部屋を制作した。歴史を感じる梁や柱に囲まれての生活は、新築では味わえないという(写真提供/トモ長谷川さん)

掃除をすれば感動する!最初の印象にだまされないで

そんなトモ長谷川さんに、古民家暮らしを希望する人に向けたアドバイスも聞いてみました。
「実際の古民家探しで絶対に驚くのは最初の見学。古民家は雑然として、思わず「汚い」「ここに住めるの?」ってびっくりすると思いますよ。だから『まずは掃除から』と言いたいですね。自分が真っ黒になるまでぴかぴかにすると、ホコリや汚れの下に、年月を経たからこそ深まった古民家の良さを見つけられると思います。また、よく言われるのですが、最初から大きな改修は考えなくていいと思います。暮らしながら手をかけていく。それも古民家暮らしの醍醐味のひとつですから」

また、トモ長谷川さんが住む千葉県長南町のように、移住促進の補助金制度がある自治体も数多くあるといいます。

【例】長南町若者定住促進事業
・45歳以下の夫婦世帯に対して奨励金(上限200万円)を交付
・リフォーム補助

「自治体サポートのほか、私が古民家探しで相談した千葉房総ねっとさんの「田舎暮らし交流会」のような、先輩移住者からお話を聞けたり、実際の暮らしを見学できる集まりもあります。臆せずまずは飛び込んで、古民家、田舎暮らしの魅力に触れてみてほしいですね」

そんなトモ長谷川さんは、自身の経験を生かして「ウルトラ“古民家”防衛軍」という、古民家を通じた暮らし提案の活動も行っています。木工ワークショップや古民家リノベ見学会など多彩なイベントを行っているので、気になる人はホームページを覗いてみてはどうでしょう。

古民家、田舎で暮らすことで、コミュニティーつくりにも熱心に。「手をかけながら暮らす」という古民家暮らしの醍醐味を、木工ワークショップなどさまざまなイベントを主催して広めている(写真提供/トモ長谷川さん)

古民家、田舎で暮らすことで、コミュニティーつくりにも熱心に。「手をかけながら暮らす」という古民家暮らしの醍醐味を、木工ワークショップなどさまざまなイベントを主催して広めている(写真提供/トモ長谷川さん)

トモ長谷川さんが中心となって活動する「ウルトラ“古民家”防衛軍」。古民家を改修することで価値を付与し、有効活用する活動などを行っている(写真提供/トモ長谷川さん)

トモ長谷川さんが中心となって活動する「ウルトラ“古民家”防衛軍」。古民家を改修することで価値を付与し、有効活用する活動などを行っている(写真提供/トモ長谷川さん)

古民家暮らしの良さは、古民家だからこそ持っている歴史や年月、環境を感じながら暮らせること。そして自分で手をかけて暮らすことへの楽しさのようです。古民家だからこそ体感できる豊かな暮らしは、ますますこれからの家選びの大きな選択肢になっていくかもしれません。

●前編
・古民家が欲しいと思ったら? 覚えておきたいノウハウを紹介 古民家購入マニュアル(前編)●参考
・長南町若者定住促進事業 / リフォーム補助●取材協力
・コーヒーくろねこ舎
・ウルトラ“古民家”防衛軍

古民家が欲しいと思ったら? 覚えておきたいノウハウを紹介 古民家購入マニュアル(前編)

「古民家を購入して住みたい」と思っても、どこに相談したらよいか分からないという人は少なくないはず。税金、断熱と耐震、補助金なども、新築住宅を購入するときとはちょっと異なる制度・注意点などもありそうです。古民家購入前に知っておきたいノウハウや、実際購入した人の声を前後編でお届けします。前編の今回は、古民家購入のために覚えておきたい基礎知識について、「千葉房総ねっと」代表の武田新さんにお話をうかがいました。
そもそも古民家物件はどうやって探せばいい?

古民家には、明確な定義はありませんが、一般的に伝統的な木造建築工法で昭和初期までに建てられている日本家屋を指すそうです。当然築年数が相当に古く、普通の不動産会社ではなかなか取り扱っていません。

「専門誌を参考にしたり、古民家専門の不動産会社を探すことなどから始めましょう」と武田さんは言います。古民家専門の不動産会社は、インターネットで「古民家 物件」「古民家 購入」といったキーワードで検索すると比較的簡単に見つかりますし、「NPO法人 日本民家再生協会」(http://www.minka.or.jp/index.html)や「(一社)全国古民家再生協会」(http://www.g-cpc.org/)といった団体のホームページから探すのもおすすめだそうです。「建物の構造チェックや古民家建築に詳しい建築士情報など、扱う情報は団体ごとに特徴があるので、さまざまなウェブサイトをチェックするといいでしょう」(武田さん、以下同じ)

ここ数年、のんびり田舎暮らしがしたいというニーズに、インバウンドを狙った需要も高まり、古民家人気が高まっていると話す武田さん。「売買がすぐ決まることも多いので、気に入った物件はすぐに問い合わせましょう」(写真撮影/山口俊介)

ここ数年、のんびり田舎暮らしがしたいというニーズに、インバウンドを狙った需要も高まり、古民家人気が高まっていると話す武田さん。「売買がすぐ決まることも多いので、気に入った物件はすぐに問い合わせましょう」(写真撮影/山口俊介)

それ以外では、移住促進に力を入れている自治体などで広がっている、古民家を含めた空家物件の紹介事業や「空家バンク」などもあります。古民家情報を紹介するイベントなどを行っている自治体もあるので、住みたいエリアの自治体に問い合わせてみるのもひとつの手かもしれません。

「千葉房総ねっと」では、サイト利用者も参加できる「田舎暮らし交流会」を開催。古民家暮らしの先輩たちから直接話を聞くことで、地域の特徴や古民家暮らしを具体的にイメージできる(写真提供/田舎暮らし!千葉房総ねっと)

「千葉房総ねっと」では、サイト利用者も参加できる「田舎暮らし交流会」を開催。古民家暮らしの先輩たちから直接話を聞くことで、地域の特徴や古民家暮らしを具体的にイメージできる(写真提供/田舎暮らし!千葉房総ねっと)

古民家購入は、補助や税金メリットがあるって本当?

住みたいと思えるような古民家物件を見つけたら、次に気になるのが購入にかかるコスト。購入の流れは基本的に中古物件を購入する際と同じですが、実は古民家ならではの税金上のメリットがあります。

「古民家には築70年や100年という物件もざらにあるので、建物自体の価値が低く見積もられ、固定資産税が安いんです。そのほか、不動産取得税も少なくなりやすい。もちろん、物件によりますが、諸費用を抑えて購入できると考えてよいでしょう」

それだけでなく、前述の通り、移住促進事業などで補助金を出している自治体もあるため、購入コストだけでなく、住み始めてからの生活コストも抑えることもできるかもしれません。

ただし、古民家を購入する際には注意しておきたい点がいくつかある、と武田さんは言います。

「古民家は購入後そのまま住めるわけではなく、ほとんどの方が古民家を購入して、リフォーム、リノベーションを行います。その工事費用を見積もっておかなくてはいけません。特に古民家の修繕は熟練職人の力が必要な場合や、同じ部材がなく調達コストが思いのほかかかることもあるので、そうした手間なども考えておきましょう」

また、新築住宅購入の際に利用できる住宅ローン減税については、中古住宅購入と同じ減税制度を受けることができます。ただ、古民家の多くが1981年以前の旧耐震物件のため、制度の条件から外れる物件が多く、「ローン控除はないと考えたほうがよいでしょう」とのことです。

さらに、古民家ならではといえる特徴として「農地付き物件」の取得条件があるのだとか。「農地付き物件とは、文字通り、農地を所有する物件のこと。農地付き物件を取得するには、各自治体が発行する『農家資格」が必要です。就農しない場合は仮登記を行い、権利を保全する必要があります」

【古民家のなかには「農地付き物件」も。農地付き物件を取得するには農家資格が必要になる(写真/PIXTA)

【古民家のなかには「農地付き物件」も。農地付き物件を取得するには農家資格が必要になる(写真/PIXTA)

古民家の「断熱性」「耐震性」は大丈夫?

古い家であればあるほど機能や構造面も気になるところ。特に断熱性や耐震性は、快適で安心・安全な暮らしを送るために知っておきたいポイントですね。

「実は古民家暮らしで一番相談されるのが『寒さ』なんです。古民家暮らしをしている人たちも、集まれば『冬は寒いね~』が合言葉になるほど、正直冬は寒いです。複層ガラスのサッシや床下、天井に断熱材を入れることで断熱性能を上げることはできますが、基本的に古民家は田の字型間取りですべての空間がつながっていることが多く、風通しに優れているのが特徴です。天井まで吹抜けた家も多いので、古民家ならではの空間を活かすなら、断熱材を取り入れられる箇所が少ないんですよね。

そのため、冬は囲炉裏を囲み、かいまきを着て暖を取る人が多いですよ。ただ、庇(ひさし)が大きい分、直射日光をさえぎることができ、土壁など調湿性の高い素材を使っているので、夏は涼しいです。四季を感じながら暮らすのも古民家の魅力なので、せっかく古民家に暮らすなら、そのくらいの割り切りが必要だと思います」

「冬は背中の寒さを少し我慢しながら、囲炉裏を囲んで暖をとりながら団らんするなど、せっかく古民家暮らしなら、その醍醐味を味わってほしいですね」(武田さん)(写真/PIXTA)

「冬は背中の寒さを少し我慢しながら、囲炉裏を囲んで暖をとりながら団らんするなど、せっかく古民家暮らしなら、その醍醐味を味わってほしいですね」(武田さん)(写真/PIXTA)

東北や上越といった豪雪地帯の古民家であれば、防寒力が高いのでは?と聞いてみたところ、「雪が積もりにくい傾斜の屋根を持つなどは見受けられますが、基本的な構造は同じなのであまり差はありませんね」とのこと。寒さを感じながら暮らすのも一興ということです。

しかし、寒さは我慢できても、家が傾いては困ります。耐震性についてはどうでしょうか?

「考え方が真っ二つに分かれるところです。古民家の多くは1981年以前に建てられたいわゆる『旧耐震基準』の物件になります。耐震性担保の目安のひとつとして挙げられる新耐震基準ではありません。ただ、一方で80年も100年もずっと倒壊せず建ってきたという実績もあるんです。日本古来の建築の家は『揺れを逃がす』という特徴があります。ひとたび地震が来ると、自ら揺れることで倒壊せず耐えるものです。

どちらがよいかは専門家でも判断が分かれるところですが、古民家だから耐震性が低いと断じるのは早計だと思います。どうしても不安な場合は、インスペクター(診断士)など専門家に見てもらうのも手ですね」

もちろん金物を使って補強することもできますが、木組みの良さを損なうこともあるので、リノベーションの際に相談してみましょう。

武田さんに教えていただいたとおり、古民家を購入する際は、新築物件を購入するときとは違うポイントがあります。ただ、古民家が欲しいと思ったときに一番重要なことは「住んでから家に手をかけることを楽しめるかどうか」だと武田さんは話します。壁や床がはがれたり、建具の建てつけが悪くなるなど、新築以上に修繕が発生します。自分たちで、生活も家も紡ぎながら暮らす。それが古民家暮らしの醍醐味なんですね。

●取材協力
・田舎暮らし!千葉房総ねっと

なぜ売れる? 空き家専門マッチングサイト「家いちば」のノウハウとは

空き家の売り手と買い手をつなぐマッチングサイト、「家いちば」が話題を集めている。なぜなら、不動産会社が「売れる見込みがない」と取り扱いを渋るような、古い空き家が売れるというからだ。どうしてここでは売れるのか? 「家いちば」を運営する藤木哲也(ふじき・てつや)さんに話を聞いた。
掲載物件は住宅や飲食店、ホテル、郵便局までと幅広く

新聞やテレビで次々と取り上げられ、注目を集めている空き家のマッチングサイト、「家いちば」。2015年の立ち上げ以来、成約件数は徐々に伸び、17年10月からは月平均5,6件ペースだという。18年2月は9件だった。

一般的な不動産売買のポータルサイトのように、“中古だけど、それ以外の条件は◎”というたぐいの物件ばかりではない。それどころか、相当の築年数がたっていたり、長年放置され荒れていたり、周囲には交通機関らしきものが見当たらない不便な地域にたっていたりするものもある。

住宅が大半だが、ホテルなどの宿泊施設や郵便局などの施設、敷地や山林まで混じっているのも印象的だ。販売価格は、「タダでもいいからもらってほしい」といった0円のものから、1億円までと幅がある。

「空き家は売れないと言われますが、ニーズはあるんです。これまで成立した契約には、『自分には不要でも、他の人には魅力的な条件がそろっていた』というケースが多い。そんな幸福なマッチングがあって、空き家は売れていきます」と、サイトの運営者で不動産コンサルタントの藤木さんは話す。

掲載物件の一例、郵便局。約80組の購入希望者から問い合わせがあり、売却が決まった(画像提供/家いちば)

掲載物件の一例、郵便局。約80組の購入希望者から問い合わせがあり、売却が決まった(画像提供/家いちば)

掲載物件の一例。二世帯で暮らしていた母屋と離れを、引越しを機に売却希望。場所は福島県郡山市(画像提供/家いちば)

掲載物件の一例。二世帯で暮らしていた母屋と離れを、引越しを機に売却希望。場所は福島県郡山市(画像提供/家いちば)

売れるポイントは、“売り手自身が物件を紹介すること”にある

売買の仕組みはこうだ。空き家や空き地の売り手が、掲示板に物件の情報を投稿する。掲載は無料だ。買いたい人がサイトを通じて連絡した後、藤木さんらのサポートを受けながら、当事者同士で交渉を始める。交渉が成立したときは、宅地建物取引業の免許をもつ「家いちば」の運営会社、エアリーフローが、重要事項説明や契約書の作成をするなど、売買の手続きを行う。成約した場合のみ、物件価格の1.5~5%の仲介手数料をもらい受けている。

千差万別の物件がそろうなか、どうやってニーズの合う売り手と買い手が出会い、交渉成立に至るのだろうか。藤木さんによれば、そのポイントは、仕組みのなかの「売り手自身が、物件の紹介記事をつくることにある」という。売り手は、キャッチコピーの売り文句や物件の説明を書き、写真を提供している。運営者は、ほとんど手を加えない。

「当サイトでは、契約前には、売り手と買い手が直接交渉をします。それに備えて、ほとんどの売り手は、その物件の再建築不可などのネガティブな条件まで包み隠さずに書くんです。また、空き家と言っても思い出が詰まっている場合も多く、丁寧に使ってほしいという思いで、これまでの歴史などもしっかり書く。このように、一般的なポータルサイトなどと比べ建物の情報が多岐にわたることから、安心して交渉できるのではないでしょうか」と藤木さん。

「家いちば」のトップページ。売却物件の情報がずらりと並ぶ。※画像にある物件は撮影時の物件になるため、詳細は確認が必要

「家いちば」のトップページ。売却物件の情報がずらりと並ぶ。※画像にある物件は撮影時の物件になるため、詳細は確認が必要

サイトを通じて全国各地の売り手、買い手が結び付く

ここで、契約が成立した2つの例を紹介しよう。

まずひとつは、石川県の海沿いにある、築75年の古民家の例だ。25年以上空き家だったが、相続を機に売り手Aさんは売却を考え始めた。売れなければ解体する心づもりだった。

そんなときに見つけたのが「家いちば」だ。サイトを活用した理由についてAさんは、「掲載物件の所在地が限定されていなかったことと、所有者側の事情や希望を自分の言葉で語れるサイトだったこと。地方で、思い入れのある家を手放す人に合っていると思います」と話す。

その結果、現地を見に来て、由緒ある建物のつくりと、周囲の街並みにほれ込んだという買い手Bさんが現れた。契約は無事成立。ちなみに、買い手Bさんは今後、この建物だけでなく、街並みの維持にも貢献したいと考えているそうだ。

契約が決まった、石川県の築75年の古民家。重厚な能登瓦、外壁の下見板張りなど古民家の魅力があふれる(画像提供/家いちば)

契約が決まった、石川県の築75年の古民家。重厚な能登瓦、外壁の下見板張りなど古民家の魅力があふれる(画像提供/家いちば)

上記の古民家のあるまちの様子。連続する能登瓦と下見板張りの壁が風情を生む(画像提供/佐藤正樹)

上記の古民家のあるまちの様子。連続する能登瓦と下見板張りの壁が風情を生む(画像提供/佐藤正樹)

もうひとつは、鹿児島県の築40年の元花屋の店舗だ。売り手Cさんは4年前に身内が営業をやめてから売却を考えていたものの、リフォームにも解体にもコストがかかるなどの理由から、不動産会社経由では売れなかった。

「『家いちば』は、そういった不利な条件でも掲載できるので、利用してみることにしました」とCさん。情報の掲載から約1週間のうちに問い合わせが来て、契約に至った。買い手Dさんは東京都に住んでいるが、「家いちば」でこの物件を見て、付近に親戚がいるこのエリアと建物に興味をもち購入を決めたのだという。若者が集う場として再生したいと、今、計画を練っているところだ。

契約が決まった、鹿児島県の元花屋の店舗。以前は料亭だったため、天井の細部にその名残がある(画像提供/家いちば)

契約が決まった、鹿児島県の元花屋の店舗。以前は料亭だったため、天井の細部にその名残がある(画像提供/家いちば)

「その建物と、地域を大切にしたい」という気持ちを忘れずに

最後に、藤木さんに、空き家を購入するときの心構えやマナーを尋ねた。

「単に、タダだから譲り受けよう、安いから買ってみようなどとは、思わないでほしいんです。空き家の売り主のなかには、先祖代々の土地と建物を売ることに抵抗感がある人も多い。それを乗り越えられずにいるから、空き家になっているという事情もあるんですね。

『先祖代々の建物と土地を預かる』『近隣との昔ながらの付き合いを大切にする』という気持ちを忘れずに、また、その気持ちを売り手にきちんと伝えつつ、購入の交渉に臨んでいただきたいと思います」

今後、引越し先などで住まいや店舗を探すとき、こういったマッチングサイトや口コミを通じて、空き家活用を選択肢に加える手もありそうだ。空き家は流通にのっていないケースが多いので、契約時には宅地建物取引士など不動産のプロに、快適に住めるかどうか、リフォームが必要かなどは建築士など住まいのプロにアドバイスをあおぎたい。

そして、藤木さんの言うように、売り手の建物への思いや昔ながらの付き合いを継承するといった配慮を、念頭に置いてほしいと思う。

(構成・文/介川亜紀)

●取材協力
・家いちば