都市ではデザイナー、地方ではカフェ・宿オーナー。2つの人生を生きるという選択 「山ノ家」新潟県十日町市

空間のデザイン、状況と場のデザインを手掛けるデザインユニット「gift_」が、2012年に越後妻有(読み:えちごつまり 新潟県南部の十日町市、津南町の妻有郷と呼ばれる地域)につくった「山ノ家」は、空き家になった一軒家を1階はカフェ、2階をドミトリー(宿屋)にリノベーションしたもの。月半分ずつ東京と「山ノ家」で過ごしてきた「gift_」の後藤寿和さんと池田史子さんは、都心と田舎、それぞれになりわいを持ち、人々の交流を促す場づくりを行ってきました。「山ノ家」をオープンしてから10年。2拠点との関わり方を池田さんに伺いました。

1階にある「移民たちのカフェ」(画像提供/山ノ家)

1階にある「移民たちのカフェ」(画像提供/山ノ家)

都市と地方、「ダブルローカル」にそれぞれ別のなりわいを持つ

コロナ禍でテレワークが増え、オフィスだけでなくさまざまな場所で仕事をする人が増えました。20代・30代のビジネスパーソンやファミリーが地方に目を向けはじめ、二拠点生活への関心が高まっています。

「現在のいわゆる二拠点生活は、都心にメインとなる住まいや仕事を持ち、地方をサブとして空き家やシェアハウスに滞在しながら趣味や地域貢献をして過ごすスタイルが多いと思います。私たちが『山ノ家』を拠点に行っている二拠点生活はそれとは少し異なります。都心でデザインオフィスを経営しながら、『山ノ家』では、カフェやドミトリーなどの飲食店・宿屋の運営を月半々で行ってきました。2拠点目に都心とは全く別のなりわいと生活の場を持ち、地方をオフにするのではなく、生活という意味でも仕事という意味でも、どちらも『オン』として行き交うこと。それを私たちは『ダブルローカル』と名付けたのです」(池田さん)

旧街道筋に立つ一軒家をリノベーション。1階はカフェ、2階が素泊まりできるドミトリー(画像提供/山ノ家)

旧街道筋に立つ一軒家をリノベーション。1階はカフェ、2階が素泊まりできるドミトリー(画像提供/山ノ家)

越後妻有は、棚田や里山で知られる日本有数の豪雪地帯で、上越新幹線越後湯沢駅からローカル線で30分ほど、東京から約2時間の場所にあります。里山を舞台に2000年から3年に1度開催されている「大地の芸術祭」は、世界最大の国際芸術祭で多くの人が訪れます。前回2018年は約54万人の来場者数を記録しました。今年は「越後妻有 大地の芸術祭 2022」(4/29~11/13)が開催されています。

美しい棚田は越後妻有おなじみの風景(画像提供/山ノ家)

美しい棚田は越後妻有おなじみの風景(画像提供/山ノ家)

冬期は毎年4-5mを超える積雪があり、除雪は毎日、冬の間に数回にわたる屋根の雪下ろしも欠かせない(画像提供/山ノ家)

冬期は毎年4-5mを超える積雪があり、除雪は毎日、冬の間に数回にわたる屋根の雪下ろしも欠かせない(画像提供/山ノ家)

当時、東京の恵比寿・中目黒を拠点に事務所を構えていた「gift_」の池田さんと後藤さんが地方に目を向けるきっかけとなったのは、2011年の東日本大震災でした。

「電車や電気がとまり、店頭から商品が消えました。都市の脆弱さを思い知り、このまま消費するだけの場所にいていいんだろうかと思うようになったんです。震災から3カ月後、知人から、『新潟県十日町市の松代地区に空き家があって自由にリノベしていいから、空間づくりをするサポートをしてもらえないか』とお願いされて、とりあえず見に行こう! と現地へ向かいました」(池田さん)

豪雪地帯の一軒家をリノベーションしてカフェ&ドミトリーに

空き家のあった通りは、かつて宿場町として栄えた場所ですが、過疎高齢化が進んで、シャッター街に。そこで、外観を雪国の伝統的な古民家のように再生して、地域活性に繋げようという、当地に移住したドイツの建築家カール・ベンクスさんからの提案に十日町市が賛同して、外装工事の費用を補助していました。

街並み景観再生事業によって再生された街並み(画像提供/山ノ家)

街並み景観再生事業によって再生された街並み(画像提供/山ノ家)

「毎週末、3カ月くらい通いながら構想を練っていましたが、何だか担当者の方々の反応がおかしい。『もしかして、空き家のデザインだけでなく、その後も事業者としてここで何かやってほしいと考えていますか?』と改めて確認しましたら、『初めからそのつもりでした』と。私たちが関わる前からその空き家は街並み再生事業の第一号としてリノベされることが決定していながら事業者のいない空っぽの箱ではいけないということで、そもそもの事業者候補を探していたらしいのです。市の補助金の対象となるためには降雪が厳しくなり始める12月の中旬までには外装工事を終わらせなくてはならないことも告げられました。その時、すでに10月。あと2カ月あるかないか。たいへん厳しい状況。正直言って、私たちは積極的に「YES」と言ったわけではないのですが、「NO」と断る理由が見つけられませんでした。おそらくその時点ですでにそうした主体になることを何処かで感受していたのかもしれません」

とまどいながらも、「大地の芸術祭を受け入れているエリアなら、面白いことができるかもしれない」と考えた池田さんたちは、建物1階をカフェ、2階をドミトリーにリノベーションすることを決めました。しかし、市の補助金は外装工事の7割だけで、内装の予算はありません。当時、農業体験や地域活動をする人たちの移動手段として、十日町市が、東京まで往復するシャトルバスを無料で運行していたことを幸いに、大学生や社会人の皆さんにボランティアでリノベーションのサポートに通ってもらうことができ、「山ノ家」が完成しました。

全館Wi-Fi完備。短時間のオフィスとして使う人も(画像提供/山ノ家)

全館Wi-Fi完備。短時間のオフィスとして使う人も(画像提供/山ノ家)

「茶もっこ」「大地の芸術祭」のイベントで都心から人を呼び、地域の人と交流

「山ノ家」完成時には、東京で、200人のメディアを集めて、どんなことをしたくてどんなものをつくったのかの意思表明のプレス発表を行いました。「おそらくこれから先私たちのように単なる観光ではない”行き交う”人が増えていくだろう。そうした人たちにとって必要なものをつくってみたこと」を伝えたかったのです。

「リノベーションする間、泊まるところと食べるところに困っていました。普段のような食事ができて、コーヒーが飲めて、気軽に泊まれて、Wi-Fiが使える場所、それは私たちが最も欲しいものだったんです。10年前はゲストハウスのモデルケースが少なく、ドミトリーが成り立つのかは未知数。飲食店や宿の経営も初心者。お客さんを接待しながらベッドの準備をして家中の掃除をしてカフェ以外にも宿泊者の朝ご飯から晩ご飯も全部つくって。オープンしてからも手探りでした」(池田さん)

「gift_」は、空間デザイナーの後藤さんとクリエイティブディレクターの池田さんからなるデザインユニット(画像提供/山ノ家)

「gift_」は、空間デザイナーの後藤さんとクリエイティブディレクターの池田さんからなるデザインユニット(画像提供/山ノ家)

「大地の芸術祭」開催中にオープンした「山ノ家」の利用者は、海外からの観光客やアーティストがほとんどでした。お客さんでにぎわう状況ではじまりましたが、芸術祭が終わったとたん、「山ノ家」の前は、人通りが全くなくなってしまいました。

「本当の日常が現れたんですね。こんなにいなくなるのかと驚きました。地方にいるという現実に背筋を正して向き合うことになったんです。そこで、都市圏から人を呼ぶため、都市と地域、両ベクトルで楽しめるイベントを企画するようになりました。地元の人が先生になって都心の人が教わるイベントを行ったり、地元のお祭りに出店したりするうちに、必然的に私たちも地域活動に参加するようになっていきました」(池田さん)

地元の人に草餅のつくり方を教わるワークショップ(画像提供/山ノ家)

地元の人に草餅のつくり方を教わるワークショップ(画像提供/山ノ家)

春の山菜採り。コゴミやウド、フキノトウをてんぷらに(画像提供/山ノ家)

春の山菜採り。コゴミやウド、フキノトウをてんぷらに(画像提供/山ノ家)

地元との関わりが深くなったきっかけは、「茶もっこ」でした。軒先に旅人を招いてお茶をふるまう風習で、宿場町で行われていた文化です。かまくらでどぶろくを飲む「かまくら茶もっこ」を開催したのを皮切りに、山ノ家周辺の数軒が家開きをして、地元の人がそれぞれに地酒や得意の手料理でもてなすイベントに発展して大好評に。2013年からコロナ禍までの7年間、夏、秋、冬の3シーズン「茶もっこ」イベントを行いました。

「かまくら茶もっこ」の様子(画像提供/山ノ家)

「かまくら茶もっこ」の様子(画像提供/山ノ家)

(画像提供/山ノ家)

(画像提供/山ノ家)

「茶もっこ」に、周辺の住民も参加。もてなされるお客さんは首都圏から来る人、市内や近隣から来る人、アーティストたちなどさまざま(画像提供/山ノ家)

「茶もっこ」に、周辺の住民も参加。もてなされるお客さんは首都圏から来る人、市内や近隣から来る人、アーティストたちなどさまざま(画像提供/山ノ家)

2015年には、芸術祭チームから依頼を受けて、廃校になった奴奈川小学校を芸術祭の拠点施設「奴奈川キャンパス」として再生するプロジェクトに参加しました。給食室をカフェテリア「GAKUSYOKU」にリ・デザインして、立ち上げから3年間「山ノ家」が運営しました。メニューは、地元のお母さんたちによる「サトごはん」と、都市圏拠点の料理人たちによる「マチごはん」。地元名産の妻有豚や山菜など同じ食材を使いながら、全く異なる料理を、同時に一つのお盆で楽しめるカフェテリア形式で提供しました。

サトごはんとマチごはんが並ぶ(画像提供/山ノ家)

サトごはんとマチごはんが並ぶ(画像提供/山ノ家)

「東京でデザインの仕事をして、『山ノ家』に来たら、お皿を洗って野菜を刻んで料理をつくって、お客さんの寝床の準備をして隅々までお掃除して……ってことを延々とやっていました。ここでの仕事もなりわいとして成り立たせるため、きれいごとではなく生きるためにやる必要がありました。ただ、やるからには自分たちらしく本気でやりたかったんです」(池田さん)

よそ者の視点を持ち続ける「半移住」という選択

開業当時から「山ノ家」の利用者は、海外からの観光客が半分以上ですが、移住体験の人も訪れるようになりました。そうした来訪者だけではなく、カフェには農作業を終えたあとの地元のお父さんや女子会をするお母さんたちの姿もあります。

カフェメニューは、地元の食材を使ったキーマカレーやキッシュ、ガパオなどのアジアご飯や地中海料理です。郷土料理にこだわらず、インテリアデザインも都会的です。コロナ禍で自粛していましたが、2022年の夏、カフェを2年ぶりに再会。今後は、「山ノ家」のコンセプトに共感してくれる人を募って、メンバーズシェアハウスにするため、ドミトリー部分にシェアキッチンや共有のランドリースペースをつくる予定です。

「観光で単発に宿泊するというよりは、リピーターが利用しやすい形態にと。サブスクによって連泊がしやすくなったり、シェアハウスのようにもうひとつの生活の場として使っていただけるようにしたいと考えました」(池田さん)

棚田玄米とレンズ豆のサラダ仕立て。クルミやゴボウの素揚げをトッピング(画像提供/山ノ家)

棚田玄米とレンズ豆のサラダ仕立て。クルミやゴボウの素揚げをトッピング(画像提供/山ノ家)

「山ノ家」定番メニューの旬菜のキッシュ(画像提供/山ノ家)

「山ノ家」定番メニューの旬菜のキッシュ(画像提供/山ノ家)

都会の人、地元の人、年齢も職業もさまざまな人が交流(画像提供/山ノ家)

都会の人、地元の人、年齢も職業もさまざまな人が交流(画像提供/山ノ家)

当初、「完全移住はしないんですか?」と地元の人に聞かれることが多かったという池田さん。地域と交流を続けるなかで、まわりの見方も変わっていきました。象徴的だったのは、十日町市役所で作成している市報が「山ノ家」の姿勢をとりあげてくれたこと。タイトルは「半移住という選択」でした。

「私たちは、永遠のよそ者。知らないことがあって当たり前。合わせすぎなくていいと思うんです。例えば、商工会に属していても、飲み会が苦手なので参加できないと最初から言っています。無理なことは無理でいい。地方から都市を見た視点と都市から地方を見た視点、別々の、複数の視点を得たことがダブルローカルそのものなんです。いつまでも新鮮なよそ者としての視点を持ち続けたいです」(池田さん)

プレ移住のために十日町市を訪れた人も立ち寄り、「山ノ家のような場所があるなら、移住しても大丈夫かな」という声が寄せられているそうです。「ダブルローカル」を行き交いながら、2つの人生を生きる。山ノ家は、都市と地方が双方向から交わる場として、進化し続けています。

●取材協力
山ノ家

東京・北品川、築90年の古民家群をリノベした「SHINAGAWA1930」。親子カフェや熟成酒専門店などでまちの拠点に成長中

日本有数のターミナル駅である品川駅にほど近く、かつての東海道五十三次の宿場の一つ、品川宿の雰囲気が色濃く残る北品川エリア。今と昔が共存する、そんな北品川を象徴するかのような複合施設「SHINAGAWA1930」が2022年6月にグランドオープンした。戦前に建てられた古民家をリノベーションしたこの建物は、地域の新たな交流拠点として人や地域とのつながりをどのように生み出しているのだろうか。

かつて品川宿のあった北品川の街並み

品川駅から京急本線で一駅の北品川駅。品川駅からも徒歩圏内ながら、高層ビルが立ち並ぶ品川・港南エリアとはうって変わり、北品川本通り商店会には古き良き宿場町の雰囲気が残る。

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

江戸時代に整備された旧東海道は、現在の東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ街道だ。道中の53の宿場は「東海道五十三次」として歌川広重の浮世絵などでも知られている。その1つめである品川宿は、人々が行き交う「江戸の玄関口」としてにぎわっていた。

そんな旧東海道の名残を見せる商店街を横切り、八ツ山通りの十字路に出ると目に入ってくる2階建ての木造建築物が複合施設「SHINAGAWA1930」。1930(昭和5)年に建てられたとされる古民家をリノベーションしている。

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

同施設は、1棟2階建ての計5棟構成。ソーシャルカフェや親子向けのコワーキングスペース、古酒と熟成酒の専門店といったバラエティ豊かなテナントが入居し、残りの2棟は建築事業を行う企業がオフィスとして利用している。

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

建物の裏には品川浦が広がり、屋形船や釣船が停まる船溜まりを見ることができた。

(写真撮影/阿部夏美)

(写真撮影/阿部夏美)

「一度壊したら、もう戻らない」風景を引き継ぐ新施設

北品川にある古い民家の家並みは、品川区の生活・歴史・風土を伝える風景「しながわ百景」に選ばれたこともあったが、民家の減少により、現在では「失われた百景」に数えられている。

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

SHINAGAWA1930の前身の建物は、このエリアの再開発を見越して京急電鉄が取得していた。これからどう活用していくのか。取り壊して駐車場にする案も挙がるなか、京急電鉄のグループ会社でリノベーション事業を行う株式会社Rバンクの清水麻里さんに相談が持ちかけられた。

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

「築90年を超える古民家が5棟全て残っているのは珍しい。壊すのは簡単ですが、一度壊したらその風景はもう戻りません。建物の歴史を引き継ぎながら地域のためになる新しいことをやりたい、という思いがありました」(清水さん)

町の歴史と立地の特徴から、人々の交流が生まれる場所として古民家を再生してはどうか。2019年、清水さんを中心として運営事務局が立ち上がる。

改修費用の一部はクラウドファンディングで募った。物件の改修工事は京急電鉄が行い、内外装の一部はDIY。柱や梁を生かし、窓ガラスやサッシは一部をそのまま使う。外壁は損傷が激しくほぼ交換したが、元の雰囲気を壊さないように注意を払ったという。

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

クラウドファンディングの支援者や地域住民など、改修を手伝った人は述べ150人以上。「偶然通りがかった人が興味を持って壁を塗ってくれる、なんてこともありました」と清水さん。「何か手伝えることはないか」と、近くに住む人が施設のプロモーション動画を制作してくれたこともあった。

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

清水さんは、施設のすぐ裏にある民家に戦前から住んでいる女性と時々話すそう。

「戦時中、あたりに爆弾が落ちてもこの一角だけは焼けなかったのだとか。石畳は、都電品川線が廃止された時にみんなで石をもらって敷いたと聞きました」(清水さん)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

そうして時代を生き抜き歴史を紡いできた建物が、人々の出会いの場として続いていく。

新型コロナウイルスの感染拡大により、入居テナントが完全な状態で営業できなかったり、イベントが開催直前に中止になってしまったりと影響を受けながらも、2021年1月からテナントが順次オープン。2022年6月に施設全体のグランドオープンを迎えた。

昼夜を通して人が集まるソーシャルカフェ

A棟の1階にはソーシャルカフェ「PORTO(ポルト)」が入り、2階は多目的スペースとして使われている。

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

ソーシャルカフェというコンセプトの通り、昼はカレーやお好み焼きなど曜日ごとに異なる飲食店が営業。夜は日替わりで、美容師やダンサー、ゲストハウスのオーナー、デザイナー、会社員など多様な職種の人が1日店長として店に立つ。

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

2階は時間制で場所を貸し出し、鍼灸院やヨガのレッスン、学習塾などに活用されている。PORTOで食事する人の背後を学習塾に通う小学生が元気に階段をかけのぼっていく光景も見られるそう。

取材時にランチ営業していたのは、スリランカカレーなどを提供する「カレーと紅茶 ミカサ」。昼時の店内は近隣のオフィスワーカーでにぎわっていた。

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

店主の茨木直子さんは北品川エリアについて、「昔ながらの小さな店が地域を支え合っている雰囲気に惹かれた」と話す。当初は飲食をやるならオフィス街でと考えていたが、コロナ禍により生活様式は一変。住民の生活に根ざしたまちに注目するようになったという。

「実は私の店は5日前に営業を始めたばかり。ここで経験を積みながら、北品川の人とふれ合う時間をつくっていきたいです」(茨木さん)

子育て世代のつながりの場をつくる

C棟に入る親子向けの「ママプラスカフェ」は、子連れ歓迎のコワーキングスペースとしても利用できる。もちろんパパも歓迎で、週末は家族での来店も多いのだとか。

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

2階では、ママ講師によるヨガやピラティスのレッスンなどさまざまなイベントを開催。

「同じくらいの月齢の子がいると、親同士の交流は生まれやすいですよね。イベントの参加者同士が意気投合して、後日一緒にカフェに来店することもあります」と店長の森田健吾さん。カフェでは赤ちゃんが隣の人の席に遊びに行ってしまい、それがきっかけで親同士が仲良くなることもあるのだとか。

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

カフェメニューに使う野菜は北品川本通り商店会の青果店で仕入れることで、商店街の人にも店を知ってもらえるようになった。「商店会で紹介されたから来てみた」というお客さんもいる。

「小さい子を育てていると、子ども以外とのつながりがどうしても断たれがち」と森田さん。この店に来ることで、社会との接点を断つことなく子育ての期間を楽しく過ごしてほしいと話す。

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

時代を感じる店内で酒を楽しむ「体験」を提供

B棟「いにしえ酒店」店主の薬師大幸さんは、前店舗の移転先を探していたタイミングでSHINAGWA1930のオープン情報をキャッチ。古民家をリノベーションした物件は店のコンセプトにぴったりで、「物件情報を見て即連絡した」という。

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

日本酒を寝かせた古酒・熟成酒を販売しているが、薬師さんは「ただ酒を売ることだけが目的ではない」と話す。「マーケットが小さいジャンルなので、まずは知って、味わって、体験してもらいたい」と、店内の商品は全て有料試飲することができる。

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

2階の「いにしえLABO」では、日本酒ナビゲーターによるセミナーや、自分好みのペアリングを探す「チーズと熟成酒の会」などを開催。日本酒「車坂」の杜氏を招いて3時間ひたすら語ってもらう会や、苔の専門家をゲストに苔を眺めながら飲む「苔と熟成酒」など、個性的なイベントも企画している。

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「見たり聞いたり、自分で組み合わせを試して味わったり。この店での体験を通して、古酒・熟成酒のことを深く知ってほしい。ただ商品を買って帰るだけでは、なかなかそうはなりませんから」(薬師さん)

肩肘張らない地域の雰囲気を感じながら働く

E棟とD棟をオフィスとして使うのは、BIMという技術で木造建築に関わる業務の効率化を推進する株式会社MAKE HOUSE。

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

オフィスのしつらえは社員みんなで考え、梱包材をカバー代わりにするソファやパイプを使ったテーブルを置く。およそオフィスという雰囲気はなく、ゆったりと働けそうな印象を受けた。

もう1棟は、実証実験の会場になっていた(期間限定のため現在は終了)。社員数の増加に伴い、今後はオフィスとして使うという。

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

移転前は品川駅付近にオフィスを構えていた同社。社員の岩田剛士さんは「今のオフィスは肩肘張らずにいられる」と話す。

「品川と北品川では、だいぶ雰囲気が違いますね。以前は高層ビルのワンフロアで働き、昼食は主にキッチンカーで買っていましたが、今は商店街やリーズナブルなごはん屋さんが近くにあるし、PORTOさんで食べることもあります。都市部でありながら、こぢんまりとした雰囲気が気に入っています」(岩田さん)

SHINAGAWA1930のこれから

建物の完成からグランドオープンまで、1年半をかけて少しずつまちにひらいてきたSHINAGAWA1930。施設としては町内会と商店会に加入しており、清水さんは「コロナの状況が落ち着いたら、商店会と連携した企画を進めるなど、もっと地域と関わっていきたい」と話す。

最近は、1人でふらっと遊びに来た地元の子どもが施設を気に入り、後日親子で再訪してくれることもあったそう。そんなゆるやかさが北品川ののんびりとした雰囲気にマッチし、人と人とが出会うきっかけを自然に生み出しているのかもしれない。

●取材協力
SHINAGAWA1930

倉敷がいま若者に人気の理由。廃れない街並みの背景に地元建築家と名家・大原家の熱い郷土愛

江戸情緒あふれる町並みが魅力の観光地・岡山県倉敷。観光の中心地点となる美観地区を流れる倉敷川に沿って、江戸時代から残る木造の民家や蔵を改装したショップやカフェ、文化施設などが立ち並びます。空襲を免れたことで旧家が残り、観光資源として活用されている倉敷ですが、それだけではなく、印象派絵画のコレクションで知られる「大原美術館」や、工場跡をホテルにコンバージョンした「倉敷アイビースクエア」など、決して広くはないエリアに国内有数の観光施設が点在しています。
古い建物が残る地域は日本各地に見られる中で、倉敷にこれほど魅力的なスポットが集中する理由はどこにあるのでしょうか。
倉敷で生まれ育ち、すみずみまで知り尽くす建築家の楢村徹さんに、長年倉敷の古民家再生にかかわってきたからこそ見えてきたまちの魅力を伺いました。

倉敷の土台を築いた名士、大原家近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

近世以来の細い街路が現代では観光にちょうど良い歩行路となっている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷はまちも人も恵まれた場所ですね。古いものが残っていて、常に新しいことを仕掛けていこうというエネルギーがある。一朝一夕ではない、時間をかけて育まれた文化が根付いています」
建築家として全国のまちを訪れてきた楢村さん。自身の出身地であることを差し引いても、倉敷は面白いまちだといいます。
伝統的な町並みの印象が強い倉敷のまちに対し「新しい」というワードも不思議な気がしましたが、確かに倉敷を代表する建造物は建設当時の最先端を行くものです。大原美術館に採用されているヨーロッパの古典建築を再現するデザインは、建築家の薬師寺主計がヨーロッパ各国の建築を学び設計したもの。文化の面でも欧米列強を追いかけていた当時の日本において、芸術の殿堂と古代ローマ建築をモチーフとするデザインとの組み合わせは、ここでしか見られないオリジナルなアイデアです。蔦で包まれた外壁が特徴のアイビースクエアも、産業遺産である工場をホテルに転用する、日本でも先駆け的なプロジェクトでした。

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア外観。江戸時代の旧代官所跡地に建設された倉敷紡績の工場を再活用した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア中庭。柱と屋根を撤去し、元々工場の内部空間だった場所を外部空間へと変貌させた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

アイビースクエア内にある、ホテルのエントランスホール。工場建築の特徴であるノコギリ屋根が宿泊客を迎えるトップライトとして生まれ変わった(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

現在、旧大原家住宅は一部一般公開されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

旧大原家住宅の倉を改修した「語らい座」。大原家ゆかりの資料が保管され、イベント会場としても活用されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「いまの時代にやるべきことがはっきりしているのも、まちづくりにとっては良いことですね。まちの核となるような施設は先代の大原さんが、建築家の浦辺さんと一緒にひと通りそろえているんですよ。それを壊さずに使っていくことを大前提として、足りない部分を補っていけばいいわけですから。まちとしての基盤がしっかりしているから、私が手掛けているような小さな町家の再生であっても、ひとつ完成するごとにまち全体が整っていくことを実感しています」
大原家は倉敷きっての大地主。江戸時代中期に商人として名を成し、明治21年に大原孝四郎が創業した倉敷紡績、その息子孫三郎が創業した倉敷絹織(現クラレ)は現在も上場企業として日本の繊維産業を牽引しています。

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

大原美術館と大原本邸(旧大原家住宅)とを結ぶ今橋。橋も薬師寺主計の設計(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく薬師寺が設計した旧中国銀行倉敷本町出張所。孫三郎は中国銀行の頭取も務めていた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

伝統を崩さず、新しさを採り入れる

さらに總一郎は、建築家の浦辺鎮太郎とともに市と連携して倉敷市民会館や倉敷市庁舎、倉敷公民館など市民の生活を支える施設を整備していきます。
大原美術館と並び倉敷観光の中心を成す倉敷アイビースクエアも、もともと倉敷紡績の工場だったものを浦辺の設計でコンバージョンして蘇らせた文化複合施設です。

「倉敷には江戸時代以来の商人のまちとしての歴史があって、時代ごとに築きあげてきたものが積み重なっていまの倉敷をつくっているんです。空襲にもあいませんでしたから。ドイツに中世につくられた道や建物がそのまま残っているローテンブルクというまちがあるんですが、總一郎さんが倉敷をドイツのローテンブルクのようなまちにしようと呼びかけた。そこからいろんな人たちが協力して古いまち並みを残してきた結果、一周遅れのトップランナーといった感じで注目されるようになってきた。いま我々がやっているのはそれを生かして新築ではできない魅力をさらに積み重ねていく、新しいエッセンスを加えて次の世代にわたしていくと、こういうことです」

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

浦辺の代表作のひとつ、倉敷ホテル。建物全体を取り巻く庇と瓦がリズムをつくり、伝統建築を参照しつつ現代的な印象を与える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「倉敷は町家造りの建物が並んでいて、広場になるような場所がないんです。だけど建物の正面から一歩奥に入ると、細い路地がポケットパーク的に点在しています。日常的に使わないから物置として放置されていたりもするんですが、大きなテーマとして、そういった本来裏の空間である路地空間を表の空間として皆が入ってこられる場所にすることと、それらをつないでいくことでまちに奥行きをつくりだして歩いて散策できるまちにすること、このふたつに取り組んでいます」

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが改修デザインをしたクラシキクラフトワークビレッジ。自然と奥へ誘導される(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

最奥部では複数の商店が中庭を取り囲むように並ぶ。思わず中に入ってみたくなる配置デザインだ(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

同じく楢村さん設計の林源十郎商店。複数の町家の通り庭をつなげ、自由に散策できる遊歩道が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

林源十郎商店の通り庭。倉敷のまちで見かける散策路の多くに、楢村さんはかかわってきた(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「もともと私は古民家が好きとか、古い建物が好きとかそういうわけでもないんです。新しいデザインを追求した結果、古民家がもっている歴史の積み重ねに新しい要素を加えることを考えました。若いころに読んでいたヨーロッパの建築雑誌には、石造りの古い建物をリノベーションした建築が載っていて、これが非常にモダンで格好良いんです。そういうものを見て、自分もやってやろうというモチベーションでしたから、一番新しいデザインだと思ってやっています。長い年月を朽ちることなく耐え抜いてきた古民家に使われているのは、選びぬかれた本物の材料です。いまでは手にはいらないような貴重な材料でつくられているから、時間が経っても古びない、むしろ味わいが増していく魅力があると思います」

いいものをつくることが、保存への近道

楢村さんは建築家として独立した30年以上前に同世代の建築家たちと「古民家再生工房」を立ち上げ、全国の古民家を改修する活動を続けてきました。当時はバブル真っ只中。建築業界では次々に建て変わる建物の更新スピードと並走するように、目まぐるしくデザインの傾向が変わっていきました。そんななか、地道に古民家の改修を続ける楢村さんたちの活動はどのように受け止められたのでしょうか。

「建築の設計に携わっている専門家ほど、『お前らそんな仕事しかないのか』と見向きもしない傾向はありました。でも建物を建てるのは一般の人なんだから、専門家からどう言われようが自分たちが信じたことをやっていけば良いとは思っていました。
地元のメディアに働きかけてテレビやラジオ、雑誌に取り上げてもらったり、講演会や展覧会を自分たちでずっと継続してきて、一般の人たちに建築デザインの魅力や古民家再生の良さを知ってもらおうと活動してきました。
それまでは古民家というと保存する対象で、古い建物を東京の偉い先生が見に来てこれは残すべきだとか、大切に使ってほしいとかそういうことを言ってきたわけです。でも建物の持ち主からすれば、歴史的な価値がどうとか言われてもよくわからないですよね。
それを我々はアカデミックな見方ではなくて、現代の目で見て良いデザインに生まれ変わらせようという視点で設計してきたから受け入れられたんだと思います。若い人たちがここに住みたいと思うようなものにしてしまえば、保存してほしいなんて言わなくても使い続けてもらえるわけですからね」

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さんが設計した施設のブティック。古くから使われてきた自然素材を用いつつ、古民家を現代的な建築にリノベーションした。(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「そんなことを十年以上やっていたら、倉敷で中心市街地の活性化事業がスタートしたときに声をかけてもらって。もう十五年以上、倉敷の町家再生に携わっています。といっても単に建物を改修するだけではダメで、そこをどんな場所にするのか、お店をやるならどんな内容にするのかとか、どうしたらちゃんと事業として回っていくのかとか、中身のことも一緒に考えていくから設計の仕事は全体の3割位ですね。
なにかお店を入れようと思ったら周りとの調整も必要だし、1つの建物を生まれ変わらせるのに4、5年かかるのが普通です。その間はお金にもならないし、思うようにいかないことばかりで大変ですが、誰かがやらなくちゃいけないことですから。本当はなにも描いていないまっさらな白紙に、倉敷がこんなまちになったら良いななんてイメージを描いていくのが一番楽しいんですが、実現しないとなんの意味もない。思い描いたうちの8割でも7割でも、かたちにして次につないでいくことが、我々がいますべきことだと思っています」

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

楢村さん設計の「夢空間はしまや」。楢村さんが設計した建物にはどれも観光で疲れた足を休ませてくれる癒やしの空間が用意されている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「理想は観光客に対してではなく、倉敷に住む人にとって良いまちにしていくこと、その結果、外の人が来ても楽しめるまちになるといいなと思ってやってきました。最近は若い人たちが倉敷のまちづくりに関わるようになってきています。私の事務所から独立して町家の改修をやっている人もいるし、頑張って新築をつくっている人も。
そうやって若い人たちが集まってきて、やりたいことを実現できる土壌があって、それがちゃんと経済的にも成り立つだけのポテンシャルがある。これまで倉敷が積み重ねてきた文化の地層に、新しい要素を付け加えながら、次の倉敷をつくっていってほしいですね」

●取材協力
楢村徹さん

「失敗は学び、思いやりは通貨」離島に移住して知識ゼロからのDIYを楽しむ素潜り漁師マサルさんは語る

素潜り漁師マサルさんをご存じですか? 海に潜ってモリで魚を突く素潜り漁をなりわいとするかたわら、ちょっと変わった海の生き物を捌(さば)いて調理して食べる話題のYouTuber。メインチャンネルの「【素潜り漁師】マサル Masaru.」は、90万人以上の登録者を誇ります(2021年11月現在)。

マサルさんは、2017年に特技を活かした「魚突き&魚捌き」のYouTubeチャンネルを開設。東京海洋大学卒業を控えた2019年末には東京を離れて鹿児島の離島に移住し、就職する代わりに「素潜り漁師」として活動を始めます。2020年3月から島の大きな古民家を借りて住み、DIYの知識がほぼゼロの状態から古民家を大胆にリノベーションする様子を、サブチャンネルの>「【離島移住生活】マサル」で配信しています。

マサルさんはなぜ離島に住むことにしたのでしょうか? そして、古民家のリノベーションにはどんな苦労があってどういった楽しさがあるのでしょうか? 今回はリモートインタビューでお話を伺いました。

あのテレビ番組に憧れて魚突きがライフワークに

――本日はよろしくお願いします。最初に自己紹介をしていただけるでしょうか。

素潜り漁師としてのマサルさん(2021年2月6日配信の動画「カジキの角で錬成した『モリ』で魚を無双」より)

素潜り漁師としてのマサルさん(2021年2月6日配信の動画「カジキの角で錬成した『モリ』で魚を無双」より)

素潜り漁師のマサルです。YouTuberとして「魚突き」や「魚捌き(料理)」の動画を配信することを中心に活動しています。

――魚料理はまだしも「魚突き」をされる方はそういないと思いますが、どんなきっかけで始めたのでしょう?

『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)というテレビ番組がありましたよね。濱口優(よゐこ)さんがモリを手に海に入って魚を獲っているのを見て、小さなころでしたがすごく憧れたんです。親に頼み込んで、子どもでも魚を突くことができるイベントに連れて行ってもらったり。

それからずっと魚突きをライフワークにしています。YouTuber名の「マサル」も濱口さんにあやかって付けましたし、大学では「魚突きサークル」で月に何度かどこかの離島に行っては魚を突く生活を送ってました。

海と人が好きで離島に移むことを決めた

――そもそもなんですが、離島に魚を突きに行くだけでなく、なぜわざわざ移住したのでしょう?

マサルさんが移住した沖永良部島にはこんな海がある

マサルさんが移住した沖永良部島にはこんな海がある

僕は海が好きなので、離島は東京に住んでいたときから好きでした。どっちの方向に行ってもすぐ海があるのはいいですね。魚突きをしてますから、いつでも海に入れるのもうれしいです。
あと移住したことには「YouTuberとして生きていく」という決意もあります。僕は大学在学中からYouTuberとして活動していましたが、卒業後の進路を考えたとき、普通に企業に就職する道もあったのですが、こちらにかけても面白いのかな、と思ったんです。

――マサルさんが移住した島はどんなところでしょう。

鹿児島にある沖永良部島ですが、沖縄の那覇からフェリーで7時間かけて来るのが一般的な交通手段ですね(編集注:費用はかかるが鹿児島などから飛行機もある)。

地理的にはかなり隔離されていて、人口は13,000人くらい。車で1時間もあれば1周できます。スーパーやホームセンターもありますから、DIYに必要な材料や道具もだいたいはそろいます。

――数ある離島のなかでもなぜ沖永良部島に?

学生のころにはいろいろな離島に行きました。お金がなくてSNSで知り合った現地の人に泊めてもらったりしていたんですが、そのつながりで沖永良部島に友達が何人かできてたんです。これが大きかったですね。
観光開発もほぼされていなくて、実際に(コロナ以前も)観光客がほとんど島にいないところも僕にとっては魅力です。何より住んでる人たちが良くって、のんびりしているようで仕事はきっちりとする。一緒に何かするのも気持ちがいいです。

不動産屋さんがないので住む場所は自分で見つける

――現在の拠点にされている古民家は、築50年の5LDK。人が住まなくなって20年にもなるそうですが、どうやって見つけたのでしょうか?

マサルさんが借りている古民家(家賃は月額2万円)

マサルさんが借りている古民家(家賃は月額2万円)

そもそも離島には、基本的に不動産屋さんがないんです。だから家を借りるとなると、まず現地を歩いて「空き家」を見つけるところからです。

空き家が見つかったら、今度は持ち主を探し出さなくてはいけません。知り合いの漁師に聞き込んだり、商店街の顔役に聞いたり。それでもわからなかったら、地番を割り出して謄本を取れば持ち主はわかります。いま住んでいる古民家はそこまでしなくてもよかったんですが、いずれにせよかなり大変ですね。

――不動産屋さんがないということは、持ち主が見つかっても個人間の交渉ということになりそうですが……。

マサルさんが借りている古民家の敷地には2棟の倉庫と牛小屋に馬小屋も

マサルさんが借りている古民家の敷地には2棟の倉庫と牛小屋に馬小屋も

そうなりますね。僕は知り合いにつないでもらいました。そう簡単に貸してくれるものかなと思っていたのですが、意外とすんなりいきました。島の地主は高齢者が多いのですが、若い世代の僕たちの話もちゃんと聞いてくれます。

地主といってもその土地でお金を稼がないといけないわけではないので、めちゃくちゃ仲良くなれたりしたらただで貸してくれるかもしれません。ただ、そうすると人間関係がちょっと濃厚になり過ぎるような気がして、僕はきちんと賃料を払ってます。

――実際に住んでみて、古民家はどうでした?

マサルさんが拠点としている古民家の大まかな間取図(リフォームの番号は下記の一覧表を参照)

マサルさんが拠点としている古民家の大まかな間取図(リフォームの番号は下記の一覧表を参照)

内装や家具もまとめて好きにしていいということだったんですが、想像以上に傷んでました。床も壁も天井も腐っていて、全部壊して張り替えなくてはいけないところもあります。

――古民家をDIYでリノベーションするサブチャンネル「【離島移住生活】マサル」でも、さまざまなプロジェクトに取り組んでますね。動画も30本近くになっています。

※マサルさんは古民家でこんなリノベーションを実施

リフォーム1. キッチン編(全12本)
以前からの什器をすべて廃棄し、壁や床も張り替えてリフォーム。水まわりも配管し直してアイランド型に。全長1メートル以上の大型魚にも対応できるキッチンスタジオとして、毒々しすぎる巨大魚、グロテスクすぎる巨大エビ、深海から上がってパンパンの魚(いずれも動画タイトルより)などの調理に大活躍。2020年3月から2カ月かけて完成した後、防音シートや、ワニを捌く設備の増設なども。

リフォーム2. 五右衛門風呂編(全11本)
屋外に放置されていたお風呂を生き返らせて露天風呂を楽しむ計画が、風呂釜そのものが朽ちているなどほぼ全面的なつくり直しとなり、薪をくべる炉の耐熱施工などで苦心も多く、10カ月かかる大プロジェクトとなった。なお、釜全体が鋳鉄製なので正しくは長州風呂と呼ばれるそう。

リフォーム3. 和室編(2本、進行中)
物置き状態だった6畳の和室を片付け、腐っていた床や壁もまるごとリフォームして、音楽の部屋に変貌させるプロジェクト。2021年7月から現在進行中のリノベ企画シーズン3。
当初はそこまでたくさん配信する予定はなくて、片付けの様子を1本か2本くらい配信すればいいかなと思ってたんですが、とてもそんな「片付け」程度では住めない状態でしたね。

――壁や床をはがす動画を見ました。白アリがたくさんいたのが衝撃的でした。

腐っている壁を張り替える(2020年3月26日配信の動画「キッチンが汚すぎるので破壊してみた」より)

腐っている壁を張り替える(2020年3月26日配信の動画「キッチンが汚すぎるので破壊してみた」より)

あそこまで白アリがいるとは、本当に予想外でした。倉庫の床に本を1カ月ほど置いておくと、食い破られてダメになっているんです。それに白アリは年に1度、羽が生えて飛ぶんです。光に向かう習性があって、家の照明にハリケーンのように群がって、終わると死骸だらけ(編集注:羽アリになった白アリは新しい住処を求めて移動する)。これは、しんどいですね。

今になって思えば、白アリは絶対に確認すべきでした。なんとか耐えましたけど、白アリがいる家に住むべきではないと思います。

――かなり辛い状況ですが、引越しは考えなかったんですか?

僕はもともとサバイバルが好きで、YouTubeでもサバイバル企画の動画を出してるように、屋外でも寝られるタイプではあるんです。ましてや古民家には屋根もあるし、一応は大丈夫だったんですが、ショックは大きかったですね。

ただ、3カ月ほど住んでみるとトイレやお風呂も使えなくなってきたので、寝るためだけの家を別に借りてます。築20年程度の2LDKで、デスクワークにも使えますし。

――それならもう最初に借りた古民家は解約してもいいような……。

古民家は物がたくさん置けるところもいいんですよね。漁師をやってるのでその荷物もありますし、車も3台は余裕で停められます。

それに、自分で好きなように何でもいじれる家ってなかなかないですから。リノベーションのために、借りた家の壁を壊すって普通はできないじゃないですか。

知識ゼロから始めたDIY。失敗も学びになる

――かなり本格的にDIYされていますが、そういった知識や技術はどこから得ているのでしょうか?

リノベーションにはインパクトドライバーも活躍(2021年3月20日配信の動画「遂に五右衛門風呂に『えんとつ』を装着!!」より)

リノベーションにはインパクトドライバーも活躍(2021年3月20日配信の動画「遂に五右衛門風呂に『えんとつ』を装着!!」より)

DIYの知識は本当にゼロだったんです。やったことあるのは家具量販店の組み立て家具くらいで、インパクトドライバー(電動ドライバーの一種)を使ったこともなかった。ただ、とりあえずやってみて、その様子を動画にして配信すると、視聴者の方がコメントで全部教えてくれるんです。みんなでつくり上げてるようなものですね。

とはいえ最初に動画を出したときは「素人にリノベーションなんかできるわけないだろ」「やめておけ」みたいなコメントはやっぱり多かったですね。

――DIY知識がない人が「自分でリノベーションをしてみよう」と発想すること自体がすごいと思います。

自己評価が高いのかもしれないですね。「失敗もするだろうけど、やれるだろ」って思っちゃうんです。大工さんも自分も同じ人間だし、調べれば、やれることにそこまで違いはないはず。もちろん、技術では相当劣ることにはなると思うんですが、大まかにならやれるはずだと。

――動画を見ていると、やり方を知らずに失敗して、作業が手戻りしている箇所がたくさんあるのが印象的でした。もっとやり方や技術について勉強してからDIYに取り組んだほうがよかった、とは思わなかったですか?

試行錯誤の繰り返しだった風呂の炉づくり(2021年1月30日配信の動画「五右衛門風呂をぶち壊して生き返らせたい」より)

試行錯誤の繰り返しだった風呂の炉づくり(2021年1月30日配信の動画「五右衛門風呂をぶち壊して生き返らせたい」より)

それはまったく思いません。うまくいかなくて手戻りしたとしても「失敗パターン」を学べているので、失敗ではないんです。だから、落ち込むことも後悔することもないですね。そういう気持ちさえもっていれば「やり続ければ作業はいつか終わる」ことになります。

――マサルさんのモチベーションのよりどころを見た思いです。動画では最初の2カ月で「キッチン」のリノベーションを済ませていましたが、気に入っているところはどこですか?

アイランドキッチンの全景

アイランドキッチンの全景

キッチンはアイランド型にしました。正面でコンロを使っていても、後ろを向けば壁側に作業台もあってまな板と包丁がすぐに使える。この動線はかなり気に入っています。

――リノベーションしたキッチンに自分で点数を付けるとしたら何点ですか?

※↑ 完成したアイランドキッチンでは巨大な魚も調理できる(2021年7月18日配信動画「40kg越えのアカマンボウを解体したら家が大惨事に。。。」)

かなりうまくいったと思っていて、80点ですね。アイランドキッチンなら調理風景を正面からも撮れますから、YouTubeの動画を撮影するときにかなり便利です。

欲を言えばキッチンの床板をはがして、コンクリートを流し込んで「土間」にできたら最高だったと思います。それならデッキブラシで掃除ができますから。実はキッチンのリノベーションを始めたときに考えたんですが、さすがにDIY未経験でそこまでするのは腰が引けてしまって。

あとは、フライヤーやオーブンを置くところをつくっておけばよかったとか、カーテンで隠してる古い窓を壁にリフォームしておけばよかったとか、そういうことは思いますね。

――キッチンの次に取り組んだのは、屋外の五右衛門風呂(編集注:動画でも説明されているが様式としては長州風呂)ですね。動画を見ると、かなり手戻りもあって1年近くかかったようでしたが、実感としてはどういったところが大変でした?

お風呂を覆うガジュマルの木(2020年7月24日配信の動画「五右衛門風呂を覆う巨木を伐採しました。」より)

お風呂を覆うガジュマルの木(2020年7月24日配信の動画「五右衛門風呂を覆う巨木を伐採しました。」より)

もう全部大変ではあるんですが……。まずお風呂のそばに生えているガジュマルの木が邪魔でしたね。あれを短く切っていくのがメチャクチャに面倒くさくて。

それから炉の耐熱に関して、耐火モルタルの扱いには苦労しました。どう使えばいいのか島の誰に聞いてもわからない。かなり試行錯誤しました。

――お風呂に点数を付けるとしたら?

完成した五右衛門風呂(長州風呂)の全景

完成した五右衛門風呂(長州風呂)の全景

あれは50点くらいですかね。入るのは最高なんですが、沸かすのが大変です。薪を入れる炉の容量が小さくなってしまってお湯がなかなか沸かないことと、その炉を掃除できるようにつくらなかったことが残念ですね。

あとは母屋からつながる屋根があれば本当にいいお風呂だと思います。つくりたいとは思っているんですが、ほかにもやることがいろいろあって優先順位は低めになっています。

――リノベーションをしてみて、どういうところに楽しさがあると思いましたか?

自分の思い通りの部屋が実現できるところですね。例えば、キッチンにかなり大きなシンクを取り付けました。これだけのシンクがある部屋を探すのは、なかなか大変だと思います。

それから家の構造がどうなっているかって、僕たちは全然知りませんよね。壁をはがして、床をはがして、こういうつくりになっているんだと初めて理解できる。それが何の役に立つかはちょっとわからないのですが、毎日住んでいる家ですから、構造も知っていたほうが健全だと思うんです。魚を食べるだけじゃなく、捌き方も知ってるように。

――ということは、みんな一度はDIYをやってみたほうがいいですね。

環境が許すならやってみたほうがいいと思います。僕もリノベーションをやる前と後では世界の見え方が変わりました。家や建物を見るときにも、細部に目が行くようになったり、「ちょっと雑かもな」なんてことがわかるようになったりします。

人とのコミュニケーションで生活が成り立っていく

――離島の暮らしについてもお伺いしたいです。以前に住んでいた東京とは違うなと感じたことなどあれば。

言い方が悪いかもしれませんが、東京だったら「お金があれば何でもできる」と思うんです。例えば、家事が面倒になったら家事代行サービスを呼んでみたり。

ところが、離島ではお金を持っていたとしても、まずサービスがないんですね。家事代行サービスなんてないですし、さっき話したように不動産屋さんもない。だから、お金じゃない価値が大切になってくるんです。

例えば「あの人にこれをしてもらったから、あの人にこれをしてあげよう」みたいに、人への思いやりが通貨のようになっているんです。こういうコミュニケーションは東京では味わえないですね。

――なるほど……。離島で暮らす上で必要になってくるものは何でしょうか?

やはりコミュニケーション能力でしょうね。野菜をつくっている人と仲良くなれば、野菜をもらえます。もっと仲良くなれば「晩ご飯食べていきなよ」なんて誘われるかもしれません。

島での暮らしに軽トラがあるととても便利

島での暮らしに軽トラがあるととても便利

僕も島の人から軽トラをかなり安く譲ってもらいました。これを島の外で購入して輸送してもらおうとしたら、輸送代だけでも相当高くつきます。島では逆に、お金はあまり必要ないかもしれませんね。

――ただ、都会から来た人は、そういったコミュニケーションがおっくうになってしまいそうです。

確かに、慣れないうちは大変かもしれません。でも多分、みんなが思っているほどではないですよ。僕も忙しいと思われているのか、飲み会は月に一度誘われるかどうかというくらいです。

――マサルさんはコミュニケーション能力ありそうです。

いや、実は全然そういうタイプじゃないんです。気合いでなんとかしている部分もありますね。ただ、離島で暮らす以上、基本的にそういったコミュニケーションは楽しむようにしたほうがいいです。いろいろな人とつながりをもつ世界を知ると、逆に以前の東京の暮らしの生きづらいところを感じるようにもなりました。

離島の人に恩返しをしていきたい

――これから離島でやってみたいことはありますか? 古民家のリフォームは「和室」編に突入してますね。

現在リノベーションしている和室は、ピアノを置けるようにしたいんです。そこまで得意というわけではないんですが、中学校のときに合唱コンクールで伴奏したこともありますし、置いてあったらきっと弾きたくなるはずです。そのため、部屋にどのくらいまで防音の機能をもたせられるかにもチャレンジしたいですね。

あとは、囲炉裏やバーベキュー場をつくりたい。友達が遊びに来たときに時間を共有できるような場所をつくっていきたいと思っています。

――島の人とのかかわりにおいてはどうでしょうか?

この島に来て、水産関係の人たちにものすごくお世話になりました。僕は漁協に入っていますが、それには漁師の保証人が必要なんです(編集注:条件は地域による)。だから「マサルを漁師にしてあげよう」という漁師さんがいなかったら、僕は今の活動ができていません。

それから、YouTubeで珍しい魚を捌く動画も上げていますが、全てが自分が突いたわけではなく、一般の人が買えないような魚もあります。それは仲買の人が僕に買ってきてくれるんですね。

でも、水産関係でお金を稼ぐのは今なかなか難しいんです。特に漁師を専業で続けていくのは厳しいです。さらに最近は新型コロナウイルスの流行で、魚の価格が大幅に下がってしまっています。

マサルさんが実施したクラウドファンディングでは1,000万円が集まった

マサルさんが実施したクラウドファンディングでは1,000万円が集まった

そこで、クラウドファンディングで資金を集めて、水産加工場を立ち上げるプロジェクトを立ち上げました。最終的には水産物の販路をつくって、離島の人たちに恩返しをしたいですね。

――最後に、このインタビューで離島に興味をもった人がいたら、どういったメッセージを送りますか?

興味があって悩んでいるのなら、やってみたらいいと思います。うまくいかないこともあるかもしれませんが、やってみてから考えたらいいんじゃないでしょうか。やらないで後悔するより、そのほうがずっといいと思います。

――マサルさんに言われると納得感がすごいです。本日はありがとうございました。

●取材協力
素潜り漁師マサル
●Twitter: @masarumoritsuki
●YouTube(メイン): 【素潜り漁師】マサル Masaru.
●YouTube(サブ): 【離島移住生活】マサル
●クラウドファンディング: 【素潜り漁師マサル】島の漁師たちが稼げるようにしたい!

村民総出でおもてなし!空家が客室、村がリゾート!? 島根「日貫一日プロジェクト」

中国山地の山あいにある島根県邑南(おおなん)町「日貫(ひぬい)」地区。のどかな田園風景が広がるこの場所に、新しいスタイルの宿泊施設が2019年に誕生した。地方の空き家率増加や人口減が課題となっているなか、それらを逆手に取って、「関係人口」という形であたたかなつながりを育む「日貫一日(ひぬいひとひ)プロジェクト」。その立ち上げの中心人物、一般社団法人弥禮の代表理事・徳田秀嗣さんに話を聞いた。
地域ゆかりの建築家の旧家を、1日1組限定の“籠もれる”宿に

中国山地を貫く山道を車で走ると、川沿いにのどかな田園風景が広がる小さな村、日貫に辿り着く。緑の山々が重なり、そのふもとには水を張り始めた田んぼや、住人たちが日々の糧にと育てる畑。赤褐色の石州瓦を葺いた民家が点々と続く、のんびりした村だ。

山々の間に田んぼと畑と民家。のどかな日貫の遠景(写真撮影/福角智江)

山々の間に田んぼと畑と民家。のどかな日貫の遠景(写真撮影/福角智江)

その風景に溶け込むように、村の古民家をリノベーションした宿泊棟「安田邸」がある。どこか懐かしい日本の家。その雰囲気をそのままに、緑の中にひっそりたたずむその建物は、日貫にゆかりの建築家・安田臣(かたし)氏が暮らした旧家だという。
ここは1日1組限定の宿。宿泊者は滞在中、この「安田邸」を1棟丸ごと利用することができる。建物内には、寝室はもちろん、ゆっくりくつろげる和室、キッチンやダイニング、のんびりしたテラスや、木の香りが心地よいヒノキ風呂までそろう。

(写真撮影/福角智江)

(写真撮影/福角智江)

「日貫一日」の宿泊棟「安田邸」(写真撮影/福角智江)

「日貫一日」の宿泊棟「安田邸」(写真撮影/福角智江)

のれんをくぐって建物の中に入ると、広い土間にキッチンとダイニングテーブル。大きな窓の向こうには、のどかな村の風景が広がる(写真撮影/福角智江)

のれんをくぐって建物の中に入ると、広い土間にキッチンとダイニングテーブル。大きな窓の向こうには、のどかな村の風景が広がる(写真撮影/福角智江)

土間からリビングスペースとなる和室、さらにその奥には寝室が続く。一棟貸しならではの贅沢な空間でくつろげる(写真撮影/福角智江)

土間からリビングスペースとなる和室、さらにその奥には寝室が続く。一棟貸しならではの贅沢な空間でくつろげる(写真撮影/福角智江)

浴室も驚くほどの広さ。壁も天井も木張りで、ほのかな木の香りに包まれる(写真撮影/福角智江)

浴室も驚くほどの広さ。壁も天井も木張りで、ほのかな木の香りに包まれる(写真撮影/福角智江)

日貫での一日をゆっくりと、という願いを込めた「日貫一日」

「もともとこの地域には建てられた当時のままの風情を残した古民家がいくつもあって、それを何とか地域の活性化のために活かせないかと考えたのが、このプロジェクトの始まりでした」と徳田さん。当初、自治体で観光関係の仕事をしていた徳田さんが、この地区に残る「旧山崎家住宅」の活用提案に手を挙げたのがその第一歩。残念ながらその提案は不採用となったが、その後も古民家活用の模索を続けるなかで出会ったのが「安田邸」だった。
農林水産省の農泊推進事業など、地域・産業活性のために国や行政が用意したスキームを活用するため、思いを共有できる地元の仲間たちと一般社団法人を設立。宿泊施設を計画した。「幸いにもさまざまな人とのつながりに恵まれて、建築家はもちろん、ロゴなどのデザインを手掛けるデザイナーや、フードディレクターなど、たくさんの方と一緒にプロジェクトを進めてきました」

日貫は人口440人ほどの小さな村だ(写真撮影/福角智江)

日貫は人口440人ほどの小さな村だ(写真撮影/福角智江)

しかし、一番の課題は「どうやって人を呼ぶか」。客室を区切って複数の宿泊客を受け入れるゲストハウスのような構想も挙がったなかで、徳田さんが一番しっくり来たのが、「籠もれる宿」というコンセプトだったという。「1日1組のお客様が朝から夜までのんびりと心豊かに過ごせる、そんな空間づくり、おもてなしを目指しました」。「日貫一日」という名前も、そんな想いで名づけられたものだという。

日貫という地域の魅力をじんわり味わう、心温まるおもてなし

例えば料理。通常、ホテルでは調理された料理がテーブルに並ぶが、日貫一日では宿泊者自身が料理を楽しめるように、設備が充実したキッチンが用意されている。しかも、「日貫は農業が盛んで新鮮な野菜がたくさん採れますし、石見ポークや石見和牛も有名です。せっかくなので、そうした食材を存分に味わってもらえるように、こだわりの3種類のレシピを準備しました」。事前に依頼しておけば、必要な食材を冷蔵庫などに準備しておいてくれるしくみだ。

近所の農家さんから仕入れることも多いという新鮮な野菜(写真撮影/福角智江)

近所の農家さんから仕入れることも多いという新鮮な野菜(写真撮影/福角智江)

豚本来のヘルシーさと脂の美味しさを併せ持つ石見ポーク(写真撮影/福角智江)

豚本来のヘルシーさと脂の美味しさを併せ持つ石見ポーク(写真撮影/福角智江)

自分たちで料理して食べるのも楽しい「へか(日貫伝統 すき焼き)」。味噌が効いた甘辛いお出汁で、素材のおいしさを満喫。ごはんが止まらない!(写真撮影/福角智江)

自分たちで料理して食べるのも楽しい「へか(日貫伝統 すき焼き)」。味噌が効いた甘辛いお出汁で、素材のおいしさを満喫。ごはんが止まらない!(写真撮影/福角智江)

ほかにも、室内には日貫や周辺地域のものを多く備えてある。「独特の風合いの食器類は、邑南町の森脇製陶所のもの。香りもいい野草茶は、近所に住んでいる80歳のおばあちゃんが育てているもので、今朝、煎りたてを分けていただきました」。新鮮な野菜も、近所の農家さんから買い取っているものが多いという。和室のちゃぶ台の上には、「せいかつかのじかんにつくりました」とメッセージ付きで、地元の小学生による「日貫の生き物」の手づくり図鑑も置かれている。

地元の小学生が手描きでつくった日貫の生き物図鑑(写真撮影/福角智江)

地元の小学生が手描きでつくった日貫の生き物図鑑(写真撮影/福角智江)

安田邸で使われている茶器と、ご近所さんお手製の野草茶(写真撮影/福角智江)

安田邸で使われている茶器と、ご近所さんお手製の野草茶(写真撮影/福角智江)

時間が合えば、日貫を流れる川沿いにある荘厳な滝や、かつての庄屋さんの住まいだという立派な茅葺の住宅を案内してもらえることもある。田んぼのあぜ道をのんびり歩けば、畑仕事をしている住民たちと気軽に言葉を交わせる。「これ、持って帰りんさい!」とたくさんの野菜をもらったと、うれしそうに話してくれた宿泊者の人もいたという。
のんびり過ごすほどに味わいが増す、そんな場所だ。

大きな田んぼをトラクターで耕していたのは住人の草村さん。徳田さんの姿を見るとみんな笑顔で話しかけてくれる(写真撮影/福角智江)

大きな田んぼをトラクターで耕していたのは住人の草村さん。徳田さんの姿を見るとみんな笑顔で話しかけてくれる(写真撮影/福角智江)

宿から車で10分ほどのところにある「青笹滝の観音」。普段はもっと水流が多く迫力もあるそうで、角度によって観音様のように見えるのだとか(写真撮影/福角智江)

宿から車で10分ほどのところにある「青笹滝の観音」。普段はもっと水流が多く迫力もあるそうで、角度によって観音様のように見えるのだとか(写真撮影/福角智江)

日貫の庄屋を務めた旧家・旧山崎家住宅。立派な茅葺屋根が見事(写真撮影/福角智江)

日貫の庄屋を務めた旧家・旧山崎家住宅。立派な茅葺屋根が見事(写真撮影/福角智江)

フロント「一揖(いちゆう)」は住民との交流の場。人の集まるイベントも

「この場所に宿泊施設をつくるという話をしたとき、近所の人たちの多くは半信半疑のようでした。こんなところに泊まりに来る人が居るのか?と(笑)。しかし、プレオープンで試泊を受け付けていた半年ほどの間に、ほぼ毎日明かりがともるのを見ていた人も多いようで、少しずつ、興味を持ってくれる人も増えてきました」
カフェやイベントスペースとしても利用できる日貫一日のフロント「一揖」は、近所の人が集まることも多く、地域の人が気軽に集まっておしゃべりできる社交場にもなっている。かつて電子部品工場だったという建物をリノベーションし、「会釈する」という意味の「一揖」と名付けた。現在は、宿泊者の朝食場所になっているほか、日貫にコーヒーの焙煎所ができたことで、スタッフが焙煎した豆でコーヒーを淹れる、カフェ営業も定着してきている。

カフェやイベントスペースとしても利用できるフロント「一揖」。かつての部品工場時代を知っていて「なつかしい!」という人も(写真撮影/福角智江)

カフェやイベントスペースとしても利用できるフロント「一揖」。かつての部品工場時代を知っていて「なつかしい!」という人も(写真撮影/福角智江)

「一揖」のカウンターは、日貫一日のフロントであり、カフェのキッチンでもある(写真撮影/福角智江)

「一揖」のカウンターは、日貫一日のフロントであり、カフェのキッチンでもある(写真撮影/福角智江)

丁寧に淹れられるコーヒーの豊かな香りにも癒される(写真撮影/福角智江)

丁寧に淹れられるコーヒーの豊かな香りにも癒される(写真撮影/福角智江)

最近では、日貫に移住してきた若者が「食で繋がる 日貫の台所」と銘打って、「一揖」に集まって、地域のみんなでご飯をつくり、一緒に食べる、そんなイベントも定期開催。「今後は宿泊者も巻き込みながら、住人と宿泊者が交流できる場にもなればいいですね」(徳田さん)

地域の住人の皆さんが関わりやすい、「お仕事」スタイルで笑顔の循環

「日貫一日では、木製のお風呂の掃除や、朝食の支度など、地元のお母さんたちにお給料を払ってお手伝いしてもらってるんです。このプロジェクトを長く続けていくためには、地域の方を巻き込みながら、いかに楽しく運営していけるかが大切だと思うんです」と徳田さん。
地域おこしというと、ボランティアという形で関わるケースも少なくない。しかし、徳田さんたちがこだわるのは、興味をもってくれた人にあくまで「仕事」として、何らかの形で関わってもらえる機会をつくるということ。「きちんと報酬があるということが強いやりがいと人のつながりを生み、ひいては日貫全体を盛り上げていく力になると信じています」
朝食の支度にやってきては、「ええなぁ」と満足そうにテーブルに並んだ料理を眺めるお母さん。宿泊者の方から「野菜がおいしい!」という感想を聞いて、畑仕事にも力が入るお父さん。「日貫一日に関わることで、地域のみなさんの笑顔が増えるとうれしいですね」

日貫に縁を持つ次世代の若者たちをスタッフに迎え、持続可能な施設運営を

最近、日貫一日のスタッフに新たに2人が加わり、計3人になった。立ち上げメンバーである夫と一緒に日貫にやってきたという湯浅さん。邑南町に住むおじいちゃんと一緒に暮らすために京都の大学を卒業後に日貫に来たという倉さん。そして、以前は公務員をしていたが、日貫一日に興味をもって関わるようになったという、地元出身の上田さん。それぞれが不思議な縁をたどって、今は日貫一日で働いている。
「日貫を盛り上げたいという想いを継いで活動してくれる次の世代の存在はとても重要です。このスタッフがそろったことで、その布石ができました。今後は彼女たちも一緒に、プロジェクトを盛り上げていけたらいいですね」

日貫一日で働くスタッフのみなさん(左から2番目が徳田さん)。みんなそれぞれの縁で、このプロジェクトに関わっている(写真撮影/福角智江)

日貫一日で働くスタッフのみなさん(左から2番目が徳田さん)。みんなそれぞれの縁で、このプロジェクトに関わっている(写真撮影/福角智江)

取材の最後に、「今度は施設のすぐ裏にある神社の境内でマルシェを企画しているんですよ」と教えてくれた徳田さん。「昔のお宮さんのお祭りみたいな雰囲気で、フリーマーケットとかをしてもいいかな~」。そう話す徳田さんは笑顔満面。日貫に新たな人の笑顔が満ちるのが目に見える、そんな素敵な笑顔だった。

●取材協力
日貫一日

空き家になった岡山の元呉服店の奥座敷を鎌倉に。時代や空間を越えて繋がる古民家移築物語

移築した古民家の新オーナーは歴史が刻まれた家屋を譲り受け、元オーナーは愛着ある建物を壊すことなく引き継ぐ。「私たちは、まさにWin-Winの関係です」と口をそろえるのは、鎌倉に移築された岡山の元呉服店の蔵付き古民家の新旧オーナー。前回は、見事によみがえった古民家の建物やインテリアの詳細を紹介した(URL入れる)。古民家移築再生は、時代や空間を越えて家が繋ぐご縁。今回はそんな蔵付き古民家を移築した鎌倉の小泉邸が完成するまでの過程や、工夫の数々をご紹介しよう。
立地、建物どちらかが気に入らず難航した家探しが、土地購入+古民家移築、で解決!

鎌倉に移築した古民家の施主である小泉成紘さんが住まい探しを始めたのは、いまから6~7年前の2012年ごろのこと。鎌倉の谷戸(丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形で鎌倉に多い)の雰囲気が好きで、そんな静かな場所にある趣ある家を求め、鎌倉から湘南エリアのさまざまな中古物件を見学した。しかし、いくら探しても立地と建物両方が理想的な物件に巡り合うことはなく、見学物件数は増える一方で難航。

イメージしたのは、学生時代に全国の旧道を自転車で廻った際に御世話になった山の中の古民家。自然豊かな環境の中での伝統的日本家屋のライフスタイルに憧れ、いつかそんな家に住みたいと思っていた。古民家やアンティークが好きで、10年以上前から日本民家再生協会(JMRA)のイベントなどにも参加していた。

中古一戸建ての住まい探しでは、思い通りの物件に出会えなかった小泉さん。そこで方向転換して、土地と建物は別々に探すことに。すると、ほどなく鎌倉の駅にも近い谷戸の大きなお屋敷の敷地が5分割され、売り出されるとの情報が。日本民家再生協会(JMRA)の事業登録者で鎌倉での古民家移築実績も多い建築家の大沢匠さん(O設計室)に相談し、土地はここに決定。建物は、「民家バンク」に登録された、空き家となって次の引き取り手を待っている古民家情報の中からイメージに合うものを求めて全国へ視野を広げた。実際に4~5軒見学した中で一目惚れしたのが、今回の岡山県の元呉服屋の蔵付き古民家だった。

Before:かつて岡山の旧道沿いで呉服店「和泉屋」を営んでいたという移築前の蔵付き古民家。平屋と蔵の西側には母屋があり、法事の際などは親戚が大勢集まりにぎわっていたが、この家の主亡きあとは空き家になっていた(写真提供:元オーナー・米本弘子さん)

Before:かつて岡山の旧道沿いで呉服店「和泉屋」を営んでいたという移築前の蔵付き古民家。平屋と蔵の西側には母屋があり、法事の際などは親戚が大勢集まりにぎわっていたが、この家の主亡きあとは空き家になっていた(写真提供:元オーナー・米本弘子さん)

After:敷地の関係で母屋は岡山に残し、平屋と蔵をそのままの配置で鎌倉に移築再生した小泉邸。「建物完成後は庭に着手、植栽が育つのが楽しみです。家は着々と進化中」(写真提供:新オーナー・小泉成紘さん)

After:敷地の関係で母屋は岡山に残し、平屋と蔵をそのままの配置で鎌倉に移築再生した小泉邸。「建物完成後は庭に着手、植栽が育つのが楽しみです。家は着々と進化中」(写真提供:新オーナー・小泉成紘さん)

縁側に並ぶ木製建具の美しさに一目惚れ、丁寧に手仕事で解体し、運ばれ、鎌倉で復元

「縁側にピシッと並んだ一本レールの木製建具の繊細な美しさが決め手でした。平屋部分は建物に敬意を払って、そのままの姿を復元することにこだわりました」という小泉さん。岡山の元呉服店で奥座敷の離れとして使われていた平屋は、明治時代の建築。それを手仕事で丁寧に解体し、鎌倉に運び、また元の通りに復元する。「古民家移築の工程の中で移築設計や現場監理が大変なのはもちろんですが、実は最も気を遣うのが解体です。古い建物だけに壊れてしまうと替えはありませんし、再生するときのことも考えながら、細かく番付けして設計図に反映していきます。解体には慎重さはもちろん技術が必要で、今ではこれができる職人も少なくなりました」と建築家の大沢さん。

明治時代の平屋と蔵をL字に配置して完成した小泉邸。縁側には波打つレトロなガラスの木製建具が正面7枚、左手に4枚、計11枚一本のレールに並ぶ繊細さ。平屋部分の木の風合いと蔵部分の漆喰の白と焼杉の黒のモノトーンのコントラストが印象的(写真撮影/高木 真)

明治時代の平屋と蔵をL字に配置して完成した小泉邸。縁側には波打つレトロなガラスの木製建具が正面7枚、左手に4枚、計11枚一本のレールに並ぶ繊細さ。平屋部分の木の風合いと蔵部分の漆喰の白と焼杉の黒のモノトーンのコントラストが印象的(写真撮影/高木 真)

(撮影/高木 真)

一本レールに木製建具が並ぶ繊細さに一目惚れしたため、引き違い用のレールを増やすことなく、あえて元の姿のままに再生。そのため、風雨をよけるため雨戸にしたり、通風のため網戸にする際は、ガラス戸を一枚ずつ外して入れ替えていくという手間も力仕事も伴う。不便さあっての美しさ、そして日本家屋での暮らしはひと昔前までこれが当たり前だった(撮影/高木 真)

一本レールに木製建具が並ぶ繊細さに一目惚れしたため、引き違い用のレールを増やすことなく、あえて元の姿のままに再生。そのため、風雨をよけるため雨戸にしたり、通風のため網戸にする際は、ガラス戸を一枚ずつ外して入れ替えていくという手間も力仕事も伴う。不便さあっての美しさ、そして日本家屋での暮らしはひと昔前までこれが当たり前だった(撮影/高木 真)

屋根の鬼瓦や棟瓦にあたる部分は、岡山の井原地域独自だという珍しい波模様の粋な形状。瓦の一部は劣化して耐久性に問題ありと診断されたため、足りない瓦は全く同じ形に複製して元の姿に復元された。一方、岡山では総瓦屋根だったが、それでは鎌倉では重厚過ぎると判断。上部を瓦、下部を銅板葺きに変更して街並みとの調和を図っている(写真撮影/高木 真)

屋根の鬼瓦や棟瓦にあたる部分は、岡山の井原地域独自だという珍しい波模様の粋な形状。瓦の一部は劣化して耐久性に問題ありと診断されたため、足りない瓦は全く同じ形に複製して元の姿に復元された。一方、岡山では総瓦屋根だったが、それでは鎌倉では重厚過ぎると判断。上部を瓦、下部を銅板葺きに変更して街並みとの調和を図っている(写真撮影/高木 真)

そのままの姿に復元、オリジナルの工夫を盛り込んで設計変更、古民家移築は自由自在

岡山にあった「母屋」「離れ」「蔵」の3つの建物からなる古民家のうち、敷地の関係で「離れ」の平屋と「蔵」の2つが移築された小泉邸。平屋は外観・内観共に元の姿に忠実に復元され、おもてなしスペースに。一方蔵は、生活空間として元の構造を活かしつつ、全面的に設計変更。それぞれに、現代ならではの新たな工夫やチャレンジがみられることも興味深い。

(写真撮影/高木 真)

おもてなしスペースとして、元の姿に忠実に復元された二間続きの和室。ところが床の間の上の小さな引き戸を開けると、なんと奥のキッチンと繋がる設計上のアイデアが盛り込まれている。「開放すると想像以上に気持ちいい風が通り抜けて驚きました」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

おもてなしスペースとして、元の姿に忠実に復元された二間続きの和室。ところが床の間の上の小さな引き戸を開けると、なんと奥のキッチンと繋がる設計上のアイデアが盛り込まれている。「開放すると想像以上に気持ちいい風が通り抜けて驚きました」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

小泉邸の蔵の2階は構造材を全てそのまま見せるデザインの勾配天井にして、更に中央の白い漆喰壁を大画面としてプロジェクター投影ができる大空間。「元々の蔵は倉庫のため、窓も少なく天井も低めのつくり。蔵を快適な生活空間にするため、元の構造材に60センチ分足して天井を高くしたり窓も増やすなどの設計上の工夫をしています」と建築家の大沢さん(写真撮影/高木 真)

小泉邸の蔵の2階は構造材を全てそのまま見せるデザインの勾配天井にして、更に中央の白い漆喰壁を大画面としてプロジェクター投影ができる大空間。「元々の蔵は倉庫のため、窓も少なく天井も低めのつくり。蔵を快適な生活空間にするため、元の構造材に60センチ分足して天井を高くしたり窓も増やすなどの設計上の工夫をしています」と建築家の大沢さん(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

キッチンは造作で、古民家だけに天板はあえてステンレスや人造大理石でなく木に挑戦。使用したのはもちろん古材、群馬の養蚕農家の梁を入手して加工した、厚みがある松らしき一枚板(写真撮影/高木 真)

キッチンは造作で、古民家だけに天板はあえてステンレスや人造大理石でなく木に挑戦。使用したのはもちろん古材、群馬の養蚕農家の梁を入手して加工した、厚みがある松らしき一枚板(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

椹(さわら)の浴槽に大正時代のアンティークのステンドグラスが映える浴室。壁はなんと漆喰塗り。湿気の多い鎌倉でこれを実現するためには、湿気がこもらないように、浴室部分の基礎コンクリートを土台から立ち上げ、スノコ下はそのまま排水と通気ができるよう工夫されている(写真撮影/高木 真)

椹(さわら)の浴槽に大正時代のアンティークのステンドグラスが映える浴室。壁はなんと漆喰塗り。湿気の多い鎌倉でこれを実現するためには、湿気がこもらないように、浴室部分の基礎コンクリートを土台から立ち上げ、スノコ下はそのまま排水と通気ができるよう工夫されている(写真撮影/高木 真)

昔ながらのヒューズを使った配電盤も特注品。これをつくれる職人さんを探すのも一苦労だったという(写真撮影/高木 真)

昔ながらのヒューズを使った配電盤も特注品。これをつくれる職人さんを探すのも一苦労だったという(写真撮影/高木 真)

歴史ある家を新たな場所で再生する「古民家移築」は、日本の伝統的木造建築ならではの技

移築前には現在の持ち主で古民家移築の施主である小泉さんが岡山に訪れ、移築後は元オーナー一族が鎌倉に逆訪問。取材時も、元オーナーの米本さん親子が遊びに来ていた。「岡山にあったころから空き家になってしまい、自宅も離れているため定期的に掃除に行くのも負担になっていました。処分には解体費用も掛かるし、なんといっても思い出が詰まった家です。民家バンクに登録したときは、バラバラに解体され木材になってしまうと覚悟していただけに、家がそのまま残って感激しています」、と感慨深げ。いまや岡山を離れ全国バラバラに住む親戚たちも、鎌倉の小泉邸を見学に来て、思い出話に花が咲いたという。まさに家が繋ぐ縁、そのものだ。

明治時代に2間続きの和室で行われた結婚式(写真左:提供元オーナー・米本弘子さん)と、現在の小泉邸に元オーナーである米本さん親子が訪ねてきた際の写真(写真右:撮影/長井純子)。全く同じ造りの和室で、岡山にいると錯覚するほどだという

明治時代に2間続きの和室で行われた結婚式(写真左:提供元オーナー・米本弘子さん)と、現在の小泉邸に元オーナーである米本さん親子が訪ねてきた際の写真(写真右:撮影/長井純子)。全く同じ造りの和室で、岡山にいると錯覚するほどだという

気になるのは、古民家移築のコスト面。「古民家移築の建築コストの目安は一般的な新築の2~3割増しでしょうか」と建築家の大沢さん。空き家となった古民家は無償で譲り受けることができるので、これらの材料費は基本不要、成約時に日本民家再生協会(JMRA)への紹介料のみ。ただし、特に繊細な作業と技術を要する解体費と移送費が新築にない費用としてプラスされる。やりようによっては安くもなるし、こだわるとキリがなく、コストは千差万別だという。小泉邸の場合、元の形に復元することにこだわったため解体費を含めて4250万、坪単価は約145万。確かに割高になるものの、この本物ならではの魅力と歴史の重みには変えがたい。

「築100年の家を再生したら、少なくともあと100年、築200年なら200年は持ちます」と大沢さん。「敷地の関係で岡山に残した母屋も素晴らしい建物、活用されることを願っています」と小泉さん。日本各地に数多く残る古民家を一棟でも多く残したい、という思いは、小泉邸の移築再生に関わった人全員共通だ。

秋田の酒蔵を鎌倉に移築し2002年完成した「結の蔵」も建築家・大沢さんの設計によるもの。古いものを大切にする鎌倉の象徴的撮影スポットのひとつで、大沢さんのO設計室もこの一室に入居している(写真撮影/高木 真)

秋田の酒蔵を鎌倉に移築し2002年完成した「結の蔵」も建築家・大沢さんの設計によるもの。古いものを大切にする鎌倉の象徴的撮影スポットのひとつで、大沢さんのO設計室もこの一室に入居している(写真撮影/高木 真)

1997年に設立された日本民家再生協会(JMRA)は、日本の伝統文化である民家を蘇らせ次代に引き継ぐため、情報誌や書籍の発行、各種イベントを定期開催。民家を譲りたい人と譲り受けたい人を取り持つ「民家バンク」もあり、情報誌「民家」には登録された民家の情報が掲載されている(写真撮影/長井純子)

1997年に設立された日本民家再生協会(JMRA)は、日本の伝統文化である民家を蘇らせ次代に引き継ぐため、情報誌や書籍の発行、各種イベントを定期開催。民家を譲りたい人と譲り受けたい人を取り持つ「民家バンク」もあり、情報誌「民家」には登録された民家の情報が掲載されている(写真撮影/長井純子)

築百年を超える家も、移築して再生されることで建築法上は「新築」扱い。そして、百年の年月を経て強度も増した木材は、更に百年は持つという。時代や空間を越えてご縁を繋ぎ、次世代に繋がる家。取材を通じて、出会った施主である現オーナー、元オーナー、建築家を始めとする工事関係者、そして何より家自体が喜んでいるのを感じる。空き家は増加する一方、日本全国に残る古民家が一つでも多く壊されることなく次世代に繋がることを心より祈る古民家在住ライターであった。

●取材協力
NPO法人 日本民家再生協会(JMRA)
O設計室

築100年超の蔵付き古民家を鎌倉に移築再生、妥協無しで理想を追求したこだわりの家

鎌倉の静かな住宅街に、岡山の蔵付き古民家を移築再生した小泉さんの住まい。2019年2月に行われた完成披露のオープンハウスには、大正時代の蔵と明治時代の平屋を組み合わせたその存在感ある建物を一目見ようと、一日で130名を超える見学者が訪れた。『渡辺篤史の建もの探訪』取材時に渡辺さんをも「感動しました」と唸らせた、妥協無しの本物ならではのこだわりがつまった小泉邸をご紹介しよう。
岡山の呉服屋だったお屋敷の明治時代の蔵と平屋が、鎌倉で蘇る

この移築古民家の施主である小泉成紘さんが、鎌倉・逗子・葉山のエリア限定で、趣のある日本家屋を探し始めたのは今から6~7年前。しかし多くの中古物件を見学したものの、立地と建物、どちらも気に入るものはなく、住まい探しは難航した。どちらも譲れない小泉さんが最終的に選択したのは、理想の土地を新規で購入し、そこに別の場所で空き家となった古民家を移築するという古民家移築再生だった。

選んだ土地は、鎌倉駅にも近くて山を背負った谷戸の趣も残る静かな住宅地。建物は日本民家再生協会(JMRA)を通じて出会った、かつて呉服屋だった岡山県のお屋敷の大正生まれの平屋と明治生まれの蔵。縁側にガラス戸が綺麗に並んだ古民家の写真に惹かれ現地を見学、実際に築100年を超す建物の本物ならではの風格や味わいに惹かれ、この建物を忠実に鎌倉で再現したいと思ったという。

離れの座敷として使用されていた平屋と、2階建ての土蔵。敷地の関係で西隣にあった母屋を除き、職人の手仕事で丁寧に解体されたあと移送し、そのまま鎌倉で蘇った(写真撮影/高木 真)

離れの座敷として使用されていた平屋と、2階建ての土蔵。敷地の関係で西隣にあった母屋を除き、職人の手仕事で丁寧に解体されたあと移送し、そのまま鎌倉で蘇った(写真撮影/高木 真)

明治時代のお座敷は、時代と空間を越えて忠実に元の姿に蘇り、次世代へと引き継がれる

それでは、こだわりのつまった小泉邸を、写真を中心にご紹介していこう。平屋部分は明治時代に呉服屋の奥座敷として使われていた二間続きの和室と縁側からなる日本の伝統的木造建築の粋を集めたつくり。ここは忠実に元の姿に復元し、来客時やイベントなどに使うおもてなしスペースにすることに。「元々この建物に惹かれたので、建材や建具などの部材ひとつたりとも変えたくなくて。瓦など劣化していると判断されたものもありましたが、現代では手に入らないものは特注でつくってもらいました」というほどのこだわりよう。

その甲斐あって、元のオーナーが訪れた際「岡山の家にいるよう」と感嘆するほどに、忠実に復元・再生されて蘇っている。

一目惚れした縁側は、一本レールに波打つレトロなガラスの木製建具11枚が並ぶ繊細なつくりをそのままに再現。庭の脇には薪ストーブ用の薪を収納する薪小屋を新設。薪小屋の屋根は今では希少な天然スレート瓦。「薪小屋には贅沢なようですが、室内からも外からも目につく場所なので」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

一目惚れした縁側は、一本レールに波打つレトロなガラスの木製建具11枚が並ぶ繊細なつくりをそのままに再現。庭の脇には薪ストーブ用の薪を収納する薪小屋を新設。薪小屋の屋根は今では希少な天然スレート瓦。「薪小屋には贅沢なようですが、室内からも外からも目につく場所なので」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

呉服屋の奥座敷として使われていた離れのニ間続きの和室。できるだけ忠実に元の空間を再現することにこだわり、間取りや建具などの部材がそのまま。さらに、元の古民家から円卓や箪笥などの家具も譲ってもらったため、まさに岡山の家そのものの空間が出来上がった(写真撮影/高木 真)

呉服屋の奥座敷として使われていた離れのニ間続きの和室。できるだけ忠実に元の空間を再現することにこだわり、間取りや建具などの部材がそのまま。さらに、元の古民家から円卓や箪笥などの家具も譲ってもらったため、まさに岡山の家そのものの空間が出来上がった(写真撮影/高木 真)

明治時代につくられたとは思えない、斬新なデザインの欄間(らんま)。職人さんの手仕事で丁寧に解体、壊れないよう岡山から鎌倉まで運ばれ、再び組み立てられ、時代と空間を越えて再生された(写真撮影/高木 真)

明治時代につくられたとは思えない、斬新なデザインの欄間(らんま)。職人さんの手仕事で丁寧に解体、壊れないよう岡山から鎌倉まで運ばれ、再び組み立てられ、時代と空間を越えて再生された(写真撮影/高木 真)

和室には珍しい洋風の重厚な上げ下げ窓が印象的で、当時はかなり斬新なデザインだったと推測される。二間続きの和室は、来客時やイベントの際のおもてなしスペースに(写真撮影/高木 真)

和室には珍しい洋風の重厚な上げ下げ窓が印象的で、当時はかなり斬新なデザインだったと推測される。二間続きの和室は、来客時やイベントの際のおもてなしスペースに(写真撮影/高木 真)

生活の場となる2階建ての蔵は、世界各国のアンティークを取り入れ和洋折衷のレトロ空間に

忠実に元の姿に復元された平屋に対して、2階建ての蔵は普段の生活スペースとして、建物の構造は活かしつつゼロベースで自由にプランニング。土蔵だった建物の構造は活かしつつ、趣味の空間や仕掛けがふんだんに組み込まれている。インテリアは元々好きだった世界各国のアンティークを取り入れて、和洋折衷なレトロ感あふれる個性的な仕上がりに。「イメージに合うアンティークものを一つひとつ自分でそろえて行きました。何でもできるので、かえって形にするのが大変で手間も時間もかかりましたね」と小泉さん。

蔵部分に設けられた玄関の扉は1920-30代イギリスのアンティーク。漆喰の白壁とのコントラストが美しい黒の外壁は焼き杉で、伝統を重んじつつ個性を演出(写真撮影/高木 真)

蔵部分に設けられた玄関の扉は1920-30代イギリスのアンティーク。漆喰の白壁とのコントラストが美しい黒の外壁は焼き杉で、伝統を重んじつつ個性を演出(写真撮影/高木 真)

玄関を入ると、1960年代ノルウエーの薪ストーブがある広い土間スペース。薪ストーブは土壁と相性の良い輻射熱式の全館暖房をと考え導入、2階の寝室まで吹抜けになっていて、生活空間である蔵スペース全体がこれひとつで温まる仕組みだ(写真撮影/高木 真)

玄関を入ると、1960年代ノルウエーの薪ストーブがある広い土間スペース。薪ストーブは土壁と相性の良い輻射熱式の全館暖房をと考え導入、2階の寝室まで吹抜けになっていて、生活空間である蔵スペース全体がこれひとつで温まる仕組みだ(写真撮影/高木 真)

蔵の1階は水まわりなどの生活スペース。イギリスやフランスの片田舎を思わせるキッチン、インテリアのポイントはブルーの勝手口ドア。これもフランスのアンティークで、実はこの家で一番高価だったという(約30万円)。キッチンはこのドアありきで設計が決まったそう(写真撮影/高木 真)

蔵の1階は水まわりなどの生活スペース。イギリスやフランスの片田舎を思わせるキッチン、インテリアのポイントはブルーの勝手口ドア。これもフランスのアンティークで、実はこの家で一番高価だったという(約30万円)。キッチンはこのドアありきで設計が決まったそう(写真撮影/高木 真)

造作キッチンの天板は群馬の養蚕農家の梁だった古材を加工したもの。「イギリス・ショーズ社のスロップ型シンクと水栓、ベルギーのスライス煉瓦、窓はアメリカのアンダーセンなど、パーツ一つひとつを厳選しました」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

造作キッチンの天板は群馬の養蚕農家の梁だった古材を加工したもの。「イギリス・ショーズ社のスロップ型シンクと水栓、ベルギーのスライス煉瓦、窓はアメリカのアンダーセンなど、パーツ一つひとつを厳選しました」と小泉さん(写真撮影/高木 真)

玄関ホールからキッチンに通じる廊下も兼ねたスペースは、両側の防音仕様の扉を閉めると、ピアノ演奏のための防音室になる構造。壁紙はオランダのデザイナーもの、床タイルは市松模様にして機能性を追求する中にも遊び心が(写真撮影/高木 真)

玄関ホールからキッチンに通じる廊下も兼ねたスペースは、両側の防音仕様の扉を閉めると、ピアノ演奏のための防音室になる構造。壁紙はオランダのデザイナーもの、床タイルは市松模様にして機能性を追求する中にも遊び心が(写真撮影/高木 真)

なんともレトロな雰囲気のお風呂。椹(さわら)の浴槽に大正時代のアンティークのステンドグラス、壁はなんと漆喰塗り。水栓金具はテイストが合うものを求めて、フランスの現代ものエルボ社に(写真撮影/高木 真)

なんともレトロな雰囲気のお風呂。椹(さわら)の浴槽に大正時代のアンティークのステンドグラス、壁はなんと漆喰塗り。水栓金具はテイストが合うものを求めて、フランスの現代ものエルボ社に(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

トイレの床タイルも市松模様、便器はアメリカのコーラー社、手洗いにはフランスの陶器のガーデン用シンクを選んでレトロな雰囲気に。ポイントはアンティ-クのステンドグラスで、1920-30年代イギリスのロンデルガラス入り。トイレ側、玄関側、内外どちらから見ても美しい(写真撮影/高木 真)

トイレの床タイルも市松模様、便器はアメリカのコーラー社、手洗いにはフランスの陶器のガーデン用シンクを選んでレトロな雰囲気に。ポイントはアンティ-クのステンドグラスで、1920-30年代イギリスのロンデルガラス入り。トイレ側、玄関側、内外どちらから見ても美しい(写真撮影/高木 真)

2階へ階段で上がると、構造材を全てそのまま見せるデザインのダイナミックな寝室兼リビングの多目的空間。壁は土壁の中塗り仕上げ、中央は白い漆喰塗りにして、趣味の写真や映画、テレビもプロジェクター投影して大画面で見る仕掛け(写真撮影/高木 真)

2階へ階段で上がると、構造材を全てそのまま見せるデザインのダイナミックな寝室兼リビングの多目的空間。壁は土壁の中塗り仕上げ、中央は白い漆喰塗りにして、趣味の写真や映画、テレビもプロジェクター投影して大画面で見る仕掛け(写真撮影/高木 真)

白い漆喰壁の裏には、趣味のフイルム写真現像用の暗室スペースも(写真撮影/高木 真)

白い漆喰壁の裏には、趣味のフイルム写真現像用の暗室スペースも(写真撮影/高木 真)

勾配天井を活かした2階の大空間。築100年以上の木材がダイナミックに組み合わされた姿は眺めていて見飽きない。1階にある薪ストーブの配管が吹抜けになって、2階のこの大空間も温まる仕掛けだ(写真撮影/高木 真)

勾配天井を活かした2階の大空間。築100年以上の木材がダイナミックに組み合わされた姿は眺めていて見飽きない。1階にある薪ストーブの配管が吹抜けになって、2階のこの大空間も温まる仕掛けだ(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

(写真撮影/高木 真)

インテリアのポイントとなる照明器具や時計などはもちろん、スイッチプレートやドアノブなどの小さな設備機器に至るまで、全て歴史ある古民家のテイストに合うものをと、小泉さん自らアンティークショップやインターネットなどで一つひとつ集めた。「真鍮のスイッチプレートを家一軒分の数そろえるのも結構大変でした」。この細部まで手抜きなしのこだわりが、本物の重厚感を生む(写真撮影/高木 真)

インテリアのポイントとなる照明器具や時計などはもちろん、スイッチプレートやドアノブなどの小さな設備機器に至るまで、全て歴史ある古民家のテイストに合うものをと、小泉さん自らアンティークショップやインターネットなどで一つひとつ集めた。「真鍮のスイッチプレートを家一軒分の数そろえるのも結構大変でした」。この細部まで手抜きなしのこだわりが、本物の重厚感を生む(写真撮影/高木 真)

緑豊かで静かな立地に、歴史が刻まれた古民家とそれにあう世界各国のインテリアを一つひとつ厳選して移築再生された小泉邸。その妥協無しの世界観は、実にお見事の一言。本物ならではの風格漂う古民家再生、実は古民家の部材などは基本無償だという。次回は、部材だけでなくその歴史ごと受け継ぐことができメリットの多い、「古民家移築」の仕組みや流れを中心に紹介しよう。

●取材協力
NPO法人 日本民家再生協会(JMRA)
O設計室

古民家暮らしの魅力や注意点は? 実際の購入者に話を聞いた 古民家購入マニュアル(後編)

「憧れの古民家暮らしがしたい」。前編では、購入に関するノウハウをお伝えしましたが、後編の今回は、実際に古民家を購入し、新しい暮らしを手に入れた方々にお話をうかがいました。古民家暮らしの魅力や購入前のアドバイスなど、実際に購入した人たちの暮らしから探っていきましょう。
古民家を購入してカフェをオープン!DIYで心地よい空間を(30代夫婦)

まずお話を聞いたのは、「古民家で暮らしながらカフェをやりたい」と、東京都内から千葉県茂原市に転居。2015年に古民家を改装して「コーヒーくろねこ舎」をオープンしたKさん夫妻(30代)です。
古民家暮らしをしようと思った理由は、もともと夫が山形育ちとのことで、のびやかな環境で自分たちのペースで暮らしたいと考えていたから。「私は東京生まれ東京育ちですが、ゆったり暮らしたいっていうのは誰しも考えることですし、いつか自分でカフェを開きたいと思っていたので、住む場所は都会に限定しなくても」と古民家探しをはじめたそうです。

「数えきれないほど(笑)」物件を見学したKさん夫妻。じっくり探した結果、住む家とカフェが別々で設けられる2棟建て、敷地内に畑が設けられ、お客さんが駐車できる広い敷地など、希望を叶えた現在の場所を見つけました。

そこからはカフェオープンに向けてこつこつDIYで店舗づくり。「電動工具などそれまで触ったこともなかったのですが、いざやってみると大変だけど楽しかったですね」。サンダーで削ったり、床板をくぎ打ちしたり、少しずつ自分たちの色が広げていきました。「古民家ははじめて訪れてもどこか懐かしい空間が魅力だと思います。もともと好きだった古道具店めぐりや雑貨収集などもより楽しくなりました。テーブルや椅子も古道具を使っていくつか自作しているのですが、ちょっと曲がっていたりしても、この空間だから味になるというか」。そんな魅力を発見しながら、つい長居したくなる古民家カフェができました。

壁の漆喰塗から床の張り替え&自然塗料による塗装、近隣の古道具店などから手に入れたテーブルや椅子をカスタマイズ。Kさん夫妻が営む古民家カフェ「コーヒーくろねこ舎」の内装はすべてDIYでこつこつつくり上げられたもの。のんびりした風景と調和する優しい空間だ(写真撮影/山口俊介)

壁の漆喰塗から床の張り替え&自然塗料による塗装、近隣の古道具店などから手に入れたテーブルや椅子をカスタマイズ。Kさん夫妻が営む古民家カフェ「コーヒーくろねこ舎」の内装はすべてDIYでこつこつつくり上げられたもの。のんびりした風景と調和する優しい空間だ(写真撮影/山口俊介)

「貯蓄」と「地域共生」 古民家暮らし満喫のための大切な要素

そんなKさん夫妻のように、古民家カフェや古民家パン屋など、古民家暮らしと古民家を活かした事業を両立したいという人が若い人の中で増えています。ですが、Kさんは古民家暮らしには「夢や理想だけでは厳しい部分もあると思います」といいます。

「当たり前だと思いますが、購入前に貯蓄は必要だと思います。もし貯蓄が無かったら、当然生活のためにしたくない仕事をしなくてはいけなくなります。それではせっかくのびやかに自分たちのペースで暮らしたいという理想がかなえられませんよね。だから私たちは目標として、2年はお客さまが入らなくて、赤字になっても暮らしていける額を設定して、貯蓄してから購入しました」。もちろん新築に比べて固定資産税などがかからない特徴はありますが、自分たちの手で維持していくにもお金がかかるもの。住んですぐ引越さなくてはいけなくなるのは避けたいものです。特に事業を行うならなおさら注意が必要です。

もうひとつは近隣の方々とのお付き合い。古民家が立地する多くのエリアは、昔から代々住んでいる人が多く、また、土地ごとに風習、文化が色濃く残っていることも多いのが都会と異なる点です。

「ご近所付き合いは大切にしたほうが良いと思いますね。私はどちらかというと苦手なのですが、夫は得意な性分で、地元の消防団に入ったり、お祭りに参加したり、積極的にコミュニケーションをとって地域に参加しています。人との繋がりが広がっていくといろいろ発見がありますし、自分たちのペースで繋がる感じがすごく心地よいです」といいます。だからこそ「事前に住む地域がどんな文化的背景があるかや、地域の行事が充実しているかなどをしっかりリサーチしておくと良いかなと。そういう文化に積極的に触れられるのも、田舎の古民家暮らしならではだと思います」

「お客様はみなさんのんびり、ゆっくり過ごしていただいています」(Kさん)。古民家独特のどこか懐かしくて、落ち着きを感じる空間はリピーターも多いという(写真撮影/山口俊介)

「お客様はみなさんのんびり、ゆっくり過ごしていただいています」(Kさん)。古民家独特のどこか懐かしくて、落ち着きを感じる空間はリピーターも多いという(写真撮影/山口俊介)

アメリカの雄大な自然環境に触れ、古民家暮らしを決意

お次は千葉県長南町の古民家で暮らすトモ長谷川さん(50代夫婦と子ども)。実は日本を代表する銃器や刃物の写真家であり、大学時代は夫婦ともに建築学科で日本家屋を専攻していたというマルチな方です。

そんなトモ長谷川さんの古民家暮らしへの憧れは大学生時代。「東京に住んでいたのですが、競技射撃選手だったので、演習などでアメリカ・カリフォルニア州のヨセミテの近くの広大な原野で生活することも多かったんです」。そんな自然の中での暮らしに何度も触れたことから、「日本の都会に戻ってくると、周囲に配慮しすぎたり、自然に触れられない環境に徐々に息が詰まるようになって。また、日本国内で旅をすることも多かったのですが、なぜかひきつけられるように『古民家』の宿を泊まり歩いていて。いつしか古民家で生活したい!と思ったんです」。

自然あふれる田舎暮らしにあこがれて古民家暮らしを決意したトモ長谷川さん。時間を見つけてはさまざまな物件を見学し、現在の立派な長屋門が付いた由緒ある古民家を見つけて購入しました。古民家を購入する前と購入後でどんな変化があったのでしょう?

「私にとってはとても価値ある暮らしができていると実感しています。「自然がリビング」といえる環境を感じながらの暮らしは、都会ではなかなか味わえない。また、良さがどんどんわかってくるのも古民家ならではだと思います。使われている部材はもちろん天然素材で、アカマツなど今では希少な木材ばかり。それが長い年月を経たことにより、風合いやたたずまいに時が刻まれることで、自然がつくった彫刻品に住んでいるような気さえします」

森を背に広大な敷地に建つトモ長谷川邸。こつこつDIYで住まいを改装しながら暮らしている(写真提供/トモ長谷川さん)

森を背に広大な敷地に建つトモ長谷川邸。こつこつDIYで住まいを改装しながら暮らしている(写真提供/トモ長谷川さん)

(左)周囲に自生する山菜なども満喫。季節や自然を感じながらの食事は格別だそう(右)屋根裏部屋にDIYで子ども部屋を制作した。歴史を感じる梁や柱に囲まれての生活は、新築では味わえないという(写真提供/トモ長谷川さん)

(左)周囲に自生する山菜なども満喫。季節や自然を感じながらの食事は格別だそう(右)屋根裏部屋にDIYで子ども部屋を制作した。歴史を感じる梁や柱に囲まれての生活は、新築では味わえないという(写真提供/トモ長谷川さん)

掃除をすれば感動する!最初の印象にだまされないで

そんなトモ長谷川さんに、古民家暮らしを希望する人に向けたアドバイスも聞いてみました。
「実際の古民家探しで絶対に驚くのは最初の見学。古民家は雑然として、思わず「汚い」「ここに住めるの?」ってびっくりすると思いますよ。だから『まずは掃除から』と言いたいですね。自分が真っ黒になるまでぴかぴかにすると、ホコリや汚れの下に、年月を経たからこそ深まった古民家の良さを見つけられると思います。また、よく言われるのですが、最初から大きな改修は考えなくていいと思います。暮らしながら手をかけていく。それも古民家暮らしの醍醐味のひとつですから」

また、トモ長谷川さんが住む千葉県長南町のように、移住促進の補助金制度がある自治体も数多くあるといいます。

【例】長南町若者定住促進事業
・45歳以下の夫婦世帯に対して奨励金(上限200万円)を交付
・リフォーム補助

「自治体サポートのほか、私が古民家探しで相談した千葉房総ねっとさんの「田舎暮らし交流会」のような、先輩移住者からお話を聞けたり、実際の暮らしを見学できる集まりもあります。臆せずまずは飛び込んで、古民家、田舎暮らしの魅力に触れてみてほしいですね」

そんなトモ長谷川さんは、自身の経験を生かして「ウルトラ“古民家”防衛軍」という、古民家を通じた暮らし提案の活動も行っています。木工ワークショップや古民家リノベ見学会など多彩なイベントを行っているので、気になる人はホームページを覗いてみてはどうでしょう。

古民家、田舎で暮らすことで、コミュニティーつくりにも熱心に。「手をかけながら暮らす」という古民家暮らしの醍醐味を、木工ワークショップなどさまざまなイベントを主催して広めている(写真提供/トモ長谷川さん)

古民家、田舎で暮らすことで、コミュニティーつくりにも熱心に。「手をかけながら暮らす」という古民家暮らしの醍醐味を、木工ワークショップなどさまざまなイベントを主催して広めている(写真提供/トモ長谷川さん)

トモ長谷川さんが中心となって活動する「ウルトラ“古民家”防衛軍」。古民家を改修することで価値を付与し、有効活用する活動などを行っている(写真提供/トモ長谷川さん)

トモ長谷川さんが中心となって活動する「ウルトラ“古民家”防衛軍」。古民家を改修することで価値を付与し、有効活用する活動などを行っている(写真提供/トモ長谷川さん)

古民家暮らしの良さは、古民家だからこそ持っている歴史や年月、環境を感じながら暮らせること。そして自分で手をかけて暮らすことへの楽しさのようです。古民家だからこそ体感できる豊かな暮らしは、ますますこれからの家選びの大きな選択肢になっていくかもしれません。

●前編
・古民家が欲しいと思ったら? 覚えておきたいノウハウを紹介 古民家購入マニュアル(前編)●参考
・長南町若者定住促進事業 / リフォーム補助●取材協力
・コーヒーくろねこ舎
・ウルトラ“古民家”防衛軍

古民家が欲しいと思ったら? 覚えておきたいノウハウを紹介 古民家購入マニュアル(前編)

「古民家を購入して住みたい」と思っても、どこに相談したらよいか分からないという人は少なくないはず。税金、断熱と耐震、補助金なども、新築住宅を購入するときとはちょっと異なる制度・注意点などもありそうです。古民家購入前に知っておきたいノウハウや、実際購入した人の声を前後編でお届けします。前編の今回は、古民家購入のために覚えておきたい基礎知識について、「千葉房総ねっと」代表の武田新さんにお話をうかがいました。
そもそも古民家物件はどうやって探せばいい?

古民家には、明確な定義はありませんが、一般的に伝統的な木造建築工法で昭和初期までに建てられている日本家屋を指すそうです。当然築年数が相当に古く、普通の不動産会社ではなかなか取り扱っていません。

「専門誌を参考にしたり、古民家専門の不動産会社を探すことなどから始めましょう」と武田さんは言います。古民家専門の不動産会社は、インターネットで「古民家 物件」「古民家 購入」といったキーワードで検索すると比較的簡単に見つかりますし、「NPO法人 日本民家再生協会」(http://www.minka.or.jp/index.html)や「(一社)全国古民家再生協会」(http://www.g-cpc.org/)といった団体のホームページから探すのもおすすめだそうです。「建物の構造チェックや古民家建築に詳しい建築士情報など、扱う情報は団体ごとに特徴があるので、さまざまなウェブサイトをチェックするといいでしょう」(武田さん、以下同じ)

ここ数年、のんびり田舎暮らしがしたいというニーズに、インバウンドを狙った需要も高まり、古民家人気が高まっていると話す武田さん。「売買がすぐ決まることも多いので、気に入った物件はすぐに問い合わせましょう」(写真撮影/山口俊介)

ここ数年、のんびり田舎暮らしがしたいというニーズに、インバウンドを狙った需要も高まり、古民家人気が高まっていると話す武田さん。「売買がすぐ決まることも多いので、気に入った物件はすぐに問い合わせましょう」(写真撮影/山口俊介)

それ以外では、移住促進に力を入れている自治体などで広がっている、古民家を含めた空家物件の紹介事業や「空家バンク」などもあります。古民家情報を紹介するイベントなどを行っている自治体もあるので、住みたいエリアの自治体に問い合わせてみるのもひとつの手かもしれません。

「千葉房総ねっと」では、サイト利用者も参加できる「田舎暮らし交流会」を開催。古民家暮らしの先輩たちから直接話を聞くことで、地域の特徴や古民家暮らしを具体的にイメージできる(写真提供/田舎暮らし!千葉房総ねっと)

「千葉房総ねっと」では、サイト利用者も参加できる「田舎暮らし交流会」を開催。古民家暮らしの先輩たちから直接話を聞くことで、地域の特徴や古民家暮らしを具体的にイメージできる(写真提供/田舎暮らし!千葉房総ねっと)

古民家購入は、補助や税金メリットがあるって本当?

住みたいと思えるような古民家物件を見つけたら、次に気になるのが購入にかかるコスト。購入の流れは基本的に中古物件を購入する際と同じですが、実は古民家ならではの税金上のメリットがあります。

「古民家には築70年や100年という物件もざらにあるので、建物自体の価値が低く見積もられ、固定資産税が安いんです。そのほか、不動産取得税も少なくなりやすい。もちろん、物件によりますが、諸費用を抑えて購入できると考えてよいでしょう」

それだけでなく、前述の通り、移住促進事業などで補助金を出している自治体もあるため、購入コストだけでなく、住み始めてからの生活コストも抑えることもできるかもしれません。

ただし、古民家を購入する際には注意しておきたい点がいくつかある、と武田さんは言います。

「古民家は購入後そのまま住めるわけではなく、ほとんどの方が古民家を購入して、リフォーム、リノベーションを行います。その工事費用を見積もっておかなくてはいけません。特に古民家の修繕は熟練職人の力が必要な場合や、同じ部材がなく調達コストが思いのほかかかることもあるので、そうした手間なども考えておきましょう」

また、新築住宅購入の際に利用できる住宅ローン減税については、中古住宅購入と同じ減税制度を受けることができます。ただ、古民家の多くが1981年以前の旧耐震物件のため、制度の条件から外れる物件が多く、「ローン控除はないと考えたほうがよいでしょう」とのことです。

さらに、古民家ならではといえる特徴として「農地付き物件」の取得条件があるのだとか。「農地付き物件とは、文字通り、農地を所有する物件のこと。農地付き物件を取得するには、各自治体が発行する『農家資格」が必要です。就農しない場合は仮登記を行い、権利を保全する必要があります」

【古民家のなかには「農地付き物件」も。農地付き物件を取得するには農家資格が必要になる(写真/PIXTA)

【古民家のなかには「農地付き物件」も。農地付き物件を取得するには農家資格が必要になる(写真/PIXTA)

古民家の「断熱性」「耐震性」は大丈夫?

古い家であればあるほど機能や構造面も気になるところ。特に断熱性や耐震性は、快適で安心・安全な暮らしを送るために知っておきたいポイントですね。

「実は古民家暮らしで一番相談されるのが『寒さ』なんです。古民家暮らしをしている人たちも、集まれば『冬は寒いね~』が合言葉になるほど、正直冬は寒いです。複層ガラスのサッシや床下、天井に断熱材を入れることで断熱性能を上げることはできますが、基本的に古民家は田の字型間取りですべての空間がつながっていることが多く、風通しに優れているのが特徴です。天井まで吹抜けた家も多いので、古民家ならではの空間を活かすなら、断熱材を取り入れられる箇所が少ないんですよね。

そのため、冬は囲炉裏を囲み、かいまきを着て暖を取る人が多いですよ。ただ、庇(ひさし)が大きい分、直射日光をさえぎることができ、土壁など調湿性の高い素材を使っているので、夏は涼しいです。四季を感じながら暮らすのも古民家の魅力なので、せっかく古民家に暮らすなら、そのくらいの割り切りが必要だと思います」

「冬は背中の寒さを少し我慢しながら、囲炉裏を囲んで暖をとりながら団らんするなど、せっかく古民家暮らしなら、その醍醐味を味わってほしいですね」(武田さん)(写真/PIXTA)

「冬は背中の寒さを少し我慢しながら、囲炉裏を囲んで暖をとりながら団らんするなど、せっかく古民家暮らしなら、その醍醐味を味わってほしいですね」(武田さん)(写真/PIXTA)

東北や上越といった豪雪地帯の古民家であれば、防寒力が高いのでは?と聞いてみたところ、「雪が積もりにくい傾斜の屋根を持つなどは見受けられますが、基本的な構造は同じなのであまり差はありませんね」とのこと。寒さを感じながら暮らすのも一興ということです。

しかし、寒さは我慢できても、家が傾いては困ります。耐震性についてはどうでしょうか?

「考え方が真っ二つに分かれるところです。古民家の多くは1981年以前に建てられたいわゆる『旧耐震基準』の物件になります。耐震性担保の目安のひとつとして挙げられる新耐震基準ではありません。ただ、一方で80年も100年もずっと倒壊せず建ってきたという実績もあるんです。日本古来の建築の家は『揺れを逃がす』という特徴があります。ひとたび地震が来ると、自ら揺れることで倒壊せず耐えるものです。

どちらがよいかは専門家でも判断が分かれるところですが、古民家だから耐震性が低いと断じるのは早計だと思います。どうしても不安な場合は、インスペクター(診断士)など専門家に見てもらうのも手ですね」

もちろん金物を使って補強することもできますが、木組みの良さを損なうこともあるので、リノベーションの際に相談してみましょう。

武田さんに教えていただいたとおり、古民家を購入する際は、新築物件を購入するときとは違うポイントがあります。ただ、古民家が欲しいと思ったときに一番重要なことは「住んでから家に手をかけることを楽しめるかどうか」だと武田さんは話します。壁や床がはがれたり、建具の建てつけが悪くなるなど、新築以上に修繕が発生します。自分たちで、生活も家も紡ぎながら暮らす。それが古民家暮らしの醍醐味なんですね。

●取材協力
・田舎暮らし!千葉房総ねっと