シャッター街、8年で「移住者が活躍する商店街」に! 20店舗オープンでにぎわう 六日町通り商店街・宮城県栗原市

シャッター街になりつつあった宮城県栗原市にある「六日町通り商店街」。しかし2016年ごろから、自治体や商店会、地域おこし協力隊らが連携し、移住者が開業しやすい環境づくりに努めてきた。その結果、個性的なお店が約20店舗オープンし、若手中心にイベントなどを企画、人が集まりにぎわいが生まれ注目されている。その「六日町通り商店街」再生の取り組みと現状を紹介する。

移住・定住を進める栗原市定住戦略室の取り組みと支援制度

宮城県北部にある栗原市は、人口6万3143人(2023年1月末時点)、地方への移住をテーマにした情報誌『「田舎暮らしの本』(宝島社)の2024年版「住みたい田舎ベストランキング」で、人口5万人以上10万人未満の市を対象にした全国の総合部門で1位になったまち。

栗原市企画部定住戦略室は、栗原市への移住・定住を希望する人に情報を提供し、相談に対応する総合的な窓口として、2013年7月に開設された。

「栗原市の移住者の数は2013年ごろから右肩上がりで伸びていましたが、新型コロナウイルス感染症が蔓延してからは対面の接触やイベントができないことで、かなり減ってしまいました。2023年になってようやく制限が緩和され、イベントも増やし、対面の相談や窓口にいらっしゃる方は多くなってきました」と話すのは、栗原市企画部定住戦略室の小関さん。

栗原市企画部定住戦略室の小関さん(写真撮影/難波明彦)

栗原市企画部定住戦略室の小関さん(写真撮影/難波明彦)

栗原市企画部定住戦略室は、首都圏からの移住相談、移住者の住まいや仕事の支援、子育てなどのサポートも整えている。

「『空き家バンク制度』といって、空き家の物件を移住検討者の方が購入できるよう、空き家の所有者と利用希望者をマッチングできる体制をつくっています(※)。希望があれば『お試し移住体験住宅』に宿泊し、暮らしを体験することもできます」(小関さん)
※栗原市は紹介のみで、交渉や契約は当事者間で行い、栗原市は関与しない(条件や補助金額など詳細はホームページ参照)

栗原市では、『お試し移住体験住宅』滞在中には、相談者の要望に応じて、移住して起業した人や希望職種に就いている人などを紹介したり、可能なアクティビティを紹介するオーダーメイド型アテンドや体験型プログラムも用意。また、空き家リフォームの助成制度や、若者、新婚生活を始める人の住まいに関する費用を助成し、若年層への支援にも取り組んでいる。また、移住検討者と移住者の交流会やイベントなども積極的に取り組んでいる。

地域おこし協力隊、移住定住コーディネーターらが道を拡げた

地方のシャッター商店街の増加が問題になる中、六日町通り商店街は、仙台圏や首都圏から移住して新規開業した店舗が2015年以降8年間で20店舗ほどと活況だ。中小企業庁が選定する「はばたく商店街30選 2021」にも選ばれた。

特筆すべきは、「移住者が開業しやすいまちづくり」をしている点だ。どのようにして、六日町通り商店街は復活を遂げたのだろう。

最初に六日町通り商店街を盛り上げたキーパーソンは、『cafe かいめんこや』の杉浦風ノ介(すぎうら かぜのすけ) さん。京都府京都市から栗原市に移住後、六日町通り商店街に明治中頃からあった建物を改装して2015年に『cafe かいめんこや』をオープン。

かいめんこや 外観(画像提供/杉浦風ノ介さん)

かいめんこや 外観(画像提供/杉浦風ノ介さん)

「六日町通りには、街の人が話をしたり、相談したりできる場所がなく、ハブになるような場所が必要だと思い、カフェを開きました」と話す。オープン後、少しずつカフェに集う人が増えてコミュニティの場になり、人がまばらだった商店街に変化が生まれた。

2023年4月には、同店の向かいに珈琲豆の焙煎と販売を行う『ムヨカ珈琲ロースタリー』を開業した、オーナーの杉浦風ノ介さん (画像提供/杉浦風ノ介さん)

2023年4月には、同店の向かいに珈琲豆の焙煎と販売を行う『ムヨカ珈琲ロースタリー』を開業した、オーナーの杉浦風ノ介さん (画像提供/杉浦風ノ介さん)

杉浦さんは、移住定住コーディネーターとして、栗原市の定住戦略室から紹介された移住検討者やカフェのお客さんに、移住しお店を開業した先輩、生活者の視点で相談にも応じている。さらには、2019年に地域おこし協力隊のメンバーと、まちづくり会社「六日町合同会社」を設立し、移住者が開業しやすいまちづくりに取り組んでいる。

毎月6日には、食べ物、飲み物を持ち寄りで集まり、ゲストスピーカーの話を聞くイベント『六日知らず』を主催。移住検討者の話を聞き、お店を始めたい人に、商店街の空き店舗を紹介している。

杉浦風ノ介さんは、アーティストが訪れやすい環境、アートに気軽に触れられる場所をつくりたいと考え、アーティスト・イン・レジデンスもスタート(画像提供/杉浦風ノ介さん)

杉浦風ノ介さんは、アーティストが訪れやすい環境、アートに気軽に触れられる場所をつくりたいと考え、アーティスト・イン・レジデンスもスタート(画像提供/杉浦風ノ介さん)

「地方の商店街がにぎわうために必要なものは、『何でもできそうだ』という思い込みや、自由な気質、『楽しそうなまちだな』と思わせるイリュージョンマジックのようなものかな。

商売を始めるなら稼げる首都圏でと考える人は多くても、地方で始めようと考える人は少ないかもしれません。私は画一化されていく世の中が好きじゃなくて、同じ考えの人は他にもいると思います。東京ほど稼げる場所ではないかもしれませんが、家族と暮らしていくには十分で、やり方次第ではもっと稼げると思います。

『自由に切り拓きたい、面白いことをやりたい』人たちが100人でも集まってきて、面白いまちになればいいですね。

キーパーソンだって、一人じゃなく、いろいろな人が何人もいることが大事。これからは次代を引っ張っていく若い世代の人たちが活躍しやすい環境をつくっていきたいと思っています」

六日町商店街(写真撮影/難波明彦)

六日町商店街(写真撮影/難波明彦)

地域おこし協力隊、「六日町通り商店街シャッター開ける人!」の三浦大樹さんも、六日町通り商店街のキーパーソンの一人だ。

三浦大樹さん。「生まれも育ちも栗原市で、高校卒業後は仙台市に出て働いてましたが、地元に貢献できることがしたい、という気持ちが生まれて栗原市にUターン。今はクラフトビール醸造所の立ち上げの準備中です」(写真撮影/難波明彦)

三浦大樹さん。「生まれも育ちも栗原市で、高校卒業後は仙台市に出て働いてましたが、地元に貢献できることがしたい、という気持ちが生まれて栗原市にUターン。今はクラフトビール醸造所の立ち上げの準備中です」(写真撮影/難波明彦)

三浦さんは2022年4月から、地域おこし協力隊、「六日町通り商店街シャッター開ける人!」として活動。六日町通り商店街に拠点を構え、地域協力活動を行いながら、商店街の空き店舗と店を開業したい人をマッチングする取り組みや、商店街に人を集め、にぎわいを創出するお祭りやイベントの企画・運営などを行い、一軒でも多くのシャッターを開けようとチャレンジしている。

「六日町通り商店街では6、7、8月の第2土曜日に六日町通り商店街を歩行者天国にして『くりこま夜市』を開催しています。1970年代から商店会が続けてきた伝統的なイベントですが、近年は六日町通り商店街と地域おこし協力隊が連携して、マルシェや音楽ライブを行い、外部から出店するマルシェ(キッチンカー)が50店舗ほど並びます。西馬音内盆踊りの輪踊りやDJイベントなども。2023年6月は、地域内外から約1万人が集まりました」(三浦さん)

近年開業した移住者たちと既存の店舗の若手後継者が中心となって、商店街の内部組織として「未来事業部」を発足、イラストマップの制作やスタンプラリーの開催、ギフトラッピングの開発など、新しい発想で商店街の魅力を発信している。

くりこま夜市風景(画像提供/三浦大樹さん)

くりこま夜市風景(画像提供/三浦大樹さん)

「商店街では古くからの人、若い後継者や若い移住者との間に、一般的には溝や隔たりがあったりしますが、六日町通り商店街は全くありません。年齢の高い人たちが、新しいチャレンジを歓迎してくれる環境があります。

それと、既存の店の店主さんたちが、状況が悪いときも足を止めずにイベントを続けてきたことが大きい。その土壌があって、2015年に『かいめんこや』ができて、若い人が集まるようになったという流れですね」(三浦さん)

まちの雰囲気はもちろん、地代が比較的安く、商店会が快くサポートしてくれる、また新たに小売店、飲食店などを開業する人に対して「ビジネスチャレンジサポート」という補助金もあって初期投資を軽減できるなど、比較的開業・起業しやすいまちといえそうだ。

思わぬきっかけで移住して、六日町通り商店街に新店を開業

六日町通り商店街に移住・開業した店主を、「六日町通り商店街シャッター開ける人!」の三浦大樹さんに紹介してもらった。

■ハンドメイド雑貨店「ねこの森雑貨店」
六日町通り商店街に移住・開業した店主を「六日町通り商店街シャッター開ける人!」の三浦大樹さんに紹介してもらったうちの一人が、「ねこの森雑貨店」の店主、髙橋千恵美さんだ。

店主の髙橋千恵美さん(写真撮影/難波明彦)

店主の髙橋千恵美さん(写真撮影/難波明彦)

髙橋さんは結婚後、仙台市に8年ほど暮らし、子どもが2歳くらいのときに、「自然豊かで、のびのびしたところで子育てがしたい」と夫妻で話し合い、移住を検討するように。

「宮城県内のいくつかの市町村を見て回ったときに、栗原市には豊かな自然があり、六日町通り商店街の雰囲気も気に入りました。そして、夏に訪れた夜市マーケットが楽しく、商店街を歩いたときも店主さんが気さくに声をかけてくれて、栗原市への移住を決めました。栗原市に知り合いも親戚もいませんが、定住戦略室の相談窓口など移住者のサポートが積極的で、お泊り体験で移住後の生活をイメージしやすかったのも良かったです」と髙橋さん。

ねこの森雑貨店 外観(写真撮影/難波明彦)

ねこの森雑貨店 外観(写真撮影/難波明彦)

その後『かいめんこや』の杉浦さんに、六日町通り商店街に住みながら店が開けるような空き物件を紹介され、2018年に移住、2019年に「ねこの森雑貨店」をオープンした。

「かなり傷んだ建物でしたが、近所の店主さんや移住して開業した先輩に分からないことを聞き、アドバイスをもらいながら開業の準備を進めました。商店街がとても歓迎ムードで、気軽に話しかけてくれたり、一聞いたら十以上教えてくれました」

店内には羊毛フェルトの一点もののブローチやイラスト、アート原画など、ここでしか買えないオリジナルキャラクターの作品が並ぶ。また、ペットの写真をもとにしたオーダーメイドの半立体顔ブローチや全身立体などは、大切なペットを亡くした方などに喜ばれているそう。

ねこの森雑貨店 店内(写真撮影/難波明彦)

ねこの森雑貨店 店内(写真撮影/難波明彦)

「手芸が得意な祖母の影響で、私も小学生のころから何かを手づくりして、作品をイベントに出したり、Webサイトで販売したりしていました。ここにお店を開いたのは、地域の方々にハンドメイド作品の素晴らしさを広めたいと思ったから。当時は、ハンドメイドが好きな人は多くてもあまり馴染みがない人、やり方が分からないという人が多く、相談を受けたりしましたが、この4、5年間でハンドメイド作家さんや作品を扱うお店が少しずつ増えて、とてもうれしいです」(髙橋さん)

■文具・雑貨の店「さるぶん」

さるぶん店内。可愛い雑貨は選ぶのが楽しい(写真撮影/難波明彦)

さるぶん店内。可愛い雑貨は選ぶのが楽しい(写真撮影/難波明彦)

「私は、この六日町通り商店街をショッピングモールと考えているんです。当店にいらした方にはできるだけ商店街マップを渡しています。六日町通りごと気に入ってもらって、他の店を見て歩いてどこかで買い物をしてくれたらうれしい」と話すのは、文具・雑貨「さるぶん」の佐藤陽子さん。県外出身で、結婚後宮城県に移住してきた。

「もともと文具や雑貨が好きだったのです。定年後は雑貨屋か本屋ができたらいいな、とぼんやりと思っていました。そこに六日町通りにオリジナル文具店の2号店ができること、そこの店長を募集していると知り、『やってみよう』と手を挙げたのがきっかけで店を構えることになりました」。開業にあたって前職を離れ、六日町に転居した。
「こんなところで出合えるなんて」をコンセプトに佐藤さんがアイテムをセレクト。レトロでかわいいものや海外の文具など少し変わったものを置いているのが特徴。開業に当たっては、栗原市の開業支援の助成金、改装時は県産木材を使うことでの補助金などを利用した。

「『さるぶん』は、文具と雑貨の店ですが、ひとつの建物に間借り店舗として、本屋、貸カフェ・貸ギャラリーの3店舗が入っているイメージです。貸カフェでは、月曜が近所のスープ屋さんの日、火曜がレトルトカレーの日と場所を貸して、ギャラリーは作家さんの作品の展示やイベントで使っていただいています。何か面白いことをやっている場所といった存在になれたらいいですね。

本棚には本がたくさん(写真撮影/難波明彦)

本棚には本がたくさん(写真撮影/難波明彦)

開業して一番良かったのは、好きなものに囲まれて暮らせること。自分の好きなものをお客さんに手に取って喜んでもらえることがうれしいです。ここはもともと鶴丸城の城下町でした。近くに細倉鉱山があった頃はかなりの繁華街だったそうです。昔からお住まいの地域の方、商店会の方はそういったプライドを持ってお仕事されており、そして新しく入った私たちがすることを温かく見守ってくれるので、居心地がいい。お客様にも『この地にルーツがなくてもどこか懐かしさを感じる。日常とは時間の流れが違ってほっとする』と言っていただいています。私自身もこの場所に癒やされています」(佐藤さん)

■工具の販売や各種家庭金物「佐々木金物店」
最後に紹介するのは、移住者ではなく、古くから六日町通り商店街で商売してきた老舗、佐々木金物店へ。ねこの森雑貨店の髙橋さんは、開業準備でお世話になったという。

佐々木金物店の佐々木桂子さん。東日本大震災で建物が壊れたままだったが、2022年10月に建物をリニューアルし、再オープンした(写真撮影/難波明彦)

佐々木金物店の佐々木桂子さん。東日本大震災で建物が壊れたままだったが、2022年10月に建物をリニューアルし、再オープンした(写真撮影/難波明彦)

佐々木金物店は、1926年に創業、馬の蹄鉄などを販売していたが、現在は、プロの電動工具、各種家庭金物からフライパンや包丁といったキッチン用品など豊富な商品を販売、サッシなどの各種取り付け工事の相談にも対応している。気軽に立ち寄りお茶飲み話をするお客さんも多いそう。

変化する商店街を見てきたが、「地域おこし協力隊やコーディネーターの方たちのおかげでIターンの移住者が増えて、六日町通り商店街は、古いお店と新しいお店が混在していますが、若い人たちのパワーはすごいと思います」と表情は明るい。

「うちも売るだけではなく、不定期でドライフラワーや花材キット体験会などのワークショップも開催して、新しいものも採り入れていきたい。今後もここで頑張っていきます」(佐々木さん)

地方への人の流れをつくる取り組みや、にぎわいを失った商店街の活性化は各地で行われている。栗原市では、移住・定住を単に推し進めるのではなく、「住まい、仕事(起業・開業)、子育て環境」のサポートを充実させ、相談に力を入れ、地域おこし協力隊、移住定住コーディネーターを依頼するなど、市民に協力を求めた。

活気を失いかけていた六日町通り商店街だが、商店会組織はイベントや販売促進の取り組みは地道に継続しており、若い人の新しい提案や移住者を歓迎する雰囲気もあった。そこで、コミュニティカフェがカギとなり、新たな店が出店し、人と人のつながりが生まれ、新旧の人、店が手をつなぎ商店街の魅力を育み、外に向けて発信を始めている。これまで守ってきた既存の店、店主を尊重しながら、新しいまちづくりを若い人のパワーに託す「信頼と感謝、〇〇のためという思いやり」。これがまちへの定着にもつながると感じた。

●取材協力
栗原市企画部企画課定住戦略室
cafe かいめんこや
六日町通り商店街
ねこの森雑貨店
さるぶん
佐々木金物店

●関連サイト
移住定住ハンドブック 第班(令和5年度発行)宮城県地域振興課
お試し移住体験生活事業
移住定住コンシェルジュ
六日町通り商店街

食の工場の街が「食の交流拠点」にリノベーション! 角打ちや人気店のトライアルショップ、学生運営の期間限定カフェなどチャレンジいっぱい 福岡県古賀市

リノベーションの魅力や可能性を広く発信するアワード「リノベーション・オブ・ザ・イヤー」。2023年度、連鎖的エリアリノベーション賞というユニークな名前の賞を受賞したのが、JR古賀駅西口エリアの商店街を中心に展開されている「食の交流拠点」の整備を中心としたエリアリノベーションだ。エントリーの際の作品名には「お手本のようなエリアリノベーション」とも掲げられているプロジェクト。どんなまちのリノベーションが行われているのか。その全貌を知るために、西口エリアへ足を運んでみた。

(株式会社ヨンダブルディー)

(株式会社ヨンダブルディー)

シャッター商店街に新たな点と線を

福岡市に近接する利便性と豊かな自然を併せ持ち、県内有数のベッドタウンとして人気の古賀市。市内にはJRの駅が3つ、九州自動車道の古賀インターチェンジなどもあり、JR及びマイカーでのアクセスの良さが魅力。まちの中心にある西口エリアは、かつて商機能の集積地として栄えていた。インターネット消費が盛んになったライフスタイルの変化に加え、国道3号・国道495号沿いにIKEAをはじめ大規模な集客施設が進出。ここ数年、商機能の拠点が大きく変化してきた。また、福岡の私鉄「西鉄宮地岳線」の最寄駅が廃駅になったことや、JR古賀駅に連絡橋がかけられ駅の東側からも行き来ができるようになったことが人の流れに大きな打撃を与えている。店主の高齢化が進みシャッター商店街となった西口エリアをなんとか再起させることはできないか。住民はもちろん、行政の中でも大きな課題となっていた。

JR古賀駅の西口周辺(写真撮影/加藤淳蒔)

JR古賀駅の西口周辺(写真撮影/加藤淳蒔)

まちおこし請負人木藤亮太さん率いるチームがプロポーザルに参加

古賀駅の待ち合わせ場所で、まず満面の笑顔で取材チームを出迎えてくれたのがこのまちの首長こと田辺一城市長だ。聞けばこのまちには「#市長と気軽に会えるまち」というハッシュタグが存在するぐらい、抜群のフットワークの持ち主だ。もともと、このエリアで生まれ育ったという田辺市長。市長就任後に、商店街の状況に対策を打つために取り組んだのが、エリアマネジメントのプロポーザル企画だ。

写真左から田辺一城市長、プロジェクトマネージャーの橋口敏一さん、設計担当の田村晟一朗さん、プロデューサーの木藤亮太さん。官民の近さもプロジェクトの推進力になっている(写真撮影/加藤淳蒔)

写真左から田辺一城市長、プロジェクトマネージャーの橋口敏一さん、設計担当の田村晟一朗さん、プロデューサーの木藤亮太さん。官民の近さもプロジェクトの推進力になっている(写真撮影/加藤淳蒔)

希望は広がる一方で、ハードルも高いこのプロポーザルに立ち上がったのが、まちづくり界隈で一目置かれる木藤亮太さん率いるチームだ。木藤さんといえば、“猫も歩かない”と言われた宮崎県日南市の油津商店街を再生したことで、「地方創生」の成功事例として全国区で高い評価を得ている。その後も福岡県那珂川市をはじめ九州各地でのプロジェクトや、全国でまちおこし請負人として活躍している。

3年間の任務の間に自走できる流れをつくる

プロポーザルでは、どんな提案をしたのか?そんな質問に木藤さんがゴソゴソと取り出してきたのが、手書きの文字が一面に記された大きな模造紙だ。まさに、プロポーザル提案時に使った資料であり、まちの人たちへの説明にも使われた資料なのだそう。そこには、3年間でどうまちを変化させるのかが、模造紙いっぱいに手書きで記されている。行政の事業は多くが3年程度を区切りにしている。しかし、エリアリノベーションの土壌づくりは、3年で終わるものではない。そこで、木藤さんたちが大切にしたのが「自走できる仕組みをつくる」こと。3年間の流れを記したスケジュールは、模造紙におさまりきれない。その後、さらに自走へと繋がっている。

(写真撮影/加藤淳蒔)

(写真撮影/加藤淳蒔)

あえてアナログな手書きの企画書が、まちの未来図となっている(写真撮影/加藤淳蒔)

あえてアナログな手書きの企画書が、まちの未来図となっている(写真撮影/加藤淳蒔)

30代のプレイヤーが活躍できる場のフレームを

フレームをつくるにあたってのヒアリングで気づいたのは、30代ぐらいの若いプレイヤーが、あまり関われていないこと。そこで、そういう世代が動きだすきっかけとなる“活躍の場”をつくることの大切さを感じたという木藤さん。地元の若手を含めたメンバーで、まちづくりの運営会社を立ち上げることにする。4WDと書いて「ヨンダブルディー」と読むその会社の主要メンバーは、木藤さんチームのメンバーが2名に、Uターンで家業を継いだ6代目の店主、古賀を拠点に動画マーケティングやシティプロモーションを手がける会社を経営する計4名だ。よそ者・わか者をうまくブレンドした運営体制を立ち上げたことで、特定の誰かだけではなく、誰でも関われる余白のあるリノベーションに取り組む狼煙を、しっかりと上げたわけだ。

まちづくり運営会社、株式会社ヨンダブルディーの立ち上げ時の様子(写真撮影/株式会社ヨンダブルディー)

まちづくり運営会社、株式会社ヨンダブルディーの立ち上げ時の様子(写真撮影/株式会社ヨンダブルディー)

ところで、コンセプトとして掲げる「食の交流拠点」とはどういう意味をもつのか?それを紐解く鍵は、古賀市の産業構造にある。全国区で有名なドレッシングを手掛ける工場や、ローカルで人気のインスタントラーメンの工場、全国区のパンメーカーの製造工場など、食料品製造品出荷額は県内2位という現状がある。また、プロジェクトの初期に「地元にどんな場所があったらいい?」と地道なヒアリングを行ったところ、住民から口を揃えてでてきたのが「もう少し気軽でカジュアルに食を楽しめる場所が欲しい」という声。さらに、ヨンダブルディーのメンバーの一人、ノミヤマ酒販の許山さんがもつ、これまでの商売の中で大切に構築してきた生産者や飲食事業者とのつながりを活かすことができる。そんな、古賀市に根付く食の文脈を取り入れているというわけだ。

ノミヤマ酒販の角打ちコーナーは、お酒をきっかけに人と人との出会いを楽しむことができる(写真撮影/橋口敏一)

ノミヤマ酒販の角打ちコーナーは、お酒をきっかけに人と人との出会いを楽しむことができる(写真撮影/橋口敏一)

食の交流拠点施設「るるるる」の立ち上げ

1年目の信頼関係の構築を経て、2年目に着手したのは拠点づくり。
その一歩となったのが、レンタルシェアスタジオとしてサブリースをはじめた社交場の意味をもつ「koga ballroom(コガボールルーム)」だ。もともと長年、社交ダンスの教室として借りていた方が、生徒の高齢化とコロナ禍による生徒数の減少によって手放そうとしていた物件を借り直してリノベーション。若者のダンススペースや子育てママのサロンやヨガ教室など多目的で利用できる「まちの社交場」をコンセプトとしたシェアスペースとして運用している。もともと社交ダンス教室を運営していた先生も、時間貸しで再び利用してくれている。

(写真撮影/橋口敏一)

(写真撮影/橋口敏一)

ヨガやダンススタジオだけでなく、イベントの拠点としても活用されているkoga ballroom(写真撮影/橋口敏一)

ヨガやダンススタジオだけでなく、イベントの拠点としても活用されているkoga ballroom(写真撮影/橋口敏一)

次に元化粧品店だった空き店舗を活用して、旗印を掲げたのが「まちの企画室」。メンバーの橋口敏一さんは一時、この場所の2階に住居まで移して、住民との交流を深めていた。

(写真撮影/橋口敏一)

(写真撮影/橋口敏一)

地元の高校生や大学生の期間限定カフェなどもこのまちの企画室で行われている(写真撮影/橋口敏一)

地元の高校生や大学生の期間限定カフェなどもこのまちの企画室で行われている(写真撮影/兒玉健太郎)

そして、エリアリノベーションのシンボルとして完成させたのが食の交流拠点施設「るるるる」だ。
駅前の商店街通りを少し入ったところにある「るるるる」の建物は、もともと、音楽教室として使われていた物件だ。設計に加わったのは、リノベーション・オブ・ザ・イヤーの受賞でも常連の、リノベーションを得意とする建築家・タムタムデザインの田村晟一朗さん。もともとピアノ5台ほどが備えられていた教室だったので、それなりに広さのある建物だ。ここでは、気軽に食を楽しめる場をつくれるように、あえて出店者の敷居を低くするための工夫がいくつか施されている。

タムタムデザイン田村さん(写真右)によって建築が進められている様子(写真撮影/橋口敏一)

タムタムデザイン田村さん(写真右)によって建築が進められている様子(写真撮影/橋口敏一)

音楽教室の面影を残しながらも、大きく変化した「るるるる」外観(写真撮影/加藤淳蒔)

音楽教室の面影を残しながらも、大きく変化した「るるるる」外観(写真撮影/加藤淳蒔)

ひとつが、一階の大きなスペースを占めるシェアキッチンとイートインスペースだ。シェアキッチンは、日替わりや短期間で利用可能なスペース。近隣の人気店が期間限定で出店したり、飲食をはじめたい人のトライアルスペースになったりもする。利用料はキッチンスペースぶんだけ、食事のできるイートインスペースはお客に自由に使ってもらえる仕組みとなっている。ただ、ここを使えるのはシェアキッチンのお客だけではない。ヨンダブルディー直営のパン販売ショップのお客も使えるし、一階角の小さなスペースを賃貸するスコーンとハンドメイドのアクセサリー店「jugo.JUGO(じゅごじゅご)」さんで買ったものも食べられるし、時には1階に入居する洋風居酒屋「bar ponte(バルポンテ)」の団体客が利用することもできる。さらには、打ち合わせで使う人もいれば、お茶を飲みながらのんびりおしゃべりも楽しむことができる。ほどよく自由な空間が、いろいろな交流を生み出そうとしている。ちなみに、2階は音楽教室や洋服のリフォーム店、写真家のアトリエやドローンのプログラミングスクールを運営する事務所などが入居。一部屋はもともとの音楽教室だった時代にピアノの講師として通っていた先生が再度利用している。

るるるるの室内。写真手前が誰でも使えるフリースペース。奥に備えられているのがシェアキッチン(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。写真手前が誰でも使えるフリースペース。奥に備えられているのがシェアキッチン(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。商店街に面する食物販ショップではパンや雑貨が販売されている。食物販ショップをヨンダブルディーが直接運営することで、リアルな接客の中からまちづくりのニーズをヒアリングしている(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。商店街に面する食物販ショップではパンや雑貨が販売されている。食物販ショップをヨンダブルディーが直接運営することで、リアルな接客の中からまちづくりのニーズをヒアリングしている(写真撮影/大田聖)

ただ、ヨンダブルディーで目指しているエリアリノベーションは、決してこれらの場所のにぎわいを生み出すことだけではない。いくつかの点を根付かせて繋いでいくことで、エリア全体の回遊の楽しさを深めることにある。こうした地道な活動をいくつも重ねていく中で、最初は距離を置いて見守っていた住人の人たちもだんだんと交流をもってくれるようになってきた。地元の方から「先代から継いだ大切な建物を手放したいけれど、どうにかならないか?」などの声をいただくことも増えてきた。そこで、場所と入居したい人とをつなぐリーシング的な役割も出てきた。最近は、書店が出店したり、アメリカンダイナーの出店が決まったり、着実にエリアの活性化が広がろうとしている。

関係者がこれからの課題として口にしているのが、持続性だ。地域の人はもちろん、外の人も訪れて多様な交流が生まれるのが理想。しかし、もともと衰退が進んでいる商店街。魅力的で面白いコンテンツを提供していかないと、なかなか足を運んでもらえない。まちづくりは立ち上げるだけでなく、継続的な運営によって思いをつなぎ、小さくても一歩一歩進んでいくことが重要。その一歩一歩の手がかりになりそうなのが、最初に見せてもらった大きな模造紙のようだ。思いの原点であり、まちの変化を記録しつづける大きな地図。時々振り返りながらも、掲げる目標へ向かってまっすぐ歩み続ける。古賀のエリアリノベーションは、日本の商店街にも大きな活路を見出してくれそうな「お手本のような」プロジェクトであった。

駅前にオープン予定の新店舗。ヨンダブルディーが、空き家と新しい運営者につないだ事例のひとつ。「何ができるの」と、地元の人たちも興味津々(写真撮影/加藤淳蒔)

駅前にオープン予定の新店舗。ヨンダブルディーが、空き家と新しい運営者につないだ事例のひとつ。「何ができるの」と、地元の人たちも興味津々(写真撮影/加藤淳蒔)

●取材協力
株式会社ヨンダブルディー
株式会社タムタムデザイン

”シャッター街”と呼ばれた「柳ヶ瀬商店街」が、今ディープなおしゃれスポットに。定期イベント「サンデービルヂングマーケット」等で活気 岐阜県岐阜市

古き良きレトロな雰囲気のアーケード街が広がる、岐阜県岐阜市の「柳ヶ瀬商店街」。数年前まではシャッター街だったが、近年は若者も多く訪れ、活気を取り戻している。「サンデービルヂングマーケット」をはじめとする定期開催のイベントもにぎわっている。仕掛け人である「柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社」のメンバーに話を聞き、街を歩いた。

「柳ヶ瀬ブルース」で全国的にブレイクするも、時代の流れで衰退

名鉄岐阜駅から徒歩10分ほどで到着する「柳ヶ瀬商店街」は、岐阜県岐阜市にある。天候を気にせずぶらぶらできる昭和生まれのアーケード街があり、本通りの「フローレンス柳ケ瀬」の東西の入口では、頭の上から5体のイタリア彫刻が来客を見守る。これらは、岐阜市と姉妹都市であるイタリア・フィレンツェにちなんだものだそうで、1991(平成3)年のアーケード改装時に設置されたものだそうだ。 

柳ヶ瀬商店街のアーケードの中にある、水路に沿って延びる路地「アクアージュ柳ヶ瀬」。入口は古代イタリアの装飾を模しているといい、円柱もステンドグラスも全てがレトロ(写真撮影/本美安浩)

柳ヶ瀬商店街のアーケードの中にある、水路に沿って延びる路地「アクアージュ柳ヶ瀬」。入口は古代イタリアの装飾を模しているといい、円柱もステンドグラスも全てがレトロ(写真撮影/本美安浩)

柳ヶ瀬エリア一帯は、明治30年ごろから盛り場としてにぎわった。大正時代になると、博覧会ブームで「内国勧業博覧会」などが柳ヶ瀬で開催され、商業の街として大きく発展。呉服店が多数開業してトレンドの地となり、界隈をぶらつく「柳ぶら」という言葉も生まれたという。

戦後、空襲によって焼け野原になるものの、バラック小屋での劇場興行がいち早く再開したことで、娯楽の街として再び繁栄。1960(昭和35)年には県下初の全天候型アーケードが完成し、1966(昭和41)年には美川憲一が歌う歌謡曲「柳ヶ瀬ブルース」が全国的にヒットした。「チャームタマコシ(後のファッションビル『岐阜センサ』)や「岐阜タマコシ(後のファッションビル『岐阜センサPartⅡ』)」、「岐阜近鉄百貨店」「岐阜高島屋(2024年7月末で閉店の予定)」などが建ち、このころには一大繁華街として全国にその名を轟かせていた。

時代は平成に入り、人々の移動手段が公共交通から自動車へ移ると、郊外型モールに客層が流れ、大型商業施設が相次いで撤退。「岐阜高島屋」以外のビルは次々に閉店した。それらの跡地は長年放置され、“シャッター商店街”といわれるようになっていった。

柳ヶ瀬で商売をしていた人たちが自発的にイベントを企画

そんな柳ヶ瀬商店街だが、令和の現在、「サンデービルヂングマーケット実行委員会」としてイベントを企画・運営する組織も立ち上がり、新たな展開を見せている。コロナ禍を経て、出店は140店舗。カフェやギャラリー、アパレルショップなど、若い人たちを取り込んでいる。「柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社」のクリエイティブディレクターである末永三樹さんと、同社の事務局の福富梢さんにお話を聞いた。

「『柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社』では、柳ヶ瀬を愛するメンバーが、新たな時代を生きる商店街を目指して、ここにしかないモノや空間の創造にチャレンジしています。具体的には、マーケットの企画・運営のほかに『ロイヤル40』や『マルイチビル』などの遊休不動産の再生・運営・管理、公共空間の利活用、柳ヶ瀬のまちの情報発信などを行なっています」(福富さん)

柳ヶ瀬の「Yポーズ」を披露! クリエイティブディレクターで一級建築士、株式会社ミユキデザイン代表取締役でもある末永三樹さん(左)と、同社の事務局の顔でイラストもプロ級の福富梢さん(写真撮影/本美安浩)

柳ヶ瀬の「Yポーズ」を披露! クリエイティブディレクターで一級建築士、株式会社ミユキデザイン代表取締役でもある末永三樹さん(左)と、同社の事務局の顔でイラストもプロ級の福富梢さん(写真撮影/本美安浩)

柳ヶ瀬の街の20年ほどの変遷を目にし、まちづくりに関わってきた末永さんは次のように話す。
「柳ヶ瀬商店街は、今から10年から12年くらい前がどん底でした。全国の多くの商店街と同じように寂れ、ほとんどの店舗のシャッターが閉まった状態。車で気軽に行ける距離に『マーサ』や『モレラ』『イオンモール』といった大型商業施設ができたことや、商店街に関わる人々が高齢化して、新しい人を取り込むことができていないことも要因でした。

もともとこの地域に長く住んでいた人達もいましたが、戦後の復興で柳ヶ瀬が商業地になったことで、敷地をテナントとして人に貸したケースが多く、そこが抜けると次のお店が入らないのです。かつて景気がいい時代があり、当時の家賃は今の13倍で、それが急降下をしたものですから、貸し手と借主側の家賃や広さのマッチングがうまくいかず、そのままになっていたのです」

スナックなどの呑み屋が集まる小柳町周辺は、夜になると明かりが灯るディープな界隈(写真撮影/本美安浩)

スナックなどの呑み屋が集まる小柳町周辺は、夜になると明かりが灯るディープな界隈(写真撮影/本美安浩)

2人が在籍する、「柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社」の前身としてそれまで存在していたのが、「サンデービルヂングマーケット実行委員会」だ。この実行委員会発足のきっかけは、柳ヶ瀬の街で商売をしていた人々が、「街に新しいお客さんを呼び込もう!」と考えてイベントを始めたことだった。

2010年のオープン後間もなく柳ヶ瀬を代表する和菓子店となった「ツバメヤ」や、古書店「徒然舎」、雑貨店店主など、それまでローカルフリーペーパーを発行していた仲間達が、「ハロー!やながせ」というイベントを企画。街に若者を呼び込み、柳ヶ瀬の魅力を知ってもらおうと、年1回、商店街のアーケード下や空き店舗などを使って、古本市やワークショップ、マルシェなどを開催した。1日だけの開催でなく、1週間、1カ月と続く長期のイベントを企画したこともあった。

商店街にあるおしゃれなコーヒースタンド「coffee stand TIROL」。世界観のある壁の絵を描いたのは、柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社の福富さん!(写真撮影/本美安浩)

商店街にあるおしゃれなコーヒースタンド「coffee stand TIROL」。世界観のある壁の絵を描いたのは、柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社の福富さん!(写真撮影/本美安浩)

「coffee stand TIROL」で一番人気の「杏仁コーヒー(650円)」は、おやつ感覚のドリンク。近年は20代から40代くらいの若い人達も商店街に出店している(写真撮影/本美安浩)

「coffee stand TIROL」で一番人気の「杏仁コーヒー(650円)」は、おやつ感覚のドリンク。近年は20代から40代くらいの若い人達も商店街に出店している(写真撮影/本美安浩)

末永さんは振り返る。
「イベントには集客があり、それなりに手応えがありました。でもみんな本業もあるので大変だったし、継続的にお客さんが来るわけでもない。次第に『誰が何のためにやっているんだっけ?』と思うようになり、負担を感じて、『1回、おこう』という話しになったんです」。
ちなみに「おく」とは、岐阜の方言で「止める」という意味だ。

工事中の目隠しにも、学生がイラストを描いて商店街をにぎやかに(写真撮影/本美安浩)

工事中の目隠しにも、学生がイラストを描いて商店街をにぎやかに(写真撮影/本美安浩)

アーケードの下、商店街に出店できるイベントを立ち上げる

「イベントでは継続するお客さんをつくることはできないとわかったけど、何かしないとヤバい。柳ヶ瀬商店街がどうにもならなくなる前に、何かできないかな?と模索したのが2012年ごろでした」と末永さん。

末永さんの本業は設計事務所を営む建築士なので、店舗再生を手掛けたり、リノベーションしたビルに店舗を招致したりという経験もあった。それでも、商店街再生への案は浮かばなかった。

「商店街再生に関して、すでにそのころ、全国的な動きが始まっていました。参考にしたいイベントの一つに、兵庫県神戸市の公園で行われる『湊川公園手しごと市』があり、そこに視察に行きました。すると、話を聞いた街の再生の専門家に言われたんです。『かっこいい場所やお店をつくれば、人が自然とやってくるような時代ではない。建物のことを考えるのは最後で、まずは街の中で、お客さんがいる場所にお店を出すことを考えないと』って。そこで、私たちには、アーケードがかかっていて雨風が凌げて、人が行き交う場所があるじゃないかと気がつき、もとからいる商店街の人が出店したり、新規参入した人が商店街の中にお店を出したりできるようなイベントをつくろうと考えました」

当時、東海エリアで毎月28日に定期開催していた愛知県名古屋市の「東別院てづくり朝市」を参考に、月1回決まった日に開催して、お客さんに覚えてもらう仕組みをつくることにした。これが「サンデービルヂングマーケット」の始まりだった。

通常、商店街でイベントを行うとなると多くの配慮が必要だが、柳ヶ瀬の商店主たちは当初から歓迎ムードだったという。「岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会」と連携して運営し、準備が整った。1年目はサンデービルヂングマーケット実行委員会の主導で開催した。

2014年にスタートして、現在は毎月第3日曜日と偶数月の第1日曜日に定期開催しているイベント「サンデービルヂングマーケット」。この日は柳ヶ瀬の街全体に、飲食や物販などの100を超える店舗が並ぶ。「アート&クラフト」「ブック&アンティーク」「スナック&スイーツ」「野菜」「カフェ」「ディッシュ」「キッチンカー」と、カテゴリーもさまざまだ。開催の1カ月前にはホームページで出店者を発表して、来場者の期待感を膨らませている。

「月1回のイベントでも、5000人の来客で1軒が1日30万円売り上げれば、商店主の生計は成り立ちます。ここで新たに出店してみたいという人なら、商店街の空き店舗で、小さくビジネスを始められるのもいいところ。『ハロー!やながせ』では、若い人が柳ヶ瀬でやりたいことを試しました。一方『サンビル(サンデービルヂングマーケットの略、以下同)』では、商店街に新しいお店を呼んで、新しいお客さんをつくることを目標にしたところが違いだと思います」

柳ヶ瀬本通のアーケード(写真撮影/本美安浩)

柳ヶ瀬本通のアーケード(写真撮影/本美安浩)

ちなみに、出店料は通路のブロック6×6マス分の区画で4000円とリーズナブル。
新規出店だけでなく、商店街の既存店が店頭の区画に露店を出したり、この日のために新商品を考案して販売したりするケースもあるという。例えば、オーガニック系雑貨店が、「サンビル」で新たにキャンドル販売を始めた事例などがあった。また、商店主が店の前の区画を新規店に貸しつつ、そのブースの横でセットで販売できるような商品を並べたこともある。区画の貸し手側と借り手側の距離感が近く、相乗効果を生み出している。

「サンデービルヂングマーケット」の様子。コロナ禍以降は規模を分散して月2回開催している(写真提供/柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社)

「サンデービルヂングマーケット」の様子。コロナ禍以降は規模を分散して月2回開催している(写真提供/柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社)

ほかにも、同社主催のイベントとしては、毎月第4日曜日に商店街の古道具店や輸入雑貨を取り扱うアンティークショップが出店する「GIFU ANTIQUE ARCADE」を開催。こちらは、柳ヶ瀬商店街の古道具店「古道具mokku mokku」の店主がオーガナイザーとなる蚤の市で、県内外のアンティーク好きが集まる。柳ヶ瀬のレトロでミックスされた雰囲気と合わさって、「サンビル」とは少し異なる客層が目当てにする人気イベントとなっている。

アンティークショップや古道具店が並ぶ「GIFU ANTIQUE ARCADE」(写真提供/柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社)

アンティークショップや古道具店が並ぶ「GIFU ANTIQUE ARCADE」(写真提供/柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社)

さらに、11月19日(日)から12月31日(日)にかけては、「柳ケ瀬日常ニナーレ」という、地域のあちこちで体験プログラムやアクティビティに参加できるイベントも開催される。福富さんによると、「今年のコンセプトは『ローカル×ローカル』。商店街のお店のオーナーさんが、自分たちの商品や技術を使って、訪れたお客さんや新たな出店者さんと交流できるようなプログラムを企画している最中です」とのこと。

「柳ヶ瀬があなたの日常になーれ。」の想いを込めて、商店街の店主の技を体験する企画などが用意された「柳ケ瀬日常ニナーレ」。今年は11月19日からスタート(写真提供/柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社)

「柳ヶ瀬があなたの日常になーれ。」の想いを込めて、商店街の店主の技を体験する企画などが用意された「柳ケ瀬日常ニナーレ」。今年は11月19日からスタート(写真提供/柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社)

柳ヶ瀬エリアの価値を高めることで、次の世代につなぐ

「新しく何かを始めようという人達が街に集まってくると、街の雰囲気が明るくなります。『柳ヶ瀬で、ずっとイベントを続けたいよね』と、みんなが商店街の未来を語れるようになりました」と末永さん。

柳ヶ瀬の魅力を尋ねると、「世代ごとに惹かれるものがあると思います。30代後半から40代前半なら、かつては周辺に『岐阜パルコ』があったり『センサ』があったりして、親に連れられてきた特別な場所です。そんな柳ヶ瀬なのに、社会に出て一旦離れてから戻ったら、遊びに行く場所がなくなっていました。そして仕事で柳ヶ瀬と関わるようになり、街に出ていろいろな人と話すうちに、柳ヶ瀬の違った良さが見えてきて、また別の愛着が湧きました。今は、柳ヶ瀬に転がっているような地域資源を探して磨いて、光らせているところ。『どうにもならんな』と思われそうなコトやモノを、自分たちで面白くするのが面白いんですよね」と笑う末永さん。それはまるで、「長年かけてジーンズを履きこなしていくような感覚」だという。

一方で20代の福富さんは、「私は柳ヶ瀬が面白いと思って参画した世代なので。最近では、私たちのまちづくりを応援したいという商店主さんもいて、受け入れ態勢もあり、新しく出店する側の人も参入しやすいように思います。私と同年代でギャラリーを経営している知人も、商店街に馴染んで可愛がられています。商売っ気が多すぎない人でもやりくりしていけるような、優しい環境になっています」

末永さんは言う。
「今ではオーナー側の意識も変わりました。テナントの家賃は安くなり、『街も変わってきたし、誰かに貸して使ってもらった方がいい』という声も聞こえてきます。まちづくり会社として目指すところは、柳ヶ瀬エリアの価値が上がることです。商業地として、柳ヶ瀬があることで地価が上がるという状態は必要なこと。その土地を持っている人にメリットがある状況をつくることで、まちを次の世代に繋いでいくことができますから」

若手クリエイター達のアトリエ兼ギャラリーショップである「やながせ倉庫」。カフェや布雑貨、古書店、アクセサリーショップなどが入居している(写真撮影/本美安浩)

若手クリエイター達のアトリエ兼ギャラリーショップである「やながせ倉庫」。カフェや布雑貨、古書店、アクセサリーショップなどが入居している(写真撮影/本美安浩)

若手オーナーは再開発による活性化にも期待

柳ヶ瀬エリアは、南北に走る「長良橋通」や「神田町通」などと、東西に走る「柳ヶ瀬本通」「日ノ出町通」など、いくつかの通りが組み合わさって街が形成されている。「柳ヶ瀬本通商店街」のほか、「ヤナガセ銀天街」や「柳ヶ瀬劇場通北商店街」など、複数の商店街がアーケードでつながる。通りごとに少し雰囲気が違うので、食べ歩きやウインドーショッピングをしながら行き来するのも楽しい。

柳ヶ瀬エリアのマップ(画像提供/柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社)

柳ヶ瀬エリアのマップ(画像提供/柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社)

現在、岐阜高島屋南側は、「高島屋南地区第一種市街地再開発事業」により再開発が進む。
柳ヶ瀬商店街のほぼ中央にある「日ノ出町通」には映画館やカラオケが入った「CINEXビル」や「日ノ出町ど真ん中広場」があってにぎわっている。老舗の「ロイヤル劇場」も残っていて、現在は昭和の名作シネマを上映する映画館として活用されている。

この人気エリアで、コーヒースタンド「TIROL」や、ファッションのセレクトショップ「phenom」と「phenomerica」を経営している成田満弘さんに、柳ヶ瀬の印象を聞いてみた。

左がカジュアル系衣料中心の「phenom」、右がレディースのコレクションブランドなどをそろえる「phenomerica」、中央が「coffee stand TIROL」とオーナーの成田満弘さん(写真撮影/本美安浩)

左がカジュアル系衣料中心の「phenom」、右がレディースのコレクションブランドなどをそろえる「phenomerica」、中央が「coffee stand TIROL」とオーナーの成田満弘さん(写真撮影/本美安浩)

ユニセックスのカジュアル系衣料を扱うセレクトショップ「phenom」は、カップルも訪れやすい。売れ筋のブランドは「ATON(エイトン)」や「YOKE(ヨーク)」(写真撮影/本美安浩)

ユニセックスのカジュアル系衣料を扱うセレクトショップ「phenom」は、カップルも訪れやすい。売れ筋のブランドは「ATON(エイトン)」や「YOKE(ヨーク)」(写真撮影/本美安浩)

「もともと『サンビル』のイベントに遊びに来ていて、お店を始めるなら、ここにいるようなお客さんに来てほしいなとイメージができたことが、このエリアに出店したきっかけです。

今42歳の自分が18~19歳くらいのころ、セレクトショップへ服を買いに行く時は、名古屋ではなく岐阜に来ていました。岐阜駅周辺の玉宮エリアにショップがあって、人が集まっていたんです。当時、愛知に住んでいた人はそういう人が多いんじゃないかな。30代になってまた岐阜に遊びに来たら、以前通った服屋さんがなくなっていました。そこで、当初は思い出のある玉宮で出店しようかと考えましたが、現在は飲み屋さんが多く雰囲気が違うと思い、柳ヶ瀬もいいかなと思い至りました。

2019年にユニセックスブランド中心の『phenom』を出店し、ここでコーヒーが飲めたらいいなというお客さんの声を聞いて、2020年に『coffee stand TIROL』をつくりました。レディースへの要望も増えていたので、2022年に隣の一軒が空いたタイミングで、レディースのハイブランドを置く『phenomerica』をオープンしました。

柳ヶ瀬にはポテンシャルがあると思いますが、自分のショップも3年、4年経ったばかりで、まだまだ様子見です。でも、再開発には期待しています。ショップの目の前が広場になる予定なので人が集まりそうだとか、高島屋の南側にマンションが建って人が増えるとか……。今後の変化も楽しみにしています」

レディースのハイブランドを扱う『phenomerica』には20代から60代までが来店。「来店するお客さん達は見る目があり、ブランドや価格にこだわらず、モノで判断している印象です」とオーナーの成田さん(写真撮影/本美安浩)

レディースのハイブランドを扱う『phenomerica』には20代から60代までが来店。「来店するお客さん達は見る目があり、ブランドや価格にこだわらず、モノで判断している印象です」とオーナーの成田さん(写真撮影/本美安浩)

筆者が名古屋の情報誌の編集部で新人だったころ(22年前)、東海圏でファッションスナップの場所といえば、岐阜駅周辺は外せなかった。当時は週末になるとおしゃれな人が集まっていたのを覚えている。

今回、柳ヶ瀬に伺ったのは小学1年生の息子の夏休み期間。福富さんにお願いして、取材に息子も同行させていただいた。そこで、アーケード付きの歩行者天国である商店街は、親子連れにも安心して出かけられる場所だと改めて思った。新店だけでなくおすすめの老舗の話も聞き、どちらも行ってみたいと思う。

時代の流れの中、変化に対応してにぎわいをつくりだす柳ヶ瀬。応援の気持ちを込めて、またゆっくり遊びに行きたい。

●取材協力
サンデービルヂングマーケット
柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社
岐阜柳ヶ瀬商店街

レトロ商店街を地元の若者達が再生! セレクトショップやオフィスなどでにぎわい生み、鉄道会社とコラボイベントも 埼玉県飯能市・飯能銀座商店街

全国各地で商店街の衰退が課題になっています。そんななか、埼玉県飯能市にある「飯能銀座商店街」では、まちづくりユニットAkinaiが、市民や町に関わりたい次世代の人たちを巻き込み、商店街の空き店舗を再生しています。個人的に始めた取り組みはどんどん幅を広げており、ついに地元鉄道会社とも連携。なぜ彼らはそこまで飯能のまちづくりに熱を込めているのか、その思いを話してくれました。

自分たちが暮らす街に面白い拠点が欲しかった

今回訪ねたのは、埼玉県西部にある人口8万人ほどの街、飯能市。西武鉄道池袋線「飯能」駅があり、特急電車も停車します。森林文化都市と宣言する市の面積は約75%が森林。豊かな緑に囲まれたエリアです。都心から約 50 km圏内の距離で、気軽に非日常を味わえることから、最近は日帰り観光やキャンプで訪れる人が増えています。また、2018年から2019年に、ムーミンをテーマにした施設「メッツァビレッジ」と「ムーミンバレーパーク」がオープンしたことから耳にしたことがある人もいるかもしれません。

このように観光業が発展する一方で、地元住民にとって悩ましいのは街に暮らす人が高齢化していること。飯能駅前は市内で唯一の活気あるエリアですが、商店街も店主の高齢化により次々廃業となり、シャッター商店街になり始めていたのです。西武鉄道池袋線「飯能」駅北口から徒歩5分ほど歩くと見えてくる、飯能銀座商店街もしかり。

シャッターの閉まる店舗がポツリポツリと存在しますが、現在は新旧のお店が入り交じる飯能銀座商店街(写真撮影/片山貴博)

シャッターの閉まる店舗がポツリポツリと存在しますが、現在は新旧のお店が入り交じる飯能銀座商店街(写真撮影/片山貴博)

そんななか、2017年から当時30代だった若者たちがシャッター商店街を盛り上げようと仕掛けをつくり始めました。彼らの拠点は、飯能銀座商店街の中央部にあるシェアスペース「Bookmark」です。ここを運営するのが、代表の赤井恒平さんと徳永一貴さんを中心としたAkinaiのメンバー6人。全員、飯能市在住か在勤しています。仲間の中には一時は都心で暮らしていたけれど、この活動に賛同して家も仕事もUターンすることを決意した人もいます。

「2017年にオープンした『Bookmark』は元書店で、長らく空き店舗となっていたスペースでした。大家さんから“ここを使って、商店街が少しでも活気付き、若い人が集まる場所にしてほしい”と相談をいただいたのです」(赤井さん)

赤井さんは、商店街の至近距離にある金属工場跡地を利用した、クリエイティブスペース「AKAI FACTORY」の立ち上げ人。ここでは地域に住むクリエーター達が創作活動や販売活動を行っています。彼らの存在に光を当てたことで、「何も特徴のない街と思われていたのに、実は地域にこんなに面白い人がいた!」と商店街周辺ではにわかに話題となりました。

その様子を目の当たりにした大家さんが「面白い取り組みをしている」と驚き、赤井さんたちに相談を持ちかけたのだそうです。

飯能銀座商店街の中央部に位置するシェアスペース「Bookmark」(写真撮影/片山貴博)

飯能銀座商店街の中央部に位置するシェアスペース「Bookmark」(写真撮影/片山貴博)

「実家で暮らしていたときは、飯能を田舎で特徴もなく、中途半端な街と思っていました。しかし一度飯能から離れて暮らし、その後この街で仕事を通じて地域の人たちと関わるようになり、考え方が変わりました。実は面白い活動をしている人や個性的な人がもっといるんじゃないか?と思ったのです。彼らが集まったらもっと街の魅力の発信力が上がるし、個性あふれる場所や人のつながりが生まれるのではと思い、2016年に『AKAI FACTORY』を立ち上げました。その勘は間違っていなかったです」(赤井さん)

拠点をつくったら自然と仲間が集まり、商店街から必要とされる存在に

こうして赤井さんは、幼少期からの仲間を集めてシェアオフィスとイベントに利用できるスペースとして「Bookmark」の立ち上げに挑戦することになりました。

書店跡を活かした「Bookmark」は、シェアオフィスとイベントスペースが共存するつくり。室内は地元木材である西川材を使用してつくられていて、穏やかでゆるやかな空気が流れています。

「Bookmark」の室内。室内は、イベント用スペースとシェアオフィスブースが共存している(写真撮影/片山貴博)

「Bookmark」の室内。室内は、イベント用スペースとシェアオフィスブースが共存している(写真撮影/片山貴博)

イベント用スペースでは、地元の作り手を中心に、ワークショップが定期的に開催されている(写真撮影/片山貴博)

イベント用スペースでは、地元の作り手を中心に、ワークショップが定期的に開催されている(写真撮影/片山貴博)

「Bookmark」を開業後、この場に興味を持った人やクリエイティブな人々が、続々と集まってきます。シェアオフィスにはデザイナーや小商いをする人が集い、イベントスペースではものづくりワークショップや読み聞かせイベント、ヨガ教室などが行われるようになりました。
こうしてじわりじわりと商店街が若者の往来する姿に変化をしていきました。

同じ商店街内の古民家を活用したコワーキングスペース「Nakacho7」もAkinaiの運営(写真撮影/片山貴博)

同じ商店街内の古民家を活用したコワーキングスペース「Nakacho7」もAkinaiの運営(写真撮影/片山貴博)

「Nakacho7」は2階建ての一軒家の中に、2つの会議スペースを備える。Akinaiのメンバーもここをよく利用する(写真撮影/片山貴博)

「Nakacho7」は2階建ての一軒家の中に、2つの会議スペースを備える。Akinaiのメンバーもここをよく利用する(写真撮影/片山貴博)

「Bookmark」の活動を機に、商店街の取り組みはどんどん広がっていきました。そして、2022年のこと。赤井さんの元にはさらに新しい相談が寄せられるのでした。
その主は、商店街で70年近く営んできた金物店「深田屋商店本店」の店主。110坪ほどある商店街一大きな店内に、鍋や包丁、ジョウロやホース、ほうきや釘にネジまで、街の人の暮らしを支える生活雑貨がそろう、まるで生活雑貨の総合デパートのようなお店でした。店主の山﨑さんの年齢は90代。継ぎ手がないことなどさまざまな理由から2021年にこの店を閉め、空き家になっていました。ここを活用してほしいと赤井さんに相談をしたそうです。

金物店時代の深田屋商店の姿(写真提供/Akinai)

金物店時代の深田屋商店の姿(写真提供/Akinai)

「話をいただき、『何ができるだろう』と改めて店内を見せていただきました。するとたくさんの時代を感じさせる日用品が残っていたのです。今では貴重な農具やレトロな食器などもありました。これらを活かした『生涯現役』『生活に近い活用』をキーワードとしたスペースづくりをしたいと思ったのです」(赤井さん)

彼らは、一部のスペースを次世代の地元クリエーターが入居するシェアショップにリノベーションすることに。店内にたくさん残っていた「深田屋商店本店」の商品はAkinaiの審美眼で厳選し、アンティークショップに変化させました。そしてシェアショップの登録メンバーが店番をするように仕組み化したのです。こうして、「深田屋商店本店」は2023年5月に「くらしの循環センター フカダヤ」として再オープンしました。

「くらしの循環センター フカダヤ」。前店時代の日用品をAkinaiのメンバーによって選別し、古道具として販売している(写真撮影/片山貴博)

「くらしの循環センター フカダヤ」。前店時代の日用品をAkinaiのメンバーによって選別し、古道具として販売している(写真撮影/片山貴博)

今やあまり目にすることがなくなった黒電話や、茶箱、そろばんなどが並ぶ。懐かしい道具を喜んで購入していく人もいるそうだ(写真撮影/片山貴博)

今やあまり目にすることがなくなった黒電話や、茶箱、そろばんなどが並ぶ。懐かしい道具を喜んで購入していく人もいるそうだ(写真撮影/片山貴博)

もちろん「生涯現役」をキーワードに掲げたのは、古き良きものを掘り起こすこと、若者を活性化させるためではありませんでした。Akinaiのメンバーはこのスペース内に、地元のシニア団体のショップスペースも設けたのです。こうすることで、古き良きもの、これからも長く生き生き活動をするシニア、未来を担う若者が共存する空間ができあがりました。

地元のシニア団体が営む布小物店と旅行代理店が入居。多世代の人たちが一つの場所に集うのも特徴(写真撮影/片山貴博)

地元のシニア団体が営む布小物店と旅行代理店が入居。多世代の人たちが一つの場所に集うのも特徴(写真撮影/片山貴博)

主体的なまちづくりを見て、地元の鉄道会社が動き出した リニューアル後の「くらしの循環センター フカダヤ」外観。ファサードは、眠っていた日用品を活かして作成した(写真撮影/片山貴博)

リニューアル後の「くらしの循環センター フカダヤ」外観。ファサードは、眠っていた日用品を活かして作成した(写真撮影/片山貴博)

シェアショップ内に入居する市内在住のペーパークラフト作家の小針真菜実さんは、車でフカダヤに通い、ここで店番をしながら創作活動をしています。

「今までクリエーターの交流地点がなかったので、こうした場所ができて嬉しい。店番をしていると、街の人との交流ができるので、日々の生活に潤いができた。知っているようで知らなかった街のことを知ることができている」と嬉しそうに話します。

日用品コーナーの店番をしながら、自分のシェアショップにて作業をする小針真菜実さん(写真撮影/片山貴博)

日用品コーナーの店番をしながら、自分のシェアショップにて作業をする小針真菜実さん(写真撮影/片山貴博)

拠点づくりにとどまらず、飯能市内でイベントやワークショップ、マルシェの実施を行うようになったAkinai。折しも自治体としての飯能市は街への移住者、就農者をもっと増やしたいと願っているタイミングでした。そこに、地元の鉄道会社・西武鉄道株式会社が着目したのです。

沿線の価値を上げたいと願っている同社は、Akinaiに声をかけ、飯能エリアでの移住促進プロジェクトを共に実施していくことになります。

同社事業創造部 沿線深耕担当の今成瞬さんと佐藤友美さんは、当時のことをこう話します。

「私たちも街に住む人と接点を持ちたいと思っていたけれど、どうしたら接点が持てるかわからなかったのです。ところがAkinaiのメンバーは市民を上手に巻き込み、街のコミュニティをつくり上げている。そのことに感銘を受けました。私たちよりも、街をよく知るプレーヤーである彼らが主導となって地域のイベントの運営をしたり、人と人を繋ぐ役割を積極的に自由にしてくれたら、もっと街は面白くなる。ひいては沿線の価値向上も期待できると思ったのです。そのために力を借りることにしました」

名栗エリアで実施した自然体験イベント「ピクニックデイ」(写真提供/Akinai)

名栗エリアで実施した自然体験イベント「ピクニックデイ」(写真提供/Akinai)

西武鉄道株式会社の社有地で開催した「はんのーとマルシェ」には、多くの地元客が来場した(写真提供/Akinai)

西武鉄道株式会社の社有地で開催した「はんのーとマルシェ」には、多くの地元客が来場した(写真提供/Akinai)

現在は双方が手を組み、地域でのマルシェやワークショップ、街歩きイベントやローカルWebメディア「はんのーと」の運営など、あらゆる角度から飯能の魅力や面白さを発信する「はんのーと」プロジェクトに取り組んでいます。まちづくりといえば、とかく行政や民間が主体となることが多いなか、Akinaiは市民の代表という立場で、まちの魅力をつたえ、周囲の人たちの心を動かし、行動させたのです。

強制しないゆるやかなつながりと場所づくりを

「地域に関わりたいけれど、気後れして足が遠のいてしまっている人がいることはもったいないことですよね。飯能にも多分、何かに挑戦したいと思っている人たちは、まだまだいると思うのです。僕たちはその敷居を取り除いていけたらと思っています」(Akinai徳永さん)

とはいえ、Akinaiのメンバーは肩肘はらず、これからもできることを淡々と、そして楽しく時間をかけて取り組んでいきたいそうです。

マルシェを運営するAkinaiのメンバーと地元のクリエーターたち(写真提供/Akinai)

マルシェを運営するAkinaiのメンバーと地元のクリエーターたち(写真提供/Akinai)

「自分達が“思いっきり前面に出て街づくりをアピールしたい”という気概はなくて。ただあるのは、せっかくならば住んでいる街をもっと面白くしたいよねという純粋な動機のみです。この街に眠る面白さや人との出会いを少しずつ紡いでいき、柔らかくつながれる関係と場所をつくっていきたい。みんながやりたいことをやれるようにできたら暮らす街はもっと楽しくなります」と、Akinai代表の赤井さんは穏やかに話してくれました。

Akinaiの徳永一貴さん(左)と、赤井恒平さん(右)(写真撮影/片山貴博)

Akinaiの徳永一貴さん(左)と、赤井恒平さん(右)(写真撮影/片山貴博)

飯能に限らず、今地域にある商店街は店主の高齢化、継ぎ手の不足により閉店を余儀なくされています。こうした跡地を利用して街を面白くしたい、活性化させたいと思っている若者がいるものの、由緒ある商店組合の存在に敷居を感じてしまい、なんとなく挑戦しにくく思っている人もいるようです。

飯能銀座商店街のように、Akinaiのメンバーをはじめとした地元のクリエイターたちがゆるやかにつながり、自分の持つスキルを活かす形でまちに関われば、街はもっと発展していくのでしょう。そのためには受け手である商店街の店主たちも、柔軟に門扉を開くこと、規則やルール、既成概念をほんの少し緩めてみることによって、新たな街の担い手と関係を築くことができるのかもしれません。

実際に、ここ飯能銀座商店街を訪れる人たちの顔ぶれがじわりじわりと変わっていることを思うと、未来はそう遠くないと感じさせてくれますね。

●取材協力
・Bookmark
・Nakacho7
・くらしの循環センターフカダヤ
・株式会社Akinai
・西武鉄道株式会社

東京・北品川、築90年の古民家群をリノベした「SHINAGAWA1930」。親子カフェや熟成酒専門店などでまちの拠点に成長中

日本有数のターミナル駅である品川駅にほど近く、かつての東海道五十三次の宿場の一つ、品川宿の雰囲気が色濃く残る北品川エリア。今と昔が共存する、そんな北品川を象徴するかのような複合施設「SHINAGAWA1930」が2022年6月にグランドオープンした。戦前に建てられた古民家をリノベーションしたこの建物は、地域の新たな交流拠点として人や地域とのつながりをどのように生み出しているのだろうか。

かつて品川宿のあった北品川の街並み

品川駅から京急本線で一駅の北品川駅。品川駅からも徒歩圏内ながら、高層ビルが立ち並ぶ品川・港南エリアとはうって変わり、北品川本通り商店会には古き良き宿場町の雰囲気が残る。

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

江戸時代に整備された旧東海道は、現在の東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ街道だ。道中の53の宿場は「東海道五十三次」として歌川広重の浮世絵などでも知られている。その1つめである品川宿は、人々が行き交う「江戸の玄関口」としてにぎわっていた。

そんな旧東海道の名残を見せる商店街を横切り、八ツ山通りの十字路に出ると目に入ってくる2階建ての木造建築物が複合施設「SHINAGAWA1930」。1930(昭和5)年に建てられたとされる古民家をリノベーションしている。

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

同施設は、1棟2階建ての計5棟構成。ソーシャルカフェや親子向けのコワーキングスペース、古酒と熟成酒の専門店といったバラエティ豊かなテナントが入居し、残りの2棟は建築事業を行う企業がオフィスとして利用している。

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

建物の裏には品川浦が広がり、屋形船や釣船が停まる船溜まりを見ることができた。

(写真撮影/阿部夏美)

(写真撮影/阿部夏美)

「一度壊したら、もう戻らない」風景を引き継ぐ新施設

北品川にある古い民家の家並みは、品川区の生活・歴史・風土を伝える風景「しながわ百景」に選ばれたこともあったが、民家の減少により、現在では「失われた百景」に数えられている。

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

SHINAGAWA1930の前身の建物は、このエリアの再開発を見越して京急電鉄が取得していた。これからどう活用していくのか。取り壊して駐車場にする案も挙がるなか、京急電鉄のグループ会社でリノベーション事業を行う株式会社Rバンクの清水麻里さんに相談が持ちかけられた。

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

「築90年を超える古民家が5棟全て残っているのは珍しい。壊すのは簡単ですが、一度壊したらその風景はもう戻りません。建物の歴史を引き継ぎながら地域のためになる新しいことをやりたい、という思いがありました」(清水さん)

町の歴史と立地の特徴から、人々の交流が生まれる場所として古民家を再生してはどうか。2019年、清水さんを中心として運営事務局が立ち上がる。

改修費用の一部はクラウドファンディングで募った。物件の改修工事は京急電鉄が行い、内外装の一部はDIY。柱や梁を生かし、窓ガラスやサッシは一部をそのまま使う。外壁は損傷が激しくほぼ交換したが、元の雰囲気を壊さないように注意を払ったという。

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

クラウドファンディングの支援者や地域住民など、改修を手伝った人は述べ150人以上。「偶然通りがかった人が興味を持って壁を塗ってくれる、なんてこともありました」と清水さん。「何か手伝えることはないか」と、近くに住む人が施設のプロモーション動画を制作してくれたこともあった。

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

清水さんは、施設のすぐ裏にある民家に戦前から住んでいる女性と時々話すそう。

「戦時中、あたりに爆弾が落ちてもこの一角だけは焼けなかったのだとか。石畳は、都電品川線が廃止された時にみんなで石をもらって敷いたと聞きました」(清水さん)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

そうして時代を生き抜き歴史を紡いできた建物が、人々の出会いの場として続いていく。

新型コロナウイルスの感染拡大により、入居テナントが完全な状態で営業できなかったり、イベントが開催直前に中止になってしまったりと影響を受けながらも、2021年1月からテナントが順次オープン。2022年6月に施設全体のグランドオープンを迎えた。

昼夜を通して人が集まるソーシャルカフェ

A棟の1階にはソーシャルカフェ「PORTO(ポルト)」が入り、2階は多目的スペースとして使われている。

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

ソーシャルカフェというコンセプトの通り、昼はカレーやお好み焼きなど曜日ごとに異なる飲食店が営業。夜は日替わりで、美容師やダンサー、ゲストハウスのオーナー、デザイナー、会社員など多様な職種の人が1日店長として店に立つ。

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

2階は時間制で場所を貸し出し、鍼灸院やヨガのレッスン、学習塾などに活用されている。PORTOで食事する人の背後を学習塾に通う小学生が元気に階段をかけのぼっていく光景も見られるそう。

取材時にランチ営業していたのは、スリランカカレーなどを提供する「カレーと紅茶 ミカサ」。昼時の店内は近隣のオフィスワーカーでにぎわっていた。

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

店主の茨木直子さんは北品川エリアについて、「昔ながらの小さな店が地域を支え合っている雰囲気に惹かれた」と話す。当初は飲食をやるならオフィス街でと考えていたが、コロナ禍により生活様式は一変。住民の生活に根ざしたまちに注目するようになったという。

「実は私の店は5日前に営業を始めたばかり。ここで経験を積みながら、北品川の人とふれ合う時間をつくっていきたいです」(茨木さん)

子育て世代のつながりの場をつくる

C棟に入る親子向けの「ママプラスカフェ」は、子連れ歓迎のコワーキングスペースとしても利用できる。もちろんパパも歓迎で、週末は家族での来店も多いのだとか。

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

2階では、ママ講師によるヨガやピラティスのレッスンなどさまざまなイベントを開催。

「同じくらいの月齢の子がいると、親同士の交流は生まれやすいですよね。イベントの参加者同士が意気投合して、後日一緒にカフェに来店することもあります」と店長の森田健吾さん。カフェでは赤ちゃんが隣の人の席に遊びに行ってしまい、それがきっかけで親同士が仲良くなることもあるのだとか。

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

カフェメニューに使う野菜は北品川本通り商店会の青果店で仕入れることで、商店街の人にも店を知ってもらえるようになった。「商店会で紹介されたから来てみた」というお客さんもいる。

「小さい子を育てていると、子ども以外とのつながりがどうしても断たれがち」と森田さん。この店に来ることで、社会との接点を断つことなく子育ての期間を楽しく過ごしてほしいと話す。

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

時代を感じる店内で酒を楽しむ「体験」を提供

B棟「いにしえ酒店」店主の薬師大幸さんは、前店舗の移転先を探していたタイミングでSHINAGWA1930のオープン情報をキャッチ。古民家をリノベーションした物件は店のコンセプトにぴったりで、「物件情報を見て即連絡した」という。

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

日本酒を寝かせた古酒・熟成酒を販売しているが、薬師さんは「ただ酒を売ることだけが目的ではない」と話す。「マーケットが小さいジャンルなので、まずは知って、味わって、体験してもらいたい」と、店内の商品は全て有料試飲することができる。

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

2階の「いにしえLABO」では、日本酒ナビゲーターによるセミナーや、自分好みのペアリングを探す「チーズと熟成酒の会」などを開催。日本酒「車坂」の杜氏を招いて3時間ひたすら語ってもらう会や、苔の専門家をゲストに苔を眺めながら飲む「苔と熟成酒」など、個性的なイベントも企画している。

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「見たり聞いたり、自分で組み合わせを試して味わったり。この店での体験を通して、古酒・熟成酒のことを深く知ってほしい。ただ商品を買って帰るだけでは、なかなかそうはなりませんから」(薬師さん)

肩肘張らない地域の雰囲気を感じながら働く

E棟とD棟をオフィスとして使うのは、BIMという技術で木造建築に関わる業務の効率化を推進する株式会社MAKE HOUSE。

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

オフィスのしつらえは社員みんなで考え、梱包材をカバー代わりにするソファやパイプを使ったテーブルを置く。およそオフィスという雰囲気はなく、ゆったりと働けそうな印象を受けた。

もう1棟は、実証実験の会場になっていた(期間限定のため現在は終了)。社員数の増加に伴い、今後はオフィスとして使うという。

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

移転前は品川駅付近にオフィスを構えていた同社。社員の岩田剛士さんは「今のオフィスは肩肘張らずにいられる」と話す。

「品川と北品川では、だいぶ雰囲気が違いますね。以前は高層ビルのワンフロアで働き、昼食は主にキッチンカーで買っていましたが、今は商店街やリーズナブルなごはん屋さんが近くにあるし、PORTOさんで食べることもあります。都市部でありながら、こぢんまりとした雰囲気が気に入っています」(岩田さん)

SHINAGAWA1930のこれから

建物の完成からグランドオープンまで、1年半をかけて少しずつまちにひらいてきたSHINAGAWA1930。施設としては町内会と商店会に加入しており、清水さんは「コロナの状況が落ち着いたら、商店会と連携した企画を進めるなど、もっと地域と関わっていきたい」と話す。

最近は、1人でふらっと遊びに来た地元の子どもが施設を気に入り、後日親子で再訪してくれることもあったそう。そんなゆるやかさが北品川ののんびりとした雰囲気にマッチし、人と人とが出会うきっかけを自然に生み出しているのかもしれない。

●取材協力
SHINAGAWA1930

「沼垂テラス商店街」シャッター通りが人気スポットに! 県外客まで呼び込んだ大家の手腕とは 新潟県新潟市

新潟県新潟市の沼垂(ぬったり)テラス商店街には、昭和レトロな長屋にセンスあふれるショップが並んでいる。昭和には市場通りとして栄えたもののシャッター通りとなっていた長屋一帯が2015年に生まれ変わり周辺エリアにもにぎわいを広げる、その商店街を訪れてみた。

商店街のコンセプトは「ここでしか出会えないモノ・ヒト・空間」

沼垂地域は新潟駅から徒歩で20分ほどの、寺社や酒や味噌などの醸造工場に囲まれたエリア。
かつては市場通りとして栄え、昭和の時代には日用品や食料品の店舗が立ち並んでいた長屋一帯をリノベーションし、再生されたのが沼垂テラス商店街だ。

4軒の寺院と並行して長屋の沼垂テラス商店街が並んでいる(2016年4月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

4軒の寺院と並行して長屋の沼垂テラス商店街が並んでいる(2016年4月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

商店街のコンセプトは「ここでしか出会えないモノ・ヒト・空間」。チェーン店は1軒もなく個人経営が主体の、オリジナルな店舗が並ぶ。
ハンドメイドのアクセサリー店、一点ものの家具や雑貨が買える店。ショッピングの合間に食事やスイーツを楽しめる飲食店も豊富だ。30近くある店ごとに営業日時が違うのは商店街らしいといえば商店街らしいが、ショッピングモールとは違うゆったり時間を感じさせてくれる。「そんな自由さも店主それぞれのライフスタイルに合っているようで、出店のハードルが低いのかと思います。」と、商店街を管理・運営するテラスオフィスの専務取締役・統括マネージャー高岡はつえ(たかおか・はつえ)さん。

「代わりに、4月から11月にかけて月に1回ずつ開催している朝市や冬季の冬市には、基本的にいっせいに営業してもらって、商店街全体で集客しています」(高岡さん)

「Ruruck Kitchen」の「沼ネコ焼」は商店街の看板スイーツ。新潟県産コシヒカリを配合したもっちり生地に、餡やカスタードなどが詰まっている(写真提供/沼垂テラス商店街)

「Ruruck Kitchen」の「沼ネコ焼」は商店街の看板スイーツ。新潟県産コシヒカリを配合したもっちり生地に、餡やカスタードなどが詰まっている(写真提供/沼垂テラス商店街)

管理会社テラスオフィス併設の「ひとつぼし雑貨店」。目が合うと家に連れて帰りたくなるモノがいっぱい(写真撮影/池上香夜子)

管理会社テラスオフィス併設の「ひとつぼし雑貨店」。目が合うと家に連れて帰りたくなるモノがいっぱい(写真撮影/池上香夜子)

この地で50年以上になる佐藤青果物店は、いまも元気に営業中(写真提供/沼垂テラス商店街)

この地で50年以上になる佐藤青果物店は、いまも元気に営業中(写真提供/沼垂テラス商店街)

朝市には常設の店舗に加えて市内外からも出店があり、多くの人でにぎわう。規模を縮小した冬市や夜市も開催(感染予防対策としての中止、変更についてはHPで要確認)(写真提供/沼垂テラス商店街)

朝市には常設の店舗に加えて市内外からも出店があり、多くの人でにぎわう。規模を縮小した冬市や夜市も開催(感染予防対策としての中止、変更についてはHPで要確認)(写真提供/沼垂テラス商店街)

再生への躍進は、シャッター通りを丸ごと買い取ったことから始まった

時代が進むにつれて郊外に大型ショッピングセンターができ、さらに店主の高齢化も進み、地元住民が行き交っていた商店街は2010年ごろにはシャッター通りとなっていた。

かつての長屋(2013年3月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

かつての長屋(2013年3月)(写真提供/沼垂テラス商店街)

再生の始まりは、かろうじて営業していた店舗のひとつ、大衆割烹「大佐渡たむら」の2代目・田村寛(たむら・ひろし)さんが長屋の一角に惣菜とソフトクリームの店「Ruruck Kitchen」を2010年にオープンしたことだった。
翌年隣に家具と喫茶の「ISANA」、さらに翌年陶芸工房「青人窯」がオープン。シャッター通りに若者たちが次々と店を構えたことが話題となり、人通りも増えたことから、出店希望も相次ぐようになったという。

出店希望に応えて商店街を再生するべく田村さんは奔走したが、当時の管理・所有者だった市場組合の新規出店規約が大きな壁となった。
協議を重ねた末、田村さんが一大決心。2014年に「株式会社テラスオフィス」を設立して長屋一帯を買い取り、店舗の入居と管理を運営することとなった。

テラスオフィス代表取締役・田村さん(右)。商店街再生当初からお店を構えるハンドメイドアクセサリー「nemon」にて(写真提供/沼垂テラス商店街)

テラスオフィス代表取締役・田村さん(右)。商店街再生当初からお店を構えるハンドメイドアクセサリー「nemon」にて(写真提供/沼垂テラス商店街)

運営実務を買って出たのが田村さんの姉、高岡さんだった。「大衆割烹と惣菜店の両方で経営者と料理人を勤めながら商店街再生だなんて、弟の身体が持たないと思いました。自分たちが育った町に恩返しをしたい気持ちも強かったですね」(高岡さん)

市場通りは2015年に「沼垂テラス商店街」と名前を変えて正式オープンした。レトロな街並みと魅力的な店舗が注目を集め、あっという間に沼垂テラス商店街は人気のスポットに。新潟県外からも多くの観光客が訪れるようになった。

高岡はつえさん。「脱サラして大衆割烹を創業した父が『卵焼きとソフトクリームの店、やれや』と私たち姉弟に放ったひと言が『Ruruck Kitchen』開店のきっかけ。もしかしたら商店街の未来を見据えていたのかもしれません。そこから怒涛の日々でした」(写真撮影/平田未来)

高岡はつえさん。「脱サラして大衆割烹を創業した父が『卵焼きとソフトクリームの店、やれや』と私たち姉弟に放ったひと言が『Ruruck Kitchen』開店のきっかけ。もしかしたら商店街の未来を見据えていたのかもしれません。そこから怒涛の日々でした」(写真撮影/平田未来)

コロナ禍では地元への宣伝を強化。いろいろな世代が立ち寄る場所になった

コロナ禍による緊急事態宣言下では、時短営業やイベント中止など、沼垂テラス商店街もかつてとは違う状況に置かれている。

「観光客が減ったのは痛手でしたが、地元を見直すきっかけにもなりました」と高岡さん。
商店街オープン当初から、商店街の広報・宣伝にSNSをフル活用していた。そのおかげもあって来客の中心は感度の高い30代・40代だったが、地元周辺の住民には告知が足りていないことに、ふと気がついた。「『名前は聞くようになったけど、どういう店があるのか知らないし。自分たちの暮らしには関係なさそう』と思われていたようです」(高岡さん)

そこで、沼垂テラス商店街のオープン以来、初めて新聞の折り込み広告を利用し、近所にはチラシを撒くことにした。「費用対効果を考えてチラシ広告は避けていましたが、地元の年配の方が足を運んでくれるようになりました。遠出をせず地元を見直すタイミングともマッチしたんでしょうね」(高岡さん)

入居している店舗とのつながりも集客に効果を発揮した。
朝8時からの「沼垂モーニング」イベントには6店が協力してくれた。商店街誕生当初からの店主が提案した「LINEスタンプラリー企画」に力を貸したのは、コワーキングスペース「灯台-Toudai-」の個室部分をオフィスにしていた「点と線プロダクツ」だ。

「『沼垂グルメスタンプラリー』なども企画しました。店舗と協力して小さなイベントを重ねて行うことで、集客を絶やさないように工夫しています」(高岡さん)

配布した「沼垂グルメMAP」チラシ。普段はモーニング提供していない店舗にも協力してもらい、「沼垂モーニング」を開催(2020年8月)(資料提供/沼垂テラス商店街)

配布した「沼垂グルメMAP」チラシ。普段はモーニング提供していない店舗にも協力してもらい、「沼垂モーニング」を開催(2020年8月)(資料提供/沼垂テラス商店街)

沼垂テラス商店街の成長が、周辺地域にもにぎわいを呼んでいる

休業・撤退せざるを得ない店舗もあるが、沼垂テラス商店街では間を空けずに新たな店舗がオープンしている。募集をかけることはほとんどなく、「ここに店を出したい!」と出店の機会を待つ希望者が多いのだそう。「いま入居している皆さんは、沼垂エリア、新潟を盛り上げていこうと頑張っている方ばかり。いい関係がずっと続いています」(高岡さん)

また、商店街のにぎわいは近隣にも拡大している。空き家や空き店舗を借り受けてリノベーションし、サテライト店舗として管理・運営する取り組みを積極的に行っているのだ。

商店街から1ブロックほど離れた路地にある「なり-nuttari NARI-」は、2016年にサテライト店舗として開業したゲストハウス。宿泊客以外も利用できるバーやイベントスペースを提供する交流の拠点でもある。
「ここでイベントに参加した人が沼垂を気に入ってくれて、新しいサテライト店舗に菓子工房をオープンすることになりました」(高岡さん)

築90年以上の古民家を改修した「なり-nuttari NARI-」(写真提供/沼垂テラス商店街)

築90年以上の古民家を改修した「なり-nuttari NARI-」(写真提供/沼垂テラス商店街)

コワーキングスペース「灯台-Toudai-」。利用する社会人や学生が平日に商店街に人通りをつくってくれる。個室部分に入居していた「点と線プロダクツ」はスタッフ増加に伴い移転、新オフィスに選んだ先も沼垂テラスのサテライト物件だ(写真提供/沼垂テラス商店街)

コワーキングスペース「灯台-Toudai-」。利用する社会人や学生が平日に商店街に人通りをつくってくれる。個室部分に入居していた「点と線プロダクツ」はスタッフ増加に伴い移転、新オフィスに選んだ先も沼垂テラスのサテライト物件だ(写真提供/沼垂テラス商店街)

沼垂テラス商店街はさまざまな地域再生の賞を受賞しており、2021年度経済産業省・中小企業庁主催「はばたく商店街30選」にも選定された。「はばたく商店街30選」は「地域の特性・ニーズを把握し創意工夫を凝らした取り組みによって、地域の暮らしを支える生活基盤として商店街の活性化や地域の発展に貢献している商店街」を選出した賞。

「長屋市場を一括購入することでスピーディーにテナントを埋め、再生を果たした点が特に評価されました。商店街は一般的に建物ごとに所有者が違い、また住居と併用していることもあり、いったん店を閉めると次の運用がなかなか進まないという問題がありますから」(高岡さん)
そして、各店や来街者のSNS発信で「#沼垂テラス商店街」「#沼垂テラス」など、ハッシュタグにより情報拡散して商店街の認知度を高めている点も高評価だったそう。「今のご時勢、普通だと思っていましたが、広告宣伝ツールをほぼSNSだけにしている商店街は珍しいのだそうです」(高岡さん)

オープンから7年経ったいまも人通りが絶えない沼垂テラス商店街には、県内外からの視察や講演依頼が絶えない。学生のフィールドワークにもできる限り協力しているそうで、田村さん、高岡さんの「商店街の力で地域に恩返しをする」意志は強くてあたたかい。
地域とともに発展していく沼垂テラス商店街に、またゆっくりと訪れてみたい。

●取材協力
・沼垂テラス商店街

築62年の松陰神社「共悦マーケット」が取り壊しに。街ぐるみで見送った昭和のアーケードの最期

東京都世田谷区、松陰神社通り商店街。2021年10月末「共悦マーケット」は、62年の歴史の幕を閉じた。この昭和のマーケットが取り壊されることを知ったひとりの写真家が、1年前からこの場を劇場に見立ててゲリラ的にパフォーマンス上演を開催してきた。そして、10月には、子どもたちによる「共悦マーケットの人々」と題した演劇が上演され、まちぐるみでマーケットに別れを告げた。

老朽化と耐震性能の不足からマーケットの取り壊しが決まった

東急世田谷線の二両編成ののんびりとした電車に乗って三軒茶屋駅から5分あまり。松陰神社前駅の周辺は、昔ながらの八百屋や魚屋といったお店と、今どきのカフェやスイーツ店が混在する、暮らしてよし散歩してよしの楽しい商店街がある。クルマ通りもほとんどない、まちの人たちが安心して歩ける雰囲気も魅力だ。
その商店街に面して「共悦マーケット」はあった。1959年に建築された4軒の2階建て木造建物の間に通路が設けられ、小規模ながら屋根掛けされた私設アーケードが、この共悦マーケットだ。このマーケットには、居酒屋、定食屋、古本屋兼シェアオフィス、レコード屋、アパレルショップ、整体院、ハチミツ屋、フランス料理店……昔ながらのお店と新しいお店が混在して商店街の魅力の中核を担っていた。
ところが、築60年を過ぎて建物が老朽化し耐震性に劣ること、大家さんの高齢化などの理由から、建て替えられることになった。大家さんは2年ほど前に「取り壊し」を、賃借しているお店に伝えたのだという。

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

写真家がマーケットを劇場に見立てパフォーマンス公演を企画

「無くなるものを、何かかたちにして残したい」と、共悦マーケットの一角、牡蠣専門居酒屋「マルショウアリク」の常連、写真家・加藤孝さんは、取り壊しまで1年を控えて、そう考えた。加藤さんは、舞台の役者や演劇公演のポスターの写真撮影を得意とする写真家だ。「アリクの店主、廣岡好和さんと相談し、ボクにやれることはなんだろうと考えて、本業の写真、そして多くのパフォーマーに知り合いがいるので、想い出をつくるイベントの企画を考えました」と話す。
マーケットには屋根付きのアーケードが設えられており、60年にわたって道行く街の人やお客さんが雨に濡れないように守ってくれていた。わずか30m程のアーケードは短いがゆえに親密な空間をつくりだしていた。そこで、加藤さんは、友人・知人の様々なジャンルのパフォーマーに声をかけて、このアーケードを劇場に見立て、月に一回「共悦劇場」というゲリラ型の路上イベントを企画した。
2020年9月の第一回は講談、第二回は江戸大神楽、その後は、薩摩琵琶、パントマイム、紙芝居、タップダンス……と続いていく。加藤さんは、自ら撮影機材などを持ち出して撮影、YouTubeでライブ動画配信するとともに、それらパフォーマンス動画を「共悦劇場」と題してアーカイブ化していった。

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

地元の小学生がマーケットを題材にした演劇づくりの仲間集め

そんななか、「マルショウアリク」が定期的に行っている軒先マルシェで、店主の廣岡さんが2021年6月に「このマーケットは10月末でなくなるんだ」と「子どものお店」を出していた顔なじみの地元の小学生たちに話した。これを聞いて、「共悦マーケットの人たちの話を聞いて劇をつくりたい」と言った子どもがいた。
近くの小学校に通うわたくん(4年生)だ。わたくんは、2021年3月、世田谷区の世田谷パブリックシアターが行っていた「小学生のためのえんげきワークショップ+発表会「下馬のゆうじさんをめぐる冒険」に演劇ワークショップに参加した経験があり、人から話を聞いて演劇をつくる、というイメージを持っていた。同じく世田谷パブリックシアターのさまざまな演劇ワークショップに参加していたFUMIさん(3年生)など数名の仲間を集めて、「共悦マーケット子どもプロジェクト」のキックオフミーテングを行った。そこで、「演劇チーム」「新聞チーム」「紙芝居チーム」ができ、10月中旬の発表を目指すことになった。
まず共悦マーケットの人にインタビューをはじめた。
インタビューの中で、廣岡さんから「共悦マーケットのお店の人たちに『好きな言葉』『大切にしている言葉』を聞いてみるといいんじゃないかな」とヒントをもらった。廣岡さんは「子どもたちが、ここで商売をしている大人たちの思いや考えを知ってもらうのに良いアイディアだと思いました」と打ち明ける。
また、それと並行して、さらなる仲間集めをはじめた。役立ったのは学校の学習で使っているタブレットだ。さっそく、共悦マーケットについての演劇をつくりたいこと、一緒に演劇をつくる仲間を集めたいこと、その内容を盛り込んだチラシをつくった。そのチラシを見て5~6人の賛同者が集まった。

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

周りの大人たちもサポート。仲間はどんどん増えていった

「共悦マーケット子どもプロジェクト」と名付けられたこの取り組みは、子どもたちが主体であるものの、周りの大人たちのサポートもあった。二人の通う地元小学校のPTAサークル「IBASHO」は、子どもたちがすこやかに自立に向かっていける「放課後」の過ごし方について考え、実践しながら、その課題を地域と共有している。今回の子どもたちもIBASHOの活動に参加していたため、IBASHOメンバーたちは「劇をつくりたい」という声にすぐに反応し、多岐にわたるサポートを行った。

脚本づくりや稽古の場所は、共悦マーケットの店舗で一足先に空き家になっていた古書店「nostos books」(世田谷区砧に移転)の跡を大家さんにお願いして貸してもらった。大家さんも創立間もなかった地元小学校の卒業生だ。かわいい「後輩たち」の申し出に、喜んで貸し出してくれたという。
商店街に面するガラス張りのスペースだったことから、通りがかりにその作業風景を見かけた小学生の友達がどんどん参加してくれることになった。
学校でも校長先生が協力してくれて、校長室の前にポスターを貼らせてもらった。最終的に19~20人で演劇を行うことになった。学年も1年生から5年生まで幅広い年代の子どもたちが参加したという。「年は違うけど、みんなため口でしゃべりあう友達になりました」とわたくん。わたくんとFUMIさんは、劇のタイトルを「共悦マーケットの人々」と決めた。

共悦マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展

その一方、写真家の加藤さんは月1の「共悦劇場」に加えて、取り壊しが目前に迫った9月末から、共悦マーケット内のお店の人たち、利用する街の人たちのポートレートを撮り始めた。本業の写真家として、無くなりゆく共悦マーケットに対する思いを込めた。「KYO-ETSU MARKET April.1959~November.2021」と書き入れたポスターを自らデザインして、モノクロのポートレートを1点ずつあしらった。そして、これらポスターを「nostos books」跡のショーウィンドウにできた順に貼っていった。

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

このポスターを見た街の人たちが、次々と自分も撮って欲しいということになり、加藤さん撮影のポスターが増えていった。それとともに「nostos books」跡のショーウィンドーはどんどん隙間無く埋められていった。マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展の様相を帯びてきた。
「これは何?」とポスターに足を止めて興味深く眺め入る人も多くいた。加藤さんは「10月末に共悦マーケットが建物の役目を終えて、11月には取り壊されるんです。KYO-ETSU MARKETという字が下に行くほど薄くなっているのは、この建物が無くなることをあらわしています」と説明していた。

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

「共悦マーケットの人々」はみんなで一緒に踊って別れを告げた

10月16日(土)・17日(日)は、子ども劇「共悦マーケットの人々」発表の本番だ。

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

最初に、「紙芝居チーム」による「未来の商店街」の上演。
その後には、子どもたちによるギター、キーボード、ピアニカ、縦笛の演奏に併せて、観客も含めて「カントリー・ロード」の唄を。
いよいよ、共悦マーケットのお店の人たちに取材した劇「共悦マーケットの人々」の上演だ。
お店の人たちの大切にしている言葉「一期一会」「夢じゃなくて目的を大切にしている」「やればできる」「先義後利(道義を優先して利益を後回しにする)」「天は人の上に人をつくらず、天は人の下に人をつくらず」といった言葉が披露されていく。取材した食堂で、美味しいきんぴらゴボウと卵焼きを食べさせてもらったことまで劇中で紹介してくれた。
共悦マーケットの大家さんから聞いたたくさんのお話の中で、子どもたちは自分が伝えたいことを選んで朗読した。その内容は「12軒のお店があって、かつては店子さんと親子のような関係だったこと」「『共悦』は共に喜ぶという意味であること。ご近所同士が仲良くなれればという思いを込めたこと」「好きな言葉は”フィリア”、ギリシャ語で愛を表すこと」「安全のために建て替えること」「子どもたちが共悦マーケットをみんなで見送ってくれることに感謝していること」などだった。
そして劇の締めくくりには、観覧していた大人も招き入れてオリジナルの盆踊りを踊った。踊り終えた後には、みんなで共悦マーケット全体を仰ぎ見て「さようなら」と手を振り、アーケードを走り抜けた。アーケードの未来を予感させるこの演出は、子どもたちの演劇をカメラを通して見守っていた加藤さんによるものだ。

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

大人たちをまねて、居酒屋を貸し切って「打ち上げ」

共悦マーケットの狭い間口の入り口に、街の人たちが鈴なりに詰めかけて、子どもたちの演劇を見守った。子どもたちの「共悦マーケット」への思いに、胸を打たれた大人たちは多かったのではないだろうか。劇の終わりには、盛大な拍手が寄せられた。
上演を無事終えると、子どもたちは、演劇づくりのきっかけをつくってくれた居酒屋「マルショウアリク」の席を陣取った。みんなで、ジュースで乾杯だ。大人たちが大きな仕事が終わると「打ち上げ」と称して居酒屋で乾杯する姿を見ていたので、子どもたちも、ジュースで打ち上げの乾杯をしてお菓子を食べて、みんなで「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功をお祝いした。

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

大人たちもそれを取り囲んで、子どもたちと一緒に「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功を祝福して、街ぐるみで温かな空気をつくりだしていた。
後日、わたくんとFUMIさんに話を聞いた。演劇づくりは本番の3~4週間前からが佳境だったという。子どもによっては塾や習い事との兼ね合いもあり全員は揃わないので、放課後の演劇づくりはたいへんだった。土日には、演劇づくりに6時間も費やすこともあったという。
劇の仕上がり、満足度を聞いたところ、FUMIさんは「99点……98点かなぁ」、わたくんは「100点!」と満足いく出来だった。二人とも「また、演劇づくりをやりたい」と話してくれた。
上演当日のチラシ(協力:IBASHO)には「この共悦マーケットは、その名のとおり喜びを共にする小さなアーケードでした。ただの通路ではなく、抜け道であり、ときには傘になり、井戸端会議の場、遊び場で子どもたちにとっては異次元へのトンネル、まちの行燈でもありました。古きも新しきも、思い出を残す存在でした。子どもたちが『ここでやりたい』と発想したのも、ここから受けてきた有形無形の恵みを感じ取っていたからではないかと想像します」とある。
IBASHO代表の岡田陽子さんは「私たちは、街の力と、子どもたちの見えないものをつかみとる力と、まだ見ぬものを形にしていく演劇の力によって、たくさんの奇跡のかけらを見ました。それは、私たちの地域がすでに持っている力に気づく時間でもありました。日常の地続きにあるその力こそ未来の街をつくる原動力です。子どもたちの『放課後』はその可能性を秘めているという点でも大変貴重な時間です。子ども×街×PLAYは足し算ではなく掛け算ですね。閉幕のあとも、きらめくような記憶のかけらが街を彩っている気がしています」と、語ってくれた。
残念ながら11月になり共悦マーケットは取り壊しが進められ、そのかつての姿はもう見ることができない。
ただし、写真家の加藤さんが撮影・配信・アーカイブされた「共悦マーケットの人々」は、いまもYouTubeで見ることができる。そして、加藤さんによる、共悦マーケットを見送る街の人たちのポートレートは、1冊限りの写真集が作られた。松陰神社前駅のほど近く「100人の本屋さん」に納本・常備されているので、気になった方は見に訪れていただきたい。
これからも、松陰神社前駅の街の人々の心のなかに「共悦マーケット」は、生き続けていくのだろう。

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●取材協力
・加藤孝・写真家
・YouTubeチャンネル「共悦劇場」
・マルショウアリク・廣岡好和
・IBASHO

築62年の松陰神社「共悦マーケット」が取り壊しに。街ぐるみで見送った昭和のアーケード

東京都世田谷区、松陰神社通り商店街。2021年10月末「共悦マーケット」は、62年の歴史の幕を閉じた。この昭和のマーケットが取り壊されることを知ったひとりの写真家が、1年前からこの場を劇場に見立ててゲリラ的にパフォーマンス上演を開催してきた。そして、10月には、子どもたちによる「共悦マーケットの人々」と題した演劇が上演され、まちぐるみでマーケットに別れを告げた。

老朽化と耐震性能の不足からマーケットの取り壊しが決まった

東急世田谷線の二両編成ののんびりとした電車に乗って三軒茶屋駅から5分あまり。松陰神社前駅の周辺は、昔ながらの八百屋や魚屋といったお店と、今どきのカフェやスイーツ店が混在する、暮らしてよし散歩してよしの楽しい商店街がある。クルマ通りもほとんどない、まちの人たちが安心して歩ける雰囲気も魅力だ。
その商店街に面して「共悦マーケット」はあった。1959年に建築された4軒の2階建て木造建物の間に通路が設けられ、小規模ながら屋根掛けされた私設アーケードが、この共悦マーケットだ。このマーケットには、居酒屋、定食屋、古本屋兼シェアオフィス、レコード屋、アパレルショップ、整体院、ハチミツ屋、フランス料理店……昔ながらのお店と新しいお店が混在して商店街の魅力の中核を担っていた。
ところが、築60年を過ぎて建物が老朽化し耐震性に劣ること、大家さんの高齢化などの理由から、建て替えられることになった。大家さんは2年ほど前に「取り壊し」を、賃借しているお店に伝えたのだという。

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

松陰神社通り商店街に面する共悦マーケット。右手前は古書店のnostos books、左端には居酒屋のマルショウアリクが見える。木造2階建ての建物とその間に屋根のかかったアーケードで共悦マーケットは構成されている(2021年3月頃撮影)(写真/村島正彦)

写真家がマーケットを劇場に見立てパフォーマンス公演を企画

「無くなるものを、何かかたちにして残したい」と、共悦マーケットの一角、牡蠣専門居酒屋「マルショウアリク」の常連、写真家・加藤孝さんは、取り壊しまで1年を控えて、そう考えた。加藤さんは、舞台の役者や演劇公演のポスターの写真撮影を得意とする写真家だ。「アリクの店主、廣岡好和さんと相談し、ボクにやれることはなんだろうと考えて、本業の写真、そして多くのパフォーマーに知り合いがいるので、想い出をつくるイベントの企画を考えました」と話す。
マーケットには屋根付きのアーケードが設えられており、60年にわたって道行く街の人やお客さんが雨に濡れないように守ってくれていた。わずか30m程のアーケードは短いがゆえに親密な空間をつくりだしていた。そこで、加藤さんは、友人・知人の様々なジャンルのパフォーマーに声をかけて、このアーケードを劇場に見立て、月に一回「共悦劇場」というゲリラ型の路上イベントを企画した。
2020年9月の第一回は講談、第二回は江戸大神楽、その後は、薩摩琵琶、パントマイム、紙芝居、タップダンス……と続いていく。加藤さんは、自ら撮影機材などを持ち出して撮影、YouTubeでライブ動画配信するとともに、それらパフォーマンス動画を「共悦劇場」と題してアーカイブ化していった。

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

写真家・加藤孝さんが企画・撮影・配信・アーカイブをつくったYouTubeチャンネル「共悦劇場」(画像/YouTube)

地元の小学生がマーケットを題材にした演劇づくりの仲間集め

そんななか、「マルショウアリク」が定期的に行っている軒先マルシェで、店主の廣岡さんが2021年6月に「このマーケットは10月末でなくなるんだ」と「子どものお店」を出していた顔なじみの地元の小学生たちに話した。これを聞いて、「共悦マーケットの人たちの話を聞いて劇をつくりたい」と言った子どもがいた。
近くの小学校に通うわたくん(4年生)だ。わたくんは、2021年3月、世田谷区の世田谷パブリックシアターが行っていた「小学生のためのえんげきワークショップ+発表会「下馬のゆうじさんをめぐる冒険」に演劇ワークショップに参加した経験があり、人から話を聞いて演劇をつくる、というイメージを持っていた。同じく世田谷パブリックシアターのさまざまな演劇ワークショップに参加していたFUMIさん(3年生)など数名の仲間を集めて、「共悦マーケット子どもプロジェクト」のキックオフミーテングを行った。そこで、「演劇チーム」「新聞チーム」「紙芝居チーム」ができ、10月中旬の発表を目指すことになった。
まず共悦マーケットの人にインタビューをはじめた。
インタビューの中で、廣岡さんから「共悦マーケットのお店の人たちに『好きな言葉』『大切にしている言葉』を聞いてみるといいんじゃないかな」とヒントをもらった。廣岡さんは「子どもたちが、ここで商売をしている大人たちの思いや考えを知ってもらうのに良いアイディアだと思いました」と打ち明ける。
また、それと並行して、さらなる仲間集めをはじめた。役立ったのは学校の学習で使っているタブレットだ。さっそく、共悦マーケットについての演劇をつくりたいこと、一緒に演劇をつくる仲間を集めたいこと、その内容を盛り込んだチラシをつくった。そのチラシを見て5~6人の賛同者が集まった。

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくん(左)、FUMIさん(右)は、共悦マーケットは遊び場としてなじみ深かった。マルショウアリクの廣岡さんのことは「ヨッシー」と愛称で呼んでいる(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

わたくんが見せてくれたタブレットでつくった演劇仲間を募集するチラシ(写真/村島正彦)

周りの大人たちもサポート。仲間はどんどん増えていった

「共悦マーケット子どもプロジェクト」と名付けられたこの取り組みは、子どもたちが主体であるものの、周りの大人たちのサポートもあった。二人の通う地元小学校のPTAサークル「IBASHO」は、子どもたちがすこやかに自立に向かっていける「放課後」の過ごし方について考え、実践しながら、その課題を地域と共有している。今回の子どもたちもIBASHOの活動に参加していたため、IBASHOメンバーたちは「劇をつくりたい」という声にすぐに反応し、多岐にわたるサポートを行った。

脚本づくりや稽古の場所は、共悦マーケットの店舗で一足先に空き家になっていた古書店「nostos books」(世田谷区砧に移転)の跡を大家さんにお願いして貸してもらった。大家さんも創立間もなかった地元小学校の卒業生だ。かわいい「後輩たち」の申し出に、喜んで貸し出してくれたという。
商店街に面するガラス張りのスペースだったことから、通りがかりにその作業風景を見かけた小学生の友達がどんどん参加してくれることになった。
学校でも校長先生が協力してくれて、校長室の前にポスターを貼らせてもらった。最終的に19~20人で演劇を行うことになった。学年も1年生から5年生まで幅広い年代の子どもたちが参加したという。「年は違うけど、みんなため口でしゃべりあう友達になりました」とわたくん。わたくんとFUMIさんは、劇のタイトルを「共悦マーケットの人々」と決めた。

共悦マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展

その一方、写真家の加藤さんは月1の「共悦劇場」に加えて、取り壊しが目前に迫った9月末から、共悦マーケット内のお店の人たち、利用する街の人たちのポートレートを撮り始めた。本業の写真家として、無くなりゆく共悦マーケットに対する思いを込めた。「KYO-ETSU MARKET April.1959~November.2021」と書き入れたポスターを自らデザインして、モノクロのポートレートを1点ずつあしらった。そして、これらポスターを「nostos books」跡のショーウィンドウにできた順に貼っていった。

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

「共悦劇場」の企画・動画配信、共悦マーケットの店主や街の人々のポートレート撮影、ポスター制作を行った写真家の加藤孝さん(写真/村島正彦)

このポスターを見た街の人たちが、次々と自分も撮って欲しいということになり、加藤さん撮影のポスターが増えていった。それとともに「nostos books」跡のショーウィンドーはどんどん隙間無く埋められていった。マーケットを愛する人たちの街角ギャラリー写真展の様相を帯びてきた。
「これは何?」とポスターに足を止めて興味深く眺め入る人も多くいた。加藤さんは「10月末に共悦マーケットが建物の役目を終えて、11月には取り壊されるんです。KYO-ETSU MARKETという字が下に行くほど薄くなっているのは、この建物が無くなることをあらわしています」と説明していた。

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

加藤さんはSNSで告知、道行く人に声掛けするなどして、共悦マーケットを愛する街の人々の姿を写真に収めた(写真/村島正彦)

「共悦マーケットの人々」はみんなで一緒に踊って別れを告げた

10月16日(土)・17日(日)は、子ども劇「共悦マーケットの人々」発表の本番だ。

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

10月17日(日)の夕方、共悦マーケットを見送る子ども劇に多くの街の人々が足を止めた(写真/村島正彦)

最初に、「紙芝居チーム」による「未来の商店街」の上演。
その後には、子どもたちによるギター、キーボード、ピアニカ、縦笛の演奏に併せて、観客も含めて「カントリー・ロード」の唄を。
いよいよ、共悦マーケットのお店の人たちに取材した劇「共悦マーケットの人々」の上演だ。
お店の人たちの大切にしている言葉「一期一会」「夢じゃなくて目的を大切にしている」「やればできる」「先義後利(道義を優先して利益を後回しにする)」「天は人の上に人をつくらず、天は人の下に人をつくらず」といった言葉が披露されていく。取材した食堂で、美味しいきんぴらゴボウと卵焼きを食べさせてもらったことまで劇中で紹介してくれた。
共悦マーケットの大家さんから聞いたたくさんのお話の中で、子どもたちは自分が伝えたいことを選んで朗読した。その内容は「12軒のお店があって、かつては店子さんと親子のような関係だったこと」「『共悦』は共に喜ぶという意味であること。ご近所同士が仲良くなれればという思いを込めたこと」「好きな言葉は”フィリア”、ギリシャ語で愛を表すこと」「安全のために建て替えること」「子どもたちが共悦マーケットをみんなで見送ってくれることに感謝していること」などだった。
そして劇の締めくくりには、観覧していた大人も招き入れてオリジナルの盆踊りを踊った。踊り終えた後には、みんなで共悦マーケット全体を仰ぎ見て「さようなら」と手を振り、アーケードを走り抜けた。アーケードの未来を予感させるこの演出は、子どもたちの演劇をカメラを通して見守っていた加藤さんによるものだ。

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇『共悦マーケットの人々』は、マーケットの店主や大家さんの好きな言葉や思いを取材して、それを題材に子どもたち自身で演劇をつくった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

子ども劇の上演後には、加藤さん撮影のポスターの前に、多くの人たちが、共悦マーケットへの思いや演劇の感想を付箋に書いて貼っていった(写真/村島正彦)

大人たちをまねて、居酒屋を貸し切って「打ち上げ」

共悦マーケットの狭い間口の入り口に、街の人たちが鈴なりに詰めかけて、子どもたちの演劇を見守った。子どもたちの「共悦マーケット」への思いに、胸を打たれた大人たちは多かったのではないだろうか。劇の終わりには、盛大な拍手が寄せられた。
上演を無事終えると、子どもたちは、演劇づくりのきっかけをつくってくれた居酒屋「マルショウアリク」の席を陣取った。みんなで、ジュースで乾杯だ。大人たちが大きな仕事が終わると「打ち上げ」と称して居酒屋で乾杯する姿を見ていたので、子どもたちも、ジュースで打ち上げの乾杯をしてお菓子を食べて、みんなで「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功をお祝いした。

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

子どもたちは、ジュースとお菓子で「打ち上げ」だ。共悦マーケットの一角、居酒屋「マルショウアリク」はこの日は子どもたちで埋め尽くされた。カウンターの中には、店主の廣岡さん、IBASHOの岡田さん(写真/村島正彦)

大人たちもそれを取り囲んで、子どもたちと一緒に「共悦マーケット子どもプロジェクト」の成功を祝福して、街ぐるみで温かな空気をつくりだしていた。
後日、わたくんとFUMIさんに話を聞いた。演劇づくりは本番の3~4週間前からが佳境だったという。子どもによっては塾や習い事との兼ね合いもあり全員は揃わないので、放課後の演劇づくりはたいへんだった。土日には、演劇づくりに6時間も費やすこともあったという。
劇の仕上がり、満足度を聞いたところ、FUMIさんは「99点……98点かなぁ」、わたくんは「100点!」と満足いく出来だった。二人とも「また、演劇づくりをやりたい」と話してくれた。
上演当日のチラシ(協力:IBASHO)には「この共悦マーケットは、その名のとおり喜びを共にする小さなアーケードでした。ただの通路ではなく、抜け道であり、ときには傘になり、井戸端会議の場、遊び場で子どもたちにとっては異次元へのトンネル、まちの行燈でもありました。古きも新しきも、思い出を残す存在でした。子どもたちが『ここでやりたい』と発想したのも、ここから受けてきた有形無形の恵みを感じ取っていたからではないかと想像します」とある。
IBASHO代表の岡田陽子さんは「私たちは、街の力と、子どもたちの見えないものをつかみとる力と、まだ見ぬものを形にしていく演劇の力によって、たくさんの奇跡のかけらを見ました。それは、私たちの地域がすでに持っている力に気づく時間でもありました。日常の地続きにあるその力こそ未来の街をつくる原動力です。子どもたちの『放課後』はその可能性を秘めているという点でも大変貴重な時間です。子ども×街×PLAYは足し算ではなく掛け算ですね。閉幕のあとも、きらめくような記憶のかけらが街を彩っている気がしています」と、語ってくれた。
残念ながら11月になり共悦マーケットは取り壊しが進められ、そのかつての姿はもう見ることができない。
ただし、写真家の加藤さんが撮影・配信・アーカイブされた「共悦マーケットの人々」は、いまもYouTubeで見ることができる。そして、加藤さんによる、共悦マーケットを見送る街の人たちのポートレートは、1冊限りの写真集が作られた。松陰神社前駅のほど近く「100人の本屋さん」に納本・常備されているので、気になった方は見に訪れていただきたい。
これからも、松陰神社前駅の街の人々の心のなかに「共悦マーケット」は、生き続けていくのだろう。

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共悦マーケットが取り壊される際に入居していた店舗の図面。IBASHOメンバーで建築士の久米良寛さんが作成した(写真/吉澤卓)

●取材協力
・加藤孝・写真家
・YouTubeチャンネル「共悦劇場」
・マルショウアリク・廣岡好和
・IBASHO

シェア商店「富士見台トンネル」で街に眠る才能を発掘。郊外を刺激的でおもしろく

富士見台トンネルは、バーやお味噌汁専門店、おはぎ屋さん……と曜日時間によって個性的な店が營業する、シェア商店。郊外の団地であっても、子育てしながらでもクリエイティブな仕事ができる。個の才能をいかす場をつくりたいという、ある建築家の思いから始まった。

20代のころ、引越し先を探していて、郊外の団地を見に行ったことがある。すぐにここには住めない、と思ってしまった。スーパーはあるが、夜までやっていそうな飲食店がほとんど見当たらない。一人でふらりと立ち寄れそうなカフェもなかった。

歳を重ねた今なら団地の住みやすさも分かるが、当時は仕事からの帰りも遅く、毎晩料理するのは無理だと思っていたし、何より夜が早いまちはつまらないと思った。

一方、結婚して子育てする時期になると、多くの働く女性がこうした郊外から都心に通う。子どもの送り迎えに満員電車での通勤、帰ってから買い物に家事……などが続くと疲れてしまい、離職や不本意ながらキャリアを捨てて近場への転職を考えるようになる。私にもそうした友人がいた。

同じような状況に直面する人は案外たくさんいるのではないか。そう考えた人がいた。建築家の能作淳平さん。郊外での暮らしをより面白い刺激ある場所に。かつ、住むまちに魅力的な働く場をつくる試みとして。
「富士見台トンネル」はそうして始まった。

(写真提供/富士見台トンネル)

(写真提供/富士見台トンネル)

団地の可能性

JR南武線の谷保駅(東京都)より歩くこと5分。白いアパートが立ち並ぶURの団地が見えてくる。その手前にあるのがむっさ21富士見台名店街。電気屋や文房具屋の並びに、ガラス張りでおしゃれな暖簾のかかった一見何屋さんか分からない店が目に入った。

(写真提供/富士見台トンネル)

(写真提供/富士見台トンネル)

ここが「富士見台トンネル」。能作淳平さんが始めたシェアする商店である。

訪れたのは朝の10時。おそるおそる店の戸を開けると、白いカウンターが奥のほうまで伸びていて、その日営業する「Cafe Himmel」の2人が開店準備中だった。カウンターの奥がオフィススペースでもあり、能作さんが迎えてくれた。

建築家で「富士見台トンネル」の能作淳平さん(写真撮影/甲斐かおり)

建築家で「富士見台トンネル」の能作淳平さん(写真撮影/甲斐かおり)

さっそく、なぜ谷保だったのか、から聞いてみた。

「もともと、都心のあちこちに賃貸で住んでいて楽しかったんですけど、結婚して子育てするとなると不便もあって。妻の実家があきる野市なので三鷹から立川の間くらいがちょうどよかったんです。でも35年ローンで家を買うのは、僕にとっては自由度もないし時代錯誤な気がしたんです。それでリフォームできる賃貸を探していたら、この近くの団地に見つかって」

URが提案している「DIY住宅」の企画。これを本格的にフルリノベーションを行うことに。建築家の本分を活かし、自主施工で団地の部屋とは思えないような空間をつくりあげた。

白いカウンターは店内奥にいくほど幅広く設計されていて、打ち合わせにも使いやすいようになっている(写真提供/富士見台トンネル)

白いカウンターは店内奥にいくほど幅広く設計されていて、打ち合わせにも使いやすいようになっている(写真提供/富士見台トンネル)

「住み始めてみると、団地ってすごく住みやすいんです。緑が多いし空気もいい。クリエイティブな仕事をするには最適で。都心に住む友人たちにもこっちに住めばって声をかけたんですが、誰一人移り住もうって人はいなかった(笑)」

自身もその理由に気付き始める。

「サロンがないのが大きいんだなって。都心に住んでいたころは、生活らしい生活ではなかったけど、外で食事して、毎晩そこに集まる人たちとクリエイティブな話をしていたんです。そこで受ける刺激って大きかったんだなと。郊外では新しい人や考え方に出会う場が生活の中に少ないことに気付きました」

富士見台トンネルの周囲にはアパートの並ぶURの団地が広がっている(写真撮影/甲斐かおり)

富士見台トンネルの周囲にはアパートの並ぶURの団地が広がっている(写真撮影/甲斐かおり)

「子育てか、仕事か」の二択は、何かがおかしい

さらに、富士見台トンネルを始める直接のきっかけになったのが、妻の転職だった。能作さんの妻は、もとはワインの輸入販売の会社に勤めていて、店長を任されるほどの主戦力として働いていた。
ところが団地に移り住んだことで、毎日都心へ、満員電車で通わなければならなくなった。

「一人目の出産の後は頑張って通っていたんですけど、二人目の時、さすがにもう辞めようと。体力的にも負担が大きかったし、時間をかけて通勤する効率の悪さが本人も嫌になったんだと思います。

近くに事務職の仕事が見つかって転職しました。でもせっかくワインの知識も豊富で、築いてきたスキルがあるのにそれを活かせないのは僕から見てももったいない。社会にとっても損失じゃないかと思ったんです」

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

ゆったりしようと思って郊外に住んだのに、自由度がなくなり体力にも負荷がかかってより大変になっている。子育てもとても大事な仕事だけれど、そもそも「仕事を取るか、子育てを取るか」の二択を迫られるのはおかしいのでは、と思えた。

「僕らの悩んでいることって、明らかに都市の構造の問題だなって気付いたんです」

妻のスキルを活かす場として、家から近い場所に店を出そうと考え始める。能作さんのオフィスを兼ねれば、週末だけなどマイペースに営業すればいい。ところがこうも思った。「僕らと同じような人って、ほかにもけっこう居るんじゃないかって」

それならシェア型にしてやってみるかと、2019年11月、シェア商店「富士見台トンネル」をオープンする。

能作さんの妻、根来香奈さんが始めたゆるりとしたワインバー、wine stand「ニュータウン」の様子(写真提供/富士見台トンネル)

能作さんの妻、根来香奈さんが始めたゆるりとしたワインバー、wine stand「ニュータウン」の様子(写真提供/富士見台トンネル)

個性的な店にお客さんがつくスタイル

いま、富士見台トンネルには、さまざまなお店が出店している。公募をしたわけではないが、口コミなどで自然と広まった。創作おはぎの店「おはぎびより」、朝だけお味噌汁を出す「御御御(おみお)」、マカロン専門店、クナーファという中東のお菓子に特化した店、など個性的な店が多い。

朝だけ營業のお味噌汁専門店「御御御(おみお)」(写真提供/富士見台トンネル)

朝だけ營業のお味噌汁専門店「御御御(おみお)」(写真提供/富士見台トンネル)

富士見台トンネルのインスタグラムを開くと、月間スケジュールが表示される。
例えば水曜の午後はクナーファの店、金曜のランチはカフェヒンメル、土曜午後はおはぎびより……といった具合。

定期的に出店する店が優先的に日時を決め、それ以外の店が空いている日時を選ぶ。使用した分だけ時間制で場所代がかかる。売上マージンは一切取っていないため、売上はすべて各店に入る。

「富士見台トンネル」のinstagramより。中央の写真が、中東のお菓子クナーファ

「富士見台トンネル」のinstagramより。中央の写真が、中東のお菓子クナーファ

訪れた日に営業していたのが、「カフェヒンメル(Cafe Himmel)」。すでにファンがついているのか、ランチの時間になると、次々に女性客が入ってきた。

定番メニューはグリッツという、トウモロコシの粉でつくる、卵の入ったおかゆのような料理。滋味深く優しい味で美味しい。そのほか食べごたえのある野菜のおかずで満足感がある(写真撮影/甲斐かおり)

定番メニューはグリッツという、トウモロコシの粉でつくる、卵の入ったおかゆのような料理。滋味深く優しい味で美味しい。そのほか食べごたえのある野菜のおかずで満足感がある(写真撮影/甲斐かおり)

客足が落ち着いたころに、店長の松尾さつきさんに声をかけてみた。
なぜ、ここでお店を?

「近くで妹が店をやっていて、そちらがヒンメルの本店なんです。私は本業が薬剤師で土曜日だけ妹の店を手伝っているんですが、ここのスタイルを知って、自分でもやってみようかなと。個人的にアフリカンアメリカンの料理に興味があって、お客さんに食べてもらえるのがすごく楽しくて。月に2回、お昼だけですが、楽しんでやっています」

いま出店者の約半分は松尾さんのように本業とは別で楽しみながらお店をやっている人たち。もう半分は、ゆくゆくこの道で独立したいと頑張っている人たちなのだとか。

ワインバーwine stand「ニュータウン」の様子(写真提供/富士見台トンネル)

ワインバーwine stand「ニュータウン」の様子(写真提供/富士見台トンネル)

まちのタレントを発掘してつなぐ

富士見台トンネルの名前には、このまちに眠るタレント(才能)を“掘ってつなぐ”という思いが込められている。

インスタグラムに並ぶ写真、お店のラインナップを見ていると、それぞれが個性的な、魅力あるお店ばかり。そして、並んだときに違和感のない世界観が感じられる。

こうした複数の人や店が同じ場を共有して使うとき、最も問われるのは、そのキュレーション力ではないかと思う。

「ある程度、各お店に僕からも意見を言うようにしているんです。お店を始めるとき、ブランドとして完成されているところの方が声をかけやすいしお客さんを集めやすいと思ったんですけど。それだと、マルシェなどどこへ行っても同じいつものメンバーになっちゃう。それじゃつまらないと思って。まだ知られていない新しい店だけで始める方が面白い。その分まだ方向性が確立されていないところが多いので、一緒に話し合いながらブラッシュアップしていくスタイルを取っています」

例えば今人気の「おはぎびより」。最初からとても美味しかったけれど、よりオーソドックスなおはぎが多かった。価格設定を少し高めに、レシピももっと目新しいものにと能作さんのアイデアも加わって、洗練された見た目にもかわいいおはぎ屋さんができた。

オープン初期から營業している「おはぎびより」。富士見台トンネルでのみ買える人気の店(写真提供/富士見台トンネル)

オープン初期から營業している「おはぎびより」。富士見台トンネルでのみ買える人気の店(写真提供/富士見台トンネル)

ノンアルコールバーによるスナック營業も(写真提供/富士見台トンネル)

ノンアルコールバーによるスナック營業も(写真提供/富士見台トンネル)

中に入れば開放的でオープンだが、入口はあえて何の店だか分かりにくいように工夫されている。少し怪しげなくらいがサロンとして魅力的。個性的な店と感性の合うお客さんだけが自然と入ってくるような工夫だ。

いま、全国的にシェアと名のつくサービスはたくさんある。シェアハウスやシェアオフィス、シェア店舗。スペースやコストを物理的に分かち合う意味での“シェア”が大半。それはそれで利にかなっているのかもしれないが、ただのシェアでは分かち合う以上の価値は生まれない。

「富士見台トンネルでは、分かち合うシェアではなくて、持ちよるシェアを目指していて。会員さん同士も仲がいいですし、カウンターの内側でクリエイティブな発想がどんどん生まれたらいいなと思っているんです。先日も、ノンアルコールバーをやったんですが、マカロンの専門店に、おつまみマカロンを出してほしいと依頼したらあっという間にコラボが成立して。そういうのが楽しいなって思うし、お客さんもそういう店のほうが楽しいと思うんです」

そうしたコラボがぱっと成立する状況を、「ウォーミングアップできているメンバーがそろっている」と能作さんは表現した。

まちに眠るタレントを発掘して、いつでも発揮できるよう、日々技を磨くことのできる場。都市郊外でも、もっと地方であっても、こうした個人のスキルを活かせる場が、いま各地に求められているように思う。

●取材協力
富士見台トンネル
instagram:@fujimidaitunnel

商店街のシェアハウスで “街×人”の化学反応はじまる!「寿百家店」で北九州市黒崎が再燃中

福岡県北九州市黒崎の「寿通り商店街」を、“ニューノーマルな商店街”に生まれ変わらせるプロジェクト「寿百家店」。商店街の一部区画をフルリノベーションし、店舗とシェアハウスを創出するこの取り組み。シェアハウス「三角フラスコ」の入居もスタートして、これまでにない化学反応が起こりつつある。
シャッター通りが、なごやかでにぎわいのあるアーケードにJR黒崎駅からアーケードまでは雨に濡れずに移動できて便利(写真撮影/加藤淳史)

JR黒崎駅からアーケードまでは雨に濡れずに移動できて便利(写真撮影/加藤淳史)

北九州市内で小倉に続く規模の街・黒崎。JR黒崎駅前から扇のカタチのように広がる黒崎商店街は、1901年の官営・八幡製鐵所の創業をきっかけに発展してきた。1970~80年代に黒崎で青春時代を過ごした人々は「小倉や博多よりにぎわいのある街だった」とも語る。

昭和~平成~令和と時代は流れて、JR黒崎駅から徒歩約6分の「寿通り商店街」はシャッター通りと化していた。2016年時点で13店舗中8店舗が空き店舗。そのうち3店舗分(174.83平米/52.88坪)をリノベーションし、1階にテナント11区画、2階にシェアハウス4室+LDKをつくったプロジェクトが「寿百家店」だ。

シャッター通りと化していた「寿通り商店街」(写真提供/田村晟一朗さん)

シャッター通りと化していた「寿通り商店街」(写真提供/田村晟一朗さん)

2020年5月にスタートした「寿百家店」プロジェクトの中心人物はPR・企画会社「三角形」代表の福岡佐知子(ふくおか・さちこ)さんと、建築事務所「タムタムデザイン」代表の田村晟一朗(たむら・せいいちろう)さん。その想いやプロジェクトの経緯はこちらの記事で詳しく紹介されている。

2021年8月時点で、1階のテナント11区画はすべて入居が決まり、取材で訪れた日は子どもたちが参加するワークショップも開催中。集まった人々の楽しそうな声であふれていた。

飲食店やショップ、サロンが入居する「寿通り商店街」(写真撮影/加藤淳史)

飲食店やショップ、サロンが入居する「寿通り商店街」(写真撮影/加藤淳史)

黒崎商店街のお店や住民たちによるコミュニティが運営する無人の古本屋も登場(写真撮影/加藤淳史)

黒崎商店街のお店や住民たちによるコミュニティが運営する無人の古本屋も登場(写真撮影/加藤淳史)

「寿百貨店」が運営する無添加ラーメンと人形焼の店「あんとめん」(写真撮影/加藤淳史)

「寿百貨店」が運営する無添加ラーメンと人形焼の店「あんとめん」(写真撮影/加藤淳史)

「あんとめん」のラーメンのかまぼこに「寿」の文字が(写真撮影/加藤淳史)

「あんとめん」のラーメンのかまぼこに「寿」の文字が(写真撮影/加藤淳史)

シェアハウス開業の狙いは、街の密度を高かめたかったから

商店街の2階にイベントスペースなどではなく、シェアハウスを選択したのは「街の中心部における“人”や“暮らし”の密度を高めたかったから」と田村さんは話す。かつて商店街の2階には店主ファミリーが暮らすのが定番だった。しかし時代の変化で2階はオフィスや倉庫になるパターンが増えていった。

「夜の商店街に灯りがともったら人の気配があり、何より安心です。 またいろいろな人が商店街に暮らすことで多様性が生まれ、可能性も広がる。ですからシェアハウスがいいねと決まったんです」

福岡県行橋市の商店街にもアーケードハウスを立ち上げたことがある田村さんの経験も活きた。

ただ田村さんも福岡さんも口をそろえて「どんなシェアハウスがいいのか、なかなかイメージが固まらなかった。そもそも黒崎にシェアハウスの需要があるのか?とも考えていた」という。1階のテナント誘致が好調だったが、2階に関してはモヤモヤしたまま日々が過ぎていった。

シェアハウス「三角フラスコ」の一室。右側の窓は古い木枠のまま。採光のため右側の小窓2つを新設した(写真撮影/加藤淳史)

シェアハウス「三角フラスコ」の一室。右側の窓は古い木枠のまま。採光のため右側の小窓2つを新設した(写真撮影/加藤淳史)

部屋の窓から眺めるアーケードの景色。明るくて想像していたよりも圧迫感がない(写真撮影/加藤淳史)

部屋の窓から眺めるアーケードの景色。明るくて想像していたよりも圧迫感がない(写真撮影/加藤淳史)

地元・黒崎出身者が入居して、商店街を少しずつ変えていく

そんな折、「寿百家店」のInstagramにメッセージが届いた。第1号の入居者となる堀 加奈恵(ほり・かなえ)さんからだ。北九州市内で働く堀さんは、ひとり暮らしをいったん終えて黒崎の実家に戻り、また新たに一人暮らしができる住まいを探していた。

「多様な人と出会えるシェアハウスに住んでみたくて、北九州市内で探していました。情報収集するうちに発見したのが『寿百家店』。メッセージを送った翌日には福岡さんのところへ会いに行き、街づくりから人生についてまで初対面とは思えないほど濃い内容の話をしたんです」と堀さん。

「寿百家店」についてワクワク感いっぱいに話す福岡さんと出会い「こんなに人生を楽しんでいる人が運営しているシェアハウスなら間違いない!」と入居を即決。古い木枠の窓を残した部屋を選び、LDKの壁のクリーム色もお気に入りになった。

写真右から田村さん、福岡さん、入居者の堀さん、奥迫さん(写真撮影/加藤淳史)

写真右から田村さん、福岡さん、入居者の堀さん、奥迫さん(写真撮影/加藤淳史)

店舗3店分をつなげているので、奥に長いシェアハウスに(写真撮影/加藤淳史)

店舗3店分をつなげているので、奥に長いシェアハウスに(写真撮影/加藤淳史)

「もっとコミュニケーションを」と入居者が入居者を連れてくる

LDKが充実していて他の入居者とコミュニケーションが取れるシェアハウスであることも、決め手となった。「他のシェアハウスでは、あえて入居者同士が接触しないようにしているところも。私の場合、シェアハウスに住むのなら、ぜひいろんな人と交流したいと考えていたんです」と堀さんは続ける。

そんなある日、堀さんは高校の同級生で近くの美容室「cococara-hair」の1階店長を務める奥迫響子(おくさこ・きょうこ)さんをシェアハウスに招いた。すると奥迫さんもこの場所にひと目惚れ。奥迫さんが一人暮らしをしようと思いはじめたタイミングも重なり、2人目の入居者となった。

奥迫さんも入居を即決したそうで「この場所にはなにか吸引力があるのかも」と堀さん。「寿通り商店街は実家からも勤務先からも歩いてすぐの場所だし、幼いころから知っている場所。でも“住む”となると、ときめくし、とても新鮮ですよね」と話す。

左が1人目の入居者・堀さん、右が奥迫さん(写真撮影/加藤淳史)

左が1人目の入居者・堀さん、右が奥迫さん(写真撮影/加藤淳史)

奥迫さんが店長を務める美容室は歩いて4分の職住近接(写真撮影/加藤淳史)

奥迫さんが店長を務める美容室は歩いて4分の職住近接(写真撮影/加藤淳史)

堀さんの個室は木の窓枠が残っているタイプ。全4部屋あり、1部屋あたりの広さは6畳(写真撮影/加藤淳史)

堀さんの個室は木の窓枠が残っているタイプ。全4部屋あり、1部屋あたりの広さは6畳(写真撮影/加藤淳史)

奥迫さんの部屋の出窓には、商店街内にある花屋さんから贈られた観葉植物があった(写真撮影/加藤淳史)

奥迫さんの部屋の出窓には、商店街内にある花屋さんから贈られた観葉植物があった(写真撮影/加藤淳史)

商店街を昔に戻すのではなく、今の姿にバージョンアップすればいい

堀さん・奥迫さんの親は黒崎の全盛期を知っている世代。ふたりは幼いころから「自分たちが若いころ、アーケードを歩くと人と人の肩がぶつかり合うほどにぎわっていた」というエピソードを聞かされていた。でも「私たちは黒崎がその時代に戻ってほしいわけじゃない」と口をそろえる。

「どんな商店街でも、活性化したい、若者に来てもらいたいと言うけれど、若者の人口自体が減っている。だからそこにこだわらなくていいんじゃないかな?」と堀さん。福岡さんも「一過性のものでなく今の時代にあった、本当の新陳代謝が必要だよね?」と相槌を打つ。

2021年7月の入居から1カ月。「この場所で人と街、人と人との化学反応が起きるといいな」と願う堀さんは自ら発案し、みんなと相談しながらシェアハウスをネーミング。決まった名前は「三角フラスコ」だ。フラスコ内で起こる化学反応をイメージし、福岡さんの事務所「三角形」をプラスした。

堀さんが中心となり、みんなで決めた「三角フラスコ」のネーミング(写真撮影/加藤淳史)

堀さんが中心となり、みんなで決めた「三角フラスコ」のネーミング(写真撮影/加藤淳史)

20代のふたりが商店街の風景になじんでいる(写真撮影/加藤淳史)

20代のふたりが商店街の風景になじんでいる(写真撮影/加藤淳史)

商店街のシャッター前で趣味のダンスを踊ってInstagramで発信している(写真撮影/加藤淳史)

商店街のシャッター前で趣味のダンスを踊ってInstagramで発信している(写真撮影/加藤淳史)

商店街から見上げたシェアハウス。ここに灯りがともる(写真撮影/加藤淳史)

商店街から見上げたシェアハウス。ここに灯りがともる(写真撮影/加藤淳史)

20代の堀さん・奥迫さんが持つ「商店街をにぎわっていた時代に無理やり巻き戻すのではなく、今の時代にそった新しいにぎわいを生み出したらいい」という感覚。これは今後さらなる少子化と人口減が進む日本において、共有されるべきものではないだろうか。余談ではあるが堀さんは「三角フラスコ」入居によって出会った福岡さんのもとで働くことになったそうだ。もちろん「寿百家店」にも関わっていく。自ら「三角フラスコ」の中心となり、化学反応を起こしていく。これからも「寿百家店」と黒崎の街に注目したい。

●取材協力
・寿百家店
・cococara-hair

生まれ育った町田山崎団地の駄菓子屋が閉店危機に! 継承を決意させた「心揺さぶられる光景」

東京都、町田山崎団地の商店街にある「ぐりーんハウス」は、1968年に創業したおもちゃ&駄菓子店。存続が危ぶまれるなか、インテリアデザイナーの除村千春(よけむら・ちはる)さんがお店を継ぎ、昨年6月にリニューアルオープン。新しい試みも功を奏し、子どもだけでなく大人にも親しまれるようになっているという。
原体験に刻まれた懐かしのお店の閉店を知り、引き継ぐことを決意

「町田山崎団地」は1968年から1969年にかけて建設された総戸数3920戸の大規模な住宅団地。空き店舗が点在する、ひっそりした商店街の中で、親子連れや小学生・近隣のビジネスパーソンなどが引っ切りなしに訪れ、にぎわいを見せているのが、おもちゃ&駄菓子店「ぐりーんハウス」です。

東京都町田市を代表する住宅団地「町田山崎団地」。丘陵地に116棟が建ち並びます(写真撮影/中村晃)

東京都町田市を代表する住宅団地「町田山崎団地」。丘陵地に116棟が建ち並びます(写真撮影/中村晃)

団地まではJR東日本・小田急電鉄「町田駅」からバスで約15分。商店街はバスを降りてすぐ。店舗には飲食店・接骨院・美容室などが入っています(写真撮影/中村晃)

団地まではJR東日本・小田急電鉄「町田駅」からバスで約15分。商店街はバスを降りてすぐ。店舗には飲食店・接骨院・美容室などが入っています(写真撮影/中村晃)

「ぐりーんハウス」の味わいのある看板は2代目が使っていたままのもの。面影を残しつつ、内外装はすべてリニューアルしました(写真撮影/中村晃)

「ぐりーんハウス」の味わいのある看板は2代目が使っていたままのもの。面影を残しつつ、内外装はすべてリニューアルしました(写真撮影/中村晃)

除村千春さんは、2020年6月に再オープンしたこのお店の3代目店主。本業は店舗やオフィス・住宅を手がけるインテリアデザイナーで、以前は神奈川県横浜市にオフィスを構えていましたが、今は町田山崎団地に拠点を移し、「駄菓子屋×設計事務所」を営んでいます。
一風変わったスタイルを取ることにした理由には、もともとこの団地で小学校2年生まで生まれ育った原体験があります。

「『ぐりーんハウス』は町田山崎団地が創設された当初からあって、私が小学生のころはまさに子どもたちの聖地。流行りのカードを買いにきたり、友だちの誕生日プレゼントを探したり。家族と商店街を訪れたときは用事がなくても立ち寄る、心のよりどころのようなお店でした。
店主はただ優しいだけでなく、子どもが悪さをしたときは叱ってくれる、懐の深い人だったのを覚えています」

店主の除村千春さん(写真撮影/中村晃)

店主の除村千春さん(写真撮影/中村晃)

その後、初代は2010年に閉店。同じ商店街で飲食店を営んでいた方が名乗りをあげ、2012年に2代目としてオープンします。

その間に社会人となり、関東圏で仕事をしていた除村さん。団地の近くにきたときはお店をのぞくなどして、いつも頭の片隅に存在がありました。そんなある日、ニュースサイトで2代目「ぐりーんハウス」が畳まれるのを知ります。

「そのときは『ああ、やめちゃうのか』くらいの気持ちで、閉店の日にお店に訪れたのも、たまたま予定が合ったからでした。しかしそこで目にした光景が、あまりに心を揺さぶるものだったんです」

店先でにぎわう子どもたちと、閉店を惜しみ、懐かしんでやってくる大人たち――。幸せに満ちた世界を目の当たりにして「ここを絶やしてはいけない」と強く思ったと言います。偶然、後継者を探していると聞き、数時間後には「3代目として受け継ぎたい」と、ほぼ思いを固めていました。

2代目「ぐりーんハウス」の店内。おもちゃと駄菓子のほか、ゲーム機も置かれていました(写真提供/除村さん)

2代目「ぐりーんハウス」の店内。おもちゃと駄菓子のほか、ゲーム機も置かれていました(写真提供/除村さん)

訪れる人の交流が促され、化学反応が起きるようコンセプトを一新

初代と2代目がお店を畳んだ背景には、おもちゃと駄菓子の販売だけで経営を続けていくことの壁がありました。除村さんの場合は設計士の顔を持つ強みがあるものの、やはりそこは重要な課題。
しかし長年、キャリアを重ね、あらゆる業態・業種の店舗を手がけてきたからこそ見えていたこともあったと言います。

「今は駅周辺の大型ショッピングモールを便利に使いながら、小さな個人商店の魅力も味わえる時代。2つが共生しているからこそ、ここにしかないことが光るし、それをしてみたいと思いました。
この商店街は車が入ってこないし、敷地にゆとりがあって、親御さんがお茶をしながら安心して子どもを遊ばせておける環境なんです。
ここに来たらあの人と話せる、くつろいで人と関われる。無理して何かをひねり出すのではなく、もともとあった景色に戻していけたらと思いました」

店舗の隣は広場。向かいにはベンチがあり、買いものの合間にホッとひと息つけます(写真撮影/中村晃)

店舗の隣は広場。向かいにはベンチがあり、買いものの合間にホッとひと息つけます(写真撮影/中村晃)

2020年3月にクラウドファンディングで資金を募り、2カ月後に目標の150万円に達成。入口の看板以外、すべてリニューアルした店舗は、創業時のスピリットはそのままに新しいコンセプトが息づいています。

「かつての自分がそうだったように、子どもたちの“サード・プレイス”にできたらと。しかし一方で、子どもと大人って、大人の心がけ次第では対等だとも思うんです。
そうした気持ちから『年齢に関わらずすべての人の交流が促され、化学反応が起きる場所』を意識しました」

まずポイントとなるのが、商品をゆったり陳列し、回遊できるようにした店内のレイアウト。クラウドファンディングで得た資金でコーヒースタンドにもなるオープンなシェアキッチンをつくり、ちょっとした休憩ができるテーブル席を設置しました。

以前はオープンでしたが、壁と窓を設けて居心地をアップ。内部が見えやすく、はじめてでも入りやすい雰囲気(写真撮影/中村晃)

以前はオープンでしたが、壁と窓を設けて居心地をアップ。内部が見えやすく、はじめてでも入りやすい雰囲気(写真撮影/中村晃)

メインの陳列台はお店の真ん中。商品数をぐんと減らし、回遊しながらゆっくり見られるように(写真撮影/中村晃)

メインの陳列台はお店の真ん中。商品数をぐんと減らし、回遊しながらゆっくり見られるように(写真撮影/中村晃)

店舗の面積の約半分はシェアキッチンとテーブル席。コロナにより現在、テーブル席は閉じていますが、ワークショップやミニ上映会・作家の展示会など構想を広げています(写真撮影/中村晃)

店舗の面積の約半分はシェアキッチンとテーブル席。コロナにより現在、テーブル席は閉じていますが、ワークショップやミニ上映会・作家の展示会など構想を広げています(写真撮影/中村晃)

知人のグラフィックデザイナーの力を借り、初代に使われていたテープや看板のロゴとキャラクターをブラッシュアップ。Tシャツやステッカー・マグカップといったオリジナルアイテムを制作しました。

右端は初代「ぐりーんハウス」で使われていたもので唯一、残っている貴重なテープ(写真撮影/中村晃)

右端は初代「ぐりーんハウス」で使われていたもので唯一、残っている貴重なテープ(写真撮影/中村晃)

お店が親しまれ、未来の懐かしい風景になってゆくよう制作したオリジナルアイテム。かつての常連が買って行くほか、お土産としても好評(写真撮影/中村晃)

お店が親しまれ、未来の懐かしい風景になってゆくよう制作したオリジナルアイテム。かつての常連が買って行くほか、お土産としても好評(写真撮影/中村晃)

気軽に使えるシェアキッチンが、地域参加への足がかりをつくる

様子が一変した3代目「ぐりーんハウス」に、最初は戸惑いを隠せない地域の方も多かったそう。それでも第一のお客さまである子どもたちに実直に向き合ううちに、顔なじみの子が母親と来るようになり、その母親が友だちを連れてきて、と認知が広がっていきました。

「おのずとシェアキッチンも活用されるようになり、仲のよいご家族が集まってクッキーをつくったり、『地域で何かしたい』と模索中の定年後の男性が、試しにチーズケーキを焼いたり。今は週一回、マフィンやスコーン・ドリンクをテイクアウトできる菓子店が出店しています」

「いろいろな方のチャレンジの場になってほしい」と、シェアキッチンは曜日替わりでさまざまな店舗に入ってもらいたいと考えています(写真撮影/中村晃)

「いろいろな方のチャレンジの場になってほしい」と、シェアキッチンは曜日替わりでさまざまな店舗に入ってもらいたいと考えています(写真撮影/中村晃)

今は週一回、ほぼ金曜に「ネコとコーヒーを愛するお菓子屋さん」が出店中。「お客さまの反応を見られるのが嬉しいです」と店主の永山裕子さん(写真撮影/中村晃)

今は週一回、ほぼ金曜に「ネコとコーヒーを愛するお菓子屋さん」が出店中。「お客さまの反応を見られるのがうれしいです」と店主の永山裕子さん(写真撮影/中村晃)

この6月にはこんなエピソードがありました。

「いつも娘さんと遊びにきてくれるお父さんがいたのですが、ふとした会話からラーメンをつくるのが趣味だと分かったんです。『やってくださいよ』と軽いノリから盛り上がり、1周年記念の『ぐりハfes』のときに出店することに。結果は長蛇の列ができるほどの大盛況でした」

何かをはじめるハードルを下げてくれるのが「ぐりーんハウス」のシェアキッチン。思いがけない発見と出会いをもたらしています。

子どもが主体のお店づくりを通して、マインドの大切さに気づく

「かつてはオフィスで独り図面を描くことが多かったのですが、日常的にお客さまと接するようになり、よりのびやかな気持ちでデザインができるようになりました。会話から発想のヒントを得ることも少なくありません」

オープンから1年2カ月、除村さんと子どもたちの関係も深まりを見せています。

「子どもたちの感性を育むような、文化的なお店であれたら」と除村さん。クラウドファンディングでは地域の方からも資金が寄せられたそう(写真撮影/中村晃)

「子どもたちの感性を育むような、文化的なお店であれたら」と除村さん。クラウドファンディングでは地域の方からも資金が寄せられたそう(写真撮影/中村晃)

「子どもたちから学ぶことは本当に多くて、それは端的に言えば『秩序』なのかなと。『ゴミは持ち帰ろう』『扉は閉めてね』など最低限のルールを示しつつ、後は自由でいいよという姿勢でいると、かえって節度が守られ、ざっくばらんに付き合える気がします。逆に急きょ、打ち合わせが入って休業すると次の日に『せっかくきたのに困るよ』などと言われ、背筋が正されることも。不特定多数の人が出入りする大型商業施設であれば、かなわなかったでしょう」

商品は大型店や量販店にないものや、心くすぐるデザインのものを意識して仕入れています(写真撮影/中村晃)

商品は大型店や量販店にないものや、心くすぐるデザインのものを意識して仕入れています(写真撮影/中村晃)

お店の奥の本棚の裏がオフィスですが「子どもの興味のきっかけになれば」と資料となる建築の専門書を店側に並べています(写真撮影/中村晃)

お店の奥の本棚の裏がオフィスですが「子どもの興味のきっかけになれば」と資料となる建築の専門書を店側に並べています(写真撮影/中村晃)

変わらぬ姿勢でお店を開け続けることが、まちづくりにつながる

昨年は、「コロナ禍でもできることを」と、お店への入場制限や手指の消毒など対策を取ったうえで「縁日」「ハロウィン」のイベントを実施。子どもが主体となるお店であることを何より大事にし、子どもたちの期待を裏切らないことを心がけています。

「愛されてきたお店を継ぐのは責任があるし、これからも地域に根差していきたい。そのためには相手に合わせることなく、店主としてのスタンスを保つことは、存続していくためにも必要なのかなと思っています」

お店を出た後にベンチでくつろぐ、微笑ましい親子の光景も(写真撮影/中村晃)

お店を出た後にベンチでくつろぐ、微笑ましい親子の光景も(写真撮影/中村晃)

最近では近隣の大学生がイベントを手伝ってくれたり、シェアキッチンを使いたいという人が増えてきたり。
強い思いと行動力がお店のクオリティを上げ、人々の輪を広げ、地域をどこまでも活気づけています。

●取材協力
ぐりーんハウス
マーチアンドストア
ネコとコーヒーを愛するお菓子屋さん

保育園の中に総菜屋さん!? 商店街みんなで子育て「そらのまちほいくえん」

新生活が始まる人も多い春。なかでも、産休や育休が明け、職場復帰を控えた園児の保護者は、期待と不安で胸がいっぱいなのではないだろうか。今回は、鹿児島県鹿児島市の繁華街・天文館の商店街にある、総菜店を併設した保育園「そらのまちほいくえん」の取り組みを紹介。「あったらいいな」を実現した保育園の副園長・柳元正広さんにお話を聞いた。
変化の時代を生き抜くために。根本の力を身につける保育園

総菜店が併設されたユニークな企業主導型保育園「そらのまちほいくえん」。どのような背景で立ち上げられたのだろうか。

「そらのまちほいくえん」の外観。向かって左側が総菜店、右側が保育園の入り口で、真ん中は身長計(写真提供/そらのまちほいくえん)

「そらのまちほいくえん」の外観。向かって左側が総菜店、右側が保育園の入り口で、真ん中は身長計(写真提供/そらのまちほいくえん)

「『そらのまちほいくえん』は、今年3年目を迎えた保育園です。僕たちはその前に、霧島市で『ひより保育園』という保育園を立ち上げました。ここは郊外の自然豊かな地にあり、広い園庭でのびのびと園児たちが遊べる保育園です。食育などの取り組みでも注目され、首都圏からも視察に来る人がいました」

「ひより保育園」はいわゆる“のびのび系”の園。給食には地域の農家の野菜を使い、おやつも手づくり。広い園庭があるほか、高齢者施設も隣接しており、幼少期に親以外の多くの大人と関わることができる。園児は包丁を握って料理し、お客さんをもてなすこともある。

「視察をした人たちからは度々、『理想的だけれど、この場所だからできることだよね』という声が聞こえてきました。でも僕たちは、『この場所じゃなくてもその土地ならではのやりかたで人が育つ園がつくれるはずだ』と思っていました。だから都市部に『そらのまちほいくえん』をつくることは、自分たちにとってもチャレンジだったのです」

(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

両保育園は、「保育業界の外にいた人が同じ考えに共鳴し合い、集まってつくった」という園だ。柳元さん自身も以前は関西で小売業をしていて、そらのまちほいくえんの立ち上げで鹿児島にUターンしてきた。

「仲間には、ビジネスの世界で活躍していた人もいれば、新卒者向けのコンサルタントをしていた人もいます。今は変化が求められている時代。生きにくさや閉塞感を感じる人が多く存在します。コンサルタントをしていた仲間は、『働くことの意味が分からない』という若者の声を耳にしました。現代社会が抱える問題を、自分たちでどう変えていくかを考えたときに、会社の前に大学があり、高校、中学校、小学校、そして幼児期がある。0歳から5歳までの時期に、人としてしっかり生きる力を身につけるという、根本が大事なんじゃないかという思いがあって、これに対する一つの方法が、保育園をつくるというものでした」

商店街にある「天文館まちの駅 ゆめりあ」前をお散歩で通過。産地直送の野菜や花が並ぶ(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街にある「天文館まちの駅 ゆめりあ」前をお散歩で通過。産地直送の野菜や花が並ぶ(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育園の立ち上げで、人と街へ2つの問題解決

天文館という都市部の商店街に保育園をつくるにあたり、柳元さんたちは、大きく2つの目標を定めた。
「1つは、都市部でも郊外と同じように、現代の子どもたちがこれからの社会を生き抜いていく力を育むこと。もう1つは、今寂しい状況にある地方都市の商店街に、にぎわいを呼び戻すということです。保育園が起点となった街づくりができないかと考えました」

柳元さんたちは、「幼少期に、親以外の大人とどれほど多く、どれほど深く関われたかということは、その子の人生に大きな影響を与える。地域の人たちと日常的に交流することで、より充実した園生活を送ることができる」と考えている。

そんなそらのまちほいくえんの特色の一つが、総菜店が併設されているという点だ。

仕事帰りに保育園へ子どもを迎えに行き、それから夕飯の準備のために、空腹の子どもを連れてスーパーへ行くのは、日々のことながら辛い。

「僕も小学生と年長児の父親ですし、子育て中のスタッフも多いです。これまで、保育園へ迎えに行った帰り、その場でお総菜が買えたら便利だなと考えることがよくありました。時間がなく疲れているからといって、毎回スーパーやコンビニでお弁当を買うのは子どもに対して罪悪感がありました。保育園の食事と同じように、地元農家さんが育てた旬の野菜を使って、丁寧に調理したおかずやお弁当が買えたら安心なのではと考えました」

見て触れて「食べることを楽しむ」ため、小さな子も離乳食から陶器の食器を使っている(写真提供/そらのまちほいくえん)

見て触れて「食べることを楽しむ」ため、小さな子も離乳食から陶器の食器を使っている(写真提供/そらのまちほいくえん)

誰もが「罪悪感なく」買って帰ることができるお総菜を

3階建てのビルの1階から3階に入居している「そらのまちほいくえん」は、1階に入り口が2つあり、向かって右側が保育園、左側が「そらのまち総菜店」になっている。

ショーケースに並ぶのは、園の給食で出しているおかずもあれば、店頭オリジナルの総菜もある。近郊の農家による旬の野菜を豊富に使い、季節を感じられるラインアップだ。「見た目も楽しくなるように」と調理法もアイデアを凝らしているという。園児の親子にとっては、「これおいしいよ」という共通の話題もできるし、入園前の幼児を持つ近隣の保護者にとっては、園の給食の試食感覚で購入することもできる。

保育園の1階スペースに、総菜のショーケースと地元野菜の販売コーナーがある(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育園の1階スペースに、総菜のショーケースと地元野菜の販売コーナーがある(写真提供/そらのまちほいくえん)

総菜は「春巻き」や「菜の花の入ったオムレツ」など、300円~600円の価格帯が常時12種類ほど。ほかに、650円~850円の価格帯のお弁当を4~5種類そろえている。園児に人気のメニューを聞いてみると、「今なら季節野菜の白和えですね」とのことだ。

「コロナ禍の影響もあって、お弁当を買う人は増えています。お昼は商店街にあるお店で店番をしている人が買いに来られることが多いです。『同じ釜の飯を食う』と言いますが、街の人と園児が同じものを食べているということには意味があると思います。また、園児の保護者の中にも、日常的にリピートしてくださる方がいて、やはり『園の帰りに子どもを別の場所に連れていかなくていいのが助かる』と喜ばれますね」という。保育士やスタッフも子育て世代なので、仕事が終わると総菜や野菜を購入して帰っていくそうだ。

「鹿児島の郷土料理である『がね』も好評です。これはサツマイモやニンジンなどのパリッとしたかき揚げで、昔はどの家でもつくられていた家庭料理ですが、今はつくる人が減っているようです」と柳元さん。
若い世代へ、地元に伝わる味や旬の豊かさを伝える役割も果たしている。

彩りも鮮やかなお弁当。姉妹園のひより保育園の食育から生まれたレシピ本も出版している(写真提供/そらのまちほいくえん)

彩りも鮮やかなお弁当。姉妹園のひより保育園の食育から生まれたレシピ本も出版している(写真提供/そらのまちほいくえん)

家族や地域の人も園児と同じおかずがたべられることで、地元に伝わる味や旬を知り、一体感が育まれる(写真提供/そらのまちほいくえん)

家族や地域の人も園児と同じおかずがたべられることで、地元に伝わる味や旬を知り、一体感が育まれる(写真提供/そらのまちほいくえん)

子育て世帯が行き来し、寂れかけた商店街に変化が

天文館商店街はどう変わったのだろうか。
「そらのまちほくえんは、元は本屋だった空きビルを使っていますが、柳元さんたちがこの場所に保育園をつくることを検討しはじめたころは、ここの前の通りは人通りがありませんでした。路面に10以上の空き店舗があって目立つような、寂しい通りだったんです。でもそこに、約50人の園児がいる保育園が入ることにより、朝夕、50組の子育て世帯が通ることになります。0から、少なくとも50×2往復の人通りが生まれたわけです。すると、そこをターゲットにしたお店もできてきます。今はほとんどのテナントが埋まっている状態になりました」

「周辺のお店の方から『人通りが増えて街に活気が出てきた』と喜ばれたり、『飲み屋が多く夜のイメージが強かったが、保育園ができてからは明るい昼のイメージに変わった』と言われたりすることも。地域の方に、『街が子どもを育てるとよく言うが、ここは子どもが街を育てているね』と言われたのはうれしかったですね」

商店街での買い物の様子(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街での買い物の様子(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

クッキングの食材を園児が「くださいな」(写真提供/そらのまちほいくえん)

クッキングの食材を園児が「くださいな」(写真提供/そらのまちほいくえん)

街なかの保育園だから分かる「持たないことの豊かさ」

「豊かさってなんだろう」。保育園をつくるにあたり、柳元さんたちスタッフは改めて考えたという。

「郊外型の保育園であれば、自然の豊かさを感じることができる。でもそれだけじゃなくて、街には街の豊かさがあるはずです。さまざまな世代や立場の人と日常的に関わり、交流できることが、街の保育園で得られる豊かさなんじゃないかと考えました」

八百屋に花屋、団子屋、美容室……。園児たちが商店街を散歩すると、いろいろな店の人たちとのふれ合いが生まれる。かわいらしい園児たちの姿を見に、店先へ出てくる人も多い。

3年目を迎え、0歳で入園した子も3歳に。「みなさん、子どもたちに『大きくなったね。もう歩けるの?』などと声を掛けてくれます。核家族が増えた時代に、家族や同年代の子だけに関わるのと、日常的に商店街のいろんな世代の人たちと話すのとでは、関わる人の幅が全く違います」

食育の一環で子どもたちが料理をするために、子どもたち自身が保育士と買い物へ行き、店の人と話して、使用する野菜を選んで買うこともある。

「選んだジャガイモをマッシュポテトにするかコロッケにするかなど、どうやって食べるかも子どもたちが決めます」と柳元さん。ちなみに、こちらの園児たちは包丁で根菜を切り、火や油を使って玉子焼きを巻き、唐揚げも揚げる(!)。園児は年齢を問わず参加し、手掴みができる子なら、1歳前後からプチトマトを洗ったり、しめじをほぐしたりして役割をこなす。

練習してうまく巻けるようになった玉子焼き。食育スタッフが吟味した調味料を使う(写真提供/そらのまちほいくえん)

練習してうまく巻けるようになった玉子焼き。食育スタッフが吟味した調味料を使う(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街のビルの中にある「そらのまちほいくえん」には園庭がない。
「街なかでは子どもが遊ぶところがないのでは?と言われることがあります。でも、近くには公園がいくつもあるので、『今日は芝生がきれいな公園に行こうか、それともジャングルジムで遊べる公園にしようか』と、子どもたちが話し合って行き先を決めます」

1番大事なのは、子どもたちが生きていく力を身につけることだと柳元さんは強調する。
「子どもたち自身が『今日は走りたいから広い公園に行こう』などと自分で考えて、自分で行動することができています。園庭を持たないからこそ、目的に合わせて行き先を選ぶことができる。持たないことの豊かさもあるんじゃないでしょうか」

子どもたちは、近くにある水族館まで歩いて、イルカのトレーニングの様子を見るのも大好きだという。
「これらも、街なかにある保育園の特権ですね。郊外型保育園ではなくても、子どもたちが色々な経験をすることはできます」と柳元さん。

保育スタッフのほかに食育スタッフがクッキングに立ち会う(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育スタッフのほかに食育スタッフがクッキングに立ち会う(写真提供/そらのまちほいくえん)

地域交流が防犯や防災の役割も担う

商店街での交流が、地域の防犯や防災の面でも機能していると感じるという。
「子どもたちは商店街のみなさんと顔なじみなので、連れ去りなどの犯罪も未然に防ぐことができると思います。その子の様子が何か違うということは、街の人が普段の様子を知っているからこそ分かるものですから。
以前、火災報知器が誤作動で鳴ってしまったことがあるのですが、近所の人たちがタオルを持って駆けつけてくれました。体格のいいお兄さんが、子どもたちを抱っこしてすぐに避難させてくれて……。何事もなくホッとしましたが、あの時は、街の皆さんに守られているなと感じました」

園でも、地域の備蓄品として常温で長期保存できる焼き芋をストックしているほか、非常時に給食室で炊き出しができるようにと考えている。

「たくさんの方にお力を借りているので、私たちも地域に貢献したいと思っています」

「食べ物を大切にする」「毎月、街のゴミ拾いをする」など普段の活動が評価され、2019年12月に第3回ジャパンSDGsアワード特別賞を受賞(写真提供/そらのまちほいくえん)

「食べ物を大切にする」「毎月、街のゴミ拾いをする」など普段の活動が評価され、2019年12月に第3回ジャパンSDGsアワード特別賞を受賞(写真提供/そらのまちほいくえん)

今後は、保育園と関わる人や店舗に地域全体で子どもが育つ場をつくっていることが可視化できるステッカーなどのツールを配布し、街との関わりを見える化することで、より関係性を深めていきたいという。

また、いずれは系列の小学校や中学校の設立も視野に入れているそう。「そらのまちほいくえん」と同じように、軸はもちろん、子どもが生きる力を育むことだ。

「学校設立となるとハードルはグッと上がりますが、注目していただいている以上、応えていきたい。さまざまな方の知恵やお力を借りながら、実現に向けて動いていきたいですね」というから楽しみだ。

保育園へ迎えに行き、給食と同じお総菜を買って帰ることができるなんて理想的!
筆者も保育園児の母を経験した。仕事帰りの疲れた体で迎えに行くと、我が子の園では「今日の給食」が展示されていて、「お昼においしそうな魚の竜田揚げを食べたなら、夕飯は簡単でも大丈夫」などと思ったもの……。
バタバタな日々の中、子どもの1日のうちの1食を保育園が担ってくれることで、どれだけ気持ちが救われたことか。総菜店がある「そらのまちほいくえん」なら、さらに親子で夕飯を素早く囲める幸せも付いてくる。

保育園に総菜店を併設する。小さくも思える日々の問題を解決することが、街を変えるほどの大きなパワーに繋がっていた。

●取材協力
・そらのまちほいくえん

熱海をまるごと“家”に!? 高齢化と人口減少進む観光地で「まちごと居住」始まる

コロナ禍の影響で移住先として検討している人も多く、脚光を集めている静岡県熱海市。一方で、人口減少や空室率、中心部の空洞化など、日本の“課題先進地”でもあるのだとか。その熱海の不動産やまちづくりに携わり、「まちごと居住」を提唱する「マチモリ不動産」に話を聞きました。
空き家率50%以上。なのに借りられる物件がほとんどない!

東京から東海道新幹線で約40分、別荘地・旅行地としても定番の熱海。訪れるたびに「暮らせたらいいのに……」と思い描く人も多いのではないでしょうか。特にこの1年はコロナ禍でテレワークが普及したことを追い風に、熱海の不動産需要は高まっているといいます。とはいえ、「熱海で住まいを見つけることは容易ではないんですよ」と話すのは熱海の市街地を中心に不動産管理やリフォーム企画を手掛けるマチモリ不動産の三好明さん。

熱海の街並み(写真/PIXTA)

熱海の街並み(写真/PIXTA)

「熱海の空き家率は52.7%(2018年3月時点「平成30年住宅・土地統計調査結果」(総務省統計局)調べ)で、なんと建物の半分以上が空き家です。ところが、家を借りたいと思っても、物件も多くないのが現実です。試しにSUUMOで検索しても、たくさん選択肢があるとは言い難い状況なのでは」といいます。空き家があり、借りたいという人がいるのに、借りられないのはとても不思議ですが、なぜそんなことが起きるのでしょうか。

「事情はさまざまですが、不動産の所有者が、まったく知らない人には部屋を貸したくない、貯蓄や年金があり困っていないのでわざわざ賃貸にまわさなくてもいい、物件が古くて風呂なし・トイレ共同などで貸しにくい、といった理由があります。熱海で働く人にとって住みたい物件が少なく、お手ごろな物件が出回りにくく、近隣の市町村に暮らして出勤せざるをえない方も多いのです」と話します。

また、熱海の固有事情として昭和25年(1950年)に熱海大火が発生しているため、鉄筋コンクリート造の集合住宅が中心市街地に多数あり、経年劣化・権利関係の複雑化によって貸し出しにくくなっているのだとか。そのため、市街地の空洞化、建物と人の高齢化などが同時進行で、しかも急激に進んでいるのだといいます。日本の地方都市はどこも似た課題を抱えていると思いますが、まさに熱海はそうした課題を凝縮した「課題先進地」でもあるのです。

熱海でしかできない暮らしを提案する、「まちごと居住」

こうした熱海の不動産需給ギャップを解消しようと、三好さんがはじめたのが、「マチモリ不動産」です。不動産仲介会社が空き家のままで募集しても決まらず、熱海という街の再生・活性化にはつながりません。そこで掲げたのが「まちごと居住」という考え方で管理会社の立場での取り組みです。

「東京や大阪など、都市部のどこででもできる便利な暮らしではなく、熱海ならではの暮らし方、生活を提案しないと、人は集まらないし、熱海が盛り上がらない。そこで考えたのが、まちを1つの大きな家と見立てた『まちごと居住』というライフスタイル。海に山、温泉、スナック。熱海の環境をまるで自宅のリビングやダイニング、お風呂、ワークスペースといった家の延長のように住んでみようと提案しています」(三好さん)

ここ数年で再注目されている、どこかレトロな雰囲気が漂う熱海銀座商店街(写真提供/若月ひかる)

ここ数年で再注目されている、どこかレトロな雰囲気が漂う熱海銀座商店街(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

ゲストハウスMARUYAには地元の人や観光客が集うカフェバールもある(写真提供/若月ひかる)

ゲストハウスMARUYAには地元の人や観光客が集うカフェバールもある(写真提供/若月ひかる)

1階の八百屋さんでは伊豆富士山麓の農薬不使用栽培野菜、加工品、雑貨などを販売。2階のREFS Kitchenでは1階の野菜や食材を使った料理を提供する「REFS熱海」(写真提供/若月ひかる)

1階の八百屋さんでは伊豆富士山麓の農薬不使用栽培野菜、加工品、雑貨などを販売。2階のREFS Kitchenでは1階の野菜や食材を使った料理を提供する「REFS熱海」(写真提供/若月ひかる)

熱海七湯「小沢の湯」は、蒸気で温泉卵をつくって食べることができる名所(写真提供/若月ひかる)

熱海七湯「小沢の湯」は、蒸気で温泉卵をつくって食べることができる名所(写真提供/若月ひかる)

熱海の市街地は非常にコンパクトで、駅から徒歩15分圏内で飲食店や温泉、スナック、コワーキングスペース、スーパーなどが集結しています。自室だけでなく、街ごと自分たちの暮らせる場所のようにしてしまおう、というのが三好さんの狙いだったのです。

では、そのまちごと居住の住み心地はいかがでしょうか。熱海に移住してきた石橋和夏子さんに聞いてみました。

まちなかに住めば車も不要。歩いて行ける範囲で暮らしが完結する

「2020年3月に埼玉県から引越してきました。もとは群馬県出身で、それまで熱海といえば観光地という印象が強く、住む街として考えたことはなかったのです。暮らしてみると、海や山が間近にあり、気候も温暖で、時間がゆったり流れている。普通に住めるじゃん!という印象です(笑)」(石橋さん)

コロナ禍の影響で、現在は週3日のリモートワーク、週2日は片道1時間30分ほどかけて、東京都内に出社しているそう。

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

「通勤時間ですが、実は埼玉にいたころと大きく変わっていません。新幹線を利用しているので、むしろ、現在のほうがラクになっています。大きな違いはテレワークでしょうか。以前の住まいは1Kで、テーブルのすぐ横にベッドがあるような小さい部屋だったので、自宅ではなかなか仕事に集中できなかったと思います。今は、住まいも広くなりましたし、何より、近所にコワーキングスペースがあるので、家の外でも仕事がしやすい。昼休みには、近所のカフェに行って他愛ない会話をしたり、仕事帰りに温泉へ立ち寄ったり。徒歩圏内にいくつも温泉があり、海を一望できる絶景露天風呂にも気軽に行け、本当に飽きないです」と夢の熱海生活を満喫しています。それは……いいなあ、本気で憧れます!

よく行くというコーヒーショップとジェラート店が併設しているスペースで(写真提供/若月ひかる)

よく行くというコーヒーショップとジェラート店が併設しているスペースで(写真提供/若月ひかる)

コワーキングスペースで仕事をすることも(写真提供/若月ひかる)

コワーキングスペースで仕事をすることも(写真提供/若月ひかる)

移住で気になるのが、地元の人との交流、コミュニケーションです。

「地元の商店で、買物がてらお店の人とお喋りして、まちの情報を教わることもしばしば。コワーキングスペースのメンバーと会話したり、地域のイベントに参加したりしているうちに、だんだんと顔見知りも増えました。熱海って自然を大切にする人も多くて、『チーム里庭(さとにわ)』『熱海キコリーズ』など、おもしろい活動をしている人が多いんですよ」(石橋さん)

「チーム里庭」の活動にて(写真提供/若月ひかる)

「チーム里庭」の活動にて(写真提供/チーム里庭)

ちなみに「チーム里庭」は耕作放棄地を活用して無農薬野菜を栽培し、週末農業体験ができる団体で、「熱海キコリーズ」は週末に複業で木こりとして活動したり、間伐材でワークショップを開催したりするNPO法人です。石橋さんはもともとトレイルランニングが趣味で、体を動かすのは大好き。そういった活動に参加して、多様な人とつながりができたら、と考えているそう。
もう一つ、熱海の魅力は「食」にもあるそう。

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

「熱海って、古き良き飲食店もいっぱいあって、キッチンが街の至るところにある感じですね。和菓子や洋菓子の店も充実してて、おやつにも困りません(笑)。ただ、意外と飲食店は閉店が早いんですよ。夜8時には閉店するお店も多いので、夕飯難民にならないよう注意しています(笑)」(石橋さん)

また、今住んでいるフロアで、料理が上手なパティシエの人とつながりができたことで、思わぬ「おいしい体験」ができているのだとか。

「スイーツの試食をさせてもらったり、たくさんつくったからと、ご飯をおすそ分けしてもらったり……。がっちり胃袋をつかまれています(笑)。今まで、平日は仕事、休日は山へ行ったりと、自分が住む街の外に出てばかりだったので、住まいは、寝に帰る場所としか思っていなかったのですが、こうやって同じ街に住む人とつながれることで、街自体にも愛着がわく感覚でしょうか」と満足げです。

引越してきて1年、気が向いたときに、気の合う人がそばにいる心強さ、気楽さは、かけがえのないものでしょう。人はもしかして、こうして徐々に街になじんでいくのかもしれません。

ちなみに、都心から離れて暮らすことに興味を持つ友人や同僚も増えたそうで「熱海の物件の相場は?」「通勤、大変じゃない?」などと聞かれるのだとか。そうですよね、気になる気持ち、よく分かります。熱海の市街地は、徒歩圏内にひと通りの商業施設、飲食店、温泉、コワーキングスペースなどがそろっているため、車は不要だそう。遠出をして山のアクティビティを楽しむときはレンタカーを手配しているといいます。

家具を入れる前の石橋さん宅。1LDK、築66年(写真提供/岡田良寛)

家具を入れる前の石橋さん宅。1LDK、築66年(写真提供/岡田良寛)

窓からはオーシャンビューが!(写真提供/若月ひかる)

窓からはオーシャンビューが!(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

(写真提供/若月ひかる)

古い建物の良さを活かす。建物と街を再生し、自由度を高めたい

熱海の住まいは、築60年超のコンクリート造の建物が複数、点在しているといいます。日本のコンクリート造の集合住宅は、およそ50年で取り壊され、建て替えられることが多いものですが、この集合住宅をどうやって住み継いでいくか、寿命がどうなのか、気になる人は多いのではないでしょうか。

「確かに築年数は経過していますが、耐震診断をはじめ、適切なメンテナンスをすることで建物として活用できると思います。まだまだよいコンクリートの状態の建物も多くありますし、天井高があるため、リノベをすると開放的な空間ができます。これは現在の不動産にはない良さですよね。古いもの、街の特徴を活かして、再開発をする。これが再開発の生命線だと考えています」と三好さんは話します。

築年数が経過したビルは、独特の味わい・風合いがあります。リノベで室内が大きく化けるのも楽しみのひとつではないでしょうか(写真提供/若月ひかる)

築年数が経過したビルは、独特の味わい・風合いがあります。リノベで室内が大きく化けるのも楽しみのひとつではないでしょうか(写真提供/若月ひかる)

エレベーターがない、トイレが共同など、建物が現在のライフスタイルに合っていない部分も多々あるかもしれませんが、それはマチモリ不動産が不動産・建築の知見を活かして、最適化し、住み手と物件所有者に提案することで、解決できるといいます。

「マチモリ不動産では、単に空き家を埋めるのではなくて、住みたいという人と、住まいを結びつける、適切なリノベを行う、定期的な修繕計画を立てる、大家さんとの信頼関係を築くという意味で、不動産管理の本来の意味での仕事を果たせればと思っています。シェアハウス、週末2拠点、ゲストハウス、熱海住み放題など、住まい方はもっと自由でいいはず。その日の気分にあわせて、部屋を選ぶようにできれば自由度も高くなり、もっと豊かな暮らしができると思うのです」(三好さん)

空き家ツアーをして修繕前の建物を見学。原則的に入居希望者を先に見つけ、リノベーションプランを提示してから、改修工事を行う流れになるといいます(写真提供/若月ひかる)

空き家ツアーをして修繕前の建物を見学。原則的に入居希望者を先に見つけ、リノベーションプランを提示してから、改修工事を行う流れになるといいます(写真提供/若月ひかる)

毎月実施されている物件ツアーの様子(写真提供/熱海経済新聞)

毎月実施されている物件ツアーの様子(写真提供/熱海経済新聞)

現在、マチモリ不動産では部屋を希望する人が増えてきて、物件のリノベなどが間に合わないという状況が続いているそう。ただ、こうして若い世代が楽しそうに新しい試みを続けていることで、不動産を所有する世代の意識もきっと変わってくるはず。熱海での取り組みは、きっと日本中の都市で参考になるのではないでしょうか。いいなあ、熱海。できるなら私も……住んでみたいです!

●取材協力
マチモリ不動産

商店街を百貨店&シェアハウスに!? 北九州「寿百家店」がつくる商店街の新スタンダード

全国で“シャッター商店街”が増え続ける一方、さまざまな工夫により再生し、注目を集める商店街もある。福岡県北九州市黒崎の「寿通り商店街」でも、“ニューノーマルの商店街”を目指す新たなプロジェクトが始まった。商店街を“百家店”に、を掲げる「寿百家店」プロジェクトだ。商店街の一部区画をフルリノベーションし、店舗とシェアハウスに生まれ変わらせるという。取り組みの詳細を伺った。
シャッター通りを、店舗+シェアハウスにリノベーション

黒崎は、北九州市内でも小倉に続く中心街だ。しかし、2020年7月には駅前の百貨店「井筒屋」が閉店。まちのにぎわいに陰りが出ている。
寿通り商店街は、そんな黒崎駅からほど近くにあり、戦後間もないころから続いている。長らく地元の人々の暮らしを支えてきたが、2016年時点では13店舗中8店舗が空き店舗となり、シャッター通りと化していた。

そんな寿通り商店街の“ニューノーマル”をつくろうと2020年5月から始まったのが、「寿百家店」プロジェクトだ。
商店街の一角にある3物件、合計174.83平米(52.88坪)の1階部分をテナント11区画に、2階部分を4室+LDKのアーケードシェアハウスへと変化させる、という。シェアハウスの住民と商店街の人々が相互に関わり合い、まちを活性化させることを目指す。計画はコロナ禍以前から始まっていたが、オンラインマーケットの構想もあり、注目を集めている。

寿通り商店街(写真撮影/加藤淳史)

寿通り商店街(写真撮影/加藤淳史)

完成予想図。1階が店舗、2階がシェアハウス(画像提供/株式会社寿百家店)

完成予想図。1階が店舗、2階がシェアハウス(画像提供/株式会社寿百家店)

テナント誘致には“起爆剤”がいる

プロジェクトをリードするのは、PR・企画会社「三角形」代表の福岡佐知子さんと、建築事務所「タムタムデザイン」代表の田村晟一朗さん。二人とも、寿通り商店街との付き合いは長い。

福岡佐知子さん(写真撮影/加藤淳史)

福岡佐知子さん(写真撮影/加藤淳史)

はじまりは、福岡さんのもとへ当時の商店街の組合長から「寿通り商店街を活性化したい」という依頼があったことだ。当初はイベントの企画・運営などを行っていたが、「イベントをやっても、一時的に盛り上がるだけで終わってしまう」ことに課題を感じていたという。
「本格的な活性化に取り組むためには、“中心人物”が必要です。でも、当時の商店街は高齢の方も多く、なかなか先頭に立って進められる方がいなかった。ならば自分がと思い、商店街に事務所を移転することにしたんです」(福岡さん)

その後、商店街に、自身でワインバー「TRANSIT」や総菜店「コトブキッチン」をオープン。それまで飲食店経営の経験はなかったというから驚きだ。
「飲食店があることで、さまざまな人が集まって言葉を交わしたり、お金を落としてもらったりすることができる。“まちづくり”に興味を持つ方は限られますが、飲食店を介してなら、多くの方に自然な形で“まちづくり”に参加してもらうことができると思うんです」(福岡さん)

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旬の素材を使った総菜が並ぶコトブキッチン。取材当日も、常連客が次々とやってきた(写真撮影/加藤淳史)

旬の素材を使った総菜が並ぶコトブキッチン。取材当日も、常連客が次々とやってきた(写真撮影/加藤淳史)

さらに、まちの人たちを巻き込み、空き店舗のシャッターを塗り替える「トム・ソーヤ大作戦」などさまざまなプロジェクトも仕掛けていった。
並行し、テナントを誘致する活動も行ってきたが、「このままでは限界がある」と感じるようになったという。
「家賃が安いからと見に来てくれた方がいても、シャッターを開けてボロボロの建物を目にすると、すっと引いていってしまう。このままの状態で待つのではなく、こちらで場を整えて待つ必要がある、何か起爆剤がいる、と考えるようになりました」(福岡さん)

シャッターの色を塗り替え、空き店舗の暗い印象を変えたトム・ソーヤ大作戦(画像提供/株式会社寿百家店)

シャッターの色を塗り替え、空き店舗の暗い印象を変えたトム・ソーヤ大作戦(画像提供/株式会社寿百家店)

商店街と住宅の共存関係をつくる

「TRANSIT」の常連客として福岡さんと知り合い、「コトブキッチン」の設計を担当したのが田村さんだ。
二人が会話を重ねる中で、「寿百家店」の構想は生まれた。

田村晟一朗さん(写真撮影/加藤淳史)

田村晟一朗さん(写真撮影/加藤淳史)

2階をシェアハウスに、というのは田村さんのアイデアだ。実は、田村さん自身が手掛けた先行事例が福岡県行橋市に存在する。「アーケードハウス」と呼ばれるその住まいは、同じく衰退していた商店街に灯りをともした。テナント入居のポテンシャルを失った空き店舗の優れた利活用方法として、リノベーション・オブ・ザ・イヤー2016で総合グランプリを受賞している。

「暗いシャッター街に、街灯ではなく住宅の灯りがあることで、安心感が生まれます。寿通り商店街でも、商店街と住宅の共存関係をつくっていきたいんです」(田村さん)

行橋市のアーケードハウス。2階部分が住まい(画像提供/タムタムデザイン)

行橋市のアーケードハウス。2階部分が住まい(画像提供/タムタムデザイン)

寿百家店、2階シェアハウス部分のスケッチ(画像提供/タムタムデザイン)

寿百家店、2階シェアハウス部分のスケッチ(画像提供/タムタムデザイン)

住んでもらいたいのは「1階の店主やまちづくりに関心がある方など、一緒にプロジェクトに関わってくれる方」、そして「学生や若い世代」という。
「大人が頑張っている姿を間近で見て、『このまちって面白いな』と思ってもらえたら理想ですよね。それは将来的なUターンにもつながると思うんです」(田村さん)

田村さん自身は、実は高知県の出身だ。
「自分は若いころにふるさとの魅力に気づけず、北九州で事務所を立ち上げました。北九州のまちがすごく気に入ったからですし、後悔もしていません。ですが、地域にとって理想は、若い方が地元の魅力に気づいた上で一度外に出て、地元に無いものを持ち帰ってくることだと思うんです」(田村さん)

寿百家店2階のシェアハウス。既存の建物を活かしながら、新たに窓を設けることで明るさを足した(写真撮影/加藤淳史)

寿百家店2階のシェアハウス。既存の建物を活かしながら、新たに窓を設けることで明るさを足した(写真撮影/加藤淳史)

シェアハウスからの風景(写真撮影/加藤淳史)

シェアハウスからの風景(写真撮影/加藤淳史)

1物件につき3店舗のテナントが入れるようコンパクトに区切り、さまざまな店舗を誘致するアイデアは福岡さんから生まれた。1店舗ずつのスペースをコンパクトにして水まわりなどを共有することで家賃を抑え、入居ハードルを下げている。

誘致する店子についても、二人には明確なイメージがあった。
「自分で生み出せる方。自身で技術を持っている方、自身で表現ができる方。誰にでもできる商売ではなく、専門性を持った店・人があつまることで、商店街全体の価値が上がる。ここでしか得られない体験をつくることが重要だと考えています」(田村さん)

1階部分のスケッチ。入居店舗のイメージも記載されている(画像提供/株式会社寿百家店)

1階部分のスケッチ。入居店舗のイメージも記載されている(画像提供/株式会社寿百家店)

一人ではできない「面白いこと」を、一緒に

現在、2021年5月までの全店オープンを目指し準備を進めている。シェアハウスの入居者は募集中だが、1階は約半年で全テナントが決定したという。
「ネイルサロン」「ガラス細工のお店」「アートギャラリー」「地元野菜を売る八百屋」「地元の飲食店に役立つ本屋」「アパレル販売店」「ラーメンと甘味の店」、そしてドライヘッドスパとハーブティの販売をする「To me…」が開業予定だ。

「To me…」店主の豊東久美子さんは、これまで店舗を持った経験がない。地元の北九州で店を開きたいと考え、物件を探していたときに、たまたま寿百家店のことを知った。入居説明会を聞き、即決したという。

「福岡さんと田村さん、お二人の話を聞いて、『北九州で、こんな面白いことができるのか!』とわくわくしました。
一人で『面白いこと』を仕掛けるには、アイデアの面でも費用の面でも限界があります。新規開業ということもあり、孤独感、不安感もありました。この場所なら、一緒に面白いことを仕掛けていけるのではないかと思ったんです」と語る。

ドライヘッドスパをもっと身近なものにしたい、という思いにもマッチする場所だった。
「仕事の合間や買い物のついで、家事育児の合間に寄れるような場所にしたいんです。この場所なら、美容室や飲食店、いろんなお店のついでに立ち寄ってもらえるのではないかと思いました」(豊東さん)

商店街ならではの、「お隣さん」との関係も魅力と語る。かつて商業施設内のテナントに勤めていたこともあるが、近隣店舗との交流はほとんど無かったという。
「既に田村さんや福岡さん、学生スタッフの方々にもたくさんサポートしていただいています。
先日も1日限定のマルシェに参加しましたが、その時も商店街の方はじめ、たくさんの方とつないでいただきました」(豊東さん)

オープン後は、アロマやハーブを使ったワークショップもやりたい、と意気込みを語る豊東さん。
「大人だけでなく、例えば夏休みの宿題に合わせたものなど、子どもたち向けのイベントもやりたいと考えています。地域に根差していけたら」(豊東さん)

豊東久美子さん(写真撮影/加藤淳史)

豊東久美子さん(写真撮影/加藤淳史)

オフラインとオンラインが同居する商店街へ

寿通り商店街の目指す姿について、田村さん、福岡さんはこう語る。
「『あそこに行ったら何かやっている』という期待感がないと、人は集まらないですよね。昭和40年代~50年代は、商店街がそういう場所だったと思うんです。それが無くなったから衰退している。ワクワク感、期待感をつくっていくことが大切だと考えています」(田村さん)
「用事がなくても行ってみよう、ちょっと遠回りして帰ろう、と思ってもらえるような場所にしていきたいですね」(福岡さん)

コロナ禍の影響で、当初の計画に狂いも出た。しかし、田村さんはこう語る。
「前提として、寿通り商店街はロケーションが良いです。換気も良いし、アーケードだから雨が降っても大丈夫。内でもあり外でもある、特別な空間です。それはコロナ禍においても武器になるはず」

さらにコロナ禍において特に中国で活発になった、ライブ動画を見ながら商品を購入できるライブコマースからもヒントを得た。5月の全店オープンに合わせ、オンラインマーケットのオープンも準備中だ。
「オンラインで買い物する場合も、リアルと同じように店主と会話したり、他の客と店主の話を聞いたりできるよう、システムを整えていく予定です。海外のお客さんにも来てもらえるように、ゆくゆくは店主の皆さんに英語を習得してもらう必要もありますね」(田村さん)

寿百家店は、商店街の11区画中3区画を使用したプロジェクトだ。今後、残りの区画にも着手していくのだろうか。
「まずは今の区画でモデルケースをつくるつもりです。それをもとに、寿通り商店街内だけでなく、全国に広めていけたら、と考えています。
『前例』がないので、テナントやシェアハウス入居者の集め方、オープン後の集客の仕方も、自分たちでイチから試さなければいけない。それはとても苦労している点ですが、周囲の方々がさまざまな形で後押ししてくれていますし、ここで事例をつくれたら、全国の同じような商店街の方々にとっても意味があると思うんです」(田村さん)

寿通り商店街にて(写真撮影/加藤淳史)

寿通り商店街にて(写真撮影/加藤淳史)

全国へと広がる商店街の“ニューノーマル”になるか

シェアハウスと店舗が共存する商店街。ただでさえ前例のないプロジェクトに、コロナ禍が重なり、難易度は増した。苦労を重ねる一方で、オンラインが広く浸透したこの時勢を、二人はチャンスとも捉えている。
寿百家店の取り組みは、全国の商店街に展開できる“ニューノーマル”となるか。5月のオープンを、楽しみに待ちたい。

●取材協力
株式会社 寿百家店

商店街やスナックに泊まる!? ホテルが懐かしのまちの風景を守る

古き良き街の景色が惜しまれつつもなくなる一方、空家化やシャッター街化が問題になっている昨今。そんな問題を解決し、新たな価値を生み出す試みが、あちこちで始まっている。商店街にある空家やスナック街にあるビルをホテルとしてリノベーション、そこから地域を元気にしたい。大阪と青森に始まった、そんなムーブメントを紹介しよう。
コンセプトは「旅先の日常に飛び込もう」。コミュニケーションを楽しむ「SEKAI HOTEL」

布施駅(大阪府東大阪市)から商店街を歩きながら、「SEKAI HOTEL」を探していた。「あれ、このへんのハズだけど」と一度スルー。そして、来た道を戻ると、開口部がどーんと広がったカフェのようなホテルを発見した。でも、上の看板はリノベーションする前の「Ladies shop キヨシマ」のまま。だから、見逃したのか!

「そう。ここは以前、婦人服店だったんです。『SEKAI HOTEL』は、看板は昔のまま、店舗部分だけリノベーションしています」と、「SEKAI HOTEL」を経営するクジラ株式会社の三谷昂輝さん。

「地域とつながりたいから」と、大きな開口部を設けた「SEKAI HOTEL」のフロント。町工場をコンセプトに、照明など東大阪のプロダクトを採用し、インダストリアルな雰囲気に。カフェ&バーの営業時間は13~22時(写真撮影/出合コウ介)

「地域とつながりたいから」と、大きな開口部を設けた「SEKAI HOTEL」のフロント。町工場をコンセプトに、照明など東大阪のプロダクトを採用し、インダストリアルな雰囲気に。カフェ&バーの営業時間は13~22時(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

「SEKAI HOTEL」は、大阪の下町・布施商店街のいくつかの空家をリノベーション。フロントをベースに、商店街のアチコチに6棟の宿泊施設が点在する「まちごとホテル」だ。まずゲストはフロントでチェックイン(現在は3密回避のため、客室にてチェックイン)。ガイドが商店街を案内しながら、宿泊棟へと案内してくれる。宿泊時に渡される「食べ歩きチケット」を使えば、商店街のお店で商品と交換(食べ歩きチケット付きのプランでの予約が必要)。「ああ、SEKAI HOTELに泊まっているのね」と気さくに声をかけてくれるので、会話も弾む。そう。このホテルの「宿泊」はサイドメニュー。メインディッシュは「コミュニケーションを楽しむ」なのだ。

商店街の中に、宿泊棟N2~5が連なる。ちなみに、NとはNext doors(隣の家)のN。N4はもともと整骨院だったが空き地になっていたのでここだけ新築。川田菓子店がN3、喫茶店モアの1階がN2、2階がN5となっている。看板は昔のママ、店舗部分だけリノベーション。商店街に馴染んでいる(写真撮影/出合コウ介)

商店街の中に、宿泊棟N2~5が連なる。ちなみに、NとはNext doors(隣の家)のN。N4はもともと整骨院だったが空き地になっていたのでここだけ新築。川田菓子店がN3、喫茶店モアの1階がN2、2階がN5となっている。看板は昔のママ、店舗部分だけリノベーション。商店街に馴染んでいる(写真撮影/出合コウ介)

取材当日、徳島出身の女性2人組がちょうど宿泊棟に案内されているところに遭遇!「社員さんのSNSでこのホテルを知りました。ローカルディープが魅力で、人とか食べ物とか行けば楽しい事がいっぱいありそうだと思って予約しました。大阪はいつも日帰りだったのに、泊まるのは今回が初めて!」とその魅力を語ってくれた。

「『SEKAI HOTEL』は西九条(大阪市)に続き、布施が2拠点目となります。西九条の時点ではまだコンセプトが固まっていなかったのですが、ゲストが来て地元を案内すると宿泊客が喜ぶ。朝食が出せないデメリットも、近くの喫茶店で食べていただくと、これまた宿泊客が喜ぶ。そこで、地元との交流が観光資源として有効だと学びました」

黒門市場といった観光地化した商店街がある一方、布施の商店街は大阪の下町の良さが残っていた。シャッター街化が進んでいるからこそ、布施に「SEKAI HOTEL」をつくることで、地域を活性化したい。そんな想いからのスタートだ。

「ホテルのフロントを立ち上げると同時に、宿泊施設として使える空店舗を探しましたが、なかなか見つかりませんでした」と三谷さん。地域外からいきなり参入したため、すんなり借りる事ができず、どうしても時間がかかった。だが、地道に地域とのつながりを深めることで交渉も進み、宿泊棟も最初の1棟から6棟に拡大。「立ち話も業務」との言葉どおり、商店街の方々ととにかくコミュニケーションをとることで、協力してもらえるようなってきた。現在では、スタッフの努力も実り、優待割引のある「SEKAI PASS」に10店舗、「朝食銭湯プラン」に2店舗+1軒、「食べ歩きプラン」に6店舗と、提携店も増えつつある。

「SEKAI HOTEL」に勤務するクジラ株式会社の三谷昂輝さん。当初は遠くに住んでいたが、「地域の人々とのつながりを大切にしたいから」と近くに引越したそう(写真撮影/出合コウ介)

「SEKAI HOTEL」に勤務するクジラ株式会社の三谷昂輝さん。当初は遠くに住んでいたが、「地域の人々とのつながりを大切にしたいから」と近くに引越したそう(写真撮影/出合コウ介)

スタッフはみな、布施マスター。「布施のことなら、私たちに聞いてください!」

「SEKAI HOTEL」に宿泊すると、付いてくるのが食べ歩きチケット(6店舗5枚)。各店舗で100円相当の商品と交換できるシステムだ。その提携店を紹介しよう。まずは、「三ツ矢蒲鉾本舗」の井上美鈴さん。「SEKAI HOTEL」オープン当初からのおつきあいだ。

レトロな雰囲気のある布施の商店街。看板に歴史を感じる(写真撮影/出合コウ介)

レトロな雰囲気のある布施の商店街。看板に歴史を感じる(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

(写真撮影/出合コウ介)

「SEKAI HOTELさんが来て2年、街が一体化して活気が出て来ました。若い学生さんや外国の方も増えましたね。そうそう。私はよくSEKAI HOTELさんに遊びに行くんですよ。スタッフさん、みんな若くていい人ばかり。お茶したり、おしゃべりしたり。ネットのこと教えてもらったり、外国人スタッフのアンネさんに英語教えてって頼んだり。すごく刺激をもらってますし、これからが楽しみです」とニコリ。

「三ツ矢蒲鉾本舗」の井上美鈴さん(写真撮影/出合コウ介)

「三ツ矢蒲鉾本舗」の井上美鈴さん(写真撮影/出合コウ介)

名物の玉ねぎ天。玉ねぎの甘さがたまらなく美味しい!一盛7個で440円がチケットなら玉ねぎ天2個と交換できる(写真撮影/出合コウ介)

名物の玉ねぎ天。玉ねぎの甘さがたまらなく美味しい!一盛7個で440円がチケットなら玉ねぎ天2個と交換できる(写真撮影/出合コウ介)

ドイツから留学で日本にやって来たアンネさん。「求人を見て応募しました。地域創生、社会に貢献しているのが気に入って。新しい試みも面白い!」と流暢な日本語で話してくれた(写真撮影/出合コウ介)

ドイツから留学で日本にやって来たアンネさん。「求人を見て応募しました。地域創生、社会に貢献しているのが気に入って。新しい試みも面白い!」と流暢な日本語で話してくれた(写真撮影/出合コウ介)

次にうかがった、鳥からあげ店「Kitchen friend怜」は、「店の名前は僕の名前から取りました(笑)」という店長・山尾怜司さん。実はお母様が30年前ここで総菜店を営んでいたという地元の方。そのお母様がつくる家庭の味・からあげが近所でも評判で、からあげのお店を開く決心をしたという。

「地元の商店街がどんどん活気を失って、このままじゃいかん、地元活性化の手助けになればという想いから、お店をオープンしました。実はSEKAI HOTELさんと提携すると、ホテルに一泊宿泊体験させていただけるのですが、扉を開けると、外観からは想像できない世界感が広がっていてびっくり。地元材を使っているのもいいなあと思いました。SEKAI HOTELさんのお客さまは、目新しさを求めてやってくる、若くてフレンドリーで明るい人が多いですね。商店街もまとまれば観光力があがる。SEKAI HOTELさんが起爆剤になってくれればと思います」

「Kitchen friend怜」の店長・山尾怜司さん(写真撮影/出合コウ介)

「Kitchen friend怜」の店長・山尾怜司さん(写真撮影/出合コウ介)

チケットを鶏皮チップスor鳥のからあげと交換。「ハーフ&ハーフも人気です。多めにサービスしておきますよ」(写真撮影/出合コウ介)

チケットを鶏皮チップスor鳥のからあげと交換。「ハーフ&ハーフも人気です。多めにサービスしておきますよ」(写真撮影/出合コウ介)

現在は、コロナの影響でゲストは少ない分、スタッフは「何かできないか」と地域の方とのコミュニケーションに軸足を置き、子ども連れに人気の「和菓子づくりプラン」、地元の人たちと仲良くなれる「飲み歩きプラン」など、商店街の方と相談しながらプランをつくっていく。最初は「布施にしては、カッコよすぎ」と敬遠されていたフロントにも、商店街の人が遊びにくるようになり、「隣のスナックのママさんがそうめんとか差し入れしてくれるんです」とスタッフもうれしそう。今後の目標は?

「地元の人がゲストに対して明るく接してくれるから、『SEKAI HOTEL』を通じて会話が広がるのがうれしい。宿泊棟数を増やしていく、というよりは、『SEKAI HOTEL』と関わる提携店をどんどん増やし、ますます活気が出てくるといいですね。最終目的は、布施の人口を増やすこと。観光地ではない布施のローカルな魅力を、もっと多くの方に知ってもらいたいです」と三谷さん。

布施の暑苦しさ(笑)=コミュニケーション、人情、そして粋な人々。そんな地域独特のオーディナリー(日常)をゲストに届けるのが、ここ布施の役目。そして、「SEKAI HOTEL」の3拠点目に予定されているのが、富山県高岡市。高岡市のどんなオーディナリー(日常)をゲストに届けるか、「SEKAI HOTEL」から目が離せない。

N3などの宿泊棟は「町工場」をコンセプトに、グレー・黒・シルバーを基調に、剥き出しの床はそのまま、無機質な素材でインダストリアルな雰囲気を演出 (写真撮影/出合コウ介)

N3などの宿泊棟は「町工場」をコンセプトに、グレー・黒・シルバーを基調に、剥き出しの床はそのまま、無機質な素材でインダストリアルな雰囲気を演出(写真撮影/出合コウ介)

ベッドとの間仕切り壁のエキスパンドメタルや照明は地元・東大阪の工場でオーダーメイドしたもの(写真撮影/出合コウ介)

ベッドとの間仕切り壁のエキスパンドメタルや照明は地元・東大阪の工場でオーダーメイドしたもの(写真撮影/出合コウ介)

ノスタルジックな泊まれるスナック街「GOOD OLD HOTEL」看板が建ち並ぶスナック。これがホテルなんて!夜は看板にライトがついて妖艶な雰囲気(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

看板が建ち並ぶスナック。これがホテルなんて!夜は看板にライトがついて妖艶な雰囲気(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

一方、青森の「GOOD OLD HOTEL」は、スナックをリノベーションした、非接触型ホテル(コロナ対応で非対面チェックインに対応)。昭和40年代の弘前市・鍛冶町に誕生したグランドパレス。バブル時代に若者が集ったこの場所も、時代とともにすっかり寂しいビルに。

「うちは大阪の不動産会社なのですが、自社で競売落札したのが、このグランドパレス。最初は使えるかどうかもわからず、ネガティブな印象しかなかったのですが、現地に行ってみると、鍛冶町は弘前市屈指の歓楽街。近くには歴史のある大正レトロなビルも立ち並び、弘前城や現代美術館『弘前れんが倉庫美術館』(2020年オープン)もすぐそば。街のポテンシャルが高い。当時民泊が盛んだった事もあり、『街に泊まる』をコンセプトに、スナックを活かしたホテルにしたら面白いんじゃないかと」(キンキエステート野村昇平さん)

「地元の人たちにも懐かしんでもらいたい」と、当時の古き良きたたずまいはそのままに、泊まれるスナック街にリノベーションした。「想い出映えする、というかノスタルジック×映える=ノスタルジェニックな時間を過ごしていただきたいと思いました」とコンセプトワークを担当した、有限会社odoru取締役中田トモエさん。外装やドア、看板はそのまま(一部除く)。青森の雰囲気が感じられる「ニューうさぎ」や「プードル」、スナック感の強い「DEN」「スナックターゲット」など、コンセプトが異なるレトロなお部屋を11室用意している。「もう文化遺産です」と中田さんは笑う。

「ニューうさぎ」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「ニューうさぎ」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「ニューうさぎ」は青森の特産品であるリンゴをイメージした内装。外観がリンゴの木っぽいような緑色なところからインスピレーションを受け、部屋の中はリンゴの実の色である赤・黄色・茶でまとめた(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「ニューうさぎ」は青森の特産品であるリンゴをイメージした内装。外観がリンゴの木っぽいような緑色なところからインスピレーションを受け、部屋の中はリンゴの実の色である赤・黄色・茶でまとめた(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「オープンは2020年7月。コロナの影響もあり、客足はまだまだ。地元の方の認知度もこれからだと思います」と、運営スタッフの木村深雪さん。今後の展望は?

「SNSでは、一夜で2万件のいいね、ツイートの反響も400件あり、若い人もレトロなスナック文化に興味を持っていることが分かりました。鍛冶町といえばスナック文化。それこそ、『SEKAI HOTEL』さんみたいに、もっと街ぐるみで連携して、このホテルに泊まる=コミュニケーションと、ハシゴ酒などをしながら、街を楽しんでもらえたらいいなと思います」(キンキエステート野村さん)

「プードル」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「プードル」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

もともとの造作が木っぽいつくりだったのと、照明が土器っぽかったので、青森にある三内丸山遺跡をイメージしたお部屋(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

もともとの造作が木っぽいつくりだったのと、照明が土器っぽかったので、青森にある三内丸山遺跡をイメージしたお部屋(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「Den」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

「Den」(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

スナック感が強い部屋。タバコのヤニで琥珀色になったシャンデリアがポイント(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

スナック感が強い部屋。タバコのヤニで琥珀色になったシャンデリアがポイント(ツイン)(写真提供/GOOD OLD HOTEL)

今回紹介した、「SEKAI HOTEL」と「OLD GOOD HOTEL」は、商店街の空家やスナック街のビルをリノベーションしてホテルとして再出発。ただ、ハードの整備ももちろんだが、それ以上にスタッフとゲスト、ゲストと地域の人々、地域の人々とスタッフといった3者の「コミュニケーション」がうまくいって初めて、魅力ある街に、活気ある街へと変化していく。ハードの魅力<ソフトの魅力。その努力こそが、街の風景を守る、有効な方法ではないだろうか。

●取材協力
SEKAI HOTEL
OLD GOOD HOTEL

想定外だらけから生まれた、都心の新しい商店街「BONUS TRACK」

ファッション、演劇、音楽、映画など、さまざまな文化が集まるサブカルチャーの聖地・下北沢。1980年代から「若者文化の代名詞」とも呼ばれるこの街は、今もなお多くの若者たちでにぎわう。

しかし、そんな華やかな下北沢も駅の西口から5分も歩くと、閑静な住宅街となる。その中心を横切るような形で、新緑に囲まれた遊歩道と商店街が2020年4月に生まれた。それが『BONUS TRACK』だ。

カルチャーの中心に生まれた「リゾート地」

東京のど真ん中にあるにもかかわらず、新緑に囲まれ、開放感のある空間が視界一杯に広がる。初夏の柔らかい日差しの中を歩いていると、リゾート地に来たのだろうか、と錯覚してしまうほどだ。

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

この『BONUS TRACK』は、下北沢の再開発プロジェクトの一環で、“商店街をつくること”をテーマに行われたのだという。

サブカルの街“シモキタ”らしさをテーマにつくられたこの“商店街”には、日記専門店や発酵をテーマにした店、読書専門のカフェなど、一見すると風変わりな店たちが立ち並ぶ。

公式ホームページより

公式ホームページより

都心のど真ん中に生まれた緑道、そしてマニアックさを突き詰めたような商店群。施設自体が面白いのはもちろんだが、そのオープン時期に注目したい。

2020年4月1日といえば、世界中を新型コロナウイルスの脅威が駆け巡り、未曾有の状況。世の飲食店や商業施設はこぞって店を閉める中、なぜこの施設はオープンするに至ったのか。

そんなことを考えながら、取材当日に『BONUS TRACK』の遊歩道を歩いていると、どこからか大きな声が聞こえてきた。

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

「こんにちは~! いい天気ですね~」

ふと上を見上げると、女性が満面の笑みでこちらに手を大きく振っていた。よく通りながらも柔らかい雰囲気の声。今回の取材相手となる『BONUS TRACK MEMBER’S』マネージャー・桜木彩佳(さくらぎ・あやか)さんだ。

彼女は3年間、下北沢のイベントスペース『下北沢ケージ/ロンヴァクアン』の運営の中心として活動していたが、2019年9月にイベントスペースの閉鎖に伴い、離職。そして程なく、2020年2月ごろから『BONUS TRACK』内のシェアキッチン付きの会員制ワークスペース、通称「MEMBER’S」のマネージャーとして、運営に携わることとなった。

しかし、コロナ禍に伴い、ソーシャルディスタンスが必要とされるこのご時世。コワーキングスペースの運営は非常に難航を極めたが、本来の役割ではない場所でもまた、彼女は大きな任務を背負った。

それは切迫した状況下で『BONUS TRACK』の店主たちとのコミュニケーションを積極的に行い、オープン時期の相談や細かいケアなど、それぞれの課題に向き合い、日々変化する状況に臨機応変に対応し続けること。まさに、コロナ禍に翻弄された『BONUS TRACK』の現場を、最もよく知る人物のひとりと言える。

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

人が街から忽然と消えた4月の東京。その中心とも言える下北沢の「新しい商店街」では、一体何が起きていたのか。そして、最前線に立ち会った彼女は何を見て、何を感じたのか。話を聞いた。

季節を感じないまま、駆け抜けるようにすぎた4月(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

――『BONUS TRACK』のオープンは2020年4月1日と、かなり難しい時期でしたね。緊急事態宣言が出る直前の状況で判断するには、勇気が必要だったかと思います。

そうですね。実際に、運営チームの中でも『BONUS TRACK』自体のオープンを延期するという話も出ていました。しかし議論の結果、当初の目論見とは違うとしても、オープン自体は予定通りの4月1日に行うという判断に至りました。

ただし営業日に関しては、それぞれの店舗さんの判断にお任せする形になりました。そのため、4月1日からオープンした店舗さんもいれば、開業を延期した店舗さんもありましたね。

――その後、4月7日に東京都で緊急事態宣言が発令され、政府からは「不要不急の外出の自粛」が要請あり、世の中のお店も次々と休業を行っていく事態となりました。

緊急事態宣言後のタイミングで、改めて運営チームで議論しましたね。家の外に出ることができない、SNSやメディアはネガティブな言葉で溢れているような状況でしたから。しかし、部屋に籠っていると、どんどん苦しくなってしまうような状況だからこそ、外に出て少しでも気分転換をしてもらうことも必要なのでは?という声もあったんです。

政府の発表は「自粛は要請するが、食料品の買い出しや、健康維持のための散歩は問題ない」という内容でした。じゃあ「散歩」をもっと楽しくして、おうち時間の向上をしてもらおう、と。

そこで『BONUS TRACK』では「散歩をしよう」というステートメントを発表したんです。そして『MEMBER’S』も感染拡大に十分注意をしながら、近所の方に向けた散歩の延長線上の『お散歩プラン』という限定プランで、運営をスタートしました。

『BONUS TRACK』から公式声明として出されたnote記事『“散歩をしよう”』。

『BONUS TRACK』から公式声明として出されたnote記事『“散歩をしよう”』

――未曾有の事態で、できる限りのベターな判断をした、と。

リスクしかない状況の中で、多くの人が不安に駆られている。私たちに何かできることはないかと探り続けた1カ月だったと思います。

世の中の雰囲気も混沌としているし、現場もバタバタとしすぎていて、季節感があんまりありませんでしたね。

本屋『B&B』は4月1日にオープンしたが、時勢を鑑みて、緊急事態宣言が出される前の4月4日から臨時閉店となった。6月1日より短縮時間にて営業中(写真撮影/藤原慶)

本屋『B&B』は4月1日にオープンしたが、時勢を鑑みて、緊急事態宣言が出される前の4月4日から臨時閉店となった。6月1日より短縮時間にて営業中(写真撮影/藤原慶)

――開業時期の判断をお店ごとに任せたのは、どういう意図だったんでしょうか?

私たちの考えとして、『BONUS TRACK』は百貨店のようなひとつの商業施設という形ではなく、あくまで個人商店が集まった場所なんです。

近隣の人だけでも、日用品の買い物や散歩など最低限の行動の中で、できるだけ豊かに過ごして欲しい。そのためソーシャルディスタンスを確保し、店内での飲食を行わず、換気や消毒を徹底するなどの認識だけ大枠として共有した上で、各店舗さんにお任せしたんです。これは運営元である小田急電鉄さんも含めての総意ですね。

古き良き下北沢をアップデートするフレッシュジューススタンド『Why_?』は旬の食材を使ったコールドプレスジュースやスムージーなどを販売している(写真撮影/藤原慶)

フレッシュジューススタンド『Why_?』は旬の食材を使ったコールドプレスジュースやスムージーなどを販売している(写真撮影/藤原慶)

――自粛期間中、世の中では飲食店の営業に関して反発の声も少なからずありました。『BONUS TRACK』では、オープン後の近隣からの反応はどうでしたか?

みなさん、かなり好意的に受け入れてくださった印象です。近所のおばちゃんがふらふらと入ってきて、「ここ、楽しみにしてたのよ」なんて声をかけてきてくれるような状態でした。オープン前のお店に入ってきちゃうこともあって(笑)。

そのほかにも子ども連れの方が遊んでいたり、犬の散歩ルートとしても定着した感じがあります。

(写真撮影/藤原慶)

ワークスペース「MEMBER’S」では、新規会員を募集中(写真撮影/藤原慶)

これまで世田谷代田エリアから下北沢へ向かうためには、住宅街を縫うように歩かなければいけなかったらしいんです。それが、この遊歩道が生まれたことで近道できるようになった。そういう意味でも、地元の方々にとって待望の場所だったのかな、と。

――空間も、歩きやすいようにつくられていますよね。

日記専門店や発酵専門店など、都内でも珍しいレベルのマニアックなお店がほとんどなんですけど、それを感じさせないようなつくりになっている印象ですね。誰でも気軽に入りやすい設計になっていると感じます。

そこの『発酵デパートメント』にも、この辺りに住んでいるお父さんが高価なお酢をさらっと買っていったり、はじめはふらっと訪れただけのお母さんがリピーターになっていたりしているらしく、すごいなと(笑)。

店主の小倉ヒラクさんは「みんな僕のことを知らないのに、いろいろ買ってくれてるのが面白いねー」なんて言っていたりして。もともと『BONUS TRACK』は地元にコミットする場所をつくるというよりも、商業施設に近いイメージだったので、正直驚かされることが多かったですね。

”世界の発酵 みんな集まれ”をコンセプトとする発酵専門店『発酵デパートメント』(写真撮影/藤原慶)

”世界の発酵 みんな集まれ”をコンセプトとする発酵専門店『発酵デパートメント』(写真撮影/藤原慶)

――では、現在の状況と当初の計画は違っていたのでしょうか。

はい。ただ私がコミットしたのは小田急電鉄さんと散歩社さんがコンセプトを明確に決めたあとだったので、少しふわっとした話になってしまうのですが……(笑)。分かる範囲で説明させてもらいますね。

下北沢って、地元の人はもちろんいるけれど、それよりもカルチャーを求めて街の外から訪ねてくる若者が昔から多いと思うんです。その“古き良き下北沢”を現代風にアップデートするイメージでしたね。

――アップデートとはどういうことですか?

下北沢って、もともと尖った個人店が多かったんですよね。「どうやって儲けているんだろう?」というようなレコード店だったり、雑貨屋だったり。

だけど、ここ何年かで、老舗のジャズ喫茶さんなどが閉まる一方でチェーン店が増えてきて、他の街と似たような景色になってきてしまった。街の発展としては仕方のないことだけど、どうにかできないだろうか? そんな経緯から小田急電鉄さんがプロジェクトを立ち上げたのがきっかけだと伺っています。

個々が独立しながらも共存する「新しい商店街」(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

――つまり、この『BONUS TRACK』はまちづくりの一環としての施設ということなのでしょうか。

はい。この『BONUS TRACK』は「下北線路街」という長期の開発プロジェクトのひとつなんですよ。小田急線の地下化工事によって、ボーナス的に生まれた線路(トラック)跡の土地というのが名前の意味らしくて。

土地の再開発というと大規模な商業施設のビルをつくる、というのが一般的なんですが、今回は下北沢らしく個性的な店を集めた商店街を新たに生み出そうというものでした。

だからそれに則って、私たちは「新しい商店街」という言い方をしよう、と。

――「新しい商店街」?

ここって一部の建物をのぞいて、店舗の2階が住居になっているんですよ。昔の商店街って、商店と住居が一緒になっていることが多いじゃないですか。それをもう少し現代風にアレンジした設計になっています。実際に何人かの店主さんが上の階に住んでいて。

店舗の2階は住居スペースとなっており、実際に住んでいる店主も(写真撮影/藤原慶)

店舗の2階は住居スペースとなっており、実際に住んでいる店主も(写真撮影/藤原慶)

――店舗と住居が一緒とは、まさに昔の商店街のようですね。

そうですね。一般的な商業施設より、お店同士の距離感は近いと思います。それも昔の商店街的かもしれませんね。みなさん、確立した世界観を持っているのですが、それを主張し合うのではなく、個性が混ざり合って生まれる相乗効果みたいなものを期待している感じなんです。

実際、ほとんどのお店が本やお酒を共通して扱っているんですが、競争相手としてピリピリした関係になることもなく、むしろその共通点を上手く使って、コラボするみたいな風潮がある。

おむすびスタンド『ANDON』(写真撮影/藤原慶)

お粥とお酒の店『ANDON』(写真撮影/藤原慶)

スパイスカレーの店『ADDA』(写真撮影/藤原慶)

スパイスカレーの店『ADDA』(写真撮影/藤原慶)

例えば、 お粥とお酒の店『ANDON』の秋田のお米にスパイスカレーの店『ADDA』のルーをかけた特製カレー企画なども積極的に提案できる土壌があります。実際に「みんなでコラボしたビアガーデンやマルシェをしたい」みたいな話は、店舗さん同士でよくお話ししていて。

――コミュニティとして成熟されつつある感じですね。

一方で、あまり閉鎖的な印象はないんですよね。コミュニティの内側だけで盛り上がることはよくあることだと思うんですけど、ここは外からの提案にも割とウエルカムというか。

例えば、自粛期間中に無人のマスク販売所をオープンしていたんです。普段は雑貨などをつくっている近所の人が、「地元の人がマスクを持ってないなら私がつくるので、場所を貸して欲しいです」と提案してくださって生まれた企画で。

料金箱にお金を入れる、無人販売所システムで販売された(※現在は終了) (写真撮影/藤原慶)

料金箱にお金を入れる、無人販売所システムで販売された(※現在は終了)(写真撮影/藤原慶)

試しにやってみたら、いたずらなども全くなく、結構な数が売れていました。しかもそのマスクをつけた人が、遊歩道を頻繁に通っている。なかには「ほんとにありがとね」とお礼を言ってくれる方などもいたりして(笑)。

――外からの提案に対しても、かなり柔軟に動いているんですね。

自分たちが想定していた『BONUS TRACK』と、外から見える『BONUS TRACK』って全然違うんですよね。こういう使い方もできるのか、と気づかされることはすごく多いです。

「スタイルとは違うから」と断る場所もあると思うんですけど、私個人としてはできるだけ一緒にやりたいなと思っちゃいますよね。特にこんな安易な行動が取れないようなタイミングで提案してくれる、粋な方とは。

もちろん全てのアイデアを受け入れることはできないけど、そういう外向きの姿勢は個人的にはすごく大事にしています。

「9年前の震災のときより、少しだけ前に進めた」(画像提供/BONUS TRACK)

(画像提供/BONUS TRACK)

――テイクアウトの販売所としても、かなりにぎわっていますよね。

はじめに代々木上原のレストラン『sio』さんがテイクアウト販売を行ったことをきっかけに、どんどんと展開が広がっている印象がありますね。今では下北沢のお店の方々がこの場所をうまく活用してくれていて。タイ料理の『ティッチャイ』や『カレーの店・八月』など、下北沢に実店舗を持つ方たちとのコミュニケーションも多いです。

地元の人たちと触れ合うことがとても多かったのですが、特に印象的な出来事がひとつあります。

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

5月ごろに、3週間くらいテイクアウト販売をしてくれていた「VIZZ」さんというお店があったんですが、あるとき、帰り際に突然呼び止められたんです。何かな、と思って話を聞いたら、「10年以上、下北沢でお店をやっていたんですけど、店を閉めることを決めました」と。

完全にコロナの影響ですよね。お客さんも全く来ないような状況で、家賃を払い続けることは当然難しい。もう全てを放り出したくなるような気持ちのはずなのに、「今のスペースは広すぎて家賃も高いから続けられないけど、小さくてもこの付近でまたやりたいので、不動産情報があったら教えてもらえませんか」って言うんですよ。

そして、いろんな感情がごちゃ混ぜになったのか、その場でVIZZの店主さんの涙が止まらなくなってしまって。

――SNS上の情報としてではなく、目の前の人から直接お店の終了を伝えられるのは、とてもショッキングですね。でも、『BONUS TRACK』に託された役割もそこにはあったと。

はい。『BONUS TRACK』がちゃんと続けば、「お店はなくなっちゃったけど、ここでお弁当を売ってたね」と覚えていてもらえるかもしれない。次にお店が開くその日まで、お店のことを忘れられないでいてもらえるかもしれないから、頑張ろうって。

こういうセンシティブな話ばかりでしたけど、この時期にオープンして、私自身よかったなと思えることもあるんです。

というのも、9年前の東日本大震災のとき、私はテレビで見ているだけで何もできなかったから。この下北沢の付近の人たちだけだし、実際に助けることはできなかったかもしれないけど、困っている方たちとコミュニケーションを取れたことで、少しだけ前に進んだ気がするんです。

たぶん『BONUS TRACK』の店舗さんたちも、みんなこういうヒリヒリした状況に身を置いています。だけど、みんなポジティブなんですよ。

こんな状況だし、いつ採算が立たなくなるか分からないけど、みんな前を向いている。ただでさえ大変なんだから、下を向いたらすぐ終わっちゃう。なら、せっかく新しくオープンした場所をきちんとみんなで盛り上げて行こうって。真の意味での『BONUS TRACK』にしようって。

――真の意味、ですか?

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

実はね、この『BONUS TRACK』には、もうひとつ由来があるんですよ。

――ひとつは「ボーナス的に生まれた土地」でしたよね。

音楽アルバムの最後に、ボーナストラックって入ってるじゃないですか。あれって、アーティスト自身がメインでやりたいけど、マーケット的に売れないな、と感じているものを試していると思うんですよね。そういう場所に、ここもなるといいなって。

――いい意味での「遊び」というか、余白の部分を表現できる場所、というか。

はい。そういう意味では、ボーナストラックになり切れてないところもある気がするんです。まだ、それぞれがやりたいことを完全に表現している場所ではない。

だから、このオープンなスタイルを維持しながら、もっと店主さんたちがのびのびとできるようになったとき、本当の意味で『BONUS TRACK』になるのかな、なんて思ってます。みんなその日を目指して、頑張っているんですよね。

(写真撮影/藤原慶)

(写真撮影/藤原慶)

●取材協力
BONUS TRACK
●編集
Huuuu.inc

名古屋・円頓寺商店街のアイデアに脱帽! 初の「あいちトリエンナーレ」会場にも

2019年10月14日(月)まで開催中の「あいちトリエンナーレ2019」。愛知県で2010年から3年ごとに開催されている、国内最大規模の現代アートの祭典は今年で4回目。企画展「表現の不自由展・その後」の展示中止問題を耳にした人も多いだろうが、それは全体の作品の中の一部。ほかにも愛知県の街中を広く使って、さまざまな現代アートを展示しているイベントだ。筆者は毎回参加しており、現代アートに詳しくなくても、気負わずに世界の新しい感性に触れられる場だと感じている。
都心部の美術館を飛び出して、名古屋市内外の街なかで作品の展示や、音楽プログラムを実施する2会場のうち1つに、名古屋の下町にある商店街が選ばれた。ここ数年、店主手づくりの祭りの開催などで話題を集め続ける、円頓寺(えんどうじ)商店街だ。四間道・円頓寺地区では10カ所でアートの展示などのプログラムが実施されている。
店主のパワーを集積してシャッターを開けた、名古屋の元気な商店街

円頓寺商店街は、名古屋駅から2km以内の距離。高層ビル群から北東へ15分ほど歩くと、精肉店が店頭でコロッケを揚げる、昔ながらの下町の風景が広がる。すぐ隣には、江戸時代からの土蔵が残る街並みの四間道(しけみち)エリアもあり、タイムトリップしたような気持ちにさせられる。この「四間道・円頓寺」地区が、今回初めて、「あいちトリエンナーレ」の会場の一つに選ばれたのだ。

昨今、全国にある商店街の多くがシャッター街と化しているように、かつて円頓寺商店街も衰退の道をたどっていた。そんな円頓寺界隈を活性化させようと、2005年には円頓寺界隈に特化した情報誌が発行され、2007年には「那古野下町衆」という有志のグループが結成された。以来、円頓寺界隈の情報発信や魅力ある新店の空き店舗への誘致など、少しずつ商店街復活に向けて取り組んできた。

そして2013年に、店主が企画した「円頓寺 秋のパリ祭」が大ヒット。このイベントでは、アーケード街に、人気フレンチのデリや花、ブロカント(古道具)などを売る屋台約80店舗が並び、アコーディオンの演奏が流れる。今年で6年目を迎えるが、年々熱が高まり、近年は歩きにくいほどの人出だ。

また、2015年には老朽化していたアーケードを改修。これは太陽光パネルを搭載し、売電で商店街の収入も得られるという優れものだ。この年、パリ最古といわれるアーケード商店街「パッサージュ・デ・パノラマ」と姉妹提携し、パリ祭は本場のお墨付きとなった。

2015年に改修し、モダンで実用的に生まれ変わったアーケード。現在はトリエンナーレ仕様で、アーケードから吊るされたロープが珊瑚色になっていることにも注目。これはトルコ出身のアーティスト、アイシェ・エルクメンによる作品「Living Coral / 16-1546 / 商店街」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

2015年に改修し、モダンで実用的に生まれ変わったアーケード。現在はトリエンナーレ仕様で、アーケードから吊るされたロープが珊瑚色になっていることにも注目。これはトルコ出身のアーティスト、アイシェ・エルクメンによる作品「Living Coral / 16-1546 / 商店街」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

あいちトリエンナーレの候補地になり、新理事長が芸術監督を案内

四間道・円頓寺界隈が「あいちトリエンナーレ2019」の開催地に内定という第一報があったのは、2018年1月だという。前後の活動について、「喫茶、食堂、民宿。なごのや」のオーナーで、円頓寺商店街振興組合で2018年5月から理事長を務める田尾大介さんにお話を聞いた。

「僕はこれまでも、円頓寺界隈を訪れる機会がなかった人を、宿に引き込んできました。あいちトリエンナーレを含め、今取り組んでいることのすべては、これまで『商店街が盛り上がればいい』と思って行動してきたことの延長線上にあります」と話す。

「2年ほど前に、四間道・円頓寺界隈があいちトリエンナーレのまちなか会場の候補地になっているという話があり、2017年から、津田大介芸術監督や実行委員会の方が、度々下見に訪れるようになりました。僕たちは、一緒に街の見どころなどを案内して回りました」

「なごのや」の名物タマゴサンド。きれいに巻かれた熱々の玉子焼きと、マヨネーズ和えのキュウリが好相性で、リピートしたくなるやさしい味(写真撮影/倉畑桐子)

「なごのや」の名物タマゴサンド。きれいに巻かれた熱々の玉子焼きと、マヨネーズ和えのキュウリが好相性で、リピートしたくなるやさしい味(写真撮影/倉畑桐子)

1階が喫茶店兼食堂、2階がゲストハウスになっている「なごのや」。外国人旅行客も多く訪れる、商店街のランドマークだ(写真撮影/倉畑桐子)

1階が喫茶店兼食堂、2階がゲストハウスになっている「なごのや」。外国人旅行客も多く訪れる、商店街のランドマークだ(写真撮影/倉畑桐子)

プロジェクトチームを結成し、街とアーティストをマッチング

「津田大介芸術監督は、アーケードのある商店街と、古い街並みが気に入ったと話していました」と振り返るのは、あいちトリエンナーレ実行委員会事務局の竹内波彦さんだ。

開催地に決定後すぐに、田尾さんたち円頓寺商店街界隈のメンバーは、まちなか展開のプロジェクトチーム「あいちトリエンナーレ 四間道・円頓寺地区推進チーム」を結成。

「街の中のどこにアートを展示するかを、僕らもゼロベースから考えなくてはなりません。『こういうところにこんな空きスペースがあるから使えるのでは』とこちらから提案することもあれば、逆に『このような展示をしたいから、それに合う場所はないか』というアーティストやキュレーターからの要望もありました。街とアーティストとのマッチングはかなり大変でした」

円頓寺商店街には古くから続く店も多い。「この地域の歴史も生かした展示がしたい」と考えるアーティストも多かった。

「やはり、初めてのことなので……引き受けたときはこんなに大変だとは思わなかった」と苦笑いする田尾さん。最初に話を聞いたときは、「いいじゃん!」と手放しで喜んだという。

「県内で行われる一番大きなアートイベントであり、アートで地域を盛り上げるというテーマもいい。商店街やこの地域に人が訪れるきっかけをどうつくるかは、いつでも一番の課題です。中でも“アート”という切り口は、自分たちだけでは持てないものなので、円頓寺界隈に新たな魅力を持ち込んでもらえることがうれしかったですね」

また、円頓寺界隈にはギャラリーもあり、プロジェクトチームの中には、元々アートに興味を持っているメンバーもいたという。

「視察のときから、そういったメンバーの観点をプラスして、街を紹介できたのもよかったのではないかと思います」

円頓寺商店街の中にある「ふれあい館えんどうじ」では、会場マップの配布や有料展示のチケットを販売(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺商店街の中にある「ふれあい館えんどうじ」では、会場マップの配布や有料展示のチケットを販売(写真撮影/倉畑桐子)

地域住民に理解を求める事前準備に、何より注力

当初から田尾さんは、事務局側に「地元の人あってこその商店街」だと強調していた。「あいちトリエンナーレが来ることで、街の良さやあり方が変わってしまうなら、必要ないと思いました」と話す。

「田尾さんに『まず、住民の人に向けて説明会を開かないと』と言われて、初めて気付かされた。ありがたかったです」と、前出の竹内さんは言う。

プロジェクトチームからの提案を受け、2018年12月、あいちトリエンナーレ実行委員会事務局は、地域住民に向けた説明会を旧那古野小学校の体育館で実施した。津田大介芸術監督からの企画概要の説明に、約80人の住民が耳を傾けた。これは前例がないことだという。また今年4月には、ジャーナリストの池上彰氏を招き、同じ場所で事前申込者向けのプレイベントも実施している。

「あいちトリエンナーレで新しいお客さんが来たら、お店の人は喜ぶけれど、地域に住む人の反応は違いますよね。今回のことに限らず、地域の人に迷惑をかけるイベントなら意味がない。だから、事前の段取りには何より注意を払いました」と田尾さん。

説明会の実施によって、地域に住む人も「街に何が起きているかが分かっているし、変化の具合も受け入れられる範囲だと知っている」ことから、「変に日常を変えられることなく、街自体はすごくいいスタートを切ることができました」と話す。

会期中は毎週、木曜から日曜の19時から「円頓寺デイリーライブ」という音楽プログラムが実施されている。長久山円頓寺駐車場の特設ステージで、さまざまなアーティストが、アコースティックの弾き語りなどの音楽ライブを繰り広げる。

「それでも、人が集まりすぎてどこかに迷惑がかかるようなこともなく、音楽が好きな人がやって来て、いい感じに過ごしている。これなら、アートと一緒になった街づくりもいいなと思えます」と田尾さん。

「円頓寺デイリーライブ」が行われるのは、鷲尾友公による「情の時代」がテーマの壁画「MISSING PIECE」(2019)前(写真撮影/倉畑桐子)

「円頓寺デイリーライブ」が行われるのは、鷲尾友公による「情の時代」がテーマの壁画「MISSING PIECE」(2019)前(写真撮影/倉畑桐子)

商店街の中にトリエンナーレを取り込んで、一体となったおもてなし

四間道・円頓寺地区の10カ所の展示やプログラムのうち「メゾンなごの808」「幸円ビル」「伊藤家住宅」の3つの見学は有料となっているが、他は無料。自由に作品を見て回りながら、名古屋市町並み保存地区である四間道や、円頓寺商店街、江川線を挟んで隣接する円頓寺本町商店街をブラブラ散策できる。勝手に自分の名前を掲示するというグゥ・ユルーの「葛宇路」(2017年)や、古いスナップ写真の人物への妄想を膨らませ、ポーズを再現したリョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)など、考える前にクスッと笑ってしまうような作品もあり、肩肘を張らずに楽しめる。

円頓寺銀座街店舗跡に自分の名前を掲示した標識は、グゥ・ユルーの作品「葛宇路」(2017年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺銀座街店舗跡に自分の名前を掲示した標識は、グゥ・ユルーの作品「葛宇路」(2017年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺商店街・四間道界隈店舗では、「トリエンナーレチケット提示サービス」として、割引や1ドリンク付きなどのサービスを38店が実施。8店は「トリエンナーレコラボメニュー」として料理やドリンク、グッズを提供している。

また、期間中は「パートナーシップ事業」として、界隈の6つのギャラリーで展示やイベントを開催。それらの情報は、円頓寺界隈の情報誌の別冊として、1冊のパンフレットに分かりやすくまとめられている。

界隈で店を営む女性メンバーで制作する円頓寺・四間道界隈の情報誌『ポゥ』の別冊として、あいちトリエンナーレのガイドブックを発行(写真撮影/倉畑桐子)

界隈で店を営む女性メンバーで制作する円頓寺・四間道界隈の情報誌『ポゥ』の別冊として、あいちトリエンナーレのガイドブックを発行(写真撮影/倉畑桐子)

「商店街としては、訪れる人への対応という意味で、いつもどおりのおもてなしをしているつもりです。トリエンナーレの総合案内所である『ふれあい館えんどうじ』も商店街の中に設置していますし、店側はサービスに協賛するだけでなく、街の中にトリエンナーレを取り込んで、本体と一緒になっておもてなししている気持ちです」と田尾さん。

会期中は、四間道・円頓寺地区における拠点「なごのステーション」にあいちトリエンナーレ実行委員会事務局のスタッフも常駐する。ボランティアスタッフも多く、各店も協力的なので、訪れた人が「どこをどう回ったらいいのか?」と迷うことも少なそうだ。

店によっては、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの作品に写真を提供したり、越後正志の「飯田洋服店」(2019年)のために古い什器を探したりするなど、アーティストの作品制作を手伝ったケースもあり、まさに、街とあいちトリエンナーレが一体となって取り組んでいる印象がある。

越後正志の「飯田洋服店」(2019年)は、円頓寺本町商店街にある実際の店との出会いから生まれた作品(写真撮影/倉畑桐子)

越後正志の「飯田洋服店」(2019年)は、円頓寺本町商店街にある実際の店との出会いから生まれた作品(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺界隈に住む人が昔の写真を提供した、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺界隈に住む人が昔の写真を提供した、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

「円頓寺デイリーライブ」の終了後も、訪れた人が余韻に浸れるよう、夜7~8時ころからのドリンクやスイーツメニューを自主的に充実させたという店もあるという。

「デイリーライブというナイトエンターテインメントは、あいちトリエンナーレで初の試みです。愛知芸術文化センターなど別会場での展示が終わってから、こちらのライブに流れてくるお客さんもいるので、そういった人にも引き続き楽しんでもらえれば」と田尾さんは話す。

作品の展示も行われている拠点「なごのステーション」は、円頓寺商店街と四間道エリアの間に位置する。作品の制作期間中は、2階がアーティストの作業場や宿泊所としても活用された(写真撮影/倉畑桐子)

作品の展示も行われている拠点「なごのステーション」は、円頓寺商店街と四間道エリアの間に位置する。作品の制作期間中は、2階がアーティストの作業場や宿泊所としても活用された(写真撮影/倉畑桐子)

パートナーとして選ばれるような、「面白い」街づくりを

最後に、全国の商店街の示唆にもなるような、日ごろからの取り組みはないかと聞いてみた。

「トリエンナーレで言えば、誘致するものではなく選んでもらうもの。商店街で何かをしたからトリエンナーレがくるのではなくて、自分たちが価値を出し合った結果、こういう広がりにつながっていくのではないでしょうか。

商店街とは、商売をしながら街をつくっていくものなので、一つ一つのお店の魅力や、サービスの良さの集合体で成り立っています。それでお客さんを満足させて、また来たいと思わせる何かがあるか、ということ。街の数だけ色々な展開があると思いますが、いつか芸術監督が下見に来たときに、『面白そうだ』と思われる街になっているかどうかです。それは自分たち商店主自身が、いかに日ごろからお客さんのことを考えているかによるのでは」

「一時的にワーッと盛り上がるのではなく、好きな人が思い思いに過ごしながら、街とアートが融合している方がいい」と話す田尾さん。そういった意味で、四間道・円頓寺界隈とあいちトリエンナーレは合っているように感じるという。

トリエンナーレの期間終了後については、「壁画やロープは街の中に残せるだろうし、“アフタートリエンナーレ”のように、今回の縁で繋がったアーティストやキュレーターのみなさんと、何かを仕掛けるのも面白そうですね」と思いを巡らせる。

「これをきっかけに、1日に一人か二人でも、この界隈をフラフラするファンが増えてくれたらいいな」とのことだ。

アートには詳しくないけれど、筆者は2010年のスタート時から、毎回あいちトリエンナーレを楽しんでいる。これまでは愛知芸術文化センターを中心に見ていたが、今回、円頓寺界隈のファンになり、街とアートが一体となった「まちなか会場」の魅力に目覚めた。あいちトリエンナーレを回る楽しみがまた増えた。

●取材協力
・円頓寺商店街振興組合
・あいちトリエンナーレ実行委員会事務局

便利?不安?“キャッシュレスな街“の暮らし心地を調査してみた

2018年~2019年にかけて、にわかに注目を集めるようになった「キャッシュレス決済」。最近では商店街での買い物、税金などの公共料金の支払いにも対応するようになっています。では、暮らしはどう変わっていくのでしょうか? 現在、東京都墨田区では約800の個人商店でQR決済が利用できるようになっていますが、そのなかの一つ、「向島橘銀座商店街(通称:キラキラ橘商店街)」を歩いて聞いてきました。
実証実験中に墨田区の個人商店800店でQR決済が可能に。その効果は?

東京都墨田区の曳舟駅から徒歩数分の場所にある「向島橘銀座商店街(通称:キラキラ橘商店街)」は、飲食店など、大小のさまざまな店舗が軒を連ねる下町の商店街です。2018年12月から2019年3月まで、QRコード決済「PayPay(ペイペイ)」が利用できる実証実験を行い、一躍、脚光を浴びました。でも多数の個人商店が集まる商店街でなぜ「QRコード決済」を導入しようと思ったのでしょうか。墨田区商店街連合会・事務局長である井上佳洋さんに、まずは背景を伺いました。

墨田区商店街連合会の井上さん。当初の想定よりも「PayPay」の実証実験に参加する店舗が増え、商店街連合会としても手応えがあったよう(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

墨田区商店街連合会の井上さん。当初の想定よりも「PayPay」の実証実験に参加する店舗が増え、商店街連合会としても手応えがあったよう(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「今回の実証実験は、私ども墨田区商店街連合会から『PayPay』に持ちかけ、実施となりました。QRコード決済を導入しようという背景ですが、2点あり、(1)2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、海外からの訪日客の決済需要に答えたいということです。墨田区には両国国技館があり、ボクシングが実施されるので、当然、海外のお客様が多く訪れることが予想されます。(2)地元客に対しても今後、普及するであろうQRコード決済にいち早く対応して生活利便性を上げていきたい、との狙いがありました」(井上さん)

とはいえ、キャッシュレス決済の事業者は乱立気味。「キャッシュレスって言ったって、どこの事業者を導入したらいいのか分からない」と商店街のみなさんも困惑していたそう。そこで、商店街連合会が複数のQRコード決済事業者を比較し、導入コスト、入金までの期日といった使い勝手を比較、最も商店の導入負担の少ない「PayPay」を選定したそう。

加えて、「PayPay」が2018年12月に大規模キャンペーンを打ったこともあり、認知度が急激にアップ。そのため、当初、実証実験に参加したのは約300店舗だったものの、最終的には墨田区商店街連合会が把握するだけでも約800店舗にものぼったそう(チェーン店などは除いた個人店の数)。実証実験が終わった取材日(2019年5月末)でも、およそこの800店でキャッシュレス決済が継続しているといいます。

「当初は、『よく分かんない』『怖い』『めんどくさい』などのネガティブな意見を想定していたのですが、煩わしくないし、トラブルもほとんど聞きませんでした。拍子抜けするほどです」とあっさりしたようす。

利用者の年代はやはり若い世代が中心のよう。
「20代、30代が多くて、ついで40代といったところでしょうか。このあたりは平坦なので自転車を利用者が多いんですが、スマホさえあれば会計できるので、ドライブスルーのように自転車を降りずに買い物している姿なんかも見かけましたね」。確かに!自転車に乗ったまま買い物できるという発想はありませんでした。キャッシュレスの進展でドライブスルーならぬ、「チャリンコスルー」が流行るかもしれません。

平坦な地勢で、買い物に自転車利用者も多い商店街。スマホひとつで買い物できるのは便利なはず。ただ利用時には自転車を完全停車のうえ、周囲にも十分配慮したいところ(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

平坦な地勢で、買い物に自転車利用者も多い商店街。スマホひとつで買い物できるのは便利なはず。ただ利用時には自転車を完全停車のうえ、周囲にも十分配慮したいところ(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

また、筆者もですが、小さな子どもがいると大荷物になってしまい、お財布を探すのに時間がかかってイライラ……ということがしばしばあります。QRコード決済であれば、スマホさえ取り出せればお会計できるのでスムーズになるかもな、と思いました。

では、実際の使い勝手は? 商店のみなさんに聞いてみた

さらに使い勝手を知るべく、商店街を歩いて店舗のみなさんと利用者に話を聞いてみました。まずは和菓子屋さん。

和菓子屋さんのご主人と筆者が操作をするところ。あっけないほど簡単に買い物できます。店舗側でも思ったよりも不安なく導入できたと話します(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

和菓子屋さんのご主人と筆者が操作をするところ。あっけないほど簡単に買い物できます。店舗側でも思ったよりも不安なく導入できたと話します(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「『PayPay』利用者の利用者は一日に数人かな。こちらも慣れたので不安もないし、スマホですぐに入金確認できるし安心。これがパソコンだったら面倒だけど、スマホで見られるのもいいよね」と満足そう。

それでも困ったことは? と聞くと「たま~に支払い画面を見せてくれないお客さんがいることかな。そうすると『あれ? ほんとに払ったかな?』って不安になっちゃうよね。『ペイペイ♪』って決済音が出るんだけど、それが聞こえないときもあるしさ(笑)」と笑います。

次に訪れたのはお惣菜も売っているお肉屋さん。名物の東京コロッケや焼き鳥がずらりと並んでいて、晩ごはんやおつまみとしてついつい買って帰りたくなります。

「PayPay」のキャンペーン中は客単価もアップ。みなさん「おトク!」に敏感なんですね(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「PayPay」のキャンペーン中は客単価もアップ。みなさん「おトク!」に敏感なんですね(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「『PayPay』の利用者はやはり若い人が多いですね。100億円キャンペーンのときは、おトクに買えるということもあって、1人当たりの購入単価が多少、高くなっていた感触があります」とうれしそう。夕方、買い物客が増える時間帯にレジをあけずにさっと会計できるのもよいようです。

たこ焼き屋さんでも聞いてみました。
「たこ焼きってつくっているときに、手を休めることができないでしょう。だから、スマホを見るだけでいいQRコード決済はすごく助かりますよ。それに、導入するときに『PayPay』さんにいろいろと操作方法を教えてもらえたからね。とりあえず実験ということで、だめだったらやめればいいし(笑)、その点はすごく心強かったかな」と話します。

こちらのお店で「PayPay」払いを利用する人は、多いときで1日に10人ほど。たこ焼きさんのように、常に手で作業している店と親和性は高いよう。また、席で会計できる「飲食店」などでも使い勝手がよく、じわりと浸透してきているのを実感しました。

ちなみに各種電子マネーだと読み取り用の端末が油まみれになってしまうため、店頭での導入は難しいそう(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ちなみに各種電子マネーだと読み取り用の端末が油まみれになってしまうため、店頭での導入は難しいそう(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

消費者の使い勝手も悪くない。では後の展望と課題は?

また、この日、キャッシュレスを駆使して買い物をしているたこ焼き屋の常連さんにも話を伺いました。

「現金を持ち歩きたくない主義なんだよね。だからキャッシュレス決済で5種類ほどスマホに入れているよ。この商店街では『PayPay』を使える店は多いってことになっているけど、それでももっと増えてほしいよね。今だと、一度、チャージするとお金を使い切るのに3カ月ほどかかる。つまり、それほど使える店が少ないってことなんだよ」と、もっと普及してほしい様子。

たこ焼き屋さんの常連で、現在、キャッシュレス生活を満喫中。財布は持ち歩かないけど「ぜったいにスマホは落とせない」といい、バッテリーも持ち歩いているそう(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

たこ焼き屋さんの常連で、現在、キャッシュレス生活を満喫中。財布は持ち歩かないけど「ぜったいにスマホは落とせない」といい、バッテリーも持ち歩いているそう(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

よくある「使いすぎそうで怖いという不安」に問いに対しては、「キャッシュレスのいいところは、あとから買い物を振り返ることができるでしょ」と答えてくれました。課題としては、「やっぱりLINE、楽天、PayPayも含め、交通系ICカードの電子マネーなどと、規格が乱立しているから、もう少し統一されるといいかな」と話します。

確かにユーザー側から見ると、電子マネー払いやクレジットカード、さらにQRコード決済などと分散気味ですし、「何から導入したらいいか分からない」というのはよく分かります。そして、「管理できない」「設定がめんどくさそう」となり、「まだ様子を見ようかな(というだけで、何もしない)」となりがちです。

ただ、筆者はこの日、実際に「PayPay」を使って買い物をしてみましたが、想像以上にスムーズで拍子抜けするほど。キャンペーンで500円もらえたし、「タダで買い物できた、ラッキー!」が本音です。一方で、近所で使える店舗はまだチェーン店が中心で、よく行く店では使われていません。「もうちょっと規格が整理されて、使える店が増えてほしいなあ」というのが実感です(なお、利用者からのリクエスト機能もあるようです)。

公共料金や税の支払いにもキャッシュレス化の波が

日々の暮らしにかかわるキャッシュレス化は、日常の買い物だけではありません。最近は、行政が積極的に税や公共料金などの支払いをキャッシュレス化しようとしています。筆者が暮らしている神奈川県では、『キャッシュレス都市(シティ)KANAGAWA宣言』をしており、各種税金や上下水道料金の支払いがLINE Payで行えます。試しにアプリを入れ、現金でチャージをして、納付書に記載されていたバーコードを読み取ると支払い画面に。それをクリックするとあっという間に完了してしまいました。自宅にいながらにして納税できるのは便利ではありますが、「クレジットカード払いだったらポイントついたな……」となぜか損した気持ちに。

キャッシュレス化に取り組む行政の事例

ただ、個人的にはむしろ高額になる税金よりも、「保育園や学童などの細々とした支払いにQRコード決済が使えたらいいのに!」と思います。こういう教育現場では、衛生費や延長保育代など、期日までに現金で端数漏れなく用意してと言われることが多いのですが、「小銭の手持ちがない!」ということがよくあり、いつも半泣きになって用意しています。教育現場では先生や職員の業務負担軽減も叫ばれていますし、相性は悪くないと思うのですが……。

キャッシュレスを敬遠しがちな消費者も、一度なにかのきっかけで「QR決済」にふれることで便利さが実感できれば、加速的に普及していくことでしょう。スマホ決済が増えることで、現金管理のストレスが減り、今よりもっと楽しく買い物・決済ができるこれからの暮らしに期待したいと思います。

●取材協力
・向島橘キラキラ商店街
・PayPay

ドラマ『義母と娘のブルース』ロケ地・大岡山レポート! 「ベーカリー麦田」誕生秘話も

人気ドラマ『義母と娘のブルース』(TBS・火曜放送中)、略して“ぎぼむす”。綾瀬はるか演じるヒロインの岩木亜希子がキャリアウーマンから、小学3年生の義母に“就職”。家事や育児に奮闘するホームドラマだ。第二章では「ベーカリー麦田」(店長/佐藤健)の再建をかけて奮闘中。そのロケ地が東京都目黒区と大田区にまたがる街「大岡山」だ。そこで、ロケハンスタッフや商店街理事長に大岡山の魅力について聞いた。
ロケ地候補は100以上! 原作のイメージにぴったりの建物を大岡山で発見

2018年9月11日(火)に9話が放送になる『義母と娘のブルース』。主人公・亜希子(綾瀬はるか)は、夫・宮本良一(竹野内豊)が亡くなってから10年、高校3年生になった義理の娘・みゆき (上白石萌歌)と二人暮らしをしている。亜希子はみゆき最優先の生活を送るためキャリアウーマン時代の貯金を元手にデイトレードで家計を支えるも、みゆきの目には楽な仕事に映っていた。それではいけないと、働く親の姿を娘に見せるべく一念発起し、倒産寸前のパン屋「ベーカリー麦田」に就職。ビジネス手腕を発揮して、経営の立て直しをはかるために奔走する。

この「ベーカリー麦田」の撮影現場となっているのが、大岡山北口商店街。実在する建物の1階空き店舗にセットが組まれている。なぜこの場所がロケ地に選ばれたのだろう? 制作スタッフの清藤唯靖さんに裏話を教えてもらった。

まるで本物のパン屋さんのような「ベーカリー麦田」はすべてセット。撮影時には人だかりができるそうで、観光地化しているそう(写真提供/TBS)

まるで本物のパン屋さんのような「ベーカリー麦田」はすべてセット。撮影時には人だかりができるそうで、観光地化しているそう(写真提供/TBS)

大岡山北口商店街での撮影シーン(写真提供/TBS)

大岡山北口商店街での撮影シーン(写真提供/TBS)

「原作のイメージに合う街を見つけるため、1カ月半くらいロケ地を探しました。なかでも、大井町線沿線はマンションもあって都会的な雰囲気がありながら、下町の風情も持ち合わせていることから有力候補に。大岡山になった決め手は、『ベーカリー麦田』のイメージに合う建物が見つかったことです。『ベーカリー麦田』はドラマ後半のメイン舞台になるので、監督もかなりこだわっていました。かわいいとかスタイリッシュではなく、味がある建物がいいとオーダーされていて、100棟ほど提案したところ、正面の間口の雰囲気がいいと即決でした」(清藤さん)

「ベーカリー麦田」の厨房。佐藤健演じる、元ヤンキーの麦田章店長の“ダメっぷり”をただすべくヒロイン・亜希子が叱咤激励する場面でもおなじみ(写真提供/TBS)

「ベーカリー麦田」の厨房。佐藤健演じる、元ヤンキーの麦田章店長の“ダメっぷり”をただすべくヒロイン・亜希子が叱咤激励する場面でもおなじみ(写真提供/TBS)

本格的なパン焼き機もセットに完備。こうした機材も物語に臨場感をもたらす重要なアイテム(写真提供/TBS)

本格的なパン焼き機もセットに完備。こうした機材も物語に臨場感をもたらす重要なアイテム(写真提供/TBS)

街ぐるみの撮影とあって、ロケを通して人とのつながりがある暮らしの良さを実感したという清藤さん。いまでは大岡山北口商店街にぞっこんな模様。

「大岡山、とくに北口商店街に1日いると、住んでいる人の魅力がひしひしと伝わります。皆さん協力的で撮影を温かく見守ってくださるので、とてもありがたいです。昔ながらのお総菜屋さんやお茶屋さん、お弁当屋さんなど魅力的な個人商店が多くて、ほっとします。人情に厚いのは大岡山に根付く文化なのかもしれませんね。居心地が良過ぎて仕事終わりには、スタッフと商店街にある大衆酒場『やかん』に入り浸っています(笑)。このお店の気さくな雰囲気が大好きなんです。やはり便利さだけではなく、人とのつながりがある街はすてきですよね」(清藤さん)

8話を撮影中の風景。下町の風情がありながら、都心にも近いとあって大岡山のとりこになるスタッフも続出しているとか(写真提供/TBS)

8話を撮影中の風景。下町の風情がありながら、都心にも近いとあって大岡山のとりこになるスタッフも続出しているとか(写真提供/TBS)

廃校寸前の小学校を人気校へ! 大岡山は地域愛にあふれる人が集まっている

大岡山北口商店街振興組合の相川英昭理事長は、生まれてから69年間、大岡山で育ち暮らす一人。畳店を営みながら、ボランティアで商店街の活性化に尽力してきた人物である。商店街の特長について、次のようなポイントを挙げてくれた。

大岡山北口商店街振興組合の相川英昭理事長。懐が深く、とても気さくな人柄でドラマスタッフからの信頼も厚い

大岡山北口商店街振興組合の相川英昭理事長。懐が深く、とても気さくな人柄でドラマスタッフからの信頼も厚い

「まずは、地域密着型であることですね。商店街を訪れてくれるお客様に還元できるイベントもたくさんやっていて、お客様に感謝の念を伝えることは惜しみません。交通安全や防災訓練も商店街主導で積極的に実施しているので、地域とのつながりが自然と深くなります。また、近隣の人が買い物に来るので、お店の主人たちもほとんどのお客さんの顔を覚えているんです。些細なことかもしれませんが、心ある人の存在が暮らしの安心にもなると思います」(相川理事長)

170ある商店は、生鮮食品から肉屋さん、魚屋さんまでバラエティ豊富。「商店街の店主たちは、品ぞろえには並々ならぬこだわりをもっていますよ」と自信をのぞかせる相川理事長。

商店街の“ご意見番”、下山和子(麻生祐未)が営む不動産屋さん。こちらも大岡山北口商店街にあるセット(写真提供/TBS)

商店街の“ご意見番”、下山和子(麻生祐未)が営む不動産屋さん。こちらも大岡山北口商店街にあるセット(写真提供/TBS)

また、大岡山という街は、地域で子どもを見守り育てようという風土が定着しているという。

「大岡山駅のすぐそばに、私の母校でもある大田区立清水窪小学校があるんですが、少し前までは生徒が集まらず廃校寸前だったんです。そこで、同じく大岡山にキャンパスがある東京工業大学の教授にわれわれ地域に住む卒業生からも相談を持ち掛けたところ、実践的な科学教育で独自性を出すのはどうかという話になり、大学と行政が協力して『おおたサイエンススクール』を設置する運びとなりました。その授業内容が良いと評判になり、いまでは入学希望者が増加してクラスが足りないほどです。地域に暮らす人、特に子どものためになることなら、街ぐるみで取り組もうという姿勢は長年受け継がれている風土ですね」(相川理事長)

ちなみに、制作スタッフの清藤さんは相川理事長から「きよちゃん」と呼ばれ、かわいがられていた。こうした大らかな人情が、きっとドラマのハートフルな雰囲気に好影響をもたらしているのかも。これからクライマックスに向けて、ますます目が離せない“ぎぼむす”。物語もさることながら、ぜひ街の風情にも目を向けてみると楽しみも一層広がりそうだ。

●取材協力
TBS系 火曜ドラマ『義母と娘のブルース』(毎週火曜 夜10時放送中)

ネコの街と呼ばれる谷中ってどんな街? 住民の方と一緒に散策してみた

東京の谷中、根津、千駄木。「谷根千」と呼ばれる界隈は、下町の雰囲気を色濃く残す人気の街だ。なかでも谷中は「ネコの街」として知られ、人に慣れた猫たちが悠々と街を往来している。雑誌やテレビの散歩特集などで取り上げられることも多いが、一方で、その住環境について語られることはあまりないように思う。
そこで、知られざる谷中の「住み心地」を調査すべく、住民の方を案内役にその魅力を掘り下げてみることにした。

迷路のような路地裏

今回ガイドしてくれるのは、谷中在住歴15年というサッサさん。ネコの雑貨販売を生業にしており、「ネコの街」の案内人としてはうってつけである。

サッサさん。たまたま訪れた谷中に惹かれ、住みつくようになったという(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

サッサさん。たまたま訪れた谷中に惹かれ、住みつくようになったという(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

JR日暮里駅を出て最初に訪れたのは、「夕やけだんだん」。夕焼けの美しさで知られる名所である。ここを下ると、これまた名物商店街の「谷中銀座商店街」へつながるのだが、商店街は通らず手前の道を脇へと逸れるサッサさん。

夕暮れ時には、階段に座って風景を眺める人の姿も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

夕暮れ時には、階段に座って風景を眺める人の姿も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

なんでも、「谷中銀座商店街は休日になると観光客で溢れかえるので、あまり住民は行かないんですよ」とのこと。

そう言って、静かな路地をするする抜けていく(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

そう言って、静かな路地をするする抜けていく(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

確かに、商店街を一歩隔てただけの路地は静かで、誰ともすれ違わない。ここをゆっくり散歩するのが、サッサさんの日課だ。

「谷中は路地裏がいいんですよ。少し脇道に入ると、どこに続いているか分からない曲がり道や素敵な細い道がたくさんある。何度通っても迷路のように迷い込んでしまう。私は、そこに惹かれたんですよね」

下を流れる川に沿ってできた「蛇道」(写真撮影/小野洋平)

下を流れる川に沿ってできた「蛇道」(写真撮影/小野洋平)

なお、この路地の多さこそ、ネコが住み着いた要因の1つだという。

「どの路地も車が通れないほど狭いでしょ? それに古くから神社仏閣や墓地が多いエリアなので、ネコも安心してのんびり暮らせていたんです」

こちらはつつじの名所として知られる根津神社(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

こちらはつつじの名所として知られる根津神社(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

今と昔が混在する街並み

また、なんといっても古い街並みの美しさ。木造の長屋が並ぶ下町らしい風景が、サッサさんのお気に入りだ。

「初めて谷中に訪れたとき、その美しさに感動したんです。それから『こんな街に暮らしてみたいな』と思い焦がれていたらご縁があり、2年後に引越しを決めました」

サッサさんを魅了した木造長屋の街並み(写真撮影/小野洋平)

サッサさんを魅了した木造長屋の街並み(写真撮影/小野洋平)

最近は古い建物を活かし、リノベーションしたカフェがオープンするなど、谷中らしい景観を残そうとする動きも見られる。しかし、その一方で、近代的な外観の建物も急速に増えているそうだ。

「最近になって、新しい住民は増えましたね。東大や芸大が近いので学生はもともと多かったんですけど、ここ数年は単身者らしき大人の方もよく見かけます。耐震の関係で建て替えをする家も多く、一人暮らし用の手ごろなアパートなんかが見つかりやすいのだと思います」

寺町らしい一画。正面に見えるのは谷中のシンボル、樹齢90年を超えるヒマラヤスギ。なんと、植木鉢から育てられ、ここまでの巨木になったという(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

寺町らしい一画。正面に見えるのは谷中のシンボル、樹齢90年を超えるヒマラヤスギ。なんと、植木鉢から育てられ、ここまでの巨木になったという(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さて、下町というとコミュニティが若干閉鎖的というイメージが筆者にはあった。しかし、ヨソからやってきたサッサさんは、完全に街に溶け込んでいる様子。街を散策中、幾度もすれ違う人とあいさつを交わし、時には立ち話に花が咲いた。

「さっきの人は行きつけの飲み屋で知り合ったおかあさんです。お祭りの神輿に誘ってくれたり、いま住んでいるお家も見つけてもらったんです」

なんでも、昔からの住民は「世話好き」が多いとのこと。

「何か困ったことがあったら助けてくれる良い方ばかりですよ。もはや地元にいるのと変わらない感覚ですね。行きつけの飲み屋は親戚の家みたいな雰囲気だし、新旧の住民が密接な関係になりやすいのも谷根千ならではだと思います」

どうやらここにはリアルに「下町の温かさ」が根付いているようである。

散策中に出会ったネコ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

散策中に出会ったネコ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ちなみに、谷中の住民は人だけでなくネコにも温かいそうだ。

「近所に住む人たちは、野良猫でも責任を持って世話するんです。だから、街も汚れずに多くのネコが住み着いたんですよ」

しかし、その一方でこんな話も。

「ただ、じつは谷中のネコは年々減少しています。というのも、区のボランティアによって、去勢・避妊手術を行い、殺処分ゼロ・野良猫ゼロにする運動を行ってきたからです」

野良猫が際限なく増えれば、糞害などのトラブルも起こる。谷中のネコに癒やしを求める観光客は多いが、住民にとっては可愛いだけでは済まされないストレスもあるのだろう。数年前から区のボランティアグループが立ち上がり、「ネコの街」は新たな転換点を迎えているという。

そんな谷中の生活環境とは?

さて、最後に谷中の生活環境に目を向けてみよう。まずは買い物事情。生活必需品は、谷中銀座商店街に交わる「よみせ通り」でそろうとのこと。谷中銀座商店街は観光客向け、よみせ通りは地元民向けという棲み分けのようだ。

地元民が行き交う「よみせ通り」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

地元民が行き交う「よみせ通り」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「大きな買い物をするときは上野に行きます。自転車で10分弱くらいなので不自由ないですね。それから、電車も日暮里駅や千駄木駅が使えるので便利ですよ。どこにでも出やすいです。ただ、街中は坂が多くて体力がないときついかな。私は自転車によく乗りますが、すぐにブレーキがすり減ります(笑)」

長い一本道の坂。足腰が鍛えられそうだ(写真撮影/小野洋平)

長い一本道の坂。足腰が鍛えられそうだ(写真撮影/小野洋平)

谷中近辺の家賃相場は?

そんな谷中の気になる家賃相場を見ていこう。JR日暮里駅の一人暮らし用賃貸物件(駅徒歩10分圏内、20~30平米のワンルーム・1K・1SK)の相場は8.9万円、物件数は824件もヒットした。ただ、サッサさんいわく、古くから残る物件もあれば最近建て直された物件もあるのでピンキリだという。

また、参考までに谷中近隣の街の家賃相場は以下のとおり。

●谷中まで15分以内の家賃相場が安い駅ランキング(TOP10)

1位 谷在家(日暮里・舎人ライナー)/14分/5.8万円/物件数175
2位 お花茶屋(京成電鉄本線)/15分/6.5万円/物件数249
3位 江北(日暮里・舎人ライナー)/11分/6.6万円/物件数146
4位 荒川二丁目(都電荒川線)/14分/6.6万円/物件数24
5位 小菅(東武伊勢崎線)/14分/6.6万円/物件数146
6位 扇大橋(日暮里・舎人ライナー)/8分/6.8万円/物件数115
7位 高野(東京)(日暮里・舎人ライナー)/10分/6.8万円/物件数111
8位 西新井大師西(日暮里・舎人ライナー)/13分/6.8万円/物件数162
9位 東尾久三丁目(都電荒川線)/14分/7.0万円/物件数65
10位 堀切菖蒲園(京成電鉄本線)/13分/7.1万円/物件数526

というわけで、街歩きで見えてきた谷中の特徴をまとめると…

・車も入れないほどの路地が迷路のように入り組んでいる
・古い長屋や神社仏閣、坂など昔ながらの景観が残る
・一方で、新しい住居も増えつつある
・ここ数年、単身者を中心に新しい住民が多く見られる
・昔からの住民は世話好きな方が多く、仲良くなりやすい
・実は野良猫は減りつつある

「ネコと商店街」のイメージが強かった谷中だが、ネコは減り、地元民はあまりメインの商店街を使っていないという意外な事実が見えてきた。「ネコと商店街」はあくまで“観光客が求める谷中”であって、実際には冷静で地に足のついた生活が根付いている印象だ。一方で「世話好き」など、いわゆる下町の人情みたいなものはしっかりあって、サッサさんとご近所さんとのふれあいには、取材中何度もほっこりさせられた。これからさらに新しい住民が増えても、そういうベタな“下町的エモさ”は残り続けてほしい。帰り際、夕やけだんだんから赤く染まる街並みを眺めつつ、そんなことを思った。