孤独を癒す地域の食堂、ご近所さんや新顔さんと食卓を囲んでゆるやかにつながり生む 「タノバ食堂」東京都世田谷区

5月は「孤独・孤立対策強化月間」。「孤独ですか?」と聞かれたら、あなたは何と答えるでしょうか。現在、働いていても、家族がいても、友人がいても、内心、孤独を感じている人、将来、孤立するのではという怖れを抱いている人は多いことでしょう。今回はそんな「孤独の解消」を目的に掲げて活動する「タノバ食堂」の講演会と食事会に参加してきました。

地域ですれちがったときに会釈できる。ゆるやかなつながりが孤独を救う

TanoBa(タノバ)合同会社は、「望まない孤独をなくす」を目的に、2023年3月にヤフー・ジャパンの卒業生3名が共同出資してできました。事業の1つ「コミュニティ事業」として毎月、実施しているのが、食事をともにすることでゆるくつながりをつくる「タノバ食堂」です。タノバ食堂が実施されるのは、東京都世田谷区にある野沢龍雲寺の別館・龍雲寺会館。完全予約制で、2023年10月より毎月最終土曜日に行われており、通算5回、約100人の参加があったといいます。料金は参加者が思い思いの金額を支払う自由価格制をとっています。

左から宮本桃子さん、宮本義隆さん、多田大介さん(写真撮影/内海明啓)

左から宮本桃子さん、宮本義隆さん、多田大介さん(写真撮影/内海明啓)

2024年3月30日、TanoBa合同会社の設立を記念して、「望まない孤独を解消するための処方箋~自己責任社会からの脱却~」というイベントが開催されました。
トークイベントに先立ち、まず、TanoBa代表社員である宮本義隆(みやもと・よしたか)さんが、日本の社会の変化や孤独の背景にあるもの、タノバの設立と活動について紹介。誰もが起こり得る身近な問題「孤独」の解決の処方せんになり得ると話すのが「道端ですれ違ったときに会釈できる程度のゆるいつながり」だといいます。そこをつなぐのが、タノバ食堂の役割です。

宮本義隆さんの挨拶(写真撮影/内海明啓)

宮本義隆さんの挨拶(写真撮影/内海明啓)

確かにごはんをいっしょに食べると、「知らない人」から「見たことがある人」「話したことがある人」になります。そうしたゆるいつながりこそが、孤独を癒やし、生きやすい社会をつくってくれる、とのこと。また、この「タノバ食堂」で得た経験値を全国に広げて還元していきたいと話してくれました。

お寺の本堂に約70名の参加者がいます。なかなか見慣れない光景のようにも思えますが、お寺本来の使われ方なのかなとも思います(写真撮影/内海明啓)

お寺の本堂に約70名の参加者がいます。なかなか見慣れない光景のようにも思えますが、お寺本来の使われ方なのかなとも思います(写真撮影/内海明啓)

孤独問題の第一人者と名物編集者の対談は、笑いあり、学びあり、気づきあり

続いて開催されたのが、トークセッションです。登壇者は、24時間365日、無料かつ匿名で相談を受け付けているNPO法人「あなたのいばしょ」の理事長・大空幸星(おおぞら・こうき)さんと新潮社の名物編集者でもあり、出版部部長(現執行役員)中瀬ゆかり(なかせ・ゆかり)さんという異色かつ豪華な2人。会場となった龍雲寺の本堂に老若男女約70名が集まりました。

中瀬ゆかりさん(左)と大空幸星さん(右)(写真撮影/内海明啓)

中瀬ゆかりさん(左)と大空幸星さん(右)(写真撮影/内海明啓)

2020年に相談開始してから、多い時で1日に3000件、累計100万件近く、多くの人の相談に乗ってきた大空さんが、なぜ孤独が問題なのか、その背景にある風潮や思想を紹介します。

「日本では『孤独を愛せ』などというように、孤独が肯定的な文脈で使われることがあります。もちろん望んで孤独になっているという人もいますが、望んでいないのに孤独に陥っている人もいます。問題なのは、この望まない孤独・社会的な孤立です。また、孤独で苦しい、助けて、と言い出せない背景には、新自由主義的な考え方、どこか懲罰的な自己責任論、自業自得的な考え方があるように思います。非正規雇用が増え続けたこの30年間、コロナ禍を経て、ますます人々が置き去りにされ、追い詰められているのではないでしょうか(大空さん)

望まない孤独の背景には、自己責任論、新自由主義的価値観の影響があるという大空さん(写真撮影/内海明啓)

望まない孤独の背景には、自己責任論、新自由主義的価値観の影響があるという大空さん(写真撮影/内海明啓)

続けて、メディアにもたびたび登場する中瀬ゆかりさんが、文学と孤独、人との関係について話します。

「文学と孤独は切っても切れない関係です。陽気で“ウェーイ!”という人に向けての本はあまりなくて(笑)、なにか人によりそう、生きにくさや孤独を抱えた人によりそうのが本であり、文学なんですね。「人生論ノート」などで知られる哲学者・三木清は『孤独は山にない、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。』といいましたが、つながっているように見えても誰にでも孤独は訪れます。自己責任論で片付けるにはあまりにも創造力がないし、短絡的だなと思います」(中瀬さん)

自身の体験を交えながら、孤独や食事、文学について話す中瀬さん(写真撮影/内海明啓)

自身の体験を交えながら、孤独や食事、文学について話す中瀬さん(写真撮影/内海明啓)

そのうえで二人は、孤独の解消に必要なのは、ゆるいつながり、おせっかい、聞く力だといいます。

大空さん「孤独は普遍的な問題で、みなが経験するもの。対処法はひとつではないですし、それぞれの立場でできることをすればいいと思います。ただ、やっぱり、おせっかいも大事なんですね。『どうした?困っている?』という地域の人の声がけられるのは、大きいですよね。また、できることでいうと、私達はとにかく相手の話を聞くこと。肯定すること。ほめてあげることを徹底しています。予防という意味では、やはりゆるいつながりをたくさんもっているのがいいですよね。
また、『僕は本気の他人事』という提唱をしていて。とにかく、人を助けたいという人はがんばりすぎて、自分を犠牲にしてしまうことが多いんです。すると自分の人生を大事にできなくなってしまう。自分を大事にして、余白ができたら手を貸す。その姿勢でよいと思います」

中瀬さん「私自身、パートナーの喪失、愛猫の介護などが押し寄せ、地獄のような日々を送っていました。特にパートナーを失ってからの2年間は、毎日、誰かとご飯を食べる約束をしていたんです。誰かと食事をするとその日、1日は生きていくことができる。こうして2年くらい過ごしたら、生きている人同士だけでなく、死者ともつながりをもてるんだなということに気がついて。遺骨をネックレスにしていたんですが、パートナーの好きだった競馬場にこのネックレスを身に着けていき、競馬を見ていたらつながっているなあと実感しました。
あと、下ネタは話題や人にもよりますが、最強なのではないかと(笑)。すごいラクなんですよ、聞いているほうも話しているほうも。笑った分は救われるではないですが、しょーもない話をしていることで、気持ちがラクになる。難しく追い詰めずに笑うのが力になると思います」

時折、笑いも交えたトーク内容に、多くの人がうなずき、そしてメモをとっていました。

住職からみた「寺」とまち、孤独、つながり。普遍的な宗教の役割とは

トークイベントの最後は、タノバ食堂の場所を提供し、サポートしている野沢龍雲寺 の住職・細川晋輔さんの話です。

人へのあたたかくやわらかなまなざしが印象的な細川住職(写真撮影/内海明啓)

人へのあたたかくやわらかなまなざしが印象的な細川住職(写真撮影/内海明啓)

「タノバ食堂の取り組みというのは、寺院や私たち僧侶にとっても、とても大事な問題だと捉えています。孤独で、苦しみのただ中にいると『死』という選択が光・希望に見えるというお話がありました。そうでなくて、タノバ食堂が提供するようなつながり、孤独でないという思いが『光』になれたらいいなと思います。つらく悲しい選択をしなくてよいように、私たちができることからコツコツと笑顔になっていければと思います」とやさしく語りかけます。

実は、このタノバ食堂、創業者の多田大介さんが野沢龍雲寺のご近所に住んでいたこと、多田さんのいとこが細川住職と知り合いだったことから、「場所を提供する」という話がまとまったといいます。トークイベント終了後、その経緯と手応えを細川住職に聞いてみました。

「タノバ食堂のお話を聞いたときに、まず1回やってみようという話になりました。場所は無料でお貸し出ししていますが、お願いしたことはただ一つ、場所を来たとき以上にキレイにしてください、ということだけです。
本日、参加者が通算100人を超えるということでしたが、まず何千人という数の話ではなく、ムリのない範囲で背負わない程度にやっていけたらいいですよね。これを10カ所でやったら1000人になりますし、100カ所でやったら1万人になりますよ。そうしてゆっくりと、孤立の解消につながればいいですね」といい、できるペースで続けていくことが大切だと話します。

そして、寺院を広く開放するようになった背景をこう話してくれました。

「私が京都の修行を終え、お寺に戻ってきた時のことです。雪の日に子どもたちが雪だるまをつくっていたんですが、声をかけようとしたら子どもは怒られると思ったようで、話ができなくて。お寺には入っていけないと言われているし、声がけをしたら怪しまれる。時勢柄、今の社会はよいようで、やはりこれではよくない。そこで境内にベンチを置いて、花見とライトアップ、盆踊り、ヨガや座禅会なども行っています。昔のお寺にあった地域に開かれた場所というのを今、意識的に行っているんです。みなさんもカフェを訪れる感覚で、お寺を訪れてもらえたらうれしいです。東京にもたくさん寺院はありますので」(細川住職)

寺院、お寺、宗教というと、閉ざされた神聖な場所をイメージしますが、もともとは行政や病院、学校、裁判のような多数の人に開かれた場所でもありました。細川住職が理想として思い描くのは、やはり開かれて、ゆるくつながる場所としての「寺院」の存在です。

トークイベント終了後には参加者と記念撮影(写真撮影/内海明啓)

トークイベント終了後には参加者と記念撮影(写真撮影/内海明啓)

「タノバ食堂さんが目指すように、やはりご近所さんとは会ったら挨拶できる関係がよいかなと思います。散歩している人には結構、喋りかけることも多いですね。もちろん返してくれない人、嫌がる人もいますけど(笑)。この根底にあるのは、『まわりに迷惑をかけていけない』という考え方なんでしょう。でも、いいんです、迷惑をかけて。生きるっていうことは迷惑をかけることなんです。迷惑をかけてもいいと思えば、みなさん少しラクになるのではないでしょうか」と、細川住職。

私たちの多くは、小さなころから何度も「まわりに迷惑をかけるな」といわれて育ちます。だからこそ、迷惑をかけずにひっそりと暮らさなくてはいけない、苦しくても助けてといえない、「静かな圧力」になっている側面もあるのでしょう。ご住職の「そもそも人は迷惑をかけるもの」という捉え方に、肩の力が抜ける思いがします。

老若男女が食事を楽しむ。会話が苦手な参加者も自然になじむ

トークイベント終了後、場所を「龍雲寺会館」に移し、「タノバ食堂」が17時30分から開店しました。今回は常連さんから初参加者に加え、大空さんと中瀬さんを含め、老若男女で食卓を囲みます。メニューはちらし寿司など春を感じさせるもので、今回はアルコールはなしですが、アルコールが飲めることもあります。

ボランティアの料理人さんを紹介。海外出身の方もおり、会場からは驚きの声が上がっていました(写真撮影/内海明啓)

ボランティアの料理人さんを紹介。海外出身の方もおり、会場からは驚きの声が上がっていました(写真撮影/内海明啓)

タノバ食堂の約束をまとめた「タノバ食堂の憲章」。9番目の「来た時よりも美しく、残すものは感謝のみ」は、会場を提供する細川住職の唯一のお願い(写真撮影/内海明啓)

タノバ食堂の約束をまとめた「タノバ食堂の憲章」。9番目の「来た時よりも美しく、残すものは感謝のみ」は、会場を提供する細川住職の唯一のお願い(写真撮影/内海明啓)

今回の献立は、ちらし寿司に筑前煮など。「取り分け」があるので、コミュニケーションのきっかけにもなります(写真撮影/内海明啓)

今回の献立は、ちらし寿司に筑前煮など。「取り分け」があるので、コミュニケーションのきっかけにもなります(写真撮影/内海明啓)

「いただきます!」の挨拶をしたら、参加者は思い思いの会話をし、盛り上がっていました。参加していたのは40人ほどで、年齢性別、属性も異なり、講演会に参加していた人からさらにバラエティー豊かな顔ぶれに。その様子はまるで古くからの友人のよう。初対面の人に話しかけたり、名前と顔を覚えたりするのが苦手な筆者からすると、「みなさん、コミュニケーション能力高すぎでは?」と思っていました。ただ、食事会にも参加した大空さんによると、そうでもないようです。

食事会の様子。年齢・性別もばらばらですが、会話が弾んでいます(写真撮影/内海明啓)

食事会の様子。年齢・性別もばらばらですが、会話が弾んでいます(写真撮影/内海明啓)

発起人である多田さんも、もちろん参加します(写真撮影/内海明啓)

発起人である多田さんも、もちろん参加します(写真撮影/内海明啓)

食事会にも参加した大空さん。箸を進めつつ、会話をしていきます(写真撮影/内海明啓)

食事会にも参加した大空さん。箸を進めつつ、会話をしていきます(写真撮影/内海明啓)

「僕と同じテーブルになった方は、実はコミュニケーションが苦手で今日、ここに来るかどうかもすごい迷ったらしいんです。ただ、ここは食べるのがメインだから、あんまり重く受け止めなくていいと言っていました」と大空さん。会話が苦手な人はおかずを取り分けたり、会話の聞き役にまわったりとなじんでいるよう。みなさん会話が得意な人というわけではなく、あくまでも「食事メインだから」というのがよいようです。

途中、今回が2回目の参加という30代女性に話を聞きました。
「前回が楽しかったので、2回目の参加です。1カ月に一度というペースもちょうどよいですし、孤独というテーマにも興味があって。手づくりの食事を食べて盛り上がるだけなので、がんばらずに参加できるのがいいなと。リアルのつながりと、オンラインのつながり、どちらも大切。居場所があるといいなと思います」と感想を教えてくれました。

にこやかな中瀬さん。昔からの友人かのように盛り上がっていました(写真撮影/内海明啓)

にこやかな中瀬さん。昔からの友人かのように盛り上がっていました(写真撮影/内海明啓)

会話が苦手という人もいて、勇気をふりしぼって参加したという方も。みんながみんな会話上手、盛り上げ上手というわけではないようです(写真撮影/内海明啓)

会話が苦手という人もいて、勇気をふりしぼって参加したという方も。みんながみんな会話上手、盛り上げ上手というわけではないようです(写真撮影/内海明啓)

また、地元町内会で、毎回、「タノバ食堂」に参加しているという70代女性によると、この世田谷区野沢という地域は「まだつながりが残っている」とのこと。

「ご住職さんともつながりがあるし、近隣での声がけもまだ残っている地域です。ただ、この数年、コロナ禍で人と会えなくなり、だいぶ寂しかったですね。高齢だと人と会わず、話さなかったことで、気持ちも足腰も弱まり、元気を失ってしまった人もたくさんいるんです。タノバ食堂のように、地域の人、そして普段会わない人が集えるのはとてもいい。いつものメンバーだと会話もあきてしまうでしょ(笑)。新鮮な気持ちになるし、元気をもらえる。続けて参加して応援できたらと思います」といい、地域の協力・理解も得られているようです。

第二次世界大戦後から高度経済成長期、バブル経済崩壊などを経て、家族のあり方、ご近所付き合い、親戚づきあい、自治会や町内会、学校やPTA、会社の社員同士など、今まであったつながりも急速に衰えてしまいました。助けて、と言えない「孤独」「孤立」は、まさに誰もが陥るのだと思います。ただ、一方で、「ご近所と仲良くなりましょう」「助け合い」「絆」といわれてしまうと、「合わない人がいるかも」と気が引けてしまいます。「月1度、ご飯を食べるだけ」そんな気楽な会であれば、きっとつながれる人もいることでしょう。

仏教に由来する言葉のひとつに、「袖振り合うも多生の縁」という言葉があります。「多生」は仏教語で前世を意味し、袖が触れ合うようなちょっとした出会いも、過去の縁によって起きるという考え方です。自分も大事にしながら、人や人との縁を大事にしていけたら。そう考えれば、未来は今より少しだけ生きやすいものに変えていけるのかもしれません。

●取材協力
タノバ食堂

13代続く湘南の地主・石井さん、地域の生態系や風景まもる賃貸住宅で”100年後の辻堂の風景”を住まい手とつくる 「ちっちゃい辻堂」神奈川県藤沢市

コミュニティ賃貸のはしり、賃貸住宅に革命を起こしたといわれる「青豆ハウス」の誕生から10年。タネが芽吹くように、ゆるやかな人と人、人と地域がつながりを持つ個性的な賃貸が静かに増えつつあります。では、どんな人が共感し、どのような暮らしが行われているのでしょうか。湘南にある「ちっちゃい辻堂」を訪ね、その暮らしぶりを取材しました。

13代続く地主の石井光さん。100年後の辻堂の風景をつくりたい

2016年、青豆ハウスをつくった青木純さんは、「大家の学校」を開校しました。これは、日本全国の大家さんや希望者を対象に、「大家業」の実践と学び、出会いの場です。「愛のある大家さんになるにはどうしたらいいか」という視点にたち、「選ばれる場づくり」「関係性のデザイン」を学びつつ、「大家という仕事を描き直す地図」を手に入れる。今までにない学校といっていいでしょう。

■関連記事:
賃貸住宅に革命起こした「青豆ハウス」、9年でどう育った? 居室を街に開く決断した大家さん・住民たちの想い 東京都練馬区

「大家の学校」校長である青木純さんは、「大家として大切にしている6つの向き合い方(①そこにいる、②愛し続ける、③決めすぎない、④気を遣わせない、⑤一人ひとりの居心地を大切にする、⑥場が育つ触媒になる)というのがあるのですが、そのすべてをていねいに実行している方です」と話すのが、大家の学校1期生の、石井光さん。湘南・辻堂で13代続く地主の家系で、現在、小さな村のような賃貸住宅「ちっちゃい辻堂」のほか、コミュニティ農園の代表や田んぼにも携わり、「半農半大家」をしています。

「ちっちゃい辻堂」の大家である石井光さん(左)とお母さま(右)(写真撮影/相馬ミナ)

「ちっちゃい辻堂」の大家である石井光さん(左)とお母さま(右)(写真撮影/相馬ミナ)

ちっちゃい辻堂は、JR東海道線辻堂駅から海側に徒歩13分、平屋3棟と二階建て1棟、集合住宅、畑やみんなで使うコモンハウス「shareliving縁と緑」で構成されています。駅からも近いながら、敷地内にはふんだんに緑が植えられており、鳥のさえずりが心和ませてくれる、サンクチュアリのよう。住民はみな、口をそろえて「とにかく気持ちがいい」と話します。

手前が平屋、右奥には二階建て。建築設計はビオフォルム環境デザイン室(写真撮影/相馬ミナ)

手前が平屋、右奥には二階建て。建築設計はビオフォルム環境デザイン室(写真撮影/相馬ミナ)

取材時はまだ少なかった緑も、5月はこのように(写真提供/石井さん)

取材時はまだ少なかった緑も、5月はこのように(写真提供/石井さん)

竣工は2023年春、相場の賃料より高めの設定ですが、半年かけて満室に。2024年には少し離れた場所にできる第二期の募集をはじめますが、すでに15件ほどの問い合わせが寄せられているといい、着実に注目を集めているのがわかります。

大学では景観生態学を学んでいた石井さんは、地域の生態系や風景、生き物を大切にしたいとの思いを持っていたそう。そのため、プロジェクトのコンセプトは「ゆるやかに集まってつくる土とつながった暮らし」としました。建物には神奈川県産木材を使っているほか、敷地内には井戸が2カ所(どちらも手掘り)、さらに雨水タンク、コンポスト、サウナ、にわとり小屋があり、駐車場と通路はコンクリートではなく、微生物舗装(有機物や炭、石などの資源でつくる舗装の手法のこと)、敷地内の植栽は博覧会開催のため伐採予定だった木々を貰い受けて植えるなど、とにかくエピソードが満載です。

奥が雨水タンク、手前にあるのが井戸。草木や野菜の水やりや防災にもつながります(写真撮影/相馬ミナ)

奥が雨水タンク、手前にあるのが井戸。草木や野菜の水やりや防災にもつながります(写真撮影/相馬ミナ)

コモンハウスの室内。こたつが心地いいですね(写真撮影/相馬ミナ)

コモンハウスの室内。こたつが心地いいですね(写真撮影/相馬ミナ)

敷地内を散歩するメスのにわとりたち。産んだ卵は住民と分け合っているそう。奥には黒いテントサウナ(写真撮影/相馬ミナ)

敷地内を散歩するメスのにわとりたち。産んだ卵は住民と分け合っているそう。奥には黒いテントサウナ(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

完成から1年、住民たちと実験のような遊びを繰り返しながら現在のかたちに。つくり込み過ぎないのも魅力のひとつです(写真撮影/相馬ミナ)

完成から1年、住民たちと実験のような遊びを繰り返しながら現在のかたちに。つくり込み過ぎないのも魅力のひとつです(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

もともとは、築約60年の平屋4軒(最後は2軒)とアパートが立っていましたが、祖父に代わって光さんが経営を担うことになり、この「ちっちゃい辻堂」が誕生しました。他になかなかないコンセプトですが、家族からの理解はすぐに得られたのでしょうか。

「この地域は古くからの地主さんたちが土地を持っていて、相続が発生するごとに、土地が切り売られていき、また相続対策としてのマンション建設もあり、どこにでもある風景になっていっているような気がしていました。それと同時にまちから緑が少なくなり、生き物の居場所も減っていると感じていました。。わが家も相続対策をしないといけなかったのですが、先代にあたる祖父がとにかく借金が嫌だ、何もしない、と意地になっていて、どうにも話が進まない。そのため、ちっちゃい辻堂のコンセプトはできたものの、数年ほどお休み期間もありました」と光さん。

ただ、祖父が年齢を重ね、転倒が続くなどしたことから遺言書と家族信託を急いで作成。祖父の見送りなどもあり、当初の構想から7年ほど時間はかかってしまったものの、「ちっちゃい辻堂」は完成しました。

一方で、光さんのお母様は、先代の娘でもあります。世代的にも立場的にも板挟み、新しい価値観との出合いで、やや複雑な思いで見守っていたそう。

先代の娘でもあり、光さんの母でもある。心配しつつも「ちっちゃい辻堂」を見守り、応援しています(写真撮影/相馬ミナ)

先代の娘でもあり、光さんの母でもある。心配しつつも「ちっちゃい辻堂」を見守り、応援しています(写真撮影/相馬ミナ)

「私の父がしてきた『大家業』と、光のすることはイチから十までぜんぶ逆。父は昔ながらの感覚で、とにかく強烈な人。土地を守っていくことが第一、家は建てたらあとは管理会社にまかせておけばいい。でも光は、住民の引越しの手伝いから、段ボールをまとめて軽トラで公民館に持って行ったり……。よくやっているなあと思っています。ただ、事業にともなって借金をしていますし、不安はありました。そこである時、聞いたんです。『本当に大丈夫なの』って。そしたら光が『ここまでやってうまくいかないなら、この世界は生きている意味がない』ということを言ったんです。ああ、ここまでの覚悟ならもう支えるしかないと腹が決まりました」といいます。

光さんは光さんで、自分にしかできないことを、という覚悟を持っていました。

「地主の家系に生まれ、引き継いだ土地は都市部でも田舎でもなく、しかも離婚していて父親がいないので一代飛ぶ。このポジションにあるので、人が住めば住むほど生態系が回復していくというモデルを社会に広めやすい、そういうお役目があると思っています」(光さん)

大学で生態学を学び、コミュニティデザインやパーマカルチャーなどにも興味があり、コミュニティ農園の代表をしていて、しかも実家は地主業。確かにここまでの条件はなかなかそろわないもの。石井光さんらしいミッション、それが「ちっちゃい辻堂」なんですね。

虫や鳥、植物、微生物を含めた多様な生き物を守るため、除草剤や殺虫剤は基本使用しません。ふかふかの土が心地いい(写真撮影/相馬ミナ)

虫や鳥、植物、微生物を含めた多様な生き物を守るため、除草剤や殺虫剤は基本使用しません。ふかふかの土が心地いい(写真撮影/相馬ミナ)

昔からあった平屋は1棟残し、光さんと大工さんの手でリノベし、共用スペースにしています。2週間に1回の住民の食事会、ヨガ教室、来客の宿泊などに使われています(写真撮影/相馬ミナ)

昔からあった平屋は1棟残し、光さんと大工さんの手でリノベし、共用スペースにしています。2週間に1回の住民の食事会、ヨガ教室、来客の宿泊などに使われています(写真撮影/相馬ミナ)

続いて、実際に暮らしている人に話しを聞いてみましょう。

「住体験を創造したい」。50歳を過ぎて見つけたノイズのない暮らし

浦川貴司さんは、現在、夫妻とお子さん3人の5人家族で「ちっちゃい辻堂」にお住まいです。住民でもありますが、現在は仕事としても「ちっちゃい辻堂」プロジェクト全般に携わっています。

浦川さんの、引越しと転職という大きな変化のきっかけは、子ども達が成長し、賃貸/分譲/注文住宅などのくくりにとらわれず、「次の暮らし、住体験の創造をしたい」と漠然と思い描いていたことにはじまります。

「SNSで『ちっちゃい辻堂』を知り、前に住んでいた家も近くなので、ふらっと行ってみたら光さんがいて、立ち話をしたんです。そこで出た言葉が『100年後の辻堂の風景をつくる』というフィロソフィー(哲学)でした。これは、この1年で聞いた話でいちばんいい話だなと感銘をうけて、2023年秋に引越してきました。ついでにいうと転職もしました(笑)」

浦川さんと石井光さん。ちっちゃい辻堂には、「どこよりも楽しい体験と人生がある」(浦川さん)(写真撮影/相馬ミナ)

浦川さんと石井光さん。ちっちゃい辻堂には、「どこよりも楽しい体験と人生がある」(浦川さん)(写真撮影/相馬ミナ)

「前の住まいを手放すと言ったら、家族はまさに青天の霹靂(へきれき)で『何を言っているんだ』という感じでした。以前の住まいに比べると広さは3分の2 程度、モノもだいぶ処分しましたが、結果からいうと、家族全員ハッピーで満足していますね。朝起きてから就寝するまで敷地内には視界にノイズを感じず気持ちがいい。人との関係、あり方なども含めて、本当に心地いいです」

浦川さんのお住まい。土間と続くリビングを上手に住みこなしています。大人が憧れる空間です(写真撮影/相馬ミナ)

浦川さんのお住まい。土間と続くリビングを上手に住みこなしています。大人が憧れる空間です(写真撮影/相馬ミナ)

「今まで自身の事業のなかでも自分自身も何度も 住宅をつくってきましたが、住まいを買う事は目的ではなく、賃貸でも分譲でも、住まい手の美意識や自己表現を通してどんなライフスタイルを過ごしたいのかという事に向かい合うことがより大切。コロナ禍を経て、新しい、本質的な人生の豊かさに向かい合った住まい方、価値観の変異が起き始めているように思います。美しい暮らし、生き方のセンスというのかな、大きな転換期がはじまっているように思います。

一方で、現在進行系で『ちっちゃい辻堂』で得られた知見というのはとても貴重なものですし、『100年先の辻堂の風景』のためには、より多くの地主さんや大家さんに知ってもらわないといけない。賃料が相場よりプラス設定だとしても、豊かな体験がある住宅には人が集まりエリア相場以上に収益を出していけることを知ってもらいたいですね」

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

浦川さんの書斎スペース。庭に面しているので、自然光が入ってくる設計。当初は小さな商いもできる前提(写真撮影/相馬ミナ)

浦川さんの書斎スペース。庭に面しているので、自然光が入ってくる設計。当初は小さな商いもできる前提(写真撮影/相馬ミナ)

家賃ではなく、新しい暮らし方への投資、共同出資のような感覚

20代のKさんは、デザイナーのパートナーと二人暮らし。前は都内の賃貸住宅で暮らしていましたが、オーナーの事情で退去を迫られ、新たな住まいを探していたそう。

“個”を保ちながら会話が生まれる。ちょうどよい距離感(写真撮影/相馬ミナ)

“個”を保ちながら会話が生まれる。ちょうどよい距離感(写真撮影/相馬ミナ)

「家と仕事をともに振り回されることが続いて、これから”どこに住むか(where to live)を考えるよりどのように生きるのか?(how to live) “ を話し合いこの物件に出合いました。マイクログリッドなどにも興味がありましたが、自分たちでイチからつくるにはムリがある。この物件は、2人で話していた『生き方の実験』にドンピシャなところがいっぱいあって、ゆるくつながりながら、東京にもアクセスできる、それに共鳴したという感じです」(Kさん)

Kさん(左)とYさん(右)の住まい。「ちっちゃい辻堂」の第一印象である、「とにかく心地いい」という言葉が印象的です(写真撮影/相馬ミナ)

Kさん(左)とYさん(右)の住まい。「ちっちゃい辻堂」の第一印象である、「とにかく心地いい」という言葉が印象的です(写真撮影/相馬ミナ)

パートナーのYさんは、以下のように話します。
「建物、敷地の第一印象はすごく気持ちがいい、ということ。光とか風とか、五感に働きかけるところがあって。建築・ランドスケープデザインの人と話しをしたら、すべて理由があって納得しました。コミュニティや共有という概念は、正直、苦手だなと思っていたんです。でも、実際、暮らしてみると誰も何も強制しないし、自発的な交流が生まれる仕掛けがあって、居心地がいい。庭の手入れをしていたら、ワイン片手に食事がはじまったりしてね。住まいは独立しているけれど、それぞれの境界線から色がにじみでる感じ。また新しい色ができているのが、未来的といえるかもしれません」

中央のペンダントライトは浦川さんが持っていたもの。よいものがないか探していたところ、「借してあげるよ」といわれ、借りているのだそう。これもシェアのひとつですね(写真撮影/相馬ミナ)

中央のペンダントライトは浦川さんが持っていたもの。よいものがないか探していたところ、「借してあげるよ」といわれ、借りているのだそう。これもシェアのひとつですね(写真撮影/相馬ミナ)

「自分は3DプリンターやDIYツールをたくさん持っているんですけれど、それを光さんのスペースに置かせてもらう代わりに、他の住民にも使っていいよ、としています。所有ではなく完全な共有でもない。モノや知恵をシェアする暮らし、所有すること、私有と共有についてもよく二人で話あっています。ほかにも、なんでお金が必要なんだっけ、なんの仕事をしたいんだっけなど、豊かさや暮らし、都市やアートについて考え直すことが多く、あらためて人生を見つめ直している感じです」(Kさん)

花やアートのあしらいが上手なお二人。「ちっちゃい辻堂」の暮らしは触発されることが多く、話し合うことも多いのだそう(写真撮影/相馬ミナ)

花やアートのあしらいが上手なお二人。「ちっちゃい辻堂」の暮らしは触発されることが多く、話し合うことも多いのだそう(写真撮影/相馬ミナ)

「引越してきて3~4カ月ですが、得られたものが大きいですね。親には家賃の割には空間は狭いよね、と言われることがあったんですが、単純に空間に家賃を払っているわけではない。生きることやつながりに対しての対価ですよね。暮らしのなかでも、畑をつくる、みそをつくるなど、動詞がすごく増えました。自然との共存という大きな挑戦や、可能性という、大きなものにお金を払っている。そんな感覚があります」(Yさん)

室内にもたくさん自然光が入ってくる間取りです(写真撮影/相馬ミナ)

室内にもたくさん自然光が入ってくる間取りです(写真撮影/相馬ミナ)

アーティストカップルだからこそ、コミュニティに助けられる

もう一組、フラワーアーティストのお二人にも話を聞きました。以前は東京都立川市在住、こちらも引越して半年になります。パーマカルチャー講座で光さんと知り合い、SNSで入居者募集を知ったのがきっかけでした。アーティストである二人にとって、この「ちっちゃい辻堂」はプラスしかない、といいます。

フラワーアーティストのお二人の住まい。写真左の花のオブジェが作品(写真撮影/相馬ミナ)

フラワーアーティストのお二人の住まい。写真左の花のオブジェが作品(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

「まずは、土間があって創作活動の作業がしやすい、水が使いやすい。そして外も緑が多くて気持ちがいい。軒先にドライフラワーを飾ってもいいし、使いきれなかったお花は、まわりのお宅に渡すと喜ばれます。周囲に大工さん、デザイナー、エンジニアがいるので相談できるし、さらに道具まであって。自分が表現したい世界や幅が広がるので、アーティストとしてはプラスしかないです。

アーティスト二人で暮らしていると、それはぶつかることもありますから。でも縁側にいて、誰か来るとおしゃべりして、すっと気が晴れることもあります」

土間があり、水をたくさん使える間取り、そういえばなかないですよね(写真撮影/相馬ミナ)

土間があり、水をたくさん使える間取り、そういえばなかないですよね(写真撮影/相馬ミナ)

「あと、人同士の距離がね、ほんとうに心地いいんです。光さんの考えや価値観を理解したうえで暮らしているので、違和感がないというか。濃密過ぎず、薄いわけでもない。これが新しい暮らしというものなのかな、と思います」

どこを切り取っても絵になります(写真撮影/相馬ミナ)

どこを切り取っても絵になります(写真撮影/相馬ミナ)

縁側のドライフラワー。さり気なくつるしてあるのがかわいい(写真撮影/相馬ミナ)

縁側のドライフラワー。さり気なくつるしてあるのがかわいい(写真撮影/相馬ミナ)

定例の食事会。顔の見える距離感ってこんなに心地いいんですね(写真撮影/相馬ミナ)

定例の食事会。顔の見える距離感ってこんなに心地いいんですね(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

最後に、2週間に1回、開催されている食事会に少しだけお邪魔しました。訪れてみると、住民のみなさんはそれぞれのおうちでつくったご飯とアルコールを持ち寄り、すでに盛り上がっていました。出会って数カ月とは思えないほどですが、とにかくムリなく、自然に、ゆるりと背伸びしない関係ができているようです。石井光さんと仲間たちが耕しはじめた、未来の暮らしはまだまだはじまったばかり。時間がたつほどに味わいを増して、「みんなの居場所」として心地よくなっていく気がします。

●取材協力
ちっちゃい辻堂
大家の学校 ※第11期の締切は5月31日(金)まで

7歳の目線で大人が学ぶ「熱中小学校」、運動会や部活動に再燃。移住、転職、脱サラ起業など人生の転機にも 北海道「とかち熱中小学校」

「もういちど7歳の目で世界を…」を合言葉に、大人が学ぶ社会塾「熱中小学校」。2024年2月までに日本全国のさまざまな地域、さらに米国シアトルを加えた計24カ所で開校した実績があり、現在も1,000人を超える生徒が学んでいる。今回筆者は、北海道初の熱中小学校として2017年に誕生した「とかち熱中小学校」(帯広市)の授業を体験。学びに来たはずが、なぜか雪原にダイブしたり、上空800mを飛ぶことに!? 年齢や地域の垣根を超えて生徒が集う、一風変わった「小学校」に潜入します。

熊本県と北海道の距離を超え、「共生」について考えた

チャイムが鳴り、「起立」の号令がかかると、さっきまでのガヤガヤした教室のムードは一瞬でピリッとした空気に変わった。どこにでもある小学校の授業前のワンシーン。でも、ちょっと違う。そこにいるのは下は24歳から上は73歳まで年齢もさまざまな大人たちだ。
この日の「とかち熱中小学校」の会場は北海道の帯広畜産大学。階段状の教室には約50人の生徒が詰めかけていた。

筆者が聴講したのは「共生」の授業。講師は、熊本県戸馳島(とばせじま)で洋ラン農園を営む宮川将人さんだ。
授業は宮川さんの自己紹介から始まった。花農家の3代目として生まれた宮川さんは「サイバー農家」の道を切り開くため、洋ラン業界では前例のなかったネットショップ開設に挑み、日本最大級のECサイトで売上1位の商品を生み出すまでに。ところが34歳のときに過労で倒れ、生死をさまよった経験から「今日が最後の一日だったら何をするか」を自問自答。地域愛が自分の軸としてあることを悟り、地域の活性化に力を注ぐことを決意する――と、かなりかけ足で書いてしまったが、失敗談も惜しみなく披露する宮川さんの講義に、会場は終始温かい笑いに包まれっぱなしだった。そうした中でも、宮川さんが半生を振り返る中で得た教訓「成功の反対は何もしないこと」は、生徒の皆さんの胸に届いたはずだ。

「農家は楽しすぎる」と話す宮川将人さん。前向きに自分らしく、が宮川流(撮影/岩崎量示)

「農家は楽しすぎる」と話す宮川将人さん。前向きに自分らしく、が宮川流(撮影/岩崎量示)

授業後半は、宮川さんのもうひとつの顔「くまもと☆農家ハンター」の話。
農作物のイノシシ被害に向き合い、「災害から地域を守る消防団」のように若手農家有志が取り組む農家ハンター事業が紹介された。捕獲したイノシシを恵みととらえて食肉などへの有効活用を探る中で、イノシシ対策を進めながら耕作放棄地再生や担い手育成につなげるという持続可能な地域づくりのヒントが語られた。人間と野生生物との共生は、エゾシカ被害に悩む北海道にとっても共通したテーマだ。「とかち熱中小学校」の生徒には農家も多く、授業後の質問の多さからも関心度の高さが伺えた。

宮川さんの話に引き込まれる生徒の皆さん(撮影/岩崎量示)

宮川さんの話に引き込まれる生徒の皆さん(撮影/岩崎量示)

1日の授業は2コマ。この日のもうひとコマは「社会」で、こちらはSUUMO編集長の池本洋一氏が先生として登壇した。

教壇に立つ池本編集長。「メディアが取り上げたくなる」をキーワードとしながら、全国のさまざまな街づくりの事例を紹介した。よく見ると傍らにはスーモの姿が(撮影/岩崎量示)

教壇に立つ池本編集長。「メディアが取り上げたくなる」をキーワードとしながら、全国のさまざまな街づくりの事例を紹介した。よく見ると傍らにはスーモの姿が(撮影/岩崎量示)

惜しみなく全力で教えてくれる先生と、7歳のままの好奇心を持ち続ける生徒と

「とかち熱中小学校」の授業は、主に週末の午後に開かれる。半年間を1期として、授業は全8回。生徒になるには申込みが必要で、授業料は1期15,000円(※)だ。「とかち熱中小学校」の運営は主に生徒の授業料でまかなわれている。ちなみに「とかち」を謳ってはいるが、「学区」は十勝エリアに限られているわけではなく、札幌や東京にも生徒はいる。授業はZOOMで配信され、オンラインで出席することも可能だ。
※自治体から助成が受けられる町村もある。なお授業料は各校で異なる

授業の内容は毎回変わり、さまざまな分野で活躍する先生を、地元を含む全国各地から招いて実施する。現在までにのべ344名の先生が教壇に立った(2024年3月時点、課外授業含む)。「世界最高齢」プログラマーとして知られる若宮正子さんや、日本の音楽を世界に発信するピーター・バラカンさんなど、そうそうたる面々だ。

さてその先生だが、全員がボランティアと聞いて驚いた。たっぷり1時間を超える授業に加え、ここは北海道十勝。移動を考えれば少なくとも丸2日間は拘束することになる。先生を引き受ける側もそれ相応の負担を強いられるわけで、熱中小学校への理解と想いがなければ務まらない。
そうした先生の選定や調整を担うのが、「とかち熱中小学校」を運営する一般社団法人北海道熱中開拓機構だ。理事長の木野村英明さんと業務執行理事の亀井秀樹さんに話を聞いた。

一般社団法人北海道熱中開拓機構の木野村さん(左)と亀井さん(撮影/岩崎量示)

一般社団法人北海道熱中開拓機構の木野村さん(左)と亀井さん(撮影/岩崎量示)

「私たちは全国の熱中小学校と連携して350名を超える講師陣リストを共有し、各地域の学校がカリキュラムに合わせて先生をお招きしています。リストとは別に、各校が独自に先生をスカウトする場合もあります。私がお声がけするときの基準は、ワクワクできるかどうか。生徒全員がビビッと来る必要はないけれど、一人でも二人でも、その生徒の人生を変えちゃうような先生を呼ぶことができたらいいなと思って依頼しています」(木野村さん)

そもそもどうして「とかち熱中小学校」はスタートしたのか?

「最初の熱中小学校が山形県高畠町に誕生したのは2015年です。日本IBMの常務を務めた堀田一芙さんが立ち上げました。木野村さんと僕は、設立前にある講演会で堀田さんからこのプロジェクトのことを聞き、都心ではなく地域からこういう動きが生まれるのはすごいなと思って注目していました。その後、熱中小学校を全国に展開することになり、僕たちに声をかけてくれたというのが始まりです」(亀井さん)

こうして2017年春に「とかち熱中小学校」は開校(当初は十勝さらべつ熱中小学校)。半年ごとに生徒を募り、13期目を迎えた。現在は10代~80代の134名が登録する。このうち新入生は2割ほどで、2割は首都圏など十勝以外の地域から受講。平均年齢は44.7歳で全国平均(53.8歳)よりも若い。生涯学習を目的に参加する人のほかにも、起業を目指して通う人、Uターンや2拠点生活を始める前に人脈づくりをしておきたい人など、動機はさまざま。過去には、授業のたびに横浜から飛行機で通学し、ついには夫妻で中札内村に移住した生徒もいる。ちなみにその方はその後、熱中小学校で知り合った映像作家とタッグを組み、現在は広大な雪原に足跡で作品を描くスノーアーティストとしても活躍しているそうだ。

「年齢も職業も異なるいろんな人たちが集まって、刺激を受け合い、お互いにできることを補完して新しいものが生まれています。中にはここでやりたいことを見つけて脱サラし、起業に向けた準備を進めている人もいます。熱中小学校の先生に感銘を受け、その会社に就職した人もいました。一緒に学ぶ仲間がいれば心強いし、新しい挑戦にも背中を押してもらえます。ここに集まるのは、好奇心を7歳のまま持ち続けている人たちなんです」(亀井さん)

授業の後に開かれた懇親会は酪農が盛んな十勝らしく牛乳で乾杯!(撮影/岩崎量示)

授業の後に開かれた懇親会は酪農が盛んな十勝らしく牛乳で乾杯!(撮影/岩崎量示)

授業は帯広畜産大学の教室を借りて行われるが、帯広畜産大学に通う学生にとっても良い影響があると語るのは、同大学の学長であり、「とかち熱中小学校」の校長を務める長澤秀行さんだ。
「うちの学生は約7割が道外からやってきます。何も知らずにこの土地に入ってくる。そうしたときに熱中小の先生や生徒とつながることはすごく大切です。学生にはできるだけ熱中小に参加してもらいたいので、学生は無料で授業が受けられるようにしています。そして一方で、十勝を代表するような企業や、十勝を拠点にがんばっている企業の社長さんにも先生として来てもらっています。最高のキャリア教育の場です。学生たちにはローカルの魅力にたくさんふれて、十勝、北海道が大好きになり、卒業後もここに残って暮らしたい、地域で活躍したいと思ってくれたらうれしいですね」

「十勝には前向きで好奇心旺盛な人が多い」という長澤さん(撮影/岩崎量示)

「十勝には前向きで好奇心旺盛な人が多い」という長澤さん(撮影/岩崎量示)

大人が本気で雪遊びを楽しむ熱中雪中運動会

「とかち熱中小学校」には、学校と同じく運動会もある。
授業の翌日、取材チームは雪中運動会に参加した。氷点下の雪原で行うクレイジーな運動会に。

雪の中の運動会とあって競技も極めてユニークだ。チームでひたすら雪玉をつくる「雪玉づくり競争」(十勝のパウダースノーはサラサラ過ぎて固まりづらい)、玉入れならぬ「雪玉入れ」、ビーチフラッグスをモチーフにした「スノーフラッグ」、ソリを引くスピードを競う「ソリリレー」といった具合に。ルールづくりをはじめ、運営は「とかち熱中小学校」の生徒が主体的に行う。そのねらいを木野村さんに聞くと、次のように話してくれた。

「テーマはチームビルディングとルールメイキングです。毎年、実行委員会を一から立ち上げて運営する。そして競技のルールを決める。自分たちがつくったルールに基づいて、意図したとおりにみんなが動いてくれるか。動いてくれないのか。チームビルディングとルールメイキングを学ぶ実践の場として、運動会は一番手っ取り早いんです」

足元の不安定な雪の上での雪中綱引き。応援にも熱が入る(撮影/岩崎量示)

足元の不安定な雪の上での雪中綱引き。応援にも熱が入る(撮影/岩崎量示)

クイズの答えが書かれた旗をもぎ取るスノーフラッグ。明日は筋肉痛確定(撮影/岩崎量示)

クイズの答えが書かれた旗をもぎ取るスノーフラッグ。明日は筋肉痛確定(撮影/岩崎量示)

ご近所さんも、初めましての人も、同じチームに。いつしか芽生える団結力(撮影/岩崎量示)

ご近所さんも、初めましての人も、同じチームに。いつしか芽生える団結力(撮影/岩崎量示)

実行委員長を務めた小谷文子さんに話を聞いた。小谷さんは更別村の大規模農家コタニアグリの奥さまで、「とかち熱中小学校」の立ち上げから関わる「コア生徒」の一人だ。
「この日のために3カ月前から準備を進めてきました。熱中小学校の生徒29名が今回の実行委員会に参加していますが、みんな仕事がある中で何度も会議を行い、協賛金を集め、広報活動をしてきました。それぞれ得意なことを役割分担して、みんなで知恵を出し合って、今日を迎えました。忙しくても協力を惜しまない、全力で楽しむというのは熱中小学校ならではですよね。今回、5年目にして初めて参加者が100名を超えました。雪中運動会が地域に受け入れられてきているのを実感しています。熱中小学校の関係者だけじゃなく、いろんな人を巻き込んで、つながって、楽しさを広げていくことが大事だと考えています」

実行委員長の小谷文子さんは、「いい天気で本当に良かった」と胸をなで下ろす(撮影/岩崎量示)

実行委員長の小谷文子さんは、「いい天気で本当に良かった」と胸をなで下ろす(撮影/岩崎量示)

……飛んでる?(撮影/岩崎量示)

……飛んでる?(撮影/岩崎量示)

参加者みんなで「ハイ、とかちー!」。子どもも大人もがんばった!(撮影/岩崎量示)

参加者みんなで「ハイ、とかちー!」。子どもも大人もがんばった!(撮影/岩崎量示)

こうした課外活動は雪中運動会にとどまらない。熱中小学校には生徒が自主的に取り組む部活動もある。これまでにピザ部、クレヨン部、豆研究会などさまざまな部活動が生まれた。今年度は新たに雪像部が結成された。

(提供/とかち熱中小学校雪像部)

(提供/とかち熱中小学校雪像部)

(提供/とかち熱中小学校雪像部)

(提供/とかち熱中小学校雪像部)

「おびひろ氷まつり」の会場にスーモ、スモミ、ドンスーモが! 雪像部の皆さん、ありがとうございました!!(提供/とかち熱中小学校雪像部)

「おびひろ氷まつり」の会場にスーモ、スモミ、ドンスーモが! 雪像部の皆さん、ありがとうございました!!(提供/とかち熱中小学校雪像部)

上空800mを新しい観光地に!

実は雪中運動会が行われた日の早朝、取材チームは亀井さんの勧めで熱気球フリーフライトを体験した。それというのも、熱中小学校の生徒さんがパイロットだからだ。

左から2番目が「十勝空旅団(そらたびだん)」代表の篠田博行さん(撮影/岩崎量示)

左から2番目が「十勝空旅団(そらたびだん)」代表の篠田博行さん(撮影/岩崎量示)

篠田さんはパイロット歴36年のベテラン操縦士。長年趣味で熱気球を楽しんでいたが、3年前から副業で観光フリーフライトを始め、2023年3月に32年間勤めた郵便局をすっぱり辞めて本格事業化した。熱気球のフリーフライトサービスを行う民間企業は、十勝でも2社しかないという。ほとんど前例がない中での船出(離陸?)だった。

「昔は競技に夢中になった時期もあったんです。ただ、競技用のバルーンはスムーズな上昇や下降が求められるので機体が小さく、基本は一人乗りなんですね。競技そのものは楽しいけど、空の上では一人きり。一人でボウリングをやって、ストライクを取っても振り向いたら誰もいない、みたいな。『空を共有したい』というのが、観光事業を始めたきっかけです」

球皮の中の空気を温めて浮力を得る熱気球。準備段階から体験できるのがうれしい(撮影/岩崎量示)

球皮の中の空気を温めて浮力を得る熱気球。準備段階から体験できるのがうれしい(撮影/岩崎量示)

球皮の中に特別に入れてもらって記念撮影。一番右は、今回の先生を務めた宮川さん。楽しんでます(撮影/岩崎量示)

球皮の中に特別に入れてもらって記念撮影。一番右は、今回の先生を務めた宮川さん。楽しんでます(撮影/岩崎量示)

事業を始めて気づいたことがある。「お客さんの9割は道外の方です。800mの上空に行くとみんな、だだっ広い畑やまっすぐの道を見て感動するんですね。『何もなくていい』。東京の人はそう言います。ここで育った僕にはその価値がわかっていなかったんです」

音更の街並みを眼下に上昇する熱気球。この日は日高山脈が美しかった(撮影/岩崎量示)

音更の街並みを眼下に上昇する熱気球。この日は日高山脈が美しかった(撮影/岩崎量示)

篠田さんは2023年秋、知人に誘われて「とかち熱中小学校」に入学した。
「自分が知らない世界、知らないキャリアの話を聞くのはびっくりの連続ですよね」

熱中小学校が縁で新しいプロジェクトもスタートした。
「熱中小でこれよりも大きな気球を持っている方がいて、共同で新しい熱気球ビジネスを開発中です。10人乗りの熱気球にシェフを乗せて空の上でレストランを開店したり、スノーアーティストと組んでサプライズプロポーズを演出したり。空の上から大地を見たら雪原に『WILL YOU MARRY ME?』なんて描いてあったら盛り上がるでしょ。空を飛ぶ楽しさをどんどん広げたいし、どんどんたくさんの人と共有したい」。篠田さんの夢も大きく膨らむ。

「とかち熱中小学校」の一日入学(+課外授業)を体験して印象的だったのは、先生も生徒もごちゃ混ぜになって心底、学校を楽しむ姿だった。年の差を超えて笑い合い、地域差を超えて共通の話題で盛り上がる。多様性という言葉がぴったりな同級生たちが磁場となって、これからも十勝管内はもとより、東京や札幌からも人を引き寄せていくのだろう。「十勝に熱中小学校があることが地域の強みになるように、こうした場を提供し続けることが大切」と亀井さんは言う。

2024年4月に7周年を迎える「とかち熱中小学校」。5月には初めての学校祭も計画している。「内容はこれから」とのことだが、ユニークで熱い学校祭になることだけは間違いない。

●取材協力
とかち熱中小学校

食の工場の街が「食の交流拠点」にリノベーション! 角打ちや人気店のトライアルショップ、学生運営の期間限定カフェなどチャレンジいっぱい 福岡県古賀市

リノベーションの魅力や可能性を広く発信するアワード「リノベーション・オブ・ザ・イヤー」。2023年度、連鎖的エリアリノベーション賞というユニークな名前の賞を受賞したのが、JR古賀駅西口エリアの商店街を中心に展開されている「食の交流拠点」の整備を中心としたエリアリノベーションだ。エントリーの際の作品名には「お手本のようなエリアリノベーション」とも掲げられているプロジェクト。どんなまちのリノベーションが行われているのか。その全貌を知るために、西口エリアへ足を運んでみた。

(株式会社ヨンダブルディー)

(株式会社ヨンダブルディー)

シャッター商店街に新たな点と線を

福岡市に近接する利便性と豊かな自然を併せ持ち、県内有数のベッドタウンとして人気の古賀市。市内にはJRの駅が3つ、九州自動車道の古賀インターチェンジなどもあり、JR及びマイカーでのアクセスの良さが魅力。まちの中心にある西口エリアは、かつて商機能の集積地として栄えていた。インターネット消費が盛んになったライフスタイルの変化に加え、国道3号・国道495号沿いにIKEAをはじめ大規模な集客施設が進出。ここ数年、商機能の拠点が大きく変化してきた。また、福岡の私鉄「西鉄宮地岳線」の最寄駅が廃駅になったことや、JR古賀駅に連絡橋がかけられ駅の東側からも行き来ができるようになったことが人の流れに大きな打撃を与えている。店主の高齢化が進みシャッター商店街となった西口エリアをなんとか再起させることはできないか。住民はもちろん、行政の中でも大きな課題となっていた。

JR古賀駅の西口周辺(写真撮影/加藤淳蒔)

JR古賀駅の西口周辺(写真撮影/加藤淳蒔)

まちおこし請負人木藤亮太さん率いるチームがプロポーザルに参加

古賀駅の待ち合わせ場所で、まず満面の笑顔で取材チームを出迎えてくれたのがこのまちの首長こと田辺一城市長だ。聞けばこのまちには「#市長と気軽に会えるまち」というハッシュタグが存在するぐらい、抜群のフットワークの持ち主だ。もともと、このエリアで生まれ育ったという田辺市長。市長就任後に、商店街の状況に対策を打つために取り組んだのが、エリアマネジメントのプロポーザル企画だ。

写真左から田辺一城市長、プロジェクトマネージャーの橋口敏一さん、設計担当の田村晟一朗さん、プロデューサーの木藤亮太さん。官民の近さもプロジェクトの推進力になっている(写真撮影/加藤淳蒔)

写真左から田辺一城市長、プロジェクトマネージャーの橋口敏一さん、設計担当の田村晟一朗さん、プロデューサーの木藤亮太さん。官民の近さもプロジェクトの推進力になっている(写真撮影/加藤淳蒔)

希望は広がる一方で、ハードルも高いこのプロポーザルに立ち上がったのが、まちづくり界隈で一目置かれる木藤亮太さん率いるチームだ。木藤さんといえば、“猫も歩かない”と言われた宮崎県日南市の油津商店街を再生したことで、「地方創生」の成功事例として全国区で高い評価を得ている。その後も福岡県那珂川市をはじめ九州各地でのプロジェクトや、全国でまちおこし請負人として活躍している。

3年間の任務の間に自走できる流れをつくる

プロポーザルでは、どんな提案をしたのか?そんな質問に木藤さんがゴソゴソと取り出してきたのが、手書きの文字が一面に記された大きな模造紙だ。まさに、プロポーザル提案時に使った資料であり、まちの人たちへの説明にも使われた資料なのだそう。そこには、3年間でどうまちを変化させるのかが、模造紙いっぱいに手書きで記されている。行政の事業は多くが3年程度を区切りにしている。しかし、エリアリノベーションの土壌づくりは、3年で終わるものではない。そこで、木藤さんたちが大切にしたのが「自走できる仕組みをつくる」こと。3年間の流れを記したスケジュールは、模造紙におさまりきれない。その後、さらに自走へと繋がっている。

(写真撮影/加藤淳蒔)

(写真撮影/加藤淳蒔)

あえてアナログな手書きの企画書が、まちの未来図となっている(写真撮影/加藤淳蒔)

あえてアナログな手書きの企画書が、まちの未来図となっている(写真撮影/加藤淳蒔)

30代のプレイヤーが活躍できる場のフレームを

フレームをつくるにあたってのヒアリングで気づいたのは、30代ぐらいの若いプレイヤーが、あまり関われていないこと。そこで、そういう世代が動きだすきっかけとなる“活躍の場”をつくることの大切さを感じたという木藤さん。地元の若手を含めたメンバーで、まちづくりの運営会社を立ち上げることにする。4WDと書いて「ヨンダブルディー」と読むその会社の主要メンバーは、木藤さんチームのメンバーが2名に、Uターンで家業を継いだ6代目の店主、古賀を拠点に動画マーケティングやシティプロモーションを手がける会社を経営する計4名だ。よそ者・わか者をうまくブレンドした運営体制を立ち上げたことで、特定の誰かだけではなく、誰でも関われる余白のあるリノベーションに取り組む狼煙を、しっかりと上げたわけだ。

まちづくり運営会社、株式会社ヨンダブルディーの立ち上げ時の様子(写真撮影/株式会社ヨンダブルディー)

まちづくり運営会社、株式会社ヨンダブルディーの立ち上げ時の様子(写真撮影/株式会社ヨンダブルディー)

ところで、コンセプトとして掲げる「食の交流拠点」とはどういう意味をもつのか?それを紐解く鍵は、古賀市の産業構造にある。全国区で有名なドレッシングを手掛ける工場や、ローカルで人気のインスタントラーメンの工場、全国区のパンメーカーの製造工場など、食料品製造品出荷額は県内2位という現状がある。また、プロジェクトの初期に「地元にどんな場所があったらいい?」と地道なヒアリングを行ったところ、住民から口を揃えてでてきたのが「もう少し気軽でカジュアルに食を楽しめる場所が欲しい」という声。さらに、ヨンダブルディーのメンバーの一人、ノミヤマ酒販の許山さんがもつ、これまでの商売の中で大切に構築してきた生産者や飲食事業者とのつながりを活かすことができる。そんな、古賀市に根付く食の文脈を取り入れているというわけだ。

ノミヤマ酒販の角打ちコーナーは、お酒をきっかけに人と人との出会いを楽しむことができる(写真撮影/橋口敏一)

ノミヤマ酒販の角打ちコーナーは、お酒をきっかけに人と人との出会いを楽しむことができる(写真撮影/橋口敏一)

食の交流拠点施設「るるるる」の立ち上げ

1年目の信頼関係の構築を経て、2年目に着手したのは拠点づくり。
その一歩となったのが、レンタルシェアスタジオとしてサブリースをはじめた社交場の意味をもつ「koga ballroom(コガボールルーム)」だ。もともと長年、社交ダンスの教室として借りていた方が、生徒の高齢化とコロナ禍による生徒数の減少によって手放そうとしていた物件を借り直してリノベーション。若者のダンススペースや子育てママのサロンやヨガ教室など多目的で利用できる「まちの社交場」をコンセプトとしたシェアスペースとして運用している。もともと社交ダンス教室を運営していた先生も、時間貸しで再び利用してくれている。

(写真撮影/橋口敏一)

(写真撮影/橋口敏一)

ヨガやダンススタジオだけでなく、イベントの拠点としても活用されているkoga ballroom(写真撮影/橋口敏一)

ヨガやダンススタジオだけでなく、イベントの拠点としても活用されているkoga ballroom(写真撮影/橋口敏一)

次に元化粧品店だった空き店舗を活用して、旗印を掲げたのが「まちの企画室」。メンバーの橋口敏一さんは一時、この場所の2階に住居まで移して、住民との交流を深めていた。

(写真撮影/橋口敏一)

(写真撮影/橋口敏一)

地元の高校生や大学生の期間限定カフェなどもこのまちの企画室で行われている(写真撮影/橋口敏一)

地元の高校生や大学生の期間限定カフェなどもこのまちの企画室で行われている(写真撮影/兒玉健太郎)

そして、エリアリノベーションのシンボルとして完成させたのが食の交流拠点施設「るるるる」だ。
駅前の商店街通りを少し入ったところにある「るるるる」の建物は、もともと、音楽教室として使われていた物件だ。設計に加わったのは、リノベーション・オブ・ザ・イヤーの受賞でも常連の、リノベーションを得意とする建築家・タムタムデザインの田村晟一朗さん。もともとピアノ5台ほどが備えられていた教室だったので、それなりに広さのある建物だ。ここでは、気軽に食を楽しめる場をつくれるように、あえて出店者の敷居を低くするための工夫がいくつか施されている。

タムタムデザイン田村さん(写真右)によって建築が進められている様子(写真撮影/橋口敏一)

タムタムデザイン田村さん(写真右)によって建築が進められている様子(写真撮影/橋口敏一)

音楽教室の面影を残しながらも、大きく変化した「るるるる」外観(写真撮影/加藤淳蒔)

音楽教室の面影を残しながらも、大きく変化した「るるるる」外観(写真撮影/加藤淳蒔)

ひとつが、一階の大きなスペースを占めるシェアキッチンとイートインスペースだ。シェアキッチンは、日替わりや短期間で利用可能なスペース。近隣の人気店が期間限定で出店したり、飲食をはじめたい人のトライアルスペースになったりもする。利用料はキッチンスペースぶんだけ、食事のできるイートインスペースはお客に自由に使ってもらえる仕組みとなっている。ただ、ここを使えるのはシェアキッチンのお客だけではない。ヨンダブルディー直営のパン販売ショップのお客も使えるし、一階角の小さなスペースを賃貸するスコーンとハンドメイドのアクセサリー店「jugo.JUGO(じゅごじゅご)」さんで買ったものも食べられるし、時には1階に入居する洋風居酒屋「bar ponte(バルポンテ)」の団体客が利用することもできる。さらには、打ち合わせで使う人もいれば、お茶を飲みながらのんびりおしゃべりも楽しむことができる。ほどよく自由な空間が、いろいろな交流を生み出そうとしている。ちなみに、2階は音楽教室や洋服のリフォーム店、写真家のアトリエやドローンのプログラミングスクールを運営する事務所などが入居。一部屋はもともとの音楽教室だった時代にピアノの講師として通っていた先生が再度利用している。

るるるるの室内。写真手前が誰でも使えるフリースペース。奥に備えられているのがシェアキッチン(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。写真手前が誰でも使えるフリースペース。奥に備えられているのがシェアキッチン(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。商店街に面する食物販ショップではパンや雑貨が販売されている。食物販ショップをヨンダブルディーが直接運営することで、リアルな接客の中からまちづくりのニーズをヒアリングしている(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。商店街に面する食物販ショップではパンや雑貨が販売されている。食物販ショップをヨンダブルディーが直接運営することで、リアルな接客の中からまちづくりのニーズをヒアリングしている(写真撮影/大田聖)

ただ、ヨンダブルディーで目指しているエリアリノベーションは、決してこれらの場所のにぎわいを生み出すことだけではない。いくつかの点を根付かせて繋いでいくことで、エリア全体の回遊の楽しさを深めることにある。こうした地道な活動をいくつも重ねていく中で、最初は距離を置いて見守っていた住人の人たちもだんだんと交流をもってくれるようになってきた。地元の方から「先代から継いだ大切な建物を手放したいけれど、どうにかならないか?」などの声をいただくことも増えてきた。そこで、場所と入居したい人とをつなぐリーシング的な役割も出てきた。最近は、書店が出店したり、アメリカンダイナーの出店が決まったり、着実にエリアの活性化が広がろうとしている。

関係者がこれからの課題として口にしているのが、持続性だ。地域の人はもちろん、外の人も訪れて多様な交流が生まれるのが理想。しかし、もともと衰退が進んでいる商店街。魅力的で面白いコンテンツを提供していかないと、なかなか足を運んでもらえない。まちづくりは立ち上げるだけでなく、継続的な運営によって思いをつなぎ、小さくても一歩一歩進んでいくことが重要。その一歩一歩の手がかりになりそうなのが、最初に見せてもらった大きな模造紙のようだ。思いの原点であり、まちの変化を記録しつづける大きな地図。時々振り返りながらも、掲げる目標へ向かってまっすぐ歩み続ける。古賀のエリアリノベーションは、日本の商店街にも大きな活路を見出してくれそうな「お手本のような」プロジェクトであった。

駅前にオープン予定の新店舗。ヨンダブルディーが、空き家と新しい運営者につないだ事例のひとつ。「何ができるの」と、地元の人たちも興味津々(写真撮影/加藤淳蒔)

駅前にオープン予定の新店舗。ヨンダブルディーが、空き家と新しい運営者につないだ事例のひとつ。「何ができるの」と、地元の人たちも興味津々(写真撮影/加藤淳蒔)

●取材協力
株式会社ヨンダブルディー
株式会社タムタムデザイン

人口減エリアの図書館なのに県外からのファンも。既成概念くつがえす「小さな街のような空間」の工夫がすごすぎた! 静岡県牧之原市

“最寄駅がない―”静岡県牧之原市にある図書交流館「いこっと」が話題です。人口減に悩まされる街の小さな図書館が、複合施設内にテナントとして移転し、拡大オープンしたのは2021年のこと。2年後には累計来館者数が25万人を突破しました。市内はもとより、市外や県外などの遠方から足を延ばす人がいるほどです。人口減少エリアの図書館がなぜこれほどにぎわいを創出し、街の中心地に変化をもたらしたのでしょうか。

買い物客と入り混じる、パブリックな図書交流空間

静岡県牧之原市は、県・中央部の沿岸沿いにある人口約43,000人の小さな街。2005年に、旧・相良町と旧・榛原町の2つの町が合併して誕生した市の中心部には、大型複合施設「ミルキーウェイショッピングタウン」があります。核店舗として地域資本のスーパーマーケットが入居するほか、ドラッグストアやカフェ、飲食店などが集う、いわば街の台所です。

複合施設「ミルキーウェイスクエア」内に図書交流館「いこっと」がある(写真撮影/片山貴博)

複合施設「ミルキーウェイスクエア」内に図書交流館「いこっと」がある(写真撮影/片山貴博)

(画像提供/牧之原市立図書交流館 いこっと)

(画像提供/牧之原市立図書交流館 いこっと)

ここにテナントとして図書館が入居しているのだから驚きです。店内に入ると、右側には図書スペース、左側にはカフェ、子育て支援センター、ボルダリングジムなどがならびます。各スペース間は、扉や間仕切りなどがほぼなく、シームレスな空間です。

カフェの横にはオープンスペースも併設しており、注文したメニュー以外の飲食も可能。レンタサイクルコーナーもあり、観光客や地元客の「足」として活躍している(写真撮影/片山貴博)

カフェの横にはオープンスペースも併設しており、注文したメニュー以外の飲食も可能。レンタサイクルコーナーもあり、観光客や地元客の「足」として活躍している(写真撮影/片山貴博)

オーナーが目利きした地元クラフト作家の作品や名産品を集めたワゴンショップがにぎわいを演出している(写真撮影/片山貴博)

オーナーが目利きした地元クラフト作家の作品や名産品を集めたワゴンショップがにぎわいを演出している(写真撮影/片山貴博)

複合施設内には子育て支援センター相良「あそぼっと」も併設。子どもと遊んだ後は図書スペースやカフェへ。気軽に行き来できるのは嬉しいこと(写真撮影/片山貴博)

複合施設内には子育て支援センター相良「あそぼっと」も併設。子どもと遊んだ後は図書スペースやカフェへ。気軽に行き来できるのは嬉しいこと(写真撮影/片山貴博)

複合施設の一角にはボルダリングや卓球スペースもあり、大人も子どもも汗を流している(写真撮影/片山貴博)

複合施設の一角にはボルダリングや卓球スペースもあり、大人も子どもも汗を流している(写真撮影/片山貴博)

「ミルキーウェイスクエア」内の共用スペースでは、バランススクーターが使用できる。放課後や休日になると「いこっと」の横では、スクーターに乗った子ども達の姿があふれる(写真提供/牧之原市)

「ミルキーウェイスクエア」内の共用スペースでは、バランススクーターが使用できる。放課後や休日になると「いこっと」の横では、スクーターに乗った子ども達の姿があふれる(写真提供/牧之原市)

さらに「いこっと」内には、フリーWi-Fi(ワイファイ)や電源を完備したパソコンスペース、靴を脱いでくつろぐことができる小上がりのスペースなどの11のスペースがあります。

特筆すべきは、店内の各スペースに図書の持ち込みがOKということ。そして、「いこっと」では訪れている人同士で会話をすることも許されており、厳しいルールが敷かれていません。そう、ここは図書館ではなく図書「交流」スペースだからなのです。

フリーWi-Fiや電源を完備した交流・談話エリア。ここで司書や来館者との会話も生まれているそう(写真撮影/片山貴博)

フリーWi-Fiや電源を完備した交流・談話エリア。ここで司書や来館者との会話も生まれているそう(写真撮影/片山貴博)

小上がりになっている読み聞かせスペースでは、ゆったりとくつろぐことができる。おはなし会も定期開催されているのだとか(写真撮影/片山貴博)

小上がりになっている読み聞かせスペースでは、ゆったりとくつろぐことができる。おはなし会も定期開催されているのだとか(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の奥にある学習室。館内で唯一会話ができないエリア。静まる空間で集中したい人におすすめ。集中して勉強したい人、読書したい人のためにも配慮をしている(写真提供/牧之原市)

「いこっと」の奥にある学習室。館内で唯一会話ができないエリア。静まる空間で集中したい人におすすめ。集中して勉強したい人、読書したい人のためにも配慮をしている(写真提供/牧之原市)

シェアオフィスのように、飲み物OK、PC使用可能の閲覧席。仕事や勉強をする人が集まる(写真撮影/片山貴博)

シェアオフィスのように、飲み物OK、PC使用可能の閲覧席。仕事や勉強をする人が集まる(写真撮影/片山貴博)

図書の好きな市民のために居場所をつくる

牧之原市内には最寄駅がなく、移動手段は車がメインです。この点がネックとなり、定住者が減少、市内の職場も近隣の市から勤務する人が多く、高齢化と人口減少が課題でした。
牧之原市役所 企画政策部の本間 直樹さんはこう話します。

「このエリアにはナショナルチェーン店(全国展開のチェーン店)がないんです。ゆえにコンパクトで独自の商習慣と住空間になっています。そのため新たな居住者や人口の流入を見込みたかったのです。市内を活性化するために、きっかけが必要でした」

牧之原市役所 企画政策部の本間 直樹さん。市内で廃校活用プロジェクト「カタショー・ワンラボ」に取り組んだ経験を活かして、「いこっと」のプロジェクトに心を砕いている(写真撮影/片山貴博)

牧之原市役所 企画政策部の本間 直樹さん。市内で廃校活用プロジェクト「カタショー・ワンラボ」に取り組んだ経験を活かして、「いこっと」のプロジェクトに心を砕いている(写真撮影/片山貴博)

そこで注目したのが図書館です。移転前の図書館は、旧両町には存在していたものの、閲覧スペースは8席、蔵書数も2館あわせても約70,000冊と限られており、満足できるとは言いがたいものでした。

もともと、市内には図書への熱い思いを持つ人が多く存在し、「ゆっくり本を読めるスペースが欲しい」「蔵書数が欲しい」と図書館機能の増強が叫ばれていました。しかし結実には至らず年月が経過していきました。

街の魅力について、心の底から考え始めた市民と市役所は、2018年に「図書館協議会」を立ち上げ、膝をつきあわせて協議をはじめます。177件集まったパブリックコメントのうち、最も強い思いとしてあったのが「図書館が居場所であってほしい」というコメントでした。

「いこっと」の司書、水野 秀信さんはこう話します。
「図書館は”施設と資料と人”この3つがそろって成り立つと言われます。しかしこれまではあまりにもスペースがせまく、居場所にならなかった。”図書館を市民のサードプレイスとして機能させなくてはならない”と、面積拡大の検討を始めました」

「いこっと」の司書、水野 秀信さん。牧之原市に着任後、図書館移転オープンを検討し始め、さまざまなアイデアを実現することにトライしている(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の司書、水野 秀信さん。牧之原市に着任後、図書館移転オープンを検討し始め、さまざまなアイデアを実現することにトライしている(写真撮影/片山貴博)

面積拡大となると、考えられるのは施設の移転か新設です。しかし市の財政は豊かではありません。そこで市が考えたのは、既存の空き施設に入居するということでした。

「確かにテナントとして入居するには家賃が発生します。それでも施設を建設するよりは遥かに安く、市の予算の平準化が図れるため、踏み切ったのです」(牧之原市役所・本間さん)

単なる図書館ではなく町のような空間を生み出す

ちょうど図書館の移転を検討している時、「ミルキーウェイ」内にあるホームセンターの退店が決まりました。そのタイミングで複合施設のオーナーと市役所の担当者との協議を重ねて、図書館がテナントとして移転入居することが決まったのです。

「複合施設のオーナーさんは、地域を盛り上げることにとても熱心で協力的。”図書館を町の居場所にしたい”という私たちの想いを汲んでくれ、テナントとして入居することを歓迎してくれたのです」(本間さん)

「いこっと」の全景。まるでショップのひとつのような開放感あふれる入り口。木材を多用した温もりのある什器が印象的です(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の全景。まるでショップのひとつのような開放感あふれる入り口。木材を多用した温もりのある什器が印象的です(写真撮影/片山貴博)

そして、移転先が複合施設に決まったことを、あえて逆手に取ります。設計を依頼した株式会社スターパイロッツ三浦丈典さんが「小さな街のような空間をつくろう」と仕切りのないシームレスな図書スペースを考案したのです。

「一見すると、施設の中に図書館、しかも仕切りのないスペースにして展開することは、実に挑戦的です。ですが、サードプレイスとして機能させるためには理想的である、とこの話を聞いた際に感じました」(本間さん)

その後、牧之原市は移転決定から移転して開館するまでの間、わずか2年で移転プロジェクトを完結させました。

既成概念をくつがえす、自然な交流が生まれる仕組みとしかけ

2021年4月に移転オープン。現在の「いこっと」は、明るい照明や意匠に囲まれ、やわらかなBGMが流れるなかに、来館者などによる適度な雑音が混じり合った空間が醸成され、訪れる人の心を穏やかにしてくれます。しかし、一つのテナントとして入ると、仕切りがないことによる図書管理の面などの問題がありそうですが、水野さんは一つひとつ課題をクリアしていったと話します。

「いこっと」の入り口は複合施設共用部との間仕切りがなく、開放的。黒い梁が入り口の目印になっている(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の入り口は複合施設共用部との間仕切りがなく、開放的。黒い梁が入り口の目印になっている(写真撮影/片山貴博)

「”本が盗難されるのでは”といった課題が挙げられていました。また、他のスペースやカフェで読むことができると、”本を汚してしまうのでは”という心配の声も。しかし、そのようなことは一度もありませんでした。複合施設内で互いに見守っていること、適度な自由があるからこそ、利用者が愛着を持って大切に使ってくれているからなのでしょう」(司書・水野さん)

まるで秘密基地のようなキッズワンダーコーナー(児童書コーナー)。随所に閲覧・学習ブースがあり、親子で、子ども同士で楽しむことができる(写真撮影/片山貴博)

まるで秘密基地のようなキッズワンダーコーナー(児童書コーナー)。随所に閲覧・学習ブースがあり、親子で、子ども同士で楽しむことができる(写真撮影/片山貴博)

もちろん本が失われないように設備の工夫もされています。館内の資料にはICチップをつけており、居場所やデータがきちんと管理できます。また、開館時・閉館時の警備が心配です。そのため「いこっと」が閉館している時間帯は、開口部にシャッターの代わりとしてネットを張り、警備システムを作動させることで安全も保っています。

次々と新しい仕組みを取り入れていきますが、なかでも”どのスペースでも会話が可能”となったことは、図書館の既成概念をくつがえす取り組み。最初はやはり理解をしてもらうことが難しかったと振り返ります。

「『図書館は静かに過ごすものではないのか?』と叱られることもありました。その度に、ここは図書館ではなく、図書交流スペースであることを丁寧に説明していきました。誰でも初めは違和感があることだと思いますが、次第にそのような声も聞かなくなりました。会話が生まれていることを自然に感じてくださっているように思います」(水野さん)

従来の図書館より書棚を低くし、空間を広く開放的な視認を確保。さらに、分類も上空部に掲げてわかりやすく見やすいサインを採用している(写真撮影/片山貴博)

従来の図書館より書棚を低くし、空間を広く開放的な視認を確保。さらに、分類も上空部に掲げてわかりやすく見やすいサインを採用している(写真撮影/片山貴博)

年間購入費をかけて維持している充実した雑誌コーナー。「雑誌スポンサー制度」により企業や団体、個人等から雑誌の購読料を負担いただいている。雑誌カバーに公告、ラック下部にスポンサー名を掲載(写真撮影/片山貴博)

年間購入費をかけて維持している充実した雑誌コーナー。「雑誌スポンサー制度」により企業や団体、個人等から雑誌の購読料を負担いただいている。雑誌カバーに公告、ラック下部にスポンサー名を掲載(写真撮影/片山貴博)

移転に合わせて図書のセレクトの見直しも行いました。

「シニアの方から『文学作品が以前より少ない』とご指摘をいただくこともありますが、どの年代の人も本が楽しめる場所をつくりたいと思っています。子ども向けの書籍や、ティーン向けの書籍、市民から要望の多かった雑誌を大幅に増やしました」(水野さん)

より人が滲み出す場所を形成していきたい

「いこっと」の移転オープンから2年が経過し、今ではすっかり街の交流スペースとして馴染みつつあります。
午後3時を過ぎたころ、学校を終えた子どもたちが一気に「いこっと」へ飛び込んできます。目指すは文字探しラリー。館内の各所にあるキーワードを集めるために一生けんめいにかけ回ります。

「ねえねえ、やぎちゃん。今日はキーワードを教えてよ~!」と館長である八木 いづみさんのもとに飛び込んでくる子どもたち。

文字探しラリーのヒントを教える館長の八木さん。「いこっと」では大人と子どもの距離もフラット。気軽に声をかけてきます(写真撮影/片山貴博)

文字探しラリーのヒントを教える館長の八木さん。「いこっと」では大人と子どもの距離もフラット。気軽に声をかけてきます(写真撮影/片山貴博)

子どもたちにせがまれて、館内でヒントを探し歩く旅にも一緒する(写真撮影/片山貴博)

子どもたちにせがまれて、館内でヒントを探し歩く旅にも一緒する(写真撮影/片山貴博)

水野さんはこうした風景を「人が滲み出ている場所」と話します。ただ遊びに来ている場所、勉強しにくる場所、本を読む場所。なかには待ち合わせ場所として活用する人もいるのだとか。どれが正解でも良いのだそうです。
コロナ禍で開館し、訪れる人にも、イベントの開催にも制限があったこれまで。ここからは制限が解けたなかで、より交流するイベントを増やしていきたいそうです。

イベントに合わせて司書が作成した制作物。「こうしたらもっと面白くなるのではないか?」と司書たちがアイデアを持ち寄っているのだそう(写真提供/牧之原市)

イベントに合わせて司書が作成した制作物。「こうしたらもっと面白くなるのではないか?」と司書たちがアイデアを持ち寄っているのだそう(写真提供/牧之原市)

「”今まで図書館を使ったことがない”という人が足を延ばしやすいよう、図書のイベントとして、季節にまつわる行事を取り入れていきたいです。そして、街の財産である読み聞かせボランティアの方々にもこの場所をもっと活用してもらえたら嬉しいですね。挑戦したいことは山のようにあります」(水野さん)

そう水野さんが話す、「いこっと」の未来。移転したこの場所は、すでに街のランドマークとして馴染み、ハッピーな空気感がただよう場所として確立していました。

「いこっと」の職員たち。20代~60代と年代も幅が広い(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の職員たち。20代~60代と年代も幅が広い(写真撮影/片山貴博)

●取材協力
・牧之原市役所
・牧之原市図書交流館「いこっと」
・ミルキーウェイスクエア
・「いこっと」Instagram

“地元で何かしたい人”が大勢いないと、生活圏内は面白くならない。だから僕はこの場所をつくった。徳島県脇町の「うだつ上がる」

地方を訪れると、みな「ここには何もないから」という。気の効いた飲食店、カフェやパン屋もない。近くに遊ぶところがないからと県外まで出かける。「でもそれなら、いま住んでいる場所を、遊びに行きたい所にする方がおもろいやん」と話すのは、徳島の美馬市脇町で店舗兼ギャラリー兼オフィス「-みんなの複合文化市庭-うだつ上がる」を運営する高橋利明さんだ。いま、うだつ上がるには地元の20~30代が集まり、新しいイベントや仕事が生まれる文化の発信地になっている。(取材執筆/甲斐かおり)

美馬市脇町のうだつの町並みは重要伝統的建造物群保存地区で観光客も訪れる(撮影/藤岡優)

美馬市脇町のうだつの町並みは重要伝統的建造物群保存地区で観光客も訪れる(撮影/藤岡優)

「うだつ上がる」とは何か?

徳島県の美馬市脇町は、「うだつの町並み」で知られる重要伝統的建造物群保存地区である。
「うだつ」とは、町家の両端につくられた小さな屋根つきの防火壁のことをいう。高い位置にあるほど繁栄の象徴となり「うだつが上がる」の語源となった。脇町は江戸時代、藍の集散地として栄え、いまも“うだつ”の上がる建造物、大きな商家の並ぶ街並みが残っている。

そんな街中に、築150年の民家を改修してできた店舗兼ギャラリー兼オフィスが、「-みんなの複合文化市庭-うだつ上がる」(以下、うだつ上がる)だ。いまは雑貨屋、喫茶、本屋、古着屋、家具屋、ギャラリーが入居しており、週末にはモーニングやチャイカフェ、洋菓子屋が営業している。

うだつ上がるの入り口。(撮影/藤岡優)

うだつ上がるの入り口。(撮影/藤岡優)

うだつ上がるを運営する高橋さんの本業は、建築家。設計事務所として活用するには広すぎるこの家の一部をオフィスとして使いながら、自ら雑貨屋を運営。2階では家具のショールーム(大阪を拠点に活動するクリエイティブユニット graf のサテライトでもある)、ギャラリーも運営している。

加えて、ここを「誰もがスモールスタートをきれる場所にしたい」と、各スペースを“間借り”できるサービスを始めた。高橋さんは、その理由をこう話す。

高橋利明さん。建築家であり「うだつ上がる」を運営している(撮影/藤岡優)

高橋利明さん。建築家であり「うだつ上がる」を運営している(撮影/藤岡優)

「この町は観光地ですけど、数年前に来たとき、お店がほとんどなくてびっくりしたんです。建物はきれいに残っているけど、住人には高齢者が多くて、街並みの維持で精いっぱい。まちのポテンシャルを活かすには、保存するだけじゃなく利活用するのが大事やなと」

建築家の知識をいかして、古い建物でも明るく活用できることを、ショールームとして見せられるんじゃないかと考えた。

うだつ上がる店内のショップ部分。この右奥がカフェスペース(撮影/藤岡優)

うだつ上がる店内のショップ部分。この右奥がカフェスペース(撮影/藤岡優)

うだつ上がるの2階。家具のショールーム(graf)であり、奥はギャラリーになっている(撮影/藤岡優)

うだつ上がるの2階。家具のショールーム(graf)であり、奥はギャラリーになっている(撮影/藤岡優)

「もう一つ、僕の生活圏を楽しくするには、僕以外にも“何かしたい人”が沢山いないと面白くならないなと。この辺りでは、やりたいことより安定した仕事を選ぶ若い人が多くて、でも徳島には何もないって週末は県外に遊びに行っちゃう。それなら地元を遊びに行きたい町にする方が楽しいやんって。うだつが、そうした“何かしたい”を叶えられる場所になったらいいなと思ったんです」

左から谷あおいさん、高橋利明さん、岑田安沙美さん、脇川裕多さん。それぞれ「うだつ上がる」で活動している。うだつを行き来する人はほかにも大勢いる(撮影/藤岡優)

左から谷あおいさん、高橋利明さん、岑田安沙美さん、脇川裕多さん。それぞれ「うだつ上がる」で活動している。うだつを行き来する人はほかにも大勢いる(撮影/藤岡優)

「うだつ上がる」があったから、徳島に戻ってきた

いま、「うだつ上がる」は地元の20~30代を惹きつけ、地域内外の人が行き交う場所になっている。出会いの場というだけでなく、新しいことに挑戦できる場。ただ仲の良い人たちと過ごすだけではなく、ほどよく緊張感のある場でもある。

では、どんな風に、みんなここに集まってくるのだろう。
たとえば、脇川裕多さん(31歳)の場合。実家は同じ美馬市の老舗和菓子店で、20代のころから神戸、東京へ出てパティシエの仕事をしてきた。いつか、地元に戻り、脇町でケーキ屋を始めたいと思っていて、SNSで「うだつ」を知り、高橋さんの元に遊びに訪れた。

「時々、地元に戻った時だけでもうだつでポップアップやったらええやんと高橋さんが言ってくれて。その2~3カ月後、父が病気になって一時的に戻ってきて実家を手伝うことになったんです。そしたら高橋さんが、週末だけでも自分のお菓子屋始めたらと言ってくれて。平日は実家の和菓子屋を手伝って、週末だけここで洋菓子屋を始めて。ちょうどチャイ屋をやりたいという女性がいたので、一緒にやったらと」(脇川さん)

脇川さんの焼き菓子ブランド「あわい」のお菓子。滋味深くて美味しい(写真提供:脇川さん)

脇川さんの焼き菓子ブランド「あわい」のお菓子。滋味深くて美味しい(写真提供:脇川さん)

徳島の季節のものを素材にした、ケーキやシュークリーム、夏はかき氷が評判。(写真提供:脇川さん)

徳島の季節のものを素材にした、ケーキやシュークリーム、夏はかき氷が評判。(写真提供:脇川さん)

いずれまた東京に戻ると話していた脇川さんは、この2~3カ月の間に、東京に帰るのをやめたのだという。なぜだろう。

「うだつにいたら全国から訪れる人に、土日だけでもたくさん会えるんです。マルシェやイベントなどの情報も入るのでチャイ屋さんと一緒に出店したり。地元に誰も知り合いがいなかったけど、一気につながりが増えました。今なら徳島に戻ってもいいなって。こっちで本腰いれてやろうと思えました」(脇川さん)

パティシエの脇川裕多さん。徳島で焼き菓子ブランド「あわい」を立ち上げた(撮影/藤岡優)

パティシエの脇川裕多さん。徳島で焼き菓子ブランド「あわい」を立ち上げた(撮影/藤岡優)

脇川さんとともにチャイ屋を始めた岑田安沙美(みねだ・あさみ)さん(27歳)の場合はこうだ。つい2年前まで姫路の小さな会社で、コワーキングスペース事業など企画系の仕事をしていた。個人でデザインの仕事も請けるようになり、もうしばらくは県外で働こうと思っていたが「高橋さんとうだつに出会って、徳島に帰っても何とかなる気がした」と言う。

うだつで出会った人たちからデザインの仕事が入り始める。

岑田安沙美さん。今はデザインの仕事を手がける(撮影/藤岡優)

岑田安沙美さん。今はデザインの仕事を手がける(撮影/藤岡優)

いつかチャイ屋をやってみたいと話す岑田さんに、古本市というイベントでチャイを出した後、パティシエの脇川さんを紹介されて「常設で二人でやってみたら」と背中を押したのも高橋さんだった。

高橋さんは言う。

「準備ができたらやりたいとみんな言うけど、いつ準備できんねんって話で。やるって決めたら、いやでも準備せなあかんので。チャイが飲めて、美味しいケーキ食べられる店なんて、この辺りに他にないぞと」(高橋さん)

もちろんそうして始めた活動が、すぐに本業になるわけではない。そうしたいかどうかも人によってさまざまだろう。本業にならなくたっていいのかもしれない。大事なのは、まずやってみたかったことにチャレンジできる場があること。

ほかにも「うだつの高橋さんと出会って、土日だけでも来たら?と言ってもらったのが、徳島に帰るタイミングだと思った」と話す若者が何人もいた。

チャイおよび洋菓子カフェの様子(提供:うだつ上がる)

チャイおよび洋菓子カフェの様子(提供:うだつ上がる)

うだつ上がるでのイベントの際の様子(提供:うだつ上がる)

うだつ上がるでのイベントの際の様子(提供:うだつ上がる)

20代女性たちの出会いから始まった「古本市」

この場所がまさに20代世代の出会いの場所になり、一つの形として結実したイベントに「うだつのあがる古本市」がある。2022年11月に第1回目の古本市が開催され、半年後の春に第2回、そして2023年10月、うだつの近くの「オデオン座」という劇場で、第3回が開催された。

主催は、うだつで知り合った23~28歳の女性6人組。リーダーで発起人の谷亜央唯(たに・あおい)さんはこう話す。

「もともと徳島には本屋や美術館など、文化的なものが少ないなと思っていて。同じことをSNSで投稿している徳島の女性がいて、気になっていたんです。うだつに初めて来たとき、その女性と会って意気投合して。古本市の仲間になるほかのメンバーともここで出会って、その日にはもうどんな場所が徳島にあったら嬉しいか、みんなで話していました。卒業して徳島で一度就職したけどうまくいかなくて。数カ月で辞めたとき、うだつがなかったら東京に出てたと思うんです。でもやっぱり徳島で何かしたいなと思っていて、うだつでみんなと会って今があります」

谷亜央唯(たに・あおい)さん。今はうだつ上がるで週末にモーニングを提供しながら神山町の宿で働き、「古本市」の活動を進めている(撮影/藤岡優)

谷亜央唯(たに・あおい)さん。今はうだつ上がるで週末にモーニングを提供しながら神山町の宿で働き、「古本市」の活動を進めている(撮影/藤岡優)

できることなら地元に居たい、戻りたい。そう思っている若い人たちは意外に多いのだと、改めて気付かされる。でも地元にはできることが何もないと思っている。

「じゃあまず、自分たちで何か始めてみては」という高橋さんの気持が20代の女性たちにも伝わった。6人は本業の傍ら、古本市の準備を進めていく。

「古本市に来てくれたお客さんには、本だけじゃなくてこの町も楽しんでほしいから、お客さんの目線でみなでまちを見てみようと歩いてみたり。1回目のときは出店してくれる人がいるかもわからなかったので、最悪自分たちで出店すればいいよねと話して。でも結果的に全部出店枠が埋まったんです」(谷さん)

「うだつのあがる古本市」の垂れ幕(提供:うだつのあがる古本市)

「うだつのあがる古本市」の垂れ幕(提供:うだつのあがる古本市)

古本市の準備で、まち歩きをした際の様子(提供:うだつのあがる古本市)

古本市の準備で、まち歩きをした際の様子 (提供:うだつのあがる古本市)

初回の開催から第3回にかけて、古本市の規模はどんどん大きくなっていった。第3回目の出店数はうだつ上がるに10組、オデオン座に15組。この成功は、谷さんたちの自信につながったに違いない。都会でなくても、これほど本や人が集まる素敵なイベントができる。徳島でもできる、自分たちで実現できたと。

第3回の古本市が開催された、うだつ上がるから徒歩3分ほどの「オデオン劇場」。屋外には多くの飲食店の出店も。(撮影/筆者)

第3回の古本市が開催された、うだつ上がるから徒歩3分ほどの「オデオン劇場」。屋外には多くの飲食店の出店も。(撮影/筆者)

第3回の古本市の様子。大勢の出店者とお客さんでにぎわった(提供:うだつのあがる古本市)

第3回の古本市の様子。大勢の出店者とお客さんでにぎわった(提供:うだつのあがる古本市)

イベント当日は出店者に向けたトークイベントも行われた(提供:うだつのあがる古本市)

イベント当日は出店者に向けたトークイベントも行われた(提供:うだつのあがる古本市)

うだつ上がるは、「何か面白いことの生まれる場所」「いろんな若い人たちが集まってくる場所」として、認識され始めている。

「巻き込み力」の源

高橋さんは不思議な人だ。独特の関西弁で周りを笑わせながら、知らず知らずみなの背中を押している。高橋さんなくして、今のうだつ上がるはないし、うだつに惹き寄せられて徳島に戻った若い人たちもいないだろう。

大阪の生まれ育ちで、中学生までは芸人になりたかったという。その後、成り行きのような形で建築への道を歩み始める。建築の勉強は嫌いだったが「学校は楽しくて仕方なくて、無遅刻・無欠勤・無早退やった」と胸を張って言う。

(撮影/藤岡優)

(撮影/藤岡優)

人と関わるのがとことん好きなのだと思う。そしてその楽しい気持を全身全霊で表してくれるので、関わる人は嬉しくなるし、何かあれば高橋さんに声をかけたくなる。

最初はそれほど好きではなかった建築も、「自然と共生型」の建築との出会いをきっかけに、のめりこんだ。大阪から徳島へやってきたのも、徳島で活動していた建築家の元で修行しようと決めたからだった。

その人の元で9年間修行した後に独立してからは阿波市に暮らし、設計事務所を開業。イベント企画の仕事なども手がけるようになる。阿波市の地産の食材の美味しさをアピールするために「100人BBQ」を企画したときには、世代を超えて150人以上が集まった。現在は美馬市に店兼事務所を構えて、住宅や店舗など建築の仕事を手がけながら、うだつ上がるを運営している。

高橋さんと話す中ではっとした瞬間があった。

「小さいころから、自分と関わった人はみんな幸せになるべきやって思い込んでるんところがあって。せめて僕とおるときは、みんな笑顔にしたい。常に笑かしたい。相手が笑えば自分も一緒に笑うしな。自分一人で笑ってんなってよく言われますが(笑)」

高橋さんの巻き込み力は、そこからくるのかもしれないと思った。

(撮影/藤岡優)

(撮影/藤岡優)

変な大人に出会える、寄り道できる場所

たとえば取材の日、高橋さんは「今日はこの後、建築の仕事で福井に出張する」と話していた。パティシエの脇川さんも福井まで連れていくという。

「福井でショップやっている知り合いが、ポップアップをやらせてくれるというので、僕が打ち合わせしている間に、脇川くんがかき氷を販売したらいいなと思って。僕がもっているつながりも、自分だけがもっているより、できるだけ誰かと共有できるならその方がいいので」

高橋さんは23年近く徳島にいて、嫌でも自分が生まれ育った環境、大阪との違いを感じるという。

「この近くの高校は進学校で、みんな遅くまでスーパーの休憩室で勉強しています。でも何になりたいとか話さない子が多い。徳島におったら、いろんなものに触れる機会が圧倒的に少ない。自分は大阪にいた頃、無意識にいろんなものにふれていたと思うんです。チラシのデザイン一つとってもそうやし、学校帰りには毎日まちに出て遊んで、いろんな人に会うてたし。

徳島にいても、その環境は大人が提供しないとだめだと思う。いろんな仕事や遊び場にふれる機会を。うだつ上がるの意味って、そういうところにあるんかなとも最近思う」

だから、地元の人たちが“何かを始められる”場であることと、「ここでもこんなに面白いことや楽しいことができるで」と若い人たちに見せられることが重要。

「地元の高校生が制服でうだつに来てくれると、テンションあがります。最近、明石くんという男の子が学校帰りに店に来てくれるんですよ。うちで初めてブラックコーヒー飲んで、美味しかったんでまた来ましたって。『友達いないんですよねぇ』とか色々しゃべってくれて。そんな風に子どもが寄り道して、変な大人に出会える場所を増やしたい」

最近は、同じうだつの町並みの通りに、うだつの2号店を増やすことを考え始めた。

「2号店の店名はもう『よりみち』でもいいかなと思ってます」。
そう言って笑った。

(撮影/藤岡優)

(撮影/藤岡優)

●取材協力
-みんなの複合文化市庭-うだつ上がる

これが図書館? 全面ガラス張りの開放的な空間。大企業が始めたコミュニティ型図書館「まちライブラリー」を見てきました 西東京市

地縁型のつながりが薄れ、都会では近隣に暮らす人たちと接点をもつのが難しくなっています。そこで、地域密着のゆるやかなコミュニティの入口として、全国に増えているのが「まちライブラリー」です。本を介して気軽に人と関わることができるコミュニティ型の図書館。自宅やお店の一角に本を置いて、誰もが気軽に始められるというので人気があり、今や登録数は1000件以上にのぼるのだとか。

そんなまちライブラリーのひとつが、新たに6月末、東京都西東京市に誕生しました。資本力のある大企業がバックアップすることで、これまでとはまた違う、市民にとって嬉しい空間が生まれている。そんな先行事例を見てきました。
三菱UFJフィナンシャル・グループ(以下、MUFG)が始めた「まちライブラリー@MUFG PARK」です。

広大な芝生広場の中に建つ「まちライブラリー@MUFG PARK」(写真撮影/田村写真店)

広大な芝生広場の中に立つ「まちライブラリー@MUFG PARK」(写真撮影/田村写真店)

まちライブラリーとは?

五日市街道から一歩入ると、都会の喧騒を離れ、すっぽりと木々に囲まれた緑豊かな空間が広がります。気持ちのいい芝生奥に見えてきたのは、屋根の大きい低層の建物。

2023年6月下旬にオープンしたばかりの「まちライブラリー@MUFG PARK」です。すでに休日は1000人以上が訪れるというこの図書館。一体どんな場所なのでしょう。

「まちライブラリー@MUFG PARK」入ってすぐの雰囲気(写真撮影/田村写真店)

「まちライブラリー@MUFG PARK」入ってすぐの雰囲気(写真撮影/田村写真店)

もともと東京都西東京市のこの場所には、三菱UFJ銀行の福利厚生施設、約6ヘクタールほどの広い敷地がありました。敷地内のスポーツ施設、芝生の広場がリニューアルして一般市民向けに開放されるのと同時に新設されたのが「まちライブラリー@MUFG PARK」です。

まちライブラリーは、蔵書や寄贈の本を貸し出す形で、個人がどこでも気軽に始められる図書館のしくみ。自宅やお店の一角に少数の本を置くだけもよし、固定した拠点がなくてもピクニックのように本を囲んで集まる場さえあれば始められます。2014年に始まって以来、これまでに登録された数は1026件。そのうち800件がいまもアクティブに活動しています。

館内の様子。壁一面に設置された本棚は全長35m。日々新たな本が持ち込まれ、蔵書は増えている。本の貸し出しは2週間3冊まで(写真撮影/田村写真店)

館内の様子。壁一面に設置された本棚は全長35m。日々新たな本が持ち込まれ、蔵書は増えている。本の貸し出しは2週間3冊まで(写真撮影/田村写真店)

この取り組みを始めた一般社団法人「まちライブラリー」代表の礒井純充さんは、理由をこう話します。

「まちのことって、みんな関心があるようで、意外と関心をもちにくいですよね。周りが『いいまちをつくりましょう』と言っても、みんな自分の生活のほうが大事。でも、地域で活動を始めてみると、自然とまちを意識するようになるんじゃないかと思ったのです。

例えば小さな図書館を始めれば、利用するのは必然的に地域の人たちになります。子どもの居場所になったり、シニアの人たちが協力してくれたり。自分は一人で生きているのではなく、まちの一員として生きていることが実感としてわかってくる。すると初めて、まちのことを考え始めます」

まちライブラリーの創設者である礒井純充さん。もとは森ビルに勤め、まちづくりに携わってきた方(写真撮影/田村写真店)

まちライブラリーの創設者である礒井純充さん。もとは森ビルに勤め、まちづくりに携わってきた方(写真撮影/田村写真店)

もう一つの理由は、個人の力でできることの大きさを提示したかった、というもの。

「私たちは組織や資本がないと何もできないと思いがちですが、個人のできることって意外と大きいと思うんです。例えば家庭で親が子どものお弁当をつくるのは、家族にとって大事な役割ですが、あくまで個人の思いでやっていることです。そこには組織も資本も貨幣も必要ない。そんな我々の日常的な行動が、じつは社会全体のインフラをつくっている面があるのではないかと思うんです」

話してもOK、飲食もOKのライブラリー

中へ入って驚いたのは、一般の図書館と違って、館内で自由に話をしてもいいし、飲食もOKなこと。お茶を飲みながら本を読む人がいたり、打ち合わせをする人がいたり、子どもたちが走り回って遊んでいたり。本が介在しながら、異なる世代が自由に時間を過ごせるコミュニティスペースなのです。

どのまちライブラリーもそうではないですが、ここでは十分なスペースが確保できるため、自由に遊びまわる子どもたちと、静かに本を読みたい人たちとが同じ空間を共有できています。おしゃれなカフェに近い雰囲気。

広く明るい空間。本棚のほかにゆっくり腰掛けられる椅子とテーブル、奥には子どもたちが遊べるスペースも(写真撮影/田村写真店)

広く明るい空間。本棚のほかにゆっくり腰掛けられる椅子とテーブル、奥には子どもたちが遊べるスペースも(写真撮影/田村写真店)

「小学校が終わると子どもたちがわーっとやってきて、ただいま~なんて言う子もいるんです(笑)。宿題をやる子や、そのまま芝生に出て行って遊ぶ子などいろいろですけど、子どもたちだけで訪れても、安心して過ごすことができる居場所になっています」

一般社団法人「まちライブラリー」のスタッフであり、マネージャーの藤井由紀代さんはそう教えてくれました。

一般社団法人「まちライブラリー」のスタッフであり、マネージャーの藤井由紀代さん(写真撮影/田村写真店)

一般社団法人「まちライブラリー」のスタッフであり、マネージャーの藤井由紀代さん(写真撮影/田村写真店)

スタッフの数も充実しているため、お客さんとの交流も丁寧にできる。一般的な図書館では本の貸し出し手続きのときしか接しませんが、好きな本の話で盛り上がったり、世間話をしたり。

そのコミュニケーションに一役買っているのが、本につけている感想カードです。カードには、まず本の寄贈者が自分自身のことや本の感想を記入します。その後、借りて読んだ人が一言感想を書き入れて、また次へ。一冊の本が人と人をつないでいく流れが、カードによって可視化されます。

「はじめは、古い本が多いわね、なんて言っていらした方が、メッセージカードを見て、『この本、亡くなった奥さんが大事にしていらした本なんですって。私読んでみるわ』と言って借りていかれたり。スタッフが、カードの感想を紹介しながら本をお勧めすることもあります。自然と話が弾みます」(藤井さん)

感想カード。本の寄贈者が本の感想を記入し、その後、借りた人たちが一言ずつ感想を書き入れるようになっている(提供:まちライブラリー)

感想カード。本の寄贈者が本の感想を記入し、その後、借りた人たちが一言ずつ感想を書き入れるようになっている(提供:まちライブラリー)

子どもたちが遊べるスペースも(写真撮影/田村写真店)

子どもたちが遊べるスペースも(写真撮影/田村写真店)

なぜ金融機関がコミュニティの場を?

本を寄贈するのはまちの人たち。運営するのは一般社団法人「まちライブラリー」ですが、「まちライブラリー@MUFG PARK」は、MUFGという大企業により設立されました。ここまで大きなまちライブラリーはこれまでにも多くはありません。

MUFG経営企画部ブランド戦略グループの松井恵梨さんは、こう話します。

「2019年ごろから、弊社でも社会貢献への考え方に変化がありました。世の中でSDGsといったことが言われ始めて、社員のエンゲージメント(会社や組織に対する愛着心)が重視されるようになって。

社会貢献活動の一環として、もともと自社でもっていたこの場所を活かすことができないかと考えたんです。いろいろ検討するなかで、まちライブラリーの取り組みを知りました」

MUFG経営企画部ブランド戦略グループの松井恵梨さん(写真撮影/田村写真店)

MUFG経営企画部ブランド戦略グループの松井恵梨さん(写真撮影/田村写真店)

このライブラリーを新設するのはもちろん、維持していくにもそれなりのコストがかかります。ですが、額面の話だけでなく、本件はMUFGの社会貢献としても大きなチャレンジだったといいます。

「新しくハードをつくっただけではなく、オープンより2年前から、社員全員に呼びかけて、ここをどんな場所にしていくかを話し合うワークショップを行ってきました。地域の人もお招きして、月に2~3度集まってフィードバックをし合いながら。結果的に、全社員の中から約300名がボランティアで参加してくれました」

こうしたワークショップを通して、オープン後にライブラリーで開催するイベントの企画を考案。すでに地産の野菜を販売するマルシェの開催や、星空観察会などの企画が進んでいます。一方、地域の人たちや、市民団体が主催するイベントをこの場所でも積極的に提供していく予定です。

館内からの眺めもいい(写真撮影/田村写真店)

館内からの眺めもいい(写真撮影/田村写真店)

同じく同社のブランド戦略グループの森川貴博さんが、活動の背景を教えてくれます。

「当グループでは自社のブランドをどう変えていくかを考えているわけですが、最近は外に対してだけでなく、社内でのイメージ、社員の働き甲斐や誇りといったことがとても重要になっています。

4年前から社員が誰でも社会貢献の企画を出せる取り組みが始まりました。一人一人が地域に何ができるのか、自分の身近でできることがないかを考えて提案する。

その提案が社会貢献として意義あるものであれば、1件あたり最大50万円の予算をつけます。2022年度はグループ内で240件ほどの申請があり、約3500人の社員参加がありました。こうした試みを通して地域に対する活動がかなり増えているんです」

MUFGでは「業務純益の約1%」をビジネスでアクセスしにくい社会課題に対して社会還元すると公表しています。(2021年度の社会貢献活動費の実績は81.5億円)

子ども食堂でクリスマスパーティーを開く企画や、地域の人たちを巻き込んで清掃活動を行うといった公共性の強いものなど、社員が身近なところで関心をもち、社会課題の解決につながることを後押し。その内容は多岐にわたります。

MUFG経営企画部ブランド戦略グループの森川貴博さん(写真撮影/田村写真店)

MUFG経営企画部ブランド戦略グループの森川貴博さん(写真撮影/田村写真店)

もともと日本の企業は、地域に寄り添う社会的な存在だった

まちライブラリーの礒井さんは、こうした企業の姿勢を、日本企業がかつてもっていた、本来あるべき姿ではないかと話します。

「近江商人の三方よしではないですが、もともと日本の企業は、社員や家族、地域に寄り添って社会的なものであろうとしてきた企業文化があったと思うんです。僕が社会に入った40年ほど前はまだそうでした。

それが変わったのはバブルが弾けて、ここ20~30年のことだと思います。景気が後退して日本企業が自信を失いつつあったところにアメリカ流の金融資本主義や合理性第一主義の考え方が入ってきた。

でもいま、そうしたアメリカ式の企業のあり方は限界を迎えていて、再び日本式の企業のあり方が注目されています。日本的な企業がもっていた公共性が再評価されて、本来あるべき形に企業が戻ろうとしているのではないでしょうか」

本の上段に並ぶのはカラフルな「タイムカプセル本箱」。「思い出や、何年後かの自分への手紙を入れるなど人それぞれに楽しんでもらえたら」と礒井さん(写真撮影/田村写真店)

本の上段に並ぶのはカラフルな「タイムカプセル本箱」。「思い出や、何年後かの自分への手紙を入れるなど人それぞれに楽しんでもらえたら」と礒井さん(写真撮影/田村写真店)

一方で、大きな組織だけでなく、個人の変容が大事。礒井さんが書かれた『まちライブラリーのつくりかた』(学芸出版社 刊)の一説が印象的です。

「いまの社会は、大きな火力を使って、大きな鍋でシチューやカレーを煮ているようなものだと感じています。…大きなものを力ずくで変えるのではなく、中にいる一人一人が変わっていくことで、いいものに変えていくという方法があると思います」

おいしいカレーをつくるには鍋の中の具材一つ一つがおいしくなる必要がある。つまり社会にとっても一人一人が大事。その流れに大企業の資本が入ることで、個人の力がより大きな力になったりする。まちライブラリー@MUFGは、まさにそんな企業が個人の力をエンパワーしている例かもしれません。

(左から)森川さん、松井さん、礒井さん、藤井さん(写真撮影/田村写真店)

(左から)森川さん、松井さん、礒井さん、藤井さん(写真撮影/田村写真店)

●取材協力
まちライブラリー@MUFG

誰でも収穫して食べてOKな農園も!? 公園の一角やビル屋上などに都市型農園が増加中! 『まちを変える都市型農園』新保奈穂美さんに聞く3事例

都市に暮らしていると感じにくい、大地に根差して「生きている」手ごたえ。今、都市部の農地や公園の一角、ビルの屋上などに、市民が参加し、農体験できる「都市型農園」が増加中だ。「都市型農園は、生の実感を取り戻せる場所」と語るのは、『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』(学芸出版社)の著者・新保奈穂美さん。都市型農園が増加している背景を事例とともに紹介する。

農園ブームで進む、都市のスキマ活用土に触れる機会がない都市での生活。都市型農園では、自分自身で自分の食べるものをつくることができる(画像提供/平野コープ農園)

土に触れる機会がない都市での生活。都市型農園では、自分自身で自分の食べるものをつくることができる(画像提供/平野コープ農園)

新保さん(現・兵庫県立大学大学院の緑環境景観マネジメント研究科講師)が執筆した『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』。さまざまなケースの都市型農園18例を収録(画像提供/学芸出版社)

新保さん(現・兵庫県立大学大学院の緑環境景観マネジメント研究科講師)が執筆した『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』。さまざまなケースの都市型農園18例を収録(画像提供/学芸出版社)

著書では、アーバンガーデニングや農的活動の場となる自宅外の空間を、都市型農園と呼んでいる。新保さんによると、都市型農園は、コロナ前から需要が増え始め、コロナ後は、利用申し込みが数倍になった農園があったり、民間の貸農園の数が拡大したりなどブームが高まっているという。

「地方移住などで若い世代の田園回帰の意識が高まっており、農を取り入れたライフスタイルが注目されつつあったところに、新型コロナウィルス感染症のパンデミックが起き、比較的安全な屋外の庭や貸農園で野菜や花を育てる需要が高まりました。SDGsや環境問題への関心の高まりから、社会や環境のために何かをやりたい人が増加し、その手段になっている印象です」(新保さん)

世界的にも、都市住民が都市の空間を活用して野菜や花を育てる活動「アーバンガーデニング」の人気が高まっている。日本では、開発により消えつつあった農的空間を、積極的に都市に取り入れようとする動きが出てきた。

日本の市民農園は、大正後期~昭和初期に、ドイツ発祥の区画貸し農園「クラインガルテン」をルーツとして始まり、1960年代ごろから現在のような市民農園が存在していた。従来の市民農園は、都市部の農家が所有する農地を、区画に分けて貸し出している農園を指す。農林水産省の発表によると、調査を開始した2002年以来、2017年~2018年に減少したほかは増加し続けており、2022年3月末時点で、全国に4235農園が存在している。

ドイツにあるクラインガルテンの区画の一例(画像提供/新保奈穂美さん)

ドイツにあるクラインガルテンの区画の一例(画像提供/新保奈穂美さん)

アートとガーデンの融合で多様な住民同士の交流を活性化するドイツ・ベルリン市のグーツガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

アートとガーデンの融合で多様な住民同士の交流を活性化するドイツ・ベルリン市のグーツガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

住民主導でマイノリティの居場所をつくったドイツ・ハノーファー市のシュペッサートガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

住民主導でマイノリティの居場所をつくったドイツ・ハノーファー市のシュペッサートガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

「東京、横浜、神戸、福岡などの大都市で盛んで、農家や民間のスタッフが農を教える体験農園、利用者が自主的に運営するコミュニティガーデンなどバリエーションの幅も広がりました。今、野菜を育てるだけでなく、コミュニティの課題解決や持続可能なまちづくりのアプローチとして、注目されているのです」(新保さん)

●関連記事:
コロナ禍のドイツは園芸がブームに。農園でつながりづくり進む
郊外の空き地で、焚き火や養蜂に住民みんなが挑戦!「“禁止”はNG」が合言葉の「nexusチャレンジパーク 早野」
空き家だらけの下町に2000世帯も転入! 大阪・蒲生四丁目がオシャレなまちに「がもよんモデル」

住宅地内の農地を住民の居場所に。「せせらぎ農園」

ここからは、具体的に全国の事例を見ていこう。

そもそも新保さんが、都市型農園の持つ可能性を強く意識したのは、東京大学の学生だった2009年に、クラインガルテンの研究のためオーストリアのウィーンを訪れた時のことだった。

「首都の都心部に農園があって、のんびり花に水をあげたり、ベンチに寝そべって日向ぼっこをする人々の姿が印象的でした。それまで、私にとって都市の生活は、ぎゅうぎゅうの満員電車で学校や職場に通うイメージでしたから、こんな暮らし方があるんだと、カルチャーショックを受けたのです」(新保さん)

以来、世界の都市型農園を訪れ、「都市における農」の研究に携わってきた。ヨーロッパを研究の舞台としてきた新保さんが、日本の都市型農園の研究に関わるきっかけとなったのは、「せせらぎ農園」との出会いだった。

東京都日野市の住宅地内にある「せせらぎ農園」は、2008年に設立された老舗の都市型農園だ。「せせらぎ農園」の特徴は、地域の生ごみを肥料として活用し、環境保全に貢献しながら、野菜やハーブの栽培が行われていること。設立者である佐藤美千代氏が農園設立以前に、市民団体「ひの・まちの生ごみを考える会」を立ち上げた経緯があり、障がい者支援を行うNPOなど地域のさまざまな主体と連携し、地域住民が集うコミュニティ拠点として成長してきた。利用者は60代が中心で、子育て世帯も参加している。

運営者は、市民団体「まちの生ごみ活かし隊」。活動日には、毎回、10~20人程度の利用者が集まり、生ごみを活用した農作物栽培などを行う(画像提供/せせらぎ農園)

運営者は、市民団体「まちの生ごみ活かし隊」。活動日には、毎回、10~20人程度の利用者が集まり、生ごみを活用した農作物栽培などを行う(画像提供/せせらぎ農園)

軽トラックで地域から収集した生ごみを下ろす参加者(画像提供/新保奈穂美さん)

軽トラックで地域から収集した生ごみを下ろす参加者(画像提供/新保奈穂美さん)

土壌還元作業に子どもと一緒に参加する利用者。障がい者施設に生ごみの発酵を促す竹パウダーの袋詰め作業を依頼するなど、多世代・多様な人々が関わる(画像提供/新保奈穂美さん)

土壌還元作業に子どもと一緒に参加する利用者。障がい者施設に生ごみの発酵を促す竹パウダーの袋詰め作業を依頼するなど、多世代・多様な人々が関わる(画像提供/新保奈穂美さん)

廃家具を再利用した薫製箱でつくったチーズやベーコンにハーブを添えて(画像提供/新保奈穂美さん)

廃家具を再利用した薫製箱でつくったチーズやベーコンにハーブを添えて(画像提供/新保奈穂美さん)

「せせらぎ農園」の農活動は、「援農」という農家の農作業を都市住民が手伝い、無償もしくは謝礼として農作物を得るというスタイルだ。「せせらぎ農園」を視察し、農作業を手伝った新保さんは、都市型農園の持つ可能性を実感したという。

「現代は、あらゆることが私たちの体から、切り離されています。食糧生産の場から離れた都市に暮らし、パソコンで仕事をしていると、自分の手で何ができるんだろう? という気持ちになってきます。草を取って、水やりをすると、だんだん野菜が育っていく。目に見えて成果が分かるのが、とても嬉しくて。都市の中に農と関われる場所がある大切さを再認識しました」(新保さん)

都市型農園の多くは、農家所有の農地を活用している

都市型農園には、公園の一部やビルの屋上を活用する事例もあるが、多くは地元の人が所有する農地を利用している。都市型農園発展の転換期になったきっかけは、生産緑地法の改正と「都市農地の貸借の円滑化に関する法律」の制定だ。

大きく分けて都市には、市街化を促す市街化区域と市街化を抑制する市街化調整区域がある。従来の市民農園は、土地代が安く、比較的自由に貸し出ししやすい市街化調整区域に多かった。一方、市街化区域の農地では、1974年に生産緑地法が制定され、営農の継続を希望すれば、都市環境を保全するための生産緑地地区(以下、生産緑地)の指定を受けられるようになった。

市街化区域内の農地はいずれ住宅や商業地になるはずだったが、人口減少による需要減もあり、都市の環境保全の場として見直されている(画像提供/新保奈穂美さん)

市街化区域内の農地はいずれ住宅や商業地になるはずだったが、人口減少による需要減もあり、都市の環境保全の場として見直されている(画像提供/新保奈穂美さん)

「生産緑地の指定を受ければ、土地に対する課税が安くなるものの制限も多く、生産緑地指定を受ける農地は少なかったのです。ところが、1992年の法改正で、三大都市圏の特定市にある生産緑地指定を受けていない農地に対し、宅地並みの課税が実施されることに。生産緑地の指定を受ければ、固定資産税の軽減や相続税の納税猶予の措置が認められたため、生産緑地の指定を受ける農地が一気に増えました。しかし、指定を受けるには、30年間、所有者自らがそこで農業を続けることが条件。所有者以外の都市住民が耕作する都市型農園に生産緑地を利用するには、『せせらぎ農園』のように、援農が主流でした」(新保さん)

都市型農園の近年の発展は、2018年に「都市農地の貸借の円滑化に関する法律」が施行されたことが大きい。生産緑地に指定された農地を他人に貸して耕作してもらえるようになり、「援農」の形式に縛られず、多様な活用が可能になったのだ。農家でない市民やNPO、民間企業による市民農園の開設ができるようになり、農園内に、農産物の直売所や農家レストランを設けるなど、都市部の高齢者や子育て世代までさまざまな住民が関わる拠点として、期待が高まっているのだ。

公園の活用や防災・減災への貢献も

最近では、農地以外の土地の活用も始まり、全国には、「ベトナム人住民が創る農園」(兵庫県姫路市)や「金町駅前団地コミュニティガーデン」(東京都葛飾区)など、異文化交流や地域活性化などさまざまな取り組みが行われている。その中からユニークな取り組みを紹介しよう。

公園の一角を再生した「平野コープ農園」

兵庫県神戸市にある「平野コープ農園」は、2021年4月に開設された比較的新しい都市型公園だ。市が管理していた低利用の公園に近隣住民が定期的に訪れる場所をつくろうと、神戸市経済観光局農水産課と建設局公園部が協働し、住民コミュニティの再生を目指す市の実証実験として誕生した。

コミュティ農園の入口に掲げられた看板。誰でも入れることや収穫物は自己責任で自由に食べていいことが書かれている(画像提供/新保奈穂美さん)

コミュティ農園の入口に掲げられた看板。誰でも入れることや収穫物は自己責任で自由に食べていいことが書かれている(画像提供/新保奈穂美さん)

「全国でも珍しい公園を使った都市型農園です。皆のためにある公園を一部の人が主に利用するには、課題が多く、議論を重ねて実現しました。エディブルパーク(食べられる公園)がテーマで、ユニークなのは、誰でも入って収穫できるコミュニティ農園があること。ただ、人通りが少ない場所にあり、コミュニティ農園の利用はまだ少ない状況です。自分で区画を持ち野菜栽培を実践できる『学びの広場』の利用者は、30・40代の女性が多く、商店街の人たちと連携して、イベントを行ったりしています。子育て中は孤独を感じやすいので、地域の人と繋がる大切な場所になっているようです」(新保さん)

六甲山系の山裾にある平野展望公園内の約390平米を利用(画像提供/新保奈穂美さん)

六甲山系の山裾にある平野展望公園内の約390平米を利用(画像提供/新保奈穂美さん)

多くの子どもたちも参加(画像提供/平野コープ農園)

多くの子どもたちも参加(画像提供/平野コープ農園)

地域活性化と過密な住宅地の防災に貢献「たもんじ交流農園」

地域活性化のために始めた都市型農園が、地域の防災の場になった事例もある。東京都墨田区の「たもんじ交流農園」だ。

墨田区たもんじ交流農園。地元野菜寺島なすのほかトマトやサトイモなどを栽培(画像提供/新保奈穂美さん)

墨田区たもんじ交流農園。地元野菜寺島なすのほかトマトやサトイモなどを栽培(画像提供/新保奈穂美さん)

「2017年に、現・寺島・玉ノ井まちおこし協議会(以下、てらたま)が、街を盛り上げるため、この地にルーツがある伝統江戸野菜「寺島なす」を活用するプロジェクトを立ち上げ、3年がかりでコミュニティ農園『たもんじ交流農園』をつくりました。約660平米の敷地に12の交流農園があり、農園利用者が使用する毎週日曜日以外にもいつでも誰でも入ることができます。もともと、このエリアは、木造住宅密集地域(木密地域)で、地震・火災の防災・減災対策が課題でした。都市型農園によるオープンスペースの創出が、結果的に、防災・減災対策に繋がりました。災害時には避難スペースになりますし、水やりに使っている雨水タンクは火消しにも役立ちます」(新保さん)

多聞寺の臨時駐車場を無償で借りてつくられた。12区画の交流農園のほか、ウッドデッキやピザ窯がある。画像は、てらたま提供資料に新保さんが加筆したもの(画像提供/新保奈穂美さん)

多聞寺の臨時駐車場を無償で借りてつくられた。12区画の交流農園のほか、ウッドデッキやピザ窯がある。画像は、てらたま提供資料に新保さんが加筆したもの(画像提供/新保奈穂美さん)

農園で収穫された寺島なすは、地域住民や飲食店に提供(画像提供/たもんじ交流農園)

農園で収穫された寺島なすは、地域住民や飲食店に提供(画像提供/たもんじ交流農園)

そもそも、雨水タンクは、循環型農園を目指し、自然資源を活用した農作業を実現するために他の施設から使わなくなったものを譲り受けたものだが、結果として、防災にも生きている。「たもんじ交流農園」に限らず、続けるうちに、農体験から派生して、活動が複合的になっていくことが多々あるという。「いい感じに有機的につながっていくのが面白いところ」と新保さん。

著書の最後には、研究の原点となった「せせらぎ農園」を訪れた時のエピソードが書かれている。都市型公園の研究を続ける原動力ともなった大切な体験だった。

「『せせらぎ農園』の皆さんは、私が何者かも聞かずに、受け入れてくれました。『ここにいていいんだよ』と救われた気持ちがしたのです。こんないいところが、街のあちこちにあったらなあと。都市型農園が増えれば、私のように救われる人が増えるかもしれません」(新保さん)

新保さんが研究を通じて触れた「農のふところの深さ」。都市型農園がもっと身近になり、地域のハブとして、多世代・多様な人々を繋ぐ日は、そう遠くないのではと感じた。

●取材協力
・新保奈穂美さん
・『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』(学芸出版社)

日本橋を人と街の交流拠点へ。三井不動産が手掛けるオープンスペース、自然と会話が生まれるイベントは想像以上の多彩さだった!

三井不動産が東京・日本橋に、「好奇心を動かし探求と活動を生み出すオープンスペース 」を開設させた。なぜ、日本橋に交流拠点を開設したのかが気になるところだが、多彩なイベントを連日開催していると聞いて、参加してみた。その様子をレポートしよう。

【今週の住活トピック】
「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN」をオープン/三井不動産

交流拠点「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN」とはどんな施設?

オープンスペースの名称は「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN(以下、「+NARU NIHONBASHI」)」。NARU(ナル)は「成る」「為る」「鳴る」「生る」といった複数の意味が込められており、人や街に変化や動きを生み出すことを目指しているのだとか。

現地を訪れてみると、ガラス張りなので中の様子が見えて、開放的な印象を受けた。(記事冒頭のエントランス写真参照)目に入るのがコーヒースタンド(ドリンクは有料)で、カフェと間違える人もいるかもしれない。中に入るとコミュニティマネージャーが声をかけてくる。取材で訪れた旨を伝えると、三井不動産から委託され+NARU NIHONBASHIを運営している株式会社 GoldilocksのCEO川路武さんが施設を案内してくれた。

+NARU NIHONBASHIのコーヒースタンド(筆者撮影)

+NARU NIHONBASHIのコーヒースタンド(筆者撮影)

+NARU NIHONBASHIは、LINEで会員登録をすれば利用できる。実は、ラウンジが利用できるならと、筆者は既に登録していた。筆者のように日本橋には住んでも勤めてもいないけれど、日本橋のお蕎麦屋さんが定期的に開く落語会や三越劇場が主催する三越落語会など、趣味で日本橋をよく訪れるという場合でも登録はウエルカムだ。登録特典のLINEのコーヒークーポンがあったので、さっそく利用した。

このラウンジは、施設がオープン中であればいつでも利用できる。ラウンジ内にはいくつかのテーブル・椅子が置かれており、ノートパソコンを持ち込んでいる人がいた。よく見ると、テーブルごとにお勧めの本が置かれていたりボードゲームが置かれていたりして、本を読んだりゲームをしたりすることもできるようになっていた。滞在時間はどのくらいなのかを聞くと、短い人で1時間程度、長い人では半日ほどいるという。

+NARU NIHONBASHIのラウンジ(オープンスペース)(筆者撮影)

+NARU NIHONBASHIのラウンジ(オープンスペース)(筆者撮影)

テーブルごとにテーマが設定されていることも(筆者撮影)

テーブルごとにテーマが設定されていることも(筆者撮影)

ほかにも登録会員であれば、ラウンジを区切った約10席のミーティングスペース(1000円/時間)を予約することもできる。また、ラウンジスペースはイベントスペース(10000円/時間)として誰でもレンタルすることができるが、登録会員が主体となった、日本橋に資する内容であると認められるイベントの場合には、メンバー価格(3000円/時間)で利用できるといった特典もある。日本橋で新しいチャレンジが生まれることを応援したいからだという。

+NARU NIHONBASHIにはミーティングスペースが2つある(筆者撮影)

+NARU NIHONBASHIにはミーティングスペースが2つある(筆者撮影)

コミュニティマネージャーが常駐しているのも特徴だ。利用者に声をかけて、コミュニケーションを取っているだけでなく、それぞれの持ち味を生かした多彩なイベントを開催している。その内容も、参加しやすい出会いの場づくりのものから、深掘りしたり自分磨きをしたりする手の込んだものまで、実にさまざまだ。

参加費用は、無料であったり、有料でも1000円程度だったりとリーズナブル。実費相当額程度なので、イベントで利益を得る構図ではないようだ。

いざ、ホットサンド作りに挑戦

そうこうしているうちに、参加するイベントの開催時間となった。この日の朝には、すでにバリスタが教えてくれる「美味しいコーヒーの淹れ方講座」(会員参加費1000円|定員4名)が開催され、4名がいずれも通勤前に参加したという。互いに入れたコーヒーの飲み比べをして、味の違いを体感して盛り上がったそうだ。

筆者が参加した12:00~13:30の時間帯は、「コミュナルランチ~ホットサンドPress~」(参加費600円)が開催された。テーブルには、定番のレタスとハム・チーズから、和風のサバ缶と大葉・コーン、フルーツを中心としたスイーツ系までさまざまな具材が並べられ、自分がセットしたものを順番に焼いていくスタイルだ。筆者は、チョコレートソースにフルーツとマシュマロという甘々のセットにしたが、マシュマロが溶けてプレス機にこぼれ出し、大変迷惑をかけてしまった。

さて、参加者に話を聞いてみた。日本橋に勤務している50代の男性は今回のイベントが2回目の参加だ。どうせランチを食べるのならと、今回のホットサンドイベントに参加したという。サバ缶サンドが、あまりにおいしそうだったので、筆者の甘々サンドと半分交換してもらった。こうした交流ができるのもイベントならではだろう。

桐葉恵さん(20代)は、友達から面白いことをやっている場所があると聞いて、今回初めて参加した。この日は自宅でリモートワーク中だったので、ランチ代わりに寄ってみたという。スタッフも交えてワイワイ食事をするのは、知らない者同士でも気づまりすることがない。桐葉さんは、次は朝のラジオ体操に参加しようかと検討していた。

「コミュナルランチ~ホットサンドPress~」の様子(筆者撮影)

「コミュナルランチ~ホットサンドPress~」の様子(筆者撮影)

人気のイベントは「詳しくない趣味をシャベル会」!?

多彩なイベントの中でも、参加者が多い人気企画の一つが「詳しくない趣味をシャベル会」。これまで4回開催して50名以上が参加したという。担当のダバンテス・ジャンウィルさんに詳しく聞いてみた。

趣味は何かと問われると趣味と言えるほどではないと躊躇してしまうが、「詳しくない趣味」なら気楽に好きなことやいつもしていることを話せるもの。「シャベル」としたのは話すことに加えて“掘る”という意味もあるそう。

では、これまでどんな「詳しくない趣味」が登場したのか。シュウマイやピザトースト、左官(実演付き)、無課金漫画を楽しむ、寝る前に怖い話を聞く、願望リストをいつも作る、といった趣味と言えるのかよくわからないものまで実にさまざま。なんでもありと言ってよいだろう。

会の具体的な展開はこうだ。初めにゲストプレゼンター数人が詳しくない趣味について説明する。それを聞いて、参加者はそれぞれ紙に自分の趣味(あるいは趣味のタネ)を書く。3人1組になってそれぞれが書いた趣味について語り合い、終わると別の3人で組んで同じように趣味を語り合う。そのときのルールは、相手の趣味の話を聞いて、通常より割り増しで感情を表現すること。最後に、誰の趣味が面白かったかのアンケートを取り、上位になった人には次のゲストプレゼンターになってもらう。こうして、参加者から次のプレゼンターが誕生するというユニークな仕掛けになっている。

この日の「+NARU NIHONBASHI」のスタッフたち(筆者撮影)

この日の「+NARU NIHONBASHI」のスタッフたち(筆者撮影)

この他にも、施設を利用したり、イベントに参加した人たちのリレーションを活用したイベントが開催されている。その一つが「街中に屋台を出してみたい」という学生会員の声から生まれた「夜読書時間~ときどき屋台~」。軽食やドリンクを提供するお手製の屋台が登場し、読書イベントに花を添える。このような会員が発案するイベントも増やしたいということだ。

日本橋の街づくりにコミュニティの力を活かす

さて、無料で会員登録ができ、会員になるとオープンスペースが利用でき、さらにミーティングルームやイベントスペースが低額で利用できる。そればかりではなく、筆者が体験したような気軽なイベントや「詳しくない趣味をシャベル会」のようなイベントまで、多彩なイベントが用意されている。会員には至れり尽くせりの交流拠点であることが分かった。

でも、場所を提供し、やりたいことをアシストしてくれるコミュニティマネージャーを常駐させることまでして、日本橋に交流拠点を置く理由はなんだろう。そこで、三井不動産 日本橋街づくり推進部 北村聡さんに話を聞くことにした。

日本橋の川沿いでは、他社も含め今後5つの再開発が予定されている。三井不動産は、歴史も文化もある日本橋の街づくりだからこそ、「共感・共創・共発」の考えのもとで、オープンな街づくりをしたいと考えているという。

この拠点に集まる人たちが、日本橋を好きになってアクションを起こすアシストをすることで、その人たちが将来的に、この街の課題を見つけたりそれを解決したりする人材となっていく。それは街づくりのプロでは思いつかないアイディアや手法だったりする可能性もあり、そうしたことを期待して、長期的にこの施設を運営していくということだ。

また、施設オープンから3週間で数百名が会員登録をしており、立ち寄った会員の7割近くが、日本橋徒歩20分圏内に勤務先や自宅がある人たちだという。今は個人会員を募集しているが、団体や企業登録などの選択肢も視野に入れている。地元の企業とのコラボレーション企画や日本橋を知るための地元研修の実施など、多くの可能性があるからだ。日本橋という立地とコミュニティ形成のノウハウを持つこの拠点なら、面白いことができそうだ。

●関連サイト
三井不動産ニュースリリース:コミュニティラボ「+NARU NIHONBASHI by MITSUI FUDOSAN」をオープン
公式WEBサイト

“音楽の殿堂”、“アイドルの聖地”「中野サンプラザ」が誕生50年で閉館。再開発で新たな中野のシンボル誕生へ

数々のコンサートが開かれ、“音楽の殿堂”などと呼ばれた「中野サンプラザ」がついに閉館した。5月3日から7月2日まで2カ月開催された、50年の歴史の集大成となる音楽祭「さよなら中野サンプラザ音楽祭」を終えた晩に、クロージングセレモニーが開催された。今後は、野村不動産を中心としたプロジェクトが推進される。

【今週の住活トピック】
さよなら中野サンプラザ音楽祭最終日!50年の歴史のクロージングセレモニー開催/株式会社中野サンプラザ

中野のランドマークで昭和の名建築でもあった「中野サンプラザ」

筆者は、以前、中野区に住んでいた。子どものときから社会人になってしばらくの間まで。だから、子どものころの繁華街といえば、中野ブロードウェイだった。中野ブロードウェイの高層棟のマンションには著名人が住み、商業施設には都知事だった青島幸男さんがオーナーのスパゲッティ店(この頃はパスタとはいわなかった)もあった。

1973年当時の中野サンプラザ(株式会社中野サンプラザ提供)※手前は中野区役所

1973年当時の中野サンプラザ(株式会社中野サンプラザ提供)※手前は中野区役所

そんな中野の中心地に、1973年、地上21階、高さ92mの中野サンプラザという大きな建物が建った。竹橋のパレスサイドビルなどで知られる、林昌二さんの設計による建物は、白い三角形の特徴的なビルで、中野のランドマークとなった。建物の中には、ホテル・レストランや宴会場、結婚式場、研修室などの施設のほか、スポーツクラブ、スタジオ、ボウリング場まであった。当初の「全国勤労青少年会館」という名称の通り、集団就職で上京した若者のための施設として、大きな建物の中にさまざまな機能を集約した珍しいものだった。

2000人規模のホールでは、アーティストがコンサートを行うようになると、“音楽の殿堂”といわれるようになり、モーニング娘。などのアイドルがコンサートを行うようになると、“アイドルの聖地”といわれるようになった。

その中野サンプラザが老朽化などを背景に閉館し、解体されることになった。

閉館直後の中野サンプラザ(広場には別れを惜しむ大勢が集まった)※筆者撮影

閉館直後の中野サンプラザ(広場には別れを惜しむ大勢が集まった)※筆者撮影

50年の歴史に別れを告げる、クロージングセレモニー開催

50年間の歴史を閉じるにあたって、5月3日から7月2日の2カ月間にわたり、「さよなら中野サンプラザ音楽祭」が開催され、37公演で約6万人の観客を集めて終了した。この後、関係者によるクロージングセレモニーが行われた。

「さよなら中野サンプラザ音楽祭」ポスター(中野サンプラザにて筆者撮影)

「さよなら中野サンプラザ音楽祭」ポスター(中野サンプラザにて筆者撮影)

中野区長(酒井直人さん)、中野区議会議長(酒井たくやさん)、中野サンプラザ代表取締役会長(金野晃さん)、同代表取締役社長(佐藤章さん)及び跡地再活発事業者を代表して野村不動産代表取締役社長(松尾大作さん)によるメッセージがあり、ゲストの“サンプラザ中野くん”さんから花束贈呈などが行われた。

金野会長は、東日本大震災で帰宅困難者を受け入れたり、コロナ禍でしばらく休館を余儀なくされたりといった歴史もあり、人が集い交流する50年だったと振り返った。最後は、中野サンプラザの従業員の方々が一斉に並び、別れを惜しんだ。

最後に挨拶をした中野サンプラザの従業員の方々(筆者撮影)

最後に挨拶をした中野サンプラザの従業員の方々(筆者撮影)

セレモニーの前、最後の山下達郎さんのコンサートが開催されているときから、中野サンプラザ前の広場に多くの人が集まり始め、正面玄関のガラス越しに隙間なく立ち並んで、セレモニーの様子を見守っていたのが印象的だ。この中野サンプラザが成人式の会場だった筆者としては、感慨深いものがあった。

跡地は「(仮称)NAKANOサンプラザシティ」へと変貌する予定

さて、跡地については、野村不動産を代表とするグループ(共同事業者:東急不動産、住友商事、ヒューリック、東日本旅客鉄道)が、中野区と「中野駅新北口駅前エリア拠点施設整備の事業化推進に関する基本協定書」を締結し、再開発することが決まっている。事業者によると「本事業は同エリアの象徴的な存在である中野サンプラザの機能を再整備する事業でもあることから、文化を原動力としたまちづくりを目指し生活・産業・交流を活性化させるため整備を図っていく」ということだ。

中野駅新北口駅前地区第一種市街地再開発事業 建物完成イメージ

中野駅新北口駅前地区第一種市街地再開発事業

野村不動産等の事業者の資料より転載※この地図は、国土地理院発行の地理院地図(電子国土Web)を使用したものです。

低層棟には、最大7000人収容の大ホールとライフスタイルホテル、バンケットホールなど従来の施設を継承する機能、高層棟にはオフィスや住宅・商業施設が入る予定だ。また、事業者が立ち上げるエリアマネジメント協議会が事務局となり、地域の活性化につながるさまざまな活動を展開していくという。

ほかにも、中野駅とホールをつなぐ歩行者空間や広場の整備なども計画しており、2028年度内の竣工を目指すということだ。

中野駅周辺には100年に1度の再開発が進行中

実は、中野駅周辺では、100年に1度といわれるほど、開発計画が目白押しだ。

すでに、2012年には警察大学校跡地に「中野四季の都市(まち)」ができ、四季の森公園の周囲のオフィスビルに、キリンビールなどの企業を誘致した。その後、3つの大学(早稲田大学、帝京平成大学、明治大学)の新キャンパスも開校するなど、活気ある街になっている。なお、中野区役所は「中野四季の都市(まち)」の一部、北東エリアへ移転する。

姿がはっきりしてきたのは、中野駅南口の公社中野駅前住宅跡地周辺(中野二丁目地区)の開発事業だ。業務棟と住宅棟(住友不動産の賃貸マンション)の2棟が工事中で、2023年度に竣工予定だ。

駅自体も再開発の対象だ。「中野駅西側南北通路・橋上駅舎等事業」によって、2026年に新たに西口が誕生する。歩行者専用道路である「南北通路」と「橋上駅舎」、「駅ビル」を一体の建物として建設する計画だ。

中野駅周辺まちづくり事業一覧

中野区の「中野駅周辺まちづくり事業一覧」より抜粋転載

中野駅周辺は、中野サンプラザ跡地だけでなく、駅前広場の整備や駅の利便性向上なども考慮した、連携した再開発計画が進んでいる。昭和の名建築が取り壊されることは残念ではあるが、この後の数年間で街が一気に様変わりすることになる。

セレモニーでゲストとして登壇したサンプラザ中野くんさんは、「今日で閉館となるが、2028年にはまた中野サンプラザという名前が戻ってくる。その間は、自分が名前を守っていく」とスピーチしていた。新しい街がどんな街になるのか、筆者も見守っていきたい。

●関連サイト
・さよなら中野サンプラザ音楽祭最終日!50 年の歴史のクロージングセレモニー 開催
・中野駅周辺まちづくり

育休中の夫婦、0歳双子と北海道プチ移住! 手厚い子育て施策、自動運転バスなどデジタル活用も最先端。上士幌町の実力とは?

長期の育児休業中に、移住体験の制度を活用して北海道へのプチ移住を果たした私たち夫婦&0歳双子男子。
約半年間の北海道暮らしでお世話になったのは、十勝エリアにある豊頃町(とよころちょう)、上士幌町(かみしほろちょう)という2つのまち。
実際に暮らしてみると、都会とは全然違うあんなことやこんなこと。田舎暮らしを検討されている方には必見⁉な、実際暮らした目線で、地方の豊かさとリアルな暮らしを実践レポートします! 今回は上士幌町&プチ移住してみてのまとめ編です。

上士幌町は北海道のちょうど真ん中。ふるさと納税と子育て支援が有名

9月上旬から1月末まで滞在した上士幌町は、十勝エリアの北部に位置する人口5,000人ほどの酪農・農業が盛んなまち。面積は東京23区より少し広い696平方km。なんと牛の数は4万頭と人口の8倍も飼育されています。そして、十勝エリアのなかでも何と言っても有名なのが、「ふるさと納税」。ふるさと納税の金額が北海道内でも上位ランクなんです。そのふるさと納税の寄付を子育て施策に充て、0歳~18歳までの子どもの教育・医療に関する費用は基本無料、ということをいち早く導入したまち。子育て層の移住がかなり増えたことで注目を集めています。
町の北側はほとんどが大雪山国立公園内にあり、携帯の電波も届かない国道273号線(通称ぬかびら国道)を北に走ると、三国峠があり、そこからさらに北上すると、有名な層雲峡(上川町)の方に抜けていきます。

上士幌町の北の端、三国峠付近の冬のとある日。凛とした空気が気持ちよく、手つかずの国立公園が広がります(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町の北の端、三国峠付近の冬のとある日。凛とした空気が気持ちよく、手つかずの国立公園が広がります(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町にある糠平湖では、この冬から、完全に凍った湖面でサイクリングを楽しめるようになりました(上士幌観光協会にて受付・許可が必要)。タウシュベツ川橋梁のすぐ近くまで自転車で行くことができ、厳寒期しか楽しめないアクティビティ&風景が体感できます(写真提供/鈴木宏)

上士幌町にある糠平湖では、この冬から、完全に凍った湖面でサイクリングを楽しめるようになりました(上士幌観光協会にて受付・許可が必要)。タウシュベツ川橋梁のすぐ近くまで自転車で行くことができ、厳寒期しか楽しめないアクティビティ&風景が体感できます(写真提供/鈴木宏)

糠平湖上に期間限定でオープンするアイスバブルカフェ「Sift Coffee」さん。国道から数百メートル歩いた湖のほとりにて営業。歩き疲れた体に美味しいコーヒーが沁みわたります(写真撮影/小正茂樹)

糠平湖上に期間限定でオープンするアイスバブルカフェ「Sift Coffee」さん。国道から数百メートル歩いた湖のほとりにて営業。歩き疲れた体に美味しいコーヒーが沁みわたります(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町の暮らし。徒歩圏でなんでもそろうちょうどいい環境

上士幌町は人口5,000人のまちで、中心となる市街地は一つ。この中心地に人口の約8割、4,000人ほどが住んでいるそう。ここにはスーパーがコンビニサイズながら2つ、喫茶店や飲食店もたくさんあります。そして、コインランドリーに温泉に、バスターミナルに……と生活利便施設がきっちりそろっています。中心地から少し離れると、ナイタイテラス、十勝しんむら牧場のカフェ、小学校跡地を活用したハンバーグが絶品のトバチ、ほっこり空間がすっごくステキな豊岡ヴィレッジなどがあり、暮らすには不自由はほぼないと言ってもいいと思います。

そして、なんと、2022年12月から、自動運転の循環バスが本格稼働しているんです! ほかにも、ドローン配送の実験など、先進的な取組みがたくさんなされているまちでもあります。実は上士幌町さんには、デジタル推進課という課があります。ここが中心となって、高齢者にもタブレットを配布・スマホ相談窓口が設置されています。デジタル化に取り残されがちな高齢者へのサポート体制をしっかり取りながら、インターネット技術を十分活用し、まちのインフラ維持、サービス提供を進めていこうという町としての取組みは素直にすごいなと感じました。

カラフルな自動運転バスがまちの中心地をループする形で運行。雪道でも危なげなく動いていてすごかったです(写真撮影/小正茂樹)

カラフルな自動運転バスがまちの中心地をループする形で運行。雪道でも危なげなく動いていてすごかったです(写真撮影/小正茂樹)

十勝しんむら牧場さんにはミルクサウナが併設。広大な放牧地を望める立地のため、牛を眺めたり、少し遅い時間なら、満点の星空を望みながら整うことができます(写真撮影/荒井駆)

十勝しんむら牧場さんにはミルクサウナが併設。広大な放牧地を望める立地のため、牛を眺めたり、少し遅い時間なら、満点の星空を望みながら整うことができます(写真撮影/荒井駆)

ナイタイテラスからの眺めは壮観! ここで食べられるソフトクリームが美味しい。のんびり風景を楽しみながら、ゆっくり休憩がおすすめです(写真撮影/小正茂樹)

ナイタイテラスからの眺めは壮観! ここで食べられるソフトクリームが美味しい。のんびり風景を楽しみながら、ゆっくり休憩がおすすめです(写真撮影/小正茂樹)

我が家イチ押しの豊岡ヴィレッジは木のぬくもりが感じられる元小学校。子ども用品のおさがりが無料でいただけるコーナーがあり、双子育児中の我が家にとっては本当にありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

我が家イチ押しの豊岡ヴィレッジは木のぬくもりが感じられる元小学校。子ども用品のおさがりが無料でいただけるコーナーがあり、双子育児中の我が家にとっては本当にありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

誕生会やママのHOTステーションなどさまざまな出会いの場が

上士幌町では、移住された方、体験移住中の方などが集まる「誕生会」と呼ばれる持ち寄りのお食事会が月1回開催されています。毎回さまざまな方が来られるので、移住されている方がすごく多い、というのがよく分かります。移住して25年という方もいらして、移住者・まちの人、両方の視点を持っていらっしゃる先輩からの上士幌暮らしのお話は、すごく参考になることが多かったです。

毎月行われている移住者の集い、誕生会。12月はクリスマス会で、サンタさんから双子へもプレゼントが!(写真撮影/小正茂樹)

毎月行われている移住者の集い、誕生会。12月はクリスマス会で、サンタさんから双子へもプレゼントが!(写真撮影/小正茂樹)

また、上士幌町といえば、我々子育て世代にとって、すごくありがたい取組みが「ママのHOTステーション」。育児の集まりの場合、子どもたちが主役になり、「子育てサロン」として開催されることが多いのですが、この取組みの主役は“ママ”。ママが子どもたちを連れて、ゆっくりしたひと時を過ごすことができる場を元保育士の倉嶋さんを中心に企画・運営されていて、今や全国的にも注目される取組みになっています。

実は、上士幌町で移住体験がしたかった一番の目的は、この「ママのHOTステーション」を妻に体験してもらいたかったこと、倉嶋さんの取組みをしっかり体感したかったことにありました。ほぼ毎週のように参加させていただいた妻は本当に大満足で、ママ同士の交流も楽しんだようです。ここでは、〇〇くんのママではなく、きちんと名前でママたちも呼び合い、リラックスムード満点の雰囲気づくりも素晴らしいなと感じました。妻は、「ママのしんどい気持ちや育児悩みを共有してくれて、アドバイスをくれたりするのがすごくありがたいし、同じような立場のママが集ってゆっくり話せるのは嬉しい。子どもの面倒も見てくれるし、ここには毎週通いたい!」と言っていました。こういった同じ境遇のお友達ができるかどうかは、移住するときの大きなポイントだと感じました。もっといろいろな同世代、子育てファミリーに特化したような集まりがあってくれると、更に安心感が増すんだろうなと思います。

ママのHOTステーションの取組みとして面白いところは、「ベビチア」という制度。高齢者の方が登録されていて、子どもたちの世話のお手伝いをしてくださいます。コロナ禍になり、遠方にいるお孫さん・ひ孫さんと会えず寂しい思いをしている高齢の方々などが登録してくださっていて、週1回の触れ合いを楽しみにしてくださっている方も。「子育て」「小さな子ども」というのをキーワードに、多世代の方がのんびり時間を共有しているのはすごくいいなと感じました。

ママのHOTステーションが開催される建物は温浴施設などと入り口が一緒になるので、自然発生的に多世代のあいさつやたわいもない会話が生まれていて、ほっこりします(写真撮影/小正茂樹)

ママのHOTステーションが開催される建物は温浴施設などと入り口が一緒になるので、自然発生的に多世代のあいさつやたわいもない会話が生まれていて、ほっこりします(写真撮影/小正茂樹)

乳幼児救急救命講習会にも参加できました。ベビチアさんたちの大活躍のもと、子どもたちの面倒をみていただき、じっくりと救急救命講習に参加できたことはすごくありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

乳幼児救急救命講習会にも参加できました。ベビチアさんたちの大活躍のもと、子どもたちの面倒をみていただき、じっくりと救急救命講習に参加できたことはすごくありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町の移住相談窓口は、NPO法人「上士幌コンシェルジュ」さんが担われています。こちらの名物スタッフの川村さん、井田さんを中心に移住体験者のサポートを行ってくださいました。私たちも入居する前から、いろいろと根掘り葉掘りお伺いして、妻の不安を取り除きつつ、入居後もご相談事項は迅速に対応いただきました。

移住体験住宅もたくさん!テレワークなどの働く環境も

私たち家族が暮らした移住体験住宅は、75平米の2LDKで、納屋・駐車スペース4台分付きという広さ。豊頃町の体験住宅に比べるとやや狭いものの、やはり都会では考えられない広さでゆったり暮らせました。住宅の種類としては、現役の教職員住宅(異動の多い学校の先生向けの公務員宿舎)でした。平成築の建物で、冬の寒さも全く問題なく、この住宅の家賃は月額3万6000円で水道・電気代込み。移住体験をさせていただくと考えると破格の条件かもしれません(暖房・給湯などの灯油代は実費負担)。今回お借りできた住宅以外にも、短期~中・長期用まで上士幌町では10戸程度の移住体験住宅が用意されています。ただ、本当に人気のため、夏季などの気候がいい時期については、かなりの倍率になるようです。ただし、豊頃町と同じく、上士幌町でもエアコンがないことは要注意。スポットクーラーはあるものの、夏の暑さはかなりのものなので、小さなお子さんがいらっしゃる場合は、ご注意ください。エアコンはもう北海道でも必須になりつつあるようなので、少し家賃が上がっても、ご準備いただけるといいなぁと思いました。また、ぜいたくな希望になりますが、食器類や家具などの調度品も比較的古くなってきていると思うので、一度全体コーディネートされると、移住体験の印象が大きく変わるのでは、と感じました。

関連記事:
・育休中の夫婦、0歳双子と北海道プチ移住! 移住体験住宅は畑付き、スーパー代わりの産直が充実。豊頃町の暮らしをレポート
・育休中の双子パパ、家族で北海道プチ移住してみた! 半年暮らして見えてきた魅力と課題

必要最低限の家具・家電付き。広めのお家やったので、めっちゃ助かりました(写真撮影/小正茂樹)

必要最低限の家具・家電付き。広めのお家やったので、めっちゃ助かりました(写真撮影/小正茂樹)

私たちの住まいになった住宅は、まちの中心からは徒歩10~15分ほど。ベビーカーを押して動ける季節には、何度も散歩がてら出かけましたが、ちょうどいい距離感でした。南側は開けた空き地になっていて、日当たりもすごくよくて、冬の寒い日も、晴天率が高いため、日光で室内はいつもぽかぽかになっていました。

一戸建てかつ納屋まで付いて、月額3万6000円とは思えない広々とした体験住宅。子育てファミリーにとっては、一戸建ては音の心配も少なく、すごく過ごしやすかったです(写真撮影/小正茂樹)

一戸建てかつ納屋まで付いて、月額3万6000円とは思えない広々とした体験住宅。子育てファミリーにとっては、一戸建ては音の心配も少なく、すごく過ごしやすかったです(写真撮影/小正茂樹)

体験住宅の南側は空き地が広がっていて、本当に日当たり・風通しも良く、都会では到底体感できないすがすがしい毎日を過ごせました(写真撮影/小正茂樹)

体験住宅の南側は空き地が広がっていて、本当に日当たり・風通しも良く、都会では到底体感できないすがすがしい毎日を過ごせました(写真撮影/小正茂樹)

また、私たちは育児休業中だったため使うことはなかったのですが、上士幌町さんはテレワークやワーケーションなどの取組みについてもすごく前向きに取り組まれています。
まず、テレワーク施設として「かみしほろシェアオフィス」があります。建設に当たっては、ここで働く都市部からのワーカーの方に向けて眺望がいいところ、ということで場所を選定されたそう。個室などもあり、2階建ての使い勝手の良いオフィスとなっています。

個人的に2階がお気に入り。作業で煮詰まったときに正面を見ると気持ち良い風景が広がり、リラックスできる環境(写真撮影/小正茂樹)

個人的に2階がお気に入り。作業で煮詰まったときに正面を見ると気持ち良い風景が広がり、リラックスできる環境(写真撮影/小正茂樹)

さらに2022年にオープンしたのが「にっぽうの家 かみしほろ」。この施設はまちの南側、道の駅のすぐ近くに位置しています。こちらは宿泊施設になりますが、1棟貸しを基本としていて、広々したリビングで交流や打ち合わせ、個室ではプライバシーをしっかり守りつつお仕事に没頭することなどが可能に。また、ワーケーション滞在の方のために、交通費・宿泊費などの助成制度も創設されたとのことで、これからさまざまな企業・団体の活用が期待されます。

にっぽうの家は2棟が廊下で繋がった形状。仕事・生活環境が整っていて、余暇活動もたくさん楽しめる場所で、スタートアップなどの合宿をしてみるのは面白いなと感じました(写真撮影/小正茂樹)

にっぽうの家は2棟が廊下で繋がった形状。仕事・生活環境が整っていて、余暇活動もたくさん楽しめる場所で、スタートアップなどの合宿をしてみるのは面白いなと感じました(写真撮影/小正茂樹)

子育て層にとって、子どもの教育環境というのが移住検討するに当たってはかなり重要な事項となります。上士幌町では、「上士幌Two-way留学プロジェクト」として、都市部で生活する児童・生徒が住民票を移動することなく、上士幌町の小・中学校に通うことができる制度が2022年度から始まりました。この制度を使えば、移住体験中や季節限定移住などの場合も、お子さんの教育環境が担保されることとなり、これまでなかなか移住検討までできなかった就学児がいるファミリーも懸念材料の一つがなくなったこととなります。

十勝には質の高いイベントがたくさん! 起業支援なども盛ん

半年ほど暮らしてみてわかったことはたくさんあったのですが、子育てファミリーとしてすごくいいなと思ったのが、「イベントの質が高く、数も多い」にもかかわらず、「どこに行ってもそこまで混まない」こと。子育てファミリーにとって、子どもを遊ばせる場所がそこここにあるというのはものすごく大きいなと感じました。

とよころ産業まつりでの鮭のつかみ取り競争のひとコマ(写真撮影/小正茂樹)

とよころ産業まつりでの鮭のつかみ取り競争のひとコマ(写真撮影/小正茂樹)

個人的にかなり気に入ったのが芽室公園で行われたかちフェス。広大な芝生広場を会場に、さまざまな飲食・物販ブースや、サウナ体験、ライブが行われていました。すごく心地よく長時間過ごしてしまいました(写真撮影/小正茂樹)

個人的にかなり気に入ったのが芽室公園で行われたかちフェス。広大な芝生広場を会場に、さまざまな飲食・物販ブースや、サウナ体験、ライブが行われていました。すごく心地よく長時間過ごしてしまいました(写真撮影/小正茂樹)

ママたちが企画・運営した「理想のみらいフェス」には3,000人を超える来場が。様々な飲食店やワークショップが並ぶなか、革小物のハンドメイド作家の妻も双子を引き連れて、ワークショップで出店していました(写真撮影/小正茂樹)

ママたちが企画・運営した「理想のみらいフェス」には3,000人を超える来場が。様々な飲食店やワークショップが並ぶなか、革小物のハンドメイド作家の妻も双子を引き連れて、ワークショップで出店していました(写真撮影/小正茂樹)

また、実際に移住して暮らすとなるとお金をどうやって稼ぐかというのもポイントになってくると思います。上士幌町では、「起業支援塾」が年1回開催され、グランプリには支援金も出されるなど、起業サポートも充実しています。また、帯広信用金庫さんが主催され、十勝19市町村が協賛している「TIP(とかち・イノベーション・プログラム)」というものも帯広市内で年1回開催されています。2022年は7月から11月まで。私も育児の隙間を縫って参加させていただきましたが、かなり本気度が高い。野村総研さんがコーディネートをされているのですが、実際5カ月でアイディア出しからチームビルディング、事業計画までを組み上げていきます。ここで起業を実際にするもよし、このTIPには多方面の面白い方々が参加されるため、横の繋がりが生まれたりし、仕事に繋がることもあると思います。

TIPでは、カーリングと美食倶楽部のビジネス化チームに参加しました。チームで体験会を実施して、カーリングの面白さを体感しました(写真撮影/小正茂樹)

TIPでは、カーリングと美食倶楽部のビジネス化チームに参加しました。チームで体験会を実施して、カーリングの面白さを体感しました(写真撮影/小正茂樹)

また、こちらは直接起業とは関連がありませんが、「とかち熱中小学校」というものもあります。これは、山形県発祥の社会人スクールのようなもので、「もういちど7歳の目で世界を……」というコンセプト。ゴリゴリの社会人スクールというよりは、本当に小学校に近い仲間づくりができるアットホームな雰囲気。とはいえ、テーマは先進的な事例に取り組むトップランナーさんの講義や、地元の産業など。こちらも講師はもちろん、開催地が十勝エリア全般にわたるため、参加者の方もさまざまで、人間関係づくりにはもってこい。こちらには家族全員で参加させていただいていました。

2023年1月は豊頃町での開催。当日の講師は金融のプロとお笑い芸人というすごく面白い取り合わせの2コマの授業。毎回、双子を連れ立って授業を聴講でき、育児のよい気分転換にもなりました(写真撮影/小正茂樹)

2023年1月は豊頃町での開催。当日の講師は金融のプロとお笑い芸人というすごく面白い取り合わせの2コマの授業。毎回、双子を連れ立って授業を聴講でき、育児のよい気分転換にもなりました(写真撮影/小正茂樹)

農業に興味がある方は、ひとまず農家でアルバイト、というのもあります。どこの農家さんも収穫の時期などは人手が足りないケースが多く、農業の体験を通じて、地元のことを知れるチャンスが生まれると思います。私も1日だけですが、友人が勤める農業法人さんにお願いして、お手伝いさせていただきました。作物によって時給単価が違うそうなのですが、夏前から秋まで色々な野菜などの収穫がずっと続くため、いろんな農家さんに出向いて、農業とのマッチングを考えてみる、というのもありだと思います。

かぼちゃの収穫はなかなかの重労働でした。農作物によって、アルバイトの時給も違うそうで、なかには都会で働くより時給がよい場合もあるそう(写真撮影/小正茂樹)

かぼちゃの収穫はなかなかの重労働でした。農作物によって、アルバイトの時給も違うそうで、なかには都会で働くより時給がよい場合もあるそう(写真撮影/小正茂樹)

今回、長期の育休を取得し、子育てを実践するとともに、自分のこれからの暮らし方を見つめなおせるいい機会が移住体験で得られました。2拠点居住は子どもができると難しいのではとか、地方で仕事はあるのかなどの漠然とした不安を抱えていましたが、「どこに行っても暮らしのバランスはとれる」ということも分かりました。
大阪の暮らしとは明らかに異なりますが、既に暮らされている方々に教えてもらえれば、その土地土地の暮らしのツボが分かってきます。個人的には、地方に行くほど、システムエンジニアやクリエイターさんたちの活躍の場が実はたくさんある気がしています。こういう方々が積極的に暮らせるような仕組みづくりが出来ると、自然発生的に面白いモノコトが生まれてきて、まちがどんどん便利に面白くなっていくのではないかなと感じました。

我々家族としては、今後2拠点居住を考えていくにあたって、我々1歳児双子を育てている立場として重視したいポイントもいくつか判明しました。それは、「近くにあるほっこり喫茶店」「歩いていける利便施設」があることです。双子育児をするに当たって、双子用のベビーカーって重たくて、小柄な妻は車に乗せたり降ろしたりすることはかなり大変。さらに双子もどんどん重たくなっていきます。そう考えると、私たち家族の現状では、ある程度歩いて行ける範囲に最低限の利便施設があったり、近所の人とおしゃべりができる喫茶店があったりするのはポイントが高いなと妻と話していました。

我々夫婦の趣味がもともと純喫茶巡りだったこともあり、気軽に歩いて行ける範囲に1軒は喫茶店が欲しいなぁと思いました(写真撮影/小正茂樹)

我々夫婦の趣味がもともと純喫茶巡りだったこともあり、気軽に歩いて行ける範囲に1軒は喫茶店が欲しいなぁと思いました(写真撮影/小正茂樹)

今回、長期育休×地方への移住体験という新しい暮らし方にトライしてみて、憧れの北海道に実際暮らすことができました。これまで漠然とした憧れだった北海道暮らしでしたが、憧れから、より具体的なものになりました。また、たくさんの友人・知人や役場の方との繋がりもでき、仕事関係についても可能性を感じられました。
子どもが生まれると、住むまちや家について考えるご家族は多いのではないでしょうか。育休を機会に、子育てしやすく、親たちにとっても心地よいまち・暮らしを探すべく、移住体験をしてみるのは、より楽しく豊かな人生を送るきっかけになると思います。10年後には男性の育休が今より当たり前になり、子育て期間に移住体験、という暮らし方をされる方がどんどん登場すると、地方はより面白くなっていくのではないかなと感じました。
家族みんなの、より心地よい場所、暮らしを移住体験を通じて探してみませんか? いろいろな検討をして、移住体験をすることで、暮らしの可能性は大きく広がると思います。

移住して1カ月ほど経過した時の写真。これからもこの子たちにとっても、楽しく、のびのび暮らせる環境で育ててあげたいなと思います(写真撮影/小正茂樹)

移住して1カ月ほど経過した時の写真。これからもこの子たちにとっても、楽しく、のびのび暮らせる環境で育ててあげたいなと思います(写真撮影/小正茂樹)

●関連サイト
上士幌町移住促進サイト
上士幌観光協会(糠平湖氷上サイクリング)
上士幌町Two-way留学プロジェクト 
十勝しんむら牧場ミルクサウナ
ママのHOTステーション
かみしほろシェアオフィス
にっぽうの家 かみしほろ
理想のみらいフェス
十勝イノベーションプログラム(TIP)
とかち熱中小学校
かちフェス

100年先の社会を考えた大家さんが、ご近所や友人みんなの力をあわせて小さな家をつくる理由。人の力で大槌を上げ下ろし地固めする伝統構法”石場建て”の現場にヨイトマケが響く 世田谷区

都会のなかにある農地が、ある日、マンションや駐車場となっているのを見かけたことはありませんか? 日本全体で人口が減り始めているのに、どんどん住宅をつくって大丈夫なのだろうか、他人事ながら心配になる人もいることでしょう。そんな都市や住まいのあり方に一石を投じるプロジェクトが、世田谷区大蔵の「三年鳴かず飛ばず」です。しかも石場建てという昔ながらの工法を使うとか。開催された「ヨイトマケ」ワークショップの様子とともにご紹介します。

はじまりは相続と都市計画道路の建設。分断された土地をどうする?

都市部はもちろん、地方であっても、農家さんの家の跡地や農地がアパートや駐車場に変わっていくのは珍しい光景ではありません。背景には、
(1)土地所有者が農業だけで生計をたてるのは厳しく、現金収入の必要がある
(2)相続税を含めた納税のため、土地を売却して現金化する必要がある
(3)不動産会社は建物を建設し、金融機関は融資をし、活用をすすめたい
(4)建物を建てることで固定資産税を減らしたい
といった背景があり、アパートや駐車場建設が積極的にすすめられてきました。

人口が増え続けた高度成長期であれば、この方法は有効でしたが、時代は変わり、地方はもちろん、都市部でも人が減り始めています。すると、駅から距離のある物件、バス便などの物件はたちまち不人気となり、空室となってしまいます。このプロジェクトの仕掛人である安藤勝信さんは、そんな入居者募集に苦労する祖父母の姿を見てきました。

今回のプロジェクト仕掛人であり、施主でもある安藤勝信さん(写真撮影/片山貴博)

今回のプロジェクト仕掛人であり、施主でもある安藤勝信さん(写真撮影/片山貴博)

「この周辺は1950年代の人口増加にともない団地建設の計画があり、都市農家だった私の家族は団地開発に明け渡し、結果農地がバラバラに点在した経緯があります。単独で農業ができない面積になってしまった家族は残地に事業として賃貸住宅を建てていったのですが、徐々に時代のニーズに遅れ空室を増やしていきました。
都市農家は、ある時はこれからは住宅や道路が必要だと言われ、ある時は農地は大切だから守れと、時代に翻弄されてきたのです」

畑とその奥は道路予定地(写真撮影/片山貴博)

畑とその奥は道路予定地(写真撮影/片山貴博)

祖父母がなくなったあと、安藤さんは土地や不動産事業を引き継ぐことになりましたが、その土地はすでに都市計画道路予定地として収用が決定されていました。祖父母が住んでいた建物は取り壊しとなるほか、継承した土地も2つに分断されることに。冒頭に紹介したように、定番であれば、「アパート建設」か「駐車場」ですが、安藤さんはそうは考えませんでした。

100年続く風景をつくるにはどうしたらいい? 答えは時代とともに「変われる家」

「母屋を壊したときに、建物をつくった当時のいろいろなものが出てきて、長い間置物だと思っていた物の後ろに“初代のお家の大黒柱の一部”と彫ってあるものがありました。現代の住宅は、30~40年経ったら取り壊して建てるサイクルになりがちですが、昔のひとの時間軸は個人を超えた100年スパンのものなのだと気がつきました。
とはいえ、これから先、人口も減るし、時代はもっと大きく変わっていく。不確定な世の中で大きくて立派で、変わらないものをつくることにも一定の不安やリスクを感じていました。では変えずに守るのではなく変えながら守ろうと。世代や周辺の風景の変化にあわせて、その時代を生きる人が変えていったらいい、変えながら守っていくしかない。そんな計画を立てました」と安藤さん。

そもそも安藤さんは、アパートをコンバージョン(用途変更)して、デイサービス施設にしたり、賃貸の1室をシェアスペースにしたりして認知症の人を見守るといった、新しい賃貸のあり方を模索してきました。

関連記事:
・高齢の母が住む賃貸の1室がシェアスペースに? 住人の交流や見守りはじまる
・駅遠の土地が人気賃貸に! 住人が主役になる相続の公募アイデアって?

そのため、以前から知り合いだったビオフォルム環境デザイン室と一緒にプロジェクトをつくり、1カ所を「長屋プロジェクト」、1カ所を「小屋プロジェクト」とする計画を立てました。長屋プロジェクトは、子育て世代向けの賃貸シェアハウス。1階は地域にひらいているので、気軽にいろんな人が立ち寄れて、子育てや暮らし、毎日のできごとをシェアできます。名前の通り、昔ながらの「長屋」に現代の快適さを組み込んで懐かしくも新しい暮らしを思い描いています。

建築模型図。中央に道路があり、右奥が「長屋プロジェクト」、画面の左手前が「小屋プロジェクト」(写真撮影/片山貴博)

建築模型図。中央に道路があり、右奥が「長屋プロジェクト」、画面の左手前が「小屋プロジェクト」(写真撮影/片山貴博)

そして、かつて安藤さんの祖父母宅があった場所に計画されているのが、「小屋プロジェクト」です。左上にシェアスペース機能のある真四角なお家(母屋)、隣接する小屋はまず1棟つくり、今後3棟程度を少しずつつくっていきます。この母屋、子どもたちと環境教育活動をしている地域住民が引越してくる予定。住人みずからが住みびらきをすることで、シェアスペース兼1階は地域の人や子どもたちが集える場所となる予定です。

画面の右奥に建てられているのが、母屋。1階は地域にひらかれた場所になります(写真撮影/片山貴博)

画面の右奥に建てられているのが、母屋。1階は地域にひらかれた場所になります(写真撮影/片山貴博)

母屋の脇には、4棟の小屋が建つ予定です。一方はトイレ・キッチン付きで、主にシングルの住まいとして使われます。可変・移動が可能なので、将来、小屋が不要になっても移動ができるほか、ユニット設計なので増築も可能です。小さく建てて、空いた敷地に緑や畑をのこす。まさに「変えながら守る設計」になっているんです。ちなみに最初の住人は高齢一人暮らしの女性が住む予定です。

大蔵小屋図面

一方で、小屋であっても住まいですから、地面と建物をつなぐ「基礎」はつくらなくてはいけません。一般的には一戸建てをつくる場合、コンクリートで基礎を打設し、建物と基礎はしっかりとつながっています。が、この現代の工法では、家の移動や可変は難しくなりますし、取り壊す時にも時間・手間がかかります。もちろん、環境への負荷は少なくはありません。

そこで、小屋の基礎を昔ながらの「石場建て」という工法を用いることにしたのです。寺社仏閣、あるいは民家園などに残る家を思い浮かべてもらうとわかりますが、みな立派な石の上に柱を建てる伝統構法の「石場建て」で建てられています。石の上に柱を載せている構造になるので、移動や増改築も容易です。しかも建物と石をどかせば畑や森に戻すことができる。環境への負荷も少なく、都市農業との組み合わせも良い。そんなメリットを考え、今回、「石場建て」のうえに「小屋」をつくることになったのです。伝統的な工法と現代の技術がミックスされた小屋の家、というわけです。

すべては人の暮らしと信頼から。建物や約束はあとからついてくる

「石場建て」にはもうひとつのメリットがあります。それは、地域の共同作業になるということ。石の基礎をつくる「ヨイトマケ」はごく平たくいうと、約100kgの重しで、基礎になる石を大地に打ち据えていく作業です。作業自体は単純ですが、人手と労力が必要になります。そのため、昔は “ヨイトマケ”の歌にあわせて縄でひっぱり、打ち据えていく重労働だったといいます。安藤さんは、昔の重労働も、今となっては地域の人たちの参加と交流の機会と考え、2023年3月のある土曜・日曜、このワークショップ形式で「ヨイトマケ」を開催することに。

石場建てと歌で作業する「ヨイトマケ」を告知する看板。コミュニティアーティストによるイラストが目を引きます(写真撮影/片山貴博)

石場建てと歌で作業する「ヨイトマケ」を告知する看板。コミュニティアーティストによるイラストが目を引きます(写真撮影/片山貴博)

当日、参加者は安藤さんの知人や友人、近隣の住民とビオフォルム環境デザイン室の友人知人、合計100名が集まりました。SNSなどで広く参加者を募るのではなく、「プロジェクトに関心を持ってくださる地域内外の知人友人と散歩ついでにふらっと寄ってくれる地域の方々」にしぼったそう。「同じマルシェに行くのなら、ただ美味しいものを買って帰るより、知り合いがいたほうが楽しくすごせたりしますよね」と安藤さんは例えます。

今回、石場建ての指揮を執るのは、伝統構法を行う杢巧舎(もっこうしゃ)。コンクリートの基礎が当たり前になった今、「石場建て」ができる貴重な工務店です。

参加者はそれぞれ好きな食べ物を持ち寄り、各自あいさつをしながら談笑していました。自然に交流できる仕掛けをつくるあたり、安藤さんの気配りが光ります。「あの◯◯さん、お会いしたかったんです」「初めまして」といいながら会話がはずんでいました。

肝心のヨイトマケの作業ですが、各日の朝からはじまり、昼ごはんやおのおの歓談をしながら、夕方まで、計2日間で行われました。会話ははずんでいますが、一歩間違えば事故になりかねないことから、作業がはじまるとどこかピリッとした緊張感が漂います。これは、棟梁の声のなせる技でしょう。

ヨイトマケで地固めする石は約30カ所。おもりは100kgほどで、数え唄にあわせながら、みんなで綱をひいていきます(写真撮影/片山貴博)

ヨイトマケで地固めする石は約30カ所。おもりは100kgほどで、数え唄にあわせながら、みんなで綱をひいていきます(写真撮影/片山貴博)

作業中にくちずさむ数え歌。言葉遊びになっていて、遊び心を感じます(写真撮影/片山貴博)

作業中にくちずさむ数え歌。言葉遊びになっていて、遊び心を感じます(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

紐をひくのは全員で10人ほど。人数がいるので1人1人はそんなに力が必要ではありません(写真撮影/片山貴博)

紐をひくのは全員で10人ほど。人数がいるので1人1人はそんなに力が必要ではありません(写真撮影/片山貴博)

地域の老若男女、なかにはお子さんも参加していました(写真撮影/片山貴博)

地域の老若男女、なかにはお子さんも参加していました(写真撮影/片山貴博)

地固めした石、水平かどうか調べています(写真撮影/片山貴博)

地固めした石、水平かどうか調べています(写真撮影/片山貴博)

畑の片隅には、この土地の土からつくったアースオーブン(ピザ窯)も。このオーブンも移動可能です(写真撮影/片山貴博)

畑の片隅には、この土地の土からつくったアースオーブン(ピザ窯)も。このオーブンも移動可能です(写真撮影/片山貴博)

オーブンで焼かれたピザも来場者にふるまわれました。美味しい!(写真撮影/片山貴博)

オーブンで焼かれたピザも来場者にふるまわれました。美味しい!(写真撮影/片山貴博)

自分のできることやりたいことを持ち寄る。コーヒーをふるまってくれる人もいました(写真撮影/片山貴博)

自分のできることやりたいことを持ち寄る。コーヒーをふるまってくれる人もいました(写真撮影/片山貴博)

筆者もヨイトマケに参加しましたが、作業自体それほど力は必要としません。ただ、食事をして歌を歌いなら労働をしていると、なんともいえない高揚感と一体感が湧いてきます。参加しているみなさんも本当に楽しそうで、子どもも大人も、高齢の方も、みなさん飽きずに綱をひいていました。

実は、今回参加した近隣住民には工事の音を心配していた方がいたそうです。ところが、なんと当日、ヨイトマケ作業に飛び入り参加し、安藤さんや周辺のみなさんと交流を深めていました。工事を騒音、意見をクレームとみなすこともできますが、お互いの顔が見えることで関係性が生まれ、暮らしをつくる人同士だと思うと、見える風景が変わって見えるのかもしれません。

地域で活躍するコミュニティアーティストも参加し、ヨイトマケの様子をスケッチ。貴重な様子を残していきます(写真撮影/片山貴博)

地域で活躍するコミュニティアーティストも参加し、ヨイトマケの様子をスケッチ。貴重な様子を残していきます(写真撮影/片山貴博)

絵という形で、地域の記憶、記録を残していきたい、と話してくれました(写真撮影/片山貴博)

絵という形で、地域の記憶、記録を残していきたい、と話してくれました(写真撮影/片山貴博)

杢巧舎(もっこうしゃ)の棟梁による締めのあいさつ。不思議と背筋が伸びる気持ちになります(写真撮影/片山貴博)

杢巧舎(もっこうしゃ)の棟梁による締めのあいさつ。不思議と背筋が伸びる気持ちになります(写真撮影/片山貴博)

母屋に住む人、小屋に住む人1名はすでに決まってます。ただ、賃料はまだ未定で、契約書もまだだとか。何事も契約、契約という現代ルールを考えると、驚きしかありません。

「これまでにもいくつかのプロジェクトをやってきましたが、ひとの暮らしを先に、構造をあとにすることで関係性に流れが生まれて、続いていきます。今回設計のビオフォルム環境デザイン室さん、頼んでいないのに実物大のモックアップをつくったんです。やりたいひとがやりたいときにやりたいことができる。状況を上位下達でコントロールするよりも不確実な中でともに考える。そんなことを繰り返してきました」(安藤さん)

休日に労働したのに、なんともいえない達成感が湧いてきます。共同作業って尊いですね(写真撮影/片山貴博)

休日に労働したのに、なんともいえない達成感が湧いてきます。共同作業って尊いですね(写真撮影/片山貴博)

多くの住まいは条件で検索され契約したのちに、暮らしがはじまります。思いや暮らしの一部を共有することはありません。でも本来、人がいて地域の暮らしがあり、必要があるから家を建て、そして地域の人と家をつくる順番だったんだよな、と思い知らされます。

プロジェクト名の「三年鳴かず飛ばず」は、「将来の活躍に備えて行いを控え、三年間鳴かず飛ばずにいる鳥は、ひとたび飛ぶと天まで上がり、ひとたび鳴けば人を驚かす」という故事成語に由来します。あちこちで再開発が進む大都市東京にあって、この開発規模、戸数は小さなものかもしれません。人によっては「鳴かず飛ばず」、つまり、活躍することもなく、人から忘れられたようにみえることでしょう。ただ、日本の賃貸や住まいのあり方、100年後のまちづくりや開発に必要なものとは何か、とても大きな問いかけ、挑戦をしているのではないか、私にはそう思えてなりません。

●取材協力
ビオフォルム環境デザイン室
安藤勝信さん
三年鳴かず飛ばずプロジェクト

100年先の社会を考えた大家さんが、ご近所や友人みんなの力をあわせて小さな家をつくる理由。人の力で大槌を上げ下ろし地固めする伝統構法・石場建ての現場にヨイトマケが響く 世田谷区

都会のなかにある農地が、ある日、マンションや駐車場となっているのを見かけたことはありませんか? 日本全体で人口が減り始めているのに、どんどん住宅をつくって大丈夫なのだろうか、他人事ながら心配になる人もいることでしょう。そんな都市や住まいのあり方に一石を投じるプロジェクトが、世田谷区大蔵の「三年鳴かず飛ばず」です。しかも石場建てという昔ながらの工法を使うとか。開催された「ヨイトマケ」ワークショップの様子とともにご紹介します。

はじまりは相続と都市計画道路の建設。分断された土地をどうする?

都市部はもちろん、地方であっても、農家さんの家の跡地や農地がアパートや駐車場に変わっていくのは珍しい光景ではありません。背景には、
(1)土地所有者が農業だけで生計をたてるのは厳しく、現金収入の必要がある
(2)相続税を含めた納税のため、土地を売却して現金化する必要がある
(3)不動産会社は建物を建設し、金融機関は融資をし、活用をすすめたい
(4)建物を建てることで固定資産税を減らしたい
といった背景があり、アパートや駐車場建設が積極的にすすめられてきました。

人口が増え続けた高度成長期であれば、この方法は有効でしたが、時代は変わり、地方はもちろん、都市部でも人が減り始めています。すると、駅から距離のある物件、バス便などの物件はたちまち不人気となり、空室となってしまいます。このプロジェクトの仕掛人である安藤勝信さんは、そんな入居者募集に苦労する祖父母の姿を見てきました。

今回のプロジェクト仕掛人であり、施主でもある安藤勝信さん(写真撮影/片山貴博)

今回のプロジェクト仕掛人であり、施主でもある安藤勝信さん(写真撮影/片山貴博)

「この周辺は1950年代の人口増加にともない団地建設の計画があり、都市農家だった私の家族は団地開発に明け渡し、結果農地がバラバラに点在した経緯があります。単独で農業ができない面積になってしまった家族は残地に事業として賃貸住宅を建てていったのですが、徐々に時代のニーズに遅れ空室を増やしていきました。
都市農家は、ある時はこれからは住宅や道路が必要だと言われ、ある時は農地は大切だから守れと、時代に翻弄されてきたのです」

畑とその奥は道路予定地(写真撮影/片山貴博)

畑とその奥は道路予定地(写真撮影/片山貴博)

祖父母がなくなったあと、安藤さんは土地や不動産事業を引き継ぐことになりましたが、その土地はすでに都市計画道路予定地として収用が決定されていました。祖父母が住んでいた建物は取り壊しとなるほか、継承した土地も2つに分断されることに。冒頭に紹介したように、定番であれば、「アパート建設」か「駐車場」ですが、安藤さんはそうは考えませんでした。

100年続く風景をつくるにはどうしたらいい? 答えは時代とともに「変われる家」

「母屋を壊したときに、建物をつくった当時のいろいろなものが出てきて、長い間置物だと思っていた物の後ろに“初代のお家の大黒柱の一部”と彫ってあるものがありました。現代の住宅は、30~40年経ったら取り壊して建てるサイクルになりがちですが、昔のひとの時間軸は個人を超えた100年スパンのものなのだと気がつきました。
とはいえ、これから先、人口も減るし、時代はもっと大きく変わっていく。不確定な世の中で大きくて立派で、変わらないものをつくることにも一定の不安やリスクを感じていました。では変えずに守るのではなく変えながら守ろうと。世代や周辺の風景の変化にあわせて、その時代を生きる人が変えていったらいい、変えながら守っていくしかない。そんな計画を立てました」と安藤さん。

そもそも安藤さんは、アパートをコンバージョン(用途変更)して、デイサービス施設にしたり、賃貸の1室をシェアスペースにしたりして認知症の人を見守るといった、新しい賃貸のあり方を模索してきました。

関連記事:
・高齢の母が住む賃貸の1室がシェアスペースに? 住人の交流や見守りはじまる
・駅遠の土地が人気賃貸に! 住人が主役になる相続の公募アイデアって?

そのため、以前から知り合いだったビオフォルム環境デザイン室と一緒にプロジェクトをつくり、1カ所を「長屋プロジェクト」、1カ所を「小屋プロジェクト」とする計画を立てました。長屋プロジェクトは、子育て世代向けの賃貸シェアハウス。1階は地域にひらいているので、気軽にいろんな人が立ち寄れて、子育てや暮らし、毎日のできごとをシェアできます。名前の通り、昔ながらの「長屋」に現代の快適さを組み込んで懐かしくも新しい暮らしを思い描いています。

建築模型図。中央に道路があり、右奥が「長屋プロジェクト」、画面の左手前が「小屋プロジェクト」(写真撮影/片山貴博)

建築模型図。中央に道路があり、右奥が「長屋プロジェクト」、画面の左手前が「小屋プロジェクト」(写真撮影/片山貴博)

そして、かつて安藤さんの祖父母宅があった場所に計画されているのが、「小屋プロジェクト」です。左上にシェアスペース機能のある真四角なお家(母屋)、隣接する小屋はまず1棟つくり、今後3棟程度を少しずつつくっていきます。この母屋、子どもたちと環境教育活動をしている地域住民が引越してくる予定。住人みずからが住みびらきをすることで、シェアスペース兼1階は地域の人や子どもたちが集える場所となる予定です。

画面の右奥に建てられているのが、母屋。1階は地域にひらかれた場所になります(写真撮影/片山貴博)

画面の右奥に建てられているのが、母屋。1階は地域にひらかれた場所になります(写真撮影/片山貴博)

母屋の脇には、4棟の小屋が建つ予定です。一方はトイレ・キッチン付きで、主にシングルの住まいとして使われます。可変・移動が可能なので、将来、小屋が不要になっても移動ができるほか、ユニット設計なので増築も可能です。小さく建てて、空いた敷地に緑や畑をのこす。まさに「変えながら守る設計」になっているんです。ちなみに最初の住人は高齢一人暮らしの女性が住む予定です。

大蔵小屋図面

一方で、小屋であっても住まいですから、地面と建物をつなぐ「基礎」はつくらなくてはいけません。一般的には一戸建てをつくる場合、コンクリートで基礎を打設し、建物と基礎はしっかりとつながっています。が、この現代の工法では、家の移動や可変は難しくなりますし、取り壊す時にも時間・手間がかかります。もちろん、環境への負荷は少なくはありません。

そこで、小屋の基礎を昔ながらの「石場建て」という工法を用いることにしたのです。寺社仏閣、あるいは民家園などに残る家を思い浮かべてもらうとわかりますが、みな立派な石の上に柱を建てる伝統構法の「石場建て」で建てられています。石の上に柱を載せている構造になるので、移動や増改築も容易です。しかも建物と石をどかせば畑や森に戻すことができる。環境への負荷も少なく、都市農業との組み合わせも良い。そんなメリットを考え、今回、「石場建て」のうえに「小屋」をつくることになったのです。伝統的な工法と現代の技術がミックスされた小屋の家、というわけです。

すべては人の暮らしと信頼から。建物や約束はあとからついてくる

「石場建て」にはもうひとつのメリットがあります。それは、地域の共同作業になるということ。石の基礎をつくる「ヨイトマケ」はごく平たくいうと、約100kgの重しで、基礎になる石を大地に打ち据えていく作業です。作業自体は単純ですが、人手と労力が必要になります。そのため、昔は “ヨイトマケ”の歌にあわせて縄でひっぱり、打ち据えていく重労働だったといいます。安藤さんは、昔の重労働も、今となっては地域の人たちの参加と交流の機会と考え、2023年3月のある土曜・日曜、このワークショップ形式で「ヨイトマケ」を開催することに。

石場建てと歌で作業する「ヨイトマケ」を告知する看板。コミュニティアーティストによるイラストが目を引きます(写真撮影/片山貴博)

石場建てと歌で作業する「ヨイトマケ」を告知する看板。コミュニティアーティストによるイラストが目を引きます(写真撮影/片山貴博)

当日、参加者は安藤さんの知人や友人、近隣の住民とビオフォルム環境デザイン室の友人知人、合計100名が集まりました。SNSなどで広く参加者を募るのではなく、「プロジェクトに関心を持ってくださる地域内外の知人友人と散歩ついでにふらっと寄ってくれる地域の方々」にしぼったそう。「同じマルシェに行くのなら、ただ美味しいものを買って帰るより、知り合いがいたほうが楽しくすごせたりしますよね」と安藤さんは例えます。

今回、石場建ての指揮を執るのは、伝統構法を行う杢巧舎(もっこうしゃ)。コンクリートの基礎が当たり前になった今、「石場建て」ができる貴重な工務店です。

参加者はそれぞれ好きな食べ物を持ち寄り、各自あいさつをしながら談笑していました。自然に交流できる仕掛けをつくるあたり、安藤さんの気配りが光ります。「あの◯◯さん、お会いしたかったんです」「初めまして」といいながら会話がはずんでいました。

肝心のヨイトマケの作業ですが、各日の朝からはじまり、昼ごはんやおのおの歓談をしながら、夕方まで、計2日間で行われました。会話ははずんでいますが、一歩間違えば事故になりかねないことから、作業がはじまるとどこかピリッとした緊張感が漂います。これは、棟梁の声のなせる技でしょう。

ヨイトマケで地固めする石は約30カ所。おもりは100kgほどで、数え唄にあわせながら、みんなで綱をひいていきます(写真撮影/片山貴博)

ヨイトマケで地固めする石は約30カ所。おもりは100kgほどで、数え唄にあわせながら、みんなで綱をひいていきます(写真撮影/片山貴博)

作業中にくちずさむ数え歌。言葉遊びになっていて、遊び心を感じます(写真撮影/片山貴博)

作業中にくちずさむ数え歌。言葉遊びになっていて、遊び心を感じます(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

紐をひくのは全員で10人ほど。人数がいるので1人1人はそんなに力が必要ではありません(写真撮影/片山貴博)

紐をひくのは全員で10人ほど。人数がいるので1人1人はそんなに力が必要ではありません(写真撮影/片山貴博)

地域の老若男女、なかにはお子さんも参加していました(写真撮影/片山貴博)

地域の老若男女、なかにはお子さんも参加していました(写真撮影/片山貴博)

地固めした石、水平かどうか調べています(写真撮影/片山貴博)

地固めした石、水平かどうか調べています(写真撮影/片山貴博)

畑の片隅には、この土地の土からつくったアースオーブン(ピザ窯)も。このオーブンも移動可能です(写真撮影/片山貴博)

畑の片隅には、この土地の土からつくったアースオーブン(ピザ窯)も。このオーブンも移動可能です(写真撮影/片山貴博)

オーブンで焼かれたピザも来場者にふるまわれました。美味しい!(写真撮影/片山貴博)

オーブンで焼かれたピザも来場者にふるまわれました。美味しい!(写真撮影/片山貴博)

自分のできることやりたいことを持ち寄る。コーヒーをふるまってくれる人もいました(写真撮影/片山貴博)

自分のできることやりたいことを持ち寄る。コーヒーをふるまってくれる人もいました(写真撮影/片山貴博)

筆者もヨイトマケに参加しましたが、作業自体それほど力は必要としません。ただ、食事をして歌を歌いなら労働をしていると、なんともいえない高揚感と一体感が湧いてきます。参加しているみなさんも本当に楽しそうで、子どもも大人も、高齢の方も、みなさん飽きずに綱をひいていました。

実は、今回参加した近隣住民には工事の音を心配していた方がいたそうです。ところが、なんと当日、ヨイトマケ作業に飛び入り参加し、安藤さんや周辺のみなさんと交流を深めていました。工事を騒音、意見をクレームとみなすこともできますが、お互いの顔が見えることで関係性が生まれ、暮らしをつくる人同士だと思うと、見える風景が変わって見えるのかもしれません。

地域で活躍するコミュニティアーティストも参加し、ヨイトマケの様子をスケッチ。貴重な様子を残していきます(写真撮影/片山貴博)

地域で活躍するコミュニティアーティストも参加し、ヨイトマケの様子をスケッチ。貴重な様子を残していきます(写真撮影/片山貴博)

絵という形で、地域の記憶、記録を残していきたい、と話してくれました(写真撮影/片山貴博)

絵という形で、地域の記憶、記録を残していきたい、と話してくれました(写真撮影/片山貴博)

杢巧舎(もっこうしゃ)の棟梁による締めのあいさつ。不思議と背筋が伸びる気持ちになります(写真撮影/片山貴博)

杢巧舎(もっこうしゃ)の棟梁による締めのあいさつ。不思議と背筋が伸びる気持ちになります(写真撮影/片山貴博)

母屋に住む人、小屋に住む人1名はすでに決まってます。ただ、賃料はまだ未定で、契約書もまだだとか。何事も契約、契約という現代ルールを考えると、驚きしかありません。

「これまでにもいくつかのプロジェクトをやってきましたが、ひとの暮らしを先に、構造をあとにすることで関係性に流れが生まれて、続いていきます。今回設計のビオフォルム環境デザイン室さん、頼んでいないのに実物大のモックアップをつくったんです。やりたいひとがやりたいときにやりたいことができる。状況を上位下達でコントロールするよりも不確実な中でともに考える。そんなことを繰り返してきました」(安藤さん)

休日に労働したのに、なんともいえない達成感が湧いてきます。共同作業って尊いですね(写真撮影/片山貴博)

休日に労働したのに、なんともいえない達成感が湧いてきます。共同作業って尊いですね(写真撮影/片山貴博)

多くの住まいは条件で検索され契約したのちに、暮らしがはじまります。思いや暮らしの一部を共有することはありません。でも本来、人がいて地域の暮らしがあり、必要があるから家を建て、そして地域の人と家をつくる順番だったんだよな、と思い知らされます。

プロジェクト名の「三年鳴かず飛ばず」は、「将来の活躍に備えて行いを控え、三年間鳴かず飛ばずにいる鳥は、ひとたび飛ぶと天まで上がり、ひとたび鳴けば人を驚かす」という故事成語に由来します。あちこちで再開発が進む大都市東京にあって、この開発規模、戸数は小さなものかもしれません。人によっては「鳴かず飛ばず」、つまり、活躍することもなく、人から忘れられたようにみえることでしょう。ただ、日本の賃貸や住まいのあり方、100年後のまちづくりや開発に必要なものとは何か、とても大きな問いかけ、挑戦をしているのではないか、私にはそう思えてなりません。

●取材協力
ビオフォルム環境デザイン室
安藤勝信さん
三年鳴かず飛ばずプロジェクト

”大家さんが変われば、まちが変わる”を横浜の住宅街の一画で体現する「753village(ななごーさんビレッジ)」/緑区中山

かつてのどかな村だった中山地区が「町」になったのは、昭和44年のこと。その後令和元年には町が廃止され「中山」という地区名だけが残った。神奈川県横浜市緑区中山。

いま穏やかな住宅街の一画、半径1km圏内ほどのエリアに、ここ数年、カフェやシェアハウス、交流スペースができ、人知れず「753village(ななごーさんビレッジ)」と呼ばれている。

人が人を呼び、そのまちに根付いていく。なぜいま、中山でそんな動きが起きているのだろう? いったいどんな人たちによる、どんな取り組みなのか? 移住して10年の関口春江さんにお話を伺ってきた。

(写真撮影/池田 礼)

(写真撮影/池田 礼)

屋根の上に草が生える建物。ここはいったい……?

JR横浜線と、横浜市営地下鉄グリーンライン(4号線)が乗り入れる中山駅から歩いて5分。駅の南を走る県道109号からさらに南に入ると、753villageの入口付近にあたる。曲がり角には『753通信』と書かれたイラストの地図が貼ってあった。いくつもの面白そうなスポットが記されている。

「753village」界隈のマップ

「753village」界隈のマップ

発酵をテーマにした古民家カフェ「菌カフェ753」。農園付き一戸建賃貸「なごみヒルズ」、もう20年以上続く多目的レンタルスペース「なごみ邸」、教室を開催できる「楽し舎(たのしや)」、販売拠点や実店舗を持たない人向けのチャレンジスペース「季楽荘」、絵画や写真、工芸などの展示スペース「Gallery N.」……

さらに歩を進めると、不思議な建物が目に入る。屋根の上に草が生えていて、面のガラス戸には大きな白い暖簾が揺れている。

これが最近オープンした「Co-coya」。シェアオフィスと貸アトリエと賃貸住宅の機能がぎゅっと入った建物で、染色や絵画などの作家の工房や、いざという時の地域住民のための避難所も兼ねている。

753villageは、この辺りの大家さんがチームの一員になり、空き家を活かしたカフェやシェアハウス、レンタルスペースを展開しているという。ほかの地域から訪れたシェフや、建築家、自主保育(※)の運営者などが「面白そう」と集まり、自発的にカフェを開いたり、マルシェを催したり。Co-coyaを運営する建築家の関口春江さんもその一人だ。

関口さんの話からは、関わる人たちがほどよい距離感で交流しながら、中山での暮らしを楽しむ様子が伝わってきた。

※自主保育/就学前の子どもたちを保育園や幼稚園に預けるのではなく、保護者同士が協力して子育てをしていく取り組み

753villageの入口付近に建つ「Co-coya」。屋根の野芝は断熱効果のほか、雨水貯蓄にもなる。手前は原っぱと休憩所のある「PARK753」(写真撮影/池田 礼)

753villageの入口付近に建つ「Co-coya」。屋根の野芝は断熱効果のほか、雨水貯蓄にもなる。手前は原っぱと休憩所のある「PARK753」(写真撮影/池田 礼)

古民家カフェに始まり、マルシェの開催へ

関口さんはCo-coyaの管理人であり、菌カフェの発起人の一人でもある。援農(※)をきっかけに中山の隣のまちに通うようになった。そこで出会った仲間とカフェを始めたのが中山地区との最初の関わりだ。

「菌カフェ」は、753villageの起点となった場所。たった一歩、店に足を踏み入れただけで、長年大切にされてきた場所だとわかった。

※援農/無償または最低賃金以下の謝礼や農産物を対価として、農家の農作業を住民らが手伝うもの

毎日11~16時で営業。今は食事メニューには、発酵を用いた多彩なドリンクやランチが提供される(写真撮影/池田 礼)

毎日11~16時で営業。今は食事メニューには、発酵を用いた多彩なドリンクやランチが提供される(写真撮影/池田 礼)

店内には果物などが置かれ、壁の棚にはびっしりスパイスの瓶が並んでいる。店の奥には大きなガラス窓に、アンティーク風の家具(写真撮影/池田 礼)

店内には果物などが置かれ、壁の棚にはびっしりスパイスの瓶が並んでいる。店の奥には大きなガラス窓に、アンティーク風の家具(写真撮影/池田 礼)

「もともとここは大家さんがカフェギャラリーをやっていた場所で、私たちが訪れた時は空き家になっていました。隣に住んでいたのが、当時一緒に援農していたシェフの辻さん。あまりに素敵な場所だったので、仲間うちで何かしたいねという話になったものの、みな本業があるし、毎月定額の家賃を払うのは厳しい。そこで大家さんと一緒に運営する形で、スモールスタートさせてほしいとお願いしたんです」

Co-coya管理人であり、753villageの中心的な人物の一人、関口春江さん(写真撮影/池田 礼)

Co-coya管理人であり、753villageの中心的な人物の一人、関口春江さん(写真撮影/池田 礼)

はじめは木金土の週3日だけ営業。まずはお店のことを知ってもらわなければと、店でマルシェを開催することになった。月に1回、手づくり小物の作家や、パン屋さんなどの出店があり、輪が広がりお客さんが増えていった。

コロナ禍以前に年2回開催していた大規模マルシェ、大753市の様子

コロナ禍以前に年2回開催していた大規模マルシェ、大753市の様子(753village提供)

コロナ以前に年2回開催していた大規模マルシェ、大753市の様子(753village提供)

Co-coyaのまねき市(753village提供)

Co-coyaのまねき市(753village提供)

大家さん次第で、まちはこれほど変わる

関口さんの話にたびたび登場するのが、753villageのほとんどの建物を所有する大家の齋藤好貴さんだ。初めて会った時、齋藤さんは関口さんたちにこんな話をしたのだそうだ。

「『50年後、100年後に、この中山をもっと魅力的にしたい。そのために土地を切り売りするんじゃなくて、まちの歴史や培ってきた空気感を残しながら利活用する方法がないか、ずっと考えている』んですって。そんな地主さん、私は会ったことないなと思いました」

齋藤さんは、鎌倉時代からここに暮らす地主の末裔で、昔から中山近辺の多くの土地を所有してきた。中山には、和風の家も洋風の家もあるが、比較的立派な家が多い。おのずと庭や街並みも落ち着いた、風格のあるものになった。

都市部では、家が空くとすぐに更地にして駐車場にしたり、マンションが建ったりする。だが齋藤さんは、空いた家の何軒かを積極的にギャラリーや、教室など、皆が使える場所にしてきた。

中山地区の一部の地主であり、753villageの建物の所有者である齋藤好貴さん(写真撮影/池田 礼)

中山地区の一部の地主であり、753villageの建物の所有者である齋藤好貴さん(写真撮影/池田 礼)

そのはじまりが、25年前に始まった、「なごみ邸」だ。大きな日本家屋を、サロンのような形で貸し出し、誰でも使える多目的スペースにした。
「当時から空き家は増えていくと言われていて。いくら都心に近くても、横浜であっても、空き家がどんどん使われなくなるのが予測できました。

じゃあ何ができるだろうと考えた時に、このまちに魅力を感じてもらえるような仕掛けをつくろうと。そうすれば自然と人が集まり、結果的に地主や家主も潤うんじゃないかと思ったんです」

齋藤さんのいうまちの魅力とは、交通の利便性や買い物のしやすさではない。
大事にしたかったのは人と人の縁。

「空いた建物や庭を生かして、この土地の雰囲気を味わって楽しく過ごしてもらう。それが人から人に伝わって、まちの評判につながればいい」と考えたのだ。

和室があり、窓が大きく庭が一望できる洋室あり(写真撮影/池田 礼)

和室があり、窓が大きく庭が一望できる洋室あり(写真撮影/池田 礼)

春には庭の桜が見事な花をつける。3月末から4月初期は、庭を一般開放している(写真撮影/池田 礼)

春には庭の桜が見事な花をつける。3月末から4月初期は、庭を一般開放している(写真撮影/池田 礼)

そして10年ほど前に現れたのが関口さんたちだった。関口さん自身も建築家で、新築を建てるのが仕事。楽しい仕事だけれど、空き家が増える中で新たに建て続ける矛盾も感じていた。ハコをつくるより、活用し続けるほうが大事なんじゃないかと考えるようになっていた。

齋藤さんは関口さんたちのカフェの提案を受け入れる。その後、マルシェが始まり、展示スペースなど展開も広がり。

関口さんたちは齋藤さんの「なごみ邸」の名をもじって、このエリアを「753village」と名付ける。
大家さん次第でまちはこれほど変わるのだと、気付いた。

「Co-coya」をまちの案内所に

2021年にはクラウドファンディングと横浜市の助成を得て、職住一体型の地域ステーション「Co-coya」がオープンする。

コロナの影響で753villageの活動がすべてストップした時に、この構想が生まれた。

「今のうちに次に向けての準備をしようと思ったんです。拠点が増えたので、わかりやすく案内するまちの入口、案内所をつくろうと。私たちのしてきた活動が、古くからの住民にもわかりやすいように見える化しようと考えました。子育て世代や世代間の交流を促す場所にもなったらいいなと思ったんです」(関口さん)

Co-coyaの建物へ入ると、まず天井の高い広い土間と大きな机の置かれたコワーキングスペースがある。向かって左には、防災の観点から電気やガスが止まっても薪で沸かせるお風呂があり、その奥はパンの焼ける工房。さらに扉の向こうには井戸があり、何かあった際の水の供給ができるようになっている。

薪で暖をとることができるように、あえて薪ストーブ。左手のお風呂も薪風呂(写真撮影/池田 礼)

薪で暖をとることができるように、あえて薪ストーブ。左手のお風呂も薪風呂(写真撮影/池田 礼)

「ここの構想を話して共感してくれたパティシエの子や、今2階に住んでいる画家、陶芸家さんとはマルシェを通じて知り合いました。共感型投資といいますか。彼女たちが間借りしてくれたおかげで、一緒にこの場所をつくってきたような関係なんです」

Co-coyaの奥のスペースには、井戸がある(写真撮影/池田 礼)

Co-coyaの奥のスペースには、井戸がある(写真撮影/池田 礼)

初めて訪れる人にも安心して立ち寄ってもらえるよう、通りに面した入口は上から下までガラス張りに。関口さん自身も、普段はここで仕事をしている。

福祉の拠点「レモンの庭」

菌カフェのすぐそばには、「レモンの庭」と名付けられた、多世代交流施設もある。これも齋藤さんが新しく建てた賃貸の家を、一般社団法人フラットガーデンが借りて、開催しているものだ。横浜市の介護予防生活支援サービス補助事業でもある。

訪れた日、中へお邪魔すると、若い人からお年寄りまで、集まった女性たちが思い思いに好きな縫いものをしていた。この日行われていたのは「ぬいものカフェ」。参加者同士おしゃべりや笑い声が絶えなかった(写真撮影/池田 礼)

訪れた日、中へお邪魔すると、若い人からお年寄りまで、集まった女性たちが思い思いに好きな縫いものをしていた。この日行われていたのは「ぬいものカフェ」。参加者同士おしゃべりや笑い声が絶えなかった(写真撮影/池田 礼)

フラットガーデンの阿久津さんが、教えてくれる。

「ここは月曜と水曜から土曜日の10時から15時まで開いていて。ほかにも編み物を楽しむ『ニットカフェ』や、餃子づくりやパンづくりを教わる『レモンの学校』、初心者歓迎で子どもからお年寄りまでともに楽しむ健康麻雀『麻雀 はじめの一歩』など、いろんなプログラムがあって参加費は500円。

女性はおしゃべり好きも多いので、こうして集まってわいわいやるんですが、男性は話すのが苦手な方も多いので、2階で健康麻雀もやっています。終わってから下でお茶飲んだりするうちに次第に打ち解けるんですよね」

「ぬいものカフェ」で各自が好きな縫い物をして楽しんでいる様子。子どもから、赤ちゃん連れのお母さん、高齢者まで、誰でも立ち寄ることができ、日によってはランチも提供(写真撮影/池田 礼)

「ぬいものカフェ」で各自が好きな縫い物をして楽しんでいる様子。子どもから、赤ちゃん連れのお母さん、高齢者まで、誰でも立ち寄ることができ、日によってはランチも提供(写真撮影/池田 礼)

健康麻雀のようす(写真撮影/池田 礼)

健康麻雀のようす(写真撮影/池田 礼)

2階へ上がってみると、麻雀には若い人や女性の参加者もいてみんな楽しそうだ。

「多世代交流」とひと口に言うのは簡単だが、一人暮らしのお年寄りや、家族以外の誰かと時を過ごしたい、心を通わせたい人たちにとって、ここは想像以上に大切な場所なのかもしれない。

時間をかけてできたこと

そんな風に少しずつ、外の人と地元住民がつながり、縁が紡がれていく。大きくは「コミュニティが広がっている」と言えるのだろうが、個人から見ると、友達や知り合いが増えて、近所に話相手が増えることになるのだろう。

何気ないことのようで、人が生来求めている、そして都市部の多くでは失われた切実な願いを叶えてくれているのかもしれない。最後に、関口さんは大切なことを教えてくれた。

「ここまでくるには年月がかかっているんです。私たちも、移住してもう10年になりますし、齋藤さんとも、毎月お家賃を手渡ししながら少しずつ関係性を築いてきたので。その間こちらも人間性を見られていたと思うし、私たちも齋藤さんのことを少しずつ理解して。周囲の人たちとも同じように。10年かけて今の関係性があります」

(写真撮影/池田 礼)

(写真撮影/池田 礼)

土地をもつ大家さんと、外から入ったクリエイティブな人たちが出会って新しい動きが生まれる。そこでいい関係性が育てば、地元に根付き、変わらないまちの魅力になっていくのかもしれない。これから10年後の753villageがどうなるのか、楽しみだなと思った。

●取材協力
753village

懐かしさ感じる”リノベ団地”に広がる人の輪! 保育園&農園付きで3年満室続く「ハラッパ団地・草加」を訪ねた

昭和の高度経済成長期に大量に建設された「団地」を、現代の暮らしに合うようリノベーションし、再評価・再活用する動きが続いています。では、そのリノベ団地は、コロナ禍を経てどうなっているのでしょうか。2019年に紹介した「ハラッパ団地・草加」の今を取材しました。

築51年でも満室! 家賃を維持するなど、人気ぶりは健在

1971年、企業の社員寮として建築された建物をリノベして誕生した「ハラッパ団地・草加」。2018年に建物内外を刷新し、シェア農園や保育園、ドッグランを持つ賃貸住宅として生まれ変わりました。1800坪というゆとりのある敷地に、明るい黄色の2棟の建物があり、1LDK~2DKの全55戸で構成されています。ペット飼育OKで、1階に保育園があるなどの付加価値もあるため、2019年に取材したときも全室満室、ウェイティングリストができるほどの人気ぶりでした。

ハラッパ団地・草加の外観。前回取材時のときよりも、いっそう地域になじんだ印象です(写真撮影/嘉屋恭子)

ハラッパ団地・草加の外観。前回取材時のときよりも、いっそう地域になじんだ印象です(写真撮影/嘉屋恭子)

あれから3年、コロナ禍もあり、ライフスタイルや価値観、住まいに求めるものも変わったように思います。その後、「ハラッパ団地」はどうなっているのでしょうか。

「3年たった今でも全室満室が続いていて、空室がでたら入居したいという希望者がいらっしゃいます。家賃も維持、または一部で上昇しているんですよ」と教えてくれたのは、広報を担当する山本恵美さん。

長らく新築住宅が最良とされてきた日本では、築年数が経過するごとに家賃を値下げするのが当たり前、半世紀も経過すれば建物の価値はほぼなくなるといわれてきました。それが築51年以上たっても家賃が下がるのではなく、上昇するとは……。適切にリノベ、管理運営されていれば、建物は長持ちするだけでなく、賃貸住宅として価値を向上させることができると証明した格好です。

保育園があることから子育て世帯の入居希望が多そうですが、実際にはシングルや夫婦暮らしなど、幅広い世帯や世代が入居しているそう。
「子どもの声が聞こえる、ということが安心感につながっているようで、一人暮らしの人にも人気となっています」。子どもたちの声が、「あたたかさ」「安心感」につながるのは、住む人にとっても、子どもたちにとっても、とても幸せなことですね。

イベントの参加者には子どももいっぱい。親世代も明るい表情です(写真撮影/片山貴博)

イベントの参加者には子どももいっぱい。親世代も明るい表情です(写真撮影/片山貴博)

収穫体験にクッキングイベント。交流を生むコミュニティー運営

ハラッパ団地・草加は、農園やドッグラン、食堂などの「地域にひらく」施設も魅力のひとつでした。ただ、こうしたコミュニティー運営は人とノウハウ、時間、予算が必要になります。ましてやこの3年はコロナ禍。人を集める、人が集まるのが難しくなってきた背景もあります。運営はどのように変化したのでしょうか。

「2020年、緊急事態宣言もあり感染状況を考慮して食堂は閉店、ランドリールームなども検討しましたが、団地の人が集まれる場所をということで、コミュニティールームに変更しました。この場所は団地住民であればオンラインで予約・利用できます。お住まいの方は、テレワークやオンライン会議などの場所として使っているようです」と山本さん。地域住民に、集会所・サロンの開催場所として、貸し出しも行っています。

また、2021年12月よりこのコミュニティールームを使い、「味噌づくり」「ヨガ教室」「ピクルスづくり」などのコミュニティー運営を実施するようになったといいます。
「イベントの実施主体は、ハラッパ団地を管理するハウスコムとアミックスです。コミニティーマネージャーや撮影・運営スタッフなどがいて、団地の方と地域の方が、交流を深めていける試みをしています。イベントや畑の活動は今のところ月1回のペースで行っていて、毎回参加くださる方もいれば、スポットで初めてという人も。毎回、なごやかな雰囲気でできています」(山本さん)

ハラッパ団地のコミュニティー運営に携わっているみなさん。左から細越雄太さん(農業指導)、森永顕光さん(アミックス社員)、町田国大さん(コミニティーマネージャー)山本恵美さん(コミニティーマネージャー)、夏目力さん(ライター・撮影)(写真撮影/片山貴博)

ハラッパ団地のコミュニティー運営に携わっているみなさん。左から細越雄太さん(農業指導)、森永顕光さん(アミックス社員)、町田国大さん(コミニティーマネージャー)山本恵美さん(コミニティーマネージャー)、夏目力さん(ライター・撮影)(写真撮影/片山貴博)

11月は、10月に収穫したさつまいもを使ってのピザ窯での焼きいもとピザづくり、畑に玉ねぎの苗を植えるイベントを実施していました。参加者は筆者が想像していたよりも多く、なんと30人以上! 参加者は多くが未就学児~小学校低学年のお子さんと保護者の方々です。お天気はあまりよいとはいえない状況でしたが、子どもたちは広場や周囲をうきうきと走り回っていました。

11月に行われた焼きいもとピザ焼きの会。まずはみなさんでご挨拶。細越雄太さんが、今日の流れを説明します(写真撮影/片山貴博)

11月に行われた焼きいもとピザ焼きの会。まずはみなさんでご挨拶。細越雄太さんが、今日の流れを説明します(写真撮影/片山貴博)

さつまいもは紅はるかと安納芋、シルクスイートの3種類を用意して、食べ比べる計画。味の違いはわかるかな?(写真撮影/片山貴博)

さつまいもは紅はるかと安納芋、シルクスイートの3種類を用意して、食べ比べる計画。味の違いはわかるかな?(写真撮影/片山貴博)

洗ったさつまいもをアルミホイルで包んで……(写真撮影/片山貴博)

洗ったさつまいもをアルミホイルで包んで……(写真撮影/片山貴博)

ピザ窯のなかにいれます。焼き上がりは1時間程度……ワクワクです!(写真撮影/片山貴博)

ピザ窯のなかにいれます。焼き上がりは1時間程度……ワクワクです!(写真撮影/片山貴博)

セミパブリックだからこそできる! 団地の可能性

今回、イベントに参加された方々は、団地にお住まいという方もいれば、ご近隣にお住まいという方もいらっしゃいました。なかには、「実は先週、団地に引越してきたばかりなんです。イベント案内のチラシを見かけてすぐに応募しました。子どもたちが地域になじむきっかけになれば」という声も聞かれました。その後、焼きいもやピザづくりをしながら「何歳ですか?」「同じ学年だね~」と、お子さんや大人の会話が盛り上がっていました。まさに人と知り合う「きっかけ」、コミュニティーづくりになっています。

次は玉ねぎの苗を植えていきます。農業指導をしている細越雄太さんは、農業や食育に詳しく、自然と大人や子どもたちを引き込んでいきます(写真撮影/片山貴博)

次は玉ねぎの苗を植えていきます。農業指導をしている細越雄太さんは、農業や食育に詳しく、自然と大人や子どもたちを引き込んでいきます(写真撮影/片山貴博)

玉ねぎの苗は、淡路島の農家から譲り受けたもの。はじめはおっかなびっくりだった子どもたちもだんだん慣れていきます(写真撮影/片山貴博)

玉ねぎの苗は、淡路島の農家から譲り受けたもの。はじめはおっかなびっくりだった子どもたちもだんだん慣れていきます(写真撮影/片山貴博)

さすがだなと思ったのは、運営側が作業をするだけでなく、「どんな種類のさつまいもを焼くのか」「玉ねぎはいつできるのか」「ピザで好きな具」などの会話のとっかかりとなる「ネタ」を提供していることです。初めて会った人同士でも、「あるある~」「私は~」と自然と会話ができるようになっています。共同作業、なかでも食があると、人と人との距離はぐっと縮まりますよね。

ズラッと並んだピザの具材(写真撮影/片山貴博)

ズラッと並んだピザの具材(写真撮影/片山貴博)

苗を植えたあとはピザづくり。子どもたちも上手です(写真撮影/片山貴博)

苗を植えたあとはピザづくり。子どもたちも上手です(写真撮影/片山貴博)

準備ができたピザからピザ窯へ。マスク越しにも伝わる、うれしそうな顔!(写真撮影/片山貴博)

準備ができたピザからピザ窯へ。マスク越しにも伝わる、うれしそうな顔!(写真撮影/片山貴博)

焼きたてピザをきりわけてもらい、いただきます!(写真撮影/片山貴博)

焼きたてピザをきりわけてもらい、いただきます!(写真撮影/片山貴博)

大人も子どももにっこにこで幸せそう(写真撮影/片山貴博)

大人も子どももにっこにこで幸せそう(写真撮影/片山貴博)

ほっかほかの焼きいも! 品種によってほんのり色も違います(写真撮影/片山貴博)

ほっかほかの焼きいも! 品種によってほんのり色も違います(写真撮影/片山貴博)

他にも、イベントに参加している人に話を聞きましたが、「1階の保育園に通っていて、せっかくなので参加したいと思って」「近所のお友だちに誘われたので」という方が多いように感じました。

また、コロナ禍で思うように外出や遠出ができず、子どもと何かしたいと思っていたときにこのイベントを知ったという声も。
「自分で畑をやったり、ピザの準備をしたりするのは大変だけれど、近くでこんな体験ができるなんて! すごくありがたいです」というコメントもありました。

「コミュニティー運営に携わって7カ月ですが、交流イベントは今のところ8回開催し、累計100名が参加してくださっています。参加者の満足度も高く、次は何をやるんですか? という声も聞かれます。団地外の方からの参加者も多いですし、まさに交流の場所になっています。声を聞きながら、よりよい場所、よりよいコミュニティー運営を模索していきたいですね 」(山本さん)

細越さんは畑やコミュニティー運営を通して、「セミパブリック」の可能性を感じているといいます。「草むしりや苗植え、収穫など自然を通して、人々が交流し、距離感を保てる。『公』や『行政』でもなければ、完全な『私』でもない。ちょうど良い距離感をつくっていけたら」と言います。

コロナ禍では、地域や人との分断が進んだともいわれています。一方で、近くにある幸せや足元を大切にしたい、近所の人とゆる~くでも顔見知りになりたい、という思いは、静かですが確かにあるように感じます。近所づきあいや人とのかかわりを、軽やかにアップデートするために。令和の団地の挑戦はまだまだ続きそうです。

●取材協力
ハラッパ団地・草加

懐かしさ感じる”リノベ団地”に広がる人の輪! 保育園・農園付きで3年満室続く「ハラッパ団地・草加」を訪ねた

昭和の高度経済成長期に大量に建設された「団地」を、現代の暮らしに合うようリノベーションし、再評価・再活用する動きが続いています。では、そのリノベ団地は、コロナ禍を経てどうなっているのでしょうか。2019年に紹介した「ハラッパ団地・草加」の今を取材しました。

築51年でも満室! 家賃を維持するなど、人気ぶりは健在

1971年、企業の社員寮として建築された建物をリノベして誕生した「ハラッパ団地・草加」。2018年に建物内外を刷新し、シェア農園や保育園、ドッグランを持つ賃貸住宅として生まれ変わりました。1800坪というゆとりのある敷地に、明るい黄色の2棟の建物があり、1LDK~2DKの全55戸で構成されています。ペット飼育OKで、1階に保育園があるなどの付加価値もあるため、2019年に取材したときも全室満室、ウェイティングリストができるほどの人気ぶりでした。

ハラッパ団地・草加の外観。前回取材時のときよりも、いっそう地域になじんだ印象です(写真撮影/嘉屋恭子)

ハラッパ団地・草加の外観。前回取材時のときよりも、いっそう地域になじんだ印象です(写真撮影/嘉屋恭子)

あれから3年、コロナ禍もあり、ライフスタイルや価値観、住まいに求めるものも変わったように思います。その後、「ハラッパ団地」はどうなっているのでしょうか。

「3年たった今でも全室満室が続いていて、空室がでたら入居したいという希望者がいらっしゃいます。家賃も維持、または一部で上昇しているんですよ」と教えてくれたのは、広報を担当する山本恵美さん。

長らく新築住宅が最良とされてきた日本では、築年数が経過するごとに家賃を値下げするのが当たり前、半世紀も経過すれば建物の価値はほぼなくなるといわれてきました。それが築51年以上たっても家賃が下がるのではなく、上昇するとは……。適切にリノベ、管理運営されていれば、建物は長持ちするだけでなく、賃貸住宅として価値を向上させることができると証明した格好です。

保育園があることから子育て世帯の入居希望が多そうですが、実際にはシングルや夫婦暮らしなど、幅広い世帯や世代が入居しているそう。
「子どもの声が聞こえる、ということが安心感につながっているようで、一人暮らしの人にも人気となっています」。子どもたちの声が、「あたたかさ」「安心感」につながるのは、住む人にとっても、子どもたちにとっても、とても幸せなことですね。

イベントの参加者には子どももいっぱい。親世代も明るい表情です(写真撮影/片山貴博)

イベントの参加者には子どももいっぱい。親世代も明るい表情です(写真撮影/片山貴博)

収穫体験にクッキングイベント。交流を生むコミュニティー運営

ハラッパ団地・草加は、農園やドッグラン、食堂などの「地域にひらく」施設も魅力のひとつでした。ただ、こうしたコミュニティー運営は人とノウハウ、時間、予算が必要になります。ましてやこの3年はコロナ禍。人を集める、人が集まるのが難しくなってきた背景もあります。運営はどのように変化したのでしょうか。

「2020年、緊急事態宣言もあり感染状況を考慮して食堂は閉店、ランドリールームなども検討しましたが、団地の人が集まれる場所をということで、コミュニティールームに変更しました。この場所は団地住民であればオンラインで予約・利用できます。お住まいの方は、テレワークやオンライン会議などの場所として使っているようです」と山本さん。地域住民に、集会所・サロンの開催場所として、貸し出しも行っています。

また、2021年12月よりこのコミュニティールームを使い、「味噌づくり」「ヨガ教室」「ピクルスづくり」などのコミュニティー運営を実施するようになったといいます。
「イベントの実施主体は、ハラッパ団地を管理するハウスコムとアミックスです。コミニティーマネージャーや撮影・運営スタッフなどがいて、団地の方と地域の方が、交流を深めていける試みをしています。イベントや畑の活動は今のところ月1回のペースで行っていて、毎回参加くださる方もいれば、スポットで初めてという人も。毎回、なごやかな雰囲気でできています」(山本さん)

ハラッパ団地のコミュニティー運営に携わっているみなさん。左から細越雄太さん(農業指導)、森永顕光さん(アミックス社員)、町田国大さん(コミニティーマネージャー)山本恵美さん(コミニティーマネージャー)、夏目力さん(ライター・撮影)(写真撮影/片山貴博)

ハラッパ団地のコミュニティー運営に携わっているみなさん。左から細越雄太さん(農業指導)、森永顕光さん(アミックス社員)、町田国大さん(コミニティーマネージャー)山本恵美さん(コミニティーマネージャー)、夏目力さん(ライター・撮影)(写真撮影/片山貴博)

11月は、10月に収穫したさつまいもを使ってのピザ窯での焼きいもとピザづくり、畑に玉ねぎの苗を植えるイベントを実施していました。参加者は筆者が想像していたよりも多く、なんと30人以上! 参加者は多くが未就学児~小学校低学年のお子さんと保護者の方々です。お天気はあまりよいとはいえない状況でしたが、子どもたちは広場や周囲をうきうきと走り回っていました。

11月に行われた焼きいもとピザ焼きの会。まずはみなさんでご挨拶。細越雄太さんが、今日の流れを説明します(写真撮影/片山貴博)

11月に行われた焼きいもとピザ焼きの会。まずはみなさんでご挨拶。細越雄太さんが、今日の流れを説明します(写真撮影/片山貴博)

さつまいもは紅はるかと安納芋、シルクスイートの3種類を用意して、食べ比べる計画。味の違いはわかるかな?(写真撮影/片山貴博)

さつまいもは紅はるかと安納芋、シルクスイートの3種類を用意して、食べ比べる計画。味の違いはわかるかな?(写真撮影/片山貴博)

洗ったさつまいもをアルミホイルで包んで……(写真撮影/片山貴博)

洗ったさつまいもをアルミホイルで包んで……(写真撮影/片山貴博)

ピザ窯のなかにいれます。焼き上がりは1時間程度……ワクワクです!(写真撮影/片山貴博)

ピザ窯のなかにいれます。焼き上がりは1時間程度……ワクワクです!(写真撮影/片山貴博)

セミパブリックだからこそできる! 団地の可能性

今回、イベントに参加された方々は、団地にお住まいという方もいれば、ご近隣にお住まいという方もいらっしゃいました。なかには、「実は先週、団地に引越してきたばかりなんです。イベント案内のチラシを見かけてすぐに応募しました。子どもたちが地域になじむきっかけになれば」という声も聞かれました。その後、焼きいもやピザづくりをしながら「何歳ですか?」「同じ学年だね~」と、お子さんや大人の会話が盛り上がっていました。まさに人と知り合う「きっかけ」、コミュニティーづくりになっています。

次は玉ねぎの苗を植えていきます。農業指導をしている細越雄太さんは、農業や食育に詳しく、自然と大人や子どもたちを引き込んでいきます(写真撮影/片山貴博)

次は玉ねぎの苗を植えていきます。農業指導をしている細越雄太さんは、農業や食育に詳しく、自然と大人や子どもたちを引き込んでいきます(写真撮影/片山貴博)

玉ねぎの苗は、淡路島の農家から譲り受けたもの。はじめはおっかなびっくりだった子どもたちもだんだん慣れていきます(写真撮影/片山貴博)

玉ねぎの苗は、淡路島の農家から譲り受けたもの。はじめはおっかなびっくりだった子どもたちもだんだん慣れていきます(写真撮影/片山貴博)

さすがだなと思ったのは、運営側が作業をするだけでなく、「どんな種類のさつまいもを焼くのか」「玉ねぎはいつできるのか」「ピザで好きな具」などの会話のとっかかりとなる「ネタ」を提供していることです。初めて会った人同士でも、「あるある~」「私は~」と自然と会話ができるようになっています。共同作業、なかでも食があると、人と人との距離はぐっと縮まりますよね。

ズラッと並んだピザの具材(写真撮影/片山貴博)

ズラッと並んだピザの具材(写真撮影/片山貴博)

苗を植えたあとはピザづくり。子どもたちも上手です(写真撮影/片山貴博)

苗を植えたあとはピザづくり。子どもたちも上手です(写真撮影/片山貴博)

準備ができたピザからピザ窯へ。マスク越しにも伝わる、うれしそうな顔!(写真撮影/片山貴博)

準備ができたピザからピザ窯へ。マスク越しにも伝わる、うれしそうな顔!(写真撮影/片山貴博)

焼きたてピザをきりわけてもらい、いただきます!(写真撮影/片山貴博)

焼きたてピザをきりわけてもらい、いただきます!(写真撮影/片山貴博)

大人も子どももにっこにこで幸せそう(写真撮影/片山貴博)

大人も子どももにっこにこで幸せそう(写真撮影/片山貴博)

ほっかほかの焼きいも! 品種によってほんのり色も違います(写真撮影/片山貴博)

ほっかほかの焼きいも! 品種によってほんのり色も違います(写真撮影/片山貴博)

他にも、イベントに参加している人に話を聞きましたが、「1階の保育園に通っていて、せっかくなので参加したいと思って」「近所のお友だちに誘われたので」という方が多いように感じました。

また、コロナ禍で思うように外出や遠出ができず、子どもと何かしたいと思っていたときにこのイベントを知ったという声も。
「自分で畑をやったり、ピザの準備をしたりするのは大変だけれど、近くでこんな体験ができるなんて! すごくありがたいです」というコメントもありました。

「コミュニティー運営に携わって7カ月ですが、交流イベントは今のところ8回開催し、累計100名が参加してくださっています。参加者の満足度も高く、次は何をやるんですか? という声も聞かれます。団地外の方からの参加者も多いですし、まさに交流の場所になっています。声を聞きながら、よりよい場所、よりよいコミュニティー運営を模索していきたいですね 」(山本さん)

細越さんは畑やコミュニティー運営を通して、「セミパブリック」の可能性を感じているといいます。「草むしりや苗植え、収穫など自然を通して、人々が交流し、距離感を保てる。『公』や『行政』でもなければ、完全な『私』でもない。ちょうど良い距離感をつくっていけたら」と言います。

コロナ禍では、地域や人との分断が進んだともいわれています。一方で、近くにある幸せや足元を大切にしたい、近所の人とゆる~くでも顔見知りになりたい、という思いは、静かですが確かにあるように感じます。近所づきあいや人とのかかわりを、軽やかにアップデートするために。令和の団地の挑戦はまだまだ続きそうです。

●取材協力
ハラッパ団地・草加

近所の農家と消費者が育むつながりが地域の心強さに。「縁の畑」が始めた”友産友消”とは?

朝10時半。北海道長沼町のスーパー「フレッシュイン グローブ」(以下、グローブ)の店先には新鮮な農作物が並んでいた。みずみずしい白菜、土のついた大根、真っ赤なりんご。開店と同時に、お客さんが続々と入ってくる。「縁の畑(えんのはた)」というグループの売り場だ。縁の畑は近隣の生産者と消費者が一緒になってつくる共同販売グループのこと。
農業が盛んな地域でも、その地で採れた野菜がそのままスーパーに並ぶとは限らない。多くが市場を通して売買されるためだ。
そこで、生産者と消費者、売り手が小さな流通のしくみを自分たちでつくり「近隣の野菜を地元で食べる」を実現する試みが始まっている。
エネルギーや食の供給が不安定になっている今の情勢下で、縁の畑の取り組みは、生産者と消費者が身近なところでつながり合う意味を教えてくれる。

地産地消の難しさ

この日、白菜を並べていた「ファーム鈴田」の鈴田圭子さんも、縁の畑のメンバーの一人。
「白菜って新鮮なほどおいしくて、採りたてはほんとに味が違うんです。それを食べる人たちにも知ってほしいなと思って」

「ファーム鈴田」の鈴田圭子さん(写真/久保ヒデキ)

「ファーム鈴田」の鈴田圭子さん(写真/久保ヒデキ)

「縁の畑」は長沼町の生産者農家23軒と消費者やこの取り組みを応援する14人による共同販売のチーム。個性ある農家が、地元の人たちに自分たちの野菜を食べてほしいと始めた活動だ。食べ手である消費者も、近隣の野菜を身近な場所で買えるのは心強いと、準組合員になって支援している。

国道沿いには道の駅があり、札幌など都市部から訪れる人たちで週末にぎわうが、長沼の中心部からは少し離れているため、地元の人たちからは少し遠い存在。

同じくきびきびと働いていた白滝文恵さんは、立ち上げメンバーの一人で、いま中心になって事務局をまわしている。

「地元で地元の野菜を買える場所は、長沼でも少なかったんです。例えば地元の農家さんと知り合って、いただいた野菜がすごくおいしくても、近くに買える場所がなくて。キュウリ2~3本を買うために直接農家を訪ねるのはハードルが高いですよね。ここで買えるようになって、すごく喜んでもらえました」

右から事務局の白滝さん、「ファーム鈴田」の鈴田さん、同じく事務局の保井侑希さん(写真/久保ヒデキ)

右から事務局の白滝さん、「ファーム鈴田」の鈴田さん、同じく事務局の保井侑希さん(写真/久保ヒデキ)

「地産地消」という言葉が生まれたのは1980年代(*)。地産地消が実現できれば、消費者は新鮮でおいしい野菜を入手でき、生産者にとっても身近な人たちに届ける喜びになり、少量の産品や規格外品も販売しやすくなるなどの利点もある。

(写真/久保ヒデキ)

(写真/久保ヒデキ)

ただ、直売所の普及や学校給食での地元野菜の使用が進むのに対して、小ロットを狭い地域のなかで流通するシステムは十分に整っているとはいえない。地元の小売店や飲食店がその地の野菜を安定的に仕入れたい場合、市場で買うか農家と個別に契約するほかない。

そこで農家と消費者、地元のスーパーの三者が協力して地元の人たちに届けようとするのが、「縁の畑」である。

縁の畑の組織図(提供:縁の畑)

縁の畑の組織図(提供:縁の畑)

小さな農協のイメージ

参加する農家はさまざまだが、みんなこだわりをもつ個性的な農家ばかり。JA出荷だけでなく直販もしていたり、農家の名前を表に出して売ることを大事にしている。

縁の畑の設立には、多くのメンバーがお世話になった、ある農家の離農がきっかけになっている。長年直販で農業を続けてきた農家だったが、ネット販売が主流になり、年配者には売り先を開拓するのが難しくなったことが理由にあった。何とか離農を防げないかと若手農家10軒ほどが集まって相談した。結局その農園はリタイヤすることになったのだけれど、新しい売り方をみんなで考えたことが会の設立につながった。

会長は、平飼い有精卵の養鶏農家「ファーム モチツモタレツ」の高井一輝さんが就任。ただし農家と消費者による共同運営、共同出資なので何でもみんなで決める。「縁の畑」という名前も、理念も規約も、スラックなどを使って、みんなで意見を出し合って決めてきた。

事務局の白滝さんは、以前北海道の有機農業組合の職員だった。そのため「縁の畑」の組織を考えるとき、小さな農協をつくればいいと発想したのだそうだ。

「会費を募って組合員によって構成されるイメージです。生産者は正組合員として一口1万円、消費者は準組合員として一口5千円。そのほか年会費が5千円です。ただし縁の畑はオーガニックにとらわれない、いろんな生産者の集まり。農薬を使っていても低農薬だったり、必要最低限、おいしいものをつくろうとされている農家さんがたくさんいますから」

白滝さんは長沼でお弁当屋を開いていたこともあり、地元には魅力的な農家がたくさんいることを知っていたという(写真/久保ヒデキ)

白滝さんは長沼でお弁当屋を開いていたこともあり、地元には魅力的な農家がたくさんいることを知っていたという(写真/久保ヒデキ)

「地元の農家さんを地域の人たちにも知ってほしいとずっと思ってきました。地産地消というより、私は『友産友消』と言っているんですが、友達がつくったおいしい野菜を、また友達に食べてもらうような感覚で野菜を流通できないかと考えたんです」

白滝さんはいつも穏やかに話す物静かな人だが、実は驚くほどの行動力の持ち主だ。5月には組織を発足。6月末からはスーパーでの販売も始まった。

地元スーパーの応援あってこそ

「縁の畑」の最大の特徴は、地元のスーパーに専用の売り場をもっていることだ。すでに地元に定着している商店に売り場をもってスタートできたのは大きいと白滝さんは話す。

「フレッシュイン グローブ」は、長年まちの人に愛されてきた中森商店が、数年前にリニューアルしてできたスーパー。今も店内には「秋の大収穫祭」「おいしいものは心に残るが安いだけでは残らず」など勢いのある手書きのポップが何本も下がる庶民派の店だ。魚売り場には尾頭付きの活きのいい魚が並び「市場」のような雰囲気がある。

長沼町の中心街にあるフレッシュイン グローブ。この日は月に一度の縁の畑のマルシェが店頭で行われている(写真/久保ヒデキ)

長沼町の中心街にあるフレッシュイン グローブ。この日は月に一度の縁の畑のマルシェが店頭で行われている(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイン グローブの店内。青果売り場の様子(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイン グローブの店内。青果売り場の様子(写真/久保ヒデキ)

その入口付近に、「縁の畑」専用の売り場がある。青果部の小野直樹さんは開始当初から縁の畑を応援してきた。

「うちの店は、もともと安さより『ほかに置いていないもの』『個性あるもの』を置くのが店の方針なんです。市場で仕入れるとどうしても収穫から日が経ってしまうけど、縁の畑さんは、採れたてのいい野菜をまとめて持ってきてくれるから大歓迎です」

フレッシュイングローブの入口すぐ脇に設置された「縁の畑」の売り場(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイングローブの入口すぐ脇に設置された「縁の畑」の売り場(写真/久保ヒデキ)

一般的にスーパーでは仕入れが安定せず、売り場に空きができるのを嫌う。でも小野さんは「空きができてもいいから、どんどん置いて」と言う。

「野菜は生ものなので、あるときはある、ないときはない。それでいい。そのほうが新鮮さが感じられるでしょう?売り場は活きがいいほうがいいんです」(小野さん)

フレッシュイン グローグ、青果部の小野直樹さん(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイン グローグ、青果部の小野直樹さん(写真/久保ヒデキ)

さらに縁の畑に売り場を貸すだけでなく、微に入り細に入り、売り方のアドバイスをしてくれるという。

「例えば、ビーツを置いたときは、小野さんからすぐに電話がかかってきて。真っ赤な茎の見たことのない野菜があるけど、これ何だかお客さんわかんないよねって。ポップつけようとか、ひな壇にしたほうがいいよ、など並べ方のアドバイスまでしてくれて。スタッフさんがみんな、細かく目を配ってくださるんです」(白滝さん)

なぜそこまで?と小野さんに聞いてみた。

「うちの狙いは、新しいお客さんを呼ぶこむことでもあるんです。実際、縁の畑さんの野菜を置くようになって若いお客さんが増えました。

それに地元の野菜といっても、実際に響くのは従来のお客さんの10人中2~3人というのが肌感です。でも関心のなかった人たちが『地元の野菜が増えたね』『見たことのない野菜がある』と気付くようになって、次第に関心をもつようになる。長沼産の野菜にブランドがつけば我々にとっても嬉しいことです」

(写真/久保ヒデキ)

(写真/久保ヒデキ)

食べる人の声

スーパーでの販売だけでなく、家庭向けの宅配「野菜のおまかせセット」も販売している。消費者として、準組合員になっている人はいま14名。なかには宅配の「野菜おまかせセット」を頼んでくれている人もいる。谷渕友美さんは縁の畑の立ち上げ時から、準組合員であり消費者として会の活動を支えてきた一人。

準組合員の谷渕友美さん(写真/久保ヒデキ)

準組合員の谷渕友美さん(写真/久保ヒデキ)

「縁の畑の農家さんにはママ友など知り合いも多いし、応援したい気持ちがあります。それにおまかせセットで野菜が届くのは楽しみでもあるんです。自分で買い物するとニンジン、玉ねぎ、じゃがいも……とオーソドックスな野菜ばかり買ってしまいますが、ボックスには旬の野菜が入っていたり、見たことのない野菜も入っていたりして料理のレパートリーが広がります」

谷渕さんは、一方で子どもたちに食育の取り組みを進める活動にも携わっている。「子どもの五感は一生の宝」という言葉が印象的だった。

「食に意識の高い人ばかりではないので、食の自給率とか『買い物に哲学を』みたいな話は誰にでも伝わる価値ではないです。安ければ安いほどいいって人は当然いますから。でもだから、グローブのような手に取りやすい場所で、近隣の野菜を販売されてる価値ってあると思うんです。ちょっと高くても野菜が新鮮で、それは買う人にも見た目で自然と伝わるものだから。見て食べて感じることができる。やっぱり野菜の味、全然違いますから」(谷渕さん)

食べる人と、つくる人が一つのチームになって、その輪の中で食べ物が供給される。入口はおいしさの共有かもしれないが、何かあったときの地域のレジリエンスにもなる話だろう。規模でいえば小さな輪でも、この輪があるのとないのとでは安心感が違う。

一方、ビジネス的な視点からいえば、地元で野菜を売っているだけでは厳しいため外にも打って出ている。隣町の道の駅への出荷もしているし、北海道で始まった「やさいバス」にも縁の畑として野菜を入れている。
地元の飲食店や小売店向けのライングループをつくり、その日出荷できる野菜の情報を送り、注文できるしくみになっている。

Instagramで見て都市部から買いにきたという人も(写真/久保ヒデキ)

Instagramで見て都市部から買いにきたという人も(写真/久保ヒデキ)

農家にとっての窓

北海道の夏は短い。できることはできるうちにと、6月の発足時からとにかく走り続けてきた。これから勉強会や生産者同士の技術交流会も検討している。

「夏にやれるだけのことをやって、冬に農家さんたちに時間ができたらじっくり反省会をしたいと思っています」(白滝さん)

3月に初めてみんなで集まったとき、農家の間からやってみたい事柄がたくさん挙がったのだという。野菜の販売だけでなく「食育の活動」「マルシェの開催」「勉強会や技術交換会」「農家体験」など、農家同士の交流や、発信、お客さんに働きかける内容のものも多かった。

佐賀井農園の佐賀井さんは、昨年よりお米の生産面積を増やし販路を開拓したいと考えていたところに縁の畑の話を知って参加。技術交流の取り組みを進めている(写真/久保ヒデキ)

佐賀井農園の佐賀井さんは、昨年よりお米の生産面積を増やし販路を開拓したいと考えていたところに縁の畑の話を知って参加。技術交流の取り組みを進めている(写真/久保ヒデキ)

アスパラガスやキュウリを栽培する坪井ファームの畑には、ハウスが22棟、緩やかな丘に続く傾斜地に立っていた。坪井さんのキュウリはグローブでもすぐ売り切れるほどの人気。夏の繁忙期には一日5000本、多い日には7000本のキュウリを収穫するという。妻の紀子さんは話す。

「夏は大忙しです。朝4時に起きて2時間収穫をした後、子どもたちを送り出して。直販だけではさばけないので、半分はJAを通して出荷しています。縁の畑に出す割合は全体からするとまだそれほど多くはないんですけど」

坪井ファームの坪井紀子さん(写真/久保ヒデキ)

坪井ファームの坪井紀子さん(写真/久保ヒデキ)

それでも、縁の畑の取り組みに参加するのはなぜなのだろう?

「朝ほんの数分ですが、子どもを送りがてらキュウリを届けると、ほかの農家さんたちがどんな品物を出しているんだろうと見られたり、ああこんな野菜もあるんだと小さな刺激を受けて帰ります。農家ってほんとに忙しくて、黙って仕事しているだけだと世界がすごく狭くなっちゃうんですね。農家同士の交流ももっとできたらいいなと思うし、勉強会とか、社会との接点になるって期待しています」

坪井ファームのキュウリはみずみずしくておいしい。地元でも人気(写真/久保ヒデキ)

坪井ファームのキュウリはみずみずしくておいしい。地元でも人気(写真/久保ヒデキ)

縁の畑の理念には、こんな言葉が載っている。

「食を通じて、土地と人とがつながりあい、人も社会も自然も健康でいられる小さな循環をつくること」

自然に向き合い、農業を続けることは生半可にはできない仕事だ。遠くへ運ぶだけでなく、地域で小ロットでも農産物が流通できるマイクロ物流が整えば、より環境負荷が少ない、またロスの少ないしくみができる。
縁の畑は、そのための小さくて大きな一歩かもしれない。

(*)地産地消とは、「農林水産省農蚕園芸局生活改善課が1981年度から進めた地域内食生活向上対策事業」のなかで用いられた「地場生産・地場消費」が略されて「地産地消」になったとされる。(「一般財団法人 地方自治研究機構」HPより)

●取材協力
縁の畑

コロナ後に地元を盛り上げたい人が増加。駄菓子屋やマルシェなど”小商い”でまちづくり始めてみました!

コロナ禍でリモートワークやステイホームが浸透し、自分が住む地域に目を向ける機会が増えている。地元のまちづくり活動を目にして、参加してみたいと思う人もいるのではないだろうか。これからは、住む街を選ぶという行為だけでなく、参加して変えていくことが、街との関係を考える上でのキーポイントになるかもしれない。全国の最新事例とともに、書籍『まちづくり仕組み図鑑』(日経アーキテクチュア編、日経BP 2022年9月発刊)の著者、早稲田大学教授の佐藤将之先生にお話を聞いた。

続くコロナ禍。身近な人やモノ、機会に目を向ける

佐藤先生の専門は建築計画・環境心理・こども環境。今年9月に、共著で『まちづくり仕組み図鑑』を上梓した。まちづくりに「無意識的」に参画できるような仕組みのポイントを解説しつつ、全国12の事例を取材・紹介して、新たな方向性を示した本だ。カラー写真や図が多く読みやすいので、まちづくりに興味がある人や、地元での楽しみ方を探している人は、ぜひ読んでみてほしい。

もともとは飲み友達だったという佐藤先生と安富啓さん(石塚計画デザイン事務所)、佐藤先生とはパパ友である馬場義徳さん(星野リゾートの海外事業グループユニットディレクター)の共著(写真提供/佐藤将之さん)

もともとは飲み友達だったという佐藤先生と安富啓さん(石塚計画デザイン事務所)、佐藤先生とはパパ友である馬場義徳さん(星野リゾートの海外事業グループユニットディレクター)の共著(写真提供/佐藤将之さん)

「すてきな偶然に出会ったり、予想外のものを発見したりすることを“セレンディピティ”といいますが、ビジネスにおいては、その偶然に“新たな価値を見出す能力”としてとらえられています。これは今回のテーマの一つであり、本の中でも、セレンディピティによって偶然の出会いを楽しみながらビジネスをするという、これからのまちづくりを紹介しています。

地元の会社と地域の人が連携して定期的にマルシェを開催する「DIY STORE三鷹」での事例(写真提供/佐藤将之さん)

地元の会社と地域の人が連携して定期的にマルシェを開催する「DIY STORE三鷹」での事例(写真提供/佐藤将之さん)

僕を含む共著の3人は、まちなどをプランニングする上で、プロセスを大事にしてきました。物理的環境に寄与したまちづくりではなく、本の中で“地元ぐらし”と呼んでいる暮らし方のような、『“身近なところに隠れているいろいろなもの”を大切にするまちづくりに、ビジネスの契機や幸運が埋もれているのでは? そして、それを逃している人が多いのではないか?』と考えたことが、この本を制作したきっかけです(佐藤先生、以下同)」

「自分が暮らす地域=地元」という認識があるなか、この本の中での“地元ぐらし”とは、単にその地域に住んでいる状態を指すのではなく、地域で出合う機会や人脈、地域のポテンシャルを活かしながら、楽しんでビジネスしている暮らし方という意味で使われる。

建築計画のほか、幼児や子どもが過ごす環境に関する研究も行う佐藤先生。『まちづくり仕組み図鑑』でも事例として紹介した「市民集団まちぐみ」(青森県八戸市)のTシャツを着こなす(写真提供/佐藤将之さん)

建築計画のほか、幼児や子どもが過ごす環境に関する研究も行う佐藤先生。『まちづくり仕組み図鑑』でも事例として紹介した「市民集団まちぐみ」(青森県八戸市)のTシャツを着こなす(写真提供/佐藤将之さん)

地元で相手の顔を見ながら、小さく始める

具体的には、コロナ禍が続く現在、まちづくりはどう変わっているのだろうか。

「コロナ以降のまちづくりのキーワードとしては、地元に目を向けることと、ビジネスを小さく始めるスモールスタートにチャンスがあるのではないかと思います。

スモールスタートの考え方は以前からありましたが、コロナ禍で人々が交流できなかったことの反動で、今は、人とのつながりの価値が高まり、リアルに会うことの大切さを、多くの人が実感しているのではないでしょうか」

そうなると、リアルに会いやすいのは地元で暮らす人であり、まずは地元で、顔の見える人たちを相手に小さく事業を始める、スモールスタートが向いている……といえそうだ。

「また、今は人を『“分ける”から“混ぜる”』に変化しています。昔は人口が増える社会だったので、人を『いかに分けるか』が課題でした。例えば、小学生がメインのイメージがある児童館において、首都圏では中高生用の児童館も誕生していた……、というように。でも人口が減少した今は、ニーズが低い用途の建物を単体で建てていては成り立たなくなり、『いかに混ぜてあげるか』が大事になっています。最近は、高齢者施設の入口に駄菓子屋が入っている例もあります。孤立しがちな高齢者とそのほかの人たちと混ぜるのはどうか?と考える動きが現れた、その一例です」

役目が広がる、現代の駄菓子屋の事例

さらなるキーワードを探して、具体的に事例を見ていこう。まずは、「ヤギサワベース」(東京都西東京市)という施設。グラフィックデザインのオフィスに駄菓子屋を併設して、デザイン業も拡大したという内容だ。

駄菓子がにぎやかに並ぶ「ヤギサワベース」の店内。壁のアートワークがカッコイイ(写真提供/佐藤将之さん)

駄菓子がにぎやかに並ぶ「ヤギサワベース」の店内。壁のアートワークがカッコイイ(写真提供/佐藤将之さん)

向かって左側が駄菓子売り場、右側の什器の仕切りの奥がフリースペース。子どもたちは駄菓子を食べたり宿題をしたりして自由に過ごす(写真提供/佐藤将之さん)

向かって左側が駄菓子売り場、右側の什器の仕切りの奥がフリースペース。子どもたちは駄菓子を食べたり宿題をしたりして自由に過ごす(写真提供/佐藤将之さん)

低層ビルの1階に位置し、駄菓子屋が営業を開始する午後には、子どもたちの自転車が集まってくる(写真提供/中村晋也さん)

低層ビルの1階に位置し、駄菓子屋が営業を開始する午後には、子どもたちの自転車が集まってくる(写真提供/中村晋也さん)

グラフィックデザイナーである中村晋也さんは、自身のデザイン事務所に併設する形で「ヤギサワベース」という駄菓子屋を始めた。駄菓子屋は参入障壁が低く、ビジネス構造も単純であることがわかったからだという。売り場の奥にはフリースペースがあり、子どもたちは自由に“たまる”ことができ、夜になると商店街の集会場所としても活用される。スペースを地域に開いたことをきっかけに、地元コミュニティーから本業のデザインの依頼も舞い込むようになったという。

「ヤギサワベース」がある柳盛会柳沢北口商店街の祭礼で、中村さんがポスターなどのデザインを担当(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」がある柳盛会柳沢北口商店街の祭礼で、中村さんがポスターなどのデザインを担当(写真提供/中村晋也さん)

中村さんは現在、西東京市で販売されているさまざまな商品のパッケージデザインなども担当し、地域でのネットワークを広げている。「ひばりが丘PARCO」や「ASTA」といった、市内の大型商業施設のデザインにも参画しているという。

自身のデザイン事務所に駄菓子屋を併設するスタイルは、地元での「スモールスタート」であり、人を「分けるから混ぜる」ことも含んだ事例だ。

西東京市のアンテナショップ「まちテナ 西東京」の責任者にもなり、店舗のデザインなども任されている中村さん。ここでも「まちづくり仕組み図鑑」が購入できるので要チェック!(写真提供/中村晋也さん)

西東京市のアンテナショップ「まちテナ 西東京」の責任者にもなり、店舗のデザインなども任されている中村さん。ここでも「まちづくり仕組み図鑑」が購入できるので要チェック!(写真提供/中村晋也さん)

「ひばりが丘PARCO」では、「西東京市カルタ展」の展示を担当(写真提供/中村晋也さん)

「ひばりが丘PARCO」では、「西東京市カルタ展」の展示を担当(写真提供/中村晋也さん)

佐藤先生によると、「そもそも、昔と比べて駄菓子屋の意味が変わってきています」とのこと。
「かつては、駄菓子屋といえばお菓子があり、子どもたちが集まっていました。でも近年は、子どもたちとそれ以外の人との交流の場としても活用されています」

「ヤギサワベース」のフリースペースでゲームなどを楽しむ子どもたち。遊び場に大人の目があるのは、親としても安心(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」のフリースペースでゲームなどを楽しむ子どもたち。遊び場に大人の目があるのは、親としても安心(写真提供/中村晋也さん)

現代において駄菓子屋は、多世代をつなぐ場としてのキーポイントに。以前SUUMOジャーナルでも紹介した、野田山崎団地にオープンした「駄菓子屋×設計事務所」の「ぐりーんハウス」の事例や、2022年度のグッドデザイン大賞を受賞した、店内通貨によって子ども食堂の役割を果たした奈良県の駄菓子屋「チロル堂」の事例も、駄菓子屋の新しい形といえそうだ。

地域の絆を大切に、スモールスタートで

ほかにも、地元に目を向けたスモールスタートの事例を2つ見てみよう。

「DIY STORE三鷹」(東京都三鷹市)は、東京の郊外でDIYショップを開く会社だ。地域連携の一環として、年2回、駐車場でマルシェを開催していることで、会社の認知度が向上し、住宅の改修工事の受注効果につながるなど、波及効果は大きいという。

マルシェに出店する手仕事の作家たちは、「DIY STORE三鷹」の店内でも、日常的に商品を販売することができる(写真提供/佐藤将之さん)

マルシェに出店する手仕事の作家たちは、「DIY STORE三鷹」の店内でも、日常的に商品を販売することができる(写真提供/佐藤将之さん)

「DIY STORE三鷹」を運営するTLSグループの本業はビルメンテナンス事業やリフォーム事業。コロナ禍で人々が自宅をリノベーションしたり、これまで目を向けていなかった地元のお店に行ったりする頻度が増えたというライフスタイルの変化に着目。DIYショップやマルシェの活動を通して、地域とのコミュニティーを形成した。

「DIY STORE三鷹」のマルシェは、アパートの駐車場スペースを活用して開催。小さなスペースだからこそ、出店者や来場者に活発なコミュニケーションが生まれているという(写真提供/佐藤将之さん)

「DIY STORE三鷹」のマルシェは、アパートの駐車場スペースを活用して開催。小さなスペースだからこそ、出店者や来場者に活発なコミュニケーションが生まれているという(写真提供/佐藤将之さん)

マルシェでは農作物を販売する市内の農家や、アクセサリーなどをつくって販売する近隣の造形作家、紙芝居屋さんやキッチンカーなどが集まる。2020年の初回から、1日当たり600人が来場したという。

「先日も、11月の初めの3日間、秋のマルシェが行われました。地元の人同士がつながるだけでなく、手仕事をしている人やDIYに関心がある人など、趣味の合う人がつながることがマルシェの強みです。出店を機に商談に発展することもあるほか、出店者同士のコラボなどが生まれています」

2021年11月に行われた、活況の秋のマルシェの様子(写真提供/佐藤将之さん)

2021年11月に行われた、活況の秋のマルシェの様子(写真提供/佐藤将之さん)

ビーズ編みや刺繍のアクセサリーを手掛ける地元作家の出店ブース(写真提供/佐藤将之さん)

ビーズ編みや刺繍のアクセサリーを手掛ける地元作家の出店ブース(写真提供/佐藤将之さん)

地元作家による手仕事の商品を前に、会話も弾む(写真提供/佐藤将之さん)

地元作家による手仕事の商品を前に、会話も弾む(写真提供/佐藤将之さん)

TLSグループの白石尚登代表は、マルシェスペース周辺のアパートを買取ってオーナーとなり、工作教室やシェアレンタルスペースとして貸出している。シェアレンタルスペースは日替わりで喫茶店やベーカリー、整骨院などになり、トライアルできるスペースと賃料によって、双方にメリットがあるという。

「DIY STORE三鷹」では、リノベーションしたアパートをシェアレンタルスペースとして喫茶店などに貸し出している(写真提供/佐藤将之さん)

「DIY STORE三鷹」では、リノベーションしたアパートをシェアレンタルスペースとして喫茶店などに貸し出している(写真提供/佐藤将之さん)

DIYを見学し、シェアレンタルスペースのカフェでくつろぐ学生たち。カフェスペースがあることで、ふらりと訪れた若者も覗きやすい仕組みになっている(写真提供/佐藤将之さん)

DIYを見学し、シェアレンタルスペースのカフェでくつろぐ学生たち。カフェスペースがあることで、ふらりと訪れた若者も覗きやすい仕組みになっている(写真提供/佐藤将之さん)

「スタジオ伝伝とArt&Hotel木ノ離」(岐阜県郡上市)は、岐阜県の郡上八幡に移住した建築家の藤沢百合さんが、スタジオの設立後、ゲストハウス「Art&Hotel木ノ離」を開業。“地元ぐらし”の場とした例だ。郡上八幡の2拠点に、住民や観光客が気軽に訪れる場をつくることで、出会いや持続的な関係を生み出す。

建築設計事務所「スタジオ伝伝」は、縁側に立ち寄って座れるようにしつらえている(写真提供/佐藤将之さん)

建築設計事務所「スタジオ伝伝」は、縁側に立ち寄って座れるようにしつらえている(写真提供/佐藤将之さん)

「スタジオ伝伝」のエントランスは引き戸にして開放し、地域に対してオープンに(写真提供/佐藤将之さん)

「スタジオ伝伝」のエントランスは引き戸にして開放し、地域に対してオープンに(写真提供/佐藤将之さん)

小さくビジネスを試してみて、周囲の反応を見ながら少しずつ成長させた藤沢さん。東京に設計事務所を残しつつ、郡上で空き家再生などの建築活動が根付いてから、オフィスを立ち上げた。そして定期清掃やお祭りの準備など、地域活動にも積極的に参加していた結果、「木ノ離」となる物件の大家とつながり、トライアルからゲストハウスを始めた。

「無理せず段階を経てビジネスを発展させていく、スモールスタートの例です。やりたいことを周囲に話しておくと、誰かしらが助けてくれたりするもの。藤沢さんが『空き家でゲストハウスをやりたい』と周囲に話したことで幸運を呼び込んだ、セレンディピティの例でもあります」

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

高齢男性のパワーと“複業” がキーワード

それでは、これからのまちづくりのポイントは?

「一つ目は、高齢者マンパワーに期待することですね。なかでも、退職後の高齢男性は、地元に肩書なしで付き合える仲間や居場所がないことがあり、1日中冷暖房の効いた公共施設で時間を潰している例を聞きました。活動のポテンシャルが活かされていないと感じています。高齢男性が無意識的に参画することができて、知らず知らずのうちに地域活動で躍動するような場や仕組みを提供できるなら、そこにビジネスチャンスがあるのでは」

女性は近所付き合いや自治会、子どものPTA活動などを通して、地域と接点があることが多いが、世代的に仕事人間だった高齢男性は、リタイア後に孤立しがちなようだ。
 
高齢男性のパワーを活かせるような地域での居場所や雇用方法を考えることが、これからキーワードの一つだ。

「二つ目は、“副業”というより“複業”を考える時代ということです」
通信・情報環境の進化や企業の副業解禁、働き方改革などの追い風で、“複業”は身近になっている。

「今はさまざまな人が、多彩な仕事や役割を担うことができます。『ヤギサワベース』における駄菓子屋のように、複業は自分の中で稼ぎ頭ではなくても、本業へ人々を引き込む力がある場合も」

子どもたちでにぎわう「ヤギサワベース」。大人にとっては懐かしい空間だ(写真提供/中村晋也さん)

子どもたちでにぎわう「ヤギサワベース」。大人にとっては懐かしい空間だ(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」ではワークショップも開催。この日は「好きな駄菓子を描く」がテーマ。イラストを見ると、それ自分も好きだった!と言いたくなる(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」ではワークショップも開催。この日は「好きな駄菓子を描く」がテーマ。イラストを見ると、それ自分も好きだった!と言いたくなる(写真提供/中村晋也さん)

今後の暮らし方でいえば、今住んでいる場所だけでなく、多拠点生活や移住も注目を集めている。移住先で“地元ぐらし”をするために心掛けることは?

「今回、書籍で扱った人たちの中には移住組も多いのですが、まず地元の人と一緒に作業に取り組んだり、顔なじみをつくってから生業を始めたりするなどのポイントがありました。周囲の人を無意識的に巻き込んで、共に楽しむことができれば、移住した先でも、地元ぐらしがうまくいくのではないでしょうか」

「地元ぐらし」「スモールスタート」「分けるから混ぜる」「副業から複業へ」など、現代のまちづくりや暮らし方のキーワードには、どれも納得。

筆者も地元が好き。ただこれまでは、「地元」を強調すると、その地で生まれ育っていない人が疎外感を覚えるのでは……と考えていたけれど、必ずしもそうではなさそう。そのまちを愛し、地域の人の役に立ちたいと考えて動き、楽しんでいたら、それは地元ぐらしであり、そこはもう「地元」になるのだ。

●取材協力
・早稲田大学人間科学学術院教授 佐藤将之先生
・まちづくり仕組み図鑑

古い市営住宅が街の自慢スポットに変貌! 周辺地価が1.25倍になったその仕掛けとは? 「morineki」大阪府大東市

大阪市中心部から電車でおよそ20分。JR四条畷駅から住宅街を東へ歩くと、飯盛山を背に広がる芝生広場に面して、垢抜けたカフェやショップが並ぶ複合施設に辿り着く。芝生では子どもたちが駆け回り、カフェの客席は若い女性客を中心に埋まっている。よく見れば、周囲に馴染む外観の木造低層住宅も近くに並んでいる。実はここは、大阪府大東市の市営住宅エリア「morineki」の一角だ。ここは今、住民だけでなく市内外からも人が集う画期的な市営住宅として注目を浴びている。

古い市営住宅を民間主導で地域のために開発する

かつてこの一体には昭和40年代に建設された市営住宅「飯盛園第二住宅」があった。しかし2010年代に入り、同団地は老朽化が進み、大東市役所では建て替えが議論されていた。「当時は古びた建物とほとんど使われていない公園があり、活気のある場所とはいえなかった」とその頃の様子を語るのは、現在morinekiを運営する(株)コーミン 代表取締役の入江智子さん。

当時の飯盛園第二住宅の様子(写真提供/(株)コーミン)

当時の飯盛園第二住宅の様子(写真提供/(株)コーミン)

当時、入江さんは大東市役所で建築技師として勤務していたこともあり、市営住宅の建て替えに直接関わることになる。「これまでのような市営住宅ではなく、住民の生活の向上に加え、近隣住民も喜ぶような施設、そしてエリア全体の価値が上がるものにしたい」と入江さんは自らの考えを上司へ訴えた。幸いにしてその考えは当時の部長や市長からも理解を得られ、新たなプロジェクトとして進み出す。

ちょうどその頃、岩手県紫波町では、町が保有する駅前の土地を民間企業が再開発して、年間約80万人が訪れる場所へと変貌させた「オガールプロジェクト」が注目を集めていた。入江さんは、同プロジェクトから再開発のヒントを得るため、2016年に9カ月間現地で研修を受けることにした。

そこにあったのは、かつて塩漬けされていた土地に、体育館・図書館、産直マルシェやカフェ、さらにホテルや住宅分譲地などが並び、多くの人が行き交うまちの賑わいだった。「町有地を公と民が連携して開発し、運用して儲けていくというオガールプロジェクトで学んだ手法を、大東市にも活かすことにしました」と入江さん。

写真(上)は現在のmorinekiの全景。地図(下)を見ると民間事業エリア、公園エリア、住宅エリアの3つに分かれているのがわかる(写真・画像提供/(株)コーミン)

写真(上)は現在のmorinekiの全景。地図(下)を見ると民間事業エリア、公園エリア、住宅エリアの3つに分かれているのがわかる(写真・画像提供/(株)コーミン)

市営住宅借り上げとテナントリーシングで融資元から信頼を得る

2016年、大東市が出資した「大東公民連携まちづくり事業株式会社(現(株)コーミン)」が設立され、入江さんは出向という形で翌年から籍を置き、プロジェクトを推進していく。社長は当時の市長ながら、民間企業事業ゆえ事業資金は税金に頼らず、銀行などの金融機関から融資してもらわねばならない。「住宅を市営住宅として大東市が借り上げること、さらにテナントを先付けすることで、銀行の信用度が上がったと思います」

縁あって、北欧のライフスタイルをテーマにしたアパレル会社「(株)ノースオブジェクト」が、大阪市からの本社移転という形でテナントに決まったのが、大きかった。同社にとっても本社機能だけでなく、ライフスタイルショップ、レストラン、ベーカリーなどの直営店を営業することで、自社をPRするショールーム的な使い方ができるメリットがあった。

テナント入居と融資のメドが立った2018年、入江さんは大東市役所を退職。市長に代わり、大東公民連携まちづくり事業株式会社の代表取締役に就任する。そして2021年3月、「大東に住み、働き、楽しむ、ココロとカラダが健康になれるまち」をコンセプトにした「morineki」がオープン。名前は近くの飯盛山の「森」と河内弁で「近く」を意味する「ねき」をつなぎ合わせた。それには「自然のそばで暮らしを営むことに愛着を感じて欲しい」という思いを込めた。

1階はノースオブジェクト直営のベーカリーなどが入り、2階は本社事務所がある(写真/藤川満)

1階はノースオブジェクト直営のベーカリーなどが入り、2階は本社事務所がある(写真/藤川満)

ノースオブジェクト直営のレストランと(株)ソトアソが運営するアウトドアショップも入居している(写真/藤川満)

ノースオブジェクト直営のレストランと(株)ソトアソが運営するアウトドアショップも入居している(写真/藤川満)

「もりねき住宅」と名付けられた住宅エリア、2~3階建の低層木造住宅だ(写真/藤川満)

「もりねき住宅」と名付けられた住宅エリア、2~3階建の低層木造住宅だ(写真/藤川満)

賑わいが生まれることで住民の意識も変化する

かつての市営住宅は144戸に80世帯が暮らしていた。現在の住宅エリアには1LDK44戸、2LDK30戸の74戸に60世帯がそのまま移り住んだ。新規入居者は14世帯。その後、市外からの転入者も含め5~6戸の入居者が入れ替わったという。

住宅棟はゆとりをもって配置され、広い中庭部分には芝生や木々が植えられ、ゆったりとした散歩道のよう。「以前よりも住民みんなでキレイにしていく意識が高まった」と語るのはとある住民。実際、建物のセミプライベート空間は、住民によって、思い思いの花々が飾られ、景観に彩りを与えている。「パン屋が近くにできて、早速行きつけになりましたよ」とうれしそうに語る高齢女性にも出会った。

また芝生広場で子どもと遊んでいた女性は「以前は暗い感じだったけど、今は子どもとよく遊びに来ます。同世代も多く、この広場で子ども同士が一緒に遊ぶことで交流が生まれました」とも語る。市外から友達を訪ねてmorinekiに食事に来た夫婦は「こんなにおしゃれな住宅が市営住宅と聞いて驚いた。子育て世代にはいい環境だと思う」とうらやましがる。

「かつての住民に加え、子を持つ若い夫婦の姿も増えました。それにより住民同士の緩やかな『見守りあい』も生まれつつあります。子育て世代のステップアップのための舞台にしてほしい」と入江さんは、もりねき住宅の活用方法を示す。

住居前は住民が使い方を考えられるセミプライベート空間(写真/藤川満)

住居前は住民が使い方を考えられるセミプライベート空間(写真/藤川満)

企業とタッグを組むことが新たなまちづくりの一助となる

ノースオブジェクトのスタッフの一人は「大阪市内からさほど遠くない。取引先のお客様も商談だけでなく、ショップやレストランにも足を運ばれ、滞在時間が長くなることで、商品や会社への理解を深めてもらえるようにもなりました。また、ここで月一回のイベントを開催することで、直接お客様の声を聞くことができるようになったのは貴重です」と本社移転による効果を実感しているようだ。

広々としたノースオブジェクトのオフィス。取引先が家族を連れてmorinekiに足を運ぶこともあるという(写真/藤川満)

広々としたノースオブジェクトのオフィス。取引先が家族を連れてmorinekiに足を運ぶこともあるという(写真/藤川満)

「元々この周辺は、住民だけで外からの交流人口がゼロでした。morinekiができたことで、わざわざ訪れる人が増えました。近隣にある中学・高校・大学の学生たちもアルバイトやイベントに足を運んでくれ、新たな人の流れになっています。さらに近隣の既存施設が改装したり、新たなショップが開店したりと、まち全体が活性化しつつあります」と手応えを感じている入江さん。実際、周辺地価はかつてより1.25倍になったという。

月一回のノースオブジェクト主催のイベントのほか、エリア全体でのイベントも開催している(写真提供/(株)コーミン)

月一回のノースオブジェクト主催のイベントのほか、エリア全体でのイベントも開催している(写真提供/(株)コーミン)

高度成長期に次々と建てられた公営団地。それからおよそ50年経ち、各地で建て替えが議論されている。また公営住宅の中に公園がある施設も多いが、誰もが足を運べるような開放感はなく、さらに人が集える地域の場所としても機能していないところが多い。その成功例としてmorinekiにも全国各地から多くの自治体が視察に訪れる。しかしmorinekiのような新たな公営住宅は、なかなか誕生していない。
「自治体によって民間が公営住宅を建てることは、難しさもあると思います。ただ戸数を減らして公園スペースを確保したり、その公園に面してテナントを入居させ収益を上げるなどは、工夫をすればできないことはないはず。morinekiの場合は本社移転がプロジェクトに加わりましたが、ほかにも新業態の出店候補地として提案したり、企業に掛け合ってみれば可能性が見えてくるはず」と入江さんは自らの経験に基づいたアドバイスをする。

公民連携という手法で、公営住宅の新たな姿を示してくれたmorinekiが、今後どのように発展していき、周辺を含めた大東市がどのように変化をしていくのか、興味深く見守っていきたい。

(株)コーミン 代表取締役であり、morineki住宅の大家さんとして住民の声に耳を傾ける入江智子さん(写真/藤川満)

(株)コーミン 代表取締役であり、morineki住宅の大家さんとして住民の声に耳を傾ける入江智子さん(写真/藤川満)

●取材協力
(株)コーミン
(株)ノースオブジェクト

昭和街角の情緒を伝える名物賃貸群「大森ロッヂ」。コロナ禍経て深まる住人同士の“ゆるやかなつながり” 東京都大田区

昭和の趣が残る「大森ロッヂ」(東京都大田区)は、住む人や地域の人がゆるやかにつながり、コミュニティが醸成される場所です。2009年以降に順次リノベーションされた8棟の住宅のほか、長屋式店舗兼用住宅「運ぶ家」が竣工・営業開始したのが、2015年6月。当時の様子はSUUMOジャーナルでも紹介しました。今年(2022年)4月には、新たに、一戸建てをリノベーションした「笑門の家」(しょうもんのいえ)が完成。コロナ禍を経て変わったこと、時流が変化しても変わらない思いについて、住民の皆さんや大家さんに伺いました。

石畳の路地の脇に黒壁の長屋が並ぶ。ドアやサッシは一部差し替えたが、中にはもう手に入らない昭和のガラス戸もある(画像撮影/桑田瑞穂)

石畳の路地の脇に黒壁の長屋が並ぶ。ドアやサッシは一部差し替えたが、中にはもう手に入らない昭和のガラス戸もある(画像撮影/桑田瑞穂)

縁台に飾られた鉢植の草花。緑が黒壁に映える(画像撮影/桑田瑞穂)

縁台に飾られた鉢植の草花。緑が黒壁に映える(画像撮影/桑田瑞穂)

コロナ禍に深まる閉塞感への疑問から生まれた、人とつながる「笑門の家」

京急線・大森町駅から歩いて2分、にぎやかな往来から一本入ると、右側に懐かしい佇まいの木塀と木戸でできた大森ロッヂの「ともしびの門」が見えてきます。前で迎えてくれたのは、大家の矢野一郎さんと住民で管理人もしている山田昭二さん。木戸を開けてもらうと、敷地内には昭和の風情を感じる路地があり、路地を挟んで、黒壁の長屋が並んでいます。昭和30~40年代に建てられた木造アパート群の古いものを活かしてリノベーションした賃貸住宅です。

矢野さん(左)と山田さん(右)。大森ロッヂの玄関口である「ともしびの門」の前で(画像撮影/桑田瑞穂)

矢野さん(左)と山田さん(右)。大森ロッヂの玄関口である「ともしびの門」の前で(画像撮影/桑田瑞穂)

大森ロッヂに新しく加わった「笑門の家」は、通りに面したところにあり、温室のような吹抜けの窓が特徴的です。

通りから見える「笑門の家」。古谷デザインに依頼し、木造2階建ての古い住宅をリノベーションした(画像撮影/桑田瑞穂)

通りから見える「笑門の家」。古谷デザインに依頼し、木造2階建ての古い住宅をリノベーションした(画像撮影/桑田瑞穂)

「笑門の家」の計画は、2020年春、コロナ禍ではじまりました。

「コロナ禍では、人の自由が奪われて非常に孤立化してしまったという印象を受けました。テレワークもはじまりましたが、感染流行が拡大するなかで、世の中がどんどん閉鎖的になっていくことに疑問を感じていました。人間が生活する上でいちばん大切なものは、社会の状況に影響されない根源的な部分にあるはずです。それは、家に帰ったらリラックスしてゆったりした気持ちでいたいこと。必要なのは、家族や職場以外の誰かとのふれあいだと思いました。高気密で狭いところへ人を押し込めずに、誰かと接しようとすれば接することのできる機会を提供したいという思いがありました」(矢野さん)

「ゆるやかに人と交流できる家に」というコンセプトで、敷地に立っていた昭和の民家をリノベ―ション。設計を担当した古谷デザインから提案されたのは、一部をガラス張りの吹抜けにして半外部化するアイデア。「開いていく・創造していく場所にふさわしい」と考えた矢野さんは採用を決め、2022年4月に「笑門の家」が完成しました。

建物の一部が吹抜けのガラス張りで温室のような構造になっている(画像撮影/桑田瑞穂)

建物の一部が吹抜けのガラス張りで温室のような構造になっている(画像撮影/桑田瑞穂)

人を招きよせる「笑門の家」。地域とつながる交流拠点に

「笑門の家」に入居し、事務所兼住居として使っているのは、デザイン会社「グラグリッド」の三澤直加さんと尾形慎哉さんです。もともと恵比寿を拠点に仕事をしてきましたが、会社の移転を考えていたころ、新型コロナウイルス感染症の流行が重なりました。

「笑門の家」に引越して「地に足がついた生活ができている」という三澤さん(左)の言葉に頷く尾形さん(右)(画像撮影/桑田瑞穂)

「笑門の家」に引越して「地に足がついた生活ができている」という三澤さん(左)の言葉に頷く尾形さん(右)(画像撮影/桑田瑞穂)

「笑門の家」に引越して「地に足がついた生活ができている」という三澤さん(左)の言葉に頷く尾形さん(右)(画像撮影/桑田瑞穂)

古い欄間や梁を活かしてリノベーション。アール型の小上がりを見たとき「どう使うかワクワクしました」と三澤さん。すぐにワークショップのイメージが膨らんだ(画像撮影/桑田瑞穂)

「コロナ禍の影響で、人と繋がりたくてもリモートワークが増えて、知っている者同士しか会えなくなってしまいました。恵比寿のオフィスビルから離れて、大きく生活を変えたいと思うようになったんです。面白い場所に住み替えたいと探していたところ、『笑門の家』に出合い、『これだ!』と思いました」(三澤さん)

「笑門の家」で生まれたアイデアの数々。「関わりしろはどこまで大きくできるのか?」という発想からオープンなザクロ収穫祭の企画へとつながった(画像撮影/桑田瑞穂)

「笑門の家」で生まれたアイデアの数々。「関わりしろはどこまで大きくできるのか?」という発想からオープンなザクロ収穫祭の企画へとつながった(画像撮影/桑田瑞穂)

「ビルの四角い部屋では出ない発想ができるかもしれないと感じたんです。大森ロッヂにコミュニティがあることを知り、住民の方や地域とのつながりで、ワークショップをするなどして、一緒にデザイン活動ができるのではないかというイメージが湧いて。交流(ワークショップ)ができる温室と、集中して仕事ができる2階があり、ほしかった条件がそろっていました。地域の人とつながりあって、実験しながら、やりたいことを実現できるのではないかと思いました」(尾形さん)

2022年6月に引越してから、庭にあったザクロを収穫し、ジュースをつくるイベントを開催。大森ロッヂに住んでいる人や近隣の子ども達も参加しました。尾形さんが非常勤講師を務める専修大学の学生たちと、大森に昔からある産業の廃材を使ってランタンをデザインするワークショップも行い、手ごたえを感じた二人は、いずれテーマを決めて語り合う「笑門の会」をつくりたいと夢を語ってくれました。

引越したとき、庭の隅に咲いていたザクロの花が実ったので催した収穫祭(画像提供/グラグリッド)

引越したとき、庭の隅に咲いていたザクロの花が実ったので催した収穫祭(画像提供/グラグリッド)

「見たことのなかった赤い花がザクロの実に変わっていくのに感動しました」と三澤さん(画像撮影/桑田瑞穂)

「見たことのなかった赤い花がザクロの実に変わっていくのに感動しました」と三澤さん(画像撮影/桑田瑞穂)

ルビーのような実を取り出し、つぶして、ジュースに(画像提供/グラグリッド)

ルビーのような実を取り出し、つぶして、ジュースに(画像提供/グラグリッド)

ふすま屋さんの廃材を使ったランタンづくりのワークショップ(画像提供/グラグリッド)

ふすま屋さんの廃材を使ったランタンづくりのワークショップ(画像提供/グラグリッド)

ふすま紙などを再利用して独創的なランタンが生まれた(画像提供/グラグリッド)

ふすま紙などを再利用して独創的なランタンが生まれた(画像提供/グラグリッド)

「『笑門の家』というネーミングが絶妙なんですよね。人を招くような、不思議な言葉の力があります。名を体現するような使い方ができればいいな。我々のつながりから、周辺の人もつながって、集まった人の話の中から、プロジェクトやイベントのアイデアが自然に発生する。新しいことが生まれるエンジンとしてこの場所を使っていきたいです」(尾形さん)

ワークショップのあとは、小上がりが語らいの場になる(画像提供/グラグリッド)

ワークショップのあとは、小上がりが語らいの場になる(画像提供/グラグリッド)

アトリエ付住宅「ひらめきの家」や店舗兼用住宅「運ぶ家」のその後

大森ロッヂには、長屋群のほか、通りに面したアトリエ・中庭付の2階建て集合住宅「ひらめきの家」や前回の取材時(2015年)に新築された店舗兼用住宅「運ぶ家」があります。

「ひらめきの家」は、店舗として使えるアトリエが通りに面してあり、奥が住居になっている(画像撮影/桑田瑞穂)

「ひらめきの家」は、店舗として使えるアトリエが通りに面してあり、奥が住居になっている(画像撮影/桑田瑞穂)

「旅する茶屋」を訪ねると、吹抜けの明るい空間に、茶香炉から良い香りが漂っています。オーナーで日本茶ソムリエの津田尚子さんは、もともと大森ロッヂに住んでいましたが、「ひらめきの家」に空室が生じることになり、住み替えをして、店舗を構えました。

中庭の緑が見える店内でお茶を淹れる津田さん(画像撮影/桑田瑞穂)

中庭の緑が見える店内でお茶を淹れる津田さん(画像撮影/桑田瑞穂)

美しい茶器に注がれるのは八女の白折という日本茶。体調に合わせたおすすめ茶をオーダーすることもできる(画像撮影/桑田瑞穂)

美しい茶器に注がれるのは八女の白折という日本茶。体調に合わせたおすすめ茶をオーダーすることもできる(画像撮影/桑田瑞穂)

「『旅する茶屋』という名前のとおり、店舗を持たず旅先でお茶をたてるワークショップをメインに活動していたのですが、まわりの人に勧められて、タイミングも合ったのでやってみようと思いました。近くの小学生が『ただいま』と声をかけてくれたり、旅で留守にしていて帰ると『閉まっていたけど、どうしていたの?』近所の人が心配してくれたり。地域の風景になりつつあるのかな」(津田さん)

「旅する茶屋」のお隣さんは、2020年から絵画工房と絵画教室を営む「アトリエウォボ」。講師を務めるのは、写実絵画の描き手である油彩画家の宮原俊介さんです。

「住居と一体でありながら、居住スペースとは別に絵を描く場所がほしかったので、条件に合う物件を探して『ひらめきの家』にたどり着きました。教室には、年代も職業もさまざまな人が通ってきます。いずれ、大森ロッヂのギャラリーで生徒たちのグループ展をしたいです」(宮原さん)

写真のように見たまま描いている印象のある写実絵画だが、宮原さんは「見た時の印象を誇張して表現しているので印象画だと思っています」と語る(画像撮影/桑田瑞穂)

写真のように見たまま描いている印象のある写実絵画だが、宮原さんは「見た時の印象を誇張して表現しているので印象画だと思っています」と語る(画像撮影/桑田瑞穂)

壁にかけられた宮原さんの作品。描かれた人物や動物の目力に圧倒される(画像撮影/桑田瑞穂)

壁にかけられた宮原さんの作品。描かれた人物や動物の目力に圧倒される(画像撮影/桑田瑞穂)

「アトリエ ウォボ」の中庭から隣にあるタイル工房「fuchidori」の作業風景が見えていた。クリエイター同士の距離が近いのもお互いの刺激になるのかもしれない(画像撮影/桑田瑞穂)

「アトリエ ウォボ」の中庭から隣にあるタイル工房「fuchidori」の作業風景が見えていた。クリエイター同士の距離が近いのもお互いの刺激になるのかもしれない(画像撮影/桑田瑞穂)

タイルでつくった「fuchidori」の看板がかわいい。「世界の街角を彩る装飾タイルの楽しさを多くの方と共有したい」という思いから、絵付けワークショップを不定期で開催している(画像撮影/桑田瑞穂)

タイルでつくった「fuchidori」の看板がかわいい。「世界の街角を彩る装飾タイルの楽しさを多くの方と共有したい」という思いから、絵付けワークショップを不定期で開催している(画像撮影/桑田瑞穂)

前回の取材時(2015年)に建築された店舗兼用住宅「運ぶ家」は、その後、どのように使われているでしょうか。「運ぶ家」は、貸駐車場借主の退去で空いたスペースに新築されましたが、「ただ建てるのではなく、住む人と建築家とみんなで一緒につくりあげたい」という矢野さんの思いが強く反映された建物です。

「運ぶ家」の2階で蚤の市(不定期)が開かれたときの様子(画像提供/大森ロッヂ)

「運ぶ家」の2階で蚤の市(不定期)が開かれたときの様子(画像提供/大森ロッヂ)

「借主は、建築費や設計料がいくらかわからないまま、家賃が決められていますよね。事業収支をオープンにして、設計段階から入居者、設計者、施主が、あたかも自宅を建てるようなプロセスを踏んだら、きっと場所への愛着も増すのではという気持ちもありました」(矢野さん)

「運ぶ家」に建築当時から関わった入居者のうち、コムロトモコさんはカフェ兼カバンのギャラリー「yamamoto store」を、もうひとりは、「たぐい食堂」を営んでいます。入居者が職住一体でなりわいをもつことができる「ひらめきの家」と「運ぶ家」。「地域に開かれた場所になって、街や大森ロッヂの活性化につなげたい」という矢野さんの思いを体現する場所になっています。

「運ぶ家」1階の「たぐい食堂」では、和定食やおにぎりが食べられる(画像提供/大森ロッヂ)

「運ぶ家」1階の「たぐい食堂」では、和定食やおにぎりが食べられる(画像提供/大森ロッヂ)

日替わりのプレートランチなどを提供するyamamoto store。店内には、店主が手掛けるカバンブランド「aof-kaban-shop」も営業している(画像提供/大森ロッヂ)

日替わりのプレートランチなどを提供するyamamoto store。店内には、店主が手掛けるカバンブランド「aof-kaban-shop」も営業している(画像提供/大森ロッヂ)

場が人を呼び、人とのつながりが価値になる門を入った路地に面してあるノスタルジックなポスト(画像撮影/桑田瑞穂)

門を入った路地に面してあるノスタルジックなポスト(画像撮影/桑田瑞穂)

大森ロッヂの案内図。住居のなかに「かたらいの井戸端」や「はぐくむ広場」など交流できる場所が設けられている(画像提供/大森ロッヂ)

大森ロッヂの案内図。住居のなかに「かたらいの井戸端」や「はぐくむ広場」など交流できる場所が設けられている(画像提供/大森ロッヂ)

現在、大森ロッヂには、15世帯が暮らしています。入居者募集に関しても、矢野さんは、不動産会社任せにするのではなく、自分で入居希望者に会って話を聞くことにしています。入居基準は、「大森ロッヂが好きな人」。長屋の家賃は新築並みで設備も古いですが、納得してくれる人が集まっています。矢野さん主催のイベントは、餅つきや新酒を楽しむ会など年2回ほどですが、住民発案で路地の広場で飲み会が催されることも。イベントは、コロナ禍のため中断していましたが、この11月にやっと再開することができました。

「借りて住む価値はひとりではつくり出せないものなんですよ。お金さえあれば、家は買えますが、周辺は買うことができません。人とのつながりが価値になる。場が人を呼び、自然と街に開かれていけばいいと思っています」(矢野さん)

大家業を通じ、入居者の人生に関わってきた矢野さん。「この仕事は、人間を愛する気持ちが大事」と話す時の優しいまなざしが印象に残っています。これからも、大森ロッヂは、古き良きものを活かしながら、新しいものを生み出す場として育まれていくのでしょう。

●取材協力
・大森ロッヂ
・株式会社グラグリッド
・旅する茶屋
・アトリエウォボ
・fuchidori
・たぐい食堂
・yamamoto store

“人口減少先進地”飛騨市、移住者でなく「ファン」を増やす斬新な施策!お互いさま精神で地域のお手伝いサービス「ヒダスケ!」

岐阜県の最北端に位置する飛騨市は、アニメ映画『君の名は。』のモデルとしても知られる景観が美しいまち。一方で、人口減少率が日本の30年先を行く、まさに「人口減少先進地」でもある。そんな人口減少の状況を「止められないもの」として真正面から受け止め、取り組んでいる。

令和4年度に、「地域を越えて支え合う『お互いさま』が広がるプロジェクト『ヒダスケ!』」が見事、「国交省まちづくりアワード」第1回グランプリを受賞! 飛騨市役所の上田博美さんと、飛騨市地域おこし協力隊の永石智貴さんにお話を聞いた。

飛騨市を推す人たちを“見える化“するファンクラブが原点

2004年に2町2村が合併して誕生した岐阜県飛騨市。飛騨高山が観光地として知られる高山市や、合掌造りで有名な白川村と隣接し、人口は2万2549人(2022年12月1日現在)、高齢化率は40.05%となっている。

「ヒダスケ!」誕生の前には、「人口減少先進地」としての課題解決のために、「飛騨市に心を寄せてくださる方を見える化しよう」と設立された「飛騨市ファンクラブ」の存在があった。

飛騨市役所の上田さんは話す。「飛騨市は、2015年からの30年で、全国平均の倍のスピードで人口減少すると予測される過疎地域です。現在、すでに2045年の日本の高齢化率を上回っているという現状があります。一方で、2016年に公開されたアニメ映画『君の名は。』で、聖地巡礼に来てくれる人たちが増えました。それ以外にも、スーパーカミオカンデで知られ、古川まつりはユネスコ無形文化遺産に登録されています。これまでも、観光などで飛騨市に来てくださる方などの存在に気づいていましたが、名前などがわからず、連絡を取ることができませんでした。そこで、飛騨市に心を寄せてくださるファンの方を見える化して、直接コミュニケーションが取れる仕組みを構築しようと考え、2017年1月に『飛騨市ファンクラブ』を立ち上げました」

飛騨市ファンクラブ「ファンの集い」の様子。前列中央は都竹淳也飛騨市長(写真提供/飛騨市役所)

飛騨市ファンクラブ「ファンの集い」の様子。前列中央は都竹淳也飛騨市長(写真提供/飛騨市役所)

「飛騨市ファンクラブ」の入会金や年会費は無料で、入会すると会員証や、希望者にはオリジナル名刺がもらえる。さらに、市内の対象施設で利用できる会員限定の宿泊特典や、市内の協力店舗でおトクに飲食や買い物ができるクーポンの配布も。また、飛騨のグルメを味わいながらのファンの集いやバスツアーなどに参加できることも大きな魅力だ。現在、会員は1万200人を突破している。

イベントを開催しながら会員と交流すること約3年。
「『スタッフとしてイベントをお手伝いさせてください!』と、わざわざ遠方から飛騨市へ足を運んでくださる会員さんが何人も現れたのです。そこで、この方達は、地域と関わる“関係人口”だといえるのではないか?と気がつきました」と上田さん。

「このような方達はどのようにして生まれ、またどのくらいいるのか」を検証するために、1年がかりで実験や研究を実施。その中で、「関係人口に関わるアンケート」を全国5000人を対象に行った。

「するとアンケートの結果から、関係人口と移住への興味は、必ずしもイコールではないことがわかりました。また、関係地となる地域へは、長期的な滞在よりも、1度訪れたことがあるかどうかが重要であることや、その地域で『嬉しかった・楽しかった』、また『役に立った』という経験が、愛着度を高める要因であることもわかりました」
その結果や実験を踏まえて誕生したのが、「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」だった。

飛騨市+お助け=「ヒダスケ!」。困りごと解決のマッチングサービス「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」のトップ画像

「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」のトップ画像

2020年に誕生した「ヒダスケ!」は、飛騨市内にあるさまざまな困りごとを交流資源として、その困りごとに対して地域内外の人の力を借りて、楽しく交流しながら課題解決し、支え合いを生み出すというマッチングサービスだ。

ヒダスケとヌシの関係図(画像提供/飛騨市役所)

ヒダスケとヌシの関係図(画像提供/飛騨市役所)

「ヒダスケ!では、プログラム主催者を“ヌシ“、参加者を“ヒダスケさん“と呼んでいます。“ヌシ“のお困りごとを、事務局と“ヌシ“が相談しながらプログラム化していき、ネットで参加者を公募します。“ヒダスケさん“は自分が関わりたいプログラムに申し込み、現地またはオンラインで“ヌシ“を助けて、“ヌシ“は“ヒダスケさん“に“オカエシ“します。例えば、農作業を手伝ってもらったら、終わってからお茶菓子を一緒に食べて交流したり、オカエシに農産物を差し上げたりします。また、飛騨市や高山市、白川村で使える“さるぼぼコイン “という電子地域通貨500円分もお渡ししており、ヒダスケ!が終わった後も、飛騨のお店でお買い物や飲食を楽しむことができます。ボランティアや体験ツアーとの違いは、オカエシがもらえるということ以上に、地域の人と楽しく交流し、つながる体験ができることが大きいと思います」と上田さん。

2020年4月から2022年10月までに162プログラムを行ってきた「ヒダスケ!」。ホームページの「プログラム一覧」を見ると、たとえば「稲刈り」や「棚田の草取り」など、飛騨市の「困りごと」が並ぶ。毎年11月ごろには、雪が降る前に、街中の川にいる約2千匹の鯉を溜池に引越しさせるプロジェクトもある。

関わることができるジャンルもさまざまで、「農業編」や「景観保全作業編」、オンラインで参加できるプログラムなどがあり、興味や特技を生かして参加できそうだ。

川にいる鯉を網などですくい、水槽に移して、軽トラックで溜池へ運ぶ(画像提供/飛騨市役所)

川にいる鯉を網などですくい、水槽に移して、軽トラックで溜池へ運ぶ(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシに、トマトを受け取るヒダスケの人達(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシに、トマトを受け取るヒダスケの人達(画像提供/飛騨市役所)

飛騨市を愛し、交流を求めて「ヒダスケ!」する参加者たち

もともと、前身の「飛騨市ファンクラブ」に入っていて、その流れで「ヒダスケさん」になった人も多いという。

参加者は、東京都や愛知県、石川県など各地から訪れる。多くは40代から60代で、長期の休みには、高校生や大学生も訪れるという。遠方では、ベルギーから日本へ働きに来ていた人が、休日を利用して参加し、ビニールハウスを建てる作業を楽しんだこともあるという。また、コロナ禍と重なり、一時期は岐阜県内からの参加者を募った時期もあったそう。

地元の高校生が発案した、高校生×ヒダスケのコラボ企画。池田農園で薪割りとミニトマトの収穫(画像提供/飛騨市役所)

地元の高校生が発案した、高校生×ヒダスケ!のコラボ企画。池田農園で薪割りとミニトマトの収穫(画像提供/飛騨市役所)

池田農園で薪割りのお手伝いをする高校生(画像提供/飛騨市役所)

池田農園で薪割りのお手伝いをする高校生(画像提供/飛騨市役所)

「ヒダスケ!」は現地集合・現地解散。それでも、「そこまでして飛騨市を愛してくれる方々が、ヒダスケさんになってくれています」とのこと。

「交流を求めて参加する皆さんは、『農作業が好きだから楽しかった』とか、『ヌシから、自分の生活範囲では聞けないような話が聞けてよかった』と言ってくれます。一緒に農作業したヌシの熱い思いに触れて、ヌシや飛騨市のことが好きになり、その人から農作物を買うなど、ヌシへの応援を続けてくれるヒダスケさんもいますし、参加者同士が仲良くなって連絡を取り合い、次回は一緒に参加するなど、輪を広げているというケースも耳にします」

「けさ丸りんご園」では、りんごあめのラベルやリーフレット作りのプログラムも実施(画像提供/飛騨市役所)

「けさ丸りんご園」では、りんごあめのラベルやリーフレット作りのプログラムも実施(画像提供/飛騨市役所)

「楽しく交流しながら支え合いを生み出す」という当初の理念通り、全国各地に助け合いの輪が広がり始めている。

魅力維持の原動力に繋がった、ヌシ側の心の変化

それでは、迎えるヌシ側の心境はどうなのか。ヌシになる人を探したり、ヌシと一緒にプログラム内容を考えたりする、飛騨市地域おこし協力隊の永石さんにお話を聞いた。

「ヒダスケ!のプログラムは、工夫次第でどんな内容でもつくることができますが、しばらくは、ヌシになることに対して敷居の高さを感じている人が多かったようです。飛騨市の人はおもてなしの精神が強いだけに、『自分でできることなのに手伝ってもらうのは申し訳ない』と思ってしまったり、オカエシをプレッシャーと感じてしまったりしていたのです。そこで、僕たちが住民の皆さんと直接話し、雑談の中からお困りごとを見つけるようにしました」

子どもたちもお手伝いした障子張り(画像提供/飛騨市役所)

子どもたちもお手伝いした障子張り(画像提供/飛騨市役所)

「各地から人を呼んで、わざわざ日常のことを頼んでいいのか」と躊躇してしまう住民たちに寄り添い、根気強く話し、推進してきた。

「もちろん、外の人を受け入れるヌシ側も、ヒダスケさん達をただの労働力だと思っていては意味がありません。取り組みを理解してもらうまでには、時間がかかると思いますが、住民が外の人と交流しながら作業することで、関係人口についても考えてもらえればいいですね」

自然と共存する飛騨市では、農作業を含め、数限りない大小の困りごとがあるものの、ちょっとしたことであれば「頑張れば自分でできる」と踏ん張る高齢者が多いという。そんな時、永石さんは「できなくなってから手伝ってくれる人を探しても遅いから、今から始めよう」と伝えているという。

収穫期の稲刈りは人気のプログラムの一つ(画像提供/飛騨市役所)

収穫期の稲刈りは人気のプログラムの一つ(画像提供/飛騨市役所)

例えば『高齢になり、大きな荷物を捨てに行くことができない』というようなお困りごともOKです。農家の畑の雑草取りを“エ草サイズ“と名付けて、参加者にエクササイズ感覚で作業してもらったこともあります」

飛騨市役所の上田さんも話す。「地域外の方を受け入れる人たちの気持ちにも、ヒダスケ!などの取り組みを通して変化が現れてきているように思います」

好例が種蔵(たねくら)地区だ。全国的にも珍しい、石積みの棚田が広がる種蔵地区では、80代のお年寄りも鍬(くわ)を担いで急勾配を上り下りし、農作業を行っている。

ヒダスケ!によって青々としたミョウガ畑が復活した種蔵地区(画像提供/飛騨市役所)

ヒダスケ!によって青々としたミョウガ畑が復活した種蔵地区(画像提供/飛騨市役所)

種蔵地区はミョウガが特産品の1つだが、高齢化により休耕地となってしまう農地もある。そこでヒダスケ!を活用し、「myみょうが畑」としてオーナーを募集。ミョウガ畑の草刈りや間引き、収穫などを行った。それにより、これまでに953平米ものミョウガ畑が復活することになった。

「ヒダスケ!に限らず、さまざまな人や団体が種蔵地区と関わり、景観の維持ができただけでなく、そこに住む人々の気持ちにも前向きな変化が現れています」

飛騨市を愛するヌシたちを助け、交流するために参加する人も多い(画像提供/飛騨市役所)

飛騨市を愛するヌシたちを助け、交流するために参加する人も多い(画像提供/飛騨市役所)

また、ヒダスケ!をきっかけに、地域の内外での往来や助け合いが自然と生まれるようになったという。さらに、プログラムに参加した移住者と地域の人がつながる仕組みとしても機能しているとのこと。

困りごと解決から魅力を発掘し、地域力アップ

2022年12月時点のヒダスケ!人数は1487名。
「来てくれたからには、ヒダスケ!参加者に楽しんでほしい」と話す永石さん。内容により、参加者の集まりにばらつきがあるので、今後はどんな企画を用意して、どのように広報していくかが課題だという。

「今後は、古民家の修繕や改装などを考えています。地域の人が困っていることは、募集していること以外にもいろいろあるので、内容は何でも、その都度合わせていければ。また、これまでは日にちを指定して、参加者に申し込んでもらっていましたが、これからは『この1カ月で作業できる日は?』と幅を持たせて呼びかけ、人が集まりやすい日にプログラムを実施するなど、やりたい人に合わせていく方法も考えています」と永石さんは計画を語る。

20代から60代までが三又鍬を使って「田おこし」を実施(画像提供/飛騨市役所)

20代から60代までが三又鍬を使って「田おこし」を実施(画像提供/飛騨市役所)

上田さんも話す。
「関係人口を形成する方達との関わりは、地域の人を元気にするチカラがあると思います。地域の人にとっては当たり前に感じていたことも、ヒダスケ!を通して魅力だと認識できるので、ここに住んでよかったと思い、守り続けようという気持ちにも繋がっていくはずです。これからも、飛騨市でまだ眠っている困りごとと共に、魅力を掘り起こして、関係人口を増やしていきたいです」

また、「こういった助け合いは、飛騨市だからできることではなく、どの地域でもできること」と上田さん。すでに「ヒダスケ!」を参考に、島根県で「しまっち!」というマッチングシステムが運用されている。

島根県のマッチングシステム「しまっち!」のロゴ

島根県のマッチングシステム「しまっち!」のロゴ

「最終的には、ヒダスケ!のようなシステムがなくても、助け合いが自然と生まれるような社会になれば。人口が減っていく中でも、関係人口との関わりで地域が元気になることが理想です」と上田さんは結んだ。

移住する「定住人口」とも観光に来た「交流人口」とも、違う形で地域と関わる“関係人口“。興味を持った地域があれば、誰でもいつでもどこからでも、関係を深めにいくことができるはずだ。

農作業のオカエシで、「さるぼぼコイン」500ポイント分をゲット!(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシで、「さるぼぼコイン」500ポイント分をゲット!(画像提供/飛騨市役所)

筆者の父の郷里も飛騨地域。オンラインでの取材後、映画『君の名は。』を見直すと、祖父母も使っていた飛騨弁が懐かしかった。そういえば祖父母が他界して以来、飛騨を訪れる機会や理由は減ってしまった……。

そこで考えたのは、「生まれた場所に関わらず、多くの人が、全身でリフレッシュできるような心のふるさとを持ちたいものでは」ということ。とはいえ、どの地域を選んだらいいかわからない。こちらが勝手に「心のふるさと」に決めていいものか……!? そんな迷いを、お互いさまであるヒダスケ!の仕組みが払拭してくれそうだ。

全国のヌシたちは、あなたとの関係づくりを、きっと待っている。

●取材協力
・ヒダスケ!
・飛騨市役所

東京・北品川、築90年の古民家群をリノベした「SHINAGAWA1930」。親子カフェや熟成酒専門店などでまちの拠点に成長中

日本有数のターミナル駅である品川駅にほど近く、かつての東海道五十三次の宿場の一つ、品川宿の雰囲気が色濃く残る北品川エリア。今と昔が共存する、そんな北品川を象徴するかのような複合施設「SHINAGAWA1930」が2022年6月にグランドオープンした。戦前に建てられた古民家をリノベーションしたこの建物は、地域の新たな交流拠点として人や地域とのつながりをどのように生み出しているのだろうか。

かつて品川宿のあった北品川の街並み

品川駅から京急本線で一駅の北品川駅。品川駅からも徒歩圏内ながら、高層ビルが立ち並ぶ品川・港南エリアとはうって変わり、北品川本通り商店会には古き良き宿場町の雰囲気が残る。

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

江戸時代に整備された旧東海道は、現在の東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ街道だ。道中の53の宿場は「東海道五十三次」として歌川広重の浮世絵などでも知られている。その1つめである品川宿は、人々が行き交う「江戸の玄関口」としてにぎわっていた。

そんな旧東海道の名残を見せる商店街を横切り、八ツ山通りの十字路に出ると目に入ってくる2階建ての木造建築物が複合施設「SHINAGAWA1930」。1930(昭和5)年に建てられたとされる古民家をリノベーションしている。

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

同施設は、1棟2階建ての計5棟構成。ソーシャルカフェや親子向けのコワーキングスペース、古酒と熟成酒の専門店といったバラエティ豊かなテナントが入居し、残りの2棟は建築事業を行う企業がオフィスとして利用している。

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

建物の裏には品川浦が広がり、屋形船や釣船が停まる船溜まりを見ることができた。

(写真撮影/阿部夏美)

(写真撮影/阿部夏美)

「一度壊したら、もう戻らない」風景を引き継ぐ新施設

北品川にある古い民家の家並みは、品川区の生活・歴史・風土を伝える風景「しながわ百景」に選ばれたこともあったが、民家の減少により、現在では「失われた百景」に数えられている。

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

SHINAGAWA1930の前身の建物は、このエリアの再開発を見越して京急電鉄が取得していた。これからどう活用していくのか。取り壊して駐車場にする案も挙がるなか、京急電鉄のグループ会社でリノベーション事業を行う株式会社Rバンクの清水麻里さんに相談が持ちかけられた。

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

「築90年を超える古民家が5棟全て残っているのは珍しい。壊すのは簡単ですが、一度壊したらその風景はもう戻りません。建物の歴史を引き継ぎながら地域のためになる新しいことをやりたい、という思いがありました」(清水さん)

町の歴史と立地の特徴から、人々の交流が生まれる場所として古民家を再生してはどうか。2019年、清水さんを中心として運営事務局が立ち上がる。

改修費用の一部はクラウドファンディングで募った。物件の改修工事は京急電鉄が行い、内外装の一部はDIY。柱や梁を生かし、窓ガラスやサッシは一部をそのまま使う。外壁は損傷が激しくほぼ交換したが、元の雰囲気を壊さないように注意を払ったという。

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

クラウドファンディングの支援者や地域住民など、改修を手伝った人は述べ150人以上。「偶然通りがかった人が興味を持って壁を塗ってくれる、なんてこともありました」と清水さん。「何か手伝えることはないか」と、近くに住む人が施設のプロモーション動画を制作してくれたこともあった。

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

清水さんは、施設のすぐ裏にある民家に戦前から住んでいる女性と時々話すそう。

「戦時中、あたりに爆弾が落ちてもこの一角だけは焼けなかったのだとか。石畳は、都電品川線が廃止された時にみんなで石をもらって敷いたと聞きました」(清水さん)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

そうして時代を生き抜き歴史を紡いできた建物が、人々の出会いの場として続いていく。

新型コロナウイルスの感染拡大により、入居テナントが完全な状態で営業できなかったり、イベントが開催直前に中止になってしまったりと影響を受けながらも、2021年1月からテナントが順次オープン。2022年6月に施設全体のグランドオープンを迎えた。

昼夜を通して人が集まるソーシャルカフェ

A棟の1階にはソーシャルカフェ「PORTO(ポルト)」が入り、2階は多目的スペースとして使われている。

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

ソーシャルカフェというコンセプトの通り、昼はカレーやお好み焼きなど曜日ごとに異なる飲食店が営業。夜は日替わりで、美容師やダンサー、ゲストハウスのオーナー、デザイナー、会社員など多様な職種の人が1日店長として店に立つ。

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

2階は時間制で場所を貸し出し、鍼灸院やヨガのレッスン、学習塾などに活用されている。PORTOで食事する人の背後を学習塾に通う小学生が元気に階段をかけのぼっていく光景も見られるそう。

取材時にランチ営業していたのは、スリランカカレーなどを提供する「カレーと紅茶 ミカサ」。昼時の店内は近隣のオフィスワーカーでにぎわっていた。

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

店主の茨木直子さんは北品川エリアについて、「昔ながらの小さな店が地域を支え合っている雰囲気に惹かれた」と話す。当初は飲食をやるならオフィス街でと考えていたが、コロナ禍により生活様式は一変。住民の生活に根ざしたまちに注目するようになったという。

「実は私の店は5日前に営業を始めたばかり。ここで経験を積みながら、北品川の人とふれ合う時間をつくっていきたいです」(茨木さん)

子育て世代のつながりの場をつくる

C棟に入る親子向けの「ママプラスカフェ」は、子連れ歓迎のコワーキングスペースとしても利用できる。もちろんパパも歓迎で、週末は家族での来店も多いのだとか。

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

2階では、ママ講師によるヨガやピラティスのレッスンなどさまざまなイベントを開催。

「同じくらいの月齢の子がいると、親同士の交流は生まれやすいですよね。イベントの参加者同士が意気投合して、後日一緒にカフェに来店することもあります」と店長の森田健吾さん。カフェでは赤ちゃんが隣の人の席に遊びに行ってしまい、それがきっかけで親同士が仲良くなることもあるのだとか。

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

カフェメニューに使う野菜は北品川本通り商店会の青果店で仕入れることで、商店街の人にも店を知ってもらえるようになった。「商店会で紹介されたから来てみた」というお客さんもいる。

「小さい子を育てていると、子ども以外とのつながりがどうしても断たれがち」と森田さん。この店に来ることで、社会との接点を断つことなく子育ての期間を楽しく過ごしてほしいと話す。

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

時代を感じる店内で酒を楽しむ「体験」を提供

B棟「いにしえ酒店」店主の薬師大幸さんは、前店舗の移転先を探していたタイミングでSHINAGWA1930のオープン情報をキャッチ。古民家をリノベーションした物件は店のコンセプトにぴったりで、「物件情報を見て即連絡した」という。

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

日本酒を寝かせた古酒・熟成酒を販売しているが、薬師さんは「ただ酒を売ることだけが目的ではない」と話す。「マーケットが小さいジャンルなので、まずは知って、味わって、体験してもらいたい」と、店内の商品は全て有料試飲することができる。

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

2階の「いにしえLABO」では、日本酒ナビゲーターによるセミナーや、自分好みのペアリングを探す「チーズと熟成酒の会」などを開催。日本酒「車坂」の杜氏を招いて3時間ひたすら語ってもらう会や、苔の専門家をゲストに苔を眺めながら飲む「苔と熟成酒」など、個性的なイベントも企画している。

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「見たり聞いたり、自分で組み合わせを試して味わったり。この店での体験を通して、古酒・熟成酒のことを深く知ってほしい。ただ商品を買って帰るだけでは、なかなかそうはなりませんから」(薬師さん)

肩肘張らない地域の雰囲気を感じながら働く

E棟とD棟をオフィスとして使うのは、BIMという技術で木造建築に関わる業務の効率化を推進する株式会社MAKE HOUSE。

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

オフィスのしつらえは社員みんなで考え、梱包材をカバー代わりにするソファやパイプを使ったテーブルを置く。およそオフィスという雰囲気はなく、ゆったりと働けそうな印象を受けた。

もう1棟は、実証実験の会場になっていた(期間限定のため現在は終了)。社員数の増加に伴い、今後はオフィスとして使うという。

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

移転前は品川駅付近にオフィスを構えていた同社。社員の岩田剛士さんは「今のオフィスは肩肘張らずにいられる」と話す。

「品川と北品川では、だいぶ雰囲気が違いますね。以前は高層ビルのワンフロアで働き、昼食は主にキッチンカーで買っていましたが、今は商店街やリーズナブルなごはん屋さんが近くにあるし、PORTOさんで食べることもあります。都市部でありながら、こぢんまりとした雰囲気が気に入っています」(岩田さん)

SHINAGAWA1930のこれから

建物の完成からグランドオープンまで、1年半をかけて少しずつまちにひらいてきたSHINAGAWA1930。施設としては町内会と商店会に加入しており、清水さんは「コロナの状況が落ち着いたら、商店会と連携した企画を進めるなど、もっと地域と関わっていきたい」と話す。

最近は、1人でふらっと遊びに来た地元の子どもが施設を気に入り、後日親子で再訪してくれることもあったそう。そんなゆるやかさが北品川ののんびりとした雰囲気にマッチし、人と人とが出会うきっかけを自然に生み出しているのかもしれない。

●取材協力
SHINAGAWA1930

マンションで農業はじめました! 空き地の整地からスタート、防災・コミュニティづくりの新機軸に 「ブラウシア」千葉市

「農業委員会、始めました!!」。マンションの広報誌にそんな見出しが躍ったのは今年6月。発行元は千葉県千葉市中央区千葉港にある「ブラウシア」だ。なぜマンションで農業を?理由を探るべく現地を訪ねてみると、そこではコミュニティと防災を見据えた今までにない取り組みが始まっていた。

玉ネギ1000個! 1000平米の畑で始まった本気の野菜づくり

千葉みなと駅から徒歩3分の「ブラウシア」は438戸の大規模マンション。なにかと話題になるのは、現役理事と“オブザーバー”と呼ばれる元理事が協力し合った管理組合のアグレッシブな活動だ。5年前、最寄りのバス停に空港行きリムジンバスの停車を誘致したのは、大きな実績の一つ。最近では千葉市で初となる事前決済式で待ち時間なしのキッチンカーを導入するなど、マンションにメリットのあることならどしどし取れ入れる“スーパー管理組合”なのである。

京葉線と千葉都市モノレールの千葉みなと駅からすぐの場所に立つ「ブラウシア」。竣工は2005年(写真撮影/一井りょう)

京葉線と千葉都市モノレールの千葉みなと駅からすぐの場所に立つ「ブラウシア」。竣工は2005年(写真撮影/一井りょう)

そんなマンションに新たに加わった活動が農業委員会だ。
まず驚いたのはその“本気度”。活動場所はマンションから車で15分ほどの遊休地。1000平米もの土地を借り、ホウレン草、春菊、玉ネギ、ジャガイモ、ナス、トウモロコシなど四季折々の野菜を栽培しているという。育てる量も半端なく、ジャガイモは種イモで50kg分、玉ネギはなんと1000個!

活動の様子はマンションの広報誌「ブラウシアニュース」6月号の表紙を飾り、「一緒に汗を流してみませんか?」と住民への参加も呼びかけている。

「野菜を自分でつくってみたい、土に触れたいなど活動を始めた理由はいろいろですが、とにかく楽しいんです」

こう話すのはメンバーの一人でオブザーバーの加藤勲さんだ。

「農作業は重労働ですが、リモートワークの運動不足解消やストレス発散にもってこい。作業後のビールのおいしさは格別ですし、もちろん、収穫したての新鮮な野菜を味わえるのも特権です。そうやって住民同士で一緒に畑で汗を流せば打ち解けやすく、連帯感も生まれます。コミュニティの醸成にもなることから、農業委員会という形で居住者なら誰でも参加できるようにしました」

「ブラウシアニュース」6月号の表紙(画像提供/ブラウシア管理組合法人)

「ブラウシアニュース」6月号の表紙(画像提供/ブラウシア管理組合法人)

初心者ばかりのメンバーで雑草が茂る土地を野菜畑に

ブラウシアでこの農園活動が始まったのは2021年の秋。きっかけをつくったのは「小湊鐵道」の社員であり、近隣のマンションに住む佐々木洋さんだった。

「畑として使っているのは弊社が所有する土地。将来的な沿線開発を見込んで購入していたのですが、諸般の事情で開発が進まず未活用のままだったのです。点在しているその土地を私が所属していた部署で管理していたのです」

佐々木さんが日ごろから頭を痛めていたのは雑草問題だ。放置された土地には雑草が茂り、その種が周りの畑に害を及ぼすことから、度々クレームが舞い込んでいた。

「1人でコツコツと草刈りをしていましたが、手作業なので1時間で刈り取れるのは車一台分のスペースがやっと。その場所で野菜づくりを始めました。畑として使えば雑草問題が解決できますから。ただ、1人でやるのには限界があって。私はブラウシアの近くのマンションに住んでいて、管理組合の活発な活動はよく知っていました。個人的な知り合いもいたので、『一緒に農園をしませんか』と話をもちかけました」(佐々木さん)

実は、小湊鐵道とブラウシアにはちょっとした縁もあった。小湊鐵道が運営するゴルフ場「長南パブリックコース」の法人会員にブラウシア管理組合法人として登録していたのだ。住民は会員料金で利用でき、マンションのゴルフコンペを開いたこともあったという。

突如、舞い込んだ農園の話だが、さすがスーパー管理組合、その後の動きは早かった。さっそく、理事会有志が畑候補地の視察に訪れ、翌月には加藤さんと前・副理事長の光藤智さんが農園活動のメンバーに立候補。佐々木さんを交えた3人体制のスタートとなった。
「手始めは土地の整備作業。みんなで雑草を抜いて整地をし、畝を立て、植え付けしてとやっていくうちに結束も固まりました」
と加藤さんは振り返る。

整地前の土地。生い茂る雑草を手作業で取り除いたそう(画像提供/ブラウシア農業委員会)

整地前の土地。生い茂る雑草を手作業で取り除いたそう(画像提供/ブラウシア農業委員会)

草刈りを終えた土地はご覧のとおり、まっさらに。ただし、この後に耕作の作業が待っている(画像提供/ブラウシア農業委員会)

草刈りを終えた土地はご覧のとおり、まっさらに。ただし、この後に耕作の作業が待っている(画像提供/ブラウシア農業委員会)

耕作中の一コマ。畑を丁寧に耕すことで元気な野菜が育つ。この日は自治会長など理事会の有志も助っ人として参加した(画像提供/ブラウシア農業委員会)

耕作中の一コマ。畑を丁寧に耕すことで元気な野菜が育つ。この日は自治会長など理事会の有志も助っ人として参加した(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農園活動がスタートして間もない畑の様子。ホウレン草や春菊などが栽培された(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農園活動がスタートして間もない畑の様子。ホウレン草や春菊などが栽培された(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農具などを置く小屋を使いやすい位置に移設するときの作業風景。酷暑のなか、理事会メンバーも大勢駆けつけた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農具などを置く小屋を使いやすい位置に移設するときの作業風景。酷暑のなか、理事会メンバーも大勢駆けつけた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

移設を終えた小屋。廃材を使って屋根や壁を補修し、雨風が凌げるように。貯水槽も移設できた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

移設を終えた小屋。廃材を使って屋根や壁を補修し、雨風が凌げるように。貯水槽も移設できた(画像提供/ブラウシア農業委員会)

農業委員会のメンバーは随時募集中で、今年4月からは光藤さんと同じく副理事長を務めていた今泉靖さんが加わって4人体制になった。

「といっても、まだ少人数なので細かいルールは設けず、何をどのくらい植えるかなどはその都度、話し合って決めています。活動日も特につくらず、それぞれが都合のつくときに行って作業をし、状況や活動結果はグループLINEで共有しています。気をつけているのは隣接する畑の耕作者とできるだけ良好な関係を維持すること。もちろん、土地の所有者である小湊鉄道さんの意向を汲むことも大前提です」(加藤さん)

聞けば、加藤さんはベランダ菜園はやっていたものの、本格的な農作業は初体験。ほかのメンバーも同様で、YouTubeで勉強したり、農作業の経験を持つ先輩たちに聞いたりしながら手探りで始めたそうだが、今ではLINEに専門用語が飛び交うほど詳しくなった。
そんな熱意もあって野菜づくりは順調に進行。収穫物はメンバーで分けても食べきれず、理事会などでお裾分けするなかで農業委員会の認知度はじわじわと広まっているそうだ。

畑に立つ農業委員会のみなさん。左から加藤さん、初参加の鈴木さん、光藤さん、今泉さん、小湊鐵道の佐々木さん。メンバー間で野菜の生育状況を日々共有・相談し合うなかで、経験値と知識を急速に向上させている(写真撮影/一井りょう)

畑に立つ農業委員会のみなさん。左から加藤さん、初参加の鈴木さん、光藤さん、今泉さん、小湊鐵道の佐々木さん。メンバー間で野菜の生育状況を日々共有・相談し合うなかで、経験値と知識を急速に向上させている(写真撮影/一井りょう)

畑に植える苗は各自ベランダで育成。愛らしい芽が伸びる様子に“萌える”メンバーも(写真撮影/一井りょう)

畑に植える苗は各自ベランダで育成。愛らしい芽が伸びる様子に“萌える”メンバーも(写真撮影/一井りょう)

目指すは公認サークル化。今後は農作業の体験会なども計画

農業委員会として、目下、目指してしるのは公認サークル化だ。
「農具や種の購入はメンバーの自費で賄っていますが、公認サークルになれば補助費を受け取れるので活動の幅を広げられます。今、計画しているのは植え付けや収穫などの体験会の開催。より多くの住民で畑作業を楽しむことができますよね。あるいは、採れた野菜をマンション内のイベントの景品にしたり直売をしたり。農園活動に参加できる機会を増やし、それを通じて住民同士のコミュニティをバックアップしていきたいと思っています」(加藤さん)

そんな活動の第一歩として、6月初旬には玉ネギとジャガイモの収穫体験が実施された。あくまでも試験的に催した会だが、小さな子どものいる2組の家族のほか、自治会長や元理事のオブザーバーなど総勢12人が畑に集結した。

まずは玉ネギの収穫作業からスタート。芽の部分を持って引き出すと、土のなかから丸々とした玉ネギが現れて、「楽しい!」「もっと採る!」と子どもたちはたちまち熱中し始めた。大人も「次はここを抜こうかな」「あ、こっちもあった」と口々に話しながらにぎやかに作業が進んでいく。

玉ネギは全部で1000個を栽培。赤玉ネギも植えられ「辛味が少ないからオニオンスライスにして食べると最高ですよ」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

玉ネギは全部で1000個を栽培。赤玉ネギも植えられ「辛味が少ないからオニオンスライスにして食べると最高ですよ」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

小2の娘さんと2歳の息子さんと参加したIさん。「コロナ禍で外に出る機会が少なかったので、久しぶりにいい汗をかきました」(写真撮影/一井りょう)

小2の娘さんと2歳の息子さんと参加したIさん。「コロナ禍で外に出る機会が少なかったので、久しぶりにいい汗をかきました」(写真撮影/一井りょう)

掘り出した玉ネギは畑の上でしばらく乾燥させた後、芽や根を切り落とす(写真撮影/一井りょう)

掘り出した玉ネギは畑の上でしばらく乾燥させた後、芽や根を切り落とす(写真撮影/一井りょう)

玉ネギをすべて掘り出したら、次はジャガイモの収穫だ。男爵イモやメークインなど4種類のジャガイモが植えられているという。
農業委員会のメンバーからレクチャーを受け、参加した子どもが茎を持って引き抜くと根のところにいくつものジャガイモが!
「抜いた周りも掘ってみて。まだまだあるよ」
との声に従い土を掘れば、ジャガイモがゴロゴロと出てきて大きな歓声が挙がった。宝探しのような楽しさに時間を忘れて収穫に励む参加者たち。子どもはもちろん、大人も童心にかえって土と戯れられるのは農園活動の魅力だろう。

こうして2時間ほどですべての収穫が完了。親子で作業した参加者に感想を訊くと、輝く笑顔でこんな答えが返ってきた。

「普段の生活で土に触れることはなかなかないので、こういう機会があれば参加してみたいと思っていたんです。子どもたちはすごく楽しそうでしたし、自分もリフレッシュできました」(Iさん)
「観光農園の収穫体験に参加したことはあるのですが、マンションで実施されていることにびっくり。作業しながら、同じマンションに住む人たちと交流をもてるのもうれしいですね。子どもの友達も誘ってまた参加したいです」(Mさん)

掘り立ての玉ネギとジャガイモはメンバーと参加者で分配したが、それでも余るほどの大豊作。筆者もお裾分けしてもらったが、つくった人たちの顔が浮かぶ新鮮な野菜はおいしさもひとしおだった。

畑から掘り出されたジャガイモ。1つの種イモから10個前後のジャガイモが収穫できる(写真撮影/一井りょう)

畑から掘り出されたジャガイモ。1つの種イモから10個前後のジャガイモが収穫できる(写真撮影/一井りょう)

全員でジャガイモを収穫中。「土の香りに癒されます」と顔を綻ばせるメンバーも(写真撮影/一井りょう)

全員でジャガイモを収穫中。「土の香りに癒されます」と顔を綻ばせるメンバーも(写真撮影/一井りょう)

Mさんは小4の息子さんと5歳の娘さんの3人で参加。好奇心旺盛な息子さんは大きなミミズを見つけて大喜びだった(写真撮影/一井りょう)

Mさんは小4の息子さんと5歳の娘さんの3人で参加。好奇心旺盛な息子さんは大きなミミズを見つけて大喜びだった(写真撮影/一井りょう)

災害時にはマンションに野菜を供出。防災面でも“頼れる農園”に

こうしてマンション内のコミュニティを育む農園活動だが、実はこの活動にはもう一つ、別の目的もある。それは防災だ。
加藤さんは5年前、管理組合下におかれた防災委員会で初年度から委員長を務め、防災活動に人一倍力を注いでいる。マンションが農園をもつことは災害時の強みになると力を込めていう。

「政令指定都市のなかで震度6以上の地震が今後30年以内に起こる確率が最も高いのが、僕らが住む千葉市と言われています。そのため防災体制の強化は管理組合の重要課題であり、防災委員会ではさまざまな施策を講じています。そのなかで話題に挙がるのは備蓄の問題。マンションとしての備蓄はスペースの点から難しく、世帯それぞれで水や食料などを確保してもらうのが大原則ではあるのですが、農園があれば多少なりとも食料の確保に役立つのではないかと。被災時には収穫物をマンションに供出しようと思っています」(加藤さん)

確かに災害で避難生活を余儀なくされたとき、畑にイモ類などの野菜があれば食料になり、炊き出しもできるだろう。育ちが早い葉物野菜なら避難生活を送りながら栽培することも可能だ。
「こうした考えに賛同して農業を一緒にしてくれる仲間が増えたら、新たに整地し、農地を広げることも考えています。そうすれば安心感はより高まるはずです。小湊鐵道さんの協力あってのことですが」(加藤さん)

6月初旬に収穫したジャガイモは段ボール3箱分!「備蓄しやすいイモ類は被災時も活躍するはず」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

6月初旬に収穫したジャガイモは段ボール3箱分!「備蓄しやすいイモ類は被災時も活躍するはず」と加藤さん(写真撮影/一井りょう)

夏に向けてトウモロコシもすくすく成長中(写真撮影/一井りょう)

夏に向けてトウモロコシもすくすく成長中(写真撮影/一井りょう)

もちろん、農園活動で育まれたコミュティも防災の大きな力になる。日ごろから住民同士が良好な関係を築いておけば、万が一のときにお互い助け合うことができるからだ。
特に今回、強く感じたのは畑で生まれるコミュニティの深さ。手足を土で真っ黒にしながら無心で作業をすると誰もが”素”に戻るからだろうか、人と人の心の距離がすーっと自然に近くなることを実感した。農作業を手伝い合ったり、収穫した野菜をみんなで集めて運んだりと共同作業が多いのも、交流を深めるよいきっかけになるだろう。

農園活動はどのマンションでも真似できるわけではないけれど、マンションコミュニティの新しい形が生まれていることは確かである。

●取材協力
ブラウシア管理組合法人

指先ひとつで渋谷を変える! アプリで参加「shibuya good pass」

100年に一度と言われる大規模な再開発が進む「渋谷」。筆者はそんな街に暮らして20数年が過ぎた。新しいビルが次々に建ち、駅へのアプローチが変わり、その変化についていけない気持ちになることがある。街のイメージと住民の間に大きなギャップが生まれそうだった。
そこに博報堂と三井物産が共同で進める、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」が進んでいると聞いた。すでにスタートしている、渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」について博報堂ミライの事業室の大家雅広さんと三井物産エネルギーソリューション本部New Downstream事業部の寺西五大さんに話を聞いた。

デジタル活用で生活者の声を集め、まちづくりに活かす「生活者ドリブン・スマートシティ」

筆者は東京都内でいろいろな区に住んでみたが、渋谷が一番長くなってしまった。渋谷に住んでいると言うと「あんなにぎやかなところに住めるの?」と言われることもある。おまけに渋谷駅前は再開発中だ。住む街としてのイメージはつきにくいかもしれない。

ところが都心のまん中なのに、意外に住み心地がいい。町内会の活動もしっかりしている。ただ大きなビルがどんどん建って、毎週のように駅までの道のりが変わるので、少し取り残されそうな不安があった。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

そんななか、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」を実現するために、博報堂が渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」がスタートしたらしい。これは博報堂と三井物産が共同で進めるまちづくり構想で、テクノロジーが主役ではなく生活者が主役のスマートシティだそうだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

「渋谷エリアにおける暮らしをより良くしていくために、デジタルアプリサービスを通じて、生活者の声や応援を集めます。その声を、さまざまな都市サービスに反映させていくとともに、みんなの声を可視化することで、生活者共創によるまちづくりのモデルをつくっていきます。モビリティ、エネルギー、ワークプレイス、都市農園、スポーツなど、さまざまな都市サービスとの連携も予定しています。生活者が主体的に関わる創造的なまちづくりを通じて、次世代の持続可能なスマートシティモデルの実現を目指したいと思っています」(大家さん)

渋谷でできるgoodな体験のための「shibuya good pass」

「今回、私たちが開発したshibuya good passは、行政、企業、生活者が力を合わせてよりよい渋谷の街をつくっていくことを実現するサービスです。『みんなでつくる、goodな渋谷』がキーメッセージ。スマートフォンで利用できるデジタルサービスとして、2021年夏よりベータ版の提供を始め、すでにいくつかのプロジェクトがスタートしています」(大家さん)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

登録は無料で、会員になると渋谷で展開される活動やプロジェクトに参加したり応援したりできるほか、渋谷エリアでのさまざまな提携サービスを利用することができる。カフェのメニューを試したり、クーポンを利用できたり、「ありのママカフェ」というママたちの座談会や料理講座やピラティス教室などイベントに参加したりといったサービスが受けられる。

なかでも昨年実施された“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)は代表的なイベントだ。「ササハタハツ」とは、京王線笹塚駅・幡ヶ谷駅・初台駅のそれぞれ頭文字を採ったエリアのこと。エリア内にある、玉川上水旧水路緑道は、渋谷区の事業として再整備計画が進められている。再整備コンセプトは「FARM」。地域の人々で食と暮らしを楽しみ、こどもから大人、年齢や障がいの有無に関係なく、誰もが参加できる場所に生まれ変わろうとしている。その再整備コンセプトを体現する実験イベントが“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)だ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

農・食・コミュニティに関する社会課題や地域課題を解決するために、生産者直売マルシェ・体験イベント・ワークショップなどが企画された。注目すべきは「みんなの声”でつくるGOODなideaギャラリー」というテーマで、緑道沿いに渋谷の街に対する“みんなの声”が書かれたポスターを設置したこと。さらに当日来場した方たちの声として、これから再整備が進む緑道やこの町でやってみたいことを集めた。設置されたポスターのビジュアルはshibuya good passのInstagramにも連動していて、いいね!の数に応じて、近くのデジタルサイネージにも“みんなの声”が可視化された。

こういったカタチで、一般の人々の意見が行政やプロジェクトで届くのはわかりやすいし、オープンな意見交換の場にもなる。すでに「仮設FARM」を設置して一定期間利用してくれる人の募集も始まっている。今後どのように活用していくか、また住民自身がどのようにかかわっていくか、注目していきたいと思う。

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

新しい地域交通「shibuya good mobi」など、エネルギーやインフラからも考える

またイベント参加だけではなく、地域のエネルギーやインフラについても、一般の人が意見を出し、どのシステムを利用するか選択できるシステムを生み出している。

「三井物産のエネルギーソリューション本部は2020年4月に発足。グローバルな社会課題である気候変動問題の産業的解決をビジネス成長の機会と捉え、さまざまな事業領域において蓄積した知見、事業基盤、ならびに顧客・パートナー基盤を結集しました。三井物産ならではの複合的かつ機動的な取り組みで次世代領域における新事業創出にチャレンジしています」(寺西さん)

「good energy」は地球環境にやさしい再生可能エネルギーを地域で共同購入し、まちづくりに還元するサービスだ。電力の共同購入希望者が一定数集まったところで、新電力をはじめとする電力会社が参加のもと、一番安い電力供給者を決めるリバースオークションを行う。共同購買によって、電気代を安くするとともに、コストダウンが図れた部分の一部で地域の活動を援助することが出来る、
例えば、「シブヤ大学」(誰もが参加できる学び場づくり)、「TEN-SHIP アソシエーション」(高齢者の方々の困りごと支援)、「stride」(障害を抱える方々の就労支援)、「渋谷の遊びを考える会」(子どもたちの遊び場づくりを通じた子育て支援)などのNPO法人や一般社団法人、コミュニティ運営のために寄付されるといったことだ。地域コミュニティ単位での電力共同購入をサポートするリバースオークションのシステムも導入しており、多くの人が利用するほど安く利用できる可能性も高まる。

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

「shibuya good mobi」は、WILLERと連携した月額定額乗り放題で半径約2kmのエリア内を回遊できるモビリティサービスで、すでにサービスを開始している。
渋谷は比較的交通の利便性が高い街だが、エリア内を自由に回遊できるような移動サービスがなく、同サービスを利用することで行動範囲が広がったり、お子さんの送迎が快適になったり、自分時間が増えるなどライフスタイルが変わり、より生活が豊かになる。アプリで車両を呼び出すと、好きな時間に好きな目的地まで移動でき、月額定額料金のためおサイフを気にすることなく何度でも利用できる。同時にどのような人がどのようなニーズで移動しているかを継続的に把握できるため、そのニーズを汲み取って走行ルートやサービスが最適化していくこともできる。交通事業者から一方的に提供されるのではなく、地域に暮らす人々の共創によってブラッシュアップされていくモビリティサービスだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

どちらのサービスも提供されるだけでなく、自分が参加・利用することで地域に貢献できたり、自分の暮らしをより快適に変えていくことができる点が注目だ。

「shibuya good pass」がこれから目指すもの

現在の会員は女性が多く、特に30代40代が中心だそうだ。渋谷区はもともと住民の女性の割合が多い。2021年のデータで、男性が約11万716人、女性が11万9790人と、女性が9000人多い。それだけ女性に暮らしやすい環境が整っているかも知れない。現に私自身も都内での暮らしは渋谷が一番長くなった。今後、それがどのように発展していくかも見守りたい。

このほか、渋谷に住む人や通う人、働く人、事業者や行政など渋谷に関わるすべての人々が、好きなオフィスを、好きな時に、選んで使えるワークプレイスサービス「shibuya good place」など、約 10 カテゴリーの連携サービスの実証実験を開始。また市民参加型の活動として、市民の声をまちづくりや政策に反映させるためのオープンプラットフォーム「decidim」を活用した「shibuya good talk」の実証実験と、地域の企業活動・市民活動を応援するクラウドファンディングの取り組み「shibuya good idea fund」も開始している。

博報堂と三井物産は、こうしたアイデアをまず渋谷で実装し、その後は国内の複数の都市に展開する計画だそうだ。どんな都市でも、働く人、住む人、遊びに訪れる人や企業、行政がうまく連携を取れるようになるのはテーマの1つだろう。どんなに大規模な開発が進もうとも、そこには人間同士のコミュニケーションは必要だ。官民一体となった双方向のつながりが生まれることに期待したい。

●取材協力
shibuya good pass

住民主体で渋谷を変える! アプリで参加「shibuya good pass」

100年に一度と言われる大規模な再開発が進む「渋谷」。筆者はそんな街に暮らして20数年が過ぎた。新しいビルが次々に建ち、駅へのアプローチが変わり、その変化についていけない気持ちになることがある。街のイメージと住民の間に大きなギャップが生まれそうだった。
そこに博報堂と三井物産が共同で進める、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」が進んでいると聞いた。すでにスタートしている、渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」について博報堂ミライの事業室の大家雅広さんと三井物産エネルギーソリューション本部New Downstream事業部の寺西五大さんに話を聞いた。

デジタル活用で生活者の声を集め、まちづくりに活かす「生活者ドリブン・スマートシティ」

筆者は東京都内でいろいろな区に住んでみたが、渋谷が一番長くなってしまった。渋谷に住んでいると言うと「あんなにぎやかなところに住めるの?」と言われることもある。おまけに渋谷駅前は再開発中だ。住む街としてのイメージはつきにくいかもしれない。

ところが都心のまん中なのに、意外に住み心地がいい。町内会の活動もしっかりしている。ただ大きなビルがどんどん建って、毎週のように駅までの道のりが変わるので、少し取り残されそうな不安があった。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

そんななか、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」を実現するために、博報堂が渋谷エリア向けに開発したデジタルサービス「shibuya good pass」がスタートしたらしい。これは博報堂と三井物産が共同で進めるまちづくり構想で、テクノロジーが主役ではなく生活者が主役のスマートシティだそうだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

「渋谷エリアにおける暮らしをより良くしていくために、デジタルアプリサービスを通じて、生活者の声や応援を集めます。その声を、さまざまな都市サービスに反映させていくとともに、みんなの声を可視化することで、生活者共創によるまちづくりのモデルをつくっていきます。モビリティ、エネルギー、ワークプレイス、都市農園、スポーツなど、さまざまな都市サービスとの連携も予定しています。生活者が主体的に関わる創造的なまちづくりを通じて、次世代の持続可能なスマートシティモデルの実現を目指したいと思っています」(大家さん)

渋谷でできるgoodな体験のための「shibuya good pass」

「今回、私たちが開発したshibuya good passは、行政、企業、生活者が力を合わせてよりよい渋谷の街をつくっていくことを実現するサービスです。『みんなでつくる、goodな渋谷』がキーメッセージ。スマートフォンで利用できるデジタルサービスとして、2021年夏よりベータ版の提供を始め、すでにいくつかのプロジェクトがスタートしています」(大家さん)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

登録は無料で、会員になると渋谷で展開される活動やプロジェクトに参加したり応援したりできるほか、渋谷エリアでのさまざまな提携サービスを利用することができる。カフェのメニューを試したり、クーポンを利用できたり、「ありのママカフェ」というママたちの座談会や料理講座やピラティス教室などイベントに参加したりといったサービスが受けられる。

なかでも昨年実施された“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)は代表的なイベントだ。「ササハタハツ」とは、京王線笹塚駅・幡ヶ谷駅・初台駅のそれぞれ頭文字を採ったエリアのこと。エリア内にある、玉川上水旧水路緑道は、渋谷区の事業として再整備計画が進められている。再整備コンセプトは「FARM」。地域の人々で食と暮らしを楽しみ、こどもから大人、年齢や障がいの有無に関係なく、誰もが参加できる場所に生まれ変わろうとしている。その再整備コンセプトを体現する実験イベントが“388 FARM β”(ササハタハツファームベータ)だ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

農・食・コミュニティに関する社会課題や地域課題を解決するために、生産者直売マルシェ・体験イベント・ワークショップなどが企画された。注目すべきは「みんなの声”でつくるGOODなideaギャラリー」というテーマで、緑道沿いに渋谷の街に対する“みんなの声”が書かれたポスターを設置したこと。さらに当日来場した方たちの声として、これから再整備が進む緑道やこの町でやってみたいことを集めた。設置されたポスターのビジュアルはshibuya good passのInstagramにも連動していて、いいね!の数に応じて、近くのデジタルサイネージにも“みんなの声”が可視化された。

こういったカタチで、一般の人々の意見が行政やプロジェクトで届くのはわかりやすいし、オープンな意見交換の場にもなる。すでに「仮設FARM」を設置して一定期間利用してくれる人の募集も始まっている。今後どのように活用していくか、また住民自身がどのようにかかわっていくか、注目していきたいと思う。

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

「花やハーブを育てる菜園で、コミュニティを広げたい!」と「ササハタハツの原風景をみんなで考えたい」が同率1位だった(画像提供/shibuya good pass)

新しい地域交通「shibuya good mobi」など、エネルギーやインフラからも考える

またイベント参加だけではなく、地域のエネルギーやインフラについても、一般の人が意見を出し、どのシステムを利用するか選択できるシステムを生み出している。

「三井物産のエネルギーソリューション本部は2020年4月に発足。グローバルな社会課題である気候変動問題の産業的解決をビジネス成長の機会と捉え、さまざまな事業領域において蓄積した知見、事業基盤、ならびに顧客・パートナー基盤を結集しました。三井物産ならではの複合的かつ機動的な取り組みで次世代領域における新事業創出にチャレンジしています」(寺西さん)

「good energy」は地球環境にやさしい再生可能エネルギーを地域で共同購入し、まちづくりに還元するサービスだ。電力の共同購入希望者が一定数集まったところで、新電力をはじめとする電力会社が参加のもと、一番安い電力供給者を決めるリバースオークションを行う。共同購買によって、電気代を安くするとともに、コストダウンが図れた部分の一部で地域の活動を援助することが出来る、
例えば、「シブヤ大学」(誰もが参加できる学び場づくり)、「TEN-SHIP アソシエーション」(高齢者の方々の困りごと支援)、「stride」(障害を抱える方々の就労支援)、「渋谷の遊びを考える会」(子どもたちの遊び場づくりを通じた子育て支援)などのNPO法人や一般社団法人、コミュニティ運営のために寄付されるといったことだ。地域コミュニティ単位での電力共同購入をサポートするリバースオークションのシステムも導入しており、多くの人が利用するほど安く利用できる可能性も高まる。

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

ささはたまちのお手伝いマネージャー「TEN-SHIPアソシエーション」(画像提供/TEN-SHIPアソシエーション)

「shibuya good mobi」は、WILLERと連携した月額定額乗り放題で半径約2kmのエリア内を回遊できるモビリティサービスで、すでにサービスを開始している。
渋谷は比較的交通の利便性が高い街だが、エリア内を自由に回遊できるような移動サービスがなく、同サービスを利用することで行動範囲が広がったり、お子さんの送迎が快適になったり、自分時間が増えるなどライフスタイルが変わり、より生活が豊かになる。アプリで車両を呼び出すと、好きな時間に好きな目的地まで移動でき、月額定額料金のためおサイフを気にすることなく何度でも利用できる。同時にどのような人がどのようなニーズで移動しているかを継続的に把握できるため、そのニーズを汲み取って走行ルートやサービスが最適化していくこともできる。交通事業者から一方的に提供されるのではなく、地域に暮らす人々の共創によってブラッシュアップされていくモビリティサービスだ。

(画像提供/shibuya good pass)

(画像提供/shibuya good pass)

どちらのサービスも提供されるだけでなく、自分が参加・利用することで地域に貢献できたり、自分の暮らしをより快適に変えていくことができる点が注目だ。

「shibuya good pass」がこれから目指すもの

現在の会員は女性が多く、特に30代40代が中心だそうだ。渋谷区はもともと住民の女性の割合が多い。2021年のデータで、男性が約11万716人、女性が11万9790人と、女性が9000人多い。それだけ女性に暮らしやすい環境が整っているかも知れない。現に私自身も都内での暮らしは渋谷が一番長くなった。今後、それがどのように発展していくかも見守りたい。

このほか、渋谷に住む人や通う人、働く人、事業者や行政など渋谷に関わるすべての人々が、好きなオフィスを、好きな時に、選んで使えるワークプレイスサービス「shibuya good place」など、約 10 カテゴリーの連携サービスの実証実験を開始。また市民参加型の活動として、市民の声をまちづくりや政策に反映させるためのオープンプラットフォーム「decidim」を活用した「shibuya good talk」の実証実験と、地域の企業活動・市民活動を応援するクラウドファンディングの取り組み「shibuya good idea fund」も開始している。

博報堂と三井物産は、こうしたアイデアをまず渋谷で実装し、その後は国内の複数の都市に展開する計画だそうだ。どんな都市でも、働く人、住む人、遊びに訪れる人や企業、行政がうまく連携を取れるようになるのはテーマの1つだろう。どんなに大規模な開発が進もうとも、そこには人間同士のコミュニケーションは必要だ。官民一体となった双方向のつながりが生まれることに期待したい。

●取材協力
shibuya good pass

駅遠の土地が人気賃貸に! 住人が主役になる相続の公募アイデアって?

祖父がなくなり不動産を相続することになった相続人の安藤勝信さんは、納税のため所有する賃貸アパートの隣地を売却。土地を継承し、地域のために活用してくれる売却先をプロポーザルで公募し、結果もともとの賃貸アパートの住人と新たな住人が温かなコミュニティでつながる地域になった。現地で話を聞いた。

借りる人の希望を聞きながら建築する新スタイル「賃貸コーポラティブ」

最寄駅から徒歩30分、バス便の立地に2戸の一戸建てと11戸の長屋住宅から成る13戸の賃貸コーポラティブ区画が、2021年5月に東京都世田谷区に誕生した。

コーポラティブハウスとは、入居予定者が建設組合をつくり、主体となって建築する集合住宅のこと。通常は事業主が集合住宅の概要を計画し、購入予定者が区分所有部分のプランを建築士とつくりあげていく形態で、賃貸での例はほとんどない。

「賃貸なのだけど、持ち家のような不思議な感覚です」と話してくれたのは、ここの賃貸コーポラティブに住む川浪さん。一戸建ての室内は、デザインを仕事とする川浪さんのこだわりにあふれている。

(写真撮影/片山 貴博)

(写真撮影/片山 貴博)

玄関ドアを開けるとモルタル仕上げの土間、そこに大きなテーブルを置いて仕事用のスペースにしている。本棚も川浪さんのオーダー(写真撮影/片山 貴博)

玄関ドアを開けるとモルタル仕上げの土間、そこに大きなテーブルを置いて仕事用のスペースにしている。本棚も川浪さんのオーダー(写真撮影/片山 貴博)

「コロナ禍になって、できる限り自分にとって居心地の良い空間で過ごしたいと思うようになりました。でもこの変化の時代に、一生の選択をして家を持っても同じ場所に住み続けるかはわかりません。賃貸は気軽だけれど、空間の自由度が低くて限界があるし、事務所利用可能な住居物件自体がほとんどないんですよ。そんなとき、カスタマイズ可能な戸建て賃貸を見つけたんです」(川浪さん)

オーナーの田畑至誠(たばた・しじょう)さんが用意していた建物オプションは壁紙や床材の選択などだったが、「エアコンを埋め込んでもらったり、床はオプション外の少し特殊な素材でお願いしたり。できる限りの希望を聞いてもらえました」(川浪さん)
基本計画以上のコストアップは、入居者が負担することになっている。「工期の期限と躯体への影響がない範囲で、と限度があるとはいえ、一般的な賃貸では考えられないことです」と川浪さんは笑顔で話す。

夫妻とふたりの子どもとの4人家族。1階は仕事用スペースとキッチンダイニング、2階は居室(写真撮影/片山 貴博)

夫妻とふたりの子どもとの4人家族。1階は仕事用スペースとキッチンダイニング、2階は居室(写真撮影/片山 貴博)

賃貸にDIYとコミュニティを解放したら好循環が生まれた

この賃貸コーポラティブ区画の敷地一帯には、もともと賃貸アパートと駐車場があった。誕生するまでは、「奇跡のような出会いがあった」と祖父の土地の相続人だった安藤勝信(あんどう・かつのぶ)さん。賃貸コーポラティブの隣地の、賃貸アパートの経営者でもある。

安藤さんの祖父母は、世田谷区で都市農場と賃貸アパートを経営していた。
「祖父は賃貸アパートの入居募集に苦労していました。東京では駅から遠い物件は人気がなく、さらに古くなるごとに賃料を下げざるを得ない。下げても満室になるとは限りません」(安藤さん)
そんな状況を見かねて、賃貸アパートの経営を安藤さんが法人をつくって買い受けたのが8年ほど前。一度内装を取り壊し、入居者の希望を内装に反映する形で募集を開始したところ、あっという間に満室になった。
さらに、敷地でのBBQや家庭菜園、焚き火台を使った小さな焚き火といった住民の要望を叶えるうちにコミュニティも深まり、居心地のいい人気物件として生まれ変わらせることができたのだ。

住人共用の菜園(写真撮影/片山貴博)

住人共用の菜園(写真撮影/片山貴博)

「賃貸経営はよくクレーム産業と言われがちです。設備不具合のクレームや住民同士のトラブルにオーナーや管理会社が追われがちなのです。ですが本当は、少しだけお互いを知る機会があれば、生活音が『苦情』から『お疲れさま』に変わることもあるのではないでしょうか。
DIYもできますから、好きな壁紙を貼ればいいし、前の住人と好みが合えば新しい人にそのまま入居してもらうこともできる。前に住んでいた住人と次に住む住人が会うこともあります。募集して待っている立場から、入居者を探せるようになりました」(安藤さん)

相続発生。プロポーザルで売却後も土地の継承を図る

アパート経営から8年ほど経ち、祖父の相続を経験した安藤さん。アパートが建つ敷地の一部、駐車場部分を納税のために手放さざるを得なかった。
「土地は先祖から授かったものではなく未来から預かったもの。亡くなった祖父がよく言っていた言葉です。
アパートのコミュニティの延長でもある土地を、将来にも良い形でバトンを渡したい」と安藤さんが相談したのは、不動産コンサルタントの田中歩(たなかあゆみ)さん。購入希望者から土地利用についてプロポーザル(提案)を受けた上で、共感できる人に売却することを提案してくれたのだそう。

安藤さんは田中さんの伴走のもと「未来へのバトンプロポーザル説明会」を開催し、思いを共有してくれる売却先を探すこととなった。

未来へのバトンプロポーザル説明会(写真提供/安藤勝信)

未来へのバトンプロポーザル説明会(写真提供/安藤勝信)

開催場所は安藤さんが納税資金を借り入れた東京中央農業協同組合のホール。銀行勤務の経験がある田中さんが「通常、相続税は10カ月内に納めねばなりません。プロポーザルからの売却では間に合わないので、納税資金を借り入れる提案をしたんです。延滞税より金利が低いですから」と教えてくれた。
「農協は地域の事業を協同組合の立場で助けてくれる仲間です。とはいえ、担当の安藤也侑(あんどう・あつむ)さん(以降、也侑さん)が自分達に共感して頑張ってくれなかったら、この協同事業に行き着けなかったかもしれません。説明会から売却、融資返済までを上司に取り付けてくれたんですから」(安藤さん)

元の敷地図。左側の駐車場部分が説明会の対象だった(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

元の敷地図。左側の駐車場部分が説明会の対象だった(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

売却部分と所有部分を一体化。コミュニティが繋がる区画に

説明会には不動産会社や投資家など数十人が集まった。

その中でもうひとり、この土地の未来に熱くなる人物が現れた。分譲コーポラティブマンションの企画やコンサルティングに携わる藤田弘之(ふじた・ひろゆき)さんだ。
「同業者から説明会の情報を得て参加したのですが、説明を聞いてびっくり。自宅の近所で、なんと借りている駐車場の売却計画でした。駐車場がなくなると困る、という思いもあって計画にのめり込みました(笑)」

説明会は、一方的に安藤さんが説明するのではなく、参加者がアイデアを出し合うワークショップの体をなした。
借りる人の好みを反映する賃貸アパートの成功例を知り、地域コミュニティへの思いを聞いた藤田さんは「入居予定者と一緒に建物仕様を決めていく、コーポラティブの手法がぴったりだと思いました」と語る。
「当初想定されていた一戸建ての分譲ではなく、中長期でオーナーの思いを引き継ぎやすい賃貸にすべき、とも提案して採用されました。先にコミュニティが醸成されていたアパート部分との繋がりも大事にしたかった。そのため、以前から信頼していた不動産投資家の田畑さんに購入を持ちかけました」(藤田さん)

敷地配置は、右上のアパート敷地と一体で書き換えられた。A、Bの一戸建てとC1~D1までの長屋が新築された賃貸コーポラティブ。「道を通して区画全体に統一感を持たせたいと、そのために売却部分を変更してもらいました。借入先の農協の也侑さんは大変だったでしょうし、新オーナーの田畑さんの共感がなければ実現できませんでした」(藤田さん)(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

敷地配置は、右上のアパート敷地と一体で書き換えられた。A、Bの一戸建てとC1~D1までの長屋が新築された賃貸コーポラティブ。「道を通して区画全体に統一感を持たせたいと、そのために売却部分を変更してもらいました。借入先の農協の也侑さんは大変だったでしょうし、新オーナーの田畑さんの共感がなければ実現できませんでした」(藤田さん)(資料提供/トライクコンサルティング藤田弘之)

田畑さんは全国で不動産を運用している投資のプロフェッショナル。賃貸物件であれば利益のためコスト効率を重視するところだが、藤田さんから紹介された安藤さんのコミュニティ重視型の賃貸経営に深く共感した。

田畑さんが土地の購入を決め、入居募集を始めてみると多くの応募があった。田畑さんは、「初期費用がかかっても好きに住みたいというニーズ」「転職歴などでローンが組めない高収入層」「オフィスと自宅を賃貸住宅で併用したい個人事業者」の多さに改めて気付かされたという。

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

安藤さんが経営する賃貸アパート(右側)と田畑さんが新オーナーとなった賃貸コーポラティブD棟(左上)。小道と植栽の統一で区画に一体感が生まれている(写真撮影/片山 貴博)

安藤さんが経営する賃貸アパート(右側)と田畑さんが新オーナーとなった賃貸コーポラティブD棟(左上)。小道と植栽の統一で区画に一体感が生まれている(写真撮影/片山 貴博)

コーディネーターの立場からプロジェクトを担当したのは、渡邉友紀(わたなべ・ゆうき)さん。「用意していたオプションは限られたものでしたが、実際は分譲コーポラティブと同じようにこだわる人が多く、キッチンセットだけで100万円かけた人もいました」(渡邉さん)

賃貸コーポラティブの契約は、一般的な賃貸借契約と同様の2年で更新。原状回復については住戸ごとの仕様に合わせて入居者と話し合い、詳細に取り決めている。
「住みながらのDIYも原則自由です。こだわりがある入居者によるリフォームは、建物の劣化ではなく価値アップに繋がりますし。また、普通の賃貸にはないようなコミュニケーションが入居者とも生まれて、経営のモチベーションにもなっています」(田畑さん)

前列左から安藤さん(アパート経営者・土地の相続人)、川浪さん(入居者)、田畑さん(隣地新オーナー) 後列から也侑さん(農協)、田中さん(不動産コンサルタント)、渡邊さん(コーポラティブコーディネーター)、藤田さん(コーポラティブコンサルタント)(写真撮影/片山 貴博)

前列左から安藤さん(アパート経営者・土地の相続人)、川浪さん(入居者)、田畑さん(隣地新オーナー)
後列左から也侑さん(農協)、田中さん(不動産コンサルタント)、渡邊さん(コーポラティブコーディネーター)、藤田さん(コーポラティブコンサルタント)(写真撮影/片山 貴博)

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

(画像提供/トライクコンサルティング藤田弘之、イラスト/渡邉友紀)

「自分好みの家はとても快適。家族もこの家と環境にすっかり馴染んでいます。初期費用もかけているので、愛着も湧きますし、その分長く丁寧に住みたいと思うようになります」という川浪さんの言葉に、笑顔になった田畑さん。
「考え方の近い人と暮らせることで、監視しあうような緊張感が生まれにくくて、むしろお互いにより豊かになるようなアイデアを持ち寄れるようなオープンな雰囲気があります」(川浪さん)

「今回大変なこともありましたが、やってみて本当によかったです。このような形が今後どこかで、ゆっくり広まってくれたらいいなと思っています」(安藤さん)

自分に合う住まいで暮らすこと、隣人を大切にできること。この事例をヒントに、理想に叶う賃貸がもっと増えることを期待していきたい。

●取材協力
安藤勝信さん(株式会社アンディート)、田中歩さん(あゆみリアルティーサービス)、藤田弘之さん(トライク・コンサルティング)、田畑至誠さん(グレープEQ)、渡邉友紀さん(NENGO)、安藤也侑さん(東京中央農業協同組合)、川浪さん(入居者)

「街に居場所を!」リタイヤ世代が立ち上がった。ベッドタウン「東千葉住宅地」で参加500名の大防災訓練を実現した共助力とは

九州・広島を襲った大雨と河川の氾濫、熱海での土砂崩れなど、日本各地で災害が多発している昨今ですが、こうした自然災害発生時、大きく影響するのが地域の人と助け合う「共助」です。ただ、「共助といっても何をするの?」「何ができるのか分からない」と戸惑う人がほとんどではないでしょうか。今回は千葉県千葉市中央区の東千葉で、地域コミュニティを支える人の声を聞きました。

街に「自分」の居場所がない…! すべては危機感からはじまった

東千葉住宅地は、総武本線東千葉駅から徒歩15分ほどの場所にある一戸建てとマンション、あわせて約1000世帯5つの町内自治会で構成されています。住宅地が完成したのは1978(昭和53)年で、現在は高齢世帯や独居世帯が増えているほか、新しい住民との入れ替わりが始まった過渡期だといいます。

東千葉地区の住宅街。区画も広く、成熟した住宅地の印象(写真撮影/嘉屋恭子)

東千葉地区の住宅街。区画も広く、成熟した住宅地の印象(写真撮影/嘉屋恭子)

一見すると、典型的な郊外のベッドタウンに見えますが、この東千葉地区は非常に地域コミュニティ活動が活発。一般的な町内自治会活動と委員会活動のほかに、「ハッピータウンの会※1」「東千葉 和・輪・環(わわわ)の会」「くるま座の会」などの福祉活動・親睦活動が行われ、地域で自然に助ける・助けられる「共助」が育まれています。

ただ、最初から現在のような地域活動が活発だった訳ではなく、住民が手探りで活動をするなかで、現状に行き着いたのだといいます。

「私は79歳になりますが、自分が定年退職をしたあと、地域にまったくなじみがないことに気が付き、愕然としたんです。そこで会社人間から社会人間に変わろうと『仲間づくりの会』という飲み会を企画し、知り合いをつくることからはじめました」と振り返るのは、地域の町内会をとりまとめる東千葉地区自治会連絡協議会の元会長・村井克則さんです。

村井さんは飲み会で出身地や趣味などを通じて、地域にとけこむよう試みました。すると回数を重ねるうちに、地域に顔見知りや知人、趣味友達ができ、次第に自分たちが暮らしている街の課題について話すことが増えたといいます。

「東千葉地区には5つの町内自治会がありますが、会長など役職者の任期は1年で、毎年入れ替わります。日常的な業務、例えば回覧板を回すなどは問題なくできますが、防犯・防災、高齢化の健康や介護、独居世帯への対応などの中長期で取り組むべき課題には答えを出していけない。これはまずいよね、地域で支え合えないかということで、自分たちにできる活動をはじめました」(村井さん)

お話を伺った東千葉地区のみなさん。手には安否確認訓練時に自宅の軒先に掲げて「無事」を伝えるタオルを持っています(写真撮影/嘉屋恭子)

お話を伺った東千葉地区のみなさん。手には安否確認訓練時に自宅の軒先に掲げて「無事」を伝えるタオルを持っています(写真撮影/嘉屋恭子)

町内自治会活動と福祉・親睦活動があることで、住みやすい街になる

町内自治会で行うのは、前述したような日常業務のほか、地域の防犯・防災、お祭りなどの恒例行事や町内自治会が所有する建物の建て替え準備などになります。自治会費の予算があり、地域のルールを決める権限があります。一方で、「ハッピーボランティア東千葉」「東千葉 和・輪・環(わわわ)の会」「くるま座の会」などは、地域の福祉・親睦を主目的とした活動です。扱う内容は、地域の見守りやあいさつ運動、多世代との交流、高齢者の健康づくりなどさまざまですが、自由な集まりに近く、予算や権限・拘束力などはありません。

東千葉地区自治会連絡協議会で会長を務める大内信幸さんによると、この既存の町内自治会と福祉・親睦活動の2つの軸があることで、地域コミュニティが立体的・有機的になるのだといいます。

「自治活動と福祉・親睦活動を地域づくりとしてトータルで行っていかないと、住みやすい街にならないと思うんです。そのため、両者の交流を促進する『地域づくり懇談会』を設けています。さまざまなテーマで情報交換するなかで、地域の課題や関心が見えてくるんですね。今はコロナの影響で集まることはできませんが、地域の福祉を担う社会福祉協議会、民生委員児童委員協議会(民児協)、小中学校とも連携しています」と話します。

「自分」の興味を大切に。無理なく楽しく参加できる仕組み

東千葉地区ではリタイヤ世代の男性だけでなく、女性の活躍も目立ちます。また活動を担う人たちが楽しそうに、そして強制ではなく主体的に動いているのが印象的です。

「どの活動も、人のため、地域のためというだけでなく、自分たちが楽しく続けられることを行っています。健康、介護、将来の相続など、興味・関心のあるテーマで講演会を企画したり、多世代が楽しめる季節ごとのイベントを開催したり。『できる範囲で、ちょっとボランティアがしたい』『こんな講座があったら参加してみたい』。そうやって企画していると、人が集まって顔見知りができて、新しい動きが生まれる。その繰り返しだったような気がします」と話すのは村井さんの妻の早苗さん。社会福祉協議会の東千葉地区部会の部会長、千葉市立都賀中学校の学校評議員を務めています。

東千葉地区は、もともと専業主婦が多かったこともあり、女性が地域活動の中心だったといいます。ただ、現代は共働き世帯が主流。昔のように地域の交流に参加できない人も多いそうです。
「新しい世帯や若い世代に、地域コミュニティに入ってと強制できません。ただ、地域活動が活発なのを知って引越してきてくれる人もいるようで、とてもうれしいですね。子どもたちといっしょに参加しやすい七夕、ハロウィン、お祭り、防災訓練などを通して顔見知りになり、『いつか(企画側で)やってみたいな』と思ってもらえたら十分ではないでしょうか」と話すのは大内さんの妻の公子さん。社会福祉協議会・東千葉地区部会の副部会長、千葉市立千草台東小学校・都賀中学校の学校評議員などを務めています。

地元の民生委員・児童委員を務める高畑宏子さんは、「東千葉も高齢世帯や独居世帯が増えてきていますが、町内自治会や地域のみなさんに寄り添っていただき、さり気なく見守られているのを感じます。また私のような民生委員も、地域のみなさんと普段からおしゃべりすることで、精神的にも助けられています」と話します。民生委員や児童委員になる人の負担を減らすという意味でも、横のつながりは重要なのかもしれません。

健康や在宅介護などの講座やイベントは、「今、自分たちが興味・関心のあること」をテーマにしているそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

健康や在宅介護などの講座やイベントは、「今、自分たちが興味・関心のあること」をテーマにしているそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

大規模な防災訓練も、日ごろのあいさつの延長上にある

東千葉地区が、この10年もっとも力を入れてきたのが、防災訓練をはじめとした防災対策です。住民の高齢化により負担を軽減するため、2018年から5つの町内自治会が合同で防災訓練を実施しています。自治体や学校、警察、消防、地元企業などが共催し、老若男女約500人が参加するという大掛かりなイベントです。また、近所の旧家にあった井戸を防災井戸として使えるよう行政に働きかけて指定を受け、35名以上の「くるま座の会」有志メンバーが協力して、日々の清掃や機器の維持管理をしています。

防災訓練が行われる公園。500人が集まる大規模な訓練が行われるのは驚き(写真撮影/嘉屋恭子)

防災訓練が行われる公園。500人が集まる大規模な訓練が行われるのは驚き(写真撮影/嘉屋恭子)

地元の中学生が参加し、防災井戸から水を運ぶ、運搬訓練をするそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

地元の中学生が参加し、防災井戸から水を運ぶ、運搬訓練をするそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

「防災訓練では、できるだけ現実に即したリアルな訓練ができるよう呼びかけています。まず、防災訓練を行う日の午前中に各町内自治会の防災備品のチェック、そして各家庭では家族が無事である証拠として自宅前に安否確認タオルを掲示してもらっています。これは実に75%の世帯が参加してくれています。午後には地元の中学生が防災井戸から水を汲んでリアカーで運ぶ訓練をし、その水を炊き出し訓練に使っています。災害時、高齢者では、重い水を汲んだり運んだりするのは難しいですから。ほかにも、起震車による地震体験、煙体験、救命救助の仕方やブルーシートでテントをつくる、チェーンソーで木を切るなど、さまざまな訓練をしてきました」と大内さん。

こうした参加型の訓練内容が地域住民の関心を呼び、年々、参加者が増えていたのだとか。ただ、東千葉町内自治会のみなさんから見ると、まだまだ課題は目につくようです。

「高齢者から見て、行政が指定した避難場所や避難所が遠くて行きにくい。そこで、町内自治会集会所を地震後の一時避難場所として使用できるよう、行政にはたらきかけました。ただ、実際には地震が起きても在宅避難になるのではないでしょうか。現在、町内自治会集会所を拡張して一時的な避難所、防災倉庫として活用できよう機能の拡充を計画しています。この地域から誰も取り残したくないですよね」と大内さん。そう話すみなさんが、年1回の防災訓練と同じように大切だと位置づけているのが、日々のあいさつです。

町内自治会集会所は有事の際一時避難所、防災倉庫としての機能も果たせるよう、行政や関係機関と協議しているといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

町内自治会集会所は有事の際一時避難所、防災倉庫としての機能も果たせるよう、行政や関係機関と協議しているといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

「あいさつをすれば打ち解けるし、顔見知りになれる。すると、いざというときに顔が浮かぶし、声がかけられるのではないでしょうか。ただ、日本人はシャイなので、なかなか自然にあいさつできないでしょう(笑)。だから、地区を横断する約800mのメイン通りを『東千葉あいさつロード』と名付けて、山のように看板を設置し、すれ違う人と気軽にあいさつをしましょうという運動をしています。「あいさつロード」が世代を超えたつながりを育むといいねと期待しています」と口をそろえます。

「東千葉あいさつロード」の名は、以前からメイン通りであいさつ運動をしていた「東千葉 和・輪・環(わわわ)の会」が中心となって行政に働きかけたことで、千葉市制100周年記念事業の一環として正式に市から認められたそうです。

町内自治会集会所始めあちこちに「東千葉あいさつロード」の看板が見られます(写真撮影/嘉屋恭子)

町内自治会集会所始めあちこちに「東千葉あいさつロード」の看板が見られます(写真撮影/嘉屋恭子)

街ですれ違っただけでは印象に残らなくても、一度あいさつをすれば、「……近所で見かけたことのある人かな?」に格上げされるから、人は不思議だなと思います。こうした日常も、災害という非日常も地続きであって、特別なことではありません。取材後、筆者は自宅周辺で「あいさつ」を意識してみましたが、みなさん感じのよい返事が返ってきました。ちょっとした世間話にもなり、お互いの体調を気遣う会話にもつながりました。「あいさつ一つ」だと思っていたのに、不思議なものです。まずはあいさつから。できることからコツコツと続けてみたいと思いました。

※1 現在は社協と一緒になり「ハッピーボランティア東千葉」として活動

まちの「公園」が進化中! 治安を激変させた南池袋公園など事例や最新事情も

いま、公園がちょっとした休憩や散歩をする場所から地域コミュニティの要へ進化しつつあります。おしゃれなカフェが併設されていたり、泊まれたり、イベントが開催されたりと、地域の特徴を活かした魅力的な公園が続々と登場しています。国土交通省都市局公園緑地・景観課の秋山義典さんに話を伺い、事例を踏まえながら紹介します。
治安すらも激変させた! 南池袋公園の芝生広場とカフェ

ここ数年で、民間と協業したり、空間に工夫が凝らされるなどした公園が、各地でみられるようになってきました。美しい景観に、カフェやレストラン、アパレルショップなどが設置された公園は、以前にも増してにぎわいを見せ、新しい観光地として注目されるようになりました。

新しい公園のモデルのひとつとなったのが、東京都豊島区の南池袋公園です。場所は、JR池袋駅東口から徒歩5分ほどの繁華街の中にあり、周囲にはサンシャイン60などの超高層ビルが立ち並んでいます。約7800平米の広さがある南池袋公園の魅力は、開放的な芝生広場です。休日には、ピクニックをする人、ごろんと寝転ぶ人、多くの人が思い思いに楽しんでいます。公園の敷地内に設けられたおしゃれなカフェレストランには、地域の人だけでなく、遠方からも人が訪れています。

芝生への立ち入りを禁止している公園もあるなか、海外のようなみんなで使える芝生広場に。年齢層を問わずさまざまな使い方ができる(画像提供/豊島区)

芝生への立ち入りを禁止している公園もあるなか、海外のようなみんなで使える芝生広場に。年齢層を問わずさまざまな使い方ができる(画像提供/豊島区)

養生期間を設けたり、注意の看板を設置したり、「南池袋をよくする会」が中心になり、芝生を守る活動がされている(画像提供/豊島区)

養生期間を設けたり、注意の看板を設置したり、「南池袋をよくする会」が中心になり、芝生を守る活動がされている(画像提供/豊島区)

1951年に開園した南池袋公園が現在の姿にリニューアルしたのは、2016年でした。手入れされた緑の芝生広場とカフェレストランの組み合わせのセンスがよく、話題を呼んで多くの人を惹き付けました。

リニューアル前の南池袋公園は、樹木がうっそうと生い茂り、暗い印象で利用者は限られていました。当時から公園の活用について、何度も話し合いが行われていましたが、なかなか意見がまとまらなかったのです。

「公園周辺の商店街の人から、もっと公園を活用したいという声がありましたが、隣接するお寺はなるべく静かに使ってほしいと要望していました。意向が相対し、話し合いは遅々として進みませんでした。そんなころ、豊島区新庁舎のランドスケープデザインをやっていた、平賀達也さんに南池袋公園の設計を依頼したところ、ニューヨークのブライアントパークを参考とした、誰もが魅力を感じる素晴らしい公園の設計が出来上がりました。また、東京電力から南池袋公園の地下に変電所を設置したいという申し出がありました。そのためには公園の施設を一度すべて取り払い再整備を行う必要があります。これらのことをきっかけにリニューアルの話が進展したということです」(秋山さん)

豊島区も、「都市のリビング」というリニューアルコンセプトの下、公園へカフェレストランの導入を決め、民間と協力して地域に根ざした持続可能な公園運営を目指すことになったのです。

その後の都市公園法改正の参考例になったのが、地元町会や商店街の代表者、隣接する寺の関係者、豊島区、カフェレストランの事業者による協議会の発足です。この取組みは、リニューアルオープン後に「南池袋をよくする会」と名付けられ、引き続き、地元関係者が南池袋公園の運営に携わっています。休日には近隣の商店街や地域の人が出店するマルシェも催され、公園は地域コミュニティの拠点となりました。

カフェレストランRACINES(ラシーヌ)の名前は、フランス語racineで「根源」という意味。新しい公園のルーツになるという思いが込められている(画像提供/豊島区)

カフェレストランRACINES(ラシーヌ)の名前は、フランス語racineで「根源」という意味。新しい公園のルーツになるという思いが込められている(画像提供/豊島区)

桜の木が植えられた多目的広場では、マルシェなどのイベントが行われる(画像提供/豊島区)

桜の木が植えられた多目的広場では、マルシェなどのイベントが行われる(画像提供/豊島区)

官民連携の新しい公園が全国65カ所へ拡大中

公園の管理について定めている法律は、都市公園法といい、1956年に制定されました。
「施行されたのは、戦後復興が収束していないころ。都市開発が進むにつれ、身近な自然がなくなることが問題になっていました。また、公園で闇市が催されたり、勝手に建物を建てられて私有地化されてしまったりすることも。そこで、都市公園法で、公園内の施設の設置や管理に必要なルールを設けたのです。しかし、時代が経つにつれ、規制ばかりで『何もできない公園』というイメージを持つ方も多くなりました。行政主導による公園管理と地域社会が求める公園機能との剥離が著しくなってきたのです」(秋山さん)

各地域のニーズに合った公園の管理方法、設備計画が求められている(写真/PIXTA)

各地域のニーズに合った公園の管理方法、設備計画が求められている(写真/PIXTA)

時代のニーズの変化を踏まえ、そのたびに都市公園法は改正されてきましたが、直近の2017年の改正では、官民連携等による公園の整備・管理を推進するため、南池袋公園が事例となった協議会制度を含むさまざまな改革がなされました。

「2017年の改正においては、公募設置管理制度(Park-PFI)が創設されたことも目玉の一つです。南池袋公園での、カフェレストランの売り上げの一部が『南池袋をよくする会』の活動資金に充てられているという仕組みや、大阪市天王寺公園での民設民営によって公園の再整備された事例を基に、これらの取組を行いやすくし、他の地域でも行ってもらうためにつくられた制度です」(秋山さん)

公募設置管理制度(Park-PFI)は、公募により公園施設の設置・管理を行う民間事業者を選定する仕組みで、民間事業者が設置する施設から得られる収益の一部を公共部分の整備費に還元することを条件に、設置管理の許可期間の延長や建蔽率(土地面積に対する建築面積の割合)の緩和などを特例として認めるものです。

「特例は民間事業者の参入をうながすためです。現在は、65公園でPark-PFIの活用がされています。オープンした施設は30施設。107カ所の施設で検討が進んでいるところです。民間事業者にとっては、公園という緑豊かで開放的な空間で施設を設置でき、公共としても管理費用の一部にその収益を充てられ、お互いにメリットがあります」(秋山さん)

参入する施設の選定は、まず公園管理者である公共が、マーケットサウンディングを行います。どういう施設が求められているか、地域の自治会、現状の管理者等にリサーチし、民間事業者に個別のヒアリングを行っています。例えば、愛知県名古屋市の久屋大通公園では、市街地の中心にあるため、ブランドなどを扱うアパレルショップを選定。今までの公園になかった都心ならではのにぎわい創出に成功しました。

新宿中央公園には、カフェ、レストラン、フィットネスクラブが利用できるSHUKNOVA(シュクノバ)を設置(画像提供/国土交通省)

新宿中央公園には、カフェ、レストラン、フィットネスクラブが利用できるSHUKNOVA(シュクノバ)を設置(画像提供/国土交通省)

北九州市のシンボルである小倉城下の勝山公園には、コメダ珈琲店が出店した(画像提供/国土交通省)

北九州市のシンボルである小倉城下の勝山公園には、コメダ珈琲店が出店した(画像提供/国土交通省)

パークツーリズムで各地の公園・庭園が観光地へ

近年では、公園そのものが旅の目的地になるパークツーリズム(ガーデンツーリズム)が、話題を集めています。

「各地に知る人ぞ知る、素晴らしい庭園や植物園がたくさんあります。ところがPR不足や庭園同士の連携不足などで、そうしたポテンシャルが活用しきれていないケースも多いんですね。北海道のガーデン街道のように、複数の庭園・植物園が共通のテーマに沿って連携してアピールすれば、魅力が広く伝わり、観光ルート化されるなど波及効果が期待できます」(秋山さん)

テーマには、地域ごとの風土、文化が反映されています。目指しているのは、魅力的な体験や交流を創出することを促すことで、継続的な地域の活性化と庭園文化の普及を図ることです。現在は、10のエリアにおいて協議会が設立され計画が進行中で、さまざまな取組が進められています。

北海道ガーデン街道のひとつ、帯広市の真鍋庭園。樹木の「輸入・生産・販売」をしている農業者「真鍋庭園苗畑」が運営している2万5000坪のテーマガーデン(画像提供/国土交通省)

北海道ガーデン街道のひとつ、帯広市の真鍋庭園。樹木の「輸入・生産・販売」をしている農業者「真鍋庭園苗畑」が運営している2万5000坪のテーマガーデン(画像提供/国土交通省)

室町時代に活躍した水墨画・日本画家の雪舟が作庭した庭園を集めた「雪舟回廊」。岡山県総社市、島根県益田市、 山口県山口市、広島県三原市などが参加し、ガーデンツーリズムとしてPRを行っている(画像提供/国土交通省)

室町時代に活躍した水墨画・日本画家の雪舟が作庭した庭園を集めた「雪舟回廊」。岡山県総社市、島根県益田市、 山口県山口市、広島県三原市などが参加し、ガーデンツーリズムとしてPRを行っている(画像提供/国土交通省)

フラワーパークアメイジングガーデン・浜名湖は、浜松市のはままつフラワーパークのほか、湖西市、袋井市、掛川市の庭園を集めた(画像提供/国土交通省)

フラワーパークアメイジングガーデン・浜名湖は、浜松市のはままつフラワーパークのほか、湖西市、袋井市、掛川市の庭園を集めた(画像提供/国土交通省)

誰でも公園づくりに参加できる中間支援組織の活動

各地に新しい公園が生まれていくなか、地域に根ざした公園管理を進めるため、公共とボランティア団体、住民や地元の事業者などの間に入り橋渡し役を担う中間支援組織が活動の幅を広げています。東京都では、中間支援組織でもあるNPO法人NPObirth(バース)に公園の指定管理を任せています。中間支援組織という存在は、もともと、アメリカ、イギリスでスタートし、日本に浸透してきた取組みです。タイムズスクエアとグランド・セントラル駅の中間に位置する、ニューヨークの代表的な公園、ブライアントパークも一例です。1980年代に治安の悪化で使われていなかった公園を、周辺の店舗や近隣住民が出資して中間支援組織を設立。公園の管理を行い、今では、観光客も訪れる魅力的な公園になっています。

「日本でも、かねてから、公園の管理、整備に携わりたい地域住民の方はいましたし、そういう声は今でも増えています。公園愛護会等のボランティア団体がその例ですが、活動したくてもとりまとめる人がいなかったり、行政としてもボランティアにどう接したらいいか悩んでいました。NPObirthのような中間支援組織が間に入り、公園を拠点としたプラットホームができたことで、地域の人、行政、民間の事業者が関わりやすくなりました」(秋山さん)

NPObirthは、野川公園や葛西海浜公園などの都立公園、西東京市の公園など72の公園の管理をしています。公園の自然について伝えるパークレンジャー、地域の魅力を引き出すパークコーディネーターが、イベントやボランティア活動を企画運営することで、公園を拠点に地域コミュニティが育まれています。

人々とともにマルシェなどの楽しい催しを企画・運営(画像提供/NPObirth)

人々とともにマルシェなどの楽しい催しを企画・運営(画像提供/NPObirth)

西東京いこいの森公園で行われたヨガ教室。緑のなかで日ごろの疲れをリフレッシュ(画像提供/NPObirth)

西東京いこいの森公園で行われたヨガ教室。緑のなかで日ごろの疲れをリフレッシュ(画像提供/NPObirth)

環境教育の一環として、自然の知識を持つパークレンジャーが観察会や自然体験の場を提供(画像提供/NPObirth)

環境教育の一環として、自然の知識を持つパークレンジャーが観察会や自然体験の場を提供(画像提供/NPObirth)

コロナ禍でストレス発散や運動の場を求めて公園の利用者は増加しており、魅力的な公園が増えることでさらに利用者が増えることが予想されます。

「QoLの向上のため公園づくりに携わりたいと考える人も増えていくのでは。それぞれの地域で公園管理に関わっている人や求められているニーズが違うので、成功事例をそのままほかに使うことはできません。色々な方の意見をくみ取って、公共側との調整なども担うノウハウがある中間支援組織が、公園の活性化に大きな役割を果たしています」(秋山さん)

身近な公園で進められている行政と民間の力を合わせた新たな取組みを紹介しました。今までの使い方に加え、公園を拠点にさまざまな活動ができるようになっています。私自身も、地域活動のひとつとして気軽に公園の管理に携わったり、各地の公園を訪ねて旅に出かけたりしたいと感じました。

●取材協力
・国土交通省
・豊島区
・NPObirth

空き家DIYをイベントに! カフェなど地域の交流の場に変える「solar crew」

増え続ける空き家が、社会問題化した昨今。そんななか、「空き家再生のDIYに地域住民を巻き込んでいく」プロジェクトに挑戦し続けている、小さなリフォーム会社がある。「solar crew」と名付けられたこのプロジェクトの仕掛け人、太陽住建 代表取締役の河原勇輝さんに、スタートした経緯や反響、今後の展開について、お話を伺った。
DIYイベントで地域の交流の場づくりの土台に

空き家リノベーションのDIYをイベント化するというプロジェクト「solar crew」。2020年からスタートしたこの事業は、再生された空き家は、オフィスやコワーキングスペース、一部は地域の交流の場として開放され、つくって終わりではなく、使うことで継続的な地域のつながりの場となり、新たな空き家活用法として注目されている。

条件は、Facebookのプライベートグループ「空き家でつながるコミュニティsolar crew」に参加することだけ。参加理由は「DIYに興味がある」「何かしら社会貢献できるようなことがしたい」「子どもの体験として」とさまざま(画像提供/太陽住建)

条件は、Facebookのプライベートグループ「空き家でつながるコミュニティsolar crew」に参加することだけ。参加理由は「DIYに興味がある」「何かしら社会貢献できるようなことがしたい」「子どもの体験として」とさまざま(画像提供/太陽住建)

太陽光発電設置のDIYイベントでは、パネルを貼る工事にも参加できる(画像提供/太陽住建)

太陽光発電設置のDIYイベントでは、パネルを貼る工事にも参加できる(画像提供/太陽住建)

プロジェクトを始めたきっかけは、河野さんが1日限定のDIYのワークショップに初めて行った時の、参加者の意外な反応だったという。
「最初の空き家再生事業で、地域住民の方を対象に、お披露目も兼ねて開催したんです。壁を塗ったり、テーブルをつくったりする簡単なものでしたが、参加者の方から、“解体もやってみたかった””デザインの仕事をしているので、プランを考えてみるところから参加してみたかった”という感想をいただいたんです。こちらとしては、ほぼ出来上がったものを提供するほうが負担がないと考えていましたが、でき上がるまでのストーリーのほうに関心のある人が増えているんだと、新たな発見でした」

共同作業をしながら自然と会話。愛着が生まれる

その後、単発のワークショップではなく会員制(2021年6月末時点で184名)にすることで、DIYのイベントをきっかけに、継続的な関わりが生まれている。
「参加者は、家族で参加している3歳のお子さんから、腕に覚えのある70代の方まで。普段は接点がないような方が、作業をしていると、自然と会話が生まれて、楽しそうなんですよ。特に、普段は何かと会話の外にいるお父さんたちが仲を深めている様子はよく見ます」

自ら工事を手掛けることで、その拠点に愛着がわき、自分のサードプレイスになりやすい利点もある。

DIYイベントの1コマ(画像提供/太陽住建)

DIYイベントの1コマ(画像提供/太陽住建)

(画像提供/太陽住建)

(画像提供/太陽住建)

現在、「solar crew」で再生された空き家は5件。
完成した家は、町内会のイベント、ママたちのランチ会、趣味のワークショップなど、さまざまな使い方がされている。カフェ、シェア型の畑、宿泊もできる施設など、スタイルもさまざま。会員は、その土地のエリア特性に合ったコンセプトづくりから参加できる。
「例えば、このあたりは公園が少ない、子ども連れでも気兼ねしなくていいカフェがほしい、テレワークスペースのニーズがあるなど、その地域の課題を解決できる場でもあってほしいと考えています」

空き家にある畑も活用して拠点へ(画像提供/太陽住建)

空き家にある畑も活用して拠点へ(画像提供/太陽住建)

地域の料理会の様子(画像提供/太陽住建)

地域の料理会の様子(画像提供/太陽住建)

露天風呂のある箱根町のペンションも、昨年末からDIYをし、地域の拠点に。「オーナーさんが、地域のためになるならと賛同していただきました」(画像提供/太陽住建)

露天風呂のある箱根町のペンションも、昨年末からDIYをし、地域の拠点に。「オーナーさんが、地域のためになるならと賛同していただきました」(画像提供/太陽住建)

大家も利用者も“Win-Win”な収支システムを実現

ここまで「solar crew」のメリットに関して解説してきたが、“収支”も気になる。
「空き家のリノベーション費用は当社が負担し、大家さんへは、ほぼ固定資産税程度の賃料を支払っています。このシステムなら、空き家を持て余していた方も参画しやすいでしょう。大家さんの“使わないけれど手放したくない”という切実な思いに応えたいんです」

個人会員は一部のイベント開催は別として、参加費は無料。法人会員は協賛金を支払い、ワークスペースやイベントの開催、ショールームとして使用することもできる仕組みだ。

また、いわば社会問題でもある空き家を活用する事業として、区役所、地域ケアプラザ、社会福祉協議会、町内会からなる「運営協議会」を設け、空き家の活用方法を協議している。
「地域に密着した事業を行う企業は、この場がマーケティングの場となっています。例えば、地元で数店舗の美容室を経営するオーナーの方が、ファンづくりをする場としてイベントを開催するなど、うまく機能していました」

ほかにも、「プレゼンが苦手」という職人気質の個人事業主さんに、大手IT企業勤務の会社員の男性がパワーポイントで資料を作成する業務を副業として請け負ったりと、新たなビジネスのきっかけになることも。
「最初は、大工仕事をしてみたいなぁとか、親子で遊べる場として利用してみようかなぁなどのささいなことがきっかけでも、思わぬ出会い、発見があります。最近では、DIYに興味があると参加した大学生が、どっぷり『solar crew』にハマり、当社にインターンとしてやってくる予定なんです」

地元の美容室による「子ども向けヘアサロン」のイベント。販促の場として活用されている(画像提供/太陽住建)

地元の美容室による「子ども向けヘアサロン」のイベント。販促の場として活用されている(画像提供/太陽住建)

さらに「地域交流の場」だけでなく、耐震シェルター、太陽光発電システムでオフグリッドの発電と、「防災の拠点」の役割も担っている(画像提供/太陽住建)

さらに「地域交流の場」だけでなく、耐震シェルター、太陽光発電システムでオフグリッドの発電と、「防災の拠点」の役割も担っている(画像提供/太陽住建)

倒産の危機を乗り越え、たどり着いたのは“地域に貢献したい”という想い

このように順調に見えるが、実は河原さん、2009年に創業した会社は、2年目には倒産の危機にあったそう。
「当時は、マンションやアパートの原状回復、細々とした修繕など、施工を首都圏全域でやっていました。しかし、遠方へは時間も交通費もかかる。さらに、DIYブーム、大型ホームセンターの盛況から、単純な工事を請け負うだけではまわらなくなると、相当な危機感を感じました」
そんな、河原さんが目指したのは、とことん「地元に愛される」会社になること。
「最初は街のゴミ拾いから。半年続けました。その後、街のお祭りに声を掛けられたり、町内会に呼ばれるようになったり……。そのうち自然と、地域の人、行政の人とつながりができ地域の課題が見えてきた。これが現在の空き家活用事業につながっていると思います」

弱冠24歳で、会社を創業。本業のほか、さまざまなNPOや一般社団法人に所属。さらに地域の消防団にも加入、子どもの通う小学校のPTA会長も担うなど、地域コミュニティに貢献している。「地元の人に喜ばれることで、働く側もモチベーションがあがり、幸せな循環が生まれています」(画像提供/太陽住建)

弱冠24歳で、会社を創業。本業のほか、さまざまなNPOや一般社団法人に所属。さらに地域の消防団にも加入、子どもの通う小学校のPTA会長も担うなど、地域コミュニティに貢献している。「地元の人に喜ばれることで、働く側もモチベーションがあがり、幸せな循環が生まれています」(画像提供/太陽住建)

「空き家を地域の交流の場として再生する」「その過程から地域住民にも参加してもらう」「地域の課題を解決するための場とする」の3つを目的とする「solar crew」は、SDGsの観点からも注目されており、「第8回 グッドライフアワード 環境大臣賞」(環境省)を受賞。
テレビ、雑誌などに取り上げられることも多く、空き家に悩む方からの問い合わせも急増。コロナ禍でリアルのイベントを休止していたが、現在は、人数を制限し、感染対策をしたうえで、少しずつ再開している。

「地域循環型共生圏」の取り組みが評価され受賞(画像提供/太陽住建)

「地域循環型共生圏」の取り組みが評価され受賞(画像提供/太陽住建)

「コロナ禍で地元で過ごす時間が増え、地域コミュニティに関心が高まっている人も多いはず。そんなとき、『solar crew』が地域のプラットフォームになれたら。どんな街でも、暮らす人がいれば、必要な機能があるはず。現在は神奈川県が中心ですが、今後は、浅草など都心の案件にも挑戦していくつもりです」

次回は7月25日(日)「床の造作・カウンターづくりDIYイベント」(in真鶴)。気になる人はチェックを。

●取材協力
株式会社太陽住建
Facebook「空き家でつながるコミュニティ『solar crew』」
(25日のイベント参加等の問い合わせはFacebookまで)

アートで防災!? まちをつなげて災害にそなえる「東京ビエンナーレ」のプロジェクトがおもしろい!

2021年7月10日からスタートする「東京ビエンナーレ2020/2021」で進行中の「災害対応力向上プロジェクト」。一見、アートから遠いように思える防災に国際芸術祭が取り組むと言います。その理由などを建築家でこのプロジェクトチームの一色ヒロタカさんに伺いました。
江戸の町火消しに着目、アートで地域コミュニティを創出したい

東京を舞台に開催する国際芸術祭、東京ビエンナーレ(開催期間:2021年7月10日~9月5日)。世界中から60組を超える幅広いジャンルの作家やクリエイターが東京に集結し、市民と一緒につくり上げていく芸術祭です。

テーマの「見なれぬ景色へ」は、「アートの力で都市の街並みに変化を起こしたい」という思いが込められている。栗原良彰《大きい人》2020 千代田区丸の内 Photo by ただ(YUKAI)(画像提供/東京ビエンナーレ)

テーマの「見なれぬ景色へ」は、「アートの力で都市の街並みに変化を起こしたい」という思いが込められている。栗原良彰《大きい人》2020 千代田区丸の内 Photo by ただ(YUKAI)(画像提供/東京ビエンナーレ)

アーティストの力で、「あ、この景色は何だ?」と思わせる。セカイ+一條、村上、アキナイガーデン《東京型家》完成イメージ図 2019 ©セカイ(画像提供/東京ビエンナーレ)

アーティストの力で、「あ、この景色は何だ?」と思わせる。セカイ+一條、村上、アキナイガーデン《東京型家》完成イメージ図 2019 ©セカイ(画像提供/東京ビエンナーレ)

ビルの壁一面に描かれた絵画。古いオフィス街に出現した巨大なアートへの違和感は、街に対する意識の変化につながる。Hogalee《Landmark Art Girl》2020 神田小川町宝ビル Photo by YUKAI ©東京ビエンナーレ(画像提供/東京ビエンナーレ)

ビルの壁一面に描かれた絵画。古いオフィス街に出現した巨大なアートへの違和感は、街に対する意識の変化につながる。Hogalee《Landmark Art Girl》2020 神田小川町宝ビル Photo by YUKAI ©東京ビエンナーレ(画像提供/東京ビエンナーレ)

そのコンテンツのひとつ、「災害対応力向上プロジェクト」は、アートから災害にアプローチする新たな取組み。芸術祭で災害や防災をテーマしたのはなぜでしょうか。
「アートを通じて、新しい地域コミュニティを生み出すことが目的です。地域コミュニティは、災害時の コミュニティにつながります。『火事と喧嘩は江戸の華』と謳われたように、江戸の町は火事がとても多かったんです。火事の被害を食い止める消防組織である町火消しは、町人が自主的に設けたもの。江戸の防災は、地域コミュニティと深く関わっていたのです」(一色さん)

上左から時計回りに、一色ヒロタカさん、村田百合さん、渡邉莉奈さん、内藤あさひさん。2年間、街のフィールドワークや催事に参加し、住民の声を集めながら、プロジェクトに携わってきた(画像提供/オンデザイン)

上左から時計回りに、一色ヒロタカさん、村田百合さん、渡邉莉奈さん、内藤あさひさん。2年間、街のフィールドワークや催事に参加し、住民の声を集めながら、プロジェクトに携わってきた(画像提供/オンデザイン)

東京都が区ごとに作成しているハザードマップを見ると、地震だけでなく、洪水・浸水・土砂災害などさまざまな災害が予想されています。

さらに、2019年12月には新型コロナウイルスが発生し、東京ビエンナーレは2020年夏の開催が延期に。2018年の発足時から掲げてきた東京ビエンナーレのコンセプトのひとつである「回復力」が、より切実なテーマとしてアーティストに突き付けられたのです。

「地震・雷・火事・水害等を対象にしてきましたが、コロナという大災害をふまえて、現在もプロジェクトをアップデートしようと模索を続けています。コロナ禍で自分と向き合う時間が増え、リモートワークなどで生活環境も大きく変わりました。災害が起きたとき、住んでいる街で、自分がどう行動するのか意識されるようになったのです。ところが、街全体の防災計画はあっても、個人レベルの細かい対策は、分からないことが多いんですね。そこで住民一人ひとりの悩みや不安に向き合ったアプローチをしようと考えました」(一色さん)

アーティストの視点で、街の課題・関係性を「見える化」

このプロジェクトを統括する事務局は、一色さん、村田百合さん、渡邉莉奈さん、内藤あさひさんによるチームで企画・運営しています。4人は東京ビエンナーレの全会場計画を担当している設計事務所オンデザインに所属する建築家です。オンデザインでは、住宅や各種施設の設計のほか、街づくりにも積極的に取り組んできました。

なかでも3.11のあと宮城県石巻市のまちづくり団体ISHINOMAKI2.0の立ち上げに関わった経験は、今回のプロジェクトに活かされています。

ISHINOMAKI2.0は、2011年5月に設立。震災前より今より街をバージョンアップしようと活動を続けている(画像提供/オンデザイン)

ISHINOMAKI2.0は、2011年5月に設立。震災前より今より街をバージョンアップしようと活動を続けている(画像提供/オンデザイン)

「震災前の元の街に戻すのではなく、石巻を世界でいちばん面白くて新しい街にしよう! という思いで会社として取り組んでいます。地域住民と対話しながら、津波で閉じてしまったシャッター街を、新しい街につくり変えるなど10年間拠点づくりをしてきました。街は地域住民の生活の器です。建築物をつくるだけでなく、地域の課題や関係性をふまえて街全体を設計するのも建築家の役割だと考えています。地域住民の不安を発掘し、課題を『見える化』するプロセスは、アートを手掛かりに街の課題を考えていく今回のプロジェクトに通じます」(一色さん)

そこで、災害対応力向上プロジェクトでは、災害対策ではなく、「災害を受け止められる地域のコミュニティをつくる」ことを最終目標に挙げています。

2019年8月に、フィールドサーベイを神田エリアで実施し、地域住民とフィールドワークをしながら、災害につながる危険な場所をリサーチ。リスクを『見える化』する取組みがスタートしました。

一色さんほかプロジェクトメンバーが同行して行われた神田エリアフィールドサーベイの様子 2019年8月実施(画像提供/オンデザイン)

一色さんほかプロジェクトメンバーが同行して行われた神田エリアフィールドサーベイの様子 2019年8月実施(画像提供/オンデザイン)

「わたし」の不安に「わたしたち」が答えるVOICE 模型

東京ビエンナーレは千代田区・中央区・文京区・台東区を中心に、周辺の区へも滲み出しながら開催されますが、災害対応力向上プロジェクトは、千代田区を中心に展開します。住民やこのエリアを活動拠点としている方々から、ヒアリングによって拾い上げた声を視覚化した「VOICE模型&MAP」を展示の軸として制作が進んでいます。

VOICE模型&MAPには、ヒアリングから得られた課題を「 VOICE」として表出させ、展示を見に来たさまざまな方々からの「アンサー」により、参加型で課題解決を図るアプローチを試みる(画像提供/オンデザイン)

VOICE模型&MAPには、ヒアリングから得られた課題を「 VOICE」として表出させ、展示を見に来たさまざまな方々からの「アンサー」により、参加型で課題解決を図るアプローチを試みる(画像提供/オンデザイン)

「今はヒアリングの段階で、千代田区の社会福祉協議会や五軒町の町内会など、地域のさまざまな人から声を集めている最中です。個人の不安・課題(VOICE)に、地域の資産(人・スキル・物)を集め、シェアできる場になれば。どこにどんな声があるかMAPで分かるようにして、具体的な解決を模型で表現しています。例えば、『庭を囲んでいる塀が倒れたら?』という不安には、『避難路に崩れたブロックをどかす軍手が必要だ』『前回の地震で、夜間の避難は、懐中電灯があって助かった』というアドバイスが集まります。家の模型やグッズで示し、具体的に解決する手段を伝える試みです」(渡邉さん)

「地震で塀が壊れたらどうしよう」という一人の不安に対し、「歩行者を守る修繕なら区からの補助金で直せるよ」「もしもの時、足元が悪いから懐中電灯を備えておくと安全だよ」など皆からアドバイスが集まる(画像提供/オンデザイン)

「地震で塀が壊れたらどうしよう」という一人の不安に対し、「歩行者を守る修繕なら区からの補助金で直せるよ」「もしもの時、足元が悪いから懐中電灯を備えておくと安全だよ」など皆からアドバイスが集まる(画像提供/オンデザイン)

無印良品計画とのコラボ「いつものもしも、市ヶ谷」

開催中、神田五軒町と市ヶ谷に2カ所の仮設防災センターを設置する予定です。「いつものもしも、神田五軒町エリア」は、民設民営のアートセンター3331Arts Chiyoda前のビル1階のテナントスペースに期間限定の仮設拠点として設けられ、VOICE模型&MAPの展示や防災の知識を学ぶワークショップ等が行われる予定です。

「いつものもしも、神田五軒町エリア」は、空きテナントを利用し、会期中に設置される予定(画像提供/オンデザイン)

「いつものもしも、神田五軒町エリア」は、空きテナントを利用し、会期中に設置される予定(画像提供/オンデザイン)

神田五軒町と市ヶ谷の2拠点で開催(画像提供/オンデザイン)

神田五軒町と市ヶ谷の2拠点で開催(画像提供/オンデザイン)

「いつものもしも、市ヶ谷エリア」は、MUJI com武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス店内に特設します。 良品計画では、毎月11日から17日までを『くらしの備え。いつものもしも。』期間とし、防災に役立つ商品をコラムと共に紹介しています。そのノウハウを活かし、東京ビエンナーレと良品計画のコラボした防災セットの展示や販売を行います。

人によって必要な防災グッズは異なる。東京ビエンナーレと良品計画のコラボした防災セットの販売のほか、それぞれに合った防災セットのつくり方を提案する予定(画像提供/良品計画)

人によって必要な防災グッズは異なる。東京ビエンナーレと良品計画のコラボした防災セットの販売のほか、それぞれに合った防災セットのつくり方を提案する予定(画像提供/良品計画)

「いつものもしも、市ヶ谷エリア」は、良品計画の店舗内に設置が予定されている。市ヶ谷には、学校やオフィスが多い。店舗を訪れる様々な年齢層が参加できる場をつくろうと企画中(画像提供/良品計画)

「いつものもしも、市ヶ谷エリア」は、良品計画の店舗内に設置が予定されている。市ヶ谷には、学校やオフィスが多い。店舗を訪れる様々な年齢層が参加できる場をつくろうと企画中(画像提供/良品計画)

「個人の声にとことん向き合うことで、街を変えていきたい。マンションに住んでいて地域コミュニティへの参加が難しいなど、自分と同じような声と出会い、『わたし』から『わたしたち』へ街を見る目が変わっていきます。東京ビエンナーレのキャッチフレーズは、『見なれぬ景色へ』。当たり前だった街の景色を変えられたとしたら、それはアートの力です。関係性によって生まれる街の魅力は、不動産価値だけではかれない街の価値です。建築家としての視点で、人や都市にアプローチして、見えないものを表出していきたいと思っています」(一色さん)

オンデザインの自主メディア「BEYOND ARCHITECTURE」では、プロジェクトに携わる人へのインタビューなど活動内容を発信している(画像提供/オンデザイン)

オンデザインの自主メディア「BEYOND ARCHITECTURE」では、プロジェクトに携わる人へのインタビューなど活動内容を発信している(画像提供/オンデザイン)

東京ビエンナーレは、今後、2年に1度開催される予定です。アートで復元・出現した地域コミュニティに関わることで、新たな「わたし」を発見できる。アートのための催事に終わることなく、市民レベルの体験を生み出そうとチャレンジが続いています。

●関連記事
無印良品の“日常”にある防災、「いつものもしも」とは

●取材協力
・東京ビエンナーレ
・オンデザイン
・BEYOND ARCHITECTURE

顔見知りになることで孤立・孤独をなくす防災を。渋谷でつながりの輪広がる【わがまち防災4】

2011年の東日本大震災、いわゆる「3・11」からちょうど10年。各地域で防災への関心が高まり、取り組まれるようになった。いま「地域の防災」はどうなっているのだろうか。
第4回にご紹介するのは、東京都渋谷区の「渋谷おとなりサンデー」。2017年から毎年6月を中心に開催される交流機会で、“ふだん話す機会の少ない近隣の人ともっと顔見知りになる”ことを目的にしている。こうした地域コミュニティの活性化は防災時にも役立つだろう。

世界で約800万人が参加するパリ発の「隣人祭り」

ヒントにしたのは1999年にパリで始まった「隣人祭り」。高齢者の孤独死を防ぐために住民たちがアパートの中庭に集まり、ワインやチーズを持ち寄って交流するというものだ。現在ではヨーロッパ29カ国、約800万人が参加する市民運動となっている。

渋谷区役所・区民部地域振興課の山口啓明さん(53歳)は言う。
「渋谷版の『隣人祭り』を開催しようと発案したのは現・長谷部健区長。渋谷区議時代から地域のいろんなコミュニティで“仲間を増やしたい”という共通課題があることを感じていたなかで、パリの『隣人祭り』を知り、地域内で交流の輪を広げる機会として導入したようです」

他の都心部のまちと同様、渋谷区も人口・世帯数が増加する一方で核家族化が進んでいる。転入者の多くは20代~40代で、そのほとんどが集合住宅(賃貸マンション・アパート)で暮らす。

(出典:東京都監察医務院で取り扱った自宅住居で亡くなった単身世帯の者の統計)

出典:東京都監察医務院で取り扱った自宅住居で亡くなった単身世帯の者の統計

いわば、周囲との繋がりがない状況で、結果として「家と会社との往復だけで身近に知り合いがいない若者」や「周りに相談できる知り合いがおらず、子育てに悩む夫婦」のような人々が増えているという。
「『渋谷おとなりサンデー』は、孤独死という悲しい出来事が起きる前段階の、孤独・孤立している人、もしくは孤独・孤立のリスクの高い人に向けて、まずは“誰かと知り合うきっかけを提供する”ことを目的に実施しています」(山口さん)

非常食のリゾットを食べながら防災について学ぶ

初年度は、6月第一日曜日にカフェでボードゲーム、公園でピクニック、オフィス前の道路でチョークアート、地域の清掃活動など、区内の39カ所で交流機会が開かれた。その後、年を経るごとに交流機会の数は増えている。

(写真提供/ファイヤー通りバーチャル町会)

(写真提供/ファイヤー通りバーチャル町会)

(写真提供/渋谷区役所・区民部地域振興課)

(写真提供/渋谷区役所・区民部地域振興課)

防災面では、東京消防庁や陸上自衛隊の協力のもとで災害体験や消化体験などをVRで体験できる「渋谷防災フェス」と連動する形で、「渋谷おとなりサンデー~防災編~」を開催。2019年度は非常食のリゾットを食べながら防災について学んだ。

(写真提供/渋谷区危機管理対策部防災課)

(写真提供/渋谷区危機管理対策部防災課)

しかし、2020年度は新型コロナウイルスの影響で人が集まるイベントは軒並み中止。代わりに、オンライン会議ツールZoomを通じて、子育て、高齢者福祉、グルメなどについての情報交換が行われた。

マルシェの開催を機に地域の飲食店を救う動きも

なお、渋谷区が主催するのは6月のみ。その他は「おとなりサンデー」の旗印さえ掲げれば誰でも自由に交流機会を主催できる。山口さんが強く印象に残っているのは、2019年度に開かれた「代々木深町フカマルシェ」だという。

(写真提供/代々木深町フカマルシェ実行委員会)

(写真提供/代々木深町フカマルシェ実行委員会)

「富ヶ谷の代々木深町小公園で、生産者とつながりを持つ地域のお店が出店し、住民が集うというマルシェで、子育て中の母親たちが『身近な地域でつながりをつくりたい』という思いから、地域のお店、子育てサークル、企業、町内会などに声をかけて実現した交流機会です」
渋谷区が行ったのは、企画内容の相談対応と、保健所や公園使用許可の申請サポートのみで、それ以外は主催者任せだ。

(写真提供/渋谷区役所・区民部地域振興課)

(写真提供/渋谷区役所・区民部地域振興課)

さらに、このマルシェの開催で“知り合いの輪“が広がり、コロナ禍で苦境に立たされている地域の飲食店を支えるための、代々木・富ヶ谷・上原エリアのテイクアウト・デリバリーMAPの立ち上げにもつながった。さまざまな意味で「渋谷おとなりサンデー」のモデルケースだと山口さんは振り返る。
「渋谷おとなりサンデーを実際に始めてみて、一番関心が高かったのが小さな子どもを持つ世帯。子育て世帯を中心に、いかに参加しやすい仕組みにしていくかが今後の課題ですね」

昨年末から長崎版「隣人祭り」もスタート

今年の6月はコロナを巡る状況を見ながら、リアルとオンライン両方の交流機会の開催を呼びかけるそうだ。いずれにせよ、集まって交流することがためらわれるなか、各地で「人とのつながりの希薄化」や「関係性の分断」が起きているのも事実。
「生活や子育ての悩みなどを誰にも相談できず、不安や孤独を感じる人がいる一方で、新しい生活様式に合わせて新たな活動を始める人もいます。『渋谷おとなりサンデー』では、コロナ禍におけるそのようなコミュニティ活動を引き続きサポートしていく予定です」
なお、今年で5年目を迎える「渋谷おとなりサンデー」だが、全国の自治体から問い合わせが来ている。その中のひとつ、長崎市では昨年から「ながさき井戸端パーティー」という長崎版「隣人祭り」を始めた。こうして、地域のコミュニティづくりのノウハウは広がっていく。
山口さんによれば、「渋谷区は意外と町内会の活動が盛んで、笹塚、初台、千駄ヶ谷あたりはイベントやお祭りがすごく盛り上がる」という。とくに千駄ヶ谷は商店街と町内会のタッグが強力で、オンラインで盆踊りを開催するなど、柔軟な思考でコロナ禍を乗り切ろうとしている。

(写真提供/千駄ヶ谷大通り商店街振興組合)

(写真提供/千駄ヶ谷大通り商店街振興組合)

渋谷区のような都心部はマンションに住む単身者や核家族が多く、人が孤立しやすいイメージがある。しかし、一方でつながりづくりへの感度も高いことが伝わってきた。どこに住んでいても、災害時に頼りになるのは“隣人”。自分が住む街でのつながりも、関わり方ひとつで見え方が変わってくるかもしれない。

●取材協力
渋谷区役所・区民部地域振興課

愛する地元は自分たちで守る! 防災エキスパートの育成が亀有で始まる【わがまち防災2】

2011年の東日本大震災、いわゆる「3・11」からちょうど10年。このタイミングで「地域の防災」をテーマに具体的な活動事例を取材した。

第2回にご紹介するのは「亀有共助プロジェクト」。これは、葛飾区亀有エリアでアロマや健康や育児に関する講座を主宰していた小西昭美さん(37歳)が“防災エキスパートパパ・ママ”を育成しようと立ち上げたものだ。

本格的なスタートは今年の4月になるという。今回は、そんな小西さんに亀有への愛と「防災の輪」の広げ方について聞いた。

ママ向けの講座を始めたのは「子どもが大好きだったから」

今回のプロジェクトのテーマは100%、「防災」。小西さんは亀有エリアのママたちに向けてアロマや環境に関する講座を開いていたが、同時に多くの人から防災に対する不安の声も聞いていた。

小西さんがママたちを対象とした講座を始めたのは、「子どもが大好きだったから」。独身時代に「子育てアドバイザー」の資格を取るほどの情熱で、当時も子どもができた今も、人生のテーマは「子どもの発達と親子関係」だという。

西亀有にあるGreenroom&Kitchen茶々というカフェスペースで開催していたアロマ講座の様子(画像提供/亀有共助プロジェクト)

西亀有にあるGreenroom&Kitchen茶々というカフェスペースで開催していたアロマ講座の様子(画像提供/亀有共助プロジェクト)

そんなタイミングで出会ったのが、前回の記事にも登場した百年防災社代表の葛西優香さん(34歳)だ。地域の防災計画を推進する、いわば“防災のプロ”だ。

葛西さんは、かつしかFMの『かつぼうそなえチャオ!』という防災番組のパーソナリティーを務めている。この番組に小西さんが出演したのは昨年7月。

「番組の最後に、葛飾区民がリレー形式で感想を話す『防災の輪』という枠があって、私のお友達からバトンが回ってきたんです。それがきっかけで葛西さんと防災トークをするようになり、防災は地域との連携が大事だなと感じるようになりました」

ラジオで防災のプロとしてトーク中の葛西さん(画像提供/百年防災社)

ラジオで防災のプロとしてトーク中の葛西さん(画像提供/百年防災社)

避難所を運営するカードゲームを体験して気付いたこと

その後2020年12月に、小西さんは百年防災社が開発中のカードゲームの会に誘われた。

「内容は、みんなで協力し合って避難所を運営するというもの。まず、鍵がないのでいろんなツテをたどって町内会の会長から鍵を受け取るところから始まり、押し寄せる避難者に対応するんです。みなさんと一緒に頭をフル回転させてとても楽しかったです。同時に、地域や町内会と連携する『共助』の重要性にも気付かされました。その日のうちに『亀有deみんなで守る共助』というLINEグループをつくり、自分たちにできることは何かと考え始めることになりました」

カードゲームは今年の4月末に完成予定(画像提供/百年防災社)

カードゲームは今年の4月末に完成予定(画像提供/百年防災社)

自分たちにできること――それは例えば、備蓄。小西さんの防災に対する意識は高いものの、まだいざというときの備蓄態勢は整っていない。今後、葛西さんの備蓄品を参考にしながら買いそろえたいという。

現在の防災備蓄は水、食料、簡易トイレのみ(画像提供/亀有共助プロジェクト)

現在の防災備蓄は水、食料、簡易トイレのみ(画像提供/亀有共助プロジェクト)

一方、防災の専門家である葛西さんは「いつも鞄に入れて持ち歩くもの(ヘッドライト、ビニール袋、トイレ、マウスピース、非常笛など)」、「車での移動が多いので車載用」、「逃げる際のリュック(背負って走れる重さ)」と、いつ災害が起きても対応できる万全の態勢を取っている。

こちらは「鞄に入れて持ち歩く防災グッズ」(画像提供/百年防災社)

こちらは「鞄に入れて持ち歩く防災グッズ」(画像提供/百年防災社)

葛西さんとの出会いを機に、防災活動は地域との繋がりが大事だと気付いた小西さん。近い将来、地元の町会に入るつもりだ。

愛する町だからこそ、防災への意識を高めておきたい

小西さんは、地元・亀有を愛している。

「妊娠したタイミングで引越してきたんですが、本当に子育てがしやすい。遊具が充実している公園が近くにいっぱいあって、スーパーに行けば、素材にこだわったちょっと意識の高い商品が並んでいます(笑)」

亀有を代表する商店街「ゆうろーど」(画像/PIXTA)

亀有を代表する商店街「ゆうろーど」(画像/PIXTA)

災害時の広域避難所にも指定されている上千葉砂原公園(画像/PIXTA)

災害時の広域避難所にも指定されている上千葉砂原公園(画像/PIXTA)

お隣の足立区だが「お散歩圏内」の大谷田南公園(画像/PIXTA)

お隣の足立区だが「お散歩圏内」の大谷田南公園(画像/PIXTA)

また、同じエリアで出会ったパパ・ママたちは、自然派の子育て、現在の政治、そして防災について熱心に語り合える貴重な存在だ。

「防災について言えば、それぞれが問題意識を持って考えていましたが、それらを繋げる場所がなかった。さっきのLINEグループもそうですが、まずは顔見知りになっておくことが重要だと思います」

全講座を受講した人は「防災エキスパートパパ・ママ」に認定

4月からは「自助力」「共助力」という2つのテーマでさまざまな防災講座を開催する予定だ。申し込みは先着順で、密を避けるために1回あたり会場に5名ずつという制限も設けた。

ここに「公助力(行政との連携)」も加わる予定だ(画像提供/亀有共助プロジェクト)

ここに「公助力(行政との連携)」も加わる予定だ(画像提供/亀有共助プロジェクト)

小西さんの専門分野であるアロマ講座も(画像提供/亀有共助プロジェクト)

小西さんの専門分野であるアロマ講座も(画像提供/亀有共助プロジェクト)

「ママたちに向けてアロマ講座をやってきた経験から、例えば避難所でアロマを体験してもらえれば傷や火傷に対応できたり、除菌もできますし、リラックス効果もあるので、感情の切り替えもできる。6月から8月にかけて予定している講座は、そのシミュレーションなんです」

防災の準備に必要な備蓄品について知ることから始まり、最終的には町会や地域の高齢者も一緒になって避難所運営を学ぶプログラムとなっている。

1年をかけて全講座を受講した人は「防災エキスパートパパ・ママ」に認定。ここで培った「自助力」「共助力」のノウハウは別のパパ・ママたちに伝えられるとともに、そこからさらに拡散してゆく。

「テーマ縁」で形成されるパパ・ママ友コミュニティ

小西さんとともに講座を企画する百年防災社の葛西さんは言う。

(画像提供/亀有共助プロジェクト)

(画像提供/亀有共助プロジェクト)

「近所のコミュニティ、すなわち縁が生まれる背景には、地縁、テーマ縁、血縁、学校縁があると思います。小西さんの『亀有共助プロジェクト』は、まさに防災というテーマでつながる“テーマ縁”で形成されるパパ・ママ友コミュニティですね」

アロマ縁、環境縁、そして葛西さんのラジオに出演したことを機に生まれた防災縁。各エリアにいるというパパ・ママ友コミュニティに加えて、今後、町会との繋がりも深くなれば防災講座もより深く、実践的になるだろう。

いろんな縁を結んでいた小西さん。それが、結果的に地域を守る防災につながろうとしている。ちょっとした縁をきっかけに起こした行動から新しい防災の芽が生まれる。これは、どの地域にも起こり得ることかもしれない。

●取材協力
亀有共助プロジェクト
百年防災社

海抜0m地帯に住む親だから。助け合える地域のつながりづくりを【わがまち防災1】

2011年の東日本大震災、「3・11」からちょうど10年。各地域で防災の取り組みが生まれ、取り組まれるようになった。いま「地域の防災」はどうなっているのだろうか。

第1回に紹介するのは「ハハモコモひろば」。東京の葛飾区を中心に江戸川区、江東区と広いエリアで親子コミュニティを形成している。いずれも海抜0m地帯ゆえ、防災意識が高いパパ・ママが多い。今回は、代表のナオさん(42歳)にいざというときに周りの人と助け合う“共助”にもつながる、知り合いづくりの取り組みについて聞いた。

3・11で困ったのは乳児用のミルクをつくるための水問題

「3・11といえば、金町浄水場の水道水から1kmあたり210ベクレルという高い放射性ヨウ素が出たんです。それまで、乳児のミルクをつくるのに水道水を使っていたんですが、当時は焦ってミネラルウォーターを探し回りました」

葛飾区、江戸川区、江東区の全域に給水する金町浄水場(画像提供/pixta)

葛飾区、江戸川区、江東区の全域に給水する金町浄水場(画像提供/pixta)

区が備蓄していた水を配布したり、西日本の親戚が送ってくれたりと、結果的には何とか乗り切った。しかし、災害に備えること、そしていざというときに助け合えるような知り合いを日ごろからご近所でつくっておくことの重要性を知った経験だったという。

その知り合いづくりのきっかけになればと、ナオさんは地域でやっているイベントに参加してみることにした。

「ハハモコモひろば」の前身は2009年に発足した「母の会」である。ナオさんは2010年に出産したタイミングで、保健所が主催する乳児の会に出席。そこで知り合ったママさんに「母の会」の存在を教えてもらい、さまざまなイベントに参加するようになった。
「母の会」は2015年に『ハハモコモひろば』に名称を変更し、2012年からスタッフ加入したナオさんが昨年から代表を務めている。

オンラインで人気だった「おうちプレようちえん」2012年、「母の会」時代に開催したクリスマスイベント(写真提供/ハハモコモひろば)

2012年、「母の会」時代に開催したクリスマスイベント(写真提供/ハハモコモひろば)

「主な活動内容は、ママ向けや親子向けの教室を開催したり、親子で楽しめるワークショップを集めたフェスのようなイベントを行ったりしています。文字どおり、“母も子も”楽しめるイベントが多く、もちろんパパさんも参加可能です」

スタッフとイベント参加者(画像提供/ハハモコモひろば)

スタッフとイベント参加者(画像提供/ハハモコモひろば)

内容は必ずしも防災につながることばかりではなく、地域の防災に重要なのは、“いざ”というときに助け合えるように関係性を高めておくこと。そのため、コロナ禍でもオンラインイベントを途切れさせることはなかった。

昨今は会議やミーテイング、保育園・幼稚園の説明会、塾の保護者会などもオンラインツールのZoomで行われているが、使い方が分からないというママも多い。そんなママたちと楽しくお喋りをしながら「Zoomの使い方」をやさしく教えるイベントだ。

2020年4月から「Zoom」を使ってさまざまなオンライン講座を開催

2020年4月から「Zoom」を使ってさまざまなオンライン講座を開催

また、2020年6月からZoomを使って毎月開催している「おうちプレようちえん」。2~3歳の子どもが入園前に体験する「プレ幼稚園」の雰囲気を家で体験してもらおうと、幼稚園ママのスタッフと元保育士のママで企画したものだ。

子どもの名前を呼んで出席も取る「おうちプレようちえん」(画像提供/ハハモコモひろば)

子どもの名前を呼んで出席も取る「おうちプレようちえん」(画像提供/ハハモコモひろば)

「スタッフは、“年齢がバラバラ”“子どもの学校も別々”“同じ町内に住んでいるわけでもない”と、本来であれば出会わなかったかもしれない人達。奇跡的な繋がりだと思っています。地域やパパ・ママたちに何か貢献したい!という、共通の思いを持って参加しているので、時には本気でディスカッションすることもあります。大人になって出会えた“最高の仲間”だと思います」(ナオさん)

葛飾区は防災イベントに若いパパ・ママを呼び込みたかった

こうしたゆるやかなつながりづくりのなかで、防災の講座やイベントも行っている。

2016年からは葛飾区と組んで「パパママ防災講座」「パパママ水害講座」などを実施してきた。ナオさんが「かつしかFM」の番組に出演したことをきっかけで危機管理課の職員と繋がったという。

「予想に反して防災意識が高いパパさんは多くて、『パパママ水害講座』もパパさんしか参加しなかった年があります」

2018年に行った「パパママ水害講座」の様子(写真提供/ハハモコモひろば)

2018年に行った「パパママ水害講座」の様子(写真提供/ハハモコモひろば)

「葛飾区としては防災イベントに年配の方は来るけど、子育て中のパパ・ママ世代がなかなか来てくれないという悩みがあったようです。こちらも防災や水害時の対応に関する区の取り組みを聞きたかったので、需要と供給がちょうどマッチしました」

葛飾区、江戸川区、江東区の多くは海抜0m地帯。豪雨の際の水害が気になるところだ。

「2019年の台風(令和元年東日本台風)の時は避難したスタッフもいました。パパママ水害講座で、避難の考え方を葛飾区危機管理課の方に教えていただいていたので、自治体からの情報を確認しながら判断することができました」

荒川が氾濫すると葛飾区の西部地域に水が流れ込む(画像提供/葛飾区)

荒川が氾濫すると葛飾区の西部地域に水が流れ込む(画像提供/葛飾区)

行政と協働しようとする姿勢に“防災のプロ”も注目

防災に関する情報を発信し続けている“防災のプロ”、百年防災社。代表の葛西優香さん(34歳)も「ハハモコモひろば」の活動に注目している。

「さまざまな防災講座を設けるとともに、行政と積極的に関わって協働しようとする姿勢も感度が高いと思います。代表のナオさんは思いついたことをすべて行動に移す推進力を持っており、その後も地域と積極的に繋がっていくパパ・ママさんたちを輩出してきたコミュニティですね」

ナオさんたちは、先日も葛飾区主催の「(女性のための防災講座」災害時のトイレ・衛生対策」に広報協力したうえで、講座にも参加した。自宅に災害時用の簡易トイレはあるが使ったことはない。実際に使用してみることで、具体的なイメージができたという。

「災害時のトイレ・衛生対策」(画像提供/葛飾区)

「災害時のトイレ・衛生対策」(画像提供/葛飾区)

こうした活動を通じて、ナオさんをはじめ、参加者のママさんたちの防災意識はさらに高まっていった。防災対策に関する知識も養われたという。

例えば、実際に、ナオさんも簡易トイレ以外に「非常食はローリングストック法で備蓄」「上着は、普段から防水力のあるレインウェアにする」「外でバッテリーが切れたときのために、携帯電話は2台持ちにしてモバイルバッテリーも常に持ち歩く」などの防災態勢を整えた。

簡易トイレもそうだが、トイレットペーパーも備蓄しておくに越したことはない。ナオさん宅では、通常より数倍長い「長巻きトイレットペーパー」を何ロールか常備している。昨年、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で店からトイレットペーパーが消えたときも、とくに困らなかったそうだ。

これらの商品は生協などで買っている(画像提供/ハハモコモひろば)

これらの商品は生協などで買っている(画像提供/ハハモコモひろば)

長く続けるコツは「自分たちが楽しむ」こと

実は、こうした地域コミュニティは「できては消え、できては消え」ていくそうだ。長く続けるコツをナオさんに聞いた。

「コミュニティをつくるのは簡単ですが、継続させるのが難しい。一番大事なのは、自分たちが楽しむことを忘れず、やりたいことをやるということじゃないでしょうか。例えば、ママたちの間で流行しているハンドメイド講座があっても、私たちがピンとこなかったときには、無理に手を出しませんでした。スタッフはみんなボランティアでやっていて、本業もあったり、子育てもしているママです。楽しさを失ってしまうとバランスが崩れて続かないと思います」

ナオさんたちの活動の軸は「ママたちを元気づけたい!」という思い。さまざまなイベントを通じてママたちが元気になり、地域が活性化し、そして防災意識が高まる。この好循環が、心地よいコミュニティづくりへとつながっている。

防災をメインとしていなくても、こうしたつながりづくりが結果的に地域の防災につながる。自分の住む街にどんな自治会や地域のコミュニティがあるか、見直してみてもいいかもしれない。

●取材協力
ハハモコモひろば
百年防災社

ごみ捨て場が憩いのサロンに! 奈良県生駒市「こみすて」が面白い

日々、何気なく行っている「ごみ捨て」を切り口として、地域のコミュニティを活性化させる「こみすて」という取り組みが奈良県生駒市の萩の台住宅地ではじまりました。どんな取り組みで、まちにどんな変化があったのでしょうか。中心となっている自治会や行政、企業に話を聞きました。
ごみ捨てしながらおしゃべり。子どもも大人も楽しめる場所に!

一戸建てやマンション、住まいの種別によっても異なりますが、日々、行う「ごみ捨て」。ご近所の人や同じマンションの人が自然と集まるため、すれ違えば軽く会釈をする、あいさつをするという人も多いことでしょう。このごみ捨ての「自然と人が集まる」特性を利用してはじまったのが、「こみすて」という取り組み。「こみすて」は、「ごみすて」と「コミュニティステーション」をかけて名付けられた愛称です。

「こみすて」をはじめた奈良県生駒市の萩の台住宅地自治会。加入している世帯は700世帯ほどで、大阪からのアクセスが良い郊外の住宅街です。ここでは、自治会館脇の入り口付近に資源ごみ回収ボックスを設置し、家から出る生ごみや廃油、小型家電、ベルマークやペットボトルキャップ、廃トナー、使用済み切手が持ち込めるようになっています。

ごみ捨てをきっかけにした地域活性化の取り組み。宮城県南三陸町でアミタが行った実証実験がベースになっている(写真提供/アミタ株式会社)

ごみ捨てをきっかけにした地域活性化の取り組み。宮城県南三陸町でアミタが行った実証実験がベースになっている(写真提供/アミタ株式会社)

この「こみすて」の最大の魅力は、この場に行けばコーヒーを飲みながらご近所の誰かに会えて話しができたり、思い思いに過ごせたりする点でしょう。特に現在は新型コロナウイルスの影響で、なかなか大勢の人が一度に集まることは難しくなっていますが、ここでは子どもから高齢者まで自然と会話が生まれ、少しずつ距離を縮めて、顔なじみになっていくといいます。

訪れた人にコーヒーがふるまわれることもある(写真提供/中垣由梨さん)

訪れた人にコーヒーがふるまわれることもある(写真提供/中垣由梨さん)

マルシェでは子どもたちが活躍する姿も(写真提供/アミタ株式会社)

マルシェでは子どもたちが活躍する姿も(写真提供/アミタ株式会社)

実証実験時はリユース市も常設されていた(写真提供/アミタ株式会社)

実証実験時はリユース市も常設されていた(写真提供/アミタ株式会社)

2019年12月に「日常の『ごみ出し』を活用した地域コミュニティ向上モデル事業(※)」の実証実験として始まったこの「こみすて」の運営を担っているのは、現在は自治会長の山下博史さん、佐藤郁代さん、大谷良子さん、木村文穂さんはじめ、地域住民のみなさん。最初に社会実験としての立ち上げに携わったのは、アミタ株式会社の社会デザインPJチーム(当時)、設計のアドバイスを行ったのが株式会社グランドレベルの大西正紀さんです。

アミタの、ごみ出しという誰もが日常的に必要な行為をきっかけに、誰もが参画・協働できる持続可能なコミュニティを形成したいという想い。ごみ捨てに来てコーヒーを飲めるなどさまざまな要素が集まる、生駒市の複合型コミュニティづくりを推し進めていきたいという想い。それらが重なり、実証実験を経て、2020年度からは、「複合型コミュニティづくり」という施策のひとつとして進めています。また、地域新電力会社であるいこま市民パワー株式会社がコミュニティサービスの一環で「こみすて」をはじめとする「複合型コミュニティづくり」支援をしています。

「何するの?」からスタート。すると思わぬ出会いが!

とはいえ、そもそも「ごみ捨て」で地域活性化といっても、今までの世の中にはない仕掛けです。仕掛ける側、地域の方々ともに戸惑いはなかったのでしょうか。

「実証実験開始前にアミタさんや行政から話を聞いたときには、『具体的に分からん、何するの?』と質問しましたね(笑)。ただ、環境問題解決や地域の活性化になるのであれば、これは正しいし、やったほうがいいだろうと。幸い、現在の自治会のメンバーは助けてくれる人も多く、まあなんとかなるだろうと始まりました」と自治会長の山下さんは振り返ります。何をするのか分からなかったのは、自治会の大谷さんも同じだったと述懐します。

「取り組みをなかなか十分に理解ができていなかった部分がありますね。特に、緑道に生ごみの資源化装置が運び込まれたときは驚きました。民家も近いので、物音や話し声、ニオイなど、周辺に迷惑がかからないよう気を使いました」と話します。

生ごみ資源化装置、通称「めたん君」。ここで生ごみはガスと液体肥料になる(写真提供/アミタ株式会社)

生ごみ資源化装置、通称「めたん君」。ここで生ごみはガスと液体肥料になる(写真提供/アミタ株式会社)

ただ、こうした「こみすて」の取り組みにいち早く反応した人がいました。萩の台住宅地で育ち、現在は働きながら子育てをしている真下藍さんです。

「2019年11月に、生駒市主催のイベントでグランドレベルの田中元子さんの講演を聞いていて、自分の好きなまちで自分の好きなことをやる“自家製公共(マイパブリック)”や、まちの目の高さの風景(グランドレベル)をいかにつくるか ということが気になっていたんです。そのあと、資源ごみステーションをつくるために、アミタさんとグランドレベルさんがこの街に視察に来られていた現場に、偶然出くわしたのです。『これは面白くなりそう。きっと思いもよらない景色が生まれるはず……!』と直感して、立ち上げのタイミングから、ここで生まれる風景を記録して共有したいと思いました」といいます。

真下さんの直感は当たり、住民の自主的なDIYでベンチができたり、今まで自治会活動とは関わりなかったような若い世代が積極的に関わるようになっていったとか。また、ロゴをつくったり、真下さんがSNS「こみすてノート」 で発信していくことで、生駒市内外にも取り組みが知られるように。このときは実証実験ということで、アミタのスタッフが常駐し、地域交流のイベントを計画し実行することも多かったとのこと。こうして地域に「こみすて」が徐々に浸透していったといいます。

「こみすて」に「子どもスタッフ」の登場! 地域に笑顔が生まれる

取り組みで大きかったのは子どもたちの存在です。
「アミタのスタッフさんに子どもたちがよくなついて集まるように」(大谷さん)といい、ついには“こみすて子どもスタッフ”として自主的に関わるように。

(写真提供/アミタ株式会社)

(写真提供/アミタ株式会社)

子どもスタッフの名刺。子どもたちの活躍がこみすての起爆剤に(写真提供/こみすてノート)

子どもスタッフの名刺。子どもたちの活躍がこみすての起爆剤に(写真提供/こみすてノート)

地域の子どもたちにペイントしてもらったこみすての壁画。ほかにも、DIYで作成したものが多数(写真提供/こみすてノート)

地域の子どもたちにペイントしてもらったこみすての壁画。ほかにも、DIYで作成したものが多数(写真提供/こみすてノート)

確かに子どもの字で書かれたお知らせやごみの分別の仕方を見ていると、これは大人が守らねばという気持ちになります。こうしてワイワイと楽しんでいることで、高齢者も積極的に参加するようになり、仲間が増えていったといいます。

おえかきボードの設置や現地掲示物を作成する子どもスタッフたち(写真提供/アミタ株式会社)

おえかきボードの設置や現地掲示物を作成する子どもスタッフたち(写真提供/アミタ株式会社)

「記憶に残っているのは、ご高齢のおばあちゃんかな。『こみすて』に来るのが日課になって、人に会って会話をすることで気持ちのうえでも、足腰の健康のうえでも張り合いになったようで。通ううちに、記憶もしっかりしていったのが印象に残っています」と山下会長は言います。

実利的な側面として、家庭から出るごみの量が減るという効果もありました。ただ、新型コロナウイルスの影響もあり、実証実験はいったん2カ月で終了となりました。それでも2020年12月に、自治会が主体となって、小さくとも再スタートをきることに。

「予算やスタッフなど、実証実験中のようにはいきませんが、とにかく身の丈で楽しく続けていこうと」(山下会長)。とはいえ、萩の台住宅地の自治会も、高齢化や自治会の担い手不足などとは無縁ではありません。それでも、取り組む理由はどこにあるのでしょうか。

「『こみすて』も自治会活動も、継続がいちばん難しい。年齢的にもどこまでできるか分からないけれど、続けていくには、楽しく取り組んでいる姿を見せるのが一番なんじゃないかな。さきざき、どうやっていくかは若い人たちにまかせて(笑)、できることを楽しそうに続けていくことがいいと思っています」。また、大谷さんも、「継続していくことで今は無関心な人も、遠くから見ている人も参加してくれると思います」と話します。

初対面同士がベンチに座って談笑。実証実験ではこのような光景が随所で見られた(写真提供/アミタ株式会社)

初対面同士がベンチに座って談笑。実証実験ではこのような光景が随所で見られた(写真提供/アミタ株式会社)

現役世代の真下さんはどのように感じているのでしょうか。
「私自身、出産直後に住んでいた所では、慣れない子育てで孤独を感じていた経験があり、近所に『こみすて』のような場所があれば毎日行っただろうなと思います。地域にどうやって溶け込んでいけばいいのか悩んでいる人にも、『こみすて』の魅力を知ってもらえたらうれしいですね。ただ、無理をして人を集めるのではなく、自分たちがここでやりたいことを思いっきり楽しむことが、人をひきよせるエネルギーになればいいなと思っています」と言います。実際、引越して間もない子育て中のお母さんが、再開後の『こみすて』に1歳の娘さんを連れてくるようになり、自治会館で実施されていた『いきいき100歳体操』に参加してくれたこともありました。

緑道を整備した時の切り株で、2020年12月にコミュニティバス停前にDIYでベンチを設置。写真は色塗りの様子(写真提供/アミタ株式会社)

緑道を整備した時の切り株で、2020年12月にコミュニティバス停前にDIYでベンチを設置。写真は色塗りの様子(写真提供/アミタ株式会社)

萩の台住宅地自治会の取り組みはまだはじまったばかりです。地域の中でできることややりたいことを、一人ひとりが少しずつ発揮していくことで、より住みやすく楽しいまちへと変わっていけるのかもしれません。

●取材協力
アミタホールディングス株式会社
アミタ株式会社(自治体、地域向けサイト)
奈良県生駒市
いこま市民パワー株式会社
株式会社グランドレベル
こみすてノート
Facebook
Instaglam
イコマカメラ部(中垣由梨さん)
生駒市萩の台住宅地自治会

●参考資料
「日常の『ごみ出し』を活用した地域コミュニティ向上モデル事業」

コロナ禍でクリエイターが石巻に集結?空き家のシェアハウスで地域貢献

宮城県石巻市で、空き家を新たな発想で活用する取り組みを行ってきたクリエイティブチーム「巻組」。2020年6月、コロナ禍で困窮したクリエイターに住む場所と発表の場を提供し、地域とつながりながら「お互いさま」の関係をつくるプロジェクト「Creative Hub(クリエイティブハブ)」をスタートさせた。その取り組みは、単なる空き家問題解消にとどまらず、地域の活性化にも大きな影響を与えている。
震災ボランティアの住まいを確保するために立ち上げた「巻組」

東日本大震災の津波被害が大きかった宮城県石巻市で「Creative Hub」を企画、運営する「巻組」を立ち上げた、渡邊享子(きょうこ)さんに話を聞いた。

合同会社巻組代表の渡邊享子さん(写真提供/渡邊享子さん)

合同会社巻組代表の渡邊享子さん(写真提供/渡邊享子さん)

2011年、埼玉県出身の渡邊さんは学生ボランティアとして石巻市を訪れた。石巻市は住宅地が津波に飲み込まれ、2万2000戸の家屋が全壊。もともと賃貸物件は少ないが、既存の賃貸物件は被災者や復興需要で埋まり、ボランティアが住む場所が足りなかった。

渡邊さんは、仲間のボランティアが石巻市に残って支援を続けられるように、空き家を探し、住めるようにリノベーションをして貸し出そうと考えた。2012年から始めて何軒か手掛けるうちに、事業化できるのではと思い始めた。当時、渡邊さんは東京で就職活動をしていたが、震災不況で決まらず、「やることがある所に住もう」と移住した。

「2018年の住宅土地統計調査によると、石巻市内の空き家は1万3000戸、全家屋の約20%です。賃貸物件は、一般的にPLACE(立地)、PRICE(家賃)、PLAN(間取り・設備)の『3P』を基準に選ばれますが、私たちが扱うのは『3P』が絶望的な空き家です。敷地が公道に接していない立地や、給水設備が未整備のもの、築60年を超える廃屋など、持ち主が“ただでももらってほしい”という空き家、不動産会社も扱いづらく困っているような建物を買い上げています」(渡邊さん、以下同様)

空き家を買い上げてリノベーションした巻組の賃貸住宅。古さや傷も味わいになっている(写真提供/巻組)

空き家を買い上げてリノベーションした巻組の賃貸住宅。古さや傷も味わいになっている(写真提供/巻組)

「リノベーションで苦心しているのは、予算内でどこまでできるか。素材などお金をかけるべきところにはかけますが、できるだけ物件の持ち味を活かし、住む人自身が自らカスタマイズする余地を大事にしています」

巻組は、この空き家を活用した住宅支援や事業開発プログラムの提供などを行い、2015年に3人のメンバーで合同会社として法人化。これまで、空き家を買い上げて自社で改修した物件が35軒、そのうち、自ら運営するシェアハウスや賃貸住宅、民泊が11軒、すでにのべ約100人が居住した。

クリエイティブ人材を活用した「Creative Hub」のスタート

「不動産会社が扱いにくい廃屋、一般的には絶望的な条件も、視点を変えてプラスの価値に転換する、大量生産、大量消費とは真逆の価値観です。悪条件も、ものづくりや芸術活動などのクリエイティブな活動をする人は『かえっていいね』『おもしろい』とポジティブに受け止めてくれました。

例えば、音を出してパフォーマンスしたい人は、静かな環境で思いきり声を出すことができるし、ものづくりをするために壁や床を汚してしまう、壊してしまう恐れがあるという人には、自由に創作できるキャンバスのようなものになります。また、都会では難しい広いアトリエや作品を保管する倉庫が確保できます。

狩猟用の猟銃を所持している場合、賃貸物件を借りるときは大家さんの許可が必要で、嫌がられる場合があります。そういった、一般の賃貸住宅を借りにくい住宅難民、規格におさまりきらないニーズを持った人が喜んで使ってくれるのです」

都会にはない広さや広縁を利用したリノベーションした賃貸住宅。障子のデザインもアートごころを刺激。レトロな雰囲気が若い人には新鮮に感じられる(画像提供/巻組)

都会にはない広さや広縁を利用したリノベーションした賃貸住宅。障子のデザインもアートごころを刺激。レトロな雰囲気が若い人には新鮮に感じられる(画像提供/巻組)

水まわりを中心に改修した民泊はノスタルジックな趣。ワーケーションなどを目的に石巻に来た人に使われている(画像提供/巻組)

水まわりを中心に改修した民泊はノスタルジックな趣。ワーケーションなどを目的に石巻に来た人に使われている(画像提供/巻組)

2020年はコロナウイルスの感染が拡大するなか、活動や発表の場を奪われたアーティストが増えた。「アーティスト活動ができず、生活費を稼ぐためのアルバイトすらできなくなったクリエイターを支えたい。クリエイティブ系の人材を石巻に集めたら、使われていない地方の資源を活用できるのではないか」と、巻組は「Creative Hub(クリエイティブハブ)」プロジェクトを計画。クラウドファンディングで応援してくれる人を募り、倉庫のリノベーションなどの準備費用の寄付・協力を呼びかけた。

老若男女が出会い支え合う場をつくる

2020年6月に立ち上げたこのプロジェクトは、どんな仕組みなのか。

活動の場、働く場を失ったアーティストの卵に、巻組が運営するシェアハウスやアトリエ倉庫を一定期間無償で提供する。食料や家電など、生活に必要なものは、寄付で集めた「ギフト」をギフトバンクに集め、入居者にマッチするものを提供する。

生活の拠点と生活資材の提供を受けたアーティストは、クリエイティブな活動に集中しながら、次へのステップの準備ができる。そしてギフトのお返しとして、製作のプロセスや製作物を地域の方に公開する。また、ギフトバンクに届いた「掃除や草取り、雪かきを手伝ってほしい」「農作業の一部を手伝ってほしい」といった「ちょっとした手伝いのSOS」に対して、労働力などのお金以外の形でお返しをする。こうして、アーティストと地域住民のコミュニケーションが生まれる。

昭和以前の田舎にあった「助け合い」「おすそ分け」「お互いさま」のような関係性を再構築したのだ。

また巻組は、アーティストと地域住民の交流の場として、石巻市と連携し月1回、第4日曜日に「物々交換市」を開催している。「Creative Hub」の倉庫などを利用して、アーティストが制作物を出品したり、パフォーマンスをしたりする。地域住民は、出店するものが気に入れば、持ち寄ったものと交換したり、投げ銭などを行う。ワークショップブースでは、絵の具や木材などを使って、アーティストと一緒に制作活動が楽しめる。「物々交換市」は、3カ月間で、のべ120名が参加、約280人が市外から寄付などを通してこの仕組みを応援している。

物々交換市では、ユニークなものが出品され、思いがけない発見や出会いが生まれている(画像提供/巻組)

物々交換市では、ユニークなものが出品され、思いがけない発見や出会いが生まれている(画像提供/巻組)

「石巻ではアートのイベントを頻繁に行っていますが、地域にアーティストが定着するためには参加者も双方向的な仕組みをつくれると良いと思いました。アーティストの作品を見に来てください、と誘うとハードルが高くなりますが、物々交換なら地域の高齢者が楽しみに来てくれますし、若い人の役に立ちたいと、家にある食器類、古着、端材、農産物などを持ってきてくれます。アーティストにとっては、作品が売れたり、人の目に触れて反響があったり、応援してもらうことはとても大事なこと。首都圏のアーティストは孤立しがちですが、ここで共同生活をすることで他の人から刺激を受けることも、力になると思います。

一方で、地域の高齢者は、人の役に立つことで自己肯定感が高まります。マンション住まいの子どもたちは、家ではできないような絵の具を使って壁に絵を描いたりして、クリエイティビティな感性が育ちます。子どもから高齢者までがリアルに触れ合い、支え合い、元気になれるコミュニティがつくられる、それが重要だと思っています」。市の来場者アンケートによると「新しい人と出会えた」という意見が多く寄せられるという。

「Creative Hub」に参加して「人のための演劇」にシフト

ここで「Creative Hub」の入居者の声を紹介する。よしだめぐみさんは、東京都出身のパフォーミングアーティスト。東日本大震災のときは中学2年生、高校時代に東北を訪れる機会があったが、まさか東北に住むとは思っていなかったという。

よしだめぐみさん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

よしだめぐみさん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

小学生のときから児童劇団に所属し、演劇を続け、多摩美術大学の演劇舞踊デザイン学科に進んだが、他の世界を知らないことが不安になり、大学2年生のときに中退。さまざまな仕事を経験し、石巻市の食・アート・音楽の総合芸術祭「REBORN ART FESTIVAL(リボーンアート・フェスティバル)」でアルバイト運営スタッフとして働く。そのときに演劇をつくれるスキルを現地に滞在し制作するアーティストに面白いと言われて、演劇を再開しようと決意。

「2020年は都内でイベントの仕事をする予定でしたが、コロナの影響でイベントはできず、制作費を稼ぐのも大変になってきました。東京にいる理由がなくなり、自分を求めてくれる人、味方になってくれる人がたくさんいる石巻で活動することにしました」

住むところがなかったよしださんは、巻組を紹介され、5月からシェアハウスに入居。まもなく「Creative Hub」が始まった。

「家賃なしでクリエイターに住まいを提供してくれる、全国でもない取り組みです。全国から集まる入居者、街の人たちとも仲良くなりました。

外に出れば出会い、発見があります。街の人はお米や牡蠣、飲み物などをくれて『ちゃんと食べなさい』と言ってくれる。大きなファミリーに見守られている感じで、都会とは違った人のつながりがありますね。関係が濃密なので、人が好きな人には合っているし、やりたいことがある人には、やりやすい場所だと思います」

CheativeHubの倉庫の一角、制作した作品の中でパフォーマンスをするよしださん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

CheativeHubの倉庫の一角、制作した作品の中でパフォーマンスをするよしださん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

演劇の脚本を書き、演じ、演出もする。福祉施設のコミュニケーション教育のワークショップや高校の演劇部の指導、イベントや撮影のアシスタントも。さらに石巻、仙台、女川など、宮城県の地域のイベントやアーティストのマネジメントと、仕事の幅を広げている。

「『Creative Hub』に参加して、知らない世界を知る人たちに出会い、影響を受けました。東京にいたときは、自分ががむしゃらに演劇をやりたいと思ってきましたが、ここに来て『誰から、どんなニーズがあるから、こういう演劇をつくりたい』と、自己満足ではなく、仕事にする方向で演劇を考えられるようになりました。人のために自分のスキルを活用したいと考え、視野が広がりました。

ここを原点に、いずれは拠点を選ばずに演劇活動ができるように、発展させていきたい。石巻で必要とされなくなるまで活動していきたい」と声を弾ませる。

創作意欲が高まり、日々出会いがある

次に紹介するのは、「みち草工房」の菅原賀子(よしこ)さんと、阿部史枝(ふみえ)さん。巻組の賃貸物件を工房として借りて2人でシェアしている。菅原さんは、大阪府大阪市出身で、神戸の木材の会社に勤めていたが、交際相手が住んでいる宮城県へ移住したことをきっかけに、石巻に惹かれた。コワーキングスペースをもつ石巻のカフェを訪れ、そこで働く阿部さんと出会った。

木を使ってモノづくりをしていた菅原さん、布を使って洋服の直しやオーダーメイドを請け負っていた阿部さんは、お互いの取り組みを面白いと感じた。そして一緒に活動するべく借りたシェアオフィスが手狭になり、いったん解散しようと思ったが、巻組のシェアハウスが気に入り、作業場として二人で借りた。

「石巻のまちなかにありながら、山際に立ち、植物に囲まれ、まるで山奥にいるよう。魅力的な物件です」と菅原さん。

「ここは広いので、たくさんの端材を置けるし、庭で植物を育てたりして、家ではできないことができます。

家とは別の空間を持つ面白さもあり、癒しの場所でもあります。また、ここは誰でも気軽に立ち寄れるオープンな物件なので、巻組が連れてくる見学者、デザイナー、アーティストなど、いろいろな人が遊びに来るのも楽しい」

菅原さんと阿部さんが借りている平屋木造住宅。住居兼アトリエみたいな場所(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

菅原さんと阿部さんが借りている平屋木造住宅。住居兼アトリエみたいな場所(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

「釘を打ったり、棚をつけたりとDIYをすることは賃貸では難しいですが、ここは自分たちの好きなように自由に変えられるし、原状回復も必要ありません。この場所にいるだけで、何かをつくりたくなるような気持ちになりました。

『どうしてそんな目立たない所に引越したの?』と言う人もいましたが、一度遊びに来た人は『隠れ家みたい』と気に入って、何度も気軽に来てくれます。今は震災に関係なくここの取り組みに惹かれて移住した人が増えている感じがします」と阿部さん。

庭仕事をしている阿部さん(左)と菅原さん(右)。クリエイティブな作業に最適な環境だ(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

庭仕事をしている阿部さん(左)と菅原さん(右)。クリエイティブな作業に最適な環境だ(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

2人のコラボ作品の第一弾は、猫用のハンモック「にゃんもっく」。「物々交換市」では、住民が持ってきたものと交換、または投げ銭で物を交換する「クルクルフリマ」という物々交換の店を出している。「普通のマーケットと違って、パフォーマンスもあり、活気があります。幅広い年齢層の方がのぞいてくれますね」(阿部さん)

2人がコラボしてつくった「にゃんもっく」(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

2人がコラボしてつくった「にゃんもっく」(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

「最先端の考え方をする人が集まってきて、もともとの住民と移住した人、古さと新しさが同居する面白いまちになっていると思います」(菅原さん)

アーティストの支援にとどまらない、社会の課題解決のモデルとして

巻組は、2020年12月、築70年の古民家を改築した「OGAWA(おがわ)」を開設。密集を避けて仕事をしたい人のためのワーケーションの拠点として、都心などから人を呼び込み、石巻と関わる「関係人口」を増やすことが目的だ。

「少子高齢化、人口の減少、孤立化などは全国的な問題。空き家問題が進む地域にアイデアとして何か転化していければと思います。空き家を活用して、ただカッコいい場所をつくろうとか、クリエイティブ人材を市内外から連れてくるだけでもありません。

現在の取り組みは、反響もありますが、こういう形がどれだけ広がり、一般化していくか、課題と制約のなかで、いかに価値を出すかが、クリエイティブやアートにとって大事なところだと思います。そして、アーティストがこういう場所で生み出したものを、どう売り出していくかを考えて、形として見えやすいものにしていく必要があると思います。見逃されがちなものを、空き家を活用して、さまざまな問題にどうコミットできるかを考えていきたいです」(渡邊さん)

若いアーティスト人材の居場所をつくり、呼び込んで育てながら、地域を活性化する、巻組の取り組み。多世代のコミュニケーションが生まれ、誰も孤立させずみんなで幸せになる地域社会をつくる。人材、資材を活用しアイデアを加える、人も経済も元気になる「良循環」といえるだろう。

震災後、外から多くのアーティストやクリエイター、ボランティアなど優れた人材が出入りしたことも変化につながった。都会の便利さはない田舎だからこその懐の大きさとポテンシャルの高さ。豊かな人材、資材、アイデアが流入して変化していく石巻は面白いまちだ。

●取材協力
・巻組

震災で無人になった南相馬市小高地区。ゼロからのまちおこしが実を結ぶ

福島第一原子力発電所から半径20km圏内のまち、福島県南相馬市小高区。一度ゴーストタウン化した街だが、2016年7月12日に帰還困難区域(1世帯のみ)を除き避難指示が解除5年以上が経過し、小高区には新たなプロジェクトや施設が次々と誕生した。小高地区の復興をけん引してきた小高ワーカーズベース代表取締役の和田智行さんや、街の人たちに話を聞いた。
避難指示解除後人が動き、小高駅など交流の拠点が生まれた

2011年3月11日の福島第一原発事故の影響により小高地区には避難指示が出て全区民が避難した。一時、街から人がいなくなったが、避難指示解除以降住民の帰還が徐々に進み、2020年10月31日現在で居住率は52.89%。「すぐに元どおりとはいかないが、本格的に戻り始める人が出てきた」と街の人が話すように、着実に動き始めている。そして、避難指示の解除後に、各地から小高区に移住した人は600人ほどいるという。

上は、避難指示解除後に小高地区に新たに誕生した代表的な店舗・施設だ。特に2019年以降は、復興の呼び水となる新施設のオープンが相次いでいるが、ほかにもJR小高駅から西へ真っすぐ伸びる小高駅前通り沿いを中心に、新しい施設や店が誕生している。いくつか紹介しよう。


JR常磐線の小高駅の西側、福島県道120号浪江鹿島線を中心とした地図(記事で触れている施設やお店はチェック付き)

復興の呼び水となった新施設が続々と

まず、まちの玄関口となる駅。JR小高駅の駅舎は東日本大震災による津波で浸水したが、流されずそのまま残った。震災後は営業を休止していたが、避難指示解除後の2016年7月に再開、2020年3月にJR常磐線が全線開通した。小高駅は無人駅になったが、駅舎は木をふんだんに使った明るい空間にリニューアルされ、Wi-fi環境やコンセントを備え、打ち合わせや仕事場として利用が可能だ。

駅員が利用していた事務室はコミュニティスペースとして活用し、開放時に常駐するコーディネーターは、駅をハブとした魅力的なまちづくりプロジェクトの核となる予定。

駅舎のリニューアルと同時に駅に新たな役割を持たせ、人材を発掘するこの試み。JR東日本スタートアップと一般社団法人Next Commons Labが協同で取り組む「Way- Wayプロジェクト」の第一弾で、全国に先駆けて実証実験が行われたものだ。

JR小高駅(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

JR小高駅(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

常磐線は1~2時間に1本。駅舎のコミュニティスペースでは下校途中の高校生が勉強しながら常磐線を待つ。利用者が多い時間帯(平日は16時~19時、土・日・祝は12時~16時30分)に開放(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

常磐線は1~2時間に1本。駅舎のコミュニティスペースでは下校途中の高校生が勉強しながら常磐線を待つ。利用者が多い時間帯(平日は16時~19時、土・日・祝は12時~16時30分)に開放(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

次は、JR小高駅から歩いて約3分のところにある、芥川賞作家・劇作家の柳美里さんが2018年にオープンした本屋「フルハウス」。この店を目当てに全国からファンが訪れている。柳さんは、震災後にスタートした臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」(2018年3月閉局)で2012年2月から番組「ふたりとひとり」のパーソナリティを担当し、番組のために週1回通っていた。2015年4月に鎌倉市から南相馬市に転居。2017年7月、下校途中の高校生や地元の人たちの居場所にもなる本屋を開きたいと、小高区の古屋を購入して引越した。旧警戒区域を「世界で一番美しい場所に」との思いで、クラウドファンディングで資金を募り、2018年4月、この自宅を改装してオープンさせた。

柳美里さんの小説にちなんで名づけたブックカフェ「フルハウス」。裏に倉庫をリノベーションしてつくった演劇アトリエ「La MaMa ODAKA」を併設し、柳さんが立ち上げた演劇ユニット「青春五月党」の復活公演を2018年9月に上演。福島県立ふたば未来高校演劇部の生徒が出演し、チケットは完売(写真撮影/佐藤由紀子)

柳美里さんの小説にちなんで名づけたブックカフェ「フルハウス」。裏に倉庫をリノベーションしてつくった演劇アトリエ「La MaMa ODAKA」を併設し、柳さんが立ち上げた演劇ユニット「青春五月党」の復活公演を2018年9月に上演。福島県立ふたば未来高校演劇部の生徒が出演し、チケットは完売(写真撮影/佐藤由紀子)

写真は副店長の村上朝晴(ともはる)さん。店内には約3000冊の本が並ぶ。作家の村山由佳さん、角田光代さん、歌人の俵万智さんらにそれぞれ20冊の本を選んでもらい、手書きのメッセージを添えて販売するコーナーも。小説家が営む本屋ならではの他に類を見ない企画だ(写真撮影/佐藤由紀子)

写真は副店長の村上朝晴(ともはる)さん。店内には約3000冊の本が並ぶ。作家の村山由佳さん、角田光代さん、歌人の俵万智さんらにそれぞれ20冊の本を選んでもらい、手書きのメッセージを添えて販売するコーナーも。小説家が営む本屋ならではの他に類を見ない企画だ(写真撮影/佐藤由紀子)

旧警戒区域に移住して本屋を開き、芝居を上演する柳さんに、友人・知人は「無謀過ぎる」と止めたそうだが「帰還者が3000人弱の、半数が65歳以上の住民のみでは立ち行くことはできない。他の地域の人と結合し呼応し共歓する場所と時間が必要。無謀な状況には無謀さを持って立ち向かう」と柳さん。「フルハウス」は、本や人、文化に触れ、若者の未来と夢が広がる、“こころ”の復興に欠かせない要地となっている。

南相馬市が復興拠点として整備し、2019年1月に誕生した「小高交流センター」には、多世代が健康づくりができる施設や、フリーWi-fiに対応する交流スペース、起業家向けのコワーキングスペース、飲食店などがそろう。こちらにも地元の人が多く訪れており、日常的な憩いの場になっていることがうかがえた。

小高交流センター(写真撮影/佐藤由紀子)

小高交流センター(写真撮影/佐藤由紀子)

小さな子ども向けの遊び場「子育てサロン」。授乳スペースやキッチンコーナーも併設。2人の子どもを連れた母親は「幼稚園の帰りに毎日寄って、子どもたちを遊ばせています」と話していた(写真撮影/佐藤由紀子)

小さな子ども向けの遊び場「子育てサロン」。授乳スペースやキッチンコーナーも併設。2人の子どもを連れた母親は「幼稚園の帰りに毎日寄って、子どもたちを遊ばせています」と話していた(写真撮影/佐藤由紀子)

農業を再開した方の新鮮な朝採り野菜など生産者の顔が見える安全・安心の野菜を中心に、地産のものを販売する「小高マルシェ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

農業を再開した方の新鮮な朝採り野菜など生産者の顔が見える安全・安心の野菜を中心に、地産のものを販売する「小高マルシェ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ゼロから新しいことに挑戦する人たち。名産品のトウガラシも誕生

筆者は2019年3月以来の再訪だが、上記で紹介した施設以外にも、小高地区の駅前通りに新しい個人経営の店舗がぽつりぽつりと増えているのを発見した。話を聞くと、ほとんどが避難区域解除後に地元に帰還して、店を開き新たな分野に挑戦していた。

震災前にスーパーで働いていた鈴木一男さんは、2019年2月、同じ場所に家族とともに食事処「Diner Bonds(ダイナーボンズ)」を開いた。ランチは、カツカレー、かつ丼、生姜焼き定食など、どれもボリュームがありリーズナブル。お客が次々訪れ活気にあふれていた。「駅前の通りは車が増えて、にぎわっていると感じます」(写真撮影/佐藤由紀子)

震災前にスーパーで働いていた鈴木一男さんは、2019年2月、同じ場所に家族とともに食事処「Diner Bonds(ダイナーボンズ)」を開いた。ランチは、カツカレー、かつ丼、生姜焼き定食など、どれもボリュームがありリーズナブル。お客が次々訪れ活気にあふれていた。「駅前の通りは車が増えて、にぎわっていると感じます」(写真撮影/佐藤由紀子)

「小高工房」は、2017年3月オープン。畑でイノシシの被害がないトウガラシに着目、3人で栽培を始め、現在は80人以上の住民を巻き込んだプロジェクトに成長、新たな特産品に。写真はオーナーの廣畑裕子さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「小高工房」は、2017年3月オープン。畑でイノシシの被害がないトウガラシに着目、3人で栽培を始め、現在は80人以上の住民を巻き込んだプロジェクトに成長、新たな特産品に。写真はオーナーの廣畑裕子さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2019年12月、ここで以前呉服屋を営んでいた鈴木さんが娘さんと開いた「コーヒーとたべもの 鈴木屋」。実家の秋田や青森の食材を使ったメニューが特徴で、淹れたてのドリップコーヒー、手づくりケーキなどを提供。「人は少しずつ戻ってきていますし、若い人が増えています」とオーナー(写真撮影/佐藤由紀子)

2019年12月、ここで以前呉服屋を営んでいた鈴木さんが娘さんと開いた「コーヒーとたべもの 鈴木屋」。実家の秋田や青森の食材を使ったメニューが特徴で、淹れたてのドリップコーヒー、手づくりケーキなどを提供。「人は少しずつ戻ってきていますし、若い人が増えています」とオーナー(写真撮影/佐藤由紀子)

「Odaka Micro Stand Bar(オダカマイクロスタンドバー)~オムスビ~」はスペシャリティコーヒーが看板。移住者やUターンした若者が「小高で地域と若い人が変わるきっかけをつくりたい」と、小高駅付近でキッチンカーから始めて2018年に開店(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「Odaka Micro Stand Bar(オダカマイクロスタンドバー)~オムスビ~」はスペシャリティコーヒーが看板。移住者やUターンした若者が「小高で地域と若い人が変わるきっかけをつくりたい」と、小高駅付近でキッチンカーから始めて2018年に開店(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

地域の課題を解決するための事業に取り組む起業家を支え育成する「小高パイオニアヴィレッジ」外観(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「小高パイオニアヴィレッジ」外観(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

復興の潮流をここまで見てきたが、なかでも大きな位置を占めるのが、2019年3月に誕生した「小高パイオニアヴィレッジ」(過去記事)と、その運営を担う一般社団法人パイオニズム代表理事の和田智行さんの存在だ。

「小高パイオニアヴィレッジ」は、起業家やクリエイターの活動・交流の拠点としても活用できるコワーキングスペースとゲストハウス(宿泊施設)、共同作業場(メイカーズスペース)を含む施設。和田さんは、このコワーキングスペースを拠点に、人と人、人と仕事を結びつけ、コミュニティやビジネスを創出する手助けをしている。

小高区(旧小高町)生まれの和田智行さん(写真撮影/佐藤由紀子)

小高区(旧小高町)生まれの和田智行さん(写真撮影/佐藤由紀子)

「小高パイオニアヴィレッジ」を立ち上げ運営を担う和田さんが代表取締役を務める小高ワーカーズベースは、地域の協力活動に取り組む「地域おこし協力隊」を活用して地域の課題の解決や資源の活用を目指すプロジェクトを進める「ネクストコモンズラボ(以下、NCL)」の事業を、南相馬市から受託している(NCL南相馬)。NCLは全国14カ所で行われている。

和田さんは「1000人を雇用する1社に暮らしを依存する社会ではなく、10人を雇用する多様な100社が躍動している自立した地域社会を目指す」ため、2017年から、南相馬市の職員と共に、NCL南相馬の事業をスタートさせた。

「私たちが地域の課題や資源を活用して案をつくり、実際に事業化したい人を募集し、企画書を提出してもらって採用を判断します。そして、起業家が自走できるように活動や広報をサポートし、地域や他企業とつないだりしながら、育成していきます。最終的には、経済効果が生まれ、関係人口が増えて、その人たちが定住することも目的のひとつです」(和田さん)

現在進めているプロジェクトは、先に説明した小高駅を活性化する「Way- Wayプロジェクト」、南相馬市で千年以上前から続いている伝統のお祭り「相馬野馬追」のために飼われている馬を活用した「ホースシェアリングサービス」、セラピストが高齢者の自宅や福祉施設、病院などを訪問してアロマセラピーで癒やしを届ける「移動アロマ」、地方では手薄になりがちな地域の事業者や商材に対して広報・販促支援などを行う「ローカルマーケティング」を含む7つ。以下、全国各地からプロジェクトの募集を見て移住したラボメンバーの3人を紹介。

横浜市生まれの水谷祐子さんは、英国IFA認定アロマセラピストの資格を持ち、アロマセラピストとして高齢者に施術をしてきた。「移動販売プロジェクト」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

横浜市生まれの水谷祐子さんは、英国IFA認定アロマセラピストの資格を持ち、アロマセラピストとして高齢者に施術をしてきた。「移動販売プロジェクト」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

東京都生まれ、馬の調教師・馬術選手だった神瑛一郎(じん・よういちろう)さん。年1回の相馬野馬追のために飼育されている馬の活躍の場をつくる「ホースシェアリング」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

東京都生まれ、馬の調教師・馬術選手だった神瑛一郎(じん・よういちろう)さん。年1回の相馬野馬追のために飼育されている馬の活躍の場をつくる「ホースシェアリング」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

南相馬市生まれ、仙台、北海道で旅行領域の営業職に就いた高田江美子さん。地元にUターン、前職を通じ広報・販売活動の重要さを感じて「自由提案プロジェクト」にローカルマーケッターとして参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

南相馬市生まれ、仙台、北海道で旅行領域の営業職に就いた高田江美子さん。地元にUターン、前職を通じ広報・販売活動の重要さを感じて「自由提案プロジェクト」にローカルマーケッターとして参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

2021年に本格的に始まる新たなプロジェクトでは、民家を改装した酒蔵で、日本酒にホップを用いた伝統製法や、ハーブや地元の果物などを使ってCraft Sakeをつくる「haccoba(ハッコウバ)」がある。2021年春には新しいコミュニティ、集いの場を目指し、酒蔵兼バーがオープンする予定で、地域住民の期待も高い。

「haccoba(ハッコウバ)」完成予想図((c)Puddle Inc.)

「haccoba(ハッコウバ)」完成予想図((c)Puddle Inc.)

酒瓶イメージ(写真提供/haccoba, Inc.)

酒瓶イメージ(写真提供/haccoba, Inc.)

「小高パイオニアヴィレッジ」は、移住してきた起業家の共同オフィスとして活用されているが、「知らないまちで起業することは意欲的な人でも難易度は高く、壁にぶつかることもあると思います。けれども、起業家が集まる場があれば、自然と連携ができて、情報交換を行い、協力し切磋琢磨し合える、そんなコミュニティが生まれるきっかけにもなっています」。地元出身の和田さんは、孤独になりがちな起業家を地域とつなげるハブのような役割も担っている。

小高パイオニアヴィレッジのコワーキングスペース。ひな壇にはコンセントや暖房も装備されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小高パイオニアヴィレッジのコワーキングスペース。ひな壇にはコンセントや暖房も装備されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小高パイオニアヴィレッジのゲストハウス。長期滞在者や仕事をしながら宿泊する人に便利(写真提供/小高ワーカーズベース)

小高パイオニアヴィレッジのゲストハウス。長期滞在者や仕事をしながら宿泊する人に便利(写真提供/小高ワーカーズベース)

パイオニアヴィレッジのメーカーズルームには、老舗の耐熱ガラスメーカーHARIOが職人技術継承のために立ち上げた「HARIOランプワークファクトリー」の生産拠点のひとつとしてスタート。2019年3月には、「HARIOランプワークファクトリー」の協力のもと、オリジナルのハンドメイドガラスブランド、iriser(イリゼ)をリリース。地元の自然などをモチーフにした他にないデザインが特徴だ。

5人の女性ガラス職人がアクセサリーを製作・販売する施設内の「アトリエiriser(イリゼ)」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

5人の女性ガラス職人がアクセサリーを製作・販売する施設内の「アトリエiriser(イリゼ)」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

老舗の耐熱ガラスメーカーHARIO の生産拠点としてスタートし、2019年3月にオリジナルのハンドメイドガラスブランドをリリース。地元の自然などをモチーフにしたものも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

老舗の耐熱ガラスメーカーHARIO の生産拠点としてスタートし、2019年3月にオリジナルのハンドメイドガラスブランドをリリース。地元の自然などをモチーフにしたものも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

起業することが当たり前の風土をつくりたい

2020年春のコロナウイルス感染拡大により、小高パイオニアヴィレッジでは、夏休みの地域留学プログラム、大学生や高校生、リモートワーカーの利用が増えたという。また、NCL南相馬の起業家を募集すると、オンライン説明会の参加者が増えた。

「どこでも仕事ができるようになったことで地方に目を向けたり、ライフスタイルが変わったことで自分のキャリアに不安を感じて一から地方で力試しをしたい、という考え方が出てきたのかもしれません。また、避難生活を経験して心機一転、もともとやりたかったことを始めたケースもあるのかもしれません。前向きな人たちが増えて街が面白くなっていくといいと思います。

便利で暮らしやすいまちではなくても、ここじゃないと味わえない、わざわざ訪れたくなるまちになるためには、地域の人たちが自ら事業を立ち上げてビジネスをやっていることが当たり前になっていることが重要。いろいろな分野でリーダーが出てくると、もっと多彩なプロジェクトが生まれるはずです。

それに、そういう風土をつくっていかないと、課題が発生したときに解決する人が地域に存在しないことになってしまう。行政や大きな企業に解決してもらうのは持続的ではない。100の企業をつくることで、さまざまな課題が解決できるようになる。私たちはこれからも事業をひたすらつくっていきます」と、和田さんの軸はぶれない。

今回、紹介した施設や店舗はあくまで一例。ほかにも長く地元の人に親しまれてきた個人商店の再開や、住民一人一人の努力の積み重ねや人と人のつながり、協力があるからこそ前に進んでいる。

5年以上のブランク期間があった小高区。新しくユニークな施設、店が誕生し、震災前の常識、既成概念がなくなり、人間関係が変わった。だからこそ、フロンティア精神にあふれるエネルギッシュで面白い人が集まる。目指すところが同じだから、自治体と住民の連携も良好だ。

2021年度、政府は地域の復興再生を目指し、福島第一原発の周辺12市町村に移住する人に最大200万円の支援金を出すこと、またさらに移住後5年以内に起業すると最大400万円を支給するなどの方針をかためたという。一から何かに挑戦したいと考える人の呼び水になるか。

「平凡な自分でも、何かできるかもしれない、やりたいことに挑戦してみたい」そんなチャレンジ精神が刺激され住んでみたいと思わせる小高区の変化を見に、また数年後も訪れたいと思う。

●取材協力
小高パイオニアヴィレッジ
小高ワーカーズベース
小高交流センター

「地域通貨」がコロナ禍で再注目! 釣った魚やお悩み解決でポイントがもらえる!?

2000年ごろに脚光を浴びた「地域通貨」が、コロナ禍で再び注目されている。どのように活用され、地域に新しい動きをもたらしているのか、専修大学デジタルコミュニティ通貨コンソーシアムラボラトリー(通称、グッドマネーラボ)代表理事の西部忠さんに話を伺った。
地域通貨とは、そもそもどんなもの?

地域通貨とは、限定した地域(ローカルな場所として市町村、地元商店街など)やコミュニティ(価値や関心を共有するコミュニティとしてのNPO、SNS、人の集まりなど)の中で流通する通貨のこと。紙幣を流通させる「紙幣(発行)型」、利用者同士が通帳を持ち記入して管理する「通帳(記入)型」、小切手を印刷して発行する「小切手型」、ICカードを発行する「電子カード型」などがある。

「かつての地域通貨は円に換えることはできませんでしたが、2000年代以降の地域通貨は地域商品券のように事業者のみ換金できるものが増えてきました。そのため地域通貨は、地域の中で、贈与や支援、サービスとの交換、地域内の経済圏の活性化、さらに地域コミュニティづくりなどに使われています」と西部さんは説明する。

地域通貨は2000年代に一気に全国で広まったが、当時は行政やNPO法人が始めて、助成金の終了や管理の手間などから持続できずに終了するケースも少なくなかった。しかし5年ほど前から、スマートフォンやネットの普及によって管理や運営の手間が軽減したこともあって、民間発の地域通貨が増えてきている状況だ。

今の地域通貨の代表格は「さるぼぼコイン」と「アクアコイン」

では、現在の地域通貨の最新事情はどうなっているのだろうか。

「デジタルを活用したことで、地域へ浸透させることに成功した事例としてぜひ注目したいのが、『さるぼぼコイン』(岐阜県高山市)と『アクアコイン』(千葉県木更津市)です」と西部さん。ともに電子地域通貨で、スマホ決済アプリと同様、QRコード(2次元コード)決済が可能だ。

さるぼぼコインの使い方についての画像。2020年11月13日現在、ユーザー数 約17000名、加盟店数約1500店舗と、地域の生活に浸透している(画像提供/飛騨信用組合)

さるぼぼコインの使い方についての画像。2020年11月13日現在、ユーザー数 約17000名、加盟店数約1500店舗と、地域の生活に浸透している(画像提供/飛騨信用組合)

「『さるぼぼコイン』は、金融機関が発行母体となる電子地域通貨の草分けとして、2017年からスタートしました。さるぼぼコインで決済することで、電気料金の9%が還元されるのが特徴で、現金をチャージしたり、イベントに参加したりすることでポイントがもらえます。電気代のほか水道料金などの公共料金、国民健康保険料、税金の納入などの支払いにも使用可能です。もちろん地域の店舗でも使えます」(西部さん)

12月4日には、飛騨・高山の事業者と連携して開発した「裏メニュー(新商品・新サービス)」を購入できる情報サイト「さるぼぼコインタウン」をオープン。掲載の裏メニューは、すべてさるぼぼコインでのみ購入できる。

例えば、飛騨高山の山が購入できる「山、売ります!」(1座/300000さるぼぼコイン)や、職人から建築技法が聞ける「大工が『古代の建築技法』のひみつ、教えます!」(1ひみつ/2500さるぼぼコイン)などの、ユニークな裏メニューがある。

現在さるぼぼコインは、高山市民の約20%が使用する地域の新しい決済環境として定着しつつあると、「さるぼぼコイン」を運営する飛騨信用組合も声をそろえる。クローズドな地域でここまでの密度でキャッシュレス環境が浸透している地域は極めて珍しく、全国から注目されている地域通貨だ。

アクアコインのステッカー。2020年11月3日現在、インストール件数 13,276件、加盟店 617店舗とこちらも地域への浸透率の高さがうかがえる(画像提供/君津信用組合)

アクアコインのステッカー。2020年11月3日現在、インストール件数 13276件、加盟店 617店舗とこちらも地域への浸透率の高さがうかがえる(画像提供/君津信用組合)

『アクアコイン』は、君津信用組合、木更津市、木更津商工会議所が連携し、2018年10月から取り組んでいる電子地域通貨だ。官民一体となり、「アクアコイン」を通して地域経済の活性化やコミュニティの活性化を図っている。

アクアコインのチャージ機。「アクアコイン」のチャージ方法は、君津信用組合窓口のほか、全国のセブン銀行ATM、プリペイドカード、市内5カ所にあるチャージ機など、さまざまな方法がある(画像提供/君津信用組合)

アクアコインのチャージ機。「アクアコイン」のチャージ方法は、君津信用組合窓口のほか、全国のセブン銀行ATM、プリペイドカード、市内5カ所にあるチャージ機など、さまざまな方法がある(画像提供/君津信用組合)

観光案内所にあるチャージ機でチャージができるため、地域住民だけではなく、観光客でも「アクアコイン」が利用しやすくすることで、地域経済の活性化を目指している。

「アクアコイン」の取り組みとして、ボランティア活動などに対し、市から行政ポイント『らづポイント』を付与し、地域における支え合いなどを促進することにより、地域コミュニティの活性化。そのほか、1日8000歩で1ポイントが付与される歩数連動ヘルスケア機能「らづFit」、連携している3社職員の給料支払いの一部をアクアコインで支給(本人の申し出による)、住民票等の手数料の支払い、公民館施設等の使用料の支払い、アクアコインで電気料金を支払える「アクアコインでんき」サービスの運用などを行っている。

君津信用組合によると、給料の支払いを地域通貨にすることで、「定期的にアクアコインのチャージがされ、利便性が向上するとともに、利用できる地域を限定することで、地元で利用している実感・地域愛が生まれてくる」のだという。

コロナ禍で新たに生まれた地域通貨も。地域コミュニティづくりに大活躍

地域通貨が再び広がりを見せているのは、デジタル化によって管理や運用がしやすくなったからだけではない。先程、西部さんが触れた「地域通貨の地域コミュニティづくり」の側面に大きな動きがあるためだ。

それは、「このコロナ禍で地域コミュニティが見直されていることと無関係ではない」と西部さんは言う。
コロナ禍で地元で過ごす時間が増え、人とのつながりを感じることが難しい状況下で、地域通貨が持つ「地域コミュニティづくり」の特徴を活かそうという流れは自然なことなのだろう。

そこで西部さんに、地域コミュニティづくりに重きを置いた興味深い3つの事例を伺った。注目すべきは、3つのうち2つはアナログな地域通貨が選択されている点だ。コミュニティづくりに重きを置いた地域通貨にはデジタルではなくアナログなものが多いところも、人と人の繋がりもオンライン化している今、人のぬくもりを感じられる要素になっているように感じる。

サンセットコインの会員カード。カード型とアプリ型から選べる(画像提供/静岡県西伊豆町役場)

サンセットコインの会員カード。カード型とアプリ型から選べる(画像提供/静岡県西伊豆町役場)

「例えば今年10月には、提携する釣り船で釣った魚を、地域通貨『サンセットコイン』と交換できる『ツッテ西伊豆』という制度が、西伊豆町(静岡県)で始まりました。
受け取った地域通貨は、お店や旅館などでも使えますし、釣った魚は町内外へ流通する商品として活用され、うまく循環する仕組みになっています。
地域通貨で商品が購入できても、そのお店が円で商品を仕入れている以上、地域通貨の循環は滞ります。そのため、地域通貨がお店で買い物をするときだけではなく、店側が商品の仕入れ時にも使えると、地域通貨がまわりやすくなる。漁師不足を解消すると同時に、観光客と地域住民との交流を促しているのです」(西部さん)

「コロナ禍で菌のイメージがすっかり悪くなってしまいましたが、私たちの身体や自然界は菌によって活性化されていくという側面もあります。“菌”という名前には、地域の文化を発酵させていくという願いのほか、私たちにできることをしつつ、新型コロナウイルスに立ち向かっていこう、という思いも込めています」(運営のCafe & Bar「麻心」森下さん)(画像提供/相模湾地域通貨「菌」)

「コロナ禍で菌のイメージがすっかり悪くなってしまいましたが、私たちの身体や自然界は菌によって活性化されていくという側面もあります。“菌”という名前には、地域の文化を発酵させていくという願いのほか、私たちにできることをしつつ、新型コロナウイルスに立ち向かっていこう、という思いも込めています」(運営のCafe & Bar「麻心」森下さん)(画像提供/相模湾地域通貨「菌」)

「相模湾地域通貨『菌』は、今年6月4日に鎌倉市(神奈川県)で生まれた紙幣型の地域通貨です。こちらも民間人が中心となって運営され、お店やバー、イベントなどで使用できます。各地で開催される説明会に参加して会員になると、10000菌を受け取れます(入会金3000円)。Webサイト上に会員のみがやりとりできる掲示板があって、困りごとを相談することで地域通貨がもらえるという、おもしろい仕組みです」

掲示板では、「衣、食、住、農、暮らし、海、山……」と多岐にわたる項目に関する困りごとを投稿ができるようになっている(画像引用元/相模湾地域通貨『菌』)

掲示板では、「衣、食、住、農、暮らし、海、山……」と多岐にわたる項目に関する困りごとを投稿ができるようになっている(画像引用元/相模湾地域通貨『菌』)

あえてアナログの良さを活かした地域通貨も再注目

既存の地域通貨だが、西部さんが「ぜひ知ってほしい」と最後に紹介してくれたのが、2012年に生まれた東京都国分寺市の地域通貨「ぶんじ」。カフェ『クルミドコーヒー』『胡桃堂喫茶店』の店主である影山知明さんなど20人ほどのメンバーが中心となって運営。国分寺エリアのさまざまなお店の他、個人間でもメッセージカード代わりに使える地域通貨で、お店で買い物をしたときにおつりとしてもらったり、イベントやボランティアに参加したりすると受け取れるものだ。

「国分寺地域通貨 ぶんじ」表面(画像提供/影山知明さん)

「国分寺地域通貨 ぶんじ」表面(画像提供/影山知明さん)

「国分寺地域通貨 ぶんじ」裏面(画像提供/影山知明さん)

「国分寺地域通貨 ぶんじ」裏面(画像提供/影山知明さん)

「紙幣の裏にメッセージを書く欄があって、贈り手のことを想像してメッセージを記していくという、コミュニケーションを重視した地域通貨です。
この地域通貨のすごいところは、多くの人を巻き込む力の強さ。例えば、2018年から始まった地域通貨だけでも利用できる「ぶんじ食堂」は、最初の2年半は常設ではなく、まちのいろいろな場所で開催され、その会場も料理や片づけをする人も食材も、まちの人々の持ち寄りで運営されています。影山さんもキッチンに立つし、まちの子どもたちも料理を手伝うんです。年齢の垣根を越えた交流が、地域通貨によって生まれているんですね」(西部さん)

さらに2020年11月からは、家賃の一部を地域通貨「ぶんじ」で支払える“まちの寮”「ぶんじ寮」がオープン。旧社員寮を改修した建物を利用しており、入居者が畑仕事や掃除、ごはんづくりなどを行うことで、家賃は3万円(試算額)に。ぶんじ寮のキッチン/食堂は、「ぶんじ食堂」としても運営する予定だ。

「人とのつながりを感じられる場所で暮らすことを考えたときに、地域通貨があることで、新しく入った人も、地域の一員として溶け込みやすいのではないでしょうか」と西部さんは語る。

このコロナ禍で移住や多拠点生活への興味関心が高まっている。一方で、「うまく地域に溶け込めるだろうか」という心配は誰もが抱くこと。だからこそ、これらのような人のつながりをつくり、促してくれる地域通貨があれば、自然と地元の人と交流が生まれやすくなりそうだ。

グッドマネーラボ 代表理事 西部忠さん●取材協力
グッドマネーラボ 代表理事 西部忠さん
1962年生まれ。進化経済学者、専修大学経済学部教授、北海道大学名誉教授、進化経済学会会長。1990年代から地域通貨の研究・実践に取り組んできた。2018年4月、専修大学デジタルコミュニティ通貨コンソーシアムラボラトリー、通称、グッドマネーラボ を設立、その代表理事。2019年9月、岐阜県高山市でアジア初の地域通貨国際会議RAMICSを主催、世界約20カ国から地域通貨の研究者や実践家が参加。(画像提供/西部忠さん)
グッドマネーラボ

・さるぼぼコイン
・アクアコイン
・サンセットコイン
・国分寺地域通貨ぶんじ
・相模湾地域通貨「菌」

人と人が「つながるバス停」? 福岡・八女市でライブラリー併設のバス停が誕生!

日本各地の自治体が、人口減少や山間部の過疎問題に直面しています。課題解決に取り組む福岡県八女市は、コミュニティ通貨が利用できるライブラリーを併設した「つながるバス停」の運用を開始しました。日本初の本で人をつなげるユニークなバス停と、人と人をつなげるコミュニティ通貨「まちのコイン」は、地域にどのような影響を与えているのでしょうか。八女市とプロジェクトを企画した面白法人カヤックに話を聞きながら、新しい地域のまちづくりについて、お伝えしたいと思います。
人と人をつなげる、ライブラリー併設のバス停とは?

福岡県南西部に位置する人口約6万2000人の八女市。市街地の玄関口、西鉄バス福島停留所にできた新しいバス停は、市町村として日本初の取り組みであるコミュニティ通貨が利用できるバス停です。八女杉と漆喰の白壁を使ったぬくもりのある建物の中に、ライブラリーがあります。地域の高校生が選んだ本が並び、減農薬で栽培された八女茶を楽しむことができます。マイボトルを持参し、通勤前にお茶を入れるリピーターも多いそうです。

福岡県立八女農業高等学校の学生が栽培から製造まで一貫して行ったこだわりの八女茶(水出し)をコミュニティ通貨50ロマンで提供(画像提供/面白法人カヤック)

福岡県立八女農業高等学校の学生が栽培から製造まで一貫して行ったこだわりの八女茶(水出し)をコミュニティ通貨50ロマンで提供(画像提供/面白法人カヤック)

「つながるバス停」のオープニング式典で企画の趣旨を説明する八女市長と面白法人カヤック代表の柳澤大輔さん(画像提供/面白法人カヤック)

「つながるバス停」のオープニング式典で企画の趣旨を説明する八女市長と面白法人カヤック代表の柳澤大輔さん(画像提供/面白法人カヤック)

地元の高校生や地域で活躍している人がおすすめする本などがずらり(画像提供/面白法人カヤック)

地元の高校生や地域で活躍している人がおすすめする本などがずらり(画像提供/面白法人カヤック)

内装には八女杉も使用。天井高は4m以上あり、開放感がある(画像提供/面白法人カヤック)

内装には八女杉も使用。天井高は4m以上あり、開放感がある(画像提供/面白法人カヤック)

ライブラリーには、「今月のセレクター」というコーナーがあり、地域の魅力ある「八女人」が月ごとに紹介されていく予定です。屋根とベンチしかなかったバス停が、通勤通学の利用者だけでなく、お年寄りや観光客も立ち寄れる地域内外に開かれた場所に生まれ変わりました。

地域コミュニティを創り出す! 「関係人口」を増やす試み

山間部が多くを占め、八女杉を産出する自然豊かな八女市では、人口減少や過疎問題を抱えていました。
「八女市では、地域コミュニティの機能低下による悪循環をなくすために、『関係人口創出事業』の取り組みを行ってきました。民間の知恵を借りようと2020年6月にプロポーザルを実施。バス停をコミュニティライブラリーにするというユニークな発想によって乗降客のコミュニケーションの場とすることで地域内外の交流を促進させる点を評価し、『つながるバス停』が採用となりました。本をフックにするというのは、IT関係の会社の提案としては意外で、面白い発想だと感じました」と話すのは、八女市役所定住対策課町並み景観係の溝尻竜夫(みぞじり・たつお)さんです。

古いバス停を取り壊した跡地に建築(画像提供/面白法人カヤック)

古いバス停を取り壊した跡地に建築(画像提供/面白法人カヤック)

外壁を木製の縦格子にすることで、圧迫感がなく、ぬくもりのある雰囲気に(画像提供/面白法人カヤック)

外壁を木製の縦格子にすることで、圧迫感がなく、ぬくもりのある雰囲気に(画像提供/面白法人カヤック)

「関係人口」とは、移住による「定住人口」でも、観光による「交流人口」でもない、地域や地域の人と多様に関わる人を指す言葉です。若者を中心とした地域外の人材が、地域づくりの新しい担い手となることが期待されています。

「つながるバス停」を提案した面白法人カヤックの地域プロデューサー長田拓さんは、企画の背景を次のように語ります。

「八女市には、別の事業で頻繁に訪れておりますが、広く知られていないだけで、ポテンシャルが高いと感じていました。八女茶のほかにも、八女手漉和紙や八女提灯、八女福島仏壇などの伝統工芸も盛んですし、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている江戸時代から続く白壁の町並みも美しい。そんな八女の魅力をしっかりと発信したいと考えたんです。本というアナログのものに着目したのは、八女の魅力を支えている人を起点にしたい、そのために人のつながりを可視化したいと考えたから。高校生が選んだ本や八女に関わる本、八女出身の作家の本などを置くことで、地域内外の人に興味を持ってもらい、会話のきっかけをつくる。読んだ人は、本にしおりをはさめるようになっているんですよ。しおりには、名前やニックネーム、SNSのアカウントやよく行くお店を記入できます。昔の図書貸し出しカードのように、人とゆるくつながれるアイテムとして役立ててもらえたらと考えました」

人とのつながりを実感してほしいと、30種類の人の形のしおりを作成。仲良くなるきっかけに(画像提供/面白法人カヤック)

人とのつながりを実感してほしいと、30種類の人の形のしおりを作成。仲良くなるきっかけに(画像提供/面白法人カヤック)

高校生など地元の人が集まり、にぎわうオープニング式典時のバス停内(画像提供/面白法人カヤック)

高校生など地元の人が集まり、にぎわうオープニング式典時のバス停内(画像提供/面白法人カヤック)

室内には、八女茶の香りが漂う(画像提供/面白法人カヤック)

室内には、八女茶の香りが漂う(画像提供/面白法人カヤック)

使えば使うほど仲良くなる!? コミュニティ通貨「まちのコイン」

「つながるバス停」での八女茶のボトリングサービス等、加盟店が提供する特別なサービスを受けるときに使える地域通貨が、「まちのコイン」です。「まちのコイン」は、面白法人カヤックが、2018年に開発を開始したコミュニティ通貨サービスで、神奈川県の「SDGsつながりポイント事業」に採択され、2019年11月に鎌倉市で実証実験を行い、現在は神奈川県小田原市や民間のデベロッパー主導で山手線大塚駅周辺の地域で導入が開始されています。八女市の通貨名は「ロマン」。コミュニティ通貨のテーマは、「大自然や歴史、伝統をつないでにぎわうまち八女」です。

アプリをダウンロードすれば、面白法人カヤックが提供するコミュニティ通貨導入地域が選択でき、どこでも利用ができる(画像提供/面白法人カヤック)

アプリをダウンロードすれば、面白法人カヤックが提供するコミュニティ通貨導入地域が選択でき、どこでも利用ができる(画像提供/面白法人カヤック)

「従来の地域通貨は、お金の代わりですが、コミュニティ通貨は、人と人のつながりが生まれたときに、交換するためのものです。当社では、地域固有の魅力を資本価値と捉える『地域資本主義』を発信しています。まちのコインの流通量を増やしていくことが、地域の魅力の増加につながります」(長田さん)

「まちのコイン」アプリの操作画面。通帳から、貯まったロマンと使用頻度に応じた自分の八女レベルが分かる(画像提供/面白法人カヤック)

「まちのコイン」アプリの操作画面。通帳から、貯まったロマンと使用頻度に応じた自分の八女レベルが分かる(画像提供/面白法人カヤック)

「クラフトコーラづくり」など地域の商店が発行するおもしろチケット

「まちのコイン」導入にあたり、チケットを発行する加盟店から戸惑いの声はなかったのでしょうか。
「市として前例がなく、参考になるものがないので、説明会などでは、『これは八女市のファンをつくるための事業です』と必ずお伝えしていました。皆さん、『面白いですね!』『八女の魅力を伝えるためなら!』と、すぐに理解してくださいました。個人事業主の方は、柔軟でチャレンジ精神も旺盛ですし、我々が思いつかないような面白いアイデアを出してくださいます」(溝尻さん)

例えば、薬膳料理の店「八女サヘホ」では、子どもと一緒にコーラシロップづくりを体験できるチケットを発行。講習では、中に入れるスパイスの紹介があるなど、なかなかできない体験が好評でした。ほかにも、醤油屋さんの若旦那とお話ができるチケットやお店の裏メニューを注文することができるチケットも。
「それらは、コインを払うチケットですが、お店にとってありがたいSNSでの発信に協力したり、八女の『町歩きツアー』に参加するだけで、コインをもらえるチケットもあります。アプリでは、活動履歴が残るようになっています。仕事とボランティアの間にあるお手伝いごとの動機付けとして、また、少しハードルが高いSDGs(持続可能な開発目標)に関係する地域活動を身近に感じるきっかけになっています」(長田さん)

「コーラの材料にスパイスがあったとは」と、参加者も驚いていた(画像提供/面白法人カヤック)

「コーラの材料にスパイスがあったとは」と、参加者も驚いていた(画像提供/面白法人カヤック)

筆者も「まちのコイン」のアプリをダウンロードしてみましたが、地域ごとにおもしろいチケットがあり、ゲーム感覚で操作できるのも楽しい! 神奈川県小田原市や山手線大塚駅周辺など「まちのコイン」導入地域同士の連携や関係イベントを今後、検討していくとのことなので、最寄りを訪ねた際は、チェックして使ってみるのも良いと思います。

今後は、「つながるバス停」を交流拠点だけでなく、人材が活躍できる場所として活用していくそうです。同じ八女市が運営するコワーキングスペース「南仙荘」を中心に展開する地域仕事づくり支援事業と連携し、起業希望者に期間限定のチャレンジショップとして役立ててもらう予定です。

地域のにぎわいを生み出す「つながるバス停」と「まちのコイン」。「まちのコイン」は、人と人とのつながりを可視化し、地域をひらいていくコミュニティ通貨です。多様な人に地域に関わってもらう取り組みが続いています。

●取材協力
・面白法人カヤック

住民主導の「街そだて」とは?グッドデザイン受賞の幕張ベイパークを訪ねてみた

新型コロナウイルスの感染防止対策として、外出自粛やテレワークの増加など生活が大きく変化した。自宅周辺の“わが街”で過ごす時間が長くなり、街の魅力を再確認した人も多いだろう。そんな自宅周辺の街を住民自身が育てる取り組みで、2020年度のグッドデザイン賞を受賞した事例があると聞いて、訪ねてみた。
地域コミュニティにもグッドデザイン!?

グッドデザイン賞の公式ホームページによれば、「デザインによって私たちの暮らしや社会をよりよくしていくための活動」とある。特定の商品や建築物での受賞作品は数多くあるが、「地域・コミュニティづくり」のような形のないものも、「人が何らかの理想や目的を果たすために築いたものごとをデザインととらえ、その質を評価・顕彰する」のだという。

今回受賞したのは、一般社団法人幕張ベイパークエリアマネジメント(以下、B-Pam)および東京都や千葉県のデベロッパー7社だ。売り主であるデベロッパー側だけでなく、その街を拠点とする住民や店舗が主体となって「街そだて」をする仕組みが評価されての受賞となった。

ここで、受賞対象の街である「幕張ベイパーク」について説明しておこう。

JR京葉線・海浜幕張駅徒歩15分くらいの場所に、開発面積約17.5ヘクタール(東京ドーム約3.7個分)の広大な土地がある。2015年に開発事業者が決定し、ここに約4500戸の住宅及び生活するうえで必要となる商業施設や保育・教育施設、医療施設、運動施設などを、時間をかけて整備し、将来的には約1万人が暮らす街づくりの計画が立てられた。A街区とB-1~7街区の8区画に分かれ、中心に位置する楕円形の公園を取り囲むように、6棟の超高層マンションや生活関連施設が段階的に開発されていくミクストユースの街づくりを目指しているとのことである。

幕張ベイパーククロスポートに設置された模型

幕張ベイパーククロスポートに設置された模型

筆者が取材した段階では、A街区にイオンスタイルの商業施設が、B-7街区に「幕張ベイパーククロスタワー&レジデンス(497戸)」(写真手前)と保育・学童施設やコワーキングスペース、コンビニなどが、B-1街区に「ZOZOPARK HONDA FOOTBALL AREA」があり、それぞれ稼働している。B-2街区には「幕張ベイパークスカイグランドタワー(826戸)」(写真右奥)とクリニックモールやスポーツ施設などが間もなく竣工予定で、B-3街区で超高層住宅の工事が着手されたところだ。

街そだての仕組みである「B-Pam」とは?

さて、街そだての役目を担う「B-Pam」に取材するために、街の公民館のような存在という「幕張ベイパーククロスポート」を訪れた。当日はちょうど、「謎解きトレジャーハント」というイベントが開催されていた。イオンスタイル幕張ベイパークで配布する「宝の地図」に記載された14カ所の店舗を回ってクイズを解き、12文字の暗号を伝えるとB-Pamの活動拠点である幕張ベイパーク クロスポートで宝物をもらえるというもので、筆者が見ている間に次々と親子が問題を解きに来ていた。宝物は足りるかと心配するほどの勢いだ。

B-Pamが拠点を置く幕張ベイパーククロスポート。謎解きトレジャーハントの謎を解いて、宝物をもらいにきた子どもたちが次々と訪れていた(画像提供:B-Pam)

B-Pamが拠点を置く幕張ベイパーククロスポート。謎解きトレジャーハントの謎を解いて、宝物をもらいにきた子どもたちが次々と訪れていた(画像提供:B-Pam)

取材に対応してくれたのは、B-Pam代表理事で住民でもある遠藤峰志さんと、事務局長でマンション管理会社三井不動産レジデンシャルサービスの社員でもある吉野公二さん、開発担当者である三井不動産レジデンシャルの柳谷剛弘さん。まず、B-Pamの役割を聞いた。

■B-Pamの役割
(1)自治会機能
(2)商店会機能
(3)管理組合の横連携機能
(4)エリアマネジメント機能

B-Pamの主な役割は上記の4つがあるという。まず、町内会のような住民組織である自治会としての機能(1)、ここで営業する商店主による商店会としての機能(2)がある。また、街区ごとにマンション管理組合が組織化されるが、幕張ベイパーク内には今後も段階的にマンションが建設されていくため、将来必要になる管理組合相互の横の連携を図る機能(3)もB-Pamの役割となる。

(1)~(3)は相互連携がテーマだが、(4)のエリアマネジメントは、街の価値を維持・向上させるための活動である。B-Pamでは、住民や店舗などが参加しやすいイベントの企画運営、街の景観を維持するためのルールづくりや清掃活動、安全安心な地域づくりのための防災訓練実施などのさまざまな活動の企画と実施を担っている。

デザインガイドラインを設け、街の中の商業施設に関しても、街並みの統一感を図っている。写真はイオンスタイル幕張ベイパークで、外観は落ち着いたトーンになっていた

デザインガイドラインを設け、街の中の商業施設に関しても、街並みの統一感を図っている。写真はイオンスタイル幕張ベイパークで、外観は落ち着いたトーンになっていた

B-Pamの活動拠点は、次の2つ。
■B-Pamの活動拠点
・幕張ベイパーククロスポート(街のコミュニティ拠点)
・B-Pam WEB(インターネット上の交流サイト)

「幕張ベイパーク クロスポート」には、B-Pamの活動拠点であるほか、貸し出しできるフリースペース(キッチン付きパーティールームもあり)があり、パーティーや趣味のサークルなど多様に利用ができるようになっている。一方「B-Pam WEB」では、イベントなどの告知や参加申し込み、管理組合からのお知らせ、店舗などの情報提供、フリースペースやマンションの共用施設の予約などもできるようになっている。

また、B-Pamはどういったメンバーで構成されるかというと(下図参照)、住民による「居住会員」とエリア内の商業施設の事業者による「店舗会員」、街を開発するデベロッパーによる「開発会員」などで構成され、それぞれの代表が役員を務める「理事会」を事務局がサポートしながら活動し、正会員による「総会」で決議していく形だ。

B-Pam組織図(画像提供:B-Pam)

B-Pam組織図(画像提供:B-Pam)

正会員のほかに、居住会員の家族による「ファミリー会員」や商業施設の従業員による「ワーカー会員」を「準会員」としているほか、B-Pamの活動を支援する企業や団体による「パートナー会員」や幕張ベイパークに居住していないが関わりたい個人による「オープン会員」なども設定している。

会員になるのは任意で強制ではない。会費も支払うことになる。居住会員の会費は、1世帯あたり月300円で、店舗会員は店舗の広さに応じで会費が変わる。現在、居住会員は居住者の約7~8割が加入しており、店舗会員は13店舗が全て加入している。

また、現在の理事会は幕張ベイパークの居住者4名、店舗事業者2名、デベロッパー社員3名の役員で構成しており、任期は2年。居住者による役員は、マンションの管理組合との連携を図る意味合いから、管理組合の理事と兼任を図っているとのことだ。代表理事の遠藤さんも、管理組合の第1期理事を務めていた。

重要なのは継続していくこと、参加者の主体性がカギに

さて、幕張ベイパークは2019年4月に「街びらき」イベントを開催している。街びらきイベント自体は、入居者の親睦のためでもあるが、お披露目としての宣伝効果もあり、デベロッパーが力を入れることで盛大に実施することはできる。問題となるのは、その後だ。大勢が参加する多様なイベントを、数多く継続して開催できるかどうかが課題だ。

デベロッパーが用意した活動の場があっても、事務局などの限られた人たちだけがいくらがんばっても、継続して活動してくれる住民たちがいなければ続かないものだ。そうした担い手をどう集めるかが最も難しい点だ。

B-Pamでは、マンションの入居が始まる前からこのコミュニティづくりにいち早く取り組み、契約者が入居するまでに、どういった活動をするかを詳しく説明し、街づくりに関心を持つ人を育てていった。遠藤さんもそこで関心を持った一人だ。こうした人を中心に、「B-Pamサポーター」を募集して、どんなことをやったら楽しいか、どんなことがやれるかをブレストして、アイデアを紙に張り出すといったこともしている。あくまで住民がやりたいことを吸い上げて具現化する「街の住民の主体性」を重視する発想だ。
例えば、2019年のハロウィーンのイベントは、4、5人の住民有志が手を挙げて企画実行したが、有料でも人が集まるか、チラシを打って人を集めるだけの期待を得られるような企画になっているか、協力してくれるボランティアは集まるかなど、多くの不安を抱える中で試行錯誤して実施したという。その結果、「ハロウィーンハント」という、昼間にはシールを集めたり、公園に隠された宝を探したりするイベントを有料先着順で開催し、夜間には公園に夕食を持ち寄って集まるオープンイベントを開催したが、予想を超える300人以上の参加があり、大盛況だったという。

左)ハロウィーンハントの手づくりチラシ 右)ジャック・スパロウ船長に扮して、仮装大会で優勝した遠藤さん。右隣のダース・ベイダーは事務局の吉野さん、左隣は柳谷さん(画像提供:B-Pam)

左)ハロウィーンハントの手づくりチラシ 右)ジャック・スパロウ船長に扮して、仮装大会で優勝した遠藤さん。右隣のダース・ベイダーは事務局の吉野さん、左隣は三井不動産レジデンシャルのは柳谷さん(画像提供:B-Pam)

また、間を空けずに継続して、イベントなどを開催していくことも大切だという。というのも、継続することで「つながる場」を多くつくることになり、住民同士が顔見知りになる機会も増えて、次のイベントの参加を誘い合ったり、興味を持って新たに企画実行のメンバーになったりする。結果として、間口が広がって担い手を育てる効果もあるからだ。

B-Pamでは、街のイベントとして、七夕や夏祭り、夏の早朝ラジオ体操、秋の運動会、ハロウィーン、クリスマス、餅つきといったイベントも開催していった。さらに、フリースペースでは、店舗スタッフの協力によるコーヒーセミナー・各種の料理レッスンや、住民がそれぞれに企画した料理やアート、教養の教室などが多様に開かれている。

なかには、小学生の女の子が「クレープを焼きたい」とB-Pamに相談したことで、パーティールームを使ったクレープパーティーが開かれたこともあった。「子どもたちが企画したり、協力してくれたりということが意外に多く、かなりの戦力になっています」(遠藤さん)という。

悩ましいコロナ禍でのイベント。知恵を絞って継続

しかしそこへ、このコロナ禍だ。密になるイベントが難しいこともあって、1周年記念イベントが開催できなかった。そこで、これまで住民が取り溜めた街の写真の「フォトコンテスト」とおうち時間を使って子どもが描いた絵画の「絵コンテスト」を実施して、住民が参加できるイベントを工夫して継続していった。

加えて、コロナ禍で営業が厳しい近隣の店舗を応援しようと、住民の発案による「宅配ごはん」推奨の企画も実現した。B-Pam会員割引を設定してもらい、チラシ作成も住民が行って、テイクアウトの利用を促進したという。

こうして、街びらきから1年半近く経った今は、さまざまな活動が定着しつつある。
・毎月の公園清掃活動
・防災勉強会
・ハロウィーンやクリスマスなどの大型季節イベント
・ソフトボール部、サッカー愛好会等の部活動
・店舗支援企画

清掃活動の様子。インスタグラムやFacebookで清掃活動のボランティアを呼び掛けたところ、幕張に拠点を置くアメリカンフットボールチームIBM BIG BLUEの選手も参加してくれた(画像提供:B-Pam)

清掃活動の様子。インスタグラムやFacebookで清掃活動のボランティアを呼び掛けたところ、幕張に拠点を置くアメリカンフットボールチームIBM BIG BLUEの選手も参加してくれた(画像提供:B-Pam)

ソフトボール部が誕生した話というのも面白い。ある日突然、住民の一人が数日後に開催されるソフトボールの大会に出場したいとB-Pam事務局に相談してきた。「まだソフトボール部がない」のに、である。急遽、部員募集の告知をしたり、言い出しっぺの部長が朝のバス停でチラシを配ったりして、何とか人数をかき集めて大会に出場できた。しかし、練習不足で予選敗退。ところが、1年後の大会では見事に準優勝に輝いた。

こうした多様なイベントが継続する要因は、企画自体が住民の発案によるものだからだという。理事会は、街そだてに意味がある企画かどうかを判断し、事務局で自治体などの外部との交渉や予算管理などをサポートする。例えば景品の調達に企画実行チームの住民が駅周辺の商業施設に直接交渉したり、必要なボランティアを集めたりして、自主的に動いている。

「プロに外注できる予算を確保していますが、住民の皆さまが自治会としての金銭感覚で工夫してくれるので、予算を節約できています。イベントで司会が必要だとなると、住民のあの人なら上手にできそうと人選して、想定どおりにとても盛り上がる司会ぶりを発揮してくれたといったこともありました。」(吉野さん)

WEBで情報提供するだけでなく、イベントの開催やメンバー募集などを呼び掛けるチラシも手づくりしている

WEBで情報提供するだけでなく、イベントの開催やメンバー募集などを呼び掛けるチラシも手づくりしている

2020年のハロウィーンは小規模な開催となったが、クリスマスイベントは感染予防対策をしたうえで4週続けて土曜日に開催する予定だ。これまでの経験からそろいのアイテムを身に着けるとイベントが盛り上がるということが分かったので、今年はB-Pamオリジナルのクリスマスマスクを発売することにした。

遠藤さんが付けているのが、今回用意したオリジナルマスク

遠藤さんが付けているのが、今回用意したオリジナルマスク

2019年のクリスマスイベントの様子(画像提供:B-Pam)

2019年のクリスマスイベントの様子(画像提供:B-Pam)

B-Pamでは、イベントを開催するグループやサークル活動などの「街そだて」に貢献する活動に対して、支援金制度(最大5万円)を設けている。活動のための費用を負担することも大切だが、最も重要なのは住民の「熱い思い」だろう。にぎわいのある街を育てるには、その担い手が必要だ。更地だったこの街に住もうという住民たちには、街の成長に期待し、新しいつながりを築こうとする人が潜在的に多いのだと思う。

だからこそ、活動の場や仕組みに乗じて、ボトムアップで楽しみながらイベント等を企画実行する担い手が登場し、持続可能なエリアマネジメントが可能になるのではないか。それにしても、この街に暮らす住民たちはオールシーズン楽しいだろうと羨ましくなった。

テレワークで生まれた時間で地元貢献!会社員が仕掛ける「うらわパーティ」 私のクラシゴト改革2

会社員として働きつつ、テレワークで生まれた時間で、地元の埼玉県浦和エリアを応援する活動「うらわパーティ」プロジェクトを始めた長堀哲也さん。長堀さんに、その経緯や、新しい暮らし方、働き方についてインタビューした。連載名:私のクラシゴト改革
テレワークや副業の普及など働き方の変化により、「暮らし」や「働き方(仕事)」を柔軟に変え、より豊かな生き方を選ぶ人が増えています。職場へのアクセスの良さではなく趣味や社会活動など、自分のやりたいことにあわせて住む場所や仕事を選んだり、時間の使い方を変えたりなど、無理せず自分らしい選択。今私たちはそれを「クラシゴト改革」と名付けました。この連載では、クラシゴト改革の実践者をご紹介します。コロナ禍でテレワークに。通勤時間は地域活動の時間にあてた

大手メーカーのIT系グループ会社で営業として働く長堀さんは、新型コロナウイルスの影響で今年3月からフルリモートワークに。働き方が劇的に変わった。「これまで制度としてリモートワークはあったものの、営業という職種から、ほとんど利用したことはありませんでした。現在は、週に1度ほどクライアントに足を運ぶ以外は、ほぼ在宅です」
そして、テレワークで往復二時間半かけていた通勤時間が減り、地元で過ごす時間が圧倒的に増えたことで、長堀さんが新たに取り組んだのが、地域活動「うらわパーティ」プロジェクト。ネットでのワークショップや飲み会、テラスを無料開放した屋台など、オンラインとリアルの両輪で、ゆるいコミュニティをつくりながら、浦和を盛り上げようという活動だ。

JR浦和駅西口前のカフェ「OkiOki Café」では、「うらわパーティ」の一環で誰でも自由に使えるパーティテラスを無料で貸し出し。テイクアウトのお弁当を売る屋台になったり、県内の作家手づくりのマスク店を出店したり (画像提供/長堀さん)

JR浦和駅西口前のカフェ「OkiOki Café」では、「うらわパーティ」の一環で誰でも自由に使えるパーティテラスを無料で貸し出し。テイクアウトのお弁当を売る屋台になったり、県内の作家手づくりのマスク店を出店したり (画像提供/長堀さん)

屋台で販売する宅版専門の焼肉弁当屋(薫巻)さん (画像提供/薫巻さん)

屋台で販売する宅版専門の焼肉弁当屋(薫巻)さん (画像提供/薫巻さん)

「コロナ禍の自粛生活の中、地元の飲食店が苦境に立たされているのを実感し、『自分で何か応援できないか』と考えたのがきっかけでした。もともと、パパ友たちとイベントを開催する『うらわClip』という活動していて、地元には知り会いがたくさんいたので、何かしら始めることは自然な流れでした。これはスピード感が大事ですから、知り会いのWebデザイナー、フリーの動画編集者など、機動力のあるメンバーを巻き込んで、自粛期間中に一気に立ち上げました。一時期は毎日のようにオンラインで打ち合わせをしていましたね」

「うらわパーティ」で、オンラインでゲスト講師を招いて折り紙ワークショプも実施。他にも華道家による生け花のレッスン、元浦和レッズ選手のオンライン飲み会など、幅広いターゲットのコンテンツに (画像提供/長堀さん)

「うらわパーティ」で、オンラインでゲスト講師を招いて折り紙ワークショプも実施。他にも華道家による生け花のレッスン、元浦和レッズ選手のオンライン飲み会など、幅広いターゲットのコンテンツに (画像提供/長堀さん)

全国的にも有名なクラフトビールバー「BEERNOVA URAWA(ビアノヴァ ウラワ)」は、浦和レッズのサポーターの間でもよく知られているお店。「うらわパーティ」ではオーナーによるオンラインイベントを後方支援。「正直、オンラインの集客は苦労していますが、コンテンツが強ければ集客できる成功例になりました」 (画像提供/長堀さん)

全国的にも有名なクラフトビールバー「BEERNOVA URAWA(ビアノヴァ ウラワ)」は、浦和レッズのサポーターの間でもよく知られているお店。「うらわパーティ」ではオーナーによるオンラインイベントを後方支援。「正直、オンラインの集客は苦労していますが、コンテンツが強ければ集客できる成功例になりました」 (画像提供/長堀さん)

重視したのは、オンラインとリアルの場の両方があるということ。「自粛期間中でも、スーパーへの買い物やお昼ごはんをテイクアウトしたりと、外に出るでしょう。コロナ禍でさまざまなイベントがオンライン化しましたが、地元だからこそ、リアルな体験にこだわりたかったんです。何かあったらすぐ集まれて、すぐ対応できるのが強みですから」

浦和の街を盛り上げようと、浦和の街への応援メッセージを書いてもらった花の折り紙を、リースにして、街のあちこちに飾るプロジェクトも「うらわパーティ」で実施 (画像提供/長堀さん)

浦和の街を盛り上げようと、浦和の街への応援メッセージを書いてもらった花の折り紙を、リースにして、街のあちこちに飾るプロジェクトも「うらわパーティ」で実施 (画像提供/長堀さん)

子どもの誕生とともに人の輪が広がり、リアルイベントの活動も

長堀さんは浦和生まれ、浦和育ち。とはいえ、会社員として多忙な毎日を過ごし、以前は地元に関わる活動をそこまでしていたわけではなかったそう。きっかけは子どもが生まれたこと。「幼稚園のパパたちと、『“パパ会”なる飲み会でもしましょうか』と話したのが最初のスタートでした」。そのうち、「せっかくなら何か地元でやりたいね」と、2018年に始めたのが「うらわClip」。”うらわ圏に属する人々が、うらわ圏に愛着を持ち、魅力的で誇れるものとして、次世代にその価値をつなぐこと”をコンセプトに、主にリアルなイベントを中心に活動している。
「僕と、デベロッパーで働く会社員、公認会計士兼税理士、司法書士の4人のパパを中心に、さいたま市役所の職員のパパもオブザーバーになってもらいました。さらに、地元の飲食店はもちろん、浦和PARCOさん、行政の方などともリレーションができ、それが現在の『うらわパーティ』の土台のひとつになっています」

現在は、「うらわパーティ」と「うらわClip」の両方の活動を行っている。「うらわClip」ではリアルにこだわり、12月には感染対策を講じつつ、ドライブインライブという新しい形に挑戦 (画像提供/長堀さん)

現在は、「うらわパーティ」と「うらわClip」の両方の活動を行っている。「うらわClip」ではリアルにこだわり、12月には感染対策を講じつつ、ドライブインライブという新しい形に挑戦 (画像提供/長堀さん)

ホームタウンという実感が、毎日の暮らしをハッピーに

「うらわClip」が、どこか非日常なお祭り的なイベントの“場”であるのに対し、「うらわパーティ」はもっと日常的。テラス、シェアオフィス、遊び場、カフェなど、街のあちこちに、つながれる場を誰もが持っていることが理想だ。
ステイホーム期間中は家にこもりがちになる人が多いなか、長堀さんは、逆に知り会いが増え、世界が広がったそう。「だから、街を歩いていると、知り会いに会いまくりです(笑)。在宅しているということは、圧倒的に地元にいるってことじゃないですか。だから、人と人とがゆるやかにつながるような、街の縁側のような場をつくりたいと思っています」
さらに、街中に知り合いが増えるということは、子どもたちにとっても好影響だと長堀さんは実感。「ほんとみなさん、いい人ばっかりなんです! 街のあちこちに、知っている大人がいるというのは安心感があるんですよね。みなさんの仕事もバックグラウンドも多種多様。知らない間に“こういう仕事があるんだ”と子どもたちが多様性を学ぶ機会になるんじゃないかと思います」

長堀さんの2人の息子さんとうらわClipのメンバーたち。うらわパーティで5月5日の子どもの日に折り紙ワークショップイベントを開催し、息子さんたちが家で折った作品を、屋台で飾るために直接届けに来てくれた。街のいたるところに彼らのことを見守ってくれる大人がいるのは心強い (画像提供/長堀さん)

長堀さんの2人の息子さんとうらわClipのメンバーたち。うらわパーティで5月5日の子どもの日に折り紙ワークショップイベントを開催し、息子さんたちが家で折った作品を、屋台で飾るために直接届けに来てくれた。街のいたるところに彼らのことを見守ってくれる大人がいるのは心強い (画像提供/長堀さん)

コロナ禍で大々的なイベントが難しくなっている今、ステイホームで地元にいる時間が長くなった人も多いはず。長堀さんのような主催者側ではなくても、参加者として地元との接点を増やしてみるのもよさそうだ。「地域活動をされているシニア世代の方たちとも交流を持っていますが、みなさんイキイキとしていらっしゃいます。子どもたちの幼稚園や学校の集まりなどで、パパたちは所在なさげにひとりで立っていることが多いけれど、もったいない。行きつけのお店でもいいですし、道で会ったらちょっと立ち話程度の交流をする人が増えるだけで、自分の生活圏がぐっと豊かになるんじゃないかと思います」

●取材協力
・うらわパーティ
・うらわClip

保護猫と暮らす三軒茶屋の「サンチャコ」。地域と人とを結ぶ新しい暮らし方

ワーキングスペースとレンタルスペース、賃貸住宅からなる複合施設「SANCHACO(サンチャコ)」。飲食営業可能なレンタルスペースを除いて保護猫が施設内を歩き回わり、住民や地域の人々が触れ合っている光景に、思わず笑顔になる場所だ。オーナーであり、全国でまちづくりや地域活性化のプロジェクトに携わる東大史(あずま・たいし)さんの発想から実現した。保護猫を軸とした本施設を手掛けたきっかけなどを伺った。
ネコファースト! 保護猫をハブに地域コミュニティを維持

「サンチャコ」があるのは、東急田園都市線「三軒茶屋」駅から歩くこと5分ほどの、にぎやかな大通りから一本入った路地。ローカル感が色濃い東急世田谷線の「西太子堂」駅にもほど近く、のどかな雰囲気だ。

三軒茶屋駅付近(写真/PIXTA)

三軒茶屋駅付近(写真/PIXTA)

「サンチャコ」の外観。防火規制区域内のため、木造耐火建築物として建てられた(画像提供/チームネット)

「サンチャコ」の外観。防火規制区域内のため、木造耐火建築物として建てられた(画像提供/チームネット)

「三宿のあたりに軍の拠点が置かれた明治時代から、三軒茶屋では商店街が形成され、自動車が普及する前から市街地化していました。そのため道路幅が狭く、個性的な個人店舗が多いのが特徴です。再開発によって画一的で無個性な、人々が交流できなくなっている街が増えているなか、三軒茶屋では地域コミュニティを保てるよう、ここに代々土地を継いできた者として何ができるか考えた結果が『サンチャコ』でした」と東さん。自身が生業としてきた地域資源を活かす活動と、大好きな猫とを掛け合わせた事業を実現した。

social inclusion(ソーシャル・インクルージョン=社会的包容力)、sensuousness(センシャスネス=審美性)、sustainability(サステナビリティ=持続可能性)の3つのSをキーワードに、猫の幸せ・人の幸せ・地域コミュニティの幸せを結びつける場所にしたいと話す。

エントランスに猫のあしあと。ほかにも猫モチーフが施設のいたるところに(写真撮影/片山貴博)

エントランスに猫のあしあと。ほかにも猫モチーフが施設のいたるところに(写真撮影/片山貴博)

“猫の幸せ”を実現するために、「サンチャコ」では保護猫の譲渡を軸に活動を行っている。取材をした2020年10月時点で、3匹の保護猫が居住。飼い主が亡くなってしまった近隣の猫たちで、サンチャコに来るまでは近所の方がお世話をしていたそう。猫たちがサンチャコに引越してからも、その方が猫当番のひとりとしてサンチャコを訪れていて、居住者をはじめ、自然と地域交流が生まれている。

オーナーで自身も保護猫を飼う東大史さん(右)と、建築プロデュースをしたチームネット代表の甲斐徹郎さん。東さんに抱かれているのは、16歳の長老、三毛猫のミーちゃん(写真撮影/片山貴博)

オーナーで自身も保護猫を飼う東大史さん(右)と、建築プロデュースをしたチームネット代表の甲斐徹郎さん。東さんに抱かれているのは、16歳の長老、三毛猫のミーちゃん(写真撮影/片山貴博)

1階はものづくりの拠点と譲渡会などイベント会場に

「サンチャコ」は木造3階建て。1階がワーキングスペースとレンタルスペース、2・3階が賃貸のメゾネット住宅というつくりだ。保護猫が主に過ごすのは、1階奥の共用スペース「にくきゅう」とワーキングスペース「neco-makers」。猫たちが脱走しないように入口を古民家で使われていた建具で二重に囲ったり、猫たちがリラックスできるよう床には奥多摩産の木材を敷いたりと、工夫されている。

棚から来客の様子を伺うハチワレのハナちゃん。共用スペースの棚などはDIYで制作。「三軒茶屋は商店が元気な街で、近所に木材屋や金物屋などがあるんです。DIYのワークショップなどで、その街の文化を伝えていけたら」と東さん(写真撮影/片山貴博)

棚から来客の様子を伺うハチワレのハナちゃん。共用スペースの棚などはDIYで制作。「三軒茶屋は商店が元気な街で、近所に木材屋さんや金物屋さんなどがあるんです。DIYのワークショップなどで、その街の文化を伝えていけたら」と東さん(写真撮影/片山貴博)

ワーキングスペースは、2021年度からのオープンに向けて準備中。一般の人も利用できる会員制で、現在会員を募集している。高機能ミシンやレーザーカッターなどが設置される予定だ。「ものづくり拠点としてここにクリエイティブな人たちが集まり、猫好き同士の異業種コラボからさまざまなプロジェクトが生まれて、三軒茶屋の街に『サンチャコ』のコンセプトが広がってくれることを期待しています」(東さん)

そのほか、譲渡会や猫の飼い方教室などの猫に関するイベント、DIYをはじめとした各種ワークショップなどを構想。譲渡会では、10歳を超えたシニア猫にも出会う機会を設けていきたいという。

ワーキングスペースで毎月開催される「SANCHACO茶会」の様子。まちづくりや地域活性化、保護猫にちなんだゲストを迎えて意見交換などが行われる(写真撮影/片山貴博)

ワーキングスペースで毎月開催される「SANCHACO茶会」の様子。まちづくりや地域活性化、保護猫にちなんだゲストを迎えて意見交換などが行われる(写真撮影/片山貴博)

「『サンチャコ』の周りには高齢の単身者が多いのですが、猫を飼うと生きがいや外との繋がりが増えて良いと思っているんです。ただ、多くの譲渡会で出会えるのは子猫がほとんど」。猫の寿命は20年くらいあり、小さいうちは手が掛かるということもあって、お年を召した方の場合、既存の譲渡団体からはNGになってしまうことが多いという。

「一方で、うちにいるようなシニア猫でしたら落ち着いていてお世話も比較的楽ですし、何かあればここで面倒を見られる。そうやって猫との暮らしをアシストしていければ。孤立している単身高齢者も猫を通じて地域と繋がっていけるんじゃないかなと思います」と今後の展望を教えてくれた。

カフェやスナックを介してサンチャコに関わるきっかけづくり

道路に面したレンタルスペース「NECO NO HITAI(ネコノヒタイ)」でも、地域との交流の機会をつくっている。カフェやスナックなどの飲食営業やギャラリーができるスペースだ。「通りすがりの方にも、レンタルスペースで開かれるカフェなどを通じてこの建物に興味を持ってもらえたら」と東さん。レンタルスペースからは、猫がいるスペースが見えるようになっている。

道路から見る「NECO NO HITAI(ネコノヒタイ)」(写真撮影/片山貴博)

道路から見る「NECO NO HITAI(ネコノヒタイ)」(写真撮影/片山貴博)

取材日に営業をしていたのは、「AWO STAND(アヲスタンド)」で、ご実家がお茶屋さんという丸谷阿礼さんが店主となり、加賀棒茶などを提供していた。丸谷さんは、世田谷で地域猫の世話をする団体「きぼうねこ」を立ち上げて活動している。サンチャコの説明会に参加したことをきっかけに、何か携われることはないかと、カフェを開くことにしたのだそう。

丸谷さんが営業する「AWO STAND(アヲスタンド)」(不定期開催)。日本茶とノンアルコールドリンクを提供(写真撮影/片山貴博)

丸谷さんが営業する「AWO STAND(アヲスタンド)」(不定期開催)。日本茶とノンアルコールドリンクを提供(写真撮影/片山貴博)

丸谷さんのほかにも、サンチャコの説明会に参加した方が何かしらで関わっていきたいと、夜にスナックを営業している。このスペース自体が、サンチャコと、さまざまな形で地域や猫に関わりを持ち続けたい方とが繋がる場として機能。さらにここで開かれるカフェなどが、サンチャコと地域とを繋げる大きな役割を果たしている。

レンタルスペースで保護猫の情報を紹介。サンチャコに暮らす保護猫はみな譲渡可能(写真撮影/片山貴博)

レンタルスペースで保護猫の情報を紹介。サンチャコに暮らす保護猫はみな譲渡可能(写真撮影/片山貴博)

猫初心者へ間口を広げる新しい不動産の形

最後に、2・3階の賃貸住宅を見てみよう。賃貸住宅では、一年くらいを目途に保護猫を譲り受けることを推奨し入居してもらっているのが特徴だ。

「不動産市場では、ペットを飼ってみたいけど、飼育経験がないので迷っているという方が2割くらいいるらしいんです」と東さん。昼間や旅行中は共用スペースで入居者みんなで猫の世話をするなど、初心者でも猫を無理なく飼えるような環境を用意することで、ニーズに応える新しい不動産の形を提案している。

猫の種類が各部屋の名前に。玄関前にはかわいらしいサインがあしらわれている(写真撮影/片山貴博)

猫の種類が各部屋の名前に。玄関前にはかわいらしいサインがあしらわれている(写真撮影/片山貴博)

賃貸住宅は全室メゾネット。写真の部屋は2020年10月末現在で空きがある「ハチワレ」(写真撮影/片山貴博)

賃貸住宅は全室メゾネット。写真の部屋は2020年10月末現在で空きがある「ハチワレ」(写真撮影/片山貴博)

お話を伺った入居者のMさん夫妻が、まさにその2割に当てはまる。「ここ数年ずっとペットを飼ってみたいと思っていたんですけど機会がなかったんです。他の物件に決めかけていましたが、心のなかで何かが引っかかっていて。そんな折に、『サンチャコ』を見つけて、ここだ!と」と妻。入居してからは、週一回の猫当番で共用部の猫のお世話をしながら、いつか自宅で猫を受け入れる準備をしている。

共用スペースに置かれた「にゃんこ連絡帳」。猫の特徴や体調の変化などが記されている。またLINEのグループをつくるなど、初心者でも安心して猫のお世話ができるような配慮も(写真撮影/片山貴博)

共用スペースに置かれた「にゃんこ連絡帳」。猫の特徴や体調の変化などが記されている。またLINEのグループをつくるなど、初心者でも安心して猫のお世話ができるような配慮も(写真撮影/片山貴博)

「いろんな猫がいるので、猫も性格がさまざまなのだと、ここに暮らして初めて知りました」と妻が話すように、活動は猫それぞれ。賃貸住宅は全4部屋。猫が上下運動できるよう階段があるメゾネットだが、キャットウォークなどは設けられていない。猫の動きによって空間をアレンジできるよう、部屋はシンプルなつくりになっている。

猫用に棚などが必要になれば、1階のワークスペースでDIYすることができる。「共用スペースの棚を真似して、サポートしてもらいながら自分たちの部屋にも棚をつくってみました」と夫。実はDIYを始めてみたかったという夫は、DIYができる環境も入居の決め手になったそう。

住み心地や今後の暮らしについて伺うと、「以前住んでいた街と違って、三軒茶屋は個性的なお店がいっぱいあるので、街歩きが楽しみです。ただ、ずっとここに暮らすというよりは、いずれ卒業しなきゃというイメージで入居しました。猫との暮らしを始めたい次の人にバトンを渡すことで、循環が生まれるのではないでしょうか」と夫。「仕事と家庭とじゃないですけど、猫と仕事との両立ができるようになったら卒業なんじゃないかなと思います。ここで猫の飼育方法を学んで、一人前にならなきゃ」と妻も、卒業に向けてサポートを受けながら猫と一歩一歩歩んでいる。

賃貸住宅の共用廊下へ繰り出すノンちゃん。「夜、玄関扉前で“入れて~”と鳴いていることもあるんですよ」と妻が教えてくれた(写真撮影/片山貴博)

賃貸住宅の共用廊下へ繰り出すノンちゃん。「夜、玄関扉前で“入れて~”と鳴いていることもあるんですよ」と妻が教えてくれた(写真撮影/片山貴博)

猫と暮らす、猫と働く、猫の世話をしに訪れる……サンチャコではさまざまな猫との接し方があり、自分に合ったスタイルで、猫の幸せ、そして地域コミュニティと繋がることができる。猫も人も地域も幸せになれるサンチャコの仕組みが、より多くの場所で広がると、動物の殺処分や孤独死など大きな社会問題の解決策のひとつになっていくのではないだろうか。

●サンチャコ
●ワーキングスペース neco makers●取材協力
・合同会社シナモンチャイ
・株式会社チームネット

移住や二拠点生活は“コワーキングスペース”がカギ! 地域コミュニティづくりの拠点に

新型コロナウイルス感染症拡大にともない、テレワークが急速に浸透した。地方移住への関心も高まっているなかで注目を集めているのが、全国で数を増やしている地方のコワーキングスペース。働く場所としてだけでなく、地域コミュニティの拠点や移住相談の場としての側面もあるようだ。
長野県富士見町にある「富士見 森のオフィス(以下「森のオフィス」)」運営者の津田賀央さんにお話を伺った。

移住者がいても、「つながり」がなければ何も生まれない

「富士見 森のオフィス」は、2015年12月、八ヶ岳の麓・長野県富士見町にオープンした複合施設だ。コワーキングスペースを中心に、個室型のオフィスや会議室、さらには食堂やキッチン、シャワールーム、森に囲まれた庭やBBQスペースも備える。2019年には宿泊棟「森のオフィスLiving」もオープン。サテライトオフィスやテレワーク拠点として、また地域住民の“公民館”的スペースとして、都市部と富士見を行き来する人・地域に暮らす人をつなぐ拠点になっている。

富士見町が進める移住促進施策「テレワークタウン計画」の一貫としてオープンした施設だが、当初、計画内にコワーキングスペースのオープン予定はなかったという。

一軒家を事業主へ安価に貸し出すなどの施策を中心としていた当初の計画に対し、「人と人のつながりを生む場」の必要性を主張し、具体的なプランを提案したのが、当時はまったく富士見町と無縁だった津田さんだ。

津田賀央さん Route Design合同会社代表。2015年、富士見町に家族で移住。週に3日は東京を拠点に活動する二拠点生活者。「森のオフィス」の運営をはじめ、コミュニティー・スペース立ち上げのコンサルティングや地域商品の企画開発などさまざまなプロジェクトに携わる(画像提供/津田賀央さん)

津田賀央さん
Route Design合同会社代表。2015年、富士見町に家族で移住。週に3日は東京を拠点に活動する二拠点生活者。「森のオフィス」の運営をはじめ、コミュニティー・スペース立ち上げのコンサルティングや地域商品の企画開発などさまざまなプロジェクトに携わる(画像提供/津田賀央さん)

「良い計画だけど、まだあまり本格化してなさそうだな、と思ったんです。せっかく移住してきた人がいても、その地域でつながりができなければ何も生まれないだろうなと」(津田さん)

津田さん自身は神奈川県横浜市の出身だ。都内の大手企業でオフィスワークをしていたが、リンダ・グラットンの著書『ワークシフト』を読んで「働き方」についての考えが変わった。「これからはどこにいても働ける時代が来る」と直感した。

移住を検討していた最中、富士見町のテレワークタウン計画を知り、その数十分後には担当者へ連絡。津田さんの提案は富士見町の担当者に歓迎され、プロジェクトリーダーとしての参画が決まった。

八ヶ岳の麓にある「森のオフィス」。元は大学の保養所だったそう(画像提供/津田賀央さん)

八ヶ岳の麓にある「森のオフィス」。元は大学の保養所だったそう(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」で「つながり」が生まれる理由

「森のオフィス」オープンから5年。当初はWEBデザイナーなどクリエイターが多かった利用者の層も、今はかなり多様になっているという。

「フリーランスの方だけでなく、会社員の方も増えていますね。プログラマー、エンジニア、デイトレーダー、事務、会計、プロジェクトマネージャー、大学の研究者やアウトドアのアクティビティスクール運営者などもいらっしゃいます」(津田さん)

単に作業場として活用している人もいるが、やはり「つながりを求めて」来る人が多いそう。
「漠然と“何かやりたい”“面白い人とつながれたら”という気持ちを持って来られている方、この場を利用して自分の人生に前向きな変化を生み出したい、というメンタリティを持った方が多い印象です」(津田さん)

実際に、この場からは3年間で120以上のプロジェクトが生まれている。
元マスコミ系企業に勤めていた人と動画クリエイターがつながって、八ヶ岳のローカルメディアをつくるチームが立ち上がったり、お弁当屋さんをやりたいという利用者がコワーキングスペース内のキッチンで営業をはじめたり。さらにその人と農家やデザイナーがつながってビジネスが広がっていったケースもあるとのこと。

利用者の変化に合わせ、津田さんは「つながり」のつくり方も日々考え続けている。
「会社員の中には副業が禁止されていて、プロジェクトへの参加が難しい方もいます。今後はライフワークや趣味をベースにつながれるような取り組みもしていきたいですね」(津田さん)

(画像提供/津田賀央さん)

(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」のアウトドアスペース。BBQやマルシェなどのイベントも催される(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」のアウトドアスペース。BBQやマルシェなどのイベントも催される(画像提供/津田賀央さん)

広告はほとんど利用しておらず、利用者は口コミで集まってくるという。

「“共感”がベースにあると思います。森のオフィスがはじまった2015年当時は、二拠点居住やリモートワークがまだまだ珍しいものでした。身近な例が無いから、想像もしづらかったと思います。なので、僕自身が森のオフィスを通じて実現したいワークスタイル、ライフスタイルを体現してきたつもりです。最初はそれに共感する人が集まってきてくれて、その人がまた新しい人を連れてきてくれた。

共感が共感を呼んで、人が人をつれてきた。結果、さまざまな知恵やスキルが集まって、プロジェクトを生み出せるようになった。そのプロジェクトを起点に、さらにつながりが広がって、深くなっていく。そんな風に、コミュニティが大きくなっていきました」(津田さん)

利用者同士をつなぐ仕掛けや仕組みがあるのだろうか。そう津田さんに尋ねると、「仕組みと言えるものはないんですよね」と笑う。

「森のオフィス」のコワーキングスペース(画像提供/山田智大さん)

「森のオフィス」のコワーキングスペース(画像提供/山田智大さん)

「かなり地道で属人的ですが、スタッフが意識して“仲人さん”をしているんです。移住促進を目的につくられた施設なので、『どこから来たんですか』とか『ご家族は?』とか、会話の中で利用者のプロフィールを聞いて、会員同士の共通点を見つけるようにしている。例えば『カレーが好き』と聞けば、『誰々さんもカレー好きって言っていましたよ』と伝えるとか、とにかくつながるきっかけをつくるようにしています」(津田さん)

もともとつながりを求めてやってくる人が多いが、なかでも縁を広げていける人に特徴があるとすれば、「特技と強い好奇心を持っている人」、特に後者が重要だと津田さんは語る。

「例えば、オフィスの利用者に元大手PCメーカーの修理エンジニアの方がいるんですが、すごい人気者なんですよ。PCやデジタル機器で何か困ったことがあるとみんな彼に聞くから。
でもそれだけじゃなくて、相談に乗るときに一緒にごはんを食べたり、修理するときに家に遊びに行ったり、逆に招いたり、その機会を活かしている。相手に対する興味を持って接しているんですよね。その方は移住して半年ほどで本当にいろんな方とつながって、今では森のオフィスにその方を訪ねて来る方もいらっしゃいます」(津田さん)

地方は「働く場と生活の場が同じ」。だから関係が育ちやすい

「森のオフィス」のように、個性的なコワーキングスペースは長野県内だけでも増えているという。津田さんがいくつかの例を教えてくれた。

まずは塩尻エリアにある『スナバ』。イノベーション創出を主目的とした施設で、『森のオフィス』より、「ビジネスを生み出す」という色が強い印象だ。長野県が進める移住支援制度「おためしナガノ」とも連携しており、実際に「スナバ」を利用してビジネスを進める移住者もいる。
「行政職員の方が運営しているコワーキングスぺ―スですが、いい意味で“行政っぽさ”を裏切る柔軟さがあって、素敵なコミュニティが生まれているようです」(津田さん)

「スナバ」のコワーキングスペース(画像提供/スナバ)

「スナバ」のコワーキングスペース(画像提供/スナバ)

続いて松本の『SWEET WORK』。「パンの香りのするコワーキング」というキャッチコピーの通り、老舗ベーカリーが運営している。会員はパン食べ放題、というこちらもユニークな施設だ。利用者は国籍も職業もさまざまだが、懇親会などのイベントもあり、会員同士の雑談からゆるやかなコミュニティが生まれている。

都内のコワーキングスペースづくりにも携わる津田さんは、地方と都市部それぞれのコワーキングスペースの違いを「働く場と生活の場の距離」だと話す。

「地方は働く場と生活の場がほぼ同じなんですよね。利用者同士の家も近い。外食の選択肢も限られるから、行った先で知り合いに会うし、誰かの家で食べることも多い。家をリフォームしたいとか、田んぼを探しているとか、利用者同士が生活の相談で仲良くなることも多いです。だから関係の育ち方に違いが出るんじゃないでしょうか。

都市部のコワーキングスペースで働いた後に一時間半かけて自宅に帰るのとは違う。地方のコワーキングスペースは“生活”そのもの。“生活の場”と“仕事の場”の“顔が同じ”なんです。

だからこそ、地方でつながりをつくりたいと思ったら、コワーキングスペースを使うことが突破口になるのかもしれないですね」(津田さん)

異なる背景やスキルを持つ仲間をつくり、自分を変化させる

新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、「森のオフィス」も一時休館せざるを得なくなった。その時は「今までつくった文化がなくなってしまうのではと不安になった」という津田さん。しかし5月の運営再開後、新規登録者や見学者、移住相談の問い合わせは増えているそう。結果的に“時代が追い付いた”ということなのかもしれない。

「“人生100年時代”と言われています。寿命が延び、働く期間が長くなるなかで、僕たちの世代は60代・70代になっても、新しいスキルを身に付けないといけない。そのためには、自分自身がこれまで持っていた慣習や常識を都度捨てて、“次”に向き合う必要がある。でも、ひとりだと難しいですよね。
そんなときに、同じ意思を持ちながらも自分とは違うバックグラウンドやスキルを持った仲間がいることで、自分を変化させやすくなると思うんです。

実際、富士見に移住してくる方も、ひと昔前みたいに“仕事をリタイアして余生を過ごす”みたいな方ばかりではないです。“人生100年時代”に、連続的に自分を変えていかないといけないなかで、刺激を求めてやってくる人が増えていると感じます。自分や周囲の既成概念から脱するという意味でも、移住は良い方法なんじゃないでしょうか。

僕自身も、仕事と生活を軸に、既成概念や慣習を疑って、変化を促す取り組みを続けることで、自分自身を変え続けたい。そんな思いで、『森のオフィス』の運営を続けていきたいと思っています」(津田さん)

「森のオフィス」の外庭を使った“アウトドアオフィス”での会議風景(画像提供/津田賀央さん)

「森のオフィス」の外庭を使った“アウトドアオフィス”での会議風景(画像提供/津田賀央さん)

地方コワーキングスペースを「きっかけ」に

地方では、「暮らし」と「仕事」が同じ空間にある。だからこそ、コワーキングスペースという存在が地域とつながる突破口になりうる。
少し前まで、「仕事の刺激(都会)」と「豊かな生活環境(地方)」はトレードオフの関係と捉えられていたように思う。だが、状況は変わってきた。「森のオフィス」のような場を活用することで、どちらも手に入れることは可能になりつつある。
気になる地域と関係を持ちたい、何か新しいことにチャレンジしてみたいという人は、こうした場を活用することから始めてみるのも良いかもしれない。

●取材協力
富士見 森のオフィス
スナバ

コロナ禍のドイツは園芸がブームに。農園でつながりづくり進む

コロナ禍の日本で“おうち時間”を大切にするなどの価値観やライフスタイルの変化があるなか、ベランダ菜園などがちょっとしたブームとなっている。筆者が住むドイツでも同様だが、その動きは少し異なる。コミュニケーションのきっかけづくりを目的に、農園や園芸活動を通して、時間や想いの共有を図ろうという気運が高まっているのだ。その様子をお伝えする。
1. コロナ禍でのドイツでは園芸が生活の楽しみに

“ハムスターの買い物”(Hamsterkauf)。「食べ物が品切れになるかも……」という不安から、人々が食料品/生活用品に買いだめに走る様子を、ドイツ語でそう呼ぶ。コロナ禍、ロックダウン中のドイツにて、最も売れ行きが伸びた商品は、第1位がトイレットペーパー、第2位が園芸用土という。

ベルリンのコミュニティ農園のひとつ、プリンツェシンネン庭園 (写真撮影/Shinji Minegishi)

ベルリンのコミュニティ農園のひとつ、プリンツェシンネン庭園 (写真撮影/Shinji Minegishi)

ドイツの自然食品チェーンであるBIO COMPANYのイベントマネジメントリーダーのアニカ・ヴィルケ(Anika Wilke)さんは「園芸用土の売れ行きは25パーセントほどアップしました。ロックダウン中、皆さん、庭作業をする時間とゆとりがあったからでしょうね。あるいは、バルコニーで野菜を育てたり。花のタネはもちろん、果物のタネも沢山売れましたよ」と語る。

自宅待機の人にできることは日本もドイツも変わらない。ただ、クラインガルテン発祥の地・ドイツでは、園芸が人々にとって日本よりも身近な存在 だ。(クラインガルテンとは貸し農地のことで、なかには滞在可能な小屋付きのものも。日本では2019年時点で市民農園は2750、”クラインガルテン”などと呼ばれる宿泊可能な滞在型市民農園は66ある(農林水産省HPより))

それに加えてコロナ禍、ベルリンのロックダウン中の行動規制では、飲食店の営業や演劇/音楽活動の制限は厳しかったものの、園芸活動は規制対象に含まれなかった。これらが、園芸用土や果実のタネの売り上げ増の背景となったようだ。

ベルリンの人気地区ノイケルンの住宅街に位置するプリンツェシンネン庭園は、市民公園のように無料開放され、近所の人がふらりと訪れて農作業に参加することができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

ベルリンの人気地区ノイケルンの住宅街に位置するプリンツェシンネン庭園は、市民公園のように無料開放され、近所の人がふらりと訪れて農作業に参加することができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

コミュニティ農園はビギナー向けの共同農作業デーや養蜂ワークショップ、収穫した野菜を用いた野外ディナーなどのさまざまなイベントも企画・運営し、多くの人が集いにぎわう。コミュニティ農園は、自宅に庭を持たない人々に、趣味としての園芸活動を提供する場所であるが、その他にも園芸を行える選択肢が、ドイツにはふんだんに用意されている。

農家が経営する畑に、一般の人々が参加費を支払いつつ、農家と消費者の垣根なくみんな一緒に土にまみれ、農園で発生するさまざまな問題もみんなで解決する、共同農園もその一つ。これは、趣味的な園芸だけでなく、より自然と触れ合え、かつ食品の自給自足ができるスタイルだ。

2. 自分で野菜をつくり、人とのつながりも広がる

突然だが筆者が所属する会社ASOBU GmbHはドイツでの建築設計に携わっているが、庭などの共用スペースを設計する場合、アスファルトでできた鑑賞用の庭よりも、野菜をつくれる「アクティブな庭」をつくることの方が好まれる。先に書いた共同農園のように、アクティブな庭において育まれる近所付き合いやコミュニティが尊重されているからだ。

誰でも立ち寄れるコミュニティ農園では、物心つかないうちから虫や草花に触れ合う貴重な経験ができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

誰でも立ち寄れるコミュニティ農園では、物心つかないうちから虫や草花に触れ合う貴重な経験ができる (写真撮影/Shinji Minegishi)

さて、ドイツに住む人々は具体的に、農園とどのように親しんでいるのだろうか? その事例をいくつかご紹介したいと思う。例えば、共同農園に参加する筆者の友人は、農園でのアブラムシ対策にさんざん苦労した。そして害虫問題の解決のため、てんとう虫の幼虫を購入したという。

「薬品を使わないアブラムシ対策をいろいろ試したのですが、効果がなかったのです。そこで、生物農薬としての益虫販売サイトを探して、てんとう虫の幼虫を買いました。効果は抜群でした」

農園のてんとう虫 (写真提供:Natur Pur)

農園のてんとう虫 (写真提供:Natur Pur)

ドイツでは、てんとう虫がインターネット販売されているのだ。化学農薬の利用の拒否感から、生物農薬の購入を決めた。さらには、生態系保護のために、どのてんとう虫を購入すべきか、という点にも十分配慮し、議論したという。

「生態系の保護は、生物多様性を守ることだと思います。てんとう虫を買うといっても、てんとう虫であればなんでもいいわけではないのです。今、ドイツ国内でも、従来は日本とアジアに自生していたナミテントウが外来種として拡大しており、問題になっています。

そのため、ナナホシテントウの幼虫の購入を決めました。ナナホシテントウは、古くからヨーロッパに広く分布しているからです」

木の上にある蜜蜂の巣。近年、蜜蜂の数が少なくなっていることが世界中で問題となっており、自然な状態を維持したまま飼育する工夫が行われている (写真撮影/Shinji Minegishi)

木の上にある蜜蜂の巣。近年、蜜蜂の数が少なくなっていることが世界中で問題となっており、自然な状態を維持したまま飼育する工夫が行われている (写真撮影/Shinji Minegishi)

さらに友人は、自宅の庭でも生物多様性を守るために、さまざまな工夫を凝らしているという。

「てんとう虫をはじめとして、いろんな生物や植物が暮らしたり、冬を越したりできるようにしています。前の自宅の所有者は、庭に砂利を敷き詰めて、石庭と芝生の構成にしていました。まさに、観賞用のお庭ですね。

これを土と、地域に自生する植物に戻したことで、鳥が地面で餌を見つけやすくなりました。こうした鳥が、また一部の害虫を減らすことにもつながります。

「私の子どもが大きくなった時代にも、豊かな自然環境を残したい。多様な生き物の営みが感じられる農園を一緒につくり、楽しみ、大切にする経験から、その目的を理解できる子どもたちが増えると思うのです。この環境で育った子どもたちは、虫を怖がったり気持ち悪がったりしないでしょう」

収穫された野菜に興味津々の子どもたち (写真撮影/Shinji Minegishi)

収穫された野菜に興味津々の子どもたち (写真撮影/Shinji Minegishi)

3.”脱サラ”して農業を始めたドイツ人男性も

人の価値観も変えるアクティブな農園。こうしたドイツの農園を起点としたコミュニティーに魅せられ、他の仕事を辞めて、実際に農業を始めてしまう人もいる。

日本人観光客にとってドイツ観光の定番コースの一つ、ロマンチック街道の起点となるヴュルツブルクから西に40kmほど離れたカールバッハという街で、Natur Purという農家を営むトーマス・ガロス(Thomas Garos)さんもその一人だ。

Natur PurのFacebookページ (画像提供/Natur Pur)

Natur PurのFacebookページ (画像提供/Natur Pur)

ガロスさんは平日、土にまみれて農園で野菜を育てる。そして週末には、その野菜たちや自然食品を屋台(Hofladen)に積み込んで車で近郊の街に出向き、販売して生計を立てている。
そんなガロスさんは、農業を始めたきっかけや、その魅力をこう語る。

ガロスさんの屋台に積み込まれた野菜たち (写真提供/Natur Pur)

ガロスさんの屋台に積み込まれた野菜たち (写真提供/Natur Pur)

「私が住んでいる地域では、野菜を有機栽培する農家が少なかったのです。ですので、自分自身で栽培することに決めました。インターネットやフォーラムで勉強してから、とにかく、始めてしまったのです」とガロスさん。

「農業を営むことの一番の喜びは、自然との一体感ですね。それと、有機野菜を育て、販売する過程で、同じ価値観を持つ人々とのネットワークができたこと。この地球と自然を愛している人たちとのつながりです」

ガロスさんの農園で、野菜づくりに参加する子どもたち (写真提供/Natur Pur)

ガロスさんの農園で、野菜づくりに参加する子どもたち (写真提供/Natur Pur)

しかし、実際に農業を本業とするのは、そんなに簡単ではないだろう。例えば、野菜を海外から輸入し、どんな季節でも豊富な品ぞろえを誇るスーパーマーケットの野菜売り場などは、ガロスさんの商売の競合のはず。だが、この点については、うまく棲み分けができているようだ。

「曲がった野菜、完璧には見えない野菜をお客さんに買っていただいた経験が、私にはあります。私の農園とお店に来る人々は、食べ物を台無しにしたくない人たちですから」

野菜をつくるプロセスや、野菜を販売するマーケットで人々が交わり、有機野菜や環境に関する考え方、価値観を共有できる場所がつくられていることが分かる。

プリンツェシンネン庭園にはカフェが併設され、散歩で訪れた人もおしゃべりを楽しみながら、時間を過ごすことができる(写真撮影/Shinji Minegishi)

プリンツェシンネン庭園にはカフェが併設され、散歩で訪れた人もおしゃべりを楽しみながら、時間を過ごすことができる(写真撮影/Shinji Minegishi)

4. コロナ禍だからこそ農業が人と人をつなぐ

ドイツの農園は人と人をつなぐ。このことは、コロナ禍にも顕著に示された。

ロックダウン状況下、ドイツでも多くのコンサート会場は閉鎖されていたが、記事冒頭で登場したBIO COMPANYのヴィルケさんは、チェーン店各店のビストロ・エリアにて、5月初旬から店内コンサートを実施した。「厳しいロックダウン状況だからこそ、お客様に幸せな気持ちと、コミュニティー感覚を体験できる機会を、少しでも提供したかったのです」と、ヴィルケさんは語る。

Natur Purのガロスさんも同様に、屋台販売するマーケットおよび農園で、6月ベルリンからミュージシャンを招いてコンサートを開催した。自分の野菜を楽しみにしてくれる人たちのために、ロックダウン状況におけるコミュニケーション閉塞感を、いち早く打ち破ろうとした。

ガロスさんが参加するマーケットでのコンサートの様子_(写真提供/Natur Pur)

ガロスさんが参加するマーケットでのコンサートの様子_(写真提供/Natur Pur)

ドイツでもコロナ禍をきっかけに変化したライフスタイルにおいて、住居を中心としたコンパクトな生活圏、「働く・暮らす・半自給型の生活」へのリビングシフトが加速していくのではないかと考えている。アクティブな庭は、“箱庭”としての農園を用意すれば事足りるものではない。アクティブな人と人とのつながり、小さなコミュニケーションの積み重ね、そして価値観を共有できるコミュニティーがアクティブな庭をつくる。

今回紹介したガロスさんは、有機栽培の野菜がないから自分でつくろう、というシンプルな動機から出発し、同じ想いを持つ人々とつながることで農業を自分の仕事にした。このように、個人で農園をコミュニティの場所にしてしまう人も、ドイツでは少なくない。

●取材協力
・Prinzessinnengarten Kollektiv Berlin
・BIO COMPANY
・Natur Pur ‐ Hofladen

コロナ禍で変わる賃貸物件のニーズ。多拠点、コミュニティ、ストーリーがキーワード

ここ数年、「デュアラー(二拠点居住者)」や「アドレスホッパー」など、新たな住まい方をする人が出現し、それらの多様なニーズに応える賃貸や宿のサービスが展開されてきました。さらに新型コロナウイルスの影響を受け、家で過ごす時間が増えたことで賃貸物件の選び方や求める条件も変わってきているようです。
そこで今回は、全国賃貸住宅新聞の編集長・永井ゆかりさんに、いま注目を集めている賃貸物件やこれからの部屋さがしについてお話を聞きました。今回、お話を聞いた全国賃貸住宅新聞の永井ゆかり編集長(写真/全国賃貸住宅新聞)

今回、お話を聞いた全国賃貸住宅新聞の永井ゆかり編集長(写真/全国賃貸住宅新聞)

コロナの影響で「住まいに求めるもの」が変わった!

SUUMOが6月30日に発表した「コロナ禍を受けた『住宅購入・建築検討者』調査(首都圏)」では、コロナ禍を経て、今まで住まい選びの筆頭条件のひとつだった「駅からの距離」よりも「広さ」を求める傾向が強まっていることが明らかになりました。賃貸物件に求める条件が大きく変わってきていると同時に、広さや駅からの距離など、これまでの指標となってきた条件だけではない選び方が広がっているようです。

今回の調査で「駅からの距離」よりも「広さ」を重視する人が10ポイントほど増加した(資料/SUUMO)

今回の調査で「駅からの距離」よりも「広さ」を重視する人が10ポイントほど増加した(資料/SUUMO)

「コロナ以前は、最寄駅へ徒歩での移動が難しいバス便の物件などでは、明確に『そこに住む理由』がないと、みなさんの検討に入って来ませんでした。結果、駅からの距離が近く、立地の良い物件に人気が集まってきたと思います。ところが今、テレワークや自宅学習の時間が増え、物件を探すときの条件の中で通勤・通学に必要な『アクセス利便性』の優先順位が下がってきているように感じます。

実際に4月以降、湘南でしばらく空室になっていた一戸建て賃貸の数棟が満室になった話を聞きました。これまでこの物件に入居する人はサーファーや自営業など仕事に融通がきく人が多かったようですが、今回新たに入居した人のなかには会社勤めのファミリーもいたそうです。本当は海の近くに住みたいと思っていながら職場へのアクセスを重視して都心に住んでいた人たちが、テレワークが可能になって一気に動いたわけです」(永井さん、以下同)

海沿いの一戸建賃貸の入居率が上がるなど、テレワークによって場所に縛られない働き方が可能になり「本当に住みたい」場所を選ぶ人が増えている(写真/PIXTA)

海沿いの一戸建賃貸の入居率が上がるなど、テレワークによって場所に縛られない働き方が可能になり「本当に住みたい」場所を選ぶ人が増えている(写真/PIXTA)

これまで賃貸物件で重視されてきた条件の優先順位づけが変わる一方で、海に近い一戸建て賃貸住宅の例をはじめ、住む人の志向に応じていっそう「ニーズの多様化」が進んでいると言えそうですね。

「何が起こるか分からない」なかで「住む場所を選べる」強み

このように新型コロナの影響を経て、人びとの働き方や住まいに求めるものが変わっているのを感じます。ここ数年注目を集めている賃貸物件の傾向と、それらのコロナ禍を受けての影響、さらに今後どのように変化していくのかを伺ってみました。

「まず1つ目として多拠点居住をする人たちは間違いなく増えるでしょう。例えば、ここ数年のうちには、10世帯のうち2~3世帯はいろいろなところに拠点を確保して、1つの物件には1年のうち数カ月しか居住していないという状況になるかもしれません。そんなスタイルに応じたサブスク的な(一定期間、一定額で利用できるような)住み方ができるサービスがどんどん出てきています」

サブスク、多拠点といえば、ここ1~2年、定額住み放題型の多拠点居住サービスが注目を集めています。多拠点居住のスタイルは移動を前提としているので、かなりのコロナの影響が出たのではと思われますが……。

「定額住み放題サービスを提供している『ADDress(アドレス)』の代表・佐別当(さべっとう)隆志さんや『HafH(ハフ)』の代表・大瀬良亮さんのお話を聞くと、やはり拠点によって利用頻度が下がるなどの影響があったようです。けれども、近年の災害の多発、世界規模のコロナ感染など『何が起こるか分からない』世の中になりつつあるなかで、住む場所が複数ある状態は自分の生活を守る『防御策』にもなりうるといいます」

全国の空き家を活用した定額住み放題サービスを提供する「ADDress」。それぞれの地域の自然やコミュニケーションを楽しむなど、利用目的はさまざま(写真提供/ADDress)

全国の空き家を活用した定額住み放題サービスを提供する「ADDress」。それぞれの地域の自然やコミュニケーションを楽しむなど、利用目的はさまざま(写真提供/ADDress)

世界に200の拠点をもつ定額制住み放題サービス「HafH」は「出会える、学べる、働ける」がコンセプト。ウィズコロナ時代に合わせて個室のある拠点も増やしている(写真提供/KabuK Style)

世界に200の拠点をもつ定額制住み放題サービス「HafH」は「出会える、学べる、働ける」がコンセプト。ウィズコロナ時代に合わせて個室のある拠点も増やしている(写真提供/KabuK Style)

HafH Goto The Pier(長崎県五島市)の部屋(写真提供/KabuK Style)

HafH Goto The Pier(長崎県五島市)の部屋(写真提供/KabuK Style)

実は筆者も昨年から東京と佐賀の2拠点生活をしていますが、たしかに住まいの選択肢を複数もっていることで心理的な「自由」と「選択できる余裕」を持つことができているように思います。

いざというときに心強い「コミュニティ型賃貸」

また、選べる自由を手に入れたとき、筆者がまず選んだのは親類や友人など「頼れる人」の多い場所でした。賃貸物件を選ぶ際にも、同じようにこの点を重視する人は多そうです。

「非常時にこそ、その重要性を再認識できるのが『コミュニティ』ですよね。これから注目される賃貸物件の2つ目としては、改めて『コミュニティ型賃貸』が支持されていくように思います。

例えば溝ノ口の『キャムスクエア』では、入居契約時に『笑顔特約』を設け、ほかの人とすれ違ったときに笑顔で挨拶を交わすことを約束しています。地域とつながることを大切にし、周辺のお店やイベントなど、さまざまな情報を共有するためにオーナーさんと入居者さんはLINEで繋がっているそうです。挨拶や小さな不具合の相談など、日々のコミュニケーションが生まれることで防犯や非常時の情報共有にも役立ちます」

キャムスクエアでは「笑顔特約」を設けたり、鍵を渡すときにキーホルダーをプレゼントするなど、入居時からコミュニケーションを大切にしている(写真提供/わくわく賃貸)

キャムスクエアでは「笑顔特約」を設けたり、鍵を渡すときにキーホルダーをプレゼントするなど、入居時からコミュニケーションを大切にしている(写真提供/わくわく賃貸)

(写真提供/わくわく賃貸)

(写真提供/わくわく賃貸)

「コミュニティ型賃貸」といえば、ここ十数年で「シェアハウス」も増えました。複数の世帯が同じ空間で過ごすシェアハウスでは「密」を生むことへの懸念などもあったのではないでしょうか。

「はい、コロナ禍で『シェアハウスは大丈夫?』と多くの人に聞かれました。結論からいうと、物件ごとに感染対策をしっかり採られたうえでなら、複数人で暮らすことのリスクよりも共有スペースがあることなどのメリットが上回ったといえます。広い共有スペースはテレワークがしやすく、誰かの気配を感じながら仕事ができますから」

共有スペースを有するシェアハウスは、テレワークにも最適(写真/PIXTA)

共有スペースを有するシェアハウスは、テレワークにも最適(写真/PIXTA)

それぞれの物件がもつ「ストーリー」に共感

たしかに誰かの気配を感じることが落ち着く、という感覚に納得しますし、入居者間のコミュニケーションを大切にしている物件には魅力を感じます。一方で、ひとりで過ごす場所やプライベートな時間を重視する人もいて、ニーズが多様化していることを感じます。個人によって好みや志向が異なるなかで、多くの人の支持や注目を集める物件も出てくるでしょうか?

「これからは“ストーリー”や“住みたい理由”を持つ物件に魅力を感じる人が増えるでしょう。八王子にある『アパートキタノ』は、DIYを前提として住む人が自由にお部屋を変えることができます。この自由さに共感したクリエイティブな人たちが集まり、SNSなどでDIY事例やこの物件の魅力を発信するため、さらに人気が高まっているといいます。

賃貸物件を探すときには、これからの生活をイメージしながらワクワクする物件を探したいですよね。ぜひ“ストーリーのある物件”を見つけていただければと思います」

京王線・北野駅から徒歩15分ほどの場所にある「アパートキタノ」。築26年の趣を感じさせるDIY前の部屋の様子(画像提供/アパートキタノ)

京王線・北野駅から徒歩15分ほどの場所にある「アパートキタノ」。築26年の趣を感じさせるDIY前の部屋の様子(画像提供/アパートキタノ)

「アパートキタノ」に住む沼田汐里さんがDIYしたお部屋。板張りの壁にDIYを施されたインテリアがオシャレ(画像提供/アパートキタノ)

「アパートキタノ」に住む沼田汐里さんがDIYしたお部屋。板張りの壁にDIYを施されたインテリアがオシャレ(画像提供/アパートキタノ)

アクセサリー作家・大坪郁乃さんがDIYして住んでいるお部屋。白とグレーのペンキを混ぜて壁を塗っている(画像提供/アパートキタノ)

アクセサリー作家・大坪郁乃さんがDIYして住んでいるお部屋。白とグレーのペンキを混ぜて壁を塗っている(画像提供/アパートキタノ)

まだまだ手探り、これからも変化しつづける賃貸物件

これまで新しい取り組みを行っている物件やサービスをたくさん紹介いただきましたが、このような時代の流れにあわせて、大手の住宅メーカーも新しい商品開発に着手し始めたようですね。

「大東建託が7月1日からテレワーク対応型の間取りプランを採用した賃貸住宅の販売を開始しました。このように専用部に仕事ができる場所を確保することはもちろん、共用部にワークスペースを併設したり、1階のテナントにコワーキングスペースが入っている物件なども今後増えていくかもしれませんね」

大東建託が7月1日より販売開始した「DK SELECT」ブランドの賃貸住宅(資料/大東建託プレスリリース)

大東建託が7月1日より販売開始した「DK SELECT」ブランドの賃貸住宅(資料/大東建託プレスリリース)

一方で従来のスタイルの賃貸物件においては、大家さんがポストコロナの生活への対応についてまだまだ手探りの状態で、課題も多いと言います。

「例えばテレワークの時間が増えたことで、『インターネット回線の接続が良くない』というクレームが増えたそうです。これまでは入居する人も大家さんも、通信速度や安定性まで強く意識する機会は少なかったのではないでしょうか。物件の仕様もウィズコロナ・ポストコロナの生活スタイルに応じて変わっていくかもしれませんね」

テレワークの機会が増えたことにより、「インターネット接続の安定性」など、これまで意識しなかった点も物件探しのポイントになるかもしれない(写真/PIXTA)

テレワークの機会が増えたことにより、「インターネット接続の安定性」など、これまで意識しなかった点も物件探しのポイントになるかもしれない(写真/PIXTA)

永井さんにお話いただいたように、これからは専用のワークスペースがある物件や地域や入居者間のコミュニティを大切に築く物件、簡単に貸し借りができるような賃貸物件が増えていきそうです。また、距離に縛られなくなれば、住む場所の選択肢も広がります。

自分がどんな暮らしをしたいのか、どんな毎日ならワクワクするのか、もう一度自分の「好きなもの、好きなこと」を見直すことが、ダイレクトに賃貸物件選択につながる――。部屋探しもますます自分らしく楽しむ時代になりつつあるのかもしれませんね。

●取材協力
・全国賃貸住宅新聞
・ADDress
・HafH
・KabuK Style
・キャムスクエア
・アパートキタノ

石巻発。車で地域をつなぐコミュニティ・カーシェアリング【全国に広がるサードコミュニティ6】

買い物や病院など、公共インフラではカバーしきれない住民の移動をサポートするだけでなく、利用を通じて住民同志のつながりを育む「コミュニティ・カーシェアリング」という取り組みがあります。もともとは石巻の仮設住宅に届いた一台の車からはじまりました。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。コミュニティ・カーシェアリングとは?

東日本大震災で約6万台の車が被災した石巻では、被災者の多くが仮設住宅で不便な暮らしを余儀なくされていました。そんななか、全国から寄付された車を活用し、住民の生活を支える仕組みをつくろうと2011年7月に立ち上がったのが「⼀般社団法⼈ ⽇本カーシェアリング協会」です。この団体は主に三つの事業に取り組んでいます。一つが、寄付された車を地域コミュニティに貸し与え、住民同志で管理・運営する「コミュニティ・カーシェアリング」、二つ目が被災地などに無償で車を貸し出す「モビリティ・レジリエンス」、三つ目が困っている地域や人向けのレンタカー、カーリースのサービス「ソーシャル・カーサポート」です。

代表の吉澤武彦さんはもともと関西出身。阪神淡路大震災の経験もあって、当時は関西から多くの人が東北の支援に来ていましたが、吉澤さんもそのうちの一人。被災地のために何かしたいと考え、自宅のある兵庫から石巻に移住してまで、復興支援に尽力していました。

被災地は車が足りなくなる(写真提供/日本カーシェアリング協会)

被災地は車が足りなくなる(写真提供/日本カーシェアリング協会)

「当時、阪神淡路のときに活躍した神戸元気村という団体があって、そこの代表だった山田和尚さん(通称:バウさん)に付いて仕事をしていたんです。そのバウさんから、震災から1カ月ぐらい経ったときに連絡があって『今、避難所にいる人がこれから仮設住宅に移っていく。すると行政の主導で自治会が形成されるはず。そこにカーシェアリングを提案していくようなことをやったらどうや』って提案してくれて。もともと僕自身、そんなに車に詳しかったわけじゃないんですけれど」(吉澤さん)

京都から石巻まで、たった一人で車を運ぶ

実際、被災地では車は至る所で横転し、使い物にならないので被災者の方々はとても困っていました。そこで、車を誰かから提供してもらって、仮設住宅に持って行ったら喜ばれるはず。バウさんに促されつつも、吉澤さん自身、実際の復興支援活動の中で痛感していたことでもありました。

「当時はまだ大阪市内に住んでいたので、自転車で行ける範囲に大企業がいっぱいあった。かたっぱしから電話して秘書の方につないでもらい、社長にこれ、渡してください! って資料を渡すなどの飛び込み営業みたいなことをしました。大概断られるんですけれど、頑張って続けていたらだんだん興味持ってくれる人が増えてきて。5月にようやく京都の企業から一台手に入れることができました」(吉澤さん)

見ず知らずの社長に直談判する方もする方ですが、実際に貸してくれる人が出てくるのも、阪神淡路を経験して助け合いの精神が根付いている関西ならでは、という気がします。しかし、そこからが大変でした。

「もともとペーパードライバーだったんですが、石巻に車を運ばないといけなくて。一人で高速乗って京都から石巻まで運転していくんですよ。生きた心地がしませんでした(笑)。でも、今となればいい思い出です。それで、仮設住宅に車を入れて、掲示板に『この日カーシェアリングやります』ってチラシを貼ったら、いきなり全国放送の生中継番組で取り上げられちゃったんですよ。まだこれからやねん(笑)って思いましたけど」(吉澤さん)

吉澤さん(写真提供/日本カーシェアリング協会)

吉澤さん(写真提供/日本カーシェアリング協会)

自治会形成に寄与したカーシェアリング

ひと通り役所や陸運局、警察には話を通しておいたのですが、メディアに取り上げられたことで「もう一度確認させてくれ」と言われ、7月に届けてから実際に運用を本格的にスタートするまでさらに3カ月かかってしまったそうです。ともあれ、構想から半年、仮設住宅の住民が待ちわびていたカーシェアリングの取り組みが、いよいよ本格的にスタートします。

「仮設住宅の人って抽選で入っているから見ず知らずの人たちなんですよね。だから自己紹介から始めて、鍵をどうしよう、予約はどうしようってルールを決めていった。また、『ゴミみんなでかたし(片付け)に行こうか』とかお茶飲みながら話し合ったりしていた。そのうちに、仲間意識が芽生えるようになったんです」(吉澤さん)

当時、仮設住宅はどこも自治会をつくるのにものすごく苦労していたそうです。見ず知らずの人同士で、高齢者が孤立しがちな仮設住宅の状況。そこにカーシェアの輪が少しずつ広がっていき、ゆるやかなコミュニティを形成していくようになりました。

「石巻には134の仮設住宅が設置されたんだけれど、2011年中に自治会ができたのは10もなかった。でもカーシェアを導入した仮設住宅はスムーズに自治会ができていった。これには役所の人も驚いて、これは一緒にやらなあかんな、ということで、市が『カーシェアリング・コミュニティ・サポートセンター』を設置してくれて、その委託を受けて、僕らがどんどん車を導入していくっていうのを、2012年からやり始めるようになったんです」(吉澤さん)

乗り合いで旅行に行くことも(写真提供/日本カーシェアリング協会)

乗り合いで旅行に行くことも(写真提供/日本カーシェアリング協会)

“おちゃっこ”を通じて交流が活発になる

車を使うには維持費も掛かるし、誰がいつ利用するかをきっちり管理しなければなりません。そこで、コミュニティ・カーシェアリングを導入している地域では、そんな車の運用方針などを話し合う会が定期的に行われています。それが「おちゃっこ」と呼ばれる会です。

「みんなで来月どこ行こうか、とかね。本当に、お茶を飲みながら。するとただの移動支援とかツアーの話し合いの場ではなく、みんなの“居場所”になっていったんです。アンケートを取ったんですけど、高齢の方になればなるほど“居心地がいい”と答える人が多かった」(吉澤さん)

車の利用方法から世間話まで“おちゃっこ”で語らう(写真提供/日本カーシェアリング協会)

車の利用方法から世間話まで“おちゃっこ”で語らう(写真提供/日本カーシェアリング協会)

利便性よりも居心地の良さが重要、というお話にとても感銘を受けました。確かに買い物とか不便なのは困りますけれど、それよりも人と触れ合うことのできる自然な居場所があることが、人々の暮らしにとって欠かせないものなんです。

「しかも、みんな絶対参加しなくちゃいけないっていうルールがない。集まりたい人が集まればいい。でも、ただ世間話をするよりルールを決めるのが好きなおじさんとかがたまに来て、毎月いくら積み立てたほうがいい、となって、ちゃっちゃと決めてくれたりね。本当に参加する目的もさまざまな“サロン”と化しています」(吉澤さん)

地域ごとに運用ルールをカスタマイズ

こうして、コミュニティ・カーシェアリングを導入する仮設住宅が増えていきます。人々が仮設住宅から復興住宅へ移り住むようになってからも、コミュニティ・カーシェアリングを導入する地域はどんどん増えていきました。そこで重要になってくるのは、トラブルなく運用できて、コミュニティ活動の助けにもなるルールの策定です。

「復興住宅ってもう、終の住処になるわけだから、今度は会則などもしっかりつくって、役員もつくってもらって、きちんと運用できるようにしようと。そこで、雛形をつくって、他の地域で導入したい地域がいてもスムーズに行くようにしました。みんなITが得意じゃないのでアナログで運転日誌をつけて、予約は予約係がカレンダーにつけるとか。役割分担するようにしています」(吉澤さん)

現在石巻で10のコミュニティ・カーシェアリングの団体があります。平均年齢75歳。だからアナログなんです(笑)。基本的には地域のサークルなので、吉野町カーシェア会、三ツ股カーシェア会などの名前がついていて、運用ルールもさまざま。チラシをつくることが得意だったり、旅行の企画が得意な人もいます。そうした住民の特性に合わせて、自由にルールと役割を決めていいそうです。ただし、基本的なところは一緒。

「僕らの取り組みは、基本『運送行為ではない』ところがポイントです。ドライバーはボランティアで、料金も基本経費を賄うために積み立てる。事業性がないので許可申請も必要ない。法律面もクリアなので行政も安心して勧められるから、どこでも始められる。実は高齢化とかって被災地だけの問題じゃないんですよね。なので今では九州支部ができるほど、全国にカーシェア団体を広げることができています」(吉澤さん)

地域での新しい生きがいを見出すドライバーたち

カーシェア団体はどこもご高齢の方は多いですが、なかには比較的若いメンバーもいます。例えば、会社を定年退職した60代くらいの若手のメンバーは積極的にドライバー役を引き受けます。吉澤さんはこんなエピソードを教えてくれました。

「通院のお手伝いをしているうちに、みなさんがとても喜んでくれるので、生きがいになったというドライバーもいます。運転中、黙っててもいいんです。ただ話を聞いてくれるだけで、お年寄りは『あの人優しいな』と感じるので、どんどん人気になって、最終的に自治会長まで上り詰めた方が3人いるからね(笑)」(吉澤さん)

参加しないと怒られたり、地域のしがらみに縛られてしまうのが嫌で、定年退職後も自治会に入らず、地域で孤立する方も多いと思います。このように、カーシェアを通じて他世代が関わり合い、“おちゃっこ”で親睦を深め、自然とコミュニティに溶け込める場があるのって素敵じゃないですか? まさにコミュニティ・カーシェアリングは、自治会という既存の地域団体のあり方を補完しつつ、漏れてしまう住人を救い上げる“サードコミュニティ”になっているなと感じました。

全国の被災地に車を届ける架け橋ドライバー(写真提供/日本カーシェアリング協会)

全国の被災地に車を届ける架け橋ドライバー(写真提供/日本カーシェアリング協会)

また、日本カーシェアリング協会は他にも、被災地などに無償で車を貸し出す「モビリティ・レジリエンス」という事業を行っています。東北の震災以降も日本各地で起きた災害に際して、寄付してもらった車を被災地に届けるという活動です。ここでも、有志のドライバーが活躍します。

「車を寄付することはできるけれど、被災地まで運ぶのが難しいという方が多いんです。そこで、僕らは“架け橋ドライバー”というボランティアを募って、現地まで届けてもらっています。本当に全国から、長い距離を運んでくれる人がやってきてくれるので助かります」(吉澤さん)

地域の困っている人を助けるソーシャル・カーリース

全国の被災地に車を届けると、本当に喜ばれます。ただ、あくまで一時の対症療法的な支援なので、もっと継続的に、それぞれの地域のニーズに合った継続的な寄付車を活用したサービスを定着したいと吉澤さんたちは考えており、それが第三の事業である「ソーシャル・カーサポート」です。

「車は生活や活動の必需品になっている場合が多いのですが、維持のためにお金がかかります。そこで車を安く貸し出す仕組みをつくることで困っている人を助けたり、地域の応援になることを見つけて実践しています。例えば自立支援センターと連携して生活困窮者に車を一定期間格安で貸出すことで生活の再建に役立てて頂いたり、普通のレンタカー会社では採算面で営業しにくい離島でレンタカーを借りられる環境を島民と協力してつくったりもします」(吉澤さん)

災害時返却カーリースの被災地支援イメージ(写真提供/日本カーシェアリング協会)

災害時返却カーリースの被災地支援イメージ(写真提供/日本カーシェアリング協会)

他にも石巻の被害の大きかった半島沿岸部のお店で買い物をすると、一部キャッシュバックされるレンタカーサービスや、大川小学校や門脇小学校などの震災遺構にレンタカーを借りて行って、震災のことを学んでくれれば3割引になります、などのユニークな取り組みも行っています。地域振興、震災伝承、生活困窮者支援など、吉澤さんたちが何かしら意味のあると感じる取り組みならば積極的に寄付車を活用した支援をしていきたいとのことです。

「結局、どの事業も寄付車を活用して支え合いの仕組みをつくる点で一貫しています。あと、僕らは“石巻発”というのを重視していて。僕らのスタッフも地元出身が多いです。車も全部貰い物で、いろんな支援を受けて生まれた仕組みを、今度は支援してくれた地域に返したい。支援を受けるのではなく支援する側になって始めて、本当の復興なんじゃないか。僕らにとって、復興とは恩返し。それをこれからもっと実現していきたいです」(吉澤さん)

ちなみに、吉澤さんにコロナ後の状況はどうですか? と聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。

「コミュニティ・カーシェアリングを導入している地域は基本、みなさん自粛していますが、高齢の方が心配だからと電話をかけたり、手芸が得意な方は手づくりのマスクを他の会員に配ったりと、もともと培われてきたつながりが活かされているエピソードを聞くと、本当にこれまでやってきたことが実現されているなと感じます。僕らがこのコミュニティ・カーシェアリングを始めたのも、支え合う地域をつくるのが目的であって、ただ車を動かしたいわけではなかったんですよね」(吉澤さん)

沖縄の模合についての記事でも感じましたが、目に見えないつながりが、困ったときの助けになるんだなと本当に感じます。日本カーシェアリング協会の取り組みは、決して被災地だけで役に立つものではありません。車がそれほど必要でなかったとしても、あると意外に便利だったりしますし、なにより、これまでなかった思いもよらない“つながり”を育むことができるかもしれません。ぜひとも興味のある方は導入を検討してみてはいかがでしょうか?

●取材協力
・日本カーシェアリング協会
・令和2年7月豪雨災害 日本カーシェアリング協会緊急支援 総合ページ

“奇跡の舞台”「現代版組踊」って? 大人と子どもがタッグを組み、地域に誇りを【全国に広がるサードコミュニティ5】

沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」を現代的にアレンジした「現代版組踊」は、地域の中高生が主役になれる舞台。演者も観客も地元に誇りを持てるようになる「現代版組踊」は、まちづくりの方法としても注目を集めており、沖縄から全国へと広がっています。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。現代版組踊とは?

沖縄の伝統芸能「組踊」の様式をベースに、現代的な音楽や振付、セリフでアレンジした、まったく新しい演劇形式「現代版組踊」。エイサーやヒップホップのテイストも入る、まるでミュージカルのようなエンターテインメント作品なのですが、特徴はなんといっても中高生が演じているということです。若いエネルギーに満ちた現代版組踊を演じる中高生を親御さんやOB・OGといった大人世代が支えています。

代表的な作品「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」はこれまで、のべ20万人の観客を動員。沖縄県内のみならず、東京国立劇場やハワイでの公演も成功させており、「子どもを主役にする舞台」の手法に、県外からも大きな注目が集まっています。

「現代版組踊」が誕生したのは比較的最近のことで、2000年に、現在の沖縄県うるま市(旧勝連町)で、当時の勝連町の教育長・上江洲(うえず)安吉さんの依頼を受けた演出家の平田大一さんが、「肝高の阿麻和利」を上演したのが始まり。

当時は、町が誇る勝連城跡が世界遺産に登録が決まったばかり。15世紀に勝連城の按司(あじ・王様のような存在)だった阿麻和利は、歴史上、悪者扱いされてきました。世界遺産登録を良い機会とし、阿麻和利の名誉挽回のためにも、阿麻和利が悪者にされてきた「組踊」の形式を借りて新しい演劇をつくりたい、と上江洲さんは考えていました。

演出家がまちおこしをする理由

上江洲さんから声をかけられた平田さんはもともと、演劇の専門家ではなく、しまおこし・まちづくりの活動をしていました。そんな平田さんが気をつけたのは、若い世代が演じやすく、のめり込みやすい作品にすること。こうしてプロの演出家ではない平田さんの「演出」がスタートします。

「最初に上江洲さんから原作の台本をいただいた際、子どもじゃ読めないくらい難しかったんです(笑)。いわゆる『歴史劇』ですから。そこで僕が子どもたちにも馴染めるように脚色しました。だから当初は組踊の先生方から『沖縄版ミュージカルだろ』『組踊を名乗るな』とお叱りを受けることもありました」(平田さん)

平田大一さん

平田大一さん

そもそも現代版組踊をスタートさせる目的は、地域に誇りを持てるような子どもたちを育てることだったはず。伝統芸能のセオリーに則って、業界で評価されるような作品をつくるのではなく、地元の人、誰もが分かりやすく感動できる作品へと昇華する必要がありました。この後説明していくように、まちづくりを信条とする平田さんが関わったことで、現代版組踊は沖縄を飛び出していつしか“奇跡の舞台”と呼ばれるようになります。

アレンジする力

サードコミュニティというテーマで現代版組踊を取り上げた理由は、それが演劇の枠を超えて、さまざまな世代を巻き込んだコミュニティとなっていることにあります。演じる地元の若者の勇姿を地域の大人たちがバックアップする体制がしっかりとできていることが現代版組踊の大きな特徴です。

「肝高の阿麻和利を上演しようとしていたころ、不登校や長期欠席している子とか、家庭が片親の子とか、演じる中学生の中の三分の一くらいが悩みを抱えていました。それが阿麻和利の舞台をきっかけに、他の学校の子と出会ったり、ボランティアスタッフの大人たちに支えられてどんどんタフになっていったんです」(平田さん)

現代版組踊は町を挙げたプロジェクトなので、当然、町内のさまざまな中学校から若者が集まってきます。ある意味学校を超えた部活みたいなもの。さらに、彼らを支えるのが親御さんなどから構成された「あわまり浪漫の会」という団体。主に公演時のドアマンやチケットの売り子や、車で送り迎えしたりなど、影で子どもたちをサポートする有志からなる団体です。

「僕は“肩車の法則”と呼んでいます。もちろん、肩車の上に乗るのは子どもたち、持ち上げるのは大人たちです。ローアングルの子どもを高い目線にして見える未来を、大人が支えるわけです。で、子どもって成長するんですね。すると当然、持ち上げる大人の方も成長しなくては肩車は出来なくなってしまいます。すると子どもの半歩先を行く大人たちや、先輩世代の振る舞いにも変化がでてきます。お互いが対等な関係でありながら、お互いを信頼し合う“肩車の関係”。子どもたちを大人の都合で動かすのではなく、主体的に行動するような雰囲気をつくり出すことこそ大切なことでした」(平田さん)

(写真提供/あまわり浪漫の会)

(写真提供/あまわり浪漫の会)

肝高の阿麻和利の舞台にはキッズリーダーズと呼ばれる人たちがいるそう。キッズリーダーは、高校の年長組が下の世代を教えるお兄さんお姉さん的存在の人たちです。

「下の子どもたちからするとリーダーズに入るのが憧れになり、リーダーズからすると音響や照明のプロの人たちと対等に話すことができて成長があり、それを見ている大人の浪漫の会が支えるという関係性。演出家である僕がそれらを横断して調整して、舞台をつくっていく。僕はそういう意味で、自分のことを演出家というより“ジョイントリーダー”だと思っています」(平田さん)

そもそも、町を挙げた、大人が仕掛けたプロジェクトって、子どもたちからするとひょっとしたら「ダサい」と思われがちですよね。しかも、情操教育的な雰囲気が漂うと、一気に冷めてしまう子どもも多いと思います。しかし、平田さんは子どもたちを本気にする手腕に長けています。それを平田さんは「アレンジする力」と話します。

「当初は、稽古をしてもやる気ゼロ(笑)。ある子が休憩時間に安室ちゃんとかMAXとかかけて踊り出したんですね。舞台に出ている子たちって、小さいころからエイサーとかヒップホップのダンスを踊っていた子が多かった。『こういう踊りが踊りたいのか』と聞いたら、そうだと言う。じゃあ、そのダンスで良いからテーマソングに合った振り付けを創作しようと。そうして主題歌『肝高の詩』に合わせたダンスとエイサーと琉舞が混在する躍動感あるフィナーレが出来上がった。それまでは、ヒップホップとかってお年寄りからすると『騒がしい踊り』、でもいざ伝統芸能と組み合わせると、みんな喜んでくれて拍手するんですよ。古くて新しいと言うのか、ミスマッチなものが面白いと言うか……これはいける、と思いました」(平田さん)

東京公演、ハワイ公演を成功させる

こうして、音楽、演劇、伝統芸能、民俗芸能、ヒップホップなど、さまざまな要素が混淆された唯一無二のエンターテインメント「現代版組踊」が誕生しました。記念すべき初公演は、2000年の3月、まさに世界遺産に登録されることに決まった勝連城跡に設置された野外の特設舞台で行われました。

「うちの子に演劇なんて無理だ、と思っていた親御さんも多かったなか、約3時間にも及ぶ舞台が終わってみると、大勢の観客が泣きながらスタンディングオーベーションしている。演じた子どもたちも泣いている。拍手と指笛と大歓声を浴びて、これはすごい! となって、当初は一回で終わらせる予定だったのですが、子どもたちの強い希望で、継続して公演していくことになったんです」(平田さん)

最終的に集った出演者の数は150名。観劇者数は2日間公演で4200名。子どもたちも大人たちも、想像を超える反響を得ました。やがて、子どもたちが「感想文」と言う名の署名を独自に集め、教育長に提出。2回目以降も開催されることが決まりました。地元の悪者をヒーローに仕立てる。しかも面白い。子どもたちは「かっこいい」と思って一生懸命演じる。その過程の中で、学校では得られない貴重な人生経験を積むこともできたでしょう。観客からしたら、地元の歴史上の人物に誇りを持てるようになったことでしょう。単に観るだけではなく、地域のあらゆる世代にとって大切なコンテンツに仕上がったのです。肝高の阿麻和利が“奇跡の舞台”と呼ばれるようになるのは、このころからです。

「3年目には、肝高の阿麻和利を上演するきむたかホールが開館して、僕は32歳で館長に就任。それ機に劇場型の舞台演出にして、継続的に上演することになった。丁度そのタイミングで、関東の地域おこしをしている友人たちに声を掛けて、観に来てもらったらみんな感動してくれて。それで、2003年の5年目に関東公演が実現したんです」(平田さん)

2008年のハワイ公演が初の海外遠征、2009年には新宿厚生年金会館ホールで再演6000人を動員、全国へと公演が巡回していきました。もちろん、演じるのは常に沖縄の現役中学・高校生の子どもたち。学業との両立を図りながら、また毎年の世代交代を繰り返しながら、宮沢和史さんや東儀秀樹さん(雅楽師)とのコラボも実現しました。2019年には、念願の東京の国立劇場公演が実現しました。

東京国立劇場での公演チラシ

東京国立劇場での公演チラシ

その後は、この「現代版組踊」の手法を取り入れたいという人が全国各地から現れました。地元の歴史に誇りを持つことができ、かつ子どもたちの自己実現の場としても成立する「現代版組踊」の仕組みは沖縄だけでなく日本全国、さまざまな地域でも役に立つはずです。そこで平田さんは2014年に「現代版組踊推進協議会」を立ち上げ、現在は沖縄だけでなく、北海道、福島、大阪など16団体が加盟するまでに成長しました。

「あわまり浪漫の会も定期的にグスク(勝連城跡)の清掃活動をしているのですが、福島の南会津とか鹿児島の伊佐市の団体は、地域の人でも忘れているような人の関所とか名所とかを清掃しているそうです。それによって町の人も見る目も変わる。大事なのは物語とうまく結びつけて取り組みをさせてあげること。単なるボランティアとか社会貢献的活動ではなく、舞台の深みを知るための入り口として清掃活動をやっているんです」(平田さん)

聖なる難儀をみんなでやろう

肝高の阿麻和利の成功をきっかけとして、平田さんは2011年から2年間、沖縄県文化観光スポーツ部の初代部長を務め、2013年から4年間は(公財)沖縄県文化振興会の理事長を歴任しました。子どもたちを輝かせることに費やした10年を経て、今度は大人たちを成長させる10年を。そう考えて推進協議会を立ち上げたり、現代版組踊を地元の名物にしていくためにうるま市が手掛ける「(仮称)あわまりミュージアム」建設に関わるなど、インフラづくりにも取り組んでいます。これは、舞台で育んだ卒業生たちの働く場をつくる意味合いもあります。

「これまでも、僕が『演出』してきたのは“舞台”だけではありません“全て”なんです。その意味でも、県の文化行政での経験は大きな学びと気づきがありました。舞台演出を手掛けるのと地域施策に取り組むのは基本的には一緒なんだと実感する日々でした。その上で、文化・芸術の感性と地域行政の感性をジョイントする、子どもの感性と大人の感性をジョイントする、ハードとハートをジョイントする……対立しそうな“全て”を結び付けていく、そしてあらゆる“全て”が一丸となって“感動”を生み出していくシゴトをつくる。“感動産業”をこの地に根付かせるのが僕の目標になったのです」(平田さん)

あわまり浪漫の会の集合写真(画像提供/あまわり浪漫の会)

あわまり浪漫の会の集合写真(画像提供/あまわり浪漫の会)

平田さんは最後に、地域の大人が子どもを支えるための秘訣を、沖縄の島に伝わる古い言葉を使って教えてくれました。

「みなさん、『聖なる難儀』をしてください。これは僕のまちづくりの仕事における信念なんですけれど、島の言葉で『ぴとぅるぴき、むーるぴき』、一人が立ち上がればみんなも立ち上がるという言葉があるんです。あの森も山も海も、木一本、水一滴から始まっているわけで、誰か一人が立ち上がって行動すれば、二人目三人目が出てきて初めて事を成し遂げることができる。新しいことをやるときはあなたが、その一人目になりなさいという意味なんです。誰もがやりたくない『難儀』を嬉々と笑顔で始める一人目に自分がなるんだと自覚する主体者が『先駆者』なんだと、僕は思います」(平田さん)

大人を成長させるというのが平田さんらしいなと思いました。通常、演出家と呼ばれるような人は、舞台上のさまざまな人をコントロールして最良の舞台をつくり上げるのが仕事だと思います。でも、平田さんのような演出家は、舞台を支える大人たち、観客すべてを巻き込みます。コンテンツだけでなく人材育成まで考えているところが、まちづくりのプロである平田さんならでは、とも思います。

既存の学校や地域団体に縛られず、物語を軸に多世代を巻き込みコンテンツ産業を生み出していく。なかなか真似することは難しいかもしれませんが、現代版組踊のようにフィクションの力を借りながら、緩やかに世代やエリアに開かれたコミュニティをつくっていくことは、今後まちづくりを志す人々にとって大きなヒントになるに違いありません。

●取材協力
現代版組踊推進協議会

月1の飲み会が条件!? 沖縄独特のつながり「模合(もあい)」とは?【全国に広がるサードコミュニティ3】

気の合う仲間で毎月集まり飲み会を行い、ついでに資金を積み立て、旅行や事業に役立てる「模合(もあい)」という文化が沖縄では一般的です。「同級生模合」や「経営者模合」など、家族や親戚といった血の繋がりに縛られず、自由なメンバーで互いの親睦を深める模合の魅力について、実践者に伺いました。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。飲み会で親睦を深め、ついでにお金を集める

みなさん、「模合(もあい)」って聞いたことありますか? あのイースター島にあるモアイではありません。もちろん、渋谷の駅前の待ち合わせスポットはモヤイ像ですから、それも違います。実はこの「模合」、沖縄では一般的に行われている文化なんです。沖縄に住んでいる方なら知らない人はいないでしょうし、沖縄出身の人と親しい方なら名前くらいは聞いたことがあるでしょう。

模合とは、ひと言で言うならば、古くからある「庶民金融」。毎月、メンバーでお金を出し合って資金を積み立て、半年に一回、ないしは一年に一回、「親」が回ってきたら、そのお金を総取りできます。月一で集金するついでに「飲み会」を行うのが一般的。飲み代は積み立てるお金とは別に支払うのが基本だそうです。

構成メンバーはさまざまで、高校や大学の同級生同士だったり、社長さん同士で意気投合して始めることもあるそうです。主婦の方が集まってやる模合もあって、その場合はランチタイムに集まってお茶を飲みながら開催するそう。庶民金融と言っても、実質はメンバー同士の親睦を深める「部活」のようなものなのです。

模合のいいところは、商店街だとか親戚だとか、地縁や血縁にとらわれず、気の合う仲間うちで気軽に始められるところ。聞くところによると、上京した沖縄出身者同士で、東京で開催される模合もあるそうで、それくらい一般的なのです。今回は、沖縄で実際に模合をされているお二方にお話を伺いました。

経営者どうしでつながるメリットとは?大城さんが参加する経営者模合の様子(写真提供/大城さん)

大城さんが参加する経営者模合の様子(写真提供/大城さん)

まず一人目は、沖縄本島の南部・南城市で、海の見えるカフェ「Cafeやぶさち」を経営する大城直輝さん。彼は二つの模合に参加していて、一つは同級生模合、もう一つが経営者模合です。沖縄の人は一つだけでなく複数の模合に参加している人も多いと言います。

「高校の同級生模合は6人メンバーがいて、月5000円支払います。『親』が半年に1度回ってきて、5人分2万5000円を取っていく。たまに仲間が友達を連れてきて参加することもあります。同級生って付き合いは長いけどなかなか合わないじゃないですか。それぞれ仕事があったり、結婚して子どもができたりすると家族の時間もあって。強制的に会うことになるので、模合メンバーの結束感はかなり強いです」(大城さん)

一方、経営者模合についてはどのように運営されているのでしょうか。

「『志尽塾』と名付けました。30代、40代の若手経営者で集まっています。僕は今44歳で、30代からやっているから10年くらい続けています。システムとしては年間払いにしています。年1万円で、今メンバーは8人。毎回那覇市内のホテルを借りて、講師を呼んでセミナーをしてもらった後、懇親会をしています」(大城さん)

模合といってもその形態はさまざまなんですね。金額はそれほど大きくないですが、資金は基本的には講師の謝礼に使っているそう。いわゆる有志が行う勉強会といったかたちです。しかし、経営者同士の模合にはもっとビジネスの匂いがするものもあります。

「ひと昔前の50代60代の社長さんたちの模合だと、月に10万円とか20万円という話も聞いたことあります。例えば人数が10名で20万だと、200万ですよね。『親』になったときに200万入るわけです。それで資金繰りする人もいたと聞いています(笑)」(大城さん)

大城さん。「Cafeやぶさち」エントランスにて

大城さん。「Cafeやぶさち」エントランスにて

イメージとしては貯金をする感覚。決して少なくないお金を積み立てて、さらに飲み会の料金は別払い。原則参加が必須で、どうしても来れない場合でもお金は支払わなければなりません。意外に縛りが強い集まりの印象があります。経営者なんて特に忙しいのに、毎月会って飲み会をするのってハードモードですよね。なぜそこまでしてやりたいと思うのか……疑問をぶつけました。

「『志尽塾』は、毎月第二月曜日にやることになっています。講師の方にレクチャーしてもらうだけでなく、メンバーがそれぞれ3分間スピーチをすることにしていて、そこで今月の会社の経営状況がだいたい分かるんですね。いわば月1朝礼みたいなもので、お互いにその月の事業活動を進めるにあたってアドバイスをする。『最近、コロナでどう?』とか」(大城さん)

確かに、コンサルタントにお金を払って経営のアドバイスしてもらうより、実際の経営者同士で互いにメンタリングする機会があると、毎月のビジネスのリズムが生まれてくるし、お互いの事業についての知識も深まるので、何かあったときすぐに助けてもらえます。

「例えばうちのカフェを結婚式の会場として使ってもらったり。デザイナーのメンバーはロゴをつくってくれたり。沖縄って、ビジネスするうえでは横のつながりがものすごく大事なんですよ。模合はお互いのつながりをとっても大切にします。互いに仕事を発注しあい、親睦を深めながら経済を回せるのが模合のいいところですね」(大城さん)

沖縄県外から移住した人のセーフティネットとして

もう一人は、那覇市で「浮島ブルーイング」というクラフトビールのお店を経営する由利充翠さん。実は由利さんは沖縄出身ではなく、名古屋出身で大学入学のときに沖縄にやってきて、卒業後も沖縄に根づき商売を始めた人。県外出身者でも参加できるんですね。

由利さんが経営する「浮島ブルーイング」にて(写真提供/由利さん)

由利さんが経営する「浮島ブルーイング」にて(写真提供/由利さん)

「大学は寮だったんですけど、実は当時の模合のメンバーは全員、県外出身者なんですよ。韓国からの留学生もいて。学生時代から、みんなで韓国に遊びにいくくらい仲が良かったので、だったら旅行のお金の積み立てのために模合やろっか、となって始めたんです」(由利さん)

毎月第二金曜日開催で、月3000円。それを2年続けると7万円くらいになるので、そのお金で韓国に旅行に行ったり、大学卒業後に沖縄を出て行った仲間に会いにいくための旅行資金にあてたりしているのだそうです。

県外出身者は沖縄に親戚もいないし、同級生のつながりもないため、沖縄のコミュニティに入り込むのがなかなか難しい。どうやら、「よそ者」が、県内で新しく仲間をつくるうえで模合はうまく機能しているようなのです。

由利さんたちの同級生模合の様子(写真提供/由利さん)

由利さんたちの同級生模合の様子(写真提供/由利さん)

「僕は大学卒業後も沖縄で暮らしているので、とても役に立っています。お店が移転する前の商店街でも先輩たちの模合があって、参加させてもらっていました。模合に参加すると確実にコミュニケーションを取る機会が増えます。同級生模合でも最近、コロナウイルスの影響でうちが配送もままならない状況で悩んでいた時に、メンバーの一人がわざわざお店までビールを買いに来てくれて。今はリアルでは会えないけれど、血もつながってないのに、家族とか親戚の次くらいに強いつながりを感じます」(由利さん)

“無尽”の一つとしての模合

沖縄の模合のような庶民金融は、かつて全国にありました。それらは「無尽(むじん)」と呼ばれ、庶民金融としてのみならず、中小企業金融としての側面も大きかったそうです。それが金融制度の近代化にともない、次第に淘汰されていきます。いまとなっては都市部ではほとんど開催されることはないですが、岐阜県や山梨県の一部ではいまだに続いているところもあるそうです。

そんななか、沖縄では廃れることなく根付いており、ひとつは金融・投資としての機能を果たしてきました。倒産寸前に郷里に帰り、模合を起こして資金調達する事業者もいたそうで、確かに短期的な資金繰りに困ったときに模合のつながりが役立つこともありました。一方で、不払いによる「模合崩れ」により、訴訟に発展するトラブルもかつては多かったそうです。

それでも模合が現在も市民に愛される理由は、相互扶助・親睦の役割が大きいからでしょう。文具店で「模合帳」が普通に売られていたり、模合専用のアプリがリリースされていたり、飲食店がTwitterなどで「模合にご利用ください!」などの宣伝を行っている様子を見れば明らか。今では沖縄の模合は気の合う仲間とつながりを深める「第三のコミュニティ」として、よりカジュアルに機能しているのかもしれません。

(写真/PIXTA)

(写真/PIXTA)

現在はLINEやFacebookなどで、飲み会以外の日も頻繁にやりとりができる時代です。お二人に話を聞いて思ったのは、コロナウイルスの影響で実際に会えないにもかかわらず、「強いつながり」があって、それが実際にお互いを支え合うものになっているということ。家族とか親戚とか、同じ会社の社員だとか、そういった既存のコミュニティとは別の、地縁も血縁もないつながりにもかかわらず、お互いを大切に思える関係が育まれるのが模合のユニークなところなんです。

先日、沖縄県知事の玉城デニー氏が記者会見で「3密」の条件が重なる模合を控えるよう促したように、現状、リアルに飲み会を開催するのは難しいですが、「これまで毎月、何年も会い続けてきた」という事実は変わりません。家族や親戚と同じくらい強い結びつきが“関係資本”として蓄積しているからこそ、会えなくても互いに連絡を取り合い、支え合うことができるのだと思います。

実はこの連載が「サードプレイス」ではなく「サードコミュニティ」と謳っている理由はここにあります。コロナウイルスの蔓延によって、たとえリアルに会えなくても、人と人の目に見えないつながりを持っていることの重要性に気づき始めた人は多いのではないでしょうか。

時代の変遷によって淘汰された無尽ではありますが、もしかしたら今こそ模合や無尽のようなあり方が、私たちの生活にとって重要なセーフティネットの一つになりうるのかもしれません。

湾岸エリアのタワマン “横のつながり” をスポーツで。自治会問題も解決?【全国に広がるサードコミュニティ2】

東京オリンピック・パラリンピックに向けて再開発され、選手村として活用される予定の東京・湾岸エリアのマンション群。実施の延期は決まったものの、オリンピック・パラリンピック以降、このエリアに新しい住民がどっと押し寄せることが見込まれるなか、防災の観点からも新住民と旧住民をつなぐ仕組みづくりが求められています。
「第三のコミュニティ」のありかを探る連載第2回目は、タワーマンション同士でつながるコミュニティを紹介します。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。 湾岸エリアのタワーマンションの横のつながりをつくろう

築地から移転してきた豊洲市場を擁し、ららぽーと豊洲など大型のショッピングモールもあり、東京の新たな居住エリアとして人気を集めている中央区、江東区の湾岸エリア。タワーマンションが多数立ち並び、オリンピック・パラリンピック以降に多数の住人が押し寄せることが見込まれます。

一方で、新住民と旧住民とのつながり、新住民同士のつながりがまったくないところで生活がスタートすることは、防災や防犯の面からも問題だと思われます。そんななか、マンションとマンションをつなぎ、湾岸エリアに暮らす子育て世代をターゲットとした「マンション対抗フットサル大会」などスポーツイベントを開催する有志のグループがあります。それが「湾岸ネットワーク」です。

マンション対抗親子大運動会「湾岸ピック」の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

マンション対抗親子大運動会「湾岸ピック」の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

タワーマンションが立ち並ぶ湾岸エリア(画像提供/湾岸ネットワーク)

タワーマンションが立ち並ぶ湾岸エリア(画像提供/湾岸ネットワーク)

湾岸ネットワークを立ち上げたのは、ITコンサルを専門とする会社を経営する浅見純一郎さん、普段は外資系銀行で働くサラリーマンの石原よしのりさん、スポーツ関係の会社を経営をする星川太輔さんの3名の住民たち。それぞれ40代で、家族を養う働き盛りの世代。

メンバーの浅見さんは2008年に浦安から豊洲に移住し、パークシティ豊洲の自治会長や近隣の小学校のPTA会長などを兼任。地域コミュニティに深く関わっています。星川さんも自宅のある有明のブリリアマーレ有明の管理組合理事長を、有明自治会の自治会長をそれぞれ5年ほど務めていました。当時、湾岸エリアで先進的な活動をしていた自治会の自治会長だった浅見さんと星川さんに、2014年に晴海のタワーマンションに移住してマンションの自治会長を務めていた石原さんが声をかけたのがきっかけ。

「6年前のことです。僕が暮らすマンションの管理会社の人に、管理会社の横の繋がりで、豊洲のタワーマンションの自治会長を紹介してくださいとお願いしたんです。そこで紹介されたのが浅見さんでした。その後星川さんとも出会い、3人ともタワーマンションに暮らす同世代で、自治会活動の中でマンション同士の横のつながりの必要性を感じていたので、すぐに意気投合しました」(石原さん)

マンション対抗親子大運動会「湾岸ピック」の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

マンション対抗親子大運動会「湾岸ピック」の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

子育て世代が多いからこそできる、親子で楽しむ運動会

最初は湾岸ネットワーク立ち上げメンバーの3人を中心に他の湾岸マンションとの親睦会を重ねていたのですが、ネットワークをより形あるものに発展させようとの思いから、「マンション対抗シリーズ」(最初はフットサル大会)を始めました。スポーツをキーワードとした理由は、子育て世代が多いこと、未就学児のお子さんがいる親御さんも午前中に気軽に参加して帰れること、など。また、マンション対抗とすることで競争意識が芽生え、かつ同じマンションの住人同士の結束が高まると考えたからです。実際、午前中のスポーツイベントから帰り、マンション内のパーティルームで参加メンバー同士で親睦会を行う人たちもいるそう。

今年は新型コロナウィルス感染症の影響で中止がよぎなくされていますが、具体的には毎年5月に開催する「湾岸マンション対抗フットサル大会」、9月開催の「湾岸マンション対抗親子大運動会 湾岸ピック」、そして11月には「湾岸マンション対抗マイルリレー大会」を開催しています。

マンション対抗フットサル大会の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

マンション対抗フットサル大会の様子(画像提供/湾岸ネットワーク)

湾岸エリアにも当然、幼稚園や小学校などがあり、PTAなどの親御さん同士のつながりももちろんあります。ただ、それも幼稚園や小学校といった括りでしかつながることができないので、マンション住人同士の子育て世代がつながる機会は現状、なかなかありません。そのなかで、湾岸ネットワークは一つの選択肢になると浅見さんは言います。

「私個人もそうなんですけれど、みなさんマンションを購入して、地域に何かしら貢献したいと思っている人は多い。けれど仕事が忙しくてなかなか地域活動に参加できないんですね。私たちとしては、地域に関わりたいけれどどうすればいいか分からない住民の方に、なるべく敷居を低くして関わっていただけるといいなと思っています」(浅見さん)

「従来の町内会などの自治会だと、年1回のお祭りを本気でやる、みんなで一生懸命つくる、というところが多い。でもそこまでコミットするのは働き盛りの世代にはなかなか難しい。そういった方々が気軽に参加できて、体験できるイベントが必要だと考えたんです」(星川さん)

給水所のカギをもらえない? 顕在化するタワマンの脆弱さ

既存の自治会の問題というのは、とにもかくにも高齢化。さらには、江東区、中央区と行政区ごとに分かれていて、タワーマンションが同じ課題を抱えていても、住人同士が関わることが少ない、という課題がありました。

「区内の自治会長たちの集まりに行くとご高齢の方が多い。また、それぞれ独自の運営をしているケースがありそうで、なかなか新しい人が入っていくのに抵抗があるのではないかと思われます」(浅見さん)

一方で、タワーマンションに移り住んでくるのは30~40代の若い世代が中心。再開発によってまちに暮らす新旧住人の割合が大きく変わる中、旧住人の代表である既存の自治会と、タワーマンションに暮らす新住人のニーズとはかけ離れていくばかりです。

左から石原さん、浅見さん、星川さん(画像提供/湾岸ネットワーク)

左から石原さん、浅見さん、星川さん(画像提供/湾岸ネットワーク)

ちなみに、タワーマンションはチラシ投函が禁止されているところがほとんで新聞購読率も20%程度という話は聞いたことありますか? そうなると当然近隣のイベント情報がなかなか入ってこない。子育て世代が多いのにこれでは致命的でしょう。

「自治会って、つくる義務はないんです。自治会のないタワーマンションも多い。だから自治会がないタワーマンションは情報が行き届かない。僕も経験したのでよく分かりますけど。防災とか子育ての情報に関して、タワーマンションに住んでいる人と従来から住んでいる人との間には格差がある」(石原さん)

「有明にはそもそも自治会がなかったんですけれど、つくって分かったことがあります。お台場の水の博物館近くに給水所があるんですけれど、給水所の存在とそこの鍵の暗証番号を自治会をつくったことによって行政から連絡が来て初めて教えてもらえたんです。役所の方に聞いたらそういう仕組になっていると。自治会をつくらないと給水所が使えないって、災害時のときに住民は大変困りますよね」(星川さん)

防災といえばバケツリレーなどのイベントが開催されることが多いですが、タワーマンションでバケツリレーをしても意味がない。ポンプ車での放水訓練もマンションでは現実的ではない。行政にタワマンの防災ナレッジがないため、もしマンションで火事が起きたら大変。大きな台風が来てマンションの電源が喪失してしまった場合、どうすれば電力を確保ことができるか、などのノウハウ共有も大切です。

現時点で導入可能な非常時の電源確保手段として、水路を使った重油共有ネットワークやEV(電気自動車)の電池を使ったエレベーター稼働のしくみ、LPガスを動力とした非常用発電機など、それぞれの企業から専門家を呼んで、各マンションの防災担当者向けの講演会を開催しました。

「防災行政は従来の戸建てが並ぶ街の防災拠点を想定して、防災訓練を行っていますが、タワーマンションの住民は自宅待機での「自助・共助」が推奨されています。しかし、従来の防災訓練はタワーマンション住民の火災時の行動をミスリードする恐れがあり、現在多くのタワーマンションではそれぞれの環境に合った防災訓練を独自に行い、行政との連携については試行錯誤している段階です」(石原さん)

新旧住民の情報格差を解消するには?マンション同士のノウハウ共有が課題(画像提供/湾岸ネットワーク)

マンション同士のノウハウ共有が課題(画像提供/湾岸ネットワーク)

マンション対抗スポーツ大会などの敷居の低いイベントが、潜在的に地域に関わりたい人の接点を生み出すことも重要ですが、このように、タワーマンションならではの課題を解決するための機能も果たしているように思います。例えば、資源ゴミの回収ルールはマンションごとに決まっていて、委託業者の言い値で決められているところが多いそう。しかし、異なるマンションの管理組合の人どうしで、「資源ごみ回収はどの会社に委託している?」という会話が生まれることで、買取価格が3倍以上になったエピソードもあるそう。そこで増えた収入は他の住人向けイベントに回すこともできます。

他にも自宅をAirbnbに使った場合、法的にどんな問題があるか? を学び合ったり、管理組合の財務的なコストダウンの方法を話し合ったりなど、マンション同士のつながりがあることで享受できるメリットは多数あります。セキュリティがしっかりしているからこそ、住人同士のつながりが薄いマンションにおいて、住人同士のつながりをつくっていく団体の役割は大きいと感じました。

「現在はあくまで任意団体として活動していて、加盟金も徴収しておらず、有志のメンバーで続けています。、しかしイベントの規模が徐々に大きくなり、参加世帯数が増えスポンサーからの協力を得られやすくなった半面、リソース不足等の問題にも直面しています。湾岸地区の発展に追いつくために、団体をより一層成長させるべく法人格の取得を検討しています。でも、参加を強制するのではなく、参加したいから参加する、というイベントであることは守っていきたいと思います。街と住民自身が一緒に成長していく、そんな過程を共有できる地域は他にはなかなかないと思います。湾岸に住む大きな価値の一つだと思います」(石原さん)

今回のインタビューで、タワーマンションに対する見方が変わりました。便利で快適というイメージがあるタワマンも、既存コミュニティとの情報格差が存在するということが分かりました。その理由は、自治会のないタワマンと行政が接点を持つ仕組みが、まだまだ未発達だから。または、新しい場所に移住してくる人たちの多くが、ご近所付き合いの面倒臭さを避けてしまうことも大きいかもしれません。「しがらみがなさそうだからタワマンに入居した」という人もいることでしょう。

ですがやっぱり、災害が起きたときに、地域のつながりがなければ混乱が生じるのは明白です。可能な範囲で住人同士、そして住人と行政のつながりを維持していくことは不可欠。もちろん、しがらみがないからこそ、自分たちで街の未来をつくっていく醍醐味を味わうことができます。変化が日常である湾岸エリアでは、そこで育つ子どもたちが「ふるさと」と感じられるような風景が残らない代わりに、「コミュニティ」のつながりこそが唯一の「ふるさと」になりうるのかもしれません。

実際、マンション対抗フットサル大会を通じマンション内にフットサルクラブが発足し、マンションフットサルクラブ同士の交流戦が行われるなど、湾岸ネットワークから派生した新たなコミュニティが育ちつつあります。ゆるやかに参加でき、強制力がない有志のつながりこそが、再開発され新住民であふれる「新しいまち」には必要なのかもしれません。

●取材協力
・湾岸ネットワーク

防犯×ランニング!? 走りながら街を見守る「パトラン」って?【全国に広がるサードコミュニティ1】

みなさん、走るのはお好きでしょうか? スポーツジムも閉鎖が余儀なくされ、長期化するリモートワーク(テレワーク)で体がなまっている人々でも気軽に始められるランニング。実はこのランニングのついでに、地域の防犯パトロールをしてしまおうというグループが全国に増えています。連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを探ります。 運動しながら街を見守る。一石三鳥のパトロール&ランニング

通勤通学のアクセスの良さ、買い物のしやすさ、家賃の手ごろさだけではなくて、そのエリアにどんな出会いがあるか、プライベートをともに過ごすどんなコミュニティが見つかるか? が新しい場所に住む人にとって重要な選択肢になりつつあると感じます。家族・学校・職場とは別に、気のおけない仲間がいる居場所を求めている人は多いのではないでしょうか。
この連載では、家族・学校・職場を第一のコミュニティ、町内会や自治会など地域に暮らしていく際に避けては通れない古くからある団体を第二のコミュニティとすると、趣味や関心で集い、入会も退会も自由で、ゆるやかに地域活動に参加できるもう一つのコミュニティを「第三のコミュニティ(サードコミュニティ)」と捉え、紹介していきます。
第1回目は、福岡で始まり、全国に広がりつつある「パトラン」という取り組み。最近、土曜ランニングの会など、近所に住む人同士で集合して目的地を決め、仲良くランニングする同好会などがちらほらと生まれてきていますが、せっかくならランニングついでに地域の防犯・防災見回りもしてしまおう! という一石二鳥?三鳥? な活動が「パトラン(パトロールランニング)」なのです。

パトランWEBSITE(パトランHPより)

パトランWEBSITE(パトランHPより)

パトランの仕組みはシンプルで、やりたいと思い立ったら、パトランのウェブサイトを通じて会員登録するだけ会費を徴収しない代わりにパトランユニフォームを購入してもらい、それを着て走ればOKです。全国どこからでもスタートできる手軽さから、全国にパトラングループが増えています。単独でのパトランもOKです。

街中を走っていると、普段気づかないいろいろなものに目が止まります。しかし、パトランはまちのパトロールを目的としているため、交通事故の現場にでくわしたときは、警察に電話したり、救急車を呼んだり、運転手のサポートをしたりと、不測の事態にも迅速に対応しています。
もちろん、最低限、交通規範を守る、とか挨拶をする、などのルールはあるのですが、パトロールの仕方(方法)は各地の事情に合わせて自由に行われます。自治会と共同で防犯・見回りを行うグループ、電気の切れた街頭を探して自治体に報告する沖縄のグループなどさまざま。警察や行政と正式にパートナーシップを組んで活動するチームまでいるそうです。
このように、各地の工夫を参考にしたい人は会員限定のFacebookグループ「パトランJAPANグループ」でメンバーの活動を参考にしたりできるほか、ウェブサイトからダウンロードできる活動マニュアル「パトラン虎の巻」を読むこともできます。

パトランユニフォームのTシャツ。赤くて目につきやすい(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

パトランユニフォームのTシャツ。赤くて目につきやすい(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

仲間と始めた自主的な活動が話題を集め全国規模に

このパトランという取り組みをスタートしたのは、認定NPO法人改革プロジェクト代表の立花祐平さん。大学卒業後、大阪のIT企業に勤めていた立花さんは、入社3年を機に独立。Uターンで地元の福岡に戻り、アルバイトをしながら、冒険家を志していました。 
そんなある日、ふと訪れた沖縄の離島で、海岸沿いにゴミが散乱している様子を見た立花さん。もともと自然が好きだったこともあって、観光客が我関せず、な様子に違和感を覚えたそう。

「じゃあ実際、地元の福岡はどうだろう、と帰って海を見にいくと、同じようにゴミが散乱していました。漠然と、今できることからしたいなと思って友人たちとゴミ拾いをはじめました。これが現在のNPOの活動につながっています」(立花さん)

パトランを立ち上げた認定NPO法人改革プロジェクト代表の立花祐平さん(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

パトランを立ち上げた認定NPO法人改革プロジェクト代表の立花祐平さん(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

アルバイトをしながら地域の清掃活動に取り組む日々を送る中、知人の女性が自宅に帰る道で不審者による被害があり、清掃活動だけでなく防犯活動も始めてみようと思い立ったそうです。そこで、海沿いの街・宗像で見回り活動もしながら走ってみよう、と仲間と始めたのがパトランでした。
大きな転機となったのは、全国からソーシャルな取り組みを募集する住友生命の「YOUNG JAPAN ACTION」プロジェクトに応募したこと。

「もともと地元福岡の宗像という地区だけでやっていた自主的な活動だったのですが、なんとグランプリの一つに選ばれたんです。それがきっかけで多くの人にパトランを知ってもらい、全国で活動をやりたいという人たちが増えてきました」(立花さん) 

そこでSNSで「パトランJAPAN」のグループをつくり、全国の仲間が活動できるプラットフォームを準備しました。少しづつ活動の輪が広がり、今では全国38の都道府県に1,800人を超えるメンバーがいます。
「いわゆるランナーの人たちって横のつながりがとても強いです。全国のマラソン大会に出場したりして、地域が離れた人同士でもつながっている。もともと僕らはランニングは素人で始めたのですが、ランナーのコミュニティと接点ができて一気に広がったかたちですね」(立花さん)

パトラン中のゴミ拾いの様子。防犯だけでなく清掃も(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

パトラン中のゴミ拾いの様子。防犯だけでなく清掃も(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

自治会など既存の団体との温度差を埋めるには?

しかし、宗像でパトランを始めたころは地元の理解を得るのに苦労したそうです。

「地方は少なからず閉鎖的な面があるので、若者が集まって何かやると白い目で見られたり、いい迷惑だといって地元企業からメールが届いたこともありました。でも、自分たちの活動に社会的意義があると感じていたので、やはりやり続けないとだめだな、と思い3年は続けるつもりでがんばりました」(立花さん)

もともとある地域団体(自治会や町内会)=セカンドコミュニティは当然、防犯や防災に関する取り組みをしています。しかしどうしても、年配の方が多く、新しい住民や自治会に参加してない若者が入りづらいのが現状です。「地域のために何かしたい」と潜在的に考えている人が多い中、誰でも入れていつでも抜けられる、そんな気軽な活動=コミュニティがあることで地域参加の幅が広がると感じています。

「やはり平日は職場と自宅を行ったり来たりで地元に居場所がない人は多いです。また、パトランは既存の地域団体と基本的には一緒にやっていきましょうというスタンスなので、高齢者のグループと一緒にスタートしたりするチームもいます。あるメンバーが、パトランを通じて地域で活動することに抵抗がなくなった“慣れた”とおっしゃっていて、そこから町内会や自治会にも積極的に関わるように顔を出すようになったそうです」(立花さん)

全国に広がるパトランチーム。各チームごとに活動エリアや活動場所を決めて行っています(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

全国に広がるパトランチーム。各チームごとに活動エリアや活動場所を決めて行っています(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

また、既存の地域団体は基本的に、行政区画に縛られて活動しています。一方パトランチームは行政区画をまたいで活動することが多い。広域で防犯や防災意識を高めたりする団体はあまりないため、既存の町内会や自治会とうまく共存できていると立花さんは言います。

マラソン大会に参加したり、冒険イベントを開催したり。広がるパトランの可能性

パトロールしながら走っていると面白いのは、地域のいろいろな課題が見える化していくところ。冒頭でちらっと紹介した沖縄で活動するメンバー(※)は、ランニングのついでに、切れた街灯を見つけては地元の行政に連絡を入れているそうです。
「他の地域でも見つけたら行政に報告しましょうというルールを設けていますが、なかでも沖縄は一番多くて、年間5~600件の街灯切れを見つけています。自転車の不法投棄なんかも見つけます。防犯だけじゃなくいろいろな面でパトランが地域の役に立つ瞬間は多いと感じています」(立花さん)

パトラン中、電気の消えた街灯を見つけたり、不法投棄を見つけては行政に連絡をしているそう(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

パトラン中、電気の消えた街灯を見つけたり、不法投棄を見つけては行政に連絡をしているそう(画像提供/NPO法人改革プロジェクト)

パトランJAPANは基本的に寄付で成り立っています。大きな寄付元としては毎年開催されている大阪マラソン。他にも、マップに沿ってスタンプラリーしながら走れる「冒険型マラソン」を仕掛けたりもしています。こういう全国規模の大会で全国のチームやメンバーが交流し、より一層コミュニティの結束を高めています。

「今までにないマラソンをつくりたくて。せっかく環境や防犯をテーマにした取り組みなので、社会貢献の要素をマラソンに組み込みたい。フィールド内に、社会貢献につながるゾーンや散策できるスポットを設定しておき、ミッションをクリアすることで得点を稼いでいく。RPGゲームのような世界観をマラソンで表現しています(笑)。第一回目の今年は新型コロナウィルスの影響で開催できなかったんですが、来年度も実施する予定です。今後も仕掛けていきたいと考えています」(立花さん)

毎年、大阪マラソンに全国からパトランチームが集まる(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

毎年、大阪マラソンに全国からパトランチームが集まる(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

宗像市で開催予定だった冒険型マラソン。コロナウィルスの影響で中止となった(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

宗像市で開催予定だった冒険型マラソン。コロナウィルスの影響で中止となった(画像提供/認定NPO法人改革プロジェクト)

地域活動って、楽しくないと続かないと思いませんか? パトランの面白いところは、仲間たちと楽しく走るというのが前提になっているところ。そのついでに地域貢献を行うところがポイントです。「地域のためになにかしなきゃ」とか、「住んでいるのに何もできてない」という負い目を感じている多くの人にとって、パトランのような気軽に参加できて、気分が乗らなければ参加しなくてもいいコミュニティの存在は大きな助けになるのではないでしょうか。 
一見、仲間たちで楽しく遊んでいるようなコミュニティも、有事の際に連絡網として機能したり、日ごろからの何気ない見回り活動が役に立つ瞬間があると思います。そんなコミュニティが複数存在することで、地域の柔軟性や寛容性、災害の際の回復可能性(レジリエンス)を高めると僕は考えています。
家族や学校、職場など(=ファーストコミュニティ)でもなく、柔軟性や多世代交流の場としては停滞している既存の地域団体(=セカンドコミュニティ)ではなく、第三のコミュニティが各地に増えていくことがこれからの地域社会にとって重要なテーマだと思います。今後も全国各地のユニークな「サードコミュニティ」を取り上げていきます。どうぞお楽しみに!

※パトランチームは一定の基準を満たして設立しています。沖縄はチームではなく個人単位で活動しています。
現在のチームは全国で15チームのみとなります
詳細:パトランチーム

●取材協力
認定NPO法人改革プロジェクト
●関連サイト
パトラン

「コミューンときわ」で地域に根ざす自分らしい暮らし。新築賃貸でもDIY可能!

多世代の交流を育み、地域に開かれた“コミュニティ賃貸”として、オーナーの浦和への想いを形にした「コミューンときわ」。中庭が人々の暮らしを繋ぎ、また、令和生まれの新築でも住戸のDIYが可能というのも特徴だ。2020年2月に開かれたお披露目会に参加し、オーナーや入居者に話を伺った。
コンセプトは「夢ある人が集い、コミュニティをつくり、地域と共生する」

JR京浜東北線「北浦和」駅から徒歩10分ほど。活気ある「北浦和西口商店街(ふれあい通り)」を抜けた先の住宅街に「コミューンときわ」は立地している。道路沿いには、NPO法人クッキープロジェクトが運営するカフェや、ガラス張りで街に開かれたSOHO型の住まいが並び、道行く人々の目を引く。

自然にコミュニティが形づくられていくよう、コミュニティデザインを「まめくらし」が監修。「まめくらし」は、「青豆ハウス」や「高円寺アパートメント」など街に開かれた賃貸を手がけてきた会社だ。代表取締役の青木純さんが「子どもだけでなく親も一緒に来られるために目的を限定しない場所を」とアドバイスした中庭をはじめ、ラウンジや水回り常設の屋上菜園など、住民同士の交流やくつろぎの場となる共用部が充実。日々どこかしらで井戸端会議が開かれそうだ。

運営もしっかり考えられている。“ご近所づきあいに興味があって入居しても、どうすればいいか分からない”という住人が出ないよう、平日は、住人同士の間をつなぐ「コミューン・パートナー」が常駐。日常の関係性づくりやより暮らしを楽しむサポートをしてくれる。

芝生が敷かれた中庭。住民が多目的に使用できるほか、イベントスペースとしても運営予定だ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

芝生が敷かれた中庭。住民が多目的に使用できるほか、イベントスペースとしても運営予定だ(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ヨーロッパで多く見受けられる中庭を持つ集合住宅。「コミューンときわ」が異なるのは、中庭に面しているのが窓ではなく共用廊下で、アクションを取りやすいことだ。玄関と中庭が接しているため、買い物に出る際に中庭での会話や遊びに参加したり、中庭で会話が弾んだ流れで誰かの家に移動したりと、自然と交流が生まれそうなこのつくりは、長屋のような雰囲気を感じる。

家賃は周辺相場よりもやや高めの設定だ。それでも、多世帯交流などから生まれる豊かなライフスタイルが、「コミューンときわ」ならではの価値につながっていくことだろう。

浦和の文化と人とをつないで地域活性へ

コミュニティづくりは「コミューンときわ」内にとどまらず、地域とも連携していきたいと、オーナーである株式会社エステート常盤・代表取締役の船本義之さんは言う。「commune」はフランス語で共同体という意味。オーナーである株式会社エステート常盤・代表取締役の船本義之さんの「豊かな暮らしを育み、ひとつの街のようなつながりをつくりたい」という想いから名付けられた。

名曲『神田川』の時代から、分譲の住まい自体の質は高くなってはいるものの、賃貸物件をめぐる環境づくりやあり方が時代に追いついていないと感じていた船本さん。賃貸というものの形態は、ライフテージの変化に合わせて暮らしやすいからこそ、もっといい住環境を提供したいと、入居者同士がつながったり、部屋を自分らしくアレンジしたりできるようにした。

お披露目会の様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

お披露目会の様子(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

浦和は「鎌倉文士に浦和画家」と称され、古くから文化が根付く街。浦和で20年ほど暮らしてきた船本さんは、「浦和にはいろいろな活動をしている人がいて、文化的なポテンシャルが高い人も多く住んでいる。しかしみんな皆、東京を見ていて、横のつながりがない」と感じていた。周りに多彩な人がいることを知る機会があれば、暮らしがもっと豊かになり、地域が活性化するのではないかと、多世代や地域の交流の場として「コミューンときわ」を計画。文化が産業の“人里資本主義”を掲げ、浦和が持つ人材のネストを目指している。

船本さんは、入居希望者全員と面接を行い、コミュニティづくりへの想いを共有していくという。プライバシーとコミュニティとのバランスをとりながら「ドアに鍵をかけなくてもいいような関係性が築かれていけば」と「コミューンときわ」のこれからに期待を寄せる。

セミオーダーから一点モノへ、サポートを受けながら自分好みの空間に

「コミューンときわ」には、多世代が暮らせるよう、1Rから2LDK、SOHO型まで幅広い55戸の住戸が用意されている。どの住戸も窓が大きく、オープンなつくりで開放的だ。そして特徴的なのが、各住戸の表情が異なること。

内装は空間デザイン会社の夏水組がトータルコーディネートを行った。それぞれ「Urban Vintage(アーバンヴィンテージ)」「Innocent Green(イノセントグリーン)」「Ellison Natural(エリソンナチュラル)」「Casual Taste(カジュアルテイスト)」の4つのテイストが用意されている。

「Ellison Natural(エリソンナチュラル)」の内装で、一人暮らしを想定した住戸(28.12平米)。1階は専用庭付き(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「Ellison Natural(エリソンナチュラル)」の内装で、一人暮らしを想定した住戸(28.12平米)。1階は専用庭付き(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「Urban Vintage(アーバンヴィンテージ)」の内装で、土間が大きく取られたカップル/ファミリー向け住戸(55.08平米)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「Urban Vintage(アーバンヴィンテージ)」の内装で、土間が大きく取られたカップル/ファミリー向け住戸(55.08平米)(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

共用廊下に面した開口が広いのがコミュニティ賃貸ならでは(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

共用廊下に面した開口が広いのがコミュニティ賃貸ならでは(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

クロスやタイルはデザイン性の高いものから好みの柄を選ぶことができる。ヘリンボーンの床などPanasonicの建材を使用(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

クロスやタイルはデザイン性の高いものから好みの柄を選ぶことができる。ヘリンボーンの床などPanasonicの建材を使用(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

選択肢が多いことは、入居者にとってうれしい一方、オーナー視点では施工コストがかさみ、デメリットになりそうだ。夏水組・代表取締役の坂田夏水さんに伺うと「建具や壁紙などモノのコストは変わらず、増えるのは現場管理コストのみ」だそう。その分、夏水組が見積もりを判断し、VE(バリューエンジニアリング=機能を維持しつつ、コストを削減すること)につなげたという。

参考として展示された夏水組セレクションの壁紙のバリエーション。好みの柄を張ってカスタマイズできる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

参考として展示された夏水組セレクションの壁紙のバリエーション。好みの柄を張ってカスタマイズできる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

お披露目会に出店した「Decor Interior Tokyo」。この日は、夏水組デザインのタイルや、ニトムズのインテリアマスキングテープなど売れ筋アイテムをそろえた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

お披露目会に出店した「Decor Interior Tokyo」。この日は、夏水組デザインのタイルや、ニトムズのインテリアマスキングテープなど売れ筋アイテムをそろえた(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

インテリア好きな入居者にとってうれしいのが、夏水組がプロデュースするインテリアショップ「Decor Interior Tokyo」と連携していること。幅広い商品の中から、壁紙やDIYアイテムをスタッフと一緒に選んでもらったり、施工のアドバイスを受けたりすることができるのは心強い。

未知数の「コミューンときわ」入居の決め手は「単純におもしろそう」

お披露目会では、さっそくお手伝いをする入居者の姿があった。「北浦和」駅の近くにあるクラフトビールバー「BEER HUNTING URAWA」オーナーの小林健太さんは、自慢のビールで来客をおもてなし。小林さんが参加する浦和の街をおもしろくしようという活動で開いた「うらわ横串ミーティング」での船本さんや青木さんとのトークイベントをきっかけに「コミューンときわ」に興味を持った。

入居の理由を尋ねると「単純に、おもしろそうだから」と小林さん。このシンプルな答えこそが、“まだよく分からないけど、とにかくおもしろそうな何かが生まれそう”という「コミューンときわ」の魅力を物語っている。

直井薫子さんと小林健太さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

直井薫子さんと小林健太さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

お披露目会の看板を描いていたのは、「コミューンときわ」のSOHO型住宅でデザインオフィスを構え、職住近接を実践する直井薫子さん。東日本大震災をきっかけに、地元である埼玉のことを考えるようになり、東京から引越してきた。

以前住んでいた東京・葛飾では、ローカルメディアに携わるなど、地域に対してデザインができることは何かを考え、実践してきた。「埼玉でデザイナーといえば直井と言われるように」と、地域に根ざしたデザイナーを目指している。入居して間もないが、すでに映画のイベントを企画。今後は本屋のイベントや、アートやデザインに関連したコミュニティづくりを行っていきたいと語ってくれた。

笑顔が素敵なこのお二人と仲良くなれるだけでも、入居する価値を感じる。ハード面だけでなく、住人やそこから生まれるつながりが核となり、コミュニティの輪が広がっていくことだろう。

直井さんが、お披露目会の看板を描く様子。「コミューンときわ」には入居者それぞれが得意分野を活かせる場がある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

直井さんが、お披露目会の看板を描く様子。「コミューンときわ」には入居者それぞれが得意分野を活かせる場がある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

住人同士や地域とのコミュニティづくり、そして部屋のアレンジやのサポート体制が整ったマンション。近年、自分らしい住まいを手に入れようと思ったら、物件を購入してリノベーションをするのが流行りのように思われるが、この新しい賃貸物件では、気軽に住み方のバリエーションを広げられる。

時間を掛けて、じっくり街がつくりあげられていく「コミューンときわ」。興味を持ったら、現地を訪れてみてはいかがだろうか。

●取材協力
・コミューンときわ
・株式会社夏水組
・株式会社まめくらし

子育て応援の賃貸住宅「ハグ・テラス」どんな住まい? 家賃もお手ごろに

さまざまな公的賃貸住宅が各自治体やUR(都市再生機構)、都道府県の住宅供給公社等を中心に供給されています。近年、老朽化や場所によっては空室増加が問題になり、建て替えや有効活用を迫られている物件が多くある一方で、一般の賃貸住宅同様、またはそれ以上の設備・サービスを充実させている物件もあることで注目を集めています。家賃は減免制度あり、学童保育にママカフェ併設と子育て世代にうれしい鹿児島県鹿屋市の公的賃貸住宅を訪れました。一体どんな物件なのでしょうか?
公的賃貸住宅って? 所得制限や減額措置あり?

「そもそも公的賃貸住宅ってなに?」という人もいるでしょう。
私たちの住環境は「住生活基本法」という法律によって守られています。特に低所得者や高齢者という住宅の確保が難しいとされる人に対し、一般の賃貸住宅よりも低い家賃で住めるよう、地方公共団体が中心となって住宅の整備を進めてきたのが、公的賃貸住宅です。近年、その入居対象に「子どもを育成する家庭」も入るようになったのです。

公的賃貸住宅にはさまざまな種類がありますが、大まかには、
1)地方公共団体が運営する住宅(公営住宅等)
2)地方公共団体が運営または認定する住宅(地域優良賃貸等)
3)URや地方住宅供給公社などが運営する住宅
の3つに分けられます。それぞれ入居条件や所得制限等があり、収入に応じた家賃の減額措置なども受けられます。

公的賃貸住宅の対象世帯と収入分位。国土交通省住宅局住宅総合整備課「公営住宅制度について」(2018年2月)を元に作成

公的賃貸住宅の対象世帯と収入分位。国土交通省住宅局住宅総合整備課「公営住宅制度について」(2018年2月)を元に作成

自治体が積極支援! 学童とママカフェを併設する鹿屋市の「ハグ・テラス」

そのような公的賃貸住宅のなかで、昨年度、国土交通大臣賞を受賞したのが、今回、紹介する鹿児島県鹿屋市の子育て支援施設「ハグ・テラス」です。

ハグ・テラスは鹿屋市の大きな幹線道路沿いにある。徒歩4分のところにグラウンドや野球場を有する鹿屋運動公園、徒歩10分圏内に幼稚園・保育園・中学校などが位置する、子育てに便利な立地(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

ハグ・テラスは鹿屋市の大きな幹線道路沿いにある。徒歩4分のところにグラウンドや野球場を有する鹿屋運動公園、徒歩10分圏内に幼稚園・保育園・中学校などが位置する、子育てに便利な立地(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

共用施設として24時間のコールセンター、コインランドリーを完備、防犯カメラなどの設備も充実しており、もちろん住居部分は子育て世帯に配慮された設計になっています。

敷地内の1階にあるコインランドリー。目の前に学童施設やママカフェがあるので、洗濯をしながらお茶をしたり、子どもを遊ばせることができる(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

敷地内の1階にあるコインランドリー。目の前に学童施設やママカフェがあるので、洗濯をしながらお茶をしたり、子どもを遊ばせることができる(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

74.99平米~79.03平米の2LDK・3LDKの住戸が40戸。指挟み防止機能の付いたクローゼットのドア、角の丸いカウンターなど、いたるところに子どもとの生活に配慮した設計がうかがえる(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

74.99平米~79.03平米の2LDK・3LDKの住戸が40戸。指挟み防止機能の付いたクローゼットのドア、角の丸いカウンターなど、いたるところに子どもとの生活に配慮した設計がうかがえる(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

一般の賃貸住宅では、それらの施設・設備を備える子育て世帯向けの物件も数多く出ていますが、公的賃貸住宅は先に説明した通り、もともと家賃が低く設定されています。公的賃貸住宅の分類のうち、「ハグ・テラス」は「地域優良賃貸住宅」に分類され、1世帯当たりの収入月額が15万8000円~48万7000円の家庭が入居できます。所得に応じて適用される家賃の減免制度も含めると、74.99平米以上の2LDK~3LDKの賃料がなんと、5万1000円~5万3000円! この付近で築10年以内の集合住宅がそもそも希少、さらに同程度の広さを有する物件の賃料が7万円~7万5000円前後であることと比較すれば、どんなにお得に住めるかが分かります。

自治体と民間企業が組むことで魅力的な住まい、明るい街に

そして注目したいのは、学童保育施設とママカフェが併設していること。
隣接する学童保育施設「アダプテッド アフタースクール」では、水泳・サッカー・空手・ダンス・体操などスポーツ系の習い事のほか、学研の教材を使用した学習塾を運営しています。ハグ・テラス以外の敷地で行われる習い事へは、すべて送り迎え付き! スタッフがそれぞれの小学校まで迎えに行き、習い事の送迎が終わった後は、帰宅予定時間まで子どもたちを見ていてくれます。

日が沈んだ後も、平日~土曜日の19時まで、延長で20時まで学童施設が開いている。送迎のバスや屋内からこぼれる光で夜の街が明るく優しい雰囲気に(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

日が沈んだ後も、平日~土曜日の19時まで、延長で20時まで学童施設が開いている。送迎のバスや屋内からこぼれる光で夜の街が明るく優しい雰囲気に(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

学習室では、子どもたちが机を並べて学校の宿題を行う姿が見られる。中では、学研の教材を使用した学習塾も運営している(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

学習室では、子どもたちが机を並べて学校の宿題を行う姿が見られる。中では、学研の教材を使用した学習塾も運営している(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

奥の入口にある靴箱から各部屋へとつながる廊下。時計や勾配天井、木の梁が優しく明るい空間を生み出している(写真撮影/唐松奈津子)

奥の入口にある靴箱から各部屋へとつながる廊下。時計や勾配天井、木の梁が優しく明るい空間を生み出している(写真撮影/唐松奈津子)

自治体と民間企業が組むことで魅力的な住まい、明るい街に

ハグ・テラスがあった場所には、もともと鹿屋市の古い市営住宅がありましたが、建物が老朽化し、建て替えを行うことになりました。この建て替えの担当となった鹿屋市職員、浦部ひとみさんは「建て替え後の市民の生活を考えた際に『どのような公営住宅が良いか』、鹿屋市の職員だけでは答えが出なかった」と言います。

鹿屋市の浦部ひとみさん。「行政の縦割り組織では本当に市民に望まれる施設は実現できないと考え、民間事業者の方の力を積極的に借りることにした」と言う(写真撮影/唐松奈津子)

鹿屋市の浦部ひとみさん。「行政の縦割り組織では本当に市民に望まれる施設は実現できないと考え、民間事業者の方の力を積極的に借りることにした」と言う(写真撮影/唐松奈津子)

そこで、この疑問を一般の企業に「公募」という形で投げかけました。その提案の中から選ばれたのが現在、ここを運営している株式会社OKOYASU BASEの代表取締役・小林省三さんたちのチームでした。OKOYASU BASEは、三光建設株式会社、ユーミーコーポレーション株式会社、宇住庵建築設計事務所の3社の構成メンバーと、アダプテッドスポーツかのやなど30社ほどの地元協力会社によって構成されています。小林さんは、株式会社Katasuddeの役員も務めており、ハグ・テラスだけでなく同じく鹿屋市にある「ユクサおおすみ海の学校」などの企画・運営も手がけています。

株式会社OKOYASU BASEの代表取締役・小林省三さん。ユクサおおすみ海の学校を運営する株式会社Katasuddeの役員も務める(写真撮影/唐松奈津子)

株式会社OKOYASU BASEの代表取締役・小林省三さん。ユクサおおすみ海の学校を運営する株式会社Katasuddeの役員も務める(写真撮影/唐松奈津子)

「私はもともと東京の建築事務所で働いていましたが、30歳のときに鹿屋市に戻り、家業の建築会社、ホテル等の関連事業の経営に携わるようになりました。5年ほど前から、これまでの経験を活かして鹿屋市の地域づくりにも関わっています。ちょうどそのころから鹿屋市で、学校や市営住宅といった公共施設に対する提案型公募の話が出てくるようになり、プロジェクトごとのメンバーを組んで積極的に参画しているのです」(小林さん)

ユクサおおすみ海の学校を海側から撮影。写真左手にはツリーハウス、広大な芝生、そしてその先は海、という絶好のロケーションにある学校で宿泊できる(写真撮影/唐松奈津子)

ユクサおおすみ海の学校を海側から撮影。写真左手にはツリーハウス、広大な芝生、そしてその先は海、という絶好のロケーションにある学校で宿泊できる(写真撮影/唐松奈津子)

送迎バスに乗り降りする子どもたちの姿を通じて、街ににぎわいを感じる

アダプテッド アフタースクールと隣接するママカフェ「mama cafe & dining A&R」の店内外には、送迎バスを待つ子どもたちの姿や、ママカフェを利用するお母さんたちの姿であふれています。この学童保育施設もママカフェも、ハグ・テラスの住民だけではなく、誰もが利用することができます。浦部さんは「学童や習い事を利用する鹿屋市全域の親子が集まり、街の拠点となる住まいができた」と言います。

ママカフェ「mama cafe & dining A&R」は多くのママと子どもたちでにぎわう。テラス席や外の遊具スペースも人気。もちろん、ハグ・テラス入居者以外も利用できる(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

ママカフェ「mama cafe & dining A&R」は多くのママと子どもたちでにぎわう。テラス席や外の遊具スペースも人気。もちろん、ハグ・テラス入居者以外も利用できる(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

他の地方都市同様、鹿屋市でも主な交通手段は車。ある場所から目的地へと車で移動する生活は、歩く人が見えない、車と駐車場ばかりの街をつくります。ところが、「このハグ・テラスができたことで、子どもたちの姿が多くの市民のすぐ側に、自然と見られる街になった」(浦部さん)そうなのです。

アダプテッド アフタースクールを運営する有限会社アダプテッドスポーツかのやの小西輝さんも、「ここで開催した夏祭りには、市内外から300人の人が集まってくれたんですよ」と、うれしそうに話してくれました。

有限会社アダプテッドスポーツかのやの小西輝さん。子どもたちの通う各小学校に迎えに行き、そこから水泳・サッカー・空手・ダンス・体操などのスポーツ塾、ハグ・テラス内のアダプテッド アフタースクールへと送迎している(写真撮影/唐松奈津子)

有限会社アダプテッドスポーツかのやの小西輝さん。子どもたちの通う各小学校に迎えに行き、そこから水泳・サッカー・空手・ダンス・体操などのスポーツ塾、ハグ・テラス内のアダプテッド アフタースクールへと送迎している(写真撮影/唐松奈津子)

学童施設は公園に隣接。普段は学童施設から直接外に出られる子どもたちの遊び場、イベントのときなどには親子連れでにぎわう(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

学童施設は公園に隣接。普段は学童施設から直接外に出られる子どもたちの遊び場、イベントのときなどには親子連れでにぎわう(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

このような公的賃貸住宅の「子育て世帯へ向けた機能の充実」は全国のさまざまな場所で、見られ始めています。例えば、石川県野々市市の「つばきの郷住宅」は、1~3階の市営住宅と4・5階の地域優良賃貸住宅が一つの建物になっていて、隣接地に保育園や児童館、広場などを併設・配置して、ハグ・テラス同様に国土交通大臣表彰を受けています。首都圏では神奈川県住宅供給公社が2020年1月末に「フロール元住吉」を完成予定ですが、託児機能付きのコワーキングスペースや子どもの放課後サポート、レンタルスペースなどを備えた地域交流スペース「となりの.」を併設する予定です。

また、URでは「コソダテUR」など、子育て世帯を積極的に応援する取り組みを行っていますし、首都圏をはじめとする各都道府県、市区郡では、2018年以降、子育て応援住宅認定制度を設けています。これは公的賃貸住宅に限らず、子育てしやすい環境を整えた住宅を認定・登録することによって、いっそう子育て世代に適した居住環境の整備を促進する狙いです。

住むことを検討している自治体の住宅支援制度はもちろん、ぜひ、公的賃貸住宅に対する取り組みや今後の動きにも期待して、情報をチェックしてくださいね!

●取材協力
・鹿屋市「ハグ・テラス」
・ユクサおおすみ海の学校
・有限会社アダプテッドスポーツかのや
・ユーミーコーポレーション株式会社
・神奈川県住宅供給公社「フロール元住吉」

町内会の会長を押し付けられた! 休日は潰れてクレームも多発。どうすればいいの?

一戸建てでもマンションでも、避けて通れないのが自治会や町内会の「役員」です。夫婦共働き世帯や高齢者世帯も増えて、担い手そのものが不足する一方で、町内会・自治会の仕事が増え、バランスがとれなくなっているといいます。では、どうすれば解消するのでしょうか、専門家と考えてみました。
ある日、突然「町内会長」に。メリットは……ほとんどない?

町内会、自治会、町会。さまざまな呼び方がありますが、防犯や防災、清掃など、地域を暮らしやすくするための自治組織が自治会・町内会。分譲マンションや賃貸アパート・マンションでも、地域のこうした組織に入っていることが多いもの。しかし、近年、町内会にまつわるニュースはネガティブなものが多く、現場でも「あつれき」「負担感」が問題になっているといいます。では何が負担なのか、今年4月より約300世帯の町内会の会長をしている神奈川県藤沢市の30代男性Aさんに話を聞いてみました。

「町内会に加入したのは3年ほど前。一戸建てを購入して引越してきたときです。それが今年に入り、『来年度の町会の会長をお願いします、順番でまわっているので断れませんよ』と言われ、引き受けることになりました」と経緯を話します。任期は1年ですが、引き継ぎ時にはダンボール4箱分の文書や資料、備品などがまわってきて、まずその多さにびっくり。また、役員同士でも基本的には情報などは印刷して紙で共有する、多いときはほぼ毎週会合がある、なにかあるとすぐに電話・突撃訪問があるなどの「文化の違い」に面食らったといいます。

「お祭りなど伝統を大事にしたい気持ち、地域を大切にしたい気持ちは分かるのですが、平日午前にも打ち合わせが入るなど、会社員で務まる内容ではありません。また、週末もできたら家族や友人と過ごしたい。町内会が何のために活動しているのか、正直、メリットが分かりません」

画像/PIXTA

画像/PIXTA

また、ご近所に住む人はほとんどが良い人と言いつつも、「何もしないけれど声は大きい(しかも折れない)高齢者」がいて、クレーム処理係のようになってしまうのも負担が大きいようです。

「兄はマンションに住んでいて、同じように町内会の会長をしたのですが、議事録作成などは外部企業にアウトソースして、なにかあったときにハンコを押すだけだったと言っていました。あまりの差にびっくりしています」とAさん。

町内会は任意。「行事をゼロベースで見直す」のもアリ?

Aさんのコメントをもとに、現在の町内会の不満点をまとめると、(1)町内会の加入・役職を断ることができない、(2)行事・会合が多数あり、目的が不明瞭、(3)高齢者が多く、進め方・情報共有の方法が時代に追いついていない、(4)進め方を改善しようとしても拒まれる、(5)平日にも会合があり、仕事と両立できないといったところでしょうか。

地域活性化コンサルタントで、まちづくりや町内会・自治体の問題についても詳しい水津陽子さんによると、日本全国、ほぼどこの町内会も同じような問題を抱えているといいます。

「町内会の役員の多くは70代で、これまでのやり方をなかなか変えられずにいます。一方で、町内会に求められる役割は防災・防犯・清掃・地域活性化・子どもの見守りと増えるばかりなのに、新しい人・若い人が加わらないので、いつものメンバーに負担が偏りがち。変わりたいけれど、変われないジレンマ、過渡期なんです」と水津さん。

画像/PIXTA

画像/PIXTA

では、こうした「負担感」「やらされ感」を軽減し、うまくやるにはどうしたらよいのでしょうか。

「そもそもですが、本来、自治会・町内会への加入はあくまで『任意』、強制できません。Aさんのように加入した後に聞いていない役が回ってきて、順番だからと強制され困惑する人は少なくありません。昔は慣習やルールで仕方なく受けてきたと思いますが、今ではそれが未加入の理由の一位。やりたくない人に『これはやってきたことだから』『昔からのやり方で』と押し付けるやり方では担い手は減るばかり。また、自治会・町内会の活動は法律で定められた役割でもありません。極論を言えば、一旦すべてやめても誰にも罰せられません。会員の総意で今、必要な活動や運営法をゼロベースで見直してもいいのです」と大胆な提案をします。

住みやすい町に町内会は不可欠。時代にあったかたちにアップデート

一方で、インターネットなどで交わされるような、「町内会・自治会などなくしてしまえ」論には反対だといいます。

「今の町内会が時代にあっていないだけで、住民自治の仕組みが必要であることは間違いないと思います。昨今、自然災害が日本各地で多発していますし、サポートが必要な高齢者も増えている。ただ、行政には人手も予算も不足しています。自分たちの町は自分たちで住みよくしていく、関わりは不可欠といっていいでしょう。カギは、時代にあったやり方に変えていけるかどうかなんです」と水津さん。

「町内会では、未だに規約がないところもありますし、個人情報の取り扱いが前時代なところも。これを改善し、ITをサポートしてくれる会員やボランティアを募集し、回覧板や広報紙の配布は最小限にするなど、できることはたくさんあります」(水津さん)

先ほどAさんが不満にあげていた、5つの悩みでいうと、(1)町内会の加入・役職は強制ではなく、(2)若い人の意見も尊重、希望や都合に合わせて参加できるルールや仕組みに変え、(3)行事・会合はゼロベースで見直して、必要なものを残す、(4)規約や個人情報の取り扱いも時代にあわせ、(5)情報化を進めることで会合や連絡等、意見交換や合意形成など、情報交換や参加ができるようにするなどが必要なようです。

今まで、慣例で進めてきた町内会も、「リストラ(再構築)」とアップデートが必要な時期に来ているんですね。また、最近では町内会の加入率が低下したことで、危機感を抱き、変革に挑んでいる町内会も少なくないそう。

「千葉県浦安市では防災活動に力を入れ、東日本大震災では発災当日に住民の安否確認を行い、簡易トイレや飲料水を配布、その後の避難生活では会独自の積立金から仮説トイレや給水車等を配備するなど、日ごろの活動の真価を発揮した自治会もあります。新宿区では会員アンケートを行い、あったらいいと思う事業の希望を聞いたり、協力者を募るなどして活性化した事例もあります。最近では兵庫県西宮市で19歳の短大生が自治会副会長になったところ、清掃への参加が2割増えたという例もあります」(水津さん)

なかなか一筋縄ではいかない町内会の問題ですが、それもそのはず、30世帯程度小規模な町内会もあれば3000世帯と大規模な町内会もあり、歴史も背景も、今までの取り組みも異なるため、ずばりと効く処方箋はないのかもしれません。ただ、都市であっても地方であっても、人が暮らしていく以上、コミュニティは不可欠です。「やりたい人が」「やりたい内容で」「できるときに参加する」を基本に、ゆるく住んでいる町に関わっていく方法を考える、今はその模索の段階なのかもしれません。

●取材協力
水津陽子さん HP
合同会社フォーティR&C代表。経営コンサルタント、地域活性化・まちづくりコンサルタント。石油会社、官公署、税務会計事務所勤務等を経て1998年に行政書士、経営コンサルタントとして独立。地域資源を活かした地域ブランドづくり、観光振興など、地域活性化・まちづくりの講演セミナーなどを行う。近著に『トラブル解消、上手に運営! 自治会・町内会お悩み解決実践ブック』(実業之日本社)がある

横浜南部市場に複合商業施設、9月20日オープン

大和リース(株)は、金沢シーサイドライン「南部市場駅」前(神奈川県横浜市)に、複合商業施設「ブランチ横浜南部市場」を本年9月20日(金)にオープンする。「ブランチ」は同社が全国に展開する複合商業施設ブランド。「つどう、つながる、ひろがる」を施設コンセプトに、地域のコミュニティを育む拠点として体験型施設や交流スペースを設けている。

このたびオープンする「ブランチ横浜南部市場」(鉄骨造2階建)では、「発見」「体験 」「発信 」といった3つのテーマを掲げ、「食」のにぎわい創出に注力。飲食、物販、サービスを中心としたテナント構成としている。

また、施設内には芝生敷きの海辺広場など、緑豊かな空間や調理設備を整えた交流スペースを整備。交流スペースでは、物流エリアや経験豊かな関連棟事業者を講師に招き、食文化の発信や食を介したコミュニティの醸成を図る。

ニュース情報元:大和ハウス工業(株)

大学生がシニアと団地で暮らす理由とは。世代間交流深める高蔵寺ニュータウンの今

愛知県名古屋市に隣接する春日井市の丘陵地に広がる、UR都市機構が開発した高蔵寺ニュータウン。東京の多摩、大阪の千里と並ぶ日本三大ニュータウンの一つと言われ、当初は約700haに8万人超が暮らす大規模な街づくりが行われた。最初に完成した藤山台団地が1968年に入居を開始してから、昨年で50年が経過。全国各地で課題となっている少子高齢化の波はここにも押し寄せているようにも見える。だがこの団地では、住人に新しい気持ちが芽生えるような取り組みが進んでいた。
通学時間を短縮して有意義に!

現在、高蔵寺ニュータウンの団地には、そこから3kmほど離れた場所にある中部大学の学生83名(2019年4月1日時点)が「地域連携住居」という取り組みを利用して暮らしている。団地内にはファミリー向けにつくられた間取りも多く、十分な広さがある。入居を希望する学生は、各地区の自治会加入・地域活性化に資する活動(以下、地域貢献活動)への継続参加が条件。地域貢献活動への参加によって与えられるポイントを学期(春・秋)内に一定数集めることが要件となっており、その特典として家賃が割引になる。これがUR都市機構・春日井市・中部大学の3者で取り組む「地域連携住居制度」の仕組みだ。スタートした初年度は21人の学生が入居、年々入居者は増え、現在のこの人数になっている。

高度経済成長とともに増加した高蔵寺ニュータウンの人口は、95年をピークに減少がはじまり、少子高齢化が進んでいる。そんな中「春日井市と、市内にある中部大学から、URにニュータウンへの学生の入居促進に対する協力の依頼があったのは2014年のことです。私たちとしても、年月が経った団地への魅力づけを、何かしなくてはと考えているところでした。学生さんたちへの生きた教育の場の提供にもなるのであればと考え、協力をさせていただくことにしました」と話すのは、UR都市機構中部支社で団地マネージャーを務める所義高さん。

高蔵寺ニュータウン内には遊具のある公園や広場が点在。保育園や幼稚園もあり、子ども達の元気な声が響く(写真撮影/倉畑桐子)

高蔵寺ニュータウン内には遊具のある公園や広場が点在。保育園や幼稚園もあり、子ども達の元気な声が響く(写真撮影/倉畑桐子)

この取り組みのきっかけについて、依頼側である中部大学学生教育部学生支援課の殿垣博之さんはこう話す。
「本学は東海三県から通学する学生の割合が大きく、中には片道2時間以上をかけて通学する学生もいます。そこで大学としては、学生の通学時間を短縮し、その時間を学業やクラブ活動、インターンシップなどに役立ててほしいと考えました。ただ、経済的に厳しい状況の学生も多いので、可能な限り通学にかかる交通費に近い金額で下宿代がカバーできるような取り組みを模索し、この制度が提案されました」

元気な学生たちの住まいは上層階

地域連携住居制度を利用する入居者で組織される学生団体、中部大学KNT創生サポーターズ(以下、CU+)の今年度リーダーを務める、中部大学人文学部三年生の西井皓祐さんにお話を聞いた。
「地域連携住居制度については、大学の合格通知に同封されていたので、入学前から知っていました。実家は県外なので、当初からここに住もうと決めていました」

明るい日差しが差し込む西井さんの住まい。ゆとりある間取りを活用し、自炊や洗濯をして一人暮らしを満喫中だ(写真撮影/倉畑桐子)

明るい日差しが差し込む西井さんの住まい。ゆとりある間取りを活用し、自炊や洗濯をして一人暮らしを満喫中だ(写真撮影/倉畑桐子)

それまでは、地域イベントへの参加経験がなかったという西井さん。「入学するまであまり興味がなかった」と正直だ。そんな西井さんの住まいにお邪魔してみた。ファミリーでも住むことができる2DKの間取りは「1人なら十分すぎる広さです」といい、住み心地には大満足。毎月の家賃も割安で、大学からも近いので、友達が遊びに来ることもある。

学生の住まいは、エレベーターのない指定された棟の空いている部屋から、好きな間取りを選べる。4~5階は高齢者や幼児がいる世帯にとっては不人気であるため、学生たちが住めば、UR都市機構側としてもメリットがある。西井さんも上の方の階に住んでいるが、若いだけあって「階段にはすぐ慣れました」と笑顔を見せた。

UR都市機構による賃貸物件なので、仲介手数料や礼金などが必要なく、退去時の精算も国土交通省のガイドラインに則って行われるので、初めて一人暮らしをする学生にも分かりやすい。

入居は空室があれば随時で、年度の途中から住むこともできる。入居可能な住居や家賃については、希望者がUR都市機構の窓口に問い合わせることになっている。なかには、部屋をシェアして住んでいる学生もいるそうだ。

参考書などが並び、いかにも学生らしい西井さんの居間兼寝室。大学へは車で10分ほどの距離なので、授業の合間にちょっと帰宅することもできる(写真提供/西井さん)

参考書などが並び、いかにも学生らしい西井さんの居間兼寝室。大学へは車で10分ほどの距離なので、授業の合間にちょっと帰宅することもできる(写真提供/西井さん)

力仕事と爽やかな「おもてなし」で学生が本領発揮

入居のための必須条件である地域貢献活動への参加は、大きく分けて2種類ある。
1)依頼を受けて自治会等主催の地域活動に参加すること。地域の運動会や餅つき大会、防災イベント、防犯パトロールなど
2)地域連携住居制度を利用する学生が地域住民に向けて、自主的に行事を企画し開催すること。コーヒーサロンの企画・実施、高蔵寺ニュータウン内の清掃活動、夜警など

「団地に住む学生は、毎月、月例会で地域貢献活動内容について話し合います。内容ごとにポイントが違い、どれに参加するかは自由です。ポイントは学期(春・秋)で最低5ポイントずつ、1年で10ポイント以上を取得するように決められています」と西井さん。

西井さんに、地域貢献活動への参加記録である「地域貢献活動カード」を見せてもらった。入学以来、定期的に地域の祭りや運動会の運営サポート、草刈りや団地内の夜警、自治会の防災倉庫の点検などの地域貢献活動に参加し、主催者側と大学の学生支援課がチェックした記録があった。

「自治会から頼まれるものの中には、イベント時のテントの設営と片付けなどの力仕事や、ウォーキング時のコース案内など、炎天下での活動もあります。学生の僕たちでも疲れるような作業があるので、無事に終了すると、地域の方から『とても助かったよ』と喜ばれます。地域のみなさんの役に立っているんだなと実感しています」と話す。

自治会主催のイベントへの参加は、自身が住む地域でどのような催しが行われているのかを知る機会になり、大人から子どもまで、多世代の地域住民と交流するきっかけにもなっているという。

一方、学生からの人気が高い地域貢献活動は「コーヒーサロン」の企画・実施だ。これは、団地の集会室で、学生が淹れたコーヒーを振る舞う無料のおしゃべりサロンのこと。「一人暮らしの地域の方から、『部屋を出て若い人と話すだけでもうれしい』と喜んでもらったり、『君は将来、何がやりたいの?』と進路を聞かれて身が引き締まるような思いをしたり。昔の春日井市の話を聞かせていただくこともあり、僕たちも楽しんでやらせてもらっています」。時には団地の住民から差し入れがあることも。開始以降好評で、毎年秋に開催される、住民の世代間交流の場になっている。

学生たちによる自主企画である、団地内の清掃活動の様子(写真提供/中部大学)

学生たちによる自主企画である、団地内の清掃活動の様子(写真提供/中部大学)

安心・安全な街づくりを呼び掛ける、地域の防犯パトロールに住民と共に参加(写真提供/中部大学)

安心・安全な街づくりを呼び掛ける、地域の防犯パトロールに住民と共に参加(写真提供/中部大学)

視野が広がり気付いた、「地域貢献って楽しいもの」

昨年秋からCU+のリーダーを務める西井さん。当初は地域貢献に興味がなかったが、年配者から力仕事に対して感謝されるだけでなく、「若い人と話して元気が出た」「孫と接しているみたい」と言われることで、「自分にできる範囲の、何気ないことでも喜んでもらえるんだ」と感じるようになった。次第に「地域貢献活動自体が自然なことで、楽しみの一つにもなりました」という。

ただ、80人以上の学生がいると、なかなか足並みがそろわない部分もある。「家賃を割り引きしてもらっている義務感で、仕方なく地域貢献活動に参加している人も見受けられました。でも、それってちょっと違うんじゃないかと。みんなが心から、楽しいな、やりたいなと思うような地域貢献活動にしようと思って」、昨年のリーダー交代のタイミングで立候補。自分自身が「みんなを鼓舞しよう」と思うほどに変化するとは、想像していなかったという。

リーダーの任期は1年間。西井さんが率先して、楽しみながら地域貢献活動に参加することで、月例会で活発に意見が交わされるようになるなど、「一人一人が考えながら、自主的に行動できるように変化してきた」と感じている。

現在は、団地内で一人暮らしをする年配の女性から、おかずを分けてもらうこともあるという西井さん。ナチュラルな形で、すっかり地域に溶け込んでいる。

大学側も取り組みの手応えを語る。「シニアの方からは、イベントなどに学生が参加することで『地域の活性化につながる』というありがたいお言葉もいただいています。学生たちは、人生の先輩であるシニアや親世代の方々と交流することで、さまざまな考え方に触れることができ、視野を広げるきっかけとなっています。地域連携住居制度によって、授業だけでは学ぶことのできない経験をすることができ、学生にとってのキャンパスが学外にも広がりつつあります。これを本学では第3の教育として推奨しています」(※第1:正課教育(授業)、第2:正課外教育(クラブ活動など)、第3:社会連携教育)(前出の中部大学学生教育部学生支援課 殿垣さん)

昨年、団地の敷地内に、廃校になった藤山台東小学校を利用した多世代交流拠点施設「グルッポふじとう」がオープン。カフェや図書館、児童館などが入り、地域の人々でにぎわう(写真撮影/倉畑桐子)

昨年、団地の敷地内に、廃校になった藤山台東小学校を利用した多世代交流拠点施設「グルッポふじとう」がオープン。カフェや図書館、児童館などが入り、地域の人々でにぎわう(写真撮影/倉畑桐子)

制度をきっかけに、自然とコミュニティが活性化

前出のUR都市機構・所さんは、「コミュニティの活性化は、日本全国どこでも、住宅を管理する側の課題です。でもこれらは住民の方の気持ちがあってこそ成り立つので、本来、家主側がやろうと思ってできることではありません。一緒に住んでいただきながら、自然な形で多世代が交流するというのは、ミクストコミュニティの良い事例だと思っています」と話す。

地域連携住居制度については、現在まで、学生と元から住む住民との双方から好評の声を聞いているという。「学生さんの住まい方については、特に何もお願いをしていませんが、騒音などの不満も聞きません。多世代と共同住宅に住むということで、よりマナーをわきまえて生活しているのでは」(UR都市機構・所さん)

中部大学側からは、「学生が多く入居しているため、気が緩みがちになりますので、常に中部大学の学生として見られていることを意識して、日ごろの挨拶やゴミ出しなどのマナーの遵守を徹底するように伝えています」(殿垣さん)とのことだ。

双方が「今後も望ましい形を模索しながら、この取り組みを続けていきたい」と話す。毎年度末には、春日井市や自治会、UR都市機構の担当者を交え、地域連携住居制度の年間活動報告会を行っている。

「核家族が増えている中で、ご高齢の方と日常的に接する機会があり、自分が住む地域で地域貢献活動の経験ができるというのは、価値があることなのでは。学生さんたちが、今後も自主的に考えて行動するきっかけの一つになればうれしいですね」とUR都市機構・所さん。

中部大学は「取り組みが5年目を迎え、入居する学生の増加につれて、地域からの期待や要望も大きくなっていると感じます。今後は、これまでの経験や地域の皆さんからいただいたご意見を活かしつつ、持続的に地域と連携していくための制度や、地域貢献活動への参加方法などをさらに改善していきたいと思います」(殿垣さん)と展望を話す。

これからも地域に馴染みながら、より快適な制度へと姿を変えていくのだろう。

中部大学で行われた「防災企画」の講習会に、地域連携住居制度を利用するメンバーと地域住民が参加。共に災害に関する知識を身に付けた(写真提供/中部大学)

中部大学で行われた「防災企画」の講習会に、地域連携住居制度を利用するメンバーと地域住民が参加。共に災害に関する知識を身に付けた(写真提供/中部大学)

同世代ではない人たちへの理解、お年寄りへの細やかな気遣い、自分も地域の担い手であるという責任感。それらを身に付けることは、これから社会へ出ていく学生にとって、無駄なことが一つもない。

一方で、団地内に顔見知りが増えれば、独居のシニアの体調の変化などに学生が気づくこともあるかもしれない。どちらにもメリットが多い取り組みだと思う。

お邪魔した西井さんの部屋は、ザ・大学生の一人暮らし!という懐かしい雰囲気。そこから一歩外へ出ると、公園の遊具や時計台があり、子どもの声が響くのどかな環境というのもいい。人生のうちの数年間、団地で暮らしてみるという経験は、社会へ巣立つ前の彼らを温かく育むに違いない。

●取材協力
・UR都市機構 中部支社 
・中部大学

街とつながるライフスタイルホテル【前編】「星野リゾート OMO5 東京大塚」とディープな“地元のとっておき“を巡る

近ごろ、続々とオープンしているライフスタイルホテル。日本らしさを体験できる仕掛けがあったり、ゲスト
同士が交流できる工夫があったりと、単に「宿泊する」以上の付加価値を備えているのが特徴です。なかでも、とくに注目したいのが、宿泊客と地域の人々との交流を生み出しているホテル。宿泊客に街を楽しんでもらうだけなく、結果として街の価値向上にもつなげている「星野リゾート OMO5 東京大塚」に、知られざる大塚のディープな魅力をご紹介いただきました。

おもてなしのプロ「星野リゾート」が手がける都市観光ホテルとは

「山手線の大塚駅って、はじめて来ました!」 関西出身の私だけでなく、同行した編集者、東京出身のAさん、東京暮らしの長いTさんも同じだと言うのだから、やはり大塚は隣駅の池袋や巣鴨ほどには認知度が高くないのかもしれない。……そう思いながら北口を出ると、正面に「OMO5(おもふぁいぶ)」のロゴが入った建物が見えました。

「OMO5 東京大塚」のエントランスは、はやりのライフスタイルホテルっぽい、おしゃれな雰囲気。全125室、宿泊料金は7000円から(写真提供/星野リゾート)

「OMO5 東京大塚」のエントランスは、はやりのライフスタイルホテルっぽい、おしゃれな雰囲気。全125室、宿泊料金は7000円から(写真提供/星野リゾート)

昨年5月にオープンした「OMO5 東京大塚」は、駅から徒歩1分のところにあります。「星のや」「界」といった上質な宿泊施設を運営する星野リゾートによる新ブランドの都市観光ホテルで、北海道の「OMO7 旭川」に次ぐ2施設目です。それにしても、なぜ大塚? 不躾ながら、広報の栗原幸英さん(TOP画像左)に聞いてみました。

「実ははじめから大塚に、と決めていたわけではないんです。たまたま建物のオーナーから声をかけていただいて街を調べてみたら、駅周辺にディープで魅力的な世界が広がっていることが分かりました。『寝るだけで終わらせない、旅のテンションを上げる都市観光ホテル』というOMOのブランドコンセプトにぴったりの街だったんですよ」

ロビーに掲げた「ご近所マップ」に、スタッフが厳選した地元のおすすめスポットを網羅。マップは縦2m、横3mの特大サイズ。情報は日々更新されています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ロビーに掲げた「ご近所マップ」に、スタッフが厳選した地元のおすすめスポットを網羅。マップは縦2m、横3mの特大サイズ。情報は日々更新されています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

かつて花街として栄えた大塚には、今でも下町文化が色濃く残っています。昔ながらの八百屋、魚屋などが並ぶ商店街や、東京に残る数少ない路面電車のひとつ「都電荒川線」。街全体が、どこかレトロで懐かしい雰囲気を醸し出している一方で、JAZZバーが多いことで知られていたり、日本酒居酒屋の聖地として有名だったり。

ゆったりと設計されたパブリックスペース。地元のミュージシャンを招いたワークショップやご近所のクラフトビールバーによる出張ビアガーデンといったイベントも開催(写真提供/星野リゾート)

ゆったりと設計されたパブリックスペース。地元のミュージシャンを招いたワークショップやご近所のクラフトビールバーによる出張ビアガーデンといったイベントも開催(写真提供/星野リゾート)

「ガイドブックに掲載されることは少ないけれど、知れば知るほど面白いのが大塚の魅力」と話す栗原さん。「OMOが提供するのは『部屋』ではなく、『旅』そのものです。お客様に都市観光を満喫していただけるよう、街と連携してさまざまなサービスを提供しています」

客室は約19平米とコンパクトながら、天井高は3m近くあります。やぐらにベッドを置いて、その下に大きなソファを配したり、壁面に角材を組んで収納スペースにしたりと、空間を使い切る工夫が満載(写真提供/星野リゾート)

客室は約19平米とコンパクトながら、天井高は3m近くあります。やぐらにベッドを置いて、その下に大きなソファを配したり、壁面に角材を組んで収納スペースにしたりと、空間を使い切る工夫が満載(写真提供/星野リゾート)

「友達が住んでいる街に遊びに行ったら、『ここはおすすめだよ!』『ぜひ、あそこに行ってみて!』と、選りすぐりのスポットを紹介してもらえますよね。そんな旅先の友達みたいな役割を、私たちが担えたらいいなと考えています」

地元の人気店を引き合わせて生まれた「ご近所さんコラボスイーツ」

宿泊客に街を紹介するだけでなく、地元の人気店同士を引き合わせ、新たな商品開発につなげることもあるといいます。例えば、ホテル内のカフェで販売されている「OMOなかサンド」や「OMOどらパンケーキ」は、地元で知らない人はいない老舗の「千成もなか本舗」と、SNSでパフェが話題の「フルーツすぎ」とのコラボスイーツです。

お店同士は以前から相手の存在を知っていたものの、駅の「向こう側」と「こっち側」なので、話をする機会がなかったのだとか。OMOのスタッフが「絶対、合う!」と確信を抱いて間をとりもったのが、オリジナルスイーツ誕生のきっかけだそうです。

香ばしいもなかの皮にしっとり餡とふわふわクリーム、香り高い旬のフルーツをはさんだ「OMOなかサンド」。甘味と酸味と香りのバランスが絶妙。地元のお茶専門店の「緑茶deアールグレイ」によく合います(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

香ばしいもなかの皮にしっとり餡とふわふわクリーム、香り高い旬のフルーツをはさんだ「OMOなかサンド」。甘味と酸味と香りのバランスが絶妙。地元のお茶専門店の「緑茶deアールグレイ」によく合います(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「これまで星野グループが手がけてきたホテルや旅館では、ゲストに館内でいかに寛ぎ、楽しんでいただくかにフォーカスしていました。けれども、OMOは違います。館内にこもらず、どんどん街に出かけてくださいとご案内しています。私たちも、ここまで街に入り込んで一緒にお仕事させていただくのは初めてです。いわゆる『観光スポット』でなくても、お客様が楽しめる素材になり得るというのは、まったく新しい発見でした」

どらやきの皮をタワー型に積み上げ、季節のフルーツとブリュレ風クリーム、キャラメルソースを添えた「OMOどらパンケーキ」。思わず写真を撮りたくなるチャーミングな見た目も魅力(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

どらやきの皮をタワー型に積み上げ、季節のフルーツとブリュレ風クリーム、キャラメルソースを添えた「OMOどらパンケーキ」。思わず写真を撮りたくなるチャーミングな見た目も魅力(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ホテルでスイーツを楽しんだ後で、そのお店を訪れるとまた違った発見がありますよ」と栗原さん。でも、はじめての街で知らないお店に行くのは不安だし、行ったとしてもお店で何を食べたらいいのか分からないし……。「そんなお客様を街に案内するのが、『ご近所ガイド OMOレンジャー』です」。栗原さん自らOMOレンジャーとなって、街に連れ出してくれるというので、さっそく出かけてみることに!

OMOレンジャーの「衣装」を着た栗原さん。栗原さんたちオープニングスタッフは開業前に半年かけて、ホテルから500歩圏内にある飲食店を100軒以上尋ね歩いたのだとか。街について詳しいはずです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

OMOレンジャーの「衣装」を着た栗原さん。栗原さんたちオープニングスタッフは開業前に半年かけて、ホテルから500歩圏内にある飲食店を100軒以上尋ね歩いたのだとか。街について詳しいはずです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

いざ出発!OMOレンジャーが大塚の街をディープに案内(昼の部)

「OMOレンジャー」は「散歩」「はしご酒」「大塚定番グルメ」「大塚のディープグルメ」「ナイトカルチャー」の5テーマからさまざまなコースを案内してくれます。レンジャーの出動は1000円/2時間ですが、街の歴史や見どころを約1時間かけて案内してくれる「散歩」コースは、なんと無料! 初心者さんにおすすめのコースだそうです。

細い道の両脇に、古くからある小さなお店がたくさん並ぶ商店街(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

細い道の両脇に、古くからある小さなお店がたくさん並ぶ商店街(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ホテルを出て都電荒川線の大塚駅前駅を抜け、まずはサンモール大塚商店街へ。ここには、コラボスイーツで知った「千成もなか本舗」がありました。お店のお母さんが栗原さんを見ると、「あら、いらっしゃい」と明るく声をかけてくれます。

カラフルな5色もなかは、小倉、梅、ごま、白、こしの5種類。商品名のアップリケは、ご近所さんからのプレゼントなのだとか(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

カラフルな5色もなかは、小倉、梅、ごま、白、こしの5種類。商品名のアップリケは、ご近所さんからのプレゼントなのだとか(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

商店街を抜けると、地域の氏神様が祀られる天祖神社がありました。「境内にあるイチョウは樹齢約600年。高さ25mの一対の大イチョウが夫婦のようなので、『夫婦イチョウ』と呼ばれています。こちらの狛犬は『子育狛犬』なんですよ。子どもに授乳している狛犬で、全国的にも珍しいみたいです」。そんな話を聞きながら街をのんびり歩いていると、本当にそこに住む友人と散歩している気分になります。

天祖神社の例大祭は毎年9月17日。その前後の土日は神輿や山車が繰り出され、たいへんにぎわうそうです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

天祖神社の例大祭は毎年9月17日。その前後の土日は神輿や山車が繰り出され、たいへんにぎわうそうです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

都電荒川線沿線は、大輪のバラ越しに路面電車が見られる絶景スポット。「大塚駅前や線路沿いを美しくしたいという思いで、地元住民のボランティアグループによって植えられました」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

都電荒川線沿線は、大輪のバラ越しに路面電車が見られる絶景スポット。「大塚駅前や線路沿いを美しくしたいという思いで、地元住民のボランティアグループによって植えられました」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

途中、前を通った蕎麦屋の「大塚長寿庵」は、そばが美味しい……だけでなく、驚異の成約率を誇る婚活イベント「大塚 de そばこん」で有名なのだとか。

イベントに参加するには、メールで問い合わせ→女将が自ら面接→カップルになる確率を上げる必勝法を伝授→「そばこん」当日を迎えます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

イベントに参加するには、メールで問い合わせ→女将が自ら面接→カップルになる確率を上げる必勝法を伝授→「そばこん」当日を迎えます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

空蝉橋から山手線越しにスカイツリーを眺めつつ、「マルキク矢島園」へ。コラボスイーツと一緒にいただいた「緑茶deアールグレイ」はここの商品。爽やかに澄んだ上品なお茶だったので、どんなにしゃれた店かと思ったら、話好きな店主が営む親しみやすいレトロなお店でした。

栗原さんと仲良しの店主。「もうそろそろ行くからね」と何度も栗原さんが話を中断するのに、おもしろネタを次々に聞かせてくれました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

栗原さんと仲良しの店主。「もうそろそろ行くからね」と何度も栗原さんが話を中断するのに、おもしろネタを次々に聞かせてくれました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

最後は、コラボスイーツのフルーツを提供している「フルーツすぎ」。その場でフルーツをカットしてつくるフレッシュジュースやパフェ目当てに通う人も多いのだとか。

息子の勝也さんは以前、大田市場で働いていたそうです。「鮮魚といえば築地が有名ですが、フルーツといえば大田市場。そこで培った杉さんの美味しいフルーツを見極めるセンスはご近所でも評判なんですよ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

息子の勝也さんは以前、大田市場で働いていたそうです。「鮮魚といえば築地が有名ですが、フルーツといえば大田市場。そこで培った杉さんの美味しいフルーツを見極めるセンスはご近所でも評判なんですよ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

大満足のディープな散歩を終えてホテルに戻ると、栗原さんがにこやかに「大塚が本当に楽しいのは夜ですよ」。行かずに帰れるわけがありません!

一見さんでも大丈夫! 夜の大塚をホロ酔い気分で大満喫(夜の部)

OMOレンジャー夜の部「昭和レトログルメ」ツアーを案内してくれたのは、渡邉萌美さん。1軒目はクラフトビールの「TITANS」です。どのビールを選ぼうかとモジモジしていたら、渡邉さんが顔なじみの店員さんに声をかけてくれました。

「おすすめは『Left Hand Sawtooth Ale』。コクのある飲み口ですが、ホップのドライな後味が楽しめますよ」。人気のおつまみはなんと、宇都宮の焼き餃子(5個で500円)。しっかり味付けされているので、タレは不要。ビール片手に食べやすい!

OMOのイベントでビールを提供することもあるなど、ホテルとの結びつきも強い「TITANS」。商店街で買ったお惣菜の持ち込みもOK(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

OMOのイベントでビールを提供することもあるなど、ホテルとの結びつきも強い「TITANS」。商店街で買ったお惣菜の持ち込みもOK(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

クラフトビールで喉を潤したら、お次はやきとん「富久晴(ふくはる)」へ。カウンター越しにメニューを見ながら、「レバー、ハツ、タン……」と注文していると、渡邉さんが「メニューにはないんですが、タタキも美味しいですよ」

店の前で、犬の散歩中だった女将に遭遇。「あら、レンジャーのお客さんね~!入って入って~」と背中を押してくれました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店の前で、犬の散歩中だった女将に遭遇。「あら、レンジャーのお客さんね~!入って入って~」と背中を押してくれました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

……タタキ? 店員さん曰く「ナンコツを細かくたたいて団子状にしたもので、塩で食べます」。コリコリとした食感が楽しく、さっぱりと香ばしい味が瓶ビールに合います。

お店に人によると、「うちのお客さんのほとんどは、昔から通ってくれる地元の人。レンジャーが来てくれるようになって、新規のお客さんが増えました」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

お店に人によると、「うちのお客さんのほとんどは、昔から通ってくれる地元の人。レンジャーが来てくれるようになって、新規のお客さんが増えました」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「昭和レトログルメ」では、だいたい3軒くらいの店にを巡ることが多いという渡邉さん。「お客様がのんびりお食事されたい雰囲気だったら1、2軒、たくさん回りたいご様子だったら4、5軒など、臨機応変に対応しています。ルートを決めているわけではないので、案内するレンジャーによってお連れする店も違うんですよ。お客様とお話しながら、合いそうな店を考えてお連れします」

そんな渡邉さんが最後に連れてきてくれたのが、てんぷら「つづみ」。

以前は1割くらいだった外国人のお客さんが今では4割に増えたそう。店主によると「OMOで『天ぷらが食べたいけど、おすすめの店は?』と尋ねるお客さんに、うちを紹介してくれているおかげだよ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

以前は1割くらいだった外国人のお客さんが今では4割に増えたそう。店主によると「OMOで『天ぷらが食べたいけど、おすすめの店は?』と尋ねるお客さんに、うちを紹介してくれているおかげだよ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ここの天ぷらは本当に美味しいんですよ! 私たち、スタッフもよくランチでお邪魔しています。やっぱり自分が美味しい!オススメしたい!と思う店にお連れして、お客様に喜んでいただけるのが一番うれしいです」

昼でも夜でも、天ぷらは必ず揚げたてを出すのが店主のこだわり。7種類の塩が用意されているので、お好みでかけていただきま~す(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

昼でも夜でも、天ぷらは必ず揚げたてを出すのが店主のこだわり。7種類の塩が用意されているので、お好みでかけていただきま~す(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

約2時間のコースを終えてテンションの上がった私たちは、その後、ほかにもOMOレンジャーに教えてもらった店に行って、夜の大塚をさらに満喫したのでした。

住む街選びの第一歩として、昼だけでなく夜の街の雰囲気もしっかり知るために、まずはこういったホテルに一泊してみてもいいかもしれませんね。

2021年には、大阪市西成区の新今宮に3軒目のOMOがオープンする予定だそうです。新今宮といえば、通天閣に新世界、ジャンジャン横丁と、昭和世代には馴染み深い「じゃりん子チエ」の街。さらにディープな街の魅力をゲストに紹介してくれるのを楽しみにしています!

●取材協力
星野リゾート OMO5 東京大塚

JR「北長瀬」駅前に複合商業施設、6/27グランドオープン

大和リース(株)(大阪市)は、複合商業施設「ブランチ岡山北長瀬」(岡山市北区)を、6月27日(木)にグランドオープンする。施設はJR「北長瀬」駅前に立地する2階建。敷地面積28,409.61m2、延床面積19,234.78m2。1984年に休業した旧国鉄の操車場跡地を活用するもの。

2013年に岡山市が「岡山操車場跡地整備基本計画」を策定、2016月5月に跡地内(民間提案用地)への定期借地方式による事業提案を公募型プロポーザルで募集し、同社が事業者に選定された。

施設には、駅前の立地を生かし、生活・利便エリアに食品スーパー・ドラッグストア・フィットネス・医療モール、体験・滞在エリアに書店・飲食店・カフェ・専門店・保育園など、45店舗を配置する。

また、芝生広場など緑豊かな空間を整備、地域のコミュニティを育む拠点として体験型施設や交流スペースを設ける。

ニュース情報元:大和ハウス工業(株)

福岡で誕生、100年先の暮らしを模索する実験的 コミュニティ

近年、東京都内でも拡張家族をテーマにしたシェアハウスなどができ、新たな社会関係が生まれはじめている。その中で昨年、福岡では「100年先の暮らし」をテーマにした実験的コミュニティ『Qross』が誕生。その特徴と、ファミリーやシングルマザー、多拠点生活者などさまざまな立場の中でコミュニティへ参加することへのメリットを、立ち上げから1年経った今、振り返りながら語っていただいた。
コンセプトは「100年先の暮らしを実験する場所」

Qrossができたのは、2018年4月。立ち上げ当初のメンバーが、たまたま同じ価値観をもっており一緒に暮らす場が欲しいということで、移動にも便利な天神に拠点をおいた。

ここはシェアハウスのように住むことが前提ではない。住む人もいれば、日中の生活拠点として利用する人、たまに遊びに来る人もいる。0歳から66歳まで多様な人が所属し、思い思いに自分の生活をゆだねることができる場所といった感じだろうか。

現在の利用者は約30名。クリエイターをはじめ、プロジェクトデザイナー、映画プロデューサー、新米猟師、不動産会社社長、シェアハウス運営者、アイドル、デザイナー、編集者、日韓ツアープロデューサー、占星術師、鍼灸師、小学校教師、元大学教授、学生……と、肩書きはそれぞれ。

ニュースでも流れるように、テクノロジーの急速な進化、地球温暖化など環境への不安、政治や経済も含めた既存の社会システムの限界など、さまざまな社会問題が世界を取り巻き、これからの未来が予測不能ななかで個人として暮らしはどうあるべきか?100年後、どういう暮らしが残っていたらうれしいのか?そういった問いかけをそれぞれに感じながら、ともに生活という場で実験をしている。

基本的には暮らしに重きをおいてはいるが、コミュニティ内でも集団子育てなど、さまざまな活動もこの1年で行ってきた。

Qrossでの社会実験1.「きいちの学校」。集団子育ての一環として、さまざまな肩書きをもつ利用者の特性を活かして、非婚シングルマザーの子どもの先生を日替わりで担当。この活動だけではなく、普段の生活でも利用者同士で子育てをしている。 ※)背景の松は、もともと能の練習場だった時の状態をそのまま残したもの。現在はリビング・ダイニングとして使用(写真提供/Qross)

Qrossでの社会実験1.「きいちの学校」。集団子育ての一環として、さまざまな肩書きをもつ利用者の特性を活かして、非婚シングルマザーの子どもの先生を日替わりで担当。この活動だけではなく、普段の生活でも利用者同士で子育てをしている。
※)背景の松は、もともと能の練習場だった時の状態をそのまま残したもの。現在はリビング・ダイニングとして使用(写真提供/Qross)

Qrossでの社会実験2.「田んぼ部」。都心の天神から車で30分ほどの糸島で田んぼを借りて自分たちのお米を育てる。手植えから脱穀まで、プロの指導を仰ぎつつ自分たちで管理(写真提供/Qross)

Qrossでの社会実験2.「田んぼ部」。都心の天神から車で30分ほどの糸島で田んぼを借りて自分たちのお米を育てる。手植えから脱穀まで、プロの指導を仰ぎつつ自分たちで管理(写真提供/Qross)

Qrossでの社会実験3.「ソウルツアー」。韓国のまちづくりをアートの視点で観光。また韓国と日本での共同イベントも今後実施予定(写真提供/Qross)

Qrossでの社会実験3.「ソウルツアー」。韓国のまちづくりをアートの視点で観光。また韓国と日本での共同イベントも今後実施予定(写真提供/Qross)

Qrossは8割が多拠点居住者で、残り2割が定住者であることが特徴。それぞれに個人の家、または家族と住む家を持っている中でコミュニティを利用している人のほうが多い。職業も働き方もバラバラ、単身者もいれば家族もいて、さらにここに定住する人もいれば多拠点先のひとつとして利用している人もいる。このように多様な、人・暮らし方が生まれたのは、それぞれこの場所のどこに魅力を感じたからだろうか?

年齢層も0歳~66歳と幅広い(写真撮影/加藤淳史)

年齢層も0歳~66歳と幅広い(写真撮影/加藤淳史)

コミュニティにしかない価値

主にあげられたのはこのような理由だ。

▪「ただいま」と言える場所が複数あると心に余裕が生まれて、いろいろなことに挑戦しやすい。会社と一人暮らしの往復だと視野が狭くなる気がした。自分の拠点を3つ以上持つと一つ一つの拠点にいる時間は短いけれどもその分、その場にいる人を大切にしようと思えた(多拠点居住/デザイナー)

▪起業を予定してシェアオフィスも探したけれど、皆が黙々と作業している雰囲気がそもそも苦手。変にルールに縛られる空間よりも自分は多様な空気、カオス感を感じる場所に身を置いていたかった。60歳代ともなると、ルールをつくることは簡単だけれどもカオスに戻るのが難しい。認識論より存在論。ありかたの大切さに重きを置きたかった(同県内にて家族と居住中/元大学教授・イドビラキ伝道師)

▪ある程度仕事をしながら収入は確保できるし、それなりにやりたいこともできるけれど、こなし作業になる気がした。自分がこの先どうなるか分からない、ワクワク感に身を置いていたかった(長崎壱岐と二拠点居住/プロジェクトデザイナー)

▪子育ては自分が運営しているシェアハウスでもしていたけれど、大家と入居者という立場だと遠慮して言えないことがあったかもしれない。ここでは全員で子育てしているので、子どもを叱ってくれることもあるし、叱るポイントも人それぞれなのが面白い。多様な価値観に触れ合えることで、柔軟性や社会性も自然と身について、キャパも広がりそう。(非婚シングルマザー/シェアハウス運営者)

▪友達と一緒に子育てがしたかったからQrossの利用者になった。結果的にはいろんな世代の人がいて、今まで出合わなかった価値観を知ることができた。大人になるにつれ、どんどん居心地の良い空間や人を求めがちだから、ここで暮らすことはすり合わせも大変だけれどいい刺激になる。(東京からUターン/フリーランス)

Qrossの入居は基本紹介制。さらに入居前に「100年先の暮らし」について事前に説明があり、その価値観を共有した上で利用者を迎えている。さまざまな肩書きや背景はあるけれども、皆が共通で感じているのは、時間や心の「余白」だった。

非婚シングルマザーで0歳と3歳の子どもをQrossで子育て中の江頭聖子さん。「最近は、私以外のQrossメンバーと子どもだけで海外旅行に行ったり、逆に私も子どもを残して数日海外に行けたり。集団子育てをすることで、安心信頼できる大人が実親以外にもいることは、私にも子どもにとっても有難いです」と語る(写真撮影/加藤淳史)

非婚シングルマザーで0歳と3歳の子どもをQrossで子育て中の江頭聖子さん。「最近は、私以外のQrossメンバーと子どもだけで海外旅行に行ったり、逆に私も子どもを残して数日海外に行けたり。集団子育てをすることで、安心信頼できる大人が実親以外にもいることは、私にも子どもにとっても有難いです」と語る(写真撮影/加藤淳史)

東京と福岡の二拠点生活中の山崎瑠依さん。東京でもシェアハウス居住中。「一人暮らしのときと違い、職場と自宅の往復だけではない、心が満たされている感じがする。人といる時間を大切にするようになった」と話す(写真撮影/加藤淳史)

東京と福岡の二拠点生活中の山崎瑠依さん。東京でもシェアハウス居住中。「一人暮らしのときと違い、職場と自宅の往復だけではない、心が満たされている感じがする。人といる時間を大切にするようになった」と話す(写真撮影/加藤淳史)

元大学教授であり、Qross最年長利用者の坂口光一さんはこう話す。「コミュニティは生き物のようで一人が入ってくるとまた色を変える。リアルな生命体のような印象で、それがさらに新しい可能性を見出しそう」糸島に自宅もあるが、「ダンナ元気に外遊び、おかげで手数いらず」と、コミュニティに参加することは妻も大賛成だったそう(写真撮影/加藤淳史)

元大学教授であり、Qross最年長利用者の坂口光一さんはこう話す。「コミュニティは生き物のようで一人が入ってくるとまた色を変える。リアルな生命体のような印象で、それがさらに新しい可能性を見出しそう」糸島に自宅もあるが、「ダンナ元気に外遊び、おかげで手数いらず」と、コミュニティに参加することは妻も大賛成だったそう(写真撮影/加藤淳史)

新しい暮らしは余白から生まれる

このようにお互いのバックグラウンドが違っていることをQrossでは歓迎し、お互いがそれぞれでできる範囲で暮らしの役割分担をしている。入居前に価値観をすり合わせていることもあり、利用後に「イメージと違う」と言う人はほぼいない。お互いが依存しすぎない、程よい距離感の中で付き合っているから良い関係性が成り立っているようだ。

「集団子育てや田んぼの耕作なども、この余白ができた上で成り立つ活動ですね。なので目立たない普段の日常での状態が、暮らしの実験そのものなんです」

今回、Qross立ち上げの際の呼びかけ人でもある坂田賢治さんはこう話す。

「Qrossは経営者などほぼ日常すべてがビジネスに関連づいている、という人たちも多く所属しています。ですがQrossの暮らしのなかでは互いの社会的立場はさほど関係なく、お互いが素でいられる状態が自然とつくられています。それによってビジネスの世界とはまた別の、感覚的なものや言語化できないものを、生活を通じて知ることができる。それによって自分一人では気がつかない感覚を知ることは、この先の未来、意味があることだと思っています」

新しい生活は、新しい社会関係の中で生まれる。

(写真撮影/加藤淳史)

(写真撮影/加藤淳史)

Qross呼びかけ人のプロジェクトデザイナー・坂田賢治さん。「100年先の暮らしがどうなるかについて、ゴール設定はしていません。どうなるか分からないのに設定しても無理があるので、まず個人がどうありたいか、社会から個人の暮らしを考えるのではなく、個人から暮らしのあり方を発信していくことを大切にしています」(写真撮影/加藤淳史)

Qross呼びかけ人のプロジェクトデザイナー・坂田賢治さん。「100年先の暮らしがどうなるかについて、ゴール設定はしていません。どうなるか分からないのに設定しても無理があるので、まず個人がどうありたいか、社会から個人の暮らしを考えるのではなく、個人から暮らしのあり方を発信していくことを大切にしています」(写真撮影/加藤淳史)

フリーランス(たまにDJ)で昨年、東京からUターン帰省した梅田佳枝さん。「いろんな人と交わると、なぜそうするの?と疑問をもつこともあるけれど、伝え合うことで幅広い視野が身につく!」とコメント(写真撮影/加藤淳史)

フリーランス(たまにDJ)で昨年、東京からUターン帰省した梅田佳枝さん。「いろんな人と交わると、なぜそうするの?と疑問をもつこともあるけれど、伝え合うことで幅広い視野が身につく!」とコメント(写真撮影/加藤淳史)

不動産やWEB、映像関連事業など多岐にわたってプロジェクトや会社を立ち上げている後原宏行さん。「今社会が分断され続けて改めてコミュニティが出来ているけれど、元々は皆、大きなコミュニティに属しているという認識です。それが曖昧になってきているから、昨今では分かりやすい場所のあるコミュニティが増えている。Qrossはそんなコミュニティのひとつですが、天神という福岡の都心部なのに気を張らずにいられる、ということは大きな価値だなと感じています」(写真撮影/加藤淳史)

不動産やWEB、映像関連事業など多岐にわたってプロジェクトや会社を立ち上げている後原宏行さん。「今社会が分断され続けて改めてコミュニティが出来ているけれど、元々は皆、大きなコミュニティに属しているという認識です。それが曖昧になってきているから、昨今では分かりやすい場所のあるコミュニティが増えている。Qrossはそんなコミュニティのひとつですが、天神という福岡の都心部なのに気を張らずにいられる、ということは大きな価値だなと感じています」(写真撮影/加藤淳史)

さまざまな立場でも、コミュニティに参加するしないの選択はできる

コミュニティに参加して1年、マインド面で変化したことは?と聞くと皆が「そんなに変わっていない」と一様に答える。ただ、コミュニティ、イコール「参加者が似通った、閉ざされた集団」というネガティブなイメージがポジティブに変わったり、朝起きてリビングに一人一人現れてコーヒーを誰かが淹れたり、子どもの楽しそうな声がBGMに加わったり、誰かと誰かが盛り上がって話していたりと、これまでの自分の暮らしに加えて、さらにQrossでお気に入りの場所やシーンが増えたみたいだ。無理なく生活の延長上に新たな視点を添える。それもまた、コミュニティを続ける秘訣なのかもしれない。

どうしてもコミュニティとなると、その場に生活拠点を構えたり、活動への参加が半ば強制的になったりと、特に子育て世代などには参加のハードルが高いように感じることもある。けれどもQrossのような、ある一定条件を満たせば、どんな社会的立場でも参加可能なコミュニティも誕生している。コミュニティは、いわば小さな社会でもある。このようなコミュニティに関わることで、自分の周囲にはない、新たな視点が得られる機会となり、社会に出る前の学びにもなりそうだ。

これからまたさらに変化する時代のなか、自分たちの暮らしのありかたもまた、再構築する時期がやってきているのかもしれない。

下北沢地区の鉄道跡地に複合施設、4月13日開業

小田急電鉄(株)は、4月13日(土)、小田急電鉄小田原線「世田谷代田駅」から徒歩2分の立地に、複合施設「世田谷代田キャンパス」を開業する。同社は、代々木上原駅~梅ヶ丘駅間(以下、下北沢地区)における鉄道地下形式による連続立体交差事業、および複々線化事業により創出された鉄道跡地の土地利用(以下、上部利用)を進めている。

このたび開業する「世田谷代田キャンパス」は、下北沢地区上部利用区間の最西部に位置し、街に開かれた小広場を構えた鉄骨2階建の複合施設となる。鉄道の地下化によって地域内の交流が活発化している世田谷代田の「地域のコミュニティハブ」として、さらなる賑わいや、地域内外の人と人とがつながる場となることを目指す。

施設の中核として、世田谷区内にメインキャンパスをもつ東京農業大学のオープンカレッジが施設2階に新設。定期的に市民講座を開催するほか、講座時間外には一般会議室として貸し出しも行う。地元公共団体の会議や催しの会場としても利用できる。

また、1階では、東京農大オリジナルグッズや卒業生が醸造した日本酒など、食と農に関する商品を販売。さらに(有)クラノデザインコンサルタントによる新業態カフェレストラン「CAFE HELLO」がオープン。朝から夜まで時間帯によって楽しめるさまざまなメニューを提供していくという。

なお、下北沢地区の上部利用については、街の個性・雰囲気を踏まえ「にぎわいや回遊性、子育て世代が住める街、文化」をキーワードに、街にあらたな魅力を創出することを目指している。2016年1月には上部利用における初の竣工物件として賃貸住宅「リージア代田テラス」が完成した。上部利用の全体計画については、2019年中に公表される予定。

ニュース情報元:小田急電鉄(株)

中延の旧同潤会地区、都内最大規模の防災街区整備事業が竣工

旭化成不動産レジデンス(株)と(一財)首都圏不燃建築公社は、参加組合員として参画する「中延二丁目旧同潤会地区防災街区整備事業」を2月末に竣工する。防災街区整備事業の竣工事例としては東京都内で6例目、最大規模となる。同事業は、東京都の「木密地域不燃化10年プロジェクト」における「不燃化特区53地区」の1つ。関東大震災後の復興として、旧同潤会が建設した木造戸建住宅の面影が残る歴史ある地区。災害時の消火・避難活動に支障をきたさないために早急な不燃化対策が必要とされていた。

同事業の一環として総戸数195戸(権利者住戸72戸)の分譲マンション「アトラス品川中延」を整備。敷地北側(中延小学校側)に「防災公園」と、共用部として約68帖の「集会所」を用意。住民のコミュニティスペースとしての利用だけでなく、災害時に様々な用途で利用できるようデザインしている。敷地南側には公開通路を設けるとともに、全体を緑で包み込み、周辺環境と調和した、防災性の高い拠点を整備した。

整備事業の特徴は、関係権利者が140名に及ぶ大規模なものであったこと。第一種住居地域のため、駅前再開発などと比べて容積率・高さなどの制約も厳しく、合意形成に長い期間を要することが予想されたが、地域住民の防災意識の高さや品川区による積極的な組合サポートにより、準備組合設立から5年という短期間で竣工に至る。

ニュース情報元:旭化成不動産レジデンス(株)

高感度な大人に愛されるシェアハウス。セカンドキャリアで挑戦する大家さんの思いとは

近ごろ40代以上の大人世代にも、シェアハウスの人気が広まっています。それを受けて新しいタイプのシェアハウスを運営する、個性的な大家さんも増加中。今回はそれぞれ神奈川と調布でシェアハウスを運営する、新米大家さんふたりをご紹介します。元・外資系IT企業の営業職の大家さんに、元・ラジオディレクターの大家さん。セカンドキャリアで大家さん業に挑戦する彼らは、どんな思いをもっているのでしょうか。
成熟した大人のシェアハウスを運営する、セカンドキャリア大家さん

シェアハウスは若い世代のもの、というのは既に過去の話。“集まって住まう”ことが浸透した昨今、成熟した大人がシェアハウスを選ぶケースも増えています。長いキャリアがあり、スキルや社交性が磨かれた大人世代だからこそ、シェアハウスでの暮らしが豊かになるメリットもあるようです。

そんな毎日を充実させるキーパーソンは、仕掛人である大家さん。今回は、大人世代が多く住む高感度シェアハウスを運営する大家さんふたりに取材しました。共通するのは、それぞれ別のキャリアを経て大家さんになっていること。彼らが運営するシェアハウスは、どちらも昨年オープンしたばかり。シェアハウスの新しいスタイルを模索しながら精力的に活動中です。

代々受け継ぐ不動産を“負動産”にしない! 大手企業から覚悟の転身

京浜急行本線神奈川駅から徒歩5分、東急東横線反町駅から徒歩6分、JR東海道本線横浜駅から徒歩11分。標高40mの丘の上に立つ「しぇあひるず ヨコハマ」は、築60年の鉄筋コンクリート住宅をフルリノベーションした2棟のシェアハウスです。大家さんの荒井聖輝(あらい・きよてる)さんは昨年に親族が1953年から住んでいた土地の共同住宅を引き継ぎ、大家さんになりました。以前の荒井さんのキャリアは外資系IT企業の営業職。しかし大手企業で働き充実した生活を送るなかでも、いつか親から物件を引き継ぐことは、常に意識していたといいます。

「元々のアパートは、ずっと母や親族が運営していました。親族が建物を所有している以上、売るにしても引き継ぐにしても手間もお金もかかります。同じ大変なことならば引き継いで、自分らしく発展させていこうと思ったのです。大家さん業を継いだというと、楽をしていると誤解されることもありますが、今や不動産を継ぐことが必ずしも利益になるとはいえない時代。空き家が目立つ地域ではむしろ相続した建物が重荷になり、売ることもできずに放置されるケースもあるそうです」(荒井さん)

荒井さんは老朽化した建物に大金をかけて設備や耐震性をアップしました。それだけの覚悟をもって、アパートを引き継いでいくのは、代々受け継いだ土地に対する愛着とポテンシャルを感じていたからです。

【画像1】「しぇあひるず ヨコハマ」の大家さん、荒井聖輝さん。モノトーンの外観に、デザインされたロゴが映える建物。しっかりと耐震補強している故に壁が厚くなっているそう(写真撮影/蜂谷智子)

【画像1】「しぇあひるず ヨコハマ」の大家さん、荒井聖輝さん。モノトーンの外観に、デザインされたロゴが映える建物。しっかりと耐震補強している故に壁が厚くなっているそう(写真撮影/蜂谷智子)

【画像2】840m2と広大な敷地。実は公道に接していないので建物の再建築ができないなど、シェアハウスを始めるうえでクリアすべき課題もあった(写真撮影/蜂谷智子)

【画像2】840m2と広大な敷地。実は公道に接していないので建物の再建築ができないなど、シェアハウスを始めるうえでクリアすべき課題もあった(写真撮影/蜂谷智子)

大家業を、土地を活性化するソーシャルビジネスの軸に

「『しぇあひるず ヨコハマ』がある神奈川という土地は、江戸時代に横浜に先駆けていち早く海外に開かれた国際都市でした。ところが今となっては、最寄りの神奈川駅は京浜急行本線で乗降者数が最下位になるなど、当時の面影はありません。大家を継ぐにあたって勉強するうち、社会的な課題をビジネスで解決するソーシャルビジネスという概念を知りました。そこで大家業を、物件を軸に地域を活性化するビジネスに成長させたいと考えるようになったのです」(荒井さん)

そんな想いを込めて運営するシェアハウスは、鉄の外階段がアクセントとなったモノトーンの外観や、船室をイメージした共有ラウンジなどが、まるでおしゃれなゲストハウスのよう。広い敷地には庭があり、畑もあります。また丘の上にあるが故にその眺望の良さもポイントに。360度遮るもののない屋上からの眺めは抜群で、ベイブリッジや富士山を望むことができます。

「海や山、都市の姿が一望できる高台は、かつてアメリカ領事館などの重要な拠点が置かれた好立地です。この土地の建物をもっとアクティブな場にするには、まちに開かれたシェアハウスにするのがよいだろうと思いました」(荒井さん)

【画像3】ぐるりと周囲を見渡せる眺望。夏はここからベイブリッジ方面に上がる花火を見る会を開いている(写真撮影/蜂谷智子)

【画像3】ぐるりと周囲を見渡せる眺望。夏はここからベイブリッジ方面に上がる花火を見る会を開いている(写真撮影/蜂谷智子)

ターゲットは所ジョージ世代⁉︎ シェアハウスを地域に開く住人とは

「しぇあひるず ヨコハマ」では、横浜の花火大会のビューイングをしたり、住人主導の音楽会やバーがあったりと、数々のイベントを開催。住人だけでなく、地域の人も巻き込んだ交流の場となっています。時には海外のミュージシャンにホームステイの場を提供することも。これだけの活動ができるのは、荒井さんのアイデアや機動力に加えて、住人たちの力によるところも大きいとのこと。そういった住人が集まったのは、偶然ではないそうです。

「このシェアハウスの住人は40歳以上の方が多いのですが、それは当初から狙っていました。イメージしていたのは、成熟した大人で、仕事以外にも没頭している世界がある人。例えば所ジョージさんのようなイメージです。そういった人を呼び込むために、インテリアも大人の遊び心を感じさせるものにしました」(荒井)

最初に集まった住人は、プロのミュージシャンや環境問題のNPOの代表、女性起業家など、自立しつつ多彩な引き出しのある大人たち。そんな住人が自らの人脈を地域とつなげることで、場が活性化していったのは、荒井さんのもくろみどおりでした。また、社交的でありながら落ち着いた世代の住人がいる安心感からか、ファミリー世帯の入居希望者が増える相乗効果も生まれているといいます。

「今は入居希望者に部屋数が追いつかないので、周囲の空き家と連携する計画を進めています。提携した家に住んでいる人には、一定の共益費を払ってもらえば、クラブのメンバーのように『しぇあひるず ヨコハマ』の共有スペースを使えるようにしたいのです。最終的には幅広いの世代が交流できる開かれた地域づくりに発展させたいですね」(荒井さん)

歴史ある地域を活性化したい大家さんと、その思いに呼応するように集まった大人世代の住人たち。オープンして間もないながら、既に土地のもつポテンシャルを引き出しつつあるようです。

【画像4】船室をイメージしたラウンジ。各部屋に水まわりを完備しているが、ラウンジには共有の風呂やシャワー室も(写真撮影/蜂谷智子)

【画像4】船室をイメージしたラウンジ。各部屋に水まわりを完備しているが、ラウンジには共有の風呂やシャワー室も(写真撮影/蜂谷智子)

主婦の経験から地域のつながりの大切さを感じ、大家さんに

京王線調布駅から徒歩16分の「MDL Apartment」は、まるで外国に迷い込んだようなファンタジックな外観が特徴的なシェアハウス。建物の外部に面している共有ラウンジはカフェのようにおしゃれで、幼稚園へお子さんを送りに行った後にママ同士が交流するなど、住人が自由にくつろげる空間となっています。また、朝10時から夕方17時までは地域の方々にも開放されていて、お買い物や犬の散歩の途中に立ち寄って一息つけるような場所としても使われています。大家さんの豊田亜古(とよだ・あこ)さんがいるときは、住人以外の人ともおしゃべりを楽しむことにしているそう。

【画像5】「MDL Apartment」の大家さん、豊田亜古さん。MDLはメゾン・デュ・ラパン(兎の館)の略(写真撮影/蜂谷智子)

【画像5】「MDL Apartment」の大家さん、豊田亜古さん。MDLはメゾン・デュ・ラパン(兎の館)の略(写真撮影/蜂谷智子)

地域に開かれた共有ラウンジをつくったのは、豊田さんがこのシェアハウスのコンセプトをつくったきっかけに関係があります。

「この土地には私の夫の実家が代々暮らし、倉庫業を営んでいました。私も結婚してからはこの地に住み主婦として子育てに奮闘していたのですが、そのなかでも年に一回クリスマスマーケットを企画し、軒先で小商いを行っていたのです。毎年クリスマスマーケットを開いていると、地域の人の顔が見えて来ます。自分が手づくりした作品を持ち込むアマチュアアーティスト、マーケットを楽しみにしてくれる子どもたち、毎日やって来てはひとつひとつお気に入りを買っていくお婆さん……。地域には、こういったつながりがもっと必要だと感じました」(豊田さん)

【画像6】「MDL Apartment」での、初めてのクリスマスマーケット。初めてライブやフードマルシェを行った(写真提供/豊田亜古さん)

【画像6】「MDL Apartment」での、初めてのクリスマスマーケット。初めてライブやフードマルシェを行った(写真提供/豊田亜古さん)

家族が倉庫業を廃業し土地の新たな活用を考える際に、豊田さんはクリスマスマーケットで感じた地域への想いを形にするために、シェアハウスを運営することにしました。外に開かれた共有ラウンジは、いわば軒先マーケットの進化版。普段から住人以外の地域の人も排除せず、もちろんクリスマスの時期にはマーケットも行います。

【画像7】真新しくハイセンスなアパートは、ひと際目を引く。各部屋には水まわりを完備しており、プライバシーも守られている(写真撮影/蜂谷智子)

【画像7】真新しくハイセンスなアパートは、ひと際目を引く。各部屋には水まわりを完備しており、プライバシーも守られている(写真撮影/蜂谷智子)

演奏家用の防音室や、料理家向けハーブ園も。プロ仕様の個性的な部屋

実は豊田さんは、以前FMラジオ番組のディレクターをしていました。さまざまな才能が集まる番組をディレクションした経験が活きているのか、マンションの部屋づくりもユニークです。

「共用部には、このラウンジのほかにも音楽家用の防音室があります。1階の部屋は中庭に開かれていて、例えば絵を描く人がギャラリーとして使いお客さんを迎えたり、マッサージなどのスキルがある人がサロンを開いたりできるようにしました。さらに、キッチンスタジオを想定したお部屋もあるんですよ。ハーブやちょっとしたお野菜を育てるシェアガーデンつきで、そこでお客さんをもてなすこともできます」(豊田さん)

住む人の個性を活かす部屋づくりにひき付けられ、音楽家やイラストレーターなどの個性的な住人が集まっています。時には演奏家同士がセッションを行い、即興の演奏会が開かれることもあるそう。まるでドラマのような場面が日常的に展開されているようです。

【画像8】お料理教室なども行える充実したキッチンスペースのある部屋にはハーブなどが育てられる菜園が。一般的な部屋のほかに料理家向け、アーティスト向けなどの特別な部屋がある(写真撮影/蜂谷智子)

【画像8】お料理教室なども行える充実したキッチンスペースのある部屋にはハーブなどが育てられる菜園が。一般的な部屋のほかに料理家向け、アーティスト向けなどの特別な部屋がある(写真撮影/蜂谷智子)

ママとお子さんにも人気。優しい“ばあば”の存在が安心感に

もうひとつ豊田さんも想定外だったのが、子どもを持つ人が多く住んでいること。ファミリータイプの部屋がないのにもかかわらず、ママとお子さんの母子家族の入居希望者が多く、今は数組が暮らしているとのことです。

「私の子どもたちは未婚ですが、一足早く“ばぁば(おばあちゃん)”になった気分を味わっています。私がこのラウンジに居ると、保育園から帰った子どもがママとひと休み。おやつを食べながら今日の出来事をお話ししてくれるんです。ある日の夕方、ラウンジを閉めようとしていると外で泣き声が聞こえました。ドアの外で入居しているお子さんが泣いているんですよ。ママのお迎えが少し遅くなって、私がラウンジに居る時間に間に合わなかったのが、悲しかったみたい。それからは、帰ってくる子どもたちを迎えるまで、心配でラウンジを閉められなくなってしまいました(笑)」(豊田さん)

シングルマザーでなくても、子育て中は何かと孤独に頑張ってしまいがちです。子育て経験豊富な優しい大家さんが日々子どもたちと接してくれれば、親も子も安心感をもてるでしょう。

【画像9】共有ラウンジ。平日夕方5時まで、用事がなければ大家さんが居ることにしているそう。また住人は毎日夜の10時まで自由に利用することができる(写真撮影/蜂谷智子)

【画像9】共有ラウンジ。平日夕方5時まで、用事がなければ大家さんが居ることにしているそう。また住人は毎日夜の10時まで自由に利用することができる(写真撮影/蜂谷智子)

【画像10】絵本が並ぶ廊下のデスクコーナー。子どもたちはここから読みたい本を選び、借りていく(写真撮影/蜂谷智子)

【画像10】絵本が並ぶ廊下のデスクコーナー。子どもたちはここから読みたい本を選び、借りていく(写真撮影/蜂谷智子)

若者世代にとってシェアする暮らしの一番のメリットは、家賃が安く済むこと。一方で成熟した大人世代がシェアハウスを選ぶのは、家賃の安さよりも、自身がもっているスキルや人脈を分け与える存在、あるいは抱え込んでいる人生の重みを少しだけ支えてくれる存在を、求めているからなのかもしれません。そういったニーズに着目し、個性的なシェアハウスを運営する大家さんは今後も増えていきそうです。

●取材協力
・しぇあひるず ヨコハマ
・MDL Apartment