孤独を癒す地域の食堂、ご近所さんや新顔さんと食卓を囲んでゆるやかにつながり生む 「タノバ食堂」東京都世田谷区

5月は「孤独・孤立対策強化月間」。「孤独ですか?」と聞かれたら、あなたは何と答えるでしょうか。現在、働いていても、家族がいても、友人がいても、内心、孤独を感じている人、将来、孤立するのではという怖れを抱いている人は多いことでしょう。今回はそんな「孤独の解消」を目的に掲げて活動する「タノバ食堂」の講演会と食事会に参加してきました。

地域ですれちがったときに会釈できる。ゆるやかなつながりが孤独を救う

TanoBa(タノバ)合同会社は、「望まない孤独をなくす」を目的に、2023年3月にヤフー・ジャパンの卒業生3名が共同出資してできました。事業の1つ「コミュニティ事業」として毎月、実施しているのが、食事をともにすることでゆるくつながりをつくる「タノバ食堂」です。タノバ食堂が実施されるのは、東京都世田谷区にある野沢龍雲寺の別館・龍雲寺会館。完全予約制で、2023年10月より毎月最終土曜日に行われており、通算5回、約100人の参加があったといいます。料金は参加者が思い思いの金額を支払う自由価格制をとっています。

左から宮本桃子さん、宮本義隆さん、多田大介さん(写真撮影/内海明啓)

左から宮本桃子さん、宮本義隆さん、多田大介さん(写真撮影/内海明啓)

2024年3月30日、TanoBa合同会社の設立を記念して、「望まない孤独を解消するための処方箋~自己責任社会からの脱却~」というイベントが開催されました。
トークイベントに先立ち、まず、TanoBa代表社員である宮本義隆(みやもと・よしたか)さんが、日本の社会の変化や孤独の背景にあるもの、タノバの設立と活動について紹介。誰もが起こり得る身近な問題「孤独」の解決の処方せんになり得ると話すのが「道端ですれ違ったときに会釈できる程度のゆるいつながり」だといいます。そこをつなぐのが、タノバ食堂の役割です。

宮本義隆さんの挨拶(写真撮影/内海明啓)

宮本義隆さんの挨拶(写真撮影/内海明啓)

確かにごはんをいっしょに食べると、「知らない人」から「見たことがある人」「話したことがある人」になります。そうしたゆるいつながりこそが、孤独を癒やし、生きやすい社会をつくってくれる、とのこと。また、この「タノバ食堂」で得た経験値を全国に広げて還元していきたいと話してくれました。

お寺の本堂に約70名の参加者がいます。なかなか見慣れない光景のようにも思えますが、お寺本来の使われ方なのかなとも思います(写真撮影/内海明啓)

お寺の本堂に約70名の参加者がいます。なかなか見慣れない光景のようにも思えますが、お寺本来の使われ方なのかなとも思います(写真撮影/内海明啓)

孤独問題の第一人者と名物編集者の対談は、笑いあり、学びあり、気づきあり

続いて開催されたのが、トークセッションです。登壇者は、24時間365日、無料かつ匿名で相談を受け付けているNPO法人「あなたのいばしょ」の理事長・大空幸星(おおぞら・こうき)さんと新潮社の名物編集者でもあり、出版部部長(現執行役員)中瀬ゆかり(なかせ・ゆかり)さんという異色かつ豪華な2人。会場となった龍雲寺の本堂に老若男女約70名が集まりました。

中瀬ゆかりさん(左)と大空幸星さん(右)(写真撮影/内海明啓)

中瀬ゆかりさん(左)と大空幸星さん(右)(写真撮影/内海明啓)

2020年に相談開始してから、多い時で1日に3000件、累計100万件近く、多くの人の相談に乗ってきた大空さんが、なぜ孤独が問題なのか、その背景にある風潮や思想を紹介します。

「日本では『孤独を愛せ』などというように、孤独が肯定的な文脈で使われることがあります。もちろん望んで孤独になっているという人もいますが、望んでいないのに孤独に陥っている人もいます。問題なのは、この望まない孤独・社会的な孤立です。また、孤独で苦しい、助けて、と言い出せない背景には、新自由主義的な考え方、どこか懲罰的な自己責任論、自業自得的な考え方があるように思います。非正規雇用が増え続けたこの30年間、コロナ禍を経て、ますます人々が置き去りにされ、追い詰められているのではないでしょうか(大空さん)

望まない孤独の背景には、自己責任論、新自由主義的価値観の影響があるという大空さん(写真撮影/内海明啓)

望まない孤独の背景には、自己責任論、新自由主義的価値観の影響があるという大空さん(写真撮影/内海明啓)

続けて、メディアにもたびたび登場する中瀬ゆかりさんが、文学と孤独、人との関係について話します。

「文学と孤独は切っても切れない関係です。陽気で“ウェーイ!”という人に向けての本はあまりなくて(笑)、なにか人によりそう、生きにくさや孤独を抱えた人によりそうのが本であり、文学なんですね。「人生論ノート」などで知られる哲学者・三木清は『孤独は山にない、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。』といいましたが、つながっているように見えても誰にでも孤独は訪れます。自己責任論で片付けるにはあまりにも創造力がないし、短絡的だなと思います」(中瀬さん)

自身の体験を交えながら、孤独や食事、文学について話す中瀬さん(写真撮影/内海明啓)

自身の体験を交えながら、孤独や食事、文学について話す中瀬さん(写真撮影/内海明啓)

そのうえで二人は、孤独の解消に必要なのは、ゆるいつながり、おせっかい、聞く力だといいます。

大空さん「孤独は普遍的な問題で、みなが経験するもの。対処法はひとつではないですし、それぞれの立場でできることをすればいいと思います。ただ、やっぱり、おせっかいも大事なんですね。『どうした?困っている?』という地域の人の声がけられるのは、大きいですよね。また、できることでいうと、私達はとにかく相手の話を聞くこと。肯定すること。ほめてあげることを徹底しています。予防という意味では、やはりゆるいつながりをたくさんもっているのがいいですよね。
また、『僕は本気の他人事』という提唱をしていて。とにかく、人を助けたいという人はがんばりすぎて、自分を犠牲にしてしまうことが多いんです。すると自分の人生を大事にできなくなってしまう。自分を大事にして、余白ができたら手を貸す。その姿勢でよいと思います」

中瀬さん「私自身、パートナーの喪失、愛猫の介護などが押し寄せ、地獄のような日々を送っていました。特にパートナーを失ってからの2年間は、毎日、誰かとご飯を食べる約束をしていたんです。誰かと食事をするとその日、1日は生きていくことができる。こうして2年くらい過ごしたら、生きている人同士だけでなく、死者ともつながりをもてるんだなということに気がついて。遺骨をネックレスにしていたんですが、パートナーの好きだった競馬場にこのネックレスを身に着けていき、競馬を見ていたらつながっているなあと実感しました。
あと、下ネタは話題や人にもよりますが、最強なのではないかと(笑)。すごいラクなんですよ、聞いているほうも話しているほうも。笑った分は救われるではないですが、しょーもない話をしていることで、気持ちがラクになる。難しく追い詰めずに笑うのが力になると思います」

時折、笑いも交えたトーク内容に、多くの人がうなずき、そしてメモをとっていました。

住職からみた「寺」とまち、孤独、つながり。普遍的な宗教の役割とは

トークイベントの最後は、タノバ食堂の場所を提供し、サポートしている野沢龍雲寺 の住職・細川晋輔さんの話です。

人へのあたたかくやわらかなまなざしが印象的な細川住職(写真撮影/内海明啓)

人へのあたたかくやわらかなまなざしが印象的な細川住職(写真撮影/内海明啓)

「タノバ食堂の取り組みというのは、寺院や私たち僧侶にとっても、とても大事な問題だと捉えています。孤独で、苦しみのただ中にいると『死』という選択が光・希望に見えるというお話がありました。そうでなくて、タノバ食堂が提供するようなつながり、孤独でないという思いが『光』になれたらいいなと思います。つらく悲しい選択をしなくてよいように、私たちができることからコツコツと笑顔になっていければと思います」とやさしく語りかけます。

実は、このタノバ食堂、創業者の多田大介さんが野沢龍雲寺のご近所に住んでいたこと、多田さんのいとこが細川住職と知り合いだったことから、「場所を提供する」という話がまとまったといいます。トークイベント終了後、その経緯と手応えを細川住職に聞いてみました。

「タノバ食堂のお話を聞いたときに、まず1回やってみようという話になりました。場所は無料でお貸し出ししていますが、お願いしたことはただ一つ、場所を来たとき以上にキレイにしてください、ということだけです。
本日、参加者が通算100人を超えるということでしたが、まず何千人という数の話ではなく、ムリのない範囲で背負わない程度にやっていけたらいいですよね。これを10カ所でやったら1000人になりますし、100カ所でやったら1万人になりますよ。そうしてゆっくりと、孤立の解消につながればいいですね」といい、できるペースで続けていくことが大切だと話します。

そして、寺院を広く開放するようになった背景をこう話してくれました。

「私が京都の修行を終え、お寺に戻ってきた時のことです。雪の日に子どもたちが雪だるまをつくっていたんですが、声をかけようとしたら子どもは怒られると思ったようで、話ができなくて。お寺には入っていけないと言われているし、声がけをしたら怪しまれる。時勢柄、今の社会はよいようで、やはりこれではよくない。そこで境内にベンチを置いて、花見とライトアップ、盆踊り、ヨガや座禅会なども行っています。昔のお寺にあった地域に開かれた場所というのを今、意識的に行っているんです。みなさんもカフェを訪れる感覚で、お寺を訪れてもらえたらうれしいです。東京にもたくさん寺院はありますので」(細川住職)

寺院、お寺、宗教というと、閉ざされた神聖な場所をイメージしますが、もともとは行政や病院、学校、裁判のような多数の人に開かれた場所でもありました。細川住職が理想として思い描くのは、やはり開かれて、ゆるくつながる場所としての「寺院」の存在です。

トークイベント終了後には参加者と記念撮影(写真撮影/内海明啓)

トークイベント終了後には参加者と記念撮影(写真撮影/内海明啓)

「タノバ食堂さんが目指すように、やはりご近所さんとは会ったら挨拶できる関係がよいかなと思います。散歩している人には結構、喋りかけることも多いですね。もちろん返してくれない人、嫌がる人もいますけど(笑)。この根底にあるのは、『まわりに迷惑をかけていけない』という考え方なんでしょう。でも、いいんです、迷惑をかけて。生きるっていうことは迷惑をかけることなんです。迷惑をかけてもいいと思えば、みなさん少しラクになるのではないでしょうか」と、細川住職。

私たちの多くは、小さなころから何度も「まわりに迷惑をかけるな」といわれて育ちます。だからこそ、迷惑をかけずにひっそりと暮らさなくてはいけない、苦しくても助けてといえない、「静かな圧力」になっている側面もあるのでしょう。ご住職の「そもそも人は迷惑をかけるもの」という捉え方に、肩の力が抜ける思いがします。

老若男女が食事を楽しむ。会話が苦手な参加者も自然になじむ

トークイベント終了後、場所を「龍雲寺会館」に移し、「タノバ食堂」が17時30分から開店しました。今回は常連さんから初参加者に加え、大空さんと中瀬さんを含め、老若男女で食卓を囲みます。メニューはちらし寿司など春を感じさせるもので、今回はアルコールはなしですが、アルコールが飲めることもあります。

ボランティアの料理人さんを紹介。海外出身の方もおり、会場からは驚きの声が上がっていました(写真撮影/内海明啓)

ボランティアの料理人さんを紹介。海外出身の方もおり、会場からは驚きの声が上がっていました(写真撮影/内海明啓)

タノバ食堂の約束をまとめた「タノバ食堂の憲章」。9番目の「来た時よりも美しく、残すものは感謝のみ」は、会場を提供する細川住職の唯一のお願い(写真撮影/内海明啓)

タノバ食堂の約束をまとめた「タノバ食堂の憲章」。9番目の「来た時よりも美しく、残すものは感謝のみ」は、会場を提供する細川住職の唯一のお願い(写真撮影/内海明啓)

今回の献立は、ちらし寿司に筑前煮など。「取り分け」があるので、コミュニケーションのきっかけにもなります(写真撮影/内海明啓)

今回の献立は、ちらし寿司に筑前煮など。「取り分け」があるので、コミュニケーションのきっかけにもなります(写真撮影/内海明啓)

「いただきます!」の挨拶をしたら、参加者は思い思いの会話をし、盛り上がっていました。参加していたのは40人ほどで、年齢性別、属性も異なり、講演会に参加していた人からさらにバラエティー豊かな顔ぶれに。その様子はまるで古くからの友人のよう。初対面の人に話しかけたり、名前と顔を覚えたりするのが苦手な筆者からすると、「みなさん、コミュニケーション能力高すぎでは?」と思っていました。ただ、食事会にも参加した大空さんによると、そうでもないようです。

食事会の様子。年齢・性別もばらばらですが、会話が弾んでいます(写真撮影/内海明啓)

食事会の様子。年齢・性別もばらばらですが、会話が弾んでいます(写真撮影/内海明啓)

発起人である多田さんも、もちろん参加します(写真撮影/内海明啓)

発起人である多田さんも、もちろん参加します(写真撮影/内海明啓)

食事会にも参加した大空さん。箸を進めつつ、会話をしていきます(写真撮影/内海明啓)

食事会にも参加した大空さん。箸を進めつつ、会話をしていきます(写真撮影/内海明啓)

「僕と同じテーブルになった方は、実はコミュニケーションが苦手で今日、ここに来るかどうかもすごい迷ったらしいんです。ただ、ここは食べるのがメインだから、あんまり重く受け止めなくていいと言っていました」と大空さん。会話が苦手な人はおかずを取り分けたり、会話の聞き役にまわったりとなじんでいるよう。みなさん会話が得意な人というわけではなく、あくまでも「食事メインだから」というのがよいようです。

途中、今回が2回目の参加という30代女性に話を聞きました。
「前回が楽しかったので、2回目の参加です。1カ月に一度というペースもちょうどよいですし、孤独というテーマにも興味があって。手づくりの食事を食べて盛り上がるだけなので、がんばらずに参加できるのがいいなと。リアルのつながりと、オンラインのつながり、どちらも大切。居場所があるといいなと思います」と感想を教えてくれました。

にこやかな中瀬さん。昔からの友人かのように盛り上がっていました(写真撮影/内海明啓)

にこやかな中瀬さん。昔からの友人かのように盛り上がっていました(写真撮影/内海明啓)

会話が苦手という人もいて、勇気をふりしぼって参加したという方も。みんながみんな会話上手、盛り上げ上手というわけではないようです(写真撮影/内海明啓)

会話が苦手という人もいて、勇気をふりしぼって参加したという方も。みんながみんな会話上手、盛り上げ上手というわけではないようです(写真撮影/内海明啓)

また、地元町内会で、毎回、「タノバ食堂」に参加しているという70代女性によると、この世田谷区野沢という地域は「まだつながりが残っている」とのこと。

「ご住職さんともつながりがあるし、近隣での声がけもまだ残っている地域です。ただ、この数年、コロナ禍で人と会えなくなり、だいぶ寂しかったですね。高齢だと人と会わず、話さなかったことで、気持ちも足腰も弱まり、元気を失ってしまった人もたくさんいるんです。タノバ食堂のように、地域の人、そして普段会わない人が集えるのはとてもいい。いつものメンバーだと会話もあきてしまうでしょ(笑)。新鮮な気持ちになるし、元気をもらえる。続けて参加して応援できたらと思います」といい、地域の協力・理解も得られているようです。

第二次世界大戦後から高度経済成長期、バブル経済崩壊などを経て、家族のあり方、ご近所付き合い、親戚づきあい、自治会や町内会、学校やPTA、会社の社員同士など、今まであったつながりも急速に衰えてしまいました。助けて、と言えない「孤独」「孤立」は、まさに誰もが陥るのだと思います。ただ、一方で、「ご近所と仲良くなりましょう」「助け合い」「絆」といわれてしまうと、「合わない人がいるかも」と気が引けてしまいます。「月1度、ご飯を食べるだけ」そんな気楽な会であれば、きっとつながれる人もいることでしょう。

仏教に由来する言葉のひとつに、「袖振り合うも多生の縁」という言葉があります。「多生」は仏教語で前世を意味し、袖が触れ合うようなちょっとした出会いも、過去の縁によって起きるという考え方です。自分も大事にしながら、人や人との縁を大事にしていけたら。そう考えれば、未来は今より少しだけ生きやすいものに変えていけるのかもしれません。

●取材協力
タノバ食堂

7歳の目線で大人が学ぶ「熱中小学校」、運動会や部活動に再燃。移住、転職、脱サラ起業など人生の転機にも 北海道「とかち熱中小学校」

「もういちど7歳の目で世界を…」を合言葉に、大人が学ぶ社会塾「熱中小学校」。2024年2月までに日本全国のさまざまな地域、さらに米国シアトルを加えた計24カ所で開校した実績があり、現在も1,000人を超える生徒が学んでいる。今回筆者は、北海道初の熱中小学校として2017年に誕生した「とかち熱中小学校」(帯広市)の授業を体験。学びに来たはずが、なぜか雪原にダイブしたり、上空800mを飛ぶことに!? 年齢や地域の垣根を超えて生徒が集う、一風変わった「小学校」に潜入します。

熊本県と北海道の距離を超え、「共生」について考えた

チャイムが鳴り、「起立」の号令がかかると、さっきまでのガヤガヤした教室のムードは一瞬でピリッとした空気に変わった。どこにでもある小学校の授業前のワンシーン。でも、ちょっと違う。そこにいるのは下は24歳から上は73歳まで年齢もさまざまな大人たちだ。
この日の「とかち熱中小学校」の会場は北海道の帯広畜産大学。階段状の教室には約50人の生徒が詰めかけていた。

筆者が聴講したのは「共生」の授業。講師は、熊本県戸馳島(とばせじま)で洋ラン農園を営む宮川将人さんだ。
授業は宮川さんの自己紹介から始まった。花農家の3代目として生まれた宮川さんは「サイバー農家」の道を切り開くため、洋ラン業界では前例のなかったネットショップ開設に挑み、日本最大級のECサイトで売上1位の商品を生み出すまでに。ところが34歳のときに過労で倒れ、生死をさまよった経験から「今日が最後の一日だったら何をするか」を自問自答。地域愛が自分の軸としてあることを悟り、地域の活性化に力を注ぐことを決意する――と、かなりかけ足で書いてしまったが、失敗談も惜しみなく披露する宮川さんの講義に、会場は終始温かい笑いに包まれっぱなしだった。そうした中でも、宮川さんが半生を振り返る中で得た教訓「成功の反対は何もしないこと」は、生徒の皆さんの胸に届いたはずだ。

「農家は楽しすぎる」と話す宮川将人さん。前向きに自分らしく、が宮川流(撮影/岩崎量示)

「農家は楽しすぎる」と話す宮川将人さん。前向きに自分らしく、が宮川流(撮影/岩崎量示)

授業後半は、宮川さんのもうひとつの顔「くまもと☆農家ハンター」の話。
農作物のイノシシ被害に向き合い、「災害から地域を守る消防団」のように若手農家有志が取り組む農家ハンター事業が紹介された。捕獲したイノシシを恵みととらえて食肉などへの有効活用を探る中で、イノシシ対策を進めながら耕作放棄地再生や担い手育成につなげるという持続可能な地域づくりのヒントが語られた。人間と野生生物との共生は、エゾシカ被害に悩む北海道にとっても共通したテーマだ。「とかち熱中小学校」の生徒には農家も多く、授業後の質問の多さからも関心度の高さが伺えた。

宮川さんの話に引き込まれる生徒の皆さん(撮影/岩崎量示)

宮川さんの話に引き込まれる生徒の皆さん(撮影/岩崎量示)

1日の授業は2コマ。この日のもうひとコマは「社会」で、こちらはSUUMO編集長の池本洋一氏が先生として登壇した。

教壇に立つ池本編集長。「メディアが取り上げたくなる」をキーワードとしながら、全国のさまざまな街づくりの事例を紹介した。よく見ると傍らにはスーモの姿が(撮影/岩崎量示)

教壇に立つ池本編集長。「メディアが取り上げたくなる」をキーワードとしながら、全国のさまざまな街づくりの事例を紹介した。よく見ると傍らにはスーモの姿が(撮影/岩崎量示)

惜しみなく全力で教えてくれる先生と、7歳のままの好奇心を持ち続ける生徒と

「とかち熱中小学校」の授業は、主に週末の午後に開かれる。半年間を1期として、授業は全8回。生徒になるには申込みが必要で、授業料は1期15,000円(※)だ。「とかち熱中小学校」の運営は主に生徒の授業料でまかなわれている。ちなみに「とかち」を謳ってはいるが、「学区」は十勝エリアに限られているわけではなく、札幌や東京にも生徒はいる。授業はZOOMで配信され、オンラインで出席することも可能だ。
※自治体から助成が受けられる町村もある。なお授業料は各校で異なる

授業の内容は毎回変わり、さまざまな分野で活躍する先生を、地元を含む全国各地から招いて実施する。現在までにのべ344名の先生が教壇に立った(2024年3月時点、課外授業含む)。「世界最高齢」プログラマーとして知られる若宮正子さんや、日本の音楽を世界に発信するピーター・バラカンさんなど、そうそうたる面々だ。

さてその先生だが、全員がボランティアと聞いて驚いた。たっぷり1時間を超える授業に加え、ここは北海道十勝。移動を考えれば少なくとも丸2日間は拘束することになる。先生を引き受ける側もそれ相応の負担を強いられるわけで、熱中小学校への理解と想いがなければ務まらない。
そうした先生の選定や調整を担うのが、「とかち熱中小学校」を運営する一般社団法人北海道熱中開拓機構だ。理事長の木野村英明さんと業務執行理事の亀井秀樹さんに話を聞いた。

一般社団法人北海道熱中開拓機構の木野村さん(左)と亀井さん(撮影/岩崎量示)

一般社団法人北海道熱中開拓機構の木野村さん(左)と亀井さん(撮影/岩崎量示)

「私たちは全国の熱中小学校と連携して350名を超える講師陣リストを共有し、各地域の学校がカリキュラムに合わせて先生をお招きしています。リストとは別に、各校が独自に先生をスカウトする場合もあります。私がお声がけするときの基準は、ワクワクできるかどうか。生徒全員がビビッと来る必要はないけれど、一人でも二人でも、その生徒の人生を変えちゃうような先生を呼ぶことができたらいいなと思って依頼しています」(木野村さん)

そもそもどうして「とかち熱中小学校」はスタートしたのか?

「最初の熱中小学校が山形県高畠町に誕生したのは2015年です。日本IBMの常務を務めた堀田一芙さんが立ち上げました。木野村さんと僕は、設立前にある講演会で堀田さんからこのプロジェクトのことを聞き、都心ではなく地域からこういう動きが生まれるのはすごいなと思って注目していました。その後、熱中小学校を全国に展開することになり、僕たちに声をかけてくれたというのが始まりです」(亀井さん)

こうして2017年春に「とかち熱中小学校」は開校(当初は十勝さらべつ熱中小学校)。半年ごとに生徒を募り、13期目を迎えた。現在は10代~80代の134名が登録する。このうち新入生は2割ほどで、2割は首都圏など十勝以外の地域から受講。平均年齢は44.7歳で全国平均(53.8歳)よりも若い。生涯学習を目的に参加する人のほかにも、起業を目指して通う人、Uターンや2拠点生活を始める前に人脈づくりをしておきたい人など、動機はさまざま。過去には、授業のたびに横浜から飛行機で通学し、ついには夫妻で中札内村に移住した生徒もいる。ちなみにその方はその後、熱中小学校で知り合った映像作家とタッグを組み、現在は広大な雪原に足跡で作品を描くスノーアーティストとしても活躍しているそうだ。

「年齢も職業も異なるいろんな人たちが集まって、刺激を受け合い、お互いにできることを補完して新しいものが生まれています。中にはここでやりたいことを見つけて脱サラし、起業に向けた準備を進めている人もいます。熱中小学校の先生に感銘を受け、その会社に就職した人もいました。一緒に学ぶ仲間がいれば心強いし、新しい挑戦にも背中を押してもらえます。ここに集まるのは、好奇心を7歳のまま持ち続けている人たちなんです」(亀井さん)

授業の後に開かれた懇親会は酪農が盛んな十勝らしく牛乳で乾杯!(撮影/岩崎量示)

授業の後に開かれた懇親会は酪農が盛んな十勝らしく牛乳で乾杯!(撮影/岩崎量示)

授業は帯広畜産大学の教室を借りて行われるが、帯広畜産大学に通う学生にとっても良い影響があると語るのは、同大学の学長であり、「とかち熱中小学校」の校長を務める長澤秀行さんだ。
「うちの学生は約7割が道外からやってきます。何も知らずにこの土地に入ってくる。そうしたときに熱中小の先生や生徒とつながることはすごく大切です。学生にはできるだけ熱中小に参加してもらいたいので、学生は無料で授業が受けられるようにしています。そして一方で、十勝を代表するような企業や、十勝を拠点にがんばっている企業の社長さんにも先生として来てもらっています。最高のキャリア教育の場です。学生たちにはローカルの魅力にたくさんふれて、十勝、北海道が大好きになり、卒業後もここに残って暮らしたい、地域で活躍したいと思ってくれたらうれしいですね」

「十勝には前向きで好奇心旺盛な人が多い」という長澤さん(撮影/岩崎量示)

「十勝には前向きで好奇心旺盛な人が多い」という長澤さん(撮影/岩崎量示)

大人が本気で雪遊びを楽しむ熱中雪中運動会

「とかち熱中小学校」には、学校と同じく運動会もある。
授業の翌日、取材チームは雪中運動会に参加した。氷点下の雪原で行うクレイジーな運動会に。

雪の中の運動会とあって競技も極めてユニークだ。チームでひたすら雪玉をつくる「雪玉づくり競争」(十勝のパウダースノーはサラサラ過ぎて固まりづらい)、玉入れならぬ「雪玉入れ」、ビーチフラッグスをモチーフにした「スノーフラッグ」、ソリを引くスピードを競う「ソリリレー」といった具合に。ルールづくりをはじめ、運営は「とかち熱中小学校」の生徒が主体的に行う。そのねらいを木野村さんに聞くと、次のように話してくれた。

「テーマはチームビルディングとルールメイキングです。毎年、実行委員会を一から立ち上げて運営する。そして競技のルールを決める。自分たちがつくったルールに基づいて、意図したとおりにみんなが動いてくれるか。動いてくれないのか。チームビルディングとルールメイキングを学ぶ実践の場として、運動会は一番手っ取り早いんです」

足元の不安定な雪の上での雪中綱引き。応援にも熱が入る(撮影/岩崎量示)

足元の不安定な雪の上での雪中綱引き。応援にも熱が入る(撮影/岩崎量示)

クイズの答えが書かれた旗をもぎ取るスノーフラッグ。明日は筋肉痛確定(撮影/岩崎量示)

クイズの答えが書かれた旗をもぎ取るスノーフラッグ。明日は筋肉痛確定(撮影/岩崎量示)

ご近所さんも、初めましての人も、同じチームに。いつしか芽生える団結力(撮影/岩崎量示)

ご近所さんも、初めましての人も、同じチームに。いつしか芽生える団結力(撮影/岩崎量示)

実行委員長を務めた小谷文子さんに話を聞いた。小谷さんは更別村の大規模農家コタニアグリの奥さまで、「とかち熱中小学校」の立ち上げから関わる「コア生徒」の一人だ。
「この日のために3カ月前から準備を進めてきました。熱中小学校の生徒29名が今回の実行委員会に参加していますが、みんな仕事がある中で何度も会議を行い、協賛金を集め、広報活動をしてきました。それぞれ得意なことを役割分担して、みんなで知恵を出し合って、今日を迎えました。忙しくても協力を惜しまない、全力で楽しむというのは熱中小学校ならではですよね。今回、5年目にして初めて参加者が100名を超えました。雪中運動会が地域に受け入れられてきているのを実感しています。熱中小学校の関係者だけじゃなく、いろんな人を巻き込んで、つながって、楽しさを広げていくことが大事だと考えています」

実行委員長の小谷文子さんは、「いい天気で本当に良かった」と胸をなで下ろす(撮影/岩崎量示)

実行委員長の小谷文子さんは、「いい天気で本当に良かった」と胸をなで下ろす(撮影/岩崎量示)

……飛んでる?(撮影/岩崎量示)

……飛んでる?(撮影/岩崎量示)

参加者みんなで「ハイ、とかちー!」。子どもも大人もがんばった!(撮影/岩崎量示)

参加者みんなで「ハイ、とかちー!」。子どもも大人もがんばった!(撮影/岩崎量示)

こうした課外活動は雪中運動会にとどまらない。熱中小学校には生徒が自主的に取り組む部活動もある。これまでにピザ部、クレヨン部、豆研究会などさまざまな部活動が生まれた。今年度は新たに雪像部が結成された。

(提供/とかち熱中小学校雪像部)

(提供/とかち熱中小学校雪像部)

(提供/とかち熱中小学校雪像部)

(提供/とかち熱中小学校雪像部)

「おびひろ氷まつり」の会場にスーモ、スモミ、ドンスーモが! 雪像部の皆さん、ありがとうございました!!(提供/とかち熱中小学校雪像部)

「おびひろ氷まつり」の会場にスーモ、スモミ、ドンスーモが! 雪像部の皆さん、ありがとうございました!!(提供/とかち熱中小学校雪像部)

上空800mを新しい観光地に!

実は雪中運動会が行われた日の早朝、取材チームは亀井さんの勧めで熱気球フリーフライトを体験した。それというのも、熱中小学校の生徒さんがパイロットだからだ。

左から2番目が「十勝空旅団(そらたびだん)」代表の篠田博行さん(撮影/岩崎量示)

左から2番目が「十勝空旅団(そらたびだん)」代表の篠田博行さん(撮影/岩崎量示)

篠田さんはパイロット歴36年のベテラン操縦士。長年趣味で熱気球を楽しんでいたが、3年前から副業で観光フリーフライトを始め、2023年3月に32年間勤めた郵便局をすっぱり辞めて本格事業化した。熱気球のフリーフライトサービスを行う民間企業は、十勝でも2社しかないという。ほとんど前例がない中での船出(離陸?)だった。

「昔は競技に夢中になった時期もあったんです。ただ、競技用のバルーンはスムーズな上昇や下降が求められるので機体が小さく、基本は一人乗りなんですね。競技そのものは楽しいけど、空の上では一人きり。一人でボウリングをやって、ストライクを取っても振り向いたら誰もいない、みたいな。『空を共有したい』というのが、観光事業を始めたきっかけです」

球皮の中の空気を温めて浮力を得る熱気球。準備段階から体験できるのがうれしい(撮影/岩崎量示)

球皮の中の空気を温めて浮力を得る熱気球。準備段階から体験できるのがうれしい(撮影/岩崎量示)

球皮の中に特別に入れてもらって記念撮影。一番右は、今回の先生を務めた宮川さん。楽しんでます(撮影/岩崎量示)

球皮の中に特別に入れてもらって記念撮影。一番右は、今回の先生を務めた宮川さん。楽しんでます(撮影/岩崎量示)

事業を始めて気づいたことがある。「お客さんの9割は道外の方です。800mの上空に行くとみんな、だだっ広い畑やまっすぐの道を見て感動するんですね。『何もなくていい』。東京の人はそう言います。ここで育った僕にはその価値がわかっていなかったんです」

音更の街並みを眼下に上昇する熱気球。この日は日高山脈が美しかった(撮影/岩崎量示)

音更の街並みを眼下に上昇する熱気球。この日は日高山脈が美しかった(撮影/岩崎量示)

篠田さんは2023年秋、知人に誘われて「とかち熱中小学校」に入学した。
「自分が知らない世界、知らないキャリアの話を聞くのはびっくりの連続ですよね」

熱中小学校が縁で新しいプロジェクトもスタートした。
「熱中小でこれよりも大きな気球を持っている方がいて、共同で新しい熱気球ビジネスを開発中です。10人乗りの熱気球にシェフを乗せて空の上でレストランを開店したり、スノーアーティストと組んでサプライズプロポーズを演出したり。空の上から大地を見たら雪原に『WILL YOU MARRY ME?』なんて描いてあったら盛り上がるでしょ。空を飛ぶ楽しさをどんどん広げたいし、どんどんたくさんの人と共有したい」。篠田さんの夢も大きく膨らむ。

「とかち熱中小学校」の一日入学(+課外授業)を体験して印象的だったのは、先生も生徒もごちゃ混ぜになって心底、学校を楽しむ姿だった。年の差を超えて笑い合い、地域差を超えて共通の話題で盛り上がる。多様性という言葉がぴったりな同級生たちが磁場となって、これからも十勝管内はもとより、東京や札幌からも人を引き寄せていくのだろう。「十勝に熱中小学校があることが地域の強みになるように、こうした場を提供し続けることが大切」と亀井さんは言う。

2024年4月に7周年を迎える「とかち熱中小学校」。5月には初めての学校祭も計画している。「内容はこれから」とのことだが、ユニークで熱い学校祭になることだけは間違いない。

●取材協力
とかち熱中小学校

食の工場の街が「食の交流拠点」にリノベーション! 角打ちや人気店のトライアルショップ、学生運営の期間限定カフェなどチャレンジいっぱい 福岡県古賀市

リノベーションの魅力や可能性を広く発信するアワード「リノベーション・オブ・ザ・イヤー」。2023年度、連鎖的エリアリノベーション賞というユニークな名前の賞を受賞したのが、JR古賀駅西口エリアの商店街を中心に展開されている「食の交流拠点」の整備を中心としたエリアリノベーションだ。エントリーの際の作品名には「お手本のようなエリアリノベーション」とも掲げられているプロジェクト。どんなまちのリノベーションが行われているのか。その全貌を知るために、西口エリアへ足を運んでみた。

(株式会社ヨンダブルディー)

(株式会社ヨンダブルディー)

シャッター商店街に新たな点と線を

福岡市に近接する利便性と豊かな自然を併せ持ち、県内有数のベッドタウンとして人気の古賀市。市内にはJRの駅が3つ、九州自動車道の古賀インターチェンジなどもあり、JR及びマイカーでのアクセスの良さが魅力。まちの中心にある西口エリアは、かつて商機能の集積地として栄えていた。インターネット消費が盛んになったライフスタイルの変化に加え、国道3号・国道495号沿いにIKEAをはじめ大規模な集客施設が進出。ここ数年、商機能の拠点が大きく変化してきた。また、福岡の私鉄「西鉄宮地岳線」の最寄駅が廃駅になったことや、JR古賀駅に連絡橋がかけられ駅の東側からも行き来ができるようになったことが人の流れに大きな打撃を与えている。店主の高齢化が進みシャッター商店街となった西口エリアをなんとか再起させることはできないか。住民はもちろん、行政の中でも大きな課題となっていた。

JR古賀駅の西口周辺(写真撮影/加藤淳蒔)

JR古賀駅の西口周辺(写真撮影/加藤淳蒔)

まちおこし請負人木藤亮太さん率いるチームがプロポーザルに参加

古賀駅の待ち合わせ場所で、まず満面の笑顔で取材チームを出迎えてくれたのがこのまちの首長こと田辺一城市長だ。聞けばこのまちには「#市長と気軽に会えるまち」というハッシュタグが存在するぐらい、抜群のフットワークの持ち主だ。もともと、このエリアで生まれ育ったという田辺市長。市長就任後に、商店街の状況に対策を打つために取り組んだのが、エリアマネジメントのプロポーザル企画だ。

写真左から田辺一城市長、プロジェクトマネージャーの橋口敏一さん、設計担当の田村晟一朗さん、プロデューサーの木藤亮太さん。官民の近さもプロジェクトの推進力になっている(写真撮影/加藤淳蒔)

写真左から田辺一城市長、プロジェクトマネージャーの橋口敏一さん、設計担当の田村晟一朗さん、プロデューサーの木藤亮太さん。官民の近さもプロジェクトの推進力になっている(写真撮影/加藤淳蒔)

希望は広がる一方で、ハードルも高いこのプロポーザルに立ち上がったのが、まちづくり界隈で一目置かれる木藤亮太さん率いるチームだ。木藤さんといえば、“猫も歩かない”と言われた宮崎県日南市の油津商店街を再生したことで、「地方創生」の成功事例として全国区で高い評価を得ている。その後も福岡県那珂川市をはじめ九州各地でのプロジェクトや、全国でまちおこし請負人として活躍している。

3年間の任務の間に自走できる流れをつくる

プロポーザルでは、どんな提案をしたのか?そんな質問に木藤さんがゴソゴソと取り出してきたのが、手書きの文字が一面に記された大きな模造紙だ。まさに、プロポーザル提案時に使った資料であり、まちの人たちへの説明にも使われた資料なのだそう。そこには、3年間でどうまちを変化させるのかが、模造紙いっぱいに手書きで記されている。行政の事業は多くが3年程度を区切りにしている。しかし、エリアリノベーションの土壌づくりは、3年で終わるものではない。そこで、木藤さんたちが大切にしたのが「自走できる仕組みをつくる」こと。3年間の流れを記したスケジュールは、模造紙におさまりきれない。その後、さらに自走へと繋がっている。

(写真撮影/加藤淳蒔)

(写真撮影/加藤淳蒔)

あえてアナログな手書きの企画書が、まちの未来図となっている(写真撮影/加藤淳蒔)

あえてアナログな手書きの企画書が、まちの未来図となっている(写真撮影/加藤淳蒔)

30代のプレイヤーが活躍できる場のフレームを

フレームをつくるにあたってのヒアリングで気づいたのは、30代ぐらいの若いプレイヤーが、あまり関われていないこと。そこで、そういう世代が動きだすきっかけとなる“活躍の場”をつくることの大切さを感じたという木藤さん。地元の若手を含めたメンバーで、まちづくりの運営会社を立ち上げることにする。4WDと書いて「ヨンダブルディー」と読むその会社の主要メンバーは、木藤さんチームのメンバーが2名に、Uターンで家業を継いだ6代目の店主、古賀を拠点に動画マーケティングやシティプロモーションを手がける会社を経営する計4名だ。よそ者・わか者をうまくブレンドした運営体制を立ち上げたことで、特定の誰かだけではなく、誰でも関われる余白のあるリノベーションに取り組む狼煙を、しっかりと上げたわけだ。

まちづくり運営会社、株式会社ヨンダブルディーの立ち上げ時の様子(写真撮影/株式会社ヨンダブルディー)

まちづくり運営会社、株式会社ヨンダブルディーの立ち上げ時の様子(写真撮影/株式会社ヨンダブルディー)

ところで、コンセプトとして掲げる「食の交流拠点」とはどういう意味をもつのか?それを紐解く鍵は、古賀市の産業構造にある。全国区で有名なドレッシングを手掛ける工場や、ローカルで人気のインスタントラーメンの工場、全国区のパンメーカーの製造工場など、食料品製造品出荷額は県内2位という現状がある。また、プロジェクトの初期に「地元にどんな場所があったらいい?」と地道なヒアリングを行ったところ、住民から口を揃えてでてきたのが「もう少し気軽でカジュアルに食を楽しめる場所が欲しい」という声。さらに、ヨンダブルディーのメンバーの一人、ノミヤマ酒販の許山さんがもつ、これまでの商売の中で大切に構築してきた生産者や飲食事業者とのつながりを活かすことができる。そんな、古賀市に根付く食の文脈を取り入れているというわけだ。

ノミヤマ酒販の角打ちコーナーは、お酒をきっかけに人と人との出会いを楽しむことができる(写真撮影/橋口敏一)

ノミヤマ酒販の角打ちコーナーは、お酒をきっかけに人と人との出会いを楽しむことができる(写真撮影/橋口敏一)

食の交流拠点施設「るるるる」の立ち上げ

1年目の信頼関係の構築を経て、2年目に着手したのは拠点づくり。
その一歩となったのが、レンタルシェアスタジオとしてサブリースをはじめた社交場の意味をもつ「koga ballroom(コガボールルーム)」だ。もともと長年、社交ダンスの教室として借りていた方が、生徒の高齢化とコロナ禍による生徒数の減少によって手放そうとしていた物件を借り直してリノベーション。若者のダンススペースや子育てママのサロンやヨガ教室など多目的で利用できる「まちの社交場」をコンセプトとしたシェアスペースとして運用している。もともと社交ダンス教室を運営していた先生も、時間貸しで再び利用してくれている。

(写真撮影/橋口敏一)

(写真撮影/橋口敏一)

ヨガやダンススタジオだけでなく、イベントの拠点としても活用されているkoga ballroom(写真撮影/橋口敏一)

ヨガやダンススタジオだけでなく、イベントの拠点としても活用されているkoga ballroom(写真撮影/橋口敏一)

次に元化粧品店だった空き店舗を活用して、旗印を掲げたのが「まちの企画室」。メンバーの橋口敏一さんは一時、この場所の2階に住居まで移して、住民との交流を深めていた。

(写真撮影/橋口敏一)

(写真撮影/橋口敏一)

地元の高校生や大学生の期間限定カフェなどもこのまちの企画室で行われている(写真撮影/橋口敏一)

地元の高校生や大学生の期間限定カフェなどもこのまちの企画室で行われている(写真撮影/兒玉健太郎)

そして、エリアリノベーションのシンボルとして完成させたのが食の交流拠点施設「るるるる」だ。
駅前の商店街通りを少し入ったところにある「るるるる」の建物は、もともと、音楽教室として使われていた物件だ。設計に加わったのは、リノベーション・オブ・ザ・イヤーの受賞でも常連の、リノベーションを得意とする建築家・タムタムデザインの田村晟一朗さん。もともとピアノ5台ほどが備えられていた教室だったので、それなりに広さのある建物だ。ここでは、気軽に食を楽しめる場をつくれるように、あえて出店者の敷居を低くするための工夫がいくつか施されている。

タムタムデザイン田村さん(写真右)によって建築が進められている様子(写真撮影/橋口敏一)

タムタムデザイン田村さん(写真右)によって建築が進められている様子(写真撮影/橋口敏一)

音楽教室の面影を残しながらも、大きく変化した「るるるる」外観(写真撮影/加藤淳蒔)

音楽教室の面影を残しながらも、大きく変化した「るるるる」外観(写真撮影/加藤淳蒔)

ひとつが、一階の大きなスペースを占めるシェアキッチンとイートインスペースだ。シェアキッチンは、日替わりや短期間で利用可能なスペース。近隣の人気店が期間限定で出店したり、飲食をはじめたい人のトライアルスペースになったりもする。利用料はキッチンスペースぶんだけ、食事のできるイートインスペースはお客に自由に使ってもらえる仕組みとなっている。ただ、ここを使えるのはシェアキッチンのお客だけではない。ヨンダブルディー直営のパン販売ショップのお客も使えるし、一階角の小さなスペースを賃貸するスコーンとハンドメイドのアクセサリー店「jugo.JUGO(じゅごじゅご)」さんで買ったものも食べられるし、時には1階に入居する洋風居酒屋「bar ponte(バルポンテ)」の団体客が利用することもできる。さらには、打ち合わせで使う人もいれば、お茶を飲みながらのんびりおしゃべりも楽しむことができる。ほどよく自由な空間が、いろいろな交流を生み出そうとしている。ちなみに、2階は音楽教室や洋服のリフォーム店、写真家のアトリエやドローンのプログラミングスクールを運営する事務所などが入居。一部屋はもともとの音楽教室だった時代にピアノの講師として通っていた先生が再度利用している。

るるるるの室内。写真手前が誰でも使えるフリースペース。奥に備えられているのがシェアキッチン(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。写真手前が誰でも使えるフリースペース。奥に備えられているのがシェアキッチン(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。商店街に面する食物販ショップではパンや雑貨が販売されている。食物販ショップをヨンダブルディーが直接運営することで、リアルな接客の中からまちづくりのニーズをヒアリングしている(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。商店街に面する食物販ショップではパンや雑貨が販売されている。食物販ショップをヨンダブルディーが直接運営することで、リアルな接客の中からまちづくりのニーズをヒアリングしている(写真撮影/大田聖)

ただ、ヨンダブルディーで目指しているエリアリノベーションは、決してこれらの場所のにぎわいを生み出すことだけではない。いくつかの点を根付かせて繋いでいくことで、エリア全体の回遊の楽しさを深めることにある。こうした地道な活動をいくつも重ねていく中で、最初は距離を置いて見守っていた住人の人たちもだんだんと交流をもってくれるようになってきた。地元の方から「先代から継いだ大切な建物を手放したいけれど、どうにかならないか?」などの声をいただくことも増えてきた。そこで、場所と入居したい人とをつなぐリーシング的な役割も出てきた。最近は、書店が出店したり、アメリカンダイナーの出店が決まったり、着実にエリアの活性化が広がろうとしている。

関係者がこれからの課題として口にしているのが、持続性だ。地域の人はもちろん、外の人も訪れて多様な交流が生まれるのが理想。しかし、もともと衰退が進んでいる商店街。魅力的で面白いコンテンツを提供していかないと、なかなか足を運んでもらえない。まちづくりは立ち上げるだけでなく、継続的な運営によって思いをつなぎ、小さくても一歩一歩進んでいくことが重要。その一歩一歩の手がかりになりそうなのが、最初に見せてもらった大きな模造紙のようだ。思いの原点であり、まちの変化を記録しつづける大きな地図。時々振り返りながらも、掲げる目標へ向かってまっすぐ歩み続ける。古賀のエリアリノベーションは、日本の商店街にも大きな活路を見出してくれそうな「お手本のような」プロジェクトであった。

駅前にオープン予定の新店舗。ヨンダブルディーが、空き家と新しい運営者につないだ事例のひとつ。「何ができるの」と、地元の人たちも興味津々(写真撮影/加藤淳蒔)

駅前にオープン予定の新店舗。ヨンダブルディーが、空き家と新しい運営者につないだ事例のひとつ。「何ができるの」と、地元の人たちも興味津々(写真撮影/加藤淳蒔)

●取材協力
株式会社ヨンダブルディー
株式会社タムタムデザイン

人口減エリアの図書館なのに県外からのファンも。既成概念くつがえす「小さな街のような空間」の工夫がすごすぎた! 静岡県牧之原市

“最寄駅がない―”静岡県牧之原市にある図書交流館「いこっと」が話題です。人口減に悩まされる街の小さな図書館が、複合施設内にテナントとして移転し、拡大オープンしたのは2021年のこと。2年後には累計来館者数が25万人を突破しました。市内はもとより、市外や県外などの遠方から足を延ばす人がいるほどです。人口減少エリアの図書館がなぜこれほどにぎわいを創出し、街の中心地に変化をもたらしたのでしょうか。

買い物客と入り混じる、パブリックな図書交流空間

静岡県牧之原市は、県・中央部の沿岸沿いにある人口約43,000人の小さな街。2005年に、旧・相良町と旧・榛原町の2つの町が合併して誕生した市の中心部には、大型複合施設「ミルキーウェイショッピングタウン」があります。核店舗として地域資本のスーパーマーケットが入居するほか、ドラッグストアやカフェ、飲食店などが集う、いわば街の台所です。

複合施設「ミルキーウェイスクエア」内に図書交流館「いこっと」がある(写真撮影/片山貴博)

複合施設「ミルキーウェイスクエア」内に図書交流館「いこっと」がある(写真撮影/片山貴博)

(画像提供/牧之原市立図書交流館 いこっと)

(画像提供/牧之原市立図書交流館 いこっと)

ここにテナントとして図書館が入居しているのだから驚きです。店内に入ると、右側には図書スペース、左側にはカフェ、子育て支援センター、ボルダリングジムなどがならびます。各スペース間は、扉や間仕切りなどがほぼなく、シームレスな空間です。

カフェの横にはオープンスペースも併設しており、注文したメニュー以外の飲食も可能。レンタサイクルコーナーもあり、観光客や地元客の「足」として活躍している(写真撮影/片山貴博)

カフェの横にはオープンスペースも併設しており、注文したメニュー以外の飲食も可能。レンタサイクルコーナーもあり、観光客や地元客の「足」として活躍している(写真撮影/片山貴博)

オーナーが目利きした地元クラフト作家の作品や名産品を集めたワゴンショップがにぎわいを演出している(写真撮影/片山貴博)

オーナーが目利きした地元クラフト作家の作品や名産品を集めたワゴンショップがにぎわいを演出している(写真撮影/片山貴博)

複合施設内には子育て支援センター相良「あそぼっと」も併設。子どもと遊んだ後は図書スペースやカフェへ。気軽に行き来できるのは嬉しいこと(写真撮影/片山貴博)

複合施設内には子育て支援センター相良「あそぼっと」も併設。子どもと遊んだ後は図書スペースやカフェへ。気軽に行き来できるのは嬉しいこと(写真撮影/片山貴博)

複合施設の一角にはボルダリングや卓球スペースもあり、大人も子どもも汗を流している(写真撮影/片山貴博)

複合施設の一角にはボルダリングや卓球スペースもあり、大人も子どもも汗を流している(写真撮影/片山貴博)

「ミルキーウェイスクエア」内の共用スペースでは、バランススクーターが使用できる。放課後や休日になると「いこっと」の横では、スクーターに乗った子ども達の姿があふれる(写真提供/牧之原市)

「ミルキーウェイスクエア」内の共用スペースでは、バランススクーターが使用できる。放課後や休日になると「いこっと」の横では、スクーターに乗った子ども達の姿があふれる(写真提供/牧之原市)

さらに「いこっと」内には、フリーWi-Fi(ワイファイ)や電源を完備したパソコンスペース、靴を脱いでくつろぐことができる小上がりのスペースなどの11のスペースがあります。

特筆すべきは、店内の各スペースに図書の持ち込みがOKということ。そして、「いこっと」では訪れている人同士で会話をすることも許されており、厳しいルールが敷かれていません。そう、ここは図書館ではなく図書「交流」スペースだからなのです。

フリーWi-Fiや電源を完備した交流・談話エリア。ここで司書や来館者との会話も生まれているそう(写真撮影/片山貴博)

フリーWi-Fiや電源を完備した交流・談話エリア。ここで司書や来館者との会話も生まれているそう(写真撮影/片山貴博)

小上がりになっている読み聞かせスペースでは、ゆったりとくつろぐことができる。おはなし会も定期開催されているのだとか(写真撮影/片山貴博)

小上がりになっている読み聞かせスペースでは、ゆったりとくつろぐことができる。おはなし会も定期開催されているのだとか(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の奥にある学習室。館内で唯一会話ができないエリア。静まる空間で集中したい人におすすめ。集中して勉強したい人、読書したい人のためにも配慮をしている(写真提供/牧之原市)

「いこっと」の奥にある学習室。館内で唯一会話ができないエリア。静まる空間で集中したい人におすすめ。集中して勉強したい人、読書したい人のためにも配慮をしている(写真提供/牧之原市)

シェアオフィスのように、飲み物OK、PC使用可能の閲覧席。仕事や勉強をする人が集まる(写真撮影/片山貴博)

シェアオフィスのように、飲み物OK、PC使用可能の閲覧席。仕事や勉強をする人が集まる(写真撮影/片山貴博)

図書の好きな市民のために居場所をつくる

牧之原市内には最寄駅がなく、移動手段は車がメインです。この点がネックとなり、定住者が減少、市内の職場も近隣の市から勤務する人が多く、高齢化と人口減少が課題でした。
牧之原市役所 企画政策部の本間 直樹さんはこう話します。

「このエリアにはナショナルチェーン店(全国展開のチェーン店)がないんです。ゆえにコンパクトで独自の商習慣と住空間になっています。そのため新たな居住者や人口の流入を見込みたかったのです。市内を活性化するために、きっかけが必要でした」

牧之原市役所 企画政策部の本間 直樹さん。市内で廃校活用プロジェクト「カタショー・ワンラボ」に取り組んだ経験を活かして、「いこっと」のプロジェクトに心を砕いている(写真撮影/片山貴博)

牧之原市役所 企画政策部の本間 直樹さん。市内で廃校活用プロジェクト「カタショー・ワンラボ」に取り組んだ経験を活かして、「いこっと」のプロジェクトに心を砕いている(写真撮影/片山貴博)

そこで注目したのが図書館です。移転前の図書館は、旧両町には存在していたものの、閲覧スペースは8席、蔵書数も2館あわせても約70,000冊と限られており、満足できるとは言いがたいものでした。

もともと、市内には図書への熱い思いを持つ人が多く存在し、「ゆっくり本を読めるスペースが欲しい」「蔵書数が欲しい」と図書館機能の増強が叫ばれていました。しかし結実には至らず年月が経過していきました。

街の魅力について、心の底から考え始めた市民と市役所は、2018年に「図書館協議会」を立ち上げ、膝をつきあわせて協議をはじめます。177件集まったパブリックコメントのうち、最も強い思いとしてあったのが「図書館が居場所であってほしい」というコメントでした。

「いこっと」の司書、水野 秀信さんはこう話します。
「図書館は”施設と資料と人”この3つがそろって成り立つと言われます。しかしこれまではあまりにもスペースがせまく、居場所にならなかった。”図書館を市民のサードプレイスとして機能させなくてはならない”と、面積拡大の検討を始めました」

「いこっと」の司書、水野 秀信さん。牧之原市に着任後、図書館移転オープンを検討し始め、さまざまなアイデアを実現することにトライしている(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の司書、水野 秀信さん。牧之原市に着任後、図書館移転オープンを検討し始め、さまざまなアイデアを実現することにトライしている(写真撮影/片山貴博)

面積拡大となると、考えられるのは施設の移転か新設です。しかし市の財政は豊かではありません。そこで市が考えたのは、既存の空き施設に入居するということでした。

「確かにテナントとして入居するには家賃が発生します。それでも施設を建設するよりは遥かに安く、市の予算の平準化が図れるため、踏み切ったのです」(牧之原市役所・本間さん)

単なる図書館ではなく町のような空間を生み出す

ちょうど図書館の移転を検討している時、「ミルキーウェイ」内にあるホームセンターの退店が決まりました。そのタイミングで複合施設のオーナーと市役所の担当者との協議を重ねて、図書館がテナントとして移転入居することが決まったのです。

「複合施設のオーナーさんは、地域を盛り上げることにとても熱心で協力的。”図書館を町の居場所にしたい”という私たちの想いを汲んでくれ、テナントとして入居することを歓迎してくれたのです」(本間さん)

「いこっと」の全景。まるでショップのひとつのような開放感あふれる入り口。木材を多用した温もりのある什器が印象的です(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の全景。まるでショップのひとつのような開放感あふれる入り口。木材を多用した温もりのある什器が印象的です(写真撮影/片山貴博)

そして、移転先が複合施設に決まったことを、あえて逆手に取ります。設計を依頼した株式会社スターパイロッツ三浦丈典さんが「小さな街のような空間をつくろう」と仕切りのないシームレスな図書スペースを考案したのです。

「一見すると、施設の中に図書館、しかも仕切りのないスペースにして展開することは、実に挑戦的です。ですが、サードプレイスとして機能させるためには理想的である、とこの話を聞いた際に感じました」(本間さん)

その後、牧之原市は移転決定から移転して開館するまでの間、わずか2年で移転プロジェクトを完結させました。

既成概念をくつがえす、自然な交流が生まれる仕組みとしかけ

2021年4月に移転オープン。現在の「いこっと」は、明るい照明や意匠に囲まれ、やわらかなBGMが流れるなかに、来館者などによる適度な雑音が混じり合った空間が醸成され、訪れる人の心を穏やかにしてくれます。しかし、一つのテナントとして入ると、仕切りがないことによる図書管理の面などの問題がありそうですが、水野さんは一つひとつ課題をクリアしていったと話します。

「いこっと」の入り口は複合施設共用部との間仕切りがなく、開放的。黒い梁が入り口の目印になっている(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の入り口は複合施設共用部との間仕切りがなく、開放的。黒い梁が入り口の目印になっている(写真撮影/片山貴博)

「”本が盗難されるのでは”といった課題が挙げられていました。また、他のスペースやカフェで読むことができると、”本を汚してしまうのでは”という心配の声も。しかし、そのようなことは一度もありませんでした。複合施設内で互いに見守っていること、適度な自由があるからこそ、利用者が愛着を持って大切に使ってくれているからなのでしょう」(司書・水野さん)

まるで秘密基地のようなキッズワンダーコーナー(児童書コーナー)。随所に閲覧・学習ブースがあり、親子で、子ども同士で楽しむことができる(写真撮影/片山貴博)

まるで秘密基地のようなキッズワンダーコーナー(児童書コーナー)。随所に閲覧・学習ブースがあり、親子で、子ども同士で楽しむことができる(写真撮影/片山貴博)

もちろん本が失われないように設備の工夫もされています。館内の資料にはICチップをつけており、居場所やデータがきちんと管理できます。また、開館時・閉館時の警備が心配です。そのため「いこっと」が閉館している時間帯は、開口部にシャッターの代わりとしてネットを張り、警備システムを作動させることで安全も保っています。

次々と新しい仕組みを取り入れていきますが、なかでも”どのスペースでも会話が可能”となったことは、図書館の既成概念をくつがえす取り組み。最初はやはり理解をしてもらうことが難しかったと振り返ります。

「『図書館は静かに過ごすものではないのか?』と叱られることもありました。その度に、ここは図書館ではなく、図書交流スペースであることを丁寧に説明していきました。誰でも初めは違和感があることだと思いますが、次第にそのような声も聞かなくなりました。会話が生まれていることを自然に感じてくださっているように思います」(水野さん)

従来の図書館より書棚を低くし、空間を広く開放的な視認を確保。さらに、分類も上空部に掲げてわかりやすく見やすいサインを採用している(写真撮影/片山貴博)

従来の図書館より書棚を低くし、空間を広く開放的な視認を確保。さらに、分類も上空部に掲げてわかりやすく見やすいサインを採用している(写真撮影/片山貴博)

年間購入費をかけて維持している充実した雑誌コーナー。「雑誌スポンサー制度」により企業や団体、個人等から雑誌の購読料を負担いただいている。雑誌カバーに公告、ラック下部にスポンサー名を掲載(写真撮影/片山貴博)

年間購入費をかけて維持している充実した雑誌コーナー。「雑誌スポンサー制度」により企業や団体、個人等から雑誌の購読料を負担いただいている。雑誌カバーに公告、ラック下部にスポンサー名を掲載(写真撮影/片山貴博)

移転に合わせて図書のセレクトの見直しも行いました。

「シニアの方から『文学作品が以前より少ない』とご指摘をいただくこともありますが、どの年代の人も本が楽しめる場所をつくりたいと思っています。子ども向けの書籍や、ティーン向けの書籍、市民から要望の多かった雑誌を大幅に増やしました」(水野さん)

より人が滲み出す場所を形成していきたい

「いこっと」の移転オープンから2年が経過し、今ではすっかり街の交流スペースとして馴染みつつあります。
午後3時を過ぎたころ、学校を終えた子どもたちが一気に「いこっと」へ飛び込んできます。目指すは文字探しラリー。館内の各所にあるキーワードを集めるために一生けんめいにかけ回ります。

「ねえねえ、やぎちゃん。今日はキーワードを教えてよ~!」と館長である八木 いづみさんのもとに飛び込んでくる子どもたち。

文字探しラリーのヒントを教える館長の八木さん。「いこっと」では大人と子どもの距離もフラット。気軽に声をかけてきます(写真撮影/片山貴博)

文字探しラリーのヒントを教える館長の八木さん。「いこっと」では大人と子どもの距離もフラット。気軽に声をかけてきます(写真撮影/片山貴博)

子どもたちにせがまれて、館内でヒントを探し歩く旅にも一緒する(写真撮影/片山貴博)

子どもたちにせがまれて、館内でヒントを探し歩く旅にも一緒する(写真撮影/片山貴博)

水野さんはこうした風景を「人が滲み出ている場所」と話します。ただ遊びに来ている場所、勉強しにくる場所、本を読む場所。なかには待ち合わせ場所として活用する人もいるのだとか。どれが正解でも良いのだそうです。
コロナ禍で開館し、訪れる人にも、イベントの開催にも制限があったこれまで。ここからは制限が解けたなかで、より交流するイベントを増やしていきたいそうです。

イベントに合わせて司書が作成した制作物。「こうしたらもっと面白くなるのではないか?」と司書たちがアイデアを持ち寄っているのだそう(写真提供/牧之原市)

イベントに合わせて司書が作成した制作物。「こうしたらもっと面白くなるのではないか?」と司書たちがアイデアを持ち寄っているのだそう(写真提供/牧之原市)

「”今まで図書館を使ったことがない”という人が足を延ばしやすいよう、図書のイベントとして、季節にまつわる行事を取り入れていきたいです。そして、街の財産である読み聞かせボランティアの方々にもこの場所をもっと活用してもらえたら嬉しいですね。挑戦したいことは山のようにあります」(水野さん)

そう水野さんが話す、「いこっと」の未来。移転したこの場所は、すでに街のランドマークとして馴染み、ハッピーな空気感がただよう場所として確立していました。

「いこっと」の職員たち。20代~60代と年代も幅が広い(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の職員たち。20代~60代と年代も幅が広い(写真撮影/片山貴博)

●取材協力
・牧之原市役所
・牧之原市図書交流館「いこっと」
・ミルキーウェイスクエア
・「いこっと」Instagram

「下関って何にもない、ダサい」我が子のひと言に奮起。空き家再生で駅前ににぎわいを 山口県・上原不動産

山口県下関市にある上原不動産は、下関市で賃貸住宅の仲介・管理業務などを主に行っている不動産会社です。住宅を確保することが難しい人たちへの支援を、1982年の会社設立当初から行ってきました。
代表の長女であり、上原不動産の常務取締役である橋本千嘉子さんは、地元を元気にしたい、離れていく若者たちが戻ってきたいと思うような街にしたいと、空き家再生事業「ARCH」を立ち上げ、街づくりや再生にも力を入れています。そこで今回は橋本さんの「下関の街の再生」にかける想いや、活動について、話を聞きます。

きっかけは子どもの何気ないひと言。街の再生に目を向けるように

山口県下関市にある上原不動産は、下関駅前を中心に、高齢者、障がいのある人、低所得者、外国人やひとり親世帯など、住まい探しに困難を抱える人たちに寄り添い、居住支援を積極的に行っている不動産会社です。
代表の長女である橋本千嘉子さんは、会社の仕事として居住支援や賃貸仲介・管理業務を行う傍ら、自身が20年以上不動産を管理・運用するオーナーでもあり、現在、個人で所有する物件は、60部屋ほどに上ります。

「古い建物を活かして利活用していくことで収益を上げていくことに興味がありました。空室だらけのアパートを購入し、リノベーションして満室にしていくことが私のライフワークだったんです」(橋本さん、以下同)

個人でも約60部屋の物件を所有している橋本さん(右)。空室の物件をリノベーションをして満室にするところから街の空き家再生に乗り出すようになった(画像提供/ARCH)

個人でも約60部屋の物件を所有している橋本さん(右)。空室の物件をリノベーションをして満室にするところから街の空き家再生に乗り出すようになった(画像提供/ARCH)

橋本さんは「物件の再生」というスキルが身につくにつれ、空き家活用やリノベーションに興味を持つようになっていったといいます。さらに、自分が所有する建物だけでなく「街づくり」にも目が向くように。そのきっかけは、5児の母でもある橋本さんが、中学2年生の子どもから言われた「下関って何にもない、ダサい」という言葉でした。

「本当にそのとおりだな、って反論できませんでした。それで子どもたちがこれから先もこの街で育っていくために、どうやったら住みやすくなるかを考えるようになりました」

街の活性化やサードプレイスづくりに取り組む。空き家再生事業ARCHを設立

橋本さんは、より良い街にするためにいろいろなセミナーやスクールに通いました。そして、さまざまな学びの中で、街にコミュニティを築いて街の価値を上げる方法を知ったそうです。

「監視し合うコミュニティではなく、自分の都合にあわせて誰もが気軽に集まれるような場所、それこそが『サードプレイス』なんだと気づきました。そこから、今までやってきた居住支援だけに留まらず、地域共生や街づくり、空き家問題などが全部つながっていったんです」

長期間借り手がつかず、古すぎて売却できない建物をリノベーションしてサードプレイスに(画像提供/上原不動産)

長期間借り手がつかず、古すぎて売却できない建物をリノベーションしてサードプレイスに(画像提供/上原不動産)

時を同じくして、商店街のビルのオーナーが高齢者施設に入るため、不動産を処分したいという話が橋本さんのもとに舞い込んできました。

「その時話のあった建物は、古すぎて売り物にならないようなものでしたが、まちづくりについて学んだときに、私は『商店街の真ん中など目立つ立地のヘンテコな物件があったら買います』と宣言をしていたんです」

そこで、橋本さんは物件を購入し、市の「リノベーションまちづくり拠点活動支援補助金」を利用して物件を改修。駅前を活性化させたいという想いから、その古い建物をリノベーションし、新たにレンタルスペースとしてオープンさせました。それが「ARCH茶山」です。

さらに商店街にあるエレベーターなしの3階建ビルで7年以上借り手がつかなかった物件など、2カ所を借り上げ、同じようなリノベーションを施し、シェアオフィスやコワーキングスペース、シェアキッチンとして再生させました。

ARCH茶山には、ギャラリーとして利用したり、ポップアップショップとして出店したりできるスペースも(画像提供/ARCH)

ARCH茶山には、ギャラリーとして利用したり、ポップアップショップとして出店したりできるスペースも(画像提供/ARCH)

イベントスペースとしても活用。写真はキッズ向けのクリスマスイベントの様子(画像提供/ARCH)

イベントスペースとしても活用。写真はキッズ向けのクリスマスイベントの様子(画像提供/ARCH)

交わらない人たちをつなげたい。「下関市100人カイギ」を開催

橋本さんは、それらの建物を利用して誰もが集える場所をつくろうと、全国の事例を見に行き、いろいろなイベントを仕掛けていこうと動き始めました。

橋本さんがやりたいこと。それはこれまで交わることのなかった人たちに横串を指すことです。例えば行政においては、部署が違うと横の連携がなくて戸惑うことが多いのだとか。住宅と福祉部、観光と街づくり、どちらも密接に関係していることなのに、なぜか「横の連携が取れていない」と橋本さんはいいます。

「それでも、自分たちの街を良くしたいという思いは同じはずです。だったらこの人たちをくっつけたらいいという発想で、同じ志を持つイベンターの仲間たちとともにイベントを仕掛けています」

その一つが「下関市100人カイギ」です。「100人カイギ」とは、その街で働く100人を起点に人と人とを緩やかに繋ぐコミュニティ。地域のあり方や、価値の再発見を目的として、100人のゲストを呼んだらコンプリート、という期限付きのイベントです。橋本さんたちは毎回、行政の人、学生、企業、起業している人、なにかの“先生”と呼ばれる人、の5人をゲストに呼んで毎月トークイベントを開催し、毎回50~60人の人たちがイベントに参加するまでになりました。

記念すべき第1回目の下関市100人カイギの集合写真。地域医療を目指す医学生や癌で声を失った下関教育委員会の元教育長をゲストとして招き意見交換が行われた(画像提供/ARCH)

記念すべき第1回目の下関市100人カイギの集合写真。地域医療を目指す医学生や癌で声を失った下関教育委員会の元教育長をゲストとして招き意見交換が行われた(画像提供/ARCH)

建物がボロボロになる前に不動産屋としてできること

橋本さんが古い建物を活用しようとする試みには、街に増えつつある空き家をどうにかしたいという思いもありました。「福祉と空き家の問題は表裏一体」だと橋本さんは話します。

「高齢になると、認知症発症の恐れや体の自由が利かなくなり、従来の賃貸物件に住み続けることが困難なケースも。入居者は施設に入ったり、他への転居を余儀なくされ、空室が増えていきます。

同時にもう一つ気付かなくてはならないのが『オーナーの高齢化』です。実は高齢者が住むアパートのオーナーも高齢者であることが多く、オーナー自身がアパートの一室に住みながら賃貸収入で生計を立てている人がいます。建物の老朽化が進み入居者がいなくなると、オーナー自身の生活が成り立たなくなり、生活保護などの福祉的な支援が必要になる可能性を孕んでいるのです」

在宅訪問などで現場を目にしている福祉職の人は、これらの問題を認識しつつも、これまでは「居住支援」や「居住支援法人」の言葉を知らないために、不動産会社へ相談に行きませんでした。

上原不動産が山口県、山口県居住支援協議会と2023年10月に共催した不動産オーナー向けの勉強会のチラシ。居住支援と空き家問題の関係や、不動産と福祉との連携の必要性を訴えている(画像提供/上原不動産)

上原不動産が山口県、山口県居住支援協議会と2023年10月に共催した不動産オーナー向けの勉強会のチラシ。居住支援と空き家問題の関係や、不動産と福祉との連携の必要性を訴えている(画像提供/上原不動産)

「本来なら、建物がボロボロになる前にメンテナンスをして、見守りサービスなどを導入し、高齢の入居者が転居せずに住み続けられるのが、入居者にとってもオーナーにとってもベストなはずです。空き家問題に発展する一歩手前の段階で解決するというのも、私たち不動産会社の使命だと考えています」

橋本さんは、居住支援法人の活動を知ってもらうために、福祉施設である地域包括支援センターなどに講演をしにいくことがあります。すると福祉関係の人たちは、居住支援を行っている不動産会社があることを知って驚くのだとか。居住支援法人となって、福祉団体との交流ができたことによって、見えてきた課題もあるようです。

新しい考え方に触れることで街に好循環を生み出したい

橋本さんには、不動産業に長く取り組んできたからこその課題感もある様子。

「不動産屋には建物などのハードは得意だけれども、サービスなどのソフトに弱いところがあります。私も以前は、入居に困る方は家というハードが決まれば大丈夫だと考え、その後の暮らしといったソフトの部分にはほとんど関知していませんでした。でもそうではなくて、今では住宅と福祉とが連鎖していかないと生活しにくい人たちが多くいる、と思うようになりました」

橋本さんはセミナーの講師として登壇することも。福祉の話で呼ばれる時には不動産やまちづくりの話をし、 まちづくりの話で呼ばれる時には福祉の話をする。 居住支援を行うには、街全体で住宅と福祉が包括的に取り組んでいく必要があるからだ(画像提供/上原不動産)

橋本さんはセミナーの講師として登壇することも。福祉の話で呼ばれる時には不動産やまちづくりの話をし、 まちづくりの話で呼ばれる時には福祉の話をする。 居住支援を行うには、街全体で住宅と福祉が包括的に取り組んでいく必要があるからだ(画像提供/上原不動産)

100人カイギのようなイベントに下関市出身で活躍している人などが参加することで、また違った視点や新しい考え方に触れることができます。プレイヤーとリードしていく人たちを発掘し、何か新しいことを始めたいという人が現れたら、それを街に落としていくというサイクルを構築しているところだといいます。

さらに嬉しいことに、これらの活動を通じて「なんだか面白そうだから」と下関に定住したいという人が少しずつ増えてきたそう。最初のきっかけをつくることで、街に住む人たちが自分たちで繋がり、やがて街を変えていく。その様を見て、橋本さんは「まだまだこれからですが、不動産屋が動けば、街も変わる」と気づき、不動産業に携わる人としての醍醐味を感じています。

ARCHが横浜市の人権団体NGO EQUAL POWERと共催した、LGBTQ当事者とのトークセッション。上原不動産が管理する物件の入居者が参加するなど、居住支援やまちづくり、空き家活用が一体的に行われることで街が変わりつつある(画像提供/ARCH)

ARCHが横浜市の人権団体NGO EQUAL POWERと共催した、LGBTQ当事者とのトークセッション。上原不動産が管理する物件の入居者が参加するなど、居住支援やまちづくり、空き家活用が一体的に行われることで街が変わりつつある(画像提供/ARCH)

まちづくりや空き家問題の解決、住まい探しに困っている人たちへの居住支援といった橋本さんの幅広い活動や人と人とを結ぶ仕掛けは、不動産会社としてできることの可能性を広げたのではないでしょうか。

橋本さんの活動には、街に人を呼びこみ、街を活性化していくヒントがたくさんあります。まずは動いてみる。そして周りを巻き込んでいく、パワーを感じました。
近い将来、下関は橋本さんの子どもが表現した「何もない街」ではなく、地域共生社会創生のモデル都市になるかもしれないですね。

●取材協力
上原不動産

“地元で何かしたい人”が大勢いないと、生活圏内は面白くならない。だから僕はこの場所をつくった。徳島県脇町の「うだつ上がる」

地方を訪れると、みな「ここには何もないから」という。気の効いた飲食店、カフェやパン屋もない。近くに遊ぶところがないからと県外まで出かける。「でもそれなら、いま住んでいる場所を、遊びに行きたい所にする方がおもろいやん」と話すのは、徳島の美馬市脇町で店舗兼ギャラリー兼オフィス「-みんなの複合文化市庭-うだつ上がる」を運営する高橋利明さんだ。いま、うだつ上がるには地元の20~30代が集まり、新しいイベントや仕事が生まれる文化の発信地になっている。(取材執筆/甲斐かおり)

美馬市脇町のうだつの町並みは重要伝統的建造物群保存地区で観光客も訪れる(撮影/藤岡優)

美馬市脇町のうだつの町並みは重要伝統的建造物群保存地区で観光客も訪れる(撮影/藤岡優)

「うだつ上がる」とは何か?

徳島県の美馬市脇町は、「うだつの町並み」で知られる重要伝統的建造物群保存地区である。
「うだつ」とは、町家の両端につくられた小さな屋根つきの防火壁のことをいう。高い位置にあるほど繁栄の象徴となり「うだつが上がる」の語源となった。脇町は江戸時代、藍の集散地として栄え、いまも“うだつ”の上がる建造物、大きな商家の並ぶ街並みが残っている。

そんな街中に、築150年の民家を改修してできた店舗兼ギャラリー兼オフィスが、「-みんなの複合文化市庭-うだつ上がる」(以下、うだつ上がる)だ。いまは雑貨屋、喫茶、本屋、古着屋、家具屋、ギャラリーが入居しており、週末にはモーニングやチャイカフェ、洋菓子屋が営業している。

うだつ上がるの入り口。(撮影/藤岡優)

うだつ上がるの入り口。(撮影/藤岡優)

うだつ上がるを運営する高橋さんの本業は、建築家。設計事務所として活用するには広すぎるこの家の一部をオフィスとして使いながら、自ら雑貨屋を運営。2階では家具のショールーム(大阪を拠点に活動するクリエイティブユニット graf のサテライトでもある)、ギャラリーも運営している。

加えて、ここを「誰もがスモールスタートをきれる場所にしたい」と、各スペースを“間借り”できるサービスを始めた。高橋さんは、その理由をこう話す。

高橋利明さん。建築家であり「うだつ上がる」を運営している(撮影/藤岡優)

高橋利明さん。建築家であり「うだつ上がる」を運営している(撮影/藤岡優)

「この町は観光地ですけど、数年前に来たとき、お店がほとんどなくてびっくりしたんです。建物はきれいに残っているけど、住人には高齢者が多くて、街並みの維持で精いっぱい。まちのポテンシャルを活かすには、保存するだけじゃなく利活用するのが大事やなと」

建築家の知識をいかして、古い建物でも明るく活用できることを、ショールームとして見せられるんじゃないかと考えた。

うだつ上がる店内のショップ部分。この右奥がカフェスペース(撮影/藤岡優)

うだつ上がる店内のショップ部分。この右奥がカフェスペース(撮影/藤岡優)

うだつ上がるの2階。家具のショールーム(graf)であり、奥はギャラリーになっている(撮影/藤岡優)

うだつ上がるの2階。家具のショールーム(graf)であり、奥はギャラリーになっている(撮影/藤岡優)

「もう一つ、僕の生活圏を楽しくするには、僕以外にも“何かしたい人”が沢山いないと面白くならないなと。この辺りでは、やりたいことより安定した仕事を選ぶ若い人が多くて、でも徳島には何もないって週末は県外に遊びに行っちゃう。それなら地元を遊びに行きたい町にする方が楽しいやんって。うだつが、そうした“何かしたい”を叶えられる場所になったらいいなと思ったんです」

左から谷あおいさん、高橋利明さん、岑田安沙美さん、脇川裕多さん。それぞれ「うだつ上がる」で活動している。うだつを行き来する人はほかにも大勢いる(撮影/藤岡優)

左から谷あおいさん、高橋利明さん、岑田安沙美さん、脇川裕多さん。それぞれ「うだつ上がる」で活動している。うだつを行き来する人はほかにも大勢いる(撮影/藤岡優)

「うだつ上がる」があったから、徳島に戻ってきた

いま、「うだつ上がる」は地元の20~30代を惹きつけ、地域内外の人が行き交う場所になっている。出会いの場というだけでなく、新しいことに挑戦できる場。ただ仲の良い人たちと過ごすだけではなく、ほどよく緊張感のある場でもある。

では、どんな風に、みんなここに集まってくるのだろう。
たとえば、脇川裕多さん(31歳)の場合。実家は同じ美馬市の老舗和菓子店で、20代のころから神戸、東京へ出てパティシエの仕事をしてきた。いつか、地元に戻り、脇町でケーキ屋を始めたいと思っていて、SNSで「うだつ」を知り、高橋さんの元に遊びに訪れた。

「時々、地元に戻った時だけでもうだつでポップアップやったらええやんと高橋さんが言ってくれて。その2~3カ月後、父が病気になって一時的に戻ってきて実家を手伝うことになったんです。そしたら高橋さんが、週末だけでも自分のお菓子屋始めたらと言ってくれて。平日は実家の和菓子屋を手伝って、週末だけここで洋菓子屋を始めて。ちょうどチャイ屋をやりたいという女性がいたので、一緒にやったらと」(脇川さん)

脇川さんの焼き菓子ブランド「あわい」のお菓子。滋味深くて美味しい(写真提供:脇川さん)

脇川さんの焼き菓子ブランド「あわい」のお菓子。滋味深くて美味しい(写真提供:脇川さん)

徳島の季節のものを素材にした、ケーキやシュークリーム、夏はかき氷が評判。(写真提供:脇川さん)

徳島の季節のものを素材にした、ケーキやシュークリーム、夏はかき氷が評判。(写真提供:脇川さん)

いずれまた東京に戻ると話していた脇川さんは、この2~3カ月の間に、東京に帰るのをやめたのだという。なぜだろう。

「うだつにいたら全国から訪れる人に、土日だけでもたくさん会えるんです。マルシェやイベントなどの情報も入るのでチャイ屋さんと一緒に出店したり。地元に誰も知り合いがいなかったけど、一気につながりが増えました。今なら徳島に戻ってもいいなって。こっちで本腰いれてやろうと思えました」(脇川さん)

パティシエの脇川裕多さん。徳島で焼き菓子ブランド「あわい」を立ち上げた(撮影/藤岡優)

パティシエの脇川裕多さん。徳島で焼き菓子ブランド「あわい」を立ち上げた(撮影/藤岡優)

脇川さんとともにチャイ屋を始めた岑田安沙美(みねだ・あさみ)さん(27歳)の場合はこうだ。つい2年前まで姫路の小さな会社で、コワーキングスペース事業など企画系の仕事をしていた。個人でデザインの仕事も請けるようになり、もうしばらくは県外で働こうと思っていたが「高橋さんとうだつに出会って、徳島に帰っても何とかなる気がした」と言う。

うだつで出会った人たちからデザインの仕事が入り始める。

岑田安沙美さん。今はデザインの仕事を手がける(撮影/藤岡優)

岑田安沙美さん。今はデザインの仕事を手がける(撮影/藤岡優)

いつかチャイ屋をやってみたいと話す岑田さんに、古本市というイベントでチャイを出した後、パティシエの脇川さんを紹介されて「常設で二人でやってみたら」と背中を押したのも高橋さんだった。

高橋さんは言う。

「準備ができたらやりたいとみんな言うけど、いつ準備できんねんって話で。やるって決めたら、いやでも準備せなあかんので。チャイが飲めて、美味しいケーキ食べられる店なんて、この辺りに他にないぞと」(高橋さん)

もちろんそうして始めた活動が、すぐに本業になるわけではない。そうしたいかどうかも人によってさまざまだろう。本業にならなくたっていいのかもしれない。大事なのは、まずやってみたかったことにチャレンジできる場があること。

ほかにも「うだつの高橋さんと出会って、土日だけでも来たら?と言ってもらったのが、徳島に帰るタイミングだと思った」と話す若者が何人もいた。

チャイおよび洋菓子カフェの様子(提供:うだつ上がる)

チャイおよび洋菓子カフェの様子(提供:うだつ上がる)

うだつ上がるでのイベントの際の様子(提供:うだつ上がる)

うだつ上がるでのイベントの際の様子(提供:うだつ上がる)

20代女性たちの出会いから始まった「古本市」

この場所がまさに20代世代の出会いの場所になり、一つの形として結実したイベントに「うだつのあがる古本市」がある。2022年11月に第1回目の古本市が開催され、半年後の春に第2回、そして2023年10月、うだつの近くの「オデオン座」という劇場で、第3回が開催された。

主催は、うだつで知り合った23~28歳の女性6人組。リーダーで発起人の谷亜央唯(たに・あおい)さんはこう話す。

「もともと徳島には本屋や美術館など、文化的なものが少ないなと思っていて。同じことをSNSで投稿している徳島の女性がいて、気になっていたんです。うだつに初めて来たとき、その女性と会って意気投合して。古本市の仲間になるほかのメンバーともここで出会って、その日にはもうどんな場所が徳島にあったら嬉しいか、みんなで話していました。卒業して徳島で一度就職したけどうまくいかなくて。数カ月で辞めたとき、うだつがなかったら東京に出てたと思うんです。でもやっぱり徳島で何かしたいなと思っていて、うだつでみんなと会って今があります」

谷亜央唯(たに・あおい)さん。今はうだつ上がるで週末にモーニングを提供しながら神山町の宿で働き、「古本市」の活動を進めている(撮影/藤岡優)

谷亜央唯(たに・あおい)さん。今はうだつ上がるで週末にモーニングを提供しながら神山町の宿で働き、「古本市」の活動を進めている(撮影/藤岡優)

できることなら地元に居たい、戻りたい。そう思っている若い人たちは意外に多いのだと、改めて気付かされる。でも地元にはできることが何もないと思っている。

「じゃあまず、自分たちで何か始めてみては」という高橋さんの気持が20代の女性たちにも伝わった。6人は本業の傍ら、古本市の準備を進めていく。

「古本市に来てくれたお客さんには、本だけじゃなくてこの町も楽しんでほしいから、お客さんの目線でみなでまちを見てみようと歩いてみたり。1回目のときは出店してくれる人がいるかもわからなかったので、最悪自分たちで出店すればいいよねと話して。でも結果的に全部出店枠が埋まったんです」(谷さん)

「うだつのあがる古本市」の垂れ幕(提供:うだつのあがる古本市)

「うだつのあがる古本市」の垂れ幕(提供:うだつのあがる古本市)

古本市の準備で、まち歩きをした際の様子(提供:うだつのあがる古本市)

古本市の準備で、まち歩きをした際の様子 (提供:うだつのあがる古本市)

初回の開催から第3回にかけて、古本市の規模はどんどん大きくなっていった。第3回目の出店数はうだつ上がるに10組、オデオン座に15組。この成功は、谷さんたちの自信につながったに違いない。都会でなくても、これほど本や人が集まる素敵なイベントができる。徳島でもできる、自分たちで実現できたと。

第3回の古本市が開催された、うだつ上がるから徒歩3分ほどの「オデオン劇場」。屋外には多くの飲食店の出店も。(撮影/筆者)

第3回の古本市が開催された、うだつ上がるから徒歩3分ほどの「オデオン劇場」。屋外には多くの飲食店の出店も。(撮影/筆者)

第3回の古本市の様子。大勢の出店者とお客さんでにぎわった(提供:うだつのあがる古本市)

第3回の古本市の様子。大勢の出店者とお客さんでにぎわった(提供:うだつのあがる古本市)

イベント当日は出店者に向けたトークイベントも行われた(提供:うだつのあがる古本市)

イベント当日は出店者に向けたトークイベントも行われた(提供:うだつのあがる古本市)

うだつ上がるは、「何か面白いことの生まれる場所」「いろんな若い人たちが集まってくる場所」として、認識され始めている。

「巻き込み力」の源

高橋さんは不思議な人だ。独特の関西弁で周りを笑わせながら、知らず知らずみなの背中を押している。高橋さんなくして、今のうだつ上がるはないし、うだつに惹き寄せられて徳島に戻った若い人たちもいないだろう。

大阪の生まれ育ちで、中学生までは芸人になりたかったという。その後、成り行きのような形で建築への道を歩み始める。建築の勉強は嫌いだったが「学校は楽しくて仕方なくて、無遅刻・無欠勤・無早退やった」と胸を張って言う。

(撮影/藤岡優)

(撮影/藤岡優)

人と関わるのがとことん好きなのだと思う。そしてその楽しい気持を全身全霊で表してくれるので、関わる人は嬉しくなるし、何かあれば高橋さんに声をかけたくなる。

最初はそれほど好きではなかった建築も、「自然と共生型」の建築との出会いをきっかけに、のめりこんだ。大阪から徳島へやってきたのも、徳島で活動していた建築家の元で修行しようと決めたからだった。

その人の元で9年間修行した後に独立してからは阿波市に暮らし、設計事務所を開業。イベント企画の仕事なども手がけるようになる。阿波市の地産の食材の美味しさをアピールするために「100人BBQ」を企画したときには、世代を超えて150人以上が集まった。現在は美馬市に店兼事務所を構えて、住宅や店舗など建築の仕事を手がけながら、うだつ上がるを運営している。

高橋さんと話す中ではっとした瞬間があった。

「小さいころから、自分と関わった人はみんな幸せになるべきやって思い込んでるんところがあって。せめて僕とおるときは、みんな笑顔にしたい。常に笑かしたい。相手が笑えば自分も一緒に笑うしな。自分一人で笑ってんなってよく言われますが(笑)」

高橋さんの巻き込み力は、そこからくるのかもしれないと思った。

(撮影/藤岡優)

(撮影/藤岡優)

変な大人に出会える、寄り道できる場所

たとえば取材の日、高橋さんは「今日はこの後、建築の仕事で福井に出張する」と話していた。パティシエの脇川さんも福井まで連れていくという。

「福井でショップやっている知り合いが、ポップアップをやらせてくれるというので、僕が打ち合わせしている間に、脇川くんがかき氷を販売したらいいなと思って。僕がもっているつながりも、自分だけがもっているより、できるだけ誰かと共有できるならその方がいいので」

高橋さんは23年近く徳島にいて、嫌でも自分が生まれ育った環境、大阪との違いを感じるという。

「この近くの高校は進学校で、みんな遅くまでスーパーの休憩室で勉強しています。でも何になりたいとか話さない子が多い。徳島におったら、いろんなものに触れる機会が圧倒的に少ない。自分は大阪にいた頃、無意識にいろんなものにふれていたと思うんです。チラシのデザイン一つとってもそうやし、学校帰りには毎日まちに出て遊んで、いろんな人に会うてたし。

徳島にいても、その環境は大人が提供しないとだめだと思う。いろんな仕事や遊び場にふれる機会を。うだつ上がるの意味って、そういうところにあるんかなとも最近思う」

だから、地元の人たちが“何かを始められる”場であることと、「ここでもこんなに面白いことや楽しいことができるで」と若い人たちに見せられることが重要。

「地元の高校生が制服でうだつに来てくれると、テンションあがります。最近、明石くんという男の子が学校帰りに店に来てくれるんですよ。うちで初めてブラックコーヒー飲んで、美味しかったんでまた来ましたって。『友達いないんですよねぇ』とか色々しゃべってくれて。そんな風に子どもが寄り道して、変な大人に出会える場所を増やしたい」

最近は、同じうだつの町並みの通りに、うだつの2号店を増やすことを考え始めた。

「2号店の店名はもう『よりみち』でもいいかなと思ってます」。
そう言って笑った。

(撮影/藤岡優)

(撮影/藤岡優)

●取材協力
-みんなの複合文化市庭-うだつ上がる

誰でも収穫して食べてOKな農園も!? 公園の一角やビル屋上などに都市型農園が増加中! 『まちを変える都市型農園』新保奈穂美さんに聞く3事例

都市に暮らしていると感じにくい、大地に根差して「生きている」手ごたえ。今、都市部の農地や公園の一角、ビルの屋上などに、市民が参加し、農体験できる「都市型農園」が増加中だ。「都市型農園は、生の実感を取り戻せる場所」と語るのは、『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』(学芸出版社)の著者・新保奈穂美さん。都市型農園が増加している背景を事例とともに紹介する。

農園ブームで進む、都市のスキマ活用土に触れる機会がない都市での生活。都市型農園では、自分自身で自分の食べるものをつくることができる(画像提供/平野コープ農園)

土に触れる機会がない都市での生活。都市型農園では、自分自身で自分の食べるものをつくることができる(画像提供/平野コープ農園)

新保さん(現・兵庫県立大学大学院の緑環境景観マネジメント研究科講師)が執筆した『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』。さまざまなケースの都市型農園18例を収録(画像提供/学芸出版社)

新保さん(現・兵庫県立大学大学院の緑環境景観マネジメント研究科講師)が執筆した『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』。さまざまなケースの都市型農園18例を収録(画像提供/学芸出版社)

著書では、アーバンガーデニングや農的活動の場となる自宅外の空間を、都市型農園と呼んでいる。新保さんによると、都市型農園は、コロナ前から需要が増え始め、コロナ後は、利用申し込みが数倍になった農園があったり、民間の貸農園の数が拡大したりなどブームが高まっているという。

「地方移住などで若い世代の田園回帰の意識が高まっており、農を取り入れたライフスタイルが注目されつつあったところに、新型コロナウィルス感染症のパンデミックが起き、比較的安全な屋外の庭や貸農園で野菜や花を育てる需要が高まりました。SDGsや環境問題への関心の高まりから、社会や環境のために何かをやりたい人が増加し、その手段になっている印象です」(新保さん)

世界的にも、都市住民が都市の空間を活用して野菜や花を育てる活動「アーバンガーデニング」の人気が高まっている。日本では、開発により消えつつあった農的空間を、積極的に都市に取り入れようとする動きが出てきた。

日本の市民農園は、大正後期~昭和初期に、ドイツ発祥の区画貸し農園「クラインガルテン」をルーツとして始まり、1960年代ごろから現在のような市民農園が存在していた。従来の市民農園は、都市部の農家が所有する農地を、区画に分けて貸し出している農園を指す。農林水産省の発表によると、調査を開始した2002年以来、2017年~2018年に減少したほかは増加し続けており、2022年3月末時点で、全国に4235農園が存在している。

ドイツにあるクラインガルテンの区画の一例(画像提供/新保奈穂美さん)

ドイツにあるクラインガルテンの区画の一例(画像提供/新保奈穂美さん)

アートとガーデンの融合で多様な住民同士の交流を活性化するドイツ・ベルリン市のグーツガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

アートとガーデンの融合で多様な住民同士の交流を活性化するドイツ・ベルリン市のグーツガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

住民主導でマイノリティの居場所をつくったドイツ・ハノーファー市のシュペッサートガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

住民主導でマイノリティの居場所をつくったドイツ・ハノーファー市のシュペッサートガルテン(画像提供/新保奈穂美さん)

「東京、横浜、神戸、福岡などの大都市で盛んで、農家や民間のスタッフが農を教える体験農園、利用者が自主的に運営するコミュニティガーデンなどバリエーションの幅も広がりました。今、野菜を育てるだけでなく、コミュニティの課題解決や持続可能なまちづくりのアプローチとして、注目されているのです」(新保さん)

●関連記事:
コロナ禍のドイツは園芸がブームに。農園でつながりづくり進む
郊外の空き地で、焚き火や養蜂に住民みんなが挑戦!「“禁止”はNG」が合言葉の「nexusチャレンジパーク 早野」
空き家だらけの下町に2000世帯も転入! 大阪・蒲生四丁目がオシャレなまちに「がもよんモデル」

住宅地内の農地を住民の居場所に。「せせらぎ農園」

ここからは、具体的に全国の事例を見ていこう。

そもそも新保さんが、都市型農園の持つ可能性を強く意識したのは、東京大学の学生だった2009年に、クラインガルテンの研究のためオーストリアのウィーンを訪れた時のことだった。

「首都の都心部に農園があって、のんびり花に水をあげたり、ベンチに寝そべって日向ぼっこをする人々の姿が印象的でした。それまで、私にとって都市の生活は、ぎゅうぎゅうの満員電車で学校や職場に通うイメージでしたから、こんな暮らし方があるんだと、カルチャーショックを受けたのです」(新保さん)

以来、世界の都市型農園を訪れ、「都市における農」の研究に携わってきた。ヨーロッパを研究の舞台としてきた新保さんが、日本の都市型農園の研究に関わるきっかけとなったのは、「せせらぎ農園」との出会いだった。

東京都日野市の住宅地内にある「せせらぎ農園」は、2008年に設立された老舗の都市型農園だ。「せせらぎ農園」の特徴は、地域の生ごみを肥料として活用し、環境保全に貢献しながら、野菜やハーブの栽培が行われていること。設立者である佐藤美千代氏が農園設立以前に、市民団体「ひの・まちの生ごみを考える会」を立ち上げた経緯があり、障がい者支援を行うNPOなど地域のさまざまな主体と連携し、地域住民が集うコミュニティ拠点として成長してきた。利用者は60代が中心で、子育て世帯も参加している。

運営者は、市民団体「まちの生ごみ活かし隊」。活動日には、毎回、10~20人程度の利用者が集まり、生ごみを活用した農作物栽培などを行う(画像提供/せせらぎ農園)

運営者は、市民団体「まちの生ごみ活かし隊」。活動日には、毎回、10~20人程度の利用者が集まり、生ごみを活用した農作物栽培などを行う(画像提供/せせらぎ農園)

軽トラックで地域から収集した生ごみを下ろす参加者(画像提供/新保奈穂美さん)

軽トラックで地域から収集した生ごみを下ろす参加者(画像提供/新保奈穂美さん)

土壌還元作業に子どもと一緒に参加する利用者。障がい者施設に生ごみの発酵を促す竹パウダーの袋詰め作業を依頼するなど、多世代・多様な人々が関わる(画像提供/新保奈穂美さん)

土壌還元作業に子どもと一緒に参加する利用者。障がい者施設に生ごみの発酵を促す竹パウダーの袋詰め作業を依頼するなど、多世代・多様な人々が関わる(画像提供/新保奈穂美さん)

廃家具を再利用した薫製箱でつくったチーズやベーコンにハーブを添えて(画像提供/新保奈穂美さん)

廃家具を再利用した薫製箱でつくったチーズやベーコンにハーブを添えて(画像提供/新保奈穂美さん)

「せせらぎ農園」の農活動は、「援農」という農家の農作業を都市住民が手伝い、無償もしくは謝礼として農作物を得るというスタイルだ。「せせらぎ農園」を視察し、農作業を手伝った新保さんは、都市型農園の持つ可能性を実感したという。

「現代は、あらゆることが私たちの体から、切り離されています。食糧生産の場から離れた都市に暮らし、パソコンで仕事をしていると、自分の手で何ができるんだろう? という気持ちになってきます。草を取って、水やりをすると、だんだん野菜が育っていく。目に見えて成果が分かるのが、とても嬉しくて。都市の中に農と関われる場所がある大切さを再認識しました」(新保さん)

都市型農園の多くは、農家所有の農地を活用している

都市型農園には、公園の一部やビルの屋上を活用する事例もあるが、多くは地元の人が所有する農地を利用している。都市型農園発展の転換期になったきっかけは、生産緑地法の改正と「都市農地の貸借の円滑化に関する法律」の制定だ。

大きく分けて都市には、市街化を促す市街化区域と市街化を抑制する市街化調整区域がある。従来の市民農園は、土地代が安く、比較的自由に貸し出ししやすい市街化調整区域に多かった。一方、市街化区域の農地では、1974年に生産緑地法が制定され、営農の継続を希望すれば、都市環境を保全するための生産緑地地区(以下、生産緑地)の指定を受けられるようになった。

市街化区域内の農地はいずれ住宅や商業地になるはずだったが、人口減少による需要減もあり、都市の環境保全の場として見直されている(画像提供/新保奈穂美さん)

市街化区域内の農地はいずれ住宅や商業地になるはずだったが、人口減少による需要減もあり、都市の環境保全の場として見直されている(画像提供/新保奈穂美さん)

「生産緑地の指定を受ければ、土地に対する課税が安くなるものの制限も多く、生産緑地指定を受ける農地は少なかったのです。ところが、1992年の法改正で、三大都市圏の特定市にある生産緑地指定を受けていない農地に対し、宅地並みの課税が実施されることに。生産緑地の指定を受ければ、固定資産税の軽減や相続税の納税猶予の措置が認められたため、生産緑地の指定を受ける農地が一気に増えました。しかし、指定を受けるには、30年間、所有者自らがそこで農業を続けることが条件。所有者以外の都市住民が耕作する都市型農園に生産緑地を利用するには、『せせらぎ農園』のように、援農が主流でした」(新保さん)

都市型農園の近年の発展は、2018年に「都市農地の貸借の円滑化に関する法律」が施行されたことが大きい。生産緑地に指定された農地を他人に貸して耕作してもらえるようになり、「援農」の形式に縛られず、多様な活用が可能になったのだ。農家でない市民やNPO、民間企業による市民農園の開設ができるようになり、農園内に、農産物の直売所や農家レストランを設けるなど、都市部の高齢者や子育て世代までさまざまな住民が関わる拠点として、期待が高まっているのだ。

公園の活用や防災・減災への貢献も

最近では、農地以外の土地の活用も始まり、全国には、「ベトナム人住民が創る農園」(兵庫県姫路市)や「金町駅前団地コミュニティガーデン」(東京都葛飾区)など、異文化交流や地域活性化などさまざまな取り組みが行われている。その中からユニークな取り組みを紹介しよう。

公園の一角を再生した「平野コープ農園」

兵庫県神戸市にある「平野コープ農園」は、2021年4月に開設された比較的新しい都市型公園だ。市が管理していた低利用の公園に近隣住民が定期的に訪れる場所をつくろうと、神戸市経済観光局農水産課と建設局公園部が協働し、住民コミュニティの再生を目指す市の実証実験として誕生した。

コミュティ農園の入口に掲げられた看板。誰でも入れることや収穫物は自己責任で自由に食べていいことが書かれている(画像提供/新保奈穂美さん)

コミュティ農園の入口に掲げられた看板。誰でも入れることや収穫物は自己責任で自由に食べていいことが書かれている(画像提供/新保奈穂美さん)

「全国でも珍しい公園を使った都市型農園です。皆のためにある公園を一部の人が主に利用するには、課題が多く、議論を重ねて実現しました。エディブルパーク(食べられる公園)がテーマで、ユニークなのは、誰でも入って収穫できるコミュニティ農園があること。ただ、人通りが少ない場所にあり、コミュニティ農園の利用はまだ少ない状況です。自分で区画を持ち野菜栽培を実践できる『学びの広場』の利用者は、30・40代の女性が多く、商店街の人たちと連携して、イベントを行ったりしています。子育て中は孤独を感じやすいので、地域の人と繋がる大切な場所になっているようです」(新保さん)

六甲山系の山裾にある平野展望公園内の約390平米を利用(画像提供/新保奈穂美さん)

六甲山系の山裾にある平野展望公園内の約390平米を利用(画像提供/新保奈穂美さん)

多くの子どもたちも参加(画像提供/平野コープ農園)

多くの子どもたちも参加(画像提供/平野コープ農園)

地域活性化と過密な住宅地の防災に貢献「たもんじ交流農園」

地域活性化のために始めた都市型農園が、地域の防災の場になった事例もある。東京都墨田区の「たもんじ交流農園」だ。

墨田区たもんじ交流農園。地元野菜寺島なすのほかトマトやサトイモなどを栽培(画像提供/新保奈穂美さん)

墨田区たもんじ交流農園。地元野菜寺島なすのほかトマトやサトイモなどを栽培(画像提供/新保奈穂美さん)

「2017年に、現・寺島・玉ノ井まちおこし協議会(以下、てらたま)が、街を盛り上げるため、この地にルーツがある伝統江戸野菜「寺島なす」を活用するプロジェクトを立ち上げ、3年がかりでコミュニティ農園『たもんじ交流農園』をつくりました。約660平米の敷地に12の交流農園があり、農園利用者が使用する毎週日曜日以外にもいつでも誰でも入ることができます。もともと、このエリアは、木造住宅密集地域(木密地域)で、地震・火災の防災・減災対策が課題でした。都市型農園によるオープンスペースの創出が、結果的に、防災・減災対策に繋がりました。災害時には避難スペースになりますし、水やりに使っている雨水タンクは火消しにも役立ちます」(新保さん)

多聞寺の臨時駐車場を無償で借りてつくられた。12区画の交流農園のほか、ウッドデッキやピザ窯がある。画像は、てらたま提供資料に新保さんが加筆したもの(画像提供/新保奈穂美さん)

多聞寺の臨時駐車場を無償で借りてつくられた。12区画の交流農園のほか、ウッドデッキやピザ窯がある。画像は、てらたま提供資料に新保さんが加筆したもの(画像提供/新保奈穂美さん)

農園で収穫された寺島なすは、地域住民や飲食店に提供(画像提供/たもんじ交流農園)

農園で収穫された寺島なすは、地域住民や飲食店に提供(画像提供/たもんじ交流農園)

そもそも、雨水タンクは、循環型農園を目指し、自然資源を活用した農作業を実現するために他の施設から使わなくなったものを譲り受けたものだが、結果として、防災にも生きている。「たもんじ交流農園」に限らず、続けるうちに、農体験から派生して、活動が複合的になっていくことが多々あるという。「いい感じに有機的につながっていくのが面白いところ」と新保さん。

著書の最後には、研究の原点となった「せせらぎ農園」を訪れた時のエピソードが書かれている。都市型公園の研究を続ける原動力ともなった大切な体験だった。

「『せせらぎ農園』の皆さんは、私が何者かも聞かずに、受け入れてくれました。『ここにいていいんだよ』と救われた気持ちがしたのです。こんないいところが、街のあちこちにあったらなあと。都市型農園が増えれば、私のように救われる人が増えるかもしれません」(新保さん)

新保さんが研究を通じて触れた「農のふところの深さ」。都市型農園がもっと身近になり、地域のハブとして、多世代・多様な人々を繋ぐ日は、そう遠くないのではと感じた。

●取材協力
・新保奈穂美さん
・『まちを変える都市型農園―コミュニティを育む空き地活用』(学芸出版社)

育休中の夫婦、0歳双子と北海道プチ移住! 手厚い子育て施策、自動運転バスなどデジタル活用も最先端。上士幌町の実力とは?

長期の育児休業中に、移住体験の制度を活用して北海道へのプチ移住を果たした私たち夫婦&0歳双子男子。
約半年間の北海道暮らしでお世話になったのは、十勝エリアにある豊頃町(とよころちょう)、上士幌町(かみしほろちょう)という2つのまち。
実際に暮らしてみると、都会とは全然違うあんなことやこんなこと。田舎暮らしを検討されている方には必見⁉な、実際暮らした目線で、地方の豊かさとリアルな暮らしを実践レポートします! 今回は上士幌町&プチ移住してみてのまとめ編です。

上士幌町は北海道のちょうど真ん中。ふるさと納税と子育て支援が有名

9月上旬から1月末まで滞在した上士幌町は、十勝エリアの北部に位置する人口5,000人ほどの酪農・農業が盛んなまち。面積は東京23区より少し広い696平方km。なんと牛の数は4万頭と人口の8倍も飼育されています。そして、十勝エリアのなかでも何と言っても有名なのが、「ふるさと納税」。ふるさと納税の金額が北海道内でも上位ランクなんです。そのふるさと納税の寄付を子育て施策に充て、0歳~18歳までの子どもの教育・医療に関する費用は基本無料、ということをいち早く導入したまち。子育て層の移住がかなり増えたことで注目を集めています。
町の北側はほとんどが大雪山国立公園内にあり、携帯の電波も届かない国道273号線(通称ぬかびら国道)を北に走ると、三国峠があり、そこからさらに北上すると、有名な層雲峡(上川町)の方に抜けていきます。

上士幌町の北の端、三国峠付近の冬のとある日。凛とした空気が気持ちよく、手つかずの国立公園が広がります(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町の北の端、三国峠付近の冬のとある日。凛とした空気が気持ちよく、手つかずの国立公園が広がります(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町にある糠平湖では、この冬から、完全に凍った湖面でサイクリングを楽しめるようになりました(上士幌観光協会にて受付・許可が必要)。タウシュベツ川橋梁のすぐ近くまで自転車で行くことができ、厳寒期しか楽しめないアクティビティ&風景が体感できます(写真提供/鈴木宏)

上士幌町にある糠平湖では、この冬から、完全に凍った湖面でサイクリングを楽しめるようになりました(上士幌観光協会にて受付・許可が必要)。タウシュベツ川橋梁のすぐ近くまで自転車で行くことができ、厳寒期しか楽しめないアクティビティ&風景が体感できます(写真提供/鈴木宏)

糠平湖上に期間限定でオープンするアイスバブルカフェ「Sift Coffee」さん。国道から数百メートル歩いた湖のほとりにて営業。歩き疲れた体に美味しいコーヒーが沁みわたります(写真撮影/小正茂樹)

糠平湖上に期間限定でオープンするアイスバブルカフェ「Sift Coffee」さん。国道から数百メートル歩いた湖のほとりにて営業。歩き疲れた体に美味しいコーヒーが沁みわたります(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町の暮らし。徒歩圏でなんでもそろうちょうどいい環境

上士幌町は人口5,000人のまちで、中心となる市街地は一つ。この中心地に人口の約8割、4,000人ほどが住んでいるそう。ここにはスーパーがコンビニサイズながら2つ、喫茶店や飲食店もたくさんあります。そして、コインランドリーに温泉に、バスターミナルに……と生活利便施設がきっちりそろっています。中心地から少し離れると、ナイタイテラス、十勝しんむら牧場のカフェ、小学校跡地を活用したハンバーグが絶品のトバチ、ほっこり空間がすっごくステキな豊岡ヴィレッジなどがあり、暮らすには不自由はほぼないと言ってもいいと思います。

そして、なんと、2022年12月から、自動運転の循環バスが本格稼働しているんです! ほかにも、ドローン配送の実験など、先進的な取組みがたくさんなされているまちでもあります。実は上士幌町さんには、デジタル推進課という課があります。ここが中心となって、高齢者にもタブレットを配布・スマホ相談窓口が設置されています。デジタル化に取り残されがちな高齢者へのサポート体制をしっかり取りながら、インターネット技術を十分活用し、まちのインフラ維持、サービス提供を進めていこうという町としての取組みは素直にすごいなと感じました。

カラフルな自動運転バスがまちの中心地をループする形で運行。雪道でも危なげなく動いていてすごかったです(写真撮影/小正茂樹)

カラフルな自動運転バスがまちの中心地をループする形で運行。雪道でも危なげなく動いていてすごかったです(写真撮影/小正茂樹)

十勝しんむら牧場さんにはミルクサウナが併設。広大な放牧地を望める立地のため、牛を眺めたり、少し遅い時間なら、満点の星空を望みながら整うことができます(写真撮影/荒井駆)

十勝しんむら牧場さんにはミルクサウナが併設。広大な放牧地を望める立地のため、牛を眺めたり、少し遅い時間なら、満点の星空を望みながら整うことができます(写真撮影/荒井駆)

ナイタイテラスからの眺めは壮観! ここで食べられるソフトクリームが美味しい。のんびり風景を楽しみながら、ゆっくり休憩がおすすめです(写真撮影/小正茂樹)

ナイタイテラスからの眺めは壮観! ここで食べられるソフトクリームが美味しい。のんびり風景を楽しみながら、ゆっくり休憩がおすすめです(写真撮影/小正茂樹)

我が家イチ押しの豊岡ヴィレッジは木のぬくもりが感じられる元小学校。子ども用品のおさがりが無料でいただけるコーナーがあり、双子育児中の我が家にとっては本当にありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

我が家イチ押しの豊岡ヴィレッジは木のぬくもりが感じられる元小学校。子ども用品のおさがりが無料でいただけるコーナーがあり、双子育児中の我が家にとっては本当にありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

誕生会やママのHOTステーションなどさまざまな出会いの場が

上士幌町では、移住された方、体験移住中の方などが集まる「誕生会」と呼ばれる持ち寄りのお食事会が月1回開催されています。毎回さまざまな方が来られるので、移住されている方がすごく多い、というのがよく分かります。移住して25年という方もいらして、移住者・まちの人、両方の視点を持っていらっしゃる先輩からの上士幌暮らしのお話は、すごく参考になることが多かったです。

毎月行われている移住者の集い、誕生会。12月はクリスマス会で、サンタさんから双子へもプレゼントが!(写真撮影/小正茂樹)

毎月行われている移住者の集い、誕生会。12月はクリスマス会で、サンタさんから双子へもプレゼントが!(写真撮影/小正茂樹)

また、上士幌町といえば、我々子育て世代にとって、すごくありがたい取組みが「ママのHOTステーション」。育児の集まりの場合、子どもたちが主役になり、「子育てサロン」として開催されることが多いのですが、この取組みの主役は“ママ”。ママが子どもたちを連れて、ゆっくりしたひと時を過ごすことができる場を元保育士の倉嶋さんを中心に企画・運営されていて、今や全国的にも注目される取組みになっています。

実は、上士幌町で移住体験がしたかった一番の目的は、この「ママのHOTステーション」を妻に体験してもらいたかったこと、倉嶋さんの取組みをしっかり体感したかったことにありました。ほぼ毎週のように参加させていただいた妻は本当に大満足で、ママ同士の交流も楽しんだようです。ここでは、〇〇くんのママではなく、きちんと名前でママたちも呼び合い、リラックスムード満点の雰囲気づくりも素晴らしいなと感じました。妻は、「ママのしんどい気持ちや育児悩みを共有してくれて、アドバイスをくれたりするのがすごくありがたいし、同じような立場のママが集ってゆっくり話せるのは嬉しい。子どもの面倒も見てくれるし、ここには毎週通いたい!」と言っていました。こういった同じ境遇のお友達ができるかどうかは、移住するときの大きなポイントだと感じました。もっといろいろな同世代、子育てファミリーに特化したような集まりがあってくれると、更に安心感が増すんだろうなと思います。

ママのHOTステーションの取組みとして面白いところは、「ベビチア」という制度。高齢者の方が登録されていて、子どもたちの世話のお手伝いをしてくださいます。コロナ禍になり、遠方にいるお孫さん・ひ孫さんと会えず寂しい思いをしている高齢の方々などが登録してくださっていて、週1回の触れ合いを楽しみにしてくださっている方も。「子育て」「小さな子ども」というのをキーワードに、多世代の方がのんびり時間を共有しているのはすごくいいなと感じました。

ママのHOTステーションが開催される建物は温浴施設などと入り口が一緒になるので、自然発生的に多世代のあいさつやたわいもない会話が生まれていて、ほっこりします(写真撮影/小正茂樹)

ママのHOTステーションが開催される建物は温浴施設などと入り口が一緒になるので、自然発生的に多世代のあいさつやたわいもない会話が生まれていて、ほっこりします(写真撮影/小正茂樹)

乳幼児救急救命講習会にも参加できました。ベビチアさんたちの大活躍のもと、子どもたちの面倒をみていただき、じっくりと救急救命講習に参加できたことはすごくありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

乳幼児救急救命講習会にも参加できました。ベビチアさんたちの大活躍のもと、子どもたちの面倒をみていただき、じっくりと救急救命講習に参加できたことはすごくありがたかったです(写真撮影/小正茂樹)

上士幌町の移住相談窓口は、NPO法人「上士幌コンシェルジュ」さんが担われています。こちらの名物スタッフの川村さん、井田さんを中心に移住体験者のサポートを行ってくださいました。私たちも入居する前から、いろいろと根掘り葉掘りお伺いして、妻の不安を取り除きつつ、入居後もご相談事項は迅速に対応いただきました。

移住体験住宅もたくさん!テレワークなどの働く環境も

私たち家族が暮らした移住体験住宅は、75平米の2LDKで、納屋・駐車スペース4台分付きという広さ。豊頃町の体験住宅に比べるとやや狭いものの、やはり都会では考えられない広さでゆったり暮らせました。住宅の種類としては、現役の教職員住宅(異動の多い学校の先生向けの公務員宿舎)でした。平成築の建物で、冬の寒さも全く問題なく、この住宅の家賃は月額3万6000円で水道・電気代込み。移住体験をさせていただくと考えると破格の条件かもしれません(暖房・給湯などの灯油代は実費負担)。今回お借りできた住宅以外にも、短期~中・長期用まで上士幌町では10戸程度の移住体験住宅が用意されています。ただ、本当に人気のため、夏季などの気候がいい時期については、かなりの倍率になるようです。ただし、豊頃町と同じく、上士幌町でもエアコンがないことは要注意。スポットクーラーはあるものの、夏の暑さはかなりのものなので、小さなお子さんがいらっしゃる場合は、ご注意ください。エアコンはもう北海道でも必須になりつつあるようなので、少し家賃が上がっても、ご準備いただけるといいなぁと思いました。また、ぜいたくな希望になりますが、食器類や家具などの調度品も比較的古くなってきていると思うので、一度全体コーディネートされると、移住体験の印象が大きく変わるのでは、と感じました。

関連記事:
・育休中の夫婦、0歳双子と北海道プチ移住! 移住体験住宅は畑付き、スーパー代わりの産直が充実。豊頃町の暮らしをレポート
・育休中の双子パパ、家族で北海道プチ移住してみた! 半年暮らして見えてきた魅力と課題

必要最低限の家具・家電付き。広めのお家やったので、めっちゃ助かりました(写真撮影/小正茂樹)

必要最低限の家具・家電付き。広めのお家やったので、めっちゃ助かりました(写真撮影/小正茂樹)

私たちの住まいになった住宅は、まちの中心からは徒歩10~15分ほど。ベビーカーを押して動ける季節には、何度も散歩がてら出かけましたが、ちょうどいい距離感でした。南側は開けた空き地になっていて、日当たりもすごくよくて、冬の寒い日も、晴天率が高いため、日光で室内はいつもぽかぽかになっていました。

一戸建てかつ納屋まで付いて、月額3万6000円とは思えない広々とした体験住宅。子育てファミリーにとっては、一戸建ては音の心配も少なく、すごく過ごしやすかったです(写真撮影/小正茂樹)

一戸建てかつ納屋まで付いて、月額3万6000円とは思えない広々とした体験住宅。子育てファミリーにとっては、一戸建ては音の心配も少なく、すごく過ごしやすかったです(写真撮影/小正茂樹)

体験住宅の南側は空き地が広がっていて、本当に日当たり・風通しも良く、都会では到底体感できないすがすがしい毎日を過ごせました(写真撮影/小正茂樹)

体験住宅の南側は空き地が広がっていて、本当に日当たり・風通しも良く、都会では到底体感できないすがすがしい毎日を過ごせました(写真撮影/小正茂樹)

また、私たちは育児休業中だったため使うことはなかったのですが、上士幌町さんはテレワークやワーケーションなどの取組みについてもすごく前向きに取り組まれています。
まず、テレワーク施設として「かみしほろシェアオフィス」があります。建設に当たっては、ここで働く都市部からのワーカーの方に向けて眺望がいいところ、ということで場所を選定されたそう。個室などもあり、2階建ての使い勝手の良いオフィスとなっています。

個人的に2階がお気に入り。作業で煮詰まったときに正面を見ると気持ち良い風景が広がり、リラックスできる環境(写真撮影/小正茂樹)

個人的に2階がお気に入り。作業で煮詰まったときに正面を見ると気持ち良い風景が広がり、リラックスできる環境(写真撮影/小正茂樹)

さらに2022年にオープンしたのが「にっぽうの家 かみしほろ」。この施設はまちの南側、道の駅のすぐ近くに位置しています。こちらは宿泊施設になりますが、1棟貸しを基本としていて、広々したリビングで交流や打ち合わせ、個室ではプライバシーをしっかり守りつつお仕事に没頭することなどが可能に。また、ワーケーション滞在の方のために、交通費・宿泊費などの助成制度も創設されたとのことで、これからさまざまな企業・団体の活用が期待されます。

にっぽうの家は2棟が廊下で繋がった形状。仕事・生活環境が整っていて、余暇活動もたくさん楽しめる場所で、スタートアップなどの合宿をしてみるのは面白いなと感じました(写真撮影/小正茂樹)

にっぽうの家は2棟が廊下で繋がった形状。仕事・生活環境が整っていて、余暇活動もたくさん楽しめる場所で、スタートアップなどの合宿をしてみるのは面白いなと感じました(写真撮影/小正茂樹)

子育て層にとって、子どもの教育環境というのが移住検討するに当たってはかなり重要な事項となります。上士幌町では、「上士幌Two-way留学プロジェクト」として、都市部で生活する児童・生徒が住民票を移動することなく、上士幌町の小・中学校に通うことができる制度が2022年度から始まりました。この制度を使えば、移住体験中や季節限定移住などの場合も、お子さんの教育環境が担保されることとなり、これまでなかなか移住検討までできなかった就学児がいるファミリーも懸念材料の一つがなくなったこととなります。

十勝には質の高いイベントがたくさん! 起業支援なども盛ん

半年ほど暮らしてみてわかったことはたくさんあったのですが、子育てファミリーとしてすごくいいなと思ったのが、「イベントの質が高く、数も多い」にもかかわらず、「どこに行ってもそこまで混まない」こと。子育てファミリーにとって、子どもを遊ばせる場所がそこここにあるというのはものすごく大きいなと感じました。

とよころ産業まつりでの鮭のつかみ取り競争のひとコマ(写真撮影/小正茂樹)

とよころ産業まつりでの鮭のつかみ取り競争のひとコマ(写真撮影/小正茂樹)

個人的にかなり気に入ったのが芽室公園で行われたかちフェス。広大な芝生広場を会場に、さまざまな飲食・物販ブースや、サウナ体験、ライブが行われていました。すごく心地よく長時間過ごしてしまいました(写真撮影/小正茂樹)

個人的にかなり気に入ったのが芽室公園で行われたかちフェス。広大な芝生広場を会場に、さまざまな飲食・物販ブースや、サウナ体験、ライブが行われていました。すごく心地よく長時間過ごしてしまいました(写真撮影/小正茂樹)

ママたちが企画・運営した「理想のみらいフェス」には3,000人を超える来場が。様々な飲食店やワークショップが並ぶなか、革小物のハンドメイド作家の妻も双子を引き連れて、ワークショップで出店していました(写真撮影/小正茂樹)

ママたちが企画・運営した「理想のみらいフェス」には3,000人を超える来場が。様々な飲食店やワークショップが並ぶなか、革小物のハンドメイド作家の妻も双子を引き連れて、ワークショップで出店していました(写真撮影/小正茂樹)

また、実際に移住して暮らすとなるとお金をどうやって稼ぐかというのもポイントになってくると思います。上士幌町では、「起業支援塾」が年1回開催され、グランプリには支援金も出されるなど、起業サポートも充実しています。また、帯広信用金庫さんが主催され、十勝19市町村が協賛している「TIP(とかち・イノベーション・プログラム)」というものも帯広市内で年1回開催されています。2022年は7月から11月まで。私も育児の隙間を縫って参加させていただきましたが、かなり本気度が高い。野村総研さんがコーディネートをされているのですが、実際5カ月でアイディア出しからチームビルディング、事業計画までを組み上げていきます。ここで起業を実際にするもよし、このTIPには多方面の面白い方々が参加されるため、横の繋がりが生まれたりし、仕事に繋がることもあると思います。

TIPでは、カーリングと美食倶楽部のビジネス化チームに参加しました。チームで体験会を実施して、カーリングの面白さを体感しました(写真撮影/小正茂樹)

TIPでは、カーリングと美食倶楽部のビジネス化チームに参加しました。チームで体験会を実施して、カーリングの面白さを体感しました(写真撮影/小正茂樹)

また、こちらは直接起業とは関連がありませんが、「とかち熱中小学校」というものもあります。これは、山形県発祥の社会人スクールのようなもので、「もういちど7歳の目で世界を……」というコンセプト。ゴリゴリの社会人スクールというよりは、本当に小学校に近い仲間づくりができるアットホームな雰囲気。とはいえ、テーマは先進的な事例に取り組むトップランナーさんの講義や、地元の産業など。こちらも講師はもちろん、開催地が十勝エリア全般にわたるため、参加者の方もさまざまで、人間関係づくりにはもってこい。こちらには家族全員で参加させていただいていました。

2023年1月は豊頃町での開催。当日の講師は金融のプロとお笑い芸人というすごく面白い取り合わせの2コマの授業。毎回、双子を連れ立って授業を聴講でき、育児のよい気分転換にもなりました(写真撮影/小正茂樹)

2023年1月は豊頃町での開催。当日の講師は金融のプロとお笑い芸人というすごく面白い取り合わせの2コマの授業。毎回、双子を連れ立って授業を聴講でき、育児のよい気分転換にもなりました(写真撮影/小正茂樹)

農業に興味がある方は、ひとまず農家でアルバイト、というのもあります。どこの農家さんも収穫の時期などは人手が足りないケースが多く、農業の体験を通じて、地元のことを知れるチャンスが生まれると思います。私も1日だけですが、友人が勤める農業法人さんにお願いして、お手伝いさせていただきました。作物によって時給単価が違うそうなのですが、夏前から秋まで色々な野菜などの収穫がずっと続くため、いろんな農家さんに出向いて、農業とのマッチングを考えてみる、というのもありだと思います。

かぼちゃの収穫はなかなかの重労働でした。農作物によって、アルバイトの時給も違うそうで、なかには都会で働くより時給がよい場合もあるそう(写真撮影/小正茂樹)

かぼちゃの収穫はなかなかの重労働でした。農作物によって、アルバイトの時給も違うそうで、なかには都会で働くより時給がよい場合もあるそう(写真撮影/小正茂樹)

今回、長期の育休を取得し、子育てを実践するとともに、自分のこれからの暮らし方を見つめなおせるいい機会が移住体験で得られました。2拠点居住は子どもができると難しいのではとか、地方で仕事はあるのかなどの漠然とした不安を抱えていましたが、「どこに行っても暮らしのバランスはとれる」ということも分かりました。
大阪の暮らしとは明らかに異なりますが、既に暮らされている方々に教えてもらえれば、その土地土地の暮らしのツボが分かってきます。個人的には、地方に行くほど、システムエンジニアやクリエイターさんたちの活躍の場が実はたくさんある気がしています。こういう方々が積極的に暮らせるような仕組みづくりが出来ると、自然発生的に面白いモノコトが生まれてきて、まちがどんどん便利に面白くなっていくのではないかなと感じました。

我々家族としては、今後2拠点居住を考えていくにあたって、我々1歳児双子を育てている立場として重視したいポイントもいくつか判明しました。それは、「近くにあるほっこり喫茶店」「歩いていける利便施設」があることです。双子育児をするに当たって、双子用のベビーカーって重たくて、小柄な妻は車に乗せたり降ろしたりすることはかなり大変。さらに双子もどんどん重たくなっていきます。そう考えると、私たち家族の現状では、ある程度歩いて行ける範囲に最低限の利便施設があったり、近所の人とおしゃべりができる喫茶店があったりするのはポイントが高いなと妻と話していました。

我々夫婦の趣味がもともと純喫茶巡りだったこともあり、気軽に歩いて行ける範囲に1軒は喫茶店が欲しいなぁと思いました(写真撮影/小正茂樹)

我々夫婦の趣味がもともと純喫茶巡りだったこともあり、気軽に歩いて行ける範囲に1軒は喫茶店が欲しいなぁと思いました(写真撮影/小正茂樹)

今回、長期育休×地方への移住体験という新しい暮らし方にトライしてみて、憧れの北海道に実際暮らすことができました。これまで漠然とした憧れだった北海道暮らしでしたが、憧れから、より具体的なものになりました。また、たくさんの友人・知人や役場の方との繋がりもでき、仕事関係についても可能性を感じられました。
子どもが生まれると、住むまちや家について考えるご家族は多いのではないでしょうか。育休を機会に、子育てしやすく、親たちにとっても心地よいまち・暮らしを探すべく、移住体験をしてみるのは、より楽しく豊かな人生を送るきっかけになると思います。10年後には男性の育休が今より当たり前になり、子育て期間に移住体験、という暮らし方をされる方がどんどん登場すると、地方はより面白くなっていくのではないかなと感じました。
家族みんなの、より心地よい場所、暮らしを移住体験を通じて探してみませんか? いろいろな検討をして、移住体験をすることで、暮らしの可能性は大きく広がると思います。

移住して1カ月ほど経過した時の写真。これからもこの子たちにとっても、楽しく、のびのび暮らせる環境で育ててあげたいなと思います(写真撮影/小正茂樹)

移住して1カ月ほど経過した時の写真。これからもこの子たちにとっても、楽しく、のびのび暮らせる環境で育ててあげたいなと思います(写真撮影/小正茂樹)

●関連サイト
上士幌町移住促進サイト
上士幌観光協会(糠平湖氷上サイクリング)
上士幌町Two-way留学プロジェクト 
十勝しんむら牧場ミルクサウナ
ママのHOTステーション
かみしほろシェアオフィス
にっぽうの家 かみしほろ
理想のみらいフェス
十勝イノベーションプログラム(TIP)
とかち熱中小学校
かちフェス

100年先の社会を考えた大家さんが、ご近所や友人みんなの力をあわせて小さな家をつくる理由。人の力で大槌を上げ下ろし地固めする伝統構法”石場建て”の現場にヨイトマケが響く 世田谷区

都会のなかにある農地が、ある日、マンションや駐車場となっているのを見かけたことはありませんか? 日本全体で人口が減り始めているのに、どんどん住宅をつくって大丈夫なのだろうか、他人事ながら心配になる人もいることでしょう。そんな都市や住まいのあり方に一石を投じるプロジェクトが、世田谷区大蔵の「三年鳴かず飛ばず」です。しかも石場建てという昔ながらの工法を使うとか。開催された「ヨイトマケ」ワークショップの様子とともにご紹介します。

はじまりは相続と都市計画道路の建設。分断された土地をどうする?

都市部はもちろん、地方であっても、農家さんの家の跡地や農地がアパートや駐車場に変わっていくのは珍しい光景ではありません。背景には、
(1)土地所有者が農業だけで生計をたてるのは厳しく、現金収入の必要がある
(2)相続税を含めた納税のため、土地を売却して現金化する必要がある
(3)不動産会社は建物を建設し、金融機関は融資をし、活用をすすめたい
(4)建物を建てることで固定資産税を減らしたい
といった背景があり、アパートや駐車場建設が積極的にすすめられてきました。

人口が増え続けた高度成長期であれば、この方法は有効でしたが、時代は変わり、地方はもちろん、都市部でも人が減り始めています。すると、駅から距離のある物件、バス便などの物件はたちまち不人気となり、空室となってしまいます。このプロジェクトの仕掛人である安藤勝信さんは、そんな入居者募集に苦労する祖父母の姿を見てきました。

今回のプロジェクト仕掛人であり、施主でもある安藤勝信さん(写真撮影/片山貴博)

今回のプロジェクト仕掛人であり、施主でもある安藤勝信さん(写真撮影/片山貴博)

「この周辺は1950年代の人口増加にともない団地建設の計画があり、都市農家だった私の家族は団地開発に明け渡し、結果農地がバラバラに点在した経緯があります。単独で農業ができない面積になってしまった家族は残地に事業として賃貸住宅を建てていったのですが、徐々に時代のニーズに遅れ空室を増やしていきました。
都市農家は、ある時はこれからは住宅や道路が必要だと言われ、ある時は農地は大切だから守れと、時代に翻弄されてきたのです」

畑とその奥は道路予定地(写真撮影/片山貴博)

畑とその奥は道路予定地(写真撮影/片山貴博)

祖父母がなくなったあと、安藤さんは土地や不動産事業を引き継ぐことになりましたが、その土地はすでに都市計画道路予定地として収用が決定されていました。祖父母が住んでいた建物は取り壊しとなるほか、継承した土地も2つに分断されることに。冒頭に紹介したように、定番であれば、「アパート建設」か「駐車場」ですが、安藤さんはそうは考えませんでした。

100年続く風景をつくるにはどうしたらいい? 答えは時代とともに「変われる家」

「母屋を壊したときに、建物をつくった当時のいろいろなものが出てきて、長い間置物だと思っていた物の後ろに“初代のお家の大黒柱の一部”と彫ってあるものがありました。現代の住宅は、30~40年経ったら取り壊して建てるサイクルになりがちですが、昔のひとの時間軸は個人を超えた100年スパンのものなのだと気がつきました。
とはいえ、これから先、人口も減るし、時代はもっと大きく変わっていく。不確定な世の中で大きくて立派で、変わらないものをつくることにも一定の不安やリスクを感じていました。では変えずに守るのではなく変えながら守ろうと。世代や周辺の風景の変化にあわせて、その時代を生きる人が変えていったらいい、変えながら守っていくしかない。そんな計画を立てました」と安藤さん。

そもそも安藤さんは、アパートをコンバージョン(用途変更)して、デイサービス施設にしたり、賃貸の1室をシェアスペースにしたりして認知症の人を見守るといった、新しい賃貸のあり方を模索してきました。

関連記事:
・高齢の母が住む賃貸の1室がシェアスペースに? 住人の交流や見守りはじまる
・駅遠の土地が人気賃貸に! 住人が主役になる相続の公募アイデアって?

そのため、以前から知り合いだったビオフォルム環境デザイン室と一緒にプロジェクトをつくり、1カ所を「長屋プロジェクト」、1カ所を「小屋プロジェクト」とする計画を立てました。長屋プロジェクトは、子育て世代向けの賃貸シェアハウス。1階は地域にひらいているので、気軽にいろんな人が立ち寄れて、子育てや暮らし、毎日のできごとをシェアできます。名前の通り、昔ながらの「長屋」に現代の快適さを組み込んで懐かしくも新しい暮らしを思い描いています。

建築模型図。中央に道路があり、右奥が「長屋プロジェクト」、画面の左手前が「小屋プロジェクト」(写真撮影/片山貴博)

建築模型図。中央に道路があり、右奥が「長屋プロジェクト」、画面の左手前が「小屋プロジェクト」(写真撮影/片山貴博)

そして、かつて安藤さんの祖父母宅があった場所に計画されているのが、「小屋プロジェクト」です。左上にシェアスペース機能のある真四角なお家(母屋)、隣接する小屋はまず1棟つくり、今後3棟程度を少しずつつくっていきます。この母屋、子どもたちと環境教育活動をしている地域住民が引越してくる予定。住人みずからが住みびらきをすることで、シェアスペース兼1階は地域の人や子どもたちが集える場所となる予定です。

画面の右奥に建てられているのが、母屋。1階は地域にひらかれた場所になります(写真撮影/片山貴博)

画面の右奥に建てられているのが、母屋。1階は地域にひらかれた場所になります(写真撮影/片山貴博)

母屋の脇には、4棟の小屋が建つ予定です。一方はトイレ・キッチン付きで、主にシングルの住まいとして使われます。可変・移動が可能なので、将来、小屋が不要になっても移動ができるほか、ユニット設計なので増築も可能です。小さく建てて、空いた敷地に緑や畑をのこす。まさに「変えながら守る設計」になっているんです。ちなみに最初の住人は高齢一人暮らしの女性が住む予定です。

大蔵小屋図面

一方で、小屋であっても住まいですから、地面と建物をつなぐ「基礎」はつくらなくてはいけません。一般的には一戸建てをつくる場合、コンクリートで基礎を打設し、建物と基礎はしっかりとつながっています。が、この現代の工法では、家の移動や可変は難しくなりますし、取り壊す時にも時間・手間がかかります。もちろん、環境への負荷は少なくはありません。

そこで、小屋の基礎を昔ながらの「石場建て」という工法を用いることにしたのです。寺社仏閣、あるいは民家園などに残る家を思い浮かべてもらうとわかりますが、みな立派な石の上に柱を建てる伝統構法の「石場建て」で建てられています。石の上に柱を載せている構造になるので、移動や増改築も容易です。しかも建物と石をどかせば畑や森に戻すことができる。環境への負荷も少なく、都市農業との組み合わせも良い。そんなメリットを考え、今回、「石場建て」のうえに「小屋」をつくることになったのです。伝統的な工法と現代の技術がミックスされた小屋の家、というわけです。

すべては人の暮らしと信頼から。建物や約束はあとからついてくる

「石場建て」にはもうひとつのメリットがあります。それは、地域の共同作業になるということ。石の基礎をつくる「ヨイトマケ」はごく平たくいうと、約100kgの重しで、基礎になる石を大地に打ち据えていく作業です。作業自体は単純ですが、人手と労力が必要になります。そのため、昔は “ヨイトマケ”の歌にあわせて縄でひっぱり、打ち据えていく重労働だったといいます。安藤さんは、昔の重労働も、今となっては地域の人たちの参加と交流の機会と考え、2023年3月のある土曜・日曜、このワークショップ形式で「ヨイトマケ」を開催することに。

石場建てと歌で作業する「ヨイトマケ」を告知する看板。コミュニティアーティストによるイラストが目を引きます(写真撮影/片山貴博)

石場建てと歌で作業する「ヨイトマケ」を告知する看板。コミュニティアーティストによるイラストが目を引きます(写真撮影/片山貴博)

当日、参加者は安藤さんの知人や友人、近隣の住民とビオフォルム環境デザイン室の友人知人、合計100名が集まりました。SNSなどで広く参加者を募るのではなく、「プロジェクトに関心を持ってくださる地域内外の知人友人と散歩ついでにふらっと寄ってくれる地域の方々」にしぼったそう。「同じマルシェに行くのなら、ただ美味しいものを買って帰るより、知り合いがいたほうが楽しくすごせたりしますよね」と安藤さんは例えます。

今回、石場建ての指揮を執るのは、伝統構法を行う杢巧舎(もっこうしゃ)。コンクリートの基礎が当たり前になった今、「石場建て」ができる貴重な工務店です。

参加者はそれぞれ好きな食べ物を持ち寄り、各自あいさつをしながら談笑していました。自然に交流できる仕掛けをつくるあたり、安藤さんの気配りが光ります。「あの◯◯さん、お会いしたかったんです」「初めまして」といいながら会話がはずんでいました。

肝心のヨイトマケの作業ですが、各日の朝からはじまり、昼ごはんやおのおの歓談をしながら、夕方まで、計2日間で行われました。会話ははずんでいますが、一歩間違えば事故になりかねないことから、作業がはじまるとどこかピリッとした緊張感が漂います。これは、棟梁の声のなせる技でしょう。

ヨイトマケで地固めする石は約30カ所。おもりは100kgほどで、数え唄にあわせながら、みんなで綱をひいていきます(写真撮影/片山貴博)

ヨイトマケで地固めする石は約30カ所。おもりは100kgほどで、数え唄にあわせながら、みんなで綱をひいていきます(写真撮影/片山貴博)

作業中にくちずさむ数え歌。言葉遊びになっていて、遊び心を感じます(写真撮影/片山貴博)

作業中にくちずさむ数え歌。言葉遊びになっていて、遊び心を感じます(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

紐をひくのは全員で10人ほど。人数がいるので1人1人はそんなに力が必要ではありません(写真撮影/片山貴博)

紐をひくのは全員で10人ほど。人数がいるので1人1人はそんなに力が必要ではありません(写真撮影/片山貴博)

地域の老若男女、なかにはお子さんも参加していました(写真撮影/片山貴博)

地域の老若男女、なかにはお子さんも参加していました(写真撮影/片山貴博)

地固めした石、水平かどうか調べています(写真撮影/片山貴博)

地固めした石、水平かどうか調べています(写真撮影/片山貴博)

畑の片隅には、この土地の土からつくったアースオーブン(ピザ窯)も。このオーブンも移動可能です(写真撮影/片山貴博)

畑の片隅には、この土地の土からつくったアースオーブン(ピザ窯)も。このオーブンも移動可能です(写真撮影/片山貴博)

オーブンで焼かれたピザも来場者にふるまわれました。美味しい!(写真撮影/片山貴博)

オーブンで焼かれたピザも来場者にふるまわれました。美味しい!(写真撮影/片山貴博)

自分のできることやりたいことを持ち寄る。コーヒーをふるまってくれる人もいました(写真撮影/片山貴博)

自分のできることやりたいことを持ち寄る。コーヒーをふるまってくれる人もいました(写真撮影/片山貴博)

筆者もヨイトマケに参加しましたが、作業自体それほど力は必要としません。ただ、食事をして歌を歌いなら労働をしていると、なんともいえない高揚感と一体感が湧いてきます。参加しているみなさんも本当に楽しそうで、子どもも大人も、高齢の方も、みなさん飽きずに綱をひいていました。

実は、今回参加した近隣住民には工事の音を心配していた方がいたそうです。ところが、なんと当日、ヨイトマケ作業に飛び入り参加し、安藤さんや周辺のみなさんと交流を深めていました。工事を騒音、意見をクレームとみなすこともできますが、お互いの顔が見えることで関係性が生まれ、暮らしをつくる人同士だと思うと、見える風景が変わって見えるのかもしれません。

地域で活躍するコミュニティアーティストも参加し、ヨイトマケの様子をスケッチ。貴重な様子を残していきます(写真撮影/片山貴博)

地域で活躍するコミュニティアーティストも参加し、ヨイトマケの様子をスケッチ。貴重な様子を残していきます(写真撮影/片山貴博)

絵という形で、地域の記憶、記録を残していきたい、と話してくれました(写真撮影/片山貴博)

絵という形で、地域の記憶、記録を残していきたい、と話してくれました(写真撮影/片山貴博)

杢巧舎(もっこうしゃ)の棟梁による締めのあいさつ。不思議と背筋が伸びる気持ちになります(写真撮影/片山貴博)

杢巧舎(もっこうしゃ)の棟梁による締めのあいさつ。不思議と背筋が伸びる気持ちになります(写真撮影/片山貴博)

母屋に住む人、小屋に住む人1名はすでに決まってます。ただ、賃料はまだ未定で、契約書もまだだとか。何事も契約、契約という現代ルールを考えると、驚きしかありません。

「これまでにもいくつかのプロジェクトをやってきましたが、ひとの暮らしを先に、構造をあとにすることで関係性に流れが生まれて、続いていきます。今回設計のビオフォルム環境デザイン室さん、頼んでいないのに実物大のモックアップをつくったんです。やりたいひとがやりたいときにやりたいことができる。状況を上位下達でコントロールするよりも不確実な中でともに考える。そんなことを繰り返してきました」(安藤さん)

休日に労働したのに、なんともいえない達成感が湧いてきます。共同作業って尊いですね(写真撮影/片山貴博)

休日に労働したのに、なんともいえない達成感が湧いてきます。共同作業って尊いですね(写真撮影/片山貴博)

多くの住まいは条件で検索され契約したのちに、暮らしがはじまります。思いや暮らしの一部を共有することはありません。でも本来、人がいて地域の暮らしがあり、必要があるから家を建て、そして地域の人と家をつくる順番だったんだよな、と思い知らされます。

プロジェクト名の「三年鳴かず飛ばず」は、「将来の活躍に備えて行いを控え、三年間鳴かず飛ばずにいる鳥は、ひとたび飛ぶと天まで上がり、ひとたび鳴けば人を驚かす」という故事成語に由来します。あちこちで再開発が進む大都市東京にあって、この開発規模、戸数は小さなものかもしれません。人によっては「鳴かず飛ばず」、つまり、活躍することもなく、人から忘れられたようにみえることでしょう。ただ、日本の賃貸や住まいのあり方、100年後のまちづくりや開発に必要なものとは何か、とても大きな問いかけ、挑戦をしているのではないか、私にはそう思えてなりません。

●取材協力
ビオフォルム環境デザイン室
安藤勝信さん
三年鳴かず飛ばずプロジェクト

100年先の社会を考えた大家さんが、ご近所や友人みんなの力をあわせて小さな家をつくる理由。人の力で大槌を上げ下ろし地固めする伝統構法・石場建ての現場にヨイトマケが響く 世田谷区

都会のなかにある農地が、ある日、マンションや駐車場となっているのを見かけたことはありませんか? 日本全体で人口が減り始めているのに、どんどん住宅をつくって大丈夫なのだろうか、他人事ながら心配になる人もいることでしょう。そんな都市や住まいのあり方に一石を投じるプロジェクトが、世田谷区大蔵の「三年鳴かず飛ばず」です。しかも石場建てという昔ながらの工法を使うとか。開催された「ヨイトマケ」ワークショップの様子とともにご紹介します。

はじまりは相続と都市計画道路の建設。分断された土地をどうする?

都市部はもちろん、地方であっても、農家さんの家の跡地や農地がアパートや駐車場に変わっていくのは珍しい光景ではありません。背景には、
(1)土地所有者が農業だけで生計をたてるのは厳しく、現金収入の必要がある
(2)相続税を含めた納税のため、土地を売却して現金化する必要がある
(3)不動産会社は建物を建設し、金融機関は融資をし、活用をすすめたい
(4)建物を建てることで固定資産税を減らしたい
といった背景があり、アパートや駐車場建設が積極的にすすめられてきました。

人口が増え続けた高度成長期であれば、この方法は有効でしたが、時代は変わり、地方はもちろん、都市部でも人が減り始めています。すると、駅から距離のある物件、バス便などの物件はたちまち不人気となり、空室となってしまいます。このプロジェクトの仕掛人である安藤勝信さんは、そんな入居者募集に苦労する祖父母の姿を見てきました。

今回のプロジェクト仕掛人であり、施主でもある安藤勝信さん(写真撮影/片山貴博)

今回のプロジェクト仕掛人であり、施主でもある安藤勝信さん(写真撮影/片山貴博)

「この周辺は1950年代の人口増加にともない団地建設の計画があり、都市農家だった私の家族は団地開発に明け渡し、結果農地がバラバラに点在した経緯があります。単独で農業ができない面積になってしまった家族は残地に事業として賃貸住宅を建てていったのですが、徐々に時代のニーズに遅れ空室を増やしていきました。
都市農家は、ある時はこれからは住宅や道路が必要だと言われ、ある時は農地は大切だから守れと、時代に翻弄されてきたのです」

畑とその奥は道路予定地(写真撮影/片山貴博)

畑とその奥は道路予定地(写真撮影/片山貴博)

祖父母がなくなったあと、安藤さんは土地や不動産事業を引き継ぐことになりましたが、その土地はすでに都市計画道路予定地として収用が決定されていました。祖父母が住んでいた建物は取り壊しとなるほか、継承した土地も2つに分断されることに。冒頭に紹介したように、定番であれば、「アパート建設」か「駐車場」ですが、安藤さんはそうは考えませんでした。

100年続く風景をつくるにはどうしたらいい? 答えは時代とともに「変われる家」

「母屋を壊したときに、建物をつくった当時のいろいろなものが出てきて、長い間置物だと思っていた物の後ろに“初代のお家の大黒柱の一部”と彫ってあるものがありました。現代の住宅は、30~40年経ったら取り壊して建てるサイクルになりがちですが、昔のひとの時間軸は個人を超えた100年スパンのものなのだと気がつきました。
とはいえ、これから先、人口も減るし、時代はもっと大きく変わっていく。不確定な世の中で大きくて立派で、変わらないものをつくることにも一定の不安やリスクを感じていました。では変えずに守るのではなく変えながら守ろうと。世代や周辺の風景の変化にあわせて、その時代を生きる人が変えていったらいい、変えながら守っていくしかない。そんな計画を立てました」と安藤さん。

そもそも安藤さんは、アパートをコンバージョン(用途変更)して、デイサービス施設にしたり、賃貸の1室をシェアスペースにしたりして認知症の人を見守るといった、新しい賃貸のあり方を模索してきました。

関連記事:
・高齢の母が住む賃貸の1室がシェアスペースに? 住人の交流や見守りはじまる
・駅遠の土地が人気賃貸に! 住人が主役になる相続の公募アイデアって?

そのため、以前から知り合いだったビオフォルム環境デザイン室と一緒にプロジェクトをつくり、1カ所を「長屋プロジェクト」、1カ所を「小屋プロジェクト」とする計画を立てました。長屋プロジェクトは、子育て世代向けの賃貸シェアハウス。1階は地域にひらいているので、気軽にいろんな人が立ち寄れて、子育てや暮らし、毎日のできごとをシェアできます。名前の通り、昔ながらの「長屋」に現代の快適さを組み込んで懐かしくも新しい暮らしを思い描いています。

建築模型図。中央に道路があり、右奥が「長屋プロジェクト」、画面の左手前が「小屋プロジェクト」(写真撮影/片山貴博)

建築模型図。中央に道路があり、右奥が「長屋プロジェクト」、画面の左手前が「小屋プロジェクト」(写真撮影/片山貴博)

そして、かつて安藤さんの祖父母宅があった場所に計画されているのが、「小屋プロジェクト」です。左上にシェアスペース機能のある真四角なお家(母屋)、隣接する小屋はまず1棟つくり、今後3棟程度を少しずつつくっていきます。この母屋、子どもたちと環境教育活動をしている地域住民が引越してくる予定。住人みずからが住みびらきをすることで、シェアスペース兼1階は地域の人や子どもたちが集える場所となる予定です。

画面の右奥に建てられているのが、母屋。1階は地域にひらかれた場所になります(写真撮影/片山貴博)

画面の右奥に建てられているのが、母屋。1階は地域にひらかれた場所になります(写真撮影/片山貴博)

母屋の脇には、4棟の小屋が建つ予定です。一方はトイレ・キッチン付きで、主にシングルの住まいとして使われます。可変・移動が可能なので、将来、小屋が不要になっても移動ができるほか、ユニット設計なので増築も可能です。小さく建てて、空いた敷地に緑や畑をのこす。まさに「変えながら守る設計」になっているんです。ちなみに最初の住人は高齢一人暮らしの女性が住む予定です。

大蔵小屋図面

一方で、小屋であっても住まいですから、地面と建物をつなぐ「基礎」はつくらなくてはいけません。一般的には一戸建てをつくる場合、コンクリートで基礎を打設し、建物と基礎はしっかりとつながっています。が、この現代の工法では、家の移動や可変は難しくなりますし、取り壊す時にも時間・手間がかかります。もちろん、環境への負荷は少なくはありません。

そこで、小屋の基礎を昔ながらの「石場建て」という工法を用いることにしたのです。寺社仏閣、あるいは民家園などに残る家を思い浮かべてもらうとわかりますが、みな立派な石の上に柱を建てる伝統構法の「石場建て」で建てられています。石の上に柱を載せている構造になるので、移動や増改築も容易です。しかも建物と石をどかせば畑や森に戻すことができる。環境への負荷も少なく、都市農業との組み合わせも良い。そんなメリットを考え、今回、「石場建て」のうえに「小屋」をつくることになったのです。伝統的な工法と現代の技術がミックスされた小屋の家、というわけです。

すべては人の暮らしと信頼から。建物や約束はあとからついてくる

「石場建て」にはもうひとつのメリットがあります。それは、地域の共同作業になるということ。石の基礎をつくる「ヨイトマケ」はごく平たくいうと、約100kgの重しで、基礎になる石を大地に打ち据えていく作業です。作業自体は単純ですが、人手と労力が必要になります。そのため、昔は “ヨイトマケ”の歌にあわせて縄でひっぱり、打ち据えていく重労働だったといいます。安藤さんは、昔の重労働も、今となっては地域の人たちの参加と交流の機会と考え、2023年3月のある土曜・日曜、このワークショップ形式で「ヨイトマケ」を開催することに。

石場建てと歌で作業する「ヨイトマケ」を告知する看板。コミュニティアーティストによるイラストが目を引きます(写真撮影/片山貴博)

石場建てと歌で作業する「ヨイトマケ」を告知する看板。コミュニティアーティストによるイラストが目を引きます(写真撮影/片山貴博)

当日、参加者は安藤さんの知人や友人、近隣の住民とビオフォルム環境デザイン室の友人知人、合計100名が集まりました。SNSなどで広く参加者を募るのではなく、「プロジェクトに関心を持ってくださる地域内外の知人友人と散歩ついでにふらっと寄ってくれる地域の方々」にしぼったそう。「同じマルシェに行くのなら、ただ美味しいものを買って帰るより、知り合いがいたほうが楽しくすごせたりしますよね」と安藤さんは例えます。

今回、石場建ての指揮を執るのは、伝統構法を行う杢巧舎(もっこうしゃ)。コンクリートの基礎が当たり前になった今、「石場建て」ができる貴重な工務店です。

参加者はそれぞれ好きな食べ物を持ち寄り、各自あいさつをしながら談笑していました。自然に交流できる仕掛けをつくるあたり、安藤さんの気配りが光ります。「あの◯◯さん、お会いしたかったんです」「初めまして」といいながら会話がはずんでいました。

肝心のヨイトマケの作業ですが、各日の朝からはじまり、昼ごはんやおのおの歓談をしながら、夕方まで、計2日間で行われました。会話ははずんでいますが、一歩間違えば事故になりかねないことから、作業がはじまるとどこかピリッとした緊張感が漂います。これは、棟梁の声のなせる技でしょう。

ヨイトマケで地固めする石は約30カ所。おもりは100kgほどで、数え唄にあわせながら、みんなで綱をひいていきます(写真撮影/片山貴博)

ヨイトマケで地固めする石は約30カ所。おもりは100kgほどで、数え唄にあわせながら、みんなで綱をひいていきます(写真撮影/片山貴博)

作業中にくちずさむ数え歌。言葉遊びになっていて、遊び心を感じます(写真撮影/片山貴博)

作業中にくちずさむ数え歌。言葉遊びになっていて、遊び心を感じます(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

(写真撮影/片山貴博)

紐をひくのは全員で10人ほど。人数がいるので1人1人はそんなに力が必要ではありません(写真撮影/片山貴博)

紐をひくのは全員で10人ほど。人数がいるので1人1人はそんなに力が必要ではありません(写真撮影/片山貴博)

地域の老若男女、なかにはお子さんも参加していました(写真撮影/片山貴博)

地域の老若男女、なかにはお子さんも参加していました(写真撮影/片山貴博)

地固めした石、水平かどうか調べています(写真撮影/片山貴博)

地固めした石、水平かどうか調べています(写真撮影/片山貴博)

畑の片隅には、この土地の土からつくったアースオーブン(ピザ窯)も。このオーブンも移動可能です(写真撮影/片山貴博)

畑の片隅には、この土地の土からつくったアースオーブン(ピザ窯)も。このオーブンも移動可能です(写真撮影/片山貴博)

オーブンで焼かれたピザも来場者にふるまわれました。美味しい!(写真撮影/片山貴博)

オーブンで焼かれたピザも来場者にふるまわれました。美味しい!(写真撮影/片山貴博)

自分のできることやりたいことを持ち寄る。コーヒーをふるまってくれる人もいました(写真撮影/片山貴博)

自分のできることやりたいことを持ち寄る。コーヒーをふるまってくれる人もいました(写真撮影/片山貴博)

筆者もヨイトマケに参加しましたが、作業自体それほど力は必要としません。ただ、食事をして歌を歌いなら労働をしていると、なんともいえない高揚感と一体感が湧いてきます。参加しているみなさんも本当に楽しそうで、子どもも大人も、高齢の方も、みなさん飽きずに綱をひいていました。

実は、今回参加した近隣住民には工事の音を心配していた方がいたそうです。ところが、なんと当日、ヨイトマケ作業に飛び入り参加し、安藤さんや周辺のみなさんと交流を深めていました。工事を騒音、意見をクレームとみなすこともできますが、お互いの顔が見えることで関係性が生まれ、暮らしをつくる人同士だと思うと、見える風景が変わって見えるのかもしれません。

地域で活躍するコミュニティアーティストも参加し、ヨイトマケの様子をスケッチ。貴重な様子を残していきます(写真撮影/片山貴博)

地域で活躍するコミュニティアーティストも参加し、ヨイトマケの様子をスケッチ。貴重な様子を残していきます(写真撮影/片山貴博)

絵という形で、地域の記憶、記録を残していきたい、と話してくれました(写真撮影/片山貴博)

絵という形で、地域の記憶、記録を残していきたい、と話してくれました(写真撮影/片山貴博)

杢巧舎(もっこうしゃ)の棟梁による締めのあいさつ。不思議と背筋が伸びる気持ちになります(写真撮影/片山貴博)

杢巧舎(もっこうしゃ)の棟梁による締めのあいさつ。不思議と背筋が伸びる気持ちになります(写真撮影/片山貴博)

母屋に住む人、小屋に住む人1名はすでに決まってます。ただ、賃料はまだ未定で、契約書もまだだとか。何事も契約、契約という現代ルールを考えると、驚きしかありません。

「これまでにもいくつかのプロジェクトをやってきましたが、ひとの暮らしを先に、構造をあとにすることで関係性に流れが生まれて、続いていきます。今回設計のビオフォルム環境デザイン室さん、頼んでいないのに実物大のモックアップをつくったんです。やりたいひとがやりたいときにやりたいことができる。状況を上位下達でコントロールするよりも不確実な中でともに考える。そんなことを繰り返してきました」(安藤さん)

休日に労働したのに、なんともいえない達成感が湧いてきます。共同作業って尊いですね(写真撮影/片山貴博)

休日に労働したのに、なんともいえない達成感が湧いてきます。共同作業って尊いですね(写真撮影/片山貴博)

多くの住まいは条件で検索され契約したのちに、暮らしがはじまります。思いや暮らしの一部を共有することはありません。でも本来、人がいて地域の暮らしがあり、必要があるから家を建て、そして地域の人と家をつくる順番だったんだよな、と思い知らされます。

プロジェクト名の「三年鳴かず飛ばず」は、「将来の活躍に備えて行いを控え、三年間鳴かず飛ばずにいる鳥は、ひとたび飛ぶと天まで上がり、ひとたび鳴けば人を驚かす」という故事成語に由来します。あちこちで再開発が進む大都市東京にあって、この開発規模、戸数は小さなものかもしれません。人によっては「鳴かず飛ばず」、つまり、活躍することもなく、人から忘れられたようにみえることでしょう。ただ、日本の賃貸や住まいのあり方、100年後のまちづくりや開発に必要なものとは何か、とても大きな問いかけ、挑戦をしているのではないか、私にはそう思えてなりません。

●取材協力
ビオフォルム環境デザイン室
安藤勝信さん
三年鳴かず飛ばずプロジェクト

”大家さんが変われば、まちが変わる”を横浜の住宅街の一画で体現する「753village(ななごーさんビレッジ)」/緑区中山

かつてのどかな村だった中山地区が「町」になったのは、昭和44年のこと。その後令和元年には町が廃止され「中山」という地区名だけが残った。神奈川県横浜市緑区中山。

いま穏やかな住宅街の一画、半径1km圏内ほどのエリアに、ここ数年、カフェやシェアハウス、交流スペースができ、人知れず「753village(ななごーさんビレッジ)」と呼ばれている。

人が人を呼び、そのまちに根付いていく。なぜいま、中山でそんな動きが起きているのだろう? いったいどんな人たちによる、どんな取り組みなのか? 移住して10年の関口春江さんにお話を伺ってきた。

(写真撮影/池田 礼)

(写真撮影/池田 礼)

屋根の上に草が生える建物。ここはいったい……?

JR横浜線と、横浜市営地下鉄グリーンライン(4号線)が乗り入れる中山駅から歩いて5分。駅の南を走る県道109号からさらに南に入ると、753villageの入口付近にあたる。曲がり角には『753通信』と書かれたイラストの地図が貼ってあった。いくつもの面白そうなスポットが記されている。

「753village」界隈のマップ

「753village」界隈のマップ

発酵をテーマにした古民家カフェ「菌カフェ753」。農園付き一戸建賃貸「なごみヒルズ」、もう20年以上続く多目的レンタルスペース「なごみ邸」、教室を開催できる「楽し舎(たのしや)」、販売拠点や実店舗を持たない人向けのチャレンジスペース「季楽荘」、絵画や写真、工芸などの展示スペース「Gallery N.」……

さらに歩を進めると、不思議な建物が目に入る。屋根の上に草が生えていて、面のガラス戸には大きな白い暖簾が揺れている。

これが最近オープンした「Co-coya」。シェアオフィスと貸アトリエと賃貸住宅の機能がぎゅっと入った建物で、染色や絵画などの作家の工房や、いざという時の地域住民のための避難所も兼ねている。

753villageは、この辺りの大家さんがチームの一員になり、空き家を活かしたカフェやシェアハウス、レンタルスペースを展開しているという。ほかの地域から訪れたシェフや、建築家、自主保育(※)の運営者などが「面白そう」と集まり、自発的にカフェを開いたり、マルシェを催したり。Co-coyaを運営する建築家の関口春江さんもその一人だ。

関口さんの話からは、関わる人たちがほどよい距離感で交流しながら、中山での暮らしを楽しむ様子が伝わってきた。

※自主保育/就学前の子どもたちを保育園や幼稚園に預けるのではなく、保護者同士が協力して子育てをしていく取り組み

753villageの入口付近に建つ「Co-coya」。屋根の野芝は断熱効果のほか、雨水貯蓄にもなる。手前は原っぱと休憩所のある「PARK753」(写真撮影/池田 礼)

753villageの入口付近に建つ「Co-coya」。屋根の野芝は断熱効果のほか、雨水貯蓄にもなる。手前は原っぱと休憩所のある「PARK753」(写真撮影/池田 礼)

古民家カフェに始まり、マルシェの開催へ

関口さんはCo-coyaの管理人であり、菌カフェの発起人の一人でもある。援農(※)をきっかけに中山の隣のまちに通うようになった。そこで出会った仲間とカフェを始めたのが中山地区との最初の関わりだ。

「菌カフェ」は、753villageの起点となった場所。たった一歩、店に足を踏み入れただけで、長年大切にされてきた場所だとわかった。

※援農/無償または最低賃金以下の謝礼や農産物を対価として、農家の農作業を住民らが手伝うもの

毎日11~16時で営業。今は食事メニューには、発酵を用いた多彩なドリンクやランチが提供される(写真撮影/池田 礼)

毎日11~16時で営業。今は食事メニューには、発酵を用いた多彩なドリンクやランチが提供される(写真撮影/池田 礼)

店内には果物などが置かれ、壁の棚にはびっしりスパイスの瓶が並んでいる。店の奥には大きなガラス窓に、アンティーク風の家具(写真撮影/池田 礼)

店内には果物などが置かれ、壁の棚にはびっしりスパイスの瓶が並んでいる。店の奥には大きなガラス窓に、アンティーク風の家具(写真撮影/池田 礼)

「もともとここは大家さんがカフェギャラリーをやっていた場所で、私たちが訪れた時は空き家になっていました。隣に住んでいたのが、当時一緒に援農していたシェフの辻さん。あまりに素敵な場所だったので、仲間うちで何かしたいねという話になったものの、みな本業があるし、毎月定額の家賃を払うのは厳しい。そこで大家さんと一緒に運営する形で、スモールスタートさせてほしいとお願いしたんです」

Co-coya管理人であり、753villageの中心的な人物の一人、関口春江さん(写真撮影/池田 礼)

Co-coya管理人であり、753villageの中心的な人物の一人、関口春江さん(写真撮影/池田 礼)

はじめは木金土の週3日だけ営業。まずはお店のことを知ってもらわなければと、店でマルシェを開催することになった。月に1回、手づくり小物の作家や、パン屋さんなどの出店があり、輪が広がりお客さんが増えていった。

コロナ禍以前に年2回開催していた大規模マルシェ、大753市の様子

コロナ禍以前に年2回開催していた大規模マルシェ、大753市の様子(753village提供)

コロナ以前に年2回開催していた大規模マルシェ、大753市の様子(753village提供)

Co-coyaのまねき市(753village提供)

Co-coyaのまねき市(753village提供)

大家さん次第で、まちはこれほど変わる

関口さんの話にたびたび登場するのが、753villageのほとんどの建物を所有する大家の齋藤好貴さんだ。初めて会った時、齋藤さんは関口さんたちにこんな話をしたのだそうだ。

「『50年後、100年後に、この中山をもっと魅力的にしたい。そのために土地を切り売りするんじゃなくて、まちの歴史や培ってきた空気感を残しながら利活用する方法がないか、ずっと考えている』んですって。そんな地主さん、私は会ったことないなと思いました」

齋藤さんは、鎌倉時代からここに暮らす地主の末裔で、昔から中山近辺の多くの土地を所有してきた。中山には、和風の家も洋風の家もあるが、比較的立派な家が多い。おのずと庭や街並みも落ち着いた、風格のあるものになった。

都市部では、家が空くとすぐに更地にして駐車場にしたり、マンションが建ったりする。だが齋藤さんは、空いた家の何軒かを積極的にギャラリーや、教室など、皆が使える場所にしてきた。

中山地区の一部の地主であり、753villageの建物の所有者である齋藤好貴さん(写真撮影/池田 礼)

中山地区の一部の地主であり、753villageの建物の所有者である齋藤好貴さん(写真撮影/池田 礼)

そのはじまりが、25年前に始まった、「なごみ邸」だ。大きな日本家屋を、サロンのような形で貸し出し、誰でも使える多目的スペースにした。
「当時から空き家は増えていくと言われていて。いくら都心に近くても、横浜であっても、空き家がどんどん使われなくなるのが予測できました。

じゃあ何ができるだろうと考えた時に、このまちに魅力を感じてもらえるような仕掛けをつくろうと。そうすれば自然と人が集まり、結果的に地主や家主も潤うんじゃないかと思ったんです」

齋藤さんのいうまちの魅力とは、交通の利便性や買い物のしやすさではない。
大事にしたかったのは人と人の縁。

「空いた建物や庭を生かして、この土地の雰囲気を味わって楽しく過ごしてもらう。それが人から人に伝わって、まちの評判につながればいい」と考えたのだ。

和室があり、窓が大きく庭が一望できる洋室あり(写真撮影/池田 礼)

和室があり、窓が大きく庭が一望できる洋室あり(写真撮影/池田 礼)

春には庭の桜が見事な花をつける。3月末から4月初期は、庭を一般開放している(写真撮影/池田 礼)

春には庭の桜が見事な花をつける。3月末から4月初期は、庭を一般開放している(写真撮影/池田 礼)

そして10年ほど前に現れたのが関口さんたちだった。関口さん自身も建築家で、新築を建てるのが仕事。楽しい仕事だけれど、空き家が増える中で新たに建て続ける矛盾も感じていた。ハコをつくるより、活用し続けるほうが大事なんじゃないかと考えるようになっていた。

齋藤さんは関口さんたちのカフェの提案を受け入れる。その後、マルシェが始まり、展示スペースなど展開も広がり。

関口さんたちは齋藤さんの「なごみ邸」の名をもじって、このエリアを「753village」と名付ける。
大家さん次第でまちはこれほど変わるのだと、気付いた。

「Co-coya」をまちの案内所に

2021年にはクラウドファンディングと横浜市の助成を得て、職住一体型の地域ステーション「Co-coya」がオープンする。

コロナの影響で753villageの活動がすべてストップした時に、この構想が生まれた。

「今のうちに次に向けての準備をしようと思ったんです。拠点が増えたので、わかりやすく案内するまちの入口、案内所をつくろうと。私たちのしてきた活動が、古くからの住民にもわかりやすいように見える化しようと考えました。子育て世代や世代間の交流を促す場所にもなったらいいなと思ったんです」(関口さん)

Co-coyaの建物へ入ると、まず天井の高い広い土間と大きな机の置かれたコワーキングスペースがある。向かって左には、防災の観点から電気やガスが止まっても薪で沸かせるお風呂があり、その奥はパンの焼ける工房。さらに扉の向こうには井戸があり、何かあった際の水の供給ができるようになっている。

薪で暖をとることができるように、あえて薪ストーブ。左手のお風呂も薪風呂(写真撮影/池田 礼)

薪で暖をとることができるように、あえて薪ストーブ。左手のお風呂も薪風呂(写真撮影/池田 礼)

「ここの構想を話して共感してくれたパティシエの子や、今2階に住んでいる画家、陶芸家さんとはマルシェを通じて知り合いました。共感型投資といいますか。彼女たちが間借りしてくれたおかげで、一緒にこの場所をつくってきたような関係なんです」

Co-coyaの奥のスペースには、井戸がある(写真撮影/池田 礼)

Co-coyaの奥のスペースには、井戸がある(写真撮影/池田 礼)

初めて訪れる人にも安心して立ち寄ってもらえるよう、通りに面した入口は上から下までガラス張りに。関口さん自身も、普段はここで仕事をしている。

福祉の拠点「レモンの庭」

菌カフェのすぐそばには、「レモンの庭」と名付けられた、多世代交流施設もある。これも齋藤さんが新しく建てた賃貸の家を、一般社団法人フラットガーデンが借りて、開催しているものだ。横浜市の介護予防生活支援サービス補助事業でもある。

訪れた日、中へお邪魔すると、若い人からお年寄りまで、集まった女性たちが思い思いに好きな縫いものをしていた。この日行われていたのは「ぬいものカフェ」。参加者同士おしゃべりや笑い声が絶えなかった(写真撮影/池田 礼)

訪れた日、中へお邪魔すると、若い人からお年寄りまで、集まった女性たちが思い思いに好きな縫いものをしていた。この日行われていたのは「ぬいものカフェ」。参加者同士おしゃべりや笑い声が絶えなかった(写真撮影/池田 礼)

フラットガーデンの阿久津さんが、教えてくれる。

「ここは月曜と水曜から土曜日の10時から15時まで開いていて。ほかにも編み物を楽しむ『ニットカフェ』や、餃子づくりやパンづくりを教わる『レモンの学校』、初心者歓迎で子どもからお年寄りまでともに楽しむ健康麻雀『麻雀 はじめの一歩』など、いろんなプログラムがあって参加費は500円。

女性はおしゃべり好きも多いので、こうして集まってわいわいやるんですが、男性は話すのが苦手な方も多いので、2階で健康麻雀もやっています。終わってから下でお茶飲んだりするうちに次第に打ち解けるんですよね」

「ぬいものカフェ」で各自が好きな縫い物をして楽しんでいる様子。子どもから、赤ちゃん連れのお母さん、高齢者まで、誰でも立ち寄ることができ、日によってはランチも提供(写真撮影/池田 礼)

「ぬいものカフェ」で各自が好きな縫い物をして楽しんでいる様子。子どもから、赤ちゃん連れのお母さん、高齢者まで、誰でも立ち寄ることができ、日によってはランチも提供(写真撮影/池田 礼)

健康麻雀のようす(写真撮影/池田 礼)

健康麻雀のようす(写真撮影/池田 礼)

2階へ上がってみると、麻雀には若い人や女性の参加者もいてみんな楽しそうだ。

「多世代交流」とひと口に言うのは簡単だが、一人暮らしのお年寄りや、家族以外の誰かと時を過ごしたい、心を通わせたい人たちにとって、ここは想像以上に大切な場所なのかもしれない。

時間をかけてできたこと

そんな風に少しずつ、外の人と地元住民がつながり、縁が紡がれていく。大きくは「コミュニティが広がっている」と言えるのだろうが、個人から見ると、友達や知り合いが増えて、近所に話相手が増えることになるのだろう。

何気ないことのようで、人が生来求めている、そして都市部の多くでは失われた切実な願いを叶えてくれているのかもしれない。最後に、関口さんは大切なことを教えてくれた。

「ここまでくるには年月がかかっているんです。私たちも、移住してもう10年になりますし、齋藤さんとも、毎月お家賃を手渡ししながら少しずつ関係性を築いてきたので。その間こちらも人間性を見られていたと思うし、私たちも齋藤さんのことを少しずつ理解して。周囲の人たちとも同じように。10年かけて今の関係性があります」

(写真撮影/池田 礼)

(写真撮影/池田 礼)

土地をもつ大家さんと、外から入ったクリエイティブな人たちが出会って新しい動きが生まれる。そこでいい関係性が育てば、地元に根付き、変わらないまちの魅力になっていくのかもしれない。これから10年後の753villageがどうなるのか、楽しみだなと思った。

●取材協力
753village

近所の農家と消費者が育むつながりが地域の心強さに。「縁の畑」が始めた”友産友消”とは?

朝10時半。北海道長沼町のスーパー「フレッシュイン グローブ」(以下、グローブ)の店先には新鮮な農作物が並んでいた。みずみずしい白菜、土のついた大根、真っ赤なりんご。開店と同時に、お客さんが続々と入ってくる。「縁の畑(えんのはた)」というグループの売り場だ。縁の畑は近隣の生産者と消費者が一緒になってつくる共同販売グループのこと。
農業が盛んな地域でも、その地で採れた野菜がそのままスーパーに並ぶとは限らない。多くが市場を通して売買されるためだ。
そこで、生産者と消費者、売り手が小さな流通のしくみを自分たちでつくり「近隣の野菜を地元で食べる」を実現する試みが始まっている。
エネルギーや食の供給が不安定になっている今の情勢下で、縁の畑の取り組みは、生産者と消費者が身近なところでつながり合う意味を教えてくれる。

地産地消の難しさ

この日、白菜を並べていた「ファーム鈴田」の鈴田圭子さんも、縁の畑のメンバーの一人。
「白菜って新鮮なほどおいしくて、採りたてはほんとに味が違うんです。それを食べる人たちにも知ってほしいなと思って」

「ファーム鈴田」の鈴田圭子さん(写真/久保ヒデキ)

「ファーム鈴田」の鈴田圭子さん(写真/久保ヒデキ)

「縁の畑」は長沼町の生産者農家23軒と消費者やこの取り組みを応援する14人による共同販売のチーム。個性ある農家が、地元の人たちに自分たちの野菜を食べてほしいと始めた活動だ。食べ手である消費者も、近隣の野菜を身近な場所で買えるのは心強いと、準組合員になって支援している。

国道沿いには道の駅があり、札幌など都市部から訪れる人たちで週末にぎわうが、長沼の中心部からは少し離れているため、地元の人たちからは少し遠い存在。

同じくきびきびと働いていた白滝文恵さんは、立ち上げメンバーの一人で、いま中心になって事務局をまわしている。

「地元で地元の野菜を買える場所は、長沼でも少なかったんです。例えば地元の農家さんと知り合って、いただいた野菜がすごくおいしくても、近くに買える場所がなくて。キュウリ2~3本を買うために直接農家を訪ねるのはハードルが高いですよね。ここで買えるようになって、すごく喜んでもらえました」

右から事務局の白滝さん、「ファーム鈴田」の鈴田さん、同じく事務局の保井侑希さん(写真/久保ヒデキ)

右から事務局の白滝さん、「ファーム鈴田」の鈴田さん、同じく事務局の保井侑希さん(写真/久保ヒデキ)

「地産地消」という言葉が生まれたのは1980年代(*)。地産地消が実現できれば、消費者は新鮮でおいしい野菜を入手でき、生産者にとっても身近な人たちに届ける喜びになり、少量の産品や規格外品も販売しやすくなるなどの利点もある。

(写真/久保ヒデキ)

(写真/久保ヒデキ)

ただ、直売所の普及や学校給食での地元野菜の使用が進むのに対して、小ロットを狭い地域のなかで流通するシステムは十分に整っているとはいえない。地元の小売店や飲食店がその地の野菜を安定的に仕入れたい場合、市場で買うか農家と個別に契約するほかない。

そこで農家と消費者、地元のスーパーの三者が協力して地元の人たちに届けようとするのが、「縁の畑」である。

縁の畑の組織図(提供:縁の畑)

縁の畑の組織図(提供:縁の畑)

小さな農協のイメージ

参加する農家はさまざまだが、みんなこだわりをもつ個性的な農家ばかり。JA出荷だけでなく直販もしていたり、農家の名前を表に出して売ることを大事にしている。

縁の畑の設立には、多くのメンバーがお世話になった、ある農家の離農がきっかけになっている。長年直販で農業を続けてきた農家だったが、ネット販売が主流になり、年配者には売り先を開拓するのが難しくなったことが理由にあった。何とか離農を防げないかと若手農家10軒ほどが集まって相談した。結局その農園はリタイヤすることになったのだけれど、新しい売り方をみんなで考えたことが会の設立につながった。

会長は、平飼い有精卵の養鶏農家「ファーム モチツモタレツ」の高井一輝さんが就任。ただし農家と消費者による共同運営、共同出資なので何でもみんなで決める。「縁の畑」という名前も、理念も規約も、スラックなどを使って、みんなで意見を出し合って決めてきた。

事務局の白滝さんは、以前北海道の有機農業組合の職員だった。そのため「縁の畑」の組織を考えるとき、小さな農協をつくればいいと発想したのだそうだ。

「会費を募って組合員によって構成されるイメージです。生産者は正組合員として一口1万円、消費者は準組合員として一口5千円。そのほか年会費が5千円です。ただし縁の畑はオーガニックにとらわれない、いろんな生産者の集まり。農薬を使っていても低農薬だったり、必要最低限、おいしいものをつくろうとされている農家さんがたくさんいますから」

白滝さんは長沼でお弁当屋を開いていたこともあり、地元には魅力的な農家がたくさんいることを知っていたという(写真/久保ヒデキ)

白滝さんは長沼でお弁当屋を開いていたこともあり、地元には魅力的な農家がたくさんいることを知っていたという(写真/久保ヒデキ)

「地元の農家さんを地域の人たちにも知ってほしいとずっと思ってきました。地産地消というより、私は『友産友消』と言っているんですが、友達がつくったおいしい野菜を、また友達に食べてもらうような感覚で野菜を流通できないかと考えたんです」

白滝さんはいつも穏やかに話す物静かな人だが、実は驚くほどの行動力の持ち主だ。5月には組織を発足。6月末からはスーパーでの販売も始まった。

地元スーパーの応援あってこそ

「縁の畑」の最大の特徴は、地元のスーパーに専用の売り場をもっていることだ。すでに地元に定着している商店に売り場をもってスタートできたのは大きいと白滝さんは話す。

「フレッシュイン グローブ」は、長年まちの人に愛されてきた中森商店が、数年前にリニューアルしてできたスーパー。今も店内には「秋の大収穫祭」「おいしいものは心に残るが安いだけでは残らず」など勢いのある手書きのポップが何本も下がる庶民派の店だ。魚売り場には尾頭付きの活きのいい魚が並び「市場」のような雰囲気がある。

長沼町の中心街にあるフレッシュイン グローブ。この日は月に一度の縁の畑のマルシェが店頭で行われている(写真/久保ヒデキ)

長沼町の中心街にあるフレッシュイン グローブ。この日は月に一度の縁の畑のマルシェが店頭で行われている(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイン グローブの店内。青果売り場の様子(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイン グローブの店内。青果売り場の様子(写真/久保ヒデキ)

その入口付近に、「縁の畑」専用の売り場がある。青果部の小野直樹さんは開始当初から縁の畑を応援してきた。

「うちの店は、もともと安さより『ほかに置いていないもの』『個性あるもの』を置くのが店の方針なんです。市場で仕入れるとどうしても収穫から日が経ってしまうけど、縁の畑さんは、採れたてのいい野菜をまとめて持ってきてくれるから大歓迎です」

フレッシュイングローブの入口すぐ脇に設置された「縁の畑」の売り場(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイングローブの入口すぐ脇に設置された「縁の畑」の売り場(写真/久保ヒデキ)

一般的にスーパーでは仕入れが安定せず、売り場に空きができるのを嫌う。でも小野さんは「空きができてもいいから、どんどん置いて」と言う。

「野菜は生ものなので、あるときはある、ないときはない。それでいい。そのほうが新鮮さが感じられるでしょう?売り場は活きがいいほうがいいんです」(小野さん)

フレッシュイン グローグ、青果部の小野直樹さん(写真/久保ヒデキ)

フレッシュイン グローグ、青果部の小野直樹さん(写真/久保ヒデキ)

さらに縁の畑に売り場を貸すだけでなく、微に入り細に入り、売り方のアドバイスをしてくれるという。

「例えば、ビーツを置いたときは、小野さんからすぐに電話がかかってきて。真っ赤な茎の見たことのない野菜があるけど、これ何だかお客さんわかんないよねって。ポップつけようとか、ひな壇にしたほうがいいよ、など並べ方のアドバイスまでしてくれて。スタッフさんがみんな、細かく目を配ってくださるんです」(白滝さん)

なぜそこまで?と小野さんに聞いてみた。

「うちの狙いは、新しいお客さんを呼ぶこむことでもあるんです。実際、縁の畑さんの野菜を置くようになって若いお客さんが増えました。

それに地元の野菜といっても、実際に響くのは従来のお客さんの10人中2~3人というのが肌感です。でも関心のなかった人たちが『地元の野菜が増えたね』『見たことのない野菜がある』と気付くようになって、次第に関心をもつようになる。長沼産の野菜にブランドがつけば我々にとっても嬉しいことです」

(写真/久保ヒデキ)

(写真/久保ヒデキ)

食べる人の声

スーパーでの販売だけでなく、家庭向けの宅配「野菜のおまかせセット」も販売している。消費者として、準組合員になっている人はいま14名。なかには宅配の「野菜おまかせセット」を頼んでくれている人もいる。谷渕友美さんは縁の畑の立ち上げ時から、準組合員であり消費者として会の活動を支えてきた一人。

準組合員の谷渕友美さん(写真/久保ヒデキ)

準組合員の谷渕友美さん(写真/久保ヒデキ)

「縁の畑の農家さんにはママ友など知り合いも多いし、応援したい気持ちがあります。それにおまかせセットで野菜が届くのは楽しみでもあるんです。自分で買い物するとニンジン、玉ねぎ、じゃがいも……とオーソドックスな野菜ばかり買ってしまいますが、ボックスには旬の野菜が入っていたり、見たことのない野菜も入っていたりして料理のレパートリーが広がります」

谷渕さんは、一方で子どもたちに食育の取り組みを進める活動にも携わっている。「子どもの五感は一生の宝」という言葉が印象的だった。

「食に意識の高い人ばかりではないので、食の自給率とか『買い物に哲学を』みたいな話は誰にでも伝わる価値ではないです。安ければ安いほどいいって人は当然いますから。でもだから、グローブのような手に取りやすい場所で、近隣の野菜を販売されてる価値ってあると思うんです。ちょっと高くても野菜が新鮮で、それは買う人にも見た目で自然と伝わるものだから。見て食べて感じることができる。やっぱり野菜の味、全然違いますから」(谷渕さん)

食べる人と、つくる人が一つのチームになって、その輪の中で食べ物が供給される。入口はおいしさの共有かもしれないが、何かあったときの地域のレジリエンスにもなる話だろう。規模でいえば小さな輪でも、この輪があるのとないのとでは安心感が違う。

一方、ビジネス的な視点からいえば、地元で野菜を売っているだけでは厳しいため外にも打って出ている。隣町の道の駅への出荷もしているし、北海道で始まった「やさいバス」にも縁の畑として野菜を入れている。
地元の飲食店や小売店向けのライングループをつくり、その日出荷できる野菜の情報を送り、注文できるしくみになっている。

Instagramで見て都市部から買いにきたという人も(写真/久保ヒデキ)

Instagramで見て都市部から買いにきたという人も(写真/久保ヒデキ)

農家にとっての窓

北海道の夏は短い。できることはできるうちにと、6月の発足時からとにかく走り続けてきた。これから勉強会や生産者同士の技術交流会も検討している。

「夏にやれるだけのことをやって、冬に農家さんたちに時間ができたらじっくり反省会をしたいと思っています」(白滝さん)

3月に初めてみんなで集まったとき、農家の間からやってみたい事柄がたくさん挙がったのだという。野菜の販売だけでなく「食育の活動」「マルシェの開催」「勉強会や技術交換会」「農家体験」など、農家同士の交流や、発信、お客さんに働きかける内容のものも多かった。

佐賀井農園の佐賀井さんは、昨年よりお米の生産面積を増やし販路を開拓したいと考えていたところに縁の畑の話を知って参加。技術交流の取り組みを進めている(写真/久保ヒデキ)

佐賀井農園の佐賀井さんは、昨年よりお米の生産面積を増やし販路を開拓したいと考えていたところに縁の畑の話を知って参加。技術交流の取り組みを進めている(写真/久保ヒデキ)

アスパラガスやキュウリを栽培する坪井ファームの畑には、ハウスが22棟、緩やかな丘に続く傾斜地に立っていた。坪井さんのキュウリはグローブでもすぐ売り切れるほどの人気。夏の繁忙期には一日5000本、多い日には7000本のキュウリを収穫するという。妻の紀子さんは話す。

「夏は大忙しです。朝4時に起きて2時間収穫をした後、子どもたちを送り出して。直販だけではさばけないので、半分はJAを通して出荷しています。縁の畑に出す割合は全体からするとまだそれほど多くはないんですけど」

坪井ファームの坪井紀子さん(写真/久保ヒデキ)

坪井ファームの坪井紀子さん(写真/久保ヒデキ)

それでも、縁の畑の取り組みに参加するのはなぜなのだろう?

「朝ほんの数分ですが、子どもを送りがてらキュウリを届けると、ほかの農家さんたちがどんな品物を出しているんだろうと見られたり、ああこんな野菜もあるんだと小さな刺激を受けて帰ります。農家ってほんとに忙しくて、黙って仕事しているだけだと世界がすごく狭くなっちゃうんですね。農家同士の交流ももっとできたらいいなと思うし、勉強会とか、社会との接点になるって期待しています」

坪井ファームのキュウリはみずみずしくておいしい。地元でも人気(写真/久保ヒデキ)

坪井ファームのキュウリはみずみずしくておいしい。地元でも人気(写真/久保ヒデキ)

縁の畑の理念には、こんな言葉が載っている。

「食を通じて、土地と人とがつながりあい、人も社会も自然も健康でいられる小さな循環をつくること」

自然に向き合い、農業を続けることは生半可にはできない仕事だ。遠くへ運ぶだけでなく、地域で小ロットでも農産物が流通できるマイクロ物流が整えば、より環境負荷が少ない、またロスの少ないしくみができる。
縁の畑は、そのための小さくて大きな一歩かもしれない。

(*)地産地消とは、「農林水産省農蚕園芸局生活改善課が1981年度から進めた地域内食生活向上対策事業」のなかで用いられた「地場生産・地場消費」が略されて「地産地消」になったとされる。(「一般財団法人 地方自治研究機構」HPより)

●取材協力
縁の畑

コロナ後に地元を盛り上げたい人が増加。駄菓子屋やマルシェなど”小商い”でまちづくり始めてみました!

コロナ禍でリモートワークやステイホームが浸透し、自分が住む地域に目を向ける機会が増えている。地元のまちづくり活動を目にして、参加してみたいと思う人もいるのではないだろうか。これからは、住む街を選ぶという行為だけでなく、参加して変えていくことが、街との関係を考える上でのキーポイントになるかもしれない。全国の最新事例とともに、書籍『まちづくり仕組み図鑑』(日経アーキテクチュア編、日経BP 2022年9月発刊)の著者、早稲田大学教授の佐藤将之先生にお話を聞いた。

続くコロナ禍。身近な人やモノ、機会に目を向ける

佐藤先生の専門は建築計画・環境心理・こども環境。今年9月に、共著で『まちづくり仕組み図鑑』を上梓した。まちづくりに「無意識的」に参画できるような仕組みのポイントを解説しつつ、全国12の事例を取材・紹介して、新たな方向性を示した本だ。カラー写真や図が多く読みやすいので、まちづくりに興味がある人や、地元での楽しみ方を探している人は、ぜひ読んでみてほしい。

もともとは飲み友達だったという佐藤先生と安富啓さん(石塚計画デザイン事務所)、佐藤先生とはパパ友である馬場義徳さん(星野リゾートの海外事業グループユニットディレクター)の共著(写真提供/佐藤将之さん)

もともとは飲み友達だったという佐藤先生と安富啓さん(石塚計画デザイン事務所)、佐藤先生とはパパ友である馬場義徳さん(星野リゾートの海外事業グループユニットディレクター)の共著(写真提供/佐藤将之さん)

「すてきな偶然に出会ったり、予想外のものを発見したりすることを“セレンディピティ”といいますが、ビジネスにおいては、その偶然に“新たな価値を見出す能力”としてとらえられています。これは今回のテーマの一つであり、本の中でも、セレンディピティによって偶然の出会いを楽しみながらビジネスをするという、これからのまちづくりを紹介しています。

地元の会社と地域の人が連携して定期的にマルシェを開催する「DIY STORE三鷹」での事例(写真提供/佐藤将之さん)

地元の会社と地域の人が連携して定期的にマルシェを開催する「DIY STORE三鷹」での事例(写真提供/佐藤将之さん)

僕を含む共著の3人は、まちなどをプランニングする上で、プロセスを大事にしてきました。物理的環境に寄与したまちづくりではなく、本の中で“地元ぐらし”と呼んでいる暮らし方のような、『“身近なところに隠れているいろいろなもの”を大切にするまちづくりに、ビジネスの契機や幸運が埋もれているのでは? そして、それを逃している人が多いのではないか?』と考えたことが、この本を制作したきっかけです(佐藤先生、以下同)」

「自分が暮らす地域=地元」という認識があるなか、この本の中での“地元ぐらし”とは、単にその地域に住んでいる状態を指すのではなく、地域で出合う機会や人脈、地域のポテンシャルを活かしながら、楽しんでビジネスしている暮らし方という意味で使われる。

建築計画のほか、幼児や子どもが過ごす環境に関する研究も行う佐藤先生。『まちづくり仕組み図鑑』でも事例として紹介した「市民集団まちぐみ」(青森県八戸市)のTシャツを着こなす(写真提供/佐藤将之さん)

建築計画のほか、幼児や子どもが過ごす環境に関する研究も行う佐藤先生。『まちづくり仕組み図鑑』でも事例として紹介した「市民集団まちぐみ」(青森県八戸市)のTシャツを着こなす(写真提供/佐藤将之さん)

地元で相手の顔を見ながら、小さく始める

具体的には、コロナ禍が続く現在、まちづくりはどう変わっているのだろうか。

「コロナ以降のまちづくりのキーワードとしては、地元に目を向けることと、ビジネスを小さく始めるスモールスタートにチャンスがあるのではないかと思います。

スモールスタートの考え方は以前からありましたが、コロナ禍で人々が交流できなかったことの反動で、今は、人とのつながりの価値が高まり、リアルに会うことの大切さを、多くの人が実感しているのではないでしょうか」

そうなると、リアルに会いやすいのは地元で暮らす人であり、まずは地元で、顔の見える人たちを相手に小さく事業を始める、スモールスタートが向いている……といえそうだ。

「また、今は人を『“分ける”から“混ぜる”』に変化しています。昔は人口が増える社会だったので、人を『いかに分けるか』が課題でした。例えば、小学生がメインのイメージがある児童館において、首都圏では中高生用の児童館も誕生していた……、というように。でも人口が減少した今は、ニーズが低い用途の建物を単体で建てていては成り立たなくなり、『いかに混ぜてあげるか』が大事になっています。最近は、高齢者施設の入口に駄菓子屋が入っている例もあります。孤立しがちな高齢者とそのほかの人たちと混ぜるのはどうか?と考える動きが現れた、その一例です」

役目が広がる、現代の駄菓子屋の事例

さらなるキーワードを探して、具体的に事例を見ていこう。まずは、「ヤギサワベース」(東京都西東京市)という施設。グラフィックデザインのオフィスに駄菓子屋を併設して、デザイン業も拡大したという内容だ。

駄菓子がにぎやかに並ぶ「ヤギサワベース」の店内。壁のアートワークがカッコイイ(写真提供/佐藤将之さん)

駄菓子がにぎやかに並ぶ「ヤギサワベース」の店内。壁のアートワークがカッコイイ(写真提供/佐藤将之さん)

向かって左側が駄菓子売り場、右側の什器の仕切りの奥がフリースペース。子どもたちは駄菓子を食べたり宿題をしたりして自由に過ごす(写真提供/佐藤将之さん)

向かって左側が駄菓子売り場、右側の什器の仕切りの奥がフリースペース。子どもたちは駄菓子を食べたり宿題をしたりして自由に過ごす(写真提供/佐藤将之さん)

低層ビルの1階に位置し、駄菓子屋が営業を開始する午後には、子どもたちの自転車が集まってくる(写真提供/中村晋也さん)

低層ビルの1階に位置し、駄菓子屋が営業を開始する午後には、子どもたちの自転車が集まってくる(写真提供/中村晋也さん)

グラフィックデザイナーである中村晋也さんは、自身のデザイン事務所に併設する形で「ヤギサワベース」という駄菓子屋を始めた。駄菓子屋は参入障壁が低く、ビジネス構造も単純であることがわかったからだという。売り場の奥にはフリースペースがあり、子どもたちは自由に“たまる”ことができ、夜になると商店街の集会場所としても活用される。スペースを地域に開いたことをきっかけに、地元コミュニティーから本業のデザインの依頼も舞い込むようになったという。

「ヤギサワベース」がある柳盛会柳沢北口商店街の祭礼で、中村さんがポスターなどのデザインを担当(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」がある柳盛会柳沢北口商店街の祭礼で、中村さんがポスターなどのデザインを担当(写真提供/中村晋也さん)

中村さんは現在、西東京市で販売されているさまざまな商品のパッケージデザインなども担当し、地域でのネットワークを広げている。「ひばりが丘PARCO」や「ASTA」といった、市内の大型商業施設のデザインにも参画しているという。

自身のデザイン事務所に駄菓子屋を併設するスタイルは、地元での「スモールスタート」であり、人を「分けるから混ぜる」ことも含んだ事例だ。

西東京市のアンテナショップ「まちテナ 西東京」の責任者にもなり、店舗のデザインなども任されている中村さん。ここでも「まちづくり仕組み図鑑」が購入できるので要チェック!(写真提供/中村晋也さん)

西東京市のアンテナショップ「まちテナ 西東京」の責任者にもなり、店舗のデザインなども任されている中村さん。ここでも「まちづくり仕組み図鑑」が購入できるので要チェック!(写真提供/中村晋也さん)

「ひばりが丘PARCO」では、「西東京市カルタ展」の展示を担当(写真提供/中村晋也さん)

「ひばりが丘PARCO」では、「西東京市カルタ展」の展示を担当(写真提供/中村晋也さん)

佐藤先生によると、「そもそも、昔と比べて駄菓子屋の意味が変わってきています」とのこと。
「かつては、駄菓子屋といえばお菓子があり、子どもたちが集まっていました。でも近年は、子どもたちとそれ以外の人との交流の場としても活用されています」

「ヤギサワベース」のフリースペースでゲームなどを楽しむ子どもたち。遊び場に大人の目があるのは、親としても安心(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」のフリースペースでゲームなどを楽しむ子どもたち。遊び場に大人の目があるのは、親としても安心(写真提供/中村晋也さん)

現代において駄菓子屋は、多世代をつなぐ場としてのキーポイントに。以前SUUMOジャーナルでも紹介した、野田山崎団地にオープンした「駄菓子屋×設計事務所」の「ぐりーんハウス」の事例や、2022年度のグッドデザイン大賞を受賞した、店内通貨によって子ども食堂の役割を果たした奈良県の駄菓子屋「チロル堂」の事例も、駄菓子屋の新しい形といえそうだ。

地域の絆を大切に、スモールスタートで

ほかにも、地元に目を向けたスモールスタートの事例を2つ見てみよう。

「DIY STORE三鷹」(東京都三鷹市)は、東京の郊外でDIYショップを開く会社だ。地域連携の一環として、年2回、駐車場でマルシェを開催していることで、会社の認知度が向上し、住宅の改修工事の受注効果につながるなど、波及効果は大きいという。

マルシェに出店する手仕事の作家たちは、「DIY STORE三鷹」の店内でも、日常的に商品を販売することができる(写真提供/佐藤将之さん)

マルシェに出店する手仕事の作家たちは、「DIY STORE三鷹」の店内でも、日常的に商品を販売することができる(写真提供/佐藤将之さん)

「DIY STORE三鷹」を運営するTLSグループの本業はビルメンテナンス事業やリフォーム事業。コロナ禍で人々が自宅をリノベーションしたり、これまで目を向けていなかった地元のお店に行ったりする頻度が増えたというライフスタイルの変化に着目。DIYショップやマルシェの活動を通して、地域とのコミュニティーを形成した。

「DIY STORE三鷹」のマルシェは、アパートの駐車場スペースを活用して開催。小さなスペースだからこそ、出店者や来場者に活発なコミュニケーションが生まれているという(写真提供/佐藤将之さん)

「DIY STORE三鷹」のマルシェは、アパートの駐車場スペースを活用して開催。小さなスペースだからこそ、出店者や来場者に活発なコミュニケーションが生まれているという(写真提供/佐藤将之さん)

マルシェでは農作物を販売する市内の農家や、アクセサリーなどをつくって販売する近隣の造形作家、紙芝居屋さんやキッチンカーなどが集まる。2020年の初回から、1日当たり600人が来場したという。

「先日も、11月の初めの3日間、秋のマルシェが行われました。地元の人同士がつながるだけでなく、手仕事をしている人やDIYに関心がある人など、趣味の合う人がつながることがマルシェの強みです。出店を機に商談に発展することもあるほか、出店者同士のコラボなどが生まれています」

2021年11月に行われた、活況の秋のマルシェの様子(写真提供/佐藤将之さん)

2021年11月に行われた、活況の秋のマルシェの様子(写真提供/佐藤将之さん)

ビーズ編みや刺繍のアクセサリーを手掛ける地元作家の出店ブース(写真提供/佐藤将之さん)

ビーズ編みや刺繍のアクセサリーを手掛ける地元作家の出店ブース(写真提供/佐藤将之さん)

地元作家による手仕事の商品を前に、会話も弾む(写真提供/佐藤将之さん)

地元作家による手仕事の商品を前に、会話も弾む(写真提供/佐藤将之さん)

TLSグループの白石尚登代表は、マルシェスペース周辺のアパートを買取ってオーナーとなり、工作教室やシェアレンタルスペースとして貸出している。シェアレンタルスペースは日替わりで喫茶店やベーカリー、整骨院などになり、トライアルできるスペースと賃料によって、双方にメリットがあるという。

「DIY STORE三鷹」では、リノベーションしたアパートをシェアレンタルスペースとして喫茶店などに貸し出している(写真提供/佐藤将之さん)

「DIY STORE三鷹」では、リノベーションしたアパートをシェアレンタルスペースとして喫茶店などに貸し出している(写真提供/佐藤将之さん)

DIYを見学し、シェアレンタルスペースのカフェでくつろぐ学生たち。カフェスペースがあることで、ふらりと訪れた若者も覗きやすい仕組みになっている(写真提供/佐藤将之さん)

DIYを見学し、シェアレンタルスペースのカフェでくつろぐ学生たち。カフェスペースがあることで、ふらりと訪れた若者も覗きやすい仕組みになっている(写真提供/佐藤将之さん)

「スタジオ伝伝とArt&Hotel木ノ離」(岐阜県郡上市)は、岐阜県の郡上八幡に移住した建築家の藤沢百合さんが、スタジオの設立後、ゲストハウス「Art&Hotel木ノ離」を開業。“地元ぐらし”の場とした例だ。郡上八幡の2拠点に、住民や観光客が気軽に訪れる場をつくることで、出会いや持続的な関係を生み出す。

建築設計事務所「スタジオ伝伝」は、縁側に立ち寄って座れるようにしつらえている(写真提供/佐藤将之さん)

建築設計事務所「スタジオ伝伝」は、縁側に立ち寄って座れるようにしつらえている(写真提供/佐藤将之さん)

「スタジオ伝伝」のエントランスは引き戸にして開放し、地域に対してオープンに(写真提供/佐藤将之さん)

「スタジオ伝伝」のエントランスは引き戸にして開放し、地域に対してオープンに(写真提供/佐藤将之さん)

小さくビジネスを試してみて、周囲の反応を見ながら少しずつ成長させた藤沢さん。東京に設計事務所を残しつつ、郡上で空き家再生などの建築活動が根付いてから、オフィスを立ち上げた。そして定期清掃やお祭りの準備など、地域活動にも積極的に参加していた結果、「木ノ離」となる物件の大家とつながり、トライアルからゲストハウスを始めた。

「無理せず段階を経てビジネスを発展させていく、スモールスタートの例です。やりたいことを周囲に話しておくと、誰かしらが助けてくれたりするもの。藤沢さんが『空き家でゲストハウスをやりたい』と周囲に話したことで幸運を呼び込んだ、セレンディピティの例でもあります」

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

お酒のCM撮影のロケ地になった「Art&Hotel木ノ離」。敷地外から2方向のアクセス路があり、外履きのままキッチン・ダイニングまで入ることができる。「スタジオ伝伝」との距離は徒歩2分(写真提供/佐藤将之さん)

高齢男性のパワーと“複業” がキーワード

それでは、これからのまちづくりのポイントは?

「一つ目は、高齢者マンパワーに期待することですね。なかでも、退職後の高齢男性は、地元に肩書なしで付き合える仲間や居場所がないことがあり、1日中冷暖房の効いた公共施設で時間を潰している例を聞きました。活動のポテンシャルが活かされていないと感じています。高齢男性が無意識的に参画することができて、知らず知らずのうちに地域活動で躍動するような場や仕組みを提供できるなら、そこにビジネスチャンスがあるのでは」

女性は近所付き合いや自治会、子どものPTA活動などを通して、地域と接点があることが多いが、世代的に仕事人間だった高齢男性は、リタイア後に孤立しがちなようだ。
 
高齢男性のパワーを活かせるような地域での居場所や雇用方法を考えることが、これからキーワードの一つだ。

「二つ目は、“副業”というより“複業”を考える時代ということです」
通信・情報環境の進化や企業の副業解禁、働き方改革などの追い風で、“複業”は身近になっている。

「今はさまざまな人が、多彩な仕事や役割を担うことができます。『ヤギサワベース』における駄菓子屋のように、複業は自分の中で稼ぎ頭ではなくても、本業へ人々を引き込む力がある場合も」

子どもたちでにぎわう「ヤギサワベース」。大人にとっては懐かしい空間だ(写真提供/中村晋也さん)

子どもたちでにぎわう「ヤギサワベース」。大人にとっては懐かしい空間だ(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」ではワークショップも開催。この日は「好きな駄菓子を描く」がテーマ。イラストを見ると、それ自分も好きだった!と言いたくなる(写真提供/中村晋也さん)

「ヤギサワベース」ではワークショップも開催。この日は「好きな駄菓子を描く」がテーマ。イラストを見ると、それ自分も好きだった!と言いたくなる(写真提供/中村晋也さん)

今後の暮らし方でいえば、今住んでいる場所だけでなく、多拠点生活や移住も注目を集めている。移住先で“地元ぐらし”をするために心掛けることは?

「今回、書籍で扱った人たちの中には移住組も多いのですが、まず地元の人と一緒に作業に取り組んだり、顔なじみをつくってから生業を始めたりするなどのポイントがありました。周囲の人を無意識的に巻き込んで、共に楽しむことができれば、移住した先でも、地元ぐらしがうまくいくのではないでしょうか」

「地元ぐらし」「スモールスタート」「分けるから混ぜる」「副業から複業へ」など、現代のまちづくりや暮らし方のキーワードには、どれも納得。

筆者も地元が好き。ただこれまでは、「地元」を強調すると、その地で生まれ育っていない人が疎外感を覚えるのでは……と考えていたけれど、必ずしもそうではなさそう。そのまちを愛し、地域の人の役に立ちたいと考えて動き、楽しんでいたら、それは地元ぐらしであり、そこはもう「地元」になるのだ。

●取材協力
・早稲田大学人間科学学術院教授 佐藤将之先生
・まちづくり仕組み図鑑

“人口減少先進地”飛騨市、移住者でなく「ファン」を増やす斬新な施策!お互いさま精神で地域のお手伝いサービス「ヒダスケ!」

岐阜県の最北端に位置する飛騨市は、アニメ映画『君の名は。』のモデルとしても知られる景観が美しいまち。一方で、人口減少率が日本の30年先を行く、まさに「人口減少先進地」でもある。そんな人口減少の状況を「止められないもの」として真正面から受け止め、取り組んでいる。

令和4年度に、「地域を越えて支え合う『お互いさま』が広がるプロジェクト『ヒダスケ!』」が見事、「国交省まちづくりアワード」第1回グランプリを受賞! 飛騨市役所の上田博美さんと、飛騨市地域おこし協力隊の永石智貴さんにお話を聞いた。

飛騨市を推す人たちを“見える化“するファンクラブが原点

2004年に2町2村が合併して誕生した岐阜県飛騨市。飛騨高山が観光地として知られる高山市や、合掌造りで有名な白川村と隣接し、人口は2万2549人(2022年12月1日現在)、高齢化率は40.05%となっている。

「ヒダスケ!」誕生の前には、「人口減少先進地」としての課題解決のために、「飛騨市に心を寄せてくださる方を見える化しよう」と設立された「飛騨市ファンクラブ」の存在があった。

飛騨市役所の上田さんは話す。「飛騨市は、2015年からの30年で、全国平均の倍のスピードで人口減少すると予測される過疎地域です。現在、すでに2045年の日本の高齢化率を上回っているという現状があります。一方で、2016年に公開されたアニメ映画『君の名は。』で、聖地巡礼に来てくれる人たちが増えました。それ以外にも、スーパーカミオカンデで知られ、古川まつりはユネスコ無形文化遺産に登録されています。これまでも、観光などで飛騨市に来てくださる方などの存在に気づいていましたが、名前などがわからず、連絡を取ることができませんでした。そこで、飛騨市に心を寄せてくださるファンの方を見える化して、直接コミュニケーションが取れる仕組みを構築しようと考え、2017年1月に『飛騨市ファンクラブ』を立ち上げました」

飛騨市ファンクラブ「ファンの集い」の様子。前列中央は都竹淳也飛騨市長(写真提供/飛騨市役所)

飛騨市ファンクラブ「ファンの集い」の様子。前列中央は都竹淳也飛騨市長(写真提供/飛騨市役所)

「飛騨市ファンクラブ」の入会金や年会費は無料で、入会すると会員証や、希望者にはオリジナル名刺がもらえる。さらに、市内の対象施設で利用できる会員限定の宿泊特典や、市内の協力店舗でおトクに飲食や買い物ができるクーポンの配布も。また、飛騨のグルメを味わいながらのファンの集いやバスツアーなどに参加できることも大きな魅力だ。現在、会員は1万200人を突破している。

イベントを開催しながら会員と交流すること約3年。
「『スタッフとしてイベントをお手伝いさせてください!』と、わざわざ遠方から飛騨市へ足を運んでくださる会員さんが何人も現れたのです。そこで、この方達は、地域と関わる“関係人口”だといえるのではないか?と気がつきました」と上田さん。

「このような方達はどのようにして生まれ、またどのくらいいるのか」を検証するために、1年がかりで実験や研究を実施。その中で、「関係人口に関わるアンケート」を全国5000人を対象に行った。

「するとアンケートの結果から、関係人口と移住への興味は、必ずしもイコールではないことがわかりました。また、関係地となる地域へは、長期的な滞在よりも、1度訪れたことがあるかどうかが重要であることや、その地域で『嬉しかった・楽しかった』、また『役に立った』という経験が、愛着度を高める要因であることもわかりました」
その結果や実験を踏まえて誕生したのが、「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」だった。

飛騨市+お助け=「ヒダスケ!」。困りごと解決のマッチングサービス「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」のトップ画像

「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」のトップ画像

2020年に誕生した「ヒダスケ!」は、飛騨市内にあるさまざまな困りごとを交流資源として、その困りごとに対して地域内外の人の力を借りて、楽しく交流しながら課題解決し、支え合いを生み出すというマッチングサービスだ。

ヒダスケとヌシの関係図(画像提供/飛騨市役所)

ヒダスケとヌシの関係図(画像提供/飛騨市役所)

「ヒダスケ!では、プログラム主催者を“ヌシ“、参加者を“ヒダスケさん“と呼んでいます。“ヌシ“のお困りごとを、事務局と“ヌシ“が相談しながらプログラム化していき、ネットで参加者を公募します。“ヒダスケさん“は自分が関わりたいプログラムに申し込み、現地またはオンラインで“ヌシ“を助けて、“ヌシ“は“ヒダスケさん“に“オカエシ“します。例えば、農作業を手伝ってもらったら、終わってからお茶菓子を一緒に食べて交流したり、オカエシに農産物を差し上げたりします。また、飛騨市や高山市、白川村で使える“さるぼぼコイン “という電子地域通貨500円分もお渡ししており、ヒダスケ!が終わった後も、飛騨のお店でお買い物や飲食を楽しむことができます。ボランティアや体験ツアーとの違いは、オカエシがもらえるということ以上に、地域の人と楽しく交流し、つながる体験ができることが大きいと思います」と上田さん。

2020年4月から2022年10月までに162プログラムを行ってきた「ヒダスケ!」。ホームページの「プログラム一覧」を見ると、たとえば「稲刈り」や「棚田の草取り」など、飛騨市の「困りごと」が並ぶ。毎年11月ごろには、雪が降る前に、街中の川にいる約2千匹の鯉を溜池に引越しさせるプロジェクトもある。

関わることができるジャンルもさまざまで、「農業編」や「景観保全作業編」、オンラインで参加できるプログラムなどがあり、興味や特技を生かして参加できそうだ。

川にいる鯉を網などですくい、水槽に移して、軽トラックで溜池へ運ぶ(画像提供/飛騨市役所)

川にいる鯉を網などですくい、水槽に移して、軽トラックで溜池へ運ぶ(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシに、トマトを受け取るヒダスケの人達(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシに、トマトを受け取るヒダスケの人達(画像提供/飛騨市役所)

飛騨市を愛し、交流を求めて「ヒダスケ!」する参加者たち

もともと、前身の「飛騨市ファンクラブ」に入っていて、その流れで「ヒダスケさん」になった人も多いという。

参加者は、東京都や愛知県、石川県など各地から訪れる。多くは40代から60代で、長期の休みには、高校生や大学生も訪れるという。遠方では、ベルギーから日本へ働きに来ていた人が、休日を利用して参加し、ビニールハウスを建てる作業を楽しんだこともあるという。また、コロナ禍と重なり、一時期は岐阜県内からの参加者を募った時期もあったそう。

地元の高校生が発案した、高校生×ヒダスケのコラボ企画。池田農園で薪割りとミニトマトの収穫(画像提供/飛騨市役所)

地元の高校生が発案した、高校生×ヒダスケ!のコラボ企画。池田農園で薪割りとミニトマトの収穫(画像提供/飛騨市役所)

池田農園で薪割りのお手伝いをする高校生(画像提供/飛騨市役所)

池田農園で薪割りのお手伝いをする高校生(画像提供/飛騨市役所)

「ヒダスケ!」は現地集合・現地解散。それでも、「そこまでして飛騨市を愛してくれる方々が、ヒダスケさんになってくれています」とのこと。

「交流を求めて参加する皆さんは、『農作業が好きだから楽しかった』とか、『ヌシから、自分の生活範囲では聞けないような話が聞けてよかった』と言ってくれます。一緒に農作業したヌシの熱い思いに触れて、ヌシや飛騨市のことが好きになり、その人から農作物を買うなど、ヌシへの応援を続けてくれるヒダスケさんもいますし、参加者同士が仲良くなって連絡を取り合い、次回は一緒に参加するなど、輪を広げているというケースも耳にします」

「けさ丸りんご園」では、りんごあめのラベルやリーフレット作りのプログラムも実施(画像提供/飛騨市役所)

「けさ丸りんご園」では、りんごあめのラベルやリーフレット作りのプログラムも実施(画像提供/飛騨市役所)

「楽しく交流しながら支え合いを生み出す」という当初の理念通り、全国各地に助け合いの輪が広がり始めている。

魅力維持の原動力に繋がった、ヌシ側の心の変化

それでは、迎えるヌシ側の心境はどうなのか。ヌシになる人を探したり、ヌシと一緒にプログラム内容を考えたりする、飛騨市地域おこし協力隊の永石さんにお話を聞いた。

「ヒダスケ!のプログラムは、工夫次第でどんな内容でもつくることができますが、しばらくは、ヌシになることに対して敷居の高さを感じている人が多かったようです。飛騨市の人はおもてなしの精神が強いだけに、『自分でできることなのに手伝ってもらうのは申し訳ない』と思ってしまったり、オカエシをプレッシャーと感じてしまったりしていたのです。そこで、僕たちが住民の皆さんと直接話し、雑談の中からお困りごとを見つけるようにしました」

子どもたちもお手伝いした障子張り(画像提供/飛騨市役所)

子どもたちもお手伝いした障子張り(画像提供/飛騨市役所)

「各地から人を呼んで、わざわざ日常のことを頼んでいいのか」と躊躇してしまう住民たちに寄り添い、根気強く話し、推進してきた。

「もちろん、外の人を受け入れるヌシ側も、ヒダスケさん達をただの労働力だと思っていては意味がありません。取り組みを理解してもらうまでには、時間がかかると思いますが、住民が外の人と交流しながら作業することで、関係人口についても考えてもらえればいいですね」

自然と共存する飛騨市では、農作業を含め、数限りない大小の困りごとがあるものの、ちょっとしたことであれば「頑張れば自分でできる」と踏ん張る高齢者が多いという。そんな時、永石さんは「できなくなってから手伝ってくれる人を探しても遅いから、今から始めよう」と伝えているという。

収穫期の稲刈りは人気のプログラムの一つ(画像提供/飛騨市役所)

収穫期の稲刈りは人気のプログラムの一つ(画像提供/飛騨市役所)

例えば『高齢になり、大きな荷物を捨てに行くことができない』というようなお困りごともOKです。農家の畑の雑草取りを“エ草サイズ“と名付けて、参加者にエクササイズ感覚で作業してもらったこともあります」

飛騨市役所の上田さんも話す。「地域外の方を受け入れる人たちの気持ちにも、ヒダスケ!などの取り組みを通して変化が現れてきているように思います」

好例が種蔵(たねくら)地区だ。全国的にも珍しい、石積みの棚田が広がる種蔵地区では、80代のお年寄りも鍬(くわ)を担いで急勾配を上り下りし、農作業を行っている。

ヒダスケ!によって青々としたミョウガ畑が復活した種蔵地区(画像提供/飛騨市役所)

ヒダスケ!によって青々としたミョウガ畑が復活した種蔵地区(画像提供/飛騨市役所)

種蔵地区はミョウガが特産品の1つだが、高齢化により休耕地となってしまう農地もある。そこでヒダスケ!を活用し、「myみょうが畑」としてオーナーを募集。ミョウガ畑の草刈りや間引き、収穫などを行った。それにより、これまでに953平米ものミョウガ畑が復活することになった。

「ヒダスケ!に限らず、さまざまな人や団体が種蔵地区と関わり、景観の維持ができただけでなく、そこに住む人々の気持ちにも前向きな変化が現れています」

飛騨市を愛するヌシたちを助け、交流するために参加する人も多い(画像提供/飛騨市役所)

飛騨市を愛するヌシたちを助け、交流するために参加する人も多い(画像提供/飛騨市役所)

また、ヒダスケ!をきっかけに、地域の内外での往来や助け合いが自然と生まれるようになったという。さらに、プログラムに参加した移住者と地域の人がつながる仕組みとしても機能しているとのこと。

困りごと解決から魅力を発掘し、地域力アップ

2022年12月時点のヒダスケ!人数は1487名。
「来てくれたからには、ヒダスケ!参加者に楽しんでほしい」と話す永石さん。内容により、参加者の集まりにばらつきがあるので、今後はどんな企画を用意して、どのように広報していくかが課題だという。

「今後は、古民家の修繕や改装などを考えています。地域の人が困っていることは、募集していること以外にもいろいろあるので、内容は何でも、その都度合わせていければ。また、これまでは日にちを指定して、参加者に申し込んでもらっていましたが、これからは『この1カ月で作業できる日は?』と幅を持たせて呼びかけ、人が集まりやすい日にプログラムを実施するなど、やりたい人に合わせていく方法も考えています」と永石さんは計画を語る。

20代から60代までが三又鍬を使って「田おこし」を実施(画像提供/飛騨市役所)

20代から60代までが三又鍬を使って「田おこし」を実施(画像提供/飛騨市役所)

上田さんも話す。
「関係人口を形成する方達との関わりは、地域の人を元気にするチカラがあると思います。地域の人にとっては当たり前に感じていたことも、ヒダスケ!を通して魅力だと認識できるので、ここに住んでよかったと思い、守り続けようという気持ちにも繋がっていくはずです。これからも、飛騨市でまだ眠っている困りごとと共に、魅力を掘り起こして、関係人口を増やしていきたいです」

また、「こういった助け合いは、飛騨市だからできることではなく、どの地域でもできること」と上田さん。すでに「ヒダスケ!」を参考に、島根県で「しまっち!」というマッチングシステムが運用されている。

島根県のマッチングシステム「しまっち!」のロゴ

島根県のマッチングシステム「しまっち!」のロゴ

「最終的には、ヒダスケ!のようなシステムがなくても、助け合いが自然と生まれるような社会になれば。人口が減っていく中でも、関係人口との関わりで地域が元気になることが理想です」と上田さんは結んだ。

移住する「定住人口」とも観光に来た「交流人口」とも、違う形で地域と関わる“関係人口“。興味を持った地域があれば、誰でもいつでもどこからでも、関係を深めにいくことができるはずだ。

農作業のオカエシで、「さるぼぼコイン」500ポイント分をゲット!(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシで、「さるぼぼコイン」500ポイント分をゲット!(画像提供/飛騨市役所)

筆者の父の郷里も飛騨地域。オンラインでの取材後、映画『君の名は。』を見直すと、祖父母も使っていた飛騨弁が懐かしかった。そういえば祖父母が他界して以来、飛騨を訪れる機会や理由は減ってしまった……。

そこで考えたのは、「生まれた場所に関わらず、多くの人が、全身でリフレッシュできるような心のふるさとを持ちたいものでは」ということ。とはいえ、どの地域を選んだらいいかわからない。こちらが勝手に「心のふるさと」に決めていいものか……!? そんな迷いを、お互いさまであるヒダスケ!の仕組みが払拭してくれそうだ。

全国のヌシたちは、あなたとの関係づくりを、きっと待っている。

●取材協力
・ヒダスケ!
・飛騨市役所

東京・北品川、築90年の古民家群をリノベした「SHINAGAWA1930」。親子カフェや熟成酒専門店などでまちの拠点に成長中

日本有数のターミナル駅である品川駅にほど近く、かつての東海道五十三次の宿場の一つ、品川宿の雰囲気が色濃く残る北品川エリア。今と昔が共存する、そんな北品川を象徴するかのような複合施設「SHINAGAWA1930」が2022年6月にグランドオープンした。戦前に建てられた古民家をリノベーションしたこの建物は、地域の新たな交流拠点として人や地域とのつながりをどのように生み出しているのだろうか。

かつて品川宿のあった北品川の街並み

品川駅から京急本線で一駅の北品川駅。品川駅からも徒歩圏内ながら、高層ビルが立ち並ぶ品川・港南エリアとはうって変わり、北品川本通り商店会には古き良き宿場町の雰囲気が残る。

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

北品川本通り商店会(写真撮影/阿部夏美)

江戸時代に整備された旧東海道は、現在の東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ街道だ。道中の53の宿場は「東海道五十三次」として歌川広重の浮世絵などでも知られている。その1つめである品川宿は、人々が行き交う「江戸の玄関口」としてにぎわっていた。

そんな旧東海道の名残を見せる商店街を横切り、八ツ山通りの十字路に出ると目に入ってくる2階建ての木造建築物が複合施設「SHINAGAWA1930」。1930(昭和5)年に建てられたとされる古民家をリノベーションしている。

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

SHINAGAWA1930の外観(写真撮影/森夏紀)

同施設は、1棟2階建ての計5棟構成。ソーシャルカフェや親子向けのコワーキングスペース、古酒と熟成酒の専門店といったバラエティ豊かなテナントが入居し、残りの2棟は建築事業を行う企業がオフィスとして利用している。

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

施設マップ(画像提供/SHINAGAWA1930)

建物の裏には品川浦が広がり、屋形船や釣船が停まる船溜まりを見ることができた。

(写真撮影/阿部夏美)

(写真撮影/阿部夏美)

「一度壊したら、もう戻らない」風景を引き継ぐ新施設

北品川にある古い民家の家並みは、品川区の生活・歴史・風土を伝える風景「しながわ百景」に選ばれたこともあったが、民家の減少により、現在では「失われた百景」に数えられている。

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

リノベーション前の建物(画像提供/SHINAGAWA1930)

SHINAGAWA1930の前身の建物は、このエリアの再開発を見越して京急電鉄が取得していた。これからどう活用していくのか。取り壊して駐車場にする案も挙がるなか、京急電鉄のグループ会社でリノベーション事業を行う株式会社Rバンクの清水麻里さんに相談が持ちかけられた。

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

SHINAGAWA1930プロジェクトの中心人物の一人である清水さん(写真撮影/阿部夏美)

「築90年を超える古民家が5棟全て残っているのは珍しい。壊すのは簡単ですが、一度壊したらその風景はもう戻りません。建物の歴史を引き継ぎながら地域のためになる新しいことをやりたい、という思いがありました」(清水さん)

町の歴史と立地の特徴から、人々の交流が生まれる場所として古民家を再生してはどうか。2019年、清水さんを中心として運営事務局が立ち上がる。

改修費用の一部はクラウドファンディングで募った。物件の改修工事は京急電鉄が行い、内外装の一部はDIY。柱や梁を生かし、窓ガラスやサッシは一部をそのまま使う。外壁は損傷が激しくほぼ交換したが、元の雰囲気を壊さないように注意を払ったという。

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

改修工事の様子(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

壁の漆喰塗りはプロを招いてワークショップを開催し、きれいに塗るコツを教わった(画像提供/SHINAGAWA1930)

クラウドファンディングの支援者や地域住民など、改修を手伝った人は述べ150人以上。「偶然通りがかった人が興味を持って壁を塗ってくれる、なんてこともありました」と清水さん。「何か手伝えることはないか」と、近くに住む人が施設のプロモーション動画を制作してくれたこともあった。

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

施設のロゴデザインは清水さんが自ら手掛けた(写真撮影/阿部夏美)

清水さんは、施設のすぐ裏にある民家に戦前から住んでいる女性と時々話すそう。

「戦時中、あたりに爆弾が落ちてもこの一角だけは焼けなかったのだとか。石畳は、都電品川線が廃止された時にみんなで石をもらって敷いたと聞きました」(清水さん)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

石畳(写真右端)とDIYで整備した外溝(画像提供/SHINAGAWA1930)

そうして時代を生き抜き歴史を紡いできた建物が、人々の出会いの場として続いていく。

新型コロナウイルスの感染拡大により、入居テナントが完全な状態で営業できなかったり、イベントが開催直前に中止になってしまったりと影響を受けながらも、2021年1月からテナントが順次オープン。2022年6月に施設全体のグランドオープンを迎えた。

昼夜を通して人が集まるソーシャルカフェ

A棟の1階にはソーシャルカフェ「PORTO(ポルト)」が入り、2階は多目的スペースとして使われている。

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

35平米の店内には、L字型のカウンターを設置(写真撮影/阿部夏美)

ソーシャルカフェというコンセプトの通り、昼はカレーやお好み焼きなど曜日ごとに異なる飲食店が営業。夜は日替わりで、美容師やダンサー、ゲストハウスのオーナー、デザイナー、会社員など多様な職種の人が1日店長として店に立つ。

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

畳敷きの2階スペース(写真撮影/阿部夏美)

2階は時間制で場所を貸し出し、鍼灸院やヨガのレッスン、学習塾などに活用されている。PORTOで食事する人の背後を学習塾に通う小学生が元気に階段をかけのぼっていく光景も見られるそう。

取材時にランチ営業していたのは、スリランカカレーなどを提供する「カレーと紅茶 ミカサ」。昼時の店内は近隣のオフィスワーカーでにぎわっていた。

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

「カレーと紅茶 ミカサ」店主の茨木さん(写真撮影/阿部夏美)

店主の茨木直子さんは北品川エリアについて、「昔ながらの小さな店が地域を支え合っている雰囲気に惹かれた」と話す。当初は飲食をやるならオフィス街でと考えていたが、コロナ禍により生活様式は一変。住民の生活に根ざしたまちに注目するようになったという。

「実は私の店は5日前に営業を始めたばかり。ここで経験を積みながら、北品川の人とふれ合う時間をつくっていきたいです」(茨木さん)

子育て世代のつながりの場をつくる

C棟に入る親子向けの「ママプラスカフェ」は、子連れ歓迎のコワーキングスペースとしても利用できる。もちろんパパも歓迎で、週末は家族での来店も多いのだとか。

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

Wi-Fiやコンセントを備える店内は、赤ちゃんがハイハイできるよう靴を脱いで上がる(写真撮影/阿部夏美)

2階では、ママ講師によるヨガやピラティスのレッスンなどさまざまなイベントを開催。

「同じくらいの月齢の子がいると、親同士の交流は生まれやすいですよね。イベントの参加者同士が意気投合して、後日一緒にカフェに来店することもあります」と店長の森田健吾さん。カフェでは赤ちゃんが隣の人の席に遊びに行ってしまい、それがきっかけで親同士が仲良くなることもあるのだとか。

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

2階の左手奥には子ども用の遊びスペースを設けている(写真撮影/阿部夏美)

カフェメニューに使う野菜は北品川本通り商店会の青果店で仕入れることで、商店街の人にも店を知ってもらえるようになった。「商店会で紹介されたから来てみた」というお客さんもいる。

「小さい子を育てていると、子ども以外とのつながりがどうしても断たれがち」と森田さん。この店に来ることで、社会との接点を断つことなく子育ての期間を楽しく過ごしてほしいと話す。

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

梁を生かしたディスプレイ(写真撮影/森夏紀)

時代を感じる店内で酒を楽しむ「体験」を提供

B棟「いにしえ酒店」店主の薬師大幸さんは、前店舗の移転先を探していたタイミングでSHINAGWA1930のオープン情報をキャッチ。古民家をリノベーションした物件は店のコンセプトにぴったりで、「物件情報を見て即連絡した」という。

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

薬師さん(右)と日本酒ナビゲーターのさいとうさん(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

柱のディスプレイは内装工事の仕上げ段階で思いついたアイデア。1974年製からそろえる古酒「玉響」の空き箱を並べる(写真撮影/阿部夏美)

日本酒を寝かせた古酒・熟成酒を販売しているが、薬師さんは「ただ酒を売ることだけが目的ではない」と話す。「マーケットが小さいジャンルなので、まずは知って、味わって、体験してもらいたい」と、店内の商品は全て有料試飲することができる。

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

「チーズと熟成酒の会」開催時の様子(画像提供/いにしえ酒店)

2階の「いにしえLABO」では、日本酒ナビゲーターによるセミナーや、自分好みのペアリングを探す「チーズと熟成酒の会」などを開催。日本酒「車坂」の杜氏を招いて3時間ひたすら語ってもらう会や、苔の専門家をゲストに苔を眺めながら飲む「苔と熟成酒」など、個性的なイベントも企画している。

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「いにしえLABO」には酒にまつわるボードゲームを用意(写真撮影/阿部夏美)

「見たり聞いたり、自分で組み合わせを試して味わったり。この店での体験を通して、古酒・熟成酒のことを深く知ってほしい。ただ商品を買って帰るだけでは、なかなかそうはなりませんから」(薬師さん)

肩肘張らない地域の雰囲気を感じながら働く

E棟とD棟をオフィスとして使うのは、BIMという技術で木造建築に関わる業務の効率化を推進する株式会社MAKE HOUSE。

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

E棟1階の応接室(写真撮影/阿部夏美)

オフィスのしつらえは社員みんなで考え、梱包材をカバー代わりにするソファやパイプを使ったテーブルを置く。およそオフィスという雰囲気はなく、ゆったりと働けそうな印象を受けた。

もう1棟は、実証実験の会場になっていた(期間限定のため現在は終了)。社員数の増加に伴い、今後はオフィスとして使うという。

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

「リアルとデジタルの融合」をテーマに、畳や襖にデジタル技術を用いた実証実験(写真撮影/森夏紀)

移転前は品川駅付近にオフィスを構えていた同社。社員の岩田剛士さんは「今のオフィスは肩肘張らずにいられる」と話す。

「品川と北品川では、だいぶ雰囲気が違いますね。以前は高層ビルのワンフロアで働き、昼食は主にキッチンカーで買っていましたが、今は商店街やリーズナブルなごはん屋さんが近くにあるし、PORTOさんで食べることもあります。都市部でありながら、こぢんまりとした雰囲気が気に入っています」(岩田さん)

SHINAGAWA1930のこれから

建物の完成からグランドオープンまで、1年半をかけて少しずつまちにひらいてきたSHINAGAWA1930。施設としては町内会と商店会に加入しており、清水さんは「コロナの状況が落ち着いたら、商店会と連携した企画を進めるなど、もっと地域と関わっていきたい」と話す。

最近は、1人でふらっと遊びに来た地元の子どもが施設を気に入り、後日親子で再訪してくれることもあったそう。そんなゆるやかさが北品川ののんびりとした雰囲気にマッチし、人と人とが出会うきっかけを自然に生み出しているのかもしれない。

●取材協力
SHINAGAWA1930

埼玉県民も驚いた!? 人口8000人の横瀬町が「住み続けたい街」に選ばれた理由

埼玉県の北西部、秩父郡に属する横瀬町。県内でも知名度が高いとはいえない街だが、「2021年 住み続けたい街(自治体/駅)ランキング首都圏版」(SUUMO調べ)でTOP50位以内にランクインした。埼玉県下に限れば、なんと4位! 人口8000人の横瀬町が、「なぜ住み続けたい」と思われているのか? どんな魅力が隠されているのか? その謎を紐解くべく、横瀬町で生まれ育ち、街づくりに関わる田端将伸さん(横瀬町役場まち経営課)に聞いてみた。

「横瀬町で何かやりたい人」をバックアップする仕組み

――さっそくですが、地域住民が投票した「住み続けたい街ランキング」にて、なぜ横瀬町が上位にランクインしたと思いますか?

田端将伸(以下、田端):じつは横瀬町では、数年前から官民が連携した街づくりプロジェクトを進めてきました。今回の埼玉県下で4位という結果は、それが少しずつ実を結びはじめている証ではないかと思います。

横瀬町職員の田端将伸さん(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町職員の田端将伸さん(写真撮影/藤原葉子)

――どのような取り組みなのですか?

田端:まちづくりのアイデアを形にできるプラットフォーム「よこらぼ」を使い、さまざまなプロジェクトを行っています。個人、団体・企業を問わず、「横瀬町で何かをやってみたい」という熱意を持つ人が、「よこらぼ」を通じて、さまざまなことにチャレンジできるんです。

――なるほど。具体的なプロジェクトについて伺う前に、そもそも「よこらぼ」はどういった経緯で生まれたのですか?

田端:きっかけは富田町長と、ある起業家の立ち話からでした。「サービスのアイデアはあっても、それを実証する場がなかなかない。ぜひ、横瀬町でやらせてもらえないか?」という提案があったんです。当時、東京都内には数多くのベンチャー企業が台頭していましたが、同じような悩みを抱えている起業家は多かったようで。そのとき、これはチャンスかもしれないと考えたんです。

――なぜですか?

田端:どこの自治体も企業誘致を試みています。しかし、横瀬町のような山間地域に来てくれる企業って、なかなか見つからないんですよ。そこで、企業そのものを誘致するのは難しくても、「プロジェクト」を誘致することならできるかもしれないと考えました。

横瀬町を実証実験の場として積極的に活用してもらえば、人、物、お金、情報がどんどん入ってくるのではないかと。そこで、そのための窓口として2016年に「よこらぼ」を立ち上げました。そして、企業の実証実験だけでなく、個人にも「自分のやりたいこと」「横瀬町をよくすること」などを提案してもらうことにしたんです。

「小さな行政」の利点を生かし、ハイスピードでプロジェクトを回す

――立ち上げ当時の反響はいかがでしたか?

田端:最初に想定していた通り、都内のベンチャー企業による実証実験の応募が多かったです。例えば、「廃校など町の遊休スペースを貸し出すプロジェクト(採択No.02)」や「被写体中心の360度自由視点映像サービスの実証(採択No.20)」、都内のクリエイターたちがチームで挑んだ「中学生を対象としたキャリア教育プログラム(採択No.08)」などですね。応募が集まることで新聞やWebメディアなどでも紹介され、記事を見た企業が「うちもやりたい」と声を挙げてくれる、いい循環ができていました。ちなみに、現在までに189件の応募があり、そのうち108件を採択しています(2022年3月1日時点)。

世界初の特許技術、360度自由視点映像サービス「SwipeVideo」でフォームをチェック(画像提供/横瀬町)

世界初の特許技術、360度自由視点映像サービス「SwipeVideo」でフォームをチェック(画像提供/横瀬町)

都内のクリエイターによる、中学生を対象にした半年間のキャリア教育プログラム「横瀬クリエイティビティー・クラス」(画像提供/横瀬町)

都内のクリエイターによる、中学生を対象にした半年間のキャリア教育プログラム「横瀬クリエイティビティー・クラス」(画像提供/横瀬町)

――採択率およそ6割と、けっこう高いですね。「よこらぼ」に寄せられたアイデアはどのようなフローで採択しているのでしょうか?

田端:毎月、審査会を開き、町民代表や役場の職員らで審査をしています。早ければ、応募から約一ヶ月という早いスピードで各プロジェクトをスタートできるように心掛けています。このペースはずっと守り続けてきました。これは、小さな町、小さな行政だからこそできる強みといえるかもしれません。

――だから、5年で100件以上のプロジェクトを実行できたんですね。

田端:そうですね。また、スピードだけでなく横瀬町の「コミュニティの強さ」も、プロジェクトを進める上でプラスに働いていると思います。ここで何かしらのサービスの実証実験をやろうとすると、住民が積極的に協力して、実証のサービスや商品を使ってくれようとするんです。リアルな住民に使ってもらい、フィードバックを得られるのは、企業側にとっても魅力なのではないでしょうか。他にも、Wi-Fiなどが使える現地オフィスの提供、行政権限を生かした法的なサポートも行っています。

――手厚いですね。最近では、どんなプロジェクト事例がありますか?

田端:最近では「電動アシスト付きの手押し一輪車による、運搬労力の削減プロジェクト(採択No.107)」という事案がありました。そこで、農園と建設作業場に手押し一輪車を持っていき、実証を行ったんです。一見すると、どこででも実験可能な内容に思えますが、このような実証実験をしてくれる自治体は、ほぼないでしょう。

また、地方では農園も建設現場も、最近は労働力不足が深刻化しています。そこで、電動の手押し一輪車で重い荷物を運べるようになるだけでも、多少なりとも生産性は上がるはずです。地方の課題を解決しつつ、企業にとっても良いフィードバックが得られる。なおかつ、町民のためになり、横瀬町の知名度も上がる。こうした良いサイクルを生むプロジェクトが多いように思います。

手押し一輪車のタイヤを交換するだけで、電動化することができる(画像提供/横瀬町)

手押し一輪車のタイヤを交換するだけで、電動化することができる(画像提供/横瀬町)

――ただ、毎月の審査会でどんどん新しいプロジェクトが採択されるとなると、町民の協力を得るのも大変な気がしますが。

田端:そこは私たちのほうでも意識していて、いつも同じ町民ばかりにお声がけして負担が偏らないよう、案件ごとにご協力いただく方を調整しています。ただ、今は基本的にみなさん快く協力してくださいますね。確かに、最初は説明するのが大変だった時期もありました。例えば、「シェアリングエコノミーのプロジェクトです」と言っても、特にご高齢の方には伝わりづらいですよね。ですから、噛み砕いて分かりやすい言葉で丁寧に伝えることは意識していましたし、「よこらぼ」の冊子をつくるなどして、活動そのものへの理解を深めるように努めていました。

――それは根気が必要ですね……。

田端:ただ、全員に完璧に理解してもらってからやろうとすると、いつまでたっても前に進みません。ですから、そこにばかりエネルギーを注ぎすぎず、同時並行でプロジェクトを次々と回し、参加してもらうことで理解してもらいました。すると、結果的に町民が他の町民を巻き込むような形になり、「よこらぼ」自体の認知度や理解も深まっていったように思います。最近では、「何をやっているかは未だにわからないけど、この街を変えているんだよね」と言ってくださる人も多いです(笑)。

――町民も街の変化に気づいているんですか?

田端:そう思います。だからといって、今のところ暮らしが豊かになったとか、幸せになったかとか、具体的な何かがあるわけではありません。それは、まだまだ先の話。でも、隣町や少し離れた街の人から「横瀬を褒められる」ことがあり、嬉しかったという声はいただいています。そうした周囲からの評価を聞いて、改めて横瀬に誇りを持ってくださる人もいたのではないでしょうか。

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

町民一人一人の「やりたい」を起点に、街を活性化していく

――企業以外の団体や個人のプロジェクトにはどんなものがありますか?

田端:企業以外の団体では、大学と連携することが多いです。例えば「介護における、転倒リスクを予防する」プロジェクトなどがあります。また、「よこらぼ」の認知度向上に伴い、個人の応募も増えてきましたね。最近も、地元の人が「横瀬の材料を使ったお菓子をつくりたい」というプロジェクトを応募してくれたんです。横瀬町のPRにもつながると考え、すぐに採択しました。はじめに、販売先の紹介などの支援をしましたが、今ではしっかり自走しています。けっこう売り上げも良いみたいですよ。

――それは素晴らしいプロジェクトですね。

田端:そのプロジェクトは、自身が小さいころから思い描いていた夢だったそうで。その夢を「よこらぼ」のおかげで叶えることができたと、嬉しそうでした。こうした、「自分がやりたいこと」を起点にプロジェクトを立ち上げ、結果的に街づくりの担い手になってくれるような町民が、これからも増えていってくれるといいですね。

――そうした「街づくりの気運」みたいなものは高まっているのでしょうか?

田端:そうですね。高まりつつあると思います。例えば、「よこらぼ」をきっかけに作られた「Area898」というコミュニティスペースがあるのですが、これも町民のみなさんの提案でした。

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

横瀬町役場まち経営課で、「よこらぼ」のほか、総合計画、空き家などを担当している(写真撮影/藤原葉子)

田端:「よこらぼ」がスタートしてから、地域外からも多くの人が訪れるようになり、新しい出会いやコミュニティも生まれました。しかし、せっかく交流が生まれたのに、横瀬町には人と人が交わる“リアルな場所”がなかったんです。そこで、ある町民団体から「よこらぼ」を通じて「新しいコミュニティ・イベントスペースをつくりたい」という提案があり、JA旧直売所跡地を使って「Area898」を整備することになりました。

――確かに、駅前などには日常的に交流できそうな場所が見当たりませんでした。

田端:そうなんです。だから、よく見る商店街の光景で「あら、〇〇さん。こんにちは」というシーンも生まれない。それってすごくもったいない気がしたんです。そこで「集まりたくなる場」を町民と行政でつくったわけです。

今では「Area898」に連日、人が集っている(画像提供/横瀬町)

今では「Area898」に連日、人が集っている(画像提供/横瀬町)

――「Area898」の利用状況はいかがですか?

田端:横瀬町民はもちろん、横瀬に関わる町外の人たちも集まるようになりました。自分の好きなこと、楽しいこと、やりたいこと、共有したいことを軸に「Area898」に人が集い、新しい活動が生まれるようになりましたね。かなり、面白い場所だと思いますよ。私が会議をしている横で、お年寄りがスマホ相談会を受けていたり、中学生が勉強をしていたり。誰でも無料で利用できることで、多くの住民が集まりやすい環境ができたと思います。

Wi-fiも完備。その後、住民から寄贈されたボルタリング、黒板、スクリーンなどが徐々に加えられていった(写真撮影/藤原葉子)

Wi-fiも完備。その後、住民から寄贈されたボルタリング、黒板、スクリーンなどが徐々に加えられていった(写真撮影/藤原葉子)

JA旧直売所に残っていたものも再利用。パレットはブランコに、米びつはショーケースに生まれ変わった(写真撮影/藤原葉子)

JA旧直売所に残っていたものも再利用。パレットはブランコに、米びつはショーケースに生まれ変わった(写真撮影/藤原葉子)

田端:また、2022年の3月からは「よこらぼ」「Area898」と並ぶ、新たな試みもスタートさせています。それが「ENgaWAプロジェクト」。横瀬の中心部にあった給食センターの跡地に作った、“チャレンジキッチン”です。

――「エンガワ」。どんな場所なんでしょうか?

田端:町内でとれる農作物を使った、新しい商品の開発などを町民と一緒に考えるスペースです。コロナ禍で農作物が売れずに余ってしまったため、新たな活用方法を模索する場所として誕生しました。商品開発だけでなく、食のイベントなどを通した町民同士の交流スペースとしても活用していきたいと考えています。最近も、地元の大豆を使ったイベントを開催しました。

節分に合わせて2月5日に開催された「大豆フェスティバル」

節分に合わせて2月5日に開催された「大豆フェスティバル」

オリジナルメニューは4品。写真はオリジナルスイーツ「くるむー焼」(画像提供/横瀬町)

オリジナルメニューは4品。写真はオリジナルスイーツ「くるむー焼」(画像提供/横瀬町)

――地産地消だけでなく、地域の人がメニューまで開発してしまうというのは面白いですね。

田端:ありがとうございます。ちなみに、「ENgaWA」のメンバーは農作業のお手伝いもしています。農家さんの負担を少しでも軽減し、その見返りとして収穫した農作物をおすそ分けしてもらっているんです。

――本当に、助け合いの心が根付いていますね。そして、それが見事に街づくりの源泉になっている。

田端:それもこれも、「よこらぼ」というベースがあったからだと思います。とはいえ、当たり前ですが全ての町民が積極的に街づくりに関わりたいわけではありません。ですから、決して無理な呼びかけや、ましてや強制などはしません。あくまで、興味がある人がガッツリやればいい。そうでもない人は基本スルーでいいし、なんとなく興味が出てきた時だけ参加してくれればいい。そういう、ゆるさが大事だと思うんですよね。行政は環境だけを整えて、あとは町民の意思に委ねる。このやり方が、今のところはうまくいっているのではないかと感じます。

「大豆フェスティバル」をお手伝した町民の方々(画像提供/横瀬町)

「大豆フェスティバル」をお手伝した町民の方々(画像提供/横瀬町)

「閉鎖的な田舎」からの脱却を

――お話を伺っていて、横瀬町が「住み続けたい街」として評価されている理由がなんとなくわかりました。町民自らが「街をよくしよう」と活動しているわけですから、愛着も生まれますよね。

田端:だとすれば、嬉しいことですね。今も人口は減り続けていますが、“何か面白いことをやりたい人”は確実に増えていると感じます。ですから、今後はさらにいろんなチャレンジができそうな気がしますね。また、「よこらぼ」で実証実験に来た人が、プロジェクト終了後も遊びに来てくれたり、二拠点居住のような形で頻繁に訪れてくれることも増えてきました。こんなふうに、移住とまではいかなくても横瀬町を第二の故郷のように思ってくれるのは、とても嬉しいことですね。

空き家バンクも、最近はすぐに埋まってしまうそう。去年の登録件数14件のうち、13件が成約(画像提供/横瀬町)

空き家バンクも、最近はすぐに埋まってしまうそう。去年の登録件数14件のうち、13件が成約(画像提供/横瀬町)

――今後も横瀬が「住み続けたい街」であり続けるためには、何が必要だと思いますか?

田端:「関わりしろのある街の可能性」を示し続けることじゃないかと思います。街がチャレンジし続けていれば、若い人にもきっと「この街だったら、まだやれることがあるんじゃないか」と思ってもらえるでしょうから。

ただ、チャレンジには失敗がセットです。だから、横瀬町では失敗を咎めません。それに、チャレンジといっても、別に大きなことでなくていいんです。例えば、ウォーキングだっていいし、盆栽だっていい。それが直接的に街づくりにはつながらなくても、一人ひとりがやりたいことをやっている。そんな街でありたいです。そのためにも、私たちが率先して、チャレンジしている姿を見せ続けていきたいですね。

(写真撮影/藤原葉子)

(写真撮影/藤原葉子)

●取材協力
よこらぼ
Area898
ENgaWA

人口3200人の小さな町で惣菜店なぜ始めた? ”地域内循環”の挑戦から1年 北海道下川町

都会に暮らしていると想像しにくいけれど、地方では1軒の店の存在が大きい。人口減や高齢化によって個人商店が閉店したり、チェーン店も撤退したり……といった状況が起き始めている。1軒でも「近くの街で買い物する」選択肢を増やし、地域内でお金がまわることが人びとの暮らしを左右する。まさにそれを体現するような事例が、北海道下川町で矢内啓太さんが始めたお惣菜屋「ケータのケータリング」である。小さな町で新しい店をオープンしようと決めた経緯と、矢内さんの背中を押した「地域内循環」の考え方にもふれてみたい。

「ケータのケータリング」の販売風景(写真提供/矢内啓太さん)

「ケータのケータリング」の販売風景(写真提供/矢内啓太さん)

「地域資本のお店があった方がいいのかな」と

北海道下川町へは、札幌から車で約3時間、旭川からは2時間かかる。お世辞にも便利とはいい難い場所だがそんな町ならではの、暮らしを維持していこうとする人びとの強い意思や工夫がある。自治体の画期的な施策もあって、いま移住者に人気のある町でもある。

人口3200人のこの町に2020年6月にオープンしたのが「ケータのケータリング」。矢内啓太さんが始めた弁当・惣菜のお店だ。矢内さんはおじいさんが創業した菓子・パン屋「矢内菓子舗」で家族や親戚とともに働いていた。

ところが2年前、町が開催した勉強会に参加して「域内経済循環」の考え方を知る。

「正直に言えば、こんな田舎の町内でお金をまわすなんて無理だと思っていました。外資本で全然いいんじゃないかって。でも地域内経済やレジリエンスの話を聞いて、それじゃいけないかもしれないと思うようになったんです。100%は無理でも、地元資本のお店を少しでも使うことで、自分たちの暮らしが豊かになったり、維持できるとしたら。地域でお金をまわすって案外大事なんじゃないかなって」

矢内啓太さん(写真提供/矢内さん)

矢内啓太さん(写真提供/矢内さん)

「域内経済循環」とは、地域内でどれくらいお金がまわっているかを示す言葉だ。

たとえば観光や産業で町外からお金を稼いでも、コンビニなど外部資本の店や、ネットで買い物する割合が高ければ、せっかく稼いだお金が町内にまわらず外に出ていってしまう。ひいては、地元のお店が成り立たず、雇用も減り、ますます人口減や町の衰退につながり……といった悪循環に陥る。

さらにレジリエンスとは、災害など地域が困難な状況、危機的な課題に遭遇した際に、立ち直ることのできる力。とくに食やエネルギーの分野では自給率が高いほど地域のレジリエンスは高まる。

そんな考え方を知り、矢内さんは心を動かされた。

「ちょうどそのころ、町のスーパーが1店舗閉店することになって。みんなその店で買い物していたのに、お弁当や惣菜など買えなくなっちゃうねと話していて。コンビニはあるから弁当が買えなくなるわけじゃないけど、田舎なので会合とか総会とか、いろんなお弁当需要があって。全部その1店舗でまわっていたのが外部資本や町外に流れると。小さな町だけどそれって結構な額なんですよ。地域でお金をまわそうと考えると地域資本のお店があった方がいいのかなと」

これが矢内さんの背中を押した。

エネルギー自給率100%をめざす、下川町というユニークなまち

もともと下川町は、地域内循環の考え方をもとに経済施策を進めてきた自治体でもある。1960年代の最盛期には1万5000人いた人口が、主産業の鉱山が閉山になるなど、30年間で激減。町は経済を立て直すために、より効果的な施策を打とうと、地域から漏れ出ているお金の実態を知るための調査を行った。

冬の下川町(写真撮影/甲斐かおり)

冬の下川町(写真撮影/甲斐かおり)

一般的に企業では、何にお金を使って、何で売上を上げているかを把握するのは当たり前のことだろう。だが自治体単位になると、地域内に数多くの事業者や住民が存在するので、どの分野でお金が外に出て、何でお金をどれくらい稼いでいるか、実態が見えにくい。

そこで下川町では研究機関の協力を得ながら、町内の主要な事業者に調査をして町の収支表をつくった。結果わかったのは、町のGDP(域内生産額)は約215億円あること。黒字部門は製材・木製品(約23億円)と農業(約18億円)で、赤字部門はエネルギー(約13億円)。その内訳は石油・石炭製品(約7.5億円)、電力(約5.2億円)といったものだった。

下川町は森に囲まれ、森林率が9割と林業の盛んな地域である。そこで、漏れ出ているエネルギーコストを町内でふさごうとエネルギー自給率を高める施策「下川町バイオマス産業都市構想」(2013~2022年度)が始まった。

その結果、2020年3月時点で町内には11基のバイオマスボイラーができ、公共施設の熱自給率が64.1%を達成。約1億円以上の流出を止め(2020年時点)、加えてカフェ、木工事業、トドマツ精油、エゾシカ加工、ボイラー熱を利用した菌床しいたけの栽培など小規模の産業・起業が起こり、年7000万円のビジネス創出、移住者の増加につながっている。

つまり、やみくもに事業を起こすのではなく、何に住民がお金を使っているかを把握した上で、そこをふさぐ新事業を起こしたという順番がポイントだ。

循環型の林業を行っていた下川町では木材が豊富(写真撮影/甲斐かおり)

循環型の林業を行っていた下川町では木材が豊富(写真撮影/甲斐かおり)

バイオマス熱を活用した菌床しいたけの栽培も(写真撮影/甲斐かおり)

バイオマス熱を活用した菌床しいたけの栽培も(写真撮影/甲斐かおり)

家計調査の結果が、惣菜屋を始めるきっかけに

次に町によって行われたのが、一般家庭の家計調査だった。家庭内で、何をどこからどれくらい買っているか。それによって、町に残るお金、何の項目で外に漏れ出ているのかが大まかにわかる。漏れ出ている分野がわかれば、そこに新たな事業をあてがうことも考えられる。

2019年11~12月にかけて行われた下川町の「買い物調査」結果。回収調査票数308通(下川町役場提供)

2019年11~12月にかけて行われた下川町の「買い物調査」結果。回収調査票数308通(下川町役場提供)

結果を見ると、パンは比較的自給率が高い。町に人気のパン屋さんが3軒あるのが理由だ。ほか生鮮や弁当・惣菜類などの食品分野での漏れが大きい。
海のない下川町で「魚介類」が少ないのは仕方がないとしても「弁当・惣菜類」の分野で50%近くが町外のお店に漏れている。

この調査結果を知り、お惣菜屋を始めることを考えたのが、矢内啓太さんだった。

「数字だけではなくて、この時のアンケートで、惣菜屋がほしいといった声が少なくないと知りました。もちろんすべてを小さな地域内でまかなうのは無理。それを否定する気はないんです。

でもできることからやっていくのが重要かなと。僕がお惣菜だけでもチャレンジしてみるよって。そしたら、誰かが反応してほかの分野も立ち上がる可能性もある。全部じゃなくても、未来のためのお店が少しずつ増えていって、あれもこれも地域内でまわしてますって言えたら、下川の新しいインパクトになる可能性があると思ったんです」

「ケータのケータリング」のお弁当(写真提供/矢内さん)

「ケータのケータリング」のお弁当(写真提供/矢内さん)

「ケータのケータリング」はどんな店か?

矢内さんは、もともと下川町の生まれ育ち。子どものころから、父親や叔父が働いていたパン屋で一緒に働きたいと思ってきた。札幌での修行期間を終えて、子育てが始まるタイミングでUターン。願い通り、父や叔父と一緒に「矢内菓子舗」で9年間働いた。

その後の惣菜屋としての独立だった。独学でオペレーションをつくり、妻と2人で店を運営している。地元の野菜を多く使ったお弁当は人気で、お惣菜も買える。お客さんは8~9割が地元のリピーター。週3回来てくれる人もいて、年配者も多い。日に平均すると20~30人。周囲の人たちに支えられて何とかやっている、と矢内さんは話す。

「コンビニで弁当買うくらいならうちのをと思うので、できるだけ温かいものを出したいと思ってやっています」

夏は野菜を仕入れる必要がないほど、近所の人たちからのおすそわけがある。家庭菜園にしては広い畑をもつ人が多いため、おすそわけも量が多い。先日は春菊を買い物かごに5つ分もらったという。

「この野菜をいただいたから献立をこれにしようとか。その都度工夫したり、下ごしらえして保存したり。おすそわけが多い夏と少ない冬とでは仕入れ額が数万円も差があるほど助かっています」

町内の農家からもらった春菊を使ったレモンサラダ。下川産のミニトマトも(写真提供/矢内さん)

町内の農家からもらった春菊を使ったレモンサラダ。下川産のミニトマトも(写真提供/矢内さん)

タッパーを持参してもらうと50円引きになるサービスもある。お客さんの約1割はタッパー持参。よく知るお客さんだと、名前を書いてタッパーを貸したりもする。ご近所ならではの関係性だ。週の後半は、お母さんたちがお惣菜を買っていく頻度も高い。

「本来お弁当に求めるものって何より利便性だと思うんです。ぱっと買える手軽さとか。でも、うちがやっているのは真逆で。注文受けてつくるので待つ時間も少しかかるし、タッパーも洗う手間が発生する。不便を感じてる人もいると思うんだけど、あえてそうしているところもあって。でも小さな地域なので、弁当以外のニーズも多い。それにはできるだけ応えたいと思ってやっています」

地区の総会、ビールパーティーなど、まとまったオードブルの注文も入る。これからさらにテーブルスタイリングなども含めたサービス展開を考えている。

オードブルやお弁当の大量注文にも応じる(写真提供/しもかわ観光協会)

オードブルやお弁当の大量注文にも応じる(写真提供/しもかわ観光協会)

「森の寺子屋」が町内で新しいことを始めたい人を支援する場に

矢内さんがケータリングの店を始める直接的なきっかけになったのは、役場に勤める和田健太郎さんが始めた「森の寺子屋」という勉強会だった。

「和田はもともと幼馴染で、町でいろんな新しいことが始まっていることを時々教えてくれていたんです。下川には移住者も増えて面白い人たちが集まっていて、それぞれやりたいことをいろんな形で始めていて。地元出身者として刺激を受けたところがあります」

「森の寺子屋」の様子。下川町内で「何かしたい」「新しいチャレンジを始めたい」と思っている方が有志で集い、月に1回学び合う試み(写真提供/和田さん)

「森の寺子屋」の様子。下川町内で「何かしたい」「新しいチャレンジを始めたい」と思っている方が有志で集い、月に1回学び合う試み(写真提供/和田さん)

森の寺子屋は、新しいことを始めたい人たちを支援する有志による勉強会。「森のようちえん」や、バイオマスの灰・下川の植物を使用した染めもの事業など、新しいサービスが次々に生まれる起点にもなっている。

お店を始める1年前、矢内さんはこの会に参加したことでパン屋をやめて惣菜屋を始める気持が強くなったのだという。

「最初はパン屋で新規事業を始められたらな、くらいの気持ちで参加したんです。でも家計調査の結果を見たり、レジリエンスの考え方を知ったりするうちに、地元の店が閉店することになって。すぐに買い物の手段がなくなるわけではなかったけど、地元のなかでまわるほうがいいんだろうなって、ごく自然に自分ごとにできたというか」

和田さんの話によれば、矢内さんは周囲からの「巻き込まれ力」があるのだそう。パン屋のころからイベント出店の機会も多く、地元の他の店とコラボレーションしたり、同級生と一緒に地産の食材をつかったイベント活動も行ってきた。

同級生と町内の食材、ハルユタカ小麦とフルーツトマトを使ってオリジナル揚げパン「グラーボ」をイベントで販売。2日で1000個売り切ったことも(写真提供/矢内さん)

同級生と町内の食材、ハルユタカ小麦とフルーツトマトを使ってオリジナル揚げパン「グラーボ」をイベントで販売。2日で1000個売り切ったことも(写真提供/矢内さん)

「そういうことを地元の人たちに見てもらっていた上での惣菜屋なので、周りが応援してくれているんだと思います。地元だし、自分自身、下川が好きなので。家族で住み続けたいと思ったら、町が残り続けないといけない。できるだけ長く、子どもたちも、学校も残ってほしいし。できることはしたいなと思っています」

矢内さんが思っていた「小さな地域内で経済をまわすなんて無理だ」という考えは、ある意味で真実だろう。自分の生活をかえりみても、スマートフォンは手放せず、輸入された珈琲や大豆を日々消費して暮らしている。けれど地域内でお金がまわることは、同時にそこに仕事があり、多くの人の活躍の場があることを意味する。

ローカルで生き生きと暮らせる地域づくりをしていこうとする人が増えている今、欠かせない視点ではないかと思う。

●取材協力
ケータのケータリング

地域貢献をゲーム感覚で! イベント参加や特産品購入でポイントがたまる「アクトコイン」

観光地として捉えるのではなく、地域の持続性を高めるイベントやボランティア活動に興味を持ち、実際に参加したり、中には主体者となって取り組んでいる人も増えています。でも活動による効果が見えづらく、周囲の理解を得ながら継続していくのが難しいという声もあります。そこで、社会貢献活動を独自のコインで可視化する「actcoin(アクトコイン)」のサービスを活用し、地域活動を「見える化」する新しい取り組みを紹介します。

地域貢献活動を「見える化」。結果がわかるので継続しやすくなる(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

都市部と地方を行き来する多拠点生活者だけでなく、イベントなどを通じて好きな地域に通う人が増えています。このように、地域に住む人や観光で訪れるだけの人ではない地域外の人で、その地域に関わる人々を、「関係人口」といいます。

「関係人口」は、地域の担い手としての活躍や将来的な移住者の増加につながる存在として期待されていますが、取り組みのなかで見えてきた課題も。いちばんの課題は、「関係人口」の統計手法が確立されていないことです。社会の動向を調査研究し、問題解決に取り組んでいるNTTデータ経営研究所のマネージャー古謝玄太さんにたずねました。

「『関係人口』には、地域のイベントの参加者に加えて、特産物を定期的に購入するようなライトなファンも含まれますが、正確な数や行動を把握できていません。そのため地域サイドは、イベントやPR活動でターゲット設定が難しい面があるのです。さらに、『関係人口』が担う地域の持続性に関わる活動は、社会貢献の意味もあるのですが、参加することがどのような成果につながっているのか個人にはわかりにくい。持続的な関係人口創出には、統計的な把握と地域貢献度の可視化が重要と考えました」(古謝さん)

そこで、課題解決の切り札として注目したのが、2019年2月にサービスを開始していたアクトコインでした。

(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

アクトコインの企画・設計に携わるソーシャルアクションカンパニーCOO薄井大地さんは、アクトコインのサービスを、「社会貢献が循環する仕組み」といいます。

「アクトコインは、日常のなかの個人の社会貢献活動に対してオンライン上の独自コインを付与します。一人一人のソーシャルアクション履歴がダッシュボードに残り、貯まったコインが『見える化』されます。コインによって自分の活動が価値をもつものになり、自分にも『ちょっと嬉しいもの』になる。『やっても自分にいいことなんてない』『一部の物好きな人がやるもの』という社会貢献活動のネガティブな面を変えるものになればと開発しました」(薄井さん)

NPOなどが主催するイベントやボランティア活動に参加することでコインが貯まる。活動履歴が一目でわかるようになっている(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

NPOなどが主催するイベントやボランティア活動に参加することでコインが貯まる。活動履歴が一目でわかるようになっている(画像提供/ソーシャルアクションカンパニー)

アクトコインサービス開始から2年後の2021年3月より、NTTデータ経営研究所とソーシャルアクションカンパニーが協働でプロジェクトを開始。プロジェクトは、内閣府の「令和3年度関係人口創出・拡大のための中間支援モデル構築に関する調査・分析業務」として採択され、「関係人口可視化」に取り組む「あなたと地域のつながりプロジェクト」がはじまりました。コンセプトは、「見える化で支える持続可能な地域づくり」。2021年10月17日にキックオフイベントが開催されました。

「地域にとっては、自らの地域への関心層、愛着層を分析することができ、個人にとっては、さらに地域とつながりたいという意欲が喚起されます。関係人口関連施策の構築のための羅針盤としてアクトコインを活用していきたいと考えています」(古謝さん)

アクトコインからイベント参加。コインは次の社会貢献活動に使える

アクトコインの使い方は、アプリをダウンロードしたあと、特設サイトから地域のイベント・取り組みに参加することでコインを獲得。アクションごとの獲得コインが提示されます。日常生活のなかでできるアクションとして、地域情報の発信や地域産品の購入など日々の地域とつながる行動も登録できます。どのプロジェクトの参加者がその後の「発信」「購入」をしているかなどの分析が可能で、アクティブなユーザーには、地域発の商品の特典を予定しています。

2030億枚のアクトコインがオンライン上ある設定で、そのコインを社会貢献活動でイベントパートナーから参加者に配っていきます。2030億枚のアクトコインを配り終わったとき未来が変わるという想定で企画されています。アクトコインの登録者数は、2021年10月時点で1万2500ユーザーを突破。2000万~3000万コインが流通中です。

「アクトコインはお金に交換することはできません。直接自分のために換金はできないけど、コインを貯めることでソーシャルグッドな商品がもらえたり、無料でイベントに参加できたりする特典が少しずつ生まれてきています。いずれは、ボランティア保険に入れるようにしたいです。社会貢献活動をすると、いいことがあると実感できれば持続しやすいでしょう」(薄井さん)

「あなたと地域のつながりプロジェクト」では、19イベントを掲載しています(2021年11月現在)。現在は、「関係人口」創出に積極的に取り組んでいる3地域(千葉県南房総地域、新潟県長岡市川口・山古志地域、福井県高浜地域)を対象に実証中です。

(画像提供/高浜町)

(画像提供/高浜町)

「地域は、イベントの費用対効果がわかることで、大勢にPRするのではなく、アクションしたい人と個別のつながりを密につくることができます。アクトコインを地域貢献活動のインフラにできれば」と古謝さん。現在、掲載しているイベントには、約70名がアクトコインを登録しています。イベント後も継続的に登録してもらえるかが今後の課題です。

フードロス酒場やトゥクトゥクで巡るマルシェでコインがもらえる!

「あなたと地域のつながりプロジェクト」の実証地域のうち、千葉県南房総地域のアクトコイン活用の状況を、南房総市公認プロモーターであり、移住支援や地域課題事業に取り組んでいるヤマナハウスの永森昌志さんに聞きました。

農村漁村に都会の人を送り込むプロジェクト「ちょこっと先の暮らし方研究所」という農林水産省の事業をNTTデータ経営研究所と連携し、南房総地域全体のコーディネートをしてきた永森さん。南房総地域の具体的なイベント開催者の紹介をするなどNTTデータ経営研究所と南房総地域との橋渡しをしています。

もともと、「関係人口」について、南房総地域の抱える課題はどのようなものがあったのでしょうか。

「2拠点生活者は増えていますが、どういうふうに地域に貢献しているかつながりは個々にお任せの状態です。必ずしも住民票異動をともなわない『関係人口』については、数値化しづらかった。自由でいい面もありますが、行政にとっては可視化したほうが効果的な施策を打てます。2021年8月に古謝さんから依頼を受け、SDGsをテーマにしている南房総地域と相性がいいと思いました。電話で密に連絡を取り合いながら、8月下旬にはイベントページを作成しました」

地球に優しい電動の三輪EVトゥクトゥクに乗って地域の農家を巡る。直接こだわりの農産物を買ったり農業体験ができる(画像提供/永森昌志)

地球に優しい電動の三輪EVトゥクトゥクに乗って地域の農家を巡る。直接こだわりの農産物を買ったり農業体験ができる(画像提供/永森昌志)

(画像提供/永森昌志)

(画像提供/永森昌志)

10月に開催されたサーキットマルシェでの参加者の様子。トゥクトゥクは三人乗り。窓がないので開放感たっぷり(画像提供/永森昌志)

10月に開催されたサーキットマルシェでの参加者の様子。トゥクトゥクは三人乗り。窓がないので開放感たっぷり(画像提供/永森昌志)

SDGsをメインテーマに活動している南房総市観光協会が9月に主催したイベント。参加者はアート創作を楽しみながら「海洋プラスチックごみ問題」を学んだ(画像提供/南房総市観光協会)

SDGsをメインテーマに活動している南房総市観光協会が9月に主催したイベント。参加者はアート創作を楽しみながら「海洋プラスチックごみ問題」を学んだ(画像提供/南房総市観光協会)

規格外で廃棄されている農産品や水産品、捕獲したイノシシをおいしく提供。フードロスとなる食材を救いながら南房総の恵みが楽しめる。ヤマナハウスで新たに始まる自給自足スキル講座「ヤマナアカデミー」ではアウトドアや野草の講座を予定している(画像提供/永森昌志)

規格外で廃棄されている農産品や水産品、捕獲したイノシシをおいしく提供。フードロスとなる食材を救いながら南房総の恵みが楽しめる。ヤマナハウスで新たに始まる自給自足スキル講座「ヤマナアカデミー」ではアウトドアや野草の講座を予定している(画像提供/永森昌志)

アクトコインを活用した1回目のイベント「サーキットマルシェ@南房総~EVトゥクトゥクで農家を巡る、新しい様式のマルシェ」が10月30日に開催されました。農産物を買ったり、収穫体験したりするイベントで、参加すると4000コインを獲得できます。

11月20日には、ヤマナハウスによる「ヤマナフードロス酒場episode-1~地域・生命と幸せにつながる未来の居酒屋」が開催されました。次回は来年3月12日予定です。

「もっと都会でアクトコインの知名度が上がるとアクトコイン経由の参加者が増えると思います。何がもらえるかではなく、関係自体が価値なんです。アクトコインが入り口になって、地域をお試しでき、その後に続く地域貢献活動の道筋をつくれたらいいですね」(永森さん)

あなたと地域とのつながりを可視化することで見えてくる、新たな地域との関わり方。「地域の知合いに連絡をとった」などこんなものまで!?」と思うような日常の小さなアクションでもコインがもらえます。まずは、現在のあなたの社会や地域への貢献活動を可視化してみてはいかがでしょう。

●取材協力
・株式会社NTTデータ経営研究所
・ソーシャルアクションカンパニー株式会社
・ヤマナハウス
・あなたと地域のつながりプロジェクト
・アクトコイン

ご近所お抱え農家Vege House 。野菜の直販を“お客以上友だち未満”の距離感で

採れたて野菜を畑のすぐそばで購入できる野菜の直販サービス「Vege House」。始めたのは、小金井市の阪本農園の阪本さんはじめ幼馴染3人組。お客さんはLINEで注文しておいた野菜を農園でピックアップできる。24時間以内に収穫された新鮮な野菜が手に入るのが魅力で、まさに地産地消のサービスだ。

採れた野菜を、なるべく近所の方に食べてもらいたい

近所に畑があっても、そこで直接野菜を買えるわけじゃない。ああ立派なピーマンだな、里芋だなと気になっても、野菜はスーパーで買うのがあたりまえの社会に私たちは生きている。収穫された野菜は市場に出され、流通にのってまた地元のスーパーに並ぶ。その間、収穫からゆうに4~5日が経ってしまう。

「せっかく住宅街のそばで新鮮な野菜を収穫しているのに、直接お客さんに届けられないのはもったいないと思ったんです。採れた野菜を、なるべく近所の方に食べてもらいたい」と、農園のすぐそばで野菜を売り始めた人たちがいる。同級生3人組、阪本大悟さん、佐藤友樹さん、小嶋英郎さんによる野菜の直販サービス「Vege House」だ。

野菜は新鮮であるほどおいしい。畑のそばで買えるのであれば、それだけで嬉しいサービスになるはずだ。詳しい話を聞きに、新小金井にある阪本農園に向かった。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

住宅街の中に広がる農園

西武多摩川線の新小金井駅から徒歩8分。コンビニエンスストアの脇の道を入っていくと、阪本農園の畑が見えてくる。周囲はまさに住宅街。1ヘクタールほどの畑が広がり、ハウスも10ほど並んでいる。阪本大悟さんが迎えてくれた。

Vege Houseの阪本大悟さん(写真撮影/甲斐かおり)

Vege Houseの阪本大悟さん(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園は、この土地に350年も続いてきた農家。大悟さんのお父さんの啓一さんは早い時期から有機農法に取り組んできた熱心な農家だ。

主にサラダ野菜を5種類、スイスチャード、ルッコラ、サラダホウレンソウなどを栽培して、大手宅配サイトや飲食店に野菜を卸している。お母さんやお兄さんも一緒に働く家族経営で、ナスやキュウリ、ネギなどの一般的な野菜もつくっている。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

「Vege House」は、そんな阪本農園の野菜と、近隣の農家の野菜をご近所さんに直販するサービスだ。

しくみはこう。ほぼ毎日、阪本さんたちはインスタグラムやLINEで、登録者向けに販売できる野菜をお知らせする。お客さんは受取の2日前までにほしい野菜をLINEで注文。注文受けた野菜を阪本さんたちは収穫して、受取時間までに用意しておく。お客さんは農園に直接取りにくるか、もしくは配送料300円を支払って届けてもらうことができる(配達範囲は主に小金井市と武蔵野市の一部)。

「配送するより、取りに来てくださるお客さんの方が圧倒的に多いです。なので本当にご近所さん向けのサービスといった感じですね。いま登録数は600ほどですが、1日に取りに来られるのは多いときで20人くらい、少ない日は2人なんて時もあります」

基本、平日の9時半~13時、13~20時は毎日受取可能。買い物や仕事帰り、保育園の送り迎えついでにピックアップする人が多い。しかも注文を受けてから収穫するため、24時間以内に採れた野菜が食べられるのが、最大の嬉しいポイントだ。

Vege Houseのinstagram

Vege Houseのinstagram

「採れたての野菜ってこんなにうまいのか」

Vege Houseは昨年(2020年)の5月、阪本さんと子どものころから仲の良かった同級生、佐藤さん、小嶋さんと3人で始めた。当時はみなまだ大学生だった。
なぜこのサービスを始めることになったのだろう?

「僕は卒業したら農業を手伝うことを決めていました。うちの野菜の9割はずっと大地を守る会(現「オイシックスラ・大地」)に卸しているんです。なのでコロナ禍の影響はほとんどありませんでした。でも売り先が一つしかないのは不安だなと思うようになったんです。自然災害も増えているし、売り先はいくつかある方がいいのではと」

そこで通販プラットフォームを使って、オンラインでの販売を始めてみた。ところがそれほど数が出るわけでもなく、顔の見えないお客さんに野菜を送る仕事は面白く感じられなかった。

せっかく新しいことをやるなら、もっと面白いことができないかと、2人の友人に相談した。

「帰りにお土産にキュウリを渡したんです。それをかじった小嶋が『何これ!こんなうまいキュウリ、初めて食べた』って。採れたての野菜ってこんなにうまいのかって言うんです。野菜はスーパーで買うのが当たり前だと思っているから、東京でこんなおいしい野菜が食べられるってみんな知らないよねって話になって。だったら地元の人たちにアピールしてみたらどうだろうって」

友人2人が興味をもったことで、Vege Houseの構想が生まれた。ご近所さんが野菜を通じて農家や畑を身近に感じるようになる。そこに生まれるささやかな地域コミュニティ。そんな像をめざしてVege Houseは始まった。

その後3人とも大学を卒業し、佐藤さんと小嶋さんは会社員に。以前に比べると忙しくなり、毎日携わるのは難しくなったが、家も近いため月に2~3回は必ず3人で集まり相談し合っているという。

左から佐藤さん、阪本さん、小嶋さん(写真提供/Vege House)

左から佐藤さん、阪本さん、小嶋さん(写真提供/Vege House)

農園が身近な場所になっていく

オンラインでの広がりでお客さんは徐々に増えているが、お客さんというより友だちが増えていく感覚に近いと阪本さんはいう。子育て中の若いお母さんや働く主婦、年配者などさまざま。

「家族連れで取りに来られる方もいます。小さなお子さんが、公園公園っていう感覚で『のうえんのうえん』って言ってくれるらしくて。農園行こうねって。そう聞くとほんとに嬉しいんですよね」

子どもにとっては、スーパーに並ぶ野菜だけでなく、食べものの育つ現場を知る、いい機会なのかもしれないと思う。
だが農作業の合間に野菜を渡したり、配達にまわるのは負担ではないのだろうか。

「だいぶ慣れました。ただやっぱり、家族の理解は大きい。畑で作業していてもお客さんが受取にくる15分前には携帯のバイブが鳴るようにしていて、『行ってくるわ』っていうと『行ってらっしゃい』って言ってくれるので」

畑も受け渡し場所も同じ敷地内なので、それほど時間はかからない。ただし、お客さんの都合で受取時間が変わるなど、手間も多いだろう。

「そうですね。でも僕にとっては友だちみたいな感覚なので。ほぼ名前も覚えているし。『子どものお迎えを先に行ってきてもいいですか』と連絡がきて『はいじゃあ3時半にお待ちしますね』って感じのやり取りです。そのぶん野菜が美味しかったとか、ほかではもう買えないっていうような言葉をいただいて。その方がすごく嬉しい」

野菜の収穫体験をお客さんにプレゼントしたこともある。1000円以上買っていただいた方に、大根を1本直接畑から抜いてくださいというサービス。お客さんにとっては新鮮な遊びや体験になる。
そうしてどんどん近くの畑や農家が身近な存在になっていく。

(写真提供/Vege House)

(写真提供/Vege House)

仕入れ先もご近所さん

Vege Houseでは阪本農園だけでなく、近所の農家の野菜も合わせて販売している。各農家も注文に応じて収穫。それを阪本さんが毎朝集荷にまわる。

「車で10分かからないところばかりなので。例えば荻原農園さんに9時に仕入れにいって、ほかいくつかまわっても9時半にはうちに戻れます」

値段は各農家が決めるため、同じナスでもA農家とB農家で値段は違っていたりする。それはお客さんが選んでくれればいい。Vege Houseで多少の手数料を取っているが、値段は良心的。買う側からしても新鮮な野菜が安価に手に入る。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

新しいお客さんを獲得するための、ゲリラ販売も

8月中旬の土曜日には、ゲリラ販売が行われた。「インスタを見てはいるけどまだ試したことがない」という人たちに来てほしいと行われたイベントだった。

農作業の後、ということで開始は16時半。時間になると、農園の前にぞくぞくと人が集まり始めた。
軽トラックの荷台に野菜を広げて販売する。若い夫婦や、子ども連れのお母さん、年配者など20人ほどが列をつくった。

次々に野菜を手にするお客さんたち。阪本さんたちは必死で計算する(写真撮影/甲斐かおり)

次々に野菜を手にするお客さんたち。阪本さんたちは必死で計算する(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園と近隣の農家で採れた旬の野菜が並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園と近隣の農家で採れた旬の野菜が並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

「ホウレンソウくださ~い」という子どもの声。「じゃあまた~」と笑顔で帰るお年寄り。そのたびに阪本さんは「ありがとうございます、またお願いします!」「とれたて野菜、楽しんでくださいね」と言葉を返す。

野菜がどんどん売れていく。これほどお客さんが訪れるとは思っていなかったそうだ。
30分もしないうちに野菜はほぼなくなり、わずか1時間ほどで完売。

この日は佐藤さん、小嶋さんに代わり、同じく同級生の赤村陽太郎さんが助っ人として参加。(写真撮影/甲斐かおり)

この日は佐藤さん、小嶋さんに代わり、同じく同級生の赤村陽太郎さんが助っ人として参加。(写真撮影/甲斐かおり)

この日訪れたお客さんの半分は、新規のお客だったそう。ほとんどがご近所さん。「その日の気分で買うので、なかなか数日前の予約は難しくて」と話すお客さんもいた。毎日、ここで販売する予定はないのだろうか。

「やっぱり予約して買っていただきたいんですよね。いつでも買えると八百屋と変わらなくなってしまう。欲しいから事前に頼む。お抱え農家みたいになりたいといいますか」

「売り手と買い手」である前に、「つくり手と買い手」の関係性が先にある。お客さんから見れば、阪本さんはあくまで“農家さん”。だからいい。それが違いかもしれない。
食べることはもっとも身近な行為。行きつけの美容院や飲食店と同じように、生活圏に“いつもの農家さん”がいるのは、安心で嬉しいことのように思う。

「自分の暮らす身近に農家があるといいですよね。都会にこそ、本当は農地が増えてほしい」

Vege Houseで扱う野菜はとくにオーガニックに限っているわけではないため価格も控えめ。「ただ新鮮でおいしい」に特化した直販サービスは珍しいかもしれない。

“お客以上友だち未満”の距離感で野菜を販売してくれるVege Houseのようなサービスが増えれば、畑や農業がもっと身近になるだろう。

●取材協力
Vege House
instagram:@vege_house_

ご近所お抱え農家Vege House 。野菜の直販を“お客以上友だち未満”の距離感で

採れたて野菜を畑のすぐそばで購入できる野菜の直販サービス「Vege House」。始めたのは、小金井市の阪本農園の阪本さんはじめ幼馴染3人組。お客さんはLINEで注文しておいた野菜を農園でピックアップできる。24時間以内に収穫された新鮮な野菜が手に入るのが魅力で、まさに地産地消のサービスだ。

採れた野菜を、なるべく近所の方に食べてもらいたい

近所に畑があっても、そこで直接野菜を買えるわけじゃない。ああ立派なピーマンだな、里芋だなと気になっても、野菜はスーパーで買うのがあたりまえの社会に私たちは生きている。収穫された野菜は市場に出され、流通にのってまた地元のスーパーに並ぶ。その間、収穫からゆうに4~5日が経ってしまう。

「せっかく住宅街のそばで新鮮な野菜を収穫しているのに、直接お客さんに届けられないのはもったいないと思ったんです。採れた野菜を、なるべく近所の方に食べてもらいたい」と、農園のすぐそばで野菜を売り始めた人たちがいる。同級生3人組、阪本大悟さん、佐藤友樹さん、小嶋英郎さんによる野菜の直販サービス「Vege House」だ。

野菜は新鮮であるほどおいしい。畑のそばで買えるのであれば、それだけで嬉しいサービスになるはずだ。詳しい話を聞きに、新小金井にある阪本農園に向かった。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

住宅街の中に広がる農園

西武多摩川線の新小金井駅から徒歩8分。コンビニエンスストアの脇の道を入っていくと、阪本農園の畑が見えてくる。周囲はまさに住宅街。1ヘクタールほどの畑が広がり、ハウスも10ほど並んでいる。阪本大悟さんが迎えてくれた。

Vege Houseの阪本大悟さん(写真撮影/甲斐かおり)

Vege Houseの阪本大悟さん(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園は、この土地に350年も続いてきた農家。大悟さんのお父さんの啓一さんは早い時期から有機農法に取り組んできた熱心な農家だ。

主にサラダ野菜を5種類、スイスチャード、ルッコラ、サラダホウレンソウなどを栽培して、大手宅配サイトや飲食店に野菜を卸している。お母さんやお兄さんも一緒に働く家族経営で、ナスやキュウリ、ネギなどの一般的な野菜もつくっている。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

「Vege House」は、そんな阪本農園の野菜と、近隣の農家の野菜をご近所さんに直販するサービスだ。

しくみはこう。ほぼ毎日、阪本さんたちはインスタグラムやLINEで、登録者向けに販売できる野菜をお知らせする。お客さんは受取の2日前までにほしい野菜をLINEで注文。注文受けた野菜を阪本さんたちは収穫して、受取時間までに用意しておく。お客さんは農園に直接取りにくるか、もしくは配送料300円を支払って届けてもらうことができる(配達範囲は主に小金井市と武蔵野市の一部)。

「配送するより、取りに来てくださるお客さんの方が圧倒的に多いです。なので本当にご近所さん向けのサービスといった感じですね。いま登録数は600ほどですが、1日に取りに来られるのは多いときで20人くらい、少ない日は2人なんて時もあります」

基本、平日の9時半~13時、13~20時は毎日受取可能。買い物や仕事帰り、保育園の送り迎えついでにピックアップする人が多い。しかも注文を受けてから収穫するため、24時間以内に採れた野菜が食べられるのが、最大の嬉しいポイントだ。

Vege Houseのinstagram

Vege Houseのinstagram

「採れたての野菜ってこんなにうまいのか」

Vege Houseは昨年(2020年)の5月、阪本さんと子どものころから仲の良かった同級生、佐藤さん、小嶋さんと3人で始めた。当時はみなまだ大学生だった。
なぜこのサービスを始めることになったのだろう?

「僕は卒業したら農業を手伝うことを決めていました。うちの野菜の9割はずっと大地を守る会(現「オイシックスラ・大地」)に卸しているんです。なのでコロナ禍の影響はほとんどありませんでした。でも売り先が一つしかないのは不安だなと思うようになったんです。自然災害も増えているし、売り先はいくつかある方がいいのではと」

そこで通販プラットフォームを使って、オンラインでの販売を始めてみた。ところがそれほど数が出るわけでもなく、顔の見えないお客さんに野菜を送る仕事は面白く感じられなかった。

せっかく新しいことをやるなら、もっと面白いことができないかと、2人の友人に相談した。

「帰りにお土産にキュウリを渡したんです。それをかじった小嶋が『何これ!こんなうまいキュウリ、初めて食べた』って。採れたての野菜ってこんなにうまいのかって言うんです。野菜はスーパーで買うのが当たり前だと思っているから、東京でこんなおいしい野菜が食べられるってみんな知らないよねって話になって。だったら地元の人たちにアピールしてみたらどうだろうって」

友人2人が興味をもったことで、Vege Houseの構想が生まれた。ご近所さんが野菜を通じて農家や畑を身近に感じるようになる。そこに生まれるささやかな地域コミュニティ。そんな像をめざしてVege Houseは始まった。

その後3人とも大学を卒業し、佐藤さんと小嶋さんは会社員に。以前に比べると忙しくなり、毎日携わるのは難しくなったが、家も近いため月に2~3回は必ず3人で集まり相談し合っているという。

左から佐藤さん、阪本さん、小嶋さん(写真提供/Vege House)

左から佐藤さん、阪本さん、小嶋さん(写真提供/Vege House)

農園が身近な場所になっていく

オンラインでの広がりでお客さんは徐々に増えているが、お客さんというより友だちが増えていく感覚に近いと阪本さんはいう。子育て中の若いお母さんや働く主婦、年配者などさまざま。

「家族連れで取りに来られる方もいます。小さなお子さんが、公園公園っていう感覚で『のうえんのうえん』って言ってくれるらしくて。農園行こうねって。そう聞くとほんとに嬉しいんですよね」

子どもにとっては、スーパーに並ぶ野菜だけでなく、食べものの育つ現場を知る、いい機会なのかもしれないと思う。
だが農作業の合間に野菜を渡したり、配達にまわるのは負担ではないのだろうか。

「だいぶ慣れました。ただやっぱり、家族の理解は大きい。畑で作業していてもお客さんが受取にくる15分前には携帯のバイブが鳴るようにしていて、『行ってくるわ』っていうと『行ってらっしゃい』って言ってくれるので」

畑も受け渡し場所も同じ敷地内なので、それほど時間はかからない。ただし、お客さんの都合で受取時間が変わるなど、手間も多いだろう。

「そうですね。でも僕にとっては友だちみたいな感覚なので。ほぼ名前も覚えているし。『子どものお迎えを先に行ってきてもいいですか』と連絡がきて『はいじゃあ3時半にお待ちしますね』って感じのやり取りです。そのぶん野菜が美味しかったとか、ほかではもう買えないっていうような言葉をいただいて。その方がすごく嬉しい」

野菜の収穫体験をお客さんにプレゼントしたこともある。1000円以上買っていただいた方に、大根を1本直接畑から抜いてくださいというサービス。お客さんにとっては新鮮な遊びや体験になる。
そうしてどんどん近くの畑や農家が身近な存在になっていく。

(写真提供/Vege House)

(写真提供/Vege House)

仕入れ先もご近所さん

Vege Houseでは阪本農園だけでなく、近所の農家の野菜も合わせて販売している。各農家も注文に応じて収穫。それを阪本さんが毎朝集荷にまわる。

「車で10分かからないところばかりなので。例えば荻原農園さんに9時に仕入れにいって、ほかいくつかまわっても9時半にはうちに戻れます」

値段は各農家が決めるため、同じナスでもA農家とB農家で値段は違っていたりする。それはお客さんが選んでくれればいい。Vege Houseで多少の手数料を取っているが、値段は良心的。買う側からしても新鮮な野菜が安価に手に入る。

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

新しいお客さんを獲得するための、ゲリラ販売も

8月中旬の土曜日には、ゲリラ販売が行われた。「インスタを見てはいるけどまだ試したことがない」という人たちに来てほしいと行われたイベントだった。

農作業の後、ということで開始は16時半。時間になると、農園の前にぞくぞくと人が集まり始めた。
軽トラックの荷台に野菜を広げて販売する。若い夫婦や、子ども連れのお母さん、年配者など20人ほどが列をつくった。

次々に野菜を手にするお客さんたち。阪本さんたちは必死で計算する(写真撮影/甲斐かおり)

次々に野菜を手にするお客さんたち。阪本さんたちは必死で計算する(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園と近隣の農家で採れた旬の野菜が並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

阪本農園と近隣の農家で採れた旬の野菜が並ぶ(写真撮影/甲斐かおり)

「ホウレンソウくださ~い」という子どもの声。「じゃあまた~」と笑顔で帰るお年寄り。そのたびに阪本さんは「ありがとうございます、またお願いします!」「とれたて野菜、楽しんでくださいね」と言葉を返す。

野菜がどんどん売れていく。これほどお客さんが訪れるとは思っていなかったそうだ。
30分もしないうちに野菜はほぼなくなり、わずか1時間ほどで完売。

この日は佐藤さん、小嶋さんに代わり、同じく同級生の赤村陽太郎さんが助っ人として参加。(写真撮影/甲斐かおり)

この日は佐藤さん、小嶋さんに代わり、同じく同級生の赤村陽太郎さんが助っ人として参加。(写真撮影/甲斐かおり)

この日訪れたお客さんの半分は、新規のお客だったそう。ほとんどがご近所さん。「その日の気分で買うので、なかなか数日前の予約は難しくて」と話すお客さんもいた。毎日、ここで販売する予定はないのだろうか。

「やっぱり予約して買っていただきたいんですよね。いつでも買えると八百屋と変わらなくなってしまう。欲しいから事前に頼む。お抱え農家みたいになりたいといいますか」

「売り手と買い手」である前に、「つくり手と買い手」の関係性が先にある。お客さんから見れば、阪本さんはあくまで“農家さん”。だからいい。それが違いかもしれない。
食べることはもっとも身近な行為。行きつけの美容院や飲食店と同じように、生活圏に“いつもの農家さん”がいるのは、安心で嬉しいことのように思う。

「自分の暮らす身近に農家があるといいですよね。都会にこそ、本当は農地が増えてほしい」

Vege Houseで扱う野菜はとくにオーガニックに限っているわけではないため価格も控えめ。「ただ新鮮でおいしい」に特化した直販サービスは珍しいかもしれない。

“お客以上友だち未満”の距離感で野菜を販売してくれるVege Houseのようなサービスが増えれば、畑や農業がもっと身近になるだろう。

●取材協力
Vege House
instagram:@vege_house_

神奈川県大磯の”本気の防災”! 3000人参加の避難訓練など首都圏屈指の共助力とは?

地震や台風、豪雨豪雪や火山の噴火など、災害につながるさまざまな自然現象が起きる日本。複数の場所で同時に災害が発生することもあるでしょう。そんななか、大磯町では行政と住民が手を結び、さまざまな対策を行っています。その理由と取り組みを聞いてみました。

人口3.2万に対し町役場職員は260人。災害発生時の公助は苦しい

大磯町は神奈川県中央南部に位置し、相模湾に面した風光明媚な別荘地としても知られる町です。人口は約3万2000人で、東海道線、湘南新宿ラインを使えば東京都心部にもダイレクトにアクセスできるとあって、住宅地としても根強い人気を誇ります。この大磯駅、今年3月に発表された住民が回答する街の共助力調査(「『住民の共助力』に関する実態調査」2021年3月10日発表(リクルート))でも首都圏2位にランクインするなど、「住民の助け合い」が自然に息づいているといいます。その背景について、大磯町の政策総務部危機管理課・竹内愛純さんに話を聞きました。

「大磯町では行政が仕切るというよりも、『住民と行政が協働サイクルを回す』という立ち位置で、防災に取り組んでいます。というのも、町の人口は3万2000に対し町職員は260人。そのうち半数以上が町外に居住しています。町職員も災害時には怪我をすることもあるでしょう。そのため、災害発生時に即応できる職員となると、ほんとうに少数なのではないでしょうか。町民のみなさんにまずこの話をすると、『そうだろうな。共助は欠かせないな』と理解してくれます」と竹内さん。

もちろん、地元自治体だけでなく、県や国の公助に期待したいところですが、被害状況の把握や支援要請など、基本拠点となるのは町役場です。それだけに町民人口と職員の人数を聞くと、厳しいというのは大変現実味があります。また、大磯町はその地形や特性から、さまざまな災害が想定されるといいます。

「地震発生時は地震と津波、漁港に近い住宅密集地では火災も想定されます。台風では高波、大雨が降れば川沿いで浸水が起きるおそれがあります。丘陵地では大雨による土砂災害もありえるでしょう。加えて、富士山が噴火すれば町内全域が被災することになります」と話すのは大磯町災害救援ボランティアの会の伊藤勇さん。自身でもSL災害ボランティアネットワークに加入し、地域の防災講座などを積極的に行っています。

大磯町災害救援ボランティアの会の伊藤勇さん(左)と、大磯町の政策総務部危機管理課の竹内愛純さん(右)

大磯町災害救援ボランティアの会の伊藤勇さん(左)と、大磯町の政策総務部危機管理課の竹内愛純さん(右)

大磯駅前にあった町の案内図。観光名所に加えて、避難所やトイレ、海抜の表記があり、町全体での防災意識の高さがうかがえます(写真撮影/嘉屋恭子)

大磯駅前にあった町の案内図。観光名所に加えて、避難所やトイレ、海抜の表記があり、町全体での防災意識の高さがうかがえます(写真撮影/嘉屋恭子)

大磯中学校3年生の前で防災講演する伊藤さん(写真提供/伊藤勇さん)

大磯中学校3年生の前で防災講演する伊藤さん(写真提供/伊藤勇さん)

危機感を町民と共有。津波土砂防災訓練には3000人が参加

冒頭にあげた竹内さん、伊藤さんたちが抱く危機感、防災意識は大磯町全体にも浸透し、津波土砂避難訓練にはなんと町民約3000人が参加するといいます。

こうした、町民の当事者意識・防災意識の高まりにつながっているのが、町が主催する年3回実施の「大磯防災ミーティング」です。自治会や学校、病院、ボランティア、消防、警察など70以上の組織から毎回約100名が参加し、訓練の計画・実行・振り返りを通して意見を出し合い、各組織に持ち帰り、また行政にフィードバックし、改善していくといいます。

「それまでは、どこの市町村でもやっている防災訓練を行っていたんですが、町主体の訓練だと防災力があがらないと気がつき、住民のみなさんで意見を出し合う方法へと変化させました。実は『土砂避難訓練』を行うようになったのもこの数年です。開始したのも、高台に住んでいるみなさんの意見を反映した結果です。お互いの意見を出すことで、住民の当事者意識、防災意識が高まっていくんだなと感じます」と竹内さん。なるほど、住民と行政の顔が見えていることで、良好な協働のサイクルに入っているようです。

続々と避難場所である体育館に入っていきます。防災訓練開催は2011年(写真提供/大磯町)

続々と避難場所である体育館に入っていきます。防災訓練開催は2011年(写真提供/大磯町)

高台に避難する馬場地区の避難訓練の様子。こちらも開催は2011年(写真提供/大磯町)

高台に避難する馬場地区の避難訓練の様子。こちらも開催は2011年(写真提供/大磯町)

町への愛着と日ごろの防災訓練が「共助」を可能にする

ただ、大磯町以外にも災害多発地域はたくさんあります。ここまで防災の協働意識が高まった背景には何があるのでしょうか。
「大磯には相模国総社の六所神社があり、また、昔から漁業が盛んであったこともあり、もともとお祭りが盛んな地域です。この2年はコロナ禍で実施できていませんが、夏になると毎週、どこかの神社でお祭りが行われている。子どもが担ぐ『こどもみこし』もあり、地域の行事に住民が参加することで交流が深まって、町への愛着を生んでいるように思います。加えて、防災訓練をすることで災害発生時に人を助けられる。地域への愛着と、日ごろの防災訓練。この両輪が備わってはじめて『共助』が実現できるのではないでしょうか」と、30年以上も大磯の町内会や地域の防災に携わってきた伊藤さんは分析します。

もともとお祭りが盛んな大磯。防災の取り組みの、根っこにあるのは「地元愛」(写真提供/伊藤勇さん)

もともとお祭りが盛んな大磯。防災の取り組みの、根っこにあるのは「地元愛」(写真提供/伊藤勇さん)

大磯を含め「湘南」は、地域愛・地元愛が強い印象でしたが、実はこうした草の根の活動、人々の思いが「湘南愛」の土壌になってきたのかもしれません。また、町内自治会とは別に『自主防災会』を組織するところも増えてきたといいます。

「防災に特化した組織が『自主防災会』で現在町では26の組織が活動しています。この数年、自治会役員は任期で交代してしまうため、防災力の継続を目的として役員OB等により、自治会とは別に、自主防災会を組織するところもだいぶ増えてきています。私の所属する馬場地区の自主防災会では、災害発生時に黄色い安否確認旗を家の前に掲示してから一時避難場所へいく安否確認訓練にも力を入れています。回覧板をまわす程度の近所を『組』とし、安否チェック表や要支援者情報を可視化した地図をつくりました。自分と家族の身の安全を確認したら、組長が近所をまわり、要支援者に声をかけてほしいと伝えています」(伊藤さん)

馬場地区で使われている「黄色い安否確認旗」。組単位でチェック表を使用して各世帯の安否状況を記載し、地区全体でとりまとめられるようにしている(写真提供/伊藤勇さん)

馬場地区で使われている「黄色い安否確認旗」。組単位でチェック表を使用して各世帯の安否状況を記載し、地区全体でとりまとめられるようにしている(写真提供/伊藤勇さん)

馬場自主防災会の要支援者訓練の写真。地図を使って逃げ遅れた人はいないか確認しています(写真提供/伊藤勇さん)

馬場自主防災会の要支援者訓練の写真。地図を使って逃げ遅れた人はいないか確認しています(写真提供/伊藤勇さん)

また、自主防災会では、地元にある高齢者施設と合同防災訓練を行い、リヤカーを使って高齢者を搬送する避難訓練も行っているといいます。

この要支援者への取り組み、高齢者の避難訓練については、「住民がそこまでしないダメなの?」という声もあることでしょう。障がいや身体の状況を知られたくないという方もいるでしょうし、ひとくちに住民が「助け合う」といっても、その実現は本当に難しいことが分かります。ただ、乳幼児、高齢者、障がい者など、どの街にも必ず「災害で困る人・避難に困る人」がいます。そして、弱い人たちほど被害が大きくなるものです。その対処法を災害が発生してから考えるのではなく、あらかじめ考えておく、ベストではなくともベターな案を平時に考えておくことは非常に重要だなと痛感します。

馬場地区青年会員が訓練に参加、リヤカーを使って救助する。大磯町で青年会があるのは馬場地区のみだそう(写真提供/伊藤勇さん)

馬場地区青年会員が訓練に参加、リヤカーを使って救助する。大磯町で青年会があるのは馬場地区のみだそう(写真提供/伊藤勇さん)

防災の告知はお祭りや盆踊りでも掲示。楽しく巻き込むことが大切

ただ、防災訓練は義務感や危機感だけでは長続きしません。そこで伊藤さんが心がけているのが、お楽しみイベントと組み合わせることだといいます。

「文化祭やお祭りで販売するお餅のパッケージに、『防災餅』と名付けて、防災の心構えを印刷して販売しています。炊き出しもそうですが、胃袋を掴むのは重要です(笑)。防災訓練の一番の課題は、1人でも多くの人に防災について知ってもらうこと、参加してもらうことです。人が集まるイベント、お祭りの一角に、自然と目に入るところに「家具転倒防止の方法」「消火方法」と掲示しておく。はじめはおっかなびっくり見ているけれど、『どうぞ~』と声をかけると見ていってくれますよ」と話します。

182778_sub11

手づくりした餅を「防災餅」と名付けて100円で販売。収益は防災訓練の費用に充当します。上の写真の防災の掲示など、楽しいことと組み合わせて、啓発するのがポイントだそう(写真提供/伊藤勇さん)

手づくりした餅を「防災餅」と名付けて100円で販売。収益は防災訓練の費用に充当します。上の写真の防災の掲示など、楽しいことと組み合わせて、啓発するのがポイントだそう(写真提供/伊藤勇さん)

この10年で東日本大震災をはじめ熊本地震、西日本豪雨と立て続けに大きな災害が多発しています。ただ、興味関心があっても、「地域の防災訓練に参加するほどでも……」という温度感の人は多いはず。そうした人に対して、自然と知ってもらう・啓発するというのはとても大切なようです。また、伊藤さんがカギになると話しているのが女性です。

「もし平日の昼間に災害が起きたら、町内に居る確率が高いのは女性や子ども、高齢者です。特に、避難生活での女性視点は重要です。訓練の場に子どもと女性がいれば、男性も参加するようになります。女性の意識を高めることが、町の防災力向上につながるはずです」と伊藤さん。その声を受け止めた大磯町では、女性を対象にした災害救援ボランティア養成講座助成事業を、今年実施しました。

取材中、「1人も取り残さない」と繰り返し力説していた伊藤さん。さまざまな災害が発生するから無力なのではなく、たとえ何度、災害が起きたとしても、「必ず助ける」「ともに助け合って生き延びる」という強い意思が、今の私たちに一番、必要なのかもしれません。

「街に居場所を!」リタイヤ世代が立ち上がった。ベッドタウン「東千葉住宅地」で参加500名の大防災訓練を実現した共助力とは

九州・広島を襲った大雨と河川の氾濫、熱海での土砂崩れなど、日本各地で災害が多発している昨今ですが、こうした自然災害発生時、大きく影響するのが地域の人と助け合う「共助」です。ただ、「共助といっても何をするの?」「何ができるのか分からない」と戸惑う人がほとんどではないでしょうか。今回は千葉県千葉市中央区の東千葉で、地域コミュニティを支える人の声を聞きました。

街に「自分」の居場所がない…! すべては危機感からはじまった

東千葉住宅地は、総武本線東千葉駅から徒歩15分ほどの場所にある一戸建てとマンション、あわせて約1000世帯5つの町内自治会で構成されています。住宅地が完成したのは1978(昭和53)年で、現在は高齢世帯や独居世帯が増えているほか、新しい住民との入れ替わりが始まった過渡期だといいます。

東千葉地区の住宅街。区画も広く、成熟した住宅地の印象(写真撮影/嘉屋恭子)

東千葉地区の住宅街。区画も広く、成熟した住宅地の印象(写真撮影/嘉屋恭子)

一見すると、典型的な郊外のベッドタウンに見えますが、この東千葉地区は非常に地域コミュニティ活動が活発。一般的な町内自治会活動と委員会活動のほかに、「ハッピータウンの会※1」「東千葉 和・輪・環(わわわ)の会」「くるま座の会」などの福祉活動・親睦活動が行われ、地域で自然に助ける・助けられる「共助」が育まれています。

ただ、最初から現在のような地域活動が活発だった訳ではなく、住民が手探りで活動をするなかで、現状に行き着いたのだといいます。

「私は79歳になりますが、自分が定年退職をしたあと、地域にまったくなじみがないことに気が付き、愕然としたんです。そこで会社人間から社会人間に変わろうと『仲間づくりの会』という飲み会を企画し、知り合いをつくることからはじめました」と振り返るのは、地域の町内会をとりまとめる東千葉地区自治会連絡協議会の元会長・村井克則さんです。

村井さんは飲み会で出身地や趣味などを通じて、地域にとけこむよう試みました。すると回数を重ねるうちに、地域に顔見知りや知人、趣味友達ができ、次第に自分たちが暮らしている街の課題について話すことが増えたといいます。

「東千葉地区には5つの町内自治会がありますが、会長など役職者の任期は1年で、毎年入れ替わります。日常的な業務、例えば回覧板を回すなどは問題なくできますが、防犯・防災、高齢化の健康や介護、独居世帯への対応などの中長期で取り組むべき課題には答えを出していけない。これはまずいよね、地域で支え合えないかということで、自分たちにできる活動をはじめました」(村井さん)

お話を伺った東千葉地区のみなさん。手には安否確認訓練時に自宅の軒先に掲げて「無事」を伝えるタオルを持っています(写真撮影/嘉屋恭子)

お話を伺った東千葉地区のみなさん。手には安否確認訓練時に自宅の軒先に掲げて「無事」を伝えるタオルを持っています(写真撮影/嘉屋恭子)

町内自治会活動と福祉・親睦活動があることで、住みやすい街になる

町内自治会で行うのは、前述したような日常業務のほか、地域の防犯・防災、お祭りなどの恒例行事や町内自治会が所有する建物の建て替え準備などになります。自治会費の予算があり、地域のルールを決める権限があります。一方で、「ハッピーボランティア東千葉」「東千葉 和・輪・環(わわわ)の会」「くるま座の会」などは、地域の福祉・親睦を主目的とした活動です。扱う内容は、地域の見守りやあいさつ運動、多世代との交流、高齢者の健康づくりなどさまざまですが、自由な集まりに近く、予算や権限・拘束力などはありません。

東千葉地区自治会連絡協議会で会長を務める大内信幸さんによると、この既存の町内自治会と福祉・親睦活動の2つの軸があることで、地域コミュニティが立体的・有機的になるのだといいます。

「自治活動と福祉・親睦活動を地域づくりとしてトータルで行っていかないと、住みやすい街にならないと思うんです。そのため、両者の交流を促進する『地域づくり懇談会』を設けています。さまざまなテーマで情報交換するなかで、地域の課題や関心が見えてくるんですね。今はコロナの影響で集まることはできませんが、地域の福祉を担う社会福祉協議会、民生委員児童委員協議会(民児協)、小中学校とも連携しています」と話します。

「自分」の興味を大切に。無理なく楽しく参加できる仕組み

東千葉地区ではリタイヤ世代の男性だけでなく、女性の活躍も目立ちます。また活動を担う人たちが楽しそうに、そして強制ではなく主体的に動いているのが印象的です。

「どの活動も、人のため、地域のためというだけでなく、自分たちが楽しく続けられることを行っています。健康、介護、将来の相続など、興味・関心のあるテーマで講演会を企画したり、多世代が楽しめる季節ごとのイベントを開催したり。『できる範囲で、ちょっとボランティアがしたい』『こんな講座があったら参加してみたい』。そうやって企画していると、人が集まって顔見知りができて、新しい動きが生まれる。その繰り返しだったような気がします」と話すのは村井さんの妻の早苗さん。社会福祉協議会の東千葉地区部会の部会長、千葉市立都賀中学校の学校評議員を務めています。

東千葉地区は、もともと専業主婦が多かったこともあり、女性が地域活動の中心だったといいます。ただ、現代は共働き世帯が主流。昔のように地域の交流に参加できない人も多いそうです。
「新しい世帯や若い世代に、地域コミュニティに入ってと強制できません。ただ、地域活動が活発なのを知って引越してきてくれる人もいるようで、とてもうれしいですね。子どもたちといっしょに参加しやすい七夕、ハロウィン、お祭り、防災訓練などを通して顔見知りになり、『いつか(企画側で)やってみたいな』と思ってもらえたら十分ではないでしょうか」と話すのは大内さんの妻の公子さん。社会福祉協議会・東千葉地区部会の副部会長、千葉市立千草台東小学校・都賀中学校の学校評議員などを務めています。

地元の民生委員・児童委員を務める高畑宏子さんは、「東千葉も高齢世帯や独居世帯が増えてきていますが、町内自治会や地域のみなさんに寄り添っていただき、さり気なく見守られているのを感じます。また私のような民生委員も、地域のみなさんと普段からおしゃべりすることで、精神的にも助けられています」と話します。民生委員や児童委員になる人の負担を減らすという意味でも、横のつながりは重要なのかもしれません。

健康や在宅介護などの講座やイベントは、「今、自分たちが興味・関心のあること」をテーマにしているそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

健康や在宅介護などの講座やイベントは、「今、自分たちが興味・関心のあること」をテーマにしているそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

大規模な防災訓練も、日ごろのあいさつの延長上にある

東千葉地区が、この10年もっとも力を入れてきたのが、防災訓練をはじめとした防災対策です。住民の高齢化により負担を軽減するため、2018年から5つの町内自治会が合同で防災訓練を実施しています。自治体や学校、警察、消防、地元企業などが共催し、老若男女約500人が参加するという大掛かりなイベントです。また、近所の旧家にあった井戸を防災井戸として使えるよう行政に働きかけて指定を受け、35名以上の「くるま座の会」有志メンバーが協力して、日々の清掃や機器の維持管理をしています。

防災訓練が行われる公園。500人が集まる大規模な訓練が行われるのは驚き(写真撮影/嘉屋恭子)

防災訓練が行われる公園。500人が集まる大規模な訓練が行われるのは驚き(写真撮影/嘉屋恭子)

地元の中学生が参加し、防災井戸から水を運ぶ、運搬訓練をするそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

地元の中学生が参加し、防災井戸から水を運ぶ、運搬訓練をするそう(写真提供:東千葉地区自治会連絡協議会)

「防災訓練では、できるだけ現実に即したリアルな訓練ができるよう呼びかけています。まず、防災訓練を行う日の午前中に各町内自治会の防災備品のチェック、そして各家庭では家族が無事である証拠として自宅前に安否確認タオルを掲示してもらっています。これは実に75%の世帯が参加してくれています。午後には地元の中学生が防災井戸から水を汲んでリアカーで運ぶ訓練をし、その水を炊き出し訓練に使っています。災害時、高齢者では、重い水を汲んだり運んだりするのは難しいですから。ほかにも、起震車による地震体験、煙体験、救命救助の仕方やブルーシートでテントをつくる、チェーンソーで木を切るなど、さまざまな訓練をしてきました」と大内さん。

こうした参加型の訓練内容が地域住民の関心を呼び、年々、参加者が増えていたのだとか。ただ、東千葉町内自治会のみなさんから見ると、まだまだ課題は目につくようです。

「高齢者から見て、行政が指定した避難場所や避難所が遠くて行きにくい。そこで、町内自治会集会所を地震後の一時避難場所として使用できるよう、行政にはたらきかけました。ただ、実際には地震が起きても在宅避難になるのではないでしょうか。現在、町内自治会集会所を拡張して一時的な避難所、防災倉庫として活用できよう機能の拡充を計画しています。この地域から誰も取り残したくないですよね」と大内さん。そう話すみなさんが、年1回の防災訓練と同じように大切だと位置づけているのが、日々のあいさつです。

町内自治会集会所は有事の際一時避難所、防災倉庫としての機能も果たせるよう、行政や関係機関と協議しているといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

町内自治会集会所は有事の際一時避難所、防災倉庫としての機能も果たせるよう、行政や関係機関と協議しているといいます(写真撮影/嘉屋恭子)

「あいさつをすれば打ち解けるし、顔見知りになれる。すると、いざというときに顔が浮かぶし、声がかけられるのではないでしょうか。ただ、日本人はシャイなので、なかなか自然にあいさつできないでしょう(笑)。だから、地区を横断する約800mのメイン通りを『東千葉あいさつロード』と名付けて、山のように看板を設置し、すれ違う人と気軽にあいさつをしましょうという運動をしています。「あいさつロード」が世代を超えたつながりを育むといいねと期待しています」と口をそろえます。

「東千葉あいさつロード」の名は、以前からメイン通りであいさつ運動をしていた「東千葉 和・輪・環(わわわ)の会」が中心となって行政に働きかけたことで、千葉市制100周年記念事業の一環として正式に市から認められたそうです。

町内自治会集会所始めあちこちに「東千葉あいさつロード」の看板が見られます(写真撮影/嘉屋恭子)

町内自治会集会所始めあちこちに「東千葉あいさつロード」の看板が見られます(写真撮影/嘉屋恭子)

街ですれ違っただけでは印象に残らなくても、一度あいさつをすれば、「……近所で見かけたことのある人かな?」に格上げされるから、人は不思議だなと思います。こうした日常も、災害という非日常も地続きであって、特別なことではありません。取材後、筆者は自宅周辺で「あいさつ」を意識してみましたが、みなさん感じのよい返事が返ってきました。ちょっとした世間話にもなり、お互いの体調を気遣う会話にもつながりました。「あいさつ一つ」だと思っていたのに、不思議なものです。まずはあいさつから。できることからコツコツと続けてみたいと思いました。

※1 現在は社協と一緒になり「ハッピーボランティア東千葉」として活動

学生と地域住民が共助力で災害にそなえる。東京・神田「ワテラス」のエリアマネジメントがすごい!

若い世代、なかでもひとり暮らしだと、「近所にどんな人が住んでいるか知らない」という人は多いのではないでしょうか。しかし、災害時の「共助」という視点では不安ですよね。千代田区神田淡路町では、地域のコミュニティ活動をプロデュースするエリアマネジメント組織があり、学生と住人が一体となって地域活性化をはかっています。事務局の方と学生に話を聞きました。
「淡路エリアマネジメント」が中長期で街づくりに携わる

2013年、東京都千代田区神田淡路町の小学校統跡地を含む一帯が再開発され、区立公園に隣接する2棟構成の「ワテラス( WATERRAS )」が完成しました。テナント40店舗、オフィス入居約20社、分譲住宅333戸に加えて、コミュニティ施設と学生用住戸が36戸あるのが特徴です。ここでは、ワテラスの主要権利者である安田不動産が事務局を務める「淡路エリアマネジメント」が地域活動のプロデュースを担い、その会員として学生用住戸に暮らす学生や活動を支援する地域の法人・個人が参加。自治会などの地域団体や行政と連携してさまざまな活動を行っています。

近年、東京ではあちこちで大規模複合再開発が行われ、竣工後の地域活性化を目的にしたエリアマネジメント(※)が注目を集めています。淡路アリアマネジメントの成り立ちを、エリアマネージャーを務める堂前武さんに聞きました。

※エリアマネジメント/地域における良好な環境や地域の価値を維持・向上させるための、住民・事業主・地権者等による主体的な取り組み(国土交通省の定義)

新御茶ノ水駅と直結。2013年に竣工したワテラスタワー(写真撮影/嘉屋恭子)

新御茶ノ水駅と直結。2013年に竣工したワテラスタワー(写真撮影/嘉屋恭子)

「この再開発事業は1993年、少子化のために小学校が統廃合され、跡地をどう活用していくかからはじまりました。学校が閉校になった地域住民の危機感は強く、単なる開発行為ではなく、開発後の街づくりを見据え、長期的に施策を実施する事が重要であるとの考えのもと、開発段階よりエリアマネジメント組織による活動が構想されておりました」と振り返ります。

淡路エリアマネジメントの活動は、1地域交流活動、2学生居住推進活動、3地域連携活動、4環境共生/美化活動の主に4つにわけられます。2の学生居住については、1の地域活動に参加することが条件で、相場より割安の家賃でワテラスの「ワテラスアネックス」で暮らすことができます。全36戸ありますが、都心の好立地、手ごろな家賃ということもあってか、毎年希望者が殺到し、倍率は4~5倍(!)にもなるといいます。

2013年のワテラス完成以降、マルシェや音楽祭、防災フェア、江戸三大祭りのひとつである「神田祭」などさまざまなイベントに学生が参加することで、街に活気が生まれています。

「ワテラスに学生が住んでいて地域活動しているというのは、周囲の地域や町会の方々にもだいぶ知られるようになり、手を貸してほしいと依頼が来るようになりました。学生たちも受け身で地域活動をするのではなく、主体的に地域住民と交流する機会をつくるなど、方法もアップデートしています」(堂前さん)

地域活動に取り組むと「神田が好きになる」「街への解像度があがる」

学生のみなさんは、勉強に遊びにと、やりたいことが盛りだくさんの年代だと思うのですが、地域活動についてどのように考えているのでしょうか。

「私は現在入居4年目、大学3年次進級にともなって、ワテラスへ引越してきました。もともと子どもと交流するなどボランティア活動をしていたので、地域活動をしみたかったというのが入居理由の一つです。ワテラスに越してきてからも児童館でアルバイトしたり、その活動がワテラスでの地域活動に活きたりと、有意義に過ごせています」と話すのは大学院生の長谷大輔さん。ワテラスで暮らす学生は、長谷さんのように「家賃が安い」という理由だけではなく、明確に「地域活動がしたい」と意欲を抱いている人がほとんどだそう。

学生が企画して2019年から開催しているブックフェスの様子。子どもはもちろん、学生たちも楽しそう(写真提供/淡路エリアマネジメント)

学生が企画して2019年から開催しているブックフェスの様子。子どもはもちろん、学生たちも楽しそう(写真提供/淡路エリアマネジメント)

「ここに来る前ひとり暮らしをしていたころは、家は寝に帰るためのハコで、どの街に誰と暮らしているという意識は持ちづらかったです。でも、ここでの地域活動が楽しくて、街に対して、人に対して愛着がもてました。『神田に住んでいる』という実感が湧いて、一住民として街への解像度が上がり、日々、気づいた魅力や課題をエリアマネジメント活動に還元できています」と話すのは、赤尾将希さん。

若い世代でも、「街と関わりたい、でもきっかけがない」と思っている人は、実は多いのかもしれません。今年度、リーダーとして中心的に学生会員をまとめる井戸川茉央さんも、同じように感じていました。

「私も入居して4年目で、高校卒業後、大学進学にともなって上京し、初めてのひとり暮らしがココでした。勉強だけでなく、地域活動がしてみたい、他大学の人と交流したいというのが入居のきっかけです。1~2年生のときは楽しく活動に参加していましたが、年次が上がるにつれて関わり方も深いものとなりました。ここで暮らすみんなに神田を好きになってもらいたいと思いますし、私自身、ぐっと地域の人との距離が縮まったように思います」

ワテラスコモンでの打ち合わせの様子。学生たちもアイデア出し、企画から参加できるよう、進め方を変えたそう(写真提供/淡路エリアマネジメント)

ワテラスコモンでの打ち合わせの様子。学生たちもアイデア出し、企画から参加できるよう、進め方を変えたそう(写真提供/淡路エリアマネジメント)

属性も立場も異なる。だからこそ「防災に巻き込む」仕掛けが大切

ワテラスでは、年2回の防災訓練のほか、千代田区の帰宅困難者対応訓練も秋葉原協力会の一員として実施。災害時の共助の拠点として大きな役割を担っています。
もちろん学生会員も参加し、分譲マンション住人の避難誘導や安否確認訓練、広場でのトイレ設置訓練などを行います。

「複合施設なので、マンション住人、オフィスワーカー、管理組合、管理会社、行政とさまざまな人が関わっていますし、属性も違い、当然、温度差もあります。土日と平日では、滞在している人も異なりますし、防災への意識も異なります。ですから、神田消防署とも連携して、より多くの人が参加しやすいように遊び心を加えて、『防災フェア』『防災ワークショップ』などを開催し、「火の話(紙芝居)」や防災サバイバル術を紹介するなど工夫しています。こうした地道な活動が、帰宅困難者対応訓練のような、大規模な防災訓練の土台となっています」と堂前さん。

消防訓練に学生会員も参加。いざというときに備えます(写真提供/安田不動産)

消防訓練に学生会員も参加。いざというときに備えます(写真提供/安田不動産)

消防訓練の様子。平日昼間に行われているので、オフィスワーカーが中心になります(写真提供/安田不動産)

消防訓練の様子。平日昼間に行われているので、オフィスワーカーが中心になります(写真提供/安田不動産)

なるほど、関係者も規模も大きいだけに、「共助」のハードルが高いのは事実のようです。ただ、そこでいきてくるのが日ごろの活動、信頼関係です。

「地域住民の高齢化は進んでいて、青年会では50代が若手になっていることも(笑)。そこに20歳前後の学生が入ることで、潤滑油になっている側面もあります。今はコロナ禍で活動ができないですが、例えば飲み会に参加して顔をあわせているだけでかわいがってもらえる。地域の人から『スマホの使い方教えてよ』と盛り上がることだってあるんですよ」(堂前さん)というと、「自分たちには当たり前のことも、相手にとっては価値があることだったりする。そのギャップがおもしろいですよね」と赤尾さん。

こうした日々の活動を通し、学生たちには「神田が特別な街」という思いが育まれていくのでしょう。

普段からともに活動している仲間がいるから、助けにいける

学生住戸のあるフロアには共有ラウンジがあり、普段から共に地域活動に取り組んでいるため、単なる友人というよりも、「仲間」という結束・連帯感があるようです。

「例えば、災害発生時に自分ひとりで動くのは勇気がいる。1人だったら助けにはいけないと思う。でも、ここには日ごろからいっしょに活動している仲間がいる。仲間がいれば、一緒に地域の人を助けにいけると思う」と長谷さん。

その言葉通り、コロナ禍でコミュニティ活動が休止した昨年、街のために何か行動を起こしたいとリレームービーを企画。ワテラスに入居する企業や店舗で働く従業員、自治会長や住民など総勢60名に出演を依頼し、撮影から編集まで全工程を学生が行いました。動画サイトで公開されたムービーには、「会えなくてもつながっている」「思いはひとつ」というメッセージが込められています。それぞれの得意を活かして地域をつなぐ、学生ならではの活動といえるでしょう。

昨年作成した動画の一部。みなさん、自由に会える日を待ちわびています(写真提供/安田不動産)

昨年作成した動画の一部。みなさん、自由に会える日を待ちわびています(写真提供/安田不動産)

「お祭りができなくなり、飲食店が大変ななか、神田を元気づけたい、活性化したいという思いで動画製作をしました。コロナ禍で中止になったこと、できなかったことも多かったのですが、反対に動画はコロナ禍があったからできた。作業はすごく大変だったんですが……やってよかったです」と井戸川さん。

新型コロナという感染症の流行も、見方を変えれば、一種の災害のようなものです。そんななかで、人々を元気づけたいと仲間と一緒に行動できたのは、やはり今までの「淡路エリアマネジメント」の活動があってこそ。また、卒業していった学生会員のOB/OGのメンバーは、2021年時点ですでに100名近くいて、OB/OG会も年1回ほど実施しているとか。

「学生はそれぞれの大学を卒業して就職し、北海道から鹿児島まで幅広い場所で活躍していますが、年に1度『神田っ子』として集まり、思い出を語らっています。将来、またこの街にもどってきてくれたらうれしいですね」と堂前さん。

人と人の絆は一朝一夕にはできず、年々、紡がれて豊かになっていくものでしょう。若い世代が地域のエリアマネジメントに自主的に参加できる仕組みは、災害時の街全体の共助力を底上げしてくれるはず。この神田の取り組みは、他の街でもきっと参考になるのではないのでしょうか。

◆ワテラス
◆ワテラス ライン会員

生まれ育った町田山崎団地の駄菓子屋が閉店危機に! 継承を決意させた「心揺さぶられる光景」

東京都、町田山崎団地の商店街にある「ぐりーんハウス」は、1968年に創業したおもちゃ&駄菓子店。存続が危ぶまれるなか、インテリアデザイナーの除村千春(よけむら・ちはる)さんがお店を継ぎ、昨年6月にリニューアルオープン。新しい試みも功を奏し、子どもだけでなく大人にも親しまれるようになっているという。
原体験に刻まれた懐かしのお店の閉店を知り、引き継ぐことを決意

「町田山崎団地」は1968年から1969年にかけて建設された総戸数3920戸の大規模な住宅団地。空き店舗が点在する、ひっそりした商店街の中で、親子連れや小学生・近隣のビジネスパーソンなどが引っ切りなしに訪れ、にぎわいを見せているのが、おもちゃ&駄菓子店「ぐりーんハウス」です。

東京都町田市を代表する住宅団地「町田山崎団地」。丘陵地に116棟が建ち並びます(写真撮影/中村晃)

東京都町田市を代表する住宅団地「町田山崎団地」。丘陵地に116棟が建ち並びます(写真撮影/中村晃)

団地まではJR東日本・小田急電鉄「町田駅」からバスで約15分。商店街はバスを降りてすぐ。店舗には飲食店・接骨院・美容室などが入っています(写真撮影/中村晃)

団地まではJR東日本・小田急電鉄「町田駅」からバスで約15分。商店街はバスを降りてすぐ。店舗には飲食店・接骨院・美容室などが入っています(写真撮影/中村晃)

「ぐりーんハウス」の味わいのある看板は2代目が使っていたままのもの。面影を残しつつ、内外装はすべてリニューアルしました(写真撮影/中村晃)

「ぐりーんハウス」の味わいのある看板は2代目が使っていたままのもの。面影を残しつつ、内外装はすべてリニューアルしました(写真撮影/中村晃)

除村千春さんは、2020年6月に再オープンしたこのお店の3代目店主。本業は店舗やオフィス・住宅を手がけるインテリアデザイナーで、以前は神奈川県横浜市にオフィスを構えていましたが、今は町田山崎団地に拠点を移し、「駄菓子屋×設計事務所」を営んでいます。
一風変わったスタイルを取ることにした理由には、もともとこの団地で小学校2年生まで生まれ育った原体験があります。

「『ぐりーんハウス』は町田山崎団地が創設された当初からあって、私が小学生のころはまさに子どもたちの聖地。流行りのカードを買いにきたり、友だちの誕生日プレゼントを探したり。家族と商店街を訪れたときは用事がなくても立ち寄る、心のよりどころのようなお店でした。
店主はただ優しいだけでなく、子どもが悪さをしたときは叱ってくれる、懐の深い人だったのを覚えています」

店主の除村千春さん(写真撮影/中村晃)

店主の除村千春さん(写真撮影/中村晃)

その後、初代は2010年に閉店。同じ商店街で飲食店を営んでいた方が名乗りをあげ、2012年に2代目としてオープンします。

その間に社会人となり、関東圏で仕事をしていた除村さん。団地の近くにきたときはお店をのぞくなどして、いつも頭の片隅に存在がありました。そんなある日、ニュースサイトで2代目「ぐりーんハウス」が畳まれるのを知ります。

「そのときは『ああ、やめちゃうのか』くらいの気持ちで、閉店の日にお店に訪れたのも、たまたま予定が合ったからでした。しかしそこで目にした光景が、あまりに心を揺さぶるものだったんです」

店先でにぎわう子どもたちと、閉店を惜しみ、懐かしんでやってくる大人たち――。幸せに満ちた世界を目の当たりにして「ここを絶やしてはいけない」と強く思ったと言います。偶然、後継者を探していると聞き、数時間後には「3代目として受け継ぎたい」と、ほぼ思いを固めていました。

2代目「ぐりーんハウス」の店内。おもちゃと駄菓子のほか、ゲーム機も置かれていました(写真提供/除村さん)

2代目「ぐりーんハウス」の店内。おもちゃと駄菓子のほか、ゲーム機も置かれていました(写真提供/除村さん)

訪れる人の交流が促され、化学反応が起きるようコンセプトを一新

初代と2代目がお店を畳んだ背景には、おもちゃと駄菓子の販売だけで経営を続けていくことの壁がありました。除村さんの場合は設計士の顔を持つ強みがあるものの、やはりそこは重要な課題。
しかし長年、キャリアを重ね、あらゆる業態・業種の店舗を手がけてきたからこそ見えていたこともあったと言います。

「今は駅周辺の大型ショッピングモールを便利に使いながら、小さな個人商店の魅力も味わえる時代。2つが共生しているからこそ、ここにしかないことが光るし、それをしてみたいと思いました。
この商店街は車が入ってこないし、敷地にゆとりがあって、親御さんがお茶をしながら安心して子どもを遊ばせておける環境なんです。
ここに来たらあの人と話せる、くつろいで人と関われる。無理して何かをひねり出すのではなく、もともとあった景色に戻していけたらと思いました」

店舗の隣は広場。向かいにはベンチがあり、買いものの合間にホッとひと息つけます(写真撮影/中村晃)

店舗の隣は広場。向かいにはベンチがあり、買いものの合間にホッとひと息つけます(写真撮影/中村晃)

2020年3月にクラウドファンディングで資金を募り、2カ月後に目標の150万円に達成。入口の看板以外、すべてリニューアルした店舗は、創業時のスピリットはそのままに新しいコンセプトが息づいています。

「かつての自分がそうだったように、子どもたちの“サード・プレイス”にできたらと。しかし一方で、子どもと大人って、大人の心がけ次第では対等だとも思うんです。
そうした気持ちから『年齢に関わらずすべての人の交流が促され、化学反応が起きる場所』を意識しました」

まずポイントとなるのが、商品をゆったり陳列し、回遊できるようにした店内のレイアウト。クラウドファンディングで得た資金でコーヒースタンドにもなるオープンなシェアキッチンをつくり、ちょっとした休憩ができるテーブル席を設置しました。

以前はオープンでしたが、壁と窓を設けて居心地をアップ。内部が見えやすく、はじめてでも入りやすい雰囲気(写真撮影/中村晃)

以前はオープンでしたが、壁と窓を設けて居心地をアップ。内部が見えやすく、はじめてでも入りやすい雰囲気(写真撮影/中村晃)

メインの陳列台はお店の真ん中。商品数をぐんと減らし、回遊しながらゆっくり見られるように(写真撮影/中村晃)

メインの陳列台はお店の真ん中。商品数をぐんと減らし、回遊しながらゆっくり見られるように(写真撮影/中村晃)

店舗の面積の約半分はシェアキッチンとテーブル席。コロナにより現在、テーブル席は閉じていますが、ワークショップやミニ上映会・作家の展示会など構想を広げています(写真撮影/中村晃)

店舗の面積の約半分はシェアキッチンとテーブル席。コロナにより現在、テーブル席は閉じていますが、ワークショップやミニ上映会・作家の展示会など構想を広げています(写真撮影/中村晃)

知人のグラフィックデザイナーの力を借り、初代に使われていたテープや看板のロゴとキャラクターをブラッシュアップ。Tシャツやステッカー・マグカップといったオリジナルアイテムを制作しました。

右端は初代「ぐりーんハウス」で使われていたもので唯一、残っている貴重なテープ(写真撮影/中村晃)

右端は初代「ぐりーんハウス」で使われていたもので唯一、残っている貴重なテープ(写真撮影/中村晃)

お店が親しまれ、未来の懐かしい風景になってゆくよう制作したオリジナルアイテム。かつての常連が買って行くほか、お土産としても好評(写真撮影/中村晃)

お店が親しまれ、未来の懐かしい風景になってゆくよう制作したオリジナルアイテム。かつての常連が買って行くほか、お土産としても好評(写真撮影/中村晃)

気軽に使えるシェアキッチンが、地域参加への足がかりをつくる

様子が一変した3代目「ぐりーんハウス」に、最初は戸惑いを隠せない地域の方も多かったそう。それでも第一のお客さまである子どもたちに実直に向き合ううちに、顔なじみの子が母親と来るようになり、その母親が友だちを連れてきて、と認知が広がっていきました。

「おのずとシェアキッチンも活用されるようになり、仲のよいご家族が集まってクッキーをつくったり、『地域で何かしたい』と模索中の定年後の男性が、試しにチーズケーキを焼いたり。今は週一回、マフィンやスコーン・ドリンクをテイクアウトできる菓子店が出店しています」

「いろいろな方のチャレンジの場になってほしい」と、シェアキッチンは曜日替わりでさまざまな店舗に入ってもらいたいと考えています(写真撮影/中村晃)

「いろいろな方のチャレンジの場になってほしい」と、シェアキッチンは曜日替わりでさまざまな店舗に入ってもらいたいと考えています(写真撮影/中村晃)

今は週一回、ほぼ金曜に「ネコとコーヒーを愛するお菓子屋さん」が出店中。「お客さまの反応を見られるのが嬉しいです」と店主の永山裕子さん(写真撮影/中村晃)

今は週一回、ほぼ金曜に「ネコとコーヒーを愛するお菓子屋さん」が出店中。「お客さまの反応を見られるのがうれしいです」と店主の永山裕子さん(写真撮影/中村晃)

この6月にはこんなエピソードがありました。

「いつも娘さんと遊びにきてくれるお父さんがいたのですが、ふとした会話からラーメンをつくるのが趣味だと分かったんです。『やってくださいよ』と軽いノリから盛り上がり、1周年記念の『ぐりハfes』のときに出店することに。結果は長蛇の列ができるほどの大盛況でした」

何かをはじめるハードルを下げてくれるのが「ぐりーんハウス」のシェアキッチン。思いがけない発見と出会いをもたらしています。

子どもが主体のお店づくりを通して、マインドの大切さに気づく

「かつてはオフィスで独り図面を描くことが多かったのですが、日常的にお客さまと接するようになり、よりのびやかな気持ちでデザインができるようになりました。会話から発想のヒントを得ることも少なくありません」

オープンから1年2カ月、除村さんと子どもたちの関係も深まりを見せています。

「子どもたちの感性を育むような、文化的なお店であれたら」と除村さん。クラウドファンディングでは地域の方からも資金が寄せられたそう(写真撮影/中村晃)

「子どもたちの感性を育むような、文化的なお店であれたら」と除村さん。クラウドファンディングでは地域の方からも資金が寄せられたそう(写真撮影/中村晃)

「子どもたちから学ぶことは本当に多くて、それは端的に言えば『秩序』なのかなと。『ゴミは持ち帰ろう』『扉は閉めてね』など最低限のルールを示しつつ、後は自由でいいよという姿勢でいると、かえって節度が守られ、ざっくばらんに付き合える気がします。逆に急きょ、打ち合わせが入って休業すると次の日に『せっかくきたのに困るよ』などと言われ、背筋が正されることも。不特定多数の人が出入りする大型商業施設であれば、かなわなかったでしょう」

商品は大型店や量販店にないものや、心くすぐるデザインのものを意識して仕入れています(写真撮影/中村晃)

商品は大型店や量販店にないものや、心くすぐるデザインのものを意識して仕入れています(写真撮影/中村晃)

お店の奥の本棚の裏がオフィスですが「子どもの興味のきっかけになれば」と資料となる建築の専門書を店側に並べています(写真撮影/中村晃)

お店の奥の本棚の裏がオフィスですが「子どもの興味のきっかけになれば」と資料となる建築の専門書を店側に並べています(写真撮影/中村晃)

変わらぬ姿勢でお店を開け続けることが、まちづくりにつながる

昨年は、「コロナ禍でもできることを」と、お店への入場制限や手指の消毒など対策を取ったうえで「縁日」「ハロウィン」のイベントを実施。子どもが主体となるお店であることを何より大事にし、子どもたちの期待を裏切らないことを心がけています。

「愛されてきたお店を継ぐのは責任があるし、これからも地域に根差していきたい。そのためには相手に合わせることなく、店主としてのスタンスを保つことは、存続していくためにも必要なのかなと思っています」

お店を出た後にベンチでくつろぐ、微笑ましい親子の光景も(写真撮影/中村晃)

お店を出た後にベンチでくつろぐ、微笑ましい親子の光景も(写真撮影/中村晃)

最近では近隣の大学生がイベントを手伝ってくれたり、シェアキッチンを使いたいという人が増えてきたり。
強い思いと行動力がお店のクオリティを上げ、人々の輪を広げ、地域をどこまでも活気づけています。

●取材協力
ぐりーんハウス
マーチアンドストア
ネコとコーヒーを愛するお菓子屋さん

「シェアキッチン」発の“濃いお店”で地元をおもしろく! コロナ禍で人気

東京都・東小金井の高架下に、洋菓子、パン、おにぎり・惣菜……いつも売っているモノが違うお店がある。実はこちら、複数のメンバーが店舗、厨房を共同で使う「シェアキッチン」。初期投資の費用を抑えられるメリットから、ここ数年、新たな形態として注目を集めている仕組みだ。さらにこのコロナ禍で、「シェアキッチン」を始めたい人が増加しているという。2014年に小平の「学園坂タウンキッチン」でシェアキッチンスタイルを確立し、今では都内4カ所に独自のブランド「8K」をはじめとしたシェアキッチンを運営する株式会社タウンキッチンの代表・北池智一郎さんにお話を伺った。
地域がつながる場づくりには、「食」が一番

「飲食業をしたいわけではない」と語る北池さんがシェアキッチンを始めたのは、「地域につながる場を提供したい」という想いから。
「例えば、昔は、お醤油が切れていたらお隣さんに借りに行ったりしていたんですよね。お互い助けあうことが、生活を円滑にすすめるために不可欠なことだったから。しかし、今はコンビニがあるから、そんなお願いをしなくていいでしょう。便利さと引き換えに失った、地域の『つながり』を再生したい。そのための『場』を提供するには、まず『食』を媒体とすることがいいと考えたことが始まりです」

株式会社タウンキッチン代表・北池智一郎さん(写真提供/タウンキッチン)

株式会社タウンキッチン代表・北池智一郎さん(写真提供/タウンキッチン)

保健所からの許認可を受けたキッチンを「所有」でなく、複数人で「共有」することで創業のハードルを低くできる。利用料は月額料金で、開業コストを大きく抑えられるのも特徴だ。食品衛生責任者の資格は必要だが、看板やショップカード、ラベルなどそれぞれのオリジナル屋号で営業できる。また、開業前からマーケティング、商品開発、経理、補助金などについて個別相談ができる仕組みや、先輩利用者にアドバイスをもらえるなど他の利用者と交流できる定期的な勉強会もある。

趣味を活かし、週に1度もしくは隔週なら子育てを優先しつつも挑戦できると始める人や、会社勤めの傍ら休日のみ営業する人など、自分なりのペースで営業が可能だ。土日は子育てで稼働できない人と、平日は本業がある人と、営業日も分散できているそう。現在、タウンキッチンが直接運営しているシェアキッチンは都内4カ所。商店街の空き店舗、住宅街、高架下、大規模マンションの敷地内など、立地条件は異なるが、近所のリピーター、遠方から来るファンなど固定客をつかんでいる。

第1号店は、西武多摩湖線一橋学園駅の商店街に面した「学園坂タウンキッチン」(写真提供/タウンキッチン)

第1号店は、西武多摩湖線一橋学園駅の商店街に面した「学園坂タウンキッチン」(写真提供/タウンキッチン)

シェアキッチンでは、厨房をシェアする店主同士のつながりも。お互い情報交換したり、イベントやコラボ商品などへ発展することも(写真提供/タウンキッチン)

シェアキッチンでは、厨房をシェアする店主同士のつながりも。お互い情報交換したり、イベントやコラボ商品などへ発展することも(写真提供/タウンキッチン)

2017年に開業した武蔵境のシェアキッチン「8K musashisakai」(写真撮影/Ryoukan Abe)

2017年に開業した武蔵境のシェアキッチン「8K musashisakai」(写真撮影/Ryoukan Abe)

「むさしの創業サポート施設開設支援事業」の選定を受け、女性をターゲットとした創業支援施設でもある (写真撮影/Ryoukan Abe)

「むさしの創業サポート施設開設支援事業」の選定を受け、女性をターゲットとした創業支援施設でもある (写真撮影/Ryoukan Abe)

東小金井にある「MA-TO」のシェアキッチンは現在16店舗がシェアしており、すでに満員。イートインスペースもある(写真撮影/本浪隆弘)

東小金井にある「MA-TO」のシェアキッチンは現在16店舗がシェアしており、すでに満員。イートインスペースもある(写真撮影/本浪隆弘)

西武池袋線ひばりヶ丘駅から徒歩17分、大規模マンションの敷地内にある「HIBARIDO」。シェアキッチンの他、ショップやワークスペースもある(写真撮影/Ryoukan Abe)

西武池袋線ひばりヶ丘駅から徒歩17分、大規模マンションの敷地内にある「HIBARIDO」。シェアキッチンの他、ショップやワークスペースもある(写真撮影/Ryoukan Abe)

10年前にオープン。しかし当初の目的とはずれてしまった現実

しかし、すべてが順調だったわけではない。

2010年11月に開設した「学園坂タウンキッチン」は、地域に住む女性たちが家庭料理を総菜として提供するお店としてスタート。“地域がつながるおすそわけ”がコンセプトで、一人暮らしの高齢者や、働くお母さんたちに喜ばれたとか。

しかし、いったん店をクローズし、2014年大幅な方向転換、リニューアルをすることになる。どうしてだろうか?

「当初は、どちらかというとボランティア的な、地元主婦によるお店でした。しかし、人前に立つことが苦手な方も多く、地域での窓口はだいたい私。私自身は地域に知り会いがたくさんできたけれど、それって、本来の目的とは違うなと違和感を持ち始めたんです。私が現場にいることも多く、店長とスタッフみたいな関係性になってしまうのでは意味がないんじゃないかなぁって。だったら、私みたいな人間がたくさんいることのほうが大切なんじゃないかと、思い切って方針を変えたんです」

2010年当時の「学園坂タウンキッチン」。「〇〇さんのサバの味噌煮」「□□さんの唐揚げ」などの家庭料理を提供しファンも多かったが、ひとつのお店として味を管理することの難しさも(写真提供/タウンキッチン)

2010年当時の「学園坂タウンキッチン」。「〇〇さんのサバの味噌煮」「□□さんの唐揚げ」などの家庭料理を提供しファンも多かったが、ひとつのお店として味を管理することの難しさも(写真提供/タウンキッチン)

リニューアル後は、主婦以外の人も含めて「個人がつくりたいものやこだわりのものを提供する」シェアキッチンへ。
「自分が本当にいいと思ったものを食べてほしい」――そんな強い思いをもった人たちは、当然、自分自身が発信者になり、横とのつながりも生まれる。
「自分で何かしたい、発信したいという人は、人を惹き付けるもの。自然とつながりも生まれますし、当事者意識が高い。そんな地域のハブとなるような人を増やすことが、地域の魅力につながるんじゃないかと思ったんです」

創業ハードルが低い分、自分の「好き」を突き詰めたコンセプトに

シェアキッチンでお店を営む利用者についても話を伺った。

意外にも、「飲食店勤務から独立して自分の店舗を持ちたい」という明確な目標があった人は少数派で、趣味・好きの延長線上にお店を始める人が多いという。

「例えば自分のお子さんがアレルギーだったことから、グルテンフリーのお菓子を手づくりしているうちに、ママ友から頼まれるようになり、週に1度ならできるかもと、シェアキッチンを始めた方もいます」

ほかにも、会社員の傍ら月に数日のみ焼き菓子のお店を始めた方、チョコ好きが高じてカカオ豆からチョコづくりをしている方など、経緯は千差万別。空いた時間を使って、自分のこだわりを貫きながら商品をつくっている利用者は多い。

例えば、学園坂タウンキッチン内の「やさしいオヤツ+ごはんmiel*(ミエル)」は、子育てをきっかけに、マクロビオティックを学んだ店主が、「アレルギーのある人やベジタリアンの人でも安心して食べられるお菓子やお惣菜を提供したい」という想いからスタート。化学調味料不使用、旬の野菜をたっぷり使ったデリやおやつは“身体にやさしく元気になれる“と大人気。天然色素中心のアイシングクッキーはオーダー販売もしている。

「やさしいオヤツ+ごはんmiel*(ミエル)」。「自分のお店を持つために卒業していく方もいますが、古き良き学園坂商店街が大好きなので、私はここでお店を続けています。赤ちゃん連れのママからご近所のお年寄りまで、おしゃべりが目的で来てくださる常連さんも多いです。地域のサードプレイスになれたら」と店主さん(写真提供/miel*)

「やさしいオヤツ+ごはんmiel*(ミエル)」。「自分のお店を持つために卒業していく方もいますが、古き良き学園坂商店街が大好きなので、私はここでお店を続けています。赤ちゃん連れのママからご近所のお年寄りまで、おしゃべりが目的で来てくださる常連さんも多いです。地域のサードプレイスになれたら」と店主さん(写真提供/miel*)

(写真提供/miel*)

(写真提供/miel*)

(写真提供/miel*)

(写真提供/miel*)

ただし、多くのお店が、1人体制で、仕込み・調理・販売まで手掛けるため、売り切れ次第閉店で、営業時間も限られる。「いつ開いているか分からない」という声も少なくない。
「自分のライフバランスを大切にしながら、本当に美味しいもの、自分がこだわったものを提供しようとするとおのずとそうなると思うんです。もちろんデメリットもある。でも、商品力があるから、twitterやインスタなどでフォローし、買いに来る固定客の方たちは多いんです」

MA-TOで人気のパン屋では開店前から行列も(写真提供/タウンキッチン)

MA-TOで人気のパン屋では開店前から行列も(写真提供/タウンキッチン)

個人のお店の充実が、街の魅力を底上げする

こうした“小さくとも濃い商い”は、飲食チェーンのいわばアンチテーゼだ。

飲食チェーンは、マーケティングに裏付けられた商品展開、徹底した商品管理、いつでもいつもの味を提供してもらえる安心感がある。
ただ、そのためには人通りの多い人気の場所に出店せざるを得ず、テナント料も高い。早朝から夜まで商品をつくって売り続けるには人件費もかかる。当然、利益を追求せざるを得ない。

「シェアキッチンは逆。駅から遠い立地も多く、店舗・厨房をシェア、人件費も最小限です。でも、商品にはこだわっている方ばかりで、正直、原価率は高い利用者さんが多いと思います」

また、最初は好き・趣味ベースでもシェアキッチンで営業を続ける中で手ごたえを感じ、シェアキッチンをやめて実店舗を開く“卒業生“も多い。

「普通に考えれば人気店がやめてしまうのは痛手ですけれど、当社ではウェルカム。いいお店がまた街に増えるわけですから。循環も大切です」

個人のお店が増えることは、その街の個性になり、暮らす人の愛着を生む。その循環こそが、地域を活性化させる理想形のひとつといえるだろう。

「日用品とお菓子の店 sofar」は、MA-TO卒業生が2020年11月に東小金井駅から徒歩2分の場所にオープン。2人の子育てをしながら、水曜と金曜、月1度の土曜に営業をしている(写真提供/sofar)

「日用品とお菓子の店 sofar」は、MA-TO卒業生が2020年11月に東小金井駅から徒歩2分の場所にオープン。2人の子育てをしながら、水曜と金曜、月1度の土曜に営業をしている(写真提供/sofar)

お店の空間は、カメラマンの夫のスタジオとしても活用。また、夫が取材先等で出会うつくり手さんのコトやモノも紹介・販売している(写真提供/sofar)

お店の空間は、カメラマンの夫のスタジオとしても活用。また、夫が取材先等で出会うつくり手さんのコトやモノも紹介・販売している(写真提供/sofar)

「街に開いたお店を目指して、今後は作家さんとのコラボやスタンドカフェなど、子どもたちの成長に合わせたお店でづくりを楽しんでいけたら」と店長(写真提供/sofar)

「街に開いたお店を目指して、今後は作家さんとのコラボやスタンドカフェなど、子どもたちの成長に合わせたお店でづくりを楽しんでいけたら」と店長(写真提供/sofar)

コロナ禍きっかけで「シェアキッチン」を始めたい人が増加

コロナ禍を受けて、地元で過ごす人が増え、シェアキッチンで買い物をする人が増加。さらにお店を始めたいという問い合わせも急増しているそうだ。

「例えば、普段は飲食店で働いているけれど、短縮営業になったことを機に、副業として休日にだけシェアキッチンでお店をやりたい、と考えている方からの問い合わせが増えました。今、飲食業は大変です。だからこそ、自分のやりたかったことをやってみようと、発想を変えてみるチャンスなのかもしれません」

さらに、タウンキッチンでは、シェアキッチン「8K」の開設をサポートするプロデュース事業をスタート。これまでのノウハウを活かし、企画から開設後の運用までトータルにサポートしていくという。例えば集合住宅、商業施設、オフィス、公共空間などにシェアキッチンが導入されることで、地域コミュニティの拠点となり、街ににぎわいが生まれる。こうした取り組みを通して、より広く、より深く、「地域のハブとなる場づくり」を目指していく。

東小金井高架下には、KO-TO、PO-TO、MA-TOの3つの創業支援施設が立ち並ぶ。オフィス・工房・教室・ショールーム等として利用できる場所も。コロナ前には、各スペースが連携したイベントも開催していた(写 真提供/タウンキッチン)

東小金井高架下には、KO-TO、PO-TO、MA-TOの3つの創業支援施設が立ち並ぶ。オフィス・工房・教室・ショールーム等として利用できる場所も。コロナ前には、各スペースが連携したイベントも開催していた(写真提供/タウンキッチン)

何でもそろう大型ショッピングモールは便利で快適だ。しかし、自分のホームタウンだと実感できるのは、その街でしか味わえない食、手に入らないモノ、体験できないコトだったりする。コロナ禍で、家の周りで過ごす時間が増え、暮らす地元を再発見しようという動きはさらに加速するはず。そんななか、オリジナリティを発信でき創業のハードルが低い「シェアキッチン」は、今後さらに期待が高まるはずだ。

●取材協力 
タウンキッチン
シェアキッチン「8K」
やさしいオヤツ+ごはんmiel*(ミエル)
日用品とお菓子の店 sofar(Instagram)

若者が団地に住み込んで世代間を橋渡し。「鶴川団地」の”コミュニティビルダー”が魅力発信

「実際に団地に住んで、その良さを発信してみませんか?」。今年2月、YADOKARI株式会社の こんな呼びかけに応じて、鶴川団地に「コミュニティビルダー」として住みはじめた若者2人がいます。では、実際にどんな活動をしているのでしょうか。団地での様子を取材しました。
応募数90組以上。若い世代は団地・コミュニティ再生に興味津々鶴川団地商店街(写真撮影/田村写真店)

鶴川団地商店街(写真撮影/田村写真店)

1967年 入居開始、現在1682戸の賃貸住戸を有するUR(都市再生機構)の鶴川団地。小田急線鶴川駅からバスで約8分の距離に位置します。 団地内にはスーパーをはじめ、ケーキ屋や蕎麦屋、美容院のほかに図書館、郵便局などもあり、現在もにぎわいを見せています。この鶴川団地で今年、新しいプロジェクトが始動しました。その名前も「未来団地会議 鶴川団地プロジェクト」。「コミュニティビルダー」として、2人の若い世代に団地で暮らしてもらい、団地の新しい魅力を発信してもらうという試みです。

このプロジェクト、今年2月にYADOKARIが公式サイト上で募集したところ、なんと半月のうちに90組以上の応募があったといい、若い世代の「団地」や「コミュニティ」に関わりたいという関心の高さが伺えます。

「スキルを提供することで1年間、家賃の代わりとする条件で、弊社サイトやSNSでの告知をしたのですが、地域活性化や団地、コミュニティ再生に関心の高い人たちからエントリーが多かったですね。年代と職業でいうと20代~40代、フリーランスが多いですが、会社勤めの人もたくさんいらっしゃいました」(YADOKARIの担当者の伊藤幹太さん)

鶴川団地に描かれた“鶴”のイラストが味わい深い。住棟番号の文字も団地感満点(写真撮影/田村写真店)

鶴川団地に描かれた“鶴”のイラストが味わい深い。住棟番号の文字も団地感満点(写真撮影/田村写真店)

ただ、『コミュニティビルダー』といっても、職業ではありませんし、ピンとこない人も多いでしょう。その点、なにか決めていたことはあったのでしょうか。
「業務内容は団地に暮らして魅力を発信すること、イベントに関わることのほかには、決まっていなくて。ただ、町田や鶴川に思い入れを持ってくれて、今まで団地に住んできた方々と気持ちよくコミュニケーションをとり、歩幅をあわせてくれる人がよいと思っていました。今のコミュニティビルダーのお二人はまさに理想的で、数多くの応募をいただき大変悩んだ末ではありますが『この人たち是非住んでもらいたい』と思いました」(伊藤さん)

鶴川団地のセンター街区     広場にて。左からコミュニティビルダーの鈴木真由さん、石橋竣一さん、YADOKARIの伊藤幹太さん(写真撮影/田村秀夫)

鶴川団地のセンター街区 広場にて。左からコミュニティビルダーの鈴木真由さん、石橋竣一さん、YADOKARIの伊藤幹太さん(写真撮影/田村秀夫)

そう、お話を聞いているとまるで昔からの友だちのように、自然と会話が盛り上がります。言葉のはしばしから鶴川団地と町田に対して、強い思い入れがあるのが分かります。

石橋さんが「団地を内覧したのは今年4月、入居したのが5月末になります。今回のプロジェクトは期間が1年と決まっていますが、プロジェクトが終わってもすぐに去るつもりはなくて、この団地で根づいて活動していきたい、というのは決めていました」と話す通り、早くも団地とその暮らしに対して、想いを抱いているようです。

団地の快適さ、キラキラとした青春時代を追体験

とはいえ、鈴木さんも石橋さんも、鶴川団地は今回のプロジェクトで初めて訪れた場所。それまでは東京都心部に暮らしていたといいます。

「鶴川団地の第一印象は、初めてなのにすごく懐かしかったですね。もともと祖母が団地住まいだったこともあって、思い出の場所というか。アジアのようでもあり、レトロ感があって落ち着くなあと。都心と違って、時間がゆっくり流れているんですよね。自然とリラックスできるし、帰ってきたなって感じます」と鈴木さん。

鶴川団地の商店街。広場があって、子どもたちの笑い声が響く(写真撮影/田村写真店)

鶴川団地の商店街。広場があって、子どもたちの笑い声が響く(写真撮影/田村写真店)

「僕は大学が小田急線沿線だったこともあって、鶴川はなんとなくは知っていましたが、暮らしてみると想像以上に居心地がいいですよね。2人とも通勤は大変になりましたが、それでも楽しいですよ」と石橋さん。

今、2人が生活している住戸はリノベ済みですが、洗濯機置き場のサイズが通常の賃貸物件と違っていて、動線が分かりにくかったりするそう。
「この団地ができたころって、洗濯機が二槽式だったり、洗面台のサイズが違ったりするんでしょうね。友人の家に行ったりして違いに気がつくと『なるほど~』『今の家って便利だな』って実感しています(笑)」(石橋さん)はにこやかですが、こうした建物のひとつひとつに発見があり、ご近所づきあいもとても新鮮なようです。

「団地を歩いていると『こんにちは』『おかえり』って自然とあいさつがあるんですよ。コミュニティビルダーとしてはまだまだですが、『いい人に来てもらえてうれしいわあ』って歓迎してもらえて。やっぱり住んでいる人同士の距離感がいいです」(石橋さん)

鶴川団地は住民同士、自然とあいさつが出るそう(写真撮影/田村写真店)

鶴川団地は住民同士、自然とあいさつが出るそう(写真撮影/田村写真店)

コミュニティビルダーとして、長年暮らしてきた人たちに鶴川団地の良さを取材しているといいますが、その思い出ひとつひとつが輝いていて、まさに団地と住民たちの青春時代を教えてもらっている感覚だといいます。

「団地ができたばかりのころ、入居が抽選だったり、子どもたちが駆け回っていたりしていた話を、みなさんすごく楽しそうに話すんです。こちらも知らないことばかりで、本当に新鮮です。こうやって取材して発信することで、鶴川団地の魅力を再認識してもらえたらいいですよね。それに団地史や住民史としても貴重です。今、自分たちがお役にたてるのであれば、ぜひ、こき使ってほしいなあと思っています(笑)」(石橋さん)と力強く話します。若い世代がこうして地域に関心をもってくれるのは、従来の住民のみなさんにとってもうれしい限りでしょう。

餅つきにお祭り、防災、もともと今までの活動を次世代につなげるために

そもそもこの鶴川団地、団地の商店街が元気で、地域のむすびつきが維持されている貴重な団地だといいます。ただ、住民の高齢化が進む中にコロナ禍が直撃。今まで開催してきたあらゆるイベントが中止となり、今後、どうコミュニティ活動を維持・次世代につないでいくのがよいのか、模索していたといいます。

団地の一角にある鶴川図書館(写真撮影/田村写真店)

団地の一角にある鶴川図書館(写真撮影/田村写真店)

「今までの活動はよかったけれど、新しい世代が入ってこない」「新しく引越してきた人、若い世代と会話したい、助けたいけれど、どこに行けばいいか分からない」。これは、筆者の住んでいる町内会の人たちからもよく聞く話です。若い世代は共働きが増えていることもあり、地域コミュニティと関わりたいけれど、時間が減って、どうしたらいいか分からないジレンマ。どの地域でも抱えている課題かもしれません。

今回「コミュニティビルダー」が団地で暮らすことで、こうした「今までの活動」と「これから」の橋渡しになれば、という狙いがあるようです。

取材時の6月末、「コミュニティビルダー」の2人による七夕会を兼ねたイベント・読み聞かせの会に取材陣も午後の部に参加してきました。今はコロナ禍ということもあり、大勢で集まったり、遠出したりすることができません。それでも、少しでも子どもに季節の思い出を残してあげたいというのが親心というもの。取材時 には団地周辺に暮らす、数組の家族連れが訪れ、静かに読み聞かせを楽しんでいました。普段、読まない本でも、読み聞かせだと真剣に聞いてしまうのは、不思議ですよね。

短冊に願いを込めて。いつの時代も変わらない風景です(写真撮影/田村写真店)

短冊に願いを込めて。いつの時代も変わらない風景です(写真撮影/田村写真店)

(写真撮影/田村写真店)

(写真撮影/田村写真店)

石橋さんによる読み聞かせ。すごく上手で思わず子どもたちも聞き入ってしまいます(写真撮影/田村写真店)

石橋さんによる読み聞かせ。すごく上手で思わず子どもたちも聞き入ってしまいます(写真撮影/田村写真店)

子どもたちと会話するなかで、笑顔になる鈴木さん。フレンドリーな人柄で子どもたちとあっという間に打ち解けていきます(写真撮影/田村写真店)

子どもたちと会話するなかで、笑顔になる鈴木さん。フレンドリーな人柄で子どもたちとあっという間に打ち解けていきます(写真撮影/田村写真店)

地元で読み聞かせ活動を精力的に行われている鶴川図書館大好き!の会の鈴木さんも参加し、紙芝居を披露。子どもたちを惹きつけます(写真撮影/田村写真店)

地元で読み聞かせ活動を精力的に行われている鶴川図書館大好き!の会の鈴木さんも参加し、紙芝居を披露。子どもたちを惹きつけます(写真撮影/田村写真店)

ガラポンをしてお土産をもらいます。初夏の思い出になったね(写真撮影/田村写真店)

ガラポンをしてお土産をもらいます。初夏の思い出になったね(写真撮影/田村写真店)

地域活性化、地域コミュニティ活性化といっても、主役であるのはあくまでも住民自身のはず。今まで暮らし、活動してきた鶴川団地のみなさんに敬意を払いつつ、団地の未来はどこにあるのか、未来図を描く試みがこのプロジェクトといえるもしれません。今回、コミュニティビルダーとなった2人は、YADOKARIのプロジェクトが終わったあとも、鶴川団地と関わる意思と覚悟を持って参加していきたいといいます。予定されている任期は1年とのことですが、1年と限らず、3年5年と続けることで、より明るい未来地図が描かれていくことを期待したいと思います。

●取材協力
未来団地会議 鶴川団地プロジェクト
UR都市機構

実家や我が家、これからどうする? 空き家にせず地域で活かした2家族の物語

地方の集落や郊外住宅地、都市部など、あちらこちらで「空き家かな?」と思われる住まいが増えてきました。みなさんの中にも親や祖父母が暮らしていた住まいをどうしようか?と悩んでいる人は多いことでしょう。今回はそんな悩ましい実家問題を「地域に開く」という方法で解決し、建物にも地域にも、そして自身にもプラスになっている2事例をご紹介します。
親が死去して相続した思い出の古民家。取り壊すのはしのびない

あなたが生まれ育った家に、現在、住んでいる人はいるでしょうか。両親が元気に暮らしているという人もいれば、老親が1人で暮らしている、家族が他界、施設に入っているため空き家になっているという人も少なくないはず。本格的な人口減少社会を迎えた今、日本各地でじわりと「空き家」が増えつつあります。

東京都郊外、東村山市にあった日本家屋もそんな建物のひとつでした。1958(昭和33)年に建てられた古き良き日本の住まい、離れの2棟ありましたが、2014(平成26)年にこの建物で暮らしていた主が亡くなり、空き家となっていました。受け継いだのは、川島昭二さん。東村山駅から徒歩10分圏内、府中街道沿いということもあり、建て替えて、不動産投資にしないかという話も多く寄せられたといいます。

昔の離れの写真(写真提供/川島さん)

昔の離れの写真(写真提供/川島さん)

「私は今も近くに暮らしているので、月に数回、庭の草取りなどに通い、どうしようかと迷っていました。この家で生まれ育って、隣は天王森不動尊。懐かしく、思い出がつまった建物と風景を、壊してしまうのはどうにもさみしくて、決めかねていたんです」(川島さん)

そんな川島さんが相談を持ちかけたのが、地元の工務店・大黒屋の袖野伸宏さん。
「まずは築30数年の離れとなっていた建物をリノベーションして貸し出そうという計画になりました。ただ、築年数60年経過した母屋には風情もあって、取り壊すのはもったいない。川島さんご両親が残したモノもたくさんおいてある。どうしたものかと不動産や建築関連の友人・知人と相談していたんです」と話します。

とはいえ、築年数が経過し、敷地を囲むようにつくられていたブロック塀は地震で崩れてしまう恐れもあり、建物も放置するほどに傷んでいきます。どうしようか決めかねていた袖野さんは、思い切って川島さんにある提案をします。
「まだどうするか活用方法は何も見えないけれど、もし大黒屋で借りたいといったら、貸してくれますか? と話したんです。弊社も事務所が手狭になってきたし、社員が使ってもいいなあくらいの考えでした。川島さんは、『いいよ』って気軽に言うんです(笑)」

思いがけない展開に、川島さんはどう思っていたのでしょうか。
「やっぱり地元の会社で長く続けている工務店なので、安心感や信頼感があり、建物を残してもらえればいいよとおまかせすることにしました」とにこやかに請け負ったといいます。

アトリエ、コーヒースタンド、シェアキッチンなどの複合施設に

その後、大黒屋の袖野さんが地域の人たちに「借りたい人はいない?」という声をかけていき、プロジェクトとして本格的にスタートします。和紙造形作家のにしむらあきこさんや編集やデザインをしているハチコク社さんたちと出会うことで、母屋は「OFF/DO BOOK LOUNGE」「アトリエ&ギャラリー 紙と青」、それにハチコク社のオフィス、離れはシェアキッチンの「木づつみのえん」となることが徐々に決まっていきます。そして、2019年5月には複合施設「百才(ももとせ)」として、地域にひらかれた場所としてお目見えしました。

百才に携わるみなさん。左から木づつみのえんの松本千栄さん、大黒屋の袖野伸宏さん、建物の大家である川島昭二さん、ハチコク社の勝股芳樹さん(写真撮影/片山貴博)

百才に携わるみなさん。左から木づつみのえんの松本千栄さん、大黒屋の袖野伸宏さん、建物の大家である川島昭二さん、ハチコク社の勝股芳樹さん(写真撮影/片山貴博)

築30年と築60年の建物をあわせて『百才』。母屋の縁側から庭を眺める。これぞ日本の風景。最高です! (写真撮影/片山貴博)

築30年と築60年の建物をあわせて『百才』。母屋の縁側から庭を眺める。これぞ日本の風景。最高です! (写真撮影/片山貴博)

建物はもとの建物の良さを活かしつつ、大幅リノベーション! 建具一つひとつに味わいがあります(写真撮影/片山貴博)

建物はもとの建物の良さを活かしつつ、大幅リノベーション! 建具一つひとつに味わいがあります(写真撮影/片山貴博)

もとからあった井戸(奥)。染色と縁の深い「アトリエ&ギャラリー 紙と青」に(写真撮影/片山貴博)

もとからあった井戸(奥)。染色と縁の深い「アトリエ&ギャラリー 紙と青」に(写真撮影/片山貴博)

気楽に立ち寄れるコーヒースタンドOFF/DO COFFEE(写真撮影/片山貴博)

気楽に立ち寄れるコーヒースタンドOFF/DO COFFEE(写真撮影/片山貴博)

シェアオフィスとして入居する「ハチコク社」が編集する東村山の“わ”を伝える「むらのわ」と百才の歩みをまとめた冊子(写真撮影/片山貴博)

シェアオフィスとして入居する「ハチコク社」が編集する東村山の“わ”を伝える「むらのわ」と百才の歩みをまとめた冊子(写真撮影/片山貴博)

家を「地域に開く」というのは、まだまだ新しい考え方です。そのため、お二人とも「家を開く」という考え方はご存じなかったようですが、「建物を残したい」「どうやって建物を有効活用できるか」「モノをつくる人や地域の人が集まる場所にしたい」などと考え抜いた結果、今のかたちになりました。シェアキッチンなどの利用は予約が必要ですが、ふらりと寄れるおばあちゃんの家の庭のような「ゆるく開かれた場所」になっています。

近所の子どもたちはこの庭で、泥だらけになって遊んでいるといいます。
「あまりにも泥だらけになるので、手洗いだけでなくて、足洗い場をつくったんですよ。子どもは木の葉一枚で楽しい。遊びの天才です」と袖野さん。

百才のお庭は、「おばあちゃんの家のお庭以上、公園未満」という地域に開かれた使われ方をしています(写真撮影/片山貴博)

百才のお庭は、「おばあちゃんの家のお庭以上、公園未満」という地域に開かれた使われ方をしています(写真撮影/片山貴博)

「建物が完成して、周囲にお披露目会をして驚いたのが、地域の関心の高さです。ご近所に住む人から市長まで、どんな場所になるのか楽しみにされていて、期待を寄せていただいているのが分かりました。プロジェクトを動かすなかで、東村山に眠っていた価値に改めて驚かされましたし、建物や不動産の持つ可能性、工務店ができることを再発見できました」と袖野さん。

「今も散歩がてら庭の手入れに来ていますが、子どもたちが遊ぶ姿は、かつての自分たち家族の風景を見るようです。建物を残すことで、ふるさとへの愛着や思い出を残していけたら、こんなに幸せなことはないですよね」と川島さん。

府中街道沿いにある離れ。リノベーションをして、現在はシェアキッチンとして活用している(写真撮影/片山貴博)

府中街道沿いにある離れ。リノベーションをして、現在はシェアキッチンとして活用している(写真撮影/片山貴博)

今はコロナ禍で、多くの人が集まることはできませんが、時期を見計らって庭や母屋を使って、「流しそうめん」「すいか割り」「わらべうた」「餅つき」「コマ遊び」など、日本の暮らしや遊びを伝えていけたらとスタッフのみなさんは考えているそう。現代の子どもたちがこうした建物と遊びふれることで、「日本にかつてあった暮らし」の思い出をつくっていけるのは、本当に幸せなことですよね。自宅を地域に開くことで、自分も周囲も豊かになる、そんなすてきなケースといえるでしょう。

鎌倉にある自宅をコワーキングスペースに。人とつながるうれしい“想定外”も

自身と家族が住んでいた家を手入れして、そのまま地域に開いた人もいます。コワーキングスペース、イベントスペース、シェアキッチンとして使われている「ハルバル材木座」です。

鎌倉市材木座の住宅街にできた「ハルバル材木座」(写真撮影/桑田瑞穂)

鎌倉市材木座の住宅街にできた「ハルバル材木座」(写真撮影/桑田瑞穂)

1階のコワーキングスペース。この絶妙なオシャレと落ち着いた風情がたまりません(写真撮影/桑田瑞穂)

1階のコワーキングスペース。この絶妙なオシャレと落ち着いた風情がたまりません(写真撮影/桑田瑞穂)

シェアキッチンの「ハルバルキッチン」。料理イベントでも使われている(写真撮影/桑田瑞穂)

シェアキッチンの「ハルバルキッチン」。料理イベントでも使われている(写真撮影/桑田瑞穂)

2021年3月、会社を早期退職した伊藤賢一さんが立ち上げた場所で、現在、コロナ禍でもありますが、「イチゴについて雑談する会」「さくら貝をつかったスマホケース製作」「お茶会」などさまざまなワークショップが開催されています。内容を聞くだけでも、おもしろそうですよね。

ワークショップやイベントの告知。タイトルだけでもおもしろそうな内容です(写真撮影/桑田瑞穂)

ワークショップやイベントの告知。タイトルだけでもおもしろそうな内容です(写真撮影/桑田瑞穂)

イベントの様子。コロナ対策をしつつ、盛り上がっているのが分かります(写真撮影/桑田瑞穂)

イベントの様子。コロナ対策をしつつ、盛り上がっているのが分かります(写真撮影/桑田瑞穂)

「単なるイベントスペースは味気ないことが多いですが、この場所は住まいだったこともあって、ぬくもりがあり、そうした点を気に入ってくれる人が多いようです。昨今、コワーキングスペースは増えていますが、多くは企業が運営していて、仕事をする場所。会話や雑談がしにくいところが多いですよね。でも、ここは、利用者の方が許せば『私が少しばかりお節介を焼いてお手伝い』することにしています。雑談するなかで、人と人を引き合わせることができたり、新しい発見があったり。コロナ禍だからこそ、人と話すことの価値が見直されている気がするんです」と話します。

伊藤賢一さん(写真撮影/桑田瑞穂)

伊藤賢一さん(写真撮影/桑田瑞穂)

伊藤さんは、もともと「退職後にやってみたいこと」として、地域で人と人の繋がりを創り出す仕組みづくりを考えていたそう。
「今回、『家を開く』にあたって、ご近所にあいさつに伺いましたが、前向きな言葉をいただくことが多かったですね。人が地域に集まることにおおらかというか、鎌倉や材木座という地域に愛着がある人が多いように思います」と話します。伊藤さんの語り口調は本当に穏やかで、紳士。仕事というよりも、伊藤さんと話したくなる気持ちになります。利用者の女性に話を伺いました。

他愛ないおしゃべりから人との繋がりがうまれ、それが地域との繋がりになっていく。気負いなく話せる時間と場所って貴重です(写真撮影/桑田瑞穂)

他愛ないおしゃべりから人との繋がりがうまれ、それが地域との繋がりになっていく。気負いなく話せる時間と場所って貴重です(写真撮影/桑田瑞穂)

「住まいと勤務先は東京ですが、鎌倉のヨガスタジオに通っていて、どこかひと息つける場所をということで、この場所を見つけました。伊藤さんとのお話も楽しいし、鎌倉という街が好きで、鎌倉に自分の居場所を見つけられたように思っています。東京も楽しいし、鎌倉にも拠点がほしい、私にはぴったりの場所でした」といいます。

オープンして半年も経過していませんが、こうした声は少なくないようで、鎌倉との接点を探していた人や、人や人との出会い、新しい発見につながっているよう。

「長野県茅野市にある両親が住んでいた家が空き家になっていました。実はこの『ハルバル材木座』での出会いがきっかけで、『ハルバル茅野』という形で活用してもらえる人が見つかったんです。この場所が海の家なら、茅野は山の家。どちらも所有したかったし、理想の形で活用できています」と話します。

「ハルバル材木座」はこの春、はじまったばかり。コロナ禍もあり、「順調に見えるけれど、これからどうなるか分からない(笑)」と笑う伊藤さんですが、先が見通せない時代だからこそ、新しいチャレンジを楽しんでいるようです。

川島さんと伊藤さん、お二人ともに寛容で、「所有」と「利用」を分けて考える、柔軟な考え方をなさっています。そして、縁の下の力持ちというか、若い人や地域のために何かをしたいと考えていたすえに、「家を開く」という結果になっていました。
ただ、家を地域に開くことが、結果としてご自身の人生を豊かにしているというのが不思議です。今まで「住まい」だった場所が、人を呼び、縁を紡ぎ、にぎわいをつくっていく。「家を開く」という選択は、人口が減る時代にかなった有意義な活用法なのかもしれません。

●取材協力
百才
大黒屋
ハチコク社
ハルバル材木座

いま話題の「商い暮らし」って? 自宅でお店を開いて地元とつながる2家族の物語

コロナ禍で暮らし方を見直し、テレワークや副業を始めたという人が増えている。そんななか、店舗付き住宅や、自宅に店舗機能を持たせた物件などの住まいの選択肢が注目を集めているようだ。店舗付き物件に特化した不動産Webサイト「商い暮らし」を2016年から正式に運営を始めた建築不動産業・株式会社G.U.style代表の小薬順法さんに、最新事情や”商い暮らし”をする人々の話を聞いた。
1階で商いをして2階に住む、昔からある暮らし方

小薬さんが言う「商い暮らし」とは、1階の土間で小さな商いをして、2階で暮らすライフスタイルのこと。
「商いの場で暮らし、暮らしの場で商うという意味で、いわゆる店舗付き住宅の賃貸物件や売買物件を集めて約5年前からWebに掲載してきました。商いをしながら暮らす店舗付き住宅というのは昔からありますが、今は一周回って、若い人が注目しているのかもしれませんね」と話す。

店舗付き住宅というと、通勤時間の短縮や賃料・交通費の節約、空いた時間の有効活用、家族との時間を長くとれることなどがメリットとして考えられる。そういえばテレワークのメリットにも通じる。

一級建築士、宅地建物取引士である小薬順法さん(写真提供/G.U.style)

一級建築士、宅地建物取引士である小薬順法さん(写真提供/G.U.style)

このサイトを立ち上げたきっかけは、建築士である小薬さんが独立を考えていたある日、目に止まった勤務先近くの店舗付き住宅の空き物件だった。

「眺めていて、ふと想像したんです。こういった物件を自宅兼事務所にしたら、当時小学生だった僕の子どもが帰ってくるのが窓から見えて、手を振って出迎えたり、事務所兼カフェにして近所の人を招いたり……そんなライフスタイルが送れるかも、って」

しかしいざ動き出してみると、希望条件に合う物件も、それを貸してくれるオーナーも、探すための情報も見つからなかった。

「自分以外にもきっとニーズがある。ないなら自分で情報発信の場をつくろうと思ったんです」

ニーズに対して情報が少ない。店舗付き物件の現状

5年経った今も、依然として店舗付き物件を見つけるのは難しいという。

「管理会社の理解不足や物件の状態の関係などで、情報が公開されにくいことや、店舗付き物件にはお風呂がないケースが多く、改装費にオーナー側がハードルを感じることなどが理由です。

「商い暮らし不動産」と「カフェいろは堂」が入る店舗付き住宅の改装前の様子(写真提供/G.U.style)

「商い暮らし不動産」と「カフェいろは堂」が入る店舗付き住宅の改装前の様子(写真提供/G.U.style)

改装後の外観。1階の「カフェ いろは堂」はキッチン付きのレンタルスペースに(写真提供/G.U.style)

改装後の外観。1階の「カフェ いろは堂」はキッチン付きのレンタルスペースに(写真提供/G.U.style)

この5年ほど、貸す側の意識はあまり変わっていないのが現状で、供給は不足しています。不動産会社やオーナーが物件の価値を高めるためにイチから建て替えたり、店舗か住宅のどちらかにしてしまったりと、店舗付き住宅の個性が理解されていないうちは、物件数が増えるどころか減ってしまいます」

一方で「ここ数年で、借りる側から『具体的なことは決まっていないけど、何かできそうな余白のある物件はある?』という問い合わせが増えてきました。さまざまな住まい方を知り始めたことが背景にあるように思います」と小薬さん。

このコロナ禍ではどんな変化があったのだろうか。

人や地域との繋がりに重きを置く生活へ

「コロナ禍の初期は少し問い合わせが増えましたが、現在は特に伸びているわけではないです。ただ、身近な人と気軽に会えなくなったこの期間に、家族や仲間、地域の人との繋がりをより大切にしたいという空気は感じます。
店舗開業にまでは至っていなくても、『”商い暮らし”のようなスタイルっていいね』と、共感してくれる人が増えたように思います」

小薬さんの事務所はタバコ屋を改装し、1階をカフェ、2階を事務所に(写真提供/「商い暮らし」)

小薬さんの事務所はタバコ屋を改装し、1階をカフェ、2階を事務所に(写真提供/「商い暮らし」)

サイトには、「美容室+暮らし」「DJ bar+半暮らし」などの事例が並ぶが、問い合わせ内容の多くは飲食。「『本業が休みの日に、好きなコーヒーと本を置いたお店を始めたい』などの相談もありました」

お店を通して好きなことで自己実現をしながら、自分が住む地域に貢献したいという思いも感じられるそうだ。

「問い合わせは単身者か子どもがいない夫婦が大半で、お子さんがいる方は家の近くで空き店舗物件を探すことが多いですね。
はじめは下に店舗があって上に住まいがあることを”商い暮らし”と定義していましたが、さまざなな声を聞いているうちに、家の近くに店舗を構え、その地域で商売をしながら暮らしていたら、それも”商い暮らし”だなと思うようになりました」

「商い暮らし」を始めた人たちの声

ここで、実際に”商い暮らし”をしている人たちを紹介しよう。

1組目は、自宅の1階で「カナバカリズ建築設計事務所」(埼玉県戸田市)を経営する下田さん・正木さんご夫妻。

1階の土間オフィスで横並びで作業する「カナバカリズ建築設計事務所」の4名。スタッフ2名は大学時代からの仲間で、ここに通勤してくる。左から2人目が正木さん、一番右側が下田さん(写真提供/「商い暮らし」)

1階の土間オフィスで横並びで作業する「カナバカリズ建築設計事務所」の4名。スタッフ2名は大学時代からの仲間で、ここに通勤してくる。左から2人目が正木さん、一番右側が下田さん(写真提供/「商い暮らし」)

建築会社(サンクジャパン株式会社)の本社事務所だった建物にユニットバスを新設するなどして改装して貸しに出していたところ、夫妻が物件とオーナーの魅力に惹かれて入居を決断。

2階の自宅スペース。しっかり補強された小屋組で、壁面にはマガジンラックが。奥は寝室(写真提供/「商い暮らし」)

2階の自宅スペース。しっかり補強された小屋組で、壁面にはマガジンラックが。奥は寝室(写真提供/「商い暮らし」)

もともと浴室と洗面台、洗濯機置き場がなかったが、新設した(写真提供/「商い暮らし」)

もともと浴室と洗面台、洗濯機置き場がなかったが、新設した(写真提供/「商い暮らし」)

(写真提供/「商い暮らし」)

(写真提供/「商い暮らし」)

二人とも、通勤していた時よりも自分の時間が増え、自由に仕事の時間を設定できるところにも魅力を感じている。

夫の下田さんは、商い暮らしならではのこんな楽しみ方も見出したようだ。
「1階の仕事場の道路に面する窓に、ショーウィンドウのように建築模型や趣味の植物を並べているのですが、朝の通勤時間や昼過ぎの下校時間、夕方の帰宅時間などに、いろいろな層の人が通りすがりに見て行ったり感想をつぶやいたりする様子が、毎日楽しみなんです」。妻の正木さんも、「道路や歩道から中が見えるので、これまで以上に家をきれいにしなければならないのですが、通りすがりの方にも私たちの仕事に興味を持ってもらえるように、仕事関係のものをディスプレイして、逆にメリットになるように工夫しています」と続ける。

「コロナ禍前後での生活の変化も驚くほどありません。そういう意味では、さまざまな社会の変化に柔軟に対応できる生活であり、働き方のかたちかもしれません」(下田さん)

もとは施工会社の事務所だった2階の手前の部屋に自作の家具を配し、落ち着いた雰囲気のリビングダイニングに。既存の壁面収納は本棚として活用(写真提供/「商い暮らし」)

もとは施工会社の事務所だった2階の手前の部屋に自作の家具を配し、落ち着いた雰囲気のリビングダイニングに。既存の壁面収納は本棚として活用(写真提供/「商い暮らし」)

ベッド側にはオープンクローゼットが。正木さんが自作した作業台は趣味のミシンのスペースでもある(写真提供/「商い暮らし」)

ベッド側にはオープンクローゼットが。正木さんが自作した作業台は趣味のミシンのスペースでもある(写真提供/「商い暮らし」)

また、通常の賃貸物件を探すこととは「勝手が違ってくる」と二人は声をそろえる。
「自宅としてだけでなく仕事場としても使う上で、オーナーや仲介の方と、何かあったときに相談できる関係性をつくっておくのは大きな安心になります。実際に会って話す機会を大切に」と正木さん。
下田さんは「最低限必要な広さや賃料、エリアなどの条件もきちんと整理を。とはいえ、条件に多少合わない物件でも『キッチンが素敵』『土間の感じが気に入った』『この間取りはこう使えるかも』などの魅力が見つかる場合があります。僕たちも当初は東京都内で探していたのに、この物件に決めましたから」と教えてくれた。

2組目は、実家の庭の一角にある古い小屋を改装し、カフェとレンタルスペース「YOICHI(ヨイチ)」(東京都大田区)を始めた主婦の吉澤さん。

吉澤さん(右から2人目)。39.75平米の平屋をカフェとレンタルスペースにした「YOICHI」。約14平米(8畳)の土間と、キッチンを含む約21平米(13畳)の床の間がある(写真提供/YOICHI)

吉澤さん(右から2人目)。39.75平米の平屋をカフェとレンタルスペースにした「YOICHI」。約14平米(8畳)の土間と、キッチンを含む約21平米(13畳)の床の間がある(写真提供/YOICHI)

リノベーションを小薬さんに相談し、吉澤さん自身も塗装をしたり、知人のアーティストが絵を描いたりと、自分たちでも多くのDIYをしてつくりあげた。現在、金・土曜は料理が得意な吉澤さんがカフェとしてランチやドリンクを提供し、その他の曜日はレンタル古民家&キッチンとして貸し出す。日曜にはマルシェなども開催。

吉澤さんが小薬さんに予算や手順を相談しながら、専門的な設備関係以外は仲間と一緒にDIYした(写真提供/YOICHI)

吉澤さんが小薬さんに予算や手順を相談しながら、専門的な設備関係以外は仲間と一緒にDIYした(写真提供/YOICHI)

日曜にはマルシェも(写真提供/YOICHI)

日曜にはマルシェも(写真提供/YOICHI)

「祖母の持ち物だった、この築70年近い木造の平屋は、ずっと物置として使われていました。住居として使用できる状態ではありませんでしたが、取り壊すのはもったいない、自分の新たな人生にも繋がるのではという想いから改築を決めました。父も『壊す前に何かチャレンジしたら』と背中を押してくれました」(吉澤さん)

現在は自転車で通っているが、いつかは庭を挟んだ母屋に暮らすことを視野に入れている。

「実家の敷地内なので、いつか家族と同居した時、無理のない範囲でやりたいことを叶える場所にできればと、ゆるゆると実験的に始めました。時が来たら、自分が暮らす街を楽しめるように、よりアンテナを張ることもできるでしょう」

1957年に祖父母が購入した木造の平屋を改装。庭では柚子や椿など、祖母が植えた四季折々の植物が花を咲かせ実を結ぶ(写真提供/YOICHI)

1957年に祖父母が購入した木造の平屋を改装。庭では柚子や椿など、祖母が植えた四季折々の植物が花を咲かせ実を結ぶ(写真提供/YOICHI)

現在でも、地域とのつながりを日々感じている。

「狭い店内なので、いつの間にかお一人さま同士が会話をしていることがあります。みなさん、家に遊びに来たお友達のような感覚になるのか、心の壁が取り払われるようです。
またこのコロナ禍では、休まずお店を開けていたことで、お客さまから『久々に人と話せた』などと言ってもらって、皆さんの息抜きの場所をつくることができたとうれしく思いました。昨年末からは、このエリアに関する情報を書き込む『大鳥居情報交換ノート』を始めました。まだまだひよっこですが、地域を育て、地域に育てられていけたらと考えています」

昭和期の建物で趣があり、天井や梁、土壁など見どころが多い(写真提供/YOICHI)

昭和期の建物で趣があり、天井や梁、土壁など見どころが多い(写真提供/YOICHI)

吉澤さんがつくるスパイスカレーランチを目当てにする人も多い(写真提供/YOICHI)

吉澤さんがつくるスパイスカレーランチを目当てにする人も多い(写真提供/YOICHI)

週1度の「商い暮らし」スタイルもおすすめ

「“商い暮らし”をするみなさんには、多くのドラマが生まれています。暮らしの中に商いがプラスされることで、会話ややりとりが生まれ、居場所が確立するものです」とにこやかに話す小薬さん。紹介する側としても、借主と密なやり取りが派生しやすく、また、お互いに共感しやすいため、末永いお付き合いになりやすいのだという。

「賃貸アパートやマンションに住んでいても、街とのつながりがなく、挨拶をする人もいないというケースは多いと思います。都会であればなおさら、商い暮らしでご近所との繋がりを変えることができるはずです」

また小薬さんは、「一気に何かを変えるのは難しくても、副業のように、週1度だけやりたいことにトライするライフスタイルは、アリなのでは」と提案する。

「借金と脱サラをして、いきなり知らない土地でお店を始めるのは少し怖い。一歩手前で商い暮らしを試し、商売や地域のことを知るのもいいでしょう。ファンをつくってから本格始動することもできますから。その間、時間貸しや曜日貸しなどの多様な物件を用意して、グラデーションを埋める場を提供するのが、我々の仕事なのではないかと感じます」

小薬さん自身も、今年8月に「商い暮らし不動産」の事務所の移転を予定。大田区東雪谷から池上の店舗付き物件へと移る。

「商い暮らし不動産」が移転予定の、大田区池上にある三角角地の建物(写真提供/「商い暮らし」)

「商い暮らし不動産」が移転予定の、大田区池上にある三角角地の建物(写真提供/「商い暮らし」)

「これまでも店舗付き物件の2階を事務所にして、1階を『いろは堂』というレンタルカフェを運営していました。次は、2階を事務所として1階はシェアキッチンに。菓子製造業の許可を取得し、曜日極めで7人に貸し出して、自分たちを入れた8チームで運営します。副業をしたい方や、空き時間だけ働きたい主婦・主夫の方など、みんなが共有できるスペースをつくりたいと思います」

自分にできることで収入を得て、住む地域に貢献する。そして、毎日挨拶する人が増えていく。「商い暮らし」のスタイルがある街は面白くなりそうだ。

子どものころ、自宅が喫茶店などで「商い暮らし」だった同級生に憧れたのは、地域と関わりながら働く、その子の親が眩しかったからかも。子どもがいる家庭なら、仕事をする大人の姿を見せられる場でもある。

私が貸しスペースを借りられるなら、週末に子ども向けの作文教室を開きたいな……。夢が膨らむ。

「働く」と「暮らす」を繋ぐ商い暮らしは、一周回って今、新しい可能性を秘めている。

●取材協力
・商い暮らし
・カナバカリズ建築設計事務所
・YOICHI(ヨイチ)

空き家DIYをイベントに! カフェなど地域の交流の場に変える「solar crew」

増え続ける空き家が、社会問題化した昨今。そんななか、「空き家再生のDIYに地域住民を巻き込んでいく」プロジェクトに挑戦し続けている、小さなリフォーム会社がある。「solar crew」と名付けられたこのプロジェクトの仕掛け人、太陽住建 代表取締役の河原勇輝さんに、スタートした経緯や反響、今後の展開について、お話を伺った。
DIYイベントで地域の交流の場づくりの土台に

空き家リノベーションのDIYをイベント化するというプロジェクト「solar crew」。2020年からスタートしたこの事業は、再生された空き家は、オフィスやコワーキングスペース、一部は地域の交流の場として開放され、つくって終わりではなく、使うことで継続的な地域のつながりの場となり、新たな空き家活用法として注目されている。

条件は、Facebookのプライベートグループ「空き家でつながるコミュニティsolar crew」に参加することだけ。参加理由は「DIYに興味がある」「何かしら社会貢献できるようなことがしたい」「子どもの体験として」とさまざま(画像提供/太陽住建)

条件は、Facebookのプライベートグループ「空き家でつながるコミュニティsolar crew」に参加することだけ。参加理由は「DIYに興味がある」「何かしら社会貢献できるようなことがしたい」「子どもの体験として」とさまざま(画像提供/太陽住建)

太陽光発電設置のDIYイベントでは、パネルを貼る工事にも参加できる(画像提供/太陽住建)

太陽光発電設置のDIYイベントでは、パネルを貼る工事にも参加できる(画像提供/太陽住建)

プロジェクトを始めたきっかけは、河野さんが1日限定のDIYのワークショップに初めて行った時の、参加者の意外な反応だったという。
「最初の空き家再生事業で、地域住民の方を対象に、お披露目も兼ねて開催したんです。壁を塗ったり、テーブルをつくったりする簡単なものでしたが、参加者の方から、“解体もやってみたかった””デザインの仕事をしているので、プランを考えてみるところから参加してみたかった”という感想をいただいたんです。こちらとしては、ほぼ出来上がったものを提供するほうが負担がないと考えていましたが、でき上がるまでのストーリーのほうに関心のある人が増えているんだと、新たな発見でした」

共同作業をしながら自然と会話。愛着が生まれる

その後、単発のワークショップではなく会員制(2021年6月末時点で184名)にすることで、DIYのイベントをきっかけに、継続的な関わりが生まれている。
「参加者は、家族で参加している3歳のお子さんから、腕に覚えのある70代の方まで。普段は接点がないような方が、作業をしていると、自然と会話が生まれて、楽しそうなんですよ。特に、普段は何かと会話の外にいるお父さんたちが仲を深めている様子はよく見ます」

自ら工事を手掛けることで、その拠点に愛着がわき、自分のサードプレイスになりやすい利点もある。

DIYイベントの1コマ(画像提供/太陽住建)

DIYイベントの1コマ(画像提供/太陽住建)

(画像提供/太陽住建)

(画像提供/太陽住建)

現在、「solar crew」で再生された空き家は5件。
完成した家は、町内会のイベント、ママたちのランチ会、趣味のワークショップなど、さまざまな使い方がされている。カフェ、シェア型の畑、宿泊もできる施設など、スタイルもさまざま。会員は、その土地のエリア特性に合ったコンセプトづくりから参加できる。
「例えば、このあたりは公園が少ない、子ども連れでも気兼ねしなくていいカフェがほしい、テレワークスペースのニーズがあるなど、その地域の課題を解決できる場でもあってほしいと考えています」

空き家にある畑も活用して拠点へ(画像提供/太陽住建)

空き家にある畑も活用して拠点へ(画像提供/太陽住建)

地域の料理会の様子(画像提供/太陽住建)

地域の料理会の様子(画像提供/太陽住建)

露天風呂のある箱根町のペンションも、昨年末からDIYをし、地域の拠点に。「オーナーさんが、地域のためになるならと賛同していただきました」(画像提供/太陽住建)

露天風呂のある箱根町のペンションも、昨年末からDIYをし、地域の拠点に。「オーナーさんが、地域のためになるならと賛同していただきました」(画像提供/太陽住建)

大家も利用者も“Win-Win”な収支システムを実現

ここまで「solar crew」のメリットに関して解説してきたが、“収支”も気になる。
「空き家のリノベーション費用は当社が負担し、大家さんへは、ほぼ固定資産税程度の賃料を支払っています。このシステムなら、空き家を持て余していた方も参画しやすいでしょう。大家さんの“使わないけれど手放したくない”という切実な思いに応えたいんです」

個人会員は一部のイベント開催は別として、参加費は無料。法人会員は協賛金を支払い、ワークスペースやイベントの開催、ショールームとして使用することもできる仕組みだ。

また、いわば社会問題でもある空き家を活用する事業として、区役所、地域ケアプラザ、社会福祉協議会、町内会からなる「運営協議会」を設け、空き家の活用方法を協議している。
「地域に密着した事業を行う企業は、この場がマーケティングの場となっています。例えば、地元で数店舗の美容室を経営するオーナーの方が、ファンづくりをする場としてイベントを開催するなど、うまく機能していました」

ほかにも、「プレゼンが苦手」という職人気質の個人事業主さんに、大手IT企業勤務の会社員の男性がパワーポイントで資料を作成する業務を副業として請け負ったりと、新たなビジネスのきっかけになることも。
「最初は、大工仕事をしてみたいなぁとか、親子で遊べる場として利用してみようかなぁなどのささいなことがきっかけでも、思わぬ出会い、発見があります。最近では、DIYに興味があると参加した大学生が、どっぷり『solar crew』にハマり、当社にインターンとしてやってくる予定なんです」

地元の美容室による「子ども向けヘアサロン」のイベント。販促の場として活用されている(画像提供/太陽住建)

地元の美容室による「子ども向けヘアサロン」のイベント。販促の場として活用されている(画像提供/太陽住建)

さらに「地域交流の場」だけでなく、耐震シェルター、太陽光発電システムでオフグリッドの発電と、「防災の拠点」の役割も担っている(画像提供/太陽住建)

さらに「地域交流の場」だけでなく、耐震シェルター、太陽光発電システムでオフグリッドの発電と、「防災の拠点」の役割も担っている(画像提供/太陽住建)

倒産の危機を乗り越え、たどり着いたのは“地域に貢献したい”という想い

このように順調に見えるが、実は河原さん、2009年に創業した会社は、2年目には倒産の危機にあったそう。
「当時は、マンションやアパートの原状回復、細々とした修繕など、施工を首都圏全域でやっていました。しかし、遠方へは時間も交通費もかかる。さらに、DIYブーム、大型ホームセンターの盛況から、単純な工事を請け負うだけではまわらなくなると、相当な危機感を感じました」
そんな、河原さんが目指したのは、とことん「地元に愛される」会社になること。
「最初は街のゴミ拾いから。半年続けました。その後、街のお祭りに声を掛けられたり、町内会に呼ばれるようになったり……。そのうち自然と、地域の人、行政の人とつながりができ地域の課題が見えてきた。これが現在の空き家活用事業につながっていると思います」

弱冠24歳で、会社を創業。本業のほか、さまざまなNPOや一般社団法人に所属。さらに地域の消防団にも加入、子どもの通う小学校のPTA会長も担うなど、地域コミュニティに貢献している。「地元の人に喜ばれることで、働く側もモチベーションがあがり、幸せな循環が生まれています」(画像提供/太陽住建)

弱冠24歳で、会社を創業。本業のほか、さまざまなNPOや一般社団法人に所属。さらに地域の消防団にも加入、子どもの通う小学校のPTA会長も担うなど、地域コミュニティに貢献している。「地元の人に喜ばれることで、働く側もモチベーションがあがり、幸せな循環が生まれています」(画像提供/太陽住建)

「空き家を地域の交流の場として再生する」「その過程から地域住民にも参加してもらう」「地域の課題を解決するための場とする」の3つを目的とする「solar crew」は、SDGsの観点からも注目されており、「第8回 グッドライフアワード 環境大臣賞」(環境省)を受賞。
テレビ、雑誌などに取り上げられることも多く、空き家に悩む方からの問い合わせも急増。コロナ禍でリアルのイベントを休止していたが、現在は、人数を制限し、感染対策をしたうえで、少しずつ再開している。

「地域循環型共生圏」の取り組みが評価され受賞(画像提供/太陽住建)

「地域循環型共生圏」の取り組みが評価され受賞(画像提供/太陽住建)

「コロナ禍で地元で過ごす時間が増え、地域コミュニティに関心が高まっている人も多いはず。そんなとき、『solar crew』が地域のプラットフォームになれたら。どんな街でも、暮らす人がいれば、必要な機能があるはず。現在は神奈川県が中心ですが、今後は、浅草など都心の案件にも挑戦していくつもりです」

次回は7月25日(日)「床の造作・カウンターづくりDIYイベント」(in真鶴)。気になる人はチェックを。

●取材協力
株式会社太陽住建
Facebook「空き家でつながるコミュニティ『solar crew』」
(25日のイベント参加等の問い合わせはFacebookまで)

シェア菜園やDIY工房つき! 暮らしは自分たちの手でつくる新しい団地ライフ

生活音に気をつかいつつ、狭い部屋でじっとリモートワーク。隣人とは会釈程度、近所のコンビニに出かけたものの、誰とも会話もせずに1日が終わる……。新型コロナウイルスの影響で、自宅で過ごす時間が増えたことにより、住まいや暮らしについて「これでいいんだっけ……?」と考えていませんか。今回はそんな人の「答え」になりそうな、リノベ団地とゆるくつながる暮らしについてご紹介しましょう。
1964年築の団地をリノベ。DIYやペット可、交流アリの住まいに

今から50年以上前にできた、東綾瀬団地。多くの建物が解体・再建築されていくなか、約5800平米の敷地に立つ2棟・48戸をリノベーションして、2020年、「いろどりの杜-hands-on-village」が誕生しました。築50年以上経過しているため上下水管は入れ替え、設備は現在のライフスタイルにあわせてあり、快適な暮らしができるようになっています。特徴は団地リノベ、DIYができること、2匹までペット可(1棟のみ)、広場でBBQやDIY教室、さまざまなイベントが開催されることなどで、いわば、今どきの賃貸のトレンドの「全部のせ物件」となっています。

1964年築の団地ですが、外壁を白くし、アクセントカラーが入るとぐっとオシャレになります(写真/片山貴博)

1964年築の団地ですが、外壁を白くし、アクセントカラーが入るとぐっとオシャレになります(写真/片山貴博)

団地の敷地内にはテラスのほか、BBQスペース、シェア農園、DIY工房などが。近々、ピザ窯もできる予定(写真/片山貴博)

団地の敷地内にはテラスのほか、BBQスペース、シェア農園、DIY工房などが。近々、ピザ窯もできる予定(写真/片山貴博)

取材時に空室となっていた部屋。床には屋久杉の無垢材、キッチンは二口ガスコンロなど、今の暮らしにあわせた設備が採用されています(写真/片山貴博)

取材時に空室となっていた部屋。床には屋久杉の無垢(むく)材、キッチンは二口ガスコンロなど、今の暮らしにあわせた設備が採用されています(写真/片山貴博)

取材時に空室だった部屋。DIYができるため、前の住民がペイントしたもの。オシャレ&このまま住みたい…(写真/片山貴博)

取材時に空室だった部屋。DIYができるため、前の住民がペイントしたもの。オシャレ&このまま住みたい……(写真/片山貴博)

4階建ての建物、2棟のうち1棟にはエレベーターはついていませんが、若い世代が中心となっているためか、まったく気にならないとか。むしろ建物と建物の間隔が広く、その抜け感・開放感が新鮮にうつっているようです。

住居部分とは別に、団地の設備である宅配ロッカー(左)と住民専用のBBQグッズのある「いろどりキャビン」(右)とが設けられ、共用施設が充実している(写真/片山貴博)

住居部分とは別に、団地の設備である宅配ロッカー(左)と住民専用のBBQグッズのある「いろどりキャビン」(右)とが設けられ、共用施設が充実している(写真/片山貴博)

「2020年2月から入居がはじまりましたが、感染対策を行いながら、団地に住んでいる住民自身のみなさんが企画し、運営するさまざまな交流をうむイベントが行われていて、私たちも驚いています」と話すのは、建物の維持・管理などを行うフージャースアセットマネジメントの石村穂乃佳さん。この1年だけでも、住民のプロ大工さんによる月に1回のシェア工房、住民交流BBQ、竹×サステナブルをテーマにした納涼会、シェア窯プロジェクトなどを行い、団地リノベのコンセプトである、”つくる暮らしを育てる団地”がかなっているとか。

BBQスペース、シェア農園、DIY工房など、いわばハコ(設備)をつくることはできますが、イベントを企画・実施していくのは簡単ではありません。では、どのようにして企画が生まれ、行われているのでしょうか。取材日、開催されていた「団地パンまつり」の様子から理由をさぐっていきましょう。

対価はお金ではなくつながり。大人が楽しんで参加できるスタイル足立区近隣にある人気パン屋・6店のパンをそろえた「団地パンまつり」。11時のオープン前から行列ができ、45分で全商品が完売するという人気ぶりです(写真/片山貴博)

足立区近隣にある人気パン屋・6店のパンをそろえた「団地パンまつり」。11時のオープン前から行列ができ、45分で全商品が完売するという人気ぶりです(写真/片山貴博)

「団地パンまつり」は足立区近隣にある人気パン屋・6店から、よりすぐったパンをそろえて販売するというもの。広場には焚き火があって、子どもたちが焼きマシュマロを食べられたり、木工あそびができたりと、パンを買ったあとも滞在できる仕掛けもなされています。広場に集うのは、団地の住民だけでなく、近隣で暮らしている人たち。訪れたこの日、開店前にもかかわらず、多くの人が集まっていて、注目度の高さがうかがえます。

パン屋との出店交渉、どのパンを仕入れるのか、設営、販売まで住民が行います。大人の本気です!(写真/片山貴博)

パン屋との出店交渉、どのパンを仕入れるのか、設営、販売まで住民が行います。大人の本気です!(写真/片山貴博)

「パンを並べているケースも、屋久杉の床材を使ったもので、住民の手づくりなんですよ。贅沢でしょう(笑)。スタッフのTシャツもそろえて、オリジナルのロゴをいれています」と話すのは、団地の住民でもあるデザイナーの下出さん。今回はロゴの作成や、フライヤーデザインを担当しました。こうしたイベントへの参加は一切、強制ではなく、参加したい人が自分たちの得意なスキルをあわせつつ、楽しんで行っているとのこと。

焚き火(中央)に木工あそび(左)。コロナ禍で遠出できないからこうしたイベントは貴重(写真/片山貴博)

焚き火(中央)に木工あそび(左)。コロナ禍で遠出できないからこうしたイベントは貴重(写真/片山貴博)

「この団地って、人が対価として受け取るのは『お金』だけではなく、経験やさまざまなものがあるという考え方の人が集まっているんです。自分ももともとそう考えるタイプだったので、住んでより考え方が確立した感じですね」と話します。自分が得意なスキルを提供して、周囲の人を笑顔にしたり、いいね、と言われたり。長い間、人類はこうやってコミュニティをつくってきたんだなと実感します。

団地に住み、イベントをしかけている株式会社はじまり商店街の辻さん(左)とフージャースアセットマネジメントの石村さん(右)(写真/片山貴博)

団地に住み、イベントをしかけている株式会社はじまり商店街の辻さん(左)とフージャースアセットマネジメントの石村さん(右)(写真/片山貴博)

「こうしたイベントの中核を担っているのは、団地に暮らしている辻さんたちです。私たちは辻さんたちの企画を見て、いいね! と後押ししてるだけ」と解説するのは石村さん。

辻さん自身、「団地だけの閉鎖的な集いではなく、イベントを通じて地域とつながることを意識しているんです。団地を通してパン屋さん、地域の方々がつながり、暮らしが豊かになるキッカケづくりになればいいな、と。何よりこの1年で、住民のみなさんが楽しみつつ、ご近所や街の人とつながり、暮らしが豊かになっていくのを実感しています。私自身、以前は普通の賃貸アパートに住み、近隣づきあいもありませんでしたが、ここに引越してきて、『私がしたかったのはこういう暮らし~!』だと思っているんです」とうれしそうに話します。

つい先日、入居1年で転勤のため退去した人がいたそうですが、なんと住民同士で涙、涙の送別会を行ったとか。大人の住民同士が1年でそこまで仲良くなる!? と驚きますが、和気あいあいとしたイベントを見ていると、確かに仲良くなるかもなと頷いてしまいます。大人が楽しいフェスを毎月、実施している感じなのかもしれません。

つくる暮らし、交流のある暮らしをしたくて団地へ! その住心地は?ベッドを加工し、作業机に。本棚にはお気に入りの漫画を並べています(写真撮影/片山貴博)

ベッドを加工し、作業机に。本棚にはお気に入りの漫画を並べています(写真撮影/片山貴博)

ここでもうひとり、団地で暮らしている人にその住み心地を聞いてみました。
「もともとは交流のある暮らしをしたくて、シェアハウスに暮らしていたのですが、住民同士の交流があまりなくて(笑)、求めていた暮らしができなかったんです。DIYにも興味があったし、思い切ってこの団地に引越してきました」というのは朱 志剛さん。台湾出身で日本企業にお勤め、団地でお友だちをつくり、今の暮らしを満喫しています。

朱さん初めてのDIY作品となったのがパソコンを置いてある作業デスク。奥はベッドで空間を有効活用(写真撮影/片山貴博)

朱さん初めてのDIY作品となったのがパソコンを置いてある作業デスク。奥はベッドで空間を有効活用(写真撮影/片山貴博)

自作したテレビラック。DIY初心者からここまで上達するの? とびっくりです(写真撮影/片山貴博)

自作したテレビラック。DIY初心者からここまで上達するの? とびっくりです(写真撮影/片山貴博)

朱さんは、転居してきたころはDIY初心者だったといいますが、作業棚、テレビラック、本棚などさまざまなモノを自作しています。先生はもっぱらYouTube(!)だといいますが、団地のテラスで木材を加工していると、「朱さん、何をつくっているの?」と話かけられることも多く、住民のみなさんと自然に会話・交流できているそう。取材後は「団地パンまつり」に参加して、他の住民と会話していましたが、笑顔がとてもまぶしく、「本当にいいなあ」としみじみ思いました。

ご近所さんと交流したい人もいれば、そうでない人もいることでしょう。実際、この団地でイベントに積極的に参加しているのは3割程度。基本的には住民自身の都合や気分で、ご自由にというスタンスだそうです。でも、ご近所さんといっしょにBBQをしたり、ピザを焼いたりと交流していると、音がしたり、匂いがしたり、気配があるのが「当たり前」「心地よい」と感じられることでしょう。

自分の得意を交換して、助けあって、笑い合って……。こうした団地の暮らしの良さは、コロナ禍を経て、今後、いっそう評価されるような気がします。

●取材協力
いろどりの杜

ご近所をつなぐ小さな本屋を増やしたい。シェア型本屋「せんぱくBookbase」の願い

自分の暮らすまちには本屋がない。「それがこんなにつらいことだったとは」と話すのは、絵ノ本桃子さん。自ら千葉県松戸市の八柱にシェア本屋「せんぱくBookbase」を開いたのも、近くに本屋が増えたらいいなとの思いからだった。本ならネット通販で買えばいいじゃない、という人もいるだろう。でもオンラインとは違って、本屋に足を運ぶことで思いもよらない世界との出会いがあったり、子どもにとっては自分の好きなことを見つけるきっかけになったり。本屋は可能性を秘めた場所でもある。「暮らしの延長上で本に出会えるように」という、絵ノ本さんに話を聞いた。■連載【生活圏内で豊かに暮らす】
どこにいても安定した同じものが手に入る今、「豊かな暮らし」とは何でしょうか。どこかの知らない誰かがつくるもの・売るものを、ただ消費するだけではなく、日常で会いに行ける人とモノ・ゴトを通じて共有する時間や感情。自分の生活圏で得られる豊かさを大切に感じるようになってきていませんか。ローカルをテーマに活動するライター・ジャーナリストの甲斐かおりさんが、地方、都市部に関わらず「自分の生活圏内を自分達の手で豊かにしている」取り組みをご紹介します。

新しい本屋が生まれるきっかけに

芝生の上に大きく「本」と一文字書かれた看板が置かれている。そっとガラスの戸を開くと、こぢんまりとした、でも愛情をたっぷりそそがれていることが伝わってくる本屋さんだった。絵本あり、文芸あり、実用書あり。古本だけでなく、新刊も扱っている。

8名の「店守(たなもり)さん」と呼ばれる店主が本箱を共有しているシェア型の本屋である。海外童話ばかりを置く棚や、絵本の専門店、こだわりの出版社の本だけを扱う棚など、特徴ある本棚が並ぶ。全体を切り盛りしているのが、店長の絵ノ本さんだ。

「本屋をやることに興味のある人たちにここで経験を積んでもらって、新京成沿線に新しく本屋が増えたらいいなと思って始めたんです。実際この店を卒業した方が、新京成線沿いの初富と新鎌ヶ谷の間に新しい本屋さんをオープンされました。私もゆくゆくは自分の本屋をやれたらいいなと思っています」

せんぱくBookbase店長の絵ノ本桃子さん(写真撮影/甲斐かおり)

せんぱくBookbase店長の絵ノ本桃子さん(写真撮影/甲斐かおり)

それぞれの店守さんが月2回、シフト制でお店に入る。これまでに学生、販売員、学校図書館勤務、ミュージシャン、デザイナーと幅広い年齢や職業の人たちが携わってきた。中には現役の書店員もいて、本業では叶わない、自分の好きな本を思い切り紹介しているという。店守の日は、告知も含めて自分のお店のように自由にやってくださいというのが店の方針。そのためルールは最小限に。

さまざまな店守さんの本棚が並んでいる様子(写真提供/せんぱくBookbase)

さまざまな店守さんの本棚が並んでいる様子(写真提供/せんぱくBookbase)

絵ノ本さんが本屋を始めた理由はいくつかあるが、一番の動機は、冒頭に書いたように自分の暮らすまちに本屋がなかったこと。

「大人一人なら隣町にも行けるし、いろいろ選択肢があると思うんですけど、子育て中は、子どもを抱えてベビーカー押しながらとか、雨の日なんかきつくて。本屋さんって思っていたより自分にとって大きな存在だったんだなと気づきました。たまたま手にした本からモヤモヤ悩んでいたことのヒントをもらったり、刺激を受けたり。子どもにとっても、徒歩圏内に一人で寄れる本屋があるかは大きいなと。親から離れて自分で本を選ぶ力を得ることにもなったり。図書館とはちょっと違います。そう思う人ってほかにもいるんじゃないかなって」

(写真提供/omusubi不動産)

(写真提供/omusubi不動産)

探し始めて出会った、一風変わった不動産会社

「せんぱくBookbase」は新京成線の八柱駅から歩いて10分ほどの場所にある。はじめは絵ノ本さん自身が暮らす二和向台付近で物件を探していたが、同じ沿線の八柱に「せんぱく工舎」というシェアアトリエ&店舗があることを知って、「まずはここで始めてみよう」と決めた。

せんぱく工舎がほかにない面白い物件だったからだ。八柱、常盤平エリアの物件を中心に扱うomusubi不動産という一風変わった不動産会社があり、DIYできる賃貸物件やユニークな企画の賃貸物件を扱っている。せんぱく工舎もomusubi不動産のサブリース物件だった。入居者には個性的なお店やクリエイターが多く、自転車屋、スコーンの店、スペインバルなどのお店や工房が入居している。

「表が芝生なので子どもがばっと飛び出していっても安心ですし、入居者同士のイベントがあったり、omusubiさん主催の田植えに参加したり。お隣の店でコーヒーなど買ってうちの店に持ち込んでいただいてもOKにしているんです。今年でオープンから丸3年経つんですけど、子ども連れの若いお母さんや年配の方までいろんな方に来ていただいています」

開店資金は、クラウドファンディングで97人から100万円近くが集まった。

せんぱく工舎の入り口(写真撮影/加藤甫、川島彩水)

せんぱく工舎の入り口(写真撮影/加藤甫、川島彩水)

せんぱくBookbaseがある八柱エリアには、近年個性的な店が増えている(写真撮影/甲斐かおり)

せんぱくBookbaseがある八柱エリアには、近年個性的な店が増えている(写真撮影/甲斐かおり)

じわじわと、まちの人たちとつながって

手づくりの木製の棚には、ほどよく空間を交えながら多彩な本が並んでいる。各店主の棚以外は、店長の絵ノ本さんの選書がメイン。装丁の美しい本、定番の絵本。店の奥には和室があり、小さな子どももベビーカーから降りてくつろぐことができる。

店守のコースは月に5000円と7000円。店主の中には、会社勤めで新刊の取り扱いにまで手がまわらない人も多いため、7000円のコースでは、絵ノ本さんがリクエストを受けて新刊の手配を代行する。さらには企画展やフェアなど、店守さんの企画を実施するまでをサポートしたり、絵ノ本さんが各店横断型のフェアを開催したりもする。

「喫茶と読書ひとつぶ」のカードとともに陳列されている(撮影/甲斐かおり)

「喫茶と読書ひとつぶ」のカードとともに陳列されている(撮影/甲斐かおり)

「喫茶と読書ひとつぶ」と書かれたカードに目がとまった。ひとつぶは、常盤平の駅近くにある喫茶店。

「本好きな人が好みそうな本がたくさん置いてある素敵な喫茶店で、私も大好きなんですけど、そこで本を買えるわけではないので、この店で買えたらいいなと思って置いています。うちの店でひとつぶさんを知る人もいるかもしれないですし」

(写真撮影/甲斐かおり)

(写真撮影/甲斐かおり)

大型書店では扱っていないリトルプレス(少部数の出版物)を「この店なら取り寄せてくれるのでは」と訪ねてくるお客さんもいる。実際、そのシリーズ全巻を注文したところ反響があった。今年1月には店守さんの発案で『老犬たちの涙』という犬の殺処分をテーマにした写真展を開催。各店主から推薦書を出してもらい「卒業・入学フェア」も行った。最近は、大学生のボランティア7~8人がイベントの際の店内装飾を手伝ってくれるようにもなった。近くの聖徳大学の学生さんによる取材が縁で、この店で卒業作品の展示を行ったこともある。

「卒業・入学フェア」の様子(写真提供/せんぱくBookbase)

「卒業・入学フェア」の様子(写真提供/せんぱくBookbase)

そんな風に、お客さんのリクエストに応えながら、近所の人や店と連携し、新たな企画が持ち上がるような動きが生まれている。この地域のシンボリックな建物である「せんぱく」を店名に入れたのも、「せんぱくの本屋さん」と覚えてもらえれば十分だと思ったから。そんな風にして「せんぱくBookbase」はじわじわ地域に根付いてきた。

絵ノ本さんが伝えたイメージを、学生さんが描いてくれた手書きのフェアの装飾案(写真提供/せんぱくBookbase)

絵ノ本さんが伝えたイメージを、学生さんが描いてくれた手書きのフェアの装飾案(写真提供/せんぱくBookbase)

大型書店では、その時売れている本、話題の本を眺めて世の中のトレンド、情勢を知ることができる。一方「せんぱくBookbase」のような小さなまちの本屋では、新旧ランダムに置かれた中から、これはと思う本を見つけて、こっそり自分だけの本を見つけたような気持になる。その時の自分の関心事に気付いたり、思わぬところではっとしたり、知らなかった世界を知ってワクワクしたり。

いまオンライン書店や大規模書店におされて、まちの本屋はどんどんなくなっている。全国の書店数は、20年前に比べて半分になった。ただ、けして数は多くないけれど、パン屋や喫茶店と同じように、小さな個性ある本屋が各地に誕生し始めているのも事実だ。

近所のことを何も知らない

絵ノ本さんが本屋をつくろうと思ったのには、もうひとつ理由があった。いま暮らす二和向台は、結婚して初めて暮らすことになったまち。知り合いがほとんど居なかった。

「家で子育てしているだけでは、町につながりができなくて。家の前の八百屋さんで毎日のように買い物したり、娘が店の座敷で遊ばせてもらったりしていたんですけど、ある日、品物がなくなっていて、明日には閉店するんだって知ったんです。目の前の店なのに、何も知らなかったことに愕然として。でも年配の方たちの中にはネットワークがあったらしくみんな知っていたんですよね。その時すごく孤独を感じて。知らない人だらけのまちで子育てしていることが怖くなったんです」

絵ノ本さんの家の前にあった八百屋さん。今は更地になっている(写真提供/せんぱくBookbase)

絵ノ本さんの家の前にあった八百屋さん。今は更地になっている(写真提供/せんぱくBookbase)

まちの人たちともっとつながりたい。そういう場所がほしいと思った。さらに、絵ノ本さんと娘さんが気に入っていたもう一つのお店、近所のせんべい屋も閉店したことが背中を押した。

「いつも女将さんや近所の年配の皆さんが座っておしゃべりしていて。このおせんべい屋さんと八百屋さんが、私たちがこの町で暮らしていると感じられる数少ない、まちとのつながりだったんです」

子どもを排除しない働き方

絵ノ本さんは、以前、本を流通する取次の会社で働いていた。書店や本のつくり手を応援したい気持で就いた仕事だったけれど、既存の取次のしくみには融通が効かないルールも多く、出版社や書店を困らせることも少なくなかった。個人の力ではどうすることもできず、仕事に疑問と違和感を感じ、辞めた後も図書館に勤めたり、ライターの仕事をするなど本との関わり方を模索してきた。

今は、オンラインで小中学生の学習支援の仕事をしながら、シェア本屋をライフワークとして続けている。

「もちろんしっかり売上は立てていきたいんですが、お金を稼ぐ手段としてだけではなく、ここで私が働いている姿を子どもにも見せたい思いもあったんです。在宅でネットを活用して働くのは便利ですが、仕事している間、どうしても子どもを排除することになっちゃう。でも、ここに居れば子どもも一緒にお客さんや店と関わっていけるのがいいなって。いろんな大人と関わる機会になるし、地域の人たちと関係性ができていく過程を見てもらえる。家にこもって仕事しているだけでは広がらないので」

(写真提供/せんぱくBookbase)

(写真提供/せんぱくBookbase)

都市に暮らし、絵ノ本さんと同じように感じる人は多いのではないだろうか。それでも心の声に正直に、一歩を踏み出すのは案外難しい。絵ノ本さんはお店を立ち上げ、子育てをしながら店守のみんなと店を運営してきた。いいことばかりだったわけでなく、店主にもいろんな考え方の人がいて、時には意見が食い違うこともある。それでも続けてきた跡に、ご近所さんとのゆるやかなつながりが数多く生まれている。

●取材協力
せんぱくbookbase

「私の庭に寄ってって」! 個人宅の『秘密の花園』を自由に楽しむ「こだいらオープンガーデン」

個人の庭を一般に公開する取り組み「オープンガーデン」。丹精込めた庭をお披露目し、庭を通して地域の人々、同じ趣味を持つ人々との交流を楽しむ場でもあり、英国の慈善団体がチャリティーの一環として始めたものとされている。
まだまだ日本では馴染みのないカルチャーだが、東京都小平市では14年前から、「こだいらオープンガーデン」としてまとめてPR、市がバックアップしている。 

個人宅とは思えないほどの規模のイングリッシュガーデン

今回は登録されている27カ所の庭のうち、市の取り組みがスタートする前からご自身の庭を開放していた「森田オープンガーデン」の森田光江さんにインタビュー。そもそもご自身がオープンガーデンを始めた経緯、どんな取り組みをしているのか、実際にお庭にお邪魔して、お話を伺った。

「森田オープンガーデン」を訪れると、その規模感に圧倒される。1000坪の庭には、カモミール、菜の花、コデマリ、つつじの花々が咲きみだれていた。テーブルやチェアも設置されているなど、まるでフランシス・ホジソン・バーネットの童話『秘密の花園』のよう。これが個人の庭なのが驚きだ。
イメージは“手入れしすぎない、日常の中のガーデン”。こぼれた種をそのままに、自然のサイクルを活かした庭づくりを心掛けている。とはいえ、小道の手前には背の低い花を、奥に行くにしたがって花・樹木の高さが高くなるよう植物を配置し、花々が咲く季節をずらしながら植えられており、散策が楽しくなるように計算もされている。

奥にある玉川上水の並木道も借景にするイングリッシュガーデン。どこからかピーターラビットが現れそうな雰囲気(写真撮影/片山貴博)

奥にある玉川上水の並木道も借景にするイングリッシュガーデン。どこからかピーターラビットが現れそうな雰囲気(写真撮影/片山貴博)

庭にはテーブルやイスがあちこちに。友人から“森田さんのお庭に似合うと思って”と譲り受けることもあるそう(写真撮影/片山貴博)

庭にはテーブルやイスがあちこちに。友人から“森田さんのお庭に似合うと思って”と譲り受けることもあるそう(写真撮影/片山貴博)

撮影は4月下旬。可憐なカモミールの花が満開な季節。「まだまだ、花のトップシーズンはこれから。もうすぐバラが満開になります」と、笑顔で案内してくれるオーナーの森田さん。まるで我が子のように、慈しみ育てている。
「春から秋まではほとんどお庭にいますね。水やり、草むしり、植え替えとやることはいっぱい。今日は朝4時半起きなんです。続けてこれたのは“とにかく花が好き”ということと、喜んでくれる人たちがいるということですね」

奥には家庭菜園もあり、トマトやエンドウ豆の苗が育ち、収穫の楽しさも(写真撮影/片山貴博)

奥には家庭菜園もあり、トマトやエンドウ豆の苗が育ち、収穫の楽しさも(写真撮影/片山貴博)

コデマリ、チューリップ、カモミール、シャクナゲと咲き誇る花々に癒やされる(写真撮影/片山貴博)

コデマリ、チューリップ、カモミール、シャクナゲと咲き誇る花々に癒やされる(写真撮影/片山貴博)

お手製の花時計も自慢の場所(写真撮影/片山貴博)

お手製の花時計も自慢の場所(写真撮影/片山貴博)

庭を開放し、花を愛でる喜びをみんなでシェア

幼いころからずっと花が好きだった森田さん。「14年前に亡くなった夫とはとっても仲良しで、唯一の揉めごとが私の花畑と夫の野菜畑の境界線争いだったほど(笑)。彼が亡くなって本当に悲しくて、泣いてばかりだったけれど、せっかく彼が残してくれた場所なんだからと、花づくりにどんどん精を出すようになったんです」
そして、丹精込めて育てた花々をご近所さんとも共有したいという想いから、庭園を開放するように。そのうち、「もっとゆっくり腰を落ち着けてお庭を見ていただきたい」とテーブルやイスを置いたり、お茶をふるまうように。
定期的に訪れるご近所の常連さんも多いが、玉川上水沿いの緑道に接しているため、「ウェルカム」の看板に誘われ、ふらっと足を運ぶ人も。花の話題で、初対面でも話が盛り上がることも多い。撮影は晴天の4月ということもあり、平日の午前中から、たくさんの人がお庭を散策。なかには森田さんの同級生たちの姿も。
「コロナ禍で、なかなかみんなで集まることが難しいけれど、屋外のこの場所ならと、友人たちが顔を出してくれるんです」

モッコウバラの棚の木陰でお茶をふるまう森田さん。ちょっとしたおしゃべりも気分転換に(写真撮影/片山貴博)

モッコウバラの棚の木陰でお茶をふるまう森田さん。ちょっとしたおしゃべりも気分転換に(写真撮影/片山貴博)

カモミールティーとクッキーのセット(200円)。売上はすべて福祉団体へ寄付している。「最初は無料でふるまっていたらお礼にお土産をいただくようになり、かえって申し訳なくなったんです」(写真撮影/片山貴博)

カモミールティーとクッキーのセット(200円)。売上はすべて福祉団体へ寄付している。「最初は無料でふるまっていたらお礼にお土産をいただくようになり、かえって申し訳なくなったんです」(写真撮影/片山貴博)

手づくりの花籠やボタニカルアートも友人の手によるもの。友人たちにとってもかけがえのない場所になっているのかもしれない(写真撮影/片山貴博)

手づくりの花籠やボタニカルアートも友人の手によるもの。友人たちにとってもかけがえのない場所になっているのかもしれない(写真撮影/片山貴博)

オーナーの森田光江さん。フレンドリーで明るい森田さんの人柄にも惹かれて訪問する人も多い。「今日はひ孫の幼稚園のお迎えに行ってきたばかりなんです」とアクティブ(写真撮影/片山貴博)

オーナーの森田光江さん。フレンドリーで明るい森田さんの人柄にも惹かれて訪問する人も多い。「今日はひ孫の幼稚園のお迎えに行ってきたばかりなんです」とアクティブ(写真撮影/片山貴博)

複数のオープンガーデンを包括することで“花の小平”をPR

こうした自分の庭園を個人的に開放していた森田さんだが、2007年、市から「小平市内のオープンガーデンとしてPRしたい」という打診があったときには、「もちろん大丈夫です」と即答。これまでは、ご近所さん限定だったのが、春には市内外から訪れる人気スポットに。オープンガーデンの登録数も当初12カ所から現在は27カ所となっている(コロナ禍で休園している場所もあり)。
そもそも「こだいらオープンガーデン」とは、それより先に開催されていた「花と緑のこだいらガーデニングコンテスト」から「年間通して展開できないだろうか」という発想から始まったもの。玉川上水、野火止用水、狭山・境緑道、都立小金井公園と、ぐるりと散歩道が一周する約21kmの「小平グリーンロード」とあわせて、散策したくなる街の魅力をPRすることも狙いだ。森田さんのようなイングリッシュガーデンもあれば、開放が期間限定のバラ園、日本庭園もある。

現在の運営団体である、一般社団法人こだいら観光まちづくり協会の若林さち代さんにも話を伺った。「肥料代などの補助金もなければ会費もない、ゆるやかなものです。こうしたマップやパンフレットを作成することで、すべてのお庭を知っていただけたら。登録者のみなさんで情報交換など横のつながりも生まれています。今後は専門家を呼んで勉強会をするなどの取り組みも考えていきたいです」
丹精こめた庭や花を、オーナーと訪れた人がシェアする。地元で過ごすのは週末だけという人が多かったなか、コロナ禍で地元での暮らしを見直す人たちにとって、「オープンガーデン」は格好の癒やしの場、繋がりの場となるはずだ。

「こだいらオープンガーデン」に参画している庭は、この看板が目印(写真撮影/片山貴博)

「こだいらオープンガーデン」に参画している庭は、この看板が目印(写真撮影/片山貴博)

ちなみに数あるオープンガーデンのうち、森田さんのお庭はかなり例外的。通常は飲食禁止、オーナーの対応はあるとは限らない。あくまでも「お庭を楽しむだけの場所」で、生活をしている方の邪魔にならないよう配慮が必要。敷地外からの見学のみの庭もある(写真撮影/片山貴博)

ちなみに数あるオープンガーデンのうち、森田さんのお庭はかなり例外的。通常は飲食禁止、オーナーの対応はあるとは限らない。あくまでも「お庭を楽しむだけの場所」で、生活をしている方の邪魔にならないよう配慮が必要。敷地外からの見学のみの庭もある(写真撮影/片山貴博)

個人のお宅以外にも、レストランの庭、教会の庭園なども「こだいらオープンガーデン」のひとつ。例えば、 教会であるベタニア館のバラ園では、テラスで一休みもできる(画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

個人のお宅以外にも、レストランの庭、教会の庭園なども「こだいらオープンガーデン」のひとつ。例えば、
教会であるベタニア館のバラ園では、テラスで一休みもできる(画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

自然派レストラン、カフェ・ラグラスの庭園もオープンガーデンのひとつ。店舗利用せずとも庭園を見学できる(画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

自然派レストラン、カフェ・ラグラスの庭園もオープンガーデンのひとつ。店舗利用せずとも庭園を見学できる(画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

ご夫妻ふたりで手掛けた庭「アトリエ絵・果・木(えかき)」。解体工事などで出る廃材などでプランターや椅子がつくられているのが特長 (画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

ご夫妻ふたりで手掛けた庭「アトリエ絵・果・木(えかき)」。解体工事などで出る廃材などでプランターや椅子がつくられているのが特徴(画像提供/一般社団法人こだいら観光まちづくり協会)

●取材協力
一般社団法人こだいら観光まちづくり協会

人口1000人の限界集落に「未来コンビニ」! “世界一美しいコンビニ”が徳島・木頭を変える?

人口約1000人の山間地域の村、徳島県那賀町木頭地区に、昨年4月誕生した「未来コンビニ」。
「未来」といっても最新技術を駆使したコンビニ、という意味ではなく、「未来を担う子どもたちのために」という想いから名付けられたもの。過疎化が進み、買い物難民が社会問題とされている地方の試みとして注目されている。今回は、誕生した経緯とともに、新たなコミュニティの場として動き出した、その後についてインタビューした。

名前の由来は、未来を担う子どもたちのための場でありたい想いから

徳島県と高知県をつなぐ国道195号を車で走っていると、突如現れる、スタイリッシュな建物。それが「未来コンビニ」だ。その存在を知らない人は、夜の暗闇に突如現れる光り輝く近未来な建物に驚くことだろう。

“世界一美しいコンビニ”のキャッチフレーズに違わぬ外観。自然の中にたたずむモダンなコントラストが美しい。オープン後、訪れる人々の口コミやSNSの拡散で、徐々に知名度を上げている(写真提供/ワキ・タイラー)

“世界一美しいコンビニ”のキャッチフレーズに違わぬ外観。自然の中にたたずむモダンなコントラストが美しい。オープン後、訪れる人々の口コミやSNSの拡散で、徐々に知名度を上げている(写真提供/ワキ・タイラー)

誕生したのは1年前。最寄りのコンビニまで車で1時間もかかるという地域に暮らす人々の、利便性を向上させる目的で生まれたもの。

徳島市と高知市の市街地からそれぞれ車で2時間程度の木頭地区。剣山など標高1000mを超える山々に囲まれ、村の中心に那賀川の清流が流れる。 この神々しい日本の原風景の魅力は、いつしか“四国のチベット”とも表現されるようになった(写真提供/ワキ・タイラー)

徳島市と高知市の市街地からそれぞれ車で2時間程度の木頭地区。剣山など標高1000mを超える山々に囲まれ、村の中心に那賀川の清流が流れる。 この神々しい日本の原風景の魅力は、いつしか“四国のチベット”とも表現されるようになった(写真提供/ワキ・タイラー)

左/定番のソフトクリームにゆず塩をかけて。右/ご近所で育てているミントをカフェメニューに(写真提供/未来コンビニ)

左/定番のソフトクリームにゆず塩をかけて。右/ご近所で育てているミントをカフェメニューに(写真提供/未来コンビニ)

「単に買い物をするだけでなく、子どもたちが自然と集まり、何かしらの刺激を受け、自分の将来への気づきを与えられる場所がコンセプトなんです。子どもたちは未来を担う“宝”ですから」(KITO DESIGN HOLDINGS 経営企画室長 仁木基裕さん)
例えば、本棚では、過疎地では手に入りにくい雑誌、小説、漫画、アート本、小説などを取りそろえたり、大きなモニターで子ども向けのオンラインイベントをしたり、海を知らない子どもたちに、周辺の海辺の町との交流会を行ったり……。「木頭地区の小中学生は約30人。ともすれば、赤ちゃんの時からずっと同じ顔触れなんです。だけど、この場ができることで、さまざまな経験ができていると思います」

子どもや高齢者が商品を手に取りやすいよう、商品棚は低めに設定。木頭ゆずのオリジナル商品も販売(写真提供/ワキ・タイラー)

子どもや高齢者が商品を手に取りやすいよう、商品棚は低めに設定。木頭ゆずのオリジナル商品も販売(写真提供/ワキ・タイラー)

図書館のように自由に手に取ることができる、クリエイティブな本棚を設置。店内で絵本の読み聞かせもできる。これも“本との出会いは子どもたちの将来の道しるべのひとつになる”という考えから(写真提供/未来コンビニ)

図書館のように自由に手に取ることができる、クリエイティブな本棚を設置。店内で絵本の読み聞かせもできる。これも“本との出会いは子どもたちの将来の道しるべのひとつになる”という考えから(写真提供/未来コンビニ)

海沿いの徳島県牟岐町との交流イベント「木頭に海がやってきた!」。徳島県は海沿いと山間地域では環境もまったく違うので、お互いの地元を知ろうということから企画されたもの(写真提供/未来コンビニ)

海沿いの徳島県牟岐町との交流イベント「木頭に海がやってきた!」。徳島県は海沿いと山間地域では環境もまったく違うので、お互いの地元を知ろうということから企画されたもの(写真提供/未来コンビニ)

森の中のインパクトあるデザインで、日本中、世界中に拡散される

この未来コンビニは、地域住民の暮らしを支えると同時に、遠方からのゲストも楽しめる交流の場だ。
秋にはすぐ近くの紅葉の名所「高の瀬峡」を訪れる観光客でにぎわい、コンビニ利用者は1日最大400人に。人口約1000人の村に、だ。これまでは国道を素通りするだけだった木頭地区に、この未来コンビニができることで、足を止める観光客が増え、名産の木頭ゆずの知名度もアップ。大きな経済効果を生んでいる。

(写真提供/ワキ・タイラー)

(写真提供/ワキ・タイラー)

名産の木頭ゆず(写真提供/黄金の村)

名産の木頭ゆず(写真提供/黄金の村)

「誰もが足を止める。そのためにはデザインワークも大切でした。木頭ゆずを思わせるイエロー。Y字型の幾何学的なデザインの柱は、ゆずの果樹がモチーフです。山の中というロケーションもあいまって、SNSで発信をしてくださる方も多いんです」(仁木さん)

内装デザイン、店名のフォント、ロゴデザインすべてのデザインがモダンで洒落ている。一方、「自然との共生」をコンセプトに、建物の周りに土に還ることのできる樹皮チップが敷き詰められるなど、サステナブルな設計に(写真提供/未来コンビニ)

内装デザイン、店名のフォント、ロゴデザインすべてのデザインがモダンで洒落ている。一方、「自然との共生」をコンセプトに、建物の周りに土に還ることのできる樹皮チップが敷き詰められるなど、サステナブルな設計に(写真提供/未来コンビニ)

SNS投稿する人も多数(写真提供/未来コンビニ)

SNS投稿する人も多数(写真提供/未来コンビニ)

実業家の“故郷への恩返し”から始まったもの

そもそもこの未来コンビニは、“すべての人が笑顔になれる、奇跡の村を創る”、そのために“木頭を世界へ向けてデザイン・発信する”をミッションとするKITO DESIGN HOLDINGS株式会社の取り組みのひとつだ。ほかにも、3年前には元村営のキャンプ場をフルリノベーションして生まれ変わらせた「山の中のリゾート CAMP PARK KITO」や、名産品の木頭ゆずの生産加工・販売・店舗展開をする「黄金の村」事業など、さまざまなプロジェクトを手掛けている。
スタート地点は、IT会社、株式会社メディアドゥ代表の藤田恭嗣氏(KITO DESIGN HOLDINGSの代表も兼任)が、出身地である木頭地区に、恩返しをしようと始めたもの。
「寄付という形ではお金を出して終わり。地域が自立して、経済が循環していかないと意味はないんです。初期投資と最初のコンセプトワークをパッケージ化できれば、全国の同じように過疎化・高齢化に悩む地方でも、民間のチカラで同じように地方を盛り上げることが可能なんじゃないかと考えています。限界集落と呼ばれるこの小さな村に、そういった動きを導く場所があるんだという驚き、物語は、その証明になるはず。未来コンビニというフィールドを通して、ネットでもリアルでも世界とつながることができる、そこに存在意義があると思っています」(グループ執行役員 堀新さん)

未来コンビニを含む木頭プロジェクトで移住者も増加中

実際、木頭ではプロジェクトをきっかけに移住者も増えている。

現在、未来コンビニの店長である小畑賀史さん自身も、徳島県徳島市からの移住者。長年関西のカフェでバリスタとして働き、2年前に出身地である徳島市にUターン。「徳島でも、百貨店撤退など地方経済の落ち込みを目の当たりにしました。地元である徳島県が元気になるにはどうしたらいいかを考えたとき、徳島の中でも地方と呼ばれる地域の盛り上がりが不可欠だと感じました。神山や上勝をはじめ徳島の地方の取り組みを調べていく過程で木頭のプロジェクトを知り、他の地域よりもっとハンディのある場所だからこそ、ここを元気にすることが出来たら面白いと思い木頭にやってきました」(小畑さん)

小畑さん(写真提供/未来コンビニ)

小畑さん(写真提供/未来コンビニ)

カフェでの経験を活かし、小畑さんはカフェメニューも開発(写真提供/未来コンビニ)

カフェでの経験を活かし、小畑さんはカフェメニューも開発(写真提供/未来コンビニ)

一方、地元の特産品「木頭ゆず」の栽培・加工・販売を手掛ける関連会社、株式会社黄金の村で営業部長として働く岡田敬吾さんは、木頭地区出身のUターン者だ。
「私が子どものころは、将来は木頭を出ていくのが普通でした。私は、いつか地元に戻りたいと思っていたけれど、このKITO DESIGN HOLDINGSの取り組みがなければ、たぶん戻ってこれなかったと思います。その点、今の木頭の子どもたちは、違うんですよ。木頭での取り組みを通じて親以外のさまざまな職種の大人を目の当たりにすることで、とても刺激を受けているようです。それこそ代表の藤田のような木頭出身の上場企業の創業経営者という存在と触れ合って身近に感じることも、私の子ども時代ではまずないことでしたから」(岡田さん)

高校まで那賀町木頭で過ごした後、大阪や東京で音楽・IT関係の仕事をしていた岡田さん。2年前に木頭に家を建て家族で移住した(写真提供/黄金の村)

高校まで那賀町木頭で過ごした後、大阪や東京で音楽・IT関係の仕事をしていた岡田さん。2年前に木頭に家を建て家族で移住した(写真提供/黄金の村)

また、ノルウェー出身の音楽クリエイターのAlrik Fallet(アルリック・ファレット)さんは1年前に移り住み、木頭の村の美しさや文化に日々刺激を受けながら制作活動に打ち込んでいる。
アルリックさんは、未来コンビニへ朝コーヒーを飲みに行ったり、ワーキングスペースとして活用したりしている。「地元の人同士がおしゃべりしているのを見ているのが好きです。地元のおじいちゃんやおばあちゃんは、すごく気軽に話しかけてくれるのも素敵だと思っています。今後は自分自身もこのスペースを使って、子ども達になにかクリエイティブなことを教えたりできたらいいですね」(アルリックさん)

未来コンビニ内にある「YUZU CAFÉ」で仕事をすることも多いアルリックさん。友人のアメリカ人クリエイターに誘われた夏休みの日本旅行の途中で木頭を訪れたことが移住のきっかけ。また、未来コンビニのモニターで流れている映像の音楽は全てアルリックさんによるものだ(写真提供/未来コンビニ)

未来コンビニ内にある「YUZU CAFÉ」で仕事をすることも多いアルリックさん。友人のアメリカ人クリエイターに誘われた夏休みの日本旅行の途中で木頭を訪れたことが移住のきっかけ。また、未来コンビニのモニターで流れている映像の音楽は全てアルリックさんによるものだ(写真提供/未来コンビニ)

地域住民と創る。かけがえのない集いの場所へと発展

未来コンビニが誕生して1年。オープン当初こそ、地元の人も様子を見ながらという雰囲気だったが、徐々に毎朝来てくれるようになったり、休憩に顔を出してくれたりするように。
地元農家さんの野菜直売マルシェを設置し、毎週火曜日は鮮魚の日、金曜日は精肉の日と、通常のコンビニでは扱わない商品も展開し、今では地域住民にとってなくてはならない生活インフラや社交場になっている。

木頭の農家さんから商品を仕入れる「きとうマルシェ」も定期的に開催。山間にある村だけあり鮮魚は人気が高く、現在は予約制(写真提供/未来コンビニ)

木頭の農家さんから商品を仕入れる「きとうマルシェ」も定期的に開催。山間にある村だけあり鮮魚は人気が高く、現在は予約制(写真提供/未来コンビニ)

「驚いたのは、積雪の日に雪かきを地域の方々が手伝ってくれたこと。雪に不慣れな移住者のスタッフも多く、みなさんが助けてくれなかったら、大変なことになったでしょう。台風の日は看板が飛ばされないよう、ブロックを持ってきてくださいました。みなさん、自分たちの場所だと大切にしてくださっているんだなとうれしかったです」(仁木さん)

積雪の日の雪かきは大変。クリスマスのモミの木も地元の方が山から伐採してきてくれたもの(写真提供/未来コンビニ)

積雪の日の雪かきは大変。クリスマスのモミの木も地元の方が山から伐採してきてくれたもの(写真提供/未来コンビニ)

今後は、なかなか買い物が難しい高齢者のために移動販売や宅配事業を行ったり、子どもたちに向けてクリエイティブな学びの場をもっと提供するなど、新たなアイデアが次々と生まれているという、未来コンビニ。

今はお祭りや宴会の開催も難しく、一日誰とも会わない・話さないという高齢者は多いはず。木頭でも夏の風物詩「木頭杉一本乗り大会」や、八幡神社の秋祭りなど、毎年地域総出で行っていたイベントも昨年は中止となった。しかし、このような”場“があることで、昔馴染みに偶然出会っておしゃべりしたり、スタッフと笑いあったりする一日になる。この点でも、未来コンビニの存在感は大きいといえるだろう。

買い物ついでにおしゃべり。誰もが足を運ぶ場なら自然と交流の場に。家にいる時間が長い今だからこそ、こうした場は大切だ(写真提供/未来コンビニ)

買い物ついでにおしゃべり。誰もが足を運ぶ場なら自然と交流の場に。家にいる時間が長い今だからこそ、こうした場は大切だ(写真提供/未来コンビニ)

●取材協力
未来コンビニ
Instagram 
Facebook 
KITO DESIGN HOLDINGS株式会社 

「親以外から生き方学べる場所を」。稲村ヶ崎を地域で子育てするまちに

江ノ島電鉄の「稲村ヶ崎駅」目の前にある「IMAICHI」(神奈川県鎌倉市)は、60年近く続いた駅前のスーパーマーケット跡地に2019年にできたコミュニティスペースだ。憧れの移住地としても注目される鎌倉市だが、少子高齢化問題や商店街の衰退などの難しさを抱える地域もある。地元の老舗幼稚園の次期園長である河井めぐみさんと、夫で造園業を営む亜一郎さんは、「子どもを守ってくれる地域づくりをしたい」と、異業種の世界に飛び込んだ。
地元のスーパーが、生き残りではなく生まれ変わりを選んだ

鎌倉駅から江ノ電で11分の場所にある稲村ヶ崎は、緑に囲まれた海辺の閑静な住宅地だ。サザンオールスターズの桑田佳祐さんが監督した映画『稲村ジェーン』の舞台となった場所としても知られる。人口3000人ほどが住んでおり、数世代前からこの地で生活を続けている人も多い。

「スーパー今市」は、そんな地域で60年間商いをしてきた。戦前・戦後は魚商だったが、地域のニーズに合わせて生鮮食料品から生活雑貨まで幅広い商品を扱うようになり今に至る。しかし、近所に大きなチェーンスーパーができたり、ネットショッピングが台頭する中で、小売業の競争はますます厳しくなり、2018年に注文を受けた分だけ仕入れて販売するという「御用聞き」の仕事に専念することに。19代目となる現在の店主の今子博之さんは、駅前の店舗を閉め、事業規模を縮小することに決めた。

まさに、稲村ヶ崎駅の目の前(写真提供/IMAICHI)

まさに、稲村ヶ崎駅の目の前(写真提供/IMAICHI)

「スーパーという形でなくてもいいから、誰か店舗を引き継いでくれる人はいないだろうか」

今市さんが相談した相手が、この街で長年幼稚園を営んでいる聖路加幼稚園の次期園長である河井めぐみさんだった。今市さんのお子さんとめぐみさんの弟さんが幼稚園の同級生だったことから、同じ地域に長年住む者として、家族ぐるみの付き合いをしていた。

思い当たる人たちに声を掛けてみたものの、地域の人以外は集まりにくいこの場所を借り受けたいという人はなかなか現れなかった。そんな時、めぐみさんの夫・亜一郎さんの「それなら自分たちで何かやってみようじゃないか」というひと言で、この空間を引き継ぐことに決めたという。

河井さん夫妻は、めぐみさんの故郷である稲村ヶ崎で2人のお子さんの子育て真っ最中(写真提供/河井めぐみさん)

河井さん夫妻は、めぐみさんの故郷である稲村ヶ崎で2人のお子さんの子育て真っ最中(写真提供/河井めぐみさん)

多目的なスペースだから地域の実情やニーズが見えてくる

河井さん夫妻は、改めて「スーパー今市」の存在意義を考えたとき、“日用品の買い物をする場所”という以上に、地域の中での存在感の大きさに気づいたという。駅前の店ゆえに、駅を利用する際に買い物ついでに立ち寄って、接客のため店頭に出ている奥さんと長々とお喋りしている人や、海側にしかないコンビニの代わりに、駅前立地の便利さから、食料品から生活雑貨を買っていく若者までが訪れた。

「店番しているおばあちゃん(現店主のお母さん)の顔を見て、外出先から稲村に帰ってきたと感じていた」とめぐみさんは話す。

こうしたことから、利用客を制限しがちな専門的なお稽古ごとの教室やお店にせず、誰でも立ち寄りやすい場所という「スーパー今市」の存在意義を引き継げる、誰でも利用可能な環境にしたいと、多目的に活用できる「コミュニティスペース」にたどり着いた。利用目的の制限をしないことで、幼稚園との連携や、そこで学んできたことを相互に活かせるのではないかと考えたという。

例えば、「ねいばぁず」というプログラムもその一つ。もともとは、地域のお母さんたちが稲村ヶ崎自治会館で、鎌倉市から補助を受けて運営していたプログラムを、IMAICHIで開催することになった。プログラムの内容は、野菜ハンコ制作やクリスマスリースづくりなど。

参加対象を、親子連れに限らず「近隣の住民」なら誰でもOKとすることで、地元のシニアたちへも参加を呼びかけているという。地域の交流の場所になるように、という思いでつくられたこの場所だからこそ、多くの人に参加を促すことができる。また月2回開かれている古典ヨガ教室には、年齢も性別もさまざまな人が参加しているという。

月に2回、月曜に開かれている古典ヨガ教室の様子(写真提供/IMAICHI)

月に2回、月曜に開かれている古典ヨガ教室の様子(写真提供/IMAICHI)

また、稲村ヶ崎町内には遊具のある公園がないうえ、スポーツ系のお稽古先も選択肢が少ない。こうした背景から“身体を動かせる場所”をつくりたいと考えた河井さん夫妻は、店内にボルダリングウォールを設置した。設置費用にかかった300万円の一部は、クラウドファンディングを利用した。

ボルダリングウォールは子どもから大人までゲーム感覚で挑戦できる(写真提供/IMAICHI)

ボルダリングウォールは子どもから大人までゲーム感覚で挑戦できる(写真提供/IMAICHI)

とはいえ、まだまだ完成形ではない。多目的スペースだからこそ、地域のニーズが見えてくると考えている。そのなかで、少しずつ形を変え、より地域に寄り添えるようになればいい。「私自身、この地域で幼稚園をやっていく上でもこのIMAICHIを通じて地域の実情やニーズなどを知ることができることは役立っています。IMAICHIでの知見を生かして、地域の幼稚園として子育て環境を充実させていきたいですね」とめぐみさんは話す。

まちの人のニーズを受けて、体験学習教室を開催

IMAICHIを通じて、幼稚園という垣根を越えて地域と交流するようになっためぐみさんが始めた活動の一つに、「体験学習教室」がある。昨年9月に開始したこの活動は、地域の幼稚園児や小学生の「学童保育」に当たる活動で、年齢の違う子どもたちが一緒になり、先生と一緒に町に出てさまざまな体験をする。例えば、地域の商店を訪れ、店主などに話を聞いた情報をもとに子どもたちと一緒に稲村ヶ崎の地図やガチャガチャゲームづくりをするといった活動だ。

(写真提供/IMAICHI)

(写真提供/IMAICHI)

(写真提供/IMAICHI)

(写真提供/IMAICHI)

「今の子どもたちは、親以外の大人に何かを教えてもらうという経験値が乏しい子が多い。仕事などで忙しい親たちの代わりに、愛情を注いでくれる大人は地域にもたくさんいることを感じて欲しい」とめぐみさん。また、子どもとの遊び方が分からないと話す親が増えるなか、こうした体験学習を通じて、大人が子どものやりたいという気持ちを汲み取ることができれば、自宅でも子どもたちがリードする形で、親子の活動にも広がりができるに違いない。

子どもたちと海に行き、磯遊びをすることも体験教室の一環(写真提供/IMAICHI)

子どもたちと海に行き、磯遊びをすることも体験教室の一環(写真提供/IMAICHI)

この活動を通じて町内を出歩くようになったことで、「これまで直接話しをしたことがなかった大人である町の商店の人たちにも、子どもたちが積極的に話しかけるようになった」と話すめぐみさん。

「子どもたちの“やりたい!”をとにかく手助けすることが私の役目。先日は、稲村ヶ崎の情報番組をつくりたいと意気込み、iPad片手に商店街に飛び出して行く小学生を見守りました。私はこの教室を通じて、むしろ子どもたちから学ぶことも多い。大人としては一人の子どもの失敗に対して思わず責めてしまいそうになるシーンでも、子どもたちは誰も責めず、笑ってのける。そんな関係を、IMAICHIを通じて地域の中で築けていきたいですね」と続ける。

地域のハブとしてできること

町の商店が徐々になくなっていく中で、地域住民同士の交流も次第にか細くなっていく傾向は否めない。そんななか「IMAICHI」を通じて子どもが地域の大人と交わる機会をつくろうと奮闘している。こうした活動が広まれば、この地域がより「住みやすいエリア」になっていくだろうと河井さん夫妻は話す。

「夜に電車で帰宅して、稲村ヶ崎に降り立ったら、駅前のIMAICHIにこうこうと電気がついていてホッとした」と立ち寄ってくれた住民がいる、と話すめぐみさん。経営は楽ではないが、この場所からはまだ多くの何かもっとできることがあるように感じているそうだ。

 店内からは、到着する江ノ電が見える(写真提供/IMAICHI)

店内からは、到着する江ノ電が見える(写真提供/IMAICHI)

昨年11月には、地域住民からのリクエストもあり、コーワーキングスペースとしてデスクの設置やWi-Fiを完備させたという。子どもと一緒にリモートワークのために訪れた人は、「子どもも自分も充実した時間が過ごせた」と喜んでいたとのこと。こうしたサービスの導入で、「今後は町を訪れる観光客やリモートワークの滞在者などにも利用してもらいたい」とめぐみさん。過疎化や高齢化が進む稲村ヶ崎の住民として、この地を気に入り、移り住みたいと思う人がもっと増えてほしいという思いもあるという。

こうしたIMAICHIの現在の様子を、スーパー今市の店主だった今子さんは「駅前の立地で子どもが出入りする場所になるのは、地域にとってとても良いことだと思う。安心できる場所、頼れる場所にしてもらえてうれしい」と話す。

「地域が見守ることで、子どもたちが安心して暮らせる街になれば」と河井さん夫妻は思いを馳せる。商店街や地元のお店が元気を失うなかで、IMAICHIという場所が、地域上の役割はそのままに、時代にあわせた新しい価値を与えらえたことで、今後稲村ヶ崎の活気を生む原動力になっていけることを願う。

●取材協力
IMAICHI

保育園の中に総菜屋さん!? 商店街みんなで子育て「そらのまちほいくえん」

新生活が始まる人も多い春。なかでも、産休や育休が明け、職場復帰を控えた園児の保護者は、期待と不安で胸がいっぱいなのではないだろうか。今回は、鹿児島県鹿児島市の繁華街・天文館の商店街にある、総菜店を併設した保育園「そらのまちほいくえん」の取り組みを紹介。「あったらいいな」を実現した保育園の副園長・柳元正広さんにお話を聞いた。
変化の時代を生き抜くために。根本の力を身につける保育園

総菜店が併設されたユニークな企業主導型保育園「そらのまちほいくえん」。どのような背景で立ち上げられたのだろうか。

「そらのまちほいくえん」の外観。向かって左側が総菜店、右側が保育園の入り口で、真ん中は身長計(写真提供/そらのまちほいくえん)

「そらのまちほいくえん」の外観。向かって左側が総菜店、右側が保育園の入り口で、真ん中は身長計(写真提供/そらのまちほいくえん)

「『そらのまちほいくえん』は、今年3年目を迎えた保育園です。僕たちはその前に、霧島市で『ひより保育園』という保育園を立ち上げました。ここは郊外の自然豊かな地にあり、広い園庭でのびのびと園児たちが遊べる保育園です。食育などの取り組みでも注目され、首都圏からも視察に来る人がいました」

「ひより保育園」はいわゆる“のびのび系”の園。給食には地域の農家の野菜を使い、おやつも手づくり。広い園庭があるほか、高齢者施設も隣接しており、幼少期に親以外の多くの大人と関わることができる。園児は包丁を握って料理し、お客さんをもてなすこともある。

「視察をした人たちからは度々、『理想的だけれど、この場所だからできることだよね』という声が聞こえてきました。でも僕たちは、『この場所じゃなくてもその土地ならではのやりかたで人が育つ園がつくれるはずだ』と思っていました。だから都市部に『そらのまちほいくえん』をつくることは、自分たちにとってもチャレンジだったのです」

(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

両保育園は、「保育業界の外にいた人が同じ考えに共鳴し合い、集まってつくった」という園だ。柳元さん自身も以前は関西で小売業をしていて、そらのまちほいくえんの立ち上げで鹿児島にUターンしてきた。

「仲間には、ビジネスの世界で活躍していた人もいれば、新卒者向けのコンサルタントをしていた人もいます。今は変化が求められている時代。生きにくさや閉塞感を感じる人が多く存在します。コンサルタントをしていた仲間は、『働くことの意味が分からない』という若者の声を耳にしました。現代社会が抱える問題を、自分たちでどう変えていくかを考えたときに、会社の前に大学があり、高校、中学校、小学校、そして幼児期がある。0歳から5歳までの時期に、人としてしっかり生きる力を身につけるという、根本が大事なんじゃないかという思いがあって、これに対する一つの方法が、保育園をつくるというものでした」

商店街にある「天文館まちの駅 ゆめりあ」前をお散歩で通過。産地直送の野菜や花が並ぶ(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街にある「天文館まちの駅 ゆめりあ」前をお散歩で通過。産地直送の野菜や花が並ぶ(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育園の立ち上げで、人と街へ2つの問題解決

天文館という都市部の商店街に保育園をつくるにあたり、柳元さんたちは、大きく2つの目標を定めた。
「1つは、都市部でも郊外と同じように、現代の子どもたちがこれからの社会を生き抜いていく力を育むこと。もう1つは、今寂しい状況にある地方都市の商店街に、にぎわいを呼び戻すということです。保育園が起点となった街づくりができないかと考えました」

柳元さんたちは、「幼少期に、親以外の大人とどれほど多く、どれほど深く関われたかということは、その子の人生に大きな影響を与える。地域の人たちと日常的に交流することで、より充実した園生活を送ることができる」と考えている。

そんなそらのまちほいくえんの特色の一つが、総菜店が併設されているという点だ。

仕事帰りに保育園へ子どもを迎えに行き、それから夕飯の準備のために、空腹の子どもを連れてスーパーへ行くのは、日々のことながら辛い。

「僕も小学生と年長児の父親ですし、子育て中のスタッフも多いです。これまで、保育園へ迎えに行った帰り、その場でお総菜が買えたら便利だなと考えることがよくありました。時間がなく疲れているからといって、毎回スーパーやコンビニでお弁当を買うのは子どもに対して罪悪感がありました。保育園の食事と同じように、地元農家さんが育てた旬の野菜を使って、丁寧に調理したおかずやお弁当が買えたら安心なのではと考えました」

見て触れて「食べることを楽しむ」ため、小さな子も離乳食から陶器の食器を使っている(写真提供/そらのまちほいくえん)

見て触れて「食べることを楽しむ」ため、小さな子も離乳食から陶器の食器を使っている(写真提供/そらのまちほいくえん)

誰もが「罪悪感なく」買って帰ることができるお総菜を

3階建てのビルの1階から3階に入居している「そらのまちほいくえん」は、1階に入り口が2つあり、向かって右側が保育園、左側が「そらのまち総菜店」になっている。

ショーケースに並ぶのは、園の給食で出しているおかずもあれば、店頭オリジナルの総菜もある。近郊の農家による旬の野菜を豊富に使い、季節を感じられるラインアップだ。「見た目も楽しくなるように」と調理法もアイデアを凝らしているという。園児の親子にとっては、「これおいしいよ」という共通の話題もできるし、入園前の幼児を持つ近隣の保護者にとっては、園の給食の試食感覚で購入することもできる。

保育園の1階スペースに、総菜のショーケースと地元野菜の販売コーナーがある(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育園の1階スペースに、総菜のショーケースと地元野菜の販売コーナーがある(写真提供/そらのまちほいくえん)

総菜は「春巻き」や「菜の花の入ったオムレツ」など、300円~600円の価格帯が常時12種類ほど。ほかに、650円~850円の価格帯のお弁当を4~5種類そろえている。園児に人気のメニューを聞いてみると、「今なら季節野菜の白和えですね」とのことだ。

「コロナ禍の影響もあって、お弁当を買う人は増えています。お昼は商店街にあるお店で店番をしている人が買いに来られることが多いです。『同じ釜の飯を食う』と言いますが、街の人と園児が同じものを食べているということには意味があると思います。また、園児の保護者の中にも、日常的にリピートしてくださる方がいて、やはり『園の帰りに子どもを別の場所に連れていかなくていいのが助かる』と喜ばれますね」という。保育士やスタッフも子育て世代なので、仕事が終わると総菜や野菜を購入して帰っていくそうだ。

「鹿児島の郷土料理である『がね』も好評です。これはサツマイモやニンジンなどのパリッとしたかき揚げで、昔はどの家でもつくられていた家庭料理ですが、今はつくる人が減っているようです」と柳元さん。
若い世代へ、地元に伝わる味や旬の豊かさを伝える役割も果たしている。

彩りも鮮やかなお弁当。姉妹園のひより保育園の食育から生まれたレシピ本も出版している(写真提供/そらのまちほいくえん)

彩りも鮮やかなお弁当。姉妹園のひより保育園の食育から生まれたレシピ本も出版している(写真提供/そらのまちほいくえん)

家族や地域の人も園児と同じおかずがたべられることで、地元に伝わる味や旬を知り、一体感が育まれる(写真提供/そらのまちほいくえん)

家族や地域の人も園児と同じおかずがたべられることで、地元に伝わる味や旬を知り、一体感が育まれる(写真提供/そらのまちほいくえん)

子育て世帯が行き来し、寂れかけた商店街に変化が

天文館商店街はどう変わったのだろうか。
「そらのまちほくえんは、元は本屋だった空きビルを使っていますが、柳元さんたちがこの場所に保育園をつくることを検討しはじめたころは、ここの前の通りは人通りがありませんでした。路面に10以上の空き店舗があって目立つような、寂しい通りだったんです。でもそこに、約50人の園児がいる保育園が入ることにより、朝夕、50組の子育て世帯が通ることになります。0から、少なくとも50×2往復の人通りが生まれたわけです。すると、そこをターゲットにしたお店もできてきます。今はほとんどのテナントが埋まっている状態になりました」

「周辺のお店の方から『人通りが増えて街に活気が出てきた』と喜ばれたり、『飲み屋が多く夜のイメージが強かったが、保育園ができてからは明るい昼のイメージに変わった』と言われたりすることも。地域の方に、『街が子どもを育てるとよく言うが、ここは子どもが街を育てているね』と言われたのはうれしかったですね」

商店街での買い物の様子(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街での買い物の様子(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

(写真提供/そらのまちほいくえん)

クッキングの食材を園児が「くださいな」(写真提供/そらのまちほいくえん)

クッキングの食材を園児が「くださいな」(写真提供/そらのまちほいくえん)

街なかの保育園だから分かる「持たないことの豊かさ」

「豊かさってなんだろう」。保育園をつくるにあたり、柳元さんたちスタッフは改めて考えたという。

「郊外型の保育園であれば、自然の豊かさを感じることができる。でもそれだけじゃなくて、街には街の豊かさがあるはずです。さまざまな世代や立場の人と日常的に関わり、交流できることが、街の保育園で得られる豊かさなんじゃないかと考えました」

八百屋に花屋、団子屋、美容室……。園児たちが商店街を散歩すると、いろいろな店の人たちとのふれ合いが生まれる。かわいらしい園児たちの姿を見に、店先へ出てくる人も多い。

3年目を迎え、0歳で入園した子も3歳に。「みなさん、子どもたちに『大きくなったね。もう歩けるの?』などと声を掛けてくれます。核家族が増えた時代に、家族や同年代の子だけに関わるのと、日常的に商店街のいろんな世代の人たちと話すのとでは、関わる人の幅が全く違います」

食育の一環で子どもたちが料理をするために、子どもたち自身が保育士と買い物へ行き、店の人と話して、使用する野菜を選んで買うこともある。

「選んだジャガイモをマッシュポテトにするかコロッケにするかなど、どうやって食べるかも子どもたちが決めます」と柳元さん。ちなみに、こちらの園児たちは包丁で根菜を切り、火や油を使って玉子焼きを巻き、唐揚げも揚げる(!)。園児は年齢を問わず参加し、手掴みができる子なら、1歳前後からプチトマトを洗ったり、しめじをほぐしたりして役割をこなす。

練習してうまく巻けるようになった玉子焼き。食育スタッフが吟味した調味料を使う(写真提供/そらのまちほいくえん)

練習してうまく巻けるようになった玉子焼き。食育スタッフが吟味した調味料を使う(写真提供/そらのまちほいくえん)

商店街のビルの中にある「そらのまちほいくえん」には園庭がない。
「街なかでは子どもが遊ぶところがないのでは?と言われることがあります。でも、近くには公園がいくつもあるので、『今日は芝生がきれいな公園に行こうか、それともジャングルジムで遊べる公園にしようか』と、子どもたちが話し合って行き先を決めます」

1番大事なのは、子どもたちが生きていく力を身につけることだと柳元さんは強調する。
「子どもたち自身が『今日は走りたいから広い公園に行こう』などと自分で考えて、自分で行動することができています。園庭を持たないからこそ、目的に合わせて行き先を選ぶことができる。持たないことの豊かさもあるんじゃないでしょうか」

子どもたちは、近くにある水族館まで歩いて、イルカのトレーニングの様子を見るのも大好きだという。
「これらも、街なかにある保育園の特権ですね。郊外型保育園ではなくても、子どもたちが色々な経験をすることはできます」と柳元さん。

保育スタッフのほかに食育スタッフがクッキングに立ち会う(写真提供/そらのまちほいくえん)

保育スタッフのほかに食育スタッフがクッキングに立ち会う(写真提供/そらのまちほいくえん)

地域交流が防犯や防災の役割も担う

商店街での交流が、地域の防犯や防災の面でも機能していると感じるという。
「子どもたちは商店街のみなさんと顔なじみなので、連れ去りなどの犯罪も未然に防ぐことができると思います。その子の様子が何か違うということは、街の人が普段の様子を知っているからこそ分かるものですから。
以前、火災報知器が誤作動で鳴ってしまったことがあるのですが、近所の人たちがタオルを持って駆けつけてくれました。体格のいいお兄さんが、子どもたちを抱っこしてすぐに避難させてくれて……。何事もなくホッとしましたが、あの時は、街の皆さんに守られているなと感じました」

園でも、地域の備蓄品として常温で長期保存できる焼き芋をストックしているほか、非常時に給食室で炊き出しができるようにと考えている。

「たくさんの方にお力を借りているので、私たちも地域に貢献したいと思っています」

「食べ物を大切にする」「毎月、街のゴミ拾いをする」など普段の活動が評価され、2019年12月に第3回ジャパンSDGsアワード特別賞を受賞(写真提供/そらのまちほいくえん)

「食べ物を大切にする」「毎月、街のゴミ拾いをする」など普段の活動が評価され、2019年12月に第3回ジャパンSDGsアワード特別賞を受賞(写真提供/そらのまちほいくえん)

今後は、保育園と関わる人や店舗に地域全体で子どもが育つ場をつくっていることが可視化できるステッカーなどのツールを配布し、街との関わりを見える化することで、より関係性を深めていきたいという。

また、いずれは系列の小学校や中学校の設立も視野に入れているそう。「そらのまちほいくえん」と同じように、軸はもちろん、子どもが生きる力を育むことだ。

「学校設立となるとハードルはグッと上がりますが、注目していただいている以上、応えていきたい。さまざまな方の知恵やお力を借りながら、実現に向けて動いていきたいですね」というから楽しみだ。

保育園へ迎えに行き、給食と同じお総菜を買って帰ることができるなんて理想的!
筆者も保育園児の母を経験した。仕事帰りの疲れた体で迎えに行くと、我が子の園では「今日の給食」が展示されていて、「お昼においしそうな魚の竜田揚げを食べたなら、夕飯は簡単でも大丈夫」などと思ったもの……。
バタバタな日々の中、子どもの1日のうちの1食を保育園が担ってくれることで、どれだけ気持ちが救われたことか。総菜店がある「そらのまちほいくえん」なら、さらに親子で夕飯を素早く囲める幸せも付いてくる。

保育園に総菜店を併設する。小さくも思える日々の問題を解決することが、街を変えるほどの大きなパワーに繋がっていた。

●取材協力
・そらのまちほいくえん

スーパーマーケットの軒先をまちに開く!“ご近所さん”とつながる地域改革

食料品や日用品をそろえるスーパーマーケットは、老若男女問わず人が行き交い、実は公共施設以上に公共的な存在です。そんなスーパーマーケットの軒先に「誰もが自然と居られるコミュニティスペース」をつくる取り組みが千葉県千葉市のスーパーマーケット、マックスバリュおゆみ野店ではじまりました。誕生までのエピソードと変わりはじめたスーパーマーケットと地域との関係について聞いてきました。
スーパーマーケットの広い軒先を人が居られる場に再生

「大型商業施設」「スーパーマーケット」の軒先と聞いて、思い浮かべるのは、店舗の外壁と使い終わった買い物カート置き場、自転車置き場のような空間ではないでしょうか。お世辞にもおしゃれとは言い難い空間ですし、滞在する、ましてやくつろぐ場所だとは思えない人がほとんどでしょう。

そんなスーパーマーケットの軒先空間にヒューマンスケールのパーゴラ(棚)を建て、その中にベンチやテーブル、カウンターや屋台、黒板や水場なども配置した「Cafe&Dine(カフェダイン)」というスペースが誕生しました。屋台ではコーヒーが販売されていますが、買い物に来た人も、通りがかった人も、誰もが自由にくつろげる場所です。

改装前(左)と改装後(右)。通りがかる人々が、フラッと腰をかけていき、スーパーマーケットの軒先にはいつも人の気配があります。以前の姿はもう想像できません(写真提供/グランドレベル)

改装前(左)と改装後(右)。通りがかる人々が、フラッと腰をかけていき、スーパーマーケットの軒先にはいつも人の気配があります。以前の姿はもう想像できません(写真提供/グランドレベル)

軒先からのアングル。ガランとしていた空間が、誰もが気軽に立ち寄りたくなる場所に(写真提供/グランドレベル)

軒先からのアングル。ガランとしていた空間が、誰もが気軽に立ち寄りたくなる場所に(写真提供/グランドレベル)

軒下の中央に新たに設置した黒板。子どもたちが落書きをしはじめると、スタッフとの会話が自然とはじまります(写真提供/マックスバリュ関東)

軒下の中央に新たに設置した黒板。子どもたちが落書きをしはじめると、スタッフとの会話が自然とはじまります(写真提供/マックスバリュ関東)

コーヒーを移動式の屋台で販売しています。黒板をしつらえた屋台の側面にも子どもたちが集まります(写真提供/マックスバリュ関東)

コーヒーを移動式の屋台で販売しています。黒板をしつらえた屋台の側面にも子どもたちが集まります(写真提供/マックスバリュ関東)

ビフォー・アフターの写真を見ただけでも、「これがスーパーマーケットの軒先……?」と驚くことでしょう。コーヒーもサービス価格で、利益を生み出す場所とは言いにくそうですが、なぜこのような場をつくることになったのでしょうか。このプロジェクトの責任者・マックスバリュ関東株式会社の黒田覚さんと、企画・デザイン監修を行った株式会社グランドレベル代表の田中元子さんに話を聞いてみました。

スーパーマーケットを買い物だけでなく、人々にとって価値ある場所に

「今までのスーパーマーケットのイートインスペースは、店舗運営の内側からの発想でつくられてきたものでしたが、それでも優先順位が高いものではありませんでした。今回、店舗を大きく改装するにあたり、弊社ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス(以下、U.S.M.H)は、『1階づくりはまちづくり』をモットーに人々のためのさまざまな居場所を手がける会社・グランドレベルの田中元子さんにアドバイスをいただくなかで、軒先に買い物目的の人だけではなく、まちに暮らす誰もが気軽に訪ねたくなる場所をつくるべきだという提案をいただきました。それがすべてのはじまりでした」と黒田さんが舞台裏を明かしてくれます。

近年、スーパーマーケットは価格競争が激化し、そのブランド、あるいは店舗ならではの魅力、価値が厳しく問われているようになってきているといいます。その新しい価値のひとつとして、地域に暮らす人々にとって、スーパーマーケットをもっと愛される、豊かな場所にできないか、その答えが、ただのイートインスペースではない、人々が自由に思い思いに過ごせる場所(コミュニティスペース)だったというわけです。

小さな子どもから、お年寄りまで、まちに暮らす誰もがさまざまに利用しています。スーパーで買ったご飯を食べる人もいれば、コーヒーで一息つく人、ただ座って休んでいるだけの人も(写真提供/グランドレベル)

小さな子どもから、お年寄りまで、まちに暮らす誰もがさまざまに利用しています。スーパーで買ったご飯を食べる人もいれば、コーヒーで一息つく人、ただ座って休んでいるだけの人も(写真提供/グランドレベル)

広い軒先は、地域の人たちが自由に予約をして借りることもできます。この日は地元の人が教えるパンフラワー(粘土細工)教室が開催されていました(写真提供/マックスバリュ関東)

広い軒先は、地域の人たちが自由に予約をして借りることもできます。この日は地元の人が教えるパンフラワー(粘土細工)教室が開催されていました(写真提供/マックスバリュ関東)

犬用のフックも設置して、犬の散歩の人も温かく迎え入れてくれます。犬の散歩で通りがかる人も増えているそうです(写真提供/グランドレベル)

犬用のフックも設置して、犬の散歩の人も温かく迎え入れてくれます。犬の散歩で通りがかる人も増えているそうです(写真提供/グランドレベル)

改装後のオープンは2020年10月16日でしたが、すぐに自然と人々が利用しはじめ、狙い通り、軒先でくつろぐ姿が増えていったといいます。これは奈良県生駒市の「ごみ捨て」を切り口に地域のコミュニティを活性化させる「こみすて」(設計アドバイス:グランドレベル)でも感じたことですが、それまで殺風景だった場所もきちんとデザインの手が加えられれば、人が自然と集まりやすい場所を再生できる。そして、興味深いのは、そこにアクセスし、関わる人たちは、はじめは戸惑っていても、その表情はどんどん柔らかくなっていくということです。

スタッフが変わり、お店とお客さんとの関係も変わっていく

「カフェダインの運営には、店舗のサービスカウンターで働いていた人たちに担当してもらうことになりました。周辺で暮らしている主婦が多く、学校や町会など地域の事情にも精通しているスタッフです。ただ、今までのマニュアルがあるサービスとはまったく異なりました。グランドレベルさんが提唱する『自由なくつろぎを提供する』といわれてもイメージがわかなかったようで、最初は戸惑いや不安もありました。その後、グランドレベルさんが運営する喫茶ランドリーに研修へうかがうことになりました」と黒田さん。

大手スーパーに限らず、多くのサービス業にはマニュアルがあり、それを憶えて実行することが良しとされてきました。しかし、「カフェダイン」が目指した市民の誰もが自由にくつろぐ場所は、それまでのような画一的なオペレーションではつくり出すことができません。

カフェダインを通じてスタッフのマインドにも変化が(写真提供/マックスバリュ関東)

カフェダインを通じてスタッフのマインドにも変化が(写真提供/マックスバリュ関東)

「自然と知らない人同士が出会ったり、コミュニケーションを取りはじめる場を運営していくには、空間などのハードのデザイン、何をする場所か、何が許される場所かというソフトのデザインと同じくらい、どのように人と接するかというコミュニケーションのデザインが大切になります。そこを学んでいただくために、私たちはプロジェクトに関わる人には必ず、『喫茶ランドリー』でのスタッフとしての研修をお願いしています。喫茶ランドリーは、奥に洗濯機やミシンを備えた「まちの家事室」を備えたまちの喫茶店です。スタッフは、店員とお客さんという関係ではなく、“○○さん”という一人の人間として立ち、誰にも人間らしく自分らしく接しています。そうすることで、誰もが自由に過ごせる空気を生み出せます。オープンから数週間後、マックスバリュおゆみ野店を訪れると、黒田さんもサービスカウンターの皆さんも、確実に変わりはじめていることが分かりました。お客さんからのアイデアを柔軟に受け入れながら、また自分たちのアイデアも次々と実現させていて、想像以上に手ごたえを感じました」とグランドレベル田中さん。

黒田覚さん自身も、大きな変化や手ごたえを感じていました。
「先日、カフェダインに小さなお子さんを連れたお父さんがいらっしゃったんです。お子さんは店内を走り回っていたのですが、スタッフが声をかけて絵本の読み聞かせをしたところ、自然と立ち止まって、目を輝かせて聞いてくれて……。今までだったら『注意』して終わっていたと思います。それを、あえて本を読むという行動に変えただけで、私たちとお客さんとの関係が変わり、それが小さな出会いと思い出になりました。こういうことが積み重なっていけば、地域の中におけるスーパーマーケットの存在価値は、変わっていくなと思いました」と感慨深い様子です。

アフターコロナを見据えたスーパーマーケットが果たす新たな役割

リニューアルオープンが、コロナ禍の2020年10月となりましたが、感染予防対策をしながらも、クリスマスや年越し、節分やバレンタインなど、さまざまなイベントが開催されていったそう。すべてスタッフの発案によるものだったそうです。

コロナ禍で、さまざまな制限があるなかでも、常に自分たちでその距離感を考えながら、さまざまなイベントを開催しています(写真提供/マックスバリュ関東)

コロナ禍で、さまざまな制限があるなかでも、常に自分たちでその距離感を考えながら、さまざまなイベントを開催しています(写真提供/マックスバリュ関東)

スタッフやお客さんたちの好きなモノの写真であふれていた室内側の掲示板は、お正月には一新し、お客さんたちが書いた『私の一文字』でいっぱいに。この多様さが、また人を引きつけていったといいます(写真提供/マックスバリュ関東)

スタッフやお客さんたちの好きなモノの写真であふれていた室内側の掲示板は、お正月には一新し、お客さんたちが書いた『私の一文字』でいっぱいに。この多様さが、また人を引きつけていったといいます(写真提供/マックスバリュ関東)

「カフェダインの半分は、半屋外の軒先にあるので、コロナ禍においては密室が避けられるので良いというお声もいただいています。公民館などの施設が閉まっていることが多いので、カフェダインの場所を借りたいというお声も多くいただいています。実際、フラワーアレンジメント教室や英会話教室など、さまざまにご利用いただくことも増えてきました」と黒田さん。

一方、新型コロナウイルスの流行によって在宅勤務が増えたことで、「自宅以外の、『気楽にいられる場所への需要』が高まっている」と田中さんは別の側面も指摘します。

「特に働き盛りの世代や独身の世帯は、自宅以外に地域の居場所を持っていない人が少なくありません。こうやってスーパーの軒先が、買い物目的でなくても立ち寄れる、まちに暮らす多様な人が居られる場所になれれば、孤独な人でも、何かの拍子に知らない人と顔見知りになったり、話しかけられる状況も生まれやすくなったりします。スーパーマーケットは公共的な存在だからこそ、そうやって小さなコミュニティを生み出せる場所になるべきだと思います」」と田中さん。

実際のところ、カフェダインのスタッフとお客さんとの間には、これまでにない新しい関係が生まれていて、「アレ、今日は●●さんは?」という会話もよく交わされているそう。新型コロナウイルスの流行で失われた、「約束もなく自然と人と会って、何気ないことを会話する」を埋める場所として、また、これからのスーパーマーケットのあり方として、カフェダインは大きな存在価値を発揮するに違いありません。

●取材協力
株式会社グランドレベル
ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス株式会社
マックスバリュ関東株式会社

西千葉ではDIYが日常?「工作室」を図書館のように街中に

総武線西千葉駅から徒歩10分、一戸建て中心の住宅街のこぢんまりとした3階建てビル1階にある「西千葉工作室」。ここは、ものづくりのためのスペースと道具をシェアする場所で、西千葉を拠点に地域活性を行う企業が6年前から運営しているもの。 “ものづくり×地域活性”について、店長の高橋鈴佳さんにお話を伺った。
モノづくりの必要な場所と道具をシェアする「まちの工作室」

西千葉工作室のコンセプトは、「生活に根ざすものづくり」にチャレンジする、まちの工作室。例えば、「壊れてしまったから直そう」「今あるものを自分好みにつくりかえてみよう」「こんなものがほしいからつくろう」という生活に根差したニーズに合わせて、スペースを提供、工具類の貸し出しもしている。必要とあらば、専門知識のあるスタッフのアドバイスを受けることもできる。

料金は2時間までは500円(大人会員)、1カ月フリーパスは5000円だ。レーザー加工機、3Dプリンターなどの専門機材も10分単位で利用可能(有料)(写真提供/西千葉工作室)

料金は2時間までは500円(大人会員)、1カ月フリーパスは5000円だ。レーザー加工機、3Dプリンターなどの専門機材も10分単位で利用可能(有料)(写真提供/西千葉工作室)

基本的にはスペースを貸し出し、各自個人で作業をするが、ワークショップなどのイベントも行う。夏には子どもの自由研究向けの相談室を開催、2・3月には入園グッズを作成するママたちの姿が多い。自分でデザインしたものを3Dプリンターを使って形にする人もいる。

イベント「家電をなおす会」でスタッフに聞きながらオイルヒーターを直すお客さん(写真提供/西千葉工作室)

イベント「家電をなおす会」でスタッフに聞きながらオイルヒーターを直すお客さん(写真提供/西千葉工作室)

外部の専門家を招いて、手持ちの服を持参しての藍染めイベントも(写真提供/西千葉工作室)

外部の専門家を招いて、手持ちの服を持参しての藍染めイベントも(写真提供/西千葉工作室)

ごはんをつくるようにものをつくり、直す。あたり前の人の営みに気づく場所に

しかし、ものづくりが最終目的ではない、と高橋さん。
「例えば、私たちスタッフが代行してものづくりや修理をすることはありません。いわゆる先生が生徒に教える教室でもありませんし、最終的にクリエイターを育成したいと思っているわけでもないんです」
そもそも、この西千葉工作室ができたのも、運営会社であるマイキーの”自分の暮らしを自分で創る”という企業理念の延長線上にあるもの。

(写真提供/西千葉工作室)

(写真提供/西千葉工作室)

「今は多くのモノが溢れているので、何か手に入れたいものがあると、ついつい“買う”という選択肢に偏りがちですが、場合によっては、『今あるものを“なおす”方が自分の暮らしにフィットするかもしれない』『値段も形も理想ぴったりのものがないものを妥協して買うのではなく、“つくる”ことで、より理想に近い暮らしが手に入るかもしれない』。そういう発想とスキルが得られる場を提供しようと思っています」

例えば、園準備のため子どもの名前判子を手づくりしたママ、木製のおもちゃをつくる親子、木材に加工して看板をつくった八百屋さんetc.この工作室がなかったら、自分でつくるではなく、“買う”を選択しただろう人達だ。「もちろんものづくりが趣味という方もいらっしゃいますが、ここではじめてつくってみたら、案外つくれるんだと気付いて、必要になったら足を運んでくださる方も多いんです」

結婚を機に近所に引越してきた20代のIさん夫妻は、工作室で相談しながら、自作のクローゼットを完成。その後、何度か足を運ぶように。「粉塵が出るやすりがけは工作室、塗装は家のベランダでなど、工作室と家での作業を使い分けて効率的に使っています」(Iさん)。

木材パネルとパイプを組み合わせてAさん夫妻がDIYしたクローゼット。「ほかにもトイレットペーパー収納もつくりました。今後は暮らしの中で必要な小物をつくってみたいと思っています」(Iさん)(写真提供/西千葉工作室)

木材パネルとパイプを組み合わせてAさん夫妻がDIYしたクローゼット。「ほかにもトイレットペーパー収納もつくりました。今後は暮らしの中で必要な小物をつくってみたいと思っています」(Iさん)(写真提供/西千葉工作室)

卓球の配球マシーン。中学校に入学して卓球部に入った男の子が、レギュラー選手になることを目指して、自宅で練習するためにつくった(写真提供/西千葉工作室)

卓球の配球マシーン。中学校に入学して卓球部に入った男の子が、レギュラー選手になることを目指して、自宅で練習するためにつくった(写真提供/西千葉工作室)

最初は試行錯誤。今は幅広い属性を持つスタッフと利用者に

ただ、最初からうまくいっていたとは言えなかったという高橋さん。2013年のオープン当初は、ちょうど若者向け、クリエイター向けのスペースのムーブメントが起きていて、同様の場所と思われていたという。

「店内にかけるBGMを誰もが違和感を持たないラジオにする、フラットな接客にする、内輪の感じを出さないなど、細かな軌道修正をしました。また、スタッフも幅広い世代に。すごくスキルのある60代のエンジニアの方、建築やデザインを専攻する大学生、パタンナーだった主婦の方、フリーランスのデザイナー、独学で洋裁を習得した会社員の方、家具デザインの専門知識がある土日だけの会社員の方など、さまざまな得意分野を持つスタッフがいます」

そうした軌道修正や、スタッフの充実度に伴い、今、利用者は小学生から90代までと幅広い。
「ちょっとだけ使う人も利用しやすいよう、機材は10分単位で100円、300円の価格設定に。たくさん使う人からすればコスパが悪いかもしれませんが、うちには少しだけ使う人が多いので、10分単位の価格設定がちょうどいいんです。置いてある機材も当初はデジタル系が中心でしたが、ミシンを増やすなどアナログなものも増えてきました」

ミシンが得意なスタッフに質問をすることもできる。マンツーマンでのアドバイスや専門知識がかなり必要なサポートは事前予約制(有料)(写真提供/西千葉工作室)

ミシンが得意なスタッフに質問をすることもできる。マンツーマンでのアドバイスや専門知識がかなり必要なサポートは事前予約制(有料)(写真提供/西千葉工作室)

地域活性=コミュニティではない。大切なのは一人ひとりの暮らしの豊かさ

では、ものづくりの拠点ができることで、どのように地域が活性化するのだろうか。
ココで地域とのつながりができ、コミュニティができるということだろうか、という質問に、高橋さんは「実はそれが目的ではないんです」と回答。
「もちろん、何度も通ううちに、顔見知りにはなりますが、内輪のコミュニティができることで、もしかしたら他の誰かを排除しているかもしれない。なるべく特定のコミュニティがベースにならないような場をつくりたいなと思っています。地域活性とひとことで言っても目的はさまざま。人が集まってにぎわいを生み出すのもひとつですが、もともと西千葉は郊外のベッドタウンで人は多い。私たちは、この工作室があることで、一人ひとりの暮らしを豊かに、楽しくなれば、その集合体である”街”も豊かに、楽しくなり、街のカルチャーが形づくられるはず。それが、私たちの目指す地域活性だと思っています」
 
例えば、主婦業の傍ら、趣味を活かして、地域のイベントに焼き菓子屋として不定期に出店していたKさん。せっかくなら、お店の看板をつくろうと、工作室で自作。その後、オリジナルのクッキー型、子どもの自由研究工作、オリジナルTシャツと、次々と自分で手掛けるように。

Kさんが手掛けたクッキー型は3Dプリンターで制作(写真提供/Kさん・西千葉工作室)

Kさんが手掛けたクッキー型は3Dプリンターで制作(写真提供/Kさん・西千葉工作室)

オリジナルの木の看板も、自分で手掛ければ、リーズナブルに(写真提供/Kさん)

オリジナルの木の看板も、自分で手掛ければ、リーズナブルに(写真提供/Kさん)

「こんなものがつくりたいと頭の中で想像だけして終わっていたものを自分の手で創作できるようになり、オリジナルを形にする楽しみが増えました。またつくるだけではなく、壊れてしまったものを直すこともできるので、諦めて捨ててしまっていたものを再生できることも、新しい発見です」(Kさん)

コミュニティが目的ではないとはいえ、この場でしかありえないつながりも生まれている。例えばお互い名前を知らなくても、利用者同士でちょっと教えあったりして、手を差し伸べたりしているそうだ。なかには素敵なエピソードも。
「プログラミングなどのデジタル知識が豊富な小学生の男の子がいまして。多分、彼は同い年の友達とでは、そうした部分を持て余しているんですよね。工作室でベテランのエンジニアのスタッフからサポートを受けたことで、彼の頭の中にあった点と点の知識が一気につながったようで、とても楽しそうでした。そこは、年齢差を超え、共通の言葉を持つ者同士のフラットな関係性が、とても素敵で……。なんだか胸が熱くなりました」

毎年、自分で電話をかけてきて自由研究の相談に来る男の子。共通の趣味を持ち、共通の言語があることで、年齢も性別など属性を超え、共感を得られる場であることも喜び(写真提供/西千葉工作室)

毎年、自分で電話をかけてきて自由研究の相談に来る男の子。共通の趣味を持ち、共通の言語があることで、年齢も性別など属性を超え、共感を得られる場であることも喜び(写真提供/西千葉工作室)

今後は比較的利用の少ない高校生向けにオンラインでの「進路相談会」をする企画も進行中だ。「ものづくりを仕事にする面白さを伝えたり、普段はなかなか出会えない、社会に生きる親や先生以外の等身大の大人と接点を持つきっかけの場になったらと考えています」

コロナ禍のため席数を減らしたため事前予約制にしたところ、新規の利用者が増えたそう。「ああ、決してここは不要不急の場ではなかったんだ、こうしたモノづくりの場所をみんな求めているんだなと実感しました」
例えば、図書館のように、誰もが自由に気軽に訪れることができ、知的好奇心を、想像力と創造力を、生きる術を手に入れる場所として、街の至るところにあるような存在に「工作室」がなったら素敵だ。――西千葉工作室がそのモデルケースになるかもしれない。

●取材協力
西千葉工作室

ごみ捨て場が憩いのサロンに! 奈良県生駒市「こみすて」が面白い

日々、何気なく行っている「ごみ捨て」を切り口として、地域のコミュニティを活性化させる「こみすて」という取り組みが奈良県生駒市の萩の台住宅地ではじまりました。どんな取り組みで、まちにどんな変化があったのでしょうか。中心となっている自治会や行政、企業に話を聞きました。
ごみ捨てしながらおしゃべり。子どもも大人も楽しめる場所に!

一戸建てやマンション、住まいの種別によっても異なりますが、日々、行う「ごみ捨て」。ご近所の人や同じマンションの人が自然と集まるため、すれ違えば軽く会釈をする、あいさつをするという人も多いことでしょう。このごみ捨ての「自然と人が集まる」特性を利用してはじまったのが、「こみすて」という取り組み。「こみすて」は、「ごみすて」と「コミュニティステーション」をかけて名付けられた愛称です。

「こみすて」をはじめた奈良県生駒市の萩の台住宅地自治会。加入している世帯は700世帯ほどで、大阪からのアクセスが良い郊外の住宅街です。ここでは、自治会館脇の入り口付近に資源ごみ回収ボックスを設置し、家から出る生ごみや廃油、小型家電、ベルマークやペットボトルキャップ、廃トナー、使用済み切手が持ち込めるようになっています。

ごみ捨てをきっかけにした地域活性化の取り組み。宮城県南三陸町でアミタが行った実証実験がベースになっている(写真提供/アミタ株式会社)

ごみ捨てをきっかけにした地域活性化の取り組み。宮城県南三陸町でアミタが行った実証実験がベースになっている(写真提供/アミタ株式会社)

この「こみすて」の最大の魅力は、この場に行けばコーヒーを飲みながらご近所の誰かに会えて話しができたり、思い思いに過ごせたりする点でしょう。特に現在は新型コロナウイルスの影響で、なかなか大勢の人が一度に集まることは難しくなっていますが、ここでは子どもから高齢者まで自然と会話が生まれ、少しずつ距離を縮めて、顔なじみになっていくといいます。

訪れた人にコーヒーがふるまわれることもある(写真提供/中垣由梨さん)

訪れた人にコーヒーがふるまわれることもある(写真提供/中垣由梨さん)

マルシェでは子どもたちが活躍する姿も(写真提供/アミタ株式会社)

マルシェでは子どもたちが活躍する姿も(写真提供/アミタ株式会社)

実証実験時はリユース市も常設されていた(写真提供/アミタ株式会社)

実証実験時はリユース市も常設されていた(写真提供/アミタ株式会社)

2019年12月に「日常の『ごみ出し』を活用した地域コミュニティ向上モデル事業(※)」の実証実験として始まったこの「こみすて」の運営を担っているのは、現在は自治会長の山下博史さん、佐藤郁代さん、大谷良子さん、木村文穂さんはじめ、地域住民のみなさん。最初に社会実験としての立ち上げに携わったのは、アミタ株式会社の社会デザインPJチーム(当時)、設計のアドバイスを行ったのが株式会社グランドレベルの大西正紀さんです。

アミタの、ごみ出しという誰もが日常的に必要な行為をきっかけに、誰もが参画・協働できる持続可能なコミュニティを形成したいという想い。ごみ捨てに来てコーヒーを飲めるなどさまざまな要素が集まる、生駒市の複合型コミュニティづくりを推し進めていきたいという想い。それらが重なり、実証実験を経て、2020年度からは、「複合型コミュニティづくり」という施策のひとつとして進めています。また、地域新電力会社であるいこま市民パワー株式会社がコミュニティサービスの一環で「こみすて」をはじめとする「複合型コミュニティづくり」支援をしています。

「何するの?」からスタート。すると思わぬ出会いが!

とはいえ、そもそも「ごみ捨て」で地域活性化といっても、今までの世の中にはない仕掛けです。仕掛ける側、地域の方々ともに戸惑いはなかったのでしょうか。

「実証実験開始前にアミタさんや行政から話を聞いたときには、『具体的に分からん、何するの?』と質問しましたね(笑)。ただ、環境問題解決や地域の活性化になるのであれば、これは正しいし、やったほうがいいだろうと。幸い、現在の自治会のメンバーは助けてくれる人も多く、まあなんとかなるだろうと始まりました」と自治会長の山下さんは振り返ります。何をするのか分からなかったのは、自治会の大谷さんも同じだったと述懐します。

「取り組みをなかなか十分に理解ができていなかった部分がありますね。特に、緑道に生ごみの資源化装置が運び込まれたときは驚きました。民家も近いので、物音や話し声、ニオイなど、周辺に迷惑がかからないよう気を使いました」と話します。

生ごみ資源化装置、通称「めたん君」。ここで生ごみはガスと液体肥料になる(写真提供/アミタ株式会社)

生ごみ資源化装置、通称「めたん君」。ここで生ごみはガスと液体肥料になる(写真提供/アミタ株式会社)

ただ、こうした「こみすて」の取り組みにいち早く反応した人がいました。萩の台住宅地で育ち、現在は働きながら子育てをしている真下藍さんです。

「2019年11月に、生駒市主催のイベントでグランドレベルの田中元子さんの講演を聞いていて、自分の好きなまちで自分の好きなことをやる“自家製公共(マイパブリック)”や、まちの目の高さの風景(グランドレベル)をいかにつくるか ということが気になっていたんです。そのあと、資源ごみステーションをつくるために、アミタさんとグランドレベルさんがこの街に視察に来られていた現場に、偶然出くわしたのです。『これは面白くなりそう。きっと思いもよらない景色が生まれるはず……!』と直感して、立ち上げのタイミングから、ここで生まれる風景を記録して共有したいと思いました」といいます。

真下さんの直感は当たり、住民の自主的なDIYでベンチができたり、今まで自治会活動とは関わりなかったような若い世代が積極的に関わるようになっていったとか。また、ロゴをつくったり、真下さんがSNS「こみすてノート」 で発信していくことで、生駒市内外にも取り組みが知られるように。このときは実証実験ということで、アミタのスタッフが常駐し、地域交流のイベントを計画し実行することも多かったとのこと。こうして地域に「こみすて」が徐々に浸透していったといいます。

「こみすて」に「子どもスタッフ」の登場! 地域に笑顔が生まれる

取り組みで大きかったのは子どもたちの存在です。
「アミタのスタッフさんに子どもたちがよくなついて集まるように」(大谷さん)といい、ついには“こみすて子どもスタッフ”として自主的に関わるように。

(写真提供/アミタ株式会社)

(写真提供/アミタ株式会社)

子どもスタッフの名刺。子どもたちの活躍がこみすての起爆剤に(写真提供/こみすてノート)

子どもスタッフの名刺。子どもたちの活躍がこみすての起爆剤に(写真提供/こみすてノート)

地域の子どもたちにペイントしてもらったこみすての壁画。ほかにも、DIYで作成したものが多数(写真提供/こみすてノート)

地域の子どもたちにペイントしてもらったこみすての壁画。ほかにも、DIYで作成したものが多数(写真提供/こみすてノート)

確かに子どもの字で書かれたお知らせやごみの分別の仕方を見ていると、これは大人が守らねばという気持ちになります。こうしてワイワイと楽しんでいることで、高齢者も積極的に参加するようになり、仲間が増えていったといいます。

おえかきボードの設置や現地掲示物を作成する子どもスタッフたち(写真提供/アミタ株式会社)

おえかきボードの設置や現地掲示物を作成する子どもスタッフたち(写真提供/アミタ株式会社)

「記憶に残っているのは、ご高齢のおばあちゃんかな。『こみすて』に来るのが日課になって、人に会って会話をすることで気持ちのうえでも、足腰の健康のうえでも張り合いになったようで。通ううちに、記憶もしっかりしていったのが印象に残っています」と山下会長は言います。

実利的な側面として、家庭から出るごみの量が減るという効果もありました。ただ、新型コロナウイルスの影響もあり、実証実験はいったん2カ月で終了となりました。それでも2020年12月に、自治会が主体となって、小さくとも再スタートをきることに。

「予算やスタッフなど、実証実験中のようにはいきませんが、とにかく身の丈で楽しく続けていこうと」(山下会長)。とはいえ、萩の台住宅地の自治会も、高齢化や自治会の担い手不足などとは無縁ではありません。それでも、取り組む理由はどこにあるのでしょうか。

「『こみすて』も自治会活動も、継続がいちばん難しい。年齢的にもどこまでできるか分からないけれど、続けていくには、楽しく取り組んでいる姿を見せるのが一番なんじゃないかな。さきざき、どうやっていくかは若い人たちにまかせて(笑)、できることを楽しそうに続けていくことがいいと思っています」。また、大谷さんも、「継続していくことで今は無関心な人も、遠くから見ている人も参加してくれると思います」と話します。

初対面同士がベンチに座って談笑。実証実験ではこのような光景が随所で見られた(写真提供/アミタ株式会社)

初対面同士がベンチに座って談笑。実証実験ではこのような光景が随所で見られた(写真提供/アミタ株式会社)

現役世代の真下さんはどのように感じているのでしょうか。
「私自身、出産直後に住んでいた所では、慣れない子育てで孤独を感じていた経験があり、近所に『こみすて』のような場所があれば毎日行っただろうなと思います。地域にどうやって溶け込んでいけばいいのか悩んでいる人にも、『こみすて』の魅力を知ってもらえたらうれしいですね。ただ、無理をして人を集めるのではなく、自分たちがここでやりたいことを思いっきり楽しむことが、人をひきよせるエネルギーになればいいなと思っています」と言います。実際、引越して間もない子育て中のお母さんが、再開後の『こみすて』に1歳の娘さんを連れてくるようになり、自治会館で実施されていた『いきいき100歳体操』に参加してくれたこともありました。

緑道を整備した時の切り株で、2020年12月にコミュニティバス停前にDIYでベンチを設置。写真は色塗りの様子(写真提供/アミタ株式会社)

緑道を整備した時の切り株で、2020年12月にコミュニティバス停前にDIYでベンチを設置。写真は色塗りの様子(写真提供/アミタ株式会社)

萩の台住宅地自治会の取り組みはまだはじまったばかりです。地域の中でできることややりたいことを、一人ひとりが少しずつ発揮していくことで、より住みやすく楽しいまちへと変わっていけるのかもしれません。

●取材協力
アミタホールディングス株式会社
アミタ株式会社(自治体、地域向けサイト)
奈良県生駒市
いこま市民パワー株式会社
株式会社グランドレベル
こみすてノート
Facebook
Instaglam
イコマカメラ部(中垣由梨さん)
生駒市萩の台住宅地自治会

●参考資料
「日常の『ごみ出し』を活用した地域コミュニティ向上モデル事業」

祖母の思い出の家を“住み開き”! 地域で子育て・防災できる住まいに

長らく住宅不足が続いてきた日本ですが、2010年代に入って住宅が余りはじめ、昨今は空き家が問題となっています。築年数の経過した祖父母・父母の思い出がつまった住まいをどうするのか、今から考えておきたい人も多いことでしょう。今回は東京・下町で思い出の場所を現代の暮らしにあわせて、コワーキングスペース&シェアキッチン付き住宅へと建て替えた鈴木亮平さんに話を伺いました。
まるで朝ドラ! 祖父母の行政書士・税理士事務所兼住まい

2020年4月、とうきょうスカイツリー駅のすぐそばに、コワーキングスペース・シェアオフィス、シェアキッチン、住居などが一体となった「PLAT295」が誕生しました。働く場所、勉強場所を探している人はもちろん、多目的に使えるキッチンがあり、動画撮影などのスタジオとしても活用されているとか。複合型の施設のため、地元の人はもちろん、検索してわざわざ訪れる人まで、さまざまな利用者がいるといいます。

PLAT295のコワーキングスペース。テレワークとして時間利用もできるほか、事務所登記もできるので、起業も可能に(撮影/片山貴博)

PLAT295のコワーキングスペース。テレワークとして時間利用もできるほか、事務所登記もできるので、起業も可能に(撮影/片山貴博)

2階(撮影/片山貴博)

2階(撮影/片山貴博)

「もともとこの場所は僕の祖父母が暮らしていた住まいがあったんです。1棟は築40年超、1棟は築60年超。建物が隣接していて、ベランダで行き来できるような建物でした」と話すのは、PLAT295の立案者であり、NPO法人バルーンでアーバン・デザイナーとして活躍する鈴木亮平さん。

聞くと、暮らしていたのは鈴木さんの母方の祖父母。祖母は東京大空襲で焼け野原となったこの場所で、6人の弟妹を養うために進駐軍の事務手続きの仕事をはじめ、その後、日本の女性ではまだ珍しかった行政書士の資格を取得。この場所で行政書士事務所を始めたそう。のちのち縁あって税理士の夫と結婚、税理士業とあわせて仕事を行うなかで土地と建物を買い増して、成功を収めていたといいます。

昭和40年ごろの写真(写真提供/鈴木さん)

昭和40年ごろの写真(写真提供/鈴木さん)

日ごろから「ちまちま稼いでも儲からない、不動産を買わないと」というような、下町っ子らしい毒舌(!)で気風のよい人だとか。とはいえ、築60年超の建物は老朽化し、ネズミが出る、漏電や耐震面でも不安があり、暮らしやすいとはいい難い状況でした。

左/建て替え前。1棟は築40年超、1棟は築60年超(写真提供/鈴木さん)、右/建て替え後(撮影/片山貴博)

左/建て替え前。1棟は築40年超、1棟は築60年超(写真提供/鈴木さん)、右/建て替え後(撮影/片山貴博)

建物の模型。1階・2階が地域に開いたスペース。3階からうえが賃貸ほか、鈴木さん家族の居住スペース(撮影/片山貴博)

建物の模型。1階・2階が地域に開いたスペース。3階からうえが賃貸ほか、鈴木さん家族の居住スペース(撮影/片山貴博)

安全性、防災、まちづくり、子育てなどを考慮して建て替えへ

建物の老朽化を懸念していたころ、この場所で暮らしてきた祖母が施設に入ることが決まりました。鈴木さん夫妻は、既存の建物を壊して、ここで建て替えることを決断します。

「建物の老朽化、子育てしやすい間取りで暮らしたいという理由もありますが、大きいのは、長くじっくりとまちづくりに関わっていきたいと考えたこと。仕事柄、地域活性化といっても2~3年でプロジェクトが終わってしまうのですが、もうすこし長いスパンでまちづくりに携わりたいと考えました。もう一つは防災面です。災害が起きたとき、近所の誰かに助けてもらえる、気にかけてもらえることが運命を大きく変える気がするんです。祖母は東京空襲に遭ったとき、近所のおじちゃんに火から身を守るため泥を全身に塗られて生き延びられたと言っていました。私は仕事柄、出張も多いので、不在にしていることも多い。そんなときに被災したら、妻と子どもを気にかけ、守ってくれるのは地域の人だなと思い、地域の人とつながれるスペースが必要だと感じました」(鈴木さん)

以前撮影した家族写真(写真提供/鈴木さん)

以前撮影した家族写真(写真提供/鈴木さん)

まさか戦争のエピソードが出てくるとはちょっとびっくりしますが、戦火をくぐり抜けた人が語るコミュニティの大切さは実感がこもっていて、言葉に重みがあります。

にこやかに話す鈴木亮平さん。福島や千葉でもまちづくりに携わるほか、東京大学大学院新領域創成科学研究科で非常勤講師も務める。若き才能という言葉がぴったりです(写真撮影/片山貴博)

にこやかに話す鈴木亮平さん。福島や千葉でもまちづくりに携わるほか、東京大学大学院新領域創成科学研究科で非常勤講師も務める。若き才能という言葉がぴったりです(写真撮影/片山貴博)

「本所吾妻橋駅周辺はアクセスも最高で、庶民的で本当に住みやすいんです。ただ、人口密集地域ですし、海抜ゼロメートル地帯。地震、台風など防災のことは常に考えておかないといけません。また、仕事柄、さまざまな人と出会って刺激を受けたいといった実利的な側面も考慮しました。この下町って、職住近接が当たり前なんですよ。印刷や建築、職人さんなど、路地から仕事の音やニオイ、気配がする。この土地で暮らすうちに、自然とこういう街並みを守っていきたいと思うようになりました」(鈴木さん)

東京は利便性が高く、日々、目まぐるしく変貌している街です。でも、経済合理性が優先されるがゆえに、その街ならではの良さがどんどん失われている側面もあります。鈴木さんが選んだのは、単に新しい住宅を建てることではなく、街の良さを活かすために、時代に合わせた設備を備えた建物にするという答えでした。

住まいから見上げる東京スカイツリー。子どもたちもご近所顔なじみに!

「PLAT295」の誕生と同時に、妻は転職し、現在はPLAT295などの管理や運営の仕事をしています。1階が仕事場、4・5階が鈴木さん一家の自宅というかたちになりました。暮らしはどのように変わったのでしょうか。

鈴木さん夫妻のご自宅。お子さん2人と家族4人暮らし。「今日(取材日)のために片付けました!」とおっしゃいますが美しいです(撮影/片山貴博)

鈴木さん夫妻のご自宅。お子さん2人と家族4人暮らし。「今日(取材日)のために片付けました!」とおっしゃいますが美しいです(撮影/片山貴博)

鈴木さん宅のベランダから見る東京スカイツリー。近すぎて全体がカメラに収まらない程の“足元”。ベランダではライムやハーブを栽培しています(撮影/片山貴博)

鈴木さん宅のベランダから見る東京スカイツリー。近すぎて全体がカメラに収まらない程の“足元”。ベランダではライムやハーブを栽培しています(撮影/片山貴博)

「ここで働くようになり通勤がなくなったので、子どもと過ごせる時間が増え、気持ちのうえでもゆとりが生まれました。子どもは4・5階の居室スペースだけでなく、1階のシェアオフィスも家だと思っているようで、よく訪れています。シェアオフィスがオープンした当初はそれこそ大人と一緒に店番していました(笑)」と妻のすみれさんは話します。

1階のシェアキッチンで遊ぶ子どもたち(写真提供/鈴木さん)

1階のシェアキッチンで遊ぶ子どもたち(写真提供/鈴木さん)

働く大人、働く親の姿を見られるのって貴重ですよね。子どもにとっては一番よい学びの場所になる気がします。

「そうですよね、1階にいれば誰かしらいて、アイスをもらったりと遊んでもらえて、親もうれしいですね。あとはシェアキッチンには大型オーブンを入れたので、本格的なピザなどが焼けるのが楽しいですね」といいます。キッチンのコーディネートを担当したのもすみれさんで、インスタグラムや動画撮影で使われることも意識し、照明のデザインなども工夫したのだとか。

(撮影/片山貴博)

(撮影/片山貴博)

「本当は小さいお子さんを連れたママたちの子ども会やパーティーなどにも使ってほしいんですが、コロナ禍でなかなかできず……、そこは今後に期待ですよね」。確かに。でも近所にこんなシェアキッチンがあれば、自然と持ち寄りパーティーなどもできそうですし、じわじわと利用も増えていくに違いません。

「下町はお祭りがあるので、地域のつながりが今もあるんですよ。ただ、それだけだと、いつものメンバーに偏ってしまう。会社員の人や単身赴任の人など、普段はワンルームに暮らしている人も、地元の人と顔なじみになれることが大事かなあと。シェアオフィスがあることで、そのきっかけになれたらいいなと思っています」と鈴木さん。

この場所のはじまりとなった祖母は、コロナの影響でまだ施設から外出することができず、建物を見ていないそう。

「この『PLAT295』という名前は、おばあちゃんの名前、ふくこ(295)から取りました。建物ができあがった姿を見たら? そうですね、儲からなそうだな、って言うんじゃないでしょうか(笑)」(鈴木さん)

もちろん、既存の建物を残す選択肢もありましたが、「建物の質がよくなかったこともあって、残せるものではなかったことを考えて」、建て替えを決断した夫妻。残すことだけが、住み継ぐことではありません。時代にあわせて変化をさせ、思いを残すにはどうしたらいいのか。「地域とつながる」「人をつなげる」場所にした夫妻の決断を、きっとおばあちゃんも誇らしく思うのではないでしょうか。

●取材協力
PLAT295

コロナ禍でクリエイターが石巻に集結?空き家のシェアハウスで地域貢献

宮城県石巻市で、空き家を新たな発想で活用する取り組みを行ってきたクリエイティブチーム「巻組」。2020年6月、コロナ禍で困窮したクリエイターに住む場所と発表の場を提供し、地域とつながりながら「お互いさま」の関係をつくるプロジェクト「Creative Hub(クリエイティブハブ)」をスタートさせた。その取り組みは、単なる空き家問題解消にとどまらず、地域の活性化にも大きな影響を与えている。
震災ボランティアの住まいを確保するために立ち上げた「巻組」

東日本大震災の津波被害が大きかった宮城県石巻市で「Creative Hub」を企画、運営する「巻組」を立ち上げた、渡邊享子(きょうこ)さんに話を聞いた。

合同会社巻組代表の渡邊享子さん(写真提供/渡邊享子さん)

合同会社巻組代表の渡邊享子さん(写真提供/渡邊享子さん)

2011年、埼玉県出身の渡邊さんは学生ボランティアとして石巻市を訪れた。石巻市は住宅地が津波に飲み込まれ、2万2000戸の家屋が全壊。もともと賃貸物件は少ないが、既存の賃貸物件は被災者や復興需要で埋まり、ボランティアが住む場所が足りなかった。

渡邊さんは、仲間のボランティアが石巻市に残って支援を続けられるように、空き家を探し、住めるようにリノベーションをして貸し出そうと考えた。2012年から始めて何軒か手掛けるうちに、事業化できるのではと思い始めた。当時、渡邊さんは東京で就職活動をしていたが、震災不況で決まらず、「やることがある所に住もう」と移住した。

「2018年の住宅土地統計調査によると、石巻市内の空き家は1万3000戸、全家屋の約20%です。賃貸物件は、一般的にPLACE(立地)、PRICE(家賃)、PLAN(間取り・設備)の『3P』を基準に選ばれますが、私たちが扱うのは『3P』が絶望的な空き家です。敷地が公道に接していない立地や、給水設備が未整備のもの、築60年を超える廃屋など、持ち主が“ただでももらってほしい”という空き家、不動産会社も扱いづらく困っているような建物を買い上げています」(渡邊さん、以下同様)

空き家を買い上げてリノベーションした巻組の賃貸住宅。古さや傷も味わいになっている(写真提供/巻組)

空き家を買い上げてリノベーションした巻組の賃貸住宅。古さや傷も味わいになっている(写真提供/巻組)

「リノベーションで苦心しているのは、予算内でどこまでできるか。素材などお金をかけるべきところにはかけますが、できるだけ物件の持ち味を活かし、住む人自身が自らカスタマイズする余地を大事にしています」

巻組は、この空き家を活用した住宅支援や事業開発プログラムの提供などを行い、2015年に3人のメンバーで合同会社として法人化。これまで、空き家を買い上げて自社で改修した物件が35軒、そのうち、自ら運営するシェアハウスや賃貸住宅、民泊が11軒、すでにのべ約100人が居住した。

クリエイティブ人材を活用した「Creative Hub」のスタート

「不動産会社が扱いにくい廃屋、一般的には絶望的な条件も、視点を変えてプラスの価値に転換する、大量生産、大量消費とは真逆の価値観です。悪条件も、ものづくりや芸術活動などのクリエイティブな活動をする人は『かえっていいね』『おもしろい』とポジティブに受け止めてくれました。

例えば、音を出してパフォーマンスしたい人は、静かな環境で思いきり声を出すことができるし、ものづくりをするために壁や床を汚してしまう、壊してしまう恐れがあるという人には、自由に創作できるキャンバスのようなものになります。また、都会では難しい広いアトリエや作品を保管する倉庫が確保できます。

狩猟用の猟銃を所持している場合、賃貸物件を借りるときは大家さんの許可が必要で、嫌がられる場合があります。そういった、一般の賃貸住宅を借りにくい住宅難民、規格におさまりきらないニーズを持った人が喜んで使ってくれるのです」

都会にはない広さや広縁を利用したリノベーションした賃貸住宅。障子のデザインもアートごころを刺激。レトロな雰囲気が若い人には新鮮に感じられる(画像提供/巻組)

都会にはない広さや広縁を利用したリノベーションした賃貸住宅。障子のデザインもアートごころを刺激。レトロな雰囲気が若い人には新鮮に感じられる(画像提供/巻組)

水まわりを中心に改修した民泊はノスタルジックな趣。ワーケーションなどを目的に石巻に来た人に使われている(画像提供/巻組)

水まわりを中心に改修した民泊はノスタルジックな趣。ワーケーションなどを目的に石巻に来た人に使われている(画像提供/巻組)

2020年はコロナウイルスの感染が拡大するなか、活動や発表の場を奪われたアーティストが増えた。「アーティスト活動ができず、生活費を稼ぐためのアルバイトすらできなくなったクリエイターを支えたい。クリエイティブ系の人材を石巻に集めたら、使われていない地方の資源を活用できるのではないか」と、巻組は「Creative Hub(クリエイティブハブ)」プロジェクトを計画。クラウドファンディングで応援してくれる人を募り、倉庫のリノベーションなどの準備費用の寄付・協力を呼びかけた。

老若男女が出会い支え合う場をつくる

2020年6月に立ち上げたこのプロジェクトは、どんな仕組みなのか。

活動の場、働く場を失ったアーティストの卵に、巻組が運営するシェアハウスやアトリエ倉庫を一定期間無償で提供する。食料や家電など、生活に必要なものは、寄付で集めた「ギフト」をギフトバンクに集め、入居者にマッチするものを提供する。

生活の拠点と生活資材の提供を受けたアーティストは、クリエイティブな活動に集中しながら、次へのステップの準備ができる。そしてギフトのお返しとして、製作のプロセスや製作物を地域の方に公開する。また、ギフトバンクに届いた「掃除や草取り、雪かきを手伝ってほしい」「農作業の一部を手伝ってほしい」といった「ちょっとした手伝いのSOS」に対して、労働力などのお金以外の形でお返しをする。こうして、アーティストと地域住民のコミュニケーションが生まれる。

昭和以前の田舎にあった「助け合い」「おすそ分け」「お互いさま」のような関係性を再構築したのだ。

また巻組は、アーティストと地域住民の交流の場として、石巻市と連携し月1回、第4日曜日に「物々交換市」を開催している。「Creative Hub」の倉庫などを利用して、アーティストが制作物を出品したり、パフォーマンスをしたりする。地域住民は、出店するものが気に入れば、持ち寄ったものと交換したり、投げ銭などを行う。ワークショップブースでは、絵の具や木材などを使って、アーティストと一緒に制作活動が楽しめる。「物々交換市」は、3カ月間で、のべ120名が参加、約280人が市外から寄付などを通してこの仕組みを応援している。

物々交換市では、ユニークなものが出品され、思いがけない発見や出会いが生まれている(画像提供/巻組)

物々交換市では、ユニークなものが出品され、思いがけない発見や出会いが生まれている(画像提供/巻組)

「石巻ではアートのイベントを頻繁に行っていますが、地域にアーティストが定着するためには参加者も双方向的な仕組みをつくれると良いと思いました。アーティストの作品を見に来てください、と誘うとハードルが高くなりますが、物々交換なら地域の高齢者が楽しみに来てくれますし、若い人の役に立ちたいと、家にある食器類、古着、端材、農産物などを持ってきてくれます。アーティストにとっては、作品が売れたり、人の目に触れて反響があったり、応援してもらうことはとても大事なこと。首都圏のアーティストは孤立しがちですが、ここで共同生活をすることで他の人から刺激を受けることも、力になると思います。

一方で、地域の高齢者は、人の役に立つことで自己肯定感が高まります。マンション住まいの子どもたちは、家ではできないような絵の具を使って壁に絵を描いたりして、クリエイティビティな感性が育ちます。子どもから高齢者までがリアルに触れ合い、支え合い、元気になれるコミュニティがつくられる、それが重要だと思っています」。市の来場者アンケートによると「新しい人と出会えた」という意見が多く寄せられるという。

「Creative Hub」に参加して「人のための演劇」にシフト

ここで「Creative Hub」の入居者の声を紹介する。よしだめぐみさんは、東京都出身のパフォーミングアーティスト。東日本大震災のときは中学2年生、高校時代に東北を訪れる機会があったが、まさか東北に住むとは思っていなかったという。

よしだめぐみさん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

よしだめぐみさん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

小学生のときから児童劇団に所属し、演劇を続け、多摩美術大学の演劇舞踊デザイン学科に進んだが、他の世界を知らないことが不安になり、大学2年生のときに中退。さまざまな仕事を経験し、石巻市の食・アート・音楽の総合芸術祭「REBORN ART FESTIVAL(リボーンアート・フェスティバル)」でアルバイト運営スタッフとして働く。そのときに演劇をつくれるスキルを現地に滞在し制作するアーティストに面白いと言われて、演劇を再開しようと決意。

「2020年は都内でイベントの仕事をする予定でしたが、コロナの影響でイベントはできず、制作費を稼ぐのも大変になってきました。東京にいる理由がなくなり、自分を求めてくれる人、味方になってくれる人がたくさんいる石巻で活動することにしました」

住むところがなかったよしださんは、巻組を紹介され、5月からシェアハウスに入居。まもなく「Creative Hub」が始まった。

「家賃なしでクリエイターに住まいを提供してくれる、全国でもない取り組みです。全国から集まる入居者、街の人たちとも仲良くなりました。

外に出れば出会い、発見があります。街の人はお米や牡蠣、飲み物などをくれて『ちゃんと食べなさい』と言ってくれる。大きなファミリーに見守られている感じで、都会とは違った人のつながりがありますね。関係が濃密なので、人が好きな人には合っているし、やりたいことがある人には、やりやすい場所だと思います」

CheativeHubの倉庫の一角、制作した作品の中でパフォーマンスをするよしださん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

CheativeHubの倉庫の一角、制作した作品の中でパフォーマンスをするよしださん(写真提供/巻組、写真撮影/Furusato Hiromi)

演劇の脚本を書き、演じ、演出もする。福祉施設のコミュニケーション教育のワークショップや高校の演劇部の指導、イベントや撮影のアシスタントも。さらに石巻、仙台、女川など、宮城県の地域のイベントやアーティストのマネジメントと、仕事の幅を広げている。

「『Creative Hub』に参加して、知らない世界を知る人たちに出会い、影響を受けました。東京にいたときは、自分ががむしゃらに演劇をやりたいと思ってきましたが、ここに来て『誰から、どんなニーズがあるから、こういう演劇をつくりたい』と、自己満足ではなく、仕事にする方向で演劇を考えられるようになりました。人のために自分のスキルを活用したいと考え、視野が広がりました。

ここを原点に、いずれは拠点を選ばずに演劇活動ができるように、発展させていきたい。石巻で必要とされなくなるまで活動していきたい」と声を弾ませる。

創作意欲が高まり、日々出会いがある

次に紹介するのは、「みち草工房」の菅原賀子(よしこ)さんと、阿部史枝(ふみえ)さん。巻組の賃貸物件を工房として借りて2人でシェアしている。菅原さんは、大阪府大阪市出身で、神戸の木材の会社に勤めていたが、交際相手が住んでいる宮城県へ移住したことをきっかけに、石巻に惹かれた。コワーキングスペースをもつ石巻のカフェを訪れ、そこで働く阿部さんと出会った。

木を使ってモノづくりをしていた菅原さん、布を使って洋服の直しやオーダーメイドを請け負っていた阿部さんは、お互いの取り組みを面白いと感じた。そして一緒に活動するべく借りたシェアオフィスが手狭になり、いったん解散しようと思ったが、巻組のシェアハウスが気に入り、作業場として二人で借りた。

「石巻のまちなかにありながら、山際に立ち、植物に囲まれ、まるで山奥にいるよう。魅力的な物件です」と菅原さん。

「ここは広いので、たくさんの端材を置けるし、庭で植物を育てたりして、家ではできないことができます。

家とは別の空間を持つ面白さもあり、癒しの場所でもあります。また、ここは誰でも気軽に立ち寄れるオープンな物件なので、巻組が連れてくる見学者、デザイナー、アーティストなど、いろいろな人が遊びに来るのも楽しい」

菅原さんと阿部さんが借りている平屋木造住宅。住居兼アトリエみたいな場所(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

菅原さんと阿部さんが借りている平屋木造住宅。住居兼アトリエみたいな場所(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

「釘を打ったり、棚をつけたりとDIYをすることは賃貸では難しいですが、ここは自分たちの好きなように自由に変えられるし、原状回復も必要ありません。この場所にいるだけで、何かをつくりたくなるような気持ちになりました。

『どうしてそんな目立たない所に引越したの?』と言う人もいましたが、一度遊びに来た人は『隠れ家みたい』と気に入って、何度も気軽に来てくれます。今は震災に関係なくここの取り組みに惹かれて移住した人が増えている感じがします」と阿部さん。

庭仕事をしている阿部さん(左)と菅原さん(右)。クリエイティブな作業に最適な環境だ(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

庭仕事をしている阿部さん(左)と菅原さん(右)。クリエイティブな作業に最適な環境だ(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

2人のコラボ作品の第一弾は、猫用のハンモック「にゃんもっく」。「物々交換市」では、住民が持ってきたものと交換、または投げ銭で物を交換する「クルクルフリマ」という物々交換の店を出している。「普通のマーケットと違って、パフォーマンスもあり、活気があります。幅広い年齢層の方がのぞいてくれますね」(阿部さん)

2人がコラボしてつくった「にゃんもっく」(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

2人がコラボしてつくった「にゃんもっく」(写真提供/みち草工房、写真撮影/Furusato Hiromi)

「最先端の考え方をする人が集まってきて、もともとの住民と移住した人、古さと新しさが同居する面白いまちになっていると思います」(菅原さん)

アーティストの支援にとどまらない、社会の課題解決のモデルとして

巻組は、2020年12月、築70年の古民家を改築した「OGAWA(おがわ)」を開設。密集を避けて仕事をしたい人のためのワーケーションの拠点として、都心などから人を呼び込み、石巻と関わる「関係人口」を増やすことが目的だ。

「少子高齢化、人口の減少、孤立化などは全国的な問題。空き家問題が進む地域にアイデアとして何か転化していければと思います。空き家を活用して、ただカッコいい場所をつくろうとか、クリエイティブ人材を市内外から連れてくるだけでもありません。

現在の取り組みは、反響もありますが、こういう形がどれだけ広がり、一般化していくか、課題と制約のなかで、いかに価値を出すかが、クリエイティブやアートにとって大事なところだと思います。そして、アーティストがこういう場所で生み出したものを、どう売り出していくかを考えて、形として見えやすいものにしていく必要があると思います。見逃されがちなものを、空き家を活用して、さまざまな問題にどうコミットできるかを考えていきたいです」(渡邊さん)

若いアーティスト人材の居場所をつくり、呼び込んで育てながら、地域を活性化する、巻組の取り組み。多世代のコミュニケーションが生まれ、誰も孤立させずみんなで幸せになる地域社会をつくる。人材、資材を活用しアイデアを加える、人も経済も元気になる「良循環」といえるだろう。

震災後、外から多くのアーティストやクリエイター、ボランティアなど優れた人材が出入りしたことも変化につながった。都会の便利さはない田舎だからこその懐の大きさとポテンシャルの高さ。豊かな人材、資材、アイデアが流入して変化していく石巻は面白いまちだ。

●取材協力
・巻組

震災で無人になった南相馬市小高地区。ゼロからのまちおこしが実を結ぶ

福島第一原子力発電所から半径20km圏内のまち、福島県南相馬市小高区。一度ゴーストタウン化した街だが、2016年7月12日に帰還困難区域(1世帯のみ)を除き避難指示が解除5年以上が経過し、小高区には新たなプロジェクトや施設が次々と誕生した。小高地区の復興をけん引してきた小高ワーカーズベース代表取締役の和田智行さんや、街の人たちに話を聞いた。
避難指示解除後人が動き、小高駅など交流の拠点が生まれた

2011年3月11日の福島第一原発事故の影響により小高地区には避難指示が出て全区民が避難した。一時、街から人がいなくなったが、避難指示解除以降住民の帰還が徐々に進み、2020年10月31日現在で居住率は52.89%。「すぐに元どおりとはいかないが、本格的に戻り始める人が出てきた」と街の人が話すように、着実に動き始めている。そして、避難指示の解除後に、各地から小高区に移住した人は600人ほどいるという。

上は、避難指示解除後に小高地区に新たに誕生した代表的な店舗・施設だ。特に2019年以降は、復興の呼び水となる新施設のオープンが相次いでいるが、ほかにもJR小高駅から西へ真っすぐ伸びる小高駅前通り沿いを中心に、新しい施設や店が誕生している。いくつか紹介しよう。


JR常磐線の小高駅の西側、福島県道120号浪江鹿島線を中心とした地図(記事で触れている施設やお店はチェック付き)

復興の呼び水となった新施設が続々と

まず、まちの玄関口となる駅。JR小高駅の駅舎は東日本大震災による津波で浸水したが、流されずそのまま残った。震災後は営業を休止していたが、避難指示解除後の2016年7月に再開、2020年3月にJR常磐線が全線開通した。小高駅は無人駅になったが、駅舎は木をふんだんに使った明るい空間にリニューアルされ、Wi-fi環境やコンセントを備え、打ち合わせや仕事場として利用が可能だ。

駅員が利用していた事務室はコミュニティスペースとして活用し、開放時に常駐するコーディネーターは、駅をハブとした魅力的なまちづくりプロジェクトの核となる予定。

駅舎のリニューアルと同時に駅に新たな役割を持たせ、人材を発掘するこの試み。JR東日本スタートアップと一般社団法人Next Commons Labが協同で取り組む「Way- Wayプロジェクト」の第一弾で、全国に先駆けて実証実験が行われたものだ。

JR小高駅(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

JR小高駅(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

常磐線は1~2時間に1本。駅舎のコミュニティスペースでは下校途中の高校生が勉強しながら常磐線を待つ。利用者が多い時間帯(平日は16時~19時、土・日・祝は12時~16時30分)に開放(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

常磐線は1~2時間に1本。駅舎のコミュニティスペースでは下校途中の高校生が勉強しながら常磐線を待つ。利用者が多い時間帯(平日は16時~19時、土・日・祝は12時~16時30分)に開放(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

次は、JR小高駅から歩いて約3分のところにある、芥川賞作家・劇作家の柳美里さんが2018年にオープンした本屋「フルハウス」。この店を目当てに全国からファンが訪れている。柳さんは、震災後にスタートした臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」(2018年3月閉局)で2012年2月から番組「ふたりとひとり」のパーソナリティを担当し、番組のために週1回通っていた。2015年4月に鎌倉市から南相馬市に転居。2017年7月、下校途中の高校生や地元の人たちの居場所にもなる本屋を開きたいと、小高区の古屋を購入して引越した。旧警戒区域を「世界で一番美しい場所に」との思いで、クラウドファンディングで資金を募り、2018年4月、この自宅を改装してオープンさせた。

柳美里さんの小説にちなんで名づけたブックカフェ「フルハウス」。裏に倉庫をリノベーションしてつくった演劇アトリエ「La MaMa ODAKA」を併設し、柳さんが立ち上げた演劇ユニット「青春五月党」の復活公演を2018年9月に上演。福島県立ふたば未来高校演劇部の生徒が出演し、チケットは完売(写真撮影/佐藤由紀子)

柳美里さんの小説にちなんで名づけたブックカフェ「フルハウス」。裏に倉庫をリノベーションしてつくった演劇アトリエ「La MaMa ODAKA」を併設し、柳さんが立ち上げた演劇ユニット「青春五月党」の復活公演を2018年9月に上演。福島県立ふたば未来高校演劇部の生徒が出演し、チケットは完売(写真撮影/佐藤由紀子)

写真は副店長の村上朝晴(ともはる)さん。店内には約3000冊の本が並ぶ。作家の村山由佳さん、角田光代さん、歌人の俵万智さんらにそれぞれ20冊の本を選んでもらい、手書きのメッセージを添えて販売するコーナーも。小説家が営む本屋ならではの他に類を見ない企画だ(写真撮影/佐藤由紀子)

写真は副店長の村上朝晴(ともはる)さん。店内には約3000冊の本が並ぶ。作家の村山由佳さん、角田光代さん、歌人の俵万智さんらにそれぞれ20冊の本を選んでもらい、手書きのメッセージを添えて販売するコーナーも。小説家が営む本屋ならではの他に類を見ない企画だ(写真撮影/佐藤由紀子)

旧警戒区域に移住して本屋を開き、芝居を上演する柳さんに、友人・知人は「無謀過ぎる」と止めたそうだが「帰還者が3000人弱の、半数が65歳以上の住民のみでは立ち行くことはできない。他の地域の人と結合し呼応し共歓する場所と時間が必要。無謀な状況には無謀さを持って立ち向かう」と柳さん。「フルハウス」は、本や人、文化に触れ、若者の未来と夢が広がる、“こころ”の復興に欠かせない要地となっている。

南相馬市が復興拠点として整備し、2019年1月に誕生した「小高交流センター」には、多世代が健康づくりができる施設や、フリーWi-fiに対応する交流スペース、起業家向けのコワーキングスペース、飲食店などがそろう。こちらにも地元の人が多く訪れており、日常的な憩いの場になっていることがうかがえた。

小高交流センター(写真撮影/佐藤由紀子)

小高交流センター(写真撮影/佐藤由紀子)

小さな子ども向けの遊び場「子育てサロン」。授乳スペースやキッチンコーナーも併設。2人の子どもを連れた母親は「幼稚園の帰りに毎日寄って、子どもたちを遊ばせています」と話していた(写真撮影/佐藤由紀子)

小さな子ども向けの遊び場「子育てサロン」。授乳スペースやキッチンコーナーも併設。2人の子どもを連れた母親は「幼稚園の帰りに毎日寄って、子どもたちを遊ばせています」と話していた(写真撮影/佐藤由紀子)

農業を再開した方の新鮮な朝採り野菜など生産者の顔が見える安全・安心の野菜を中心に、地産のものを販売する「小高マルシェ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

農業を再開した方の新鮮な朝採り野菜など生産者の顔が見える安全・安心の野菜を中心に、地産のものを販売する「小高マルシェ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ゼロから新しいことに挑戦する人たち。名産品のトウガラシも誕生

筆者は2019年3月以来の再訪だが、上記で紹介した施設以外にも、小高地区の駅前通りに新しい個人経営の店舗がぽつりぽつりと増えているのを発見した。話を聞くと、ほとんどが避難区域解除後に地元に帰還して、店を開き新たな分野に挑戦していた。

震災前にスーパーで働いていた鈴木一男さんは、2019年2月、同じ場所に家族とともに食事処「Diner Bonds(ダイナーボンズ)」を開いた。ランチは、カツカレー、かつ丼、生姜焼き定食など、どれもボリュームがありリーズナブル。お客が次々訪れ活気にあふれていた。「駅前の通りは車が増えて、にぎわっていると感じます」(写真撮影/佐藤由紀子)

震災前にスーパーで働いていた鈴木一男さんは、2019年2月、同じ場所に家族とともに食事処「Diner Bonds(ダイナーボンズ)」を開いた。ランチは、カツカレー、かつ丼、生姜焼き定食など、どれもボリュームがありリーズナブル。お客が次々訪れ活気にあふれていた。「駅前の通りは車が増えて、にぎわっていると感じます」(写真撮影/佐藤由紀子)

「小高工房」は、2017年3月オープン。畑でイノシシの被害がないトウガラシに着目、3人で栽培を始め、現在は80人以上の住民を巻き込んだプロジェクトに成長、新たな特産品に。写真はオーナーの廣畑裕子さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「小高工房」は、2017年3月オープン。畑でイノシシの被害がないトウガラシに着目、3人で栽培を始め、現在は80人以上の住民を巻き込んだプロジェクトに成長、新たな特産品に。写真はオーナーの廣畑裕子さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

2019年12月、ここで以前呉服屋を営んでいた鈴木さんが娘さんと開いた「コーヒーとたべもの 鈴木屋」。実家の秋田や青森の食材を使ったメニューが特徴で、淹れたてのドリップコーヒー、手づくりケーキなどを提供。「人は少しずつ戻ってきていますし、若い人が増えています」とオーナー(写真撮影/佐藤由紀子)

2019年12月、ここで以前呉服屋を営んでいた鈴木さんが娘さんと開いた「コーヒーとたべもの 鈴木屋」。実家の秋田や青森の食材を使ったメニューが特徴で、淹れたてのドリップコーヒー、手づくりケーキなどを提供。「人は少しずつ戻ってきていますし、若い人が増えています」とオーナー(写真撮影/佐藤由紀子)

「Odaka Micro Stand Bar(オダカマイクロスタンドバー)~オムスビ~」はスペシャリティコーヒーが看板。移住者やUターンした若者が「小高で地域と若い人が変わるきっかけをつくりたい」と、小高駅付近でキッチンカーから始めて2018年に開店(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「Odaka Micro Stand Bar(オダカマイクロスタンドバー)~オムスビ~」はスペシャリティコーヒーが看板。移住者やUターンした若者が「小高で地域と若い人が変わるきっかけをつくりたい」と、小高駅付近でキッチンカーから始めて2018年に開店(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

地域の課題を解決するための事業に取り組む起業家を支え育成する「小高パイオニアヴィレッジ」外観(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「小高パイオニアヴィレッジ」外観(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

復興の潮流をここまで見てきたが、なかでも大きな位置を占めるのが、2019年3月に誕生した「小高パイオニアヴィレッジ」(過去記事)と、その運営を担う一般社団法人パイオニズム代表理事の和田智行さんの存在だ。

「小高パイオニアヴィレッジ」は、起業家やクリエイターの活動・交流の拠点としても活用できるコワーキングスペースとゲストハウス(宿泊施設)、共同作業場(メイカーズスペース)を含む施設。和田さんは、このコワーキングスペースを拠点に、人と人、人と仕事を結びつけ、コミュニティやビジネスを創出する手助けをしている。

小高区(旧小高町)生まれの和田智行さん(写真撮影/佐藤由紀子)

小高区(旧小高町)生まれの和田智行さん(写真撮影/佐藤由紀子)

「小高パイオニアヴィレッジ」を立ち上げ運営を担う和田さんが代表取締役を務める小高ワーカーズベースは、地域の協力活動に取り組む「地域おこし協力隊」を活用して地域の課題の解決や資源の活用を目指すプロジェクトを進める「ネクストコモンズラボ(以下、NCL)」の事業を、南相馬市から受託している(NCL南相馬)。NCLは全国14カ所で行われている。

和田さんは「1000人を雇用する1社に暮らしを依存する社会ではなく、10人を雇用する多様な100社が躍動している自立した地域社会を目指す」ため、2017年から、南相馬市の職員と共に、NCL南相馬の事業をスタートさせた。

「私たちが地域の課題や資源を活用して案をつくり、実際に事業化したい人を募集し、企画書を提出してもらって採用を判断します。そして、起業家が自走できるように活動や広報をサポートし、地域や他企業とつないだりしながら、育成していきます。最終的には、経済効果が生まれ、関係人口が増えて、その人たちが定住することも目的のひとつです」(和田さん)

現在進めているプロジェクトは、先に説明した小高駅を活性化する「Way- Wayプロジェクト」、南相馬市で千年以上前から続いている伝統のお祭り「相馬野馬追」のために飼われている馬を活用した「ホースシェアリングサービス」、セラピストが高齢者の自宅や福祉施設、病院などを訪問してアロマセラピーで癒やしを届ける「移動アロマ」、地方では手薄になりがちな地域の事業者や商材に対して広報・販促支援などを行う「ローカルマーケティング」を含む7つ。以下、全国各地からプロジェクトの募集を見て移住したラボメンバーの3人を紹介。

横浜市生まれの水谷祐子さんは、英国IFA認定アロマセラピストの資格を持ち、アロマセラピストとして高齢者に施術をしてきた。「移動販売プロジェクト」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

横浜市生まれの水谷祐子さんは、英国IFA認定アロマセラピストの資格を持ち、アロマセラピストとして高齢者に施術をしてきた。「移動販売プロジェクト」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

東京都生まれ、馬の調教師・馬術選手だった神瑛一郎(じん・よういちろう)さん。年1回の相馬野馬追のために飼育されている馬の活躍の場をつくる「ホースシェアリング」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

東京都生まれ、馬の調教師・馬術選手だった神瑛一郎(じん・よういちろう)さん。年1回の相馬野馬追のために飼育されている馬の活躍の場をつくる「ホースシェアリング」に参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

南相馬市生まれ、仙台、北海道で旅行領域の営業職に就いた高田江美子さん。地元にUターン、前職を通じ広報・販売活動の重要さを感じて「自由提案プロジェクト」にローカルマーケッターとして参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

南相馬市生まれ、仙台、北海道で旅行領域の営業職に就いた高田江美子さん。地元にUターン、前職を通じ広報・販売活動の重要さを感じて「自由提案プロジェクト」にローカルマーケッターとして参加(写真提供/小高ワーカーズベース)

2021年に本格的に始まる新たなプロジェクトでは、民家を改装した酒蔵で、日本酒にホップを用いた伝統製法や、ハーブや地元の果物などを使ってCraft Sakeをつくる「haccoba(ハッコウバ)」がある。2021年春には新しいコミュニティ、集いの場を目指し、酒蔵兼バーがオープンする予定で、地域住民の期待も高い。

「haccoba(ハッコウバ)」完成予想図((c)Puddle Inc.)

「haccoba(ハッコウバ)」完成予想図((c)Puddle Inc.)

酒瓶イメージ(写真提供/haccoba, Inc.)

酒瓶イメージ(写真提供/haccoba, Inc.)

「小高パイオニアヴィレッジ」は、移住してきた起業家の共同オフィスとして活用されているが、「知らないまちで起業することは意欲的な人でも難易度は高く、壁にぶつかることもあると思います。けれども、起業家が集まる場があれば、自然と連携ができて、情報交換を行い、協力し切磋琢磨し合える、そんなコミュニティが生まれるきっかけにもなっています」。地元出身の和田さんは、孤独になりがちな起業家を地域とつなげるハブのような役割も担っている。

小高パイオニアヴィレッジのコワーキングスペース。ひな壇にはコンセントや暖房も装備されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小高パイオニアヴィレッジのコワーキングスペース。ひな壇にはコンセントや暖房も装備されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小高パイオニアヴィレッジのゲストハウス。長期滞在者や仕事をしながら宿泊する人に便利(写真提供/小高ワーカーズベース)

小高パイオニアヴィレッジのゲストハウス。長期滞在者や仕事をしながら宿泊する人に便利(写真提供/小高ワーカーズベース)

パイオニアヴィレッジのメーカーズルームには、老舗の耐熱ガラスメーカーHARIOが職人技術継承のために立ち上げた「HARIOランプワークファクトリー」の生産拠点のひとつとしてスタート。2019年3月には、「HARIOランプワークファクトリー」の協力のもと、オリジナルのハンドメイドガラスブランド、iriser(イリゼ)をリリース。地元の自然などをモチーフにした他にないデザインが特徴だ。

5人の女性ガラス職人がアクセサリーを製作・販売する施設内の「アトリエiriser(イリゼ)」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

5人の女性ガラス職人がアクセサリーを製作・販売する施設内の「アトリエiriser(イリゼ)」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

老舗の耐熱ガラスメーカーHARIO の生産拠点としてスタートし、2019年3月にオリジナルのハンドメイドガラスブランドをリリース。地元の自然などをモチーフにしたものも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

老舗の耐熱ガラスメーカーHARIO の生産拠点としてスタートし、2019年3月にオリジナルのハンドメイドガラスブランドをリリース。地元の自然などをモチーフにしたものも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

起業することが当たり前の風土をつくりたい

2020年春のコロナウイルス感染拡大により、小高パイオニアヴィレッジでは、夏休みの地域留学プログラム、大学生や高校生、リモートワーカーの利用が増えたという。また、NCL南相馬の起業家を募集すると、オンライン説明会の参加者が増えた。

「どこでも仕事ができるようになったことで地方に目を向けたり、ライフスタイルが変わったことで自分のキャリアに不安を感じて一から地方で力試しをしたい、という考え方が出てきたのかもしれません。また、避難生活を経験して心機一転、もともとやりたかったことを始めたケースもあるのかもしれません。前向きな人たちが増えて街が面白くなっていくといいと思います。

便利で暮らしやすいまちではなくても、ここじゃないと味わえない、わざわざ訪れたくなるまちになるためには、地域の人たちが自ら事業を立ち上げてビジネスをやっていることが当たり前になっていることが重要。いろいろな分野でリーダーが出てくると、もっと多彩なプロジェクトが生まれるはずです。

それに、そういう風土をつくっていかないと、課題が発生したときに解決する人が地域に存在しないことになってしまう。行政や大きな企業に解決してもらうのは持続的ではない。100の企業をつくることで、さまざまな課題が解決できるようになる。私たちはこれからも事業をひたすらつくっていきます」と、和田さんの軸はぶれない。

今回、紹介した施設や店舗はあくまで一例。ほかにも長く地元の人に親しまれてきた個人商店の再開や、住民一人一人の努力の積み重ねや人と人のつながり、協力があるからこそ前に進んでいる。

5年以上のブランク期間があった小高区。新しくユニークな施設、店が誕生し、震災前の常識、既成概念がなくなり、人間関係が変わった。だからこそ、フロンティア精神にあふれるエネルギッシュで面白い人が集まる。目指すところが同じだから、自治体と住民の連携も良好だ。

2021年度、政府は地域の復興再生を目指し、福島第一原発の周辺12市町村に移住する人に最大200万円の支援金を出すこと、またさらに移住後5年以内に起業すると最大400万円を支給するなどの方針をかためたという。一から何かに挑戦したいと考える人の呼び水になるか。

「平凡な自分でも、何かできるかもしれない、やりたいことに挑戦してみたい」そんなチャレンジ精神が刺激され住んでみたいと思わせる小高区の変化を見に、また数年後も訪れたいと思う。

●取材協力
小高パイオニアヴィレッジ
小高ワーカーズベース
小高交流センター

大田区「池上」が進化中!リノベで街の魅力を再発掘

日蓮宗の大本山「池上本門寺」が13世紀に建立されて以来、門前町としてにぎわってきた東京都大田区池上。2019年ころから、地域の持続的な発展を推進する「池上エリアリノベーションプロジェクト」が進行中で、歴史ある街の各所に新たな感性が芽吹いている。大田区と共同で同プロジェクトに取り組む東急株式会社の磯辺陽介さんの案内で、魅力を増す池上の街歩きをしてみよう!
街リノベは目的ではなく手段、プロジェクトで池上のポテンシャルを引き出す

3両編成の電車がコトンコトンと行き交う東急池上線。五反田と蒲田という二つの繁華街を繋いでいるにも関わらず、沿線はローカル感が漂う。もともと池上本門寺の参拝客のために生まれた路線で、池上はその中心的存在だ。

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

池上のシンボル、池上本門寺。宗祖日蓮聖人の命日に行われる法要「お会式(おえしき)」は毎年10月11~13日の3日間執り行われ、30万人にも及ぶ参詣者で街がにぎわう(写真撮影/相馬ミナ)

池上のシンボル、池上本門寺。宗祖日蓮聖人の命日に行われる法要「お会式(おえしき)」は毎年10月11~13日の3日間執り行われ、30万人にも及ぶ参詣者で街がにぎわう(写真撮影/相馬ミナ)

2020年7月に生まれ変わった池上駅構内には、木がふんだんに使われ、電車を降りると木の香りがする。池上本門寺の参道に繋がるようなイメージでデザインされたという自由通路を抜け、駅北口から池上本門寺方面に向かおう。駅前には、池上名物・くず餅の老舗「浅野屋 」が店を構える。

「池上は、くず餅発祥の地とも言われていて、老舗のくず餅屋さんが何軒もあるんですよ」と磯辺さんが教えてくれた。池上が地元の方には当たり前の風景かもしれないが、コンパクトなこの街の中に数百年続くお店が点在しているのは、すごいことではないだろうか。

池上駅前。駅舎は構内踏切がある平屋から、地上5階建てのビルに生まれ変わった。駅ビルのエトモ池上は2021年春に開業予定(写真撮影/相馬ミナ)

池上駅前。駅舎は構内踏切がある平屋から、地上5階建てのビルに生まれ変わった。駅ビルのエトモ池上は2021年春に開業予定(写真撮影/相馬ミナ)

「池上は「池上本門寺」に約700年寄り添ってできた街です。もともと街はありますし、 “まちづくり”という単語がおこがましいと思っているんですが……」と磯辺さんは前置きしつつ、「『池上エリアリノベーションプロジェクト』は、人や場所、歴史、文化などの地域資源を、再発掘・再接続・再発信によって活かすまちづくりの取り組みです」と説明してくれた。

2017年3月、池上で東急主催のリノベーションスクール(※)を実施したことをきっかけに、プロジェクトが始動した。数ある東急線沿線の街の中から池上を選んだ理由を尋ねると、「池上駅をリニューアル予定だったこともあるのですが、池上のヒューマンスケールというか、こぢんまりとしていて血が通っている感じが、リノベーションスクールの世界観と合いそうだと感じたんです」と磯辺さん。

※全国各地で開催される、まちなかに実在する遊休不動産を対象とし、エリア再生のためのビジネスプランを提案し実現させていく実践型スクール

場をつくって終わりではなく、まちづくりに取り組む人をサポート池上駅北口から池上本門寺へ向かって延びる池上本門寺通り商店会。旧参道にあたり、「SANDO(サンド)」(写真右側の建物)はその入り口にある(写真撮影/相馬ミナ)

池上駅北口から池上本門寺へ向かって延びる池上本門寺通り商店会。旧参道にあたり、「SANDO(サンド)」(写真右側の建物)はその入り口にある(写真撮影/相馬ミナ)

磯辺さんの案内でまず訪れたのが、「SANDO BY WEMON PROJECTS(サンド バイ エモン プロジェクツ、以下SANDO)」。池上エリアリノベーションプロジェクトの一環として誕生した、“コーヒーのある風景”をコンセプトに活動するアーティストユニット「L PACK.(エルパック)」と、建築家の敷浪一哉さんが運営する、カフェでありプロジェクトの拠点だ。

「『SANDO』のことを普段僕らは、“カフェを装っている”と言っているんです」と磯辺さん。どういうことか尋ねると、「お客さんとの会話から地域資源を見つけたり、外から訪れた人とマッチングをしたり、カフェ以外の役割も担っているんです」という答えが返ってきた。

「SANDO」の店内。カウンターではテレワークをする若者、テーブル席ではゆったり腰掛けて談笑する年配の方など、幅広い世代が思い思いに過ごしていた(写真撮影/相馬ミナ)

「SANDO」の店内。カウンターではテレワークをする若者、テーブル席ではゆったり腰掛けて談笑する年配の方など、幅広い世代が思い思いに過ごしていた(写真撮影/相馬ミナ)

「パウンドケーキセット」(900円・税込)でひと息(写真撮影/相馬ミナ)

「パウンドケーキセット」(900円・税込)でひと息(写真撮影/相馬ミナ)

「SANDO」は、東急と大田区による街づくり勉強会の会場にもなっている。ウィズコロナや事業継承などをテーマに、ゲストを招き、参加者である若手事業者へヒントや気づきの場になればと不定期に開催。場をつくって終わりではなく、池上エリアが持続的に発展するためのサポートの在り方を模索しているそう。

「SANDO」では、フリーペーパー「HOTSANDO」を月に1回発行。情報発信だけでなく、取材を通して地域資源を発掘する役割も(写真撮影/相馬ミナ)

「SANDO」では、フリーペーパー「HOTSANDO」を月に1回発行。情報発信だけでなく、取材を通して地域資源を発掘する役割も(写真撮影/相馬ミナ)

「池上エリアリノベーションプロジェクト」開始からわずか約1年半にも関わらず、すでにリノベーション物件が3事例開業。「ここまで早く事業が動いたのは、池上が歴史ある街であることが大きいのでは」と磯辺さんは分析する。続いてはその3事例を見せてもらおう。

多才な夫婦が目指す、地域と人とが繋がる拠点「つながるwacca」

1軒目は「池上本門寺通り商店会」を進んで、「つながるwacca」へ。介護福祉士の社交ダンサー・井上隆之さんと、管理栄養士のヨガインストラクター・千尋さん夫妻が運営する多目的スタジオだ。

池上本門寺通り商店会の様子。呉服店や煎餅店など、古くからあるお店が今も元気に営業している(写真撮影/相馬ミナ)

池上本門寺通り商店会の様子。呉服店や煎餅店など、古くからあるお店が今も元気に営業している(写真撮影/相馬ミナ)

地場の不動産会社が所有するスペースを題材に、街への思いを持つ開業希望の人たちとマッチングさせる企画「KUMU KUMU」に、自分・人・地域がつながる場として井上さん夫妻が提案。大人向けはもちろん赤ちゃん と一緒にできるヨガをはじめ、食イベントや親子カフェマルシェなどが行われている。

コインランドリー横の空きスペースをリノベーションして誕生した「つながる wacca」。取材に訪れた際は「ちょこっとカフェ」の営業中(写真撮影/相馬ミナ)

コインランドリー横の空きスペースをリノベーションして誕生した「つながる wacca」。取材に訪れた際は「ちょこっとカフェ」の営業中(写真撮影/相馬ミナ)

2020年春に開業予定だったが、コロナの影響で8月に延びた。それでも「その分ゆっくりしたペースで準備を積み上げられたかな」と隆之さん。「夫がポジティブなので私も前向きになれました」と千尋さんも笑う。

とにかく笑顔が素敵なお二人で、話しているとこちらも気持ちが明るくなる。そんな井上さん夫妻の元にふらっと集まるご近所さん同士が、自然と繋がれる、そんな空気感に包まれた場だ。

娘さんを抱っこする井上隆之さんと千尋さん。「池上の“人”が好きです。人と繋がりやすいのもいいですね」と千尋さん(写真撮影/相馬ミナ)

娘さんを抱っこする井上隆之さんと千尋さん。「池上の“人”が好きです。人と繋がりやすいのもいいですね」と千尋さん(写真撮影/相馬ミナ)

池上愛が偶然マッチして生まれたシェアスペース「たくらみ荘」

続いては、池上本門寺通り商店会の一本お隣、池上本通り商店会の乾物店「綱島商店」2階に入る「たくらみ荘」。探究学習塾を軸としたシェアスペースだ。新しい学びをプロデュースするa.school(エイ スクール)が運営している。

誕生のきっかけは、先ほどご紹介した「SANDO」が発行するフリーペーパー「HOTSANDO」の別企画で「綱島商店」を取材したことから。プロジェクトについて話す中で、「綱島商店」の方が「実はうちの2階が空いているから、街のためなら」と空間を提供してくれたのだそう。

(画像提供/東急)

(画像提供/東急)

「たくらみ荘」のビフォーアフター。天井や壁を取り払って、さまざまな使い方ができる開放的な空間に(画像提供/東急)

「たくらみ荘」のビフォーアフター。天井や壁を取り払って、さまざまな使い方ができる開放的な空間に(画像提供/東急)

「SANDO」の一角で時折開講していたしていたエイスクールが、池上で本格出店を検討していたところ、条件がマッチ。ある職業になりきりってさまざまなプロジェクトに取り組む「なりきりラボ」や仕事で使われる 生きた算数を学ぶ「おしごと算数」といった街を題材にした小学生向けの授業を中心に、多世代が学ぶ機会を提供している。

池上本門寺近くを流れる呑川。散歩コースや小学校の通学路になっていて、駅から少し距離があるものの人通りは多い(写真撮影/相馬ミナ)

池上本門寺近くを流れる呑川。散歩コースや小学校の通学路になっていて、駅から少し距離があるものの人通りは多い(写真撮影/相馬ミナ)

本を媒介にした社交の場「ブックスタジオ」

最後に訪れたのは、呑川沿いの「ブックスタジオ」。池上に本屋がなかったことからつくられたシェア本屋で、本棚の一枠分をそれぞれひとつの小さな本屋と見立て、各棚店主が当番制のような形で店番も担当し運営にも関わる 仕組みだ。

池上エリアリノベーションプロジェクトでは、本を媒介にした地域の交流促進の場をつくろうと、吉祥寺にある「ブックマンション」でこのシステムを運営していた中西功さんに協力を依頼。
「ブックスタジオ」は、同時期に 立ち上げの動きがあった、「ノミガワスタジオ(ギャラリー&イベントスペース)」のコンテンツのひとつとしてオープンした。

ノミガワスタジオは、動画配信スタジオ「堤方4306」とランドスケープデザイン設計事務所「スタジオテラ」 の共同事業。堤方4306の安部啓祐さんとスタジオテラの石井秀幸さんが、「ブックマンション」の趣旨に賛同したために、マッチングに至った。

30cm×30cmの棚ひとつ一つが、店主の個性溢れる小さな本屋。運営を始めて2カ月ほど、お客さんや場に合わせて     本     を     セレクトする棚店主がいたり、棚店主同士の交流もあったりするそう(写真撮影/相馬ミナ)

30cm×30cmの棚ひとつ一つが、店主の個性溢れる小さな本屋。運営を始めて2カ月ほど、お客さんや場に合わせて 本 を セレクトする棚店主がいたり、棚店主同士の交流もあったりするそう(写真撮影/相馬ミナ)

2020年9月にオープンして、取材日時点では約2カ月が経過したところ。金・土曜日の週2回しか営業していないにも関わらず、40ある本棚の半分ほどが埋まり、すでにリピーターの姿が見受けられた。

「コロナの影響で準備期間が延びたんですけど、その間、お店の前を通る方が“ここはなんぞや”と気になっていてくれたようで」と、石井さん。客層は、お散歩されている年配の方がふらっと訪れたり、親子が中でゆっくり過ごしたりというのが多いそう。無料で気軽に利用することができるのが魅力だ。

左から、堤方4306の安部啓祐さん、スタジオテラの石井秀幸さん、野田亜木子さん。「地元の人間ではありませんが、地域の人からフラットに接してもらえますし、その緩さが住みやすさに繋がっていると思います」と石井さん(写真撮影/相馬ミナ)

左から、堤方4306の安部啓祐さん、スタジオテラの石井秀幸さん、野田亜木子さん。「地元の人間ではありませんが、地域の人からフラットに接してもらえますし、その緩さが住みやすさに繋がっていると思います」と石井さん(写真撮影/相馬ミナ)

「店番を担当している店主さんは、テーブルを使って展示や販売、ワークショップなど1DAYギャラリーとして利用していただけることもあって、本以外の表現の場となって楽しんでくれているんじゃないですかね 」(石井さん)

安部さんも「僕らは本業のデザイン、動画配信、建築設計事務所の傍「ブックスタジオ」を運営しています。100%営利目的での運営ではないことが、ここの空気感に繋がっているのかもしれません。また、長く続けられるように、自分たちもなるべく無理をしないように心がけています。合言葉は“無理をしない”です」と話す。

「ブックスタジオ」そして運営の皆さんもすっかり街に溶け込んでいて、インタビュー中も通りかかる人々から次々と声を掛けられていた。

取材日には棚店主の息子さんが子ども店長となり、好きな鉄道をテーマにした展示を開催(写真撮影/相馬ミナ)

取材日には棚店主の息子さんが子ども店長となり、好きな鉄道をテーマにした展示を開催(写真撮影/相馬ミナ)

子ども店長が制作した池上駅の変遷をまとめた本。彼の池上駅への愛に感動した磯辺さんが第1号の購入者に(写真撮影/相馬ミナ)

子ども店長が制作した池上駅の変遷をまとめた本。彼の池上駅への愛に感動した磯辺さんが第1号の購入者に(写真撮影/相馬ミナ)

「池上エリアリノベーションプロジェクト」にとても影響を受けたと話す石井さん。仕事でいろんな街の地域交流の場をつくったりしているものの、自分が住む街は平和で問題ないと思っていたというが、「住む街が楽しかったらもっといいんじゃないのと最近は思うようになりました。コロナ禍の影響と相まって、例えば街の歴史を学んだり、お店を開拓したりして”自分の街の解像度”をどう上げていくか、楽しさが長く続く方法などを同時に考えるようになって。磯辺さんたちは池上にどんな人がいるかというのを顕在化してくれていると思うんです。困ったらあの人と繋がろうかなと思えますし、この街で暮らす楽しさが増しました」

池上を案内してくださった磯辺さん。街歩きが大好きで、コロナの影響が出る前は、池上の街歩きを企画していたそう(写真撮影/相馬ミナ)

池上を案内してくださった磯辺さん。街歩きが大好きで、コロナの影響が出る前は、池上の街歩きを企画していたそう(写真撮影/相馬ミナ)

訪れた先々で感じたのは、利用者が子どもからお年寄りまで世代に偏りがなく、「池上エリアリノベーションプロジェクト」が幅広い層に受け入れられていること。ぽっとできた新しいものではなく、街の資源をパッチワークしてつくられたお店や施設なので、池上の人々に馴染んでいるのだと感じた。

そして何より重要なのは、街を想う人々の存在。紹介した「池上エリアリノベーションプロジェクト」のリノベーション事例以外にも、池上には街を愛する人々による古民家カフェなど 個性豊かな店が存在している。休日にふらりとまち歩きをしてみてはいかがだろうか。

●取材協力
・東急株式会社/大田区
・池上エリアリノベーションプロジェクト
・SANDO
・つながるwacca
・ノミガワスタジオ

月収2万円で「山奥ニート」歴7年。自分の価値や感情を生まれて初めて知った

最寄駅から車で2時間という和歌山県の山奥に、廃校になった小学校を再利用して、全国からニートや引きこもりの若者14人が共同で生活するシェアハウス「NPO共生舎」がある。月額1人2万円で、ネット付きの居住スペースと食事代をまかなう。「自分自身がかつて引きこもりで、今は山奥ニート」と話すのは、同NPO理事で、この春に著書『「山奥ニート」やってます。』(光文社 刊)を上梓し、話題を呼んでいる石井あらたさんだ。その山奥生活について、詳しい話を聞いた。5月に発売された書籍『「山奥ニート」やってます。』は1万8000部(3刷)と売れ行き好調(写真提供/石井あらたさん)

5月に発売された書籍『「山奥ニート」やってます。』は1万8000部(3刷)と売れ行き好調(写真提供/石井あらたさん)

地域の人々との交流は大切な生活の一部

“山奥ニート”石井さんの生活は、朝はだいたい11時に起きてから今日は何をしようかと考え、焚き火をしたり、リビングで他の人とゲームをしたり、読書したりという、まさにその日暮らし。「自分も含めてニートは先のことを考えるのが苦手だと思う。『今』だけを考えて生きている」と話す石井さん。都会がコロナ禍でマスクや消毒に追われる緊張感ある生活なのと対照的に、コロナ禍でも生活は以前と全く変わりないと話す。

一方で共生舎は、これまで見学者や移住希望者の受け入れを行っていたが、この8月からは全面停止。再開のめどは立っていないという。「(感染症リスクを考えると)地域の方たちと交流しにくくなる」というのが理由だ。石井さんたちが暮らすのは、平均年齢80歳、山奥ニートの他に、徒歩圏内の住人はたった5人という集落。10代から40代の共生舎の住民たちは、キャンプ場の清掃や、梅農家のお手伝いなどをしながら、同じ村や近くの村に住む人たちと関わっている。また、スポーツを一緒に楽しんだり、祭りなどの村の行事にも積極的に関わっているので、こうした配慮は重要だ。

石井さんたちが住む五味集落までの道(写真提供/石井あらたさん)

石井さんたちが住む五味集落までの道(写真提供/石井あらたさん)

五味集落(写真提供/共生舎)

五味集落(写真提供/共生舎)

地元の年配者との交流は自然の流れ(写真提供/石井あらたさん)

地元の年配者との交流は自然の流れ(写真提供/石井あらたさん)

“山奥ニート”になったきっかけは福島でのボランティア

今は、好きなことをしたり、地元の人々のお手伝いをしながら、気ままに山奥ニートライフを送る石井さん。ブログのアフィリエイトで得る月2万円が主な収入だが、それでも家賃0円ということもあって、十分な生活を送れていると感じている。

そんな石井さんが山奥ニートになったきっかけは、2012年に東日本大震災のドブ掃除のボランティアとして出向いた福島での出来事に遡る。当時、すでにニート生活2年目。たまたま友人と旅をしていた広島で東北の被災状況を見て、改めて自分の人生を振り返り「好きなことをやって、死ぬ瞬間に後悔しないようにしたい」と思ったそうだ。そんな石井さんをさらに突き動かしたのが、NPO の人に言われた一言だった。

「ニートや引きこもりの人は、大きな力を溜め込んでいる。でもそれを活かせる機会がない。でもこういう非常時では、それが何より助かる」

以来、「誰かに必要とされたい」という思いを募らせ、同じ思いを持つニート仲間を探しはじめた。同時にニートが集まれば、何か起こるのではないかと漠然と考えるようになった。「同じ種類の人間が集まれば、互いに強化しあって、そこから何か文化のようなものが生まれるのではないか」と思ったのだ。

こうしたなかで出会ったのが、今も山奥で生活を共にする“ジョーくん”だ。彼の紹介で、2014年にNPO 共生舎のことを知り、「親の目を気にせず、思う存分引きこもる」ために山奥で生活することを決めた。

山奥の遊びの鉄板、焚き火。夏は河原で泳いだり、バーベキューも楽しめる(写真提供/石井あらたさん)

山奥の遊びの鉄板、焚き火。夏は河原で泳いだり、バーベキューも楽しめる(写真提供/石井あらたさん)

「こんな場所が近くにあるのは、ちょっと自慢」(石井さん)(写真提供/石井あらたさん)

「こんな場所が近くにあるのは、ちょっと自慢」(石井さん)(写真提供/石井あらたさん)

人がいること自体が希少な山奥だから感じる“人”の価値

アニメを観て、ゲームをして、SNSして、寝る。ある意味、今も「引きこもったまま」。それでも、都市部で暮らしていたときよりも人とのふれあいは圧倒的に増えた。村おこしやビジネスなどで能動的に集落に関わっているわけではない。「引きこもる範囲が自分の部屋から、集落に広がったんです」と石井さん。

山奥で暮らし始めてみて、こもることが目的でやってきたにもかかわらず、NPOの事務を一手に引き受け、その生活が楽しい故に、自然と集落の人や地域の人たちとの交流が増えていった。そんな中で石井さんが気付いたことは「便利なところには、便利な分、人が多い。人間が希少な分、山奥では一人の人間の力が非常に大きいので、価値が大きい」ということ。

お祭りのお手伝いも集落から感謝されている(写真提供/石井あらたさん)

お祭りのお手伝いも集落から感謝されている(写真提供/石井あらたさん)

「この山奥ぐらい不便な場所というのは、僕たち共生舎の住民がここからいなくなったら向こう100年人が住まなくなってもおかしくない。そのおかげで、(地域に住むほかの)みんなが優しくしてくれる。人間が希少なので、何よりも貴重な存在として扱ってくれる」と続ける。

つい先日、11月3日に行われた集落の祭りを共生舎の住人十数人で手伝った。毎年、山の上のお宮までお参りに行くのだが、そこまでたどり着ける地域の人は2人しかいない。「『あんたらがいなかったら、寂しい祭りになっただろうなぁ。来てくれてありがとう』と言われました。枯れ木も山のにぎわいじゃないですけど、一人ひとりは大して役に立ちませんが、頭数いるだけでも喜ばれるのが山奥です。お酒飲むのに付き合うだけで、すごく喜んでくれるんですよ」と、山奥生活で、改めて「人がいることの価値」を体感していると話す。

ニワトリも放し飼い(写真提供/石井あらたさん)

ニワトリも放し飼い(写真提供/石井あらたさん)

家でも人の気配を感じながら、心地よく生活している

石井さんが拠点にしている共生舎での住民たちのメインの交流場は、広いリビング。共生舎はいわゆるシェアハウスだが、廃校になった小学校を利用しているため、スペースは十分すぎるほどに広い。

シェアハウスといえば、都会だと音や臭いなどが問題になりがちだが、そういったトラブルは皆無。それぞれがソーシャルディスタンスを保ちながら生活しているという。

広々としたリビングでは、テレビの前を陣取ったり、本棚前で読書したりと、好きなことを悠々と楽しめる(写真提供/共生舎)

広々としたリビングでは、テレビの前を陣取ったり、本棚前で読書したりと、好きなことを悠々と楽しめる(写真提供/共生舎)

「40畳ぐらいあるリビングに、8~10人が常にいて、好きなことをしています。
リビングが広いと、部屋の隅と隅で別の話ができるんです。そうすると、あっちのほうで面白い話をしてるなと思ったら、そっちに席を移って話に加わることができる。狭いリビングだと、一つの話をしていたらその話に参加するしかない。別々の部屋だと、面白いことしているか分からない。広い一つのリビングだからこそ、自分が加わる話題を選ぶことができて、ある種Twitterのような、ゆるいコミュニケーションができます。実際、リビングにいるけどそれぞれで別のことで遊んでいる光景をよく見ますね。
上手に距離を保ちながら、一緒にゲームをしたり、映画を観たりする人もいれば、一人で読書する人もいます」

住居スペースの広さを確保しにくい都市部と比べ、山奥は家の中も、外も開放的なのだ。

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

山奥生活に向いているのは、自分で楽しいことが見つけられる人

石井さんが集落にやってきてから過去7年に、累計40人がこの共生舎で生活をしてきた。見学には200人が訪れた。「住みたいという人を選り好みしようとはしなくなった」が、いくら広い居住空間で生活しているとはいえ、血のつながりや、もともと知り合い同士でもない他人が共同生活を送るには、ルールが必要。

NPOの運営は現在石井さんを含む古参の3人が“独裁政治”で担っている。「ニートたちは概ね仲がいいのですが、何かを決めるときは3人で相談して決めています。そんなことは1年に1度あるかないかですが」と話す。「ほとんどの場合、この山奥が合う人は残って、合わないと思う人は自然と去っていく」

共生舎の住民でノリでつくったミニコミ誌。16Pのうち4Pの共生舎の概要のほかは、漫画やレシピ、映画の感想、ボードゲームの攻略記事などかなり自由な内容。Vol2も予定している(写真提供/石井あらたさん)

共生舎の住民でノリでつくったミニコミ誌。16Pのうち4Pの共生舎の概要のほかは、漫画やレシピ、映画の感想、ボードゲームの攻略記事などかなり自由な内容。Vol2も予定している(写真提供/石井あらたさん)

今年だけですでに4人が入れ替わった。「(山奥での生活は、)自分で楽しいことが見つけられる人が向いていると思う」と石井さん。都会のいいところである、思いもよらない出会いはなかなかないので、出会いなしには生きられないという人には、山奥は向かないのかもしれない。またお互いが好き勝手にやっていることを面白がれるかどうか、それが共同生活の秘訣だ。

ちなみに、住民全員がニートというわけではなくリモートワークで働く人がいたり、一時的な滞在組と永住組が混在したりしている。

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

「『(仕事をしていてもしていなくても、滞在でも永住でも)どちらでもいいよ』というスタンスは、ニート支援をする他のNPOなどの組織と比べて、とても珍しい立ち位置。誰にも先のことなんて分からないのに、どうするかなんて決められないから。だから『どちらでもいい』んです」と、いたってシンプルな理由で寛大な方向性が決められている。

過ごし方も、仕事をする・しないも、お互いとの関わり方も、「どちらでもいい」。時にNPOなどの取り組みの“●●しなければならない”に息苦しさを感じる人もいるように思う。

ただ、共同生活をする上で、それぞれが何らかの手伝いをすることはほぼ暗黙の了解で義務のようにはなっているとのこと。食事を用意する、掃除をする、ゴミ出しをするといったことを、住民は厳しい決め事をせずに自然と手を貸し合いながら生活している。

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

山奥ニートになって、“自分が知らなかった感情”を知った

著書で、生まれて初めて「マジギレした(マジで怒った)」事件について触れた石井さん。普段は温厚で、嫌なこともすぐに忘れる性格だが、山奥生活を始めて3年目に、どうしても人やモノに当たらずにはいられない日があった。それは「自分の知らなかった感情」だった。

“マジギレ”だなんて、ネガティブなイメージがあるかもしれないが、今では石井さんはポジティブに受け止めている。「“マジギレ”したというのは、それだけ僕が人と関わって生きているという証拠だと思う。人と関わったからこそ、自分を知ることができた。自分がムカっとする相手に会ったときにどんな反応をするのかを知るということは、逆に自分が何に心地よさを感じ、何に嫌悪するのかが分かるようになるということだから」(石井さん)

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

(写真提供/石井あらたさん)

自分の感情を自然に発露できた山奥での生活のおかげで、怒り、心地よさ、嫌悪といった「感情」が自分の中に芽生えたと感じている。

それに、感情的であることは悪いことではないとも思っている。
「一人で生きていくということはかなり大変で、強い人でないと生きられない。弱い人は、弱い人同士が繋がって、生きていく方がいい。感情的になるということは、弱さも見せていくということ。だから、人と人の“しがらみ”もある程度必要だと思うんです」

コロナ禍で山奥生活を再確認

石井さんは、1カ月だけ共生舎に住んだことのある女性と3年前に結婚した。現在3カ月に1度、1カ月ほど名古屋に住む妻のところに滞在する“二拠点生活”を送っている。

山奥の生活はコロナ禍での変化がまったくない分、「マスクが必須になった都会は、以前以上に息苦しく映る」と石井さん。街中を歩くにもどこか罪悪感を抱かずにはいられず、何も考えずに歩ける山奥の暮らしがやはり好きだと再認識している。

とはいえ、都会の生活も嫌いではない様子。「山奥の生活の一番の魅力は生活費の安さ。都会の良さは、遊ぶ場所がある、新しい面白い人と出会える、食べ物の選択肢が多いということ。それぞれにいいところがある。都会のいいところを山奥に持っていけたら面白そうだと思うんですよね」

2020年2月10日(ニートの日)に登壇した「ニート祭り」の様子(写真提供/石井あらたさん)

2020年2月10日(ニートの日)に登壇した「ニート祭り」の様子(写真提供/石井あらたさん)

コロナ禍でオンラインでのコミュニケーションが一般的になり、石井さんは山奥にいながらにして地元の友達とのオンライン飲み会も頻繁に楽しむようになった。確かに、山奥での不便さも尊いものだが、都会の良いところも取り入れれば、より住みやすくなりそうだ。

「山奥にも住む人が増えたら最高」と話し、「共生舎に住むことは物理的に難しくても、周辺集落にもっと人が移り住んでくれたらうれしい」と続ける。「将来的には、妻も山奥生活することを考えているようです」

コロナ禍のこの半年、外出規制になったり、先の予定を全てキャンセルすることも余儀なくされた。予定やルーティンがベースにあった毎日が一変し、日々の過ごし方や、暮らしたい場所、仕事観など、価値観が大きく変わった人も多いだろう。それぞれが新しい生き方を模索するなかで、“山奥ニート”石井さんの「先を考えず、その時その時を思うままに暮らしているのに充実感を感じられている」生き方は、凝り固まった私たちの価値観にちょっと変化を与えてくれるように思う。

石井さんは、「就職して働いている人は、やっぱり立派です」と言いつつ、このウィズコロナ時代を「先のことを考えることが苦手な僕たちにとっては生きやすい時代」と話す。「働くこと以外なら、なんでもやる気があるんです」という石井さんは、山奥の暮らしをもっと楽しんでやろうと大きな野望を抱いている。

『「山奥ニート」やってます。』(石井あらた 著、光文社 刊)●取材協力
石井あらたさん
1988年生まれ、名古屋市出身。自称「山奥ニート」。浪人・留年・中退の末ひきこもり。2014年から和歌山県の山奥に移住。NPOの支援を受けるはずが、移住3日後に代表が亡くなり、理事として自主運営を開始。人口5人の限界集落の木造校舎に、ネットを通じて集まった男女14人と暮らしている。2017年に会社員の女性と結婚。現在は山奥と街の二拠点生活をしている。
Twitterアカウント:@banashi
ブログ:山奥ニートの日記
YouTube:山奥ニート葉梨はじめ
『「山奥ニート」やってます。』(石井あらた 著、光文社 刊)

コロナ禍で失われた高齢者の居場所。豊島区で「空き家を福祉に活かす」取り組み始まる

空き家増加が日本の社会問題として取り上げられる一方、高齢者、障がい者、低額所得者など、住宅の確保が困難な人たちが増加しています。これら2つの問題を一緒に解決する方策として豊島区で市民有志が立ち上げたのが「としま・まちごと福祉支援プロジェクト」です。

一体どんなプロジェクトなのか、企画・運営する一般社団法人コミュニティネットワーク協会の理事長、渥美京子さんにお話を聞きました。

コロナで高齢者の居場所がなくなった!

2020年4月の緊急事態宣言以降、休校・休園、自宅待機、店舗の営業自粛など、多くの人が行動制限されました。それは若い世代、子育て世代のみならず、高齢者や障がいをもつ人も一緒です。渥美さんによると「それまで高齢者のお出かけ先となっていた百貨店や大型電機店などの商業施設、地域センターなどの公共施設に行きづらくなり、自宅に引きこもる高齢者が増えた」と言います。

池袋駅前の大型電器店などは、豊島区の高齢者にとって憩いの場でもあった(画像/PIXTA)

池袋駅前の大型電器店などは、豊島区の高齢者にとって憩いの場でもあった(画像/PIXTA)

「特に定年退社まで仕事一筋で頑張ってきた男性は、仕事以外に趣味がない、会社関係以外の人づき合いが少なく、歳をとると同時に引きこもりがちになる傾向があります。

そうでなくても高齢者の多くの人、特に一人暮らしをしている人は『将来介護が必要になったらどうしよう』『孤独死したらどうしよう』という不安を抱えています。それでも『住み慣れた街を離れたくない』『都心は家賃が高いが住み続けたい』という人が多いのです」(渥美さん、以下同)

一般社団法人コミュニティネットワーク協会の渥美京子さん(撮影/片山貴博)

一般社団法人コミュニティネットワーク協会の渥美京子さん(撮影/片山貴博)

空き家を福祉に活用「としま・まちごと福祉支援プロジェクト」

そのような高齢者や障がいをもつ人、生活困窮者に住まいと居場所、就労できる場所を提供する目的で始められたのが「としま・まちごと福祉支援プロジェクト」です。

「豊島区の空き家率は2018年で13.3%と23区内で最も高い数字です。一方で高齢者等への大家さんの入居拒否感は根強く、日本賃貸住宅管理協会の調査では、高齢者世帯の入居に拒否感がある大家さんが70.2%、障がい者がいる世帯の入居に対しては74.2%にものぼります。空き家と住宅確保が困難な人びとをマッチングすることで、双方が抱える問題を一緒に解決できないかと考えたのです」

豊島区の空き家率は2018年で13.3%と23区内で最も高く、約9割が賃貸用(画像提供/豊島区住宅課)

豊島区の空き家率は2018年で13.3%と23区内で最も高く、約9割が賃貸用(画像提供/豊島区住宅課)

「としま・まちごと福祉支援プロジェクト」は空き家を活用したセーフティーネット住宅を中心に、見守り拠点・交流拠点を通じて地域住民と福祉支援を行う(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

「としま・まちごと福祉支援プロジェクト」は空き家を活用したセーフティーネット住宅を中心に、見守り拠点・交流拠点を通じて地域住民と福祉支援を行う(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

プロジェクトのポイントの1つ、空き家を活用した共生ハウス西池袋では、2017年にできた住宅セーフティーネット制度をもとにした豊島区の家賃補助制度が利用できます。家賃補助を受けることで家賃月額4万9000円で住むことも可能です(水道・光熱費等を含む共益費は別途1万円)。

「加えて共生ハウスから徒歩圏内に『共生サロン南池袋』という地域交流・見守り拠点を設けています。新型コロナウイルスの感染防止対策をしながら、日がわりで健康講座やスマホ・パソコン講座、卓球、麻雀カフェなどを企画運営することで、入居者や地域の人々が交流・相談・学習できる居場所づくりを目指しています。お酒がないとなかなか外に出ない男性たちが交流できるようにお酒や料理を持ち寄って『おたがいさま酒場』なども開催しているんですよ」

「共生サロン南池袋」で行われるスマホ・パソコン講座の様子(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

「共生サロン南池袋」で行われるスマホ・パソコン講座の様子(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

夜には地域の人びとが日がわり店長として「おたがいさまサロン」や「おたがいさま酒場」を開催(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

夜には地域の人びとが日がわり店長として「おたがいさまサロン」や「おたがいさま酒場」を開催(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

「共生ハウス西池袋」から徒歩圏内に、「共生サロン南池袋」がある(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

「共生ハウス西池袋」から徒歩圏内に、「共生サロン南池袋」がある(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

人と人とのつながりが、不可能を可能に

空き家の福祉への活用は、全国のさまざまな自治体で試みられていますが、まだまだ本当に成功事例といえるものが少なく、採算性をはじめとして多くの問題を抱えているようです。共生ハウス西池袋ができるまでにも、いろいろな困難があったのではないでしょうか。

「最も難関だったのが、空き家を貸してくださる方と出会えるかということでした。実は今回のプロジェクトは物件が決まるより前に国土交通省の令和元年度・住まい環境整備モデル事業に認定されたのですが、事業モデルをつくったものの、実際に活用できる空き家がなかなか見つからずに困っていたとき、力を貸してくださったのが民間の不動産会社の人たちでした」

空き家を見つけるのに苦労していたとき、協力して物件を探してくれたのが地域の不動産業界の人々だった(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

空き家を見つけるのに苦労していたとき、協力して物件を探してくれたのが地域の不動産業界の人々だった(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

協会の主催するセミナーに講師として登壇した不動産会社の人が、地元の不動産会社に声をかけて見つかった空き家が今回の物件でした。

「もともとは夫をなくされてお一人になった高齢者女性のご自宅でした。ご本人が介護施設に入居されてからは甥御さんが管理をされ、ファミリー向けに賃貸に出す方向で検討されていたそうです。その矢先に今回の『高齢になっても住み慣れた池袋で安心して暮らし続けられるようにする』というプロジェクトの趣旨に共感し、ぜひ協力したいと言ってくださったのです」

築35年の空き家が『共生ハウス西池袋』としてシェアハウスに生まれ変わった(撮影/片山貴博)

築35年の空き家が『共生ハウス西池袋』としてシェアハウスに生まれ変わった(撮影/片山貴博)

高齢者や障がいをもつ人にも配慮してリフォーム

7年間、住む人がいなかった空き家がリフォームを経て、シェアハウス型のセーフティネット専用住宅(高齢者、障がい者、低額所得者など、住宅確保が困難な人の入居を拒まない賃貸住宅)に生まれ変わりました。高齢者や障がいをもつ人が住むことを想定しているので、リフォームをするときも細やかに配慮されたそうです。

「前回の介護保険の改正で、要支援1、2は介護給付から予防給付に代わり、住民による自助努力が強化されました。また、介護認定は厳しくなる方向にあり、今後も介護予防に比重がおかれていくといわれています。『共生ハウス西池袋』では、そのような人が入居できるように配慮してリフォームを行いました。例えば、居室の入口は開け閉めがしやすいようにすべて引き戸に。1階と2階を行き来する階段やお風呂、トイレには手すりを取り付けています」

「共生ハウス西池袋」はシェアハウス型で居室は4つ。豊島区の家賃低廉化補助制度の対象者は、家賃4万8000円~4万9000円で入居できる(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

「共生ハウス西池袋」はシェアハウス型で居室は4つ。豊島区の家賃低廉化補助制度の対象者は、家賃4万8000円~4万9000円で入居できる(画像提供/一般社団法人コミュニティネットワーク協会)

4つある居室の入口はすべて、出入りがしやすくプライバシーを守る鍵付きの引き戸になっている(撮影/片山貴博)

4つある居室の入口はすべて、出入りがしやすくプライバシーを守る鍵付きの引き戸になっている(撮影/片山貴博)

階段やお風呂、トイレには入居者の安全を守る手すりが取り付けられている(撮影/片山貴博)

階段やお風呂、トイレには入居者の安全を守る手すりが取り付けられている(撮影/片山貴博)

実際に筆者も「共生ハウス西池袋」の中を見学させてもらいました! 新築同様にリフォームされた各居室はすべて二面採光でとても明るい雰囲気、クローゼットやベッドの下などに収納もしっかり確保されています。高齢者や障がいのある人だけではなく、若い単身世帯にもこの家賃は十分に魅力的です。

「家賃低廉化補助制度は、豊島区に引き続き1年以上居住、月額所得15万8000円以下などの条件を満たせば、若い単身世帯の人も活用できます。特定の人たちだけではなく、健康な若い世代も共生ハウスに入居することで、多世代交流など多くの区民に開かれた場所になれば、と考えています」

各居室はすべて二面採光で明るく清潔な印象。収納付きのベッドが既に備え付けられている(撮影/片山貴博)

各居室はすべて二面採光で明るく清潔な印象。収納付きのベッドが既に備え付けられている(撮影/片山貴博)

住民の交流の場にもなる共用部、キッチン・ダイニング(撮影/片山貴博)

住民の交流の場にもなる共用部、キッチン・ダイニング(撮影/片山貴博)

地域包括ケアと「福祉×福祉」の取り組みへ

住まい(セーフティネット住宅)と地域交流拠点(共生サロン)の整備がセットになったこのプロジェクト。ところが、渥美さんたちの構想はそれだけにとどまりません。

「これから先、少子高齢化が“待ったなし”で進み、介護保険財政は厳しくなると言われています。障がい者事業には民間の株式会社などの参入が相次いでおり、補助金頼みの展開は厳しくなることが予想されます。
こうしたなかで、持続可能な仕組みをつくるために考えているのが、『福×福』連携です。具体的には、介護事業と障がい者の就労支援事業を組み合わせます。例えば『農福連携』は『農産物の加工を施設を利用する障がい者が担う』ことですが、『介護保険事業(福祉)』と『障がい者の就労支援事業(福祉)』を掛け合わせたのが『福福連携』です。例えば、デイサービスの利用者が共生サロンのプログラムを楽しむときに、就労支援B型の利用者が準備や掃除、ときには卓球コーチなどをする。これによって、賃金を得るシステムを新たに取り入れたいと考えています。福祉の問題を本質的に解決していくためには、このようないくつもの横の連携が必須なはずです」

高齢者や障がいをもつ人が安心・安全に住み続けるためには、住まいそのものだけではなく、医療・介護などの付帯サービスが欠かせない(写真/PIXTA)

高齢者や障がいをもつ人が安心・安全に住み続けるためには、住まいそのものだけではなく、医療・介護などの付帯サービスが欠かせない(写真/PIXTA)

これまでサービス付き高齢者向け住宅である「ゆいま~る」シリーズの展開をはじめ、全国で高齢者や障がい者の支援を行ってきた協会だからこそできたこともあるのでしょう。渥美さんたちは現在、栃木県那須町でも廃校を活用し、高齢者の居住・介護・交流を目的とした複数の施設を有するまちづくりを行っているそうです。

一般社団法人コミュニティネットワーク協会の那須支所が取り組む「小学校校舎を活用した、那須まちづくり広場プロジェクト」(画像提供/那須まちづくり株式会社)

一般社団法人コミュニティネットワーク協会の那須支所が取り組む「小学校校舎を活用した、那須まちづくり広場プロジェクト」(画像提供/那須まちづくり株式会社)

自身の親のことや、また自分が歳をとって1人になったり、障がいをもったりする可能性を考えたときに、住み慣れた地域で、地域の人とともに住み続けられる支援策があればとても心強く感じることでしょう。

このプロジェクトでは、資金調達においても多くの市民の力を借りようと11月27日までクラウドファンディングを行っているそうです(「共生サロン南池袋」のキッチン設置が資金の用途)。サロンや酒場の名前の通り「おたがいさま」の気持ちで地域の人びとが支え合い、つながり続ける社会のモデルとして、このプロジェクトの成功を願わずにいられません。

●取材協力
・としま・まちごと福祉支援プロジェクト
・一般社団法人コミュニティネットワーク協会
・共生サロン南池袋クラウドファンディング (Readyfor)

お宝風景発見!「金沢民景」に学ぶ街歩きの新視点

新型コロナウイルス禍により、旅行に少し躊躇してしまう日々が続いています。それならば、この機会に地元の街をめぐってみましょう。「う~ん。うちのジモト、面白い場所がないんだよな~」。そんなふうに嘆いているあなた、いま話題のミニコミ誌「金沢民景(かなざわ・みんけい)」を読んでみませんか。街の見方が変わって、フレッシュな気持ちでジモト旅を楽しめますよ。
なんと1冊わずか100円。街の見方が変わるミニコミ誌が話題

「金沢民景」とは、石川県金沢市の住民がつくりだした風景を撮影し、テーマごとに一冊にまとめたミニコミ誌のこと。

金沢の風景をテーマごとに一冊にまとめた「金沢民景」(撮影/吉村智樹)

金沢の風景をテーマごとに一冊にまとめた「金沢民景」(撮影/吉村智樹)

2017年9月に第一号が発行され、現在までに17号を数えます。カラー16ページ。一冊なんと100円(税込)! という驚きのお値打ち価格。手のひらにすっぽりおさまる愛らしいA6サイズ(105×148ミリ)。街歩きのお供にピッタリです。

金沢民景のサイズ感がわかる写真

ポケットに入れて街歩きしやすいハンディサイズ(撮影/吉村智樹)

この「金沢民景」は、一冊ごとに「たぬき」「バス待合所」など、ひとつの視点に絞って編集されているのが特徴。

金沢民景かポート号の見開きページ

「金沢民景」……石川県金沢市の住民がつくり出した風景を収集し、テーマごとに一冊にまとめたミニコミ誌。「言われてみれば確かに不思議な光景」が豊富に収められ、物件の持ち主に取材をし、なぜこのような状態になったのか解説している(撮影/吉村智樹)

警察署に集められた焼き物のたぬきの写真

かつて陶器店の軒先に立っていた看板「たぬき」が現在は警察署に集められたという何ともユニークな光景(「たぬき」の巻より、画像提供/金沢民景)

どのテーマも暮らしに根を張っており、地元の人には見慣れた風景。それゆえに気にしなければ通り過ぎてしまうものばかりです。「妻壁(つまかべ)」「ひな壇造成」など耳慣れぬ建築用語がテーマの号があるかと思えば、「バーティカル屋根」などページを開くまで「それがなにを指しているのか分からない」謎めいた物件まで、多種多彩。

妻壁の写真

建物の短辺部分が屋根によって三角形に切り取られた外壁を「妻壁」と呼ぶ(「妻壁」の巻より画像提供/金沢民景)

ひな壇造成の写真

金沢の地形は起伏に富んでおり斜面に沿うよう町が形成されている「ひな壇造成」と呼ばれるもの(「ひな壇造成」の巻より、画像提供/金沢民景さん)

発行しているのは金沢で設計事務所を営んでいる建築士の山本周さん(35)。
ほかにも金沢に住んでいたり、お勤めだったり、なおかつ街歩きが好きな人たちが集まって編集しているのです。

「民景」って、いったいなに? 私たちが住む街でも民景は見つけることができるの? そして民景が私たちに語りかけてくるものとは? 代表の山本周さんにお話をうかがいました。

山本周さんの写真

「金沢民景」発行人の山本周さん(写真撮影/吉村智樹)

暮らしのなかから生まれたデザイン、それが「民景」

――「金沢民景」をとても楽しく拝読しました。巻数の多さと、観察力に圧倒されました。金沢の街への愛情が伝わってきます。「民景」は、もともとある言葉なのですか。

山本:「 “民景”は造語です。『住民がつくった風景』の略なんです。街に住んでいる人が、暮らしのなかで必要になって生まれたデザイン、それを民景と呼んでいます。実用性と街の人々の美意識が重なってつくられた風景を誰かが評価しなければ、という気持ちで、この言葉をつくりました」

街で見つけた民景を撮影する山本さんの写真

まるで用水路の上を浮かんでいるように見えるロッカー。山本さんは暮らしが生んだデザインを「民景」と呼び採集している(写真撮影/吉村智樹)

――「金沢民景」に掲載された画像を観ていると、確かに暮らしから生まれたデザインだと感じます。やむにやまれず生まれたアートというか。

山本:「いろんな格闘の跡が見えますよね。そこが人間らしくていいなと感じたんです」

風除室の写真

強風から家を守るために玄関に設置された「風除室」(「風除室」の巻より、画像提供/金沢民景)

「金沢の街並みが大好き」

――「金沢民景」の発行人である山本さんは、ご出身も金沢なのですか。

山本:「実は生まれは新潟なんです。その後、日本の各地を転々としました。幼少期は埼玉。小学校から高校時代までを神戸で過ごし、金沢美術工芸大学への進学のために金沢にやってきました。大学・大学院と、金沢には計6年いました。それから関東で就職したんですが、4年前に金沢に戻ってきました。金沢の街並みが好きで、自分に合うんです」

さまざまな時代の建物が混在する金沢

――「民景」を意識するようになったのは、いつからですか。

山本:「やっぱり大学進学のために金沢に来てからですね。金沢の景色や建物を初めて見て、びっくりしたんです。金沢は戦災に遭いませんでした。なので、100年以上も前の建物がたくさん遺っています。しかも有名な建築だけじゃなくて、一般のお宅も。現在も誰かがちゃんと住んでいるんです。明治、大正、昭和、いろんな時代の建物がごっちゃに混ざっている。そのなかで生活が営まれているのが面白かったですね」

門柱の写真

柵が取り払われたため「門柱」だけが残った。時代の経過を感じられて味わい深い(画像提供/金沢民景)

カーポートの写真

雪から車を守るため家を建てたあとに設置された「カーポート」。猫除けネットや所せましと並ぶ植木鉢など時間の経過とともに生活色に彩られていった(画像提供/金沢民景)

ピロティの写真

古民家の一階部分を鉄骨で補強し、大胆に「ピロティ」(一階に壁がなく開放空間とした建築形式)に変えてしまった(画像提供/金沢民景)

――確かにこちらのオフィスへうかがう途中の風景は、古い建物と新しい建物が混在していました。バラエティに富んでいて、きょろきょろしてしまいました。

山本:「ここ(オフィス)のまわりは武家屋敷が並んでいます。江戸時代からの風景が残っているんです。そのすぐ隣には、昭和な雰囲気の通りがあります。さらにその向こうは平成生まれのオフィス街。歩いているだけで、いろんな時代を通り過ぎることができます」

バルコニーから街を眺める山本さんの写真

さまざまな時代の建物が混在する金沢の街をバルコニーから眺めるのが好きだという山本さん(写真撮影/吉村智樹)

――金沢はやっぱり素敵な街ですね。とはいえ山本さんは関東で就職していたんですよね。そこを捨ててまで、金沢への転居を決めたきっかけはなんですか。

山本:「北陸新幹線の長野~金沢間が開業したのが2015年。新幹線が初めて金沢に停車した日が僕の誕生日だったんです。それで勝手に金沢にご縁を感じて。『こりゃ戻らなきゃいけない』って。大学時代に『いいな』と思っていた街なみや、古くていい感じの通りが新幹線の開通とともに整備されて公園になっていたのはとても残念でしたが、時代の変わり目に立ち会えたのは貴重な経験だったと思います」

金沢駅の写真

新幹線開通とともに整備された金沢駅周辺(写真撮影/吉村智樹)

「金沢民景」はサークルではなく“町内会”

――「金沢民景」は山本さんひとりではなく同好の人たちが集まってつくっているそうですね。メンバーはどういう方々なのですか。

山本:「メンバーのほとんどが金沢在住です。現在は7~8人でやっています。年齢も職業もバラバラです。僕はサークルというより、町内会だと思っています。町内会って会員の世代がさまざまだし、メンバーがしょっちゅう会わないじゃないですか。けれども、なにかをつくるときには一致団結する。そういう点で町内会に近いですね。そして民景の画像は町内会の共有財産という感覚です」

――「共有財産」! 景色が財産とは、いい言葉ですね。どうやってメンバーから「あそこにいい民景がある」という情報を集めているんですか。

山本:「金沢民景のグループLINEがあるんです。それぞれ自分が撮った画像をLINE上のざっくりしたフォルダへ納めていく。そうやって情報を共有しています。みんな生活がありますから、リアルではほとんど会えません」

腰壁の写真

まるで帯を巻いているかのような見事な「腰壁」。山本さん曰く「町内会」のメンバーから情報が届く(画像提供/金沢民景さん)

――あちこちから新情報が届いて、楽しそうですね。「金沢民景」はテーマごとに一冊にまとめておられますが、最初から毎号ひとつの視点でミニコミ誌にまとめる計画だったのですか。

山本:「いやあ、はじめのころは、そこまで強い気持ちはなかったですね。ミニコミ誌にする予定すらなかったんです。特にテーマは設けず面白い物件があったらカメラにおさめ、みんなでコメントをしあっていただけでした。『この屋根、いいよね』『この柱、味があるね』って。そのうち、例えばカーポートの写真が溜まってくるなど自然に“分野分け”ができだしたんです。メンバーにひとり、ミニコミ誌制作や製本に詳しい人がいたので、『では分野ごとに一冊にまとめましょう』と。そういうふうに進んでいきました」

カーポートの写真

「曲線が美しいカーポートがある」など情報が集まってくる(画像提供/金沢民景さん)

夫が編集し、妻がデザイン。一冊ずつ手づくりで発刊

――どうやって次号のテーマを決めているのですか。

山本:「傾向が近い風景がLINEグループのフォルダのなかにおよそ50枚~100枚が集まって、『この分野、おもしろそうだな』と思ったら、ですね。いい情報がたくさん集まったら一冊にまとめる、そんな流れです。ですので発行は完全に不定期です。発行しなきゃいけない日はあんまり決めずに、気が向いたら」

――ゆるそうに聞こえますが、「気が向いたら」で、3年で17冊はすごいです。そして判型が小さくて、かわいいです。

山本:「学生のころからカラーブックス(※)が好きだったんです。種類がたくさんあって、集めていくうちにひとつの世界ができあがる、あの感じが好きでした。『カラーブックスのような小さなサイズの図鑑をつくりたい』、そんな気持ちはずっとありました」

カラーブックスの写真

※カラーブックス……出版社「保育社」から発売されていたカラーページが豊富な文庫本のシリーズ。1962年に創刊。37年に亘り909点が刊行され、コレクターズアイテムとなっている(写真撮影/吉村智樹)

――それに温かな手づくり感が伝わってきます。

山本:「装丁はデザイナーの妻がやっていて、一冊ずつがハンドメイドなんです。なので、あんまり大量にはつくれません」

「民景」を見つけると街の特徴が浮かび上がってくる

――それにしても、路上観察系のミニコミ誌で、ここまで細かくテーマ分けされたものは初めて見ました。

山本:「分野で分けると、地域の特徴が見えてきます。例えば“バルコニー”。歩いているうちに、なぜか広いバルコニーを設けている家がたくさん集まっているエリアに出くわしました。調べてみると町割(まちわり/一定範囲の土地に複数の街路や水路を整備し、それによって土地を区画整備すること)が細かくて、お庭が造りにくいのだとわかったんです。なので皆さん、バルコニーをお庭のように使って楽しんでいる。バルコニーという視点から街の特徴が分かってくる。そういう逆の発見があるんだって気がついたんです」

我が町の当たり前が通用しない。地域によって「民景」は異なる

――街の景色がテーマごとに一冊にまとまると、こんなにクリエイティブな世界だったんだと驚かされます。例えば街で石臼がこんなにも再利用されているって、気がつきませんでした。

山本:「自宅で蕎麦やうどんを打っていたり、大豆をすりつぶしていたり、石臼は、かつてはどこのご家庭にもありました。生活習慣が変わって石臼を使わなくなり、捨てるわけにもいかず、再利用しているようなんです。地域によっては石臼を供養する塚があるんですよ」

軒先にある石臼の写真

植木鉢の台座になっている石臼。蕎麦を打つ習慣があった街では石臼の再利用(?)が見受けられる(「石臼」の巻より、画像提供/金沢民景さん)

――読んでいて「これはまさに金沢民景だな」と感じるテーマもありました。とりわけ「風除室(ふうじょしつ)」は、私が住む京都市内では見たことがないです。

山本:「風除室は、海風を遮ったり、山の方だと雪で玄関の開け閉めができなくなるのを防いだりするために設けてあるんです。『雪吊り』も北陸や新潟にあります。雪が少ない地方だと、ないかもしれませんね」

風除室の写真

玄関の前にもう一室が誕生する「風除室」(「風除室」の巻より、画像提供/金沢民景)

雪吊りの写真

北陸特有の水分が多く重い雪から木の枝を守るために吊るされた「雪吊り」は雪深い地方ならではの民景(「雪吊り」の巻より、画像提供/金沢民景)

民景は「境目」をつなぐ工夫のなかから生まれる

――民景を見つけるコツはありますか。

山本:「“境目”ですね。なにかとなにかの変わり目を見ていく。すると、そこにいいデザインが現れる場合が多いです。川と住宅地の境目、お家とお家の境目、道路と家の境目、時代と時代の境目。そういった境界線付近を見ていくと、そこにはなにかしらの工夫がされている」

――つまり、工夫を見つけるのが大事なんですね。

山本:「 “工夫”に感心する、それが民景の面白さのひとつだと思います。斜面と平地の境目には、きっと困っている人がいる。そして、そこには悩みを解消するための工夫が生まれる」

――先ほどおっしゃった「いろんな格闘の跡」ですね。でも民景って、どこにあるのかが、分からないですよね。「ここに注目」って地図に載っているわけではないですものね。

山本:「地図に載っていれば見つけるのがラクですよね。ただ、それでも地図は見たほうがいいんです。地図を見ていると、新しい街はだいたいグリット(罫線)のようにきれいに整備されています。ところがときどき、なかにごちゃごちゃっとして整理されていない、細い路地が集まっている場所があるんです。『ん? ここはなんかあるぞ』とピンとくるんですよ。そういう場所を実際に歩いてみると、いい民景がたくさん見つかる場合が多いです」

インタビュー中の山本さんの写真

「民景」を発見すると「なぜ、こうなったのか。理由を知りたくなる」という(写真撮影/吉村智樹)

掲載する際は撮影許可を取る。そこにドラマがある

――一冊にまとめる際は、LINEグループのフォルダに集まった画像を掲載しているのですか。

山本:「いいえ。集まった情報をもとに物件がある場所を訪れ、掲載許可の取得を兼ねて、可能な限りインタビューしています。そして、どういう経緯でこの物件ができたのか、誰がなぜこの色にしたのか、風除室はなぜつくったのかなど、お話をうかがいます。そして一眼レフで撮りなおして掲載しています。残念ながら許可が取れず載せられない物件もありました。やっぱり気持ち悪いじゃないですか。突然『この屋根は何のためにあるんですか?』って訊いてこられたら。『わ、やべーやつ来た!』って思いますよね」

――取材をする側の度胸が必要ですね。

山本:「そうですね。でも、掲載許可をいただくために物件の持ち主を取材する、その行為自体はとても楽しいんですよ。例えば屋根の上に、手すりがまるで蛇のような形状のバルコニーがあったんです。それが気になって、勇気を出してバルコニーがあるお宅のインターフォンを押してみました。すると、お母さんが対応してくれて。それから2時間くらい、ずっとお母さんといろんな話をして、最後には人生相談にまで発展しました(笑)。その体験がすごく楽しくて」

――民景にはドラマがあるんですね。

山本:「お母さんは植物を育てるのが大好きだったんです。そしてお父さんが、たまたま日曜大工が趣味でした。そんなお父さんが屋根の上に陽(ひ)がよくあたっているのに気がついて。それでお父さんがお母さんのために植物を育てられるバルコニーをどんどんどんどんつくっていったそうなんです。つまり、お母さんのためだったんです。謎のバルコニーには、そういうストーリーが背景にあるんだって分かって。その分かっていく過程が面白くて。『民景には物語があるんだ。逸話をみんな聞いてやろう』と思って、それからインターフォンを押すようになりました」

バルコニーの写真

手すりがうねるようなバルコニー。そこには夫婦の情愛の物語があった(画像提供/金沢民景)

今後一冊にまとめたいテーマは「雪除け屋根」

――今後、刊行したいテーマはありますか。

山本:「いま気になっているのが、『雪除け屋根』。冬になるとお寺の境内に現れる三角形の屋根です。お寺の屋根に雪が積もると、塊になって下にばーっと落ちてきて危ないじゃないですか。手を合わせている人に雪の塊が当たると怪我をしかねない。そういった事故を防ぐために、三角形のトンネルのようなものを設置します。落ちてきた雪が三角屋根に当たると左右に飛び散るんです」

雪除け屋根の写真

屋根から落ちてきた雪から通路を保護する「雪除け屋根」(画像提供/金沢民景)

――雪国特有の造形物でしょうか。初めて見ました。見た目のインパクトが強いですね。

山本:「パワーが集まってきそうですよね(笑)。この三角屋根の物件は僕も金沢に来て初めて見ました。金沢のいろんな場所にあります。ただ冬にしか登場しないのが難点で。いつか一冊にまとめたいのですが、かなり時間がかかるだろうなと思います」

――民景を見つけて画像や冊子にして保存する行為は、郷土史という観点でも民俗学としても重要なことだと感じました。

山本:「ぜひ、『民景』という言葉も皆さんに使っていただいて、ご自身の街をみていただければ」

民景とは、人々がそこで暮らした証しなんですね。取材を終えて金沢駅へ向かう道すがらの光景は、行きがけよりもさらに尊い輝きを放って見えました。

新型コロナウイルスの影響で遠出がしづらい今だからこそ、ご近所を散歩してみませんか。歩いた経験がない路地をめぐってみましょう。自宅周辺の民景をさがすことで地域の再評価へもつながります。日本各地からさまざまな表情を見せる民景が見つかれば、通り過ぎていた価値が見直され、街への愛情が生まれ、日本が元気を取り戻せる。そんな気がした一日でした。

山本周さんプロフィール写真山本周
1985年生まれ。建築士。金沢市の住民がつくり出した風景を収集する活動「金沢民景」を主宰し、活動の記録をミニコミ誌にまとめ続けている。(写真撮影/吉村智樹)

金沢民景 Webサイト/Instagram/Twitter

「ふるさと副業」で個人と地域の成長を。福井県が取り組む関係人口の新しいかたち

地方と関わる新しい形、「ふるさと副業」が広がっている。都市部で働く人材が地方の企業や団体・自治体などの仕事に関わる働き方だ。前回(「地方に副業を持つ『ふるさと副業』が拡大中!地域とゆるやかにつながるきっかけを」)に続き、今回は実際の取り組み事例を、働き手と受け入れ側、双方の視点から紹介する。
自治体ながら民間の転職サイトを通じて「ふるさと副業」の求人を行った福井県 地域戦略部副部長の藤丸伸和さんと未来戦略課主査の岩井渉さん、「未来戦略アドバイザー(以下『アドバイザー』)」3名に話を聞いた。
プロの力を借りると同時に、関係人口増加を狙った

2019年9月、福井県では副業・兼業限定で「未来戦略アドバイザー」を公募した。業務内容は「県が策定を進める長期ビジョンを、県民に分かりやすく伝えるための広報戦略立案・実行」。勤務は月2回程度、うち1回は福井県を訪問することが条件で、1回の勤務あたり2万5000円が支払われる。

福井県 地域戦略部 の藤丸さん(左)と岩井さん(右)(画像提供/福井県)

福井県 地域戦略部 の藤丸さん(左)と岩井さん(右)(画像提供/福井県)

募集の背景には、2023年春に北陸新幹線が福井県敦賀市まで延伸されることがあるという。

「リニア中央新幹線の全線開業なども含め、福井を取り巻く交通ネットワークの整備が進み、来福者の増加が予測されます。⼀⽅で、他の地方同様、福井県も人口減少や高齢化の課題を抱えています。先を見越して働き方や暮らし方を考えていく必要がある。そうした背景から、20年先を見据えた長期ビジョンづくりを進めています」(藤丸副部長)

しかし、「県庁が決めたビジョンを発表する」という従来のコミュニケーションでは不十分と考えたという。

「県民の方に、ビジョンをいかに『自分ごと化』し、具体的な行動に移していただくかが重要です。しかし、県庁職員の未来戦略課のメンバーだけでは、『どのターゲットを巻き込むために、どのような手法・メッセージングが適切か』といった視点やスキルが不足していると感じていました」(岩井さん)

そこで、広報・マーケティングなど「伝える」ことに関するプロ人材を外部から募集することにしたという。

「兼業・副業限定で募集したのは、他の自治体において、この形式で数多くの応募があったことを知っていたからです。また、できるだけ多くの方に一定期間、何らかの形で地域に関わってもらうことが関係人口増加のためにも大切だと考えており、この形式を選びました」(藤丸さん)

当初は応募があるか不安視していたというが、蓋を開けてみれば想像をはるかに上回る421名の応募があった。スキルの高さと福井県に対する思いの強さ、最終選考でのプレゼン内容を基準に4名を選出。2019年11月より、実務にあたっている。

県外出身者も選出。県庁職員への好影響も任用されたアドバイザーの4名。左から大宮千絵さん、坂井美帆さん、瀬戸久美子さん、太田誠二郎さん(画像提供/大宮千絵さん)

任用されたアドバイザーの4名。左から大宮千絵さん、坂井美帆さん、瀬戸久美子さん、太田誠二郎さん(画像提供/大宮千絵さん)

今回話を聞いたアドバイザー3名のうち、大宮千絵さん、坂井美帆さんは福井県出身、瀬戸久美子さんは東京都出身だ。

坂井さんは、同県の高校卒業後、進学を機に上京して都内の大手PR会社や投資ファンドで10年以上にわたり広報・PRのキャリアを積んできた。応募したのは、「これまではふるさと納税をするくらいしか故郷に関与できなかった。自身が培ってきたスキルで貢献できる絶好のチャンス」という思いから。

同じく福井県出身の大宮さんは、大手自動車メーカーでマーケティングの経験を積んだ後、現在、開発途上国における飢餓や栄養失調問題に取り組むNPO法⼈TABLE FOR TWO InternationalのCMOを務めている。本業でも福井県から協賛を受けており、「恩返しの形を模索していた」中での応募だった。

一方、東京都出身の瀬戸さんは、『日経WOMAN』『日経トレンディ』の副編集長などを経て現在フリーランスで活動しており、これまではまったく福井と縁がなかったというが、「『福井モデル』(文藝春秋)という本を読み、幸福度や世帯年収が高く、社長輩出数も随一という福井県の特殊性に興味を持った」ことから応募に至ったそうだ。

任命後は、「広報・PR」「マーケティング」「編集」とそれぞれの強みを活かす形で活動している。

大宮さんは、福井県民自身がそれぞれの友人や仲間に声をかけて、未来について語り、発信する場を主催する取り組み「FUKUI未来トーク」を企画・実施。

坂井さんは「長期ビジョン」を県民が考えるきっかけとなるような各分野の第一人者を招いたセミナーを企画。県民がコンテンツに興味を持てるよう、福井県庁の方が主体となったSNSでの情報発信を行った。

瀬戸さんは長期ビジョンの方向性を、県民に伝わりやすいビジュアルデザインに落とし込んだり、Facebookやnoteを活用したメッセージ発信を行っている。県庁職員などに対して「伝え方講座」の実施も計画中だ。

アドバイザーたちの仕事に、県庁職員も良い影響を受けているという。
「私たちだけでは思い浮かばなかったアイデアをいただいたり、作成した案内チラシやSNSを見て『こう表現したら伝わるのか!』と学んだり。皆さんの仕事に刺激を受けて、職員のスキルレベルも上がっていると感じます」(藤丸さん)

アドバイザー任命後、初打ち合わせの様子(画像提供/福井県)

アドバイザー任命後、初打ち合わせの様子(画像提供/福井県)

中学1年生向けに実施した福井県長期ビジョンについての出前講座の様子(画像提供/福井県)

中学1年生向けに実施した福井県長期ビジョンについての出前講座の様子(画像提供/福井県)

副業で携わるアドバイザーの稼働時間は限られている。月2回程度、さらに現地を訪れるのは月1回という勤務体系の中で成果を生むために、各プロジェクトは県庁職員とアドバイザーでチームを組んで進めているという。

「アイデアの発想や企画はアドバイザーの皆さんが、事務作業や地域での交渉は県庁職員が得意とするところ。お互いの得意分野を活かして仕事を仕切っています」(岩井さん)

非出身者ならではの悩みも

非出身者である瀬戸さんは、「外から地域に入る」難しさを感じたこともあったという。
「『東京都の出身で、福井を知らない人に何ができるのか』と思う方もいると思いますし、指摘されたこともあります。それはどこの地域でも多少は起こり得るものですよね」(瀬戸さん)

「よそ者だからこそ持ちうる視点や、キャリアから来る強みを明確にして、具体的なアウトプットに落とし込もう!」と自分を奮い立たせたという瀬戸さん。その中で、本業で培った「聞く力」が役立ったと語る。

「自己アピールをするのではなく、相手のこと、地域のことを知って理解しようとする姿勢を示すことで、心を開いていただける。都市部に住んでいるからこそ感じられる福井の良さや、相手に対するリスペクトを言葉にすることも大切だと感じています。
福井を深く理解している方のほうが適している仕事は他のアドバイザーの方にお任せし、私は私にできることを最大限務めよう、と考えています」(瀬戸さん)

福井県(画像/PIXTA)

福井県(画像/PIXTA)

また、「ふるさと副業」のなかにはリモート業務だけで完結できるものもあるが、この福井県の未来戦略アドバイザーの場合は、月に1回現場に通う故の課題もある。3者とも、体調管理やタイムマネジメントは苦労したようだ。

「福井まで片道4時間ほどかかるので、長距離移動による体の負担はどうしてもあります。月曜夜に福井に帰って、火曜に県庁のお仕事をして、火曜の夜に東京に戻って水曜から本業…という2拠点生活にしばらくは慣れなくて、体調を崩したりもしました」(坂井さん)

瀬戸さんも、時間の使い方に工夫が必要と語る。
「実際に福井県に行く1日に人と会う予定を固めてしっかりインプットして、残りの1日分で一気にアウトプットしています。とはいえ、企画の仕事は明確にオンとオフを分けられるものではないので、常に頭の片隅にはある感じですね」(瀬戸さん)

2児の母である大宮さんも「自分の時間も体力も有限なので……さまざまなサービスを活用して家事を短縮するなど工夫はいりますね」と2人の意見に頷く。

また、会社勤めである坂井さんと大宮さんは「本業からの理解を得ることも大切」と口をそろえる。
「あらかじめ、どんな思いで福井県の仕事に取り組んでいるのか、本業側の仲間にも共有しています。結果として応援してもらうことができ、とてもありがたく感じています」(大宮さん)

アドバイザーと福井県出身の東京都在住者との座談会の様子(画像提供/福井県)

アドバイザーと福井県出身の東京都在住者との座談会の様子(画像提供/福井県)

仕事を通して得た人のつながりは、一生もの

課題はたくさんあったが、それでも「福井での仕事を通して得ているものの方がずっと大きい」というのが3人の共通見解だ。

「福井県に顔の見えるつながりができたことは自分にとってすごく大きな価値。顔の見えるつながりができると、その地域への興味関心がぐっと高まりますよね。福井県で起こるニュースが他人ごとではなくなって、自分ごととして捉えられるようになりました。
両親が福井に行きたいと言っているので、落ち着いたら福井旅行も計画したいと思っています」(瀬戸さん)

「福井の良い面を改めて知ることができました。学生時代の友人やこの仕事を通じて知り合った福井の方々と、福井の未来について話すことができたり、実家の家族とも定期的に会える機会ができて、福井の大切な人とのつながりを以前よりも密に感じます。自分の気持ちの豊かさも増していると感じますね。
ともに働くアドバイザーや県庁職員の方からも刺激を受けて、自分のキャリアを考える中でも大切な機会になりました」(大宮さん)

「アドバイザーの活動を、SNSを通して知った本業の仕事関係の方から、『福井つながりで』と人を紹介して頂いたことが何件かありました。アドバイザーの仕事で出会う方々だけでなく、こうした機会を通じて人のつながりがより一層広がっていっていると感じます。

東京にいる本業の同僚たちも興味を示してくれて、福井に全然ゆかりのない先輩や同僚も『福井通』になってくれているんですよ。そのこともとてもうれしく思っています」(坂井さん)

この仕事を通じてできた仲間や人脈が何よりの宝。契約期間終了後も、福井とのつながりを大切にしていきたい――3人は笑顔でそう語ってくれた。

福井県(画像/PIXTA)

福井県(画像/PIXTA)

「今回の取り組みは、福井県庁にとってトライアル的なもの」と藤丸さんは語る。

「今回のケースをきっかけに、他の部や課にも外部のプロフェッショナル人材を招いたプロジェクトを展開できるのではないかと考えています。また、アドバイザーの皆さんのスキルを、未来戦略課以外の部や課で活かすこともできるのではないかと。

私たちが最終的に目指しているのは、福井県内の中小企業と都市部のプロフェッショナル人材をマッチングさせる仕組みをつくることです。地域に根差した中小企業の力と、優れたスキルやノウハウを持った方々の力をコラボレーションさせることで、福井の産業をさらに発展させられると確信しています。今回の取り組みは、その構想を実現させる第一歩ですね」(藤丸さん)

“仕事”を通すからこそ生まれる「信頼関係」「地域との絆」

自身の故郷や関心のある地域と関係を持つ方法として、ふるさと納税、観光、移住といった選択肢は今までもあった。「ふるさと副業」の特徴は、「仕事」という機会を通しているからこそ、地域での人間関係の基盤となる「信頼」や、「地域との絆」と呼べるような愛着が生まれている、という点ではないだろうか。

地方副業のマッチングサイトをのぞいてみると、本当にさまざまな仕事がある。今回のようにキャリアを積んだプロフェッショナル人材を求めるケースもあれば、学生向けの募集なども存在する。

「移住」よりはハードルが低く、「ふるさと納税」や「観光」より深いつながりを生みだす新しい選択肢として。「ふるさと副業」は今後も広がっていきそうだ。

●関連記事
地方に副業を持つ『ふるさと副業』が拡大中!地域とゆるやかにつながるきっかけを

●取材協力
福井県 地域戦略部 未来戦略課

老・病・死をタブーにしない。福島県いわき市のメディア『igoku(いごく)』の挑戦

『いごく(igoku)』とは、福島県いわき市役所の地域包括ケア推進課が手掛けているメディアで、「老・病・死」をテーマに、地元のクリテイターと手を組み、フリーペーパーとウェブで情報発信している。
これが、お堅いイメージのある行政が関わっているとは思えないほど、独特で、笑えて、“エモい”のだ。
さらに、2019年グッドデザイン賞の金賞を受賞したことも大きな話題に。
「縁起でもない」と敬遠されがちなことに「マジメに不真面目」に取り組んでいるつくり手たちに、『いごく』が始まった経緯、課題の背景、今後の展開などをお伺いするべく、福島まで足を運んでみた。

地域包括ケアとは何ぞや? 一人の職員の行動から始まった取り組み

「やっぱ家で死にてぇな!」「死んでみた!」「パパ、死んだらやだよ」「認知症解放宣言」――。ドキっとするけど、重くない。どこか、クスっと笑えるタイトルが並ぶ。フリーペーパーの「紙のいごく」の特集名だ。
グラビアは「老いの魅力」なる、おじいちゃん、おばあちゃんのポートレート。なんともいえない、いい表情がとらえられていて、「福祉」「介護」から連想する、生真面目なイメージからはほど遠い誌面だ。
ウェブマガジンでも、とにかく楽しそうなおじいちゃん、おばあちゃんの様子が臨場感ある写真とコピーでレポートされている。

ウェブマガジンで各地域のつどいの場をレポート。「いごく」はいわきの方言で「うごく(動く)」の意味。「いごく」人々や取り組みに焦点を当てている(画像/ウェブマガジンより)

ウェブマガジンで各地域のつどいの場をレポート。「いごく」はいわきの方言で「うごく(動く)」の意味。「いごく」人々や取り組みに焦点を当てている(画像/ウェブマガジンより)

コンセプトは、「死や老いをタブーにしないこと」。そして「面白がること」。
「人生の“最期”をどこで、どんなふうに迎えたいか、自分が考えたり、親子で会話するきっかけになったらと思っています」と、『いごく』の発起人であるいわき市役所の職員である猪狩僚さん。

いごく編集長(と、自分で勝手にネーミングしたそう)の猪狩さん。記事方針は明確に伝えるが、「あとはクリエイターたちにお任せ」だそう (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

いごく編集長(と、自分で勝手にネーミングしたそう)の猪狩さん。記事方針は明確に伝えるが、「あとはクリエイターたちにお任せ」だそう (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

そもそも『いごく』が生まれたのは、4年前、猪狩さんが新設の「地域包括ケア推進課」に配属されたことがきっかけ。「僕は福祉の領域は初めて。そもそも”地域包括ケアってなんだ?”というところからのスタートで、ミッションすらまだ定まっていない状態でした。具体的に何をすればいいのか手探りで、とりあえず医療や福祉の現場をのぞかせてもらったんです」(猪狩さん)。

そんななか、猪狩さんが衝撃を受けたのが、医療や福祉の現場スタッフによる勉強会に参加したときだった。
「みんな、仕事終わりですごく疲れているのに、自腹で参加費500円を払って参加しているんです。これにまず驚き。そして、涙ながらに“あのとき、患者さんにまた違ったアプローチをしていれば、利用者さんとそのご家族が幸せな最期を迎えられたんじゃないか”と反省している方がいて……。自分が当事者にならないと介護の現場に触れる機会がないから、多くの人は現場で働く方々の想いを知らない。『この現場の想いを、誰かが発信してもいいんじゃないかな』。それが僕のミッションだと考えたのがスタートでした」(猪狩さん)。

当事者以外に届けるなら、デザインの力が不可欠

そして、自分が望む場所で最期まで暮らせる「選択肢がある」社会にすることが、地域包括ケアの目的ではないかと考えるようになった猪狩さん。

「そのためには、まだ介護や老後、死がまだ身近にない人こそ、“何だろう”“面白そう”と思えるプロダクトや、デザインの力が必要だと思いました」
それからの猪狩さんの行動が驚きだ。
「たまたま、地元のかまぼこメーカーさんの商品“さんまのぽーぽー焼風蒲鉾”のデザインがすごく良くて、”ポスターをつくってほしい!”と押しかけました(笑)」(猪狩さん)
そのデザイナーが、現在「いごく」のメンバーの一人である高木市之助さん。最初は戸惑っていたものの、「だったら印刷も必要だ」と友人に声かけたり、「編集や書いたりできる人もいたほうがいいね」といったふうに、だんだん人が集まっていった。

「いごく」を支えるメンバーの面々。左から、郷土歴史家の江尻浩二郎さん、地域活動家として著作『新復興論』が大佛次郎論壇賞を受賞したエディターの小松理虔さん、猪狩さん、メディア全体のプロデューサーの渡邉陽一さん、いわき市の地域包括ケア推進課の瀬谷伸也さん。あの日、突然押しかけられたデザイナーの高木市之助さん、映像カメラマンの田村博之さんは残念ながらこの日は不在(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「いごく」を支えるメンバーの面々。左から、郷土歴史家の江尻浩二郎さん、地域活動家として著作『新復興論』が大佛次郎論壇賞を受賞したエディターの小松理虔さん、猪狩さん、メディア全体のプロデューサーの渡邉陽一さん、いわき市の地域包括ケア推進課の瀬谷伸也さん。あの日、突然押しかけられたデザイナーの高木市之助さん、映像カメラマンの田村博之さんは残念ながらこの日は不在(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

毎週木曜日はゆるやかな「編集会議」が。時にふざけつつ、脱線もしつつ、笑い声が絶えない。ノリはまるで男子校だ。「男ばっかりというのはちょっと問題アリだとは思っているんですけど(笑)」(猪狩さん) (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

毎週木曜日はゆるやかな「編集会議」が。時にふざけつつ、脱線もしつつ、笑い声が絶えない。ノリはまるで男子校だ。「男ばっかりというのはちょっと問題アリだとは思っているんですけど(笑)」(猪狩さん) (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

福祉の素人だからこそ書ける「ありのまま」の一人称メディア

創刊当時のことを、いごくメンバーの1人である小松理虔さんは振り返る。
「当時のメンバーで、おもしろいおじいちゃんやおばあちゃんがいると聞いたら、みんなで取材に行ってましたね。4人でカメラをかかえて、全員がインタビュアー。地元の洋品店の2階で、92歳のヨガの先生のおばあちゃんにヨガを教えてもらったり、シルバーリハビリの先生のおじいちゃんに話を聞きに行ったけど、若いころの話が面白すぎて40分たっても本題に入れなかったり。かなりカオス(笑)。でも面白かった。その驚きとか、面白かったこと、思ったことをそのまま書きました。そのうち、何を面白がるかという『いごく』のコンセプトっぽいものをメンバー全員で共有できた気がします」(小松さん)

ヨガの先生に会いにいった話は、「二ツ箭(ふたつや)と呼吸する日々」というタイトルの記事に。「この時は、まだウェブマガジンにしようとも、まだなんにも決めてなくて。とりあえず会いに行ってみた。そうしたら、とんでもなかった。そのままを小松くんに書いてもらいました」(猪狩さん)(写真提供/いごく編集部)

ヨガの先生に会いにいった話は、「二ツ箭(ふたつや)と呼吸する日々」というタイトルの記事に。「この時は、まだウェブマガジンにしようとも、まだなんにも決めてなくて。とりあえず会いに行ってみた。そうしたら、とんでもなかった。そのままを小松くんに書いてもらいました」(猪狩さん)(写真提供/いごく編集部)

いわき市シルバーリハビリ体操指導士会会長へのインタビュー「体操、中華、わたし」。「体操の話を聞きに行ったつもりが、話がホント面白くって、まったくまとめられなかった」と小松さん(写真提供/いごく編集部)

いわき市シルバーリハビリ体操指導士会会長へのインタビュー「体操、中華、わたし」。「体操の話を聞きに行ったつもりが、話がホント面白くって、まったくまとめられなかった」と小松さん(写真提供/いごく編集部)

以降も、基本的にはメンバー全員で取材に赴き、写真を撮るスタイル。一応、テーマは立てるけど、脱線してばかりいる。でも、その脱線のほうが面白いことも多い。出来上がった記事は、書き手の驚き、感動がそのまま現れる。猪狩さんいわく、私見だらけの「一人称のメディア」だ。(詳しくは、『いごく』のウェブマガジンをご覧ください!)

これは、行政が発信する媒体としては、かなり異質だ。
「チームには、誰も福祉の専門家がいないんです。 “高齢化と過疎化で大変! 協力してください”という媒体だと、もともと福祉に興味のある人しか響かない。だから、この人が面白かった、かっこよかった、この集まりがすごいことになってた!とか、素人の僕たちが感じたことをそのまま伝えたほうが、興味がない人にも届くんじゃないかと思っています」(猪狩さん)。

地元のお母さんたちが食で集う「北二区集会所」でのクリスマス会に、いごくメンバーも参加してレポート。とにかくやってみるがモットー (写真提供/いごく編集部)

地元のお母さんたちが食で集う「北二区集会所」でのクリスマス会に、いごくメンバーも参加してレポート。とにかくやってみるがモットー (写真提供/いごく編集部)

普遍的な課題だからこそ、全国から反響。グッドデザイン賞に

一番反響があったのは「認知症解放宣言」の特集。
「でも僕たちは認知症を知らない。じゃあ、僕と小松くんで介護施設に3、4日通ってみようと、一日中滞在していました。おばあちゃんやおじいちゃんとおしゃべりするだけで、特になにもしない(笑)。そこで毎回ごはんを食べたあとに音楽がかかると、いつも踊るおばあちゃんがいて。すごくいいな~と、ポスター仕様にしました。つい、認知症というと、意思疎通ができないシリアスな状況をイメージしてしまうけれど、認知症ってグラデーションなんですよね。周囲は面倒を見ようと思ってしまいがちだけど、認知症でも本人ができること、したいことを周囲にいる人間が取り上げる必要はないんじゃないか、認知症に対する偏見を外したいという想いが“認知症解放宣言”というコピーになりました。当然、”認知症はきれいごとじゃない”という意見もありましたが、興味を持ってくれる人が多く、病院や介護施設から送ってほしいという問い合わせがたくさんありました」(猪狩さん)。

長い間認識してもらいたい想いから、ポスター仕様に。今では、「紙のいごく」は、全国から”送ってほしい”と問い合わせがあり、いわき市外にも多数配布しているそう (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

長い間認識してもらいたい想いから、ポスター仕様に。今では、「紙のいごく」は、全国から”送ってほしい”と問い合わせがあり、いわき市外にも多数配布しているそう(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さらに2019年度のグッドデザイン賞を受賞。応募4772件のグッドデザイン賞のうち、金賞・ファイナリスト第5位という快挙につながった。老病死という重いテーマに対し、”縁起でもない”から”前向きかも”と感じられる取り組みが評価されたのだ。

東京で行われたグッドデザイン賞の授賞式はメンバー全員でおそろいのユニクロのジャケットで。人で埋め尽くされた会場で、猪狩さんが最終プレゼンを行った(写真提供/いごく編集部)

東京で行われたグッドデザイン賞の授賞式はメンバー全員でおそろいのユニクロのジャケットで。人で埋め尽くされた会場で、猪狩さんが最終プレゼンを行った(写真提供/いごく編集部)

今回取材が行われた場所は「みんなのお勝手~いつだれキッチン」(毎週木曜日のみ営業)。寄せられた食材を、客が自分で値段を決める”投げ銭制”の食堂だ。いつだれキッチンのお母さんたちと楽しそうにおしゃべりしている猪狩さん。ここでは食も悩みもシェア(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

今回取材が行われた場所は「みんなのお勝手~いつだれキッチン」(毎週木曜日のみ営業)。寄せられた食材を、客が自分で値段を決める”投げ銭制”の食堂だ。いつだれキッチンのお母さんたちと楽しそうにおしゃべりしている猪狩さん。ここでは食も悩みもシェア(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「先祖代々の土地を荒らさないために自分たちでは食べきれない野菜を捨ててしまうのはもったいない」ことからスタートした取り組みが、みんなが集う場所に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「先祖代々の土地を荒らさないために自分たちでは食べきれない野菜を捨ててしまうのはもったいない」ことからスタートした取り組みが、みんなが集う場所に(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

野菜中心の家庭料理をビュッフェ形式で。取材日は特別に本格カレーも。これはいわき市の地域包括ケア推進課の鍛治さん作 (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

野菜中心の家庭料理をビュッフェ形式で。取材日は特別に本格カレーも。これはいわき市の地域包括ケア推進課の鍛治さん作(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

看板はいごくメンバーの高木さんがデザイン (写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

看板はいごくメンバーの高木さんがデザイン(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

読者や地域を巻き込むリアルなイベントも開催

紙やウェブだけでなく、「情報発信だと頭で考えるだけだから、五感で訴えかけるリアルな体験も必要では」と考え、「いごくフェス」を開催。福祉ラップ、即興劇、葬儀屋さん協力による入棺体験会が行われるなど、型破りな活動をしている。

入棺体験の様子(写真提供/いごく編集部)

入棺体験の様子(写真提供/いごく編集部)

(写真提供/いごく編集部)

(写真提供/いごく編集部)

「いごくフェスって親子3代で参加するケースが多いんです。僕もそうですが、面と向かって自分の親に『人生の最期はどうしたいの』とかあれこれ聞くのってなかなかハードルが高いじゃないですか。でも、踊ったり、歌ったりするお祭りの高揚感の勢いで、孫から”おじいちゃんはどう思う? ”って聞いているのを子どもも一緒になって聞く。そんなきっかけになったらいいと思っています」(猪狩さん)

人と人を取り持つ。行政の強味を最大限活かす

そもそも『いごく』メディアの一番の特徴は、「行政」が行っているということ。そのメリットは大きい。
第一に、介護・医療の現場プレイヤーから「行政が自分たちの頑張りを情報発信をしている」というところに喜び、意義を感じてくれている。それが良いプレッシャーにもなっている。
第二に、「中立的」立場で、複数の企業、事業所が参画しやすいこと。民間企業の手掛けるメディアでは難しいだろう。
第三に、「役所」の立場を利用して、どこへでも誰にでも会いに行き、話を聞けること。
「確かに、役所って縦割りで、偉い人にハンコもらって通さないといけないなど、動きにくかったりもします。でも、すごく恵まれている部分も多いはずなんです」(猪狩さん)

ただし、媒体もフェスもなかなか個性的。役所ゆえに、上司の反対はなかったのだろうか?
「基本的に上司には聞いていません(笑)。当時の上司が、”どうせ反対しても猪狩はやるんだろうし、話を聞いちゃったら、こっちが板挟みになって胃が痛くなるから、報告しないでいい”というスタンスの人で(笑)、面倒なことにならなくてすみました」(猪狩さん)

さらに、現在、『いごく』のクリエイターチームは、介護施設のHPやパンフレット等の制作にも携わるなど、展開に広がりも。「福祉の現場も、自分たちでやるにはマンパワーが足りないけれど、地元のクリエイティブの力を借りることでPRがしやすくなる。いわば地産地消ですね。行政が人と人、企業と企業をつなげる、本来の役割だと思います」(猪狩さん)

医療・介護・福祉に無関係な人は誰一人いないし、高齢化に伴う諸問題は日本中のどの自治体でも抱える課題だ。つまり、どの自治体でも、”『いごく』っぽい”アプローチは可能ということ。最初は一職員の想いからスタートしたのだから。

「例えば、横断歩道でおばあちゃんがのんびり歩いている。前はそれにイライラしていたけど、”いごく”の記事を読んだことある人なら、”あのおばあちゃんのゆっくりした歩き方、かわいい”って思ってくれるかも。それだけでも、『いごく』の意味はあるのかなって思っています」(猪狩さん)

そして、この取材後、発起人だった猪狩さんが別部署へ異動することが判明。「いがりは死すとも、いごくは死なず、です」(猪狩さん)。
市役所の職員ゆえに異動はつきものだ。だからこそ、プレイヤーが変わっても、「いごく」がこれまで伝えてきたメッセージを今後、自治体として、どう維持、発展させていくか、いわき市の今後の挑戦に注目したい。

●取材協力
いわきの「いごき」を伝えるウェブマガジン

「地域みらい留学」って? 新しい土地の高校で学び・暮らす“15歳の決断”で得るものは

前回、都会から親元を離れ、島根県の高校に入学、2019年に東大生となった鈴木元太さんにインタビューした。鈴木さんが活用したのが、都道府県の枠を超えて地域の高校に入学する「地域みらい留学」という制度。
今回は、運営団体である一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームに、立ち上げた背景、実績や反響、気になるあれこれをインタビューした。

進学する側・受け入れる側、双方の交差ニーズから生まれたプロジェクト

「地域みらい留学」とは、北海道から沖縄まで地域の公立高校に入学し、充実した高校3年間を送る制度のこと。「留学」と名はついているが、短期ではない。多くは新しい土地で寮生活などを送ることになり、高校進学の新たな選択肢として注目を浴びている。 都会にはない自然、その地域独自の文化、地元と全国から集まる同級生、地域の大人たち。まさに「世代を超えた多様な仲間」との「実践的な学びの場」となっている。

そもそも、この制度が立ち上がった背景とは?
「ひとつは、急激な社会変化や大学入試改革などを受け、”これからの社会を生き抜く力を身に着けてもらいたい”と考える親御さんたちが増えていることです。従来の一方通行な詰め込み型の教育に違和感を覚える子どもたちもいます。また、受け入れる地域の側でも、生徒数が少なくなりつつある高校に、異文化や多様性を取り込み高校に活力と刺激をもたらしたい、という強い思いがありました。地域みらい留学は、子どもを留学させる側、受け入れる側、両方向からニーズが交差した事業です」(一般財団法人 地域・教育魅力化プラットフォーム 地域みらい留学 広報責任者 安井早紀さん)

都会では得られない3年間の体験で大きく変化する子どもたち

実際、この3年間を通して、子どもたちにはどんな変化があるのだろうか。
「”この3年間で自分の人生が変わった””留学をしていなかったらまったく違う人生だった”と話してくれる子はとても多いです。
例えば、北海道奥尻島にある奥尻高校に留学した女子生徒は、『部活の遠征費を生み出すための部活オクシリイノベーション事業部での活動』『寮運営の中心的役割』『生徒会活動』などさまざまなことに挑戦しています。全校生徒数60名余りと活躍のチャンスが多いこと、彼女の旺盛な好奇心をかき立てるような町の課題が近くにあること、そして地域社会との距離が近くチャレンジできる舞台があることが、彼女の挑戦を加速させます。

奥尻高校に留学した女子生徒が「部活の遠征費を生み出すための部活オクシリイノベーション事業部」での活動の一環で行った「奥尻マルシェ」。奥尻の名産品や自分たちでデザインしたオリジナルグッズの販売などを行った(写真提供/一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォーム)

奥尻高校に留学した女子生徒が「部活の遠征費を生み出すための部活オクシリイノベーション事業部」での活動の一環で行った「奥尻マルシェ」。奥尻の名産品や自分たちでデザインしたオリジナルグッズの販売などを行った(写真提供/一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォーム)

また、島根県立津和野高校では女子生徒が、高校生と地域の大人たちとつなげて進路や将来を考える座談会を企画・運営まで自分たちで行う『アスギミック』というプロジェクトを立ち上げました。地域で暮らす大人たちと進路の悩みについて話したり、多様な年代の大人たちに”やってみなさい”と挑戦を応援され、助けられ、育っていく日々、自然豊かな環境と余白の時間で自分と向き合う時間は教科書以上の学びにつながっています。

見知らぬ土地で暮らす3年間は一筋縄ではいかないこともあります。しかし、その葛藤も含めて、感じていることに素直になって向き合い、自分なりに行動し、自分らしい進路を見つけています。これは、普通に受験し、都会の高校に進学していたら、なかなか得られない経験だと思います」

3年間の体験をきっかけに「地域」を学び続ける卒業生は多い

そうした貴重な経験をした生徒たちが、どういう進路、どんな分野で活動をしていているのか気になるところ。現在、「地域みらい留学」「しまね留学」の卒業生では、地域での活動が評価され、推薦・AO入試などで、東京大学、慶應義塾大学、上智大学、立教大学、立命館大学に進学した学生がいるほか、「地域」を切り口にした学びを大学でも続けるため、観光学部、地域協働学部、地域創生学部といった分野に進学した学生もいる。

「釣り好きが高じて島根県立隠岐島前高等学校に進学した前田陽汰さんは、在学中、寮長として寮改革に取り組み、休日は地域に出て島民と交流を深めていました。現在は慶應義塾大学総合政策学部に在籍しつつ、NPO法人ムラツムギを立ち上げ、地域活性化以外の選択肢として“まちの終活”を提唱。家のお葬式”家オクリ”や寺おさめ”寺オクリ”等の取り組みを通じて、第二の故郷・島根にも関わっています。ほかにも、フリーランスのフォトグラファーや、大学卒業後に自身が地域みらい留学生の寮生活を支えるコーディネーターとなった卒業生もいます」

前田陽汰さんの寮長時代の写真。寮生と一緒に(写真提供/前田陽汰さん)

前田陽汰さんの寮長時代の写真。寮生と一緒に(写真提供/前田陽汰さん)

大学進学した後は、地域活性化ではなく、“まちの終活”に着目して活動を続けている(写真提供/前田陽汰さん)

大学進学した後は、地域活性化ではなく、“まちの終活”に着目して活動を続けている(写真提供/前田陽汰さん)

話を聞いていると、「意識の高い子」「自分の好きなことがはっきりしたい子」が多いようにも思う。ただし、実際の中学生たちの留学前は「目的意識のはっきりしていない子のほうが多数派です」と言う。

「例えば、今いる学校への違和感、新しい形の学びを求めているなど多様な動機、状況があります。ただ、共通するのは“いまの延長線上の未来を変えたい”という気持ちです。そんな子たちも、3年間で、自分の性格も世界の捉え方も変わった、将来の夢ができた、人の温かみと繋がりを知った、自信がついて自分らしくいられるようになった、帰りたい場所ができたと話してくれます。まだ見ぬ土地に踏み出す勇気から始まった3年間では、みんな、自分に対して小さくても大きくても、何らかのチャレンジをし、成長しています」

都会からの留学生が、地元の高校生の未来を変えた

大きな変化があるのは、都会からやってきた留学生だけではない。地元の高校生たちにも、都会からやってきた同級生は大きな影響を与えている。
「地元の子たちは、幼少期から同じ顔触れで育っていますから、外からまったく違うバックグラウンドを持つ高校生が入ってくることで、多様な価値観を知ります。また、都会から来た子から見える地元の魅力を聞くことで、見慣れた地元の魅力を再発見する機会に。県外から生徒を受け入れることで、地元の子どもたちの未来が変わったり、意欲的な生徒が地域に飛び出すことで学校と地域の関係性を紡ぐきっかけになっています」
卒業したら家業を継ぐ、そもそも大学進学を考えていない地元の高校生が、外から刺激を受け、学ぶ楽しさを知り、自分自身の将来を考えるきっかけにもなっているそう。
例えば、島の仲間はみんな顔見知りという環境だった男子生徒は、全国からはもちろん、海外からの帰国子女の留学生の存在が大きな刺激に。進学した東京の大学では、少子高齢化が進む団地での地域拠点を創出するサークル活動を行っている。

また、以前は家業を継ごうと考えていた畜産農家の高校生は、畜産農家や留学生との交流が転機となって慶應義塾大学へ進学し、卒業後はJAに就職して畜産の後継者不足問題に取り組んでいる。

現地のオープンスクールで行きたくなる子も

最近では、都市部で全国の地域の学校が一同に集まる地域みらい留学の合同説明会「地域みらい留学フェスタ」の参加者人数が、この2年間で1000名→2000名と大幅に増えるなど、注目を浴びているという。

「オルタナティブな教育のあり方に興味関心を抱いている保護者の方が増えていることを感じています。なかには、小学生のお子さんをお持ちの親御さんが、”私立の中学受験をさせるか、中学は地元の公立・高校は地域みらい留学するか、で検討している”とおっしゃっていました。実際に地域みらい留学をさせている保護者の方々から評判を聞いたという来場者の方が多いです」
 
一方で、注目を浴びるにつれ、親が前のめりだけれど、本人は消極的といったケースも増えているのでは?「たしかに地域みらい留学フェスタに来るきっかけの7割は保護者の方になります。来場する中学生は説明会で地域の学校と出逢い、在校生や卒業生などのロールモデルの声を聞いて『楽しそう!』『自分もこうなりたい!』と意欲が高まり、7、8月の夏休みのオープンスクールで現地に親子で赴きます。そして、本当に挑戦するかどうかは中学生自身が最後に決めるケースがほとんどです」

現在、3年間で13道県34校→25道県55校と受け入れ高校も増え、取り組みが北海道から沖縄まで広がっている。今後「地域みらい留学を当たり前の選択肢に」と、高校生のチャレンジの選択肢として海外留学と同じくらいに地域留学も広めていけたらと考えている。

「多様で複雑で変化の激しい、正解のない社会を生きていくために、ローカルでの濃い3年間の原経験は、とても貴重なものになるでしょう。それぞれがつくりたい未来を、それぞれの形でつくって行ってほしいと思っています」

●関連記事
島根の高校への “地域留学”から東大へ。「田舎だからこそ得られたリアリティが僕の夢の源」
●関連サイト
地域みらい留学

奄美大島の空き家をみんなでDIY。街のみんなの夢をかなえる場になるまで

あるときはアロマ教室、またあるときは居酒屋や人狼ゲーム会場……。奄美大島の集落にある一軒の古民家が、世代を超えて地域の人々をつなげる場を提供している。今回は、この『HUB a nice d!』を訪問。自己実現の場を求めていた山本美帆さんが、周囲を巻き込みながら、いつしか彼らの自己実現の場にもなる地域のHUB拠点を立ち上げたプロセスを取材した。
夫の転勤でキャリアを閉ざされたママたちの声が空き家探しのきっかけに

そもそもの発端は、6年前、山本美帆さん(34歳)が夫の転勤で奄美大島のほぼ南端、瀬戸内町の阿木名集落に引越してきて、個人事業主としてベビーマッサージの講師を務める傍ら、「赤ちゃん先生」という世代間交流の事業に携わっていたころまで遡る。地域のママたちが同じ悩みを抱えていることに気づいたのだ。

「みなさん、自分のキャリアややりたいことがあるのに、夫の転勤など、自分の意思ではない要因でキャリアを閉ざされてしまっていたり、夢が実現できずにいたんです。あるいは、やりたいことに向けて勉強したり資格を取ったりしても、それを活かす場がないと。アロマ教室やハンドメイド教室などを開きたくても、公民館のようなスペースは行政が管理しているため、利益が出るような活動には使えなくて」(山本さん)

自分自身、そうした“場”を求めていたこともあり、それなら自分でつくってしまおうと、空き家や空きスペースを探し始めたのが3年前。都市部と違って、不動産会社にも空き家物件の情報はない。区長にも協力してもらいながら、内装を自分で自由に変えられる賃貸住宅を1年ほど探したが、借りられる空き家は見つからなかった。そこで、あまりに古くて候補から除外していた物件を再検討し、ようやく最終的に決断に至ったのが、昭和33年(1958年)築の古民家。空き家歴5年になる物件だった。

大工、建築家を加えた3人チームでリノベーションを開始

空き家を改装するにあたって、大工の中村栄太さん(34歳)の協力を仰いだ山本さん。少しでもコストを抑えたいこともあり、柱など使えるものはなるべく残そうと考えていたが、シロアリの被害がひどいことが判明。かなり手を入れなければならないことが分かり、「プロの目で見てもらわないと」と考え、中村さんの中学・高校通して部活の先輩だった建築家の森帆嵩さん(35歳)にもチームに入ってもらうことになった。

「奄美は同級生、同窓生のつながりが強いんです」(森さん)

こうして、同世代の3人チームが結成されたのが2年前の2017年6月。賃貸契約を結んで、8月には地域の人たちにも手伝ってもらいながら解体し、この年の11月から建築を始めた。プロでなければできない部分は大工の中村さんが担当。DIYできる部分は、山本さんはじめ地域の人たちにも手伝ってもらった。

「SNSで呼びかけて集まってもらいました。多いときで30~40人が参加してくれたのではないでしょうか」(山本さん)

「奄美は人手が少ないので、なんでも自分たちでやるんです。引越しも業者に頼まずにみんなでやるし、建物の上棟などもそう。女性たちは炊き出しをしてくれたり」(森さん)

工事やDIYと並行して、地域の人たちにも加わってもらいながら「場の使われ方」を話し合った。コンセプトは「地域のコミュニティ」「みんなで集える空間」。当初は、子育て世代にフォーカスしたサロンのようなものをイメージしていたが、やがて軌道修正をすることになる。

「2018年2月に半分出来上がったところで、資金がショートして、工事が止まってしまったんです」(山本さん)

鹿児島県の起業家スタートアップ支援金と自己資金とを併せて資金を用意していたが、それでは足りなくなってしまったのだ。

改修前の状態。昭和33年(1958年)築だったため、試行錯誤の末、建築当時の状態に回復させることで強度を確保するという考え方に落ち着いた森さん。先輩の建築家に相談したり、自身でも伝統再築士の資格を取得したりした(画像提供/HUB a nice d!)

改修前の状態。昭和33年(1958年)築だったため、試行錯誤の末、建築当時の状態に回復させることで強度を確保するという考え方に落ち着いた森さん。先輩の建築家に相談したり、自身でも伝統再築士の資格を取得したりした(画像提供/HUB a nice d!)

(画像提供/HUB a nice d!)

(画像提供/HUB a nice d!)

(画像提供/HUB a nice d!)

(画像提供/HUB a nice d!)

リフォーム工事の様子。DIYしたのは、(1)床材の加工(2)漆喰壁などクロス以外の塗装(3)土間打ちのコンクリートの運搬(4)外壁や屋根の塗装など。子どもたちも遊び感覚で楽しみながら手伝ってくれた(画像提供/HUB a nice d!)

リフォーム工事の様子。DIYしたのは、(1)床材の加工(2)漆喰壁などクロス以外の塗装(3)土間打ちのコンクリートの運搬(4)外壁や屋根の塗装など。子どもたちも遊び感覚で楽しみながら手伝ってくれた(画像提供/HUB a nice d!)

集落の人たちが求めていたのは世代間をつなげる“食”の場だった

資金不足で計画が立ち行かなくなってしまった山本さんに、鹿児島県の出先機関の女性所長がアドバイスをくれた。

「集落として取り組むのであれば、国の交付金が受けられるよと教えてくださったんです。そこで、集落のミーティングに出席して、どんな使い方をしたいかと聞いてみたら、『おじいちゃんおばあちゃんから子どもまで一緒に食事ができる地域食堂があるといい』といった声があがりました」(山本さん)

飲食できる場が求められていることが分かり、山本さんたちは軌道修正を決めた。業務用のキッチンを入れるなど設計図を大幅に変更。工事を再開できるだけの資金も調達できたことから、第二期の工事を開始した。

「子どもたちにはキッズスペースを、正座がつらいお年寄りには掘りごたつ形式のカウンターをつくりました。段差を設けているので、完全バリアフリーではありませんが、いろいろな世代がちょっとずつ我慢しながら一緒に使えるような設計です」(森さん)

こうして『HUB a nice d!』は、2018年10月29日に完成した。

左から、中村栄太さん、山本美帆さん、森帆嵩さん。34歳、34歳、35歳と、奇しくもほぼ同い年の3人がそろった。建築当時の強度に復元したこの建物は、2018年9月の台風で島内が多くの被害に見舞われたときも、被害がなかったという(画像提供/HUB a nice d!)

左から、中村栄太さん、山本美帆さん、森帆嵩さん。34歳、34歳、35歳と、奇しくもほぼ同い年の3人がそろった。建築当時の強度に復元したこの建物は、2018年9月の台風で島内が多くの被害に見舞われたときも、被害がなかったという(画像提供/HUB a nice d!)

土間から上がる伝統的なつくり。「おじいちゃんの家みたいな懐かしさは失くしたくありませんでした」(森さん)(画像提供/HUB a nice d!)

土間から上がる伝統的なつくり。「おじいちゃんの家みたいな懐かしさは失くしたくありませんでした」(森さん)(画像提供/HUB a nice d!)

カウンターは掘りごたつ形式でラクに座れるようになっている(画像提供/HUB a nice d!)

カウンターは掘りごたつ形式でラクに座れるようになっている(画像提供/HUB a nice d!)

大工の中村さんのこだわりが詰まっている天井(画像提供/HUB a nice d!)

大工の中村さんのこだわりが詰まっている天井(画像提供/HUB a nice d!)

地元になかった「週末居酒屋」が中高年男性陣に大好評

完成から約1年。現在、『HUB a nice d!』は、アロマ教室やベビーマッサージ教室、スキンケア講座や子育てサロンに加えて、平日昼のカフェ、土曜の昼のカレー店、金土の夜の居酒屋と、曜日や時間帯ごとに、いろいろな使われ方をしてきた。特に居酒屋は、店主である納裕一さん(35歳)が2018年12月に始めて以来、週末ごとに大盛況なのだという。

「本業は看護師ですが、以前から居酒屋をやってみたかったんですよね。やってみて分かったのは、この場がいろいろな人をつなげているということ。島内と島外の人をつなげるだけでなく、同じ集落に住む若い世代と上の世代もつなげてくれて。そういう機会が意外となかったので、焼酎を飲みながらいい感じにゆるくつながりができるのは、とてもうれしいです」(納さん)

地元に居酒屋がなかったことから、今までは隣町に飲むに行くしかなかった一人暮らしの高齢お年寄りの男性陣から絶大な支持を集めている「週末居酒屋」。一方、近所に住む高齢の女性はというと、「ずっと空き家だった家に、こんなふうに人が集まって来るようになったことで、町が明るくなった」と、こちらも大いに喜んでいるのだとか。

夫の転勤で熊本県から引越してきて以来、月に2回ほど通っている女性は、「仕事をしていないこともあり、地域とのつながりがなかったので、集落の人たちと仲良くなれる場があることはとてもありがたい」と語る。『HUB a nice d!』が、島外と島内、集落内の世代間をつなぐ役割を果たしていることが分かる。

(画像提供/HUB a nice d!)

(画像提供/HUB a nice d!)

この日のオススメは豚のアゴ肉鉄板焼とシビユッケ。納さんは豚バラ大根も得意料理だ(画像提供/HUB a nice d!)

この日のオススメは豚のアゴ肉鉄板焼とシビユッケ。納さんは豚バラ大根も得意料理だ(画像提供/HUB a nice d!)

地域食堂では家庭料理を提供。大人300円、小学生~高校生100円、未就学児は無料だ(画像提供/HUB a nice d!)

地域食堂では家庭料理を提供。大人300円、小学生~高校生100円、未就学児は無料だ(画像提供/HUB a nice d!)

カメラマンを迎えてのカメラ講座では、子どもたちをのびのび遊ばせながら参加できる。ママたちは学びに集中し、チビッコたちは遊びに熱中(画像提供/HUB a nice d!)

カメラマンを迎えてのカメラ講座では、子どもたちをのびのび遊ばせながら参加できる。ママたちは学びに集中し、チビッコたちは遊びに熱中(画像提供/HUB a nice d!)

HUB a nice d! を造る過程でアドバイスや協力をくれた阿木名まちづくり委員会のみなさん(画像提供/HUB a nice d!)

HUB a nice d! を造る過程でアドバイスや協力をくれた阿木名まちづくり委員会のみなさん(画像提供/HUB a nice d!)

地域の社会人有志が自主的に実行委員会を起ち上げた「瀬戸内町近未来会議」というイベントの事前勉強会の様子。大人に混ざって高校生たちも参加(画像提供/HUB a nice d!)

地域の社会人有志が自主的に実行委員会を起ち上げた「瀬戸内町近未来会議」というイベントの事前勉強会の様子。大人に混ざって高校生たちも参加(画像提供/HUB a nice d!)

心理ゲーム「人狼」の会場になることも。まさにやりたい人がやりたいことをする“場”となっている(画像提供/HUB a nice d!)

心理ゲーム「人狼」の会場になることも。まさにやりたい人がやりたいことをする“場”となっている(画像提供/HUB a nice d!)

完成から1年。さまざまな人にさまざまな使われ方をすることで、地域にしっかりと根づいた『HUB a nice d!』は、第36回「住まいのリフォームコンクール<コンバージョン部門>」で優秀賞を獲得した。そのタイトルは「多世代で繋がり人や情報が集まる夢の芽が花開く地域のHUB拠点」というもの。事実、『HUB a nice d!』は今も、「実験と挑戦の場」として、人々のチャレンジショップの役割を果たしていると山本さんは語る。また、DIYは、コスト削減や、参加者がその後も愛着を持ってかかわってくれることというメリットがあるが、森さんによると「自分たちで修復できるので、長期間のメンテナンスコストも抑えることができる」とのこと。事業自体のサステナビリティを高めるというメリットも再発見することとなった。

山本さん自身の自己実現が発端となり、それが周りのママたちへ、やがて地域のみんなの自己実現へと連鎖して広がったこの挑戦。その過程には、コミュニティ活動を持続させるという重要課題へのヒントがありそうだ。

●参考
HUB a nice d!

賛否両論! 大阪のディープゾーン「新今宮」は星野リゾート進出でどう変わる? 街の声は

2025年日本万国博覧会 (略称『大阪・関西万博』)の開催が決まるなど、話題に事欠かない激動の大阪市。なかでもとりわけ市民を驚かせたのが、JR大阪環状線及び南海「新今宮」駅前に、「星野リゾートがホテルを建設する」という2017年のニュースでした。大阪市が「新今宮」駅前の開発事業者を募り、名乗りをあげたのが意外にも星野リゾートだったのです。

高級ラグジュアリーホテル『星のや』で知られる星野リゾートが、どんなホテルを新今宮に?

大阪市には全国最大の日雇労働市場があります。それが「新今宮」。求職者と仕事を紹介する業者や簡易宿泊所が集まる場「あいりん地区」の中心と言える駅です。そんな“大阪きってのディープゾーン”と呼ばれた新今宮駅一帯に、星野リゾートのホテルが進出(「星野リゾート OMO7 大阪新今宮」2022年開業予定)するという話題は大きく取り上げられました。

では、現場となる「新今宮」駅前は今、実際はいかなる様相を呈しているのか。駅前を歩いてみることにしました。
もしかして消滅する? 「あいりん地区」の現在

JRと南海が乗り入れる「新今宮」駅。駅舎は浪速区と西成区の境界につくられ、そのためJR「新今宮」駅が浪速区、南海「新今宮」駅が西成区となっています。なんば駅の混雑緩和をはかるなどを目的とし、旧国鉄大阪環状線(当時)と連携しつつ昭和41年に開業しました。駅名は、明治時代の行政区画「西成郡今宮村」に由来します。

南海「新今宮」駅(写真撮影/吉村智樹)

南海「新今宮」駅(写真撮影/吉村智樹)

JR「新今宮」駅の北東側には浪速区のシンボルである通天閣がそびえ、片や南海「新今宮」駅にはは、4月まで開館していた「あいりん労働福祉センター」という就労斡旋施設の旧・建物があります。閉鎖の際にはおよそ220名もの警察官が出動し、物々しい雰囲気がニュース映像にもなりました。ご存じの方も多いでしょう。閉鎖された建物の周囲には定住する場所を持たない人々が暮らすバラックも散見します。

「新今宮」駅の北東にそびえる通天閣(写真撮影/吉村智樹)

「新今宮」駅の北東にそびえる通天閣(写真撮影/吉村智樹)

4月に閉館し、取り壊しが決まっている「あいりん労働福祉センター」(写真撮影/吉村智樹)

4月に閉館し、取り壊しが決まっている「あいりん労働福祉センター」(写真撮影/吉村智樹)

話題のホテルは「あいりん地区」の目の前に建設中

星野リゾートが当地に建設するホテルの名は「OMO7(おもせぶん) 大阪新今宮」。「OMO」は星のや、リゾナーレ、界に続く星野リゾート第4のブランド。「旅のテンションを上げる都市観光ホテル」をコンセプトに、2018年4月に「OMO7 旭川」(北海道)、5月に「OMO5 東京大塚」の2施設を開業。建設中の「OMO7大阪新今宮」は、OMOブランド3軒目となります。

「OMO7大阪新今宮」(写真提供/星野リゾート)

「OMO7大阪新今宮」(写真提供/星野リゾート)

「OMOブランド」は、スタッフが“ご近所ガイド OMOレンジャー”となって街を案内する、地域と一体となったサービスが特徴です(以前スーモジャーナルで取材した「OMO5 東京大塚」)のツアーの様子)。

開業予定は2022年4月。14階建て、部屋数は436室を予定し、館内には庭も設けるなど、かなり大掛かりなホテルです。立地は浪速区の南端ですが、部屋の南側から見渡す光景は西成区の「あいりん地区」となります。

工事が進む星野リゾートのホテル「OMO7 大阪新今宮」(写真撮影/吉村智樹)

工事が進む星野リゾートのホテル「OMO7 大阪新今宮」(写真撮影/吉村智樹)

JRのプラットホームからも着工の状況が見て取れるほど新今宮駅からは近く、大型ホテルの登場で駅周辺の雰囲気も一変するのでは、と星野リゾートが新たな境地へとギアを入れた「本気」を感じずにはいられません。

ホテル建設の様子はJR「新今宮」駅のプラットホームからも垣間見える(写真撮影/吉村智樹)

ホテル建設の様子はJR「新今宮」駅のプラットホームからも垣間見える(写真撮影/吉村智樹)

新今宮はバックパッカーの楽園に。かつてのイメージはもはやない

線路に沿って建ち並ぶのは、新しいホテルやゲストハウス。

線路沿いに建ち並ぶ低料金で宿泊できるホテル(写真撮影/吉村智樹)

線路沿いに建ち並ぶ低料金で宿泊できるホテル(写真撮影/吉村智樹)

Wi-Fiが完備された部屋がわずか2000円前後の宿泊費でステイできるとあり、駅前は海外からのバックパッカーであふれかえっています。

駅前や駅構内には海外からの観光客がいっぱい(写真撮影/吉村智樹)

駅前や駅構内には海外からの観光客がいっぱい(写真撮影/吉村智樹)

山谷(東京都上野)、寿町(横浜市寿町)と並んで大規模な簡易宿泊所街と言われた往時の面影は、もはや確認できません。新世代の経営者たちが2005年、外国人旅行者向けに「大阪国際ゲストハウス地域創出委員会(OIG)」を起ち上げて転換をはかったのがそのきっかけだったそうです。

行政も新今宮のイメージアップに起ち上がった

新今宮駅前のイメージアップに、行政も新たな動きを見せています。

西成区役所総務課は2019年(令和元年)8月7日、「新今宮」駅前南側一帯のリノベーションを促進させ、民間主体のにぎわいを創出する「Shin-Imamiya R Project(仮称)」と、空き店舗等の改修経費の一部として大阪市からの補助金を交付する「提案型地域ストック再生モデル補助金交付事業」の発足を発表しました。

このふたつのプロジェクトは、西成区「新今宮」駅周辺の地域イメージを向上させ、来訪する人たちを歓迎する取り組みです。また、新今宮で活動をしたい人、お店づくりをしたい人、事業を始めたい人、住みたい人などを将来的に増やすことを目指しているのだそう。

「Shin-Imamiya R Project(仮称)」はすでにスタートしており、違法な壁の落書きをなくすため、海外のアーティストが「公式」のウォールペインティングをほどこすなど、街のいたるところで官民一体となった催しが開かれています。

西成のウォールアートプロジェクト「西成ウォールアートニッポン」(略称:西成WAN)(写真撮影/吉村智樹)

西成のウォールアートプロジェクト「西成ウォールアートニッポン」(略称:西成WAN)(写真撮影/吉村智樹)

「365日、三角公園に通う男」から見た新今宮の今昔

「新今宮」駅の線路沿いを歩き、リノベーションの進展をひしひしと感じました。しからば、街の人々は時代の移ろいをどのような気持ちで受け止めているのか。新今宮にゆかりが深い人々にお話をうかがいました。

訪れたのは、「三角公園」の愛称で親しまれる萩之茶屋南公園。南海「新今宮」駅から約700 m真南に位置する、言わば西成区のセントラル・パーク。定期的に炊き出しが行われ、小屋を建てて住んでいる人も少なくはありません。1964年に園内に設置された「街頭テレビ」が、今年2019年4月に復活したことでも話題となった公園です。

「三角公園」の愛称で親しまれる萩之茶屋南公園。年に一度の音楽フェス「釜ヶ崎ソニック」開催中(写真撮影/吉村智樹)

「三角公園」の愛称で親しまれる萩之茶屋南公園。年に一度の音楽フェス「釜ヶ崎ソニック」開催中(写真撮影/吉村智樹)

訪問日はおりしも、毎年10月に開催され今年で8年目を迎える音楽の祭典「釜ヶ崎ソニック」の真っただ中。あいりん地区は、旧来からの地名「釜ヶ崎」と呼ばれる場合もあるのです。「のど自慢」タイムでは、ほろ酔いでごきげんなおじさんたちが自慢の喉を競い合っています。

生演奏に合わせ、自慢の歌声を披露するおじさんたち(写真撮影/吉村智樹)

生演奏に合わせ、自慢の歌声を披露するおじさんたち(写真撮影/吉村智樹)

ここに、「一年365日、たとえわずかな時間でも毎日この三角公園にやってくる」という芸人、山田ジャックさんの姿がありました。

「毎日欠かさず三角公園を訪れる」という山田ジャックさん(写真撮影/吉村智樹)

「毎日欠かさず三角公園を訪れる」という山田ジャックさん(写真撮影/吉村智樹)

三角公園へ通う生活を20年以上にわたって続け、街の人々の写真を撮る。それが彼のライフワーク。

「僕の感覚では、新今宮駅の周辺は5年前に大きく様変わりしました。『天王寺』駅前に日本一高い『あべのハルカス』ができて(2014年に開業)、ひと駅隣りの新今宮駅周辺も一気に雰囲気が変わりました。ホテルが相次いで新装オープンし、観光客でいつもにぎやか。以前はあった『怖い』『薄暗い』といった印象は、もうないんじゃないかな」(山田ジャックさん)

新今宮駅前からも見える日本一高い「あべのハルカス」(写真撮影/吉村智樹)

新今宮駅前からも見える日本一高い「あべのハルカス」(写真撮影/吉村智樹)

ひたむきにこの街を観察し続けたジャックさんは、新今宮の遷移をそう顧みます。

新今宮は、1990年に勃発した第22次「西成暴動」の様子が全国にテレビ中継され、長い間、バイオレンスなイメージを拭えずにいました。暴動の現場となった阪堺線「南霞町」駅は放火により建物が消失。危険な街という印象を与えてしまっていたのです。しかし2014年に「南霞町」駅は「新今宮駅前停留場」に改称し、JR・南海「新今宮」駅との乗り換えに至便であるとアピール。印象の刷新に取り組んでいます。

2014年に「南霞町」から改称した「新今宮駅前停留場」(写真撮影/吉村智樹)

2014年に「南霞町」から改称した「新今宮駅前停留場」(写真撮影/吉村智樹)

「新今宮は、ある意味で“若者の街”」

やはり2014年は、新今宮にとって大きな転機の年であったようです。しかし、山田ジャックさんは、こうも続けます。

「でもね、新今宮駅から南へ道一本渡ったら、街の雰囲気は、いい意味で昔のまんま。昭和の風景がそのまま残っています。20年前に撮った写真と見比べても、風景はほとんど変わらないですから。住む人の顔ぶれも、ほぼ同じ。街ですれ違う人の名前も言えるくらい。なぜ、街が変わらず元気なのかというと、住民の気が若いからだと思います。さっき、のど自慢に出ていたおっちゃん、『高校三年生』を歌っていたでしょう。演歌ですらない青春歌謡ですよ。高齢化が問題になっていると言われているけれど、感覚が昭和の高校三年生のまんまなんですよ。だから、ある意味でここは“若者の街”なのです。気が若いから、街にずっと活気がある」(山田ジャック)

街には元気が出るメッセージがあちらこちらに見受けられる(写真撮影/吉村智樹)

街には元気が出るメッセージがあちらこちらに見受けられる(写真撮影/吉村智樹)

確かに、『高校三年生』を歌っていたおじさんの前の人は矢沢永吉。どなたの選曲にも若いパッションがありました。それに公園周囲の立ち呑み店やホルモン焼きの店は、どこも表にまで人だかりができるほどの満員で、会話が弾んでいます。シャッター通りなど、どこ吹く風。このヤングな熱気は正直、意外でした。

ホルモン焼きの店はどこも超満員(写真撮影/吉村智樹)

ホルモン焼きの店はどこも超満員(写真撮影/吉村智樹)

「なので、星野リゾートが進出しても、街の雰囲気はなんにも変わらないんじゃないかな。駅前だけが極端に都会化して、二極化が進むのではないかと考えます」(山田ジャック)

どんなに時代が変わろうと、この街には人情味に溢れたメッセージが似合う(写真撮影/吉村智樹)

どんなに時代が変わろうと、この街には人情味に溢れたメッセージが似合う(写真撮影/吉村智樹)

商店主たちは人波が途絶えた暗黒の時代を経験していた

では、「商う」側の人々は、星野リゾートの進出をどのように捉えているのでしょう。訪れたのは、西成区のアンテナショップ。プラスチック製の甲冑や、西成でしか製造されていない日本で唯一の駄菓子「カタヌキ菓子」など、西成生まれの手工業製品がずらりと並んでいます。

店主の上村俊文さんは、今後の新今宮の変化を、このように考えていました。

西成区のアンテナショップを営むちょんまげ頭の上村俊文さん。鎧をかぶるのはグラフィックデザイナーの吉村将治さん(写真撮影/吉村智樹)

西成区のアンテナショップを営むちょんまげ頭の上村俊文さん。鎧をかぶるのはグラフィックデザイナーの吉村将治さん(写真撮影/吉村智樹)

「星野リゾートが進出すると決まり、他の区の人々が、『古きよき大阪の風景がなくなる』『浪花の人情が消える』などとおっしゃる。けれども、商売をする者にとっては、こんなにうれしい出来事はない。もともと、ここは誰も排他しないウエルカムな街なんですから。星野リゾートが来るというのなら、我々は喜んでおもてなしをしたいです」(上村俊文さん)

「大阪らしい風景」がなくなるのを寂しく思う人たちは少なくない(写真撮影/吉村智樹)

「大阪らしい風景」がなくなるのを寂しく思う人たちは少なくない(写真撮影/吉村智樹)

上村さん曰く、店を構える人々にとって、星野リゾートの進出は「迎え入れる」態勢にある様子。その背景には、近年にこの街が対峙した厳しい現実がありました。

「かつては繁華街である天王寺や阿倍野から、この西成へと続く、あべの銀座商店街があったのです。けれども、阿倍野再開発事業によって商店街が消え、人の往き来がなくなってしまいました。天王寺区や阿倍野区はあべのハルカスやあべのキューズモールのおかげで人が多く集まるようになり、浪速区の通天閣周辺は観光地化に成功して大いに盛り上がっている。なのに、道一本隔てた西成区に入ると、なにもない。飛田新地というかつて遊郭があった地域へ向かう人がいる程度で、買い物客がいなかったんです」(上村俊文さん)

新今宮駅周辺の商圏は、他所からの流入が途切れ、不遇にあえぎ続けました。そこに希望をもたらしたのが、他県や海外からの宿泊客だったのです。

「海外からの観光客向けのゲストハウスができ始めたおかげで、やっと人の足が戻りはじめてきました。そんな矢先に星野リゾート進出のニュースでしょう。復活への期待感がいっそう湧き起こりますよね」(上村俊文さん)

訪日旅行者の増加により、新今宮は活気を取り戻しつつある(写真撮影/吉村智樹)

訪日旅行者の増加により、新今宮は活気を取り戻しつつある(写真撮影/吉村智樹)

陸の孤島と化していた新今宮駅周辺に、部屋数430超と予定される大型ホテルが誕生するとあり、これは絶好の商機だと、期待を寄せる商店主たちは多いのだとか。

「新今宮のまわりは、食べ物が『安い』ことはよく話題になる。けれども、値段はもとより『おいしい』お店がたくさんあるんです。もっと“グルメの街”として注目してほしいですね。これはマスコミの方にも、ぜひともお願いしたいところです」(上村俊文さん)

「物価の安さ」が新今宮の魅力のひとつ(写真撮影/吉村智樹)

「物価の安さ」が新今宮の魅力のひとつ(写真撮影/吉村智樹)

街の急激な変化に「期待半分、不安半分」

最後に、さまざまな意見が交差する酒場では、どのような声が聴けるのでしょうか。「この店にはいろんな考え方のお客様が呑みに来るから、私自身の意見は言いにくい」と、匿名・顔出しなしを条件に語ってくれたのが、とあるライブ居酒屋のママさん。

「星野リゾートの進出は、大阪市と協力して行われています。住民の本音は『期待半分、不安半分』じゃないでしょうか。反対はしないけれど、全員が手放しで喜んでいるわけじゃない。大きなホテルが建って、その潮流に乗じてもしも大阪の行政が一帯を再開発することになったら、街の景色は大きく変わるでしょう。そうなったら、今の暮らしを続けられるのかなって……。居場所がなくなる人も現れるのではないか、その点は皆、危惧していますね」(ママさん)

ママさんは地区内に建つ歴史ある銭湯の保存活動をしたり、身体が不自由で働けなくなった方を支援したりするなど、西成の街と人を愛し続けた方。それゆえに、昨今の状況の変化には気がかりがある様子。

「ホテルが建つのはいいんです。星野リゾートにしろ、ゲストハウスにしろ、これからは海外からのお客様たちと交流をはかる時代だと思います。でも、4月に新今宮駅前の『あいりん労働福祉センター』が閉鎖されましたよね。今後も仕事にあぶれた日雇い労働の方々が横になったり身体を休めたりする場所がないままだとしたら、単に追い出しただけになる。それが果たして西成が進むべき道なのか。包容力が豊かなこの街の人情や雰囲気が好きだと言って、日本中や世界のアーティストたちが演奏をしに来てくれる。そういった文化もなくなってしまうんじゃないかと、それが不安なんです」(ママさん)

「もしも行政による再開発が始まれば、この人懐っこい風景がなくなるのでは」と不安を感じる人もいる(写真撮影/吉村智樹)

「もしも行政による再開発が始まれば、この人懐っこい風景がなくなるのでは」と不安を感じる人もいる(写真撮影/吉村智樹)

新今宮の大胆なイメージチェンジを喜ぶ人、不安に感じる人、「変わらない」と達観する人などなど、捉え方は十人十色。星野リゾートが建設するホテル「OMO7 大阪新今宮」の開業が予定される2022年4月までに、さらなる議論もありそうです。
現地の声を受け、星野リゾートに話を聞いたところ「新今宮には都市観光ホテルとしてのポテンシャルを強く感じています。アクセスの良さや視認性といった立地面はもちろんですが、何よりも、関西弁が飛び交い、人情味あるこの街に『大阪らしさ』があると考えます。ホテルスタッフがディープなスポットに連れていくツアーに手ごたえを感じており、新今宮においても同様に展開を検討しています」(代表 星野佳路氏)とのコメント。

多くの人が「OMOろい!」と笑顔で納得できる結果となることを、願ってやみません。

盛岡を想うきっかけをつくりたい――「盛岡という星で」プロジェクトが目指す、街と人のつながり方

東京から東北新幹線で2時間13分。料金1万5010円。京都に行くのとほぼ同じ時間、同じ運賃で行ける岩手県盛岡市。宮沢賢治と石川啄木を生んだ文化の街(人口比の演劇の劇団数が日本一)であり、じゃじゃ麺と冷麺がしのぎをけずる麺の街であり、一家庭当たりのビール購入量が最も多い街となったこともある、お酒の街でもある。寿司もうまい。

そんな盛岡市が運営するInstagramアカウント「盛岡という星で」がおもしろい。味のある写真にロゴが丹念に配置されていて、適度にポエミーなテキストが添えられている。雪国らしさも感じる、きれいなたたずまいだ。昨年12月に開設され、フォロワー数は6000人(2019年10月現在)を超える。167661_sub01
167661_sub02

このアカウントの特徴は他にもある。「マリオス」、「ベルフ山岸」、「梨木町」など、盛岡に詳しくない人にはてんで見当がつかないが、盛岡に住んだことのある人なら誰でも分かる(らしい)スポット・ことばが頻出するのだ。

つまり、外向けではなく内向け。これから盛岡に行こうという人、観光客に向けたものではなく、市内に住む人や、かつて市民だった人、盛岡に馴染みのある人たちに向けて投稿がされている。なんとも不可解だ。

いったい狙いはなんなのか。どのような想いをもって運営されているのか。市の担当職員である佐藤俊治さんと、制作を請け負うクリエイティブディレクターの清水真介さんにお話を伺った。

日常を映したいから、街いちばんのお祭りをあえて載せない

――「盛岡という星で」のアカウントを拝見していちばん面白いなと思ったのが、この投稿でした。街いちばんのお祭り、しかも市が推しに推している「さんさ踊り」を「疲れるもの」として自治体運営のアカウントが発信していて、すごいなと。

さんさ踊り当日の投稿。テキストには「エスケープゾーン」とある

さんさ踊り当日の投稿。テキストには「エスケープゾーン」とある

清水真介さん(以下、清水):一応さんさ踊りの画は撮っているんですけど、今年は敢えて触れないようにしてみました。ハレとケでいうと「ケ」。日常を映そうというのが「盛岡という星で」のコンセプトなので、ネガティブなことも入れるようにしています。

お祭りもあれば死だってあるし、恋もあれば別れもある。その方がリアルな暮らしが見えてくると思ってネガティブなものも隠さず表現しようと試みてます。行政がやるインスタグラムってとにかくポジティブなものが多いんですけど、暮らしってそれだけではないので。

デザイン事務所 homesickdesign 代表の清水真介さん。「盛岡という星で」ではクリエイティブディレクターとして、プロジェクト全体のデザインやコピーライティングなどに携わる(写真撮影/菅原茉莉)

デザイン事務所 homesickdesign 代表の清水真介さん「盛岡という星で」ではクリエイティブディレクターとして、プロジェクト全体のデザインやコピーライティングなどに携わる。(写真撮影/菅原茉莉)

佐藤俊治さん(以下、佐藤):さんさ踊りを正面から取り上げることはないだろうなと思ってましたが……投稿を見たら、案の定でしたねえ(笑)。

――更新されてから知ったんですか?

佐藤:行政の言葉や表現では届かなかった情報があって、それを伝えてもらうためにお願いしているわけなので。わたしたちがあれこれ口を出して、感性を損なってしまっては意味がありませんし,投稿のタイミングなどもあるため,そういった形でお願いしています。清水さん自身が盛岡にずっとお住まいだっていうこともあって、何にどう触れるとよくないか把握してくださってるんですよね。投稿内容で気になるときには事前に確認の連絡がありますし,安心してお願いしています。

盛岡市都市戦略室の佐藤俊治さん。「盛岡という星で」では、市の事業担当者として、プロジェクト全体のディレクションに携わる(写真撮影/菅原茉莉)

盛岡市都市戦略室の佐藤俊治さん。「盛岡という星で」では、市の事業担当者として、プロジェクト全体のディレクションに携わる(写真撮影/菅原茉莉)

盛岡のことを想うきっかけをつくりたい。「盛岡という星で」がはじまるまで

――そもそもどうして、観光情報などではなく「日常」を発信していく「盛岡という星で」がはじまったのでしょうか?

清水:市から「関係人口(※)を増やしてください」というお題で公募があって、そこにぼくらが持って行ったのがこの図でした。
※「『関係人口』とは、移住した『定住人口』でもなく、観光に来た『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」総務省発行「関係人口の創出に向けて」資料より

清水さんが盛岡市に提案した資料(写真撮影/菅原茉莉)

清水さんが盛岡市に提案した資料(写真撮影/菅原茉莉)

普通はこういうとき「関係人口づくり、俺たちがやってみせるぜ!」って提案をするんですけど、うちは「関係人口? いきなりは無理です。もっと手前を目指します」としか言いませんでした。

佐藤:市としては盛岡に関わる人が増えるという関係人口創出そのものをやってほしいっていうオーダーだったので、清水さんの提案は衝撃的でした。普通の人が、思い通りに関係人口になって、そして移住、って、そんな単純なものじゃないでしょと言われて。

清水:もっとグラデーションがあると考えたんです。まずは0から1。インスタグラムを定期的に更新することで、かつて盛岡に住んでいた人や、一度来たことのある人が、ほんの少しでも盛岡のことを想うことが大事なんじゃないかと。

佐藤:それが、友だちと盛岡の話をするとか旧友・家族に連絡を取るとか、そういうささやかな行動につながっていく。それこそが、この図の段階を上がっていく、関係人口を増やす下地になるんだと、その考え方がすごくしっくりきました。イベントの目的や雰囲気のベースにもなっています。

東京で行われたイベントの告知も、移住を促すような内容ではない

東京で行われたイベントの告知も、移住を促すような内容ではない

――短期で成果が出るわけではないし、手法も特殊なこの案、佐藤さんがいいと思っても市役所内で説明するのが大変だったのでは?

清水:大変だったと思います(笑)。

佐藤:清水さんの提案も外部の審査員が入った公募で選ばれていますし、幸いにして理解ある組織や上司に恵まれていたので、言うほどの苦労はなかったです。今日もこうして、立ち会ってくれていますし。

取材中ずっと笑顔の盛岡市都市戦略室 室長 高橋宏英さん。「盛岡という星で」では、プロジェクトの責任者(写真撮影/菅原茉莉)

取材中ずっと笑顔の盛岡市都市戦略室 室長 高橋宏英さん。「盛岡という星で」では、プロジェクトの責任者(写真撮影/菅原茉莉)

――佐藤さん、ぜんぜん顔色うかがってらっしゃらないですもんね。信頼関係を感じます。

佐藤:あんまり気にしないのも部下としてどうかと思いますけどね(笑)

できれば盛岡と「1枚目の名刺」で関わってもらいたい

――いま、「盛岡という星で」のインスタグラムを見て盛岡のことを想う人が少しずつ増えていると思います。この気持ちを、どう育てていく予定ですか?

佐藤:清水さんの図でいう第一段階「盛岡を考える人を増やす」にもっと時間がかかると思ったんですけど、デザインのよさもあって、スムーズに進みました。

鉄は熱いうちに……といきたいところですが、急に「さあさあ! 盛岡いかがですか!?」となると、「やっぱり移住しないとダメなの……」となる気がしていて(笑)。

清水:インスタグラムであるかはともかくSNSの投稿は、このまま続けていくのが大事だと思っています。「若い人たち」に向けてやっていますが、3年経てば高校生は大学生に、大学生は社会人になり、ごそっと入れ替わってしまいます。盛岡への気持ちを0から1にするこの活動を停めてしまうと、いずれ「関係人口」になってくれるかもしれない人の供給源が断たれてしまうので。

(写真撮影/菅原茉莉)

(写真撮影/菅原茉莉)

佐藤:継続は前提とした上で次の段階、実際にどう盛岡と関わってもらうかが課題ですね。今,各地域で進められている「関係人口」の取組はすごくキレイなんです。東京をはじめとした都市圏には、ボランティアでもいいから地方に関わりたい、地元に貢献したいって人がたくさんいるとされてるんですけど、ハードルが高いかなと思ってて。

だってみんな忙しいじゃないですか。ほかのプロジェクトメンバーと話してて、ボランティアや副業、いわゆる「2枚目の名刺」じゃなくて、本業としてガッツリと「1枚目の名刺」で関わってもらうのが近道なのではないかと。本業なら新たに時間をつくらなくても、既存の時間で置き換えることも可能ですし。

ありがたいことに、どこか地方と何かやるなら盛岡がいいと言ってくださる方もいらっしゃるので。そういう人たちと実際に仕事をして、関係を深めていって、その先でもし気に入ったら盛岡どうですかと。インスタグラムでつながっている若い人たちとも、いずれそういう形でつながっていけたらいいなと思います。

――盛岡市のその「受け身」の姿勢が、心地よく感じる方も多いのではないかと思います。

清水:佐藤さんはじめ、盛岡の人たちはほんとうに盛岡が好きで自信があるので、押しつけないんですよ。盛岡を選ぶか選ばないかは、その人の判断なのでどっちでもいいとおっしゃいます。

佐藤:関わってもらったうえで、やっぱりダメな街だとおっしゃるなら、それはそれでわたしたちが考えて改善していけばいいですから。けれど、後で良さに気付いて「盛岡がよかったな」っていうのだけは避けたいんですよね。

東京からどこかに移住された方があとで知ってそう言われるのもイヤだし、盛岡出身の方が長い間離れ過ぎたがために「本当は戻りたかった」とおっしゃるのも悲しい。

18歳で盛岡を出て、何も接点がないまま40歳超えてから戻るっていうのは、やっぱり難しいんです。20代、30代の間に、戻らなくてもいいから接点をつくっておくことが大事で。

そのきっかけのひとつとして、「盛岡という星で」が機能するといいなと思います。

(写真撮影/菅原茉莉)

(写真撮影/菅原茉莉)

取材の翌日、「よ市」へと出かけた。4月~11月の毎週土曜日の午後に開催される、盛岡市で40年以上続くマーケットイベントだ。

よ市の「よ」は「余」、つまり「あまりもの」という意味だそうだが、とんでもない。盛岡市のクラフトビールメーカーであるベアレンビールの生中が300円で飲めて、三陸の海でぶくぶくと太った牡蠣が100円で食べられる。幅20M、全長400Mほどの道路が、そんな市内の商店による屋台(いわゆる「テキ屋」はひとつもない)で埋め尽くされるのだ。

自転車で小学生、市内の美大に通う若者、白髪で入れ歯の老紳士。市民たちは約束するでもなくこのマーケットに集まり、それぞれ食べたいものを買い、めいめい輪になって宴会がはじまる。筆者には、盛岡の豊かさが凝縮された風景のように見えた。

よ市に象徴されるこの「余裕」がこの街の自信の源であり、「盛岡という星で」のちょうどいい距離感の理由なのかもしれない。

子育て応援の賃貸住宅「ハグ・テラス」どんな住まい? 家賃もお手ごろに

さまざまな公的賃貸住宅が各自治体やUR(都市再生機構)、都道府県の住宅供給公社等を中心に供給されています。近年、老朽化や場所によっては空室増加が問題になり、建て替えや有効活用を迫られている物件が多くある一方で、一般の賃貸住宅同様、またはそれ以上の設備・サービスを充実させている物件もあることで注目を集めています。家賃は減免制度あり、学童保育にママカフェ併設と子育て世代にうれしい鹿児島県鹿屋市の公的賃貸住宅を訪れました。一体どんな物件なのでしょうか?
公的賃貸住宅って? 所得制限や減額措置あり?

「そもそも公的賃貸住宅ってなに?」という人もいるでしょう。
私たちの住環境は「住生活基本法」という法律によって守られています。特に低所得者や高齢者という住宅の確保が難しいとされる人に対し、一般の賃貸住宅よりも低い家賃で住めるよう、地方公共団体が中心となって住宅の整備を進めてきたのが、公的賃貸住宅です。近年、その入居対象に「子どもを育成する家庭」も入るようになったのです。

公的賃貸住宅にはさまざまな種類がありますが、大まかには、
1)地方公共団体が運営する住宅(公営住宅等)
2)地方公共団体が運営または認定する住宅(地域優良賃貸等)
3)URや地方住宅供給公社などが運営する住宅
の3つに分けられます。それぞれ入居条件や所得制限等があり、収入に応じた家賃の減額措置なども受けられます。

公的賃貸住宅の対象世帯と収入分位。国土交通省住宅局住宅総合整備課「公営住宅制度について」(2018年2月)を元に作成

公的賃貸住宅の対象世帯と収入分位。国土交通省住宅局住宅総合整備課「公営住宅制度について」(2018年2月)を元に作成

自治体が積極支援! 学童とママカフェを併設する鹿屋市の「ハグ・テラス」

そのような公的賃貸住宅のなかで、昨年度、国土交通大臣賞を受賞したのが、今回、紹介する鹿児島県鹿屋市の子育て支援施設「ハグ・テラス」です。

ハグ・テラスは鹿屋市の大きな幹線道路沿いにある。徒歩4分のところにグラウンドや野球場を有する鹿屋運動公園、徒歩10分圏内に幼稚園・保育園・中学校などが位置する、子育てに便利な立地(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

ハグ・テラスは鹿屋市の大きな幹線道路沿いにある。徒歩4分のところにグラウンドや野球場を有する鹿屋運動公園、徒歩10分圏内に幼稚園・保育園・中学校などが位置する、子育てに便利な立地(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

共用施設として24時間のコールセンター、コインランドリーを完備、防犯カメラなどの設備も充実しており、もちろん住居部分は子育て世帯に配慮された設計になっています。

敷地内の1階にあるコインランドリー。目の前に学童施設やママカフェがあるので、洗濯をしながらお茶をしたり、子どもを遊ばせることができる(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

敷地内の1階にあるコインランドリー。目の前に学童施設やママカフェがあるので、洗濯をしながらお茶をしたり、子どもを遊ばせることができる(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

74.99平米~79.03平米の2LDK・3LDKの住戸が40戸。指挟み防止機能の付いたクローゼットのドア、角の丸いカウンターなど、いたるところに子どもとの生活に配慮した設計がうかがえる(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

74.99平米~79.03平米の2LDK・3LDKの住戸が40戸。指挟み防止機能の付いたクローゼットのドア、角の丸いカウンターなど、いたるところに子どもとの生活に配慮した設計がうかがえる(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

一般の賃貸住宅では、それらの施設・設備を備える子育て世帯向けの物件も数多く出ていますが、公的賃貸住宅は先に説明した通り、もともと家賃が低く設定されています。公的賃貸住宅の分類のうち、「ハグ・テラス」は「地域優良賃貸住宅」に分類され、1世帯当たりの収入月額が15万8000円~48万7000円の家庭が入居できます。所得に応じて適用される家賃の減免制度も含めると、74.99平米以上の2LDK~3LDKの賃料がなんと、5万1000円~5万3000円! この付近で築10年以内の集合住宅がそもそも希少、さらに同程度の広さを有する物件の賃料が7万円~7万5000円前後であることと比較すれば、どんなにお得に住めるかが分かります。

自治体と民間企業が組むことで魅力的な住まい、明るい街に

そして注目したいのは、学童保育施設とママカフェが併設していること。
隣接する学童保育施設「アダプテッド アフタースクール」では、水泳・サッカー・空手・ダンス・体操などスポーツ系の習い事のほか、学研の教材を使用した学習塾を運営しています。ハグ・テラス以外の敷地で行われる習い事へは、すべて送り迎え付き! スタッフがそれぞれの小学校まで迎えに行き、習い事の送迎が終わった後は、帰宅予定時間まで子どもたちを見ていてくれます。

日が沈んだ後も、平日~土曜日の19時まで、延長で20時まで学童施設が開いている。送迎のバスや屋内からこぼれる光で夜の街が明るく優しい雰囲気に(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

日が沈んだ後も、平日~土曜日の19時まで、延長で20時まで学童施設が開いている。送迎のバスや屋内からこぼれる光で夜の街が明るく優しい雰囲気に(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

学習室では、子どもたちが机を並べて学校の宿題を行う姿が見られる。中では、学研の教材を使用した学習塾も運営している(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

学習室では、子どもたちが机を並べて学校の宿題を行う姿が見られる。中では、学研の教材を使用した学習塾も運営している(写真提供/株式会社OKOYASU BASE)

奥の入口にある靴箱から各部屋へとつながる廊下。時計や勾配天井、木の梁が優しく明るい空間を生み出している(写真撮影/唐松奈津子)

奥の入口にある靴箱から各部屋へとつながる廊下。時計や勾配天井、木の梁が優しく明るい空間を生み出している(写真撮影/唐松奈津子)

自治体と民間企業が組むことで魅力的な住まい、明るい街に

ハグ・テラスがあった場所には、もともと鹿屋市の古い市営住宅がありましたが、建物が老朽化し、建て替えを行うことになりました。この建て替えの担当となった鹿屋市職員、浦部ひとみさんは「建て替え後の市民の生活を考えた際に『どのような公営住宅が良いか』、鹿屋市の職員だけでは答えが出なかった」と言います。

鹿屋市の浦部ひとみさん。「行政の縦割り組織では本当に市民に望まれる施設は実現できないと考え、民間事業者の方の力を積極的に借りることにした」と言う(写真撮影/唐松奈津子)

鹿屋市の浦部ひとみさん。「行政の縦割り組織では本当に市民に望まれる施設は実現できないと考え、民間事業者の方の力を積極的に借りることにした」と言う(写真撮影/唐松奈津子)

そこで、この疑問を一般の企業に「公募」という形で投げかけました。その提案の中から選ばれたのが現在、ここを運営している株式会社OKOYASU BASEの代表取締役・小林省三さんたちのチームでした。OKOYASU BASEは、三光建設株式会社、ユーミーコーポレーション株式会社、宇住庵建築設計事務所の3社の構成メンバーと、アダプテッドスポーツかのやなど30社ほどの地元協力会社によって構成されています。小林さんは、株式会社Katasuddeの役員も務めており、ハグ・テラスだけでなく同じく鹿屋市にある「ユクサおおすみ海の学校」などの企画・運営も手がけています。

株式会社OKOYASU BASEの代表取締役・小林省三さん。ユクサおおすみ海の学校を運営する株式会社Katasuddeの役員も務める(写真撮影/唐松奈津子)

株式会社OKOYASU BASEの代表取締役・小林省三さん。ユクサおおすみ海の学校を運営する株式会社Katasuddeの役員も務める(写真撮影/唐松奈津子)

「私はもともと東京の建築事務所で働いていましたが、30歳のときに鹿屋市に戻り、家業の建築会社、ホテル等の関連事業の経営に携わるようになりました。5年ほど前から、これまでの経験を活かして鹿屋市の地域づくりにも関わっています。ちょうどそのころから鹿屋市で、学校や市営住宅といった公共施設に対する提案型公募の話が出てくるようになり、プロジェクトごとのメンバーを組んで積極的に参画しているのです」(小林さん)

ユクサおおすみ海の学校を海側から撮影。写真左手にはツリーハウス、広大な芝生、そしてその先は海、という絶好のロケーションにある学校で宿泊できる(写真撮影/唐松奈津子)

ユクサおおすみ海の学校を海側から撮影。写真左手にはツリーハウス、広大な芝生、そしてその先は海、という絶好のロケーションにある学校で宿泊できる(写真撮影/唐松奈津子)

送迎バスに乗り降りする子どもたちの姿を通じて、街ににぎわいを感じる

アダプテッド アフタースクールと隣接するママカフェ「mama cafe & dining A&R」の店内外には、送迎バスを待つ子どもたちの姿や、ママカフェを利用するお母さんたちの姿であふれています。この学童保育施設もママカフェも、ハグ・テラスの住民だけではなく、誰もが利用することができます。浦部さんは「学童や習い事を利用する鹿屋市全域の親子が集まり、街の拠点となる住まいができた」と言います。

ママカフェ「mama cafe & dining A&R」は多くのママと子どもたちでにぎわう。テラス席や外の遊具スペースも人気。もちろん、ハグ・テラス入居者以外も利用できる(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

ママカフェ「mama cafe & dining A&R」は多くのママと子どもたちでにぎわう。テラス席や外の遊具スペースも人気。もちろん、ハグ・テラス入居者以外も利用できる(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

他の地方都市同様、鹿屋市でも主な交通手段は車。ある場所から目的地へと車で移動する生活は、歩く人が見えない、車と駐車場ばかりの街をつくります。ところが、「このハグ・テラスができたことで、子どもたちの姿が多くの市民のすぐ側に、自然と見られる街になった」(浦部さん)そうなのです。

アダプテッド アフタースクールを運営する有限会社アダプテッドスポーツかのやの小西輝さんも、「ここで開催した夏祭りには、市内外から300人の人が集まってくれたんですよ」と、うれしそうに話してくれました。

有限会社アダプテッドスポーツかのやの小西輝さん。子どもたちの通う各小学校に迎えに行き、そこから水泳・サッカー・空手・ダンス・体操などのスポーツ塾、ハグ・テラス内のアダプテッド アフタースクールへと送迎している(写真撮影/唐松奈津子)

有限会社アダプテッドスポーツかのやの小西輝さん。子どもたちの通う各小学校に迎えに行き、そこから水泳・サッカー・空手・ダンス・体操などのスポーツ塾、ハグ・テラス内のアダプテッド アフタースクールへと送迎している(写真撮影/唐松奈津子)

学童施設は公園に隣接。普段は学童施設から直接外に出られる子どもたちの遊び場、イベントのときなどには親子連れでにぎわう(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

学童施設は公園に隣接。普段は学童施設から直接外に出られる子どもたちの遊び場、イベントのときなどには親子連れでにぎわう(写真提供/ユーミーコーポレーション株式会社)

このような公的賃貸住宅の「子育て世帯へ向けた機能の充実」は全国のさまざまな場所で、見られ始めています。例えば、石川県野々市市の「つばきの郷住宅」は、1~3階の市営住宅と4・5階の地域優良賃貸住宅が一つの建物になっていて、隣接地に保育園や児童館、広場などを併設・配置して、ハグ・テラス同様に国土交通大臣表彰を受けています。首都圏では神奈川県住宅供給公社が2020年1月末に「フロール元住吉」を完成予定ですが、託児機能付きのコワーキングスペースや子どもの放課後サポート、レンタルスペースなどを備えた地域交流スペース「となりの.」を併設する予定です。

また、URでは「コソダテUR」など、子育て世帯を積極的に応援する取り組みを行っていますし、首都圏をはじめとする各都道府県、市区郡では、2018年以降、子育て応援住宅認定制度を設けています。これは公的賃貸住宅に限らず、子育てしやすい環境を整えた住宅を認定・登録することによって、いっそう子育て世代に適した居住環境の整備を促進する狙いです。

住むことを検討している自治体の住宅支援制度はもちろん、ぜひ、公的賃貸住宅に対する取り組みや今後の動きにも期待して、情報をチェックしてくださいね!

●取材協力
・鹿屋市「ハグ・テラス」
・ユクサおおすみ海の学校
・有限会社アダプテッドスポーツかのや
・ユーミーコーポレーション株式会社
・神奈川県住宅供給公社「フロール元住吉」

名古屋・円頓寺商店街のアイデアに脱帽! 初の「あいちトリエンナーレ」会場にも

2019年10月14日(月)まで開催中の「あいちトリエンナーレ2019」。愛知県で2010年から3年ごとに開催されている、国内最大規模の現代アートの祭典は今年で4回目。企画展「表現の不自由展・その後」の展示中止問題を耳にした人も多いだろうが、それは全体の作品の中の一部。ほかにも愛知県の街中を広く使って、さまざまな現代アートを展示しているイベントだ。筆者は毎回参加しており、現代アートに詳しくなくても、気負わずに世界の新しい感性に触れられる場だと感じている。
都心部の美術館を飛び出して、名古屋市内外の街なかで作品の展示や、音楽プログラムを実施する2会場のうち1つに、名古屋の下町にある商店街が選ばれた。ここ数年、店主手づくりの祭りの開催などで話題を集め続ける、円頓寺(えんどうじ)商店街だ。四間道・円頓寺地区では10カ所でアートの展示などのプログラムが実施されている。
店主のパワーを集積してシャッターを開けた、名古屋の元気な商店街

円頓寺商店街は、名古屋駅から2km以内の距離。高層ビル群から北東へ15分ほど歩くと、精肉店が店頭でコロッケを揚げる、昔ながらの下町の風景が広がる。すぐ隣には、江戸時代からの土蔵が残る街並みの四間道(しけみち)エリアもあり、タイムトリップしたような気持ちにさせられる。この「四間道・円頓寺」地区が、今回初めて、「あいちトリエンナーレ」の会場の一つに選ばれたのだ。

昨今、全国にある商店街の多くがシャッター街と化しているように、かつて円頓寺商店街も衰退の道をたどっていた。そんな円頓寺界隈を活性化させようと、2005年には円頓寺界隈に特化した情報誌が発行され、2007年には「那古野下町衆」という有志のグループが結成された。以来、円頓寺界隈の情報発信や魅力ある新店の空き店舗への誘致など、少しずつ商店街復活に向けて取り組んできた。

そして2013年に、店主が企画した「円頓寺 秋のパリ祭」が大ヒット。このイベントでは、アーケード街に、人気フレンチのデリや花、ブロカント(古道具)などを売る屋台約80店舗が並び、アコーディオンの演奏が流れる。今年で6年目を迎えるが、年々熱が高まり、近年は歩きにくいほどの人出だ。

また、2015年には老朽化していたアーケードを改修。これは太陽光パネルを搭載し、売電で商店街の収入も得られるという優れものだ。この年、パリ最古といわれるアーケード商店街「パッサージュ・デ・パノラマ」と姉妹提携し、パリ祭は本場のお墨付きとなった。

2015年に改修し、モダンで実用的に生まれ変わったアーケード。現在はトリエンナーレ仕様で、アーケードから吊るされたロープが珊瑚色になっていることにも注目。これはトルコ出身のアーティスト、アイシェ・エルクメンによる作品「Living Coral / 16-1546 / 商店街」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

2015年に改修し、モダンで実用的に生まれ変わったアーケード。現在はトリエンナーレ仕様で、アーケードから吊るされたロープが珊瑚色になっていることにも注目。これはトルコ出身のアーティスト、アイシェ・エルクメンによる作品「Living Coral / 16-1546 / 商店街」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

あいちトリエンナーレの候補地になり、新理事長が芸術監督を案内

四間道・円頓寺界隈が「あいちトリエンナーレ2019」の開催地に内定という第一報があったのは、2018年1月だという。前後の活動について、「喫茶、食堂、民宿。なごのや」のオーナーで、円頓寺商店街振興組合で2018年5月から理事長を務める田尾大介さんにお話を聞いた。

「僕はこれまでも、円頓寺界隈を訪れる機会がなかった人を、宿に引き込んできました。あいちトリエンナーレを含め、今取り組んでいることのすべては、これまで『商店街が盛り上がればいい』と思って行動してきたことの延長線上にあります」と話す。

「2年ほど前に、四間道・円頓寺界隈があいちトリエンナーレのまちなか会場の候補地になっているという話があり、2017年から、津田大介芸術監督や実行委員会の方が、度々下見に訪れるようになりました。僕たちは、一緒に街の見どころなどを案内して回りました」

「なごのや」の名物タマゴサンド。きれいに巻かれた熱々の玉子焼きと、マヨネーズ和えのキュウリが好相性で、リピートしたくなるやさしい味(写真撮影/倉畑桐子)

「なごのや」の名物タマゴサンド。きれいに巻かれた熱々の玉子焼きと、マヨネーズ和えのキュウリが好相性で、リピートしたくなるやさしい味(写真撮影/倉畑桐子)

1階が喫茶店兼食堂、2階がゲストハウスになっている「なごのや」。外国人旅行客も多く訪れる、商店街のランドマークだ(写真撮影/倉畑桐子)

1階が喫茶店兼食堂、2階がゲストハウスになっている「なごのや」。外国人旅行客も多く訪れる、商店街のランドマークだ(写真撮影/倉畑桐子)

プロジェクトチームを結成し、街とアーティストをマッチング

「津田大介芸術監督は、アーケードのある商店街と、古い街並みが気に入ったと話していました」と振り返るのは、あいちトリエンナーレ実行委員会事務局の竹内波彦さんだ。

開催地に決定後すぐに、田尾さんたち円頓寺商店街界隈のメンバーは、まちなか展開のプロジェクトチーム「あいちトリエンナーレ 四間道・円頓寺地区推進チーム」を結成。

「街の中のどこにアートを展示するかを、僕らもゼロベースから考えなくてはなりません。『こういうところにこんな空きスペースがあるから使えるのでは』とこちらから提案することもあれば、逆に『このような展示をしたいから、それに合う場所はないか』というアーティストやキュレーターからの要望もありました。街とアーティストとのマッチングはかなり大変でした」

円頓寺商店街には古くから続く店も多い。「この地域の歴史も生かした展示がしたい」と考えるアーティストも多かった。

「やはり、初めてのことなので……引き受けたときはこんなに大変だとは思わなかった」と苦笑いする田尾さん。最初に話を聞いたときは、「いいじゃん!」と手放しで喜んだという。

「県内で行われる一番大きなアートイベントであり、アートで地域を盛り上げるというテーマもいい。商店街やこの地域に人が訪れるきっかけをどうつくるかは、いつでも一番の課題です。中でも“アート”という切り口は、自分たちだけでは持てないものなので、円頓寺界隈に新たな魅力を持ち込んでもらえることがうれしかったですね」

また、円頓寺界隈にはギャラリーもあり、プロジェクトチームの中には、元々アートに興味を持っているメンバーもいたという。

「視察のときから、そういったメンバーの観点をプラスして、街を紹介できたのもよかったのではないかと思います」

円頓寺商店街の中にある「ふれあい館えんどうじ」では、会場マップの配布や有料展示のチケットを販売(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺商店街の中にある「ふれあい館えんどうじ」では、会場マップの配布や有料展示のチケットを販売(写真撮影/倉畑桐子)

地域住民に理解を求める事前準備に、何より注力

当初から田尾さんは、事務局側に「地元の人あってこその商店街」だと強調していた。「あいちトリエンナーレが来ることで、街の良さやあり方が変わってしまうなら、必要ないと思いました」と話す。

「田尾さんに『まず、住民の人に向けて説明会を開かないと』と言われて、初めて気付かされた。ありがたかったです」と、前出の竹内さんは言う。

プロジェクトチームからの提案を受け、2018年12月、あいちトリエンナーレ実行委員会事務局は、地域住民に向けた説明会を旧那古野小学校の体育館で実施した。津田大介芸術監督からの企画概要の説明に、約80人の住民が耳を傾けた。これは前例がないことだという。また今年4月には、ジャーナリストの池上彰氏を招き、同じ場所で事前申込者向けのプレイベントも実施している。

「あいちトリエンナーレで新しいお客さんが来たら、お店の人は喜ぶけれど、地域に住む人の反応は違いますよね。今回のことに限らず、地域の人に迷惑をかけるイベントなら意味がない。だから、事前の段取りには何より注意を払いました」と田尾さん。

説明会の実施によって、地域に住む人も「街に何が起きているかが分かっているし、変化の具合も受け入れられる範囲だと知っている」ことから、「変に日常を変えられることなく、街自体はすごくいいスタートを切ることができました」と話す。

会期中は毎週、木曜から日曜の19時から「円頓寺デイリーライブ」という音楽プログラムが実施されている。長久山円頓寺駐車場の特設ステージで、さまざまなアーティストが、アコースティックの弾き語りなどの音楽ライブを繰り広げる。

「それでも、人が集まりすぎてどこかに迷惑がかかるようなこともなく、音楽が好きな人がやって来て、いい感じに過ごしている。これなら、アートと一緒になった街づくりもいいなと思えます」と田尾さん。

「円頓寺デイリーライブ」が行われるのは、鷲尾友公による「情の時代」がテーマの壁画「MISSING PIECE」(2019)前(写真撮影/倉畑桐子)

「円頓寺デイリーライブ」が行われるのは、鷲尾友公による「情の時代」がテーマの壁画「MISSING PIECE」(2019)前(写真撮影/倉畑桐子)

商店街の中にトリエンナーレを取り込んで、一体となったおもてなし

四間道・円頓寺地区の10カ所の展示やプログラムのうち「メゾンなごの808」「幸円ビル」「伊藤家住宅」の3つの見学は有料となっているが、他は無料。自由に作品を見て回りながら、名古屋市町並み保存地区である四間道や、円頓寺商店街、江川線を挟んで隣接する円頓寺本町商店街をブラブラ散策できる。勝手に自分の名前を掲示するというグゥ・ユルーの「葛宇路」(2017年)や、古いスナップ写真の人物への妄想を膨らませ、ポーズを再現したリョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)など、考える前にクスッと笑ってしまうような作品もあり、肩肘を張らずに楽しめる。

円頓寺銀座街店舗跡に自分の名前を掲示した標識は、グゥ・ユルーの作品「葛宇路」(2017年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺銀座街店舗跡に自分の名前を掲示した標識は、グゥ・ユルーの作品「葛宇路」(2017年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺商店街・四間道界隈店舗では、「トリエンナーレチケット提示サービス」として、割引や1ドリンク付きなどのサービスを38店が実施。8店は「トリエンナーレコラボメニュー」として料理やドリンク、グッズを提供している。

また、期間中は「パートナーシップ事業」として、界隈の6つのギャラリーで展示やイベントを開催。それらの情報は、円頓寺界隈の情報誌の別冊として、1冊のパンフレットに分かりやすくまとめられている。

界隈で店を営む女性メンバーで制作する円頓寺・四間道界隈の情報誌『ポゥ』の別冊として、あいちトリエンナーレのガイドブックを発行(写真撮影/倉畑桐子)

界隈で店を営む女性メンバーで制作する円頓寺・四間道界隈の情報誌『ポゥ』の別冊として、あいちトリエンナーレのガイドブックを発行(写真撮影/倉畑桐子)

「商店街としては、訪れる人への対応という意味で、いつもどおりのおもてなしをしているつもりです。トリエンナーレの総合案内所である『ふれあい館えんどうじ』も商店街の中に設置していますし、店側はサービスに協賛するだけでなく、街の中にトリエンナーレを取り込んで、本体と一緒になっておもてなししている気持ちです」と田尾さん。

会期中は、四間道・円頓寺地区における拠点「なごのステーション」にあいちトリエンナーレ実行委員会事務局のスタッフも常駐する。ボランティアスタッフも多く、各店も協力的なので、訪れた人が「どこをどう回ったらいいのか?」と迷うことも少なそうだ。

店によっては、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの作品に写真を提供したり、越後正志の「飯田洋服店」(2019年)のために古い什器を探したりするなど、アーティストの作品制作を手伝ったケースもあり、まさに、街とあいちトリエンナーレが一体となって取り組んでいる印象がある。

越後正志の「飯田洋服店」(2019年)は、円頓寺本町商店街にある実際の店との出会いから生まれた作品(写真撮影/倉畑桐子)

越後正志の「飯田洋服店」(2019年)は、円頓寺本町商店街にある実際の店との出会いから生まれた作品(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺界隈に住む人が昔の写真を提供した、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

円頓寺界隈に住む人が昔の写真を提供した、リョン・チーウォー+サラ・ウォンの「円頓寺ミーティングルーム」(2019年)(写真撮影/倉畑桐子)

「円頓寺デイリーライブ」の終了後も、訪れた人が余韻に浸れるよう、夜7~8時ころからのドリンクやスイーツメニューを自主的に充実させたという店もあるという。

「デイリーライブというナイトエンターテインメントは、あいちトリエンナーレで初の試みです。愛知芸術文化センターなど別会場での展示が終わってから、こちらのライブに流れてくるお客さんもいるので、そういった人にも引き続き楽しんでもらえれば」と田尾さんは話す。

作品の展示も行われている拠点「なごのステーション」は、円頓寺商店街と四間道エリアの間に位置する。作品の制作期間中は、2階がアーティストの作業場や宿泊所としても活用された(写真撮影/倉畑桐子)

作品の展示も行われている拠点「なごのステーション」は、円頓寺商店街と四間道エリアの間に位置する。作品の制作期間中は、2階がアーティストの作業場や宿泊所としても活用された(写真撮影/倉畑桐子)

パートナーとして選ばれるような、「面白い」街づくりを

最後に、全国の商店街の示唆にもなるような、日ごろからの取り組みはないかと聞いてみた。

「トリエンナーレで言えば、誘致するものではなく選んでもらうもの。商店街で何かをしたからトリエンナーレがくるのではなくて、自分たちが価値を出し合った結果、こういう広がりにつながっていくのではないでしょうか。

商店街とは、商売をしながら街をつくっていくものなので、一つ一つのお店の魅力や、サービスの良さの集合体で成り立っています。それでお客さんを満足させて、また来たいと思わせる何かがあるか、ということ。街の数だけ色々な展開があると思いますが、いつか芸術監督が下見に来たときに、『面白そうだ』と思われる街になっているかどうかです。それは自分たち商店主自身が、いかに日ごろからお客さんのことを考えているかによるのでは」

「一時的にワーッと盛り上がるのではなく、好きな人が思い思いに過ごしながら、街とアートが融合している方がいい」と話す田尾さん。そういった意味で、四間道・円頓寺界隈とあいちトリエンナーレは合っているように感じるという。

トリエンナーレの期間終了後については、「壁画やロープは街の中に残せるだろうし、“アフタートリエンナーレ”のように、今回の縁で繋がったアーティストやキュレーターのみなさんと、何かを仕掛けるのも面白そうですね」と思いを巡らせる。

「これをきっかけに、1日に一人か二人でも、この界隈をフラフラするファンが増えてくれたらいいな」とのことだ。

アートには詳しくないけれど、筆者は2010年のスタート時から、毎回あいちトリエンナーレを楽しんでいる。これまでは愛知芸術文化センターを中心に見ていたが、今回、円頓寺界隈のファンになり、街とアートが一体となった「まちなか会場」の魅力に目覚めた。あいちトリエンナーレを回る楽しみがまた増えた。

●取材協力
・円頓寺商店街振興組合
・あいちトリエンナーレ実行委員会事務局

マイクロブルワリーは地域を泡立たせる! 今こそ訪れるべき都内の名店3選

マイクロブルワリーとは小規模でビールを生産する醸造所のこと。1980年代のアメリカでブームが起こり、その後、ほかの国々にも広がっていった。

日本では1994年の細川内閣の時代に酒税法が改正。ビールの製造免許取得に必要な最低製造量が年間2000klから60klに引き下げられた。これにより、マイクロブルワリーの数が徐々に増え、日本全国でクラフトビールが誕生する。

そんなマイクロブルワリーが今、地域を盛り上げているという。どういうことなのか?

地域と密接に関わるクラフトビールが続々

今回、クラフトビールについて詳しく教えてくれたのは日本ビアジャーナリスト協会の木暮 亮さん(41歳)。木暮さんがクラフトビールにハマったのは7年前。川越の「COEDOビール」との出会いがきっかけだった。以降、全国で2000種類以上のクラフトビールを飲み歩いている。

木暮さんは協会のウェブサイトでも精力的に記事を執筆中(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

木暮さんは協会のウェブサイトでも精力的に記事を執筆中(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ビールの原料は麦芽、ホップ、水、酵母。それ以外の副原料は米、麦、トウモロコシなど、昨年の酒税法改正でいろんな食材を使えるようになったんです」

もともと地産地消の傾向が強いクラフトビールだが、さらに地域性を取り込みやすくなったということ。

「例えば、西船橋駅近くの『船橋ビール醸造所』では副原料に船橋名産のホンビノス貝を使ったクラフトビールを開発。貝のうま味成分がビールのコクを生むそうです。また、岩手の遠野醸造は副原料に特産品のハスカップを使用したヴァイツェン(白ビールともいわれる小麦の割合の高いもの)で地元とコラボしています」

2019年の今こそマイクロブルワリーに足を運ぶべきなのだ。クラフトビールを愛してやまない木暮さん、ビールの泡のように地域を盛り上げている東京都内のマイクロブルワリーを紹介してもらえますか?

「懐かしい昭和団地系」のガハハビール

最初に向かったのは「ガハハビール」(東陽町)。一度聞いたら忘れようがない店名だ。木暮さんいわく、「オーナーさんの豪快な笑い声から取ったそうですよ」

店は東陽町駅から徒歩5分、「南砂二丁目団地」の一角にある。江東区では初のビール醸造所だ。

1975年に入居開始した全6棟、2769戸のマンモス団地(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

1975年に入居開始した全6棟、2769戸のマンモス団地(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店の前ではオーナー・馬場哲生さん(41歳)が最高のガハハスマイルでお出迎え。

「ガハハ」と笑う「ガハハビール」のオーナー、馬場哲生さん。「暑い中、よく来てくれましたねえ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ガハハ」と笑う「ガハハビール」のオーナー、馬場哲生さん。「暑い中、よく来てくれましたねえ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店内には家族連れの姿も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店内には家族連れの姿も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

馬場さんは映画製作の仕事をしていたが、結婚を機に飲食業界に転身。「大好きで尊敬している」という高円寺の「エル パト」というアメリカンダイナーで飲んだクラフトビールが自身の店を出すきっかけになったという。

「同じ高円寺の『高円寺麦酒工房』で2年間勉強したのち、2017年6月にこの店をオープンしました」

さすが、団地にちなんでつくった「ダンチエール」もある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さすが、団地にちなんでつくった「ダンチエール」もある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

昼から飲めて本格的なフードも味わえる

とはいえ、出店に至る経緯は順風満帆ではない。

「実家がある東陽町でこの物件を見つけたんですが、免許申請から取得まで8カ月ぐらいかかりました。製造経験を聞かれたり納税記録を見せたり。6月にオープンしてビールを出せるようになったのが9月。店は走り出しているのに本当に免許が下りるのか、めっちゃ心配でした(笑)」

美味しいクラフトビールを出すのは当たり前。「ガハハビール」の特徴は11時オープンと、昼から飲める点。さらに、飲食店時代に培った料理の腕で本格的なフードを出す。

「サバのリエット」に「下町レバー」など、フードも手が込んでいる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「サバのリエット」に「下町レバー」など、フードも手が込んでいる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

満を持して注文したのは、各200mlの「飲み比べ3種セット」(1350円)と「刺身の盛り合わせ」(650円)。

ビールは左から「ダンチエール」「スマッシュエール」「恋焦がれ黒2019」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ビールは左から「ダンチエール」「スマッシュエール」「恋焦がれ黒2019」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

美しい味と書いて美味しい。まさに、この表現がぴったりだ。肉厚の刺身はカツオ、ヒラマサ、そしてボラの昆布締め。本気のやつだった。

団地が建つ前は電車の製造工場

「お客さんは基本的にビール目当てですが、途中で日本酒に移行できるのが他のビアパブにはないところ。団地に住んでいるおじいちゃんもいらっしゃいますよ」

なお、馬場さんのお母さんも強力な助っ人だ。この日は店内でレシートの整理をしていた。彼女によれば団地が建つ前は電車の製造工場だったそうだ。

「食べることが好きな子どもでした」と昔の馬場さんを振り返る(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「食べることが好きな子どもでした」と昔の馬場さんを振り返る(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

商店街のつながりは深い。

「住みやすいところですよ。スーパー、八百屋、クリーニング屋、酒屋、団地内でだいたいそろいますから。ランチでお米が切れたときは向かいのインド料理屋に借りに行ったこともあります(笑)」(馬場さん)

来店者には「ガハハビール」ならぬ「ガハハシール」を贈呈(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

来店者には「ガハハビール」ならぬ「ガハハシール」を贈呈(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ごちそうさま。ガハハビールは「懐かしい昭和団地系ビール」でした。

「昭島の地下深層水系」のイサナブルーイング

続いて向かったのは「イサナブルーイング」(昭島)。イサナとは『万葉集』に出てくる勇魚(いさな)、すなわち鯨のことだ。

店は昭島駅から徒歩3分の大師通り沿いにある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店は昭島駅から徒歩3分の大師通り沿いにある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店のロゴマークは、ビールを醸造するためのコニカルタンクと、昭島で200万年前の全身骨格が見つかった古代クジラ「アキシマクジラ」を組み合わせたもの。

洒落たダイナーのような店内(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

洒落たダイナーのような店内(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

オーナーの千田恭弘さん(35歳)は半導体の設計開発、航空宇宙防衛関連のセンサー開発という仕事を経て、2018年5月にこの店を開業した。

中央が千田さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

中央が千田さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

小樽ビールの見学ツアーで開眼

クラフトビールに目覚めたきっかけは7年前の小樽旅行。小樽ビールの醸造所見学ツアーに参加したところ、たまたま客が千田さん一人。案内ガイドからマンツーマンでクラフトビールに関する講義を受けることができた。

「特に感動したのが、そこで飲ませてもらった麦汁。従来のビール感ががらりと変わりました」

大学時代はスターバックスでアルバイト。将来はカフェを開くのが夢だった。それが小樽旅行がきっかけでマイクロブルワリーに心変わりする。

ゲストビールも含めて常時10種類のメニューを用意(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ゲストビールも含めて常時10種類のメニューを用意(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「出店を決意したのは2017年の5月ぐらい。意外にもぽんぽんと話が進んで11月には物件が決まりました。12月の頭に物件契約、翌年1月に円満退職。会社の人とも未だに交流があって、今度、社の納涼祭に出店させてもらうんです」

子どもが小さいため、安定した会社勤めを辞めることに妻は不安だったそうだが、最終的には応援してくれたという。

前衛アートのような圧力計。これでビールの状態を管理する(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

前衛アートのような圧力計。これでビールの状態を管理する(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ビールの美味しさの秘密は水にもある

さて、注文したのは「吟醸ヴァイツェン 錠夏」Mサイズ(890円)。製造時に米麹を入れるため、芳醇なコメの香りが特徴の白ビールだ。

フードは昭島に餃子メーカーがあることにちなんだ「あきしま餃子」(490円)とイサナブルーイングのビールを使ったピクルス酢で漬け込んだ「野菜と卵のピクルス」(780円)。

黄金のトライアングルが完成(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

黄金のトライアングルが完成(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

千田さんはビールの美味しさの秘密は水にもあるという。

「昭島の水道水はすべて数十年かけて秩父山系から流れてくる地下深層水。この水が美味しいから昭島には蕎麦屋やわさび農家も多いんです」

醸造コーナーには千田さんが小樽で感動した麦汁の香りが充満(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

醸造コーナーには千田さんが小樽で感動した麦汁の香りが充満(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

なお、スタバのアルバイト経験が長かった千田さんはコーヒーも大好き。店のドリンクメニューに当然、コーヒーメニューもある。手動の装置で自家焙煎した豆を使用し、エアロプレスで入れるというこだわりようだ。

なかには日本初の「ホップ入りコーヒー」という気になるメニューも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

なかには日本初の「ホップ入りコーヒー」という気になるメニューも(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ヨーロッパ放浪時に目にした小さな醸造所

最後にお邪魔したのは「ライオットビール」(祖師ヶ谷大蔵)。ライオットとは暴動の意だ。店名の由来が気になる。

駅から6、7分。商店街を抜けた住宅街の手前にある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

駅から6、7分。商店街を抜けた住宅街の手前にある(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

開業は2018年4月。オーナーの江幡貴人さん(39歳)は板橋区の高島平出身。4年間勤めたIT企業を退職後、半年ほど一人でヨーロッパを放浪したという。

15時開店早々から地元の人に愛されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

15時開店早々から地元の人に愛されている(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ポルトガルのリスボンをスタートして、アイルランドのダブリンから帰国。ヨーロッパはまちのあちこちに小さい醸造所があって、しかもその地域でしか飲めない銘柄ばかり。とくにドイツ人はガバガバ飲みますね(笑)」

クラフトビールに興味を持った江幡さんは帰国後、さっそくマイクロブルワリーを開業するためのリサーチを始める。

サッカー好きでバルセロナの大ファンだという江幡さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

サッカー好きでバルセロナの大ファンだという江幡さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ビールの名前に曲名を冠している

「マイクロブルワリーを開ける物件って、規模といい設備といい、ラーメン屋と条件が同じなんですよ。だから、すぐ埋まっちゃう。ここは不動産屋さんからネットに出ていない物件を紹介してもらいました。もともとは接骨院だったみたいです」

ちなみに、「ライオット」はスラングで「すげえ楽しい」という意味があるらしい。

メニューを拝見(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

メニューを拝見(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

この店の特徴はビールの名前に曲名を冠している点。一番人気だという「サルベーション」(800円)を注文した。パンクバンド、ランシドの名曲だ。フードはこれまたオススメだという「チップス&伝説のサルサソース」(500円)。

「チップス&伝説のサルサソース」のソースは今はなき狛江のトルコ料理店の「伝説のレシピ」を再現(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「チップス&伝説のサルサソース」のソースは今はなき狛江のトルコ料理店の「伝説のレシピ」を再現(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「『サルベーション』はアメリカのシトラホップという柑橘系の香りが高いホップをたっぷり入れてつくっています。麦芽のテイストも濃い目で美味しいんですよね」

信号もない不思議な五叉路に人が集まる

ふと横を見るとヤングママがビールを飲んでいた。聞けば三軒茶屋からわざわざ来店したという。

子どもは現在2歳、十数年後には乾杯できる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

子どもは現在2歳、十数年後には乾杯できる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「世田谷線上町駅の世田谷百貨店というカフェのイベントでここのビールを飲みました。クラフトビールが好きでいろんなお店を回っているんです」とママさん。

江幡さんがこの物件を気に入った理由のひとつにすぐ目の前の五叉路がある。

「信号もない不思議な交差点で、何となく人が集まるように思えたんですよね。行き交う人々がちょっとした羽休めで寄ってほしい。そんな願いも込められています」

複雑な形状で道路が交差する(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

複雑な形状で道路が交差する(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

確かに眺めているだけで楽しくなる五叉路だ。

「サルベーション」の数式を見せてくれた

江幡さんによれば、ビールづくりは完全に理系の作業。クラウドに上がっている「Beer Smith」というツールを使う人も多いそうだが、彼はエクセルで計算式を構築する。なんと、先ほど飲んだ「サルベーション」の数式を見せてくれた。

意味は理解できないが緻密な作業だということは分かる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

意味は理解できないが緻密な作業だということは分かる(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「煮沸した後の水量や糖分の比重を表す数値です。どの麦芽を何種類入れるかで出てくる糖の量と色が変わります。出た糖を酵母に食わせた最終的な残糖を出すとその差分でアルコール度数になる」

さらに、色味の強い麦芽を入れると色も濃くなり、ホップを入れる量とタイミングで苦味をコントロールしているという。すごい。

ごちそうさまでした。ライオットビールは「人が集まる五叉路系ビール」でした。

クラフトビールを通じて「交流の場」をつくりたい

美味しいビールを出す店があるまちに住みたい。ビール好きなら誰だってそう思うはずだ。マイクロブルワリーの存在が、まちの魅力を2倍にも3倍にも増幅させる。

3軒のオーナーに共通していたのはクラフトビールを通じて「交流の場」をつくりたいという思い。確かに、日本ビアジャーナリスト協会の木暮さんは「海外のマイクロブルワリーは日本の赤提灯のようなもの」だと言っていた。

なるほど。店主の個性とまちの特色を色濃く反映するクラフトビールは「交流の場」としてはもってこいかもしれない。

最後にもう一度。「ごちそうさまでした」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

最後にもう一度。「ごちそうさまでした」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

●取材協力
日本ビアジャーナリスト協会
※木暮さんの記事
ガハハビール
イサナブルーイング
ライオットビール

横浜南部市場に複合商業施設、9月20日オープン

大和リース(株)は、金沢シーサイドライン「南部市場駅」前(神奈川県横浜市)に、複合商業施設「ブランチ横浜南部市場」を本年9月20日(金)にオープンする。「ブランチ」は同社が全国に展開する複合商業施設ブランド。「つどう、つながる、ひろがる」を施設コンセプトに、地域のコミュニティを育む拠点として体験型施設や交流スペースを設けている。

このたびオープンする「ブランチ横浜南部市場」(鉄骨造2階建)では、「発見」「体験 」「発信 」といった3つのテーマを掲げ、「食」のにぎわい創出に注力。飲食、物販、サービスを中心としたテナント構成としている。

また、施設内には芝生敷きの海辺広場など、緑豊かな空間や調理設備を整えた交流スペースを整備。交流スペースでは、物流エリアや経験豊かな関連棟事業者を講師に招き、食文化の発信や食を介したコミュニティの醸成を図る。

ニュース情報元:大和ハウス工業(株)

大学生がシニアと団地で暮らす理由とは。世代間交流深める高蔵寺ニュータウンの今

愛知県名古屋市に隣接する春日井市の丘陵地に広がる、UR都市機構が開発した高蔵寺ニュータウン。東京の多摩、大阪の千里と並ぶ日本三大ニュータウンの一つと言われ、当初は約700haに8万人超が暮らす大規模な街づくりが行われた。最初に完成した藤山台団地が1968年に入居を開始してから、昨年で50年が経過。全国各地で課題となっている少子高齢化の波はここにも押し寄せているようにも見える。だがこの団地では、住人に新しい気持ちが芽生えるような取り組みが進んでいた。
通学時間を短縮して有意義に!

現在、高蔵寺ニュータウンの団地には、そこから3kmほど離れた場所にある中部大学の学生83名(2019年4月1日時点)が「地域連携住居」という取り組みを利用して暮らしている。団地内にはファミリー向けにつくられた間取りも多く、十分な広さがある。入居を希望する学生は、各地区の自治会加入・地域活性化に資する活動(以下、地域貢献活動)への継続参加が条件。地域貢献活動への参加によって与えられるポイントを学期(春・秋)内に一定数集めることが要件となっており、その特典として家賃が割引になる。これがUR都市機構・春日井市・中部大学の3者で取り組む「地域連携住居制度」の仕組みだ。スタートした初年度は21人の学生が入居、年々入居者は増え、現在のこの人数になっている。

高度経済成長とともに増加した高蔵寺ニュータウンの人口は、95年をピークに減少がはじまり、少子高齢化が進んでいる。そんな中「春日井市と、市内にある中部大学から、URにニュータウンへの学生の入居促進に対する協力の依頼があったのは2014年のことです。私たちとしても、年月が経った団地への魅力づけを、何かしなくてはと考えているところでした。学生さんたちへの生きた教育の場の提供にもなるのであればと考え、協力をさせていただくことにしました」と話すのは、UR都市機構中部支社で団地マネージャーを務める所義高さん。

高蔵寺ニュータウン内には遊具のある公園や広場が点在。保育園や幼稚園もあり、子ども達の元気な声が響く(写真撮影/倉畑桐子)

高蔵寺ニュータウン内には遊具のある公園や広場が点在。保育園や幼稚園もあり、子ども達の元気な声が響く(写真撮影/倉畑桐子)

この取り組みのきっかけについて、依頼側である中部大学学生教育部学生支援課の殿垣博之さんはこう話す。
「本学は東海三県から通学する学生の割合が大きく、中には片道2時間以上をかけて通学する学生もいます。そこで大学としては、学生の通学時間を短縮し、その時間を学業やクラブ活動、インターンシップなどに役立ててほしいと考えました。ただ、経済的に厳しい状況の学生も多いので、可能な限り通学にかかる交通費に近い金額で下宿代がカバーできるような取り組みを模索し、この制度が提案されました」

元気な学生たちの住まいは上層階

地域連携住居制度を利用する入居者で組織される学生団体、中部大学KNT創生サポーターズ(以下、CU+)の今年度リーダーを務める、中部大学人文学部三年生の西井皓祐さんにお話を聞いた。
「地域連携住居制度については、大学の合格通知に同封されていたので、入学前から知っていました。実家は県外なので、当初からここに住もうと決めていました」

明るい日差しが差し込む西井さんの住まい。ゆとりある間取りを活用し、自炊や洗濯をして一人暮らしを満喫中だ(写真撮影/倉畑桐子)

明るい日差しが差し込む西井さんの住まい。ゆとりある間取りを活用し、自炊や洗濯をして一人暮らしを満喫中だ(写真撮影/倉畑桐子)

それまでは、地域イベントへの参加経験がなかったという西井さん。「入学するまであまり興味がなかった」と正直だ。そんな西井さんの住まいにお邪魔してみた。ファミリーでも住むことができる2DKの間取りは「1人なら十分すぎる広さです」といい、住み心地には大満足。毎月の家賃も割安で、大学からも近いので、友達が遊びに来ることもある。

学生の住まいは、エレベーターのない指定された棟の空いている部屋から、好きな間取りを選べる。4~5階は高齢者や幼児がいる世帯にとっては不人気であるため、学生たちが住めば、UR都市機構側としてもメリットがある。西井さんも上の方の階に住んでいるが、若いだけあって「階段にはすぐ慣れました」と笑顔を見せた。

UR都市機構による賃貸物件なので、仲介手数料や礼金などが必要なく、退去時の精算も国土交通省のガイドラインに則って行われるので、初めて一人暮らしをする学生にも分かりやすい。

入居は空室があれば随時で、年度の途中から住むこともできる。入居可能な住居や家賃については、希望者がUR都市機構の窓口に問い合わせることになっている。なかには、部屋をシェアして住んでいる学生もいるそうだ。

参考書などが並び、いかにも学生らしい西井さんの居間兼寝室。大学へは車で10分ほどの距離なので、授業の合間にちょっと帰宅することもできる(写真提供/西井さん)

参考書などが並び、いかにも学生らしい西井さんの居間兼寝室。大学へは車で10分ほどの距離なので、授業の合間にちょっと帰宅することもできる(写真提供/西井さん)

力仕事と爽やかな「おもてなし」で学生が本領発揮

入居のための必須条件である地域貢献活動への参加は、大きく分けて2種類ある。
1)依頼を受けて自治会等主催の地域活動に参加すること。地域の運動会や餅つき大会、防災イベント、防犯パトロールなど
2)地域連携住居制度を利用する学生が地域住民に向けて、自主的に行事を企画し開催すること。コーヒーサロンの企画・実施、高蔵寺ニュータウン内の清掃活動、夜警など

「団地に住む学生は、毎月、月例会で地域貢献活動内容について話し合います。内容ごとにポイントが違い、どれに参加するかは自由です。ポイントは学期(春・秋)で最低5ポイントずつ、1年で10ポイント以上を取得するように決められています」と西井さん。

西井さんに、地域貢献活動への参加記録である「地域貢献活動カード」を見せてもらった。入学以来、定期的に地域の祭りや運動会の運営サポート、草刈りや団地内の夜警、自治会の防災倉庫の点検などの地域貢献活動に参加し、主催者側と大学の学生支援課がチェックした記録があった。

「自治会から頼まれるものの中には、イベント時のテントの設営と片付けなどの力仕事や、ウォーキング時のコース案内など、炎天下での活動もあります。学生の僕たちでも疲れるような作業があるので、無事に終了すると、地域の方から『とても助かったよ』と喜ばれます。地域のみなさんの役に立っているんだなと実感しています」と話す。

自治会主催のイベントへの参加は、自身が住む地域でどのような催しが行われているのかを知る機会になり、大人から子どもまで、多世代の地域住民と交流するきっかけにもなっているという。

一方、学生からの人気が高い地域貢献活動は「コーヒーサロン」の企画・実施だ。これは、団地の集会室で、学生が淹れたコーヒーを振る舞う無料のおしゃべりサロンのこと。「一人暮らしの地域の方から、『部屋を出て若い人と話すだけでもうれしい』と喜んでもらったり、『君は将来、何がやりたいの?』と進路を聞かれて身が引き締まるような思いをしたり。昔の春日井市の話を聞かせていただくこともあり、僕たちも楽しんでやらせてもらっています」。時には団地の住民から差し入れがあることも。開始以降好評で、毎年秋に開催される、住民の世代間交流の場になっている。

学生たちによる自主企画である、団地内の清掃活動の様子(写真提供/中部大学)

学生たちによる自主企画である、団地内の清掃活動の様子(写真提供/中部大学)

安心・安全な街づくりを呼び掛ける、地域の防犯パトロールに住民と共に参加(写真提供/中部大学)

安心・安全な街づくりを呼び掛ける、地域の防犯パトロールに住民と共に参加(写真提供/中部大学)

視野が広がり気付いた、「地域貢献って楽しいもの」

昨年秋からCU+のリーダーを務める西井さん。当初は地域貢献に興味がなかったが、年配者から力仕事に対して感謝されるだけでなく、「若い人と話して元気が出た」「孫と接しているみたい」と言われることで、「自分にできる範囲の、何気ないことでも喜んでもらえるんだ」と感じるようになった。次第に「地域貢献活動自体が自然なことで、楽しみの一つにもなりました」という。

ただ、80人以上の学生がいると、なかなか足並みがそろわない部分もある。「家賃を割り引きしてもらっている義務感で、仕方なく地域貢献活動に参加している人も見受けられました。でも、それってちょっと違うんじゃないかと。みんなが心から、楽しいな、やりたいなと思うような地域貢献活動にしようと思って」、昨年のリーダー交代のタイミングで立候補。自分自身が「みんなを鼓舞しよう」と思うほどに変化するとは、想像していなかったという。

リーダーの任期は1年間。西井さんが率先して、楽しみながら地域貢献活動に参加することで、月例会で活発に意見が交わされるようになるなど、「一人一人が考えながら、自主的に行動できるように変化してきた」と感じている。

現在は、団地内で一人暮らしをする年配の女性から、おかずを分けてもらうこともあるという西井さん。ナチュラルな形で、すっかり地域に溶け込んでいる。

大学側も取り組みの手応えを語る。「シニアの方からは、イベントなどに学生が参加することで『地域の活性化につながる』というありがたいお言葉もいただいています。学生たちは、人生の先輩であるシニアや親世代の方々と交流することで、さまざまな考え方に触れることができ、視野を広げるきっかけとなっています。地域連携住居制度によって、授業だけでは学ぶことのできない経験をすることができ、学生にとってのキャンパスが学外にも広がりつつあります。これを本学では第3の教育として推奨しています」(※第1:正課教育(授業)、第2:正課外教育(クラブ活動など)、第3:社会連携教育)(前出の中部大学学生教育部学生支援課 殿垣さん)

昨年、団地の敷地内に、廃校になった藤山台東小学校を利用した多世代交流拠点施設「グルッポふじとう」がオープン。カフェや図書館、児童館などが入り、地域の人々でにぎわう(写真撮影/倉畑桐子)

昨年、団地の敷地内に、廃校になった藤山台東小学校を利用した多世代交流拠点施設「グルッポふじとう」がオープン。カフェや図書館、児童館などが入り、地域の人々でにぎわう(写真撮影/倉畑桐子)

制度をきっかけに、自然とコミュニティが活性化

前出のUR都市機構・所さんは、「コミュニティの活性化は、日本全国どこでも、住宅を管理する側の課題です。でもこれらは住民の方の気持ちがあってこそ成り立つので、本来、家主側がやろうと思ってできることではありません。一緒に住んでいただきながら、自然な形で多世代が交流するというのは、ミクストコミュニティの良い事例だと思っています」と話す。

地域連携住居制度については、現在まで、学生と元から住む住民との双方から好評の声を聞いているという。「学生さんの住まい方については、特に何もお願いをしていませんが、騒音などの不満も聞きません。多世代と共同住宅に住むということで、よりマナーをわきまえて生活しているのでは」(UR都市機構・所さん)

中部大学側からは、「学生が多く入居しているため、気が緩みがちになりますので、常に中部大学の学生として見られていることを意識して、日ごろの挨拶やゴミ出しなどのマナーの遵守を徹底するように伝えています」(殿垣さん)とのことだ。

双方が「今後も望ましい形を模索しながら、この取り組みを続けていきたい」と話す。毎年度末には、春日井市や自治会、UR都市機構の担当者を交え、地域連携住居制度の年間活動報告会を行っている。

「核家族が増えている中で、ご高齢の方と日常的に接する機会があり、自分が住む地域で地域貢献活動の経験ができるというのは、価値があることなのでは。学生さんたちが、今後も自主的に考えて行動するきっかけの一つになればうれしいですね」とUR都市機構・所さん。

中部大学は「取り組みが5年目を迎え、入居する学生の増加につれて、地域からの期待や要望も大きくなっていると感じます。今後は、これまでの経験や地域の皆さんからいただいたご意見を活かしつつ、持続的に地域と連携していくための制度や、地域貢献活動への参加方法などをさらに改善していきたいと思います」(殿垣さん)と展望を話す。

これからも地域に馴染みながら、より快適な制度へと姿を変えていくのだろう。

中部大学で行われた「防災企画」の講習会に、地域連携住居制度を利用するメンバーと地域住民が参加。共に災害に関する知識を身に付けた(写真提供/中部大学)

中部大学で行われた「防災企画」の講習会に、地域連携住居制度を利用するメンバーと地域住民が参加。共に災害に関する知識を身に付けた(写真提供/中部大学)

同世代ではない人たちへの理解、お年寄りへの細やかな気遣い、自分も地域の担い手であるという責任感。それらを身に付けることは、これから社会へ出ていく学生にとって、無駄なことが一つもない。

一方で、団地内に顔見知りが増えれば、独居のシニアの体調の変化などに学生が気づくこともあるかもしれない。どちらにもメリットが多い取り組みだと思う。

お邪魔した西井さんの部屋は、ザ・大学生の一人暮らし!という懐かしい雰囲気。そこから一歩外へ出ると、公園の遊具や時計台があり、子どもの声が響くのどかな環境というのもいい。人生のうちの数年間、団地で暮らしてみるという経験は、社会へ巣立つ前の彼らを温かく育むに違いない。

●取材協力
・UR都市機構 中部支社 
・中部大学

街とつながるライフスタイルホテル【後編】「ノーガホテル上野」で東京の食と文化とアートに触れる

宿泊客と地域の人々との交流を促すライフスタイルホテルが注目されています。前編「星野リゾート OMO5 東京大塚」に続き、後編では、館内のアメニティやレストランの食材、アート作品などを地元で製作、調達することで、地域の魅力を世界に伝える「ノーガホテル上野」に伺いました。
住宅のプロ「野村不動産」グループがホテル事業に初参入!

ニューヨーク発のメンズファッション&ライフスタイル誌『GQ』や、ロンドンに拠点を構えるグローバル情報誌『MONOCLE(モノクル)』など、高感度な海外メディアにも取り上げられ、世界的に注目を集めている「ノーガホテル上野」。野村不動産グループによる初のホテル事業の第1号店で、JR上野駅浅草口から東へ徒歩5分のところにあります。

吹抜けのラウンジスペースは、道路に面したガラスドアからテラス席に続いています。通りからふらっと立ち入りやすい、開放的な雰囲気です(写真提供/ノーガホテル上野)

吹抜けのラウンジスペースは、道路に面したガラスドアからテラス席に続いています。通りからふらっと立ち入りやすい、開放的な雰囲気です(写真提供/ノーガホテル上野)

パリの「The Hoxton」やニューヨークの「11 howard」のエッセンスを感じさせるデザイン性の高いラウンジでお茶を飲んでいると、ここが上野だということを忘れてしまいそうになります。

なぜ、1号店を上野に決めたのでしょうか? 野村不動産ホテル事業部の中村泰士さんに尋ねてみました。

「上野のある台東区を訪れる観光客は、年間5000万人とも言われています。上野エリアには国立西洋美術館や東京国立博物館、上野動物園、上野東照宮もありますよね。浅草寺や仲見世通り、アメ横や合羽橋も、ホテルのすぐ近く。多くの人が訪れてみたいと思う観光資源が豊富な点が、このエリアの魅力のひとつです」

ワインエキスパートとSAKE DIPLOMAの資格も有する、美味しいもの好きの中村さん。2年かけて、地元の飲食店や工房を400軒以上も巡ったそうです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ワインエキスパートとSAKE DIPLOMAの資格も有する、美味しいもの好きの中村さん。2年かけて、地元の飲食店や工房を400軒以上も巡ったそうです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

さらに上野は、新・旧が融和したプロダクトの街である点も魅力なのだとか。

「江戸切子や東京硝子といった伝統的なものづくり文化が残るだけでなく、蔵前のように若いクリエーターが集まる街もあります。ホテル事業を通して『人と人、人と街をつなぐコミュニティづくり』を推進していきたいと考えていた我々にとって、上野は1号店にベストな立地だったんですよ」

エレベーターホールには、地元の家紋職人である「京源」波戸場承龍氏、耀次氏による家紋アート作品が飾られているほか、4種類の客室カードキーにも両氏によるオリジナルデザインが採用されています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

エレベーターホールには、地元の家紋職人である「京源」波戸場承龍氏、耀次氏による家紋アート作品が飾られているほか、4種類の客室カードキーにも両氏によるオリジナルデザインが採用されています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ノーガホテルのコンセプトは、『地域との深いつながりから生まれる素敵な経験』。ゲストがその地域の文化を感じられるよう、地元の職人やデザイナーとともに製作したオリジナルプロダクトがホテル内のいたるところで採用されています。

客室のドアノブにかける「ECO FRIENDLY CLEANING(タオル・ベッドリネン交換不要)」などのサインプレートは、生活デザイン雑貨の企画会社「SyuRo」のオーナー、宇南山加子氏とのコラボレーションで製作(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

客室のドアノブにかける「ECO FRIENDLY CLEANING(タオル・ベッドリネン交換不要)」などのサインプレートは、生活デザイン雑貨の企画会社「SyuRo」のオーナー、宇南山加子氏とのコラボレーションで製作(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「客室のハンガーや靴べら、レストランのカトラリーレストやメニューボードなども、地元のクリエーターと一緒につくりました。お客様のご要望を受けて店頭で販売するようになったものもあるんですよ。製作しているショップや工房をお客様にご紹介すると、とても喜ばれます。『お土産に』と、たくさんお買い物してこられる方もいますね」

谷中、鳥越、入谷……イベントの開催も食材の調達も地元と連携

ノーガホテルでは、館内で使われるものだけでなく、イベントやワークショップの開催も地域と連携して行っているそうです。

谷中に本店のある自転車専門店「トーキョーバイク」とのコラボレーションでは、上野エリアを自転車で巡るサイクリングツアーを企画。地元、台東区の魅力を知り尽くしたトーキョーバイク代表のきんちゃん(金井一郎さん)が案内役を務めます。

洗練されたデザインと高い機能性を誇る「トーキョーバイク」の自転車は、国内外にファン多数。ツアーに使用される自転車は、スポーツバイク初心者にも扱いやすい「26」と、乗車姿勢が高く広い視野を確保できる「BISOU 26」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

洗練されたデザインと高い機能性を誇る「トーキョーバイク」の自転車は、国内外にファン多数。ツアーに使用される自転車は、スポーツバイク初心者にも扱いやすい「26」と、乗車姿勢が高く広い視野を確保できる「BISOU 26」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

野村不動産ホテル事業部の竹村明里さんによると、「日本酒のテイスティングセミナーも人気」なのだとか。

ホテル事業部にくる前は、野村不動産のマンションシリーズ「PROUD」の賃貸部門にいたという竹村さん。「新しい取り組みに挑戦したい」という考えで、ホテル業界未経験のスタッフが多く採用されたそうです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ホテル事業部にくる前は、野村不動産のマンションシリーズ「PROUD」の賃貸部門にいたという竹村さん。「新しい取り組みに挑戦したい」という考えで、ホテル業界未経験のスタッフが多く採用されたそうです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「テイスティングセミナーは、ホテルのすぐ近くにある木本硝子さんにご協力いただいて開催しています。全国各地の日本酒の蔵元からゲスト講師を招いてお話を伺いつつ、木本硝子さんの日本酒グラスで実際に試飲いただくという内容です。グラスの形が違うだけで味がこんなにも変わるんだと、毎回参加者の方に驚かれますよ」

「ワイングラスはあるのに、なぜ日本酒グラスはないのか」という着想から生まれた木本硝子の『es』シリーズ。セミナー参加者には、ノーガホテルオリジナルの平杯グラスがプレゼントされます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ワイングラスはあるのに、なぜ日本酒グラスはないのか」という着想から生まれた木本硝子の『es』シリーズ。セミナー参加者には、ノーガホテルオリジナルの平杯グラスがプレゼントされます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

また、ホテル内のレストラン「ビストロ・ノーガ」では、地域の食材を積極的に採用しているそうです。コーヒーは台東区鳥越の喫茶店「蕪木」とコラボレーションしたオリジナルブレンド、パンは隅田川沿いにある手づくりパンの店「マニファクチュア」から、ハムやベーコンは入谷の隠れた人気店「太田ハム」から取り寄せています。

蕪木珈琲とマスカルポーネを合わせた大人の風味の和モダンかき氷『蕪木珈琲をティラミスのイメージで』。このほか、塩を効かせたグラノーラが香り高いほうじ茶シロップの甘みを引き立てる『ほうじ茶シロップと塩グラノーラ』も人気(写真提供/ノーガホテル上野)

蕪木珈琲とマスカルポーネを合わせた大人の風味の和モダンかき氷『蕪木珈琲をティラミスのイメージで』。このほか、塩を効かせたグラノーラが香り高いほうじ茶シロップの甘みを引き立てる『ほうじ茶シロップと塩グラノーラ』も人気(写真提供/ノーガホテル上野)

「どのお店も、ホテルから徒歩や自転車で気軽に行ける距離にあります。レストランのディナー等で召し上がって気に入ったからと、店舗を訪れる方も多いです。初めての場所でも、事前に少しお店の雰囲気が分かっていると訪れやすいのかもしれませんね」

地元アーティストの作品が展示される館内でギャラリーホッピング

館内には、あちこちにアート作品が展示されているのも印象的。たくさんのギャラリーを巡らなくても、ホテルにいながらギャラリーホッピングしている気分が味わえます。

中村さんによると、「キュレーションは『IDÉE』創始者の黒崎輝男さんと、『東京画廊+BTAP』の山本豊津さんによるもので、多くは地域のアーティスト、デザイナーの作品です。若手アーティストの成長を支援するとともに、ホテルを訪れたゲストにアートを楽しんでいただきたいという思いで作品をセレクト、展示しています」

有機的なラインが美しいコンシェルジュ・カウンター。手前はゲスト対面して話しやすい低さ、奥はゲストにタブレット画面を見せながら話しやすい高さを採用。カウンターを取り囲むようにギャラリーとショップが設けられています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

有機的なラインが美しいコンシェルジュ・カウンター。手前はゲスト対面して話しやすい低さ、奥はゲストにタブレット画面を見せながら話しやすい高さを採用。カウンターを取り囲むようにギャラリーとショップが設けられています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「アーツ千代田3331」と提携し、3カ月ごとに企画展を実施。現在、展示されているのは「21_21 DESIGN SIGHT」の「デザインあ展」などでも知られるデザイナー、寺山紀彦氏の作品『自然と人工の共通点』。気に入った作品は購入可能(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「アーツ千代田3331」と提携し、3カ月ごとに企画展を実施。現在、展示されているのは「21_21 DESIGN SIGHT」の「デザインあ展」などでも知られるデザイナー、寺山紀彦氏の作品『自然と人工の共通点』。気に入った作品は購入可能(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

野村グループの創業者、野村徳七氏は茶の湯や能楽に造詣が深く、文化、芸術の支援に力を注いできたといいます。その想いを受け継いで、現代アートの未来を担う新人アーティストを表彰、支援する「野村アートアワード」を創設するなど、グループ全体に文化、芸術の発展に貢献していきたいという考え方が根付いているようです。

エントランスを入ってすぐ、右手の壁面を飾るのは、東京藝術大学出身の山田悠太朗さんによるインスタレーション『Apollo Program』(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

エントランスを入ってすぐ、右手の壁面を飾るのは、東京藝術大学出身の山田悠太朗さんによるインスタレーション『Apollo Program』(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

欧米の宿泊客にニーズの高いフィットネスルームには、「テクノジム」のトレッドミルやスキルロウなどのマシンのほか、壁面には清水総二氏による大判のアート作品も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

欧米の宿泊客にニーズの高いフィットネスルームには、「テクノジム」のトレッドミルやスキルロウなどのマシンのほか、壁面には清水総二氏による大判のアート作品も(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

今のところ、ホテルの宿泊客は8割が外国人。日本の文化や歴史、食に関心の高い方が多く、地域との結びつきが強いノーガでの体験を楽しんでいるそうです。一方で、日本の宿泊客はまだまだ少ないのが課題だといいます。

「日本の方、地元の方にも、コミュニティスペースとして気軽に活用いただけるよう、イベントや企画を考えていきたいと思っています」という中村さん。

野村不動産の「PROUD」や「OHANA」を手がけるインテリアデザイナーとともに「家とホテルの中間」を目指したという客室は、家より洗練された上質な空間、ホテルよりは開放的で寛げる雰囲気に仕立てられています。宿泊料金は一室約1万6800円(大人一名、約8400円/泊)から。9歳までの子どもは無料(写真提供/ノーガホテル上野)

野村不動産の「PROUD」や「OHANA」を手がけるインテリアデザイナーとともに「家とホテルの中間」を目指したという客室は、家より洗練された上質な空間、ホテルよりは開放的で寛げる雰囲気に仕立てられています。宿泊料金は一室約1万6800円(大人一名、約8400円/泊)から。9歳までの子どもは無料(写真提供/ノーガホテル上野)

「大規模な再開発、地域に根ざした街づくりでは長年の実績がある野村不動産ですが、そこでの我々の仕事は建物をつくって販売するところまででした。でも、ホテルはつくってからがスタート。街の魅力をお客様にお伝えして楽しんでいただけるよう、今後も時間をかけて地域の人々との交流を深めていきたいと考えています」

これまで、ホテルといえば旅行客のための場所で、ある意味、それ以外の人には閉ざされた空間でした。けれども、ライフスタイルホテルは旅行客だけでなく、その街で働く人、暮らす人、暮らしたい人にも開かれた場所です。そこで私たちを迎えてくれるのは、「ホテルのコンシェルジュ」ではなく「街のコンシェルジュ」。住みたい街選びの強力なサポーターになってくれるかもしれませんね。

ノーガホテルは今後、2020年に秋葉原店、2022年には京都店をオープンする予定だそうです。それぞれの地域ならではの食、文化、アートを、独自のスタイリッシュな切り口で紹介してくれる日が今から楽しみです!

●取材協力
NOHGA HOTEL UENO

街とつながるライフスタイルホテル【前編】「星野リゾート OMO5 東京大塚」とディープな“地元のとっておき“を巡る

近ごろ、続々とオープンしているライフスタイルホテル。日本らしさを体験できる仕掛けがあったり、ゲスト
同士が交流できる工夫があったりと、単に「宿泊する」以上の付加価値を備えているのが特徴です。なかでも、とくに注目したいのが、宿泊客と地域の人々との交流を生み出しているホテル。宿泊客に街を楽しんでもらうだけなく、結果として街の価値向上にもつなげている「星野リゾート OMO5 東京大塚」に、知られざる大塚のディープな魅力をご紹介いただきました。

おもてなしのプロ「星野リゾート」が手がける都市観光ホテルとは

「山手線の大塚駅って、はじめて来ました!」 関西出身の私だけでなく、同行した編集者、東京出身のAさん、東京暮らしの長いTさんも同じだと言うのだから、やはり大塚は隣駅の池袋や巣鴨ほどには認知度が高くないのかもしれない。……そう思いながら北口を出ると、正面に「OMO5(おもふぁいぶ)」のロゴが入った建物が見えました。

「OMO5 東京大塚」のエントランスは、はやりのライフスタイルホテルっぽい、おしゃれな雰囲気。全125室、宿泊料金は7000円から(写真提供/星野リゾート)

「OMO5 東京大塚」のエントランスは、はやりのライフスタイルホテルっぽい、おしゃれな雰囲気。全125室、宿泊料金は7000円から(写真提供/星野リゾート)

昨年5月にオープンした「OMO5 東京大塚」は、駅から徒歩1分のところにあります。「星のや」「界」といった上質な宿泊施設を運営する星野リゾートによる新ブランドの都市観光ホテルで、北海道の「OMO7 旭川」に次ぐ2施設目です。それにしても、なぜ大塚? 不躾ながら、広報の栗原幸英さん(TOP画像左)に聞いてみました。

「実ははじめから大塚に、と決めていたわけではないんです。たまたま建物のオーナーから声をかけていただいて街を調べてみたら、駅周辺にディープで魅力的な世界が広がっていることが分かりました。『寝るだけで終わらせない、旅のテンションを上げる都市観光ホテル』というOMOのブランドコンセプトにぴったりの街だったんですよ」

ロビーに掲げた「ご近所マップ」に、スタッフが厳選した地元のおすすめスポットを網羅。マップは縦2m、横3mの特大サイズ。情報は日々更新されています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ロビーに掲げた「ご近所マップ」に、スタッフが厳選した地元のおすすめスポットを網羅。マップは縦2m、横3mの特大サイズ。情報は日々更新されています(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

かつて花街として栄えた大塚には、今でも下町文化が色濃く残っています。昔ながらの八百屋、魚屋などが並ぶ商店街や、東京に残る数少ない路面電車のひとつ「都電荒川線」。街全体が、どこかレトロで懐かしい雰囲気を醸し出している一方で、JAZZバーが多いことで知られていたり、日本酒居酒屋の聖地として有名だったり。

ゆったりと設計されたパブリックスペース。地元のミュージシャンを招いたワークショップやご近所のクラフトビールバーによる出張ビアガーデンといったイベントも開催(写真提供/星野リゾート)

ゆったりと設計されたパブリックスペース。地元のミュージシャンを招いたワークショップやご近所のクラフトビールバーによる出張ビアガーデンといったイベントも開催(写真提供/星野リゾート)

「ガイドブックに掲載されることは少ないけれど、知れば知るほど面白いのが大塚の魅力」と話す栗原さん。「OMOが提供するのは『部屋』ではなく、『旅』そのものです。お客様に都市観光を満喫していただけるよう、街と連携してさまざまなサービスを提供しています」

客室は約19平米とコンパクトながら、天井高は3m近くあります。やぐらにベッドを置いて、その下に大きなソファを配したり、壁面に角材を組んで収納スペースにしたりと、空間を使い切る工夫が満載(写真提供/星野リゾート)

客室は約19平米とコンパクトながら、天井高は3m近くあります。やぐらにベッドを置いて、その下に大きなソファを配したり、壁面に角材を組んで収納スペースにしたりと、空間を使い切る工夫が満載(写真提供/星野リゾート)

「友達が住んでいる街に遊びに行ったら、『ここはおすすめだよ!』『ぜひ、あそこに行ってみて!』と、選りすぐりのスポットを紹介してもらえますよね。そんな旅先の友達みたいな役割を、私たちが担えたらいいなと考えています」

地元の人気店を引き合わせて生まれた「ご近所さんコラボスイーツ」

宿泊客に街を紹介するだけでなく、地元の人気店同士を引き合わせ、新たな商品開発につなげることもあるといいます。例えば、ホテル内のカフェで販売されている「OMOなかサンド」や「OMOどらパンケーキ」は、地元で知らない人はいない老舗の「千成もなか本舗」と、SNSでパフェが話題の「フルーツすぎ」とのコラボスイーツです。

お店同士は以前から相手の存在を知っていたものの、駅の「向こう側」と「こっち側」なので、話をする機会がなかったのだとか。OMOのスタッフが「絶対、合う!」と確信を抱いて間をとりもったのが、オリジナルスイーツ誕生のきっかけだそうです。

香ばしいもなかの皮にしっとり餡とふわふわクリーム、香り高い旬のフルーツをはさんだ「OMOなかサンド」。甘味と酸味と香りのバランスが絶妙。地元のお茶専門店の「緑茶deアールグレイ」によく合います(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

香ばしいもなかの皮にしっとり餡とふわふわクリーム、香り高い旬のフルーツをはさんだ「OMOなかサンド」。甘味と酸味と香りのバランスが絶妙。地元のお茶専門店の「緑茶deアールグレイ」によく合います(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「これまで星野グループが手がけてきたホテルや旅館では、ゲストに館内でいかに寛ぎ、楽しんでいただくかにフォーカスしていました。けれども、OMOは違います。館内にこもらず、どんどん街に出かけてくださいとご案内しています。私たちも、ここまで街に入り込んで一緒にお仕事させていただくのは初めてです。いわゆる『観光スポット』でなくても、お客様が楽しめる素材になり得るというのは、まったく新しい発見でした」

どらやきの皮をタワー型に積み上げ、季節のフルーツとブリュレ風クリーム、キャラメルソースを添えた「OMOどらパンケーキ」。思わず写真を撮りたくなるチャーミングな見た目も魅力(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

どらやきの皮をタワー型に積み上げ、季節のフルーツとブリュレ風クリーム、キャラメルソースを添えた「OMOどらパンケーキ」。思わず写真を撮りたくなるチャーミングな見た目も魅力(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ホテルでスイーツを楽しんだ後で、そのお店を訪れるとまた違った発見がありますよ」と栗原さん。でも、はじめての街で知らないお店に行くのは不安だし、行ったとしてもお店で何を食べたらいいのか分からないし……。「そんなお客様を街に案内するのが、『ご近所ガイド OMOレンジャー』です」。栗原さん自らOMOレンジャーとなって、街に連れ出してくれるというので、さっそく出かけてみることに!

OMOレンジャーの「衣装」を着た栗原さん。栗原さんたちオープニングスタッフは開業前に半年かけて、ホテルから500歩圏内にある飲食店を100軒以上尋ね歩いたのだとか。街について詳しいはずです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

OMOレンジャーの「衣装」を着た栗原さん。栗原さんたちオープニングスタッフは開業前に半年かけて、ホテルから500歩圏内にある飲食店を100軒以上尋ね歩いたのだとか。街について詳しいはずです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

いざ出発!OMOレンジャーが大塚の街をディープに案内(昼の部)

「OMOレンジャー」は「散歩」「はしご酒」「大塚定番グルメ」「大塚のディープグルメ」「ナイトカルチャー」の5テーマからさまざまなコースを案内してくれます。レンジャーの出動は1000円/2時間ですが、街の歴史や見どころを約1時間かけて案内してくれる「散歩」コースは、なんと無料! 初心者さんにおすすめのコースだそうです。

細い道の両脇に、古くからある小さなお店がたくさん並ぶ商店街(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

細い道の両脇に、古くからある小さなお店がたくさん並ぶ商店街(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ホテルを出て都電荒川線の大塚駅前駅を抜け、まずはサンモール大塚商店街へ。ここには、コラボスイーツで知った「千成もなか本舗」がありました。お店のお母さんが栗原さんを見ると、「あら、いらっしゃい」と明るく声をかけてくれます。

カラフルな5色もなかは、小倉、梅、ごま、白、こしの5種類。商品名のアップリケは、ご近所さんからのプレゼントなのだとか(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

カラフルな5色もなかは、小倉、梅、ごま、白、こしの5種類。商品名のアップリケは、ご近所さんからのプレゼントなのだとか(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

商店街を抜けると、地域の氏神様が祀られる天祖神社がありました。「境内にあるイチョウは樹齢約600年。高さ25mの一対の大イチョウが夫婦のようなので、『夫婦イチョウ』と呼ばれています。こちらの狛犬は『子育狛犬』なんですよ。子どもに授乳している狛犬で、全国的にも珍しいみたいです」。そんな話を聞きながら街をのんびり歩いていると、本当にそこに住む友人と散歩している気分になります。

天祖神社の例大祭は毎年9月17日。その前後の土日は神輿や山車が繰り出され、たいへんにぎわうそうです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

天祖神社の例大祭は毎年9月17日。その前後の土日は神輿や山車が繰り出され、たいへんにぎわうそうです(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

都電荒川線沿線は、大輪のバラ越しに路面電車が見られる絶景スポット。「大塚駅前や線路沿いを美しくしたいという思いで、地元住民のボランティアグループによって植えられました」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

都電荒川線沿線は、大輪のバラ越しに路面電車が見られる絶景スポット。「大塚駅前や線路沿いを美しくしたいという思いで、地元住民のボランティアグループによって植えられました」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

途中、前を通った蕎麦屋の「大塚長寿庵」は、そばが美味しい……だけでなく、驚異の成約率を誇る婚活イベント「大塚 de そばこん」で有名なのだとか。

イベントに参加するには、メールで問い合わせ→女将が自ら面接→カップルになる確率を上げる必勝法を伝授→「そばこん」当日を迎えます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

イベントに参加するには、メールで問い合わせ→女将が自ら面接→カップルになる確率を上げる必勝法を伝授→「そばこん」当日を迎えます(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

空蝉橋から山手線越しにスカイツリーを眺めつつ、「マルキク矢島園」へ。コラボスイーツと一緒にいただいた「緑茶deアールグレイ」はここの商品。爽やかに澄んだ上品なお茶だったので、どんなにしゃれた店かと思ったら、話好きな店主が営む親しみやすいレトロなお店でした。

栗原さんと仲良しの店主。「もうそろそろ行くからね」と何度も栗原さんが話を中断するのに、おもしろネタを次々に聞かせてくれました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

栗原さんと仲良しの店主。「もうそろそろ行くからね」と何度も栗原さんが話を中断するのに、おもしろネタを次々に聞かせてくれました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

最後は、コラボスイーツのフルーツを提供している「フルーツすぎ」。その場でフルーツをカットしてつくるフレッシュジュースやパフェ目当てに通う人も多いのだとか。

息子の勝也さんは以前、大田市場で働いていたそうです。「鮮魚といえば築地が有名ですが、フルーツといえば大田市場。そこで培った杉さんの美味しいフルーツを見極めるセンスはご近所でも評判なんですよ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

息子の勝也さんは以前、大田市場で働いていたそうです。「鮮魚といえば築地が有名ですが、フルーツといえば大田市場。そこで培った杉さんの美味しいフルーツを見極めるセンスはご近所でも評判なんですよ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

大満足のディープな散歩を終えてホテルに戻ると、栗原さんがにこやかに「大塚が本当に楽しいのは夜ですよ」。行かずに帰れるわけがありません!

一見さんでも大丈夫! 夜の大塚をホロ酔い気分で大満喫(夜の部)

OMOレンジャー夜の部「昭和レトログルメ」ツアーを案内してくれたのは、渡邉萌美さん。1軒目はクラフトビールの「TITANS」です。どのビールを選ぼうかとモジモジしていたら、渡邉さんが顔なじみの店員さんに声をかけてくれました。

「おすすめは『Left Hand Sawtooth Ale』。コクのある飲み口ですが、ホップのドライな後味が楽しめますよ」。人気のおつまみはなんと、宇都宮の焼き餃子(5個で500円)。しっかり味付けされているので、タレは不要。ビール片手に食べやすい!

OMOのイベントでビールを提供することもあるなど、ホテルとの結びつきも強い「TITANS」。商店街で買ったお惣菜の持ち込みもOK(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

OMOのイベントでビールを提供することもあるなど、ホテルとの結びつきも強い「TITANS」。商店街で買ったお惣菜の持ち込みもOK(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

クラフトビールで喉を潤したら、お次はやきとん「富久晴(ふくはる)」へ。カウンター越しにメニューを見ながら、「レバー、ハツ、タン……」と注文していると、渡邉さんが「メニューにはないんですが、タタキも美味しいですよ」

店の前で、犬の散歩中だった女将に遭遇。「あら、レンジャーのお客さんね~!入って入って~」と背中を押してくれました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

店の前で、犬の散歩中だった女将に遭遇。「あら、レンジャーのお客さんね~!入って入って~」と背中を押してくれました(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

……タタキ? 店員さん曰く「ナンコツを細かくたたいて団子状にしたもので、塩で食べます」。コリコリとした食感が楽しく、さっぱりと香ばしい味が瓶ビールに合います。

お店に人によると、「うちのお客さんのほとんどは、昔から通ってくれる地元の人。レンジャーが来てくれるようになって、新規のお客さんが増えました」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

お店に人によると、「うちのお客さんのほとんどは、昔から通ってくれる地元の人。レンジャーが来てくれるようになって、新規のお客さんが増えました」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「昭和レトログルメ」では、だいたい3軒くらいの店にを巡ることが多いという渡邉さん。「お客様がのんびりお食事されたい雰囲気だったら1、2軒、たくさん回りたいご様子だったら4、5軒など、臨機応変に対応しています。ルートを決めているわけではないので、案内するレンジャーによってお連れする店も違うんですよ。お客様とお話しながら、合いそうな店を考えてお連れします」

そんな渡邉さんが最後に連れてきてくれたのが、てんぷら「つづみ」。

以前は1割くらいだった外国人のお客さんが今では4割に増えたそう。店主によると「OMOで『天ぷらが食べたいけど、おすすめの店は?』と尋ねるお客さんに、うちを紹介してくれているおかげだよ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

以前は1割くらいだった外国人のお客さんが今では4割に増えたそう。店主によると「OMOで『天ぷらが食べたいけど、おすすめの店は?』と尋ねるお客さんに、うちを紹介してくれているおかげだよ」(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

「ここの天ぷらは本当に美味しいんですよ! 私たち、スタッフもよくランチでお邪魔しています。やっぱり自分が美味しい!オススメしたい!と思う店にお連れして、お客様に喜んでいただけるのが一番うれしいです」

昼でも夜でも、天ぷらは必ず揚げたてを出すのが店主のこだわり。7種類の塩が用意されているので、お好みでかけていただきま~す(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

昼でも夜でも、天ぷらは必ず揚げたてを出すのが店主のこだわり。7種類の塩が用意されているので、お好みでかけていただきま~す(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

約2時間のコースを終えてテンションの上がった私たちは、その後、ほかにもOMOレンジャーに教えてもらった店に行って、夜の大塚をさらに満喫したのでした。

住む街選びの第一歩として、昼だけでなく夜の街の雰囲気もしっかり知るために、まずはこういったホテルに一泊してみてもいいかもしれませんね。

2021年には、大阪市西成区の新今宮に3軒目のOMOがオープンする予定だそうです。新今宮といえば、通天閣に新世界、ジャンジャン横丁と、昭和世代には馴染み深い「じゃりん子チエ」の街。さらにディープな街の魅力をゲストに紹介してくれるのを楽しみにしています!

●取材協力
星野リゾート OMO5 東京大塚

下北沢地区の鉄道跡地に複合施設、4月13日開業

小田急電鉄(株)は、4月13日(土)、小田急電鉄小田原線「世田谷代田駅」から徒歩2分の立地に、複合施設「世田谷代田キャンパス」を開業する。同社は、代々木上原駅~梅ヶ丘駅間(以下、下北沢地区)における鉄道地下形式による連続立体交差事業、および複々線化事業により創出された鉄道跡地の土地利用(以下、上部利用)を進めている。

このたび開業する「世田谷代田キャンパス」は、下北沢地区上部利用区間の最西部に位置し、街に開かれた小広場を構えた鉄骨2階建の複合施設となる。鉄道の地下化によって地域内の交流が活発化している世田谷代田の「地域のコミュニティハブ」として、さらなる賑わいや、地域内外の人と人とがつながる場となることを目指す。

施設の中核として、世田谷区内にメインキャンパスをもつ東京農業大学のオープンカレッジが施設2階に新設。定期的に市民講座を開催するほか、講座時間外には一般会議室として貸し出しも行う。地元公共団体の会議や催しの会場としても利用できる。

また、1階では、東京農大オリジナルグッズや卒業生が醸造した日本酒など、食と農に関する商品を販売。さらに(有)クラノデザインコンサルタントによる新業態カフェレストラン「CAFE HELLO」がオープン。朝から夜まで時間帯によって楽しめるさまざまなメニューを提供していくという。

なお、下北沢地区の上部利用については、街の個性・雰囲気を踏まえ「にぎわいや回遊性、子育て世代が住める街、文化」をキーワードに、街にあらたな魅力を創出することを目指している。2016年1月には上部利用における初の竣工物件として賃貸住宅「リージア代田テラス」が完成した。上部利用の全体計画については、2019年中に公表される予定。

ニュース情報元:小田急電鉄(株)