食の工場の街が「食の交流拠点」にリノベーション! 角打ちや人気店のトライアルショップ、学生運営の期間限定カフェなどチャレンジいっぱい 福岡県古賀市

リノベーションの魅力や可能性を広く発信するアワード「リノベーション・オブ・ザ・イヤー」。2023年度、連鎖的エリアリノベーション賞というユニークな名前の賞を受賞したのが、JR古賀駅西口エリアの商店街を中心に展開されている「食の交流拠点」の整備を中心としたエリアリノベーションだ。エントリーの際の作品名には「お手本のようなエリアリノベーション」とも掲げられているプロジェクト。どんなまちのリノベーションが行われているのか。その全貌を知るために、西口エリアへ足を運んでみた。

(株式会社ヨンダブルディー)

(株式会社ヨンダブルディー)

シャッター商店街に新たな点と線を

福岡市に近接する利便性と豊かな自然を併せ持ち、県内有数のベッドタウンとして人気の古賀市。市内にはJRの駅が3つ、九州自動車道の古賀インターチェンジなどもあり、JR及びマイカーでのアクセスの良さが魅力。まちの中心にある西口エリアは、かつて商機能の集積地として栄えていた。インターネット消費が盛んになったライフスタイルの変化に加え、国道3号・国道495号沿いにIKEAをはじめ大規模な集客施設が進出。ここ数年、商機能の拠点が大きく変化してきた。また、福岡の私鉄「西鉄宮地岳線」の最寄駅が廃駅になったことや、JR古賀駅に連絡橋がかけられ駅の東側からも行き来ができるようになったことが人の流れに大きな打撃を与えている。店主の高齢化が進みシャッター商店街となった西口エリアをなんとか再起させることはできないか。住民はもちろん、行政の中でも大きな課題となっていた。

JR古賀駅の西口周辺(写真撮影/加藤淳蒔)

JR古賀駅の西口周辺(写真撮影/加藤淳蒔)

まちおこし請負人木藤亮太さん率いるチームがプロポーザルに参加

古賀駅の待ち合わせ場所で、まず満面の笑顔で取材チームを出迎えてくれたのがこのまちの首長こと田辺一城市長だ。聞けばこのまちには「#市長と気軽に会えるまち」というハッシュタグが存在するぐらい、抜群のフットワークの持ち主だ。もともと、このエリアで生まれ育ったという田辺市長。市長就任後に、商店街の状況に対策を打つために取り組んだのが、エリアマネジメントのプロポーザル企画だ。

写真左から田辺一城市長、プロジェクトマネージャーの橋口敏一さん、設計担当の田村晟一朗さん、プロデューサーの木藤亮太さん。官民の近さもプロジェクトの推進力になっている(写真撮影/加藤淳蒔)

写真左から田辺一城市長、プロジェクトマネージャーの橋口敏一さん、設計担当の田村晟一朗さん、プロデューサーの木藤亮太さん。官民の近さもプロジェクトの推進力になっている(写真撮影/加藤淳蒔)

希望は広がる一方で、ハードルも高いこのプロポーザルに立ち上がったのが、まちづくり界隈で一目置かれる木藤亮太さん率いるチームだ。木藤さんといえば、“猫も歩かない”と言われた宮崎県日南市の油津商店街を再生したことで、「地方創生」の成功事例として全国区で高い評価を得ている。その後も福岡県那珂川市をはじめ九州各地でのプロジェクトや、全国でまちおこし請負人として活躍している。

3年間の任務の間に自走できる流れをつくる

プロポーザルでは、どんな提案をしたのか?そんな質問に木藤さんがゴソゴソと取り出してきたのが、手書きの文字が一面に記された大きな模造紙だ。まさに、プロポーザル提案時に使った資料であり、まちの人たちへの説明にも使われた資料なのだそう。そこには、3年間でどうまちを変化させるのかが、模造紙いっぱいに手書きで記されている。行政の事業は多くが3年程度を区切りにしている。しかし、エリアリノベーションの土壌づくりは、3年で終わるものではない。そこで、木藤さんたちが大切にしたのが「自走できる仕組みをつくる」こと。3年間の流れを記したスケジュールは、模造紙におさまりきれない。その後、さらに自走へと繋がっている。

(写真撮影/加藤淳蒔)

(写真撮影/加藤淳蒔)

あえてアナログな手書きの企画書が、まちの未来図となっている(写真撮影/加藤淳蒔)

あえてアナログな手書きの企画書が、まちの未来図となっている(写真撮影/加藤淳蒔)

30代のプレイヤーが活躍できる場のフレームを

フレームをつくるにあたってのヒアリングで気づいたのは、30代ぐらいの若いプレイヤーが、あまり関われていないこと。そこで、そういう世代が動きだすきっかけとなる“活躍の場”をつくることの大切さを感じたという木藤さん。地元の若手を含めたメンバーで、まちづくりの運営会社を立ち上げることにする。4WDと書いて「ヨンダブルディー」と読むその会社の主要メンバーは、木藤さんチームのメンバーが2名に、Uターンで家業を継いだ6代目の店主、古賀を拠点に動画マーケティングやシティプロモーションを手がける会社を経営する計4名だ。よそ者・わか者をうまくブレンドした運営体制を立ち上げたことで、特定の誰かだけではなく、誰でも関われる余白のあるリノベーションに取り組む狼煙を、しっかりと上げたわけだ。

まちづくり運営会社、株式会社ヨンダブルディーの立ち上げ時の様子(写真撮影/株式会社ヨンダブルディー)

まちづくり運営会社、株式会社ヨンダブルディーの立ち上げ時の様子(写真撮影/株式会社ヨンダブルディー)

ところで、コンセプトとして掲げる「食の交流拠点」とはどういう意味をもつのか?それを紐解く鍵は、古賀市の産業構造にある。全国区で有名なドレッシングを手掛ける工場や、ローカルで人気のインスタントラーメンの工場、全国区のパンメーカーの製造工場など、食料品製造品出荷額は県内2位という現状がある。また、プロジェクトの初期に「地元にどんな場所があったらいい?」と地道なヒアリングを行ったところ、住民から口を揃えてでてきたのが「もう少し気軽でカジュアルに食を楽しめる場所が欲しい」という声。さらに、ヨンダブルディーのメンバーの一人、ノミヤマ酒販の許山さんがもつ、これまでの商売の中で大切に構築してきた生産者や飲食事業者とのつながりを活かすことができる。そんな、古賀市に根付く食の文脈を取り入れているというわけだ。

ノミヤマ酒販の角打ちコーナーは、お酒をきっかけに人と人との出会いを楽しむことができる(写真撮影/橋口敏一)

ノミヤマ酒販の角打ちコーナーは、お酒をきっかけに人と人との出会いを楽しむことができる(写真撮影/橋口敏一)

食の交流拠点施設「るるるる」の立ち上げ

1年目の信頼関係の構築を経て、2年目に着手したのは拠点づくり。
その一歩となったのが、レンタルシェアスタジオとしてサブリースをはじめた社交場の意味をもつ「koga ballroom(コガボールルーム)」だ。もともと長年、社交ダンスの教室として借りていた方が、生徒の高齢化とコロナ禍による生徒数の減少によって手放そうとしていた物件を借り直してリノベーション。若者のダンススペースや子育てママのサロンやヨガ教室など多目的で利用できる「まちの社交場」をコンセプトとしたシェアスペースとして運用している。もともと社交ダンス教室を運営していた先生も、時間貸しで再び利用してくれている。

(写真撮影/橋口敏一)

(写真撮影/橋口敏一)

ヨガやダンススタジオだけでなく、イベントの拠点としても活用されているkoga ballroom(写真撮影/橋口敏一)

ヨガやダンススタジオだけでなく、イベントの拠点としても活用されているkoga ballroom(写真撮影/橋口敏一)

次に元化粧品店だった空き店舗を活用して、旗印を掲げたのが「まちの企画室」。メンバーの橋口敏一さんは一時、この場所の2階に住居まで移して、住民との交流を深めていた。

(写真撮影/橋口敏一)

(写真撮影/橋口敏一)

地元の高校生や大学生の期間限定カフェなどもこのまちの企画室で行われている(写真撮影/橋口敏一)

地元の高校生や大学生の期間限定カフェなどもこのまちの企画室で行われている(写真撮影/兒玉健太郎)

そして、エリアリノベーションのシンボルとして完成させたのが食の交流拠点施設「るるるる」だ。
駅前の商店街通りを少し入ったところにある「るるるる」の建物は、もともと、音楽教室として使われていた物件だ。設計に加わったのは、リノベーション・オブ・ザ・イヤーの受賞でも常連の、リノベーションを得意とする建築家・タムタムデザインの田村晟一朗さん。もともとピアノ5台ほどが備えられていた教室だったので、それなりに広さのある建物だ。ここでは、気軽に食を楽しめる場をつくれるように、あえて出店者の敷居を低くするための工夫がいくつか施されている。

タムタムデザイン田村さん(写真右)によって建築が進められている様子(写真撮影/橋口敏一)

タムタムデザイン田村さん(写真右)によって建築が進められている様子(写真撮影/橋口敏一)

音楽教室の面影を残しながらも、大きく変化した「るるるる」外観(写真撮影/加藤淳蒔)

音楽教室の面影を残しながらも、大きく変化した「るるるる」外観(写真撮影/加藤淳蒔)

ひとつが、一階の大きなスペースを占めるシェアキッチンとイートインスペースだ。シェアキッチンは、日替わりや短期間で利用可能なスペース。近隣の人気店が期間限定で出店したり、飲食をはじめたい人のトライアルスペースになったりもする。利用料はキッチンスペースぶんだけ、食事のできるイートインスペースはお客に自由に使ってもらえる仕組みとなっている。ただ、ここを使えるのはシェアキッチンのお客だけではない。ヨンダブルディー直営のパン販売ショップのお客も使えるし、一階角の小さなスペースを賃貸するスコーンとハンドメイドのアクセサリー店「jugo.JUGO(じゅごじゅご)」さんで買ったものも食べられるし、時には1階に入居する洋風居酒屋「bar ponte(バルポンテ)」の団体客が利用することもできる。さらには、打ち合わせで使う人もいれば、お茶を飲みながらのんびりおしゃべりも楽しむことができる。ほどよく自由な空間が、いろいろな交流を生み出そうとしている。ちなみに、2階は音楽教室や洋服のリフォーム店、写真家のアトリエやドローンのプログラミングスクールを運営する事務所などが入居。一部屋はもともとの音楽教室だった時代にピアノの講師として通っていた先生が再度利用している。

るるるるの室内。写真手前が誰でも使えるフリースペース。奥に備えられているのがシェアキッチン(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。写真手前が誰でも使えるフリースペース。奥に備えられているのがシェアキッチン(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。商店街に面する食物販ショップではパンや雑貨が販売されている。食物販ショップをヨンダブルディーが直接運営することで、リアルな接客の中からまちづくりのニーズをヒアリングしている(写真撮影/大田聖)

るるるるの室内。商店街に面する食物販ショップではパンや雑貨が販売されている。食物販ショップをヨンダブルディーが直接運営することで、リアルな接客の中からまちづくりのニーズをヒアリングしている(写真撮影/大田聖)

ただ、ヨンダブルディーで目指しているエリアリノベーションは、決してこれらの場所のにぎわいを生み出すことだけではない。いくつかの点を根付かせて繋いでいくことで、エリア全体の回遊の楽しさを深めることにある。こうした地道な活動をいくつも重ねていく中で、最初は距離を置いて見守っていた住人の人たちもだんだんと交流をもってくれるようになってきた。地元の方から「先代から継いだ大切な建物を手放したいけれど、どうにかならないか?」などの声をいただくことも増えてきた。そこで、場所と入居したい人とをつなぐリーシング的な役割も出てきた。最近は、書店が出店したり、アメリカンダイナーの出店が決まったり、着実にエリアの活性化が広がろうとしている。

関係者がこれからの課題として口にしているのが、持続性だ。地域の人はもちろん、外の人も訪れて多様な交流が生まれるのが理想。しかし、もともと衰退が進んでいる商店街。魅力的で面白いコンテンツを提供していかないと、なかなか足を運んでもらえない。まちづくりは立ち上げるだけでなく、継続的な運営によって思いをつなぎ、小さくても一歩一歩進んでいくことが重要。その一歩一歩の手がかりになりそうなのが、最初に見せてもらった大きな模造紙のようだ。思いの原点であり、まちの変化を記録しつづける大きな地図。時々振り返りながらも、掲げる目標へ向かってまっすぐ歩み続ける。古賀のエリアリノベーションは、日本の商店街にも大きな活路を見出してくれそうな「お手本のような」プロジェクトであった。

駅前にオープン予定の新店舗。ヨンダブルディーが、空き家と新しい運営者につないだ事例のひとつ。「何ができるの」と、地元の人たちも興味津々(写真撮影/加藤淳蒔)

駅前にオープン予定の新店舗。ヨンダブルディーが、空き家と新しい運営者につないだ事例のひとつ。「何ができるの」と、地元の人たちも興味津々(写真撮影/加藤淳蒔)

●取材協力
株式会社ヨンダブルディー
株式会社タムタムデザイン

人口減エリアの図書館なのに県外からのファンも。既成概念くつがえす「小さな街のような空間」の工夫がすごすぎた! 静岡県牧之原市

“最寄駅がない―”静岡県牧之原市にある図書交流館「いこっと」が話題です。人口減に悩まされる街の小さな図書館が、複合施設内にテナントとして移転し、拡大オープンしたのは2021年のこと。2年後には累計来館者数が25万人を突破しました。市内はもとより、市外や県外などの遠方から足を延ばす人がいるほどです。人口減少エリアの図書館がなぜこれほどにぎわいを創出し、街の中心地に変化をもたらしたのでしょうか。

買い物客と入り混じる、パブリックな図書交流空間

静岡県牧之原市は、県・中央部の沿岸沿いにある人口約43,000人の小さな街。2005年に、旧・相良町と旧・榛原町の2つの町が合併して誕生した市の中心部には、大型複合施設「ミルキーウェイショッピングタウン」があります。核店舗として地域資本のスーパーマーケットが入居するほか、ドラッグストアやカフェ、飲食店などが集う、いわば街の台所です。

複合施設「ミルキーウェイスクエア」内に図書交流館「いこっと」がある(写真撮影/片山貴博)

複合施設「ミルキーウェイスクエア」内に図書交流館「いこっと」がある(写真撮影/片山貴博)

(画像提供/牧之原市立図書交流館 いこっと)

(画像提供/牧之原市立図書交流館 いこっと)

ここにテナントとして図書館が入居しているのだから驚きです。店内に入ると、右側には図書スペース、左側にはカフェ、子育て支援センター、ボルダリングジムなどがならびます。各スペース間は、扉や間仕切りなどがほぼなく、シームレスな空間です。

カフェの横にはオープンスペースも併設しており、注文したメニュー以外の飲食も可能。レンタサイクルコーナーもあり、観光客や地元客の「足」として活躍している(写真撮影/片山貴博)

カフェの横にはオープンスペースも併設しており、注文したメニュー以外の飲食も可能。レンタサイクルコーナーもあり、観光客や地元客の「足」として活躍している(写真撮影/片山貴博)

オーナーが目利きした地元クラフト作家の作品や名産品を集めたワゴンショップがにぎわいを演出している(写真撮影/片山貴博)

オーナーが目利きした地元クラフト作家の作品や名産品を集めたワゴンショップがにぎわいを演出している(写真撮影/片山貴博)

複合施設内には子育て支援センター相良「あそぼっと」も併設。子どもと遊んだ後は図書スペースやカフェへ。気軽に行き来できるのは嬉しいこと(写真撮影/片山貴博)

複合施設内には子育て支援センター相良「あそぼっと」も併設。子どもと遊んだ後は図書スペースやカフェへ。気軽に行き来できるのは嬉しいこと(写真撮影/片山貴博)

複合施設の一角にはボルダリングや卓球スペースもあり、大人も子どもも汗を流している(写真撮影/片山貴博)

複合施設の一角にはボルダリングや卓球スペースもあり、大人も子どもも汗を流している(写真撮影/片山貴博)

「ミルキーウェイスクエア」内の共用スペースでは、バランススクーターが使用できる。放課後や休日になると「いこっと」の横では、スクーターに乗った子ども達の姿があふれる(写真提供/牧之原市)

「ミルキーウェイスクエア」内の共用スペースでは、バランススクーターが使用できる。放課後や休日になると「いこっと」の横では、スクーターに乗った子ども達の姿があふれる(写真提供/牧之原市)

さらに「いこっと」内には、フリーWi-Fi(ワイファイ)や電源を完備したパソコンスペース、靴を脱いでくつろぐことができる小上がりのスペースなどの11のスペースがあります。

特筆すべきは、店内の各スペースに図書の持ち込みがOKということ。そして、「いこっと」では訪れている人同士で会話をすることも許されており、厳しいルールが敷かれていません。そう、ここは図書館ではなく図書「交流」スペースだからなのです。

フリーWi-Fiや電源を完備した交流・談話エリア。ここで司書や来館者との会話も生まれているそう(写真撮影/片山貴博)

フリーWi-Fiや電源を完備した交流・談話エリア。ここで司書や来館者との会話も生まれているそう(写真撮影/片山貴博)

小上がりになっている読み聞かせスペースでは、ゆったりとくつろぐことができる。おはなし会も定期開催されているのだとか(写真撮影/片山貴博)

小上がりになっている読み聞かせスペースでは、ゆったりとくつろぐことができる。おはなし会も定期開催されているのだとか(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の奥にある学習室。館内で唯一会話ができないエリア。静まる空間で集中したい人におすすめ。集中して勉強したい人、読書したい人のためにも配慮をしている(写真提供/牧之原市)

「いこっと」の奥にある学習室。館内で唯一会話ができないエリア。静まる空間で集中したい人におすすめ。集中して勉強したい人、読書したい人のためにも配慮をしている(写真提供/牧之原市)

シェアオフィスのように、飲み物OK、PC使用可能の閲覧席。仕事や勉強をする人が集まる(写真撮影/片山貴博)

シェアオフィスのように、飲み物OK、PC使用可能の閲覧席。仕事や勉強をする人が集まる(写真撮影/片山貴博)

図書の好きな市民のために居場所をつくる

牧之原市内には最寄駅がなく、移動手段は車がメインです。この点がネックとなり、定住者が減少、市内の職場も近隣の市から勤務する人が多く、高齢化と人口減少が課題でした。
牧之原市役所 企画政策部の本間 直樹さんはこう話します。

「このエリアにはナショナルチェーン店(全国展開のチェーン店)がないんです。ゆえにコンパクトで独自の商習慣と住空間になっています。そのため新たな居住者や人口の流入を見込みたかったのです。市内を活性化するために、きっかけが必要でした」

牧之原市役所 企画政策部の本間 直樹さん。市内で廃校活用プロジェクト「カタショー・ワンラボ」に取り組んだ経験を活かして、「いこっと」のプロジェクトに心を砕いている(写真撮影/片山貴博)

牧之原市役所 企画政策部の本間 直樹さん。市内で廃校活用プロジェクト「カタショー・ワンラボ」に取り組んだ経験を活かして、「いこっと」のプロジェクトに心を砕いている(写真撮影/片山貴博)

そこで注目したのが図書館です。移転前の図書館は、旧両町には存在していたものの、閲覧スペースは8席、蔵書数も2館あわせても約70,000冊と限られており、満足できるとは言いがたいものでした。

もともと、市内には図書への熱い思いを持つ人が多く存在し、「ゆっくり本を読めるスペースが欲しい」「蔵書数が欲しい」と図書館機能の増強が叫ばれていました。しかし結実には至らず年月が経過していきました。

街の魅力について、心の底から考え始めた市民と市役所は、2018年に「図書館協議会」を立ち上げ、膝をつきあわせて協議をはじめます。177件集まったパブリックコメントのうち、最も強い思いとしてあったのが「図書館が居場所であってほしい」というコメントでした。

「いこっと」の司書、水野 秀信さんはこう話します。
「図書館は”施設と資料と人”この3つがそろって成り立つと言われます。しかしこれまではあまりにもスペースがせまく、居場所にならなかった。”図書館を市民のサードプレイスとして機能させなくてはならない”と、面積拡大の検討を始めました」

「いこっと」の司書、水野 秀信さん。牧之原市に着任後、図書館移転オープンを検討し始め、さまざまなアイデアを実現することにトライしている(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の司書、水野 秀信さん。牧之原市に着任後、図書館移転オープンを検討し始め、さまざまなアイデアを実現することにトライしている(写真撮影/片山貴博)

面積拡大となると、考えられるのは施設の移転か新設です。しかし市の財政は豊かではありません。そこで市が考えたのは、既存の空き施設に入居するということでした。

「確かにテナントとして入居するには家賃が発生します。それでも施設を建設するよりは遥かに安く、市の予算の平準化が図れるため、踏み切ったのです」(牧之原市役所・本間さん)

単なる図書館ではなく町のような空間を生み出す

ちょうど図書館の移転を検討している時、「ミルキーウェイ」内にあるホームセンターの退店が決まりました。そのタイミングで複合施設のオーナーと市役所の担当者との協議を重ねて、図書館がテナントとして移転入居することが決まったのです。

「複合施設のオーナーさんは、地域を盛り上げることにとても熱心で協力的。”図書館を町の居場所にしたい”という私たちの想いを汲んでくれ、テナントとして入居することを歓迎してくれたのです」(本間さん)

「いこっと」の全景。まるでショップのひとつのような開放感あふれる入り口。木材を多用した温もりのある什器が印象的です(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の全景。まるでショップのひとつのような開放感あふれる入り口。木材を多用した温もりのある什器が印象的です(写真撮影/片山貴博)

そして、移転先が複合施設に決まったことを、あえて逆手に取ります。設計を依頼した株式会社スターパイロッツ三浦丈典さんが「小さな街のような空間をつくろう」と仕切りのないシームレスな図書スペースを考案したのです。

「一見すると、施設の中に図書館、しかも仕切りのないスペースにして展開することは、実に挑戦的です。ですが、サードプレイスとして機能させるためには理想的である、とこの話を聞いた際に感じました」(本間さん)

その後、牧之原市は移転決定から移転して開館するまでの間、わずか2年で移転プロジェクトを完結させました。

既成概念をくつがえす、自然な交流が生まれる仕組みとしかけ

2021年4月に移転オープン。現在の「いこっと」は、明るい照明や意匠に囲まれ、やわらかなBGMが流れるなかに、来館者などによる適度な雑音が混じり合った空間が醸成され、訪れる人の心を穏やかにしてくれます。しかし、一つのテナントとして入ると、仕切りがないことによる図書管理の面などの問題がありそうですが、水野さんは一つひとつ課題をクリアしていったと話します。

「いこっと」の入り口は複合施設共用部との間仕切りがなく、開放的。黒い梁が入り口の目印になっている(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の入り口は複合施設共用部との間仕切りがなく、開放的。黒い梁が入り口の目印になっている(写真撮影/片山貴博)

「”本が盗難されるのでは”といった課題が挙げられていました。また、他のスペースやカフェで読むことができると、”本を汚してしまうのでは”という心配の声も。しかし、そのようなことは一度もありませんでした。複合施設内で互いに見守っていること、適度な自由があるからこそ、利用者が愛着を持って大切に使ってくれているからなのでしょう」(司書・水野さん)

まるで秘密基地のようなキッズワンダーコーナー(児童書コーナー)。随所に閲覧・学習ブースがあり、親子で、子ども同士で楽しむことができる(写真撮影/片山貴博)

まるで秘密基地のようなキッズワンダーコーナー(児童書コーナー)。随所に閲覧・学習ブースがあり、親子で、子ども同士で楽しむことができる(写真撮影/片山貴博)

もちろん本が失われないように設備の工夫もされています。館内の資料にはICチップをつけており、居場所やデータがきちんと管理できます。また、開館時・閉館時の警備が心配です。そのため「いこっと」が閉館している時間帯は、開口部にシャッターの代わりとしてネットを張り、警備システムを作動させることで安全も保っています。

次々と新しい仕組みを取り入れていきますが、なかでも”どのスペースでも会話が可能”となったことは、図書館の既成概念をくつがえす取り組み。最初はやはり理解をしてもらうことが難しかったと振り返ります。

「『図書館は静かに過ごすものではないのか?』と叱られることもありました。その度に、ここは図書館ではなく、図書交流スペースであることを丁寧に説明していきました。誰でも初めは違和感があることだと思いますが、次第にそのような声も聞かなくなりました。会話が生まれていることを自然に感じてくださっているように思います」(水野さん)

従来の図書館より書棚を低くし、空間を広く開放的な視認を確保。さらに、分類も上空部に掲げてわかりやすく見やすいサインを採用している(写真撮影/片山貴博)

従来の図書館より書棚を低くし、空間を広く開放的な視認を確保。さらに、分類も上空部に掲げてわかりやすく見やすいサインを採用している(写真撮影/片山貴博)

年間購入費をかけて維持している充実した雑誌コーナー。「雑誌スポンサー制度」により企業や団体、個人等から雑誌の購読料を負担いただいている。雑誌カバーに公告、ラック下部にスポンサー名を掲載(写真撮影/片山貴博)

年間購入費をかけて維持している充実した雑誌コーナー。「雑誌スポンサー制度」により企業や団体、個人等から雑誌の購読料を負担いただいている。雑誌カバーに公告、ラック下部にスポンサー名を掲載(写真撮影/片山貴博)

移転に合わせて図書のセレクトの見直しも行いました。

「シニアの方から『文学作品が以前より少ない』とご指摘をいただくこともありますが、どの年代の人も本が楽しめる場所をつくりたいと思っています。子ども向けの書籍や、ティーン向けの書籍、市民から要望の多かった雑誌を大幅に増やしました」(水野さん)

より人が滲み出す場所を形成していきたい

「いこっと」の移転オープンから2年が経過し、今ではすっかり街の交流スペースとして馴染みつつあります。
午後3時を過ぎたころ、学校を終えた子どもたちが一気に「いこっと」へ飛び込んできます。目指すは文字探しラリー。館内の各所にあるキーワードを集めるために一生けんめいにかけ回ります。

「ねえねえ、やぎちゃん。今日はキーワードを教えてよ~!」と館長である八木 いづみさんのもとに飛び込んでくる子どもたち。

文字探しラリーのヒントを教える館長の八木さん。「いこっと」では大人と子どもの距離もフラット。気軽に声をかけてきます(写真撮影/片山貴博)

文字探しラリーのヒントを教える館長の八木さん。「いこっと」では大人と子どもの距離もフラット。気軽に声をかけてきます(写真撮影/片山貴博)

子どもたちにせがまれて、館内でヒントを探し歩く旅にも一緒する(写真撮影/片山貴博)

子どもたちにせがまれて、館内でヒントを探し歩く旅にも一緒する(写真撮影/片山貴博)

水野さんはこうした風景を「人が滲み出ている場所」と話します。ただ遊びに来ている場所、勉強しにくる場所、本を読む場所。なかには待ち合わせ場所として活用する人もいるのだとか。どれが正解でも良いのだそうです。
コロナ禍で開館し、訪れる人にも、イベントの開催にも制限があったこれまで。ここからは制限が解けたなかで、より交流するイベントを増やしていきたいそうです。

イベントに合わせて司書が作成した制作物。「こうしたらもっと面白くなるのではないか?」と司書たちがアイデアを持ち寄っているのだそう(写真提供/牧之原市)

イベントに合わせて司書が作成した制作物。「こうしたらもっと面白くなるのではないか?」と司書たちがアイデアを持ち寄っているのだそう(写真提供/牧之原市)

「”今まで図書館を使ったことがない”という人が足を延ばしやすいよう、図書のイベントとして、季節にまつわる行事を取り入れていきたいです。そして、街の財産である読み聞かせボランティアの方々にもこの場所をもっと活用してもらえたら嬉しいですね。挑戦したいことは山のようにあります」(水野さん)

そう水野さんが話す、「いこっと」の未来。移転したこの場所は、すでに街のランドマークとして馴染み、ハッピーな空気感がただよう場所として確立していました。

「いこっと」の職員たち。20代~60代と年代も幅が広い(写真撮影/片山貴博)

「いこっと」の職員たち。20代~60代と年代も幅が広い(写真撮影/片山貴博)

●取材協力
・牧之原市役所
・牧之原市図書交流館「いこっと」
・ミルキーウェイスクエア
・「いこっと」Instagram

「下関って何にもない、ダサい」我が子のひと言に奮起。空き家再生で駅前ににぎわいを 山口県・上原不動産

山口県下関市にある上原不動産は、下関市で賃貸住宅の仲介・管理業務などを主に行っている不動産会社です。住宅を確保することが難しい人たちへの支援を、1982年の会社設立当初から行ってきました。
代表の長女であり、上原不動産の常務取締役である橋本千嘉子さんは、地元を元気にしたい、離れていく若者たちが戻ってきたいと思うような街にしたいと、空き家再生事業「ARCH」を立ち上げ、街づくりや再生にも力を入れています。そこで今回は橋本さんの「下関の街の再生」にかける想いや、活動について、話を聞きます。

きっかけは子どもの何気ないひと言。街の再生に目を向けるように

山口県下関市にある上原不動産は、下関駅前を中心に、高齢者、障がいのある人、低所得者、外国人やひとり親世帯など、住まい探しに困難を抱える人たちに寄り添い、居住支援を積極的に行っている不動産会社です。
代表の長女である橋本千嘉子さんは、会社の仕事として居住支援や賃貸仲介・管理業務を行う傍ら、自身が20年以上不動産を管理・運用するオーナーでもあり、現在、個人で所有する物件は、60部屋ほどに上ります。

「古い建物を活かして利活用していくことで収益を上げていくことに興味がありました。空室だらけのアパートを購入し、リノベーションして満室にしていくことが私のライフワークだったんです」(橋本さん、以下同)

個人でも約60部屋の物件を所有している橋本さん(右)。空室の物件をリノベーションをして満室にするところから街の空き家再生に乗り出すようになった(画像提供/ARCH)

個人でも約60部屋の物件を所有している橋本さん(右)。空室の物件をリノベーションをして満室にするところから街の空き家再生に乗り出すようになった(画像提供/ARCH)

橋本さんは「物件の再生」というスキルが身につくにつれ、空き家活用やリノベーションに興味を持つようになっていったといいます。さらに、自分が所有する建物だけでなく「街づくり」にも目が向くように。そのきっかけは、5児の母でもある橋本さんが、中学2年生の子どもから言われた「下関って何にもない、ダサい」という言葉でした。

「本当にそのとおりだな、って反論できませんでした。それで子どもたちがこれから先もこの街で育っていくために、どうやったら住みやすくなるかを考えるようになりました」

街の活性化やサードプレイスづくりに取り組む。空き家再生事業ARCHを設立

橋本さんは、より良い街にするためにいろいろなセミナーやスクールに通いました。そして、さまざまな学びの中で、街にコミュニティを築いて街の価値を上げる方法を知ったそうです。

「監視し合うコミュニティではなく、自分の都合にあわせて誰もが気軽に集まれるような場所、それこそが『サードプレイス』なんだと気づきました。そこから、今までやってきた居住支援だけに留まらず、地域共生や街づくり、空き家問題などが全部つながっていったんです」

長期間借り手がつかず、古すぎて売却できない建物をリノベーションしてサードプレイスに(画像提供/上原不動産)

長期間借り手がつかず、古すぎて売却できない建物をリノベーションしてサードプレイスに(画像提供/上原不動産)

時を同じくして、商店街のビルのオーナーが高齢者施設に入るため、不動産を処分したいという話が橋本さんのもとに舞い込んできました。

「その時話のあった建物は、古すぎて売り物にならないようなものでしたが、まちづくりについて学んだときに、私は『商店街の真ん中など目立つ立地のヘンテコな物件があったら買います』と宣言をしていたんです」

そこで、橋本さんは物件を購入し、市の「リノベーションまちづくり拠点活動支援補助金」を利用して物件を改修。駅前を活性化させたいという想いから、その古い建物をリノベーションし、新たにレンタルスペースとしてオープンさせました。それが「ARCH茶山」です。

さらに商店街にあるエレベーターなしの3階建ビルで7年以上借り手がつかなかった物件など、2カ所を借り上げ、同じようなリノベーションを施し、シェアオフィスやコワーキングスペース、シェアキッチンとして再生させました。

ARCH茶山には、ギャラリーとして利用したり、ポップアップショップとして出店したりできるスペースも(画像提供/ARCH)

ARCH茶山には、ギャラリーとして利用したり、ポップアップショップとして出店したりできるスペースも(画像提供/ARCH)

イベントスペースとしても活用。写真はキッズ向けのクリスマスイベントの様子(画像提供/ARCH)

イベントスペースとしても活用。写真はキッズ向けのクリスマスイベントの様子(画像提供/ARCH)

交わらない人たちをつなげたい。「下関市100人カイギ」を開催

橋本さんは、それらの建物を利用して誰もが集える場所をつくろうと、全国の事例を見に行き、いろいろなイベントを仕掛けていこうと動き始めました。

橋本さんがやりたいこと。それはこれまで交わることのなかった人たちに横串を指すことです。例えば行政においては、部署が違うと横の連携がなくて戸惑うことが多いのだとか。住宅と福祉部、観光と街づくり、どちらも密接に関係していることなのに、なぜか「横の連携が取れていない」と橋本さんはいいます。

「それでも、自分たちの街を良くしたいという思いは同じはずです。だったらこの人たちをくっつけたらいいという発想で、同じ志を持つイベンターの仲間たちとともにイベントを仕掛けています」

その一つが「下関市100人カイギ」です。「100人カイギ」とは、その街で働く100人を起点に人と人とを緩やかに繋ぐコミュニティ。地域のあり方や、価値の再発見を目的として、100人のゲストを呼んだらコンプリート、という期限付きのイベントです。橋本さんたちは毎回、行政の人、学生、企業、起業している人、なにかの“先生”と呼ばれる人、の5人をゲストに呼んで毎月トークイベントを開催し、毎回50~60人の人たちがイベントに参加するまでになりました。

記念すべき第1回目の下関市100人カイギの集合写真。地域医療を目指す医学生や癌で声を失った下関教育委員会の元教育長をゲストとして招き意見交換が行われた(画像提供/ARCH)

記念すべき第1回目の下関市100人カイギの集合写真。地域医療を目指す医学生や癌で声を失った下関教育委員会の元教育長をゲストとして招き意見交換が行われた(画像提供/ARCH)

建物がボロボロになる前に不動産屋としてできること

橋本さんが古い建物を活用しようとする試みには、街に増えつつある空き家をどうにかしたいという思いもありました。「福祉と空き家の問題は表裏一体」だと橋本さんは話します。

「高齢になると、認知症発症の恐れや体の自由が利かなくなり、従来の賃貸物件に住み続けることが困難なケースも。入居者は施設に入ったり、他への転居を余儀なくされ、空室が増えていきます。

同時にもう一つ気付かなくてはならないのが『オーナーの高齢化』です。実は高齢者が住むアパートのオーナーも高齢者であることが多く、オーナー自身がアパートの一室に住みながら賃貸収入で生計を立てている人がいます。建物の老朽化が進み入居者がいなくなると、オーナー自身の生活が成り立たなくなり、生活保護などの福祉的な支援が必要になる可能性を孕んでいるのです」

在宅訪問などで現場を目にしている福祉職の人は、これらの問題を認識しつつも、これまでは「居住支援」や「居住支援法人」の言葉を知らないために、不動産会社へ相談に行きませんでした。

上原不動産が山口県、山口県居住支援協議会と2023年10月に共催した不動産オーナー向けの勉強会のチラシ。居住支援と空き家問題の関係や、不動産と福祉との連携の必要性を訴えている(画像提供/上原不動産)

上原不動産が山口県、山口県居住支援協議会と2023年10月に共催した不動産オーナー向けの勉強会のチラシ。居住支援と空き家問題の関係や、不動産と福祉との連携の必要性を訴えている(画像提供/上原不動産)

「本来なら、建物がボロボロになる前にメンテナンスをして、見守りサービスなどを導入し、高齢の入居者が転居せずに住み続けられるのが、入居者にとってもオーナーにとってもベストなはずです。空き家問題に発展する一歩手前の段階で解決するというのも、私たち不動産会社の使命だと考えています」

橋本さんは、居住支援法人の活動を知ってもらうために、福祉施設である地域包括支援センターなどに講演をしにいくことがあります。すると福祉関係の人たちは、居住支援を行っている不動産会社があることを知って驚くのだとか。居住支援法人となって、福祉団体との交流ができたことによって、見えてきた課題もあるようです。

新しい考え方に触れることで街に好循環を生み出したい

橋本さんには、不動産業に長く取り組んできたからこその課題感もある様子。

「不動産屋には建物などのハードは得意だけれども、サービスなどのソフトに弱いところがあります。私も以前は、入居に困る方は家というハードが決まれば大丈夫だと考え、その後の暮らしといったソフトの部分にはほとんど関知していませんでした。でもそうではなくて、今では住宅と福祉とが連鎖していかないと生活しにくい人たちが多くいる、と思うようになりました」

橋本さんはセミナーの講師として登壇することも。福祉の話で呼ばれる時には不動産やまちづくりの話をし、 まちづくりの話で呼ばれる時には福祉の話をする。 居住支援を行うには、街全体で住宅と福祉が包括的に取り組んでいく必要があるからだ(画像提供/上原不動産)

橋本さんはセミナーの講師として登壇することも。福祉の話で呼ばれる時には不動産やまちづくりの話をし、 まちづくりの話で呼ばれる時には福祉の話をする。 居住支援を行うには、街全体で住宅と福祉が包括的に取り組んでいく必要があるからだ(画像提供/上原不動産)

100人カイギのようなイベントに下関市出身で活躍している人などが参加することで、また違った視点や新しい考え方に触れることができます。プレイヤーとリードしていく人たちを発掘し、何か新しいことを始めたいという人が現れたら、それを街に落としていくというサイクルを構築しているところだといいます。

さらに嬉しいことに、これらの活動を通じて「なんだか面白そうだから」と下関に定住したいという人が少しずつ増えてきたそう。最初のきっかけをつくることで、街に住む人たちが自分たちで繋がり、やがて街を変えていく。その様を見て、橋本さんは「まだまだこれからですが、不動産屋が動けば、街も変わる」と気づき、不動産業に携わる人としての醍醐味を感じています。

ARCHが横浜市の人権団体NGO EQUAL POWERと共催した、LGBTQ当事者とのトークセッション。上原不動産が管理する物件の入居者が参加するなど、居住支援やまちづくり、空き家活用が一体的に行われることで街が変わりつつある(画像提供/ARCH)

ARCHが横浜市の人権団体NGO EQUAL POWERと共催した、LGBTQ当事者とのトークセッション。上原不動産が管理する物件の入居者が参加するなど、居住支援やまちづくり、空き家活用が一体的に行われることで街が変わりつつある(画像提供/ARCH)

まちづくりや空き家問題の解決、住まい探しに困っている人たちへの居住支援といった橋本さんの幅広い活動や人と人とを結ぶ仕掛けは、不動産会社としてできることの可能性を広げたのではないでしょうか。

橋本さんの活動には、街に人を呼びこみ、街を活性化していくヒントがたくさんあります。まずは動いてみる。そして周りを巻き込んでいく、パワーを感じました。
近い将来、下関は橋本さんの子どもが表現した「何もない街」ではなく、地域共生社会創生のモデル都市になるかもしれないですね。

●取材協力
上原不動産

仲間4人と”ノリで移住”から4年、「自分たちで町を面白く」新移住者を歓迎する交流スペース「ポルト」の歩み 北海道上川町

北海道の上川町は大雪山国立公園や層雲峡温泉などを有する自然豊かな町です。人口3000人ほどの町には元銀行の空き物件を活用した交流&コワーキングスペース「PORTO(ポルト)」があります。この場所では“元”移住者が“新”移住者をサポートするという循環が生まれています。
ポルトを運営する株式会社Earth Friends Camp代表取締役の絹張蝦夷丸(きぬばり・えぞまる)さん、同社コミュニティマネージャーの中川春奈(なかがわ・はるな)さんにお話を伺いました。

大雪山のふもとに位置する北海道上川町(画像提供/ポルト)

大雪山のふもとに位置する北海道上川町(画像提供/ポルト)

全ての人に開かれた、多様なバックグラウンドを持つ人たちが出会う場に

ポルトは町中心部の銀行跡地の空き物件を活用し、できるかぎり地域住民たちの手で改装を手掛け、2021年10月オープンしました。
現在はコミュニティマネージャー2人とパート勤務1人の3人体制で業務しています。誰もが気軽に入れる交流スペースのほか、移住・観光・暮らしの総合窓口、コワーキングスペース、ショップ、ギャラリーと5つの機能をあわせ持っています。

筆者が訪れた平日昼下がりには交流スペースでコーヒー片手に楽しそうに語らうシニアの方々、その後ろでパソコンとイヤホンでオンラインミーティング中の若いビジネスパーソンの姿がありました。コワーキングスペースも3名が活用していました。
放課後は学童帰りの子どもたちも立ち寄り、もっとにぎやかな時間があるそうです。マルシェなどイベントが開催され、町内外の人が入り混じる取り組みも盛んに行われています。土、日も開いているため、役場や市役所での移住窓口と異なり、休日に相談に乗れることも訪れる人の利点でもあります。
利用者数はひと月にのべ500人ほど。年間累計6000人に達し、町人口の倍近くの人がこの場を訪れていることになります。

明るい雰囲気の交流スペース。フローリングは銀行時代のままの素材を使用。奥の大きな金庫だったスペースはギャラリーとして活用されています(写真撮影/米田友紀)

明るい雰囲気の交流スペース。フローリングは銀行時代のままの素材を使用。奥の大きな金庫だったスペースはギャラリーとして活用されています(写真撮影/米田友紀)

実は、ポルトは一般的な公設民営施設ではありません。物件自体をEarth Friends Campが賃貸契約していることで、運営委託期間が終了しても自分たちで継続していくことができることが利点だといいます。
同社代表取締役の絹張さんは、2019年に仲間4人の“ノリ”で上川町へ移住した人物。ノリから始まって4年、どっぷりと地域に浸かりチャレンジを続けています。

ショップ機能の棚は大工としても活躍する地域おこし協力隊の一員が制作。町には道の駅がないため、地元土産が購入できる観光の拠点としても利用されています(写真撮影/米田友紀)

ショップ機能の棚は大工としても活躍する地域おこし協力隊の一員が制作。町には道の駅がないため、地元土産が購入できる観光の拠点としても利用されています(写真撮影/米田友紀)

仲間4人の勢いで移住。自分たちで町を面白くしたい

絹張さんは2019年3月、29歳の時に地域おこし協力隊として札幌市から上川町へ移住しました。
きっかけは移住前年の2018年秋に上川町の層雲峡で開催された紅葉イベントでした。当時移動式コーヒ―ショップを営んでいた絹張さんは、アウトドア仲間とともにイベントに参加。その際、層雲峡でホステルを経営していた友人から上川町の地域おこし協力隊「KAMIKAWORK」の募集が始まったことを偶然紹介されます。
当時、町ではフード、アウトドア、ランプワーク、コミュニティと4分野で人を募っていました。
「面白そう!」と盛り上がり、仲間同士で4分野にそれぞれ応募したところ、そろって採用されたのです。

「楽しそうだと思ったものの、上川に住みたかったわけでも、協力隊になりたかったわけでもありませんでした。まだ都心部から離れたくないなという気持ちもありましたし。
もしも当時、自分の故郷の町で同じような話があったなら、そちらに関心があったかもしれません。本当に偶然、上川町での働き方を知って、仲間と盛り上がって応募してみたら採用されちゃった、という感覚。採用が決まり、さてどうしようか、4人で行くんだから何とかなるか、という勢いの移住でした」

町での新しい活動を前向きに考えていたものの、移住から半年の間、絹張さんは想定外のしんどさを味わいます。地方出身で、地域のことに詳しく、アウトドア企画など提案力が問われる取り組みを得意としてきた絹張さん。ですが、町で自分がやりたい活動をしたいのに、思うように活動できない日々が続きました。

「今思えば恥ずかしいですが、自分の力を過信していたのだと思います。行政には行政の仕事の進め方があるのに、スピード感が合わない、正しいのに変えられない、と感じてイラ立ちを抱え続けていました。でも、周囲に相談していくうちに気づいたんです。相手が求めていないことを、自分の正しさで押し付けてはいけない。まず求められたことに対して、それ以上のことを届けていくことをめざしました」

町の人と話すために、町中にとにかく顔を出す。銭湯に通い、地元の話を聞く。絹張さんは自身の役割を考察し、地域おこし協力隊として任用された自分ができることを見出していきます。すると移住直後の軋轢(あつれき)が減り、業務も少しずつ歯車が噛み合うように。自分の行動で地域がより良くなる手応えが生まれ、「自分たちの力で町を楽しくできる」という実感が湧いてくるようになりました。

小さな町では「一票の重み」のように一人のチャレンジが大きな変化をもたらすことがあります。自分たちの取り組みが目に見えて身近な人の幸せにつながる感触。これは小さな地域ならではの面白さかもしれません。

絹張さんとともに移住した仲間3人も、地域おこし協力隊卒業後も上川町に関わり続けています。ポルトがある町の通り道。地方にありがちな静かな通りの様子に、著者は「この道で合ってる?」と一瞬不安になりましたが、ポルトや近くのカフェには若い世代もシニアも多くの人の姿がありました(写真撮影/米田友紀)

絹張さんとともに移住した仲間3人も、地域おこし協力隊卒業後も上川町に関わり続けています。ポルトがある町の通り道。地方にありがちな静かな通りの様子に、著者は「この道で合ってる?」と一瞬不安になりましたが、ポルトや近くのカフェには若い世代もシニアも多くの人の姿がありました(写真撮影/米田友紀)

地域で暮らす人が楽しそうな町には、自然と人が集まるはず

移住から1年後の2020年春、世界中がコロナ禍に陥ります。3つの温泉郷を有する上川町では観光産業が大きなダメージを受けました。
絹張さんらは温泉郷の安心宣言を設計し、広報活動をサポートする役割を担います。観光産業への打撃は自分と地域の関わりを見直す契機にもなりました。

「観光やレジャーの事業をやりたい。町でコーヒー屋もつくりたい。でも、事業があるだけではダメなんです。当然ですが町に来たいと思う人がいなくては成り立ちません。仲間と内輪で楽しくやっていても、その先が見えない。地域のことをもっともっと、考えないとダメかもしれない。そう考えるようになりました」

当時役場から偶然、声がかかったのが交流施設の立ち上げでした。ポルトの原案となる交流施設のコンセプトシートを見た絹張さんは「これだ!」と感じたといいます。
人口が多かった時代の町の過去と現在との比較や都市部と田舎を比べて勝ち負けを競うのではなく、今地域で暮らす人が楽しい町でありたい。そんな人たちが暮らす地域には自然と人が集まるはず。コンセプトシートには絹張さんがつくりたい地域の未来が広がっていました。
交流施設の輪郭を役場とともに手探りで描き、2021年にポルトがオープンを迎えます。

「ポルト」はイタリア語で港の意味。すべての人に開かれた港のような存在をめざしている(画像提供/ポルト)

「ポルト」はイタリア語で港の意味。すべての人に開かれた港のような存在をめざしている(画像提供/ポルト)

絹張さんが代表を務めるEarth Friends Campはアウトドアを軸としたプロデュース事業を行っています。
アウトドアと、移住相談に交流拠点。一見結びつかない事業にチャレンジするのには、「今地域で暮らす自分たちで行動を起こし、町を楽しくしていく」と決めた絹張さんと役場の熱量の共有がありました。

コロナ禍には「行き場を失う人が出てしまう」と出来る限りポルトの鍵は閉めずに、開店していたそう(写真撮影/米田友紀)

コロナ禍には「行き場を失う人が出てしまう」と出来る限りポルトの鍵は閉めずに、開店していたそう(写真撮影/米田友紀)

子どもの「やりたい」も応援 個々人の挑戦に伴走する

現在ポルトには「一緒にやりたい」「あげたい」「ほしい」など自由に記載できる伝言板があります。

そこにある日「みんなで鬼ごっこ大会をしたい」と書き残した小学生がいました。その紙を見たポルトスタッフは大会実施をサポートするために奔走。地域おこし協力隊の教育部門スタッフも巻き込み、小学生主催による鬼ごっこ大会が実現します。

たった一枚からはじまった大会実現に保護者から長文で感謝のメッセージをもらったそう。親が忙しい時期に親以外の誰かが向き合ってくれる、この町で育つ子どもは幸せ者だ、と伝えるメッセージでした。

絹張さんと中川さん。訪れる人の個々の思いに寄り添う姿勢が印象的です(写真撮影/米田友紀)

絹張さんと中川さん。訪れる人の個々の思いに寄り添う姿勢が印象的です(写真撮影/米田友紀)

家族以外の人、地域が自分たちを支えてくれるという原体験は、子どもの人生にプラスの力を及ぼすものではないでしょうか。無償の優しさを「与えてもらった」子どもたちが、彼らが大人になってまた「与えていく」。そんな優しさが継承される社会であってほしいです。

ポルトでは毎月マルシェも行われています。人と人、地域と人をつなぐ場とすることが目的で、町内外の店舗や農園オーナー、キッチンカーを招き、新しい出会いが生まれています。上川町の現役の地域おこし協力隊や別エリアの協力隊、卒業生も多くやってきて、小さな町で人的交流が活発に行われているのです。

「協力隊や上川町で事業をされている方はもちろん、上川町に関わってくれているすべての人のやりたいことをポルトの場を活用して実現してほしいです。やりたいことや暮らしの小さな悩みごとにも一緒に考えて伴走できる存在でありたいです」(中川さん)

コワーキングスペースは上川町の地域おこし協力隊の活動拠点としても活用されています(写真撮影/米田友紀)

コワーキングスペースは上川町の地域おこし協力隊の活動拠点としても活用されています(写真撮影/米田友紀)

中川さん自身も、2023年4月に札幌市から上川町へ移住した一人です。それまでは10年間看護師として従事していましたが、暮らしのすぐそばにある「誰でも来ていい場所」であるポルトが興味深く、何度も足を運ぶようになったそう。

上川町へ通い、町内外の人と会話をする中で、コミュニティマネージャーとして働くことを選びました。これからの人生を考えた時に「心地よさ」や「好き」をもう少し大切に暮らしたいと思っていたタイミングで上川町に出会い、自然がたくさんある環境や人のあたたかさに触れ、心地よさから移住することを決めたそうです。
地域で暮らす人が楽しそうにしていたら、人が集まる。ポルトの原案にあった風景が広がりつつあります。

2023年10月で3年目となったポルト。毎日必ず書く日報には、素敵な取り組みがあった日にスタッフ同士で「ナイスポルト!」とコメントするそうです。ポジティブに協力し合うコミュニティを築いています(写真撮影/米田友紀)

2023年10月で3年目となったポルト。毎日必ず書く日報には、素敵な取り組みがあった日にスタッフ同士で「ナイスポルト!」とコメントするそうです。ポジティブに協力し合うコミュニティを築いています(写真撮影/米田友紀)

偶発的な機会を受け入れ、自分起点で挑む

「自分たちで」は絹張さんたちからよく聞かれる言葉。自らがやりたいことに挑むことで、結果として身近な人たちが幸せになってくれたら、というアクションの取り方をしています。

仲間同士のノリと偶然から始まった小さな町への移住。自分たちの役割と、やりたいことをつなげながら、ポルトは新しい移住者を歓迎する循環を生み出しつつあります。
外からの風が吹く場所であり続けたい、とポルトの2人は語ってくれました。

自分たちが町の新しい風であったように、次の風が町に楽しい変化を巻き起こす。ポルトから始まる地域の変化が楽しみです。

●取材協力
ポルト

これが図書館? 全面ガラス張りの開放的な空間。大企業が始めたコミュニティ型図書館「まちライブラリー」を見てきました 西東京市

地縁型のつながりが薄れ、都会では近隣に暮らす人たちと接点をもつのが難しくなっています。そこで、地域密着のゆるやかなコミュニティの入口として、全国に増えているのが「まちライブラリー」です。本を介して気軽に人と関わることができるコミュニティ型の図書館。自宅やお店の一角に本を置いて、誰もが気軽に始められるというので人気があり、今や登録数は1000件以上にのぼるのだとか。

そんなまちライブラリーのひとつが、新たに6月末、東京都西東京市に誕生しました。資本力のある大企業がバックアップすることで、これまでとはまた違う、市民にとって嬉しい空間が生まれている。そんな先行事例を見てきました。
三菱UFJフィナンシャル・グループ(以下、MUFG)が始めた「まちライブラリー@MUFG PARK」です。

広大な芝生広場の中に建つ「まちライブラリー@MUFG PARK」(写真撮影/田村写真店)

広大な芝生広場の中に立つ「まちライブラリー@MUFG PARK」(写真撮影/田村写真店)

まちライブラリーとは?

五日市街道から一歩入ると、都会の喧騒を離れ、すっぽりと木々に囲まれた緑豊かな空間が広がります。気持ちのいい芝生奥に見えてきたのは、屋根の大きい低層の建物。

2023年6月下旬にオープンしたばかりの「まちライブラリー@MUFG PARK」です。すでに休日は1000人以上が訪れるというこの図書館。一体どんな場所なのでしょう。

「まちライブラリー@MUFG PARK」入ってすぐの雰囲気(写真撮影/田村写真店)

「まちライブラリー@MUFG PARK」入ってすぐの雰囲気(写真撮影/田村写真店)

もともと東京都西東京市のこの場所には、三菱UFJ銀行の福利厚生施設、約6ヘクタールほどの広い敷地がありました。敷地内のスポーツ施設、芝生の広場がリニューアルして一般市民向けに開放されるのと同時に新設されたのが「まちライブラリー@MUFG PARK」です。

まちライブラリーは、蔵書や寄贈の本を貸し出す形で、個人がどこでも気軽に始められる図書館のしくみ。自宅やお店の一角に少数の本を置くだけもよし、固定した拠点がなくてもピクニックのように本を囲んで集まる場さえあれば始められます。2014年に始まって以来、これまでに登録された数は1026件。そのうち800件がいまもアクティブに活動しています。

館内の様子。壁一面に設置された本棚は全長35m。日々新たな本が持ち込まれ、蔵書は増えている。本の貸し出しは2週間3冊まで(写真撮影/田村写真店)

館内の様子。壁一面に設置された本棚は全長35m。日々新たな本が持ち込まれ、蔵書は増えている。本の貸し出しは2週間3冊まで(写真撮影/田村写真店)

この取り組みを始めた一般社団法人「まちライブラリー」代表の礒井純充さんは、理由をこう話します。

「まちのことって、みんな関心があるようで、意外と関心をもちにくいですよね。周りが『いいまちをつくりましょう』と言っても、みんな自分の生活のほうが大事。でも、地域で活動を始めてみると、自然とまちを意識するようになるんじゃないかと思ったのです。

例えば小さな図書館を始めれば、利用するのは必然的に地域の人たちになります。子どもの居場所になったり、シニアの人たちが協力してくれたり。自分は一人で生きているのではなく、まちの一員として生きていることが実感としてわかってくる。すると初めて、まちのことを考え始めます」

まちライブラリーの創設者である礒井純充さん。もとは森ビルに勤め、まちづくりに携わってきた方(写真撮影/田村写真店)

まちライブラリーの創設者である礒井純充さん。もとは森ビルに勤め、まちづくりに携わってきた方(写真撮影/田村写真店)

もう一つの理由は、個人の力でできることの大きさを提示したかった、というもの。

「私たちは組織や資本がないと何もできないと思いがちですが、個人のできることって意外と大きいと思うんです。例えば家庭で親が子どものお弁当をつくるのは、家族にとって大事な役割ですが、あくまで個人の思いでやっていることです。そこには組織も資本も貨幣も必要ない。そんな我々の日常的な行動が、じつは社会全体のインフラをつくっている面があるのではないかと思うんです」

話してもOK、飲食もOKのライブラリー

中へ入って驚いたのは、一般の図書館と違って、館内で自由に話をしてもいいし、飲食もOKなこと。お茶を飲みながら本を読む人がいたり、打ち合わせをする人がいたり、子どもたちが走り回って遊んでいたり。本が介在しながら、異なる世代が自由に時間を過ごせるコミュニティスペースなのです。

どのまちライブラリーもそうではないですが、ここでは十分なスペースが確保できるため、自由に遊びまわる子どもたちと、静かに本を読みたい人たちとが同じ空間を共有できています。おしゃれなカフェに近い雰囲気。

広く明るい空間。本棚のほかにゆっくり腰掛けられる椅子とテーブル、奥には子どもたちが遊べるスペースも(写真撮影/田村写真店)

広く明るい空間。本棚のほかにゆっくり腰掛けられる椅子とテーブル、奥には子どもたちが遊べるスペースも(写真撮影/田村写真店)

「小学校が終わると子どもたちがわーっとやってきて、ただいま~なんて言う子もいるんです(笑)。宿題をやる子や、そのまま芝生に出て行って遊ぶ子などいろいろですけど、子どもたちだけで訪れても、安心して過ごすことができる居場所になっています」

一般社団法人「まちライブラリー」のスタッフであり、マネージャーの藤井由紀代さんはそう教えてくれました。

一般社団法人「まちライブラリー」のスタッフであり、マネージャーの藤井由紀代さん(写真撮影/田村写真店)

一般社団法人「まちライブラリー」のスタッフであり、マネージャーの藤井由紀代さん(写真撮影/田村写真店)

スタッフの数も充実しているため、お客さんとの交流も丁寧にできる。一般的な図書館では本の貸し出し手続きのときしか接しませんが、好きな本の話で盛り上がったり、世間話をしたり。

そのコミュニケーションに一役買っているのが、本につけている感想カードです。カードには、まず本の寄贈者が自分自身のことや本の感想を記入します。その後、借りて読んだ人が一言感想を書き入れて、また次へ。一冊の本が人と人をつないでいく流れが、カードによって可視化されます。

「はじめは、古い本が多いわね、なんて言っていらした方が、メッセージカードを見て、『この本、亡くなった奥さんが大事にしていらした本なんですって。私読んでみるわ』と言って借りていかれたり。スタッフが、カードの感想を紹介しながら本をお勧めすることもあります。自然と話が弾みます」(藤井さん)

感想カード。本の寄贈者が本の感想を記入し、その後、借りた人たちが一言ずつ感想を書き入れるようになっている(提供:まちライブラリー)

感想カード。本の寄贈者が本の感想を記入し、その後、借りた人たちが一言ずつ感想を書き入れるようになっている(提供:まちライブラリー)

子どもたちが遊べるスペースも(写真撮影/田村写真店)

子どもたちが遊べるスペースも(写真撮影/田村写真店)

なぜ金融機関がコミュニティの場を?

本を寄贈するのはまちの人たち。運営するのは一般社団法人「まちライブラリー」ですが、「まちライブラリー@MUFG PARK」は、MUFGという大企業により設立されました。ここまで大きなまちライブラリーはこれまでにも多くはありません。

MUFG経営企画部ブランド戦略グループの松井恵梨さんは、こう話します。

「2019年ごろから、弊社でも社会貢献への考え方に変化がありました。世の中でSDGsといったことが言われ始めて、社員のエンゲージメント(会社や組織に対する愛着心)が重視されるようになって。

社会貢献活動の一環として、もともと自社でもっていたこの場所を活かすことができないかと考えたんです。いろいろ検討するなかで、まちライブラリーの取り組みを知りました」

MUFG経営企画部ブランド戦略グループの松井恵梨さん(写真撮影/田村写真店)

MUFG経営企画部ブランド戦略グループの松井恵梨さん(写真撮影/田村写真店)

このライブラリーを新設するのはもちろん、維持していくにもそれなりのコストがかかります。ですが、額面の話だけでなく、本件はMUFGの社会貢献としても大きなチャレンジだったといいます。

「新しくハードをつくっただけではなく、オープンより2年前から、社員全員に呼びかけて、ここをどんな場所にしていくかを話し合うワークショップを行ってきました。地域の人もお招きして、月に2~3度集まってフィードバックをし合いながら。結果的に、全社員の中から約300名がボランティアで参加してくれました」

こうしたワークショップを通して、オープン後にライブラリーで開催するイベントの企画を考案。すでに地産の野菜を販売するマルシェの開催や、星空観察会などの企画が進んでいます。一方、地域の人たちや、市民団体が主催するイベントをこの場所でも積極的に提供していく予定です。

館内からの眺めもいい(写真撮影/田村写真店)

館内からの眺めもいい(写真撮影/田村写真店)

同じく同社のブランド戦略グループの森川貴博さんが、活動の背景を教えてくれます。

「当グループでは自社のブランドをどう変えていくかを考えているわけですが、最近は外に対してだけでなく、社内でのイメージ、社員の働き甲斐や誇りといったことがとても重要になっています。

4年前から社員が誰でも社会貢献の企画を出せる取り組みが始まりました。一人一人が地域に何ができるのか、自分の身近でできることがないかを考えて提案する。

その提案が社会貢献として意義あるものであれば、1件あたり最大50万円の予算をつけます。2022年度はグループ内で240件ほどの申請があり、約3500人の社員参加がありました。こうした試みを通して地域に対する活動がかなり増えているんです」

MUFGでは「業務純益の約1%」をビジネスでアクセスしにくい社会課題に対して社会還元すると公表しています。(2021年度の社会貢献活動費の実績は81.5億円)

子ども食堂でクリスマスパーティーを開く企画や、地域の人たちを巻き込んで清掃活動を行うといった公共性の強いものなど、社員が身近なところで関心をもち、社会課題の解決につながることを後押し。その内容は多岐にわたります。

MUFG経営企画部ブランド戦略グループの森川貴博さん(写真撮影/田村写真店)

MUFG経営企画部ブランド戦略グループの森川貴博さん(写真撮影/田村写真店)

もともと日本の企業は、地域に寄り添う社会的な存在だった

まちライブラリーの礒井さんは、こうした企業の姿勢を、日本企業がかつてもっていた、本来あるべき姿ではないかと話します。

「近江商人の三方よしではないですが、もともと日本の企業は、社員や家族、地域に寄り添って社会的なものであろうとしてきた企業文化があったと思うんです。僕が社会に入った40年ほど前はまだそうでした。

それが変わったのはバブルが弾けて、ここ20~30年のことだと思います。景気が後退して日本企業が自信を失いつつあったところにアメリカ流の金融資本主義や合理性第一主義の考え方が入ってきた。

でもいま、そうしたアメリカ式の企業のあり方は限界を迎えていて、再び日本式の企業のあり方が注目されています。日本的な企業がもっていた公共性が再評価されて、本来あるべき形に企業が戻ろうとしているのではないでしょうか」

本の上段に並ぶのはカラフルな「タイムカプセル本箱」。「思い出や、何年後かの自分への手紙を入れるなど人それぞれに楽しんでもらえたら」と礒井さん(写真撮影/田村写真店)

本の上段に並ぶのはカラフルな「タイムカプセル本箱」。「思い出や、何年後かの自分への手紙を入れるなど人それぞれに楽しんでもらえたら」と礒井さん(写真撮影/田村写真店)

一方で、大きな組織だけでなく、個人の変容が大事。礒井さんが書かれた『まちライブラリーのつくりかた』(学芸出版社 刊)の一説が印象的です。

「いまの社会は、大きな火力を使って、大きな鍋でシチューやカレーを煮ているようなものだと感じています。…大きなものを力ずくで変えるのではなく、中にいる一人一人が変わっていくことで、いいものに変えていくという方法があると思います」

おいしいカレーをつくるには鍋の中の具材一つ一つがおいしくなる必要がある。つまり社会にとっても一人一人が大事。その流れに大企業の資本が入ることで、個人の力がより大きな力になったりする。まちライブラリー@MUFGは、まさにそんな企業が個人の力をエンパワーしている例かもしれません。

(左から)森川さん、松井さん、礒井さん、藤井さん(写真撮影/田村写真店)

(左から)森川さん、松井さん、礒井さん、藤井さん(写真撮影/田村写真店)

●取材協力
まちライブラリー@MUFG

【福島県双葉町】帰還者・移住者で新しい街をつくる。軒下・軒先で共に食べ・踊り、交流を 東日本大震災から12年「えきにし住宅」

東日本大震災から12年が経過した福島県双葉町では、次の双葉町を描き、新たな暮らしを築いていくプロジェクトが盛んに動いています。その中心拠点を担うのが、今回の取材先である「えきにし住宅」。双葉駅の西口を降りてすぐ目の前に広がる住宅街ですが、ただの住宅街じゃない。知れば知るほど暮らしを豊かにする工夫が散りばめられていて、歩いているだけでワクワク感があふれる新しいまちです。今回は設計を担当したブルースタジオのクリエイティブディレクター・大島芳彦さんと、現在「えきにし住宅」に暮らしている入居者2名の方に、住まいの特徴や魅力、暮らしてみた感想などをお話しいただきました。

さあ双葉町の未来をはじめよう

標葉(しねは)の谷戸(やと)に抱かれた、かつての農村風景を思わせるデザインえきにし住宅の全体イメージ(画像提供/ブルースタジオ)

えきにし住宅の全体イメージ(画像提供/ブルースタジオ)

(画像提供/ブルースタジオ)

(画像提供/ブルースタジオ)

えきにし住宅の集会所・軒下パティオ(写真/白石知香)

えきにし住宅の集会所・軒下パティオ(写真/白石知香)

福島県の浜通りエリア、双葉町の双葉駅西側地区に2022年10月~オープンした「えきにし住宅」。2022年8月30日に福島第一原子力発電所の事故に伴う避難指示区域が解除され(※)、再び居住が可能となった「特定復興再生拠点区域」に新しく建設された公営住宅です。災害公営住宅30戸、再生賃貸住宅56戸からなる全86戸を建設するプロジェクトで、第2期工事が完了した現在(2023年7月)は30代のファミリー層から80代まで、多様な人たちが暮らしています。

※特定復興再生拠点区域については、一部2020年3月に避難指示が解除(えきにし住宅がある場所は2022年8月に解除)

えきにし住宅のオープンをきっかけに双葉町に移住された大島さん(写真/白石知香)

えきにし住宅のオープンをきっかけに双葉町に移住された大島さん(写真/白石知香)

もともと双葉町の町民で、えきにし住宅のオープンにともない双葉町に帰還された猪狩(いがり)さん(写真/白石知香)

もともと双葉町の町民で、えきにし住宅のオープンにともない双葉町に帰還された猪狩(いがり)さん(写真/白石知香)

「えきにし住宅」を歩いていると、いい意味で「公営住宅」らしくない高いデザイン性や、のびのびと暮らせる風通しのよさを感じます。その秘密は……?設計を担当したブルースタジオのクリエイティブディレクター・大島芳彦さんに話をうかがいました。

「このまちを故郷とされる方にとって、何が双葉町らしさなんだろう。どんな要素が『えきにし住宅』に必要なんだろうかと、地元住民の方との座談会を重ねながら、リサーチを行いました。その過程でたくさんのまちづくりのヒントを得たのですが、『標葉(しねは)』というキーワードにたどりついたんです。

双葉町の『双葉』って比較的新しい単語でして、明治維新までは、双葉町は相馬氏の領土である『標葉郡』として位置付けられていたんですね。そして地形を見てみると、山と丘の間に谷筋があり、その先に田んぼが広がっている。まさに日本の原風景ともいえる『谷戸(やと)』が、双葉町の象徴的な風景だと考えました。

浜通りという名前に引っ張られて、海によって発展してきたように感じるんだけども、実は海ばかりでなく温暖な気候に恵まれた山側の農村集落が栄えてきた歴史もある。実際に、『えきにし住宅』がある駅の西側地区は、豊かな谷戸のせせらぎの風景と田んぼが広がっていた場所なんですよ。そうした背景からも、遠方のなだらかな阿武隈山地を借景に、農村集落の情景を思わせる屋根の形や建物の連なりを、建築的なエッセンスとして取り入れています」

ブルースタジオのクリエイティブディレクター・大島芳彦さん(写真/白石知香)

ブルースタジオのクリエイティブディレクター・大島芳彦さん(写真/白石知香)

平屋で設計された一戸建住宅。屋根の雰囲気や、木材の表情など、どこか農家建築を思わせるデザイン(写真/白石知香)

平屋で設計された一戸建住宅。屋根の雰囲気や、木材の表情など、どこか農家建築を思わせるデザイン(写真/白石知香)

(画像提供/ブルースタジオ)

(画像提供/ブルースタジオ)

「タウンハウス」と呼ばれるスタイルの集合住宅。住民同士のあいさつや気軽な交流が生まれるよう玄関が向かい合い、緑が多く気持ちのいい空間(写真/白石知香)

「タウンハウス」と呼ばれるスタイルの集合住宅。住民同士のあいさつや気軽な交流が生まれるよう玄関が向かい合い、緑が多く気持ちのいい空間(写真/白石知香)

玄関前にある縁側では、ここに座ってひと休みしたり、ご近所さんとお話したりと、いろんな過ごし方ができる(写真/白石知香)

玄関前にある縁側では、ここに座ってひと休みしたり、ご近所さんとお話したりと、いろんな過ごし方ができる(写真/白石知香)

(画像提供/ブルースタジオ)

(画像提供/ブルースタジオ)

「現在は工事中なのですが、敷地の北側を流れる戎川(えびすがわ)のせせらぎのほとりにあるテラスでほっとひと息ついたり、駅前広場ではピクニックや趣味を楽しんだり思い思いの時間を過ごしたりと、えきにし住宅全体がひとつのまち、あるいは公園のような過ごし方ができる工夫をあちこちに取り入れています」(大島さん)

川のせせらぎに癒やされながら、ゆったりと過ごせる環境(写真/白石知香)

川のせせらぎに癒やされながら、ゆったりと過ごせる環境(写真/白石知香)

双葉駅を降りてすぐ広がる芝生の駅前広場。車両の出入りもなく、ここに集まる人がのびのびと過ごせる場所(画像提供/ブルースタジオ)

双葉駅を降りてすぐ広がる芝生の駅前広場。車両の出入りもなく、ここに集まる人がのびのびと過ごせる場所(画像提供/ブルースタジオ)

暮らす人の「なりわい」をシェアする

「えきにし住宅」の大きな特徴ともいえるのが、「なりわい暮らし」です。これは何かというと、暮らす人それぞれの個性的な生き方をみんなで分かち合う暮らし。例えば、料理をふるまってみんなで味わったり、ワークショップを開いてみんなとの交流を育んだり、自分の趣味をみんなで楽しんだり。ここで暮らす人が主体となって、自分の暮らしをより豊かに、より楽しいものにできる空間づくりがなされています。

(画像提供/ブルースタジオ)

(画像提供/ブルースタジオ)

すべての家の玄関には土間があって、絵を描いたり、ものづくりをしたり、またはそれを通りかかった近所の人にお披露目してみたり。

玄関入ってすぐに土間があり、靴を脱がなくとも気軽に住民同士が交流できるようになっている(写真/白石知香)

玄関入ってすぐに土間があり、靴を脱がなくとも気軽に住民同士が交流できるようになっている(写真/白石知香)

「軒下パティオ」と呼ばれる中庭では、ベンチでひと休みしたり、天候に左右されずにワークショップや出店が開けたりするようなオープンなスペースが広がっていたり。

高い屋根があり、日差しや雨を気にすることなく広々と過ごせる「軒下パティオ」(写真/白石知香)

高い屋根があり、日差しや雨を気にすることなく広々と過ごせる「軒下パティオ」(写真/白石知香)

「軒下パティオ」の一つに隣接するかたちで集会所があり、ここにも土間があったり、他にもキッチンや畳スペースが配置されていたりと、ここに集まる人たちが和気あいあいと交流できる場所が開かれています。

集会所で取材させていただいた時の様子。「どこで話します? じゃあ集会所にしましょうか」と、ふらっと行ける気軽なスペースで、いろんな使い方ができる(写真/白石知香)

集会所で取材させていただいた時の様子。「どこで話します? じゃあ集会所にしましょうか」と、ふらっと行ける気軽なスペースで、いろんな使い方ができる(写真/白石知香)

カフェやイベントが開かれるなど、暮らしを豊かにする時間が育まれている(写真/白石知香)

カフェやイベントが開かれるなど、暮らしを豊かにする時間が育まれている(写真/白石知香)

大島さんはこう話します。

「双葉町は、震災からおよそ11年もの間、残念ながら人が住むことのできない地域でした。それだけの空白の時間を経過した今は、もともと双葉町に住んでいた方が帰還されるにあたっても、また新しく双葉町に移住される方にとっても、未来の双葉町の暮らしをゼロからつくっていくくらいの『フロンティア精神』が必要だと考えたんです。そこには、帰還者も移住者もバックグラウンドの違いに関係なく、対等な立場で、ここに住まう仲間として、共に双葉町の未来を描いていくことが重要。だからこそ、一人ひとりの個性や生き方を住民同士でシェアし、交流が生まれる工夫を、建築にも盛り込みました。ゆくゆくは、住民同士の交流だけでなく、外から遊びに来た人と住民同士で、境界線をゆるやかに溶かしていくようなコミュニケーションが生まれていけばいいなと期待しています」

(写真/白石知香)

(写真/白石知香)

実はこうした「なりわい暮らし」の集合住宅のスタイルは、ブルースタジオでは4プロジェクト目となる事例(お店を開けるものもあるなど、プロジェクトによって“なりわい”の内容は異なる)。この5年ほどで首都圏を中心に、広島の民間賃貸や大阪の公営住宅でも「なりわい暮らし」の集合住宅を展開し手応えを得て、被災地の公営住宅では「えきにし住宅」が初の事例だそうです。

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「これまで」の暮らしが、「これから」の暮らしに受け継がれていく

「えきにし住宅」の全体像をご紹介したところで、実際に暮らしている方はどんなきっかけで「えきにし住宅」に入居し、どんな住み心地なのか。かつて双葉町在住で帰還された方、新しく双葉町に引越しされた方の2名にお話をうかがいました。

お一人目は、浪江町出身でご結婚を機に隣町の双葉町に暮らすようになった猪狩(いがり)敬子さん。震災発生後、県内外を転々とされながも「いつかは家族の思い出が詰まった双葉町に帰る」と心に決めていたそうです。

(写真/白石知香)

(写真/白石知香)

「この玄関の土間スペースが、使い勝手がいいんです。お友達が遊びに来てくれた時に、ここに腰掛けてみんなでおしゃべりして。靴を脱いでリビングにお通しするとなると、おもてなししなきゃ!ってなるけど、土間だったら気さくに肩肘張ることなく過ごせるでしょ。

夫が他界して、今は一人暮らしをしているんですが、近所の人たちとも顔が見える距離でお付き合いできるから安心。住んでいる人との交流もあってね。双葉町って、もともと盆踊りが町のお祭りとしてにぎわっていたんですけど、震災があってから町内で開催できていなかったんです。でもそれが今年、約13年ぶりに駅前で開催できることになって。だから集会所に集まって、わたしが踊りを住民の方に教えて、みんなで踊りの練習をしたりしていますよ。双葉町の伝統を、みなさんに伝えることができて嬉しく思いますね」(猪狩さん)

猪狩さんは「タウンハウス」プランの住まいに入居中。手前がリビング、奥が寝室になっている(写真/白石知香)

猪狩さんは「タウンハウス」プランの住まいに入居中。手前がリビング、奥が寝室になっている(写真/白石知香)

(写真/白石知香)

(写真/白石知香)

盆踊りを通じて、双葉町の地元の方と新しく双葉町に引越してきた人を結んでいる猪狩さん。それが猪狩さんにとっての「なりわい暮らし」なのかもしれません。

お二人目は、福島県中通りエリアにある福島市出身で、東京にあるコンピューター関連の会社で勤めた後、うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)相双支援サテライトに勤務し、浜通りエリアの楢葉町、富岡町で働き暮らされていた大島さん。現在も富岡町にある「とみおかワインドメーヌ」でブドウの栽培をされたり、楢葉町の小学校で子どもたちの学習をサポートする活動をされたりと、「えきにし住宅」を暮らしの拠点に、新しいことへのチャレンジを楽しまれています。

(写真/白石知香)

(写真/白石知香)

「東京で長年勤めて、地元の福島に帰って新しいことを始めてみたいと思い、浜通りに暮らし始めました。『えきにし住宅』に入居しようと思った決め手は、コミュニティになじめそうだと思ったから。双葉町には、町民主体のまちづくりを牽引する『ふたばプロジェクト』という団体があり、そのスタッフさんたちが入居の窓口となって、移住者でも町の暮らしに溶け込めるように住民同士の交流を育むサポートをしてくださるなど、細やかなケアがなされていることが安心だなと感じました。

初めて住む地域だと、なかなか地元の方との接点を持ちづらかったりしますが、ここはそんなこともなく、気軽にコミュニケーションをとれるのがいいなと思います。お向かいの猪狩さんには、盆踊りの踊りを教えてもらっていますし。盆踊り当日は、町民有志の『双葉郡未来会議』という任意団体があるんですけど、そのスタッフとしてお祭りを盛り上げたいと思っています。

暮らしの面では、双葉町にはスーパーやコンビニがないのですが、隣町に足を延ばせばいくつも商業施設があるので不便に感じたことはないです。車で出かけたり、趣味のバイクで近隣の市町村に遊びに行ったりすることもありますね。この辺りは山や川など自然がいっぱいありますから、のびのび過ごせて気持ちいいですよ」(大島さん)

暮らしのサポートをされている「ふたばプロジェクト」の事務局長を務める宇名根さん。双葉町と、ここで暮らしたい人をつなぐ架け橋のような存在(写真/白石知香)

暮らしのサポートをされている「ふたばプロジェクト」の事務局長を務める宇名根さん。双葉町と、ここで暮らしたい人をつなぐ架け橋のような存在(写真/白石知香)

玄関には、愛用されているバイクが。スタイリッシュでかっこいい!(写真/白石知香)

玄関には、愛用されているバイクが。スタイリッシュでかっこいい!(写真/白石知香)

心地よい自然光が差し込むリビングで、ゆったりと過ごす時間がお気に入りなんだそう(写真/白石知香)

心地よい自然光が差し込むリビングで、ゆったりと過ごす時間がお気に入りなんだそう(写真/白石知香)

可動式のスポットライトが、空間をおしゃれに演出。白とウッドを基調とした天井が高い空間で、お部屋が明るく広々とした印象に(写真/白石知香)

可動式のスポットライトが、空間をおしゃれに演出。白とウッドを基調とした天井が高い空間で、お部屋が明るく広々とした印象に(写真/白石知香)

この先も進化し続ける、「えきにし住宅」から広がる双葉町の暮らし

「えきにし住宅」の入居がスタートしてから、取材時(2023年7月)までおよそ8カ月間。その期間中にも、全86戸のうち47戸の入居(予定含む)が決定しており、その属性の割合は帰還された方が約4割、新しく住まわれた方が約6割を占めるそう。「えきにし住宅」の建設プロジェクトは現在も進行中で、住宅エリアが拡充されたり、駅前広場が新設されたり、まちには商業施設がオープンしたりと、まちの盛り上がりは今後さらにはずみをつけていきそうです。

(写真/白石知香)

(写真/白石知香)

集会所の壁には、住民の方のものだと思われる似顔絵が(写真/白石知香)

集会所の壁には、住民の方のものだと思われる似顔絵が(写真/白石知香)

双葉町の町章と、江戸時代からダルマ市が開かれていた歴史がある双葉町で誕生した「双葉ダルマ」(写真/白石知香)

双葉町の町章と、江戸時代からダルマ市が開かれていた歴史がある双葉町で誕生した「双葉ダルマ」(写真/白石知香)

「外」と「中」の境界線がゆるやかに溶けていく暮らしのあり方や、「えきにし住宅」のリアルが気になる方はぜひ、双葉町を訪れてみてください。新しいはじまりを告げるワクワク感、みんなで一歩ずつ前進するあたたかなつながりの輪が、日常から感じられますよ。

●取材協力
えきにし住宅
ブルースタジオ
ふたばプロジェクト

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とみおかワインドメーヌ

農作業ひたすら8時間のボランティアに10・20代が国内外から殺到! 住民より多い600人が関係人口に 北海道遠軽町白滝・えづらファーム

北海道の北東に位置する、遠軽町白滝エリア(旧白滝村)にある「えづらファーム」。地方の過疎化と人材難が深刻な社会課題になるなか、江面暁人(えづら・あきと)さん・陽子(ようこ)さん夫妻が営むこの農園では、農業や農家民宿事業を手助けしてくれるボランティアが次々とやってきます。10・20代を中心に、その数はなんと年間で70人にのぼります。農家民宿の観光客延べ人数を含めると、年間約600人もの人たちが関係人口として、住民500人ほどの地域と関わっていることに。決して便利ではない小さな田舎町へやってくる理由は何なのか?現地で話を聞きました。

農業の魅力・価値をパワフルに掘り起こし、「年に1つの新規事業」に

「えづらファーム」を経営する江面暁人(えづら・あきと)さん、陽子(ようこ)さん夫妻。もともと東京在住で会社員をしていた夫妻は、2010年に新規就農者として遠軽町白滝エリアへ移住。現在の農園にて農業経営継承制度を利用した研修を開始しました。2012年に独立し、新規就農からこの11年で、広大な土地をパワフルに耕すだけでなく、新しい価値を次々と掘り起こしてきました。

2012年の農場経営スタートとほぼ同時に農作物のネット通販を始めたことを皮切りに、2013年には住み込みボランティアを受け入れ始め、その翌年に観光事業の畑ツアー・収穫体験などを提供する農業アクティビティを開始。そのあとも、簡易宿泊所の認可を取得し、企業研修やインバウンドの受け入れ、空き家を活用した農家民宿のコテージ、レストランなど、「農業」を軸とした新規事業を立ち上げ続けています。

ちなみに新規事業は夫婦の経営会議で、毎年1つ、挑戦することを決めているそうです。なるほど、これは日々のアンテナの張り方もちょっと変わってきそうです。

空き家を活用した一棟貸し民泊コテージ。今夏は早々に予約が埋まるほどの人気ぶりです(画像提供/えづらファーム)

空き家を活用した一棟貸し民泊コテージ。今夏は早々に予約が埋まるほどの人気ぶりです(画像提供/えづらファーム)

その結果、人口500人の地域に「えづらファーム」を通じて年間で延べ600人もの人たちが訪れるまでになりました。特に住み込みボランティアは「えづらファーム」最大の特徴と言っていいでしょう。年間70名の、そのほとんどが、10・20代の若者たち。実働8時間、無償であるボランティアに、申込はその3倍近く年間200人から応募が集まるというから驚きです。

農業のやりがい、田舎の豊かさなど、見えない価値を伝えたい

「えづらファーム」は畑作農場を42ha保有しており、これは東京ドーム約9個分の広さに当たります。農業の生産性を示す収量は地域平均を上回っていて、農業だけでも十分な収益を得られるように思います。

広い農場はどこを切り取っても北海道らしい景観。主な栽培作物は、小麦、馬鈴薯、てんさい、スイートコーンなど(画像提供/えづらファーム)

広い農場はどこを切り取っても北海道らしい景観。主な栽培作物は、小麦、馬鈴薯、てんさい、スイートコーンなど(画像提供/えづらファーム)

ではなぜ、このような画期的な取り組みを次々と行っているのでしょうか。

「自分たちは、もともとよそから来たので、なんで農家なんかになるの、田舎つまんないでしょ、と言われることがありました。決して悪気があるわけではないのはわかっていますが、僕らは夢を描いて北海道へやってきたので、寂しいなと感じたことを覚えています。

農業のやりがい、田舎の豊かさ。この地で培われた文化の希少性。それには圧倒的な価値があると確信しています。見えていない価値を、どうしたら伝えることができるだろう。一人でも多くの人に、地域、農業に興味を持ってもらいたい。そして実際に、この地に訪れてもらいたい。そのためにはどうしたらいいかを常に考えて、農業体験、民宿、レストランと、毎年コツコツと挑戦しています。

経営面でみても、新規事業は必要な柱となります。例えば天候不順で農作物収量が計画通りにいかなかったとしても、多角的に事業を運営することで、他の事業でバランスを取りリスク分散ができるという利点があるんです」(暁人さん)

夫の暁人さんは北海道出身、ですが農業一家で育ったわけではありません。北広島市という北海道中部の都市部出身で、遠軽町とは250km以上離れてます。妻の陽子さんは京都市出身。同じく“非農家”の家で育ちました。

夫妻は東京での6年の会社員生活を経て、北海道北見市の畑作法人で農業研修に入る道を選択。遠軽町白滝の農場主で継承者を探していた先代さんと出会い、この縁から、移住することになったといいます。この地で生まれた娘さんは11歳になりました(画像提供/えづらファーム)

夫妻は東京での6年の会社員生活を経て、北海道北見市の畑作法人で農業研修に入る道を選択。遠軽町白滝の農場主で継承者を探していた先代さんと出会い、この縁から、移住することになったといいます。この地で生まれた娘さんは11歳になりました(画像提供/えづらファーム)

夫妻にとっては、移住後の暮らし方、働き方が大きな魅力でした。自然豊かな地域で私生活と仕事がくっついた暮らし。陽が沈んだら家路につき、当たり前のように毎日家族と食卓を囲む。夫妻のように、田舎暮らしに興味がある人は多いかもしれません。ですが、いざ縁もない地方へ仕事を求めていくかというと、やすやすとはいかないもの。

住み込みボランティアの受け入れ、農家民宿やレストランを提供することで、こうした暮らしを味わえるのは、他の地域の人にとって、得難い経験になるでしょう。地域と農業が本来持っているはずの「見えていない価値」に光を当てるため、夫妻は新規事業にチャレンジしています。
根底にあるのは、「人が集まる農場をつくりたい」という想い。だから、損得勘定や合理性だけではなく、「農」と馴染む人肌を感じるような新規事業が育っているのだと感じます。

8年前(2015年)の農家民宿スタート当時の写真。自宅2階を冬レジャー客用として開放したことがはじまりだったそう(画像提供/えづらファーム)

8年前(2015年)の農家民宿スタート当時の写真。自宅2階を冬レジャー客用として開放したことがはじまりだったそう(画像提供/えづらファーム)

21歳と25歳、外国人の住み込みボランティア。“Japan farmstay”で検索してやってきた

夫妻の取り組みの一つ、住み込みボランティアでは、若い世代がやってきて、平均2~3週間ほど滞在します。
ボランティアとはいえ、「ガチ」な農作業。実働8時間です。フルタイム勤務と変わらない時間、毎日汗を流します。筋肉痛で悲鳴を上げそうな農の仕事で、これは観光気分だけでは続かないと想像できます。
実際に6月にボランティアに来ていた2人に話を伺いました。

この時滞在していたのはアメリカから来たヤンセイジさん(21歳)、シンガポールから来たJJさん(25歳)の2人です。

ブロッコリー畑の雑草取り中のセイジさんとJJさん。2人はファームで出会って仲良くなりました(写真撮影/米田友紀)

ブロッコリー畑の雑草取り中のセイジさんとJJさん。2人はファームで出会って仲良くなりました(写真撮影/米田友紀)

筆者が現地に到着してすぐ、偶然2人にお会いし、ご挨拶。日に焼けた顔から白い歯で笑顔をみせてくれ、「お水いりますか?」とペットボトルのお水を差しだそうとしてくださり、初対面から好青年です。

2人はネット検索で“Japan farmstay”と2ワードを叩き、検索結果で表示されたえづらファームのウェブサイトからメールで問い合わせたそうです。

セイジさんはアメリカの大学に通う学生。昨年はアメリカのIT企業でエンジニアのインターンシップに参加し、今年は何か違うことをやってみたい、と日本へやってきました。世界的な食糧問題に関心があり、食の原点として農業を体験したいという想いがあったそうです。

JJさんはシンガポールの大学を卒業し、就職前の期間を利用して日本に滞在中。シンガポールの金融企業に就職予定で、サステナビリティ分野での投資に関心があり、農業を学びたいとえづらファームにやってきました。

「体力的には大変だけど、楽しくて貴重な経験をさせてもらっています。みんなでご飯を食べることが楽しいですし、特にポテトが美味しい。陽子さんがつくったポテトサラダが最高に美味しいです」(JJさん)
「来る前とのギャップは特にないですね。何をできるかなとワクワクしていましたし、イメージ通りです」(セイジさん)

ボランティアの2人は、陽子さんのまかないは最高に美味しい、と口をそろえます(画像提供/えづらファーム)

ボランティアの2人は、陽子さんのまかないは最高に美味しい、と口をそろえます(画像提供/えづらファーム)

セイジさんもJJさんも、ネット検索結果をきっかけに異国の田舎にある農場にポンとやってきてしまうのだから、行動力があります。

夫妻によると、同様の検索ワードでえづらファームのサイトを見つけて応募する人が多いとのこと。食や観光分野での起業、地方創生への関心など、2人のように目的が明確な若者が多いそうです。「未来はきっと明るいぞ」と、日々感じるのだとか。

単なる労働力ではなく、想いを実現する場に

ボランティアの皆さんは夫妻の自宅2階で同居しています。
常時2~4人ほどが住み込み、食事は家族とテーブルを囲みます。お風呂もトイレも共用で、洗濯も家族と一緒にガラガラと洗濯機を回します。さらに休日は、みんなでバーベキューや窯でピザを焼いたり、夜空を見たり。釣りやスキーなどレジャーを楽しみ、衣食住の全てを家族同然に生活しています。

夫妻には11歳になる娘さん、ののかさんがいます。ののかさんにとっては、生まれてからずっと家にボランティアのお兄さん、お姉さんがいることが当たり前の暮らし。世界中からやってくるボランティアさんたちから自然と多様性を学べる環境が、人口500人の地域の自宅にあるわけです。娘さんは逆にボランティアがいない生活を知らないので、もし家族だけになったら寂しいと話しているんだそう。

収穫レストランを手伝うののかさん。娘さんの気持ちに配慮しながら事業に取り組んでいます(画像提供/えづらファーム)

収穫レストランを手伝うののかさん。娘さんの気持ちに配慮しながら事業に取り組んでいます(画像提供/えづらファーム)

毎年来てくれたり、高校生の時にきて、今度は大学に入ってから、と2回、3回とやってくるボランティアさんも多いそうです。
ボランティアさんとは事前にオンライン面談を行います。その時点で必ず声掛けしていることがあります。
「ここにきて、何をしたいのか」
それはやりたいことを叶える場所として、えづらファームを活用してほしい、という想いがあるからだそうです。

「単純に労働力として来てもらえるのは農場にとってはありがたいですが、本人がやりたい何かを実現できる場所として、白滝へ来てもらいたいです。人生に役立てることに一つでも、ここで出会えてもらえたら」(暁人さん)

労働力として考えたら、農繁期に作業に慣れた人を雇う方が効率的だといえます。訪れるボランティアとの出会いを楽しみ、彼らにも「やってみたい」「楽しい」を感じてもらいたい。夫妻にはそんな願いがあります。

建築を学ぶボランティアさんが「つくってみたい!」と建てた小屋。立派すぎるDIYです(写真撮影/米田友紀)

建築を学ぶボランティアさんが「つくってみたい!」と建てた小屋。立派すぎるDIYです(写真撮影/米田友紀)

ドラム缶風呂は「入ってみたい!」を叶えるためにボランティアと一緒につくりました(画像提供/えづらファーム)

ドラム缶風呂は「入ってみたい!」を叶えるためにボランティアと一緒につくりました(画像提供/えづらファーム)

衣食住を共にして、ボランティアがやりたいことを叶えられるように努める。夫妻のおもてなしには舌を巻きます。ですが、ボランティアから自分たちに与えてもらっているものも大きい、と感じているそうです。

「農業って、人と接することが少ないんです。外から人が来てくれること、出会いが刺激になることに感謝しきりです。ここにきて10年経っても、ボランティアの子たちと星空を見て一緒に感動できる。田舎の贅沢さをいつまでも新鮮に感じることができるのは、彼らのおかげです」(暁人さん)

小さな一歩が、新事業のとっかかり

とはいえ、毎年一つの新規事業を始めるというのは労力も勇気も伴います。
失敗が怖くないのかと聞いてみると、陽子さんがこう語ってくれました。

「私たちの事業は始めの一歩が小さいんです。もし上手くいかなかったら撤退できるように、意識的に小さくしています。そして需要があることをかたちにするようにしています。農家民泊も最初はウィンタースポーツに訪れる人がいるのに『地域には宿泊できる場所がなくて困っている』という近所の人の声を聞いたことがきっかけでした。だったらうちの2階に部屋が余っているから宿泊所にしよう、と始めました。最初から何百人もの観光客を呼ぶ、なんて始めたわけではないんです」(陽子さん)

もちろん上手くいかなかったこともある、といいます。例えばボランティアの受け入れではせっかく来てくれると言っているのだから、と最初は面談をせず受け入れていたところ、リタイアする人がいたそうです。

「当時はこちらのケア不足もあると思いますし、想像してたのと違った、とギャップを話す子もいました。せっかく来てくれたのに、上手くいかないことはお互いにとって大変残念なことですので、今では必ず全ての人と事前面談をしています」(陽子さん)

なるほど、ボランティアのセイジさんが話していた「ギャップのなさ」は事前の丁寧な面談の賜物なのですね。
冬レジャーの困り事解決のために始まった民宿は、現在では空き家を活用したコテージに。地域の人による親戚の集まりや、離れて住む子どもや孫が帰省時に泊まるといった機会でも活用されているそうです。

小さな一歩からはじめることは、地域での暮らしでも大切だと陽子さんは言います。
「急に世界中から人を受け入れたいだなんてと宣言したら、きっと地域で理解してもらえないでしょう。大きな目標を立てるより、まずは身近な人にとって役立つことをしたいと思い、ここまでやってきました。小さな一歩をとっかかりに、そこから地道に広げていく。本当にちょっとずつかたちにしてきて、今に至ります」(陽子さん)

新規事業というと大がかりですが、イチかバチかの大勝負に打って出るというより、周りの地域の人たちの困り事や願いに耳を傾けて自分たちにできることは何か、とちょっとずつ軌道修正をしながら広げているようです。

広大な地で軽やかなチャレンジが進んでいます(画像提供/えづらファーム)

広大な地で軽やかなチャレンジが進んでいます(画像提供/えづらファーム)

若者が「やってみたい」を投じる場として

夫妻の昨年の年1チャレンジは、収穫レストラン「TORETATTE」(トレタッテ)オープンでした。レストランでは地元在来種の豆を扱ったティラミス、アイヌネギのキッシュやヨモギのコロッケ、ふきのマリネなど地域に根付く食文化を味わうメニューも期間限定で提供しています。

「きなこと抹茶の植木鉢ティラミス」在来種豆を提供する地元商店の豆を使用し、白滝の春景色の表した一品(画像提供/えづらファーム)

「きなこと抹茶の植木鉢ティラミス」
在来種豆を提供する地元商店の豆を使用し、白滝の春景色の表した一品(画像提供/えづらファーム)

また、地域に戻ってきたい人や新しいことに挑戦する人を後押しすべく、「間借りカフェ」としての活用もスタート。
今年6月と7月には地元出身の若者2人による一日カフェが開かれ、それぞれが得意とするコーヒーやスイーツがふるまわれました。

さまざまな人の挑戦の舞台となる収穫レストラン「TORETATTE」(画像提供/えづらファーム)

さまざまな人の挑戦の舞台となる収穫レストラン「TORETATTE」(画像提供/えづらファーム)

実際に夫妻との出会いをきっかけに遠軽町に移住したり、新規就農をめざしてやってきた人もいるそうです。

「毎年新しいことを立ち上げる」

言葉でいうほどカンタンではないのは、たゆみなく努力する夫妻をみるとよくわかります。ですが近くの困り事に耳を傾け、スモールスタートで自分のできることを進めれば、夫妻のようにワクワクする取り組みができるかもしれません。

新規事業を毎年立ち上げる2人は、農家であり、起業家です。「農」を起点に新しい価値を次々と創造しています。ボランティアや間借りカフェで訪れる次世代の若者にも、そのチャレンジスピリットが伝播しています。
2人はきっとこれからも、白滝から小さな一歩のチャレンジを踏み出していくのでしょう。

●取材協力
えづらファーム

“音楽の殿堂”、“アイドルの聖地”「中野サンプラザ」が誕生50年で閉館。再開発で新たな中野のシンボル誕生へ

数々のコンサートが開かれ、“音楽の殿堂”などと呼ばれた「中野サンプラザ」がついに閉館した。5月3日から7月2日まで2カ月開催された、50年の歴史の集大成となる音楽祭「さよなら中野サンプラザ音楽祭」を終えた晩に、クロージングセレモニーが開催された。今後は、野村不動産を中心としたプロジェクトが推進される。

【今週の住活トピック】
さよなら中野サンプラザ音楽祭最終日!50年の歴史のクロージングセレモニー開催/株式会社中野サンプラザ

中野のランドマークで昭和の名建築でもあった「中野サンプラザ」

筆者は、以前、中野区に住んでいた。子どものときから社会人になってしばらくの間まで。だから、子どものころの繁華街といえば、中野ブロードウェイだった。中野ブロードウェイの高層棟のマンションには著名人が住み、商業施設には都知事だった青島幸男さんがオーナーのスパゲッティ店(この頃はパスタとはいわなかった)もあった。

1973年当時の中野サンプラザ(株式会社中野サンプラザ提供)※手前は中野区役所

1973年当時の中野サンプラザ(株式会社中野サンプラザ提供)※手前は中野区役所

そんな中野の中心地に、1973年、地上21階、高さ92mの中野サンプラザという大きな建物が建った。竹橋のパレスサイドビルなどで知られる、林昌二さんの設計による建物は、白い三角形の特徴的なビルで、中野のランドマークとなった。建物の中には、ホテル・レストランや宴会場、結婚式場、研修室などの施設のほか、スポーツクラブ、スタジオ、ボウリング場まであった。当初の「全国勤労青少年会館」という名称の通り、集団就職で上京した若者のための施設として、大きな建物の中にさまざまな機能を集約した珍しいものだった。

2000人規模のホールでは、アーティストがコンサートを行うようになると、“音楽の殿堂”といわれるようになり、モーニング娘。などのアイドルがコンサートを行うようになると、“アイドルの聖地”といわれるようになった。

その中野サンプラザが老朽化などを背景に閉館し、解体されることになった。

閉館直後の中野サンプラザ(広場には別れを惜しむ大勢が集まった)※筆者撮影

閉館直後の中野サンプラザ(広場には別れを惜しむ大勢が集まった)※筆者撮影

50年の歴史に別れを告げる、クロージングセレモニー開催

50年間の歴史を閉じるにあたって、5月3日から7月2日の2カ月間にわたり、「さよなら中野サンプラザ音楽祭」が開催され、37公演で約6万人の観客を集めて終了した。この後、関係者によるクロージングセレモニーが行われた。

「さよなら中野サンプラザ音楽祭」ポスター(中野サンプラザにて筆者撮影)

「さよなら中野サンプラザ音楽祭」ポスター(中野サンプラザにて筆者撮影)

中野区長(酒井直人さん)、中野区議会議長(酒井たくやさん)、中野サンプラザ代表取締役会長(金野晃さん)、同代表取締役社長(佐藤章さん)及び跡地再活発事業者を代表して野村不動産代表取締役社長(松尾大作さん)によるメッセージがあり、ゲストの“サンプラザ中野くん”さんから花束贈呈などが行われた。

金野会長は、東日本大震災で帰宅困難者を受け入れたり、コロナ禍でしばらく休館を余儀なくされたりといった歴史もあり、人が集い交流する50年だったと振り返った。最後は、中野サンプラザの従業員の方々が一斉に並び、別れを惜しんだ。

最後に挨拶をした中野サンプラザの従業員の方々(筆者撮影)

最後に挨拶をした中野サンプラザの従業員の方々(筆者撮影)

セレモニーの前、最後の山下達郎さんのコンサートが開催されているときから、中野サンプラザ前の広場に多くの人が集まり始め、正面玄関のガラス越しに隙間なく立ち並んで、セレモニーの様子を見守っていたのが印象的だ。この中野サンプラザが成人式の会場だった筆者としては、感慨深いものがあった。

跡地は「(仮称)NAKANOサンプラザシティ」へと変貌する予定

さて、跡地については、野村不動産を代表とするグループ(共同事業者:東急不動産、住友商事、ヒューリック、東日本旅客鉄道)が、中野区と「中野駅新北口駅前エリア拠点施設整備の事業化推進に関する基本協定書」を締結し、再開発することが決まっている。事業者によると「本事業は同エリアの象徴的な存在である中野サンプラザの機能を再整備する事業でもあることから、文化を原動力としたまちづくりを目指し生活・産業・交流を活性化させるため整備を図っていく」ということだ。

中野駅新北口駅前地区第一種市街地再開発事業 建物完成イメージ

中野駅新北口駅前地区第一種市街地再開発事業

野村不動産等の事業者の資料より転載※この地図は、国土地理院発行の地理院地図(電子国土Web)を使用したものです。

低層棟には、最大7000人収容の大ホールとライフスタイルホテル、バンケットホールなど従来の施設を継承する機能、高層棟にはオフィスや住宅・商業施設が入る予定だ。また、事業者が立ち上げるエリアマネジメント協議会が事務局となり、地域の活性化につながるさまざまな活動を展開していくという。

ほかにも、中野駅とホールをつなぐ歩行者空間や広場の整備なども計画しており、2028年度内の竣工を目指すということだ。

中野駅周辺には100年に1度の再開発が進行中

実は、中野駅周辺では、100年に1度といわれるほど、開発計画が目白押しだ。

すでに、2012年には警察大学校跡地に「中野四季の都市(まち)」ができ、四季の森公園の周囲のオフィスビルに、キリンビールなどの企業を誘致した。その後、3つの大学(早稲田大学、帝京平成大学、明治大学)の新キャンパスも開校するなど、活気ある街になっている。なお、中野区役所は「中野四季の都市(まち)」の一部、北東エリアへ移転する。

姿がはっきりしてきたのは、中野駅南口の公社中野駅前住宅跡地周辺(中野二丁目地区)の開発事業だ。業務棟と住宅棟(住友不動産の賃貸マンション)の2棟が工事中で、2023年度に竣工予定だ。

駅自体も再開発の対象だ。「中野駅西側南北通路・橋上駅舎等事業」によって、2026年に新たに西口が誕生する。歩行者専用道路である「南北通路」と「橋上駅舎」、「駅ビル」を一体の建物として建設する計画だ。

中野駅周辺まちづくり事業一覧

中野区の「中野駅周辺まちづくり事業一覧」より抜粋転載

中野駅周辺は、中野サンプラザ跡地だけでなく、駅前広場の整備や駅の利便性向上なども考慮した、連携した再開発計画が進んでいる。昭和の名建築が取り壊されることは残念ではあるが、この後の数年間で街が一気に様変わりすることになる。

セレモニーでゲストとして登壇したサンプラザ中野くんさんは、「今日で閉館となるが、2028年にはまた中野サンプラザという名前が戻ってくる。その間は、自分が名前を守っていく」とスピーチしていた。新しい街がどんな街になるのか、筆者も見守っていきたい。

●関連サイト
・さよなら中野サンプラザ音楽祭最終日!50 年の歴史のクロージングセレモニー 開催
・中野駅周辺まちづくり

“人口減少先進地”飛騨市、移住者でなく「ファン」を増やす斬新な施策!お互いさま精神で地域のお手伝いサービス「ヒダスケ!」

岐阜県の最北端に位置する飛騨市は、アニメ映画『君の名は。』のモデルとしても知られる景観が美しいまち。一方で、人口減少率が日本の30年先を行く、まさに「人口減少先進地」でもある。そんな人口減少の状況を「止められないもの」として真正面から受け止め、取り組んでいる。

令和4年度に、「地域を越えて支え合う『お互いさま』が広がるプロジェクト『ヒダスケ!』」が見事、「国交省まちづくりアワード」第1回グランプリを受賞! 飛騨市役所の上田博美さんと、飛騨市地域おこし協力隊の永石智貴さんにお話を聞いた。

飛騨市を推す人たちを“見える化“するファンクラブが原点

2004年に2町2村が合併して誕生した岐阜県飛騨市。飛騨高山が観光地として知られる高山市や、合掌造りで有名な白川村と隣接し、人口は2万2549人(2022年12月1日現在)、高齢化率は40.05%となっている。

「ヒダスケ!」誕生の前には、「人口減少先進地」としての課題解決のために、「飛騨市に心を寄せてくださる方を見える化しよう」と設立された「飛騨市ファンクラブ」の存在があった。

飛騨市役所の上田さんは話す。「飛騨市は、2015年からの30年で、全国平均の倍のスピードで人口減少すると予測される過疎地域です。現在、すでに2045年の日本の高齢化率を上回っているという現状があります。一方で、2016年に公開されたアニメ映画『君の名は。』で、聖地巡礼に来てくれる人たちが増えました。それ以外にも、スーパーカミオカンデで知られ、古川まつりはユネスコ無形文化遺産に登録されています。これまでも、観光などで飛騨市に来てくださる方などの存在に気づいていましたが、名前などがわからず、連絡を取ることができませんでした。そこで、飛騨市に心を寄せてくださるファンの方を見える化して、直接コミュニケーションが取れる仕組みを構築しようと考え、2017年1月に『飛騨市ファンクラブ』を立ち上げました」

飛騨市ファンクラブ「ファンの集い」の様子。前列中央は都竹淳也飛騨市長(写真提供/飛騨市役所)

飛騨市ファンクラブ「ファンの集い」の様子。前列中央は都竹淳也飛騨市長(写真提供/飛騨市役所)

「飛騨市ファンクラブ」の入会金や年会費は無料で、入会すると会員証や、希望者にはオリジナル名刺がもらえる。さらに、市内の対象施設で利用できる会員限定の宿泊特典や、市内の協力店舗でおトクに飲食や買い物ができるクーポンの配布も。また、飛騨のグルメを味わいながらのファンの集いやバスツアーなどに参加できることも大きな魅力だ。現在、会員は1万200人を突破している。

イベントを開催しながら会員と交流すること約3年。
「『スタッフとしてイベントをお手伝いさせてください!』と、わざわざ遠方から飛騨市へ足を運んでくださる会員さんが何人も現れたのです。そこで、この方達は、地域と関わる“関係人口”だといえるのではないか?と気がつきました」と上田さん。

「このような方達はどのようにして生まれ、またどのくらいいるのか」を検証するために、1年がかりで実験や研究を実施。その中で、「関係人口に関わるアンケート」を全国5000人を対象に行った。

「するとアンケートの結果から、関係人口と移住への興味は、必ずしもイコールではないことがわかりました。また、関係地となる地域へは、長期的な滞在よりも、1度訪れたことがあるかどうかが重要であることや、その地域で『嬉しかった・楽しかった』、また『役に立った』という経験が、愛着度を高める要因であることもわかりました」
その結果や実験を踏まえて誕生したのが、「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」だった。

飛騨市+お助け=「ヒダスケ!」。困りごと解決のマッチングサービス「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」のトップ画像

「飛騨市の関係案内所 ヒダスケ!」のトップ画像

2020年に誕生した「ヒダスケ!」は、飛騨市内にあるさまざまな困りごとを交流資源として、その困りごとに対して地域内外の人の力を借りて、楽しく交流しながら課題解決し、支え合いを生み出すというマッチングサービスだ。

ヒダスケとヌシの関係図(画像提供/飛騨市役所)

ヒダスケとヌシの関係図(画像提供/飛騨市役所)

「ヒダスケ!では、プログラム主催者を“ヌシ“、参加者を“ヒダスケさん“と呼んでいます。“ヌシ“のお困りごとを、事務局と“ヌシ“が相談しながらプログラム化していき、ネットで参加者を公募します。“ヒダスケさん“は自分が関わりたいプログラムに申し込み、現地またはオンラインで“ヌシ“を助けて、“ヌシ“は“ヒダスケさん“に“オカエシ“します。例えば、農作業を手伝ってもらったら、終わってからお茶菓子を一緒に食べて交流したり、オカエシに農産物を差し上げたりします。また、飛騨市や高山市、白川村で使える“さるぼぼコイン “という電子地域通貨500円分もお渡ししており、ヒダスケ!が終わった後も、飛騨のお店でお買い物や飲食を楽しむことができます。ボランティアや体験ツアーとの違いは、オカエシがもらえるということ以上に、地域の人と楽しく交流し、つながる体験ができることが大きいと思います」と上田さん。

2020年4月から2022年10月までに162プログラムを行ってきた「ヒダスケ!」。ホームページの「プログラム一覧」を見ると、たとえば「稲刈り」や「棚田の草取り」など、飛騨市の「困りごと」が並ぶ。毎年11月ごろには、雪が降る前に、街中の川にいる約2千匹の鯉を溜池に引越しさせるプロジェクトもある。

関わることができるジャンルもさまざまで、「農業編」や「景観保全作業編」、オンラインで参加できるプログラムなどがあり、興味や特技を生かして参加できそうだ。

川にいる鯉を網などですくい、水槽に移して、軽トラックで溜池へ運ぶ(画像提供/飛騨市役所)

川にいる鯉を網などですくい、水槽に移して、軽トラックで溜池へ運ぶ(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシに、トマトを受け取るヒダスケの人達(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシに、トマトを受け取るヒダスケの人達(画像提供/飛騨市役所)

飛騨市を愛し、交流を求めて「ヒダスケ!」する参加者たち

もともと、前身の「飛騨市ファンクラブ」に入っていて、その流れで「ヒダスケさん」になった人も多いという。

参加者は、東京都や愛知県、石川県など各地から訪れる。多くは40代から60代で、長期の休みには、高校生や大学生も訪れるという。遠方では、ベルギーから日本へ働きに来ていた人が、休日を利用して参加し、ビニールハウスを建てる作業を楽しんだこともあるという。また、コロナ禍と重なり、一時期は岐阜県内からの参加者を募った時期もあったそう。

地元の高校生が発案した、高校生×ヒダスケのコラボ企画。池田農園で薪割りとミニトマトの収穫(画像提供/飛騨市役所)

地元の高校生が発案した、高校生×ヒダスケ!のコラボ企画。池田農園で薪割りとミニトマトの収穫(画像提供/飛騨市役所)

池田農園で薪割りのお手伝いをする高校生(画像提供/飛騨市役所)

池田農園で薪割りのお手伝いをする高校生(画像提供/飛騨市役所)

「ヒダスケ!」は現地集合・現地解散。それでも、「そこまでして飛騨市を愛してくれる方々が、ヒダスケさんになってくれています」とのこと。

「交流を求めて参加する皆さんは、『農作業が好きだから楽しかった』とか、『ヌシから、自分の生活範囲では聞けないような話が聞けてよかった』と言ってくれます。一緒に農作業したヌシの熱い思いに触れて、ヌシや飛騨市のことが好きになり、その人から農作物を買うなど、ヌシへの応援を続けてくれるヒダスケさんもいますし、参加者同士が仲良くなって連絡を取り合い、次回は一緒に参加するなど、輪を広げているというケースも耳にします」

「けさ丸りんご園」では、りんごあめのラベルやリーフレット作りのプログラムも実施(画像提供/飛騨市役所)

「けさ丸りんご園」では、りんごあめのラベルやリーフレット作りのプログラムも実施(画像提供/飛騨市役所)

「楽しく交流しながら支え合いを生み出す」という当初の理念通り、全国各地に助け合いの輪が広がり始めている。

魅力維持の原動力に繋がった、ヌシ側の心の変化

それでは、迎えるヌシ側の心境はどうなのか。ヌシになる人を探したり、ヌシと一緒にプログラム内容を考えたりする、飛騨市地域おこし協力隊の永石さんにお話を聞いた。

「ヒダスケ!のプログラムは、工夫次第でどんな内容でもつくることができますが、しばらくは、ヌシになることに対して敷居の高さを感じている人が多かったようです。飛騨市の人はおもてなしの精神が強いだけに、『自分でできることなのに手伝ってもらうのは申し訳ない』と思ってしまったり、オカエシをプレッシャーと感じてしまったりしていたのです。そこで、僕たちが住民の皆さんと直接話し、雑談の中からお困りごとを見つけるようにしました」

子どもたちもお手伝いした障子張り(画像提供/飛騨市役所)

子どもたちもお手伝いした障子張り(画像提供/飛騨市役所)

「各地から人を呼んで、わざわざ日常のことを頼んでいいのか」と躊躇してしまう住民たちに寄り添い、根気強く話し、推進してきた。

「もちろん、外の人を受け入れるヌシ側も、ヒダスケさん達をただの労働力だと思っていては意味がありません。取り組みを理解してもらうまでには、時間がかかると思いますが、住民が外の人と交流しながら作業することで、関係人口についても考えてもらえればいいですね」

自然と共存する飛騨市では、農作業を含め、数限りない大小の困りごとがあるものの、ちょっとしたことであれば「頑張れば自分でできる」と踏ん張る高齢者が多いという。そんな時、永石さんは「できなくなってから手伝ってくれる人を探しても遅いから、今から始めよう」と伝えているという。

収穫期の稲刈りは人気のプログラムの一つ(画像提供/飛騨市役所)

収穫期の稲刈りは人気のプログラムの一つ(画像提供/飛騨市役所)

例えば『高齢になり、大きな荷物を捨てに行くことができない』というようなお困りごともOKです。農家の畑の雑草取りを“エ草サイズ“と名付けて、参加者にエクササイズ感覚で作業してもらったこともあります」

飛騨市役所の上田さんも話す。「地域外の方を受け入れる人たちの気持ちにも、ヒダスケ!などの取り組みを通して変化が現れてきているように思います」

好例が種蔵(たねくら)地区だ。全国的にも珍しい、石積みの棚田が広がる種蔵地区では、80代のお年寄りも鍬(くわ)を担いで急勾配を上り下りし、農作業を行っている。

ヒダスケ!によって青々としたミョウガ畑が復活した種蔵地区(画像提供/飛騨市役所)

ヒダスケ!によって青々としたミョウガ畑が復活した種蔵地区(画像提供/飛騨市役所)

種蔵地区はミョウガが特産品の1つだが、高齢化により休耕地となってしまう農地もある。そこでヒダスケ!を活用し、「myみょうが畑」としてオーナーを募集。ミョウガ畑の草刈りや間引き、収穫などを行った。それにより、これまでに953平米ものミョウガ畑が復活することになった。

「ヒダスケ!に限らず、さまざまな人や団体が種蔵地区と関わり、景観の維持ができただけでなく、そこに住む人々の気持ちにも前向きな変化が現れています」

飛騨市を愛するヌシたちを助け、交流するために参加する人も多い(画像提供/飛騨市役所)

飛騨市を愛するヌシたちを助け、交流するために参加する人も多い(画像提供/飛騨市役所)

また、ヒダスケ!をきっかけに、地域の内外での往来や助け合いが自然と生まれるようになったという。さらに、プログラムに参加した移住者と地域の人がつながる仕組みとしても機能しているとのこと。

困りごと解決から魅力を発掘し、地域力アップ

2022年12月時点のヒダスケ!人数は1487名。
「来てくれたからには、ヒダスケ!参加者に楽しんでほしい」と話す永石さん。内容により、参加者の集まりにばらつきがあるので、今後はどんな企画を用意して、どのように広報していくかが課題だという。

「今後は、古民家の修繕や改装などを考えています。地域の人が困っていることは、募集していること以外にもいろいろあるので、内容は何でも、その都度合わせていければ。また、これまでは日にちを指定して、参加者に申し込んでもらっていましたが、これからは『この1カ月で作業できる日は?』と幅を持たせて呼びかけ、人が集まりやすい日にプログラムを実施するなど、やりたい人に合わせていく方法も考えています」と永石さんは計画を語る。

20代から60代までが三又鍬を使って「田おこし」を実施(画像提供/飛騨市役所)

20代から60代までが三又鍬を使って「田おこし」を実施(画像提供/飛騨市役所)

上田さんも話す。
「関係人口を形成する方達との関わりは、地域の人を元気にするチカラがあると思います。地域の人にとっては当たり前に感じていたことも、ヒダスケ!を通して魅力だと認識できるので、ここに住んでよかったと思い、守り続けようという気持ちにも繋がっていくはずです。これからも、飛騨市でまだ眠っている困りごとと共に、魅力を掘り起こして、関係人口を増やしていきたいです」

また、「こういった助け合いは、飛騨市だからできることではなく、どの地域でもできること」と上田さん。すでに「ヒダスケ!」を参考に、島根県で「しまっち!」というマッチングシステムが運用されている。

島根県のマッチングシステム「しまっち!」のロゴ

島根県のマッチングシステム「しまっち!」のロゴ

「最終的には、ヒダスケ!のようなシステムがなくても、助け合いが自然と生まれるような社会になれば。人口が減っていく中でも、関係人口との関わりで地域が元気になることが理想です」と上田さんは結んだ。

移住する「定住人口」とも観光に来た「交流人口」とも、違う形で地域と関わる“関係人口“。興味を持った地域があれば、誰でもいつでもどこからでも、関係を深めにいくことができるはずだ。

農作業のオカエシで、「さるぼぼコイン」500ポイント分をゲット!(画像提供/飛騨市役所)

農作業のオカエシで、「さるぼぼコイン」500ポイント分をゲット!(画像提供/飛騨市役所)

筆者の父の郷里も飛騨地域。オンラインでの取材後、映画『君の名は。』を見直すと、祖父母も使っていた飛騨弁が懐かしかった。そういえば祖父母が他界して以来、飛騨を訪れる機会や理由は減ってしまった……。

そこで考えたのは、「生まれた場所に関わらず、多くの人が、全身でリフレッシュできるような心のふるさとを持ちたいものでは」ということ。とはいえ、どの地域を選んだらいいかわからない。こちらが勝手に「心のふるさと」に決めていいものか……!? そんな迷いを、お互いさまであるヒダスケ!の仕組みが払拭してくれそうだ。

全国のヌシたちは、あなたとの関係づくりを、きっと待っている。

●取材協力
・ヒダスケ!
・飛騨市役所